ムシウタ~夢捕らえる蜘蛛~ (朝人)
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プロローグ
始まり(再)


書き直したものです。


「最悪だ!」

 

 風に乗って誰かの悪態をつく声が聴こえる。

 町には夜の帳が落ち、漆黒が覆っている。その中を点々とした羅列で灯りが点いていた。

 住宅街。家々が並び、住人が眠りに耽ようかという時間。

 彼らが住まう境界の外では異形の存在が跋扈していた。

 八つもある脚を器用に使い、家の屋根から屋根へと跳び移る。

 夜の闇に隠れるかのような黒、その中に不気味に浮かぶ四つの紅い眼。常識では考えられない大きな躯。形状だけなら蜘蛛と分かるが、一般的なそれとは何もかもが違う存在。

 その背中には、あと少しで中学生になるはずだった少年が乗っていた。

 端からみれば連れ去られたようにも見えるだろうが、真実は違う。

 その少年、三野元こそがこの異形の蜘蛛の主なのだ。

 この世界には都市伝説に“虫”と言うものがある。青少年にとり憑き、夢を喰らうとされる異形の存在だ。そして、その“虫”に取り憑かれた者のことを“虫憑き”と呼ぶ。

 

『――貴方の夢をきかせてくれない?』

 

 元は自分が“虫憑き”になった日の事を今でも覚えている。

 学校からの帰り、夕暮れ時に丸いサングラスをかけた紅いコートの美女にそう問いかけられた。

 次の瞬間、自分の意思とは関係なく自らの夢を語り、気付いた時には虫憑きになっていたのだ。

 その美女は“大喰い”という人外であり、“虫”を生み出す元凶でもある。それは一般人では決して知ることが出来ない情報だ、しかし一般的な家庭に生まれたはずの元は識っていた。

 簡略的に言うのなら彼は転生者である。

 前世では十代半ばに交通事故に遭い命を落としてしまった只の一学生だ。それは現世でも同じ、他人より経験や知識を先取りして人生が始まっただけのこと。同年代より知識を多く持っているというだけであり、“特別な才能”というものはなかった。

 その『知識』の中には前世に趣味として読んだ漫画や小説の記憶もある。“大喰い”とはその中の一つ、『ムシウタ』と呼ばれる小説に登場する者だ。

 虫を生み出すモノは『原虫』と呼ばれ、思春期の子どもの夢を喰らうとされる。そして喰われた者は虫憑きになるのだ。

 彼女は内の一体であり、その中でも己が食欲を満たす為に手当り次第に子どもの夢を喰らう暴食の化身。

 僅かに芽生えた夢にさえ喰らいつくその欲望(歯牙)は平穏を謳歌していた元にさえ向けられた。

 そして抵抗する術を持たない彼はそのまま虫憑きとなった。

 

 そんな経緯があり、決して人には言えない秘密を持った元だったが、それでも何とか『普通の生活』を維持しようと思っていた。

 だがしかし、そんな矢先に自宅に強盗が押し入るというトラブルが起きた。生前も平凡な生活を送っていた元にとってそれは初めてのことであり、焦りや怖れを抱いてしまった。

 その気持ちを汲んでか、彼の虫は宿主の身を守ろうと姿を現し糸によって強盗を難なく捕らえることに成功した。

 その件はそれで済んだのだが、すぐにまた別の問題が起きた。実の子が虫憑きであったという衝撃的な事実から両親は警察へと連絡を入れてしまったのだ。

 その事を知った元は直ぐ様家を飛び出した。国家機関に知られたという事は必然的に『彼ら』が動くという事だからだ。

 ――虫の知らせか、溢れんばかりの焦燥感が一瞬息を潜めた。そしてその瞬間、耳が異音を拾った。

 虫の羽音の様な、しかしそれにしては大き過ぎる音。気付いた時には元の虫は一際大きな跳躍をした。

 そして次の瞬間、蜘蛛が居たはずの場所に大きな針が突き刺さった。コンクリートの塊すら容易く貫くであろう凶器に戦慄する。

 振り向きざまに確認すると人よりも大きなミツバチが宙を舞っており、恐らくアレが行ったのだろう。

 単純故にその脅威は解り易い。だからこそ、それから逃れる為蜘蛛は躯のバネを活かし建物の間を“縫いながら”跳び去った。

 それを追いかけるようとミツバチが跡をつけた瞬間。

 ――その躯は突如宙に縛り着けられた。

 凝視しなければ見えない程の、薄く細い糸が異形の虫の躯を雁字搦めにしていた。

 

 

 ――くそ! くそ! くそ!

 

 何回、何十回目になるか分からない悪態を心の中でついた。

 分かっていたことだ、しかし予想よりも早過ぎる。

 『彼ら』……特別環境保全事務局――通称“特環”のあまりに早い対応に元は頭を抱えた。

特環とは虫憑きを捕らえ、隔離し、そして兵士として使役する組織だ。公にはされていないが政府の秘密組織であり、虫についての噂や報告があった場合秘密裏にそれを片付けるよう務めている。

虫を相手にする以上、勿論荒事になるは必然。その為捕縛、または殲滅の際は戦闘慣れした者が出向く場合がほとんどだ。

 恐らく、今回の元の一件もそれに属している。

 場馴れした相手に、まだ不慣れな虫で挑むのはどう考えても分が悪い。選択など逃げ一択だろう。

 しかし、先も述べた通り特環は政府の機関だ。情報網は馬鹿に出来ず、あらゆる所に手回しすることも可能だろう。いくら虫の力を使えるからと言ってもそんな権限や権力を持つ者たちから逃げ切るのは至難の業。

 特に元は既に面がわれており、頼れる仲間もいない。憑いてる虫も極めて普通の分離型だ。能力は未知数とはいえ、最もやられ易い虫で徹底抗戦するのは厳しいどころの話ではない。

 ――ならば一体どうするか?

 必死に生き延びるため思案した。

 だからだろう、すぐ傍にまで脅威が迫っていることに気づくことが出来なかったのは……。

 

 ザッと靴が砂利をする音が聞こえた。同時に人の気配を察した元は振り向きそちらを見やる。

 丸く大きな月をバックに黒いコートに身を包んだ少年がいた。

 ゴーグルによって表情は窺えず、髪は逆立っている。そのゴーグル以外に特徴的な印象を持つことは出来ない。しかしそのコートを身に着けているということは特環の局員なのだろう。

 複数人での行動ではなく単身で接触してきたということは号指定局員と見て間違いない。

 瞬間的、且つ暫定的ではあるがそう観察し危険を感じ取った元は即座に「逃げよう」と判断し、踵を返そうと――する前に絶対に見落としてはならない物を視界に捉えてしまった。

 その少年の手には似つかわしくない物があった。この日本では決して一般人が持つことが許されない物……自動式拳銃だ。

 黒く怪しく光るそれを見逃さなかった元は慌てて逃げるのを中断した。

 逆立った黒髪、ゴーグル、黒い特環のコート、自動式拳銃。

 これらを満たす人物に思い当たる節がある元は無意識の内に唾を呑んだ。

 「まさか、そんなはずは……」そんな否定的な思考も沸いたがそれもすぐに消し飛んだ。

 黒いコートの少年の下に一匹の緑色の虫が舞い降りた。

 それは少年の肩に触れると溶ける様に一体化を果たした。

 体は緑色の模様が侵し、それは拳銃にまで達すると得物は異形へと姿を変えた。

 

「ま、さか……お前は……」

 

 悪魔。そんな言葉を体現したようなものを前に元は恐怖で足が動かない。

 僅かに振り絞る声すらか細い。

 だがその声は確かに少年に届いたらしく、彼は口の端を吊り上げ応えた。

 

「――“かっこう”」

 

 その言葉は正に死神の鎌と同義であった。

 “かっこう”――『ムシウタ』における主人公である少年のコードネームだ。

 特異な能力こそないものの、その圧倒的な火力から恐れられている最強の虫憑き。多くの虫憑きにおける恐怖の象徴。

 そんな存在が今、元の目の前にいる。

 逃げることは不可能、戦っても負けるのは必須。

 

「くっそぉ……!」

 

 自身にできる選択などもう何もなくなった。出来ることなど悪態をつくことだけ。

 そしてそれすらも一瞬の内で終わってしまった。

 一度は強く握りしめた拳から力は抜け、こんな現実を直視したくない想いから顔は空を見上げた。

 こんな絶望的な状況であっても月は怪しくも綺麗に輝いていた。

 そしてその月下には悪魔がいる。

 笑うことすら出来ないこの状況に元の心は折れてしまった。

 

 ――こうして、元の身柄は特環の預かりとなり、彼は否応なく虫憑きの戦いに巻き込まれることとなった。




一人称だったものを三人称にし、ついでに多少書き加えてみました。


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“大蜘蛛”

思ったより修正と編集に時間が掛かったです。


 ○月×日

 今日から記録(日記)を書く事にした。

 唐突だが、多分今俺が置かれている状況を知ったらほとんどの人は同情する事だろう……。

 

 結論から言おう…………特環に捕まりました。

 

 あの日、俺の“虫”について調べた日。何がどういう訳か、家に強盗が押し入りました……。

 今すぐにも人を殺しそうな雰囲気で、冗談なんて一切通じなさそうな切羽詰まった感じだったな……。恐らくは借金か何らかの理由で金が欲しかったのだろう、この世界での俺の両親はそれなりに稼いでおり、一軒家も持っていた。だからウチに押し入ったのだろうが、それが悪かった。

 色々と問答があり、埒が開かないと思った犯人は子どもの俺を人質に捕ったのだ。

 これには俺も両親も焦った。まさかそんなドラマみたいな展開になるとは思わなかったし、犯人には本当に後がない気配があった。

 そして、身の危険を感じた俺はつい無意識に“虫”を使ってしまった。

 突如現れた大人一人程の大きな蜘蛛。犯人の驚いた隙を逃さず、蜘蛛の糸で拘束。強盗に関してはそれで終わったのだが……息子が“虫憑き”であった事のショックと“虫”の恐怖からか、両親は怖れて警察に通報してしまったのだ。

 

 それからの展開は大方予想が着くだろう。

 特環に捕まりたくなかった俺は何とか逃げ出すものの、個人と組織では明らかに個人の方が不利だった。粘るだけ粘ったが、結局は囲まれて万事休す。罠とか張ったりもしたけど、基本数で押されたら負ける自信がある。何せ一体分の火力からして違うからね……。

 そして、追い討ちをかけるかの様に、アイツ――“かっこう”まで出て来た。この時点で降伏したよ、当たり前だけど……。

 相手、一号指定の原作主人公。俺、転生者だけど特典なしの分離型。どう考えても百%負けます。

 そんな訳で、大人しく捕まりました。そして……。

 

 

「何をしている?」

 

「ん?」

 

 不意に声が聞こえ、視線を上に上げるとそこには、絆創膏以外特に特徴のない、見た目『普通』の少年――薬屋大助がいた。

 人畜無害そうな少年だが、一方裏では敵味方問わず『悪魔』と呼ばれ恐れられている最強の“虫憑き”――“かっこう”である。

 ちなみに、“虫”の種類はかなりレアな『同化型』……羨ましい……。

 

「見て分からないか、日記だよ」

 

「オレが聞きたいのは、何で今更なのかって事だ」

 

 まあ、大助の言う通り今更ではあるか……何せ、俺が特別環境保全事務局――通称、特環に所属したのは今から一年前だ。

 ……えぇ、なんだかんだで何とか一年生き延びていますよ……ついでにこの間、無指定から十号へと昇格しました。やったね!

 

「十号に昇格出来たからその記念?」

 

「何でオレに聞くんだ」

 

 ……まあ、戌子にしごかれてこれだから……十号(此処)が俺の限界だろう……悔しいけど。

 

「それより、お前こそどうしたんだ?」

 

 特環の東中央支部。今俺達がいる所はそこだ。……正確に言えば、更にそこの休憩室みたいな所か。

 基本的に一人でいる事の多い“かっこう”は、常に誰かしら一人以上はいる休憩室にはなかなか近寄らない。なのに、わざわざ今俺がいる時にやって来たのだ……絶対何かある、それも悪い感じの物が……。

 

「仕事だ、“大蜘蛛”」

 

 確信めいた直感を感じ取った瞬間、“かっこう”の口から俺のコードネームが紡がれた。

 

 

 --------------------------------

 

 

 ――“大蜘蛛”。

 

 実際には存在しない妖怪化した蜘蛛の総称。通常の何十、何百倍もの巨大な蜘蛛の事を表した言葉だ。

 特環でも俺の“虫”について調べた様だが、結局は俺と同じで分からず仕舞い。だからか、俺のコードネームは安直だが“大蜘蛛”という事になったらしい。

 

 

 ――時は深夜、雲一つない空に丸い月が浮かんでいた。ビルの屋上にいるお陰か、遮る物がなく良く見える。今が秋なら絶好の月見日和だろう。

 春の始めなので夜はまだ若干肌寒い季節だろうが、今は特環のコートを纏っているので然程寒さは感じない。

 

『準備は出来たかい? “大蜘蛛”』

 

 ゴーグル越しに聴こえる男性の声。俺のコードネームを言ったのは、東中央支部の支部長である土師圭吾だった。

 

「今からやる所ですよ、『アレ』は精神削るんで、話しかけないで下さいよ」

 

 他の“虫憑き”とは違い、俺は彼を嫌う理由は特にない。だからか偶に話す時もある、しかし“かっこう”程親しい訳ではないから二言三言の返事で終わる事が多い。

 そして、今から俺は仕事をしなければいけないので、一々構ってる暇はない。

 

『健闘を祈るよ』

 

「それは前線にいる“かっこう”にでも言って下さい」

 

『彼は強いから問題ないよ、キミと違ってね』

 

「はいはい、どーせ俺は雑魚ですよー」

 

 むかつく言い方だが、それはアイツの性根がねじ曲っているから仕方ない、軽くスルーしよう。

 

「んじゃ、今から“巣”を使うんで切りますよ」

 

『ああ、わかっ――』

 

 返事を待たずに通信を切る。

 いつからいたのか、右肩に乗っていた黒い蜘蛛がそこから飛び降り、地面に着地。俺のコードネームと同じ名前の“虫”――“大蜘蛛”は、まるで風船が膨らむ様に、一瞬で俺よりも大きな身体へとその姿を変える。

 そして針の様に鋭利な脚を適当な場所に突き刺すと、細くて薄い糸の束が“大蜘蛛”の脚に纏わりついた。

 

 昼間、“かっこう”から仕事の話を聞いた後、俺は急いで下準備に入った。街のあちこちに俺の“虫”の糸を張ったのだ。街は常に並木の様に建物が立ち並んでいる。だから糸を張り易い。

 このビルを中心として作った巨大な“巣”。その中に数体の獲物が入る気配があった。

 特環の作戦メンバーは既に入っており、新たな戦力が入る場合は一番に俺に連絡が来る様になっている。故にこれは……。

 

「――敵か」

 

 糸が数本切れた感覚が、蜘蛛を通して伝わる。

 

「“大蜘蛛”より各班へ、獲物が“巣”に入った。細かい情報は追って連絡する……逃がすなよ」

 

 “かっこう”も出てるから大丈夫だと思うが、一応念を押しておく。

 “巣”は一から作る場合最低でも数時間は時間を要する。首都クラスなら、最悪丸一日以上は掛かる面倒な物だ。

 わざわざ昼から任務が始まる二時間前までずっと走り続けて作ったのに、逃げられたとあっては俺の努力が無為になってしまう。そんな事は許さない……逃がしたやろうは殴る、絶対に。

 

「――掛かったか」

 

 その時、断続的に糸が切れる感覚が伝わる。恐らくはターゲットの内の一人だろう。

 感知用の糸は、基本百m間隔に一本ずつ設置している。よくアニメや映画のダンジョンにある罠の様な感じに張ってある……地上から三m以上の位置に。

 そうする理由は、無論一般人が引っかかり無駄に切れない様にする為と、もう一つ。今回のターゲットは複数で全員が分離型の“虫”らしい。しかも飛行能力を有する。

 

「……切れる間隔が早くなった……他の奴らも“虫”を使い始めたか」

 

 逃げる為……ではなく、恐らく奇襲する為に出したのだろう。

 持たらされた情報によると、今回の奴らはかなりの過激派との事。無指定とはいえ、特環の“虫憑き”を数名『欠落者』にしている。もしかしたら号指定クラスの実力者もいるかもしれないな。

 

 再び糸が切れる感覚が伝わる、今度は数秒間に複数。到底常人には出せない速度だ……ま、お陰で位置は大体検討が着いた。

 

「“大蜘蛛”よりA班へ……」

 

 回線を開き、ターゲットが仕掛けるであろう班と情報処理班全てに次々と連絡を入れる。

 これで彼らの奇襲は既にその意味をなくした。“巣”によって得られる情報は正直そこまで正確ではない。しかし多少正確でなく、ある程度誤差が生じても、そこは情報処理に特化した後方の方々が修正し、再度正確な情報を持たらすので今の所問題はない。

 

「始まったか……」

 

 数分もしない内に公園の方で大きな爆音が一つ、恐らくは“かっこう”のだろう。それを皮切りにあちこちで破壊音や“虫”の咆哮が聞こえ始めた。

 

「さて、あとはドンパチが終わるまで……見物……」

 

 役目を終え、“虫”をしまおうとした瞬間、感知用の糸に反応があった。それだけなら然して何もない、いつもの事なのだが……その反応が段々近づいて来るのだ……こちらに向かって。

 車に例えると時速六〜八十km程の速さだろう、かなりの速度で俺がいるビルに向かって来る。

 

「マジかよ……」

 

 糸の中には感知用の脆いやつの他にも、罠用に鋼糸やピアノ線の様に鋭い物も存在する。実体のある無指定の“虫”なら、問題なく両断出来る程の切れ味だ。……だが。

 

「マズイな……」

 

 ちゃんと鋼糸が切れる感覚は伝わるのに、対象のスピードは尚も落ちない。ダメージはほとんど与えられていないだろう……確実に号指定クラスだ。

 

「どっかの奴らがミスったのか、それとも単純に隠れていただけか……とりあえずは、逃げるに限る!」

 

 糸の維持と切断、消滅は俺の意思一つでどうにでもなる。故に“大蜘蛛”の脚に絡まった糸の束をすぐに全て解き、その背中に乗る。

 そして、その巨体からは想像出来ない脚力で屋上のフェンスを飛び越える。

 直後、大きな爆発音が後ろから聞こえた。落ちる間際、音の発信源と思わしき砂埃が舞う中心にコクワガタの様な姿をした“虫”を一瞬視界に捉えた。

 

 

 ――落ちる。重力に従い下に……地面に落ちる。

 

「――ッ!!」

 

 空が遠退き、地面が近づく。俺と“虫”が危険を感じたのはほとんど同じだった。

 声が出た瞬間、“大蜘蛛”は糸を地面に向かって吐き出す。それは良く言って毛糸、悪く言えば毛玉の様な形で、地面に触れた瞬間弾ける様に球体からマット状の形に姿を変える。自分の躯よりも少し大きなそれに“大蜘蛛”は寸分狂わずど真ん中に着地する。

 低反発顔負けの衝撃を吸収するそれのお陰で、“虫”も俺も無傷だった。

 

「やっぱ……三十階からの飛び降りはキツイな……」

 

 なかなか慣れそうにない感覚とその恐怖に軽く身震いする。一応訓練で落下上昇は何度かやった事があるが、それでも最高十階程の高さが限界だった。

 練習なしのぶっつけ本番でよく成功したものだ。我ながら褒めてやりたい所だが、今は逃げるのが先決だ。

 

「はぁ……」

 

 “虫”に乗ったまま近くの横道に入り込むと、安堵の息が漏れた。しかし、まだ危険な事に変わりはない。だから俺は――“虫”から降りた。

 そして、“大蜘蛛”に右手を添えると、“虫”の躯は次第に小さくなり、三十cm程の大きさになると長い脚を使い器用に右腕にしがみ着く。

 八本の長い脚ががっちりと腕を捕らえ、ちょっとやそっとでは全く離れる気配がない。

 

 

 俺の“虫”――“大蜘蛛”は純粋な分離型だ。躯を大きくし、糸によって相手を捕らえる。ただそれだけの普通の分離型。

 ただ、糸の材質を自在に変えられる事が唯一の利点だろう。餅の様に柔らかいものからゴムの様に伸縮性を持つもの、鋼糸の様に鋭いものまで様々な糸を出す事が出来る。

 しかし、それだけでは生き残る事が困難な為どうするか悩んだ結果、装備タイプの“虫”を参考にした。“虫”その物が一つの武器になる、分離型の中でも珍しいタイプだ。

 色々な装備タイプのデータを見て、試行錯誤した結果、たどり着いたのがコレだった。

 

 腕をがっちりとホールドした姿は、まるでガントレットの様にも感じられる。

 純粋な装備タイプと違い、“大蜘蛛”そのものは武器としての意味はあまりなさない。だが、ただ一つ――糸を操るという一点にだけ特化している。

 

「ちッ――!!」

 

 “虫”の羽音が聴こえ、振り返ると先程のコクワガタが見えた。照準を定める様に、俺にハサミを向けた瞬間、まるで爆発したような加速力で一気に距離を詰めた。

 そして、次の瞬間には凄まじい轟音を発て、地面にクレーターを作る。

 普通に考えて即死級の威力だ。今の威力を考慮してもコイツが無指定な訳がない……俺の予想だが、八号クラスの力を秘めていると思う。恐らく、今までこの方法で多くの虫憑きを倒してきたのだろう。

 『一撃必殺』――正にその言葉を体現した様な“虫”だ。

 

「ま、俺はそう簡単にやられてやらないけど」

 

 獲物がいない事に気付き、すぐに捉えようとキョロキョロと辺りを窺う。その動きが少し面白くて、つい吹き出してしまう。

 

「あ……」

 

 それに気付いたのか、コクワガタが上――ビルの中腹に文字通りぶら下がっている俺を見つけた。

 右腕に着いた蜘蛛の口から出た糸が、ビルの屋上の柵から垂れている。この形態の扱い方は何度も練習したので、咄嗟の事でもこれ位の回避は出来たりする。

 

 宙吊りになっている俺にコクワガタが照準を合わせるのと、俺が糸を切ったのはほぼ同じタイミングだった。

 重力に従い、地面に吸い寄せられる様に落ちる俺の少し上をコクワガタが通過する。そして、その爆発的な加速力により、ビルの中へと突っ込んでしまった。

 

「……………………」

 

 これの損害賠償って俺の給料から引かれないよな……とか思いつつも、俺は隣のビルに右腕の照準を合わせると蜘蛛の口から新たに糸が吐き出された。それは屋上の縁に当たると、勢いよく縮んでいく。

 後少しでぶつかりそうなところで糸を切り、新たな糸で他のビルの縁に当て、そしてまた……以下略。ほとんどこんな感じで移動する。気分は木から木へと飛び移る猿のようだ。

 

 コクワガタが突っ込んだビルからある程度離れると、後ろで大きな爆発が聞こえた。

 見ると、件の“虫”が勢いよくビルから飛び出して来た。先程凄いスピードでビルに突っ込んだというのに、その躯には傷一つ付いていない。

 “かっこう”等、一号指定が相手の場合どうしても雑魚に感じてしまうが、分離型の中でも甲虫の姿をした“虫”は、実の所かなり性能が良い。十号やその辺りの強さの者には十分に脅威になる。

 並の攻撃を遮る重く強固な躯、そしてそれを飛ばせる羽。特殊型とは違う、象や熊の様に重く巨大な“虫”が自由に空を飛ぶ。分かると思うが、そんな巨大なものが自動車並の速度で空を駆る、最早それだけで脅威だ。

 

 ――特にそれが、クワガタやカブトの様に凶器を持つものなら尚の事……。

 

 

「――ッ!?」

 

 風を切る音の中、また羽音が聴こえた。反射的に後ろを振り向くとコクワガタが既に俺を照準に捉えていた。そして、瞬きをする暇もなく突撃してきた。

 糸を支点に『俺』という重りを振り子の様に振る。単調な動き故にそのパターンを読まれたのだろう……。俺が次糸を切るタイミングまで読んで、コクワガタがハサミを大きく広げながら迫ってくる。

 無論、空中で且つ命綱とも言える糸が切れたタイミングで来られたのだ。回避する事などほぼ不可能だし、相手もそれを理解していた。だからこれで終わると思っていた……お互いに。

 

「え……?」

 

 だが次の瞬間、“大蜘蛛”が俺の意図とは別に新しい糸を出したのだ…………八本ある脚の内一本から。

 それにより、軌道とタイミングが大きく変わった事でコクワガタは標的を失い、そのまま街道の空を駆けていく。

 それを見送ると、俺の体は大きな衝撃に襲われる。

 

「かぁッ――!?」

 

 左腕から伝わる痛み。それが最初は何なのか全く理解できなかった。だが、痛みで途絶えていた意識と視界が戻るとようやく自分が状況を理解した。

 どうやら俺は無理な軌道変更をされた為、ビルに打ち付けられたらしい。それもかなりの速度で。

 結果、左腕から叩き付けられた俺はあまりの痛みと衝撃で一瞬意識を失った様だ。

 

「――ぎぃッ!?」

 

 このままでは危ないと思い、降りようと体を動かすと左腕と肋からハンマーで叩かれた様な鈍い痛みが走り、奇妙な悲鳴を上げてしまった。

 

「ぉ……折れ、て……ぅぅッ!!」

 

 最低でも左腕は折れているのが分かる。何故なら動かそうとしても全く微動だにしないくせに、痛みだけはよく響くのだから。

 

「ッッッ――――!!!」

 

 襲い来る痛みにひたすら耐え、声を押し殺しながら俺は地上に降りた。

 この状態では思う様に逃げられない。でも逃げないとまたあの“虫”が襲ってくる。しかし、逃げたくても走る事が出来る程の体が無事な訳ではない……恐らく歩くので精一杯だ。

 詰んだな……そう思いながら、こんな状況に追いやった原因に目を向ける。

 

 四つの目玉を持つグロテスクな外見の俺の“虫”。そいつが今嘲った様な気がしたのは気のせいではないだろう。元々戦闘に特化している訳でもないのに、八号指定並の“虫”に追われるとは…………運がなさ過ぎる。早く“かっこう”が来てくれる事を祈りたいが……。

 

 ――そんな願いは虚しく砕け散った。

 

 耳に例の羽音が入る。

 次いであのコクワガタが空から舞い降りてきた。止めを刺せる程弱かっているからか、堂々と現れ見下す。

 大きく開いたハサミが今は死神の鎌に見える。

 

「ぅく――」

 

 流石に死ぬのは嫌なので、最後の悪あがきに“大蜘蛛”を腕から外し、巨大化させる。

 痛いまま死ぬのと、“欠落者”となり痛みを忘れるか。俺に残された結末はこの二つだけ……。

 

 ――呆気ないな……。

 

 そう思うと、まるで俺の心情を読んだ様に、コクワガタがハサミを広げて突撃してきた。

 

 ただの巨大な蜘蛛を殺すには十分過ぎる加速力。十分過ぎる得物。下手をしたら“虫”ごと両断されてしまうかもしれない。

 それでも腹をくくり、静かに目を閉じる。

 死刑の宣告を受けた罪人の様に、ただ来るべき“無”を待つだけだ。

 そして……

 

 ――“虫”の羽音が一瞬消えた。

 

 

 

「……………………?」

 

 いつまで経っても来ない痛みや“無”に疑問を感じ、静かに瞼を開く。

 そこには信じられない光景があった。

 

 例の“虫”――コクワガタがいた。これだけなら然して当たり前の事だ。だが問題は、そのコクワガタに糸が絡まったいた事だ。

 その“糸”とは、無論俺の“虫”の物だ。それがコクワガタの躯を雁字がらめに捕らえ、動きを封じていた。あの小煩かった音を出していた羽ですら、惨めに羽ばたく事すら出来ずに……。

 

 何故こんな状況になったのか考えていたら、不意に“大蜘蛛”に視線が行く。

 

 ――まさか、コイツが……?

 

 そう思うと、意図を察したのか“大蜘蛛”の目が動いた……ような気がした。

 その視線の先には破れた“蜘蛛の巣”があった。それは普通の物に比べたら遥かに巨大な、しかし薄く細い糸で組まれた結果注視しない限り、決して見抜く事が出来ない物だった。

 

「そういえば……」

 

 “巣”を作る際、罠も同時に作るのだが、撃退用の他に捕縛用の罠も作っていた事を忘れていた……。

 基本的に撃退用のみが反応する事が多く、多用するのもそちらで、捕縛用はなかなか使わないし引っかからないから、その存在を忘れてしまうのだ…………今回の様に。何せ捕縛用はその性質上、下手をすると味方すら捕らえてしまうから多くは設置出来ないのだ。

 

「く……はは」

 

 惨めに地面を転がる“虫”、惨めに生き延びた俺。どちらも惨めで無様で、本当に酷いものだ。だからだろう、つい笑ってしまった。

 

「悪いな」

 

 無様に生き残った俺は容赦なく“虫”に指示を出す。

 俺の意思に従い、蜘蛛がその長い脚を振り上げる。

 次の瞬間糸によって閉じれなくなった羽の“内側”を突き刺した。そして、槍の様に鋭利な脚は意図も簡単にコクワガタの躯を貫く。

 

 甲虫が防御に秀でていると言ったが、それは身を守る殻があるからだ。だが逆を言えば、その下は殻がなければいけない程に脆い。

 

 一度では絶命しなかったのか、“虫”の悲鳴が夜の街に響く。仕方なく、二度三度と貫くとコクワガタの目から光が失われた。恐らく死んだのだろう……如何に号指定並の力を持っていても躯の自由を奪われろば、こんなにもあっさりと殺されてしまう。

 

「う……」

 

 安心したからか体から力が抜け、そのまま倒れてしまった。折れた左腕から鈍い痛みが伝わるが仕方ない、命あっての物種だろう。

 

「あ――」

 

 一瞬意識が飛びかけてたが、不穏な物音が聴こえ、辛うじて保つ。

 満身創痍なのか体は動かず、首だけを音がした方に向ける。そこには、殺したコクワガタを糸で何重にも丸めている“大蜘蛛”の姿があった。

 

「なんだ……」

 

 『いつもの光景』、それを見て安堵する。“大蜘蛛”は強固な糸で圧し潰して小さくした“虫”の団子を、器用に口元に持っていくと『パクッ』という擬音が聞こえそうな程、呆気なく呑み込んだ。

 その光景は本来なら異常なのだろうが、俺にとっては既に見慣れた物の一つになっていた。

 

 “大蜘蛛”は自分が倒した“虫”を食べる習性を持っているようだ。もっとも、食べると言っても何処ぞの“不死”の様に喰った“虫”の能力を使えるとかいうチート能力はない。“ただ食べる”それだけだ。

 何故こんな事をするのかは一切不明。無指定・号指定を問わず、かれこれ八匹程は食ったはずなのに強くなる予兆すらない所を見ると、やはりただの習性としか思えない。

 

「やば……」

 

 体力の限界なのか、激しい睡魔が襲う。未だに左腕は痛むが、それより睡魔の方が勝っているらしい。

 ゆっくりと瞼が降り、視界が暗闇に覆われる。完全に閉じる際、特環の局員の姿が端に見えた。その姿を確認すると、ようやく終わったのだと安堵し、暗闇に意識が沈んでいった。

 

 




一応これでもオリ主なのでこれから強くしていく予定です。


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前回まで一部時間設定にズレがあったので直しました。


 次に目が覚めると、そこは医務室のベッドの上だった。折れた左腕にはご丁寧にギブスが付けられている。此処で「不幸だ」と嘆けば主人公補正とか付かないだろうか……やっぱり止めておこう、代わりにとんでもない事に巻き込まれそうだ。そんなものよりも俺は生存補正が欲しい、もしくは今からでも転生特典を……無理か……。あの神、結構適当だったからな。

 はあ……気が滅入る、考えるのはよそう。

 それより……。

 

「――痛ッ!?」

 

 自分がどれほどの時間眠っていたのか確認しようと身を起こすと、折れた腕と左の肋から痛みが走る。予想以上の鈍痛に顔がしかめ、身を縮めてしまう。

 

「おお、ようやく起きたのかねー」

 

 その瞬間、何処かで聴いた高い声が耳に入った。

 

「それにしてもキミはやっぱり弱いね、もっと精進したまえー」

 

 語尾を伸ばす独特な口調に、この上から目線の偉そうな態度。

 ――間違いなくあのバカだ。

 

「……何の用ですか、『ワンコ』さんや」

 

「ふん」

 

「がふ!?」

 

 相手の姿を捉える前に半ば条件反射的にそう言った瞬間、後頭部に痛みが走る。多分殴ったのだろう、あの凶器(ホッケースティック)で。

 

「怪我人……てか腕折れてる奴殴るか……普通……!?」

 

 新たに出来た怪我を右手で押さえながら抗議する。……というか、普通に病室で長物を振り回さないでください。

 

「今のはキミの方に非がある、反省したまえー」

 

 まるで『自分は一切悪くない』という態度で、ベッドの近くにあった椅子に座る。

 

 --体は小さいのに態度だけはデカイこの『カッパ娘』は獅子堂戌子(ししどういぬこ)。黄色いレインコートにホッケースティックというふざけた組み合わせの格好をしているが、これでも異種二号で“あさぎ”というコードネームを持つ。分類は特殊型の虫憑きで、実力に関しては“かっこう”と同格と言っていいだろう……いや状況によっては“かっこう”以上かも。

 ちなみに戌子(いぬこ)という名前からか、大助や俺、一部の東中央支部の方々からは『ワンコ』の愛称で親しまれている。小柄だし見た目も可愛いからそう呼ばれるのだが、当人は酷く嫌っており、特に俺が言うと決まって殴られる。……名付けたのは大助のはずなのに……。

 

「だって、ワンコはワンコだし……」

 

「ふん!」

 

「ごふ!?」

 

 今度は額にピンポイントでジャストミート。左腕や肋を狙わない辺り、ある程度は気遣ってくれているのかもしれないが……ピンポイントって、めっちゃ痛いんですけど……。

 

「……なにやってんだ、お前ら……」

 

 俺達のやり取りを見ていたのか“かっこう”……もとい、大助が呆れながら病室に入ってくる。学校帰りなのか制服を着て、右手には彩り鮮やかなフルーツが入ったカゴが握られている。

 

「おお、珍しく気が利くではないか、“かっこう”」

 

「お前のじゃないぞ、ワンコ」

 

 俺と同じく、カゴに視線がいってた戌子に注意すると、件のカゴはベッド付近の小棚に置かれた。中にはメモ用紙が入っており、短いが丸っこい文字で『見舞いに行けなかった』事と『体を大事にする』事とが書いてあった。

 メモ用紙の最後には少し小さく『千莉』と書かれていた。……ホントあの娘は、兄と違っていい娘だよね……。

 

「だから、そのワンコと言うのを止めたまえー。キミたちがそう呼ぶから皆ボクの事を小動物扱いするのだ、責任を取りたまえー」

 

 人知れず、千莉の優しさを噛みしめていると、同じ女の子でも少々……というかかなり(?)やんちゃな戌子が、膨れっ面で抗議していた。正直、童顔で可愛いから見ているだけなら怖くはないのだが……後で色々としごかれそうなので、仕方なく保険を掛けておこう。

 こう見えてこいつ、俺に戦闘技術教えた先生です。……あれ? てかいつ東中央支部(こっち)に来たんだ? ……まあ、いいか。

 

「なら、謝罪の意を込め、この大助をあげよう」

 

「オイ!」

 

 いつもとは逆に俺の方が偉そうな態度を取り、近くにいた大助を引っ張って言った。確か大助は戌子ともフラグが立っていたはず、ならこいつを差し出せば問題ないはず。

 さらば大助、俺の為に死んでくれ。

 

「いるかそんなもの」

 

 だが、怒り狂ったワンコには効かなかったらしく、一蹴されてしまう。

 

「え……一体何が不満なんだ、ワンコ?」

 

「何だ、その『まさか断られるとは思わなかった』みたいな顔は。それに言ったそばからまたワンコと……キミは反省という言葉を知らないのか?」

 

「うん!」

 

「無駄に良い笑顔で頷くな!」

 

 爽やかな笑顔で頷いた俺に戌子は憤りを感じたらしい。しかし悪ノリに関して言えば、俺に『自重』や『反省』という文字はない。

 まあ、なんだかんだでノリのいいワンコは下らないコントに付き合ってくれるから好きだ。

 

「お前らな……」

 

 それに比べ、大助は深くため息を吐いていた。

 

「ノリワリぃぞ、大助ぇ〜」

 

「うむ、相変わらず空気を読まないなぁ、キミは」

 

 さっきとは打って変わって、矛先は大助に向かう。

 

「何でオレが悪い流れになってんだ……」

 

 その後――暫く大助を弄った後、二人は帰ったのだが……退室の時「怪我が治ったら再特訓だから覚悟したまえー」と嬉々として不吉な事をワンコが言い残していった。

 うわぁ……治りたくねぇ……。

 

 

 --------------------------------------

 

 

 ――きっかけは些細な事だった。

 

 この世界で飼っていた犬が死んだ、ただそれだけの事。だが、愛着のある身近なものが『死んだ』――それが俺にある強い想いを生んでしまった。

 一度芽吹いた『それ』は瞬く間に俺の思考を乗っ取り、日に日に肥大化していった。そして、『それ』は“大喰い”を呼ぶ程にまで膨れあがった。

 

 ――貴方の夢をきかせてくれない?

 

 『夢』かどうかは今でも分からない。でも『失う』事を恐れた俺はその問いに応えた……応えてしまった。

 

 ――大切なモノを失わないこと。

 

 そう応えた直後意識が途切れ、次に目が覚めた時には“虫憑き”と呼ばれる存在になっていた……。

 

 

「あぐッ!?」

 

 頭に激しい痛みが走り、意識が現実へ戻る。

 視界が暗闇から色を取り戻すと、目に入ったのは見慣れた訓練所の天井だった。この時点で俺が倒れているのはよく分かった。ひんやりとした床が背中に当たって気持ちいい。

 

「目が覚めたかねー、全くキミは本当に弱いな」

 

 次に目に入ったのは黄色いカッパとホッケースティック。そこでようやく思い出した。

 

 ――俺は戌子の特訓を受けてたんだっけ……。

 

 

 左腕を骨折し、肋骨も三本折れていた俺だったが、偶々こっちに来ていた他の支部の治癒能力を持った局員に治され、一週間も経たない内にベッドから追い出された。

 そんな病み上がりの俺に待っていたのは、地獄の様な戌子との特訓の日々。完治しているとはいえ、一応安静にしているよう言われたのだが……。

 

 ――敵はそんな事を言っても、待ってはくれないぞ。

 

 と軽く一蹴して、訓練所に引っ張り出された……。正直、戌子の訓練は冗談抜きでキツイので、自分から志願した時以外は極力勘弁して欲しい……。

 しかし、戌子本人はそんな事はお構い無しに毎日俺を引き摺っていく。逃げようともしたが……磁力使って残像残す程の高速で動くヤツからどう逃げろと……。おまけにアイツとは付き合いが長い為か、俺の性格を熟知しており、罠の類いもほとんど意味をなさない。

 つまる話、俺は詰んだ状態だった訳で、仕方なく訓練を受ける事になった……ほぼ一週間ぶっ通しで。飯食う時と寝る時以外は基本訓練。いや本気で死ぬかと思った……現に今だって意識を失っていた訳だし……。

 訓練最終日だからってやり過ぎだろ、おかげで懐かしい夢を見てしまった。

 

「ん〜? ちゃんと起きているかね、返事をしたまえー」

 

 返事がないからか、疑問に思った戌子はホッケースティックを振り上げる。

 

「待て待て!! ちゃんと起きてるから、意識あるから! だからそのホッケースティックは降ろせって!!」

 

「ふむ、そうか……」

 

「何でそこで残念そうな顔をするんだよ!!」

 

 ホッケースティックを振り上げた時には嬉々としていた表情が一瞬で変わる。しょんぼりという言葉が合う程影が落ちた。……そこまでして殴りたいのか、コイツは……。

 そんな事を思いながらも、長いようで短かっ…………凄く長かった戌子との特訓がようやく終わったのだった。

 




とりあえず、今回で序章みたいのは終わりで次からbug……の前にオリジナルの話を入れて、大蜘蛛を強くしてから行きます。……そうでもしないと、分離型にとっての鬼門--bugでは生き残れないから……。

ところで、一応設定とかって必要ですかね? 自分で言うのもなんだけど、少し面倒な設定なので、もし必要という人がいれば作りますが……。


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一章『夢巣食う底王』
チャット


前半は仕様です。


“大蜘蛛”さんが入室しました。

 

 

“大蜘蛛”:よ、久しぶり

 

(テラス)”:おひさ〜

 

“大蜘蛛”:最近どう?

 

“照”:ぼちぼち、そっちは?

 

“大蜘蛛”:聞いて驚け、ついこの間十号に昇格したぜぇ!(ドヤァ)

 

“照”:おお、凄い凄い! ……ま、うちは五号になったけど(笑)

 

“大蜘蛛”:なん……だと……!?

      普通を自称している癖に……この裏切り者ーー!

 

“照”:いや、うち普通だし

    偶々大物を倒しちゃって、その功績で上がっただけだし

 

“大蜘蛛”:く……世の中不公平だ……俺だって腕折ってまで八号クラスの奴倒したのに……

      それもこれもみんなあの支部長のせいだー!

 

“照”:あー、アンタの所結構腹黒らしいね……てか、思っていた以上に重傷だった件ww

 

“大蜘蛛”:今度アイツの眼鏡カチ割ってやる……!

 

“大蜘蛛”:左腕一本と肋骨三本もいったのに、手当金降りない特環マジブラック企業

 

“照”:実際うちらの人権ってあって無いようなものだしね

 

“大蜘蛛”:労働基準法? なにそれ、おいしいの? ですね、わかります

      でも何気に給料は高かったり

 

“照”:『局員』とは言ってるけど、実質兵隊扱いだからね、うちら

 

“照”:それに給料貰える程生き残れる奴も限られるし

 

“大蜘蛛”:そんな中、無指定並の火力で頑張ってる俺

      果たして生き残れるのか……?

 

“照”:次回『“大蜘蛛”死す』

 

“大蜘蛛”:ちょw 勝手に殺すなしww

 

“照”:(>ω・)てへ♪

 

“大蜘蛛”:……殴りたい、その笑顔

 

“照”:そういえば噂で聴いたんだけど、“かっこう”の奴中央本部に飛ばされたってホント?

 

“大蜘蛛”:ああ、その話か……それは

 

“大蜘蛛”:お腹すきました

 

“照”:え……なに、それ?

 

“大蜘蛛”:あれ? いや、俺打ち込んでないけど?

 

“大蜘蛛”:お腹すいた……“大蜘蛛”さん、朝食ぷりーず

      早くしないと“まいまい”ちゃんのお腹と背中がくっついてしまいます!

 

“大蜘蛛”:………………スマン、急用が出来た

      悪いが落ちる

 

“照”:あー……うん、大体察した……アンタも大変だね

 

“大蜘蛛”:……うん(涙目)

 

“大蜘蛛”:ノシ

 

 

“大蜘蛛”さんが退室しました。

 

 

 

「ふぅ……」

 

 ため息と共に今まで向けていた意識をパソコンの画面外(そと)に移す。BGMを切り、イヤホンも外す事で周囲の様子を確認し易くする。

 一度霧散した集中力、それが落ち着く前にケータイに着信音が入る。軽快に鳴り続けるそれを手にするも、かけてきた相手が予想出来る為、あまり出たくない。

 だが、そんな俺の気持ちなど知る由もない機械(ケータイ)は無慈悲にメロディを奏で続けている。

 ……あ、ちなみに着信音に関しては俺、着うたよりも着メロ派です。

 と、至極どうでもいい事を思いながら通話ボタンを押す。そしてそのまま耳に当てた、

 

『おっはよーございまーす! みんなのアイドル“まいまい”ちゃんのモーニングコールのお時間でちゅッ! ――か、噛んでませんよ、全然余裕でセーフです!』

 

 瞬間、とんでもないハイテンションな声が耳に響いた。

 

「うざ」

 

 そのあまりの鬱陶しさに、ついそう言葉が漏れ、危うく通話を切ってしまう所だった。

 

『がーん! どんまい、“まいまい”ちゃん! 例えパートナーにウザがられても挫けません! 輝ける未来のために! ……ところで、そろそろお部屋から出て来てくれると“まいまい”ちゃん凄く嬉しいです。あとお腹すきました』

 

 時間を確認すると七時を回っていた。チャットしてたから気付かなかったが、朝食時か……。

 今回の俺がチャットしていた相手は北中央支部所属の“照”という局員だ。実際に会った事はないが、俺と同じ分離型の蜘蛛系統の“虫”を使うタイプだと聞いている……ただし強さに関しては全然違うがな。まず第一に“照”が特環に入るまでの経緯がとんでもない。

 三十五人もの刺客を全て返り討ちにした上、“かっこう”と“あさぎ”という上位の実力者二人を投入してやっと捕まえる事が出来た程だ。

 当人は『普通』を自称しているが、普通の人は三十人以上もの刺客を撃退なんか出来ないし、あの二人を相手に生き残るなんてまず無理だろう。

 上記の様な戦歴を持っている為、本来であれば話なんて合うはずもないのだが……なにやら“かっこう”関係で苦労しているらしく、つい共感を覚えてしまった。……実際俺もアイツの無茶に振り回された事や、後始末等で苦労とかしてるから気持ちは分かる……ま、俺はその分アイツをいじってるから、ある意味お互い様なんだけどな。

 そんな訳で、発案者・俺、賛同者・多数の局員達が企画提案、特環のネットワークを利用して技術部が作った、局員が愚痴を溢し合えるチャット広場にて知り合い意気投合、今ではネット友達の様な関係になっている。ちなみにチャット広場とは言ったが、セキリティは完璧だし、愚痴以外にも昼間学校とかで行動を制限されている局員達が作戦会議する際に用いたり、情報交換したりと思いの外役に立っている。

 “照”とのやり取りは何かと楽しく、つい時間を忘れてしまう。今回の様に気付いたら飯時を過ぎているとかはザラにある。

 

 

 ……少し脱線したが、話を戻そう。“照”とのチャットを終えるのは惜しいが仕方ない……。“まいまい”を放って置いたら今以上にうるさくなるのは目に見えている。若干面倒だが相手をするか……。

 そう思い、パソコンの電源を切り、自室から出る事にした。

 

『おぶっ!』

 

 その際、俺の部屋の前でスタンバっていたと思わしき“まいまい”がドアにぶつかり、ケータイから奇声が聴こえたが……大した問題ではないだろう。

 

 

 ----------------

 

『いただきまーす!』

 

 ケータイから聞こえる声に呼応する様に“まいまい”は合掌をし、食事を始めた。

 目の前でガツガツと朝食を食らう眼帯少女を余所に、俺も自分の食事を取る事にした。

 “まいまい”があれだけ騒いでいた理由は至ってシンプル。本人も言っていたが『お腹が空いた』という有り体で至極普通な物だった。

 それを聴いた時『勝手に作って食べればいい』。そう思ったが、“まいまい”に作らせたらどんな劇薬が出来上がるか分かったものじゃない。仮に、まともな物が出来ても恐らく台所は大惨事となり、後片付けをするのは恐らく自分だろう。

 そう考えると、最初から素直に俺が作った方がマシだ。考えが纏まるとすぐに行動を始め、八時前には終わった。

 

『“大蜘蛛”さんにこんな特技があるとは驚きです! “まいまい”ちゃんが星三つあげます、ぷれぜんとふぉーゆーすたー!』

 

 即席で作ったスクランブルエッグに舌鼓を打ちながら“まいまい”は不慣れな英語っぽいものを使う。多分、意味とかは分かっていないのだろうが……。

 ちなみに今日の朝食は時間がなかった事もあり、トーストとスクランブルエッグと簡素なサラダだけだ。正直、誰でも作れる簡単な物で、味もそこまでいいとは言えないと思うが、“まいまい”は上機嫌に食べ続けている。

 

「ありがと」

 

 しかし、悪い気はしないので素直にそう返すと、残っていたトーストの一切れを食べ、完食する。

 

 

 

『ごちそうさまでした、美味しかったです!』

 

「お粗末さま」

 

 数分後、“まいまい”も食べ終えると食器を洗う。

 ふむ、時間も時間だし、そろそろ出かける準備でもするか。そう思い、用意を始めると“まいまい”が近付いてくる。

 

『お出かけですか? なら“まいまい”ちゃんも行きます! れっつショッピングです!』

 

「……………………」

 

『いたたたた!! 何故無言でぽっぺをつねるんですか!?』

 

「……お前、何で俺達が此処にいるのかちゃんと理解しているか?」

 

 そう訊くと肝心の“まいまい”は小首を傾げる。このやろう……。

 

『痛い痛い痛い! 痛いです!! 何故ぐりぐりされなくてはいけないのか“まいまい”ちゃんは説明を求め……て、更に威力がー!!』

 

 それから十数秒後、手が疲れたので離すと、“まいまい”は頭を抑えながらふらふらと数歩程歩くと、パタリと倒れてしまった。……軟弱者め。

 

 




使っといてなんだけど……“まいまい”扱い辛い……。


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“まいまい”

※基本『夢巣食う底王』では“まいまい”以外はオリキャラしか出ない予定です。


 

 戌子が東中央支部を発ってから僅か三日後、俺は支部長(土師)に呼び出された。理由は至って簡単、任務だ。

 内容はある町についての調査で、既に手回しは終わっているらしい。仕事が早いのは性分な所もあるが、俺から拒否権を奪う意味でもあったのだろう。俺は“かっこう”とは違い、任務に積極的ではないから危険だと感じた物は極力関わらない様にしている。一応、自分の実力くらいは分かっているつもりだ。

 ちなみに、今回はサポートが付くとか言っていた。号指定を寄越せとまでは言わないが、せめてまともなヤツを期待していたのだが……。

 

 

「現実はこれだ……」

 

 “まいまい”という荷物を持たされてしまった……。いや、正直“まいまい”の能力は使えるには使えるのだが……。

 

『あーー!? 見て下さい、“大蜘蛛”さん!! 平日だから何処も空いていますよ! さあ、れっつごーです!』

 

 当の本人はこれだ。わざわざ外に出て来たってのに、コイツは……。

 

「…………………」

 

『あぐぅ!? む、無言でぐりぐりしないで下さいー!!』

 

 本当に懲りているのか、些か不明だが周りから視線を向けられている事に気付き、手を離す。

 別段、怪しまれてはいないみたいだが、何処か暖かい眼差しだった。どうやら“まいまい”とは兄妹と思われているらしく、今のやり取りも兄妹ならではのコミュニケーションと思われた様だ。

 

「……はぁ……」

 

 よりによって兄妹に見られるとは……俺はそんなに、このハイテンション眼帯馬鹿と似ているのだろうか? 軽く鬱になる……。

 

 現在、俺達は拠点としているマンションを出て、街を詮索している最中だ。調査は足と昔の人は言った、いい言葉だと思うが個人的に実行したくはなかったな。

 

「一応、言っておくがコードネームで呼ぶなよ」

 

 今回は監視任務とかではない為学校には行かず、その分詮索に時間をかけるようだ。平日だからか比較的休日より人が少ない街道を二人で歩く。うっかり勝手に何処かに行ってしまいそうな“まいまい”の首根っこを引っ張りながら注意する様に告げる。

 

『はい! わかりました、“大蜘蛛”さ……』

 

「ふん!」

 

『んーーー!!』

 

 が、言ったそばからこれである……。

 罰として拳骨を喰らわされた頭を抑える“まいまい”に振り返り、追い討ちとして眉間を中指の第二関節部でぐりぐりと押し付ける。

 

『あ〜〜うぅ〜〜!!』

 

「三歩歩けば忘れる鳥頭か? お前は」

 

『ご、ごめんなさいー! で、でも“大蜘蛛”さんの本名知りませんし……』

 

「……あぁ」

 

 その言葉を聞き、特環局員の個人情報が厳重に管理されている事を思い出した。それにコードネームとは本来、素性がばれない為にあるものだ。いつもそのコードネームで呼びあっている俺達がお互いの名前を知らないのはある意味当然の事だった。

 

「……元」

 

『え……?』

 

「三野元。それが俺の名前だよ」

 

 呆気なく名乗った俺を“まいまい”はぽかーんとした表情で見つめる。

 まあ、“まいまい”の気持ちは分かる。正直俺も言うべきかどうか悩んだが、言わなかったらいつまでもコードネームで呼ぶのは分かり切っている。だから正直に言う事にした……口の軽い“まいまい”だから少し心配ではあるが……たかが十号指定局員の情報を欲する物好きなどいないだろう。

 

『元さん、ですか……では、“まいまい”ちゃんも!』

 

「あ、お前はいいや。今更だし」

 

『わっつ!? まさかの拒否されました!』

 

 信じられないといった様子で驚く。あんまり興味がないから仕方ない……てか、まず第一に。

 

「コードネームをそのままペンネームにしてネットアイドルしているヤツは何処のどいつだ」

 

『ギクリ……』

 

 「しまった」と言わんばかりの表情を浮かべた“まいまい”だったが、次の瞬間にはしらを切ろうと視線を明後日の方へと向ける。ふーふーと吹けていない口笛付きで。

 

「……まぁ、支部長が何も言わないようだから、俺もとやかく言うつもりもないけどな」

 

 中央本部なら確実に罰則食らって何処かやばい所に飛ばされそうだが、生憎東中央支部(ウチ)はそういう所は変に寛容だから大丈夫だろう……代わりに、あの支部長の毒舌を食らう羽目になるだろうが。

 

『ふぅ……何とか誤魔化せました』

 

 本気で誤魔化せたと思っている“まいまい”は、本人の前で安堵の息を漏らす。……もう、この時点で色々駄目だろ……。

 

「………………」

 

『て、あーー!? 待って下さい、お……元さん!!』

 

 相手をするのに疲れた俺は、いつの間にか歩いていたらしく。それに気付いた“まいまい”は慌てて後を追って来る。

 客観的に見ると、確かに俺達は兄妹の様に見えてしまうのかもしれない……凄く不本意だが。

 

 

-----------------------

 

 

「で、調子はどうだ?」

 

 あれからそれなりの時間が経ち、現在俺達はあるファミレスにいた。主だった収穫はなく、ついでに昼時で腹が減ったという理由もあるが、最もな理由は“まいまい”の能力を引き出す事にある。

 “まいまい”の能力は機械に自分の“虫”を潜り込ませて操るものだ。今はまだいない電気そのものを触媒とする“C”と比べると性能は劣るものの、使い方次第では情報を抜き取る事も可能なはずなのだ……本来なら。

 

『ま……待って下さい! 今、いい所なんです。この人が大きく打ってくれれば逆転出来るんです!』

 

 ……が、肝心の“まいまい”はこれだ。

 後ろのテーブルに座っている人のケータイテレビに野球の映像が映っている。ツーアウト、ツーストライク、スリーボールで満塁、まるで絵に描いた様な光景が広がっている。おまけに点数は三点差で、満塁なのは無論負けている方だ。

 素晴らしい程のアニメ的展開に、内心俺も気になる……が。

 

「はっはっは……おい、“まいまい”。その無用な事しか考えられない頭、いらないよな? ……俺が握り潰してやるよ」

 

 無防備に晒されている後頭部をガッチリホールドすると、徐々に力を加えていく。

 

『のおーっ!? “まいまい”ちゃん、未だかつてない程の命の危機に瀕していますーー!』

 

「分かってるんなら真面目にやれ! 本当に前線送りにされても知らないからな、俺は!」

 

 いつまで経ってもふざけている“まいまい”にいい加減腹が立ち、つい“まいまい”のタブーに触れてしまった。

 しまったと思うも時既に遅く、“まいまい”の体はぶるぶると震えている。

 

『う……うぅぅ……戦いは嫌です……怖いです……痛いのは、いやぁ……』

 

 ……完全に鬱モードに入ってしまった……。

 “虫憑き”は大抵何かしらのトラウマを持っている者が多い。それがなる前か後は知らないが、彼らの境遇を考えれば仕方ない事だろう……しかし、その中でも特に特殊型は顕著だ。

 原因は特殊型を生み出す原虫――“浸父”と見て間違いないだろう。アイツは歪んだ夢が好きだから、人の精神に揺さぶりを掛けて夢が歪んだ後“虫憑き”にする。だから特殊型は結構歪んだり狂ったりしたヤツが多いし、“まいまい”みたいにトラウマが悪化する場合もある。まあ……コイツの場合は元々家庭内で問題があったみたいだから尚更か……。

 

「あ〜……と、その、ゴメン、悪かった……さっきのは冗談というか……やる気を出す為と言うか……」

 

『えぐ……』

 

 幾ら謝罪の言葉を並べても、返ってくるのは泣き声だけ。正直、子どもの扱いは苦手なので既にお手上げ状態だ。だが、任務がある以上このままにしておく訳にもいかない……。

 

「……はぁ……わかったよ、もう……」

 

 あまり無責任な事は言いたくはないが、今回ばかりは俺も悪いし……仕方ないか……。

 

「前線に送らされる様な事態には俺がしないから、いい加減泣き止んでくれ……」

 

『えぐ……本当、ですか……?』

 

 若干投げやり気味にそう言うと、“まいまい”の動きが止まり、確認の為に訊いてくる。

 

「ああ。俺と組んでる間はそんな事にはさせないし、目に見える範囲でなら守ってやるから」

 

『ぐず……わ、わかりました……』

 

 涙を拭って頷くと、近くにあった紙ナプキンで鼻をかむ。一枚では足りなかったのか、二枚目も使う。

 

『えっと……す、捨ててきまーす!』

 

 居た堪れなくなったのか、“まいまい”は鼻をかんでくしゃくしゃになった紙ナプキンを片手に席を立つ。

 

「お待たせいたしました」

 

 そして、入れ替わりに店員が料理を持ってきた。空気を読んだのかタイミングがかなりいい。

 料理は二人分運ばれてきたが、肝心の“まいまい”はいない。仕方なく、一人寂しくフォークでパスタを絡めとる。

 

「ん?」

 

 その瞬間、まだ完成し切っていない“巣”に反応があった。本格的に使う場合は“巣”の中心部に行かなくてはいけないが、感知するだけなら“巣”の中に居れば何処に居ても分かる。鬼教官(戌子)にしごかれた影響か、それなりに使えるようになったらしい。

 糸が切れる感覚が二つ。一つは此処より少しばかり離れた場所。もう一つは意外と近く、現在俺らの居るファミレスの道路を挟んだ向かい側、そのデパートの屋上…………って。

 

「近過ぎだろ! おい!」

 

 あまりの超至近距離に、此処がファミレスであった事も忘れ、俺は一人声を張り席を立っていた。

 

 





“まいまい”の本名って原作でも明かされていないよね、確か……。


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『ほのか』

ひとまず、今回でストックしていた分は終わり。次からの更新がちょっと遅くなるかも……。
あと今回からオリキャラ出ます。

それと元の持ってる原作知識に関して。
原作知識に関してはbugは全巻、原作が11巻までを想定しています。


 念のため持ってきたスポーツバッグを担ぎ、すぐに店を出る。

 会計は“まいまい”任せになってしまうが仕方ない……早速手掛かりらしきものが掛かったのだ。のんびりとしていられる訳がない。

 

 ――波施(はぜ)市は昨今著しい経済革命に見舞われている。巨大なビルが次々に建築され、田や畑は年々その姿を消していってる。

 元々、そこまで発展していなかった市が、此処数年で急激なスピードで成長している。新しい市長が優秀だとか、大富豪だとか様々な噂があるが、それが此処――波施市の世間一般的な解釈だ。

 だが……その他にある関係者の間で、この街は少し曰くがある。

 それは『虫憑きの目撃例が酷く低い』という事だ。聞いた限り別段おかしな所はないかもしれない。街や村だからといって必ず虫憑きがいる訳でもないのだから。

 だがしかし、考えてもみて欲しい。経済改革に見舞われ、一気に街としての機能が十二分に発達している所だ。必然的に人は多くなるだろう。人口増加に反して虫憑きが少ないというのは何処か引っ掛かる。しかも波施市の規模は桜架市とほぼ同じで人口もかなり近い。なのにこちらにはいないというのは流石におかしい。

 一般人の目撃情報から、特環での『発見』と『捕獲』はある程度出来たらしい。だが、ただでさえ少ない『目撃』の数に比べて明らかに『発見』以降の数が少ないのだ。もはや、何か意図があるとしか思えないほどに……。

 一応この街にも特環の支部が存在する。が、どうにもきな臭いらしく俺達の事は伏せてある様だ。

 

 

「さて、鬼が出るか蛇が出るか……出来れば何も出ませんように」

 

 デパートの脇道に入るとバッグからゴーグルとコートを出して装備する。

 手掛かりは欲しいが下手に強いヤツとは会いたくないなぁ……。などと思いながら、ガッチリと“大蜘蛛”が固定された腕を、そのまま空――正確に言えばデパートの屋上付近の非常階段――目掛けて狙いを定める。大蜘蛛は俺の狙った場所に寸分狂わずロープ状の糸を吐き出す。

 そしてそれが目標地点に付くと、今度は糸が縮み俺の体は吸い込まれる様に非常階段に向かって文字通り飛んで行く。景色が次々と横切っていく程の速さ、このまま頭から行ったら確実に重症、下手したらお陀仏だ。

 だから少し早いタイミングで糸を切り、余った勢いを殺す為に八本ある脚の内四本から糸を出し階段の上下左右に備え、更に以前使ったクッションの役割を果たす毛玉を新たに吐き出す。

 

「ッ――……てぇ……」

 

 衝撃に耐えられるよう体を丸めたが特に意味はなく、少し鈍い痛みが体を走る。やはり、アニメやマンガの様に糸を出しただけで素早く動くというのは難しい……蜘蛛の怪人の皆さんは一体どうやっているのかコツを聞きたい所だ。

 

「まあ、その前に仕事なんですけどね」

 

 起き上がり、コートについた埃を払う。まだ軽く痛みを残すものの動くには差し障りはなさそうだ。

 

「面倒くさいが仕方ない、給料貰っている以上は働かなくてはいけないからな」

 

 呟きながら上を目指し駆け上がる事十数秒、思いの外早くに屋上に繋がる扉へ到着した。

 鍵が掛かっているそれに、液体に近い状態の糸を鍵穴に流し込み形を固形する。そしてそのまま回すと扉は呆気なく開いた。

 

(ホント、こういうどうでもいい事に対しては使えるよな……)

 

 電子ロックやダイヤル以外のアナログ式の施錠なら今の方法であらかたは解錠出来る。しかも下手な痕跡は残さない仕様。

 

「……何だろう、この泥棒スキル……」

 

 地味だ……地味過ぎるよ、俺の“虫”……。いや、確かに便利っちゃ便利なんだけど、やはり戦闘には向いていないというか……。別段望んで戦いたい訳じゃないけど、いざって時を考えるとやっぱり強い方が良いんだよな……。

 自身の“虫”の脆弱っぷりを嘆きながらもゆっくりと扉を開け、中の様子を見る。

 

 定番とも言える小さなメリーゴーランドに休憩用のベンチが三つ……と言っても既に壊れた状態だが……。その近くに一人の少年が倒れている。

 遠くにいる為うまく見えないが光を失い、生気のなくなった目を見るに『欠落者』だろう。生半可な攻撃では“虫”は殺せない、基本的に“虫”は“虫”で殺すのがセオリーだ。となれば、近くに彼を『欠落者』にした虫憑きがいるはず……。

 肩にとまっている大蜘蛛の六本の脚から、細く透明な糸が屋上内に発射される。正確な位置は分からずとも、せめてどの辺りに居るのか確かめないと次の行動に移れないからな。ちなみにこの糸に関しては、あのコクワガタの一件から使えるようになった。

 さて、内側の状況を確かめようと意識を集中した瞬間――一陣の風が吹く。

 それは小さく糸を揺らす程度だったが、一秒後暴風へと姿を変え、張ったばかりの糸を引き裂いた。

 予想以上に強い勢いで引っ張られる扉を何とか抑えつける。

 

「――ッ……ペッ! なんだこれ!?」

 

 持っていかれそうになる扉の僅かな隙間から、砂の様な微小の物体が何度も顔に当たる。ゴーグルを着けてる為目は守られているが、口や鼻は片手で覆う事しか出来ず、僅かに侵入を許してしまったかもしれない。

 数秒後、文字通り嵐の様な一波が去り。ようやく一息出来るかと思うも、口に違和感を感じた。何かが口内全体を張り付く様な感覚が襲う。

 

「――ッ!?」

 

 鼻呼吸で何とか空気を取り込むも、口が使えない所為で吐き出す量が少なく、かなり危険な状態だ。

 危機感に襲われた俺は、その状況を打破する為非常階段から飛び降りた。

 以前の三十階ダイブに比べれば何てことない高さだ、すぐに“大蜘蛛”から毛玉を吐き出し、その上に落ちる。多少の衝撃が身体を貫くものの下手なマットよりも柔らかい糸の塊は難なく屋上からの自由落下の衝撃を逃してくれた。

 だがその際、肺から空気が失われた事も事実。俺は急いで先程投げ捨てたスポーツバッグを漁り、中にあったミネラルウォーターを引っ張り出した。そして、それを多分に口に含み、濯いだ後吐き出す。一度ではまだ張り付く感触はなくならず二度三度繰り返し、ようやくまともに呼吸出来るようになった。

 

「はぁっ……はぁっ……っ」

 

 なくなった酸素を取り戻すべく、気付けば過呼吸になっていた。十数秒、ようやくまともに呼吸が出来る様になると、吐き出した水を見る。

 濁った色のそれは明らかに異物が口に入り込んだ事を表している。“虫”どころか下手したら宿主すら殺し兼ねない危険な能力。関わり合いになんかなりたくない、だが放置するには危険過ぎる。

 虫憑きがやられるだけならまだいい。だがこの能力は、明らかに一般人すら巻き込む可能性が高い。

 

「やっぱ、放っては置けないか……」

 

 せめて、相手の容姿くらいは確認しないと、防衛すら出来ないからな。らしくない義務感を胸に、再び屋上へと戻って行く。

 

 

 -----------------------

 

 

 白い髪が風に吹かれ靡く。腰まである長いそれを見て、息が止まった。

 それは地毛でも白髪でもなく、色素が落ちた事で今の色を放っていた。

 屋上、その一角にある壊れたステージの前。恐らく休日ではヒーローショーが行われるであろうその場所に一人の少女が佇んでいる。

 白いワンピースに似た服を着た、見た目12、3才程で顔付きから察するに恐らく日本人だろう。だが、長い白髪の所為か彼女を違う世界の住人だと錯覚してしまう。雪の様に舞う微小の粉も相成って余計にこの世のものとは思えない夢とも思える儚さが漂う。

 そんな彼女の周りに数人の少年と少女が倒れている。一般的な服を着ている者の他に、特環局員も何人かいる。捕獲しようとして返り討ちにでもあったのだろう。まだ真新しい“虫”の残骸や体液が散らばっている。

 

「……?」

 

 ふと、先程から降り続けている雪の様な物質が気になり、近くに倒れている少年の上に積もっている物を掴む。

 雪とは違い冷たくはなく、砂の様にサラサラとした感触。だが肌触りは砂のそれとは少し違う……これは……?

 

「……灰……?」

 

 砂とは違い、払っても完全に落ちない特有のそれは正しく『灰』。大量の灰がまるで火山灰の様に降り積もっている。

 

(まずい……)

 

 さっき口内に張り付いていたのはこれだったのか。ダイオキシンを取り込んだ灰だったら、水と溶け込んだ場合人体に害を与える物質になると昔教えられた気がする。呑み込んではいないにしろ、吐き出す為にミネラルウォーターを口に含んだのは事実、あとで……というかコレ終わったらすぐに病院に行こう。ついでに此処にいる奴らも病院行きかな……俺より吸い込んでる可能性高いから……。

 

「……大丈夫だよ」

 

 心情を察した様にそう言ったのは、壊れたステージ……その先にある屋上を囲うフェンスを見ていたあの少女だ。正確にはフェンスの向こうにある風景を見ているのだろう、心ここに在らずといった様子で言葉を続ける。

 

「一応口や鼻には入らないように気をつけた……と思うから……たぶん……そのはず……」

 

 余程自信がないのか、どんどんすくんでいく。

 

「…………おい」

 

 少し心配になり、近くに倒れていた少年の様子を伺う。見た感じ異常はなさそうだが、不安なので先程とは別にスペア(“まいまい”の分)のミネラルウォーターを取り出し、口に含ませてから吐き出させる。その結果、どうやら大丈夫な様だ。

 

「はぁ……」

 

「よかった……」

 

 安堵の息が漏れると、ほぼ同じタイミングで少女が胸を撫で下ろした。顔を上げると少女は体をこちらに向けていた。

 確実に美少女に該当するであろうその顔に、少し胸がときめく。ほっとしている様子を見ても純粋に可愛いらしい少女だ。

 

 ――ゴーグルのスイッチを押すと、画面の右上にRECの文字が浮かぶ。

 

 しかし、如何に可愛い女の子だとしても、これだけの虫憑きを倒す程の手練れだ。細心の警戒をしなくてはいけない。

 

「さて、単刀直入に訊きたいんだけど、いいかな?」

 

「……なに?」

 

「キミは虫憑きかい?」

 

 余計な溜めはなくすっぱりと訊く。……いや、この惨状を見るにどう考えても応えは分かり切っているんだけど、一応念のため。

 

「……うん」

 

 そして、やはりと言うか何と言うか、思った通りの応えが返ってきた。

 

「そういう貴方は……特環? 見たことないコートだけど……」

 

 だが予想に反して、今度は少女の方が質問してきた。普通ならもっと警戒してもよさそうなものだが……。

 

「訳有りでね、此処とは違う支部の局員だよ」

 

 確か、この辺りの支部のコートは群青色だったな。と、倒れている局員を一瞥して思い出した。

 

「……違う、支部……」

 

 何か思う所でもあるのか、少女はぶつぶつと呟きながら考え始めた。

 一体どうしたのか、そう思いながらも相手の意識が別の方に向かっている内に罠を仕掛ける。

 卑怯と言うヤツもいるかもしれないが仕方ない、戦力差が有りすぎのだから。恐らく相手は特殊型、そして媒体は灰と見て間違いないだろう。正直言って勝てる気がしないので、罠と言っても逃げる為の時間稼ぎ程度だ。号指定クラスの特殊型とか無理、勝てない、相性的な意味含め。

 

 罠を張り終わるのと相手の考えが纏まったのはほとんど同じタイミングだった。

 いつでも逃げられるよう、罠を発動させる準備をする。

 

「あの……私をその支部で保護してもらえませんか?」

 

「………………はい?」

 

 だが、思いもよらない発言に俺の思考は軽くフリーズしてしまった。

 

 

  -----------------------

 

 

「――という訳で、今日から仲間になったほのかだ」

 

「……よ、よろしくお願いします……」

 

 紹介の後、俺の後ろに隠れていたワンピースの少女――朝霧(あさぎり)ほのかは顔だけ出して言う。人見知りらしく、その後再び背中に隠れてしまった。

 ……ちなみに身長は彼女の方が五cm程大きいようなので、実は完全に隠れることは出来ていない。……なんか虚しい……はやく来い、俺の成長期!

 

『イッエース! “まいまい”ちゃんは大歓迎ですよ! ……ところで“大蜘蛛”さん、私が支払ったパスタの代金を要求します。千円プリーズ、返してください!』

 

 ケータイの着信音が鳴り、通話ボタンを押すと案の定騒がしい声が最大音量で聴こえてくる。それに呼応する様に、“まいまい”は(せわ)しなく動く。人見知りのほのかに「よろしく」の握手をした後、金返せと手を差し出した。

 

「あぁ、そいつは悪かったな」

 

 仕方なく財布から数枚の小銭を取ると、無防備な手の平に叩きつけた。

 

『みゃああああああ!!!』

 

「あのパスタはそんな高くねぇよ、自分の分をちゃっかり混ぜるな!」

 

 基本後方担当とはいえ、伊達に一年近く戦闘班にいる訳ではないので、俺の『叩き』は一般的な子どものそれよりも数段威力が高い。結果、手が紅葉の様に紅く腫れた“まいまい”は妙な奇声を上げて、のたうち回る。

 

「だ、大丈夫?」

 

『へ、へっちゃらです! “かっこう”さんにぶたれるより数倍マシです!』

 

 背中に隠れながらも、心配して顔を覗くほのかに涙目ながらにVサインを送る。

 

「じゃあ、今度は本気で叩くが問題ないな」

 

『ごめんなさい、嘘吐きました。ホントは凄く痛いです、だから止めて下さい、お願いします」

 

 極上の笑みを浮かべながら指の骨をぱきぱきと鳴らすと“まいまい”は直ぐ様土下座をした。

 

 

 ――彼女、朝霧ほのかが出した『保護してほしい』という頼みを俺は断った。……というか俺自身が了承した所で、それはその場しのぎに過ぎないだろう、特環に戻ればあの支部長が笑顔で却下を下すはず。数多いる“虫憑き”の中で一人だけその待遇を許してしまえば他の虫憑き達から不満が溢れ、下手したらクーデター物だ。稀少な能力や一号指定とかならまだしも彼女は特殊型だ。特殊型は確かに珍しいが、そうまでして守る程でもない。

 だから『保護は出来ない』ときっぱり断った。ただし、純粋に仲間(戦力)としてなら迎い入れる事は出来る。ほのかの“虫”はどう見積もっても号指定だ。それも俺なんかじゃ足下にも及ばない上位クラスの……。

 その事を説明するとほのかは「うん、いいよ」と意外な程あっさりと返事をした。もう少し考えるものだと思っていたが、どうやらこの街の支部の管轄から抜けれるなら待遇に関してはあまり気にしないようだ。

 その後、“まいまい”に連絡してから帰宅し、現在に至る。その際「なんでいきなりいなくなったのか」と最初は拗ねていたが、今度お菓子を買ってやると言ったら一秒と経たずに直った。……本当に単純だな、オイ。

 

 

「ま、アホなコントはこのくらいにして本題に入るか」

 

 一連の流れを思い返し、未だに土下座をしている“まいまい”に目を向ける。このままアイツに構っていたら日が暮れる為仕方ないが話を切り替える。別に弄くるだけならそれでもいいのだが、生憎と今は面倒事がある為却下だ。

 出来れば関わりたくない案件だが、仕事上無視することはできず、やむなく話を切り出すことになった。

 




ほのかの苗字、本当は「浅葱」にしようと思ったんだけど、それだと戌子のコードネームと被るから一文字足して「朝霧」にしました。あと「ほのか」という名前に関しては漢字で書くと「仄」となり、媒体である灰と似た漢字になるのでそういう名前にしました。まあ、基本ひらがななのであまり関係ありませんが……。


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“底王”

更新が遅れると言ったな、あれは嘘だ。……という事はなく、ただ予想より早めに出来ただけ。
あと今回は三人称です。


 鋭く尖った牙を魅せびらかす様に黒い“虫”が顎を開き、咆哮する。それに呼応するかの如く、逃がさぬよう、自由にさせぬように囲んでいた檻が震えた。

 八本の脚を持つ蟻によく似たそれは、“虫”と呼ばれる異形のモノだ。彼らは成虫と化すまでは宿った青少年達から養分となる“夢”を喰らい、その対価として彼らに従う。

 その証拠に、人よりも大きな蟻の傍には息を荒くしている少年の姿があった。まるで囚人の様に足枷をつけられた彼は、今この瞬間も虫に夢を喰われ続けているのだ。

 

 対し、彼の向かい側にも巨大な影がある。それは大きな茶色い飛蝗(バッタ)だ。強力な惰力を思わせる脚にはノコギリの様にギザギザな刃があり、頭部は鋭く槍を思わせる一本の角がついている。

 その近くには、やはり宿主と思われる少年がいた。同じように足枷をつけられる、だが蟻の少年とは異なりその顔に苦痛はなく、ただ殺意に満ちた目で蟻を睨み付ける。そして、腕を振りかぶり“虫”に命じる。

 

 ――殺れ……。

 

 その一言が放たれると飛蝗は命令を遂行する為に、獲物目掛けて跳んでいく。

 大きな後ろ脚が地を蹴ると、コンクリートの床が弾けた。その見た目以上の威力に、敵対する少年は脅威を抱き、無我夢中で自らの“虫”に防衛するように伝える。

 巨大で鋭利な二つの牙が、まるでハサミの様に開き、獲物を待ち構える。一メートルにも及ぶ長い双牙――見た目もそうだが威力も凄まじく、岩をも切り裂く程の切れ味と怪力を持つ。故に、近づくモノはその(ことごと)くが両断されるだろう。

 しかし、飛蝗はそんな事に意を解さず――もしくは見越した上で、文字通り跳んでいく。

 

 ――背中が抉れるも片前脚を切り。

 

 ――片前脚を切られるも背中を抉った。

 

 一瞬の交差の間に、二体の虫は互いに手傷を負わせ、双方の宿主は苦悶の表情を浮かべる。

 感情・記憶・想い、心と呼ばれるものが、虫が傷付く度に彼らの中から一つ、また一つと消えていく。虫と繋がっているが故に傷付けば夢が欠け、殺されれば欠落者へと落ちる。放って置いても宿主を殺し、殺されても道連れにする。虫から逃れる事は出来ない、それを理解しているからこそ彼らは今この瞬間も精一杯生きているのだ。

 

 

「今回のゲームはいまいち迫力に欠けますな」

 

 死闘とよんでもいい戦いを幾百、幾千もの人々が観ていた。よく見える様に出来たドーム状の会場。その中央で行われる二体の虫の殺し合い。

 血肉を削る死闘は、しかし今終わったところだ。飛蝗に貫かれた蟻が液体を撒き散らしながら倒れ、同時にその宿主の顔から生気がなくなる。

 欠落者になったのだろう。そう思った矢先に、隣に座っていた男が先の言葉を投げた。

 

「おや、そうなのですか? 私は十分に楽しめましたが」

 

 その言葉に三十代後半と思わしき男性は首を傾げた。どんなに非力な虫憑き同士の戦いでも一般人から見たら十分異常だ。下手な怪獣映画より迫力はあるだろう。

 

「そういえば……貴方は此処に来て、まだ日が浅いのでしたな。では、知らないのも無理はない」

 

 しかし隣の男は未だに満足していないらしく、まだ馴れていない様子の『会員』に話し続ける。

 ……どうでもいい事かもしれないが、ビール腹が気になる。もう少し健康管理を考慮した生活をするべきだ。と、場違いな感想を抱いてしまった。

 

「あんなモノ、此処では前座にすら過ぎませんよ。真にメインを務めるモノ――」

 

 逸れた思考を直そうとした瞬間――男の言葉が途切れる程、大きな音が聞こえた。それが歓声だと理解するのに一時の時間を有した。

 騒々しくも活気に溢れる会場。『観客』の視線は全て、ある一点に集中している。皆の視線を追う、すると先程まで戦っていた二人は退かされ、代わりに黒いフードを被った二人組が会場の真ん中に立っていた。

 

「彼らこそ、このアンダーグラウンドにおける絶対的強者、“底王”なのです」

 

 隣の男は嬉々として、そう告げる。

 いつから居たのかはわからない。ただその内の一人からはとてつもない威圧感を感じた。

 ただそこにいるだけで気圧されそうな圧倒的な存在感を放つそれを、男は本能的に恐怖した。

 その時だ、何処からともなく羽音が耳に入る。この歓声の中で聴こえた事を不思議に思っていると、次いで赤い線が目の前を横切った。

 男が確認出来た所から音と色が離れていく。『それ』が向かう場所――否、相手はフードの内の一人だった。

 彼、もしくは彼女は『それ』を確認すると黒衣の中から腕を差し出す。白い――まるで死人の様な真っ白な手には、一本の刃毀(はこぼ)れしたナイフが握られている。

 そして、『それ』――オオカマキリに似た赤い“虫”は迷うことなくナイフの刃先に止まった。

 その姿に既視感(デジャビュ)を覚えた男の全身から嫌な汗が吹き出す。

 

 ――いや、待て、そんなはずはない。『アレ』はそう簡単にいていいものではない。ただ似た種類というだけだ……だから、そんな事があっていいわけがない!

 

 そんな男の願望は、次の瞬間にはあっけなく砕け散った。

 

 オオカマキリの躯が歪んだ。鎌が、羽が、足が、躯全てがまるで溶ける様にナイフに吸い込まれていく。今にも折れてしまいそうなナイフは、刃の長さだけで一mにも及ぶ凶器へとその姿を変えた。刃だけでなく柄の端まで印された赤い模様が、宿主の身体をも侵食していく。武器も宿主も、戦いに最適な道具へと変わっていく。

 

 その光景には覚えがあった。

 何度も見た、知識としても知っている。何より知り合いの一人がそうなのだから……。

 

「同化型――!」

 

 “三匹目”と呼ばれる原虫が生み出す虫。その名が示す通り、宿主に――場合によっては武器となる物にも――同化し、戦闘能力を引き上げるタイプだ。

 現在までに確認された固体は“かっこう”を含め、片手で数える程しかいない。その希少性に恥じぬ圧倒的な戦闘能力は他の随を許さず、単純な戦闘力は一号指定にさえ届くだろう。

 

「おや? よくご存知で」

 

 あまりの出来事に驚き、つい呟いたその言葉に興味を持ったのだろう、隣の男が尋ねてきた。

 

「……ええ、実は此処に来る前から虫憑き(彼ら)に興味があったもので……つい興味本意で調べてしまったのです」

 

「なるほど、噂通りの勤勉家だ。しかしどのように?」

 

「それこそ愚問というもの……金で買えぬモノがこの世にありましょうか」

 

 どんな物も情報も、地位も権威も、そして人でさえ金で買える。それが彼の――いや、“彼ら”の共通認識なのだ。

 現に、隣の男は今の答えに気を良くしたらしく、高笑いとともに「正にその通り!」と絶賛同意している。

 

 ――権力者とは、どうしてこうも醜いのか……。

 

 勤勉家と称された男は軽く頭痛を感じた、合わせる方の身にもなって欲しい……そう思い頭を振るう。その際近くに置いていた二人のボディーガードに視線を送る。群青色のコートを羽織った上でもガタイがいいのが分かる少年。彼は視線に気付くと小さく首を振った。

 もう一人の方、顔全体に白粉を掛け、奇抜な格好をした……俗にピエロと呼ばれる者は混乱しているのか、はたまた単純に“底王”を恐れているのか、こちらの視線には気付かずあたふたしている。

 

「おお、そろそろ始まるようですぞ」

 

 男がそう言った視線の先には、虫と同化した“底王”を囲む様に数人の虫憑きの姿があった。

 一体何が始まるのか、そんな疑問を持ったのもつかの間、虫憑き達が一斉に虫を出す。そして、何の合図も無しに一体の虫が“底王”に向かって突撃する。

 カマドウマに似た虫は、先程見た角付きの飛蝗と同等かそれ以上の速度で“底王”に向かって行く、その姿はまるで弾丸だ。生身の人間があれに当たれば肉は潰れ、骨は砕けるだろう。

 だが相手は虫憑き。しかも三種の中で最も個体能力値が高い同化型だ。故にその一撃には余裕も慢心もなく、ただ殺すべく全力を込めた。

 “底王”に接近し、ぶつかるまで二秒にも満たない。

 

 そして衝突する刹那――サクッと、まるで果物を切る様な軽い音が会場に響く。

 当たったと思われたカマドウマは“底王”を『通り抜けていた』。何が起きたのかわからない、この場にいるほとんどの人がそう思った瞬間――カマドウマは頭から綺麗に裂け、液体を散らしながら残骸と化した。同時に宿主である少年の顔から生気が消える。

 欠落者になった。それを理解した時には新たな液体が宙を舞う。モンキチョウに似た虫が、その黄色い羽ごと横一閃に両断されていた。いつ移動したのかわからない。ただ、二人目がやられたという現実だけがそこにはあった。

 それが恐怖となり虫憑き達に伝播していく。ある者は死にもの狂いで立ち向かい、ある者は逃げ出そうと檻を壊そうとし、またある者は全てを諦め呆然としている。

 ……それからは戦闘と呼べるものはなく、ただ一方的な虐殺が続いた。“底王”が一振りすると両断され、捕まればその超人染みた握力で握り潰され、距離を取れば近づく“ついでに”殴り殺される。そうして一人、また一人と欠落者が出来上がっていく。

 そして最後の――ハサミムシの虫が憑いた少年だけになった時、終わりを間近に感じた瞬間、それは起きた。

 突如、少年が苦しみ出したのだ。だが虫には一切傷が見当たらない、会場の大半がどうしたのかと首を傾げる中、ただ一人――男だけは気付いていた。ハサミムシの躯が大きく変質していってるのに……。

 

「……成虫化」

 

 虫憑きの末路。夢を食い尽くされた者の終着点。

 “成虫化”を果たした彼らは宿主を必要としなくなる。姿を変え、力が増し、宿主という(くびき)から完全に解放された彼らは、一個の怪物に成り果てるのだ。

 躯は膨れ、ビキビキと殻が変質する。ただでさえ巨大なハサミは更に大きくなる。

 力を試す様に放った一撃が檻の一部を両断する。その鋭さは、先程までのとは比ではないのだろう。怪物が檻から出て来れると理解した客の何人かはパニックに陥っていた。

 しかし、半分以上は動じていない。何せ此処には、この地底の王がいるのだから――。

 

 今まで不動を保っていたもう一人の“底王”が動き出す。ハサミムシに向かって歩き始めると同時に黒衣から腕を出す。そこに一本のナイフが握られている。

 時同じく、今まで同化していた“底王”からオオカマキリが離れた。羽音を発てながら、もう一方に向かって飛んでいき、そしてナイフの柄に止まる。

 

 ――まさか……!?

 

 男の顔が青ざめた。

 

 それはあってはならない事だ。

 同化型どころか、虫憑きの前提を覆す諸行だ。

 故に起こりうるはずがない。

 

 そう断定し、目の前で起こるだろう現象を否定したかった……。だが現実は無情にも結果を男に知らしめる。

 

 ――同じ虫が、もう一人の“底王”と同化した。

 

 --------------------------------

 

 オオカマキリの躯が歪む。鎌が、羽が、足が、躯全てが、まるで溶ける様にナイフに吸い込まれていく。一般的な大きさのサバイバルナイフは刃の長さだけで一mにも及ぶ凶器へとその姿を変えた。刃だけでなく柄の端まで印された赤い模様が、同化した人間の身体も侵食していく。

 つい先程と同じ光景が目に入る。だが、今回は同化している人間が違う。体格が違う、血色も良い、何より……。

 

 ――にぃ。

 

 何より、フードの隙間より覗かせるその吊り上がった不気味な口が、先程とは別人である事を示唆していた。

 嫌という程に禍々しい威圧感を放つ『それ』にハサミムシは気付いたらしく、檻の外に出る前の障害と認識した様だ。

 巨大なハサミを振り上げ、獲物を捉えると一気に振り下ろす。人一人どころか十人は纏めて葬れるであろうそれは、一切の狂いなく“底王”ごとステージの一部を粉砕する。

 その威力は凄まじく、大量の砂塵が舞い、一瞬会場が揺れたような錯覚すら覚えた。

 

「これが成虫化した虫……」

 

 あまりの迫力につい男の口から声が漏れる。

 ……いや、正確には成虫化“しかけている”か……。

 宿主である少年に視線を向ける。横たわり、痙攣こそ起こしているがまだ生きている。完全に成虫化が果たされた場合宿主は死ぬ、それは絶対だ。故にあのハサミムシはまだ未成虫なのだろう。

 だがそれも時間の問題だ。暴走したという事はつまり彼の夢が残り僅かである事を示している。完全な成虫化を果たせば、如何に上位クラスの虫憑きだろうと苦戦は必須。だから、出来る事なら今倒すべきだ。

 

「…………………………」

 

 最悪の事態を想定し、背後の二人に視線を送る。

 少年は静かに――だが力強く頷く。

 ピエロはぶんぶんと首を横に振る。

 ……どうしてこの二人はこんなに両極端なのかと頭を悩ませた瞬間――虫の咆哮が会場に響いた。

 

 何があったのか、ステージに目を向ける。砂塵が晴れたそこには、ハサミを片手で受け止めている“底王”の姿があった。

 同化しているとはいえ、成虫化しかけている虫の一撃を逃げずに真っ向から受け止めるとは……無茶をするにも程がある。現にハサミムシの一撃を受けた“底王”の周りの床は衝撃に耐えきれず壊れ、沈没している。

 その姿は何処か知り合いと似ていた。その所為か、同化型はこういう戦い方しか出来ないのかと一瞬でも思ってしまう。

 そんな男の呆れた視線を知ってか知らずか、“底王”はハサミの片側を掴み、思い切り力を入れる。

 すると、強度が上がっているはずのハサミが握り潰され、ハサミムシは悲鳴を上げる。次いで、残っている片側は同化したナイフで切り落とす。まるでバターの様に呆気なく切られた箇所から液体が噴き出す。

 

 ――脆い。

 

 不完全とはいえ、成虫化しかけているのだ。だからもっと手こずるかと思いきや……その実呆気ない。

 これでは力試しにもならない。やはり、完全に成虫化してから倒すか……。

 そう思い、敢えてハサミムシに止めを……やはり刺す事にした。

 そう言えば、オーナーに『宿主は殺すな』と忠告を受けていたのだった。恐らく『商品』として売る為だろう……全く面白くない理由だが、仕方ないと割り切り、ナイフを振り上げる。

 

 瞬間、赤い模様が脈打つ様に光り、刃から“風が溢れた”。よく見ると刃の中心を走る様に一筋の溝があり、そこから出ている様だった。

 それは定まらない波から刃を覆う鞘の様にナイフの周りで固定化される。そして……。

 

「失せろ」

 

 そのまま距離が離れているはずのハサミムシ目掛けて振り下ろす。

 本来なら空振りで終わるはずのそれは、文字通り『空を切った』。

 ナイフが纏った風の鞘は刃となり、まるで軌跡を描く様に斬撃へと変じ、標的であるハサミムシを頭から尻尾の先まで両断する。

 そして、悲鳴を上げる事すら許さず、ハサミムシは絶命した。同時に、痙攣が起きていた少年の動きが止まり、顔から生気が消えた。

 

 その圧倒的な強さに暫し会場は静寂に包まれる。だがそれも十秒もしない内に破れ、歓声が沸く。

 “底王”の今の戦闘は、端から見れば怪物を倒す英雄そのものだった。そして今まさに彼らの目にはそう写っているのだろう。……ただ一人を除いて……。

 

「あれが……“底王”」

 

 男は恐怖する。

 同化型の恐ろしさは理解しているはずだった、何せ『悪魔』と呼ばれる少年の戦いを何度も見てきたのだから。

 だが、どうやらそれでもまだ認識が甘かったらしい……そんな自分に嫌悪感を抱く。

 その時、ポケットに入れていたケータイに着信が入る。場所が場所という事もあり、電話ではなくメールの様だ。

 確認を終えると男は席を立つ。

 

「おや? どうかしましたか」

 

 その行動を不審に思った隣の男は疑問を口にする。

 

「申し訳ない。どうやら急用が入ったようで、私は此処であがらせて頂きます」

 

「そうなのですか、それは残念だ……では、また」

 

「はい、必ず」

 

 隣の男に理由を言い、軽く会釈をすると男はボディガードの二人を引き連れ会場を跡にした。

 

 

 薄暗いドームから機械的な通路に出る。やはり向こうとは違い、明るい。

 ケータイを使い、迎えの車を呼ぶ。恐らく二十分かそこらで到着するはずだ。そうした所で、ふと後ろが気になり視線を送る。

 後ろの二人は静かに付いてくる。少年の方はともかく、ピエロに関しては何かしらのアクションを取るかと思っていたのだが、これといって特になし。恐らく二人とも、先の戦闘の事を考えているのだろう。

 そう判断した男は、余計な事は言わず、静かに歩みを進めた。

 

 暫くすると頑丈そうな扉が見える。その近くには係員と思わしき人達がいた。

 来た時にも感じたが、やはりセキュリティは厳重の様だ。

 

「すみませんが、カードの確認よろしいですか?」

 

 今分かっている範囲で一つしかない出入口。そこに差し掛かると、二人の係員が寄って来る。

 面倒だなと思いつつも、内ポケットから『会員カード』を差し出す。まだ会員になって間もない為カードの色はブロンズだ。

 渡されたカードを係員が真偽する。一人は材質等の見える範囲で、もう一人は会員ナンバーを専用の機械に打ち込み本物かどうか確認している。

 

「はい、ありがとうございます」

 

 その結果、本物である事が分かった。当たり前だと半ば呆れつつカードを受け取る。

 どうぞ、そう促され頑丈な扉――その脇にセットされている電子パネルの前に立つ。パネルに手を乗せて数秒、指紋による識別のようだが、無論何の問題もなく扉が開く。

 

「またの御越しを」

 

 そう言って、綺麗な礼をする係員達。そんな彼らに見送られ、男は会場を跡にする。

 

 

 

 予定より早く駐車場()に出ると、やはり迎えの車はまだ来ていないようだ。

 

 ――さて、どうしたものか。

 

 そう思うのは無論“底王”の事とあの“イベント”についてだ。意図的に作り出された檻の中で無理矢理戦いを余儀なくされる虫憑き達。恐らく、この街での目撃例の低さが関係しているのだろう。逃げる事は決して出来ず、待っているのは勝者か欠落者。しかも、仮に勝利しても自由は与えられず下手をすれば、あの“底王”と一戦交わす事になり、それは事実上の死刑宣告に等しいだろう。

 酷いものだ。そんな思いと、僅かに込み上げる怒りを感じた瞬間。

 

「な――ッ!?」

 

 突如、首に何かが巻き付いた。

 鞭の様にしなり、蛇の様に締め上げるそれは、男の首を圧迫する。

 

 ――敵。

 

 それを瞬時に理解するとボディガードの一人、少年は身構える。虫を出すべきかとも思ったが、下手に反抗的な態度を見せ、守るべき対象の首が折れてしまっては適わない。故に今は静かに敵の出方を伺う。

 ちなみに、ピエロの方はどうしていいか分からず、混乱しているらしい。バタバタと両手を振っている。

 

「ちょっと、訊きたいことがあるんだけど」

 

 地下の駐車場に女と思わしき声が響く。

 男の首を締め上げている鞭の様なもの、それを辿った先に一人の少女がいた。

 黒いシャツに白い上着、ホットパンツにスニーカーという見ただけで動き易いと思われる格好の少女。目を引く程綺麗な金色の髪、それを隠す様に帽子を被っている。

 

「アンタ達、この辺で女の子見なかった? 灰色髪のかわいい女の子なんだけど」

 

 ただし、その腕には無骨ともいえる籠手の様なものが一つ――鞭の出所だ。光沢のない褐色に黄色の斑紋と筋が入ったそれは――。

 

「ラナちゃん!」

 

 その姿を捉えた瞬間少年の口から、とても男性が出せると思えない高い声で少女の名前を呼ぶ。

 

「え――?」

 

 その時、ラナと呼ばれた少女は二重の意味で驚く。

 一つは、会ったこともない少年が自分の名前を知っていた事。

 もう一つは――。

 

「ほのか……?」

 

 少年の声が、ラナが探していた少女の声そのものだった事だ。

 その一瞬、僅かに生じた隙を男は見逃さなかった。

 ダンッ、と思い切り床を蹴り、少女に近付く。気が逸れていた少女はその音に驚き、次いで男の取った行動に慌てて対処しようとする。

 しかし、そんな付け焼き刃の動きでは間に合わず、男の接近を許してしまう。

 

「うッ――!」

 

 そして鳩尾に強烈な一撃が叩き込まれた。だが、なんとか踏ん張り、口を横一文字に噛み締めて耐える、そして――。

 

「ッッッ――――!?」

 

 反撃する直前、強力な『何か』が身体を走り、少女の意識を奪った。

 

「ふぅ……危なかった」

 

 少女が倒れ、首の拘束がなくなるのを感じると男は安堵の息を漏らす。その手には、保険として隠し持っていた小型のスタンガンが握られている。ただ殴るだけでは気絶させるのは困難だと思い、咄嗟に使ったのだが、どうやら正解だったようだ。

 

「心配はいらない、気絶させただけだよ」

 

 駆け寄る少年に気遣うようにそう言う。

 その時、まるで計った様に迎えの車が到着する。胴の長い、その『如何にも』な車から一人の男が降りた。

 

「何かあったのかね?」

 

「いえ。ただ、彼女の仲間が接触してきたようで……」

 

 三十代後半のスーツ姿の男性は、“自分と全く同じ姿”の男に質問すると、もう一人の自分が同じ声色でそれに応えた。

 

「そうか……では、その子も連れて行こう」

 

 その際、視線を少年に向けていた事に、当然気付いていた男は続けてそう述べる。その言葉に頭を下げるもう一人の自分。本当は自分がそうしたい所だが、生憎と今は余計な混乱が起きる前にこの場を離れる方が先だ。

 

「ご苦労だった」

 

 故に、今は簡潔な労いだけに留める。

 

「――“大蜘蛛”」

 

 そして、彼のコードネームが静かに響いた。

 

 




勢いで書いた感があるから変な所ありそう……。

……ところで、総合評価とお気に入りが結構増えてたんだけど……何があったの?(混乱中)


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禁句

六月後半に二つゲーム買ったせいで書く時間がなかった。ちなみにまだ終わってないから次回も遅れる可能性大。
今回は色んな奴がキレる。あとR-15のタグを付けた理由は今回で分かると思う。


 ――昔から、よく『器用だ』と言われる。

 

 自分でも手先は器用な方だと自覚している、ガ○プラとか作るの好きだし、物の修理とかもどちらかと言えば得意だ。だからといって、それらが何かの役に立つとは微塵も思っていなかった……虫憑きになるまでは。

 否応なく戦いを強要される虫憑き。単純に、且つ圧倒的な力を持っていればこんな事はまず思わないはずだ。しかし、誠に遺憾ながら俺の虫は弱く、単純な力比べではほぼ確実に負けてしまうだろう。故に、『能力の応用』に関しては他の誰よりも、一層頭を悩ませたのは苦い思い出である。……もっとも、残念な事に俺の虫の能力はその悉くが戦闘には向いていなかったのだが……。

 “一応”戦闘班に属してはいるが、実際の所俺は監視や工作要員として駆り出される事の方が多い。“大蜘蛛”の能力が(トラップ)や支援向きである事は、俺も十分に理解しているのであまり文句は言えない……寧ろ下手に前に出れば簡単にやられる為こっちの方が向いている。

 そんな任務ばかり続けていた為か、能力については相当理解があり、どういった事が出来るのかは粗方把握している。

 その中で、酷く面倒で時間も掛かるが、それなりに使えるものがある。潜入したり、特定の人物と接触する際役立つそれは――。

 

 

「すまないが、そろそろ解いてくれないか? さすがに『自分』と向き合うのはあまり気分がいいものではないのでね」

 

 波施市の市街地にあるマンション。つい最近出来たばかりであり、俺と“まいまい”の潜伏先でもある。その近く、大体車で五分くらいの所に、見るからに豪華な造りの屋敷がある。そこの一室に今俺達はいる。

 俺と“まいまい”とほのかの三人と向かい合うようにスーツ姿の男性が椅子に座っている。

 

 南条宗析(なんじょうそうせき)――数いる資産家の一人だが、“虫”について独自に調べている人物。ちなみに土師の知り合いである。

 彼は今回の任務の『外部協力者』として密かに俺達に手を貸してくれている。

 何故協力者が必要か? その理由は考えるまでもなく明白だ。流石に他の支部のお膝元でバレずに密偵するなど無謀過ぎる、潜伏先なんて通常の手段で手続きを取ったら即アウトだ。故に彼の様に特環以外の協力者が必要となる。おかげでこの支部の局員にバレることなく潜入出来たし、彼の所有するマンションに住まわせて貰っている。本当に“あの”土師の知人かと疑う程よく“出来た”人だ……今の所は。

 ……まあ、本人としてはあの会場を消す事が出来ればそれでいいらしい。事情に関しては詮索しないよう前もって言われているので聞かない。ギブアンドテイク、それが彼が俺達に求める関係なのだろう……と言っても明らかに彼の方が分が悪い……そうまでして、あの会場を壊したいのか?

 

 

「……わかりました」

 

 一瞬、余分な考えが頭を過った。だが『詮索するな』と言われている為、結局は割り切って呑み込む。そして一息の後に彼が言った言葉に頷くと、俺は今まで自分が纏っていた大量の糸をほどき、同時に消滅させる。

 一般成人並の身長を持つ南条さんと同じ姿をしていた為か、『擬態』を解いた後は二十cmほど背が下がり(戻り)、一瞬だけ妙に気分が落ち着かなったがそれも直ぐに慣れ、いつも通りの風景として認識する。

 ……うん、我ながら切り替えは早い方だな。誰に言う訳でもなく、胸の中で少し誇る。

 

「ん……?」

 

 不意にくいくいと袖を引っ張られ、振り向くとピエロが――正確にはピエロ姿の“まいまい”がいた。「どうした?」と尋ねるとケータイに着信が入る。

 

『“大蜘蛛”さん早く私のも解いて下さい! 今ブレイク中のネットアイドルマイマイちゃんの素性を晒させない為とはいえ、若干息苦しいです!』

 

 通話ボタンを押すと案の定、五月蝿い声が聴こえた。ちなみに素性を隠す為というのは当たってるが、特環局員である事を隠したかったのであって、間違っても“まいまい”の言ってるような理由ではない。

 

 『擬態』――俺の虫である“大蜘蛛”の能力を使った変装の通称をそう呼ぶ。あくまで変装である為自分より小さいものに化ける事は出来ない上、本気で真似る場合小一時間は掛かり多大な集中力を使用するので、『巣』以上に手間が掛かる代物だ。ただ、それに見合うだけの成果はある。何せ指紋や声すら真似する事が可能なのだから。その上持ち前の器用さも合ってか、一度でも変装した人なら二回目以降数分足らずで化け直せる。潜入・工作といった任務の際には最も重宝されるスキルである。

 ……まぁ、“ミミック”みたいに他人の虫をコピーとかは勿論出来ないので、例によって戦闘には全く役に立たないけどね……。

 

 で、その肝心の『擬態』に関してだが、皮を被る様な感覚に見舞われる為か、慣れない内は暑かったり息苦しかったりするのだ。特に今回の様に他人に使用する場合、どうしても調整が難しく、顕著に表れてしまうらしい。やはり、自分と他人では勝手が違うな……。

 

『すぅ……はぁ……室内だけど空気が美味しいです! あ、宗析さん加湿器つけてもいいですか?』

 

 とりあえず“まいまい”とほのかの擬態を解いたが、“まいまい”は相も変わらず平常運転である。……湿気を求めているのは虫がかたつむりだからだろうか?

 了承の声を待たず、勝手に加湿器の電源を押す“まいまい”に苦笑を浮かべる南条さん。

 

「これ、ありがとうございました。おかげでスムーズに入る事ができました」

 

 これ以上“まいまい”(あの馬鹿)が余計な事をして機嫌を損ねられる前に本題に乗り出そう。そう思い、借りていた会員カードと携帯電話を差し出す。

 

「それで、どうだったかね? 感想は」

 

 カードとケータイを受け取ると、お返しと言わんばかりの書類の束を渡された。

 

「はっきり言って、最悪ですね」

 

 出された質問に数秒も使わずに即答。そして元々頼んでいた、あの会場についての資料に目を通す。ちなみに俺の応えに対し、南条さんは「そうだろうね」と一応同意してくれるが本心は分からず。

 

 あの“イベント”――虫憑き同士の殺し合いは見ていて気分のいい物ではなかった。自分が虫憑きじゃなかったとしても、印象は悪かっただろう。ただでさえ自由が制限されている虫憑きを束縛して無理矢理戦わせ、欠落者を生み出す。資料を見るに、そうして出来た欠落者(稀に虫憑きも)は人身売買に出されるらしい……逆らわず、言われた命令をただ淡々とこなす彼らはまさに体のいい奴隷という事か……。胸糞悪い話だが場合によっては更に酷く、『維持するのが面倒だから』という理由で解体(バラ)して臓器を売っている奴らすらいるらしい。

 基本的に特環に属していない虫憑きは発見された時点で人権とかを無視される場合が多く、世間から“いないもの”として扱われる。どうやらあそこに囚われている虫憑きはその特環に属していない者達のようだ。……いや、正確には特環に属する前、か……。

 薄々感付いてはいたが今回の件、やはり此処の支部が関与しているらしい。恐らく彼らが捕まえた虫憑きの横領をしているのだろう、幾ら金が集まってもあんな数の虫憑きを用意できるはずがない。ほのかの証言も照らし合わせるとまず間違いない。

 問題はその特環に干渉できる様な存在――元凶がまだわからないという点だ。あのバカでかい会場を作れる程の経済力に、特環の――恐らく支部長に交渉できる程の権力を持つ相手か……候補はかなり絞れるが、見つけ出すのは骨が折れそうだ。

 

 

「――ありがとうございます」

 

 資料全てに軽く目を通し、おおよその見解は出来たつもりだ。後は……とりあえず、土師に現状報告するべきか。

 資料の束を左手に持ち、加湿器で潤っていた“まいまい”を右手で引っ張り、南条宗析の仕事部屋を跡にする。

 

「あ、待って! ラナちゃんの事……」

 

「彼女なら此処を出て右からの三番目の部屋で眠っているよ。心配なら覗いてみるといい、そろそろ起きる頃だろう」

 

 ほのかの心配を察した南条さんが、退室する間際そう告げる。それに対し、人見知りのほのかはお辞儀だけしてから俺達の後を追ってくる。

 『ラナ』か……ほのかとは違った情報を持っているかもしれないし、あの娘からも事情を聞かないとな。

 そう思い、言われた通り右から三番目の扉をノックすると、不機嫌そうな声で『どうぞ』と返事がきた。

 

 扉を開くと客間と思わしき造りの部屋に入る。一見よくある洋式の内装だが、恐らく家具や装飾品は一般のそれと比べ物にならない程高価なのだろう。うっかり壊して弁償だけはゴメンだ。興味深そうに何かの女神の置物に目を輝かせ、すぐにも触りそうな“まいまい”の首根っこを引っ張りながら、気をつけようと自分に言い聞かせる。

 

 部屋の奥……窓際にある、これまた高そうなベッドに件の少女はいた。体を起こしているのを見るに、ほとんど回復したようだ。実際、あのスタンガンは特環の技術部が作った特別製で、意識を飛ばす程の威力を出しても後遺症が残らない優れ物だ。個人的に技術部には(つて)があるので万が一に備え、こういった護身用の道具を作って貰ったのだ。他にも色々あるのだが、携帯出来る数には限度がある。今回は場所が場所だった為あれを持って行ったのだが、チョイスは間違っていなかったらしい。

 

「起きて大丈夫なの? ラナちゃん」

 

「うん、もう大丈夫よ、ほのか」

 

 心配していたほのかに優しく微笑み掛けた後、一瞬で表情が変わる。

 

「――で、アンタ達は何?」

 

 親の敵でも見るような鋭い視線、明確な敵意を持って俺と“まいまい”を睨み付ける。

 

『え、あの……私、は……』

 

 その威圧感に気後れした“まいまい”は今にも泣き出しそうにガクガクと震え、俺の背中に隠れる。普段のふざけた態度も、あそこまではっきりとした敵意の前にはたじたじのようだ。

 

「他の支部の特環局員だよ」

 

「何処の」

 

 仕方なく、俺が簡潔に説明すると意外な返しが飛んできた。そう訊くってことは警戒しているのだろう。確かに虫憑きにとって、特環に良い印象を持つ者はいない。だから妥当な反応とも言えるのだが……ここまで露骨だとちょっと悲しいな……。

 さて、ここは素直に言うべきか、嘘を吐くべきか、迷うところだが……。

 

「………………東中央支部」

 

 結局、素直に言うことにした。下手な嘘でボロが出るよりマシかなと思っての選択だったのだが……。

 

「――ッ!?」

 

 その名前を出した瞬間、目を見開く程驚愕し、次いでさっき以上の敵意が――寧ろ殺意が籠った視線を飛ばす。

 ……うん、これはミスったな。

 そう思ったのもつかの間、ベッド付近に置いてあった花瓶を掴むと、そのまま俺達に向かって勢いよく投げつけてきた。

 不意を突いた一撃。だが予備動作が大きかった為か早い段階で反応でき、なんとか回避する。対象を見失った花瓶はそのまま壁にぶつかり、粉々になってしまった。

 ……ちょっと待て、この花瓶いくらするんだ? 俺ブランド物の弁償なんかしたくないぞ!

 

「あの悪魔のいる所じゃない!」

 

「ラ、ラナちゃん……?」

 

 金銭関係で頭を抱えそうな時に、息を荒げながらラナは怒声を上げる。

 状況が今一呑み込めないほのかや、ラナのヒステリックに当てられトラウマ再発中の“まいまい”とは違い、俺はある程度察しが着いた。

 

 『悪魔』――敵味方問わず呼ばれる“かっこう”の別名だ。“かっこう”は容赦なく虫を殺し欠落者にする事で有名だ(無論悪い意味で)。勿論無差別にやっている訳ではないし、人は殺していないのだが……欠落者への恐怖と当人の性格、異常な戦歴に最強を表す『一号指定』という称号。それらが歪に混ざりあって化学反応を起こした結果、当人の預かり知らぬ所で彼は『悪魔』の二つ名を襲名してしまったのだ。

 最近は良好な関係を築いていた為、うっかり忘れていたが……本来彼は、虫憑きにとっての『恐怖と畏怖の象徴』なのだ。故に、出会った瞬間一目散に逃げる者や、事前調査を行い遭遇する要素を徹底排除する者もいる。

 恐らくラナは後者なのだろう、さわらぬ神に祟りなし。石橋を叩いて渡るどころか、石橋そのものを避けるタイプだ。

 個人的にその姿勢には好感を持てるが、もう少し感情を抑えられないものか……。それとも想定外の出来事には弱いのか?

 とにかく一度落ち着いてもらわないと真っ当に話が聴けない――。

 

「なんで人殺しの仲間と一緒にいるのよ! ほのか!」

 

 ……訂正しよう。やっぱコイツ嫌いだ、俺。

 

「待て、誰が人殺しなのかもう一回言ってみろ」

 

 今聞き捨てならない言葉が聴こえたの気がするが……。

 

「は? そんなの“かっこう”に決まってるでしょ」

 

 訊いた俺に対し、『何当たり前の事訊いてるんだ、こいつ』みたいな視線が向けられる。

 アイツ(大助)の評判がすこぶる悪いのは理解していたつもりだったが、まさか人殺し呼ばわりする奴がいるとは思わなかった。悪評というのはとことん下げる事が出来るらしい。

 仕方ない。効果があるかどうかはわからないが、友人を悪く言われるのはやはり居心地が良い物ではないからな……多少フォローは入れるか。悪魔は今更だとしても、せめて人殺しの誤解だけは解かないと――。

 

「……でも、欠落者にされるくらいなら……死んだ方がマシかもね」

 

 意気込み、いざ説得しようとした瞬間、彼女はそんな事を口走っていた。

 それは、この街で彼らが受けてる扱いを知っているからか。それとも夢を壊されるくらいならと思って出てきた言葉か。定かではないが……ただ、彼女が『それ』を本気で想った事だけは解ってしまった。

 

「……けんな……」

 

「え?」

 

 だからだろう、マズイと理性が判断し抑えようと努めるが、俺にとって“それ”は紛れもない『禁句(タブー)』だった。

 

 

「ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ! このガキがッ!!」

 

 

 次の瞬間、感情が爆発し怒鳴りつけた。そして俺の心境を察してか、大蜘蛛が姿を現し、『禁句』を言った少女の四肢と首筋を無数の糸で縛り上げる。

 いきなりの事で“まいまい”もほのかも……怒鳴られ縛られた当のラナでさえ唖然としている。

 

「『欠落者になるくらいなら死んだ方がマシ』だと? 『死ぬ』ってのがどんなものかも知らねぇくせにほざいてんじゃねぇよ!!」

 

 止めろ、止めろ、止めろ。理性が必死にブレーキを掛けようとするが、俺の頭の中は今ある少女の事で埋めつくされていた。

 

 ――雨の中、俺の腕の中で抱えられるように眠る黒髪の少女。彼女が最後に願ったのは、ただ『一緒にいたい』というありきたりなものだった。

 だが、アイツの願いは果たされなかった。何故ならアイツはもう……。

 

「そんなに死にたいのなら……今すぐその首切り落とすぞ」

 

 だから許せない、アイツの願いを容易に叶えられる奴がそれを否定するのを――。

 

 アイツの顔が頭を過る度、糸に力が加えられる。残ってる理性で何とか抑えているが、このままいくと本当に首を落としかねない。

 針金の様に硬く、ピアノ線の如く鋭い糸。それがラナの首筋を切り、僅かに溢れた血が糸を伝ってベッドに滴り落ちる。

 あと少し……本当にあと少し力を入れるだけで『ごとり』と――。

 

『や、やめてください! “大蜘蛛”さん!』

 

「――ッ!?」

 

 突如聴こえた大音量の声。恐らくケータイの設定を越える程の音量に驚いた一瞬、“まいまい”がその小柄な体で叩きつけるように俺を押し倒した。

 

「ッ……! なにすんだテメェ!」

 

 頭を強く打ち、その原因たる本人に文句を言おうと睨み付ける。だが、飛び込んだ光景に息を呑んだ。

 “まいまい”が抱き着くように俺に上に倒れ込みながら、『やめてください』と泣きながら何度も懇願していた。

 

「……………………ゴメン」

 

 その姿を見て一気に頭が冷えた。感情が落ち着いた。

 ……嫌な所を見せてしまった。

 罪悪感に苛まれながらも『もう、大丈夫だから』と頭を撫でる。同時に縛っていた糸を解いて、虫も姿を消す。

 

「くッ! はぁ……はぁ……あ、アンタ……!」

 

 糸から解放されたラナは完全に俺を敵と判断したのだろう。当たり前だ、弁明の余地はない。

 右手を突き出し虫を呼ぶ、正にその瞬間だった。

 

「――いい加減にして」

 

 冷たい声が部屋に響いた。

 視界が霞む程の灰が一気に室内を満たす。出所なんて探すまでもなく一人しかいない。

 視線をほのかに向ける。彼女の周りには既に十を越える程の灰の蝶が舞っていた。

 ジャコウアゲハに似たその虫は、灰の鱗粉を撒き散らす。そしてその鱗粉が新たな虫を形作り、瞬く間にその数を増やしていくと、数秒もしない内にその数は優に三十を越えていた。

 

 ――自己増殖能力か……!?

 

 特殊型は媒体さえあればその数を増やす事が出来る。だがそれはあくまで媒体を使って行われるのであって、間違っても“自分から勝手に増える”なんて事はあり得ないのだ。だが、どうやらほのかはそのあり得ない『例外』のようだ。

 上位クラスの力はあるだろうとは思っていたが……これは幾らなんでも予想以上だ。

 

 目の前で起きた想定外の力に呆然としていると、ほのかは俺……ではなくラナを睨む。

 

「特環が憎いのは分かるけど……やり過ぎだし、言い過ぎだよ、ラナちゃん」

 

 幽鬼の様にふらふらとラナに近付くほのか。彼女が一歩進む毎にジャコウアゲハはその姿を増やしていく。

 灰色の長髪に、白い服。恐らく前髪に隠れ、表情は見えないだろう。大量の蝶を引き連れた彼女の姿はまるで亡霊の様だ。

 

「な、なんでアタシが責められるのよ! 元はと言えば……」

 

「最初に花瓶投げたの、誰?」

 

「うッ……」

 

 「アイツらが悪い」と俺達を指差そうとした瞬間、ほのかが遮ってある質問をする。無論、答えは分かっているが『自分です』とは言えず顔を俯くラナ。

 

「ねぇ、ラナちゃん」

 

「ひッ――」

 

 既に部屋の大半はジャコウアゲハに埋め尽くされ、例え近くにいるほのかの姿さえまともに見えないだろう。そんなラナに蝶の群れの向こうから、僅かに見えるのはほのかの断片的箇所だけ。

 その姿はホラー映画に出てくる幽霊に酷似していた。

 

「仲良くできるよ、ね?」

 

 その言葉を皮切りに、増え続けた蝶が一斉に彼女達の周りに集まり、蝶による小型のドームが出来上がった。

 ……此処からではよく見えないが、恐らく首を振っているのだろう……縦に。それも一回や二回ではなく、何度も何度も何度も。恐らくドームが解放されるまで続けるのだろう。だってあれ、暗に逆らうなって意味でしょ?

 ……数の暴力って怖ぇ……。

 

 それから大体一分後。ドームから抜け出た一匹のジャコウアゲハが窓を開けると、ドームを形成していた残りの蝶全てが窓から飛び出し、その瞬間ただの灰に還った。

 残されたのは、トラウマを植え付けられたのか未だに頷き続けるラナと……。

 

「ラナちゃん、分かってくれたみたい」

 

 とても素敵な笑顔でこちらを見るほのかだけだった。

 

 ……とりあえず、これからはほのかを怒らせないように気をつけよう。

 そんな俺の思いを悟ったのか、無意識に“まいまい”も涙目で頷いていた。

 

 




今回は色んな意味でカオスだった気がするが気にしない。数の暴力って怖いよね。
あと関係ありそうでない話。ムシウタ二次の主人公は大抵皆メンタル強いよね、まあそうじゃないと強い虫を宿せないから仕方ないんだろうけど……しかしそんな中自分は敢えて弱い奴を使います。何故なら弱い人間が好きだから。……だから、鬱展開があっても許してね。


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『ラナ』

Q,前回の更新から二ヶ月経ちましたがどうしてですか?
A,八月のイベントラッシュで書く時間ありませんでした
Q,九月はなにしてましたか?
A,艦〇れやってました(おい)

そんな訳で更新遅れました、本当にすみません。


「はい、はい…………了解、こっちでなんとか手を打ってみますよ」

 

 上司の皮肉のほとんどを聞き流し、重要な部分だけ頭に入れるとさっさと通話を切った。

 

「ん……?」

 

 不意に左腕に重みを感じると“まいまい”が持たれかかっていた。

 なにやってんだ、そう呆れデコピンの一つでも食らわせてやろうかと思い、右手を握りしめる。

 

「……寝てんのか……?」

 

 だがすぐにそれは解かれた。

 時間は既に十時を回っている為か“まいまい”は眠っているようだった……しかも何故か安らかな表情を浮かべながら。

 この様子だとさっき連絡を取ってる最中に眠った可能性が高いな。本当ならこいつの虫の能力も解け、最悪通話をハッキングされる虞(おそれ)がある為しからなければいけないのだが……。

 ……多分、疲れが出たのは俺の所為でもあるんだよな。

 ラナとの一件を思い出し、軽く自己嫌悪してしまう。暴走した挙げ句、よりによって“まいまい”に止められるとは……一体、どっちが守ってるんだか。

 

「今回だけだぞ」

 

 そう呟き、“まいまい”をお姫様抱っこの要領で持ち上げる。

 うん、小柄な所為か、やはり軽いな。そんな感想を抱きつつ俺達に割り振られた客間のベッドに寝かし着ける。

 

 

 あの後、ラナの脅迫(説得)に成功した俺達だが、未だに南条邸に居座っている。理由はまだラナから情報を聞き出していない事と、ほのかがやり過ぎてしまった事(主にこっち)が原因だ。結果、当のラナは口も聞きたくないと言わんばかりに不貞腐れてまた眠り込んでしまった。

 俺との確執の一件もあるだろうが、一番の原因はやはりほのかだろう。何せ味方だと思っていた少女がいきなり敵対している相手を擁護した上に脅迫(あれ)だからな……流石にショックだったのだろう。

 ちなみにそれを行なった当の本人は特にこれといった変化はなく、何時も通りである。後々不仲にならないか一応心配だったので『仲間にあんな態度を取ってよかったのか?』そう訊いてみたところ……。

 

『? 別にラナちゃんとはそんな関係じゃないよ。ただ、逃げ出す時一緒だっただけ』

 

 思いの外ドライな反応が返ってきた。

 流石にそれには俺と“まいまい”は首を傾げた。何しろ元々ほのかと行動する際、一度ラナについて訊かれていたのだ。

 

『私と同じく特環から逃げてる虫憑きがいるんだけど……もしよかったら、その子も迎い入れてくれない……かな?』

 

 自分と同じく、俺達の所属する支部に入れて欲しい。そう言っていた為てっきり仲間だと思っていたのだが、どうやら俺達の間では思い違いがあったらしい。

 疑問を感じ、詳しく話を聞いた所、別に彼女はラナの事を配慮してそう言ったのではなく、ラナが“原因で”自分が捕まる事を危惧しての発言だったらしい。

 ……特殊型でも真っ当な性格の持ち主かと思っていたが、やはりというかなんというか……ほのかも何処かズレているようだ。

 単純に情で助ける訳ではない、ただ偶々ラナが自分の情報を持っていた為、その手段を用いた。それだけの事なのだろう。

 情報を封じるというのなら、恐らく欠落者にするという選択肢もあったはずだし、それを実行する可能性すら持っていたのだろう。それをしなかったのは俺達の人柄を把握した為だと考える。俺達……特に“まいまい”は争い事を好まない、これから借りを作る相手の機嫌を損ねるのはどう考えてもマイナスでしかないからな。

 朝霧ほのか……思っていた以上に腹黒いかも。

 

「どうしたの?」

 

「……いや、別に」

 

 ソファーで休んでいたほのかが俺の視線に気付き、振り返る。無論、思った事をそのまま口にする訳にはいかないので、「なんでもない」とだけ答えると「そう」と興味なさそうに寝転がる。

 

 ……ここ数時間でほのかに対する認識が変わったのは言うまでもなかった。

 

 

 ――――――――――

 

 

 ――変わりたい。

 

 最初にそう思ったのは、一体いつからだっただろう。

 よく外見的特徴を冷やかされる事はあった。別に染めた訳でもないのに、金色に(なび)く髪がうっとうしかった。聞けば祖母が外来の人で自分はその血を色濃く引いてる為だという、俗に言う『クォーター』だ。だが自分はそんなものいらなかった。

 みんなと同じなら……何度そう思ったか。

 子どもとは純粋だが、同時に残酷だ。自分達と違うというだけで『異端』扱いする。

 全ての人がそうだとは言わない、中には綺麗だねと言ってくれる人だっている。

 

 ――でも……それでもやっぱり……。

 

 そんな思いをずっと抱き続けたまま中学に上がると環境は変わっていった。

 別段、小学校の頃に比べればイジメと呼べるものはなくなった。寧ろ逆に好意の眼差しを向けられる方が多くなった。

 中学に上がり価値観が変わったのだろう、不気味に見えていた“それ”が綺麗に見え、その持ち主に対してもマイナスの感情がなくなる。

 別に当人が変わった訳でもないのに、手の平を返して優しくする元イジメっ子もいる。下心丸出しなのが丸分かりだ。

 おまけに小学校時代下手に問題が起きないよう、静かにしていた事が災いし、勝手に『物静かな少女』という位置付けもされてしまう。……本当は体を動かす事の方が好きな、どちらかというと体育会系なのだが。

 どんどん本当の自分と周りが認識する自分との差が離れていく。

 このまま本当に違う人間になってしまうのではないか? そんな被害妄想に襲われる程彼らが自分に抱く幻想(イメージ)と本物であるはずの『自分』という存在は異なっていた。

 

 ――アタシは何処?

 

 いつからか自問するようになったが、決まって答えはない。

 本当の自分が誰なのか分からなくなり、文字通り自分を見失っていた。その度に現状から『変わりたい』という想いが強くなっていく。

 

 ――貴女の夢をきかせて?

 

 だからだろう。

 そんな想いに引き寄せられた赤いコートの女性とラナは出会う。

 女性の甘美に囁くような問いに、自然と口が動いた。

 

「アタシの夢は――」

 

 

 ――――――――――

 

 不意に、瞼に重みを感じ、目を開く。

 見慣れない天井が視界に入り、一瞬混乱するが、意識が覚醒し自分の現状を思い出すとほっと胸を撫で下ろす。

 改めて今の自分の姿を確認する。

 トレードマークと言える帽子はなく、着ている服も何時もの動き易い物とは違い、寝間着の様な代物だ。

 部屋を見渡すとテレビと電話が最初に目に入った。なるほど、客室ながら最小限の情報は手に入れる事が出来るようだ。

 次にクローゼットが気になった。痺れがなくなり、元の自由を取り戻した体を使い、クローゼットの中を漁ると自分の着ていた服が出てきた。……いや、よく見るとまだ綻びも汚れも付いていない……つまり、全く同じ服が新しく用意されていたという事だろう。気を効かせてかどうかは知らないが、やはり着なれた服の方がいい。そう思い、さっさと着替える事にした。

 

 

「……よし」

 

 上着に腕を通し、最後にトレードマークの帽子を被ると、気合いを入れる様に意気込み、窓を開ける。見た目通り、人が出入りが出来そうな大きさだ。幸い、屋敷自体が洋式のお陰で靴も新しく用意されていた。出る事は容易いだろう。

 縁に足を掛けた所で後ろ髪を引かれる思いで振り返る。僅かとはいえ、ほのかの無事を確認できたのは喜ばしい事だ。それに誠に遺憾だが、あの特環局員ならほのかに危害を加える心配もないだろう(実力差があり過ぎて手が出せないとも言えるが……)。

 

 唯一の心残りがなくなったというのに彼女の足は重く鈍く、部屋から出ようとしなかった。

 無意識での事だったがラナは何でそんなに行きたくないのか、なんとなく分かっていた。

 それはあの少年――元の所為だろう。

 『死んだ方がマシ』と言った自分に怒り、怒鳴り付け、あまつさえ殺そうとした彼に最初は嫌悪感しか抱けなかった。だが暫く経つとある事に気付いた。

 ――あんな風に怒られたのは一体いつ以来だろう。

 元々問題を起こさないよう努めていたラナは滅多な事では叱られなかった。それが虫憑きになった際、人との関わりを断った所為で『怒られる・叱られる』という行為そのものがなくなった。

 恐怖や侮蔑と言った負の感情はよく向けられたが、あそこまで明確な怒りを向けられる事はそうはなかった。しかも内容が内容だけに、まるで自分の為に怒ってくれたみたいだ。勿論違うだろうが、一度そう考えてしまうと嫌悪感はなくなり、寧ろ嬉しいとさえ思っていた。思いの他、自分は人に飢えていたようだ。

 だからだろうか、こんなに名残惜しい気持ちになるのは……。

 

「……じゃあね」

 

 しかし……いや、『だからこそ』ラナは行かねばならなかった。……彼らの元へ。

 一瞬、雲に遮られ部屋が暗闇に閉ざされた。それはすぐに晴れ、再び月明かりが部屋を照らしたがそこには既にラナの姿はなく、ただ開かれた窓から入る風がカーテンを靡かせるだけだった。

 

 ――――――――――

 

 

 黒い空にぽつぽつとまばらに煌めく星が見える。

 ふと、昔を思う。星空は満天に輝き、夏には天の川が見えた。人工的な光では決して出せないであろうそれを見上げては、よく心が躍ったものだ。今立っている所もかつては田んぼで夜には蛍も飛び交い、少し幻想的な風景を見ることが出来たというのに……。

 視線を左右に向ければそこには見渡すばかりの人工物の森、昔の面影など既にどこにもなかった。

 

 --本当に変わったものだ。

 

 そんな感慨に耽りながら、弄るように手に持った和傘の柄をくるくると回す。赤を基調とした蛇の目傘(じゃのめがさ)と呼ばれるその和傘は、まるで蛇の目の様に彼女の反対側を注視していた。

 その目に待ち人の姿を捉えると同時に彼女は反転し、姿を見せた。

 黒地に青、赤、緑といった複数の色で彩った、鮮やかな着物を着た少女。腰まである長い黒髪を一束にした髪型、如何にも『和風美人』という言葉が似合う彼女は、夜であるにも関わらず赤い和傘を差していた。

 明らかに目立つその容姿を勿論待ち人が見逃すはずもなく一直線に向かってくる。

 鞭の様にしなり、伸びる二つのそれを器用に使ってビルの間の縫うように跳んでくる。

 

「遅かったですね、ラナ」

 

「…………」

 

 誰も、何もないビルの屋上で一人ぽつりと佇む着物の少女は、ようやく来た待ち人に文句を言うもののその表情は微笑んでいた。だが、そんな出迎えを受けてもラナの気持ちは晴れず、その心に影が落ちる。

 

「その様子では会えたようですね。では、今度はこちらの番です」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ラナの肩がピクリと震える。

 わかっていたはずだ、元々彼女とはそういう契約を結んでいたのだから。

 

「貴女が出会ったはずの特環局員に会わせて下さい」

 

 ――波施(はぜ)市に潜んでいる他支部の局員を見つけ、彼女達に教えること。

 

 それがあの時差し出された交換条件。

 特環に捕まり、ただ見世物にされるだけの状況から逃がして貰った代償。これからも逃げ続けるための誓い。……だと言うのに何故今更胸が痛む? 何故割り切ることが出来ない?

 それが出来なければ……ただのたれ死ぬしかないというのに。特環と彼らの二つの勢力から狙われることになるというのに。

 此処にきて、なんと意気地のないことか。……いや、薄々はわかってはいた。他人を切り捨てれるほど自分は非道になれない……「甘い」人間であることくらい。

 ……しかし、こうも口を紡ぐのは、実際に会って話しただけでなく彼の人柄を知ったことの方が大きいのかもしれない。本気で死んだほうがマシだと思っていた自分に、あそこまでの感情をぶつけた相手は今までいなかった。だから無意識に意識してしまっているのだろう。

 その考えに至ると自然と深くため息を一つ、本当になんて自分はダメなのか。約束を果たせず、見捨てることもできない。奇麗事で生きていけるほど世界は甘くないというのに……。

 

(ま、でも――)

 

 仕方ないか。誰が決めた訳じゃない、自分自身が選んだことだ。

 そう、心に決めるとまるでそれを汲み取るように一匹の虫がラナの頭上に降り立つ。黄色の斑紋や短いすじ模様が前翅に並ぶその特徴的な虫は、シロスジカミキリと呼ばれる虫に酷似していた。

 その虫がラナの右手に触れると、灰褐色の身体のそれはゴツゴツと金属質に似たガントレットのような形体に姿を変えた。カミキリムシ特有の長い触角は鞭の様にしなやかに垂れている。

 

「……なんのつもりですか?」

 

 いきなり戦闘態勢を取るラナを少女の視線が射抜く。その眼には非難と怒りが篭っていた。

 その少女に問いにラナは腕を振ることで答えた。腕を振るという動作に連動し、二本の触覚()がまるで蛇のように少女目掛けて襲い掛かり、振動と共に破壊の傷跡たる亀裂と砂塵を辺りに散らす。

 彼女が如何に強いのかは知っている。故に手加減はしないし、する気もない。文字通り殺す気で挑まなくてはいけなかった。だから一撃で仕留める。仮に自制心が躊躇おうとも重症は負わす覚悟だった。 ――そのはずだった。

 

「そうですか、それが貴女の選択ですか」

 

 不意に、視界の端に薄黄緑色の蝶が入った。次いで後ろから彼女の声が聞こえた。

 

「……限られた選択の中で新たな答えを出す、それは実に彼好みなのでしょう――しかし」

 

 危ないと感じ、振り返りざまに距離を取ろうとした彼女の視界を埋め尽くす程の赤が津波のようにラナを襲う。

 

「私は『裏切りを赦さない』とそう言いましたよね?」

 

 交換条件の際彼女が言ったその言葉が、まるで走馬灯のようにリフレインされ、現実の彼女とまるでシンクロするように重なった。

 そして、それを思い出した瞬間――屋上は火の海に包まれた。




更新遅れてすいません。大事なことなのでこっちでも言います。

あともう少しで底王編の折り返し地点のはずです。
とりあえずラナの虫は本編でも書いた通りカミキリムシです。実は自分、カミキリムシのことで子どもの頃からずっと思っていたことがあったんです、それは……。
「カミキリムシの触覚ってなんか武器になりそうじゃね?」という、なんともアホらしい考えなんですね。
いや、勿論触覚を武器にするなんて出来ないのは分かるんですけど……なにぶんあのやけに長い触角をみるとどうしてもそう思わずにはいられないんですよね、何故か……。
そんな自分の長年の思い(?)によって生まれた虫がラナの虫です。装備型にしたのも触覚を武器にしやすくする為です。うん、もう装備型の虫ではやりたいこと終わったな(おい)。

そんな訳で次はまた戦闘になると思います、書くのが大変そうだ……。和服少女の虫の能力初見で分かる人いるかな……うん、普通にいそう。


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『四季』--1

ムシウタ未読者や初心者に優しくないムシウタ二次の更新の時間だよー(おい)


 --暗い部屋にいた。

 

 はっきりとした明かりはなく薄暗い、埃が積もった場所だ。

 虫憑きとばれて一度特環に捕まった後、此処に移送されたようだ。

 部屋の住人は自分の他にもう一人、まるで脱色でもしたかのような長い灰色の髪の少女だ。白いワンピースに似た服を着た、物腰が落ち着いた大人しそうな子だ。

 「どうしてここに連れて来られたのか?」と訊いたら「虫憑きだから」と答えた。

 「これから特環に扱き使われるのか?」と訊いたら「もっと酷いことになる」と返ってきた。

 それからこの町で何が起きているのか少女は色々と教えてくれた。曰く、手向けのようなものらしい。

 その全てを聞いた後、怒りを抱いた。それが特環に向けてか、その主催者に向けてか……はたまた現状を打破できない弱い自分に向けてなのかは覚えていない。

 「何故そこまで詳しく知っているのか?」絶望していながらもそう訊くと「かつて自分も彼らと同じ立場だったから」と驚愕の答えが返ってきた。

 なんでも“底王”と呼ばれる者の片割れがそろそろ限界を迎えるらしく、彼女はその代わりにされるそうだ。

 彼女自身その役割に不満があるらしいが、“底王”を除いたメンバー達には何か他の意図があるらしく、誰も彼女を助けようとはしなかったそうな。そうでなくても現“底王”は歴代でも最強らしく物理的に彼を止めれるものはいないらしい。

 ……抱いたのは同情だろうか?

 気付けば彼女に情が移っていた。置かれた立場も忘れ一緒に逃げようとさえ思った。

 

 --その気持ちを汲んだように、扉を開けた着物の少女が笑顔で彼女達を出迎えた。

 

 ------

 

 一面を覆う炎の壁から弾かれるように一つの影が飛び出す。

 炎にまみれたそれは屋上から飛び降りると落下の風圧で炎を払う。だが、ただ炎を消すことだけを目的に宙に身を投げた彼女はそのまま地面に叩きつけ……られなかった。

 落下の途中、鞭のような触覚を近く背面のビルに叩きつけ、威力を殺すついでに近くの建物の屋上に跳び、当たる直前再び触覚を地面に叩きつけ更に威力を殺して着地する。

 

「…………?」

 

 僅かな振動が身体を走り抜ける。未だ炎上しているビルの屋上を一瞥した後、ふと服が思ったより燃えていないことに気付いた。新品のせいかいつもの服より耐久性が高いのだろうか?

 そんな疑問を抱いたのも束の間、上から件の彼女が黄緑色の蝶を数匹侍らせて降りてきた。

 まるで舞う様に、重力など感じないようにふわりと優雅に降り立つ少女。その姿には気品すら感じられた。

 

「逃げられる、などと思いましたか?」

 

「----ッ!?」

 

 再び舞う赤い蝶に危険を察したラナは地面を蹴り、距離を取るとともに右腕を振り下ろす。その動きに連動して鞭が勢いよく少女目掛けて襲いかかる--だが。

 

「はぁ、馬鹿の一つ覚えにもほどがありますよ」

 

「え……?」

 

 避ける素振りどころか、呆れてため息すら浮かべたその眼前で鞭はまるで避けるように彼女の両脇の地面を叩きつける。

 勿論ラナ本人が狙ってやった訳ではない、寧ろ吹き飛ばす勢いでやったのだ。だがしかし、何故か鞭はまるで避けるように……否、地面に吸い寄せられるかのように方向を変えたのだ。

 理解が出来ず唖然としていると赤い蝶が目の前に迫っていた。反射的に後ろに飛び退くとともに二本ある触覚の内、一本を背後にある電柱に、もう一本を蝶と自分の間に割り込ませる。

 --そして、その僅か一瞬後に蝶が弾け爆発を起こす。

 空間に爆炎が舞い、コンクリートの地面が発破でも受けたかのように砕ける。

 至近距離。本来なら間に合わないであろうそこにいたラナは、しかし無事だった。

 

「う、く……!」

 

 爆風にこそ呑まれたが、炎の方は間一髪逃れたらしい。

 ラナの虫の触覚は、ただ鞭のように動くだけでなく、宿主の意思に反応して左右別々に動くことが出来る。今回はそれを利用して片方を電柱に巻きつけ、その際に生じる力を使い逃げる力を強め。もう片方を壁にすることで防御し、ダメージを軽くしたのだ。

 爆風でトレードマークの帽子が何処かに飛んでいってしまったが、主だった怪我は見当たらない。疲労やダメージこそ負えど動くには十分だ。

 

「なるほど。簡単にやられはしない、と?」

 

「当たり、まえ……ッ!」

 

 うまく声が出せない。恐らく爆風の熱で喉が痛んだのだろう。普通なら悔やむところだが、今はあの()と言葉を交わさずに済むと思うと自然とそんな感情は抱かなかった。寧ろ負担が減る、その分思考に頭を回せる。問題は全くなかった。

 強いて言えば--。

 

「では、攻め方を変えましょう」

 

 その言葉を体言するように、少女の周りに無数の様々な色の蝶が姿を現した。

 

 --そう、彼女の底がまだ見えないということくらいだろう。

 

 

 その虫はミカドアゲハという虫に酷似していた。翅の作りに模様、触覚や脚に至るまで瓜二つだった。ただ一つ、虫そのものの色が違うという事を除いては……。

 無数のミカドアゲハが襲いかかってくる。赤い蝶が爆炎を起こし、黄緑色の蝶が爆ぜると暴風が吹く。二つの力と相性の相乗効果によって威力を増し範囲を広げた炎を必死に避け、その手にある触覚の鞭で少女を狙う。しかし黒いミカドアゲハが少女と場違いの位置にある道路や器物に溶けるように入り込むと、鞭はまるで磁石に引っ張られるようにそこに向かい、少女には掠りすらしない。

 内心苛立ちを覚えるが舌打ちをする暇もなく、再び爆炎が舞い、それから逃れるため止めた足を動かす。

 

「(なんなんのよ!)」

 

 先ほどからこの繰り返しだ。迫る炎から逃げ、隙を見ては攻撃を行うもその悉くがあの訳のわからない能力により一切通じない。

 敵が特殊型であることは明白だが、しかし肝心の媒体と能力が分からない。……というのも、現状和服の少女が使った能力は、炎と風とあの問題の能力の三つ。炎と風の二つですら媒体が分からないというのに、件の能力の所為で余計にややこしくなっているのだ。

 

「……ッ!?」

 

 不意に頭上に水色のミカドアゲハがいることに気付いた。危険だと本能が察し、身体が動いたのと同時に蝶は弾け、無数の氷柱が降り注ぐ。

 街路樹に鞭を巻きつけ、その勢いで回避したラナの頭にまた一つ新たな問題が追加された。

 

「(四つ目……)」

 

 これで少女が使用した能力に氷が加わった。炎と全く違う性質のそれを、一体どんな媒体なら両立させることができるのだろうか? もし仮に出来たとして、風やあの引き寄せる能力すらも起こせる媒体など本当にあるのだろうか? 既にラナには皆目見当もつかなくなっていた。

 それにしても……。「攻め方を変える」と言っていたわりに、どうにも生温い気がする。恐らく元達についての情報が欲しいためわざと加減しているのだろう……欠落者や、ましては死人では答えることが出来ないとはいえ舐められたものだ……。しかし現状を打破できないほど実力差がありすぎるのも事実だった。

 --どうしたらいい……。

 

「え……?」

 

 そこまで思考を巡らした時、炎の光に照らされていた世界が突如暗転する。

 一瞬気を失ったのかと思ったが、それにしては意識がはっきりしている。つまり単純に『見えなくなった』とうことだ。

 そのことに驚き、慌てて動こうとするも足元が見えない所為で僅かな段差に気付かず、そこに足を引っ掛け転んでしまう。

 

「な、に……?」

 

「捕まえましたよ」

 

 状況を呑み込めないラナの前に和服の少女が立ちふさがる。見えずとも危機的状況であることを察したラナは我武者羅に鞭を振るが--。

 

「ぁああっ!!」

 

 その瞬間、赤いミカドアゲハがシロスジカミキリに取り付き爆発した。

 加減されているとはいえ甲殻に亀裂が走り、血を思わせる液体が虫から滴り落ちる。

 自身の身体を傷付けられたシロスジカミキリが悲鳴をあげる。そして虫を傷付けられたことで夢を削られたラナも苦悶の表情を浮かべ、苦しみのあまり地面に倒れこんだ。

 

「壊さないように加減するのは難しいですね。さて、それでは彼の居場所について答えて貰いましょうか?」

 

 --『彼』。

 今、間違いなく彼女はそう言った。

 彼とは、男性に対して向けられる言葉であり、彼女が指した特環局員は二人いて内一人は少年だ。

 つまり……。

 

「どう、して……アイツのこと……」

 

 頭に思い浮かんだのは元の姿だった。

 

 ……思えば最初からおかしい所があった。

 それなりの戦力と特環に干渉できるほどの力を有するはずの彼らが、何故自分達を逃がすような真似をしたのか。

 逃げる代償に要求した特環のことに対してもだ、相手が虫憑きと分かったなら感知に特化した虫で見つけ出せそうなもの。

 わざわざ次の“底王”になるはずのほのかを手放してまで欲する必要性が彼にあるのだろうか?

 

「貴女には関係ないことです。……ただ、もしかしたら彼は--!」

 

 一度は関係ないと切った後、続けて出たその言葉はまるで呟いてるように小さかった。何か思い起こしていた彼女の顔が一瞬で引き締まる。

 放物線を描きながら『何か』が着物の少女に向かって飛んでくる。少女はそれを黄緑色のミカドアゲハを一羽放ち迎撃、見事両断する。

 だがその瞬間、その両断された『何か』から(おびただ)しい煙が溢れ、僅か数秒で辺り一帯が覆われてしまった。

 

「逃げるぞ」

 

「えッ!? ちょっと、なに!?」

 

「うるさい」

 

 ただでさえ視界を奪われているのに、突如声が聞こえ、同時に抱えられたような浮遊感に襲れたラナは軽いパニックになるがすぐに何かで口を塞がれてしまった。

 その後、更に激しい風圧を受けるが、それは自分が虫を使った移動の時の、慣れ親しんだ感覚に似ていた。

 

 ------

 

 黄緑色のミカドアゲハが弾け、暴風が煙幕を吹き払う。晴れた景色の中に既にラナの姿はなかった。

 当たりを見渡すと明らかに街道には場違いな物--消火器が真っ二つになって転がっていた。恐らく先程飛んできた『何か』の正体だろう。本来の消火器にはない機材が付いているところを見るに、煙に関してはそれが出るよう何かしら細工がされていたようだ。

 これらを見るにどうやら最初から逃げる算段だったらしい。

 

「ようやく来てくれたようですね。攻め方を変えて正解でした」

 

 ラナが生温いと感じた少女の攻撃方法には手加減する他にもう一つ、派手に暴れ見つけて貰うという意図もあった。流石にあそこまで暴れれば、居場所は分かるはず。問題は彼が来るかどうかだったのだが、どうやら見事釣れたようだ。……いや、恐らく罠と分かっていながらもわざと釣られたのだろう。

 経緯はどうあれ、本当の待ち人が来たことに自然と頬が緩む。

 大方、戦闘に特化した相手なら一度姿を暗ませば逃げ切れると思ったのだろう。確かに探知能力がない自分では今から追っても探し出すのは難しい……だが、それなら“それに特化した者”に助力を求めればいいだけだ。

 懐から携帯電話を取り出すとある人物に連絡を入れる。

 

「水野ですか……ええ、彼が来ました。足取りは追えますね? ……はい。では、お願いします」

 

 通話先の主は「ん、わかった」とだけ言って一度通話を切った。

 『水野』。彼女が属するグループにおいて唯一の探知能力者。そして恐らく数いる探知能力者の中でも上位に食い込む索的範囲の持ち主だ。最も、それ故に力が弱い特定の誰かを数ある無指定クラスの中から探し出すということは苦手なのだとか。ただし、その逆に強いものは簡単に見つけることが出来るらしい、曰く「目立つ」。おかげで今回は手を焼いているのだが、大体の居場所さえ解れば見つけ出すことは容易だ。……少なくともこの町にいる間は決して見逃さない。

 

 --ああ、ようやくだ……。

 

 そんな気持ちが顔にも表れ、口元が緩む。

 ようやく来た待ち人、しかも未だ会ったこともない相手だというなのに、此処まで気持ちが昂るとは……存外自分はロマンチストなのかもしれない。

 自分の思ってもみなかった一面に気付くと同時に、携帯電話の着信音が鳴る。相手は水野だ、居場所が解ったのだろう。いつもながらに早い仕事だ。

 電話に出ればやはりその件であり、水野は正確な居場所を淡々と述べた。

 それを聞き終わる頃には、(はや)る思いにつられてか彼女の周りに無数の様々な色のミカドアゲハが舞う。その内、黄緑色のミカドアゲハが少女に触れると、まるで重力を振り切るように天高く跳躍する。そして、そのまま飛ぶように--文字通りの『一っ跳び』で三十階建てのビルを跳び越えた少女の口の端がつり上がる。

 --その胸の内にあるのは、恋にも似た危ない高揚感だけだった。




この話はちょっと長くなるかも……色々と伏線やらフラグをばら撒く予定。

あの和服少女は、昔自分が考えた最強の虫憑き候補をリメイクしたもの。だからチートなのは仕方ない。……と言ってもこれでもまだ自分の作品の中では三~五番目ほどの強さでしかなかったりする。うちのチート代表はちょっとおかしいですから……。


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『四季』--2

最近寒くなってきましたね。今年もふたるさんが荒ぶりそうなので願掛けも込めて言おうと思う。

詩歌かわいいよ詩歌(懇願)

ウチの作品だと出番ほんとうにないけどね……あれなんか雪が(ry


「さて、此処までくれば大丈夫かな……」

 

「痛ッ!」

 

 どのくらい連れまわされたのかわからない。目と口を封じられた少女の荷物のような運ばれ方は、しかし唐突に終わりを迎えた。

 ドンと、なんの前触れもなく鈍痛が身体を突き抜ける。恐らく抱えられた状態から急に落とされたのだろう。それを行った犯人に文句を言おうと視線を上げるとそこには予想していた通りの少年--元がいた。

 場所はどこかの路地裏だろうか、少し薄暗いそこに黒いコートとゴーグルに身を包んだ姿を見て、「やっぱり特環なんだ」と一瞬再認識した後、すぐに睨み付ける。

 

「なんでアンタが此処にいるの! なんでアタシの居場所が解ったの! なんで来たの! なんでよ! なんで!」

 

 なんで。文句だけを言うつもりが気付けば喚き散らしていた。そんなラナの言葉に文字通り耳を塞ぎながら「うるさいな」などと思っていると次の瞬間、張り詰めた表情は一気に破綻する。

 

「……なんで来ちゃったのよ……あの子のこと護ってよ……お願いだから……」

 

 掴み掛かるほど怒っていたかと思うと途端に泣き崩れた。挙句には「お願い」とまで言ってくる程に懇願さえする。

 分離型はお人よしが多いと聞く、それは能力が異なる装備型も同様だ。しかし、流石にここまで入れ込むとは、自分が薄情なだけかもしれないがそれでも珍しいと思う……。

 

「まったく……口どころか目も見えるようになったかと思えば、怒ったり泣いたり……忙しい奴だな、お前は」

 

 呆れたように語る口振り、その中に懐かしむように……しかし何処か虚しいような哀愁が含まれていたことにラナは気付く余裕がなかった。それとは別に気になる言葉があったからだ。

 『口どころか目も見えるようになったかと思えば』。今確かに彼はそう言った。

 そうだ、今までいつものように当たり前だと思っていた光が、いつの間にか視界に戻っている。口に関しては元の登場後ということもあり、大方糸か何かで塞いだのだろう。そこは予想がつく。

 しかし、視界に関しては話は別だ。あれはあの少女の虫の力なのだから。

 

「どうやって--」

 

「ほれ」

 

 疑問を完全に口に出す前に元はある物を投げ渡す。

 それは野球ボール程の大きさの白い毛玉だった。僅かに表面が薄く、目を凝らすと辛うじて中が見えた。

 黒い物体が揺れ動いている……更に意識を集中し凝視するとその正体が判明した。

 それは、先ほどまでラナを苦しみ続けてた少女の虫--黒いミカドアゲハだった。

 

「お前の頭に付いていた、目が見えなくなったのは多分その所為だろう」

 

 そう言ってラナから毛玉を回収すると、まるで握り潰すように力を入れる。するとそれに呼応するように毛玉はどんどん小さくなっていき、最後にはBB弾ほどの大きさになると跡形もなく消滅する。

 

「凄い……」

 

「虫の形状を維持できなくなるまでただ媒体を圧縮し続ける力技のどこが凄いんだよ」

 

 実際の所、物理的な攻撃手段しか持たない虫の場合特殊型を倒すのは難しい……というより実質「無い」と言える。その特殊型の虫を一匹だけとはいえ、完全に消せる元にラナは驚くが、当の本人はそうは思わないらしい。……というのも、この方法を考えたのは元ではなく、彼の教官なのだ。

 昔、特殊型に対して自分はどう対処すればいいかと聞いたことがある。“かっこう”ほどの力はないくせに物理的な干渉しかできない自分。そんな自分がもし逃げることすら出来なくなったらどうすればいいのか? そう自らの教官に問いかけたことがある。

 

『諦めたまえー』

 

 一秒にも満たない時間でそれを言われた時は流石に「おい」と突っ込みを入れたのは今でも覚えている。

 

『うん? 冗談ではないのだがね。まあいいか、そうだね……キミの能力なら糸で包み込んで“媒体諸共()し潰す”ということが出来るだろうね。……おや? なんだい、その顔は? 勘違いしないで欲しいのだが、確かに特殊型の媒体は実態がないものが多い。しかしだからといって虫自体が物理的干渉を全く受けないというわけではないのだよ』

 

 事実、“かっこう”も殺すことは出来ないが傷付けることはできると経験から言っていた。あくまで相性が悪いというだけで対処は可能なのだとか。……まあそれでも、やはり殺せないことに代わりはないのだが。

 

『“かっこう”の場合はどうしても一点打--強力な一方通行の攻撃しかできない為虫は弾けるか完全に消し飛ぶかの二択しかないわけだ。対してキミはその攻撃力こそないものの変則的な動きが出来る。全方位、全くの逃げ場を無くしそのまま()し潰すことも出来るというわけなのだよ。幸いなことに実態を持たない特殊型の大半は耐久性というものがほとんどないと言える、つまりキミの虫の力でも十二分に倒すことが可能なのだよ』

 

 無論全ての特殊型に当て嵌まるわけではない。鉄や鋼のような元から硬い物質を媒体にするものや、何処かの戦闘狂のように元は脆いのに能力として凶悪で強固な爪にして使うものもいる。故に「絶対」とは言い難い……しかし教官の言う通り耐久性の低い虫の方が多いのだ、特殊型は。

 一見強いように見えるが、その実姿を形成している物のなんと儚いものか……それは特殊型の持つ心の弱さの表れなのかもしれない。

 小さい教官の講義を受ける中、当時ふとそんなことを元は思っていた。

 

『さて、そうとなれば今日の訓練内容(メニュー)は決まりだ。「特殊型の虫を一匹潰す」--これにしよう。なに心配はいらないさ、ボクが責任を持って胸を貸そうではないか。--さあ、では始めようか』

 

 感慨深くなっていた元を無視して、一人で勝手に本日の訓練メニューを決めた戌先生の嬉々とした笑顔は今でも忘れられないトラウマだ。「貸せるほど胸ないだろ、お前」とつい口走った所為か、結局一匹倒すだけで六時間も費やされ、感電死一歩手前にまで追いやられたのも完全なトラウマだ。

 故にその経験から、もう二度と戌子の指導は受けないと心に誓った。

 

 

 嫌なことを思い出した頭を振り、今の現状(現実)に目を向ける。

 まず、ラナを見つけられた理由だが……これは(あらかじ)め代えの服に発信機を付けていたためだ。普通は疑問の一つも抱くだろうが思っていたより純粋らしい、おかげで簡単に居場所を探り当てることが出来た。……発信機を付けていたことは伏せて置いた方がいいだろう。

 その為、実は思いの外早くラナの下に辿り着いていたのだが、相手の目的が不明であったこと、相手が明らかに四号指定以上の力を持っていたことから助け出すタイミングが掴めなかった。

 少女の意識が別の方にいったのを見逃さなかった元は、逃走・撹乱用として技術部に作らせた発煙筒を糸で消火器に付けて少女に投げ放ったのだ。あの時、もし仮に迎撃されなかったとしても、そこは西中央支部の特別製--ある程度の衝撃を加えれば起動するようになっていた。

 想定通り迎撃された消火器から大量の煙幕が発生し、その煙に紛れてラナを回収。

 それからひたすら逃げ続けて、一段落。そして今に至るのだ。

 

「……ほら」

 

「え……?」

 

 不意に元が何かをラナの頭に被せた。いきなりで驚くも、取って確認するとそれはいつも被っているトレードマークの帽子だった。爆風で吹き飛んでいたのだが、何故か狙ったように元目掛けて飛んできた為ついでに回収していたのだ。

 

「休息は済んだろ? なら行く--」

 

 唐突に言葉を切る元に、再度疑問符が浮かぶ。だが、尋ねるより前に当人は頭に手を当て深いため息を吐いた。

 

「……なんで迷わず、一直線にこっちこれんだよ、おい」

 

 逃げる際、念のため用心として新たに作った“巣”に反応があった。

 来る方向的にまず間違いなく例の和服の少女だろう。どういう原理か不明だが、糸の切れる間隔を計ってもこの間のコクワガタ並の速度でこちらに向かっている。

 軌道に全くのブレがない所を見るに恐らく感知能力に優れた仲間でもいるのだろう。彼女自身が持っているのであれば、元の奇襲は成功していないはずだ。故に仲間がいると考えるのは妥当な線と言える。

 

「ともかく、この場から離れるぞ」

 

「わ、わかった」

 

 焦るように急いでラナの手を引く。引かれた本人は状況がわからず、且ついきなりの接触で内心穏やかではないが、元の顔に余裕がないことに気付くとなんとか頷く。聞きたいことはあるがどうやら今は一刻を争うらしい。

 どこからともなく現れた二匹の虫。黒い蜘蛛と手負いのシロスジカミキリがそれぞれの宿主の腕に触れると武器の様な形体に変わる。

 片や真正の装備型、片や見様見真似の紛い物。しかして奇妙なことに二匹の虫の能力は似通っていた……主に移動関連で。

 それぞれが移動の準備を始めると--赤いミカドアゲハが二人の間に舞い降りた。

 

「くッ--!」

 

「なッ!」

 

 反射的に同時に跳ね除けた二人。一人は糸で、一人は鞭で、跳ぶ速度を速める。

 そして次の瞬間。赤いミカドアゲハはその身を業火に変え、路地裏に灼熱の灯りをともした。

 伸縮性の高い糸で咄嗟に後ろの建物にまで離れる元。肌を焼くような業火から逃れた彼はそのまま糸を建物の屋上にある手摺に当て上へ昇ると、自分が跳んだのと反対側へ移動する。その際、暗くて解らなかったが、ここがほのかと会った場所の近くであることに気付いた。奇妙な縁もあるものだと思いながらデパートを通過する。

 器用に糸を使い進む元の目に倒れているラナの姿が飛び込む。

 糸とは異なり鞭は対象物に『巻きつく』為多少のタイムラグが発生する。その微かな時間で元より回避が遅れたラナは僅かに爆炎の余波を受けてしまったのだ。

 

「大丈夫か?」

 

 近くにまで寄ると肩を揺らして安否を確認する。「ん……」と声が漏れた後瞼が開き、最初は定まらなかった焦点が徐々に眼前の人物を捉える。

 

「うん、思ったほどダメージはないみたい」

 

 元の手を借りて体を起こすラナ。実は意識が飛んでいたが今言ったところで余計な心配をかけるだけなので黙っておく。

 

「そうか。なら、一応コーティングを掛けておいて正解だったか」

 

「? ……コーティング?」

 

「ああ、その服には俺の虫の糸を覆わせているからな、そこらの市販の服より強度は高いぞ」

 

「……納得」

 

 どうりで壊れにくかったり、ミカドアゲハの攻撃の余波に巻き込まれても尚ダメージが少ないと思ったら……そういうことだったらしい。

 用意周到というか、手が込んでいるというか、心配性というか……ともかく、今回は元のその性分に助けられたということなのだろう。

 

「……さて、どうやら無駄話はここまでみたいだな」

 

 ラナが無事であったにほっとする暇もなく、諦めたように肩を落とし、観念した元の言葉に答えるように二人の前に黒い着物の少女が降りてきた。

 赤い和傘を差しながら、まるで令嬢でも思わせるかのように優雅な振る舞いで降りたった少女の表情は今、喜悦に満ちていた。

 

「初めまして、私は“四季”と申します。苗字・名前・渾名(あだな)・コードネーム、どの認識でも構いませんがそれが私を示す言葉だと思ってください」

 

 傘を畳み、まるでお辞儀でもするように頭を下げるとそう名乗った。本当の名前かはともかくとして、どうやら彼女は“四季”と呼ばれているらしい。

 『四季』--春夏秋冬を表し、こと日本においては切っても切れない言葉の一つである。もし仮にこれが彼女のコードネームのようなものだとしたら、彼女の虫の能力はそれに起因する何かなのだろうか?

 

「それで、その四季が一体俺達に何の用だ?」

 

 目的も実力差も明白である以上、少しでも時間を稼ぐ為とぼけた振りをする。推定だが確実に上位号の虫憑き……しかも特殊型の相手なんて御免だからだ。故に悪知恵……もとい策を練る時間を少しでも稼ぎたい。

 そんな意図があることを知ってか知らずか四季は口元に笑みを浮かべ元の問いに答えた。

 

「では単刀直入に。私は貴方を迎えに来ました」

 

「………………は?」

 

 予想打にしない言葉に元の頭は一瞬フリーズを起こしてしまった。

 優しく囁くように、だが確かにはっきりと彼女はそう言った。「貴方を迎えに来た」と。

 その言葉の意味自体は深く考えなくてもわかる、そのままの意味だろう。しかしだ、それだと矛盾というものが発生する。

 まず、元は四季と名乗るこの少女と会った(ためし)がない。人間の記憶なんて曖昧であまり信用できるものではなく、絶対とは言わないが、少なくともこんな目立つ格好の少女なら僅かにでも覚えていそうなものだ。しかし、いくら遡っても彼女についての記憶がない。故に、恐らく初対面なはずだ。

 そうなると、つい先日まで無指定の虫憑きだった自分との接点が思い浮かばない。

 現在、十号指定になったものの、戦力と見るなら明らかに自分よりも強く引き抜きやすい者が他にいるだろう。その他の能力に関しても同じことが言える。

 罠と感知を両立できる“巣”はあるが、準備そのものに多くの時間が掛かる上、無いよりマシというのが現状に近い。なら単純に、どちらか片方に特化したものの方が普通に優れているだろう。潜入・工作ならそこそこの成果は出せるが、それでも幻覚作用をもたらす者を使った方が効率はいい。

 どれを取っても中途半端、器用貧乏な自分を欲する理由が一切見当たらない。

 

「人違いだろ? 生憎、俺に希少性や特殊性はねぇよ。だからさっさと帰ってくれ」

 

「いいえ、間違いありません」

 

「……どうしてそう断言できる」

 

 即答。それも確信を持ってはっきりと断言した。

 そこまで言い切るのであればちゃんとした理由があってのことだろう。

 

「私の仲間には未来を知ることの出来る能力者がいます。彼女の見せてくれた映像(ヴィジョン)の中に貴方が私達を率いる存在として映し出されていたのです」

 

 ……………………。

 言葉が出ない。今、なんと言った。

 未来を知ることが出来る能力だと?

 もしそんなものが実在するのなら、実質彼女達を捕まえることは誰にも出来ないのではないか?

 未来を知っているという意味では転生者である元もある意味同一とも言える。しかし、元の場合はある一定の時期、しかも世界において重要なことのみしか知りえない、これは予知というより「予言」に近い。

 しかし、四季の言う彼女とは現在進行形で起こりうる事象を予め知ることができる……文字通りの「予知」だ。仮にそうなら今まで……いや、これからも特環の手から逃れ続けることが出来るのではないか?

 

 --そして気になることがもう一つ。

 彼女は今、「自分が彼女達を率いる存在」だと言った。

 馬鹿馬鹿しい、そうはき捨てるほどにありえないことだ。四季の実力、その秘匿性を見ても恐らく彼女の仲間も号指定並の力を持っている可能性が高い。そんな実力者達を高々十号の自分がどうやって率いるというのか?

 ……自分の無力さは「あの時」嫌というほど思い知らされた。自分が特別でないということは元自身がよく知っている。

 だから……。

 

「……そんな未来、ありえねぇよ」

 

 自傷染みた笑みを浮かべ、元は大蜘蛛の口を地面に向ける。

 一瞬、風船のように膨らんだ後、口から大量の糸が地面に敷き詰められていく。

 不規則なようでいて、その実規則的に地面を這うその姿はまるで波のようであり、それが収まると元とラナ、そして四季の三人を逃さないように巨大な蜘蛛の巣が地面に出来ていた。




はい、今回は説明回っぽいものでした。
敵側がチート? 大丈夫、ムシウタではよくあること。
次回辺りで媒体の種明かしは出来るかな……。

詩歌かわいいよ詩歌(洗脳済み)


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『四季』--3

今更だけどこの作品は、自分の独自設定や独自解釈、超展開やらご都合主義がふんだんに盛られています。


 三野元。コードネーム--“大蜘蛛”。ついこの間無指定から十号に昇格したばかりの低級局員。虫の能力は「糸を扱う」という在り来たりなものであり秘匿性の欠片もなく、戦闘能力に関してもお世辞にも向いているとは言えない。できることはそれなりにあるが専門に特化した者達に比べるとどうしても劣ってしまう典型的な器用貧乏。総合的に、そして客観的に見ても「代えの利く」部類の人間だ。

 それは他人から見た評価だが、元自身も下手に目を逸らさずに受け入れている。

 

 『自分は主人公(ヒーロー)にはなれない』

 

 薄々気付いていたそれは、最悪のタイミングで逃れられない現実として起きた。

 絶望した--生まれ変わっても無力な自分に。

 喉が裂ける程叫んだ--どんなに手を伸ばしても大切な人が救えないことに。

 だから諦めた、悟った。

 自分は所詮その程度の人間なんだと。

 どう足掻いても主人公としての力は手に入らない--故に、決意もした。限界まで己を昇華することに。

 主力が無理なら助力(サポート)として磨きをかければいい。彼らの側に立てないなら、せめて後ろに付けばいい。

 --それが()が抱いた弱者としての矜持。

 

 

「何ですか? これは」

 

 足元に広がった蜘蛛の巣を見て不服そうに四季は顔を顰める。まるで接着剤でも付けられたかの様に足が動かない。蜘蛛の巣に掛かったかのように捕らわれている。

 『動けない』というのは本来なら致命的だ。何せ只の木偶、的になってしまうのだから。

 ……しかし、それは相手が「普通の人間」なら成立するもので、間違っても虫という超常的な相手にはほとんど意味をなさない。

 現に、今も四季は鬱陶しい糸を焼き払おうと赤いミカドアゲハを出現させた--瞬間。

 突如、四季を囲むように無数の糸が集まり半円球の檻に姿を変える。それはあまりに小さく四季と虫だけを覆うほどの大きさしかなかった。

 唐突な状況の変化に驚く暇はなく、発現させた赤いミカドアゲハがその密閉された空間で弾けた--。

 

 改めて大蜘蛛の能力を確認しよう。

 まず、あらゆる材質の糸を作り出すこと。他の蜘蛛系統の虫憑きも使える彼らのスタンダードな能力だが、大蜘蛛のそれは他よりも幅が広い。ゴムや餅のようなものは勿論のこと、収束させれば人間の皮膚と全く同じ手触りのものや、下手な金属より優れた強度のものすら生み出せるのだ。

 ……余談ではあるが、その能力故よく西中央支部からは優秀な素材として重宝されることがあり、彼らの欲する材質の糸を送る代わりに専用の装備を作って貰う契約をちゃっかりしていたりする。

 二つ目に蜘蛛の巣を模倣した「巣」があるが、実はこれはとある能力の応用、延長戦にあるものであり、その能力こそが「糸の操作」だ。操作とは糸の切断・消滅の他に文字通り操ることも差し、これは一度張った糸ですら大蜘蛛と繋がっている限り意のままに操ることを意味する。

 具体的に言うのならば「この町に張り巡らした巣の糸全てを攻撃に回す」ことすら出来るのだ。単純に計算してもその数は数十から数百以上、長さにしては軽くkm単位で存在するそれを全て攻撃に回すことが可能となる。

 一見強そうに見えるがしかしその実、既に作った糸の材質は変えられなかったり、攻撃に徹すると巣が機能しなくなり感知ができなくなったりと欠点が多く使い辛いのが現実だ。特に今回のように相手に仲間がいるとわかっているのであれば余計に使えない。

 もし仮に元が同化型ならサポートのみに糸を使い、感知能力を残しつつもその強大な力で圧倒できただろう。

 もし特殊型なら糸を全て使い切っても領域を展開すればすぐに補充ができ、その手数で押し切れただろう。

 しかし悲しいことに元は分離型、事前の準備が必要であり、一度に全て使っても倒せなければたちまち窮地に……いや死地に追いやられる事になる。それは諸刃どころの話ではなく、故に本来なら使うことはないのだ。

 ……そう、「本来」なら。

 

 赤いミカドアゲハが業火となり、特に耐性を持たない寄せ集めの糸の塊は軽々と焼き尽くされる。それと同時に閉じ込めた者もその身を焼かれ……なかった。

 爆炎の中から飛び出した四季の体には青いミカドアゲハが付いていた。炎から逃れると、それはまるで役目は果たしたと言わんばかりに色が薄れ、消えていった。

 悪態を吐く暇もなくデパートの近くまで距離を取ると、今度は上から陰りが落ちる。見ると三つの金網が四季目掛けて降って来た。

 

「くッ!」

 

 黄緑色のミカドアゲハで吹き飛ばそうかと一瞬思案したが相手は金属、それも人が落ちないように屋上などに張られているタイプの物だ。頑丈な上重く、しかも落下中ということを考慮しても『風』では力不足だ。

 ならば、と--十数羽の黒いミカドアゲハが出現した。

 それらは四季と金網の丁度間に集まると溶けるように一つになり、『球体』へと姿を変える。

 金網がそれに触れた瞬間、まるでプレス機にでもかけられたようにバキバキと音を立てながら黒い球体に呑み込まれていった。

 そして全ての金網を呑み込んだ後球体は消滅し、その中から豆粒ほどの小さな塊が三つ地面に落ちた。

 流石に今のは驚いた。そんな余韻さえも許さず、隙が出来るのを待っていたラナの鞭が目前にまで迫っていた。咄嗟に黒いミカドアゲハを傘に溶け込ませ、それを盾にし防御する--だがそれは失敗だった。

 

「捕まえた!」

 

 ラナの虫、シロスジカミキリには使い辛い能力がある。どれも近付かないといけなかったり、触れていなければ出来ないもので、その内の一つに『電気』が存在する。これはシロスジカミキリの触覚()の方に付いている能力で、触覚その物が電気を帯びており、捕らえた獲物を感電させることができる。

 つまり、それは傘を盾にした四季に対しても同じことが言えた。

 

「ッ--!!」

 

 傘に巻きつき、それを通して体に電気が流れ込む、血が沸騰でもするかのような錯覚に見舞わされ、堪らず傘を手放した。

 特殊型は虫こそ厄介なものの、宿主は普通の人間と変わらない。故に宿主そのものを狙うのが定石だ。無論特殊型である四季がそれを理解していないわけはない。分かってはいたが今回は意表をつかれ、らしくもなく動揺してしまった。

 だから気付けなかった、気を配れなかった……虫以外のものに。

 --「バン」という音がした。それは何かが弾けたような、あるいは何かを打ったような音にも聞こえた。

 ぽたりと何かが滴り落ちる。

 それは赤く、自分の腕から流れていた。最初は理解できなかったが、音の出所を見るとすぐに解った。

 元の右手に蜘蛛の姿はなく、代わりに鉄の塊が握られていた。それは鉛弾を撃ち出すのに使われ、この国では一般人は決して持つことのできないもの--拳銃だった。

 十中八九あれで腕を撃たれたのだろう。それだけを頭が理解すると意識が遠退くのを感じた……。

 

 -----------------

 

 強くなりたいと願い、その為に努力したことがあった。

 元来努力というものを嫌い、楽に生きたいと思っていた元だったがこの時だけは違った。文字通り血反吐をはいてまで強くなろうとした。

 しかし現実はそう甘いものでなく、いくらやる気になってもすぐに己の限界が見えてきた。

 どんなに頑張ってもギリギリで十号が精一杯。これが彼の教官が出した答えだった。

 己の虫の脆弱性には何度も泣かされたが、この時は相当堪えた。

 今以上に強くなりたいと想う自分の意思とは真逆に虫の性能は既に限界だった。所詮「失いたくない」という弱い夢から生まれた虫では大それた力を持てないということなのだろう。

 だから諦めるしかなかった--故に決意もした。

 虫が限界なら「自分」を鍛えればいい。できる限りの技術と知識を修め、己を昇華させればいいのだと。

 

「やったの……?」

 

「フラグ建てんな。……殺しちゃいないさ」

 

 四季が倒れたのを確認するとラナが近付き訊いてきた。恐らく銃を使ったことで命を奪ったのではないかと危惧したのだろうが、生憎元にその気はさらさらない。確かに見た目も性能も銃に近いが効力自体は麻酔弾と同じものであり、尚且つ致命傷を避けて撃ったのだから即死するようなことはない……とはいえ放っておけば危ないことに変わりはなく、万が一に備えやはり止血はするべきだ。

 

「それにしても、随分と危ないことをするのね。一歩間違えたら死んでたかもしれないのよ」

 

 手当てをしに四季の下へ向かう中、ふと今回の戦闘に対しての不満を上げるラナ。どちらがと言わないことはどちらもという意味が込めているのだろう。

 しかし、上位の実力者を退けるためには相応のリスクが必要となり、今回に関しては手段を選んでる余裕も暇もなく、かなり分の悪い賭けでもあったのだ。

 

 まず、地面に巣を張り動きを封じれば、必ずそれを解こうとするのは予想できていた。問題はどんな力を使って解くのか、という所にあったが期待通り最も効果的な「炎」を使ってくれたことでなんとか初撃の奇襲は成功した。もし別の力を使っていたなら効果は薄かったろうが、彼女がこちらを見くびっていたおかげでダメージと動揺は与えられた。

 そして四季が警戒して、あのデパート近くまで下がるのを確認すると、すぐに接続し直した罠を起動させ金網を落とした。

 用心深い元は一度張った罠を消すことはまずしない。「いざ」、「もしも」といった事態がいつ何時起きるとも限らないからだ。故にこの町でも元は罠の類を一切外していない……そう、ほのかと出会った際に逃げるための時間稼ぎとして仕掛けた物も例外ではない。

 あの時、確かに一度大蜘蛛と罠との繋がりは切ったが罠自体は消していない。罠が糸である以上「在る」のであれば再び繋ぎ直すことは可能なのだ。本来は屋上の内側に飛んでいく仕組みだったが、新たに細工したことにより外側に行くように仕向けた。

 黒い球体にこそ驚いたものの凡そ予定通りであり、確実に弾を当てるためにラナに先行させた。ラナの能力はほのかからある程度事前に聞いており適任だと判断し任せたが、そちらも何とか成功。

 後は自分が致命傷に成り得ない、しかし確実に影響を受ける箇所に撃ち込むだけだった。

 元々虫に頼らない攻撃手段として銃の訓練はしており、命中精度も低いわけではなかった。しかし「下手をしたら殺してしまうかもしれない」という恐怖心に引き金から指を離してしまいそうになり、糸で手に拳銃を縛りつけてから覚悟を決めて引くと、その弾丸は四季の右肩を撃ち抜いた。

 

 

「弱い俺じゃこんなギリギリの戦いしかできないんだよ」

 

 危険な綱渡りな戦法は今に始まったことじゃない。弱者が格上(強者)に挑むということはそれだけリスクと死力を尽くさなければいけないのだ。一歩間違えたら即アウト、しかしそれ以外に有効的な手がないというのが現実でもある。

 --ああ、本当に……なんでこんなに弱いのか……。

 何度目か分からない、しかしそう思わなければいけないほどに惰弱な己の虫に、元は心の内で愚痴を溢した。

 

「……弱い、ねぇ……」

 

 己の非力さを嘆いている元。その横顔を眺めながらラナは彼の言った言葉を否定してやりたかった。

 単純な戦闘能力なら自分と同等、もしくは自分の方が少し上くらいのはず。しかし元は自分(ラナ)の手こそ借りたが、媒体が分からない特殊型に勝つという本来ありえないことをやってのけた。

 確かに姑息にも罠を使った、卑怯といわれてもおかしくない飛び道具も使った。これが真っ当な試合なら逃れようのない反則負けだ。

 だがしかし、虫憑き(自分)達は健全なスポーツをやっているわけではない。もっと汚く、血みどろな命懸けの殺し合いをやっているのだ。絶対に守らなければいけないことはあるかもしれないが、ゲームのように細かいルールは存在しない。恐らく自分も含め、多くの虫憑きはそのことを無意識に忘れている--もしくは目を背けている。だから虫憑き同士が対峙した時虫の力しか使わない。

 けれど、元は違う。元はそのことを本当の意味で理解しており、且つ己と虫、そしてモノの限界もちゃんと理解している。自身の弱さを受け入れて尚強くなろうとする、勝つ為ならどんなものでも利用する。弱いからと既に挫折したり、強いからと驕る者達とは根底にあるものが既に違う。だからこそ天敵である特殊型に勝つことも出来たのだろう。

 

「ん? 何だよ」

 

「別に、なんでもない」

 

 ラナの視線に気付き振り向くが当の本人は素知らぬ顔で目を逸らす。

 元のそういった「強さ」が羨ましいと思う反面、少し怖くなった。もし彼が本当に生死問わず、一切手段を選ばないような人間なら、と……恐らく誘拐、脅迫、毒殺などあらゆる外道を行うのが容易に想像できてしまったのだ。

 もしそうなれば、下手をすればあの悪魔より厄介なのではないだろうか……?

 そんな馬鹿げた妄想を頭を振るのと同時に消し去り、そうなったら全力で叩こうと静かに決意した。

 

「さて……」

 

 そんな風に思われているとは露ほども知らない元は、四季の近くまで寄ると大蜘蛛と装備する。生憎と救護セットなどという便利な物は持ち合わせていないので大蜘蛛の糸で止血をすることにした。材質を変えられる能力はこういう時には役に立つ。

 さっさと止血しよう。そう思い手を伸ばした--瞬間、微かに四季の肩が揺れた。

 

「おい、ちょっと待て……」

 

 元が手を止めるのと同時に、静かにゆっくりと四季は立ち上がった。

 驚きつつもラナと共に距離を取る。即効性の麻酔弾で撃たれたというのに何故立ち上がることができたのは(はなは)だ疑問だが、今はそれより、今度こそ完全に無力化しなくては……。

 そう思い、右手に装備した大蜘蛛を四季に向け、糸を放つ--その瞬間、細く白い線が大蜘蛛ごと元の右腕を透り抜けていった。

 

「え……?」

 

 --一体何が?

 そんな疑問も浮かばない内に大蜘蛛と右腕は綺麗に『切断』された。

 宙に舞う赤い噴水と、物言わず崩れ落ちた自身の分身。

 それが、元が見た最後の光景だった。




--完。



嘘です、嘘を吐きました。本当はまだ終わりません、続きます。

実は、結構な連戦になるから、と当初予定していた一戦をカットしました。だって読み手がマンネリするだろうと思ったし、更新速度超遅の私だと更に時間掛かると思ったからです、はい。その為後半ちょっと強引だった気がする……でも展開事態は想定通り。
この後の展開ですが、実は二つのパターンがあり、どちらにしようか絶賛考え中……。


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『四季』--4

久々の更新。シリアス爆走中。
今回は色々と突っ込まれそう……。


 理解が出来なかった。

 自分達は確かに彼女に負傷を与え、戦闘不能にまで追い込んだはずだった。仮に意識があったとしても元の話ではあの弾は麻酔弾の一種、動くことどころか

改行ミスまともに物を認識することすら難しいだろう。

 しかし、今確かに四季から放たれた線は虫もろとも元の腕を切り裂いた。崩れ倒れた元と今尚夥しい出血をしている腕が現実であることを物語っていた。

 

「あ……」

 

 呆然と立ち尽くすラナの目の前に無数の赤いミカドアゲハが迫っていた。

 訳のわからない事態に陥ったことで現状把握能力が一時的に下がり、気付いた時には既に爆発する寸前だった。

 --あ、死んだな、これ。

 思っていたより軽い死の予感を悟ると、そのまま目を瞑った。

 死を覚悟したのではない、ただ諦めてそれをした自分に対して「やっぱり」としか思えなかった。最期に抱いた己が感情は落胆だった。

 

 天高く炎が舞い、辺り一帯を灰塵と化した。その威力は先までの比ではなく、彼女以外の全てを焼き払った……はずだった。

 頬を焼くような暑さ、しかし実際に焼かれたのは違うあたるような熱さに違和感を覚えたラナは思い切って目を開けた。

 そこには壁があった。コンクリートを思わせる灰色の壁がラナの目の前に聳え建ち、炎を遮っていた。

 

「ようやく追い付いたと思ったら凄いことになってるね」

 

 呆然と壁を眺めていると、聞き慣れた声が後ろから聞こえた。

 振り向くとそこにはよく見知った少女、ほのかが佇んでいた。

 すました顔をしながら右腕を前に突き出す、すると壁は瞬く間に無数の灰色の蝶になり、その数を更に増やした。そして再度蝶の大群は壁になる。先程よりも明らかに厚みが増したそれは、未だに猛威を振るう爆炎からラナ達を守っていた。

 

「うーん……このくらいでいいかな?」

 

 鳴り止まぬ爆炎の音すらも遮断したかのように、小さく呟いたはずのほのかの独り言が耳に届いた。

 安堵して息を吐いたと同時に呼吸が止まる。思い出したのだ、元が倒れたことを。

 

「ほのか!」

 

「大丈夫、彼の方にも壁は出しておいたから」

 

 ラナの危惧していた思いに感付き、安心させるようにそう諭した。

 もっとも護ることはできても炎の所為で近づけないために手当てが出来ないので危ないことに変わりはないのだが、流石に今それを言ったところでどうにもならないだろう。

 まず第一にこの炎を何とかしなくてはいけないのだが……。

 

「っ! 伏せてラナちゃん!」

 

 「え?」と声を漏らす暇なく唐突にラナを押し倒すほのか。強引に倒されたため背中に痛みが走り顔が歪む。

 なんなんだ、そう文句を言おうとした瞬間彼女とほのかの上を一筋の光が通り抜ける。その一瞬後壁は綺麗な断面だけを残し二つに両断された。

 虫が凝縮されて出来た壁、それが傷つき、壊されたことによりほのかに胸をえぐるような痛みが走る。堪らず呻き、ほんの僅かな時間壁を維持することが出来なかった。

 それを狙ったかのように水色の蝶が弾け体量の氷柱が辺りに降り注ぐが、辛うじて意識を繋ぎとめたほのかは自分達の上に灰の盾を作り出し、見事に凌ぎ切った。

 

「はぁ、っはぁ……本当に、色んな使い方が出来て、ズルイなぁ……四季ちゃんは」

 

 息も絶え絶えに崩れていく壁から四季の姿を覗く。

 焦点が定まらない目に、尚も滴り続ける流血。着物や血から次々と色鮮やかな蝶が姿を現していく。その姿を見てマズイと即座に判断出来た。

 元が四季を撃ち抜いたのは遠くから見てもわかった。恐らくその際に無茶な力の使い方をしたのだろう、今の彼女は“暴走”していた。

 『領域』が拡大化することで生まれる隔離空間はないものの、あんなに考えなしに虫を使い続けてはすぐに成虫化してしまう。まして血からも虫を形成し続けたら彼女の身が持たない。

 そこまで考えが至ったところで、ほのかに出来ることは何もなかった。

 

「なんなのよ……ほのか、あいつの虫って一体……?」

 

 散々頭を悩まされた虫、その虫の正体を元仲間である少女に訊いた。その問いに対しほのかは困ったように苦笑を浮かべながら答えた。

 

「四季ちゃんの虫の媒体はね……『色』なんだよ」

 

「……ッ」

 

 呆気なく知らされたそれはしかし、ラナの予想を上回るものだった。

 

 四季の虫、ミカドアゲハの媒体は色だ。

 色とは即ち、この世界にあるあらゆるものをより鮮明に映えさせる要素、人にとって事物を連想させるものに他ならない。

 例えば赤なら火、青なら水、黒なら闇、白なら光を連想してしまう。そういったイメージを与える力こそが色なのだ。

 そして四季の虫は、そうして連想されるものを具現化させる力を持っている。これが一つの媒体でありながら複数の能力を操っていた種明かしだ。

 無論、それほど応用にとんだ力である以上扱うには条件が存在する。

 まず一つに隔離空間を使わずに虫を使用する場合身に着けている、もしくは触れている物からしか虫を形成できない。

 次に、虫を形成した物はどんどんと色褪せていき、最後にはそこから虫を出せなくなる。

 そして最後に、この力によって色褪せたものは物としての機能と形を失うということだ。

 四季が着物という派手な格好なのは趣味の他にそうした欠点を補う役目を持っているからに他ならない。単調な服とは異なり、鮮やかな着物だと使える能力の幅が大きく増え、あらゆる状況にも対応できる。

 ……もっとも、今回は撃たれた瞬間()の力を使い無理矢理弾丸を取り出すという危険な使い方をした事での体力と精神の消耗、その上で宿主の命の危機を察した虫が暴走を起こしてしまったのだが……。

 

 色とりどりのミカドアゲハが舞い、弾け、様々な現象が猛威を振るう。

 それは炎であり風であり氷であり強力な引力であったりした。

 炎や風程度ならほのかの壁でなんとか防ぐことは出来るが、問題は氷や引力だ。水色のミカドアゲハが壁に触れただけでそれはただの氷の塊になり、引力は引き寄せる力自体が強いため壁諸共持っていかれそうになる。

 その様は正に小規模の天変地異とも言えるだろう。ラナとほのかはその小さな災害に必死に抵抗していた、何度か「ダメかも」と思ってもやっぱり最後には諦めたくなかった。

 何せ此処には自分達の他に欠落者となり動けなくなった元がいる。今の彼は命に関わるほどの手傷を負っており、尚且つ欠落者になってしまった以上自分ではどうすることも出来ない。

 出会ってから間もないがどちらも彼には借りがある、その借りを返すためにもこの状況を何とか脱しなくてはならない。

 無我夢中。他のことなど視野に入らないほど彼女達は必死だった。

 だからだろう。この殺伐とした場に相応しくない物が浮いてることに気付けなかったのは……。

 

 シャボン玉のように儚い小さな泡が一つ。まるで泳ぐように宙を舞っていた。

 

 

 -----------------

 

 波施(はぜ)市の町外れには高台がある。

 見晴らしがよく、自然が豊かなため空気も澄んでいる、老若男女問わず人気のスポットの一つだ。

 休日にもなれば多くの人で賑わうが、生憎と今は平日で且つ夜も遅いためそのような賑やかさは失せていた。

 

「あ……」

 

 静寂と呼ぶには少し風の音が目立つ中、一人の少女が声を漏らした。

 高台の広場に集まった少年少女。その中で青いバンダナを掛けたメガネの少女に一同の視線が集まる。

 彼女の近くにいた少女、水野は手摺に背を預けながら「どしたん?」と軽い口調で訊いた。

 

「……変わった」

 

 バンダナの少女が小さくそう呟くと、全員がその言葉に反応した。

 「変わった」。そのセリフを彼女……遠野未来(みく)が言うということはつまり未来が変わったことを意味する。

 それを理解している仲間達は驚きと半信半疑の表情を浮かべていた。

 かつて仲間と思っていた者による裏切りと“底王”の存在。

 それらに対抗し得る戦力確保を目的とした四季の作戦。仲間の一人であるほのかを犠牲にするようなそれに最初は皆反対したが、裏切り者と“底王”の力は底知れず脅威でしかなかった。なにせ一支部とはいえ、敵である特環を掌握するような相手だ。恐怖を持つなという方が無理な話だろう。

 嘗ては十数人もいた仲間も裏切り者の所為で次々と“底王”の人身御供にされ、今ではたった数人にまでなってしまった。もう背に腹はかえられない、そう思い玉砕覚悟で挑んだ作戦に光明が見えたのだ。良くも悪くも動揺せずにはいられなかった。

 

「ちょいまち、みくっちそれ本当? 今あたしの虫が例の子の反応見失ったんだけど……てか消えた」

 

 そこに異議を唱えたのは水野だった。頭の両端に触覚を思わせるような髪型の小柄な少女で、仲間内どころか恐らく数いる探知能力者の中でも上位に食い込む索的範囲の持ち主だ。

 頭上にはいつからいたのか一匹の虫がいた。ミズスマシという虫によく似た形状のそれには眼が無かった、代わりに体の上下に目玉を思わせる球体が格二つずつ浮いている。それらはそれぞれセンサーとサーモグラフィのような能力を備えているらしい。つまり、広範囲の探知と識別が可能なのだ。場所にもよるが、相手の強さを問わないのならば、町一つくらいなら余裕で探知範囲内らしい。

 未来の予知と水野の探知、この二つの能力のおかげで彼らは今まで特環から逃げてこれた、言わば生命線のようなものだ。その内の一人が片割れに対して異議を唱えた。

 彼女、水野の探知能力は別格だ。一度覚えたものの反応は忘れないし逃すこともない。その彼女が「消えた」と言ったのだ。それはつまり、宿主が死んだかもしくは虫が死んだかの二択しかなく、どちらにしてもそれは絶望的な状況でしかなかった。

 未来が予知によって見つけた希望が潰えた。

 そこにどんな理由や思惑があるかは分からないが、それは場を落胆させるのに十分だった。

 

「……違う」

 

 だが、未来だけは違った。否定した。

 一体何が「違う」のか? 皆の頭に疑問符が浮かぶ中未来の傍に一匹の虫が舞い降りた。

 チョウトンボと呼ばれる虫に似ているそれはしかし、左右非対称で且つ大きさがバラバラな四枚の翅が特徴的な不出来な形をしていた。

 大人ほどの大きさになったチョウトンボの四枚の翅にそれぞれぼやけた蜃気楼のような映像が映る。未来の虫が生み出す映像はある種の可能性だ、現在ある要素を下地に計算された未来。予測という名の予知がチョウトンボの能力なのだ。大きい翅に映るものほど起きる可能性が高くなる。

 一番小さい翅には此処とは違うどこかドームのような場所で戦わされている自分達の姿があった。一番低い可能性、恐らく捕まった場合の未来と思われるが、未来と水野がいる限りはこの未来はありえないだろう。

 二番目に小さい翅には特環と戦ってる姿。恐らく波施市から逃げた未来だ、此処を離れたとしても特環そのものをどうにかできるわけではないという表れか。

 普通の大きさの翅には“底王”と戦い負ける姿が。言わずもがな、このままの状態で戦った場合の末路だろう。

 そして、もっとも大きい翅には……地獄が映っていた。

 町は真っ赤に燃え上がり廃墟と化し、有象無象の虫の残骸が散らばっていた。虫憑きは欠落者になり、自分達も例外ではなくその内の一人になっている。四季もほのかも、あの“底王”ですら欠落者として横たわり誰も生存者がいないのではないかと思ったほどだ。

 そんな生き地獄に一人だけ佇む者がいた。黒い特環のコートとゴーグルを装備した彼は、表情こそ分からないが酷く悲しそうに空を見つめていた。

 その彼が何かに気付いたらしく、ゆっくりと頭だけを『こちら側』へ向ける。

 すると燃え盛る炎の中から一際赤く輝く二つの目が現れた。それと同時に視界が白い何かに染まると、そこで映像は途切れた。

 

「そう、変わったよ……最悪な結末にね」

 

 未来の口から紡がれたのは最も恐ろしい予言だった。




という訳で四季の虫の媒体は色でした。
どこぞのマーカー使いと被ってるような気がしないでもないが気にしない。向こう同化型、こっち特殊型。ダイジョウブ、モンダイナイ。
ちなみに色という媒体を思い浮かんだ切欠は実はマーカー使いではなく司書さんの方だったりします。


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“泡”

今回は本当に勢いで書いたので描写不足が否めない気がする……。


「あああああああああああああ!!」

 

 それは何の前触れもなく唐突に起きた。

 今まで静寂を保っていた四季が突如悲鳴を上げ苦しみ始めた。体を絞めるように抱き、もがいている。

 --まさか成虫化!?

 そう思い慌てて四季の虫であるミカドアゲハを警戒するが、そこには予想外の光景が広がっていた。

 先程まで色鮮やかに縦横無尽に舞っていたミカドアゲハ。それが主同様悶え苦しみながら、まるで“溶ける”ように形が崩れていく。

 本来ではありえないその現象に驚く暇なく、新たな変化がラナ達を襲う。

 

 それは一言で表すと『泡』だった。

 シャボン玉のように儚くも、ゆっくりと宙を舞うそれに心を奪われたのはあまりに場違いであったことともう一つ。

 それが元の……彼の虫の残骸から漏れ出していたからだ。

 真っ二つにされたその断面から次々と溢れ出す泡。それが大蜘蛛を飲み干すと一気にその量は増え、あっという間に車ほどの大きさになった。

 脱皮でもするかのように泡が剥がれていくと、そこには死ぬ前と変わらぬ姿で地に立っている大蜘蛛がいた。……いや、やはり変わった点が二つある。

 一つはまるで泡に汚染されたかのように白く変色した躯。

 もう一つは黒曜石を思わせていた四つの眼が今は鬼灯の様に紅く染まっていることだ。

 

「なに……あれ……」

 

 身の毛がよだつような悪寒に襲われる。

 “異質”--一目見ただけで分かる。

 遭ってはならない、対峙してはいけないと本能が告げている。

 逃げだしたいという感情は、しかし目の前の更なる異変の前に成りを潜めてしまった。

 

「うそ……」

 

「虫が怯えている……?」

 

 虫には自我が存在する、宿主とは別の確たる人格を持っているのだ。

 ファンタジーなどに登場する超能力とは異なり、力そのものに意思がある。それは例えるなら手足が勝手に動くような、自分の一部でありながら自分の制御を離れてるようなもの。虫の制御が難しいのは主にこれが原因でもある。

 彼らは貪欲で、隙あらば夢を食い尽くしすぐにでも成虫化を果たそうとする。しかしながら、そんなにすぐに食べ切れるほど脆い夢はそうそうなく、その時期が来るまでの間彼らは大人しく宿主に使役されるのだ。

 そんな彼らが今恐怖し、震えている。ガタガタと揺れ、戦闘態勢を無理矢理解こうとしている。夢を与えて押さえ込もうと試みるがそれすら拒み、ただ一刻も早く逃げろと言わんばかりに宿主から離れようとしている。

 それほどまでに恐ろしいのだ……あの“大蜘蛛の姿をした何か”は……。

 

 ゆっくり。まるでスローモーションのようにゆっくりと前脚の一本を上げ、そして振り下ろす。

 その瞬間。大量の泡と糸が洪水のようにその脚から溢れ出た。それらはある一点に向かっていく。

 自らの宿主、元とその切り落とされた一部がその津波に飲み込まれる。元を取り込むと、泡が集まり人一人覆うほどの球体に変わる。その球体を外側から糸が何重にも覆い、巨大な繭が出来上がった。

 中の様子はわからないが、それはまるで元を守っているような気がした。そんな思いに応えたのか、白い大蜘蛛は繭の前に鎮座する。王を護る騎士のように微動だにせず、ただ外敵を睨む。

 

 

「……どうしようか、ラナちゃん?」

 

「いや、アタシに振られても困るんだけど」

 

 最大の障害であった四季の暴走が終わり、代わりに現れた脅威。しかしそれは圧倒的な存在感と威圧感を放つだけで動く気配がまるでない。逃げるなら今しかない……のだが。

 

(あれ)攻撃したら襲ってくるよね、絶対」

 

 厳重に守られた繭を見てため息混じりで呟いたラナにほのかは苦笑を浮かべて応える。

 よりによって今度は元の虫が暴走し、元があの中に閉じ込められるなど誰が予想できたか。しかもあの様子から察するに繭は死守するつもりなのだろう。四季の虫すら倒したあの泡が未だ周辺に浮いてるのも気になる。

 さっさと撤退したいのに肝心の元があれでは帰るに帰れない。

 無理に繭を破ろうにも、それでは四季の二の舞になるだろう。それどころか四季に苦戦した二人が、四季を倒したあれに勝てるわけがない。第一虫がこの状態では攻撃すること自体不可能だ。

 なによりも、あれは完全にイレギュラーな存在だ。死んだはずが僅かな変化を持って蘇り、先程までなかった力を振るう。普通に倒せるのかどうか、攻略法が一切分からない。

 完全な手詰まり、もうどうしようも出来ない。泣き言すら言いたくなったその時--突如大蜘蛛が爆発した。

 爆発する瞬間赤い何かが見えた、まさかと思い振り返る。

 そこには満身創痍なはずの四季が不敵な笑みを浮かべながら立ち上がっていた。

 

「あ……あははは! そうです、それですよ! 私が見たかったのは! これで私も全力を出せます!」

 

 爆炎を受けて尚傷一つ負っていない白い大蜘蛛を見て、狂ったように笑いながら両手を広げる。傷など関係ないと言わんばかりにくるくると踊るように回る。

 くるくる、くるくると。すると彼女を始点にどんどんと世界から色が薄れていった。

 

「四季ちゃん本気!?」

 

 今までに聴いたことのない程ほのかは焦った声を上げる。彼女がなにをしようとしているのか分かったからだ。

 特殊型だけが持つ領域。それが広がって広がって広がり続けて、そして……彼女と異質な蜘蛛と繭は世界から隔離された。

 

 

 見た目は、元あった世界とかわらない景色が広がるそこは、しかし色とりどりの蝶が跋扈する酷く幻想的な世界だった。

 建物や器物、果ては植物から色が剥がれ、それが様々な色のミカドアゲハに姿を変える。

 十や二十など生温いほどの蝶の大群が暴れ踊っている。

 

「さあ、見せて下さい……貴方の力をッ!!」

 

 左手を挙げると数十もの赤いミカドアゲハが集まり巨大な火の玉へその姿を変える。

 それを耐えず繭の前に鎮座している白い大蜘蛛に向け放つ。避ければ繭が焼き尽くされると言わんばかりの直撃コース。

 ある物触れる物全てを蒸発させ突き進む小さな太陽。何者にも止められないと思われたそれはしかし、突如現れた白い壁によって阻まれた。

 白い壁--白い大蜘蛛の脚から溢れ出た大量の泡。それに触れた瞬間巨大な火の玉は形を保てずに崩れていく。

 

「ッ! やはり正攻法は効きませんか……なら」

 

 水色の蝶の大群が白い大蜘蛛の上に集まり、巨大な氷の塊となる。それは氷山と評していいほどの質量を持ち、あまりの大きさにあらゆる物を押し潰せるとさえ思えた。

 それが上空から動けぬ大蜘蛛目掛けて落ちてきた。

 あれほどの質量を消すには相応の力が必要だが、ほとんど原型を留めていないとはいえ未だに火の玉を溶かすため泡の壁を維持するのに力を使っている。

 全力が出せない今一体どうするのか?

 期待、興奮、喜悦。様々な感情が胸を占める。そして白い大蜘蛛は彼女の思いに応えた。

 顎を頭上の氷山に向け、鋭く尖った牙諸共開き--

 

 --■■■■■■■■ッッッ!!

 

 咆哮。

 無音に限りなく近い音が大気を震わせる。聴いただけで言い知れぬ恐怖を与えてしまうそれは、氷山と化したはずの虫すら恐れさせ、複数の亀裂を入れた。そしてその亀裂目掛け、それぞれの脚から出た合計八つの泡が入り込む。

 数秒の時すら置かず氷山は粉々に砕け散り、同時に火の玉も泡の壁の前に消え去った。

 

「--ッッッ!!」

 

 連続して膨大な夢を消費したことで四季に凄まじい喪失感が襲った。それに加え、まるで虫がやられた時のような感覚にも何故か襲われた。

 しかし、どうしてそんな感覚に見舞われたかなど今の四季には関係なかった。

 ただ、今は嬉しかった。この理不尽な強さが、この圧倒的な強さが、身を持って体験できるのが。

 これならあの“底王”を、裏切り者を倒すことが出来る。だが--

 

「まだですよ……まだ全力じゃないですよねぇ!!」

 

 もっとだ、もっと“先”があるはずだ。四季の人として、そして虫憑きとしての本能がそう告げている。

 それが見たいがために、四季は全力で虫を使うことを決意した。

 百はくだらないであろう黄緑色のミカドアゲハを使い、擬似的な嵐を起こす。そうすれば白い大蜘蛛は否応なく全力を出すしかなくなる。

四季を中心に集まる大量のミカドアゲハ。高速で奔る風は刃のように鋭く触れる物は全て切断する。それは例えあの泡であれ例外ではないだろう。

 あの泡に触れたものは溶かされる。しかしそれには多少時間が掛かる、故に高速で奔る風を溶かすのは至難の業。

 

「さあ、どうしますか--え?」

 

 喜悦に歪んだ顔が驚愕の色に染まる。それに合わせるように嵐にも変化が出始めた。

 風力が徐々に弱まり、嵐がただの強風に、強風がそよ風へと変わる。

 無論、四季が弱めた訳ではない。勝手にそうなったのだ。再度作り直そうとしても思うように虫が集まらない。それどころか、どんどんと精神が削られるような感覚に襲われる。

 何が起きているのか、そう思い辺りを見渡し、そして……絶句した。

 --色が剥がれ、褪せた世界に“色が戻っていた”。

 宙に浮かぶ数多の泡、それが一つずつ弾ける度に褪せた世界は溶けていき、明確な色を持つ世界が広がっていく。

 溶け出した空間から本来の世界が顔を覗かせる。その様はまさに泡沫の夢から覚めるようだった。

 

「………………」

 

 自分の世界が音すら発てずに消えていく、自分の全力が意図も容易く無に還る。

 『壊す』や『塗り替える』といった力技の類ではない。それらとは根本的に異なるもの……あの泡はそういった部類に他ならない。

 絶望する暇なく、頭でそれを理解した四季の心境は、しかし穏やかだった。

 それはそうだろう、何せそれは本当に彼女達が待ち望んだものだったのだから。

 純粋な火力ではあの『裏切り者』を倒すことは出来ない、寧ろ逆手に取られてしまう。仲間内で最も強く、そして四季が友人と呼んだ少女もそうしてやられたのだから……。

 強い虫憑きだからこそ勝てない相手--それが四季達の真の敵。

 故に、単純な火力以外の方法で倒す手段を用いる存在を欲した、対抗手段が欲しかった。

 その為に時期を見計らい、仲間を見捨て、危険を冒してまで来たのだ。

 --そして、その成果は今目の前にある。

 白い大蜘蛛と繭を見つめ、四季は笑顔を浮かべた。

 

「もうすぐ……もうすぐですよ、こなた。これで貴女を……」

 

 傍から見れば危機的状況であり、現にそうだ。しかし彼女の目にこの状況は絶望とすら映らない。

 

「あとは……お願いしますね……早条(さじょう)……」

 

 もっと見ていたかったが、既に肉体も精神も限界だった。既に頭は働かず、意識も絶え絶えだ。その為かこの場にいるはずのない最愛の相手の名前を知らずに呼んでいた。

 色褪せた世界が完全に終わりをつげると同時に四季は静かに崩れ落ちた。

 




はい、チート乙。
白いのはあくまで自衛しかしてません。降りかかった火の粉を払った程度で戦闘と呼べるものですらなかったりします、今回のは。
ちなみにこいつ=強化というわけではないですし、今後ピンチになれば必ず出てくるわけでもないです。……というか、コイツの出番はあと一回あればいいレベル。チートとご都合主義が合わさったような奴なんで……。


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「支配人」

 何もない空間が歪み、雪が溶けるように見えない境界が崩れると、一時的に世界から隔離されていた少女と異形のモノ達が帰ってきた。

 

「四季ちゃん!?」

 

 異形達に変化は見られない、隔離される前と全く同じだ。しかし少女の方は大きく変わっていた。

 着物から色と呼べるものはほとんどなくなり何百年も昔のもののように風化している。出血自体はある程度収まっているものの、体そのものが青ざめており体温も低い。素人目から見ても分かる危険な状態だ。

 

「ラナちゃん上着!」

 

 戻ってきた四季に駆け寄り容態を見ていたほのかは、そう言ってラナに手を伸ばす。唖然としていたラナはその声で我に返り、上着を渡す。

 受け取るとすぐに四季の体を包み温めた。虫の力を使い過ぎた為の貧血と体温低下、それを抑えるためだ。十二分な知識がない上テレビや本で見た見様見真似の拙い手当て、ないよりはマシという程度のそれを終えるとドサッと何かが落ちるような音が聞こえた。

 振り向くと繭が裂け、その中からずぶ濡れの元が姿を見せていた。どういう訳か傷は完全に完治していたが、まだ意識がなく倒れている元の下に白い大蜘蛛が近寄る。まるで空気の抜けた風船の様に躯がどんどん小さくなっていく。それと同時に色も元の黒に戻っていき、最後はビー玉程の大きさにまでなると自らの宿主の服の中に消えて行った。

 唐突に現れ、好きなだけ混乱を撒き散らした後、役目を終えたとばかりに消えて行った不可思議な虫。それをただ呆然と眺めていたラナは、「なんだったのよ……」と誰に言うでもなく呟いた。

 

「とにかく、急いで此処から離れようラナちゃん。あれだけ派手に暴れてたんだからきっと--」

 

 --居場所がバレてしまう。

 そう言おうとした瞬間、パチパチと叩く音が耳に入った。それは手を叩く様に一定のリズムを持っており、事実その通りだった。

 

「いやぁ、凄い凄い。まさか四季が敗れるとは」

 

 ギクリと、その声を聞いたほのかの顔が一気に青ざめた。

 まるで人を小馬鹿にしたような調子で軽く語るその声は、何処か人として嫌悪感を抱いた。耳に入るだけでおぞけが走るそれは彼女達の丁度真後ろから聴こえてきた。

 恐る恐る振り返るとそこには数人の少年と少女がいた。

 

「……アキラ」

 

 その中の一人、Yシャツにジーンズ、そこに申し訳ない程度に弛く結んだネクタイをした茶髪の少年にほのかは睨みをきかせた。

 今まで見たことない程殺気に満ちた顔にラナはたじろぐが、当のほのか本人はそんなことには見もくれず尚睨み続ける。

 今にも飛び掛かりそうなほのかと、ヘラヘラと薄笑いを浮かべるアキラ。詳しい事情を知らないラナはおろおろと二人を見比べていた。

 「おやぁ?」とようやくラナの存在に気付いたかのような態度を示したアキラは気味が悪いほど口を吊り上がらせた。

 

「キミ見たことないねぇ? もしや新入りかなー? では通例行事として挨拶でもしよう」

 

 おどけた道化(ピエロ)の様に大袈裟な身振り手振りで自らの存在を誇張する。

 

「どうもはじめまして、(わたくし)は地下闘技場『コロッセオ』の支配人、アキラでございます。以後お見知りおきを」

 

 そうしてアキラと名乗った少年はお調子者の如き口調でニヤリとラナに笑い掛ける。その笑みを見た瞬間ゾクッと背筋が凍るような感覚に見舞われた、得体の知れないそれはただただラナに恐怖だけを残した。

 --『コロッセオ』。その名だけは聞いている、この町で捕まった虫憑きが送られる死刑場。虫憑きを見世物として扱う最低最悪の非公式娯楽施設、金と権力を持った下衆共の渇きを潤す為に作られた物の事だ。

 元達とは別にその実体を見た訳ではないラナですら、それを聞いただけでアキラに強い嫌悪感を抱いた。それもそうだろう、何せそこは本来ならラナとほのかが送られるはずの場所だったのだから。逃げなければそこで見世物として死ぬか虫の限界が来るまで戦わされていたはずなのだから。

 --目の前の少年がそれを行っている元凶なのか?

 そんな疑問が沸き立つと共に怒りが込み上げてきた。

 一体自分達を、虫憑きを何だと思っているんだ。商売道具として見るなど、怪物と呼ばれ忌み嫌われるよりも尚質が悪い。

 憤慨するラナを他所にアキラは再度ニヤリと気味の悪い笑顔を浮かべる。

 

「さて、ここでちょっとした取引をしないかい? なぁに悪い話じゃないさ」

 

「何を言って--」

 

「そこの彼をこちらに渡してくれないかな? そうしたらキミたちは見逃してあげよう。勿論特環からも逃げ切れるように手を回してあげるよ」

 

 紡がれたのは悪魔の囁きだった。

 倒れている元を差し出せば自分達を見逃すと、おまけに特環からも逃げ切れるように手配するとの事だ。

 本来ならどう考えても真っ赤な嘘だと思うだろう。非公認とはいえ特別環境保全事務局は国の組織だ。この国にいる以上、何の権力も庇護もなく彼らから逃れる術はない。故にアキラの出した先の条件は実現不可能な嘘八百だと考えるのが普通だろう。現に彼のことを知らないラナは敵意剥き出しで「ふざけるな!」と怒鳴り返している。

 だが……。

 

「嘘なんかじゃない、オレの力なら実現可能さ。お前なら知ってるはずだろ? なぁ……ほのか」

 

 きひっ、と牙を剥くように歪んだ笑みを浮かべてほのかを見やる。すると当のほのかはバツの悪そうに顔を顰める。

 何故ほのかに同意を求めたのか、一瞬分からなかったがすぐにあることを思い出した。

 そうだ、ほのかはかつて底王と仲間だったはずだ……。

 その事を思い出すと同時にほのかに視線を向ける。問い(ただ)すように真っ直ぐ向けられたそれに耐えきれず観念して素直に応えた。

 

「……確かに、アキラならそれは可能だよ」

 

 開いた口から出たのは肯定の言葉だった。それにラナは信じられないといった表情を浮かべ、アキラは「ほらな」と言わんばかりに口の端を吊り上げた。

 嘗ての仲間の言葉はそれだけで説得力がある。

 

「でも、そいつだけは信じちゃ駄目」

 

 だからほのかは彼の言葉や力ではなく彼自身を否定した。

 そうだ、確かにほのかは彼を知っている。あのグループにいる期間はそんなに長くはなかったが、彼の実力と性格を理解するには十分過ぎた。

 最初は気さくな少年かと思っていたがそれはほのか達を偽る為の仮面だった。その本性は自分の為なら人を利用し、切り捨てる外道。例え仲間でも一切容赦せず容易く騙し、背後から討つ。人情や道徳が欠如した破綻者。

 それがほのかが……いやほのか達がアキラに抱いている認識だ。故に、彼の言葉は全て疑ってかからないといけない。隙など絶対に見せてはいけないのだ。

 

「どうやら、交渉決裂のようだ」

 

 敵意を剥き出しに睨みつけている二人を見て、ヘラヘラと笑いながら「いやぁ残念だー」と肩すら落とさず明らかな棒読みで落ち込んだ振りをする。

 そして、喜悦に歪んだ口で一人の少女に命じた。

 

「そういう訳だ。あいつらを欠落者にしろ、こなた」

 

 アキラの言葉に応じるように数人の少年達の一人、元達がコロッセオで目撃した底王と同じ黒いフードを被った少女がボロボロのナイフを片手に、ほのか達と対峙するかのように前に出た。

 

「こなたちゃん……」

 

「………………」

 

 フードの隙間から赤みを帯びた茶髪が覗いた。その少女もかつてはほのかも属していたグループの仲間の一人だった。しかし、ある日彼女はグループから離反したのだ。理由を問い質した者、説得した者すら切り伏せてアキラと共にその姿を眩ませた。次にほのか達が彼女を目にした時には秘密裏に町の地下で作られていたコロッセオにて虫憑き達の処刑人として、底王と呼ばれ恐れられる存在になっていた。

 そうして悪魔のように恐れられているこなたの瞳にはしかし何処か迷いがあった。短い間とはいえ、嘗て仲間であった少女を倒すのは抵抗があるのだろうか。

 彼女の思いを察したアキラはやれやれと肩を(すく)め、しかしこれから起こりうるであろう展開を予想しほくそ笑む。

 

「彼は特環の局員みたいだからね……“三匹目”について何か知ってるかもよ」

 

 愉快と言わんばかりの声色で告げられたその言葉を聴いた瞬間こなたの纏っていた空気ががらりと変わった。

 

「“三匹目”……アリア・ヴァレィ……!」

 

 一瞬で成りを潜めた迷いの代わりに、一目見ただけでわかる夥しい怒気と殺気が溢れた。それに誘われるように現れた赤いオオカマキリがナイフに止まり、宿主と同化を果たす。

 同化型の特徴とも言える模様が侵食を進める度にナイフを鋭い剣に、自身を最適な戦闘マシンへと変える。模様が身体を被うと怒りが暴発でも起こしたかのように赤い風が吹き荒れる。

 暴風と称していい程の勢いを持つ風を纏い、小型の竜巻と化したこなたは、尚も模様を赤く輝かせほのか達に接近した。

 

「っ!?」

 

「ほのか!!」

 

 同化型特有の人間離れした脚力と風による加速にり、一歩踏み込んだと思った瞬間には赤い刃が目の前に迫っていた。

 同化した時に警戒して作った壁はあっさり切り裂かれ、あまりの速度にラナの鞭では捕らえることすら叶わない。

 速すぎる。そんな感想すら抱く前に血を彷彿させる赤い剣は振り下ろされほのかの頭を……しかし両断することはなかった。

 その寸前で剣の軌道が逸れ、同時にほのかの姿が消えた。

 何が起きた?

 理解することが出来ず辺りを見渡すと、ほのかだけでなくラナや身動きが取れなかったはずの元や四季の姿も消えている。

 一瞬混乱に陥るものの、すぐに足下に違和感を覚えて視線を向けると、そこには砂で出来たケラが靴に張り付いていた。

 

「!?」

 

 見覚えのあるそれに、「まさか」と僅かに思考を奪われた瞬間、ケラが地面に潜り瞬く間にコンクリートの路面を砂の海に変える。虚を突かれたこなたはすぐに反応することが出来ず、蟻地獄のように足を絡め捕られ身動きが取れなくなった。

 動きを封じられたこなたから傍観していたアキラ達に標的をかえたケラは砂の海に津波をお越し、大規模な大波を起こす。

 道路の一面を覆うほどのそれに、しかしアキラは一切の脅威を抱かない。そしてその心中を察したかのように一人の少年が前に出る。

 こなたと同じフードを纏っている彼は、現在の底王の片割れだ。その右手に紺色のトホシテントウムシに酷似している虫が止まっていた。それは瞬く間に30cm程の円盤へと姿を変えると脚を触手の様にし、少年の腕へと侵入する。

 分離型の中でも珍しい装備型の虫。虫と同化し真価を発揮する同化型とは異なり、虫そのものが武器となるもので、中には同化型程ではないにしても身体能力を引き上げることが出来る虫もいる。

 例えば、そう……遮る盾のように大きくなった紺色のトホシテントウムシなどもその類いの一つだ。宿主を隠せるほどの大きさに姿を変え、いっそ盾というよりは壁に等しくなったそれは迫り来る砂の津波の前に悠然と立ち塞がる。

 本来なら容易く呑みされるであろう障害物は、しかし砂の奔流に巻き込まれて尚傾きすら見せない。

 いや、正確には巻き込まれてすらいなかった。

 砂が当たる直前、まるで意思を持ったかの様に盾を避けているのだ。盾として形を持っているものの、自らに触れることを許さない、そんな性質を持った虫の為せる技だ。

 結果彼の後ろにいたアキラ達は一切の無傷。大掛かりな攻撃をしたにも関わらず無為に終わってしまったと思われたそれに、しかしアキラが舌を打った。

 

「逃げられたか」

 

 砂の津波が終わるとそこには自分達の他に姿はなかった。先の派手な攻撃は逃げる時間を稼ぐことこそに意味があったのだろう。

 そう結論付け、深追いはせず一先ず退こうとした時、突然トホシテントウの宿主の少年が苦しみのあまり叫び出した。

 視線を向けるとトホシテントウが歪に歪みながら少年の腕と一体に成ろうとしていた

 成虫化だ。それを瞬時に理解したアキラの心中には落胆が生まれた。

 

「使えないな」

 

 まるで玩具に飽きた子どものように吐き捨てる。

 希少であり、且つ虫の性質が近いと思った為に同化型の虫を使わせてみたのだか、やはりというかなんというか数回ともたずに限界がきたようだ。それでも他の虫憑きよりは持った方だから、アキラの試みは少なからず成功したことにはなるが……。

 普通に使うのならもっと持っただろうが、やはり同化型はかなり特殊な部類と見るべきか。

 やれやれ、仕方がないな。そんな心境で死への秒読みが始まった少年に手を差し向ける。

 

「成虫化した虫は使えないんだよ」

 

 そして、何かを握り潰す様に拳を握るとトホシテントウの躯に亀裂が入り、次の瞬間には断末魔とともにバラバラに引き裂かれていた。

 ひとりでに起きたそれに周りの少年達は気にも止めない。仲間の一人が欠落者となったら、本来は何かしら反応があってもいいはず。そうならないということは彼らは俗に『仲間』と呼ばれる分類のものではないのだ。

 折角の希少な装備型を失い、同時に視界の隅で苦しみながらも何かに耐えているこなたの姿を見て「あーあ」とため息混じりに肩を落とす。

 あの様子ではこなたの方もそろそろ限界が近いのだろう。それは以前より解っていたことであり、故に成虫化を迎える前に彼女に代わる戦力が欲しかった。

 その為に、この前わざと数人の虫憑きを脱走させ追いやり、あの最強の悪魔がいる支部にちょっかいを掛けたというのに……おまけに態々情報まで漏洩させ、否応にもこちらに目がいくようにもしたというのに……。それにも関わらず求めていた一号指定(最強)が来ないことに当初アキラは心底気落ちしていた。

 早条(さじょう)や四季が何か企んでいることにもとっくに感づいていたが、所詮純粋な火力頼りの戦法しか取れない彼らではアキラやこなたに対抗できるはずがない。だから座興として好きに動かしていたのだが……。

 

「きひっ」

 

 鋭い歯を見せるように口が三日月状に歪んだ。

 しかし自分はついている。あのような“面白いもの”に遭遇できるとは……。

 狂気、喜悦、愉悦、憎悪、崇拝。ありとあらゆる感情がごちゃ混ぜになり混沌とした笑みにその姿を変える。

 常人であれば見ただけで逃げ出してしまいそうな表情を浮かべ、アキラはただただ愉快に、愉しそうに笑い続ける。

 

 --ああ、これでまた生き延びれる。

 

 そんな、狂おしくも純粋に、そして歪んでしまった欲望()を抱きながら、月のない空の下道化はただ哂った--。




終わったーー!!
正確には違うけど、予定していた四季戦は今回で終わりです。ここまで長かったね、ほんとごめんね!
今回までで伏線やら何やらをふんだんにばら撒いたつもり、回収できるかは別問題。まあできる限りは拾っていくつもりです。

実はこの作品五月十三日に連載してから一周年迎えてました。いやほんと、時間の流れって早いね……(遠い目)
原作もついに終わったし……。


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『速人』

更にフラグを撒いてしまったような気がするが気にせず書いた。


「どう?」

 

 リビングの床にしゃがみ込みながらも心配そうに訊ねたラナにほのかは首を横に振った。

 

「駄目、全然目覚める気配がない」

 

 もしかしたらと思って問いた答えは、ある意味で予想通りであり、しかしそれ故に落胆するには十分だった。

 先の戦闘から二日が経過した。

 あの後、四季の仲間にしてほのかの元仲間のリーダーと言える少年、早条に助けられたラナ達。砂を媒体とする彼の虫の力により地上から地下の下水道へと穴を作り逃れた彼女達はそのまま彼らと共に逃げることを果たした。

 一度南条邸に戻るものの翌日になっても一向に目覚めない元に不安を覚えたほのか達は一先ず潜伏先のマンションに戻っていた。マンションの自室には元が万が一に備えて色々と用意したものがあると“まいまい”が応えたからだ。実際その通りであり、緊急用の通信機や医薬・解毒の類すら見つかった。用意周到、念には念を入れるタイプだとは思っていたが流石にここまでくると感心よりも呆れてしまう。

 極めつけは……。

 

「結局取れなかったんだ?」

 

「ま、まあ、ね……」

 

 ほのかの質問に「あはは」と乾いた笑いを溢し、視線を逸らしながら答えるラナ。その眼前には黒いロングコートが敷かれていた。東中央支部所属の特環局員の装備品であるそれは、しかし他の物とは違うところがあった。

 見た目こそあまり変化は見られないが、実は使われている材質からして違うオーダーメイドだ。元が一番最初に西中央支部の技術班に頼んだ物であり、大蜘蛛の糸をふんだんに使った軽くて丈夫な代物だ。実際絹のような重さしかない優秀なそれは、実は「二代目」であり初代は中央本部に行った際にとある人物に貸した結果そのまま返して貰えなかったそうな。「“大蜘蛛”たんのコート、凄く温かいから気にいったんだよぉ」とは借り奪った本人の言である。実際現在普及されているロングコートの中では最も高性能らしく、おまけに大蜘蛛の糸からでしか作れなかった為量産することも難しい一品である。

 そんな経緯を持つ特注品のコートに僅かに膨らみがあった。捲りあげ中を覗くと、そこにはあらゆる種類の護身用装備が張り付いている。

 恐らく大蜘蛛の糸で貼り付けたのであろうそれは軽くとも十は越えており、初心者の目から見てもスタングレネードにスタンガン、拳銃にナイフといった物騒極まりないものが鎮座していた。その内ナイフや拳銃は袖の方にも仕込んでおりすぐに取り出せるようにも改造されている。

 暗殺者も驚くようなその完全装備は、いずれもが虫に対抗しうる為のものなのだろう。本人も言っていたが、彼の虫は戦闘に向いているわけではない。そうなるともし戦闘に直面した時純粋な火力以外で欠点を補わなければ生き残ることすら難しい。

 そういう、殲滅するより生き残ることを優先に考えた装備品を詰め込んだコート。それが一般のコートと同じ重さなはずがない。怪我がないか確認する際に一度脱がしたのだが、このあまりの重さについ落としてしまったことがある。どんなに軽くても五kgはくだらないと思われたそれを常に身に纏って戦っていた元の体力と胆力に正直驚かされた。

 しかしここまで仰々しい装備を身に付けても実際に効果のある虫はどれほどだろうか?

 実態を持たない特殊型、厚い殻で覆われた分離型、そして超人的な身体能力を持つ同化型。

 これだけ用意しても尚嘲笑うかのようにほとんどの虫に効果はない。

 頭を使い、物を使い、虫を使い、それでやっと生き延びれることができる弱い人間。元はそういう下位の存在のはずなのだ。

 

「…………」

 

 だが、思い出されるのはあの夜の出来事。

 死んだ虫の復活、泡、繭、そして白い大蜘蛛。

 この町のことすら完全に把握できていないというのに次から次へと……わからないことが多すぎる。

 何か知っているであろう本人は未だ目覚めず。相棒であるはずの頼りない眼帯の少女はパートナーが倒れたことであたふたしている。

 

「……どうなるんだろう、一体……」

 

 吐きそうになったため息を何とか呑み込み、代わりに先が見えない状況についほのかの口から愚痴が溢れてしまった。

 

 

 -----------------

 

 

「ねぇ、貴方の夢をきかせて」

 

 二度と耳にしたくない声が後ろから聞こえた。

 嫌だ、振り向きたくない、向かい合いたくない、二度と関わりたくない。

 --そんな俺の意思とは真逆に『僕』は声を掛けた赤いコートの女性と向かい合う。

 

「貴方の夢をきかせて、速人ちゃん」

 

 もう一度、まるで催促でもするように紡がれた言葉には不思議な力が宿っていた。

 胸に(くすぶ)っていた想いを表面へと押し上げ、手繰り寄せるかのように口に導く。その結果それはまるで抵抗することなく自然と紡がれることになる。

 教えた覚えのない自身の名前を知っていることすら不思議とは思わずに、ただその問いかけだけに応えてしまう。

 

「僕は、誰よりも速くなりたい」

 

 学年で、いや学校で一番足の速い少年、崎守速人(さきもりはやと)はその名前を表すかのように走るのが得意だ。県内の陸上大会では必ず上位に食い込むほどの実力者であり、それは友達、恩師、家族、そして何より彼自身にとって最大の自慢だった。

 誰よりも速くなりたい。彼はその夢を叶えるため(たゆ)まぬ努力をした。親に、兄弟に、友に、恩師に誇れるように。ただひたすらに、がむしゃらに走り続けた。

 そんな、いっそ愚直と称していい程までの真っ直ぐな想いは多くのものを引き寄せた。友に宿敵に名誉、そして……異形の怪物を。

 赤いコートの美女、“大喰い”に夢を喰われた速人はその瞬間虫憑きと呼ばれる存在になっていた。

 虫憑きになった直後は意識なく暴走するケースが多々ある。それは速人の場合も例外ではなく、意識を取り戻した際には彼が立っていたグラウンドは見るも無残な姿に変わり果てていた。

 地面は抉れ、軽いクレーターが幾つも出来ていた。鉄棒や木々は悉くが切断され薙ぎ倒されている。

 何故こうなった。そんな思いと焦燥感が胸を焦がす中、唐突に自分の後ろに気配を感じ振り返る。

 そこには成人男性並みの大きさを持つコクワガタに似た“何か”が羽音を発て浮いていた。

 それを見て、既に自分が人ではなくなったことを理解してしまった速人はその場で泣き崩れた。

 --夢を求め、ひたすら努力した結果がこれか……なんて世界は不条理で理不尽なんだ。

 悟ったように、諦めたようにそう感じて呟いたその言葉は速人のこれからを暗示していた。

 信じていた者達からは「化け物」と(さげす)まれ、生まれ育った故郷から追放された。世間から白い目で見られているような猜疑心に常に心が蝕まれていた。特環から逃れるために戦い、撃退し続けることで心身はともに磨耗していった。

 そして--。

 ある町でついに特環に捕らえられた速人は薄暗い部屋に幽閉されていた。無指定どころか八号指定すら倒したことがある彼の実力は本物だ。その力をむざむざ捨てるような真似はなるべくならしたくないのだろう。今までに何人もの局員達が説得に来るものの、そのいずれにも速人は首を縦に振ることはなかった。

 もういい加減諦めて欠落者にされるのではないか?

 そう覚悟する日が数日は続いたある日。一人の少年が速人の許を訪れた。

 初めて見た時からその少年には違和感があった。今まであった説得者達は皆特環の装備を必ず着けていたはず、にも関わらずその少年はYシャツにジーンズ、そこに申し訳ない程度に弛く結んだネクタイというかなりラフな格好だった。この時点でもおかしいのだが、最たるものは少年の纏う雰囲気だ。

 仮面のように張り付いた気味の悪い笑顔。純粋と汚れを混ぜたかのようなそれに速人は嫌悪と恐怖を抱いた。

 --きひっ。

 動物が威嚇のために牙を見せるように少年の口が三日月状に歪む。それが“笑み”だと理解した時少年の後ろに白い線の様なものが浮かんで見えた。

 それが何か判断する暇もなく、速人の意識は闇に溶けていった。

 

 

 -----------------

 

 

「……ぁ」

 

 意識が浮上し、微かに目蓋が動く。息を吸って吐くと自然と声が漏れた。

 外が明るいのか窓から差し込んだと思わしき光が目蓋を刺して、いっそ痛いとすら感じる。それから逃れるように右腕を盾にして遮り慣れるまで一時置く。

 ようやく光に慣れ、呆けていた頭も覚醒を始めると体を起こす。

 その際重く感じたのは恐らく寝起きだからだろう、暫くしたらいつも通りに普通に動けるはずだ。

 そう思いながらベッドから降り体を伸ばす。骨が鳴る音が聞こえ、その音で目覚めたのだと実感すると身なりを整えるため着替えようと服に手をかける。

 

『あ……』

 

 その瞬間、ガチャリと音を発て部屋の扉が開く。

 驚いて視線を向けると、そこには携帯電話を持った眼帯の少女--“まいまい”の姿があった。虫の力がないと話せない“まいまい”は元が眠っている間ずっと肌身離さず持ち歩いていたようだ。ちなみそのケータイは“まいまい”のではなく元の物である。

 

『うわああああん!! ようやく目を覚ましたんですね、“大蜘蛛”さん! ほのかさんもラナさんも真面目で“まいまい”ちゃんすごくさびしかったでちゅッ!』

 

 倒れてから三日。ようやく意識を取り戻したパートナーに喜びを覚えた“まいまい”は助走を付け元に抱きついた。そして涙目に『か、噛んでましぇん! 噛んでましぇんからぁ!』と噛みながら慌てて言い繕う。

 

「……?」

 

 目覚めてから間もない元は今一状況が理解出来ず首を傾げる。何故彼女は泣いているのか? どうして此処にいるのか? どうして抱きつかれたのか?

 いや、まず第一に。

 

「--キミ、誰?」

 

『……へ?』

 

 元の発したその一言で、喜びに浮かれ熱を帯びていた“まいまい”の頭は一気に凍りついた。




久しぶりの“まいまい”登場。ちなみに“まいまい”ちゃんは四季戦の時邪魔だからって置いていかれてました。うん、まあ、仕方ないよね。


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『早条』

今回は久々の一人称を交えて書いてみました。久々過ぎてうまく書けたかちょっと不安。


 静かになった部屋でベッドに寝転び天井を仰ぎ見る。

 腕を持ち上げ目の前に持ってくる。「ああ、これは紛れもなく自分の腕なんだ」と何故か感慨深い思いに囚われた。

 それと同時に先程襲われた感覚を思い出し頭を抱えた。

 

 --キミ、誰?

 そう言われた瞬間“まいまい”はまるで心臓に冷水をかけられたような、頭をハンマーで殴られたような表情をしていた。

 それから「冗談ですよね?」と何度も俺の体を揺らし、必死に名前を呼びかけていた。忘れられるのが怖かったのか、それとも純粋に心配してか……恐らくは前者であろうが嫌な思いをさせてしまったことに変わりはない。

 事実、俺は“まいまい”に名前を呼ばれるまで本当に忘れていたのだから弁明のしようがない。

 名前を呼ばれるまでは自分が他の誰かのような錯覚を覚えていてまるで夢の中にいるような酷く曖昧な気持ちだった。しかし名前を呼ばれたことによりあるべき場所に収まったような感覚が胸に湧き、全てが鮮明になっていった。

 そうしてきちんと自分のことも“まいまい”のことも思い出した俺は慌てて泣きそうになっている“まいまい”に謝った。

『ゴメン、寝ぼけていたみたいだ。もう大丈夫だから』

 流石に本当のことは言えず、そう言い繕うことでその場は何とか収めることができた。

 必死に宥めどうにか気持ちを落ち着かせた“まいまい”は今、俺が目覚めたことをリビングにいるほのかとラナに伝えに行ったようだ。

 意識を失ってから三日。あの三人は交代に俺の看病をしてくれたらしい。ほのかや“まいまい”はわかるが、まさかラナにまで面倒をみられるとは思ってもみなかった。なんだか申し訳ない気持ちになるが、それよりも事の顛末が気になった。

 ……というのも、どうにも俺は途中から記憶が途切れており結局どうなったのか全く分からないのだ。一応俺が覚えてるのは四季を倒して手当てをしようと近付いた所までで、そこから先は途切れたように覚えていない。

 つまり、俺はそれからいきなりベッドに寝かされていたわけで、そんな状態に陥れば普通状況など真っ当に把握できるはずがない。だから確認したかったのだが、生憎と“まいまい”はあの場にいなかったため詳細を知らない。そうなれば残された手段は一つ、俺と共に戦ったラナか後から合流する予定だったほのかの二人に事情を聞くしかない。

 気になることや違和感が多すぎて混乱している頭、それを必死に整理しようと目を閉じた瞬間扉をノックする音が耳に入る。

 ああ、来たのか。そう思い「どうぞ」と中に入るように促す。

 それが伝わり、ゆっくりと扉が開くとそこにはまったく予想打にしていない奴がいた。

 

「--ッ!?」

 

 明るいさらさらとした髪に、人が良さそうな雰囲気、男とは思えない白い肌。何処かの学校の制服を身に纏う俺と同じ歳の少年は、しかし確かに見覚えがあった。否、忘れるわけがない。

 俺が『あの事件』で自分以外の誰かを憎むとするならまず間違いなくこいつしかいない。

 護れなかったのは俺だ、弱かったのも俺だ。だからアイツはあんなことをしてまで護ろうと……救えなかったのは俺の所為だ。

 だが、そんな事態を招いたのは誰かと聞かれれば間違いなくこいつと応えるだろう。こいつがいなければ恐らくあんなことにはならなかった。もしかしたら今も俺はあいつと一緒にいられたかもしれない……。

 そんな思いが、記憶が、あり得たかもしれない未来が頭を一瞬で駆け抜けると、ゆっくりと頭に血が昇り始める。歯軋りがするほど強く噛み締め、目付きも自然と鋭くなる。

 内側から殺意が溢れ出る。それに呼応するように虫が現れ、口と八本の脚全てから糸を出し瞬く間に部屋を白い糸で覆い尽くす。窓も扉も、外部に繋がるもの全てを塞ぎ退路を絶つ。その様は正に蜘蛛の巣の中にでもいるようだ。

 そして白一面に覆われた部屋の中に異物である存在を排除しようと無数の糸がその姿を包み込み首と手足を縛りつける。

 いつでも殺せる。生殺与奪はこちらにある。

 そう睨みつけているにも関わらず、あいつはまるで受け入れるかのように静かに目をつぶっている。抵抗が一切感じられないその姿に、更に俺の怒りの炎は燃え上がった。

 

「テメェ、どの面下げてきやがった! 早条!」

 

 内からくる衝動に任せ、あいつを--早条駆を壁に叩きつける。

 虫の力で叩きつけられたからか、鈍痛が体を貫き苦悶の声が漏れ床にひれ伏す。しかしそれでも構わず立ち上がり、反撃もせず虫すら出さずただ立ち尽くす。

 まるで罰を受けるのを待っているかのようなその姿は、やはり俺の神経を逆撫でさせた。

 

「いい加減にしろ! 目障りだ、さっさと消えろ、殺すぞ!」

 

 最も出会いたくない、目にしたくない奴に会った。その上癪に障る行動ばかり起こした為、ついに怒りが爆発し声を荒げる。

 どうしてこいつが此処にいるのか、何で今頃になって現れたのか。そんな疑問を訊ねるよりも今はとっとと目の前から消えて欲しい思いで一杯だ。

 そうしないと本当に殺しかねない……世界で一番憎んでる奴を前に落ち着いていられる訳がない。

 

「キミが望むなら構わない」

 

 必死に殺意を押し殺そうとしている時に当の本人は更にこちらの地雷を踏んできた。

 構わないだと? あの時何人もの犠牲を出して生き延びた奴が今更何を言っているのか?

 もしそんな思いがあるのならあの時大人しく散るか捕まればよかったのだ。今になって自責の念にでも囚われているのか?

 だとしたら--。

 

「とことん都合が良いな。何だ? 俺が殺せないと侮っているのか? 確かに俺は甘い部類の人間だろう、だがな……仇を見逃せるほど出来た人間でもねぇぞ!」

 

 身を焦がすほどの怒りが、憎しみが爆発し虫に伝わる。首と四肢を縛る糸に力が入り、そのまま切断しようとして……それは叶わなかった。

 早条の体にはいつの間にか砂のケラが潜んでおり、それが糸との間に砂の膜が形成されていた。恐らく最初から仕込まれていたのだろう、結局高密度の膜を切り裂くことはできなかった。何が「キミが望むなら構わない」だ、ふざけてやがって……。

 

「でもね、今はまだダメなんだ。まだ僕は死ねない」

 

 媒体である砂を刃に変え呆気なく糸の拘束を解除すると真っ直ぐに俺を見つめそう言い切った。

 その目には覚悟があった。「それをやらずに死ぬことは出来ない」という想いが籠められている。

 

「……本当に都合良過ぎだな」

 

「ごめん」

 

 目の前で改めて実感した実力差。俺の個人的な診断だが少なくとも五号指定以上の力はあるはずだ。

 これほどの力を持ちながら今まで逃げることしかしなかった奴が、よりにもよって俺の前であんなふざけたことをのたまうとはな……人生何があるかわかったものじゃないな。

 覚悟を決めた早条の気に当てられ僅かばかりだが殺意は鳴りを潜める。そしてその間に頭を冷やし冷静になろうと努める。

 大きく息を吸うこと数回、切り替えることはできずとも『逸らす』ことには成功した俺は改めて向き直り早条に質問する。

 

「それで、ならお前は一体なんで俺の前に現れたんだ?」

 

 俺に殺されるわけでも、逆に俺を殺すわけでもない。かと言って嫌がらせで来るほど「いい性格」でないことは知っている。

 下手をしたら殺されるかもしれない、可能性は低いが決して0ではない。そんなリスクを背負っても『俺』に接触した、命を懸けてもいい理由。

 それを訊ねると早条は大きく息を吸い、呼吸を整えて応えた。

 

「この町で起きてること、僕が……僕達が知っていること全てをキミに開示するよ」

 

 そうして意を決して語り始めた。

 この辺り一帯の支部が今どうなっているのか。

 地下闘技場が出来た理由。

 底王とはどんな存在か。

 そして、それらを後ろで手引きしていた人物についてを……。

 

 

 ――――――――――

 

 

「ねぇ、よかったの? 二人っきりにして」

 

 リビングでまったりとお茶を飲んでいるとラナがそんな疑問を投げてきた。

 クォーターであり、所々に外人らしさを持つラナが湯飲みでお茶を飲む姿は中々に違和感を抱く構図だ。生まれも育ちも生粋の日本人だというのに血の力とは凄いものだ。

 そんな感想を抱いたのはほのか……ではなく水野という少女だ。

 ほのかのかつての仲間である水野は、早条とともにこの場に訪れた。万が一敵が襲ってきてもいいようにと感知能力を持つ彼女を早条が連れてきたのだ。

 しかしながら肝心の早条が「彼とは一人で話をしたい」と言った為彼女はラナ達と共にリビングでお茶を啜っていた。

 

「う~ん、早条は話の分かる相手だし、下手に危害を加えることはないと思うけど……」

 

「ふーん……信頼してるんだ、アンタのこと見捨てたのに」

 

 仲間であった少年のことをそう評価するとラナは拗ねたように唇と尖らせる。

 最近になってわかったことだが、ラナは思った以上に人を信じやすく、おまけにすぐに肩入れしてしまうほど情に脆いようだ。つまり、分離型に見られる典型的なお人好しである。その為如何に理由があろうとも自分の知り合いである少女を裏切った彼らをラナは信用できず、許すことも出来ずにいた。

 そんな姿を見て「優しいな」と思ったほのかはくすりと微笑を溢した。

 

「今更だけど、一応擁護すると早条は最後の最後まであの案には否定的だったよ。ただ他の……あたしらが既に限界に近かったから多数決って形で無理矢理決めたんだよ」

 

 暫く湯飲みを傾け様子を眺めていた水野が唐突にそう語る。

 自分達を裏切った者達の脅威は日を増す毎に大きくなっていった。そんな中未来が見たという可能性、そこに至るための要因にして生け贄が必要となり、その白羽の矢が立ったのがほのかだったのだ。

 無論あの作戦を聞いて初めから諸手を挙げて賛同するものはいなかった。しかし時間が経てば経つほど彼らは追い詰められ、余裕がなくなっていった。

 そして、結局は人身御供として彼女を差し出す他なかった。下手をしたら殺される、欠落者にされる(おそ)れすらあったというのに……彼らにはその選択肢しかなかったのだ。唯一早条だけは諦めず最後まで、それこそ執着すらみせるほどに認めず反抗的だった。虫を使っても護ろうとするその姿は酷く切羽詰まっており、まるでアキラ達以外の“何か”からも追いやられているようだったと水野は感じていた。

 早条は昔のことは語らない。自分がどういった経緯で虫憑きになったかはともかく、それからどうやって此処まで生き延びてきたのかは絶対に誰にも話したことがないのだ。

 恐らく、その触れられたくない「過去」にあの特環局員は関係しているのだろう。初めて彼を見た時の早条は端から見ても酷く動揺していた、まるで幽霊でも見たかのように顔は青ざめ、呼吸は乱れっぱなしだった。

 あの時--ほのか達を回収してアキラから逃れる時に見たその顔が今でも忘れられない。

 きっと彼らには何か因縁があるのだろう。本当は二人っきりにさせるべきではなかったのかもしれない。しかし、あんな覚悟を決めた表情で「頼む」と言われると断ることなどできなかった。

 口や態度には出さず大丈夫と思っていても、やはり心配なことに変わりはない。

 --早く戻ってこないだろうか。

 理由を聞かされて尚まだぶつぶつと文句を垂れるラナとそれを宥めるほのか、自分と同じで心配なのか落ち着かない様子の“まいまい”を尻目に水野からそう思いながらもお茶を一杯口に含んだ。

 結局早条がリビングに戻ってきたのはそれから三十分経ってからだった。

 

 

 

「なんであんなこと言ったのさ、早条」

 

 元との対面を終えた早条は、やることは済んだと言わんばかりに早々にマンションを跡にする。

 その際、元にあの“泡”のことは一切触れないようにほのか達に強く言い聞かせてきたのだが、水野はそこが気になり質問をした。ラナ達から聞いた話だとその“泡”が何かしらの鍵になると踏んだからだ。

 だが……。

 

「……あの泡が僕の知るものと同じなら下手をするとこちらにまで被害を被ることになるからね」

 

 早条はそれだけ言うと後は黙ってしまった。不服そうな表情を浮かべる水野とは違い、早条の心境は穏やかではなかった。

 自分の知る“大蜘蛛”の能力に「泡」というものはなく、ましてやそんな見るからに脆そうな力を持つ虫はそうはいないだろう。彼が知る中でそのような能力を持っていたのは今まで一人しかいない。しかし『彼女』はもう……。そうなるとやはり納得のいかないところがいくつも浮かぶ。未来の予知もそうだ、彼女の予知は未だに変化していない。つまりまだあの光景が現実になる可能性が消えていないのだ。

 そこまで考えるに至って早条は徒労を吐き出すように息を深く吐いた。自分が把握できていない問題があり、それを解くのには時間が掛かるのだろう。

 それを解明できるのが一体いつになるのか? それまでに彼らの脅威から逃れ続けられるだろうか?

 問題は山積みであり、時間もそれほど残されていないだろう。

 頼みの綱と思っていた者が因縁のある人物であったことも早条の心労に拍車をかけている。

 本当は今すぐにでも逃げたい。かつての自分なら仲間を見捨ててもそうした。しかし、一度味わったあの『後悔』の念が異常なまでに体に纏わりつく、呪いのように張り付くそれはもう二度と早条に同じことをさせないだろう。元来臆病で内側に溜め込みやすい早条、恐らくもう一度あんな行為を行えば激しい自責の念に絡め取られ自ら命を絶ってもおかしくはない。

 『あの事件』で元とは違った方面で彼も心に傷を負った。自他共に認めるほど酷いことをした、弁明はしないが話たくはない。唯一打ち明かした少女はいるが、しかし……。

 

「どしたん?」

 

「……いや、四季もそろそろ目が覚めるかなって思って……」

 

 気落ちしていると水野が様子を伺ってきた。早条の心は今意識が戻らない仲間に想いを寄せていた。何かと聞き上手な彼女なら早条の心労を幾分か軽くしてくれるかもしれない。

 そんな願望を交えながらも早条は彼女の安否を按じながら帰路を進んだ。




早条が何をしたかは過去篇で明かす予定です。


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『南条』

“まいまい”以外はオリキャラしか出ないと言ったな……ありゃ嘘だ(おい


 正午。太陽が真上に昇り、一日で気温が一番上昇する頃。

 南条邸の一室。中庭に面した日当たりのいいその部屋のベットに一人の少女が横たわっていた。

 長い黒髪の和風美人という表現が似合う少女、四季は今白い振り袖を身に纏い静かに眠りについている。

 受けた傷は既に完治しており、顔色もすっかり良くなっている。しかし未だに目を覚ます気配はなく人形のように動かない。

 ゆっくりと寝息だけたてる彼女の傍に一人の人物が寄り添っていた。

 南条宗析(なんじょうそうせき)。この屋敷の主にして数いる資産家の一人。虫憑きについて独自に調べている人物であり、東中央支部の支部長である土師圭吾とは見知った間柄である。

 そして何より、今横たわっている四季の実の父でもある。

 目覚めぬ娘を心配してその頬に手を触れる。傷は既に完治し、血色も良くなっているがいつまでも目が覚めぬ所為か「死んでいるのではないか?」という不安が頭を過ぎる。

 しかしそれはただの思い過ごしであることを知る。触れた頬は熱が籠もっており温かい。脈も正常に動いている。

 --ああ、ちゃんと生きている。

 そう実感すると安堵の息が漏れた。

 四季の母親は体が弱く、彼女が生まれて間もなく息をひきとった。自由意志による結婚ではなかったとはいえ、それでも愛していたし、愛されていたとも自負できる。その妻に先立たれた所為か、余計に四季が心配なのだ。

 親バカかもしれない。そう自嘲気味に笑うと仕事までの僅かな時間を娘の看病に注いだのだった。

 

 

 南条四季--それが彼女の本当の名前だ。四季のようにめまぐるしく表情が変化する元気な子どもに育って欲しいという意を込めて母が与えてくれたものらしい。生まれて一年もしない内に亡くなった母からの唯一贈り物と言えば多少はロマンチックに聞こえるだろうか? どちらにしろ四季本人としてはその名が嫌いではなかった。

 資産家の娘として生まれた彼女は物心つく前から裕福な家庭で育ち、望んだものは何でも手に入れることが出来た。妻を亡くした宗析にとって四季は一際大事な存在になっていたから尚更だろう。

 そんな環境で育った彼女は飢えていた。稽古や教育で教わったことはそつなく覚え、欲しい物は簡単に手に入る。最初から満たされていたからこそ渇いていたのか、だからこそ渇いたのか定かではないが、常に四季の心中には渇望があった。

 満たされていたからこそ全てが色褪せて見えた、あらゆる物や音が味気なく感じた。恵まれているからこそ真に満たされないのだと気付いた。欠けた存在になりたかった。

 自分に足りないものは分かり切っている、母親がいないのだ。父がいて、裕福な家に暮らしていて、一見幸せそうな生活。しかしそこには自分を生んだ存在が欠如していた。

 本来なら寂しいのだろう、「何故自分には……」と嘆くのだろう。しかし、物心つく前に死別し、その穴を埋めるかのように不自由のない生活を送ってきた彼女にはそんな感情は微塵もない。むしろ何故自分はその感情を持てないのか、そんな自己問答に近い考察が頭を占めることが間々あった。父が仕事で忙しくなり、四季に構う時間がなくなっていくと更にその時間は増えた。

 満たされているはずが欠けており、欠けているはずが満たされる。矛盾を抱えた少女は時が経つにつれ大きくなり、同様に矛盾も更に歪になっていった。

 --故に、鐘の音を聞いたのはある意味必然だったのだろう。

 

 ある夏の日。山奥の別荘で一人涼んでいると突如鐘の音が耳に届いた。酷く鈍く、不快感すら覚えるそれはだんだんと大きくなり、ついには耳を塞がないといけないほどになると耐え切れずその場に塞ぎ込んでしまう。

 それからどれほどの時間が経ったのだろう。

 気を失っていたのか、いつの間にか閉じてしまった瞼を開けるとそこには何故か教会があった。壊れかけたそこには、まるで寂しさを紛らわすように一本の大きな枯れ木があるだけだ。象徴たる十字架すら壊れ見る影もない。

 なんとも寂れた所だ。そんな感想を抱きつつも一体どうしてこんなところにいるのか考えながら周りを見渡す。先程まで居たはずの別荘はどこにもなく人の気配すらない。

 あるのはただ鐘の音だけ。酷くひび割れた最悪の音、不快感しか与えないはずのそれが今は唯一この場所が何かを知る為の道標のようにすら感じた。

 

『迷える者よ……我のもとへ』

 

 その音に混じり声が聞こえたような気がした、しゃがれた老人のそれに誘われるように四季はゆっくりと教会の扉を開く。

 壊れかけの扉を開いた先には一般的な教会と似た造りになっていた。古びた木造の長椅子が並び、壁一面には蝋燭がともっていた。しかしその中は神聖とは真逆の穢れた空気に包まれており、特に異色を放つ存在が祭壇に佇んでいる、汚らしいフードを被り口元以外に表情が見えない、背中の折れ曲がった人物だ。

 

『矛盾を孕んだ娘よ--』

 

 汚らしいものを凝縮し固形化したような老人が口を開く。

 

『満たされて尚も欲っし、妬む、傲慢なものよ。そんなに他者が羨ましいか……そんなに他者との違いを嫌うか……平等になりたいか?』

 

 それは四季の本質を突く言葉だった。

 母を求めたい衝動に反し、理性はそれを必要と感じない。裕福な中で不自由を感じなくなった彼女の心はいつしか麻痺していた。

 「失うものがあっても別のもので補える」。まるでそんな環境で育った彼女はいつしか一般的な家庭に憧れを抱くようになっていた。

 自分とは違い彼らは不自由なものを多く持っている。学校の友人を見ても不満などを口から溢そうとも、その表情の中にはどこか活気があった。文句を言いながらも彼らは楽しそうに語るのだ。

 --羨ましい。

 いつからか四季はそんな彼らに嫉妬していた。自分と彼らとの生活環境は明らかに自分の方が上だろう、しかし自分よりも彼らの方が幸せのように感じた。些細なことで怒り、悲しみ、そして喜ぶ。心が肥え過ぎた自分では決して抱けぬものを彼らは持っていた。

 

『優越を、優劣をなくし、全てを等しくしたいか?』

 

 だからそう思わずにはいられない。

 例え今いる自分の立場が壊れようとも四季はそれが欲しかった。肥えて尚渇望する、その姿は正に醜いものだ。

 四季の根底にある欲望が見え始めると老人は(あざけ)り口を歪ませる。

 

『ならば壊すか? 他者を、家族を、己を……全てを破壊し自らの手で染め上げるか?』

 

 平等にするのなら自分を含めた全てを壊せ。

 老人のその言葉を聴いた瞬間、四季は「いいかもしれない」と思ってしまった。

 今の自分がある内はそれは永遠に手に入らない、ならば一度壊し無くしてしまおう。どうせなら他も全て壊し皆等しくしてしまえば、もう羨むことも妬むこともなくなるはずだ。

 --ああ、それはいい……実にいい。

 耳障りな鐘の音に乗って伝わったその言葉が酷く心地よく聞こえた。できることならそうしたい、そうして手に入れたい……彼らの持つものを、自分が持てぬものを。

 胸に沸いたのは果て無き欲望。失っても全てを欲する矛盾した我欲。元は母を求めたいという欲求が歪に捻じ曲がり体を支配する。

 それが目に見えてわかると老人は満足そうに口の端を吊り上げる。

 

『与えてやろう……為したいと願うのなら、お前に力を与えてやろう。お前が、望むなら……』

 

 狂気の思想に囚われた四季にとってそれは抗い難い悪魔の囁きだった。

 望んだだけで手に入る。彼女には当たり前になったはずなのに今は焦がれてしまう、欲しいと渇望してしまう。

 力が欲しい--全てを壊し、染め上げる力が。あらゆるものを自分のものにできる力が欲しい……!

 餓えた肉食獣のように求めた、喰らい付く様に手を伸ばした。

 

『我を受け入れたな--』

 

 欲望のまま、ただ「寄こせ」と衝き動く姿に老人は狡猾な笑みを浮かべた。

 その瞬間、四季の体から大量のミカドアゲハが弾けて宙を舞った。……いやよく見ると蝶は四季の体からではなく、彼女の身に付けているものから出ていた。服からだけでなく靴や髪飾りからもまるで鱗のように剥がれ舞い踊る。

 全てを壊してでも全てを手に入れたい--。

 歪み、曲がり、矛盾した、果て無き欲望()。人として狂っているだろう、間違っているだろう。しかしそれが四季が抱いた願い。

 色とりどりの蝶が舞う中、四季は静かに笑った。

 

 その日、宗析は珍しく早めに仕事を片したことで時間に余裕が出来た。久しぶりに娘と過ごそうと四季の元に向かっていた。

 正直、その時宗析は四季とは疎遠になっていた。亡き妻の代わりという訳ではないが元気に育って欲しいと願い、その為に身を粉にする勢いで働き続けていたからだ。

 結果として娘に寂しい思いをさせてしまったと、僅かばかりの後悔を胸に別荘に着いた。しかし四季は別荘の中にはおらず辺りを探す、すると呆気なく見つけられた。

 湖の傍でただ呆然と佇んでいる。

 

「……四季?」

 

 いつもと様子が違うと思った宗析は恐る恐ると声を掛ける。

 そうして宗析に気付き振り返った娘は歳相応の無邪気な笑顔を浮かべた。それは最近では見ることがなくなった……それこそ数年前を最後に見れなくなったもの。

 

「見てください、お父さま」

 

 四季の着飾ったドレスから一匹の水色の蝶が剥がれ湖の上を舞う。そして、まるで降り立つように水面に蝶が触れると湖が一瞬で氷ついた。明らかに異常な光景に宗析は暫し唖然とする。

 

「ね、凄いでしょ!」

 

 そんな父をよそに四季はただただ楽しそうに目を輝かせている。こんなことが出来るんだよ、そういうように次々と色違いの蝶を出しては超常的な現象を引き起こす。

 なんてことだ。新しいおもちゃでも手に入れた子どものようにはしゃぐ四季とは対照に宗析の顔は暗い。この異常な力に心当たりがあったからだ。

 “虫”――主に思春期を迎えた青少年に取り憑き、宿主に異常な力を与える代わりに彼らの夢や記憶、想いを喰らう異形の存在。

 まさか娘がそれに魅入られることになるとは……まったく予期せぬ事態に宗析は混乱していた。

 どうする? 一体どうしたらいい? どうしたら娘を戻せる?

 宗析の頭は今それで一杯だった。仕事上多少裏事情にも精通している宗析は虫憑きのことについてある程度知っていた。虫憑きになったら戻す方法はなく、もし露見すれば特別環境保全事務局という組織に捕らえられてしまう。

 もしそうなったら……妻だけでなく娘すらも自分の前からいなくなってしまう。そのことに絶望し目の前が暗くなった宗析の耳に声が届く。

 

「どうしたの、お父さま? 面白くなかった? つまらなかった?」

 

 先程まで楽しそうに笑いながら踊るように回っていた四季が心配そうにこちらを覗きこんでいる。

 知らぬとはいえ自分が既に人から外れた存在になっているというのに、それでも心配してくれる娘に宗析は申し訳ない気持ちになった。

 そんな父の姿を見て元気付けようと赤い蝶を使い空中に炎を踊らせる。それでもダメなら氷を作り、それを風で粉々にしてダイヤモンドダストのように舞わせる。それでもダメなら……。

 父を気遣うそんな健気な姿を見て徐々に冷静さを取り戻していく。そして気付いた、そんな中娘が今まで見たことがないほど輝いた表情を浮かべていることに……。

 狂っているのか、壊れているのかどうか解らない。しかしその笑顔を見て娘が本当に後悔していないのだと知った。

 それから彼は虫憑きになってしまったことをただ嘆くのではなく、これからどうしていくかを前向きに検討し始めた。

 皮肉にも娘が虫憑きになったことで彼は己を見つめ直し歩み寄ることができるようになった。人から外れた彼女を知り、守り、共に生きる為に、出切る限り虫憑きについての情報を集める。

 例え世間から化け物と呼ばれる存在に変わり果てようとも家族であり続けるために今まで以上に傍に居続けることを望んだ。

 

 親族からも恐れられ、見捨てられることの多い虫憑き。奇しくも元から疎遠状態であったが故に事態は予期せぬ方へと転がる。

 虫憑きを疎まず、寧ろ娘と同じ境遇の彼らを救いたいと思った彼の手は、今は愛しい我が子の左手を握りしめていた。

 仕事が始まる……本当にギリギリまで按じていた彼の想いが届いたのか、その日の夕方彼女は目を覚ました。




回想とはいえ、まさかの侵父そん登場回。
ぶっちゃけ特殊型の虫憑きになる過程がめっちゃ難い。一応アンネリーゼもとい“霞王”のエピソードを参考に書いてみたけど侵父らしさを出せたかどうかは微妙なところ。
多分この先侵父の出番はもうないだろう……書き辛いから。言い回しが面倒くさいから。
あと底王編ではもう一人くらい原作キャラが出るかもしれない……ちょっと意外な奴が。


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情報整理

相変わらずの独自解釈やオリジナル設定があります。


「……なんか納得いかねぇ」

 

 早条達の来訪から一晩明けて、体調も全快になった俺は今台所に立っている。フライパンに卵を二つ割って入れ水を適量にして蓋を、そして待ってる間に適当且つ等間隔に切った野菜を盛り付け終える。弱火で熱していた味噌汁の火を止め、焼いていた鮭の切り身を人数分取り出す。

 最後に目玉焼きを皿に乗せて副食(おかず)は完成。

 

「料理するのが俺なのはわかるが、なんでパン派とごはん派に分かれるんだよ! しかも2:2とか……作る方の身になれよ!」

 

 苛立ち気味にトースターにパンを入れる。

 “まいまい”が壊滅的なのは予想着いていたが、まさかほのかやラナも料理が出来ないとは……いや正確には未経験者らしいが、いくら簡単なものでもいきなり四人分を作るのは少しハードルが高いだろう。だから病み上がりとはいえ俺が作っているわけなのだが。

 パンとごはん。朝食の際必ず主食をこの二つが二分するわけだが、その主食により副菜というのは変えないといけない、味とか見栄えや栄養面など様々な要素、バランスというのが大事なのだ。……主夫思考になりそうな頭を振りながらごはんをよそう。

 

 昨夜、早条から聞いた事含めこの町と『コロッセオ』についての情報を東中央支部に送った。とてもではないが俺たちでは対処できない案件であり、もしも任務を続行するのであれば援軍が欲しいと書き添えたのだが、あの腹黒はちゃんと読んで対応してくれるだろうか? ……とりあえず、良い返事は期待しないでおこう。

 本来調査だけを請け負った俺は解決に力を注ぐ様な真似はしない。それは俺より強い奴らの仕事だ。故にとっとと撤収してもいいのだが、現在俺は無所属の虫憑き二名を保護している。ここ最近は一時とはいえ“かっこう”が東中央支部から離れることもありゴタゴタしており、こんな時に連絡もなしに号指定クラスの虫憑きを連れていけば更に混乱が増すだろう。最悪俺はあの上司に仕事を増やされ、馬車馬の如く働かされるかもしれないのだ。

 流石にそれだけは御免被るので連絡を待っている最中だ。無論アイツからの連絡を受けてそのまま御役御免になるとは思っていない。いつもなら事後承諾よろしく帰ってからするのだが、今回は特別なケースだ。だから前もって「援軍寄こせ」と言ってるのだが未だ音沙汰無し。最高戦力がいなくなってゴタついてるとはいえ何をしているのやら……。

 

 先行きが不安になりついため息が漏れると同時にトーストが出来上がったらしい。ちなみに俺は本来ご飯派。この前は炊き忘れていた為パンだったが今回はちゃんと炊いた、抜かりはない。

 出来上がったそれらをテーブルに並べていく途中ラナが手伝ってくれた。四人用のテーブルの手前の方にご飯と鮭の切り身と味噌汁という和テイストを並べ、奥の方にはトーストと目玉焼きとサラダというオーソドックスな朝食が並ぶ。

 

「へぇ、結構美味しそうに出来たわね」

 

 醤油やソース、ジャムなどを運んでいるとふとラナがそんなことを言ってきた。

 「普通じゃないか?」と口では返すものの若干照れくさく、油断すると口元が緩みそうになる。褒められて嬉しくない人間はいないだろう。だから俺の反応は普通だと思いたい。

 

「まともな料理なんて久しぶりかも」

 

 その言葉に「ああ」と納得した。虫憑きとバレて追われるとなると必然今までの生活から離れるわけだ、そうなると今まで普通に口にしてきたものすら出来なくなる場合がある。色々とあるが、その最たるものはやはり「手料理」だろう。特に母親の手料理は一生食べられなくなることが多い。何せ虫憑きになって一番最初にショックを受け、拒絶する大半が家族なのだから。

 恐らくラナも同じなのだろう。自分もだが、ある日突然家族から切り離されるというのは精神的にくるものがある。その上特環から逃れ続けていた、心境や状況的にそんなにのんびりとは出来なかったのではないか?

 そう思うと同情の念が浮かび、つい頭の上に手を置く。

 いきなりのことで驚いてこちらに顔を向けるラナ。そして“つい”でやってしまった俺は激しい自己嫌悪に駆られた。……というのも俺は成長期が遅い所為か未だに身長が150ちょっとしかなく、対してラナは160を越えている。つまりその差は十cmくらいあるわけだ。これが逆なら理想的なのだろうが、生憎現実は非常である。結果は弟が必死に姉を慰めるような構図になってしまった。……格好付かない。

 この事実に気付いた俺は一人気落ちしており、そしてラナは何故かわなわなと体が震えている。

 一体どうしたのか? そう思い、(背丈の都合上)覗き込むようにその顔色を窺った。

 

「か、か……可愛い!」

 

「はぁッ!?」

 

 その瞬間何をトチ狂ったのか、そんな言葉を吐きながらラナは俺を抱きしめた。

 突発的な行動故に反応することすら出来ず、訳が分からぬまま今度は逆に頭を撫でられ始めた。それはもうわしゃわしゃと。

 

「小さくて可愛いと思ってたのよね、でも特環だがらって言い聞かせていたけど、もう無理! 今ので限界!」

 

「離れろ! あと小さくて悪かったな!!」

 

「そんなことない! 最高!」

 

「お前はショタコンか何かか!?」

 

 抱きついた(ホールドした)上に頬擦りとか止めろ。密着に密着が重なって色々と危ない。

 ラナは俺より一つ年上らしいのだが、歳のわりにスタイルがいい。分かりやすく言うと胸がでかい。それはもう貧乳比率が大多数を占めるムシウタ世界においてはほとんどが羨むレベル。これがクォーターの力か……。

 それがさっきから当たってる、背が低い所為で顔に当たってる。本音を言えば嬉しい、だがその分羞恥心も半端ではない。顔だけが熱暴走を起こし破裂するんじゃないかってレベルで熱い。

 

「ほのか! 助けて、ほのかぁぁ!!」

 

 放っておいたら永遠に抜け出せないような気がした俺は、素直にほのかに助けを求めた。

 

 

「もう、何してるのラナちゃんは?」

 

「……ゴメン、つい……」

 

 仁王立ちしているほのかの前で正座させられているラナは深々と頭を下げた。

 曰く、ラナは可愛いものが好きらしく、俺の容姿と先程の行動の前に理性がやられたらしい。……いや確かに、俺は平均的に見ても成長は遅くその所為でどこか小学生っぽいとか思われたりもするけどさ。美少年というわけではなく、子どもらしさというかあどけなさがまだぬけていないのだろう。しかしまさかあんなことになるとは思ってもいなかった。

 やっぱり身長って大切だと思う。さっきの頭を撫でるという行為も背が低ければほとんど機能しない、なでポとかは無理だろうね。……まあ別の意味では効果あったみたいだけど……二度と背が高い奴には試さない。

 成長期ってこんな遅かったっけ?

 

「早く大きくなりたい……」

 

「元はそのままの方がいいって!」

 

 願望交じりの呟きを速攻で否定するなよ。シビアな現実が待ってる大人にはなりたくないが、だからといって子どものままでもいたくないよ、俺は。エターナルショタとかマジ勘弁。

 

『元さんお腹空きました! いい加減食べていいですか!』

 

 そしてお前は本当に空気読まないな!

 

 

 

 朝食は何事もなく終わり、後片付けはほのか達に任せた。俺はソファーに腰掛け、改めて情報の整理をしていた。

 昨夜、あらかた纏めて土師に送ってはいたが、それでも見落としているものもあるだろう。だから見直すことにした。

 さてまずこの町、波施(はぜ)市についてだ。ここは昨今著しい経済革命に見舞われており、人の出入りが激しい。地形的に東中央支部と中央本部の丁度真ん中に位置している所為か試験的に支部がある。中央支部と比べれば小さいが、それでも機能は十分らしい。

 今現在主だった特環の支部といえば東西南北の中央支部に中央本部の計五つだ。今の所はそれで問題なく機能しているが、将来的に見てこれだと不安が残る。

 一つはこれからも増え続ける虫憑きを全部管理するのは難しいということ。どこぞの原虫が手当たり次第に虫憑きを生み出し続けるため、今はともかく長い目で見るとこの体制だと処理が遅れてしまう。何せ島国とはいえ日本は一つの国だ、地図で見れば小さいかも知れないが生身では普通に広い。その中でほぼ毎日のように生まれる虫憑きを五つの機関だけで収めるのは将来的に難しい。

 二つ目は位置の問題だ。中央支部が建物である以上、それは一つの県にしかないことになる。ご存知日本には47都道府県があるわけで、一つの中央支部が五県くらい担当したとしても全部合わせても25県のみ。明らかに足りない。まあ原虫は海を渡れないらしいから、除外される都道府県がいくつかあるが、それでも足りない。それに何かあった場合やはり近い方がいいだろう。

 そういった理由からそれぞれの中央支部の下に幾つかの支部を設けようという話があったらしい。秘密裏に行われていたそれだが、その試作として作られた内の一つがこの波施(はぜ)市だ。波施市は都市開発とかが進んでおり実験場としては最適だったそうな。

 そんな所でコロッセオ(あんなもの)が在ったのは皮肉以外のなにものでもないだろう。

 

 次にそのコロッセオについて、あれは金持ち達が娯楽として作ったものらしい。ただし当時は虫憑きではなく、猛獣とか表に出れない危ない奴を戦わせるためのものだったようだ。簡単に言うと闇試合だ。それがいつの間にか虫憑き同士の殺し合いに変わった。それによりコロッセオの用途事態も変わってきた、虫憑きや欠落者の競売、欠落者の処理、臓器の売買。メインである殺し合いの他にもこれだけの非道なことをしている。

 こちらも解消すべき点だろうが、問題はもう一つある。

 

 最後に、此処の支部とコロッセオを繋いでいる人物だ。ぶっちゃけると今回の元凶らしい。

 名前はアキラ。フルネームは不明だがそう名乗り、呼ばれていた。かつて早条達の仲間として過ごしていたが、その中で最も強いこなたという同化型の少女と共に離反。今その少女はコロッセオで底王として座している。そしてアキラはそこの支配人として管理しているらしい。

 早条達の仲間だったことから虫憑きであることは間違いないが、肝心な虫については分からないらしい。早条の見解では虫や人に干渉できるタイプで自分の意のままに操る能力ではないか? とのこと。彼はその能力の応用として他人の能力を引き上げることも出来るらしく、仲間であった頃は主にその能力を使用していたらしい。確か原作二巻辺りにもそんな感じの能力を持った奴がいたような……でもアイツは一人(一体)しか操ることが出来なかったのに対し、このアキラという虫憑きは多数を支配下に置けるとのこと。それに能力の引き上げと聞くと茶深辺りを連想してしまう。この二人の能力を合わせた完全な上位互換として見るべきなのか……? うん、戦いたくない。

 しかし他者を操る能力か。断定はできないが、それが本当なら納得できることもある。支部とコロッセオ、両方の人間を洗脳すれば辻褄が合うからだ。

 この支部でのきな臭い部分や、コロッセオにいる虫憑き、早条達の行動の一端など。

 アキラを確保するか欠落者にするかのどちらかでこの件はケリが着く。しかし彼を護る盾は異様なまでに強固だ、虫憑きの中でも最高峰の性能を誇る同化型。早条曰く、アキラの支配下から抜け出すことが出来れば味方になってくれるだろう、とのことだが……説得が通じない相手をどうやって解放するんだ?

 そこが一番の問題点だ。援軍が来ても一号指定並みの火力の持ち主が相手じゃ勝てる気がしない。“かっこう”が来れば話は別だが今は中央本部の下にいる為呼び戻すのは難しい。それにもし“かっこう”が来れてこなたを退けても“かっこう”が洗脳される可能性がある以上迂闊に接触させるわけにはいかない。

 アキラがどんな手段で操ってるのかが解らない、それも不安材料の一つだ。流石に際限なくってことはないだろう、それが出来るのなら既に中央支部の一つくらい落とされていてもおかしくはない。故に操れる数にも限界はあるはずだ。

 量はともかく問題は質だ。正直俺の小細工が通用するとは思えないし、ほのかやラナの力を借りても厳しい。癪だが、早条や四季が力を貸してくれるのなら偶然や奇跡やご都合展開を考慮して、なんとか六割くらいの勝率は叩き出せる。しかしその後のアキラとの戦闘で壊滅される可能性が九割強なんだよなぁ……こなたが支配下から除かれることによって洗脳できるストックに空きが生まれ、大方四季辺りを操られて全滅。

 うわ、容易に想像がつく。

 

「……どうするんだ、これ……」

 

 まず戦力が足りないのとアキラの情報が足りないのがきつい。せめて操る為の条件さえ分かれば対処法を見つけられるかもしれないのに……歯痒いな。

 

 それから午前中一杯使って思案続けたが、結局対抗策は見つからず、援軍の報せもなかった。




気付いてる人いるかもしれないけど私はキャラに名前付ける時何かしらそのキャラに関連したものから付ける癖があります。
能力の他にも境遇とかからも持ってくる時があり、この作品だとラナと宗析を除いた全員はそんな感じで付けちゃってます。
勿論主人公の元も例外ではなく、彼はある境遇からその名前を取りました。一見捻くれた感じで分かりづらいと思いますが、色んな角度から見たり読んだりするとムシウタ関連の単語を参考にしたことがわかると思います。
次の更新までの間暇すぎるという人はちょっとした謎解き感覚でやってみてください。多分そんなに難しくはないと思うので。
ちなみに元に関してはフルネームで読まないとわからないです。


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帽子

一応日常回


『じゃーん! どうですか、生まれ変わった私の姿は!』

 

「うん、似合うよ。やっぱりラナちゃんってセンスいいんだね」

 

「別に、そんなことはないでしょ」

 

「…………」

 

 試着部屋から勢いよくカーテンを引いて登場した“まいまい”はいつもと違う格好をしていた。良い意味で子どもらしさを際立たせる麦わら帽子とワンピース。黙っていれば似合っているが、服が変わっても性格も変わるわけはなく、相も変わらず騒がしい。その上「褒めてもいいですよ」と言わんばかりに視線を送ってくる……正直うぜえ。

 

「夏場なら違和感もなく辺りに溶け込めるだろうが、生憎とまだ時期的に早い。肌寒い日も続いてるし風邪引くかもな--なんだ気に入ったのか? なんなら買ってやるぞ。ほら、そのまま着て帰ってもいいんだぞ?」

 

『わーい、元さんが未だかつてないほど優しいです! それでは早速レジに持って行きますね! ……ところで今日は強風警報が出ていたと思うのですが、気の所為でしたか? ……やっぱり惜しい気もしますが今回は諦めるとしましょう。えっと私の服は…………あれ? 大変です、元さん! 私の服がどこかにいってしまいました! このままだと私暴風に曝されて明日には風邪を引いてしまいます!』

 

「大丈夫だろ? 馬鹿は風邪引かないから」

 

『のおーっ!?  やっぱり元さんは意地悪ですーー!』

 

 一々大げさな反応をする“まいまい”、見るだけならまだしも相手をすると酷く疲れる。第一こっちは半日も頭使って精神的に余裕なんてないんだよ。息抜きに来たはずなのになんで反って疲れなきゃならんのだ。

 

 

 午前一杯使ってもまともな案が浮かばず、根を煮詰めていた俺を按じてかラナとほのかに気分転換に買い物に行こうと誘われた。袋小路に陥っていたので渡りに舟といった感覚で俺は付いて行くことにし、除け者は嫌だと“まいまい”は勝手に付いてきた。

 そうして現在女性陣の服選びに付き合わされている。この歳で既にファッションにうるさいとは……将来有望な女子力の持ち主だ。声には出さないがぼーっと眺めながらもラナに賛辞を送る。

 まあ、流石に派手な立ち振る舞いはさけようとしているのか、それとも懐事情なのか、試着のみで買う気配がまるでない。

 正直その程度のものなら余裕はあるから本当に欲しいものがあったら買えばいいと言っているんだがな。ブラック企業特環の手当金という名の給料をなめてはいけない、普通の学生なら逆立ちしても手に入らない額が毎月振り込まれるのだから……。

 一年生き延びている俺は数年は働かなくてもいい程には余金がある。特環なんかに属していなければ今頃遊び呆けていることだろう、しかし生憎と忙しいのでゲームとか買っても余裕で積まれている状態。戦闘や潜入・工作以外にも雑務とかも押し付けるとか……一回マジでメガネ割れろよ土師(アイツ)

 

「元は? 何か買わないの?」

 

 今までの不当な扱いを思い出し、心中で恨み言を吐いているとラナがやってきた。“まいまい”の面倒はほのかに任せているようだ。

 気晴らしに連れ出したのに特に参加することなく傍観していた俺の姿は何か思案しているように見えたのだろうか?

 あながち間違ってはいないが、アキラのことは一旦置いている。無理して出した作戦なんて穴だらけに決まっているからな。

 あとつまらなそうに見えたのなら仕方ない。基本的にはファッションに感心がないのだ。目に付いて気に入ったものなら買うこともあるが、ファッション誌とかを進んで読むことはない。

 なによりああいうのはモデル体型の人が着るから似合うのであって、俺のような凡人且つ低身長の人間が着ても「馬子にも衣装」にしかならないのだ。一度着させられたことがあったがその時の同僚(あいつ等)の生暖かい視線……子どもが背伸びをしている時に向けるようなあの空気は今でも忘れない。

 だから買わない、絶対買わない、背が伸びるまでは買わない。

 

「……小さい方がかわいいのに」

 

 うるさい。

 「伸びるなー」と(まじな)いでも唱えそうなほどジト目で視線を送るラナ。流石に相手をする気はないので逃げるように店内を散策することにした。

 経済革命に見舞われているだけあり町中の店の大半はオープンしてから数年も経っていない所が多く、この店も例外ではない。老朽による傷はなく、一般的な店よりも綺麗だ。店自体が大きいこともあってか置いてる種類も多い。

 俺が普段使っているところとは天地の差だな……。尤も、俺はそういうのはあまり気にしない方だし、種類が多いと反って選ぶのが面倒になり、探す時間と労力も考慮すると小さい方がいいのだが……。

 

「ま、偶の息抜きとしてならこういう所に来るのもいいかもしれないな」

 

 そう独り言を呟きながら歩いていると衣服のジャンルを通り過ぎ帽子のコーナーに来てしまった。

 

「帽子か……」

 

 そういえば、と思い出すのはラナの衣服についてだ。逃走していたラナの身なりはお世辞にも清潔とは言えなかった。だから気絶していた時に南条家の使用人の手により綺麗に洗われ、着ていた服も新しいものに代えたのだ。その際衣服に細工ついでに発信機を忍ばせていたのだが……実はこれ、まだ付いたままだったりする。

 その理由は至って簡単。俺が意識を失っていたこととラナが人を信じ易いという性根の持ち主だからだ。恐らく四季との戦いの一件で俺のこともそれなりに信用してしまったのだろう、そうでなければあんなに毛嫌いしていた特環の俺に対して先の様な態度は取らないはずだ。そしてその結果動き辛くなったり、言い出す切欠がなくなったりしたのだ。

 流石に「ちょっと貸して」と言うと怪しまれるし、無理矢理取ろうものなら晴れて『変態』の烙印を押されることだろう。まあ、本来ならほっといても問題がないと言えばないのだが……いつかバレた日には信用がガタ落ちするのが目に見えてしまい、僅かばかりの罪悪感が心中にあるのだ。

 無論それは避けるべきことだろう、私的要因以外にも今下手に関係が悪化するのは悪手でしかない。

 

「……これならいいかな?」

 

 故に、一応使える手立てを行う為にそれに必要なものを手に取り、レジに持っていくことにした。

 

 

「あ、来た」

 

 買い物を終え店内を見渡してもほのか達の姿がなかったので、もしやと思い外に出ると案の定そこにいた。

 向こうも俺を見つけたらしくほのかが視線を向ける。

 

「結局買ったの?」

 

 手に握られていた紙袋を凝視しての質問に「ああ」と応える。まあ、俺が使うわけではないし大きさからもわかる通り服でもない。

 「なんですか? なんですか?」と鬱陶しく聞いてくる“まいまい”は無視して、その紙袋をラナに突き出す。

 突然のことにラナは「え?」と驚きの声を上げ、困惑と色を深める。

 

「まあ、色々と手伝ってくれたからな。その礼だよ」

 

 そういうが、釈然としないのか戸惑いながら受け取った。

 何が入ってるのか? そんな疑問が好奇心を刺激してか、ラナは「見ていいか」という視線を投げ掛ける。別に特別な物ではないし、後生大事に取っていられても困るので迷うことなく首を縦に振る。

 

「あ、これ……」

 

 がさごそと音を鳴らしながら紙袋を開けて取り出すとそこには帽子があった。種類はハンチング帽と言うやつで昔は猟師とかが使っていたものだ。現代では普通にファッションとして被っていた人もいるので贈り物としても大丈夫だろうと判断して選んだのだ。……というか今ラナが被っているのは普通の野球帽に近いやつであり、流石に女の子には合わないのでは? と思いこれにした。

 

『ああーー!? ラナさんだけズルイです! “まいまい”ちゃんにも、“まいまい”ちゃんにもプレゼントをプリーズ!』

 

「ああ、服見つかったんだな、よかったな。ちなみに働いていないのでお前にはやらん」

 

『のおーっ!? 』

 

 ねだる“まいまい”を一蹴する。その後ぶつぶつと何か愚痴っているがコイツのことだ、お菓子とか与えれば簡単に機嫌を直すだろう。故に今はあえて放置することにした。

 

「え……えっと、そのー……あ、ありがとう」

 

 慣れていないのか、恥ずかしそうに礼を言うその姿にいつもの勝気な様は何処へ行ったのか? なんというか本当に美少女の類なんだなと思えるほど可愛いかった。これがギャップ萌えか? ……違うか。

 

「ん、じゃあこっちは貰うぞ」

 

 ひょいとラナの頭から件の発信機付きの帽子を掠め取る。

 

「ちょっと!?」

 

「いいだろ? それ意外と高かったんだぜ。だからこれくらい貰っても問題ないだろ?」

 

「…………もう」

 

 有無を言う前に取った帽子を頭に被りそう言うとラナは頬を赤くしながらも呆れたのか反論はしなくなった。

 

 ふぅ、なんとかこれで帽子は回収し終えた。あとはこっそり処分すれば問題は解決だ。

 ……しかし、何故こんなにいい匂いがするんだろ? 帽子(これ)。暫くの間あの部屋にいたってことは風呂とかは普通に使ったんだよな? 俺の知らぬ間にシャンプーとか変えたんだろうか?

 ラナの匂いが鼻腔を燻り、少し恥ずかしくなった。だが流石に持ち歩くのは不審に思うだろうし、何より面倒だ。

 まあ、暫くしたら慣れるだろう。

 そう自分に言い聞かせるも、しかしなるべくラナを視界に入れないようにしていた。

 

 

 -----------------

 

 

「よかったね、ラナちゃん」

 

「笑顔が怖いって、ほのか」

 

 元がなるべくラナを意識しないように努力している端でほのかは贈り物を貰った張本人に笑顔を向けた。そこには「一人だけ貰ってずるい」という子どもらしい嫉妬心が見えた。

 ラナ本人が強請(ねだ)ったわけではない上、当の本人も驚いているのだから流石に許して欲しい。

 それにあの元のことだ、口では「お礼」と言っていたが実際は何か裏があるのではないだろうか? 無論自分に害を為すものではないだろうが、それでもそう思わずにはいられない。そうしなければ変に勘ぐってしまそうになる自分がいるのだ。

 色恋とは言わない、しかしそれでも自分を特別視しているのでは? と考えてしまうのはやはり自惚れだろう。だから変な方に思考しないようにしなければ。

 そう思い、まるで振り切るように次の目的地を求めさっさと進んでいく。

 久しぶりに誰かから貰ったプレゼント。その事実に顔が破綻しそうになったり、口の端が吊り上りそうになるのを必死に抑えて歩むスピードを僅かに上げる。

 

 思う所は違えど、お互いに相手の顔を見辛くなっていた。

 故にその姿を見失ったのはある意味仕方なかったことかもしれない。

 --きひっ。

 生に貪欲な獣の笑い声が静かに耳に届いた。




実はラナは昔の……黒歴史時代の時に出来たキャラだったりします、当時からスタイルがいいよかったり、帽子被ってたり、電気使ったりと面影が結構残ってるキャラです。今回の帽子イベントもその時のものを応用してたり……。
黒歴史も使いようですね!(身悶えながら)

ちなみに元の名前の元ネタに関しては次回以降にする予定です。


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消失

何処かにマルチ投稿とかしたらムシウタ二次増えるかな……とか思ってしまう今日この頃。


「まいったな」

 

 行き交う人混みを眺めつつ、俺は頭を掻きながらそうごちる。

 ラナのことを意識しないようにし過ぎた結果、どうやらはぐれてしまったらしい。

 はぐれてから十分、恐らく向こうも気付いているはずだが現在進行形で開拓が続いている町だ。相当広い上人も多い。見つけ出すのは一苦労と言えるだろう。

 こういう時本来ケータイで連絡し合えばすぐ片付くのだが、追われる身であったほのかとラナがGPS塔載のそれらを持ち続けているわけがなく、“まいまい”に関しては一度連絡が取れたもののすぐにバッテリーが切れ、以降沈黙状態。

 とりあえず一度マンションに戻るように言っておいたので、恐らく帰っていってるはずだ。だから俺もすぐに向かえばいいのだが……。

 

「気のせい……じゃないな」

 

 さっきから纏わりつくような視線を感じる。舐めるように、這うように絡みつくそれは断じて勘違いなどではない。敵意は感じないが、だからといって良い感情を向けられてもいない。

 このまま戻るのは(いささ)か危険かもしれない。

 撒くにしても土地感は相手の方が上だろうし、戦闘なんて持っての外だ。

 どうするか?

 そう頭を悩ませていると聞きたくない声が耳に届く。

 

「あれ? 元?」

 

 嫌々ながらも声のした方に首を向けると、そこには最も嫌いな奴--早条駆がいた。その横には相当手こずらされた相手、四季の姿もあった。相も変わらず高そうな着物を着ている彼女は俺を見ると微笑を浮かべて会釈した。その姿は(えら)く様になっており、何処かのお嬢様のような気品すら感じた。いや、実際本当にお嬢様なのかもな、なにせあんな華やかな和服だ、そう易々と買えるものでもないだろう。

 

「どうしたんだい?」

 

「お前には関係ない」

 

「……まあ、うん。そうなんだし、言いたくないならいいけどさ……なんか怒ってない?」

 

「そりゃ、ただでさえ嫌いな奴がイチャついて来たからな、腹も立つさ」

 

「えぇぇッ!?」

 

 遠目から見ただけでもデートと判断できる程リア充臭がした。とりあえずくたばれ。

 しかし、そう一蹴したにも関わらず食い下がってきた早条。仕方ないので現状について説明したが……。

 

「気のせいじゃない?」

 

「黙れ脳筋」

 

 案の定そんなことをのたまった。半端に強い力を持っているから多少の余裕が生まれ、結果こういう所が愚鈍化する場合は多々あることだ。対して俺のように這いつくばってでも生きようすると自然にそういう所が敏感になる。ドシっと構えるかチョロチョロ逃げ回るかの違いは意外とこういう所に表れるものだ。

 ……最も“かっこう”とかのように力を極めた者なら話は別だろう。そういう意味ではやはり特環の三号指定以上の上位局員は別格なのだ。

 

「じゃあどうするの?」

 

「ほっとけ。お前らまで目付けられるぞ」

 

 シッシっと手で追い払うようなジェスチャーをすると早条は一瞬驚いように表情を浮かべる。大方俺が身を按じたと思ったのだろうが、これは戦力的に見て妥当な判断だ。

 “まいまい”のように戦闘力はないが特殊な能力を持つものを除くと、純粋な戦闘能力に関して俺は断トツで低い。最悪の事態を想定した場合そんな雑魚を切り捨てるのが適切だろう。

 そう思って言ったにも関わらず早条は何か考え込んでいる。そして閃いたのだろう、ムカつく程に爽やかな笑顔を浮かべて言ってきた。

 

「じゃあさ、僕達も一緒に行くよ」

 

 ……ホントに人の話を聞いてんのか? コイツは……。

 

 

 

「そんな訳で漸く目覚めた四季を迎えに行ってたんだよ」

 

 別に聞いたわけでもないのに四季と一緒だった言い訳をする早条。そんな早条を微笑みながら眺める四季。そしてその二人に半ば無理矢理付き合わされる形になった俺の三人は今、マンションに向けて歩いている。

 何度も忠告はしたにも関わらず、「もう元に声掛けたし、多分それでもう僕らのこと知られただろうからね、今更だよ」そう言ってコイツは俺を連れ出したわけなのだが。まあ、言い分は尤もと言えるかもしれないが、それでも態々(わざわざ)付き合う辺りどうしようもないな。

 何せ早条に関して言えば俺は憎んでいる。表立って見えなくても胸の奥の憎悪が消えるわけではない。そこは当人も知っているはず、妙なことをしようものなら俺は躊躇いなく首を刎ねる。……にも関わらず共に行動するとは……肝が据わっているのか、馬鹿なのか、それとも罪滅ぼしのつもりなのか。

 どんな思惑があるにせよ、今は共にあるべきか……。

 

 早条の話を右から左へ受け流しながら思案していると、いつの間にか建物の間に出来た道に踏み込んでいることに気付いた。

 目線を上げると件のマンションが見える。そのことで近道なのだろうと思うも町のざわめきが聞こえなくなっていくと違和感を覚えた。

 纏わりつくような視線、その状態での再会、人気のない道。

 考えれば考えるほど嫌な予感は確信に姿を変える。

 さり気なく四季を覗き見ると、彼女も早条の様子が何処かおかしいことに気付いたらしい。視線が絡み合うと俺達は言葉もなく頷く。

 

「……どうかしたのかい?」

 

 押し黙っていたことに漸く気付いた早条は俺達に疑問の声を投げ掛ける。

 それに応えるよりも早くポケットに忍ばせていたケータイの着信音が鳴り、慌てて出る……振りをする。

 

「なんだ?」

 

『……………………』

 

 耳に当て通話をするが返ってくるのは無音のみ。

 それはそうだろう、何せ先程のはフェイク着信を利用したものであり、実際に連絡は来ていないのだから。

 しかし俺はあたかも本当に話している風を装い通話を続ける。潜入やスパイ紛いなことをしていた所為か人を騙す技術はそれなりに上がっているようだ。おかげで早条は余計な口出しはせずに静かに見守っている。

 

「……ああ、分かった。すぐに戻る」

 

 そして切る振りをして即座にケータイを耳から放す。

 

「悪いな早条、急用だ。俺は先に戻る」

 

「え!? 大丈夫なのか!」

 

「大丈夫だっての、援軍が来るだけだ」

 

 無論嘘だ。未だに援軍の報せはない。

 本気で心配しているのか慌てた様子の早条を見て、「もしや考え過ぎか?」と思いつつも今は一刻も早く此処から離れることを優先する。

 もし早条が敵の刺客ではないにしてもこの場所はマズイ。前と後ろを塞がれたら、実質上にしか逃げ道がない。恐らく複数人を操れるアキラにとっては格好の袋でしかないだろう。“巣”に反応はないが、こんな所に長居するのは得策ではない。それは特殊型であるこいつ等にも言えることだ。四季が早条を怪訝に思ったのはこの辺りが強いのだろう、二人とも特殊型でそこそこ広い範囲が必要なタイプだ。こんな狭い一本道に、しかも監視されているかもしれないと分かっているのに望んで来るだろうか?

 早条が奇策を用いる人間なら分かるが、こいつはそこまで器用ではないし頭も回らない。言ってはなんだが馬鹿の類だ。故にそんなことは九割九分ないと言える。だからこそ芝居を演じ、この場を抜け出そうとした。

 

「来るのは全員特環の局員だ。お前らは来るなよ、ややこしくなるんだから」

 

 暗に「着いて来るな」と言い放ち先行していた早条の脇を通り抜ける。

 その際にあいつの表情を覗き見たが、そこにあるのは安否を気遣うものだけ。純粋に心配していることが窺える。

 やはり過剰に考え過ぎただけなのか?

 そんな自問を振り払うように次の一歩を強く踏み込んだ--瞬間、俺の体は沈んだ。

 視界が一気に低くなり、浮遊感にも似た落下が身を襲う。

 奈落の底に落とそうとするそれは砂だった。それが放さないように脚に絡み付き地面に呑み込んでいく。

 

「--ダメだよ、キミは特環にいちゃあ」

 

 既に肩まで呑まれた俺の耳に届いたのは、やはり早条の声だ。

 

「キミがいなくなったら誰が『彼女』の支えになるんだ!」

 

 しかしそれはよくある洗脳され傀儡となった者とは違い、はっきりと感情が篭っている。いや寧ろ過剰なほどあると言っていい。

 

「テメ……何言って……!」

 

「約束しただろ! 『どんなことをしても彼女を救う』と!」

 

 その言葉で体に衝撃が奔った。

 それは嘗て早条とした約束。今とは違い憎むこともなく、まるで友人の様にも接していた頃。『彼女』に救われたアイツは、最も『彼女』の近くにいて同じ気持ちを抱いていただろう俺に悩みを打ち明け、誓い合った。

 だが結果は無残なものでしかなかった。「護りたい・救いたい」と願っていたにも関わらず俺達の行動は全てが裏目に出てしまった、そして--

 

「ッ!! 四季ぃぃぃぃぃ!!!」

 

 思い出しかけ、意識すら奪われる寸前。

 俺は持てる力の全てを使って、糸で包んだそれを四季目掛けて投げつけた。

 早条のことでショックを受けていたのか、軽く放心状態だった四季は俺の声で我を取り戻すと虫の力を使ってそれを手繰り寄せる。

 その姿を視界に収めたところで俺の意識は途切れてしまった。

 

 

 ----------------

 

 

「早条……どうして?」

 

 元からの受け取ったもの、ボール状の毛玉を手にしつつ四季は早条に疑問の言葉を投げ掛ける。

 何故このようなことをしたのか? 早条が元を巻き込みたくないという思いを持っていたのは水野から聞いていた。何かしらの繋がりがあったことは用意に予想が着く。

 しかし、何の前置きもなくこのようなことをするとは思えない。やはり、原因は……。

 --きひっ。

 そこまで思考が辿り着くと彼女の耳に不快な笑い声が届いた。

 それは上から--建物の屋上から聞こえ、見上げると予想通りの人物がいた。

 Yシャツにジーンズ、そして弛んだネクタイ。その特徴だけでも嫌気が差すというのに、今日は一段と愉快そうに口の端を吊り上げている。

 

「ほんっっと馬鹿だよね、早条はさ。オレに攻撃しておいて何もされないとマジで思ってたのか? きひっ! なら本当におめでたいよな!」

 

 見下し、げらげらと腹を抱え、馬鹿にして哂う。

 そう、実は早条はとっくに洗脳を受けていた。正確に言えば、あの日元達を助ける際に足止めとして砂の津波を起こした時に仕込まれていたのだ。

 平気で裏切るような狡猾な性格が災いして、アキラは洗脳できる数には余裕を持たせるようにしていた。いつ如何なる時、どんな相手でも洗脳できるように……。故にあの時、アキラの前で虫を使ってしまった時点でこうなることはある種の必然だった。

 見ず知らずの相手ならともかく、ある程度見知った仲である早条を操ることは容易だった。しかし元が全快していないことを知って今まで様子を見てきた。

 そして今日、元が完治したと知ったアキラは行動に移したのだ。

 

「アぁぁキラああぁぁぁ!!」

 

 友であるこなただけでなく、愛しいと想っていた早条すら奪われた四季の怒りは頂点に達した。

 病み上がりだなんだという事情は一気に彼方に消え去り、消し炭にするべく無数の赤いミカドアゲハが舞い踊ろうと--した瞬間横から強烈な力で四季は街道近くまで弾き飛ばされた。

 

「はッ!?」

 

 咄嗟に黒いミカドアゲハを盾にして勢いを殺し、なんとか人通りの多い所までは行かなかった四季。

 その彼女を襲ったのは早条だった。大量の砂がまるで鉄槌のような質量と速度で四季を打ち飛ばしたのだ。

 

「ごめん、四季。でも、これも『彼女』を救う為なんだ」

 

「何を言って……!?」

 

 訳の分からない言葉を言いながらも今度は足元から無数の刃と化した砂が襲ってきた。

 黄緑色のミカドアゲハの力で風を操り、即座に回避した四季。アキラに憎悪の視線を送り付け、飛び掛ろうかとも思ったが、近くにボロボロのナイフを持った少女の姿を視認すると血が出るほど歯を食いしばるが、その場から身を引いた。

 そうだ、今此処で自分が敗れようものなら、誰も救えなくなる。元もこなたも、そして早条も。他の仲間達もだ。

 それはダメだ、それだけはダメなのだ。

 紅蓮に焦がれる体を必死に冷まし、四季は自分に何度もそう言い聞かせた。

 そして、必ず取り戻すと誓い直し全力で逃げ出した。

 

 その逃亡を、しかしアキラは許した。

 目的のものは手に入った。あの程度の相手ならわざわざ自分が追う必要はない。この地域の特環は既に手中に収めたも同然、なら追跡は彼らに任せよう。

 それよりも今は……。

 

「『仕上げだ』」

 

 そう言ったアキラの口は三日月を描き、顔は喜悦に歪んでいた。 




アキラはゲスキャラ目指して書いています。ムカついてくれたら私的には本望です。

元の名前の元ネタですが「三野元」の名前を逆から読み、変換や一文字付け足してみたら分かると思います。転生とかなんかよりもある意味で本当に元の「始まり」ですから。


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『蟲毒』--1

終わりに向け加速する……予定。


 

「……何処だ?」

 

 目を覚ますとそこは全く見覚えがない場所だった。

 暗く密閉された空間。冷たい石造り、窓はなく、薄暗い蛍光灯が一本頭上にあるだけ。まるで地下室のようなそこで目を覚ました元は意識を失う前のことを思い出し、悪態をついた。

 そうだ、確か自分は早条の手によって地面に沈められたはず……。あの時の四季の動揺を見るにあれは早条の本意ではないのだろう。更に言動が怪しかったことを踏まえると考えられるのは一つ。

 --洗脳……既にアキラの手に落ちていたのか。

 何時からかは分からないが、少なくとも最近までは泳がされていたことは確かだ。そして今それを止め捕まえた……そのことが意味するのはつまり……。

 

「--ッ!?」

 

 不意に背後に気配と物音がし、反射的に振り向き袖から仕込んでいた拳銃を取り出す。銃口を向けた先には見慣れない少年の姿があった。敵とも味方とも断定はできない、しかしこんな所にいるものが一般人な訳がない。

 故に、元は躊躇わずにその引き金を引いた。咄嗟とはいえ、撃ち出された弾は狂わず少年を--しかし射抜くことはなかった。

 高速で動く白く細長いものに遮られると、まるで金属音のような甲高い音が木霊し、銃弾は弾かれた。

 

「怖いなぁ、そんなに睨まないでくれないか?」

 

 たった今起きたことなどなかったかのように振舞いながら笑顔を浮かべてそういう少年。しかしその笑顔は背筋が凍るほど気味が悪く警戒が解けることはなく、寧ろ強くなった。

 目の前の少年、直接見たのは初めてだが写真でその存在は知っていた。早条に気をつけるようにと言われたこの町での元凶--アキラだ。

 確信した、やはり彼の仕業なのだろう。一体何故自分のような力のないものを捕まえたのかは分からない。もしかしたら特環だから、とも思ったがなら何故“まいまい”と一緒の時を狙わなかったのか? お互い戦闘には不向きの虫な為早条ほどの力を持つ者なら成す術なくやられるだろう。各個撃破しなくてはならない要因はないはずだ。

 思考を巡らせていると、アキラは元に向かってある物を投げ渡す。しかし警戒した元は受け取らず、結果その物は通り過ぎ落ちた。

 何事もなかったので落ちた物に視線を向けると、そこには見覚えのあるものがあった。近付き、触れて確認してみると、それは確かに元の特環のコートとゴーグルだった。

 今更何故とは思わない。人知れず早条に仕込みを入れる程の曲者だ、自分の装備品くらい入手するのはわけがないだろう。

 だがしかし、何故わざわざそれを自分に与えるのか? 元のそれは、他の局員のとは異なり防備ではなくまごうことなき装備である。いくつもの武器が仕込まれており、虫だけでなく自身も攻撃手段を持てるようにしているからだ。それを渡すとは、敵に塩を送るようなものだ……。

 何か細工が施されていないかと疑うが、その痕跡は見当たらない。更に付け加えるようにアキラが「何も手は加えていない」と言ったこともあり、身に付けることにした。

 アキラの言葉を信用したわけではないが、これを渡す以上は「装備しろ」ということなのだろう。

 素直に従うのは遺憾だが、危険な状況に身を置いているこの状況だ。使えるものは使わなければ後が危ない。

 幸い、本当に細工は施されていないようで、問題なく装備を終える。

 

「きひっ。さあ、連いてきなよ……案内するからさ」

 

 不気味な笑みを浮かべたアキラはそう言うと部屋の扉を開ける。その先には早条を含めた数名の虫憑きが待機していた。

 拒否権はなく、逃げる術も道もないことを思い知った元は渋々アキラについて行く。

 

 

 『蟲毒(こどく)』というものを知っているだろうか?

 中国に伝わる古い呪術の一つであり、名前からも分かる通り「蟲」を使うものである。壷にあらゆる虫……毒性の強いヘビやムカデ、サソリなどを入れ共食いさせ、最後に残った一匹を呪いの道具として扱う。その虫の用途は色々とあり、富を得る為や純粋に人を殺したくて使うものもいる。

 どちらにしろ、この『蟲毒(こどく)』というものは人を殺す程の強大な力を秘めているということである。

 特に『金蚕蠱(きんさんこ)』と呼ばれる蚕の蟲毒は、術者に莫大な富を与えるが代わりとして定期的に贄を欲するとされている。定期的に人を殺さねば術者を食い殺し、手放すには『金蚕蠱』によって得た富の数倍の財産を利息としてつけなければならないらしい。ちなみこの『金蚕蠱』は不死とされ、如何なる方法を持っても殺すことはできず、先の方法でしか逃れる術はないとされている。

 さて、実はこの『蟲毒』と同じような現象が今起きている。

 コロッセオという閉ざされた空間で数多の虫憑きを殺し合わせる。端から見ればただの殺し合いだ。しかし、一度この呪法を聞けば嫌でも連想してしまうのではないだろうか?

 幾重ものの無念と怨念を喰らい、最後まで生き残った者は正真正銘の『蟲毒』となるだろう……ただ殺しを行うだけの呪いの権化、そのものに--。

 

 コロッセオの場内に響いたのは感情の篭っていない機械的なアナウンス。

 それはあまりに馬鹿馬鹿しく突拍子もない夢想だった。夢を消費して使役される虫、彼にとって宿主の夢こそが極上の餌であり贄。他の虫を喰らうことで強くなることなど本来ならありはしない。そのような事が出来る虫は極一部しかおらず、大半はその型から外れることはない。

 ある意味予想していた展開、コロッセオの巨大な檻に閉じ込められた元は先のアナウンスを反芻すると唇を噛み締めた。

 周りを見渡すと辺りには何十という虫憑きの姿があった。皆自分の置かれた立場を理解し、脱出を試みるもこの悉くは失敗に終わっている。よく見るとその中には元と同じ特環のコートを身に纏った者もいる。あらゆる手で現状集められるだけの虫憑きを此処に収容したようだ。

 その光景からこれから起こりうることは容易に想像が着いた、わざわざ『蟲毒』を例に出したのだ。恐らくそれを行うつもりなのだろう……簡単に言うとバトルロイヤルだ。最後の一人になるまで殺し合わせると見て間違いはない。

 そんなことをしても『蟲毒』は生まれないというのに……檻の外でゲラゲラ笑っている下衆の娯楽の為だけにこんな下らないものをするつもりなのか?

 『喰らう』という条件だけなら元の虫が存在するが、あれは喰らうだけで自らの糧にはしていない。よって望みの蟲毒にはなりえない。

 それは如何に強い者でも同じだ、このような混沌とした場を乗り越えるものなどそれこそ--

 

「……まさか……」

 

 一見下らない催し物、しかしそうすることでアキラが欲しいものが現れるということなのだろうか? 力を欲する彼が喉から手が出る程欲しい最高の戦力()……一号指定が。

 確かにこのような状況、それこそ一号指定なら切り抜けることは可能だろう。つまりアキラの目的は一号指定の素質を持つものを見つけることと考えられなくはないだろうか……?

 

「……いや、だが待て、流石にそれはおかしい」

 

 だが元は自らが辿り着きかけた答えを否定した。

 何故なら強さ“以外”で一号指定に必要な条件を知るものは限られているからだ。このような所で燻っている者がそれを知ることは不可能に近い。自分のような知識を持っているならいざしらず、この世界でその真実に辿り着くことは生半可なことではないのだ。

 ならば、一体他にどんな意図があるのか?

 霧に隠れるように見えかけた答えはその姿を眩ます。そのことに苛立ちを覚えるものの、気持ちと意識を切り替える。アキラの目的は気になるが、今はこの現状をどうにかするのが先決だ。

 

 改めて状況を確認する。

 今元はコロッセオの檻の中に囚われている。檻は強固で細かく出るのは難しい、強い虫の力を使えば壊せるかもしれないが檻の表面に砂のようなものが見受けられる。恐らくだが早条の虫の力によって強化されているのだろう。他にも何か細工がされているのか見た目に反しビクともしない。

 此処にいるのが無指定の虫憑きだけなら切り抜けることは不可能ではない。しかし、中央に鎮座するように佇む少女が問題だ。

 赤毛混じりの茶髪が目を引く彼女はこなた。早条の嘗ての仲間であり、基礎能力が最も高い種類の虫……同化型の虫憑きだ。同化型は基本的に一号指定にも退けを取らない力を持っている。そのような相手と正面切って戦うなど自殺行為に等しい。しかし罠の類を張ろうにも開けた所の所為で仕掛けることができない。

 正に八方塞がり。

 そんな危機的状況に陥っているにも関わらず、更に追い討ちを掛けるかのようにアナウンスが響いた。

 

『紳士淑女の皆様、御初に御目にかかります。私は当コロッセオの支配人、アキラと申します』

 

 それはアキラ本人の声だった。

 思いの外近く、それこそ檻のすぐ傍に彼はいた。道化のような白々しい大袈裟な動作、完璧に作り上げられた外面。間違いなく本人だ。

 支配人を名乗ったその少年に一瞬会場はざわめくも、すぐに収まる。意外ではあったものの、それよりも今は目先のイベントの方が楽しみなようだ。その様子にアキラは口の端を吊り上げる。

 

『これより過去最大のイベント、『蟲毒』を始めたいと思います。『蟲毒』は簡単に言うとバトルロイヤルです、どの虫憑きが生き残るか……とくとお楽しみ下さい』

 

 そう言って深々と礼をする。その仕草は様に成り過ぎていて腹が立つ。

 遠目からだが観客の手には何枚かの紙が握られている。大方賭ける対象の書かれたリストか何かなのだろう。反吐が出るほど腐った性格のものばかりだ。

 不快感が込み上げると同時にその元凶がこちらに--檻の中にいる虫憑き全員を見渡しながら喜悦を浮かべる。

 

「では、たっぷりと殺し合ってくれ」

 

 殺意を抱くその言葉が始まりを告げる合図だった。

 

 瞬間、断末魔が会場に響き渡る。

 空を切るように閃が奔ると一匹の巨大な虫が両断された。断面からは噴水の如く溢れ噴出する体液が、雨のように降り注ぎ地面を濡らす。

 嫌悪感を抱くその雨に当てられようとも、すぐ横の人間が欠落者になろうとも気にも止めずに、ただ歩みを進める少女がいた。

 血のように赤い刃を手にした最悪の存在。目に付いた瞬間無慈悲に虫を葬る様は正に「死神」と称してもいいだろう。

 逃げるもの、立ち向かうもの問わず一切を切り伏せるその姿に多くの虫憑きは畏怖と恐怖に駆られる。

 それは元も同じだった。強力な虫筆頭の同化型、その上説得の見込みもなく、退路もない。

 このような絶望的な状況にいて、気丈に保てるほど元は強い人間ではない。恐怖で体が震え、無意識に後ずさる。

 

「痛っ……!」

 

 その時、右手の甲から鋭い痛みが走る。見ると大蜘蛛がその鋭い牙で皮を挟んでいた。

 頼りない宿主に渇を入れたのか、それともさっさと戦闘態勢に移れと急かしているのかは分からないが、どちらにしても僅かながらに恐怖は薄れた。

 まさか虫に活気付けられるとは……不甲斐無い自分に呆れながらも元は大蜘蛛を装備する。

 アキラの意図も目的も未だに見当は付かない。しかしこの状況を脱しなければ自分の未来はない。

 準備を整えた元は決意を固めた。その瞳には諦めとは無縁の強い意志が宿っていた。

 




無理ゲーの始まり。

ちなみに『蟲毒』に関する知識はグー○ル先生を使って調べました。いや正確には『金蚕蠱』の方だけど……。


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『蟲毒』--2

同化型との戦闘。その絶望っぷりをうまく出せたかちょっと自信が無い……。


 赤い閃光が奔る度に有象無象の虫がバラバラに切り裂かれていく。

 振るうことによって生まれる余波も馬鹿にならず、防御力が乏しいものはそれだけで負傷する。正に小型の竜巻と言っていいほどの荒々しさ、正面から戦うことは自殺行為に等しい。

 それが分かっている元は、まずは逃げ回って隙を窺うことにした。糸を天井に向けて放ち、その勢いを持って大きく後方へさがる。その合間にもコートから拳銃を取り出し、数発こなたに向けて放つ。一発ずつの間に多少のタイムラグを加えることで防御するタイミングもずらそうという魂胆も籠めての連射だ。

 そしてそれはある意味予想通りに防がれた。

 こなたの周りに風が生まれると、まるで鎧のように纏い、触れるもの全てを薙ぎ払った。その中には無論先に放った銃弾も含まれている。

 舌打ちの代わりに弾が切れるまで撃ち尽くすと役目を終えた拳銃は相手に向け投げ捨てる。それは無論粉々に砕け散ったが 、代わりにコートから球体状の物を取り出す時間を作れた。

 それをこなた……ではなく、地面に叩きつけると目映い光が会場に飛び散った。

 閃光弾という強力な目眩ましに使うものだ。

 目蓋が焼けそうなほど目映い閃光は勿論使用者である元をも襲う。

 しかし元はゴーグルを遮光モードに切り替え難を逃れる。一般支給されているゴーグルにはない機能は、無論これも特注品だからだ。万一に備えて追加してもらった機能の一つに過ぎない。

 炸裂した光によって大多数の者が目を瞑らなければならない状況に追いやられる。それは虫にも影響しているのかクマバチに似た大きな虫がふらふらと元に目掛けてやってきた。

 元は糸で一度高く跳ぶと落下の勢いを利用してクマバチを蹴り飛ばす。その方向には例に漏れず目を瞑っているこなたの姿があった。

 本来ならその巨体に押し潰される最期を迎えるはずだが、現実はそれを裏切った。恐らく羽音のみで察したのだろう、目を閉じた状態で眼前に迫ったクマバチを横一閃に切り捨てたのだ。

 綺麗な断面を残し、絶命するクマバチ。

 そうしてただの残骸と化した虫の後ろには一つの影が張り付いていた。

 蹴り飛ばした後すぐにクマバチを盾にして接近していた元は仕込んでいたもう一つの拳銃を取り出すとこなたの腕目掛けて引き金を引く。

 先のとは違い今回のは何の変哲もない実弾。当たり所が悪ければ即死すらありえるが、そんなことを考慮する余裕はない。最低限の注意だけを払い、射出された弾丸は狙い通りこなたの腕を捉えた。

 クマバチを切り捨てたことによる僅かな硬直時間を狙っての渾身の一撃。

 

「ちッ!!」

 

 しかしそれは超人的な反応速度の前に無に帰してしまう。

 硬直時間など存在しないかのように反す剣で銃弾を払い除けるこなた。

 その「予想を超えた想定内の動き」に悪態をつきながらも今度は装備されている大蜘蛛を向ける。

 常に二手三手先は想定すべきもの、それが出来ない弱者はただの有象無象と同じだ。故に元は失敗した後の手を幾つか考慮している。

 今回に関しても同化型という規格外が相手なのだからこのくらいの対処はされるだろうと思っていた。しかし流石の同化型といえど無理矢理動いた後では隙が生じるはず。少なくともまた剣を反すようなことはされないはずだ。

 だからこそこの瞬間を元は狙っていた。一体化している虫を倒すのは困難な為まずは動きを封じるべく装備した大蜘蛛を突き出す。

 そしていざ射出しようとした瞬間、元は見逃さなかった。

 ――こなたの空いた手に一本のカッターナイフが握られていたのを……。

 

「――ッ!?」

 

 本能と今まで培ってきた経験から危険を察した元は、即座に姿勢を攻撃から防御に替える。壁にするように「面」として硬度の高い糸を出し、その上で自分も防御体勢を取る。

 そして元の感じた予感の通り、絶望的な光景が目に入った。

 赤い模様がカッターナイフを侵食するとそれはこなたの持ってる剣と全く同じ姿にその身を変えたのだ。

 マズイ!?

 そう思った時には既に遅く、新たに生まれた赤い凶刃が禍々しい煌めきを発していた。

 横一閃に振り抜かれると衝撃波を思わせる斬撃が飛び、容易く糸の壁を切り裂き元を檻の端まで吹き飛ばした。

 背中から叩きつけられた激痛とそのショックから息が吐き出されたことにより、一時的に目の前がブラックアウトする。

 無様に地面に伏すも、何とか一命を取り留める。特別製のコートでなければ全身バラバラになってもおかしくなかっただろう。その証拠に着用者を守るという大任を果たしたコートは全身ズタボロの状態だった。幸いにしてかすり傷は負えど虫は無事だ。

 意識を取り戻した元は、しかし体に力を入れることができない。

 

 二つの得物を使う同化型。見たことも聞いたこともないその存在に元の内心は焦りと恐怖を感じている。

 元々埒外とも言える性能を誇っている同化型、その彼らが持つ爆発的に攻撃力を引き上げる武器。それがまさか二つ同時に使われることになるなど夢にも思っていなかった。

 持てる原作知識、そして経験とイメージトレーニングにより、もし同化型と敵対する際最も危険視するのがその武器であり、且つ唯一隙ができると睨んでいたものだった。一つの強大な力として具現化しているそれらは強過ぎるが故に反動も半端ではない。虫憑きになる際身体を作り変えられる彼らだが、それを込みにしても多少の反動や隙は出てしまう。だからこそ、そこが唯一無二の弱点だと踏んでいた。

 しかしそれは目の前のイレギュラーによって呆気なく崩れてしまった。

 一つの武器だから生まれる隙、その大前提を覆されたのだ。

 こうなればもう元に打てる手はない。火力、スピード、耐久性、その全てにおいて負けている。できることといえば道具を使った小賢しい悪足掻きのみ。しかもそれも時間稼ぎ程度にしかならないだろう。どれほど稼げるのかは正確には分からないが、長くても数分が限界だ。四季との戦闘の時に使った道具は生憎補充できていない、閃光弾も一つしか持ち合わせがなかった。その状態で虫の能力を合わせ、乱戦を利用しても数分も持つか怪しいところだ。

 しかもそれは万全の状態であれば、の話である。

 背中を強打し、上手く身体に力が入らない元に逃げ続けられる余力はない。これでは一分も逃げることはできないだろう。

 万事休す。それを体現するようにこなたの目は静かに開く、閃光弾の効果が切れたのだ。鋭い視線が手こずらされた獲物を捉える。

 いよいよを持って年貢の納め時かもしれない。

 目の前の絶望に心が折れかけ、唇を噛み締め目蓋を閉ざす。

 どんなに頑張っても、足掻いても嘲笑うかのように現実はその努力を無に帰す。そんな非情な世界の洗礼に元の心に小さな諦めの感情が根付き始めた。

 それは徐々に元の心身を侵し、生きる活力を奪っていく。

 そして……。

 

「はじめぇぇぇぇぇ!!!」

 

 全てを投げ出す直前に声が届き、生きる希望が蘇る。

 

 

 会場の観客が漏らす下卑た歓声の中、甲高い声がそれを裂いて元の耳に届いた。

 見るとそこには息を切らせ、肩を上下させているラナの姿があった。コロッセオに入る通路の入り口で息も絶え絶えに片手に元のケータイを持っている。過呼吸になっている所を見るに走ってきたのだろう。

 袖で額の汗を拭い、大きく深呼吸した後自身の虫を呼び装備する。そして躊躇いなく檻を攻撃するが肝心の檻はビクともしない。

 

「退きなさい」

 

 舌打ちするラナの後ろから姿を現したのは着物を纏った少女、四季だった。身を乗り出し空中を舞うように躍り出ると人差し指に一匹の白い蝶が止まる。元とこなたの間を差すように向けると、狙いを定めた蝶が一筋の光となって軌跡を描いた。

 それは遮る物を全て貫くレーザーに等しく、ラナの攻撃に耐えた強固の檻にすら小さな穴を刻むに充分だった。

 元に歩み寄っていたこなただったがその閃光に気付いたのか後ろに飛び退く。するとさっきまで彼女がいた所をレーザーが貫き、綺麗な小さい穴を空けた。もし回避していなかったら今頃体に風穴が空いていたことだろう。

 

「元!」

 

『“大蜘蛛”ざぁぁぁん!』

 

 こなたが距離を取ったのを見計らいほのかと“まいまい”が駆け寄る。未だに檻に阻まれている為手も肩も貸すことはできないが、それでも心配して来たようだ。“まいまい”に至っては泣いてすらいる。

 

「ったく、遅いっての……」

 

『うぅぅ……ず、ずびばぜん……“大蜘蛛”さんのケータイ、機能が多すぎて……』

 

 檻に手を掛け、なんとか体を起こす。

 口では文句を言うものの、正直な所助かった。

 あの時四季に渡した物の正体は元のケータイだった。技術班に改造を施してもらい多機能化したそれには発信機を辿るレーダーとしての機能も備わっている。元がラナから回収し、攫われる時も身に着けていた帽子に付けていた発信機も無論対象内の物だ。

 地下だが以前来た時も電波は届くようだったし、大丈夫だろうと見越し此処に来る途中の通路に帽子を落としてきたのだ。問題は元自身が耐えられるかという所にあったが、なんとか間に合ったようでお互いに安堵の息を漏らす。

 

「まあいい、それより頼みがある、ほのか」

 

 出られないと分かってる檻に近付きながらほのかを呼び寄せる。恐らく現状をどうにかする為には彼女達の力が必要になるはずだ。その為の策を元はほのかに伝える。

 

 

「やあ、これはこれは大所帯で、歓迎するよ」

 

 唐突な乱入者に、しかしアキラは不快感を表に出さずに腕を広げる。

 その演技染みた行動に苛立ちを覚えたのは四季だった。

 

「早条は何処!」

 

 アキラに大切なものを奪われ続けた四季は殺気を隠そうともせず、声を荒げる。檻の中に嘗ての友人の姿を見た所為か気持ちが昂っている。

 その姿ににやりと口元を歪ませる。

 

「ああ、彼かい? 彼なら……ほら」

 

 そう言って視線を四季の足元にやると、そこには片方の前足がないケラがいた。それが地面に溶けるように消えると足場は瞬く間に砂地へと変わり、巨大な蟻地獄が生まれた。

 直前、大きく跳躍すると虫の力を使い宙に浮かぶ。

 蟻地獄の中心から姿を現す早条を認識すると、思いっ切り歯を噛み締め、懐から赤い扇子を取り出す。それを広げると数多の赤いミカドアゲハが現れた。それらは一目散にアキラに向かい爆炎に姿を変える。

 本来ならひとたまりもないであろう炎の爆発に、しかしアキラは無傷で生還する。彼を護るように砂の障壁が盾となったからだ。その結果砂の盾は傷付き、壊れ、虫の宿主にも少なからず影響が出る。

 

「こ、の…………外道がぁ!!」

 

「きひっ。いいねぇ、もっと怒ってくれよ四季。もっともっと怒って強くなって貰わなくちゃなぁ?」

 

 嫌悪と憎悪しか与えない笑みを浮かべるアキラと怒りで周りが見えなくなっている四季。

 四季が様々な色の蝶を出しアキラを狙うも、その悉くを色々な虫が盾となって防いでいく。中には耐え切れず死んでしまう虫もいるが、アキラにとって捨て駒の一つに過ぎない物の為かさして顔色を変えることなく傍観するように佇んでいる。

 対してアキラを護る為に虫を使っている早条はその影響からどんどん夢が失われていく。

 

「早条ッ……!?」

 

 耐え切れず膝を屈すると、それに気付いた四季は攻撃の手を止める。これ以上行えば欠落者になる虞があったからだ。

 しかしアキラはそんなことお構いなしに早条の虫の力を使い三日月状の刃を四季に向ける。苦虫を潰したように歯軋りを鳴らし、それを避ける。反撃を行いたいがそれでは早条を傷つけるのみ、一体どうしたらいいのかと一瞬思考が飛ぶとその僅かな隙を突いて砂の刃が眼前にまで迫っていた。

 しまった!

 そう思うよりも早く四季の体は引き寄せられるように下に引っ張られ、刃はただ空を切っただけに終わった。

 

「もう! 一人で突っ込み過ぎないでよ」

 

 引っ張られた四季の体を受け止めたのはラナだった。寸前の所で四季の体に触覚の鞭を巻き引き寄せたのだ。

 

「……止めないでいただけますか? あの男だけは私の手で……!」

 

 友人であるこなただけでなく、早条まで奪われた四季の頭は既に冷静ではなかった。ただ一刻も早くアキラを殺し、彼らを解放したいという想いに駆られていた。

 

「ふん!」

 

「あぅ!?」

 

 その気持ちは痛いほど分かるが、現状無理を通してどうにかなる相手ではない。それを思い出させるためにラナは四季の頭を殴った、それも思いっきり、力を込めて。

 堪らず頭を抱えしゃがみこむ四季、脳天から響くその鈍痛に暫しの間悶絶することになる。

 

「いい? 確かにアタシ達の最終目標はアイツの打倒よ。でもその前にやることがあるでしょ? まずはそっちが先、いいわね!」

 

「うぅぅ……は、はい……」

 

 その間ラナのビシッと指差しながら説教混じりの説得をする、頭が冷えた四季は頭を撫でながらも何とか立ち上がりそれに応えた。

 そうだ、まずは彼を助ける方が先決だ。

 改めて目的を思い出し、気合を入れ直す。情けない姿を見せてしまったラナの礼を言った後四季は視線を元の方に向ける。

 

「四季ちゃん、こっち!」

 

 それと同時に自分を呼ぶ声が聞こえ、彼女はそれに導かれ駆けて行った。

 

「何もしてこないのね、意外」

 

 四季が去った後、ラナは戦闘態勢を崩さぬまま何のアクションも起こさなかったアキラに問いかけた。攻撃するチャンスは幾らでもあったのに関わらず、彼はただ静観しているだけだった。

 

「ああ、現状お前らがどうこう出来るはずがないからな。寧ろこれを打開できる程強くなって貰わなくちゃオレとしては困るんだよ」

 

 不敵な笑みを浮かべそう言い放つアキラ。そこにあるのは絶対的な自信と期待、それを手に入れる為なら例え今ある最強の切り札を捨てることも厭わない。こちらから手を出さない限りは仕掛けるつもりもないのだろう、今は。

 破綻して狂ってる。そのことを再認識したラナは抱いた嫌悪感を振り払うべく、身を翻し四季の後を追った。

 

「きひっ。そうだ、強くなれ、オレの為にな」

 

 気味の悪い笑みを浮かべながら、アキラはその姿を見送った。




書いてて改めて思った、本当に同化型はチートだと。
タイマンだと瞬殺されるから乱戦にしたはずなのになぁ……。

それはそうと、思いつきで虫憑き診断ゲームというものを作ってみました。活動報告に載せているので興味ある人はやってみてね。正確性は正直分からないけど。


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『蟲毒』--3

ついに底王編の終盤に差し掛かりました。


 矢の様に迫る鋭い刃を糸を使った移動法により何とか回避する。

 竜巻が襲ってくると錯覚してしまうそれは、しかし紙一重で躱そうものなら高速で荒れ狂う風に巻き込まれ細切れにされることだろう。それが分かっているからこそ元は決して捉えられないよう必死に逃げているのだ。

 一瞬一瞬が綱渡りの様な状態。心臓は常に激しく脈打ち、口の中は乾きっぱなしだ。それでも尚動くことは止めない、もしそんな事をすれば命の保証はないからだ。

 二つの凶器から飛ぶ風刃。体を低くし、あるいは大きく飛び退くことで回避する。

 幾度も行われているこの攻防はしかし、たった数十秒の間に過ぎなかった。

 そろそろ限界だと顔を歪ませた瞬間、こなたは一筋の光となって元に肉薄する。

 そのあまりの速さに、だが元の体は反応した。一重にそれは最速とされる虫憑きの少女を師に持っていたお陰なのだろう。

 そうして反射的に構えた拳銃は、トリガーを引いた瞬間紅い閃が奔り音を立て暴発した。

 

「ぐッ――」

 

 刹那に生まれたその隙を、逃さずこなたの刃が襲う。

 手放す前に炎が上がったことにより酷い火傷と激痛に体を蝕まれる元だったが、それを感じるよりも先に後方へと飛び直撃は免れた。

 しかし、剣から生み出された風の斬撃だけは防ぐことが出来ず、至る箇所は刻まれ、余波で再び檻に叩きつけられた。

 コートは数多の裂傷により破れ、袖から腕が露わになっている。ゴーグルは先の斬撃でゴムが切れたのか、足元に転がっている。晒していた肌の部分で無傷の所はなく、無数の線から赤い水が滴り落ちていた。

 朦朧とする意識、気付けば檻の中の生存者は二名のみとなっていた。元とこなたを除く全員は全て虫を殺され欠落者と化していたのだ。

 逃げ回る元を追撃しながら、その一方で多くの亡骸を生み出していた。その桁外れの力に改めて恐怖する。

 しかし、だからといって諦めるつもりはない。

 

 例え相手が一号指定(最強)に匹敵する力を持っていようとも、例え自分がどんなに弱くても関係ない。

 無力でも、弱くても、この残酷な世界で生きていこうと誓った。生き続けたいと願った。

 失われないモノなんてきっと何処にもない。些細なものか、大切なものか、その差はあれど世界は必ず何かを奪っていく。

 非情で無常な世界。生きることを放棄すればこの呪縛からは解放されるだろう、人形であればそんな苦悩や悲しみも背負わずに済むのだろう。

 だが元はそのどちらも拒絶し、最も過酷な道を選んだ。

 始めにあったのは罪悪感からだった、次にそれは贖罪へと変わり、最後には願いに昇華した。

 その「願い」はある意味『彼女』からの最後の贈り物だったのだろう。「想い」から「願い」へと成り、彼の夢と共に在り続ける。

 だから元は生き続けたい、どんな形でも。それが唯一自分に出来ることであり、『彼女』がいたことの証明にもなるのだから……。

 

 遠退く意識を必死に繋ぎ止め、足に力を込め、倒れそうになる体に渇を入れる。

 息は絶え絶えに、体力はもうほとんど残っておらず最早気力と意地だけで立っているようなものだ。それでも黒い瞳から光が失われることはなく、鋭い視線が敵を射抜く。

 嘗ての誓いを思い出し、諦めるなと自分を叱咤する。目の前の絶望から逃げることはもうしない。

 ――立ち向かう。

 すぐ後ろにはほのか達がいるのだろう。声が聞こえるが、しかし顔を向ける余裕はない。

 ゴーグルが切られた時に額もやられていたのか流血し、片目を塞ぐように滴り落ちる。おまけに限界も近いこともあり視界が霞む。

 ――それでもなお……。

 戦え、戦え、戦え。鼓舞するように師の教えを胸に、反芻する。

 拳に力を込め、強く握る。

 赤い死神が悠然とした足取りで迫ってくる。

 手にしているのは巨大な鎌ではなく、赤い一対の剣。荒れ狂う嵐のように猛々しく、極寒の冷気のように冷たい刃。それが今元の命に終止符を打つべく赤く煌いている。

 体を覆う模様が一際輝き、力を込めた足が地面を陥没させる。その様から次の一撃で終わらせる気なのが嫌というほど理解できた。

 だから元も構える。虫はあるものの攻撃には回せない、実質徒手空拳だ。

 相手は万全の体制、こちらは手負い。地力の差がなくとも誰がどう見ても勝負は明らかである。

 しかし、それでも諦めず元は相手の一挙一動を見逃さない。たった一つの可能性を信じて迎え撃つ

 

 風の音だけが鳴り響く中、小さく石が沈む音が聞こえた。

 それが更にこなたが足に力を込めた瞬間であることを理解する前に赤い閃光が奔る。音を置いていくかのようにも感じられるそれは決して人が出せるものではない。

 その証拠にあれだけ注視していた元ですら対処できていないのだから……唯一できたことといったら驚きの余り握っていた手を開いてしまったことくらいだ。

 一瞬すらない刹那に赤い凶刃が迫る。両断するには鋭過ぎ、命を奪うには十分過ぎるそれの前に元は何も出来ず、ただ目の前で「赤い蝶」が舞うだけだった。

 

「――ッ!?」

 

 こなたがそれに気付いたと同時に赤いミカドアゲハは弾け、爆炎が空を燃やす。

 ほぼゼロ距離による爆炎は、如何に同化型といえど無事ではいられず全身を業火が襲う。しかしそれは同時に、全く同じ位置にいた元にも言えることだった。いや、寧ろ同化型でない分被害は甚大だ。一歩間違えれば虫もろとも焼け死んでしまう。

 檻の中が瞬く間に火の海へと、灼熱の地獄に変わる。

 しかしそんな中、幾重にも成る炎の壁から一本の腕が突き出て、それがこなたを――正確にはその赤い剣の柄を掴んだ。

 

「捕まえたぞ」

 

 次いで姿を見せたのは僅かな焦げ目を負った元だった。こなたの眼前に現れた彼は逃がさぬように睨み付け、手に力を込める。

 その思いを汲み取るように大蜘蛛が糸を吐く、それは封をするように剣を覆う。

 赤い凶器が白い繊維によって包まれるだけなのだろう、端から見れば……しかし。

 

「……な、に……?」

 

 異常はすぐに起き、こなたの表情は驚愕に変わる。

 鬱陶しくも絡まる糸を切り裂こうと風を起こそうとするが、糸に包まれた剣は一切の反応を見せなかった。

 何故いきなりこんなことになったのか? 思考が追いつかない内に元の手が残っているもう一本の剣に向かっていた。

 

「いつまでも操られてんじゃねぇよ! 同化型ッ!!」

 

 瞬間、言い知れぬ恐怖を覚えたこなたはそれを振り払うように振り下ろす。

 赤い閃と化した剣筋。それは元の胴を斜めに切り裂き、突風によって反対側にまで吹き飛ばした。

 炎の壁を貫き、熱せられる檻に叩きつけられた。夥しい出血をしながら倒れる元を視界に捉えながら、こちらは能力が使えたことを確認でき安心――。

 

「え……?」

 

 する直前、頭の中をたくさんの記憶が駆け巡る。

 それは早条達と出逢った時のこと、“底王”として多くの虫憑きを狩っていたこと、そこに至るまでのあらゆる経緯。

 何より……。

 

『キミの夢を僕に教えて』

 

 大切な人の手によって虫憑きに変えられてしまった時のことを思い出してしまった。

 

 

「あ、ああ……ああああアアああぁぁぁァァああああアアあああ!?」

 

 炎の海の中心で“底王”と呼ばれ恐れられた少女は頭を抱え、喉が張り裂けんばかりの叫びを上げ、膝を折った。

 

「なに!? どうしたの!?」

 

 その姿に困惑の色を強めたのはラナ達だ。彼女達は無謀とも思える策によって重傷を負った元の手当てをしている最中だった。

 

 元の虫――大蜘蛛の糸には滅多なことでは使われない、本当に隠された効果がある。

 それは、糸で包んだものを『そのままの状態』で維持し続けるというものだ。物だけでは飽き足らず虫にまで影響を与えるそれは聞くだけなら相当希少なものと思われるだろう。事実として、如何に強力な虫といえど大蜘蛛の糸に包まれるとその時点で完全に捕らえられた状態になり、実体化した虫を消すことも特異な能力も使うことが出来なくなってしまう。更に言うなら特殊型のような一定の範囲のみで実体化する虫すら、その範囲外に持ち出すことが出来てしまうのだ。この力も元が特殊型を倒せる要因の一つになっている。

 その反面、この能力は必ず『包まない』と効果を発揮しない為戦闘での実用性はかなり低い。

 なにしろ、常に動き回る相手や巨大なものに対してそんな時間の掛かるものをするのは単なる悪手でしかなく、隙が大き過ぎる。それは今元自身が身をもって証明している。

 ――そう、元が取った策とは糸の力による無力化だ。

 普通の虫ですら難しいのに同化型を相手にそれを行なうことは自殺行為に等しい。しかし打てる手は他に無く、残された道も多くはない。であればこその賭けだった。

 始めにほのかの虫をその能力で隠し持ち、こなたが最も近付いた時に四季の虫の力で目眩し兼ダメージを与え、自分はジャコウアゲハを盾にすることで多少なりともダメージを軽減。そしてその隙を突いてこなたの武器を無力化するというものだった。

 結果、元の目論見は半分は成功したが、もう半分は失敗に終わった……はずだった。

 

 しかし、現実に目の前でこなたは頭を抱え悲痛な叫びを上げている。それにより体を覆う模様は切れかけの電球の様に激しく点滅を繰り返している。

 元の話によれば糸には無力化の効果があるとしか聞かされなかった為目の前の事態にラナは唖然としていた。

 

「呆けてる暇があったら手伝いなさい!」

 

 そのラナを四季が怒鳴りつける。驚いて振り返るとさっきのお返しだと言わんばかりに苦笑を浮かべる。

 赤いミカドアゲハによる爆炎の後、レーザーを思わせる黄色い虫の力で何とか檻を切断し、その直後に元を回収して手当てをしているのだが、正直かなりの重傷だ。

 体の至る箇所が切り裂かれ全身は血塗れ、更に先の一撃が致命的で出血が酷い。顔は青ざめ体温はどんどん低下していく。

 このような状態に陥って尚暴走せず、糸によって手当ての手助けをしてくれる辺り主思いなのかもしれないと場違いなことを四季は大蜘蛛に対して思った。

 だがそれでも止血が精一杯、失われた血が多すぎる。

 

「ほのか」

 

 四季が呼びかけるとほのかは何かを察したのか黙って首を縦に振った。そして自らの虫、ジャコウアゲハを出し、直後腕を切った。

 

「な、何してるの!?」

 

『あ、あわ……あわわわわわ』

 

 突発的なその行動にラナは狼狽し、“まいまい”は慌てふためく。

 しかしそんなもの気にも止めずほのかは元の傍らに座る。そして四季が青いミカドアゲハを出現させると傷口に溶けるように入り込み、管の様な形に変わると元の傷口にも入り込む。

 二人を繋ぐように一本の管が出来た。青から赤に変色したそれを見て「まさか」とラナは顔を引き攣らせる。

 

「直接輸血する気!? 危険すぎる!」

 

「仕方ないでしょ! 血が足りないんです!」

 

 声を荒げるラナ、しかしそれ以上に剣幕な声で四季は告げる。

 実際四季の言う通り、元は血を流し過ぎた。思えばこなたの攻撃は全て当たれば致命的なものばかり、一撃ですら恐ろしいのに、その余波も馬鹿にはならない。それを風による斬撃を一度、そして直撃を一度受けているのだ。しかもその二つとも衝撃波と余波のおまけ付き、深い傷を負っただけならあきたらず強い衝撃も受けたことにより、通常よりも更に出血量は増している。

 病院に連れて行っても危険な状態な上、この状況だ。そんな余裕は何処にもない。

 幸いなことに檻の中を覆う火の海と、“底王”が悶え苦しむというアクシデントにより僅かだが時間はある。

 出血の量が量の為ほのかに無理をさせてしまうが、それも仕方が無い。想像を絶するほど繊細な作業故に四季自らが輸血する余裕はない。

 それを理解したラナは強く噛み締めた後、決意したように切断された檻の破片を手に取る。そしてそれで思いっきり自分の腕を切った。

 

「アタシの血も使って、四季」

 

「ラナちゃん!?」

 

 血が滴る腕を差し出し、そう進言するラナにほのかは声を上げた。

 

「アタシもこいつに借りがあるし、死んで欲しいって思うほど憎んでいるわけじゃないわ。だから助けたいし、アンタに無茶して欲しくもないの、わかった?」

 

「……うん」

 

 なんだかんだ言っても優しい少女の言葉にほのかは微笑を浮かべ頷く。その心遣いは素直に嬉しかった。

 

「……一度に二人分の輸血ですか……流石に後遺症が心配ですね……」

 

「ちょ、アンタ!? ここまでやったのにやらない気!?」

 

 対して一度に二人から輸血を行なわれる元の身を案じる四季。

 流石に腕を切ったのにやらないとあっては、ただ痛い思いをしただけに終わるので食って掛かるラナ。その姿を見て幾分か余裕を持てた四季は口元を押さえながらくつくつと笑う。

 

「いえいえ、そうなったら貴女がちゃんと面倒見てあげて下さいね?」

 

「はぁ!? ……あーもう! なんでもいいから早くして! こっちだって痛いんだから!」

 

 笑顔でそう言う四季にいい加減苛立ちを覚え、叫ぶように言うラナ。

 

「感謝します」

 

 一変、真面目に頭を下げるとすぐに虫を成形しほのか同様元に血を送り始めた。

 その甲斐あってかはわからないが、少しだけ元の顔色がよくなった様な気がした。

 

『……元さん……』

 

 怖くてその様子を眺めることしか出来なかった“まいまい”は己の不甲斐無さと臆病さに失望し、唇を噛み締め俯いていた。




数少ないムシウタ二次の中でもここまで何度も死にかけるオリ主って珍しいんじゃないかなって自分で思ってしまう今日この頃……いや、相手が悪すぎるだけなんですけどね。

ちなみに大蜘蛛の糸の効果については何気に伏線は張っていました。
『四季』戦の際元がラナについていた黒いミカドアゲハを取っていた場面あったじゃないですか? 四季は特殊型だから領域から離れれば虫は形を維持できなくなるのに、逃げて距離を十分に取ったにも関わらず虫は糸で捕らえられたままだった、というのが伏線……のつもりだったんですけど……。
たぶん、ムシウタ読者なら違和感を感じていたと思っていた所を今回回収しました。
忘れた頃に回収する……仕事が遅くて本当にごめんなさい。


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『蟲毒』--4

ちょっと短いです。


 “小那多(こなた)”とは即ち『此方』という意味から取られた名前だった。いつも誰かの傍にいてくれる、そんな優しい女の子になって欲しいという願いから名付けられたらしい。

 その名が示す通り彼女は物心つく頃から最も好きな人の傍にいた。

 自分と時同じくして生まれた片割れ、鏡のような存在。ほんの少しだけ先に生まれた男の子、兄の傍に。

 二卵性双生児故に似つかない容姿だったが、そんな事は気にせず仲良く過ごしていた。時には喧嘩をする事もあったが、それを含めても楽しかったと言える毎日だった。

 一緒にゲームしたり、外で駆け回ったり、勉強もした。体を動かすことなら兎も角、頭を使うことが苦手だった小那多はいつも兄に教えてもらっていた。目線が同じだったこともあり、学校の先生よりも分かりやすかったと思う。

 兄妹ということを除いても年中一緒にいることが多く、故に二人の絆は相当のものだった。

 だからだろう、異変にはすぐに気付くことが出来た。

 今から四年前、中学に上がった頃だろうか、兄はよく独り言を呟くようになった。本人としては隠していたつもりなのだろうが、血を分けた半身からするとバレバレだ。他のどんな人間に通用しようと小那多の前ではそれは意味を為さない。

 気になって耳を傾けると聞こえてくるのは「うるさい」、「絶対に嫌だ」、「キミの言う通りにはしない」とかなり否定的且つ反抗的なものだった。

 ――まるでそれは、(いざな)うものを拒絶するかのような態度だった。

 そのことについて訊いたことは何度もあった、しかしその悉くをあしらわれ有耶無耶にされてきた。

 自分達はたった一人の兄妹のはずなのに……。両親が不仲になったと同時に芽生えた想いが、疎外感と共に大きくなっていく。

 限界だ。

 まるで冷戦しているかのような静か過ぎる関係に小那多は耐え切れなかった。それは兄も同じだった。

 兄の独り言が始まってから二週間が流れていた。

 そこで初めて二人は本気の兄妹喧嘩をした。

 いや、正確にはそれは喧嘩とは呼べなかった。何故ならどんなに小那多が声を上げ責め立てようとも、ただ一言「ゴメン」としか応えなかったのだから……。

 日が暮れ、辺り一帯が暗闇に覆われるまで続けられたが、埒が明かないと思い踵を反そうとした時――。

 

「小那多、キミは夢を持っているかい?」

 

 突拍子も、脈絡もなく唯一兄が発した言葉だった。

 

「もしあるのなら……キミの夢を僕に教えて」

 

 「ふざけるな」と食って掛かろうとしたが、予想以上に真面目な面立ちに小那多は気圧され、暫しの葛藤の後折れた。そして密かに抱いていた想いを吐露する。

 

「お兄ちゃんを……大切な人を守りたい。それがボクの夢だよ」

 

 些細なことで不仲になり喧嘩が絶えなくなった両親。酷い時は子どもにまでその被害は及んだ。そうした時必ず怪我をするのは兄だった、妹である小那多を庇い傷を負う。それにより両親は頭が冷えることもあるが、そんなのはその場凌ぎに過ぎなかった。

 そんな兄の境遇と環境を見ていたからか、いつの間にか小那多はそう願うようになっていた。

 「大切な人を守りたい」と……。

 その言葉を聞き、兄の頬を涙が伝った。

 ああ、自分はこんな優しい子にこれから酷いことを行なう。「忘却」という最も残酷な仕打ちを。

 唐突に顕れた同居人、アリア・ヴァレィ。彼の所為で兄の日常は壊された。常に妹から発せられる、むせかえるような濃厚な甘い香り。日を増す毎に芳醇化され、いっそ鼻を削ぎ落とそうかと思ったほどだ。そんな度胸は同居人の説得により止められ、今に至るまで我慢し続けていた。

 しかしそれも限界だ。理性では止められない、想いだけでは抑えつけられない。

 なんて弱いのだろう。自責の念が込み上げると同時にこんな運命を敷いた同居人を呪った。

 耐え切れず妹を抱きしめると、その瞬間身体を碧い輝きが包む。

 

 ――絶対に赦さないからな……アリア・ヴァレィ……!

 

 その光景に困惑する中、兄が虚空に向かって忌々しくそう告げる。

 それが“小那多が知っている兄”の最後の言葉だった。

 

 

 -----------------

 

 

「う、あ、ああ……ああああああ!!」

 

 身体を覆う赤い模様がより一層の輝きを増す。

 炎を消すべく機能したスプリンクラー、そこから降り注ぐ雨に赤い光が映え酷く神秘的な光景が見える。

 だがそれを観賞する暇はなく、寧ろ忌々しげに睨む者がいた。

 

「ぐ……ッ! まさか、アイツ!?」

 

 胸を押さえつけるようにしてこなたを見るアキラの瞳には今まであったはずの余裕はない。狼狽し、焦ってすらいる。

 何が起きているのか? 外側からだけでは分からないそれは、しかし目に見えてくるようになる。

 こなたの身体の表面をミミズがのたうち回ったかのような腫れが幾つも浮かび上がり、呼応し赤い光が更に強くなる。

 絶叫と共に数秒続くと、こなたの左肩が突起する勢いで腫れ上がる。

 輝きと共に腫れ続けるそれはついに限界に達し突き抜けて出てきた。

 噴水のように噴出した血と共に現れたのは白く細長い、十cm程の虫だった。その虫はハリガネムシという寄生虫によく似ていた。

 それが自らの身体から抜け出し、宙に躍り出たのを見るとこなたは赤い剣を握り締め、風の斬撃によって消し飛ばす。

 

「がぁッ!? ……き、っさまぁぁ!!」

 

 それによって虫の宿主、アキラは胸を抉られるような感覚に襲われる。

 

 アキラの虫は分離型のハリガネムシだ。

 虫や他人に取り憑き、その人間の持つ最も強い想いを利用する虫。それを叶える為の手段を与え、判断力を奪うことで願いを果たす為だけの傀儡にしていたのだ。完全な洗脳とは異なり、この能力は強力な思考誘導とも言えるもので、元からその人間の中にある願いを利用している為憑かれたら最後、自力で解くことは不可能に近い。宿主を通すことで虫自体も操る非常に厄介な虫で、特にその性質上、強い想いを持つ者……虫憑きなら上位指定の力を持つ者にとっては天敵とも言えるべき存在だ。欠点はあくまで人の願いを利用する為成虫化した虫には効果がないということ、あとハリガネムシ自体には戦闘力がないことだろう。

 

 自身の虫の有用性、そして一度も破られたことのない自信。それがアキラの余裕の正体だった。

 しかしその虫が破られたことで冷静さを無くしたアキラは手当たり次第の虫を使ってこなたとラナ達を襲わせようとした――瞬間。

 赤い剣が今までに見たこともない程の目映い輝きを放ち、風が逆巻いた。宿主の夢だけでなく、その風すらも食らい更に輝く。

 

「消し飛べええええええ!!」

 

 そして宝剣の如き輝きを放つそれを振り下ろすと、赤い閃光が奔りコロッセオごと会場を“真っ二つに切り裂いた”。それだけではない、余波で生まれた真空波によって集めた虫は跡形もなく細切れにされ吹き飛ばされてしまった。

 今までアキラによってセーブされていたのとは比較にならない破壊力。後先考えず、残っている全ての夢を食らわせた文字通りの『最後の一撃』。

 

「ク、ソ……があぁぁ!!」

 

 しかしそれでもアキラは倒れない。咄嗟に早条の虫により壁を作り防御したのだ。無論早条の虫は死にはしないものの大きなダメージを負い、宿主である早条は耐え切れず倒れてしまう。

 渾身の一撃を放ったこなたも膝をつき虫との同化が解けてしまった。赤い剣がひび割れたナイフに戻ると虫が力なく地面に転がり落ちた。

 

「小那多!」

 

 そんな彼女の下に駆けつけたい衝動に駆られた四季だったが、まだ元の治療が済んでいない。悔しさから唇を噛み締める。

 アキラにより酷使され続け、四年間という長い年月を生き続けてきた代償。そして最後に跡形も無く夢を虫に食わせたことで小那多は既に限界だった。

 本来なら成虫化をきたしてもおかしくはないが、見ると赤いオオカマキリもボロボロの状態だった。両鎌は折れ、足は千切れ、(はらわた)は裂けていた。成虫化どころか死ぬまで秒読みの段階だ。

 虫と完全に一体化する同化型故に、先ほどのハリガネムシの呪縛からの脱出がかなり効いてるらしい。

 

「お、兄……ちゃん……」

 

 もはやまともに見ることも出来ない目でこの場にいないはずの人を探す。

 四年も前に別れ、もう思い出しては貰えないはずの人。

 例え忘れられても夢は変わらない。自分がいなくなることで彼を守れるのならば喜んでいなくなろう。そう思ってあの人の前からいなくなったはずだった。

 それなのに今尚こうして探してしまう。それほどまでに焦がれる人を求めていた手は、力なく垂れ下がり、小那多自身も倒れてしまった。

 地に伏したことで見える視界。ぼやけたその先に黒い蜘蛛がいた。襲うこともなく鎮座していた蜘蛛、看取るように小那多の姿を黒い目に映している。

 探し人はいなかったが、何故か独りではない気がして、安堵する。

 そして静かに目を閉じると、赤いオオカマキリも力尽き崩れ落ちた。

 死んではいない。しかし彼女は二度と夢を見ることも感情を宿すこともが出来ない人形――欠落者となった。

 看取るようにそれを確認すると、黒い蜘蛛は残骸と化した赤いオオカマキリの下へ向かう。

 そして丁寧に糸で包み、球体に変えると静かに呑み込んだ。




はい、そんな訳でアキラの虫はハリガネムシでした。実は何気にチート。予想が当たった人は挙手。

たぶん次回で蟲毒戦は終わると思う。


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『蟲毒』--5

「きひっ!」

 

 顔が歪み、口が引き裂けんばかりにつり上がる。

 自らに逆らった者の末路もそうだが、真に嬉々とする理由は黒い蜘蛛にある。

 特異な虫だとは睨んでいたが、まさか他の虫を食らうとは思いもしなかった。それでは“アイツ”と同じではないか、ならばこそ最後まで生き残った蠱毒には相応しい。

 宿主である元は未だ虫の息だが、そんな事は関係ない。生を渇望するアキラにとっては正に金の蚕に見えたのだろう。自身の周りにハリガネムシを出現させ「行け」と命じる。

 その言葉に従い、ハリガネムシは細い躯を撓(しな)らせ蛇の如き奇怪な軌道で大蜘蛛に接近した。

 未だ瀕死の元、手当てで動くことのできないラナ達、虫を酷使され倒れた早条、ただ恐ろしく見ていることしか出来ない“まいまい”。

 邪魔する者はなく、阻害する物もない。自在に空を滑り、風となった勢いそのままに大蜘蛛の間接部からその内部へと浸入する。現状、普通の虫より少し大きい程度の躯の大蜘蛛だが、構わず身をくねらせ自身よりも小さい虫の中に入っていった。

 物質として入り込むのではなく、取り憑くという形で大蜘蛛の内部に潜り込んだハリガネムシ。浸入さえすればそれだけで宿主の夢を特定できるはずだが、大蜘蛛の内部は思った以上に広いらしく見つける事が出来ずにいた。

 元の夢を探る為更に奥へ……。

 深海の様な暗闇、一寸先すら見えない中を蛇の様に躯をくねらせて進む。果てがあるのかと思える程広いそこは本当に虫の体内か疑うくらいだ。

 光がない中、幾つかの気泡が沸き上がる。

 何故そんなものが虫の内部で出来るのか疑問だが、ハリガネムシの能力に視覚の共有はない為アキラはこの事を知りもしない。

 故に、唯一この場にいるハリガネムシだけはその正体を知ることができた。

 それは泡で包まれた虫の死骸だった。貫かれ、砕かれたりしてはいるが皆原型を留めている。時が止まったように動かない所を見ても既に絶命しているのが分かる。何故そんなものを体内に取り入れているのかは不明だ、皆目検討も付かない。だからハリガネムシはそれらを避け進む。

 暗闇の中、距離も時間も分からないまま奥に潜ると輝く光を見つけた。近寄ってみると、それは先程も見た気泡だった。ただし先のとは異なり淡い光を放ち中が見えない。

 海底の様な空間の奥底にあったのだ、何か重要なものかもしれない。

 そう思い、慎重に近寄る……。

 

 瞬間、白く輝いていた泡の中に紅い双玉が突如現れた。

 

 

「かぁッ--ぁぁぁああああ!!」

 

 気味の悪い笑みを浮かべていたアキラが突如苦悶の表情を浮かべ叫んだ。

 驚き、一点に視線を集中させる者達の目に映ったのは身体から白い泡が溢れ苦しみ悶えるアキラの姿だった。

苦しみから逃れるように地面に倒れるものたうち回る。効果の是非は分からないが、それによって泡自体を振り落とすことは出来た。

 

「が、ぁ……ク、ソが……!」

 

 しかし多大に夢が削られたのか、いくら力を入れようと起き上がることができない。十中八九虫はやられたと見ていいだろう、だがそれにしてはおかしいほどの消耗だ。

 一体あの虫の中で何があったのか? 忌々しげに睨むアキラの口元は歪んでいた。

 正真正銘の規格外の存在。ただ強いだけではない「特別な虫」、追い求めていたそれにようやく巡り合えたことが心の底から嬉しいのだ。

 --欲しい。

 胸の内に燻るのは彼にとって原点というべきもの。

 --力が、金が、人が、物が、愛が。

 今まで覗いてきた人の願望、それを押し退けて姿を表したのは彼が虫憑きになった際に抱いた夢。

 --生きたい。

「そうだ……死ねない。死ねないんだよ……オレはぁ!!」

 

 未だかつて聞いたことのない大声を発し、痛む体に鞭を打って立ち上がる。

 元とは違い怪我は負っていないが、満身創痍なのが分かる。それは著しい夢の消費の所為だろう。幽鬼のようにおぼろげに稀薄。しかし故に恐ろしくもあった。

 

「よこせ」

 

 力なく差し出される手。だが、今はそれにすら恐怖を感じる。それほど今のアキラは浮世絵離れしていたのだ。

 一瞬の躊躇い、戸惑い、怖れ。そこを見逃すほどアキラは甘くない、ハリガネムシを出現させると再度大蜘蛛に侵入しようと試みる。それも今度は一体だけでなく十数体もの群団で。

 先のこなたの全身全霊を掛けた一撃は確かにアキラの戦力を大きく削ることに成功した。しかしそれは同時に新たに洗脳できる数を増やしたということでもある。

 今出せる全ての虫、如何に“規格外”とはいえこれだけの数だ、必ず手に入れることができるはずだ。

 

「よこせ! 貴様の全てを!!」

 

 アキラの周囲を漂っていたハリガネムシは一瞬にして離散し、一秒にも満たない時間で大蜘蛛を捉えた。

 

「がぁっ!?」

 

 十数体ものハリガネムシが虫に入り込む、自分の心に踏み込まれるような嫌悪感と激痛が宿主である元を襲う。

 その様子にラナ達は狼狽し、四季は怒りを込めた視線をアキラにぶつける。

 しかしアキラはそんな外野には目も向けずどうしようもない高揚感と達成感に体を支配されていた。

 

「きひっ! きははは! これで手に入る! 生き続けられる! オレだけが……!?」

 

 歓喜に酔い痴れ、狂ったように笑い続けるアキラの顔に一点の陰りが落ちた。

 上を向いた瞬間それはあった。

 大きさにしておおよそ二m。歪な形は自然に剥がれ落ちたためだろう。質量は軽く十キロを超え、更にそこに重力加速度が追加されたことにより脆弱な人を押し潰すには十分な塊。

 天井の破片が、その塊がアキラ目掛けて落ちてきたのだ。それに気づいたのはほんの三秒前、本来なら危機回避が働き即座に体が反応し難を逃れることができたはずだ。しかし今のアキラは傷こそ負っていないが満身創痍な状態、おまけに体を支配している高揚感と達成感の所為で反応が遅れている。

 つまり……。

 

「――――」

 

 言葉を発するよりも早くアキラはコンクリートの塊に押し潰された。

 一瞬、笑い声の代わりに肉が潰れる音と血が噴き出す音が広いコロッセオに響き渡る。それからは長い沈黙が続いていた。

 殺したいほど憎い相手のあっけない最期に四季は呆然としている。気づけば苦しんでいたはずの元も苦痛から解放され今では穏やかな表情を浮かべている。

 しかしそれも今の四季には素直に喜べるものではなかった。あれだけ倒す殺すなどと言っていた相手の呆気なさに四季は虚ろなまま天井を見た。

 

「あ……」

 

 そこにはアキラを死においやった破片が落ちたと思われる箇所、空洞部分があるはずだった。しかし四季の視線の先にあったものは……。

 

「は、はは……」

 

 あまりに現実離れした、だが納得がいく光景についぞ笑みが零れた。

 そこにあったのは大きく、何か鋭利なもので切り裂かれたかのような痕跡と、そこから生じた亀裂……それによって出来てたと思わしき壊れた跡だった。

 その大元である痕跡に四季は心当たりがあった。四季が友人と呼ぶ少女、こなたが最後の力で放った一撃。その際に出来たものだった、あのコロッセオを引き裂くような一閃の破壊跡に間違いない。

 地下空間であったこと、かなり激しい戦闘が行われたこと、条件は様々あれどこの光景を見た時四季は彼女が助けてくれたのではないかと思った。

 オカルト的ではあるし、もし彼女の意志が反映しているのならば止めを刺したかったからだろうが、それでも思うのは勝手だと判断した四季は彼女に感謝することにした。

 治療を終え、安定期に入った元をラナ達に任せ、四季はこなたに近寄る。

 欠落者となり、糸が切れた人形のように倒れている体を優しく抱きかかえて起こす。もう二度と光を映すことのない瞳が四季を捉え、その光景を目の当たりにした四季は一瞬息が詰まる。

 

「ッ……ありがとう、小那多」

 

 溢れそうになる涙を必死に抑え、既に聞こえてはいない友人に向け最後になるであろう言葉を送った--。

 

 

 

「くだらん」

 

 一連の結末をコロッセオの一角で見ていた少年は吐き捨てるようにそう呟いた。

 スーツを着込み色違いのサングラスをかけた少年はおもむろにタバコを取り出すと、火を付け、そして一本丸々吸い込むとため息をつくように吐いた。

 

「所詮奴も“不死”足りうる存在ではなかったということか。態々泳がせてやったというのにとんだ無駄骨だ」

 

 未だ火が残っている吸い殻を手で握り潰した後、新たにタバコに火を付ける。

 かなり特殊な虫であったこと、夢も相まってかその可能性を考慮し、態々出向いてやったというのに結果はご覧の有り様だ。貴重な情報も与えたというのに最期はあまりに呆気ない。

 そして何より、少年が一番許せないのは……。

 

「奴め、笑ってやがった」

 

 あの瞬間、瓦礫に押し潰されるほんの刹那、アキラは確かに笑っていた。それが狂気によるものなら少年も腹を立てることもなかったのだろうが、あの時のアキラは穏やかな表情を浮かべていた。死が間際に迫っていたというのに心の底から笑っていたのだ。

 それが少年の癪に触り、苛立たしさを表すように二本目も一瞬で吸い切った。

 

「まあいい、あの女への土産話くらいにはなった」

 

 それも握り潰し、三本目を口に銜える。

 異なる色のサングラスの視線の先には、未だ介抱を受けている元の姿がある。

 逆境の中、結果はどうあれ生き延びた。一号指定には程遠い力、一見すると有象無象の一つ。今回の件もただ運が良かっただけに過ぎないだろう……。

 しかしあの女ならこれをどう見る?

 無茶苦茶な解釈を付けるか、それとも「ただ運が良かった」と唾棄するか。見方一つでこれからの運命は大きく変化する。

 --さて、どうなる。

 珍しく愉快な気分になった少年は口を歪ませてから火を付けた。

 その瞬間、複数の足音が聞こえた。それは真っすぐこちらに向かっているようだったが、少年は焦った様子もなくタバコを吸い続けている。

 そして足音は止まった、少年を取り囲むように。

 見ると少年と大差ない年齢の少年少女数名がいる。全員特環の……東中央支部のコートを着用している。

 

「お前らが何故此処に来たのか当ててやろう。“お仕事お疲れ様です、お迎えに上がりました”だ」

 

 囲まれているのにも関わらず不遜な態度を取る少年に、特環の局員達は眉を顰め困惑している。

 しかしそんな中一人の局員が声を上げた。

 

「ここにいる者は全員がこの事件の重要参考人だ、例外はない、捕らえろ」

 

 この言葉に頷き、局員達は各々虫を出現させた。脅しと万が一のために出したのだ。

 しかし、その瞬間何かを貫く音がしたと思ったら局員の一人が突如倒れた。

 何が起きたのか、それを確認するよりも早く、局員の一人は激しい喪失感に襲われ胸を抑え膝をついた。見ると他の局員も同じ現象に見舞われていた。

 その感覚には覚えがある。これは虫が損傷したり夢を食われたりする時によく似ている。しかし自分達は虫を出しただけで力を使っていない。ならば、一体これはどういうことなのか?

 そう疑問に思った局員は自身の虫を見るように振り返り、そして……言葉を失った。

 自分の虫、ハサミモドキによく似た虫が黒い物体に埋もれていた。

 最初はそれが何か分からなかった、しかしよく見るとそれらは数え切れないほどの小さな甲虫--クマムシの大群だった。

 

「う、うわああああああ!!」

 

 自らの虫が大量のクマムシに文字通り餌食にされている。今まで見たことのないその(おぞ)ましい光景に恐怖した。そして本能的に感じ取ったこのクマムシの宿主はあの少年だと……。

 

「た、助け--」

 

 助けを呼ぶ声が最後まで紡がれることはなかった。それよりも先に局員達の虫は皆夥しい数のクマムシに喰らい尽くされてしまったのだから……。

 辺りには少年以外欠落者だけとなった。

 

「--くはっ」

 

 そんな中少年はため息代わりにタバコの煙を吐き出した。

 そして歩き出す、まるで何事もなかったかのように--。




今回で『蟲毒』戦は最後です。あとはエピローグのようなものが多分二、三話入って底王編は終わります。
一応後半に出てきたのが以前に言っていたもう一人の原作キャラです。名前は伏せてたけどある程度の特徴は書いたのでたぶん原作読者なら分かるはず、分からない人はbugを読もう。


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エピローグ1

本編は終わったので普通にムシウタキャラ出ます


「やれやれ、本当に彼には困ったものだね」

 

 破壊の痕跡が生々しく残る地下ドーム、嘗て「コロッセオ」と呼ばれていた所に一人の青年が佇んでいた。少し前までは異形の怪物達が殺し合いを行ったそこには、既に何もない。瓦礫とそれらを処理する局員がいるだけだ。正に夢の跡と呼んだ方がいいだろう。

 皮肉を籠めてそう思った青年は静かにほくそ笑んだ。

 任務を命じた“大蜘蛛”にはただ調査するように言いつけていたのだが、運悪く相手に目を付けられ負傷し、現在は医務室のベッドの上で静かに眠っている。

 “かっこう”よりも遥かに劣る力のくせによくもまあ無茶なことをしたものだ。

 呆れてはいるものの、成果としては十分過ぎる。

 試験段階の支部の問題解決により、多大な貸しができ、実状此処の支部は東中央支部の配下に収まった。ラナとほのかという号指定クラスの戦力増加。コロッセオを運営していた者を突き止めたことで間接的にとはいえ経済界に干渉できるようにもなった。おまけにそれを可能とする人物にも心当たりがある。

 正に上々といったところだ。

 今回の一連の結果を振り返っていると、状況と結果の報告に一人の局員が近くにきた。確か“兜”というコードネームの少年だ。“あさぎ”の教え子の一人らしく、実力も相応と聞く。しかし配属先が悪かったのだろう、今まで燻っていたところを青年が引き抜いたのだ。

 それが言うには、なんでも更に奥の区画に欠落者を収容していた部屋を見つけたらしい。だがそこに生存しているものは少なく大半は既に死亡していたり、餓死手前にまでおいやられていたそうだ。

 

「まだ生きている者は治療を施した後“GARDEN”へ、既に死んでしまった者は手篤く葬るとしよう」

 

 大体予想は出来ていたがやはり欠落者に対する処置が酷い。元からの資料にも目を通していたが、なかなかどうして惨たらしい。

 抑えているつもりだろうが、現場を見てきたその局員の表情は怒りで僅かに歪んでいた。

 この世で虫を一番憎んでいる青年ですら不快感を抱くほどに、このアンダーグラウンドは穢れていたのだ。

 部下の虫憑きへの扱いが酷い彼だが、どんな形であれ虫から解放された後にまで彼らを存外には扱わない。将来的にも生きていてもらわねば困る。

 故にこのような事をした者達に少なからず憤りを覚えていた。

 

「さて、如何に新参者の仕業とはいえ、仮にも経済界のトップが起こしたこの不始末。相応に責任は取って貰わないとね」

 

 口を弧に歪め笑い声を漏らす、病人のような肌色もあって一層の不気味さを纏った青年--土師圭吾は心の内でその算段を立てていた。

 

 

 

「ほんとにいいの?」

 

「ええ、もうやることは全て済ませましたから」

 

 町外れにある高台、その広場に数人の少年少女がいた。

 頭の両端に触覚を思わせるような髪型の小柄な少女、水野の問いに四季は首を縦に振る。

 振り返ると町を一望できるこの場所とも今日を持ってさようならだ。底王の……アキラの呪縛から解放された自分達はもうこの町にいる理由はない。

 元より特環から逃れる為各地を転々としてきた身。そんな生活を続けていた所為か、一つの場所に腰を下ろすのが苦手なのが何人かいる。元来の人柄からくるものもいれば、早条のように特環とは別のものから逃げ続けたいものもいる。

 理由は多々あれど皆生きる為に逃げているのが大半だ。

 

「此処にはあんたの家族がいるんでしょ?」

 

 だが四季は違う。多くの虫憑きが家族から迫害される中、彼女だけは父親に受け入れられている。虫憑きになった後も娘として接してくれている。

 それは他の者達が欲しくても手に入れられなかった、求めていた光景。

 手を伸ばせば届くそれを彼女は捨てようというのか?

 不安気に語る仲間の視線に気付いた四季はクスクスと笑い声を漏らす。

 

「別に、永劫の別れというわけではありません。帰りたくなったら帰ってきますよ。でも、今はこんな状況でしょ? そんな中残ればお父さまに迷惑を掛けてしまいますもの」

 

 底王とアキラの残した爪痕は深い、暫くこの町は騒がしくなるだろう。それに伴い相応の権力と発言力のある宗析は仕事で忙しくなる。そんな中虫憑きである自分が側にいれば余計な手間を増やすことになる。

 ただでさえ今回の件で自分達のことを特環に伏せていてくれたというのにこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。

 この礼は、町が平和になった時にでも戻ってきて言えばいい。

 

「それに、早条のことも心配ですし……」

 

 不満気にそうも付け加えた四季に、仲間達は頭を抱えた。

 あの後コロッセオから逃げる際なんとか早条を回収できた。本当は元達にも仲間になってもらいたかったのだが、早条との確執があり、且つ元の怪我が思っていた以上に重かったことも理由の一つだ。

 その早条だが、仲間の助けもあり一足早く次の目的地で療養している。外的な損傷は深いものではないが、ハリガネムシに憑かれていた影響か精神的にかなり弱っている。恐らく暫くは目を覚まさないだろう。

 その点は水野達も同じ心境だが、四季の場合は更に輪を掛けていた。今すぐにでも発とうとそわそわしている彼女に水野達は呆れかえっていた。

 

 そんな中、一人の少女、遠野未来だけは浮かない顔を浮かべていた。広げた手のひらの上には左右非対称のチョウトンボが漂っていた。異なる大きさの四枚の翅には未来の映像が映っている。確実に変化を遂げたそれに本来なら安堵するだろう、現に自分達の幸先を予知すると決して悪くはない。今までのことを踏まえるなら寧ろ良い方だ。

 ならどうして、こうも不安を感じているのか?

 その答えを表すようにチョウトンボの翅は変わる。

 それは今回の一件で巻き込んでしまった特環の少年、元の未来だった。経緯はどうあれ巻き込んでしまった罪悪感を少なからず感じていた未来は今後のことを案じて虫の力を使ってみたのだ。

 結果、映し出されたのは予想を遥かに越えるものだった。

 町は真っ赤に燃え上がり廃墟と化し、有象無象の虫の残骸が散らばっていた。虫憑きは皆欠落者と化し、誰も生存者がいないのではないかと思ったほどだ。

 そんな生き地獄に一人だけ佇む者がいた。黒い特環のコートとゴーグルを装備した彼は、表情こそ分からないが酷く悲しそうに空を見つめていた。

 その彼が何かに気付いたらしく、ゆっくりと頭だけを『こちら側』へ向ける。

 すると燃え盛る炎の中から一際赤く輝く二つの目が現れた。それと同時に視界が白い何かに染まると、そこで映像は途切れた。

 

「どうして……」

 

 それはかつて予知したものに限りなく酷似していた。

 あの時は底王とアキラの存在がその未来に繋がる要因だと思っていた。しかし事件が終わり、その要因がいなくなった今、尚同じ予知がなされるとは……。

 つまり、この地獄を作り出す本当の起因は他にある。

 生憎未来の虫ではその原因までを探ることはできない上、この雰囲気を壊してしまうようなことも避けたい。

 幸いにして、その可能性が映っているのは一番小さな翅だ。一番大きな翅には銀色のチョウを伴って歩く少女とその友人達と笑い合う元の姿がある。

 故に、危険性はまだ低いと判断し、このことは自らの心の内に仕舞い込む。少なくとも今話したところでどうこうできるものではないからだ。

 だからこそ今は暫しの安寧を味わおう。

 そう自分に言い聞かせた未来は仲間達の本に足を向けた。

 

 

 

 波施市の市街地にある大きな屋敷、南条邸は今慌ただしくきりきりまいの状態だった。

 コロッセオの一件で捕らえられた富豪達の処遇、欠落者達の介抱に労力を割き、対応に追われていた。

 本来外部協力者である宗析には虫に対する秘匿義務と手伝って貰った報酬が発生するだけで、ここまでのことをする理由はない。

 しかし非常に困ったことに今回協力を求めてきた相手は頭がきれ、食えない者だ。宗析がこの一件を引き受けた理由が娘にあることも薄々だが感付いている、そして虫憑きであることも恐らくは……。

 そのようなことを仄めかした一通の封筒を睨み付けため息を漏らす。

 詳細は省くが、遠回しに「今回の一件の事後処理を手伝ってくれるのなら娘のことは見逃してもいい」というものだ。

 既に挨拶代わりの置き手紙を残していった四季。今から追うのは難しいが、それでも相手は政府の機関。やりようは幾らでもあるだろう。その上宗析にとって四季は大切な一人娘だ、流石に断ることはできなかった。

 協力して貸しを作るはずがまさか作らされる羽目になるとは……。やはり食えない相手だ。

 そう再認識するも昔のよしみということもあり、「この件」に関しては自分でも納得している。

 

「まさかこのようなものまで押し付けるとは……」

 

 先のとは別件で送られてきたもう一通の封筒に手を伸ばす。

 既に一度目を通しているため封を切ってあるそこから再度取り出す。

 そこに書かれていることをもう一度確認し直すと、先程よりも深いため息を漏らした。

 

「よもや私に『円卓会に入れ』とは、なかなか難儀なことを……」

 

 これから起こりうる苦難に満ちた道に僅かに険しい表情を浮かべたが、それが虫に関係することであり、且つ彼なりに繋がりを持たせようとした結果なのだろう。

 偶々使える人材として白羽の矢が立っただけかもしれないが、それを任せるということはそれなりには信頼しているのだろう。

 ならば、相応の期待に応えよう。

 改めて決意し、気合いを入れ直すと宗析は仕事を再開した。

 




実はあともうちょっと続きます。
出来れば連載二年目までにはケリをつけたい。

あとちょっと質問、次回辺りで底王編は終わると思うので本格化なあとがきを書こうと思うのですが、少なくとも千文字は余裕で超えるはず。
なので普通にあとがきに書くべきか、それとも活動報告の方に書くべきか考え中。
裏話とか人物の背景設定とかちょっとバラすと思う。そういうの嫌いな人がいるならやっぱり活動報告の方に書いた方がいいのだろうか?


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エピローグ2

 コロッセオから医務室に運ばれた元は腕に点滴を射たれ、静かにベッドに横たわっていた。

 四季達の応急措置によって一命はとり止めたものの、ダメージや疲労自体はなくせない。幾分セーブされていたとはいえ同化型が相手だったのだ、虫を殺させず更に宿主すら無傷ということはまずあり得ない。おまけに緊急とはいえ型の違う血を輸血した後遺症も少なからずある。

 結果、三日もの間元は眠り続けていた。

 

 その間に、ほのかは予てよりの約束通り特環に入ることになり、ラナも嫌々ながらも連れ添う形で入った。暫定的とはいえ、ほのかは五号指定、ラナは九号指定とされたらしく訓練期間が終わり次第即戦力として戦闘班に配属されるようだ。

 “まいまい”は事後処理に駆り出されている。その能力故に彼らが使用したパソコンや電子機器から情報を集め、整理しなくてはいけないらしい。作業工程が遅かったり、何度もミスをしては怒られ、泣きながらも必死に勤めているようだ。

 三人とも事情があって今はいないが、元のことは心から心配していた。

 特に“まいまい”は何も力を貸せなかったことを負い目に感じており、本当は看病に回りたかったがそれは皮肉屋の上司に却下されてしまった。

 結果、意識が戻らないとはいえ容態が落ち着いた元は一人、医務室に残されていた。

 

 静寂が支配する一室。何の気配も感じなかったそこに、突如それは姿を現す。

 宿主たる元の枕元に降り立つ一匹の小さな黒い蜘蛛。“大蜘蛛”という本来存在し得ない架空の蜘蛛の代名詞を名付けられたそれは、吟味でもするかのように元を見据える。

 数秒の時間を置いた後、大蜘蛛に変化が起きた。

 黒曜石を思わせる四つの単眼が碧に染まる。すると躯から糸が溢れ出し、宿主諸とも包み込んだ。

 二m程の小型の球体は、繭にも見える。淡い光が鼓動のように躍動し、それそのものが生物ではないかと錯覚してしまう。

 包まれた一人と一匹はその中で静かに眠りに着く。

 

 

 -----------------

 

 

 何の変哲もない普通の家庭に彼は生まれた。サラリーマンの父と専業主婦の母、ただの学生である少年というありきたりな家族構成。

 代わり映えしない毎日、裕福とは呼べないがそれなりに余裕のある生活。平和であった、平穏であった。それが一生続くものだと思っていた。

 だがそれはある日突然終わりを迎えた。

 父の親戚だと名乗る男がやってきた。父自身言われるまで忘れていた、本当に縁遠い親戚。

 その男が父と二人で話したいと言ってきた。少年は不安しか抱かなかったが、元々優しい性格の父は自分を頼ってきた相手を無下には出来ず、聞くことにした。

 ――それがこれから始まる地獄への引き金になるとも知らず……。

 

 日が暮れ、本来なら太陽の代わりに月が出るのだろうが、雨雲に覆われそれすら隠れている。

 ざんざんとどしゃ降りが続く中、山道を一台の車が走っている。そこにはとある一家が乗っていた。

 たった一枚の紙切れによって今までの生活と家を失い、逃げ続ける日々に代わった。

 雨が窓ガラスを幾度も叩きつける。それがある音を連想させるからか両親は追い込まれるように表情が険しくなっていく。その影響か車の速度がどんどん上がっていく。

 あの男が現れ、相談を持ちかけられ時、父は応じてしまった。

 曰く、「迷惑は掛けない、ただサインしてくれればいい」そう言って差し出した紙に父は自らの名前を書いてしまった。男のあまりな必死さに、真摯に頭を下げるものだから居た堪れなくなったのだ。

 それが、所謂借金の肩代わりをするものだというのは分かっていた。しかし聞かされた額的にそう難しいものではないと思った。確かに生活は苦しくなるが、男も協力するし、終わった後は少しずつだが返してくれるという話だ。

 故に乗った。人助けだと思ったからだ。

 だが、たった数日で裏切られたことを思い知らされた。

 一億。それが男が抱えていた本当の金額。その事実を知った時には既に男は行方を眩ませていた。

 それからは、恐るべき早さで生活は悪化した。金額が金額な為早々に家を手放すことになり、借金取りから逃げ続ける毎日。最初は「なんとかなる」と希望を抱いていた、しかし時間が経つにつれそれは絶望へと変わっていく。辛い生活故にゴミを漁ったこともある。心身共に追い込まれたからか、温厚だった父は次第に良心が薄れていき、犯罪紛いのことに手を出すようになった。

 金のためなら人を欺き、騙すことも厭わない。場合によっては暴力すら振るう。

 その姿に、もう嘗ての父はいないのだと母と共に少年は静かに涙を流した。

 叶うことなら嘗ての生活に戻りたい。

 目の前の耐え難い現実に少年はいつもそう願っていた。母に愚痴ったことも、神や仏に祈ったこともあった。

 そうして、彼の願いは……ついには叶わなかった。

 

 投げ出され強打した体を引き摺りながら芋虫のように這う。

 体を駆け回る痛みが熱を持ち暴れる、反して叩きつけるように降り続く雨が即時それを奪っていく。

 ぼやけた視界の先に潰れて横転している車が見えた。持てる力の全てを使い、それに向かう。

 雨によって滑り易くなっていた、山道で見通しが悪かった、運転手である父に余裕がなかった。様々な要因はあれど、起きた事実は一つ。

 ――彼らが乗っていた車が転落自事故を起こしたのだ。

 隣にいた母が咄嗟に車から追い出したこと、落ちたところが木や草が生い茂り落下速度を抑えてくれたこと、それらにより無傷とはいかないが少年は奇跡的に助かった。

 しかし車内に残っていた二人はどうだ?

 高さにして二十m、速度もそれなりにあった。車体はひしゃげ、タイヤは裂け、ガラスは全て割れている。

 誰が見ても絶望的な状況だった。しかし、それでも、泥だらけになろうとも体を酷使し這ってでも進む。

 もしかしたら、あるいは、と僅かな希望を捨てずに……。

 掠れる声で必死に父と母を呼び続け、ひたすら芋虫のように這って近付く。

 無事であって欲しい、生きていて欲しいと何度も願いながら、ただただひたすらに……。

 そうして少年が車の傍にまで寄った時――残酷な現実が待っていた。

 落下したの衝撃で首はあらぬ方向に曲がり、木々の間を通り過ぎた際に刺さったのか無数の枝が体を貫いている。内臓もやられていたのか口から夥しい血が溢れており、車内は鮮血と異臭が支配する。

 

「あ……あ……あああ……!!」

 

 最早、人の形をした“何か”としか名称できないものの首が動いた。僅かばかりに車が更に傾いた影響だったのだが、その視線の先には少年がいた。

 

「あああアアああぁぁァァああアあああアアあ!!」

 

 その苦痛と絶望に満ちた表情を目の当たりにして、彼の心は壊れてしまった。

 

 ――一体どうしてこうなったのか?

 酷く残酷な世界に生かされた(取り残された)少年は、光を写さない瞳を濁った空に向け嘆いていた。

 ただ平凡に、平和に生きていただけなのにどうしてこんな目に遭わなければいけない。

 どうして両親は死ななくてはいけないのか? どうして父が狂わなければいけないのか? どうして家から追い出されなければいけないのか?

 どうして……どうして……。

 沸き上がる自問、それに対する答えなど始めから決まっている。

 

「アイツ、さえ……」

 

 まともに会ったこともないのに親戚だからと訪ねてきた男。あの男が全ての元凶。

 父の人柄を利用し、言葉巧みに契約書にサインさせ、借金を押し付けた。その後すぐに行方を眩まし、結果自分達は路頭に迷うことになった。

 いや、それどころ最後に残された両親すら少年から奪いさった。

 その上自分までも死ぬのか? あんな奴の為に?

 

 ――ふざけるな……!

 

 空しく虚ろだった少年の胸に小さな炎が灯り、瞬く間に業火へと姿を変えた。

 

 ――ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなフザケルナフザケルナフザケルナフザケルナフザケルナフザケルナフザケルナフザケルナフザケルナ!!

 

 直接関係のない自分達が死んで、張本人がのうのうと生きるとでも言うのか?

 そんなのは間違っている……そんな世界間違っている!

 否定し、証明する術は一つしかない。だから彼は願った。

 貪欲に――

 強欲に――

 執拗に――

 焦がれるほどに渇望する。

 神がいないのは嫌というほど思い知らされた。だがそれでも願わずにはいられない。

 此処で自分すら死んだら両親の死が本当に無意味になってしまう。

 だから死ねない、死にたくない、死んでたまるか、絶対に生きてやる――!

 異常なまでの生への執着。それに導かれ、聞き届ける存在が赤いコートを翻し、彼の下へと降り立った。

 

「ふふ、凄く強力で凶悪で強烈な匂い。こんな雨の中なのに色褪せることなく私に届いたわ」

 

 サングラスの奥の虹色の瞳が歓喜で歪んだ。

 

「スパイスが濃すぎるけど、偶にはこういうのもいいわね」

 

 呟いた後暫し閉ざしていた、しかし悦びを隠す気もないつり上がった唇がゆっくりと開く。

 

「――ねぇ、貴方の夢を教えて」

 

 呼び出された、神とは真逆の存在が少年――アキラの(願い)を訊く。

 人外の美女は強制的に問いかけに応えさせる力を持っている。しかし少年はそれを使わずとも彼女の問いに応える。

 

「生きたい……生きなくちゃ、いけない……オレは……」

 

 内側で逆巻く復讐(願い)が溢れるように口から吐き出された。

 

「オレは……どんな手を使っても生き延びてやるッ!!」

 

 憎悪によって黒く彩られたその夢を人外の美女は確かに受け取った。

 

「いい夢ね」

 

 今まで食べた中でも格別に刺激的なそれに、しかし嫌な顔一つせず不敵な笑みを浮かべ、少年の前から姿を消した。

 そして残された少年の下には一匹の虫が残された。怒りと憎しみと生への渇望によって生み出された最悪の虫が……。

 

 虫の力を駆使して生き延びたアキラは何があっても生き残る術を探していた。最初に自分達を追っていた借金取りを使い様々な情報を集めた。そして色々な権力者とコンタクトを幾つか行い、その課程で知った円卓会のメンバーの一人を傀儡にすることが成功した。その権力を使い“虫”について独自に調べ、特環のこともその際に知った。

 千差万別、様々な力を持つ虫。それらの宿主である虫憑きを管理する組織。どんな手を使ってでも生き延びることだけを望んだアキラにとってそれは無視できるものではなかった。

 危険だ、しかし思惑通りに動かせるのではあればこれほど便利なものはない。

 そう思い至り、そして試作段階の、突け入る隙のある支部の一つを掌握するまで然して時間が掛かることはなかった。

 そこに至る過程にて特環に追われている虫憑き達のグループと接触したのは、偶然とはいえ僥倖だった。半数が特異な能力や強い力を秘めており、特環からもマークされるほどだ。特に悪魔と恐れられる“かっこう”と同じタイプの虫、同化型の宿主と知り合えたのは大きかった。その強力な力は正にアキラが求めていたものに限りなく近かったからだ。

 その力を求めて接近し、信じさせるまでに相当な時間が掛かった。お陰で僅かに情に絆され、「このままでもいいかもしれない」と何度か思う時すらあった。

 しかし、やはり神というのはとことん彼のことが嫌いだったらしい。

 それはある日の夕暮れ時、形だけでも貢献するため視回りをしていた頃。茜色に染まる街を缶ジュース片手に歩いていると一組みの家族と擦れ違った。その瞬間振りかえり、アキラは目を見開き、息を止め、驚愕した。

 恐らく買い物帰りなのだろう、食材や日用品が入った袋を抱えて歩く父親らしき男性と、娘の手を引き楽しそうに笑う母親らしき女性、そして母親に手を引かれて笑う自分と同じくらいの歳の娘、極々普通にある一家庭の風景。

 山のような袋を抱えていたから気付かなかったのだろう。きっと気付いていれば男性はアキラと同じリアクションを取ったことだろう。

 しかし、男性は気付かずそのまま妻と娘を連れ、去ってしまう。

 ――自分が不幸を押しつけた子どもと邂逅していたことも知らずに……。

 燻っていた胸の炎が再燃し、呼応するようにハリガネムシがその細長い身体を撓らせた。

 もう二度と出会うことはなく、ただ生き続けることだけが「復讐」だと思っていたアキラにとって、今回の邂逅は完全に予想外のものだった。

 だがそれでも、「もしも」と考えない日はなかった。

 もしも何処かで会ったらどうするか? 怒りに任せて首を切るか、手足を潰して嬲り殺すか。色々な殺し方を考えたが、ただ殺すだけでは気が済まない。自分と同じ目に……いや、もっと苦しませてからでないと胸に灯る炎は消えないだろう。

 そのことを思い出すと考えるより先に虫が動き、見えなくなりかけてた男に取り憑いた。あまりに速かったので男と家族は気付いていない。

 にやりと口の端が上がったことを自覚したアキラ、本当の意味での「復讐」を始めた。

 

 逆巻く炎が火花と共に空に昇る。焚べられし贄は、かつて自分達を不幸のどん底に叩き落とした男と、その家族。身代わりにされた者の怨嗟が骨を溶かすまでに火の勢いを強めている。

 火事に見舞われた一軒家を見上げながら復讐を遂げた少年の頬を静かに涙が伝う。

 

 虫の力を使い金に溺れ、女に溺れ、酒に溺れさせ、最後は家族と仲違いを起こさせ、殺した後家に火を着け追う様に自殺させた。

 呆気なく終わったそれに、アキラはまたも空虚感に見舞われた。復讐を遂げた達成感より、人として戻れなくなった後悔よりも強く胸に残った。

 涙が出たのは、どんな形であれ「生き甲斐」がなくなってしまったからだろう。

 彼に残されたのはもう……虫と、あの時願った夢だけだった……。

 

 

 迫りくる瓦礫を前にしてアキラは今までの事を思い返していた。

 それが走馬灯と呼ばれるものであり、結果自分の死は免れないと予想できる。

 しかし、不思議と彼の心は穏やかであった。

 全てを無くし、唯一残った夢は既に呪いと化していた。「それの為に生きる」のではなく「それしかないから生き続けてきた」アキラにようやく終わりが見えた。

 日常を壊され、大切なものを奪われ、自己すら狂った少年は今、死を間際にして久しく忘れていた笑顔を浮かべた。

 それは今までのような破綻者のものではなく、まだ両親がいた頃に浮かべていたもので、心から安らいでいるのが分かった。

 そして悟った、自分が本当に欲しかったのは“不死”などではなく、“終わり”だったのだと……。禁忌に触れることで、破滅することを願っていたのだと……。

 自分の本当に願っていたことを理解できたと同時に彼は瓦礫に圧し潰され、その命の灯火は燃え尽きた。

 

 ――生に執着し続けた悪夢がようやく終わりを告げた。

 

 

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 早朝よりも早い時間に目覚めた元は静かに身体を起こした。

 痛みは既になくなり、傷も完治しているらしいが、頭が上手く回らなく額に手を当て、大きく深呼吸する。

 その後、先程まで見ていた「夢」を思い返した。

 不幸にも全てを奪われた少年の夢。自分も大切な人を失ったから彼の気持ちは理解できるし、共感もできる。

 ……しかし。

 

「だからって赦されるわけじゃないよな」

 

 きっと彼は有り得たかもしれない“if”の自分なのだ。大助達がいなければああなっていた可能性もあった。

 だが、元はその道に進まなかった。

 だからこそはっきりと告げねばならない、「間違っていた」と……。

 早条や四季達を頼っていたら別の道もきっとあったはずなのだから……。

 

「赦せる……わけ、ないのに……!」

 

 シンパシーを感じ、“彼女”のことを思い出したからか元の頬を涙が伝った。

 それから暫く元は静かに泣いていた。彼女の事を思い返して、そして“もう一人の自分”の事を思って……。

 

 




 どうも、ムシウタ二次はエタる。そんな風潮の中遅いながらもなんとか書き続け、今に至る私です。
 ようやく一章終了。ここまで読んでくれた方はありがとうございます。そしていないかもしれませんが、投稿当初から読んでくれた方は本当にお疲れ様です。
ここまでに実に二年も掛かりました。遅いですね、はい。過去編含め八章構成で考えているのになんたる遅さ……全て終わるのにあと十年は掛かりそうな勢いですね……。

 さて、折角一章終わったのでちょっとした裏話的な事を書こうと思います。ちょっとネタバレになる箇所があるかもしれませんので、そういうのが嫌な方や興味ない方は戻ること推奨します。
 ……とは言ってもこの作品、蜘蛛を作る際の動機とかは特にはないですね。ただ、久しぶりに読んだムシウタが面白くて熱がぶり返して衝動で書いたっていうのが大きいです。あと当初は一人称の練習用として書いていました、ですが進むにつれ一人称だと限界の所が多々あり結果三人称にシフトチェンジしました。たぶんこれからはずっと三人称で行くと思います。

 主人公についてはムシウタ二次の中ではたぶん珍しい分離型。これについてはにじファンがあった当時のオリ主の大半が特殊か同化が多かったので、「分離型でもいけるだろ!」というなんかよくわからない反骨精神が働いた結果こうなりました。
 “大喰い”に能力を使われるから分離型は基本不利に思えるけど、逆に考えるんだ、使われても問題なくすればいいのだと……。
 原作でも言われていたけど、“大喰い”は基本的な能力は使うけど、その能力を応用することはない。つまり、使われても問題なく応用性の高い能力を持った虫にしたらいいんじゃないか? と考えた結果出来たのが“大蜘蛛”です。
 一号指定には程遠い火力、代わりに高い汎用性の能力。うん、問題ないな(自己完結)。

 今回の話、夢巣食う底王編に関してですが、序章的なものであり、同時に2~5、6章に至るまでの伏線とかを散りばめた回でした。
 敵が強いのはムシウタではよくあること。一応最初から決めていた事があって、オリ主を弱くしたのだから元がこなたやアキラに勝つような展開にはしないという。その為、最後がちょっと御都合感あるように感じた方がいると思いますが、流石に今の段階で同化型を倒すというのは無理があったからと免罪符をつけます。

 そういえば、話数が長くなると思うので詰めれる話は詰めようと考えています(数字の付いてる話数を一つに纏めたり)が、一話辺りの文字数が今以上に増えると困るという方とかいますか? もしいるようなら現状のままにするつもりです。

 今後の展開ですが、二章の「夢寄り添う欠片」はbugの原作沿いになります。ただし所々オリジナル話を突っ込んでいきます。
 三章の「夢外れる蜘蛛」から殆どオリジナル展開になります。
 四章の「夢求める亡者」は話の都合上もあり群像劇にチャレンジするつもりです。
 過去編の「夢贈る泡沫」は三章が始まる前には終わらせたいと思ってます。
 五章以降に関しても大まかなプロットは出来ており、原作とは違った形で終わらせる予定です。

 以上で、あとがきは終わります。
 今回のような本格的なあとがきはその章の最終話に書いていくつもりです。
 活動報告の方に簡易なキャラ設定もあります、興味ある方はそちらの方もどうぞ。
 ここまで読んでくれた方は本当にありがとうございます。亀どころかカタツムリ並の遅さですが、これからも読んでいただけるようなら幸いです。
 


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二章『夢寄り添う欠片』
プロローグ


今回からbugの原作沿いである欠片編入ります。
所々原作とは違う箇所があるのでご注意を。



「現時点を以て、“大蜘蛛”を火種十号から異種九号へと認定します」

 

 呼び出された元を迎え入れたのは昇進の通達と鎖の微笑だった。

 

 

 黒い特環のコートに身を包んだ元は現在赤牧市にある中央本部に来ていた。『本部』と名が付いてる通り、特環の大元であり総本山、虫に関する実験や研究等も行われており、創設者もいる。

 その内の一人に魅車八重子という人物がいる。中央本部の副本部長である二十代後半の女性で、初対面ですら『危険』だと思わせる何かを宿している美女だ。

 転生者であり、この世界の事を幾分か解っている元は知ってる。彼女が虫、ひいてはそれを生み出している『原虫』と呼ばれる三匹を誕生させてしまった元凶であることを……。

 故に、この世界の住人より深く彼女のことを知っているが為に接触したくないと願っていたにも関わらず、元は今その人物と対面していた。

 本来東中央支部所属の元が中央本部にいるのには理由がある。

 一つは元の……“大蜘蛛”の号指定が変化した為だ。号指定とは単純な危険性や強さの他に、任務の達成率や新たな能力の開花によっても変動する。元の任務に対する姿勢はともかく達成率はかなりのものだった。それ故にその功績が認められ位が一つ繰り上がったのだ。火種ではなく異種なのは単純な戦闘力ではなく、その能力が浮き彫りになったためだろう。

 本来なら支部長に連絡が行き、それから正式に通達されるのだろう。故にこれは呼び出した“ついで”と見るべきだ。

 

 もう一つの理由は至ってシンプル、任務だ。

 東中央支部所属の元が中央本部に来る理由はそれか移動くらいしかない。しかし精鋭揃いの中央本部の一員になれる程元の能力は高くない。そうなれば必然任務ということになる。

 他局同士での人員不足の補い合いは珍しくもなく、偶々元に適した任務をあけ渡されるだけなのだろうと思い至った。

 そして、その予想は当たっていた。

 

「“大蜘蛛”、貴方には三つの任務を与えます」

 

 一度に三つもの案件を言い渡されることに顔が一瞬引き攣った。

 

「一つはある重要人物の監視にあたっている一号指定“かっこう”の補佐。一つは捕獲したとある虫憑きへの説得と交渉。そして最後に、“彼女”の再教育をお願いしたいのです」

 

 背筋が凍りつくような微笑を浮かべながら魅車八重子はそう告げた。

 与えられた三つの任務、それは全てたった一つの『bug』によって発生した延長線にあるものばかりだった。

 この時点で既に逃れられない地獄に片足を突っ込んでいたことを元は理解し、心の中で悲鳴をあげることになった。

 

 

 ひんやりとした冷気が頬を撫でる。

 そろそろ初夏に差しかかろうというのにも関わらず、冷たい風が肌を刺した。それは“此処”が室内で、更に日の光が一切入らない為だろう。

 暖かみなどなさそうな一面コンクリートで出来た部屋が幾つもあり、その全てが鉄格子によって閉ざされている。それだけでも窮屈そうなのに、そこにいる住人は皆セイフティネックと呼ばれる拘束具をつけられていた。不審な動きや反抗的な態度をした場合ボタン一つで電流が流れる仕組みになっているらしい、その所為か辺りは静寂が支配していた。

 正に牢獄と呼んでも差し支えない所を元は進んでいく。

 そしてある部屋の前にたどり着く。そこは他の部屋と違い一枚の鉄の扉だけで隔てられている。

 渡された鍵を使い中に入ると、そこには四肢を鎖で繋がれた一人の少女がいた。歳は元と同じくらいだが、平均身長より低い彼に対して彼女は高い、その所為か少し上に見える。

 扉が開かれた音で誰かが入ってきたのか分かったのだろう。ここ暫くまともに食事を取れていなかったから虚ろな目が向けられた。最も憎い相手が来たと思っていたからか憎悪に染まったその目は、しかし次の瞬間には驚愕に変わる。

 同時に元は壁に備えられていた薄く小さな長方形の空間にカードキーを差し込む。すると四肢を拘束していた鎖は音を立てて弾け、少女の体は一瞬の自由の後、重力に従い膝から崩れ落ちた。

 驚きと疲労感から力が入らずへたり込んでいる少女へ元は近付く。

 

「“大蜘蛛”たん……」

 

「よ、久しぶりだな、“からす”」

 

 そうして実に二ヶ月ぶりに元はコードネーム“からす”――白樫初季と再会を果たした。

 

 

 無指定の頃から実は“大蜘蛛”は何かと頼りにされることがあった。

 それは一号指定とは対を成す『弱者』の証明でもある無指定にも関わらず、“かっこう”や“あさぎ”という特環のツートップについて行き、ある時には意見すら述べることがあったからだろう。

 戦力としては申し分ない二人だったが些細なことで喧嘩することが多く、そうなった場合止める役目は上司である土師か同行が多かった元しかいなかった。しかし、任務終わりの現地や帰還途中に多発した為そのほとんどは元が収める他なく、土師に関しては本当に稀にしか止めない。「喧嘩するほど仲が良い」のだろうが、如何せん相手は特環局内で一、二を争う虫憑き。下手な口出しは命を縮めると大多数が思っていた為か、唯一場を収め、時には諌めるその姿は余程頼りになったようだ。

 そんな事があった所為か、一部上層部の中には「問題児は“大蜘蛛”に任せればいい」という風に考える者がいるらしく、度々その『教育』に駆り出されることもあった。

 その内の一人が“からす”だ。“からす”は同化型だ、しかしそれにあるまじき弱さから無指定の烙印を押されている。その為本来なら普通の教育者でも問題はないのだが、あの“かっこう”と同じ同化型という時点でほとんどの者は足踏みしてしまう。おまけに当初は捕獲の際の『ある出来事』によって心身ともに憎悪で溢れていた。結果、任務として命じても請け負ってくれる者は少なく、仮に受けても同化型である部分がやはり引っ掛かるらしく成果は芳しくなかった。

 いつまで経っても表面上でも分かる程に反抗的……寧ろ敵対的な態度。これが有象無象の分離型なら欠落者にされていただろうが、相手は特殊型より更に稀少な同化型。データが圧倒的に少ないそれをなくすのは惜しいと考えた結果、そういったことに物応じしない“大蜘蛛”に白羽の矢が立ったのだ。

 結果から言えば特環に組みすることには成功した。ただし表面上からは見えなくなっただけで内心は未だ特環に……特に魅車八重子に対する憎悪は消えていない。しかしそれは大半の虫憑きが抱いてるものであり、然程重要視するものではないと思われたらしい。

 ――その考えが楽観であったことを後に思い知ることになる。

 経緯はともかく結果を出したはずだったが、数日前に問題を起こしたらしく独房に監禁されていたらしい。

 

「そんなわけで、ついででまたお前の再教育を任されたわけなんだが……」

 

 そういう顛末になった経緯を話す元の額に青筋が浮かび上がる。

 肝心の初季は元の差し入れ(事情を聞いて作った)であるおにぎりを頬張りながらコクコクと首を揺らしている。頷いているように見えるが恐らくは聞いていないだろう。久しぶりの真っ当な食事に夢中になってそれどころではないらしい。

 

「聞けよ!」

 

 美味しそうに食べるのは嬉しくもあるが、代わりに見事なまでに元の話をスルーしたその姿に腹が立ち、つい声を荒げた。

 静かな牢獄にその声が響いたのは言うまでもなかった。

 




とりあえずプロローグです。
正直言って青播磨島関連の時系列が分からなくて初季の扱いが……。
誰かその辺り分かる人います?


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邂逅

 生徒の声で賑わう校舎、放課後の廊下を長い髪を揺らし上機嫌に歩く。ホルス聖城学園の制服を纏った少女は軽やかなリップ音を鳴らしながら目的の教室に着くと、扉が開いているにも関わらずノックをした。

 

「クッスリ屋君居ますかー?」

 

 そしてひょこっと顔を覗かせると教室の時間が止まった。正確には一際騒いでいた男子一人と女子三人の四人組みの動きが止まる。

 しかしそんなことは意に返さないように“彼女”は「あ、いたいた」と微笑を浮かべながら教室に入り、例の四人組みの所に向かう。

 

「もぉ、何度もメールしたのになんで無視するかな? めんどうだから迎えにきたよー」

 

 さ、行こう大ちゃん。そう言って男子生徒――薬屋大助の首根っこを掴むとそのまま何処かに連れて行こうとする。

 あまりの流れるような動作に呆気に取られていたが制止の声を掛ける者がいた。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい!」

 

 三人の中で一番背の低い少女、一之黒亜梨子だった。特徴とも言えるポニーテールは彼女の動揺を表すように動く。

 

「なぁに? 私は大ちゃんに用があるんだけど」

 

「大ちゃん!? ちょっと大助! これはどういうことよ! あんたこの人とどういう関係なわけ!」

 

「い、いや、僕も何がなんだか……つか、放せ」

 

 馴れ馴れしい呼び方に驚き、真相を聞き出そうと大助の胸ぐらを掴み激しく揺さぶる。それに対し気弱な言葉のあと他の人には聞こえないように小さく、だが低い声色ではっきりと抗議の声を挙げた。

 そんな二人を眺めながら問題の“彼女”は困ったように唇に手を当てた。

 腰まである長い黒髪、日本人形のような整った顔立ち、同い歳にしては自己主張が少し強い身体的特徴。その人目を引く容姿の少女は、僅かな間だけ片目を閉じると何かを決めたらしく、再び大助の傍に寄ると耳元で囁いた。

 

「先に屋上で待ってるよ――“かっこう”」

 

「っ!? ……お前……」

 

 ある関係者のみが知る大助の別の名を言い離れ、唇に人差し指を当て「しー」とジェスチャーをしてからウィンクをし、騒々しい教室から先に出ていった。

 少女が去った後も彼女が残した混乱の痕跡が暫く続き結局大助が跡を追えたのは十分くらい経ってからだった。

 

 

 

「おーそーいー」

 

 扉を開けた先で大助を待っていたのは不機嫌面の少女だ。思ったよりも時間が掛かったことに不満があるらしく膨れっ面で出迎えた。

 

「誰の所為だと思ってる」

 

 騒動の元凶たる少女を睨みつけるが、当の本人は素知らぬ顔。寧ろ大助の後ろにいる人物に視線を向ける。

 そこには先程の少女達の一人、亜梨子の姿があった。

 

「あ、貴女もきたんだ」

 

「大助は私のドレイよ。ご主人様はドレイが妙なことしないか監視する義務があるわ」

 

「誰がドレイだ、誰が」

 

 忌々しげに少女の自己主張の激しい肉体の一部を見えながら、張り合うように胸を張ってそう言う亜梨子に大助はすぐにツッコミを入れた。

 その二人の様子を眺めクスクスと面白そうに口元を抑える少女。

 

「あらら、立場が逆転しちゃってるね大ちゃん」

 

 愉快そうにそう言う少女に大助の目付きは鋭くなる。

 今の台詞から大助の現状を知っていることが伺える。それはつまり、亜梨子が監視対象で大助が監視者であるという機密事項だ。

 

「……それで、お前は一体なんだ? 俺のコードネームを知っているってことは特環の局員なんだろうが、あんな目立つ接触はどういうことだ」

 

 大助が“かっこう”としてこの任務を請け負っていることを知っている者は少なくない。しかしそれでも数は限られている。その上監視任務は秘密裏に行わなくてはいけない為目立つことは避けなければならない。

 流石にそれも知らない無知の無指定局員が悪魔と恐れられている“かっこう”にちょっかいを出すとは思えない。

 すると目の前にいる少女は果たして誰なのだろうか?

 特環局員である以上敵ではないが=味方と考えるのは危険だ。何せここは彼のホームグランドではなく、最も油断ならない女がいるテリトリーなのだから……。

 そう思い警戒心を高めている大助を見て、少女は大きくため息を漏らした。

 

「……やっぱり気付かないんだ。ま、そう簡単に見破られても困るけど……でも、付き合い長いんだから気付いてもよくない?」

 

 愚痴と思われる言葉をぶつぶつと呟きながら唇を尖らせる。その姿に苛立ちを覚えた大助は問い詰めようとし……彼女の肩にいた“虫”の存在に気付いた。

 長い髪の中から姿を現したのは見慣れてしまった黒い蜘蛛。

 そのことと先程言っていた『メール』のことを思い出し、「まさか」とある局員のコードネームを口にした。

 

「……お前、“大蜘蛛”か?」

 

 その言葉に口の端を吊り上げ……。

 

「ピンポーン! 大正解! ご褒美にハグしてあげよう」

 

 「待ってました」と言わんばかりの満面の笑みを浮かべ抱き付こうとした。

 

「……なに? やっぱり知り合いなの?」

 

 ほれほれと迫られては物理的に拒否する大助に亜梨子はジト目で訊いた。見た目の所為もあり恐らくイチャイチャしてると思われたのだろう、何かを訴えるようなその視線に大助は一瞬言葉を詰まらせた。

 だがなんとか払い除け説明しようとする。

 

「こいつは……」

 

「はじめまして、一之黒亜梨子さん。私は“かっこう”と同じ東中央支部所属、異種九号“大蜘蛛”。よろしくね」

 

 その瞬間、遮るように“大蜘蛛”が自分から自己紹介をした。スカートの両端を持ち、如何にもお嬢様っぽい仕草をした後、笑顔を向けた。

 「お前いつの間に昇格したんだ?」「ん~、ついこの間ね」。久しぶりに再会した為か悠長にそんな問答をしている二人を他所に亜梨子はある思考を巡らせていた。

 大助と同じ支部所属の局員、しかも号指定とコードネームを持たされるということはつまり……。

 

「あなたも虫憑きなの?」

 

「そだよ。尤も、“かっこう”や貴女に憑いてるのとは違うタイプだけどね」

 

 亜梨子の疑問に何の躊躇いもなく、即座に肯定して返した。

 意外過ぎる程素直に応えた“大蜘蛛”に亜梨子は面を食らい、大助は軽く頭を抱えた。

 

「お前、そんな性格だったか……? それと何でそんな姿をしている」

 

 機密保持など関係ないと言わんばかりにあっけらかんと簡単に話すその姿に、よく噛む情報漏洩者が被ったのはきっと見間違いだろう。

 よく絡みにくることを除けば容姿や声、言葉遣いに何気ない仕草まで違う。だからこそ付き合いの長い大助でも虫を見るまで“大蜘蛛”本人と解らなかった。

 

「あー、そっか。大ちゃんに“擬態”状態の私を見せるのは初めてだっけ? ちなみにこんな姿なのは兼用している任務のことも考慮した結果なのです」

 

 そしてその本人は『こうなった状態』で会ったことがないことを思い出し、うんうんと頷いている。

 糸を駆使した巧妙な変装――“擬態”は容姿や声を変えるだけではない、実はそれらとは別に軽い自己暗示を掛けているのだ。何らかの要因で素の自分が出ないように、少なくとも擬態状態は完全に他人に為りきれるよう訓練を積んできた。自分に近い性格の者だとまだ完全ではないが、乖離した性格なら役者顔負けに演じられるようになった。

 結果、最近になってそれが評価され号指定が十号から九号に繰り上がったのだ。

 流石にそういった任務以外の時や、任務外ではいつもの元の姿だ。やはり常時だと少し疲れるらしい。

 

「そんなわけで私が受けた任務の一つは“かっこう”のサポートなの。ま、戦闘に関しては手伝えることはないだろうから、主に花城摩理関連の方を手伝う予定。で、今回はそのことを伝えにきたってわけ」

 

「そうかよ……随分と慎重だな、中央本部も」

 

「他人の虫が憑くなんて前代未聞のイレギュラーだし、仕方ないんじゃない?」

 

 一つの任務に号指定局員を二人も使うことに呆れてる。しかも内一人は最強とされる一号指定であり、二人とも本来の管轄は他所だ。

 “大蜘蛛”が言った通りイレギュラーなのは解るが、それでも他所の支部の自分達を使う理由はやはり憑かれた虫のタイプの所為だろう。

 数少ない同化型の虫、それに憑かれた為に同じタイプの“かっこう”とその扱いに長けた“大蜘蛛”が呼ばれた。同化型の宿主は難のある性格だ、少なくとも“かっこう”はその辺りの号指定局員と組ませても梶をとるのは極めて難しい。恐らく“大蜘蛛”が呼ばれたのは数少ない梶をとれる存在だからと見るべきだ。

 

「あ、ちなみにこの姿の時は『的場智美』って名前だから、気軽に智美ちゃんとか智ちゃんって呼んでくれると嬉しいなー」

 

 尚、その当人はマイペースに擬態時の名前を告げ、そう呼ぶように催促していた。

 

「呼ぶか」

 

「えぇ~、ノリ悪いよ」

 

 大助が即答で拒否すると頬を膨らませて抗議する。

 その瞬間、小五月蝿い電子音が辺りに響き渡った。

 

「ありゃ? もう時間?」

 

 それは智美のケータイから発せられていたアラーム音であり、どうやら何か時間が迫っていることを報せていた。

 残念とばかりに片目を閉じながらアラームを切ると、大助達に振り返る。

 

「じゃ、私は他の任務があるから今日の所はこれで帰るね」

 

「え? 大助の手伝いが貴女の任務じゃないの?」

 

 名残惜しそうに言う智美に亜梨子は疑問の声をあげる。

 

「『“かっこう”の補佐』はあくまで受けた任務の一つに過ぎないの。私は他にも幾つかの任務を与えられているんだ」

 

 面倒くさそうに応えた後踵を返し、「じゃ、そういうことで」と手をひらひらさせながら屋上を跡に――しようとした所で「思い出した」と言わんばかりに振り返る。

 

「あ、そうそう。この姿になった理由なんだけど、任務の他にもう一つあったよ」

 

 遠目からでもわかる程ににやついた笑みを浮かべ、智美は言った。

 

「侍らせる女が一人増えたところで大ちゃんなら今更だもんね」

 

 嫌な予感がしたが時既に遅し。智美の口からその言葉が放たれると同時に亜梨子ががっしりと大助の頭を掴んだ。

 

「うふふふ……それは一体どういうことかしら? 詳しく教えてくれないかしら? ねぇ、大助」

 

 見惚れるような笑顔を浮かべる反面、込める力が強くなる。軋むような痛みを訴える大助をしり目に今度こそ智美は屋上を跡にした。

 

 

 

「ふんふんふーん♪」

 

 屋上からの帰り、鼻歌を歌いながら階段を降りると踊り場に一人の女生徒がいた。

 頭にターバンを巻いたその少女――白樫初季は用事が終わったのかと訊いてきた。それに対し智美は笑顔で頷く。

 そして彼女を連れ立って行こうとしたが、肝心の初季は動こうとはせず屋上への入り口を睨むように見ていた。

 

「気になる? “かっこう”のことが」

 

 初季は数少ない同化型の一人……つまり大助と同じタイプの虫憑きだ。三種の中で最も数が少ない為に同化型同士が出会うことはそうあることではない。だから自分以外の同化型を知らずに果てる者が大半だ。

 故に同じ同化型に興味を持つのは不思議なことではない。特に最強の虫憑きと恐れられている“かっこう”だ、知りたいと思ってもおかしくはない。

 

「今のところあなた達の接触は禁じられている。もし会うつもりなら、残念だけど私は止めなくちゃいけないの」

 

 しかしそれを叶えさせることは出来ない。

 いつの間にか手には何らかの小型のリモコンがあり、それを弄りながら面倒そうに忠告する。

 

「大丈夫だよん、アタシ良い子だから“大蜘蛛”たんの仕事を増やすような真似はしないよん」

 

 小悪魔染みた笑みを浮かべながら振り向いた少女の首にはリングのネックレスの他にもう一つチョーカーが付けられていた。

 それはセイフティネックと同じもので智美が持っているリモコンによって電流が流れる他、無理矢理外そうとした場合も発動されるようになっている。文字通り枷を付けられた初季だが、それは前回問題を起こしたことと魅車八重子を敵対視しているのが原因だろう。

 智美もどうにかしたいと考えているが、こればかりは結果を出さねばどうにもならない。故に智美も心苦しく思っており、そのことは初季も理解している。

 

「そう、なら行こっか。何か食べながら行く? 奢るよ」

 

「わぁーい! じゃあねクレープがいいよん! クリーム増し増し!」

 

 だからかだろうか、状況のわりには下手なわだかまりはなく気さくな関係が築けていた。

 昇格したことで給料が増える為か智美がそう提案すると初季は元気よく食いついてきた。

 食べるものを早々に決めると二人は足並みを揃えて歩み始めた。

 彼女達が去った跡には未だに言い合いを続ける大助達の声と、壁から浮き上がるように現れた一匹の蛾のような“虫”だけだった。

 




ムシウタキャラって本当に個性あるなぁと思いながら書きました。
なお、元と智美は若干キャラが違うので地の文とかでも分けて使います。


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監視

シムウタ放送から今年で十年目という事実。


 赤牧市の市内にある築十年足らずのマンション。その一部屋は特環が用意した元の拠点だ。

 調査や任務の手続きなどで時間を食らい、日が完全に暮れた頃初季とともに帰ってきた。

 着いて早々シャワーを浴びに行った初季とは対照に、未だに元は智美の姿でリビングのソファーに横たわっていた。

 こちらに着いてからまだ日が浅いため、最低限の物しかない部屋を見渡しながらくるくると人差し指を回す。その指には糸が絡まっており数秒凝視した後消滅させる。

 

「相変わらず趣味が悪いんじゃないかなー」

 

 一見独り言のように発した言葉は、確かに『誰か』に向けたものだ。

 しかし返答はなく、静寂だけが部屋を埋め尽くしている。

 無反応の相手にやれやれと首を振るとポケットからケータイを取り出しある人物へ連絡を入れた。

 

「や、久しぶり元気にしている? ん? 誰か分からないって? ああ、ゴメンゴメン今ちょっと『変わってて』ねぇ。慣れないかもしれないけど、聞いて欲しいんだー」

 

 立ち上がり、ベランダへの窓を開ける。昼に感じた刺すような日差しは完全に消え失せ、代わりに涼しい風が部屋に入り込む。

 乾いた空気が流れるように通り過ぎる。その一瞬の心地よさを堪能すると再びケータイを耳に当てる。

 

「窓開けることをオススメするよ、今日は一段と夜風が気持ちいいからねー」

 

 恐らく通話口の向こうでは首を傾げているのだろう。だが通話相手の性格的についついその通りに動いてしまうはずだ。

 ケータイから聞こえてきた僅かな音を確認すると智美はベランダから離れ、部屋すら出て、廊下にまできた。それはもう十分過ぎる程に。

 そして目視で邪魔になりそうな障害物がないことを確認すると、最後に一度だけケータイに向け言い放った。

 

「じゃ、今から行くから」

 

 その言葉が合図となり、智美は駆け出した。

 廊下からスタートしてゴールは“ベランダの向こう”。一般的な短距離走の五十m走よりも更に短い距離を全力で駆け抜けた。勢いは落とさず、むしろ上げるつもりでベランダに足を踏み入れると手すりや柵を飛び越えた。

 そのまま重力と慣性の法則に従い、智美の体はマンションから少し離れた道路に叩きつけられるはずだった。

 しかし彼女の手に絡まって伸びる糸がストッパーの役目をし、寧ろ振り子のように引き戻された。

 少し落ちたことにより元いた自室ではなく、その一階下の部屋に吸い込まれるように入っていく、窓に当たらなかったのは幸いにも空いていたからだろう。

 もっとも……。

 

「ぶっ!?」

 

 そのすぐ傍にいた人物には当たってしまったようだが。

 

「やっほー、お邪魔するよ“じゃのめ”」

 

 クッション代わりに下敷きにされた少年に対し、智美は片目を閉じ、愛らしい笑みを浮かべて挨拶した。

 

 

 少年、深見雅人は内気な子どもだった。

 人との触れ合いを恐れ、干渉を拒み、ただ一人であり続けようとした。

 しかし如何に望まなくとも特定の誰かとは接触してしまう。そして雅人にとってもその『誰か』はいた。

 クラスの学級委員をしている少女。彼女とは特に接点はなかったはずだった。しかしある時を境に彼を気にかけてくるようになってきた。

 イジメにはあっていなかったが、彼はその性格故にクラスで孤立していた。別に他人からどう思われようとも気にすることはなかったが、そんな彼を『学級委員』という立場にいる少女は見過ごすことは出来なかった。

 他人に興味がなかった彼にとって、それは刺激的だったらしい。事あるごとに話かけてくる彼女のことがじょじょに気になり始め、ある『想い』が生まれた。

 そしてそれに惹かれ“化け物”が現れ、その存在によって彼は虫憑きへとなった。

 幸い暴走はせず、更には戦闘には不向きな能力の所為もあり、すぐには特環に見つかることはなかった。

 しかし、半年もしない内に別件でその区域に来ていた元の感知に引っかかってしまい、敢え無く捕縛。

 その後中央本部の監視班に配属となっていた。

 以上の経緯から、彼は元に対して苦手意識を持っている。元本人は気楽な関係が望ましいと思っているのだが、そこは捕らえた者と捕らわれた者。意識の相違があるのは仕方のないことだろう。

 

「相変わらずの覗き趣味、大いに結構。でもさ、やる相手間違えてない?」

 

 脚を組み、他人のソファでふんぞり返っている智美とは対照に雅人は床で正座している。智美の手には糸でぐるぐる巻きにされた球体状の物がある。それは先程帰宅した際に“巣”に引っかかった彼の虫の一体だ。大蜘蛛の特異な糸によって捕らわれたそれは消すことも大きさを変えることも能力を使用することすら出来ない。

 雅人の虫はジャノメアゲハと呼ばれる虫に酷似しており、虫が見聞きしたものを宿主も知ることが出来るという能力だ。単体ではなく群体型であり、効果範囲も数kmに渡る程広い。戦闘能力は皆無に等しいものの、その能力故に監視班では重宝されているとの事だ。

 さて、問題はどうしてそんな彼の虫が自分達の部屋にいたかということだ?

 いや、聞かずとも大よその予想は着く。どうせあの副部長が念を込めて自分達を見張らせていたのだろう。あの女ほど「信頼」という言葉が似合わない者はいないのだから。

 現にこうして責められているというのに雅人は言い訳すらせず黙って俯いているだけ。これは余計な事を言った際の厳罰を恐れているからだろう。

 恐らくこのまま言及した所で時間を無為にするだけだ。

 

「よっと」

 

 ならばと智美は腰を上げた。

 そして手の中のジャノメアゲハの拘束を解いて宙に逃がした。

 

「今回は見逃してあげる。でも外はともかく家での監視は控えて欲しいな、私はともかく“からす”はれっきとした女の子なんだからね」

 

 特環の局員になった時点でプライバシーなんてあったものではないだろう。しかし、それでもその線引きは大事だと思う。

 無いに等しい=蔑ろにしていい訳ではないのだから。

 そこを十分に言い聞かせると智美は帰るため踵を反し……そのまま首だけ振り返った。

 

「ま、それでも止めないって言うなら止めないよ。でも、その時は高高度からの命綱無しのバンジーは覚悟しておくようにね」

 

 そんな不穏な言葉だけを残し今度こそ智美は帰って行った。来る時とは違い今度はちゃんと玄関から出て行ったようだ。

 その後ろ姿を見ながら雅人は嫌な任務を任されたことに大きなため息を吐くのだった。

 

 

「あれぇ? “大蜘蛛”たん何処か行ってたのぉ?」

 

「ちょっとヤボヨー♪」

 

 部屋に戻るとシャワーを終えた初季がソファーに座り、何かのバラエティー番組を眺めていた。

 玄関のドアが開く音が聞こえた後智美が来た為小首を傾げながら訊くと、軽い感じで返された。

 その事自体は然程興味がないのか「ふぅーん」と流す初季。次いで思っていた疑問を投げかけてみた。

 

「ところでぇ、いつまでその姿なのぉ?」

 

 初季の問いに自分の姿を再度確認する。

 腰まである長い黒髪、日本人形のような整った顔立ち、同い歳にしては自己主張が少し強い身体的特徴。ホルス聖城学園の制服を纏った立派な美少女、的場智美。

 

「何処かおかしい?」

 

 今度は智美が小首を傾げてみせた。

 

「うん。家に帰ってからもその姿の意味ってあるのぉ?」

 

 その言葉に「ああ」と合点がいった智美は「じゃ、シャワー浴びるついでに戻ってくるねー」と着替えを取りに自室に戻った。

 そして……。

 

「あぁ、だるかった……」

 

 十数分後。

 言った通りシャワーを終えてから帰ったきた時にはいつもの元に戻っていた。

 

「たく、何で女に擬態しなくちゃなんねーんだよ」

 

 面倒だ。そう思いながらも元は自室から持ってきた資料に目を通した。

 今回の任務。“かっこう”のサポートと“からす”の教育の同時進行の為男の姿だと不都合が多いのだ。“かっこう”のサポートだけならそうでもないが、そこに“からす”の教育が入ると色々と面倒なことになる。

 まず単純に男と女の組み合わせ。グループとかならともかく男女二人組は色んな憶測が飛び交い学校生活に支障をきたす可能性がある。特に今回の潜伏先であるホルス聖城学園は思春期真っ盛りな年頃の子しかいない。

 “からす”の再教育を任されたが、これは戦闘能力に対するものではなく態度や姿勢のことを意味している。そういったものは一朝一夕で直るものではないし、ましてや“からす”は筋金入りだ。だからこそ長期的に挑む姿勢になり、そうなったら男の姿ではあらぬ噂が立ち目立ってしまう。

 そこで用意されたのが『的場智美』という少女だ。女の子同士なら一緒にいようと「友達」の一言で済む。特に怪しまれる心配はないというわけだ。

 その分“かっこう”と接触する時は勘繰られることもあるかもしれないが、今回の様子を見ても大助の方が被る一方なようなのでこちらとしては問題はないだろう。

 以上の理由により『的場智美』という少女は今回の任務に必要不可欠な存在なのだ。

 

「でもなぁ……」

 

 ただ一点、元には気に食わないことがあった。

 

「“欠落者”の女の子のデータ使うか、普通」

 

 資料に目を落とす。そこには『的場智美』というかつては虫憑きであり、現在は欠落者となった少女のデータが細かく並んでいた。

 架空の人物でなく、わざわざ実在の女の子を使う必要性が何処にあるのか? 

 そんな疑問は当然浮かぶ。しかし考えても分からないものは分からない。何よりこれを命じたのはあの魅車だ。常人に理解できるはずがない。

 

「ハジメたん、おなかすいたよぉー」

 

「はいはい、わかったわかった」

 

 僅かに残る嫌な予感を拭うように元は同居人の腹を満たす為に台所に立つのだった。




エタっててごめんなさい。
時間取れるようになったので再開しようと思います。


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説得

二章は飛び飛びとはいえbugの本筋を沿っていくので巻きで行きます。


「ふぇ? 虫憑きについて知りたい? 何でまた?」

 

 昼休み。

 食堂に向け歩いていた元――的場智美は昨日会ったばかりの少女、一之黒亜梨子に捕まり、そのまま屋上へと連れてこられた。傍らには彼女の亡き友人の虫である銀色のモルフォチョウが羽ばたいていた。

 聞きたいことがあるらしく、どうやらそれは虫憑きのことらしい。

 「“かっこう”に聞いたら?」という言葉に亜梨子は「機密事項らしくて何も言わないわよ」と口を尖らせる。

 それは御尤もだろう。“虫”という存在は世間には公にしていない、あくまで噂や都市伝説程度に留めているものだ。だから一般人に対し情報公開することはあり得ない。

 

「ところでその大ちゃんは?」

 

「置いてきたわ」

 

 正確には亜梨子がトイレに立った際に偶々智美を見つけ、そのまま連行した為大助は現在教室で他の二人の女友達にいじられている最中だ。

 哀れ大助。そう心の中で黙祷する智美を他所に亜梨子は「教えて」と再度詰め寄ってくる。

 どうするか。そう一瞬逡巡するが、既に無関係ではないし、それに彼女はこの後起きることの中心となる者だ。多少早く知った所で問題はないだろう。

 そう結論付けると智美は彼女に腰を下ろすように伝える。

 一瞬困惑の色を見せるが「ちょっと長くなるから」と言うと納得したのか、大人しく座った。

 そしてそれを後目に智美は邪魔が入らないよう虫の能力を使って屋上に鍵をかけた。

 

「さって……先に言っておくけど、答えられる範囲でしか言えないからねー」

 

 前置きをした智美に亜梨子は分かったと首を縦に振る。

 

「あ、一応聞くけど貴女はどこまで知ってるの?」

 

 余計な手間を省く為まずは亜梨子がどのくらい虫について知っているのか問う。

 

「えーと、虫の形をした異形の存在、人の夢を食べる、虫がやられると欠落者になる……そして夢を食べ尽くされた人は死んでしまう」

 

 一つ一つ指を数えて折りながら言っていく。最後、僅かに詰まらせたのは仮とはいえその光景を思い浮かべてしまったからだろう。

 

「基本的なことは知ってるのね」

 

 恐らくはなんやかんやで大助から辛うじて聞き出せたものなのだろう。彼なりに答えられる範囲では答えたらしい、相変わらずの捻くれ者に智美は内心ほくそ笑んだ。

 

「なら私が答えれるのは虫の種類くらいかな」

 

「種類?」

 

「そう、“かっこう”や貴女の友人……花城摩理の虫は同化型で、私のは分離型。虫には種類があるのよ」

 

 『原虫』と呼ばれる虫を生み出す大本の存在がいる。虫とは彼らがよって生まれるものであり、種類は大まかに三つに分けられている。

 分離型は“大喰い”と呼ばれる原虫が生んだ虫だ。数が最も多く、それ故に個々の能力も強さもバラバラ。遠隔操作だったり武器になったり群体だったりと色々あるが『実態がある』という特徴だけは共通のものだ。ちなみに“大蜘蛛”はその中でも最もポピュラーなタイプだ。

 それとは真逆に『実態を持たない』という特徴の虫が特殊型と呼ばれるものだ。

 特定の物を媒体として力を行使し、『領域』という自身が能力を扱う空間を持つ。その領域は他の虫の力を抑制する働きもあるらしく非常に相手にし辛い虫なのだ。

 これは“浸父”と呼ばれる原虫が生み出している。“大喰い”と比べ出現率は低く年間数体から多くて十数体程度とのこと。

 そして、最後に同化型。

 この虫は宿主と同化することで能力を発揮するタイプであり、現在最も数が少ない虫だ。その希少性に恥じることなく、いずれもが強大な力を宿している。これに当て嵌まらない唯一の例外は“からす”くらいだ。

 超人的なまでに身体能力を向上させ、特定の物を同化することによりそれを『武器』として扱い、更なる攻撃力を得ることすら出来る。

 生み出しているのは“三匹目”と呼ばれる原虫だが目撃例はなく、虫も数えれる程度しか発見されていない。それ故最も謎に包まれている。

 

「まぁ、だいたいこんな感じかな」

 

 一通り説明を終えた智美は腰を上げ、「もう用はないよね」とそそくさと退散する気満々だ。

 

「ちょっと待って! まだ聞きたいことが――」

 

 静止の声を上げる前に休み時間の終わりを告げる予鈴が鳴る。

 どうやら本当にここまでのようだ。それを亜梨子が悟ると智美はそのまま屋上を後にする。

 扉の向こうでは不服そうに睨む亜梨子が見える。これ以上話すことはないと思うが、下手に機嫌が悪いままだと友人が八つ当たりを受けるかもしれない。

 一応その辺りの事も配慮し、「また時間があったら教えてあげる」という言葉を残し去っていった。

 その「また」がいつのことを差すのかは伏せて……。

 

 

 

「むぅー」

 

「いや、だから謝っているだろう、悪かったって」

 

 特別環境保全事務局・中央本部の通路で二人の局員が歩いていた。

 ご立腹と言わんばかりのふくれっ面で睨んでくる初季に元は何度目か分からない謝罪を口にした。もっとも、何度目か分からない程言っている為誠意は少しなくなっているのだが……。

 曰く、昼休み昼食を一緒に食べようとしていたのに無視された、との事だ。

 亜梨子に捕まった際、すぐにケータイで簡易的なメッセージを送ったというのに何故か今尚責め続けられる元。

 

「はぁ……分かったよ、後でなんか奢るから」

 

「やったぁ!」

 

 その言葉で一変、満面の笑みとなった。

 元はため息が漏れ、心の中で「クソ」と毒づいた。最初からこれを狙っていたのだろう、現金な物だ。

 予定外の出費に頭を抱えたくなったが、それよりも早くに前方に目的の部屋が見えてきた。

 気は重いが「任務だから」と割り切り、初季を連れ部屋に入るのだった。

 

 学校が終わり、然程時間も経たぬ内に元は中央本部に来ていた。

 内容は前もって伝えられていた『ある虫憑きの説得』である。

 本日はその実行日となった為彼は出向いてきたのだ。

 ちなみに初季が同伴している理由は、現在彼女は元の監視下にあるからであり、長時間の別行動は許されていないからだ。今回は本部に直接出向く形になる為彼女を置いてくる事は立場上出来ない、それ故に連れて来る他なかった。

 任務が任務の為居た所で役に立つことはないが、しかし放っておくことも出来ない。なるべく静かに見学して貰うことを願う。

 

 着いた先は白い部屋だった。

 その部屋は別室から何人かの白づくめによってモニタリングされている。そのモニターにはセーフティネックを付けられた少女が写っていた。

 リアルタイムで稼働しているらしく、時を同じくして元、“大蜘蛛”がその部屋に入る。同行してきた“からす”はモニタールームの方にいる。

 

「はじめまして被験体2587号。俺は本日の君の交渉人、異種九号“大蜘蛛”だ」

 

 白い部屋、白い薄着を着た少女。

 それとは対照に黒いコートを纏った少年はゴーグルを着けた上からでも分かる快活な笑顔を浮かべそう名乗った。

 

「ついに号指定まで引っ張ってきたのね、そんなにあたしを組み伏せたいのかしら」

 

 愛想よくいった元とは異なり、少女は警戒心を強め、敵意すら持った目で睨んでくる。

 整った顔立ちの所為かその表情は一層険しく更に憎悪が浮き彫りになる。そういった感情は“からす”である程度慣れたと思っていたが、それでも無意識に半歩後退り程の迫力があった。

 

「ま……まあまあ、そんなに警戒するなよ」

 

 一瞬たじろぐものの、オホンと咳払いした後元は備わっていた椅子に座った。

 テーブルを挟み、同様に座っている少女と対面する形になる。

 間近で見るとその容姿の可憐さがよく分かる。まだ少女という年齢でありながら美貌と称して良い程の美しさ、囚人として囚われているにも関わらずその姿は名のある絵画から出てきたのではないかと思える程だ。

 

「えーと、まずお近づきの印に……」

 

 そう言って元は持ち込んできた紙袋の中から『ある物』を取り出し少女の前に置いた。

 

「……………………………」

 

 そのあまりの場違いな物に言葉を失った少女には構わず「あまり良い物食ってないだろうと思ってさ」と割り箸まで置く。

 そして彼女の前に置かれた物――『どんぶり』という食器の蓋を開けると湯気が上り、その下からカツ丼が覗いていた。

 

「……なんでよ」

 

 「美味そうだろ?」という表情を浮かべる元に対し、この時唯一少女が発することが出来た言葉はそれだけだった。

 

 



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過去編『夢贈る泡沫』
『満』


本編更新ではなく過去回。時系列的に元の初任務の話。
何気に重要な話だったんだけど、ある事情により普通に更新するのが難しかったので回想のように本編がある程度進んだらこっちも更新していきます。

※ムシウタ風のラブコメです。


「うたかた……?」

 

「そう、暫定名称“うたかた”。今度キミが監視に当たることになる虫憑きだ」

 

 六月の始め。長い訓練期間を終えたばかりの頃。

 三野元は配属初日に支部長室にて、東中央支部長の土師圭吾と対面していた。

 着いたその日に任務を与えるその手際の良さは流石と言えるが、正直な所元はさっさと休みたかった。

 三月の終わりに特別環境保全事務局に捕まり、それから二ヶ月以上にも渡る訓練の日々。自衛隊にも負けないのではないかと思われたスパルタ教育も昨日でようやく終わりを迎え、さぁのんびりしようと思っていた矢先に呼び出されたのだ。本来であれば不満の一つも言いたい所だが、生憎と相手はあれでも上司だ。もし、万が一にも機嫌を損ねた場合、更に過酷な任務に就かされるかもしれない……となれば、選択の余地などある訳もない。

 呆れと諦めを半々に、資料に視線を落とす。

 そこには一人の少女の写真と詳細データが記載されていた。

 

 ――水無月 (みちる)。私立代光中学一年B組に在席。五月二十六日生まれで現在は十三才。家族構成は両親はいるが兄弟はいない。運動神経は良く、学力は上の中。日本人特有の黒髪、大和撫子を思わせる長いそれを途中でばっさりと切った様な不出来なセミロングが特徴的だ。

 

 ざっと流し読んだくらいだが大体はこんなものか、更に細かい所は後で見ればいい。そう思い、顔を上げると最初から抱いている疑問を口にする。

 

「それで、どうして俺なんですか?」

 

 正直、自分にこの任務は向いていない気がする。何しろ元は感情的で有名な分離型だ、軽く自己分析するもやはり合わないのではないか?

 それに対し、土師の出した答えは――。

 

「不服かい? なら、戦闘班に行けるように取り計らってあげよう」

 

 一見、まるで“いい上司”の様な対応を見せる。だが、元は知っている。この土師圭吾という男が如何に腹黒く、どうしようもない皮肉屋なのを。

 

「…………………………」

 

 現に今だってそうだ。彼は元の虫が戦闘向きでない事を知っていながら敢えて先の言葉を口にした。弱い虫を持つ元の答えなど最初から決まっているというのに……本当に性格が悪い。

 

 虫は生まれる際、宿主の想いとその強さを受けて、形状や能力が決まる。

 例えば“かっこう”なら『居場所が欲しい』という願望から、それを手に入れる為の力が身につく。

 強い()を持つ者の根底にあるものは真っ直ぐで強い、揺るぎない想いだ。

 しかし、全ての人間がそんな想いを持っている訳ではない。例えば、そう……何処かの黒い蜘蛛は『失いたくない』という夢から生まれたが、その根底にあるのは――恐怖だ。喪失を恐れ、無くす事を拒絶した者の片割れだ。

 故に、そんな臆病者から生まれた虫が戦えないのは当然と言えるだろう。なくす事、なくなる事の恐怖から生まれた怖がりな虫はせいぜい自分の領域で罠を張り、近付いた敵から逃げる事しか出来ない。

 脆弱で怖がりな人間から生まれたちっぽけな虫――それが“大蜘蛛”なのだ。

 

「……それで、その“うたかた”ってのは何で監視しなければいけないので?」

 

 もはや避けられない任務だと悟った元は改めて件の虫憑きについて訊く。監視が付く、その理由は大雑把に分けると二つ。

 一つは虫が特殊、もしくは希少な能力を持っている場合。

 もう一つは、その人物が虫や虫憑きと何かしら関係がある場合。

 両者共虫が関係しているが、それが虫そのものか人かの違いによる所が大きく、それぞれで対応も異なる。今回は相手が虫憑きである事が事前に分かっている為、恐らく特殊な虫だと推測できる。ただし問題はその対応だ、まさか本当にただ見ていろという訳ではあるまい。

 

「ボクも全てを把握している訳じゃないんだが……」

 

 まるで勿体振るように一息置き、「ただ」と続ける。

 

「どうやら彼女――“うたかた”は、『成虫化を抑える』能力を持っているらしい」

 

「な――!」

 

 ニヤリと嫌味ったらしい笑みを浮かべる上司。それにどんな思惑が籠っているのかわからないが、これだけははっきりした。

 これまでの前振りは全て、その言葉を言う為の前座で、彼は今元の顔を見て愉快な気持ちになっているという事だ。

 

 

 ――――――――――

 

 

 ある春の日の事だ。

 少女は友達の家から帰っている最中だった。太陽が西に沈み、朱に染まる街を眺めながらいつも通りの道を歩く。

 春休み、例年通りなら家に着けば宿題が待っており、少し陰鬱とした気持ちが彼女を襲う。しかし今年は違う。少女の足取りは寧ろ軽く、スキップしてしまいそうな程気持ちは晴れやかだ。

 何故なら、そう……彼女はついこの間小学生を卒業したばかりだからだ。故に宿題などある訳がない、毎日が遊び三昧だ。

 こんな日がずっと続けばいいのに。そう思うと同時に後二週間足らずでなるだろう『中学生』という未知の領域にわくわくしている自分もいた。

 少女の心は今、その名を表すかのように満たされていた。

 だからだろう、彼女は前から抱いていた想いが日増しに強くなっていくのを感じた。

 

「ねぇ、貴女の夢をきかせてくれない?」

 

 丁度そんな時だった、あの赤いコートの女性と出会ったのは。

 朱に染まった世界で、赤を身に纏った美女。それだけなのに異質な存在である事はすぐに分かった。

 彼女の『直感』が告げている。関わるな、逃げろと。

 しかし少女は本能に逆らい、逆にその問いに応えてしまった。別段怖かったからとか、催眠術にかかったといった事ではない。……ただ、その質問に応えなければ少女は『自分らしくない』と思ったから。何より、彼女にとって夢は隠すものではないと思ったからだ。

 故に、少女は誇るように高らかに、誓うように応えた。

 

「わたしの夢は――」

 

 

 ――――――――――

 

 

 ベッドの上で少女――水無月満は目を覚ます。

 随分懐かしい夢を見たものだと起きた後も尚鳴り続けるアラームを止めて思う。実際の所、そんなに古い記憶ではないが毎日が刺激的で『あの時』の事が霞んで、つい忘れてしまうのだ。

 それはそうと。満は最近日課に成りつつある恒例行事を済ます事にした。

 不意に、彼女の前にある気配が現れた。顔を上げるとそこには薄い水の膜に覆われた、アワフキムシという虫に似た“何か”が満の眼前で浮かんでいる。

 

「おはよう」

 

 本来なら異常なのだろうが、彼女にとっては既に日常の一つになったモノ。それに向け挨拶を送ると、異形の存在はまるで応える様に小さく縦に揺れた。

 “虫”――主に思春期を迎えた青少年に取り憑き、宿主に異常な力を与える代わりに、彼らの夢や記憶、想いを喰らう異形の存在。

 巷では都市伝説として(まこと)しやかに噂される程度のあやふやなモノだが、満の眼前にいるそれは紛れもなく本物の“虫”だ。しかも種類は最も数の多い分離型。

 春休み、あの赤いコートの女性と出会ってから姿を現した所を見るに、あの女性が虫を生み出しているのだろう。出来れば二度と関わり合いになりたくないものだ。

 

「……よし」

 

 思考もそこそこに学校に行く準備を済ませる。

 学校指定のブレザーに袖を通し、鞄を持ってリビングに向かう。道中顔を洗ったり、軽く身だしなみを整えた後目的地に到着。テーブルの上には既に朝食が出来上がっているが、家の中に人の気配はない。

 満の両親は共働きをしている。父は普通のサラリーマン、母はそこそこのデザイナーだ。一見関係性がなさそうな二人だが、実は幼なじみというものらしく、彼らが結婚に至ったのも仕事からではなく近所付き合いからだ。

 忙しい二人だが月に二、三日は休みを取り、家族サービスをしてくれる。朝食は毎朝欠かさず作ってくれるし、学校行事にも参加してくれる。共働きの家庭にしては珍しく、水無月家は至って良好に回っていた。

 

「いただきます」

 

 出来立てではない為熱くはないが、どちらかというと猫舌の満にとっては程好い温かさが籠っていた。この様子から察すると、十分くらい前には出来てた様だ。それから自分が起きるまでの僅かな時間に仕事に出掛けたという所だろう。

 

(そろそろかな)

 

 白米をもぐもぐと口にしながらケータイを開く。すると計ったかの様なタイミングでメールを二件受信した。それは両親からので内容はいつも通り『気をつけて行ってらっしゃい』という家では言えない挨拶と『最近物騒だから早く帰ってくるように』という娘の身を案じた内容の物だった。

 心配性だなと思いつつも、自分が愛されている事を再確認。

 

『行ってきます。なるべく早く帰ってくるね』

 

 そして、いつも通りそう返信すると食事を再開する。

 家に居てもあまり顔を合わせられない水無月家だが、どんな時でも毎日朝の挨拶は欠かさない。本当は面と向かってしたいのだが、彼らの境遇がなかなかそれを許されない為最低でもメールでこういうやり取りをしているのだ。

 半ば作業と化してる気がするが、実際挨拶は大切なのだ。うんうんと一人で納得し、最後の一口を口にする。

 

 食器を水に浸し、時間を確認。

 七時二十分。このまま家を出れば余裕で間に合う。何せ満の通う学校は、自宅から歩いて行ける距離にあるのだから。

 余裕余裕と気楽な気持ちを持ち、景気点けを兼ねて、この時間帯にやっている占い番組を観てみる。

 今日は朝からコンディションが高い、きっと運勢も良いはずだ。

 そんな満の期待とは裏腹に、どうやら本日の運勢は最悪らしい。その中でも恋愛運は悪く、『最悪な出会いを果たす』と出ている。

 

「む……」

 

 これは気に食わなかった。只今絶賛『恋愛募集中』の満にとって、『最悪な出会い』とは聞き捨てならない。

 もうあのテレビ局の占いは見ない、絶対に。そう密かに思い、テレビの電源を切る。

 

「いってきます」

 

 鞄を片手に、誰もいない家に向かって小さくそう言うとドアノブを握り外へ出る。そして、いつも通り満は学校に向かって歩き始めた。

 

 

 ――――――――――

 

 

 よく自分の名前は面白いと言われる。

 水無月満――『水』の『無』い『月』が『満』たされるという矛盾を孕んだ名前。しかし満はその名前を気に入っていた。水無月という苗字は格好いいと思うし、『満』という名前に関しては単純にその言葉が好きだ。

 しかし、現在彼女はどうにも満たされない。春先までは充実している様に感じたが、中学に上がり環境や視点が変わった事で何かが足りないと常日頃から思う様になった。

 原因は分かっている、恐らく同年代の子どもならほとんどが既に経験している感情を自分だけが理解できていないからだ。故に、今満は欲している。

 

 ――『恋愛』という甘酸っぱい想いを……。

 

 

「――ということがあったんだよ」

 

 予定通り、予鈴が始まる十分前には学校に着いた満は、教室に入ると小学校からの友人である緒川つぐみに今朝の占いの内容を愚痴る。

 

「そう思うなら、いい加減付き合えば? まだ懲りずに告白してくる人いるんでしょ?」

 

 机に俯き、まるで何かのマスコットキャラクターの様にダレている満に、つぐみは何度目かわからないがいつもと同じ言葉を言う。だがそれに対する満の答えもいつも決まっている。

 

「ん〜……なんかさ、これじゃない感な人しかいないんだよね」

 

 これだ。何とも要領を得ない返答だが、長年の付き合いからつぐみはその言葉の心意を理解していた。つまるところ、好みの異性に巡り合えていないのだ。

 水無月満は普通の子どもと違い、少し変わった感性を持っている。その中でも、一際彼女自身に影響を与えているのが『直感』である。

 物心がついた頃……いや、もしかしたらつく前からかもしれないが、満は直感が普通の人と比べ鋭かった。それは既に第六感や超能力と言っても差し支えないと思える程だ。

 ある時は危険を察し、ある時にはテストのヤマを当て、またある時は啓示の様に選択を示すそれを満は信頼していた。

 しかし、それは同時に弊害も生み出していた。例えばそう……今満が絶賛苦労中の『恋愛』もその一つだ。

 本来なら恋愛は感情以外にも少なからず相手の外見や能力が関わるのだが、彼女はそれを完全に度外視し、無意識の内に『直感』に頼ってしまっている。

 普通の人ならそれでも構わない。何せ『感』だ、外れる事の方が多いだろうし、そうなったら自然と頼らなくなるだろう。しかし彼女の場合はその例ではない、何故なら満の感は“外れる方が少ない”からだ。

 だからこそ彼女は直感で『合わない』、『違う』と思った時点でバッサリと切り捨てる。

 見た目が良く、明るくて、すぐ誰とでも打ち解けてしまう満は昔から人気者だがそういった経緯により、恋愛経験はおろか実は初恋すらまだ済ませていないのだ。

 

「はぁ……」

 

 自然とつぐみの口からため息が漏れる。

 確かに自分が信頼している直感で運命の人と巡り合えたら、それは素晴らしいのだろう。……しかし、そんな事では出会えるのは一体いつになる事やら……。ただでさえどんなタイプが好きなのかもわからないのに、直感だけで決めようとするとは……つぐみから見て満は色んな意味でチャレンジャーだった。

 

「そういえば、今日うちのクラスに転校生が来るの知ってる?」

 

 本人が直感に対しての認識を変えないとどうしようもない為友人の事は一先ず置き、話を変える意味も込め、先日から話題に上がっている『転校生』について訊く。

 

「あ、うん、知ってる。珍しいよね、この時期に転校なんて」

 

 それに対し興味を持った満はがばっと顔を上げる。

 満の言うように確かにこの時期に転校生は珍しい。まあ、五月に転校よりは現実味はあるが、それでもやはり珍しい。今転校してくるとは即ち、前の学校には一ヶ月ちょっとしか通っていなかったという事だ。二年生や三年生なら納得できる所はあるが、相手は自分達と同じ一年生……つまり入学してすぐの転校だ。それなら最初からこちらの学校に入学した方が早い。親の急な転勤など家庭的な事情だと思うが、それでも作為的なものを感じてしまうのは恐らく最近『彼ら』の襲撃を受けた所為だろう。

 

「……どうしたの?」

 

 急に物思いに耽った満を心配してつぐみは顔を覗き込む。

 

「ううん、なんでもないよ。ちょっと考え事してただけだから……」

 

 流石に一般人のつぐみに“あの事”は言えないので、代わりに『大丈夫』と伝える。ただ、それだけだけと怪しまれそうだったのでついでに「ところでその転校生って男子? それとも女子? 男子ならわたしの運命の人だと信じたい!」とハイテンションで且つ個人的な願望も少し込めて付け加えた。

 そのいつも通りの姿を見たつぐみはくすりと笑い、「ふっふっふー、それはねぇ……」と意味あり気に溜める。

 

 しかしその瞬間チャイムがなり、同時に担任の先生が入ってきた。

 「お前ら座れー」となんともやる気の抜けた声の持ち主たる男性教員だが意外と時間には厳しいらしく、大抵チャイムとともに現れ、チャイムとともに消えていく。

 そんな彼の登場により、つぐみの言葉は遮られるが、代わりに解答が目の前に姿を現す。

 

「あー……知ってる奴もいると思うが、今日からこのクラスに新たな仲間が増える事になった」

 

 相変わらずやる気のない声色で淡々と語る担任の横に立っているのは見覚えのない男子生徒だ。

 所々跳ねたクセっ毛が特徴的な黒髪が気になる程度の、“どのクラスにも一人は居そうな”雰囲気を持つ少年。その少年の名前が男性教員の手によって黒板に書き出された。

 

「三野元です、よろしく」

 

 担任に顎で促された男子生徒は簡潔に、社交的な笑顔を浮かべて自己紹介をする。それを見届けた担任は「仲良くしろよー」とクラス全体に淡白に言う。

 それから元に席を教えた後はいつも通りに点呼が終わる。他に連絡事項がなかった為か、チャイムが鳴ると担任は教室から出ていった。

 

 さて、転校生の恒例行事と言えば、質問責めだろう。まだ若く、遠くの世界を知らない彼らから見たら、転校生とは正に別世界の住人に近いだろう。

 

「前は何処で暮らしていたの?」

 

「何でこの時期に転校してきたの?」

 

「趣味は?」

 

「好きなタイプは?」

 

「恋愛経験は?」

 

 故に僅かとはいえ、休憩時間に入ればこうなるのはある意味必然だった。

 

「前は氷飽に住んでいたよ、この時期に転校してきたのはよくある話親の都合なんだ。趣味は色々あるけど、最近はネットサーフィンかな。好きなタイプは大人し目な子かな……て、何言わせんだ! 恋愛経験に関しては、昔から転々としてたからそういうのとは無縁だったよ」

 

 矢継ぎ早に訊かれた内容を全て返す元。大体何を訊かれるのかは予想出来ていたので、事前に容易していた答えをまるで友達にでも接する様な感覚で自然に話す。

 

「はい!」

 

 十分ちょっとの僅かな時間しかない為そろそろチャイムが鳴るだろうと思い、さりげなく授業の準備を始めようと思った矢先、一人の女子生徒が手を挙げる。

 その少女――水無月満と視線が合うと彼女はにっこりと可愛らしい笑顔を浮かべ、

 

「わたし、元くんの彼女に立候補します」

 

「ああ、うん、別に良い…………え?」

 

 爆弾を投下し、元の頭をフリーズさせた。

 

 この日の朝、一年B組から驚嘆の声が学校内に響き渡った。

 

 




泡沫編は趣味全開で書きます。本編の話がある程度進んだらこちらも更新する予定。

あまり関係ないけど、自分の虫に関する引き出しが少なすぎる……誰か本編とかで使えそうな虫知らないかな……。


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返事

最近本編の方がシリアス続きなので、息抜きにこちらの方を更新。


 ――どうしてこうなった……。

 

 元の頭の中は今この言葉で埋めつくされていた。

 実質拒否権のない監視任務を与えられ、監視対象のいる学校に潜入できたのはいい。その後、すぐにクラスに馴染めたのも問題ない。だが、あれだけは想定外だ……。

 

『わたし、元くんの彼女に立候補します』

 

 素敵な笑顔を浮かべて何を言っているのか、あの少女は……。出会ったばかりの、まだ口すらきいていない相手に告白だと? しかも衆人環視の中で堂々と……一体彼女の頭の中はどうなっているんだ?

 確かに元々彼女とは友達くらいの関係にはなろうと思っていた。近過ぎず遠過ぎず無難に『友人』というポジションに着いて監視に当たるはずだった。しかし、気が付けばそんなものより更に上位の位置に自分は今いる。

 前途多難だ、いくらなんでも行き過ぎだ、あれは。もしかして最近の中学生はこんなにアプローチが激しいのかとも一瞬考えたが、周りのクラスメイト一同も自分と同じ反応をしたところをみるに、それは違うのだろう。

 

「なんなんだ……一体……」

 

 昼休み、屋上で一人寂しく食事にあり着いていた元は、何度も彼女の事で頭を悩ませていた。

 

 あの後、衆人環視の中行われた告白だが、そのすぐ後に空気を読まず――もしくは空気を読んでか、一時間目の教科の先生が来た所為でタイミングを見失い、元は未だに返事をしていない。

 そう、あの()から昼まで、ずっとである。

 ……というのも、誠に残念な事に元は恋愛経験がない。

 前世では小学校を卒業した後は中・高ともに男子校に通う羽目になり、女子と接する機会がなかった上、更にその最中事故で死亡。

 現世では小学校までは普通に暮らせていたが気付けば虫憑きに、そして特環に捕まり、つい先日まで訓練浸けの日々。

 そういった経緯で未だ真っ当に恋愛をした事がなく、免疫のない元にとって、ストレートに告白をした満は『苦手な人』に分類されたらしい。

 だから今も、立ち入り禁止区域である屋上に来てまで一人で淋しく昼食を取っていたのだ。何せ教室だと興味や嫉妬などの視線に晒される上、件の少女がいる。

 本来なら監視対象から離れるのはいけないのだが、今回ばかりは仕方がない。一緒に居れば確実に彼女の好意の籠った視線を一身に受ける事になり、心が痛むのだから……。

 昔やったゲームで、『一目惚れは暴力』と例えられていたが、全く持ってその通りだと全面的に同意しよう。

 授業中も、一体どっちが監視者なのかわからなくなる程見られていたし。休憩時間に入れば嬉しそうにこちらに近付いてくる。おかげでその僅かな時間すら逃げる様に教室から出なくてはいけなくなる始末。

 

「はぁ……」

 

 ため息が漏れ、がっくりと項垂れる。

 ラブコメ漫画の主人公の気持ちがなんとなく分かった。今まで安易に「爆発しろ」とか言ってすいませんでした、だからさっさとこの任務終わってください、お願いします。

 そんな藁にも縋りたい気持ちで思っていると、不意に胸ポケットからごそごそという音が聞こえた。

 一瞬驚く元だったが、「そういえば……」とあることを思い出し、忍ばせていたそれを取り出した。

 それは一見……というより、どこからどう見ても只の紙だった。

 無地で丁寧に折られたこと以外特出すべきことのないそれに、僅かな染みが浮かび上がる。最初、滲む程度のそれは徐々に数を増やし、パーツのように繋ぎ合わさっていくと文字となり、更に数が増えると文章となった。

 

『監 視 し ろ』

 

 数秒も待たずに紙に表れたその言葉に対し、元はため息を一つ。

 

「メンドくせぇ……」

 

 陰鬱とした気持ちの中、空腹を紛らわすかのようにもそもそとパンを食べ始めた。

 

 

 -----------------

 

「お前は一体何を考えているんだ!」

 

 時同じく。本校から渡り廊下を挟んだ隣にある特別棟の空き教室にて、鼓膜が破れんばかりの大声が響いた。

 

「愚問だなぁ九重先輩。わたしは何時だって恋に生きる女なのだよ」

 

 キーンと未だに耳鳴りがし、耳を塞ぎながら蹲る数人を他所に、怒られた当の本人である満は何故か胸を張ってそう応えた。その姿を見るに、恐らく反省はしていないのだろう。

 件の少女の態度に頭を悩ませている、180cmに到達するほど大きな体格の少年--九重護は呆れたように頭を横に振る。

 

「たく、もう少し自分の立場ってのを理解しろよ」

 

「む……失礼だなぁ、これでも自分のことくらいちゃんとわかってるよ」

 

 そう言いながらもそわそわしているところを見るに、早くあの転校生に会いたいのだろう。言動が全く一致していない辺り説得力は皆無に等しかった。

 元々自由奔放の権化みたいな彼女を100%制止出来るとは思ってもいないが、それでも限度というものを考えて欲しかった。

 素性は知られていないとはいえ自分達は今ある者達に追われているのだから。

 そんな意味を込めた護からの無言の視線を満は渋々ながらも受け取る。確かに満自身もそういった面倒事に巻き込まれるのは御免だ。

 

「……ねぇ、話ってそれだけ? ならわたし、もう行ってもいいかな?」

 

 だがしかし、それとこれとは話は別だ。いくら見つかりたくないからといっても恋愛をするなと言われて「はい、そうですか」と大人しくなるほど彼女は聞き分けがいい方ではない。寧ろそんなことは関係ないと言わんばかりに行動するのが満だ。

 

「分かってると思うが、目立つ行動はするなよ」

 

 短い付き合いだが、それを理解している護はそそくさと空き教室から出ようとする満に再度忠告する。

 自分の行動を先読みされたことと恋路の邪魔をされたと勘繰った満は扉を開けると身を翻し、思いっきり息を吸い込んだ後……。

 

「いーーーーーっだ!!」

 

 悪態(?)をつけてから勢いよく扉を閉めてから出て行った。

 数秒。静寂が場を支配していたが、護のため息とともにそれは崩れた。

 やはり、あの年頃の少女に色々と抑制を強いるのは難しいのだろう。思えば護自身そういったことには覚えがある。不慣れな環境の中、あれも駄目これも駄目と言われ続けた結果反抗期に陥っていた時期があった。故に、その気持ちが分かる自分が満にも同じ気持ちを味わわせるのは気が引ける……。

 

「なあ、彩斗(あやと)……やっぱオレは間違っているのか?」

 

 僅かに抱いた不安。それを掻き消そうと昔からの友人に肯定を求めた。

 

「……別に。ただ、本当に正しいものなんてこの世にはないからね。だから君の好きにすればいいと思うよ、僕は」

 

 ひたすらノートに何かを書き殴っている痩せ型のメガネを掛けた少年。がたいがよくどうみてもアウトドアな護とは対照的にインドアな印象が強い彼は、護の問いに否定も肯定もせず淡々とそう応えた。

 

「……そうだな」

 

 一見冷たいようにも思えるが、それが少年--萩村彩斗なりの肯定であることを知っている護は安堵し、瞼を閉じる。そして柄にもなく、神頼みというものをしてみた。

 虫憑きという異形の存在の願いを叶えてくれる神が果たしているかどうか……それは護には分からない。しかし願掛けをするくらいは自由なはず。

 だから、『とりあえず』願っておこう……。

 --何事もなく平穏でありますように、と。

 

 -----------------

 

「むぅ……」

 

 水無月満は絶賛不機嫌中だった。

 先輩達からの呼び出しの後急いで教室に戻るも元は居らず、渋々つぐみと共に昼食にありついたのだが、結局元が戻ってきたのはチャイムが鳴る数秒前で話すことすら出来なかった。

 今朝の返事も気になるが、それよりも彼について詳しく知りたかった。自分でも上手く口に出来ないが彼を見た瞬間、ビビっときたのだ。彼以外には考えられない、そう思えるほどに満は元に釘付けになった。

 この感覚は知っている、何度も経験している。間違いなくあの「直感」だ。

 やはり占いは当てにならないな、と思いながら元に視線を向ける。

 今は本日最後の授業、理科を受けている最中だ。黒板とノートを何度も往復しながら授業内容を書いていく姿は他人目線だと面白く感じる。こういった日常の中の観察は見方や視点を変えると意外と面白いのだ、満の趣味の一つに人間観察が密かに入っていることは満だけの秘密。

 今日はその中に新鮮な色が混ぎれており満の楽しみは更に増している。

 一体彼は今何を考えているのだろう? 授業のことだけか、はたまた満のことか、それとも全く関係ないことか……。出来ることなら自分のことを想っていて欲しい、気になっていて欲しい。印象に残るために皆の前で思い切って告白したのに全く気にされていなかったら、流石に凹む……いや、だからといって諦める気は毛頭ないが。

 

 そんな感じに頭の中が元一色に染まっている満の視線を一身に受けている当の本人。その心境だが……満とは違った意味で元の頭は彼女のことで溢れていた。

 ただでさえ監視対象として目が離せない相手だったのに例の告白により完全に無視できない存在になった。

 どうやったら少ない接触で監視できるか? 先ほどから元の頭の処理能力はそのことだけに使われていた。授業に関しては一度習った内容なのでノートに写しておけば問題はない、どんなに低くても平均点以上は取れるはずだ。故に、今直面している最大の問題はやはり満の対処だろう。

 如何にして彼女と距離を置いて監視できるか。

 一番手っ取り早い方法は彼女を「振る」ことだ。そうすればこれ以上付きまとわれることはなく、友達かもしくはそれ未満の関係になれるだろう、監視者として考えればこれがベストな答えだ。だがしかし、これには大きな問題がある。それは……元自身恋愛経験がなく、へたれであるということ。もっと正直に言えば心のどこかで嬉しいと思っている自分がいるのだ。

 生前十数年、転生後十二年。それだけの間浮いた話が一度もなかった元にとって、今回の満の告白は本当のところかなり嬉しく、喜ばしいことなのだ。任務でさえなければ、多分首を縦に振っていた可能性はかなり高い。

 それ故に、元にとってその選択は相当堪えるものとなった。

 他に何かないかと思案するが、幾ら考えてもやはり一番効果的なものは一つしかなかった。

 

「はぁ……」

 

 深く、それでいて哀愁が篭ったため息を静かに吐いた。

 結局、もう普通の生活が出来ない以上始めから答えは決まっていたのだ。浮かれようが慌てようがそんなことは既に意味がない、とれる行動は一つだけ。

 後ろめたさや罪悪感、そして僅かな寂しさを抱きつつも、元は意を決した。

 そんな元の気持ちに応えるように、本日最後の授業の終わりを告げるチャイムが今鳴り響いた。

 そして予想した通り、やはり満は一目散にこっちに向かってきた。

 

「……ごめん」

 

 本当に嬉しそうな笑顔を浮かべる彼女に対し、聞こえないほどの小さな声で先に謝った。

 彼女の……満の気持ちに応えることは出来ないから。

 

 ――その日、元は初めて受けた告白を断った。




とりあえず一応ラブコメをやる以上はハートフルにしたいですね……勿論ムシウタ的な意味で。


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謝罪

ラブコメってこんなのでいいのかな……?
真っ当な恋愛なんてしたことがないので変な所があったら教えてください。


 唐突だが失恋とは何か考えたことがあるだろうか?

 

 「失恋」とは好きな人にフラれたり、恋人が別れたり、恋心が冷めたりすることを意味する。

 それは極めて一般的な常識であり、皆当たり前のように受け入れている。故にこの知識はどこも間違ってはいないはずだ。

 そうだ、それなのに……。

 

「……なんだこれ」

 

 げっそりとやつれた時にでも出るような声が漏れた。見た目に変化はないが内面的には正にそんな心境の元。

 そうなった原因に視線を向けると目があった。そして少女、水無月満は満面の笑みを浮かべて微笑み返した。

 

 元が彼女を振った翌日の朝の出来事であった。

 昨日のことが脳裏にこびり付き夢でリフレインまで果たした元の朝は、最悪だった。

 告白の返事をした後、満の目に涙が浮かんでいた。涙を浮かべ、しかし完全に泣く前に教室から走って出て行った。

 その時の彼女の表情が傷ましくて見てるだけで……いや、思い出しただけでも胸が張り裂けそうだった。それは一晩たった後も変わらず残り続けていた。

 目覚めた後も上の空だったり、食があまり進まなかったり、着替えてる時にうっかり扉に腕をぶつけたりとフった影響がかなり出ていた。

 しかしそれでも監視任務がなくなるわけではない。つまりどう足掻いても学校には行かなければいけないのだ。

 どんな顔をして会えばいいのか……。重い足取りのまま家を出、どんな展開になっても対処できるように頭の中で何度もシュミレートを行いながら通学路につく。

 気が重く、偶にため息を吐きながらとぼとぼと歩いていると、分かれ道の前に一人の少女がいた。

 まだ肌寒い所為か既に衣替えの時期だというのに未だに学校指定のブレザーを着ており、大和撫子を思わせる長い黒髪を途中でばっさりと切った様な不出来なセミロング。

 泣いたカラスがもう笑った。そんな言葉の通りに別れ際の涙が嘘のように引き、嬉しそうに笑顔を浮かべている彼女--水無月満は、待っていたと言わんばかりに分かれ道の前に立っていた。

 

「あ……」

 

 予想外の出来事。

 昨日あんなことがあったのだから避けられても仕方ないと思っていた元にとってこの邂逅は不意打ち以外の何物でもなかった。

 頭が混乱し、どう切り出していいものか分からずただ言葉が濁るばかり。しかし、そんな元の気持ちなどお構いなしに満は気を引き締め歩み寄ってくる。

 一歩、一歩と進む度にその足音が何かのカウントダウンのように感じられた。それが永遠のようにも感じられたのは確かな負い目があるからだ。「振った」という事実が元の心を蝕み罪悪感を駆り立てる。

 何をされても文句は言えない。ぶたれても受け入れる以外の選択肢なんて元には最初からない。

 そう心に決めていたはずなのに、いざ目の前にすると逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。理性でなんとかこの場に立ち尽くすことができるが、それも恐らく長く続かない。何かの拍子で弾けるように駆け出すかもしれない……。

 --だから、もし「それ」をするのならさっさと済ましてくれ……じゃないと俺は……。

 

「--ごめんなさい」

 

 罪悪感に耐え切れず、限界に近付いていた元に届いたのは、罵声や痛みではなく謝罪だった。

 

「………………え?」

 

 それを受けた元の頭は今困惑していた。

 何故泣かした側ではなく泣いた側が謝らなくてはいけないのか? 謝るのは本来自分の方ではないのか? 第一何に対して謝っているというのか?

 頭が軽くオーバーヒートしてしまいそうなほど高速回転で思考を巡らすも、しかし元はそれらの答えにたどり着けなかった。

 状況がいまいち呑み込めない、そんな表情を浮かべる元を微笑みながら覗き込む満。

 不意に顔が近くに寄られてドギマギしてしまった元とは対照に、呆気にとられたような表情を見て満足したのか前に向き直る満。

 

「わたしね、今まで恋ってしたことなかったの」

 

 分かれ道の右側を進み始めた彼女。そっちは学校のある方角……どうやら遅刻しないためにも歩きながら話すようだ。

 

「なんて言ったらいいのかな? わたしはなんでも感覚で決めちゃうの、それは服だったりテストの回答だったり夢だったり、色々ね」

 

 満の後ろ、声が届く範囲でおおよそ二メートルほどの間隔を空けて歩く。

 感覚で決める、か……。その適当とも思える決め方で出来た夢、それから生まれた虫の所為で今自分は此処にいるわけなのだが……それを彼女は知らないし、仮に知ってもどうすることもできないだろう……。

 

「その所為かな、わたしは皆が感じる異性の魅力っていうのが感じられなかったの。学校で一番かっこいい人とか見ても「あ、この人モテそうだな」ってくらいの印象しか持てなくてね。わたし自身何回か告白されたことはあるんだけど、心がつき動かされたことは一度もなかった……」

 

 表情は見えないが、声色から寂しそうに語っていることが窺える。

 話を聞いて元が彼女に抱いたイメージに「天才」という言葉が追加された。

 「天才」とは何も頭のいい人間だけにつけられる言葉ではない。何か他に類を見ないほど特出した能力の持ち主を呼ぶ際にも使われることがある。例えば学年最下位の知力しかなくても誰よりも走るのが速く、それを実感したものならば皆口にするだろう、「天才だ」と。「天」から賜った「才能」、故に「天才」。

 しかしてこういった才能の持ち主は常人とはズレた感性を持つ場合がある、芸術家ほどではないがそういった影響を満も受けているのだろう。そうでもなければ虫憑きにもなるほどの夢を感覚で決めるなんてことはないはずだからだ。

 

「『恋がしたい』そう思っていた時にキミが転校して来た。一目ぼれっていうのかな? 見た瞬間びびっときたの、わたしが待ち望んだ人はきっとこの人なんだって」

 

 そう言って振り返った彼女の顔には昨日までとは別のベクトルの笑顔が浮かんでいた。そこには喜びと嬉しさと感謝の気持ちが籠もっていた。それだけ元の存在は満の中では大きかったのだろう。

 

「……だからだろうね。嬉しくて嬉しくて、自分のことしか考えてなかった。……キミのこと、見てるつもりが見ていなかったんだ」

 

 --故に、大きすぎたが故に満は元の気持ちを汲み取ることが出来なかった。

 好きだから成就する、自分が好きだから相手も好いてくれるはず。そんな、まるで恋に恋してるような状態に満は陥っていた。

 そんな妄想と夢想が入り混じったような甘い思考はしかし、元の「付き合えない」という発言の前に脆くも崩れ去った。

 夢が覚め、待っていた現実は厳しいものだった。しかしなにより満が赦せなかったのはそんなことにも気付かずに彼に告白した自分自身だ。満にとって告白は憧れだった、それなのに熱に浮かされその本人をちゃんと見ずに行った自分が赦せるはずがない。

 振られて当然だ。家に帰り、冷静になって考えればそういう結論に辿り着くのに時間と苦労は掛からなかった。

 

「だから--」

 

 唐突に近寄り、手を差し出す満。

 昨日振られてから色々考えて反省した。きっと自分は行き急いでいたんだろう、慣れたつもりだったが今の生活にどこか恐れを抱いていた。もしかすると明日何かの拍子に死んでしまうかもしれない、もし死ななかったとしてももう「人」として生きていくことはできないかもしれない。

 そんな不安が心のどこかにあったのだろう。だから待ち望んだ人が現れただけであんなに取り乱した。

 振られたのは辛いがそれでも一緒にいたいと思う。焦らずゆっくりと距離を縮めていく、今はそれでいい。

 

「お友達からお願いします」

 

 だから友達(此処)から関係を始めよう。

 

「……ああ、よろしく」

 

 元も、理由はどうあれ向こうから関係を修復してくれるのは願ってもいなかった。任務のこともあるが、何より三野元という人間にとって水無月満はよくも悪くも目が放せない存在になっている。

 告白されたこと、振ったこと、正面切って友達になろうと言ったこと。いずれも元が初めて体験することばかりだ。控えめに言って気になる特別な存在、大胆に言うのなら多分好きなのだろう。

 満の気持ちに応えるように元は彼女の手を握る。女の子との接触に内心緊張していることは悟られずに努めながら。

 

「それと--」

 

 虚勢を張ることに必死だった元は不意の出来事に対応できなかった。

 腕を引っ張られバランスを崩し前のめりになる、なんとか倒れまいとその場で踏ん張るがその瞬間。

 

「ん……ッ!?」

 

 正に目と鼻の先に満の顔があり、唇が何かに触れて……いや“塞がれている”のを感じた。

 ほぼ0距離で彼女と目が合った、その瞳は潤んでいた。勇気を出して臨んだからか、はたまた勢いでやって自己嫌悪(後悔)でもしたのか……しかしそれも一瞬で成りを潜め、嬉しさで目が細まった。

 体感時間で一時間は経ったと思うほど長い時間、しかし現実には数瞬すら経っていないその行為は満が離れることで終わりを告げた。

 

「な、ぁ……おぉ、まッ……バぁ……ァッ!?」

 

 経験も免疫も一切ない元に対してその不意打ちはかなり効果的だった。金魚のように口をパクパクと、蛸のように顔を真っ赤にする。

 その表情を見て、「してやったり」と言わんばかりに舌をペロっと出す満。

 

「キミのこと諦めたわけじゃないから。絶っっ対わたしを好きになってもらって、そして今度こそちゃんと告白するからね」

 

 頬が朱色に染まりながらも想い人を指差しそう宣言する。

 振られたことで奇しくも彼への想いを再認識できた。

 やはり自分は彼が好きだ、どうしても諦められない。だからもう一度だけ当たってみよう、今度はゆっくり相手のことも見ながら。

 今回の「それ」はそのことに対しての挨拶であり、宣戦布告でもある。絶対に落としてみせるという意思の顕れだ。

 微笑を浮かべてはいるものの、そこには確かな決意があった。

 

「そ、それじゃあ、わたし先に行くから。遅刻しちゃダメだからね!」

 

 だがしかし、数秒後突如満の顔が真っ赤になった。

 昨日のように熱に浮かされた勢いではなく、今回はちゃんと自分の意思で行った、本当の意味での初めての告白。それを理解しているからこそ、全てが終わると恥ずかしさで気持ちが一杯になった。

 昨晩、担任の教師に彼の自宅の場所を教えて貰ってから今の今までずっと緊張しっぱなしだったのだ、ポーカーフェイスには自信はあったがそれも既に限界。

 気付けば、逃げ出すように元を置いて先に行く。本当はもっと一緒にいたいのに今はこの燃えてしまいそうな体を静めたかった。そうしなければ彼の傍にいるなんて、とてもじゃないができやしない。

 昨日とは別の、ぽかぽかとしたまどろみのような温かさではなく、燃えるような熱が体を駆け巡る。

 苦しくても、確かな心地良さを感じた満は知らずに笑みを零していた。

 

 残された元は満の後ろ姿を見送りながらそっと唇を撫でた。

 満からの不意打ちである「それ」……キスは、元にとって初めての体験だった。

 時間も忘れ、その時の感触を何度も思い出しながら唇を撫でる。

 結局、元が正気を取り戻すのには数分以上の時間を有した。

 転校二日目、遅刻が確定した。




行動力があるヒロインをデレさせたらこうなった、後悔はしていない。

今回のサブタイが謝罪なので私も一つ謝っておこうと思う。
実は私…………原作からではなくアニメからムシウタ入った口です。正確には、当時のクラスメイトがその特集が載った雑誌を持ってきたことで知りました。
それからアニメ(序盤の方)を見て、世界観や設定が気に入り、おさわりとして一巻を買い、そこから当時の原作とbug全巻揃えるほどどっぷりとはまりました。
シムウタ、シムウタ呼ばれている黒歴史のアニメですが、そういった経緯を持ってる私はある程度は感謝しています。恐らくあれがなければ私がムシウタに興味を持つことはなかったでしょうからね……。

……ただ、だからといってアニメの出来が悪いことは否定しませんからね。
どうしてああなった……。
bugのドラマCDの続きマダカナー(遠い目)


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料理

約半年ぶりの更新。
一応日常回です……ムシウタのな(ボソ


 ――どうしてだ、どうしてこうなった……?

 

 彼の胸中にはその疑問が根付いていた。

 此処二、三日に及ぶ逃亡生活により心身は共に磨り減っていた、しかし思考はそれを唾棄することを許さなかった。

 何人に追われているのか皆目見当もつかない、だが見つかればそこから更に人が増えるはず。

 そう思い、身を低く屈め橋の下で僅かな休息を取る。全身に酸素を供給するように大きく深呼吸を数回。ポケットに入れれる程度の小さく、数もない菓子を口に含み栄養源を補給する。

 息を潜め、まるでドブネズミのように縮こまり外の様子を窺うことも忘れない。

 数人程度なら問題はないが、十人以上に囲まれたら厳しいだろう。こちらは一人しかいない上、相手はほぼ際限なく数を投入できる。最悪、一人で数十人並みの力を持つものが来るかもしれない。先程逃げる際に聞こえた「これ以上行ったらアイツの管轄だぞ!」という言葉、それにより追撃を辞めた者達。言葉を聞く限りその「アイツ」というのは相当恐れられているのだろう。彼らの口振りからしても自分よりも強いと見ていい。

 

 ――何故自分がこんな目に合わなければいけないのか? 自分はただあの老人に望んだだけだ。

 

 自分を取り巻く理不尽さに苛立ちを覚えた。

 彼は“ただ”あの古びた教会に招かれ、問われ、そして“ただ”応えただけだ。あのローブを羽織った老人に。それだけのはずだった……。

 しかし気付けば虫憑きだ、捕獲対象だと瞬く間に日常は一変してしまい、そうして逃げ続ける日々が始まったのだ。

 

「なんで……!」

 

 不条理に(いきどお)りを感じ歯を食いしばる。

 どうしてこんな目に合わなければいけない、どうして自分だけが、どうして……どうして……。

 数分間の答えのない自問を終えた彼は腰を上げた。まだ少年と呼べる歳の彼が背負うには重すぎる不条理と理不尽。逃走中何度も先と同じように嘆いたが、そうしても結果が好転するわけでもないことを悟り――思い出し、けれども諦めたくない彼は再び歩き出す。

 この先待ち受けている運命など知らず、静かに……ゆっくりと……。

 

 

 -----------------

 

 

「は・じ・めー!」

 

 放課後のHR(ホームルーム)が終わり、それを告げるチャイムが鳴る。

 担任はそそくさと出て行き、生徒達も各々帰り支度や部活の準備に勤しむ中、自分を呼ぶを声を聞いた少年……三野元は、身の危険を察し回避行動を取る。

 しかしそれは大きく開かれた(かいな)と予想を上回るスピードによって無為に帰してしまう。

 べったりとまるで恋人のように引っ付く少女、水無月満は満面の笑みを浮かべ「今日は何処に行こっか?」と訊いてくる。

 あれから二週間が経過していた。満は毎日のようにアピールという名のアタックを繰り返し、元はそれに付き合っていた。任務ということもあるが、単純に一緒にいて楽しいという気持ちもあった為断る理由はない。

 

「構わないけど、何処に行くつもり?」

 

 ただしこの過剰なスキンシップだけは止めて欲しいと願っている。

 逃げない代わりに満の拘束を解き質問すると一瞬悩むもののすぐに「じゃ、商店街の方に行こう」と応え、元の返答を待たずに手を掴むとそのまま引き摺るように連れていく。

 嵐のような一連だったが此処二週間で既に見慣れてしまったクラスメイトは茶化すこともせず、ただ今まで行っていた作業を続行した。

 唯一、満と旧い付き合いであるつぐみだけはその姿に微笑ましく見送っていた。

 

 

「うーん……元は何か欲しいものある?」

 

 クリーム増し増しのクレープを頬張りながら満は訊いてきた。

 その大雑把な食べ方をしている所為か頬にはクリームがいくつも付いており、それを見かねた元がハンカチを手渡す。

 

「いや、大体は買い揃えたかな」

 

 ハンカチを貰いクリームを取ると「そっか、なら……」と何処に行こうかと満は思考を巡らせる。

 

 二週間という期間は長いような気もするが短くもある、しかし絆を強めるには十分な期間だ。

 元々印象は悪くなかったが、それでもこんなに早く名前呼びをされるとは思っていなかった。往来誰とでもすぐに打ち解けてしまう満故だろう。それにこうして毎日の様に--否、休みの日を含め毎日買い物に付き合っている成果でもある。

 ただし、それ故に生活用品は既に充実しており、現在では逆に買うべき物を探すのに苦労する程だ。既に予備とかも買い足しているので実質最近はお菓子等の嗜好品を買ったり、ウィンドウショッピングが主になっている。

 それはそれでデートらしくはあるが、だからこそ免疫のない元は『口実』が欲しいのだ。流石に真っ向からデートをするにはまだ経験が足りないらしく、そのことは満も察しているらしい。だからこそ彼女は何かしらの理由を付けて連れ出すことにしているのだ。

 しかしそれもそろそろネタ切れ。毎日買い物をしているために元の部屋は充実している。このままでは連れ出す口実がなくなり彼とは学校くらいでしか会えなくなる。いや、普通ならそれでも構わないかもしれないが満は彼に「自分を好きになってもらう」と言ったのだ、やると言った以上妥協と自重はしない。

 ならばどうするか?

 会う為の口実、物資が充実している現状。無理に買い足すよりは寧ろ逆に……。

 

「……よし」

 

 思考の海にどっぷりと浸かっているとふと名案が思いついた。

 そうだ、これなら現状でも何も問題ない。寧ろ現状だからこそ使える手だ。

 我ながら良いアイディアではないか。口の端を吊り上げながら、満は自賛した。

 そして、だからこそ満はすぐに行動に移した。

 

「じゃあいこ、元」

 

 元の手を取るとある場所へと向かった。その場所とは……。

 

 

 先人曰く「惚れさせるには胃袋を掴め」とのこと。

 その言葉は何処で覚えたか定かではないが、しかし言ってることは尤もだと思う。容姿だけでなくそういった細かい所もアピールするのが恋愛の駆け引きなのだろう。

 如何に告白をしているとは言え、やはりそういうことを怠ってはいけない。脈はあれど、正式に付き合ってはいない以上いつ何時誰かに横から掻っ攫われるか分かったものではない。幸いにして料理には多少の覚えはある、小さい頃よりよく母の手伝いをしていた為、メジャーなものなら粗方作れる。自らの女子力を見せつけるにはこれ以上の機会はない。

 着々と予定調和の如く惚れさせて見せる。

 --そうして意気込み、張り切って向かった先はよく通うスーパー……ではなく、元の住んでいるアパートだった。

 元々此処半月は買い足す必要がないほど充実している、冷蔵庫を開ければ溢れそうなほどあるので食材を調達する手間はなかった。正直、面倒臭がりな元の場合こんなにあっても全てを使いきれる保証はなく、腐らせてしまう可能性もあるだろう。故に満が来たことは元的にも食材的にもありがたかった。

 

「………………」

 

 だがしかし、いくら潜伏先とはいえ自分の家に年頃の少女を招くことなどなかった元は落ち着かない気持ちで一杯だった。

 何せ急な来訪だ。一人暮らしでないことを知られない為に予め「共働きで外泊の多い両親」という設定を学校の方に告げており、結果クラス内にもその情報は浸透している。だから両親のことで怪しまれる心配はない。

 しかし実体は男の一人暮らし。言ってはなんだが清潔感はあまりない、テレビで見るゴミ屋敷ほど酷くはないが、それでも折り目正しく綺麗に整っているわけではなかった。

 その為部屋に入った際僅かばかりに満の眉が動いたのが分かったし、「料理している内に少しは片したらどうか?」と遠巻きに言われる始末。

 元々派手に散らかっていたわけでもなかったのでそれ自体は十分もせずに終わり、今は細かい箇所の塵などを取っている最中だ。

 

「……はぁ……」

 

 そんな自分の姿に元は大きなため息を漏らした。今この時だけは監視者としてでなく、一人の男として不甲斐無く思ったからだ。

 先の満の挙動が気になる、嫌われたか? もしくは幻滅されたか?

 そんなマイナス方面の思考が頭を巡り、結果更に気落ちする。

 実際の所、確かに少しばかり評価は下がっている。しかしちゃんと現実を見ようと決めていた満にとってこの程度のことで嫌いになるはずがない。寧ろ、世話が掛かるなと苦笑を浮かべるほどの余裕すらある。彼女はあくまでも元自身が好きなのであり、彼を構成する要素が一つでも気に入らなかったからといって嫌いになるようなことはない。惚れた弱み……いや、この場合は強みとも言えるか。

 ともあれ元のそれはただの杞憂でしかないのだが、無論分かるはずもなく、一人頭を悩ませ続けていると満が盆を持ってきた。その上には本日の晩餐がある、オーソドックスというかベターというか、肉じゃがと味噌汁が乗っている。

 

「はい! 定番ので悪いけど味は保証するよ」

 

 そうしてテーブルの上に自信作を置くと満は胸を張る。数少ないレパートリーの中でも人様に出しても恥ずかしくはないと自負している。元から見ても見た目も匂いも問題はなく、寧ろ美味しそうだ。

 しかしそうも堂々としていると逆に不安にもなる。しかも扉を隔てていた為台所での作業工程が分からなかった所為か、変な隠し味とかがされていないかと勘繰ってしまう。

 少し気後れをしている元に満は箸を渡し、早く感想を聞かせてくれと目をキラキラさせている。

 その後押しを受け覚悟を決めた元は器を持ち箸を片手に、落とさないように慎重に摘み、口に含む。

 

「……美味い」

 

 意外、と言うほどではないがその自信に見合うほどにその肉じゃがはよく出来ていた。

 味は染み込んでおり、食感も硬くない。何度も作った、手馴れた感じが分かる一品だった。

 その元の言葉に気を良くした満は、「ふふーん」と鼻を高くする。

 ……実のことを言うと、いくら作り慣れているといっても身内以外に振舞ったことがなかったので心配していたのだ。特にそれが惚れた相手なら尚更だ。しかもわざわざ相手の家にまで上がり込んで失敗したとなっては明日からまともに顔向けできない。いや、下手をしたら自殺物だ。

 それほどまでに緊張し、細心の注意を払いながら頑張ったのだ。ここで報われなければ世の中の全てを呪っていただろう。

 

「まだまだいっぱいあるからね!」

 

 それが報われた今彼女は満面の笑みを浮かべ、幸せそうにそういった。

 

 

 -----------------

 

 

 完全に日が落ちた街道を満は一人歩いていた。

 元に夕食を作ったことによりこうなるのは始めから分かっていたことであり、だからこそ事前に帰りが遅くなることは両親に伝えてあった。

 そんな彼女の足取りはとても軽い。なんと言っても好きな人が自分の手料理を食べて、その上美味しいとまで言ってくれたのだ。しかもそれが社交辞令ではなく本心からだったことも拍車を掛けていた。

 遅くなってしまい、お礼も兼ねて送っていくと言われたが、それは断った。本来なら彼と共にいられる時間が増えるためそのようなことはないのだが、今回は急遽別件が入った為仕方ない。

 暗い夜道。その一点を照らす街灯の真下に着くと彼女はポケットからケータイを取り出しメールの受信ボックスの中から新しく入った一件を取り出して再度目を通した。

 そこにはこの町に見たこともない虫憑きが入り込んだことを伝える旨が記されている。しかもこの虫憑き特環の猛威から逃げ切れる実力者らしく、敵か味方かも定かでない今無用な接触は避けるよう警告も為されていた。何処から拾った情報かは詳しくは分からない為信憑性は正直低いが用心には越したことはないだろう。

 だから満は元の申し出を断った。もし万が一接触してしまった場合虫の力を使うかもしれない。そうなったら虫憑きであることがバレ今まで通りにいかなくなる。最悪嫌われる……いや、恐れられてしまう。

 そうなったら自分はきっと耐えられない。故に多少強引でも「一人で帰る」と言ったのだ。

 

「……よし」

 

 虫憑き関連の不安要素こそあれど、今の自分は恋に生きる者。そして今日の感触は決して悪くはなかった。綱渡りではあるものの、このままいけば順風満帆な青春ライフが待っているはず。将来的には虫憑きであることも明かし、いつか互いに隠し事のない関係になりたい。

 その為にも、今は着実にアピールしていこう。きっと報われる、そう信じて。

 意気込み、新たに気合を入れなおした満は、頭上で光る月を見上げながら決意を改めた。

 

 その瞬間だった。ガサゴソと音を発て一人の少年が脇道から現れた。

 何処かの制服と思わしき制服は所々が破け、穴も空いている。覚束ない足取りで数歩進むと彼は力尽きたように地べたに倒れる。

 

「大丈夫?」

 

 誰の目から見ても『不審者』にしか映らない少年を前に、しかし満は事もあろうに近付き手を差し伸べてしまった。

 意識が朦朧とし、焦点の定まらない目で満を見つめる少年。虫の息ほどのか細い声で彼は懇願するかのように言った。

 

「たす、け……て……」

 

 糸が切れたように意識を失った少年。

 既に聞こえないであろうが満は嫌な顔せず笑顔を浮かべて応えた。

 

「いいよ」

 

 --キミにも夢をあげる。

 

 自身の夢を思い返し、少女は助けることを決めた。




徐々に本編に繋がっていきます。
泡沫編の元は色々な意味で駄目人間です。どちらかというと満が主人公のような気がする、行動力とか。


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匿う

久しぶりなのに短くてすまない。


『そういうわけで、どうやらボク達の管轄に逃亡中の虫憑きが入り込んだらしい』

 

 談笑を交えながらの楽しい夕食を済ませ、満を見送った後唐突に上司――土師から連絡がきた。

 嫌々ながらも出て内容を確認すると、どうやら南中央支部の局員が取り逃がした虫憑きが東中央支部(こちら)の管轄内に入ってしまったらしい。

 号指定を含んだ十数人から逃れる程の猛者、どんなに低く見積もっても確実に八号指定より上だろう。しかも情報によると特殊型らしく、とことん元との相性は悪い。

 暫定名称を“さら”と名付けられたその虫憑きの対処は“かっこう”を始めとした号指定の局員達が行うらしいが、万一にも遭遇した場合は『足止め』だけはしっかりやって欲しいとのこと。

 簡単に言ってくれたが、無指定で物理的な攻撃手段しか持っていない元では期待以上の成果をあげることは出来ないだろう。勿論土師もその事は理解している、分かった上で言っているのだ、彼は。

 その意地の悪さに顔を歪める。無論電話の向こう側にいる土師には分かるはずもなく、ただ愉快そうな声で「頼んだよ」と言った後一方的に通話を切った。

 

「ちっ、あのクソメガネ……」

 

 面倒事を押し付けられた元は、舌打ちをしケータイをテーブルの上に投げ捨てた。

 無指定である自分が格上の……しかも相性の悪い相手をしなくてはいけないのか。足止めとは言ったが、結局一戦交えることに変わりない。そんなことになれば大した能力もない元など瞬殺される。

 

「とっとと倒せよ、“かっこう”」

 

 ふて腐るように開いた窓に頬杖して呟く。月を見る視線には羨望が込められていた。

 それはきっと、無力感からくる憧れなのだろう。

 わかっていてもそれがなくなることはきっとない。何故なら何処まで行っても元は弱者でしかないから、強大な力を焦がれるだけの有象無象の一人に過ぎないのだから……。

 そして人知れず、自分ですら自覚出来ずに元は一人の少女の身を案じてしまっていた……。

 

 

 

「本当、お前は面倒事を持ってくるのが得意だな」

 

 大柄の少年、九重護は夜間にも関わらず呼び出した上に身元不明の人物の面倒を押し付けた後輩に訴えるような視線を送る。

 

「いや~、それほどでもないかな」

 

 しかし当の本人は照れたように頭に手をやる。

 

「褒めてねーよ!」

 

 見当違いの反応に護はつい声は荒げてしまった。

 

 身元不明の少年を保護しようと考えた満は、まず自分達の中で一番年上の護に連絡を入れた。

 最初は渋っていたものの、結局根は真面目で優しい彼は引き受けてくれることとなった。

 両親に遅れることを連絡し、少年の手当てをする為に護の家に満はやってきていた。それ自体は既に終わり今は客間と思わしき部屋で二人お茶を啜っている。

 九重の家は昔ながらの旧家であり、屋敷を思わせるほど大きい。かつては武家だったらしく、倉を漁れば錆びた槍や刀が出てくることもあるらしい。

 そんな無駄に広い家だからか、人一人匿うのはわけがなく、事実あの少年も普段使われることのない一室に寝かしつけてきた。

 

「おじさん達は?」

 

「今日は遅い、下手したら深夜だな」

 

 何かの会合でもあるのか、護の両親は出掛けている。尤も、そうでもなければ少年の引き受け役は難しかっただろう。

 そんなことを思っていると、「もしかして、わたしってピンチ?」と見当違いな危機感を抱いている満に護は頭を抱えた。

 確かに満は美少女だが、性格に難がある。おまけに護とは中々合わず、正直言ってタイプではない。

 だから「安心しろ、間違ってもそんなことはないから」と素直に告げると、満は心の底から安堵する仕草をする。

 そんなに信用ならないかとも思ったが、ふざけてやっていることは明白なので無視することにした。

 

「それより彼は一体何者だ?」

 

 ただ呼び出され、あまり説明もないまま匿うことになり、結局詳しい事情を知らない護は満に説明を要求した。

 

「知らない、そこで拾ったの」

 

 出されたお茶を飲みながら「あっち」とある方角を指さした。まるで捨て猫を拾ってきたかのような言だが、事実なのだから仕方がない。護も満が下手な嘘を吐かないのは知っているから余計に頭を抱えることになった。面倒ごとをよく持ってくる故気苦労が絶えず、最近冗談でも「老けてきたのでは?」と言われる始末。それが近頃の悩みで、どうにかならないものかと思っていた矢先にこれである。

 

「あ、でも、彼たぶん虫憑きだよ」

 

 しかも特大級の面倒事のようだ。

 

「なんでそう思う」

 

「この子が反応したからね」

 

 護の問いかけに答えるように満の虫、アワフキムシがその姿を現した。

 満の虫には一応感知能力がある。もっともそれは虫に対してというより『夢』に対してと言った方がいいだろう。強い虫憑きとは即ち、強い夢の持ち主に他ならない。無指定並の弱い者達ならともかく、号指定を受ける程の強さを持つ者ならアワフキムシは反応する。

 その虫が反応を示したと満は言ったのだ。つまりあの少年は号指定並みの虫憑きということになる。

 満の言葉を信じるなら、もしかしたらあの少年は例の『実力者』なのかもしれない。タイミング的にもその可能性はかなり高い。

 そうと分かれば本来なら切り捨てるのが妥当だ。ただでさえ特環に目をつけられてるというのに、彼らから追われてる者を匿う余裕などあるはずがない。

 

「………………」

 

「……いや、わかってる。大丈夫だ、そんなことはしないさ」

 

 しかしどうやら彼らの姫はそれをよしとしなかったらしい。

 無言で思案を始めた護のことをじっと睨むように見つめてきた。そこに込められた想いを察した護は肩を竦め、ため息を漏らしながらそう応えた。

 実際、満のことがなくても切り捨てるようなことはしなかったろう。護は良くも悪くも古い人間だ。それは武家の家に生まれたためだろうが、彼は何より義を重んじる傾向にある。そのためか人道的に反することがとにかく嫌いなのだ。

 だから僅かとはいえ家に迎え入れた彼を勝手な都合で追い出すようなことはしない。それを行うのであれば、少なくとも目覚めた彼と話し合った後だろう。

 故に今すぐどうこうしようということはない。

 

「そっか、なら良かった」

 

 既に空になった湯呑をテーブルに置き、「じゃ、わたしはこれで」とそう言って満は立ち上がった。

 

「もう行くのか?」

 

 夜遅いとはいえ明日は休日。おまけに両親にも連絡を入れたのならもう少し居てもいいのではないか? もしかしたらあの少年が目覚めるかもしれないのだから。

 護の問いかけに満は照れたようにもじもじしながら呟いた。

 

「……だって、明日は元と会う約束してるから……」

 

「あー……はいはい。わかった、引き止めて悪かったな」

 

 最近何度見たか数えるのすら億劫になるその態度に護は頭に手を当てながら呆れてそう言った。

 護の許しを得ると満はそそくさと帰っていった。その足取りは軽く見るからに浮かれていた。

 毎日会っているしデートもしているというのによくもまあ飽きないものだ。色恋に未だ縁のない自分には分からない感情なのだろう。そう思った護はケータイを手にすると親友とも呼べる人物に連絡を入れた。

 内容は無論“彼”に対してのことだ。



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