終末のイゼッタ 偽りのフルス(完結) (ファルメール)
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第01話 二人の魔女

 

 夢を見た。

 

 ずっと昔、おばあちゃんと二人で土地から土地へと流離っていた頃の夢。

 

「お久し振りです。おばさま」

 

「わぁ、フルスさん!!」

 

「……その顔、二度と見たくないと言ったはずだがね?」

 

 おばあちゃんの怒った声を受けてもその女の人、フルスさんは嫌な顔一つせずに、にっこり笑って返した。

 

 フルスさんはとっても綺麗な人だった。整った顔立ち、濡れたように艶やかな黒い髪、紅玉のようにきらきら輝く瞳。私もいつか、あんな風になりたいと会う度に思っていた。

 

「冷たい事を言わないで下さいよ。私の一族とあなた方は確かに相容れない存在かも知れませんが、それでもこれまで争い無くやってこれたではないですか。それに私としてはイゼッタは可愛いし、貴女様の事は今でも尊敬し、お慕いしておりますのに」

 

「……お主等は何百年も、あまりに永く人の世の理に関わり過ぎた。力を、富を得る為の道具に使ってな。それでは白き魔女と変わらん。私らとは相容れない存在だ」

 

 フルスさんはにっこり笑って、そっと手を掲げる。その掌の中に、黄緑色に光る宝石のような輝きが生まれた。

 

「……私は子供の頃、とうに一族とは縁を切った身ですよ。人を殺して生きる事に、嫌気が差して……それに我が一族の血は、もう私と……私の娘にしか残っていません」

 

 フルスさんがそう言ったのを聞いて、おばあちゃんの目が丸くなった。

 

「……娘? お前、子供が生まれたのかい?」

 

「はい。今度、連れてきますね。身贔屓と言われるかも知れませんけど、とても良い子ですよ。イゼッタ、あなたは一人っ子だから妹ほしかったでしょう? きっとあの子も、あなたを気に入るわ。ただし、あなたや私と違って、力は持っていないけれど」

 

 フルスさんはそう言って、手の中にあった光を握り潰した。

 

「……そうか。力は、とうとう受け継がれなくなったか」

 

「はい。あなた方も、残った子はイゼッタだけ……我々の力はもう、次代に遺伝しなくなってきているのでしょう。だから私は、あの子には……魔女としてではなく、普通の女の子として幸せになってほしいのです。その為には、まずは私が普通の女として生きなければと、そう思いますから。だから私はもう、生涯この力は使わないと……そう決めています」

 

「……そうかい」

 

「……フルスさん、話が難しくて、分からないです」

 

 私がそう言うと、フルスさんはふっと笑って、頭の上に手を乗せてわしゃわしゃと撫でてくれた。

 

「難しい話じゃないわよ。あなたや私の子が幸せに生きられるように、私が精一杯頑張ろうって話よ」

 

「フルスさんは?」

 

「勿論、私も。イゼッタ、あなたや娘が幸せに、争い事などとは縁遠く……健やかに生きてくれるのが……私は、一番嬉しいわ」

 

 

 

 

 

 

 

 1939年。

 

 ヨーロッパの軍事大国ゲルマニアは、突如として隣国リボニアへと侵攻を開始した。

 

 これに対し、ブリタニア王国・テルミドール共和国はゲルマニアに宣戦を布告、戦争状態に突入する。しかし戦車と航空機を連携させた電撃戦によって周辺諸国はあえなく敗れ去り、拮抗すると思われていたテルミドール共和国をも破ったゲルマニアは、その牙をアルプスの小国・エイルシュタット公国へ向けようとしていた。

 

 1940年。エイルシュタットの公女フィーネは中立国ヴェストリアに在った。

 

 ブリタニア王国に大陸への再度出兵を要請する秘密会談を行う為である。

 

 だがこの動きも、ゲルマニアには露見してしまっていた。更に悪い事に、ゲルマニアによるエイルシュタットへの侵攻も同時期に開始されてしまう。

 

 ブリタニア王国外務大臣・レッドフィールド卿との会談の最中、踏み込んできたゲルマニア兵によって護衛は射殺され、フィーネ自身も囚われの身となってしまう。

 

 フィーネは輸送機にて、ゲルマニア帝都へと輸送される事となった。

 

 だがエイルシュタットの国境付近を飛行した時、輸送機が大きく揺れる。

 

 千載一遇の機会と拳銃を奪ったフィーネであったが、右腕を撃たれてしまい銃も取り落としてしまった。

 

 ここは上空、自分は手負い、眼前には銃口。

 

 万事休す。

 

 だが、その時だった。

 

 ベキ、ベキベキッ!!

 

 輸送機の扉がこじ開けられたような鈍い音と共に開いて、一人の少女が入ってきた。

 

「……ママを、返して」

 

「「……なっ?」」

 

 ゲルマニアの中尉も彼の部下も、フィーネも、誰もが同じ反応しかできなかった。

 

 ここは何百何千メートルという上空を高速飛行中の輸送機の機内。一体如何なる手段を以てすれば人間が身一つでここに入ってこれるのかと。

 

 しかもその少女は、幼い。年の頃は10に届くか届かないかぐらいに見える。黒髪は濡れたように艶やかで、健康的な褐色の肌と紅い目を持った小さな女の子。ますます、こんな所にこんな子が居る事が信じられない。

 

 しかし現実に、扉を無理矢理破って入ってきたその少女は待たしても力業で扉を閉めると、しばらくきょろきょろと周囲を見回して、そして中尉がこの場の最上位者と悟ったのだろう。ぼそりと尋ねた。

 

「……ママは、どこ?」

 

「「…………」」

 

 誰も答えない。回答が来るのを諦めたのか少女はきょろきょろと周囲を見回して、ポッドが二つ、機内の狭いスペースの半分を占領してどんと置かれている事に気が付いた。棺のようにも見えるが総金属製の全体はあちこちがパイプに繋がっていて、良く分からないがメーターが色々と付いている。

 

「そこ?」

 

 少女は信じられないほど素早く動くとポッドの一つに手をかけ、金庫のように頑丈に見えるそれをまるで紙細工のように引き千切ってしまった。

 

 人智も理解も超えた力業を目の当たりにして、フィーネも中尉も言葉を失っていた。その間に、少女はもぎ取ったポッドの蓋をぽいと捨ててしまって、中に入っていた物を覗き込む。

 

「……見付けた、ママ」

 

「う、うーん……ファルシュ。少し遅いわよ。助けに来てくれたのは嬉しいけどね」

 

 ポッドの中身、フルスは寝ぼけたように頭を押さえながらむくりと起き上がった。ファルシュと呼ばれた女の子は、気を悪くするでもなく頷いて返した。

 

「……ママはこっち……じゃあ、こっちは?」

 

 ファルシュは自分の母親、フルスが入れられていたすぐ隣のポッドに目を向けると、無造作に近寄って蓋に手をかける。今し方フルスのポッドにしたように引っぺがすつもりだ。その時、

 

 パン!!

 

 乾いた音が一つ。銃声だ。ゲルマニア兵の一人が、手にしていた拳銃を発砲したのだ。

 

 ファルシュの左肩に、穴が空いた。

 

「……」

 

 だが、ファルシュは痛みに呻いたり肩を押さえたりせずに、それどころか弾が当たった事すら気付いていないように動き続け、もう一つのポッドの蓋をもぎ取ってしまった。

 

 中に、閉じ込められていたのは。

 

 紅い髪をした、十代半ばぐらいの少女。

 

「「……イゼッタ?」」

 

 彼女を見たフィーネとフルスの声が、重なった。

 

 イゼッタはぼんやりと目を開き、視線がフルスとフィーネを行ったり来たりする。

 

「フルスさん……姫様?」

 

 虚ろだった瞳がしっかりしたものとなって、そして目線がフィーネの右肩、つい今し方中尉によって刻まれた銃創に固定された。

 

「姫様!!」

 

 瞬間、輸送機が爆ぜた。

 

 そうとしか形容できないほど、何の前触れも爆発も無くいきなりバラバラになったのだ。当然、フィーネもイゼッタも、フルスもファルシュも、中尉もその部下達も全員が全員、空中へと投げ出される事になる。

 

 イゼッタは空中で大型ライフルへと手を掛ける。すると次の瞬間に、超常が起きた。本来なら重力に従って落ちるだけの筈のそれがあらゆる物理法則を超越して動き出し、お伽話の魔女の箒のように彼女を乗せて空中を滑り始めたのである。

 

「……ここなら、力は使えるわね。いや、ファルシュ、あなたが来れたから分かるんだけど……」

 

 フルスは落ちながらそう呟くと、手の届く範囲を落下していた椅子に触れる。

 

 彼女が触った椅子は、イゼッタがライフルにした時と同じように重力に逆らって空中へと静止する。

 

「……ふう」

 

 これで一安心と、空中で椅子に腰掛けたフルスは大きく息を吐いて頬杖を付き、足を組んだ。

 

 すぐ傍らへと視線を向けると、ファルシュがこちらはライフルや椅子に乗ったりはせずにふわふわと空間に浮いて留まっていた。

 

「……おいで、ファルシュ」

 

「はい、ママ」

 

 母親に促されてファルシュは空中をスライドするように移動して、母の膝の上にちょこんと腰掛けた。

 

 遥か下へと視線を向けると、ライフルに跨ったイゼッタがフィーネを一緒に乗せて飛んでいるのが見えた。ひとまずは、自分もファルシュも、イゼッタもフィーネも無事。それは分かったが……

 

「……ママ、どうしたの?」

 

「いや……少し面倒な事になりそうだなって……そう思っただけよ」

 

 頭痛を感じた時にそうするようにこめかみを揉みほぐしつつ、フルスは気怠げに応じた。

 

 

 

 

 

 

 

 遠い遠い昔、エイルシュタットには白き魔女が居ました。

 

 白き魔女はエイルシュタット公国存亡の時に現れ、民を率いて国を救ったとされています。

 

 白き魔女の最期については諸説あります。自分の命尽きるその日まで結ばれた王子が愛したエイルシュタットを守り続けたとも、王子亡き後妃に疎まれ、家臣達にも疎まれて異端審問の後に火あぶりに掛けられたとも言われています。

 

 でも、彼女の行いがもたらしたものはそれだけでは終わりませんでした。

 

 魔女の一族は白き魔女の行動を受けて、決断を迫られました。

 

 ある魔女はこう言いました。

 

「我々魔女が人の世の理に関わってはならない。私達はこれまで通り自らを戒め、ひっそり生きるべきだ」

 

 またある魔女はこう言いました。

 

「私達は他の人より強い力を持っている。それを自分の為に用いて何が悪い。幸い私達の力が強い事は、白き魔女が証明してくれた。なぁに私達ならあいつよりも、もっと上手くやるさ」

 

 果てない議論の末、とうとう魔女の一族は二つに割れてしまいました。

 

 人の世と深く関わらず、自分達の力を隠して静かに生きる道を選んだ者達と、自分達の力を欲望の為に用い、富を得ようとした者達とに。

 

 それから、時は流れました。

 

 永い、永い時間。いつの間にか魔女が実在するものから、伝説の中だけの存在にすり替わるぐらいの時間が流れました。

 

 そして現在、分かたれた魔女の一族には、その力を受け継ぐ最後の生き残りが一人ずつ居ました。

 

 イゼッタと、フルス。

 

 これは戦乱の時代を駆けた、最後の魔女達の物語です。

 



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第02話 無手勝流

 

「……私が、私が分かる? ■■■」

 

 目を開けた時、私を覗き込む女の人の両目からは涙がぼろぼろと伝っていた。

 

 そっと私の頬を撫でる手は、どんな宝物を扱うよりも繊細に、でもしっかりと力を入れているのが分かった。

 

 私は、女の人にこう答えた。

 

「はい……分かるよ、ママ」

 

 そう答えて、女の人は最初に笑って……そして何かに気付いたようにはっとした顔になって、その後でずっと悲しそうな顔になった。

 

「……う……あ…………ああああああああっ!!!!」

 

 泣き崩れるその人の顔に、起き上がった私はそっと手を添えた。

 

 顔を上げた女の人……ママに、私は出来うる限りの笑顔を浮かべて、言った。

 

「ママ……どうか……泣かないで」

 

 

 

 

 

 

 

 火照った肌に心地良い風を受けながら、空飛ぶ椅子にふんぞり返ったフルスは周囲を見渡した。

 

 上は雲一つ無い蒼穹、下は緑なす大地。

 

 一言で言い表すなら絶景。人間などとてもちっぽけな存在だと、実感させてくれるような景色だ。

 

 しかし今は、のんびりと風景を見物している訳には行かなさそうだった。

 

 下から、空飛ぶライフルに跨って傍らにフィーネを抱えたイゼッタが上がってきていた。

 

「フルスさん!!」

 

「イゼッタ、大丈夫?」

 

「は、はい。私は……でも、姫様が……!!」

 

 フィーネの右上腕部の衣服は紅く染まっていて、そのシミは徐々に面積を広げている。銃創からの出血が、止まっていないのだ。

 

「早く、下に降りて手当を……!! 姫様……」

 

「待て……降りるなら、あの山を越えてくれ……我がエイルシュタットの砦がある……」

 

 そう指示するフィーネの声は途切れ途切れで、弱々しい。と、フィーネの視線がフルスへと向いた。

 

「そなたは……イゼッタの他にも……魔女が……居るのか……?」

 

「お初にお目にかかります、フィーネ公女。私の名はフルス。遠い昔にイゼッタの一族とは袂を分かった……傍流の魔女にございます。こちらは私の娘で……」

 

「……ファルシュ」

 

 母の膝の上で、小さな女の子はぺこりと頭を下げた。が、いきなりびくりと顔を上げて明後日の方向を睨み据えた。

 

「どうしたの? ファルシュ」

 

「……ママ、ひこーきが来る」

 

 すっと小さな指が差した先の空に、数個の点が浮かんでいた。その点は、段々と大きくなってきている。近付いてきているのだ。こっちに向かってくる。

 

 さっきまでは風の音に掻き消されて聞こえなかったが、エンジンの爆音が聞こえてきた。

 

「ゲールの……戦闘機だ」

 

「……恐らく、さっき輸送機が落ちたのを察知して来たのね」

 

 難しい顔でフルスが言う。とすれば、あの戦闘機からは自分達は輸送機を落とした敵という事になる。

 

「……!!」

 

 イゼッタはきゅっと唇を一文字に結ぶと、すっと手をかざした。その掌の中に、宝石のような黄緑色の輝きが生まれる。フルスも同じように手をかざす。彼女の掌の中にも、イゼッタのものと同じぐらいの大きさの光が生まれた。

 

「ここなら……やれる!! フルスさん、力を貸して下さい!!」

 

「……あれを落とすのは構わないけど……でも、敢えて戦う必要も無いかも知れないわよ。イゼッタ」

 

 協力を求めるイゼッタの視線を受けて、しかしフルスは面倒臭そうに頬杖を突いたままで応じた。

 

「え?」

 

「……イゼッタ、ここからはなるべくゆっくり飛びなさい」

 

「え? そ、そんな!! 速度を落としたら追い付かれて……」

 

「私を信じなさい」

 

「……は、はい」

 

 どっしりとした態度と同じく、自信を感じさせる声でそう言われたイゼッタは納得は未だ半分という所ではあるが、ひとまずフルスを信じる事にしたらしい。跨ったライフルの速度を緩める。同じようにフルスも、ふんぞり返っている椅子の飛行速度を落とした。

 

 高速で飛行するゲールの戦闘機は簡単に二つの飛行物体を追い抜いて、大きくターンしてまた戻ってくる。

 

 しかしイゼッタのライフルとフルスの椅子、そのどちらも捉えられずに、何度もゆっくり飛ぶ二人の周りをぐるぐる飛ぶだけだ。

 

「フルスさん、これは……」

 

「イゼッタ、覚えておきなさい。飛行機が……特に近代の戦闘機が空を飛ぶには、一定以上のスピードが出ていなくてはならないの。今の私達のカタツムリのような速度に飛行機が付き合おうとすれば、連中は失速して墜落してしまうわ」

 

 どやっ、とでも言いたげな得意げな顔になるフルス。しかしすぐ真顔に戻って解説を続ける。

 

「そして飛行機が飛び続ける為には燃料が必要。燃料をギリギリまで使い切る事は出来ない。少なくとも基地に戻るまでの燃料は温存しておかなくちゃいけないからね」

 

「……このまま頑張っていれば、勝手に連中は帰っていく?」

 

 母の体に掴まりつつ、ファルシュが尋ねる。しかし、それに否を唱えたのはフィーネだった。

 

「……ゲールは、そこまで甘くは……あるまい……」

 

 そう言われても、フルスは少しも慌てた様子を見せなかった。

 

「で、しょうね。連中としてはこんな物珍しい手合いは強制着陸させて捕虜にしたい所ではあるでしょうが……それが出来ぬとあらば……」

 

「……ママ、奴等の動きが変わったよ」

 

 先程までは大きく円を描く軌道で自分達の周りを周回するだけだったのが、旋回角度が目に見えて鋭くなった。そしてまっすぐこちらへと向かってくる。

 

「フルスさん、これは……!!」

 

「……私達を撃ち落とす気になったようね」

 

 捕らえられないなら、殺す。実に分かり易い。

 

 淡々とフルスにそう告げられて、イゼッタは顔を引き攣らせた。

 

「そ、それじゃ今度こそ戦わなきゃ……!!」

 

「必要無いわ」

 

「で、でも!!」

 

「私を信じろと、そう言ったわよ? イゼッタ」

 

「けど……このままじゃ……!!」

 

「イゼッタ、それより私が合図したら、上下左右のどっちかに思い切りそのライフルの軌道を振りなさい」

 

「フルスさん!!」

 

「いいから、私の言う通りにしなさい」

 

「……っ、分かりました」

 

「ん、いい子ね」

 

 イゼッタの了承の返事を受けると、フルスは体を大きく捻って背もたれ越しに後方から接近する戦闘機をじっと見据える。

 

 4機は、どんどんと自分達へと距離を詰めてくる。イゼッタとフィーネも、後ろを向きながら瞬きもせずに敵機を睨んでいた。

 

「今よ!! 振って!!」

 

「は、はい!!」

 

 イゼッタの返事とほぼ同時にライフルは上に、椅子は左へといきなり十数メートルも軌道を逸らした。

 

 戦闘機の機首に据え付けられた機関銃が火を噴くが、しかしその火線はイゼッタのライフルもフルスの椅子も撃ち抜く事は叶わず、虚しく空間を薙ぐだけに終わった。戦闘機はそのまま二人を追い越して遥か前方へと通り過ぎていく。

 

 すると今度はターンして前方から向かってくる。

 

「フルスさん……」

 

「まだまだ……慌てない慌てない……今よ!!」

 

 再び、今度はイゼッタは下へ、フルスは上へと乗り物を移動させた。

 

 銃撃は今回も何も無い場所を吹っ飛んでいった。

 

「……これは……」

 

 不思議そうなフィーネの視線を受け、ふふんとフルスは笑みを見せた。

 

「公女殿下。飛行機と私達魔女の飛行の一番の違いは、運動性です」

 

「運動性?」

 

「そう。あいつらの旋回半径は何百メートルかですが、私達はほぼゼロ」

 

「それは……つまり……」

 

「時速何百キロと出る近代科学の結晶が、カビが生えたお伽話のような私達を撃ち落とすのは至難の業という事ですわ。公女殿下」

 

 その後も戦闘機の攻撃は何度か続いたが、イゼッタ達は全て同じパターンで回避してしまった。

 

 そうしている間に、フルスの狙い通り燃料が尽きたのだろう。戦闘機は彼女達の周囲を飛び回るのを止めて、ゲルマニア帝国本土の方角へと飛び去っていった。

 

「……助かった……のか?」

 

「……ひとまずは、ですが」

 

 フィーネに頷いて返すと、フルスはイゼッタへ視線を向けた。

 

「ね、イゼッタ。わざわざ戦うまでもなかったでしょう?」

 

「……は、はい。フルスさんの言う通りでした」

 

「うん、ではイゼッタ……山を越えるとしましょうか」

 

「はい!!」

 

 ライフルと椅子は自転車ぐらいのスピードしか出ていなかった先程からは打って変わって、空間に影すら残さない程の速度にまで加速すると一気に山脈を飛び越えた。眼下に広がるのは一面の緑。森林が広がっていた。

 

「姫様、山を越えました!!」

 

 イゼッタは喜んだが、しかしそうしてばかりもいられなかった。がくん、とライフルが傾いてスピードが大きく落ちる。フルスの椅子も同じようだった。

 

「これは……魔力が……!!」

 

「……この辺りは薄いようね。幸い下は森だし……何とか、ゆっくり着陸させましょう。イゼッタ、公女殿下をしっかり掴んでいなさい」

 

「は、はい!!」

 

 ぐっ、とフィーネを支える手に力を込めるイゼッタ。フルスも片手は相変わらず頬杖を突きながら、もう片手ではしっかりファルシュを掴んでいた。

 

 空飛ぶライフルと椅子は徐々に高度を落としていき……やがて木立の中に隠れて、見えなくなった。

 



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第03話 イゼッタとフルス

 

 痛い。

 

 痛い痛い。

 

 痛い痛い痛い痛いイタイイタイイタイ痛痛痛痛痛痛ーーーーー。

 

 覚悟はしていた筈なのに、その激痛は簡単に私の想像を上回った。

 

 噛み締めた歯茎からは血が滴って、握り締めた棒がミシリと鳴るのが意識のどこかで聞こえてきた。

 

 確かこれが始まったのが午前2時過ぎだった。

 

 今頃は夜明けだろうか? それともまだ5分と経っていないのだろうか? それすらも分からない。どうでもいい。

 

 だけど痛みの一色だけに塗り潰されていた意識に、少しだけ別の色が入ってきた。

 

 聞こえてきたのは、音楽で使う「ラ」の音に近かった。

 

 涙に滲んでいた視界に、紅い色が入ってくる。

 

 そっと差し出されたものを、私は朦朧とする意識の中で受け取った。

 

 ずしりと、生まれてから22年、この人生の中で感じた事の無いような重みが伝わってきた。

 

 こんな時でも、私は心の奥底で「これを簡単に毀せるな」と思ってしまっていた。

 

 でも同時に、そんな事を絶対にしないだろうとも確信していた。私は今、壊れやすい宝物を抱いているのだ。この世界に、今私の手の中にあるものほど大切なものは無いように感じられた。

 

 そして、理解した。

 

 私は今この時の為に生まれ、生きてきたのだ。

 

 そしてこれからの命の全てを、この子の為に遣うのだろう。

 

 この世界のあらゆる残酷さから、この子を衛る為に残る時間の全てを消費するのだろう。

 

「生まれてきてくれてありがとう……■■■……」

 

 

 

 

 

 

 

「姫様、姫様、姫様……!!」

 

 何とか森の中に軟着陸(不時着とも言う)したイゼッタとフルス。しかし取り敢えずゲールから逃げ出したと、安堵する。

 

 ……訳には、行かなかった。そんな暇も無かった。

 

 イゼッタに抱かれたフィーネはぐったりと意識を失っていて、彼女の呼び声にも反応を示さない。

 

「落ち着いて、イゼッタ」

 

 乗ってきた椅子から立ち上がったフルスが、そっとイゼッタの肩に手を置いた。

 

「患部を見るわ、服を脱がせるから手伝って」

 

 落ち着いた声でそう言われて、イゼッタははっとする。そうだ、慌てふためいている場合じゃない。今は姫様の命を救う為に、精一杯の事をしなくちゃ。

 

 だが指示された通りにフィーネの服を脱がせてケガした右腕を目の当たりにすると、改めて顔が蒼くなった。上腕部の肉が抉られていて、血が今も出続けている。

 

「……ファルシュ、いつもの針と糸持ってる?」

 

「ん」

 

 母の指示を受けて、ファルシュは黒いローブのような服の懐をごそごそ探ると、縫合キットを差し出した。

 

「それと消毒薬」

 

「ん」

 

 再びファルシュは懐を探ると、今度は小瓶を取り出して母に渡す。

 

「後、包帯も」

 

「どうぞ」

 

 三度同じやり取りが繰り返されて、フルスは「うん」と頷いた。

 

「……幸い、と言うべきか弾は抜けているわ。消毒して縫合し、包帯を巻くわ。ひとまずの応急処置だけど……しないよりはずっと良いわ」

 

「よ、用意良いんですね……フルスさん」

 

「……まぁ、ね。あなたにも処置を手伝ってもらうわよ、イゼッタ」

 

 フルスは顔を上げずにイゼッタに相槌を打つと、集中しきった顔でフィーネの治療を開始していく。

 

「わぁ……」

 

 思わず、感嘆の声が出る。

 

 イゼッタには専門的な医療の知識など無いが、それでも目の前の女性の腕前が凄い事は分かる。フルスの指先は少しも戸惑ったりせずに滑らかに動き、次々に的確な処置を済ませていく。

 

「フルスさん、凄い……!!」

 

「……別に凄い事はないわ。慣れてるだけよ」

 

「……慣れてるって、何にですか?」

 

 問われてフルスは、視線だけ動かしてイゼッタを見た。

 

「……人の肉を縫う事に」

 

 そんな二人の後ろで、ファルシュは倒木に退屈そうに座り込んでいたがふと、思い出したように腕を動かした。

 

 何か、左腕だけ動きに違和感がある。

 

 この時、ファルシュは思い出した。そう言えば飛行機の中で肩を撃たれていたのだった。

 

 少女は右手の指先を左肩の傷口に突っ込むと、粘土の中に入った石を捜すように指先でグチュグチュとこねくり回す。

 

「……」

 

 こんな作業を行っているのに、幼女は眉一つ動かさず汗も掻かない。表情は無表情のまま動かない。

 

 ややあって、人差し指に固い感覚が当たった。ファルシュは”それ”を摘むと、思い切り引き抜いた。

 

「……」

 

 とても原始的な手段で摘出した弾丸をファルシュは珍しい形の石を拾った時のようにしげしげ眺めていたが、それにも数秒で飽きたらしい。ぽいっと捨ててしまった。

 

 

 

 

 

 

 

「……公女殿下は、山の向こうに砦があると仰っていたわね。そこでなら、本格的な治療が受けられるでしょう」

 

 応急処置が済むと、ファルシュは立ち上がった。続いて、イゼッタも腰を上げた。

 

「じゃあ、姫様は私が……」

 

「ファルシュ」

 

「はい、ママ」

 

 ファルシュはその細腕でフィーネの体を掴むと、藁人形のようにひょいっと持ち上げてしまった。

 

「ファ、ファルシュちゃん?」

 

「……この子は力持ちだから。力仕事は任せておけば良いのよ」

 

 と、フルスは言う。しかしイゼッタは「ええ……」と困惑顔だ。

 

 すらりとしたフィーネの体はそれは軽いだろうが、それでも8歳ほどのファルシュよりはずっと大きい。なのにファルシュはそのフィーネを抱えてまるで重さを感じてはいないようだった。

 

「……では、行きましょうか」

 

 フルスはこれ以上議論をする気は無いようだった。ずんずんと進んでいく。ファルシュも、人を一人おぶっているとは到底思えない軽やかな足取りで母の後を付いていく。呆然としていたイゼッタが、最後尾を歩いていった。

 

「あの……フルスさん?」

 

「何? イゼッタ」

 

「これ……やっぱりフルスさんがした方が良いんじゃ……」

 

「良いのよ、あなたがしていなさい」

 

 イゼッタの両足には、フィーネの処置を行うのに余った分の包帯が巻かれていた。裸足よりはマシという程度ではあるが、舗装もされていない山道を歩くには随分と助けになる。しかし残念ながら包帯はイゼッタの分だけで、フルスの足に巻く分は無かった。彼女は輸送機から脱出した時と同じ裸足で山道を歩いていて、細かい傷があちこちに付いている。

 

「……どうして、ここまで助けてくれるんですか?」

 

 イゼッタが、遠慮しがちな目で尋ねる。

 

 おばあちゃんから、私達の一族とフルスさんの一族は、ずっと仲が悪いと聞かされていたのに。

 

 問いを受けたフルスは、ちらりとイゼッタを振り返った。

 

「……」

 

 一瞬だけ躊躇ったように言葉に詰まると、微笑する。

 

「……私があなたの事を好きだから。それじゃあ理由にならないかしら? それにもう、残った魔女はあなたと私だけ。同病相憐れむ……ってヤツよ」

 

「ドウビョ……?」

 

 イゼッタの可愛い反応に、フルスはプッと吹き出した。

 

 そっとかざした手に、先程空中で作ったものよりはずっと小さな輝きが生まれる。

 

「同じ悩みを持った者が、助け合うって意味よ。この……祝福にして呪いを宿す身だからこそ……ね」

 

「はぁ……」

 

「逆に私からも聞いて良いかしら? イゼッタ」

 

「は、はい……」

 

「あなたと公女殿下はお知り合いのようだけど……魔女とお姫様。ちょっとどんな関係なのか私には想像付かなくてね……勿論、話したくないなら良いけど」

 

「あ、いえ……そんな事……」

 

 わたわたと手を振って、その後深呼吸するように間を置くとイゼッタは話し始めた。

 

「……姫様は私の、命の恩人なんです」

 

 まだ幼く、力を扱い慣れていない自分に、魔女とか関係なく接してくれた事。

 

 無知と偏見から来る村人達の悪意から、身を挺して自分を庇ってくれた事。

 

 初めて、自分を友と呼んでくれた事。

 

 凄く痛い筈なのに、自分に笑顔を向けてくれた事。

 

「あの笑顔を見た時、私は誓ったんです。姫様の為なら何でも出来る。何でもしようって」

 

 ファルシュの背で眠るフィーネを見ながらそう語るイゼッタの顔は、とても嬉しそうで楽しそうだった。

 

 フルスは、少しだけ眼を細める。

 

「イゼッタ……」

 

「はい?」

 

「……私は貴女が羨ましい」

 

「え?」

 

「いえ……何でもないのよ。忘れて」

 

 そう言って頭を振ると、フィーネへと向き直った。

 

「私も……もっと早くに公女殿下……いえ、フィーネ様とお会いしたかった。そう思ったのよ。私に、フィーネ様が居てくださったなら……」

 

 今のフルスの視線がフィーネではなくファルシュを向いている事に、イゼッタは気付かなかった。

 

「そうしたら……」

 

「? どういう事ですか? フルスさん……」

 

「…………フィーネ様はお優しい方だから、貴女のように縁を結びたかった……って意味よ」

 

「ああ、そういう事ですか」

 

 得心が行ったという顔で、イゼッタは頷く。そんな彼女にフルスは向き合うと、神妙な顔になった。

 

「……しかしイゼッタ。あなた、フィーネ様の為に何でもすると言ったわね? ……それはあなたの魔女の力を、フィーネ様の為に使うと考えて良いのかしら?」

 

「……はい。そうです、フルスさん」

 

 今は真面目な話をしていると感じ取って、イゼッタも真剣な顔になった。

 

「……それは、難しいわよ? 色々な意味でね」

 

 フィーネは大国の侵攻に晒される小国の姫で、エイルシュタットはゲルマニアと戦争状態。

 

 この状況でイゼッタの力をフィーネの為に使うという事がどういう事か。1プラス1の答えが2になるのと同じぐらい簡単な問題だ。

 

「……覚悟は、しています」

 

「…………そう」

 

 自分をしっかりと見据えるイゼッタの視線を受け、フルスは少しだけ悲しそうな顔になった。

 

 目は嘘を吐かない。イゼッタがフィーネの為に尽くそうというのは真実の言葉だ。決意も、固まっているのが分かる。

 

『でも、だからこそ……』

 

 フルスは首を振って思考を打ち切った。

 

「……まぁ、この先何がどうなるかは分からないけど……イゼッタ、一つだけ覚えておいて」

 

「一つだけ……?」

 

「……私は、あなたが赤ちゃんの頃からあなたを知っている。迷惑かも知れないけど……あなたの事を……娘のように思っている。だから、何があっても私はあなたの味方よ。それだけは、違えぬように」

 

「フルスさん……!!」

 

 イゼッタは暫くの間は言葉の意味が分からないようだったが、やがてぱあっと花が咲いたような笑顔になった。

 

「めめめ迷惑なんてそんな!! フルスさんにそんな風に思ってもらえるなんて、私とても嬉しいです!!」

 

「……そう」

 

「……けれど、一つだけ言わせてもらって良いですか?」

 

「? 何かしら?」

 

「……私の事を娘のように思っているなんて言ったら、ファルシュちゃんに悪いですよ? フルスさんには、実の娘さんがいるじゃないですか」

 

「……!!」

 

 びくりと、フルスの体が強張って目が見開かれる。イゼッタは「わ、私何か変な事言いました?」と気遣わしげに尋ねてくる。

 

「い……いえ……そ、そうね……まぁ…………それぐらい、凄く大切に思っているって……そ、そういう意味よ。うん。別に深い意味は……」

 

「?」

 

「ママ」

 

 少し早口なフルスの言葉は、ファルシュの小さな声に打ち切られた。

 

「どうしたの? ファルシュ……」

 

「……あっちの方から、大勢の人間が歩いてくるよ」

 

「「!!」」

 

 イゼッタとフルスが顔を見合わせる。

 

 ここはエイルシュタットの領内。とすれば十中八九、その一団はエイルシュタットの人間だろう。前線に近い地域である事を考えると、軍人であろうか。

 

 いずれにせよ、これで助かった。

 

 3人は少しだけ足を速めて、森の中を進んでいった。

 

 



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第04話 戦う理由

 

 1935年 ○月 ■日

 

 今日は素晴らしい日だ。

 

 私は今まで自分の力がずっと嫌いだった。

 

 私の一族は力を己が欲望の為に使い、人を殺して金を得る魔女の一族だ。

 

 私は人を殺すのがずっと嫌いだった。

 

 初めて人を殺したのは、5歳の時。

 

 珍しい話ではない。私の一族ではそのぐらいの年で子供が人を殺す事は当たり前で、それから本を読んだり散歩に出掛けたりするのと同じぐらいの感覚で人を殺せるように、殺しを日常の中で起こる一つの事象、常識。人を殺す事を極々自然で僅かな抵抗感すら抱かない出来事として子供の倫理観を構築させていく。

 

 物心付かない頃の出来事だった。親にやらされた。そんなのは言い訳にはならない。

 

 私の手はもう血塗れだ。きっとこの先、一生綺麗になる事はないだろう。

 

 でも、それでも殺しなんてまっぴらだった。

 

 だから、私は成長して力を十全に扱えるようになって追っ手が掛かっても撃退できるようになると、一族から逃げた。

 

 逃げて、逃げて、逃げて。

 

 普通の女として生きて、恋をして、結婚して、子供ができて……

 

 夫は病気で死んでしまったけど、私はあの子に二人分の愛情を掛けて育ててきたつもりだ。

 

 この村は良い所だ。

 

 みんな、私達を余所者だからと差別しないし、私の過去を知る者も誰も居ないし。

 

 でも今日、鉱山で落盤が起きて……私は初めて自分の力を、自分の意思で使った。命を奪う為ではなく、命を救う為に。

 

 助けられなかった人も居た。

 

 でも、助けられた人が居た。

 

 私が魔女である事はバレてしまった。

 

 娘と一緒にこの村を去る事を考えていたけど……

 

 でも、村の人達は私を受け入れてくれた。

 

 嬉しかった。

 

 今日、初めて私は本当にこの村の一員になれた気がした。

 

 きっとこの村で、私は一生を終えるのだろう。娘に私の力が受け継がれなかったのは、本当に良かった。私の娘はきっと普通の女として、幸せな一生を過ごすのだろう。そういう風に生きれるように、私は一生を掛けて娘を守る。私の命に代えても。

 

 

 

 1940年 △月 ×日

 

 ゲルマニアが、エイルシュタットに侵攻を開始したらしい。

 

 どうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう。

 

 私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私私私私ワタシワタシワタシワタシワタシワタシワタワタワタワタワワワワワタタタタタシシシシシシシシシ。

 

 あの時、あいつらを殺しておくのだった。

 

 そうしたら、こんな事にはならなかったのに。

 

 コンナこんなこんなこんなこんあこんなナナナナナナナナナnaNAnAnaaananananwaNaNA

 

 ※ これより先は殴り書きになっており判読不能

 

 

 

 (フルスの日記より、抜粋)

 

 

 

 

 

 

 

 シュヴァイゼン砦から撤退してきたエイルシュタット軍と合流を果たしたイゼッタ達。

 

 フィーネも意識を取り戻してこれでようやく一息吐ける……

 

 とは、問屋が卸さなかった。

 

 取り敢えずの拠点とした遺棄された館に腰を据えた一行であったが、小一時間としない内に伝令が入った。

 

 ゲルマニア帝国軍がエイルシュタットの要地であるケネンベルクへと軍を進めた、と。

 

 これを受けてイゼッタ、フルス、ファルシュの3名はフィーネから呼び出しを受けた。

 

 イゼッタはどうして呼ばれたか分からないようだった。一方で、フルスはこれからフィーネが話す内容が、大体分かっていた。

 

 そして、予想通りの内容が公女の口から語られた。

 

「逃げろって、何でですか!?」

 

「これはエイルシュタットの戦。そなたらを巻き込む訳には行かぬ」

 

 フィーネはまだ傷も痛むだろうに、凛として言葉を紡いでいく。

 

「魔女の力は、人前でみだりに使ってはならぬのだろう? それをそなたらは、禁を破ってまで私の為に戦ってくれた。もう十分だ」

 

「でも、姫様……!!」

 

「聞き分けてくれ、イゼッタ。私にとって身分と関係無く友達になってくれたのは、そなただけなのだ。だから、そなたには生き延びてほしい。これは……我が儘だろうか?」

 

「……っ」

 

 イゼッタは、思わず言葉に詰まった。

 

 これは、ずるい聞き方というものだ。イゼッタには断れない。フィーネはそれが分かって、こう言っているのだ。

 

「あの時と……同じ事を言うんですね」

 

 小さな声で、イゼッタが呟いた。この声は、どうやらフィーネには聞こえなかったらしい。彼女の視線は、イゼッタのすぐ隣に立つフルスへと向けられた。

 

「フルス殿」

 

「は……フィーネ様」

 

「貴殿もイゼッタと同じく、魔女の一族なのだろう? 貴殿もよく戦ってくれた。イゼッタとは違って、友の縁も結んでいない私の為にな……これ以上、エイルシュタットの民でもない貴殿を巻き込む事は出来ぬ。それに……」

 

 フィーネの視線が下がって、フルスの体に隠れるように母の服の袖をきゅっと掴んでいるファルシュへと向けられた。

 

「貴殿には娘が居るだろう? 貴殿一人ならいざ知らず、娘を危険に巻き込むことは……してはなるまい。母親としてな」

 

「……」

 

 無言ながら、フルスは痛い所を衝かれたと少しだけフィーネから視線を逸らした。

 

 フィーネはゆっくりと立ち上がると、しゃがみ込んでファルシュと目の高さを合わせる。

 

「ファルシュ……であったな。私はそなたにも、助けられた。今この場に私が居るのは奇跡的……いや、奇跡そのものと言って良いだろう。感謝してもしきれない……そなたは母と共に、逃げ延びて……生きよ。出来るならこれからはこんな戦には関わらず、穏やかに……」

 

 フィーネの白い手がそっと伸びて、ファルシュの頬に触れて撫でる。

 

 その時だった。

 

「……っ!?」

 

 びくっ、とフィーネは思わず手を引っ込めた。

 

「ひ、姫様?」

 

「どうされましたか!?」

 

 イゼッタと軍指揮官であるハンス少佐が、ほぼ同じタイミングで声を掛ける。

 

「い……いや、何でもない」

 

 フィーネはそう言うと、ついさっきまでファルシュの頬を撫でていた手を見た。

 

『……今のは気のせいか? たった今触れていたファルシュの肌が、氷のように冷たかったが……』

 

 ……まぁ見る限りファルシュは至って健康なようだし、体温が低めな人だって居るだろう。

 

「……」

 

 ちらりとフィーネがフルスを見るが、その意味を察しているのかいないのか。ファルシュの母は何も言わずにその視線を流していた。

 

 そして話は終わりだと場を切り上げようとしたその時……イゼッタが強い視線でフィーネを見据えて、そして言った。

 

「姫様……お願いがあります。私の希望になってくれますか?」

 

「……希望?」

 

「姫様の国は、私が守ります!!」

 

「…………」

 

 暫くの間、フィーネはその言葉の意味が分からなかったように沈黙していたが……その意味を解したのだろう。思わず語気が強くなった。

 

「いかん、イゼッタ!! いくらそなたの力でも……!! 敵は万の兵を擁する大軍団なのだぞ!!」

 

「でも私、出来ると思います。フルスさん……」

 

 ちらりとイゼッタから視線を向けられて、フルスは頷いた。

 

 想定されるゲール軍の規模。そしてこちらの戦力はイゼッタと自分と、ファルシュの3名。これらの要素から考えて……

 

「出来る出来ないについての回答ならば……出来ると、私もそう考えます」

 

 言外に、やるかやらないかはまた別の話だと語っている。これはフィーネにイゼッタの申し出を断れという隠れメッセージだ。

 

 聡いフィーネは、すぐにそれに気が付いた。

 

「気持ちは有り難く受け取っておくが……しかし関係のないそなたらを巻き込む訳には行かぬのだ」

 

「でも……」

 

 尚もイゼッタが食い下がろうとするが、そこで再び伝令が入った。

 

「ケネンベルクが、爆撃を受けている模様です」

 

 この報告を受けて、もうイゼッタ達と話をしている場合ではなくなったらしい。3人は部屋の外へと締め出され、代わりに軍人達が詰め掛けてきて作戦会議が始まった。

 

 しかし、人が住まないようになって久しく、ボロボロのこの館に防音性・秘匿性など期待すべくもなく、中で交わされている会話の内容はほぼ筒抜けで伝わってくる。

 

『住民を避難させる時間が稼げれば、御の字かと……』

 

『時間稼ぎしか出来ぬと言うのか……!! その為に、兵達の命が……!!』

 

 フィーネの声が、壁越しでも震えているのが分かった。

 

「……姫様……」

 

 壁一枚隔てた部屋の外では、イゼッタ、フルス、ファルシュ。魔女の系譜に連なる3人がそれぞれ聞き耳を立てていた。

 

 イゼッタは壁に耳を当てていて、フルスは壁を背に腕組み。ファルシュはぽつんと突っ立ている。

 

「……!!」

 

 あからさまな決意の表情になって、イゼッタが走り出そうとする。しかしその前に、フルスが立ちはだかった。

 

「フルスさん……」

 

「……イゼッタ、どこへ、何をしに行こうとするのか? そんな間抜けな質問はしないわ。でも……」

 

 少女の小さな両肩に、フルスの手が乗せられる。

 

「本当に、良いのね? 今ならまだ、フィーネ様が言われた通り全てに目と耳を塞いで逃げることも出来る。でも……この戦いに首を突っ込んだら……もう戻れなくなるわよ?」

 

 それなりに長い付き合いのイゼッタが見た事もない真剣な顔と声で、フルスは尋ねる。

 

 しかし、フルスはすぐに自分の今の問いこそが”間抜けな質問”であると理解した。イゼッタの目が、顔が。何より雄弁に語ってくれている。

 

「はい……私は、姫様の国を、守ります。その為に、戦います」

 

「……ど……」

 

 フルスは何事か言い掛けて、すぐに口を閉ざした。

 

 本当は『どうしても行くというなら、力尽くでもあなたを止める。私が、そう言ったのなら?』と、そう尋ねるつもりだった。しかしフルスはまたしても自分が”間抜けな質問”をする所であった事を理解する。

 

 イゼッタの決意は、固い。

 

 何を以てしても誰であっても、変えることは叶わぬだろう。

 

「……言い出したら聞かない所は、昔からね……負けたわ」

 

 フルスは溜息を一つ吐いて首を振り、そしてイゼッタに向き直った。

 

「行くと言うのなら、もう止めないわ。ただし……私も行く」

 

「……フルスさん?」

 

「言ったでしょう? 何があっても私はあなたの味方……イゼッタ、あなたがフィーネ様を……この国を守ると言うのなら。フィーネ様とこの国を守るあなたを……私が守るわ」

 

 先程のフィーネと同じように、イゼッタは今のフルスの言葉の意味を捉えきれないように少しぼんやりしていたが……数秒掛けて全てを理解したのだろう。感極まって、涙目になって抱き付いてきた。

 

「フルスさん!!」

 

「さぁ……そうと決まったら、ぐずぐずしている時間は無いわよ。この土地は魔力が濃い……まずは、武器を用意してきなさい」

 

「はい!!」

 

 そう言って走り去っていくイゼッタの姿が見えなくなった所で、フルスは傍らに立つ娘に視線を落とした。

 

「ファルシュ」

 

「はい、ママ」

 

「この戦いで、私やイゼッタが危険な目に遭いそうだったら……あなたが体を盾にして守りなさい」

 

「はい、分かりました。ママ」

 

 およそ母親の口から出て良いものとは到底思えない言葉を受けても、ファルシュは少しも怒ったり不思議がったりせずに、淡々と返答する。まるでそれが当たり前のことであるかのように。

 

 そんな娘の頭を、フルスはくしゃっと撫でてやる。

 

 金属を触るようなひんやりとした心地よさが、指先に伝わってくる。

 

「なぁに、心配は要らないわ。これから行く所は戦場。”使い物にならなくなった所で、代わりはいくらでも用意できる”からね」

 

「はい、ママ」

 



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第05話 天翔る槍、天を衝く槍

「…………」

 

 薄暗い部屋に、むわっと立ち込める酒の匂い。

 

 ファルシュは思わず、鼻を摘んだ。

 

 コツン、と爪先が何かを蹴る。床に転がっていた空の酒瓶がコロコロ動いて、壁に当たって止まった。

 

 部屋の奥には机に突っ伏すようにして、酒を注がれたグラスを手にしたフルスがぶつぶつと呟いていた。

 

「……なんで……どうして、こんな事に……」

 

「……ママ」

 

「……あぁ、ファルシュ……」

 

 おずおずと掛けられた声に、フルスはのろりと振り返った。

 

 ファルシュは母の顔を見て、思わず一歩後退った。

 

 今のフルスは髪に白髪が交じり、頬はこけていて目の周りは落ち窪んでどす黒く染まっている。頬には伝った涙の跡がはっきり付いていた。

 

 一目見て、ヤバイ。そう分かる顔だった。恐ろしく、疲れている。ぞっとするような生気の無さだった。

 

 フルスは、娘から興味を失ったように顔を逸らしてぐいっと度数の高い酒を呷った。

 

「……何で、こんな事になったの……? 私は殺しがしたくなくて逃げたのに……殺さなかったから……殺せなかったから……こんな事になるなんて……殺しても何にもならないって、分かってたから……だからあの人達を殺さなかったのに……殺せなかったのが……間違いだったと言うの……? 誰か……誰か教えて……」

 

 繰り言を呟きつつテーブル上の酒瓶に手を伸ばそうとするが、ファルシュが横から手を伸ばして酒瓶を取り上げた。

 

「ママ……もうお酒は止めて。体壊すよ」

 

「うるさい!! こんな事になったのは誰のせいだと思ってるの!!」

 

 声を荒げて椅子から立ち上がったフルスは大きく平手を振り上げる。ファルシュは棒立ちのままで、体を竦ませたり避けようとする動きを見せなかった。

 

 ……だが、頬を打つ乾いた音はいつまでも聞こえてこなくて、フルスは振り上げた手を力無く下ろした。そのまま、椅子にどかっと座り直す。

 

「……ごめん……ごめんね、ファルシュ。お前は……あなたは……何も悪くはないのだからね……私はどうかしていたわ。私のせい、なのよね……」

 

 そう言いながら今度は別の酒瓶の栓を抜こうとするが……思い留まって手を引いた。

 

 ファルシュは酒瓶を遠くに置くと、そっと両手をフルスの頬に伸ばした。

 

 ぬくもりは伝わってこない。代わりにひんやりと、風邪の時に額に乗せる氷嚢のような心地よさがフルスを満たしていく。

 

「ママ……どうか、どうか……自分を大事にして……私じゃなくて……この体が、そう言ってる……」

 

「……っ!!」

 

 フルスは、がばっとファルシュを抱き締めていた。娘は、何も言わずに母にされるがままに任せている。

 

「……ファルシュ……■■■……どうか……どうか……教えて。私はあの時、どうすれば良かったの? 私のせいでこれから死んでいくエイルシュタットの人達の為に……どう償えば? 私は何をすれば良いの? 何が出来るの? どうか、教えて……その答えを……」

 

 

 

 

 

 

 

「……出来ることは、あったわね。でも私は弱いから……随分遠回りをしてしまったけど」

 

「えっ?」

 

 頭の上から降ってきたその声に、目を瞑って文字通りめくらめっぽう機関銃を撃ちまくっていたヨナス二等兵は思わず顔を上げた。

 

 そこには、美しい女性が居た。エイルシュタット軍のコートを羽織ってはいるが、軍人には見えない。それほどに、美しい女性だった。

 

 濡れるような長い黒髪を風になびかせた美女。彼はここが戦場だということも忘れて、数秒ばかり見惚れてしまった。

 

 しかしすぐにはっと我に返って、身を潜めていた塹壕から体を乗り出した。

 

「ちょ、ちょっとあなた……!! そんな所に立ってたら撃たれますよ!! 早くこの中に隠れて……」

 

 このケネンベルクはたった今ゲルマニアの陸空両軍からの連携攻撃を受けていて、しかもここはその最前線。眼前には十台以上もの戦車と、無数の随伴歩兵が迫ってきている。

 

 その只中に突っ立っている女性は自分の体を的にしているようなものだ。狙い撃ちにされる。

 

 しかしその女性、フルスはほんの少しも怯えた様子を見せず静かに、泰然としてゲルマニア軍を睥睨していた。

 

 そっ、と手を掲げる。

 

 投降のポーズ、にしては妙だ。片手しか上げていない。

 

 ヨナスがその意味を図りかねて首を傾げたその時……

 

 超常が、起きた。

 

 

 

 ---問おう。慮外者ども---

 

 

 

「!? な、何だ!?」

 

「この声は……!?」

 

 屋敷の一室でうなだれていたフィーネが、思わず顔を上げた。

 

 ハンス少佐も、懐から拳銃を抜いて周囲を警戒する。

 

 

 

「これは……?」

 

 ゲールの随伴歩兵は、思わず足を止めた。

 

 

 

「この声は……フルスさんが?」

 

「うん」

 

 高台にて戦場全体を見渡すイゼッタが、すぐ傍らのファルシュへと尋ねる。幼女はいつも通りの無表情で、頷いた。

 

 

 

 ---お前達は、誰の許しを得てそこに立っている?---

 

 

 

 僅かな時間だったが敵も味方も、戦場全体の動きが止まる。

 

 そして誰からともなく、視線が一人へと集まっていく。敵も味方も。

 

 原理は分からないが戦場全体にこの声を響かせているのは、この女なのだと。

 

 

 

 ---重ねて問おう。お前達が、---

 

 

 

 それ以上を口にする必要は無いとばかりフルスへ銃口を向けた十挺ものライフルが火を噴いて、彼女の足下へと手榴弾が投げ込まれ、爆発。すぐ傍にいたヨナスは、悲鳴を上げながら頭を抱えて塹壕にうずくまった。

 

 もうもうと立ち込める爆煙。それを見た随伴歩兵達は、ほっと息を吐いた。

 

 今の女が何だったのかは分からないが、とにかく敵なのは確かだった。

 

 得体が知れなかったが、しかしもうこうなっては関係ない。全身蜂の巣で、五体はバラバラに……

 

 

 

 ---お前達が立っている此処(ここ)は、其処(そこ)は、彼処(あそこ)は、何処(どこ)だと思っている?---

 

 

 

 声は、止まらない。

 

 もうもうと立ち込める黒煙を越えて、フルスが姿を現す。

 

 この戦場にあって尚衰えぬ輝きを纏う美女は怯えず走らず、無人の野を行くが如くしずしずと歩みを進める。

 

 

 

 ---このエイルシュタットは遠き古より、我等”白き魔女(ヴァイスエクセ)”が衛る地ぞ!!---

 

 

 

「どうやって、こんな事が?」

 

「……イゼッタさんにも同じ事が出来る筈だと、ママは言ってました。私達魔女の能力は、触れた物に魔力を流して操る力。体に触れている空気に魔力を流し、振動させることで広域に声を響かせる事が出来るって」

 

「じゃあ……銃や爆弾から身を守ったのも?」

 

 ファルシュは頷いた。

 

「自分の周りに分厚い空気の層を作って、それで弾丸を逸らしたり爆風を受け流したり出来るって」

 

「……そんな事が……」

 

 イゼッタは試しに掌に意識を集中し、魔力を空気に流そうとしたが上手く行かなかった。魔力を込めようとしても、流動する空気はすぐに拡散してしまって抑えが利かない。よっぽど意識を集中すれば何とかなるかも知れないが……それをフルスは、雲霞の如き大軍勢を前に涼しい顔でやってのけているのである。

 

 これはイゼッタの一族とフルスの一族の、在り様の違いと言える。

 

 イゼッタの一族は、力を濫用する事を良しとせず、ひっそりと生きる事を選んだ者達。力を制御し、使わない事をこそ良しとする。当然、人を傷付ける事など以ての外である。

 

 対してフルスの一族は魔女の力を富を得る為の”道具”として”武器”として積極的に使う事を選択した者達。人前で無闇に使う事は、彼女達に限っては問題にはならない。何故なら力を見た者は全て殺すか、さもなくば自分が殺されるかだけだからだ。

 

 その必然、フルスの一族はその”武器”と”道具”の使い方を研究し、研鑽してきた。単純に「こうすればこうなる」という経験則ではなく「どうしてこうすればこうなるのか」と理論立てて裏付けを持って解明し、発展させてきた。

 

「魔力とは何なのか?」「自分達の力の限界は何処か?」「何が出来て何が出来ないのか?」

 

 どうすれば、この力でもっと効率良く人を殺せるのか。

 

 何百年もの間、自分達の欲の為に。そればかり考えて人の世の理を乱し続け、魔法の技術を開発してきたのだ。

 

 その最先端の魔法技術が、数百年に渡る妄執と研究と欲望と研鑽の結晶が、今フルスに宿っているのだ。

 

「じゃあ……私達も」

 

「うん、乗って!!」

 

 イゼッタは手にした騎乗槍に魔力を込めると、それに跨る。

 

 魔力を付与された槍が、ふわりと空中に浮いていく。他にイゼッタが用意していた十数本の槍も、その後に追従するように浮遊していく。ファルシュは絶妙のバランス感覚で、その内の一つに立った。

 

「……行きましょう」

 

 

 

 ---我は汝等に、二つの道を与えよう。一つは今すぐ武器を捨て、この地より去る道。そうすれば……我はお前達を生かして帰そう……だが……---

 

 

 

 あからさまに、戦域全てに響くフルスの声色が変わった。

 

 

 

 ---もし、踏み留まって戦うと言うのなら。それは……とてもとても、悲しい選択だと言える---

 

 

 

 一瞬の沈黙。

 

 そして、

 

「バカを言うな!!」「バケモノが!!」「死ね!!」

 

 それまで呆けていたゲルマニア兵達の銃口が、全てフルスへと向いた。

 

 

 

 ---愚か者めらが---

 

 

 

 しかし引き金に掛かった彼等の指がちょっぴり動くより、それよりも早く。

 

 ぐらり。

 

 ほんの僅か、大地が揺れた。

 

 地震だろうか?

 

 反射的に、歩兵達が足元を見た。

 

 次の瞬間、大地から長い物が伸びて、彼等を全て刺し貫いていった。

 

 平原が、数秒で森に変わった。無数の木が生えた。

 

 ただしその木に横に伸びる枝葉は一つとしてない。ピンと屹立して天に向かっていく幹のその先端は、槍の如く鋭く尖っていた。

 

 5秒と経たない間に、随伴歩兵は全滅した。近代戦に於ける3割の損耗率を指す言葉ではない。文字通りの全滅、損耗率10割。全ての歩兵が、死んだ。

 

 雨が降った。紅い雨が。平原の緑色が、一瞬にして血で紅く染め上げられた。

 

 戦場から、音が消えた。

 

 エイルシュタット兵も、ゲルマニアの戦車も、全て動きを止めていた。

 

 地面から伸びた幾本もの木は、植物ではなかった。それらは土で出来ていた。ただし物凄い力を掛けられて、石のように硬く固められていた。

 

 これはイゼッタの一族にも伝わっている護身魔法の応用だ。雪や砂、土といった物体に魔法で働きかけ、圧縮して硬度・密度を高め、棘や針のようにして射出する。手で直接触れられなくとも”自分の一部”である血を媒介として、発動させる事も可能である。

 

 このケネンベルクの地は膨大な魔力に満ちた土地であり、魔女は魔法を使い放題と言って良い。

 

 魔女の魔法の本質は、触れた物に魔力を付与して操る事。

 

 そしてフルスは、『足で』『大地に』『触れている』。

 

 つまりはこの地に立つ限り、フルスにとって視界の全てがいつでも起爆出来る地雷原にも等しいのだ。

 

 だがこんな事は、まともな頭では方法論として思い付く所までは出来ても、実行には移さない。移せない。イゼッタには頭の片隅に思い浮かべる事すらできないだろう。

 

 生まれた時から魔法を使う殺人者として育てられたフルスだからこそ、思い付いて逡巡を挟まず実行出来たのだ。

 

 何が起こったのか分からないが、しかしとにかくこの針地獄を創り出したのがフルスである事を理解した戦車兵は、搭乗する戦車の主砲を戦場に立つ魔女へと向ける。

 

 すると、ある戦車兵は突然の浮遊感に襲われた。ある戦車兵の世界が回った。ある戦車兵は自分の目を疑った。

 

 ある戦車は突然すぐ真下に空いた巨大な孔へと落ちていき、ある戦車は地面が波立ってひっくり返され、ある戦車は土砂の津波に呑まれた。

 

 フルスが戦場に現れてから、ほんの数分。たったそれだけ。たったそれだけの時間で、ケネンベルクの地上に生きているゲルマニア兵は唯の一人も居なくなった。

 

 そう、地上には。

 

「バケモノめ……殺す!! 殺してやる!! 仲間の仇だ……!!」

 

 急降下するスツーカのパイロットは、愛機を腹に抱えた爆弾がまっすぐフルスへ向けて投下する軌道に乗せた。

 

 ヤツがどんなトリックを使ったのか計り知れないが、コイツの爆発をまともに受けて、生きていられる生物は居ない筈だ。

 

 投下装置のトリガーに指が掛かって……しかし、あらぬ方向から飛んできた棒状の何かが機体を貫いて、機体は爆発。彼の体は炎の中に消えた。

 

 イゼッタだ。

 

 騎乗槍に跨って空を駆け、無数の槍を眷属として従えて。

 

 突如として現れた新たな敵に、訓練を受けたゲルマニア帝国のパイロット達はしかしすぐに頭を切り換える。訳が分からないが、分かっている事は一つ。”コイツは敵だ”。

 

 編隊を組み直し、イゼッタを撃ち落とそうとする。

 

 だがイゼッタはパイロット達が知る空戦の常識からは信じられないような軌道で飛び回り、全ての火線を潜り抜けてしまった。

 

「行って!!」

 

 イゼッタが魔力で操る槍は意思を持っているかの如く各機を追尾し、追い付き次第貫いて爆散させていく。それは広大な空ではほんのちっぽけな点でしかなく、機銃射撃は当たらない。よしんば当たった所で、ほんの少し動きの軸がブレるだけですぐに軌道修正、再び自機へと向かってくる。

 

 天翔る槍は次々スツーカを貫いていき、あっという間に残ったのは一機になった。

 

「……一撃だけでも……!!」

 

 その機のパイロットは、もうこの戦いに自分達の勝ちは無いと悟っていた。しかし退くという選択肢は彼の中からは正常な思考と共に、とうの昔に失せていた。地上は地獄絵図、空には魔女。目に映る事象を、頭が理解する事を拒絶している。

 

 だがゴツンという振動が走って、彼の視界は不意に暗くなった。

 

 不思議に思って顔を上げる。そこには……

 

「ひっ……?」

 

 思わず、上擦った声が上がった。。

 

 真っ黒いローブを纏った幼女が、風防(キャノピー)越しに自分を覗き込んでいたのだ。

 

 ぎらぎら光って血のように紅い目と、視線が合う。

 

 振り落としてやろうと、操縦桿を倒して機を振る。

 

 ……よりも早く、幼女……ファルシュは風防にべったりと付けていた手に少しだけ力を込めて強化ガラスをまるで濡れた障子のように突き破ると、指を引っ掛けて風防をむしり取ってしまった。パイロットの顔に、高々度を高速飛行する際の風圧がもろに叩き付けられてくる。

 

「……」

 

 ファルシュはぬっと手を伸ばすとパイロットの襟首を引っ掴み、コックピットから引きずり出して空中に棄ててしまった。

 

 投げ出された彼は絶叫しつつ手足をジタバタさせながら落ちていって、やがて小さな点になって見えなくなった。

 

 乗り手を失った機は、当然の帰結としてきりもみ状態になって落ちていく。機銃手の悲鳴が、エンジン音に混じって聞こえてきた。

 

「……」

 

 ファルシュは無表情のまま、落下する機から跳躍。

 

 数十メートルの自由落下の後、少しも膝を曲げずに着地する。

 

 そんな芸当をやらかしたというのに、彼女は何事もなくすぐに歩きだして、傍に立っていたフルスへと話し掛ける。

 

「……終わった? ママ……」

 

「……ひとまずは、ね」

 

 勝利の喜びに浸るでもなく、フルスは吸っていた煙草を口から放すとふうっと紫煙を吐いた。

 

「さて……晴れて戦争に首を突っ込んでしまった訳だけど……これから……エイルシュタットを助けつつイゼッタと私がどうやって生き延びるか……面倒ね」

 

「はい、ママ」

 

 母の言葉に自分が入っていない事を怒るでも不満に思うでもなく、娘、ファルシュは頷いた。

 



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第06話 傷の娘

 

「大丈夫……大丈夫だよ……■■■……!! 私が……お母さんが、必ず助けてあげるからね……!!」

 

 ベッドに横たわる娘に、私は必死に声を掛ける。

 

 娘から、返事は無い。ベッドのシーツは、真っ赤に染まっている。触れた肌は、心地良いほどに冷たい。

 

 それら事実が、一つの結論を突き付ける。

 

 私の娘は、■■■は、もう……

 

「あ……あああああああああああああああああああっ!!!!」

 

 否。否否。否否否。否否否否否否否!!!!

 

 私は机の上を勢い良く薙ぎ払った。

 

 医療器具が床に突き刺さり、薬瓶が景気よく砕けて割れて中身が飛び散って、刺激臭が部屋に立ち込める。

 

「がああああああああああっ!!!!」

 

 椅子を投げ付ける。窓がブチ割れて、外の雨が部屋に入ってきた。

 

 助けられない。助けられない。助けられない。助けられない。

 

 私はふらついて、壁に背中を預けてずるずるとへたり込む。

 

「何が……一族きっての天才だ……何が最高の魔女だ……こんな小さな……自分の娘すら救えないなんて……」

 

 私には救えない。違う、救ってみせる、必ず。救えない。違う。

 

 救えない救えない救えない救えない救えない。違う違う違う違う違う。

 

 救えない救えない救えない救えない救えない救えない。違う違う違う違う。

 

 救えない救えない救えない救えない救えない救えない救えない。違う違う違う。

 

 救えない救えない救えない救えない救えない救えない救えない救えない。違う違う。

 

 救えない救えない救えない救えない透けない救えない救えない救えない救えない。違う。

 

 救えない救えない救えない救えない救えない救えない救えない救えない救えない救えない。

 

「うおおおおおおああおああああああああーーーーーーーーーーーーーっっ!!!!」

 

 絶叫。私は本棚を掴むと、力任せに引っ張った。

 

 重い音と共に本棚が倒れて、無数の本が床に投げ出される。私は頭を抱えて、何度も壁に打ち付けた。額が割れて流れ出た血が、床に無数のシミを作った。

 

「何か……何か無いの……? この子を救う術は……それが叶うなら、私は何でもしよう……!! 地獄に堕ちる行いでも、何でも……!!」

 

 私が殺されるのは仕方が無い。私自身、今まで多くの人を殺してきたし、私の一族は何百年の昔から命を奪う事を生業とするばかりか、日々の糧を得る以外にも自分達の力の研究の為に、身寄りの無い人を攫ってきては生殺しにするような人体実験だっていくらでもやってきた。

 

 だから一族が重ねてきたカルマが私に跳ね返ってくるのはある意味当然であり必然。それならば納得は行かぬにせよまだ諦めは付く。

 

 だが■■■は、悪い事なんかしてない。誰一人とて殺してはいないのに。それどころか、私から魔女の力すら受け継いでいない。何よりこの子が産まれたのは、私が一族と袂を別って後だ。そんな因果など、何も無い筈なのに。

 

 なのにどうしてこの子が、こんな……!!

 

 何で何で何でなんでなんでなんでナンデナンデナンデNANDENANDENANDENANDEnanaNAnNnanANANn……

 

「あああああああああああああああーーーーーーーーーっ!!!!」

 

 闇雲に八つ当たりできる物を求めて周囲をまさぐったその時だった。私の指先に、固い感触が当たる。

 

「……?」

 

 中身をくり抜いた本の中に隠されていた、血のように紅い石が。今私の手にあった。

 

 

 

 

 

 

 

 ゲルマニア帝国首都、ノイエベルリン。

 

 グロスコップ陸軍中将は胸中で「こんな筈ではなかった」「どうしてこんな事に」「何で私がこんな目に」この三言だけを何百回もリピートしていた。

 

 そう、こんな筈ではなかった。

 

 本当なら次にこの謁見の間に立つ時は、エイルシュタットの要地であるケネンベルクを陥落させた勝利の知らせを意気揚々と報告する筈だったのに。

 

「もう一度言ってくれるか?」

 

 玉座から掛けられた声に、びくりと体を竦ませる。

 

「それが……生き残った兵士の話ではその……空を飛ぶライフルに乗った少女が現れただの、一人の女が地面から無数の杭を生やしただの……皆、同じ事を言うのです。魔女が現れて、部隊を壊滅させてしまったと!!」

 

 有り得ぬ敗戦の報告をせねばならない理不尽さに、やり場のない怒りと苛立ちとそれを上回る恐怖が内部からジクジクと自分を蝕んでいくのが分かる。

 

 何しろ、オットー皇帝の不興を買った者が半年以上生きていた試しが無いというのは、ゲルマニア帝国である程度の地位にある者ならば常識である。

 

 ただ敗北しただけならば、勝敗は兵家の常とも言う。あるいは許される道もあったかも知れない。

 

 しかし今回は敗報以上にその内容が酷すぎる。これは敗軍の将として責任を問われる以前に精神疾患を疑われて軍事裁判より前に精神病棟へと隔離されるような案件である。

 

 それどころか下手をすれば有無を言わさずこの場で処刑されるかも知れない。

 

 そうした事情から内心ビクビクものであったが……

 

 しかし皇帝の口から出たのは怒りでも叱責でもなく、呵々大笑の声であった。

 

「く、くははははははっ!! 聞いたかエリオット!! 魔女はやはり実在したのだ!!」

 

「まだ確定情報ではありませんが……可能性は高まったかと」

 

 玉座の傍に侍る盲目の側近は、務めて冷静に対応する。しかしオットー皇帝の目は、出来の良いオモチャを見付けた子供のように爛々と輝いていた。

 

「いや……今度こそホンモノだ。余のカンがそう告げている」

 

 オットーは、もうグロスコップからは興味を失ったようだった。適当に爵位の剥奪や収容所所長の地位を与えると言って追い払うと、次の指示を出していく。

 

「ベルクマンを呼び戻せ、報告が聞きたい。二人の魔女と……」

 

 皇帝の声には、隠しようもない喜色が現れていた。

 

「特に大人の方の魔女が連れている『傷の娘』。アレだけは何としてでも手に入れるのだ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 エイルシュタット公国首都、ランツブルック大公宮殿の一室。

 

 朝の陽光が差し込むその部屋で、ファルシュはベッドで眠る母をじっと見詰めていた。

 

「う……うう……ああ……」

 

 フルスは悪い夢でも見ているのだろうか、顔は歪み寝汗も掻いている。

 

「い……いや……メーア……いかないで……!!」

 

「…………」

 

 ファルシュがそっと母の額に、手を差し伸べようとした時だった。

 

 トントンと、ドアがノックされる。

 

「……う、ううん……」「……どうぞ」

 

「失礼する」「失礼いたします!!」

 

 開いたドアから入ってきたのは背丈の小さなメイドの少女と、近衛兵の制服をパリッと着こなし凛とした雰囲気を纏った女性の二人組だった。ファルシュは伸ばしていた手を止めて、目覚めたフルスも上体を起こす。

 

「あなた方は……」

 

「私は姫様付きメイドのロッテと申します。フィーネ様からイゼッタ様とフルス様、それにファルシュ様の身の回りのお世話を命ぜられました。どうぞ、何なりとお申し付け下さい」

 

「姫様の近衛のビアンカだ」

 

「お世話? 私達の?」

 

「あい。皆様はエイルシュタットを守って下さった英雄ですから!!」

 

「……英雄、ね」

 

 起きたばかりで寝ぼけ眼のフルスが、どこか自嘲気味に呟く。

 

「イゼッタ様はまだお休みのようなので、先にお二方の方に来させていただきました!!」

 

 見た目の印象通り明るいロッテの視線がフルスとファルシュの間を行ったり来たりして、やがて娘の方に留まった。

 

「まずはファルシュ様にお風呂に入っていただきます!!」

 

「……お風呂?」

 

「あい!! ファルシュ様、バンザイしていただけますか?」

 

「…………こう?」

 

 言われた通り、ファルシュは特に警戒する様子も無く両手を挙げる。それを見たロッテはさささっと幼女の後ろに回り込んだ。そのまま、服を掴む。

 

 これを見て、何をするつもりなのかフルスには見当が付いた。固い声で、ロッテへと告げる。

 

「……止めておいた方が良いわ。きっと……驚くから」

 

「……?」

 

 言葉の意味が掴めていないのだろう。ビアンカが首を傾げる。

 

「いえいえ、私とてプロのメイドですから!!」

 

 ロッテは務めて明るい調子で、ファルシュの衣服を思い切り引っぺがして……

 

「ひっ……!?」

 

「酷い……!!」

 

「…………」

 

 ロッテの顔が一瞬にして蒼白になった。

 

 ビアンカは口元を手で押さえて、数歩後退った。

 

 フルスは無言で、じっと娘の体を見据えていた。

 

 露わになったファルシュの体は、傷だらけだった。

 

 ……などという表現では言い表す事が出来ないほどの、大量の傷が刻まれていた。顔や手先といった露出している以外の、ほぼ全ての部位に余す所無く。

 

 ……と、いう表現ですら生温い。体に傷跡が刻まれているのではなく寧ろその逆、無数の傷跡に沿って体があるようにすらロッテとビアンカには思えた。

 

 夥しい縫合痕や茨のような腑分け痕。それに健康的な褐色の肌に雪のように白い肌や黄色い肌がくっついていて、クリームを落としたばかりのブラックコーヒーのようになっていた。ビアンカは昔読んだ小説の、フランケンシュタインの怪物を連想した。

 

 ふう、とフルスはベッドから体を起こす。

 

「だから言ったでしょう? 驚くって……」

 

「……し、失礼だがフルス殿……ご息女は……」

 

 躊躇いつつ尋ねたビアンカを振り返って、フルスはもう一度溜息を吐いて話し始めた。

 

「……この子は昔大怪我をしてね……この体は、その時の手術の痕なのよ。命は、それで助かったけど……」

 

 フルスの手が、まだバンザイしたままのファルシュの頭を撫でた。

 

「し、失礼しました!!」

 

「良いのよ、慣れてるから……でも、そういう事だからファルシュの身の回りの世話は私がやるわ……あなた達は、イゼッタの方をお願いできるかしら?」

 

「そ、そうだな……で、では後ほど……」

 

「では……フルス様、ファルシュ様……何かありましたら、遠慮なくお呼び下さい」

 

 流石にこんなものを見せられては、失礼とか悪いという気持ちが先に立ったのだろう。ビアンカとロッテは、ぎこちない仕草で退室していった。

 

「…………」

 

 二人を追い返したフルスは部屋に鍵を掛け、カーテンを閉じるとファルシュがまだ上げっぱなしにしている手を下げさせた。

 

 そして、ロッテが置いていった桶に入った水をタオルに吸わせると、娘の体を拭いていく。

 

 ファルシュはいつも通り無言・無表情でされるがままにしていた。

 

「……ねぇ、ファルシュ?」

 

「どうしました? ママ」

 

「……この体、後どれくらい動く?」

 

 不明瞭な問いだが、しかし娘にはその意味がしっかり伝わっていたらしい。頷いて、表情は変えずに返答する。

 

「……今のままなら、後一月ぐらい。ママがそれ以上私を、この体を稼働させたいなら……『命』の補充が必要です」

 



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第07話 魔女の秘密

「では……フルス、今日の座学を始めるわね。予習はちゃんとやってきたかしら?」

 

 私の前に立つ女性が、メガネをクイと上げながら尋ねてくる。私は機械的に「はい」と答える。

 

 この女性は、私の母だ。この人が私を溺愛してくれているのは分かるのに、私はこの人に産まれてからの十年間で一度も、好きだとか安心できるとか愛情や慕情の類を抱いた事が無い。

 

 今まで、私は母の言いなりになって人を殺してきた。

 

 最初に産まれたばかりの赤子を縊り殺した。

 

 次には足腰の立たない老人を焼き殺した。

 

 その次は臨月の妊婦の腹を割いて出血多量でショック死させ、摘出した胎児をピラニアの水槽に投げ込んだ。

 

 母の言葉を信じるなら、私は一族始まって以来の天才らしい。だからこれは私の才能を伸ばし、完璧な殺人者となる為の英才教育だと言っていた。人を殺す事に何の精神的痛痒も感じず、作業として処理できるようになる為の。

 

 だが、私は殺しに慣れる事は一向に無かった。人を殺した後は、いつも母の目を盗んで胃の内容物と懺悔を吐き出していた。

 

 そして言い訳を繰り返す。自分と、自分が殺してきた人達に。

 

 これは必要な犠牲なのだ。私がこのまま殺人者として完成すれば、将来的に何千何万の人をこの手に掛ける事になるだろう。ならば面従腹背。成長して、一族から逃げて追っ手を撃退できるまでの力が備わるまでは母を、一族を利用する。そうしてから私が一族を離れれば、結果として喪われる命は少なくなる筈。これは必要な事なのだ。

 

 ……と、それが呆れた偽善・自己欺瞞である事を私は自覚している、

 

 私にとって彼等は何千分の一か何万分の一に過ぎなくても、奪われた人達にとってはそれで全てなのだから。そんなの、言い訳にすらなりはしない。

 

 ごめんなさい。

 

 この言葉をどれだけ繰り返したか、もう覚えていない。

 

 自殺も考えたが、出来ない。私に、そんな勇気は無い。死にたくない人を数え切れないほど殺してきたのに、自分が死ぬのは怖い。

 

 ぐっすり眠れたのは、もういつだったか思い出せない。私は毎晩後悔に眠れず、毎朝悪夢に目覚める。

 

 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

 

 脳内でその言葉を紡ぎつつ、私は母の授業に意識を向ける。

 

「今日の勉強は、私達魔女の力の源泉についてよ。さぁ、言ってみて」

 

「はい……魔女の力は自分の力ではなく、大地を走る力の流れ……レイラインにあります。魔女はその力を利用して、奇跡を起こすのだと」

 

「よろしい。ちゃんと予習してきているわね」

 

 母は優しく笑って、私の頭を撫でた。

 

「で……そのレイラインだけど、場所によって魔力の流れが濃い所や薄い所、全く無い所があるの」

 

「はい」

 

 だから魔女は魔力が濃い所では強大な力が使えるし、薄い所ではあまりに重量がある物を持ち上げられなくなったりする。当然、魔力の無い所では力は使えない。

 

「……例えるなら、魔力の流れは川のようなものだと思えば良いわ。川で水仕事をするには、その近くまで行かなくちゃならないでしょ? そして水量が豊富なら色んな事が出来るけど、少しの水しか流れていなければあまり大した事は出来ない……ここまでで、何か質問は?」

 

 私はしばらく考えた後、挙手する。

 

「……二つ。例えばバケツに川の水を入れて家に持ち帰るみたいに、レイラインから離れた所で力を使う事は出来ないのですか? そして……そもそも魔力とは何なのですか?」

 

 私のその質問は、母にとっては教師冥利に尽きるものであったのだろう。物凄く嬉しそうに、私を抱き締めてくる。

 

「とても良い質問ね、フルス!! ああ、素晴らしい!! あなたはきっと、史上最高の魔女になれるわ!!」

 

 何度も私に頬摺りした所で、母は居住まいを正して教師然とした態度に戻る。

 

「……まず、最初の質問だけど、レイラインから外れた所で力を使う方法は、あるわ。それがどんな方法なのかは……また次の機会に教えるとするわね」

 

 母の言葉に、私は内心「チッ」と舌打ちした。一日も早く一族から逃げる為に、少しでも多くの事を学びたいのに。

 

 ……しかし、母にそんな思惑が悟られては全てが水泡、画餅。私は内心の苛立ちと、顔の筋肉との連動を完璧に遮断する。

 

「では、もう一つの質問。これもとても良い質問よ。魔力とはそもそも何なのか……これは我が一族が何百年に渡って実験と研究を続け、そしてあなたのおばあちゃん……つまり、私のお母様の代でやっと明らかになった事なの。研究の礎になれた人達も、きっと喜んでるわ」

 

 そんな訳がないだろう、狂人が。しかも礎に『なれた』だと? お前達……いや、私達が勝手に選んで攫って、彼等から命も尊厳も何もかもを一方的に奪ったクセに。盗人猛々しいとはまさにこの事だ。

 

 頭の中で悪口雑言を叫びつつも、私は講義に意識を向ける。

 

「いい、フルス? 魔力の正体とは、それは------」

 

 

 

 

 

 

 

 エイルシュタット公国首都、ランツブルック大公宮殿の会議室。

 

 イゼッタとフルスはフィーネに呼び出され、この部屋に通されていた。ここに列席しているのは勿論フィーネ、他にも大公補佐官のジークハルト・ミュラー、公国軍の重鎮であるシュナイダー将軍、ヴェルマー首相とそうそうたる面々である。実質的にエイルシュタットの政・軍のトップが一堂に会していると言って良い。

 

「あ、あの……私、凄く場違いな気がするんですけど……」

 

 どこかおどおどしたイゼッタの感想も、当然と言える。

 

「そんな事はない、ここにいる者達は、皆そなた達に礼を言わねばならぬ立場だ」

 

 と、フィーネ。

 

 そして少し間を置いて話し始める。これは何か話しづらい話題だなと、フルスは直感した。

 

「……単刀直入に言おう。我々は国を救う為、そなた達の力を借りたいと思っている」

 

『……まぁ、そう来るわよね』

 

 退屈そうに頬杖付きながら、フルスは心中で呟く。

 

 この展開はイゼッタと共に森の中を歩いていた時の会話から、予想出来ていた。

 

「だが……その前に聞いておきたい事がある」

 

 フィーネの視線が、イゼッタの額に貼られた絆創膏へと動いた。入浴中に傍に飾ってあった像が倒れて、落ちてきた水瓶に当たった際のケガという事だった。

 

「何故……そなたは水瓶を避けられなかったのだ? ケネンベルクで見せた力があれば、容易い事であろう?」

 

「あ……」

 

 戸惑ったようなイゼッタの視線が、すぐ隣に座るフルスへと動いた。

 

「それに……」

 

「それに、ハンス少佐と合流するまでは、私達は森の中を『歩いて』フィーネ様をお運びした。魔法で飛べば数分と掛からぬ距離であったのに。それは何故か? そう疑問を抱かれるのでしょう?」

 

「む……」

 

 フィーネの言葉を先取りしたフルスが、話しながら列席した一同を見渡す。表情の機微を観察するに、推察は当たりのようだ。

 

「あの……フルスさん」

 

「良いわよ、イゼッタ。話して」

 

「……はい」

 

 了解をもらったイゼッタは、話し始めた。魔女の秘密を。

 

「私……姫様の国を守る為に戦う事は全然出来ます。やりたいです。でも……いつでもどこでも、という訳には行かないんです」

 

 そこからのイゼッタの話は、25年前にフルスが母から受けた講義の内容と同じだった。

 

 魔女の力の源であるレイライン。その土地が持つ魔力量によって強い力を使える場所と力が弱まる箇所、全く使えない場所があるという事。

 

 このランツブルックはレイラインが通っていない、魔女が力を使えない場所。つまり、この地ではイゼッタもフルスも、ただの少女と女でしかないという事も。

 

「……今の話は、魔女にとっては重大な秘密ではないのか?」

 

「はい……何百年も隠されてきた秘密で、仲間以外に喋ったら喋った人も聞いた人も、みんな殺されちゃったらしいです」

 

 ちらっと自分を見るイゼッタに、フルスは頷いて返す。今の説明が真実であった事を裏付けするものだ。

 

 物騒な内容に、ビアンカとハンスは思わず身構えた。

 

「あ……でも、魔女はもう私とフルスさん、それにファルシュちゃんの3人しか居ないですし……気にしないで下さい」

 

「……ええ、そう。『この力を使える者』は、確かにもう私達3人しか居ないわ」

 

 そっと手をかざすフルス。その掌中に、小さな宝石のような翠色の輝きが生まれる。

 

「さて……フィーネ様。私もこの国を守る為に戦うのは構いませんが……それ相応の謝礼は……当然、いただけるのでしょうね?」

 

 話題を変えたフルスに、すぐ後ろに立っていたビアンカはあからさまに顔を顰めた。いきなり金の話など、この女はゲスだと。

 

「……フ、フルスさん?」

 

「少し黙ってなさい、イゼッタ。それでフィーネ様? 見事この国を守った暁には、それに値するだけの報酬を約束して下さるのでしょうね?」

 

「それは、無論だ。我が名に誓って十分な謝礼を約束する」

 

「その言葉に、間違いはありますまいな?」

 

「くどいな?」

 

 少し、フィーネはむっとした顔になった。

 

「……そうですか」

 

 にやっと、フルスが意地悪な笑みを見せる。そして椅子から立ち上がった。

 

「私の条件は二つ。今言ったように十分な報酬と……そして娘のファルシュは戦わせない事。この二つを守って下さるなら、私はイゼッタと共にこの国の為に私の力を捧げましょう。フィーネ様、後で一席設けていただけますか? 報酬の額について、細かな打ち合わせがしたいので」

 

 フルスはそう言い残して、退室してしまった。

 

 残された面々は、最初は戸惑ったように顔を見合わせるがやがて沈黙に耐えられなくなったように、ビアンカが進み出た。

 

「フィーネ様、発言をお許し下さい」

 

「よい、言ってみよビアンカ」

 

「私はこちらのイゼッタは兎も角として、あのフルスという女の力を借りる事には反対です。あんな金の亡者に……!!」

 

「そうです!! 金でこちらに力を貸すという事は、金で敵に寝返るという事です。ゲールに懐柔されて我々を裏切らないとも……!!」

 

 ビアンカの意見に、シュナイダーも同調した。

 

「ま、待って下さい!! フルスさんはお金の事ばかり考えたり人を裏切るような、そんな人じゃありません!! ただ、私とは事情が違うから……」

 

「彼女が我々を裏切らない……という一点に於いては、私も同意見です」

 

 イゼッタの意見に賛成票を入れたのは、意外と言うべきかジークであった。

 

「もし、本当に裏切りを考えているのなら……イゼッタ君が魔女の力の弱点を話す事を止めていたでしょう。力が使えないこの首都にいる限り、生殺与奪を我々に握られているのと同義ですからね。報酬を執拗に求めるのは……我々がまだ信用されていないという事でしょう」

 

「と、言うと?」

 

「つまり、頭の中は謝礼をもらう事で一杯で、裏切りなど考えてもいないというアピールです。彼女なりの保身の術……処世術なのでしょう」

 

「……フルスさん」

 

 ジークの説明を聞いたイゼッタは、何故だか無性に悲しくなった。

 

 自分は、姫様の為に力を使い、戦う。その事に迷いは無い。姫様を、信じているから。

 

 フルスは、以前に話してくれた。自分の一族は魔女の力を欲望の為に振るい、暗殺や諜報活動に従事してきたと。

 

 ……きっと彼女には娘であるファルシュ以外、自分にとっての姫様のような、そんな人は居なかったのだろう。

 

 それが、イゼッタにはとても悲しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ドアを開け、あてがわれた部屋へと入るフルス。

 

 室内は、異様な状況となっていた。

 

 枕やクッションがふわふわと空中を乱れ飛び、床には誰の手にも触れていないのに、ウサギとライオンのぬいぐるみが手を繋いでダンスに興じている。

 

 まるで、イゼッタやフルスが使う魔法のように。

 

 魔法が使えない筈の、このランツブルックの地で。

 

 この超常を引き起こしているのは、ベッドに腰掛けていた一人の幼女だった。

 

 フルスの娘の、ファルシュ。

 

「……お帰りなさい、ママ」

 

「……今すぐ、力を止めなさい……ファルシュ」

 

「はい」

 

 フルスの言葉に頷くと、ファルシュは手を一振りする。

 

 すると宙を舞っていたクッションや枕が重力に従い床に落ちて、自立して踊っていたウサギとライオンのぬいぐるみは見えない操り糸を絶たれてぱたりと倒れた。

 

「……魔力の無駄遣いは止めなさい。それだけ、あなたの稼働時間が短くなるからね。いつでも補給が出来る訳ではないのだし」

 

「……はい、ごめんなさい、ママ。気を付けます」

 



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第08話 ホンモノと偽物

 

「さぁ……■■■……夕食の時間よ」

 

 テーブルの上に、ほかほかと湯気を立てたシチューが置かれる。

 

「…………」

 

「あなたの大好物だったでしょう? さぁ、冷めない内に……」

 

「……いただきます」

 

 ■■■はそう言うとスプーンを手にして、シチューを掬って口に運ぶ。そうして咀嚼し、嚥下する。

 

「……どう?」

 

 私は、どんな高名な美食家に出す時よりも(尤も生まれてこの方そんな経験は無いしこれからも無いだろうが)緊張して、感想を待つ。

 

 果たして、こいつの感想は。

 

「……美味しい。のは、分かる。うん、美味しい」

 

 まるで他人事のように、■■■は答える。

 

 この答え方は感想と言うよりも、数学の公式を述べているだけのように思える。

 

 シチューに含まれる物質が味覚を刺激して、その結果が美味しいという反応だと言っているかのような、恐ろしく客観的な答えだ。

 

「……そう……」

 

 私はもう、失望も絶望もしなかった。寧ろこの結果は予想できたものだった。

 

 分かっていた筈だった。こいつは、■■■とは違う。

 

 利き手が違う。■■■は左利きだったけど、こいつは右利き。

 

 一人称が違う。■■■は自分をボクと呼んだけど、こいつは私と呼ぶ。

 

 性格が違う。■■■は明るくてよく喋り、暗くなるまで一日中外で遊んでいるような子だったけど、こいつは無口で本ばかり読んでいる。

 

 私の呼び方が違う。■■■は私をお母さんと呼んでくれたけど、こいつはママと呼ぶ。

 

 他にも挙げればキリがないが、結論は一つ。

 

 こいつは、■■■とは違う。

 

「……はぁ」

 

 どこか自嘲するように、私は溜息を吐いた。

 

 分かり切っていた事だった。

 

 ”なくしたものはもどらない”。

 

 ブドウはワインになる。だがワインはブドウにはならない。ワインは酢になる。だが酢はワインにならない。

 

 この手から離れてしまったものを取り戻そうとして、私は3年間も無為に、不毛に費やしてしまった。

 

 もう、失望する力も失せた。怒る気力も無くなった。涙も涸れた。

 

 あるのは諦観と自嘲だけ。我ながらバカな事をしたものだと。

 

『……それも、もう……そんな不毛は、今日で終わりにしましょう』

 

 私は、力を解放した。

 

 こいつの背後の、キッチンに置かれていた幾本もの包丁やナイフがふわりと浮き上がる。あらかじめ触れておいて、魔力を込めていたものだ。こいつは、シチューを食べていて気付いていない。

 

 空中で包丁やナイフの切っ先が、全てこいつの背中へと向く。

 

 後は、私の意思一つを引き金として全ての刃物がこいつに突き刺さり、体内から『あれ』を抉り出す。

 

『死ね……いや、壊れろ。その顔を、もうこれ以上……私に向けるな』

 

 私が刃物を動かそうとした、その時だった。

 

 こいつの頬が、濡れていた。両眼から、涙が流れている。

 

 私は一瞬、刃物のコントロールを忘れた。

 

「……何故、泣くの?」

 

「……悲しいから」

 

 何とも間抜けなやり取りだと、今にしてみれば思う。悲しいから泣く。この時の私はこの子にそんな機能が備わっている事すら忘れていた。

 

「……何が、悲しいの?」

 

「……この料理は、ママが私を喜ばそうと作ってくれたものでしょう? でも、それを食べても私は美味しいとは思うけど幸せだとか、嬉しいとか……そんな風に胸が、心が動かない……この体は、ママとの絆を確かに感じるのに……その実感を持てない……」

 

「……それが、悲しいの?」

 

 ふるふると、こいつは首を横に振った。

 

「……悲しいのは、喜べない事じゃない……ママが、私を深く愛してくれているのは分かるのに……そんなママの気持ちに、私が応えられない事が……ママを幸せに出来ないのが……とても、とても悲しい……ごめんなさい、ママ」

 

「……っ!!」

 

 私は、魔力を手放した。空間に静止していた包丁やナイフは、そのまますとんと床に落ちて転がったり突き刺さったりしていた。

 

「……ママ?」

 

 戸惑ったように、この子は背後を振り返る。

 

 私は、この子を抱き締めていた。いつの間にか、私の目からも涙が伝っていた。

 

「ママ?」

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 殺せない。壊せない。棄てられない。私には、できない。

 

「私が……私が、バカだったわ……」

 

 そう、バカだった。

 

 例えこの子が■■■と違っても、この子が私を想ってくれる気持ちは……ホンモノなのに。

 

 一緒に過ごしたこの3年間は、ホンモノなのに。

 

 この子はメーアとは違う。

 

 私はそんな当たり前の事を分かっていて、理解していなかった。

 

「……あなたに、新しい名前をあげるわ」

 

「新しい、名前?」

 

「そう……ファルシュ、それがあなたの、新しい名前。今日から……そう名乗りなさい」

 

「『ファルシュ(偽物)』……?」

 

「……そう……ファルシュ。あなたはファルシュ……」

 

 

 

 

 

 

 

 エイルシュタット公国、旧都に建てられた王城。

 

 イゼッタによれば、ここの地下に魔女の秘密が隠されている。そう祖母が語っていたとの事だったが……フルスは、成る程と頷いた。

 

 魔法によって開けられる隠し通路の奥の小部屋。天井には欧州全土の地図と、そこを縦横無尽に走るレイラインが描かれていた。

 

 ここは墓所、あるいは霊廟だとフルスにはすぐ分かった。

 

 部屋の中央にある祭壇には、美しい女性の彫像が祀られている。

 

 エイルシュタットの伝説にある白き魔女のものだ。

 

「……白き魔女(ヴァイスエクセ)……ゾフィー……我が一族が……私が犯し続けている……全ての過ちの始まりの者……あなたが今の私を見たら笑うかな? それとも……怒るのかな? 呆れるのかな? ……ねぇ、どう思いますか?」

 

「……綺麗な人ですね」

 

 背後から掛けられた声に、フルスは振り返った。

 

 そこには白い装束に身を包んだイゼッタが居た。そのすぐ後ろには、即位式の為に正装したフィーネも付いてきている。どうやら二人には、今の独り言は聞こえてはいないようだった。

 

 今日は、フィーネの大公への即位式の日だ。それに合わせてイゼッタとフルス、二人の魔女の存在を世界に喧伝する事が、ジークの提案により決まっていた。

 

 フルスもイゼッタと同じような、ただしこちらはより露出が少ないローブのような白装束に身を包んでいた。今の彼女はまるで、いやまさにお伽話に現れる魔女のようだ。杖でも持っていれば完璧と言えるだろう。

 

「そなたらも負けず劣らずだ。力の具合はどうか?」

 

「ばっちりです。ここにはとっても濃い魔力の流れがありますから!!」

 

 イゼッタが、天井を指差しながら笑う。

 

 この城は天井の地図のレイラインがとても濃く太く描かれた地点の、更にど真ん中に建てられている。ここでは魔女の力は使い放題と言って良い。

 

 白き魔女の再来をお披露目するパフォーマンスは、さぞかしド派手なものになるだろう。

 

「……すまぬな、イゼッタ、フルス……ここまでしてもらって……私は、そなたらにどう報いれば良いか分からぬ……」

 

 今夜、世界は白き魔女の再来を知るだろう。

 

 それはもう、決して戻れない道へ踏み出す事だ。帰らざる川を渡ってしまう。

 

 その道を、イゼッタもフルスも自ら選んでくれたのだ。エイルシュタットの民でもない、この二人が。

 

「……私は、謝礼……礼金目当てですよ。別に感謝していただく必要はありません……」

 

 ふふんと笑いつつ、フルスはそう言い切った。そこで、視線はフィーネからイゼッタへと移る。

 

「……? フルスさん? どうしたんですか?」

 

「……いや……」

 

 フルスは少しだけ躊躇ったように首を振って、もう一度イゼッタを見た。

 

「……イゼッタ、一つだけ覚えておきなさい」

 

「……はい?」

 

「……なくしたものはもどらない。行く川の水は絶えなくても、大いなる『流れ(フルス)』の中に、同じ水は決して戻らない。失ってからまた得たものは、それがホンモノでも……やっぱり代替品。偽物でしかないから……」

 

「えっと……すいません、言ってる事が良く分からないです……」

 

 頬を掻いて、イゼッタが苦笑いする。これを受けてふっと、フルスは眼を細めて微笑した。

 

「……ふふふ……いや……あなたは必ず、最後までフィーネ様をお守りしなさいと……そういう事よ。私が、そのあなたを必ず守るから」

 

 そこまで言うと「では、先に行っているわね」と、フルスは二人を残して隠し部屋から退室していく。

 

 そして地上へ向かう道すがらで、ひとりごちた。

 

「そう……私には守れなかったから……だからイゼッタ……あなたは最後の最後まで、フィーネ様を守り通しなさい。私はあなたがそれを為せるように、力の限りを尽くすから」

 



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第09話 魔力の秘密

 

「命……レイライン、魔力の正体は命なのですか?」

 

 私の言葉に、母は「そう」と頷く。

 

「フルス、この世界にあって質量やエネルギーの総量は常に一定であるという事は前に教えたわね?」

 

「はい、例えば水は……山の水が川になって海に注ぎ、海の水は蒸発して水蒸気になってやがて雨になって山に注ぎ、そうして同じ量の水が常に世界をぐるぐる回っているのだと」

 

「よろしい。では、『命』はどうかしら?」

 

「は……命は、ですか?」

 

「動物や植物が死ぬと、その体は腐ったり枯れたりして大地に還る。では『命』は? 命は死ぬと、どうなるのかしら? 死んだ命は、何処へ行くのかしら?」

 

「……分かりません」

 

「実は、命もまた同じように大地に還るの。死んで大地に還った命は人も動物も植物も分け隔て無く混ざり合い、世界を巡る。そしてやがてまた、生まれてくる。太陽が昇っては沈み、また姿を現すように……勿論、死ぬ前と同じ形であるとは限らないけど。前の生では犬だった命は、次には猫になって生まれてくるかも知れない」

 

「……では、私達魔女は……」

 

 私の問いを受け、母はもう一度頷いた。

 

「……私達が魔力・レイラインと呼ぶのは、大地を巡る命の流れが特に太い主流の事……尤もこれには色んな呼び名があって、中国や日本では龍脈とか霊脈と呼ぶ者も居るわね。つまり私達魔女とは命の流れを操り、奇跡を起こす事ができる異能者という事ね」

 

 母の説明を受けて私は与えられた情報を整理した後、頭に浮かんだ一つの疑問を口にした。

 

「……魔女の力が『命』を操るものだとするなら……生きている命、例えば草とか犬とか、そういったものの命を操る事は出来ないのですか?」

 

 この質問を受けた母はとても良い笑顔になって、私を抱き締めた。

 

「ああ、ああ!! 凄く、凄く良い質問ね!! 素晴らしい!! 素晴らしいわフルス!! やっぱりあなたは素晴らしい魔女になるわ!!」

 

 正直鬱陶しかったが、それを顔に出すのは極力抑えて私は母の説明を待つ。母はすぐに教師然とした態度に戻ると説明を続けていく。

 

「結論から言うと、出来ないわ。私達魔女が操れるのは、私達が「魔力」と呼ぶ、大地を巡る『誰のものでもない命』だけ。人でも犬でも花でも、既に『持ち主が居る命』を操る事は出来ないわ」

 

「……命の、持ち主ですか」

 

「色、と言い換えても良いわね。魔女が操る魔力は『誰のものでもない命』に『自分の色』を付けて、一時的に『自分のもの』としたものだけ。逆に言うと『誰かのもの』である命には既に『その人の色が付いている』から自分の色には染められない、『自分のもの』には出来ないの。だからそれで物体を動かしたりする事も出来ない」

 

 別の例えをするなら水のようなものなのだろうか、と私は考える。

 

 無色の水ならば飲み水としては勿論、畑仕事や洗濯・入浴にも使う事が出来る。だが既に色が染まってしまったコーヒーでは、作物は育たない。

 

「そしてフルス……以前の、あなたの質問に答えるわ」

 

「質問? 私の?」

 

「そう、あなたは以前私に尋ねたわね。レイラインの通っていない場所で、魔法を使う事は出来ないのか、と?」

 

 ああ、と私は頷く。確かに前の講義で、そうした質問をしていた。

 

「大前提として、私達魔女はレイラインの無い所では魔法を使えない。そこには魔力……つまり『色の付いていない、誰のものでもない命』は無いからね。そして魔力が無い場所で魔法を使う為の方法は『二つ』あるの。一つはあらかじめ別の場所で魔力を貯蔵しておいて、それを魔力の無い土地で使用するか。この方法についてはまた別の時に教えるけど……そしてもう一つは……」

 

「…………」

 

 この前置きを聞いた時点で、私は母の言いたい事を何となく察する事が出来た。

 

「もう一つの方法は、その場にある『色の付いた、誰かのものである命』を『色の付いていない、誰のものでもない命』にしてしまう事ね」

 

 

 

 

 

 

 

「現代に蘇った白き魔女……エイルシュタットの守護者、か……何百年もの間、伝説として闇の中に潜んでいた私達魔女の存在が、こんな形で明るみに出るとはね……」

 

「……ママは、こうなる事が分かっていたの?」

 

 広げた新聞の一面記事に載った、自分やイゼッタの写真を見ながらフルスが呟く。肩越しに、覗き込むようにファルシュが顔を出してくる。これは先日、フィーネがエイルシュタット大公となった即位式で撮られたもので、同時にイゼッタとフルス、二人の魔女の存在が発表された。伝説に謳われる『白き魔女』の再来として。

 

「……まぁ、少なくとも可能性の一つとして想定してはいたわね。私の一族は、古くから色んな国の戦争に、首を突っ込んできたからね」

 

 弱小国は、まともに戦っては勝てない。そもそもまともに戦って勝てるのなら魔女の力に頼る必要など無い。

 

 この喧伝も『まともではない戦い方』の一つ。プロパガンダは昔から戦争によく利用されている。

 

 最強の魔女の存在はゲルマニア帝国への抑止力となり、その力を示す事で同盟諸国の態度も変わる可能性がある。ここまでは概ね、ジークの言っていた通りになった。

 

「……とは言っても、私達は今まで勝ち馬にしか乗った事が無いのだけどね……」

 

「……エイルシュタットは、負ける?」

 

 娘の問いに、フルスは「まぁね」と返す。

 

「戦争でものを言うのは何千年の昔から国力、物量と決まっているわ。窮鼠猫を噛む、という言葉があるけど……じゃあ猫を噛んだ鼠は、その後どうなると思う? 幸運や条件が整えば、非力なウサギでも百獣の王ライオンに一矢報いる事は出来るかも知れない。でも、一矢報いたその後は? 一体どうなるのかしらね?」

 

 自分やイゼッタの命に関わる事であると言うのに、語るフルスの声はどこか楽しんでいるかのように弾んでいた。あるいは自信が顕れていると言っても良いかも知れない。

 

「……でも、それでもママはイゼッタさんやフィーネ様を守るんでしょ?」

 

「……ええ」

 

 娘から目を逸らして、フルスは返事する。その手が動いて、ファルシュの髪をそっと掻いた。

 

「イゼッタと、約束したからね。あの子がフィーネ様を守り通せるよう、私は力の限りを尽くすと」

 

 フルスは顔は動かさずに、目線だけが動いてファルシュを見据える。

 

「あなたにも、精々力を貸してもらうわよ、ファルシュ……」

 

「……それは勿論。でも、ママ、一つだけ教えて」

 

「何かしら?」

 

「ママはどうして、そこまでイゼッタさんに肩入れするの?」

 

 フルス自身は同病相憐れむ、自分とイゼッタは最後に残った魔女であるからだと語っていたが……ファルシュはその説明に納得が行っていないようだった。

 

 何かそんな建前、用意された答えとは別の本音があるのではないか? ファルシュが聞きたいのはそれだった。

 

「それは……」

 

 フルスが答えようとしたその時だった。

 

 ウウウー!! と、耳障りな警報音が鳴り響く。

 

「……始まったようね」

 

 言葉を切って新聞紙を捨てると、フルスは立ち上がった。

 

 彼女が座っていたのは屋根の上だ。ここからは眼下の街並みが一望出来る。

 

 ルーデン湖畔・ブレストリヒ。

 

 エイルシュタットの領地であり現在はゲルマニア軍の占領下にある町である。

 

 白き魔女の力を実際の戦闘で証明する為の絶好の舞台として、この町が選ばれたのだ。

 

 今回の作戦ではイゼッタがメインであり、フルスはサポートに回る手筈となっていた。まずイゼッタが湖の側から攻め込んでゲール軍の注意を引き付け、同時に前もって潜入していたフルスも町の内部から攻撃を仕掛けるという手だ。

 

 単純な反攻作戦ではなく、白き魔女の力を世界に喧伝するという目的もあるので各国のマスコミにアピールもしなくてはならないが、その役目はイゼッタが担うという訳だ。フルスは裏方で、作戦の成功率を高める役目である。

 

 ズガン!!

 

 視界の彼方で、轟音と共に黒煙が上がった。

 

 恐らくはイゼッタが一緒に飛ばしてきたランスが、戦車に突き刺さって起こった爆発だろう。

 

「随分と派手に始めたものね……では、私達も始めましょうか……ファルシュ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ、くそっ、くそっ!!」

 

 対空機銃を撃ちまくりながら、ゲルマニア兵は毒突いた。

 

 ライフルに跨り空を飛び回るイゼッタを狙って機銃を乱射するが、イゼッタは速度は元より生身とライフルの大きさしかないので的が小さく、銃弾が当たらない。

 

 そうこうしている間に町の外縁分に配置されていた戦車部隊が全て撃破されてしまったと、報告が入ってくる。

 

「おい!! ここはもうダメだ!! 一時後退して、態勢を立て直す!!」

 

 同僚のその声を聞いた彼は、同盟国の言葉でこれは「地獄にホトケ」というのだろかと頭の中で思った。

 

 後退して本当に態勢が立て直せるのか、そもそもこの戦いに勝てるのか、そんなものは彼には分からない。いつの時代も一兵卒というものは、自分の考えなど持っていない。何も考えずに命令に従うだけだ。

 

 ただ訳の分からないものと戦わされているこんな場からは、一時も早く離れたい。それだけは本当だった。

 

「走れ、走れ!! 急げ!!」

 

 第二防衛線まで走る中で、他の小隊も合流してきて彼等の総数は百名ほどにまでになった。

 

 しかしこの時、このゲール兵は不思議な違和感を覚えていた。

 

 息が苦しい、頭が重い。

 

 最初は極度の緊張とか、魔女が攻めてくるという異常事態故に、精神面から肉体の方にも何らかの変調が出ているのかと思った。これではいけないと頭を振って、足を前に進ませる。

 

 だが周りを見てみると、他の兵士達も頭痛や吐き気を感じているようだった。

 

 殆どの者が顔を真っ青にしていたり頭を押さえていて、中にはうずくまって嘔吐している者まで居る。

 

「お、お前達!! 一体どうした……うっ……げえーっ!!」

 

 流石に様子がおかしいと思って何事かと尋ねてみたが、それがかえって良くなかった。

 

 堪えていた吐き気が我慢出来なくなって、彼もまた胃の内容物を石畳にぶちまける事になった。

 

 それと同時に頭痛もますます酷くなって、立っている事も出来なくなってその場に倒れた。

 

「これは……一体……何が……」

 

 ぐらぐらと揺れ始めている視界でそれでも周囲を見渡すと、いつの間にかこの場に集まっていた百名ほどの兵士の中で両の足で立っている者は唯一人も居なかった。全員が全員、うずくまっているか倒れてはいずり回っている。

 

 明らかに異常だと、気付いた時にはもう遅かった。誰もが、動けなくなっていた。

 

「高山病よ」

 

 静かな声が聞こえてくる。

 

 ふわりと、風に舞うシーツのようにこの場に現れたのは白いローブに身を包んだ妙齢の美女だった。

 

 フルス。先のエイルシュタット大公の即位式で、イゼッタと並んで白き魔女として紹介された女だと、新聞で読んだのをそのゲール兵は思い出した。

 

「知ってる? 高い山では平地に比べて空気が薄いから、頭痛や吐き気、目眩といった色んな症状が現れてくるの。場合によっては死に至る事例も報告されているわ……」

 

 今回の作戦ではフルスはあらかじめ風上に陣取っていて、自分が魔力を付与した空気を風に乗せて風下へと大量に流していたのだ。そうして『魔法で操れる空気』を大量に用意したフルスは、風下の町のあちこちに空気の薄いエリアを作り出したのだ。

 

「た、助け……」

 

 目の前に立っているのが敵だということも忘れて、その兵士は手を伸ばした。

 

「それは出来ないわ」

 

 当然と言うべきか、フルスはあまりにもあっさりとその申し出を却下する。

 

「高山病の対策としては本来ならば高地で何日か過ごして体を希薄な大気に慣れさせる事が必要になってくるのだけど……そこへ行くとあなた達はいきなり薄い空気の中に置かれて、しかもその中で全力疾走した訳だからね……当然、こんな場所に酸素ボンベの用意などある訳が無いし……あなた達はもう、手遅れよ。助かる術は無いわ」

 

 無慈悲な宣告が為されて、フルスはさっと片手を挙げる。

 

 すると、既に触れて魔力を流していたのだろう。十数挺の銃が空中に浮き上がって、全ての銃口が石畳に転がっている兵士達に向いた。

 

「こ、こちら第四分隊……救……援を……至急……救……え……ん……」

 

「無駄よ」

 

 明日の献立の事でも話しているかのようなあっさりした口調で、残酷な言葉が紡ぎ出される。

 

「他の部隊はもう始末してきたわ。ここが最後よ」

 

 ぱちんと指が鳴って、空間に静止していた銃の引き金が一斉に引かれた。

 

 無数の銃声は、長めの一発の銃声のように聞こえた。

 

 鼻につく臭いを放つ硝煙が立ち込め、十秒ばかりしてそれが晴れた時、石畳に倒れている兵士の中で動いている者は一人も居なくなっていた。

 

「……終わった? ママ……」

 

 背後から掛けられた声に振り返ると、やはりファルシュがそこに立っていた。

 

「ええ、全て殺したわ」

 

 フルスがそう言って手を振ると、浮いていた銃は全て手繰り糸を切られたかのようにすとんとその場に落ちた。

 

 ファルシュはそれ以上は何も聞かずに、倒れている兵士達の死体を担ぎ上げていく。

 

「……先程から、戦闘音も聞こえてこない……イゼッタの方も、ゲール軍の制圧は完了したようね……ファルシュ、私はイゼッタと合流してフィーネ様に作戦終了の報告をしなければならないから、あなたはこの兵士達を近くの倉庫まで運んでおきなさい」

 

「はい、ママ」

 

 母からの命令にファルシュは頷いて、そして大の大人を3、4人もいっぺんに担ぐとそのまま運んで行ってしまう。その姿を見送るフルスは足下に転がる無数の死体へと、視線を落とした。

 

「これだけ魔力があれば……ファルシュの体も向こう半年ぐらいは動くでしょうね……」

 

 

 

 

 

 

 

 数時間後。

 

「……ん? あそこは……?」

 

 戦闘終了後、マスコミやフィーネ、イゼッタ達も引き上げたブレストリヒ基地を見回っていたヨナスは、同じ造りのものがずらりと並んでいる倉庫の中で、一つだけドアが開きっぱなしになっているのに気付いた。

 

 誰かが閉め忘れたのだろうか? それとも中で何か作業をしているのだろうか?

 

 そう思いつつ、彼は中に誰かが居てはいけないと思って、倉庫の中に足を踏み入れた。

 

「おーい、誰か居るんですか?」

 

 返事は無かった。

 

 倉庫の中はしんと静まり返っていて、人の気配は少しも無い。

 

「やはり閉め忘れただけだったのかな?」

 

 そう思って倉庫から出ようとした彼は、足下に異様な物を見付けた。

 

「……服?」

 

 ゲルマニア帝国の下士官へと支給される軍服が落ちていた。

 

 ただそれだけなら別にそこまでおかしな話でもない。このブレストリヒはつい何時間か前までゲルマニアの占領下にあり、基地としても使われていたのだ。その倉庫の一つには軍服が保管されている区画だってあって不思議ではない。

 

 異様な点は他にいくつもあった。

 

 まずはその数。軽く数十……いや、百着以上の軍服が床が見えなくなるほどに散らばっていたのだ。

 

 そして全ての軍服が、畳まれずに広げられていたのだ。しかも、どれも規則的に。上から上着、ズボン、ブーツと並んでいた。

 

「な、何だこれ……?」

 

 恐る恐る軍服の上着を手に取ると、更に異様な事が分かった。

 

 軍服はどれも、ボタンが締めてあった。そして、その下にシャツが入っていた。

 

 普通服を脱ぐなら、ボタンを外して上着を脱いでその後で下着を脱ぐだろう。ボタンを締めた軍服の中にシャツが入っているのはどう考えてもおかしい。

 

 ズボンを調べてみると更に異常な事が分かった。

 

 床に散らばったズボンには、全てベルトが通されていてしかも締められた状態のままだった。

 

 仮に面倒臭がってベルトを外さずにズボンを脱いだとしても、ベルトが締められたままになっているのは妙だ。更にどのズボンにも、その内側に下着が入っていた。

 

 ブーツを調べてみると、どのブーツも紐が結ばれたままで中には靴下が入ったままになっていた。

 

 そんな異様な着衣が、百以上も転がっている。

 

「ひっ……」

 

 言い知れぬ不気味さを感じて、ヨナスは後退った。

 

 これではまるで、服だけ残して中の人間が消えてしまったかのような……

 

 だが、だとするならこれを着ていた『中身』の兵士は、一体何処へ行ったというのだ?

 

 分からない。理解出来ない。

 

「う……うわあああああああああっ!!!!」

 

 じわじわと染み渡るような恐怖が臨界点に達して、ヨナスは悲鳴を上げながら倉庫から逃げ出した。

 



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第10話 戦いの前に

「う……ううん……!!」

 

 机の上には、無数の歯車やネジが転がっている。

 

 メーアはそれらに向かって両手をかざし、一心不乱に念じていた。

 

 まるで指先から見えない手を伸ばして、触れずしてネジや歯車を動かそうとするかのように。

 

「……出来ないの? メーア……」

 

「はい……出来ないです……」

 

 机を挟み、向かい合うように椅子に座った私は、娘にそう尋ねた。

 

「こう……大地に走る魔力の流れを感じ取ってそれを自分に流し……更にそれを物体に注ぎ込むという感じなのだけど……」

 

「ごめんなさい、おかあさん……ボクには、その感覚が分かりません」

 

「そう……」

 

 私はネジや歯車の一つ一つに触れていくと、付与した魔力を活性化させる。

 

 ふわりと、私の魔法によって無数の機械部品は空中に浮き上がり、絡み合い組み合わさって形を成していく。

 

 一分と経たない間に懐中時計が完成した。いやこれは元に戻ったと言うべきか。ちょうど掃除の時期でもあった事だし、メーアの魔法の訓練も兼ねてあらかじめ分解していたのだ。私の手の中で、針が時を刻み始める。

 

「やっぱり、あなたに『力』は受け継がれなかったのね……」

 

 予想は出来ていた。既に私の代で、一族の子供の中で魔女の力が受け継がれていたのは私一人。更に言えば私の一族では高祖母ぐらいの代から生まれてくる子供の中に魔法が使えない者が現れ始めており、その割合は曽祖母、祖母、母と世代を重ねる度に増えていったと記録が残っている。

 

 もう一つの一族でも、生き残りはおばさまを除けばイゼッタ唯一人という話だ。恐らくは魔女という『種』そのものがもう衰退し、滅びつつあるのだろう。

 

「あの……ごめんなさい、おかあさん……ボクに力が無くて……」

 

 上目遣いで私を見てくる娘の頭を、私はそっと撫でてやる。

 

「良いのよ、メーア……私は、怒っている訳ではないの。寧ろその逆……とても嬉しいの」

 

「……嬉しい?」

 

「そう……人にとって人以上の力は、必要が無い余計なもの……こんな力があるから、道を誤る人が出るの……白き魔女と呼ばれたゾフィーも……私の一族もね……この力は、何百年も何千年も私達魔女にずっとつきまとってきた『呪い』……その軛から、自分の娘が逃れられたのが分かって……私はとても嬉しいの」

 

 私は懐中時計に鎖を通すと、メーアの首にペンダントのように掛けてやった。そして娘の体を、強く抱き締める。

 

「いい……メーア。あなたは魔女でも何でもない、普通の女の子なの。あなたは、普通の女の子として幸せになって良いの。あなたにはその権利があるから……だから、全身全霊を挙げて幸せになりなさい。お母さんはあなたがそうなれるように、どんな事でもするからね」

 

「……おかあさんは、幸せになれないの?」

 

「私は良いのよ。幸せになるには、私は今まであまりにも多くの血を流しすぎたし……それに、あなたが幸せになってくれるのが、私は一番嬉しいの。だから、良いの」

 

 

 

 

 

 

 

「ママ?」

 

 掛けられた声によって、フルスは思い出の世界から現実へと引き戻された。

 

 視線を向けると、そこにはファルシュが自分を覗き込んでいた。

 

「…………」

 

 ちらりと、フルスは手の中で開けっ放しになっている懐中時計へと視線を落とす。中に入った写真には彼女自身と、回想の中でメーアと呼んでいた少女が写っていた。

 

 そして視線をファルシュへと移す。そこには写真のメーアと同じ顔が、同じ目が自分に向けられていた。

 

「……ママ?」

 

「……い、いや……何でもないわ、メ……ファルシュ……」

 

「?」

 

 ファルシュが首を傾げたその時、部屋のドアがノックされた。それによって二人の会話が打ち切られる。

 

「どうぞ」

 

「失礼するよ」

 

 返事とほぼ同時に入室してきたのは、意外と言えば意外な人物だった。エイルシュタットの大公補佐官であるジークだ。

 

「おや……ミュラー補佐官、私に何か御用で?」

 

「……少し、話したい事があってね」

 

「ふむ」

 

 フルスは頷くと、椅子に座り直した。机を挟んだ対面にジークも腰掛ける。

 

 ジークはおもむろに、懐へと手を入れた。僅かに、フルスが警戒を示す。その意味を悟ったジークは「心配しなくていい」と一言添えると、ゆっくりとした動作で胸ポケットに入っていた物を取り出した。それは、数枚の写真だった。無造作に投げ出されたそれらが、机に散らばる。

 

「!!」

 

 ぴくり、とフルスの片眉が動いた。

 

 どの写真にも脱ぎ散らかされた服が所狭しと放り出されているような光景が写っていた。フルスは知らないがブレストリヒの倉庫で、ヨナスが目撃したものだ。

 

「……これは?」

 

「……ある兵士から報告があったのです。先の戦場になったブレストリヒの倉庫で、このような異様なものが見付かったのですよ。まるでゲルマニア兵が百人以上も、服を残して突如として消えてしまったような……そんな有様がね……」

 

「へえ……?」

 

 写真を眺めながらとぼけた返事を返すフルスを、ジークはじろりと睨め付けた。

 

「……言うまでもなくこれは、まともな戦闘では起こり得ない事態です。フルスさんは、何か心当たりはありませんか?」

 

「…………」

 

 即答を避けたフルスは視線だけ動かして、ジークと目を合わせる。

 

 ファルシュは、二人の間でかわされる沈黙の意味を測りかねたように首を傾げるだけだ。

 

「さて……私にもどういう事なのか……皆目見当が付かないわね……」

 

「…………」

 

 これは、ジークにとって期待していた返答ではなかったらしい。フルスへ向ける視線が、鋭くなった。

 

 そのまま尚、数分ほどどちらも視線を外さず、沈黙が続いたが……先に、折れたのはジークだった。今度は手にしていた鞄を開けて、中に入っていた地図を机に広げる。

 

「では……次の話題に移りましょう」

 

「ふむ」

 

 ジークの指が、地図の一点を差した。

 

「既にフィーネ様や将軍閣下、イゼッタ君にも招集を掛けておりこの後会議を行う予定ですが……ゲルマニアの再度侵攻が始まりました。場所はここ、ベアル峠です」

 

「ここは……」

 

 ジークの言いたい事を察して、フルスも顔色を変えた。この反応を受けてジークも自分の言いたい事が伝わったのを確信したのだろう。頷きを一つして、話を続けていく。

 

「そう、レイラインから外れた場所……あなた方魔女が、力を使えない場所です」

 

「成る程……でも、仮にも魔女の秘密が分かった上でそれでも私達の存在を世界に喧伝しようと提案したのはあなたよ、大公補佐官……で、あれば当然こうした事態も想定の範疇ではあった筈……ならば、対応する策の一つや二つはあるのでしょう?」

 

「ええ、フィーネ様とも打ち合わせ済みでこの後の会議で全員に発表するつもりですが……その前に一度、あなたにも目を通してもらいたいと思いまして」

 

 鞄から取り出された書類をフルスへと差し出す。フルスはそれを受け取ると、そこに記載された作戦の概要に目を通していく。

 

「……何故、私だけ先にこの話を?」

 

 書類に視線を落としたまま、ジークに尋ねるフルス。

 

「あなたはイゼッタ君より年上で、魔女の力についてもより使いこなしており、知識や理解も深い筈……その視点で、この作戦内容に何か問題点は無いかと意見を頂きたいと思いまして」

 

「……ふう、ん……?」

 

 5分ばかりして書類を読了し、内容を把握したフルスは机に作戦書を投げ出した。

 

「良くできていると思うわ。多少確実性に欠けるとは思うけど……」

 

「それは……仕方無いでしょうね。元々正攻法で我々がゲールに勝利出来る可能性は皆無。それを搦め手で、勝てるかも知れないというレベルにまで持って行けるだけで御の字という所でしょう」

 

「ふふふ……まぁ、それは確かに」

 

「そして、フルス殿……これは他言無用に願いたいのですが……特にフィーネ様とイゼッタ君には……」

 

 ジークの視線を見て、これが真剣な話である事を察したフルスは「分かったわ」とこちらも真剣な表情で返した。

 

 フルスが聞く態勢に入った事を見て取ったジークが、話し始めた。

 

「あなたがた魔女の力をプロパガンダとして、ゲールの侵攻に対する抑止力として用い……その間に同盟各国を動かそうと言うのが現在のエイルシュタットの戦略方針です」

 

「ええ……既に世界各国から密書が届いていて、魔女の力の真偽についても問い合わせが来ていると聞いているわ」

 

 ジークは頷き、一呼吸置いて話を続けていく。

 

「その上であなたにお聞きしたいのですが……今のエイルシュタットのこの体制は……後どれぐらい保つとお思いですか?」

 

「…………」

 

 この問いは、聞く者が聞けば国家反逆罪だの敗北主義者だのとあらぬ疑いを掛けられかねない、危険なものであった。フルスは周囲を見渡して、目も耳も無い事を確認する。その上で、彼女自身も慎重に答えを口にした。

 

「……一年。あるいは、もっと短いかも」

 

「……それぐらいでしょうね。つまりはそれまでの間に、世界各国に働きかけてゲルマニア帝国への包囲網を敷かねばならない、という事ですか……大本命としてはアトランタ合衆国ですが……」

 

「その為にも、今回の作戦は何としても成功させねばならない……でしょう? そこで提案があるのですが、ミュラー補佐官」

 

「何か?」

 

「この作戦、ゲール軍の矢面に立つ役目……私に任せてもらいたいのだけど」

 

 フルスのこの提案は、ジークにとっても意外だったらしい。これまでは変わらなかった彼の鉄面皮が、初めて僅かながら動いた。

 

「良いのですか? 作戦書にも書いてある通り、近衛の中から貴女やイゼッタ君に背格好が似た者を選んで魔女役とする予定だったのですが……」

 

「……補佐官、私は自分が信用されていない事は、知っているわ」

 

 と、フルス。そもそも最初に協力を要請された時点で裏切らない事のアピールとは言え多額の報酬を求めるなど「自分はエイルシュタットを信用していません」と逆説的に表明してしまっているし、あんな怪奇現象のような写真を見せて心当たりの有無を問うてくるという事自体、エイルシュタットは……少なくともジーク個人はフルスを信用していないと宣言しているに等しい。

 

「だから、ね……少しは体を張らねばならないでしょう? 最低限の信用を勝ち取る為にはね」

 

「……それは、確かに。後の会議で提言しましょう。では、10分後に会議室で……」

 

 そう言い残して、ジークは退出していった。

 

 そうして彼が完全に部屋から離れたのを確認すると、ファルシュが話し掛けてきた。

 

「良かったの? ママ……やっぱりブレストリヒのあれは写真に撮られてたし……燃やすとかして、証拠を消しておくべきだったんじゃ……」

 

「良いのよ、ファルシュ。これで、少なくともミュラー補佐官は私達を切り捨てない事が分かったから」

 

「……? どういう事?」

 

「……既にミュラー補佐官の中で、あのゲール兵の服だけ残して中身が消失事件の下手人が私達である事は、確信となっているでしょうね……でも、彼はそれ以上私達を追求する事はしなかった。やりたくても出来なかったと言っても良いわ……今のエイルシュタットの生命線は、イゼッタと私、二人の魔女だから……」

 

「……それは、当たり前なんじゃ?」

 

 尋ねてくる娘に、フルスは苦笑しつつ頭を撫でてやる。

 

「人間はそう簡単じゃないのよ、ファルシュ……時として感情の爆発は合理的な判断を簡単に覆す……後から考えれば何でこんなバカをって行動を、その場の勢いに任せてやりかねないのが人間なの……それは『あなたの体』が良く知っている筈よ」

 

 フルスの瞳が、涙ぐんでいるように揺れる。

 

「…………」

 

「まぁ……私にとってもこれは一つの賭けではあったわ。もし不信感や疑惑が先に立って、情勢も何も関係無く私やイゼッタを捕縛・排斥しようと動くなら……その時は返り討って逃げるだけと考えていたわ。あなたがレイラインの外でも魔法が使える事は、誰も知らないからね」

 

「はい、ママ……今なら、私の核(コア)には十分な量の命が充填されています。ブレストリヒでたっぷり補給出来たから……多少派手に魔法を使っても、この肉体を維持するのに問題はありません」

 

「ええ、そうでしょうね……そういう計算があったから、私も今回の手に踏み切れた訳だけど」

 

 フルスにとって、ブレストリヒ倉庫の怪事件の痕跡が発見されるのは織り込み済みだった。これは彼女にとってはエイルシュタットを信用出来るかどうかの試金石だったのだ。だからわざと証拠を残した。

 

 もしエイルシュタット側が自分達を信用出来ないとして、捕縛・排斥・抹殺に動くならファルシュの魔法を使って反撃し、この地から離れる。それをせず、自分達の力は多少の不安材料があっても必要なものだと割り切るのなら、礼金の魅力もあるし協力体制を継続する。

 

 果たして賽の目は、後者と出た訳だ。自分達にだけ、しかも彼一人で話を持ってくるという事はジークはブレストリヒの倉庫での一件を、自分の所で止めているのだろう。そして追求しなかった事で、フィーネやシュナイダー将軍にも伝えないと暗に言っているにも等しい。

 

「……理で動く相手は読みやすいけど、感情は予測が付かないからね……でもこれで、少なくともミュラー補佐官は理で動く人間という事がはっきりした」

 

 つまり、フルス達がエイルシュタットに必要とされている、エイルシュタットにとってフルス達の存在は価値がある間は割と安全であるという事が証明されたのだ。

 

「で……次の作戦だけど……先程の話にもあった通り、ベアル峠では私は魔法が使えない。だからファルシュ、あなたが頼りになるわ」

 

「……はい、ママ。もしママが危ないと思ったなら……その時は魔法を使って、ママを助けるのね?」

 

「ええ……そうよ……頼りにしているわ、ファルシュ……」

 

 娘の頭を撫でながら、フルスは言い様の無い居心地の悪さを感じていた。胸がむかつく。頭を掻き毟りたくなってくる。

 

『とんでもない皮肉ね……昔は、自分の娘が『魔法が使えない』事を喜んでこの体を抱き締めたのに……今は『魔法が使える』事を喜んで、この体を撫でているなんて……』

 



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第11話 呪われた力

 

「……さて、残ったのはあなた一人ね」

 

 襲ってきたゲール兵の中で、士官の制服を着た男の胸ぐらを引っ掴んで私は言う。

 

 私の足下には十数人の兵士の死体が転がっていて、ファルシュがそれらを一箇所に集めていた。

 

「……どうして、あなた達は何度も私達を狙うの? 教えてもらおうかしら?」

 

「ぐうっ……俺とて誉れあるゲルマニア軍人のはしくれ!! 断じて口を割るものか!!」

 

「そう……」

 

 これは予想されていた回答であったので、私は何の感慨も抱かなかった。

 

「気の毒ね、あなた」

 

「え?」

 

 私の魔法で部屋の引き出しが開いて中から無数のメスや鉗子が姿を現し、空中を動いてこの士官の眼前にまでやってくる。

 

 これから何が起こるのか察したのだろう。この士官の顔が引き攣った。

 

「……話していれば、楽に死ねたのに」

 

「え? あ? ひ……ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 

 聞くに堪えない悲鳴が響いて、やがて数時間もするとそれすらも聞こえなくなった。

 

「……『口が裂けても言わない』って言葉があるけど……あれは本当ね。私の経験上、口を裂かれて話さなかった奴は確かに居たわ……でも……頭を開かれ脳味噌を弄られて話さなかった奴は居ないのよね……どうやら、あなたもその例外ではなかったわね」

 

 聞きたい事を全て聞き終えた私は、椅子に縛り付けられて動かなくなった士官を一瞥して、ファルシュにこいつを埋めてくるように言った。

 

 これで、疑問が氷解した。

 

 何故ここ最近、私達がゲール軍に狙われるのか気になっていたが……

 

 まさか、そんな理由だったとは。

 

「何て事……!!」

 

 全てをやり直そうと思ったのに。

 

 やっとメーアの事も、私の中で忘れられないにせよ一つの踏ん切りが付いて、ファルシュを本当に自分の娘として愛していこうと思えたのに。

 

 此処へ来てまた、過去が追い付いてきた。

 

 魔女である事を捨てようと思ったのに、魔女としてのしがらみはどこまでも私に絡みついてくる。

 

「ママ……私のせいなの?」

 

 上目遣いにおずおずと尋ねてくるファルシュの頭をそっと撫でてやると、私は首を振った。

 

「いいえ……」

 

 そう、この子は。ファルシュは何も悪くはない。

 

 悪いのは、私だ。

 

 間違ったのは、私だ。

 

 命とは、川のようなもの。

 

 行く川の流れは絶えずとも、元の水はもう何処にも無い。

 

 流れてしまった命は、もう二度とは還らない。

 

 でも、私はそれを還そうとした。摂理に逆らおうとした。条理を曲げようとした。そんな事をすれば成功失敗に関わらず、どこか何かが歪む事は道理。

 

 その歪みが、今になって表出しただけの事なのだ。

 

 それを、思い知らされた。

 

「メーアを……死んでしまった人間を生き返らせようとした私が間違っていたのよ……」

 

 そしてもう一つ、分かった事がある。

 

「この……魔女の力……どんな形であれ、これに関わった人は必ず不幸になる……進んで関わろうが巻き込まれようが……例外無くね……」

 

 

 

 

 

 

 

 エイルシュタット国境、ベアル峠。

 

 ここを抜かれたら首都ランツブルックは無防備も同然。エイルシュタット側としては何としても守らねばならない要地である。

 

 配置された守備隊の中には、ヨナスの姿もあった。

 

「中隊本部より通達!! 300メートル下がれとの事です!!」

 

「何か……策があるんですかね?」

 

「やはり、魔女殿が来てくれるんでしょうか?」

 

「!!」

 

 魔女。そう聞いて、ヨナスはびくりと体を竦ませる。

 

 思い出すのは先日、ブレストリヒの倉庫で見た恐ろしい光景だった。

 

 無数の服が床に投げ出されて、まるで中身の人間がどこかへ消えてしまったような……

 

 あんな事は普通では起こり得ない。

 

 だとすれば、あれをやったのは……魔女?

 

 何の為に?

 

 考えれば考えるほど、悪い想像ばかりが浮かぶ。

 

 魔女とは、自分達が考えているような……祖国の守護者などではなく……もっとおぞましい何かなのではないかと。

 

 そんな風に考えていると、戦場に声が響いた。

 

 あの時、ケネンベルクの戦場に響き渡ったのと、同じ声が。

 

<この地を侵せし蛮族共。問おう、汝等は、誰の許しを得てそこに立っている?>

 

 敵も味方も、戦場の全ての視線が、やがて崖の上の一点に集中する。

 

 いつの間に現れたのか、そこには白いローブを身に纏った女性が立っていた。

 

 エイルシュタットの守護者たる二人の白き魔女、その一人であるフルスだ。

 

<我が名はフルス。遠き昔よりこのエイルシュタットを守護する、魔女の血脈に連なる者。我が許し無くこの地を侵す者には、何人であろうと死を与える>

 

 

 

 戦場の注意が自分に向いている事を感じながら、フルスは内心で「してやったり」と頷いた。

 

 このベアル峠にはレイラインが通っておらず、魔女は魔法が使えない。だが、それをゲルマニア軍に知られる訳にはいかない。しかしだからと言って、イゼッタなり自分なり、魔女を出さないという選択肢も有り得ない。出さないのなら出さないで、何故出さないのか。あるいは出さないのではなく出せないのではないかと、そうした推測が成り立つからだ。

 

 よってエイルシュタット側としてはこの戦いは『魔法が使えない場所で魔女を前面に出して、その上で魔法を使って勝たねばならない』という厳しい勝利条件が設定されたものであったが……

 

 そこでジークやフィーネが考えていたのが、計算と演出によって魔女の力を再現するというものだった。

 

 折良く、この一帯には霧が発生して視界は良くない。多少の粗は目立たない。

 

 戦場に響き渡るこの声は、ケネンベルクの時にフルスが使った空気を操る魔法によるものではなく、あらかじめ各所に設置されたスピーカーから発せられるものだ。それが山や崖に反響して音の出所を分からなくして、崖の上に立つフルスの姿が目立つ事もあって結果的に彼女が発しているもののように思わせられていた。

 

<退くがいい。そうすれば、私はそなたらに手出しはせぬ。だが、この場を去らずに戦うと言うのなら……それは……とても悲しい選択だ>

 

「黙れ!! 我がゲール軍が、お伽話の魔女などに屈すると思うか!!」

 

 ジープに乗った指揮官らしい男の手にしたライフルが、フルスへ向けられる。

 

<愚かな>

 

 ばっ、と大仰に手を振るフルス。

 

 すると、指揮官の手からライフルが弾かれた。

 

 ゲール兵達は狐につままれたような顔だったが、慌ててそれぞれ手に持ったライフルをフルスへ照準する。

 

<無駄な事を>

 

 再び、フルスは大きく手を振る。

 

 するとまた、ライフルは兵士達の手から弾かれて地面に転がった。

 

 良い腕をしている。

 

 フルスは胸中で、ビアンカ達近衛兵の腕を賞賛した。

 

 これは魔法ではなくトリックである。

 

 身振り手振りは合図だ。

 

 この動きをフルスがするのと同時に、周囲に伏せられた近衛が敵が持った武器を狙撃して落とさせる手筈になっていた。

 

 無論、こんなのは冷静になって調べられるとすぐにバレる小手先の手品でしかない。ライフルなどには狙撃された際の弾痕などが残っているだろうし。

 

 故に、ゲール軍が冷静になる前に、次の手を打つ。

 

<……退く気は無いようだな……では、仕方が無い。咎人は、大地に還れ>

 

 天高く掲げられた手が、さっと振り下ろされる。

 

 それを合図として、地響きが起こる。

 

 轟音と共に土砂崩れが発生して、崩落した崖にゲール軍が呑み込まれていく。

 

 文字通り高みの見物を決め込みながら、フルスは感心したように嘆息する。

 

 これもジークの策だった。この辺りには古代ローマ時代に岩塩を掘り出す為に造られた坑道が点在しており、そこに爆薬を仕掛けて合図と共に起爆させ、山を崩すという作戦だった。勿論、合図はフルスのそれに合わせて魔法を使ったように見せた上で。

 

 魔女として熟練している自分の目から見ても、これは見事と言って良いタイミングだった。運の要素もかなり絡んではいたが、確かにこれなら魔法で山を崩したように思えるだろう。

 

 山崩れに巻き込まれたゲール軍は敗走を始めている。エイルシュタット軍はこれを見て追撃を開始しているし、この戦いの趨勢は既に決したと見て良いだろう。ジークやフィーネの目論見通り『魔法の使えない魔女を前線に出して魔法を使って勝利』する事は、見事に達成されたのだ。

 

「まぁ……これで、しばらくは誤魔化せるでしょう……後は、その間に外交工作がどれぐらい捗るか……か」

 

 ひとりごちるフルス。

 

 すると、そこにイゼッタやビアンカが駆け寄ってきていた。

 

「フルスさん!!」「フルス殿!!」

 

「ああ、みんな……どうやら、ひとまずは上手く行ったようね」

 

 最初に、イゼッタが目の前に走ってきてばっと頭を下げた。

 

「あの……フルスさん!! すいません、私の代わりに……こんな危ない事をさせて……」

 

 娘ほども年の離れた魔女の頭を、フルスはポンと撫でてやる。

 

「良いのよ、この前は私が比較的危険の少ない裏方だったからね……魔女の存在を喧伝する為には、たまには私も前に出ないといけないでしょ」

 

「でも……」

 

「良いのよ。私達はもう、この世界に二人だけの魔女。互いに助け合わなくてはね……」

 

「しかし……それにしても正直意外に思っている。貴殿がここまで体を張るとは……」

 

 と、これはビアンカの発言である。ともすればフルスに対して失礼なコメントとも言えるが、当のフルス自身は気にした素振りもなかった。

 

「……ビアンカ女史、私はただ、態度や言葉だけの誠意なんて信じていないというだけですよ。これは私の持論だけど……誠意を伝え示すものは……物質か行動、そのどちらかだけだと思っているので」

 

「……物質と行動、か?」

 

「ええ」

 

 フルスは頷く。

 

「既にフィーネ様からは、誠意として十分な報酬を前金で頂いています。ならば……私も体を張って行動しなければ、自分の誠意も伝わらないでしょう?」

 

「……そう、か」

 

 ビアンカが「うむ」と首肯する。

 

 正直彼女はフルスの事を金の亡者のような女だとばかり思っていたが……その評価を改める必要があると感じた。

 

 フルスの言い分は誠実なのかがめついのか分からないが、少なくとも支払われた対価に対して対価を返す。そうした姿勢自体は筋が通っている。

 

 信頼は出来ないかも知れない。だが、信用は出来る人物だと、今のビアンカの目にフルスはそう映った。

 

「では、帰るとしようか。ご息女も、きっと心配しているだろう」

 

「ファルシュが……ええ、そうですね」

 

 少しだけ戸惑ったように、フルスは返した。

 

 国を救う為、魔女の力を使う。このエイルシュタットの大戦略に於いて彼女はイゼッタにもビアンカにも、フィーネは勿論ジークにも言っていない事があった。

 

 この作戦、勝ち筋は確かにあるが銃火の前に身を晒すという性質上、危険もかなり伴う。フルスがその役目を引き受けたのは彼女自身が口にした通り行動によって自分の誠意を示すという目的もあったが……しかし彼女は何の保険や保障も無く、のるかそるかの博打にベットするようなギャンブラーではなかった。

 

 手は、打っていた。保険を掛けていた。

 

 それがファルシュだ。

 

 ファルシュは、レイラインの無い土地でも魔法が使える。それを知る者はフルス以外誰も居ない。

 

 それこそがフルスの隠し球であり強みなのだ。

 

 同じ魔女であってもフルスはイゼッタとは多くの点が異なっている。その最たる点が、フルスはエイルシュタットを完全には信じていないという点だ。

 

 自分の手札を相手に晒してポーカーをする者は居ない。狡兎死して走狗烹らると言うが、フルスはエイルシュタットが自分達魔女を切り捨てる事態をも想定している。その可能性がゼロではない以上、打開する為の切り札は常に隠し持っておく必要があった。

 

 今回の作戦でも、フルスはファルシュをこっそり自分に随行させており、万一の場合は魔法を使って自分を守るように命じていた。そして『もし魔法が使えない所を人に見られたり知られたらそいつを殺せ』とも言っていた。

 

 これなら成功時のリターンに対して、失敗時のリスクは最小限に抑えられる。

 

「あら……ファルシュは、何処へ行ったのかしら?」

 

 

 

 

 

 

 

「はっ……はっ……はっ……」

 

 ヨナスは、爆発しそうな肺の痛みも構わず森の中を走っていた。

 

 水汲みに出ていた彼は、偶然にもシュナイダー将軍とミュラー補佐官が話している場に出くわして、とんでもない事を聞いてしまった。

 

 この場所ではイゼッタやフルスは魔法を使えない、何の力も無い女性でしかないと。

 

 ゲール兵の銃を弾いたり、山を崩したのは魔法でも何でもなく、爆薬を使用したトリックであったのだと。

 

 それを聞いた瞬間、彼は後先のペース配分も何も考えずに全力疾走していた。あの時は、兎に角あの場所から少しでも遠くへ離れたかった。

 

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 

 こんな秘密を知ってしまって、俺はこれからどうすれば……

 

 考えれば考えるほど先行きが不安になって……そして彼はひとまず考える事を止めた。

 

「と、とにかくみんなの所に戻らなきゃ……」

 

 水汲みに出ていたのに、バケツを落としてしまった事も忘れて彼は宿営地へ向かおうとする。

 

 今は何でも良いから、テントに入って休みたかった。朝目が醒めたら、こんなのは全て無かった事になっていてほしかった。

 

 そんな想いと共に彼は歩き始めたのだが……

 

 眼前に、黒い影が立っていた。

 

「?」

 

 幽霊かとも思ったが、良く見ると影のように見えたのは黒いローブで、目深に被ったフードから覗いているのは幼い少女の顔である事が分かって、ヨナスは警戒を解いた。

 

「君は……迷子かい? ここはまだ危ないから、俺が安全な所まで送って……」

 

 しゃがんで、少女と視線を合わせてヨナスが語る。

 

 その少女は無言で、そっと手を伸ばし……その手が、ヨナスの首に優しく触れた。

 

「?」

 

 少女の行動の意図を図りかねて、ヨナスは少しだけ目をばちくりした。そして、

 

 ごきり。

 

 生々しい音が、体の内側から聞こえてきた。

 

「え……あ……?」

 

 急速に体の自由が利かなくなって、視界が暗転していく。

 

 自分が倒れている事すら、もう彼には分かっていない。

 

 その音……自分の頸椎が折られた音が、ヨナスが最後に感じたものだった。

 

 そして彼の意識は呑まれていった。二度と浮かび上がらない闇の中に。永遠に明ける事のない夜に。

 

「……」

 

 ヨナスを殺害した少女、ファルシュは有り得ない方向に首を捻転させた死体を見下ろして、昔の事を思い出していた。

 

「……ママの、言っていた通りだったね」

 

 

 

 

 

『この……魔女の力……どんな形であれ、これに関わった人は必ず不幸になる……進んで関わろうが巻き込まれようが……例外無くね……』

 



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第12話 フルスの料理

 

「では……フルス、今日からは新しい魔法の使い方を教えるわ」

 

「……新しい、魔法の使い方?」

 

 鸚鵡返しした私の言葉に、母は「うん」と一つ頷いて机の上に石鹸ぐらいの大きさの粘土の固まりを置いた。

 

「……フルス、まずはおさらいしましょうか。私達魔女の魔法とは、どんなものかしら?」

 

「はい、魔法とは触れた物に魔力を流して、自分の思い通りに動かす事です」

 

 私の回答に母は満足が行ったようで、満面の笑みでもう一度深く頷いた。

 

「その通りね。『魔法』とは言っても私達に出来る事はそれ一つだけ。例えば呪いを掛けて人をカエルにしたりとか、あるいは人の心を読んだりとかそんな事は私達には出来ないの。出来る事はあくまで『触れた物に魔力を流して、自分の思い通りに動かす』、それ一つだけなの」

 

 今更にも思えるその復習に、私はどうしてここまでくどいように繰り返すのか? 母の意図を図りかねて、首を傾げる。

 

「ただし、ただ『触れた物を動かす』というだけでも……結構、奥は深いのよ?」

 

 母はそう言うと、粘土に手を触れると魔法でふわりと空中に浮き上がらせた。

 

 そうして母が手を左右に振る度に、見えない糸で繋がっているように粘土も空中を左右に動く。

 

「フルス、あなたが言う『思い通りに動かす』とはこういう事でしょう?」

 

「はい」

 

「今日から教えるのは、もっと高度な使い方なの」

 

 母はそう言って粘土を机の上に置くと、そっと手をかざして再び魔法を発現させる。

 

 すると、思いも寄らぬ事が起こった。

 

 それまではただの立方体でしかなかった粘土がぐにゃぐにゃと動いて形を変えていく。

 

 ほんの十数秒で、机の上には今にも動き出しそうなほどに精巧な馬の形をした粘土細工が置かれていた。母は魔法で、手を汚さずにこの人形をこね上げたのだ。

 

「これは……」

 

「これも魔法の応用の一つ。さっき、空中で粘土を動かした魔法の最も基本的な使い方を『念動』と呼ぶならばこれは『成型』と呼ぶべきもの。その名の通り、魔法の力で魔力を込めた物体の形を変える技の事よ。今日からあなたにはこの技術を学んでもらうわ」

 

「はい、母様……」

 

 従順を装う私の反応を受け、母はにっこり笑った。

 

「この技術の応用性は無限大と言って良いわ……フルス、あなたの才能なら訓練と発想次第で、どんな事でも出来るようになるでしょうね」

 

 

 

 

 

 

 

 エイルシュタット首都、ランツブルック大公宮殿。

 

 フルスとファルシュ親子へとあてがわれたその一室で、フルスは外出から戻ってきた娘の話に耳を傾けていた。

 

「そう……キルシュバームのパイはそんなに美味しかったの……」

 

「はい。でも途中でイゼッタさんやフィーネ様の正体がみんなにばれてしまって……大騒ぎになって……あ、これがその店のパイで……ママにも、お土産として買ってきたよ」

 

 いつも通り感情の起伏が読み取れない鉄面皮で、ファルシュは持っていた紙箱を机に置いた。

 

 蓋を開けると、中からは美味しそうに焼けたパイが一切れ姿を見せた。

 

「……そう」

 

 フルスはちらりと視線を動かしただけで、すぐに読んでいた本に目を戻した。

 

 ファルシュは何も言わずに突っ立っているだけだったが……ややあって口を開いた。

 

「……ママ、聞いても良い?」

 

「ん?」

 

「……これ、何に使うの?」

 

 ファルシュが部屋の一角を指差して、尋ねる。彼女が示した先には、大きな箱が一つ置かれていた。

 

 高さは膝下ぐらいまで、長さは2メートル弱という所だろう。人間一人ぐらいならすっぽりと入りそうな大きさで、ファルシュはどことなくその大きさや形から人間の遺体を入れる棺桶を連想した。

 

 蓋を開ける。

 

 その中に入っていた物を見て、「うわぁ」と呆れたような声を漏らすファルシュ。

 

「……何度見ても、気味が悪いぐらい似てるね……いや、似すぎていて気味が悪いと言うか……」

 

 ドン引きした表情の娘は箱の中身から母へと、視線を動かす。

 

「……夜中の内に、ベアル峠から損傷の少ないゲール兵の死体を何人分か運び込むように言ったのは……これを造る為だったの?」

 

 娘の問いに、フルスは頷いた。

 

「ええ。最初から完成している物を使う方が、水35L、炭素20㎏、アンモニア4L、石灰1.5㎏、リン800g、塩分250g、硝石100g、硫黄80g、フッ素7.5g、鉄5g、ケイ素3g、その他少量の15の元素……これらを混ぜて一から錬成するより楽なのでね」

 

「?」

 

 フルスのその説明は、今一つファルシュには伝わらなかったようだ。首を傾げる。それを見た母は「ふふ」と静かに笑うと、説明を変えた。

 

「……例えるなら、手作りチョコレートを作るとして……一からカカオマスや砂糖、バターを混ぜて作るか、市販されているチョコレートを一度湯煎で溶かして、その後でハート型とかの型に流し込んで固め直すかの違いのようなものよ」

 

「ああ……それなら良く分かるよ。でも、何でこんなのを造ったの? まさか、私と同じように”これ”も動かすの?」

 

「……私はそこまで悪趣味ではないわよ、ファルシュ……尤も、あなたを側に置いている時点で私の悪趣味は極まっているでしょうけどね……ある意味、私は世界一の死体愛好家(ネクロフィリア)なのかも……知れないわね」

 

 自嘲するように、フルスが呟く。ファルシュは自分の存在を悪趣味と言われたにも関わらず少しも気にはしていないようだった。

 

 一呼吸ほどの間を置いて、真剣な顔になってフルスは娘に向き直った。

 

「……ファルシュ、仮に私やイゼッタがゲルマニア帝国の侵略からこのエイルシュタットを守り抜いたとして……その後、私達はどうなると思う?」

 

「……どう、とは?」

 

「全てが終わった後で……平穏無事に暮らせるようになるかしら? そう聞いているのよ」

 

「……それは、無理だと思う。この体も、そう言ってる」

 

 ファルシュは胸に手を当て、そう答える。娘の回答を受けて、フルスは「そうでしょうね」と頷いた。

 

「『狡兎死して走狗烹らる』『高鳥尽きて良弓蔵る』という言葉があるけど……その言葉は私達にもぴったり当て嵌まるわ。私達魔女の力は、近代兵器を凌駕するほどに強大なもの。これはゲールという脅威があるからこそ必要とされている。でも……大国の脅威が過ぎ去って、平和になったらどうなるのかしらね?」

 

「……平和になったらママやイゼッタさんは必要無くなる?」

 

「それだけならまだマシね。多分……恐れられて、殺される事になるでしょうね。それもゲールではなく、エイルシュタットに。伝説の白き魔女……ゾフィーのようにね」

 

「……フィーネ様が、そんな事するかな?」

 

「無論、フィーネ様ご自身はしないでしょうけど、エイルシュタットの政府高官とか大臣とかが独断でそのように動くのよ。そして私達を殺してさえしまえば後は何とでも言い繕える。部下の暴走、他国の追及をかわす為にやむを得ず、不幸な事故……言い訳はいくらでも用意出来るわ」

 

「……じゃあ、今からでもイゼッタさんを連れて逃げる?」

 

 娘の提案に、しかしフルスは首を横に振った。

 

「それももう無理よ。既に私達魔女の存在は、大々的に世界へと喧伝されてしまっているから……私もイゼッタも、帰らざる川はとっくの昔に渡ってしまった。今更逃げた所で全ては手遅れ。ゲールだろうがアトランタだろうがロムルスだろうが、私達の力を欲しがるあるいは脅威に思う国はいくらでもある。彼等は私達が生きている限り、私達を追い続けるわ」

 

「……じゃあ、どうするの?」

 

「……そう、ね……」

 

 既に、フルスもイゼッタもこの状況は『詰み』であると言える。

 

 今のこの状況から、イゼッタとフルスの未来は三通り想像出来る。そのどれかから、一つだけを選ぶ形になる。

 

 エイルシュタットを守り抜いてエイルシュタットに殺されるか。

 

 エイルシュタットを守れずにゲールに殺されるか。

 

 逃げてどこか別の国に殺されるか。

 

 勿論、過程は色々と違ってはくるだろうが究極的には全ての可能性はその三つに収束するだろうというのがフルスの考えだった。

 

 未来は、果てしなく暗い。

 

「でも、私はどれも選ぶつもりはない。選択は四つ目にさせてもらうわ」

 

「……それは?」

 

「エイルシュタットを守れようが守れまいが、生き延びる道……それを選ぶ」

 

 フルスは立ち上がると、箱の傍まで歩いてきた。

 

「”これ”は言わば鍵なのよ。その未来への扉を強引にこじ開ける為の……ね」

 

「……」

 

 じっと、ファルシュは母を見詰める。表情はやはり動かないが、その瞳にはどこか気遣わしげな感情が宿っているようにも思えた。

 

「……まぁ、心配は要らないわよ。私はゾフィーの失敗は繰り返さない。どうすれば彼女よりも上手くやれるのかを、私達の一族は何百年も……ずっと考えてきたのだから」

 

 そう言いながらフルスが蓋を閉じるのと、部屋の扉がノックされたのはほぼ同時だった。

 

「フルス殿、居られるか?」

 

 ドアを叩いたのはビアンカだった。フルスは扉越しに返事する。

 

「ああ、ビアンカ女史……今、少し手が離せないので……何か御用ですか?」

 

「ミュラー補佐官が、フィーネ様や首相も召集しての会議を行われる事になった。貴殿にも出席してもらいたいが……」

 

「分かりました。では、10分後に行きます」

 

 

 

 

 

 

 

「ブリタニアへ?」

 

「はい、来週、ゲールと敵対する同盟国家群と亡命政権の代表者とが集まって、話し合いの場が持たれる事となっております」

 

 会議の議題は、最近ゲルマニア帝国が北へ目を向けている件について。そしてこの戦争に突如として現れた魔女という存在について。更には、アトランタ合衆国の関係者が出席するとの情報も入ってきている。

 

 これはエイルシュタットにとっては待ち望んでいた千載一遇の好機であると言える。

 

 上手くすれば同盟各国を説得し、同盟各国の大陸への再出兵を促す事も出来るかも知れない。

 

 どのみち、エイルシュタットの勝ち筋はこれしかないのだ。イゼッタにしてもフルスにしても、どれだけ強大な魔法が使えようとも所詮は一個人でしかない。勝てるのは、守れるのはそれぞれ一箇所だけ。局地的な勝利を収める事は出来ても、全体の戦況は覆らない。

 

 よってジークとしてはこのチャンスを何としてもものにしたいと考えており、自分をブリタニアへ派遣するようフィーネに申し出てきたのだ。

 

「だが、ジーク。その会議……各国の代表が本当に知りたいのは……イゼッタやフルス殿の力ではないのか?」

 

「!! それは……」

 

「ならば、私とイゼッタで行こう。それが魔女の力と、我々が本気である事を示す最善の方法かと思うが……」

 

 フィーネの意見を受け、ビアンカは「とんでもない」と反対して、ジークは腕組みして脳内でその案の検討を行い始めた。

 

「……よろしいですか、各々方」

 

 そこに口を挟んだのは、フルスだった。視線が、彼女に集まる。

 

「エイルシュタットの魔女は私とイゼッタの二人。もしゲールが攻めてきた場合を考えれば、どちらか一方は本国の守りとして残しておくべきでしょうね」

 

 これは全員が同意見だったようだ。「うむ」「確かに」と相槌が返ってくる。

 

「フルスさん、やっぱりここは私が姫様と一緒に行って……」

 

「……イゼッタ、それも良いけど……今回の会議では魔女の力が、ゲールに抗し得るものである事をアピールする事が重要……で、あれば……私の方があなたよりも適任だと思うわ。私はあなたより長くこの力を扱い、習熟している。きっと効果的な演出が出来ると思うのよね。人選はそうした各国への影響度を考えて行うべきだと愚考するわ……ねぇ、ミュラー補佐官?」

 



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第13話 ファルシュの秘密

 

 ゲルマニア帝国首都、ノイエベルリン。

 

 その場末のホテルの一室では、粗末な部屋に似合わない身なりの男二人が部屋一面に資料をぶちまけて語り合っていた。

 

「ベアル峠から攻め入った我が軍が、また魔女にやられたそうです。今度は魔法で山を崩したとか……」

 

 ゲルマニア帝国軍の中にあって諜報活動や特殊作戦を担当する「特務」の制服を着た少年と青年の間ぐらいの印象を受ける若手の将校、リッケルトは手にしていた資料を上司であるアルノルト・ベルクマン少佐へと手渡した。

 

「やはり、魔女に弱点など無いのでは……」

 

「いや、ある筈だ。でなければ筋が通らない」

 

 部下の意見を、ベルクマンは一言で切って捨てた。

 

 ケネンベルクの戦いからこっち、エイルシュタットの魔女についての資料は細大漏らさず頭に叩き込んだ彼であるが、本当に魔女の力が万能であり何の制限も無く使い放題であるのなら、色々と矛盾点が存在する事に気付いていた。

 

 まず二人の魔女はケネンベルクの戦いでは、戦闘が始まってから駆け付けている。彼女達を運んでいた輸送機が墜落した地点からケネンベルクまでは、報告にある魔女の飛行速度で飛べば数分と掛からない程度の距離でしかない筈なのに。

 

 それに本当に万能の力があるのなら、エイルシュタットは魔女の存在を喧伝などする必要は無い。寧ろしてはいけない。今すぐこのノイエベルリンに魔女を送り込み、オットー皇帝の首を取れば良い。それでこの戦争にはひとまずの片が付く。

 

 少なくともベルクマンは、魔女の力が万能であるという前提で自分がエイルシュタットの作戦指揮官であればそうするだろうと考えている。

 

 これまでに収集出来た情報を鑑みるに魔女が通常兵器と比べて秀でる所は、その身一つで強大な戦闘力を発揮出来るという点だ。

 

 事実二人の魔女の少女の方、イゼッタは彼女を拘束するまでに軍の一個中隊が全滅の憂き目にあったという。しかもそれほどの戦力を運用するのに戦車を走らせたり飛行機を飛ばしたりする必要が無い。それどころか銃やナイフを持ち歩く必要すら無いから、ボディーチェックにも引っ掛からない。

 

 旅行者だろうが難民だろうが、どんな形でも良いから魔女をその身一つでノイエベルリンまで潜入させてしまえばもう防ぐ事は至難の業。周囲をいくら固めていようが意味が無い。最低でも一個中隊に匹敵するような戦力がいきなり帝都のど真ん中に出現するのだ。その形に持ち込んでしまえば確実にオットー皇帝を殺害する事が出来る。

 

 それをしないという事イコールそれが出来ないと考えるのがそこまで極端な発想の飛躍だとは、ベルクマンは思わなかった。

 

「他にもいくつか、気になる事がある」

 

「……と、言うと?」

 

「確かに魔女の力は驚異的なものがある。だが、どうして陛下はそこまであれを欲しがられるのだろうね?」

 

「……それは、仰るように驚異的な力だからでは……」

 

 若い部下の問いを受けて、ベルクマンは「確かに」と頷いた後に続ける。

 

「魔女の力には恐るべきものがある。君も知っているように少女の方の魔女は捕らえるのに一個中隊が全滅したという話だしね」

 

「はい、ですから……」

 

「逆に言うと、勿論作戦や運用にもよるだろうが一個中隊が全滅する覚悟なら魔女を無力化出来るという事でもある。そして確認されている限り魔女は二人。つまり魔女二人を手に入れた所で、我が軍には二個中隊程度の戦力が加わるだけと言える訳だ。それは、果たしてこれほどの時間と労力に見合う対価だと言えるのかな?」

 

「それは……ですが実際に魔女は我が軍の一個大隊を撃退したりもしていますし……あるいは今後の技術発展を見越してとか……」

 

「勿論それも考えられるが……だが我がゲールは今、四方八方の国々を相手に戦争している真っ直中。そして魔女がいくら強くても所詮は二人しか居ない。つまり首尾良く両方手に入れても二箇所の戦場で局地的な勝利を収める事しか出来ないという訳だ。それにこれほどの人員と予算を注ぎ込まれるくらいなら、その分を前線の兵器や装備を充実させるのに回した方がずっと効率的だ。陛下がその程度の事が分からないとは、僕には思えないね」

 

 リッケルトは少し戸惑ったように、脳内で上司の言葉を整理していた。

 

 つまり、現時点で開示されている情報からベルクマン少佐が出している結論は……

 

「陛下は……魔女を手に入れられる事が目的ではない?」

 

「正確には、『魔女を手に入れる事が目的ではあるがそれは戦力や軍事力としてではない』という事だろうね。あるいはそれもあるだろうが、それはあくまで副産物、本当の目的は別にあるんだろう」

 

「本当の、目的……?」

 

「……僕のカンが正しければ、その目的のカギを握るのは……彼女だ」

 

 ぽいと、ベルクマンは手にしていた写真を机の上に滑らせた。リッケルトがそれを手に取る。

 

「これは……」

 

「陛下が二人の魔女よりも優先して確保しろと厳命された、”傷の娘”さ」

 

 写真にはバストアップで、ファルシュの姿が写っていた。

 

「”傷の娘”……」

 

「そしてもう一つ分かる事がある。陛下は僕にこの”傷の娘”を『二人の魔女よりも優先して確保しろ』と命ぜられたんだ。つまり……?」

 

 語るベルクマンは教え子の回答を待つ教師のような口調だった。決して愚かではないリッケルトはここまでヒントを出されれば、難無く正答に辿り着く。

 

「”傷の娘”は……魔女ではない?」

 

「……そうなるね。この子が魔女なら『一番幼い魔女』とか『傷だらけの体の魔女』とかそういう言い回しになる筈だ。だが、只の少女を陛下が欲しがられる訳がない。ここからは多分に推測が混じるが……この”傷の娘”こそが、陛下が多大な人員と労力・時間と予算を割いてまで魔女を手に入れようとされる理由なんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

「……で、私の所へ来たという事か」

 

「ええ、ベアル峠の戦いの報告書を読んで、違和感が大きくなったものでしてね……そしてこの”傷の娘”についても、色々と知っておきたいと思いまして……」

 

 数日後、ベルクマンは帝立技術工廠第9設計局の局長室の来客用椅子に腰掛けていた。

 

 彼の視線の先にはやり手の硬派な女性という印象を絵に描いたようなエリザベート局長が、むすっと不機嫌そうな顔でこちらを睨んでいた。

 

「それに、陛下やあなた方といった最先端の技術に関わる方々は、何故かかなり早い段階でお伽話のような魔女が実在する事を確信していた……その点についても、私は疑問を抱いておりまして……」

 

「……」

 

 エリザベート局長はしばらくの間無言でベルクマンを睨んでいたが……やがて諦めたように溜息を一つ吐いた。それからふんと鼻を鳴らして、視線を執務机に置かれた書類に落とす。

 

「陛下の命令書がある以上、私はお前に逆らえん。好きな事を聞くが良い……」

 

「では、遠慮無く……」

 

 ベルクマンはそう前置きして一呼吸置くと、懐から取り出したファルシュの写真を机に置いた。

 

「この”傷の娘”……彼女は一体、何者なのですか?」

 

 ずばりと、核心を突いてきた。

 

 一言で本質を抉ってきたこの特務の少佐に、局長は少し驚いたように瞠目した後、机の引き出しから一冊のファイルを取り出してベルクマンに投げ渡した。

 

「拝見させていただきます」

 

 そう言ってファイルを開くベルクマンだったが……最初のページをめくった瞬間、その手が止まった。

 

 写真には、無数の兵士の死体が写っていたのだ。それは軍人として血腥い任務に従事する彼をして、思わず圧倒される程に無惨な死体だった。どれも原形を留めておらず、バラバラに解体されていた。

 

「少佐、貴官はその写真の死体を見て、どう思う?」

 

 局長の問いに、ベルクマンは即答は控えて写真を良く観察する。

 

 爆弾か何かでバラバラになった、にしては写真の兵士の死体が着ている衣服には破れが少なく、焼け焦げた痕も無い。かと言って刃物で切り刻まれたのとも違う。バラバラ死体の傷口は、どれもすっぱりと切ったのものではなくグチャグチャになっていた。

 

「まるで、力任せに引き千切られたようですね……」

 

「正解だ。”傷の娘”と呼ばれているそのサンプルは一時期この第9設計局で研究対象となっていたのだが……少し前に脱走したのだ。その写真は彼女を制止しようとした兵士で……皆、ボロ布のように引き千切られて殺された。この一件で前局長は更迭され……今はそのポストに副局長であった私が就いているという訳だ」

 

「!! それは……」

 

 ベルクマンも、少し驚いた顔になる。

 

 人体を引き千切るなど、そんな芸当はどれほどの膂力と瞬発力が要求されるのだろう。そんな力を、とても写真のファルシュのような幼女が持っている訳がない。

 

 普通なら。

 

 つまりファルシュには、普通でない何かがあるのだ。ベルクマンの推測は、当たっていた。

 

 ファイルの次のページを捲ると、そこの写真には砕けたカプセルが写っていた。一緒に写っている対比物から推定される大きさは、ちょうど人間一人が入るぐらい。破片が外に飛び散っている事から、内側から破られたのだと分かる。

 

「それは、”傷の娘”を閉じ込めていたカプセルだ。ガラスは特殊強化防弾ガラスで、拳銃弾程度では至近距離であっても傷一つ付けられない強度が実証されているが……ヤツは内側から、簡単にそれを割って破ったのだ」

 

「……この設計局で一時期彼女を研究していたと仰られましたが、その期間を教えていただけますか?」

 

「ああ、それは……」

 

 局長が語った、ファルシュがこの局に拘束されていた期間は、ちょうどイゼッタとフルスをゲルマニア軍が拘束した時から、輸送機が墜落してフィーネと魔女二人に逃げられた時と一致していた。これらの要素から導き出される結論は……

 

『”傷の娘”にとってこの局を脱出する事など簡単だったが……同時期に捕まって別の場所に移された魔女二人の行方が分からなかったから、敢えて捕まっていた? そして研究員の会話などから二人の魔女の行方にアタリが付いたから、もうここに用が無くなって逃げた……?』

 

 そんな事を考えつつ、ベルクマンはまたページを捲る。

 

 次のページには様々なデータが事細かに書かれていた。

 

「心拍数……ゼロ、体液の循環……無し、体温………ほぼ室温と同じ……脳波フラット……これは……?」

 

「”傷の娘”を調べている時に得られたデータだ。他にも彼女は、10日間も水や食事を絶たれても活動に支障をきたした様子も無く、全面ガラス張りの部屋で一週間、24時間体制で監視していたが一睡もする気配すら見えなかったと報告が上がっている。他に部屋の酸素の供給量を絞ったりもしてみたが、少しも堪えてはいないようだった。我々第9設計局はこれらのデータから、一つの結論に達した」

 

「つまり……」

 

 既にベルクマンも、結論に至っているのだろう。彼の表情からそれを読み取って、エリザベート局長は首肯した。

 

「”傷の娘”は生きていない。既に死体なのだ。その死体が、何かの力で動いているのだとな」

 

「成る程」

 

 得心が行ったと、ベルクマンは頷く。

 

 死体だから水や食物を摂取する必要も無いし、呼吸も不要だから酸素が薄くても問題が生じない。心臓も動いていないから血液が体を流れず、体液の循環も起こらない。当然、体温も無い。

 

「……ここへ来て良かったですよ。お陰で色んな事に得心が行きました」

 

 報告では大人の魔女はこの”傷の娘”をファルシュと呼んでいたという。ファルシュ(偽物)と。

 

 常識外れに莫大な予算を割き、人員を動員してまで魔女を手に入れようとするオットー皇帝。

 

 そしてこの研究所で得られた、”傷の娘”の研究データ。

 

 この時点でベルクマンの中では、それらいくつかの点が繋がって線となっていた。

 

 謎は氷解した。何故、オットー皇帝が執拗なまでに”傷の娘”と魔女を求めるのか、全て分かった。

 

 上機嫌で報告書の次のページを見てみる。今度はレントゲン写真が挟まれていた。子供特有の体型をした骨格からファルシュのものであると分かる。

 

 こうして見る限り、ファルシュの骨格は人間と同じ構造のようだが……

 

「ん?」

 

 ベルクマンは、レントゲン写真を見て一つの違和感に気付いた。

 

「局長、これは何でしょうか?」

 

 レントゲン写真の一点を指差す。人差し指が置かれたのはちょうどファルシュの胸に当たる部分だ。そこに、影が見える。

 

「ああ、それか……”傷の娘”の体を調べた所、胸の辺りに何か固形物が埋め込まれているのが分かったのだ」

 

「……固形物、ですか?」

 

「ああ……材質は不明だが拳大ぐらいの大きさの物体が、あの娘の体内に埋め込まれている。残念ながらそれが何なのか確認する前に脱走されてしまったが……彼女の胸部には縫合したような痕が確認されたから、外科手術で後天的に埋め込まれた物である事までは、分かっている」

 

「つまり……」

 

「何者かが彼女の体内に、埋め込んだのだ」

 



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第14話 ブリタニアの地にて

 

 ドアが蹴破られて、武装した兵士達が駆け込んできた。

 

 彼等が手にした銃の銃口が、全て私達へと向けられる。

 

「動くな!! 手を挙げろ!!」

 

 隊長格にあるであろう士官が、声を張り上げて私達を威圧する。

 

「……!!」

 

 ファルシュが身構えるが、私は「何もしなくて良いわよ」と制止する。

 

 娘は不思議そうな顔で私を振り返る。

 

 まぁ、それはそうだ。この地は魔力が特別濃い。ファルシュが戦わなくても、私なら対人兵器しか持っていないほんの十数人ぐらいの兵士を撃退することなど容易いのだから。何故それをしないのか? ファルシュの疑問も当然だろう。

 

 答えは簡単だ。

 

 私にはもう、それをする気力すら無くなっていたからだ。

 

 もう、どうでもいい。

 

 何もかも、どうでもいい。

 

 もう、私の中には何も無い。恨みも、怒りも、執着も。

 

 いつ死んでも良い。寧ろ死にたい。

 

 そう思っていたから、私は何の抵抗もせずにゲルマニア兵に捕らえられた。ファルシュも一緒だ。

 

 ……そこから先の事は良く覚えていない。

 

 目隠しをされて、車や飛行機を何度も乗り継いだようだった。そしてどこかの研究所へ連れ込まれた。

 

 無数の計器を体に繋がれた気がする。

 

 色んな薬を打た れたようにも思える。

 

 女として辱めを受けたような記憶もある。

 

 ただそれらは全て私にとって、遠く離れた地で起こった出来事の記録映像を見ているような感覚であり実感が無かった。

 

 あの時から……ゲルマニアがエイルシュタットに侵攻を始めたと聞いた時から、私には世界の全てがモノクロームに見えていた。

 

 空も、花も、血も。私には全てが灰色に見えていた。

 

 そう、ゲルマニアがエイルシュタットへの侵攻を開始したという知らせを聞いた、あの時から。

 

 私のせいだ。

 

 何もかも、私のせいだ。

 

 どうして、どうしてこんな事に。

 

 ああ、やっぱりあの時、感情に任せて村人達を皆殺しにしておくのだった。

 

 それをしなかったのはやむを得ないとしても、あの時、メーアを安らかに眠らせてやるのだった。

 

 同じ死者を生き返らせようとした身でも、私はギリシャ神話のオルフェウスより余程業が深く、罪が重い。オルフェウスは確かに死人を蘇らせようとして、結局その歪んだ望みは叶わなかったが、しかしそれは少なくとも彼と彼の妻の間で完結した物語だった。

 

 対して私は、全て私一人のエゴの為に。自分の事だけ考えて間違いに間違いに重ねて、辿り着いた結果が、何の罪も無いエイルシュタットの人々を巻き込み、彼等が戦火によって殺される、最悪と言っていい結末。人を殺したくなくて、人を死なせたくなくて選んだ道の果てで、私は私の一族が何百年かの時間の中で殺し続けてきた累計よりもずっと多くの人間を死なせてしまう火種を作ってしまった。

 

 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

 

 何度そう口にしたか、もう覚えていない。

 

 涙は涸れた。謝罪の言葉も出尽くした。慚愧の念と罪悪感はいつしか慢性化して、それを感じているのが当たり前になった。

 

 もう、何もかもどうでもいい……

 

 灰色の世界。せめてもの償いとして自殺する事すら出来ない臆病な私の、死んでいないだけの人生。

 

 そんな世界に色が戻ったのは、あの輸送機の中での事だった。

 

 囚われていたイゼッタを見た時に、分かった。

 

 こんな私にも、まだ残っていたものがあったのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 ブリタニア王国、レッドフォード伯爵の屋敷。

 

 本日、この屋敷の食堂では当然この屋敷の主であるブリタニア王国外務大臣・レッドフォード伯爵と、ブリタニアのバーンズ首相。テルミドール共和国の代表であるブノワ将軍。ノルド王国王子、マグヌス9世。ルイジアナのマクラウド大使。アトランタ合衆国からはスタンリー特命全権大使など、反ゲルマニアの立場で繋がっている国々の中でもそうそうたる面々が集まっていた。

 

 彼等の議題は本来はエイルシュタットの守護者として全世界に報道された魔女の存在であったが、いつの間にか話はゲールが旧ノルド王国領であるソグネ・フィヨルドで艤装中であるゲールの最新型空母、ドラッフェンフェルスへと移っていた。

 

 最新型とは言え所詮は空母一隻、それ自体は戦況を覆し得るものではない。しかし無視する事も出来ない。だがこれを迎撃する為に兵を動かせば、その為に手薄になった箇所をゲール軍に破られる危険がある。アトランタ合衆国も、議会や民衆の意見もあって大陸への派兵には二の足を踏んでいる状況。

 

 進むもならず退くもならず。手詰まりという状況である。

 

 しかしこの展開は会議が開かれる前から、予想出来ていた事態であった。

 

 頃合いは良し。

 

 そう判断したレッドフォード伯爵は、話を切り出した。

 

「皆さん、ゲールの空母の事に話が逸れましたが、そもそも本日の議題はエイルシュタットの魔女に関しての事だったのでは?」

 

「くだらん!! あの国は盛んにプロパガンダを繰り返してはいるが、この20世紀の時代に魔女など……」

 

 論議の対象にすら値しないと一蹴したのは、ブノワ将軍であった。

 

「しかし事実であれば戦力にはなる」

 

「私も映像を見ましたが、本物ならば凄いものですが……」

 

「ジェントルメン!! 魔女の実力やエイルシュタットの状況など、ここで我々が議論していても無意味でしょう。そこで今回は、特別ゲストをお呼びしております。彼女等に、話を聞かれては?」

 

 起立したレッドフォード伯爵がさっと手を振ると、いくつもあるドアの一つが開け放たれて、凛とした佇まいをした少女が入室してきた。

 

 無論、この場の誰もが彼女の顔を知っている。

 

「オルトフィーネ嬢……!!」「まさか……」

 

「お久し振りです、皆様。オルトフィーネ・フリーレリカ・フォン・エイルシュタットです。そして……」

 

 フィーネの合図と共に部屋の窓という窓が開け放たれて、同時に食堂の灯りが落ちる。

 

「何のつもりだ!?」

 

「ご心配なく、ほんの余興ですよ」

 

 落ち着いた様子で、バーンズ首相が口にする。彼とレッドフォード伯爵だけはこのサプライズにも全く動じていない事から、この成り行きを最初から知っていた事が分かる。

 

 折しも、今日は満月。電灯が無くても、そう視界に不自由するものではなかった。

 

 そして月明かりを背負いふわりと、ヴェールのような白い衣を纏った女性が舞い降りてくる。

 

 その女性は空中で静止して、一同を睥睨していた。

 

 この様は月光という理想的な照明効果もあって、地上に降臨した女神のようにも思えた。

 

「同盟各国のお歴々、お初にお目に掛かる。我が名はフルス。遠き昔より、エイルシュタットを守護し続ける白き魔女の血脈に連なる者なり」

 

 堂々の名乗り上げ。ブリタニア王国サイドのバーンズ首相とレッドフォード伯爵、そしてフィーネを除いて、全員がフルスのこの登場に目を奪われているようだった。

 

 ここまでは、良し。フィーネは内心でガッツポーズを決めた。

 

 この演出はあらかじめフルスとの打ち合わせで決めていた事だが、会心の出来と言って良いほどに綺麗に決まった。今なら、全員の視線はフルスに釘付けである。

 

「この情勢下で、よくぞはるばるいらっしゃいました」

 

「同盟諸国の皆様が集まると聞き、馳せ参じました。それにフルス殿の力があれば、ブリタニアまで来る事など容易い事」

 

 と、誇らしげなフィーネの言葉を受けて聞こえよがしに「ふん!!」と鼻を鳴らした者が一人。ブノワ将軍だった。

 

「馬鹿馬鹿しい!! 宗教や魔術で戦争に勝てるとでも言うのかね? 第一そんな便利な力があるのなら、何故エイルシュタットはここまでゲールの侵攻を許し……」

 

 彼は言葉を最後まで言い切る事が出来なかった。

 

 部屋の中を手持ち無沙汰に歩き回っていたフルスがすっと指を這わせた一本の万年筆。机の上に無造作に置かれていたそれが、バネ仕掛けのようにいきなり彼の顔面に向けて飛び上がったからだ。

 

 万年筆はブノワ将軍が腰掛けた椅子の背もたれ、彼の耳よりも3センチだけずれた位置に突き刺さってビィィンと、独特の音を立てた。

 

 シン……と、食堂から一切の音が消える。

 

 フィーネですらもが、呆気に取られたような表情でごくりと唾を呑んだ。

 

「信念への冒涜は不愉快ですね……」

 

 この部屋で唯一人涼しい顔をしている人物、フルスが泰然とした態度で言い放った。

 

「……どうかされましたか? ご意見はきちんと、最後まで言い切っていただかねば困りますが……?」

 

 一国の将軍を前にしても、一歩も引かぬ図抜けた態度を見せるエイルシュタットの魔女。口元にはうっすらと笑みが浮かんでいる。

 

 一方で、魔法の威力を間近で見せ付けられたとは言えブノワ将軍も、これで会話のペースを完全に掌握されるほど若くはなかった。

 

「うむむ……確かにこの女は魔女かも知れんが、エイルシュタット本国に居る者を含めてもたった二人。大した戦力にはならん!!」

 

 これは正論ではある。既にエイルシュタット側でも幾度となく議論されていた問題だ。イゼッタとフルス、二人の魔女の力がどれほど強力であっても所詮は二人。つまり守れる所は最大で二箇所。よって三方から攻め込まれれば一箇所は破られる。ゲルマニア帝国も、いつまでもそれに気付かない無能揃いではあるまい。

 

 ジークとの話し合いでも議題に上った事だが、今のエイルシュタットの情勢は薄氷の上を恐る恐る歩いているような、いつ氷を踏み抜いて寒中水泳する羽目になるか分からないような細く危うい道を歩んでいるようなものである。

 

 とは言え、これでも相当良くなってはいる。どんな軽業の達人でも水の上は走れない。イゼッタとフルス、二人の魔女の存在によって辛うじて氷が張っているから、エイルシュタットはその上を歩く事が出来ているのだ。

 

 だがこんな事はいつまでも続けられない。どんなに安全なルートを進んでいるつもりでも、氷はいつかは割れる。ジークやフルスの見立てではエイルシュタットの現体制が維持出来るのは長くて一年。悪くすれば半年程度しか持たないかも知れない。それがエイルシュタットのデッドラインとなる。

 

 それまでの間に何としてでも同盟諸国を動かし、ゲールへの包囲網を完成させなければならない。

 

「確かに、そうかも知れません。しかし我等はこの力で、ケネンベルクとベアル峠で勝利を収める事が出来ました。しかしイゼッタやフルス殿の力は鋭きレイピアのようなもの。一点を貫くだけでは、ゲールの巨体は倒れません」

 

「だから、我々に兵を出せと?」

 

 アトランタのスタンリー大使の問いに、フィーネは頷く。これが、今回の話の肝だ。

 

「急に言っても難しいでしょう。皆様は自国の民や主を説得せねばならないでしょうし、それをするだけのメリットがあると、まずは我々の方で示さねばならない事も承知しています。ですから……最も分かり易い形で、それを為させていただきたいと思います」

 

 ばん、とフィーネが机を叩く。叩いた手が置かれたそこには、航空機から撮影された機密写真があった。

 

「空母ドラッヘンフェルス。オットーの最新の牙を、フルス殿の力でへし折ってご覧に入れましょう!!」

 

 

 

 

 

 

 

「それにしても、敵の空母が逃げ込んだのが濃い魔力のある湾で助かりましたな。しかし、魔力の地図を見る限りある所と無い所のムラが激しいようですが……」

 

「それは問題ありません。私の一族は魔女の力を武器として用いる為に、研鑽と研究を重ねてきました。当然、魔力が無い所ではどう動けば良いかとか、魔法が使える場所と使えない場所の境界での戦い方についても、訓練されています」

 

「頼もしいな……」

 

 あてがわれた部屋で、寝間着姿のフィーネが髪をとかしながら話す。

 

 フルスは壁際に立ちつつ、ゲールの空母が停泊している湾周辺の地図や作戦概要が書かれた書類に繰り返し目を通していた。

 

 部屋のほぼ中央に座するフィーネと、部屋の端っこに立つフルス。フィーネにはこの距離感が、そのまま自分達二人の心の距離のように思えた。少しばかり、居心地が悪くも思える。

 

 しかしそれも仕方が無い。フルスはあくまで契約によってエイルシュタットに与する傭兵に近い立場。自分との友誼によって力になってくれるイゼッタとは違うと、フィーネは自分を納得させた。それにフルスはベアル峠では銃火の矢面に身を晒すなど契約はきちんと履行する姿勢を見せてくれている。

 

 故に少なくとも仕事の上では、彼女が自分達を裏切る事は無いだろうというのがフィーネの考えだった。同じような考えは、ビアンカも持っているようだった。

 

「……フルス殿、一つ聞いてもよろしいか?」

 

「? 何でしょうか」

 

「貴殿は、何故あの時……ゲールに囚われていたのだ? 短い付き合いだが、貴殿がとても用心深い人物である事は私も分かっているつもりだ。貴殿なら、滅多な事ではレイラインが走っている土地から離れる事はないだろうし離れるとすれば十分な用心をしている筈。それが、何故……?」

 

「……」

 

 フルスは顔を上げずに目線だけがぎょろっと動いてフィーネを見据えた。

 

 拙い事を聞いたかも知れない。フィーネは尋ねなければ良かったと少し後悔した。

 

「いえ……私とて食事や睡眠が必要な身ではありますので。不意を打たれ、魔法を使う暇もありませんでした」

 

「ああ、成る程そういう事か」

 

 言葉を渋ったのは暗殺や諜報を生業をする者として、不意を衝かれるのは恥であるからだろうとフィーネは納得した。

 

 再び、部屋に沈黙が降りる。

 

 数分して、それを破ったのはフルスだった。

 

「フィーネ様、よろしいですか?」

 

「? どうされた、フルス殿……」

 

「あなたとイゼッタは……とても仲が良いと思いまして……私にはあなた達の在り方は、あまりにも遠い……」

 

「……すまないが、貴殿の言いたい事が今一つ私には伝わってこないのだが……」

 

「いえ……」

 

 フルスは目を伏せて、一度言葉を切った。

 

 言いたい事は色々あるが……言えない事も多い。だからフルスは、一番大切な事だけを口にした。

 

「……イゼッタを、大切にしてあげてください。喪ってしまった者は……亡くしてしまった者は……もう、何をしても戻りませんから」

 



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第15話 空の先達

 

「ねぇ、フルス。これを見て、凄いわよ」

 

 いつになくはしゃいだ様子で、母が新聞紙片手に歩いてきた。

 

 渡された新聞を広げると、そこには一面記事で飛行機の写真が掲載されていて大きな文字で「軍で遂に飛行機の実用化に成功。空軍に配備」と書かれていた。

 

「人間もとうとう、飛行機を戦争に使うようになったのよ。ライト兄弟が飛行機を開発してから50年と経っていないのに、この早さは凄いわね。正直、驚いたわ」

 

 確かにこれは驚きのニュースではあるが。しかし私にはもっと驚いた事があった。

 

「? どうしたの、フルス」

 

「いえ……驚いた……と言うか、意外だったので……」

 

「意外?」

 

「はい……お母様なら、てっきり『やっとこさ空を飛べるようになるなんて、人間もようやく私達の足下に及んだのね』とか言って勝ち誇るかと思ったので……」

 

 私の知る限り、私の母は魔女の力を誇りにしている。

 

 いや、誇りにしていると言うよりは依存していると言う方が正しいか。ある意味、母にとって魔女の力は宗教に於ける偶像に等しい。母にとって魔女の力は、全てなのだ。母にとって魔女の力を持たない子供に、価値は無い。

 

 その証拠に、私には三人の姉と妹が一人居た。

 

 そう、居たのだ。

 

 姉達と妹は、母に殺された。尤も、母は”殺した”という認識すら持っていないだろうし、罪悪感もゼロだろう。私にしてみれば姉や妹は「何も悪い事をしていないのに殺された」が、母に言わせれば「魔女の力を持たずに生まれた事自体が悪い」のだ。母は自分の腹を痛めた子供を殺したのを、園芸や農業に於ける剪定や間引きのようなものと思っているのだ。

 

 母の代でも一族の中で何人か魔法が使えない魔女が生まれたらしい。当然、それらの子供たちは殺処分されたそうだ。聞いた話だが、祖母の代でも母の代より数は少ないながら魔女の力を持たない子供が生まれたとか。魔女の力を持たない子供が生まれる割合が、代を重ねる事に増えてきている。

 

 魔女の力は、少しずつ受け継ぐ者が少なくなっている。

 

 これは魔女という種族そのものが、滅びつつあるのだろう。

 

 だが、しかし。いやだからこそ、母にとって姉妹の中で唯一人魔女の力を持って生まれた私は希望の光に等しいのだろう。

 

 ……正直に言うなら、いい迷惑だ。

 

 そこまで考えた所で、私は頭を振って思考を打ち切った。今、そんな事を考えた所で不毛だ。今は雌伏の時。魔女としての力や技術を高め、知識を蓄え、一族を抜けた後で追っ手が掛かっても撃退出来るだけの力を身に付ける事だけを考えるのだ。その時まで、私は母を利用し続ける。学べる知識や技術は吸収出来るだけ吸収させてもらう。

 

 とにかく、私はここまで魔女の力に依存・固執・妄執している母はてっきりそれ以外のもの、特に科学の類については見下すだけの対象だとばかり思っていただけにこの反応は意外だった。それを受けて母は「ああ」と納得したように笑うと、ちっちっと指を振った。

 

「確かに私はこの力を誇りにしてはいるけど。でも、他の力を軽視するつもりは無いわ。私達の一族の中には銃が発展しつつあった時代に、銃を侮って銃に殺された魔女も居たの。そこから学んで……私は昔と同じ失敗を繰り返すつもりは無いわ」

 

「成る程」

 

 内心、こんな所だけはまともだなと私は吐き捨てる。それだけ理性的な考えが出来るなら、魔女に未来が無い事だって気付きそうなものだが。

 

「……フルス、いずれあなたは飛行機と空中戦をする事になるかも知れない。その時の為に……あなたは学ばねばならないわ」

 

「学ぶ……何を、でしょうか?」

 

「空に於いて……飛行機が出来る事と出来ない事、魔女が出来る事と出来ない事を」

 

 

 

 

 

 

 

 ソグネ・フィヨルド湾を眼下に見下ろす山中に立つフルスは、湾内に展開する艦隊を睥睨しつつ、ひとりごちた。

 

「本当に、人間は凄い……今では戦争に、航空機が実用化されているのだから……」

 

 正直、自分が子供だった頃は戦闘機との戦いなど夢物語のように思っていた。

 

 しかし現実には、これから自分は航空母艦を相手に戦おうとしている。空母という事は当然、艦載機を搭載している。その空母を攻撃するとなれば当然、迎撃の為に戦闘機が出てくるだろう。

 

「……でも、私は空中戦などするつもりは無いのだけどね」

 

 その言葉を合図に周囲の物体に既に付与していた魔力を、活性化させる。

 

 山間の木々に隠されていた魚雷が姿を見せる。無数の岩石が空中に浮かび上がる。

 

 穏やかだった風が渦を巻き、ごうごうと恐ろしげな音が鳴る。

 

 その風に持ち上げられて、フルスの体はふわりと空中に浮遊する。

 

 これはまだ少女で魔法の習熟度の足りないイゼッタには、出来ない芸当である。

 

 フルスは空を飛ぶのに、イゼッタが跨るライフルのような物体を必要としない。彼女は自分の周囲の空気に魔力を流し、その空気が巻き起こす気流に乗って空を飛ぶ。拡散し、散ってしまう気体に魔力を流して操る事はライフルのような固体とは比較にならない練度を必要とするが、しかしその利点は大きい。

 

 何かに乗るのではなくその身一つで自在に空を飛び回るフルスの動きの自由度は、イゼッタを遥かに上回る。

 

 そして空気の使い道は、ただ空を飛ぶだけではない。

 

「さて、始めましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 4本の魚雷を引き連れ、太陽を巡る星の如く無数の岩石を周囲にぐるぐると回しながら山を越えて現れたフルスの姿を認めて、ソグネ・フィヨルド湾基地にはにわかに警報が鳴り響いた。既に、警戒の為に湾内に展開していた艦隊は陣形を組み直し、対空砲を乱射している。

 

 しかし、当たらない。

 

 軍艦の対空砲は、最低でも戦闘機ぐらいの大きさと運動性を持った対象を追い払うまたは撃ち落とす為のもの。

 

 魔女のような、戦闘機よりもずっと速く、ずっと小さく、信じられないほど鋭角に動くような目標に当てられるようには造られていない。

 

 ならば、戦闘機による迎撃だが……

 

「出られないとはどういう事だ!?」

 

 空母ドラッヘンフェルスの甲板で、ゲルマニア帝国軍のエースパイロット、バスラー大尉は整備兵の胸ぐらを掴んで鬼気迫る表情で怒鳴った。

 

「さ……先程から信じられないような乱気流が発生していて……この状況での発艦など自殺行為です!!」

 

「ぐうっ……」

 

 苛立ち紛れに、バスラーは整備兵から手を離した。確かに、今は肌が痛くなるほどの強風が吹き荒れている。

 

「じ……自分も長年船に乗っていますが……こんな風は今まで味わった事がありません!! も、もしかしたらこれも魔女の力では……!!」

 

「ええい!! なら、俺だけでも出る! 用意をしろ!!」

 

 整備兵はそれを聞いて、正気を疑うような顔になった。

 

「死にますよ!?」

 

「俺を誰だと思っている!? 良いから、さっさと準備するんだ!!」

 

 

 

 

 

 

 

「……これだけの乱気流の中では、戦闘機は飛べないと思っていたけど……うん、勉強してきた事に間違いはなかったようね」

 

 火線を縫うように飛びつつ、迎撃の為の戦闘機が出て来ないのを確認したフルスは満足そうに頷いた。

 

 現在、湾内全体に発生している乱気流はフルスの魔法によるものだった。彼女は既にここに来るまでの道中で大量の空気に自分の魔力を流し、自らの眷属として引き連れてきていたのだ。それを動かして、彼女は局地的に台風かと錯覚するような暴風圏を作り出していた。

 

 これだけの暴風の下では、航空機の発艦は危険極まる自殺行為。

 

 洋上艦の対空砲などは取るに足りない。そして唯一の懸念要素であった戦闘機も発進出来ないとあればもう自分を阻むものは何も無い。

 

 後は予定通り、連れてきた魚雷4本を空母に叩き込んで撃沈する。それで任務は完了する。

 

 フルスはさっさと終わらせるべく魚雷を操ろうとして……

 

「!!」

 

 周囲を取り巻く大気が、高速で接近する物体をフルスに教える。

 

 フルスは長年の訓練と経験から肌でその大きさと形状、速度を把握して素早く迎撃態勢を取った。

 

 大きさと形状は戦闘機クラス。だがそのスピードは、彼女が知るどんな戦闘機よりも速い。

 

「……新型? しかし、この風の中で飛び立てるなんて」

 

 呟きつつ、フルスはターゲットを空母から戦闘機へと切り替えた。

 

 たとえ一機であろうと、脅威を放置しておいては作戦の成否に関わる。

 

 フルスはスピードを上げて戦闘機を振り切ろうとしたが、しかしここで彼女の表情には驚愕が露わになった。

 

「!! 付いてくる……!!」

 

 ゲルマニア軍の制式戦闘機であるBf109であれば、このスピードには到底付いて来れない筈なのに。しかし現実にこの戦闘機は、ぴったりと自分の背後に追い縋ってくる。

 

 照準を合わせた機銃が、火を噴く。

 

 一発でも当たればフルスの体に綺麗な風穴を空けるであろう口径の弾丸が高速で飛んでくるが、しかし今度は、

 

「何っ!?」

 

 新型機のパイロットであるバスラー大尉の方が驚く番だった。

 

 フルスは自分の周りをぐるぐると回していた岩の幾つかを動かし、盾として使って全ての銃撃を防ぎ切ったのだ。

 

 ここまでの攻防は、一進一退。しかしバスラーは手応えを感じていた。

 

 機銃での攻撃は、フルスが盾として使った岩を確実に削っている。そしてフルスが従えている岩の数はそう多くはない。このまま攻撃を続けていれば、いずれ防ぐ物が無くなって機銃弾は魔女の体を蜂の巣にする。

 

「……成る程、凄いのは機体よりもパイロットの方か」

 

 飛びながら、フルスが呟く。

 

 このスピードで飛び回る自分に追いすがってくるのも凄いが、今の銃撃の狙いも正確だった。

 

「本当、人間は凄いわね……後、30年もすれば多分……私達魔女でも飛行機には勝てなくなるでしょうね」

 

 魔女の力は失われつつある。歴代最強の力を持つ魔女である自分とイゼッタは、言わば燃え尽きる前のロウソク最後の輝きかさもなくば次代に繋げられない徒花か。しかしそれだけではなく、人間の科学の発展は魔法に追い付いてきつつある。

 

 事実、銃にしてもそれが無い時代の者にとっては「火を噴く魔法の鉄の棒」と言える。飛行機だって百年前の人間には「空飛ぶ魔法の船」に見えるだろう。

 

「でも、まだ今は私の方が上よ。これで……」

 

 岩の一つを戦闘機へと投げ付けようとしたフルスは、しかしその岩が突如としてコントロールを失った事に気付いた。

 

「!!」

 

 咄嗟に攻撃を中止し、飛行するコースを変更するフルス。

 

 この湾内は魔力の有る所と無い所にムラが激しい。魔力が無ければ、物体を操る事も空を飛ぶ事も出来ない。

 

 フルスが周囲に岩石をぐるぐる回しながら引き連れてきていたのは、投擲武器や盾として使う目的もあったが、最大の用途は自分の周囲に展開させて魔力の切れ目を見付ける為の感知器として使う為だったのだ。進行方向の岩が操れなくなって落下すれば、そちらには魔力が無い事が分かるという寸法だ。

 

 魔力のある空域へと退避した事で墜落は免れたフルスだったが、しかし攻撃のタイミングを逃した事で再びバスラー機に背後を取られてしまった。

 

「……!!」

 

「落ちろ!!」

 

 照準器の中央にフルスを捕らえたバスラー大尉が、吼えた。

 

 当たった。

 

 撃つ前から、確信する。彼ほどの歴戦のパイロットをして、滅多にない感覚であった。

 

 しかし操縦桿の引き金を絞ろうとしたその瞬間だった。

 

 全ての常識を超えた事態が起きた。

 

「!? き、消えた!!」

 

 しっかりとサイトに捉えていたフルスの姿が消失したのである。

 

 上か、下か。それとも左右のどちらかに退避したのか。

 

 バスラーは慌てて周囲を見渡すが、どこにも魔女の姿は見えない。

 

 今までに掻いた事の無い汗がドボッと体中に湧いた居心地の悪さをバスラーが感じた瞬間だった。

 

 ドガガガガッ!!

 

 轟音。続け様に、衝撃が襲ってくる。

 

 機体が急速にコントロールを失い、失速していく。

 

「こ、これは……!?」

 

 見ると、機体の左翼に岩がめり込んで破損していた。

 

 片翼をもがれた金属の鳥は、きりもみ状態になってまっすぐ海へ落ちていく。バスラーは何とか制御を取り戻そうとするが、その努力は無駄に終わった。何千時間も掛けて培ったあらゆる操縦テクニックも、機体が壊れていては無意味なものでしかなかった。

 

「く、くそっ……!!」

 

 一体何が起こったのか?

 

 それを理解する前に、風防から見える視界の全てが海で一杯になって、先程とは比べ物にならないほどの衝撃が襲ってきた。

 

 バスラーの意識は、そこで途絶えた。

 

 最新科学の結晶であった戦闘機はバラバラになって、残骸が海面に飛び散っていく。散らばった浮遊物はしばらく海面に漂っていたが、やがて海に沈んでいった。

 

「……残念だけど、今はまだ、魔法の方が科学を上回っているようね。私達魔女は、お伽話の昔から空を飛び続けてきた。飛べるようになって半世紀も経たないヒヨコには、まだ負けないわよ……」

 

 戦闘機が墜落した海面を眺めながら、滞空するフルスが言った。

 

 確かに新型戦闘機のスピードは、魔女に追従出来るものがあった。バスラーの腕も十分にそれを使いこなしていた。フルスと言えども、スピードで彼の愛機を振り切る事は不可能であったろう。だがどれほどの新型機であっても、どんな凄腕のエースパイロットであっても、戦闘機には絶対に出来ない事があった。そして魔女に出来る事が。

 

 それは、加速ではなく減速。そして滞空。

 

 高速で飛べる戦闘機は、発揮出来る速度が速ければ速いほど、一定以上の速度を出さねばならないように造られている。もしそのスピードを下回ってしまえば、失速して墜落してしまうからだ。

 

 攻撃を受ける直前、バスラー機を振り切る事を不可能と見たフルスは一瞬にしてその空間に停止したのだ。すると当然、バスラー機は空中で止まったフルスをそのまま追い抜く形となる。

 

 10、9、8……と徐々に減速していくのではなく、いきなり10から0に。トップスピードから停止するまでの速度差が酷すぎた為に、エースパイロットであるバスラーの動態視力ですら追い付かず、フルスに後ろを取られる形となってしまった。

 

 そうして絶好の攻撃位置を確保したフルスは、岩を放り投げてそのままバスラー機の左翼を破壊したのだ。

 

「さて……」

 

 これで、脅威は取り除かれた。後は任務を果たすのみ。

 

 フルスは、引き連れていた魚雷4本を着水させ、空母へ向けて航走させた。

 

 

 

 

 

 

 

 4本の水柱が立ち上り、ドラッヘンフェルスの巨体が真っ二つに割れて沈んでいく。

 

 その様を、近くの高台からベルクマンとリッケルトは双眼鏡を手に観察していた。

 

「ドラッヘンフェルスが……沈む……!!」

 

 愕然とした表情の部下とは対照的に、タバコを吹かすベルクマンの顔には笑みが浮かんでいた。

 

「高い買い物ではあったが……価値はあったね」

 

「? 少佐、それは……?」

 

「元々、ドラッヘンフェルスは捨てて構わない艦だったんだよ。再び海に出た所で、ブリタニア海軍が総力を挙げて沈めに来るだろうからね。だからこそ、陛下も今回の作戦に使う許可を出して下さったんだが……」

 

 敢えて魔女を釣る為のエサとして用意し、特務がそれを間近で観察する為に。

 

 空母一隻とその乗員、最新鋭の戦闘機とエースパイロット。失ったものは大きかったが、得られたものも大きかった。

 

 魔女の力の弱点。それがはっきりと見えた。

 

 あの魔女が周囲に展開していた岩石。

 

 その一つが落下した瞬間、魔女は不自然な空中機動を行い、結果バスラー大尉に攻撃のチャンスを与える形となった。

 

 魔女の力には使える所と使えない所がある。あの魔女が自分のぐるりを囲むように動かしていた岩石は言わば炭坑の金糸雀。力を使えない場所をいち早く察知する為の探知機であったのだろう。

 

「それに、大尉はある意味では幸せだったのかも知れないね。飛べなくなる前に、空で死ねて……」

 

「は?」

 

「近々、空軍への予算は大幅にカットされるそうだ」

 

「え、それは……どうしてですか?」

 

 信じられないと、リッケルトが尋ね返してくる。

 

 彼の疑問も当然ではある。

 

 近隣諸国に戦争を仕掛けているゲルマニア帝国がここまで優勢を保っているのは、戦車と航空機を連携させた電撃戦による所が大きい。その自らの武器をより強化する為の予算を、増やすならば分かるが減らすとは一体どういう事だ?

 

「僕も聞きかじっただけだが……現在、帝国内である計画が進んでいるらしい。空軍からカットされた予算は、そちらに回されるそうだ」

 

「ある計画……」

 

 鸚鵡返ししてくる部下に、ベルクマンは頷いて返した。

 

「計画の名前は……エクセ・コーズ」

 



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第16話 フルスの捜し物

 

 それはまだ、魔女狩りが行われていた時代の事です。

 

 アルプスの小さな国の王子が狩りに出掛けて、ケガをしてしまいました。

 

 それを助けたのは雪のような美しい銀色の髪をした、一人の若い魔女でした。

 

 最初は魔女を恐れた王子も、彼女が心の優しい娘だと分かると次第に打ち解け、いつしか二人は恋に落ちていました。

 

 やがてケガが治ると王子は娘を城に連れ帰ろうとしますが、娘は「魔女である自分は妃になれない」と、王子の申し出を拒みました。

 

 嘆く王子に、魔女は約束します。

 

「もしあなたが、魔女の力を欲するならば、いつでも力を貸しましょう」

 

 王子がお城に戻り、月日が流れたある日の事。

 

 突然、王子の国に敵が攻めてきました。戦いに出た王子が瀕死の傷を負い、戦に敗れそうになったその時、燦然と現れたのはあの白き魔女でした。彼女は不思議な杖で瞬く間に大軍を薙ぎ払い、国を救ったのです。

 

 そして、短い幸せの時がありました。

 

 ですが王子は戦争で受けたケガが元で亡くなってしましいます。

 

 嘆き悲しんだ魔女は、王子の遺志を継いで国の守護者となる事を選びました。そしてその命が尽きる時まで、国を守り続けたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 フルスは朗読を終えて、手にしていた本を閉じた。表紙には「白き魔女の伝説」とタイトルが書かれている。

 

「昔、ママが話してくれたのと、違うね?」

 

 すぐ側に立っていたファルシュが、不思議そうな顔で尋ねてくる。

 

「ええ……実際には、白き魔女と出会った時、王子には既に妃が居たの。そして王子が亡くなった後……白き魔女は妃から疎まれ、家臣団からも裏切られて異端審問官に売り渡され、最後は火炙りに掛けられた……それが伝説の真実……私達の一族に、彼女の轍を踏むなと、教訓として伝わっているお話よ」

 

「……どうして、エイルシュタットには本当の事がそのまま伝わっていないの?」

 

「……そう、ね……理由は色々あるけど……」

 

 フルスは少し言い淀んで、顎に手をやって考える仕草を見せる。

 

「……みんな、自分の過ちや後ろ暗い部分は……無かった事にしたいのよ。極端な話、お伽話の真偽などどうでも良いから自分達の住む国は、素晴らしい国だと安心したい。だからハッピーエンドで、残酷な現実を塗り潰そうとするの……無駄な事なのに」

 

「無駄?」

 

 苦笑と共に紡がれた母の言葉を、ファルシュは首を傾げて鸚鵡返しする。

 

「そう……白き魔女が居なければ、エイルシュタットは今頃滅んでいるか良くて属国……そしてそれは白き魔女を売り渡さなかったとしても、同じ事……その場合も、エイルシュタットは異端の国と認定されて最終的に同じような末路を辿ったでしょうね……今現在、エイルシュタットが主権国家として成立している事それ自体が、救国の英雄を売り渡して得た結果だと証明してしまっているのよ。光を強くすればするほど、影が濃くなるように……皮肉な事にね……」

 

 フルスにしてはどこか、皮肉気で棘のある言い方ではある。ファルシュはそんな母に少し違和感を覚えたようだ。

 

「……ママは、エイルシュタットが憎いの?」

 

 娘の問いに、フルスは微笑すると首を横に振った。

 

「……いいえ。何百年も前の因縁……そんなものを今の世界に持ってくるなんて無為、無駄、不毛……ナンセンスよ。私は白き魔女の無念や絶望など知った事ではないし……むしろ今、このエイルシュタットに生きている人が事実を知らず、お伽話を信じて幸せならそれで良いと思っているわ。今更、真実を明るみに出して何になる? 誰が得をすると言うの? 伝えるべきでない過去など、全て忘れ去れてしまえば良いのよ……真実は、私達だけが知っていれば、それで良い」

 

「……」

 

「それより、ファルシュ……私がフィーネ様と一緒にブリタニアに行っている間……あなたにはやってもらう事があるの」

 

「やる事?」

 

 フルスは先程まで読んでいた本を開くと、あるページを開いてテーブルに置いた。

 

 ファルシュが覗き込む。そこはちょうど挿絵のページになっていて、杖を振るって人々を救う白き魔女の姿が描かれている。フルスの指先が、絵の中の魔女が手にする杖の先端に置かれた。

 

「魔女の杖に嵌め込まれた宝玉……このエイルシュタットのどこかに隠されている筈の”あれ”を、探しなさい」

 

 母の命令を受けて、ファルシュはそっと自分の胸に手を当てた。

 

「はい、ママ……」

 

「急ぐのよ。残された時間は、そう長くないのだから」

 

 

 

 

 

 

 

 ブリタニア王国、レッドフォード伯爵の屋敷。

 

 客人としてフィーネとフルスにあてがわれた部屋だが、今ここに居るのはフルス一人だ。フィーネは、先のソグネ・フィヨルド海戦での空母撃沈の報を受けて開かれた各国代表との会議に出席している。

 

「ごほっ、ごほっ……」

 

 咳き込む声が、部屋に響く。

 

 フルスは口元に当てていた手を、そっと離す。彼女の掌は、真っ赤に染まっていた。彼女の口元からも、血が滴っている。

 

『……喀血の周期が……段々短くなってきたわね……』

 

 心中でどこか自嘲的に、自虐的に呟く。口元を拭うと、フルスは諦めたように笑った。

 

『少し……ファルシュを動かしすぎたわね……あの子は何処まで行っても偽物(ファルシュ)だけど……でも、あの子が私を想ってくれる気持ちはホンモノだから……それに浸っていたくて……もうちょっと、もうちょっとって……切れそうになる度に、あの子に魔力を注いで……麻薬ね、これは』

 

 得難い快楽に止めるに止められず、命を縮める所までそっくりだとフルスは嗤う。

 

「急がねばならない……私に残された時間は、そう長くない……私が居なくなれば、ファルシュもそう長くは動いていられない……その前に、やるべき事を終わらせなければ……」

 

 洗面所で手に付いた血を洗い落とし、口元の血も拭う。そうして身だしなみを整えた所で扉が開いて、フィーネが駆け込んできた。

 

「フルス殿!!」

 

「フィーネ様、その様子では……会議は上手く運んだようですね?」

 

 フィーネの声はいつになく弾んでいて、良い事があった事は問わずとも分かる。

 

「ああ!! アトランタのスタンリー大使が約束してくださったのだ。大統領と議会に掛け合い、大陸への出兵を促すと!!」

 

「アトランタが、ですか」

 

「うむ!! 貴殿やイゼッタのお陰だ!! 深く、深く感謝するぞ!!」

 

 一国の大公とは言え、フィーネもまだ十代の少女である。やっと希望が見えてきたのだ、浮かれるのも無理からぬ所ではあるだろう。

 

 一方で三十路も半ばを過ぎ、その間ずっと人間の醜い部分ばかり見てきたようなフルスはそこまで未来に希望は持てなかった。

 

 確かに、アトランタ合衆国はヴォルガ連邦と並ぶ超大国であり、彼の国が出兵すれば情勢は大きく変わるだろう。

 

 ただしそれが、良い方向にとは限らない。

 

『庭から虎を追い出す事は出来ても……代わりにライオンが入ってきたら……そこに意味はあるのかしら?』

 

 確かに周辺各国に戦争を仕掛けて勢力を拡大しているゲルマニアを叩く事は、アトランタ合衆国にとっても重要、急務であろう。だが彼等の目に、そのゲルマニアと対等以上に戦い、単身で空母を沈める魔女の力はどう映っているのだろうか。

 

 自分がアトランタの政治家なら、その力が自分達へ向けられた時の事を考えるだろう。フルスはそう思考を回す。

 

『ゲルマニアに対抗するという名目で軍を出し……そのどさくさに紛れて治安維持とかの名目でエイルシュタットに軍を駐留させ、実質的に占領下に置き、魔女を抹殺する……大体そんな流れかしらね……』

 

 考え得る可能性として高いのは、そういったシナリオだ。

 

 それを避ける為には? どうすれば良い?

 

 答えはすぐに出る。

 

『エイルシュタットを攻める旨味が無くなれば良い、か……』

 

 魔女の存在を抜きにすればエイルシュタットは人口が少なく、地下資源にも乏しい小国。アトランタ合衆国が軍を動かし、海を越えてまで攻め込んだ後、滅ぼすにしても占領下に置くとしても、完全にコストとリターンが釣り合っていない。第一、世論も納得しないだろう。歴史的に若いアトランタは「名誉」を欲しがる国だ。正確には「正義という名の名誉」を。あの国は世界の警察で在りたいと常に願っている。

 

 『魔女という脅威を取り除き、世界に安全を保障する』

 

 アトランタがエイルシュタットに侵攻する大義名分はそれだ。

 

 ならば、それが無ければ?

 

 魔女が存在しなければ、アトランタ以下各国がエイルシュタットを攻める理由は消滅する。

 

『スタンリー大使が合衆国に事態を報告し……大統領が議会を説得し、世論をまとめ上げるまでが勝負か……』

 

 時間はもう、あまり残されていない。

 

『残された時間は……何もかも少ない……それまでの間に”あれ”を探し出し……ゲルマニアの攻勢を押し留め……そして……』

 

 フルスの視線が、すぐ眼前で自分に笑顔を向けてくるフィーネと合った。エイルシュタット大公は、少し不思議そうに首を傾げる。

 

 罪悪感にちくりと胸を刺されて、フルスはフィーネから視線を逸らした。自分がやろうとしている事を考えると、彼女はフィーネの顔をまともに見れなかった。

 

『そして、私が……イゼッタを殺さなければならない』

 

 

 

 

 

 

 

 その夜、ファルシュはエイルシュタット旧王城の通路を歩いていた。

 

 現在、魔女の秘密が隠されたこの城は関係者以外立ち入り禁止となっているが、魔女の末裔にして護国の英雄であるフルスの娘の彼女は、何の問題も無くこの城に立ち入る事が出来た。

 

 そして教えられた通り、地下通路を進んでいく。この先に、教えられた秘密の間がある筈だ。

 

 フルスから指示を受けた、捜し物。それがあるとすれば最も可能性の高い場所はやはり、白き魔女の伝説に縁のあるこの王城地下であろうとファルシュは考えていた。

 

 魔女の間に続く通路には、当然ながら衛兵が24時間体制で警戒している。

 

『……仕方無いか』

 

 衛兵達に恨みがある訳ではないが、自分がこれから行う事は見られては絶対に拙い。

 

 死人に口なし。目撃者は、消す。

 

 そう考えてファルシュは地下に続く階段を下りていったが……しかし地下通路で、思いも寄らぬものが目に入った。

 

「!! これは……」

 

 衛兵達が、倒れていたのだ。

 

 ファルシュは衛兵達の首筋に手を当てる。脈は感じ取れない。死んでいる。死体を調べてみると、胸に銃で撃たれた痕があった。こんな所で衛兵が撃たれて死んでいる理由など、一つしかない。

 

『誰かが……私より先に……?』

 

 どこの国の手の者かは分からないが、この旧王城に忍び込んだ者が居たのだ。そいつが衛兵を始末して、この先の魔女の間に入り込んだ。

 

 ファルシュが通路を駆けていくと、魔女の間に通じる隠し扉は開いていた。階段の下からは銃声が断続的に響いていてビアンカの声で「逃がすな!! 出口を固めろ!!」と聞こえてくる。

 

「……これは、出直すべき……」

 

 ファルシュは嘆息すると、来た道を戻り始めた。

 

 どのみちここまでの騒ぎになったからには、少なくとも今はこれ以上の捜索は不可能。あまりぐずぐずしていると「何故そんなに此処に留まっているのか」とビアンカに疑われるだろう。それは良くない。フルスの立場を悪くしてしまう事にも繋がる。

 

 一度退いて、ほとぼりが冷めてからまた調べに戻るべきだろう。捜すべき場所は、他にもあるのだし。

 

「……今はここに、白き魔女の杖に嵌められた宝玉……私の中の”これ”と同じ物が無かった事を、祈るしかないか……」

 

 胸を軽く手で叩くファルシュ。コツンコツンと、骨とは違う固い感触が指先に伝わってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 銃声。

 

 ばたりと、工作員としてエイルシュタット軍に入り込んでいたローレンツが倒れる。

 

 彼は本国から送られてきた魔女の血を使って秘密の間に潜り込んだが、警戒に当たっていた近衛兵に発見されて逃走中であった。そして今、凄腕を誇る近衛隊の銃撃を受けたのだ。夜間で相当な距離があったにも関わらず、銃弾は正確に心臓を撃ち抜いていた。彼は苦しむ間も無く、即死していた。

 

 倒れた彼の手元にはスパイが使う超小型カメラと、中程で割れたような紅い石が転がっていた。

 

 じゃりっ、と土を踏み締める音がして、人影が姿を見せた。

 

「……任務、ご苦労様でした」

 

 月明かりに照らされて露わになったのは、ゲルマニア帝国軍”特務”、リッケルト少尉のあどけなさを残す顔だった。

 

 彼は今回、旧王城に眠る魔女の秘密を回収するという極秘任務を受けてエイルシュタットに潜入してきていたのだ。

 

「ジーク・ライヒ」

 

 その言葉を最後にローレンツの命を掛けた成果である紅い石とカメラを懐に入れると、リッケルトは森の中へ消えていった。

 

 近衛隊がやってきて、ローレンツの死体を確認したのはこの5分後の事だった。

 



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第17話 エクセ・コーズ(前編)

 

「はぁ……はぁ……」

 

 体が熱い。息は早く、冷たい汗が止まらない。右手で押さえた腹部の傷からは出血が止まらず、服と手を紅く染め続けている。

 

 最初は感覚の全てが痛みに埋め尽くされているようだったが、今では痛みを通り越しているのか何も感じなくなってきていた。

 

「ふふ……流石はお母様……とうの昔に現役は引退したと言うのに強かったじゃないですか……」

 

 乾いた笑みと共に、私はひとりごちる。

 

 一族から抜けて、次々繰り出される追っ手を全て返り討ちにし続けてきた私に差し向けられてきた最後の刺客は、母だった。母は一族を抜けた私を殺そうと襲ってきて……そして私は、母を殺した。これで、私の一族の魔女はもう私独りになった。その最後の一人も、もう少しで滅びようとしている。母の最後の一撃は、私に重傷を与えていた。

 

「……惨め、ね……私は……死ぬのか……こんな所で……何も出来ずに……何にもなれずに……」

 

 自嘲の笑いと共に、私は掠れた声で漏らす。両の瞳からは我知らず、涙が伝っていた。

 

 悔しい。無念だ。こんな筈じゃなかった。私は一族の宿命から逃れて、これからは人を殺さずに生きていく道を捜そうと思ったのに。

 

 でも……仕方が無いかとも思う。

 

 私はここに来るまで、多くの人を殺してきた。母の言うなりに。母に逆らって、殺されたくなかったから。

 

 どんな理由があれ、人殺しの末路などこんな風に惨めなものなのだろう。

 

「……あなた、大丈夫!?」

 

 声が、聞こえた気がした。

 

 私の意識は一度そこで途切れて……

 

 そして再び目覚めた時、私の体はベッドに横たえられていた。腹部を触ってみると包帯が巻かれていて、傷に手当てが施されているのが分かった。

 

「ああ、良かった。気が付いたのね。あなた森で倒れていて……三日も眠っていたのよ?」

 

 私を覗き込むように見ていたのは、同じぐらいの年頃の紅い髪の少女だった。

 

「……あなたが、助けてくれたのね。ありがとう。私は、フルス……あなたは?」

 

「ロレッタ。私は、ロレッタだよ」

 

 紅い髪の少女は、そう名乗った。

 

 ロレッタは魔女だった。遠い昔に私の一族と袂を別った、もう一つの魔女の一族の末裔。

 

 これが白き魔女・ゾフィーの出奔を切っ掛けに分かたれ、それ以降ずっと交わる事の無かった二つの魔女の一族が、再び交わった瞬間だった。

 

 ロレッタの母は血に塗れた道を歩んできた私にあまりいい顔をしなかったが、一方でだからと言って力尽くで追い出そうとまではしなかった。

 

 それからしばらくは、平穏な時間が続いた。元々行く当ての無かった私は、なし崩し的にロレッタ達と過ごす事になった。

 

 ロレッタ達と過ごす中で私が魔法を使う事はなく、人を殺す事もなく。

 

 人間らしい幸せが、そこにあるのだと実感する。私にとっては彼女達との一日一日が、まるで贈り物のようだった。

 

 やがていくらかの時が流れ、私とロレッタは少女から大人になった。そしてロレッタに子供が産まれる。出産には私も立ち合った。赤ん坊を抱き上げた時に腕に走った重みを、私は今も覚えている。私は今までずっと命は羽より軽いものだとばかり思っていた。そのように母から教えられてきたし、事実、私は魔法を使えばほんの一瞬で何人もの命を断ち切る事が出来た。

 

 でも、それが間違いであると分かった。理解し、実感出来た。

 

 今、この手の中にある小さな命の何と儚く、何と重い事だろう。これが、命の重さの本当の意味なのだ。

 

「おめでとうロレッタ……元気な女の子よ……この子の名前はどうするの?」

 

「……イゼッタ。この子は、イゼッタ」

 

 すくすくと育っていくイゼッタ。思えばこの頃が、私達の幸せの絶頂だった。だが、喜びの時は長くは続かなかった。

 

 ロレッタが、病に倒れたのだ。

 

 私やロレッタの母は何とか彼女を助けようと尽力したが流浪の身である私達の手元には満足な薬も無く、医者を連れてくるにもそんな金など何処にもなかった。

 

 日に日に弱っていくロレッタ。何日も一睡もせずに彼女を看病して、憔悴していくロレッタの母。まだ幼く死の概念も理解出来ず無邪気に笑っているイゼッタ。

 

 私には、耐えられなかった。彼女達を見ている事が。何より、どうにか出来る手段を持ちながらそれを自分がしない事が。

 

 

 

 

 

「ねぇ、フルス……私達、友達だよね?」

 

「うん……少なくとも、私はそう思っているわ。ロレッタ……」

 

「じゃあ、約束して」

 

「約束?」

 

「うん。お母さんはあなた達を人殺しの魔女と呼ぶけど……あなたがそんな人じゃないのは、優しい人なのは私が一番良く知っているから。だから、約束して。もう、誰も殺さない。何も壊さない……って」

 

「分かった。約束するわ、ロレッタ。私はもう、二度と魔法を使わない。もう、誰も殺さない。何も壊さない」

 

 

 

 

 

 それは出会ってすぐの頃、交わした約束だった。

 

 この数年間守り続けてきたその約束を、私は破った。

 

 これが本当に最後と再び魔法を使って人を殺して……大金を手に入れ薬を買った。

 

 私は、たった一人の親友を裏切った。

 

 ロレッタは私を許さないだろう。私は、もう彼女にもイゼッタにも会えない。でも、それでも良い。たとえ二度と会えなくても、友達が元気で生きていて……その娘が健やかに育ってくれているのなら……私はそれで、十分幸せだから。

 

 そう思って、隠れ住んでいた家の扉を開けて……

 

 そこに居たのは……

 

「おばあちゃん、おかあさん、ずっとねちゃってるね? つかれちゃったの?」

 

 そう尋ねるイゼッタと、泣き腫らしたのだろう眼を赤くしたロレッタの母。そして……ベッドに横たわって、もう二度と目覚める事の無い永い眠りに就いたロレッタだった。数え切れないほど”死”を見続けてきたから分かる。ロレッタの閉じられた瞼が開く事は、もう無いのだと。

 

「そんな……!!」

 

 間に合わなかった。だが、それだけならまだ良かった。

 

 病の進行が早まる事だってあるだろう。それだけならまだ諦める事だって出来た。

 

「ロレッタの最期の言葉を、そのまま伝えるよ……」

 

「おばさま……?」

 

「『フルスに、会いたい』。この子は……最期にそう言い残した」

 

「……!!」

 

 世界が、ぐにゃりと歪んだ気がした。

 

 私の手から薬瓶が滑り落ちて、割れて中身が床に飛び散った。

 

 私は、何をしていたのだ?

 

 親友との約束を破って、彼女を救えなくて、最後の望みすら叶えてやれなかった。

 

 だが……ならば私はどうすれば良かったと言うのだ?

 

 最後まで、ロレッタの傍を離れるべきではなかったのか? 親友が、家族が死ぬと分かっていて、それをどうにか出来る手段を持っているのに?

 

 あるいはもっと早く、約束を破る決意をしておけば良かったのか? そうすればたとえ憎まれても許されなくても、命は救えただろう。

 

 答えは分からない。しかしたった一つだけ分かる事がある。

 

「救えなかった……」

 

 私は、間違っていたのだ。

 

 私は何もかも中途半端だった。

 

 ロレッタとの約束を守る事に徹すれば、命は救えなくても心は救えた筈だ。

 

 約束を破る決意さえ早くに出来ていれば、心を救えなくても命は救えた。

 

 命か、心か。どちらを選ぶ事も出来ず、決断を遅らせて中途半端に動いた結果が……この有様だ。親友の命を救う事が出来ず、今際の際に立ち合って心を救う事も出来なかった。

 

 そもそも私は本心からロレッタを救いたかったのか? 本当は、ロレッタとの約束を破る事が後ろめたくて、だからその決断を先送りにしたかっただけではないのか? 救いたかったのは友ではなく、結局の所、自分自身だったのではないのか?

 

「出て行け!! 二度とその顔見たくない!!」

 

 ロレッタの母……イゼッタの祖母がそう言って私を追い出したのも当然だ。彼女は私が持ってきた高価な薬を見て、すぐに私が何をしたのかを悟ったのだ。

 

 私は言われるがままに、二人の元から立ち去った。元よりロレッタを救った後は二度と彼女達とは会わないつもりだったし、何よりこんな事があってはおばさまにもイゼッタにも会わせる顔がなかった。

 

 私は流浪の果てに炭坑の町に流れ着き……そこで後に夫となる人に出会った。

 

 程なくして私達は結婚し、貧しくも静かな暮らしが始まった。それは私の人生で、二度目の幸福の時間。

 

 主人は優しい人で彼との生活に不満など何も無かったが……一つ、心に残る事があるとすればそれは親友の忘れ形見であるイゼッタの事だった。おばさまも高齢だったし、彼女達は他に頼れる身内も居なかった筈だ。

 

 何度も様子を見に行こうとするが、その度に約束を破った後ろめたさもあって思い留まった。

 

 そのきっかけになったのは、娘が産まれた事だった。

 

 私は産まれてきた自分の娘に……メーアと名付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 瞳を開けて、フルスは回想の海から意識を浮上させた。

 

「ロレッタ、メーア……あなた達は救えなかった。でも……イゼッタは……イゼッタだけは……必ず……必ず救うから……!!」

 

 フルスは現在、エイルシュタット北西の要衝であるケネンベルクに居る。

 

 フィーネと共にブリタニアでの会議から帰国して三ヶ月。ゲルマニアによる大規模侵攻は息を潜め、国境での小競り合いが行われる程度である。アトランタ合衆国では大陸への出兵のきざしもあり、それに対応する為の備えを行っているのではというのがジークやシュナイダー将軍の意見だった。

 

 その間、フルスとイゼッタは近隣諸国のレジスタンスの支援に出る事が主な任務となり、今では彼女達は反ゲルマニアの象徴として扱われている。何もかもが順調に進んでいる。怖くなるほどに。

 

 ゲルマニアの再侵攻は、その矢先の出来事だった。

 

 東のゼルン回廊と北西のケネンベルクからの、二方面作戦である。

 

 今までイゼッタとフルス、二人の魔女に散々に打ち破られているゲルマニア軍であるがしかし今回は全くの無策で挑んできたという訳ではないようだった。ここに来る前、ランツブルックにて行われた会議で、ハンスはゲールの新兵器と思しき戦車の写真を見せてきた。恐らくは対空兵器で、イゼッタやフルスに対抗する為の物であろうと。

 

 しかしこの程度ならまだ何とかなるであろうというのは、イゼッタとフルス両名に共通した意見ではあった。

 

 エイルシュタットでも魔女の力を最大限に活かす為、爆弾に安定翼を取り付けた空中魚雷なる新兵器が開発されているし、イゼッタの乗る対物ライフルにも様々な改良が加えられ、より魔女の専用武器として相応しい物となってきている。

 

 フィーネの見解では今回ゲルマニア軍を退ける事が出来れば同盟各国の態勢も整い、ゲール包囲網も完成してゲルマニア帝国は各国との休戦に入る目もあるとの事だった。

 

 力の均衡による危なげなものではあるが、それでもこの戦いに勝てば一時のものであろうと平和が戻ってくる。

 

 そうした事情があったからイゼッタもフルスも、この一戦に懸ける想いには並々ならぬものがあった。

 

 そして、イゼッタは東のゼルン回廊の守りに。フルスは西から攻め入ってくるゲルマニア軍迎撃の為に、ここケネンベルクに配置されていたのである。

 

「来た!! ゲールの戦車大隊です!!」

 

「魔女殿!!」

 

「ええ……」

 

 この戦線の指揮を任されたエイルシュタット軍大佐に、フルスは頷いて返す。

 

「さあ……始めましょうか」

 

 魔法で風を操り、浮遊したフルスは眼下に展開するゲルマニアの戦車隊を見下ろし……そして軍団の指揮者の如く手を振る。

 

 するとその動きに連動するようにして、使い魔の如く彼女に従ってきた幾本もの大剣が魔力の誘導に従って直上より戦車に突き刺さる……

 

 かと、思われたその瞬間だった。

 

 どこからともなく飛来した別の大剣によって、フルスが繰り出した大剣が弾かれた。

 

「!!」

 

 予想外の事態。

 

 フルスは咄嗟に弾かれなかった大剣を呼び戻し、自分の周囲の空間に配置して防御を固める。

 

 空気に魔力を流して操れるフルスは、一定距離内で動く物体の大凡の大きさや形、それに速度を肌で感じ取る事が出来る。彼女の感覚は、既に高速で接近する物体を捉えていた。

 

 だが、違和感がある。

 

「これは……」

 

 速度は戦闘機並み。だが大きさはずっと小さく、形状は流線型とはほど遠い。これではまるで……

 

「まるで……私達と同じ……」

 

 想像と同じものが眼前に現れるまで、ほんの数秒だった。

 

 フルスと同じ高さに滞空し、姿を見せたのはポールウェポンのような杖に乗った、一人の少女だった。ゲルマニア軍の軍服を身に纏い、雪のような銀色の髪と紅い目をした、イゼッタと同じぐらいの年頃の少女。

 

「……もう止めて下さい。フルスさん」

 

「……あなたは……」

 

「私はゾフィー。かつて、白き魔女と呼ばれた者です」

 

 

 

 

 

 

 

 一方、ほぼ同時刻。遠く離れたゼルン回廊でも同じ状況が発生していた。

 

 対物ライフルに跨るイゼッタの前に、彼女は知る由もないが服装・装備・容姿。全てがフルスの前に現れたのと瓜二つの、魔女が現れたのである。

 

「……もう止めて下さい。イゼッタさん」

 

「あ、あなたは……?」

 

「私はゾフィー。かつて、白き魔女と呼ばれた者です」

 



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第18話 エクセ・コーズ(後編)

 

 三ヶ月前。

 

 ゲルマニア帝国首都、ノイエベルリン。

 

 軍庁舎の中でも、誰も好き好んで立ち入りたがらない地下の一角。諜報活動や特殊作戦を任務とする「特務」の為に割り当てられた一室にて、部屋の主であるベルクマンはリッケルトがエイルシュタットから持ち帰った成果を検分していた。

 

 先にスパイとして潜入していたローレンツが、旧都の王城地下に隠された魔女の間で発見した「魔力の地図」の写真と、半分に割れた「紅い石」。残念ながら彼は城からの脱出時に近衛隊によって始末されてしまったが、彼が回収した物は同時期にエイルシュタットに潜入していたリッケルトの手に渡り、ゲルマニアにもたらされていたのだ。

 

「いや……お手柄だね。これは素晴らしい功績だよ、少尉……いや中尉」

 

 リッケルトは単独で敵国に潜入し魔女に関わる情報を持ち帰った功を評価され、昇進していた。

 

「いえ……」

 

 少し居心地が悪そうに、若い中尉は体を揺すった。家柄に頼らず自分の力だけで身を立てようと軍に入った彼であったが、まだ昇進するという感覚に慣れてはいないのだろう。ベルクマンは少しだけ優しい目になって、若く初々しい部下を見据えた。

 

「”彼女”が言っていた、紅い石と魔力の地図。この二つが揃った今……『エクセ・コーズ』は確実に成功する」

 

「は……少佐、お聞きしてよろしいでしょうか?」

 

「何かな? 可能な範囲で、答えさせてもらうが」

 

「では……『エクセ・コーズ』とは何なのですか?」

 

 部下の質問に、ベルクマンはにやっと笑う。これは何か悪い事を考えている時の顔だと、リッケルトにはピンと来た。

 

「僕に聞かずとも……大体の想像は付くのではないかな?」

 

「は……?」

 

「名は体を表すと言うが……計画の名前を良く考えれば、その全貌は自ずと分かるさ」

 

「……計画の……名前、ですか?」

 

 そう言われて、リッケルトは計画名を頭の中で幾度か呟いて……そして、さあっと顔色が蒼くなった。

 

「ま、まさか……!!」

 

 部下が正しい結論に至った事を察して、ベルクマンが頷いた。

 

「そう……『エクセ・コーズ(魔女の兵団)』……我が大ゲールの科学力と「傷の娘」の体を調べて得られたデータ。それに魔力の地図と紅い石……これらを以て、この計画は真の完成に至るのさ」

 

 

 

 

 

 

 

「ゾフィー……伝説の白き魔女……迷って出たの?」

 

 現在のケネンベルク。全周囲に大剣を盾としてぐるぐる旋回させつつフルスは、眼前に現れた銀髪の魔女を油断無く睨み付ける。

 

「幽霊ではありません。私は、科学の力によって蘇りました。あなたを止める為に」

 

「……止める、とは?」

 

「かつて私は、魔女の力で人の争いに関与しました。けれどそれは、正しい行いではなかった。あなたも、師匠となる人から教わったのではありませんか? 魔女の力は人の世に、その運命に、関与してはならないものなのです」

 

「…………」

 

「あなたには、私と同じ過ちを繰り返してほしくはない。だからお願いで……」

 

「お芝居は、もう良いわ」

 

「え?」

 

 涙ながらにせつせつと訴えるゾフィー。しかしフルスは、冷たい一言で切って捨てる。

 

「ここは戦場、私は三文芝居を見る為に居る訳じゃないの」

 

「芝居って……そんな、私は!!」

 

 ゾフィーは、動揺した様子であったがまだ何事か弁明しようとする。しかし、フルスの言葉の方が早かった。

 

「じゃあ、一つ聞くけど」

 

「え?」

 

「……気付いてない? 今、私が風上に居る事を。そしてあなたが話をしている間に私の魔法で空気を操って、あなたの周囲の空気を極端に薄くしている。いくら魔女であろうとこれだけ薄い空気の中で、平気で居られる訳はない。頭痛や吐き気など、高山病の徴候が出て良い筈……なのにあなた、気分が悪くなるどころか息苦しくなった様子すら無いわね?」

 

「!!」

 

 はっ、とゾフィーの顔に「しまった」とでも言いそうな驚愕が浮かぶ。

 

 そこで一度言葉を切って……次の瞬間、フルスの眉間にシワが寄って、表情が信じられないくらい険しくなった。

 

「ファルシュと同じその体……!! 誰だ!! 誰がお前にその体を与えた!!」

 

 ドライで淡々とした普段の彼女からは想像も付かないほど激昂し、声が荒くなる。

 

「へえ……!!」

 

 これを受けてゾフィーの方も表情が一片。口角が上がって、唇が三日月のように歪んだ。

 

「侮れないわね。あなた。まさか私が気付かない内に、そんな手を打っていたなんて……じゃあ……」

 

 ゾフィーが従えていた大剣の切っ先が、全てフルスに向いた。あからさまに、戦闘態勢に入った事の証だ。

 

「ここで死んでもらうしかないわねぇ!!」

 

「来るか!!」

 

 ゾフィーの大剣が飛ぶ。フルスも大剣を操って迎撃。

 

 持ち手の居ない剣が剣戟を演じ、空中に無数の火花が散る。

 

 同時に操り手である二人、フルスとゾフィーも動いていた。

 

 フルスは高速で飛んでゾフィーを引き剥がそうとするが、同じ魔女であるゾフィーの速力も早く振り切れない。

 

 ならばと、フルスは攻撃に意識を集中した。幸いな事に、操っている武器の数では彼女の方がゾフィーを上回っていた。更には魔法の才や習熟度に於いても、どうやら彼女はゾフィーの上を行っているようだった。

 

 フルスが操る大剣はゾフィーが操るそれよりもずっと速く、鋭く動く。

 

 飛剣のぶつかり合いでは、フルスの方に軍配が上がりつつあった。ゾフィーが操る大剣が1本、激突した瞬間に砕かれた。それを見たゾフィーは「ちっ」と、舌打ちする。

 

「やるじゃないの」

 

 形勢不利と見てか、フルスに背を見せて後退するゾフィー。

 

「逃がすか……!! お前には聞きたい事が山ほどある……!!」

 

 フルスも風を操り、ゾフィーを追撃する。同時に大剣を2本、手元へと引き寄せる。

 

「さぁ……墜ちろ!!」

 

 大剣を矢の如く、ゾフィーへと向かわせるフルス。飛来する大剣の速度は、ゾフィーが飛ぶ速さを明らかに上回っている。後2秒で、大剣はゾフィーの体と彼女が跨るポールウェポンのような杖を貫いて、ダメージを与えると同時に飛べなくして墜落させる。

 

『……そうした上で、ゾフィーを捕縛して情報を引き出す。後1秒で命中……当たる!!』

 

 そう、フルスが考えた瞬間だった。魔力によって操られていた剣がいきなり彼女のコントロールを離れ、勢いを失って落下したのである。

 

「!!」

 

 反射的にフルスはゾフィーの追撃を中止してその空間に静止した。

 

 この反応の早さは、考えてから動いたのでは決して出来ないものがあった。ソグネ・フィヨルド海戦で周囲に浮かべた岩を魔力の切れ目の感知器として使ったように、自分の周囲の魔法で動かす物体が落ちたら、すぐに止まるかそのコースを変える。そう体に覚え込ませて訓練されているフルスであるからこそ出来た事だった。

 

「……!!」

 

 もしや自分も落下するかと思われたが、その心配は無いようだった。今、フルスが居る空域では魔力を流した風は彼女の意の侭に動き、彼女の体を空中に支えてくれている。

 

 フルスは念の為、5メートルほど空中をスライドするように後退した。

 

「へえ……引っ掛からないか」

 

 ゾフィーの方も後退を止めて、再びフルスに相対した。その表情には圧倒的優位から来る、先程までは無かった余裕が見られる。彼女はもう、自分の勝利を微塵も疑ってはいないようだった。

 

「この空域に誘い込んで墜落させられればと思っていたのだけど……流石に大人の魔女。そう甘くはないわね」

 

「……貴様……!!」

 

 ぎりっと、フルスの口から噛み締めた奥歯が軋む音が聞こえる。

 

 フルスは剣の一本を手元に引き寄せると、ゾフィーに向けて飛ばす。しかし、やはりと言うべきか先程の2本が落下したのと同じぐらいの空域に差し掛かった瞬間、見えない力が消失して頼りなく落下していった。まるで記録映像をリプレイしているかの如くである。

 

「……魔石を使ったな……!! 事前に、この一帯の魔力を吸い上げていたか……!!」

 

 隠そうともしない怒りを込めたフルスの言葉を受け、ゾフィーは今度は「へぇ」と感心した顔になった。

 

「そこまで分かっているとはね。でも……じゃあ、私に勝てない事も分かっているでしょう?」

 

「……」

 

「さぁ、分かったなら大人しく……」

 

「ク……ククク……」

 

 ゾフィーの言葉を遮ったのは、フルスの喉が鳴らす笑い声だった。俯いたフルスは、肩を震わせて笑っていた。恐怖のあまり気でも触れたかとゾフィーは思ったが……違うようだった。フルスはすぐ笑い声を止めると、先程までの激昂が嘘のように、穏やかな微笑さえ浮かべてゾフィーを見ていた。

 

「『今、自分が居る空域では魔力が枯渇していて、普通の魔女は魔法が使えない。これでこいつは飛べる範囲も攻撃を届かせられる範囲も限定される。この魔女はもう自由には飛べないし、攻撃も当てられない。だが自分は自由に飛んで一方的に攻撃を当ててこいつを嬲り殺しに出来る』……」

 

「……!!」

 

 ゾフィーの表情が、笑みから驚きに変わる。たった今フルスの口から語られたのは、自分が心中でまさに思い浮かべていた事と同じだったからだ。しかし、分かったからと言って対処出来なければ同じ事だと動揺を抑える。

 

「そう、思ってるんでしょう」

 

 言った瞬間、フルスは右手を挙げる。瞬間、彼女の服の袖口からゾフィーへ向けて何かが飛び出した。

 

「!?」

 

 ゾフィーは反射的に腕で体を庇うが、それは悪手だった。

 

 フルスの袖口から飛び出したのは、ワイヤーだった。それは先端に重しが付いていて、慣性でくるくると回ってゾフィーの腕に巻き付いた。

 

「そんな……どうして……!?」

 

 ゾフィーの表情が、先程に倍する衝撃と驚愕に塗り潰される。

 

「『どうして、さっきの剣のように勢いを失わない? 何故自分に届いた?』かしら? 魔法の使い方で、最も初歩であり基本である『念動』……でも、『念動』にも二種類あるのよ」

 

「なっ……!?」

 

「さっきまで、私やあなたが使っていたのは魔力によって常にその物体の動きをコントロールする『誘導』。対して、今私が使ったのは銃弾や弓矢のように、最初の一瞬にだけ爆発的なエネルギーを与える『射出』……」

 

 たとえ魔力の無い場所に入ろうと、魔法によって既に与えられていた運動エネルギーは消えない。魔法それ自体が使えないエリアでも「魔法の効果」は消滅しない。これなら魔力の無い位置に居る相手であろうと、フルスにも攻撃する事が可能だった。

 

「残念だけど、ゾフィー……あなたの戦い方が通用したのは数百年前の話……私の一族は魔力を武器として、どうすればより効率良く使えるのかをずっと考えてきた。当然、魔力の切れ目……境界での戦い方ぐらい、私はダース単位で教えられ、訓練されているわ。そして……!!」

 

 風によってフルスの袖がまくられ、手首の部分が露わになる。彼女の手首には腕時計のように、釣り竿に付けるリールを思わせる形状の機械が装着されていた。ゾフィーの腕に巻き付くワイヤーはそこから伸びている。

 

「!! しまっ……!!」

 

「遅い!!」

 

「う……きゃあっ!!」

 

 相手の意図を悟ったゾフィーが大剣を操って攻撃しようとするが、フルスの方が早かった。

 

 フルス自身が居る空間には、まだ魔力がある。当然、そこではフルスは魔法を使える。魔力を付加されたリールが回転し、ワイヤーが巻き取られる。すると必然、それに伴ってゾフィー自身も杖から引き剥がされてフルスへと引き寄せられた。

 

 そして、間近にまで近付いた所でフルスはゾフィーの胸ぐらを掴むと、力任せに服を引っぺがす。

 

「やはり……!!」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で毒突くフルス。

 

 白磁のような柔い肌が露わになって、そしてゾフィーの鎖骨の下辺りにはビー玉よりやや大きいぐらいの、紅い石が埋め込まれていた。

 

 フルスは手を伸ばして、ゾフィーの胸の紅石を摘むと力任せに引っ張る。

 

 ぶちっ、ぶちっ……!!

 

 嫌な音がして、ゾフィーの体から石が離れ始める。

 

 だがゾフィーも、自分の体の肉が千切られているのにまるで痛みを感じていないかのように無造作に手を伸ばすとフルスの首を掴み、凄い力で締め上げてきた。これは窒息死させるのではなく、首の骨をへし折るつもりの力の込め方だ。

 

「ぐっ……!!」

 

 フルスの口角から泡が零れ目が裏返りかけるが、しかし彼女の方が早かった。

 

 最後の筋繊維が千切れて、石が完全にゾフィーの体から離れる。

 

「っあ……!!」

 

 と、同時に先程までは到底女性のものとは思えぬ剛力を発揮していたゾフィーから全ての力が失せた。

 

 両手両足がぶらんとぶら下がる。首も産まれてすぐの赤子のように据わらず、ぐわんと投げ出された。瞳は焦点が合っておらず、口もぼんやりと半開きになる。

 

 まるで、人間がいきなり人形に入れ替わったようだ。

 

「……」

 

 フルスは、そんなゾフィーの体にもう興味は失せたようだった。ぽいと投げ捨ててしまう。人形のようなゾフィーは、重力に従い地表へ向けて何十メートルも落下していき……やがて見えなくなった。

 

 今のフルスの視線は、彼女の掌中。ゾフィーから摘出した小さな紅玉へと注がれている。

 

「小さいとは言え、魔力結晶(レイマテリアル)を造れるという事は……魔石と魔女……その双方がゲールに渡ったのか……!!」

 

 とんでもない事になったと頭を抱えるが……しかしそれも一時だった。

 

 今のゾフィーは魔石を持っていないようだった。彼女が魔力の枯渇した土地で魔法を使えていたのは体内に埋め込まれた魔力結晶によるものだったのだろう。つまり、事前にこの土地に現れて土地の魔力を吸い取っていった者が別に居た事になる。

 

 と、いう事は……!!

 

「!! いけない……!!」

 

 恐ろしい想像が頭に浮かんで、フルスはこの戦線の司令部へと飛んだ。

 

「魔女殿!! 一体これは……」

 

「説明は後!! それよりすぐ無線を!! 首都ランツブルックの司令部へ繋いで!!」

 

「は……しかし……!!」

 

「急いで!!」

 

「は、はい!!」

 

 撃破したとは言え魔女がもう一人現れるという想像を超えた事態を受け、この戦線の指揮官である大佐は慌ててはいた。しかし流石は一軍の指揮を任せられるだけの事はあり、彼はフルスの剣幕を受けて事態が只事ではないのを悟った。そして、すぐにフルスを無線室へと通した。

 

 周波数を合わせ、回線を繋ぐ。その僅かな時間すらもが、今のフルスにとってはわずらわしく、もどかしかった。

 

 早く、一秒も早く!!

 

 頭の中で何度も繰り返す。

 

 ややあって、回線が繋がった。聞き覚えのある声が、受話器の向こうから響いてくる。

 

<フルス殿か。こちら司令室、ビアンカだ。何かあったらしいが……>

 

「ビアンカ女史!! すぐにファルシュを出して下さい!!」

 

 フルスの希望もあり、ランツブルックの司令室には常にファルシュが控えている筈だ。今は、何かの所用があって部屋を離れていない事を祈るばかりだった。

 

<? な、何だ、どうしたと言うのだ……? 兎に角、落ち着いて話を……>

 

「早く!! 一刻を争うんです!! そこにファルシュが居るなら、すぐ通話を代わって下さい!! 居ないなら探してきて下さい!!」

 

<あ、あぁ……分かった。ファルシュはここに居るから……今、代わる>

 

 無線機の向こうのビアンカは、今頃フルスの剣幕に面食らっているだろう。しかしこの尋常でない声色から、彼女にも容易ならざる事態が起こっている事は伝わったらしい。それ以上詰問する事は無しに、受話器を受け渡した気配が伝わってくる。どうやら、フルスの祈りは通じたらしい。ファルシュは司令室に居たようだ。

 

<はい、ママ……電話代わりました>

 

「ファルシュ、良い!? 一度しか言わないから良く聞きなさい!!」

 

<……はい>

 

 流石に親子か、ファルシュは一声聞いただけでフルスが極度に焦っている事を察したようだ。声が真剣なものになった。

 

「あなたは今すぐ、ゼルン回廊に飛びなさい!! イゼッタが危ない!!」

 

<……でも、ママ……ここじゃ目に付くよ? 私の力は人目に付く所じゃ……>

 

「構わない!! 非常時なの、これは危険な状況なの!! いいから早く……!!」

 

 言い掛けたフルスは、先程から魔法によって未だ自分の支配下にある空気が肌を通じて、何か危険なものが迫っている事を教えているのに気付いた。普段の彼女なら、もっと早くに接近を察知出来ていた筈だった。やはり極度の緊張と興奮によって、冷静さを失っていたらしい。

 

 意識を切り替え、フルスは全身の触覚に神経を集中する。

 

 接近するものは速度は戦闘機と同じぐらい、だが大きさはそれよりずっと小さい。

 

 まるで、先程のゾフィーのように……

 

 そしてその数は……2。

 

「ま、まさか……!?」

 

 嫌な予感がして、窓を開ける。

 

「うっ!!」

 

 そこには、思い描いた最悪の光景が広がっていた。

 

 魔女が居た。

 

 銀色の髪、紅い瞳、黒いゲルマニアの軍服、魔女の杖、使い魔のように従えた数多の大剣。

 

 今し方倒したゾフィーと寸分違わぬ姿の魔女が、しかも二人。空から自分達を睥睨していた。

 

「こ、これは……!!」

 

「ま、魔女殿……一体何が……!?」

 

 信じられないと、大佐が詰め寄ってくる。

 

 だがそれにフルスが何か答える前に、二人のゾフィーが操る大剣が魔力によって誘導され、基地に殺到した。

 

「うわああああああーーーーっ!!!!」

 

<!? ママ!? どうしたの!? ママ!?>

 



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第19話 終わりの始まり

「フルス、これを受け取りなさい」

 

 それは私が修行を続けていた、ある日の事だった。

 

 やって来た母が、頑丈そうな造りをした小箱を差し出した。

 

 蓋を開くと、中には血の色よりも鮮やかな、拳大ぐらいの紅い色の宝石が収められていた。

 

「綺麗、ですね……お母様、これは?」

 

「これは魔石……昔、魔女の一族に伝えられていたのと同じ物よ。これを使えばその魔女は、土地の魔力を吸い上げレイラインの通らない土地でも魔法が使えるようになるの」

 

「!!」

 

 レイラインが無い土地でも魔法が使えるというのは驚きの情報だったが、私が興味を惹かれたのは別の点だった。

 

「伝えられていた……?」

 

「そう、魔石はまだ魔女の一族が二つに分かたれるよりもずっと以前……最初の魔女が見付け出した物だけど……彼女はこれを封じ、一族に二つの戒めを残したの」

 

「二つの、戒めですか?」

 

 私の問いに、母は頷くと話を続けていく。

 

「一つは『魔女は人の世の理に関わってはならない』というもの。もう一つは『魔石は、魔法の使えない土地で身を守る為以外には、決して使ってはならない』というもの……」

 

「……でも、その戒めは破られた。二つとも」

 

 母は、もう一度頷いた。

 

「エイルシュタットの伝説に謳われる白き魔女……ゾフィーは、当時のエイルシュタットの王子を愛し……彼女はエイルシュタットを戦火から救う為に魔石を持ち出し、魔女の力を使って人の世の理に介入した……それが、魔女の一族が二つに割れるきっかけだったの」

 

 その話は、私も母から今まで繰り返し聞かされていた。

 

 元々、ある程度の不満は魔女達の間にも常にあったという。

 

 当時は魔女狩りが国家規模で公然と行われていた時代であったが……しかし魔女の一族は、愚鈍な民衆の無知や偏見から『魔女として仕立て上げられただけの普通の女』とは異なり、レイラインの通っている地域限定でこそあるが本当に人を超えた力を行使出来る異能者だ。

 

 折角特別な力を生まれ持っている自分達が、何が悲しくてそれを使う事も無く、土地から土地へと渡り歩くそんな貧しい暮らしに甘んじなければならないのか。

 

 力を上手く使えば、もっと贅を極めた楽な暮らしが営めるのではないか。

 

 そんな風に考える者は一定の割合で、魔女の中にも存在していた。

 

 とは言え”ある時”まではそうした考えを持つ者は少数派ではあったし、その少数派も魔女の力が実際に人間の世界に於いてどれほど通用するのかが未知数であった事もあって、リスクとリターンを天秤に掛けて思い切った行動に出る事には二の足を踏んでいた。

 

 しかしゾフィーの暴走によって、魔法は単身で万軍をも退けられるものであると証明された。

 

 それを切っ掛けとして一部の魔女は自分達の力を自分達の為だけに使う道を選び、そして魔女の一族は二つに割れた。

 

 これまで通り魔法を無闇に使う事を戒め、人の世に関わらずひっそり生きる事を良しとする者達と、現世の欲望の為に魔法の力を際限無く使う事を選んだ者達とに。

 

「後者が、私達の一族ですね」

 

「そう……そうして出奔した私達の一族が最初に始めた事が……新しい魔石を探す事だった」

 

「新しい、魔石……?」

 

「ゾフィーがレイラインの地図と共に持ち出した魔石は、彼女がエイルシュタットに裏切られた時に取り上げられ、今もあの国のどこかに封じられていると聞くわ。だから私達の一族は、魔法を武器として使う為にも新しい魔石が必要だったの」

 

 母の言う事は、私にも良く分かった。

 

 武器にとって最も重要なものは威力などではなく、信頼性だ。どんなに強力でも、いざという時に使えなくては意味が無い。故障しにくく、どんな時にでも安定して性能を発揮出来る武器こそが本当に優れた武器だ。そういう意味では魔法は武器としては欠陥品の部類に入る。土地によって使えたり使えなかったりするのだから。だが力の条理を覆す魔石があれば、その欠点も補う事が出来る。

 

 魔法を武器として使う事を選んだ私の一族が、それを望むのも当然の成り行きであったろう。

 

「……とは言え、魔石はそう簡単に手に入る物ではなかった」

 

 それも当然だ。そもそもそんな容易く代用品が手に入るようなら、最初の魔女はわざわざ魔石を封じたりなどしなかったろう。

 

 単純に滅多に発見されない超稀少品なのか、あるいは門外不出の特別な製法でしか造れないのか。

 

 私の頭に浮かんだのはその二つの可能性だったが、答えは前者のようだった。

 

「我が一族は、何百年も掛けて世界中を探し巡ったけど……見付けられたのはこれ一つだけ。そしてこれは、代々我が一族の当主となるべき者に受け継がれてきた。フルス……今日、私からこれを、次期当主であるあなたに伝えるわ」

 

 母がよよよと涙ながらに訴え、魔石の入った箱を手渡してくるが……私は内心の失笑が顔に出ないよう堪えるのに必死だった。

 

 何が一族の当主だ。

 

 魔法の力を受け継ぐ者がどんどん少なくなり、先細って消えていく未来しかないこんな一族の頂点に立つ事に、何の意味がある?

 

 まるでお伽話で、喚び出した悪魔に「私をこの国の王にしてくれ」と願った男のようだ。その物語の中で、確かに男の願いは叶えられた。悪魔は魔法で、国の人間をその男一人を除いて全て犬にしてしまったのだ。必然、一人残った男は人間の中で一番偉い者、その国の王様になったという訳だ。お山の大将どころではない。一人も家来の居ない王様に、どれほどの価値があると言うのか。

 

 ……だがまぁ、レイラインが無い土地で魔法を使える力それ自体は確かに魅力的だ。切り札になり得る。是非とも、一族を抜ける時の為に手中にしておきたい。私はそう考えて、神妙な表情になって母から魔石を受け取った。

 

「そして、フルス……今日からはいよいよ、最後の魔法の修行に入るわ」

 

「……最後の、魔法ですか?」

 

「そう……我が一族が研究に研究を重ね、到達した魔法の極致……理論上は完成していたけど今まで、最初の魔女も二つの魔女の一族も、誰一人として会得する事の出来なかった奥義……だけどフルス、あなたなら使えるでしょう……それを、これから教えるわ」

 

 

 

 

 

 

 

「嘘……この辺りは、とっても濃い魔力があった筈なのに……どうして……」

 

 ゼルン回廊。

 

 墜落して、全身を強かに打ち付けたイゼッタは激痛を堪えながら、呻いた。

 

 突如として現れた魔女、ゾフィーとの交戦に入った彼女であったが、しかし一進一退の攻防の中で、イゼッタが繰り出した大剣は何の前触れも無くその推力を失って落下して……続くように、イゼッタ自身も跨っていたライフルごと落下して地面に叩き付けられた。

 

 これは有り得ない事態だった。旧王城の地下に隠されていた地図でもこの辺りには太いレイラインが走っていると記されていたし、実際に現地で濃い魔力が有る事も確認済みだった。この土地でなら、魔女はほぼ最大のパフォーマンスを発揮出来る。その証拠につい一分前まではイゼッタは十全に力を使えていたのだ。

 

 それが、いきなり全ての力が消滅した。まるで、魔法が使えない土地に突入した時のように。

 

 しかしそれでも、落下した先が柔らかい花畑であっただけまだイゼッタは幸運であったと言える。もし、岩肌にでも叩き付けられていようものなら即死していても不思議ではなかった。

 

「あはっ……あははははっ!! あはははははははは!!!!」

 

 イゼッタが魔法を使えず墜落した空域でも、ゾフィーは変わらずに魔法で杖を宙に浮かべ、ふわふわと滞空している。

 

 高笑いする彼女は、大剣の一つを操ってイゼッタめがけて落下させた。

 

「っ!!」

 

 思わず、イゼッタが目を瞑る。

 

 しかしその時、高速で何か黒いものが飛んできた。

 

 飛んできたそれは、ゾフィーが繰り出した大剣にぶつかって、弾き飛ばした。

 

「何っ!?」

 

「……間に合った」

 

 風のように現れたのは、黒いローブを纏った少女……いや、幼女といって良い年頃の女の子だった。

 

 ファルシュだ。

 

 彼女はその身一つで滞空しつつ、空中のゾフィーと地上のイゼッタ、そのちょうど中間の位置で倒れたイゼッタを背に庇うようにゾフィーを睨んでいた。

 

「……あんたは……!!」

 

「……良く分からないけど、あなたが敵だね」

 

 ファルシュはそれだけ呟くと、魔法が使えない筈のこの空域でしかしそんな事は関係ないとばかり空を駆けてゾフィーへと突進した。

 

「ちっ!!」

 

 一瞬反応が遅れたものの、ゾフィーは大剣を誘導してファルシュに向かわせる。

 

 しかし予想外の事が起こった。

 

 飛来する刃を、ファルシュは少しも避けようとはしなかったのだ。それどころか命中コースへと突っ込むように、更に加速する。

 

 ファルシュの体と大剣が激突して、当然ながら軍配は後者に上がった。肉と骨VS金属の固まり。必然の帰結。

 

 ファルシュの、右腕が千切れて飛んだ。

 

「ふっ……」

 

 手応えあり。ゾフィーはにやっと笑って……

 

「なっ!?」

 

 右腕を失ったファルシュは、少しも怯まずに真っ直ぐゾフィーへ向けて突進した。彼女の顔は、いつも通りの無表情だった。腕を失ったと言うのに、痛みを堪えている様子すら無かった。まるで痛みそれ自体を感じていないかのように。腕の傷口からも、殆ど出血は無かった。

 

 腕一本を犠牲として攻撃をかいくぐったファルシュはゾフィーに肉迫すると、残った左手で彼女の顔面を掴み……

 

 べきっ、ごきり。ぶちっ、ぶちっ。

 

 ドアノブのように頭を280度ほど回転させた。

 

 骨は折れ、ファルシュから見て左側の首の肉は引き千切れて、ゾフィーの頭は上下逆さまになって千切れなかった右側の首の肉でぶら下がって辛うじて繋がっているような状態だった。上向きになった顎が、ちょうど鎖骨ぐらいの高さにある。

 

 確認するまでもなく、即死。

 

 その、筈だった。

 

 しかし、ぶらりと首を垂れ下げたゾフィーの体は動いた。両腕がファルシュの首に伸びて、たった今のお返しとばかり細い首をへし折る勢いで締め上げてくる。これは反射的な筋肉の動きや死後硬直などでは断じてない。明らかに随意的な動作だった。

 

 その証拠に逆さまになったゾフィーの顔が、にやりと笑みを見せた。

 

「……」

 

 おぞましい光景を目の当たりにして首を締め上げられているのに、ファルシュはやはり少しも驚いた様子も無く苦しそうな顔も見せない。息を荒げもしなかった。まるで、していないかのように。

 

「……私と、同じか」

 

 ファルシュは手を動かすと、ゾフィーの胸ぐらを掴んで服を破り捨てる。

 

 露わになった胸元には紅い小石が埋め込まれていて、それが電源を入れられたライトのように光っていた。

 

 ファルシュの手がその胸元に伸びて、周りの肉ごと紅い石を掴む。畑の土のように、白い肌に指が食い込む。

 

 ぶちっ、ぶちっ……

 

 そしてそのまま、力任せに引き抜く。

 

 肉ごと抉り取られるようにして、ゾフィーの体から紅い石が離れる。

 

「うぁ……」

 

 すると、首を半ば千切られても動きを止めなかったゾフィーの体が痙攣するように一度だけびくりと跳ねて、それきり動かなくなった。

 

 手も足も、いや体全体が、操り糸を切られた木偶のように全ての力を失っていた。

 

「……」

 

 ファルシュは、動かなくなったゾフィーを放り捨てると、彼女の体から摘出した紅い石ももう興味が失せたように握り潰した。

 

 そして、まだ倒れたままのイゼッタの傍へと降下する。

 

「イゼッタさん、しっかり」

 

「あ……ファルシュ……ちゃん」

 

 イゼッタの意識は朦朧としているようだ。目も虚ろでピントが合っておらず、言葉も弱々しい。

 

 全身打撲に、落下の際に飛んでいる勢いのまま転げ回った事による無数の擦過傷。それに石にでも引っ掛けたのだろうか、右脇腹から大量に出血していて白い衣装が紅く染まっていた。

 

 ファルシュには医学的な知識や教養など無いが、それでもこれが急いで治療せねば命に関わる重傷である事はすぐ分かった。

 

「喋らないで。すぐ……安全な所に連れて行くから。気をしっかり持って」

 

「う……うう……」

 

 イゼッタの瞳が閉じられた。ファルシュは思わず耳をイゼッタの胸に当てる。

 

 弱々しく不規則ではあるが、鼓動が聞こえた。どうやら意識を失っただけのようだ。ファルシュは一瞬だけ「ほっ」とした顔になって、すぐにまたいつもの鉄面皮に戻った。

 

 まだ間に合う。だが急がねばならない。

 

 左手だけで、しかしファルシュは持ち前の怪力を発揮して器用にイゼッタの体を担いだ。

 

 しかし……安全な所と言ったが、今となってはそんな所が本当にあるのかは疑わしい。とは言え、少なくともこのまま此処に居るという選択肢は有り得ない。見れば、先程まではイゼッタとゾフィーの戦いの余波への巻き添えを避ける為に後退していたゲルマニアの戦車隊が、再び前進を始めている。程なくしてここは、砲撃の射程圏内に入るだろう。

 

 その前に、この場からは離れる必要があった。

 

 ファルシュはイゼッタを背負って飛ぼうとして……

 

「待った!!」

 

 掛けられた声に振り向くと、そこにはハンス少佐が近衛隊や兵士数名を伴って駆け寄ってきていた。

 

「ファルシュ嬢……まさか、君が出てくるとは……い、いやそれより君もイゼッタさんも酷い怪我を……」

 

 十にもならない幼女が片腕を失い、背負われたイゼッタも全身を朱に染めている。二人の痛々しい姿に、何人かは思わず目を背けた。

 

「……私は大丈夫。それより、あなた達もここからは離れた方が良いですよ」

 

「……では、近衛の者にだけ教えられた秘密の避難所があります。ファルシュちゃん、あなたはイゼッタさんを連れてそこへ向かって下さい」

 

「分かりました」

 

「では、私はここの残存戦力を集めて撤退を行おう」

 

 ハンスの意見に他の兵士も賛同し、ファルシュは近衛隊の一人が取り出した地図を瞬きもせずに見て、場所を頭の中に焼き付ける。

 

「……じゃあ、私は行きます」

 

 十秒ほどそうしていて、そしてファルシュは隻腕でイゼッタを担ぎ直すとふわりと空中に浮き上がった。

 

「……どうか、あなた達も死なないで」

 

 最後のその言葉がハンスや近衛隊、それにエイルシュタットの兵士達に届いていたかは、もう飛行機雲を引く勢いで飛び始めたファルシュには分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「……ちっ!!」

 

 同時刻、ケネンベルク。

 

 ボロボロになったゲルマニア軍制式ジープの助手席で、フルスは舌打ちする。彼女はすぐ隣で、恐怖の表情のまま息絶えているゲール将校の顔から近視用のメガネをむしり取ると自分の顔に掛けた。

 

 そうした後で、視線を手にしていた書類に戻す。絶命しているこの将校は、ケネンベルク方面に攻めてきたゲルマニア軍の指揮官に当たる人物のようだった。階級章には星がいくつも付いていて、軍服も他の兵卒とは造りが違っている。

 

 指揮官クラスである彼には、ゾフィーの正体も伝えられていたらしい。フルスが手にしている書類、今回の侵攻作戦の計画書にはその詳細がしっかりと記載されていた。

 

「クローン……白き魔女の遺体の一部から……同じ個体を……傷の娘の体から得られたデータを反映し、自我を形成……エイルシュタットの旧王城から回収した魔石……それを魔女に使わせて抽出した物体……エクセニウム……それを埋め込んで……完成するのは……何百人もの魔女の軍団……それが、エクセ・コーズ……!!」

 

 書かれていたのは、読めば読むほどにフルスの顔から血の気を引かせるような内容だった。

 

 フルスはゲルマニアに与する魔女が現れる可能性は、低くはあるが想定はしていた。

 

 魔女の一族の歴史は長い。数百年の時間の中で、イゼッタの一族とも自分の一族とも違う道を選んだ者が少ないながらも居たかも知れない。そしてイゼッタや自分の存在から魔女が実在する事が分かったゲルマニア帝国が対抗戦力を確保する為、草の根分けても他にそんな力を持った者が居ないかを探し出して、そして見つけ出す確率を絶無とは考えていなかった。

 

 だがこれは……!!

 

 ゲルマニア帝国が探し出したのは生きた魔女ではなく、魔女の遺体。そしてその遺体から、細胞を培養して魔女を蘇生させる事に成功したとの事だった。しかもその魔女は工業製品のように、”同じ魔女”を何十人何百人と量産して軍団を編成出来る体制が既に確立しているという。

 

 神をも恐れぬ所行とは、この事であろう。

 

「……尤も、神をも恐れぬ所行なら私も負けてはいないけどね……」

 

 自嘲するように笑うと、フルスはジープから降りた。

 

「魔女殿!!」

 

 大佐が、駆け寄ってくる。

 

「大佐、どうでした?」

 

「ダメです、ゼルン回廊ともランツブルックの総司令部とも、連絡が取れません!! まだ未確認の情報ですがイゼッタ殿が敗北し、ランツブルックが落ちたとも……」

 

「……多分、それは事実でしょうね」

 

「魔女殿?」

 

「あれを見て」

 

 フルスが視線を向けた先には、ずらりと5人の遺体が並んでいた。

 

 その遺体は全て銀色の髪をした十代半ばぐらいの少女で、皆が合わせ鏡のように同じ顔をしていた。そして一様に、胸の辺りに何かを抉り取ったような傷跡があった。

 

「ここに攻めてきた魔女達……ゾフィーと名乗っていたけど……最初の一人を倒して次に二人が現れ、更にその二人を倒したら今度は同じ顔が3人現れた……」

 

 フルスはその3人も倒して、次は第四陣が現れるかと思ったが、今の所はその気配は無かった。

 

「ここに現れただけで6人のゾフィーが居た……と、言う事は恐らくゼルン回廊の方にも、同じように”ゾフィー”が攻めてきている筈……」

 

「た、確かに……」

 

「そして大佐。初めて話しますが、実は私達魔女は力が使える場所と使えない所があるのです」

 

「な、何ですと?」

 

 魔女の力に関わるあらゆる情報には箝口令が敷かれていて総司令部の面々以外には話してはならない事になっているが、ゲルマニア帝国側に魔女が居る以上もうそんな事は言っていられないし関係無い。既に”ゾフィー”の口から、魔女の秘密は全て話されているだろう。

 

「ですがこのゾフィー達は恐らく全員が、その制約を無視出来る」

 

 フルスは掌の中で、紅い小石をじゃらじゃらと弄びながら語る。小石の数は全部で6つ。これらは全て、現れた”ゾフィー”達の胸に埋め込まれていた物だ。そして彼女達はこれを抜き取られると、電池が切れたように活動を停止した。脈や心臓の鼓動を調べてみたが、それも無かった。まるで最初から生きてはいなかったように。

 

「だからゾフィー達は、私やイゼッタが戦えない所でも関係無く力を使ってくる。残念ながら……イゼッタが負けたというのも事実でしょう」

 

「むぅ……だが確かにそれでゼルン回廊が抜かれたとあらば、ランツブルックは丸裸も同然……その上で魔女の攻撃を受けたとあらば……最早……!!」

 

 魔女の力の強大さは、既にエイルシュタットの軍人であれば知らぬ者は居ない。味方であれば頼もしい事この上無いが、その力が自分達に向けられるとならば、これほど恐ろしいものも無いだろうと、大佐はぶるっと体を震わせた。

 

「で、では魔女殿……我々は今から首都の救援に……」

 

「いや……今から向かっても、間に合わないでしょう。それに仮に間に合った所で、魔女が相手ではあなた方では対抗する事はおろか時間稼ぎも難しい……私も、ここでは相手が2、3人だからまだ何とかなりましたが……10人20人の魔女を同時に相手にするとなると……流石にきついと言わざるを得ないですね……」

 

「むう……」

 

「それよりも、エイルシュタットの民は粘り強い気質の方々の筈。それに一通りの軍事教練は、一定の年齢以上の国民全員が受けると聞きました。彼等は山に籠もるなどして身を潜め、ゲリラ戦で抵抗を続ける事を選ぶでしょう……とは言え、所詮は「素人よりマシ」程度の練度でしかない。そんな散発的な抵抗を繰り返した所で、遠からずゲール軍に虱潰しにされるのは火を見るよりも明らか……ならばここは正規の軍人であるあなた方が彼等と合流して、指揮指導してあげるべきでしょう。抵抗の火を、消さない為にも。その為にも、徒に戦力を消費する愚は避けるべきです」

 

 フルスの意見に大佐は腕組みして唸りつつ考えていたが、それも僅かな間だった。

 

「確かに、魔女殿の言われる通りですな。では、私はここの戦力を纏めて撤退し、避難した国民の保護やレジスタンス活動の支援を行おうと思います。魔女殿、そこで……」

 

 申し訳なさそうな視線を大佐から向けられて、しかしフルスは「分かっています」と、彼の肩に手を置いた。

 

「撤退の準備が整うまでの間、この戦線は私が支えます。送り狼は、一匹も通さない。あなた方は後ろの事は気にせず、作業に移って下さい」

 

「感謝します、魔女殿……ご武運を!!」

 

 踵を揃え最敬礼をフルスに送った後、大佐は部隊の指揮を執るべく走り去っていった。

 

 その後ろ姿をフルスは見送りつつ、見えなくなった所で……

 

「ごほっ、ごほっ……がは!!」

 

 急に咳き込み、口を押さえた手の隙間から勢い良く血が噴き出した。

 

 吐血したフルスは、「ぺっ」と血の塊を吐き捨てる。

 

「私の体も限界が近い……内蔵の機能失調に……」

 

 彼女はゲール軍将校から奪い取った眼鏡を外して捨てると、勢い良く踏み潰した。

 

「目もあまり見えなくなってきた……もう、長くはないでしょうね……」

 

 あらゆる意味で、残された時間は少ない。いや、寧ろ”時間切れ”になっているかも知れない。

 

「まさかここへ来て、クローン技術による白き魔女・ゾフィーの復活……そして魔女の兵団(エクセ・コーズ)とは……!!」

 

 これは読めなかった。

 

 そして詰み、である。

 

 これまでエイルシュタットは、魔女という自分達しか持ち得ない特級の戦力を保持している、簡単に言えば”ズル”をしていたからこそ、国力に於いては象と蟻ほどにも差があるゲールに抗する事が出来ていた。

 

 だが今回の一件で、ゲールも魔女を手に入れた。つまりは同じ土俵に立ったのだ。もうズルは出来なくなった。正確にはしても意味が無くなった。

 

 そしてここからは戦術とか戦略などといった小難しいものではなく、単純な算数の問題だ。

 

 エイルシュタット側に魔女はイゼッタとフルスの2名。ファルシュを含めても3名しか居ない。

 

 対してゲルマニア側は、恐らくは100名単位で”ゾフィー”が用意されており、しかも撃破されて欠員が生じてもその都度、研究が行われている第9設計局で生産されるというおまけ付き。ヴォルガ連邦指導者の言葉である「兵士は畑で採れる」ならぬ「兵士は工廠で作られる」という訳だ。文字通りの意味で。

 

 極め付けにそれで生産される”兵士”は、イゼッタやフルスとは違ってレイラインの無い場所でも魔法が使える。つまり量だけではなく質の面でも、エイルシュタットの魔女を上回っているのだ。逆転の目は、既に断たれた。

 

「だが……まだ最悪じゃない……少なくとも、魔石を使って魔女をレイラインの無い所でも魔法を使えるようにして攻め込んでくる……あるいはレイマテリアルを爆弾として使う……そんな無駄の多い手を使ってくるという事は、ゾフィーもゲルマニア帝国も……魔石の本当の恐ろしさには……まだ気付いていないという事……」

 

 フルスは、右手に意識を集中させる。

 

 6人のゾフィーから摘出した紅い小石……フルス達の一族では魔力結晶(レイマテリアル)と呼ばれ、ゲルマニア側ではエクセニウムと呼称されているその物質は、彼女の手の中で浮き上がり……そして砂のように崩れていって、空間に融けていった。

 

「……魔石の本当の恐怖……最初の魔女が魔石を封じた本当の理由に気付かれる前に……全てを終わらせなければならない……」

 

 フルスは微笑み、口元に垂れる血を拭った。

 

「どのみち……私の体はもう保たないし……最後の魔法……使う時が、来たのかも知れないわね……」

 



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第20話 フルスの決意

 

 1939年、某日。

 

「……青鬼からの置き手紙を、赤鬼は何度も何度も読み返して、涙を流したのでした……おしまい」

 

 ベッドのすぐ傍の椅子に腰掛けたフルスは、小さなベッドに横たわるファルシュに読み聞かせていた絵本を閉じた。

 

 本のタイトルには日本という国の言葉で「泣いた赤鬼」とある。数年前に彼の国で刊行されたものが輸入されてきて、フルスもその一冊を手に入れていたのだった。

 

「……ママは、このお話が嫌いなの?」

 

 横になったままで、ファルシュは頭を動かし母を見て言った。

 

「どうして、そう思うのかしら?」

 

「……だって、泣きそうな顔、してたから……」

 

 娘の指摘を受け、フルスは「あぁ、そうね」と頷いた。

 

「好きとか嫌いとかじゃないわ……ただ、私はこのお話の先を想像すると……不安な気分になるだけよ」

 

「……不安、って?」

 

 頭を枕に預けたまま、ファルシュは首を傾げるような動作を見せた。

 

「このお話だと、青鬼がお芝居を打って村で暴れて、その青鬼を赤鬼が懲らしめて人間に受け入れてもらえるのだけど……もし、この先村で何か良くない事が起こったら……例えば、事故とか火事とか……あるいは地震とか飢饉、疫病の流行とか……そんな事があったとしたら、結局の所、それは何の罪も無い赤鬼のせいにされるんじゃないか……ってね」

 

 ファルシュは、本当に不思議そうな顔になった。

 

「……そんな事で、恩人を裏切るかな?」

 

 娘の問いを受けて、フルスは困ったように笑った。

 

「ファルシュ……人間には忘れなければいけない事と、忘れてはいけない事があるの」

 

「……忘れなければいけない事と、忘れてはいけない事?」

 

「そう……自分が誰かに何かをしてあげた時の事は、忘れなければならない……反対に誰かが自分に何かをしてくれた時の事は、忘れてはいけない……私は、それが人間にとって本当に大切な事だと信じているの」

 

「……そう、だね。うん、そうかも知れない……ママ、私もそう思うよ」

 

「でも……実際にはそうは行かない……私も含めて、殆どの人間はその逆……人から受けた恩はすぐ忘れてしまうけど、自分が何かしてあげた時の事は『貸し』だって、ずっと覚えているもの……残念で醜い事だけど、それも人間なのよ」

 

「そう……なの、かな?」

 

「そうなのよ、本当に……本当に残念だけど……経験者は語る……よ。私はそれを見た……ファルシュ、あなたも……いや……あなたは知らないし体験してもいないけど……あなたの体は……それを識っている筈でしょう……?」

 

 泣きそうな顔のフルスが、そう語った瞬間だった。

 

 小屋のドアが吹き飛んで、軍靴の音が夜の静寂を破る。

 

「「!?」」

 

 ライフルや手榴弾で武装した兵士が駆け込んできた。

 

 

 

 

 

 

 

 現在。

 

 「ロンディニウム橋落ちた」という童謡の歌詞がある。国籍や男女に関わらず、誰もが一度は聞いた事があるであろう童歌だ。

 

 しかしそんなマザーグースが、現実に起きる様を見る事になるとはリッケルトは昨日までは想像すらしていなかった。

 

 ブリタニア王国の首都であるロンディニウムは、地獄と化していた。

 

 クローン技術によって造られた魔女の兵団、エクセ・コーズ。

 

 同じ顔をした何百人もの魔女。彼女達によって操られるV1飛行爆弾は容易くブリタニアの対空防衛網を蹂躙し、首都を火の海に変えていた。

 

「こんな形で……ブリタニアへの侵攻が叶うなんて……」

 

 リッケルトは、無性に胸が苦しくなってネクタイを剥ぎ取った。

 

 今まで彼は世界の終わりを想像した事は無かったが……もしそんなものがあるとすればそれはきっとこんな景色ではないだろうかと思った。

 

 そしてこの光景を創り出したのは自分だと思うと、彼は不意に猛烈な吐き気を覚えた。

 

「うげっ……げえーーーっ!!」

 

 物陰に駆け込むと、嘔吐する。

 

 胃液も含めて内容物が何も無くなって、胃が乾く感覚を初めて味わった。

 

 3ヶ月前、エイルシュタットへと潜入した時に回収した魔法の地図(正確にはそれを収めたカメラ)と、魔石。それがジグゾーパズルに描かれた「魔女の兵団」の絵を完成させる最後のピースだった。パズルの最後のピースを埋めたのは自分だった。自分の行動がもたらした結果を目の当たりにして、吐く物が無くなっても吐き気が治まらない。

 

「気分はどうだい、中尉……」

 

「少……いえ、中佐……」

 

 燃え盛るロンディニウムを背にして、ベルクマンが話し掛けてきた。

 

 ハンカチーフで口元を拭うと、やっといくらか気分も落ち着いたリッケルトはふらつきなりながらも立ち上がった。

 

「……これは、僕達の知っている戦争とはまるで違いますね……」

 

 もしバスラー大尉が生きていたら、戦闘機の代わりに魔女が空を飛び、魔法で操られた兵器が人を殺すこの戦場を見て何と言っただろう。魔女の力は、現存する最新鋭の兵器ですら相手にはならない。この地獄は、あまりにもあっけなく現世に顕現した。

 

「そうだね。魔女の力は今やエイルシュタットではなく、我々ゲルマニアのものになったという訳だ」

 

「……次はどの国へ侵攻するのですか?」

 

「さて、それはもう僕には分からないよ。今後エクセ・コーズの指揮は、全て陛下がお執りになる事となった。僕は昇進こそしたものの、出世コースからは外れて失脚、という訳さ……」

 

「中佐は、もう舞台から降りられるのですか? こんな……こんな地獄を生んでおいて……!!」

 

 自分にだけは言う資格は無いし、上官批判と取られても仕方の無い暴言だとも理解していたが、それでもリッケルトは言わずにはいれなかった。

 

 しかしこれを受けてベルクマンは、

 

「降りるんじゃない、降ろされたんだ。出る杭は打たれる……出来るだけ目立たないようにしようとは、心掛けていたんだがね……」

 

 どこか厭世的な口調で、そう飄々と語る。対照的にリッケルトは「そんな……!!」と絶句した。

 

 オットー皇帝の不興を買った人間が半年以上生きていた試しがないというのは、軍では有名な話だ。皆、病気や事故で死んでいる。しかしまだ年が若く階級も比較的低い彼にとってそれはどこか対岸の火事のように現実味の無い出来事のように思えていたのだが……自分の上司がその対象になったと知れると、急に現実感が膨らんできた。

 

「……まぁ、上手くやっていこう。お互いにね……」

 

「…………」

 

 

 

 

 

 

 

 アルプス山中の秘密基地。

 

 エイルシュタット首都に何かあった時に備えて、大昔の隠し砦を改造し、代々整備されてきた場所だ。

 

 何人ものゾフィーが誘導するV1飛行爆弾によってランツブルックが蹂躙された後、フィーネ達は王城に設けられた秘密の通路から脱出し、現在はここが首都の代わりとなっていた。

 

「はぁ……」

 

 食堂で、頬杖付いたフルスが紅茶に砂糖を入れた。

 

 当たり前といえば当たり前だが、この一月は気の晴れるようなニュースが一つもない。

 

 今の世界はエクセ・コーズを擁するゲールの脅威に脅かされているという状況だ。

 

 唯一、良い知らせと言えばずっと眠り続けていたイゼッタが目を覚ました事であろうか。しかしそれとて、手放しで喜べるものではなかった。

 

 戦いで、イゼッタの体は酷く傷付いていた。彼女の両足は、機能が失われて動かなかった。ハルトマイヤー軍医の見立てでは時間を掛ければあるいは治る見込みはあるとの事であったが……今となっては、その時間があるかどうかさえ怪しいものだ。

 

 この隠れ家も、いつゲールに見付けられるか……

 

「はぁ……」

 

 溜息を吐くと幸せが逃げると言うが、フルスに言わせればそれは逆だった。幸せが逃げるから、溜息を吐くのだ。

 

 フルスは再び、目の前の紅茶に砂糖を入れた。

 

「あ、あの……フルス様……」

 

「ん? どうしたのロッテさん……」

 

「あの……少し、砂糖を入れすぎではないかと……」

 

「え……?」

 

 思わず、視線を落とす。カップの底には、既に紅茶の飽和量を超えて大量の砂糖が沈殿していた。

 

「…………」

 

 まさか、と思ってフルスはその紅茶を一息で飲み干し、大量の砂糖も一緒に口に入れてじゃりじゃりと噛んだ。

 

「……!!」

 

 さしもの彼女も、絶句する。

 

「フ……フルス様……?」

 

「あ……ロッテさん……これは……その……」

 

 何とか誤魔化そうとして、そこにハンスがやって来た。

 

「フルス殿。フィーネ様がお呼びです。来ていただけますか?」

 

「え、ええ……では、ロッテさん……また後で……」

 

「あ……あい……」

 

 フィーネからの呼び出しを渡りに船と、フルスは足早に食堂を後にしてフィーネの部屋へと向かう。

 

 その数分間で、彼女は色々と思考を回していた。

 

 先程の紅茶は、まるで味がしなかった。あんなに砂糖を入れていたのに。

 

『とうとう、舌もイカれたか……』

 

 内臓の機能はあちこちが失調している。吐血の感覚が短くなってきていて、隠し通すのもそろそろ限界だろう。

 

 神経にも損傷が出ていて、歩いたり話す度に全身に激痛が走る。

 

 視力が落ちてきていて、裸眼ではもう本も読めない。今はぼんやりとした輪郭と色合いで辛うじて個人が識別出来ている。

 

 左耳が、少し前から聞こえなくなっている。

 

 3日前から何か息苦しいような気がして、匂いを感じなくなっているのに気が付いた。

 

 そして、今は味覚まで失われた。

 

 痛みは意識から切り離せば無視出来る。視力や聴覚は、まだぼんやりとは見えるし右耳は聞こえるからごまかしが利く。嗅覚や味覚も、気を付けていればロッテやビアンカの目を欺く事も出来るだろう。

 

『だが……今のままでも失明したり構造的に体を動かせなくなるのは時間の問題か……』

 

 考えている内に、フィーネの部屋に到着したフルスは思考を打ち切るとノックの後、入室した。

 

 もし、フルスに常人ほどの視力が残っていればぎょっと驚いただろう。

 

 今のフィーネは、信じられないほどやつれていた。

 

 目の下にはくっきりと隈が浮かんでいて、頬もこけている。何日も寝ていないし、食事も満足に摂っていないのだろう。ぞっとするほどに、体から生気が感じられない。

 

 しかしそれも、視力が落ちている今のフルスには分からない。

 

「あぁ……良く来てくれたな、フルス殿……」

 

「フィーネ様……何か御用でしょうか?」

 

「貴殿に、頼みたい事があるのだ……」

 

「頼み、ですか?」

 

 表情は判別出来ないが、声色からフィーネが神妙な顔をしているのは容易に推測出来た。

 

「イゼッタを連れて……逃げてほしいのだ……どこか遠く……ゲールの手の届かぬ地へ……」

 

「イゼッタを……」

 

「貴殿も見られただろう、イゼッタを……あれほど傷付いて、足が動かなくても……それでもまだ、エイルシュタットの……いや、私の為に戦うと言ってくれた……」

 

「…………」

 

「もう、私は……見てはおれぬ……いや……そんな事を言う資格すら、私には無いのだろうがな……イゼッタの祖母は、魔法は無闇に使ってはならぬと、固く戒めていたと聞く……」

 

『そう……おばさまなら……そう言われるでしょうね……』

 

 脳裏で、フルスは懐かしい顔を思い浮かべていた。

 

「……それを私が、無理矢理戦いに引きずり込んだ……その報いが……この有様だ……」

 

 自嘲するような響きが、今のフィーネの言葉にはあった。

 

「だが、今ならまだ間に合う……フルス殿、どうかイゼッタを連れて逃げてくれ!! そして厚かましい願いだろうが、イゼッタを守ってくれ……それが、私の最後の願いだ……どうか……どうか……」

 

 深々と頭を下げるフィーネ。最後の方は、消え入りそうな声だった。

 

 フィーネには、既にこの戦いの行く末が見えているのだろう。恐らくはフルスが思い描いているのと、同じ未来が。

 

 今、ゲールは虱潰しにエイルシュタット全土を捜索してフィーネを探している。粘り強い気質のエイルシュタット国民であるが、その心の支柱は国の象徴であるフィーネの存在。王が取られたら、ゲームは負けだ。

 

 だがこのままでは、この秘密基地もいつかは見付かってフィーネは捕らえられる。心を折られたエイルシュタットの民達は、戦う気力を失って降伏するだろう。

 

 それは避けようのない未来。既にあらゆる逃げ道は塞がれている。

 

 だからフィーネは、イゼッタだけは救おうとしているのだ。公人たる彼女には許される事ではないのかも知れないが、大公ではなく、一人の少女として、己の友を助けようと。

 

『だけど……まだ、何とか出来る……筈……私なら』

 

 しかしフルスには、イゼッタにもフィーネにも、ファルシュにすら教えていない奥の手があった。

 

 彼女の一族が到達した奥義。

 

 最後の魔法。

 

『……失うものを、恐れなければ……』

 

 どのみちこのままでも、自分はあと数日も経たぬ内に廃人同然になる。その後は、程なくして死に至るだろう。

 

 例えフィーネの願いを聞き届け、イゼッタをここから連れ出したとしても彼女を守り続ける事は叶わない。ファルシュも、自分が居なくなればそう長くは動いていられない。もって3ヶ月が限度だろう。そうなってイゼッタ一人だけが残って、それが何になると言うのだ?

 

 ならば、最後の魔法を使うべきだ。どのみちすぐに喪われる命なら、何も生み出さず無為にじりじりと生き長らえるよりもより良い未来を創れる方に賭けるべきだ。

 

 フルスの理性はそう訴える。

 

 しかし、感情が訴えてくる。怖い。

 

『あれを使ったら、どうなるか分からないから……あれは、あれだけは……!!』

 

 理性と感情がせめぎ合って、決心が付かない。

 

「……申し訳ありません。フィーネ様……少しだけ、考えさせて下さい……」

 

 イエスともノーとも答える事が出来ず、フルスは逃げるようにフィーネの部屋を後にした。

 

 どうしよう? どうすれば良い?

 

 思考の迷路に陥った彼女は、自分がどこを歩いているかすら曖昧だったが……いつの間にか病室の入り口に立っている事に気付いた。

 

「もし君が、どうしてもこの状況をどうにかしたいのなら……方法はある……」

 

「?」

 

 中からジークの声が聞こえてきて、覗き込んでみると……

 

 ビアンカに支えられたイゼッタと、その対面にはジーク。そして彼の手には、掠れた視界の中でも見間違いようもない、紅い輝きがあった。

 

『魔石……そこにあったのか……!!』

 

 弾かれるように入室したフルスは、ジークからイゼッタへと手渡されようとしていた魔石を奪い取った。

 

「フルスさん!?」「フルス殿……!!」

 

「イゼッタ……あなたに、これは使わせられない……これを魔女が使ったら……どうなるか……分かっているの?」

 

 魔石は魔女の命を削り、力の条理を覆す禁忌。使い過ぎれば長くは生きられない。これは二つの魔女の一族の、双方に語り伝えられてきた伝承だった。

 

 フルスは、今の自分はきっと真っ青な顔をしているのだろうなと思った。

 

「フルスさん、それを返して下さい!!」

 

「イゼッタ……でもこれは……!! これを使ったら、あなたは……!!」

 

「私なんて、どうなったっていい!! それより……姫様に、あんな顔させちゃった……あんなの、絶対に……!!」

 

「っ!!」

 

 パン!!

 

 乾いた音が、部屋に鳴った。

 

 イゼッタの頬に、赤みが差していた。たった今、フルスが平手で打った跡だ。何秒か呆然とした後、イゼッタは戸惑ったようにフルスを見た。

 

「フルス……さん……」

 

「……ごめんなさい、イゼッタ……でも、自分を粗末にしないで……あなたを喪ってしまったら……私はそれこそロレッタに……あなたのお母さんに……どう詫びれば良いか……」

 

 姉妹同然だった親友の顔が蘇る。写真の一枚も残ってはいないが、一度も忘れた事のない顔だ。

 

 もし、イゼッタをここで止めなかったら、フルスはその顔をもう二度と思い出せなくなりそうな気がした。それは、死ぬよりも恐ろしい。

 

『……!!』

 

 そう考えた時、何故だか気分が凄く楽になった気がした。

 

『……ああ……そうか………』

 

 決心は付いた。

 

 そして分かった事があった。

 

 どうして自分が、ここまで戦ってきたのか。今になってそれがやっと分かった。

 

「ミュラー補佐官……申し訳ありませんが、フィーネ様を呼んできてもらえませんか? そしてビアンカ女史……ファルシュを連れてきて下さい。例の物を持ってくるようにと」

 

 

 

 

 

 

 

 10分後、フィーネとファルシュが病室にやってきた。

 

 ファルシュは隻腕で全長2メートルぐらいの箱を運び込んでくると、その上に腰掛けた。

 

「フルス殿……話とは?」

 

 フィーネの顔は、ほんの少しだけだが明るかった。こうしてイゼッタの元に自分を連れてくるという事は、自分の願いを聞き入れてくれる気になったのだろうかと。

 

「……申し訳ありませんが……ビアンカ女史、ミュラー補佐官……お二人は少しだけ席を外していただけませんか? 私とイゼッタ、ファルシュ……そしてフィーネ様の4人だけで話がしたいのです……」

 

「フルス殿、それは……」

 

 ビアンカが、口を挟もうとする。

 

 彼女とて今更フルスがフィーネに危害を加えるなどとは思ってもいないが、しかしそれでも近衛の隊長として、フィーネが目の届かない所に居る状況というのはどうにも尻の座りが悪いものがあった。ジークも似たような心境なのだろう。渋い表情を見せていた。

 

「いや……良いのだ、二人とも。席を外してくれ」

 

「……は……フィーネ様……では何かあれば、すぐお呼び下さい」

 

 そうしてビアンカとジークが退室し、病室の中にはイゼッタ、フィーネ、ファルシュ、そしてフルス。最初にフルスが望んだ者だけが残される。

 

「さぁ……これで4人だけだ……フルス殿……話とは……?」

 

「全て」

 

「……全て?」

 

 鸚鵡返ししたフィーネに、フルスは頷いて返した。

 

「全ての真実を、イゼッタとフィーネ様……あなた達二人に伝えたい。私の過去に何があったのか……ファルシュの事……魔石の事……そして……」

 

 少しだけ言い淀んで、しかしフルスはとても穏やかな声で続ける。

 

「そして、どうしてこの戦争が起こったのか……その、全てを……あなた達二人には、知っていてほしいんです……」

 



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第21話 フルスの過去・二人目の娘

 

「この戦争が……どうして起こったのか……?」

 

 フィーネは何を今更、とでも言いそうな顔になった。

 

「では……フィーネ様は、この戦争がどうして起こったとお思いですか?」

 

 年若いとは言え為政者でありしかも戦争当事国の国家元首である彼女にとってはこのような質問は釈迦に説法というものだろう。フィーネはどうしてフルスが今になってそんな事を聞くのか、意味を掴みかねているようだった。

 

「それは、ゲールが同盟国であるロムルス連邦との物資や兵の輸送を円滑にする為の回廊を確保する目的で……」

 

「……違うのですよ、フィーネ様……」

 

 フルスは、穏やかに首を振って答える。

 

「それは……どういう事なんですか? フルスさん……」

 

「……イゼッタ、それには私達……魔女の歴史から話さなくてはならないわね……」

 

 フルスはイゼッタにそう答えると、話し始めた。

 

「私達魔女が、どれぐらい昔から存在していたのかは……私にも分からない。ただ、昔の魔女はイゼッタ、あなたの一族がそうしていたように人の世に深く関わる事無く……ひっそりと暮らしていたの。最初の魔女が残した戒めを守ってね……」

 

 勿論、全く完全に無関係という訳ではなかったのだろう。

 

 魔女とて飯を食えば糞もする人間だ。人間である以上、どうしたってほんの僅かには人の世に関わってしまう。

 

 通り掛かった村で、道を塞いでいた大岩を魔法でどかした事もあったろう。

 

 たまたま、獣に襲われた旅人を魔法で助けた事もあったろう。

 

 あるいは遠目に、空を飛ぶ姿を見られる事もあったかも知れない。

 

 現在まで様々な国に残る魔女の伝承は、それらの僅かな目撃例や体験談が長い時間を掛けて尾鰭どころか翼が生えて空を飛び、口からは火を吐くぐらいに脚色されて伝わったものなのだろう。

 

「でも、ある時……一人の魔女が掟を破って人の世の理に深く関わった。それが……」

 

「エイルシュタットの白き魔女……何百年も前の、本物のゾフィー……!!」

 

 聡いフィーネの言葉に、フルスは頷く。

 

「そう……魔女ゾフィーは当時のエイルシュタット王子、マティアスⅠ世を愛して……そして彼の国を救う為に同胞達の反対を押し切って、最初の魔女によって封じられた禁断の道具……「魔石」とレイラインの地図を持ち出して、魔法の力で敵国の軍を蹴散らして、エイルシュタットを救った」

 

「……白き魔女の伝説……」

 

「……ただ、史実はお伽話のハッピーエンドでは終わらなかった。マティアスⅠ世には既に妃が居て……更に彼の死後、ゾフィーはエイルシュタット内での後ろ盾を失う形になった。そして妃に疎まれたゾフィーは、信頼の証として差し出したレイラインの地図を逆手に取られ、魔法が使えない土地で更に魔石を取り上げられ、無力化された後に異端審問官に引き渡された」

 

「……惨い話だな……国を救ってくれた恩人に、その仕打ちとは……」

 

 何百年も前の出来事とは言え、自分の系譜に連なる者の所行を恥じたフィーネは、目を伏せた。

 

「魔石はその時、二つに割れた……私も割れた事や正確な場所は知らなくて、ファルシュに探させていたけど……半分はミュラー補佐官の一族に伝えられて、もう半分は旧王城の地下の魔女の間に、レイラインの地図と共に封じられていたのね……」

 

 あの魔女の間は、白き魔女という救国の英雄を讃え慰霊する為の霊廟などではなかったのだ。寧ろその逆、魔女を祀る事で許しを請う鎮魂の祭壇だったのだ。

 

「……そしてゾフィーは、魔女として火炙りに掛けられたけど……でも、話はそこで終わらなかった」

 

「え?」

 

「さっきも言ったようにそれまで、魔女は人の世に関わる事を避けていた。それは最初の魔女が残した戒めもあったけど、魔女の力が人間を相手にどれぐらい通用するかが不明だったからというのも大きい……後先考えないで人の世に首を突っ込んで、それでどうにもならなかったらどうしよう……って、そういう考えが強かったのね」

 

「……だが、ゾフィーの行動によって、魔法はたった一人の魔女が大軍を蹴散らす事さえ可能なものだと証明……いや、実証された」

 

「そうです、フィーネ様。その時、一部の魔女はこう考えたのです。『この力を使えば、こんな土地から土地へ渡り歩くような貧しい生活などしなくて良い。この力で大金を得て、贅沢に暮らしてやる。人としての栄耀栄華を極めてやる』と。そうして、欲に取り憑かれた幾人かの魔女は一族を出奔し……魔女の一族はこれで二つに分かれたのです」

 

 一つの一族は最初の魔女の教えを守り、これまで通り人の世に深く関わらずにひっそり生きる道を選び。

 

 もう一つの一族は最初の魔女の教えを破り、魔法を際限無く使って現世の欲望を極める道を選んだ。

 

「そしてそれぞれ一族の、最後の生き残りが……」

 

「私と、フルスさんなんですね」

 

 イゼッタの言葉に、頷くフルス。

 

「……私の一族は、魔法を使って大金を得る事を選んだけど……その為に最も手っ取り早い手段として選んだのが、暗殺や諜報活動……非合法な闇の仕事だった。いつの世界も、目障りな人間を消す為に大金を積む人は絶えないからね……それに魔法は、暗殺という任務にはとても便利な”道具”なの」

 

 どんなにボディーチェックを万全にしても、魔法という武器を持っているなんて誰も思わない。そして魔法は、レイラインが通っている土地であれば小石一つで銃弾と同じ働きをさせられる。そういう意味では寸鉄一つ帯びない丸腰で、強大な攻撃力を行使出来る魔女は理想的な暗殺者だと言えた。

 

「そうして……代々、私の一族は人を殺して巨万の富を得てきた……子供に、生まれた時から殺しをするのが当たり前だと教えて、殺人者として育てていって……」

 

「……酷い……!!」

 

「……でも、私は暗殺者としては出来損ないだった。私は、どんなに教えられても人が人を殺すなんて馬鹿げているという考えを捨てられなかった。殺しをやらされた後は吐き気がして、何日も眠れなかった……」

 

「……それが、当たり前であろう……フルス殿が出来損ないなどではなく、寧ろその逆……貴殿だけがまともだったのだ……」

 

「……ありがとう、フィーネ様……」

 

 悲しそうに、フルスは笑う。

 

「そして私は15才の時……一族から脱走した。でも、当然……暗殺を生業にしている一族が足抜けなんて許す筈ないですよね? 何人も何人も追っ手が掛かって……私はそれを全て返り討ちにして逃げ続けた……そして最後の追っ手を倒して……その時、私の一族はもう私一人になった……でも私も、その最後の追っ手によって傷を受けて……倒れて、もうすぐ死ぬかと思っていた時に、一人の女の子に助けてもらったの……その女の子の名前は、ロレッタ」

 

「!! それって……」

 

「そう、イゼッタ……あなたのお母さんよ」

 

「……お母さんと、フルスさんが……」

 

「……ロレッタに手当をしてもらって……傷が治った後も、私は行く当てなんて無かったからなし崩し的にロレッタと彼女のお母さん、つまりイゼッタ、あなたのおばあちゃんね……二人と一緒に暮らす事にしたの」

 

 フルスは視線を上げて、遠くを見るように眼を細めた。

 

「土地から土地へと渡り歩くその暮らしは当然貧しかったけど……それを辛いとは一度も思わなかった。人を殺さないで生きられるというのが……私には、たまらなく嬉しかった。そして、ロレッタとも約束したの。もう、二度と魔法は使わない。誰も殺さないし、何も壊さないって……おばさま……イゼッタのおばあちゃんは、私にあまりいい顔はしなかったけど……それでも、私が人を殺したくなかったって所だけは信じてくれていたのでしょうね……少なくとも積極的に追い出そうとはされなかったわ……」

 

 あの頃は、本当に幸せだった。

 

 幸せすぎて、自分がどんなに幸せなのか分からないぐらいに。

 

 フルスはほんの十数秒ばかりの回顧から戻ってくると、話を続けていく。

 

「そしてそれから、何年かして……私とロレッタは家族同然の親友になって……ロレッタに、子供が生まれたの。それがイゼッタ、貴女……」

 

「あ……フルスさん、私を赤ちゃんの時から知っているって……それは……」

 

 優しく、フルスは微笑む。

 

「貴女がこの世界に生を受けた時から、知っているの。ロレッタよりも早く、生まれてきた貴女を一番最初に抱っこしたのは、私なのよ?」

 

「フルスさんが……」

 

 だが、幸せの時は長く続かない。何年か経って、ロレッタが病に倒れてしまう。

 

「治らない病気ではなかった。でも、流浪の旅を続けてきた私達には薬を買ったり医者を連れてくる金が無かった。おばさまはロレッタの看病で何日も徹夜して……ロレッタは日に日に弱っていって……イゼッタ、あなたはまだ訳も分からずに笑っていたわ……私はそんなあなた達を見ていられなくて……そして、ロレッタとの約束を破ったの。最初の魔女の戒めを破った、ゾフィーのように……」

 

「それは……」

 

「ええ、私は魔法の力で人を殺して……薬を買う金を手に入れたの」

 

 でも間に合わなかった。ロレッタは、逝ってしまった。

 

「最後に、ロレッタは「フルスに会いたい」と、そう言い残したそうよ。私は……間違っていた。何もかも中途半端だった。だから何も手に入れられずに、何も守れなかった」

 

 ロレッタに憎まれても彼女の命を救うか、あくまでも彼女の心を満足させてやるか、どちらかを決めるべきだったのだ。それは後悔として、今尚フルスの心に焼き付いている。

 

「そして、私が魔法を使って人を殺した事がおばさまに知られて……私はイゼッタ、あなた達と別れ……旅に出た。あなたが3歳の時の話よ」

 

「ああ……少しだけ、覚えています。ある日突然フルスさんがいなくなって……私、あの時は随分泣きました……」

 

 くすっと笑い、フルスは話を続ける。

 

「そして私は旅の果てに、ある炭坑の町に流れ着いたの。そこで私は結婚して……子供ができた……」

 

「それが……」

 

 フィーネの視線が、ファルシュへと向いた。

 

「子供の名前は、メーア……」

 

「む……」

 

「あ、昔……私とおばあちゃんに会いに来てくれた時に子供が生まれたって、フルスさんが言っていたのは……そのメーアちゃんの事だったんですね」

 

 イゼッタは合点が行ったという表情になった。

 

 一方、フィーネの予想は外れた。話の流れからてっきりその時生まれた子供というのがファルシュだと思っていたが……

 

「夫は病気で早くに死んでしまったけど……でも私は片親ながら、精一杯の愛情を注いで娘を育てたわ……村の人達も良くしてくれて……あの村での生活は、私の人生の中でロレッタ達と過ごした時間に続いて、二番目の幸せな時間だった……でもある時、転機が訪れた。鉱山で、落盤が起こったの。炭坑への入り口が崩れて、何人もの人達が生き埋めになったわ……」

 

 村人達は何とか閉じ込められた人達を助けようとしたが大規模な落盤で、彼等に為す術は無かった。他の村から人を呼んできたり、重機を用意したりしてる間に炭坑の中は酸欠になって、鉱夫達は一人残らず死ぬだろう。

 

 だがその村には、そのような未来を変える事の出来るファクターがあった。

 

 フルスだ。

 

「……私は、迷ったわ。魔法を使えば助けられる。でも、魔法を使えば魔女である事がバレてしまう。そうなったらこの村にはいられない……ってね」

 

 だが、迷ったのは一瞬だけだった。

 

「ロレッタの時と同じ過ちを、私は繰り返したくなかった。私は、魔法を使って、皆を助ける事を選んだ……魔法で炭坑の入り口をこじ開け、岩盤を支えて崩落を食い止めて……沢山の人を助けた……」

 

 全てが終わった時、自分に向けられた幾色もの視線を、フルスは覚えている。

 

 恐怖、当惑、疑念、好奇……色々あるがあまり良い感情が向けられていなかったのは確かだ。

 

「フルスさんは、それで……その村には居られなくなったんですか?」

 

 イゼッタの問いに、しかしフルスは首を横に振った。

 

「いいえ……村の人達は、最初こそ戸惑いはしたけど……でもしばらくすると口々に感謝の意を伝えて、私とメーアを受け入れてくれたわ……私が魔女である事も、この村の中だけの秘密にするって、約束もしてくれた……」

 

「……良い、村だったのだな」

 

 フィーネのコメントに、頷くフルス。

 

「そうですね、フィーネ様……でも、今にして思えば……その時、私達を怖がって……気味悪がって村から追い出してくれていた方が……私は良かった」

 

「それは……どういう……?」

 

「感謝は一時だった……それから3ヶ月ほど後の事でした……私が何日か村から離れていた時……娘は、メーアは……村人達に殺されたのです……!!」

 

「なっ……!? バカな……」

 

「そんな……何で……そんな事に……?」

 

 あまりにも唐突なフルスの語りに、イゼッタもフィーネも言葉を失った。

 

「村の離れから、火が出たらしいわ……それが魔女の祟りだってメーアのせいにされて……あの子は、村人達によってたかって殺された……後で分かった事だけど、その火事は村の子供の焚き火の不始末が原因で……つまりメーアには何の関係も無かったのよ……」

 

「「そんな……」」

 

 思い出したくもない、辛い過去なのだろう。フルスの顔が歪んでいた。

 

「なんと……酷い話だ……!! 酷すぎる……!!」

 

 吐き捨てるように、フィーネが言った。

 

「まるで……あの時の私みたいに……」

 

 イゼッタが思い出すのは、フィーネと初めて出会った日の事だった。

 

 あの時も、村の小屋から火が出て……村人達はろくな証拠も無く調査もせずに余所者の自分が犯人だと決めつけて、私刑にかけようとした。もし、フィーネが煙を見て引き返してこなかったら、自分は今、こうして生きてはいないかも知れない。

 

 あるいはこれは、ゾフィーの焼き直しであるとも言えた。助けた者に疎まれ、排斥されるという意味で。だがフルスが喪ったのは自分の命ではなく……命よりも、大切な者だった。

 

「!! フルスさん、じゃああの時……私が羨ましい、姫様にもっと早くお会いしたかったって言ってたのは……!!」

 

「そう……もしあの時、フィーネ様がいてくださったなら……娘は……メーアは……死ななくて済んだんじゃないかって……そう思ったの」

 

 今にも泣き出しそうなほど目を潤ませながら、フルスは話を続けていく。

 

「私は……生まれて初めて、怒りに我を忘れた……金の為や生きる為に人を殺した事は何度もあったけど……憎しみで、喜んで人を殺そうと魔法を使ったのは初めてだった……」

 

「……それで、フルスさんはその時……村の人達を……」

 

 殺してしまったのか?

 

 聞きづらそうに、イゼッタが尋ねた。

 

 だが、意外と言うべきか。フルスは首を横に振る。

 

「……殺せなかった。例え、メーアを殺したのがあの人達だとしても……あの人達が私に良くしてくれたのは本当だから……私があの人達と、心の底から笑い合えていた時間はホンモノだから……それを思い出すと……殺すなんて事は……私には出来なかった……」

 

「フルスさん……」

 

「フルス殿……貴殿は……」

 

 あの時、魔法で操り、繰り出したスコップやピッケルは、村人達をバラバラにするその寸前で、空間で静止した。フルスが止めたのだ。

 

 最後の一線を、フルスは超える事が出来なかった。

 

 だが、今にして思えば……自分はあの時……一線を超えるべきだった。怒りに任せて村人達を一人残らず殺すべきだったのだ。そうすれば、この戦争は起きなかったのに。

 

「……私は、血を流して冷たくなっていくメーアを抱いて、逃げた……そしてどうにかして、あの子を助けようとした……でも、出来なかった……」

 

 それは当然だ。死者を生き返らせる事など、誰にも出来ない。それは絶対の摂理であり、条理だ。だが、それでも。叶わぬと知りながらも、人が感情を得てから今日に至るまで、どれほどの人々がそれを望んだだろう。イゼッタは、万一フィーネの身に何かあれば自分も同じように行動するだろうと思った。フィーネも、同じようにイゼッタの事を想っていた。

 

「……私は、娘を助けられるなら何でもしようと思った。地獄に堕ちる事でも、何でも……そして気が付いた時、私の手には、魔石が握られていた……」

 

「「!!」」

 

 ここで、魔石の名が挙がった。イゼッタとフィーネ、二人の視線がフルスの掌の上の紅い石へと注がれる。

 

「フルス殿、魔石とはそもそも何なのだ?」

 

「……極々簡単に言うと、命です」

 

「……命?」

 

「そう……人間や動物は、死ぬと体は腐って大地に還る。そしてその命も、同じように大地に還る……大地に還った命は大いなる流れの中に融け合って、やがてまた生まれてくる……太陽が昇り、沈み、そしてまた昇ってくるように……命の形を変えて……前の生で花だった命は、今生では鳥になっているかも知れない……そんな命の流転(フルス)は、この大地に命が生まれてから、気の遠くなるような時間……ずっと……ずっと続いてきた……私達魔女がレイラインと呼ぶのは、その命の流れが特に太い主流の事ですね」

 

「レイライン……魔力が……大地に還った命……」

 

「そう、イゼッタ……そして私達魔女は、その大地に還った命に働きかけ、奇跡を起こす事が出来る異能者なの……」

 

「魔力の事は分かった。では、魔石とは……?」

 

「……レイラインの中でも特に太いその流れが、何重にも重なるポイントでは生命エネルギーが一点に集まって、実体を持つまでに圧縮される事があるんです……そうして結晶化した魔力を、私達の一族では魔力結晶(レイマテリアル)と呼んでいます。ゲルマニア帝国では、単にエクセニウムと呼ばれているらしいですが……」

 

「……その、レイマテリアル、もしくはエクセニウムは、魔石とは違うんですか?」

 

「本質的には同じものよ。ただし通常のエクセニウムは短い時間……短いと言っても数百年単位だけど……それで作られるからとても小さく、不純物も多いの。それに対して魔石は、何十万年もの時間を掛けて自然に生み出される、一点の曇りも無い超々高純度の魔力の固まり……そして高い密度や質量を持った物体はそれ自体が引力を持つように、周りの魔力を吸い付ける性質があるの」

 

「……だからあの時、ゼルン回廊で私は魔法が使えなかったんですね……」

 

「そうね、イゼッタ……あらかじめ魔石を使って、土地の魔力を吸い上げていたんでしょう。その空域に相手の魔女を誘き出して、墜落させる為に……ケネンベルクでも、同じようなトラップが仕掛けてあったから、間違いないわ」

 

 フルスは半分だけの魔石を摘んで、良く見えるように掲げる。

 

「この魔石は今、魔力が離れようとする力と魔力を吸い寄せる力がちょうど釣り合っていて、いわゆる基底状態にあるの。でも魔女が魔石に力を使うとそのバランスが崩れて、離れる力と吸い寄せる力のどちらかが強くなった励起状態になる……吸い寄せる力を強くすると、土地の魔力を魔石の内部に蓄える事が出来るし、逆に離れる力を強くすると溜め込んだ魔力を放出して、レイラインから外れた土地でも魔法を使えるようになる……他にも、魔力を凝縮させて人為的にエクセニウムを精製する事も出来るようになる……」

 

「魔女の、力の条理を覆す石……」

 

「そう……でも、これを使う時、術者もその影響を受けるの」

 

「……と、言うと? フルス殿」

 

「先程言ったように、魔力とは命。そして魔石はその命を吸い込んだり放出したりする事が出来る。一番近くでそれを使う術者の命も、魔力と同質のエネルギーだから……魔力を吸い込もうとすれば術者の命も魔石の中に吸われて、魔力を放出しようとすれば術者の命も放出現象に巻き込まれる……魔石が魔女の命を削ると言い伝えられているのは、それが理由よ。使い過ぎれば、長くは生きられない……」

 

 だからフルスは、魔石をイゼッタから取り上げたのだ。

 

 イゼッタは、恥じるようにぐっと拳を握った。

 

「……さっきも言ったように、魔石は何十億年をも掛けた熟成の末に生み出される奇跡の結晶……当然ながら恐ろしく稀少で、最初の魔女が見付け出して以後、魔女の一族に代々伝えられ、数百年前……本物の白き魔女・ゾフィーが持ち出した物……つまりこれね」

 

 手の中の、半分だけの紅石をフルスは弄ぶように転がした。

 

「……これを除けば、私の一族が何百年も掛けて世界中を探したけど、一つだけしか見付ける事は出来なかった……」

 

 つまり魔石は『二つ』ある。

 

 一つはゾフィーが数百年前に使い、エイルシュタットに裏切られた時に二つに割れ、半分は現在ゲルマニアに渡り、もう半分は今、フルスの掌中にある物。

 

 もう一つは、過去にメーアを助けようとしたフルスの手に握られた物。

 

「私はその魔石に、賭けてみる事にした……膨大な命の結晶であるこの石なら……魔女の力の条理を覆せるこの石なら……あるいは、奇跡を起こす事だって出来るかも知れないと……喪われてしまった命を、再び吹き込む事が出来るかも知れないと……」

 

「!! ま、まさか……フルス殿……貴殿は……!!」

 

 聡明なフィーネは、話の流れから過去のフルスがどんな行動に出たかを察した。そしてそれは、間違ってはいなかったらしい。フルスが、ゆっくりと首肯する。

 

「私は娘の……メーアの遺体に、魔石を埋め込んだのです」

 

「「…………!!」」

 

 衝撃を受けて、イゼッタもフィーネも、しばらく言葉を発する事が出来なかった。

 

 だが、予想はしていた分フィーネの方が幾分早く立ち直った。

 

 そして……引き出す答えの方が恐ろしいが……質問しなければならない事があった。

 

「それで……フルス殿……その後……どうなったのだ……?」

 

「……結論から言うと……私の試みは、半分だけ成功しました……」

 

「……半分……?」

 

「そう、半分……とうの昔に息が絶え、冷たくなったメーアの遺体は……魔石を埋め込まれて、動き出したのです……ただしそれは、メーアが生き返った訳ではなかった……動き出したその子は、メーアではなかった……それが……」

 

 自然と、場の視線が一人に集中する。

 

 フルスと、イゼッタと、フィーネの視線が、この場の最後の一人へと。

 

「ま……まさかそれが……ファルシュちゃん……なんですか……?」

 

 恐る恐る尋ねるイゼッタに、フルスは頷く。

 

「そう、イゼッタ……ファルシュとは偽物の事……私の娘、メーアの偽物(ファルシュ)……それがこの子の名前の由来……肉体はメーアのものだけど、その心は別人……私は死者を蘇生させる事は出来ても、復活させる事は出来なかったのよ……」

 

「で、では……フルス殿……もう一つの魔石は……」

 

「はい、フィーネ様……私の一族が探し出したもう一つの魔石は……今も、ファルシュの体内に埋め込まれているのです」

 



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第22話 フルスの過去・開戦の理由

 

「もう一つの魔石が……ファルシュの体に……?」

 

「そうです、フィーネ様……ファルシュは”生きていない”。体内に埋め込まれた魔石……その中に込められた魔力を燃料として動くメーアの遺体……それがこの子の正体……思い当たるフシがあるのではありませんか?」

 

「あ……」

 

 フィーネは以前、触れたファルシュの体が氷のように冷たかったのを思い出した。あれは何かの勘違いか単純に体温が低いのだと思っていたがそうではなく、実際には”生きていないから体温など無かった”のだ。

 

「そんな……」

 

 イゼッタは、受けた衝撃が大きかったようだ。顔色が悪い。フィーネが、落ち着かせようと肩に手をやった。

 

「では……フルス殿……その、魔石を埋め込まれた体は……一体、どのようになるのだ?」

 

「先程申し上げたように、魔石を埋め込まれた体は生前とは全く別の人格で蘇生して、活動を始めます。元々遺体であるから、食事や睡眠、呼吸なども必要とはしません。まぁ、必要としないだけで嗜好として行う事はありますがね。他にも痛覚を感じないので、多少の怪我は影響を受けずに行動する事が可能になります」

 

「……他には?」

 

「……魔石に蓄積された魔力を利用して元々魔女ではない者でも、擬似的に魔法を使う事が出来るようになります。娘……メーアは、私から魔女の力を受け継いではいませんでしたが……あなた達も見たでしょう? ファルシュが、魔法を使う所を……それと魔法は本来自分の体や生き物を直接操る事は出来ませんが、ファルシュの場合は肉体が”生きていない”から、自分の体を物体同様に、魔力を付与して操る事が可能になります」

 

「あ、そうか……あの時、空飛ぶ輸送機に乗り込んできたのは、ファルシュちゃんが魔法を使えたから……それで飛んできて……」

 

 身一つで空を飛ぶのはフルスも出来るが、彼女の場合は周囲の空気を操ってそれで自分の体に風を受けさせ、凧のように飛ぶ。対してファルシュの場合は、イゼッタがライフルを操るように、魔法で直接自分の肉体を操って”体に空を飛ばせて”いるのだ。

 

「確かに……それにあの、エクセ・コーズが現れて貴殿からの連絡を受けた時、ファルシュはイゼッタを助けに窓から飛び立って……魔法が使えるのは魔女の娘だからまだ分かるが、魔力の流れが無いはずのランツブルックで魔法を使ったのには、皆驚いていた……あの後、すぐに首都に空爆があったからそれどころではなくなったが……」

 

 イゼッタとフィーネの言を受けて、頷くフルス。

 

 魔石に蓄積された魔力を利用して、レイラインの無い土地でも魔法を使えるのはゾフィーと同じだ。ただしファルシュは本来は魔女ではないが、体内に魔石が埋め込まれた事によって肉体が変質し、魔法を擬似的に使えるようになったのではないかというのがフルスの考察だった。

 

「ただし、メーアは魔女の力は持っていませんでした。同じ体を使っているファルシュも、体内の魔石に溜め込まれた魔力を使う事は出来ても、私やイゼッタのように体の外の魔力を操って魔法を使う事は出来ないし、自分で土地の魔力を魔石に吸い込む事も出来ません。つまり、ファルシュが動いたり魔法を使ったり出来るのは体内の魔石に溜め込まれた魔力が枯渇するまでという事。不足した分は、その都度私が注ぎ足すようにして魔力を補充しています」

 

「……あ、あの、フルスさん……」

 

「何? イゼッタ……」

 

「……えっと……」

 

「?」

 

 躊躇っているような様子のイゼッタを見て、フルスはしゃがみ込んで視線を合わせた。

 

「……聞くのが怖いんですけど……もし、ファルシュちゃんが……体内の魔石に溜まった魔力が切れたら……どうなるんですか?」

 

「……!!」

 

 先程の自分の問いと同等か、それ以上に恐ろしい答えが返ってくる事が容易に予想出来るのでフィーネは聞けなかったが……しかしこれは聞かねばならない事でもあった。

 

「……ファルシュ」

 

「はい、ママ……」

 

 フルスが顎をしゃくって合図すると、ファルシュは片手で器用に黒いローブを外していく。

 

 ふぁさっと黒衣が落ちて、片腕を喪失した幼い裸身が露わになった。

 

 その全身には余す所無く痛々しい傷が刻まれていて、あちこちにファルシュの本来の褐色の肌とは違う、白色や黄色の肌がくっついていて斑模様になっていた。

 

 イゼッタもフィーネも話には聞いていたが実際に見るのは初めてで、思わず目を逸らした。

 

 だがいつまでもそうしてはいられない。ようやく二人がまっすぐファルシュの体を見るようになったのを確かめると、フルスは話を再開した。

 

「ファルシュの……つまりメーアの体は本来は遺体……骸は、放っておけば土に還る……それをさせないでいつまでも瑞々しく、生きているかのように維持し続けているのは、埋め込んだ魔石に蓄積された魔力によるもの……ならばそれが切れたらどうなるかは……分かるでしょう?」

 

「「……!!」」

 

 戦慄した表情になるイゼッタとフィーネ。

 

 流石のフルスも直接的な言い回しは避けたが、その意味する所は明らかだ。

 

 ファルシュの体は魔力が切れると劣化……要するに腐り始めるのだ。

 

 これだけでも聞かなければ良かったと思えるような事実だが、もっと恐ろしい事が分かってしまった。

 

 フルスは、メーアの遺体に魔石を埋め込んだのは娘の命を救う為の賭けだと言っていた。つまり成功する確信があってやった事ではない。むしろ、藁にも縋る想いで行った筈だ。……と、いう事はそれは彼女自身は勿論、彼女の一族の歴史に於いても前例の無い、全く初めての試みであったに違いない。

 

 なのにフルスは、魔石に蓄えられた魔力が切れるとその肉体が腐り出すという事実を知っている。

 

 ……結論。つまり彼女は、実際に見たのだ。魔石に蓄えられた魔力が切れて、娘の……ファルシュの体が……”そうなる”所を。

 

「この傷は、全て私が付けたもの……劣化して……崩れていく肉体を繋ぎ止める為の応急措置として……古着を直すように、この子の”体を繕った”の……」

 

「なっ……!!」

 

 娘の体が腐って崩れていって、母親がその体を縫っていく……

 

 イゼッタの頭の中におぞましい光景が浮かんで、彼女は胸がむかつく気分になった。少しだが吐き気も感じる。

 

「で、では……ファルシュの体の……こ……この、肌の色が違う部分は……まさか……!!」

 

 フィーネは思わず尋ねてしまったが、口にした後で聞かなければ良かったと後悔した。

 

 どんな回答が語られるか、開示された情報からいくらかの予想は付いた。そしてそれが事実と合致するであろうという事も。それを、フルスの口からは聞きたくなかった。

 

「……そこは、崩れてどうにもならなくなった部分を他の人間の死体から”部品をもらって”、パッチワークのように補修したのですよ……」

 

 ちなみにそれらの元になる死体は、戦場で調達したものだ。戦場ならば墓や死体安置所(モルグ)などよりも余程簡単に死体が手に入って、有る筈の死体が無くなったとしてもさほど不審に思われない。闇仕事を生業としていたフルスは、それを母から教えられていたのだ。

 

「……フルスさんが前に言ってたのは……そういう事だったんですね……」

 

 輸送機から脱出して、ケガをしたフィーネの傷口を縫合して応急処置した時、フルスは言っていた。「人の肉を縫う事には慣れている」と。イゼッタはその時は妙な言い回しではあるがてっきり医療行為などをしていてケガを治療したりする機会が多かったのだろうと解釈していたが……事実は、想像よりよっぽど残酷だった。

 

 思えばあの時、ファルシュが針と糸や包帯に消毒薬まで持っていたのも随分用意が良いなと、無邪気に感心していたものだったが……実際には、いつファルシュの体内の魔力が切れて肉体が崩壊し始めても大丈夫なように、常にフルスが持たせていたのだろう。

 

 頭の中でいくつもの点が繋がって線になって、しかしイゼッタはどんどん気分が悪くなった。気を付けていないと、今にも嘔吐しそうだ。

 

 前にどこかで「無知とは不幸であると同時に幸福だ」なんて知ったような言葉を聞いたが、今ならその言葉の意味が理解出来るような気がした。

 

「……話を、続けるわね」

 

 いくらかの間を置いて、フルスは再び話し始めた。

 

「……メーアと、ファルシュは違う。私は色んな側面から二人を観察したけど、同じ体を使っていても二人は明らかに別の実存だった」

 

 利き手、一人称、性格、趣味嗜好、フルスへの呼び方、エトセトラエトセトラ……

 

 どう考えても演技とは思えない。

 

 否応なく突き付けられる事実。メーアとファルシュ。この二人は、別人なのだと。

 

「それから私は……人里離れた所で隠れ住みながら、メーアを取り戻そうと躍起になって研究を続けたわ……」

 

 メーアとの思い出の地にも行った。

 

 日記や写真を見せた。

 

 思い出せる限りの昔話をした。

 

 娘の好物をいつも作って食べさせた。

 

「……だが、駄目だった」

 

 先取りするようなフィーネに、フルスは首肯する。

 

 フルスが娘(メーア)を取り戻せなかったのは、今現在ファルシュが存在している事が証明してしまっている。

 

「3年間……思い付く限りの方法を試したけど……メーアは戻らなかった。喪った者は、戻らなかった……何を捧げても……どんな手を使っても」

 

「……だから、貴殿は私にイゼッタを大切にしろと言ったのか……自分が、喪う辛さを誰より知っているからこそ……」

 

 フィーネはかつてブリタニアに滞在していた際、レッドフォード卿の屋敷で交わした会話を思い出していた。

 

「……私はメーアが還らないと知って、一度はファルシュを壊そうと思った……でも、それも出来なかった……何故だか分かる?」

 

 イゼッタは、無言で首を振った。

 

「……確かにファルシュはメーアとは違う……私はメーアを取り戻せなかった……だけど……ファルシュが、私を慕ってくれる気持ちは本物だったから……それだけはメーアの偽物ではなくて、確かなファルシュの心だと伝わってきたから……そんな子を殺すなんて、私には出来なかった……何より、ファルシュ自身には何の罪も無い……なのに私の勝手で生み出しておいて、思ったのと違ったら廃棄するなんて……出来なかったの……そんな事は、私には……」

 

「……そう、か……やはり、貴殿は善き人だよ、フルス殿……」

 

「ありがとうございます。フィーネ様……そうして、私はファルシュを二人目の娘として愛していこうと誓って……今後はもうイゼッタ、あなたの一族がそうであったように人の世とは距離を置いて、隠れ潜んで生きていこうと思ったの。そして、それからしばらくは静かな、幸せな生活が続いた……それは私の人生で三度目の、幸福の時間……」

 

 だがそれも、長くは続かなかった。

 

 平和は往々にして、唐突に破られる。

 

「私達の隠れ家に、ゲルマニア軍の兵士が押し寄せたのよ」

 

「えっ!?」

 

「!? フルス殿……ちょっと待ってくれ? 何でそこでゲールが出てくる?」

 

 読んでいた小説がいきなり10ページも飛んだようなフルスの言葉に、イゼッタもフィーネも驚いたようだった。

 

 これまでのフルスの話で、彼女とゲルマニア帝国の接点となるものなど何も無かった。なのにどうして、彼女達がゲールに襲われるのだ?

 

 だが……フルスの表情を見ると、その理由をも彼女は知っているのだろう。フィーネとイゼッタはそれを察して、話を聞く姿勢を見せる。

 

「……私達は、突然の襲撃に驚いたけど……それでも、何とか逃げ延びた。だけど、ゲールはそれからも繰り返し襲ってきた」

 

 二度目と三度目は、襲ってくるかも知れないと心構えをしていたから危なげなく逃げ延びられた。

 

 そして四度目。

 

 その時はフルスは反撃に転じ、襲ってきたゲール兵を全滅させた後に一人残った隊長格の男を捕縛し……その男に母親仕込みの特殊な尋問法を使って、知っている情報を洗いざらい吐かせた。

 

「そうして……全てが分かった」

 

 フルスは一度言葉を切ると、懐から懐中時計を取り出してフィーネに差し出す。フィーネはその意図を図りかねたようだったが……取り敢えず蓋を開いてみる。目に入ったのは1分ばかりずれた時を刻み続ける針と、一枚の写真。

 

 フルスとファルシュ……いや、今の話からすればメーアだろうか? いずれにせよ親子の肖像があった。

 

「この子が……メーアちゃんなんですね、フルスさん……」

 

「そう……昔、メーアと一緒に撮ったものよ、これは……」

 

「……ファルシュとそっくりだな……いや、同じ体なのだから、当然と言えばとうぜ……?」

 

 そこまで言い掛けて、フィーネの表情が引き攣った。

 

「……姫様?」

 

 様子がおかしい事に気付いて、イゼッタが覗き込むようにフィーネを見る。エイルシュタット大公は、愕然とした表情で悪かった顔色が更に悪くなったように思えた。

 

「……フルス殿、お聞きしたいのだが……」

 

「……何でしょうか? フィーネ様……」

 

「この写真は、”いつ撮られた”ものなのだ?」

 

 問われたフルスは無表情だが、片眉がぴくりと動いた。

 

「その写真が撮られたのは、1935年……今から5年前のものです。メーアが死ぬ少し前に……一緒に撮ったものです」

 

「えっ!?」

 

 素っ頓狂な声を挙げるイゼッタ。

 

 さっきまで気付かなかったが、良く考えると確かにおかしい。

 

 既に成人していて30才を越えているフルスが、5年経ってもあまり変化が無いのは分かる。

 

 だがファルシュは、8才前後の少女。体は成長期の真っ直中である筈。その年頃の少女が5年も経っていて変化が無いのはどう考えてもおかしい。

 

 ……の、だがしかし。今までのフルスの説明からそれも納得が行く。

 

 メーアの遺体であるファルシュは魔石に込められた魔力で動く。だから物を食べたり睡眠を取る必要も無いし、汗も掻かず呼吸もしない。代謝行動を行わない。遺体がそんな事をする訳がない。

 

 同じように……遺体が年を取る訳もない。

 

 だからファルシュの姿は、5年前のメーアと同じもの。彼女が死んだ時のままで、留まっているのだ。

 

「……ゲールが私達を襲う理由は、最初とそれ以降では違っていたのです」

 

「……理由?」

 

「そう……私とメーアが住んでいたあの村で、メーアが殺されたあの日……私は魔法を使って、村人達を殺し掛けたけど、でも出来なかった……そしてその時、魔法を見た中に里帰りしていたゲルマニア帝国の兵士が居たのです」

 

「……そんな……!!」

 

 イゼッタは絶句する。

 

 命より大切な者を奪われて、それでも一線を踏み越える事を拒んで奪った者達を殺せなかったフルス。だがそんな彼女の行いこそが、ゲルマニア帝国に魔女の存在を知らしめる事になってしまったのだ。

 

 もしフルスが怒りに身を任せて、村人達を皆殺していれば死人に口なし。魔法の存在は、誰にも知られる事はなかったであろう。

 

 人を殺したくなくて歩いた道の先で、人を殺さなかったから悪い結果を引き寄せたなど、何という皮肉だろう。

 

「……ゲールが最初に私達を襲ったのは、単なる軍事上の好奇心から。魔女が実在するなら、あるいは軍事に転用出来るかも知れない……ならばまずはサンプルを確保しよう、とね……」

 

「……二度目以降は違うとの事だが……」

 

「……先程、言いましたよね? 私は3年間、メーアを取り戻す為に研究を続けたと……最初の襲撃の時、私達は全く予期していなかった事もあって身一つで逃げ出すのが精一杯だった……その時、研究成果を纏めた資料の一部が、ゲールに奪われたのです」

 

「なっ……」

 

「ま……待ってくれフルス殿。分かってきたぞ……まさか……」

 

「ひ、姫様……どういう事ですか?」

 

「良いか、イゼッタ。フルス殿は、この戦争がどうして起こったかを話すと最初に言われただろう?」

 

「は、はい……」

 

「フルス殿の研究資料が奪われたという事は、ファルシュの存在も、ゲールに知られたという事だ。そこまでは良いな?」

 

「はい」

 

 噛み含めるようなフィーネの説明を受け、イゼッタは頷く。

 

「そしてファルシュは年を取らない。これも肉体は元々遺体だから当然だな?」

 

「はい」

 

「フルス殿の話では、魔石の施術を行った遺体は全くの別人格で蘇るとの事だが……ならば、もし、本人の人格や記憶を全く完全に生前のまま蘇るような技術が確立されたら、どうなると思う?」

 

「それは……」

 

 イゼッタは考える。

 

 それは、生前と全く同一人物が、魔石の魔力が尽きない限り年も取らずにずっとそのままで在り続けるという事だ。

 

 つまり……!!

 

「その為に、オットーは魔石と魔女が必要だったのだな……フルス殿……」

 

 フィーネの至った結論に、フルスは頷く。

 

「そうです、フィーネ様……ゲルマニア帝国皇帝、オットーは魔女の力とファルシュの存在に、永遠へと至る可能性を見出した。だからそれを手に入れる為に、魔女伝説の舞台であるエイルシュタットへ侵攻したのです。同盟国であるロムルス連邦との物資や兵の流通を円滑にする為の経路の確保など、外向けのカバーストーリーに過ぎない……銃弾の矢面に立つゲール兵も、戦火に蹂躙されるエイルシュタットの民も、全ては一人の男が『永遠』を手にする為の生贄……」

 

「では……!!」

 

「そう……この戦争は、オットー皇帝が不老不死を手に入れる為に起こしたものなのです」

 



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第23話 悪魔の兵器

「……ごふっ……!!」

 

「はぁ……はぁ……」

 

 腹部の傷を押さえ、荒い息を吐くフルス。彼女の眼前には樹に寄り掛かって、血塗れになった一人の女が倒れていた。

 

 その女の顔立ちは、どこかフルスと似通った部分があった。それも当然、フルスと女との間には、血の繋がりがあるのだから。

 

「……お母様……私達の一族の、血塗られた歴史は……これで終わりです。私はこれから……魔女の力を捨て、只人として生きる道を探します……」

 

「……フルス……あなたは……昔から賢い子だったけど……一番大切な所が……どうしようもなく……愚かだったわね……私は……もっと……そこを教えておくべきだったわ……」

 

 フルスも重傷だが、彼女の母の傷は一目見てもう手遅れだと断じられる程に酷い。少しずつ、息が早く浅くなっていくのが分かる。

 

「……? どういう、事、ですか……?」

 

「魔女は……魔女としてしか生きられない……それは、生まれた時から決まっている事……その運命に逆らおうとすれば……苦しむだけなのに……」

 

「……それは、やってみなければ分からないでしょう……私はもう……人を殺す事などしたくないのです……どんなに苦しい運命でも……きっと、今の人殺しを続ける生活よりは……幸せな筈です……さようなら、お母様……」

 

 フルスはそう言って頭を下げると、去っていった。

 

 母は無言でその背中を見送っていたが……やがてそれが見えなくなると、天を仰いでふぅっ……と深く息を吐いた。

 

「やってみなければ分からない……? 違う……そうじゃないのよ、フルス……『やってみたから分かる』のよ、私には……」

 

 母の頬を、涙が伝っていた。

 

「どんなに苦しくても……それが”苦しい”と分からなければ耐えられるのに……暗い闇の中でも……光がある事を知らなければ、光を求めようとしなければ……諦められるのに……」

 

 ごほっと咳き込んで、母の胸元に血の塊が零れた。

 

「魔女は魔女としてしか生きられない……魔女は生きている限り魔女でしかない……魔女が魔女でなくなるのは……きっと……死ぬ時だけ……」

 

 その言葉を最後に、母は静かに瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

「不老不死……本当に、そんなものの為に、この戦争は起きたと言うのか……?」

 

 改めてフルスの口から語られた事実を受け、フィーネは愕然とした表情で首を振った。

 

 ゲルマニア帝国がエイルシュタットに侵攻してきた目的は、同盟国であるロムルス連邦との間に、物資や兵員の輸送を円滑にする為の回廊を確保する為であったと聞いていたが……しかし、たった今語られたのはそんな前提を根底からぶっ飛ばす衝撃的な事実だった。

 

 宗教上の対立でもない。

 

 その国が保有する資源や利権目当てでもない。

 

 世界制覇の欲望ですらない。

 

 そんなものよりずっと幼稚で、究極的なまでに利己的な、古今東西の権力者が望んだ見果てぬ夢。不老不死、永遠の命。オットーたった一人がそれを手に入れる為。ただそれだけの為に、ゲールはエイルシュタットに侵攻した。

 

「なんという事だ……!! では、この戦いで死んでいった我が国の兵達の命は、何の為だったのだ!? 我が民が味わった苦しみは、一体何だったのだ!? そんな……そんな事の……為に……?」

 

「……全て、真実です。私があの時、村人達を殺していれば……あるいは、メーアを安らかに眠らせてやれば……魔石や魔女の存在がゲールに知られる事は無かった……あの無数のゾフィー達も、私の研究成果をフィードバックした事で実用化に至ったのでしょう……この戦争は、私が起こしてしまったものなのです……」

 

「そんな!! フルスさんは悪くないです!!」

 

「……イゼッタ……」

 

「どんな理由があったって、人を殺す事が正しい事である訳がないです!! それに、この戦争を始めたのはゲルマニアで……」

 

「確かに、引き金を引いたのはゲルマニア帝国、オットー皇帝でしょうね。でも、弾を込めていたのは紛れもなく私なのよ、イゼッタ……」

 

 もう一人の魔女の弁護を、フルスはにべもなく撥ね付けた。

 

「フィーネ様……私は、あなたやビアンカさんには殺されても仕方無いでしょう……でも、私にはまだやるべき事が……私にしか出来ない事があるのです。それにまだ、伝えておくべき事も残っている……どうか、話だけでも最後まで聞いて下さい……」

 

 哀願するようなフルスの申し出。

 

 フィーネは、ゲールがエイルシュタットに攻め入った理由の衝撃が大きすぎたのでしばらくはぼうっとしていたが、数分ほどの時間を置いてやっと思考の整理に成功し、立ち直ったらしい。深呼吸を一つして、フルスに向き直る。

 

「……フルス殿」

 

「はい」

 

「エイルシュタットを治める者として……私は貴殿を許す事は出来ない……」

 

「姫様!!」

 

 咎めるようなイゼッタの声を受けて、フィーネは親友に一度だけ視線を向けると「分かっている」とでも言いたげな顔で頷きを一つして、再びフルスと相対する。

 

「公人としての私は確かに貴殿を許せないが……だが、私は一人娘で……亡くなってしまった両親に自分がどれほど愛されていたかは知っている。だから……母親が自分の子供を助ける為に何でもしようという気持ちは……少なくともその気持ちそれ自体が間違っているとは思わない。いや……それが間違っているとは、誰にも言わせない。言わせてなるものか……!! ……フルス殿、話の続きを、聞かせてくれ……」

 

「姫様……!!」

 

 感動に胸を押さえるイゼッタ。フルスはフィーネに目礼して頷くと、会話を続ける姿勢を見せた。

 

「フルス殿、ちなみに一つ聞いておきたいのだが……オットーが求める不老不死は、実現の見込みはあるのだろうか?」

 

 問いを受けて、フルスは少し考える。

 

「……そう、ですね。ファルシュの例を見れば分かるように、魔石による蘇生は生前とは全くの別人格として生き返ります。だからまず本人の意識・人格・記憶を継続出来るかどうかが問題ですし、仮にその問題をクリア出来たとしてもオットーは魔女でないので魔石への魔力補充は魔女が行う事になりますが、その魔女は不死ではありませんから魔女の寿命がイコールオットーの寿命となる、のですが……」

 

 だが既にゲルマニアではゾフィーをクローンで量産できる体制が整ってしまっている。

 

 魔女は滅び行く種族であり次代に魔法の力が受け継がれる割合は世代を重ねる度に低下するが、クローンは『同じ個体』を複製する技術だ。魔法が使えるゾフィーをコピーして生産するから、不死のカギである魔女を半永久的に生産出来る。

 

 結論としては、現在はまだ不可能だが将来的に実現する可能性が絶無とは言えない、という点に落ち着く。

 

「あんな男が不老不死になどなったりしたら、世界は一体どうなるのだ……!!」

 

 恐ろしい未来予想図を脳内から振り払うように頭を振って、フィーネは吐き捨てるように言った。

 

 フルスは、フィーネが落ち着いたのを見計らって話を再開する。

 

「……フィーネ様、以前ブリタニアで私に聞かれましたよね。私がどうしてゲールに捕まっていたのか……って……」

 

「ああ……」

 

「あの時、私は不意を打たれて捕まったと答えましたが……あれは、嘘なんです。実際には、あの時の私には、もう……何もかもがどうでも良くなっていたんです。自分の命さえも……だからゲルマニア兵が現れた時も、何の抵抗もしなかった……それが、私が捕まっていた本当の理由です……」

 

「……貴殿は……」

 

 フィーネは、何か言おうとして思い留まった。

 

 今までのフルスの話からすれば、そういう気持ちになっても無理は無い。

 

 殺人を生業とする一族に生まれ、命を奪いたくなくて出奔したのに、約束を破って手を穢しても救いたかった友は救えず、最愛の娘・メーアは自分が守った村人の手で殺され、あらゆる手を尽くしてもその娘は救えず、しかしファルシュを二人目の娘として愛していこうと誓った矢先に、今度はゲールに襲撃されてしかもメーアを取り戻そうとした事が、エイルシュタットを戦渦に巻き込む原因となった……

 

 何という、数奇な運命。

 

 どれほど、苦しんだろうか。

 

 どれほどの重みが、彼女の細い肩にのし掛かったのだろう。

 

 発狂や自殺していないだけ、まだフルスは良く保っている方かも知れない。

 

「……どうして……どうしてフルスさんだけが……そんな目に……」

 

 泣いているのだろう。俯いたイゼッタの肩は、小刻みに震えていた。

 

 零れた涙が、シーツに落ちてシミを作った。

 

「私の事は良いの……イゼッタ……」

 

「でも、フルスさん……」

 

「魔石……それがゲルマニアの手に渡っている、今のこの状況はかなり拙い……その話を、先にしましょう。フィーネ様……」

 

「あぁ、フルス殿……確かにゲールは現在、魔女を人工的に量産し、しかもその魔女は魔石によって精製されたエクセニウムの力で、レイラインの通っていない土地でも魔法が使える……既にロンディニウムも、魔女の兵団によって落とされたと聞く……」

 

 魔女の力が、近代兵器を凌駕する事はイゼッタやフルスが既に証明している。

 

 だがエイルシュタット側の魔女は二人、ファルシュを含めても3人しか居らずしかも、フルスとイゼッタの力は土地に縛られる。

 

 対してゲルマニア帝国側の魔女の数は、どんなに少なく見積もっても数十人。恐らくは百人以上が居る。しかもどこでも魔法が使えると来ている。

 

 つまり質・量共にゲルマニア側がエイルシュタットを圧倒している形だ。これはもう、奇跡が起こる余地すら踏みにじられている。

 

「エクセニウムで武装した魔女の兵団……確かに脅威ですが、しかしこの状況は、まだ最悪とは言えないのですよ」

 

「なっ……?」

 

 フィーネはフルスの言葉を聞いて、一瞬目の前が暗くなった気がした。

 

 今の状況でも最悪でないと言うのは、希望があるという意味なのか。あるいは、更に事態がどん底を突き破って落ちていく余地があるという意味なのか。フィーネは前者であってくれと祈った。

 

 そしてその祈りは、あまりにもあっさりと破られる。

 

「……魔石の特性は、土地の魔力を吸収して蓄え、魔力が無い土地でも魔法が使えるようになるというもの……では、魔力を吸収された土地は、どうなると思いますか?」

 

「……魔力を、吸収された土地……?」

 

「……そう。私達が魔力と呼ぶものが、大地へ還った命である事は先に言った通り……イゼッタ……魔力、レイラインは通っている土地と通っていない土地があるというのが私達魔女の認識だけど……それは正確ではないの」

 

「……と、言うと? フルスさん……」

 

「正確には、魔力はあらゆる土地に存在するの。ただし、私達魔女は一定以上に濃い魔力がある土地でなければ魔法が使えない」

 

 かざしたフルスの掌に、小さな緑色の輝きが生まれた。消えかけのロウソクのような、頼りない小さな光だ。これはこの土地には魔力がさほど存在せず、魔女が魔法を使えない事を現している。

 

「その、魔力が使えるだけの濃い魔力の流れを、私達はレイラインと呼んでいるのよ……」

 

 だから魔法が使えない土地でも、小さいながらも魔女の手の中に光は生まれる。これは僅かにだが、その土地にも魔力が通っている事の証明だ。

 

「だけど……魔石は、濃い薄いに関わらずその土地の魔力を全て吸い上げる……魔力は大地に還った命であり、大地に還った命はやがてまた、実体を持って生まれてくる……その命の循環、大いなる環は、遠い遠い昔からずっと続いてきた……じゃあ、土地の魔力を根こそぎ魔石の中に吸い上げるもしくは抽出した後エクセニウムとして結晶化させて、その環を断ち切ってしまったら……その土地に、何が起こると思いますか?」

 

「……フルス殿、貴殿の言いたい事が、今一つ分からないな……もっと分かり易く説明してくれぬか」

 

「はい、フィーネ様……山の水が川となって流れ、海に注ぎ……海の水は蒸発して雲となり、雲は雨に変わって再び山を潤す……そうして、この世界では水の量は常に一定に保たれている。魔力も同じです。今この瞬間もこの世界では沢山の命が生まれてくる一方で、沢山の命が大地に還っていく……そうして、命の総量は常に一定に保たれている……と、言うよりはお金のように、ある一定量の命が常に世界を廻っているという表現の方が正しいでしょうか……」

 

「うむ……」

 

「魔女が魔法を使っても、同じですよ。その土地で魔法を使ったら、使われた分の魔力は形を変えていずれ大地へと還元されるのですから。だから魔石も、それを使ってレイラインの無い土地で魔法を使うという使用法なら、まだ良いんです。たとえ魔力のある土地Aで魔力を吸い上げて、魔力の無い土地Bで魔法を使ったとしたら、使われた分の魔力は結局は土地Bの物となって、大地全体の魔力の総量は変わらないのです。勿論、土地Aと土地Bの距離や地形によって、多少の影響はありますが。ファルシュも同じですね。この子は動いているだけで、肉体の維持に魔力を消費している。つまり、蓄積された魔力を常に放出し続けているのですから」

 

「成る程、そこまでは分かる」

 

 仮に、イゼッタやフルスほど才能のある魔女が魔石を使って、地上全てのレイラインを吸い上げたとしても、それをエネルギーに変換する限りは同じだ。熱せられて水蒸気になった水が冷えれば水に戻るように、吸い上げられて変換されたレイラインの生命エネルギーは大地に還元され、大地に還った命は何百年かあるいは何千年の時を掛けて新しいレイラインを生み出す。勿論、そこまで大規模な吸引を行ったのなら、レイラインの形そのものが大きく変わりはするだろうが。

 

「……魔石の本当の恐ろしさは……土地から魔力を吸い上げるだけ吸い上げて、『魔法を使わない』場合なのです。それが、魔石の最悪の使い方……!!」

 

「そうすると……どうなるんですか?」

 

「……土地から魔力を吸い上げて魔力を使わないという事は、魔力が大地に還元『されない』。つまり大地全体の魔力の量が目減りするという事……先程、魔力の循環を水に例えましたが……土地にとっての魔力は、人体にとっての水のようなもの。つまり大地に魔力が還らなくなるという事は、人間が水の摂取を断たれるのと同義なの……!!」

 

「それって……!!」

 

「まさか……!?」

 

 フルスの言いたい事を察して、イゼッタとフィーネの顔色が目に見えて悪くなった。

 

 水を断たれた人間がどうなるかなど……語るまでもない。同じ事が、大地に起こるという事は、それは……!!

 

「そう……土地が、死ぬのです」

 

「…………!!」

 

「やはり……で、では……その土地が死ぬというのは……具体的にどんな事が起こるのだ?」

 

「簡単ですよ。その死んだ土地では、もう新しい命が生まれなくなるのです」

 

「命が……」

 

「生まれなくなる……? それは……」

 

 愕然とした二人に一度頷いて、フルスは話を続ける。

 

「そのままの意味ですよ。人も動物も草花も、微生物に至るまで……その土地では新しい命が生まれなくなる……既に妊娠している子供は全て死産となり、それ以降は受精自体がその土地では成功しなくなる……同じように卵は孵らず、死んだ土地では鳥や魚は卵を産めなくなる……植物も同じ……そして当然、誰も好き好んでそんな呪われた土地に住み続けたりしませんよね? だからみんなその土地を離れていって、土地に還る命が少なくなって……その悪循環の結果、命の無い不毛の荒野がずっと続く……元通りになるまでには、何万年も掛かるのです……」

 

「……その事は、ゲールやゾフィーは……」

 

「気付いてはいない筈です。少なくとも、今はまだ」

 

 フルスは断言した。無論、根拠がある。

 

「量産した魔女にエクセニウムを持たせて、魔法を土地に関係無く使えるようにして敵国を攻撃する……そんな無駄の多い方法を採っているのが、その証拠です」

 

 魔女兵団による攻撃なら戦闘を行って撃退する事が出来れば、防げる。少なくともその可能性はある。

 

 だがフルスの言う、魔石で土地の魔力を吸い上げるという戦法が採用された場合……その場合は、もう、どれほど多数の兵士を動員してどんな高性能な兵器を揃えた所で防ぐ事は叶わない。何故なら『戦闘自体が起こらない』からだ。そもそも戦いにならなければ、兵士も兵器も役には立たない。

 

 しかも魔石は武器ではない。だからボディーチェックにも引っ掛からない。それこそ首飾りやブローチのような装飾品にあしらったりあるいは外科手術で体内に隠し持っても良い。

 

 敵国を落とすのに、飛行機を飛ばしたり戦車を走らせたり軍団を動かす必要が無い。小包に爆発物を仕込む必要すらない。魔石を持った魔女一人を、難民だろうが旅行者だろうがVIPだろうが兎に角どんな形でも良いから潜入さえさせてしまえば、もう防ぐ事は困難。と、言うよりも現実的にはまず不可能。

 

 土地一つを、文字通り滅ぼす威力を持った爆弾よりも恐ろしい兵器が、あらゆる警戒網をすり抜けてどんな国にも自由に潜入出来る。

 

 まさしく、悪魔の兵器。世界を終わらせる悪夢の具現だ。

 

「そんな……!!」

 

「……そしてここからは、私の想像ですが……恐らく最初の魔女は、魔石がそんな言わば『環境兵器』として使われる可能性にも、思い至っていたのではないかと思うのです。だから魔石を闇に葬ったりせずに、敢えて『魔力が無い所でも魔法が使えるようになる道具』として、後世に伝えていたのではないかと思います」

 

 思考には、方向性がある。

 

 例えば今でこそ当たり前のように戦争に投入されている無線機だが、もし何かが違っていれば軍事には用いられず『日々の報告をすぐに出来る便利な技術』としか使われていなかったかも知れない。伝令が要らず、しかも伝達に時間差が無く隔絶した軍に相互連携を可能とさせる使い方など、思いも寄らなかったかも知れない。

 

 最初の魔女は、魔石が稀少でこそあるが唯一無二の物ではないと見抜いていた。

 

 もし、闇に葬ってしまえば後世に魔女の一族が別の魔石を発見した時、一からその使い方を模索して環境兵器として用いるかも知れないと考えた。だから敢えて魔石を『土地の魔力を吸収して魔法を使えるようにする物』として一族に伝えた。それは魔女の一族に魔法が使えない土地での自衛の手段を与える意味もあったのだろうが、同時に魔石は”そうしたもの”だと思考の方向性を定めて、それ以外の可能性を思い付かせないようにする狙いがあったのだ。

 

 まぁ結果的には、フルスの一族が魔力や魔法についてあらゆる角度から研究を進めて、数百年の時間を掛けてその発想に至った訳だが……

 

「……成る程。だがそれよりも、問題は……」

 

「はい、フィーネ様……今はゲルマニア帝国もゾフィーも、魔力を吸い上げた土地が死ぬ事には気付いていません。人間が水を断たれても一日や二日程度は生きられるように……私の一族に伝わる研究資料によると、土地も魔力を吸い尽くされてすぐに死ぬという訳ではなく早くても数ヶ月、長ければ一年程度の時間が掛かるとの事でした。だからまだ、しばらくは気付かれる事はないでしょう」

 

 しかしあまりのんびりともしていられない。

 

 ゾフィー達は、特に粗悪品のエクセニウムではなく魔石を持っている一人のゾフィーは当然ゲール側でも特に厳重な監視下に置かれ、その動向は逐一チェックされているだろう。このままでは数ヶ月から一年の後、荒廃を始めた土地と魔石持ちのゾフィーが魔力を吸い上げたポイントを参照して、その相関に気付かれてしまう。

 

 そうなったらもう全てが、何もかもが手遅れ。

 

 迎撃も防御も出来ない超級の戦略兵器をゲルマニア帝国だけが運用し、全世界はゲールに対して抵抗はおろか不平不満の声を上げる事すら許されず、銃火を交える事すらなく支配下に置かれる。

 

「その前に……魔石と全てのエクセニウムを破壊し、抽出された生命エネルギーを大地に還さねばならない……!!」

 

「フルス殿、それは……!!」

 

 だがそれは、ほぼ不可能と言って良い。

 

 ゲールには、エクセニウムで武装した魔女が百人以上いるのだ。対するエイルシュタット側は魔女の力を持つ者がたった3名。

 

 質も量も話にならない。

 

「ですが……もしそれをしなければ、エイルシュタット全土がその環境兵器の標的にされるでしょう」

 

「……!!」

 

 フィーネの顔から血の気が引いて、青を通り越して紙のように白くなった。

 

「支配下に置いた敵地はその日から自国の領土……ゲールとしても自領を無闇に荒廃させたくはないでしょうから一罰百戒……つまりどこかの土地を『見せしめ』とする為に、最低一度は環境兵器として魔石を使う公算が大きい……!! その上で、逆らえばこうなるぞと他の国を脅して降伏を勧告する訳です。そしてその標的の第一候補として挙げられるのは……ゾフィーが憎む、かつて彼女を売り渡した裏切り者の末裔達の国……つまり、エイルシュタット……!!」

 

「そんな……」

 

 がっくりと、フィーネがうなだれる。

 

 美しい水と緑に囲まれた、自分が生まれ育ったエイルシュタットが、占領されて支配下に置かれるどころではなく……水は涸れ、草は枯れ、土は腐り、新しい命さえ生まれない何万年も続く不毛の荒野と化すなど……!!

 

「これが……魔女の力が戦争に使われた結果か……」

 

 力無く、フィーネが絞り出すような声で言った。

 

「姫様……?」

 

「フィーネ様……」

 

「もう良い……降伏しよう。この身を差し出せば、ゲールとてそこまではすまい……」

 

「姫様!!」

 

「……イゼッタ、今更言っても遅いのだろうが……やはり魔女の力を戦に使う事は、決して犯してはならぬ禁忌だったのだ……だからそなたの祖母や……フルス殿、最初の魔女は『魔女が人の世の理に関わってはならない』と、固く戒めていたのだろう……誘惑に抗えず……結果、私は世界をメチャクチャにしてしまった……」

 

「待って下さい!! 私がやります、姫様!!」

 

「イゼッタ……?」

 

「私、まだ戦えます!! 足が動かなくても魔石があれば、まだやれる筈です!! 姫様が国を守りたいなら、絶対に何とかしますから……!!」

 

「残念だけどイゼッタ、それは不可能よ」

 

 あらゆる感情を廃した抑揚の無い声で、フルスが残酷に告げた。

 

「フルスさん……?」

 

「あなたがもう、戦えるような体じゃないというのもあるけど……あなただから無理と言うのではないわ。敵は魔石を持った魔女一人と、エクセニウムで武装した百人以上の魔女からなる軍団……更にゲール軍からの支援もある……仮に私が魔石を使ったとしても、それは不可能。数に押し潰されるだけに終わる……絶対にそうなる……そしてフィーネ様、申し出にあったイゼッタを連れて逃げろという頼みを、聞く事も私には出来ません……」

 

「そんな!! 何故だ、フルス殿!?」

 

「……お話ししたでしょう? 魔石は使う度に、魔女の命を削ると。ならばこの数年間、絶えずファルシュの体内の魔石に魔力を注ぎ続けている私は……私の体は、どうなっていると思いますか?」

 

「!? ま、まさかフルスさん……!?」

 

「貴殿は……そんな……!!」

 

「そう……私は、死ぬんですよ。恐らくは、後十日ほどで……」

 

 あまりにもあっさりと、フルスは告白する。

 

 無慈悲な事実を宣告されて、イゼッタもフィーネも、この世の終わりのように絶望しきった表情になった。

 

 ファルシュは、ただいつも通りの無表情で母を見詰めている。

 

「イゼッタ……あなたと一緒に逃げて、あなたを守り続ける事も、もう私には出来ない……ファルシュも、私が死ねば魔力を注ぐ者が居なくなるから、長くは動いていられない……そしてイゼッタ……あなたという魔女の存在をもう……世界は放っておかないでしょう……あの即位式の日……私達は帰らざる河を渡ってしまった……ゲルマニア帝国かヴォルガ連邦かアトランタ合衆国か……どこの国でも……あなたを、魔女の力を手に入れようと……あなたが生きている限り追い続けるでしょう……そして捕まったが最後、何をされるか……」

 

 フルスの手が懐に動いて、そしてガチリという音が鳴った。

 

「? フルス……さん?」

 

「そんな風に……苦しい思いを……私はあなたにさせられない……ならばいっそ……ひと思いに……!!」

 

 懐から出したフルスの手には、拳銃が握られていた。

 

 撃鉄が起きていて、銃口は、イゼッタの胸にぴったりと向いている。

 

「イゼッタ、あなたにはここで死んでもらう!!」

 

「!? フルス殿、止め……!!」

 

 咄嗟に、フィーネが駆け出そうとして……

 

「フル……ス……さ……?」

 

 イゼッタは、目の前の光景が理解出来ないように呆然としていて……

 

「…………」

 

 ファルシュは、無言で無表情で、母の所行を見続けている。

 

 そして……

 

 

 

 

 

 

 

 パン、パン、パン、パン!!

 

「!! な、何だ!?」

 

 部屋の外で待機していたジークとビアンカは、突如として室内から聞こえてきた銃声にびくりと体を跳ねさせた。

 

 しかし驚いたのも一瞬の事。二人は拳銃を抜いて、部屋の扉を蹴破る勢いで入室する。

 

「フィーネ様!! どうされました!? ご無事ですか!?」

 

 そして部屋の中に広がっていた光景を見て……

 

「うっ!!」

 

 絶句。

 

 病室は、血の海と化していた。

 

 ベッドの一つには、ファルシュが眠るように横たわっていた。

 

 そのすぐ隣のベッドには、胸に三発も銃弾を受けて白い病院着を真っ赤に染めたイゼッタが、ぐったりと倒れていた。

 

 床には、フルスが倒れている。彼女の手にしている拳銃からは、まだ硝煙が立ち上っていた。そして彼女の頭部にも、銃創が見られる。

 

 その血の海の中に、呆然とフィーネが突っ立っていた。

 

「こ、これは一体……何が起こったんだ……?」

 

 何がどうなれば今のこの部屋のような状況になるのかと、普段から冷静なジークも流石に狼狽を隠せない。

 

「イゼッタ!! おい、イゼッタ!! しっかりしろ!!」

 

 我に返ったビアンカがイゼッタにかけよって体を起こすと、叩いたり声を掛けたりするが……イゼッタはぴくりとも反応しない。口はぽかんとしたように半開きで、瞳孔が開いた目も、何の光も宿していない。

 

 一縷の希望を賭け、震える手で首筋に手を当てるが……ビアンカは数秒後に「あ……ああ……」と、顔を真っ青にして頭を振る事になった。

 

 指先に、脈が伝わってこない。

 

 イゼッタはもう既に……死んでいる。

 

「そ、そんな……何故……どうして、こんな事に……」

 

 この、ほんの十数分前までは想像もしていなかった異常事態。全てがあまりに突然で、涙を流す事さえ今のビアンカには出来ない。

 

 一体何があったのか、何もかもが、ビアンカの想像を超えていた。

 

「フィ……フィーネ様……これは一体……」

 

 状況から判断すればフルスがイゼッタを射殺して、その後で自殺したと考えるのが自然だが……しかしならば何故、どうして彼女がそんな事をするのだ? 分からない、解らない、判らない、わからない、ワカラナイ……

 

「ビアンカ……ジーク……良く……良く聞くのだ……フルス殿は……!!」

 

 静かに、フィーネが何事か言おうとしたその時だった。

 

「た、大変ですフィーネ様!! こ、これは……!!」

 

 息せき切って、シュナイダー将軍が駆け込んできた。

 

 彼も病室内の惨状に度肝を抜かれたようだったが……

 

「将軍、何事か?」

 

 凛としたフィーネを前にして、自分の職責を思い出したようだった。ぴしっと背筋を正して報告する。

 

「無線を傍受しました!! ゲールの首都、ノイエベルリンが炎上していると!!」

 



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第24話 最後の戦い Ⅰ

「……フッ。こうして見ると、壮観の一語に尽きるな」

 

 眼前に整列した一団を見て、ゲルマニア帝国皇帝・オットーが呟く。

 

 ゲルマニア帝国帝都・ノイエベルリン。

 

 そのほぼ中心部に位置する宮殿の玉座の間。この大国を支える文武百官が整列して尚余裕があるように作られているその部屋には、今は異様な人間の集団が詰めかけていた。

 

 ゲール軍の軍服を纏っている。身長は高くはなく体つきもほっそりとしていて女性に見える。

 

 彼女たちは、先頭に立つ一人を除いて仮面を付けていた。

 

 それだけならばまだあり得る光景ではある。

 

 異様なのは、彼女たちは全員が全員、寸分違わず同じ背格好であったのだ。どんなに同じ年代であっても、多少の身長差や肩幅、体の発育度合いなどにはいくらかの違いがあって良い筈なのに。

 

 まるで実際には一人しか居ないのに、それを画像処理で何十人も居るように加工した合成写真ような違和感がある。実際に軍のプロパガンダ写真でも、たった一台の戦車を何台もの戦車隊のように編集加工したものがある。

 

「お前にも見せてやりたい所だ。エリオット……」

 

「は……」

 

 傍らに侍る盲目の宰相に、上機嫌を隠そうともせずに語るオットー。エリオットはいつも通り、淡々と返す。

 

「随分と楽しそうね?」

 

 整然と並ぶ女性達の中で、たった一人仮面を付けていない者。

 

 ゲルマニア帝国の魔女、ゾフィーと呼ばれる彼女は呆れたような顔で、皇帝を相手にするものとはとても思えないぶっきらぼうな口調で語った。

 

「ああ、楽しい。とても楽しい」

 

 皮肉は、オットーには通じなかった。

 

「既にエクセニウムを応用した新型爆弾は、実用化の段階に入っている。そしてエクセ・コーズの威力は、ロンディニウムの陥落によって全世界が知る所となっている。この勢いに乗って欧州を制した後は、我々はヴォルガ連邦と決着を付ける」

 

「陛下……ヴォルガ連邦とは相互不可侵条約を結んでおりますが……」

 

「遅かれ早かれ破るつもりの条約だ。それは向こうも同じだろうさ。破らなければ破られる、それだけの事だ」

 

 エリオットの諫言を受けても、オットーは少しも悪びれていないかのようにしれっとした顔で返した。

 

「……少し、気が早いんじゃないの?」

 

 皮肉気に冷たく笑いながら、ゾフィーが言った。

 

「……ほう?」

 

「エイルシュタットには私と同等の存在……魔女がまだ居るのよ? この一ヶ月で……ゲリラ戦のように各個撃破された形であったとは言え「私」が15人も殺られたそうじゃない」

 

 背後を振り返り、ゾフィーは整列する仮面の女達を見やる。

 

 オットー、エリオット、ゾフィー。この3名は知っている。

 

 百名は優に超える女性達の仮面の下には、合わせ鏡のように同じ顔があるという事を。

 

 彼女たちは、ゲールのクローン技術によって生み出されたゾフィーのクローンだ。より正確には、たった一人仮面を付けていないゾフィーも、数百年前に存在したエイルシュタットの白き魔女・本物のゾフィーの遺体の一部より採取された体細胞を培養して誕生したクローン体である。

 

 ゲルマニア帝国が誇る魔女の兵団(エクセ・コーズ)。それを構成するゾフィーのクローン達は、その牙がゲルマニアに向けられる事が無いように、薬物と手術によって自我を破壊されており、命令に唯々諾々と従うだけの人形とされている。

 

 元々、クローンはゲールの最高科学を以てしても未だ発展途上の技術であり、それによって生み出されたゾフィー達の体は非常に不安定だ。彼女たちは投薬無くしては肉体を三日と維持できない。これだけでも鎖としては十分なものがあるが、それでも自暴自棄になって噛み付いてくる事を防ぐ為の処置だった。

 

 自我を保ち、人間としての思考力や判断力を残しているのはゾフィー達の中でも一握りしか居ない。そしてその僅かなゾフィー達も、殆どがフルスによって殺害されており現在生きているのは一人だけ。

 

 それが、たった今オットー達と話している仮面を付けていないゾフィーだった。魔石も、今は彼女に預けられている。

 

「……確かに、大人の魔女の力は恐るべきものがあるが……それでも相手は手負いである少女の方を含めても二人しか居ないのだ。エクセ・コーズ全軍を以て押し潰せば何も問題はあるまい?」

 

「まぁ……それは確かに」

 

 ゾフィーは認めた。

 

 ゲール軍が持っていた戦闘記録を見たが、大人の魔女・フルスは純粋な魔法への知識や習熟度に於いてはイゼッタや自分よりも遙かに上であろう。

 

 しかしそれでも、十倍も二十倍も強いわけではない。”ゾフィー”が二人や三人同時に襲いかかっても倒せなかったが、エクセ・コーズ全軍と言わずとも10人掛かりで一斉攻撃を仕掛ければ問題なく撃破できるだろうとゾフィーは見ていた。

 

 ましてやエクセ・コーズは全員がエクセニウムで武装していてレイラインの通らない土地でも魔法が使える上に、魔石によって土地の魔力を枯らす事だって出来る。総力戦になれば、負ける要素は無い。

 

「ヴォルガ連邦を倒した後は海を渡り、アトランタとの決戦だ。そして我がゲルマニアは、世界を手に入れる。その統一世界に、私は君臨し続ける永遠に!!」

 

「ふぅん……」

 

 溜息を吐くゾフィー。

 

 不老不死・永遠の命。昔から数多の権力者が望んだ見果てぬ夢。富と権力を持つ者の妄執が行き着く所は、数千年経っても少しも変わらないらしい。

 

 その時だった。

 

 部屋の扉の一つが開いて、兵士が駆け込んでくる。

 

「申し上げます!!」

 

「どうした?」

 

「守備隊から報告がありました。帝都外縁部に、エイルシュタットの魔女が現れたと!!」

 

「!!」

 

「……確か、この一帯は魔力の流れからは外れている筈でしたね?」

 

 エリオットが、確認してくる。ゾフィーは「えぇ」と頷いた。

 

 魔力の無い土地では、魔女は何の力も発揮できず只人と変わらない。それなのに帝都に攻めてくるという事は……

 

「……どうやら、向こうにも魔石があったようね」

 

 手にした杖の先端に嵌め込まれた紅玉に視線をやるゾフィー。彼女の魔石は、中程から欠けていて断面が見えている。

 

 数百年前、彼女がエイルシュタットに裏切られた時に魔石は二つに割れた。今、ゾフィーに預けられているのは旧都の王城の魔女の間に封じられていて、リッケルトが回収してゲールに持ち帰ったその片割れだ。ならばもう半分が、エイルシュタットのどこかに残されていたとしても不思議ではない。

 

 フルスかイゼッタか。どちらかは分からないがそれを手に入れたのだろう。

 

 もし攻めてきているのがフルスだとしたら、これは容易な事態ではない。

 

 魔石はレイラインが通らない土地で魔法を使えるだけではなく、内部に蓄積された魔力を利用する事で、魔女本来の能力を超えた強度で魔法を行使する事を可能とする。ただでさえ恵まれた才能を持ち、魔法に習熟して高い技術を持つフルスに魔石が備わったら、恐るべき戦力となる。

 

 これこそは、エクセ・コーズの総力を挙げて対処すべき案件であろう。

 

「全員出撃するわ。私たちで始末する!! 良いわね!?」

 

「反対する理由は無いさ。存分にやるが良い」

 

 オットーの許可を受けて、ゾフィーは頷く。

 

「エイルシュタットを焼き払う前に……まずは現代の白き魔女を血祭りに上げるとしましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

「間違いない。エイルシュタットの魔女……その、大人の方だ」

 

 ノイエベルリン外縁部。

 

 帝都守備隊の指揮官は、双眼鏡越しにしずしずとこちらへ向けて歩いてくるフルスの姿を認めた。

 

 てっきり、魔女がこの帝都を攻めるとなれば空を飛んでくるのかと思っていただけに、これは意外だった。

 

「何か企みがあるのか?」

 

 そうも考えるが、しかしこれは好機でもある。

 

 ただでさえエクセ・コーズの存在によってゲルマニア軍正規部隊は肩身の狭い思いをしているのだ。

 

 ここでエイルシュタットの魔女を倒せば、その功によって自分たちの立場はいくらかでも回復するというものだ。

 

 そういう感情から、警告もそこそこに指揮官は攻撃命令を下した。

 

 何十輛もの戦車隊の砲が一斉に火を噴く。

 

 何十発もの発射音は、長い一発の音のように聞こえた。

 

 数秒遅れて、爆発。

 

 爆炎と土煙が上がって、フルスの姿がそっくり見えなくなる。

 

 しかしそれでも、戦車隊は攻撃の手を緩めなかった。

 

 十数分ほども砲撃が続いて、戦車の装填手は真剣に砲身が焼け爛れるのではないかと危惧した。

 

 そこまでやった所で、ようやく指揮官は「撃ち方やめ」の命令を下した。

 

 何秒かのタイムラグを置いて、漸く砲撃が止んだ。

 

 これはいくら魔女とは言え、たった一人の人間を殺害するには過剰と断じられるだけの圧倒的火力であった。たとえ砲弾の爆発から何らかの手段によって身を守ったとしても、爆心地は焦熱地獄と化しており、しかも炎によって酸素がすべて燃え尽きている。

 

 たとえ魔女であったとしても生身の人間でしかない。これで生きている事は絶対に不可能。

 

 ……その、筈であったのだが。

 

『……もう、止めなさい』

 

 声が、聞こえた。

 

 静かで、だが良く通る女の声が。

 

「!?」

 

 反射的に振り返る。

 

 そこには、フルスが立っていた。

 

 指揮官は自分の目を疑った。フルスはついさっきまで、数キロも先に立っていた筈なのに。

 

 この動きは煙に紛れて近づいてきたり、飛んできたのとは全く違う。

 

 帝都の守備隊は何百人と居るのだ。それにここは見晴らしの良い平地。どんなに上手く身を隠したとしても、絶対に誰かが気づいた筈だ。しかもこれほどフルスが近づいてきているのに、指揮官は彼女の足音や息遣い、気配すら感じ取る事も出来なかった。

 

 まるで距離を超えて、突如として自分の背後に現れたかのようだ。

 

 しかし、考えていたのはそこまでだった。

 

「き、貴様っ!!」

 

 反射的に腰の拳銃をドロウし、発砲。

 

 フルスは指揮官のすぐ側に立っていた。これは訓練を受けた軍人には外しようのない距離である。

 

 頭と腹に二発ずつ。

 

 当たった。

 

 撃つ前から、彼はその手応えを確信する。しかし。

 

 カン!! カン!! カン!! カン!!

 

『……』

 

 確かに銃弾が命中した筈のフルスはびくともしていない。それどころか、着衣にも破れすらなかった。

 

 弾丸は、フルスのすぐ後ろのジープの車体に命中して弾痕を穿っていた。

 

 しかしおかしい。フルスは、避けようとする素振りすら見せなかった。

 

 彼女の体を銃弾がすり抜けでもしない限り、こんな現象は起こらない筈なのに。

 

「なっ……」

 

『無駄よ』

 

 静かに、フルスがそう告げる。

 

 パキン!!

 

 すると乾いた木が割れるような音が鳴って、指揮官の手にした拳銃がバラバラに分解した。

 

「なあっ……?」

 

 動揺したが、しかしそこは流石に正規の軍人である。素早く乗っていたジープから飛び降りると、周囲を固める部下達に指示を飛ばす。

 

「何をしている!! 撃てっ!! 撃てっ!!」

 

 兵士達は僅かな間だけ呆気に取られていたものの、すぐに自分が居る場所と役目を思い出したらしい。ライフルを構えて、フルスに照準する。

 

 十以上の銃口がフルスに向いて、兵士達の指が引き金を絞ろうとした、瞬間。

 

『無駄だと、言っているわ』

 

 またしても静かに、しかしこの一帯すべてを覆うように、フルスの声が響く。

 

 パキン、パキン、パキン!!

 

 あちこちで先ほどと同じ音が響いて、兵士達の手から、解体されて鉄くずになったライフルが滑り落ちる。フルスに銃を向けている者だけではなく、その周りの何十人もの兵士も同じだった。

 

「こ、これは……っ、そんな馬鹿な……!!」

 

 指揮官は絶句する。これは有り得ない事だ。

 

 ゾフィーの口から伝えられた魔女の弱点や魔法の特性は、既にゲール軍全てが知る所となっている。

 

 魔女はレイラインという大地に流れる魔力が通らない場所では魔法が使えない。

 

 魔女が魔法を使う為には、必ず一度はその物に触れて、魔力を付与しなくてはならない。

 

 しかしこのノイエベルリンの一帯はレイラインが無い場所であり、尚且つ守備隊が持つ武器は、一度としてフルスに触れられてなどいない筈だ。

 

 なのに何故?

 

 指揮官が考えた、その時だった。

 

 空から、小さな赤い光が落ちる。

 

 刹那の時間だけ遅れて、襲ってくる衝撃、爆発、熱風。

 

 フルスの周囲の戦車もジープも兵士も、一切の例外なく木っ端のようにぶっ飛ばされる。

 

「あはははっ……あははははっ……あははははははっ!!」

 

 戦場に木霊する哄笑。

 

 それは、ゾフィーの声だった。

 

 いつの間にか上空には、空を埋め尽くさんばかりのゲルマニアの魔女達が展開していた。

 

 たった今の大爆発は、その中で唯一人自我を焼かれていないゾフィーがエクセニウムを爆弾として使った事によって起こったものだ。

 

「あっけなかったわね……これなら全員で来る事も無かったかしら?」

 

 と、ゾフィー。

 

 タイミングは完璧だった。あれでは、大地を操って壁とする事も空気を操って層を作り、衝撃を受け流す事も出来なかっただろう。人間に限らず、どんな生物だろうとあの爆発の中で生きている可能性はゼロだ。

 

 たとえ魔石を持っていて、通常の魔女を超える力を持っていたとしてもそれを使えなければ同じ事。魔石を使う身として、ゾフィーも魔石を使う魔女の弱点は承知の上であったのだ。

 

 だからこそ初手から強烈な一撃を与えてフルスを倒す為に、魔女兵団全てを動員してきたのだが……どうやら最初の一撃で、戦いは決まってしまったらしい。

 

「まぁ……先に地獄で待ってなさいな……すぐにあの国の人間全て、後を追わせてあげるから……」

 

 風が吹いて、流された髪を掻き上げながらゾフィーが呟く。

 

 だが。

 

『……それは、認められないわね』

 

「!?」

 

 聞こえて良い筈が無いその声に、反射的に振り返る。

 

 そこにはフルスが、幽霊のように佇んでいた。

 

「……なっ!?」

 

 咄嗟に、ゾフィーは跨がる杖を動かして距離を置いた。

 

 有り得ない。

 

 フルスはたった今の今まで、地上に居た筈だ。そこを狙って絶対に防御も回避も不可能なタイミングで、エクセニウム爆弾を叩き込んだのだ。仮に命は助かったとしても、重傷を負ってはいる筈。そうでなければ道理が合わない。なのに今のフルスは、かすり傷一つ負っていないどころか着衣に破れ一つ、汚れすらも付着していない。

 

 そして命が助かったとしても、地上から飛び上がってくれば、百を超える目があるのだ。ゾフィー達が見逃す筈が無い。

 

 なのに今、フルスは突如として背後に現れた。

 

 移動ではなく、出現したという表現が正しいか。

 

 たった今まで離れた所に居たフルスが、いきなり空間を超えて背後に瞬間移動してきた。それが最も近い表現に思えるが……しかし、何か違和感がある。

 

 フルスの気配だ。

 

 確かに目の前に居る筈なのに、前からではなく四方八方から……と、言うよりも周囲の全てから弱々しくも彼女の気配を感じるように思える。

 

 まるで、どこにでもフルスが居るような……

 

 そんな違和感を覚えたゾフィーが、フルスに目をやる。

 

「!?」

 

 一瞬、自分が見た光景が信じられなかった。ゾフィーは目を擦る。

 

 だが……間違いない。

 

 フルスの体を通り越して、その背後に居る幾人かの魔女と、ノイエベルリンの町並みが見えたのだ。

 

 フルスの体は蜃気楼のように、揺らいで見えた。時々、よく見えるようになったり霞んだりする。

 

 まるで、ここに居るのにどこにも居ないかのように。

 

「あなた……その体は……まさか……!!」

 

 愕然とした表情のゾフィーの問いに、フルスは静かに首肯する。

 

『そう……今の私はこの大地を巡る……命の流れ……私たち魔女が魔力と呼ぶ、大いなる流れの一部となったのよ』

 

 

 

 

 

 

 

 エイルシュタットの秘密基地。

 

「ノイエベルリンが炎上中だと……一体何が起こったと言うんだ……?」

 

 イゼッタを射殺して、自分も自殺したフルス。そしてもたらされたゲール首都炎上という急報。

 

 あまりにも多くの事が起こりすぎて、ビアンカの理解を超えているらしい。彼女は訳が分からないと言いたげな表情だ。

 

「……フルスさんが、戦っているんです」

 

「えっ!?」

 

 物陰から掛けられた声に、ビアンカはびくっと体をすくませて、振り返る。

 

「なっ……? そ、そんな馬鹿な……!!」

 

「これは……一体……?」

 

 彼女やジークの反応も当然である。

 

 声の主は、イゼッタだったのだ。車椅子に乗ったイゼッタが、ゆっくりと一同の前に進み出てきた。

 

「イ……イゼッタが二人……? じゃあ、こっちは……?」

 

 ビアンカは、胸を撃たれて倒れている方の”イゼッタ”に近づいて、体に触れたりする。

 

 ひょっとして良く出来た人形か何かかと思ったが……しかし指先に伝わるのは、冷たくこそはあるが確かに人肌の感触だ。

 

 何が、どうなっている?

 

 分からない事が、多すぎる。

 

 ビアンカは助け船を求めるようにジークを見るが、彼とて同じような心境なのだろう。お手上げとばかりに首を振って、自然に二人の目線はフィーネとイゼッタ、恐らくは全てを知っているであろう者達へと向けられる。

 

「姫様……」

 

「うむ、分かっている。イゼッタ……」

 

 エイルシュタット大公と魔女は視線を交わし合い、そして強く頷き合う。

 

 二人とも、今はとても強い目をしていた。何かを決意して、何かを乗り越えた目を。

 

 先に話し始めたのは、フィーネだった。

 

「ジーク、ビアンカ、将軍……良く聞くのだ。これから……全てを伝える。フルス殿の意志を……彼女の遺言を……」

 



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第25話 最後の戦い Ⅱ

「イゼッタ、あなたにはここで死んでもらう!!」

 

 フルスが取り出した銃は、イゼッタの胸にぴったりと照準していた。

 

「!? フルス殿……止めるのだ!!」

 

 咄嗟に飛び出したフィーネが、両手を広げてフルスとイゼッタの間に立ち塞がった。

 

 イゼッタはしばらく呆然としていたが……ややあってはっとした表情になると、ベッドの上で不自由な体を動かして何とかフィーネを庇おうとする。

 

「ひ、姫様……下がってください!! 危ないです……!!」

 

 フィーネはそんな親友を肩越しにちらりと見て、ふっと笑いかけた。

 

「良いのだイゼッタ……今までそなたには助けられてばかりであったからな……友として、これぐらいはさせてくれ……」

 

 そうして、フィーネはフルスへと向き直った。

 

「フルス殿、とにかくその銃を下ろしてくれ。これは貴殿の本心では無い事は、私もイゼッタもよく分かっている。早まって軽々に事に及んでからでは、何もかもが手遅れ……後から後悔しても始まらぬ……もう一度、冷静によく考えてくれ……」

 

 これまでの話から、フルスはイゼッタが憎くてこの様な行動に出ている訳でないのは明らかだ。

 

 現況は誰がどう見ても絶望的。

 

 そしてこれまでエイルシュタットの守護者としてゲルマニア帝国の侵攻を防いできたイゼッタは、エイルシュタットの民や反ゲールの立場にある国家やレジスタンスから高い支持を得ているがそれに比例するようにゲールからは恨みを買っている。

 

 そんなイゼッタが、ゲールに囚われの身となったらどうなるか……!!

 

 想像して、フィーネは背筋が寒くなってぶるっと体を震わせた。

 

 只でさえイゼッタは、魔女という希少な異能者。そして魔法の威力が最新鋭の兵器をも凌駕するものである事は、イゼッタやフルス、そして現在ゲールが運用しているエクセ・コーズによって証明されている。

 

 付け加えるならゲルマニア帝国の科学技術や医学は世界でも最先端のものがあり、その発展の裏側では人倫を顧みない研究が日夜行われているという話はその筋の者にとっては常識となっている。

 

 これらの要素を合わせて総合的に判断すれば、イゼッタはゲールに捕まったが最後、人体実験や陵辱で死ぬよりも酷い目に遭わされる事は火を見るより明らか。フルスはそれを憂いて、ならばせめて苦しまないよう一思いに自分の手で……と、思い詰めた末の行動であったのだろう。現在、エイルシュタットが置かれている状況からすれば、無理も無い結論ではある。

 

 だが……

 

「フルス殿、今ならこれは一時の気の迷いと、私たちだけの秘密に出来る……どうか、落ち着いてくれ……」

 

 フィーネが、なだめるように穏やかな口調で話し掛ける。

 

 フルスが理性的な人物である事はフィーネも知っているし、今イゼッタに銃を向けているのもイゼッタを想うあまりの事だ。ならば説得の目もあるとフィーネは見ていた。

 

 彼女の言葉通り、今ならばこれはフルスが精神的に追い詰められて一時的に取り乱した、この時のフルスはどうかしていたと、自分たちの胸の中だけに納める事が出来る。だがあまり事態が長引いて、部屋の外に待機しているビアンカやジークが異常を察知して中に踏み込んできて、そしてこの状況を目の当たりにすれば色々と面倒な事になる。

 

 そうなった場合には、もうフィーネも立場上フルスを許す訳には行かなくなる。

 

 今が、フルスが引き返せるギリギリのタイミング、瀬戸際、分水嶺であると言えた。

 

「……」

 

 フルスが構えた銃は、未だに動かない。

 

 フルスは銃を下ろしもしないが、引き金を絞ろうともしない。

 

 フィーネは瞬きもせずにじっとフルスと、自分に向けられた銃口を注視していた。

 

 幼い日、村人達の悪意から庇ってくれた時のように、今もフィーネに守られているイゼッタも、フィーネの肩越しにフルスの目と彼女が構える銃を交互に見ている。

 

 ファルシュは、何も言わない。ただ、この部屋に運び込んできた箱に腰掛けて事の成り行きを見守っている。

 

 心臓が痛くなるほど緊迫した十数秒間が過ぎて……

 

「ふっ……」

 

 フルスが微笑して、肘を直角に曲げるとフィーネから銃口を外した。

 

「フルス殿……」

 

 説得が通じた、分かってくれたのだと、フィーネはほっと胸を撫で下ろす。イゼッタも、ふうっと大きく息を吐いた。

 

「……と、こんな感じに私が錯乱してイゼッタを射殺した……というシナリオですよ、フィーネ様……」

 

「……フルス殿、何を?」

 

「ファルシュ、あれを」

 

 フィーネの疑問には答えずに、フルスは娘に指示を出す。

 

「はい、ママ……」

 

 ファルシュは、椅子代わりにしていた箱から立ち上がると、蓋を開けて中の物を取り出す。

 

 そして出てきた物を見て……

 

「なっ……!!」

 

「こ、これは……っ!!」

 

 イゼッタ、フィーネの二人とも絶句。

 

 ファルシュが箱の中から出したのは、イゼッタだったからだ。

 

 正確にはイゼッタそっくりの人形だった。顔立ち、背格好とも寸分変わらない。それこそイゼッタの隣に置けば、そこに姿見があると言っても信じられるだろう。それほどに精巧な人形。

 

「ううっ……?」

 

 恐る恐る、フィーネがイゼッタ人形に触れてみる。

 

 蝋人形か何かだと思っていたが、触れた指先に伝わってきたのは体温こそ感じられないが、確かに人肌の感触だった。

 

「フ……フルスさん、なんでこんなものを……?」

 

「魔法で作ったのよ」

 

「ま……魔法で?」

 

「そうよ、イゼッタ……あなたにも出来るでしょう? 雪や土を固めて、針のように射出したりとか……魔法の応用の一つである『成型』……私たち、魔女の魔法は生物には直接作用しないけど死んだ人間ならそれは既に只のタンパク質とカルシウム……私は以前、ベアル峠での戦いで死亡したゲール兵の死体を何体か回収して、それに魔法を使ってこのイゼッタ人形を作ったのよ」

 

「そ、そんな……」

 

 自分にはやるやらない以前に方法論として想像する事すら出来ない、おぞましく業深い所行に、イゼッタは再び絶句。

 

「だが……重要なのはそこではない」

 

「姫様……」

 

「フルス殿……貴殿は一体、何の為にこんなものを作ったのだ?」

 

 まさか観賞用でもあるまい。

 

「……簡単な事ですよ、フィーネ様……イゼッタが、生き残る為です」

 

「……生き残る為……?」

 

 頷くフルス。

 

「フィーネ様……仮にこの戦争、同盟諸国によるゲールの包囲網が完成してゲルマニア帝国を倒すもしくは和平協定を締結する事が出来たとして……その後、何が起こると思いますか?」

 

「何が……って……」

 

「……そうか」

 

 呆けたようなイゼッタに比べて、フィーネはすぐにフルスの言わんとする事を悟ったらしい。「なるほど」と頷く。

 

「ゲールという脅威が取り除かれた後は……今度は魔女の力を有するエイルシュタットが世界の脅威となる……その世界で……魔女は排斥されるという事か……」

 

 フィーネのその予想は、正解だったらしい。「そうですね」と頷くフルス。

 

「……そうなったらエイルシュタットは世界の敵となる事を避ける為に、私やイゼッタを差し出すでしょう?」

 

 数百年前のエイルシュタットが、異端の国とされる事を避ける為に救国の英雄たるゾフィーを売り渡したように。歴史は繰り返すとは、よく言ったものだ。

 

「フルス殿、そんな事には私の名にかけて……」

 

「……それは、フィーネ様……あなたがイゼッタに個人的な好意を抱いているからに過ぎません……それでは、ゾフィーの時と何も変わらない……あなた自身、心の奥底では理解されている筈でしょう? たった一人の感情では、国という巨大で得体の知れない怪物機械はどうしようもないと……」

 

「う……」

 

 論破されて、フィーネは言葉に詰まる。

 

「でも、フルスさん……私ならどうなっても……」

 

「……イゼッタ、私はあなたにそれはさせられない……ロレッタの為にも……」

 

 フルスにとってイゼッタは姉妹同然だった親友の忘れ形見であり、彼女が生まれた時からの付き合いで娘も同じ。そんな彼女を犠牲にするなど、論外であった。

 

「だからと言って、逃げる事ももう出来ない。エイルシュタットから魔女は居なくなったからそれでお終い、で済まされるには、私たちは自分の力を世界に示しすぎた……」

 

 生身で近代兵器を凌駕する魔女の力。これはゲールという覇権国家を取り除いた後に、それがアトランタだろうがヴォルガ連邦だろうがロムルス連邦であろうが、自分がその後釜に座って世界の盟主たらんとする国家にとってあまりに魅力的であろう。彼らはイゼッタとフルス、二人が生きている限り二人を追い続けるだろう。そしてどれだけ逃げ続けても、いつかは捕まる。そして捕まったら、後はお約束というヤツだ。違いは、それを行うのがゲールか他の国かというだけ。

 

 フルスには既にその未来が見えていた。

 

 負ければ死ぬか、ゲールに囚われて死よりも辛い目に遭わされる。

 

 勝てばエイルシュタットに売り渡されるか、逃げ続けた先で捕まってどこかの国に、死よりも辛い目に遭わされる。

 

 結論。フルスもイゼッタも、魔女はこの戦争に関わった時点で既に詰んでいたのだ。

 

「……そんな……」

 

 改めて聞かされると、報われないにも程がある酷い話だ。

 

 国を救う為に戦った者に、救われる道が用意されていないなど。

 

 改めて、自分が友をどれほど酷い運命に引き込んだのかを思い知らされて、フィーネはうなだれる。

 

「……フィーネ様……一度、整理してみましょうか……この状況で、私たちが為すべき事は……三つ」

 

 

 

 ① ゲルマニア帝国が保有する魔女兵団を撃破する。

 

 ② 全ての魔石とエクセニウムを破壊し、抽出された生命エネルギーの全てを大地に還す。

 

 ③ 条件①と②を満たした上で、イゼッタの安全が保証される。

 

 

 

「うむ……」

 

 条件①は、同盟各国がゲールの包囲網を完成させて大陸への出兵を行う為に必要な条件だ。現在の世界はエクセ・コーズの脅威に晒されている状況ではあるが、しかしエクセ・コーズはゲールの最強戦力であるが故に、それを維持する為にゲールは多大な労力を裂いているとは、諜報部からの報告にもあった。陸海空軍など通常戦力については、戦力・予算共にむしろ削減傾向にあるらしい。

 

 だからエクセ・コーズを撃破もしくは無力化出来れば、アトランタやブリタニアが大陸への出兵を決意してゲールを追い詰める事が出来るだろう。

 

 そして条件②。

 

 これはある意味、戦争の勝敗よりも重要な事だ。

 

 魔力は大地に流れる無色の命。それを枯渇するまで吸い上げられた土地は、死ぬ。その死んだ土地では人も獣も草木も微生物も、一切の新しい命が生まれなくなる。それが数万年も続く。

 

 その前に全ての魔石とエクセニウム、大地から吸い上げられて結晶化し、実体を持つに至った魔力を全て破壊して大地に還さねばならない。

 

 それが出来ない場合はゲルマニアは魔石の秘密、環境兵器としての使い方に気付いて、完璧に近い形で世界支配を完成させる。そうなったら手遅れ。何もかもが終わる。

 

 故に何としても、条件②を達成しなければならない。

 

「……だが、今のこの状況では……!!」

 

 条件①も条件②も、達する事が出来るとはとても思えない。

 

 条件③に至ってはこれはもう……実現は不可能と言って、差し支えないだろう。

 

「……手は、ありますよ」

 

 意外な事に、それを言ったのはこの絶望的な条件を提示したフルスだった。

 

「……まず条件③、ですが、これは……その為の、この人形なんですよ」

 

 フルスの視線が、ベッドに横たえられたイゼッタ人形へと移った。

 

「人形が……?」

 

「フルス殿、それはどういう……」

 

「……死んだ者を、それ以上追う事はしないでしょう?」

 

 フルスのその言葉を受けて、フィーネが「あ……」と声を上げる。

 

 つまりはこのイゼッタ人形は、イゼッタの死を偽装する為の小道具だったのだ。

 

「フィーネ様はこの後、フリードマン女史からマスコミに働きかけてもらって、イゼッタの死を大々的に報道し……世間的にイゼッタを死んだ事にしていただきたい……」

 

「……それは請け負うが……しかし……フルス殿……」

 

「条件①と②は、私が果たします。私の一族の永きに渡る研究の結晶……最後の魔法を使って……!!」

 

「最後の……」「魔法……?」

 

「そう……魔女の魔法とは、魔力……大地に還った命を使って、奇跡を起こす異能……最後の魔法とはその到達点……人としての生と死を捨て……自分の命が大地に還った後も、自分という『個』を保ち続ける事……それが、最後の魔法」

 

「「……」」

 

 その話を聞いたフィーネとイゼッタはしばしポカンとしていたが、数秒の時差を置いてほぼ同じタイミングで、

 

「ま、待ってください!!」「ま、待たれよ!!」

 

 声を揃えて、フルスに詰め寄った。

 

「人としての生と死を捨てるって……そ、そんな事をしたら、フルスさんはどうなるんですか?」

 

「それにそもそも……いくら魔女とは言えそんな事が簡単に出来るとは思えぬ……その為に、貴殿は何をするのだ?」

 

「……二人とも、良い質問ですね……まず、イゼッタ……最後の魔法を使ったら、私の命は大地に還り、レイラインと一体になる。私は命の流れそのものとなって……普通の生き物が言う生と死の概念から外れる事になるわね……そしてフィーネ様……最後の魔法を使う為の条件は、まず自分の命を大地に還す事……つまり……」

 

 フルスは持っていた拳銃の銃口を、自分のこめかみに押し当てた。

 

「私が、死ぬ事なのですよ」

 

「なっ……!!」

 

「だ、ダメですよフルスさん……そんな事……」

 

「……じゃあ、聞くけどイゼッタ……あなたは普通に戦ってあの恐ろしいエクセ・コーズをどうこう出来ると思っているの?」

 

「う……それは……」

 

「相手はエクセニウムで武装した魔女が、どんなに少なく見積もっても数十人、恐らく百人以上は居る。要するに単純に考えて私たちの二十倍から五十倍の戦力がある計算になるわね」

 

 質が同じか上回っていて、その上でこれほど物量差があればランチェスターの法則も兵法もへったくれもない。単純に数が多い方が絶対に勝つ。

 

「つまり……私が最後の魔法を使わない限り、エイルシュタットを救う手段は無いという事よ……最後の魔法を使えば、レイラインそのものとなった私は、膨大な魔力を自在に行使出来るようになる。そうなれば、エクセ・コーズ相手にも勝つ事は可能です……フィーネ様、ご決断を」

 

「……フルス殿……」

 

 残酷な決断と言える。

 

 フルス一人を喪えば、国は救われるのだ。

 

 だがその為に、フルスに死んでくれと言うのは……辛い。

 

 でも……それこそ先ほどのフルスの台詞ではないが本当は心の奥底で分かっている。為政者として、エイルシュタットを治める者として、それをしなくてはならないと。他に道は無いと。

 

「……フルス殿、一つだけ聞かせてくれ……」

 

 やっと絞り出したその声は、消え入りそうだった。

 

「……何でしょうか、フィーネ様……」

 

「……貴殿は、何故そこまでしてくれるのだ……? イゼッタのように、私と個人的に親交がある訳でも無い貴殿が、何の為にここまで……」

 

「……そうですね……」

 

 フルスは困ったような、それでいて少し哀しそうな笑顔を見せた。

 

「理由はいくつかあります……唯一残った同族であるイゼッタを助ける為……この戦争を引き起こしてしまった身として、エイルシュタットの人たちへの償いの為……お金の為……それらしい理由は……いくつも用意出来るけど……でも、それらは本質ではありません……本当は……ホントのホントは……」

 

 フルスはちらりとファルシュを見やって、そしてイゼッタとフィーネへと視線を順番に移動させていく。

 

「……昔、私はメーアを喪った。次に、亡くした者は戻らないと……ファルシュに教えられた……そしてイゼッタ、フィーネ様……あなた達はまだ喪っていないから……だから、私は……」

 

 一度顔を伏せて、フルスは二人へと笑いかける。その笑顔は、今にも泣き出しそうに見えた。

 

「フィーネ様……あなたにイゼッタを……そして、イゼッタ……あなたにフィーネ様を……喪ってほしくなかったのよ」

 

 それが、フルスの答えだった。

 

 親友も娘も、助けられなかった彼女の答え。喪ってばかりの人生で、喪う辛さを誰より知っているから。だから、大切な人を喪っていないイゼッタとフィーネに、喪わせない為に。

 

 それが、戦う事を決めた本当の理由。

 

「……そんな、それだけの為に……フルスさんは……」

 

「……フルス殿……貴殿は……!!」

 

 フルスの決意は、固い。もう、イゼッタもフィーネも彼女を止めようとはしなかった。止めても無駄だと、理解したからだ。

 

 そして……フルスはもう一度だけ、これから喪う事になる。

 

「ファルシュ……」

 

「はい、ママ……」

 

 手招きされたファルシュが、母の元へと近づいていく。イゼッタとフィーネは、この親子の意図を測りかねているようだ。当惑して、顔を見合わせる。そんな二人を見て、フルスは僅かに笑いを漏らした。

 

「……言ったでしょう? 全ての魔石を破壊せねばならないと……」

 

 全ての魔石。エイルシュタットにも魔石は、二つある。一つは数百年前にゾフィーが持ち出した物の片割れで、ジークの家に伝わっていた物。そしてもう一つは……

 

「ファルシュちゃんの、体の中に……フルスさんが埋め込んだ……だ、ダメですフルスさん!! そんな事……!! どうして、フルスさんばかりが……!!」

 

「イゼッタ……これは私が始めた事……ならば終わらせるのも……私の義務なのよ……」

 

「そう……それに私も、いつかはこんな日が来ると、思っていたから……動く死体が、動かない死体に戻るだけだから……気にしないで」

 

 ファルシュが、いつも通りの無表情で言った。その言葉は嘘ではないのだろう。

 

 娘が母と過ごす時間。それは多くの人にとって昨日も今日も明日も続いてく、当たり前の時間であろう。

 

 だがファルシュにとってはフルスと過ごす一日一日が、贈り物……あるいは、オマケに過ぎなかったのだ。その、天あるいは運命から許された残り時間が尽きる時が、とうとうやって来たのだ。

 

 ファルシュは、母に向き直った。

 

「ファルシュ……」

 

 フルスにとって、娘の喪うのはこれで二度目になる。そして今度は、自分の手で娘の時間を止める事になるのだ。

 

 もう、触れる事も、言葉を交わし合う事も出来なくなる。だから、ここで何か……最後の言葉を、残したかった。

 

 たとえファルシュの時間がその一分後に止まるとしてもだ。それが無意味な行いだとは、フルスは思わなかった。

 

 何を言えば良いのか。考えて、考えて、考えて……そして、出た言葉は。

 

「……ありがとう……ファルシュ……あなたのママでいられて……幸せだったわ」

 

「……私も、ママと一緒にいれて、楽しかったよ。本当に……」

 

 ファルシュはそう言って、隻腕を自分の胸に突き入れた。

 

 耳障りな肉を抉る音が聞こえてくる。

 

 しかしフルスも、そしてイゼッタもフィーネも、目を逸らそうとはしなかった。

 

 そしてファルシュは、血塗れになった手を胸から引き抜いて、フルスに差し出す。その掌には、血に濡れてしかし血よりも更に深く更に鮮やかな紅に輝く、魔石があった。

 

「ママ……ありが」

 

 それが、最後だった。

 

 言葉を紡ぎ終わらない内に、ファルシュの体から全ての力が失せて倒れる。フルスは素早く、その体を抱いて支えてやった。

 

「ファルシュ……」

 

 もう、ファルシュは動いていなかった。

 

「……今まで、ありがとう。ゆっくりお休み……メーアと一緒に……」

 

 フルスは開いたままになっていた瞳を閉ざしてやると二人分の娘の体を丁寧に、そして注意深く抱き上げて、そっとベッドに寝かせてやった。眠っているようなその額にキスをする。それが、二人目の娘との決別の儀であった。

 

「うっうっ……どうして、こんな事に……!!」

 

 いつしか、部屋には嗚咽が木霊していた。イゼッタの泣き声だ。

 

「……気にしないで、イゼッタ……全てが……あるべき所に還るだけなのよ……」

 

 フルスは掌中の二つの魔石へと意識を集中し、魔力を集中させる。

 

 魔石が紅く輝き始め……そしてやがて、実体を保てなくなって砂のように崩れて、空気に融けていく。

 

 ほんの一分ほどで、魔石はフルスの手から消えていた。

 

 そこに在った全ての命が今、大地へと還った。何億年も前から繰り返されてきた命の流れ、大いなるサイクル、輪廻の輪の中に、再び組み入れられたのだ。

 

 これで、魔石はこの地上に最後の一つ。ゾフィーが持つ魔女の一族に伝わっていた片割れだけとなった事になる。

 

「さぁ……エクセ・コーズと魔石の破壊は私が。フィーネ様は……イゼッタの事を……頼みますよ」

 

 フルスはイゼッタを車椅子に移すと、たった今まで彼女が居たベッドの上にイゼッタ人形を設置して上手くポーズを取らせた。

 

「フルスさん……逝かないで……」

 

 未だ泣いていて、震えながらイゼッタが訴えてくる。

 

「……大丈夫よ。また、会えるわ……きっとね……」

 

 フルスは手を伸ばす。彼女の指が、イゼッタの頬を伝う涙に触れた。

 

「イゼッタ、私は……あなたと一緒に戦う事にして……良かったと思っているわ。私は今まで……何もかも中途半端で何も手に入れられずに全てを喪うだけの人生だったけど……最後に、本当に喪ってはいけない者を、守る事が出来るんだから」

 

「……っ……フルスさん……!!」

 

 フルスとイゼッタは、固く抱きしめ合った。

 

 イゼッタは、フルスの胸の中で幼子のように泣きじゃくった。フルスは、そんな彼女を安心させようとするように優しく頭を撫でてやっていた。幾度も、幾度も。

 

 数分ほどそうしていて、やっと落ち着いたイゼッタから離れたフルスは、今度はフィーネへと向き直る。

 

「……貴殿には、何もかも世話になったな……」

 

「……お互い様ですよ、フィーネ様……どうか……いつまでもイゼッタと幸せに……ビアンカさんやロッテさんには……よろしくと言っておいてください……」

 

 そっと差し出されたフルスの手を、フィーネは固く握りしめた。掌と掌をしっかりと合わせて。

 

 そして手を離すと、3人はそれぞれ頷き合う。

 

 イゼッタは車椅子を動かして、ベッドから離れる。フィーネも数歩後ずさって、万一にも跳弾などで怪我しないよう距離を取った。

 

 フルスは拳銃に弾丸を装填すると、ベッドに寝かされたイゼッタ人形へ向けて狙いを付ける。つまり、先程イゼッタに銃を向けた時は弾丸が入っていなかったという事だ。最初から撃つ気など無かったのだ。

 

 至近距離で、標的は動かない人形。外れる訳は無い。後は引き金を引くだけ……

 

 その時だった。

 

『頑張って』

 

 声が、聞こえた。

 

 ファルシュの声が。

 

「「「……っ!?」」」

 

 3人が視線を向けると、ファルシュは先ほどと同じ姿勢のままでベッドの上に横たわっている。

 

 今のは幻聴だったのか、それとも……?

 

 3人は顔を見合わせる。

 

 答えは出ない。だが……

 

「……」

 

 ややあって、フルスは眠っているような娘に目を向けて、微笑した。

 

「ええ……頑張ってくるわ……ファルシュ……私の、出来る限りを……尽くすわ」

 

 そう言って、フルスはイゼッタとフィーネに向かい合う。魔女と大公は、それぞれもう一度頷き合った。

 

 そしてフルスは……先ほどと同じようにイゼッタ人形に拳銃の狙いを付けて、引き金を引いた。

 

 パン、パン、パン!!

 

 乾いた銃声が鳴って、本物の人体よろしく白いシーツの上に鮮血の華が咲く。

 

 これで、『イゼッタは死んだ』。フルスは頷くと、自分のこめかみに銃口を当てる。

 

「フルス殿……幸運を」

 

「あの、フルスさん……どうか、お元気で」

 

 二人の言葉を受けて、フルスは少しだけ驚いたように目を丸くした。その後で、優しく微笑む。

 

「あなた方も」

 

 そう言って彼女は引き金を引いて、自分の頭を撃ち抜いた。

 



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第26話 最後の戦い Ⅲ

 

 ノイエベルリン上空。

 

「……肉体を失って……生と死を捨て……魔力そのものに……? そんな事が……!?」

 

「まぁ……信じられないのも無理は、無いわね……魔力と呼ぶものが大地に還った命である事……私達魔女がそれを操って超常を起こす事が出来る異能者である事……それらは全て、私の一族が数百年に渡る研究の末に解明したものだからね……何百年も前の魔女であるあなたは知らなくて当然ね。この最後の魔法も……理論は完成していても使えるのは私一人だったし」

 

 信じられないという表情のゾフィーに向けて、フルスは湖面のように静かな顔で応じる。

 

 ゾフィーの代では魔女が魔法を使う事は、それこそ鳥が空を飛ぶように「出来るから出来る」「出来て当たり前」な事象でしかなかった筈だ。フルスの一族とて、魔力の正体までは解明出来ていても魔女がどうして大地に還った命を操れるのかまでは分かっていない。魔女という種族が滅びつつある昨今では、その謎は恐らく解明される事は無いだろう。

 

「……いや……唯一人だけ、全てを知っていた者は居たわね……」

 

「……それは……誰だと言うの……?」

 

「……最初の魔女よ」

 

「……!!」

 

「……彼女は全てを知っていた……魔力の事も、魔石の事も……魔女に関わる全てを……だから、魔石を封印し……魔力の正体についても次代に伝えなかった……」

 

「……それは……どういう……?」

 

 今この一時だけ、ゾフィーはフルスに対する敵意もエイルシュタットへの憎しみも忘れたようだった。

 

「……ゾフィー……最後に……あなたに問おう……もう、止めにしない? 戦いを止めて、もう一度永い眠りに就く気は無い……? 勿論……あなた一人では逝かせない……私も……一緒に、逝くから……」

 

 フルスの表情と言葉は強く静かではあったが、どこか哀願するような響きがあった。

 

「……構わないわよ?」

 

「……じゃあ……」

 

 フルスの顔に、希望が生まれる。

 

 しかしそれは一時だった。

 

「エイルシュタットの国土と……その国に生きている国民全て……!! それら全てを殺した後で良ければ、私は思い残す事など何も無い……!! その後でなら、いくらでも眠ってあげるわ……!!」

 

「……あなたは何故、そこまでエイルシュタットを憎むの……? あなたは伝説に謳われる本物の白き魔女……かつてエイルシュタットを救った英雄でしょう? どんな理由があるにせよ、一度はエイルシュタットを救ったその手で、今度はエイルシュタットを滅ぼすと言うの……?」

 

「私は裏切られたのよ!! あんなに頑張って戦って……!! あんなに頑張って……殺したのに!!」

 

「……話は聞いているわ」

 

 フルスの一族にはエイルシュタットで語られているお伽噺ではない、本当の白き魔女の伝説が伝わっている。

 

 白き魔女、ゾフィーは当時のエイルシュタット王子・マティアス一世の死後、王妃から疎まれ、家臣団にも裏切られて異端審問官に売り渡されて、最後は火炙りに掛けられたと。

 

 フルスの一族には、それはゾフィーの失敗として語り継がれていた。自分たちが彼女の轍を踏まずに「もっと上手くやる」為の教訓として。

 

「違う!! 裏切ったのはマティアスよ!!」

 

「!!」

 

「あの時……王妃が言ったの……『ごめんなさい……でもこれは、あの人の遺言だから』……ってね」

 

「!! ……そう……」

 

 ゾフィーの口から語られた僅かな言葉だけで、フルスには当時のエイルシュタット王家がどのような考えを持っていたかすぐに分かった。

 

 兵器が飛躍的な進歩を遂げた現代でさえ、強い魔女が戦局を変えるほどの働きが出来る事は、既にイゼッタやフルスが実証している。ましてや数百年前でしかも魔石によって力の理を超えた力を発揮出来るようになった魔女であれば、単身で一国を滅ぼす事すら可能であったろう。

 

 それほどの力をエイルシュタットだけが保有し、しかも抑止力となる他の力も存在しないとなればどうなるか。

 

 周辺諸国にとってゾフィー、彼女が操る魔法の力はいつ頭上に落ちてくるか分からないダモクレスの剣であったのだろう。どんな手を使っても取り除かねばならないもの。

 

 もう一つ、その時のゾフィーは「利」では動いていなかった。エイルシュタット大公であるマティアス一世への、彼一人だけへの「愛」で動いていたのが事態の悪化に拍車を掛けたのだ。

 

 「利」で動いているなら金や地位、名声を与えてやればそれで懐柔出来る。だがそれ以外のもの、愛であれ友誼であれ、そういった目に見えないもので動く者は危険視される。その行動をコントロールし、予測する事が出来ないからだ。更に言えば人間の多くは「利」で動く。そうした連中は他人も同じだと思っているから、無欲な者を信用しない。必ず腹に一物隠し持っていると邪推する。

 

 闇仕事に従事するフルスの一族はそれが分かっていたから、力を貸す相手には必ず金品を要求するようにしていた。以前にフルスがフィーネに報酬の確約を求めたのも、それが理由だ。

 

 それでも、マティアス一世が存命の内はゾフィーを抑える事も出来たのだろう。ゾフィーは彼への愛で動いていたから。

 

 だが、マティアス大公は戦で受けた傷で、余命は長くなかった。

 

 マティアスが死ねば、ゾフィーがどう動くかは分からなくなり彼女の手綱を握れる者も居なくなる。そして強大な力を振るう魔女を止められる者も居なくなる。

 

 ゾフィーの行動の結果エイルシュタットが世界から孤立し、滅びの道を進むとしても止める事が出来なくなるのだ。

 

 だからそれを止める為に、暴走が始まる前に、エイルシュタット王家はゾフィーを裏切り、彼女を売り渡した。それが伝説の裏に隠されていた真実。

 

「……私は許さない……!! 私を裏切ったあの国を……!! 私の痛みを知らずにのうのうと生き続けている、裏切り者の子孫全てを……!! エイルシュタットという国も、そこに住む人間も、その形跡を全てこの世界から消し去るまで、私は止まらない!!」

 

 血を吐くように、ゾフィーは叫んだ。

 

 だが。

 

「……それは、ゾフィー……あなたの自業自得というものよ……」

 

 その悲痛なまでの叫びを、フルスは一言で切り捨てた。

 

「なっ……?」

 

「私達魔女の力は、人の域を超えたもの……そしてこの世界は、何億もの人によって動かされる人の世界……その、人の世に人以上の力を持ち込んで何かを変えたのなら……どこかで何かが歪むのは……当たり前でしょう?」

 

 ゾフィーが裏切られ、売り渡されたのはその「歪み」が回り回って自分に跳ね返ってきただけに過ぎないのだと、フルスはそう言っていた。

 

 だが、当のゾフィーはそんな言葉では納得しない。する筈が無い。

 

「当たり前だと……!? 自業自得だと……!? 私が受けた痛みを……あの国の裏切りを……そんな言葉だけで許せと言うの……!? 当たり前だったから、仕方ないと……そんな言葉だけで!?」

 

「そうよ」

 

 フルスは再び、ゾフィーの訴えを一言で切り捨てた。

 

「それに……守った筈の相手に裏切られたのが……どうだと言うの……?」

 

「なぁっ……!?」

 

「そんな痛みぐらい、私だって経験した……」

 

 フルスは瞑目する。

 

 脳裏に浮かぶのは、今尚つきまとう悪夢。

 

 旅の果てに流れ着いた鉱山の村。

 

 魔法を使って落盤から村人を救い、しかし魔女である自分を受け入れてもらって、ここが安住の地だと思って……

 

 だがその結果……家族同然だと思っていた村人に、最愛の娘を殺された時の事。

 

「いや……それどころかゾフィー……あなたは、私よりもずっとマシよ……」

 

「……マシ……ですって……!?」

 

 この言葉を受けて、ゾフィーは一瞬だけ呆然とした顔になって、すぐに烈火のような憤怒が取って代わった。

 

 マシ、だと!?

 

 この女がどんな体験をしたかは分からない。

 

 だが、私が受けたあの痛みを、言うに事欠いて「マシ」と宣ったのか、この女は!!

 

 しかしフルスの言葉には、続きがあった。

 

「……ゾフィー……あなたは確かに、本当の英雄だった……あなたが数百年前……エイルシュタットを救ったから……今もエイルシュタットは存続していて、沢山の人達が笑って過ごしている。もし、あなたが居なかったらそれも無かった……あなたにとってはマティアス大公一人を救う為だけであったとしても、あなたの行いは幾万の民を救って、彼らの未来すらも創り出した……今、エイルシュタットが存在しているのは間違いなく、あなたのお陰なのよ、ゾフィー……」

 

「それは……!!」

 

「それに比べて、私は……私の最初の娘、メーアは……私が殺してしまった……」

 

 確かにメーアが殺された時、フルスは手を下した村人を憎み、運命を呪った。

 

 どうして、何もしていないメーアがこんな目に遭うのかと。

 

 でも、違っていたのだ。

 

 悪かったのは村人達ではない。メーアでは勿論ない。運命でもない。

 

 悪かったのは、自分だった。

 

 フルスは望まなかった、強要されたとは言え、多くの人を殺してきた。そして少なくとも一度、ロレッタを救おうと大金を得る為に人を殺したあの時は、自分の意志で選んで殺した。

 

 因果は巡り巡り、回り回って応報する。

 

 母の行いのその報いを、娘が受ける事となったのだ。

 

 フルスが、メーアを殺したも同然だった。

 

 だが……それだけで終わっていたならまだ良かった。

 

 フルスはメーアの死を受け入れられず、世の理・摂理に逆らおうとした。

 

 失われた時を取り戻そうとした。逝ってしまった魂を呼び戻そうとした。死者を……蘇らせようと……

 

 その結果が……メーアを取り戻す事は叶わず。それどころか、不老不死の可能性を求めてゲルマニア帝国がエイルシュタットに侵攻する原因を作り出してしまった。

 

 この戦争は、フルスが引き起こしたものなのだ。

 

「……多くの命を救い、未来を創ったあなたと……多くの命を奪う戦争を引き起こした私……どちらが正しかったか……どちらがマシかなんて、考えるまでもないでしょう?」

 

「……あんたは……」

 

 どこか虚無的な顔のゾフィーを前に、フルスは自嘲的に微笑んだ。

 

「……きっと……最初の魔女は分かっていたんでしょうね……魔女の力を人の世に持ち込めば、必ずどこかで何かが歪む……そしてその歪みは……大抵の場合、不幸という形になって戻ってくるって……だから私達に、掟を残した……」

 

 今のフルスが言う「私達」とはイゼッタや自分、そしてゾフィーをも含む、全ての魔女を指す言葉だった。

 

「人の世の理に……関わるな……か……」

 

「そう……私達はそれを破った……だから……その報いを受けたのよ……誰も悪くはない……悪かったのは……私達なのよ……」

 

 ゾフィーは裏切られ、命を奪われた。

 

 フルスは娘を奪われて、自分のせいで多くの人の命を奪う羽目になった。

 

「じゃあ……あの娘はどうなの? 確か……イゼッタと言ったかしら? 彼女も同じように、魔女の力を戦争に使った筈……彼女は、どんな報いを受けると言うのかしら?」

 

「それは、私が清算する。イゼッタの業は……私が一緒に持って逝く……それで、何も問題は無いでしょう? 魔女と呼ぶべき者は……今日、この世界から居なくなる……あなた達も、私達も……!!」

 

 魔女が、人を超えた力を振るう者が居なくなれば、必然、世の理が歪む事も無くなる。

 

 全ての罪科、全ての業は逝く者達と共に去り、後には罪無き者が残る。

 

 今日、この日が。

 

 何千年もの間、連綿と続いてきた魔女の系譜。その歴史が終わる日なのだ。

 

「そんな事が認められるかぁっ!! 都合の悪い事は全て私に押し付けて、真実を覆い隠し、お伽噺の美談だけを語り継ぎ、繁栄を謳歌する……!? 通るかっ!! そんな話がっ……!!」

 

「だからって何百年も前の恩讐、因縁を今の世界に持ってくるなど筋違いも良い所でしょう? あなたが復讐すべき相手は、もう一人として、この世界に生きてはいないのだから」

 

「だから私は滅ぼすのよ……!! エイルシュタットを……!! かつて私を裏切った者に少しでも関係のある全てを、塵も残さずこの世界から消し去るのよ!!」

 

「……ゾフィー……あなたは……魔女として生まれなかった方が……幸せだったでしょうね……」

 

 もしゾフィーが魔女として生まれなかったら、マティアス大公とも出会わずエイルシュタットは救えなかったかも知れない。

 

 だが同時に、彼女が裏切られ、火炙りに掛けられる事も無かったであろう。そのイフの世界で、きっとゾフィーは争いに関わる事無く幸せになる事が出来た筈だ。

 

 ゾフィーが魔女であったから。人を超えた、国を救う力があったから。

 

 それが今日まで続く、全ての過ちの始まりだった。

 

 人を超えた力を振るう魔女とて、心は只の人間だ。

 

 怒り、悲しみ、迷い、懊悩する。

 

 ゾフィーという只の少女が超常の力を持って生まれてしまった事が、悲劇だったのだ。

 

「……ゾフィー……イゼッタ……メーア……ファルシュ……おばさま……ロレッタ……私にもやっと分かった……人の世に魔法など必要無い……人はただ、人であれば良い……」

 

 最初の魔女が何千年も前に至っていたその結論。

 

 フルスがここに辿り着くまでに、あまりにも永い時間と多くの血が流れてしまった。

 

 その間に、誰もが間違えてきた。

 

 マティアス1世とエイルシュタットを救ったゾフィーも。

 

 現世の欲望を求めたフルスの一族も。

 

 死者を蘇らせようとしたフルスも。

 

 フィーネと、エイルシュタットを守ろうとしたイゼッタも。

 

 皆が間違えたのだ。

 

「だがそれも……今日で終わり……!!」

 

「終わりはしないわよ!! 私がエイルシュタットを滅ぼすまでは!!」

 

 ゾフィーが杖を振ると、彼女の背後に控える百人以上のゾフィーがエクセニウムに充填された魔力を解放し、紅い光と共に魔力爆弾を生成する。

 

「終わるのよ。魔女にまつわる全てが、今日ここで……!!」

 

 今や実体を持たないフルスの全身が、淡い燐光に包まれる。

 

 その時、どこかでうなり声が聞こえたようだった。

 

 まるで、大地が啼いているかのような。

 



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第27話 最後の戦い Ⅳ

「消えろ!! エイルシュタットを滅ぼす前に、まずはあんたから血祭りに上げてやる!!」

 

 ゾフィーが魔石の嵌め込まれた杖を、旗のように振るう。

 

 百人以上の魔女は、その動きを合図としてそれぞれ掌中に紅い輝きを発現させた。

 

 フルスの一族では魔力結晶(レイマテリアル)、ゲルマニア帝国ではエクセニウムと呼ばれる高密度の圧縮魔力だ。

 

 魔女は物体に魔力を流す事で、その物体を動かしたり変形させたり出来る。一般的にイゼッタやフルス達魔女が「魔法」と定義するのはこの技術の事だ。しかし魔石を持つ魔女は魔力を自在に操り、結晶化させてエクセニウムを精製出来る。そしてエクセニウムは純粋魔力として還元しレイラインが通わない土地で魔法を使うという使い方の他に、蓄積された魔力を爆発的に開放する事で膨大なエネルギーを発生させる事が出来るのだ。

 

 その破壊力たるや、TNT火薬を遙かに凌ぐ。小石ほどの大きさのエクセニウムで、軽く家が一つ吹っ飛ぶほどの威力が出る。

 

 ブリタニア王国首都であるロンディニウムを陥落させたのは、このエクセニウムを転用した兵器の破壊力に依る所も大きい。

 

 そんな恐ろしい破壊力が百以上も、フルスへ向けて一斉に解き放たれた。

 

 爆発、爆発、爆発。

 

 局地地震かと錯覚するような激震。鼓膜が破れる事を真剣に危惧するような轟音。目も眩むような閃光。

 

 ゲルマニア兵達は口々に悲鳴を上げながら、何とか爆心地を確認しようと顔を向ける。

 

「こ……これで仕留めたか……!!」

 

「……恐らく……」

 

 例え何らかの手段で爆破の破壊力から身を守ったとしても爆心地は呼吸するだけで肺が焼け爛れるような焦熱地獄であり、更には爆炎によって酸素が燃やし尽くされた酸欠地獄。

 

 如何に魔女であれ……否、この環境下で生きていられる生物など存在し得ない。

 

 確認するまでもなく、即死。

 

 その時、不意に突風が吹いて、もうもうと立ち込めていた煙を吹き飛ばす。

 

 そうして開けた視界に映ったのは……

 

「!! あ、あれは……」

 

 誰あろう、フルスその人であった。

 

 大量の魔力放出による膨大な熱量によって融け出し、赤熱化した大地の中心で、しかし彼女は汗一つ掻いてはおらずその肌には火傷の跡も無く、着衣にすら焦げ目や破れも無い。

 

 涼風が吹き抜ける平原に立つように、彼女はそこに在った。

 

「なっ……!?」

 

 さしものゾフィーも、絶句する。

 

 絶対にかわせない筈の攻撃、防御する事も絶対に不可能だった。

 

 されど実際に、フルスは全くの無傷でそこに居る。

 

「くっ……なら……!!」

 

 ゾフィーが杖を振って、エクセ・コーズが再び結晶化させた魔力をフルスへと放つ。

 

 しかし、いくら通用しないからと言って二度も無防備に攻撃を許すほどにフルスも甘くはなかった。

 

「少しばかり……大地(パーツ)を、借りるわね」

 

 誰にともなくそう呟いて、しゃがみこんだフルスの掌が大地を撫でるように触れる。

 

 大地が、蠢き始める。

 

 土が、砂が。

 

 否、大地そのものがフルスの武器として起動した。

 

 剣、槍、斧、弓矢、槌、ジャマダハル……他にも挙げればきりが無いが、大地の一部がフルスが操る千差万別の武器へと姿形を変える。

 

「こ……これは……っ!!」

 

 魔法の一つである「成型」。しかしこれほどの規模で行われるものは、ゾフィーとて見た事が無かった。

 

 しかも数多の武器は一つ一つが恐るべき精度を持ち、膨大な魔力を充填されて肉眼でも見えるほど光り輝いていた。

 

 ひゅっ、とフルスが横薙ぎに手を振る。

 

 一刹那の間を置いて、幾百の切っ先が射出される。

 

 降り注ぐ結晶魔力と、フルスの撃ち出した武器が衝突。

 

 瞬間、空中に無数の光の華が咲いた。

 

 襲ってくる爆音と衝撃。ゲール兵は赤ん坊のように頭を抱えて身を守ろうとする。

 

 空中に、もうもうと立ち込める爆煙。

 

 それを切り裂いて、銃弾よりも速くフルスの武器が飛来し、十名以上のクローン魔女に突き刺さった。

 

 それらの武器は全て肉体に埋め込まれたエクセニウムを的確に破壊し、活動を停止したクローン魔女は次々と墜落していく。

 

「くっ……!! それなら……」

 

 ランダムに飛行して攻撃を避けつつ、ゾフィーは魔石に意識を集中した。

 

 にわかには信じがたいがフルスは、今の自分は大地に流れる魔力と一体化した存在だと言っていた。ならば、魔石によってこの一帯の魔力を吸い上げてしまえば……!!

 

 魔石が、励起状態となって不気味な紅い輝きを放つ。

 

 しかし、いくら待っても魔力の吸引現象は起こらない。

 

「!? そんな……?」

 

 ゾフィーは自分の命だけが魔石に吸われる倦怠感だけを感じながら、思わず目を剥いた。

 

「……残念だけど……あなたが魔石で土地の魔力を吸う事は、もう出来ないわよ」

 

「!?」

 

 すぐ後ろから掛けられた声に、ゾフィーは反射的に振り返る。

 

 そこには、フルスが居た。

 

 有り得ない。

 

 近づいてきたならば、絶対に気付いていた筈。こいつはどうやって、自分の背後に回り込んだのだ?

 

 まるで風や空気のように気配を感じなかった。空間を越えていきなり後ろに現れたようだった。

 

「……この大地……いや、この星に流れる魔力は、今や全て私の意志によって封じられている。もう……あなたは魔石で魔力を吸収する事は出来ないし、レイラインの通る土地で魔法を使う事も出来ない……降伏しなさい。最早、あなたに勝ち目など無い……!!」

 

「なあっ……そ、そんなバカな……!!」

 

 ゾフィーの顔が蒼白になる。

 

 フルスの言葉が事実ならば、百名以上の魔女がしかも魔石・エクセニウムで武装して圧倒的な戦力を保持する筈の自分達はその実は蟷螂の斧、眼前のフルスよりも遙かに劣る力しか持っていない事になる。

 

 如何に魔石が膨大な魔力の結晶であり、吸い上げた魔力を結晶化したエクセニウムがあると言ってもそれらは大地全体に流れる魔力の総量からしてみれば、ほんの1パーセントにも満たない微量でしかない。無論、その微量ですらケネンベルクやゼルン回廊のように魔力が潤沢な土地で使える魔力量よりもずっと多いし、才能の多寡にもよるが魔女が操る事が出来る魔力量のほぼ限界点と言える。

 

 しかし今のフルスは、残り99パーセント以上の魔力を自在に操れる。

 

 更にゾフィー達はもう魔力を補給する事も出来ないし、レイラインの通っている地で普通の魔法を使う事すら封じられた。

 

 これは例えるならたった一小隊のライフル程度の装備で、大国の火力全てを相手にしているようなもの。戦力とか作戦とか、それ以前の問題だと言える。

 

 詰み、であった。

 

「……私の……負けか……!!」

 

 ゾフィーも認めた。

 

 フルスの言葉は嘘ではない。

 

 現に魔石にどれだけ力を込めても魔力吸引が起こらないし、掌にはほんの小さな翠色の輝きすらも生まれない。フルスの言葉通り、大地全ての魔力が彼女のコントロール下にあるのだろう。

 

 こちらは豆鉄砲ほどの火力でしかも弾切れがあるのに、フルスの火力は戦車でしかも弾切れが起こらない。

 

 勝ち目は、一片の欠片も無い。

 

 水が上から下に流れるような自明の理として、その事実が突きつけられた。

 

「……」

 

 フルスは油断した様子は無いが意外そうな様子ではある。

 

 てっきり、最後の抵抗をしかけてくるものだとばかり思っていたが……

 

「では、ゾフィー……あなたは……」

 

「だが!! 私一人では死なないわよ!!」

 

 うなだれていたゾフィーがばっと顔を上げて、杖を大きく降る。

 

 この動きに連動し、エクセ・コーズが再び動いた。

 

 無数の魔力結晶を発生させて、一斉にフルスへ向けて発射してくる。

 

「無駄な事を……!!」

 

 フルスは避けようという素振りすら見せずに、大地から無数の武器を発射して魔力爆弾を迎撃する。

 

 再び、大爆発。

 

 熱と衝撃がやってくるが、フルスは僅かな反応も示さない。

 

 今のフルスは肉体を捨てた、大地を巡る命の流れの一部。風や水のように、いかなる攻撃をも受け流す。

 

 爆発の向こう側から、完璧に無傷のフルスが姿を現した。

 

「ゾフィー、あなたは……」

 

 説得を続けようとして、フルスは違和感に気付いた。

 

 ゾフィーが、居ない。

 

 ここに残っているのは全て、薬物や手術で自我を焼かれて唯々諾々と命令に従うだけのクローン魔女のみ。

 

 司令塔であったゾフィーの姿が、何処かへと消えている。

 

「どこへ……?」

 

 考えて、結論はすぐに出た。

 

 ゾフィーは自分一人では死なないと言っていた。そして彼女はエイルシュタットに深い憎しみを抱いている。更に今の彼女はあらかじめ魔石に備蓄していた分しか魔法が使えないから、あまり遠くまでは飛べないし大規模な攻撃魔法も使えない。ならば……

 

 恐らくだが、大量のエクセニウムを一点に固めた爆弾のような兵器がどこかにあるのだろう。小石ほどの大きさのエクセニウムでも、爆裂させれば恐ろしい破壊力を発生させる。もしそれが、砲丸ほどの大きさを持っていたら……!! その一撃を、エイルシュタットへと放つつもりだ。

 

「させない……!!」

 

 フルスはゾフィーを追跡しようとするが、しかしすぐには無理そうだった。

 

「……まずは、彼女たちを何とかしなければ……」

 

 百名弱となったエクセ・コーズは、一心不乱にフルスへ向けて魔力放出を続けている。

 

 既に何人かは、魔力を使い切って活動を停止、落下している。

 

 クローン魔女達には死の恐怖も、命令に逆らうという思考すらも無いようだった。

 

 ゾフィーによってフルスの足止めを命じられている彼女たちは、それが良い事とも悪い事とも考えずに、ただ命令を遂行するだけだ。その先に、自分達の死が待っていようとも。

 

 しかもゾフィーが居なくなった今、命令を撤回したり別命令を出す者も居ない。彼女たちは機械に組み込まれた、回り続けるだけの歯車のようだった。全ての魔力と命が尽きるまで攻撃を繰り返す、それだけを実行する歯車。

 

 滅茶苦茶に発射される魔力は当然ながら狙いも滅茶苦茶で、何発もフルスから逸れてノイエベルリンにも着弾し、あちこちで火の手が上がった。

 

 

 

 

 

 

 

「う、うわあああっ!!」

 

 一発でも当たれば自分の体など、ミンチを通り越して跡形も無く消滅する。

 

 そんな恐るべき破壊力が下手な鉄砲のようにバラ撒かれる悪夢のような現実に、まだ若いそのゲール兵は敵前逃亡は銃殺という軍規も忘れて走り出した。

 

 とにかく、今はここから1メートルでも遠ざかりたかった。

 

 ちらっと、肩越しに空を見上げる。

 

 ちょうど、エクセ・コーズの一人が放った紅い輝きが自分に向けて降ってくるのが見えた。

 

「ひいっ……!!」

 

 死んだ。

 

 それが分かった。

 

 一秒後には、自分の体は爆発によって木っ端微塵になってこの世から消えるだろう。

 

 だが、その時だった。

 

 横合いから飛来した槍が、エクセニウムを空中で撃ち落として爆発させた。

 

 衝撃を受けて彼は地面を転げ回る。

 

「う……うぐ……痛ぅ……!!」

 

 体中に擦過傷を作る羽目になったが、骨折など致命的な怪我は避けられたようだ。何とか、立ち上がる。

 

「お、おい!! フリッツ!! 大丈夫か!!」

 

 同僚の兵士が、駆け寄ってくる。

 

「あ……あぁ……」

 

 彼は、あんぐりとしてもう一度空を見た。

 

「なぁ……あれを見ろよ……」

 

「……あれ??」

 

 今、飛んでくる紅い光を撃ち落とした槍の動きは流れ弾などではなく、明らかに意図されたものだった。

 

「あの……エイルシュタットの魔女……俺たちの魔女と戦いながら……俺たちを守ってる……」

 

 

 

 

 

 

 

 精強な守備隊によって守られた内地、安全な後方。

 

 永遠に続くであろう、ゲルマニア帝国の栄光の象徴。

 

 そんな絶対安全圏だった筈のノイエベルリンが今、戦いに巻き込まれて炎に包まれている。

 

 こんな事が起こるなど頭の片隅にも思い浮かべた事が無く、どこへ向けて逃げれば良いのかすら分からずに右往左往する人々の中を、ベルクマンは歩いていた。

 

「……ああ、ここに居られましたか」

 

「あぁ、君ですか。まだ、残っていたのですか。てっきりもう逃げ出したのかと思っていましたよ。でも、助かりました」

 

 やや皮肉気な言葉を掛けてくるのは、帝国の摂政であるエリオットであった。

 

「……中佐、君に一つ頼みたい事があるのですが」

 

「私に、依頼ですか?」

 

「えぇ、人を一人……消していただきたいのです」

 

「ほう、殺しの依頼ですか。しかしそんな御方が、このノイエベルリンに居られたでしょうか?」

 

 とぼけるように言うベルクマンだが、しかし言葉の節々から彼が既にエリオットが依頼する殺しのターゲットが誰であるかは、既に察しが付いている事が伺い知れた。

 

「そうです。君もよく知っている人物ですよ」

 

「……良く知っています。しかし、閣下の最高の上官でしょう? 今、あなたがされようとしているのは明白な裏切り行為ですよ?」

 

 今のベルクマンの口調は、どこか試すようでもあった。

 

 それを受けてエリオットは少しだけ躊躇ったように沈黙し、そして首を振った。

 

「……陛下が今、どこへ行かれようとしていると思いますか?」

 

「? それは当然、宮殿地下のシェルターに……」

 

「いえ……陛下は今、第9設計局へ向かおうとされています」

 

「!! ……第9設計局……確か、あそこは……」

 

「えぇ……」

 

 エリオットが頷く。

 

「あそこでは、不老不死の研究が行われています……無論、まだ実用化にはほど遠いものですが……陛下は今すぐ、自らの肉体にその施術を行わせるつもりです」

 

「ふん……」

 

 ベルクマンが、嘲笑するように鼻を鳴らした。

 

「滑稽ですね。国が滅ぶと言うのに、その国の代表だけが永遠に生き存えようなど」

 

 ともすれば敗北主義者の烙印を押されても仕方ないベルクマンの暴言だが、エリオットがそれを咎める事はしなかった。

 

「えぇ……正直言って、陛下を見損ないました」

 

 首都近郊にエイルシュタットの魔女が現れて、エクセ・コーズとの戦闘の余波で守備隊は壊滅状態。そして戦火は帝都全体にまで広がっている。指揮系統はズタズタに分断され、各地に派遣している軍との連絡も取れてはいるまい。いわば今のゲールは、いきなり頭部に一撃を食らって半身不随の状態に追い込まれたに等しい。

 

 そしてこんな好機を、アトランタ合衆国もヴォルガ連邦も、座視している訳が無い。一気呵成に攻め込んでくるだろう。更に今のゲルマニア帝国はエクセ・コーズの戦力を維持する為に多額の予算が割かれていたので、陸海空軍の通常戦力は寧ろ減少傾向にある。この状態でアトランタとヴォルガの二大大国を相手に、二正面作戦をして勝利する事など絶対不可能。

 

 戦線は蹂躙され、ゲルマニア帝国は敗北する。

 

 ベルクマンとエリオットには、その未来が既に見えていた。

 

 ならばどうすべきか。

 

 事ここに至っては、帝国の敗北は最早不可避。後はどれだけ傷口を小さくするかの問題になる。

 

 少なくとも、列強諸国に食い荒らされるような事態だけは絶対に避けねばならない。

 

 その為の手段として手っ取り早いのは……分かりやすい責任者の首を差し出す事だ。そしてそれを行うのは、ゲルマニア帝国の人間である事が望ましい。内部告発という形になって、この事態を引き起こしたのはあくまで責任者とその側近連中が勝手にやった事で、ゲルマニア帝国人全体の責任では無いという事に出来るからだ。

 

 その為に手を汚す役として、ベルクマンは選ばれたのだ。

 

「これを、持って行きなさい」

 

 エリオットは懐から、フィルムを取り出した。それをベルクマンへと差し出す。

 

「これは……?」

 

 受け取ったベルクマンはしげしげとそのフィルムをかざして、何が記されているかを見ようとしている。

 

「そこには、我が軍がサハラ砂漠の基地に運び込んだ金塊のありかが記されています。依頼を果たした後は、あなたの好きにすると良いでしょう」

 

「感謝します、閣下……しかし……本当によろしいので?」

 

「帝国を救う為です。行きなさい。この先の隠し通路を抜けていけば、陛下の先回りが出来ます」

 

「……はい、閣下……それでは、お元気で」

 

「ええ、ベルクマン……もう会う事は無いでしょう」

 

 一礼したベルクマンは、フィルムをポケットにしまうとエリオットの脇を通り抜けて進んでいく。

 

 そうして数歩ばかり進んだ所で……

 

 パン!!

 

「!!」

 

 後ろから銃声が聞こえてきて、振り返る。

 

 そこにはエリオットが、血を流して倒れていた。

 

 右手にはまだ硝煙が立ち上る銃を握っていて、血は頭から出ている。彼はこの銃で自分のこめかみを撃ち抜いたのだ。

 

 けじめ、であったのだろう。

 

 たとえ国の為とは言え彼の行動は臣下として主への背信、人としての悪である。

 

「だから……これがあなたなりの、責任の取り方という訳ですか……閣下……」

 

 どこか哀れむように、そして蔑むようにも聞こえる口振りでそう呟いた後、ベルクマンは懐に手を入れて愛銃の感触を確かめる。

 

 そうして彼は、エリオットに指示された秘密の通路を進んでいった。



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第28話 最後の戦い Ⅴ

 

「陛下、こちらです!! この先に車が用意してあります」

 

「うむ……」

 

 炎に包まれるノイエベルリン。

 

 皇宮の一角を、オットーは腹心の部下達に囲まれつつ足早に移動していた。

 

 絶対の安全圏であった筈の帝都は今、突如として現れたエイルシュタットの魔女の攻撃を受けている。

 

 これは昨日まで、どころかほんの一時間前までは想像すらもしなかった事態だった。

 

 エクセ・コーズの活躍によってブリタニアの首都であるロンディニウムは陥落し、次にはヴォルガ連邦。更にその次は海を渡ってアトランタ合衆国を撃破して世界を大ゲールの手中に収める。

 

 そして自分はその統一国家の唯一皇帝として君臨し続ける、永遠に。

 

 それがオットーの思い描いていた野望であった。

 

 自分に限ってこんな事が起こって良い訳が無い。

 

 何百年も前から数多の権力者が望みしかし手に入れる事が出来なかった、不老不死という禁断の果実。しかし自分はそれに手を掛けている。

 

 きっかけは辺境出身の兵士が挙げてきた報告書を読んだ事だった。現代の魔女。あまりにも現実離れしたその内容から軍司令部も世迷い言として取り合わなかったその書類が目に入ったのは、いくつかの偶然が重なった末の幸運であった。

 

 その時点では半信半疑ながらもしかし親衛隊を動かし、魔女が隠れ住んでいた家を襲撃する。

 

 残念ながら魔女自身を捕獲する事は出来なかったが、しかし魔女が回収出来ずに残していった研究資料が手に入った。

 

 それに目を通した時、体に走った電気のような感覚。その興奮を、オットーは今でも覚えている。

 

 これは自分に世界を手に入れ、永遠に支配せよという天啓であると、彼は受け取っていた。

 

 だからこそ、こんな所で死ぬ訳には行かない。自分はこんな所で死んで良い人間ではないのだ。

 

「これは偶然ではない……余は運命に選ばれた人間なのだ……!!」

 

 ぶつぶつ呟きながら、オットーは非常時の脱出用に準備された車へと急ぐ。

 

 車の行き先は、第九設計局だ。

 

 あそこでは「傷の娘」のデータと、ゾフィーによってもたらされたエクセニウム。そしてリッケルトが回収した魔石のデータを解析して不老不死の法の研究が、日夜進んでいる。

 

 無論、これは未だ発展途上・研究中の技術であり今は原理を解析している段階で動物実験すら行われていない。しかし、もうそんな事は言っていられない。

 

 オットーは決して無能・愚昧・暗愚の類ではない。寧ろ有能、特に軍事的な手腕にかけては秀でている。

 

 そんな彼だからこそ、エリオットやベルクマンと同じものが既に見えていた。

 

 このノイエベルリンがエイルシュタットの魔女によって陥落させられれば周辺各国へと侵攻を行っている各方面軍へと連絡や物資の補給が行き渡らなくなり、統制を欠いたそこを狙ってアトランタやヴォルガ連邦は間髪入れず攻勢に移ってくるだろう。指揮系統が乱れ、エクセ・コーズを運用する為に通常戦力が削減された今のゲール軍ではそれを止める術は無い。

 

 ならば戦火が本格的に首都に及ぶ前に、彼は目的を遂げる必要があった。

 

 不老不死。永遠の命を、自分に。

 

 成功の確率などは、今の彼の頭の中からは消し飛んでいた。

 

 百に一つ、あるいは文字通りの万に一つの可能性であろうと何の根拠も無く「上手く行く筈」「上手く行かなければおかしい」と思い込んでいた。

 

 しかし。

 

「いや、偶然ですよ」

 

 パン、パン、パン!!

 

 冷ややかな声が聞こえて、立て続けに響く数発の銃声。

 

 オットーの周囲を固めていた護衛達は、全員が正確に眉間を撃ち抜かれて倒れ伏した。

 

「なっ……」

 

「お久しぶりですね、陛下……」

 

 硝煙の立ち上る銃を片手に、暗がりから姿を現したのはベルクマンだった。

 

「ベルクマン……き、貴様……!!」

 

「申し訳ありませんが、陛下……ゲールの為に、お命を頂戴いたします」

 

 少しも感じていないだろう心痛をさも噛み締めているかのような神妙な口調でベルクマンは言うと、愛銃の銃口をオットーへ向けた。

 

「ベルクマン、見逃してくれ!!」

 

「はっ?」

 

 さしもの特務の中佐も、この申し出には自分の耳を疑った。呆気に取られてぽかんとした顔になる。

 

「い、今何と……?」

 

「頼む、見逃してくれ!! ならば後日、貴様には重く報いるだろう!!」

 

「……陛下、流石にそれはあまりにも見苦しいというものでしょう……」

 

 呆れたように頭を振ると、ベルクマンは引き金に指を掛けた。

 

「では、見逃せぬと」

 

「……仮にもあなたはこのゲルマニア帝国の皇帝なのですよ? もう少し、しゃっきりとしたらどうです」

 

「ぬぅっ……」

 

「国が繁栄してその上に皇帝が君臨していると言うなら分かりますが、国が滅んだのに、皇帝だけが永遠に生き続けているなんて滑稽でしょう。玉座の上に吊された剣が、落ちてくる時が来たという事ですよ。かくなる上は潔いご最期を……」

 

「黙れ黙れ……黙れっ!!」

 

 オットーの手が懐へと動く。

 

 しかしそれより早くベルクマンの指が動いて、皇帝の頭蓋に風穴を開けた。

 

 どさりと、血の海に沈むオットー。

 

「……」

 

 ベルクマンは懐からハンカチを取り出すと、指紋が付かないよう注意しつつオットーの懐をまさぐる。

 

 固い感触が指先に伝わって、取り出されたのは見事な装飾が施された黄金に輝くワルサーPPだった。

 

 ベルクマンはその黄金銃をオットーの手に握らせる。これで、傍目にはオットーが自害したように映るだろう。

 

「せめてもの情けですよ」

 

 これで、エリオットから受けた任務は果たした。

 

 後はこのノイエベルリンを脱出するのみ……

 

 再びベルクマンが暗がりへと姿を消そうとした、その時だった。

 

 パン!!

 

「あ……?」

 

 銃声。

 

 そして腹部に走る灼熱感。

 

 視線を下げると、じわりと紅い色が着衣に広がっている。

 

 急激に全身の力が抜けていくのを感じて、ベルクマンはすぐ近くの壁に体を預けてずるずるとしゃがみ込んだ。

 

「……」

 

 ちらりと、首だけ動かして先ほど自分が出てきた暗がりを見る。

 

 そこから姿を現したのは、リッケルトだった。手には、先ほどのベルクマンと同じで撃ったばかりなのだろう、硝煙が消えていない拳銃を握っている。

 

「あぁ、中尉……撃ったのは君か……」

 

 撃たれたベルクマンは怒るでもなく、どこか他人事のような調子で部下へと語りかけた。

 

「……ここまで来て、自分一人だけ逃げ出すというのは……それは通らないでしょう、中佐……僕もあなたも、世界を滅茶苦茶にする片棒を担いだのですから。それで賭けに負けたのなら、責任は取るべきでしょう」

 

 ゲルマニア帝国がエクセ・コーズの威力によって世界制覇を達成したのなら、それも良いだろう。払う年貢を踏み倒せるのは、勝者の特権だ。

 

 しかし現実には、エイルシュタットの魔女によってゲルマニアの敗北は最早予定調和となってしまっている。ならば敗者は、その負債を清算せねばならない。一抜けは無しだ。

 

「……君が、僕を殺すのか?」

 

「……」

 

 少し考えた後、リッケルトは銃を下ろした。

 

「いえ……僕の役目はここまで。僕たちをどうするかは、人々が決めてくれるでしょう。それに従いますよ……」

 

「……そう、か……」

 

 ベルクマンは天を仰いで大きく息を吐いて、ポケットからシガーケースを取り出すと、残っていた最後の一本を咥えた。

 

 火を付けようとしたが、ライターが寿命を迎えているのか中々点火しない。

 

 すると、リッケルトがさっと点火したライターを差し出してきた。

 

「おっ、悪いね……」

 

 火を付けたタバコを一吸いして、紫煙を吐き出したベルクマンはにやっとリッケルトに笑みを向けた。

 

「ま、それも良いか……」

 

 

 

 

 

 

 

「これで……最後!!」

 

 フルスが発射した光り輝く槍が、最後に一人残ったクローン魔女の胸を貫いた。

 

 何処かへと離脱したゾフィーを除いては、これでエクセ・コーズは全て倒した。

 

 残るはゾフィーだけだが……

 

 闇雲に逃げたとは思えない。恐らくはどこかに隠された兵器の類を起動させる為に動いているのだろうが……

 

 そう、フルスが考えた時だった。

 

「!!」

 

 遙か視界の彼方で、爆煙が噴き上がって何かが空へ向けて飛んでいく。

 

「あれは……!!」

 

 フルスは今や大地そのものとなった自分の感覚を飛ばして、その場所を探る。

 

 すぐにその場所の風景が克明に、意識の中に飛び込んできた。

 

 上空へと凄いスピードで打上げられていく円筒形の物体。最後の一人となったゾフィーは、先導するようにその物体のすぐ傍を飛んでいる。

 

 円筒形の物体には、飛行機のように乗員が乗り込んでいる様子は無い。恐らくは推進機構だけが組み込まれていて真っ直ぐ飛行するだけの機能しかないのだろう。それを、ゾフィーが魔法の力で軌道をコントロールして誘導し、目標地点へと着弾させるという仕組みのようだ。

 

「……」

 

 更にフルスが気を尖らせてみると、円筒形の物体の先端には大量の生命エネルギーが感じ取れた。

 

 エクセニウムだ。

 

 しかも、その量たるやどうだ。

 

 エクセ・コーズのクローン魔女達を稼働させる為に彼女達の胸に埋め込まれていたのはせいぜいビー玉程度の大きさでしかなかったが、あの物体の中からは人の頭ぐらい大きなエクセニウムの反応を感じる。

 

 もしそれだけの量のエクセニウムが、内包するエネルギーを開放したらどうなるか……

 

 フルスにもはっきりとは分からないが、恐らくは一つの都市が跡形も無く消し飛ぶには十分な破壊力が生まれるだろう。

 

 ゾフィーの狙いはまさにそれであったのだ。

 

 エイルシュタットへの復讐を果たす為に、首都ランツブルックへと特大のエクセニウム爆弾を撃ち込むつもりだ。

 

「……でも、そうはさせない、ゾフィー……私達魔女はもう……人の世界に在ってはならないのだから……」

 

 魔女の歴史は、今日この日を以て終わらなければならない。

 

 この先の世界に、魔法が使われてはならない。

 

 魔法によって殺される人も、居てはならない。フルスがゲール兵達を助けたのも、それが理由だった。

 

 特に、もうゾフィーにも一人も人を殺させてはならない。

 

 未来を創る資格と権利を持つのは、常に今を生きている者だけ。

 

 命とは水の如く流転するものであり、行く川の流れは絶えずとも同じ水は二度と元には戻らない。ゾフィーの命も数百年前に一度流れたものであり、決して還らない。今、ゾフィーがこの世界に在るのは奇跡なのか、あるいは彼女は……悪意によって命を得てこの世界に在るのか。

 

 ……いずれにせよ、言える事は一つ。数百年も前の因縁によって今の人が殺されるなどあってはならない。

 

 人を殺すのも、人を守るのも、人を活かすのも。

 

 全ては、今を生きる人の手によって為されるべき事だから。

 

「……過去は戻らない。喪ってしまったものは還らない……そうでしょう? メーア……ファルシュ……」

 

 フルスはそう呟いて、彼女の中のスイッチを切り替えた。

 

 そして、全ては流転する。

 

 

 

 

 

 

 

「!! これは……」

 

 エイルシュタットの秘密基地。

 

 車椅子に座ったイゼッタが、びくりと体を動かした。

 

「? どうした、イゼッタ……」

 

 すぐ傍らに立つフィーネが、しゃがみ込んで視線を合わせると気遣わしげに尋ねた。

 

「レイラインが……動いています……」

 

「レイラインが……?」

 

「はい、これを見てください」

 

 ビアンカの問いを受け、頷いたイゼッタはすっと手をかざしてみせる。

 

 イゼッタの手の中に生まれた翠色の輝きは、いきなり風船のように膨れ上がったかと思うと、数秒後には小石ほどの大きさに縮んだ。そうしてまた十秒ばかり経つと部屋全体を覆い尽くすほどに巨大化する。

 

 この土地に流れる魔力の総量が、信じられないほどの短時間で極度に増減している証拠だ。

 

「……そんな事が起こり得るのか?」

 

 ジークの質問に、イゼッタは首を振った。

 

「いえ……私も聞いた事が無いです。おばあちゃんも、そんな事が起こるなんて言っていませんでした」

 

「それは……」

 

 様々な要素から検証するに、まず起こりえない事ではあるのだろう。

 

 王城地下の魔女の間に記されたレイラインの地図は、数百年前にゾフィーが一族から出奔する際に魔石と共に持ち出して、然る後にエイルシュタットの手に渡った物の模写である。模写ですら数百年前、ましてやオリジナルの地図が記されたのはそれより更に前の時代だろう。

 

 そんな遙か過去に作られたレイラインの地図だが、現在でも実際に魔法が使える場所と地図に記された魔力の流れる場所には、少しの誤差も生じていない。

 

 つまり少なくとも数百年程度の時間では、レイラインの位置や濃さは変化するものではないのだろう。

 

 それが今は、数秒単位で変化を続けている。

 

 そしてもう一つ。

 

 レイラインの動きには、規則性があるのをイゼッタは感じ取っていた。

 

 大地それ自体が一点に集まっていくかのように、魔力の流れが一カ所にねじ込まれていく。

 

 きっと、その集中するポイントに居るのは……

 

「フルスさん……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 星が、啼いた。

 

「さぁ……この一撃を以て……魔女の歴史に……終止符を打ちましょう、ゾフィー……」

 

 フルスの足下から、間欠泉のように膨大な魔力が噴き上げた。

 

 大地それ自体が輝いているのかと錯覚するような光量を持ったその輝きは、ゾフィーも、彼女が誘導するエクセニウム爆弾をも包み込んでいく。

 

 飛翔するフルス。

 

 それに続くようにして、大地から無数の光の帯が伸びていく。

 

 星から生じた光の帯はやがてフルスの体を核として絡み合い、束ねられ。

 

 天地を貫く巨大な光槍の穂先へと姿を変えて、ゾフィーへと向かっていく。

 

「これは……」

 

 自分の体も、エクセニウム爆弾をもその影すら残さず消し去るであろう膨大な熱と光。

 

 しかしそれに包まれながらも、ゾフィーは少しの恐怖も感じなかった。

 

 感じるのは、寧ろ安心感や落ち着きという感情だった。

 

 まるで在るべき所へ還るような、そんな安堵を覚える。

 

 誰かに呼ばれているような、懐かしい感覚がする。

 

 視界の全てが光に包まれていく。

 

 そんな真っ白い世界の中で、懐かしい人影が見えた気がした。

 

「……マティアス……?」

 

 気付いた時、ゾフィーは既にエクセ・コーズを率いるゲルマニア帝国の魔女ではなかった。

 

 何百年もの時を隔てた過去。

 

 薬草を摘みに出掛けた森で、怪我をした王子を助けた少女そのままの姿と心になって、ゾフィーは彼女が助けた王子へと駆け寄った。

 

「…………」

 

 全ての感覚が消えていく中で、王子……マティアス1世の唇が動いて何事かを語りかけるのが見えた。

 

 聞こえない筈の彼の声が、ゾフィーには伝わっていた。

 

「……そう……そうか……あぁ、良かった……」

 

 呟いたゾフィーは微笑する。

 

 彼女は目を閉じて、体の力を抜いた。

 

 そうして彼女もエクセニウム爆弾も。

 

 星から生まれた光の中に、命の流れの中に、全てが還っていく。

 

 そう、全てが。

 

「うん……分かってたわ、ゾフィー……あなたも、きっと……大切な人を守りたかっただけなのよね……」

 

 ゾフィーだけではない。

 

 イゼッタがフィーネを、フィーネがイゼッタを。昔のフルスがメーアを、今のフルスがイゼッタとフィーネを守りたかったように。

 

 誰もが、大切な人を守りたいだけだった。

 

 時としてその想いは人の悪意に利用され、間違った方向へ進んでしまう事もあるが……それを止め、正す事が出来るのもまた人の御業であろう。

 

 自分とゾフィーは去り、イゼッタも死んだと、フィーネは世界に公表するだろう。

 

 これでこの世界に、魔女は居なくなる。

 

 魔力、命の流れは残り続けるが、それを扱える者がもう居ない。魔女は滅びゆく種族だ。いつか、イゼッタに子供が産まれてもその子に魔法の力は受け継がれない。

 

 魔法はお伽噺の彼方に消えて、人の記憶からもいずれ忘れ去られる。

 

 魔女の居ない世界は、良い事ばかりではないだろうが……

 

「でも……せめて私は、良い世界であるように祈っているから……」

 

 そう呟いたフルスは、すぐ傍らに二つの小さな人影があるのに気付いた。

 

「あなた達は……」

 

 見間違える筈も無い、その少女達は……

 

「メーア……ファルシュ……」

 

 同じ顔、同じ背格好の二人の娘が、微笑みながら自分に手を差し出している。

 

 ここでフルスは、あぁそうかと頷いた。

 

「二人とも……迎えに来てくれたのね……」

 

 差し出されたその手を、フルスは握り返す。

 

「メーア……ファルシュ……これからは私達……ずっと……ずっと……一緒よ…………うん?」

 

 娘達を抱きしめながら、フルスはすぐ傍に新しい気配が現れたのを感じて顔を上げる。

 

「ロレッタ……?」

 

 そこに在ったのは、古き友の姿だった。

 

 数秒ばかりぽかんとした表情になったフルスは、その後で柔和な笑みを浮かべる。

 

「こうして見ると……イゼッタはお母さん似ね……大きくなったあの子は本当に……あなたそっくりよ……」

 

 ロレッタも、フルスへと優しく笑い返した。

 

「ねぇ……ロレッタ……私、これで良かったのよね……」

 

 そうして、フルスもまた光の中に融けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 これが魔女の歴史の終わり。

 

 歴史には記される事の無い戦い。

 

 ゲルマニア帝国の敗北を決定付けた、エイルシュタットの魔女の最後の戦い。

 

 その終わりであった。

 



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最終話 フルス

 

 オットー皇帝が自害し、ノイエベルリンが落ちたあの日を境に、戦争の状況は一変しました。

 

 アトランタ合衆国は、同盟各国の戦力を結集してヨーロッパ大陸への大規模上陸作戦を開始しました。それに呼応するように不可侵条約を結んでいた筈のヴォルガ連邦もゲール領内に侵攻。テルミドールやベネルクス三国が奪還され、ゲルマニア帝国は徐々に追い詰められていきました。

 

 そして1941年4月4日、ゲールは無条件降伏を受け入れ、帝国は崩壊しました。

 

 もしフィーネ様やイゼッタ様、フルス様が居なければ……戦線はもっと拡大して、戦争はこの先何年も続いていたであろうと言われています。

 

 フィーネ様はあの後、イゼッタ様とフルス様、ファルシュちゃん3人の国葬を行い、魔女がこの世界から居なくなった事を世界中に発表しました。

 

 そして……

 

 

 

 

 

「……うん」

 

 ロッテはペンを置くと、日記帳を閉じた。

 

 今日からは、宮殿に新しいメイドが配属される予定だ。先輩としてしっかりしなくては。

 

 ぱんと顔を叩いて気合いを入れると、その新人メイドが待っている部屋へと入室する。

 

 そこには。

 

「お似合いですよ、イゼッタ様!!」

 

「あ、あはは……」

 

 髪は伸ばしていて黒く染められ、眼鏡を掛けてはいるが、メイド服に身を包んだイゼッタが緊張した様子で居た。

 

「ロッテさん、もう私は魔女じゃないですし、ロッテさんが先輩なんですから呼び捨てで良いですよ」

 

「あい!! それではイゼッタさんで!!」

 

「は、はい……じゃあそれで……今日から、よろしくお願いします!!」

 

 腰を折って、深々と頭を下げるイゼッタ。

 

 と、部屋に居たビアンカが気遣わしげに声を掛けてくる。

 

「もう、足は大丈夫なのか? イゼッタ……」

 

「はい、ハルトマイヤー先生にも太鼓判を押してもらえましたから」

 

「そうか……良かったよ」

 

「今までゆっくりさせてもらった分、これからはメイドとしてお力にならせていただきますね、姫様!!」

 

 イゼッタの視線の先には、フィーネが居た。

 

 エイルシュタット大公は目を細くして、じっと親友を見詰めている。

 

「……姫様?」

 

「フィーネ様、どうかされたのですか?」

 

「いや……」

 

 フィーネは少しだけ哀しそうな顔になって微笑すると、首を振った。

 

「少し思っただけだ……もしこの場にフルス殿が居たら……どれほど喜ばれただろうかとな……」

 

「!! フルスさん……」

 

 イゼッタは神妙な表情になって、ビアンカは少し悔やんでいるような顔になった。

 

「私も、彼女とは……もう少し話しておくべきだったかも知れませんね……」

 

 あの後、ビアンカやロッテはフィーネから全てを聞かされていた。

 

 確かに、エクセ・コーズや魔石の脅威に対抗するには彼女が最後の魔法を使って人としての生と死を捨てるしか道は無かったのだろう。

 

 だが、それでも思うのだ。

 

 もしかしたら、あるいは。

 

 もっとフルスと言葉を交わして、心を通じ合わせていたのなら……別の道もあったのではと。

 

『私がどうかしましたか?』

 

「ん……あぁ、フルス殿……ちょうど今、貴殿の話を……」

 

「「「…………」」」

 

 あまりにも自然に声が掛けられたので、一同が言葉を失うまでに少しの時間を要した。

 

「「「!?」」」

 

 そして、一斉にその声の主を見やる。

 

『お久し振りですね』

 

 そこにはフルスが、あの秘密基地の医務室で最後に見た時と同じ姿でそこに立っていた。

 

「フ、フルスさん!!」

 

「貴殿は……生きておられたのか!? い、いやまさか、そんな筈は……」

 

 思わず駆け寄るイゼッタとは対照的に、フィーネは幽霊でも見たように顔を蒼白にした。

 

 フルスの遺体は、ファルシュの体やイゼッタの人形と同じで確かに火葬して弔い、遺骨は墓に埋めた。

 

 イゼッタやビアンカもその葬儀には立ち合ったから、間違いは無い。

 

 ならば今、眼前に居るフルスは何者なのか。

 

『生きている……というのは違いますね……』

 

 そっと、フルスが手を差し出す。

 

 彼女の手は、蜃気楼のようにイゼッタの体をすり抜けた。

 

「!!」

 

 思わず、イゼッタがびくりと体をすくませる。

 

 やはりフルスの肉体は、既に土に還っているのだ。

 

 今のフルスは実体の無い、大地に流れる命そのもの。それが、最後の魔法を使った事で自分という「個」を保ちながら、かつてのフルスの姿を象ってこの場に現れているのだ。

 

 フルスが最後の魔法を使って以降、イゼッタは魔法が使えなくなっていた。これまでは魔力が乏しい土地であっても魔女の力に僅かな反応はあったのに、今はそれも無くなっていた。

 

 魔女が操れるのは、レイラインに流れる誰のものでもない無色の魔力だけ。今は最後の魔法を使ったフルスがレイラインそのものとなって彼女の色にレイラインが染められてしまったから、もう他の魔女が魔力を操り魔法を使う事は出来なくなったのだ。

 

「……そうか、フルス殿……今の貴殿は生と死の概念から解き放たれた……そんな存在なのだな……」

 

 フィーネが、漸く警戒を解いたようで椅子に座り直した。

 

「あ、でもフルスさん……それじゃあ、これからはずっと一緒に居られるんですね?」

 

 どんな形でも、死に別れてしまってもう会えないと諦めていた筈の人と共に過ごせる。そんな希望と共にイゼッタが話し掛けるが……フルスは何かを諦めたように、優しく笑って首を横に振った。

 

『残念だけどイゼッタ……それは出来ないわ。今日は、お別れを言いに来たのよ』

 

「え……そんな……どうして……?」

 

『……教えた筈よ? 命は、絶えず流転してこの星を巡るものだと……私だけが留まり続けるのは、良くない……』

 

「でも、そんな……」

 

『……それに、娘達を放ってはおけないし……』

 

 フルスがそう言って顎をしゃくると、先ほどまで誰も居なかった筈のそこには、二人の少女が立っていた。

 

「ファルシュさん……」

 

「いや……でも……二人……?」

 

 その姿形は、ビアンカやロッテも良く知っている。フルスの娘の、ファルシュのものだ。しかし……二人居る。まるで鏡写しのように、ファルシュと瓜二つの少女がもう一人、そこに居た。

 

「……!! そう、か。フルス殿、もう一人の子が……メーア、なのだな」

 

『はい、フィーネ様。メーア、挨拶しなさい』

 

 母に促され、フィーネから見て右側に立っていた少女が進み出てぺこりと頭を下げた。

 

『初めまして、皆さん!! ボクはメーアといいます!! 皆さんの事は、お母さんから聞かされています!! どうかよろしく!!』

 

 同じ体だから当然と言えば当然ながらファルシュとは全く同じ姿だが、しかし物静かなファルシュとは対照的に快活な印象を受けるメーアに、一同は面食らったようだった。

 

『……と、このようにレイラインには娘が二人も居るのでね……放ってはおけませんよ』

 

 フルスの笑みが、苦笑に変わった。

 

「……でもフルスさん……!! 私は、フルスさんに助けられてばかりで……フルスさんに何も……フルスさんを、助けられなくて……!!」

 

『……いいえ……』

 

 フルスが手を伸ばす。

 

 触れられない彼女の手が、それでもイゼッタの頬を沿うように動いて、いつの間にかこぼれていた涙を拭おうと動いた。

 

『……もう、助けてくれた……あなたは……私を救ってくれたわ……』

 

 多くの者を傷つけ、多くの物を取りこぼして。

 

 喪うばかりの人生で、それでも残されていた者。

 

 本当に尊く、喪ってはいけない者を、守れたのだから。

 

 フィーネとイゼッタを守る事は、フルスにとって彼女自身を救う事でもあったのだ。

 

「……貴殿は、それで良かったのか?」

 

 ビアンカの問いに、フルスは頷いた。

 

『ええ、悔いはありません……生まれてきて……生きていて良かった。心から、そう思っています。だから……』

 

 フルスはそう言って、イゼッタに向き直った。

 

『お願いがあるの、イゼッタ……』

 

「……フルス、さん……?」

 

 涙でくしゃくしゃになった顔を、イゼッタが上げた。

 

『どうか私を……私達を、笑顔で見送ってはくれないかしら? 教えたでしょう? 命は、レイラインとなって流れて生と死を繰り返し、この世界を回り続けているのだと』

 

 命は世界を廻り、そして世界を回していく。

 

 太陽が昇り、沈み、そしてまた昇ってくるように。命は生まれ、育まれ、死に絶え、そしてまた生まれてくる。

 

 星を廻る命の旅模様。この大いなる円環はきっとこの先も、永遠に続いていく。

 

 フルスも、メーアも、ファルシュも。もうこれからはこの大地のどこにだって居る。居る事が出来る。

 

 風の中にも、光の中にも。イゼッタやフィーネ達が感じるもの全ての中に。

 

 そしていつかまた、巡り会える。

 

 これは別れではない。

 

 だから、笑って見送ろう。

 

 イゼッタは涙は流したままで、それでも精一杯の笑顔をフルス達へと向ける。フィーネも、ビアンカも、ロッテも同じだった。

 

 そんな彼女たちを見て、フルスは安心したように優しい笑みを浮かべると、二人の娘の間に立ってそれぞれの肩に手を置いた。

 

『では、フィーネ様……イゼッタ……私達は、あなた達の幸せをいつまでも祈っているわ……』

 

 その言葉を合図に、フルス達の体は砂人形のように崩れて、風に融けて消えていく。

 

 ほんの数秒で、そこにはもう誰も居なくなった。

 

 夢だったのだろうか?

 

 四人は同じ疑問を抱いて顔を見合わせるが、しかしすぐにアイコンタクトだけでそれを否定する。

 

 フルス達は確かにそこに居た。全員が同じ確信を抱く。

 

 その時だった。再び、彼女たちの脳裏にフルスの声が聞こえた。

 

 

 

『この大地に命の流転(フルス)が続く限り、私達はまた生まれ、出会い、そして笑い合えるのだから』

 

 



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