どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話 (凍傷(ぜろくろ))
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なんだかんだでガハマさん
強気の愛を①


 ───恋に落ちる瞬間って、どんなものだろう。何度か考えたことを考えてみる。

 曲がり角でぶつかる~とか、一目惚れして~とか、そんな経験は一度もない。

 周りが騒ぐほど恋ってものに夢中になれるわけでもなくて、ただ、あたしにはそういうのは来ないんだろうなー、なんて考えながら生きてきた。

 

  きっかけがあるとすれば、それはとてもすごいこと。

 

 経験したことのないなにかが起これば、きっと自分の中の考え方も一気に消し飛んだりするんじゃないかなーなんて思いながら生きてきた。

 周りに合わせてニコニコ笑って、自分の意見は出せずに、後手に回って話すばかりの日々。

 べつにそれがつまらないって言うわけじゃないけど、なんか……なんかだった。

 

  そういう生き方をしてきて、べつになにか、どうしようもなく引っかかるものがあったわけでもない。

 

 あるとすれば、自分を変えてみたい、自分の可能性ってものを試してみたいって衝動。

 頭がよくないなりに頑張って勉強して、進学校である総武高校に合格して、随分と燥いだものだ。

 なんだ、やれば出来るじゃん!

 そんな気持ちが湧いたのも、たぶんその時だけだった。

 入学式の日にサブレと散歩して、早い時間だからパジャマでも大丈夫かなーなんて暢気に歩いていた。

 注意をしていればもっとなにか出来たことはあったのかもしれない。リードが外れてしまったーとか、離してしまったーとか、首輪が取れてしまったーとか、言い始めたらキリが無い。

 でも現実としてサブレはあたしの手から離れてしまい、道路に飛び出してしまった。

 走ってくる車を前に、逃げるよりも早く驚いてしまい、その場に伏せてしまう姿に悲鳴が漏れかける。

 

  そんな時だった。

 

 今思い出しても、正直キモいって思う声を上げて、視界の隅から自転車に乗った男の子が飛び出してきた。

 

「間ぁあああに合えぇえええええええっ!!!」

 

 本当に、必死の叫びだった。

 迫る車に恐怖も感じないのか、一定の距離に入れば自転車を蹴るように飛びついて、サブレを抱き締めて。

 タイヤがアスファルトに擦れる音が高く響いて……サブレを抱いた男の子も、主人を失って倒れかけた自転車も、車にぶつかって……倒れた。

 

「───」

 

 言葉が出ない

 

    ああ 事故だ

 

  サブレを離しちゃったから

 

 あたしの所為だ

 

     あの制服 総武高校の

 

 今日入学式なのに

 

  あたしが

 

   どうしてこんな

 

「……、あ……」

 

 頭の中がぐるぐると渦巻いているように、放送を終了したテレビみたいにザーって鳴っている。

 そんな中で、車から降りてきた黒服の人があたしになにかを言って、あたしは曖昧に頷いて……覚えているのは“全てこちらで処理します”という言葉くらい。救急車が来て、警察が来て、話をして……震える体でサブレを抱き締める途中、地面に落ちていた学生証を拾った。

 

「比企谷……八幡……くん」

 

 怖いことは怖いと思う。当然のこと。

 あたしは今日、家族を失うところだった。

 けれどそんな恐怖を、見ず知らずの人が救ってくれて───……

 

「……《とくん》───あ……」

 

 きっかけがあるなら、なにかとても大きなこと。

 自分の認識が一気に変わるくらいの大きななにかが起これば……あたしは。

 これが吊り橋効果みたいなものの結果でも構わない。

 こんなどきどきを、初めての感情を、それこそ初めて大事にしたいと思った。

 

 

      ×   ×   ×

 

 

 はっきり言うと、あたしは男子が苦手だ。

 なに考えてるか解らないし、いっつも人の胸ばっか見てるし、うるさいし暴力的。

 だからって女子が好きかって言ったらそうでもない。

 人の前ではニコニコしてるのに、その人が居なくなった途端に悪口が始まる。

 男子にしろ女子にしろ、やっぱりちょっと苦手。そのくせ、独りになるのは嫌だから周りに合わせる。

 そんな自分は……あまり好きじゃなかった。

 でも、そんなあたしにも初めて話しかけてみたいって男子が出来た。

 比企谷八幡くん。

 何度かお見舞いにも行ったけど部屋にまで行く勇気が出せず、ようやく行けたと思ったら居なくて、どこか別の場所に行っているようだった。そうなってしまうと情けない心は“じゃあ仕方ないよね!”と片付けて、さっさと帰ろうと結論付けてしまう。

 一定の時間が過ぎて病院から自宅へ移ると、家にまで行ったんだけど……妹さんに応対されて、勇気が出せずにお見舞いの品と学生証を渡すだけで精一杯だった。

 

(な、なんでこんな恥ずかしいんだろ。べつにさ、会ってさ、ありがとって言ってさ、さよならでいーじゃん)

 

 そうは思うのに、どうしても恥ずかしい。

 そうやってもたもたしている内に直接話せないままに比企谷くんは完治。

 比企谷くんは学校にも来たけど……クラスはもう大半の人がグループを作っていて、一ヶ月近くも休んでいた人を迎えてくれる場所なんてそうそうない。

 結果として比企谷くんは孤立してしまったようで、覗いてみたクラスで見られるのは、彼が机に突っ伏して寝ている光景ばかりだった。

 

(……どうしよ。声かけたいのに)

 

 それから比企谷くんを観察する日々が続く。

 見てて解ったのは、自分から独りで居るように動いていることと…………あと、誰も見ていない場所でとてもやさしいこと。

 誰かが何かを落としたらさりげなく拾ってあげて、渡すのか……と思ったら、気づきやすいところにひょいと置いて離れていく。

 拾った瞬間を見られて、持ち主に引かれたりしてたけど、どうして引いたりするんだろ。拾ってくれたんだからお礼くらい言えばいいのに。……なんかちょっとモヤっとした。

 

  とにかく解ったことは、比企谷くんはやさしいってこと。

 

 それを隠してるのか、それともそういう人なのか、目立った行動は絶対にしなかった。

 

「あ、あのー、由比ヶ浜さん、だよね」

「えっ!? あ、え、と……? あはは、あー……はい」

「いっつもこの教室覗いてるけど、誰かに用? あ、もしかして俺とか? うへへ」

「───……あ、やー、ちょっと気になったことがあっただけだから、お気遣いなくー」

 

 途中、遠慮もなしにじろじろ見てくる男子に声をかけられた。気持ち悪い。

 すぐに話を打ち切って離れると、そのまま教室に戻った。

 ……やっぱり男子ってちょっと苦手。

 

 

  ×  ×  ×

 

 

 たまーに、あたしって馬鹿なんじゃないかなって思う時がある。

 一年経っちゃった。結局直接ありがとうとごめんなさいを言うことは出来てない。

 二年に上がって出来た友達の影響で髪も染めたりしたし、口調もなんだかおかしなものになってしまった。その。語尾にやたらと“し”をつけたり。こう言うのもなんだけど、何語だこれ。

 

「あっ……そろそろ時間───」

 

 今日もバスに乗って学校へ行くため、早めに出るつもりで準備を。……って言っても、総武高校までは徒歩5分程度の距離だ。なのにバス。だって朝だるいし。徒歩五分って近そうに見えて地味に遠いし。そんな気持ちで通う日々。

 楽しいことは……正直、あまりない。誰と会話しても“あーそうかもねー”とかそんな曖昧な言葉しか出せない自分が嫌になる。

 あの時、きっとなにかが変わると思っても、結局あたしはあたしのままだ。

 変わるのも変わらないのも悪くはないけど、悪いところを変えて、いいところだけ変えない自分で居たいと思う。

 そんな、自分を好きになれるきっかけを……たぶん、まだあたしは探してる。

 

『今日最も良い運勢の人は! 6月産まれのあなた! 今日は学校の放課後や仕事場での終了あたりに運命の出会いがありそう! もしきっかけがあったなら強気で攻めよう! 一歩引いた考えじゃなくて、ガンガン押した一歩先の関係を目指す勢いで! 大事なのは“ガンガンいこうぜ”ってくらいの勢い!』

「………」

 

 たまたま、ママが見ていた月占いの声が耳に届いた。

 6月……あたし6月産まれだ。

 なにかいいことあるのかな。

 放課後か……運命の出会いって、もしかして……あはは、ないない。

 でもずうっとこのままっていうのもアレだし…………うん、ちょっと頑張ってみよう。

 え、えーと。ほら。あだ名で呼んでみるとか。ちょっとフレンドリーな感じでさ、勇気だして。せっかく二年になって同じクラスになれたんだし。

 ……うん、ついチラチラ見ちゃってるから気をつけないと。優美子とかたまにツッコんでくるし。

 あー、でも失敗したかなぁ。髪の毛染めちゃったから、あたしだって解らないかも。

 

(ううん、怖気づいてちゃだめだよ。強気強気、ガンガンいこうぜ!)

 

 むんと構えて家を出た。

 運命の出会いかぁ……出会いっていうか、もう出会ってるし、同じクラスなんだけどなぁ。

 そんな考えに呆れを混ぜながら、道を歩いた。丁度来たバスに乗って高校まで進んで、降りる頃は……いつもの自分に。

 校門から昇降口、教室までを歩けば今日も元気に一日を過ごす。

 

「やっはろー!」

 

 さあ、ガンガンいってみよう。

 放課後になにかがあるにしても、行動しないと何も見えないんだろうし。

 

……。

 

 で、放課後。

 ……なんにも起こらなかった。

 あ、あれー……? 運命的な出会いは? あれー……?

 う、ううん、ここでそのまま帰ったらきっとだめなんだ。だから、えっと。そ、そう。誰かに相談するとか。

 誰か? 誰だろ。友達に相談とかは……ややや無理無理そんなん有り得ないし!

 そんなことしたら、途端に笑いものにされて“なに必死になっちゃってんのー”とか言われるし……うん。

 そう。なにをしたいかは決まってるんだ。ただ、それをどうしたらいいかが解らない。

 正直、料理の腕はいい方だと思う。ママが作ってるの、横でよく見てたし。うん。見てた。

 アレンジなんかもしちゃって、もしかしたらママを軽く超えた腕かもしんない。うん。

 だからそれをするにしても……家だとママがいろいろ言ってくるかもだし、だから……えと。

 あ、そうだ! 学校のええっと家庭科室とか借りられないかな! そこでクッキーとか焼いて、比企谷くんに…………比企谷くん。うーん。やっぱりもうちょっとふれんどりぃにした方がいいよね。

 えとえと。比企谷八幡くんだから……ハチくん? はっくん? はーくん? ……いやいやいやいきなり名前側でのあだ名とかレベル高いし!

 比企谷……ひき、……ヒッキー! うん、ヒッキー! 苗字だしそこまで馴れ馴れしくなさそうだし、いいかも!

 よし、今のうちに頭の中で練習しとこ。ヒッキーヒッキー。

 あ、相談するのは誰がいいかな。許可を得るなら家庭科の先生だろうけど、どうせ話すなら話しやすそうな……歳の近い若い人がいいよね。

 それだと───あ、平塚先生。

 

……。

 

 平塚先生に相談したら、特別棟のほーしぶ? ってところに行けって言われた。

 なんかお願いを叶えてくれるんだとか。あれ? 違ったっけ?

 とにかく人気の少ない特別棟の四階の隅っこまで来てみた。

 ……ぽつんとある教室のプレートにはなにも書かれていない。

 特別、扉にも“~~部”とか書いてあるわけでもないし、ほんとに誰か居るのかな。

 おそるおそるノックをしてみると、中から「どうぞ」って声。わっ、ほんとに居た。

 でも中から声がしただけで、ここがほーしぶ? ってことにはならないけど……他に充てもないし。

 

「し、失礼しまーす」

 

 廊下の先をきょろきょろと見渡したあと、誰も居ないことを確認してから身体を滑り込ませるようにして中に入った。

 やーほら、友達に見られたらさ、やっぱ恥ずかしいし。

 でもそんな恥ずかしさもこれで終わりに出来る……と思う。クッキー作って、比企谷く……ヒ、ヒッキーに渡して、ありがとうとごめんなさい。これでおっけー。

 うん、ヒッキー、ヒッキー。大丈夫、ふれんどりぃふれんどりぃ。

 ……なんて、ヒッキーヒッキー考えていたら、入った教室の中にその比企谷くんが居た。思わず心の中で連呼していたヒッキーの“ヒ”が悲鳴みたいに漏れたのは仕方ない。……仕方ないよね?

 

「な、なんでヒッキーがここにいんのよ!?」

「……いや、俺ここの部員だし」

 

 あ。思わずヒッキーって言っちゃった。でもすんなり返事が返ってきた。

 わ、わ、これって結構好感触!? やっぱりあだ名にしてよかったかも! だって比企谷く……ヒッキー、教室じゃ全然喋んないし! それにほらっ、放課後! 運命! 出会い! ……が、頑張らなきゃ、だよね?

 そんな風に慌てていたあたしを、ヒッキーはわざわざ椅子を引いて迎えてくれた。

 ……ほら。やっぱりやさしい。

 なんだか自分だけが知ってるかもしれないヒッキーの一面に、照れが浮かぶ。

 あ、ありがと、なんて返しながら座って、さあいざ…………え? 本人が居るのに相談するの!?

 え、えー……? えぇえー……!?

 

「由比ヶ浜結衣さんね?」

 

 なんかもう状況についてけなくて、ぐわんぐわんと目が回る中で、目の前の人……この学校じゃ知らない人はいないくらいの有名人、雪ノ下さんがあたしの名前を呼ぶ。フルネームで。

 あれ? 初対面だよね? なんてことを考えているうちにあれよと話は進んで……途中、雪ノ下さんがヒッキーを外に出そうとしたけど聞いてもらって、覚悟を決めた。

 

「え、と。クッキーを。クッキーを……手作りクッキーを食べてほしい人が居て……あ、えと、それはついでってゆーかっ……そのー……あ」

 

 強気。そうだ、ガンガンだ。あれ? でもこの場合の強気ってなんだろ。一歩前に出たなんとかーとか言ってたよね。

 感謝したいって気持ちはあるし、ごめんなさいももちろんある。

 でもそれだけじゃなくて、あの日に……一年前に感じて、まだ胸の中に残ってるとくんとくんとした温かさも、もっともっと大きくしたいって思う。

 じゃああたしの一歩はなんだろう。友達になりたいのかな。……うん、そうだ。でもそこから一歩前に出た関係を求めるんだよね。ガンガン。

 じゃあえっとー……親友? んん、なんか違うし。じゃあ───こ、恋人、とか?

 あはっ!? あははっ!? いやいやそれはちょっと行きすぎじゃ───あ、でも前にドラマでやってたかも。

 最初に無理難題をてーじして? 次にそれより簡単なものをてーじすると、受け入れやすくなるーとか。

 ヒッキーって教室じゃマジヒッキーだし、友達になろうって言ったって頷いてくれない。

 だったらいっそ恋人ーとか言ってみて、驚かせてからじゃあ友達にって言えば……わ、これいいかもっ!

 

「こ、告白したい人が居てっ!」

 

 ……あれ? なんか違う。でも一歩前へ! 強気で! そ、そう、強気で行くんだからこれくらいでいいんだよね!?

 

「おい、入部して最初の依頼が恋愛相談とかなんなのこれ、レベル高すぎなんですけど……いやいーだろもう。お前みたいな可愛いやつがクッキーくれて、しかも告白までしたら、相手絶対OKするだろ。むしろ相手に恋人居たら修羅場になるまである」

 

 ……え?

 

「比企谷くん。依頼者を下劣な目で見ないでくれるかしら」

「いやなんでだよ。ただの一般論だろうが。下劣な目で見てもいねーし、べつに俺だって、開口一番に引き篭もり呼ばわりされなけりゃ、見た目だけでビッチだなんて言わねぇっての」

「な、なにそれ。べつに引き篭もりだなんて言ってないじゃん。その、比企谷、だからヒッキーなだけだし……」

「え? 苗字から取ってたのかよ……散々ヒキガエルだの引き篭もり谷だの言われてたから絶対悪口かと思ってたわ…………だったらその……アレだ。……すまん、よく知りもしないのにビッチはひどすぎた」

「ええそうね。なにせ自分で処女だと言」

「だからやめてってば雪ノ下さん!! ……それから、ヒッキー……その、ごめん。ほら、ヒッキーさ、いつも独りだったからさ、あだ名とかで呼べれば話せるかなーとか思っててさ……。あの、ほんとさ、引き篭もりとか、そんなの全然考えてなくて。……ごめんね」

「~~……いや、いーよ。悪意がないことは解ったから。そんで、結局どーすんの。帰るの? それとも帰る?」

「なんで帰る一択しかないの!? か、帰らないし! クッキー作るんだってば!」

 

 気だるそうに言うけど、なんだかんだ話はしてくれる。

 ……なんだ、結構話せるんじゃん。

 

「え? まじで作るの? そんなの家で適当に作ればいいだろ……男なんてお前、アレだよ? どんなに形が悪いもんだろうとコゲたもんだろーと、それが女子からの贈り物だって知れば嬉しいもんだよ? もう心とか揺れまくりで、こいつ俺のこと好きなんじゃね? とか勘違いして告白しそうになるほどだろ」

「さすがの気持ち悪さと勘違いのしやすさね、比企谷くん。まさか経験まであるとは知らなかったわ」

「い、いや、今のアレだから。俺じゃなくて俺の友達のH.Hくんだから」

「あなた友達いないじゃない」

「おいやめろ。居なくてもやめろ。事実でもやめろ」

 

 揺れる……勘違いして、告白……へ、へー……そなんだ。男の子って……そなんだ。

 

「ヒ、ヒッキーも……揺れる?」

「あ? あーもう超揺れるね。渡されたのが俺ならもう告白して振られるまであるレベル」

「振られちゃうんだ!? わ、わー…………あ、えと、ヒッキーはさ、そのー……家庭的な女の子とかって、どう思う?」

「そりゃな、料理は出来るに越したことはないわな。女子の手料理とか男のロマンだろ。で、気づけば塩の量増やされて病気になって殺されてるのな」

「なんで最後に絶対暗い方向にオチんの!? いいよそーゆーの!」

「なんも間違ってねぇだろ……そもそも俺に贈り物とかその時点で怪しい。なにかっつーと話しかけてきてくれて、あれ? こいつ俺に気があるんじゃね? とか思わせておいて、いざ勇気を出して近づこうとしてみれば“そういうのほんとやめてくれる?”って拒絶すんのな……俺の経験が黒歴史で構築されている以上、俺がこれまで以上に傷つくことはまずないのは確かだな」

「やめてよぉ! なんか返答に困るからぁ!」

 

 こんなこと言われたの初めてだ! 周囲に合わせるどころじゃないよ!

 ……でもそっか。ヒッキーが人と関わろうとしないのって、そうやって人に拒絶されてきたからなのかな。

 なんか……解るなぁ。あたしもたぶん、人に合わせようとしなかったら……きっとまともに話も出来ないで、わたわたしてるだけだったと思う。

 だって……どんな話で相手が喜ぶかなんて、解んないし。

 相手に合わせるってことは、相手の言葉のあとに言葉を選んで返事をするってことだから。

 後手に回る自分には、自分の話題が存在しない。だから話題が途切れればケータイいじるし、その瞬間の沈黙があたしは苦手だ。

 だからあたしも……友達、って呼べる人が居たとしても、他人に合わせてるだけじゃ……それで楽しんでいる振りをしているんじゃ、孤独と変わらないのかもしれない。

 

「………」

 

 クッキーを作る。……けど、盛大に失敗。

 ヒッキーに木炭と言われたそれは、確かにちょっと……えと、かなり……うう、すっごく…………うん、木炭、かな、これ。

 言われた通りにやったつもりなんだけど、ダメだ。やっぱり才能ないんだろうね。こんなんじゃヒッキーにお礼も謝罪も言えない。

 悲しくて愚痴をこぼしたら、雪ノ下さんに怒られた。まっすぐに、すっごく鋭く。

 正直引いちゃうくらいに厳しい言葉だった。でも……胸に来た。

 あの日に感じた、自分を変えるなにかみたいに、とくんって。

 ……今なら出来る気がする。自分を変えられる。そう思って、「ごめんね、今度はちゃんとやるっ」と返して腕まくりをした。

 集中しよう。変わるんだ。言い訳ばっかを用意するんじゃなくて、“今時”とか“常識”の盾を作るんじゃなくて、あたしがしたいから作るために───!

 

……。

 

 で、木炭ではなくなったけど、出来たものは雪ノ下さんが手本として作ってくれたものとはまるで別物。

 こんなんで本当に揺れてくれるのかって落ち込んじゃう。

 ちらりとヒッキーを見れば、雪ノ下さんが作ったクッキーを齧って「うめーうめー」って騒いでる。

 うん……ほんとうに、おいしい。勝てないなって思っちゃう。

 でも……信じていいかな。いいんだよね? コゲてても、贈り物なら揺れてくれるんだよね? じ、自信を持って、今出来る最高とかこだわんなくていい、気持ちは込めた。それで揺れてくれるのが比企谷くんなら、あたしは嬉しい。だから───

 

「ヒ、ヒッキー!」

「あん? なんだ?」

「えとっ……これっ! 受け取ってくださいっ!」

「………………………………………………へ?」

 

 焼きたてのクッキーを皿に移して、ヒッキーの前に突き出す。

 顔が熱い。がらじゃないけど、たぶん顔真っ赤。で、でもガンガンいかなきゃだし、それに、雪ノ下さんにも怒られたし。周囲に合わせてたんじゃ一歩も進めない。変わるなら、変わりたいなら、道を変えるなら……今なんだ。

 

「え、や、え? あ…………俺?」

「お、遅くなってごめっ……ごめんなさい! あの時、サブレを助けてくれてありがとうっ! 怪我させちゃってごめんなさい!」

「……? たすけ……怪我……? って、───お前」

「ヒッキー……比企谷くんはあたしのことなんか覚えてないかもだけど……あの時、サブレ……犬を助けてもらった、えと、飼い主で……ゆ、由比ヶ浜結衣っていいます!」

「いや、名前はさっき雪ノ下が言ってたから知ってるが…………そっか。お前が」

 

 顔が熱い。頭が上手く回ってくれない。次なんて言おうとしたんだっけ。

 えと、えとーえと。

 

「びょっ……病院にも何度も行って、家にも菓子折りとか学生証持って行ったんだけど……会う勇気が出なくて……。いつか、いつかってずっと比企谷くんのこと見てて、あ、ヘンな意味じゃなくてっ!」

「お、おう……」

「それで……あの……」

「……はぁ。まあその、なに? べつにお前の犬だから助けたとかじゃないし、見てたっつーなら解るだろうけど、べつに普通に入学したところで俺はぼっちだったよ。だからな、あー……由比ヶ浜。お前が気に病む必要まったく無しだ。俺の中じゃ完結してるんだよ」

「あ、ううん、ぼっちなのは関係ない」

「関係ないのかよ。つかそれ言っちゃうのかよ!」

「だって比企谷くん、自分で人のこと遠ざけてたから、それは違うんじゃないかなって思ってたし。……それでも、うん。やっぱり自己満足なんだろうけど、ごめんなさいだよ」

「……おう、許す。これで満足か? けどな、そういうやさしさは……いらない。ぼっちのことが原因じゃないにしたって、俺を見て思うことがあったからこうしてクッキー焼いたんだろ? だったら───」

「!」

 

 あ、これ嫌な空気。よくないのがくる。

 だめだ、言わせちゃだめ。

 一歩……一歩! 強気で! 最初にとんでもないこと言ってから、と、友達にって!

 

「ず、ずっと比企谷くんのこと見てました! あたしの恋人になってください!」

「そんなものはいら───へ?」

「───…………由比、ヶ浜……さん?」

 

 ……言った! これ以上ないってくらい、慌てて間違えたりもせずに!

 ど、どう!? 比企谷くん、どう!? こっちは断られても次の言葉だって用意してるんだから! 友達になろうって! ふふーん、さあどっからでもかかってきなさーい!

 

「え、あ、いや……え? あの……え? いやいやっ……え? こいっ……え?」

「…………いえ、その。───あ、ああ……っ、そういう……でも、なんていう……はぁ……」

「あ、あ、あー……そそそそそういうこと、ね? で、これなんの罰ゲー───」

「比企谷くん。それ以上言うことは許さないわ」

「ム……って、雪ノ下?」

「ゆ、雪ノ下さん?」

 

 なんか、はぁあって長い溜め息を吐きながら眉間を押さえてた雪ノ下さんが、比企谷くんを止めた。

 罰ゲー……? あ……もしかして罰ゲームで告白させられた、とか思われちゃったのかな。だったら……ちょっと悲しい、かな。

 

「私たちは、少なくとも由比ヶ浜さんの依頼をきちんと受けた上でここに立っているわ。私は承諾して、あなたも頷いた。さて、比企谷くん? 依頼内容はなんだったかしら」

「なにって。クッキー作って相手に贈って相手の心を揺さぶるんだろ?」

「違うわ。ひとつ抜けているわよ」

「抜けてるって…………ぅぐお」

 

 おかしな声が比企谷くんの喉の奥から漏れた。

 それからわなわな震え出して、絞り出すみたく言う。

 

「こ……告白したい……って……」

「ええそう。そういう依頼だったわね。そして、贈られたのも告白されたのもあなたでしょう? 罰ゲームではないわ。それともなに? あなたは散々と罵倒されても真っ直ぐに人にやり方を教わる姿勢までを否定して、“それは勘違いだ”だの“罰ゲームだ”だのと言うつもり?」

「………」

 

 ……あれ? なんだかおかしな空気になってきた。

 えと、驚かれて、いくらなんでもいきなり恋人はーとかそういう空気になって、じゃあ友達に~って……あれ?

 ……でも、胸のどきどきはどんどんと大きくなる。とくんとした小さなものだったのに、今はうるさいくらいだ。

 そして、あたしはその先を……心のどこかで期待していた。

 

「……由比ヶ浜」

「ひゃ、はいっ」

 

 いきなり呼ばれて噛んだ。泣きたい。

 

「ひとつ、訊きたい。あの、な。正直疑ってるし、お前みたいな可愛いやつが俺に告白とか信じられない。けど、信じるにしたって常識的じゃないだろ。お前はトップカーストで、俺は最底辺だ。たとえ俺がここで頷いて、お前が本当に恋人になってくれたとしても、そんなの……生徒も先生も大好きな“みんな”が否定に走るだろ」

「───……」

 

 みんな。普通に聞いてればいい言葉。孤独じゃない、集団の言葉。

 でも、そこにある悪意を、あたしも知ってる。

 だって、あたしもそれに合わせてきたから。そこにあたしは居なくて、みんなの中の一人でしかない。

 みんながそう動いたらそう動くしかなくて、それで苦笑いを浮かべたことなんて何回あるだろう。

 カーストにしたってそうで、これのお陰で男子がやたらと絡んでこなくなったのもありがたいって部分もあるけど……トップだどうだって話の所為で、女子からのやっかみがなかったわけじゃない。

 女子カーストのトップは優美子だ。友達がトップだから、安心していられる部分も当然ある。

 でもさ。だけどさ。その所為で……話したい人とも話せないルールに、どんな楽しさがあるのかな。

 あたしが話したい人は、本人が言う通りカーストで言っちゃえば底辺なのかもしれない。

 でも、話したい人はその人なんだ。上位だとか底辺だとかそんなん関係なくて、その人なんだ。話したいのに話せないなんて、口と耳がある意味がないじゃん。そんなルールこそ常識的じゃない。

 だから───だからあたしは。

 

「あのね。あたしが話したい人は、いっつも独りでいるんだ。休み時間は一人でイヤホンつけて机に突っ伏しちゃうし、お昼はいつの間にか居なくなっちゃって、どこに居るかも解んないし。趣味もなにも解んないし、たまに本読んでたらニヤッて笑ってキモいし」

「おい、俺のキモさは関係ねぇだろ」

「比企谷くん黙りなさい」

「え、えー……? 俺が悪いの……?」

 

 でも。でもだ。でもばっかだけど、でもだ。

 

「でもさ、それでもさ。周りが底辺だーとかトップだーとか言ってもさ。あたしが話したいのはヒッキーなんだよ。それこそさ、“みんな”が決めたカーストなんて関係なくてさ。そりゃさ、ルールは必要だよ? あたしだってカーストに守られてる部分もあること、知ってるし。でもさ……そこに話したい人と話せないなんてルールがついてくんならさ……あたし、そんなのいらない」

「……!」

「だから、さ……ヒッキー。あたしと……」

「……、……俺で、いいのか? 絶対後悔するぞ? だってさ、俺、ほら……せ、席替えで……隣になったってだけで……女子に泣かれて」

「……うん」

「少しやさしくされりゃ勘違いして、告白まがいのことして……みんなに言い触らされて……それで……」

「……うん」

「女子が……俺にやさしくするわけないって……わ、解ってて……こんなのは勘違いだって……決め付けて……」

「うん……えっと。勘違いでも、きっと始まりなんじゃないかな。あたしはまだまだヒッキーのこと知らないし、ヒッキーも……あたしのこと知らないんだよね。だからさ、知っていけばいいよ。これからなんだしさ、ね?」

「…………」

「比企谷くん? 女の子にここまで言わせておいて返事さえしないなんて、男としてどうかと思うわ」

「ぐっ……うるせぇよ……! 今、今…………俺……今……ッ……くそっ……!」

 

 え……? あ……比企谷くん、泣いてる……。

 右手で胸のあたりを押さえて、泣いてる。

 

「由比、ヶ浜……」

「へやっ!? は、はいっ!」

 

 ゆい、で一瞬途切れたから、名前で呼ばれたかと思った。

 前に男子が急に呼んできた時は嫌悪感が凄かったのに、比企谷くん相手だと全然だ。

 ……あれ? あたし、本当に……

 

「いきなりで、胡散臭いかもしれない。調子がいいって笑って、傷つけたまま振ってくれても、お前にならいいから……───お前が好きだ。好きに、なった。俺と……付き合ってください」

「───……」

 

 とくん、が。どくん、になって。また……とくんになった。今度は、静かなのにすっごく響いた。

 心が痺れるみたい。顔に溜まってた熱がすうって溶けて、ただ……うん。ただ、やさしい気持ちが溢れてくる。

 まだ本当に好きかどうかも定かじゃないんだと思う。でもさ。うん。でもだよね。

 こんな風に真っ直ぐに気持ちをぶつけられてさ。嫌じゃないどころかやさしい気持ちになれるならさ。ほら。もう、あれじゃないのかな。

 だから頷いた。頷いて、もう一度、ちゃんと告白した。

 そしたら比企谷くん、ニタァって笑って、直後に雪ノ下さんに気持ちが悪いって言われて落ち込んでた。

 うん、あれは確かにキモい。でも、ずっと見てきたから解ることもあるんだ。

 

「ね、ヒッキー。ヒッキーはさ、孤独な自分、かっこいいって思ってるとこ、あるよね?」

「ぐっ……な、なに? お前ら二人して俺のこと───」

「答えて、ヒッキー」

「……あります」

「うん。それじゃさ、その、えーと……ニヒルってのかな。そんな自分を忘れて笑ってみて? たぶんさ、ヒッキーはカッコつけようとしなきゃ、もっとずうっと格好いいから」

「おい。かっこつけたらカッコワルイってすげぇ傷つくんですけど。なにその例を見ない抉り方」

「ね? やってみて?」

「……お、おう」

「早速尻に敷かれてるわね、敷かれ谷くん」

「うるせ。えーと……こ、こうか?《ニタァ》」

「ヒッ!?《ビクゥッ!》」

「……おい。おいやめろマジで。雪ノ下、お前どこまで俺のこと傷つけりゃ気が済むの? 今本気で怯えただろおい」

 

 むすっとするヒッキーの頬を掴んで、あたしと目を合わさせる。

 その目は腐ってる。うん、お世辞にもいい目とは言えないけど、たぶん、原因は比企谷くんだけの所為じゃないんだよね。

 

「ヒッキー。嫌なことは思い出しちゃだめ。格好いいって思ってる自分も、思い出しちゃだめ。別のことなんか考えないで、なにかに集中して笑ってみて」

「……由比ヶ浜」

「うん」

「………」

「………」

「───……、……───《ザクッ、ジャリボリ、ガリッごくんっ!》」

「あ……」

 

 ヒッキーは、受け取ったクッキーを口の中に放り込んで、ザクザクジャリバリといろいろな音を鳴らしてから飲み込んだ。

 そして、まっすぐにあたしを見て……

 

「……ん、わかったよ、由比ヶ浜《ニコッ》」

「!?」

「あ……ヒッキー……!」

 

 笑った。すごく、綺麗な……やさしい笑顔だった。

 本人は気づいてないみたいだけど、そこからは信頼の色が見て取れた。こう……なんてのかな。安心出来る空気。好きな空気だ。

 わ、わー……わー……! すごい、なんか胸のどきどきがすごい。だってあんなの反則だ。あんなの間近で見せられちゃったら……!

 ……あ。なんか雪ノ下さんがすっごく動揺してる。うん、そりゃ、あんな笑顔見せられちゃったら、今までのー……ク、クール? な様子とか全然思い出せなくなっちゃうし。

 

(あ)

 

 そんな笑顔を見たから、思いついてしまった。

 ヒッキーが遠慮するのは自分が最底辺って思われてるからだ。

 だったら……引き上げてしまえばいいんじゃないだろうか。ヒッキーが嫌がらない程度まで。



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強気の愛を②

 あの日からしばらく。

 恋人が出来た───そう優美子に告げたら、とても驚いていた。

 誰!? 誰だし! って物凄い勢いであたしの肩を掴んでゆすってくる。遠慮がない。喋れない。

 なんとか解放されてから、しばらくはヒッキーの提案で関係を隠していたことを暴露。

 その間にしっかりとヒッキーの改造は済ませたから、平気で紹介できる。

 あたしが元から平気でも、ヒッキーが受け入れてくれなかったから、それまでは大変だった。あたしなんて早く言いたくてうずうずしてたのに。あ、や、自慢したかったんじゃないんだ。これはほんと。ただ、堂々と一緒に居られないのが……うん、悔しかったんだ。

 カーストってやっぱり嫌い。つまりあたしも“みんな”は嫌いなのかもしれない。

 

「ヒキガヤ? 誰それ」

「あー、それってヒキタニくんだべ? ほら、あそこの」

「───《ギロリ》」

「……《びくっ》」

 

 とべっちが促した先を優美子が睨んで、その先に居るヒッキーが肩を震わせた。

 そこに居るのはヒッキーだけど、以前までとはちょっと違う。

 髪型もかっこよく決まってるし雰囲気とかも随分と落ち着いた感じになってる。キョロキョロしなくなったし、なにより……伊達眼鏡をつけさせてみたら、なんと腐ってた目が綺麗に見えるようになった。

 それに気づいた時は、ヒッキーと一緒になって眼鏡の神秘すごいすごいと言いまくったものだ。

 

「あんれー? ヒキタニくんってあんな顔だったっけ?」

「とべっち、ヒキタニ、じゃなくてヒキガヤくんだよ」

「あ、悪ぃ悪ぃ……で、比企谷くんってあんな顔? 格好? だったっけー? なんか印象が全然違うっつーかぁ~……なんかまじ別人じゃね? っべーわー」

「それな」

「確かに」

 

 そんな彼を、優美子は見る。……見る。見…………なんかすっごい見てる!?

 

「結衣ー、アレと付き合ってるわけ?」

「え、う、うん」

「結衣ってさー、基本、男とか避けてたっしょ? 声かけられてもひらりひらりってーかさ」

「うん。なんか……下心ばっか見えるってかさ。うん」

「まあそれはいいし。で、あいつと出会った切っ掛けは? 好きになるほどの、っつか、きちんと話し合えるほどの仲になるのになにかあったんしょ? 言ってみろし。それとも言えない?」

「……ううん。入学式の日に(サブレが)車に轢かれそうになったところをね、命懸けで助けてもらったんだ(サブレを)。代わりにヒッキー、足骨折しちゃってさ。だから一ヶ月くらい学校来れなくて」

「まじ? 確かにそんだけ居なかった気がするけど……勇気あんじゃん、あいつ」

「うわっ! なにそれまじすげーじゃん! っべーわぁ! 比企谷くんまじっべーわぁ! まじリスペクトだわぁ~!」

「戸部うっさい」

「アッハイ」

「ふーん……? そんでそれからずっと付き合ってたん?」

「あ、ううん。付き合ったのはちょっと前。あ、あたしから告白して、OKもらった……えへへ」

「ちょ、うーわっ、結衣から告白されるとか幸せ者すぎるっしょ!」

「あ、とべっち、ごめんだけど、苗字で呼んで?」

「んおー! おっけおっけ! やっぱ彼氏にだけ呼んでもらいたいもんでしょー! いやー、比企谷くんべーわー!」

 

 ヒッキーを連れ回して気づいたことがある。

 ヒッキーは嫌なことは嫌っていうし、好きなものは好きってハッキリ言う。

 解らない男子とは違って、本当に気持ちがいい。一緒に居て重くないし、なにより楽しい。たまに自虐ネタが出てくるけど、それをきちんと聞いて受け止めると、彼は安心したように笑ってくれる。

 あと、これが重要で……傍に居ると顔が緩んで、気がつくと微笑んでる自分が居る。

 そんなあたしを見て、ヒッキーも笑って、その顔がすっごく綺麗で、たまに可愛くて、なんかもう……白状しちゃうと、あたしはとっくにヒッキーのことが大好きだった。

 

「んー……でもさ、ユイ。ヒキタニくん……あ、比企谷くんてさ、もっとこう……目がさ、特徴的じゃなかった? 誘い受けっていうかさ、ぐ腐腐っぽい目っていうか」

「それってどんな目!? ぐふふ!?」

「なにそれ、腐ってるってこと? あーしはあんま見てなかったし知らんけど」

「あー……うん、ヒッキーの目はちょっと特徴的かな。今は伊達眼鏡で誤魔化してるけど」

「あ、やっぱりそうなんだ。でも、髪さっぱりして目の腐りをなんとかしたら、あんなに化けるもんなんだね……びっくりした。そしてますます総受けっぽい顔つきに……ぐ腐腐腐腐……! そしていつの日かめくるめくはやはちの世界へ───キ、キマシッ《ぶしぃっ!!》」

「海老名、だからおまえは擬態しろし、鼻血拭けし」

「あ、あはは……」

 

 ほんと、何語なんだろ。しろしとか拭けしって、どこの言葉なんだろ。

 当然の疑問を抱いていると、隼人く───葉山くんが話しかけてきた。

 

「ゆぃ───じゃなかった、由比ヶ浜は、ヒキタ……ひ、比企谷とはうまくいってるのか?」

「あ、うん……えへへ……すっごく大事にしてもらってる……かなぁ……《ほにゃあ……》」

『───……』

 

 ……? あれ? なんかみんなが静かになっちゃった。どうしたんだろ。

 姫菜が優美子にぽしょぽしょ小声で話しかけてる……あれ? なんか変なこと言っちゃったかな。

 

(ちょ……優美子っ、ユイの今の顔見た!? もうなんていうか幸せ絶頂って感じのあの緩んだ顔! まさか既にヒキタニくんと大人の階段昇ってシンデレラに……!)

(ウソ……あーしだって隼人と全然なのに……《チラ、チラチラ》)

「? どうした? 優美子」

「あ、ううん……なんでもないし……」

 

 優美子は葉山くんのことが好きだ。それは、近くで見てて痛いほど解る。

 でも、葉山くんはそれを受け入れない。好きじゃないならいっそ、突き放したほうがいいこともあると思う。でも、それをしない。

 ヒッキーと付き合うようになってから気づけることが結構増えた。

 それは、なんてのかな……人の持つ空気、かな。彼が敏感すぎる所為か、あたしもそれに習って人をよく見るようになった。今までは空気ばかりを読んでいたけど、それ以上に人間観察もするようになった。

 ……今まではヒッキー観察ばっかだったけどね。たはは……。

 ちなみにヒッキーはそんなあたしの視線にも気づいていたみたい。ずっと見られてて、いつ因縁つけられるかドキドキしてたって。そのくせ名前も知らなかったっていうんだから、そっちの方が悲しかった。

 

「でも……さ。結衣がちゃんとあいつの……えと、ヒキタニ? ヒキガヤ? ヒッキー? ……んー……ヒキオね。うんヒキオ。ヒキオのこと好きで、ヒキオも結衣のことちゃんと好きなら。あーしが言うことなんて特にないっつーか」

「優美子……」

「それに最近の結衣、言いたいこときちんと言うようになってきたし。そのへんいっつも気になってたから、まあ、いーんじゃないの?」

 

 優美子は、口は悪いけど優しい。

 時々男の子みたいな口調にもなることがあるけど、みんなのこと結構見てる。

 女王だーとか言われてるし、ジロって見られるとかなりどきっとする。それでも根っこはやさしい。

 まあ言いたいことを言えるようになってきたのは、雪ノ下さん……えと、ゆきのんのお陰なんだけど。もちろんヒッキーも言いたいことは言ってくれるし、あたしにも言いたいことがあったら言ってくれって言ってくれた。それが嬉しくて、もっと仲良くなりたいとか、手を繋いでみたいとか言ったらすごく慌てて、赤くなってそっぽ向いて。ああ、思い出しただけでも顔が緩む。

 ああ……あたし、ヒッキーのこと好きだなぁ……。

 

「《ほにゃあ~……》」

「ォァッ……!? ……っべーわぁ……ゆい───がはま、緩んだ顔とかまじっべーわぁ……。え? なに? 可愛すぎじゃね?」

「戸部、見んなし。こーいうのは好きな男にしか見られたくねぇもんだし」

「えちょ、そりゃないっしょ優美子~、いきなり目の前でされたら見るなもなにも……ないわぁ、それないわぁ」

「あ?《ギロッ》」

「……すんません。───……殺されっかと思ったわぁ……」

「それな」

「確かに」

「てぇか大岡に大和も~! さっきからそればっかで俺一人で喋ってんじゃんかさぁ~!」

 

 うん。二人ってあんま喋んないよね。いっつもとべっちが盛り上げて、二人が“それな”とか言って同意する。

 たぶん、それはあたしと似たような感じのもの。

 あたしはそんな風見鶏をやめたいなって思ってるけど、空気を読むことばっかりが得意になっちゃった今じゃ、それをやめるのは難しい。とってもだ。

 

「んで? 結衣はどーしたいん? ヒキオのこと、こっちに巻き込むん?」

「えと、それはしたくないかな。みんな急に人が増えても困るだろうし、ヒッキーも……そういうの、望んでないんだ、きっと。一人の方が気が楽って気持ち、ちょっと解るし」

「ふーん? んで? どーしたいん?」

「うん。だからね? あたしがヒッキーのとこまで行こうって。待ってても仕方ない人なら、迎えに行ってあげなきゃ」

「……え? 結衣、グループ抜けんの?」

 

 ……わ。優美子泣きそう。え? なんで? こんな顔初めてみた。

 空気読んで合わせようとして、そんなことないよって言いそうになる。けど、それじゃだめなんだ。

 

「優美子。ヒッキーってさ、小学校から中学校まで、いろんな人にひどいことされてきたんだって。その所為でさ、人を信じられなくなって。告白した時、なんの罰ゲームだって言われて驚いちゃった」

「は? イジメ? なにそれ、あーしそういうのマジむかつくんだけど」

「うん……あたしも嫌かな。えっとね、自分が原因のもあったそうなんだ。でもさ、それを笑ってみんなに言い触らして、それ聞いて自分も混ざってひどいことするのは、ヒッキーとは関係ないことだよね。気づいたら学年全員がヒッキーはそうなって当然、みたいな空気になってたって。集団の怖さとか知ってたら、そんな迂闊に抵抗するとか、出来ないよね。だからさ、ヒッキーはそれを日常として受け入れたんだって」

「……なにそれ、苛められることを日常にしたってこと?」

「うん。そうしてなんも反応しなければ、相手も飽きてなにもしなくなるだろって。実際飽きられて、それ以上ひどいことになることはなかったそうだけど、人は信じられなくなってたって」

「……それで、ゆい、がはまはどうやって比企谷を信用させたんだ?」

「真っ直ぐに告白……かなぁ。雪ノ下さんに助けてもらった部分が多いけど───って優美子!? ちょっ」

 

 葉山くんと話してる間に、キッと怒ったような顔をした優美子が、ずかずかとヒッキーの席に向かっていった。

 そしてバンッて机に手をつくと、「ちょっとヒキオ!」って。

 ヒッキー、「ひゃいっ!?」って本気でびっくりしてた。うん、あれはあたしもああなる。ちらりとみんなを見てみれば、みんな“ごしゅーしょーさま”って顔で頷いてた。

 

「おまえ、うちのグループに入れ」

「え、あ、いや───…………断る。行く理由が」

「あ? 理由? あーしが入れっつってんだけど?」

「ひ、ひえっ……でしゅかりゃ、アレがアレなわけでしゅて……!」

 

 ああ……ヒッキーが蛇に睨まれたカエル……あっとと、ヒッキー、カエル呼ばわりは嫌いだったんだよね。あと虫嫌い。

 でも優美子、その誘い方はあたしでもどーかと思うなぁ。

 

「いーから入れし。イジメとかそんなくだんないものから守ってやるから」

「……由比ヶ浜からなに聞いたのかは知らないけどな。同情とかそういうので誘ってるんだったら、そんなものはいらない。迷惑だ」

「……あんた、人がせっかく」

「人が嫌がってることをすることは“せっかく”とは言わねぇよ。……いーから、俺に構わずに由比ヶ浜を守ってやっててくれ。底辺の俺と付き合ってるなんて知れたら、あいつが馬鹿にされる」

「───…………、……へえ。……へええ? なんだ、ちゃんと男してんじゃん。ヒキオ、気に入ったからやっぱ入れし」

「いや入らねーから。あとそれ何語? 入れしって初めて聞いたわ」

 

 うわっ、言っちゃった! 今までみんな、気にはなっても決して口にはしなかったのに!

 

「あ? 日本語に決まってんでしょ」

「まじか……お前のグループに入ったら語尾に“し”をつけなきゃいけないルールとかか? 由比ヶ浜もしょっちゅう使ってるし」

「お? 入る気んなった?」

「おいやめろ、今の語尾は断じて違う。つかほんとにそんなルールなのかよ」

「……ふーん? なんだ、やっぱちゃんと喋れんじゃん。なに? 話すの苦手なふりでもしてたん?」

「……話すのは苦手だよ。頭ん中に定型文があって、それを引き出してるだけだ。用意してある言葉ならいくらでも喋れるだろ。……ああ、そうだな。そっちの……葉山で例えるなら、“なるほど、すごいな、悪いのはきみじゃない”って感じの定型文な」

 

 ……あー、うん。葉山くん、そういうところあるかも。

 納得して、褒めて、慰める。うわ、ほんと葉山くんだ。三つの言葉で葉山くんが完成した。

 なんて思ってたら一番に姫菜が「ぶふはっ!」って吹き出して、次にとべっちが笑い出す。

 

「あははははは! う、うん! 確かにイメージぴったりかも……! ぶっ、ぷくふっ……! ぷふふはははは……あははははは!!」

「お、おいおい姫菜……?」

「ご、ごめっ……隼人くっ……! ぶっは! た、耐えられないっしょ……ぷはははははは!!」

「戸部……」

「……ぷふっ……そ、それな」

「確かに……ぷふっ」

「………」

 

 葉山くんが、どうするんだよこの状況、って感じでヒッキーを見る。

 と、ヒッキーは“ほれ”って感じでなにかを促した。

 空気が伝わる。

 それは、状況に乗ってやればいい、みたいなもの。

 葉山くんもそれを察したのか、優美子が葉山くんを馬鹿にされたと思って怒りそうになったところで、被せるようにして言った。

 

「なるほど、俺ってそんな感じなのか。すごいな、比企谷は人のことをよく見てる。ああ、みんな笑ってるけど気にするな、悪いのはきみじゃない」

『───ぶふぅっ!!』

 

 葉山くんがそんなノリに付き合うとは思ってなかったんだろう。教室に残って聞き耳を立ててたいろんな人が笑い出して、一気に空気が賑やかなものに変わった。

 優美子がぼーぜんとした顔で葉山くんを見て、葉山くんは苦笑して肩を竦めてみせる。

 そこには、グループの中にあったちょっとした緊張した空気はなかった。

 あ、そっか。苦笑なのに、葉山くん、ちょっと楽しそうだ。今まで、どうしても壁みたいなのがあったのに、今はそれが……あ、またちょっと離れた。

 どうしてまた壁を作るのかな、なんて思ってたら、葉山くんはヒッキーの前まで歩いていって、真っ直ぐに言った。

 

「俺からも頼むよ。よかったら友達にならないか?」

 

 そして、そんなことを言う。

 ……ああ、これ、だめだ。ヒッキーは絶対に断る。

 だめだよ葉山くん。それ、勧誘とかそういうのじゃないよ。

 

「……葉山。それは勧誘とかそういうのじゃない。一種の脅迫だ。ぼっちを誘う時は、相手が一人の時を狙うべきだ。ましてや相手はカースト最底辺で、お前は最上位。そんなお前から誘われて断ったら、俺のこのクラスでの立場はどうなる?」

「? いや……断らなきゃいいんじゃないか?」

「ほーん? じゃあお前は最初から答えが一つしかないって解っていながら誘ったのか。だから脅迫だって言ってんだよ。悪いな、俺はそっちに混ざるつもりはねぇよ」

「あ? 隼人やあーしが誘ってんのに断るっての?」

「ひやっ……だ、だからでしゅね? 俺なんかが混ざったりしたら、そっちの評判とかがでしゅね?」

「……ヒッキー。さっきから他人のことばっかり。自分がやっかまれるとか、そーゆーの考えてないの?」

「? 今さらんなことで傷つくほどやわな生き方してねぇよ。てかやめてくれ、お前には嘘とかつきたくないから、質問されるとベラベラ───!? い、いや、なんでもない、今のはほらアレだから」

 

 慌てた感じで誤魔化すヒッキーだけど、もう無理だ。みんな聞いちゃった。

 やっぱりこの人は優しい人で、自分が傷つくよりも他人のことを思いやれる人だった。

 それが解ったのか、優美子なんてヒッキーの頭を撫でて───なんで!?

 

「ちょ、おまっ……なななにすんだっ! 結衣にも触らせてないのに! ───あ」

「ふえっ!? ちょ、ひ、ヒッキー!?」

 

 みるみる内に赤くなるヒッキーが机に突っ伏して「……死にたい……」って呟いた。

 そんなヒッキーを見て、余計にうずうずした感じでヒッキーの頭を撫でる優美子───ってだからなんで!?

 てか結衣って言った! ヒッキーあたしのこと結衣って!

 え、え? これってつまり、ヒッキーってば心の中じゃいっつも名前を呼び捨てにしてたってことだよね? それとも呼ぼうと頑張ってくれてたとか……。

 うわ、わわわ……どうしよ、どうしよ……なにこれ、すっごい嬉しい……!

 他の誰に言われてもこんなんならないのに……すごい、恋ってすごい。

 ……すごいから、やんわりとヒッキーを撫でる優美子の手を掴んで、メキメキと引き剥がした。

 そうしてから代わりに撫でる。

 ……ごわごわしてると思ったらさらさらだ。触り心地が良い。どきどきしてた心がとくんとくんってしてきて、すごくやさしい気持ちになる。

 あ、あ……えと、なんだろ。膝枕とかしてあげたいかも。

 

「いや……もういいだろ……俺もう十分恥かいたろ……。男が恋人に触らせたこともないのにとか、キモいとか思ってんだろ……もうほっといてくれ……」

「あ? あぁまあ正直ちょいキモいし」

「《ざくっ》げっふ……!」

「けどそれで相手が喜ぶかどうかっしょ。結衣、顔真っ赤にしてとろけてっし、いんじゃね? ……てか結衣、握力すごいわ……手の痕消えない……」

「ねぇ、ねぇヒッキー? もっかい言って? 結衣って、もっかい言って?」

「やめろぉおお……! 逃げ道塞いでおねだりとかやめろぉおお……!」

「言ってやれし」

「だから何語だよそれ……。……う、その……ゆ、結衣?」

 

 優美子に返して、溜め息を吐いたあと……言ってくれた。窺うような、ソッと確認するような言い方。

 でも、そんな恥ずかしそうな言い方が、胸にきゅんってくる。

 

「う、うんっ、うんヒッキー! なにっ!? なにっ!?」

「い、や……言えっていうから……その、そろそろ頭撫でんの、やめない? そ、それにほら、俺アレだし。部活あるし」

「あ、そっか。ごめんね優美子、あたしとヒッキー、これから部活あるんだ。優美子にちゃんと話してから行こうって決めてたから」

「部活? 何部」

 

 う。そりゃ訊いてくるよね。

 えと、えとー……一応ちゃんとした部活だし、おかしなことはない……はず。

 

「えっとね、ほーしぶっていうんだけど」

「胞子部? っべー、キノコでも育ててんの?」

「戸部、るっさい《ギヌロォッ!》」

「ヒイッ!? ……───ちびるかと思ったわぁ……!」

「それな……」

「確かに……」

 

 しばらく静かにしてたとべっちが口を開いた途端、優美子に睨まれた。

 しゃ、喋らせてあげてもよかったんじゃないかなぁ、優美子……。

 

「奉仕部って……雪乃ちゃ───あ、えと。雪ノ下さんが居る、あそこか」

「葉山くん知ってるの?」

「あ、うん、まあ」

 

 姫菜の言葉に、葉山くんは……えと、歯切れ、だっけ? うん。歯切れの悪い言い方で応える。

 ……? 雪ノ下さ……ん、んんっ。ゆきのんとなにかあったのかな。

 ……うん、我ながらいいあだ名。ヒッキーの時みたいに、これでゆきのんと打ち解けられたらいいな。

 あたしも奉仕部だし、これからゆきのんとも友達になれたらいいなぁ。

 

「………」

 

 ゆきのんを見てると、団地に住んでた頃を思い出す。

 猫を飼っていた。

 正式に家で飼ってたわけじゃなくて、隠れて。

 猫は……居なくなっちゃうからちょっと苦手。嫌いなんじゃない。

 雪ノ下さんを見てるとどうしてか猫を思い出しちゃって。

 でも……変かなぁ。ゆきのんは居なくならないから、なんて考えちゃうのは、おかしいかなぁ。

 もちろんゆきのんは猫じゃないし、喧嘩とかしちゃったら居なくなることだってあるかもしれない。

 それでも……ヒッキーと同じで真っ直ぐに気持ちをぶつけてくれるゆきのんが、あたしは結構……好きなんだと思う。

 

「ほら行コ? ヒッキー」

「お、おう……つかお前、いつ部活入ったの? 俺聞いてないんだけど」

「え? あ……やー、ほら、あたし暇じゃん?」

「いや知らんし」

「暇なの! だから入ることにしたの。それに、ヒッキーと一緒に居られるし」

「お、おう…………おう」

 

 照れてる。こういう素直な反応が大好きだ。

 あたしは、ここに通うようになってからどころか、それ以前にも学校ではなかなか出来なかった本当の笑顔を浮かべながら、ヒッキーの手を引いて走った。

 家でくだらないバラエティ番組を見て笑うことは、そりゃある。

 でも、学校では……無理だ。空気読んでばっかで、読むことに忙しくて、とても本気で笑えなかった。

 じゃあ今は? …………うん、幸せだ。

 

「やっはろー! ゆきのん!」

「……おす」

「遅かったわね遅刻谷くん。なにをしていたのかしら」

「野暮用に捕まってた。遅くなったのはすまん。てかなに? ここ集合時間とか決まってんの?」

「別に決まっていないけれど。それより由比ヶ浜さんはどうしてここに? あなたの依頼なら終わったと思っていたのだけれど」

「え? もしかして歓迎されてない……? ゆ、ゆきのん、あたしもさ、ほら、奉仕部員だし、そりゃ来るよ?」

「……? いえ、部員ではないでしょう?」

「あれぇ!? 違うの!?」

「えぇっ!? 違うのかよ!」

 

 ……し、幸せ、だよ? うん。

 だってここからだもんね。頑張ろう。ガンガンいこうぜだ。

 

「入部届けも受け取ってなければ、顧問である平塚先生からなにも聞いていないもの」

「書くよぉ! 入部届けくらい書くからぁ! 仲間に入れてよぉ!」

 

 鞄からルーズリーフを取り出して、入部届けを書いてゆく。

 えーっとえーっと……めんどいからひらがなでいいや。

 

「……由比ヶ浜さん。専用の用紙というものがあるのだけれど」

「それ先に言おう!? はんこまで押しちゃったよ!?」

「……まあ、平塚先生ならそれでも通るでしょうけれど」

「うー! だったらこれでいーんじゃん! ヒッキー、ゆきのんがいじめる!」

「おーそうかー。おいでおいでー」

「ふえ? う、うん……?」

 

 ヒッキーに言ってみたら、ヒッキーは椅子に座って小説を読んでて、来い来いと手招きをしてた。

 よく解らないまま近寄ってみたら、少し屈むように手の動きで促されて、屈んでみたら……頭を撫でられた。

 

「ふわっ!? ……え? あ、え……えひゅぇ……?」

 

 撫でられてる。え、え……なにこれ、どうして? なんで?

 あれ? もしかして慰めてくれてる……のかな。すごく心地良いし。

 

「ひ……比企谷くん? あなたはいったいなにをしているのかしら?」

「あ? なにって…………───OH」

 

 ピタリと、頭を撫でる手が止まった。そこからは言い訳ラッシュ。

 108のお兄ちゃんスキルが~とかいろいろ言葉を並べるんだけど、ゆきのんはひどくゆっくりとした動作でケータイの番号をプッシュする。

 1、1、0。

 

『《ブッ》もしもし? こちら』

「うぉおおおおおおい!! なに本当にポリス呼ぼうとしてんだぁああっ!!」

 

 それをヒッキーに止められた。

 

「なにとはどういうことかしら。いくら相手が恋人だからといって、いきなり頭を撫でるようではいつか他人が毒牙にかかってしまうかもしれないじゃない」

「心を許したヤツ以外に誰がするかっ!! …………あ」

 

 ……そして、また自爆。

 なんか……なんかヒッキーって、結構かわいい、かも。

 今もまた「……死にたい……」って頭抱え始めたし。

 

「そう。つまりあなたは勝手に心を許したらいきなり人の頭を撫で回す変態紳士ということなのね?」

「ふん。ぼっちなめんな。少なくともそんなことを言ってばっかのヤツに誰が心を許すか。俺の周囲には小町と結衣だけ居ればいいんだよ」

「……《スチャッ》」

「おいやめろ、ほんとやめろ。なんでそこでケータイ構えるんだよ」

「あなた今、結衣と。由比ヶ浜さんの名前を呼んだの? まさかとは思うけれど、勝手に心を許したら許可も得ずに人の名前を……!」

「お前の中の俺ってどんだけ自分勝手なんだよ。いや自分勝手だけどよ。それでもぼっち道には背かない程度に人の道歩いてるっての。それに好きでもなければ友達でもない相手の名前を呼ぶとか気持ち悪いだろ」

「……人の名前を気持ち悪いから呼ばないとは、聞いていて腹が立つものね」

「じゃあ俺の名前、呼んでみろよ」

「嫌よ。気持ち悪いもの」

「おい」

 

 ヒッキーとゆきのんは相変わらずだ。本当に遠慮無しに、言いたいことを言い合ってる。

 なのに全然喧嘩みたいにはならなくて、たぶんそれは……ゆきのんじゃなく、ヒッキーがゆきのんの言葉を受け止めてるからだ。

 言葉通りだとするなら、罵声なんて日常的なもの。悪口なんてむしろ子守唄レベル、なんて言えるくらいに慣れてしまっているから。

 でも……あたしだって解る。罵声に慣れても、苦しくない人なんて絶対に居ない。

 でもなぁ、うーん……困ったなぁ。

 たぶんこれ、ゆきのん自身は気づいてないんだよね。

 ゆきのん、ヒッキーとこうして口論みたいなことしてる時、ヒッキーの視線が自分から外れると、嬉しそうな顔してる。

 楽しそうっていうよりは……あ、うん。楽しそうではあるんだけど、あたしたちが言うような楽しそうじゃなくて……子供……ってのかなぁ、うん。

 親に構ってもらってる子供みたいに、無邪気な顔で笑うんだ。もしくはいたずらが成功した子供みたいに。

 なんでも言い合える関係って、ちょっと羨ましいけど……たぶん、ヒッキーじゃないと成立しないんだろうな。

 

「…………」

 

 羨ましいとか思ったら、体は動いてた。

 椅子を持ってきて、カショリとヒッキーの隣に置いて、ちょこんと座る。

 

「うおっ……え? なに? つか近くない? ねぇ近いよね?」

「えへへぇ」

「………」

「《なでなで》ふあっ………………~~…………」

 

 自分でやってて恥ずかしくて、つい笑ってしまったら、頭を撫でられた。

 ヒッキーに撫でられると安心する。心が落ち着く。

 座るまではドキドキだったのが、またとくんとくんってなって、傍にずっと居たくなる。

 おかしいかな。つい最近までろくに話せなかったのに、そんな相手にこんなにドキドキするなんて。

 

「……はぁ。由比ヶ浜さん、不愉快だったらすぐに手を払っていいのよ?」

「え? ううん? べつに不愉快とかそんなことないよ? むしろちょっと気持ちいいし。安心するかも」

「……べつに入部することを拒むわけではないけれど、毎日それを見せられるのかもと思うとうんざりするわ」

「ゆきのんひどい!? そ、そんな毎日とかっ…………その、しないと思うけど」

「そこは断言してほしいわね……。───比企谷くん」

「お、おう?」

「あなたに恋人が出来た、という事実は、私もこの目で見たことだし納得はしましょう。けれど、ここは恋人がいちゃつく場所ではないの。仮にも部活という学校行事に参加している以上、そういった規律は守ってほしいわね」

「───……あー、だな。悪い、これは俺の落ち度だ」

「あら。あなたに落ち度以外あるなんて初耳ね。それはなんという名の度かしら。……落ちた後なら……潰れる? 潰れ度?」

「おい。納得するとっかかりから人のこと否定してんじゃねぇよ」

 

 ほら、また。ゆきのん楽しそう。

 でも、逆にちょっと安心。こうしてヒッキーの隣から見てみると、ちょっと解ることがある。

 あれは恋とかじゃなくて、安心が欲しい……ちょっと前までのあたしみたい。

 空気を読むとかじゃなくて、読み方も知らないで……ただ自分の我が儘を受け入れてもらいたかった頃の。

 

「…………」

「つか、な。結衣……がはま。ほんと近い、近い……」

「結衣でいい」

「いや、今のは」

「結衣」

「…………結衣《かぁあああっ……》」

 

 ヒッキーは、嫌なことは嫌って言う。好きなものは、趣味が悪くても好きだって言い張れる人だ。

 人にどう思われようと自分を貫こうとする。キモいところももちろんあって、うわーってなることだってあるけど……困ったことに、そこに隠されたやさしさや彼らしさに、いつの間にか惚れこんでしまっていた。

 おかしいよね、まだ恋人になってそう経ってないのに。

 でも、見てた時間だけだったら一年以上だ。うん、あたし頑張った。

 世の中って解らないなぁ……ちょっと前まで人は苦手だーとか思ってたのに。あ、うん、今でもちょっと……ううん、ヒッキーと一緒に居るようになってから、逆にもっと嫌いになったかもだけど、とにかくそんなこと思ってたのに。そんなあたしが、人を好きになった。ヒッキー限定で。

 いっぱいの友達が出来るのは、確かに安心につながるんだけど……今感じてるような安心は、たぶん他にはそうそうないんだ。温かくて安心出来て、くすぐったくて……嬉しい。

 ゆきのんともそんな関係になれたら、きっとこのほーしぶはとても素敵な場所になるんだ。

 あわややや、えと。べつにあたしが安心するためにそんな場所が欲しいんじゃなくてっ!

 

(……)

 

 ゆきのんとヒッキーって、今まで会ってきた人と違うから。

 たぶん、ヒッキーもゆきのんも、そんなことを感じてると思う。

 あたしに対しては、たぶん他の人への感情とそう変わらないものを感じてるんじゃないかな。ほら、あたし空気を読むくらいしか取り柄ないし。

 でも出来れば、そんな二人と一緒に居られる自分でありたいから、頑張って空気を読みたいと思う。たまには読まずに。

 えーと、つまり……アレだね。うん。アレ。

 嘘とか飾った言葉を使わないゆきのんが、あたしは好きだ。憧れる。それと同時に、幼い部分も残ってて可愛いって思う。友達になりたいし、ゆきのんとだったら……今までの、どこか乾いてた友達って言葉よりも、ちょっぴり先の関係になれる気がする。

 嘘とか……ぎ、ぎまん? が嫌いで、捻くれてるけどやさしいヒッキーが、あたしは好きだ。傍に居たいし居てほしい。敵を遠ざけるためにつけてる“無愛想”の下にあるやさしさがたまらなく愛しい。ちょっと付き合っただけでこんなに好きになれるんだから、きっとこの先は幸せばっかりだ。

 そんな三人が居る場所がここで、きっと……幸せのありか。

 なんか、大事にしたいって思う。

 新しいものとか、買ったばっかのノートとかすっごく大事にしちゃう感覚とは違う、心がじんわりする……“大事にしたい”。

 まだまだ芽生えたばっかの気持ちだけど……いつかは、ここを守るためならーとかもっともっと頑張れたりするのかな。出来たらいいな。

 

「あ、ところでさ! 部活終わったらみんなでカラオケとかいかないっ!?」

「いかねーから」

「いかないわよ」

「……あ、あはは………………即答だぁ」

 

 でっ……出来る、よね……? 出来るといいなぁ。



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猫を拾った日①

 飼い猫。

 それは四六時中家でごろごろしているだけで家族に愛でられ、にゃーにゃー鳴けば構ってもらえ、あまつさえ食事まで用意される最高の動物である。

 “動物になるならなにになりたい?”といきなり訊かれ、咄嗟に出るのは猫だという独自のアンケート結果が俺の中にはある。訊ける相手が小町しかいねぇけど。

 だが言おう。今の時代、なるなら熊だ。ちやほやされるのが目的なら猫でもいい。確かにいい。

 しかし絶対的武力と意外なほどの俊敏性、額以外は分厚い毛皮に覆われた素敵防御力を揃えた生きるチートを選ばずしてなにを選ぶ。

 ……あ、でも俺べつに魚とか仕留めた獲物、生で食いたくないや。

 結論を言おう。私は猫になりたい。

 

『…………』

 

 なんて思っていた時期が、俺にもありました。

 

『………』

 

 猫である。

 

『んにゃーーーん』

 

 ……声までしっかり猫である。

 おいおいどうなってんの? 部室で寝て起きたら猫とかどういうこと? ガイアが俺に輝けどころか堕落しろって囁いてるのん? ありがとうガイア。環境利用闘法とか俺めっちゃ好きだよ。

 

『………』

 

 見下ろしていた肉球から目を逸らす。

 ちっこいな。子猫だ。

 

『………』

 

 どうしたもんか。まだ雪ノ下は来てなかったから、俺が平塚先生のところまで鍵を受け取りに行って、こうして真面目にも一人部室で待っていたわけだが……まさか猫とは。

 あ、これ夢? 夢だよね? 借りるぜっ……とか言って武装明晰夢(ルシッド・ガジェット)が使えたりするアレだよね?

 

『にゃー!(借りるぜっ!)』

 

 …………なにも出なかった。むしろ二本足で立ち、前足を前に突き出す子猫が誕生しただけである。

 

『………』

 

 案外二足直立って出来るもんなのな。猫ってすげぇ。

 でも相変わらずの猫背だ。直立って言葉、ちょっと取り消す。

 え? もしかして俺、猫背がたたって猫になったりしたクチ? きょーび蟹の食いすぎでカニランテ様が誕生する世の中だからな……俺が猫背で猫になっても不思議じゃ……いや不思議だろ。これ不思議以外のなにものでもねぇよ。なにこれ。

 

『……にゃー(ふう)』

 

 そこで比企谷八幡は考える。

 多くの場合、……いや、この多くの場合は一般論ではなく、様々なラノベや漫画、ゲームやドラマの多くの場合を前提にして語るが、多くの場合突然猫になった場合、女子とのキャッキャウフフが待っていてウッヒャッホーイなイベントが大体だ。

 だが待つのだ人よ。それでいいのか?

 困っているところを知り合いの、ちょっと気になるあの子に助けられてとか、そんな安易な選択肢を選んでいいのか?

 よくない。断言しよう。それはとてもよろしくない。

 そりゃな、俺だってKENZENな男子高校生ですよ。

 そんな世界に憧れたりしないでもない。

 頼まれて結局行くことになった四人デートもどきの途中、ちょっと怖いと思っていた女王のピンクをうっかり見てしまった時のトキメキを、今は猫として下から堂々と見られますよとかそんなことに微塵の興味もないわけじゃない。

 だがそれは結局一時のものだ。

 今しか出来ないものではない。いっそ捕まる覚悟でやれば、人の状態であろうと出来ることであると断言するまである。

 ならば今しか出来ないこととはなんだ?

 女子に猫として愛でられること? ───否。

 抱き上げられて胸の感触を堪能すること? ───否。

 

『………』

 

 奉仕部の引き戸が開けられる。

 事前にノックの音があって、知らず、俺の耳がピンッと跳ねた。

 ちらりと見ると、そこには雪ノ下。次いで、元気な元気なガハマさん。

 

「比企谷くん? 居るのかし───ら」

 

 ぼとりと、雪ノ下が持っていた荷物が床に落ちた。

 何故って、長机の上に、後ろ足で立って考え事をしている猫が居たからである。

 

「え? どしたのゆきのん」

 

 その後ろに居た由比ヶ浜は、それを見ていない。俺がすぐにすちゃりと座ったからである。

 

「い、今……そこの猫が……い、いえ、それ以前に猫が居ることがおかしいのだけれど……ね、猫……子猫…………し、仕方ないわね、ひひひ比企谷くんが連れてきたのかしら。ここは猫喫茶……けふんっ、猫の預かり所ではないのだけれど……」

「あぅ……猫……」

 

 雪ノ下が驚愕を顔に貼り付けたまま、しかしそれをどんどんととろけさせ、最後には赤くなって俯いた。

 由比ヶ浜は……いつか言った通り、苦手そうな顔で俺を見ている。

 

『………』

「………」

『…………』

「…………」

 

 つか見てる。雪ノ下、めっちゃ見てる。瞬きとかしてないよ。おい大丈夫? 目、乾かない?

 

「えと、ゆきのん。鞄あるみたいだし、やっぱりヒッキー来てるみたい。……ゆきのん?」

「!? え、ええ……そう、そうね。だとしたらやはりこの猫は比企谷くんが。……それともなにかしらの依頼があって、猫を預かってもらいたいとか…………そ、そう、依頼ならば仕方ないわね。ここは猫を預かれるペットショップでも動物病院でもないのだけれど、依頼ならば。ま、まったく勝手に依頼など受けたりして、本当に仕方がないわね比企谷くんは」

 

 おい。そんな、笑みを殺そうと必死に耐える新世界の神になりたかった男みたいな顔やめて? いやそこまでひどくねぇけど迫りつつあるからやめて? 素直でいいよ? 笑えばいいと思うよ? いやマジで。

 で、そんな“俺が悪い&依頼だから”の免罪符を得たユキノシタ=サンは物凄い速さで俺へと近づき、手を伸ばしてくる。

 だが俺が欲するのはそれではない。この比企谷八幡には夢がある! いや夢は今関係ないけど。

 はっきり言おう。猫として愛でられる趣味は俺にはない。

 なのでその手をスッと躱して、俺の鞄をじーっと見つめていた由比ヶ浜へと駆け、飛びつく。

 

「え? ひゃあっ!?」

「由比ヶ浜さんっ!?」

 

 そして腕を駆け上り肩を蹴り、その頭の頂きへと…………着地する。

 ───我、その頂きにて二足で立ち、前足を広げ優雅なポーズを───あ、無理、髪めっちゃさらさら、滑る。

 むしろ結局滑って、ぺほりと由比ヶ浜の頭に腹から倒れる結果になった。

 

「~~~……!! やぁあああっ! ゆ、ゆきのん! ゆきのん!! 取って! 取ってぇええっ!!」

「お、落ち着いて由比ヶ浜さん! 写真を撮るのが先よ!《わたわた……!》」

「ゆきのん!?《がーーーん!》」

 

 一昔前にたれパンダというものがあった。

 それを由比ヶ浜の上で、四肢を伸ばして実行している感じ。つまりその、なに? 猫帽子的な。

 いや、べつにこんなことしたかったわけじゃないんだが。

 つか由比ヶ浜、その背中に虫がひっついたみたいな女子の反応やめて。地味にきつい。

 けどそうか……由比ヶ浜は猫が苦手なままか。嫌いではないんだろうが、一種の拒絶反応ってやつだろう。情が移れば悲しいだけだ、と。経験で知っているんだ。

 ……あ、いや、うん。

 べつに由比ヶ浜を怯えさせるのが目的ではなかったので、すぐに降りました。写真は、しっかり撮られたが。

 

「………」

「………」

『………』

 

 そして、沈黙の時間が続いた。

 雪ノ下と由比ヶ浜は“とりあえず比企谷くんが来るまで待ちましょう”ってことになり、定位置に座ると普段通りの行動を……取れなかった。

 俺は長机の由比ヶ浜の傍に座っていて、由比ヶ浜はそれが気になってしょうがないらしく、雪ノ下は猫が気になって仕方がないらしい。

 なんで由比ヶ浜の近くなのかってのはアレだ。危害を加えるわけでもないんだから、べつに怖がる必要ないんじゃねぇのってアレ。

 どうせ夢なんだし、居なくなるわけじゃねぇんだし。

 

「う、うー……ゆきのーん……」

「ね、猫ちゃ……猫、さん? こっちにいらっしゃい。そのお姉ちゃんは猫がちょっと苦手で……」

『にゃー(フン断る)』

 

 雪ノ下がほっこりした顔でちょいちょいと手招きをするも、すげなく断る。猫語なんて通用しないだろうが、断る。

 むしろじーっと由比ヶ浜を見上げ、おろおろしている姿を堪能……ごほん、見つめる。

 やがて無駄だと悟ったのかケータイをいじりだすと、完全にそっちに集中し始める。

 よし、目的達成。

 あとは盛大に……《ちらり》

 

「…………~……~……《そわそわ》」

 

 うわー見てる。雪ノ下、めっちゃ見てきてる。

 そんな中で脳内でユニコーンガンダムの例のBGMを鳴らすと、盛り上がりの一歩手前でゆっくりと後ろ足のみで立ち上がり、脳内BGMが賑やかになったところでドヤ顔で雪ノ下を見つめる。

 

「!? !?」

 

 案の定驚きまくりである。

 ……そう。人よ……愛でられるだけの環境になんの意味がある。

 猫の状態でのみできる最大限を活かし、真面目なあの子を全力でからか───もとい、楽しませる……それこそが不思議を受け入れた先のお楽しみってやつだろう。

 男だの下半身事情だの、そんな欲望なんて捨ててくれていい。

 何故楽しまない。普段はぼっちを満喫しているのなら、別の何かになった時にこそ封じてきたものを解放しろ。

 別のなにかになるっていうのはつまり、そういうことなのだから───!!

 

「ゆひっ……由比ヶ浜さん……っ……!? 由比ガ浜さんっ!!!」

「うひゃわぁっ!? え!? なに!? どしたのゆきのん!!」

「ね、猫っ! 猫がっ!」

「猫!? ね…………えと。どしたの? さっきとなんも変わんないけど……」

「あ、え……?」

 

 雪ノ下が騒ぎ出した刹那にすちゃりと座る。

 ふう……中々にスリリングである。

 普段は絶対にしないことをする……なんて素晴らしい響きだろう。

 

「なんかゆきのん途中、呼び方ヘンじゃなかった?」

「え? そ、そうだったかしら……」

 

 ……うーん、机の上だと由比ヶ浜に気づかれる可能性があるか。ならばこう、床に下りて……由比ヶ浜の椅子の後ろに、と。

 

「え、えぅう……? ゆ、ゆきのーん……!」

「大丈夫よ、由比ヶ浜さん。べつに危害を加えるわけではないのだから。あ、ただ急に椅子を引いて猫に怪我をさせたりすることだけはやめて頂戴。いいわね由比ヶ浜さん。……いいわね?」

「念の押し方が怖いよ!? う、うー……」

 

 掴んで遠ざけるでもなく、由比ヶ浜は観念してケータイに集中し始めた。よし。

 そして相変わらずこっちをガン見している雪ノ下。よし。

 ゆっくりと後ろ足で立ち上がる。雪ノ下はやはり驚いてはいたが、既に慣れようとしている。それはいけない、是非とももっと驚いてもらわなければ。

 なのでおもむろに“YATTA!”を踊り始めた。

 

『(G!!)《ババッ!》』

「!?」

『(R!!)《バッ!》』

「!? !?」

『(ダブルE!)《バッバッ!》───(N!)《バッ!》───(Leaves!!)《ビシィーーン!!》』

「……!? ……!!?《おろおろわたわた……!》」

 

 信じられないほどの動揺っぷりである。てか猫の体柔らかいな。結構曲がるもんだ。

 RとかL、苦労すると思ったのに。ああ、Nはハナから諦めてた。

 で、雪ノ下。ケータイで写メでも撮ろうとしたのだろうが、構えた瞬間に踊りをやめたらこの世の終わりみたいな顔された。

 おい。……おい、いくらなんでも落ち込みすぎだろ。

 

『………』

「………」

『……《スクッ》』

「!?《シュバッ!》」

『……《……ストッ》』

「…………《しゅんっ》」

 

 立ち上がると咄嗟にケータイを構え、座ると落ち込む。

 それを何度か繰り返してるとさすがに由比ヶ浜も気になったのか、「どしたのゆきのん、今日へんだよ?」とツッコミが入る。……由比ヶ浜、その言い回しだとちょっとどころか結構傷つくからやめたげて。

 

「い、いえ……その。猫が立ち上がって踊り始めたものだから、写真を撮ろうと思ったのだけれど……」

「踊ったんだ!? え!? でもさっきから全然動かないよこの猫!」

「そ、それがその……携帯電話を構えるとどうしてか止まってしまって……」

「そうなんだ……うう、ちょっと興味あるかも。ゆきのん、あたしも見てていい?」

「ええ、というかそこに私の許可は必要ないと……あの、由比ヶ浜さん? なぜ隣に椅子を持ってきてまで座るのかしら。ち、近い……」

 

 ガタガタと椅子を動かして座り、えへへぇと微笑む由比ヶ浜。対して、雪ノ下は質問に“ええ”と言ってしまった手前、動くことも出来ずに視線をうろちょろさせていた。今日もゆるゆりしてらっしゃる。

 

『………』

「………」

「………」

『………………』

「…………」

「…………」

『………』

「……動かないね」

「そ、そうね……あの、けど信じてほしいのだけれど、本当に───」

「あ、ううんっ!? ゆきのんを疑ってるわけじゃなくてっ!」

 

 雪ノ下の少し弱ったような言葉に、由比ヶ浜が上半身ごと隣を向いた瞬間、シュバッと立ち上がって腰の横に左前足、右前足は天にかかげ、サタデーナイトフィーバー!

 

「ぶふぅっ!?」

「ゆきのん!?」

 

 そしてすぐに座る。

 妙にツボに入ったのか、驚きよりも笑いに支配された雪ノ下が俯いて肩を震わせる光景に、ひと仕事を追えた達成感を得た。

 しかし、これでルールは察しただろう。雪ノ下はふぅふぅと息を整えて、じっとりとした目で俺を見た。

 が、何故か由比ヶ浜の耳に口を寄せて、ぽしょぽしょと何かを伝える。え? なに? 小さすぎてこの動物の耳をもってしても聞こえない。

 

「え!? ほんと!? でも……」

「お願い、でないと私が、猫を見ているといきなり笑い出す人として認識されてしまうわ」

「えっ!? あ、やー……それはべつに間違ってないんじゃ」

「由比ヶ浜さん!?《がーーん!》」

 

 話は終わったのか、由比ヶ浜が椅子の向きを逆に変えて、とすんと座る。ようするに俺に背を向けて、それでも雪ノ下の隣には居る。

 これはあれか? あなたが見ていると踊ってくれないからと話した結果か? だがべつにそれは小声で話す必要性を感じない。

 じゃあなんだ? なん……なんでもいいか。違う自分になったのなら、わざわざ疑いからかかる必要もないし、そもそもどうせ夢だし。

 見れば由比ヶ浜はカチカチとケータイをいじっている。背中を見ているだけでも解りやすい動作だ。両手で持ちながらとか可愛い。とか思ってないんだからねっ!? ……おう、どうやら手鏡で覗き見るという方向でもないらしい。

 ならば存分に……踊ってやるとしよう。

 

『《バッ!》───《すとん》』

「!?《ビクッ》」

 

 立って座ってのフェイントをかけてみても由比ヶ浜に反応無し。

 立った瞬間に振り向くってわけでもないようだ。

 え? どうでもいいんじゃなかったのかって? 自分の意識を騙せないようじゃ、相手の探る視線まで回避できないのだ。エリートぼっちは妥協しない。

 なので踊る。もう踊る。立ち上がり、その場で愉快に激しく、しかし視線は由比ヶ浜に向けて。

 一歩でも振り向く動作をしたなら、その時点で───!

 

……。

 

 そうして、インド人類は繁栄しましたは終了した。

 雪ノ下は何故かぽろぽろと涙を流しながらぱちぱちと拍手をしていて、なんか申し訳ない気持ちが溢れてくる。え? なんなの? なんで感動して拍手までしてるの?

 

「すごい! すごいねゆきのん! なんかすっごい動いてた!」

『!?』

 

 踊りも終わったので、ふうふうと息を弾ませながら座っていたところに、由比ヶ浜の興奮した声。

 踊ってた……!? 馬鹿な、やつはずっと後ろを向いていた筈……! まさかこの夢の中の由比ヶ浜の背中には、目でもついていると……!? いや、ねーだろ。

 きっとこう言えば見られたものだと油断して踊り出すと…………アレ? なんか……アレ?

 由比ヶ浜が持ってるケータイの画面部分が、やけに世界を映しているような……。ハッ!?

 

『───(お、覚えがあるッッ!! 初めてケータイを手にした時、オプションパーツ的なものをニヤニヤと見ていたら店員にうわあ……って引かれたあの日……!)』

 

 そう、ケータイ用の画面保護シールの中にあった筈だ。

 保護シールにもなって、“鏡にもなる”シールがっ……!!

 ば、馬鹿な……! この俺が、由比ヶ浜に出し抜かれた……だと……!?

 

「えへへぇ、見てないって思った?」

 

 おい、苦手意識はどうした。ってツッコミたくなる笑顔で、由比ヶ浜がケータイを見せながら近づいてくる。

 べ、べつに悔しくなんかないんだからねっ!? だがまあ見られてしまったなら仕方ない。

 なんかもうこんだけ踊っても目覚めない世界なら、目覚めるきっかけとかあるんだろうし。

 だから俺は鞄までを歩いて、鞄からミニメモ用のちっこいメモペンを出すと、指と指の間に器用に挟んでメモに文字を連ねる。平べったくていいよね、これ。

 

『にゃー(ほれ)』

「え? てゆーか……え?! ゆきのん! この猫、文字書いっ……え?」

 

 驚きながら、由比ヶ浜がメモの文字を見る。

 

  “いなくならない猫ですよー”

 

 そこにはそう書いてある。

 次いで、“雪ノ下には内緒にしてくれ”と書き足す。

 

「…………ヒッキー?」

『ゴニャウ(おう)』

 

 頷いてみせたら驚かれた。けど、叫んだりはしないところはさすが。

 むしろそわそわしだして、頬も赤く染めて……おい、なんで赤くなる必要……あ、あー……そういや頭の上とか乗ったもんな。セクハラだ。

 

「? 由比ヶ浜さん?」

「あ、ううんっ!? なんでもないっ! あははっ、不思議な猫だなーって!」

「え、ええ……ええ、本当に。こんな子猫を残して、比企谷くんはいったいどこへ行ったのかしら……まったく」

 

 椅子に座ったまま、ハァ……と溜め息を吐く姿は、生憎と由比ヶ浜の身体に隠れて見えない。

 つか、やっぱ子猫の視界だと人が間近に来るってのは迫力がある。

 

「……ね、ねぇヒッキー……なんで子猫になんかなっちゃったの……!? 犬のほうがいいのに……!」

『にゃ? にゃー(あ? 猫背の所為とかじゃね?)』

 

 言っても通じないので、またサラサラと文字を書く。

 “よく解ってないが、夢だろこれ。人が猫になるとかねぇよ”

 

「あ……そっか、そうだよね。なんだ、あたし夢見てるんだ。あはは、そうだよね。じゃなきゃ、猫になったからってヒッキーがあたしの頭の上に……ゴニョゴニョ」

『にゃー【頭に乗ったりして悪かった。理解ある猫なら、慣れるかもって思ったんだ】』

「あ……そか。そうだったんだ。……ありがと、ヒッキー」

 

 慣れると結構書けるもんだ。

 さて、では再び雪ノ下をからか───もとい、楽しませるとしよう。

 などと思っていたら、校内放送が響き、平塚先生から雪ノ下召喚の報せが届いた。

 

「あ……ゆきのん呼ばれてるね」

「呼ばれる覚えは特にないのだけれど……というか、用があるのならさっき鍵を取りに寄った時に、一緒に言ってもらいたかったわ……《ちらちらちらちら》」

「あ、あはは……だいじょぶだよゆきのん、猫ならあたしがここで、ちゃんと見てるから」

「! い、いえ、べつに猫を見ていたわけではなくて」

 

 わー、あの雪ノ下さんが嘘ついたー。とは言わない。

 隠したいことの一つや二つ、誰にでもあるしな。

 そんなわけで滅茶苦茶名残を惜しむように振り返りまくりつつ……雪ノ下は部室をあとにした。

 

「………」

『………』

「……行っちゃったね」

『ごにゃ《コクリ》』

「あはは、なんか猫が頷くってヘンな感じ。あー、でも話すのに書かなきゃいけないのは大変だよね」

『ニャオアオーゥ……【まあ待て、俺に秘策がある】』

「ひ……なに?」

『…………《カキカキ》【ひさく】』

「あ……ちゃ、ちゃんと読めてたし!」

 

 アホの子だ。けど、秘策はある。

 由比ヶ浜に頷いて見せると、再びバッグを漁ってスマホを取り出す。

 そしてネコリンガルのアプリを起動させると、由比ヶ浜に渡す。さながら、モンハンのアイルーのように。

 

「え? ……ネコリンガル? あ、そっか!」

『ニャー【夢なんだから、こういうところもどうせ都合よくいくだろ】』

「あはは、そうだよね。夢だもんね」

 

 さて、書いた文字と言った言葉は合っているかどうか確認だ。

 まずはさらさら~と書いて……よし。

 

『【これから“やっはろー”って猫語で言ってみる】』

「え? ───うん! 言って言って!」

 

 あれ? なんでそんな嬉しそうなの? 猫語なら恥ずかしくないし、だから言うだけだよ?

 

『にゃー!(やっはろー!)』

「《ぴろんっ♪》───わはっ♪ うん! ちゃんとやっはろーって出たよヒッキー! えへっ、えへへへぇ♪」

 

 うわー、嬉しそう。

 だがやはり夢であることが証明された。やっはろーなんて言葉、ネコリンガルなぞに登録されているわけがない。

 鳴き声の音調で言葉を選んでいるだけだろうし、こんな馬鹿っぽい言葉があるわけがない。

 

『……というわけで、話し易くなったな』

「うん、画面に出るまでちょっと時間かかるけど、書くよりよっぽど早いよね。それで、なんでこんなことになったの? あ、夢だからか」

『だろーな』

「だよねー。ゆきのんもなんかおかしなくらいにおかしかったし」

『ああ……いや、あれは素───ああ、いや……』

 

 夢だもんな、あんなこともあるよな。

 

「……ね、ヒッキー」

『あん?《ひょいっ》おぉわっ!? ちょ、なにすんだっ』

「夢なんだからいーじゃん。ほら、別の自分別の自分」

『む……まあ、べつにその……な』

 

 床に座ってしまった由比ヶ浜の膝に、ちょこんと乗せられてしまった。

 しかもその上から背中を撫でられる。ちょっと圧迫する感覚……つまりここに伏せろと言いたいのだろう。

 ……ま、まあいいけどね? 夢だし。せっかくだからこのやわらかさ───もとい、いやもといじゃなくて、なにも考えてナイヨ? 八幡ウソツカナイ。

 

『……それでどーよ』

「え? なにが?」

『猫だよ猫。苦手っつーか……触れたくないとか思わねーの?』

「うーん……平気かな。だってヒッキーだもん」

『そりゃ俺が取るに足らない存在だって言いたいんですか……』

「そ、そうじゃなくて! もう、なんでそういう考え方しか出来ないかなぁ……」

 

 言いつつ背中を撫でてくれる。

 その手付きは……妙に手馴れていた。サブレが居るから? ……たぶん、違う。

 

「……あたしさ、ほら……前に猫の話、したじゃん? 団地に住んでた頃、隠れて飼ってた~って」

『おう』

「かわいかったんだぁ……すっごくね、小さくてさ、頭撫でると顔こすり付けてさ。指掴まれてペロペロ舐められてさ、少しするとやさしく噛んできてさ」

『……おう』

「でもね……居なくなっちゃうんだ。やっぱり…………うん。居なくなちゃうんだよ。きっとやさしさが足りなかったからだって、また飼うんだよ? でも……居なくなるんだ。悲しくってさぁ……辛くってさぁ……」

『……まあ。猫は死ぬところを飼い主には見せない、とか言うしな……』

「うん……。でもね……? あたしは……ちゃんと見送りたかったなって。見届けたかったなって……そう思うんだよ。だって……そんなの悲しいよ。本当に、そんな姿を見せたくなかったからなら……諦められるかもしれない。でもさ、歩いた先で事故に遭ってた、とかだったら……走れば間に合ったかもしれない。助けられたかもしれない。また……頭をこすりつけてきてさ、にーにー鳴いてくれたかもしれない。……考え始めると辛いんだ……。ひどいよ……残された方のことも……っ……考えてよ……!」

『《ぽたっ》うおっ……、……』

 

 涙が落ちてくる。

 見上げる先には少女の泣き顔。生憎この身体じゃ108のお兄ちゃんスキル、頭撫でも慰めも出来やしない。

 出来やしないんだが……まあ、その……───別の自分で、夢なんだしな。

 

『……キモかったら。押し退けてくれていいからな』

「え……? ヒッキ《ぱくりっ》きゃうんっ!?」

 

 由比ヶ浜の手を両前足で掴み、引っ張って……その指を口に銜えた。

 嫌がる様子は……ない。ただ驚いているって顔だった。

 

「ひ、ひっき……!? ───……ヒッキー……」

『……その、悪いな。お前が飼ってた猫の再現なんてのは無理だろうが……。うちも、まあその、カマクラとか居るから……よ。無愛想なやつだけど、やっぱ憎めないんだよ。……あいつがいつか、同じようにするっていうなら……俺も、やっぱ悲しいって思う』

 

 指をぺろぺろと舐める。は、恥ずかしくないっ! これは猫の行為だっ! 人として女性の指をぺろぺろとかそーゆーんじゃないんだからねっ!?

 

「ヒッキーは……やっぱりやさしいね」

『ばっかお前、俺は超やさしいっての。相手選ぶけどな』

「えへへ……じゃああたし、選ばれたんだ」

『ぐっ……───そりゃ、まあ、……そういうことなんじゃねぇの?』

「別の自分になってないよ、ヒッキー」

『お前無茶言うね。なりたくてもなりきれないから漫画とかの裏切り者の友人って敵になりきれないんだぞ? まあ俺にはそもそも敵しか居ないが……あ、自分で言ってて悲しくなってきた……』

「そんなことないよ。少なくともあたしとゆきのんは味方だし」

『ほーん……? 俺、その味方とやらにいっつも罵倒されたりキモい言われたりしてるんですが?』

「あぅ……それは、えとー…………でもキモいし」

『おい』

 

 いや、そりゃな、俺だっていい男を目指して、“綺麗なウィンクの仕方”とか調べたことあるよ?

 鏡の前で片目を指で押さえて、もう片方をパッチリと開く練習とか。したね。超したね。

 で、丁度それを小町に見られて、“うわ……お兄ちゃんキモ……”ってすんごい冷静な声調で言われてその日はずっと部屋ン中に閉じ篭ったくらいだよ。

 ……つまり俺のウィンク、キモい。

 

『はぁ……どっかに俺のキモさも受け入れてくれる人、居ないもんかな……無理だろうなぁ、誰が専業主夫希望の男なんか受け入れるんだか』

「あれ? 結構諦めてる感じ?」

『……どうせ夢だから言っちまうけどな。自分に対するフィルターみたいなもんなんだよ。専業主夫希望なんて言ってる男を好きになるやつなんざ居るわけがないだろ? いくら俺にやさしくしようと、夢が専業主夫だなんて言えば絶対に引く。だがだ。“それでも”って言ってくれるヤツが居るなら、そいつは本当に俺のことを好きでいてくれるわけだ。そんなヤツが居るなら、俺ゃもう心から好きになれるね。シスコン卒業して、小町に向けてた愛情とか全部ひっくるめてその人に捧げるまである』

「……ほんとに?」

『あ? おーほんとほんと。そもそも、俺自身誰かと付き合えるとか……自分が好かれてる自信なんてさっぱりだ。数年後にはぼっちの社蓄になってんだろうさ。……そう考えると親父とかって不思議だ……どうやって結婚したんだか。出会いが良かった? 社蓄同士気が合った? ……解らん《ひょいっ》おおぅっ?』

 

 急に両手で掴まれ、由比ヶ浜の目線の高さまでひょいと持ち上げられる。

 ……知り合いの女子に持ち上げられる男子の図。なんか死にたい。

 

「……えっとね。えとー……うん。あたしもさ、夢だから言っちゃうね?」

『? お、おう?』

「あたしね、ヒッキーのこと……好きだよ?」

『───…………』

「一時の勘違いとかそういうのじゃなくてさ。……男の子としての比企谷八幡くんが、あたしは好きです」

『…………』

「あはは……えっと。ヒッキーのことだから、薄々は感じてくれてた……よね?」

『…………おう』

「うん、そっか。やっぱり。だってヒッキー、そういう空気になるとすぐに言葉とか遮ってきたし」

『……まあな』

「…………」

『………』

「ね、ヒッキー。どうせ夢で……覚めちゃうなら……さ。その……返事とか、欲しい……かも」

『………』

「………」

 

 返事……返事。

 気づかなかったわけじゃない。ただ目を逸らしていた。誤魔化していた。

 至高のぼっちは間違わない。勘違いなんかしない。好意に思えるそれはただの相手の自己満足からくる親切心モドキだと、ずっと言い聞かせてきた。

 でも……言ってくれたのが由比ヶ浜か雪ノ下なら。俺はきっと……疑いもせず受け入れられるから。……それは違うとは言えなかった。

 

『その前にいいか? ……いつからだ?』

「え? いつからって?」

『いやその……お、俺を、ほらその、なに? す、す……』

「……えへへぇ、サブレを助けてもらった時から、かな」

『───』

 

 奉仕部に入ってからどころじゃなかった。

 既に一年以上経っている。

 つまり、あれか? 俺がぼっちで居た時も、ぼっちで居た時も、ぼっちで居た時も…………おい。ぼっちな時しかねぇよ。

 

「あ、えと、あはは……助けてもらった時は、ちょっと言いすぎかも。気になったきっかけはその時だけど、いつから好きになったかは……たぶんあたしにも解んないんだ。人を好きになるのって、そういうもんなのかも」

『……俺じゃなくても、もっと他に』

「居ないよ。じゃなきゃ、一年も見てないよ」

『…………』

 

 今、これが夢であることを心から畜生めと叫びたい。

 真っ直ぐな告白だ。

 それこそ、俺がガキな頃から胸に抱いていた、嘘も飾りも混ぜない、純粋な……告白。

 正直、嬉しくてたまらない。すぐに俺も、とか返事をしたいのに、心が邪魔をする。

 どうせ勘違いだ、こう言っててもすぐに掌を返す、だの。

 じゃあどうすれば素直になれるのかと考えた。

 ……どうせ夢だから。

 そんな免罪符はあっても、それを理由にしたら、いくら夢の中だろうと由比ヶ浜の気持ちに失礼だと思った。

 俺だって何度も告白して玉砕しているから解る。人を想って告白するのは、並大抵のことじゃない。ましてや由比ヶ浜のは一年以上も温めてきた想いだ。

 俺みたいに、声をかけられて勘違いをしたような、軽い告白なんかじゃない。

 だから嬉しいんだ。だからこんなにも胸に染み入る。

 

「ねぇ、ヒッキー……」

『……おう』

「もしさ、この夢が覚めてさ。それでもこの夢の記憶を覚えてくれてたらさ。……あたしの、居なくならない猫に……なってくれる?」

 

 ……それは。

 今の俺が猫だから言った言葉ではなく───つまり、俺が居なくなれば悲しい、辛いって意味で……。

 

『…………勇気が無くて悪い。……俺で、いいのか? 葉山とかイケメンどもだったら、ここで自信持って返事出来るんだろうけど』

「隼人くんは関係ないよ。あたしが好きなのは、その……ヒ、ヒッキーだし」

『……そか』

「うん、そうだ。……じゃあさ、ヒッキー。ヒッキーが目覚めて、もし記憶がそのままだったら、返事……聞かせて? ヒッキーはあたしにしてほしいこととか、ある?」

『…………その、よ』

「うん」

『……葉山たちに名前で呼ばせるの、やめさせてほしい』

「え?」

『…………~~《カァア……!》』

「え、あ……え? ひっきぃ……?」

『……約束だ。目が覚めても両想いだったら、俺はお前に告白する。だからお前はそうしてくれ。……なんか、嫌なんだよ。葉山どころか戸部までとか』

「……! ……う、うん。……うん! じゃあさ、ヒッキー……!」

『人のこと本気にさせたんだから、責任取れよ……。言っとくが、俺がシスコンやめたら相当面倒だからな。───結衣』

 

 言って、駆けた。恥ずかしすぎて、雪ノ下が戻るのを待ってなどいられなかった。

 鞄もスマホも置いたまま、猫の姿で……俺は由比ヶ浜の前から去ったのだ。

 ……で、だけど。この猫化、寝れば治るのかね。ここから家まで子猫モードで帰るとか、軽く地獄なんだが……?

 それでも帰った。なんとか帰って……部屋のいたるところに“猫”と書いた紙をテープで貼り付けた。なんかもう猫とかそういう次元を超えた器用さだ。

 まあ、テープで何本か毛が抜けたりしたけど。……ハゲないよな?

 鞄もスマホもガッコに置きっぱなし。部屋も紙だらけ。

 さあ、これで寝て目覚めて、全部が夢だったらそれでいい。夢じゃなくてもそれでいい。

 重要なのは俺が覚えていられるか。それだけだ。

 

『ニャー(んじゃ……正夢に期待して)』

 

 おやすみなさい。

 



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猫を拾った日②

 ハッと目が覚める。

 場所は……自室。見慣れた壁がそこにはあって、どうやら横向きで寝ていたらしい。

 知らない天井だ、とかよくあるけど、あれって不思議だよな……なんで毎回天井真っ直ぐ見て寝てんだよ。みんなそんなに寝相いいのん?

 

「………」

 

 上半身を起こす。ちょっと勢いが強かったためか、なんかこう、血が下がっていくような“ズー……”って感じの奇妙な音が耳の後ろあたりから聞こえる気がする。

 

「………」

 

 部屋を見渡す。

 スマホがある。鞄もある。猫と書かれた紙はない。やっぱり夢だったか。

 だが……そうだな。“覚えている”。

 だったら、もうやることは一つだ。約束しちまったし、仕方ない。

 これで嫌われたら、また堂々とぼっちに戻って、二度と恋なんぞしないと誓おう。

 時間はちょいと早いくらい。

 起き出してシャワーを浴びて、ぼさぼさ頭を少し整えて、しっかりと歯を磨く。

 朝食は抜きだ。多少ハングリーな方が人は健康になれるって知ってるか? 知らんなら朝食抜きに慣れてみよう。晩飯は夕方5時前に終了な。これ大事。

 

「よし」

 

 身支度を整えていざ登校。

 小町が大変驚いていたが、これが最後とばかりに覚悟を込めて、小町の頭をやさしくたっぷりと撫でた。

 

「……どしたのお兄ちゃん。なんか、今日へんだよ? 割といつもヘンだけど」

「お前はどうして最後にいらんこと足しちゃうかね……お兄ちゃん悲しい」

「でもほんとどったの? 朝からシャワー浴びてたし、髪型も気にしてたし……ハッ!? もしかしてついに誰かに想いを打ち明ける気にっ!? ……って、お兄ちゃんにそんな根性あるわけないよね」

「そうだな。時の人になってくるわ。成功しても失敗してもシスコンは今日までだ。ガラにもなく変わらないとって思っちまったからなー……」

 

 失敗してもいい。そりゃ、成功するに越したことはないが……夢の中で誓ったのだ。変わろう、と。

 告白して失敗して落ち込む。それは仕方ない。けどまあ、こんなヤツに好かれてしまったなんて由比ヶ浜が思わない程度には、立派になろうと思ったのだ。

 専業主夫が隠れ蓑であったことも、夢だろうが口にした。したからにはもう隠れているわけにはいかない。それが夢の中であろうがなんであろうがだ。

 

「えと。お兄ちゃん寝惚けてる? あ、そういえばなんか部屋に───」

「んじゃ、行ってくる」

「え? あ、ちょ、お兄ちゃん!? ……行っちゃった。あー……もしかして勝手に“猫”とか書かれた紙捨てちゃったの、怒ってるのかなー……でもゴミの日だったし。あ、そういえば昨日、結衣さんと偶然会って、鞄とか受け取ったの言うの忘れてた……あちゃー、小町としたことが……」

 

 ……。

 

……。

 

 そうして、教室に辿り着く。

 人の数もまばら。

 由比ヶ浜は……居た。既に来ていて、葉山たちとなにかを話している。

 その姿は……楽しそうだ。葉山たちも笑っている。

 ま、やっぱり夢は夢だ。そう都合よくはいかないのだろう。

 大体、現実だったとしたら何をどうすれば人が猫になるというのか。

 ちょっと考えれば解るだろうに…………

 

「………」

 

 それでも、期待せずにはいられなかったってことか。

 求めた眩しさが手に入るかもしれない夢を見た。

 それは、本当に……とても眩しいものだったから。

 

「……はぁ」

 

 そうしてHRが始まり、授業が始まって、休み時間を挟んで時間は過ぎ───昼休み。

 いつものようにベストプレイスに座って、天使が舞うテニスコートを眺める。

 吹く風が心地良く、息を吐きながら目を細めていると……とすん、と……隣に誰かが座った。

 横を見てみれば、頬を朱に染めた顔で俺を覗き見る由比ヶ浜。

 

「……どしたのお前。こんなところで。なに? またじゃん負けでもしたの?」

「え? あっ、ううんっ、違う、そうじゃなくて」

「ほーん……そか」

「うん……違くて……」

「…………」

「…………」

「……」

「え、えーとさ。あのー……ヒッキー?」

「あ? なんだよ」

「あ………………、…………う、ううん……なんでも……」

 

 気の無い返事に、由比ヶ浜の顔が悲しそうに歪む。

 なんでそんな顔するんだよ。

 あのですね、こっちは今、なけなしの勇気を振り絞ろうとしてるんですよ?

 つかなんでいきなり来てんの? 放課後とかタッピーツなオテガーミで屋上とかに呼んで告白しようとか思ってたのに、いきなりこんな不意打ちとか、心臓に悪い。悟空さじゃなくても心臓病級の痛みに胸を押さえるレベル。

 いや、けど……でもな。いやいや、しかし……あー、おー、その、えー……おー、その、なんだ……。

 

「……ちっと立ってくれ」

「え? あ、うん……? どしたのヒッキー」

 

 立ち上がる。石段から降りて、きちんと真っ直ぐに見つめ合う形で。

 それで……それで。

 

(勇気出せ、あほ)

 

 言っておくが告白した回数ならよほどじゃない限り俺の経験は誰にも負けない相当なものだ。振られた数ならそれ以上。だって告白する前に振られるとかあったし。

 そんな俺でも怖いものはある。

 それは、こんな俺相手でも良くしてくれた相手に、心から拒絶されることだ。

 恐らくこの告白は、そういった関係を崩すことに相当繋がっている。

 けどだ。

 崩れてしまうならしまうで、きちんと自分の気持ちをハッキリさせた上で崩れてほしい。

 なにも自分から崩さなくてもと思わないでもない。

 崩さなければ、このままの関係を続ければ、もっと親密になれば、それだけ成功率は上がるのだろう。

 けど……もう決めてしまった気持ちは押さえられない。

 成功するならシスコンをやめてもいい……だから、ありったけを。

 

「すぅ……はぁ…………んっ。───由比ヶ浜結衣さん」

「えっ!? あ、はいっ!?」

「……あなたが好きです。好きすぎてやばいくらい、好きです。あなたのためなら自分を変えたいって思えるくらい好きです。……俺と付き合ってください」

「───……」

「………」

 

 言った。なんかキモいことも言ってた気がするが、嘘偽りのない本心をぶつけた。

 これでダメなら素直に諦めよう。ぼっちに戻って、また静かに。

 奉仕部には……もう行けないだろうな。関係ない雪ノ下にまで微妙な空気を吸わせるわけにもいかない。

 ……沈黙が長い。これは、やっぱりだめか。そりゃそうだ、俺なんかに告白されて嬉しいヤツが居るわけがない。

 結局また俺の勘違いか…………はは、辛いな。自分の居場所って思えるくらいに大切な場所を、自分から壊してしまった。

 なんて滑稽で、なんて───

 

「……うんっ! あたしも、ヒッキーが好き……! 大好きっ!」

 

 ……幸福な。って、え? あの、ガハマさん?

 

「ヒッキー……約束、ちゃんと果たしてくれたね。あたしも忘れてなかったよ?」

「え……? おま……」

「えへへ、同じ夢見るなんて、あたしたち、へんなところで繋がってるのかな。ヒッキーが猫になるなんて、やっぱりどう考えたっておかしいのに……っ……ぐすっ……夢じゃなくて……よかったよぅ……っ!」

「え、あ、おい……」

 

 由比ヶ浜は泣き出してしまった。

 どうしていいか解らずにおろおろしそうになると、体は勝手に動いた。

 肩を掴み、胸に抱き寄せ、頭を撫でた。

 またお兄ちゃんスキルが───と心に浮かんだけど、その名前も違和感に変わる。

 ……そか。もう、シスコンは卒業か。

 悪いな小町。俺……好きな人のために、自分の持てる全てを使ってやりたいって……今、本気で思ってる。

 泣いている由比ヶ浜が、愛しくて仕方ないんだ。

 やさしい気持ちが溢れてきている。

 ああ……やっぱり、俺はこいつのことが……───

 

「“結衣”」

「……! うんっ……うん、ひっきぃ……! ちゃんと……はやっ……葉山くんたちに話して、苗字で呼んでもらえるように……話してきたよ……?」

「仕事が早いんだな……」

「覚えてたし……ヒッキーとの約束だもん……えへへ、守らないわけがないよ……」

「……~~……」

 

 どうしてこう、こいつは……。

 まいった、ほんと、まいった。告白してまだ……ようやく二分くらい? 知らんけど、そんな短い間で惚れ直しまくってるんだが。どこまで更新頻度高いのこいつへの愛情。

 好きで、好きすぎて、だから……頭を撫でる手もとてもやさしくなり、抱きしめる腕も心を込めたものに変わる。

 いままで自分には、近しい味方が小町しか居なかった。

 だからいろいろなことを話したし、相談に乗ってもらったこともあった。

 その小町への愛情が、そっくりそのまま、由比ヶ浜……結衣への気持ちにプラスされて、気持ちが止まらない。

 こいつのためなら、本当になんでもしてやりたいって思う。男が近づくようなら全力で守りたい。むしろ撃退する。川なんとかさんとこの大志のように。

 葉山とか戸部ってまさにそれな。結衣に近づくんじゃねぇ、気安く声かけてんじゃねぇ、刺し違えてでも滅ぼすぞこの害虫めが。

 え? 戸塚? 戸塚は天使じゃないか。

 しかしこうなってしまった今、結衣が天使すぎてやばい。

 

  我が腕の中、涙目の天使、光臨。

 

 そんな感じ。

 困ったことにシスコンが……えと、こう、なに? ユイコン? に変わっていく過程で、結衣のことが眩しく見えて仕方ない。

 え? 俺こんな天使と今まで平然と話してたの? しかも今告白してOKもらったの? わあ現実味ねぇ。これ夢だろとか思ってしまうまである。

 

「………」

 

 それでも。

 それが一定以上を超えると、もはや愛しさばかり。恥ずかしがって時間を潰すくらいなら、ひたすらに好きになろうって奇妙な考えが次から次へと現われる。

 つまるところ好きすぎてやばい。

 

「……《きゅっ》お……結衣?」

「ヒッキー…………やくそく」

「え? あ、ああ……おう。まあ、約束だからな。……相当に面倒くさい猫だろうけど、よろしくな」

「えへへ、むしろめんどーで、きまぐれだから猫なんじゃないの?」

「……あー……悪ぃな。思ったより俺、猫してたわ」

「うん。じゃあ……末永く、よろしくね、ヒッキー」

「おう。……あ? いや待て、それって」

「ずっと……一緒に居てほしいな。…………だめ?」

 

 ちょっと。ちょっとガハマさん? 惚れた男にその上目遣いは反則じゃないですか? ……やだ、また惚れ度更新しちゃった、もうやだこのガハマさん。好きすぎる。

 

「……《ガリガリ》……言っておくが、俺はしぶといぞ。そう簡単には死んでやらんし、むしろ年金を納得出来るまで手に入れなければ安心して眠れないまである」

 

 頭を掻いて、そっぽ向きながらの言葉……だったんだが、頬に両手を添えられ、くいっと真っ直ぐに戻される。で、戻された目の前にガハマさん。

 

「…………見送ってくれるか、ちゃんと見送らせてね……。もう……あんな思い、したくないから」

「あほ。俺こそお前に愛想つかされねーかって今既にどきどきしてんだから、そんなことは自分がどれだけ俺に好かれてるかを考えてから発言しろ」

「……そんなこと言って、どうせ小町ちゃん以下でしょ? 解ってるよ、ヒッキーシスコンだもんね」

「いや、今、世界のなによりもお前が好き」

「───…………~~~~……!!?」

 

 あ、真っ赤になって、俺の胸に顔を埋めた。

 ぎうー、って抱き締めてきて、動こうとしない。

 

「覚悟しとけよ結衣。信頼の内側に入っただけでも相当な俺だが、千葉の兄妹愛を“身内”じゃなくて恋人に向ける俺は、相当甘いぞ。……やったことねぇからどれくらいかは知らねぇけど」

「知らないんだ!? あ───」

「あ───」

 

 ツッコミのために反射的に顔を上げた結衣と、目が合った。

 そのまま少し停止して───……結衣の目が潤み、そこに期待が浮かんだ時には、もう二人の顔は近づいていた。

 

「ん……」

「ちゅ……っ……は……」

 

 一度、ちょんとくっつけて……すぐ離れて。

 照れくさくて嬉しくて、たははと笑い合ったあと……また近づいて、二度三度、四度……五度。

 六になる頃には深く口付けをして、八度目には舌をつつき合い、九度目には舌を絡ませ合っていた。

 唇を密着させ、舌同士を擦り合わせ、唾液を交換し、嚥下すると……頭が痺れるほどの幸福に襲われる。

 愛しさが際限なく溢れ出し、唇だけでなく、顔のいろいろなところへキスを落とし、背中を撫で、頭を撫でた。

 結衣は甘えるように身体を密着させてきて、俺もまたそれに応えるように、それこそ少しの隙間も無くそうとするかのように、抱き締め合った。

 

 

───……。

 

……。

 

 で。

 

「比企谷くん」

「ひゃ、ひゃい」

「それはいったいどういうことかしら」

 

 ……放課後の奉仕部にて、ぽー……っと顔を紅潮させたまま、俺の腕に抱き付いて動かない結衣が居た。

 椅子には座っている。うん、隣というか、もう一体化してもいんじゃね? ってくらいゴチリと横にくっつけられた椅子に座り、俺の腕に抱きついている。

 

「あー……その。俺、由比ヶ浜と……結衣と付き合うことになった」

「見れば解るわ」

「……だよなぁ」

 

 結衣は、なんかもう片時も離れたくないと全身で表現しているまであるくらいに抱き付いている。しかも時折俺の腕にこしこしと顔をこすりつけてきて、「えへへへぇ……♪ ひっきぃ……♪」と微笑むほど。

 これを見て気づかないのはどうかと思う。罰ゲーム扱いにするにしても、結衣が幸せそうに見えすぎて、それを結論にするにはおかしすぎた。

 

「私が訊きたいのは、捻くれたあなたがどうやって由比ヶ浜さんと、その……そういう関係になれたのか、ということよ」

「だとしたら主語抜きすぎだろおい……“それはいったいどういうことかしら”でどれほどの意味を拾わないといけないの、俺」

「女心を知ることくらい、恋人を持った男性の矜持でしょう」

「? ……ヒッキー、キョージってなに?」

「自分の能力とかを優れているものだと信じて抱く誇りのことだな。類語で自負と自任があるが、自負は自分だけが信じてる優れた能力、自任は……どっちかっつーと思い込みに近い。自分はそれに相応しいとか優れているとか思い込んでいる状態な」

「そっかー、えへへー……ヒッキーは頭いいね」

「《すりすり》ひゃい!? お、おぉおっおお、おう……」

 

 男の矜持……素晴らしい。

 そうだな、確かに女心を知ることは、男が永遠に答えを求める崇高な計算式。それっぽいことを返事として雪ノ下に言ってみると、盛大な溜め息で迎えられた。ひどい。

 え? 俺がしてる計算式? 人を避けること、始まった会話をさっさと終わらせること、専業主夫シールドくらいじゃないか? あとは全部結衣。

 

「………」

「《なでなで》ふぁぅっ…………んんんん~~……っ……ひっきぃ……♪」

 

 頭を撫でると幸せそうな笑顔があった。キスしていいですか? あ、無理だった、雪ノ下が震えながらケータイ構えてる。やめて、110番はやめて。

 

「あなた、まるで小町さんにするように接するのね」

「なに言ってんだ雪ノ下。俺はもうシスコンは卒業したぞ。今の俺は結衣に重きの全てを捧げる一人の男だ」

「……あなた風邪でも引いたの? あなたがシスコンをやめた? ………………え?」

「おい。なんでそんなドン引きしてんだよ。シスコンでも散々引いてたのに、いざやめれば引くってなんだよ」

「い、いえ……信じられないことを聞いたものだから……。こっ……小町さんは、なんて……?」

「知らん。結衣に告白することしか考えてなかったから、これが最後だって頭撫でて、そのまま来た」

「シスコンの兄に今まで尽くした妹をあっさりと捨て、恋人に走ったのね外道谷くん」

「おいやめろ。まじでやめろ。……やめて」

 

 地味に突き刺さる言葉だった。

 いや、でも、そうなっちゃったんだから仕方ないじゃないか。

 もちろん小町には恩を返していくつもりだ。

 出来るだけ手助けするし、誰かと恋をしたらちゃんと応援する。相手が大志だろうが、きちんと幸せに出来るなら祝福するさ。

 そのことをきちんと伝えると、雪ノ下は「あなた正気なの?」と俺の正気を疑って……おい。……おい。

 

「正気だよ。いい加減、あんまりシスコンがすぎるのもあいつにとっても鬱陶しいだろ。人前でシスコンすると容赦のない言葉の槍が飛んできたもんだし、いいきっかけだったんだよ」

「……そう。そうなのかも……しれないわね」

「おう、そういうこった」

「では比企谷くん。もし由比ヶ浜さんに近づく男が居たら?」

「とりあえず沈める。どこか知らない闇に沈める。それがだめなら下駄箱に画鋲入りのトゥシューズをプレゼントする嫌がらせさえ出来るまである」

「待ちなさい比企谷くん。そのトゥシューズは何処から来たの」

「買って画鋲入れて贈る。朝来たら謎の画鋲入りトゥシューズとかホラーだろ。しかも男へだぞ」

「嫌がらせのレベルが実に比企谷くんね……」

「おい。俺レベルってなんだよ。……え? なに? ほんとなに?」

「けれどやめなさい。上履きにいたずらをするなんて下等な考えよ。相手が気に食わないとはいえ、それを本当にするのならあなたを見損な───」

「いやなんでだよ。俺上履きにいたずらするなんて、ひとッ言も言ってねぇだろ。トゥシューズ買って、画鋲入れて、下駄箱に入れるんだっての」

「…………え?」

「だから。上履きや下駄箱に悪戯なんかしねぇよ。自分がやられて嫌なことは他人にするなって教わらなかったのかよ」

「……………」

「…………」

「……プフッ……!」

 

 あ。なんか雪ノ下が笑い出した。

 顔逸らして、身体を丸めて俯いて、肩を揺らしている。

 こいつの笑いのツボはやっぱりいまいち解らん。

 

「ひ、比企谷くん……忠告をしておくけれど、トゥシューズは高いわよ……」

「え? まじか。じゃあもう100均にありそうな硬いサンダルとかでいいだろ」

「お金かけてるのにすごい地味な嫌がらせだ!?」

「お、抱きつくのはもういいのか結衣」

「えへへー……堪能した《にこー》」

「《きゅんっ》……結婚しよう」

「……はい」

「えっ!?」

「……? ふわっ!? あ、やっ! えとっ! なななななに言ってんのヒッキー! いきなり結婚とかっ!」

「いや、俺もこんなストレートに受け入れられるとは…………いや、まあ……臨終を誓い合った仲だからいいのか?」

「……ヒッキー……」

「結衣……」

「……こほんっ!」

「どうした雪ノ下、風邪か?」

「ゆきのん、のど飴あるよ? 舐める?」

「え? い、いいえ、いらないわ」

「そっかー……───ヒッキー……」

「……結衣……」

「ごほんごほんっ!」

「おいおいやっぱり風邪なんじゃないか? 銀のベンザあるぞ? いるか?」

「ヒッキーそれ便座だよ!? ブロックじゃないよ!?」

「……プフッ……クッ……クフフッ……!」

 

 あ。また笑ってる。ちなみに見せたのは銀の馬の蹄ストラップであって、便座じゃない。

 

「てゆーかヒッキー、どうして便座なんてスマホにつけてんの? 趣味?」

「おいやめろ。これ馬の蹄だから。便座つけて電話する趣味とかどんだけ上級者なの俺」

「……ケッッフ……! ケッホコホッ……! プクフフフ……!」

 

 おい、なんか咳するほど笑ってるんだが。少ない体力がゴリゴリ削られていってるよ、おいどーすんのあれ。

 

「蹄かー……あ、ほんとだ。もー、ヒッキーがギンノベンザーとか言うから、銀色の便座かと思ったじゃん!」

「あなたの風邪に狙いを決めて、便座でどうやって治すんだよ」

「……座るとあったかい?」

「ぶふぅっく! くふっ! ぷっふ……! うぷっふぅう……!」

「……笑ったほうが遥かにあったかそうだな」

 

 見なさいよ氷の女王を。笑いすぎて溶けかけてるよ。

 あと銀の便座だけだと冷たいだけだ。

 

「まあその、なに? 遅くなったけど……事故のことも含めて、いろいろ迷惑かけた」

「ハァ、ハァ…………え? な、なにかしら……」

「いやお前笑いすぎだから。……事故のことも含めて、いろいろ迷惑かけたって言ったんだ」

「はぁ……ふぅ……、……そうね、随分と振り回されたものだわ」

「え? 振り回された側、お前なの? 奉仕部の活動原則忘れてなんにでも手ぇ出して、結局振り回されたのって俺だけじゃない?」

「ん゙、ん゙んっっ!! …………えぇと………………ごめんなさい」

「ゆきのんが謝った!?」

「由比ヶ浜さん……奉仕部は魚の釣り方を教える場所であって、魚を与える場所ではないと……以前教えたわよね。それなのに、私たちがしてきたことといえばゲーム部と戦ったり柔道部と戦ったり……」

「あ……あー! そういえばあたしたち、教えるどころか自分たちで突っ込んでばっかだよ!?」

「それも終いには解決法が見えなくなって、比企谷くんに丸投げしてしまった挙句に“やり方が嫌い”……とか…………」

「ゆきのん!? ゆきのん! 目が! 目がヒッキーみたく腐っていってるよ!? 戻ってきてゆきのーーーん!」

「過ぎたことはどうにもならんだろ……そんだけお前も理屈よりも感情を優先してたってだけだろうし」

 

 それでも様々な問題を乗り越えた先に、今がある。

 今なら解るんだ。海老名さんに偽の告白した時、どうして二人があんなことを言ったのかも。

 俺がそれを見ている側で、結衣が誰かにそれをしたら、きっと同じことを言っていた。

 

  あなたのやり方、嫌いだわ

 

  人の気持ち、もっと考えてよ

 

 どんだけ頭が良くたって、理解出来ることが多くたって、その時知らないものは解りようがない。

 それでも……解らないことでも、想像することは出来た筈なんだ。

 なにも告白しなきゃいけなかったわけじゃない。

 戸部がそうしてしまうより先に、本気で、海老名さんに好きな奴は居ないのかとか、そんなことを言ってみるのもよかった筈だ。

 ほのぼのとした場面じゃなく。緊張した場面でそれを口に出していれば、或いは彼女たちが悩む回数だって減らせた筈なのに。

 

「なぁ、結衣」

「あ、うん。なに? ヒッキー」

「……人の気持ち、ちったぁ考えられるようになったわ。その……悪かった」

「………………うん。ヒッキー…………うん」

 

 言葉を受け取ってから、彼女は目に少し涙を浮かべ、笑ってくれた。

 それでようやく……胸のつかえが取れた気がした。

 

「雪ノ下。ああいうやり方、もう出来そうにないわ。てか、出来る理由が無くなっちまった。……ほんと、迷惑かけてすまん」

「そう。それなら私も、あなたを嫌う理由がその捻くれと目以外無くなるのかもしれないわね」

「うそつけ、笑っただけで気持ち悪いとか平気で言うだろお前」

「…………ごめんなさい。あなたの気持ち悪さを失念していたわ」

「真剣に謝るなよ……泣いちゃうだろうが」

「事実は曲げようがないでしょう? 悔しかったら綺麗に笑ってみなさい」

「くっ……ど、どうよ《ニタァ》」

「ヒッ!?《びくっ》」

「おいやめろ! 本気でびびってんじゃねぇよ!」

 

 ……ひとつの青春が生まれた。

 よく告白して振られるまでが青春だっていうけど、まあ確かにと思わなくもない。

 振った側はこれからもっといい青春をするのだろうし、振られた側はそれをバネに新しい青い春を探せるのかもしれない。

 受け入れられるばかりが青春ではないのだろうが、受け入れられたほうがいいに決まっているのだ。

 振られた数だけ経験値は上がった。

 だが俺の場合、それが邪魔になった場面なんざいくらでもあるのだろう。

 ぼっちとしてのレベルは上がっても、青春にはなんの役にも立たなかったのかもしれんし。

 

「ヒッキー、あたしに笑ってみて?」

「……結衣《にこっ》」

「わ…………ヒッキー……」

「結衣……」

「ヒッキー……」

「……私と由比ヶ浜さんでは、随分と笑顔の種類が違うのね」

「え? そうか? ……よく解らん」

「無意識なんだ……そっか、えへへぇ……そっかぁ……」

 

 結衣が、またこしこしと顔をこすりつけてくる。腕が幸せ。

 だから俺も幸せを与えたくて、結衣の頭を撫でた。

 頭を撫でて、相手が笑ってくれるって……幸せだな。いやほら、だって普通嫌だろ。俺だったら嫌だぞ? 知り合いにだろうと気安く頭に触れられたくないわ。

 だから、そこまで心を許してくれてるんだって思うと……自分ももっと許したくなる。

 

「はぁ……祝福はするけれど、依頼者を待つ時間をいちゃつく時間にするのだけはやめてちょうだいね……」

「いや、べつにそんなつもりはないんだが……」

「じゃあさ、ゆきのんももっと仲良くなろっ?」

「ならないわよ」

「即答だっ!? うぅうう……ゆきのーん……」

「い、いえその……その男と、という意味であって、べつにその、由比ヶ浜さんとそういう風になりたくないわけでは……なくて」

「ゆきのん!《ぱああっ……!》」

 

 相変わらずゆるゆりしてらっしゃる。

 俺まで引っ張って結衣が移動を開始して、俺、結衣、雪ノ下の順に密着して座るハメになった。

 なにこれ。

 

「ち、近いわ……」

「友情の距離だよゆきのん!」

「いえそれはないわね。だって私とそこの男はそんな関係ではないもの」

「……そーだな。じゃあ改めて。───雪ノ下。俺と友───」

「ごめんなさいそれは無理」

「やっぱり即答だ!?」

「……お前さ、そろそろ頷いてくれてもいいだろ……」

「そういう枠付けは必要ないわ。あなたと私の距離はこの長机の端と端あたりが丁度いいのだから」

「じゃあ結衣、今日から俺の隣に居てくれ」

「うん!」

「え……だ、だめよ由比ヶ浜さん、あなたは……」

「ゆきのん?」

「…………《もじもじ》」

「あー……雪ノ下」

「……なにかしら?」

「俺と友d」

「それは無理」

「……お前、意地になってない?」

「さあ。知らないわ」

 

 まあでも、こんな青春もいいんじゃないだろうか。

 恋人と、友達未満の三人の部活。

 そんな関係でもまあ、良いといえば良いのかもしれん。

 

「結衣。雪ノ下が、寂しいから傍に居てくれだと」

「ゆきのん!《ぱああっ……!》」

「ち、違うのよ由比ヶ浜さん、私はっ……!」

「なぁ雪ノ下。枠付けってのは必要なものだぞ。俺達は奉仕部で、俺は結衣の恋人、結衣は俺の恋人であり雪ノ下の友達。雪ノ下は結衣の友達であり俺の」

「部員仲間ね」

「……俺、今めっちゃ“友達なんて自然になってるものだろっ☆”とか言う物語の主人公どもをぶち殺したいわ……あれぼっちナメてるよな完全に。何様だよちくしょうなにが自然にだよこっちはお願いしたってキモい言われて終わるんだってのちくしょうが……!」

「ヒッキー怖いよ!?」

「……まあ、ちっと残念だよ。お前とならいい友達になれると思ったんだけどな」

「あなたと私に“友達”は似合わないわよ。枠を決めてしまえば、“その通りに動かなくてはいけない”という義務感に襲われるでしょう? 頭でまず理解しようとする私たちにはそれが壁でしかないわ」

「まあ、解る」

 

 解るから言ってるんだが。

 早速頭で考えてしまってるって、どうして解らんのかこいつは。

 そうは思っても、口にはしない。雪ノ下がそういう関係を俺に望んでくれているなら、それはたぶんその方が都合がいいからだろう。

 

「ちなみに比企谷くん。仮に私と友達になったとして、あなたは私になにを求めるのかしら」

「いや、なんも求めないんじゃねぇの? ただ意識は変わるだろ。友達だからしなくちゃいけないじゃなくて───……あーその……これは俺の」

「友達なら居ないでしょう? それはいいからさっさと言いなさい」

「発言の自由くらいくれよ……はぁ、だからほらアレだよ。いつかの結衣みたいに“友達だからしなくちゃいけない”、じゃなくてよ。“友達だからしてあげたい”でいいだろ」

「なんかさらっとひどいこと言った!? あ、あたし仕方なくとかやってないよ! ヒッキーの馬鹿! キモい!」

「キモくねぇ。つか、実際やってたろうが。女子友の誕生日だからモノ贈る~とか」

「それは……してたけど」

「んじゃ比較だ。そいつの誕生日祝うのと雪ノ下の誕生日を祝うの、どっちが楽しい?」

「ゆきのん!《どーーーん!》」

「……俺、そのモブ子さんに心底同情して“やだやめてよ気色悪い、死ねば?”とか言われるわ……」

「そこは同情するだけでやめようよっ! なんでそこまで罵倒されてんの!?」

「いや、だって俺だぞ? 言われるだろそこまで。俺の小学から中学までの周囲の女子なんて、全員が折本や相模みたいなやつばっかだったぞ。それに囲まれて学園生活続けてみろ……トラウマ以外になにが生まれるってんだ」

「うわー……」

「想像するだけでひどいわね」

 

 あいつらマジサイヤ人だからね。一人一人は頭悪くても、徒党を組むとそれを強引に正当化してくるから性質が悪いったらない。そりゃフリーザ様も力をつける前に惑星ごと破壊しようとか思うよ。

 ところでゴールデンフリーザのフリーザカッターが、惑星ベジータを破壊したデスボール以下の威力ってどういうことなのん? 地球が頑丈すぎるのか。すげーな地球。

 

「ま、お陰で人を疑う心と、嘘を見抜く目を身に着けたけどな。ぼっち最強」

「そうは言うけれど、これからあなたは由比ヶ浜さんの交友関係とも関わってくるわけでしょう? もうぼっちとは言えないのではないかしら」

「正直面倒だがそれは受け入れていく。ああ、俺を嫌ってるヤツと無理に交友するつもりはねぇから、相模みたいなやつが居る場合は先に言ってくれ」

「あ、うん。だいじょぶ。ヒッキーと付き合うことになったからって離れる人が居るなら、あたしだってそんな人嫌だし」

「《きゅんっ……》……」

「《きゅっ……》ひゃっ!? あ、え、ちょ、ヒッキー?」

 

 知らず、体が勝手に結衣をやさしく引き寄せ、抱きしめた。

 ああもう、やばい、なんでこいつこんな可愛いの? 天使なの? 天使か。

 

「比企谷くん。いちゃつくのはやめなさいと言ったばかりでしょう」

「可愛い存在を可愛いと愛でることに罪はねーだろ。よって俺は悪くない。お前も猫を見つけたら撫でたくなるだろ。それと同じだ」

「か、かわっ!? あ、あぅう……ひっきぃ……」

「よくもまあそんな恥ずかしい台詞を……。あなた、本当に変わったわね」

「結衣になら変えられてもいいって不覚にも思っちまったからなー……捨てられない限り、永遠の愛を誓えるまである」

「さ、参考までに……なにが“あの”捻くれ者のあなたを動かしたのかしら」

「疑いようがないくらい真っ直ぐな気持ちだな。あれは胸に来た。ほんと……胸にきたんだよ。疑うのが馬鹿らしくなるくらい」

「………そう」

「えへへ……ひっきーが……ひっきーが可愛いって……えへへへぇ」

「本人、てんで聞いていないけれど」

「いいんだよ。こんな結衣だからいい。……いいもんだな、自分の真っ直ぐな気持ちが受け止めてもらえるのって。俺、こんなの知らなかったから」

「……そう。そうね。……由比ヶ浜さんがこうだから、私たちは……」

 

 俺も雪ノ下も、結衣には随分と救われた。

 役に立ちたいとか何度か聞いた覚えはあるが、無自覚って怖ぇーなって思う。

 役に立つどころか人のこと救ってるんだから、あなたはもっと自覚……したらだめなんだろうな。こいつはこうだからいい。

 

「……恋人の話だけれど。あなたのことだから、カーストがだの俺は底辺だだの言って、受け入れないと思っていたわ」

「もちろん言ったぞ」

「期待を裏切らないわね、定型谷くん」

「谷しか原型がない呼び方はやめろ。おまえなに? 谷に思い入れでもあるの? ちなみに俺はグランドキャニオンとか好きだぞ」

「べつにあなたの谷事情など聞いていないわ」

「お、おう」

「……これからいろいろあるでしょうけれど、あなたならきっとなんとかしてしまうのでしょうね。……比企谷くん、私の友人を悲しませたりしたら許さないわよ?」

「雪ノ下、俺と友達に」

「ごめんなさいそれは無理」

「……お前さ、もし俺がお前の友達になって、お前に傷つけられて悲しまされたら誰を許さないの?」

「比企谷くんに決まっているでしょう?」

「なにそれ理不尽すぎる」

 

 言いつつも顔は笑っている。

 まあ、そうだな。こんな関係だからいいのだろう。

 なんでも言い合える友達ってものに憧れもした。裏切られるまで裏切らない友人ってのにも憧れた。

 だが、それはもう過去だ。入学式あたりの、まだ初々しい八幡だったらそれも望めただろうが……今はもう、この関係こそが眩しすぎる。

 それでもまた、俺達はぶつかり合ってもがき合うんだろう。

 だから願う。願わずにはいられない。

 こんな縁が、ぶつかり合えるくらいの関係が、ぬるま湯だった三人の関係が冷め、ぶつかり合うことで熱くなって……“それでも近くに”って願った先が……どうか、本物でありますようにと。

 

「そういえば比企谷くん。あなた、大学はどうするの?」

「あー。結衣に勉強教えまくって同じ大学行く」

「……あなたがレベルを下げるという選択肢はないのね」

「普段からアホだアホだとは思ってるが、地頭はいいほうだろ結衣は」

「ひ、人が頭撫でられてうっとりしてるからって、横でアホアホとかひどい! 大体、ぢあたまってなんだし!」

「由比ヶ浜さん。地頭、というのは、地頭力のことで、知的好奇心の強さや答えのない問題を解く力のことなどを言うのよ」

「え? なんかそれ頭良さそう……えと、あれ? 馬鹿にされたんじゃないの?」

「褒めてんだよ。好奇心ってのは解らないものを解くのになによりも必要なものだ。じゃなきゃすぐに諦めるからな。知的かどうかは別として、興味あるものには真っ直ぐな結衣だ。その方向を上手く修正してやれば、飲み込みは早くなるだろ」

「……なるほどね。確かに好奇心を得てからのクッキーの成長ぶりを考えれば…………木炭からあそこまで、よく……! が、頑張ったわね、由比ヶ浜さん」

「やめてよぉ! なんか傷つくよぅゆきのん!」

 

 だから今からだ。べ、べつに勉強する時間にも一緒に居たいとか、思いまくってるわけじゃないわけじゃないんだからね!? はい、めっちゃ傍に居たいです。

 

「というわけで結衣。勉強だ」

「え、えー……? そりゃ、ヒッキーと同じ大学にはいきたいけど……。ま、まだ早くないかな? ほら、あと一年もあるし」

「由比ヶ浜さん。正確にはあと一年“しか”よ。もう三年も間近だし、その後なんてあっと言う間。今からやっておいて損することなど一切ないわ」

「ゆきのん……」

「んじゃこうしよう。一定量勉強が出来るようになったらテストをして、いい点取れる度にお前の願いを一個だけ叶えてやろう。どんな願いでもってのは無理だが、出来る範囲で───」

「やるっ!」

「食いつき早いなおい……」

「あ、あのさヒッキー? それ、デートとかでもいいんだよね?」

「望むところだ《どーーーん!》」

「望むんだ!? え、えへへ……えへへへぇ……♪ なんか……なんか、嬉しいなぁ、えへへぇ」

「待ちなさい由比ヶ浜さん。相手が望むことに願いを使うのはもったいないわ。手に入れた権利はもっとえげつないことに使いなさい」

「おい待て雪ノ下」

「あ、それもそうだね」

「えー……? 納得しちゃうのかよ……」

 

 俺のツッコミも右から左へ。

 自分の頬を手で包んだ結衣は、とろける笑顔でえへへぇと笑いつつ、いやんいやんと首を横に振っている。あらかわいい。つかこれやるやつ、ほんとに居たのな。可愛い。あと可愛い。

 まあ、結局はこんな感じで日々は続いていくんだろう。

 目標も出来たし守りたいものも出来た。好きな人が出来て、好きでいてくれる人が居る。

 ここまで揃っていて否定してやるのも馬鹿馬鹿しい。

 だから、いつか書いた文字も、あれはやはり過去であり、俺の構築要素でしかなかったのだと笑ってやろう。

 そして、今の俺がいつかの文を書くのだとしたらこう書こう。

 

  ───それでも、俺の青春ラブコメはまちがっていない。

 

 まあ、そんな感じ。

 結局どうして俺が猫になったのかなんてのは謎のまんまだ。

 けどまあ、世の中そんなもんだでいいんだと思う。

 解らんことに答えを求めるなとは言わないが、見つからなかったらそこには恐怖と敵意しか生まれないのが人だ。一言で言うならめんどい。

 ……大体、こんなのは難しく考えるよりも気楽に、いっそふざけるくらいの気持ちでスルー出来ればそれでいいのだ。

 じゃあ問題。

 俺が経験したものが“何”で、どうして俺は結衣と付き合えたのか。

 それを式にして解を出そうと足掻けば、いつかは出る答えもぽぽんと簡単に出るのだ。

 よって結論を言おう。

 

 ……やるじゃん、ラブコメの神様。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……ねぇゆきのーん……漢字難しい……

 

   国語なら任せろ。こういうのはなんだかんだで記憶だからな。覚えちまえばいいんだ。

 

  随分と簡単に言うのね。その覚えるのが難しいという人が大体だというのに。

 

   こんなもんは応用だろ。ほれ結衣、まずこれ読んでみろ。【轆轤】

 

 ……? なにこれ、わかんないよヒッキー……。

 

  由比ヶ浜さん、いきなり頭の中に入れようとしても効率が悪いわ。紅茶でも飲んでリラックスしてみたらどうかしら。《カチャリ》

 

 あっ! ありがとゆきのーん!

 

  比企谷くん、飲みなさい。《ゴトリ》

 

   お、おう……さんきゅ。つか、なんか差がない? こう、言葉にも効果音にも。

 

  さあ。知らないわね。

 

   まあ、いいけどよ。……うし、じゃあ続きだ結衣。この漢字を覚えるコツはこうだ。隣にこう……文字を足す。【玉縄】【轆轤】【回す】

 

 あ! “ろくろ”だ!

 

  ぶふぅっしゅ!?《ゴプシャア!》

 

 ゆきのん!? ヒ、ヒッキー! ゆきのんがいきなり紅茶噴き出したよ!? ゆきのん大丈夫!? ゆきのーーーん!

 

   ……ほんと、お前の笑いのツボって謎だな……。

 

 

 

 

  ちゃんちゃん。



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解り合うことの価値①

 生徒会選挙の話で地味な盛り上がりを見せる学校に通う日々。

 放課後になっても騒がしい教室を抜け出し、少し歩いた先で止まる。

 

「はぁ……」

 

 出るため息はいつもより熱っぽい。こんなにだるいなら今日休んでもよかったんじゃね? と思わなくもないが、相談があると由比ヶ浜に連絡をもらってしまったからあら大変。

 もらったのが俺だったらどうとでも断ることは出来たんだが、由比ヶ浜め、なにを思ったのか小町に電話してきやがったのだ。

 お陰でこうしてぐったり中。どうも体が疲れているようで、シャッキリとは出来ない。

 

「相談ね」

 

 十中八九どころか完全に生徒会選挙の話だろう。

 奉仕部を無くしたくないという由比ヶ浜の気持ちは解るが、俺の偽告白からぎこちなくなってしまった奉仕部の空気は、ぎこちなさをそのままにひどい状態のままだ。

 が、今日は由比ヶ浜がどうしても話したいことがあるというから奉仕部へ集まることになった……のだが、正直……体調、よろしくない。

 あー……一色と話して、あいつの根本のこと調べなきゃならねぇのに……。とりあえずツイッターでの拡散の用意は出来ている。あとは当選させたいヤツを選んで行動するだけだ。

 一色を説得する自信はあるが、今はとにかくコンディションが悪い。

 

「………」

 

 ……つか。それでいいのだろうか。確かに奉仕部をなくしたくないなら由比ヶ浜が生徒会長になって、俺と雪ノ下が奉仕部を守ればいいのかもしれないが、こっちだっていくら部室が残ろうと、根本を解決させなければ自然に壊れていくだろう。

 由比ヶ浜が散々苦労した意味も甲斐もなく、消滅するのだろう。

 当然だ。入るなりあんな居心地悪い空気の部室に入り、いったい何人が平然と助力を願おうと思えるのか。

 相変わらず、由比ヶ浜は優しい、ということだろう。

 確かにあの場所に求めたなにかはあった筈だ。時間が経てばあの空気も、いつかは無かったことになるのかもしれない。

 三人全員が言葉を呑み空気を飲み、互いを気に掛けて、ようやくそこへ辿り着けるのだろう。が、それはあとどれくらい後だ? 一週間? 一ヶ月? ……一年か?

 そんなものは間に合いはしない。守りたいと思って立ち上がったのに、以前までの輝きが無いからといつかは簡単に捨てられてしまうほど、それは脆いのかもしれないのだ。

 人と人との関係なんてそんなもんだ。自分がそう思っていたって、他人はきっとそうじゃない。一度でもそう思ってしまえばあとはずるずると、だ。そして今回、そうさせてしまったのは……俺のあの告白ってことになるのか。

 

「……だる……」

 

 騒がしさの元凶である戸部は相変わらず“べーべー”とやかましい。あんなことがあったのにあれだけ元気で、人を恨むようなこともしないってのは、人がいい証拠なのかどうなのか。

 少し待つと教室の引き戸を開け、由比ヶ浜が出てくるのを確認。リレーのバトンを待つ選手のように進み始めると、由比ヶ浜はぱたたと走ってきた勢いのままに鞄を背中にぶつけてきて、「なんで先にいくし!」と怒る。

 ……ああ、ほんっと、お前は優しいな。そっちだって辛いだろうに、“日常”を繋げてくれようとしている。

 

「ちゃんと待ってたろーが……つか、たまには先に行ってようとか思わないの? デートじゃないんだから廊下で待ち合わせとか必要ねぇだろ……」

「デッ!? な、なに言ってのばかっ! ひっきーまじキモい!」

「へぇへぇキモくてすんませんね……はぁ……」

「あ……」

 

 我ながらアホなことを言ったと溜め息を吐いて歩く。

 すぐにその横に軽く駆けて来た由比ヶ浜が並び、一緒に歩くかたちになるんだが……キモいのになんで隣を歩くのかね、こいつは。

 つか、なんかちらちらこっちを窺うみたいに見てきてる。なに? なんなの?

 

(……最近疲れ溜まってんな……溜め息ばっか出る。今日はさっさと寝るか……)

(いきなりデートとか言われたからって、キモいは言いすぎだったかな……。怒ったよね、ヒッキー……さっき溜め息吐いてたし……機嫌悪そうだし……)

 

 とぼとぼと歩く。

 心無し、隣を歩く由比ヶ浜の元気がない。

 そらそーか、現在の問題はもとより、ただでさえ普段からテンション低い俺が、今日はより一層だ。

 待ち合わせみたいなもんをしちまったがために先に行くことも出来ず、それでこっちの出方を窺っている、と。

 ……つくづくやさしい。だが前にも言ったが、そんなものはいらん。

 俺は多に贈られるやさしさよりも、個に贈られる愛がほしい。

 んなもんはないって解ってるし、そもそも俺にそんなもんが訪れるだなんて本気で思っちゃいない。

 人はある意味で皆八方美人になるしかないのだ。自分に正直に生きるには、世界はやさしくなさすぎるしルールが多すぎる。

 

「……由比ヶ浜」

「《びくっ》あ……え、と、なに? ヒッキー……」

 

 おーお、ちょっと戸惑いがちじゃねぇかよ……こりゃほんと悪いことした。

 

(ヒッキー……やっぱ怒ってるよね……。なんでだろ……ヒッキー、ゆきのんとは悪口みたいなの言われても平気で返すのに、あたしとは……)

「もういいから、先行け」

「───、……え?」

「いや、聞いとけよ……一緒に居たくねぇから先行け」

「───」

 

 あ、やばい。なんかくらくらしてきた。

 あれ? 今俺なんつった? 風邪かもしれんから伝染したくない、だから先に行けって……。あー……そうそう、“一緒に居ると風邪が伝染るかもしれん。風邪引き野郎と一緒になんて居たくねぇだろ、いいから先に行け”……を適度に短縮して……あれ?

 

「あ、いや、ちっと待て……悪い、今ちょっと意識が飛んだ……。えっと……な……。一緒に居ると……風邪、伝染るかもしれねぇから……風邪引き、男の隣になんか……居たくねぇだろ……だから、先行け……って……」

「ヒ、ヒッキー……? ちょ、ヒッキー!?」

「なんか……へんなこと言ってたら……悪い……。つか……う、えっ……《ドッ、どしゃっ》」

「ひっきぃっ!?」

 

 目の前が歪んで、気づけばふらつき、廊下の窓枠に倒れかけた。

 あ、やばい、立ってらんねぇ。

 立とうとすればするほど、重力が体を押さえつけてるみたいな感覚だ。

 だが───ナメるなよ病気。ぼっちは極力人の世話になどならん。

 こんなところで倒れでもしてみろ、由比ヶ浜が俺の所為で迷惑を被ることになる。

 ならば行こう、根性だ。

 

「ゆい、がはま………………。わ、りぃ……。ゆき、のしたに……きょう、いけねぇって……言っといて……くれ」

「なにいって……なに言ってんのヒッキー! それっ……それどころじゃないでしょ!? 待ってて、保健の先生連れてくるから!」

「や、やめろばか……俺は目立ちたくなんかねぇんだよ……! 急に廊下で倒れて、ほけっ……ほけん、しつの先生呼んだなんて……自己管理もできねぇ……日陰者野郎とか、馬鹿にされる……だろが」

 

 ただでさえ現状はよろしくない。多少の騒ぎだの面倒ごとは邪魔になるだけだ。

 歩く。大丈夫、根性だ。

 断続的に来る眩暈にさえ気をつければいけないこともない。

 いや、眩暈もだけどこの奇妙な重力はなんとかならんのか。気を抜くと倒れそうになる。

 

「でも、でもっ……」

「つ、はぁっ……いいから、雪ノ下に連絡、たのむ……。また罵倒が……うるさそうだから、よ……」

「……またゆきのんの心配ばっか……」

「は、ぁ……あ……? わり……いま、なんか……」

「…………な、なんでも……ないし」

 

 プイスとそっぽを向いた由比ヶ浜だが、ケータイを取り出すと高速で手を動かして、それが終わると何故か俺の傍に寄ってくる。

 お、おい、おいおいなになになにっ!? 近い近い近い!

 

「ヒッキー。肩貸すから一緒に行こ?」

「あほ……俺なんかに触るんじゃねぇよ……。迷惑だ、やめてくれ」

「な……なんで? あたし、ヒッキーが心配なだけだよ? 心配もさせてくれないの?」

「自分が立ってる場所ってのを……ちゃんと考えろ……。お前に肩貸してもらったりしたら、そりゃあお前は……っはぁ……! ぼっちを助けるやさしい人だって思われるだろうがな……! こっちは日陰者のくせに……お前の手を煩わせた馬鹿野郎って……そんな面倒な噂を宛がわれるんだよ……」

「………」

「だから……《ぐいっ》お、おいっ!」

 

 のたのたと窓と壁に手をつき、歩いている俺の腕が引っ張られる。

 それはそのまま由比ヶ浜の肩に回され、由比ヶ浜はそれをまるで真冬にマフラーをかけるくらいに自然な動作でしてみせた。

 

「……ヒッキーって馬鹿だなぁ」

「ばかって……お前に言われたく……」

「……馬鹿だよ。そんな顔で言われたら、ほっとけるわけないじゃん」

「………」

 

 どんな顔してたんだよおい。

 

「……ヒッキーはさ、たぶん……人との関係のこと言ってるんだよね。ヒッキーと仲良くしてたらーとか、そういうこと。……ほんとは自分の立場とかなんて関係なくて、あたしのこと心配して」

「……ばっかお前、俺は俺が大事だから───」

「今まで、自分のことなんて後回しにしてきたくせに?」

「……後回しじゃねぇよ……。それが、一番効率が……よかったからだ……」

「そんなこと……」

 

 ああ、ほんと……だるい。辛い。

 口が勝手に弱音を吐きそうになる。吐いたところで誰にだろうと笑われ、否定される俺の弱音だ。

 

「持つ者が……持たざる者に…………ははっ」

「ヒッキー……?」

「……俺が……何を持ってるってんだよ……」

「ヒッキー……」

 

 呟いた声は虚しく消えた。

 平塚先生に入部させられて、今までを過ごして。

 思わないことがなかったわけじゃない。雪ノ下に持つ者がだの魚の釣り方がだのと聞いて、じゃあそこに入る部員はなにかしらを持っていなきゃいけないのかと考えたこともあった。

 じゃあ俺が持っているものってのはなんだ?

 ぼっちとしての矜持? 孤独が故に出来る全てのこと? ふざけんな、それを振り翳した結果がこれなら、どうして俺達にこそ救いがない。

 自己犠牲なんかじゃない。出来ることをやった結果でそう言われて、どうしてこんな思いをしなくちゃならない。

 

「………」

 

 保健室に辿り着いてみれば、そこに保健の先生は居なかった。

 当然、無断で入って無断でベッド、という結果になる。

 体から立っているための力を抜くと、随分と楽になった。が、それで気力は使い果たしてしまったらしく、一気に気持ち悪さに襲われた。

 あ、これ無理だわ、立てない。

 

「ヒッキー……」

 

 ……そんな不安そうな顔すんなよ。べつに俺なんて、その他大勢から見れば取るに足らない存在だろーが。

 ああ、気持ち悪い。気分じゃなくて、自分が。

 弱ってるとほんと、弱気なことばかりが浮かんでくる。

 普段なら考えずに殺している感情とか、まさにそれな。

 

「……もういいから、お前だけでも行け。雪ノ下、待ってるだろ……」

「でも……」

「俺のことはいいから……あーほら、なに……? 寝っ転がったら多少楽になったから、ほっといても回復するっつの」

「…………」

「お、おい……由比ヶ浜……?」

「……勝手なのはさ、みんなの方だって……言ったよね」

「………」

「ヒッキーもゆきのんも勝手だよ。平塚先生だって、他のみんなも。だから……あたし、もう遠慮しないよ? そう決めたから」

 

 待て、なにを───と言うより早く、ケータイは何処かへ繋がった。

 そして由比ヶ浜は告げる。保健室に来てと。強い語調で。

 

「……相手、雪ノ下か」

「ね、ヒッキー。一度……全部話そう? ヒッキーさ、なんか……隠してることあるよね? だっておかしいもん。姫菜も隼人くんも、気づくと気まずげにヒッキーのこと見てる。隼人くんは……なんとなく解るよ? 依頼者だもんね。でもさ、姫菜は?」

「……それは」

「話してくんなきゃ解んないよ……もう、ほんと……みんながなに考えてんのか……わかんない……。なんで笑ってられんのかな。なんであんなことがあったのに、笑えるのかな。いつも通りすぎて怖くて……あたし、気持ち悪いって思っちゃって……あはは……」

「由比ヶ浜……」

「……知ってる? みんなさ、空気が微妙だってなんとなく感じててもさ、隼人くん……同じ顔で笑うの。今までとなんも変わんないんだよ? あんなことになって、結果だって知っててさ。たまに、ヒッキーのこと可哀想なものを見る目で見てて……“なにそれ”って……どうしてそんな目で見れるの、って……。やだな……ほんと。友達って、なんだろね……」

「───……」

 

 人は、友達だと思っていた存在の“仮面”を知った時、どう思うのだろう。

 恐らく葉山だって平然としていたわけじゃない。俺や由比ヶ浜が躊躇しつつも取ってしまった行動のように、“いつも通り”を願った筈だ。

 仮面をつけ慣れた存在だから出来ることもあるのだろうが、不慣れな人にしてみれば、そんなものは違和感でしかない。

 それでも日常が、いつも通りが続くならと努めてみても、見えるのは“いつも通り過ぎる相手”だ。

 やがて気づく。その違和感に。

 そこが大事だと思っていればいるほどだ。

 

「………」

 

 つまり俺もか。最初にいつも通りに振る舞おうとして、違和感しか生み出せなかった。

 その無様さが、違和感が、どれだけそこを大事にしているかを物語る。

 だったら、俺にとっての奉仕部ってのは……

 

「…………解った」

「ヒッキー?」

「……全部、話す。大体、俺に……他人の、しかもリア充の願いを個人で聞く理由なんて……なかったはずだ……。奉仕部じゃなけりゃ、誰が……」

 

 誰がどれだけ思いを込めようが、俺個人に言ってきた時点で俺は断ってよかった。

 半端に気持ちが解るからとかお願いだからとか、そんな言葉では動く理由にはならなかったはずだ。

 そもそも解る人にしか解らない相談をして、一方的によろしくねと言って、何故俺がそれを受ける必要があったのか。

 俺はどうしてそれを実行してしまったのか。理解できたことがあったなら相談すればよかった。ただ、気づき、それをするには時間が無さ過ぎた。

 だから俺は俺に出来ることをした。して、しまった。

 人のためにだのなんだのと、そんな気持ちは無かった筈だ。ましてや葉山のためにだの戸部のためにだの、それこそそんな気持ちはなかったはずだ。

 ……もういいじゃねぇか。守秘義務なんざ存在しない。それこそ、この程度で壊れる関係ならその程度で……今度は葉山がその言葉の尊さってのを証明する番だろ。

 ほれ、きっぱれリア充の王。リア王以上の活躍に期待するわ。

 

「《カララ……》……失礼します」

 

 ノックの後、入ってくる姿は弱々しささえ感じた。

 見慣れた姿なのに、まず違和感を覚えてしまうのは、そこに出会った頃の覇気が感じられないからなのだろうか。

 つか、由比ヶ浜さん? 俺が言うのもなんだけど、ベッド周りのカーテンくらい締めてくれません? 入って早々に苦しんでる姿を見られるとか、男の子としてちょっと恥ずかしいんですけど。

 

「………」

「………」

 

 もはや寝転がって楽になった、なんて気休めも吹き飛んで、ぜえぜえ言っている俺を見下ろす雪ノ下。沈黙が痛い。

 いやー、知らなかったわー……。いっそ“ざまあないわね”とか言ってくれた方が楽だとか思う瞬間ってあるのね。

 ああだめだわ、頭働かない。

 

「由比ヶ浜さん。話があるというから来たのだけれど。それは彼も一緒のことなのかしら」

「うん。……ヒッキーがさ、全部話してくれるって。だから」

「今さら何を話したとして、何が変わるわけでも───……変わらないことを望んだのはそこの男でしょう?」

「……ゆきのん。あのね、どんだけ言ってもさ、変わらないなんて無理だよ。みんなね、変わっちゃうんだ。……気持ち悪いくらい、怖いくらい。本人がどんだけ言ってもさ、変わっちゃうんだよ。だからさ……お願いだからさ、全部聞いてほしいな……」

 

 悲しそうにそう言って、由比ヶ浜は椅子を持ってきた。そこに雪ノ下を促して、人が寝てるベッドの傍に二人して座って……やだやめて、なにこれ滅茶苦茶恥ずかしい。いや、こんな時にふざけるなとかそんな理由も霞むくらい恥ずかしい。

 

「……ヒッキー、お願い」

「~~……」

 

 それより離れてくれとか言える空気じゃなかった。

 由比ヶ浜、お前の得意分野だろ……なんとかしてくれよ……。

 

……。

 

 そうして、結局全部話した。

 海老名さんの言葉も、意味も、葉山が言ったことも、なんもかんも全部。

 大体、自分が立っている場所を守りたいならどうして自分の力を行使しない。どうして持っていない者にその在り方を求めて、救いを願えるんだよ。

 だが、それに乗ってしまった俺こそが今回の敗北者だ。

 諦めることには慣れている。かけがえのないものなんて持たなくていい。その方が気楽だし、愛想を尽かせばみんな勝手に居なくなる。

 ……なのに、どうして。

 

「………」

 

 ああそうか。つまり、変わらないようにと振る舞おうが、人は自分でスイッチのオンオフを入れられるほど優秀には出来ていない。

 そんなものが出来るのは、周囲に完全に敵しか居ないような孤高のぼっちくらいだ。すべての時間を自分のために使えて、自分を成長させることしか考えないような存在なら、そんなこともいつかは。

 ……俺は、とっくに変わっていたのだろう。小町だけじゃなく、川、川……なんとかさんや材木座、戸塚や……あー、た、大志? に状況を告げて助力を求める時点でも気づけたことだ。

 俺が他人に相談とかヘソで茶を沸かすって話だ。なんだそりゃ。そうまでしてなにかを守りたかったんだとしたら。何かを取り戻したかったんだとしたら。それは───

 

「……なぁ、二人とも。病人の弱音だと思って、聞いてくれ」

「ヒッキー?」

「比企谷くん?」

「あーその、これからとんでもなくキモいことを言う。青春の青臭さとかぶっちぎりで超越したキモさだろうし、…………はぁ…………まあ絶対にキモいとか気持ち悪いとか言われるのは目に見えてんだけど……全部本音だ」

「う、うん……」

「………」

 

 了承は得た。んじゃ、話すか。

 話しちまえば全部が終わる。自分がどう思ってどうしてそういうことをするのか、それを告げて、終わらせる。

 守りたかったものはあった筈なのだ。

 けど、俺のやり方じゃ“他人の変わらないもの”は作れても、自分は救えなかった。

 それを自己犠牲だなんて言わせない。人の目にどう映ろうとそれは頷けない。

 じゃあどんなことが自分にとっての救いだったのか。

 俺は───

 

「………」

「………」

「………」

 

 ……そうして、話し終える。

 自分が勝手に変わってたことも、自分がどうして他人のためにああも動いたのかも、聞く義理なんざなかった海老名さんや葉山の言葉を受け取ったのかも。

 ぬるま湯は心地良いのだろう。

 そこに変わらず居られるなら、それはずっと心地良いってことだ。

 だが、それに慣れてしまうと、人は無意識にもっともっとと願ってしまう。

 現状維持なんてのは土台無理な話だ。

 現に外側から見る葉山のグループは、今じゃ随分と薄っぺらく見えてしまう。

 “今が好きなんだ”と言っていた海老名さんや葉山は、あれで満足なのかと思えてしまうほど。

 

  それじゃあ。

 

 今俺が居るこの場の空気は、あれよりもいいと言えるのだろうか。

 不名誉な罵倒をされようが、会話のついででヒッキーキモいとか言われようが、“そこに居てやってもいいかな”なんて感情はあったのだ。

 孤独を愛する自分とは思えない結論だ。

 海老名さんの言葉を、葉山の言葉を受け取らず、あそこで黙していれば、多少力不足を感じようがいつもの日々には戻れた。

 葉山グループだって、戸部が“俺諦めないからー!”とか元気に言って、“今は”誰とも付き合う気がない海老名さんも含めたグループで、今よりよっぽど楽しい世界を満喫していたかもしれない。

 つか、それが出来るからリア充グループなんじゃねぇのかよ。

 なんだよそのちっとも充実してない相談。

 

「……ほれ、キモかったろ。存分にキモい言って呆れてくれていーぞ」

「い、え……その。あなたの考えていたことは……その、解った、のだけれど」

「う、うん……ヒッキーがその、えとー……そんなにさ、あそこを大事にしててくれたなんて、知らなかったかな、えへへぇ」

「は?」

 

 いや。おい。それ反応違くない?

 もっとこうほら、言うことあるだろ。

 

「ヒッキーはさ、奉仕部として動いてくれたんだよね。べつに断ってもよかったのにさ。そこで相談してくれなかったのはアレだけど……でもさ、言い出せない時ってあるよね」

「……そう。それで、なのね。海老名さんが奉仕部に来た時、不必要に比企谷くんに言葉を投げていたのは」

「そうだよね。今までなんだかんだで解決とか解消もしてきたんだもんね。解決出来なかったら嫌な空気が出来ちゃうし、その……“隼人くんのグループ”が奉仕部の所為で分解したー……なんて言われたら……たぶんさ、あたしたちが思うよりもいっぱい、きっと、敵が出来てたんだ……よね」

「比企谷くん、そういうことはまず相談しなさい。というか、そもそもそれはあなたの言う通り軽い相談であって、必ずしも解決しなければいけなかったわけではないでしょう。あなたがあなたらしく“なんで俺がお前らのために動かなきゃならん”とか突っぱねていれば───……ああ、無理ね、無理だったわね」

「そうだよゆきのん、ヒッキーってなんだかんだで頼まれたら断れないし」

「おい、なんなのお前らさっきから。全く別の感想を言ってたと思ったら、人への文句になった途端に話を合わせるのかよ」

「文句がないわけではないのだからいいじゃない。それに、私たちがあの気持ちの悪い空気を吸う理由が無くなったと解っただけでも十分よ」

「うん。やっぱりみんな勝手だった。姫菜も、隼人くんも……あたしも」

「ええほんと……やっぱりろくでもない男ね、彼は。そして、私も勝手だったのね」

 

 気づけば葉山と海老名さんの評価が下がっていた。まあ、もうどうでもいいが。

 話してみれば随分とすっきりした。そして知る。今までぼっちだなんだって基本思考の下で動いていたが、奉仕部って“独り以上”に入ったからには、それだけで動いていい理由は無くなっていたのだ。

 そりゃ、効率は良かったんだろうが……それなら部活である必要はなかった。部活じゃなくていいなら、俺は葉山達の願いを聞く理由もなかったのだ。

 こいつらなら解ってくれる、なんて期待がどこかにあったのかもしれない。なんだそりゃ、自分は独りで動いておいて、こいつらには“解ってくれる”って集団思考を押し付けるのかよ。最悪じゃねぇかそれ。

 だから話した。それで嫌われるのなら、いつも通りの自業自得だって割り切れると思ったからだ。

 ……だってのに、なんでこいつら嬉しそうなの?

 あの、きみたちさっきまですんごいどんよりしてたじゃない。なんなのこの空気。

 

「……由比ヶ浜さん、比企谷くん。相談したいことがあるわ。言わなければ解らないことがこんなにもあると解ったからには、黙っていても伝わるだなんてもう思わない。……そして、その。……力を、か、貸してもらえない……かしら」

「……ゆきのん?」

「雪ノ下?」

 

 そこからは雪ノ下の話が始まった。

 どうして生徒会長になりたいと思ったのか。どうして奉仕部を捨ておいてでもそっちを優先させようと思ったのか。

 由比ヶ浜も雪ノ下の言葉に頷き、顔を綻ばせ、ついには抱きついた。やだ、病人の傍でゆるゆりしないでよ。

 

「あー……えーと、なに? お前らどんだけ奉仕部好きなの……」

「あなたに言われたくないわね、好き谷くん」

「なんだよそれ……なんか俺がめっちゃ谷を愛してるみたいな感じになってるじゃねーか……ていうかお前ら病人に対してひどすぎじゃない……? もうちょっと会話量とか少なくしてもらえませんかね……」

「そうね。なら私と由比ヶ浜さんとでこの場で会話、結論を出していいのね? あなたは完全に無視して」

「おいやめろ。なんでお見舞いみたいな状況でぼっち味わわなきゃならねぇんだよ」

「えへへぇ、よかった。ほんと……よかった。あたしだけじゃなかったんだ……よかった」

「ん……まあその……」

「ええ……その……」

 

 由比ヶ浜はご機嫌だ。そりゃそーだ、自分だけが大事だと思っていた場所が、実は皆さん大好きでしたって言われたようなもんだ。

 い、いや、俺べつにそこまでじゃねーし? ただ、無くしたくはないなーと思える程度には、自分の部屋とかベストプレイスの次くらいには大事かなーとか……いや、人間関係を加えるならそこ以上はなかったとかいちいち考えるな、めんどい」

 

「……ひ、比企谷くん」

「ヒッキー……《じぃいいん……!》」

「あ? なに」

「その……声に、出ていたわよ」

「」

 

 ……死にたい。

 

「はぁ。知ってみれば、あなたも案外人恋しいだけの人間なのね」

「そんなんじゃねぇよ。“みんな”ってもんがどんだけ集まろうが、他人は所詮他人だろ。その他大勢、どんだけ揃っても俺が近づいたり相手が近づく理由にはならねぇよ」

「え? えとー……それってさ。ヒッキーにとってはあたしとゆきのんは、人恋しくなれる関係、ってこと……なのかな」

「!?」

「ゆ、由比ヶ浜さんっ!?」

「え? あ、やー、ほら、でもさ、奉仕部が好きだったならさ、今の言い方だと……───あ、なんかヘンなこと言っちゃったね! ごめんねヒッキー、ゆきのんっ!」

「………」

「………」

「………えと」

 

 まじかよ。無自覚だったけど、言葉が返せなかった。え? 図星だったりしたのん? ……まじかよ。

 

「ひ、比企谷くん。顔が赤いわよ」

「……今のお前に言われたくねぇよ」

「なっ……う、~~~~……!!」

 

 やだ、妙なところで雪ノ下に言葉で勝っちゃった。なのに嬉しくない。むしろ恥ずかしい。

 

「……こほん。とりあえず、話を纏めましょう」

「う、うん」

「おう……」

「まずこれ以上、私たちがあの修学旅行のことで微妙な空気を味わう必要は一切無し。相変わらずあのやり方は嫌いだけれど、周囲に協力を仰ぎ、こうまで回りくどいことをしたからには、もうそれをするつもりはないのでしょう?」

「ああ、ああいうのはもうやめだ。ただ、ひとつ解ってくれりゃあいいよ。……俺は自己犠牲だなんて考えで動いちゃいないし、持つ者が持たざる者へ、って活動理念も守ったつもりだ。俺にあるのは、俺に出来るのはそんなちっぽけなもんだった。……我慢してやり過ごす。昔から、ぼっちが出来ることなんざこれしかねぇんだから」

「立ち向かい、潰そうとは───……いえ、それもそれが出来る環境が揃っていなければ、無理なことだったのでしょうね」

「そーゆーこった。集団ってのはお前が思ってるほど甘くねぇよ。もしその時、囲まれてるのがお前じゃなく俺だったら、きっと俺は潰されてたよ。俺は、“雪ノ下”じゃなかったからな」

「ええ。それも、今なら解るわ」

「むー……なんか解り合っててずるい」

「由比ヶ浜さん、これは羨むような類のものではないわ」

「そーだな。それよりほれ、話の続き」

「ええ」

 

 こほんと咳払いをして、雪ノ下が続ける。

 が、由比ヶ浜はどうしてか寂しそうというか、悲しそうな顔で俺を見ていた。

 

「生徒会長には私が立つわ。一色さんに生徒会長をさせる、という方法もあるけれど、そうなると比企谷くん。あなたどうせ、自分が生徒会長にしたからとか言い出して、頼まれればずるずると手伝い続けるでしょう」

「あー……ヒッキーならあるかも」

「いや、しねぇよ。大体俺を頼るやつなんて居ねぇだろ」

「あ、でもとべっちが言ってたかも。“いろはす、なんでもかんでも俺に頼んできて、嬉しいっちゃ嬉しいけどたまに疲れるわぁ~”って」

「よしやめようすぐやめよう頼む雪ノ下お前が頼りだ」

「はぁ。言われるまでもないけれど、まあ……あなたに頼られるというのも、悪くはないわね」

「そこでドヤ顔とかやめろよ……なんか嫌な敗北感沸いちゃうだろうが」

「それで、由比ヶ浜さん。あなたに副会長をお願いしたいのだけれど」

「えっ……で、でもあたし、そんな頭も良くないし」

「会長になろうとしたヤツが言うセリフじゃねぇな」

「ヒッキーうっさい! しょうがないじゃん! 必死だったんだもん!」

 

 怒られちゃったよ。

 いや、別に間違ってないよね? 会長の座を狙ったのに副会長は怖いとかなんなの?

 

「比企谷くん。あなたは庶務をやりなさい」

「え? 俺だけ命令? いやいいけどよ」

「……元々別々にしようとするから、どちらも得られないという考えに到ってしまうのよ。だったら生徒会も奉仕部も一緒にしてしまえばいい。その手伝いを……どうか、二人にしてほしいの」

「ゆきのん……」

「ゆきのん……」

「比企谷くん、今はふざけていい状況ではないのだけれど」

「いや、お前が意外なことを言うからだろ……まさか手伝ってって言われるとは思わなかった」

「どれだけ優秀でも独りでは限界がある。それをあなたは身を以って証明してくれたでしょう? ああそれと、これから恋愛事等の依頼のすべては却下しましょう。人の強い感情が関わることに口を突っ込んでも良いことには転ばないなんて、ずっと前に解っていたことなのにね」

「う……ごめんねゆきのん……。あたしが妙に張り切っちゃったから……」

「あ、いえ、べつに由比ヶ浜さんが悪いと言うわけでは……」

「……全員悪いでいいじゃねぇか。盛り上がって悪かった、依頼を受けて悪かった、勝手に行動して悪かった。依頼を受けても明確な行動なんて出来なくて、結局は戸部が一人で頑張った感が大きかったけどな。たとえばって考えなくもないんだよな……戸部がもし葉山に相談せずにさ、一人で奉仕部にきてたら、話は変わってたんじゃねぇかなって。振られるにしても、結局は諦めない戸部は海老名さんにアタックするだろ。その結果は今だって変わりゃしない」

「あ、うん……それは、あるかも」

「彼が関わると大抵ろくなことに繋がらないわね」

「うわ、お前それ言っちゃうのかよ……俺も思ってたけどさ」

 

 文化祭の時も、あれべつに俺が行く必要なくなかった?

 むしろ葉山を行かせて俺も時間稼ぎに加わって、材木座を経由しなけりゃ気づけなかった場所に辿り着いた葉山が相模を説得して帰ってくる。ハッピーエンド! そりゃ、相模はサボリ委員長の十字架を背負うことにあるだろうが、んなもん自業自得だ。

 それを考えれば、自立を促すことを活動方針とするのなら、あの時に俺が取った行動は完全にまちがいだ。

 

「その……由比ヶ浜、雪ノ下」

「え? なに?」

「なにかしら」

「…………悪かった。もう、勝手な行動はしないって約束する。なにをどんだけ勘違いしようが、あそこの空気が嫌いじゃないのが俺だけじゃないって確信が持てたなら、俺が“独り”であれこれやる必要なんて……無くなったからな」

「………」

「………」

「……な、なんだよ」

「あ、ううん……えと。ヒッキーが素直に謝ったから、ちょっとびっくりした……」

「驚いたわ。あなた、謝れるのね。屁理屈をこねて時間を稼いで逃げるだけかと思ったわ」

「つくづく容赦ねぇなお前……」

「あ、いえ、べつに悪く言ったわけではなくて。……ええ、その謝罪を受け取るわ。……私もごめんなさい。あの告白の時、あなたに任せると言ったのは私なのに」

「あたしも……ヒッキーならなんとかしてくれるなんて考えたら、自分でなんとかしようなんて考えることもやめちゃって……ほんと、ごめんね」

「ああ、いいよべつに、構わん。青臭い青春漫画で例えるなら、喧嘩みたいなのをしてこそのこういう関係なんじゃねーの? いや、ほぼ初めてだから知らんけど」

 

 むしろ今まで、これほど明確な亀裂が出来なかったのが不思議なのだ。

 会えば罵倒を飛ばす部長様に、言葉のついでみたいにキモいと言う部員その2。鍛えられ、罵倒に慣れたぼっちでなければとっくにやめていただろう。

 ……まあ、亀裂の原因が自分にもあるんだからお話にならんのだが。

 自分の中の決定していた物事を、いくつか修正する必要が出来た。

 人からは嫌われればそれで終わり。微妙な空気になれば勝手に離れていくと思っていた。

 なのに、取り戻せるものはあって、強く願えば戻ることの出来る、言ってしまえばより強く繋がりをもてる関係もあるのだと知った。

 だから───……だから。

 

「なぁ雪ノ下。変わらないものなんて、やっぱ……ないんだよな。気づけば変えられてるなんて、普通なんだよな」

「ええそうね。そういった意味では、私も随分と変わったのでしょうね」

「まあ、一番変わったのは由比ヶ浜だろうけど」

「えー? あたしよりヒッキーだよ。あ、でもそっか。今は弱ってるから弱音吐いてるんだもんね?」

「……おい、弱らなきゃなにも相談出来ないみたいなニヤケ顔はやめろ」

「あら、事実じゃない」

「お前らな……」

 

 ……実際そうだったんだから、事実なんだろうけどよ。だからって二人して病人いじめるのはやめてね。

 八幡、心細くて泣いちゃう。

 

「…………けれど、そうね。あなたがここまで歩み寄ろうとしてくれたのだから」

「え……ゆきのん?」

「ごめんなさい由比ヶ浜さん。少し……席を外してもらえないかしら。比企谷くんと二人で話したいことがあるの」

「…………えと。それ、あたしが居るとまずいって……ことだよね。あ、あはっ、あははっ、なに当たり前のこと言ってんのかなあたしっ……う、うん。じゃあ……廊下で待ってるね」

「ええ」

 

 ぎこちなく笑い、由比ヶ浜は保健室から出ていった。

 そして……俺と雪ノ下が残される。

 

「……誕生日ん時もそうだったけど、お前ってこういう時にいっつも一言足りないのな」

「? なにがかしら」

「由比ヶ浜だよ。あいつ、絶対妙な勘違いしてるぞ。……あぁ、まあまずはお前の話を片付けるか。んでなに。二人きりで罵倒でもしたかったのん?」

「そんなわけがないでしょう。真面目な話よ。聞きなさい」

「……おう」

 

 すぅ、はぁ。雪ノ下は深呼吸を繰り返し、やがて俺を真っ直ぐに見る。

 あ、これ相当大事な話だ。

 俺も上体を起こして、きちんと聞く姿勢を取った。

 

「そ、その。今まで、いろいろあったわね」

「……そうだな」

「出会った時も、文化祭の時も」

「……? そうだな」

「……ええと……」

「? なにか言いたいことがあるんだろ? 回りくどいなんて珍しいじゃねぇか」

「わ、解ってはいるのだけれど……こういうことはその、初めてだから」

「………」

 

 初めて? こういうこと?

 …………ちょっと待て、こいつなにを言おうとしてんだ?

 頬を染めて、すぅはぁって、まるで───

 

「お、おい。ちょっ───」

「比企谷くんっ」

「ア、ハイ」

「そのっ……わ、私と───!」

 

 ……。

 

 



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解り合うことの価値②

 カララ……。

 

「……ヒッキー」

「……おう」

 

 雪ノ下が呼んだんだろう。

 由比ヶ浜がおそるおそる入ってきて、雪ノ下は……居なかった。

 

「ゆきのん、先に帰るって」

「そか」

「えと……ゆきのん、顔真っ赤で……嬉しそうでさ。……どんな話、してたの~……って、訊くのはずるいよね」

「……そだな。隠すようなもんでもねぇとは思うけど……由比ヶ浜、お前には雪ノ下が言うだろ」

「……そっか」

「おう」

 

 しかし、驚いた。あの雪ノ下が俺に……ね。まだ信じられん。

 

「ヒッキー顔真っ赤……キモい」

「うわ、まじか……どんだけ嬉しかったんだよ俺……」

「…………嬉し……かったんだ」

「そりゃそうだろ、なにせ雪ノ下だぞ? まさかとは思ったが……」

「…………」

「……? 由比ヶ浜?」

「……ヒッキー……」

「? おう」

「ゆきのんがさ、自分の言いたいことを全部伝えたから、って言ってた。ヒッキーはそれが嬉しかったんだよね?」

「ああ。きちんと受け取ったしな」

「それって……同じ気持ちだったってこと?」

「あー…………ああ、まあ、そうなる……のか?」

「…………」

 

 え? いや、ちょっと待て。なんでそんな泣きそうな顔してんだよ。

 え? そんなショックなの? い、いいじゃねぇかよ、俺がそんな夢見ちゃいけないの?

 

「ぁ…………ぇ、と……あ、あはは……そ、そっか……そっかぁ……。よ、よかったね、ヒッキー……おめで……とう……」

「お、おお……? あんがと……でいいのか?」

「いいんだよ……うん、それで……きっと……。や、やー、でもさ、ちょっと意外だったかなー。ゆきのんがまさか、そんな……」

「だな……俺も意外だった」

「あ、あはー……そだよねー……」

「おう……」

「うん………」

「………」

「………」

「由比ヶ浜は……俺に、なにか言うこととかはないか? 今ならなんでも聞いてやれるぞ。逃げも隠れも隠しもしねぇし……なんかな、今、すっげぇ気が楽なんだ。お前と雪ノ下相手なら、隠し事とかしなくていいのかもとか……そう考えたら、な……」

「ひっきぃ……」

 

 心を打ち明けるって、すげぇな。本当にそう思う。しかもそれを受け取ってもらえるなんて、思ってもみなかった。

 絶対に拒絶されて、キモがられて終わるんだと思ってたのに。

 ……でも、どうしてなんだろうな。俺は嬉しいのに、由比ヶ浜は今にも泣きそうな顔で笑っていた。

 

「ど、どした? なんかあったか?」

「うん……とっても……とってもさ、大事なものを……さ。諦めなきゃいけないかもなんだ……。ううん、諦めなきゃいけないんだよね……もう、選ばれちゃってるならさ……」

「……由比ヶ浜?」

「なにやってんだろねー、あたし……あはは……。いっつもあとになってああしておけばーって思ってさ。空気読んで、後手に回って……さ。そんでさ、大事なものばっかり残らないでさ……」

「……その。俺に出来ることなら、相談に乗るが……」

「無理だよ……絶対困らせるって解ってるもん……」

「んじゃあ、奉仕部に依頼ってことにしとけ」

「……奉仕部に…………そっか、そっかぁ……。でもさ、無理なんだよヒッキー……。相談なんて出来ないんだ……。だって、さっきゆきのんがさ……恋愛に関連する相談は、受け付けないようにって……さ」

「……! ちょっと待て、お前の相談って恋愛事なのか?」

「…………っ……、ふっ……く、うぅ、うぅうう~~~……!!」

 

 訊いた途端、由比ヶ浜の目からぽろぽろと涙がこぼれた。

 どうして、なんて訊ける雰囲気ではなくて、俺はそろそろ頭痛までしてきた病状に歯噛みをしながら、状況に踏み込む決意を固める。

 普段なら面倒だだの言って関わろうともしないんだろう。……が、相手が雪ノ下や由比ヶ浜なら別だ。

 自分の心ん中ぶちまけて、それを真っ直ぐ受け止めてくれた二人だ。二人の願いなら小町級に聞いてやりたいって思っている。これが心を許したって状態なのかは知らんけど、はっきり言えることは一つだ。自分が原因だろうが、いやむしろ、自分が原因なら涙なんて見たくねぇんだよ。出来ることがあるならなんだってやってやる。

 ……熱の所為で自分をコントロール出来てねぇけど、ともかくそう思ったんだ。躊躇する理由は全くないまである。

 

「だったら、そのっ……お、俺が聞いてやりゅっ……ぐっは……! き、聞いてやる。悩んでること全部ぶちまけちまえ。なんでもいい。思考が鈍ってる今がチャンスだぞ……どんなことでも言ってみろ……」

 

 と言ったものの、ぐわんぐわんと世界が揺れる。あ、やばい、これ相当やばい。保健の先生まだ?

 

「………………じゃあ」

 

 そんな世界の中で、由比ヶ浜が涙を流しながら、笑った。

 そして言うのだ。「けじめ、つけさせて」と。

 それだけでいいから。それで終わりにするからと。

 だったら、きちんと聞かなければいけない。

 なんのけじめかは知らんが、由比ヶ浜には大事なことなんだろう。それを邪魔するほど野暮じゃない。ならちゃんと、聞く姿勢を。

 

「……比企谷八幡くん」

「……おう」

 

 フルネームで呼ばれた。

 途端、“空気”を支配された気がした。

 とてもやさしい、居心地の良い空気だ。

 そんな世界の中で、彼女はとても綺麗に笑い、俺へ向けて……言ったのだ。

 

「……ずっと。ずっと好きでした。ずっとあなたを見ていました。……っ……あたしと…………っく……ひぅっ……えぐぅうっ……~~~っ……つき、……付き合って……くださいっ……!!」

「───……」

 

 真っ直ぐな、とても真っ直ぐな気持ちが、胸に届く。

 ぼっちとして構えていた、勘違いしないための“言い訳の盾”なんて役にも立たない。

 なのに由比ヶ浜は途中で溢れ出る嗚咽に襲われ、綺麗な告白はまるで、“振られることが確定した告白”のようなものになってしまった。

 ……そう、皮肉にも……俺が海老名さんにそうしたように、聞けば本気なのかもって思ってしまうようなものなのに、そこには別のものが混ざっているように感じてしまう。

 俺のは嘘。由比ヶ浜のそれは……悲しみだった。

 

「ひっ、うぇぅっ……っく……! やだよぉ……やだよぉぉお……! こんな空気……読みたくないよぉ……! なんで……どうしてぇえ……! うあぁああああん……!!」

 

 やがて、そんな悲しみが完全に嗚咽に変わり、由比ヶ浜は泣き出してしまった。

 ……俺は、どうしたら……? つか、え? 由比ヶ浜が俺を好き? いやいや……え? まじ? じゃあなんでこの娘ったら泣いてるの? もしかして罰ゲーム? それが悲しくて泣いて……って、んなわけねぇだろ。

 自惚れていいなら、俺達の関係はそんなものじゃないって断言出来る。

 今さらそんな、俺への罰ゲームで告白、なんて状況で泣くようなことにはならない筈だ。むしろその場合、泣くのは俺だけで十分な筈だ。

 

「……由比ヶ浜。訊いていいか?」

 

 ……頷く。喉は嗚咽で塞がれ、喋ることすらまともに出来ていない。

 

「俺のことが好きって、本当なのか?」

 

 ……頷く。涙がこぼれ続ける瞳で俺を真っ直ぐに見て、何度も、何度も。

 なんて悪趣味。

 いや、由比ヶ浜がじゃなくて。

 泣きながら、それでも自分を好きと言ってくれる由比ヶ浜が、綺麗だって思えてしまった。悪趣味だろ、こんなの。

 って違うだろばか、今はそんなことよりも出来ることがある筈だ。

 もう勘違いだとか言って、自分を傷つけないための盾を構える必要なんてない。

 俺はもう、結果がどうあれ雪ノ下と由比ヶ浜を信じてみようって思ってる。

 加えてこの告白……正直うそだろって言いたい気持ちもあるが、女の武器が涙だからってこんな辛そうな涙が武器になっていい筈ねぇだろ。

 だから。……だから。

 

「───、は、あ……」

 

 頭が痛む。が、そんなものも後回しだ。

 そう、“だから”だ。俺は本当に由比ヶ浜に想われていた。恐らくはずっと、クッキーの依頼に来て、最初からヒッキー呼びだったもっと前から、いっそ言ってしまうなら、あの事故の頃から。

 ……まじかよ。一年以上も人を想うって、どれだけ我慢強いんだよ。しかも相手は俺だぞ?

 そんな想いを暖め続けて、今日告白してくれた彼女が……どうしてか泣いている。

 息を吐き、黙している俺を見て、次第に表情が歪んできて、一層に涙が───

 

「っ───」

 

 それを見ていたら、じっとなんてしていられなかった。

 あとでどうキモがられようが謝って許されるなら謝るから、今は───!

 

「《ぐいっ!》ひゃあっ!? あ、あわっ《ぎゅうっ!》ふあっ……!?」

 

 ベッドを軋ませ、由比ヶ浜の手を取り、引き寄せ……抱き締めた。

 見ていられなかった。お兄ちゃんスキルがだのどうのと、言い訳ならいくらでも出せるが、今回ばかりはほうっておけなかったから、自分の意思で引き寄せた。

 そして抱き締め、頭をぽんぽんと軽く叩いてやる。

 

「ひぃぅっ……うっく……や、やめてよ……! やさしくしないでよぉ……! あたしっ……あたし……ひっきぃのこと、諦めなきゃ……あきらめなきゃいけないのに……!」

「……いーから、まずは落ち着け。なんでいきなりそんな、やけっぱちみたいな状態になってんのか知らんが……今のお前、その……」

 

 ここで離したらヤバイ。そう思えた。

 なにもかもが嫌になって、とんでもない行動に出る。ほぼ確実にだ。

 だから、言葉の割りに抵抗もしない由比ヶ浜を宥めるようにやさしく抱き締め、どうしてこうなったのかを考える。

 

「ひっきぃ……ひっきぃいい……!」

 

 やがて由比ヶ浜は、捨てられた子供がすがりつくように、俺の胸に顔を埋め、こすりつけてきた。

 俺は……涙が制服に滲んでいこうと構わず、そんな由比ヶ浜の頭をゆっくりと撫で続けた。

 

「……あたしね、ひっきぃのこと……好き……好きなの……」

「……おう」

「でもね……ゆきのんのことも好き……。ヒッキーに恋人が出来るとしたら、相手がゆきのんなら諦められるって……きっとおめでとうって言えるって思ってたのに……っ……ねぇ……ひっきぃ……苦しいよぅ……辛いよぅ……!」

「………」

 

 ん?

 恋人……ん?

 雪ノ下? …………ん?

 

「いや、お、おう? あ……おう? ちょっと待て、いや待ってください。いや、いや…………───」

「……? ひっきぃ……?」

 

 ……。パニック状態のヤツに正直なことを話して、果たして通じるのだろうか。

 いや、無理だろ。こいつのことだ、“えへへ、ヒッキーはやさしいね”とか言って信じないだろう。

 じゃあどうする。なにをどうしてやればこいつは安心出来る。

 告白経験なら人一倍あるつもりではあるが、こんな状況での告白なんて八幡知らないよ。

 けど───やらなきゃいけない時ってのが人にどんだけあるかは知らんけど、今はその時だ。失敗は……許されないし、俺が許せない。

 ……よし。やることは決まった。実行する覚悟もだ。拒絶されたら死ねるなこれ。ああ、それもいいだろう。

 

 Q:自分のちっぽけなプライドよりも優先したいものが出来ました。あなたならどうする?

 

 A:即座に実行に移り、俺が出来る全てを以って……───

 

「由比ヶ浜」

「ぐすっ……ひっきぃ……ひっきぃい……」

 

 胸にすがりついてきている由比ヶ浜の肩を掴み、目を合わせるために引き剥がそうとする。

 

「! やっ……やぁっ! やぁあああっ!! ひっきー! ひっきぃいっ!!」

 

 まるで駄々っ子のように泣く姿がそこにあった。驚いて手を離せば、必死になって俺に抱き付いてくる。

 ……十分だ。ここまで想われてりゃ、躊躇もなにもないわな。むしろこれが勘違いだったら世界の在り方がおかしいって断言するね。

 

「由比ヶ浜……おい、由比ヶ浜」

「ひっ、ひっく……! ごめ、ごめんね、ごめんねひっきぃ……! ちゃんと、ちゃんと諦めるから……がんばるから……! あとすこしでいいから……だからっ……」

「……~~……」

 

 ……祈る相手が居ねぇ。小町でいいか。小町、俺に力を貸してくれ。

 どうしても躊躇が走るが、もう決めたことだ。迷わない。よし、いけ。

 

「すぅ、はぁ───んっ!」

 

 ぐっ……と。由比ヶ浜の肩を押し、一気に剥がす。

 もう一度見たその顔は、絶望と喪失がそのままそこにあるようなもので───しかし。そんな顔のままの彼女に、何も言わずにキスをした。

 

「……、…………え?」

 

 戸惑いの声は聞かない。

 その上で、引っ叩かれても構わんという覚悟の下、唇だけではなくいろいろなところへキスを落とす。

 戸惑いが呆然に変わり、呆然が驚きに変わり、驚きが爆発しそうになる頃、もう一度唇を奪った。

 

「んんんっ!? んむぅうっ!!」

 

 押し退けようと動くも、そこに力なんてろくに入っていない。

 俺は遠慮なくキスを続け、頭を撫で、背を撫で、やがて舌で口内を侵食し始める。

 

「~~~っ!?」

 

 これには当然驚き、体を暴れさせるも、やはりそこにも力はなく……やがて抵抗が消え、おそるおそる近づいてきた舌に舌を絡め、じゅるると吸ってやると、口を密着させたまま叫び、力を抜いた。

 

「あ、あぅぅ……は、ふあぅ……っ……ひっき……ぃぃ……うぅ……」

 

 くてりと力を抜いている由比ヶ浜をやさしく胸に抱く。

 どうして力が抜けたのかは知らんが、その姿をやさしく抱き締め、撫でて……伝えたかった言葉を届けることにした。

 

「……いきなりすまん。迷惑だったならあとでなんでも聞いてやる。……けどな、まずは落ち着いて聞いてくれ。なんか誤解があったのかもしれんが……俺と雪ノ下、べつに付き合ってるとかじゃねぇぞ?」

「ふえ……? でも……」

「いや、まあ嬉しかったのは確かだが───言われたのはアレだから。“友達になってください”だから」

「───………………え?」

「いや、これまで二度ほど俺から言ってはみてたんだが、どれも断られててな。だから今回、雪ノ下から言われたってのが嬉しくて」

「え……? え……? ひっきぃ、ゆきのんと恋人同士になったんじゃ……」

「おい待て、どうしてそうなるんだよ……。俺と雪ノ下がとかあるわけねぇだろ。お前は雪ノ下さんかよ」

「だって……だって……」

 

 震えながら、ぽろりと涙をこぼし、もう一度抱き付いてくる。

 静かに抱き付いてきたその身体は震えていて、とても小さくて、頼りなくて。だからだろうか。だからだろうな。頭を撫でる手も一層にやさしくなって、やがて由比ヶ浜も安心したように嗚咽を潜めてゆく。

 

「だだだ大体、勘ちゅっ……か、勘違いかもしれないとか思っていたとはいえ、好意をその……持ってくれてるかもって思ってるヤツをほっといたまま、誰かの告白を受け取るとかありえねーよ。そういうのはよ、その、あれだろ。ちゃんと決着つけてからだろ。じゃねぇと自分が許せなくなるだろうが」

「~~……ひっきぃ……ひっきぃいい~~……!!」

「《ぎゅうう……!》お、おい……」

「いいの……? あたし、諦めなくて……いいの……?」

「ああまあその、なに? お前さえ嫌じゃなけりゃ……いいんじゃねーの? いや、あー……さすがにこれはねぇよな。ん、んんっ! えぇっと、だな……その。今から返事するけど、いいか?」

「え…………───え!? 返事って……うひゃわぁっ!? そういえばあたし、勘違いですっごいこと…………え? ひっきぃ……キス……え? …………───あ《ぽろぽろぽろ》」

「……おい……告白する前からそんな嬉しそうな顔で泣くんじゃねぇよ……。つか、ほんと、悪いな……。絶対に成功するって確信が持てなきゃ告白も出来ねぇなんて」

「ひっきぃ……! ひっきぃいい……!!」

「いや聞きなさいよ……」

 

 胸にこしこしと顔を擦りつける由比ヶ浜は、さっきから“ひっきぃ”としか言わない。可愛いなちくしょう。そして俺の制服が涙でびしょ濡れだ。

 

「ん、んんっ!」

 

 そんな彼女に今から告白。……マジか。

 ……あー……うわ、今までで一番緊張するぞこれ……つか、今までの俺の告白って、告白っつぅか言いたいこと言ってすっきりしてただけなんじゃ……? え? まじ? これが恋?

 いや、だってよ、あれじゃん? 今まではちょっとやさしくされたら“こいつ、俺に気があるんじゃ?”って思った程度で告白だったわけだ。

 それがなに? 今これあれでしょ? 誤解で泣くほど、抱きついたら離れたくなくなるほど、泣き叫ぶほど好きでいてくれる相手に、今から告白するわけでしょ?

 ……ああ、なるほど、こりゃ次元が違う。勘違いの恋よりよっぽどレベルが高いわけだ。そりゃ、告白にも勇気が要る。

 “恥ずかしいから”って、逃げるための言い訳がどんどん浮かんでくる。

 なのに、そのずっと奥。孤独で居ても人が避けて通る自分が、ずっと暖めていた言葉は……そんな勘違いと言い訳の奥底でずうっと眠っていた。

 それをやさしく掘り返して、口にする。

 難しいことじゃない。孤独だったからこそ口に出来る、ぼっちとしての最高の告白を。

 

「……由比ヶ浜結衣さん」

「っ……《びくっ》」

「……“ずっと、俺の傍に居てください”」

 

 それは、ぼっちの究極だ。独りを好み、馴れ馴れしさを嫌うぼっちが、あろうことか自分から隣に人を置くという、ある意味ぼっち失格の言葉。

 けど、結局はそれなのだ。俺が出来る限界。

 絶対幸せにする約束なんて出来ないし、泣かせないなんて言葉だって嘘くさくて言えやしない。

 持つ者が持たざる者に、なんて俺には無理なのだ。

 俺に出来ることなんて、隣に居てくれる人を自分が引いた線の内側に招き入れることくらいだ。

 誰でもいいわけじゃない。

 そんなくだらない選り好みだけが、ぼっちに出来る、他の人から見れば捻くれているだけの歩み寄りなのだ。

 好きって言うなら誰でも出来るし、たぶん……海老名さんにそうしたように、いくらでも言えてしまうのが俺なのだろう。

 しかし傍に居てくれ、と言うのでは意味がまるで違う。

 好きだと言って振られるならいい。愛してるって言って鼻で笑われるのだっていいだろう。

 それでも“傍”だけは軽々しく言えはしない。

 勝手に近寄って馴れ馴れしくする存在がどれだけ居ようとも、自分から傍に居て欲しいと望む人など、ぼっちにとっては特別中の特別だからだ。

 

「……いいの……? ゆきのんじゃなくて、いいの……?」

「お前な。デートだろうとどうだろうと、こういう時って他のやつの名前出さないのがルールとかなんじゃねぇの? え? なに? それもしかして遠回しに振ってる?」

 

 この情報は小町の提供でお送りします。……ああなんだろな、“女の子はいいの!”とか言いそうだな。

 なんて、恥ずかしさを誤魔化すように頬を掻きながら思っていると、由比ヶ浜がより一層強い力で抱き付いてくる。

 

「やっ、やだっ……! 振ってなんかないよっ!? ほんとだよっ!? あっ……でも、えと……ほ、ほんとに? あたしでいいの?」

「おう。つか、お前“で”じゃなくてお前“が”いい。そもそも俺に選べる余裕とか権利とかねぇよ。言っとくけどお前、俺アレだから。自分で言うのもなんだが受動的な男だから。異性に告白とか、確信持った上に、その、相手からされなきゃ出来ねぇっての」

「……じゃあ、さ。もしゆきのんがさ。友達に、じゃなくて恋人にって言ってたら……?」

「あ? あー……ならないだろ。今のあいつじゃ」

「え?」

 

 そう。それは確信が持てる。

 なんにでも兆候ってものはあるもんだ。俺はそれを少しずつ感じ取っていて、そんな俺が歩み寄ったからこそ、それもまた近づいてしまった。

 いっそ嫌われたままの方がよかったのかもしれない部分も無いわけじゃないって……なんで思わなきゃなんないんだか。

 ああ、ぬるま湯は気持ち良いな。外気も合わさって丁度いい感じだったらもう最高な。

 けどまあ、浸かったままじゃまずいぬるま湯だって当然あるのだ。

 べつに水被ったら女になるとかブタになるとか、そんな奇跡の温泉の話をしているのではなく、状況的な意味だ。

 

  ───修学旅行の時から引っかかってはいた。

 

 由比ヶ浜でさえ訊ねてきたのに、あの雪ノ下が、俺の、中身も話さない提案にあっさりと乗ったこと。腹を割って話し合った途端、友達になりましょうと言ってきた違和感。

 嬉しくはあった。もちろん了承もしたし友達になったことで、痛む頭を抱えながらも喜んだりはしたのだが。

 そんな、見たことのなかった雪ノ下を見て思ったのだ。

 あれは残酷だ。もし誰かが今のあいつを好きになったとして、それが誰であろうとその想いは叶わないだろう。

 ある種の信頼の形でもある。が、そこに俺や由比ヶ浜が望むような信頼があるかといったら……恐らく、そんなものはないのだ。

 だから。友達にはなれてもその先は絶対にない。

 あるとしたら、あいつが今の自分の状態を自覚をして、自分できちんと変わりたいと思わなければ───……うわあ、なにこれ、どんだけ時間かかるブーメラン投げてんのあいつ。

 雪ノ下ー? 雪ノ下さーん? あなたこのままじゃ成長出来ませんよー?

 ……いや、自覚だの自分でだの、いちいち待つ必要はない、か? 真正面から堂々と言ってやればいい。

 それに俺、ラノベでよくあるあの“これはあいつ自身が気づかなければ意味がない”とか嫌いだし。なにあれ。確かに考えることは大事かもしれんけど、それでなかなか解らなかったら勝手にキレて“どうしてそれが解らないんだ!”とか言いだすんだろ? 理不尽じゃねぇか。それならさっさと教えて考えを纏める時間にさせてやれよ。

 

「なぁ、由比ヶ浜」

「う、うん。……ぐしゅっ……なに? ヒッキー」

 

 何故か最後まで俺の制服で涙を拭った由比ヶ浜が、胸に抱きついたまま顎を持ち上げて俺を見上げてくる。───やだ、可愛い! いや落ち着け俺、惑わされるな俺。こんな時に隙のある発言や行動や反応をしてみろ、すぐに手の平を返したような“ヒッキーキモい”が───!

 

「………」

「………」

「…………ヒッキー?」

「《すりすり》ひゃいっ!?」

 

 キモいどころかすりすりされちゃってますが!?

 あれ? つーか俺の告白どうなったの? いや、そりゃものすげー傍に居てくれてますがね? え? でもやだ、言葉がないと八幡不安。

 不安だけど手を伸ばして、頭を撫でても嫌がられない。

 ……そういうことで、いいのだろうか。

 つか、文字通り熱に浮かれてというか、熱に浮かされて、いろいろとんでもないことやってるよな、俺。

 あーうん解ってる、八幡解ってるよ。これ絶対健康になったら頭抱えて悶絶するわ。

 

「あーその……アレ、アレな」

「?」

 

 やばい可愛いどうすんのこれ可愛い撫でられたらキモいとか言うと思ったのに可愛い離れもしないよ可愛い。

 つか落ち着かせるためとはいえキスまでしたのに嫌がりもせずすりすりって反則なんですが可愛い。

 え、えー……俺、これどう反応すりゃいいの? あ、頭撫で、OK。見つめる、OK。勢いだったがまあその、キスもそのー……OK?

 いやそういうことじゃなくて。雪ノ下のことだよ。

 

「ん……」

 

 纏めよう。目を閉じて俯いて、思考を回転させてゆく。

 雪ノ下は恋愛ごとに関しては請け負わないって言ったよな。つまり友情ごとなら請け負うってことで《ちゅっ》───あらいい匂い。そして唇がやわらか───って!

 

「んぶぶふむっ!?(訳:由比ヶ浜っ!?)」

 

 目を開ければ由比ヶ浜のドアップ。

 そして一度では終わらないそれは、「はぷっ……ん、ふっ……ちゅっ……はふぁっ……ひっきぃ……」と連続で俺に襲いかかり、思考する隙を与えずに降り注いだ。押し退けようとしても、気づけばなんとやらというのか、体に力が入らない。あ、やばいほんとやばい、頭がぼーっとする。いやキスの所為じゃなくて、これ相当悪化してるよね?

 ていうかそもそもなんで俺、いきなりキスされてるのん? 俺ただ考え事を……あ。

 そういえば見上げられて、“ん……”とか言って俯いて目を閉じて考え事を開始した。こう言っちゃうのもなんだが、“ん……”って恋する乙女がキスをねだるのによく使われる言葉ではございませんか? いやあそれにしても本日はお日柄も良く、顔も身体も暑くてぐわんぐわんしますね。

 もっともっとと身体ごと押し付けてキスをしてくる由比ヶ浜に、力を込められない身体はやがて、ぽすんとベッドに沈む。それでも由比ヶ浜は離れず、横から俺に覆いかぶさるようにしてキスをしてきた。

 いやちょ、これ……ちゃうん!? これっ……やばいんとちゃうん!? こんなところ偶然やってきた人とか保健の先生に見つかったら異性交遊問題でいろいろと……!

 すぐにそう思い到って由比ヶ浜を押し退けようとするも、本格的に力が入らない。どころかボディタッチ的なコミュニケーションをされたとでも勘違いしたのか、由比ヶ浜は嬉しそうに、かつ優しい笑みを浮かべた。

 あ、やばい。小町ちゃん、お兄ちゃん女性が捕食者とか言う言葉、今なら信じられるかも。いや、由比ヶ浜ががっついてるとかそういうんじゃない。むしろ相当に乙女で可愛らしく、さっきから俺の心臓も跳ね上がりっぱなしだ。

 問題なのは俺がろくに力を入れることも出来ないところにあって、そんな状態の俺にとろりととろけた幸せ顔でキスをしてくる女性を、他にどう喩えればいいと? …………天使か。天使だな。

 

「《ちゅっ》んぷっ……ま、待て、ゆぃ《んちゅっ》はむぷっ!? ゆ、ゆい《ちゅるっ》ぷはっ、ちょ、ちょ《ちゅー》んむー!?」

 

 喋ろうとすると塞がれる。つか、由比ヶ浜って言おうとすると“ゆい”の部分で塞がれて、なんだか目の前の女性の名前を連呼しているようで滅茶苦茶恥ずかしい。

 え? そんなのどうってことない? 考えてもみろ、いやこっちの立場になって考えてみろ。キスされて、相手の名前を呼んで、キスされて、名前を呼んでなんて、どこのバカップルだよ。むしろ俺がねだって求めてるみたいじゃん。

 確かにこんな、自分のことを強烈に好きでいてくれる“恋人同士”に憧れなかったわけじゃございませんよ? むしろ心の中とか幸せすぎて未だに状況に追いつけずに戸惑っておりますよ。だから頭の中整理したいのに熱の所為なのかぼーっとするし、それでも纏めようとした考えがキスで破壊されるし。

 つまりほら、なにが言いたいかっつーとさ。

 

「……好きだ」

「───!《きゅんっ……》…………ひっきぃ……」

 

 全部纏めて今言いたいことを言うとしたら、なにより優先されるのは結局それだった。

 過去の自分は惚れやすかったと自覚している。今の自分は惚れないようにと気を張っていた部分もあったと自覚している。

 だがそれでも気になる人は当然居て、自分から俺なんぞに近寄ってくる女性といったら由比ヶ浜くらいで。……そんなやつ、心ん中で無意識にだろうが気に掛けない男が居たら本気でスゲーわ。

 

「ひっきぃ……ひっきぃ……! あ、あたしもね、あたしもっ……好き……好きなの……! 大好きで……っ……大好きだから……!」

 

 落ち着いたと思っていた涙がまたこぼれる。

 傍から見れば由比ヶ浜にベッドに押し倒されているような状況。俺の顔の横に手をついて、上から見つめてくる彼女の涙が、ぽつんぽつんと降ってくる。

 ああ、ええっと……言うなら今だな。さすがにこれ以上は状況的にまずい。

 

「……それで、なんだけどな、由比ヶ浜。雪───」

「……ひっきぃ、あのさ……」

「え? あ、お、おう? なんだ?」

「結衣、って……名前で呼んでほしいな……」

 

 ハウッ。

 …………いっ……いやいやお前いきなりなに言ってんの? 好き同士になったばっかりだってのに、いきなり名前呼びとかどんだけレベル高……おいちょっと待て俺名前呼びどころかハグもハグ&頭撫でもキスもしたし押し倒されちゃってるよ。なにやってんの俺もう言い訳とか無理だろこれ。

 よ、よし、断固抵抗するぞ。そもそも一気に段階を踏みすぎで───

 

「……ダメ?」

「結衣《キリッ》」

「ひっきぃ……っ!《ぱああっ……!》」

 

 全世界のぼっちたる我が同士たちよ。

 ……俺、頑張ったよね? 天使相手に……頑張ったよね?

 や、目を潤ませて“ダメ?”は反則だろ。ぼっちの心にアレは破壊力が高すぎた。

 強い意志も強靭なぼっちソウルも役に立たなかったよ。

 考えてみりゃ俺、小町にねだられて強くつっぱねられた覚えがねぇよ。あ、あの喧嘩になった相談ごとは度外視する。

 おーおー喜んじゃって………………可愛いなちくしょう。

 え? ほんとこんな可愛い人が俺の彼女? 恋人?

 ……人の未来ってほんと未知数やわぁ……。

 あ、でもだめ、今日はほんとだめ、気持ち悪くてだるい。

 はい、目を閉じてー……深呼吸し《ちゅっ》はむぷっ!?

 

「んちゅっ……んっ……ひっきぃ……ひっきぃ……んっ……」

「んぷちゅっ……ちょ、ゆい、ゆいがは《ちゅっ》いやちょ《ちゅっちゅっ》ゆっ《ちゅくっ、れるれる》んんんーーーーっ!!?」

 

 目を閉じたらキスをされたでござる。

 いやちょっとー? 由比ヶ浜さんー? 俺だるいから寝たかっただけで、キスをねだったわけじゃ……ああ、舌が、舌が口内を蹂躙して……

 

  ……結局そうして、廊下から足音が聞こえるまで、終始、由比ヶ……こほん。結衣のペースでキスをされ続けた。

 

 あー、こりゃあれね。この天使、明日絶対風邪だわ。

 

「で、だな、話なんだが《ちゅっ》んぷっ……いや、だから《ちゅっちゅっ》ゆぷっ《ちゅっ》ゆい《ちゅるっ》ぷはっ《ちゅるるっ》ちょまっ《んちゅー》んんーー!」

 

 とりあえず。

 誰か助けてくれ。幸せだけど恥ずかしすぎて死ぬ。

 



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解り合うことの価値③

 情報の拡散、ツイッターの応援アカウントでの作戦は途中で中止。

 相談したやつらには後日俺がお詫びとして奢ることになり、無事……雪ノ下は生徒会長、ゆいがは……結衣と一色が副会長に。俺は庶務……どころか書記会計雑務の様々を押し付けられることに。っておいちょっと待て、これ明らかにおかしいだろ。

 生徒会役員の引き継ぎとそれらに関する書類を睨みつつ、今日も奉仕部にて目を腐らせる男ひとり。……俺である。

 

「おい雪ノ下、これ明らかにおかしくない? 役割の70%くらいが俺に回ってきてるじゃねぇかよ」

「随分なことを言うのね比企谷くん。少しは頼ることを知れと言ったのはあなたじゃない」

「これは頼るとかじゃなくて押し付けるっていうんだよ……なに? なんで他のやつら入れようとしないの。生徒会3人で回すとか無茶だろ」

「だから一色さんが副会長に入っているじゃない」

「副会長二人も要らないだろ……一色はサッカー部のマネージャーもやってるからあんま来ねぇし。なにこれ早速新人イジメ? 一色を会計に回そうとか思わないのかよ……」

 

 あの日───俺が結構ヤバめの風邪を引いた日からしばらく。

 俺は結衣に提案して、雪ノ下の自立と成長を願った。

 恋愛ごとはノータッチで、友達としての相談として奉仕部へ依頼したソレは、雪ノ下本人がなんのこっちゃと解っていなかった。

 で、一から十まできっちり説明してやれば顔真っ赤。涙まで滲ませてぷるぷる震えていた。“わ、私がひきぎゃや……こほんっ、比企谷くんに甘えて……!? いえ、むしろこれは依存……!?”と、いろいろと悶えていた。安心しろ雪ノ下、ぼっちってのは一度は悶えるもんだ。

 

「べつに、一色さんが来ないなら来ないでも構わないじゃない。元々私たちは三人だったのだから」

「あーそうな。そう思うなら、仕事が溢れたら手伝ってくれなー……」

「その前にあなたは数学を勉強しなさい。いいえ、私が教えるわ。比企谷くん、覚えなさい」

「なんでそこで命令なんだよ……怖いよ、あと怖い」

「べつに構わないでしょう? 残り一年弱。精々、友人の居る日々を謳歌させてもらうわ」

「はぁ……なんつーか、やっぱお前すげぇわ。普通、変われって言われてすぐに変われるもんじゃねぇだろ」

「人なんて、変わる気があればいくらでも変われるわ。様々な人は勘違いをしているのよ。足りないから変われないのではなく、足りているから変われない。人は人の目を気にしているから変われない。答えなんて、いつでもそこにあるじゃない」

 

 変わる……ね。まあ確かに、人なんて簡単に変わるのだろう。

 “俺は変わらない”、“変わったのは周りだ”、言えることなんてそれこそ腐るほどある。

 受け入れてしまえばあっさりと変わることだって出来るだろうに。

 諦めることを盾にしていたくせに、変われと言われて諦めなかったいつかの自分が懐かしい。

 まあ、諦めるのと、誰かの言うことを無条件で聞くのとは違うけど。

 

「それで? 由比ヶ浜さんは?」

「ああ、結衣ならちとやりたいことがあるってんで、葉山とか三浦んとこに行ったな」

「……いやな予感しかしないわね」

「お前さ、葉山が関わるだけで嫌そうな顔するの、やめたほうがいいぞ。いや俺も嫌だけど」

「はぁ……けれど考えてもみて。由比ヶ浜さんがあのグループに居て、良かったことなんて一度でもある?」

「それな。ほんとそれ。マジそれ。それ超ある。それしかないまである。……むしろ結衣があのグループと係わり合いを持ってる所為で起こったことの方が多かったりするんだよな……え? なに? メリット全然ねぇじゃねぇかよ。最近やたらと戸部が馴れ馴れしいし葉山が同情的な目で見てきたりするし海老名さんは申し訳なさそうな顔するし戸部は馴れ馴れしいし」

 

 あと戸部とか戸部な。つか、とにかく葉山がない。あれはない。なんであそこで可哀想だって顔で見てくるんだよ。同情すんなよ。お前ほんとやめろ。“同情と書いて同じ情”とかふざけんな、お前には一生かかっても解んねぇよ、解ってたまるか。

 と、思い出し苛立ちをしていると、引き戸を開けて元気にやってくる……お団子頭の恋人。

 

「やっはろー! ゆきのんっ! あとヒッキー!」

 

 ……来て早々ひでぇなこいつ。あとってなんだよあとって。ついでなのかよ俺。

 

「いらっしゃい、由比ヶ浜さん。丁度紅茶を淹れるところだったの。飲むかしら」

「わあっ、飲む飲むっ! えへへぇ」

 

 あ、ごめんなさい訂正します。言葉では“あと”とか言っといて、この娘ったら一直線に俺のとこ来たよ。えへへぇとか言ってものすげー嬉しそうだよ。やだなにこれ可愛い。

 

「……比企谷くん。言われた身として是非言い返したいのだけれど。依存であり、変わる必要があるのはあなたたちの方ではないかしら」

「よせやめろ、俺も最近そう思い始めてきてんだから」

 

 最初は椅子を隣に動かしてきて、服の袖を軽く抓む程度だった。

 次に隣に座り、手を重ねてきて。次に手を握ってきて。次に腕を掴み、次に腕を組み、次に腕に抱きつき、次に腕に抱き付き&腕にすりすり。次に足を開かせて同じ椅子に座る、などなど……。

 さて本日は? …………足の上に乗っちゃってるよ。あったかくてやーらかい。あといい匂い。結婚したい。

 え、ええっと。これは……あれですか? もう抱きしめてよかったりしちゃいますか? つか、これ本とか書類とか見れねぇよ。

 諦めて書類をぱさりと机に置くと、結衣がその左手をハッシとキャッチ。次いで、ぶらぶらさせてた右手をキャッチすると、自分のお腹の前まで持ってきて組ませ、自分の肩越しに人のことをチラチラと見ては、えへへぇと頬を緩ませた。あ、だめ。抱き締めたい。引き寄せてぎゅうって。いや待てやめろこれは罠だ。そんなことをした瞬間に雪ノ下が110番通報をする、全く新しいポリス式美人局だ。

 

「う……その。なんだ。……結局、葉山たちとなに話してきたんだ?」

「あ、うん。グループ抜けてきた」

「……そか。…………え?」

「由比ヶ浜さん、それは本当?」

「うん。今回のことはさ、あたしがやろうよってしつこく言っちゃったこともあったけど……さ。結局なんも変わんなかったんだよ。あたしたちが……ううん、ヒッキーがいろんな目で見られることになってもさ、奉仕部がヘンな空気になっちゃってもさ。今のままが好きっていう……隼人く……ううん、葉山くんや、姫菜の気持ちは解るよ? でもさ、なんかさ、あたしはもう……あのグループがなにをしたかったのか、解んなくなっちゃった」

「結衣……」

「………」

「あたしたちもさ……ほら。きっとヒッキーが全部打ち明けてくれなかったら、もっとひどい空気になってたんだと思うんだ。だから……出来る限りでいいしさ、無理にとは言わないから……あまり隠し事とかそんなのしないで、それで……楽しくやってけたらなって」

「そうね。体調不良になると人は弱音を吐くというけれど、今度から比企谷くんの本音が聞きたくなったら紅茶になにか混ぜましょうか」

「おい。なんなのお前、今ここに居る人に堂々と薬を盛る計画とか口に出さないでくれます?」

 

 雪ノ下がくすくすと笑う。ほんとこいつ、なんというかこう……荷物降ろした子供みたいに燥いでる気がしてならない。

 雪ノ下さんもたまに来ると、楽しそうに笑ってるし。……やっぱあの人も、なにか感づいてたこととかあったんだろうか。あったんだろうなぁ、なんでも知ってますみたいな人だし。

 

「つかなに。俺の本音ばっか聞いといて、お前らなんもねぇの? ただ協力してくれってだけ? ……いやま、答えは解りきってるんだが」

 

 キモいとか、女性のすべてを知りたいだなんてとんだ変態ね、訊きたがり谷くんとか罵倒されて───

 

「あ、あたしはっ……ヒッキーとゆきのんのことが好きだよっ!? 二人が居る奉仕部が大好きだしっ! だから生徒会長になろうって思ったし……」

「……、その。私も、その……似たような……気持ちだったわ。あなたのやり方が嫌いとは思っても、無くしたくないと思ったことは確かなのよ」

「…………お、おう。その……俺も。お前らは大事な友達と、大事な恋人だ」

 

 ああ恥ずかしい。まさか二人とも心の内側ぶちまけてくれるとは思わなかった。

 俺がぶちまけた本音の数々に比べりゃ微々たるものだが……それもまた、追々だろう。

 

「うんっ! ……たぶんさ、変わりたくないって思ってても……あ、えと、違うか。本当に変わってなくてもさ。周りが変わってってさ、周りの考え方自体が変わっちゃったら……その変わってない人も、変わったって言われちゃうんだろうね。ヒッキーはさ、そういう状況って……どう思う? 変わったって言えるのかな」

「他人に何を言われても変わってないって貫ければ、それで十分だろ」

「そっか……じゃあヒッキーの周りはあたしたちで変えてくから、えと、えとえとー……えへへぇ……“傍に居てね”?」

「………」

 

 いや、人の足の上に座りながら、照れ笑いでそれは反則でしょ。

 もう耐えるとか無理だったから後ろから抱き締めた。するとすかさず雪ノ下がケータイで110番通報を───ってやめて!?

 

「友達としてやる最初の作業が、まさか友人を警察に突き出すこととは思わなかったわ……残念ね、比企谷くん」

「残念なのはお前の頭だよ……やめて? ほんとやめて?」

「あ、ゆきのんちょっと待って……あのさ、相談があるんだ」

「相談? 比企谷くんを通報するのだったらさすがに冗談だから、間に受けないで欲しいのだけれど」

「そういうことじゃないよ!? 違くてっ、えっとえっと……! あ、ほら、生徒会ってゆきのんとあたしといろはちゃんとヒッキーだけじゃん? だからさ、もっと人増やさない? さいちゃんとかサキサキとかさ!」

「え……」

「結衣……、……? ん?」

 

 ……? ……? …………おおっ、なんか少し引っかかるものがあると思ったら、材木座呼ばれてないよ。

 いや、気に掛かったってだけで、べつに呼びたいわけではないのだが。

 

「戸塚は是非……って言いたいところだけどな。テニスやってるし無理じゃないか?」

「テニスが無い日だけでもいいからさ。ほら、いろはちゃんとかサッカー部だし」

「実際テニスやってるヤツと、マネージャーとじゃ状況変わってくるんじゃねぇか……? いや、マネージャーがなにをするのかとか俺知らんけど」

 

 あれか? サッカーボール磨いたりとかプロテイン買ってきたりとか……ああそういや、戸部が巻き込まれてたっけ。そかそか、ああいうのが仕事か。

 

「私としては三人のままがいいのだけれど……」

「おい。お前、もしかして依存対象を俺から奉仕部にしただけなんじゃないだろうな」

「こほっ! こっほけほっ! ……な、なにを言っているのかしら。騒がしいのは脳内だけにしてほしいわ、ガヤガヤくん」

「……まあ、居心地がいいものを手放したくない気持ちは、解るけどな。一応は考えてみてくれって話だ。戸塚は部活があるし、えーと……サキサキさん? ……ああ、川崎か。あいつは家のことがあるだろう。材木座は毎日来そうでやかましそうだから却下として……おいどうすんだ、もう候補が居ねぇぞ」

「人望がないわね」

「ほっとけ。どんだけ人望があろうが無理だろこれ。二年のこの時期に暇してるヤツの方が珍しいっての」

「そうね……三年に知り合いが居るわけではないのだし」

「一年もいろはちゃんくらいだしねー……」

 

 やだ、これもう俺の社蓄街道まっしぐらフラグじゃない。会社じゃないけど。

 ……まあ、仕事量が異常とかじゃなけりゃ、やってやれんこともないのかもしれんけど。

 実際一色が会長になってたとして、手伝わされてもなんとかやっていこうとは考えていたわけだし。

 それなら知らん副会長とか書記とかに囲まれてやるよりは…………おう、気楽だな。むしろ幸せであると断言できるまである。

 学園生活よりも生徒会が好きになりそうだよ。戸塚が来てくれたらなお良し。……良し、なんだけどな。まいった。今じゃ結衣のこと優先しちまう。戸塚や小町より上が存在する、なんて日がくるとはなぁ……。

 

「…………」

「……、あ……」

 

 雪ノ下にバレないように、ゆっくりと引き寄せていた結衣を、ぎゅうっと抱き締める。

 結衣も静かに身体を傾け、力を抜いて寄りかかってきてくれる。

 ……ああ、やばい、可愛い。

 

「比企谷くん。由比ヶ浜さん」

『《びくぅっ!》ひゃいっ!!』

「……? いきなり叫んでどうし───…………《ピッピッポッ───》」

「待てっ! 雪ノ下待て! いきなり110番はどうなんだ!?」

「え? 110? ……救急車だっけ?」

「結衣、それ119番な」

「ふえっ!? ゆ、ゆきのんなんで!? あたしべつに嫌がってないよ!?」

「生徒会が、ただれた男女の会になるのを未然に防ぐのは会長の務めだと思うのよ」

「だったらまず自分で止めに入れよ……。先生どころか警察沙汰ってなんなのお前……」

 

 やっぱちょっと幸せには程遠いかもしれん。お、おう。幸せは言いすぎだったな。

 

「しかしまあ、なに? 友達になってもやることされることなんて変わらないもんだな」

「当たり前でしょう? けれどまあ、以前よりは不快ではなくなったわね」

「不快ではあるのかよ……」

「それも当たり前。目の前でいちゃいちゃされて、不快に思わない人が居ると思うのかしら」

「…………ああ、そりゃむかつくな。なるほどむかつくわ」

 

 よくイケメンリア充に対してもやもやしてたもんだ。

 それが今じゃこれですよ。そりゃイライラされるな。うん、俺が悪い。

 でも引き寄せた腕は緩めない。可愛い。

 可愛いんだが、なぜか結衣はちらちらとこっちを見て、うずうずしだし、ついにはこちらに向き直って抱き付いてきた。いや、だからやめれ。ケータイ構えるな雪ノ下。

 

「……由比ヶ浜さん。一応、言い訳は聞こうと思うのだけれど。忠告した矢先にそれはなんの真似なのかしら」

「え!? あ、やー……だって……、……だ、抱き締められたら、抱き締め返したいし……」

「───」

 

 …………。───……、───…………ハッ!?

 ああやばい、いかん。ちょっと言葉を失ってた。いやどうしよう、こんな純粋に気持ちぶつけられるのほんと初めて。悪意って意味では散々ぶつけられてきたが、まさかプロボッチャーである八幡さんがここまで心を揺さぶられるとは。揺さぶられるどころか愛してるまで存分に言えるまである。

 あ、だめ、ほんとやばい。こんな状況、普通は顔がニヤケるもんだろうに、好きで大好きで愛しくて、顔がやさしく緩む。大事にしたいって気持ちが強すぎて、ニヤケとかじゃない、格好つけたり気取った自分が殺された、やさしい笑みが浮かぶ。

 

「あ…………ひっきぃ……」

 

 そんな俺を見て、きっとキモいだろうに、ほにゃりと可愛い笑みを浮かべる結衣を抱き締めて、頭を撫でる。

 くすぐったそうに、けれど自分からもこしこしと顔を擦り付けてくる姿に、たまらないほどに愛しさが湧き出す。いやどんだけ愛しいの俺。でも愛しい。

 

「……驚いたわ。あなた、そんな顔も出来るのね」

「どんな顔だよ。そんな顔っていきなり言われたって自分の顔なんか見れねぇだろ」

「そうね。自覚なんかしないほうがいいのかもしれないわね。ある意味で貴重だわ」

 

 なにそれ。とんでもなくキモいってことか? ……だろうな。なにせ俺だ。

 おかしいなぁ、顔立ちはいい方な筈なんだぞ? なのになんで笑うとキモいとか言われんの俺。ほんとに整ってんの? 整ってるよな?

 

「あーその、話戻すけど。とりあえず補充する意見を取り入れて、話だけでも通すってことで……いいか?」

「ええ。二人とも由比ヶ浜さんと同じクラスだったから、お願いするわね由比ヶ浜さん」

「うん、えへへぇ、任せてゆきのんっ」

「おい、なんでそこで敢えて俺の名前を出さないみたいな空気になってんの。俺だって同じクラスだっての」

「だってあなた、自分から話しかけられそうにないじゃない」

「………」

 

 やべぇ正論すぎて反論できねぇ。

 あ、でも戸塚になら…………いっつも戸塚が話しかけてくるよ。

 じゃあ川……なんとかさん! …………基本お互い話さないようにしてるし。

 別クラスだけど材木座───あー……あっちからだな。鬱陶しいくらいに。

 ……うわっ、俺のコミュ力、いくらなんでも低すぎっ!?

 

「……お願いね、由比ヶ浜さん。あなただけが頼りよ」

「あたしだけ……っ……う、うんっ! うんっ! まかせてゆきのんっ!」

「………」

 

 抱き合ってるのに蚊帳の外ってすげぇなおい。

 

「じゃあ早速! 行コ、ヒッキー!」

「え? なに? 俺も行くの? つか一応部活中なんだから待ってなきゃまずいだろ」

「大丈夫よ比企谷くん。これも部としての勧誘活動の一環だから。あなたが行ってなんの役に立つのかは知らないけれど」

「あの雪ノ下さーん? 一言余計ですからねー? はぁ……」

 

 俺の上からぴょいと降りて、早く早くと手を引っ張る結衣と歩く。解ったから落ち着け散歩前の犬かお前は。

 溜め息を吐きながら思うことは、日々のこと。

 関係が変わっても、相変わらずの日々。

 だが、腹を割って話す以前とは比べ物にならないほどに……心地良い日々。

 まあ、なに? ……悪くないよな。うん。

 

「ねぇねぇヒッキー、ここまで来ちゃったらさ、新しいグループとか作っちゃわないっ?」

「ちゃわない」

「即答だっ!?」

 

 奉仕部を出て引き戸を閉めて、知り合いを勧誘すべく移動。

 とはいえ、放課後だってのにいったい誰がどれだけ残っているのか。

 

「え、えー……? だってさ、ほら、ヒッキーでしょ? ゆきのんでしょ? あたしでしょ? さいちゃんにサキサキにー……来年は小町ちゃんもっ」

「……材木座ェ……」

 

 さすがに同情しないでもないが、誘わなくても来そうだから、それまで忘れておこう。

 

「……ふぅ」

 

 さて、いい感じに二人きりになれたわけだが。

 ……小町ちゃん、どっから情報が漏れたのか知らんけど、なんでお前が結衣と付き合ってることを知ってるのかとかそーゆーことは聞かん。

 だがまごまごしている俺の背中を押してくれたのは実にいい仕事。グッドなジョブだ。

 

「あ、あーその。……結衣」

「? なに? ヒッキー」

「《ぎゅっ》……おおう」

 

 繋いでいた手が解かれ、腕を組まれた上で、再度手を繋がれた。恋人繋ぎだけでは飽き足らないとは、どこまで俺の想像を絶すれば気が済むのか。やめて、八幡トキメキすぎてキモいなにかに進化しちゃいそう。

 歩きながらも見上げてきて、すりすりと腕に顔をこすりつけてくる。

 いや、確かに歩きながら肩にこすりつけたんじゃ硬いだろうけど、だからって腕はやめなさい、歩きづらいでしょ。……わあ、でもすっげー嬉しそう。俺も嬉しいけど。そして可愛い。

 

「あ、えー、おー……その、なんだ……ンー……」

「?」

「……デ、デート……行かないか?」

「……!《ぱああっ……!》」

 

 わお。綺麗な華が咲きました。ぱああって擬音、すげぇ合ってる。

 

「い、いくっ! ぜったい! いつっ!? ヒッキーいつっ!?」

「……基本暇してるからいつでもいいっつーか……ああその、えぇっと、だな。あー……むしろ今日、早く終わるなら行くつもりだったんだけどな」

「あー……そだねー。じゃあ次の土日でいいかなっ」

「おう、いいぞ。つか、そっちは予定大丈夫なのか?」

「うん。パパと買い物行くことになってたけど空ける」

「お前、ファブリーズの件といいどんだけお父さん嫌いなの……もうちょっとやさしくしてやれよ……」

「あ…………う、うん。…………お父さん……お父さんかぁ、えへへぇ。やっぱりちょっとくすぐったい……」

 

 少し歩くと、騒がしさは広がっている。

 特別棟の窓を開けるだけでも、喧噪なんてもんは嫌でも耳に届くもんだ。

 ふざけあって廊下を歩く男子高校生、ファッション雑誌のことを語りながらきゃあきゃあと騒ぐ女子高校生。

 サッカーに情熱を注ぐサッカー部員や、テニスで汗を散らす天使。

 どれも青春であり、自分のやりたいことを少なからずやっている者たちだ。

 俺はどうだろうと考えて、将来自分のなりたいもの、やりたいことを真剣に考えてみるのもいいかもしれないと思った。

 

「なぁ結衣。お前は将来なにになりたい?」

「え? 将来の夢? ええっと……えへへぇ」

「? なんだよ」

「……お嫁さんっ♪」

 

 日常ってのは悪くないもんだと思う。

 ぼっちだろうとリア充だろうと、居たくて居る場所があるってのはいいもんだ。

 そんな場所がベストプレイスから部室へ、部室から生徒会へ移ったとしても、まあ適当に……それでも適度に充実した毎日を送れるようにはなったのだろう。

 自分の内側を曝け出しても受け止めてくれる人が居る。

 それだけで、少しは自分の世界は広がってくれたのだ。

 あとは……まあ。広がってくれた世界が、“選ばないことを選んだ”ためにまちがってしまうことのないように、大切にして生きていこう。

 

「お、おう……そか。んじゃあ俺はお婿さんな」

「どっちも家出ちゃ住む場所ないよ!? ……あっ」

「……お前、そういうことナチュラルに言うなよ……《かぁあっ……!》」

「い、いいもんっ! どうせヒッキーと一緒になるんだしっ!」

「《きゅんっ》……結婚してください」

「ふええっ!? あ、え……え、と………………はぃ《かぁああ……!》」

 

 馴れ合うだけではダメだった。距離を取るだけでもダメだった。

 大切に思うと同時に、人を傷つけたくないって思った。自分が嫌な空気を吸うのが嫌だからか? 違う。そんなものは慣れていた筈だ。

 そんな空気を吸わせたくなかったのは、そこに大切ななにかがあったからだ。

 自分の内側をぶちまけることで笑顔をくれた二人。変わっていたのは俺だった。

 大切なものが出来てしまったら、傷つけたことを自覚し、後悔する。その罪悪感と戦いながら、飲み込み、ぶちまけ、受け入れられて……今がある。

 気づけることはあったのだ。

 馴れ合いだけじゃ人は成長できない。

 馴れ合わなかったからこそ“俺”に到ったように、一方だけじゃ……正論だけじゃ人は変われない。

 正義のヒーローは好きか? 悪は好きか? 俺は自分の意思を貫き続ける方が好きだ。一切迷わず正義を貫くならそれでいい。悪として悪らしく、正義に憧れもせず悪で居られるならそれでいい。

 ただ、知っている。どっちか一方だけで、何かを救うことは出来ないと。

 

「まあどっちも家とか出たら、本気で住む場所考えないとだよな。つか、まず働かんとだろ」

「ヒッキー、まだ専業主夫志望?」

「あほ、お前働かせて家で一人で待ってるとか、お前が上司とかに襲われそうで怖いわ。やるなら自営業な。ずっと二人で居よう」

「《ボッ!》へ、あ……う……!? あ、あう、あうあう……?」

「……お、いや待て? ……おお、そうだな、俺マッカン愛してるし、コーヒーとかの喫茶店出すのもいいな。となると……」

「ひ、ひっきぃ? ねぇ、ひっきぃ……?」

「雪ノ下に紅茶を淹れてもらって、川なんとかさんには料理……戸塚にはウェイトレスを……あ、ウェイトレスじゃなかった。あー……菓子とかも欲しいな。誰か得意なヤツとか居ないもんか。材木座は───……役割が思い浮かばないな。ん、いや、なんで知ってるヤツで役割決めようとしてんだか。個人の夢だってあるだろうに」

「ヒッキーってば!」

「え? あ、おう、どした?」

「どした、って……う、うー、う~~~っ……!!」

 

 俺が悪で二人が正義。それなら間違い続けても正しくあれる。そう思う。

 馴れ合いはしない。その代わり、お互い罵倒し合いながらでも変わっていければ、それでいいんじゃねぇの? 正解なんて知らんし、あるのかも知らんのだから。

 

「~~~……はぁ。それでさ、ヒッキーはどうするの? 将来とか」

「あ? だからコーヒーだろ? 自力で人を癒せるコーヒー作って自営業だな。そのためにまず金を溜めなきゃだが。けどな、経営となると雪ノ下の言う通り、計算は出来ないとまずいわけで……」

「計算……え、えと、ねぇヒッキー。ほんと? ほんとにさ、その……お嫁さんにしてくれる?」

「……今さら俺に他の誰と添い遂げろってんだよ。お前に捨てられたらそれこそ究極のぼっちになるだけだっての。だからそのー……なんだ。……俺と、結婚を前提に付き合ってください」

「……! う、うん! うんっ! じゃああたし、計算頑張る!」

「え……だいじょぶか?」

「これでもヒッキーよりは出来るし! それにあたし、本気を出したらすごいんだからっ《むんっ》」

「……まあ、一応ここに入学できたわけだしな。んじゃ、どーすっかね、大学」

「ええっと、やっぱりけーえーがく? 学んだほうがいいよね?」

「必須だな。そういう専門スクールがあるらしいから、一度行ってみるのもいいかもな」

「そっか。えへへ、そっかぁ」

「? どしたのお前、急に笑ったりして」

「え? んー……ほら、一緒になにか目指せるっていいなーって」

「………………まあ、うん。………………そうな」

「えへへ、えへへへぇ……ヒッキー照れてる?」

「う、うっせ」

 

 経験で得たこと、経験で得られることを消化して吸収していこう。

 消化しきれないものは噛み切れていないものだと受け止め、全部噛み砕いてから飲み込んでゆく。

 そうしてもがき苦しみ、考え抜いて計算し尽くして。その先にあるであろうなにかを、三人で見つけられたらいいなと……そう思う。

 

(三人、ねぇ……。考えがもうぼっちじゃねぇな、ちくしょう)

 

 それでも、なんて思えてしまうなら、俺はもうとっくにこの関係の在り方に敗北して、諦めているのだろう。

 雪ノ下に憧れて、由比ヶ浜に惚れて、奉仕部に安心した。ああ、完璧に敗北だな。人として、男として負けた。

 

 そんな敗北と諦めが……今回ばかりは、心地良い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ああところで、デートの話だけどな……土曜と日曜、どっちにする?

 

 え? どっちもじゃないの?

 

  え?

 

 え?

 

  ……いや、まあ、そうな、うん。どうせ暇だしな。

 

 あ、あはは……うん、あたしも。……ヒッキーはさ、アニメとか……いいの?

 

  溜めときゃいつでも見れるしな。勉強すること増えたから、ガラにもなく頑張ってみるわ。早速雪ノ下に教えてもらうつもりだ。

 

 あ、じゃああたしもっ! えへへ、なんだろね、今じっとしてらんないってゆーか。

 

  おー、それ解るわ。あれな。青春してるってやつ。……ガラじゃねぇけど、言ってもいられないしな。

 

 ……がんばろーね、ひっきぃ。

 

  おう。

 

 …………。

 

  …………。

 

 ……人、多くなってきたね。《ぎゅっ》あっ……。

 

  ……覚悟、決めた。俺の恋人だってことでなに言われても気にしねぇなら、このままで、その……いいか?

 

 ……ヒッキー……。うん、でも、もう誤解されるようなこととか……しちゃ、やだよ?

 

  っ……お、おう。だいじょぶだ。好きなやつが居るのに他人に告白とか、無理だろ。

 

 好き……えへへ、ひっきぃ……えへへぇ……♪

 

  んじゃどうする? 帰るか? それとも帰る?

 

 勧誘忘れてるよ!?

 

  いやもう視線が痛すぎて辛い。俺もう十分頑張ったよ……他人の前で腕組み恋人繋ぎとか上級者すぎるだろ……!

 

 ……ゆきのんの前じゃ抱き合ってたのに?

 

  OK解ったもう怖いもんねぇや当たって爆発しろだ。そうかそうだよな今俺充実してるもんな、爆発すべきは───俺、だったのか……!

 

 ヒッキーキモい……。

 

  おいやめろ。

 

 えへへ……でも、大好き。

 

  !? ───……お、おう、あんがとさん。だが俺は愛してる。

 

 ふえっ!? ───…………あ、え…………~~~……。

 

  《ぎゅうっ》ひゃいっ!? …………お、おい、抱き付くなら腕に……。さすがにこれは恥ずかし───

 

 ~~……ばか。だいすき、ばか……! ぐすっ……あたっ……あたしのほうが、愛してるし……!

 

  …………お……おう。俺も───ヒィッ!? ……ゆっ……結衣? 結衣さーん……!? ト、トコロデデスネ? 廊下の先に、どこぞの地上最強のオーガのように髪をざわめかせている国語教師がいらっしゃるので、そろそろ離れてくれると嬉しいカナー……と……。

 

 やだ……。あんなこと言っといて、離れろとか無理だし……。

 

  そ、そか。じゃあ結衣……早急に決めてくれ。……お姫様抱っことおんぶ、どっちがいい?

 

 え? えとー……お姫様だっこ、かな。えへへ《がばぁっ!》ひゃうっ!?

 

  逃げるぞ結衣っ! しっかり掴まっとけ!

 

   比企谷ぁぁあああああっ!! 校内で! 人前で! よりにもよって私の前で堂々といちゃつくとはいい度胸だぁあああっ!!

 

 えっ!? 平塚先生!?

 

   くそおっ! 青春なんて! 青春なんてぇえっ! っ…………結婚したいっ……!

 

  やめて! 走りながら叫ばないで! 悲しくなるからっ! ほんと誰か早くもらってあげて……!

 

 ヒ、ヒッキーはやだよ!? ヒッキーはあたしと結婚するんだから!!

 

  うわばかっ、おまっ……今そんなこと言ったら───

 

   比企谷ぁあああああああっ!!

 

  だぁあくそぉおおおっ! 青春のばっかやろぉおおおおっ!!

 

 

 

 

  ……いやほんと。心地良いんだよ? マジで。



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いや、メールのタイトル。言っとくが義務とかじゃねぇからな。

 奉仕部の引き戸をノックした日。

 どうぞと言われて入ると、いつも通り雪ノ下と由比ヶ浜が居た。

 

「あれ? ヒッキー? どしたのノックなんかして」

「いや……持つ者が持たざる者に。その理念にすがりたい。頼む」

「え……ヒッキー?」

「あなた……最近おかしいと思っていたけれど、その目は───」

「……最近寝れねぇんだよ」

 

 不眠症? 不眠症なの?

 ストレスが多すぎるとなることがあるとか言われてはいるが、俺に限ってまさかと……え? やっぱり不眠症なの?

 

「あらゆる“これでぐっすり”法を調べて、やってみても効果がねぇんだよ……。妙にイラつくし身体は疲れたままだし、なんとかしてくれ」

「安眠枕ー……とかは?」

「あんなもんに金出せるか。買ったところでどうせそのー……なに? サイズが合わなかったーとかで一瞬にして使わなくなるだろ。通販ものの宿命な。便利な言葉だよなー、“個人差があります”って。アレ絶対にアレだろ。ぼっちにはフィットしないように作られてんだろ」

「なんかすっごいいちゃもん出てきた!?」

「落ち着きなさい比企谷くん。あなただけをのけ者にした賞品を作るほど、会社というものは暇ではないわ」

「………《ずぅうううん……》」

「ゆきのん!? ゆきのん! 落ち着くどころかすっごい傷ついてるよ!?」

「いや……いいんだ……解ってたし? 俺を気に掛けてくれるやつなんて戸塚とか戸塚とかたまに平塚先生くらいだし」

 

 ああ辛い。なんかこうアレだ。考え方がいつもよりマイナスすぎて辛い。

 もういっそ猫になりたいな。自由な猫に。そんで寝るんだ。ぽかぽか暖かい陽だまりの下で───…………陽だまりって漢字の所為で雪ノ下さん思い出しちまった。余計に眠れん。

 

「重傷ね。いつものあなたならこれくらい平気でしょうに」

「気の持ち方が最底辺になっててな……。これ以上落ちようがないとかいうのはやめてくれな……人ってのは自殺するまで心が何処までも落ち込む人間だし、自殺しないからって気が落ちていかないって言ったらアレだから。嘘だから」

「……ほんとうに重症ね」

「頼む……戸塚に本気で心配されて、俺が戸塚にあんな顔をさせていると気づいた時には俺がどれだけ……!」

「なんか理由がすっごくアレなんだけど……ねぇゆきのん、なんとかできないかな。これじゃヒッキー可哀想だよ……理由はアレだけど」

「そうね……理由はアレだけれど、部員も救えないようでは他人を自立させるなんて到底無理だもの。理由はアレだけれど」

「そのいちいち“理由はアレだけど”を合い言葉みたいに使うのやめろ」

 

 泣いちゃうよ俺。今なら本当に。

 

「けれど……どうしたものかしら。あなたのことだから、ネットで公開されているようなものからお金のかからないものは一通りやったのでしょう?」

「おう。どれも眉唾だったわ」

「そう……ではそれ以外からやってみるしかないわね」

「ゆきのん、それ以外って?」

「そうね……傍に居ると安心出来る人の傍で寝てみる、…………ごめんなさい、あなたにはそんな存在が居なかったわね」

「おいおいおい雪ノ下ぁ、勝手に決めてもらっちゃ困るな。俺にだってそんな相手はちゃあんと居るぞ?」

「えっ……!?」

 

 おい。ちょっと? 由比ヶ浜さん? あなたなんでそんなめっちゃくちゃ驚いてんの?

 なにその世界の終わりみたいな顔。俺にそんな相手が居ると世界が滅びちゃうの?

 

「どうせ小町さんでしょう?」

「おい。人の大事な妹をどうせとか言うな。言っておくが俺は」

「なら小町さんを呼びましょう。それともあなたの家まで付き合えばいいのかしら。依頼を受けたからにはきちんと見届ける義務があるもの」

「え、なにそれ。俺お前らの前で、小町の存在に安心しながら寝なきゃならねぇの?」

「相談してきたのはあなたじゃない」

「………」

 

 え、えー……なにそれレベル高すぎるんですけどー……?

 とか思ってたらノックの音。依頼者かと思ったのか、雪ノ下が「どうぞ」と返すと元気よく開けられる引き戸。

 その先から出てきたのは───「やっはろー! 雪乃さんっ、結衣さんっ!」……妹の小町だった。

 え、なにこれ、なにがどうなってんの? もしかして雪ノ下が呼んだの? にしちゃ来るの早すぎじゃない?

 

「こ、小町さん? あなたどうして」

「いやー、なにやら兄がピンチな気がしたので暇潰……え、ええ、ええ! 気になったので来たんですよ!」

「暇潰しなんだ……」

「やだなぁ結衣さん! そんなことないですってぇ! ……あ、お兄ちゃん朝ぶり」

「おー。……すげぇ棒な挨拶だなおい。お前ほんと暇潰しに来ただけだろ」

「細かいことは気にしなくていいんだよお兄ちゃん。で、最近いつもより目が腐ってたけど、どうせそれが原因でなんか話してたんでしょ? ほれ言ってみなさい小町に」

 

 ほんと時々素直に言いたくなるほどうざいなおい。言わねぇけど。

 

……。

 

 で。

 

「ほうほう不眠症。で、小町の傍なら安心して眠れるかもしれないとー…………お兄ちゃん、それを人に堂々と話しちゃうあたりポイント低いよー……。そゆことは家で言わないと」

「あぁはいはい、そんで、俺ゃどうすりゃいいの」

「そうね……とりあえず、小町さんの傍で眠れるかどうかを確かめてみてはどうかしら」

「あ、じゃあ小町がお兄ちゃんの隣に座ってー……はいお兄ちゃん、そこで突っ伏して寝て。今すぐ」

「おい。なんかこれいろいろと違うだろ。なんで妹に顎で机促されて眠らなきゃならねぇんだよ」

「試してみればいいじゃない。無駄なら無駄だとすぐに解るのだから」

「……へいへい」

 

 仕方も無しに、椅子に座ったまま机に突っ伏す。

 息を整えて、自分が眠る時の呼吸を思い出して───…………

 

「…《じー……》」

「…………《じー……》」

「…………………《じー……》」

「おい。なんで全員で見てんだよ。眠れる眠れない以前に気になるだろうが」

「えやぁあややなに言ってんの見てないし! じ、じーしきかじょーなんじゃないの!? ヒッキーキモい!」

「お兄ちゃん……不眠を他人の所為にするのは小町的にポイント低いよ……?」

「こほん。そ、そうね。あなたの生態になんてまるで興味もないのだから、視線を感じるなんて過剰な意識こそを沈めて、さっさと寝なさい」

「え、えー……?」

 

 ひどい言われようだった。いやまあ俺の扱いなんざこんなもんか。

 ならば良し。さっさと寝よう。

 

「………」

「…《じー……》」

「…………《じー……》」

「…………………《じー……》」

「…………」

「…《じー……》」

「………《じー……》」

「…………………《じー……》」

「…《じー……》」

「《じー……》」

「…………………《じー……》」

「……おい」

「うひゃあっひゃあっ!?」

 

 近づく気配があって、見てみれば由比ヶ浜がじりじり近づいてきていた。

 声をかければ叫ぶ有様。なにやりたいのこいつ。

 

「え、あ、やーほら……もう寝たかなーって……」

「そんなすぐに眠れるわけねーだろ……もうほんと頼む、藁にもすがるつもりで眠りたいんだよ……」

「あー……そっか。ごめんねヒッキー」

「いや……ああ、うん。悪い、俺もちょっとイライラしてるからな……」

 

 知らず、語調がキツくなっていたかもしれない。

 落ち着こう。落ち着いて、さっさと寝ちまおう。

 

……。

 

 ……で。

 

「……ちっとも眠くならん」

 

 だめだった。

 10分ほどねばってみたが、眠気のねの字すら沸いてこない始末。

 

「うーん……なにが悪いんだろうね」

「あー、小町じゃお兄ちゃんは安心できないかぁー……残念だなぁ、ショックだなぁ。あ、だったら他の人なら安心出来るかもしれませんねぇ~♪」

「ふえっ? こ、小町ちゃん?」

「……小町さん。あなた、なにを」

「結衣さんに雪乃さん、兄の隣に座ってもらえませんか? 兄を助けるためだと思って。あ、小町どきますから、さささ、どーぞどーぞ」

「え、でも、だって《ちらちらちら》」

「…………あー……すまん。どんな方法でもいい……贅沢とか言ってられねぇんだ……ほんと辛くてな……。頼む」

 

 なにより気持ち悪い。なにこの感覚。これから救われるなら藁をも掴むわ。……今さらだけどこの言葉、藁に失礼じゃねぇのかね。だって溺れた状態からでも自分を助けてくれるかもしれないんだろ? ……失礼だな。藁をも、じゃなくて藁だからこそ掴もう。

 

「眠れるならどんなことでもやる。だから頼む」

「うわー……お兄ちゃん、そこまで……」

「小町ちゃん? 言うならせめてその“うわー”は無くしましょうね? そうすりゃちょっと感動的に聞こえてたかもだから」

「うわー……」

「無くすのそっちじゃねぇよ」

「じゃあもうあれだね、こうなったらお兄ちゃんが体験したことのない方法でやってみるしかないね」

「あ? なんだよそれ」

 

 俺が体験したことのない睡眠方法? ……まるで思いつかん。なに? 催眠術でもかけんの?

 

「ほら、よくあるでしょお兄ちゃん。ピクニックとか行くとカップルがやるあれ。膝枕とかなら案外このごみぃちゃんもころりと逝っちゃうんじゃないかなーって」

「膝枕!? え、えっ……!? それ、誰がやるの……!?」

「おやおや~、結衣さんはやる対象が気になって仕方ないご様子。順番でやってみようと思ってたんですけどー……やります? やっちゃいますかっ?」

「うぇええっひぇ!? や、ちょ、そんなっ、ありえないしっ!」

「そうね。膝にそんな目の腐った生物を置いたら足が腐ってしまうわ」

「その理論でいってたら俺の瞼なんざとっくに腐敗してるだろ」

 

 とか言っている中、小町は物凄い速度でゾダダダダダとケータイをいじっていた。

 少しすると由比ヶ浜のケータイが賑やかになり、慌てて取り出すと……少しして、奇妙な声を発した。

 

「こここっこここ小町ちゃん!?」

「はいはいそういうことですからっ! 大体いっつもそう思ってたんですよ! どーしてそうしないんですか! 見てるこっちがもやもやしちゃうんで、もうそこに書いてあるとーりです!」

「う、うー、うー……!」

 

 なにやら知らんが真っ赤な由比ヶ浜。

 なぜか俺をちらちらと見てきて、視線を散々とうろちょろさせたあと、俺の傍まで来て……制服の端っこを、ちょんと抓んだ。

 え? なに? なんなのこれ。

 

「ヒ、ヒッキー……眠れるなら……なんでもいいんだよね? それだけだよね?」

「え? お、おう……もちろんだ。なんか秘策があるなら頼む」

「…………《かぁああ~~~っ……!!》ずるい……ヒッキーずるいよ……。なんでこんな時ばっか、頼むとか……!」

 

 制服引っ張りながらぽしょぽしょと言われた。あの、聞こえてますからね?

 ぼっちの聴覚、ナメちゃあかんぜよ。……聞こえても、なんでずるいんだかまるで解らんのだが。

 

「はい結衣さん、床はきっちり掃除してお兄ちゃんのコートを敷いたんでいつでもどーぞです!」

「あれ? なんで俺のコート勝手に床に敷いてんの? え? 膝枕ってここですんの? え?」

「ヒ、ヒッキー……ほら」

「え……あ、……」

 

 由比ヶ浜が真っ赤になった顔を俯かせながら俺を引っ張って、ちょこんと座って……ぽん、と膝を叩く。

 え? ……マジで?

 どうすんのこれ、と雪ノ下を見れば、溜め息とともに早くなさいとばかりの視線が俺を射抜いていた。

 えー……いや、まあ……ほんとにこれで眠れるならいいけど。

 

「はぁ……解った。すまん由比ヶ浜、頼む」

「あ、うん。いいよ、ヒッキー辛そうだもん」

「……ほんと、すまん。気持ち悪かったらすぐにどかしてくれ」

「き、気持ち悪くなんかないってば……もう」

 

 不眠による気持ち悪さとだるさを引きずりつつ、床に膝をつき、横になる過程で由比ヶ浜の膝に頭を乗せる。

 即座に“キモッ!”とか言われて捨てられるかと思いきや、膝に置いた俺の頭を、やさしく撫でてきた。

 軽く見上げれば真っ赤な顔。怒って……るんじゃないんだな。どっちかっていうと戸惑ってる感じだ。

 俺と目が合うと「えへへぇ」と恥ずかしそうに笑い、さらりさらりとさらに頭をなでる。

 

「───」

 

 なんか、落ち着く。気安いっつーか。

 ……そういや、たとえば膝枕する相手が雪ノ下なら、どんな罵倒が飛んでくるかとか後が怖いとか考えて、緊張しっぱなしだっただろう。

 小町相手じゃ二人の視線が気になるし、そこまでシスコンなのかってこいつらに思われすぎるのは……なんだか嫌だとか気になって、それもダメだったに違いない。

 じゃあ由比ヶ浜は?

 

「………《……うつら》」

 

 ……なんだろな。でも、安心出来る。

 良い匂いだとか柔らかいだとか、それよりも先に……安心できた。

 なんでだろうな。俺なんかの頭を乗せてるってのに、由比ヶ浜はまるで嫌がってない。受け入れられてるって感じが……ひどく落ち着く。

 

「…………《うつら───かくり》」

 

 ああ、心地良い。

 人の傍で寝るのって……こんなに警戒しなくていいものだったっけ───…………

 

 

 

 

 -_-/由比ヶ浜結衣

 

 ……。あれ?

 

「ヒッキー? ……あれ? ヒッキー?」

「え? あ、ありゃー……お兄ちゃん寝ちゃってますね……」

「どれほど単純なのかしら……まさか本当に膝枕で眠ってしまうだなんて」

「いえいえぇ、きっと相手が結衣さんだったから安心したんですって。ほら、お兄ちゃんって基本、他人のこと警戒してますし」

「え、えぇっ!? あ、あたしだからって…………うぅ、そうなのかな……」

 

 顔に熱が溜まるのを感じる。そうなのかな。だったら嬉しいかも。

 

「………」

 

 ……わー……ヒッキーの寝顔だ。

 …………かわいい。

 すごく無防備で、警戒してる様子なんて全然ない。

 さらりと髪を撫でると、むにゃむにゃいって……やっぱりかわいい。

 あっとと、二人が見てるんだった。ね、眠れたんならもういいんだよね? ちょっと残念だけど、頭をそっと下ろして……

 

「んぅ?《ぱちり》」

 

 あ、起きた。

 少しぱちくりとまばたきをして、疲れ果ててるのに起きなきゃいけなかったパパみたいな死んだ目で、部室を見渡した。

 

「……あー……悪い、やっぱ気持ち悪かったか……」

「───《ずきり》」

 

 起きて早々にその言葉は胸に刺さった。

 そうだった、気持ち悪かったらどかしてくれって言われてたのに、視線が気になったからってすぐに逃げようとしちゃったんだ。

 他の誰に思われるのはいいけど、ヒッキーにそう思われるのは悲しかったから───あたしは。

 

「すぐ退くから《がしっ》おぉぁっ!?」

「ちょ、ちょっと足の位置変えただけだからっ! 気にしないで、えとー……ね、寝てていいよ?」

「…………」

「………」

「……すまん」

 

 ヒッキーはそう言って、また目を閉じた。いつもならあーだこーだ言って、するりって逃げるのに。

 よっぽど眠たかったのかな。

 やがて少しもしないうちにすぅすぅと聞こえる寝息。

 ほっと息を吐くと、ハッとして視線を持ち上げる。

 そこには、にやにやした小町ちゃんと、やれやれって顔のゆきのん。

 う……でも、気持ち悪くなんかないんだから、逃げたりはしない。

 

「おやおやぁ~、結衣さんってばまるで、我が子を守る親猫のよう……!」

「小町さん、こういう時はあまりからかうものではないわよ。そして猫に喩えたからには手出しはさせないわ」

「あ、だいじょーぶですってっ、小町もそういうところはちゃあんと弁えてますからっ。兄のお嫁さん候補の邪魔をするほど、小町は自分の興味に正直ではありませんし」

「……ほんとうに、なぜこの子はこう一言が多いのかしら……」

「まーまーまー! それより邪魔しちゃなんですし、完全下校時刻までは少し時間を潰してきましょ!」

「そうね。……由比ヶ浜さん、そこのゾンビが急に起き出して襲い掛かってきたなら、すぐに私の携帯に連絡を入れて頂戴。すぐに駆けつけるわ」

「え? あ、え? ゆきのんっ!? 小町ちゃんっ!?」

「あ、だいじょーぶですよぅ! ここには人が来ないように、ちゃあんと見張ってますからー♪」

「そ、そういう問題じゃなくて───あ、……あー……」

 

 ぴしゃりと戸が閉められて、しんとした空気が奉仕部に広がった。

 ……うわー、静かだ。あ、平塚先生じゃなくて。

 

「………」

「……すぅ……すぅ……」

「…………えへへぇ」

 

 見下ろす先に、ヒッキー。無防備な寝顔がそこにあって、それがあたしに頭を預けた結果だ、っていうのがなんだか嬉しかった。

 眠れないって言ってたのにあっさりだ。

 もしかして全部小町ちゃんの差し金だったんじゃないかなーとか思っちゃうくらい。

 でもヒッキーはほんと辛そうだったし、あたしに頼むって言ってきてまでだったから、きっとそういうのとは違うんだよね。うん。

 

「………」

 

 思えばこんな近くでヒッキーの顔見ること、なかったな。

 目を腐らせて人の動きを観察して、さいちゃん相手じゃないとなかなか綻ばない表情。

 それが、あたしの膝の上で緊張もせずに…………わ、わー、わぁあ……! なんだろ、すごいどきどきする。嬉しい。

 なんかどれ試してもだめだったのに、あたしの膝だったら眠れたってのが、あたしが選ばれた~みたいな感じですっごい嬉しい。

 

「……わ、肌キレイ……」

 

 さわり、と触れると、なめらか。

 パパみたいにざらりってしてない。同年代の男の子ってこんなのなのかな。

 触りたいとか思わないから、ちょっと解らない。

 ヒッキーだけだ。うん、ヒッキーだけ。あたしはそれでいいし、それがいい。

 そりゃ、ヒッキーはキモいしアレだしだけど、言いたいことをきっちり言ってくれるし、こっちもそんな気を使わなくて済むし。一緒に居て楽ってのかな。なんかね、嬉しいんだ、やっぱり。

 

「………」

「…………」

 

 寝息と、あたしの吐息だけが支配する空気。

 心地良い。

 なんか……好きだなぁ、これ。

 気持ち悪さも妙な心配もなくて、気を使わなくて、なのにあったかい。

 

「………」

 

 頭を撫でる。

 飽きもせず、何度も、何度も心を込めて。

 

「………」

 

 あなたが好きです。

 もっと近くに居たいです。

 元気に挨拶したら、だるそうにしながらもきちんと返してくれるあなたが好きです。

 小町ちゃんにやさしいあなたも、不器用なやさしさを持つあなたも、たまに見せてくれる遠回しなやさしさも、全部全部、大好きです。

 でも……自分から傷つくあなたは嫌いです。

 もっと頼ってほしいです。

 あなたの力になりたいです。

 

「…………えへへ」

 

 声は出さずに、口だけ動かして思いを伝えた。撫でる手はやさしいまま。

 時々くすぐったそうに動くのがおかしくて、少し笑う。

 ああ、なんか……なんだか、えと、なんてーのかな、えへへ。

 胸のあたりがじぃんってなって…………幸せなのかな。幸せなんだねきっと。

 好きな人が無防備に自分を預けきってくれているっていうのが、心にじーんってくる。

 

「……あ」

 

 意識せず、視線がヒッキーの唇に向かった。

 途端、胸がとくんと跳ねる。

 え、や、やー……それはさすがにまずいよ。寝てる人のとか、いくら相手が好きでもさ、ほら……まだ気持ち伝えてないし聞いてないし。

 

「…………《こくっ》───ぁぅ」

 

 知らず、喉が鳴った。

 これは誤魔化せない。妙に緊張しちゃって、でも緊張しちゃうってことは“しよう”って考えてるってことで。

 で、でもヒッキーの好きな人がゆきのんだったら? いろはちゃんだったら?

 

「…………」

 

 あ……だめだ、これ。

 そんなこと考えたら、余計だ。

 好きな人にファーストキス。夢見がちかもしれないけど、ずっと憧れてた。

 でもヒッキーの好きな人があたしじゃなかったら、それはぜったいに叶わない。

 じゃあ? ……じゃあ。

 

「…………《ふるるっ》」

 

 体が震える。

 たぶん、それをするのは卑怯で。

 でも、あたしは───

 

「……全部が欲しいって……やっぱりわがままだよね」

 

 それでも、あたしは体を曲げて、好きな人の傍へと顔を近づけた。

 ……近づけたんだけど、座り方が悪かった所為でちょっと届かない。

 うぅ……なんかかっこわるい。顔に熱が集まるのを自覚しながら、ヒッキーの頭をちょっと持ち上げて、その口に自分の口を重ねた。

 途端、胸に訪れる幸福感。

 一回だけじゃ切なくて、二回、三回ってキスをして、口を離す。

 どきどきがすごい。

 

  やっちゃった───

 

 そんな気持ちも沸いてくるけど、それよりも幸福感がすごかった。

 好きな人とするのって、こんなにすごいんだ、って。

 でも、それを相手からしてもらえないことに、幸福と同等くらいの寂しさを覚えた。

 

「……ヒッキー……あたしね、ヒッキーが好き……大好き……」

 

 届かない言葉を贈る。沸いてくる寂しさを抑えきれず、また身体を曲げてキスをする。

 密着させる部分を増やして、それでも切なさが消えてくれなくて、そ、それじゃあ……と、ヒッキーの顎に触れて口を開かせて、舌を差し込んで。

 ひどいことしてるな、って思いながら……せめて、そこにある幸福を感じた。

 

……。

 

 そして、完全下校時刻。

 

「…………《こーーーん……》」

 

 膝枕を終了してから、頭を抱えて蹲るあたしが居た。

 安心してくれたから寝てくれたんだろうに、あたしはなんてことを……って。

 ヒッキーはあたしの……っていうか女の子の膝で熟睡したってことが恥ずかしかったのか、あたしと目を合わせようとしない。

 ゆきのんと小町ちゃんが戻ってきて、部室の鍵も閉めて……それで解散。

 どこかに寄る気分にもなれなくて、あたしはとぼとぼとバス停までを歩いた。

 その日は後悔ばかりを抱きながら、それでも唇に触れるとどきどきして、ずるいって思いながらも微笑んだ。

 家に帰って部屋に篭って、どきどきしながらなにもしない時間を過ごして、夜になってお風呂に入って……部屋に戻って、髪を乾かして……それで……それで。

 

「ん、あれ?」

 

 髪を乾かしている最中、気づいたのは自分のガラケーがペカペカ光ってること。

 メール……誰だろ。優美子かな、ってメールBOXを開いてみると、ヒッキーだった。

 タイトルは“責任は取る”で、内容が───

 

「……ハニトー、食べにいこう……?」

 

 え、と。どういうことだろう。

 責任ってなに? え? なんてボーっとしてたら、またメール。今度は小町ちゃん。

 内容は“いや~結衣さんよくぞやってくれました! 結衣さんならやってくれると小町は信じてましたとも! そんなわけで兄をよろしくお願いしますね、お義姉ちゃん♪”……って…………え?

 

「お、おねえっ……!? え? え!? なにこれどーゆーこと!?」

 

 事態が飲み込めなくて怖くなってきた。小町ちゃんに電話をかけても出てくれない。

 代わりにメールが届いて、“お気づきかもしれませんが、膝枕状態の兄、結衣さんの膝から少しでも離すと目覚めましたよね? 家で【由比ヶ浜にキスされて告白された】って真っ赤な顔で相談された時は、もう小町どうしましょうかと”

 

「うひゃあああああああああああああああっ!!!!」

 

 そうだった……そうだった!!

 ヒッキー、少しでも膝から動かしたら目ぇ覚ましてたよ!

 え? じゃあ、え!? あの時、ふぁ、ふぁーすときすのとき、え!? ヒッキー起きてたの!?

 じゃあ舌───ディープの時も……っ!?

 

「ひっ、ひやっ! やぁああああああああああっ!!!」

 

 悶絶。恥ずかしいなんてものじゃなかった。

 でも、逆に嬉しかったりもしたんだ。

 一度きりのファーストキスを相手が知らないなんて……って、しちゃってから思ったから。

 

「結衣ー? どうしたのー。夜にうるさくしちゃだめでしょー?」

 

 そしてノックもせずにママが来た。

 ……あ、終わった。

 その時あたしには、自分がママにあらいざらい話させられる未来が、きっちりと見えてしまった。

 

 

 

 

 -_-/比企谷八幡

 

 世の中って解らん。うん、解らん。

 

「や、やっはろー」

「ウェッ!?」

 

 由比ヶ浜の膝枕で眠り、目がパチっと覚めたら由比ヶ浜にキスされたという、なんとも恥ずかしい日を体験した翌日。

 休日ということもあって、小町に“たまにはピクニックいきたーい!”とねだられ、仕方ねーなと用意したら……家を出た一歩前に由比ヶ浜。

 瞬時にこれは罠だと気づいた頃には後ろから小町に蹴り出され、家の扉はがちゃんとロックされてしまった。

 

「あ、う、あ、え、と……その…………わ、わるかったな、その。寝た振りなんかして……」

「あ、ううんっ!? そりゃ、その……いきなりさ、あんなことされたら……その……」

「…………《かぁあ……!》」

「…………《かぁああ……!!》」

 

 二人して家の前で赤面して沈黙。やだなにこれ恥ずかしい。

 

「きょっ……今日は、……どうした?」

「あ、うん……ママがね、もうバレてるなら……えと……~~~……」

「あ、あー…………まあ、なに。俺も似たようなもんで……」

「ヒ、ヒッキー……責任、取るって……」

「……おう。ああまで真っ直ぐに言われちゃな……さすがに考えるだろ。で、だな。その。一応、一晩考えた。小町にも相談したが、その前も散々。で……だな……あー……」

「う、うん」

「正直、戸惑ってる部分が多い。俺もたぶん、好きなんだと思う。ただなんつーのか、こう……もっと大事にしたいっつーか……好きって結論つけちまうよりも、もっと悩んでる時期を味わいたいっつーか……いや待て、キモいのは解る。小町に言ったら真正面からキモいって言われたから」

「……えと。結局……だめなのかな」

「いや待て、“好きなんだと思う”は確かに持ち上げて落とす典型だがちょっと待て! だ、だからだな、大事にしたいんだよ、由比ヶ浜結衣って女の子を。好きかと言われりゃそりゃ好きだし、あれからお前のことが頭から離れねぇし、夢にまで出てきたりして、それこそ寝ても覚めてもってやつで…………だから、つまり、その、だな…………でデでででデートして、その、なに? じじ自分の気持ちを、確かめたかった……っ……つーか……」

「………」

「……~~《かぁああ……!》」

「……ぷふっ! あははははっ! な、なんかヒッキー……ぷはははは! なにそれっ……ヒ、ヒッキーのほうが女の子みたいっ……あはははは!」

「ぐっ……う、うるせー……! どうせ小町にも同じように笑われたよ……!」

 

 つか、それでもまさか本人にまで笑われるとは思ってもみなかった。

 まあ、恥ずいわな、これ。言った本人だって相当恥ずかしいわ。

 

 

 

 

 

-_-/ゆいゆい

 

 ───笑う自分とは対照的に、むすっとして怒る姿が愛しく感じる。

 よかった。期待していいんだ。

 好きって気持ち、まだ持ってていいんだ。

 じゃあ……もう振られちゃうことに怯えなくていいよね?

 そう思った時、昨日小町ちゃんが最初に送ってきたメールを思い出した。

 

  “みなさんにはいっつも一歩の押しが足りません! そんなんじゃ兄を取られちゃいますよ!?”

 

 どきっとした。だって、大事な初恋だ。初恋は実らないなんていうけど、それは違うって思いたい。

 だから出した勇気が、あたしを彼の前に立たせてくれた結果に繋がっている。

 確かにいっつも一歩が足りなかった。

 解ってくれるって思って、一歩を踏み出さなかった。

 でも、もし踏み出すことでそれが叶うなら……

 

「……あー、あと小町からの伝言だ。えと、なんつったか。由比ヶ浜だけに送ったわけじゃねぇから、チャンスは平等ですよ、とかなんとか」

「───!!」

 

 ……平等。だったら、誰が一番かだ。

 恋の行方はわからない。

 ドラマとかでだって物語でだって、幸せから一気に落ちることだってあるんだ。

 だから……頑張らなきゃだ。

 

「ヒ、ヒッキー!」

「ぅおっ……お、おう……どした?」

「あ、あたしね!? あたしっ……あたしはっ……由比ヶ浜結衣はっ……!」

 

 スタートからちょっとずるしちゃったけど、それでも後悔はしたくない。

 自分に出来る精一杯と、もう一歩を忘れないようにして……きっと、必ず。

 だから告白をした。好きな人の家の前で、好きな人に、勘違いだと言われないために。

 そしたらヒッキーは顔を真っ赤に、ほんとうに真っ赤にして、でも彷徨いそうになる目を頑張ってあたしに向けて、一言だけ言ったんだ。

 

  それが聞けたら、あたしはもう笑顔で泣くしかなかった。



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幾度も結ぶ僕らの恋①

 時々、全てを諦めたくなる。

 自分は何をやっても認められないから、やるだけ無駄なのだと……いい加減自分で自分を認めてやりたくなる。

 小学中学と散々味わってきたのだから、もういい加減諦めてもいいだろうに……それでも高校ではと気力を振り絞ってみれば、高校生活どころか入学する前にぶち壊しだ。

 

「あの葉っぱが散る頃、俺のライフはもう0よ、と」

 

 ベッドから窓の外を眺めて、くだらないことをぽしょりと呟く。

 それを丁度やってきた小町に聞かれ、ちょっぴり死にたくなった。

 

「おー、どしたー、小町ー」

「うん、ちょっとお兄ちゃんに会わせたい人が居てさ。さ。ほら。はやく」

「え、あ、う、あ、あの、あのっ」

 

 病室の入り口付近でもたもたと蠢いている妹、小町の傍には一人の女が居た。

 肩に届くくらいの黒髪を片側でお下げにした……なんつーの? サイドテール、だっけ? ツインテール同様、髪型の中にそんな呼び方はねぇとか言われそうだが、ともかくそんな髪型の……見知らぬ女。誰? 誰なの小町ちゃん、知らない人についていくどころか、知らない人を連れてきちゃだめでしょ。

 

「菓子折り渡してハイさよならとか、神様が許せばそりゃあ小町も許します。けど納得はしませんのでちゃんと謝る。これ、人間の知恵」

「なにお前、いつからミスターポポになったの」

「お兄ちゃんうるさい。とにかくほらっ、入ってくださいったら!」

「ひゃああっ……!」

 

 ぐいっと押され、とうとう中に入ってきた謎の女。マア綺麗。綺麗っつーか……可愛い? 童顔タイプだ。

 

「え、と……どちらさまでしたっけ?」

 

 ともかく相手のことを知らんことには、どう対応していいのかも解らん。

 なので小町を軽く睨もうとしたら、ピシャーンと引き戸を閉めて逃走しやがった。

 ちらりと、引き戸から女に視線を移せば、びくりと跳ねる肩。

 ……ああ、いつものアレか。すんませんね、目ぇ死んでて。

 

「えと、えっと。あの……」

「え、あ、はい……?」

「あ、あたし……由比ヶ浜、結衣って……いいます」

「あ、はあ……ひ、比企谷八幡、ですけど……」

「………」

「………」

 

 え? なに? なんなのこの沈黙。

 自己紹介してみたら人違いでしたとかそんなオチ? いやいや病室のネームプレートにちゃ~んと名前、あったよね? 間違えて入ってくるわけないよね?

 なんなのほんと。本人、目ぇすげぇうろちょろさせて落ち着きないし。

 今“とうきのお面”がいいとこなんだが? いいじゃないこれ。ガラスの仮面に勝らず劣る演出のB級っぽいところ、好きよ?

 

「ササ、サブレを助けてくれてっ、ありがとうございましたっ!」

「………」

「~~~……!」

「?」

 

 サブレ? はて。俺はいつ何処でどこぞの銘菓を救ったんだろうか。

 生憎と鳩を救った覚えはない。俺の名前が八幡だからって、“八幡の神”にちなんで八幡宮の鳩を使役してるとかそんな話でもあるまい。そんなことはピジョン様にでも感謝してください。俺は知らん。

 じゃあサブレって? 俺が助けた? 助けた……ああ!

 

「あ、そ、そっか、犬の飼い主の……」

「は、はいっ、あの時はごめんなさいっ、あ、あたしがリード離しちゃったからっ……」

「あぁああいやいやいやっ、ちょ、待ってくれ頭あげてくりゃっ、くらさいっ、~~くだっ、さいっ!」

 

 つっかえながらなんとか言う。だってそうだろ、いきなり可愛い娘が入ってきてどもりながら頭下げてきて、俺にどうしろっての。

 こちとらワクワクさせていた胸を初日から粉砕された気分で、いきなり謝罪されても正直戸惑う。

 

「許すも許さないも、あ、あー……えっと、俺が、俺が勝手に突っ込んだだけですし、こうして個室を用意してもらったし、…………どうせ、浮かれた気持ちで行ったって」

 

 ……きっと、今までのように“なに張り切ってんだあいつ、キメェ”とか言われて……。

 

「……? あ、の……?」

「あ、いや……」

 

 そうか。そうだよな。よかったじゃないか。どうせあのまま入学してても、期待していた分だけ周りに引かれただけかもしれない。

 それならいっそこのまま理由をつけて、仲間になんて入れてもらえない空気のまま、俺こそが空気になってしまったほうが……いいのかもしれない。

 

「…………ごめんなさい」

「いや、いいって」

「総武高校、だったんですよね。あの、あたしも同じで」

「……いいから」

「あのっ、」

「いいって言───っ……! …………~~……いいって、言ってるだろ……」

「………」

 

 いやな空気。重い空気が流れる。

 言ってしまえば彼女、由比ヶ浜っていったっけ。彼女はなんにも悪くない。

 リードを手放したのが悪い? 違う。んなもん、離してしまっても飼い主から逃げるように駆け、道路に出てしまった犬が悪い。

 もひとつ言えば、それを助けようとして勝手に怪我したくせに、女の子に当たってる俺も悪い。

 

「はぁ……、……ん。ええっと由比ヶ浜さんっていったっけ」

「あ、うん……」

「俺のことは、ほんと気にしないでくれ。顔見た瞬間解ったろ? この目があって、対人が苦手ってだけでもうキモがられて、そもそも友達作るとかそれ以前の問題だったんだ。そりゃさ、小学中学と散々だったから高校では~って期待したよ? けどさ、考えてもみればさ、新しい環境に胸をわくわくさせてるくせに、こんな目が腐ったやつとなんか誰が友達になるんだってな」

「………」

「だから、さ。由比ヶ浜さん。こんなのはもう慣れてるんだ。同じ高校で悪い。後味悪いよな。だからハッキリ言うから、もう気負う必要なんてないよ。謝罪は受け取った。だから……これ以上は同情なら迷惑だ。きみはきみの友達を作って、学校で楽しくやってくれ」

 

 突き放す。全然慣れないけど、きっとここで一ヶ月過ごして、学校で一年間ぼっちを貫けば、きっと慣れるから。

 新しい場所に期待してしまった自分も、きっと飲み込める。それでいい。解ってたことだから。

 俺なんかが望んじゃいけなかったんだ。高校生になればなにかが変わる、なんて。

 世界はいつだって俺にばっかりやさしくなく出来ている。

 ヒキガエルとか引き篭もり谷とか言われて、苗字を嫌ったいつか。

 変な名前だの、馬鹿なガキから名前がエロいとか言われて名前を嫌ったいつか。

 我慢した先にはきっとなにかが待っているって……そんな希望を持たなきゃ我慢出来なかったいつか。

 そんな希望がいつしか自分の中で当たり前になっていて、今ようやく……そんな魔法が解けてしまった。

 あとはどうすればいいんだろう。

 落ちていけばいいんだろうか。

 世界に呆れて自分を諦めて。

 ああ、そっか、希望なんて必要なかった。

 自分なんて諦めてしまえばいい。

 だって俺が望んだものなんて絶対に手に入らないように世界は出来ている。

 そうだ、それはいつだって手に入らない。

 俺はただ、俺の言葉を受け止めてくれて、くだらない話だろうと笑ってくれる誰かが……そんな、誰かが、たった一人でもいいから欲しかっただけなのに。

 

「……《どよ……》」

 

 世界は腐っている。

 

「……《どよ、どよどよ……》」

 

 だから、俺が今さらなにかを頑張る理由なんて……ないのだ。

 だったらもういいって諦めて……自分なんてものは、その時多少だろうと大切に思えるなにかのために、磨り潰していこう。

 どうせ俺がどうなったって気にかけるやつなんて居ない。

 居ないなら、もう……せめてそれだけでも自由でいたい。

 口調も変えて、人を遠ざけて、ずっとそうやって独りで居よう。

 期待はするな。期待していいのは選ばれた人間だけだ。

 俺を理解しようなんて、少しでも思ってくれるヤツなんて居るわけがない。

 居たとして、どうせあとで軽く捨てられるのだ。信じ始めた時に、その信頼ごと。

 だったらいっそ、利用するつもりの関係のほうが───

 

「ひ、比企谷くんっ!」

「《ハッ》…………、……なんだ?」

「えっと、えっと、さ《ちら……そわそわ》」

「───……」

 

 さっきから。

 そう、入ってきた時から気になっていることがあった。

 言ったら傷つけるだけなんじゃ、って遠慮していたけど、もうその必要もない。

 独りで居ればいい。

 そのために、周囲なんて突き放してしまえ。

 今はまだ強く出られない。

 でも、そんな自分をこの一年で完成させよう。

 ……二度と、かけがえのないもの、なんて求めようとする気持ちが起きないように。

 二年になって、同じクラスの人間がどれだけ入れ替わっても、期待なんかしてしまわないよう、この一年で。

 だから今は笑う。突き放して、心が痛むけど、笑う。

 

「あのな。そのちらちら人の顔窺うの、やめろ。不愉快だ」

「え───?」

「確かにな、お前の犬を庇った所為で怪我をした。けどそんなもんは俺の自業自得だし、俺の中でとっくに決着ついてんだよ。“お前が悪い”って言われりゃ満足だったのか? ふざけんな、自業自得を他人の所為にするなんて、“みんな”がやるようなことを誰がするか」

「あ、う、うん……だ、だよね……あはは」

「───なんだそれ」

「え? あ、え? えっと……?」

「お前、今自分の考えがあるのに俺に合わせて笑っただろ」

「え、や、ち、違うよ? あたしはほんとに───」

「……ふざけんな。お前まさか、親とか周囲に言われたから謝罪に来たんじゃねぇだろうな……。だったらそんな謝罪、誰が受け取るか」

「あ、う……ち、ちが……」

「ずっとそうやって周囲に合わせてヘラヘラしていって、お前それで本当に楽しいのか? お前の周りに居るやつはほんとに友達なのか? ……それで、そんなもんで満足なら、俺だったら喜んでぼっち選ぶわ。そんなの友達でもなんでもねぇ。ただ歩くだけで適当に頷いてくれるだけの鳩みてぇなもんじゃねぇか」

 

 ……いや、さっきまで鳩とか思ってたから出てきたわけじゃなくて。

 ~~……それにしても、辛い。人に悪口みたいなの言うの、辛いな……。なんで平気でこんなこと出来るんだ、“みんな”ってやつは……。

 思わずすぐに謝りそうになる口をぎゅうって噛み締めて、由比ヶ浜さんが怒って出ていくのを待つ。

 これだけ言われれば人は怒る。俺みたいなヤツに言われれば余計だろう。

 ……なんて思ってたのに。

 

「…………かっこいい」

 

 どうして、そんな言葉がぽしょりと出るのか。

 え? あの……え? ちょ、ちょっと由比ヶ浜さん? え? なにそれ。

 

「建前とか、相手に遠慮とか、そういうの……言わないししないんだね……。羨ましいな……」

「……いや、羨ましいってお前……」

「あ、あたしさ、周りから馬鹿の子、とか言われててさ……。なにやってもどんくさいし、勉強も出来ないし、話題とかも上手く振れなくてさ。えと……気づいたら周りにくすくす笑われててさ」

「………」

 

 経験はある。自分は精一杯やっていても、出来るヤツと比較されるだけで、それはただの“蠢き”でしかなくなる。

 そいつの頑張りは評価される。なのに、自分の頑張りには溜め息を吐かれる。

 通知表にもっと頑張りましょうと書かれた時、あんたが俺の、俺だけの何を見てくれていたんだって歯を食い縛ったことがあった。

 ……人間ってのは人の嫌なところしか見てくれない。そのくせ、リア充たちは自然に目を引き、注目されるから評価が高い。

 そこから視線を移した時、人はそいつの無様な姿ばかりを見てしまう。

 だから……世の中は平等ではなく、腐っている。

 

「悔しくて、見返してやる~って頑張って総武高校受験して……合格して。やれば出来るじゃん、って……嬉しくって……でも」

 

 自然と苦笑する彼女の頬から、ぽろりと涙がこぼれた。

 ぎょっとするが、これでいいとも思った。これで、彼女はきっともう二度と、ここには───

 

「なんでだろうね……。高校生になったらきっと変わるとか思ってたのに……やってること、なんにも変わらない……。人の言葉に合わせてばっかりで、なに言われても“そうかもね”、とか頷いてもいない言葉ばっかりしか出せなくて……」

「っ……」

 

 喉が、ぐぅっ、と詰まる。気持ちが解るからだ。

 自分だってなんとかしたかった。が、実際に入学して、新しい机と椅子に座った彼女でさえ、なにも変われなかったと言う。

 だったら俺は? そう考えて、やっぱり無理な話だったんだと苦笑が漏れた。

 悔しい、見返してやる、自分だって出来るんだ。

 そんな気持ちを胸に頑張ったのに。

 やっと、やれば出来るじゃないかって、合格を喜べたのに。

 こんな現実はあんまりじゃないか。

 頑張ったら頑張った分だけ遠ざかるなんて酷い話だ。

 そんな現実なんて見たくない。

 だったら……

 

「……《ご、くん……》」

 

 だったら。

 まだ、人に酷いことを言うことが辛いと……そう思える自分で居られている内に。

 もう一度だけでも、手を伸ばしてみないか?

 目の前で泣いている人を、自分と同じように希望を願った人を突き放してまで……そんな人間になりたくて、俺は総武を目指したわけじゃない。

 欲しいものがあった筈だ。

 むしろいっそ、ここで手を伸ばして拒絶されれば、完全に諦めもつくじゃないか。

 

「………」

 

 傷つけられるのは慣れている。これからはもっと慣れていくだろう。

 きっと涙さえ流すことなく、どれだけ傷ついても……ニヒルに笑える自分になれる。

 そうやって精一杯格好つけて、リア充みたいな笑顔なんて忘れていけばいい。

 

  ……でも。その前に。

 

 もしも。

 もしも、そんな、ずっと胸に抱いていた希望が叶うなら。

 お互いが、なんて意識を持って、誰かを信頼して歩くことが出来るなら。

 

「……あ、え、えっと。由比ヶ浜、さん」

「ひっ……っく……あ……ご、ごめんね、急に……」

「───ひどいこと言った矢先にごめん。その……俺と、友達になってください」

「───…………」

「…………」

 

 どうせ拒絶される。

 そんな思いはあった。でも、それ以上に怖かった。

 慣れたつもりでも、だってそれは希望だから。自分から願ったことを拒絶されることは辛いことだ。

 

「~~……な、なんで……? なんで今、そんなこと……。比企谷くんが言ったんだよ……? 同情だったら、いらないって……。あ、あたしだってそんなの───……~~……」

 

 いや、きっと違う。俺だって本当は解ってる。

 引っかかっていることがあって、たぶんそれは……俺も彼女も一緒だ。

 

「……同情でもいい」

「え───?」

「きっかけが同情でも、友達になって、知っていけたらって……昔は思ってた」

「………」

「頑張れば“必死になって馬鹿みたい”って言われて、怠ければ“お前が頑張らねぇから”って言われて」

「う、ん……」

「それでも……そんな自分に同情してくれるヤツが居れば嬉しかった」

「……うん」

「利用するってかたちでもいいんだ……ただ話相手になってくれるだけでも嬉しい、と思う。だから……もう、これで最後でいいから、偽物でもいいから、友達になってくれないか」

 

 それはたぶん。友達ってものに絶望したくなかったから。

 嘘でもいいから、きっかけはそれでもいいから、人との関係を諦めたくなかった。

 嘘がいつか本当になってくれるなら、自分はまだ頑張れると。そんな希望を捨てずに済むと。

 だから、それが最後でいい。それを最後にして、一年で自分を完成させよう。二年からは誰も信じなくなればいい。

 そうしてずうっと、独りで居よう。

 だから、と。ベッドで動けないまま伸ばした手は、無言のままてくてくと歩いてきた彼女の手と───……

 

「……ぐすっ……。比企谷くん、えっとさ」

「……? えっと、なに?」

「あたし、偽物じゃ……やだ、かな」

「……、……それは」

「あ、ちがっ、違うよっ!? えっと、あのっ…………あの、さ。あたし、ほら、こんなだから……周りに合わせるくらいしか出来なくて、友達って言える人、たぶん居なくて」

「………ん」

「だから、さ。友達~ってやつにさ、すっごい夢みたいなの、持ってると思うの」

「……あ、うん。それ解るかも。俺も友達っていったら……ほら、裏切られるまで裏切らない、みたいな……なんでも言い合える関係みたいな」

「そ、そう、それなんだっ、あたしもそんな人が欲しくてっ……! だ、だから、さ」

「う、うん」

「だから……あたしね、が、頑張りたいな~って……。こんな自分、もう嫌だから。比企谷くんみたいにハッキリ言える人になりたいな、って」

「……俺も。もっと人と話せるようになりたい。声が聞こえて、言葉を返したら空気が凍って、“お前に言ったんじゃない”って目で見られるの……もう嫌なんだ」

「あー……あれ、辛いよね……」

「だ、だよな……だったら言う前に、誰に言ったのか解るように名前とか言ってほしいよな……」

「そ、そう! あたしもそう思った!」

「あ、う、うん」

「うん……」

「………」

「………」

 

 手は、いつの間にか繋がっていた。

 お互いが恥ずかしくて俯いて、でも……顔は、どうしようもなく緩みっぱなしだった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 その日から毎日、由比ヶ浜さんは病室に来るようになった。

 

「比企谷くん、えっと、そーげん?」

「!? ……、…………あ、ああそっか。どこの大自然なんだって思っちゃったよ……壮健だよ、それ言うなら」

「そーけん……比企谷くん、頭いいんだね」

「いや、いいのかな……よく解らない。ラノベとか読んでると、そういう言葉って地味に出てくるから」

「そうなんだ」

 

 初日よりは……まあスムーズに話せているほうだ。

 だけどやっぱりまだ友達初心者。会話がなくなることがよくあって、それでも二人でうんうんと悩みながら話題を探す。

 

「話題って難しいね。詰まっちゃうと微妙な空気になっちゃうし」

「そうなんだよな……“みんな”の中心に居る人って、なんであんなにぽんぽん話題が出てくるんだろうなって思うよ」

「あ、うんそれ。あたしも不思議だった」

 

 関係は……一応友達。

 俺と話をする由比ヶ浜さんからは、初日のようなおどおど感はあまりない。

 むしろ頑張って友達になろうとしてくれて、なんだかくすぐったい。

 

「あ……そうだ比企谷くん、聞いてほしいことがあるんだ」

「ん? なに?」

「えっとさ、今日……相模って女の子にね? グループに入らないかって言われて」

「グループ……へえ! すごいじゃん! あ、でも……なんかあった? あんまり嬉しそうな顔じゃないね」

「うん……まだ言いたいことハッキリ言えないし、それにさ、相模さんのグループのことは前から知ってたんだけど、人の悪口ばっかり言ってて……やだなって。もしそこに入ったらあたしもそうなっちゃうような気がしてさ。……条件反射みたいに人の悪口とか言うようになっちゃうの、怖いし……」

「……そうだな。俺もそれは嫌だな」

「あ……《ぱあっ……》うんっ、比企谷くんならそう言ってくれるって思ってた……」

「え、そうか?」

「うん……他の人はさ、とりあえず入っておけばいいじゃんって言うんだ……。それで、適当に合わせておけばいいよって」

「それは……だめだな」

「うん。だよね」

 

 それを治したくて頑張っているんだから、それはダメだ。

 それを受け入れたら自分の努力を否定することにしかならない。

 けど……それをしてしまうと、クラスから孤立する可能性だってあるのだろう。

 人の関係ってのは、本当にやさしくない。

 由比ヶ浜さんもそれを知ってか、寂しげな顔をする。

 

「……もっと……傷つけてばっかりじゃなくて、仲良く出来たらいいのにね……」

「……難しいよな、人間って。もっと話し合えて、解り合えたらって……昔は頑張ったのにな」

「………」

「………」

「あ……ねぇ比企谷くん」

「え? なんだ?」

「じゃあさ、えっと、比企谷くんのこと、もっと教えてほしいな。そしてさ、いいところも嫌なところも知ってたら、もう嫌いになる理由とか、無くなると思うんだ」

「俺のことか……あ、じゃあさ、由比ヶ浜さんのことも、教えてもらって……って、なんかごめん、ナンパみたいでキモいよな、忘れて」

「あはは、そんなことないったら。大丈夫だよ、あたしはちゃんと、比企谷くんはやさしい人だって解ってるから」

「……う……由比ヶ浜さんの方がよっぽどやさしいだろ……」

「えぅ……そ、そっかな……」

「~~……ご、ごめん。へんなこと言ったな。あ、じゃあそのー……比企谷八幡、8月8日産まれです」

「そうなんだ!? じゃああたしの方が二ヶ月お姉さんだね」

「え? じゃあ6月生まれ?」

「うん。6月18日」

「そっか……ん、覚えておく」

「あたしも……えへへ」

 

 由比ヶ浜さんが見せる笑顔は、少しずつだけどやわらかいものになってきている。

 他人の様子を窺うようなものじゃなくなってきている分だけ、自分を変えていけているのだろうか。

 

「あ、ねぇ比企谷くん。あたしのことさ、結衣って呼んでもらっていいかな」

「え……ちょっとハードル高くない?」

「う、うん。あたしも結構どきどきしてるけど……友達ってそういうものかなって」

「な……馴れ馴れしくないか?」

「大丈夫……じゃないかな。ほ、ほら、本人がいいって言ってるんだし」

「そういうもんか……あ、じゃあ俺のことも八幡って呼べるか?」

「う、うん。もちろんっ。えっと………………ひゃあああ……! は、はずかし……はずかしいね、これ……! 思ったより……!」

「だろ? そうだよなっ……すごいな、友達って……こんなこと平気で出来るのか……」

「……やっぱりあたし、友達居なかったのかも。他の人と名前で呼び合う時に、こんな風にならなかったもん」

「そっか……なんか、寂しいな」

「いいよ。その代わり……あ、ううん。代わりなんかじゃないや。……うん。比企谷くんが、友達になってくれたから」

「……今のところ、“八幡が”って言ってくれたら八幡的にポイント高かったかも」

「あははっ、なにそれ」

 

 ふとした時に笑えた。

 そんな、“友達っぽさ”が互いの間に生まれてくることが、なんだかたまらなく嬉しかった。

 

……。

 

 由比ヶ浜さんは、言ったとおりあまり頭がいい方ではないらしい。

 なので勉強道具を持ってきて、俺と勉強をしている。

 俺も数学とかは大の苦手だけど……いい機会だから、覚えてみようかと思った。

 

「えっと、これでいい……のかな?」

「ん、どれ? あ、いや、ここ違うぞ? ここの読みはこうで……ここの解釈は───」

「ふんふん……うー、難しい……」

「少しずついこう。平塚先生もたまに来てくれるし、先生が居るなら質問も出来るって。あの人、俺の目を見ても引かなかった。たぶん、そういうので人を判断しない人だ。なんていうか、もっと早くに会いたかった」

「あ、そうだよね。真っ直ぐな人って感じ。……っはぁ~~っ、でも最近じゃ一番勉強してるかも、あたし。苦手だったはずなのに、今はちょっと楽しいや」

「はは、実は俺も。嫌いな“みんな”から逃げるための手段だった筈なのに」

「……もっともっと楽しいって思えれば、頭に入ってくるかな?」

「かも」

 

 関係は良好。お互い笑顔が増えてきて、時々来る平塚先生も笑いながら見守ってくれている。

 時々爆発しろとか言ってるけど、友達同士じゃ爆発しようがないです。

 ……俺達は多分、これ以上なんていけないから。

 こんな関係を壊したくない。初めてだったんだ。だから、これ以上を望むのは欲張りだ。

 

……。

 

 平塚先生が軽いテストを作ってきてくれた。

 それを由比ヶ浜さんと同時に開始して、終わったら採点。

 

「お、国語は俺の勝ち」

「えへへぇ、数学はあたしの勝ちだねっ」

「比企谷は国語が強いな。由比ヶ浜はどれが得意、ということはないが、集中すると強い。明確な目標を作ると頭が働くタイプだな」

「あ、はい。昔から一夜漬けとかは結構……そのー……」

「それは勉強とは言わん。きちんと励め、馬鹿者」

「はいっ」

「……説教してるのに笑顔で返されるとは……。お前は果報者だなぁ比企谷ぁ」

「平塚先生、前に言った通りです。そういうの、やめてくださいね」

「あながち間違ってはいないと思うのだがな。まあいい、きみの青春だ。大いにまちがい悩みたまえ。まちがわない人間なんて脆いものだ。なんでも経験ある者こそ優位に立てる。その経験を活かすか殺すかにもかかってはいるが、今のきみたちなら活かせるだろう《コサッ、パクッ》」

「あ、ちなみに先生、男から言わせてもらうと、タバコ吸う女性って嫌われますよ。病院が禁煙、とか以前に」

「よし禁煙でも始めるか《コサッ》」

 

 取り出され、銜えられたタバコは箱に戻った。

 そんなわけで今日は平塚先生が来ている。

 

「いやーそれにしてもお前は勇気があるなぁ比企谷。犬のために車の前に飛び出すとは、今時神様転生ラノベくらいでしか見ないと思ってたのに。いや、あっちはただトラックに轢かれるだけか」

「運転手のその後が不憫なあれですよね」

「ああ。それも、神の暇つぶしで轢いてしまうことになった、ってやつが一番可哀想だよなぁアレは……。もし私がとか考えると怖くて仕方がない」

「うー……」

「あ、ごめんな由比ヶ浜さん。ラノベの話とか、解らないよな。ラノベじゃなくてもSSとか……解らないか」

「う、うん……でも、ちょっと知りたいかも……とか」

「……無理、してないか? 確かにハマると夢中になれるけど、人によっては嫌悪したりするものだぞ?」

「そうかもしれないけど、なんか……なんかね、知りたいなって思ったから」

「……そ、そっか。じゃあ受け入れやすそうなところから───」

 

 頭を捻る。最初に出たのは“自分が好きでも由比ヶ浜さんには嫌われるかも”という考え。それを出して引かれてしまう自分の姿を想像して、一瞬……喉が詰まった。

 ……んだけど、ベッド横の椅子にドッカと座るこの先生様は大きな胸の下で腕を組み、ドヤ顔で言ってのけた。

 

「“涼宮ハ○ヒ”でいこう」

 

 この人すげぇ。

 

「いや平塚先生、あれ結構人選びます」

「んん、そうか? まだ相手に合わせたつもりだったんだが……じゃあ“僕○血を吸わないで”あたりから」

「《ぴくり》───え? なんですって?」

「……知らないのか……いや、その反応は───……ああ、なら多少馬鹿っぽいのでドッコ○ダーあたりは───バカ○ストでも……」

「バカ○ストはあれ、明久くん不憫すぎでしょ……明確に告白もしてない女性にヤンデレ風に嫉妬されて殴られたり関節キメられたり、あんな見てて心苦しいものを由比ヶ浜さんに奨めないでください」

「……《むー……》」

「うぐっ……由比ヶ浜さ……え、ええっと。ゆ、結衣……さん?」

「う、うん……は、はち、八幡…………くん……」

「…………《かぁああっ……!》」

「…………《かぁあああ……!》」

「なんで病院には禁煙はあっても禁恋はないんだろうな……くそっ、羨ましくなんかっ……!」

 

 いつしか名前で呼ぶようになった。友達っていうのは随分と気安いらしい。

 まあ確かに、男子が女子を呼び捨てに、なんて小学中学でもよくあったことだ。

 それでも、呼んでいた男子はリア充どもばっかだったけど……まさか俺が呼べるようになるなんて。

 

「しかし比企谷……きみの目は本当にアレだな」

「真正面からやめてくださいよ。引かないでくれたのは嬉しいですけど、目のこと言われるの、好きじゃないんですよ」

「まあそう言うな。大事なことだろう。きみたちの会話で、中学時代にいろいろあったことはまあ想像がつく。進学校とはいえ、もちろん人が居るからにはそれをつついてくる輩も少なからず居るだろう。だが、そこから目を逸らすな。楽な方へ行けばその時はそれでいいが、踏み込まれた数だけ逃げ場がなくなるぞ」

「じゃあ、教師としての平塚先生の意志ってどんな感じですか?」

「ふむ……そうだな。昔から、弱点なんてものは克服してこそだと思っている。弱点だと悟られたら、そいつがそれを弱点だと笑っているうちに強くなってしまえ。人の評価を良い方向で覆せる者であれ。なにも白鳥になれなんて言わない。努力を見せることが格好悪いなら、漫画やアニメで努力をする主人公なんて恥の極致だろう。それを鼻で笑うか憧れるかは、きみたちの心次第だ。違うかね?」

「……先生。さすがに漫画やアニメを喩えに出すのはどうかと思います」

「ぐっ……そ、そうか?」

「思いますが……救われました」

「…………素直じゃないな、きみは。まあ私も嫌いではないがね、その言葉は」

「………《こくり、こくこく》」

 

 俺と平塚先生が語り合っている中、途中途中で話題に乗れなかった由比ヶ浜さ───……ゆ、結衣、さん、が、こくこくと頷いていた。

 その時は気づけなかったけど、どうやら仲間ハズレ感は半端じゃなかったらしい。

 いつの間にか仲良くなっていた小町と相談して、俺のラノベを押し付けられ、輝く瞳で帰っていったそうな。ていうか小町ちゃん? 人の小説勝手に貸しちゃだめでしょ?

 ……い、いや、これで結衣、さん、がラノベとか好きになってくれて、共通の話題が増えたら嬉しいけどさ。

 

……。

 

 で、翌日。

 

「は、八幡、くん!」

「あ、いらっしゃい……って、どしたの、なんか慌ててるみたいで───」

「パンナコッタナタデココナッツタピオカ!《クネクネ》」

「ブフォオッ!?」

 

 結衣、さん、が、手の平を頭上で合わせて腰をクネクネ左右に動かし、懐かしいスイーツ的な言葉を並べた挨拶をした。そう、挨拶……一応挨拶なのだ。

 知らないフリをしたが、平塚先生が言ったラノベの中に、この挨拶はあった。あの人か、結衣……さん、にこんな入れ知恵をしたのは。大方これをすれば俺が確実に反応するから、とか言ったんだろう。そりゃそうだ、反応しないわけにはいかない。やられたからには返さないわけにはいかないのだ。何故なら、これは返してもらえないと死ぬほど恥ずかしい挨拶だからだ。

 

「パンナコッタナタデココナッツタピオカ!《クネクネ》」

 

 恥ずかしいけど返す。すると、結衣、さんは真っ赤な顔でホッとした顔をして、けれどやっぱり恥ずかしかったのか、てこてこと足早に近づいてくると、椅子に座ってふしゅうう……と俯いてしまった。

 

「お、おはよう。今日は休みなの?」

「ひゃ、ひゃい……あ、えと、うん……」

「あ、そっか、土曜か今日」

 

 入院生活が続くと、曜日の感覚が薄れる。ずっと休みって、嬉しいけど退屈だ。いや、毎日結衣、さんが来てくれるから嬉しいには嬉しいんだけど。

 

「それで、なんだけどさ、はち、は、はち……まん」

「!?《ボッ!》 ……う、ぐ……えと……な、なんだ? ~~……ゆ、結衣……」

「!!《ボッ!》」

 

 頑張って呼んでくれたなら、こちらも応えなければ。

 俺達はそういう条件の下で友達になったのだから、与えられるものや分け与えられるものは必ずそうする。

 恥ずかしくても乗り越えていかなければ、理想なんてものには辿り着けないからだ。

 

「ほ、ほら、えっと……~~ぁぅぅ…………め、目の話を、さ。平塚先生とした……でしょ?」

「そ、そだな……目が腐ってるからどーのこーのって……」

「あたしさ、馬鹿の子って言われるのが嫌で、伊達眼鏡買ったことがあってさ……結局フリだけだって馬鹿にされちゃって、つけなくなっちゃったんだけど……八幡……くん、つけてみない……かな。あ、えと、ごめんねっ、やっぱり“くん”をつけたほうがしっくりくるかなって! ほ、ほんとならあだ名とかつけたほうがそれっぽいのかもしれないけど、あたしって名前のセンスとかないみたいで……」

「い、いやっ、結衣……に、なら、どんなのつけられてもいいって思える。ていうか、そういうのをぽんぽんつけられるのが友達ってやつなんだろ? だったら……えっとな、一度つけてみてくれないか? なんでもいいから」

「あ、うん。じゃあ…………あ、嫌なら嫌って言ってね?」

「ん、解った」

「うん。えーーーっと………………比企谷八幡くん、だから……ヒッキー?」

「………………物凄い勢いで引き篭もりそうな名前だ」

「───!? ひゃあああっ!? ち、違うよ!? 違うの! そんなつもりじゃっ……!」

 

 胸の前で小さくパタパタと手を振って、必死に否定する。

 ああ、やってしまった。今のは確かにそう捉えられてもおかしくない言い方だった。もうちょっと気を使えよ、俺。

 

「あ、いやっ、こっちもそういう意味で言ったんじゃなくて! ……ああ、そっか、そうだよな。逆にいいかもだ」

「? えと……八幡くん?」

「ゆ……結衣。よし、結衣。うん。結衣」

「《かぁあ……!》あぅう……ど、どうしたの? そんな何度も呼ばれると恥ずかしいよぅ……」

「あ、ご、ごめん……えっとさ、俺のことはヒッキーでも八幡でも呼びやすい方で呼んでほしい。むしろヒッキーのほうが、他の誰も呼ばなそうでいいかもって思った」

「え……でも引き篭もりとかってさっき……」

「だから逆になんだって。他のやつが呼ばないで、結衣だけが呼んでくれるなら、それってちゃんと友人間の呼び方って感じだろ? 俺はなんか、そっちの方が嬉しいかもって思った」

「……八幡く…………あ、んんっ……。え、っと……ヒ、ヒッキー?」

「……よし。あ、じゃあ結衣にもなにかあだ名を…………あ、あー……えっと……ゆ、ゆゆゆ……ゆいゆい?」

「や、やめて……」

 

 軽く言ってみたら却下された。

 

「あ、それで……なんだけど。さっき言った伊達眼鏡」

 

 そして早々に話題から無くしたいらしい。そんなに嫌なのか、ゆいゆい。

 しかしケースに綺麗に入れられた眼鏡を見せられると、さすがにもう話題は戻せなかった。

 

「捨てちゃうのももったいないし、真面目そうに見えるかなってちょっとお洒落じゃない感じだけど……八……ヒッキー、つけてみてくれない?」

「ん、よし。つけてみよう」

「わ……言ってみておいてなんだけど、ノリが軽いね」

「とりあえず、なんでもやってから後悔してみようかなって」

「後悔すること前提なの!?《がーーーん!》」

「あ、ご、ごめんっ、今のはそういう意味じゃなくてっ……!」

 

 うわっ、ごめんとか……自然に出とはいえ、男らしくないか?

 もっと男らしい口調の方が……いや、でもな。無理に変えても。

 まいったな……どんな口調の方が人に好まれるのかとか、俺解らないぞ……。

 

「~~……え、と……悪い……。ほら、今まで後悔ばっかりだったから……どうせ後悔しか出来ないなら、って……。結衣のくれたものをそういう風になんて考えてないから」

「あ……な、なんだー……そっか、よかったぁ……」

「………」

 

 可愛い。

 うん……由比ヶ浜結衣は、今まで会ってきた女性の中で、ダントツで可愛いと思う。

 やさしいし、努力家。辛いことも知ってるけど、それに立ち向かう勇気を持つことがきちんとできる。

 こんな娘が恋人だったら幸せなんだろなーって、つくづく思える。

 でも……俺はそこには立てない。俺は、友達だから。

 せっかく得ることの出来た理想を、壊してしまうわけにはいかないから。

 さあ、今日も彼女を笑顔にしよう。

 持ってきてくれた眼鏡をつければ、きっと変わらぬ俺が居て、あーあって感じで笑うのだ。

 そんなものでもきっと話題に出来る。話題に出来ればきっと楽しいから。

 だからスチャリと眼鏡をつけて───こう、キリッて感じでキメたあと、

 

「───どうだいお嬢さん。似合うかい?《キリィッ!》」

 

 ニヤリと笑いかけてみた。じゃんけんで言うピストルのかたちにした手を顎に当てながら。

 すると───

 

「───…………、……《ポー…………》」

 

 結衣は、なんでか真っ赤な顔で目を潤ませて、俺を見たまま停止していた。

 あれ? なんで? もしかして怒りで顔真っ赤にして、泣きたくなるほど似合わなかった? うわ、ショックだこれ。せめて笑い話になればよかったのに。

 結衣は片手を片手で握り締めて胸に押し当てて俯くと、「~~~~っ……」って声にならない声を出して、ふるふると震えた。

 ……もしかして面白かったのか? まさか眼鏡つけて笑われるとは思わなかった。

 いや、でも……なんだろう、嬉しいな。笑われる=馬鹿にされるが自分の当然だったのに、結衣が相手だと“そういう意味”で笑われているんじゃないって確信が持てた。

 

「結衣?」

「ぁ…………え、と……うん、に、……似合ってる! すっごい似合ってるよ八幡くん!」

 

 あ、ヒッキーじゃなかった。でも今はちょっと嬉しい。

 ていうか……なんでこれ、俺にジャストフィットなんだろ。結衣が着けるために買ったんだよな?

 ……と訊いてみると、靴とか衣服と同じで、きっと大きくなるからと大きい眼鏡を買ったんだそうな。そしたら大して使わずに封印してしまったそうで。

 あー……解るかも。結衣には言えないけど、犬のフンとか踏んでしまったスニーカーとかアレだよな……綺麗にしても二度と履けないよな……。

 

「あ……けどいいのか? いや、よくないんじゃないか? 眼鏡ってかなり高いって聞いたぞ?」

 

 少し口調を変えてみる。けど、なんか喉が詰まる感じで上手くいかない。

 俺に強めの口調とか無理なんじゃないか? 肉食系を目指しても結局草食止まりな中途半端な男にしか到れない気がした。俺だもの。

 

「あ、ううん、それは本当に大丈夫なんだ。買ったっていってもパパがだし、二千円もしなかったから」

「二千円」

 

 うわあめっちゃ高級……! ラノベが3冊は買えてしまう……!

 ああ、けど金か。金は必要だよな……どうせ友達も出来ないんだろうし、友達作りとかは諦めてバイトに精を出してみるかな。

 結衣のお陰で、人と話すのも少しずつ楽になってきたし。

 あ、いや、これは相手が結衣だからか。俺も頑張ってるけど、結衣の方が話題を出すのが上手い。

 それ以前に今の俺は外の情報がないから、必然的に結衣が話すことになるパターンは多い。

 これはいけない。もっとこう、俺も病院内で知ったこととか話せたほうがいいよな。

 

「学校に復帰できたら、バイト始めていつか返すよ」

「い、いいよそんなっ、本当に気にしないでいいからっ」

「いや、こういう約束でもないと、俺はその……ちょっとでも嫌なことがあったら逃げ出しそうだから。……どうしてもまだ苦手なんだ、対人」

「あ……そうだよね。あたしもまだ苦手……。どうしてだろうね、八幡くんとはこうして話せるのに」

「やっぱりある程度、自分のことを話してるから、とか?」

「うーん……でもさ、全部話すのは……やっぱり怖いよ。言い触らされて笑われたりしたら、きっともう信用できないと思う」

「……、……まあ、経験はあるけど」

「…………ご、ごめんなさい」

「あ、いや、あれは俺が馬鹿だったから。……ちょっとやさしくされただけで、相手が俺のこと好きなんじゃ、とか考えて、その後のことも考えないで告白して、玉砕したって、それだけの話なんだ」

「え……こ、告白?《ズキッ……》…………あれ?」

「やさしくされたことなんてほとんど無かったから、ちょっとやさしくされると自分だけ特別なんじゃ、って勘違いしてたんだ。だから、もうそんな自分にはならないように、“俺にだけやさしいわけじゃない”って思うようにしてる」

 

 今でも思う。

 告白なんてしなければ、相手は引くこともなく……“やさしい”ままで俺に接してくれていたんじゃないだろうかって。

 それは勘違いなんだって最初から知っていれば、俺にも上辺だろうとやさしい友達モドキが居たんじゃないかって。

 そんなものは欲しくないとは思った。もっと、本当に俺との関係を大事に思ってくれる、頭の中で描いたような親友が居ればって……何度も思った。

 けどそんなことは無理だったんだ。

 俺が望んでいいものではないし、リア充だって望んで手に入れられるようなものじゃないものを、俺が手に入れられるわけがなかったんだから。

 

「…………」

「結衣?」

 

 結衣は俺の話を聞いて、固まっていた。

 あぁ、えっと、やっぱりキモかったんだろうか。

 悪いことをした……俺の昔話なんてそんなのばっかりだし、そもそもそんな自虐ネタは苦笑しか生まない。

 話題になればって結衣とお互いの過去を軽く話したことはあっても、俺でさえ苦笑しか出来なかった。ついやってしまったことに後悔はしても、この空気をなんとかするための知識なんて俺にあるわけもなく───

 

「……告白したのに、言い触らされた……の?」

「へ? あ、あー……まあ、そうだね。告白して、友達のままじゃダメなのかなーとか言われて、その後は言った通り。相手は俺なんかに告白された可哀想な女子で、俺は……」

「違う……」

「え? えと……結衣?」

「そんなの違う……間違ってるよ!」

「《びくっ》……ぉ、あ…………ゆ、結衣……?」

 

 驚いた。結衣がこんな大きな声を出すのなんて初めてだ。

 ヘンな声が出ないようになんとか口を塞いだ俺だけど、頭の中が真っ白だ。

 え、ええと、なんだ? どうすればいいんだ?

 

「告白って……そんなに簡単に出来るものじゃないし……勢いで言ったんだとしても、たくさん想いが詰まってるって思う……! なのになんで……どうして言い触らして見下すみたいなことができるの……? わかんないよ……!」

「…………結衣……」

 

 悩んでいて、気づけば目の前に、本当の感情があった。

 ぽろぽろと頬を伝う涙は俺を思っての悲しみだ。

 笑われて、笑いすぎて涙を流されたことならあっても、自分のことを思われて、なんて初めてだった。

 隣の席になっただけで泣かれたこともあったな。でも、あんなものとはまるで違う。

 受け取れる感情の暖かさが、まるで違った。

 ……ああ、そうか。俺、自分の過去が肯定されて、嬉しかったのか。

 告白はした。フラレもした。

 誰ひとり頑張ったな、なんて言ってくれるわけもなく、お前じゃ当たり前だと見下す人しか居なかったのに。

 会って一ヶ月と経たない人が、俺のために泣いてくれた。

 

「……《とくん》……」

 

 胸が温かい。でも、やめてくれ。

 これは芽生えさせちゃいけないんだ。

 ありがとう、結衣。本当に嬉しい。でも、俺は……せっかく出来たこんな暖かい関係を───……

 

 

───……。

 

 

……。

 

 

 ……あの日以来。

 俺の過去の告白について、結衣が怒って泣いた日以来、俺達の関係は随分と近づいた。

 なんでも言い合おうってことになって、相談事があれば相談するようになって。

 俺もヤケっぱちになって自分の過去を随分と語った。

 結衣も自分の過去をたくさん語ってくれて、なんというか恥ずかしいやら嬉しいやら。

 

「俺もそろそろ退院か……今思えば一ヶ月って短いな……」

「そうだねー……」

 

 看護婦さんに俺と結衣との関係を勘ぐられて、それじゃあこんなボサボサ頭じゃダメだね~なんて髪を切られたり整えられたり。

 人との会話のポイントとか、女の子が嫌う話題とかも教えてもらって、入院中に無駄にレベルが上がった気がしないでもない。

 ただ勘違いはしない。浮かれたままで話す話題は失敗しか生まないって、もう知っているからだ。

 

「八幡くんも変わったよね。病院でいろんな人に話しかけられるようになった」

「お、おう。頑張ったぞ俺。言葉が喉に詰まろうと、言いたいことを頑張って伝えた、ぞ」

「うーん……口調、無理に変えなくてもいいと思うよ……?」

「でもさ、なんかなよなよしてて嫌じゃないか? 自分じゃいまいち解らないけど、院内の人のほぼが“もっと男らしい口調にしたほうがいい”って。あ、あと絶対眼鏡は取るなって」

 

 なんなのアレ。俺に男らしい口調で話してもらってもキモいだけなんじゃないのか?

 想像してみても、無理してるようで残念に思えてくるんだけどな。

 

「あ、あたしも、“友達相手にヒッキーはない”って怒られちゃった……」

「俺は気にしないんだけどなぁ……あ、そういえば結衣、あの時なんか言われてたろ。そんなことばっか言ってると、なにかを取られるとかなんとか」

「あ、え、う……!《かぁああっ……!》……う、うん……! も、もう、気持ちは固まったし自覚は出来たから……あとはこう、そのー……頑張るだけ、みたいな……」

「? そっか。なんにせよ、頑張りが認められるって嬉しいよな。俺なんて自分の頑張りは一生認められないもんだって思ってたし。結衣にこの眼鏡もらってから、幸運の女神でもついてくれたのかな。あれから人がやさしくなった気がするよ」

「めっ!? め、女神なんてだめ! ついてないついてないっ!」

「え? そ、そう?」

 

 まじか……女神居ないのか……。

 いやでも、天使は居るよな。

 

「………《ちらり》」

 

 やっぱり可愛い。ほんと、俺なんかと話してくれるだけで天使だってのに、こうしていっつも会いに来てくれて。

 一度小町を含めて話してるときに、ぽろりと“天使か……”と呟いたことがあって、その時は顔を真っ赤にして怒らせてしまった。あれ怒ってたよな……かつてないほど赤かったし。

 小町にも“お兄ちゃんはこういう時ダメダメだよね”って言われてしまったからなぁ……やっぱり怒ってただろ。

 

「………」

 

 こうしてベッドで過ごす時間もあと僅か。

 それが終わればこの関係も終わるんだろう。

 俺みたいなのと学校で話すわけにはいかないだろうし、隠れて会うにしたっていい噂は立たないに違いない。

 だったらいっそ、ここで突き放してしまったほうが……ああいやいや、また弱気になってるな。

 もう一度だけ信じてみようって……そう思って始まった関係じゃないか。

 行き着く先が親友だって構わない。それだけで、俺なんかにはもったいない。

 いつか彼女が赤い顔して視線逸らしながら、好きな人が出来たのって言った時に……せめて笑顔で協力出来るように───。

 

「ねぇ八幡くん。あたしさ、今度髪型をお団子にしてみようと思うんだけど……どうかな」

「団子? えっと、それってどうやるんだ?」

「もうちょっと伸びれば出来そうなんだけど……ほら、こうやって……」

「あ、シニョンみたいにするのか」

「しにょん?」

「えっと、ほら。中国の女の子とかが、髪をまとめて丸っこいのに入れてる……」

「あー! そっか、あれってシニョンっていうんだ! あ、でも確かに髪型にもなんとかシニョン~ってあったかなぁ」

「髪型の名前とかってどこで調べるものなんだ? 俺、一度ネットで調べたことあるんだけどさっぱりだった」

「女の子の場合はファッション雑誌とかかな。文字だけ書かれても“なにこれ”って思うことばっかりだけど」

「結衣はもうちょっと国語頑張ろうな……」

「八幡くんもだよ、数学とか……」

「……ふふっ、だな」

「あははっ、だねー」

 

 関係は良好。それでいいんだ。

 この、今までやさしくされただけで湧き出したものとは違う、とても温かいなにか。

 俺はきっとそれを告げることなく、友達を大事にしていける。

 きっと結衣も……自分の気持ちを話すことに慣れて、俺よりも話しやすい人が見つかれば……いつかは離れていく。

 俺がどれだけ相手を信じようと、それ以上が居れば離れていく。

 それでも俺は信じていよう。

 それが裏切られるまで、裏切られて、こんな世界に本当に絶望するまでは……ずっと。

 



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幾度も結ぶ僕らの恋②

 退院してからしばらく経った。

 俺の暮らしは……まあ賑やか、かもしれない。

 

「っべー! いんやーヒキタニくん最初入ってきたとき、どこの転入生? って思ったわー!」

「あ、え、と……戸部、くん? だったよね? どどどどしたの、急に」

「いやいやそりゃないっしょ、せっかくの休み時間なんだしちょっと駄弁ろうってー! ほらほら勉強道具とか仕舞ってー! つかヒキタニくんめっちゃ勉強できるんー!? っべーわー!」

 

 同じクラスの……と、戸部翔くんがとっても賑やか。

 一目見て気に入られたらしく、なにかと話しかけてくる。

 気に入ったのになんで名前間違えてんだろうね、この人。

 

「いや、そもそも俺比企谷だし……」

「え? マジで? やー、それ先に言ってほしかったわぁ~……あーでもほらアレね、俺のことも戸部とか翔でいーからー!」

「えっ……でも、嫌じゃないか? いきなり俺に苗字とか名前とか呼び捨てにされて」

「いーていーてー!」

 

 いーてって何語だろう。え? いいって、って言いたいのか?

 というか……すごいテンション。ほんとすごい。すごいしか言い表せないまである。

 

「《カララ……》お、おじゃましまーす」

「おっ、由比ヶ浜さんウェーーイ!! なになに? 今日もヒキタニくんに会いに来た系の用事ー!?」

「と、戸部くん、うぇーい……」

「ちょ、戸部くん結衣にヘンなこと教え込まないでくれ……!」

「ゆーてもこんくらい挨拶の一環でしょお! ほらヒキタニくんも! ウェーーーイ!」

「うぇ、うぇーい……? っていうか、俺比企谷……」

「あ、そうだよ戸部くん。名前を間違えるとか、ダメ」

「あ、あーそっかー。難しい漢字だから読み方だけで頑張って覚えてきたからつい間違っちゃって困るわぁ……ヒキガヤヒキガヤ……ん、おし、これもう完璧ばっちりでしょー! なー! ヒキタ……あれ? ヒキタ……あれ?」

「……戸部くん」

「や、ちょ、睨むのやめて由比ヶ浜さ~ん……!」

 

 退院すれば関係なんて薄れていくんだと思っていた。

 けどまだ関係は続いていて、俺も結衣も笑っていられた。

 戸部くんという元気な男子によく声をかけられるようになって、彼の目的が結衣じゃないって解ってからは余計に、買ったはいいけどずうっと封印されていた、“友達との付き合い方”という名の本が役に立つ時が来たのかもしれない。

 

「あ、あのっ!」

「《びくぅ!》おわぁんっ!? あ~、びっくりしたわぁ~……つーかマジでヘンな声出てたわぁー……って……あれ? キミってば確か戸塚ちゃんじゃ~ん?」

 

 急に背後から声をかけられて、本当に肩を弾かせてまで驚いた戸部くんが振り向くと、そこには……と、とつか? さんが居た。随分と綺麗な人だ。

 結衣と先に会っていなければ天使認定して一目惚れしていたまであるほどに、綺麗な人だ。綺麗というか……小柄で可愛い?

 

「あ、の……ちゃんとか、やめてほしいな……。ぼ、僕、男の子だし……」

『ぇえええええええええええっ!? ウッソォオオオオオオオッ!!』

 

 戸部くんと俺と結衣、そしてたまたま声を拾ったらしいクラスメイト全員が一斉に振り返り、一斉に叫んだ。

 ガタガタ震え出す者や頭を抱える者、嗚咽を漏らして机に突っ伏してしまう者まで現れるという地獄絵図が、ここにある。

 

「え、えー……? それマジで……? ないわぁ、マジないわぁ……冗談だったりとかは───」

「……しょ、証拠……確かめて、みる……?」

 

 言って、とつかさんはクイッとズボンに手をかけた。

 当然、俺と結衣は戸部くんの肩をガッと掴んで、同時に首を横に振った。

 戸部くんも何故だか紳士的で真っ直ぐな、キリっとした顔でこくりと頷く。

 ……そう、知らなくていいことが世の中にはいっぱいある。

 これはきっと、そういった類のものなのだ───……

 

「え、えーとぉ……? そんでその戸塚くんはぁ、俺達になにか用があったん~……?」

 

 さっきまでの元気も何処へやら、どこかげっそりした戸部くんが訊くと、とつかくんは「うん」と頷いて、俺達を見て言った。

 

「あ、あのっ! 僕も仲間に入れてほしいんだっ!」

 

 それが───俺の生涯の友となる戸塚彩加(性別:戸塚)との、初めての出会いであった───…………!

 いや、言ってみたかっただけだ。夢くらい見たいじゃないか。

 それに、友達なら───

 

「……《ちらり》」

「? なにかな、八幡くんっ《にこー》」

(……天使だ)

 

 ───……結衣が居る。

 俺に笑いかけてくれる、数少ない人だ。

 ていうか……ああ、そっか。とつかくんも戸部くんと結衣に言ったのであって、俺に言ったわけじゃ……ないよな。

 勘違いすんなよ、比企谷八幡。

 俺が信じていいのは結衣だけだ。

 それ以外を信じたら、きっとずっと傷ついてばかりになる。

 だから……二人がとつかくんと話している内に、俺は……

 

「《きゅっ》……っと、……結衣」

「えっと……どこ、いくのかなって」

 

 静かに消えようとしたら、服を掴まれた。

 何処って……そんなの。

 

「ト……トイレに」

「…………《じぃっ……》」

「う……」

 

 視線を逸らしながらの嘘に、結衣の視線が突き刺さる。

 ああ、解ってる。こんな嘘、すぐにバレるって。

 そもそも結衣は俺に会いに来てくれているのに、俺がここから逃げ出せば気まずくなるのは解っているのに……わざわざ自分を追い詰めようとする自分の思考が気持ち悪くて仕方が無い。

 

「ちょお、ヒキタニくんそりゃないっしょー、由比ヶ浜さん、ヒキタニくんに会いにきてくれてんのに、それ放置とかキッツイわぁ~」

「戸部くん。……漏らせと?」

「あぁ……そっちのほうがキッツいわぁ……」

「あ、あの、比企谷くん。それで、えっと……僕、混ぜてもらってもいい……のかな」

「え? あ、いや……それ決めるのは戸部くんじゃないか?」

「えー? なに言ってんのヒキタニくーん、これ、ヒキタニくんと話したいから集まってる集まりじゃーん?」

「え? そうなの?」

 

 と、ちらりと結衣を見ると、こくこくこくと頷いてくれる。やだ、可愛い。

 ていうか、そんなものの決定権を委ねられたのなんて初めてだから、どうすればいいのか……。

 

「え、えっと……とつか、くん?」

「あ、そっか。僕、戸塚彩加っていいます」

「ア、ハイ。俺は比企谷八幡っていいます」

「俺は戸部翔。ヨロシクオナシャァ~ッス!」

「あ、えと、由比ヶ浜結衣です」

 

 ……自己紹介、済んじゃった。

 この流れで断るとか出来るわけないじゃん、この美少年……もとい……性別戸塚だから、美戸塚? なにそれ美しい。

 

「それじゃあ、ええっと……。よ、よろしく?」

「あ……《ぱああっ……!》う、うん! よろしくねっ、比企谷くんっ!」

「おーしそんじゃあどんどん話しちゃう? 話しちゃう系の話、しちゃう? しちゃうしかないっしょー! あ、ゆーてもまずは好きなものとかそーゆー軽いとこからいっちゃう? っべー! っべーわー!」

「……ねぇ戸部くん」

「お? なになに戸塚ちゃんっ」

「べーって……それ何語?」

「べっ……!? ……な、なにご……、……? そういや考えたこともなかったわぁ~……。え? 一応日本語で喋ってんだし、日本語……? うん、やっぱ日本語っしょ!」

「それもう“造語”でいいんじゃないか……?《くいくい》おっ……と……結衣?」

「八幡くんでも知らない国語ってあるんだ……」

「いや、あれ日本国語って言ったら昔の人泣いちゃうからね? たぶん」

 

 ……ちょっと、気づいた。

 結衣は俺以外の男子とは、線を引いている。

 その線は細いようで……深い。

 集団の中に居ても、俺を見てくれている。そんな気がした。

 じゃなきゃ、中学時代に身につけた、自分を殺して存在感を無くした俺を、あっさり引き止めるなんてことが……いや、人がそこに居るんだから気づく人は気づくんだけどさ、どうでもいいやつ相手にそれは出来ない。

 

(……本気で、信じてもいいのかな)

 

 たぶん結衣は、俺が引いてる線も敏感に感じている。

 だから踏み込みすぎないし、俺が丁度いいって思っている距離を保ってくれている。

 いや、丁度いい、っていうのとは違うか。

 結局俺は、裏切られるまでとかいいながら……こうして疑ってるんだから。

 もっと馬鹿みたいに……いっそ人を信じるだけの馬鹿野郎になれたら、それはどれだけ辛く、それでも……楽しいって思える世界なんだろうな。

 世界は腐っている。それは仕方ない。

 ずっと思っていたことだ。どうしようもない。

 俺が変われば世界が変わるなんてことはないし、人ひとりがどれだけ頑張ったって世界は変わらない。

 何故って、そう思う自分が居たとして、そうは思わない誰かが腐るほど居るからだ。

 人一人の力で世界が変えられるなら、そんなものは全部多数決で潰される。

 でも。

 

「…………」

「《きゅっ》あ……は、八幡くん?」

 

 変えたい世界の規模がほんの僅かでいいなら、そんなもんは自分で変えてしまえるんじゃないか。

 今でなら、そう思える。

 

「そ、その。あれだから。袖引っ張られると、伸びそうだし……さ」

「……と、友達なら……手、繋ぐくらい……自然だと思う……よ?」

「え、そ、そうか、な……」

「う、うん。そうだ。そうだよ、きっと」

「~~……じゃあ」

「~~……うん」

 

 なんだかよく解らない会話をして、手を繋いだ。握手とは違う、横に並んで右手と左手で。

 そんな一部始終を戸部くんととつかさんに見られていて、俺と結衣はそれはもう赤面した。

 ……でも、繋いでいるのが恥ずかしいから、なんて理由で離したくなかったから、離さなかった。……お互いが。

 

「………」

「………」

 

 驚いて……お互いが驚いて、顔を見合わせて、やがて……笑った。

 きっと離すとしたら相手からだ、なんてお互いに思ったんだろう。だから意外で、だから……嬉しかった。

 

「いんや~、べ~わぁ~……《ニコニコ》……や~っぱヒキタニくんも由比ヶ浜さんも~、お互い好き好き同士なんじゃないの~? 友達同士でこれだったら、もし恋人になったらっべーってもんじゃねぇでしょお! いんやー、べーわぁマジべーわぁ」

「こ、恋人っ!?《ボッ!》」

「と、戸部くんっ……そういうのやめてくれってば……! 迂闊にそういう話題とか出すと、女子にキモがられて嫌われるじゃないか……!」

「んえ? ゆーても……えー? ヒキタニく~ん、もしかして気づいてなかったりするんー……?」

「気づいてないって……なにが?」

「やぁ、ヒキタニくん、クラスじゃ結構女子に人気あるべ? べ?」

「え? なに言ってんの、そんなわけないでしょ」

「わ、真顔で即答した……! あ、の、比企谷くん? 戸部くんの言ってること、本当だよ……?」

「いやいや、小学中学と歩くキモ谷くんとか呼ばれてた俺が、そんなわけないでしょ。もし奇跡的にそうだとしても、俺基本的に女子は信用しないから」

「《ぎゅっ》……!」

 

 言いながら、結衣の手をぎゅっと握った。

 そうだ、信用する人は少数でいい。これが最後だっていい。

 馬鹿みたいに信じて、その先で裏切られても、大笑いして受け入れる。

 

「あ~……たまに心無い女子とか居るし、そーゆーんも仕方ないっちゃ仕方ないべ……そんならもう俺達で、親友目指してまっしぐらしちゃう系の青春送りゃあいいべ! いけるいける!」

「う、うん! 僕、なんでか前から友達が出来なくて……よかったらそんな関係になりたいなって」

「んおー! おっけおっけ! 俺ならバッチこいだしょー!」

 

 だしょーって何語だろう。造語か。うん、戸部くんは造語マスターなのかもしれない。

 

「んじゃ手始めに、全員名前で呼ぶところから始めてみる? みるみる?」

「───!」

「……、いや、それは」

「ヒキタニくんから俺って感じでぐるぐる呼んじゃってみましょお! ほい、ヒキタニくん!」

「………《ぎゅぅううっ……》~~……」

 

 手が、強く強く握られる。解ってる、伝わってくるのは恐怖と不安だ。それと、ちょっぴりの期待。

 でもその期待ってのは戸部くんやとつかくんに向けられたものじゃなくて、俺に向けられている。

 ここで俺にしてほしいことってのはなんだ? なにを期待する。

 俺はどうしてこんなにイラついている。なにがそんなに気に食わない。

 信じようって思って、結衣ではないけど相手側から友達にって求めてきてくれて、いつか期待していたなにかが満たされた感覚はある。

 なのに、ちっとも嬉しくない上に“どうしてそうなる”って意識が強い。

 それは───……名前で呼び合う、なんて言葉が出てきてからだ。

 ええと? なんだろう。俺はなにがそんなに嫌なんだろう。

 理想じゃないかな? 友達同士、名前で呼び合うなんてリア充っぽくていいじゃない。

 たぶん、これ以上なんて俺には滅多に下りてこない。

 なのになにが嫌なの?

 

「…………。戸部くん、ちょっといいか?」

「んお? なになにどしたんー? 秘密の相談事ー?」

「あ、いや、秘密とかじゃなくて。友達だからなんでも、っていうのはちょっと難しいと思う。だからさ、その人に呼ばれたい呼び方を選んでもらうってかたちでいいんじゃないかな」

「おっ……それだわぁ~……! ヒキタニくん冴えてるわぁ~……!」

 

 戸部くん、パンと手を叩いてから人を指差してくるの巻。

 たまにやる人居るけど、これなんなの?

 けど、思ったよりも安堵の息は深かった。それはどうしてだろう。

 結衣が名前で呼ばれずに済んだから? それとも……彼女の安堵とは別に、“俺が”結衣が名前で呼ばれずに済んだから?

 いや、この気持ちの正体になんてとっくに気づいている。

 入院中に、とっくにだ。ただ、友情ってものを大事にしたいと思えばこそ、どうすることも出来ない。

 

「したら俺、戸部とかとべっちとか呼ばれたいわー! あ、もちろん全員に! 名前よりも苗字の方が俺って感じするって、なんでか昔っから言われてんのよねー俺」

「あ、じゃあ僕は……呼びやすい方で。苗字でも名前でも。あだ名があったら嬉しいかも」

「あたしは……えと、じゃあ、戸部……っち、と戸塚く……彩加くん……えと、さい、ちゃん、でいいかな? には、苗字で呼んでもらいたいな……。それで……《ちらちら》……は、八幡くんには、結衣で……《ぽぽぽ……》」

「あ、ああ……じゃあ俺は……戸部くんには苗字でも名前でも。ただし苗字ならヒキタニじゃなくて比企谷ね。戸塚には八幡で」

「えっ……?《ズキッ……》」

「いいのっ!? あ、じゃあ……僕もえっと、彩加……って、呼んでほしい、な……」

「あ、ああ、じゃあ……彩加」

「う、うん……八幡……《かぁあ……!》」

「………」

「ちょ、そりゃないっしょー! じゃあじゃあヒキタニくん、俺も翔でオナシャッスわぁー!」

「いや……なんか戸部くんてTHE・戸部って感じがするし、戸部くんで」

「したらせめて呼び捨てにしてほしいわぁー……なんか俺だけ超他人行儀? みたいな感じありまくりんぐでしょー……」

「そ、そっか。じゃあ……戸部」

 

 わあわあと男と戸塚(性別)で騒ぐ中、結衣だけがどこか呆然とした顔で俺を見ていた。

 ……あ、っと。そういえば結衣に呼ばれたい名前を言っておくの、忘れてた。

 

「で、結衣にはさ、ヒッキーでお願いしたい」

「───!? え……は、八幡くん……?」

 

 言ってみると、結衣は随分と戸惑った顔をして驚いていた。

 いやいや、べつにほんと、蔑称とか思ってないから。むしろ初めて自然につけてもらえたあだ名だって、今なら思えるから。

 

「中学までなら絶対に蔑称としか受け取れなかったけどさ、結衣が相手ならそんなこと気にしないでいられそうだからさ。あ、いや、もちろん嫌なら───」

「う、ううんっ、いいっ、いいよっ!? これがいいっ! ひ、ひっ…………ヒッキー……~~……えへへ、ヒッキー……!」

 

 ……その上こんな、大切なものを扱うみたいに言ってくれるんだもの。これで嬉しくなかったら友達失格でしょ。

 

「……うん。じゃあえっと……その、なに? こ……これからよろしく、ってことで…………いいの、かな? ごめん、正直友達とか結衣以外に出来たことなかったから、不安しかない……」

「おー! いいっしょいいっしょー! つーかヒキタニくんほったらかしにするとか、小中のヒキタニくんの周囲のやつらが信じらんないっつぅかぁ!」

「いや、だから……戸部、俺比企谷だから」

「あぁごめんごめん、悪かったわぁ比企谷くん……。そんじゃ仲良し記念っつーことでぇ、これからカラオケとか行っちゃわなーい!?」

「あ、ごめん。俺パス。アニソンしか歌えないって心底馬鹿にされてから、二度と独り以外ではカラオケなんぞには近づかないって誓った」

「あ、あたしは行ったことあるけど、あんまり自信ないかな……」

「カラオケ……ぼ、僕行ったことないんだ……。大丈夫かな……なんか会員証とか必要だったりするの……?」

「そんなん心配ないっしょ、スタンプ溜めるといいことがある~って程度だし、無くても全然問題ないべ! つーわけでとりあえずは行ってみるって方向でー!」

「いや行かないから」

「はちっ……ヒ、ヒッキーが行かないなら、あたしもいいや……」

「僕もなんかちょっと怖いし、いいかな……」

「ちょぉヒキタニく~ん……そりゃないっしょー……ていうかみんなヒキタニくんのこと好きすぎでしょぉ~……」

 

 いや、残念そうな顔して言われても俺ヒキタニくんじゃないからね? なんの意味があったのさっきの会話。

 

「まあじゃあ、これからどうするか考えないとっしょ。ヒキタニく……比企谷くん、なんか案とかあったりするー?」

「勉強しよう」

「あ、賛成!」

「あ、僕も賛成」

「ちょー! そりゃないでしょぉ~! 友達で集まって勉強とか…………あんれ? 意外と楽しそう……?」

「八……ヒッキーとの勉強、慣れてくると楽しいんだよ? 解らないところとか丁寧に教えてくれるし」

「結衣の教え方は直球すぎて逆に解らないんだけどな……」

「そ、そんなことないよぅ……」

「ほら、戸部くんも。一緒に勉強、してみようよ」

「……なんか俺、今日から全く別の趣味になりそうな気配しまくりんぐだわー……」

 

 それでも勉強に決定した。

 そうして、共に勉強するに到り───得意分野が分かれていることが解って、互いに教えながらの勉強会をすることが増えていった。

 

……。

 

 時間は足早に過ぎてゆく。まだ一学期だっていうのに急速に過ぎて行くのは、それだけ今の時間が充実しているからなんだろうか。

 そんな中で少しずつ俺達の関係は変わっていって、気づけば互いに引っぱられるように、趣味の幅が増えていた。

 

「いんやーヒキタニくーん! アレの新刊、やばすぎでしょー! 見てたら俺、もう興奮しまくりんぐで次まだですかって呟いちゃったわー!」

「発売当日にそれは作者泣かせじゃないか……?」

「でも楽しかったし、続き気になるよ。早く出ないかなぁ」

「彩加も戸部も、もうちょっとじっくり読んであげろよ……」

「次かぁ……あたしは女の子がどうするかが気になるなぁ」

「あの流れで告白は明らかにフラグだよな……」

「ちょ、ないわぁ、最終局面でヒロインバッドエンドとか戦闘士気にもめちゃ関わってくるアレだべ……」

「でも、勇気がなきゃ出来ないよね。後悔したくなかったんじゃないかな」

「だよね、さいちゃんっ、だよねっ」

「……戸部。彩加が女の子より女の子思考だ……」

「やばいでしょぉそれ……やぁ、ゆーても戸塚ちゃんなら合いすぎってくらい合ってるから困るわぁ……」

「ほんとそれな……」

 

 戸部も彩加も、もちろん結衣もラノベの話題が好きになってくれた。みんなまずは絵から入っていったけど、ひと作品でも気に入ってくれたら、そこからは早かった。

 

「はっはっふっふ……ふふっ、なんかもう八幡もすっかり走るのに慣れたよね~」

「彩加~、幅が広すぎるからペースダウンだ~っ。足痛めるぞ~っ」

「あ、うんっ」

「朝から集まってジョギングとか、俺達青春しまくりんぐでしょー! あの夕陽に向かって走れ~とか言ってくれる先生とか居たら、俺一度でもいいから走ってみたいわー!」

「朝からって言ってるんだから夕陽じゃないだろ……結衣、大丈夫か?」

「うん、へーきっ。ただちょっと……えと《むにゅり》」

(やめて!? 無言で自分の胸抱きかかえないで!?)

「いんやぁ、ガハマっちゃん胸とかマジおーきぃから走ると辛いでしょー? べーわぁ~!」

「!?《ボッ!》」

「戸部! セクハラ! つかどこ見てんだ!《ギラァッ!》」

「ヒィッ!? ごごごめん悪かったわぁ! だから眼鏡外して睨むのやめてほしいわぁ!」

 

 彩加がテニス好きということが解って、付き合っている内に体力作りにハマったり。

 

「そうそう、そんでそこを流して~……おー! やっぱヒキタニくん素材良すぎでしょー! もうマジキマっちゃってるわぁー! あとは髪にこれつけてー……完璧っしょ!」

「んん……自分じゃよく解らないな……」

「そーゆー時はー……ガハマっちゃん見て決めればいいっしょ! はいどーーん!」

「え、ふえっ……!? あ…………《ぽー……》」

「わっ、由比ヶ浜さん顔真っ赤……!」

「おいどうするんだよ戸部、結衣めっちゃ怒ってるじゃないか」

「ええーーーっ!? ちょ、ヒキタニくーん!? あれ見てどうすりゃ怒ってるって答え出んのー!?」

「は、はちまぁん……それはさすがに間違いようがないと思うよ……?」

「え? じゃあなに?」

「八幡、あれは八幡が格好いいから、照れたり見惚れたりしてるんだよ」

「いやそれはない《きっぱり》」

「なんでそんなところばっかり自信満々なの!? は、はちまぁん……たまにはこういう方向で信じてよ……」

「ヒキタニくん、どんだけ荒んだ小中時代送ってきたのー……さすがに呆れるわー……あン、いや、ヒキタニくんのメイトだったやつらをね? そいつらないわぁ、マジないわぁ」

「……《ぽしょっ……》……由比ヶ浜さん。もっとちゃんと、真っ直ぐ伝えないと絶対届かないよ……?」

「……《ぽしょっ……》そうそうー、これ、敵は周囲の女子っつーかぁ、ヒキタニくん自身になってる系の問題だわぁ……」

「ふえっ!? やっ、なななに言ってるの二人ともっ! あ、あたしはっ……」

「……《ぽしょっ》友達、は却下だよ、由比ヶ浜さん」

「……《ぽしょっ》マジそれだわぁ。てゆーかマジこんだけ近くで見てりゃ、誰でも気づくってもんでしょお」

「あぅうう……~~……《しゅうう……!》」

「?」

 

 戸部が時代を先取りするならやっぱファッションでしょーぉ! とか言い出すから少しずつそっちも齧ってみたり。

 

「結衣、とりあえずアレはない。クッキー作って木炭ってのは錬金術レベルの秘術だと俺は思う」

「真正面からひどいよ!?」

「いんやー……ゆーてもあれはないわぁ……さすがの俺もどん引きだわぁ……」

「由比ヶ浜さん……木炭はね、食べ物じゃ……ないんだよ……?」

「とべっちにさいちゃんまで!?」

「とにかく結衣。まずはなんにでも桃を入れようとする心を殺そう。あと、レシピ通りに動くことを覚えてみてくれ」

「そうそう、上手くいったらヒキタニくんがご褒美くれるらしいからー!」

「え? おいちょっとなにそれ、八幡聞いてない」

「ごほーび……」

「あれ? やだなにこれ、あっさり釣れちゃった」

「ほらほら八幡、ちゃんと教えてあげなきゃ」

「そうそうー、いっそ後ろから手を掴みながら動かして教えるとかー」

「後ろから……あぅう……《かぁああ……!》」

「戸部、彩加、ちょっと口開けてみようか」

「ちょお! つつきすぎて悪かったから眼鏡取って笑うのやめない!? 俺とか超びびりまくりだわー!」

「は、八幡! やめて! ごめんっ! 木炭は食べ物じゃないんだよぅ!」

「う、うん……ヒッキーがもしよかったら……あ、あたし、それでいい……よ?」

『───え?』

 

 結衣が料理が苦手だっていうから、それを手伝う内に料理の楽しさを知って。

 そうしてお互いを高めつつ……俺と、結衣の関係も、少しずつ。

 

<……ネェ、アイツサイキンチョウシンノッテナイ?

<……アア、ユイガハマトカイッタッケ

 

 ……ああちなみに。

 イジメみたいな空気もあったけどなんの問題もありません。そういうものには超絶敏感のベテランボッチャーである八幡さんが、そんなものを見過ごすわけがないじゃないですか。

 戸部と彩加と平塚先生に相談して、初日で証拠を掴んで逆に潰してやりました。

 俺達のクラスに毎度現れては、男子と親しげに話す……っていうのは、どうにも状況的に睨まれやすい位置にあったらしい。俺からしてみりゃなんでだって話なんだが。

 あとなんか、イジメに走ろうとした女子が厳重注意とお説教をくらったこともあって、なにやら企んでいたらしい結衣のクラスの相模さんとやらが、距離を取って近づいてこなくなったとか。小心者だったのね、相模さんとやら。踏み出せないならやろうだなんて思うもんじゃない。ああいや、独りじゃ出来ないから集団って強みを利用して踏み出そうとしたのかな?

 けど先駆者があっさりとお縄についてお説教されたっていうんだから、後続は出鼻を挫かれたようなものだよなぁ。

 

  でも、今思えば、それはきっかけみたいなものだったのかもしれない。

 

 

───……。

 

……。

 

 あとから聞いた話になるが───とある、人生を大きく変える出来事があった日。

 人がトイレに行っていた際に、こんな会話があったらしい。

 

「……由比ヶ浜さん、このままじゃだめだよ」

「え?」

「それだわー、俺もマジ思ってたわぁ……。このままじゃガハマっちゃん、クラスに敵作るだけだわー……」

「……うん……それは、なんとなく解る……」

「ガハマっちゃんがヒキタニくんと付き合って、それを周囲に教えちゃえば、もう愚痴こぼすヤツとか綺麗さっぱり消える流れでしょおこれ。男子はガハマっちゃんがマジ気になるし、女子はヒキタニくんとか戸塚ちゃんがマジ気になるしぃ」

「戸部くん、女子の視線、戸部くんにも結構向いてるんだよ?」

「え? マジでー? あー、ゆーても俺、気になってる子が居るからー……」

「そうなの? あ……そろそろ八幡、トイレから戻ってくるかも」

「そんじゃあガハマっちゃん───いや、ガハマっさん! これもうマジ勇気勇気っしょ! てゆーかもうヒキタニくんくらいしかマジ気づいてない人居ないくらいなんだから、マジもう決めちゃってくださいっ! オナシャッス!」

「えっ……!? ふええっ!? そ、そうなの!?」

「だって由比ヶ浜さん、八幡が居る時は八幡しか見てないし……」

「ガハマっちゃんマジ身持ち硬いってめっちゃ有名なのに、こんだけこのクラスに通ってて気づかないわけないでしょお」

「え、えー……? じゃあどうしてヘンな噂とか……」

「うーん……えっと」

「そりゃ、見てても解るのにくっつかないからでしょお。保留にして遊んでる、みたいに思われてるかもしれないわぁ」

「うん……聞こえる話だと、僕たち三人からじっくり選んでるーとか……」

「そんなことしないよ!? あ、あたし、ヒッキーが入院してる頃からヒッキーのことしか見てないし!」

 

 俺が聞いたのはそのあたりから。

 トイレから戻ってきてみれば、大きな声が……聞き間違えのない綺麗な声が、耳に届いた。

 途端、湧き上がる感情は……喜びと、安堵。

 

「…………わー……!《ぱああ……!》」

「そうそうこれだわぁ、マジこれ聞きたかったんだわぁ……なー、ヒキタニくんっ」

「えっ……!?」

「あ、わ、悪いっ、盗み聞きとかするつもりはなかったんだ……。ただ……戻ってみたら丁度聞こえたっていうか……その」

「ひっき……え、や、ふやっ!? やぁああああああああんっ!?《ダッ!》」

「え? あ、ちょっ……結衣っ!?」

「ほら八幡っ! おっかけなきゃっ!《キラキラ……!》」

 

 あれ!? 彩加!? 彩加さん!? なんでそんなキラッキラ笑顔で言ってるのん!?

 

「おぉおお! っべー! 今俺らマジ超青春してねー!? めっちゃ盛り上がるわぁテンションアゲアゲMAXだわぁ! ほらヒキタニくん! いや比企谷くん! むしろ“八幡”! ここで追わなきゃ男じゃないでしょお!!」

 

 戸部! きみはちょっとは後先考えて行動しようね!?

 

「散々煽ったお前たちが言うな!! ───追跡と連絡頼む!」

「任せてっ」

「っべー! っべーわぁ! あ、とりあえずケータイケータイ……おーし見つけたらすぐ連絡するわー!」

 

 ───……青春とは嘘であり、悪である。

 いつか世界に絶望したら、そんな言葉を書き綴ろうと思っていたことがある。

 結衣と出会って、信用するって決めて、裏切られたら、って。

 けど……変わらずの関係はここにあって、俺達はたぶん……そんな関係に満足したつもりになっていた。

 求めていたものはその先にある、なんて、決して声には出さないまま。

 友達ってのは眩しいものだと思っている。

 ぼっちが信じる友情ってのは、相手にしてみりゃ相当重いし、そんなものは絶対に作れないって解っていても……それでも理想を求めては、裏切られ、涙する。

 結局俺が結衣に求めたものは、結衣が俺に求めてくれたものはなんだったのかと、友達が増えてから考えるようになった。

 

「《prrrブッ》居たかっ!?」

『おー! 発見したわぁ、俺今日めちゃ冴えてるわぁ! ガハマっちゃんが特別棟の方に走ってったのが見えたわぁ!』

「解った! 彩加にも連絡するから切る!」

『いいからヒキタニくんはガハマっちゃんのことだけ考えときゃ万事解決でしょー! 余所見とかするからガハマっちゃんが悩むんでしょおこの幸せ者っ!』

「アホッ! 病院で手ぇ繋いで以降結衣以外に目移りなんて一度だってしてねぇよ!」

『あ、今の録音させてもらったわ~……べーわぁ、マジべーわぁ』

「戸部ぇええええええええええっ!!」

 

 電話はあっさり切れた。

 が、止まることなく走る。そうだ、余所見はしない。答えを得た問答で迷うのは馬鹿のすることで、けど……そんな馬鹿だからこそ進める世界もある。

 世界を変えるのはひと握りの変態だとか聞いたことがあるが、それだってその変態の行動に賛同するものが居なければ変わりようがない。

 俺は変わりたいのだろうか。

 変わって、どうしたいのだろうか。

 そう思ってみても、もうとっくに変わっている自分を思えば、苦笑だって漏れるし覚悟も決まる。

 ああほんと、いい友人に恵まれた。

 

(体力作っててよかったよ、まだまだ全然走れる)

 

 走って走って、特別棟の中を駆けて、見慣れた姿を探す。

 一階二階三階とざっと見渡して、やがて四階へと辿り着くと……とある教室の前で、ケータイを片手に固まっている結衣を発見した。

 

「結衣っ」

 

 弾む息のまま声をかけると、ぴくんと肩が跳ねる。

 驚いたのだろう、すぐに逃げようとするけど、直線状で逃げ道なんてない。

 そんな彼女が取った行動は、すぐ目の前にある教室に入る、というものだった。

 俺もすぐにあとを追ってその教室に入ったんだけど───

 

「え、あ…………い、いらっ……しゃい? よよ、ようこそ、奉仕部……へ」

 

 ……。えらい美人がそこに居た。いや、べつにどこぞにS○S団とか書いてあるわけでも、そこが文芸部ってわけでもなかったんだろうけど。

 黒髪ロングの、手に小説を持った女子が、俺と結衣を見て固まっていた。

 

「あの……出来れば入る時はノックを……」

「へゃっ!? あ、あのっ、ごめんなさいぃっ……《かぁあ……!》」

 

 ぽしょりとした声で注意された結衣、赤くなって謝罪。

 俺も倣って謝るわけだが…………奉仕部? 引き戸にもどこにもそんな名前なんてなかったんだけどな。

 秘密で立ち上げた部活かなんかなんだろうか。部員も他に居ないみたいだ。

 

「ええと……」

 

 その女子は椅子を持ってきてくれて、その姿が大変そうだったから、結衣と頷き合って手伝い、自分が座る椅子を用意して……どうぞと言われて座った。うん、締まらない。黒髪ロングさんもそうだったんだろう、顔を赤くして居づらそうにしている。

 

「こほん。それで、どういったご用件かしら《キ、キリッ!?》」

 

 ……ああ、ええっと。どうすればいいんだろうか。

 この人たぶん、対人に慣れてない系の人だ。俺のぼっちセンサーがゆんゆんと蠢いている。

 自分で“こほん”とか言っちゃってるし、これから頑張って対人慣れしようとしていた系の人だ。

 いや、対人っていうよりは……誰に対しても“普通”で居られる自分を作ろうとしていた、みたいな。

 俺も結衣と会わずに病室でぼっちを鍛えて、学校でも一年間ぼっち続けていればぼっち界のエリートになってただろうし、たぶんこの人もそういった、経験値を積み途中の人なのでは、と思う。ほら、あのー……なに? 同属センサーっていうか。

 まあ俺とはぼっちの過程が違うんだろうけど。

 

「えーと。奉仕部って聞いたけど……他の部員は」

「部員は私一人よ《キリッ》」

「ほーしぶ……あのっ、キノコとか作ってるんですかっ!?」

「いえあの……胞子ではなくて……ほ、奉仕部。奉仕部よ。私はこの部の部長、雪ノ下雪乃で───」

 

 “持つ者が持たざる者に慈悲の心を持ってこれを与える”

 主な活動はボランティアっぽいものらしい。

 自己紹介から始まった説明は、未だちょっと状況に戸惑っている俺と結衣の頭に、こんがらがりながら入ってきた。

 ようするに困っている人に救いの手を差し伸べる部活なんだそうな。

 すごいな、同じ高校生に救いの手を堂々と求めるヤツなんて居るのか? ……あ、俺、真っ直ぐにそういうの求めたことなかったから解らんかった。

 ……まあその、前までなら。今じゃ友達居るから、救いの手を求めたい気持ち、少しは解るんだよな。

 自分だけじゃ救えない友達が居る時、他の友達を頼ってでも救いたいって思うようになってしまった。

 ぼっちとしては失格でも……そんな自分の変化が嬉しかったりもした。

 ともあれ、ようこそ奉仕部へと言った黒髪ロングさん……雪ノ下さんは、言い終えると達成感を顔に浮かばせて、ムフーンと小さくドヤ顔をしていた。

 あらやだ、この子ちょっと子供っぽい上に解りやすい。

 

「それでええと……あなたたちは? 平塚先生にこの場所のことを教えてもらった、とかでは……?」

「あ、ううんっ? えっと……あたしが迷い込んじゃっただけで……」

「俺は結衣を追ってきてたらたどり着いただけで」

「追って追われて……ま、まさかストーカー被害の相談……!?《スチャッ》」

「あの、雪ノ下さん? なんでそこでケータイ構えるかな? 俺なんもやってないし、人畜無害には定評のある八幡さんと近所でも有名ですよ? 友達少ないけど」

「…………《ちらり》」

「ふえっ!? あ、うん、はい……あたしがちょっと恥ずかしいことがあって、逃げちゃっただけで……ヒッキーはストーカーとかじゃなくて」

「…………《…………~~……ほぉおお……!》」

 

 おい。この人今ものすごーく、心底と書いて心の底から安堵しましたよ?

 え? 俺そんな風に見えるの? いや、見えようが見えなかろうが、ストーカーは怖いよね、だからだよね? ね?

 

「そ、そう……だったらべつに、ここに用があるというわけでは……ないのね《しょぼん》」

(あ、ちょっと残念そう……)

(あぅ……なんだか残念そう……)

 

 なんだこれ、どうすればいいんだ?

 いやそもそも俺達が彼女の読書タイムを邪魔してしまったのがいけなかったんだが、ここはそのー……アレか? なにか罪滅ぼし的に、軽い依頼でもしてみればいいのか?

 でも今困ってることなんて───…………あった。大絶賛あるよ。

 

「あ、いや、実はお願いはあるんだ」

「!《ぱあっ……》そ、そう。なにかしら」

「あ、いや……その。ずっと気になってる人が居てさ。その───」

「ごめんなさいそれは無理」

『即答だっ!?《がーーーん!》』

 

 相談途中で断られてしまった!

 え!? なに!? なんなの!? いや恋愛事の相談ほど面倒で意味のないことなどないってことくらい知ってるよ!? でもちょっとの後押しが欲しかっただけで、決意自体はもう俺の中にあるわけでですね!?

 ていうか何気に結衣と言葉が重なってしまった。嬉しくて、恥ずかしい。

 

「そう、そういうことだったのね。最初の依頼主がまさか、そういう人だったなんて」

 

 そんな嬉し恥ずかしも、目の前の雪ノ下さんの冷たい視線でヒヤアと凍らされてしまう。

 え? そんなに嫌だったの? ごめんなさい、ほんとごめんなさい。想像してみたら俺も恋愛相談とか冗談じゃなかった。

 だから───

 

「まさか依頼と見せかけた、手の込んだ私への告白だったなんて」

 

 ───……だから。ちょっと落ち着こうか、そこのロングさん。

 ほら見なさい、結衣も驚きのあまり固まって…………あれ? あの、え? なんで俺の方見て静かに首を横に振りながら、絶望顔で涙目になってらっしゃるんで?

 なにその最愛の人に裏切られた映画のヒロイン的な反応。え? あれ? なんかおかしくない!? ちょっと待て、これおかしいよ!?

 

「お、おい、ちょっと待て。俺は───」

「いえ、いいのよ。よくあったことだもの。私、可愛いから」

 

 わあい、殴りたい、そのドヤ顔。

 いや、本気で殴るつもりはないけど思うくらいなら自由だよね? 人の言葉に被せてまで可愛いアピールされたら、思うくらい許されてもいいよね? ね!?

 

「……《ピッprrrブツッ》……ああ戸部? さっきの許すからさ。うん、うん。結衣にさ、それ添付してメールで送って。なんか今もうややこしいことになってるから、証拠をそのまま突き出す。うん。話聞いてくれないし遮られるしで俺もう泣きそう」

「? なにを言っているのかしら」

「勘違いだから」

「勘違い?」

「告白の依頼って部分は正解。でも相手は雪ノ下さんじゃない」

 

 遮られるなら簡潔に。余計な言い回しはせず、勘違いという部分をしっかり聞かせる。

 相手が興味を持てば後半の言葉も拾ってもらえるだろうし、なにより───

 

「? とべっち?」

 

 戸部から結衣へ、メールが届いた。俺が言ったブツだろう。

 結衣はなんの疑問も特には持たず、添付ファイルを再生する。

 それでいい。

 そうしてようやく、彼女が持っていたケータイから声が漏れ、静かな特別棟に響く。

 

『アホッ! 病院で手ぇ繋いで以降結衣以外に目移りなんて一度だってしてねぇよ!』

 

 ギャアアアアアアアアアア戸部ぇえええええええっ!!

 それでもやっぱり恥ずかしい。たった今、ここで、確かに必要なものだったけど、正確に録音されていた事実が恥ずかしくて辛い。

 

「………《ぽかーん……》」

「………《…………かぁあ……!》」

 

 沈黙と、赤面。

 雪ノ下さんは硬直して、結衣は真っ赤なままに目を潤ませ、ふるふると震えながらゆっくりと俺を見る。

 

「あー……そんなわけで。今日初対面の雪ノ下さんに会うよりも先に、俺が見る人ってのは決まってるんだ。言った通り、目移りなんて絶対にしない」

「…………ひっきぃ……」

 

 ああでも恥ずかしい。恥ずかしすぎて死ぬ。

 なんで俺初対面の人にアイラブ結衣を説かなきゃならん状況に立っておりますのん?

 さすがに頭を抱えて蹲るレベルだ。むしろ頭抱えた。ほんとに抱えて悶え苦しんだ。

 そして、そんな俺へと……ゆっくりと近づいてくる足音。

 真っ赤になっているであろう顔をなんとか持ち上げてみれば、目の端に涙を滲ませて、顔が笑顔になるのを必死に耐えている……結衣の姿が。

 

「ヒッキー……これ、ほんと……?」

「う、うぐぐ……いや、その……」

「……あの……あ、あたし、あたしね? ……あたしが言ったことは……ほんと、だよ? 病院で話すようになって、勉強とか教えてもらうようになって、少しずつ、少しずつ……ヒッキーのこと、好きになってた」

「~~……お、俺も……。病院で話してて……一緒に居ると楽だな、って思えてきて……。でも……言ったら友情ってものが壊れる気がして……」

「う……うん……あたしも……。なんだ……あたしたち、同じこと考えてたんだね……」

「しょうがないだろ……それは。だってさ、俺達にとっては……友情っていうのは大切なものだったし……さ」

「うん……」

 

 お互い、友情を信じたからこそなんでも言い合えた。

 自分の内側を思うさまぶちまけて、互いに知って、笑い合えて。

 こんなことが現実で起こるんだなっていうくらい、そんな出会いに感謝した。

 でも……今じゃ、理想の友達じゃあ我慢出来なくなってしまっている。

 

「なんか……ちょっと悔しいんだよな。俺は一生恋人なんて出来ないんだって決め付けてて、だから最終的には友情ってものが最高の感情になるんだって思ってた」

「あたしは…………それでも、恋がしたかった……かな。ううん、出来てよかった。知らない感情が残ってるのに、それを見ない振りして最高を決めたくないから……」

「結衣……」

「ヒ、ヒッキー……あたし、ヒッキーが好き。友情は大切だけど、でも、今、今ね? あたし……友情に負けたくない。このあったかい気持ちは、きっと友情より眩しいものなんだって……思いたいから」

「………」

「だ、だから……だからね? ヒッキー……あたしと、友達以上に……なってください」

「───」

 

 ドクンって。聞いたこともない音が聞こえた。

 “友達以上”は親友だって思ってた。

 相手が男ならきっとそれでよかった。

 でも相手は女で、俺は男。

 どうしてもそうなってしまうものなんだろうか、と考えて……必ずしもそうじゃないとは思える。

 けれど実際そうなって、その先へ進みたいって思ったなら……ここで答えないのは男じゃない。

 友達に背中押されて辿り着いた青春だ。せいぜい、思い切り踏み込んで、まちがえても笑っていられるような道を選んでみよう。

 

「俺も……あ、いや……───告白に便乗して、じゃなくて、ちゃんと言うな。……はぁ、……んっ。由比ヶ浜結衣さん。ずっと好きでした。俺と付き合ってください」

「───……はい。比企谷八幡くん。あなたが好きです。あたしを、あなたの恋人にしてください」

「……は、はいっ」

「……~~《かぁあっ……》」

「…………《かぁああっ……》」

「……~~~っ! ~~~~っ……!!《かぁああああ……!!》」

 

 俺達は赤面した。赤面して、俯いた。

 一名、別の意味で赤面していたロングさんが居たが、きっと今ツッコんだら泣いてしまうと思ったからツッコまなかった。

 



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幾度も結ぶ僕らの恋③

 そうして、恋人同士ってものになった俺達はといえば───

 

「っべー! べーわぁ! ここが胞子部!? キノコとかマジ見てみたいんだけどぉ、どっかに隠してあんのー!?」

「戸部くん、静かにしなきゃ」

「ゆーてもこうして仲間内で部活に入るとかマジ青春しまくりんぐでしょぉ、テンション上がるわぁ~」

「むしろ戸部も彩加も、いいのか? サッカーとかテニス」

「べつにサッカー選手目指してるわけでもないし……いんじゃねっ☆」

「僕も、やるならみんなとやりたいから」

 

 あれからいろいろあって、奉仕部に入部していた。

 いろいろっていうのがまあ……あの日、恥ずかしさのあまり涙目になったどこぞの部長さんだったわけだが……

 

「どうしてこうなってしまったのかしら……」

「うん、とりあえずアレだ。見ていられなかった」

「いらないお節介をありがとう、告白谷くん」

「ガヤしか合ってないぞ、それ。……悪かったよ……その、急に入ってきて告白とか」

「~~~……それはもう忘れてちょうだい……!」

 

 まあ、その容姿ならしょうがないなぁとは思う。

 雪ノ下さんは幼い頃からいろいろあって、男子に告白とかされまくっていたんだそうな。

 もちろん遠回しなものから直接的なものまで、ありとあらゆる告白を。

 中には一目惚れとか、彼女が居るのに告白、なんてのもあったらしい。

 そりゃしょうがない、勘違いもする。

 まあそんな理由もあって、どうせ部活も入ってなかったしって理由で入部だ。

 入部する旨を戸部や彩加に話してみれば、じゃあ俺も僕もってことになって、現在に到る。

 結衣はといえば、なにやら雪ノ下さんといろいろ……ああいや、雪ノ下さん“に”話しかけまくっている。

 どうやら仲間内に女子が居なかった分寂しかったようで、部活仲間という名目を存分に武器にして、また勘違いしてしまわないようにと話を最後まで聞く姿勢を取っている雪ノ下さんに、それはもう遠慮なく話しかけまくっている。

 

「ね、ねぇ雪ノ下さん。ゆきのん、って……呼んでいい?」

「いやよ」

『ダメとかじゃなくて嫌なんだ!?《がーーーん!》』

 

 そして全員分のツッコミが、その部室に響いた。

 

「だ、大体、仲間に女子が居なかった、なんて……。そこに居るじゃない」

「え? あ、あー……えっと、僕、男です。戸塚彩加っていいます」

「!? ……、っ……えっ……!?」

「あー……まあ、驚くのは無理ないっしょぉ……誰でも最初は通る道だべ」

「男性三人の中に独りだけ…………苦労したのね、由比ヶ浜さん」

 

 おお、雪ノ下さんがやさしい笑顔に……!

 

「ゆきのん……!」

「やめてと言ったでしょう、あなた耳でもおかしいのかしら」

 

 あ、絶対零度の冷笑に変わった。

 

「あー、ところでえーとぉ、雪ノ下さん? 告白のあとのこの二人~、どんな感じだったのか……」

「そうね。顔を赤くして手を繋いで、人の目があるというのにべたべたしていちゃいちゃして、終いにはキスをしていたわね」

「うひゃっふぁひぃやぁあああああっ!? ゆゆゆゆきのんななななに言ってぇええっ!?」

「ちょぉ、告白したばっかなのに、それマジレベル高すぎでしょぉ……けど、グッジョブ? ヒキタニくん、グッジョブ?」

「わ、わー……八幡、それほんとなの……?」

「い、いやー……その………………だいたい?」

「ヒッキーも! なんで言っちゃうの!?」

「やー、でもガハマっちゃんの反応見てりゃ一発っしょ……。ガハマっちゃんがいっちゃん解りやすいわぁ」

「はうぅっ!?《がーーーん!》」

 

 そう。告白から手を繋ぎ、見つめ合って恥ずかしくて、でもニコニコしながら見つめ合い、やがて……って感じで。

 いやほんと、自然だった。引かれるみたいにそっと。だった。

 俺でもあんなんなるんだな、なんて……した後に思ったくらい。

 で、ラブラブチュッチュしたあと、いや正確には気づけば完全下校時刻のチャイムが鳴ってたくらいだから相当長い時間ちゅっちゅしてたわけだが、ハッと気づけば見ていられなくなったのであろう、顔を両手で覆ってふるふる震えていた雪ノ下さんが、「お願い……もう帰らせてちょうだい……」って涙声でお願いしてきていた。

 それから何日か話す機会があって、俺達があの事故の当事者同士だって知って……それからは、まあその。むしろありがとう、みたいな感じで、結衣が雪ノ下さんに抱きついたりして……いろいろあって現在に到るわけだ。

 

「あー、ところでこの部活、依頼人が来るまでなにしてるん? 駄弁るん?」

「各自で時間を潰してちょうだい。小説を持ってくるのでも構わないし、ただあまり騒がしくはしないでくれるとありがたいわ」

「おっけおっけ! んーじゃあまずは親睦会っちゅーことで、軽いゲームでもしてみちゃう?」

「……戸部くん、といったかしら。騒がしくしないでと言ったのよ、私は」

「あんれー……? もしかして雪ノ下さん、ゲームで負けるの怖い系?」

「いい度胸ね、それは私への挑戦と受け取ったわ」

 

 変わり身速っ!? 

 あの彩加をして、「うわー……」とか言わせるほど変わり身の速さよ……!

 

「じゃあさじゃあさ、今日はゲームとか特に持ってきてないし、軽くじゃんけんとかから───」

「いやいやー、集団ゲームの基本はトランプでババ抜きでしょぉ! 安心して俺にまっかせなさーい! 俺、トランプとかマジ常備してるしっ! いんやー俺パーフェクトサポートすぎっしょー!」

「戸部くん、静かに」

「アッハイ」

「う、うー、うー……」

「……? 由比ヶ浜さんはなにを唸っているのかしら」

「ああ、えっと。由比ヶ浜さんはね、ババ抜きとかポーカー、顔に出ちゃうタイプだから」

「ああそれで。……トランプを出される前にじゃんけんにしたかったのね」

 

 負ける未来を想像しているのか、やる前から悔しそうにしている結衣の頭を撫でる。

 と、きゅっと寄り添うようにして密着してきて、見上げてくるからたまらない。

 まるで、犬に“もっと撫でて”とねだられているようだ。

 

「こほんっ。……由比ヶ浜さん、撫で谷くん、ここはいちゃつく場所ではないのだけれど」

「安心してくれ雪ノ下さん。これは慰めているんであって、いちゃつきでは断じてない」

「そう。ならば寄り添う理由にはならないわね。由比ヶ浜さん、離れなさい」

「………《ピタッ》」

「………《ぎゅうう……》」

「いえあの……撫でなければ寄り添っていていいとは、誰も言っていないわよ……」

「まあまあ雪ノ下さん、ここは硬いこと言いっこなしってことで! したらもうゲームとか始めちゃいましょぉ、はい一枚二枚三枚……」

「……強引なのね、彼」

「あはは……でも、戸部くんが居ると居ないのとじゃ、いろいろと違うから」

「そう……騒がしいだけではないのね」

「え、と……うん……基本は騒がしい、かな。あはは」

「とべっちだもんね……」

「まあ、戸部だから」

「……はぁ。なんとなく解ったわ、彼の立ち位置が」

 

 トランプが配られた。

 そして座っている位置関係で回転方向を決めて、早速開始。

 

「ほんじゃあ俺から……おっ、早速一枚捨てられたわー、オープニングヒット取っちゃったわー」

「静かにしなさいと言っているでしょう……はい、由比ヶ浜さん」

「うん。えとー……これ。はい、ヒッキー」

「これだな。ほい彩加」

「えーっと……じゃあこれ。はい戸部くん」

「じゃあこれ……ああいやこっち? いやいやこっち? ……これだわ~、これしかないわ~───ぶふっ!? ないわぁ、これないわぁ……」

「ババか」

「ババね」

「ババだね」

「戸部くん、顔どころか口にも出しすぎだよ……」

「いんやぁ、こういうのも解ったほうが面白いってもんでしょぉ! ちゅーわけで雪ノ下さんっ! オナシャスッ!」

「《ごくり》……っ……! これ……、いえ、これ…………い、いえ……!《ぐぬぬ》」

(……わああ……本気だ……)

(本気の目っしょ……)

(わー……本気の目だよヒッキー……)

(……負けず嫌いなんだろうな……そっとしといてあげよう)

「───!《クワッ!》これっ! ……ぐっ!?《がーーーん!》」

 

 その反応だけで丸解りだった。

 そうして一枚一枚引いていって、戸部が上がり彩加が上がり、俺が上がって……舞台は結衣と雪ノ下さんの一騎打ちに。

 

「なんだか無駄に緊張しまくりんぐでしょぉ、これ……」

「な、なんか喉乾くね」

「雪ノ下さんが本気すぎるのが問題なんじゃないか……?」

「な、なにを言っているのかしら。私のなにを、どこを見て本気だというのか。まずはそれを説明したのち、私が納得出来るまでそれらを細かく砕いた上でさらに説明を───」

「ごめん悪かったからゲームに集中して!?」

「ふぅ……解ればいいのよ」

 

 うん、ゆきのん、結構解りやすい子だ。

 

「あぁところでガハマっちゃん? これで勝ったら、ヒキタニくんがご褒美あげるって。こ~りゃ頑張るっきゃないでしょぉ!」

「へっ? ご褒美? なにそれ」

「ほんとっ!?《ぱあああっ……!》」

「エ!? ア、ヤー……ウ、ウン」

「ごほーび……《キラキラ……!》」

 

 ウワー、目ぇめっちゃ輝いてらっしゃルーーーッ!!

 

(お、おいっ戸部っ、どーすんのあれっ! ご褒美なんて、俺どうしたらいいかっ……!)

「ガハマっちゃーん! ご褒美はなんと! NHの後の壁ドン顎クイ、最後にK……濃厚なディープキッスだってさぁ! いんやー、こりゃ勝たなきゃ嘘でしょぉ!」

「───!!《ぐぼんっ!》~~~っ!? ~~~っ!?」

 

 あ、なんか終わった。

 結衣が瞬間沸騰して、わたわたして、両頬を手で押さえて、ふるりと震えたあと……そこには、戦う女性の姿があった。

 

(わあ……! 本気の目だ……!)

(おー! これとかガハマっちゃんマジやる気でしょー!)

(おい……おい、どうすんだよこれほんと……)

 

 ていうかNHってなに? あと……か、カベ・ドゥーン? どこぞの魔王さまがカツ丼につけそうな名前ですね。顎クイは……なんとなく解る、かな。

 で……NHに……Kを並べるとNHK? 受信料取られちゃうの? え? 違う?

 ふんふん……? 二の腕を(N)引っ張って(H)キスをする(K)の略?

 ……え? 俺、これで結衣が勝ったら、わざわざ壁の近くで結衣の二の腕引っ張って、壁に追い詰めたあと壁に手ぇついて顎をクイっとしてキスしなきゃならないの?

 やだ困る! いやヴァンプ将軍やってる場合じゃなくてさ! 困るよ!

 そんな───ひ、人前でキスだなんて! ……え? そういう問題じゃない?

 そ、そうだよな。遊びのご褒美でキスってなんかヘンだもんな。

 それに条件が同じなのに、雪ノ下さんにはなにも無いって言うのは差別だ。

 

「あ、じゃあ雪ノ下さんには───」

「……え? な、なにかしら。私にもなにかがあるとでもいうの?」

「うーん……俺からなにか貰ってもうれしくないだろうし……あ、じゃあこうしよう」

「?」

「戸部g」

「ごめんなさいそれは無理」

『早っ!?』

 

 まだ戸部しか言ってないのに驚きの速さで断られた。

 あ、でも戸部爆笑。元気だなぁ。

 

「ところでヒキタニくん? 雪ノ下さんのご褒美ってなんて言うつもりだったん?」

「戸部が脱ぐ」

「ごめんなさいそれは無理」

「ちょぉそれ断られてもマジ当然でしょぉ!? ヒキタニくんキッツイわー! ちゅーか改めて断られるとか俺のハート、マジズタズタだわぁ……」

「じゃあ戸部がなんでも言うことを聞く、とか。あ、一度だけ」

「…………《むぅ》」

「だからヒキタニくーん、俺をご褒美にするとか、勝手にご褒美扱いにしたの謝るから───え? あの、雪ノ下さん……? なんで真面目に考えてるん?」

「……静かにしてもらう……いえ、この部室での発言を禁止……? いえ、口を開くことを禁止する……」

「え、えー……? なんか俺マジで風邪とか引いたら生命の危機になりそうなこと、真面目に考えちゃってる感ありまくりんぐなんですけどー……ヒ、ヒキタニくーん……」

 

 やめて、俺に振らないで、巻き込まれたら俺もいろいろ禁止されちゃいそう。

 

「大丈夫だよ戸部くん、ご褒美って意味では八幡も変わらないし、それも戸部くんが先に言い出したことだし」

「あれ? 戸塚ちゃん? あれ? なんか怒ってる? え? なんでー?」

「遊びでキ、キスとか、女の子のご褒美にしちゃうなんていけないと思うんだ、僕っ」

「あ、あー……確かにちょっとチョーシ乗りすぎたかもだわー……あ、お二人さーん? さっきのご褒美のことなんだけどー……」

「───なにかしら。真剣勝負の途中で声なんてかけないでちょうだい《じろり》」

「とべっちちょっと黙ってて《じろり》」

「アッハイ」

 

 戸部、沈黙。

 い、いや、ご褒美の件に関しましてはとても魅力的ではございますヨ?

 けれどもそれをご褒美としてしまっては、言われたからやったみたいな強制力が働いてしまい、どうにも納得できないと申しますカ。

 いえ嫌ではないんですよ? 重ねて言いますが嫌ではないのです。

 ただなんといいますかハッキリ言ってしまえば恥ずかしいと言いますか。

 

「では勝負よ、由比ヶ浜さん」

「うんっ、勝っても負けても恨みっこなしってゆーやつだよね!」

「嫌よ、恨むわ」

「恨むんだっ!?」

 

 どんだけ戸部を黙らせたいの、雪ノ下さん……。

 彩加と顔を見合わせて笑う中、やがて伸びた雪ノ下さんの手が、結衣のトランプを掴んだ。

 

 

───……。

 

……。

 

 帰路を歩む。

 普段の下校時刻とは違い、完全下校時刻ともなると家を目指す生徒自体も少なく、静かなものだ。

 自転車は虫ゴムの劣化により空気が入らず、家で沈黙しているため、今日は歩きだ。

 

「あうぅ……あそこで右のを取ってたら……」

「俺としては、ああも二人ともババを引き続けられたことに驚いたよ」

 

 結衣と雪ノ下さんの勝負は、あれから随分と続いた。

 どんな奇跡だったのか、はたまた互いに表情を読み取ったのか、何度引いてもババ、ババ、ババ。

 ようやくそれが終わった時っていうのが、集中しすぎていた二人が平塚先生の来訪に驚いて、狙っていたトランプとは別のトランプを掴んだ瞬間、っていうんだから……。

 あれ、もし平塚先生が来なかったら、ずっと続いていたんじゃなかろうか。

 

「で、でもさ。でも……」

「………」

 

 ご褒美がなかったことがとても残念らしい。

 腕を引っ張られて壁に押し付けられて、顎を持ち上げられてキス……それのどこがいいのか、俺には解らないけど───

 

(まあその、なに? 好きな人がそれを望んでくれているっていうなら)

 

 恥ずかしい。とても恥ずかしいけど……

 

(み、右良し、左良し……壁……よし、綺麗。汚くない。人通りもなし、と)

 

 ごくりと喉が鳴る。あれ? これただの変態じゃない?

 けど、恋人、こここ恋人っ、としてっ、相手がやってほしいことくらい、ででで出来るように……!

 

「───結衣」

「え?《ぐいっ》ひゃあっ!?」

 

 隣を歩く結衣の二の腕を引っ張って、それほど勢いがつかないよう、俺と壁の間に押し込むようにする。

 背中をドッと壁に当てた結衣は、状況がよく解っていないようで───けれど冷静になられても恥ずかしいから、それならばと俺も畳み掛けた。

 ええっと、カベ・ドゥーン……じゃなくて壁ドン。

 

「え? え? ヒッキ《ドッ》……ぃ……」

 

 結衣の顔の横、その先の壁に手をつき、腕を曲げる。

 曲げれば曲げるほど顔は近づいて、そうすることで、顔を朱に染め、目を潤ませる結衣の顔がよく見えた。

 それに気づいたのか、赤い顔を見られたくなくて顔を逸らそうとする結衣。

 けれど俺はもっと見ていたくて、自然と動いた右手が結衣の顎をやさしくさすり、くすぐったさにぴくんと震えた時、その顎をクイッと持ち上げるようにして俺の方へと向けさせた。

 ……あれ? これって……あれ? これが顎クイなんじゃないですか? やだ、無意識にやっちゃってたよ俺。

 表情には出さないように腹筋に力を込めて、けれど俺を見上げる結衣から、恥ずかしそうな「あぅう……」という声が耳に届いたら、もうダメ可愛い。自分を押さえられない。

 

「……結衣」

「……は、ぃ……」

 

 ご褒美ではこれからなにをする、とかそんな考えは浮かんでくれなくて、ただ自然に……壁についた左腕を曲げていった。

 曲げて曲げて、やがて肘が壁に密着する時。

 俺と結衣の口も、静かに密着していた。

 啄ばむようにして、くすぐるようにして、なめ上げるようにして、吸い付くようにして、やがて……空気が逃げないようにして。

 

「んゆっ……ぷあっ……あぅう……ご、ご褒美って話だったのに……っ……これじゃあとべっち、黙り損だよ……」

「う……まあ、その……たまにはいいんじゃないか……? て、いうか、だな……その」

「……? う、うん……?」

「してほしいこととかあったら、その……ご褒美、とかじゃなくて……普通に言ってくれ。出来るだけ、ええと……がんばるから」

「ヒッキー……う、うん。……うんっ」

 

 あ、笑顔。

 なんか……やすらぐ。

 好きな人の笑顔って、自分もうれしくなるから不思議だ。

 

「じゃあ、ね……あの、ヒッキー……? さ、さっそくなんだけど、さ」

「ウェッ!? あ、う、うん。じゃなくて、おう……」

「……手、繋いで……帰りたいな」

「………」

「………」

「…………《かぁああ……!》」

「…………《かぁあ……!》」

 

 あんだけ濃厚なキスをしておいて、手を繋いでの下校さえしたことがなかったことに気づいた。恥ずかしい。

 それでもそうしたかったから、壁ドン状態を解除。彼女の手を引っ張って壁から離してから……お互い横に並んで、手を繋いだ。

 けれど結衣はムーと口をへの字にすると、一度手を離してから組み位置を変えて、腕に抱きつくようにしてから恋人繋ぎで手を繋いできた。

 

「ア、アーアーアウアウ……!? ゆ、ゆゆゆゆ、結衣……!?」

「え、えへへ、えへへへへぇ……♪ あ、あの、ね? 一度……もし、好きな人が……恋人が出来たら、一度やってみたかったなって……」

 

 こてりと肩に頭を預けてきて、けどなにかしっくりこないのか、何度か位置を変えて……ハッとすると顔を少し下げて、俺の腕にこしこしと顔をこすりつけてきた。

 途端、パッと俺を見上げた顔が、目が、らんらんと輝いていた。

 ……ああ、うん。どうやら安心出来る安定のポジションを発見してしまったようです。

 恥ずかしくて、もう行こう、とばかりに歩を進める。

 急に歩いたもんだから結衣はびっくりして「ひゃんっ!?」と小さな悲鳴を上げるけど……俺を見上げるその顔は、とても嬉しそうだった。

 

「……ねぇヒッキー?」

「お、おう? なんディスか?」

「なんでちょっと巻き舌なの……? えっと、えっとさ。もっと……どんどん、さ。……恋人同士で出来ること、たくさんたくさんしていこう……ね?」

「……お、俺が……その。俺が……恥ずかしさで死なない程度でお願いしたい……」

「えと……わかった。じゃあ、あーんとかは……?」

「どっか二人きりで食べられる場所、探すか……」

「わ……ダメ、とかは言わないんだ……。えへ、えへへへぇ……♪」

「うぐっ……い、いや、俺だってその……嬉しいんだから、拒否するとかないだろ……」

「うん……おべんととか、一緒に食べたい。もっといっぱいお話して、もっといっぱい遊んでさ。それで、それで……」

「ん……」

「もっと……いっぱい、一緒に居たいよ……」

「……そだな。来年、同じクラスになれるといいな」

「うん……」

 

 繋いだ手にきゅっと力を込める。

 その分だけキュッと握り返された感触に、くすぐったさと嬉しさが湧いてくる。

 

「ゆきのんともなれるかな」

「雪ノ下さんは無理だな。そもそものクラスが違うんだ。国際教養科って覚えてるか?」

「あ、うん。頭のいい人がいっぱい居る───……え? もしかして?」

「まあ、そうだな」

「うー……じゃああたしたちが国際教養科に……」

「やめて、クラスメイトがほぼ女子とか俺死んじゃう」

「えっ……女子ばっかりなの? や、やめっ、やっぱりやめようっ、うんそれがいいっ!」

 

 結衣も反対してくれて、心底ほっとする。

 いやほんと、目移りはしない自信は怖いくらいにある。あるんだが、相手がそうとは限らないだろ。

 俺がモテるとかそういうアホなこと言ってるわけじゃなくて、女子にはそういうことを捏造してでもぼっちを貶めることを好む存在が居る。

 だから、女子がほぼを占めているクラスになんて近づくアホな男子は、それこそアホな男子だ。

 小中とそういった経験を積んでくれば、嫌でも理解出来るってもんだ。

 ……希望だけは捨てなかったから、今こうして隣に、考えられないような綺麗で可愛い恋人さんが居るわけですが。

 

「んー……ねぇヒッキー。あたし、髪とか染めたら似合うかな」

「似合うだろうけど、派手になっていろんなやつに声をかけられるようになったら俺が嫉妬しそうでキモい」

「キモいところまで確定しちゃってるんだ!?」

「黒髪でいいよ。周りに合わせるとか、そういうのはしなくていいから。俺は、その……そのままの結衣が好きだから」

「そのままの………………うん。えと……あたし、結構ずるいし、欲張りだよ?」

「ん。知ってる」

「知ってるんだ!?」

 

 ずるくない人間、欲張りじゃない人間なんて居ない。

 それでも信じるって決めたし、本当に好きだから。

 そんなずるさや欲張りな彼女がどうであれ、その感情のすべてが自分に向いてくれているなら、こんなに嬉しいことはない。

 あ、いや、怒りとか悲しみとか落胆などなどの感情はどうかと思うけど。

 

「じゃあ……あたしも、もっともっとヒッキーのこと知らなくちゃだ」

「知られたら知られるたび、成長できる自分で居たいな。飽きられたら捨てられないように」

「捨てるって……あはは、それはないんじゃないかなぁ」

「いや解らないぞ? 案外───」

「ヒッキーのどこを、とかじゃなくてさ……ヒッキーだから好きになったんだ。だからね、暴力とかひどいことされない限り、あたしからヒッキーと別れる、なんて言うことは……絶対にないんだ」

「………」

 

 あ、だめ。これだめ。

 

「~~……《かぁあああああっ……!!》」

 

 顔、熱い。あっつい。

 な、なんば言いはらすばい、こんお子は。

 ああいや落ち着け俺、頭の中に軽い言語妨害ジャマーが発生した。

 え? え……と? じゃあ? 俺が結衣のことを好きで居続けて、大事にし続ければ……その、将来、とか……。

 

「…………っ」

 

 もうだめほんとだめ、好き、大好きすぎる。愛しすぎているまである。

 なにこの“付き合ってた筈なのにまた心の底からオトされた”みたいな気持ち。

 え……? これが俗に言う惚れ直したとかいうやつなの?

 なるほど、すとんと来た。これは惚れ直しだな。大好きだ。

 

「ゆ、結衣」

「う、うん……」

 

 改めて自分の気持ちを打ち明けてみて、きっと恥ずかしかったのだろう。結衣も真っ赤になってどもりつつ、俺が見下ろし、彼女が見上げる形で立ち止まる。

 

「な、なんでも言い合えるって関係……最初は目指したよな」

「うん、そうだったよね」

「ええっと……逐一報告してるとキリがないんだけど……さ」

「? うん……」

「……俺、結衣が好きだ」

「……、……───ふえっ!?」

「さっきから惚れ直しまくっててやばい。押さえとかないと今すぐにでもキスしてキモいとか言われて引かれるくらい好きだ」

「い、言わない言わないっ、キモいなんて、人が傷つくことなんて言わないったらっ! ……そのために、相模さんのグループの誘い、断ったんだから……」

「ん……ごめん、そうだった」

「でも……えへへ、そっか、そっか…………~~♪」

 

 あら上機嫌。自然とふんふーんって鼻歌歌っちゃうくらい、上機嫌な恋人さんが、すぐ隣にご光臨。可愛い。

 

「ええっと、ん、んんっ、その」

「うん」

 

 もうほんとご機嫌。俺を見上げる顔が笑顔のまんま崩れない。

 しかも“うん”って返事が、これ語尾に“♪”ついてるよ絶対ってくらい弾んでる。嬉しいって体全体で表してるくらい嬉しそう。

 そしてそんな彼女を見ている俺も、相当に嬉しい。

 

「今度……その。お前の……手作り弁当、食べたい……って言ったら、引く?」

「───………………、…………い……」

「い?」

「いいのっ!?」

「うわっと」

 

 驚いた顔で訊き返された。

 なんで……とは言わない。俺と彩加と戸部とで、もう散々味見もして大変不評だったことは、結衣自身も知っている。というか“そんなひどいかな”と自分で味見した瞬間に納得に変わったのだ。あれは仕方ない。

 

「恥ずかしながら、実はちょっと、いやかなり憧れてたもんで……その、結衣さえ良ければ」

「~~~っ……う、うんっ! 作るっ! がんばるっ! 今度はちゃんと、上手く作るからっ!」

「ていうか……お料理教室でも開くか? 俺もそこまで得意なわけじゃないけど、小学六年あたりまでは家事を任されていた腕ではあるし」

「そうなんだ……じゃあそこからは小町ちゃんが?」

「ん、そうなる。たった三年で追い抜かれた気持ちは察してほしい。……あー、でも今から家に来るんじゃ時間がないか。学校の家庭科室を、ってわけにもいかないだろうし」

「あ、大丈夫。今日は別に遅くなってもいいんだ。パパとママ、居ないし」

「」

 

 言葉が出なかった。

 え? 今……なんて? ご両親、いらっしゃらない?

 いや待て勘違いするな比企谷八幡。これはそういう意味で言ったんじゃない、純粋に両親が居ないと言っただけだ。

 つまりこのまま結衣を帰したら彼女は一人で、それを知っていて計画を立てていたクズが宅配を装って扉を開けさせて一気に───

 

「───」

 

 漫画とか小説の読みすぎだな。そう、大丈夫。とは言わない。

 実際にそういう事件もあるから、そういう話も出てくるのだ。

 だから……つまり……ようするに……。

 

「結衣」

「ん?」

「今日、うちに泊まってけ」

「………」

「………」

「………」

「?」

「……はうっ《ぽむっ》」

 

 俺を見上げた状態のまま、固まりつつも歩いていた彼女が停止。

 少しすると顔がぽむっと赤くなって、それから盛大に慌て出した。

 

「ひ、ひひひっひっきー!? にゃななにゃにゃなにいってんの!? あたっ、あたしたちには、まだそーゆーの、はやっ、ひゃややっ……! あ、でででも高2になっても処……なのは遅れてるとか周りの子が……じゃあ高1の今……!? でででもっ! でもぉっ!」

 

 ……ハテ。なんでこんなことになっているんだろうか。

 俺はただ、結衣の身を案じて提案した筈なんだが。

 えーと……? 女性、泊める。男の家…………ア。

 

「いや違うっ! ちょっと待ってくれ! そういう意味じゃなくて! ~~……結衣が、一人で居る時に変質者とか来たらって思ったら……!」

「…………ヒッキー……」

「……ごめん、それにしたっていきなりだったよな。あ、でもほんと泊まっていってくれ。いっそ家では俺の傍じゃなくて、ずっと小町の部屋に居てくれていいから」

「………」

「…………~~……頼む。本当に……心配なだけなんだ……」

「……うん。わかった。あたしもさ、実はちょっと……怖くってさ。明日から土日休みだし、パパもママもそれで遊びに行くっていってて……」

「え……じゃあ明日も明後日も?」

「うん。だから、今日から少し、ヒッキーの家にお邪魔しちゃっても……いいかな」

「いい、全然構わない。あ、でも着替えとかは」

「そんな遠くないし、今から取りに行くね。あ、じゃあここで待ってて───」

「一緒に行く」

「え? でも」

「行くから」

「…………あははっ、うん」

 

 ほにゃりと笑ってくれる姿に安心する。

 他の誰が見ても過保護というか、正直キモいくらいなんだろうけどな……いや、実感もあるし。俺だったらここまでされると困ると思う。

 でもな……なんて思っていたら、曲がり角を曲がった先で騒ぎがあった。

 

「……ヒッキー」

「………」

 

 聞こえる声を拾ってみれば、変質者が出たとか。

 なんとも言えない気持ちのまま人だかりの横を通って、結衣の家に行って……お泊りセットと、独りぼっちは寂しいので連れてきたサブレをお供に用意して、いざ出発。

 帰る途中でスマホを使い、小町に事件のことも含めて説明すれば、なにを当たり前のことをとばかりに「さっさと連れてきて!」って言われた。いやお前、兄に向かってさっさととか……。

 

……。

 

 で。

 

「いやー結衣さんよく来てくれました! 変質者とか現実味ないですけど、いっそ捕まるまでここに居てくれて構いませんからっ! あ、なんなら永久就職でお兄ちゃんの部屋に住んでもらっても……《でしっ》いたっ」

 

 迎るなりネジがぶっとんだことを言い出す小町の額に軽くチョップ。

 

「なに言ってんだ。ほれ、客人玄関に立ちっぱなしにさせてんじゃない」

「あ、こりゃ小町としたことが失礼をっ! さぁさ結衣さん! どーぞどーぞ! あ、カーくんと衝突するのはまずいので、ワンちゃん……サブレちゃんでしたっけ? は、こちらへっ! ……お兄ちゃんの部屋だけが汚い家ですけど上がってください!」

「おい待て、俺の部屋綺麗だっての。小町ちゃん? なんでそこでわざわざいらないこと言うの」

「はいはいほらほら先に汚いとか言っておけば綺麗だったら喜ばれるでしょ、いーからお兄ちゃん、ちゃっちゃと着替える。あ、結衣さんはこっち来てくださいねぇ~♪」

 

 妹の態度が俺と客人で違いすぎる件。

 まあ、いい。

 家に彼女を連れてくる、なんて一大イベントではあるが、そんなことに喜べるような状況でもない。

 さっさと着替えてのんびりしよう。遠慮があったら、結衣もゆっくり出来ないだろうし……なんならいっそ、さっき言った通りずうっと小町の部屋に居てくれてもいいのだから。

 

  というわけで、着替えてから自室でゴロゴロしていたわけだが。

 

 小町が掃除してくれたんだろうか、異様に綺麗になっている自室に呆れつつ、なんかベッドで寝転がる気分でもなかったのでクッションを枕に床に寝転がっていたら、チャッと扉の開く音。

 小町かな、と思いつつ小説に集中していた。

 気配が近くなって、あれ? と思ったら……ぽすんっ、と仰向けに寝転がっていた俺の腹に重みが。

 あんれー、カマクラだったん? それともサブレ? と思って見てみれば、恋人が寝転がりながら、俺の腹に頭を乗せていた。やだ可愛い。じゃなくてアイエエエエ!? ガハマ!? ガハマナンデ!?

 

「えちょっ、え!? ゆ、結衣っ……!?」

「あ、ウゴクヨクナイ、ノーウゴク、ノー」

「……それ、平塚先生から?」

「うん。パンナコッタ……なんとかも」

「まあ……あんまりラノベの真似はしないようにな。笑ってくれるならいいけど、別の意味で笑う人の方がたぶん多いから」

「じゃあヒッキーにだけすればいい?」

「う……まあ、その……そうかも」

「えへへぇ……♪」

 

 横向きに寝転がって、俺を見つめる顔に見惚れる。

 小説から視線を外してつい、じいっと見てしまうけど……ああもう、なんでそんな嬉しそうな顔するのか。構いたくなるじゃないか。

 

「……ヒッキー、どきどきしてる」

「腹まで心音届いてるのか……すごいな俺の心臓」

「うーん、集中してると聞こえ…………あぅ……これ、あたしのどきどきだ……」

「うぐっ……それを俺に言って、どうしてほしいと……!」

「どう、っていうか……えと。こうしていたい……かな。……ダメ?」

「……ちょっと待ってて」

 

 寝転がった体勢のままなんとか手を伸ばして、ベッドにある毛布を引き摺り下ろす。

 それを結衣にかけてやると、俺も掛け布団をばふりと腰辺りまでかける。

 全部被ると結衣が埋もれるし。……と、ちらりと結衣を見てみれば、なにやらポ~っとした顔で、薄目のまま真っ赤になっていた。

 

(……ひっきぃの匂い……)

「え? 結衣? 今なんて……」

「…………すぅ……」

「え? や、え? 結衣? ちょ……結衣っ!? …………まじか、寝てる」

 

 すげぇ、のび太くんもびっくりの新記録なんじゃないか? いやさすがに彼には勝てないか。

 

「………」

「…………すぅ……すぅ……」

 

 うわわわわわ寝顔めっちゃくちゃ可愛いぃいい……!!

 え、ちょ、どうしたらいいの、俺どうしたらいいの、助けて小町、助けて。

 

「………」

「……すぅ……すぅ……」

「………」

「んんゅ……んー…………すぅ……」

 

 大丈夫です、なんの心配も要りませんよ。自分を戒めることに関しては心得のあるベテランボッチャーの八幡さんが、こんな安心した顔で眠る恋人にやましいことなどするわけがないじゃないですか。まあ今じゃぼっちではないし、病院生活から今日までぼっちだったわけでもないから、プロを名乗れるほど優秀なぼっちではなかったけれど。

 きっと病室でもぼっちで、学校でもぼっちだったら、プロどころかエリートだったんだろうね。結衣と、彩加と戸部に感謝だ。

 ていうか……ね。なんか、欲望なんか湧かない。いや、もちろん一瞬湧きかけたけど……なんて言えばいいんだろう。守ってやりたいって気持ちがあっさり勝ってしまった。

 父性っていうのかな。ちょっと違うか。でも、結構似たなにか。

 安心してくれたんだ。俺なんかの傍で、寝てもいいって……思ってくれたんだ。

 嬉しいじゃないか。本当に……嬉しいじゃないか。

 そんな人に、どうしてひどいことが出来る。

 

「…………静かだな」

 

 呟いて、俺も目を閉じてみた。

 腹の上に大事な大事な重みがあるって、不思議な感覚だ。

 カマクラが乗ってくる重さとはまるで違う、くすぐったいのにどけたいとはちっとも思わない、大切な重み。

 もちろんカマクラがどうでもいいってわけじゃない。けど、大切ってものの……その、方向性? が違うのだ。

 

「……すぅ」

 

 呼吸を落ち着かせていく。

 うるさかった心臓も段々と静かになっていって、嗅ぎ慣れた自分の部屋に、別の香りが混ざってくると……それを自然と受け入れて、俺もまたゆっくりと静かに……眠りについた。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 …………で、朝。

 呆れたことにそのまま朝まで眠ってしまった俺達は、気づけば寒さから逃れるように毛布と掛け布団を重ね、二人仲良く抱き合って眠っていた。

 起きた瞬間が同時で、俺は“はうあ!?”と驚愕、結衣は逆にねぼけていたようで、「ぁ……ひっきぃだぁ……」なんて呟いて、んちゅりと俺の口にキスを───……朝から天国が見えた気がした。

 ええまあ、その少しあとに完全に目が覚めた結衣が赤面、叫び出しそうになったところを、彼女の顔を胸に埋めることでなんとか阻止。賑やかな朝を迎えることになった。

 や、まあその、それだけならよかったんだけどな。

 

「ゆうべはおたのしみでしたね!《ぺかー!》」

『ひゃんひゃんっ! ひゃんっ!』

 

 ……この、階下に下りた先のリビングで、今か今かと待っていた妹とサブロー……もとい、サブレはどうしてくれようか。

 新しいおもちゃを買ってもらった子供みたいにぺかーって目ぇ輝いてるよ。妹が怖い。サブレはサブレで俺を見るなり走ってきて、足元で腹を見せて服従のポーズ。やめて、お腹なでなでしたくなる。

 

「おたのしみ…………ああまあ、新しい体験ではあったな」

「ふおっ……!? おぉお……あのお兄ちゃんが大人な余裕と発言を……!」

 

 溜め息ひとつ、屈んでサブレのお腹をなでなで。毛並みいいなこいつ。

 

「なんてーのかね。大事な人の重さって、すげぇ心地良いのな」

「重さっ!? 重さって! ……あわわ、こここ小町にはさすがにちょっと早いような知りたいような……! ……あ、あれ? そういえばその当事者である結衣さんは……」

「まだ真っ赤になって悶えてる。そろそろ降りてくると思うぞ」

「……お兄ちゃんっ! ちゃんと責任取らないとねっ!」

「なんの話をしてるんだお前は」

 

 一通りサブレを撫で終えると、とりあえずコーヒーを淹れる。既に湧いていたポットのお湯を使い、インスタンティブに。

 そしてそこに練乳と砂糖を流し込む喜び……ステキ。でもちょっぴり物足りなさを感じるのは、俺の腕が黄色の理想、僕らのマッカンに届かないことを意味している。

 

「《スズ……》んー……やっぱマッカンには勝てん。レシピとかないもんかな」

「いや、そんだけ練乳とか砂糖とか入れてれば小町的には十分だと思───」

「あ、あの……ひっきぃ……小町ちゃん……おは、おはよ……」

「───あぁああん! おはようございますお義姉ちゃーーーんっ!!」

「《がばしー!》ひゃああっ!? わっ、えっ!? 小町ちゃんっ!? いきなりなにっ!?」

 

 遅ればせながら、リビングにやってきた結衣に、まるでタックルでもするかのような突進。いやあれもうタックルでしょ。腰から下ではなかったけど、八幡的に高ポイントの鋭いものだった。

 ……ていうか、話し途中で人にタックルとかやめなさい、はしたな───…………はしたないのか? これ。

 女の子が女の子にタックルするのははしたないのか否か。……OK、べつにはしたなくない。欲望にまみれてなければ。

 

「自室でお義姉ちゃんの分の布団を用意して、お風呂だって沸かして待っていた昨日……! とうとうお兄ちゃんの様子を見に行って以降戻ってこなかった結衣さんを、小町は小町的にお義姉ちゃんと認識させていただきますっ!」

「え? えっ? えっ!? お、おねっ!?」

「まあまあまあ積もるお話は散々とありますが、まずは乙女の事情が優先事項! さあさあさあお風呂が沸いておりますので、積もる話はその後で!」

「ヒ、ヒッキー!? 小町ちゃんなんかへんだよ!? ヒッキー! ひゃあああぁぁぁぁ……!!」

「………」

 

 妹の謎テンションにぽかーんとしている内に、あれよという間に結衣が風呂へと連れていかれた。

 で、少しして戻ってきた小町は自室へダッシュすると、結衣のお泊まりセット入りバッグを手に脱衣所へ。

 ああ、着替え取りに行ってたのかーとか思いつつ、つまりは今結衣は、ひとつ屋根の下で……は、はだ……カッハァッ!?

 いやいや忘れろ、いけませんよ八幡。大事にすべき対象にいきなりそんな感情を向けてはいけません。

 サ、サブレ……っ……サブレおいで! 落ち着きたい! 撫でていいですか!?

 

『ひゃんひゃんっ!《なででででで》ひゃふっ!? ひゃっ……きゅぅ、きゅぅ、くぅーーん……』

「………」

 

 無心で撫でた。撫でまくった。ああ、心が洗われるようだ。

 

「ふぃー……! やー、いい仕事したー……!」

 

 しばらくして戻ってきた小町は額に浮かんだ汗を拭って、さわやか好青年みたいな笑顔を向けてきた。

 俺もサブレのお陰で余裕を取り戻せたから、そんな我が妹に真実を告げる。

 

「昨日な、結衣と一緒に寝た」

「んもう! 解ってるってお兄ちゃんてばー! どうせお兄ちゃんが結衣さんの魅力に我慢できなくなって───」

「小説読んでたら、結衣が入ってきてなー……。俺の腹を枕にして寝転がってきたから、ベッドから毛布と掛け布団とって、まったりしてたら眠ってた」

「………………」

「………」

「ま、またまたー」

「あほ、そうでもなけりゃこんな話、妹に出来るか」

「………」

「………」

「………ヘタレ《ぽしょり》」

「やかましい耳年間」

 

 いきなりなんてこと言うのお兄ちゃんに向かって。

 お前アレだからね? 俺がヘタレだったら全国の草食系男子なんて、名前だけの肉食系男子だからね?

 

「だって今のお義姉ちゃんの反応見たら、もうOKだったってことくらい解ったでしょー!? なんなのあのリビングに入ってきた時にお兄ちゃんを見つけた時の信頼しきってる顔! 思わず小町、きゅんってトキメキかけたよ! なのにこの兄は……!」

「あの、やめて? なんかとんでもなく情けないように聞こえるから。ていうか大事な人を大事にして何が悪い。あんな可愛い寝顔見せられて、ヘンな欲望なんか湧いてくるもんかよ」

「……あ、そっかー、お兄ちゃん、父性が勝っちゃったかー。まあ正直小町も、急にそんな事態になったらどう対処していいか解らなかったから、無駄にヘンなテンションになっちゃってたわけだし……それにお兄ちゃんだしね……」

「だからやめろって」

「あ、でも結局は一緒に寝て、おはようのチューとかしちゃってたりしたら、小町的にポイント高いっていうか」

「おいやめろ」

 

 この妹ったらどこまで知ってるのん?

 脱衣所で結衣になに聞いたの、ちょっと。

 

「あ、それよか小町にもコーヒーちょうだい? 兄のお嫁さん候補のためにテキパキ動いた妹を、兄は労うべきなのです」

「~~……言うと思ったから、ほれ」

「おー! さっすがお兄ちゃん!」

「はいはいさすおにさすおに。んでお前、今日予定とかは?」

「んえ? んや、べつになーんもないけど。どしたのいきなり…………あっ」

 

 はい待ちなさい小町さん。あなた今なにを察したの?

 

「やーやーやー小町としたことがっ! 大丈夫だよお兄ちゃんっ、お兄ちゃんがそんな積極的な気分なら、小町すぐに予定とか作って外に出とくからっ!」

「アホ、余計な気を回さんでよろしい。むしろ変質者のこととかで不安になってるかもだから、一応女なお前が一緒に居てやってくれ」

「あ、そっか。でも一応は余計だよお兄ちゃん」

「そか」

「うう……今まで散々尽くしてきてあげたのに、恋人が出来た途端にお兄ちゃんが冷たい……!」

「シスコンしてたら突き放しまくってたくせに、勝手なこと言ってんじゃありません」

 

 そんなことを、互いにヘラっと笑いながら話す。

 朝食は久しぶりに俺が作ることになって、それはもうたっぷりと心を込めて作った。

 真心込めすぎたら時間がかかって、出来上がる頃には結衣も風呂から上がり、髪も乾かし終えて戻ってきていた。

 

「ほえー……どしたのお兄ちゃん。しばらく料理なんてしてなかったのに、腕上がってない? もしかして小町に隠れて料理の勉強とかしてたりした?」

「いや、気分が向くままにやったら上手くいった。あれだな、料理は愛情」

「うー……! あたしもそんなこと言ってみたい……!」

「まあ、ゆっくりな、結衣。俺も手伝うから」

「あ……う、うん……《かぁああ……!》」

「……兄の“男の顔”を見てしまった……。今の小町的にポイント高いよお兄ちゃんっ」

「いいから座れって……ほれ、テレビ消せとか言わんからこっち来い」

 

 と言いつつ、テレビに目を移した。

 するとどうでしょう、知っている景色を見た気がして、つい二度見なんてことを実際にしてしまった。

 

「あれ……? ヒッキー、ここ総武高校の近く……」

「だな。しかも変質者が出たあたりの───」

『先日、この場所で起こった事件の際、逃げ出した変質者が───』

「うわ……ニュースになるくらいの話だったんだ……。よかったねお兄ちゃん、お義姉ちゃん……鉢合わせなんてことにならなくて」

「だな……」

「うん……やっぱり泊めてもらってよかったかも……」

 

 ニュースでは総武高校付近で起こった事件についてを話していた。

 それは重い話…………だと思っていたのだが、むしろ逆に犯人が捕まった、という話に流れていった。

 

「えっ!? 捕まったの!? 早っ!」

「お巡りさんが近くに居たりしたのかな」

「そりゃ助かるな。さすがに変質者がうろつく場所付近に結衣を帰すわけには───」

『変質者を拳で気絶させた高校教諭、平塚静さんは、今回のことについて“人として当然のことをしたまでです”と語っており───』

『ぶふぅううううっ!?』

 

 変質者が捕まった、という話に安堵した矢先の驚愕が、僕らを襲った。

 え? ちょ、平塚先生!? アナタいったいなにしてはりますのん!?

 ていうかニュースキャスターさんも! 拳で気絶させたとか言わなくてもよかったよね!? なんでちょっと顔赤いの!? 生き様に惚れ込んじゃったりしたの!?

 やめて! ただでさえ男よりも男らしいとか言われて貰い手がアレでアレなのに……!

 

「平塚先生……」

「ン……まあ、その……なんだ。……よ、よかったなー、平塚先生。これで話題になって、守られたい系男子に……その……」

「言って!? ちゃんと最後まで言ったげてよお兄ちゃん!」

 

 小町も俺の見舞いに来た時とかに先生とは会っている。

 会っていて、しっかりと結婚したい……という呟きも耳にして、どうしていいか言葉に詰まっていた。あの小町がだ。

 つまり、今もなんかそんな状況。

 

「……今日、休みでよかったって心底思うわ……」

「うん……あたしも……」

「あ、それで二人の今日の予定は? 変質者も捕まったみたいだし、デートとか」

「デッ!? ……あ、あぅ…………《ちらっ?》」

 

 ぐっ……あの、やめて? そんな期待を込めた目で見られると、八幡トキメいちゃう。

 

「あ、それとも外には出なくて家デートってやつですか? 誰の視線も気にせず、たーっぷりお兄ちゃんの傍にとか───」

「……!《きゃらぁあん!》」

「あ……」

「あー……」

 

 決定した。家デートだこれ。

 言われた時の結衣の目が、それはもうきゃらんと輝いた。

 あの小町が言葉に詰まるくらい、それはもう綺麗な輝きであった。

 

「あの、お義姉ちゃん? ほんと、変質者とか気にせず休み中泊まってってくれていいですからね? 小町もお義姉ちゃんが居てくれると嬉しいです」

「え、そ、そっかな。……えへへ、そっか。邪魔しちゃってないかな、とかちょっと不安で……」

「不安だなんてとんでもないですよ。むしろやっぱり永久就職として兄の傍に……!」

「だから、身内からの催促みたいなものほど関係を壊すものはないんだから、そこんところを少しは考えろ、あほ」

「む。それは確かに……ん、わかった」

 

 それからはきちんといただきます。

 恋人とサブレを混ぜた家族の食事に、なにやら湧き上がるなにかを感じながらも食べ終えて、ごちそうさま。

 結衣においしいおいしい言われて頬が緩みっぱなし。あと妹にキモい言われまくった。ほっといてくれ、今素直に嬉しいんだから。

 



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幾度も結ぶ僕らの恋④

 

……。

 

 昨日は俺も風呂には入っていなかったから、食事のあとに入った。

 残り湯とか飲んじゃだめだよ、とかほざきおる妹に阿呆と返し、ゆったりたっぷり。

 風呂から上がってリビングに戻ってみれば、きゃいきゃいと女子トークをして楽しむおなごが二人。

 邪魔するのもなんだしと、階段を上って部屋へ行くと、体の熱がまあまあ引いてから着替えた。

 ……で、視線を落とせば、俺と結衣が被って寝た毛布と掛け布団。

 

「……《かぁ》」

 

 あ、今アレ。顔絶対赤い。あ、あー、ののののぼせちゃったカナー、俺。どこ? サブレどこ? 今すぐキミを、モフりたい。

 まあ、アレですよアレ。だらしがないとか思われたくないし、ベッドメイクでもしますか。

 はいテキパキ~と。

 よし。

 

「………」

 

 …………。暇だ。

 小説でも読もうか。丁度途中だったし。

 クッションの上に置きっぱなしの小説を拾い上げて、ベッドに腰掛けて開く。

 ……と、丁度昨日見ていた場面を開いてしまい、一気に頭を占める恋人の寝顔や匂いや柔らかさ。トドメに目覚めのキスのことまで思い出してしまい、しばらく悶えた。

 やばい、結衣に会いたい。

 でもなー、妹と女子トークしてるのに、それを邪魔するのもなー。

 ああモヤモヤする。

 

「…………」

 

 勉強でもするか。

 よし、結衣に傾きすぎている頭を、少し冷やしてあげよう。

 そうして勉強を始め《こんこんっ》

 

『え、と……ヒッキー……居る……?』

「………」

 

 さよなら勉強。

 

「おー、居るぞー」

 

 勉強道具を仕舞いつつ声を出すと、コチャリとドアを開けて結衣が入ってくる。

 その顔は……ちょっと、緩んで赤い。

 

「お風呂、上がってたなら言ってくれればよかったのに」

「小町と楽しそうに話してたから。女子同士の会話って、男にとっちゃ邪魔しづらいものなんだ、悪い」

「あー……そういうの、あるかもね」

 

 言いつつ、トテトテと歩いてきて、ひょいと机の上を覗くように身体を傾ける。

 もちろん、既に片付けられた机があるだけだ。

 

「あ……勉強中だった?」

「いやべつに。ただ、なんというか、落ち着かなかったから」

「え、と。あたしの所為?」

「所為とかそういうことじゃなくて、あー……嬉しい方向で。お陰……とも違うんだけど、その、……そわそわしてた」

「あぅ……そ、そうなんだ……」

 

 なんでも言い合える関係を目指して、言えることは言おうと決めた。

 けれど、これは相当恥ずかしい。しかし後ろめたいことがあるわけじゃないから、視線は絶対に外さない。なにこれある意味地獄なんですが。いやほんと、嫌な方向での意味じゃなくて。

 

「あ、あー……そういえば、昨日見てた小説は?」

「……開いたら、結衣の寝顔思い出しちゃって……その」

「!!《ぐぼんっ!》」

 

 瞬間沸騰が目の前で起こった。

 次いで、わすれてわすれてと真っ赤な彼女にぽかぽか殴られた。

 天国は、そこにあった。

 神様……俺がずっとぼっちだったのは───中学時代に惚れやすかった所為で経験した辛さや悲しみは、彼女とともに歩むために必要なものだったのですね?

 可愛い恋人にぽかぽか殴られるなんて、小説とか漫画の中だけだと思ってたのに。

 座ったままくるりと椅子を回転させて、殴ってくる彼女を抱き寄せた。

 キモいとか押し退けられたらどうしよう、って一瞬浮かんだ恐怖もすぐに消える。

 なんというか、すぐに逆に抱き締め返されたから。

 

「えへへぇ……あたし、ヒッキーの匂いって好きだなー……」

「そ、そう? って、今俺石鹸の匂いしかしなくない?」

「んー……じゃあ、雰囲気? 空気? えっとね、近くに居るとね、安心するの。すっごく」

「う……《かぁあ……!》そ、そっか……自分じゃよく解らない……」

「近くに居て、こんなに安心出来る人、今まで居なかったなぁって……。あはは……その前に、傍に居たいとか思う人も居なかったや……。……うん、だから…………初めて好きになった人が、ヒッキーでよかった……」

「………」

 

 言葉が、じんわりと広がってゆく。

 ばかみたいにドコンドコンと鳴っていた心臓も、やがて静かになり……とくんとくんとやさしく脈打っている。

 何度も何度も好きになって、その度に好きの大きさが大きくなって、好きが大好きになって、大好きが───……

 

(……うん……)

 

 もし最初に結衣を好きになれていたなら、その初恋は実ったかな、と考えた。

 たぶんそれは無理で……初めての体験に燥ぎすぎて、今まで通りキモいとか友達じゃだめかなとか言われて……二度と話す機会もなく、言い触らされるだけの辛い道を歩んでいたかもしれない。

 そう思えば、あれらはやっぱり必要なことで───そんな自分を好きになってくれたのが結衣なら、俺も今までの過去を胸張って肯定できる。

 

「結衣……」

「うん」

「好きだ」

「うん、あたしも」

「大好きだ」

「うん」

「変な言い方になるけど……出会ってくれて、ありがとう」

「っ……それは、あたしの台詞だよぅ……」

 

 ぐすっ、て鼻をすする音がして、ぎゅううと腕に力を込めて抱き締められた。

 負けじと、胸に抱き付いている彼女の頭を抱き締めて、やさしく撫でる。

 

「……好きってすごいね」

「……同じこと考えてた」

「うん……他の人なら絶対に嫌なのに、ヒッキーなら全然嫌じゃないや……」

「俺も……というよりは、たぶん結衣以外じゃキモいとか言われて嫌われるから」

「あははっ、あたしは前のヒッキーのことは知らないけど……今のヒッキーなら、その人きっと後悔するんじゃないかなぁ」

「ないって、絶対。それに、その……う、ぐぅう……《かぁあ……!》」

「……えと、言ってほしいな。気持ち、教えてほしい」

「~~~っ………俺はっ……その。……結衣じゃなきゃ、嫌、っていうか……その」

「はうっ……《ぽむっ》」

 

 やさしい顔が、ぽむと朱に染まった。

 途端、胸に顔を押し付けて、「~~~~っ!!」と声にならない声をあげて、ぐりぐりと顔をこすり付けられた。

 

「ゆ、結衣?」

「あ、あの……ひっきぃ……えと、えとね? お願いが……あるんだけど」

「あ、うん。じゃなくて、お、おおお……おう」

「“うん”でいいのに……」

「いや、やっぱりちょっと頼りないっていうか……せめて口調だけでもこう、“男”って感じじゃないと。って、俺のことよりさ」

「うん……えっと。お、お願い、なんだけどね?」

「おう」

「……その。ヘンな話じゃなくて……さ。昨日みたいに、一緒にくっついて眠れないかなー……って」

「───」

 

 ぴしり、と。体が固まった。

 その石化状態をなんとかしたくて心の中でレバガチャするも、俺別にゲーム界の住人じゃないから無理だった。

 

「あ、あの、あのね? ほんと、えと、えっちな話じゃなくて……さ。くっついて、ごろごろして、そうやって一日中過ごせたらなーって……」

「ず、ずっと?」

「うん」

「一日?」

「うんっ」

「俺と?」

「うんっ!」

「結衣が?」

「うんっ!!」

 

 訊ねるたびに目がきらきら輝いていった。

 しかも胸に抱きつきながら見上げてくるもんだから、つまりその近くて近いから近くに近くで近い近い近い!!

 

「ひ、ひやっ……あにょっ……べひゅ、べひゅにっ、いいんじゃにゃいでひょぅひゃっ……!?」

「………」

「………」

 

 噛んだァアアーーーーーッ!!

 もういやだやっぱりやだ絶対やだぁああっ!!

 死にたいもう死にたい馬鹿じゃないのバッカじゃないのなんでそこで噛めるんだよなにやってんだよアホ俺のアホ!!

 

「……ヒッキー」

「ひゃいっ!?」

「慌てちゃダメ。さっきみたいな、やさしいのがいいな」

「ぅうっ…………ぐ……」

 

 い、いや、解ってる。解ってるんですよ?

 でもね、俺だって男の子なわけでして。

 でも…………でも。

 

「………」

 

 そうだ、怖がらせたら、不安がらせたら意味がない。

 それ以前に、俺が怖がらせてどうする。不安にさせてどうする。

 “好き”以上に“大事”なんだ。

 その想いだけは、いつだろうと忘れちゃいけない。

 

「………」

「……《こつんっ》わっ……ヒッキー……?」

 

 目を閉じて、額と額をくっつけて、深呼吸。

 もうこれ、どっちが女だか解らないな。小町の言う通り、比企谷八幡は随分とヘタレらしい。

 でも今は、そんなヘタレで十分だ。なにせ手出しして傷つける心配もないし。

 ……ああうん、ほんとヘタレね、俺。

 

「……はぁ、……うし、もう大丈夫だ」

「う、うん。じゃあ」

「お、おう……」

 

 二人揃って、俯いてから行動開始。

 先ほど整えたベッドへと歩いて、一緒に寝転がって、抱き合って、ごろごろして。

 それだけなんだけど、それだけが……なんていうのか、すごく心地良い。

 不思議とエロォスなことなんて思い浮かばなくて、ただじゃれ合うだけで楽しいって言えばいいのか嬉しいって言えばいいのか。

 ああ、これだな、くすぐったい。

 ……え? ああうん、その日はずーっと、ほんとずーっと、そうしてごろごろいちゃいちゃしてました。

 途中からキスしたりキスしたりキスしたりもしたけど、エロォスなんてとてもとても。

 ほんと、それだけで満たされたんだ。幸せだって笑うことが出来た。

 急ぐ道でもあるまいしって感じで、ずっとずぅっとそうしていた。

 と、いうかだ。

 

「ゆ、結衣? そういえば朝ご飯───」

「え? あ、うー……だ、断食で……」

「《ぎゅううっ》……お、おう」

 

 朝がそんな感じで、昼が───

 

「もう昼か……あ、結衣、じゃあそろそろ」

「断食、だってば……」

「え? 昼も《すりすり》はひゃいっ!?」

 

 ───ええまあ、昼もそんな感じで、

 

「いや……えっと。ほら、人間なんだし」

「~~~~っ……《ぷるぷるぷる……!》」

「あ、あー……俺、なんかすっごくトイレ行きたく───」

「がっ……がまっ……我慢……~~~~っ……!」

「えぇえーーーーーーっ!?」

 

 人としての試練の数々に立ち向かってまで、二人でいちゃいちゃしていたわけでして。

 

「………」

「生理現象はしょうがないだろ……ほ、ほら、機嫌直して……」

「機嫌っていうか……はずかしくて……《ふしゅううう……》」

「まあ、その……トイレ行った後、抱き合うのは……ちょっとな……や、やっぱり離れよっか?《ぎゅうっ!》……あー……」

「……やだ」

「ハイ……」

 

 結局夜までそうして、むしろ夜もそうして。

 えっと……なんだろね、抱き合って見つめるだけっていうの、すっごく大事。

 いろいろなこと話したくなって、知りたくなって、心地良くてくすぐったくて、でもそんな時間がすごく嬉しい。

 うーん、男と女の関係って難しいんだなぁ。ベッド+男女=エロスって考え、間違いだ。こんなやさしい空間なら大歓迎だ。……なんか、ほんと、嬉しい。

 

「………」

「………」

 

 見つめ合って、恥ずかしくて、照れ笑いする。

 もう何度もやっているのに慣れなくて、けれど顔を近づけてはキスをして、頭を撫でて、撫で返されて、恥ずかしくて逃げたら抱き寄せられて、もみくちゃしながらじゃれ合って、また目が合うと照れくさくて笑う。

 ……たまに、こんなに幸せだと後が怖いって思ってしまう。

 俺なんかにこんな幸福は相応であると言えるのだろうか。

 こんな幸せは、一秒後に壊れてしまうんじゃないかって───

 

「《ガチャア!》もうお兄ちゃん!? ご飯も食べずにいつまで失礼しましたごゆっくりぃっ!!《バターム!》」

 

 ……一秒後ではなかったけど、三秒後あたりに崩壊した。

 幸せは、恥ずかしさで上塗りされてしまったよ。

 

「ひやあああっ!? 小町ちゃん待って!? 待ってぇえええっ!!」

 

 言ったところで止まりやしない。ばたばたと床を駆ける音だけが遠ざかり、やがて静かな時間がやってきた。

 

「……ご飯、どうする?」

 

 もういい加減終わりか、と苦笑しつつも言う。

 すると結衣もにっこりと笑って───

 

「……断食《プイッ》」

 

 ───……直後に口を尖らせ、そっぽ向く彼女がおりました。マア可愛い。

 なんて思っていると、くぅ、なんてお腹が鳴って、真っ赤になってまた人の胸に顔をうずめて悶える彼女がおりました。可愛い。

 

「………」

「………《さらさら……》んぅ……」

 

 胸にぎううと抱きついたままの彼女の頭を、やさしくやさしく撫でる。

 くすぐったいのか、たまにもぞりと動くけど……それに合わせて手を止めると、もっととばかりに顔を胸にこすり付けてくる。可愛い。

 うーん、意外なほどに甘えん坊。これは嬉しい。俺にそれほどの頼れるなにかがあるとは思えないけど、それでも甘えられるのは男として嬉しい。

 

(う……キスしたい)

 

 ふいに、とても愛しくなる。

 そうなるとキスをしたりされたりが、先ほどまでの俺達の過ごし方だった。

 昨日やってしまった顎クイの要領で、そっと促してみると、肩をぴくんと弾かせ、けれどおそるおそる俺を見上げる潤んだ瞳に、また胸がとくんと跳ねる。

 やがて見つめ合い、静かに目を閉じながら顔を近づけ《チャラララー》…………。

 

「………」

「………」

 

 スマホが元気である。

 ああその、ダメね。こういう時は電源切らないと。

 さすがにいちゃいちゃしてたから出られませんとは言えないので、ベッドのすぐ傍にあるソレに手を伸ばして取ると、出───ようとして、ふと見たディスプレイに知り合いの名前が。

 

(TB……)

 

 戸部であった。

 TBの文字で一発で解る。まあそう登録してあるんだから当然なんだけど。

 

「《ピッ》……もしもし?」

『おー! ヒキタニくーん!? 今だいじょぶー!?』

「大丈夫だからもうちょっと静かに」

『いんやぁ夜に電話なんかしちゃったりしてマジめんごー? あ、そんで用件なんだけどさー、明日みんなでどっか遊びいかないー? 俺明日とかマジ暇してるわけよー』

 

 遊び……遊びか。休日に友達と遊びにとか、まだまだ新鮮な俺だ。

 つまりそのぅ……いいんじゃないでしょうか。

 

「そ、そだな。えっと《ぎゅうっ》すまん用事があった全然暇じゃない忙しいめっちゃ忙しい暇などないまである」

『え? ちょ、いきなりどしたん? いや用事あるならさー、俺とかもう、戸塚ちゃんとガハマっちゃん誘ってみるだけだけどさー……』

「!?」

「……! ……!《ぶんぶんぶんぶんぶんっ!》」

 

 行くの!? 行かない行かないっ! ……言葉であらわすなら、そんなやりとりが無言で行なわれた。

 い、いやでも……彩加と休日に友情を育む遊びっ……!

 イ、イエ、ダイジョブデスヨ? た、耐え忍ぶことに関してはまさに一流、ベテランボッチャーの八幡さんが、彼女をほったらかしにして遊びに行くわけがないじゃないですか。

 

「あぁえっと。ほんと悪い。外せない用事があるんだ。俺のことはいいから、楽しんでくれ」

『あ~……用事じゃ仕方ないけど寂しいわぁ、マジ悲しいわぁ~……ヒキタニくん居ないと戸塚ちゃんもガハマっちゃんも元気半減すぎるでしょぉ、あれー』

「すまん」

『まあ用事なら仕方ないわー。あ、ゆーても今度は付き合ってもらうかんねー、ヒキタニくーん?』

「まあ、予定がなかったら」

『おっけおっけ! んじゃあ戸塚ちゃんとガハマっちゃんに連絡入れるから、切るべー』

「お、おう、じゃあ」

『おーっ! 今度はちゃんと遊ぼうなーヒキタニくーん!』

「……いい加減覚えてくれ。俺比企谷だから」

『硬いこと言いっこなしなしー! いんやー、ヒキタニくんってば遊びより用事を優先できるとか真面目すぎでしょー! べーわぁ、マジべーわぁ』

「……悪い」

 

 その用事、彼女とごろごろしてるだけなんだ……。

 あれ、なんだろう。かつてない罪悪感が胸を刺す。

 でも、なのに、用事(結衣)を優先したことで、にこーと笑顔になってさらに抱き付いてくる恋人さんが可愛くて……ああ、だめ……だめになる。だめにされる……!

 人をだめにするソファーとか目じゃない……やーらかくてあったかくて……なのに欲望とか湧いてこないとか……あれ? 俺もしかして男子としておかしい?

 

「………」

「《なでなで》~~~~……♪」

 

 とりあえず通話の切れたスマホを元の位置に戻して、胸に抱き付いてきている結衣の頭を撫でた。上機嫌の犬や猫みたいに目を細めている。

 ああ、髪めっちゃさらさら……女の子の髪ってみんなこーなん……?

 ……でも、やっぱりアレだ。

 好きな人の、っていうか……傍に居ても“嫌な意味の緊張”をしない人の体温って、安心する。

 誰にだろうと期待をして、声をかけられれば舞い上がって、振り向いてみれば他の人が声をかけられただけと気づいて、落ち込んで。

 そんな光景を見られて、わざとそうする人が増えて、悔しくて、悲しくて。

 振り向けば笑われて、振り向かなければ“あ~れ~っ? カエルには人の言葉が解らないか~っ!”と笑われて、耐えて、耐えるしかなくて。

 

(……高校、頑張ってよかった)

 

 これからもこんな日が続けばいい。

 大事な人を胸に抱き、やさしく撫でながら……そんなことを思わずにはいられなかった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 夏が来て秋が来て、冬が来て春が来る。

 そんな季節を眺める日々は、これで案外落ち着きがない。

 過ごす日々にそれほどの忙しさはない筈なのに、気づけば一日が終わっている。

 

「らっしゃっせー」

 

 15歳でも3月31日を過ぎれば働いてもいいという法律に則り、慣れないバイトをしたり、人間関係に嫌気が差してやめようとするも、結衣のためだとがんばってみたりして。

 

「ヒッキー! 犬! 犬見に行コッ!?」

「待ちなさい由比ヶ浜さん、猫が先よ」

「ぼ、僕はうさぎが……」

「いやーやっぱここは近いところからでしょぉ! ちゃんと計画立てとかないと、全部回るまでに夜になっちゃうわぁ」

「あ、戸部に賛成」

 

 奉仕部全員でわんにゃんショーに繰り出してみたり。

 

「ハッピーバースデー、結衣ー」

「ハッピーバースデー、きみー」

「ハッピィバースデーっしょー! おのれ~」

「ハッピーバースデー、親愛なる~、結衣~」

『ハッピーバースデーだ! あんた!』

「ちゃんとトゥーユー言おう!? なんでそこだけ日本っぽいの!? 普通にトゥーユーがいいよぅ!」

「ごめんなさい由比ヶ浜さん、止めたのだけれど聞かなくて……」

「あ、ううんっ!? ゆきのんは全然悪くなくてっ!」

「だからその呼び方をやめろと言っているのよガハマさん」

「ゆきのんもその呼び方やめて!? ~~……うー! とべっちの所為だよ!? とべっちがガハマっちゃんとか言うから!」

「え、えー? これ俺が悪いやつっぽい系の雰囲気~……?」

「最近、由比ヶ浜さんも喋り方とか元気になったよね。八幡、なにか原因とか知ってる?」

「い、いやその……いつも元気なお前が好きって言ったら……その」

「わあ……そうなんだ」

「健康でいてくれって意味だったのに、今さら言えない……!《カァアア……!!》」

「あ、あはは……でも、その……なんていうか、あめでとう、八幡。八幡が幸せそうだと、なんだか僕も嬉しいな」

「う……そ、そか。まあその、ありがとな」

「うん」

 

 結衣の誕生日を奉仕部で盛大に祝ったり。

 

「う、うー……ヒッキー、ここ教えて」

「おう」

「ヒキタニく~ん、ここ教えて?」

「自分でやれ」

「八幡、ここなんだけど……」

「おう」

「ちょ、ヒキタニくんそれないわ~……! 俺にだけ冷たいって、それないわぁ~……!」

「雪ノ下さんが居るだろ。俺よりよっぽど頭いいぞ?」

「もう頼んで即行で断られたわ……電光石火だったわー……なんか俺だけハブられ感満載すぎるでしょぉ、これー……」

「……はぁ。ヒントしか教えないからな」

「おー! やっぱ持つべきものはヒキタニくんだわー! やばいわー、マジ冴えてるわぁ~!」

「戸部くん、静かに」

「アッハイ」

 

 定期テストに向けて勉強を頑張ってみたり。

 

「ゆ、結衣っ」

「ひゃいっ! い、いきますっ!」

「え?」

「ひゃうっ!? あ、や、え、えぅっ、あうぅっ」

「…………あ、の……夏祭りに……」

「…………あうぅうう~~……!!《かぁあああ……!》」

「い、いや……そこまで待っててくれたなら、勇気だした甲斐があるっていうか……その……よ、よろしく」

「う、うん……~~……うんっ」

 

 出来るだけ自分からデートに誘ってみたり。

 

「………」

「………《ぎゅうっ》」

「…………《なでなで》」

「…………《かぁあ……》」

「…………~♪《ぎゅう~~っ♪》」

 

 夏休みのほぼ毎日を、自宅デートと称して結衣と抱き合ってまったり過ごしたり。

 

「っべー! 文化祭とかマジテンション上がるわー! こりゃもうやるっきゃないって感じでしょー! ウェーーーイッ! ってさー! ほらほら雪ノ下さんもー! ウェーーーイッ!」

「じゃあ戸部くん、委員をお願いね」

「ウエッ!?」

 

 戸部が文実に選ばれて、もとい生贄にされて……あれ? こっちをもといするべきじゃ? ……まあいいか、あれで相当楽しそうだったし。

 

「うぇーーいっ! みんなぁ、楽しんでるゥーーーウ!?」

『ウェエーーーーイッ!!』

 

 文化祭当日、実に賑やかに文化祭は開催されて、評価はといえば……かつてないほど“やかましい文化祭”だったとか。

 それから体育祭を通して騒がしい日々を送り、二学期もやがて過ぎ、楽しい時間っていうのは本当にあっと言う間に過ぎていくんだな、なんて不意に思ってみれば……既に二年になっていた。

 

「おー! 今年はみんな同じクラスとか幸先よすぎでしょぉー! これはもう神様とかが勇気出してぶつかれーとか俺に囁きかけまくりんぐシチュエーションなんじゃないのー!?《ちらっ、ちらちらっ》」

「? とべっち、海老名さんのこと見て、どしたの?」

「ん、んやっ!? べつにどーもしないってばさぁ、なはははは……」

「海老名さんっていうのか。珍しい苗字だな」

「あ、うん。さっき友達になったの」

「……恋人のコミュ力が高すぎて怖い……」

「八幡も誰かに声をかけてみたら? ほら、あそこの葉山くんとか」

「あ、無理。なんかこう本能で受け付けない。なにあのイケメンオーラ、あれが伝説のリア充ってやつか。キラキラ輝いてて眩しいったらない」

「そうかな……八幡のほうがカッコイイと思うんだけど……」

「と、とつっ《ポッ》……あ、いやっ……お、俺はほら、昔からハブられぼっちだったし、あいつみたいに笑顔してりゃあ人が寄ってくるとかねぇから……!」

「えへー、じゃああたし寄るー♪」

「んおー! もちろん俺も寄るっしょー!」

「うん、僕ももちろん寄るよ?」

「……《ぐすっ》……恋人と友人がいい人すぎて辛い……ちくしょう大好きだお前ら」

 

 その後、めちゃくちゃ頭撫でられた。やめろって言っても聞いてくれなかった。

 

  ……そんな感じで、俺の高校生活二年目は始まった。

 

 日々は幸福に溢れていて、人との付き合いがこんなにも楽しいものだと初めて知った。

 もし病室で結衣に会わなかったら、と思うと……小町には感謝してもし足りない。

 俺のことだから、どうせいろいろなものを諦めて、人生そんなもんだって努力もやめて、自分が救われるだけのぬるま湯にどっぷり浸かる夢でも見てたんだろう。

 それはきっと、絶対に叶わない夢だ。

 コミュ力もなく、人脈もなく、欺瞞が嫌いで疑り深くて、素直でもないし捻くれてるしで、いいところなんててんで無い。

 人と上手くやる行為を欺瞞と思っている時点で独りで居るしかないし、ぼっちを肯定してしまっている時点で自分とともに立ってくれる人を認められるわけもなく。自分が不快に思うことのすべてを欺瞞と謳って目を背けるだけで、結局はなににも踏み出せず、踏み込めず、孤独を肯定するだけで終わる人生だろう。

 あの日の俺がそれを選んだなら、それはそれでちゃんとした人生だ。

 あとで自分が思っていた欺瞞ってものに知らぬ間に浸かっていようと、それが原因でどれだけ嫌われていようと、どの道を選んでも後悔しない日なんて絶対にない。

 ただ、その後悔の幅がどれだけ大きいか小さいかの問題なのだろう。

 頑張ってなにかを為すことを面倒だと言ってしまえばそれまで。結局はそれも“欺瞞だ”で片付けて、いつしか努力することも忘れるくせに……知りたい、知って安心したいなんて思うのかもしれない。努力を忘れた先で得られる知識に、知ろうとしない理解力の先に、いったいどんな本物があるのかを……時々に考える。

 

  今の自分は、たぶん……充実している。

 

 中学の頃のままぼっちであったなら、きっと得られなかった世界だろう。

 けど、それでも思うことだってある。

 ぼっちであることはそんなに寂しいことだっただろうか、と。

 自分の時間を自分のために、全てを自分のために使えた頃は、贅沢を言わなければ真実自由であったと言える。それはそれでかけがえのないものだったのだろう。

 その時と、今思うことはひどく違っている。

 正しさが通らない世界が嫌いだった。自分は正しい筈なのに、独りだったから違うと決め付けられた時なんて、世界の在り方に反吐が出た。

 自分を曲げてまで他人に認められたくないと思ったいつかは確かにあって、じゃあ自分は最初っから曲がらず、捻くれていたのかといえばそうじゃない。とっくに変わった自分で居たのに、それを認めず、勝手に欺瞞を嫌っていただけだ。

 過去を肯定する。その、自分を好きでいるための言葉を正しく扱うなら、俺はとっくに自分が大嫌いだったってことじゃないか。

 

  自分はとっくに曲がっていた。

 

 欲しいものを欲しいと言えた時代があった。

 知るために努力していた時代だってあった。

 ある程度成長したら“自分は完成した”とでも思い上がって、自分を曲げないスタンスなんて取ったって、今さらだと笑われればそこまでだろう。

 それでも……自分を曲げずにいられたなら、自分はどれだけ馬鹿で……それでも、どれだけ真っ直ぐでいられたのか。

 時々……そんなことを、考えるのだ。

 

「な、結衣」

「ん? なに? ヒッキー」

「……馬鹿っていうのも、案外悪いもんじゃないよな」

「誰が馬鹿だっ!?」

 

 病室で笑い合うことが出来たあの日から、彼女はきっと、大分変わった。

 それはきっと、周りに合わせたのではなく自然に。

 言ってしまえば元気な自分を出せるほど、その場に馴染めたのだろう。

 俺だって、気づけば笑っている自分を思うとゾッとすることがまだあるんだが……これが、不思議なことに悪い気分じゃない。

 “自分を曲げてまで結婚したいとは思わない”。

 専業主夫、なんてものに憧れて、養われていたいなー、なんて思ったことがある。楽な方へ逃げたかったのだ。だってそれは、とても楽で、難しくないから。

 もちろんそこへ到るまでは大変すぎるだろう。

 自分を理解してくれるパートナーを見つけなければいけないし、見つけたとして、それが実現できる状況がそこにあるかも解らない。

 上手くいかなければなんもかんもを欺瞞の所為にして、またふてくされるのだろう。

 そんな未来の自分が見えて、溜め息を吐いた。

 本来の自分を偽ってまで人に認められたくないと、かつての自分のように想像してみても……結局、誰になにを言われても自分はなにも認めないのだ。

 自分を認めるのは自分で、失敗も成功も自分の責任だとしか思っていなかったのだから、当然だ。

 まあその、ようするに。

 譲り合いをする気がないのに、相手には専業主夫を譲れと言っていたのだ、かつての自分は。恥ずかしくて死にたい。

 小学六年まで培った技術で家事をやってやろう、代わりに俺に安寧をよこせ! って……アホか、釣り合い取れんわ。

 買い出しに行って歴戦の奥様方にボコボコにされて、“二度とセールには行きたくないでござる!”とか言い出す自分が目に浮かぶようだ。

 だから……

 

  だから。

 

 どの道、いつかは自分で変わったのだろう。

 もしくは、変わるきっかけを得ていたか。

 それらを何度もぶち壊しながら、手遅れになるのか手遅れになる前に変わることを選べるのか。

 結局はそこなんだろう。

 

  時間が流れてゆく。

 

 日々はつくづく彩りってものを覚えてくれたようで、新しいクラスにも慣れ、席替えの際に離れてしまっても、周りの人に頼み込んで隣同士にしてもらったりして笑った。

 奉仕部での活動も相変わらず。

 太いお方が小説の感想を求めてきて、雪ノ下さんと戸部が容赦ない「つまらない」発言を繰り出したり、途中まで読んだ結衣と彩加が状況がまるで解らないとこぼしたり、「これってどっかで見た気がするんだけど……もしかしてパクリ?」って訊いてみたらぶひぃいいいって小説持ってきた彼が泣き出したり。

 まあその、相変わらずっていう部分は、騒がしいという意味で。

 

  川……川……なんとかさんの弟から依頼があった。

 

 姉がいかがわしい店で働いているかもしれない、という問題の解決のため、メイド喫茶に行ったり夜のバーに行ったり。

 

「い、いらっしゃいませ、ご主人様……」

「結婚してください」

「ふえぇやぁあっ!? ヒッキー!?」

 

 メイド喫茶にて、メイド服を着てメイド体験が出来るということで、メイド姿の結衣を前に暴走したりもしたが───その度に雪ノ下さんに絶対零度の視線を送られ、正気に戻っていた。ただそのー……正直、素晴らしかったです。

 スカートにロングを選んだのは八幡的にポイント高……あ、いや、なんでもないですごめんなさい。

 

「親父のスーツ借りてきたけど、これでいいのか……?」

「ふ……わぁあ……!!《ぽぉお……!》」

「? 結衣?」

「あ、あのっ、えとあのっ、ふ、ふふふふ、ふふつかものですがー!」

「え? あ、え!? 結衣!?」

「由比ヶ浜さん、それを言うなら不束者よ。あとホテルの前でいちゃいちゃしないでちょうだい」

 

 メイド喫茶で俺が告白して、バーがあるホテルの前で俺が受け入れられた。

 そしていつでも平常運転の雪ノ下さん、パネェッス、というのは戸部の言葉だ。

 ちなみに戸部はチャラい服しかなく、彩加は外見が幼すぎたために入れなかった。

 結局は集めた情報からスカラシップを提案。彼女はバーのバイトをやめ、川……ええっと、川神? の弟である……たい、タイ……タイキック? からの依頼は完了した。

 

  職場見学を賑やかに過ごした。

 

 なにが起こるでもなく終始笑顔で、腕なんぞ組みながら見学してたらファーストブリットが飛んできたくらいで。

 もちろん中間試験も無事に終わっていて、最悪の事態になることを全員が回避出来たことに、一番喜んだのは結衣だった。

 彩加とデート……ごほんごほんっ、遊びに行ったり、何故か材木座に付き纏われるようになったり、今年もやってまいりましたわんにゃんショーで燥いだり。

 

「今年こそ猫が先ね」

「犬だってばゆきのんっ!」

「あなたいい加減その呼び方やめなさい」

「ゆ、ゆきのんこそいい加減慣れようよー……」

「部室でいちゃいちゃされることは諦めたのだから、これを諦めるのは譲り合いではなく敗北よ。それを認められるわけがないでしょう?」

「なんかヘンな方向で頑固だっ!?」

「っべー! うさぎ可愛いわぁ! うさぎマジ可愛すぎだわぁ! これマジやばすぎでしょー!」

「だよねっ! いいよねうさぎっ!」

「だよなっ、犬か猫かの争いなんて虚しく───」

「ヒッキー!」

「ごめんなさいサブレ愛してる! でもカマクラを嫌いになんてなれない!」

「飼い猫と彼女の愛犬との板ばさみって、見ててつらいわぁ……けどここはガンバでしょ、ヒキタニくん」

 

 わんにゃんショーとくれば、すぐに結衣の誕生日。だというのに材木座が面倒事を持ち込んできて、面倒事と言うからにはもちろん面倒なことが起こった。

 ゲーム部と戦うことになったのだが、なんとやつら、負けたら服を脱ぐ、なんてルールをつけてきやがったのだ。

 なので俺達は正々堂々受けた。ああ受けたね、正々堂々、戸部と俺の男二人で。

 だって相手も男二人ですもの。

 苦労もあったものの、俺と戸部が中破絵になったあたりでなんとか逆転。ゲーム部は「なんでこんなことになったんだっけ……」と苦悩しながら、戦いは終わった。

 

  ……で。当然勝利の喜びを結衣の誕生日に上乗せして祝うわけだが。

 

「ハッピーバースデー、結衣ー」

「ハッピーバースデーだよー、うぬ~」

「ハッピーバースデーっしょー、貴様~」

「ハッピーバースデーであるー、お主~」

「は、はっぴー、ばーすでー……よ、あ、あなた~」

「ハッピーバースデー、親愛なる~、結衣~」

『ハッピーバースデーだ! あんた!』

「だからそれもういいってばぁ! やめてよぉ!! トゥーユーがいいよぉ!!」

 

 今回は感謝も込めて、材木座が参戦。

 雪ノ下さんも歌に参加するという珍しい状況で、結衣の誕生日を祝う集まりは賑わった。

 

  定期テストを終え、柔道部からの依頼を完了させる。

 

 盛大に叩き落されたけど、なんとか終わった依頼にホッとした。

 まあ、人の暗い部分なんて見てきたし、それを煽るくらいなら。

 でもどうせなら勝ちたかった気持ちはあった。

 あれな。悔しいって思える気持ちがあるなら、まだまだ自分は腐っちゃいないって思えた。

 

  夏休みは……まあ、去年と変わらず。

 

 と、油断しつついちゃいちゃしていたら平塚先生から召喚命令。

 部活の一環だと言われれば出ないわけにもいかず、というか結衣が行くなら俺も行く方式で。

 訪れた場所で小学生のサポートをする、という依頼内容で、奉仕部は今日も元気に奉仕部してた。めっちゃ奉仕部してた。つまり暇してた。だってやることなくなると暇なんですもの。

 しかしやることが完全にないわけでもなく、翌日もということで同じく平塚先生の策略によって召喚された葉山グループとともにコテージで夜を明かすことに。

 男子女子と分かれての睡眠とくれば、好きな女子談義はもはや定番であり、訊いてもいないのにまず戸部が喋り出した。

 

「俺さぁ……海老名さん、ちょっといいなって思ってんだ」

「そうか。俺は結衣だな。これは譲れん」

「……そういえばヒキタ……いや。比企谷は、どういう切っ掛けで由比ヶ浜さんと付き合うことになったんだ?」

「ん……あいつの飼い犬を車から庇って俺が骨折して入院した。まあ、最初は罪悪感からだろーな」

「きっかけが罪悪感で、あそこまでいくものなのか……?」

「特殊な例すぎたんだよ。で、そういう葉山くんはどうなんだ? 好きな相手」

「え───あ、いや。やめておこう」

「ちょー、ちょぉちょぉ~! そりゃないわぁ葉山くーん。人の話聞いておいてそりゃないわー」

「彩加はどうなんだ?」

「えっ? 僕っ? ……え、えっと……特に好き、とかは……ないかな」

「そうか……彩加になら安心して小町を嫁に出せるんだが」

「は、八幡っ!? そんな、急に嫁とかなにをっ……!」

「お、おお、すまん、妙なこと言った」

「ほらほらほら~、言っちゃいなってば葉山くーん。イニシャルだけでいいからさー」

「…………はぁ。……Y」

「Y……雪ノ下さんか。葉山くん、あの人は苦労するぞ」

「ああ確かに、葉山くんとかめっちゃ振り回される姿、マジ簡単に想像出来るわぁそれ」

「まあでもその、なんだ…………ええっと。……ガンバレヨ?《ニコオ》」

「……俺はキミが嫌いだ」

「いきなりひでぇなお前」

 

 翌日の自由行動では随分と遊んだ。

 山でヤッホー言おうとしたらついやっはろーが出て赤面したりもしたが、まあいいだろう。

 そんなわけだから持参してきた水着を装着、川で遊んだのだが……彼女のメロンが眩しかったです。正直……たまりません。

 

  鶴見留美と、その周囲の関係のリセット。

 

 グループというものが存在していると、どうしても出てくるもの……序列やいじめの破壊に踏み出す。

 葉山く……葉山のグループと奉仕部とで話し合って、あーでもないこーでもない。え? 呼び方? 堂々と嫌いって言ってくれたんだし、もう“葉山くん”とか呼ぶことないでしょ。

 俺が出した案は結衣に即行で却下された。なので次の案。

 これも結衣がうーうー唸ってたけど、実行させてもらった。

 まあようするに、人の恐怖心を純粋に煽って崩壊させましょキャンペーン。

 伊達眼鏡を外して世界を恨み自分を諦め、目の腐りを最大にし、次にメイクとアイスノンで外見をゾンビに、体温もゾンビにして、キモ試しで盛大に驚かせた。

 こうかはばつぐんだ!

 子供の純粋な悲鳴ってデカいのね。でも捕まえて逃がさなかった。リーダー格の子供が腰を抜かして、見捨てて逃げようとした子を掴み、怯えて動けない子にニチャリと笑い、こう言った。

 “人質、おいてけ……道連れ、そいつだけ……”と。

 ルミルミはその質問で俺が俺だって気づいたようだけど、他の子はそこまで考えられるほど余裕がなかったらしい。

 さすがぼっち、精神の鍛え方が違う。

 そして始まる人柱ごっこ。あなたがなれお前がなれの応酬で、じゃあ鶴見が、って満場一致で決定した瞬間、そいつはもう決まっている。もう一人だと言ったらさらに暴走。

 一斉に逃げ出しそうだったので、一番先に逃げたやつを食べるよ……と言ったらみんな逃げなかった。あらやだ、案外いい子たち。聞き分けが、ね? あくまで聞き分けが。

 まあそこで結局はルミルミがカメラのフラッシュ焚いて逃走したんだけど……無事、彼女らの関係は崩壊した。

 晴れてルミルミはハブられぼっちから自らぼっちを選べるようになり、問題は解消。

 

「ふぃー……たでーまー」

「《ビクゥッ!》ヒィッ!?」

「おおあっ!? ちょ、びっくりするわーヒキタニくーん! てかそれすごくね? 真っ暗なとこから出てきたとき、マジゾンビかと思ったわー……」

「……そんな言葉よりも、雪ノ下さんの純粋な悲鳴が大ダメージだ……」

 

 ……そして俺は、雪ノ下さんから屍鬼谷(しきがや)くんの称号を頂戴することとなった。

 もういいこの人、さんつけるのもったいない、雪ノ下でいいや。

 そんなこんなでまたいつもの日常に戻るわけだが───まあ、存分にいちゃこらした。

 夏祭りにも当然行ったし、花火が上がる景色の下、改めて告白して、改めて告白されて、受け入れて受け入れられて、嬉しくて、抱き合った。

 

「ちょぉ、花火景色の下で告白とかマジ最高すぎじゃーん!? ヒキタニくんレベル高いわ~……!」

「なんか、嬉しいよね。八幡、どんどん心開いてくれてるみたいで」

「あ、やっぱり? やっぱりそう感じちゃう? いんやー、俺もなんか最近ヒキタニくんがやさしい気がしてむずむずしててさー」

「ほむん? そういえば今日は雪ノ下嬢はどうしたのだ?」

「雪ノ下さんなら今日は家の用事で来られないって、部員メールで届いてたけど……材木座くん、知らなかったの?」

「……考えてみればアドレス交換なぞしていないのであるの巻」

「ないわぁ、それないわぁ……」

「材木座くん……」

「わ、我が悪いわけではないであろう!?」

 

 賑やかさに引かれたのか、最近材木座が入部した。

 元々のきっかけは高校生活を振り返って、が原因だったらしいけど、落としてしまった小説を平塚先生に見られてしまい、ついには奉仕部に押し込められたというわけで。

 ただ、あくまで本人は自分の意思で入ったことにしたいらしい。

 

  そうして、二学期が始まって、文実長に結衣が立候補して、俺も手伝って───

 

 「どうして実行委員長に?」って訊くと、「成長したかったんだ」と笑った。

 そんな彼女をサポートしない理由もなく、全力で頑張った。

 J組より、同じく文実になっていた雪ノ下も手伝ってくれて、結衣のつたない指揮の下、けれど確実に準備は進んでいった。

 いつか平塚先生が言った通り、結衣は“答え”を決めていると迷わない。

 文化祭をいいものにしようと頑張る姿に迷いはなくて、その元気さに釣られてみんなが負けてられっかと頑張る。

 やっぱりサポートが必要な場面も何度もあったが、それでも迷いがないだけ好感が持てた。

 勢いだけな部分ももちろんある。が、立っているだけでなにもしないよりは全然いい。むしろ初めての経験なんだから、こうなって当然なのだ。あとはその責任を受け入れるか他へ流して自分は知らん顔するか、の問題だ。

 そして彼女は……問題に対して相談することはあっても、逃げ出したりはしないのだ。最終的には立ち向かえる勇気を持っている。

 責任者ってことで何度も声をかけられ、連絡先を訊ねられようと綺麗に躱す姿にさらに惚れたのは内緒だ。

 

  そんなわけで、文化祭は大盛り上がりで終了。

 

 当然トラブルもあったけど、達成感はそりゃあすごかった。

 ガラにもなくハイタッチなんてしてしまって、したあとに赤面して悶えたくらいだ。

 なにこのリア充っぽい行動。恥ずかしいのに顔がニヤケまくって仕方なかった。

 それから一週間も間を空けない間に体育祭の相談を城廻先輩から受ける。

 去年より盛り上げたいらしい体育祭の委員長に由比ヶ浜が推され、なおも成長を求める彼女はあっさり了承。

 元気ね、きみ。と思いつつちゃっかりサポートに回る宣言をしている俺も、結構アレである。

 ああもちろんそのー……なに? とことんまでにこの機に乗じて結衣に連絡先訊いてくるヤツとか居ましたよ? ええいどうしてくれようかとか思ったけど、とことん回避する結衣さんマジパネェッス。

 でも決定的な後ろ盾が居ないから、強引なヤツ相手には押し切られそうになるんだけど……そんな時は彼女の後ろから、眼鏡を外して殺意とともに睨んだ。

 なに気安く声かけてんだ、そんなに仕事熱心なら生徒会役員とアドレス交換でもしていろこの野郎。

 そんな目が気に入らなかったのか、睨んでくる男子生徒の視線に気づいて結衣が振り向くと、今度は俺が恥ずかしいわけで。

 イイイイエベベベベベツニなんかその人僕の彼女とか言いたかったわけじゃなくて、イエ嫉妬じゃないんですヨ? 嫉妬じゃないんですけどやっぱり腹が立ったってイイマスカ。

 ……アノ。なんでそこでくすぐったそうに、でも嬉しそうに笑うんですか?

 え? いや、連絡先なら彼のを、じゃなくて。ほら、なんか困惑しちゃってるじゃないその人。

 え? え……アッ……。

 ……男子生徒の目の前で腕組まれてすりすりされた。男子生徒、撃沈。

 やだ、この子案外強い。そんな事実を確認した。

 

  体育祭はつつがなく始まり、盛り上がりを以って終了。

 

 昨年の悲しみのコスプレースを拭い去る楽しい体育祭だった、と思う。

 やめて、ノーメイクで眼鏡を外せばゾンビとしていけるんじゃないかしら? とか雪ノ下に言われたこと思い出しちゃうから。ゾンビなら千葉村でやって、お前ヒィとか悲鳴あげてたでしょーが。

 そんなこと言ってるからたまに結衣と喧嘩になるのよあなた。なのに地味に仲はいい。女子って不思議。

 ちなみに全力で戦ったが俺達赤組は負けた。

 策らしい策も弄さずの真っ向勝負。たまにはそんな青春もいいだろう。戦えばどっちかは負ける。結果を望む勝負に引き分けなんぞはないのだ。

 で、今回負けたのは俺達。それだけだ。それだけだが、盛り上がったなら依頼は達成。ほれ、結果的には勝ちで「次は勝とう! ね、ヒッキー!」うん勝とう次めっちゃ勝とう来年とか超本気出すし。

 でもね、結衣。終わってから士気を上げられても八幡困っちゃう。

 

  そして……そして。

 



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幾度も結ぶ僕らの恋⑤

 日を幾つか跨いで、修学旅行がやってくる。

 その前に、俺達は戸部に相談された。依頼、というかたちで。

 修学旅行中、戸部は海老名さんに告白するらしい。

 ずうっと気になっていた人なんだそうだ。当然、俺も知っている。

 葉山のグループってこともあって、何回か話もしている、腐ったものがご趣味のお方だ。

 けど、そんなことを……世間では引かれる趣味を、堂々と好きと胸を張ることが出来る姿に……少し、憧れた。

 人前で鼻血を出すほどに好きだというのだから、その趣味も相当だ。

 そんな人を好きだっていうんだから、戸部の覚悟も相当だろう。

 上手くいってほしいけど、失敗したらどうなるのか、なんてことを考えてしまったら、いつも元気でうるさいくらいの戸部が哀しむ姿は、出来れば見たくないな……なんて思い至ってしまう。

 

  同じ奉仕部員ってこともあって、結局は協力。

 

 俺と結衣もなんだかんだで世話になったし、なにより“俺はいいけどお前はダメ”、が俺は嫌いだった。

 だから協力して、結衣と雪ノ下、彩加と一緒に計画を練る。

 電車で一緒の席にするためにアレコレしたり、いろいろなところを見て回る時に出来るだけ一緒に回れるように調節したり。

 特に進展らしい進展がなくても戸部は嬉しそうで、そして……楽しそうだった。

 青春ってそんなもんだと思う。

 でも……海老名さんの目が言う。念を押すように。

 

  海老名さんは戸部の依頼のあと、俺個人に相談をしてきた。

 

 女性っていうのはそういうものに敏感なんだって聞く。なにか予感のようなものがあったんだろう。

 実際に予感の通りだったわけだし、相談は無意味ではなかった。ただ、俺も言いたいことはその時に言った。

 海老名さんの言いたいことは解った。でも、それで戸部の言いたいことを遮るのは違うから、俺達は深く踏み込みはしないけど、戸部のやりたいようにはさせると。

 失くしたくないなら自分たちで努力しなくてどうする。なにもせずに他人に頼って、失敗すれば全部人の所為ってか、ふざけんな。

 お前たちは独りの頑張りを知らないからそんなことが出来る。独りでやろうともしなかったことを人に願うなんて、ひどい押し付けだ。そこには信頼も信用もない。

 いきなり頼られて、信頼に応えようとして、必死にもがいても失敗すれば鼻で笑われるような未来は、必死に生きた者への冒涜だろう。

 急に押し付けられて倒れてしまったそれを、俺は共倒れだとも信頼だとも認めない。そんなものはただの押し付けであって、信頼とも信用とも違うのだ。

 今の関係が好きなら、好きというかたちをもっと信じてから頼ればいい。

 俺の宝箱は、持っている人になにかを与えてあげられるほど、何かが詰まっているわけではないのだから。

 

  グループ同士の不安と希望を重ねながら、修学旅行は続いた。

 

 依頼はあっても楽しまないのは嘘だってことで、結衣に引っ張られての旅行は続く。

 自然、俺も笑える瞬間もあって、そのたびにそわそわしている戸部を見ると、申し訳ない気分になる。

 そんな時、戸部が言うのだ。「ごめん、ヒキタニくん。告白のこと、もっと別の機会に相談すればよかったわ」と。

 もちろん、結衣ががんばって引っ張ってくれるたび、そんなことを思わないでもなかった。

 普通なら頑張る必要もなく笑えていたかもしれないのに、と。

 けど、恋をする気持ちを知っているなら、それを否定なんか出来るわけもない。

 成功してほしいから、こうして隣に立っているのだから。

 だから俺も、「おう。全部終わったら成功失敗に関わらず、サイゼでミラドリな」と笑って返した。

 すると戸部も笑って、「一番いいのを頼むって注文してみせるわ」と言うのだ。緊張は解けたらしい。

 同じクラスじゃないけど、材木座が居たら随分反応してたんだろうなって思いながら、道を歩いた。

 

(………)

 

 一日二日と日は過ぎて、予め決めていた場所へ海老名さんを呼んでの告白劇が始まる。

 喉は……さっきから乾きっぱなしだ。マッカンが欲しい。

 結衣は成功を疑っていないのか、目をらんらんに輝かせて海老名さんの到着を待っている。

 雪ノ下は結果が見えているのだろう、あまり期待を込めた表情をしていない。

 彩加は怖いものを待つ子供のように俯いて俺の服を抓んでいた。

 ……そうだな、たぶん……いや、確実に、戸部は振られるのだ。

 今は興味がないからと、あっさりと。

 けど……戸部の想いが叶う“今”なんて、いつくるんだ?

 それをあなたは待っていてくれるっていうのか?

 そりゃ、今がすべてじゃないだろう。明日にでもコロッと心変わりするかもしれない。

 でもな。じゃあ戸部の今はどうなる。

 海老名さんの今を考えれば、海老名さんが断るのは正しいのかもしれない。

 どっちの今も考えたとして、突き放されても戸部はきっと諦めない。

 海老名さんはまた葉山のグループで腐った世界を謳い、男を遠ざけるのだろう。

 でも。なんでだ。それが解ってて、見せ付けていたくせに、どうして解らない。

 

  やがて、海老名さんがやってくる。

 

 戸部はごくりと喉を鳴らして、拳をぎううと握り締めている。

 どう見たって本気で、今までのチャラい雰囲気なんてそこには微塵もない。

 相手にしてみれば断る理由なんかを、無難なソレらをぐるぐると頭の中で組み立てているんだろう。

 ああ、よく解る。知っている。中学の時に見た女子の目を、彼女はしていた。

 だからこそ───

 

「……比企谷くん」

「……はちまん」

 

 雪ノ下と彩加が、見ていられないとばかりに弱々しい声で俺を呼んだ。

 俺になんとかしろとでもいうのか? ああそうだ、現段階で、戸部との関係が一番近しいのは俺だろう。

 俺が説得できればなんとかなったのかもしれない。

 けど、男が本気で、自分の思いを打ち明けようって時にどうして邪魔が出来る。

 叶わないからやめろだなんて言葉、戸部こそがきっと一番知っている。

 それでも一歩先の関係を求める勇気を、どうして“どうせ”なんて言って笑える。

 だからこそ───

 

「あの……」

「うん……」

 

 戸部は振られる。

 それは、確かに関係としては仕方の無いことなのかもしれない。

 好き合っていなければ成立しないものだって当然ある。

 海老名さんがどうしても受け入れられないっていうなら、それも仕方ない。

 言い訳に、自分が腐っているからだとか男子が苦手だからだとか、いくらでも言えばいい。

 だからこそ───

 

「俺さ、その」

「………」

 

 戸部が言葉を選ぶ中、海老名さんはもう返事を返したりはしない。

 来るであろう言葉を予想して、頭の中にある言葉を言えばいいやと結論を決め付けている。

 仕方の無いことだって言ってしまえば、“今”は納得出来なくてもいつかは納得出来るようになるのかもしれない。

 だからこそ───

 

「あ、あのさっ」

 

 歯を食い縛り、肩を強張らせ、俯かせていた視線を持ち上げ、ひゅう、と息を吸った。

 そんな戸部の必死さを、海老名さんは透明な笑顔で見守っていた。

 答えは出てるから、どうとでもどうぞとばかりに。

 そりゃ、受け入れられないならしょうがない。

 断る理由だって考えてきたもので、最大限傷つけないための真っ直ぐなものを用意したのだろう。

 だからこそ───

 

「お、俺っ! 海老名さんのことっ、一年の頃からずっと見てましたっ! おぉおっ俺とっ、そのっ、付き合ってくださいっ!!」

 

 “どうせ振られる”。

 この場を見守る人のほぼが、どうしようもなく抱いていた結末。

 それを知っていても胸に響く、力強く真っ直ぐな告白だった。

 知らず、触れていた結衣の手が、俺の手をぎゅうっと握り締めるくらい。

 届いてくれと願わずにはいられない。いや、届いて当然だと思うくらいの、普段の軽さからは想像できないくらいの想いが込められた告白だった。

 これなら、って誰もが思っただろう。

 でも、現実はそうじゃない。

 だからこそ───

 

「ごめんなさい。今は誰とも付き合う気がないの。誰に告白されても絶対に付き合う気はないよ。話終わりなら私、もう行くね」

 

 透明な笑顔のまま、表情を崩すことなくそれは差し出された。

 用意してあったものを差し出すだけの、簡単な“お断り”。

 ただ、それには戸部に必要なものが存在しない。

 そんなものは逃げだ。それは許せない。なんだそれはと怒り狂いたくなる心を抑えつけ、それでも───俺は、歩む足を止められなかった。

 

「ヒッキー!?」

 

 結衣の手が離れる。それでも進む。進んで、呆然と立ち尽くす戸部を追い抜いて、俺の顔を見て寂しげな表情を浮かべる海老名さんと対峙する。

 

「結局……こうなっちゃうんだね」

 

 海老名さんは笑う。透明な笑顔のまま。

 俺は睨む。伊達眼鏡を外した自分のままの目で。

 

「“そうじゃない”だろ」

「え?」

「人の告白を振る、っていうのは……“そうじゃない”だろ」

「あ……の……ヒキタニ、くん?」

 

 自分がした告白を思い出す。

 好きになることを好きでいた自分。告白することに青春を求めた自分。呆れるくらいに恥ずかしい黒歴史。でも、あんなものは本気じゃなかっただけマシなものだ。

 友達じゃだめなのかと言われて言い触らされて、相手に失望した自分にこそさらに失望したいつか。

 それでもそんなものは自業自得で済んだし、全て自分の恥として受け止めて、納得も出来た。相手への気持ちだって整理もつけられた。だって、希望なんて残されなかったから。

 

「“今は”ってなんだよ。期待を持たせるような言い方なんてするな。振るなら未練なんて残らないくらい、男が泣くくらいハッキリと振れ。そうじゃなきゃ進めない。戸部はずっと海老名さんを想って、それであんたは……少しでも気持ちを動かせるのか?」

「……それは」

「誰ともだとか誰に告白されてもだとか……そんな“みんな”の話なんて誰もしてないだろ。今告白してるのは戸部だろうが。だったら───戸部に向ける言葉で振ってやんなきゃ、っ……納得なんて出来ないだろっ……!!」

「っ……!」

 

 だからこそ、俺は睨む。

 なんだそれはと怒る。

 ああそうだな、断るのは相手の勝手だ。

 言葉だって、散々考えて用意してくれたんだろう。ありがとう、それだけ悩んでくれて。

 で、なんだ? 出てきたのは誰にでも使える便利な言葉だって?

 ふざけんな、戸部翔が海老名姫菜に向けた言葉を、そんな気持ちで用意した言葉で中途半端に流されて、黙っていられるものか。

 

「自分が腐ってるからだとか、男が苦手だからだとか……そういう理由だったらまだ頷けた。それでも言いたいことはきっと山ほどあって、全部は納得出来なかっただろうけど、まだ飲み込めた。戸部の何がダメだとかどうしてもそれがいけないとかだったら、苦しくても戸部の肩を叩いて素直に戻れたよ……けどっ!」

「っ!」

「なんでどれかを選んだら“今”の全部壊れるって決め付けるんだよ……! 壊れることを怖がってるのを自分だけだなんて思うな……! この瞬間だって“戸部”の今だろっ……!? 誰にだとか誰がだとかそんなの関係ないだろうが……!」

 

 自分の口からこぼれる纏まりきっていない言葉に、無力を感じる。

 

「確かにこれは他の誰でもない、戸部と海老名さん二人の問題の筈だ……! それでも、趣味がどうとか腐ってるからとかっ……なんでそんな理由で断るんだよ……! 一年の頃から見てた相手だぞ……!? 全部知った上で……全部を好きだって言ってるんだぞ……!? そんな想いを中途半端な言葉で突き放すな……! 今の関係が好きならそれでいい……! そこにどうしても戸部を入れられないならそれでいい……! でもな……! だったらっ……!」

 

 こんな言葉じゃきっと届かない。こんなものは、それこそ相手の気持ちを考えていない。振る方だって辛いのだと聞いたことだってあるし、実際それはそうなんだろう。

 

「……だったらっ……! ちゃんと突き放し切れよ! 中途半端な言葉や理由で人の精一杯を否定するなっ! 絶対に振られるって知ってても振り絞る勇気を冷めた目でなんか見させてたまるかっ! 男子が怖いならっ! そうなる理由があったんだろうがっ! だったらっ……そんな経験があるなら! 散々期待を持たせておいて他人の今を潰してから断る未来なんて作るな!」

 

 震える声を必死に繋げて、纏まりきっていないのに、どうか届いてくれと叫ぶ。

 結果はきっと、想像する通りなのだろう。

 こんな言葉じゃ届かない。こんな理屈、相手には関係ないと。

 それでもさ……それでも───

 

「人の気持ちっ……もっと考えろよっ!!」

 

 それでも、叫ばずにはいられなかったのだ。

 こんなんじゃ誰も救われない。そんな言葉じゃ次を目指せないから。

 けど、どれだけの理屈や正論を叫ぼうと、振られた男の前で相手を罵倒するなんて、振られた男にしてみればひどく惨めなものだ。

 だから、無力を感じながらも、肩を掴まれ後ろに引かれた時には……“ああ、殴られるな”っていうのは……想像がついた。

 

  でも、頬に届いたのは、ぺちん、なんていう軽い拳。

 

 どうして、なんて思ってると、

 

「……自分のために泣いてくれるダチ、殴れるわけねーっしょ。サンキュな、“八幡”」

 

 自分の拳についた水を指差し、情けない顔で笑う友人の姿が、そこにはあった。

 気づかなかった。泣いてたのか、俺。

 

「……海老名さん」

「《びくっ》あ……あの」

「ヒキ───いんや。八幡の言うとおりなんだわ。振るなら盛大に振ってやってちょーだいよ。じゃないと俺、いつまで経っても吹っ切れないんだわ。あ、けど、もし可能性があるなら……希望、持たせてください。だめなら……今ここで、お願いします」

「っ……」

 

 戸部は笑う。笑って、真っ直ぐに海老名さんを見た。……拳は、ギチギチに握り締めたままで。

 後ろで葉山が止めようとする。けど、それを雪ノ下と結衣が黙らせた。

 

「あ、あの……私、ほら、腐ってる、から……」

「知ってる。知ってて好きになったからそれじゃあ足りんのですわ」

「っ……だ、男子が苦手で───」

「知ってる。だから必要以上に近づかないようにはしてたっしょ」

「……ひ、人自体が苦手で……」

「それなー。いっつも一歩引いて葉山くんのグループを見てる感じだったし」

「~~……」

「……別に怒ったりなんかしねぇし、俺の嫌なとこ、どどんと言っちゃってくれって。俺、もう覚悟できてっし。……ほら、泣く覚悟とか」

「───…………」

「さ! 一思いにやっちゃって!」

「…………」

 

 変化は、きっとそこから。

 必要だったのは、きちんと考える時間で……振り返る時間と、頷ける時間があれば、それは───

 

「…………《きゅっ》へ? あ、あの? 海老名さん?」

「……信じる……ところから……で、いい、かな……。知る努力からしか……たぶん、そこからしか始められない、けど……」

「え? え? それって……」

「~~~……《かぁあっ……!》」

「はぁ……戸部。あーいや、その……“翔”、あれだ。“言わせんな恥ずかしい”」

「───……え? ほんと? え? いいの?」

「……まだ、私が戸部くんを知らないから……。それで振るのは、たぶん……違うから。……だから」

 

 きゅうっ、と。戸部の服が海老名さんの指に引っ張られた。

 途端、戸部は震え、赤くなり、目に涙を浮かべ、両腕を天に掲げ、叫んだのだ。

 

「おぉっしゃぁああああああああっ!!」

 

 燈籠がぼんやり灯る竹林の道に、戸部……ああいや、翔の声はよく響いた。

 海老名さんはぴくんっと肩を弾かせ驚いたけど、それが喜びの絶叫だと理解すると……どこか“仕方ないなぁ”って顔で笑った。

 

「べっべべべべべー! べーわぁ! テンションべーわぁああ!! ちょ、ヒキッ、八幡! お前ほんと親友だわー! ちゅーしていい!? 友好の証のちゅーしていい!?」

「へっ!? おわちょっ! やめろばかっ! 俺にそっちの趣味はねぇよ!」

「ブハァ! 至近距離でトベハチキマしたわぁああああっ!! いい! いいよとべっち! そのままやさしく脱がして───!」

「ちょ、姫菜!? ヒッキーでそういうの禁止! とべっちもだめぇえ!」

「っつーかいきなりとべっち呼ばわりですんごい関係進んでるでしょぉこれー!! っべー! レベル高いわぁこれー!」

「だから離れろっての翔っ! おぉおお俺はこんなことのためにあんな青春ドラマみたいなことしたわけじゃっ………………ぐああああ……! 恥ずかしい死にたいバッカじゃねーのバッカじゃねーの!? なに独りで熱くなってんのああもうほんと馬鹿俺の馬鹿死にたい死にたい死にたいよぉおおおっ!!」

「やぁあっ! だめっ! ヒッキー死んじゃやだよぅ!」

「その時、生きなきゃ嘘だと悟りました《キリッ》」

「……なんなのかしら、この茶番……。結局全員、考える時間が足りなかっただけじゃない……。はぁ、風情ある景色が台無しね、まったく」

「あはっ、あははははっ……よかったぁ……戸部くんっ、よかったねっ!」

「おー! 戸塚ちゃーん! あんがとー!」

 

 自分でも意外な形で、依頼は完了した。

 結局大多数の人間が成功するだなんて思ってなかったし、俺自身も、きっと海老名さんが戸部自身への言葉を向けていたなら何も言わず、この告白劇は終了していたんだろう。

 

(人の気持ちを考えろ、か……あー、恥っずい……!)

 

 顔がじんわりと熱を持つのを感じる。

 耐えられなくて左手で口を覆うように隠すと、結衣が右腕に抱き付いてきて、何を言うでもなく笑顔で俺を見上げてきた。

 

「………」

「………」

 

 なにも言わずに理解してもらおうなんて、きっと無理。

 それでも、付き合いの長さや深さで想像することも予想することも出来るのなら、そんな関係に到れるだけ、人っていうのは面倒でも心地良い。

 口を覆っていた左手で結衣の頭を撫で、お団子をくしくしといじって……頬を撫で、こつんと額同士をぶつけた。

 なんか、お疲れ様とありがとうを同時に言われた気がしたのだ。

 

「……知らなかった。きみ、結構熱い性格だったんだな」

 

 恥ずかしい空間から、ひとり、またひとりと歩いていく中で、葉山が俺にそうこぼす。

 俺は結衣を逆側に逃がすと腕をしっかりと抱かせ、守るようにして葉山を睨んだ。

 

「い、いや……べつになにかをするつもりはないんだけどな……」

「俺も、自分があんな恥ずかしいことをするだなんて思ってなかったよ」

「え? ああ……ははっ。恥ずかしいって……まあ、予想外ではあったけど。……でも、これできっと……変わってしまうんだろうな」

「……まあ、そうだろうな。こっちのグループもそっちのグループも、変わっていくだろ」

「俺は、変わらないままがよかった。好きだったんだ、あの関係が」

「……。なぁ葉山。お前、三浦さんのこと好きか?」

「…………。きみは」

「お前の言う変わらないままってのは、そういうことなんだろ? だったら今度は海老名さんがお前に言うかもしれないぞ? 興味ないなら振ってやれって」

「………………。きみには。選べたきみには、解らないさ」

 

 葉山はそう言って歩いていった。

 溜め息ひとつ、同じ立場になったらどうなっていたかを想像する。

 でも、その時に自分の手を伸ばせる位置に大切なものが一つ以上あるイメージが沸かなかった。

 情けないな、おい。

 

「……えっと」

「……帰るか」

「うん、そだね。お疲れ様、ヒッキー」

「いや、やめて。今日はそれ言われたくない。めっちゃ恥ずかしかった。青春しすぎちゃった」

「そんなことないよ。きちんと言いたいことを言ってくれたよ? あの病室に居た頃のまま、やさしいヒッキーだった」

「う……」

「でも驚いた。ヒッキーが人の気持ちを~とか言うなんて」

「…………死にたい」

「だめだってば!」

 

 ───青春とは嘘であり、悪である。

 青春している者はなんもかんもを肯定的に捉え、なんもかんもを青春の二文字を前に、笑みをもってこれを許す。

 逆に言ってしまうなら、青春を謳歌していない者は正義だ、という理論を組み立ててみても、そこに解は降りてこない。

 たとえその説が正しくとも、青春を謳歌していない者が正義でも、そんな正義を勝ち取ったところで……俺達の生活にはなんの価値も降りてはこないのだから。

 だからまあ、その。なに? 嘘だろうと欺瞞だろうと、ぬるま湯だろうとなかろうと。青春してみて見えるものもあれば、得られるものだってあるのだと。

 そんなことくらい、認めてやってもいいんじゃないかって……今さらながら、思う。

 世界の在り方なんざどうでもいい。変われるなら勝手に変わればいい。変わらないならそれでいい。いちいちそんなものに変わってくれ変わってくれと願ったところで、それが自分の思うようには動いてくれないことなど、とうの昔に知っている。

 人が変われば変わる世界も、どれだけ似ていても自分が願ったものとはどう足掻いたって一致しない。

 そんな世界で生きていくしかないんだとしたら、自分を曲げてまでだのなんだの、独りで出来るようになって初めて人に頼っていいだの、どれだけの理屈をこねたところで、結局俺は誰にも頼れないし救われない。

 それでいいならそれでいい。でも、俺がそんな自分を目指したとしたら、俺は今日……翔の笑顔は見れなかった。

 ……いいじゃねぇか、それが答えで。

 死にたいくらいに恥ずかしい思いをしても、青春の二文字で“しゃーない”って苦笑できるなら、そんな言葉に今は救われていればいい。

 

「結衣」

「ん? なに?」

「青春の名残で悪い。……ずっと前から好きでした。これからもずっと好きです。……これからも、俺の傍に居てください」

 

 好き、っていうのはかたちが無くて曖昧だ。

 人を好きになる自分を好きだった中学の頃に比べれば、こんなにも気持ちが違うものかと笑えてくるけど……知っているからこそ大事にしたい気持ちは数倍だった。

 

「……はい。あたしも、ずっとずうっと大好きです。嫌われるまで絶対に離れませんから、覚悟してくださいっ」

「む。それは俺の台詞だ」

「えぅっ!? あ、あはは……えとー……言った者勝ちじゃないかなぁ……とか、えへへ」

「じゃあ、その…………け、結婚を前提に付き合ってくださいッッ!!」

「《ボッ》ひゃうぅっ!? ………………ひっきぃ……それ、はんそく……《ぷしゅううう……》」

 

 どんな過去を経験しようが、肯定出来る今が出てきて、それを経験したならそれはもう過去だ。

 過去を肯定したいなら、それだって受け取らなきゃそれこそ嘘だろ。

 だから、まあ。

 ……たまにはいいんじゃねぇの? 青春、してみるのもさ。

 ほれ、黒歴史とかなんか儲かってそうじゃん。赤字よりもよっぽどさ。

 ……ごめん八幡うそついた。恥ずかしい死にたい。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 で、後日。

 

「そんでさーはちまーん、海老名さんがさー!」

「はちまーん、今日お昼一緒にしようねっ」

「はっちまぁああああん!! 今日こそは我が魂を込めて書き上げた物語を前に、貴様を涙させてやるぅううううっ!!」

 

 ……八幡呼びが三人になった。

 あと、翔と海老名さん絡みで、葉山グループとの付き合いが増えた。

 

「お、結衣ー、そのネックレスいいじゃん。ちょっと見せろし」

「? やだよ?」

「なっ……」

「ぶふっ!」

「隼人っ!?」

 

 二年になって同じクラスになった、葉山グループの女王、三浦優美子はクラスのトップカーストでもある。

 その発言力と影響力は凄まじいの一言であり……あり…………えーと。

 

「いや、え? あーし、べつにとったりするわけじゃ───」

「やだよ?」

「………」

 

 嫌なことは嫌と言える女になりつつある由比ヶ浜結衣は、なんというかスタンドで言うなら成長率がAランクなのかもしれない。

 ちなみにそのネックレスは俺が誕生日にプレゼントしたもので、結衣にとっては“宝物”なんだそうだ。

 

「優美子、無理強いはいけない。ごめんな由比ヶ浜さん」

「あ、うん。べつにネックレスとチョーカー以外だったらいいよ? ほらほら、これとか結構気に入ってて───」

「そ、そう? そうなん……? 実はチョーカーも気になっ───」

「───やだよ?」

「わ、解った、もう言わないからあんま睨むなし」

 

 ……うん、言いたいことを言えるようになってきたのはいいけど、笑顔で“やだよ?”は結構怖い。

 結衣ったらたまに容赦ないから。ちなみにチョーカーもプレゼントしたものだ。

 サブレ用にプレゼント渡したら、その首輪を自分でつけちゃってね、この娘ったら。そんなこともあって、じゃあ、って改めてプレゼントしたのがチョーカーだ。

 結構気に入ってくれているらしい。

 

「で、隼人はなんで笑ってんの」

「い、いやっ……優美子が言い負かされるとこ、初めて見たからっ……ごめんな?」

「むぅ……べ、べつに言い負かされたわけじゃねーし」

 

 唇を尖らせて拗ねる女王の図。

 まあそれよりも……

 

「あのさ、それよりもだろ」

「あん? なんだし」

「あんじゃなくて。……なんで俺の席の周りに集まってんの、お前ら」

「そりゃヒキオに訊きたいことがあるからに決まってんじゃん。んなことくらい察しろし」

「説明もなしにどっから情報を得ろってんだよ……で、なに」

「くくっ……ぶつくさ言いながら、結局は聞くんだな……」

「うっさいよ葉山……なんなのお前、修学旅行からやたらと突っかかってきてない?」

「いろいろと考えることと思うところがあってね。“選んだ先”っていうのを近くで見たいって思った。……これは、俺の我がままかな?」

「……お前、人畜無害な顔してすっげぇずるいな」

「人がずるくないなんて、ありえないだろ」

「…………腹が立つけど同感だ」

 

 溜め息ひとつ、やいのやいのと騒がしくなる周囲。

 青春の結果がこれだっていうのなら、喜んでいいのか悪いのか。

 ただひとつ、確実なのは……静かであったぼっちの日々は消えた。そこには深く静かな平穏が約束されていた。

 騒がしくなった今を思えば、あの日はあの日で確かに尊いものだった。

 けど、選んで得た先がここなら、俺はここも肯定する。楽しいなら笑ってりゃいい。それが作り笑いじゃないなら、曲げた自分なんかじゃねぇだろ。

 

「そんでヒキオ、あんたさ、どーやったん? あの海老名とあのうっさいのをくっつけるとか」

「どうやったって。そら、思春期の男女がくっつくきっかけっつったらアレだろ。ほれ、あー……青春?」

「…………あんた、結衣と一緒で奉仕部ってのに入ってんだよね? あんたに頼めばなんとかなんの? その……恋愛、とか」

「ああ無理だ。修学旅行をきっかけに、部長様が恋愛相談は二度と受けないって部の条件として書き出して、顧問の平塚先生もイイ顔で判子押して承認してたから。恋愛相談は受け付けない」

「はぁ? なにそれ。あのうっさいのの相談は受けたんしょ? いいから受けろし。なんだったらあんた個人でもいいし」

「余計に断るわ。大体な、恋愛相談や恋路の応援なんてのは面倒ごとにしかならないって昔から解りきったことなんだよ。応援してても失敗すりゃ人の所為にされるし、応援しなけりゃ応援してくれないからとか訳の解らん逃げ道を勝手に作るし」

「べ、べつにそんなこと」

「ああ……それはあるな」

「隼人!?《がーーーん!》」

 

 それでも時々静かになりたいって思うときって、どうしてもあるよなー……。

 ああ、友情を否定するわけじゃないけど、結衣と二人きりだった頃に戻りたい。

 などと思いつつちらりと結衣を見ると、“だよねっ”て感じでほにゃりと笑った。

 ……。え? なに今の。え? 目だけで会話した?

 

「………」

 

 べーわ。

 驚いてもう一度見てみれば、向こうも驚いた表情。

 ……なんつーか、どうしようもなく顔が緩んでしまう。

 

「……あんた、あーしのなにがおかしいんさ。あ?」

「ひえいっ!? い、いやっ……べちゅにこれはそういう意味じゃにゃくてでひゅね!?」

 

 でもやっぱりまだ女性は苦手です。睨まれるとヒィってなる。

 結衣なら平気なのになぁ。

 

「はぽぉおん……! ひえいと言われては黙っておれぬゥ! 邪眼の力をなめ」

「うっさい」

「あ、はい……」

 

 材木座……せめてもうちょっと粘ってほしかった。

 けどまあアレだ、なんと言われようと恋の手助けとかはガラじゃないし、そもそもしたくもない。

 だから断る。どうしてもって言うなら雪ノ下を通せ! ……いや、通せどころか雪ノ下に言ってください。

 単身で彼女を説得できたら考えなくもない。無理だろうけど。

 などということを説明したら、次の休み時間にはあーしさんは消えた。

 消えて……泣いて戻ってきました。

 ちょっと雪ノ下さんなにやったのアータ! 女王泣かすとか何者ですか!?

 そんな女王を葉山が慰めてる。その表情は、どこか楽しげだ。

 え? 泣いてる子見るのが好きなタイプとか? いや違うか。

 そんな葉山が俺の視線に気づいて、フフッと笑った。

 そして言う。変わってしまったなら、変わらずにはいられないんだ、と。

 ……まあ、そうな。そうなると自分じゃどうしようもできないのが世の中ってやつだ。

 あとは、その変化の先が自分に合っているかをせいぜい願うだけしか出来ない。

 まあでもその……アレだろ。キミが変われば世界も変わるってとある歌でもあったし、リア充にだけは適応されるんじゃねぇの、それ。

 だからまあ……足掻くことで変えられる範囲でなら、頑張れって応援だけはする。俺が支えようとしても、どうせ共倒れになって迷惑になるだけだろうから、勝手な応援だけをしとく。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 授業も終わり、部活も終わると、ようやく結衣と二人きり。

 下校の時間だけは、誰にも邪魔されずにのんびりと歩けた。

 腕を組むようにして恋人繋ぎで下校とか、青春すぎますかね。すぎますね。

 しかしそれも長くは続かず、バスに乗らずにマンション前まで送ってみても、それほど長い時間は一緒に居られない。

 

「………」

「………」

 

 なんとなく名残惜しくて、手が離せない。

 こんな時はキスをして離れるんだけど……困ったことにマンションの出入り口の奥に、結衣と良く似たお姉さんを発見。あらあら~って感じで右手を右頬に当て、にぃっこにこ微笑んでいる。やだ、なにあれ。結衣にお姉さんとか居たの?

 

「……ヒッキー?」

 

 いつもならするお別れのキスがないことに、結衣が不安そうに上目遣いを送ってくる。

 そんな不安そうな声に、ニコオと微笑むお姉さん。

 やだ困る、あれ絶対血縁者よ?

 ほら、部分的にも血の濃さとか感じちゃうし。

 ……どことは言わないけど。

 

「い、いやほら、その……な?」

「……?」

 

 恋人繋ぎから普通に正面から繋いだ手が、くにくにやわやわといじくられる。くすぐったい。

 それを見て“まあまあ~♪”と嬉しそうに微笑むお姉さん。やだ怖い。

 ていうかちょっとずつ近づいてきてる。なにあれ動く美人のホラーさん? いや意味解んないし。

 とか思っているうちに、結衣の後ろに黒い影。いやべつにその人黒くないけど。

 これは……あれですか? 試されているのでしょうか。

 宅の妹が欲しくばお姉さんを納得させてみなさい、とか。

 え? でも納得ってどうやって? さすがに姉の前で妹にキスとか八幡死んじゃう。

 でもそれを結衣が望んでくれているなら?

 ……あ、だめだわ、こうなったらもうどうしようもないわ、断る理由とかゼロだわ~。っべー。

 

「結衣」

「あ……う、うん。あたしも好き」

「……なんで告白するって解ったんだよぉお……あぁああもぉお……!《かぁあ……!》」

「えへへ……なんとなく」

 

 あーほら見なさい、お姉さん嬉しそうな顔して、“エアこのこのー”、とかやって肘を動かしてるよ。

 

「……ああ。俺も、結衣が好きだ」

「うん……好きになるたび告白してくれてありがとうね、ヒッキー。あたし、いっつも幸せだっ、えへへ」

「《かぁああ……!》い、や……~~~っ……好き……」

「うん」

「好きだ……」

「うんっ」

「好きで、ああもう、好きだから……!」

「うん、うんっ」

 

 ぽすんっ、と結衣が胸に抱き付いてくる。

 俺もソレを受け止めて、もはやお姉さんの顔は見ない。

 ただ、家族が居るからと見栄を張ろうとする自分を殺し、あるがままでいこうと思った。

 はっはっはっはっは! もうどうにでもな~~~れっ☆

 

 

───……。

 

 

……。

 

 人目を憚らずいちゃこらしてたら気に入られて部屋に招かれたでござる。

 世界って解らない。

 

(み、妙ぞ……こはいかなること……!?)

 

 冷や汗が垂れる中、部屋には居ない結衣は未だにガハママさんと口論していた。ここまで聞こえてくる。

 ええ、はい、お姉さんだと思ってた人が、実は結衣のママでした。

 信じられねぇ……童顔ママンとか、漫画の中だけかと思ってたのに。

 

「《コチャッ》……ご、ごめんねヒッキー、あたしママが居るだなんて気づかなくて」

 

 で、声が治まったからそろそろかなーと思っていたら、コチャッと開いたドアから顔を赤くして明らかに動揺してますって調子の結衣が、落ち着かない言葉を並べた。

 

「いや、あれはしゃーないだろ……ていうかほんとに姉とかじゃなくて? 若すぎだろ」

「あ、うん。よく言われる。あと……えっと。ヒッキーのことも……結構知ってる、かも」

「え? なんで? 初対面じゃなかったか?」

「え、えーと……あたしが、さ。ほら。教えたりしてたから……ね?」

「う……そ、そか」

 

 恋人から語られる俺ってどんな感じなのだろう。

 両親に引かれたりしてないだろうか。

 ほら、目がキモいとか本を見てて笑うとキモいとか、あと、あと……!

 ぐるぐると思考と一緒に目を回していると、ノックも無しに開かれる扉と……飲み物を載せたトレーを持った由比ヶ浜の母、由比ヶ浜マ。

 

「それでー……あなたがヒッキーくん、よね?」

「あ、はい。比企谷八幡です」

「そうよねぇ、結衣があんなに甘えた声を出すんだもの、ヒッキーくんじゃなくちゃおかしいわよねぇ」

「ちょ、ママ!? なに言ってるの!?」

「も~一年前くらいから急に可愛くなっちゃってねぇこの娘ったら。急に料理教えてとか裁縫教えてとか言い出して」

「ままままままぁあっ!? いいからぁ! そういうのいいからっ! もう出てってってばぁっ!」

「え~? ママもヒッキーくんとお話したぁ~ぃい~っ」

「ダメ!」

「ママが気に入ったら、そのまま結婚とか許しちゃうんだけどなー?」

「……!!」

 

 おい。

 結衣? 結衣さん? おーい!?

 きみなんでそんな急にガハママさん側に立ってるの!? なんで俺と向かい合ってるの!? こんなの絶対おかしいよ!

 いやそこで“ファイッ!”って軽くガッツポーズ取られたって、俺どうしようもないよ!

 

「それじゃ、ヒッキーくん?」

「……はい」

「結衣のこと、好き?」

「好きですね。好きすぎてやばいくらい好きです」

「それはどれくらい?」

「惚れる度に何度でも告白するくらい好きです」

「うーん……じゃあたとえば、ママに同じことしてみろって言ったら?」

「お断りします」

「じゃなきゃ結婚は許さないって言ったら?」

「お断りします」

「それじゃあ結衣と結婚できないって解ってても?」

「好きって気持ちを偽ったら、結衣を裏切ることになります。友達から始める時、最初に誓ったことです。俺は絶対に結衣を裏切りません。だから、条件に出されようと頷けません」

「……それで別れることになっても?」

「裏切られなければ、恋人じゃなくても友達から始めますよ。こう見えても俺、目は腐ってても信じた物は貫くタイプなんで」

 

 曲がったことにさえ気づかない限りは、その捻くれた真っ直ぐさで突き進むだけ。どんだけ矛盾を抱えようが、困ったことにそれが俺だ。

 大体、正しいだけで生きていける世の中なら、誰だって人生後悔してねぇだろ。

 だから“俺は”これでいい。また友達から始めて、好きになるところから歩いていくのもいいだろう。

 

「むー……あたしがヒッキーのこと嫌いになるとかないからね、ママ」

「あらー……いつもはコンロの前でお玉じゃなくて包丁持って、ママーママーって言ってる結衣が、いっちょ前に胸張って」

「ひぃやぁああああっ!? やめてママやめてぇ!! カッコ悪いとこヒッキーに教えたらダメ! やめて!」

「………」

「………」

「すぐ見栄張るし失敗ばっかだし、なんていうかほんと馬鹿だけど、この娘でいいの? ヒッキーくん」

「結衣で、じゃなくて、結衣が、いいんです。最高の娘さんですよ。一緒なら頑張れます」

「おー……あ、じゃあ一緒じゃなくなったら?」

「目指すモノが一緒なら頑張れます。そりゃ寂しいですけど……これだって決めたら真っ直ぐな娘さんです。そこには素直に憧れるし、そんな姿にも惚れ直しました」

「あらー……!」

「ひ、ひっきぃ……恥ずかしいよぅ……」

 

 いや、これ実際一番恥ずかしいのは俺でしょ? なにこの状況。

 恋人の親の前で、どれだけ恋人が好きかを事細かに話さなきゃならない状況とか、もう顔からヨガファイヤーって次元じゃない。いやそれはそれで高次元だけど。

 

「………」

「……?」

 

 ……にこにこ笑顔が俺をじいっと見つめていた。

 あれ? 質問は終わりかな……なんて少しホッとしたところに、次の質問は投げられた。

 あ、この人油断ならない人だ、気を抜いたらダメな人だ。

 それを理解したからには、退かない態度で挑んでいこうと心に決めた。

 

……。

 

 決めて……

 

「それでそれで、ヒッキーくんはぁ、」

 

 決めて……

 

「あら~……♪」

 

 決め───

 

「そうそう、結衣ったらー……」

 

 決……

 

……。

 

 なっが!

 質問なっが!!

 いつまで質問するの!? あれ? 外真っ暗だよ!?

 結衣!? なんでキミが「小町ちゃんに電話しといたよー」とか嬉しそうに言ってるの!?

 あれ!? 俺の意思は!? ていうかなにこの状況!

 

「あら、パパも帰ってきたわね。大丈夫よー? パパには予め電話入れておいたから、急なお客様に激怒、とかはない筈だから」

(ギャアーーーッ!!)

 

 顔は平静、心で絶叫。

 あ、平静って平塚先生の略みたいダー……だめだ話にならない! 比企谷八幡は混乱している!

 自分で言っちゃうくらい混乱していた。たすけて、小町たすけて。恋人まで敵に回ったこの状況で、パパンと対面とか俺どうしたらいいの。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 ……数々の質問と涙と悲しみが交差する中、ようやく終わった質問地獄。

 いろいろな条件を涙ながらのパパンに突きつけられて、もはや引けなくなっていた俺も望むところだ男じゃわしゃあとばかりに受け入れて、これで勝ったと思うなよと去ってゆくパパンの居た位置に、結衣が「パパのばか!」とファブリーズを噴射して話し合いは終了した。

 えーとその……つまり、ええっと。

 まず一。結衣を大切にすること。これは問題ない。むしろ俺の中の優先順位なんてとっくに変わっていて、結衣が大切すぎて怖いくらい。

 二。結衣の勉強の面倒を見ること。これも問題ない。普段から一緒に勉強をして、奉仕部でも苦手な分野をフォローしながら自力を高めあっている。彩加も翔も雪ノ下も一緒だし、たまに会話に脱線することもあるけど、やることはきちんとやっている。

 三。大学で悪い男に騙されやしないか不安だから、同じ大学に行って守ってやってくれ。なんかこれもう託されてませんか? ああいえ、娘さんが大事なのはよく解りました。ええ俺も不安なので絶対に同じとこに行きます。

 四。それらの証明として、高校卒業まで全力で結衣を守って、依存じゃなくて高め合える関係であること。それが守れるなら在学中の婚約だろうがなんだろうが許してやらぁ! だそうで。これも望むところだと啖呵を切ったら、パパン泣いちゃった。

 それからは売り言葉に買い言葉というか。次々に出る条件を飲み込み、無茶苦茶な条件にはきちんとツッコミを入れて、話し合いを続ける内に、どれだけ結衣が好きなのか語ってみろというので、それはもう事細かに、ねちっこいくらいに語った。

 すると……なんということでしょう。結衣は真っ赤になって顔を覆ってしまい、パパンは固まって目をぱちくり。ママンは「幸せ者ね、結衣は」なんて言って結衣をいーこいーこしてた。

 そののちにパパンが去ってゆき、ファブリーズに繋がるわけで。

 

「よかったわね、ヒッキーくん。条件を満たせば、晴れて結衣はお嫁さんよ?」

「その条件が多すぎなのが問題なわけですが……いえ、もちろん全部満たしますけど」

「……本当に、結衣が好きなのね」

「嫌いになれとか無理ですよ」

 

 その娘さん、パパンにぷんすかだったくせに、俺に抱き付いてきてしばらくして寝ちゃってますし。あああったかい。抱き締めていいですか?

 いやママンの前では無理か。マンション前でやったけど。

 ともかく、自然とずりずりと下がっていった結衣を、今では膝枕して頭を撫でている状況。

 そんな俺と結衣を見て、由比ヶ浜マはくすくす笑って、「今日は泊まっていきなさい」とか言い出す。

 

「あの、それはいろいろと問題が」

「ヒッキーくん知ってる? 親同士が認めていれば、13歳から子作りは可能なのよ?」

「訊いてませんよねそんなこと!!」

「まあおてつきしちゃったら、これから先、なにがあろうとも結衣を幸せにしてもらわなきゃ怒るけどー……こんな娘を見せられたら、応援しないわけにはいかないじゃない《にこー》」

 

 あ、笑顔。

 その笑顔は、当然といえば当然なんだが結衣によく似ていた。

 

「難しく考えることなんてないのよー? ただ、結衣を幸せにしてヒッキーくんも幸せなら、私たちはなにも心配なんてしないんだから。パパの言ったとおり、在学中の婚約だって認めるし……あ、そうね。ヒッキーくん、来年の誕生日はうちに来て? あ、判子忘れずにね?」

「え? あ、はあ……?」

 

 え? なに? 誓約書でも書かされるのん?

 今はちょっと頭を休めたいから、考えるのは遠慮させてください。

 けど、そっか。条件さえ満たせば。

 

「………」

 

 綺麗で可愛い寝顔を見下ろす。

 ……頑張らないとな。いや、頑張ろうな。

 恋人の無防備な寝顔を見て、守らなきゃって気持ちが強く湧いた。

 これからしていく覚悟と、立ち向かう困難の数とか数えてはいられない。

 だから、つまり、ようするに、由比ヶ浜マの言う通り、難しく考えるのではなく、訪れた困難をきちんと破壊して進んでいけばいいだけのこと。

 考えるのはそれだけでいい。あとはひたすら、結衣を幸せにすることを目指せば。

 簡単ではないんだろうけど……出来ることを全力でやっていけば、いつかは届くだろう。

 そのいつかが本当に在学中に満たせれば……その時は。

 

「うふふふふふ……♪ それじゃあヒッキーくん? これからはわたしのこと、ママって呼んでね?」

「え゙っ……ほ、本気、ですか?」

「呼んでくれなきゃ認めな~いっ☆」

「───……」

 

 イ、イヤ、出来ることを全力で…………だ、大事、デスヨネ?

 やべぇ早速つまづきそう……!

 けど、まあ、そんなところから始まる苦労も、いつかは笑い話として肯定できるようになるだろう。

 だったら今は、恥ずかしいことだろうとなんだろうと、全力で。

 



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幾度も結ぶ僕らの恋⑥

 その後、一色いろはからの依頼があったり生徒会選挙があったり、賑やかな日々が続いた。

 一色いろはが恥ずかしい思いをせずに生徒会長にならずに済む方法を、なんて話の先で、「じゃああたしたちで生徒会作っちゃうとか!」などと爆弾発言をしなすった結衣の言葉から、状況は急変。

 面倒事を押し付けられるって意味では奉仕部も生徒会も大して変わらねーだろと後押しをしてみれば、なんでか雪ノ下は嬉々として立候補。

 彩加と翔も案外ノリ気で、材木座も「よもやこの我が生徒会に……!」とまんざらでもない顔でニヤついていた。

 

  生徒会長には雪ノ下が就任。

 

 結衣が副会長で、その他の役職は奉仕部男子勢が受け負うこととなり、新しい生徒会の始まりだ。

 勉強会も運動の集いも相変わらずで、最初は体力が少なすぎた雪ノ下も、随分とスタミナが増えてきたように思える。

 そうなると作業効率も上がって、体力が無くて続かなかったものもこなせるようになり、生徒会執行部……もとい、生徒会奉仕部は随分と人に頼られるようになってきた。

 翔と海老名さんの関係も良好。最近デートをOKされたとかで、「これも八幡のお陰だわー! 俺これから鳩見る度に拝むようにするわ! マジサンキュー!」と元気に言っていた。……いや、俺と鳩とか超無関係だからやめて?

 ああそれと、どこにデートに行くんだー? なんて訊くと、

 

「あー……なんか戦場だとか言ってたわー」

 

 とか少し戸惑い気味に返された。

 

「…………《ビッ》」

「…………《ビッ》」

「? ? ……~……? ……《ビッ?》」

 

 俺と材木座は静かに彼の無事を祈り、敬礼した。きょとんとしつつも、真似て敬礼する彩加が可愛かった。

 そんな平凡も混ぜつつ、日々は進む。

 生徒会の初仕事に他校との合同クリパとかアホですかと思いつつも、交流という経験は悪いものではないと雪ノ下が了承。

 早速開始した海浜との会議であろうことか折本と再会。

 会議が終わったあとに、しなくてもいいのに接触してきて、アホなことに告白の話をしてきて、“アカン、それ地雷や”と言う間も無く結衣が激怒。

 

「自分への告白を他人に言い触らしたりなんかして! 人の気持ちとか考えたことあるの!?」

 

 ……以降、折本の接触は一切無くなりました。

 まあその、病室で話しちゃったりしてたから、ね。

 二度と会うこともないと思ったから話したのに、会っちゃうとかどうなっての世の中。

 折本も“あ~……話したんだ、へー”みたいな顔だったし。

 というか、どうして話されないって思ってるんだろうか。あいつは黙ってるのが当たり前、そうして当然、とでも思われてたんだろうか。

 ……まあ、余計なこと言わないようにって黙ってたしな。あいつの中の俺の印象が変わってなけりゃ、そりゃそうなるか。

 

  そんな悶着はどうあれ、話は進む。

 

 ルー玉縄氏のブレインストーミングがおかしな方向に行き始めた辺りに、雪ノ下から問答無用で却下が下され、話は時間がある内に纏めに向かった。

 小学生を巻き込むという状況に流れつつも、まだ余裕を持って準備できただけマシだろう。雪ノ下さんマジリスペクトだわ~とは翔の台詞だ。というかこいついっつも誰かリスペクトしてるな。いや、自分に出来ないことをやる人を尊敬するのはいいことだが。嫉妬深いと尊敬どころか舌打ちしかしなくなるからね。バイトの先輩とかマジそれ。

 ディスティニィーランドでデートしたりとかもしたな。提供は平塚先生。クリスマスのなんたるかを学んでこいとばかりに、チケット四枚もくれたよ。太っ腹だ。たまには顧問っぽいことしてくれるんですね、とか言ったら殴られかけた。え? あれ? おかしいこと言った?

 いやでもほらねぇあれですよ。

 ディスティニィーランドに来るカップルは別れる、なんて噂があった所為か、結衣に声かけたら……

 

「うす」

「あら比企谷くん、随分遅かったわね」

「ちょっと平塚先生に捕まってた。それでなんだが、あー……こういうのは誤解を生みそうだから、まずは結衣」

「ヒッキー?」

「これを受け取ってくれ」

「? え…………これ、ディスティニィーランドの……」

「明日行けるか? 予定があるならすまん」

「………………《ぽろぽろぽろぽろ》」

「ほうゎあああーーーーーっ!?」

 

 泣かれた。

 いや、チケット自体俺だけが平塚先生に呼ばれて渡されたんだが、それを渡したら泣かれた。

 冗談抜きで“ほうわー”とかおかしな悲鳴出たわ。

 もちろんきちんと説明して、貰った経緯も先に渡した理由も説明。

 すると納得できたのか、笑ってくれた。

 いや、なんでもな、一年の頃の友人……まあ今は別のクラスらしいのだが、その女子が先週、恋人である男子に“別れたいから”という理由でディスティニィーチケットを手渡され、お別れデートをしてきたんだそうな。

 なもんで、俺からチケットを渡された瞬間にそれを想像してしまい、泣いてしまったと。やだ、好かれすぎでしょ俺。

 ていうか誰その友達タイミング悪いにもほどがある。

 けどまあその実デートはデートということで、別れなければ問題なしと臨み、クリスマスを知るどころか普通にデートした。

 部員全員でってことになったけど、まあそこは金を出し合って。部活の一環ってこともあって、平塚先生からの援助もあったし。

 そうしてデートして楽しんで、戻ってからもクリスマスパーテーの準備で忙しくて、けどまあ楽しくやれた。

 一色もなにかと葉山にアタックしてるから、関係のあるグループとして巻き込まれたり相談されたりもして、まあ多少話す程度の関係ではある。

 高校に入ってから、人との交流は数倍になったな。あ、いや、0をいくら倍にしても0か、てへり。つまりプラスされたんだな。はっはっは……彩りがない。

 ともあれ、クリパも問題なく終了。

 あえて述べる問題といえば、ルミルミと再会して「あ……ゾンビの人」って言われた時、雪ノ下と翔がツボって苦しんでたくらいかね。

 

「あけましてやっはろー!」

 

 クリスマスが過ぎれば正月。

 いやさ待たれい年越しがまだだ。

 いやまあ今さらジャンプして地球上に居なかったとかそんなことはしないが、言ってしまえば地球の上でジャンプしてんだから地球上だアホとかガキみたいなことを言ったいつかも忘れたい。

 年越しは、何故か結衣の家でだった。なんで? いやほんとなんで?

 仕方ないでしょ由比ヶ浜マに勅令受けたんだから。俺にとってママさんとかもう天皇だから。なんか逆らえる気しないの。たぶん結衣に似てるから。ほら、俺とか結衣のお願いなんでも聞いてあげたい病だし。

 そんなわけで年を越し、「仲がいいところを見せ続けないと、認めないわよー?」なんて言い出す由比ヶ浜マ……もうママさんでいーだろ。ママさんに言われるがまま、というのも癪なので、自然にラヴることにした。

 パパさんが泣いてたけどもう気にしない。いつか酒に付き合えって言われたから、それまでは我慢してもらおう。

 

「あけましてやっはろー!」

 

 というわけで、目が覚めたら言われた。

 0時になった時にも言われたんだけどな。なんなのこれ、やっはろーって時間を選ばない全く新しい挨拶なの? なにそれすげぇ便利じゃん。いや多分、ヤッホーとハローを混ぜたまったく新しい挨拶なんだろうけど。

 ……てか、俺の口調も随分砕けたよな……十分変わってるじゃん、俺。

 

「あの……ど、どうかな」

「…………好きです、付き合ってください」

「あ、あはっ、あはは……あぅう……! 何度告白されても嬉しくて恥ずかしくて……あたし、もうほんと、ヒッキーが大好きだ……」

「あらあら~」

 

 同じ家で目覚め、既に挨拶もした。

 けれど、初詣に行こう! という提案を飲んでから着替えをしてきた結衣は、なんというか……こう、ほら、ヘンテコな思考に逃げて、落ち着く時間を稼ぎたくなるほど……可愛かったのだ。

 縦編みニットにベージュのコート~、とかすらすらと服の名前出てくる小説の主人公の頭の中、一度見てみたい。いやまあこれくらいなら俺でも解るが。専門的な名前とかスラスラ出てくる主人公とかほんとなんなの? もうその道でプロ目指せよって感じじゃないの。

 と。照れ隠しに他人に文句を飛ばすのはこれくらいにして。

 

「よっ……よ、よく……似合ってる。可愛い……惚れ直した、っつーか……さらに惚れた」

「う、うん……」

 

 惚れ直したってなんか言葉的に好きじゃない。

 直しちゃだめだろ、もっと好きになれよ。プラスしなきゃもったいないだろ。

 

「それじゃ……えと。行コっか」

「だな」

「はーい、いってらっしゃーい♪」

 

 ママさんに見送られ、外へ出て腕を組んで、数駅越して俺的世界遺産、浅間神社へ。

 そこで待っていた奉仕部と合流、あけましてやっはろーが繰り出され、初詣の時間は動き出した。

 

「彩加」

「あ、八幡っ、あけましてやっはろー!」

「お前もするのかよ……あー、その……や、やっはろー?」

「あははっ、うん、じゃあ行こっか」

「おう」

「おー! 八幡あけおめやっはろー! いんやー朝からこの賑わいとかマジテンション上がりまくりんぐでしょー! なんかこう、今すぐ祭りとかしちゃいたい気分っつーかぁ!」

「その気持ちは解る。なにせ世界遺産になったかもしれんこの神社だ。ここを祀り上げるとか超解ってる。お前最高」

「ゴラムゴラム! ならばこの初詣にて……盛大に祝ってやらねばならんなっ!《ンバッ!》」

「わっ、材木座くん、500円!?」

「5円や二重の円などで果たして天は喜ぶか否か! 答えは否! ならば我は108の煩悩を500の縁で打ち砕き───」

「長いわ。行きましょう」

「ちょ、雪ノ下嬢!? 雪ノ下嬢ーーーーっ!!」

「……ゆきのん、もう随分慣れたよね……木材くん、あっさり流されちゃった」

「最初のそわそわしてた頃とは大違いだな……あと木材じゃないからな? あいつ」

 

 思い返せば懐かしい。もう一年以上前になるのか。

 告白劇でたまたま入った場所で出会った部長様は、随分とご成長なされた。

 

「ヒッキーはなにをお願いするの?」

「ん……とりあえず眼の濁りと腐りをなんとかしてください? 大事な伊達眼鏡だけど、つけてないと引かれるってのはお前に悪いしな」

「ヒッキー……」

 

 幸せにするのは俺の役目だ。神にも仏にも譲らん。

 なのでなかなかどうして、思うようには出来ないことは神頼み。それでいいじゃないの。

 

「おーっしゃ大吉ぃいっ! 幸先ばっちりでしょおこれってばー!」

「わっ、僕も大吉っ! 見て見て八幡っ!」

 

 やだ可愛い……! 俺将来彩加のパパになりたい……!

 いや冗談だが。

 

「もはははは見よ八幡! 我はブルーアイズを引いたぞ!」

「大凶じゃねぇか。っと、俺は……まじかよ、ブルーアイズだ」

「……せめて大げさに言っておかねば、テンションが保ってられんのだ……」

「だな……なんか悪かった……」

 

 二人して大凶。

 対して結衣は大吉であり、雪ノ下は吉であった。あ、なんかぐぬぬってしてる。我らが部長がぐぬぬってしてる。

 

「……雪ノ下。課金はな、社に住まう者を豊かにするんだ」

「然り然り然り! そして祀り上げられるは神! ならば現状より上を目指せば目指すほど、神は潤うのである!」

「悪いことじゃあ……ないんだぜ?」

「ともに目指そうではないか……頂きの先を」

「なんかヒッキーと木材くんがふたりしてゆきのんのこと誘惑してる!?」

「うわー、なんかいろいろ最低でしょぉそれー」

「八幡……おみくじは何度も引くものじゃないよ……」

「いや、というか我は木材ではないのだが……」

「……私、引くわ」

「ゆきのん!?」

「だからそれをやめなさいと言っているでしょうガハマさん」

「まだ認めてくれてなかったの!?」

 

 結局、何度か引いてブルーアイズが出た瞬間、雪ノ下が敗北を認めた。

 大吉が出る可能性が異様に低かった。

 俺も材木座もとことんブルーアイズ引いたし。

 ちなみに去年は小吉。二日後に部長様の誕生日会をやって、随分と賑わった。

 当然今年も祝って、何故かあった射的で手に入れたパンさんのぬいぐるみをプレゼントしたら、大層喜んでおった。なんか昔話みたいになったな。

 パンさんは部員からのプレゼントってことで、俺と結衣はプレゼント選びと称してデートなんぞもしたのだが。

 

  そんな調子で、日々順調。

 

 起こることは相談して、独りで出来ることでも相談して、確認が必要だと思えば相談して。

 相談してばっかりだが、これが案外大事で、忘れがちなことだ。

 部って組織に居るなら、勝手な行動は控えるべき、というか……まあその、勝手でもなんでも、一応相談しておくべきだ。

 どうせ断られるに決まってるって決め切っていつつも何気なく相談してみたら、あっさり了承が得られたとかそういう経験、あるだろ?

 それに期待して次もって行くと大体却下されるけど。

 それでもまあ、必要なことなのだ。

 

「だっは……! はぁっ、はぁっ……!」

「ふぅーーーぃ……上位に入るとか、八幡やっぱ運動とか向いてんじゃねー!? 今度の休みにサッカーとか……やらね? キラーン♪」

「歯、輝いてねぇから。自分で言うのやめろ……」

「戸塚ちゃんも上位だし、奉仕部マジ優秀だわー。あ、それで……葉山くんの進路とか、どうだったん?」

「意地でも言わないらしいぞ。なんていうかあいつ、相当頑固な」

「俺の依頼の時もいろいろあったとかだったっけー? そういや」

「ああ……お、材木座も来たな」

「よっちゃんももうちょい絞ればいけると思うのにねぇ」

「最初全力でトップ走ってたからな。あっという間に追い抜かれてたけど」

 

 三浦さんからの依頼……まあ、恋愛関係っぽかったからお断りしようとしたんだが、泣く女王には勝てんかった。

 依頼として受けるのではなく、聞ければ聞くというかたちで請け負って、今回結局聞けなかった。

 葉山隼人は進路をどうするのか。そういう依頼は余所でやってちょうだいと部長様に言われ、口論が起きて、結局泣かされた女王さまったらマジ不憫。

 うちの部長様強すぎでしょ……。

 

「よっ、彩加……いや、負けたわ」

「うん、僕も昔から運動はしてたから、走るのはわりと。テニス好きは伊達じゃないよ?」

「……ほんとよかったのか? テニス部」

「うん、それは全然。今まで友達付き合いとか出来なかったし、それに僕、奉仕部好きだよ?」

「彩加……俺も好きだ」

「八幡……」

「彩加……」

 

<トツハチ! トツハチキマシ《ブシュウッ!》

<エビナー! ダカラギタイシロシ!

 

「…………まあ、あっちはほっとこう」

「え、っと……それにさ、テニス部員……真面目にテニスしてないみたいなんだ」

「そうなのか……」

「うん。だから、これでよかったんだよ」

「そか。彩加がそれでいいならもう言わない」

「あははっ……ありがとう、八幡っ」

「お、おう……」

 

 彩加は嬉しそうににっこり笑って、それじゃあと駆けていった。

 まだ走れるのか、元気だ。いやまあ俺も走るくらいなら出来るけど。

 

「………」

 

 女子のスタートは男子の三十分後だったか、もう出たんだろうか。出たか。結衣のスタートを見送りたかったな。…………ん? あれ? じゃあなんであの二人、鼻血出したり拭いたり……ああ、体調とか優れなかっただけか。三浦さんとか、精神的に不安定っぽかったし。海老名さんは……まあ、血液とか鉄分が足りなかったんじゃないの?

 

「結衣か……」

 

 翔の所為で“上位に入ったらご褒美”が約束されているので、たぶん相当頑張ると思うが。

 やることもないし、ゴール付近で待ってるか。

 と、とことこと歩いて楽に出来そうな場所を確保、女子の到着を待った。

 待って、待って───人影が見えた。ようやくか、と見てみれば、運動部の連中がやっぱり先頭だ。

 うん、それはいい。いいんだけど……なんであんなに必死に走ってるんだ?

 と、その後続を見てみれば。

 

「っ! っはっ! はぁっ! くぅううっ……!!」

「はぁっ! はぁっ! はぁっ! はぁっ!!」

「ゆいっ……がはまさっ……! いい加減っ……あきらめっ……!」

「やだっ、よっ……! 出せるっ……全力、ださないでっ……ご褒美、なんてっ! ほしく、ないもんっ!」

「はっ、はっ、はぁっ! はぁあっ! ん、ぐっ……! 私、もっ……! 出せる、力を残したままっ……負けるなんて……! ごめ、んっ……だわっ!!」

 

 運動部の後ろを必死の形相で全力疾走する見慣れたお方たちが。

 あ、あー……なるほど、そりゃあ運動部としては負けられないわ。

 でもなんていうかあの二人、もう虫の息っぽいんですが。どれほどの全力出せばあんなに……。

 ああほら、前を走る運動部の子達、泣きそうじゃない。

 なんかもう今にも“ママー! 助けてぇえ!”とか叫び出しそうだよ。どんな距離をずっと追われてたの?

 

「なにやってんだか───あ」

「……!! ヒッキー!《ぱああ……っ!》」

 

 見つかった。途端、結衣が加速する。おいやめろ、心臓とか肺が死んじゃう、とかツッコミたいけどたぶん聞こえなさそう。

 そして結衣が前に出るならばと雪ノ下も全力。

 優雅さもなにもない、人間の戦いが……そこにはあった。

 あの、これ、ゴールで待ってないとやばいよね? なんかこう、結衣のきらきら輝く瞳と目が合った瞬間、“ゴールと同時に抱きつきたいっ!”ってお願いが頭に届いた気がしたよ。

 なのでゴールまで移動して、姿が見えてから腕を広げて待ってみる。

 ああ、周囲の目が痛い。痛いけど……早い! ガハマさん早い! なんかもうあとのことなんて知らないって感じのダッシュだ!

 そして負けず嫌いな部長様も、譲る気などさらさらないわとばかりに猛然ダッシュ。

 結局、1位から5位あたりまでは運動部系部員が手にしたが、6・7位は同着で結衣と雪ノ下。

 どかーんと遠慮なく飛びついてきた結衣を抱き留め、ともかく呼吸を安定させることを奨めた。あとスポーツドリンクな。

 

「おめでとうな、結衣。ご褒美はな《んちゅうっ!》ふぐっ!?」

『おぉおおおおおおおおっ!!』

 

 ご褒美は、チッスだった。こんなん俺の方がご褒美だっての。

 ええまあ他の生徒の前でなにしとんのだとばかりにセカンドブリットくらったが。

 

「あーもう、ほら、足とかがくがくじゃないか……」

「あぅううう……で、でもさ、はぁ、はぁ……上位でも、結構前のほうじゃ、ないと……はぁ、はぁ……キスしても、格好悪いかな、って……はぁ、はぁ……」

「……ありがとな、結衣」

「えへへぇ……うん」

「……っと、あとは……おーい部長ー? 起きられるかー?」

「けひゅー……けひゅー……」

「ああすまん、喋らなくていい。ほれ、スポドリ」

「……、……《こくこく》」

 

 同着なのに片方の体力の方が底をついていた。

 まあ、彩加の体力作りのための運動に参加するのが遅かったからな、雪ノ下。

 結衣と同時期だったら、今回は確実に雪ノ下が勝ってただろう。

 元々の運動センスとか異常なんじゃないの、この部長さん。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 依頼は失敗ってかたちで終了した。

 回復を待ってから出向いた打ち上げで、三浦さんも予想はしていたのか、特に文句は言わなかった。

 結果がどうあれ、依頼は終わったのだ。

 

「ヒッキー! 見てこの鳥! すごいよ! 超丸焼いてある!」

「どんな言葉だよそれ……ていうか、打ち上げってアレだよな。ズラーっと料理が並んでも、自分が食べたいものほど置いてないもんだよな」

「頼めばいいんじゃないかな」

「え? いいの? “なにお前勝手に頼んでんの? てかなにあれキモい”、とか言われない?」

「言わないよ!?」

「中学時代に打ち上げに誘われて、行くって言ったら“あ、行くんだ……”なんて言われてなー……。それ以来、誘われても絶対行ってない」

「うー……! あたしとヒッキーが幼馴染だったらよかったのに」

「やめてくれ。結衣にまでキモいとか言われたら死ぬわ俺」

「言わないったら、もう……」

「解らないぞ? 小中とすごかったからな、俺の周り。その空気に流されない強い意思がないと、大体のヤツがノリだけでキモいとか言ったぞ?」

「………」

「《ぎゅっ……》ごめんなさい自虐はもうやめるんで悲しそうな顔とかしないでください」

 

 服の袖を掴まれて、悲しそうな顔で見上げられたらもうなにも言えません。

 ただ実際、幼馴染になったところで俺がどうなるわけでもないし、それらがきっかけでうちもどう変わるかとかのほうが心配だ。

 うちは親父が小町大好きだし、結衣の親父さんも結衣大好きだろ?

 お袋は小町大好きで俺のことはかなりほったらかし。

 ママさんだって幼馴染って結果になったら、果たして俺をどんな眼で見るのか。

 ほら、なんか俺、育つ過程で味方が居なさそうじゃん。

 小町はどうか? ……なんかこうなるとダメっぽい。結衣に懐いて俺は嫌う世界が簡単に想像出来た。だめじゃん。

 さて、そこで肝心の幼馴染ガハマさんだが。

 幼い頃から俺のキモさとか見て、好いてくれる要素とかあんの? ……ないだろ。サブレ関連でなにかある、とか無さそうだ。

 詰んでるわ。これ今の人生よりよっぽどひでぇよ。

 そんな世界じゃ俺、本気でエリートぼっちになって世界そのものを憎む以上に“世界はこうだからしゃーない”って完全に見限ってるよきっと。

 

「まあ、なんだ。鳥、食おうぜ? パリパリの内に食わないともったいない」

「…………うん」

「……コホッ。……その、さ。落ち着いて考えてみれば解るよ。幼馴染として産まれてもさ、きみが俺を好きになる要素がまるでない。俺達みたいにきっかけがあるわけでもない。俺は小学中学といろいろな経験があったからこの俺になったんだ。その経験がない馬鹿な俺を、好きになる人なんて居やしないよ」

 

 わざと口調を戻して言う。

 改めてこの口調で喋ると、中学三年の六月を思い出す。

 暑さの話題で話を振ってきた、と思っていた女子に「むしろ蒸し暑いよね」と返したあの日。

 そうだ、以前はあんな口調だった。強気に出ることもできなくて、波風立てない無難な言葉を選び、ただ平凡を望んでいた。

 以降、結衣と話すまで、女子とまともな会話もなかった。

 いつしか自分はそういう存在なんだって受け入れ始めて、そうじゃないって信じたくてもがいてみても、結局結果は変わらなかった。

 結衣から伊達眼鏡をプレゼントされて、そこから変わり始めた周囲。

 それに合わせて、最後の勇気ってのを振り絞ったお陰で、俺は今こんなところに立てて居るのかもしれない。

 信じてよかった、と思う。

 思った途端、翔が首に腕をひっかけるようにして絡んできて、「うぇーい八幡ー! うぇーい!」と、まるで酔っ払いのテンションで絡んできた。

 次いで彩加も「八幡っ、これ美味しいよっ、食べてみてよっ」と料理が乗った小皿を差し出してきて、「おおっ! では我が……」とそれを取ろうとする材木座の魔の手から、パッと料理を掻っ攫って……もぐもぐと食べる俺。

 

「はっ……はちまーーーん! ええいおのれぇ……! 貴様は由比ヶ浜嬢にあーんでもされておればよいものを……!」

「いや、それ以前に人に差し出されたもの横取りするなよ……」

「まあまあ、材木座くんの分もあるからっ、はいっ」

「《ポッ》とっ……戸塚氏……! 謹んで頂戴するでありますっ!?」

「あっはっはっはっは、いんやーそれにしても、なんっつーか奉仕部ってある意味色の濃い連中の集まりって感じ、しちゃう系じゃねー?」

「まあ、部長からしてある意味濃いな」

 

 運動は自信に繋がるってどこぞの誰かの言葉があるけど、ストレッチ&筋トレを始めた雪ノ下って妙にこう……雰囲気からして前向きになった気がするし。

 以前はなにかというと押し切られる姿があったのに、今ではキリッとした感じだ。

 葉山と幼馴染って話は聞いたけど、その葉山ですら時々呆然として驚いてるくらいだしな。

 

「んー……それ考えるとあれじゃね? 八幡は結構普通系だべ?」

「そうか? ぼっちとしては相当希少生命体だと認識していた時期があったくらいなんだが。むしろこう……最底辺?」

 

 まあそれも、あの事故があって、結衣と会わなければ……ああいや、起きなかったことをどうこう言っても今は変わらない、か。

 ただまあ考えることは脳の運動になるのでじゃんじゃんやろう。ノイローゼにならん程度に。

 

「しかしまあ、濃いか薄いかはともかく、レアであるという意味でなら、彩加以外は居ないと思っている」

「それ同感。戸塚ちゃんてば、べーわぁ」

 

 俺を好きになってくれたって意味では、俺個人としては結衣がレアすぎるわけだが。

 今はちょっとしょんぼりしているけど、なんていうかもう天使です。いや、しょんぼりさせたの俺だけどさ。

 

「その……結衣。俺の幼馴染、なんて想像はやめておいたほうがいいよ。性格悪いから家族旅行にも置いていかれるし、事故るまでは心配らしい心配もされず、小町が産まれりゃ親父に突き放されるようなどうしようもないガキだったんだ。……その。俺、お前に嫌われるために幼馴染をするとか……そんな人生、無理だ」

「ヒッキー……でもさ、それでもあたしは───」

「お前はさ、“答え”にはまっすぐなやつだよ。興味がない相手には“興味を示さない”。文化祭とか体育祭の準備とかで見たまんまなら、出会い方が違えば俺もあっち側だったんだなって思った。……俺はさ、たぶん、それに耐えられなくて自分から拒絶すると思う。結衣を傷つけて、周囲を敵だらけにしてでも」

「ヒッキー……」

「悪い。情けないこと言ってるのは解ってる。けどさ、世界に一人でもそんな人が居て、変わりたいって思って変われたなら……俺、たぶんあんな自分にはなってなかった。もっと上手くやれてたって思う」

「……うん」

 

 俺の言葉に悲しげに俯く結衣。

 そんな彼女の頭に手を伸ばす。言い回しが卑怯だな、と思いつつ。

 

「まあ、後悔はあっても否定はしないんだけどな」

「───え?《ぽむぽむ》ひゃうっ!?」

「ありがとな、結衣。たぶん、小さい頃の俺を認めてくれた人って、小町を除けば結衣だけだ。その小町も最近じゃ俺のことごみぃちゃんとか呼ぶしな……。だから、まあその、なに? 暗い話とかはせっかくの場が盛り上がるどころか抉れ下がるから、ここまでにしよう。や、暗くしたのは俺かもだけど」

「…………ヒッキー」

「ん?《ぺちんっ》おっ……え?」

 

 呼ばれて、真っ直ぐに見れば、少し膨れた顔。

 そんな彼女が、俺の頬を軽くぺちんと叩いた。

 

「あたしさ。勉強も頑張ってるし、運動も結構出来るようになった。でもまだ解らないことだらけで、ヒッキーに頼っちゃうことばっかりだ。でもね、ヒッキー。どんな始まり方をしたあたしでも、あたしはきっと、同じような恋をして、同じ人を好きになるんだ。だから、ヒッキーがそれを否定するのは……嫌だし、悲しいな」

「…………い、や…………けど」

「“もしも”……なんだよ? 夢くらい見ようよ、ヒッキー。……大丈夫。あたしはちゃんと───どんな場所でもさ、ヒッキーのことが大好きだから」

「……、……っ……~~~《かぁ、ぁああ……!!》ぁ……ぅ……」

 

 頬を叩いた手で頬を包まれ、やわらかな笑みで迎えられて。

 心が温かくて、やさしくて、嬉しくて。

 照れ隠しになにかを言おうとしてみても、この喉は上手く動いてくれやしない。

 顔ばっかりが熱くなって、目の前の好きな人から目が離せなくて。

 やがて、そんな感情が爆発する頃、

 

『好きです。(あたし)と付き合ってください』

 

 声が重なり、照明に照らされた影が重なり、唇が重なった。

 周囲から、近くの友人から、“ウヒョーウ!?”とか“っべー!”なんて声が聞こえる。

 ここが打ち上げの会場だってことも忘れてキスをして、幸福を分け合うみたいに額をくっつけて、上目遣いで見つめ合いながら、くすくすと笑みを零した。

 

「あ、の……な? その……本心を言うとさ、結衣が唯一信じてくれていても、俺は結衣を遠ざけると思う。大事だから、遠ざけると思う。本音じゃない暴言なんて平気で吐いてまで、きっと遠ざける」

「大丈夫だってば。あたし、これでも我慢強いから。絶対にヒッキーが閉じこもってる場所まで行って、好きって伝えるよ? えへへ、じゃなきゃあたしじゃないもん。小町ちゃんに背中押されなきゃ届かなかったあの時とは違うんだ。きっと、違うあたしもいつかは踏み出して、馬鹿なことしながらさ、ほんと、いつか……ヒッキーの“大切”の中に入るんだ」

「そりゃ……ははっ……心強いのか怖いのか」

「そこは心強いって言おうよ……」

「お、おう……悪い……」

 

 もしもを熱く語っている内に、段々と恥ずかしくなって二人して俯く。

 そこへ雪ノ下が溜め息を吐きながら訪れ、じろりと睨んできた。

 

「あなたたち……仮にも生徒会の役員が、公共の場でキ、キスなんて……」

「学校離れて打ち上げに出れば、役員だってただの人の子だろ」

「比企谷くん、それは屁理屈と呼べるものよ。大体───」

「あっ! あとね、ヒッキー。別の世界だときっとね? ゆきのんとべったべたにくっつけるくらいの親友に」

「ごめんなさいそれは無理」

「ゆきのんひどい!?《がーーーん!》」

「っつーかガハマっちゃんも八幡もぉ、年々マジ大胆になりまくりってゆーかぁ、もうラブラブちゅっちゅしすぎでしょぉ……。傍から見てて羨ましいわぁ……」

 

 ちょ、やめなさい翔、改めて呆れるみたいに言われると恥ずかしい。

 

「ぬ? いやしかし、戸部氏も以前、某祭典で海老名嬢とともにラブっていた気が……?」

「え、や、ちょ、よっちゃんアレ見てたーん……!? ないわぁマジないわぁ。あ、いや、んー……ゆーても……あれ? 俺と海老名さん……お似合いに見えたり……した系?」

「然り。相手の趣味を受け入れ、傍に居ることに喜びを得て、ともに騒ぐことを是としたお主の生き様……まさに“貴腐人と充者”であったぞ!」

「……マジで? 貴婦人と従者とかマジでー!? ちょぉ、よっちゃん嬉しいこと言いすぎだっつぅのー!」

 

 ……ああ、なんか文字としての伝達の齟齬を見た気がする。

 戸部よ、多分それ、文字が違う。

 腐ったお方に付き従う充実した者と、貴婦人に従う者とは違うと思うんだ……。

 まあ、本人がいいっていうならいいかもだけどさ。

 

「恋かぁ……ねぇ八幡、恋をするって、どんな感じなの?」

「あ、あー……その。とりあえずな、彩加」

「うんっ」

「…………《ポッ》」

 

 可愛い。あ、いや、ええと。

 …………いやいや、彩加に恋人だなんてパパ許しませんじゃなくて!

 落ち着け、彩加は“性別:戸塚”だろう。

 きちんと戸塚として扱ってあげなきゃ失礼…………あれ? なんか失礼の意味が曖昧になってる。男子として扱うのも女子として扱うのも難しいってすごいなおい。

 と、ごちゃごちゃ考えつつも、ふいっ、と結衣を見る。

 途端、湧いてくるのは暖かな気持ちだ。

 

「まずな、テンションが上がる」

「うん」

「その人と目が合うだけで嬉しいし、会話して、楽しそうに笑ってもらえたら、それだけで一日テンション上がりっぱなしで妹に“どしたのお兄ちゃん、今日キモいよ?”ってツッコまれる」

「えぇえっ!? そうなのっ……!?」

「あ、いや、これは俺という特殊な例の場合のみだった。すまん」

「……あ、あはは……八幡も結構苦労してるんだね……。でも、そっか。嬉しくて、一日のテンションが……《ちらっ》」

「? どした? 彩加」

「あ、ううんっ、えっと…………八幡」

「? おう?」

「僕達、ずっと友達だよね?」

「え……いいのかっ!?《ぱああっ……!》」

「えぇっ!? き、訊き返されるなんて思ってなかったかな……も、もちろんだよ八幡、僕、八幡のこと好きだもん」

「彩加……」

「八幡……」

 

<キキキキキマッ、キマシタワァーーーッ!!《ブシャアア!!》

<エビナー!?

<オキャクサマコマリマス!!

<エェエ!? コレ、アーシガワルイン!?

 

「……戸塚くん。恋の話をしたあとに好きとか、あちらの人間が出血多量で死んでしまうからやめてちょうだい……」

「翔、あっちのこと頼む……」

「あ、おう……わり、ちょっと行ってくるわー……」

 

 幸せ顔で鼻血を流す海老名さんのもとへ小走りする翔を見送り、彩加と目を合わせて、たはっと笑った。

 ……そうだ。ずっと、こんな友達が欲しかった。

 くだらない時間に身を費やし、くだらないって言えるくせにちっとも時間の無駄だって思えなくて、楽しくて。

 本当に、心の底から欲しかったものはきっと、裏切らないし裏切りたくない大切な人。

 でも、たとえ多少の妥協をしようと、これが偽物だなんて言えないのだ。

 どんな道を選んで、どういう選択肢を選んで、今まででは想像が出来ない世界に立って、誰かと笑える。そんな、普通の人ならガキの頃から出来ていたことが、高校に入ってからようやく出来た俺にとって……こんな関係こそが、きっと───

 

(………)

 

 きっと、なんなんだろな。名前が思いつかない。

 でもきっと、名前なんてつけてしまったらもったいないものなんだろう。

 

(はぁ……)

 

 伊達眼鏡越しに見る世界は随分と眩しい。

 何かを通してしか見えない眩しい世界を、少し残念に思う。

 腐った眼は生まれつきだと言う自分と、昔は腐ってなかったと言う小町と写真。

 昔の自分は綺麗な目で、素直な笑顔のまま写真の中に居た。

 どこでどうまちがえて目を腐らせたのかなんて、きっと子供特有のほんの擦れ違いだったのだろう。

 今ではまるで思い出せないそんなきっかけも、全てがあって今に繋がってくれているのなら、否定する理由なんてなくて……まちがってしまっても、肯定してくれる恋人が居てくれるから、過去も今も大事に思える。

 どころか、今じゃ未来でさえもが楽しみだ。

 こんな自分になれるだなんて思わなかった。

 それでも、いつかはなにかで失敗して、かけがえのないものを壊し、全てを失うんじゃないかって恐怖はあった。

 なにかが壊れるきっかけは、きっといつだって自分だったから。

 家族旅行も、行かないなんて一度でも言わなければ……今でも行けてたんじゃないかって。

 クラスでも、もっと空気が読めていれば……まだ“友達”とは呼べなくても、知り合い程度の存在は何人か出来ていたんじゃないかって。

 

「……なぁ雪ノ下」

「なにかしら」

「俺と友達にな───」

「ごめんなさいそれは無理」

「ゆ、ゆきのん! あた───」

「ごめんなさいそれも無理」

「まだなんも言ってないよ!?」

「ごめんなさい。私にも理想というものがあるのよ」

「理想? 理想……───ああ、そっか、なるほど」

「ヒッキー?」

「……いや。なんでもないよ」

 

 言って、おしえておしえてと雪ノ下のもとから近寄ってくる結衣。その頭を撫でまくりつつ笑う。

 理想。

 ぼっちの理想とする友情とはなんだろう。

 そう考えてみて、なるほどな、なんて納得した。

 それが答えかは訊いてみなければ解らないだろうけど、言ったところで答えないだろう。

 その理想は口にしてはいけない。大事なものだから、“言わなくても解る関係”を望むのだ。

 気づいてみれば面白いもので、俺も結衣も雪ノ下も、そういう“大切なもの”を求めていた。

 追い続けてみれば辿り着く場所は同じなんだろうに、そこまでの過程が違うから譲れない。

 自分の理想だから譲れないし、譲った先で答えに到れても、どうしても悔いが残るのだ。

 それら全部を手に入れるにはどうすればいいのだろうと考えて、たぶん今の俺じゃ、その答えは見つけられないんだろうなって思った。

 

「結衣、鳥食おう鳥。オラ腹へったぞ」

「食べないで騒ぎすぎなんだってば、もう。はいヒッキー、取り皿」

「ん、ありがとな」

「……なんだか、長年連れ添った夫婦みたいね」

「ふっっ……!?《ボッ》……あ、えぅう……ふうふ……ヒッキーと……」

「ふ、夫婦か……だったら俺ももっといろいろしてやれないと、いつか愛想つかされそうだ……ゆ、結衣? なにかしてほしいこととかあるか?」

「露骨なポイント稼ぎが始まったわね」

「えっ……なんでもいいのっ!?《ぱああっ……》」

「……露骨でもなんでも、嬉しければいいのね」

「嬉しいなら嬉しがらなきゃ損だろ。“それをされて嬉しい”って見せ付けないと、人ってほんと二度とそれをやってくれなくなるぞ。家族旅行で俺だけ置いていかれるとか」

「さすがの寂しい人生ね、放置谷くん」

「だから谷しか合ってねぇって……で、結衣。してほしいことがあるなら───」

「え、あ、うん。えとー…………ヒ、ヒッキーから……キス、してほしいかな」

『!?』

 

 だから、まあ。

 その答えが見つけられない今の俺じゃなく、そんなもしもはどっかの比企谷八幡に任せよう。

 もしくはこれからの自分にか。

 問題の先送りなのかもしれなくても、今はまだ……こんな賑やかさに馬鹿みたいに笑える瞬間に、自分の青春ってものを預けてみたいから。

 

  ああ……楽しいな───

 

 心が弾むのが解る。

 食べてみた超丸焼いてある鳥は美味しくて、自然と笑みがこぼれた。

 視線を移せば海老名さんの鼻血騒動でわたわたしている翔と三浦さん。

 彩加と材木座は恋愛についてを語っていて、そこに雪ノ下が参加してあーでもないこーでもないと盛り上がっている。

 一色は葉山に言い寄って、それに気づいた三浦さんが海老名さんを翔に任せて参戦。表面上はとぉっても仲の良い先輩後輩のように見えるお話が始まり、それを見た翔が呆然としたまま「……べーわ……」とこぼしていた。

 

  そんな賑やかさに自分が混ざれていることに、笑みがこぼれる。

 

 ずっと前に諦めた筈の世界。

 自分には絶対にそんな未来はこないのだと思っていたのに。

 

(…………ああ)

「《ぎゅっ》ふわっ!? わ、わ……ひ、ひっきぃ?」

 

 自分が浮かべた笑みの温かさが心に染み入り、どうしてか泣きそうになった。

 気づけば傍に居てくれた結衣を引き寄せ、向きを変え、後ろから抱き締めて。目を閉じて、そこにある幸せを思った。

 

  ───時々、全てを諦めたくなる。

 

 自分は何をやっても認められないから、やるだけ無駄なのだと……いい加減自分で自分を認めてやりたくなる。

 小学中学と散々味わってきたのだから、もういい加減諦めてもいいだろうに……それでも高校ではと気力を振り絞ってみれば、高校生活どころか入学する前にぶち壊しだ。

 世界は腐っている。

 きっと、ほんの些細な失敗に目を濁らせ、腐らせたであろう記憶にない過去を思う。

 なにが原因だったのか、なんて、思うだけ無駄なんだ。

 俺は自分の所為にしかしないし、口でどれだけ何を喋ろうと、自分の行動の責任は自分にあると認識しているから。

 だから、世界を自分で勝手に見限って、濁らせ腐らせた自分が悪い。

 それでも言い訳を。言いたいことを、口にさせてくれるのなら。

 

  ああ……もっと早くに、こんな温かさに触れたかった。

 

 嘘をつかれて、それが本当だと信じて、馬鹿みたいに信じ続けて泣いた日を思い出した。

 気づけば自分が嘘をついたことにされて、信じていた誰かは“みんな”と一緒になって俺を笑っていたいつか。

 それさえも自業自得で、自分だけが悪かったんだとしたら、俺の目は濁っていて、人を見る目がないくらいに腐っていたのだろうと。

 悪いのは全部自分で、“みんな”のように上手くやれないから独りなのだと。

 それが解って、納得して、受け入れて。

 それでも、そんな自分を笑わず、肯定してくれる人が居たのなら。

 

「……好きだ」

「……うん」

「……ずっと、傍に居て欲しい」

「……うん」

「俺も……」

「……んー……?」

「俺も、さ。好きになるから…………絶対、好きになるから。だから───」

「……うん。えへへ……だったら、どんなあたしたちでも、絶対幸せだ」

「……うん」

 

 後ろから抱き締めた腕に、結衣の手が重ねられた。

 温かくて、ガキの頃から我慢し続け、いつだって泣きそうだった自分が救われた気がした。

 出会い方が違えば、きっと別のところで涙していたであろうそれも、今は静かに俺の中で今を見守ってくれている。

 ただ、やっぱり思い返す時がある。

 ガキの頃、嘘の先にある本当の先の何を欲して、あんなにもつかれた嘘を“嘘じゃない”と信じたかったのか。

 

  ○○が欲しい

 

 知るための歯車が噛み合わないそれは、気づけば見えなくなっていた。

 でも……そうだな。

 見えなくても信じたいものがある。見えないからって信じられないわけじゃない。

 それがなんなのかなんて、解る時に解ればいい。

 

「ちょぉ、八幡! 海老名さんの鼻血止まんないんだけどこれヤバくね!? っべーわぁ! って言ってる場合じゃないっしょー!」

「あ、八幡っ、これ材木座くんと見つけてきたんだけど、すっごく美味しいから食べてみてっ? ───戸部くん、海老名さん大丈夫なの!? あ、八幡と由比ヶ浜さんはえっと、た、楽しんでてねっ?《ポッ》」

「ゴラムゴラムゥ! ……あげずに食してしまいたいところではあるが、やはり同じ部の者として、共有できるものはそのー……きょ、共有してあげなくもないんだからねっ!?《ポッ》 とツンデレ怒りをしつつも、仲間の一大事ならば我も動こう! 代わりにうぬらはそこでいちゃいちゃしているがよいィ! さあ、我にしてほしいことはあるか!」

「ないわよ財津くん」

「ぶひぃ!?」

「ブッハ! ヒヒヒヒヒキタニくんをめぐって三人の男子がっ……! こ、これは誘い受け? それともヘタレ受け……うぶっしゅ!《ブシャア!》」

「おぉわ海老名さぁーーーん!? ぇええ!? ちょ、これやばいんじゃねぇのー!?」

「ちょ、海老名!? ちょっとうっさいの、なにやってるし!」

「え、えっ!? うっさいのって俺ェ!? お、俺戸部翔って……」

「んなことどうでもいいってーの! それよか海老名だし!」

「ひどくね!? けど同感っしょ!」

 

 ……そう、それがどんな名前でもいい。

 俺はそれを、名前が解らなくても大事にしたいと思う。

 

「………」

 

 賑やかで眩しい伊達眼鏡越しの世界を見つめ、それを与えてくれた大切な人の顔を見る。

 抱き締めた肩越しに見るその顔が俺を見て、にこりと笑って……俺もまた、自然と笑えた。

 彼女の手が伸びて、大切な伊達眼鏡をすっと取ると、世界は変わらずそこにあっても……濁っているのだろうと思う俺の心はいつかのまま。

 なのに、そんな目を見てもやさしく微笑んでくれる人が目の前にいて、はやくはやくと催促してくる。

 眼鏡を取った俺でもいいのか、なんて今さら訊かない。

 その代わり、俺は静かに、ゆっくりと目を閉じながら……眩しい世界を眼に焼きつけながら、大切な人にキスをした。

 

 病室に送り込まれる前じゃ想像がつかないくらいガラにもなく、こんな日々がずっと続きますようにと願いながら。

 

 

 

 

 

 

 えへへ、ヒッキー、今年の誕生日、楽しみだねっ。

 

  まじか。なんだかんだで好きでいてくれたのか。

 

 なんだかんだって……あたし、普通に好きだよ……? 好きじゃなきゃ、楽しみに出来ないし。

 

  そ、そうだったのか。悪い。じゃあ俺も練習しとく。

 

 練習? あ、そっか……えへへぇ……なんかくすぐったいね……。

 

  おう任せとけ。ママさんや親父さんを巻き込んで、盛大に祝ってやる。

 

 う、うん……! 楽しみに、してるね……?《かぁあ……》

 

  おう。こほん、あー、あー……ハッピーバースデー、うぬー。

 

 練習ってそっち!?

 

  え? 違うの?

 

 ヒッキーの誕生日だってば! そ、それにママならちゃんとトゥーユーって言ってくれるもん!

 

  任せとけ。ちゃんと説得しとく。

 

 やめてったらぁ!

 

  けど、俺の誕生日? なんだかんだで祝ってもらってるから、楽しみではあるけど……。

 

 ……ママ、すっごく張り切ってるからね? 判子忘れたら、たぶん怒るよ?

 

  判子……18歳……ママさん……? ……ぅ、ぉぉぁ……!!《かぁああ……!》

 

 う、うー……!《かぁあ……!》

 

  いや、その……悪い。正直想像がつかなかったっつーか……そ、そか。結衣は、それでいいんだな?

 

 …………うん。絶対、幸せになろうね?

 

  ……解った。……よし、うん。解った。幸せになろう。幸せにする。俺じゃなきゃ嫌だ。

 

 うん、あたしも。幸せになろ? 幸せにするよ? あたしじゃなきゃやだ。

 

  ……ぷふっ。

 

 あははっ……。

 

  ああ、まあそれはそれとして、その二ヶ月前には結衣の誕生日も祝わないとな。

 

 ……ぜったいトゥーユーにしてね?

 

  ……すまん。俺、ママさんには逆らえないから……。

 

 説得する気満々だっ!? や、やめてよぅ! あたし普通に祝われたいよぅ!

 

  おーい部長、翔、彩加、材木座ー、次の結衣の誕生日なんだけどー。

 

 ヒッキー!

 

  高校最後だし、普通に祝ってやろうってことになった。いいかー?

 

 あ……ヒッキー……!《ぱああっ!》

 

   だめよ。盛大に祝うわ。

 

 ゆきのんひどい!?

 

  ……お前、ほんとツンデレな。

 

   黙りなさいキス谷くん。

 

  ほら結衣、盛大に祝うって言ってるんだから、いいだろ。

 

 ひっきぃいい……。

 

  ……その。誰もトゥーユーで歌わない、とは言ってねぇんだから。

 

 ……え?

 

  おし、鳥食おう鳥。俺もう鳥とかめっちゃ大好き。

 

 ヒッキー? ねぇヒッキー、今なんて───

 

  誕生日、楽しみだなって言ったんだよ。ほれ行くぞ。

 

 《グイッ》ひゃあっ!? ま、待ってよヒッキー……!

 

  ぐっは……! 自分から行くぞとか言って腕引っ張るとか青春しすぎてて辛い……!《かぁああ……!》

 

 ひ、引っ張っておいて恥ずかしがらないでよぅ! …………はぁ、もう、ヒッキーは……。でも……うん、そんなヒッキーだから……ふふっ、あたし、ヒッキーのこと好きだなー♪

 

  ……~~~……俺、婚約までに何回お前に好きですって言えばいいんだよもう。

 

 えっ!? あ、う……な、何回でも、嬉しいよ……? 何回でも……してほしい、かな……えへへ。だから───

 

  そ、そか。じゃあ───

 

 うん……

 

 

 

  ……好きです、俺と付き合ってください。

 

 

 ───はい。こんなあたしでよければ……喜んで。

 



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前を向いたあの日から①

 ……拾った金は届けると1割貰える。という話を聞いたことがある人は多いだろう。

 しかしこれは間違いであり、正しくは金額の5~20%を受け取る権利が発生する、というもの。

 その5~20%の範囲は拾ってもらった持ち主自身が決めていいものであり、拾った人は金を差し出されても断ってもいいとのこと。

 さて、では本題だ。なんだってそんな話をしたのかといえばだ。

 

「………」

「………」

 

 最初はただの、ふっと沸いた善意だった。

 ほら、たまにあるだろ? べつに、したいと常に思ってるわけでもないのに、ある日突然気まぐれが働く時。

 俺のこれもそんなものであって、およそ人に褒められるべき類のものじゃない。

 ていうか帰りたい。なにこれ、今すぐ帰りたいたすけて小町。

 あぁほらお巡りさんも、〝まいったな困ったな”って顔でさっきから無言じゃねぇか。俺もだけど。

 どうしてこうなった。

 俺はただ、本当に、ただ気まぐれで行動しただけだったのに。

 そりゃな、ちょっと期待しなかったわけでもないよ? 落とし物があったから届けたらその過程を誰かが見てて、〝実はあたし昨日ヒッキーがー!”とか噂になっちゃって、とか……おい、なんで例えの時点で人物特定しちゃってんだよ。

 

「あの……」

「いや、ああ……」

 

 なんだか息苦しくなって声を出してみると、お巡りさんは肩を弾かせたあとに溜め息混じりにそう返し、お茶を淹れてくれた。

 インスタントの紅茶だ……雪ノ下の紅茶の味に慣れてると、あんま美味しく感じない。

 いや、今は雪ノ下の味でも安心出来るかどうか。

 

「俺、やっぱり帰───」

「それは困る! 頼む! 本官のその後を思う心が少しでもあるなら! この通りだ!」

「頭上げてください!? いやほんとなにやってんすかやめてくださいごめんなさい!」

 

 さっきからこんな状態のままだ。

 帰ると言えば頭を下げられ、俺も下げてはわたわたして、お互い気まずくなって座り直して、手持無沙汰で時間を浪費する。

 なんでこうなったのかを一言で言うなら、お金を拾っただけ、なのだが。

 拾ったものを、俺はそもそも金だなんて思っていなかった。

 むしろどうすりゃこんなもの落とすんだってものを、何気なく届けただけだったんだよ。それがなぁ……。

 

「………」

「………」

 

 自宅から最も近い、小さな派出所。

 そこに、ちょっと歳いってるけどやさしそうな警察官さんと二人、椅子に座って待っている。

 待っているのは当然落とし物の持ち主なんだが……ああ、嫌だな。道行く人が俺を見てヘンなものを見る目で通り過ぎてゆく。

 どうせ、この目と合わせて第一印象だけで〝なにかやらかしたんだろ”って思っているんだろう。

 慣れているとはいえ……気まぐれの、それでも善行と呼べることをやったのにそれは……正直、辛かった。

 途端に生まれる心細さに、無理矢理蓋をして黙する。

 

「………」

 

 しばらくして、その人は現れた。

 ガードマンらしき人を後ろに、派出所前につけられた車から降りてきたその人は、何度かTVでも見たことがある人だ。

 けど、相手が有名だからとかそういう感情は働かない。

 ぼっちが取る相手への評価など、まずは“ただの人”でしかない。

 自分と同じ人間だと言い聞かせて、臆することなく向かい合う。

 そして───

 …………。

 そして……

 

……。

 

 散々と礼を言われた。

 いかにも大物って在り方を隠そうともせず、むしろ見せびらかすが如く振る舞い、豪快に笑いながら感謝を述べていた。

 この感謝は20%でも足りんなんて言い出した時はどうしようかと思った。

 いらないって断ったって聞きやしない。

 だったらせめて5%でって言ったら「ボウズ! おめぇはこの儂がそんなちっぽけな人間に見えるってのか!」なんて滅茶苦茶なことを言い出した。

 ちっぽけだとかそんなことは問題じゃない、これは受け取る側の問題だって、なんとか伝えた。

 するとまたガッハッハ。肩や背中をバンバカ叩かれ、彼は言った。「んじゃあ一枚やろう。それで手打ちだ。どうだぁボウズ」と。

 一枚。金なら一円だろうが一万だろうが一枚と呼ぶ。

 つまり、金額は1~一万。それで相手が納得するならと、いい加減滅茶苦茶すぎる相手の対応に疲れていた俺は頷いてしまった。

 同じく疲れていた警察官の人と一緒にホッと安堵して、きちんとそういったものの証明として書類も書いて、正式に。

 ……書いて、しまったのだ。

 

「………」

 

 今、俺の手の中にはその一枚がある。

 無造作に渡された、一枚の“カード”。

 してやられたって思った。なるほど、確かにこれは一枚だ。正式に譲渡を認めるって書類も書いてしまったし、受け取らないわけにはいかなかった。

 さてこのカードだが……拾った金額から比べりゃ20%にも満たないが、それなりには入っている、らしい。あのおっさんが言ってた。

 ただ俺、拾った金額がいくらなのか、結局聞いてないんだよな……。

 だって俺、なんかすっごいツヤッツヤな銀色のアタッシュケース、届けただけだし。

 それがなんだって、部下まで連れて派手なスーツ……スーツ? なんか極道のボスが着てそうな服着たおっさんが来るんだか。

 届けたら丁度落とし物探索依頼が出されていたようで、警察官さんがすごく安心してた……んだが、安心のあとに電話口の先から野太い声が聞こえて、ボス自らが来訪することになって……待っている間は生きた心地がしなかった。

 なんで部下からボスとか呼ばれてんだよ。

 TVで見たことあったけど、それがどんな系統だったかとか覚えてねぇよ。

 思い出したくないだけかもしれねぇし。

 

(まあ、あれだ)

 

 こんなガキに気前よくポンと渡すほどだ。そんな入ってるわけでもないんだろう。

 そう思わなきゃやってられん。

 きちんと法律で守られた取り引きだ、むしろもう受け取ったものだって吹っ切っちまえばいいさ。

 

……。

 

 後日。

 確認してみましたところ、カードには…………ア、アハハ。

 八幡、ちょっと目が腐りすぎて疲れちゃったかなぁ。

 ケタがさ、ケタがちょっと……予想より幾つも多くないかなぁ。

 アレレーおかしいぞー? じゃああのアタッシュケースの中、いったいなにが入ってたんだろー?

 

「………」

 

 ふらふらと自室に戻ってきて、自室の中心で体育座りをしてみた。

 ……むなしいだけだった。

 なぁみんな。突然手元に一億円が舞い降りたらどうする?

 俺ならアレな、人間不信になる。

 誰にも言わなければいいとはいえ、人の噂はどこからでも漏れるものなのだ。

 そして、人っていうのは金に群がるものだ。

 だから、俺は突然自分にやさしくなる人を信じられないだろうし、その行動に金のことを知っているのか否かを見い出せるかの自信が持ちきれない。

 

(どうしろってんだよ、こんな金……)

 

 突然渡された大金ほど、心を乱すものはない。

 汗水流して働いて手に入れた金ほど安心出来るものはない。

 とりあえず連休二日目ってこともあり、今日一日を思い切り悩む日として、存分に悩むことにした。

 

 

───……。

 

 

 そして翌日。

 

「………」

 

 悩んだ。

 散々。

 これからの将来で悩む様々なことを組み立てて、そこから自分が通る過程を自分らしく生きたのち、自分に待つものがなんなのかを。

 結果、散々な未来しか残っていなかった。

 軽く絶望しかけて、けど……あえてその絶望に身を投じ、さらに悩んだ。

 悩んで悩んで、考えて考えて考え尽くして、答えを求めて……残ったものが自分の本心だというのなら、これは本当にそうなのだろうかとさらに考えて……やがて結論を出したのだ。

 

「……ん、よし」

 

 金に見合うだけの、立派な人になろう。

 この金は本当に必要になる時まで使わない。

 これは自分が言い訳を盾に出来なかったことをするために、あのおっさんがくれた先行投資なのだと言い聞かせる。こんな自分に賭けてくれたのだと自身で自身に鼓舞を贈る。

 さあ比企谷八幡、俺には何が出来る。

 やろうとせずに諦めていたことはなんだ。

 まずはそれを皮切りに、一歩を踏み出そうじゃないか。

 少なくとも……こんな“一枚”をぽんと渡せる価値はあるのだと、自分を信じてみろ。

 

「……よしっ! いきますかっ!」

 

 バッと立ち上がって、階下へ降りて洗面所へ。

 眠ってない顔を水で引き締めて、石鹸つけてしっかり洗って歯も磨いてスッキリ。

 小町の分の朝食を作って俺は食わずに部屋に戻り、準備をしたなら登校開始。

 メシ食うと睡魔に負けそうだからそのまま行く。

 

「……緊張するな……けど、決めたことくらいは、周りがどんだけ引こうと貫こう」

 

 それを積み重ねていこう。

 いきなりなにやってんだこいつとどれだけ言われようが、もう決めた。俺はこう生きる。

 

……。

 

 健康のため、という意味も含めて歩いての登校。

 学校に着く頃には目も完全に冴え、寝不足で余計に淀んでいただろう目の腐り具合も多少はマシになったんじゃねぇかね、と思うくらいには眠気も飛んだ。

 

「おはっ……げほっ! ……んん、おはよう」

「へっ? あ、ああ……? おはよう……?」

 

 声をかけてゆく。

 おはようは朝の挨拶だ。

 たとえ相手が知らんヤツだろうと、これからはきっちりと言っていこう。

 気持ち悪いと言われたなら、そんなものはもう自分でも納得済みだから痛くねぇ。

 ななななんだ、はは? べべべべちゅに、知らん誰かにおはよう言うことくらい? わわっわわわけねーし?

 

「……よしっ」

 

 一歩目は踏み出せた。

 どんどん行こう、努力に見合う自分に到るために。

 ガラじゃないが、そんなガラだって自分だけが決めるものじゃないだろう。

 いろいろなものを経験した先に自分が居て、過去を否定することを良しとしない自分が居るのなら、周囲を否定するのも過去の否定に繋がるのだろう。

 だから俺はもう、周囲を言い訳には使わない。

 社会が悪いなら、その一部である自分だって悪いのだと受け取ろう。

 一億の男になるために……ああいや。もういっそ、金のことは忘れたって構わない。

 これから生きていく中で、自分がそこまでに到れる自信なんてものは言ってしまえばこれっぽっちもないんだ。

 それでもこういうことが起きたってのはなにかしらのきっかけなんだと思ってる。

 いつまでも高二病を胸に置くのはやめよう。

 黒歴史の先に八幡あり。

 だが、築き上げてきた黒歴史の中には、捨てちゃいけないものだってあったのだ。

 それは、それを実行してみせる勇気だ。

 それまで捨ててしまっては、俺はただの臆病者にしかなれないから。

 

「過去を否定しない。このスタンスはそのままでいいとして───あとは」

 

 否定しないなら、口約束だろうが叶えなければいけないものがたくさんある。

 向き合わなければいけないことも、きっとたくさん。

 

「ハニトーと、シーデートか」

 

 気合いを入れよう。

 きっと、言葉にはしなくてもあいつは待っている。

 待たずに迎えに行くと言ってくれたあいつだが、断ってばかりの男を迎えに行くのがどれほど勇気が要ることだかを考えてみろ。

 考えたなら、行動だろ?

 

   ×   ×   ×

 

 ……たとえば、誰かが自分に好意を向けていることに気付いたとする。

 それは恋ですかと訊くのは怖くて、でも……知りたいからその人を見る。

 その人は元気で、いつも笑顔で、けれどそれが全てじゃなくて、人間だから泣きもするし怒りもする。

 泣かせたのは自分ばかり。

 怒らせているのも自分ばかり。

 他の人のところへ行けばきっといっつも笑っていられるだろうに、なんでその人は傷ついてでも自分の傍に居たがるのかなと考えたことがある。

 ふとした拍子に見える、笑顔の奥にある表情が、時々“俺”にそれでいいのかって訊ねてくる。

 自分が気になっている人の“在り方”は、それで間違いないのかと。

 もう散々勘違いをしてきただろう?

 たくさん傷ついてきただろう?

 それをしないために身に着けた人間観察だ。

 ただ単純にやさしい女が嫌いだからと突っぱねてしまうのではなくて、もっと見てみればいい。

 その人はやさしいだけか?

 隣に来て、どんなことをしてくれる。

 キモいって言葉が出るのは、大体どんな会話の中でだ。

 

「………」

 

 待ち慣れた廊下の先、その曲がり角に背を預けて、昨日寝ずに考えたことを思い出した。

 様々な解はある。けど、どれが真実なのかは出せていない。

 当然だ、俺の気持ちじゃないのだから。

 けど、間違えばきっと離れることを経験しているから、手を伸ばせない。

 伸ばせば掴めるところにある解に、手を伸ばせないでいた。

 ……そう、いたのだ。

 それも、今ならきっと出来る。

 

「……はぁ」

 

 気付けばかけがえのないものになっているものこそ、本当にかけがえのないものだと思う。

 普段から“これの代わりになるものなんて”と言えるものなんて、ハッと視線をずらしてみればポンと見つかるものだろう。

 けど、知らずに築き上げてきたものが消えることほど怖いものはない。

 何故って、それが既に自分の中で“あって当然”のものになっているからだ。

 日常が壊れることは怖いのだから。

 大切なものが崩れることは、怖いのだから。

 それでも───そうして悩んだことで解ったことだってある。

 壊れてしまうなら所詮は勘違いだった。

 そして、俺はもう、自堕落な自分のままで居るつもりはない。

 勘違いであったにせよそうでないにせよ、居づらくなってしまった場所があるなら、もう出ていける。

 もちろんそんな逃げ道がなかったとしても、俺はもう……“あいつの今”をこのまま浪費させるつもりはなかった。

 

  輝けよ青春。

 

 命が救われた感謝から始まったものがあった。

 出会いもそれで、再会もそれ。

 和解もそれで、そんなきっかけで始まったものは今も奇妙に続いている。

 

  バカ、と言って泣いた少女。

 

 彼女の接近ややさしさが全て同情からくるものだと勝手に決めつけて泣かせたいつか。

 

  告られるならここがいいと目をきらきらさせていた少女。

 

 そんな少女の前で他人に告白し、それでもやさしく“これっきりね”と言ってくれた少女に対し、言い訳ばかりで解を出さず、泣かせてしまった自分。

 他人のエゴは嫌いなくせに、自分はエゴばかりを押し付け、泣かせてばかりだ。

 だから、望んでくれた全てを叶えに行こう。

 水族園で見ることで知ることとなった少女の在り方を、きちんと受け取った上で、まちがえることなく、やさしくて元気で、でも……ずるい少女の青春に栄養を与えるつもりで。

 ……ほら、あれだよ。腐葉土とかってめっちゃ栄養になるし。

 

「……ハッ」

 

 自分の中に浮かんだくっだらない冗談を笑い飛ばし、のんびりと顔を緩ませた。

 叶えに行こうとか言ってるくせにこうして待ってるんだから、ほんと俺ってやつは。

 それでも……叶えてやりたいことがいっぱいあるんだ。

 困ったことに、傷つけてばっかだったから。

 

「───おい」

 

 いやちょっと待て、待ってちゃだめだろ。いや、けどそれじゃあ“ちょっと待て”も出来ねぇよ。いやいいんだよそれで。

 既に放課後だが、今日はそりゃあもう努力したぞ俺。

 戸塚には自分から話しかけたし、川なんとかさんにもおはよう言ったし、授業だって超真面目に受けたし、数学だって頑張った。わからんことがあったから先生に訊きにいったよ。あんなん初めてだ。

 当然平塚先生に呼び止められたが、“何も言わず見守ってやってください”って言ったら、えらく男前な顔で頷いて、背中を押してくれた。

 昼は教室で、小町の分と一緒に作った弁当を食べたし、遅れを取り戻そうと成績がよろしくない科目の復習もした。

 で、放課後……なんだが、いろいろ考えてたら気付けばここに居た。

 これはよくないとすぐに教室に戻って、そこで───

 

「ゆひっ───由比ヶ浜っ」

「えっ……あ、え? ヒッキー? ……えと、どしたの?」

 

 由比ヶ浜に、つっかえつつも声をかけた。

 いつもなら廊下の先で待つ俺なのに、そもそも教室で声をかけるなオーラを出している俺なのに、俺から声をかけたことに相当驚いている。

 実際、今も周囲を伺うようにキョロキョロしてるし。

 けど、俺はもう臆することなく言うことにした。

 変わらない自分よ、そのままで居てくれ。世界に絶望したら、またお前に会いにいく。それまで、今は寝てろ。

 

「……部活、一緒に行こう」

 

 噛まないように、一言一言を大事にしながら言った。

 不思議と恥ずかしさはない。

 思えば由比ヶ浜はいつも、こんな空気の中で俺に声をかけてくれていたのだ。

 感謝があるなら返さないと、だよな。

 

「…………うんっ! 行こうっ!」

 

 由比ヶ浜は少し固まっていた。けど、すぐにぱあっと笑顔になって、三浦たちに声をかけると、俺の手を取って歩き出した。

 教室を出てもそのまま。

 いつもの待ち合わせ場所を過ぎても、その先へ行っても。

 引っ張られたままなのもなんなので足幅を広げ、その横に並ぶ。

 途端、待ってましたとばかりに足を止め、見上げてきた。

 

「びっくりした」

 

 えへへ、と笑いながら言う言葉はそれだった。

 まあ、そりゃそうだと返す俺も、自然と苦笑が漏れる。

 

「今日のヒッキーいろいろ違ってた。なんかあった?」

「ヘンだった、とかおかしかった、とは言わないんだな」

「うん。だって、見てて……えと、よくは解らなかったんだけどさ。なんか……頑張ってるって解ったから。それをおかしかった、とか言われるの、なんかヤじゃん」

「………」

 

 “空気を読むことに長けている”───そんな特技を持つやつが、楽しい過去だけを歩いてきたわけがない。

 誰だってそいつなりの嫌な過去があるもので、もちろんそれを誰かと比べたってなにが解決するわけでもない。

 過去は過去のままずっと残るし、それを大切にしたって苦悩したって、決定的な救いになるわけでもない。

 だから、俺がここでこいつの過去をどーのこーの言おうが想像しようが、俺がこいつになにかしてやれるわけでもない。

 解ってるのに、なんでか胸がしくんと痛んだ。

 

「言ったら笑われるだろうから言わない……って思ったなら、言わなきゃだめだよな……はぁ」

「ヒッキー?」

「えっとな……人として成長しようって思ったんだ」

「成長?」

「ああ。あるきっかけがあってな、それを受け入れる、っつーか……まあやっぱりきっかけか。手に入ったものがあって、それに相応しい自分になろうって思ったーとか、まあそんなもんだ」

 

 信じられないものはたくさんあって、信じられない事態、予測出来ないことなんて山ほどだ。

 今たとえば自分の私腹を満たすためにあの金を使うとする。結構使っても残るくらいの額だろう。

 が、いつだって予測不能の不幸っていうのはあるもんだ。

 いきなり金が必要になって、もうあのお金じゃ足りません、なんて状況になったら俺はずっと後悔する。

 だからあれを自分の金だとは思わず、未来に貯めた金として、多少の出来事が起こっても自分の力で解決出来る自分作りに踏み出した。

 自分作りっつーと……あー、なんだ。中二病とか浮かんでくるけど、そっちの方向では断じてない。……というか、中二が終わって高二が終わると、次はなんだろう。大二病? あるのかそんなの。

 まあいい、とにかくやってみるだけだ。

 笑われたって貶されたって、誰に迷惑かけるわけでもない。

 挨拶されたやつは迷惑かもしれないが、だったら無視してくれていい。

 こんなものは、ぼっちがただ挨拶してみてるだけの一歩にすぎないんだ。リア充どもがやっていることを真似ているだけでも大冒険なら、こんなもので足踏みしてたらいつまで経っても自分の世界は広がらない。

 無理に広げたくないというのならそれでもいいのだろう。

 そうして、そういった世界を“そのままに”と願ったことだってあるのだ。

 

  でも……それが答えだと言ってしまえば、たぶん……もうそこには居られない。

 

 欺瞞が嫌いだと。

 耐えきれないくらいにそれが嫌いだというのなら、きっとそこは、無理に変わらない“そのまま”を求め、やがて潰れてしまうのだろう。

 その中で誰が変わらないままを維持しようと努力するのだろう。

 誰が、その中で頑張って手を伸ばし、やがて自分のやさしさで潰れるのだろう。

 それが誰なのか、なんとなく解るから……俺は。

 

「ゆい、がはま」

「? なに? ヒッキー」

「いきなりヘンなことを言うけど、まずは聞いてくれ。……その、な。あの日から……水族園に行った時から考えてた。あそこで話したことは、正直に言うと俺の人生の中でも随分とデカくて、重いことだと思う。それに比べりゃ、勘違いがどうとかそういう俺の感情なんてものは……軽いものだった」

「……それは」

「あ、いや、聞いてくれ。すまん、俺はまたまちがってるかもしれないが、これでも丸一日くらい寝ないで考えた。別の話も混ざってるが、悩んだことは結局それだった」

「うん」

 

 何かを言おうとしてくれた由比ヶ浜を遮り、沸いてくる言葉を口にする。

 こいつに効率云々を説いた時のように、自分がそれは違うと思えば“効率的な結論を出そうとする口”を強引に止め、飲み込み、計算して、もう一度組み立て直す。

 効率云々は、もうこいつの前では口にしない。そう決めた。だから、どうしても随分ともったいぶった話し方になってしまうのだが。

 そんな面倒臭い喋り方をしている俺を前にしても、由比ヶ浜は待ってくれていた。

 滅茶苦茶な言葉を並べていると思う。

 なんだそりゃ、って普通なら口にして、さっさと歩いていってしまうだろう。

 それでも待ってくれていることに、感謝が沸いてくる。

 

「あ……ヒッキー、こっち」

「……っと」

 

 放課後ってこともあって、人はちらほら歩いてきている。

 それを気にして手を引いてくれる由比ヶ浜に感謝しつつ、俺は言葉を組み立てては壊してを続けた。

 

  やってきたのはベストプレイス。

 

 吐く息は白く、奉仕部に行くつもりだったのでつけていなかった手袋をしっかりとつけると、随分と感じる寒さも違った。

 

「………」

「………」

 

 段差に腰かけ、話を続けた。

 

「……クッキーのこと」

「……うん」

「誤魔化さず、受け止めるつもりで言うなら、その相手は俺だって思ってる」

「うん」

「俺が取ってきた解消手段も、俺は自己犠牲って思ってなくても、周囲はそうじゃない。……だよな?」

「うん」

「じゃあ、言うぞ」

 

 すぅ、はぁ。こんな場面で深呼吸をして、それでも足りない勇気は誤魔化して。

 そもそも勇気なんて呼べるものはただの勢いと自分への誤魔化しだと断じて、整えた言葉を並べてゆく。

 

「お前は、やさしくて、ずるい女だ」

「……うん」

「けど、お前が見る俺がやさしいっていうなら……お前はやっぱり、ずるいよりもやさしいんだろうな」

「え……」

「お前はあの時、俺ならそう言うと思ってた、って言ったな。……あの時に頷いた俺達の答えがまるのまま一緒、なんて思ってない。近くて……いや、似ていても、たぶん重ねたってくっつきはしないんだと思う」

「……うん」

「だからって、それが一つにならないとは限らない……だよな」

「っ……うんっ」

 

 俺はこの少女からたくさんのものを貰っている。

 それはきっと、物だとか元気だとか、目に見えるものだとか見えないものだとか、そんな“並べてみて理屈を重ねる”ようなものじゃなくて。

 俺と雪ノ下みたいな、違う部分で捻くれているから出せる答えや考え、理屈や理論でもなくて。

 周りから馬鹿だのアホの子だの言われても、懸命に“それから”を願えた人だから考えられた眩しい理想で。

 

  大切に思う誰かに嘘を押し付けたくないと思った。

 

 自分の理想を押し付けて、その先で疑わないなにかと一緒に本当の自分で向き合いたい。

 それが出来ればどれだけ楽しいのか。

 そう思えるなら。それがそこにあってほしいと願えるのなら。

 形が違う意思を、言葉を通して変化させ、理解し合いながら転がして、答えを出したら壊れてしまうものではなく、答えを出した時にこそ重なり合うものを、何度だって目指したい。

 こいつにもらったものはそんな、頭でっかちが“そんなものは物理的に無理だ”と唱えることに対して、“考えてないで手を繋げばいいんだよ”と微笑むようなものなのだろう。

 言葉にするには難しくて、心から願えばきっと簡単なものなのに、常識的に考えるから手を伸ばせないもの。

 

「あの時に思ったこと、言っておくな。お前にああいうのは似合わん、ああいうのは俺に任せとけ」

「だめだよ。それじゃあヒッキーばっかり傷つくじゃん」

「……もうああいうのは他のやつにはやらねぇよ。だから、お前をずるい女として認めてはやれない」

「…………」

 

 由比ヶ浜がちょっと寂しそうに、俯く。

 そうだ。ずるいやつってのはこういう奴のことを言えばいい。

 人が苦悩して取った行動を、それは俺の役目だからと奪ってしまう奴が言われれば。

 だから、俺はお前がずるいやつだと認めない。

 やさしいからこそああして踏み出した彼女を、完全にそうだと認めてしまうわけにはいかないのだ。

 

「由比ヶ浜結衣はやさしい女だ。雪ノ下雪乃は強い女だ。そう勝手に決めつけてたんだ」

「……あたしは。ヒッキーはやさしい人だって思ってるよ? いっつもひどいことばっか言ったりやったりで、近くに居る人のことなんてちっとも考えてないけど…………うん。それでも」

「んじゃ、そんなやり方を真似たお前は、ちゃんとやさしいんだろうよ。あんな苦労して作りましたってクッキーをただのお礼で済ませるとか、10年早ぇ」

「産まれた月日は関係なくない!? ていうか……ヒッキー、その言い方ずるい……」

「ほれ、ずるいだろ? お前のやり方をずるいなんて言ったら、詐欺師なんてとっくに全員ブタ箱行きだ」

「………でも」

「俺は、さ」

 

 由比ヶ浜の言葉を遮り、話を長引かせて、安寧に身を委ねすぎる前に、言葉を繋ぐ。

 結局誰も強くなんてないのだ。踏み出した一歩の先で後悔することなんていつものことだ。誰もが今度こそはを理想に宿しては後悔する。

 じゃあどんな一歩なら許されるのかと問うてみたって、誰も自分が納得出来る解など持っていてくれない。

 それにとってもよく似た解はあっても、それじゃあきっと自分を納得させるには遠くて。

 だから……俺は。俺達は。

 

「このままがいいって言った気持ち、解るんだ」

「ヒッキー……?」

「受け入れちまえば、なにかが無くなるんじゃねぇかって。受け取ったつもりになってみたら、その大切の中のなにかが今まで通り遠ざかっちまうんじゃねぇかって。だから、……いや、それでも、俺は」

「………」

「……ハニトーと、ディスティニィーシーのこと。覚えて、るよ、な」

「ヒッキー……」

「お前とした口約束はいくつかある。望んだ通りには……理想通りにはいかないものだってあったが、それでも」

「うん……あたし、ほんとヒッキーに頼ってばっかだったよね。文化祭の準備の時も、奉仕部を守りたいって思った時も」

「あ、いや待て、言いたいことはそういうことじゃない。責めたいとか誰かの所為にしたいとかじゃねぇんだよ……。ただ、俺は……」

「………」

「………」

 

 喉が詰まる。

 整えていた言葉が出てきてくれない。

 だからこの言葉はもうこの場には相応しくないのだと計算し直して、砕いて、整えて。

 

「えっと……だな。全部、清算させてくれねぇか。“これでいいのか”って自分を疑ったままの答えで、理想に手を伸ばしたくねぇんだ」

「せい、さん……?」

「…………デート、してくれないか。きちんと決めて、その日に。先延ばしはしない。予定が入ってても行く。もう見ない振りなんて出来ないしやりたいとも思わない。だから」

「だから……?」

「……自惚れだったら笑ってくれ。───お前の気持ちを、“ただのお礼”にさせないでくれ。だから……俺と、デートしてほしい。今まで散々傷つけてきたものと、ちゃんと……向き合って、受け入れていきてぇって、思ったんだ」

「───!!」

 

 俺が言った言葉に、由比ヶ浜は大きく目を見開いた。

 次いで、なんで、とか、どうして、とか口が動くのに言葉は出ない。

 涙がこぼれ、自分でもどうして泣いてしまうんだって感じで自分の涙に戸惑って。

 拭うのに溢れ、やがて喉から嗚咽が漏れ始めると、拭う意味を忘れたかのように、ただ俺を見つめてきた。

 だから、俺は言う。貰ったのなら、美味しいと感じたのなら言う、当たり前の一言を。

 

「クッキー、美味かった。本当に頑張ったな、由比ヶ浜」

 

 それだけだ。

 それ以上は、きっとまだ許されないから。

 由比ヶ浜もそれは解っているのか、涙を流しながら何度も何度も頷いていた。

 あぁ、ていうか、なんだ、その。やっぱり涙ってのは胸にくるな。

 また泣かせてるじゃねぇかよ俺。

 なにやってんだよ。

 でも…………でも、なんだよな。

 今まで泣かせてしまった涙より、嬉しいと感じてしまうのは……悪いことじゃ、ねぇよな。

 



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前を向いたあの日から②

 それからの話をしようか。

 あれからの俺達は、互いに思うことをぶちまけるようになった。

 いや、本当になんでもかんでもってわけでもないが、ちょっと気になったなら黙らずに口にする、みたいな関係。

 雪ノ下も巻き込んで、おろおろ慌てる雪ノ下の前で隠し事なんてせず。

 すると案外心が軽くなるもので、気付けば引かれるように、雪ノ下も遠慮をなくしていった。

 そうして過ごす、自身の成長を求めて踏み出した日々の先で、やがて俺も自然と頬を緩めるようになって、ニタリ、とではなく普通に笑っていることを雪ノ下に言われ、初めて気づく。

 そこに由比ヶ浜が「せっかく内緒にしてたのに」と頬を膨らませて……っておい、なんで黙ってるの、いいでしょべつに普通に笑えてんなら。

 え? “ヒッキーが自覚したら、またニタリに戻ると思った?” ばばばっかお前、成長を目指した俺の笑顔にもはや隙はねぇよ。ほれ、こうだろ?《ニタリ》「ヒッキーきもい!」……今までで一番傷ついた。

 慌てて謝る由比ヶ浜の隣で、耐えきれず笑う雪ノ下も随分と変わった。

 くすくすどころか声を出して笑うようになり、いつからか表情を覆っていた影も、すっかりとその明るさに覆われるように、なくなっていた。

 

「あー、えっと。ほれ、あ、あーん……」

「ふわっ!? ヒ、ヒヒヒッ……あ、ぅ…………ぁ、あーん……」

 

 俺から誘い、デートをすることもあった。

 そう、デートだ。

 “それでいいのだろうか”はもう残さない。

 水族園に行ったことでチャラとか、そんな面倒臭がりな男子が勝手に決めつける、アンケートの集計結果のような答えは置いていこう。

 あの電車の中で思ったことを、置き去りにしたままじゃ進めない。

 だから、全部を試すのだ。知りたい全てを知るために。

 切り分けたハニトーを由比ヶ浜に差し出すのは……ほらアレだよあれ。オプションみたいな?

 ……いや、誤魔化しはいらないよな。

 知る努力ってやつだ。

 知りたい、知って安心したいなら、自分からも踏み出さなければその願いの全てが欺瞞だ。

 自分からは動かないのにその全てを欲するなんてまちがっている。

 

「えと……ハニトー……終わっちゃったね。あのっ……えと」

「おう。腹も膨れたし、少し休みながら次に行く場所でも決めるか」

「───っ……~~~うんっ! え、えっとねヒッキー、えっとねっ?」

 

 今までの俺なら、目的さえ果たせば“じゃあ帰るか”だった。

 由比ヶ浜もそれを思い、言葉を選ぼうとしていたのだろう。

 大丈夫だ、もう、知るための努力は始まっている。

 そう、知りたいんだ。だから、歩み寄る。それが勘違いじゃないかを確認するだけ、では……ないのだろうけど。

 そこにある自分の答えも一緒に、俺はきっと探しているんだと思う。

 

 

───……。

 

 

 約束を、思いを、ひとつずつ清算してゆく。

 その度に沸き出したなにかと、消えてゆくなにかは平等じゃない。

 

「ふわー…………おっきいねー……!」

「ランドもそうだったが、シーってのはこんなに……」

 

 ディスティニィーシーにも行った。

 ガラにもなく……という言葉は今更使わないが、それでも妙に燥ぎ、楽しんだのを覚えている。

 どうせランドと大して変わらねぇだろと思っていたら、とんでもなかった。

 

「ヒッキーヒッキーあれいこあれ! あ、でもあれもいいし! 絶叫は外せないよねっ! あっ、クレープ売ってる! ヒッキーヒッキー!」

「おうっ! 片っ端からだ!」

「わっ、ヒッキーがノリがいい! あははっ、よーしっ、片っ端からだー!」

 

 誰が見ているわけでもない。

 見てくれるやつだけが見ていてくれたら、それで俺は満足だから。

 だから、もう恥ずかしいとかそんな思いなんて横に投げ捨てて、理想を押し付けた先の大切ななにかと馬鹿みたいに燥げる今を、謳歌することにした。

 

「ふわー……楽しかったねー……」

「今まで無意識に仕舞っていた自分を全力で暴れさせた気分だ……こりゃ明日筋肉痛だな」

「そこまでなんだ!?」

 

 すっかり疲れた足を、電車の座席に座りながらぶらつかせる。

 由比ヶ浜も苦笑しながら同じようにしていて、そりゃあの燥ぎようじゃな……と自分のことを棚にあげつつ苦笑した。

 

「ああそのー……ああもう、いい加減慣れろよこの口も……! その、だな。お世辞抜きに、楽しかった」

「あ…………うん。あたしもだ。えへへ、ありがとね、ヒッキー」

「……おう」

 

 感謝したいのはこっちのほうだと何度思っただろうか。

 自分の高校生活が大切なものだと思えるようになったきっかけのひとつに、間違い無く存在している彼女を前に。

 でも、まだなんだろうな。

 せめて俺が、こいつにしてもらった分を返せたって思えるまでは───俺は。

 

「あの……ヒッキー。えっとさ」

「? なんだ?」

「最近さ、よくあたしのこと……誘ってくれるよね? それってさ、水族園のことがあったから、とか……約束があるからってことで……いいのかな」

「───」

 

 間違っちゃいねぇよ。おう、それで合ってる。

 出てきた言葉をぐっと飲みこんで、噛み砕く。

 そうしてから並べ替えて、そうであるかの解を探すが、このことへの答えはもうとっくに出来ていた。

 

「今までありがとうってのが正直なところの答えだな。けど、“ただのお礼”じゃない」

 

 “今までありがとう”って言葉に、由比ヶ浜の顔が一瞬だが悲しく歪んだ。

 そうなると思っていたから、すぐに言葉を繋げる。

 そうだ、これはただのお礼じゃない。

 

「ん、んんっ……その、だな。貰ったものを返していって、きちんと隣に立ちたいっつーか……」

「え……?」

「お礼だとか約束だとか、そういう理由だからじゃなくて……あぁ、なんつーのか……なんて言えばいいんだよこれ……えっとだな……。自分の……そう、自分の気持ちが、な?」

「うん……」

「自分の気持ちが……そうだな。そっちに……お前に向いてるから、そっちを向きたいって気持ち……解るか?」

「───…………」

「わ、解らねぇよな。俺もなに言ってんだかって感じなんだから。ただな、ほんと、自分の気持ちをきっかけにして、向き合って知り合って、そんな関係の先で安心したいって思ったんだよ。解らないことは……怖ぇからな。今更勘違いでどうのこうの言うつもりはねぇけど……俺が勘違いするだけならいいけどよ……それで奉仕部が壊れるのは、怖かった」

「ヒッキー……」

「ああいや、奉仕部がとかそういうのとも違って、だな……すまん、なかなか纏まらなくて」

「ううん、ゆっくりでいいよ。……ちゃんと、聞くから」

 

 言って、由比ヶ浜はケータイの電源を切った。

 思い返されるのは夏祭り。

 つまり、最後まで聞く姿勢を取ってくれたってことで───……ほんと、情けないな、あの時の俺。

 どうして人の精一杯を聞くことさえしなかったのか。

 こうして一つ一つを組み立てている今だからよく解る。

 本心を───“たくさん用意された言葉の奥にある自分”を伝えるのは、とても怖い。

 “拒絶されたらどうしよう”が常にへばりついている気分で、それと戦いながら口にしなけりゃならない。

 今まで散々と自分のエゴを押し付けて、それでも離れなかった人が居るとして、だからといってこれからもずっとそうだなんて約束してくれる人は居ない。

 そんな不確かな事実よりも、やさしくて嘘が混ざっていても、目の前にあるなにかに手を伸ばしたくなる時なんて誰にだってあるだろう。

 嘘が混ざっているからといって、その全てが嫌いだなんて言いはしない。

 何度後悔したって結局は人の隣に立っていた自分がそれを否定するのは、呆れるしかないほどにくだらない回答だからだ。

 本当に人を拒絶してぼっちを選びたかったなら、そんな希望が自分にあったなら、戸塚さえも押しのけて独りを選ぶことなんて簡単に出来た筈なのだから。

 結局、自分は中途半端だったのだ。集団においても、孤独においても。

 ただ俺は……それでも俺は。

 選ばないを選ぶことだけは……しないと決めたから。

 その道の先の安穏は、葉山に任せよう。

 俺は俺の計算式の先を目指していく。

 雪ノ下雪乃はどんな将来を考え、自分で答えを出すのか。

 比企谷八幡はどんな理想を願うのか。

 由比ヶ浜結衣はどんな答えを見つめ続け、いつまで隣に居てくれるのか。

 ……今は、解らないのが当然だし、まだ解らなくてもいいのだろう。その答えがどんな人にだって計算し尽くせなくても、そこに“感情”は残る筈だから。

 

「そもそも……お礼から始まったみたいな出会いだったよな」

「うん……サブレを助けてくれてありがとうって、クッキーを作ってお礼言いたくて」

「俺はそれを受け取って、最初は不味くて不味くて」

「うぅう……」

「でもな、全部食った。お礼なら、あの時にきちんと俺の中に納まったんだ。だから」

「……うん」

「俺は、あれをただのお礼として受け取らない。お前が頑張った結果として、俺がそう受け取りたいから、そうであってほしいから……そう受け取る。それでいいか?」

「…………」

 

 タタンタタンと揺れる電車の中。

 由比ヶ浜は息を吸って、そして吐いた。

 言った言葉はとても短かった。“はい”でも“いいえ”でもない。

 

「まだだよ」

 

 だった。

 

「ヒッキーがさ、あたしのクッキーをお礼として受け取って……あ、えと。不味いほうのを、さ。受け取ってくれて。それで、あの時のクッキーを美味しいって受け取ってくれても……まだなんだ」

「まだって。なにがだ?」

「あたしの気持ち。あたし、あの時……無理矢理やっちゃったから。自分の気持ち、押し込めて……大切にしてきたもの、傷つけて。なかったことにしちゃったから」

「いや……あれはお前、きちんと受け止めてる。あれは俺がやってた“解消”みたいなもんだろ」

「ううん、それでも……一度でも傷つけちゃったら、それまでのあたしじゃないから。そんなのはあたしが嫌だし、だから……」

 

 だから、と。

 由比ヶ浜はいつかの夕暮れに見せたような儚げな笑顔を見せて、俺に言った。

 

「ごめんなさい。あなたとは付き合えません」

 

 ……。

 ずきんと。

 “今まで”の比じゃないくらいに胸が痛んだ。

 でも、まだだ。

 そう、彼女が“まだだ”って言ったなら、続きがある。

 だから、無様にも涙なんて見せるなよ。

 

「あ……っ……~~~……ごめんね、ごめんねヒッキー……っ……! 今、いっぱい傷つけてるの、解ってるけど……!」

「……いや、続けてくれ。俺も、お前からなら痛みを受け取らなきゃいけない理由、すげぇいっぱいある」

「…………うん。うん…………それ、で…………それで、ね……ヒッキー……。これからの気持ちは───あたしの、今の気持ちは……」

 

 これからは、と。

 あの日に解消した気持ちの続きを、彼女は語る。

 つまりこれは清算なのだ。俺がそうしてきたように、彼女もそうして清算して……全部を済ませて、今の自分で向き合おうとしてくれている。

 

「……いっぱい話して、いっぱい一緒に居て……ヒッキーから声かけてくれて、嬉しくて、楽しくて……。デートにも誘ってくれて、約束だからかな、とか思ってたのに、ヒッキーが一緒に楽しんでくれるだけですごくすっごく楽しくて……。あたし、あたしは……~~……あたしね? ヒッキー……」

 

 ふわりと微笑む彼女。

 その笑みがすっと俺に近づき、座席で支えにしていた左手に、自分の手を重ねてくる。

 

「やっぱりね……あたし、ヒッキーのことが好きなんだ。はっきり言っちゃえばさ、なんでこんな捻くれた人を好きになったのかなーって思ったことだってあるんだけどね?」

 

 ぐさりと胸に刺さる言葉もあった。

 けど、それだけじゃない。

 

「でもね、そうやって、とにかく“相手を思うこと”から始めなきゃ、きっと何も始まらないから。知ろうとしなきゃ、ヒッキーのいいところなんてきっと誰にも見つけられないから。……始まった先に、なんかとっても素直なヒッキーが居て驚いたけど……ヒッキーらしくないって思ったけど……。でも、きっとヒッキーもあたしやゆきのんを見て、そう思ったんだよね?」

「あ……」

 

 唐突に、いつかの水族園での会話が浮かぶ。

 

  あたし、ヒッキーが思ってるほど優しくないんだけどな

 

 それは、そうだろう。

 人が、他人が思う通りの理想として生きていることなんて絶対にない。

 こうであってほしい、こうじゃなきゃ嫌だなんて言葉は、意思を持って生きる人にとっては足枷でしかない。

 親が子供にこう生きなさいと躾ける世界を生きるのとは違う。

 言われた通りに生きる人にだって、自分の理想は当然存在しているだろう。

 じゃあ、由比ヶ浜結衣の理想とはなんだろう。

 そして、俺が相手に押し付けたい理想というのはなんだろう。

 押し付けたとして、その理想は叶うのか?

 ……そうだな、それは、いつかきっと。

 それが叶うのはきっと今じゃない。

 今しかできないことを散々やって、そのまま幾度もそれを繰り返し、積み重ねて、大人になった時あたりにようやく理想として叶うのだろう。

 互いが互いに、“誰かが思っているほど○○○じゃない”という相手を知り、自分でも知らなかった自分を相手に知られたあたりにでも。

 だから、まずは知ろうと思わなければ何も始まらない。俺のように、知ろうとしないくせに分析して人種として理解したつもりで、結果として傷つけてしまうようなやつだっているのだから。

 

「だからね? あたしはちゃんと、“始まり”をやり直したい。誕生日の日にさ、ああやって雰囲気で仲直り、みたいな始め方じゃなくてさ。知らなかったヒッキーのことを知って、ヒッキーにも……あたしのずるい部分とか、思ってたことを知ってもらって……それで、それから……もっともっと。あたしはね? ヒッキー……あたし……あたしは───……うん。ヒッキー」

 

 聞き漏らすことのないよう、真っ直ぐに見つめ、意識を集中する。

 由比ヶ浜は一度深呼吸をしてから、やがて続きを口にする。

 

「あの時、サブレを助けてくれてありがとう。一年も遅れちゃって、ごめんなさい。……ずっと、あなたを……一年間、ずうっとあなたを見てました。奉仕部で再会してから、ずっとあなたを知ろうと頑張ってました。いきなりビッチ呼ばわりされてショックでした。でも……あれから遠慮なく喋れるようになって、嬉しいって感じたのも本当の感情です」

「由比ヶ浜……」

「何度も、何度も繰り返して思い返してみても、楽しいことばっかじゃなくて、泣いちゃいそうなことも何度もあって……何度か泣いちゃって。……でも、それでもあたしは───……」

「……ん」

「……うん。それでもあたしは、比企谷八幡くん。あなたが大好きです。クッキー……頑張って、作りました……。ぐすっ……美味しいって、言って、くれてっ…………あ、あり……ありがとうっ……!」

 

 言葉と感情が溢れる。

 それが届くと、嬉しさと幸福とが自身を包み、心が安心に包まれていくのを感じた。

 ……俺は、人を知りたいとは思っても、知る努力なんてしてこなかった。

 目で見て耳で聞いたものだけを信じ、こいつならこうに違いないと決めつけていた。

 由比ヶ浜結衣はやさしいと。

 雪ノ下雪乃は強いと。

 けど、当然ながらそれだけで計れるほど人間ってのは単純じゃない。

 それほど単純なら、葉山じゃなく俺が人気者になる未来だって簡単に描けるだろうし、人が傷つかない世界なんて簡単に作れてしまえるのかもしれない。

 

  ……人は、俺を捻くれているという。

 

 最初からそうであったかといえばそうじゃない。

 知る努力を、好かれる努力をした頃が確かにあって、それが受け入れられず、拒否され、笑われた先に今の自分に到った。

 それを“誰かの所為だ”と言うつもりは、今となってはまったくない。

 笑われようと、知ろうとする努力は続けられた筈だし、努力をおかしな方向に向けなければ、自然と消滅するような関係であっても、上辺だけの“やさしい関係”は続いていたのだろう。

 

  ……それが欺瞞であり、それを嫌ってなどいなければ。

 

 他人に合わせて生きていくのは気楽なのだろう。

 “そうかもね”と、返事ではあるけど答えにはなっていない言葉で返し、ヘラリと笑えば、薄くてもそこに調和は生まれるのだろう。

 けど、俺はそれを選ばなかった。

 押し付けたい理想があって、押し付けた先で離れる人しか居なかったから、自分の理想は理解されないものだと“諦めること”を武器にした。

 引かれ、気持ち悪がられ、避けられて。

 そうされるくらいなら自分からと、孤独にされることから孤独になることを選ぶようになり、自分に到った。

 他人の理想に沿うのなら、こんな在り方はまちがっているのだろう。

 それでもいつか、自分の歩き方を知ってくれる人が居て、その先の、捻くれる前の自分さえも知ろうとしてくれる人が居たとして。そんな誰かが自分の理想の押し付けさえ解ってくれるなら……俺は。

 

「俺、は……」

「ぐしゅっ……うん……」

「……俺は」

 

 今はあなたを知っていると言ってくれた人が居た。

 結構なすれ違いの先に俺のやり方が嫌いだと言った、自分で自分を可愛いとか言ってしまう少女。

 あの時のことを、今でも随分と思い出す。

 結局は俺も、由比ヶ浜も、雪ノ下も、知っているつもりで……お互いをまるで知らなかったのだと。

 きっとここでもう一度“今は知っている”と口にしても、知らないことの方が多いのだろう。

 そんな何気ない事実に、いつか呆然と立ち尽くし、傷つくこともあるのだろう。

 

  ……知らないなんて、そんなことは当たり前なのに。

 

 当然のことで傷ついて、知った気になっていた自分が悔しくて、だから知らなかった相手の一面に自分は悪くないと当たる。

 そのくせ、全てを知ってもらおうと踏み込めば、その人は身を引き、やがて姿を消す。

 残るのは自分への悪口と、周囲からの攻撃だけ。

 離れる自分は悪くないのだと、離れるそいつは精一杯相手が悪いのだと主張する。

 そんな世界を見てきて、受け止めて、したことと言えば精々で社会が悪いという悪口だけ。

 ……そうだ。そんな社会に順応も適応もできない自分が悪い。

 だからいつしか知ることの努力を忘れた。努力したって離れていくだけだからだ。

 関わらなければ知ることなんてないのだからと孤独を選び、やがて社会に埋没してゆく。

 そんな人生で終わるだけだと、考えなかったわけがない。

 

「……ヒッキー」

「え…………あ、ああ、すまん、今言うから───」

「……ヒッキーはさ、さっき……自分の気持ちが向いてる方を向いただけって……言ったよね? ……あたしね、それ……解るんだ。あたしはもうずっと……気持ちが“そっち”を向いてたから」

「………由比ヶ浜」

「急がなくていいよ、うん。ヒッキーはいっつもマイペースだからね。大丈夫、あたし待てるよ? 気持ちを押し込めちゃっても……ヒッキーみたく“効率”を選んでみても、やっぱりさ、捨てたくなんかないんだ。諦めたくなんかないから」

「………」

「でもね、もう……遠慮しないよ? 言ってくれるまでは待つけど、じっとなんてしてないから。ヒッキーの気持ちがあたしに向いてくれてるなら、あたしはそれを、もっと自分のところに向くようにって引っ張っちゃうから」

「……、待っててもどうしようもないやつは、ってやつか」

「うん。前は……上手く頑張れなかったから。相手がヒッキーだってこと考えたら、普通の頑張りなんかじゃ届かないんだーって、もう解ったから」

「あ、いや、まて、俺は───」

「ハニトーも、シーのことも、全部終わった。ヒッキーがだ~いすきな効率のいい“あのままで居る”ってお誘いも、ヒッキーもゆきのんも断っちゃったし。ゆきのんもあたしも、いろいろ弱いところ見せちゃったし……ヒッキーの変わった部分も見れた。だから……」

 

 だから、ここからだよね、と。

 まだだよ、と言った少女はそう言った。

 

「ヒッキー」

「……おう」

「ヒッキーはずるくて……素直じゃないし、意地悪だ。でも……あたしにとってはやさしい人」

「……俺のずるさがやさしいなら、そのずるさを真似したお前はやさしさの塊だな」

 

 ただやさしいだけじゃねーんだろうけど。

 相変わらずやさしい女は苦手だ。それはずっと変わらない。

 やさしさだけでは怖いから。そこにメリットデメリットが含まれていたほうがよっぽど安心出来る。

 けど、そうだな。やさしい女は苦手だし怖いし嫌いだ。

 だから……優しくない女の子は、嫌いではないのだろう。

 震えながらクッキー渡して、ただのお礼だなんて。

 あんなものはやさしさじゃない。

 相手の気持ちは置き去りにしているし、そのくせ自分の望みは叶えたいという。

 他人のエゴを嫌い、自分のエゴを押し付ける……そう、まるで、俺だった。

 あんなこと、二度と……させちゃいけないよな。

 そんな決意と言えばいいのか、覚悟と呼べばいいのか。まだまだ曖昧ななにかが、自分の中で固まっていくのを感じた。

 効率で人の感情は語れないから、そうなればもう、計算するしかないのだろう。

 計算のあとに残るものが自分の感情なら、その感情をぶつけていけばいい。

 

「……じゃあ、ヒッキーはやっぱりやさしいんだ?」

「ぐっ……いやお前、これそういう話じゃねぇから」

 

 ほらみろちっともやさしくねぇ。

 だから───……まあその、な。だから、なんだろうな。

 

「えへへっ……ねぇヒッキー。あたし、もっとヒッキーのこと……知りたい。知って、安心したい。あたしが好きな人はこの人なんだなって。知らないことの多さに怯えて、嫌いになりたくなんか……ないんだ」

「───……」

 

 ふざけんな。そんなものは、俺の台詞だ。

 隣に立とうともがけばもがくほど、人は俺から離れていった。

 言葉なんてなんでもいい、とりあえず俺が悪いということにして、人はただ離れるだけ。

 そんな冷たい世界をどれだけ味わってもまだ、人ってのは誰かの隣をちゃっかりと望んでいやがるのだ。

 傷ついても期待せずにはいられないなんて、どれだけ弱いのか。

 ……そう。そんなものは弱さだと思っていたのに。

 そんな弱さの先で、誰かを知ることが出来るのなら、それはけっして無駄ではないのだと、今なら思えた。

 ……俺達はまだまだガキだ。

 振り返って自分の歩いた道をなぞってみれば、恥ずかしい青春劇の一部を語ることにしかならないのだろう。

 だが恥ずかしいからといって、ここまでの人間関係を否定してしまっては、黒歴史の全てを後悔する以上に…………俺は、きっと。

 

  後悔が出来る内が人生だと誰かが言っていた気がする。

 

 大人になったら、後悔をしたら首が飛ぶだけだから。

 傍に居るのは信頼ではなく責任だけだからと、誰かが。

 大人にだって大人の生き方が当然あって、自分がそんな生き方はごめんだと思っている生き方にも、生き甲斐ってものを見い出している人は当然居るのだ。

 

「………」

 

 青春とは嘘であり悪なのだろう。

 じゃあ質問だ、比企谷八幡。

 お前は、いつからそんなに正義が好きになった。

 お前は大嘘つきだ。人が正しいと思っていることの裏ばかりを見つめる悪だろう。

 元からそうだと理解していて、なぜそれを否定する。

 俺自身が嘘であり悪であるなら、じゃあ俺が生きている今はなんだ?

 

「………」

 

 友達作りに失敗した事実を青春として認めるならそれもいい。

 大多数は認めないが、かつての俺はそれを青春として認めたがっていた。

 許されたかったのだろうか。

 違うか。

 一瞬でも大多数に触れることで、自分も眩しい世界に居るのだと思いたかったのだ。

 “みんな”は嫌いだ。でも、そこに憧れがなかったわけじゃない。

 みんなは笑って日々を過ごしているから、そんな常に楽しそうな世界に憧れたことは確かにあった。

 でも、現実なんて冷めたものだ。

 笑顔だと思っていたものは、とっくに作り慣れてしまった笑顔でしかない。

 集団で居るということは、自分の意見がほぼ通らない世界であると語ったほうが早いのだ。

 それでも人は“みんな”で居ることを望む。

 孤独が怖いからだ。

 さて、では孤独を生きて孤独を愛し、ぼっちのエリートを自負していた俺よ。

 お前は今を、自分の今を青春と認めるか?

 

「《きゅっ……》わっ……あ……ヒッキー……?」

「………」

 

 重ねられていた手を握り返す。

 出せばいいのはちっぽけな勇気。

 きっと受け入れられるその世界へと、一歩を踏み出すだけでいい。

 “そこに俺の理想はあるか?”と臆病な自分が訊いてくるが───ハッ、そうだな。

 あるんじゃねぇの? ただ、探しもしないで足踏みしてる俺じゃあ、生憎だがそんなもんは一生かかったって見つからねぇよ。

 他人の理想の中で自分の理想を見つけようなんて無茶な考えだ。

 だから俺は理想を押し付け、知ることを欲し、解り合うことを願い、疑うことを嫌った。

 

「……そういや……手、ずっと握ってたよな、シーで」

「え? あ、うん。ヒッキーからだったから驚いたし、ずっとどきどきしてた」

「……そだな。俺はたぶん、そういうところからじゃないと出せない勇気ばっかりだろうけど……“欲しいものを欲しい”って言える自分に戻るにはまだちょっと時間がかかるだろうけど……引っ張ってくれるか? 俺も、歩くから」

 

 欲しいものを欲しいと言える自分。

 それは本物が欲しいとかそういう意味じゃなくて、もっと簡単なこと。

 たとえば楽しいと思っている時に心から笑顔でいられるとか、怒ったときには素直に怒れる自分とか。

 ニヒルな顔してなんでもないって受け流すのではなく、もっと自分の感情を垂れ流しにしていたいつかの自分へ。

 そこまで行かなきゃ、俺はきっと傍に居てくれる人を無自覚に傷つけるから。

 傍に居てくれる人に、こいつなら解ってくれると勝手に決めつけ、思い込み、いつかの修学旅行の時のようにまちがってしまうだろうから。

 

「ヒッキーは変わりたいの?」

「変化じゃなくて成長な。無理に自分を変えるつもりはねぇよ。だが成長ならルール違反じゃねぇ」

「ルールなんてあったんだ!? ……んー……ヒッキー? べつにさ、そんなルール、なくてもいいんじゃないかな」

「ぼっちは自分をルールで縛って忍耐力ってものを身に着けるもんなんだよ。じゃねぇと欲張りになって突っ走った先で自滅する。ソースは俺」

「……じゃあ。成長しようと思ったヒッキーはさ、今日までで……なにか失敗、した?」

「───…………いや、それは」

「ヒッキー、格好よくなったよ? 前よりももっともっと。猫背もなくなってきたし、目も前を見てる感じ。話をする時も目を見てくれるし、なによりね、ちょっとだけ……目が綺麗になった気がするんだ」

「……いい話しだったのに谷底に突き落とされた気分だよ」

「え? ……えー!? なんでー!?」

「お前さ、本気で俺が格好いいとか思ってるのか? そうじゃ───」

「? 思ってるよ?」

「ねぇ、だ……ろ…………って……」

「?」

 

 まて。まてまてまて。組み立ててた計算が吹き飛んだ。やめて、ぼっちから考える時間を奪わないで。

 やだ、すっげぇきょとんとしてる。この子ったら自分が言ったこと理解してない。

 理解しながら言ってるならむしろすげぇけど。

 

「いろんな人は目が腐ってるーとかキショイとか言うし、あたしもキモいって言っちゃうけどさ。あたしのは格好良さとかよりも行動にかな。ヒッキー、げんどーとか行動とか、ほんとキモい時あるし」

「好きって言った相手によくそれを言えるなお前……」

「好きって言った女の子に返事もしないで悪態つける人に、そんなこと言われたくありません~だ」

「ぐっ……」

 

 やだ正論。ド正論。言霊にしてお湯に混ぜればセイロンティー出来ちゃうよ。いやそんなくっだらねぇことはどうでもいいんだが。

 返事な。返事。返事……。

 

「………」

 

 なぁ、もういいだろ、俺。

 今までどんだけこいつの言葉を受け取って、それを濁してきたんだ。

 御託を並べず、真っ直ぐに言ってやればいい。

 今はもう計算式を組み立てる必要も、計算し尽くす理由もねぇだろ。

 スタートラインに立ち直して、じゃあこれからどうするか?

 雪ノ下と由比ヶ浜と三人で話し合って、これからどうしようか~なんて言う理由もない。何故って、もうとっくに気持ちがそっちを向いているからだ。自分で言っただろうが。

 それともなにか、雪ノ下が自分の先を自分で決めて、心を落ち着かせて、強くなるまで待てと?

 ……逆に失礼だろそれ。いや、そもそも、俺はあいつが俺に対してそういう意識を抱いていないことくらい知ってる。

 依存に近く、そうでないにしたって雪ノ下さんの言う通りそれに近いおぞましいなにかだろう。雪ノ下自身がおぞましいと言うのではなく、どのみち俺はあれを受け入れるわけにはいかない。

 たとえいずれ、奇跡的にその、なんだ。雪ノ下が俺にそういった感情を抱くとして、それで由比ヶ浜を待たせるのはおかしいだろう。

 雪ノ下が俺を好きになるまで待て、なんて言ってるのと同じだ。アホか。いやマジでアホか。

 それよりなにより第一に、

 

「ヒッキー?」

 

 ……もう、俺の中で結論が出ている。

 青春を信じては砕かれ、がらくたみたいなぼろぼろの気持ちを拾い集めて、組み立てた先にこいつが居た。

 それは偶然か? 俺から見れば偶然だとして、こいつは一年っていう長い時間、俺を見ていてくれたという。奉仕部にやってきてからも見ていてくれた。

 その先でどんだけ傷ついても泣いても、だ。

 それは偶然か? 傍に居てくれたから、組み立てられた今も目の前に居るんだろ。

 

  だったらそれは、こいつの努力の結果だ。

 

 努力なんてものはいつだって報われない。

 頑張っても頑張っても、少し努力した誰かに横から掻っ攫われるのが、この世の常だ。

 そんな世の中が嫌いだったし、底辺だって努力すれば、なんて希望を抱いたこともある。まあ、その頃は自分が底辺だなんて信じようともしなかったが。若かったな、俺。

 いや、そんなことは今はいい。

 努力は報われてほしいと思う。それは、その努力の数だけ。

 解り合いたいのに相手が“いらない”と言ったから泣いたいつか。

 解ってもらいたいのに相手が捻くれている所為で、空回りしてばかりのいつか。

 告られるならここがいいと憧れたのに、目の前で別の女子に捻くれ者が告白したいつか。

 悲しさを押し込めて、“いつも通り”を努めて、それでも「人の気持ち、もっと考えてよ」と泣いてしまったいつか。

 あの言葉に込められた意味は、きっと俺が簡単に考えるよりももっと重く……だからこそ、あの時に引っ張られたブレザーは重かったのだろう。

 ただの否定で、彼女は泣きはしないだろう。

 多少のすれ違いで、彼女は泣きはしないだろう。

 ただ、本当に悲しかったから、彼女はきっと、泣いたのだ。

 泣かせてるの、俺だけだしな。

 だからさ、もう……笑わせてやろう。

 辛いことのあとには楽しいことが待っていてほしい。誰だって思うことだ。

 それを今なら俺が与えてやれるなら、自分の所為で散々傷ついた人に笑顔くらいは与えてやれよ。

 俺ともっと話し合えば解り合えると泣いてくれたのも彼女だ。

 

「お前は、本当に……」

「《くしゃり……》わっ……ヒッキー?」

 

 左手で由比ヶ浜の右手を握り、右手で由比ヶ浜の髪をくしゃりと撫でた。

 お前は本当に、の続きなんて出てこない。

 

  話し合ってみればいい。

 

 こうして自分から声をかけて、誘う日々を増やしてみて解ったことだってあったんだ。

 話せば解るってのは傲慢、という考えは……大変鬱陶しいことに、未だに自分の中には存在している。

 けどまあ、それでいいんだろうな。

 空中廊下で出せなかった答えは、きっとこれからも……由比ヶ浜が言ったように解らないままなのだろう。

 解らないまま、俺達はそんななにかを解っていく。それが俺達の依頼であり答えだ。

 考えて理解して答えを出し続けて、じゃあ最後まで答えが見つからないものはなにか? ほら、やっぱりそんなもん、その時になっても“これだ”なんて答えられない。

 俺達はそんな、不確かなくせに本物なんて名前のものを、ずっと問い続けていくのだ。

 

  “感情”に答えはない。

 

 出した次の瞬間にはべつのものに変わっているし、誰かがこれだと叫んでみても、その叫びは他の誰かにとっては“似たようななにか”にまでしか到れない。

 だからこそ、みんながみんな、嘘であり悪であり、それでも大人になったいつかに、眩しいと思えるそれに名前をつけたがる。

 自分が歩んだ“それ”が、“ああ”でよかった、なんて振り返られるやつなんて滅多に居ないから。だからこそ皆、振り返るたびにそれがまちがいであったと、出来ることならやり直したいと後悔する。

 

「お前は」

「え?」

「お前は……このまま、帰るか?」

「あ……うん、そりゃ、帰るけど」

「……そか。んじゃ、送る。送るから……そのぎりぎりまで、話……しねぇか」

「…………ヒッキー」

「成長するって決めたから。もう、はぐらかすのもやり過ごすのも、濁すのも……やめにする。だから、ここからまたスタート出来るなら……よ。俺が欺瞞だって否定したいろんなこと……お前とちゃんと、話し合いたい」

「……うん。……うんっ、ヒッキー……!」

 

 人間ってのは臆病だ。

 そのくせ、自分のことを知ってもらいたいと無茶を言う。

 知って嫌われれば後悔するし、解らないあいつが悪いと悪態もつく。

 ほんと、つくづく面倒臭い。

 なのに、やっぱり人恋しくて、醜くて、卑しくて。

 面倒臭いくせに、ほうっておけなくて、ふとした拍子に手を伸ばしてみたくなる。

 

「………」

「………」

 

 伸ばした手を握ってくれる人が居て、繋いでいたい時間が出来て。

 俺は変わったんだろうかと考えると、ひたすらにこれは成長だって言い訳をする自分が居て、いい加減成長しろよと笑ってしまう自分が居て。

 

「あー……まずは後悔してることを片っ端から謝らせてくれ」

「え……片っ端って言えるくらいあるの? そっちの方がちょっとショックかも」

「ビッチって言ってすまん」

「思ってたよりひどいのだった! う、うー、うー……! あ、あの、あのね? あたし、ほんと、ヒッキーが初恋で、髪の毛だってあの頃の服装だって、全部空気なんか読んじゃった結果だからね?」

「いや……ほんと、まじですまん」

「……う……うん。もう、解ったから。あたしもほら、死ねば、なんて言っちゃったし……」

「うぐっ……俺、ぶっ殺すぞとか返してたな……悪い」

「うぅう……なんか……思い返せば、ひどい再会の仕方だったよね……」

「いや、まあ……お前の言う通り、あれがあったお陰で、妙に壁を感じることなく言いたいこと言えるようになったんじゃねぇかとは思うが」

「あ…………うん。ありがと、ヒッキー」

「なにがだ……ょ……ぁぃゃ、~~……おう」

 

 つい出てしまう悪態のようなものを無理矢理押し込めて、感謝を受け取る。

 そんなもん、こっちこそありがとうだと返しながら。

 それから話の流れを読んだのか、由比ヶ浜は「いろいろあったよねー」と笑顔で語る。

 俺もその流れに乗るように、成長するつもりである自分のままに、自然と頬を緩め、笑った。

 

「あと、あれな。お前が三浦にいろいろ言われてた時。ちゃんと助けてやれなくて悪い」

「あ~……あったねー。あの時のヒッキー、優美子に本気でビビってて」

「おい、そりゃお前もだろが」

「や、やー……だってほら……怖かったし」

「ああ……ありゃ怖かったな」

 

 話は続く。

 電車に揺られながら、のんびりとした時間のまま。

 

「林間学校も結構……アレだったよね。ヒッキー、胸ばっか見てきてたし」

「《ギクッ》ふへっひぇっ!? …………じょ、女性は男性の視線に敏感……といふ都市伝説って……」

「ん……結構解る、かな。あたしはさ、ほら。ヒッキーばっか見てたから、余計」

「んぐっ……そ、そうか」

 

 そんなこと言われて、なんて返せばいいの。やめて、八幡困っちゃう。

 ていうか、繋がってた手がいつの間にか肘まで登ってきてて、それだけ由比ヶ浜との距離も縮まってて、近っ、近い、近い近い近い!

 

「あ……そろそろだ」

「っと、じゃあそろそろ」

 

 目的の駅が近づくと、お互いの密着度にハッとする。のだが、由比ヶ浜は顔を赤くするだけで、既に組んでいた腕を離そうとはしない。

 

「い、いこっか」

「お、おう」

 

 腕を組んだまま立ち上がり、言葉のわりに俺が先に立ったことで引っ張られた由比ヶ浜が、慌てて立ち上がる。

 で、腕を振り払うこともせず、自分を見つめる俺に対し、俺の顔と腕とを交互に見つめると……花が咲いたようなやわらかい表情で、ふわっと笑ったのだった。

 



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前を向いたあの日から③

 駅から由比ヶ浜のマンションまでの距離をのんびりと歩く。

 電車から下り、ケータイの電源を入れて時間を確認した由比ヶ浜が、のんびり歩こうと提案してきたからだ。いや、時間くらいならそこらに……癖ってやつか。まあ俺も割とするけど。

 ともあれ、のんびり歩く。

 言われるまでもなくそうするつもりだったというのに、改めて言われると照れるもんだな、これ……。

 とはいえ駅から由比ヶ浜のマンションへは、そう遠くない。

 

「ねぇねぇヒッキー、あの時さ」

「あー、あれなー」

 

 他愛ない会話は続いている。

 どんな時にどう思ったのかを隠すことなく、特に、その時に相手のことをどう思っていたのかを正直にぶつけると、その大半で由比ヶ浜は顔を赤くして、俺の腕に自分の顔をぐりぐりとこすりつけていた。

 まあ、その。ワテクシも健康な高二男子ですけぇ、思うところはそりゃあその。なぁ。

 

「………」

「………」

 

 そんな調子だったのに、マンションが見えてくると、自然と足が止まった。

 話し合って解ったことは、意外なほどたくさん。

 だが、今更もっと話し合っておけば、なんて後悔はいらない。

 それはもう飲み込んで、スタートの一歩は踏み出したのだから。

 

「………~~」

「《ぎゅうっ》………」

 

 由比ヶ浜が、不安と期待を込めた目で俺を見上げ、腕を抱き締めてくる。

 待つとは言った。けど、不安がないわけじゃないのだ。

 今まで散々傷ついてきたから。

 明日になれば、またいつもの俺に戻ってしまうんじゃないか、なんてことを少しでも考えれば、不安になるのは当然だ。つか、喩えがちょっと前の自分ってあたり、俺も自分の性格が酷かったことを素直に認めすぎだろおい。

 いや、認めないと、こいつが泣いた幾つかの事実を他人の所為にしてしまいそうだから、それは誰にも譲れないのだが。

 

「……なぁ、由比ヶ浜。気持ち悪く、ないか?」

 

 自分の考える根本を、まず変えてみる。

 妹にも言われてしまう気持ち悪さというのを、俺ははっきりと認識しないようにしている。

 それをしてしまえば妹さえ鬱陶しいと思ってしまうからだ。

 兄にゴミだの馬鹿だの言える妹を好きで居続けるのは、多くの兄からしてみれば難しいことだろう。

 千葉の兄妹が、だのと言ってはみても、そこは現実問題だ、すれ違いだってあるし喧嘩もする。

 だから、そんな自分の気持ち悪さは、直せるのなら直さないといけない。

 

「えへへ、全然。素直になったヒッキー、とっても格好いいよ?」

「ぐ、うぐぐ……! そ、そか……! その、だな……なにかしてほしいこととか直してほしいところとかあったら……遠慮なく言ってくれ、な。どうせ成長するなら、そういう自分になりてぇから……な」

「えと、じゃあ」

「早速あるのかよ。それ全然って言わねぇよ」

「ふえっ!? あ、えっ!? わややっ、そそそそういう意味じゃなくてっ! これはただのあたしのお願いってゆーかっ! あの、えと……! ~~……たださ、あの。あたしにも、ヒッキーが好きなあたしを、教えてほしいかなって……そうお願いしたくて」

「───《ぷつんっ》」

 

 あ。これ無理。

 なにこの天使、もう無理。

 衝動に駆られ、思わず告白しそうになる自分を、なんとか抑えつける。

 そうじゃないだろう、と。

 真っ直ぐな告白には真っ直ぐな告白を、だ。

 あと……そだな。

 後悔はねぇか?

 

  んなもん後で決めろ。じゃなけりゃ後悔って言わねぇよ。

 

 これで、いいんだな?

 

  いいだろ、これで。他にしたいこと、あるか?

 

 独りの方が気楽だ、とかねーの?

 

  二人の楽しさも気楽さも知らねぇで、よく言うわ。

 

 むむむ無知ちゃうわ! ほら、戸塚と映画見に行ったりとか!

 

  恋人との二人の楽しさ、な?

 

 …………。

 

  声かけて、誘ってみて、振り向いてくれる度に見る笑顔。どうだったよ。

 

 ……。人前じゃなけりゃ泣いちまうくらい嬉しかったよ。

 

  そんだけ感じてて、なんでさっさと告らないかね“俺”は。

 

 常に冷静に、最悪の事態を予測した自分を置いておかないと、動けねぇからだよ。

 

  だったら、怯える方向が違うだろ。とっくに“そっち”を向いてるくせに、怯えるとか、なんなのお前。

 

 ……うっせ。ほっとけ。

 

  ほれ、待ってるぞ。言っちまえ。素直じゃない“俺”なんて置いていけ。

 

 ……俺は。

 

  んで、世界に絶望したらまた拾いに来い。そしたら、また一緒に腐ってやるよ。

 

 …………その前に。

 

  あ?

 

 その前に。金貯めて、遠出をするつもりだ。その時に、拾われろ。

 

  やだよ。俺はぼっちだからな、その在り方は“俺”にだって譲れ───

 

 こいつが“告られるならここがいい”って言った場所で、やり直したい。それは、腐った俺じゃなきゃダメなんだよ。

 

  うわー……なんかキザったらしい名称しがたいアレな提案きちゃったよー。引くわー、マジ引くわー、やだキモーい。

 

 おい。……いや、おい。

 

  あー……まあ、いいんじゃねーの? けど、なるべく早くな。さっさと嫌な思い出をいい思い出に変えてやれ。

 

 ああ。……じゃあ。

 

  おう。しっかり成長しろよ、“俺”。

 

 お前はそうして、変わらないまま腐ってろ、“俺”。

 

 ……。

 ……。

 

「……。由比ヶ浜」

「……! あ……う、うん、ヒッキー……」

 

 すっかり暗くなってしまった夜の空の下。

 遠くから聞こえるどこかの家の団欒の声に耳を傾けながら終えた“自身の計算”を終え、暗い場所ではなんだと……少しだけ、歩いた。

 街灯が照らす、スポットライトなんて気の利いたものには到らない、いつだってそこにあるものの下に辿り着く前に、小さく小さく覚悟を決める。

 ほんと、なんて厭味ったらしいやり直し。

 辿り着いた街灯の下は、いつか由比ヶ浜の言葉を遮った場所だった。

 俺の腕を抱き締める力が、ぎゅうっと強くなるのを感じた。

 けど、ここで届けるのは謝罪じゃない。

 やり直すのなら、ごめんじゃなくて───

 

「ゆい《チャーラーラーラーラーラー》…………」

「………」

 

 で、言おうとしたらこれである。

 しかも今度のは俺のスマホ。

 取り出してみれば小町である。

 ごめんなさいね小町ちゃん、今こんなタイミングで電話かけてくる妹ちゃん、八幡的にポイント低い。

 なので電源を落とした。

 するとすぐに由比ヶ浜のケータイがやかましく鳴り《プチッ》……認識の途中であっけなくケータイの電源は落ちた。

 俺のスマホが鳴った時点で取り出してたから、そりゃそうだ。

 そして、もう一度俺の腕に抱き着き直し、見上げてくるのだ。

 やだ、この子めっちゃ強い。

 強い、けど……その目が少しずつ涙に滲んでいくのに気づいちまったら、これ以上不安にさせてなんかいられないだろ。

 

  さあ。

 

 ああ。

 

  あの日から、逸らし続けていた視線を───

 

 ───前に、戻そうか。

 

「由比ヶ浜」

「……うん」

 

 改まった雰囲気に、由比ヶ浜の体が震えるのを感じた。

 ただのお礼としてクッキーを渡そうとしていたあの時のような、弱々しいのに強くあろうとするその姿に、胸が痛む。

 

「俺は……」

「あっ……」

 

 そんな腕をゆっくりとほどき、数歩距離を取ってしっかりと向き合う。

 大切なものを追おうとして、とたたっと駆け寄ろうと寄る由比ヶ浜を目で制して。

 

「え…………ヒッキー……?」

 

 そうして立ち止まった彼女に、しっかりと目を見つめたまま言う。

 今まで、傷ついても傍に居てくれた感謝と、それ以上の、俺の中から湧き出した気持ちをそのまま乗せた想いを。

 

「……俺は、またまちがえるかもしれないし、お前に嫌な思いばっかりさせて傷つけると思う。でも……迷惑かもしれねぇけど、お前が好きだ。他の誰にも渡したくないって思うようになっちまった。だから……」

 

 好きと独占欲は違うのだろう。

 けど、困ったことに俺の中にはその二つが生まれてしまっている。

 好きだし大切にしたいし、隣で笑っていてほしいし、出来ることなら俺がいつまでも笑顔にさせてやりたい。

 同時に、誰かに奪われるとかが許せないし、笑顔にするのは俺であってほしいとか思っている。

 随分とまた嫌なエゴが沸いてでるもんだと思って自己嫌悪を抱くのに、

 

「そんなの、あたしだって同じだ」

「っ……ゆ、い……が───」

 

 こいつは、そんな人の苦悩を、そうやって笑顔で受け止めてくれるのだ。

 

「あたしだって、ヒッキーを誰にも渡したくないよ。ヒッキーに、一番好きでいてもらいたい。傍に居たいし居てほしいし……別の人が隣に居るのは、悲しい、よ」

「………」

「あたしが一番最初に好きになったのに、って……絶対考えちゃう。きっと想いじゃ負けないんだって思えるし、一途な気持ちじゃ絶対負けないって胸だって張れる。でも───」

 

 でも。そう、恋ってものは平等じゃない。

 だって、決まってしまえばそれで終わる。

 誰にだって言えることで、とても残酷なものでもあるのに……それに溺れてしまえば、それがこんなにも、誰もが眩しいと思えてしまう。

 

「好きな人に好きな人が居て、自分とは別の人と両想いだったら……さ。そんなの、残酷だよね。素直に応援も出来ないし、自分がそこに割り込んで嫌われるくらいなら、やさしいまま誤解されていたいな、って……。でも、でも、さ……」

 

 だからここでこいつが泣くのはまちがっている。

 恋愛とは眩しいものだと願うなら、後悔の涙なんて必要じゃない。

 誰かの恋にごめんなさいを抱いて泣いてしまうのは、そいつの恋に対して失礼だ。

 

「それでも……っ……誰にも負けたくないっ……あたし、あたしはっ……ヒッキーには、あたしを一番好きでいてほしいっ……!」

「───、……由比ヶ浜」

 

 恐れていたことを言うのでは、と。一瞬陰が差した。

 それでも目の前の少女は、やさしいままずるく在り、涙をこぼした。

 それが誰に対しての涙かを想像した上で……俺は。

 

「………」

 

 俺はそれでも、やっぱり……俺らしく、自分の理想を押し付けるのだ。

 大丈夫だ、もう解は出ている。

 もう、逸らした視線は前を向いている。

 答えをまっすぐに見つめていれば、計算が違っていても、出せる答えは決まってるんだから。

 

「由比ヶ浜」

「ぐすっ…………~~……」

「…………結衣」

「……えへへっ……うんっ……」

「お前が好きだ。別の誰かじゃなくて、由比ヶ浜結衣が、俺は」

「……うん。あたしも、他の誰かなんて嫌だなって思うくらい……比企谷八幡くんが、大好きです」

「……俺たぶん、あ、いや、絶対、独占欲相当だぞ?」

「えと。言った通り、あたしも……絶対。ていうか、ヒッキーのは小町ちゃん見てれば解るし……」

「あー……まあ、そうな。でも、お前がそうなのは……ちょっと意外、か? ……いや、そういや、雪ノ下が別の誰かと仲良くするのが嫌だって───」

「っ……!? ~~~っ……ばかっ……なんで、そんな……そういうの、やだ……」

「……悪い」

 

 好き合った瞬間に他の女の子の名前を出すとか、ほんと俺、アレな。素直に謝れたわ。

 由比ヶ浜にもいろいろな葛藤はあるのだろう。

 俺がどれだけそうじゃないと思っていても、女子には女子にしか解らない何かが当然あるのだ。

 だから、それに関しては……俺はなにも言えない。

 選んだのなら、他のことで後悔するのは筋違いだから。

 だって、そんなの惨めだろ。

 どれだけ想っても同情されるだけ、みたいなもんだ。

 

「…………」

 

 街灯が俺達を見下ろす中で、俯いている結衣……がはま、いや。結衣は、とてとてと……俺に歩み寄り。

 手を持ち上げて、俺の服をちょんと抓んだ。

 顔を持ち上げず、俯いたまま。

 

「ゆ───……んんっ、……結衣?」

 

 声をかけると、ぴくんと肩を震わせて……おそるおそる顔を持ち上げて、俺を見た。

 そこには、不安ばかりが存在している。

 

「えっと……あたし、いいんだよね? あたし……ちゃんと告白して、さ。ヒッキーが好きで……ほんとにほんとに大好きで……」

「……うん」

 

 そんな怯えた結衣に、頷いてみせる。頷いて、服を抓んだその手に右手を重ね、ゆっくりと撫でてやる。

 すると、服から離れた手がゆっくりと俺の指に触れ、指を包み、撫でて、やがて手を繋ぎ───

 

「あたし……頑張れたんだよね? やっと……あたしっ……ふ、ぅぇっ……~~……!!」

「……すまん。本当に、悪かった。いっぱい待たせて、いっぱい傷つけた」

 

 言葉の途中で嗚咽に負け、ずっと目を逸らされていた少女は泣いたのだ。

 すべて、俺が目を逸らし続けた結果だ、躊躇はしなかった。

 ぐっと手を引いて、胸に抱き寄せた。

 声を上げて泣くやさしかった女の子の声が、自分以外に聞こえないようにと、きつく抱き締める。

 結衣は子供のように泣いた。

 いや、実際俺達はまだまだガキなのだ。

 世界の厳しさを知ったつもりになって、一丁前に愚痴なんかをこぼして。

 守られたままのくせに、その生き方がどれだけ楽だったかを知らず、やがて親に感謝する暇もないまま愚痴に埋もれ、大人になるのだ。

 けど……暇はなくとも覚えていたいとは思う。

 そして、口には出さなくても感謝し続けよう。

 ガキがガキなりに無茶をして、青春ってものを駆け抜けられる今を、今を構築している全てに……ガラにもなく。

 

「………」

「………」

 

 抱き締め合う。

 冷静な自分はとっくに何処かへ消えていて、けど……雰囲気のまま告白したのかといえばそうじゃない。

 大事だと思い、何度も確かめ、その上で告白し、受け入れられたし受け入れた。

 正直な話をすれば信じられないっていうのがデカいが……もう、そんな疑いも置いていく。

 あるのは好きだって気持ちで、今はいいのだろう。

 だから存分に確かめた。その体の小ささを。傷ついても頑張ってくれていた人の大きさを。

 ぐしゅぐしゅと涙する姿に胸が締め付けられる。その度、大切にしたいって心が沸き上がり、もどかしくて、抱き締めたまま背を撫で、頭を撫でた。

 結衣も一層に強く抱き締めてきて、不意にそれが緩むと……涙に濡れた顔が俺を見上げ、俺もまた、見下ろした。

 

「ぐすっ……えへへ……ヒッキーの目……すごく綺麗だね」

「……いや、この場でお世辞はどうなんだよ」

「ううん、綺麗だよ……。本当に、綺麗だ。すっごく格好いい。こんなに格好いいと、あたし心配だ」

「心配しなくても、独占欲以上に貞操観念は強ぇえよ。つか、好きになったら普通そうだろ、そいつに全部をって思うだろ」

「………………」

「……え? おい? …………ち、違うのか?」

 

 え? まじでか?

 普通、好きになったら自分の全部をそこに置きたいって思わないか?

 だって想像してみろよ、浮気とかされたら泣くだろ、絶望するだろ、もう二度と信じたくなくなるだろ。むしろここまでこんなに想ってくれてた結衣にそれをされたら、他のなにも信じられなくなるぞ俺。

 

「ううん……ううん。ただ、同じだって思っただけ。嬉しくて……もう、ほんとヒッキーって……ほんと……~~……ひっきぃ……」

「《ぎゅううう……》お、おう……なんだか知らないが、ああその、ありがとう……か? ……だな。同じなら、安心だ」

 

 感謝して感謝されて。

 好きだ好きですと告白し続け、そうやって、お互いの気持ちを確かめ続けた。

 けど、どうしようもなく別れの時ってのはくるもので……さすがに寒空の下、ずっと外でってわけにもいかず、今日は───《クイッ》……。

 

「……結衣」

「あ、の……今日、さ。うち……誰も居なくて。あ、サブレは居るけど……前からあった旅行の話、ヒッキーとのデートがあったから断って……だから」

「いや……けどお前、それは」

「ヒッキーが……あたしに全部を置いてくれるなら……あたし、なにも怖くないから。あたしも……自分の全部、ヒッキーに置いても……いいかな」

「……い、いや、それ普通は逆じゃ…………いや」

「《さら……》んぅ……ヒッキー……?」

 

 もう一度抱き締め、頭を撫でる。

 受け入れたら、きっと止まれない。

 若さ故の過ち? いや、なにかをすることで生じる責任から目を逸らすことは絶対にしない。

 だから、ここから先は俺の責任だ。いいのか、と訊ねるべきは結衣にでもあり、当然俺自身にも。

 

「これから必死こいて、金でも貯めるか」

「わ…………うぅう……ずるい、ヒッキーずるい……」

「ずるくねぇよ。誰かさんが言うには、俺はやさしいらしいからな。だから───」

「う、うん……ヒッキー」

「相当重い男かもしれんが、これから末永く頼む」

「……うー」

「欲しい台詞はもうちょっとだけ待っててくれ。……言いたい場所があるんだ。いつか二人で行った時に、まとめて伝えるから」

「……ほんと? え、ていうかそれってど───…………こ…………っ……《ぽろぽろぽろ》ひっきぃいい~~……」

「あっ……だっ……だから、泣くっ……! ~~……気軽に行けない場所に、一番の後悔を残してるんだよ。だから……その時、ちゃんと伝えるから。また、その……待たせちまうけど」

「ずるい、ずるい……だいすき、ずるい……~~~……っ……ひっきぃ、ひっきぃい……!!」

 

 言いたい場所、で場所を想像してしまった結衣は、声をあげて泣いてしまった。

 ずるいずるいとこぼしながら、ぽすぽすと俺の胸を殴って。

 そんな、くすぐったい気持ちになれる軽い衝撃に苦笑を漏らしながら、ぎゅううと抱き締めた。

 抱き締めて……なんだかふわりと胸の奥底から湧き出してきた暖かい何かに戸惑いながら……それを受け入れ、笑った。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 真っ暗な家に案内されて、明かりがつけられた家の中を歩き、真っ直ぐに結衣の部屋に案内された。

 俺の匂いを覚えていたのか、ひゃっほいとばかりにひゃんひゃん駆け寄ってきたサブレは、とても慣れた手つきの結衣によって流れるように便利に収納された。笑ってはいけない。

 そわそわと落ち着きなく視線を彷徨わせ、とりあえず荷物をぽすんと置くと……えとえとと言葉を探していた。

 

「あの、その、えと、それっ、それじゃ、その……シャワー……とか」

「お、おう……え? いや、考えてみれば俺、着替えとかないんだが」

「あっ……ん、っと。あたし、ヒッキーの匂い、嫌いじゃない……よ?」

 

 脱いだものをまた着ろと。

 いや、そりゃな、ここでパパのを着てとか言われたら、ファブリーズの件以上にお父さんに同情するわ。

 まあ、考えてもそれしか浮かばないし、そうしようって決めておいたカップルでもなけりゃ、普通はこうなるんだろう。

 

「じゃあ……ヒッキーから」

「お、おぉおお俺から、なのか」

「う、うん。あの……準備とか、あるから……」

「……そか」

 

 まあ、そうな。そうなんだろうな。そうなのですよね? ごめんなさい詳しくとか知りません。

 いろいろ考えるのも恥ずかしくて、結衣の案内のもとに脱衣所を目指した。

 

……。

 

 体をいつも以上に丹念に洗い、シャワーで流し、そういえばタオルすらないことを思い出し……しかしそこは由比ヶ浜。家族の分の他にもあったタオルを用意してくれて、それで素早く水滴を拭うと、服を着直して一息。

 髪の水滴も取れる分だけ取ると、ようやく脱衣所をあとにする。

 戻った結衣の部屋は綺麗に片づけられており、顔を真っ赤にさせて自分のベッドの上で枕を抱きかかえていた結衣が、入ってきた俺を見て「ひゃうっ」て声を漏らした。

 

「あぁ、その……結衣」

「う、うん……行って……くる、ね。…………あの……ヒッキー?」

「ん?」

「……帰っちゃ、やだよ?」

「───」

 

 不安そうな顔で、なんて無茶な注文いいはらすばい。いや帰るつもりだったとかそういう方向じゃなくて。

 今すぐにでも抱き締めて不安とか全部吹き飛ばしてやりたいくらいですが? それこそヒッキーキモいって言われるくらいの勢いで。

 けど、見送った。帰らないから、ときちんと伝えて。

 

「………」

 

 見送ってしまえば所在ない。

 いや、退屈とかじゃないんだが、することがないっつーか。

 そのくせ落ち着かない。

 こういうのってアルバム見てて、そっとお互いがーとか……うん解らん。

 世の男子たちはこういう時、どうしてるんだろうか。

 許可なく部屋ン中を物色されるのは嫌だろう。俺が嫌だから俺はやらない。

 荷物の中に小説が入ってるわけでもねぇし……暇だ。

 そんな時にはスマホさん。

 電源を切ってあったから、とりあえず小町に連絡でも。

 電源をつけてしばらくしてから、とりあえずメールの確認をしてみると、結構な量。

 心配しているものから茶化すようなものまであったが、それがしばらく続くと“結衣さんにも繋がらないし返信もないし、ちょっとお兄ちゃん? お兄ちゃーん? 無視とか小町怒っちゃうよー?”に変わり、やがて“え? もしかしてまじだったりするのお兄ちゃん”ってメールのあと、“ごめんね小町空気読めてなかったねポイント低いねっ! お兄ちゃんガンバだよっ! あ、家の鍵は完全に閉め切るから、間違っても帰ってきちゃだめだからね?”……とだけ。

 つまりもう帰れない。むしろ帰ったらごみぃちゃんじゃなくてただのゴミ扱いされそう。

 

「………」

 

 それから、適当に時間を潰す。

 ちょっと気になって。初めての女性に対するケアとかを検索したのは一生内緒にして生きていきます。

 

「!?」

 

 ややあって浴室の扉が開く音が、静かな家にどうしても響くと、ドキームと胸が高鳴った。

 そしてあたかもキングエンジンのごとくドッドッドッドッと鳴り響き、落ち着いてくれない。

 ああだめだ、冗談混ぜてみてもちっとも落ち着かない。

 落ち着け、落ち着け俺、落ち着《コチャッ……》

 

「ヒッキー……あの……」

(ほわぁあーーーーーーーっ!?)

 

 悲鳴をあげるのはなんとか抑えた。

 ただ、心が絶叫したのは確かで、なんかもう怖いくらいに心臓がうるさい。

 ああいや俺の心臓への感想よりも、今視界に存在している女性をどう表現すればいいのか。

 俺と同じく丹念に磨いてきたのか、少し疲れたように「はふ……」と吐く溜め息が、汗が浮かんだ肌と相まってひどく艶めかしく聞こえた。

 そして、着ている可愛らしいパジャマと……それを押し上げている迫力ある双丘。

 出るところは出ていて引っ込むところは引っ込んでいる、普段から思っていた“スタイルがいい”という感想が、ありきたりなのにぴったりだった。

 そんな彼女がお団子は結んでいない髪をさらりと耳に掛け、もじっ……と体を揺らすと、恥ずかしそうに「お、お待たせ」と呟いた。

 思わず“俺も今来たところだから”なんてわけのわからんことを言いそうになったが、それも無理矢理抑えつける。

 言いたいのはそんな言葉じゃない。感想なんてひとつだ。

 むしろそれだけで十分だろこれ。それ以外が浮かばないまである。つまりその、なんだ……ええと……ああ。……綺麗だ」

 

「───……! ……え、えへへ……えへへへ……ひっきぃ……ひっきぃ……!」

 

 頭の中がぐるぐると騒がしいまま考え事をしていると、どうしてか結衣はほにゃりと嬉しそうに表情をとろけさせ、立ち上がった俺へと静かに歩み寄ってきた。

 そして、軽く促すと……一緒にベッドの傍まで歩き、ベッドに腰かけ……そして。

 

「え、っと……あたし、その……」

「いや、俺の方こそこういうことは、その」

「あ…………う、うん。なんか、よかった……。経験あるって言われたら、あたし泣いちゃってたかも……」

「そりゃこっちの台詞だっての……あ、あー……その、じゃあ。手探りで悪いんだが……」

「……うん。あの、あのさ、ヒッキー。どうせ手探りで、不安だらけなら……さ」

「お、おう?」

「お互いがさ、知り合いながら……さ。ゆっくりしていきたいな……って」

「あ、ああ……ゆっくり……な。……そだな。俺も正直、お前を傷つけないかって不安だ。だから……触れられると嫌なところとか、痛い時は……ちゃんと言ってくれ」

「……ヒッキーもだからね? その、あたしもさ、話では聞いたことあっても……さ。それをするとどうなるのか、とか……知らないから」

「ん……解った」

「うん……」

「じゃあ……」

「じゃあ……」

 

 見つめ合い、頬に手を添え、ゆっくりとキスをした。

 一回目のキスは……軽く、なんてこともなく、一回目を大事にするかのように、二人とも離れず、重ね合わせ、傾け、密着部分を増やして、それをしばらく続け……やがてくっつけたまま舌を伸ばし、つつき合い、擦り合わせ、味わうように。

 息が荒れて、苦しくなって、それでも限界まで初めてを大事にして、惜しみながら離れた。

 

「………」

「………」

 

 お互い、とろんとした表情のまま笑っていると思う。

 信じられないくらいにやさしい気持ちになれている。

 人をいとおしく感じるって瞬間が、きっとこんな瞬間なんだろう。

 そんな“きっと”を確かめたくて、もう一度もう一度とキスをする。

 唇を合わせ、舌同士を絡ませて、唾液を交換し、嚥下する。

 こくりと動く喉が、自分の唾液を飲み込んだという事実が、どうしてかとても大切なことに思えて、嬉しくて、またキスをして、嬉しくて。

 人に受け入れられるということがこんなにも満たされることなのかと理解して、それが泣きそうなくらい嬉しくて。

 そうしてキスとお互いの気持ちをぶつけ合い続け、やがて……どちらともなく促して、ベッドに沈み、お互いを抱き締めた。

 

「ヒッキー……」

「今さら……見栄張っても仕方ないから言うけどな……」

「うん……ちょっと、怖いよね」

「……先に言わないでくださる? 格好悪いでしょちょっと」

「怖いのは変わらないよ。それに……あたしだけじゃないなら、なんか嬉しいし」

「………」

「痛いのとか傷つけるのが怖いんじゃないんだよね、きっと」

「……ああ。そういう段階に上っていくんだなって……そんな変化が怖い」

 

 普段自分が過ごす場所が、“そういう場所”になる気分っていうのはどんなものだろう。

 今日、出かける前まではきっとただの普通の部屋だった場所が、そういう場所になってしまうというのは……どんな気分なんだろう。

 一度踏み込んでしまえば一生変わらない。

 でも───

 

「でも、さ……。変わらないままじゃ……いられないんだよね」

 

 そうだ。

 何度も悩み、選んだものがある。

 

  “もし、お互いの思ってることわかっちゃったら、このままっていうのもできないと思う”。

 

 あの日、彼女はそう言った。

 そうだ、変わらないまま、選ばないままなんてことは許されない。

 俺はそれを欺瞞だと言って、悩んでもがいて苦しんででも、答えを探し、見つけて───自分を疑った末に嘘をつくのではなく、自分を理解し信じ切れた先で、大切に思う誰かと笑い合いたい。

 

「変わるって……怖いね」

「ああ……怖いな」

「でも……」

「ああ、でもだ」

 

 ちゅ、とキスをして、その頭を胸に押し付けるようにして抱いた。

 さっきからやかましい音を聞かせて、少しでも緊張がほぐれるように。

 笑えるくらいやかましいだろ、とばかりに。

 

「……うん。あたしたち、進んでいこ? 変わって、今じゃ合わせられないあたしたちを、重ねられるように」

「……ああ」

 

 それをするから大人になれるとか、そんな理想は形にはならない。

 なにをどうすればそれが叶うかなんて、誰が確証をくれるでもなく、約束をしてくれるわけでもない。

 雪ノ下が自分の答えを自分で出すよう努力するように、俺は俺の、結衣は結衣の答えを出さなければいけない。

 全員が出した答えは、きっとそこでも重ならないいびつな形なのだろう。

 それを何度も何度もぶつけて、削って、解り合って、譲り合って押し付け合って。

 やがてそんなことにも疲れた時に、きっと……それは軽く角度を変えるだけで重なることを知るのだろう。

 人の争いの末なんて、いつだってそんなもんなのだ。

 けど、俺達はそんなことに気づけるほど自分が持つ形に自信が持てないから、いつだって不安定で、自分が寄りかかりやすい形を持っている人を探すのだ。

 

「結衣……」

「ん……ヒッキー」

 

 互いを呼び、身を重ねてゆく。

 手から始まり、滑らせるように手首を、肘を、二の腕、肩。

 喉から顎をさすると、きゅうん、と切ない声が漏れ、何度か思ったことがある犬みたいだ、なんて考えを浮かばせては、その口にキスを落とした。

 触れる箇所は外からゆっくりと内側へ。

 女性を意識させる部位には触れず、ゆるやかに、体と心に準備させるように触れてゆく。

 

「んんっ……」

「……くすぐったかったか?」

「うん、ちょっと……でも、なんか……肌が触れるのって、いいね」

 

 傍に居ても、空気は冷えている。

 暖房もそこまで温度を高くは設定していないのか、時間が経てばシャワーで温まった肌から汗は消えていた。

 そんな肌が肌と触れ合い滑ると、確かにくすぐったく、気持ちいい。

 結衣は微笑むと首に腕を回し、キスをしてくるでもなく頬同士をこすり合わせてくる。

 それがくすぐったいけど気持ちよくて、俺もそれを手伝うように結衣の頭を支えてやり、頬同士を滑らせた。

 そうしてじゃれ合うように、やがてより近づきたいと焦がれ、欲し、溶け合ってゆく。

 ささやくように確認を取ると、彼女はふるりと震えたあと……顔を赤くして、頷いた。

 どうしようもなく鳴ってしまう喉に恥ずかしさを感じながらも、緊張して少し強張った手が、仰向けに寝ても存在感のある丘を目指して伸ばされる。

 クマの柄のパジャマを押し上げている……クマ……クマ?

 

「……結衣、このパジャマって」

「……うん。その、やっぱり……さ。あの出会いがあったからこそ、かもしんないけど……ヒッキーだけが痛いのなんて、ヤだから」

「ぁ……ぅ……!《かぁああ……!!》」

 

 つまり、これを着ている自分にも、痛みを刻んでくれと。

 ぐ、あああお……! だめ、もうほんと、なんなの、もう、もう……!

 どうしてこいつはこう、無自覚に人の冷たくなったところへ手を差し伸べてくれるんだ……!

 

「《きゅっ……》ふわ……あ……ヒッキー……?」

「ごめんな……もう、我慢できない。好きすぎて……抑えられない」

「うん……大丈夫、あたし、ちょっとくらい苦しくても痛くても、ヒッキーなら……耐えられるよ?」

「……だから……そういうのが反則だって───……!」

 

 自分の奥底から湧き出してくる熱いなにかに動かされるようにキスをする。

 けれど乱暴にする気はなくて、がっつきすぎだと思えば強引に止まり。

 傷つけたいわけじゃないんだ。

 大切にしたい。

 だからこそ、次から次へと湧き出してくる欲望をなんとか抑えながら、それでも抑えられない分は行為を続けることで抑えた。

 

 

───……。

 

 

 ……やがて、夜が明ける。

 長い夜を二人で過ごし、互いの想いをぶつけ合い、溶け合った時間が終わるように、カーテンで閉ざされた窓の隙間から朝陽がこぼれた。

 

「んんぅ……ひっきぃ……」

 

 隣には……といいますか。この場合隣でいいのか? 向かい合っているんだが。

 ベッドに寝転がっているという状態でいえば確かに隣なわけだが、俺の視点からしてみれば正面なわけでして。

 ……ああいや、恥ずかしさのあまり戯言に逃げるの、よくない。

 隣には、穏やかに眠る結衣が居る。

 汗で額に張り付いた髪を指で掬い上げると、そのままさらさらと手櫛で梳くように撫でてゆく。

 起きはしない。というか、寝てからそこまで時間は経っていないのだ。

 これが若さというものか、と言ってしまえばそこまでなのだが、まあその、なんというか。あれだよほら。互いに“初めて”を大事にしすぎて、離れるのが嫌でずうっと繋がり、それこそ体力が底を尽きてオチて眠るまで、行為を続けた。

 もちろん無理矢理なんて絶対にせず、本当にゆっくりと溶け合うような行為だったわけだが。

 というか。今もその、繋がって……げふんげふん。

 だがさすがにもう無理だ、これ以上、いけない。そのくせ離れてしまうのは寂しくて、なんというかアホみたいに繋がっていたいという気持ちのままに、こうして……ああもう、いいや、寝てしまえ。

 

「すぅ───」

 

 寝よう、と意識してしまえば、とっくに疲れすぎていた体と意識はすとんと夢の中へ落ちていった。

 

……。

 

 で。

 起きてみれば、顔を真っ赤に染めながら、ぽ~~っととろけた表情で俺を見つめる結衣が居て。

 まだ繋がったままだった寝起きに逞しいあれが、それこそ逞しかったために……いや、その。目覚めのキスから繋げ、再び動けなくなるまでいたしてしまいました。

 若さってすげぇ。

 水族園のクッキーもそうだったが、結衣は料理をきちんと勉強して練習も続けていたらしい。

 簡単なものしか出来なかったが朝食をごちそうしてくれて、それがまた、なんというか照れくさいながらも……幸せで。

 用意された食事を食べる俺の正面には、テーブルに頬杖をついてにっこにこ笑顔の結衣。

 頬杖って片手でやるイメージあるけど、結衣は両手でやって、ほにゃあと幸せそうに微笑んでいる。やだ幸福。ていうかきみも食べなさいよ。ほら、サブレはもう自分の食事を開始してらっしゃるよ?

 

「~♪ ……ヒッキー、おいしい?」

「ああ。美味しいな。案外少し焦げてたくらいのほうがいけるかもしれない」

「んぐっ……ううぅ、甘やかさないでね、ヒッキー……。あたし、ちゃんとヒッキーに美味しいもの、食べさせてあげたいから。甘やかされちゃうと、なんてのかな、ほら、成長できないんじゃないかなって」

「ちゃんとうま……げふん。美味しいから大丈夫だ」

「なんで言い直したの!?」

「男にゃいろいろあるもんなんだよ……。彼女が初めて作ってくれた料理とかには、うまいとか返すんじゃなくて、心を込めて“美味しい”って返したいとか」

「あ……そ、そか。そうなんだ。そっか……えへへ」

 

 ふにゃりと表情を緩ませて、えへへと笑う恋人さん。

 ああ、なにこの甘い空気。幸せすぎるんですが。

 そんな恋人さんと、先ほどまで……その。

 “出来るだけ一緒に居たいから”って風呂にも一緒に入って、そこでもイタしてしまい、もうなんと言ったらいいやら。

 

「~♪」

 

 自分の食事をようやく開始して、おかずを口に、ごはんも食べて。

 自信作だと言っていたものを口に運ぶと、それがちゃんと美味しく出来ていることにほっと胸を撫で下ろし、また俺をちらりと見て、ほにゃりと幸せそうに微笑むのだ。

 つか、俺も見つめすぎだから。なんで細かい動作まで脳内で解説しちゃってんの。落ち着け。人のこと全然言えねぇよこれ。

 けど、まあ、その、あれだよほら。

 ……嬉しいっつか。

 幸せなんだからしゃあないだろ、こんなの。

 

……。

 

 食事を終えれば無意味にひっついていた。

 三大欲求をしっかり満たした俺達がお猿さんになることはなく、むしろお互いを大切にしたいという気持ちばかりが湧き出して、傍から見ればただのバカップルという行為をそれはもう続けて。

 しかしさすがにそろそろ着替えたい俺は家に帰ることにして、そしたら結衣もついてきて。

 帰宅してみれば突撃してきた小町になぜか「……誰!?」と驚かれ、拍子に鏡を見てみれば目の腐っていない自分。

 いや、風呂とかでも確認しなさいよって話だが、自分の目が腐ってるって知ってて自分の目を鏡で見続けるやつなんて居ないだろ。

 そういう習慣がすっかり馴染んでいた俺は、自分の変化にまるで気づいていなかった。

 ちらりと隣を見てみれば、「ね? 綺麗だよ?」と微笑んでくれるエンジェル。

 えーと。じゃあその、つまりは昨日の夜から、とっくに?

 原因あれか。気持ちの整理をつけた瞬間か。どんだけ単純なの俺。

 

「お兄ちゃん!? うそっ! わっ、ハワワワワ!? こここ小町のお兄ちゃんがこんなにピュアッピュアな目をしてるわけがっ!」

「おいやめろ、お兄ちゃんの目の前でなんてこと叫んでくれちゃってるの。いくら俺がシスコンだからって泣いちゃうよ?」

「あ、お兄ちゃんだ」

「納得の仕方がそれってどうなんだよ」

 

 しかし、まあ。

 そんな小町は俺と結衣の距離をジロジロジィィイロジロと舐め回すように見つめると、きゃらんと目を輝かせて言ったのだ。

 

「ふん」

「《ゾス》ふきゅうっ!?」

 

 いや、言わせねぇよ。

 どうせあれだろ、ゆうべはおたのしみでしたねとか言うんだろ。

 なので脇腹に貫手をかますと黙らせて、からかうんじゃありませんと先手を打った。

 

「うぅう……まあ確かに、そういうのは余韻が大事だっていうし……今のは小町的にポイント低かったかもだけど、解った」

「そか」

「あ、じゃあ結衣さんっ、ほらほら上がってくださいどーぞどーぞ! あ、お兄ちゃん、小町お茶用意するからちゃんとリードしてっ!」

「だからそういう気の回し方が今は余計だっつーとるだろが」

「《ゾス》うきゅうっ!? う、うー……! でもでもなんだか落ち着かないっていうか……! 初めて彼女さんを家に連れ込まれた母親の気持ちが解るっていうか……!」

 

 再び脇腹に貫手をかますと、小町はそこを両手で押さえながらふるふると震え、俺との距離を取った。

 いや、べつに妙なことしようとしなけりゃやらねぇよ。

 と、身内の賑やかさに恥ずかしさを抱きながら振り向いてみれば、笑顔の結衣。

 ほら、恥ずかしいだろこんなの。

 そう思いつつも視線は外さず、そうするのが自然みたいな流れで手を差し伸べて、招いた。

 結衣の家に上がった時にそうされたように、脇目も振らずに自分の部屋へ。

 そこで待っててもらい、風呂は入ったのだからと着替えるだけで終わらせて。

 ……いや、そりゃなんかやっぱりちょっと気になるけどさ、入るかなどうしようかなとは思うけどさ。ここんところなんだろうな、男と女の違いって。女だったらたぶん、風呂に入り直す気がするし。

 で、脱衣所から戻ってみれば、燥いだ勢いで結衣に質問しまくるKOMACHIさん。おいこら、いつ来たのきみ。

 

「そそそそれで兄は! 兄は上手くできたのでしょーか!《ゾス》うきゃぁう!? ……ハッ!? お兄ちゃんいつの間に!? お風呂に入ってたんじゃっ……!」

「着替えてきただけだよばかたれ。つか、ほんとなにやってんのお前……」

「い、いやー……小町としては、兄の成長とかがやっぱり気になるわけで……」

「そんなの話すわけないだろ……ほら、その、なんだ。落ち着くまでは俺達も別の誰かと居るのは恥ずかしいから……しばらく二人きりにしてくれねぇか」

「ハッ……小町としたことがそこに気づかないなんて! ん、解ったよお兄ちゃん! 小町、しばらくは家出てるね! ではでは結衣さん! ……がんばっ!」

「え? ふえっ!? え、や、ちょ、小町ちゃん!? あたしたちべつにそういうことするわけじゃ───!!」

 

 しゅたっ、と敬礼すると、小町はゴシャーアーとものすごい勢いで部屋を出て階下へ降りてドタバタと走り回るとドバーンと玄関を開け、しっかりと鍵を閉めて出て行ってしまった。

 ……長年住んでると、下に居る人が何処に行ってなにをしたのかとか想像できるから面白いもんだよなー……なんて関係ないことをぼんやりと考えつつ、「騒がしくて悪い」と言って…………言って。

 あの、結衣さん? なんで俺のベッドに座ってるのん? それもベッドの端とかじゃなく、真ん中に。ていうかどうして昨夜のように枕を抱きしめておるのでしょうか。

 え? …………あの…………えっ?

 

「あ、え、えと、これは……違くてっ。こっち、こっちに座ってたんだけど……急に小町ちゃんが来て、詰め寄られて、気づいたら、ほら、枕とか盾にしちゃって……あの…………ひっきぃ」

「そんな心配そうな顔すんな。ちゃんと信じるから。……その、悪かったな、小町が」

「あ、ううん、それはいいの。ちゃんと報告しなくちゃって思ってたから。でも……うん、ちょっとびっくりした」

「まあ、あそこまで燥いでちゃあな……」

 

 言いながら、俺もぽすんとベッドに腰かける。と、結衣が立ち上がらずにきしきしと膝立ちになって近づいてきて、ちょんと俺の服の端っこを抓む。で、枕を抱いたままほにゃりと微笑むのだ。やだ可愛い。

 

「あ、あー……その。これから、どうする?」

「ん、んー……えと。……こうしていたい、かな」

 

 抓んでいた服を離すと、腕を引っ張り、抱き着いてくる。

 顔を赤くして俯く姿に心臓が高鳴り、しかし欲望が沸いてくるでもなく……ただ静かにベッドに上がり、俺からも抱きしめた。

 

「ふえっ、あのっ、ひっきぃっ? あ、あたしそういうつもりじゃっ……」

「アホ、俺だってそういうつもりじゃねぇよ。ただまあそのー……なに? ……なにをするでもなく、よ。こうして抱き合ってごろごろしたいなって願望があったっつーか」

「…………あ…………うん。それ、いいね。うん、いいかも」

 

 言ったら、くいっと引かれ、そのままぽすんと二人して布団に沈んだ。

 毛布と掛布団が引っ張られ、二人まとめてそれを被ると、結衣の顔がさらにさらにと真っ赤になった。

 

「ぁ……ぅ……これ、やばいかも……。ぅゎゎゎゎ……ひっきぃの匂いだらけだ……!」

 

 そら、俺の布団ですし。

 苦笑を漏らしながら、自然と動く体が結衣をぎゅうっと抱き締める。

 昨日まで触れることさえドッキドキだったくせに、なんとも凄い進歩だこと。

 

「んんぅ……ね、ひっきぃ……」

「……ん」

 

 なにを言うでもなく、もぞもぞと胸から顔を上げた結衣が、楽しげ……とも違うんだろうが、けれども状況を静かに楽しんでいるような表情で、顎を持ち上げる。

 もはや抵抗もなく俺は俯き、二人、横になりながらキスをした。

 結衣はどうやら布団の中に潜るのが気に入ったようで、布団の境目から顔を出そうとしない。

 必然的に布団の中でもぞもぞとじゃれ合うようになり、ああもう、ほんと、なにをするでもなく……そうしていちゃついた。

 唐突に抱き着きたくなれば抱き着いてきて、キスがしたくなると、何を言うでもなくねだるようにくいくいと服の胸元を引っ張ってくる。

 甘えたくなると胸にしがみつくようにして顔をこすりつけてきて、頭を撫でると昨夜のようにきゅううんと鳴いた。ほんと、構ってちゃんな犬みたいだ。

 なんて思っている俺も甘やかしたくて仕方なく、頭を撫でたり髪を指で梳いたり、抱きしめたくなれば抱きしめて、キスがしたくなれば顎を持ち上げてキスをした。

 互いが好きだと認識して、遠慮がなくなった男と女ってすごいのな。

 どこか他人事のように思いつつも、恋人らしいことをたっぷりとする前に性行為を経験してしまった事実を取り戻すように、二人していちゃつくことに没頭した。

 不思議と性的な欲求が湧くこともなく、喉が渇けば階下へ降りて水を口移しで飲んでみたり、お腹が空けば二人でキッチンに立ち、楽しみながら料理をして、出来たものをあ~んと食べさせ合いながら済ませて。

 外でのデートは結構したからと再び俺の部屋に戻ると、結衣はまるでそこが自分の住処だと教え込まれた犬のように、ベッドの布団に潜り込んだ。

 

「…………《じいっ……》」

 

 で、くるまりながら、こちらをじーっと見てくる。

 なにやら、こっち来てと言いたいらしい。

 近づいてみるとがばーっと襲い掛かられ、ベッドに押し倒されると、そのまま布団ごと覆いかぶさってきた。

 俺が“なななななにごと!?”なんて心の中でパニックを起こしていると、抱き着いてきた格好のまま、かぷかぷと首筋を甘噛みしてきた。

 ……途端、くすぐったいとかそんな考えよりもまず、やさしさが溢れた。

 抱き締めるように背中と頭に手を回すと、ゆっくりと受け入れるように撫でてみる。

 すると結衣は甘噛みをやめて、首をぺろぺろと舐めてくる。

 犬だなぁ、なんて思いながら、どうにもそれをされることがちっとも嫌じゃない。

 

「結衣」

「えへへへへ……ひっきぃ……ひっきぃ~……♪」

 

 甘えたいのだろう。

 小町にもこんな時期があった。もちろんここまでではないが、両親が働いてばかりの日々だ。帰ってみれば静かで暗い部屋が待っていることなんて何度だってあったのだ。

 結衣はどうだったのだろう。

 家に帰れば由比ヶ浜マが居たかもしれない。

 けど、空気を読まずにいられなかったこいつはきっと、学校に親友と呼べる相手もおらず、家に帰れば心配させまいと振る舞っていたと思う。

 それはどこまでいっても我慢であって、甘えじゃない。

 だから……───こんなものはただの想像にすぎないのだとしても、甘えたいと訴えているのなら、甘えさせてやりたいと思った。

 頼られても支えてやれる自分を目指そう。

 甘えたい時に甘えさせてやれる自分を目指そう。

 一億円に見合う自分なんて目指す必要はない。

 ただ、自分が大切に思う人に対して、嘘を吐くような自分にはならないように。そんな自分を疑わない自分で居られるように。

 もう、誤魔化しは必要じゃない。

 ちゃんとした自分で───俺は、こいつと。

 



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前を向いたあの日から④

 時間の流れはどこまでも普通だ。

 時が流れれば嫌でも変わっていくものを見送るように、三年になって18になった途端に由比ヶ浜マにマンションへ招待され、絶対に幸せにすることを条件に、婚約を許可……というかしなさいと笑顔で言われ、もちろんですと婚約。両親同士で話し合い、家を追い出されて同棲をすることになり、共同生活開始。お金の管理が得意なこともあり、同じ大学に行くために一緒に勉強を続けたおかげか、計算に強くなった結衣は節約・貯蓄に関してはまさに無敵状態に。二人してバイトして金も貯めて、なんとも不思議な共同生活を送った。

 高校を卒業して、同じ大学に通って同じバイトをして、誘われれば飲み会なんかにも結衣と一緒に出席して、そのくせ俺は絶対に酒は飲まず、俺を酔わせて結衣に手ぇ出そうとするヤツが居やしないかと睨みを利かせたりして。

 そんなことをしても、むしろ結衣が俺から離れないもんだから、俺らは二人して馬鹿と過保護とカップルを合わせた馬鹿保護ップルとか呼ばれたりした。いいだろべつに。ほっとけ。

 大学でも奉仕部は続け、もちろんやれることには限りがあるから迂闊な依頼は受けないで(特に恋愛ごと)、無難ながらも楽しい日々を過ごした。

 

 日々の出費は極力抑えて、貯められるお金はとことん貯めて、そうして出来た金で、旅行に出掛けたりもした。

 結衣と雪ノ下と俺、その三人で、あっちへふらふらこっちへふらふら。

 食べ歩きもすれば、綺麗な景色にほわーと感激したり、……いや、ほわーとか言ってたのは結衣だけだったが、俺ももう感情を隠したりはしなかったから、ほら、その、あれだ。結構燥いだっつーか。

 一度来たことのある場所だったが、それでもこの三人で回るのは新鮮だった。

 観光名所を歩いては写真を撮ったり食べたり笑ったり。

 時に憎まれ口も叩いたり、当時の自分たちはああだったーとか言って互いの恥を掘り返して赤面したり。

 そうして、いつかの日には出来なかった時間をゆっくりと堪能して───旅行最終日。

 朝を迎えると、集合場所に現れたのは結衣だけで、そんな彼女は俺宛に置手紙があったと言って、それを渡してくれた。

 手紙にはこう───

 

  あなたらしくないやり方を心から望みます。泣かせたら泣かすから、覚悟しなさいヘタレ谷くん。

 

 ───とだけ。

 怖いよ。あと怖い。

 けど、まあ。逃げるつもりも傷つけるつもりもないから、その手紙をポケットにねじ込み、手を繋いで歩いた。

 

  その日もやることは変わらない。

 

 最終日ってことでいろいろなところを回り、見て、食べて、楽しみ、笑う。

 だが、もちろんこの旅行自体の最終目的はきちんとあって───やってきた夜。

 

「………」

「………」

 

 俺と結衣。

 二人並んで、いつかの大きな後悔を残した場所……並んだ灯籠がぼんやりと灯る竹林に立っていた。

 ぎゅう、と。組まれている腕に力が込められると、腕に走る圧迫よりも……胸が苦しくて仕方がなかった。

 ごくり、とどちらかの喉が鳴ったのを合図にするように、結衣がぽしょりと「綺麗だね」と言う。

 「ああ、本当に」と返す俺は、つくづくこいつに救われてばかりだ。

 けど、ここで俺はこいつに救われちゃいけない。

 俺から言って、そして……そして。

 

「あの時は……本当に、悪かった。今さらだろうけど……謝らせてくれ」

「……うん。ほんと、今さらだ。あたし、いっぱい泣いたよ? 悔しくて悲しくて。解ってくれないのが辛くて。どうしてなのかって、悩んでも考えても、わかんなかったんだ、ヒッキーの気持ちとか考えとか」

「ん……」

「でもさ……ほんと、今さらなんだ。今なら思えることが、あの頃には出来なくて……あの時ああしていればって……ああしなければって……そうだったらどうなってたのかなって。そんなことばっかりで」

「………」

「結局さ、あたしたち……なにも出来なかったんだよね。相談されても提案しても、どっちか一方の気持ちが最初から決まっちゃってたら……はしゃいじゃった分だけその人は傷ついてさ。頷いちゃったから……傷つかなくていい人まで傷つけちゃって」

「………」

「その時に出来ることを精一杯やったつもりでもさ、それが関係を壊すこともあって……。あたしは、それが……」

「結衣」

「っ……た、たまにね、夢を見るんだ。あの日、とべっちが依頼に来なくてさ、班決めするんだけどどうしてかあたしとヒッキーが余っちゃってさ、ゆきのんも余っちゃって……それで、三人で……さ、笑って、楽しんで、ヒッキーがまたくだらない例え話とか言って……さ。それで…………目が覚めたら、泣いて、て……さ」

「結衣っ……」

「どうしてだろうね……。あんなことがあって、結果だけ見れば……あたしたち、お互いのこともっといっぱい知ることができたのに……あれが最善だったなんて、今でも思えない。あたしが依頼を受けなかったらとか、相談なんかせずにとべっちが勇気を出してたらとか、隼人くんが〝なんとか”してくれてたら、とかさ……夢の中で泣いてるあたしが居てさ」

「結衣!」

「《ぎゅうっ!》っ……! あ……ご、ごめんねヒッキー……あたし……ごめん……ごめんね……」

「………」

 

 ぽろぽろと涙する結衣を、抱き締められている左腕を解いて抱き寄せた。

 この〝ごめん”は後悔だ。

 あんなことがあって、葉山と海老名さんの日常は守られて、でも……失ったものは確かにあって。

 俺だって、考えたもしもを数えればきりがない。こいつと一緒になってからは余計だ。

 けど、今日は……後悔しに来たわけじゃないから。

 それを上書きするために来たのだから。

 いっぱい悲しんで気持ちの整理をして、謝るだけが目的なわけじゃないから、俺は───

 

「ッ」

 

 ぐっと腹に力を込めて、あんないつかの自分を思い出し、世界を濁らせ腐らせてゆく。

 その上で、すがりつくようにして泣く結衣の肩を掴み、ぐいっと押し戻して───腐った目でその目を強く見つめてから、心だけは腐らせず、届けた。

 

「……ずっと前から好きでした! 俺と───っ……俺と、結婚してください!」

「───、……」

 

 ぴくんっ、と一度だけ震えた結衣は、俺の目を見たまま、静かに震えだした。

 あの日と同じ場所、あの日と同じ腐った目。けれど……あの日とは違う言葉と、言われるべき人。

 今、結衣の頭の中でどんな感情が渦巻いているのかは解らない。

 けれど、結衣は震えながらぼろぼろと涙をこぼし、体と同じく震える手をゆっくりと持ち上げ、涙が伝う頬に当て、泣いたのだ。声を上げて。

 子供のように泣く彼女は、ごめんなさいを何度も吐き出し、俺はそんな彼女を抱き締め、いつかの自分を殴ってやりたいのに出来なくて、無力を噛み締め、気づけば同じように泣いていて。

 ごめんなさいを伝え合い、抱き締め合って泣き合って、やがて……

 

「………」

「………」

 

 その涙が終わる頃、ありがとうを伝え合った。

 

「……ひっきぃ」

「……おう」

「なんか……えへへ、なんか……恥ずかしいね。恥ずかしいのに……なんかね、嫌じゃないんだ」

「そだな……黒歴史レベルな筈なのに……悪くねぇって思う」

「うん……」

「おう……」

 

 背を抱き寄せて頭を抱き寄せて、これ以上は密着できないのに、さらに近寄りたくてキスをする。

 ぷは、と離れると、互いに顔を見つめて……照れくさくて笑った。

 

「ゆきのんには見せらんないよね、こんなの……」

「それ、あれだろ……。高校の時の空中廊下のアレに、俺が混ざって泣くようなもんだろ……」

「うわはっ、想像してみたらすごいっ……」

「でも……そだな。雪ノ下とも、ちゃんと……」

「……抱き着いたりしちゃ、やだよ?」

「それ、俺が雪ノ下に殺されるパターンだからね? しないから、そんなこと」

 

 いつものように言葉遊びをして、また見つめあって、キスをした。

 唇が離れると、結衣は一度自分に何かを言い聞かせるようにこくりと頷いて、一歩離れて……姿勢を正し、真っ直ぐに俺を見つめ、口を開いた。

 

「……はい。由比ヶ浜結衣は、比企谷八幡さんを信じて、ずっとあなたの隣に居たいです。明日も、その次の日も、ずっとずっと。だから……不束者ですが、よろしくお願いします」

「あ───…………結衣……」

「幸せになろうね。幸せにしてくんなきゃ、泣いちゃうから」

「うぐっ……泣かれるのは、その……困るな。解った、絶対に、な」

「うんっ」

 

 笑顔の彼女がぽすんと胸に抱き着いてくる。

 それを受け止めて、じわじわとやってくる現実にようやく喜びが追いつくと───俺は結衣を抱き締め、その状態のまま「うおぉおおおっ!! よっしゃぁああああっ!!」なんて叫び、結衣を振り回すようにぐるぐる回転した。

 

「ひゃわぁあわわわっ!? わっ……はっ……あははははっ! ひっきぃ~~~っ!!」

 

 口を開けて笑える日々が、すぐ傍にある日常が嬉しくてたまらない。

 そんな毎日を簡単にくれる人に感謝を。

 悩んでもがき苦しんで、それでも答えを真っ直ぐに見つめ続けるのは難しい。

 苦労して手に入れても、それが自分にとっての本物かどうかなんて解りはしないのに。

 でも……そうだよな。

 進んでみて擦れ違ってしまっても、案外……許せないんじゃなくて許さないだけの話なのかもしれない。

 話し合ってぶつけあって、そうして何かが欠けてしまっても、欠けたからこそくっつくものもあるのだから。

 ああくそ、眩しいなぁ。

 世界が楽しくて仕方がない。

 ぼっちで歩んだなら、きっと見ていられなかった世界がそこにあった。

 そして……そんな世界に立てることが、今はこんなにも幸福に感じる。

 傷つけられて得た経験が、人を傷つけないわけがない。

 自分だけが傷つけば他の人は傷つかないなんてまちがいだと知った。

 そんなひとつの答えを得てもまだ、経験したものがまちがっているとは言いたくない。

 ぼっちだから知ったものだ。

 傷つけた人には謝る言葉ばかりが浮かんでも、自分が孤独だったことを謝るのは……おかしいだろ?

 

  だから、まあ。

 

 見つめる視界に人が増えた世界のまま、過去の傷を撫でながら生きていこう。

 過去の傷に塩を塗るような日々に、さよならをして。

 

 

───……。

 

 

 旅行から帰ってからの日々は、なんというかそのー……さらに甘くなったっつーか。雪ノ下につつかれまくりである。俺より結衣が。真っ赤にならない日がないくらいつつかれまくってる。

 「うわーん! ゆきのんがいじめるー!」が口癖みたいに思われるくらい、なんつーかつつかれまくってる。

 そのくせ、結衣に抱き着かれると相変わらず「ち、近いわ」とか言ってドギマギ状態のゆきのんさん。……おう。大学入ってもゆるゆりやってるよ、この人たち。

 そんな日々の中、同棲生活もひたすら甘いまま順調に続け、大学を卒業すると同時に俺と結衣は結婚。

 雪ノ下は雪ノ下さんとの約束があり、雪ノ下さんが待つ外国へ。

 そこでいろいろと今後のために勉強するのだ、というのが雪ノ下さんの話なんだが……影でこっそり聞いた話じゃ、“家のこととかめんどくさいから雪乃ちゃんと家出るね? 外国でほとぼり冷めるまで楽しんでくるからっ、じゃーねーっ♪”ってことらしい。

 勉強のためにって名目を最大限に使い、目の届かない場所で自由に生きる。

 それこそなんとも自由なことだ。

 

 雪ノ下は雪ノ下で、もう自分で自分の道を開き、その上で家との縁を切る覚悟で自由にやるつもりらしい。元々全部を一人でやるつもりだったのに、そこに雪ノ下さんが乗っかった感じだ。乗っかろうとした雪ノ下さんは、最初は物凄い速度で却下されたらしいんだが。むしろ却下されまくって突き放されまくって、今まで通り挑発してみても逆に返され、一時期なんて「雪乃ちゃんがグレたー!」なんて泣きついてきたくらいなんだが。

 いや、グレたって。成長を願ってたのはあなたじゃないですか。

 まあ、そういう一面も人は持ってるってことだろう。突き詰めたり追い詰められたり、“そういう場面”になってみなけりゃ、人の本質なんて見えないもんだ。

 姉のようになりたいと願っていたからといって、強くなどなかったからといって、成長しながら強くなれないわけじゃないのだ。

 だからきっと……そうだな。もう、雪ノ下雪乃は弱くはない。いや、弱いだけじゃない、になれたんだ。

 籠から出た鳥は、どんな世界をはばたけるのか。

 「雪乃ちゃんを選ばなかったことを後悔させてあげるんだから」と雪ノ下さんは言っていたが、雪ノ下はきっぱりと言った。「その男に対して恋愛感情はないわよ」と。

 自分に持っていないものを持っていたことが羨ましかったと。

 自分に出来ないことを出来る姿に、多少だけれど憧れたと。

 それでも、あなたのあのやり方だけはどうしても好きにはなれないから、精々由比ヶ浜さんを泣かせないようにしなさいと。

 言いたいことだけ言い残して、雪ノ下は旅立った。

 家に戻ってみれば、ポストに一通の手紙。

 やたらと長い理屈がズラーっと並んでいて、いっそ小説でも読んでいる気分になったが……最後に、彼女の願望がひとつだけ。

 

  よろしければですが、私と友達になってください。

 

 それが、はばたいた鳥がまず一番に望んでおきながら、戻ってくるまで結果を知ろうとしないなんていう、めんどうくさいお願いだったりした。

 平塚先生じゃあるまいし、かたっ苦しいっての。

 その手紙は、今も机の奥にしっかりと仕舞ってある。

 返事は……いつかあいつが戻ってきた時に、するつもりだ。中々戻ってこなかったら……あー、まあ、外国まで突撃仕掛けるのもいいんじゃねぇの?

 ……まあ、もう結構経ってるから、そろそろ突撃するのもありかとは思ってるんだが。

 

「ヒッキー、葉山くんからみんなで集まって飲み会しないかーってメールきてるよ?」

「俺達がアルコール飲まなくていいなら行くって返しといてくれ」

「うん、そういうと思って返しといた」

「……つか、いつまでヒッキー続けんの? もうお前、比企谷だろ」

「……二人きりの時は、ヒッキーがいい……かな。だめ?」

「…………甘やかさないでね、とか言っておいて、甘え上手すぎんだろお前……」

「《なでなで》えへへぇ……ヒッキーがやさしすぎるだけだと思うな、あたしは。……じゃあ、えと。お酒は、帰ってから?」

「だな。いつも通り、二人で飲もう」

「うんっ」

 

 それぞれ見知った顔とも大学でバラけ、卒業してからはたまに連絡を取り合って会うくらい。

 とはいえ、今までが今までだった俺にしてみれば、よく親交が続いているもんだ。

 戸塚とか戸塚とか。時々材木座とかな。

 ああちなみに、戸塚は男性看護師になって、男女どちらの患者からも大人気らしい。

 俺も病気になろうかしら、なんて思わない。こいつ、絶対に必要以上に心配するし。

 材木座は……今でも顔を合わせていたりする。主に小説の感想とか添削とか推敲とかな。

 なもんだから、小説の単行本が出ると頼んでもないのに送ってくる。今ではそこそこ人気のラノベ作家だ。

 

「葉山か。あいつも無茶したよな」

「だよね……あたし、葉山くんがあんな思い切ったことするなんて思わなかった」

「それ言ったら雪ノ下もだけどな。敷かれたレールを進むのは嫌だっつっても、親だってレールを敷くのは大変だろうに」

「ん……でもさ、ヒッキーだったらどうする?」

「レールを歩きつつ搾り取れるものは搾り取って、理屈をこねつつ自分のやりたいことを目指すな」

「なんかいろいろ最低だ!?」

「……ま。前の俺だったらだけどな。とりあえずあれだ。今の状況も用意されてるって言えば用意されてるし、悪いことばっかじゃねぇだろ」

「え……それって」

「お義母さんにいろいろ仕組まれただろ、俺ら。同棲の時もそうだったし、大学の時も婚約の時も結婚の時も」

「あ、あー……うん。あれは驚いたよねー……。でも……」

「“でも”、が付くだろ? 悪いことばっかじゃねぇよ、やっぱ」

「……うん。だね。えへへ」

「で、葉山はどこ集合だって?」

「食べ放題のとこ。ほら、あの」

「あー、あそこか。無駄に高い場所だったら行くつもりはなかったけど、あそこなら」

「葉山くんも切り詰めて頑張ってるんだって。今度節約のポイントとか注意点を教えてくれってメールがきてたよ」

「…………《むすっ》」

「~♪ だからね、優美子に訊くといいよって返しといた」

「…………《ぱああ……!》」

「~~~……ヒッキー、ねっ、ヒッキーっ」

「お、おお? なんだ?」

「えへへぇ~~……顔、にやけてるよ? 嬉しいことでもあった?」

「おまっ…………~~……こんにゃろ、解ってて……!」

「《がばっ!》ひゃんっ!?《わしゃしゃしゃしゃ!》ひゃああぷぷぷぷ! ごめっ、あははははごめんてばひっきぃ! 髪の毛ぐしゃぐしゃになっちゃうよー!」

 

 人との付き合いは……あのお金の出来事以降、随分と頑張ってきた。

 いや、今でも頑張っている。

 こう見えてご近所さんとは仲がいいし、仕事仲間や後輩にも仕事の件で相談をされるくらい、面倒見がいいやつだとか言われているまである。

 まあ、仕事仲間に飲み会とかに誘われても行かないけどな。

 断り文句? 正直に言ってるよ。妻が待ってるって。

 たまにはいいじゃないかとか言われたら、これもハッキリ言ってる。俺が、妻に会いたいんだよと。

 翌日からツマデレ野郎とか呼ばれるようになったが、事実なのでまるで痛くもない。むしろ最高の称号じゃねぇの。

 そんなこんなで二人三脚の生活は続いている。

 節約の日々ってのはやってみると案外面白く、今ではゲーム感覚で今月はどれだけ貯められるか! なんてやって楽しんでいる。

 大きな贅沢が欲しいなんて思わなかったし、半日断食ってやつとかもやってみれば案外楽で、一緒に軽い運動なんかも始めると、一人じゃすぐにやめてしまうものも随分と続けていられた。

 

  そんな、質素でも楽しい日々が随分と続いたいつか。

 

 家の前に大きな車が停まり、何処かで見た誰かさんが俺を訪ねてきた。

 

「おう、久しぶりだなボゥズ。って、もうそんな歳じゃねぇか」

「……ええと。正直、なんて言って迎えたらいいか」

 

 いつかお礼と言ってカードを渡してきたおっさんは、随分とまあ白髪も増えたようだが、それでもいつかと変わらないがっしりとした体格のままそう言った。

 正直、金にかかわることで過去に見知った人が訪ねてくる、という状況は、人にいい予感を抱かせないものだろう。

 今回の俺も、当然ながら嫌な予感しか抱かなかった。

 警戒を抱くのは当然だ。

 返せというのなら今すぐにでも返してやりたいくらいだ。

 

「……ヒッキー、知ってる人……なの?」

「ああ。何年も前に、落とし物を届けた相手だ」

「結婚したそうじゃねぇか、随分と遅くなったがおめでとさん。新築もローン組んで建てて、ほんとまさしくこれからって状況だな」

「……あの。なんの用っすか」

「おう悪ぃ悪ぃ、儂みてぇな厳ついおっさ……いや、じっさんの方がハクがあるか? おう、じっさんが急に来たら、嫁さんビビっちまわぁな。要件さっさと言って、退散するとするわ」

「……っす」

 

 頷いた。相手からは視線を逸らさず、結衣は背に庇ったまま。

 そんな俺を見て、おっさんは「何もしねぇってのに……いや、男らしくて実にいいがよ」と笑う。

 

「用ってのは他でもねぇ、あの時の金なんだがな」

「金……お金? え? え? ヒッキー?」

「安心しろ結衣、やましいことなんて何一つしてねぇから。つか、むしろいいことしかしてねぇよ」

「おう、その通りだ嬢ちゃん。むしろ儂は、ボゥズを褒めに来たのよ」

「へ?」

「? ……褒め?」

 

 褒める? いったい何をだ?

 

「あの時は騙すようなことして悪かったな。実はあのカードで引き出せる金額ってのはデマカセだ」

「え? ……デマカセって」

「もちろん金は引き出せる。暗証番号だって教えたし、学生がその時に望む程度の金額くらいは引き出せるな。ATMなら100万くらいが限度か。だが、5%程度引き出しゃ使えなくなるようにする予定だったんだ。ま、よく言う一割程度の感謝ってやつだな」

「……で? 俺は一切引き出さなかったわけっすけど」

「おう。絶対ぇ引き出すと思ったのに、何ヶ月待っても、何年待っても引き出さねぇ。一応、一年引き出さなかったらちょいといろいろやってやろうかと思ってたことがあったんだが……結局それも面白いくらいに続いてな」

「あの。なにが言いたいんすか。正直胡散臭いので結論言ってくださいよ」

「っと悪いなぁ、もったいぶるのはこういう世界での悪い癖だ。結論だな? おう。……ほれ、カードの中身の通帳だ。いろいろ手回しして、全部お前さん名義になってる」

 

 すっと出された少々大きい程度の半透明のケース。

 その中には、通帳らしきものがごちゃっと詰まっていた。

 

「……いやちょっと待った胡散臭さ倍増したんで帰ってもらっていいっすかごめんなさい」

 

 警戒度MAX、差し出してきた通帳を怪しいものを見る目で睨み、距離を取った。

 

「だっはっはっはっは! そう言うと思ったからお前さんらの親とも相談済みよ。いやぁ苦労したぜぇ? 世の中にゃあ贈与税ってのが……ああいや、受贈税っつぅべきか? いやべつに財産分けるとか大げさなもんじゃ……ああめんどくせぇどっちでもいい。ともかく大金動かすにゃあ税金がかかるわけだ。んで、それがかからねぇ金額ってのが年間110万。それをこつこつと一年ずつ積み重ねていくわけだ」

「積み重ねてって……っつか、親父たちが納得済み……?」

「そうだ。金を遊ばせてる馬鹿な金持ちの遊びみてぇなもんだよ。……金拾ってもらって、助かったのは紛れもねぇ事実であって、その金額だってべつに間違いじゃねぇ。あのケースにゃ現金っつぅかカードの山が入ってたんだからな。軽ぅく億はいくぜ?」

「……それで一割のくせに一億なんて表示が……」

「ふえ? ……ええっ!? いちおく!?」

「ま、そういうこった。しかし贈るにしたって一億ポンと渡そうとしても五千万あたりが税で消える。癪だろそんなの。だからちっとばかし小細工したわけよ。渡したカードは偽物ではねぇし、表示される金額もべつにそう間違いってわけじゃねぇ。ただしカードだけじゃ引き出せる金額は限られてるし、一定量引き出されりゃ通帳を凍結してそれ以上は無理にしちまえばいいってな」

「詐欺で捕まりますよあんた……」

「まあいろいろ簡単じゃあねぇわな。だが、法律は守ってるぜ? けどま、100万だろうが学生にとっちゃ夢の金額だろ。サインしてもらった同意書にだって、引き出せる金額を贈与するって書いてあったろ?」

「まあ、そんなこったろうとは思ってましたよ」

「通帳渡してねぇ時点で怪しさ爆発だもんなぁ、だっはっはっは!」

 

 豪快に笑うおっさんは、通帳入りケースをほれ、と投げ渡してきた。

 焦ることなく片手でそれを受け止めると、正直どうしたもんかと悩むわけだが。

 

「あとは簡単だ。おめぇさんらの両親と妹さんにきっちり説明して、納得出来ねぇならって警察やら弁護士やら用意出来る野郎どもも混ざってもらって、きっちり誓約書も書いて、金持ちの遊びの始まりだ。ボゥズがカードで金を下ろさなかったら、一年ごとにお前さんら家族に作ってもらった口座に110万ずつ金を振り込む。使った時点でボゥズが引き出した5%以外の金全部を返してもらうってな」

 

 え? なにそれ。ほんとゲームじゃねぇかよ。

 親父たちが裏でそんなことやってたなんて……ていうか小町ちゃん!? キミまでなにやってんの!?

 

「で、110万受け取ったご家族の皆さんにゃあその通帳に110万ずつ入れてもらう……ってやろうとしたんだが、生憎贈与税ってのは“貰う人”で決めててな。ご家族全員から110万ずつなんてもらったら、その半分が税で飛ぶ。だから通帳を大事に持っといてもらって、ゲームが終わったらそっちで毎年ボゥズと嫁さん、子供が出来りゃあその子の口座も作って、そっちに振り込んでくれって頼んだのさ。毎年ずつやらにゃあ意味がねぇから面倒くさいが……ま、ゲームってなぁそういうもんだ。合計が一億になるまでって約束でやってたんだが、なんかもうお前さんカードのことなんざ忘れてそうだったからなぁ。で、こうしてネタばらしに来たってわけだ」

「……ヒッキー、ママに確認とったら、笑いながら“あらー、ばらしちゃったのー”って……」

「まじか……」

「ていうかよぉボゥズ。儂の顔とか見覚えあったりしねぇのか? これでもTVとかに出てたこともあったんだが」

「いえ知りませんむしろ一億の大金時間をかけて人に渡すとか普通に信じられねぇです出直してきてくださいごめんなさい」

「ヒッキー! ちょっといろはちゃんっぽくなってるよ!? 落ち着いて!?」

「だははははは! ぶふっ! だっははははは! お、おう! 儂もちっとばかし顔が知られてるからって調子こいてたみてぇだ! そりゃそうだ、知らねぇやつぁ知らねぇわなぁ! まあほら、あれだよ。株で大成功して無駄に金を余らせてる、消費義務みたいなもんに付き合わされてる金持ちだ。その通帳の中にある金のことなら心配いらねぇよ、面倒ごとは処理したし、なんなら銀行だのなんだのに確認取ってもらったって構わねぇさ。それはぜーんぶお前のもんだ。むしろ儂がどうこうしようとしたら、もう儂が捕まる側になってる。使うか使わないかは好きにしろ」

「……金持ちの考えることって解んねぇ」

「金持ちってのは人の汚いところばっか見ちまうもんなんだよ。だから、たまに人ってものを信じてみたくなる。金を拾って、交番に届けちまうお人善しとかは、特にな」

「………」

「んじゃ、長い時間をかけた信頼ゲームに付き合ってくれてありがとよ。儂もちったぁ金を使わない信頼関係ってのを探してみるわ」

「へ? あ、ちょ」

 

 呼び止めようとしたが、おっさんはさっさと行ってしまった。

 で、取り残される俺と結衣と……通帳ケース。

 開いてみると、一年ごとにごっちゃり増えている金額と……最後のページに存在する、0の数がおかしい数字。

 

「え、と……ヒッキー?」

「……まあその、なんだ。やっぱ怖いから、やばいくらいに必要になるまで……」

「うん……あたしも怖い、かな。あ、てかさ、ヒッキー。その時のこと……訊いていい?」

「……だな。んじゃ、いつも通りまったりしながら話すか」

「わー……あはは、緊張感とか全然ないね」

「しゃーないだろ、本当に、物拾って気まぐれに交番に届けただけの話なんだから。……ああいや、変わるきっかけにはなったし、そのお陰で……」

「ヒッキー?」

「……いや。やっぱ、こんなもんはただの“儲かった話”だな。きっかけなんて、気づかないだけで何処にでも転がってるんだろうしな」

「?」

「安心してくれ。心配するようなことは本当になんにもやってねぇから。つか、むしろそれがきっかけで、金額にふさわしい男になろう、なんてトチ狂って、真面目になったほどだ」

「あ。……もしかして、急にハニトーとかシーに誘ってくれたのって」

「う……」

 

 こういうのって、べつに悪いことをしたわけでもないのに、なんでか申し訳ない気分になるよな……。

 いやほんと、悪いことはしてない筈なのに。むしろいいことだった気がするんだが。

 

「あ、あー……まあその。ほれ、きっかけっつーか」

「むー…………うん。でも、そうだよね。そんなきっかけでもないと、ヒッキーってばなかなか動いてくれなかっただろうし」

「ゴメンナサイ」

「ううん、それでも……ヒッキーは、時間がかかっても答えてくれたと思うから。それが早いか遅いかの問題だったんだろうし……どっちにしろさ? あたしはきっと待ってたよ」

「………」

「《ぎゅうっ》わひゃあっ!? や、ちょっ、わ、わっ、わっ……! …………ヒッキーてさ、たまにこうやって、急に抱き締めてくるよね。えと……怒ってないからさ、どういう時にこうしてくれるのかとか、教えてほしいかなって」

「うぐ……っ……その。どうしても……その、あれだよ。しゅきっ……げふん。好きって気持ちが……ほら、あれがあれで……抑えられなくなった時、とか……」

「…………」

「……黙ってて悪かった。余計な不安とか、持たせたくなかったんだ。俺が忘れたかったってのもあるけど……」

「……ん。そうだよね。お金って人のこと変えちゃうもん。しょうがないよ」

「悪い……」

「でもほんと、使わないようにしようね。あたし、これまで以上に頑張るから」

「いや、なんならいっそ仕事もなんもかもやめて、ずっと二人で───」

「ヒ~ッキぃ~……?《ぎろり》」

「八割くらいは冗談だ」

「二割は本気なんだ!? ……うぅう……もう、ばか。……使いたくなっちゃうじゃん……」

 

 言いながらも苦笑をこぼして、抱き合ったままゆっくりとリビングへと歩き日常に戻った。

 金は人を変える。

 とはいえ、それが俺にとっていい方向に転んだのか悪い方向に転んだのかは……考えても始まらない。

 きっかけがなければどうしても動けなかったのかと言われれば、どうしても否定したくなるのが人ってものだ。

 どちらにしろいい刺激にはなったのだろう。こう、人生の教訓とか経験的な? ほら、アレとかアレだよ。……なんだよアレって。

 

「でもそろそろ……子供もほしい、かな……」

「もうちょい安定してから、とは思うけど、な」

「うー……えっと、その……もっと……二人で居たい、ってのも……あるし……」

「…………~~」

「《ぎゅうう……!》あうっ……う、うん。じゃあ、あたしも」

「《ぎゅううっ……!》ぐっ……い、いや、今のは条件反射的なアレで……」

「ヒッキー……」

「……ああそうだよ大好きだよ何度も好きを上乗せするたび抱き締めてるよ悪いかこのやろう」

「えへ、えへへ……ううん、嬉しい……あたし、ヒッキーのことほんと大好きだ……」

「ぐっ……ぅうう……だから……ほんと、どうしてお前は……~~~……!!」

 

 そんな、人が嬉しくて仕方ないことを、ぽんぽんと天然で言えるのか。

 リビングのソファに座るなり、思い切り抱き締めて頭を撫でて背中を撫でて、キスして頬擦りして甘やかしまくって、膝枕したり抱き上げたり横抱きしたままキスしたりとしばらく暴走した。

 かつてはお兄ちゃんスキルであったそれらの全てが終わると、結衣は顔を真っ赤なゆでだこ状態にして、目をしてぐるぐる回してぐったりしていた。

 まあ、割といつものことである。

 いつまで経ってもラブラブなんだからとお義母さんに茶化されるくらい、夫婦としての俺達は安定しているらしい。

 自分じゃ解らないもんだが、それでも相性がよかったのよと言われて悪い気はしない。どころか、もっと構いたくなる。

 

「………」

 

 くたりと力を抜いた嫁さんを横抱きし直して、のんびりと寝室へ。

 いえまあ、こんな真昼間から? とか言われるかもしれませんが、親からラブラブと言われる通り、そういうお年頃なわけでして。

 

「んぅ……ひっきぃ……」

「結衣……いいか?」

「……うん。ゆっくり……ね?」

「おう。ゆっくり、な」

 

 愛し合い方はあの頃と変わらない。

 お互いを確かめ合うようなペースが、自分達には合っていた。

 その分めっちゃくちゃ時間がかかって濃密濃厚なんだが、それが、まあ。合っていた。

 

「子供が出来たら、なんて名前、つけよっか」

「とりあえずあれな。俺の名前から文字を取るとかは却下」

「えー……? なんでー……?」

「いやほらなんつーかあれだよ。イジメられそうだろ、むしろぼっちになりそうで嫌だ」

「そんなことないのに……縁起のいい名前だよ? 八幡って」

「神様ってのは縁起の良さを周囲に振る舞うから、本人はちっとも縁起よくねぇんだよ。だからだめ。つけるなら結衣の名前からな」

「もう……ヒッキーは……。えと、じゃあさ。あたしの名前から取ったとして、なにか……ある? 候補とか」

「結衣……結衣か。結ぶ衣……あー…………絆、とか? 結んで包む、みたいな意味で」

「……あたしが結びたい絆、ヒッキーとかゆきのんとのだけど……いい?」

「むしろ俺が一番にハブられると思ってた」

「そんなことないったら。ほら、じゃあさ、文字からは取らなくても、意味からならとれるじゃん。八万回結んで出来た衣、みたいに」

「《ボッ!》……ゃっ……い、や……八万回って、おまっ……」

「え? …………ふえぇっ!?《ボッ!》はっ、八万回って、そういう意味じゃないからね!? もう何考えてんのヒッキーのばかっ! きもい!」

「きもくねぇっての! その答えに辿り着くならお前だってきもいってことだろが!」

「きききききもくないし! だだだってヒッキーが! ヒッキーが……! ~~…………でも、さ。八万回、なんて言わなくても……ずっと、さ、好きで居られるあたしたちで……いたいよね」

「…………そだな。ごめんな、茶化すみたいなことになって悪かった」

「うん、あたしも……えへへ、仲直りだね」

「そっか。よかった」

「……うん。よかった。……ヒッキー、大丈夫だからね? もう、全部ヒッキーが悪い、なんて……考えなくていいから」

「…………。おう。……その、ありがと……な。結衣」

「…………ん」

 

 ひょんなことから始まった、一億円の男を目指した日々。

 自分改革から始まって、なんつーか思い通りにはいかないことばかりで、けれど泣かせてばかり、傷つけてばかりだった女の子を笑顔に出来て、気づけば自分までもが救われて。

 なにがきっかけでとか、そんなものは辿り着いてから振り向いてみなけりゃ解らないことだらけな世界だが───そだな。

 きっかけを言ってしまえば、それこそサブレを助けた日まで遡るのだ。

 金がどうとか金額にふさわしい男だとかそれ以前に、出会わなければ、話し合わなければ、俺も雪ノ下も救われないまま孤独に生きたに違いないから。

 人を救うフリをして、変わらないやり方で解消して、やり方が嫌いと言われ、仲直りなんてしないままに気づけば壊れ、擦れ違い、なににも気が付かないまま日々は過ぎ、埋もれてゆく。

 孤独なままで生徒会長になった雪ノ下が、誰にも頼らず一人で仕事をして、体を壊し、信頼も壊し、居場所も笑顔も無くす未来を想像した。

 あるいは有り得たかもしれない世界で、自分はそんな世界を眺めながら、自分の無力さに歯噛みしたのだろう。

 

  人の縁は結んでみなければ解らない。

 

 とはいえ、自分がこんなにも人と関わることになり、濁らせた世界ともう一度向き合ってみようと思えるようになったのも、あの高校生活があったからだ。

 だから……そだな。

 今こそ、あの時に浮かんだくっだらない斜め下の考えに答えを当て嵌めようか。

 

  嘘であり悪であるこの道には、どんな名前が似合うのか。

 

 “感情”に答えはない。

 出した次の瞬間にはべつのものに変わっているし、誰かがこれだと叫んでみても、その叫びは他の誰かにとっては“似たようななにか”にまでしか到れない。

 だからこそ、みんながみんな、嘘であり悪であり、それでも大人になったいつかに、眩しいと思えるそれに名前をつけたがる。

 俺は、俺達はそれにどんな名前をつけよう。

 そんなことをちらりと考えてみても、それからどんだけ考えてみても、結局はこれしか浮かばない。

 甘酸っぱい果実を必死になって追い求める、そんな振り返ってみれば恥ずかしいのに、懐かしくて手を伸ばしてしまうそれを、俺は……よくあるあの名前で呼ぼうと思う。

 そんなもんでいいのだ。大げさな名前をつける必要なんてちっともない。

 帰りたいと思っても帰れず、やり直したくてもやり直せない、今の自分ならこう出来るのにという、理想ばかりが詰まったあの日々。

 それでも……まあ。結果がよければ黒歴史だって笑い話に清算出来る日も来るのだ。

 戻れなくても、懐かしむことや笑うこと、手を振ることや決着をつけることは出来るから。

 

「今度、旅行にでも行くか?」

「わっ……どうしたの急に。あ、行く、行く行く、もちろん行くけどっ」

「いや、いつまで経っても帰ってこない友人に、一度文句を言いに行きたいかなって」

「あ…………うん! 行く絶対に行く! あたしも言いたいこといっぱいあるし!」

「まあ、それももうちょい落ち着いてからだな」

「うん! 英語の挨拶とかちょっと勉強してみたいし。えっと、ぐ、ぐーてんもるげん?」

「……それ、“おはよう”でドイツ語な。……くっ……くふふふふ……っ!」

「あれ? ……えぇえっ!?」

「やっはろーが言えて、なんでまた……くふふははは……!!」

「ひっ……ヒッキー! ちょっと間違えただけなのに笑うとかひどいぃいっ!!」

 

 こんな日々を嬉しく思いながら、今は今の自分に出来ることを、こいつと一緒にゆっくりと続けていこう。

 ……今はもう懐かしい、“青春”って名前のそれを、嘘とも悪とも呼べない自分で。



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親指が結ぶもの①

 後悔ってのはなんでもないいつも通りのことに、いつだってへばりつくもんだ。

 なにがどうしてそうなったのかなんて、注意が足りなかったとかそういう話じゃないだろう。

 いつも通りに動いた筈なのに、そこに偶然がくっつくと、嫌な出来事ってのまでついてくるからたまらない。

 

「ヒッキー……えと、しょうがないよ。あたしがさ、ほら、不注意だったんだし」

 

 いつも通りの行動、いつも通りのそれに、他人の行動が混ざるだけで、いつだって苦いものは日常に染み込んでくる。

 だからぼっちの方が気楽でいいのにとは思うが、そうなってしまったものは覆らない。よく言う、後悔先に立たずだ。

 先悔とかないかしら。先に悔やめば事前に覚悟も出来るんだが。いやむしろそうならないように動けるんだが。

 

「……いや。責任からは逃げねぇよ。つか、大人しく手伝わされてろ」

「うん……」

 

 先日、由比ヶ浜が引き戸に指を挟み、親指の爪を割るという事件が起こった。

 話をしながら余所見をして、勢いよく閉められる戸に気づかずに指を挟んでしまい、こんな状態だ。

 一応言わせてもらえるなら、閉めたのは俺じゃない。

 仲間内でギャハハと笑いながら追いかけっこみたいなのをしていた男子が、少し開いていた戸に近づいてきたのが仲間だと思い、来れないように戸を閉めたのだ。勢いよく。

 結果、少し開いていた部分に手を伸ばした由比ヶ浜は、丁度三浦に声をかけられ振り向いた際、親指だけを挟む結果になり、爪ごと指を怪我した。

 俺が感じている責任ってのは、燥いだ男子どもがやりそうなことが想像出来たのに、それを教室内だからって由比ヶ浜に伝えなかったことへの罪悪感からくるものだ。

 自分が発言することで注目されるのが嫌だった、なんて理由で、結果的にしなくてもよかった怪我をさせてしまったのだ。

 

「………」

 

 頭が真っ白になった俺は、三浦や葉山が心配し、駆けつけようとするのを押し退けるようにして由比ヶ浜を抱き上げ、走っていた。

 教室から飛び出し、後ろから聞こえる声なんか無視して、痛みのあまり縮こまり、泣きながら震えるだけの由比ヶ浜を強く抱き、保健室へ。

 冷静になれたのは、由比ヶ浜の指への応急手当が始まって、することが無くなってからだった。自室だったら布団に潜り込んで“あ゙ぁああああああっ!!”って叫んでるレベル。

 病院にも付き添ったし家にも送り届けて、由比ヶ浜の母親にも事情を説明。

 自分が言ってやれなかった所為でと頭を下げて、何度もさげて、困り顔の由比ヶ浜の母親に「じゃあ」と条件をつけられ、俺はそれに頷いた。

 キミは悪くないのよ? なんて言われたって納得は出来ない。

 条件をつけられるのだって、結局は俺が罪悪感から解放されたいって理由だ。

 けど、それ以上に───小さく蹲り、泣いて震える由比ヶ浜が頭から離れない。あの瞬間、ああ、こいつはか弱い女の子なんだ、と……当たり前のことを強く認識した。

 

「ほら。ペン、持てるか?」

「う、うん。ありがと、ヒッキー」

「気にすんな。好きでやってることだ」

「うん……」

 

 由比ヶ浜の母親が出した条件は単純なもの。

 こんなことがもう起こらないように、恥ずかしくても伝えたいことは伝えること。

 それと、親指がこれだから、由比ヶ浜の行動の手伝いをしてほしいってこと。

 条件付ける前にやたらと名前の確認をしてきて、“あなたがヒッキーくん? ほんとに? そうなの? あらあら~!”なんて何度も言ってきて、その上でのあの条件。

 なにかあるのか、と警戒はしたが、警戒し切れる気分でもなかったから、素直に頷いた。

 由比ヶ浜が赤くなって母親といろいろ言い合ってたが、その時は自分の立ち位置を自分に刻むので忙しく、気にしていられなかった。

 

  休むかと思ったが、由比ヶ浜は普通に登校すると連絡をしてきた。

 

 翌朝には早起きまでしてマンションまで迎えに行き、どなたですかーと無防備にも扉を開けた由比ヶ浜とやっはろー。

 「なななななんで居んの!?」って真っ赤になってゴシャーと後退った由比ヶ浜だったが、わたわたと腕を振るった拍子に指が痛んだらしく、しゅんと大人しくなってしまう。

 そうなるともうだめ。罪悪感がすごい。

 あの由比ヶ浜が騒ぎ切れないほどかと、ほら、その、なんてぇの? 調子が出ないっつーか。

 だから来てよかったと、しばらくは一緒に登校することを宣言。

 迷惑だったらそれでも構わんと言っ「迷惑なんてそんなことないよ!」……た、が…………ああうん、その、……え? そうなの?

 慌てて着替えに戻った由比ヶ浜を見送ると、エプロンをつけた由比ヶ浜の母親が「あらあらヒッキーくん?」なんて言ってやってきた。

 

「あ、ども」

「昨日は結衣を送ってきてくれてありがとう。今日は迎えに来てくれたのかしらー?」

「あ、はい。昨日連絡したら、登校するって言ってたので、その。一日くらい休んでいいとは言ったんすけど」

「うふふふふ♪ 結衣は休まないわよ。高熱出しても行くんじゃないかしら。あ~、今はちょっと別の意味で頭が熱いかもしれないけどね~?」

「え? 熱あるんすか?」

「ふふっ、う~う~ん? なんでもないわよー? あ、そうだヒッキーくん、ちょっと上がっていかない? 結衣が学校でどうしてるかとか、教えてくれるとママ嬉しいわー♪」

「ひ、ひやっ……おりゅっ……俺はそのっ……心配で、迎えに来ただけでひゅ、かりゃ」

 

 ぐっは噛んだ死にたい……! 知り合いの母親の前で噛むとかもうめっちゃ死にたい……!

 

「そうなの? 残念だわ……。あ、じゃあ…………これだけ。サブレと結衣を助けてくれて、ありがとう」

「え…………あ、いや。……その。犬はほら、成り行きで助けましたけど、べつにそのゆいがっ……いや、娘さん……いや、その。結衣、さん? を、助けた覚えは」

「ううん、助けてくれたわよ。目の前でサブレが死んでたら、あの娘きっとずっと後悔して、ずうっと泣いていただろうから」

「あ…………」

 

 言われて、自分がしたこと……することが出来たことで、1人の少女の先がどれだけ明るくなったのかを初めて考えた。

 自己満足だとかああできたよかったとか、特別深く考えたことなんてなかった。

 けど……こうまで真っ直ぐに言われて、初めて、俺は……。

 

「ヒッキーくん。ヒッキーくんさえよければ、これからも結衣を迎えにきてくれないかしら」

「あっ……それは、……うす。その、結衣さん、さえよければ」

「さんとかつけずに、結衣でもいいのよー?」

「…………。いや。俺なんかに呼び捨てにされたら娘さんが泣いて嫌がるっすから」

 

 身の程ってもんを知っているぼっちは、人に深く踏み込まない。

 俺なんぞに触れられて喜ぶやつは居ないし、触れられたら距離を取って、その部分をはたくくらい嫌がるに決まっている。

 だから触れないし近づかない。

 

「うーん……なるほどね~……これは強敵ねー……。結衣ったらきっと苦労するわね……」

「え? なんすか?」

「ヒッキーくん。結衣のこと、お願いね?」

「え……あ、はあ」

「返事はしっかりっ」

「あ、は、はいっ」

「うふふ、よろしい」

 

 ぴしゃりと言われ、つい背筋を伸ばして返事をしてしまった。

 するとぽむぽむと頭を撫でられ、もう恥ずかしいやら死にたいやら。

 

「でもだめ、ママ許しません。結衣、って言って?」

「いや無理っす」

「言って?」

「いや、だから」

「言って?」

「………」

「……娘を傷物にされて、お願いも聞いてもらえないなんて、結衣ったら可哀想……」

「呼ばれるほうが可哀想とか思わないんすか……あ、あー、解った解りましたよ……。あー、その。ゆ、ゆい」

「もう一回」

「ゆい……」

「言い方が違うわよぅヒッキーくん。言葉として言うんじゃなくて、名前を呼ぶのよ? はいもう一回」

「………」

 

 “ゆ”で下げて“い”で上げる俺の呼び方はやはりだめだった。

 

「じゃあその……ゆ、ゆい」

「だめ」

「……ゆい?」

「ちゃんと結衣を呼ぶように、よー?」

 

 やめて? その純粋無垢な笑顔で人のこと見ないで。

 

「……結衣」

「はい、よくできました」

 

 言って、なんでか頭撫でられた。

 あとちゃんとそうやって呼ぶようにって。ちょ、やめて、いろいろまずい。

 

「ヒ、ヒッキー、おまたせ……って、ちょ、ママ!? なんでヒッキーの頭撫でてんの!?」

「あら結衣。あんまり待たせちゃだめでしょー? だからいっつも準備は早くにって言ってるのに。いっつも着崩れたパジャマでうろうろって」

「わーわーわー! そういうことわざわざ言わなくていいってばぁ!! もういーからママはあっち戻ってて!」

「えー? ママ、もっとヒッキーくんと話した~い~っ」

「だめ! ……も、もう、いこっ? ヒッキー」

「お、おう」

 

 ぱたぱたと慌ただしく、こちらへ来て、屈んで靴を履こうとする。しかし右の親指が使えないのは辛いのか、上手くいかない。

 

「結衣、立って俺の肩に手、置け」

「え? あ、うん。───え? あれ?」

 

 立って、肩に手を置くように言って、屈みながら結衣の靴を手に取る。

 一度断りをいれてから結衣の足に手を添え、立てた膝に足を乗せるように促すと、そこにすぽりと靴を履かせる。

 反対側もそうして、それが終わると俺も立ち上がり、「んじゃ行くか」と促した。

 結衣はどうしてかぼーぜんと固まっていて、俺は首を傾げながらも母親さんに挨拶をして、結衣の鞄も一緒に持つと、それから結衣を促して外に出た。

 

……。

 

 マンションを下りてしばらく。

 通い慣れない通学路を結衣と二人で歩く。なんつーか、新鮮。

 いやまあ、女の子に怪我させといて新鮮とかどんだけ最低なんだって話だが。

 それも結衣にだ。後悔ばかりがジワジワと湧き出して…………ん? あれ? なんか違和感があったような…………気の所為か? 気の所為か。

 

「あ、あの……ヒッキー?」

「ん? なんだ? 結衣」

「───……!!《グボッ! ……ふしゅううぅうう……!》あ、あう、あうあう……!」

「?」

 

 えと、なにこのガハマさん、急に顔が赤くなったんですが。え? なに? ほんとなに?

 つか、またなにか違和感が…………なんだ? なにかとっても大事なことに気付けていないような……。

 まあいいか、今はとにかく結衣だ。

 骨折させてしまった昨日、家に帰ってから小町に相談した。

 そしたら女の子に怪我を、それも骨折なんてさせたんじゃ、生半可な気持ちじゃ償えないとキッパリ言われ、そりゃそうだと俺も頷いた。

 どうすればいいのかも散々悩んだが、結局は結衣の母親……由比ヶ浜マに言われるまでもなく、結衣をサポートすることを選んだ俺に、迷いはなかった。

 なかったんだが……ひとつ問題があった。

 それを小町に相談したら、“そうしろ”と言われたことが、俺にとっての難題……いや、違うか。難題だと思い込んでいたんだが……これ、案外いけるもんだ。

 

  やれと言われたのは、結衣を小町以上に心配して接すること、だった。

 

 つまり“お兄ちゃんスキルを発動しまくるつもりで結衣さんを支えること”だ。

 正直どう接していいか悩みどころだった俺にとって、小町からの提案は物凄く助かるものだった。あとは俺がちゃんと動けるかどうかだったからだ。

 お兄ちゃんどころか、結衣の方が二ヶ月早いわけだが、こいつってところどころでポカをやらかしてくれる天然さんな分、強く意識してみれば案外受け入れられた。

 妹として見る、というよりは、面倒を見てあげたい、支えてやりたいと純粋に思ったんだ。……昨日、痛みのあまり蹲り、弱々しく震える結衣を見た瞬間に。

 出来ることがあるならなんだってしてやりたい。何様だって思われてでも、守ってやりたいって思った。

 だから、というわけでもないのかもしれないが、考えるまでも構えるまでもなく、お兄ちゃんスキルはひどく自然に発動した。

 

「ヒ、ヒッキー、鞄、持つよ?」

「いいから、お前は気にすんな。それより痛まないか?」

「あ、うん。大丈夫だけど……」

「そか。よかった」

 

 自然とやさしい笑みがこぼれた。ニヤリとかニタリなんて、意識してカッコつける笑みじゃない、本当に自然に頬が緩んで完成する、やさしい笑み。

 怪我人を前に笑うとかどうなんだって思っても、あんな姿を見たあとじゃあ痛くないと言われるだけでも安心する。

 

  そうこうしているうちに、学校へと辿り着く。

 

 靴の履き替えも苦労する結衣に、再び肩と膝を貸して履き替えさせて、階段を上る時も手を貸して、ただただ心に動かされるままに支えた。

 「み、みんな……見てるよ? ヒッキー、こういうの嫌……だよね?」と言ってきても、もうそんなものは気にならない。勝手に騒がせておけばいい。

 ある意味で覚悟は決まってるよと返すと、どうしてか結衣は顔を赤くした。

 

……。

 

 教室に入れば当然、葉山グループが揃って結衣を囲む。

 俺はとりあえず座らせてやってくれと頼んで、席まで送ると自分の席へと戻った。

 支えてやるのはいいが、友人関係にまで影響出るほど首を突っ込む気はない。

 なにより三浦という名のオカンが居るんだ、俺の出番はないと言っていいだろう。

 ここからはいつものステルスヒッキーだ。

 

<ヒソヒソ……クスクス……

<ダヨネー……アレニヨコダキニサレルトカサー、ナイヨネー

 

 ……。聞こえる声も気にしない。

 言われるまでもねぇよ、んなこた解ってる。

 けどな。

 ワーキャー騒いで人を巻き込むだけ巻き込んで、あんたが悪いお前が悪いって擦り付け合いしかしなかったお前らにだけは……言われたくねぇよ。

 

……。

 

 苦手な教科のノートもきちんと取って、昼になれば───……いや。三浦が動いた。

 結衣はこっちを見ていたが、三浦に話しかけられると“たははっ……”って感じで会話を始める。

 俺はいつも通り立ち上がってベストプレイスを目指し、静かなそこでのんびりと昼飯を食べた。

 珍しくマッカンって気分でもなく、スポルトップを飲んで、昼も終了。

 残りの授業も終えれば、部活の時間だ。

 結衣の方を見るが、やはりと言うべきか、三浦が世話を焼いている。

 聞こえる声では、どうやら部室まで送ると言っているらしい。

 まあ、そうな。男に送ってもらうより、噂とか立たなくていいんじゃねぇの?

 三浦がそうすることで、俺の横抱きのことも俺がトチ狂ってやった行動、って流れてるみたいだし。

 それならそれでいい。

 目が腐った変態にいきなり横抱きにされた可哀想なヤツ、なんて噂がもっと流れりゃ、結衣にやさしくするヤツは増えるだろう。

 俺はそれに乗って、黙してるだけで全て解決。

 サポートなんざいらなかったんだ。わあい、“みんな”やっさしー。

 

「あ……」

 

 俺が教室を出る時、誰かの寂しげな声が耳に届いた。

 教室では結衣を心配する声がそこかしこから聞こえてくる。その中の一つだろう、と気にしないで歩いた。

 

……。

 

 奉仕部に辿り着き、しばらくすると葉山グループと一緒に結衣が来る。

 いや、全員で来るなよ……とツッコミたかったが、まあ心配する気持ちは解らんでもなかったからツッコまなかった。送り届ければ解散。葉山たちも部活があるんだろうしな。

 いつも通り三人になれば、あとはなんというかこう、ほら、あれだな、おう。そのー……いつもと逆っつーの? 雪ノ下が結衣に構いまくるっつーか。紅茶飲ませたり茶菓子出したり、痛いところはないかとか不自由はないかとか。

 あ? 俺? 俺は普通にステルスしてたよ。ゆるゆり結構じゃないの。存分にいちゃこらしててください、その方が結衣…………ああ、そか、由比ヶ浜マに何度も言わされたから、結衣って呼んでたのか。こりゃまずいだろ。

 ああけどほら、あれだよ、気にする必要とか一切無し。

 俺がやらんでもあいつを支えてくれるヤツは山ほど居る。それも全部、ゆい……がはまの人徳の為せる業みたいなもんなんだろう。

 “まじない”めいた、怪我人の親からの言葉なんて忘れちまえ。

 奥さん、俺なんぞが支えなくても、娘さんは多くの仲間に守られてますよ。

 だから───俺は、外側でいい。いつも通りだ。ここは、本当に世界がよく見えるから。

 

「急に静かに笑いだして、とうとう自分の愚かさに気づいたのかしら、自虐谷くん」

「……そだな」

「……え? あ、あの、比企谷くん?」

「………」

 

 心は落ち着いた。

 いつも通りでいい。

 小町にもいつまでやれだなんて言われなかった。

 つまり、そういうことでいいだろ?

 自分の愚かさに気づいたのなんて昔すぎて覚えていない。

 自虐なんていつものことだ。

 雪ノ下、覚えとけ。ぼっちにとって、そんなもんはガキの頃にとっくに経験するもんだ。正しさを証明してぶつかり続けたお前にゃ、諦めることを選んだぼっちの気持ちは解らないだろうけどな。

 だから。今さらそんな、“当然のこと”で動揺したりは……しねぇんだよ。

 

「………《ペラッ……》」

 

 しばらくは文字の世界に没頭しよう。

 俺が反応しなくなったことで、ようやく由比ヶ浜に向き直った雪ノ下に任せて、俺は“いつも通り”に沈んでゆく。

 

……。

 

 完全下校時刻がくると、いつも通り部活も解散。

 雪ノ下が鍵を返しに廊下へ消え、由比ヶ浜がちらちら俺を見て、たととっと小走りに寄ってくると、

 

「あぁ、ユイー、終わったー?」

「え? 優美子?」

 

 そこへ女王がやってくる。わざわざ迎えにくるとかオカンたらやっさしー。

 

「終わったなら帰るよ。送ってくし」

「え、で、でも」

「遠慮すんな」

 

 男らしく言って、三浦が由比ヶ浜の鞄を担ぎ、歩き出す。

 俺ももう歩き出していて、“いつも通り”の自分のまま学校をあとにした。

 

……。

 

 帰宅すると、小町に「たでーまー」と言って、喉が渇いていたから水を飲めばすぐに階段を上る。

 「遅かったねー」という小町の言葉に無難な言葉を返して、自室へ。

 もやもやがあるから勉強でもして気を紛らわそう……と思ったのだが、ノート、由比ヶ浜に渡したままじゃねぇかよ。なにやってんの俺。

 帰りだって結局回り道して二人の帰宅を離れた位置から見送ったり……ちょっと? これストーカーですよ?

 

「………」

 

 まあ、よかったんじゃねーの?

 あの様子じゃ、明日はオカン三浦が朝も迎えに行くっぽいし。

 俺が迎えに行くことで、俺と妙な噂を流されることもなくて、由比ヶ浜だって万々歳だろ。

 

「…………こういう日に限って、気分転換になるアニメとかってない曜日なんだよな」

 

 世の中ってちっともやさしくねぇ。

 ため息ひとつ、苦手教科でもやってみるかと手を出して、数秒で投げ出した。

 あぁ、ほんと。

 ……アホだ。

 そうしてしばらくごろごろしたりして時間を潰した。

 暗くなれば小町が風呂入っちゃってーと言ってきて、遠慮なく入ることにして、じっくり浸かって温まる。

 なんつーかあれね。入浴中っていろいろ考えちゃうよね。どうしようがどうにかなるしどうにもならんって感じだから気にしなくていいかもだが。

 

「……さて」

 

 風呂から上がると、自室に戻ってしっかりと髪を乾かしてから勉強を始める。

 “時間があること”がどうしてか辛かった。

 なにかで埋めて、じわじわと沸いてくるなにかを殺したい。

 だから勉強をした。

 解らないものに立ち向かっていれば、余計なことを考えずに済んだ。

 

   ×   ×   ×

 

-_-/由比ヶ浜結衣

 

 爪が割れたことには純粋に驚いて、圧迫しないようにって何度も言われてからは、痛み止めを飲んだりぶつけたりしないように注意する時間が続いた。

 ヒッキーがあたしにやさしくしてくれて、やさしく笑ってくれて、初めて見る表情で接してくれるようになって、嬉しくなかったって言ったら絶対に嘘だ。

 怪我を理由に寄りかかったらずるいかな、なんて思ったりもしたけど、こんなきっかけでもなくちゃ、きっとヒッキーから近づいてくれることなんてないから。

 だから、少しずつ近づけたらなって思ってたら、まさかの、だった。

 朝からヒッキーが迎えに来てくれて、心配してくれて、結衣って呼んでくれて、靴を履かせてくれて。

 な、なんで急に呼んでくれたのかな。前の時、あんなに嫌がってたのに。

 ……怪我人だから、やさしくしてくれてるのかな。そだよね、それくらいしか思いつかないし。

 でも、それでもいいから……近づいてくれるなら、たまには甘えても……いいよね?

 

「………」

 

 一緒に歩いて、一緒に登校。

 それだけで嬉しかったけど、学校が近づいて、人が増えてくる度に、“ああ、もう終わっちゃうんだな”って思った。

 だってヒッキーはこういうの、嫌いな筈だ。

 俺といるとどーのこーのって言って、きっと距離を取るから。

 それが解ってるから、どうせなら自分から言おうって思って切り出した。

 そしたらヒッキー、「ある意味で覚悟は決まってる」、だって。

 それがどういう意味かは解らなくても、傍に居ることを、みんなに見られてるこの状況で許してくれたのが嬉しくて。

 あたしは……俯いて、せめてこんな、どうしようもないくらいニヤケちゃう顔を隠すくらいしか出来なかった。

 

……。

 

 昇降口。靴を履き替えようとするんだけど、この指じゃ上手くいかなくて、もたもたしちゃう。

 ヒッキー、きっと待ってるから急がないとって思えば思うほど。

 そんなあたしの焦りなんて“気にすんな”って笑い飛ばしてくれるみたいに、ヒッキーはあたしの頭を「焦らなくていいから」って言いながら撫でて、玄関の時みたく屈んで、上履きを履かせてくれた。

 屈んで立てた足にあたしの足を乗せて、きゅって。

 

「………」

 

 なんか、ずるいなぁ。

 すっごくすっごくずるいと思う。

 そうだ、こんなの…………ずるい。

 胸がどきどきしっぱなしだ。

 すっごく、寄りかかっていたいって思っちゃうじゃん。

 でも、そういうのはだめだ。一方がよりかかるだけなんて、そんなの違うって思う。

 思うから、ヒッキーから近寄ってきてくれる今の内に、出来るだけあたしからも近寄れるように───って思ってたのに、優美子がやたらと手を貸してくれるようになった。

 そうなるとヒッキーは小さく溜め息みたいなのを吐いて、“ま、こうなるわな”って顔をして……あたしから視線を外した。

 途端、ひゅう、って。心が冷たくなるのを感じた。

 ……あたし、嫌な子だ。

 優美子は純粋に心配してくれてんのに、今、あたし───……

 

……。

 

 ……うん。正直になっていいかな。

 ねぇ優美子、あたし正直になっていいかな。

 確かにね、心配してくれるのすっごく嬉しい。

 でもさ、これ、ちょっと違う。

 

「遠慮すんなし。つーかユイはいっつも遠慮しすぎなんだっつの。前にも一度あったっしょ、仲間なんだから遠慮すんな、辛かったら言えし」

 

 休み時間の度に声をかけられて、その度に授業が終わる前からあたしのことを気にかけてくれてたヒッキーが、ふい……って目を逸らす。

 いっつも苦手な教科の時は寝てるのに、珍しく起きてて、真面目にノートとってて。

 それが誰のためなのかを考えたら嬉しくて、ちゃんとお礼を言おうと思ってたのに、立ち上がる前から優美子に捕まった。

 返さないわけにはいかないから短く返してヒッキーのところに行こうとするのに、次は隼人くんが、とべっちがって続いて、わたわたしてるうちに大岡くんと大和くんが……声をかけながらあたしの胸をちらちら見てくる。……気持ち悪い。

 男の子って苦手だ。やっぱり苦手。

 そりゃ、さ。ヒッキーだって見てくる時はある。けど、すぐに視線を逸らすし、あれはなんか、違う。

 反射的に見ちゃうって感じで、ヒッキー自身は見たくて見てるわけじゃないって感じ……っていうのかな。

 ……違うか。“俺なんかが見ていいものじゃない”って感じだ。

 考えてみると結構ショックだ。好きな人にそんな風に思われるほど、あたし、偉くなんかないのに。

 あ、うん。でも今はそれはいいんだ。

 問題になってるのは……優美子たち。

 

「ねぇ優美子、指の爪くらいで大げさだよ……あたし一人でいけるから」

「だーからー、遠慮すんなっつの」

「え、遠慮とかじゃなくて……さ」

「……なに? もしかして迷惑だった、とか?」

「っ……」

 

 ずるい。

 そんな言い方されたら、迷惑だなんて言えるわけがない。

 けどあたしだって言いたいことはある。ある、けど……それをここで言ったって仕方ない。

 だからあたしは、優美子に時間が取れる日を聞いた。二人きりで、話が出来るようにって。

 

「………」

 

 辿り着いた奉仕部で、ヒッキーはあたしを囲むように歩くグループのみんなを見てギョッとしてた。

 そんな目がすぐに“どより”って濁っていって、“はぁ、ほれみろ言わんこっちゃない”って感じに歪んで…………それから部活中、ヒッキーは一度もあたしを見なかった。

 部活が終わればゆきのんが鍵を返してくるって言って、いつもならそのあとを追うあたしだけど、今日は───

 

「あぁ、ユイー、終わったー?」

「え? 優美子?」

 

 そこに、優美子が来た。

 みんなとじゃなくて、一人で。

 さっきの今で来てくれるなんて思わなかった。

 でもヒッキーが───ってヒッキーの方を見ると、丁度顔を逸らして歩いていってしまうところだった。

 呼び止めたかったけど……少しだけ見た、逸らした顔が……だったから、あたしは何も言えなかった。

 

「で、話って?」

「……あ、うん。ちょっと歩こっか」

「ん」

 

 完全下校時刻の特別棟は静かだ。

 べつに移動なんてしなくても二人きりの話は出来るし、誰が聞き耳を立ててるわけでもない、と思う。

 かくれんぼとかしてる人が居たら、ちょっと無理だけど。

 居ないかな。……居るかも。そんなやんちゃな人に、爪割られちゃったし。

 

「あのね、優美子。回りくどいこととか抜きで、まっすぐ言うね」

「……。解った。聞いてやっから言ってみろし」

「うん。……あたし、好きな人が居るの」

「ああヒキオ? で?」

「───」

 

 え?

 ……。

 え?

 

「え、えぇええ……え? ゆ、ゆみ……?《かぁっ……かああっ……かぁああ……!》」

「あ? 違うの? んじゃ誰? ユイがいっつも目で追ってる奴っつったらヒキオじゃん?」

 

 バレてた! てかあたし自分でバレバレすぎだ!

 そ、そんな見てた!? ……見てるよ! 思い返してみても、あたしヒッキーのこと見てばっかだ!

 

「ああまあ誰とかはいいから続き。なんか相談? 言ってみ」

「………」

 

 投げた真剣さを爆弾で返しておいて、平然と話すのってずるいと思う。

 時々だけど、優美子ってヒッキーに似てるって思うこと、ある。優美子は怒るだろうけど。ヒッキーは否定するだろうけど。

 

「……優美子もさ、隼人くんのこと、好きだよね?」

「っ、……まあ、いろいろ依頼しといて誤魔化すとか、ないし。てか解らなかったらアホでしょ」

「ん、そだね。でね、優美子」

「……ん」

 

 真っ直ぐに、丁寧に。

 言葉を組み立てて喋るのは苦手だし、かっこいい言葉を並べるのも苦手。

 見栄張って難しい言葉を言ったって、意味が解ってないから失敗するし、そんな言葉じゃきっと届かないって思うから、苦手でも組み立てて、解り易く届けた。

 怪我をした時に、痛くて辛くてたまらなかった時に、みんなが誰が悪いお前だあんただって言ってる時に、誰よりも早く行動してくれて嬉しかったこと。

 普段はそっけないのに、人のことを思って行動してくれて、あとでどんなことを言われるのかとか、あのヒッキーが考えないわけがないのに、それでも動いてくれて嬉しかったとか。

 そんな人が、今、自分を気にかけてくれていることが嬉しい、とか。

 こんな気持ちで、優美子の善意を迷惑だとか思っちゃうあたしが、悲しい、とか。

 

「《でごしっ》はたっ!?」

 

 そこまで言ったら、優美子があたしの額を軽く押すようにして叩いた。

 

「あんさ、ユイ。そこまで気持ち固まってんならさっさと言え。これじゃあーし、ただのお邪魔虫じゃん。……あーしだって隼人がそうしてくれたらって思うし、近寄ってくれるなら……それは“みんな”じゃなくて“隼人だけ”がいい」

「優美子……」

「てか、ごめん。ヒキオがユイのこと心配そうに見てたのは、知ってた。どんだけ踏み込めるのかとかも、ちょっと試した」

「……うん」

「いやうんじゃなくて。気づいてたんならそれこそさっさと言えし」

「ちょっと……ほら。期待しちゃった、っていうか」

「あー……ヒキオが割って入ってきて、“こいつは俺が診るから”、とか?」

「………」

「………」

「ないね」

「ねぇっしょ」

 

 二人して笑った。

 想像がつかなかったから。

 でも……悪い意味じゃなくて、それがその人っぽいからだ。

 優美子が想像したのは、きっと隼人くん。

 それでも、隼人くんがそうする姿なんて想像は出来ない。

 あたしも優美子も、もういい加減解ってる。

 隼人くんはやさしいけど、“個人のために”っていうことをあまりやらないんだって。

 

「ああ、ん。けどね、ユイ」

「ん? なに?」

 

 昇降口を出て、少し進んだあたりで優美子がケータイを見せてくる。

 なんかの画像かなって覗き込んでみるんだけど、そこには青空が映ってるだけ。

 

「そういうことは言わなくても、見守ってはいるみたいじゃん?」

 

 優美子がケータイの角度が変えると、その先に……こっちを見てる、見知った人。

 あっ、て声が出そうになったけど、なんとか抑えた。

 

「ヒッキー……」

「ていうかマジこれ、あーしが邪魔者でしかねーし……ヒキオも男見せろっつの」

「……無理だよ。ヒッキー、きっと男の俺よりも女の優美子のほうが、とか考えてるもん」

「……気、使えるんだ。……知らないで決めつけてたのはあーしだけ、か。ちゃんと男してんじゃん、あいつ」

「うん。無神経に踏み込んで、なれなれしくする人とは……違うんだ、ヒッキーは」

「そ」

「ん。そだ」

 

 歩く。

 優美子が意地悪して、ちょっと道をそれたら追ってこなくなるか試してみても、ヒッキーは最後まで……マンションの傍まで見送ってくれた。

 それが嬉しくて……でも。

 

「ユイ。明日からは手ぇ貸さないけど、ヒキオのやつ、」

「うん。ヒッキーはもう来ないよね」

「……ユイ」

「優美子が、とか、隼人くんたちが、とか考えたらさ、そりゃ……普通は誰も踏み込めないよ。だいじょぶ、ちゃんと解ってるんだ」

「ごめん」

「いいってば。……約束、はしてないけどさ。決めたんだ。言ったんだ、ちゃんと、あたしは。……“自分から行く”って」

「……そ。んじゃ、あーしからはこれだけ。“がんばれ”、ユイ」

「うん。その、優美子も」

「……ん」

 

 優美子は薄く笑って、帰っていった。

 ヒッキーはもう居ない。

 あたしも一度頷いて、ゆっくりと自分の家までを目指して歩いた。

 

   ×   ×   ×

 

-_-/比企谷八幡

 

 朝が来た。

 希望の朝、なんてことは、俺に限ってはまずない。

 目の前で戸塚が寝てる時とかアレはやばかったが、ないだろ。ないよな。

 

「………」

 

 もぞもぞと起き出して、さっさと準備をしたところで、そういや由比ヶ浜の家に行く必要なんてねぇんだったと思い出す。

 たった一日で習慣化させるつもりになってたとか、俺まじ優秀。社畜の才能ありまくりじゃないの。なるつもりねぇけど。

 

「………」

 

 なんだろな。

 べつに、いつも通りの筈なのに、“やる気だけが空回っちまった”みたいな……このぽっかりと穴をあけられた気分。

 ……自転車で行くには早い。けど、家でじっとしてるといろいろと考えちまってキモい。

 

「………歩くか」

 

 のんびり行けばいい。

 んで、誰よりも早くガッコについて、たまには一番目の登校とかを無駄に喜んでみよう。

 なんつーか、今無駄なこととかしたい気分だし。

 いやほんと……無駄なことな。

 小説でも読んでりゃいいだろうに、開いたって集中出来ないのが目に見えていた。

 

……。

 

 で。

 ……なんで俺、ここに居るんだろな。

 

「………」

 

 マンション内、“由比ヶ浜”のプレートを見て、とほーと溜め息。

 いやほんと、なんなの俺。

 そりゃさ、無駄なことしたい気分だったよ?

 でもこれほど無駄なこととかねーだろ。

 これでちょっとあとに三浦とか来てみなさい? 俺ただ勘違いして女子の家に来たイタイ男子だよ?

 ほれ、今なら間に合うからさっさと逃げろ。

 あきらめるのは悪いことじゃねぇからって、逃げちまえ。

 今ならまだ間に合うから。

 今なら───…………今なら。

 

「…………」

 

 だな。

 なんなら真っ直ぐにお断りを受けりゃあいい。

 由比ヶ浜自身に三浦が来るから俺はいいって、それっぽいこと言われりゃ、みっともなくこんな無駄なことをすることだって二度とないんだ。

 だから……俺は、そのためのスイッチを、押した。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 み、妙ぞ……こはいかなること……!?

 

「あ。あの、あのあの……《ぷしゅううう……!》」

「いや……お、おう、あのな……《かぁああ……!》」

「……結衣? ママ、あとは若い者に任せて~とか、一度言ってみたかったんだけどー……いい?」

「や、やめて!? ここに居て!?」

 

 俺、由比ヶ浜家なう。いやなうじゃなくて。

 あー……名前なんつったっけ? チャイム? コールチャイム? ドアチャイム? とにかくピンポン鳴らしたら、完全武装した由比ヶ浜が出てきて、俺驚愕。

 由比ヶ浜も「え? …………え?」って本気で驚いて固まってたし、後ろから「結衣ー? どなたー?」って顔を出した由比ヶ浜マが、「あらあらぁっ!」って本気で嬉しそうな声だして、俺を引きずりあげたのは……記憶に新しい。そらそうだ、ついさっきだし。

 

「あ、の……ヒッキー……?」

「あ、ああ、なんだ?」

 

 由比ヶ浜家のソファーに、向き合って座る。

 いや、正しくは横に座って、首をそっちに向けてって感じで。

 

「えと……もう、来てくれないかと……思ってた」

「いやまあ……そうな。そう思ってたんだけど、なんか足が向いたっつーか」

「ヒッキー……」

「そういう由比ヶ浜はどうしたんだ? つーか、用事あるなら出た方がいいぞ? 俺のことは気にしないでも───」

「あ、ううんっ、違くてっ! あ、あのね? あたし…………ヒッキーを、迎えに行こうかなって……だから、早めにって」

「へ?」

 

 俺を迎えに? ……いやいやなんでだよ。

 俺が来るならまだ解るけど、怪我人が俺のところに来てどーすんの。

 

「ヒッキー。あの……今から言うことに、誤魔化しとか茶化しとか……なしね。本音で言うから……ほんとに、嬉しかったから……だから」

「…………解った」

 

 じっと見つめられて、真っ直ぐ言われりゃ断れない。

 なにか言いたいことがあるっていうなら聞こう。

 もしかしたら、嬉しかったけど、もういいからってことかもしれねぇし。

 ……覚悟決めとけ。やさしい女からのそういう言葉には、もう慣れてた筈だろ?

 

「指がこんなんなっちゃってさ、痛くて、しゃがんで痛みに耐えるしか出来なくてさ。そんな時、ヒッキーが助けてくれた」

「、───」

 

 助けたとかそんなんじゃねぇ、って言おうとしたら、由比ヶ浜マが俺の肩にポンと手を置いてきた。

 見守ってやってくれって言われた気がして、整えた言葉なんて、すぐに解けて消えてしまった。

 

「誰に言われたわけでもないのにヒッキーが付き添ってくれてさ。マンションまで送ってくれて……次の日には迎えに来てくれた。嬉しくて、でも恥ずかしくて……ふきんしんだけどさ、怪我してよかったな、とか思っちゃって……よ、よくないよね、こんなの」

「………」

「嫌々手伝ってもらうのも、それは悪いかなって思ったのに……ヒッキー、ちっとも嫌そうにしてなくてさ。靴履かせてくれたり、足を貸してくれたり……さ。手慣れてるのは小町ちゃんにもやったことがあるからかな、とか思って」

「………」

 

 黙って受け止める。

 と同時に、ちゃんと考えている女の子の心が、きちんと胸に届いてくるのを感じた。

 普段の行動を見ただけで、アホだアホだというのは簡単だ。

 けど、本当にアホなら空気なんて読めないし、騒ぐだけ、目立ちたいだけでうるさい人間にしかならないのだろう。

 そんな当たり前のことを今さら受け止めて、俺もようやく、きちんと真っ直ぐに由比ヶ浜結衣を見つめた。

 上っ面だけを見て、知っているつもりだったのは俺も一緒だったのだと認識出来たからだ。

 そんな、今一生懸命に自分の気持ちを語っている由比ヶ浜を見て、まっすぐに俺の腐った目を見つめる女の子を見て、俺は……心に、温かいなにかが広がっていくのを感じた。

 

「ずるい……けどさ。ヒッキーが傍で、あたしを見てくれている内に、あたしも歩み寄りたいなって……少しでもいいからさ、普段のあたしのことも見てくれるようになってくれたらなって」

「ゆ……」

「ヒッキーは……あたしの気持ち、知ってるよね? 知った上で、気づかないフリ、してる」

「………」

「頑張ってヒッキーのところに行こうとするんだけどさ、難しいんだ。気づいてくれるかなって頑張ってみても、気づいてもらえなくて。気づいてくれてもそっけなかったりして。あたしじゃだめなのかなって……そう思ったりして」

「《ズキッ……》……!」

「でもさ、それは違うって思ったの。気づいてもらいたいっていうのは、自分から行くのとは違うって。もらう、じゃあヒッキーからってことになっちゃうから。だから───あたし、決めたんだ。もう隠さないって。青春ってものに夢を押し付けて、我慢するのなんてもうヤなんだ。だから───」

 

 だから、と。

 由比ヶ浜は真っ直ぐに俺を見て、目の端に涙を溜めて、口を───

 

「《グッ》……───!」

 

 ───開く前。

 由比ヶ浜マが掴む俺の肩に、強い力が込められた。

 男でしょ、って強く背中を押されるみたいに、娘の夢を叶えてあげてってやさしく背中を叩かれるみたいに。

 

「あたしはっ───!」

「由比ヶ浜!」

「《びくっ!》っ……あ、あたっ……あたしっ……」

 

 急に呼ばれ、由比ヶ浜の喉が詰まる。

 拒絶された、と感じたのだろうか。その先は言うなと言われた、と思ったのだろうか。

 溜まっていた涙がぽろぽろとこぼれ、それでも続きを言おうと、溢れ出しそうになる嗚咽と戦いながら、それでも視線を外さずに俺を見る。

 

  ───俺の気持ちはどうだ。

 

 中途半端な場の雰囲気で、こいつの夢を潰すつもりはない。

 相手の気持ちはもう、十二分なほど伝わった。つーかこれで解らないとか受け取らないとか、捻くれがどうとか以前に人として終わってる。

 じゃあ俺はどうだ。

 雪ノ下にゾンビだの言われ、周囲に目が腐ってると言われ、妹にごみぃちゃんと呼ばれてなお、“人として”を捨てたつもりなんざ一切ない。

 その上で、俺は人として、由比ヶ浜を見てどう思う。

 真っ直ぐに、逃げずに、誤魔化さずに、断られるって予想の方がでかいだろう今でも、泣きそうな自分と戦ってでも俺に気持ちを伝えようとしている。

 

 ───あの日、痛みのあまり蹲ってしまった女の子を見て、純粋に守ってやらなきゃって思った。《とくん……》

 

 葉山グループが近づいてきた時、あいつらじゃなく俺が守ってやらなきゃって強く思った。《とくんっ……》

 

 誰にも任せたくないし、ひどい話だがこいつの涙を他のヤツに見せたくなかった。《どくんっ……!》

 

  ……それは独占欲、支配欲じゃあないのか?

 

 ……解らない。

 けどさ、こんな辛そうな顔を、いつもの笑顔にしてやりたいとか……そんな笑ってる姿をもっと増やしてやりたいとか、それを出来るのが俺だったらいいなとか……そう思うのって、独占はあっても支配とかとは違うだろ。

 だから。もう、さっきからやかましくて仕方ない、こいつを知るたびに高鳴る鼓動は、間違いようのない本物の俺の感情、ってやつなんだろう。

 逸らし続けていたものと向き合うだけで、こんなにも簡単に答えは得られた。

 難しく考えるから受け取れないものもあるんだって、今さらながらに受け取れた。

 答えを得たなら、口にだそう。

 話し合えば解り合えるってのは傲慢だ……けど、伝えなくても伝わるってのは傲慢以前に現実的じゃない。

 そんな関係に憧れたことは当然あるが、実際に伝わったことだってあったが、それは必ずしも完全一致の答えではないから。

 だから伝えるのだ。真っ直ぐに。

 由比ヶ浜が今、自分が描いた夢を青春に押し付けて、我慢するのをやめるように。

 ……それは恐らくは、恋をして好きになってもらって、真っ直ぐに告白されるなんていう……少女が夢見るようなありきたりな青春。

 ───それでも確かな夢であろうそれを捨ててでも、自分から歩み寄り、俺との歩みを望んでくれたように。

 

「……由比ヶ浜」

「《びくっ》……ひっ、ひっき……っ……ひっく……」

「……茶化しは無し、な」

 

 え、という嗚咽。

 次いで、断るための文句が来ると思ったのだろう、堪えようとするのに涙はぽろぽろとこぼれ、「や、やぁ……やぁあ……!」と声を漏らした。

 ……くそ、さっさとしろ。泣かせたいわけじゃないだろうが。こんな時くらい、思う通りに動いてくれ、俺の口。

 

「~~っ……その……な。お……、……お前を守りたい。他のやつらに任せたくない。涙は俺にだけ見せてほしい。……寄りかかってほしい。笑ってほしい」

 

 纏めて、整理して伝えるのは難しくて。

 だから、浮かんだ想いをひとつずつ、まちがえずに伝える。

 ひとつ伝える事に、由比ヶ浜の目からは怯えが消え、不安が消え、恐怖の所為か強張っていた表情も、少しずつ……緊張を無くしていった。

 

「ガキみたいな我が儘ばっかだけど、素直な気持ちだ。だから……だな。その。……俺に、青春させてくれ」

「ひっきぃ……」

「真っ直ぐに気持ちを伝えようとしてくれたの、ちゃんと届いた。言う通り、由比ヶ浜の気持ちには……気づいてた。勘違いに違いないって、無理矢理思い込もうとしてたってのもあるが……」

「うん……」

「……ただ、不安がある。あ、いや、俺はその、今まで何度も失敗したり諦めたりばっかだったから、よ。今だって、信じられねぇくらい心臓がうるさくて、ほんとなんだよこれって状態なんだ。なんだけど……俺はこれが好きってものなのか、解らねぇんだよ」

「…………」

「誤魔化しも茶化しもしない。解らないってのが俺の答えだ。これがちゃんと好きってことなのか、ただの独占欲なのか───俺には」

 

 こんな時くらい、やさしい嘘でも言ってやればいいのにって思う。

 けど、由比ヶ浜の真剣な想いに対して、それはないって答えを出せたから。

 真っ直ぐな想いには真っ直ぐな想いを返さないと、俺は中学時代のみじめな思いを、由比ヶ浜にさせることになるんじゃ、って……どうしても考えてしまう。

 

「だから……出来るなら、待っ───」

 

 待っていてくれないかと頼もうとした時、由比ヶ浜の手が俺の手に重ねられた。

 

「ヒッキーは……ずるいね。女の子を不安にさせといて、しかも待てだなんて」

「だよな……すまん」

「だめだよ、ヒッキー。今謝るのはほんとだめ。それはずるいとかじゃなくて、最低だ」

「そ……そうか」

 

 向き合った状態で、涙目の女の子に最低って言われるの、すっげぇキツい。

 やべ、泣きそう。一発で様々なトラウマがフラッシュバックするレベルでキツい。

 

「あたし、言ったよね? 待ってても仕方ない人はって」

「……おう」

「でも、こんなんじゃ……こんな指じゃなにも出来ないから……うん。待ってる……ね。待ってるけど……でも、さ。あんまり……長いのは……さ。もう、辛いよ……」

「………」

 

 重ねられた手とは逆の手で、由比ヶ浜の頭を撫でる。

 他人に気安く頭を触られるってのは相当腹が立つもんだ。俺だったらかなり嫌だ。

 が、そんな勝手に発動したお兄ちゃんスキルも、由比ヶ浜は嫌な顔ひとつせず受け入れる。

 

「自分の気持ちと向き合ってみるだけだ、そんな時間かけるつもりはないから……その。安心してくれ」

「……うん。……あのさ、ヒッキー」

「お、おう? どした?」

「えと、その、さ。い、意識してもらうために……もっと近づくの、とか……あり、かな」

「…………」

 

 待っててあげる発言はどこに行ったんだろうな。

 そう思いながらも、勝手に持ち上がりそうになる口角を押さえるのに夢中で、返事はしてやれなかった。



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親指が結ぶもの②

 それから、送迎の日々は続いた。

 朝は徒歩で迎えに行き、靴を履かせたり段差で手を貸したり。

 学校では板書を写すことも忘れず、解り易く書くために授業の要点を先生に訊きに行ったり、昼になれば食事の手伝い。お兄ちゃんスキルを遺憾なく発動、あーんで最後まで食べさせて、下校時刻になれば送っていって、ママさんに捕まって、しばらく会話をしてから家に帰る。

 夜にはその日にあったことをメールで伝え合ったり、時には電話をしてみたり。

 翌朝にはまた家へ赴き、遠慮しても家の中に引っ張り上げられ、いつの間にか朝はここで食事をしていくことになり、結衣の朝食をあーんで手伝い。

 朝風呂しても寝癖が直らないと情けない顔をする由比ヶ浜の手からドライヤーを取って、濡れタオルをレンジでチンしてホットタオルを用意。

 そこ座れってソファに座らせ、後ろからホットタオルでやさしく髪のケアをしてやり、寝癖も直し、教わりながらお団子を作ってはい完成。

 

「あははっ、ちょっと傾いてるっ」

「う……すまん、やり直すか?」

「んーん、これがいい。ありがと、ヒッキー♪」

「お…………、……~~……おう」

 

 うるさいくらいのドキドキは、いつの間にか消えていた。

 代わりに、ひどく落ち着いた……やさしい気持ちばかりが胸にあった。

 小町に相談しようとも思ったが、なんなら戸塚に相談しようかとも思ったが、誰かの真っ直ぐな想いに対して、他人がくれた助言で返すのはどうかって思ったから……今も、情けない自分のまま、自分の心に問い続けていた。

 まず間違い無く、俺は由比ヶ浜結衣が好きだ。

 由比ヶ浜も、そうなのだろう……ああいや、あんな真正面からの感情表現がそうじゃなかったら、俺もうなにも信じられない。

 つまり俺が問い続けなければいけないのは、俺の気持ちただ一つ。

 学校での噂は、どうしてかオカン三浦があっさりと解決してくれて、逆に俺がポカンとしていた。

 葉山グループが由比ヶ浜をサポートすることはほぼ無くなり、むしろ三浦に送り出された由比ヶ浜が俺の席へと笑顔でやってくるのが最近の流れっつーか。え? なんなのほんと。

 ともかく、日々自分に問い続けて、俺は由比ヶ浜が好きだ、という答えが間違っているかを確認し続けている。

 続けた結果が、この温かい感情。

 由比ヶ浜のことが大切に思えて仕方なく、かといってモノを扱うのとは違う、彼女の感情を受け止めたいと願う気持ちも強く湧いてくる。

 所有欲ではなく、きちんと人として見た上で、俺は……由比ヶ浜結衣って女の子のことを、大切にしたいと強く思っている。

 それは……人を好きになった自分を好きと感じていた中学時代とは、明らかに違った……とても温かく、心地の良い感情だった。

 

「………」

 

 人への善意は見返りを期待しての行為。どこぞの神父が言っていた言葉だ。

 けど俺は、こいつからの親切が欲しいわけじゃなくて……ただ、その。ふとした拍子に見せてくれる、笑顔が見たい。っつーか。

 やさしさに怯えていたいつかが可笑しくなるくらい、人へやさしくしたいという感情が溢れていた。

 こんなちっぽけなやさしさで笑顔をくれる人が居るって、すげぇことだよなって、もうどれだけ思っただろう。

 けど……そんな気持ちも、由比ヶ浜の指が完治したら無くなるのかな。

 そう思うと……女々しいことに、こんな日がもっと続けばいいのに、なんて思ってしまう自分が居た。

 ……ほんと。

 恥ずかしいったらない。

 

……。

 

 ファゴー、とドライヤーが音を立てる。

 朝、どうやればそうなるのか、サブレの犬用ミルクをぶちまけ、髪や服が汚れてしまった由比ヶ浜が風呂に入っているところへ来てしまった俺は、濡れタオルを使ったいつかのように、由比ヶ浜をソファに座らせ、髪を撫でていた。

 あの時は寝癖を直すだけだったが、こうして1からドライヤーで、って緊張する。

 つーか、髪は女の命でしょ? 俺に任せちゃっていいの?

 

「《ファゴー……》~~♪」

 

 由比ヶ浜は俺がなにかしらの失敗をする、などとはてんで思っていないらしく、楽しげに鼻歌を歌っている。

 俺はとにかくやさしく髪を梳かし、傷まないように注意した。

 そんな俺と由比ヶ浜を、すっかり慣れたってニコニコ笑顔で見つめる由比ヶ浜マ。

 

「それ終わったら食べちゃいなさいねー? うふふふふ」

「うん、ママ」

 

 おい。もうちょっとツッコむところとかないの?

 あんまりにも順応しすぎでしょう。

 大体だな、《さらさら》由比ヶ浜にしたって、《くしくしくし》人にこんなに簡単に、《しゅっしゅっしゅっ》身体を預けるみたいな、《くりんっ……きゅっ》───うし、お団子完成。

 

「じゃ、食うか」

「うんっ……~~~っ……えへへ、えへへへへ……♪」

 

 ……ん? なに考えてたんだっけか。

 まあいいや、大して重要なことでもなかったんだろう。

 ここでいただきますを口にするのももう慣れた。

 ああ美味ぇ……なんだろうな、腹の中からやさしさが染み入ってくるみたいなこの美味しさ。

 小町の料理にはない、大人の包容力があるような、経験が生んだ最高の旨みのような……───って違ぇよ!?

 なにやってんの俺なに普通にメシご馳走されてんの! 危ねぇ今小町の名前が浮かんでこなかったら腹から洗脳されてたよ! 腹に脳はないけど!

 

「ヒッキー?」

「ァゥッ……」

 

 しかし。

 そんな暴走も、ひな鳥のように口を開けて待っている由比ヶ浜を前にしては、横に置いておくしかないわけで。

 あ、あとでな。あとで真剣に考えよう。

 今はとにかく、怪我人最優先な。

 

「ほれ、あーん」

「えへへ……あーん……んっ、んん……」

「………」

 

 ……可愛い。

 

……。

 

 さて。

 

「……なに考えてたんだっけ」

 

 なにも思い出せないのは、兄さんが満たされてるからだよ。

 じゃなくて。

 

「なんか考えてたことがあったような……」

「ヒッキー?」

「っと、悪い。で、ここの問題だけどな……んん、悪い雪ノ下、知恵を貸してくれないか」

「………」

「いや、そこで謎の生命体を見る目とかやめてくれ」

「比企谷くん。最近体調がおかしいということはないかしら。悪寒がする、頭がボウっとする、とか」

「風邪引いてるわけでもねぇよ。俺だけじゃ難しいところがあるから教えてくれ」

「───…………」

 

 奉仕部にて、書き写したノートを広げて由比ヶ浜と勉強。

 やはりというか、元々の地頭力はよかったのだろう。由比ヶ浜はなんでか知らんが俺と勉強していると飲み込みが早く、俺も結構集中して勉学に勤しめた。

 難しい教科等は雪ノ下が助言をくれて、その上で解いてみれば、自然と俺と由比ヶ浜は笑っていた。

 まあ、俺の場合はフッとした、心からの笑顔ではなかったのだろうが。

 

   ×   ×   ×

 

 そんな時間を何度も越え、自分の心が完全に固まった時。

 いつもより早い時間、いつもと同じ場所で、由比ヶ浜とソファに座りながら話をしていた。

 俺が緊張していることからなんとなく察したのか、由比ヶ浜はいつもより言葉少な目で。

 由比ヶ浜マも、どこか微笑ましいものを見る目で、静かに見守ってくれていた。

 

「あー、その。由比ヶ浜」

「はーい♪」

「いえ、ママさんではなくて。ていうか知り合いの母親を苗字で呼び捨てるって普通しませんよね?」

「えー? ママ由比ヶ浜だから解んなーい♪」

「………」

 

 この美人ママめ。呼べと? 結衣と呼べと?

 

「ゆいがは」

「はーい♪」

「ゆいが」

「はーい♪」

「…………結衣」

「………」

「え……あ、う、うんっ」

 

 ほら。ちょっと、ほら。

 なんかもう微妙な空気になっちゃってるじゃないの。どうしてくれるのママさん。

 でも、呼んだあとにこちらを向かず、頬を染めながら少し俯いて、きしりと少し座る位置を直すように近づいてきた結衣が、なんつーかもう今さら確認するのもアレなくらい気持ちが固まってても、どうしてもアレ。解っちゃいるけどアレ。可愛い。

 結局今日までの期間ってなんだったんだろうね。

 気づけば由比ヶ浜家に馴染みすぎてるし、朝食もここで食べることになって、洗面所に俺の歯ブラシが置かれるようになって、親父さんとも面談して、ギロリと睨まれてヒィと怯えたものの、俺の後ろに居た結衣のことを思ったら守らなきゃって意識がお兄ちゃんスキルを彼氏スキルに昇華させて、どれだけ大事に思っているかを熱弁。

 親父さんが顔を赤くして思わず頷いてしまうくらい語り、気づけば娘をよろしくされていた…………え? なにこれ。恋人になる前にプロポーズOK状態が完成したとか。

 呆然としている俺を余所に……男らしく去る親父さんを余所に、ママさんたら頬をパンパンに膨らませて、必死に笑いをこらえてたっけ。

 でもまあ……そうな。俺は結局、誰かを好きになったら、そいつ以外を想うつもりは一切ないのだ。守ってやりたい、大切にしたい、幸せにしたいって思ったら、他なんてどうだっていいとも思えちまったし。……ああ。やっぱ俺、こいつのこと好きだなぁ。ああいや、こいつって言い方はないよな。うん。……結衣が、好きだ。うん。……俺は、由比ヶ浜結衣が───」

 

「───…………~~……《ぽろぽろぽろ》」

「……へ? あ、おい、結衣? どどどうしたっ!? なんでいきなり泣いて───」

「いきなり、は……そっちだよぅ……!」

「そっち? そっちって……、………………OH」

 

 この状況。急に隣の女の子が泣いて、俺にいきなりはそっちだとかいうシチュエーション。

 またですか。また俺やらかしましたか。

 どうなってんの俺、独り言とか喋ってて自分で気づかないとかある種病気なんじゃないですかね。いえ中二病じゃなくて。いえ平塚先生に言われた高二病でもなくて。

 けど……まあ。“そういう雰囲気”は出来たんじゃないかって……そう感じたなら、自分の失敗もきっかけにしてしまおう。

 こんなものは土台だ。

 俺の黒歴史が今に繋がったのと同じ、土台でしかないのだと。

 人を好きになった自分が好きなんていう勘違いのまま、こいつを好きにならなくてよかったって……心から思えるなら、本当に……あんな後悔も、二度と勘違いするものかと誓った惨めさも、必要なことだったんだと。

 

「結衣」

「ぐすっ……う、うん……」

「俺は、お前が───あ、いや……由比ヶ浜結衣が、好きだ。遅れて、悪かった。いっぱい待たせたよな。もしまだ間に合うなら……俺と、付き合ってほしい」

「───、…………ひっ…………、……ぁ、ぅうう……《ぽろぽろぽろ……》」

 

 気持ちを伝えると、結衣は口を両手で覆うようにして、赤い顔のまま泣き出した。

 泣き顔は見たくないと思ったことはあるが……なんだろうな。女の子の嬉し涙って、……なんだろう。ほんと、言葉が見つからない。見つからないのに、ただただ大切にしたくなった。

 そんな、涙する女の子を前に幸福なのであろう感情を胸に抱いていると、いつの間にやってきたのか、ママさんがソファの後ろに立ち、いつかのように肩に手をおいてきた。さらに頭をぽんぽんと撫でられて、よく出来ましたを言われた気分で……ええ、と。正直複雑だったけど。

 直後にもう一度、がんばりなさいと背中を押されたから、俺は静かに位置でいえば横に座る結衣、に手を伸ばし、頭を撫で《ぺしんっ》……う、うす。これ違うっすね。あー……せ、背中に手を伸ばし、抱き締めた。《なでなで》……あの。いちいち叩いたり撫でたりとかやめてくださいママさん。

 

「ひ、ひっき、ひっきぃい……あたし、あたし、でっ……いいっ……ひっ……ふぅうあぁあああん……!!」

「《ズキッ》~~……あの時、怒鳴って止めたりして悪かった。不安になるよな、すまん。その、よ。あの時はいろいろテンパってて……って、言い訳だよな文字通り。ちゃんと自覚出来ずに戸惑ってたってのも……ああいや、そうじゃなくて。だからだな、あー……もっともっと、知る努力、させてくれ。上っ面だけで決めつけて、誤解して泣かせるとか、したくねぇんだ。今日まで一緒に居て、いろんな結衣を見て、それでもまだ……知らない部分がいっぱいある。だから、そんな結衣を、見せてほしい」

「うんっ……うんっ……!」

「あと、あたしでいいのかとか……無しな。ほんと、やめてくれ。聞いてみて痛感したわ……。そいつが好きなのに“俺なんかじゃなくて他のやつが”とか言われたら、こんなに辛いのな……。あ、あのな、重いかもしれねぇけど、俺……そういうの、嫌だからな。浮気とかは想像するだけで吐き気がするし、大切だって思ったら、ほれ、あのー……小町にすらキモいって言われるほど大事にするから《ぎゅうぅっ……》うおっ……」

「~~~……!!」

「…………おう。これから、よろしくな」

 

 俺の言葉に、胸にぎゅうっと抱き着いてきた結衣は、それでいい、それがいいと伝えてきてくれているようだった。

 むしろ自分だって大事にするし、と……体で伝えてきてくれているようで、そんな感情に慣れてない俺は、自分も嗚咽に襲われるのを感じた。

 それを誤魔化すために結衣を抱き締め、心を幸福でいっぱいにする。

 抱き締め、抱き締められ。

 ようやく落ち着いた時、ママさんに声をかけられた。

 

「よかったわね、結衣。ところでヒッキーくん? 普段から学校には真面目に通ってる?」

「え……あ、いや、えーとそのぅ。遅刻の常習犯ですごめんなさい」

「ふふっ、そう。じゃあ、今日はもうサボっちゃいなさい」

「───え?」

 

 え? なして? と思っていたら、結衣もそうしてほしいとばかりに俺をぎゅー。

 まだ指、治ってないんだからやめろと頭をやさしく撫でると、きゅう、と鳴いてもっとぐりぐりしてきた。やだ可愛い。じゃなくて。

 

「どのみちもう遅刻確定なんだし、ね?」

「へ? …………うぉおあっ!? え、へっ!? もうこんな時間!?」

 

 時計を見れば、とんでもない時間だった。

 交わした言葉は短くても、その間が長すぎたんだろう。特に嗚咽を飲み込む時間が。

 遅刻は確定のようだった。

 ……ま、いいか。平塚先生とか雪ノ下に散々言われそうだが、今はそれも喜んで受け止めよう。

 

……。

 

 で、堂々と親公認でサボった俺達だったのだが。

 

「んんぅ……ひっきい、ひっきぃ~……♪」

 

 現在、ソファに寝転がり、俺の膝に頭を乗せたゆい、……ゆ、結衣が、甘えた犬状態である。

 空気を読んでか素早く便利に収納されていたらしいサブレも、今では俺の足元でひゃんひゃん言ってる。

 ママさんは鼻歌なんぞを歌いながら昼の用意をしていて、俺はといえば……

 

「………」

「《さらさら》……えへへぇ」

 

 とろけきった結衣の頭を、やさしくやさしく撫でていた。

 あーまあその、ハッキリキッパリ言ってしまうなら、現在の結衣のとろけ具合の元凶は俺にある。

 元々お兄ちゃんスキルを漏れなく発動させ、責任を果たそうとしていた俺だ。それが三浦の出現によって抑えられていた分、恋仲になったことで全力で発動。

 お兄ちゃんスキルが彼氏スキルに昇華して、それはもう甘やかしまくった。

 ……その結果がこのとろけガハマさんである。

 なんというか……アレな。俺ってアレばっかな。

 なんだっけ、ええっと。

 こんな、あー……達成感? みたいなの、初めてかも。

 俺ってあれだろ? ぼっちがどうの、孤独がどうのとか言ってる割に、その気になれば一人でなんでも出来る~みたいな顔しておいて、人に背中押してもらわなきゃここぞって時になんの判断も出来やしない。

 うじうじ考え込んでは小町に相談したり、うじうじ悩んでは平塚先生にいろいろ言われたり。

 だから、今回のこれは……ほんと。アレなんだ。

 散々悩んで散々組み立てて、自分とちゃんと向き合って、そうして出せた答えなわけで。

 ……それでも結衣に先に言われそうになったり、ママさんには背中押してもらった気もするけど。

 って、結局俺一人で出来てねぇじゃねぇかよ。なんなの俺。ほんとめんどい。

 俺が女だったら俺だけは絶対ないわ。……ないのかよ。……ないんだよ。

 そう思えば思うほど、結衣に対する心が強くなって、なんつーかもう、もう。

 

「結衣」

「んんぅ……なぁに? ひっきぃ……」

 

 まどろんでいた猫がぱちくりするように、ころりと寝返りを打って俺を見上げる目。見上げるというか、結衣からすれば真正面を向いただけなんだが……ああ可愛い。じゃなくて。いや可愛いけど。

 

「デート、するか。今日はサボったから無理として、指が治ったら……まあ、まずはやっぱりハニトーな」

「……うん。いっぱいいろんなとこ行って、いっぱい楽しんで……そしてさ、疲れたら……こうやってまったりしたいな……」

「ん……解った。お前のしたいこと、出来る限り叶えてやる」

「……ほんと? にごん、ない?」

「ちょっと言い方が気になったが、ないぞ」

「じゃあ…………んっ」

 

 ……。結衣が、目を閉じて顎を小さく持ち上げた。

 いくら俺でも解る、カップルがするであろうあの伝説のサイン。

 まじか。つーか、いいの? …………いや、いいの、とかは無しだって言ったばっかりだ。

 俺で……いいんだ。疑うな。疑わず、ただ心が惹かれるまま、やさしさをぶつけてみえばいい。

 

「ん……《ちゅっ……》」

「んんっ……は、ふ……」

 

 膝の上で身じろぎする懐っこいわんこに、キスを。

 初めてってことで相当緊張したが、初めてだからこそ大事に大事に、やさしくやさしく……そして、出来るだけ長く、続けた。

 なにか思うことがあったのか、その下の足元ではひゃんひゃんとサブレがやかましい。

 遊んで遊んでとばかりに足を叩いたりかぷかぷしてきたり。

 そんなくすぐったさに、ぷはっと息が漏れて余計に前傾になった時、口がより深く密着し、俺の舌が結衣のくちびるをちろりと舐め上げた。

 

「……!」

 

 ぴくんと跳ねる体。

 やってしまったと思い、すぐに体を起こそうとしたのに、思った以上にやってしまったって思いは体を硬直させ、動いてくれなかった。

 人って混乱するとほんと体動かないのな。

 サブレを助けた時とは大違いだ……なんて思ってたら、今度は……はふ、と結衣の吐息が口内に漏れてきたのを感じた。

 え、なんて驚いている内に、ちろり、ちろちろとおずおずと唇を撫でる感触。

 少し考えればそれがなんなのかくらい解るだろうに、考えるより先に“なにかが入ってくれば舌でつつく”なんていう本能が先行し、それをつついてしまった。

 

「っ!」

 

 また、ぴくんと撥ねる体。

 思わず目を開けると、同じく目を開けて驚いている顔。

 けれどそれがすぐにやさしく、けれど真っ赤なものになって……俺の後頭部に手が伸ばされ、やがて……唇は、より深く密着し、舌が絡み合った。

 やめっ……ママさんが見てる……! なんてことが浮かばなかった、って言えば嘘になる。

 けれどそれよりも、俺達は青春ってものに……違うか。互いのことに夢中だったんだろう。

 苦しくなっても離れたくなくて、不器用に息を乱しながらキスを続け、人工呼吸みたいな息継ぎをして、呼吸を分け合って。

 傍から見ればアホらしいのだろうに、俺達にとってはそれが大切な行為で、深く繋がっている絆のようにも思えた。

 

「ぷあっ……は、はぁ、はぁっ……」

「は、はぁ、はぁ……」

 

 それでもやがては離れる。

 ぴりぴりと痺れたままの、ぼーっとした頭でなにをしていたのかを考えて、それがクリアになっていくにつれて、顔の温度がめちゃくちゃ高くなっていくのを感じた。

 それは結衣も同じだったんだろうが、顔を真っ赤に染めても……その顔が幸せそうだったから、俺はまた結衣の頭を撫でてもう一度、ちょんとキスをした。

 ……で、ハッとして顔を持ち上げると、顔を真っ赤にして「あ、あらあら……あらあらあら……!」とおろおろしているママさん。

 ああ、うん……はい。

 見守るのは好きでも、ほんとにされると……さすがに照れますよね。

 

「あ、ええっと……ママ、本気の本気でお邪魔だったかしら……! お、おほっ、おほほ……!? ケッホコホッ!」

「いえあのこれ以上はさすがにないんで! ていうかつっかえてますから無理にオホホとか笑わないでください!?《きゅっ……》……いやいやいや、おまっ……結衣も、“もうしないの?”みたいな顔で見ないで? 俺もういろいろアレがアレでやばいから……!」

 

 頬を染めた仰向けの彼女に潤んだ目で見つめられるって、破壊力すごいですね。

 思わずなんでも頷いてしまうような、そんな謎の破壊力がありますね。

 なんで丁寧に語ってんだよ俺。

 と、とにかくやばい。なにがやばいってやばいがやばい。

 このまま座っているのはやばいと本能が感じた。

 今だって、するつもりはなかったのにきゅっと服を抓んできた結衣の手をやさしく握って、もう片方でさらさらと頭を撫でてるし。やだ困る! 俺の体がお兄ちゃんスキルに食われていってる! 無意識でここまで動けるって、本人にしてみれば恐怖以外のなにものでもねぇよ!?

 

「…………」

「《なでなで》んぅ……ひっきー……」

「…………《ぱぁああ……》」

 

 でも癒される俺。俺のほうがよっぽどアホの子だろこれ。

 とりあえず本日はアレだな。今まで散々目を逸らしてきた罪滅ぼしとして、目一杯甘やかそう。

 で、明日から本気出す。

 一緒の大学とか行きたいって欲望がぞわぞわ浮かんできたらもうだめだ。

 解らないことはユキペディアさんにたすけてゆきえも~んと泣きつく方向で───一瞬にして断られる未来しか浮かばねぇよ。おいちょっと? 想像の中でくらい俺にやさしくしてくれない? ヒッキー泣いちゃうよ?

 

「と、とりあえず……ヒッキーくん? 今日は泊まっていく?」

「ちょっと奥さん? 落ち着きましょう?」

 

 よ、よし、言いつつ、俺も落ち着こう。

 ちょっと混乱してるだけなんだ。こう息を吸って吐けば、ママさんだって落ち着いて───

 

「《ハッ!》じゃあ……ゆ、結衣を……お持ち帰り……?《ポッ》」

 

 おい。落ち着け母親。

 

「だから待てっつっとるでしょうが。な、なぁ? ちょっと? 娘として母親になにか言って……」

「……すー……すー……」

「…………」

 

 まじか、寝てる。

 え……このタイミングで? え? えー……?

 

「……あら、寝ちゃったのね、結衣」

「《びくっ!》オアッ!? ……あ、は、はあ……」

「ふふっ……よっぽど嬉しかったのかしら……緩み切った顔しちゃって」

「ノ、ノーコメントで」

 

 やめて、恋人の母親の前でキスをして、しかもそのあとに会話をしなくちゃいけないなんて、俺にはまだまだハードルが高すぎる。

 ていうかあなた方、娘の相手に対してオープンすぎやしませんか!?

 という気持ちを、この際だから伝えてみた。

 

「うーん……この娘、ちょっと抜けてるところがあるけど、人を見る目はあると思うの。燥いでるように見えて、結構人のこと見てるし……場の空気が沈んじゃうと、無理して燥いだりする所為で、みんなからうるさいだとか馬鹿っぽいとか言われちゃうけど」

「……それは」

 

 解る。そうだ、空気が読めるやつが馬鹿だとかアホだとか、そういう事実ってのは薄いもんだ。

 言った通り、本物の馬鹿ってのは場の空気なんか読まないし、やかましく暴れまわるだけの、それこそ馬鹿って呼ぶべき馬鹿だろう。

 勉強が出来る出来ないの問題じゃなく、頑張ったからこそ周囲から馬鹿だのアホだの言われ、そんな生き方に慣れちまってたら……きっと、新しい環境ってのは相当楽しみだったに違いない。

 今度こそ。次こそは。あたしだって出来るんだ。

 そんな思いを抱いて、それでも上手くいかなかった時、人ってのはどうしたらいいんだろうな。

 きっかけもなく出会いもなく、気づけばずっと周囲に合わせるだけの人生だったって年老いてから気づいたら……俺ならきっと泣いちまう。

 ぼっちだろうと、自分を貫けているならいい。後悔しても、原因は自分だけのものだ。

 けど、周囲に合わせているってだけで、そんな“自分”がうすっぺらな人生の先で後悔しちまったら……きっと、それはとても……。

 

「そんな結衣だから、ヒッキーくんを好きになれたんじゃないかなって……ママは思うのよ?」

「………」

「サブレを助けてくれたってだけじゃない。この娘はちゃんと考えて、悩んで、その上でヒッキーくんを選んでる。ママね、一目惚れだとか吊り橋効果なんて信じないのよ? 人一倍、人との関係の中で頑張ったこの娘だから、ママもこの娘が好きになったヒッキーくんを信じられるの」

「俺は、そんな大したもんじゃ……」

「じゃあ、大したものになる努力をすればいいの。自分に自信がないならね、ヒッキーくん。好きでいてくれるうちに、惚れ直し……ううん、もっと好きにさせちゃえばいいのよ。知る努力から始めるんでしょ? だったら、今から弱音なんて吐いてたら、結衣に振り回されるだけで疲れちゃうわよー?」

「…………、……はは、そっすね。……そうだ。───そう、だよな……、───!」

 

 握ったままだった結衣の手を、きゅっと握り直す。

 また、背中押されちまったけど。

 自分じゃまたうじうじ悩んでばっかだったけど。

 それでも進めるってんなら進めばいい。

 選んで、決めて、どんだけ背中を叩かれても押されても、進むための一歩は……俺の足と意志で。

 

「………」

「《さら……》んん……ひっきぃ……♪」

「………」

 

 やさしい笑みが漏れた。

 大切にしたいって気持ちは変わらない。

 まずはなにをしようか。腐った自分改革? だな。

 まずは勘違いに怯えた心を砕いていこう。

 エリートとか言いながら結局は傷つくのが怖かっただけだ。

 誰だって傷つくのは怖いが、そんなもんは問題の解消をするたびにわだかまりを残すほうがキツいに決まっている。

 なにせ、総武高校には勘違いの所為で傷ついた黒歴史はないのだから。

 比企谷菌だのと言って蹴るヤツも居なければ、カエルだのと言って笑うヤツも居ない。ヒキガエルとか言う氷の女王は居るけど。

 今、恐れるべきは勘違いじゃなく、解消から始まる大きな波紋や“解”による、総武高校での日々だろう。

 だったら過去のことで怯えるより、誤解なんて“解”が広まりきっていないこの生活を、きちんと大事にしてやればいい。

 自己犠牲じゃないのだと断言出来るなら、そうじゃないと言えるのなら、そもそもそんなこと自体する必要もないのだと。

 嫌われるのに慣れているなら勘違いだって慣れている筈なのに、勘違いに怯えたために遠回りをした関係に呆れも出るが、今はそれでよかったとも思える。

 じゃないと、勘違いのまま傷つけることになってたかもしれないから。

 勘違いの先で、俺が本当に結衣に惚れられたならそれでもよかったんだろうけどな。それだとたぶん、ここまで大切にしたいだとかも思わなかったんじゃないかって……そう思うのだ。

 過程って大事。

 そう思うとなるほど、一目惚れって難しいわと納得してしまうのだ。

 

「ヒッキーくん、今日はのんびりしていってね。ママはべつに、泊まっていってくれたっていいと思ってるから」

「いえ帰ります。……結衣が起きたら」

「ふふっ……うふふふふ……ええ、お願いね。あ、でももうお昼が出来るんだけど───」

「…………」

「すー……すー……」

「だ……断食、とか……ありでしょうか」

「はーい♪ 晩御飯にしちゃいましょうねー♪」

 

 延長をお願いした。

 いやだって、こんな幸せそうな寝顔を壊すとか、無理だろ。

 大丈夫、朝飯もちゃんと食べたし、我慢には慣れてるからな。うん。

 

「………」

「……ひっきぃいい……~……」

 

 夢の中でなにやってんの、俺。

 あーくそ、幸せそうな顔しちゃって。

 夢の中の俺に嫉妬しちゃってる俺とかほんとキモイ。

 ヒッキーキモい、マジキモい。

 そう思うのに邪魔出来ない俺は、のんびりと彼女が起きるまで、さらさらと頭を撫でるのでした。

 ……俺も寝るか。

 あ、でもよだれとか落としたら大変なことに…………お、おし、起きてような、おう。

 

「………」

 

 ……あの日、こいつが指を挟まなかったら……どうなってたんだろうな。

 そんなことを考えながら、なんだかんだでこいつに迫られて、噛みながら頷いている自分の姿が思い浮かんだ。

 そしたらなんだか笑えてきて……もう一度頭を撫でて、息を吐いた。

 さて……平塚先生と雪ノ下への言い訳を考えるか。

 あー……うん。幸せを噛みしめてましたとか言ってテヘペロやったら殴られるかな。もっと別の言い訳にしたほうが威力も違ってくるんじゃ───おい、殴られるの前提なのかよ。

 いや、半端はよくないよな。重いだろうけど好きになったら一直線で居たいし、いっそこう、結婚を前提に付き合ってますとか、親に挨拶に行きましたとか言ってしまえば…………結婚したいって泣きながらボコボコにされそうだな。うん、なかったことにしよう。

 

「………すぅ……───」

 

 もういいや、寝よう。

 ……おやすみ、結衣。

 

 

 

 

 

 

  ……ヒッキーくん、ジュースとか…………あらっ、寝ちゃったのね。

 

   ひゃんっ!

 

  しー。サブレ、静かにね。

 

   ひゃふっ。

 

  それにしても……うふふ、結衣はいっつも目がすごいけどやさしい、とか言ってるけど……可愛いものじゃない。

 

   くぅん?

 

  目を閉じると、本当に……ただの…………。辛いこと、いっぱいあったのよね、きっと。

 

   ひゃんっ。

 

  ……大丈夫よ、ヒッキーくん。結衣は、好んで人を傷つけたりなんかしないから。……そんな顔、いつだって出来るようになっちゃうんだから。

 

   ひゃんひゃんっ、ひゃんっ。

 

    ……。結衣…………ありが…………と……

 

   くぅん?

 

  ……本当に、やさしい子。……サブレ~? 一緒に結衣のこと、応援してげようねー?

 

   ひゃんっ!

 

  しー。

 

   ひゃぅん……。

 

  あ、そうだ。写真撮って、ヒッキーくん帰ってから結衣に自慢しちゃお。うふふふふ~♪

 

   ひゃふっ!

 

  《パシャッ!》……うふふ……うん、可愛い♪ じゃあ、邪魔しないように向こう行くわよ~? サブレ~♪

 

   ひゃんっ!

 

 

 

 

 ……のちに、由比ヶ浜家にひとつの写真が飾られるようになる。

 俺の膝を枕に、幸せそうな顔で眠る結衣と。

 そんな結衣の頭を撫でたまま、穏やかな顔で眠る、目を閉じればやたら整った顔の男の写真。

 さすがに俺も結衣も恥ずかしかったのだが、お互いの眠っている姿が欲しく、しかし恥ずかしくとどうしていいか判断できない状態に至り、けれど燃やしてくれとは言えず、結局はず~っと飾ることに。

 雪ノ下と平塚先生にお互いの待ち受け画面がお互いの写真ってことで散々いろいろ言われたが、これも青春ってことでと言ってみれば平塚先生には大声で笑われた。

 君が青春か、と笑い、俺の背中をばしんと叩いた平塚先生は奉仕部卒業は好きな時にしろ、と言って去っていった。

 雪ノ下も溜め息ひとつ、目の濁りがどーのこーのと言うと、平塚先生の依頼は終わったけれど、私たちの賭けがまだよと穏やかに笑う。

 勝った方が負けた方の言うことを聞く、という賭け。

 今さら願うこともないのだろうが───それでも、もし自分が勝って、相手のポリシーも強情さも全て押し退けられる願いが叶うなら。

 今まで願っても無理と言われたあの願いを、叶えてもらおうと思っている。

 

「ま、その前に」

「ええそうね」

「あたしが勝ったら、えと……うーんと、……あ! ヒッキーとゆきのんとずっと一緒に居てもらうとか!」

 

 その前に誰が勝つかだろ。

 結衣の言葉にそう返して、けれど俺と雪ノ下も笑い、否定はしなかった。

 誰かとずっと一緒にってのは無理だと、今でも思っている。

 が、いずれ別れたとしても、なんらかのきっかけでどこかでまた出会えれば───そんな機会が作れれば、会いに行くことなんて案外ぽんと出来てしまうものなのだろう。

 だから、まあ。

 

「じゃあ俺が勝ったら」

「そうね、私が勝ったら」

「結衣に、」

「由比ヶ浜さんに、」

『ずっと一緒に居てもらうわ』

「ほえ? …………うえっ!? えぇええっ!?」

 

 恋人として親友として。

 願う意味は違っても、隣に居てほしい人は同じ。

 結局はまあ、こういうやりとりの先で、腐れ縁っていうのは出来ていくのだろう。

 まあ今までぼっちであった俺が、どれだけその付き合いを維持できるか、ってのもあるが。

 無くしたくないって思ったなら、頑張る価値くらいあるだろ。

 あるなら知る努力からだよな。……よし。

 焦ることなくじっくりやっていこう。必要になれば急ぐ。言葉にするなら明日から本気出す。冗談じゃなくて本気で。

 明日になるまで何をするかって? そりゃ……その。

 もういつでも退部出来るってのに、自らここに居座る覚悟? ってのを、ちゃんと自分の意志で選び切る準備っつーか。いや、準備の準備をしたいわけじゃなくて。

 ちゃんと自分で選んだ上で、まちがっていてもいいって思える青春を、って。

 ……それだけだよ。

 いいだろ、それで。

 

 

 

 

 

 

 あ、そうだよゆきのん、ヒッキー! もしかしたら平塚先生、こーおつつけがたしー、とか言って、全員が勝利とか言うかも!

 

   あー……ジャンプ系の展開好きだからなぁあの人。

 

 だからさだからさっ、そうなったら平塚先生が負けってことにして、

 

  平塚先生に命令を? ……比企谷くん、卑猥なことは───

 

   いや考えてねーよ。なんで呆れる速さでそんなこと疑われてんの俺。ねーから。これっぽっちも。ただ───

 

 ? ただ?

 

   ……誰とは言わないから、命令で“早く結婚してください”って

 

  比企谷くん……べつに惜しくない人を亡くしたわね。

 

   おいちょっと待とうか雪ノ下? なんで俺死んでることにされてんの? 読めた展開だったけど。

 

 ヒッキー……それはひどいよ……。

 

   うぐっ……だな。その、悪い。いい人ではあるんだから、叶うといいなってのは本心なんだよ。

 

 あー……そだねー……。じゃああたしたちで探してみるとか!

 

  やめなさい由比ヶ浜さん、それは洒落にならないわ。

 

   ほんとやめろ、冗談でもやめ───……やめてください、死んでしまいます。

 

 え、う、うん……。死んじゃうのは困る。やだ。うん。……えと、でもなんで?

 

   生徒に男紹介されて結婚って、あの人のイメージじゃねぇだろ……押しつけかもしれねぇけど。

 

  むしろ紹介するから結婚してくださいなんて、口が裂けても言えないでしょう?

 

 えっと……

 

   ママさんが俺じゃなくて適当な男を紹介してき───

 

 やだ! ……っ……あっ……、ふ、ふえっ……あぅううぁあ……!!

 

   ……お、おう。つまりはそういうこと……な……《かぁああ……!!》

 

 あ、あぅう……! う、うん……わわわかった……《かぁああ……!》

 

  はぁ……いちゃつくのなら別の場所でしてほしいものね……。

 

 い、いちゃついてなんか、ないよ? いちゃつくってさ、もっとほら、あれがあーして……ね、ヒッキー?

 

   いやおまっ……!

 

  ……比企谷くん? 日頃から由比ヶ浜さんにどういったことをしているのか。是非聞かせてもらいたいのだけれど。

 

   ひ、ひやっ……ほらしょの、あれだよ……ひ、ひひっひひ膝枕、とか。

 

 うん。そんでね、頭撫でてくれたり髪梳いてくれたり、

 

   いやちょっ……!

 

 お団子結わってくれたりやさしい顔で見つめてくれたり、

 

   ゆ、結衣さんっ……!? ちょ、結衣さーん……!?

 

 えへへへへぇ……♪ キスしてくれたりっ!

 

   おまっ!?

 

  平塚先生を呼びましょう。《ピッprrrr》

 

   やめて!?

 

  《ブツッ……》……まさか二人の関係がそこまで進んでいたなんて……! せ、せいぜい手を繋ぐ程度とばかり思っていたのに……! ここここういうことは、その、まずは交換日記からではないの……!?

 

   お前何年前の人間だよ……。

 

  今の言葉、録音させてもらったわ。平塚先生に転送しましょう。

 

   やめてお願いマジでやめて!?

 

 あ、でも交換日記って言葉、久しぶりに聞いたかも。日記っていえば、子供の頃ね? 物置の奥でパパの日記見つけてさ。夜空に煌くきみの……なんちゃら? なんか不思議なことがいっぱい書いてあったなー。あれどこ行ったんだろ。

 

   おまっ、それポエム───

 

  比企谷くん。

 

   お、おう。……しかし意外だった……あの人にそんな趣味g

 

 あ。あと子供の頃のパパの右目には黒き力、とかゆーのが《がしぃっ!》きゃんっ!?

 

   や め て さ し あ げ ろ。

 

 え? え? ヒッキ《きゅっ》わっ……ゆきのん?

 

  由比ヶ浜さん、お願いやめて。

 

 え? う、うん……?

 

  …………。

 

   …………。

 

  その。比企谷くん。心中を…………察せないわ、ごめんなさい。

 

   いや……うん……やめろよ……。ほんとやめて……。

 

 ヒ、ヒッキー? ゆきのん?

 

   ……結衣。親父さんの誕生日、いつだ? なんか今めっちゃ祝いたい気分なんだ。

 

 え? パパの? えと……ごめん解んない。あ、でもママのなら知ってるよ!

 

  っ……!《ブワッ》

 

   っ……!《ブワッ》

 

 え!? なんで泣くの!? え!?

 

   俺……頑張って働いて、親父さんに酒でも買うわ……。

 

  高校生でも寄贈用に購入できる、しっかりとした場所を紹介するわ……。真心を込めて選びなさい……。

 

   そだな……。なんか俺、親父さんとは仲良く出来る気がするんだ……。

 

  そうね……財津くんと仲の良いあなたなら───

 

   だからやめてさしあげろ。

 

  ご、ごめんなさい。……その、紅茶を淹れるわね。

 

   お、おう。……あー……あれだ。カップ用意するわ、俺……。

 

 え? ゆきのん? ヒッキー? どしたの急に……ねぇ? ねーえー……?

 

   あと、あれな。爪が治ったら、ああえっと、なんだ、その。快復祝い? でも……する、か?

 

 あ……ヒッキー……! うんっ、ありがと、ヒッキー!

 

   いや、まだやってもないのに礼を言われてもな。早ぇえよ。

 

  そうね……なら私はケーキでも焼こうかしら。

 

 いいの!? ありがとーゆきのーん! じゃあ急いで治さなきゃだね!

 

  ふふふっ……落ち着きなさい、由比ヶ浜さん。あなたはそこのゾンビと違うのだから、興奮して余計な熱を持たせて悪化させては危険よ。

 

   だから人を例えに使う時に罵倒すんのはやめろ。いっそ律儀に感じるわ。ていうかせめて谷はつけろよ……それただのゾンビだろ。

 

  そうね……ごめんなさい。悪かったわ、ゾンビ谷くん。

 

   いやちょっと? 雪ノ下さん? それ違うからね? べつにそう呼ばれたくて言ったわけじゃないからね?

 

 もー……ゆきのんもいい加減、名前でいじくるのやめたげようよー……。

 

  (いじる云々がそもそもとして無ければ、私はゆきのんではなかったのではないかしら……)

 

   (いじる云々がそもそも無けりゃ、俺ってヒッキーじゃなかったんじゃ……)

 

 ? ゆきのん? ヒッキー? 

 

  いいえ、なんでもないわ、ゆいゆい。

 

 《がたたっ》ふえっひぇ!? え!? どどどしたのゆきのん!?

 

   いや、なんでもないぞ、ゆいゆい。

 

 ヒッキーまで!? や、ちょ、やめてよ、特別な呼ばれ方って憧れるけど、それはちょっとヤかなー、って……。

 

  さ、紅茶が入ったわゆいゆい、どうぞ。……比企谷くん、飲みなさい。

 

   なんで俺だけ命令的なんだよ……あぁほれ、ゆいゆいも急に立ち上がってないで座れって。

 

 え、えー!? なんなの!? なんなの!? よく解んないけどやめてよぉ!

 

  べつにいいじゃない、ゆいゆい。そもそもあなたがゆきのんと呼び出したのだから、私はきちんとそれに応えるべきだったのよ。

 

   おう、そうな。つーわけだ、俺もゆいゆいって呼ぶからよろしくな、ゆいゆい。

 

 え、やっ………………~~…………そ、だよね。あたしから呼んだんだし、あたしが受け入れないのは、へんだよね?

 

  え゙っ……!? ゆ、ゆひっ……ゆいがはま、さん……!?

 

 あ、ううん、いいよゆきのん、ゆいゆいで。なんかこう、ほら、呼ばれ慣れれば案外いいカンジに聞こえてくるかもしれないしっ! ねっ、ヒッキー!

 

   あ、いや……ゆ、結衣?

 

 なぁにっ!? ヒッキー!

 

   そのだな。仕返しがしたかったんだろうけど、結局それっていつも通りで、お前がゆいゆいって呼ばれるだけだぞ?

 

 え? ………………~~~~《かぁああああっ!!》うわぁんゆきのんのばかー!

 

  《ぐさぁっ!》ふきゅっ!? …………《がぁああああん…………!!》

 

   あ、あー……まあ、あれな。ナレーション入れるなら……友人の一言が、初めて凶器になった瞬間であった、……とかか? ドンマイだゆきのん、お前は悪くない。

 

   

 

 

 

 ちゃんちゃん、と。

 

 自分の意志で居座るようになった部活は、今日も今日とて暇で暇で。

 

 ……そのくせ、退屈ではない不思議な場所でしたとさ。

 

 めでたしめでたし。

 

 ……めでたいのか? これ。



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再会は友達とともに

 勇気が出せなかった。

 たった一歩を進めば終わるだけのものだったはずなのに、その一歩が踏み出せないで、気づけば随分と時間が経っちゃって。

 その過程で長い間見つめていた所為か、わかったことはいくつか。

 

 1、その人はいっつも一人で居ること。

 

 2、べつにいじめがあるとかじゃなく、自分から一人で居ること。

 

 3、話しかけられた場合も、自分からすぐに会話を終わらせちゃうこと。

 

 きっと、あたしがお礼を言ったところで、ああそう、とかそんな言葉で終わるんだろうね。

 それはちょっと寂しい。

 そりゃ、最初こそはそれでいいとは思ったんだ。

 お礼を言って、菓子折りを渡して、ごめんなさいを言って、それで、終わり。

 男の子だし、それがきっかけで妙な接点が出来てもな、なんて思いは……正直に言えばあったんだ。

 でも……すぐにそんな考えは消えて、学校でその人を探す日々は、いつの間にかあたしの楽しみになっていた。

 

(今日も机に突っ伏してる……)

 

 ある日は机に突っ伏して、イヤホンを付けて音を遮断。

 ある日は居なくて、探しても見つからない時が大体。

 探すあまりにお昼を食べ損ねたこともあった。

 どうやってるのか知んないけど、見つけるのが凄く難しいのだ、えと、ひ、ひー……比企谷くんは。

 思い返せば、結局そうして何日も何ヶ月も先延ばして、気づけば退院しちゃってたんだよね。

 病室に行ってお菓子渡して、ありがとうとごめんなさい。

 それを伝えればきっと終わってた筈の、こんなよくわからない関係。

 罪悪感と、はっきりしない小さな気持ちだけが、心の中で燻っていた。

 で、学校に通えるようになった現在も、結局渡せてないし謝れてもいない。

 仕方ないからもう家に突撃するしかないかな、なんて、病室を訪ねるよりも恐怖と緊張でどっくんどっくん鳴る胸を押さえながら、あたしは……比企谷家の前に来た。

 住所は知ってたんだ。いろいろあったから。

 

「………」

 

 放課後に、同じクラスなわけでもない人の家に来る。

 リュックに入れていた菓子折りを手に、そわそわして。

 制服で、って……やめておけばよかったかな。

 これだと同じ学校だってのがわかっちゃって、そんな噂が広がって、リードをちゃんと握ってなかったから事故った人がー、とか…………ううん、だとしても、それは本当のことだし受け止めなきゃだ。

 

「……ん、覚悟決まった」

「なにがです?」

「うひゃああっ!?」

 

 むんっ、てお菓子を持ってない手をぎゅって握って気合いを入れてたら、後ろから声。

 振り向くと、かわいい女の子が居た。

 

「ひやっ、あ、ああああのあのあの、ああああたし、べちゅ、べつにあやしいものじゃにゃくてっ……!」

「いや、現在進行形でめっちゃくちゃ怪しいです。とりあえず落ち着きましょうね」

「あ、ぅ、ぅうぅぅううん……!」

 

 びっくりした……!

 にっこり笑って言ってくれる女の子……その落ち着いた様子に、あたしも少しほっとした。

 これで急に怒鳴られたり、とかだったら泣いてたかもしれない。

 ……はぁ、ちゃんとしなきゃだ。がんばれ、結衣。高校ではちゃんとやるって、そう思ったから頑張ったんだから。

 

「え、えっと、ひきゅっ……比企谷さんのお宅で、いい……ですよね?」

「? えと、はい、たしかにここは比企谷で、小町も比企谷ですけど」

「わわわっ……あの、えと、これっ……つつつつまらなっ……ありっ……ごごごごめんなさいぃいっ!?」

「うえぇえっ!? あの、本気で落ち着いてくれません!? なに言ってるのかちょっと小町にはわからなすぎます!」

 

 勇気を出したその日。

 出会った関係者さん……たぶん妹さんを、とっても混乱させてしまいました。泣いていいかなぁ、あたし……。

 

   ×   ×   ×

 

 ところどころでつっかえまくって、どもりまくって、泣きそうになりながら説明を終了する。

 なんか余計なことまで話しちゃった気がするけど、気にする余裕がなかった。

 

「なるほどー……あなたが件のワンちゃんの飼い主さん……」

「は、はいっ、由比ヶ浜結衣っていいましゅ!」

「あの、緊張してるのは小町、よ~くわかったので、やっぱりとにかく落ち着いてくださいね。あと敬語とか大丈夫なので」

「~~……ごめんね、小町ちゃん……!」

 

 顔から火が出そうって、こんな時に使うんだろうね……もうほんと、恥ずかしすぎて涙出そうだ……ていうかちょっとだけ滲んでる。

 

「で、その由比ヶ浜結衣さん……えと、結衣さんでいいですか?」

「あ、うん」

「はい、じゃあ結衣さんで。その結衣さんは、この数ヶ月間に渡り、兄に謝罪したくて、時には遠くから、時には擦れ違いを装って兄を観察して、話すためのきっかけを作ろうと必死だったというのに、宅の兄がどうしようもないほどに人との関係を嫌い、誰がどうしてるわけでもないのに拒絶の意を体から滲み出して牽制し続けていたと」

「なんでそこまでわかるの!? あたしそんなこと言ってないのに!」

「はあ……まあ、うちの兄ですからねー……学校でやってそうなことくらい想像がつくといいますか。それであのー……兄、どうですか? 妹の小町が言うのもなんですけど、悪い物件じゃないと思うんですけど」

「? 物件? えと、あたしべつに、家は探してないんだけど……」

「───稀にも見ないピュアな人だ……! いえいえいえいえなんでもありませんっ! あ、ところでなんですけどね結衣さんっ、この菓子折り、やっぱり小町的には感謝の気持ちを込めて、結衣さんが直接、兄に渡すべきなんじゃないかなーと思うんですよ!」

「えっ……あ、うん……やっぱそうかな……」

「大丈夫ですよ、小町もきちんとサポートしますからっ! まずは話すところから始めてみましょう!」

「話すって……ありがとうとごめんなさいを言うだけなんだけど……」

「あー……兄ならそれ以上を言うと警戒しかしそうにありませんね」

「そうなんだ!? ……え!? たった二言だよ!?」

「まあ、兄ですし」

 

 うわぁあ……会話とか終わらせるの上手いな~とか思ってたけど、そうなんだ……。

 あたしなんて話とか振られても、曖昧に返事して、結局はそうだよねー、とかしか言えないのに。

 あと……男子に話振られて、一緒にどこそこに行かない? とか言われた時も……断りづらいし、断ったらどうなるんだろうって考えるとキッパリ断るのも怖くて。

 ……だめだなぁ、あたし。もっとハッキリ言えるようにならないと。

 

「うーん……罪悪感だけじゃなさそうなんだけどな~……。ぜ~ったい、小町的にポイント高そうななにかが燻ってそうっていうか……うーん」

「小町ちゃん?」

「あ、いえいえなんでもないです。じゃあそうですね、連絡先の交換とか、いいですか?」

「え? うん、いいけど……」

 

 聞いてどうするんだろう、とは思ったけど、こういうのは誠意だと思うから、足踏みしてないで踏み込んでいこう。勇気勇気っ……!

 ……こうして、あたしの一歩目は始まった。

 小町ちゃんからは定期的とは違うけど、しょっちゅうメールが着て、結局のところそんなふうに気軽にメール出来る友達も居なかったあたしとしては、そんな小町ちゃんの存在がありがたかった。

 あたしの方が年上なのに、小町ちゃんが聞き上手だからなのか、気づいたら相談とかしちゃってて、アドバイスもらったりして。

 しっかりしなきゃって思ってたくせに、あたしってほんと…………はぁ。

 

……。

 

 また一ヶ月経った。

 その間、クラスでグループに誘われたりもしたけど、小町ちゃんの助言でパス。

 “人の悪口で繋がりを保つグループに居て、いいことなんてひとっつもありませんっ!”て断言された。

 あたしだけだったらなあなあのままグループに入って、したくもない誰かの悪口への相槌を身に着けちゃってたかもしれない。

 本心でもないのに、気づけばキモいとか言っちゃってたりとか。

 そんなのは嫌だって思うから、ちゃんと断った。

 その所為であたしがちょっと悪口とか言われちゃったけど、本心じゃないことを言うのがクセになっちゃうよりは全然いい。

 上手く人と付き合えないし、自分の意見も言えないあたしだけど、そういうところでくらいは誠実でいたいから。

 

「あ、結衣さーん!」

「あっ、小町ちゃんっ」

 

 小町ちゃんとは図書館で落ち合って話し合ったりしてる。

 小町ちゃんいわく、勉強は合格したあとなどが一番危険なので、予習復習はしておきましょう、だそうで。うん、それわかるかも。

 あたしもあのまま、グループとかに入って、そっちに付きっきりだったら、ここに入学するためにせっかく頑張ったいろんなもの、なくしてたかもしれない。

 

「まあ、小町が教えてほしいっていう打算的な部分もありますが」

「ううん、あたしも復習できるから」

「はぁ~……ほんっといい人ですよねー、結衣さん。言いたいことを言わせてもらえるなら、人としてっていうか……女として」

「?」

 

 いい女ってことかな。よくわかんないや。

 いい女なら、きっともう比企谷くんにはお礼も謝罪も出来てただろうし、兄に謝罪も済んでないのにその妹と笑顔でお話とかしてないと思うな。

 

「まあともかくですよ。こっちでも少しずつ兄の性格を宥めてますんで」

「うん。せめて話せるように、だよね」

 

 まず話が出来なきゃどうしようもない。

 初めて小町ちゃんと会った時みたいに、あんなに慌てたらありがとうごめんなさいどころじゃないから。

 

「………」

「結衣さん?」

「……小町ちゃん。なんかちょっと……違くない? とか思ったんだけど」

「気の所為ですって! 結衣さんはお礼と謝罪を届けたくて、小町はそのサポートをしたい。ほらほら、な~んも間違ってませんよ?」

「で、でもさ、あんまり時間かけちゃってたら二年生になっちゃうし……そしたらさすがに、こんな時期になってなに今さら来てんの? とか言われたりしちゃうんじゃないかな……!」

「ああ、それなら心配いりません。結衣さんに声かけられたら、兄ならまず冷静に言葉を返す余裕とかなくなりますから。なので結衣さん、きちんと兄と話せる状況を作りましょう。最近じゃようやく小町とも話せるようになってきたわけですし」

「……一ヶ月って案外早いよね」

「ですねー」

 

 もたもたしてたら、この一ヶ月も無駄に過ぎていくだけだ。

 頑張らないと。うん。

 

……。

 

 そんなわけで、比企谷くんを見守る日々が続いた。

 家ではあんなことしてたよー、とかこんなことしてたよー、とか小町ちゃんが教えてくれる。

 これってストーカーじゃないかな、って訊いてみたら、小町ちゃんは断じて違いますってキッパリ。

 「少なくとも小町は許可してますし、兄に訊いてみたら“知りたけりゃ勝手に知ればいいんじゃねーの?”と許可が出ましたから!」……そ、そなんだ。意外だなぁ。

 「……まあ、そんな奴が居るならな、なんて自虐がおまけされましたけど《ぽしょり》」え? 小町ちゃん今なんて? 小町ちゃん!? ねぇ!?

 うー……えっと、うん。とにかく。

 彼を見守る中で、少しずつ彼を知った。

 やさしいところ、不思議なところ、笑うとちょっと……素直に言うなら気持ち悪いところとか、犬も猫も好きなところとか。

 彼自身は自分以外にやさしいのに、周囲は彼にやさしくないところ……とかも。

 なんで、どうして、って思うところも結構あって、その大半は……彼の小学から中学の頃に問題があったって、小町ちゃんが教えてくれた。

 一人で居ようとする理由も、そこから想像がついて、悔しくて少し泣いちゃったのは内緒だ。

 

「───……」

 

 時々、楽しそうに笑う集団を、なにか手の届かないものを眺めるみたいな目で見ていた。

 そんな彼に気づいちゃった時、心の奥底になにかが響いた。

 でも……なにを言えばいいのかわからなくて。

 なにを届ければいいのかもわからなくて。

 ありがとうやごめんなさいを言いたかっただけなはずなのに、もうそれだけじゃ足りなくなっている自分に気づいてしまった。

 

   ×   ×   ×

 

 FROM 由比ヶ浜結衣 20:18

 TITLE えっと

 ねぇ小町ちゃん、ちょっと相談したいんだけど、いいかな

 

 FROM 小町 20:31

 TITLE はいはい~♪

 すいません、ちょっと兄に捕まってました。もっちろんオッケーです!

 あ、どうします? 電話にします?

 

 FROM 由比ヶ浜結衣 20:33

 TITLE ごめんね、このままで

 電話だとママにいろいろ言われそうだから。えっとさ、比企谷くんのことなんだけどね?

 えっと、どう言えばいいのかな

 

 FROM 小町 20:34

 TITLE ?

 まさかうちの兄が結衣さんになにかしましたか?

 だとしたら今すぐ踏み潰してきますが

 

 FROM 由比ヶ浜結衣 20:36

 TITLE ややや!

 そういうのじゃないから大丈夫! 待って! 踏み潰すってなに!?

 あの、ね? ちょっと相談に乗ってもらいたくて

 

 FROM 小町 20:36

 TITLE ええ

 それは聞きました、どうぞどうぞ

 

 FROM 由比ヶ浜結衣 20:45

 TITLE ごめんね

 相談っていうのはさ、比企谷くんのことで。

 

 FROM 小町 20:45

 TITLE あの、それも聞きました

 よーく悩んでるのはわかりますけど、もうどどんと言っちゃってください。

 39分の時点でこんな文章即座に返してやるって思い付いちゃったじゃないですか

 

 FROM 由比ヶ浜結衣 20:48

 TITLE ごめんなさい

 言うね、もう。言っちゃう。

 えっとね、小町ちゃんのお兄ちゃんのことなんだけどね。

 あの、ありがとうとごめんなさいじゃ、足りなくなっちゃって

 

 FROM 小町 20:49

 TITLE あの

 ごめんなさい仰る意味がわからないのですが……おんどりゃあでも付け加えますか?

 

 FROM 由比ヶ浜結衣 20:52

 TITLE そういうのじゃなくてね!?Σ(゚д゚lll)

 言おうと思ってた言葉じゃ足りないっていうか、もっと伝えたい言葉とか、言いたいこととか増えちゃったっていうか

 あの、小町ちゃん? 今のおんどりゃあって、もしかしてちょっと怒ってるから書いちゃった、とかだったりするのかな

 

 FROM 小町 20:54

 TITLE (# ゚益゚)イイエェ?

 それはないので早くなにを言いたいのか教えてください

 

 FROM 由比ヶ浜結衣 20:55

 TITLE (´;ω;`)

 ごめんね

 

 FROM 小町 20:56

 TITLE Σ(゚д゚lll)

 冗談ですごめんなさい!

 

……。

 

 あれから何度かメールでやりとりをして、自分自身でも少しずつ、文字を打ちながら気持ちの整理をしていった。

 もやもやしたものがなんなのか、一文字一文字を自分自身で探るようにして確かめてゆく。

 サブレを助けた所為で独りぼっちになったのかと思えば、小町ちゃんは違うっていう。

 自分からそうあろうとしているだけだって言われれば、彼の行動を見てきたあたしは“ああそっか”って頷くしかなくて。

 そんな彼を見て、思うことを続けて、気づけば彼のことばっかりを考えている自分に気づいて、やがて溜め息を吐く。

 

「……えっと」

 

 FROM 由比ヶ浜結衣 17:22

 TITLE あのさ、小町ちゃん

 特定の人を見てることが多くなって、その人のことを考えることが多くなって、廊下でたまたま擦れ違っただけでぎゅうって締め付けられるような感覚って、なにかわかる?

 

 FROM 小町 17:24

 TITLE あの

 うちの兄がなにか逆鱗に触れるようなことをしたのなら、兄に代わって小町が誠心誠意謝りますので、許してあげてください

 

 FROM 由比ヶ浜結衣 17:25

 TITLE なんでそうなるの!?Σ(゚д゚lll)

 自分でもよくわかんないけどそういう方向のじゃないってことだけは断言したいなぁあたし!

 

 FROM 小町 17:27

 TITLE 冗談です( ̄▽ ̄)

 焦らないでじっくり知っていきましょう。

 そういうのって無理矢理名前をつけて「コレダー」って決めつけても、勘違いだった~なんてよくありそうですし

 

 FROM 由比ヶ浜結衣 17:29

 TITLE そっか

 わかった。もう少し考えてみるよ。

 前までは苦しいばっかりだったけど、最近だとなんかあったかいんだ。

 悪いことじゃないよね? これって。

 

 FROM 小町 17:33

 TITLE もちろんです

 やさしい気持ちになれたり、ちょっとウキウキしちゃったりするなら、それはまちがいなくいい感情ですよ。

 あと結衣さん、いい加減そのフルネームをなんとかしましょう。

 

 FROM 由比ヶ浜結衣 17:34

 TITLE え?

 ヘンかな

 

 FROM 小町 17:37

 TITLE はい

 うちの兄も小町が指摘するまで比企谷八幡のままでしたし。

 もうちょっとフレンドリーな感じでいきましょう。

 

 FROM あなたの友達 17:41

 TITLE こんな感じ?

 どうかな

 

 FROM 小町 17:43

 TITLE あの

 その返し方、勘違いしたうちの兄レベルで怖いしキモいのでやめましょうね

 

 FROM 達結衣 17:46

 TITLE 小町ちゃんひどい!?

 これでも考えたのに!

 

 FROM 小町 17:48

 TITLE はいはい

 残ってます、急いで消したんでしょうけど“達”が残ってますよー。

 

「~~……《かぁあ……》」

 

 なんかあたし、小町ちゃんには勝てないような気がしてきた……。

 

   ×   ×   ×

 

 なんやかんやあって、小町ちゃんとばっかり仲良くなる日々が続いた。

 こうして図書館で勉強するのも慣れたなーって思う。

 今のところ、総武を合格した時よりも学力には自信が持ててる。

 小町ちゃんも成績を伸ばしていて、この間なんか高得点のテストを突き出して胸を張ってた。かわいい。

 

「いやー……でも参りましたよ」

「? どしたの?」

「いえ、うちの兄がですね? お母さんにテストの点数を自慢する小町を怪しむようになりまして。いつ勉強なんてしてんの、とか言い出しまして」

「え? 家でもしてるんだよね?」

「…………《ソッ》」

「小町ちゃん!? なんで目、逸らすの!?」

 

 えぇええ!? じゃあ家でもっとちゃんとやってれば、もっと高得点とか取れたんじゃないの!?

 小町ちゃんそれもったいないよ!

 とは言うけど、家じゃ監視&一緒に勉強してくれる人も居ないから、だらけちゃうんだって。うー……わかるけどさ。

 

「で、ですね? 出掛けようとする度に何処行くんだーとか訊いてくるようになりまして。あ、これは前からなんですけど、最近は特に」

「あー……お兄ちゃんとしては心配だよね。あたしだって小町ちゃんくらい可愛い妹が居たら、悪い男子に捕まったりしてないかなーとか心配になっちゃうもん」

「……結衣さんにそういうこと言われると、さすがに照れますね……。兄には似たようなこと、言われたりはするんですけど」

「うん……それで、えっと、比企谷くんにはなんて言って出てきてるの?」

「え? いい加減しつこいので、図書館で勉強してるだけだからって正直に」

「そっか。うん。嘘ついたってしょうがないもんね。じゃあ、比企谷くんを安心させるためにも、ちゃんと勉強しなきゃだ」

「おー!」

 

 声を潜めながら、おー、と言って拳を突き上げる。

 ……と、にこにこ笑う小町ちゃんが急に「おぉっほぉお!?」なんて声を出した。

 わー小町ちゃん!? しー! しーーーっ!! ~~……うあああ他のみんなの目が怖いぃい……!

 

「ど、どしたの小町ちゃん……! 図書館ではお静かにだよ……!?」

「い、いえちょっとあの……! お、お兄ちゃん、なんで……!」

「え?」

 

 …………エ?

 お兄ちゃん? …………エ?

 耳に届いた、届いてほしくなかった言葉を整理しながら、反射的にくるりと後ろを振り返る。

 ……と、あの日の彼。

 あたしと同じく学校帰りのそのままなのか、制服のままであたしの後ろ……より結構離れた場所に立っていた。

 目が特徴的な彼を、まさか見間違えるはずもなく、むしろ小町ちゃんもお兄ちゃんって言ってるから正真正銘比企谷八幡くんなわけで。

 

(───)

 

 あ、あれ? どうすればいいんだっけ。

 なにをするんだっけ。

 おれっ、お礼っ!? そう、お礼っ! と、ごめんなさいを───うひゃあお菓子忘れた!

 ここここういう場合はどうしたらっ……!

 えと、ええとぉお……!!

 

「ちょっとお兄ちゃん……! なんで図書館来てんの……!《ぽしょぉ……!》」

「いや、そりゃ来るだろ。来るよな? あの勉強嫌いの妹が急に図書館通いとか誰だって疑うだろーが。てっきりお兄ちゃんはその、悪い虫っつーか害虫でもひっついてんじゃねぇかとこうして密かにだな……。そしたらお前、その、なんだってこんな……え? つーかなんなのこの集まり。接点が見えないんですけど……? あ、いや、害虫居ないならむしろ俺は今すぐ帰る当然帰る帰りまくる帰るしかないまである《ぼそぼそ》」

「じゃあもう帰っていいから……! 男の子なんて居ないでしょー……!?《ぽしょぽしょ》」

「いや、そうなんだが……誰? こいつ《ぼそり》」

「こいつとか言わないの……! この人居なきゃ小町、あんな点数取れなかったんだから……! いーい……!? この人は恩人なの、お・ん・じ・んっ……! 失礼な態度とか取ったら小町、もうお兄ちゃんと口きかないどころか、適度に口利いて、溜め息吐いたり舌打ちしたりするから……!《ぽしょお……!》」

「無視されるよりきっついなおい……やめて? お兄ちゃん割とマジで泣いちゃうから……! てか、お、おうその、恩人、なのか…………そうか。あ、あー……その。…………ども」

「ふえっ、あ、え、と…………ど、どうも……」

「………」

「………」

 

 無理! 急に後ろにとかレベル高すぎだよ!

 ここここんなのどうしろっていうの!? むむむ無理だー! もう帰りたい!

 会話ってどうやるんだっけ!? あたし親しい友達なんて小町ちゃんだけだから、わかんないよぅ!

 

「ちょ、ちょっとちょっと? おい、ねぇ? 小町ちゃん……!? 恩人だからって、俺に女子相手にどう接しろっての……!? 言っとくけどお前、アレだよ……? 俺が本気で誰かと接点持とうとしたら、2秒でキモい言われる自信があるぞ……!?《ぼそぼそ》」

「お兄ちゃん……それはそれで小町、妹として恥ずかしいから自慢しないで」

「お、おう……なんかすまん───ん? ってちょっと待て? もしかしてこの人がちょくちょく言ってた話し相手ってやつか? 相談に乗ったり乗ってもらったりしてるとかなんとか」

「おっそい……! お兄ちゃん気づくのおっそい……! そんなんだから咄嗟の時に後手に回ってばっかなんでしょーが……!」

「いやそれ今関係ねぇだろ……何を為すにもお兄ちゃんが後手に回る理由に、班決めの時にいっつも最後まで残るからとか、二人1ペア組んでとか言われると最後まで余るからとか、班内で意見交換は大事ですとか先生が言ってるのに器用に俺の意見だけはシカトされるからとか、そういうのは全然関係してないんだからね?」

「お兄ちゃん例え長すぎだから。理屈ぶる人は嫌われるって何度も言ってるでしょー?」

「んじゃ今の心境を簡潔に纏めてみろ。言っておくが俺は現代国語に自信の重きを置く兄だ。小町の言葉が俺の胸を震わせるような言葉だったら───」

「お兄ちゃんキモい」

「簡潔すぎだろおい……」

 

 胸に届きすぎたらしい。

 比企谷くん、涙目だった。

 

「はぁ……もうちょいお互いが緊張しないようにってしたかったのに……。じゃ、ほら、お兄ちゃん、こっち座ってこっち」

「へ? あ、お、おう……?」

「結衣さんもほら、たぶん今日は菓子折り持ってないでしょーけど」

「え? う、うん……」

 

 てきぱき。そんな言葉が似合うくらい、小町ちゃんはさあさとあたしと比企谷くんを促して座らせる。

 っていってもあたしはずっと座りっぱなしだったし、比企谷くんは正面ってわけじゃない。これはちょっと安心した。いきなり正面とか座られたら緊張する。

 それから小町ちゃんは戸惑うあたしの代わりに出会いの経緯を話し始めて、それじゃあダメだからってあたしから言わせてもらって、会話は始まった。

 

「犬……って、あぁ、だからか。つまり小町の勉強見てたのも───」

「友達だからだよ?」

「えっ……いや、小町? それは───」

「お兄ちゃん。なんでも自分の物差しで測って、自分の意見ばっかり押し付けるのはやめようね? 少なくとも小町と結衣さんはちゃんと話し合って、“ワンちゃんを助けたのは兄ですから”って納得し合ってから友達になったの。そこにお兄ちゃんがどうしたから~とか、そーゆーのはぶっちゃけちゃえば関係ないの」

「あの、小町ちゃん? さっきからお兄ちゃんに言葉が刺さって痛いから、もうちょっと言葉選んで?」

「お兄ちゃんも選んでくれたら小町もそうするよ? 今、お兄ちゃん、結衣さんになんて言おうとしたの? どーせ自分はぼっちだから~とか、過去の経験から生まれた屁理屈を並べようとしただけでしょ?」

「いや“だけ”っておまっ……!」

「お兄ちゃん」

「お、おう」

「この人、小町の恩人でお友達」

「……おう」

「で、お兄ちゃんは結衣さんの恩人で、ワンちゃんの命の恩人」

「うん。そう」

「……だから、そう思うからこうして───」

 

 ずきんって胸が痛む。

 感謝は、そりゃあある。

 罪悪感も。

 でもそれだけじゃないって言いたいのに、比企谷くんはあたしが口を開くのを恐れるみたいに口早に喋る。

 それが、お前は喋るなって言われてるみたいで、悲しい。

 

「お兄ちゃん。小町は言いましたね? お兄ちゃんキモいって」

「改めてとかやめて? お兄ちゃん泣いちゃう」

「妹の小町でさえそう思うのに、ここに居る結衣さんは、お兄ちゃんにありがとうって言うのと、ごめんなさいを言うために、何ヶ月もずーっと見てました。……言いたいこと、わかる?」

「……キモさなんて熟知してるってことか?」

「ちっがうってばばかっ! んっとにこのばか兄はー!」

「妹が決定的な言葉も出さないくせに、兄を馬鹿馬鹿罵倒しまくってくる……泣きたい」

「あのね、熟知とまではいかなくても、今までの“みんな”と違って“なかったこと”にせずに向き合おうとしてくれてるの! 言わないまま、知らんぷりするのなんて簡単なんだよ!? あいつキモいからパス、どうせ相手も忘れてるっしょ、なんて言って感謝も投げ捨てる人なんてどんだけ居るか、お兄ちゃんが知らないわけがないでしょーが!」

「………」

「……ごめん」

 

 声を荒げる小町ちゃんに、比企谷くんがジェスチャーで声量を下げろって伝える。

 すぐに俯いて声を小さくする小町ちゃんは、ばつが悪そうだった。

 

「つまり……あれか? 突っ返すポーズは取らずに、きちんと向き合えって……そう言いてぇの?」

「……そ。お兄ちゃんがさ、小学中学って、嫌な思いしてきたの、小町だって知ってる。でもさ、これから知り合う人は、そんなの知らないんだよ? なのに最初から“どうせ”って考えで突き放したりするの、あんまりだと思う」

「小町ちゃん……」

「……小町が───……いや、これ言うのはお門違いってやつか。すまん、忘れてくれ。……で……えぇっと? ど、どなたでしたっけ?」

「あ、はい、えっと。ゆ、由比ヶ浜結衣っていいましゅ」

 

 ……。噛んだ死にたい……!

 

「お、おお……知っての通り、ってのもありぇ……げふん。あれだが、ひきゅ……比企谷はちゅ……八幡でしゅ……です」

「………」

「………」

「……あれ? これ、小町も自己紹介して噛む流れ?」

『しなくていいから……!!』

 

 声が重なった。

 お互い、顔真っ赤だ。

 

「あ、あーその、すまん。とりあえず、そだな。たしかに……あんたには関係ないんだし、トラウマだのはこの際そこらに捨てて、話させてもらう。……今聞いてもらってわかる、とおり、その……会話には、あれだ、あー……あんま、慣れてない」

「う、うぅぅうん……あた、あたしも……なんだ。友達って呼べるような人……小町ちゃんしか居なくて……」

「……まじかよ。そんだけ可愛くてぼっちとか、世の中わからねぇな……。あれじゃねぇの? 顔が整ってて性格良けりゃあ友達も恋人も出来るもんじゃねぇの?」

「……それ、女子だと逆かもしれない……かな。あ、や、あたしがそうだって言いたいんじゃなくてさ。……女の子だって綺麗なとこばっかじゃないし、嫉妬だってするし喧嘩もするから。あたしは……自分の意見とか言えなくて、周りに合わせてばっかだったから、本当に仲のいいコも居なくて、一緒に居るつもりだった人がさ、“ふいっ”て……どっか行っちゃえばさ、すぐに孤立しちゃうんだ。そして気づくの。友達なんて居なかった、って」

「…………」

「……それでも……」

「……ああ。それでも」

「うん……それでも……」

 

 それでも。こっちは、友達のつもりだったんだ。

 楽しかったし、楽しんでくれてるって思ってた。

 でも違くて、勝手に燥いでたのはこっちだけで。

 本当に、人って難しい。

 もっと単純だったらよかったのにって、やっぱり何度でも思っちゃう。

 

「………」

「………」

 

 きっと、こんな始まり方でいいんだ、って……お互いが思った。

 小さく息を漏らして、やがてぼっち自慢を開始した。

 こっちはこうだった、こっちはそういう場合はこうだった。

 傍から聞けばすっごくどうでもいいことだったんだろうけど……それでいいんだ。

 そんな、どうでもいいことにこそ……あたしたちは。

 理解して、頷いてくれる誰かがずっとずうっと欲しかったんだから。

 

「…………~♪」

 

 次第に、小さくだけど笑みが浮かび始めた頃。

 そんな不幸自慢をするようなあたしたちを、小町ちゃんは頬杖つきながら、楽しそうに見つめていた。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 今までで一番喋ったんじゃないかなってくらい喋ると、気づけばもう外は暗くて。

 あたしたち以外に客も居ないから、慌てて立ち上がって、いつの間にかくうくうと眠っていた小町ちゃんを起こ───……す前に。

 

『あのっ……ぁ……さ、先にっ……! ……あー……』

 

 声がつくづく重なった。

 照れ隠しに頬を掻く彼と、頭のお団子をくしくしいじるあたし。

 深呼吸してから、また声を重ねて気まずくならないようにって、要件の大元をポケットから取り出す───と、彼も同じことをしていて、気まずくなるどころかポカンと呆けたあとに、小さく笑った。

 

「えと、やっぱり……せ、赤外線とか……だよね?」

「お、おお、だな。やっぱりどうせなら、だよな」

 

 そうして、そわそわしながら赤外線通信で連絡先を交換。

 アドレス帳に追加された名前に頬を緩ませると、彼も同じく頬を緩ませていた。

 

「……比企谷くん」

「おわっ……わ、悪い、小町にも言われてんだけどな。なにか見ながら笑う俺は、ニタニタしてて気持ち悪いって」

「あ、うん……たまにやってた、あのニタっていう笑い方は……気持ち悪かったかな」

「ぐぅっ……そ、そか。正直に言ってくれてあんがとな……気をつける……」

「でもさ。たぶん……ほら。孤独な俺、格好いい! とか思わなきゃ、大丈夫だと思うんだ」

「……それ指摘されるのが、たぶん今日で一番キツかったわ……! そっか……格好いいって思ってやってたのが逆効果だった、って“ぼっちあるある”か……!」

「あはは……でも、わかってても格好良くとか、考えちゃうよね。女の子の場合は可愛くとか、やっぱり格好良くっていうのもあるけど《ヴィー!》わあっ!? ……あ、ママからだ……ご、ごめんね、ママ心配してるみたいだから……!」

「お、おう、気にすんな。んじゃあ、その……」

「う、うん……えっと……っ……~~……まっ───!」

 

 勇気、勇気だ。

 難しくなんかない、そうしたいって思ったものを、するだけでいいんだから。

 

「まっ……また、明日……っ……」

 

 そう言って、右手をぱたぱたって振る。

 比企谷くんは小さく声を漏らしたあと、息を飲んで……ニタっとしたものじゃなく、綺麗な笑顔でまた明日って返してくれた。

 や、うん。“ンま……ままぁままままた明日、な……!?”って、実際は結構声とかは引きつってたけど。

 でも……笑顔は本物だったから、あたしも笑って、歩き出した。

 

(進めた……のかな)

 

 一歩を踏み出す勇気が出せた。

 出せなかったなにかを、やりたかったなにかをようやく叶えることが出来たからか、胸がとっても熱くて、誰かに“あたしにも出来たよ!”って大きな声で伝えたい気分だった。

 でも、まだそんな誰かは居ないから、せめて……笑顔で迎えてくれるママに、“今日いいことがあった”って曖昧な言葉で、喜びを伝えようって思う。

 明日も頑張ろう。

 まだまだ燻りから火が灯ったばっかりのなにかを、ゆっくりと大きくしていくために。

 

 知らず、足は駆け足になっていた。

 顔はさっきから緩みっぱなしで。

 擦れ違う人が振り返る気配を感じると、ちょっと恥ずかしいのに緩みは止まらなくて。

 私はやがて、もういいやって笑顔を振りまくみたいに駆けだした。

 ハッと気づいたことを思わず口にしながら。

 

「あっ!? 結局あたし、お菓子も渡せてないしありがとうもごめんなさいも言えてないよ!?」

 

 早速用事が出来て、メールを飛ばしたあたしの顔は、きっとこの暗がりでもわかるくらいに真っ赤だった。



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誕生日のプレゼントは

 誕生日。

 それは誰かが誰かを祝う日……ではなく、誰かが誕生した日におめでとうを届ける日である。

 本日、8月8日、火曜日。

 俺の誕生日であるが、特に気にした様子の人、誰も無し。

 朝、ちょっぴりソワリとしながら小町あたりに祝われるかな~とか思っていたのだが、普通にスルー。

 朝食を作ってくれて、俺はそれを食べて、そのままガッコへ。

 自転車で送り届ける、なんてことは既に法律がアレでああなって更新されたので無理だ。

 ようするに中学まで一緒に歩いて送っただけ。ボデーガードってやつだな。

 

「………」

 

 そうして現在は、連絡網じゃ届けきれないお報せがあったとかで学校から連絡があり、急遽登校日と称した学校の集まりが儲けられ……総武高校の自分のクラスにて、こう、ほら、ととと戸塚あたりがおめでとうとか言ってくれるんじゃないかなーとか期待しつつ、やっぱりソワソワしていた。

 だがしかし、戸塚はおろか本日に限っては由比ヶ浜までもが俺を見ない。

 まるで俺だけがこの世界から削り取られたかのような、奇妙な孤独を感じながら……戸塚さえ祝ってくれないこの日、もしやサプライズ的なアレでも用意しているんじゃないか、なんて愚かな思考に辿り着く。

 放課後と言えるのか、いくつかの書類が配られたのと、連絡事項を耳にした程度で終わる本日の登校ののち、部室の引き戸を開けた途端にクラッカーが鳴る~、とか。

 ……いや、べつにニヤケてなんかないですよ? だだだ大体? ほんとにサプライズがあるかもわからんのにニヤケたりとか、こういうパターンでは期待は裏切られるってわかってることじゃねぇの。

 

「………」

 

 やめたいのに勝手にドキドキする胸に溜め息を吐きながら、それでも訪れたのは───帰宅部だった俺が入った、もとい入れさせられた部活、奉仕部の部室だ。

 平静を保ちつつ、中に入ればいつも通りの反応。

 それに「ん」とか「おう」とか返しながら、定位置とも言える長机の端に座り、一応の放課後という部活の時間を過ごした。きちんと“この時間までやりましょう”と決めて。

 

……。

 

 ……過ごしちゃったよ。

 部活時間終わっちゃったよ。サプライズとかなかったよ。

 やだもう恥ずかしい! いい年こいて、祝ってくれるとか勘違いしちゃったよ俺!

 だだだ大丈夫だ俺、問題ないぞ俺。悟られないように、ワル目立ちしないように、いつもより存在感薄目で過ごしたじゃないか。

 雪ノ下も由比ヶ浜も二人で楽し気に会話してたし、お茶も出なければ一度も会話を振られなかったからって、むしろかつての自分に戻るきっかけが訪れたのだと胸を張れ。

 

「………」

 

 でも、戸塚にさえスルーされたのは、八幡久しぶりに大打撃。

 明日から、明日から強くなるから、今日は少しだけ泣いていいですか?

 とほーと溜め息を吐きつつ、とうとう別れの挨拶さえないままに雪ノ下と由比ヶ浜と別れ、帰路を歩む。

 途中でコンビニに寄って、珍しく置いてあったお祝いミルクレープミニドームとやらを奮発して購入、ほっそいけどロウソクもついていたそれに、一人寂しくニコリと笑って、ご近所の公園に寄ってブランコに座りつつ、小さく揺れながらたそがれた。

 店員に「だ、誰かのお誕生日、ですか?」と目を逸らされながら訊ねられて、余計に傷を抉られるおまけつきだったこのミルクレープ。

 中心にほっそいローソクを立ててみたんだが、考えてみればライターなんぞ持っているはずもなく、持っていたとしたら真っ先にポリスに通報されそうだった。

 苦笑交じりにロウソクを取って、プラスチックフォークで小さく切り分けながら食べた。

 ……うんうまい。

 ミルクレープって、なんというかあまったるすぎるけど、それでこそって感じが味わえるから嫌いじゃない。

 

「………」

 

 ある程度咀嚼すると、一緒に買ったソウルドリンク・マッカンで流し込む。

 甘ったるさが練乳混じりの薄い苦みとともに喉を通る感覚が、俺の心を癒してくれる。

 

「……ふう。誕生日ごときでなにをソワソワしてたんだろうな」

 

 祝われないことなんていつも通りじゃないか。

 そりゃ、小町はささやかではあるけど祝ってくれていたのに、今回に限っては朝からスルーとかひどい状況だったが。

 そこはホレ、小町だってどんだけラヴリーエンジェルシスターといえど人間だ。嫌なこととかあれば、誰かを祝う余裕もなくなるってもの。

 きっと昨日あたりになにかあったんだろう。

 ……なんか、やっぱ恥ずかしいな。いい年した男が今さら祝われなかったからって拗ねるみたいに。

 おしっ、俺の誕生日なんてこの際どうでもいい。

 でも、小町の誕生日はしっかり祝うめんどっちぃ兄ちゃんであろう。

 うざいと思われたって、真心こめて、祝い続けるんだ。

 そんで、いつかあいつに仕方ないなぁって感じの兄ですけど、自慢の兄です、とか紹介されて……誰ともしらん馬の骨に小町を託すのだ。

 

「……ぐすっ」

 

 立派におなり、小町。兄ちゃんはな、いつだってお前の味方だから。

 その時、俺の味方がたった一人すら居なくても、俺は───

 

「ほむん? そこに居るのは我が魂の盟友、八幡ではないか?」

「んお? ……材木座?」

「フムフハハハハハ! いかにも! 我こそが剣豪将軍、材木座義輝である! で、なに? 八幡ったらこんなところでなにをしているのだ?」

 

 ヴィスィーとポーズまでキメといて、急にソワソワしつつ歩み寄ってくる材木座。

 なに、って……ほんと、なにしてんだろうなぁ。

 

「貴様のことだから、部活仲間かその関連連中とともに、誕生日でも祝われているものだとばかり思っていたが」

「毎度毎度そんなことやってたら、金がいくらあっても足りねぇよ」

「ふむ然り。他人の祝日を飲み食いのきっかけにする連中どもだから、きっと今回もと思っていた我の予想は外れておったか」

 

 言いつつ、隣のブランコに材木座が座る。

 座って、ぎぃ、きぃ、と軽く揺れながら、どこか懐かしむように笑みをこぼした。

 

「……好んでブランコに座らなくなったのはいつからだっただろうかなぁ」

「……知らね。忘れた」

「で、あるか」

 

 会話らしい会話はない。

 だが、わざわざそうして気まずくなる必要も無ければ、面倒を起こす理由もない。

 やがて俺がゆっくりとミルクレープを食い終わり、立ち上がるまで……そんな奇妙な時間は続いた。

 

「もう行くのか?」

「あんま遅いと小町がうるさそうだからな」

「ふむ、そうか。ならばこれは我からの餞別だ。気が向いた時にでも飲むがいい」

 

 言って、材木座は背負っていた鞄からマッカンのミニペットボトルサイズを一本取り出し、俺に渡してきた。

 

「同志たる貴様へ、我からの贈り物とでも思い、受け取───八幡? なんで受け取った瞬間に振り被ってるの? 我今贈り物っていったよね!? やめて!?」

 

 お約束のおふざけもその程度にして、感謝は届けて受け取った。

 鞄の中に氷でも仕込んでいるのか、ひんやりとよく冷えていた。

 なるほど、この暑いのにバテテないわけだ。

 

……。

 

 材木座と別れ、少々遅くなってしまったが帰宅。

 ただいま、と短く小さく口にして、ミニペットを冷蔵庫に……入れずに、頬をひと掻き、そのまま二階へ上がっていった。

 まあその、なんだ。一応贈り物なわけだし、今日中に飲まないとだよな、なんて気まぐれを起こしたからだ。

 そんなわけで自室に戻ると、少し違和感を感じつつも鞄を置いて、…………?

 

「……なんだこれ」

 

 自室に居るっていうのに違和感がすごい。少しどころか、かなりソワソワする。

 なにやら落ち着かないままにあちこちを見渡してみるんだが、おかしなところなどない。

 小首を傾げつつ、しかしやっぱり落ち着かないので部屋の中をごそごそと調べてみれば……開けた押し入れの先で、なんでか由比ヶ浜が汗まみれでぐったりしていた。

 ───やだなにこれ。

 いろいろな言葉やら感情やらが渦巻くが、まずは何より小町ちゃん!

 何故って、汗流しすぎて由比ヶ浜の服がヤバい!

 肌に張り付いて白の上からでも肌色が見えるとか、下着が見えるとか……ととととにかくやばい!

 むしろこの状態で俺が呼んで、小町が来ても俺がヤヴァイがうだうだ言ってられないのでとにかく来てもらった。

 

「やっほーお兄ちゃーん♪ 結衣さ~ん、サプライズ、上手くいったー?」

「やっほーどころか気絶したやっはろーが発掘されたわ! 小町! 細かい問答はいいから熱中症対策だ! 即行動!」

「え、あ、うん!」

 

 言えば即座に動いてくれる、賢い妹が僕の自慢です。

 テキパキ動き、それほどひどい症状でもなかったのか、少しもしない内に目を覚ました由比ヶ浜に、俺も小町も一安心。

 しかしやっぱり汗がすごいので、その場は小町に頼んで俺は退散した。

 クーラーガンガンにかけたりだとか、水枕抱かせたりだとかそういう方向での処置だったが、持ち直してくれたようでなによりだ。脱水症状にはなっていなかったようだが、これ以上発汗が続くようだったらヤバかったかもしれん。現在は材木座がくれたマッカンをくぴくぴ飲んでるらしい。

 てか頑張りすぎでしょ、サプライズ狙ってたんだろうけど、押し入れの中でどんだけ頑張ってたの、もう。

 

……。

 

 しばらくして小町が呼びに来て、第一声がごめんなさいだった。

 前日から話し合い、サプライズの方向は古典的だけど、放置からのおめでとうパーティー! な方向でいく筈だったんだが、予想以上に俺のダメージが大きく、さらにはみんなに用事が出来てしまい、唯一用事がなかった由比ヶ浜がせめてと俺の帰りを待っていたらしいんだが、俺は材木座と公園でたそがれていたわけで。

 今日はずっと無視してしまったから謝りたい気持ちを胸に、耐えて耐えて、とうとう熱に敗北した、と。

 ここでクーラーくらいつけときゃいいのに、と言うのは簡単だ。むしろ以前の俺なら平気で言ったところだが、しょんぼりする女子の前でそれを堂々と言えるんだったら、そりゃすごいわ。

 つか、小町? 小町ちゃん? なんで由比ヶ浜ったら俺のシャツを着てんの?

 下も俺の寝間着じゃないですかあれ。……つか。おい、ちょっと? おい? めっちゃ嫌な予感がするんだが、下着とかどうなった? 汗まみれ……だったよな? まさか同じものを着たまま、なんてわけもないし……え?

 

「………」

 

 ふぅ。HAHA、焦るんじゃあないぜ八幡。危機的状況にこそクレバーだ。利口に生きようぜ?

 だってほら、小町にアイコンタクトしてみたら、“小町のじゃサイズ合わないんだからしょうがないでしょ”って睨まれたし。ごめんなさい小町ちゃん、兄ちゃんちっともクレバーじゃなかった。

 

「……ヒッキー。今日……ごめんね」

「いーから。とりあえず熱取る努力、しとけ」

「ん……うん……」

 

 そんな由比ヶ浜なんだが、現在は俺のベッドで女の子座りをしつつ、上は俺のシャツ、下は俺の寝間着(のみ)を着用した上で、枕をぎうーと抱いて真っ赤になっている。

 何故抱くのか? ……下着をつけていないからでしょう。私は枕になりたい。

 部屋の中はすっかり冷却状態だ。

 熱に浮かされたように、は、は、と呼吸を乱していた由比ヶ浜も、今は安定した呼吸をしている。

 

「しっかし誕生日にスルーからのお祝いとか、また懐かしいこと考えたな」

「ん……優美子に軽く相談してみたんだけど、ヒキオならこんくらいでいんじゃね? とか言って……。あたしはさ? ヒッキーはたぶん、こういうやり方は喜ばないんじゃないかなって思ったりはしたんだけど……」

「まあ、そうな。正解だ。ぼっちに対して“スルーからの”、とかはスルーの時点で失敗だ。ぼっちってのはとにかく周囲に気を遣うから、周囲が自分を無視し始めたと感じた時点で自分から距離を置くもんだ。それから祝われたところで、もう距離を取っちまってるから喜ばないし嬉しくもない」

「ん……ごめんね」

「いや……」

 

 材木座がクッションにならなけりゃ、俺もそうやって距離取ってたかもだった。

 思えば由比ヶ浜や雪ノ下とも随分と奇妙な距離感を築いてきている。

 今さらそれを、こんなつまらないことで壊すのは……とも思っていたんだが、どうしようもなくぼっちっていうのはそういうものに敏感なのだ。距離を取られりゃ、自分から可能な限り距離を取ろうとする。

 けどまあ、こいつはそんな俺の性格も想定した上で、引き延ばしにすればよくないことになる、と思ったから、小町に無理を言って待たせてもらったんだとか。

 

「あ、そ、そだ。ヒッキーにさ、小さいけどケーキ買ってきたんだ。プレゼントも、あんま豪華なのとか無理だったけど……」

「なんか……悪いな。気ぃ使わせたみたいで」

「や、やー、あの、ほら、気とかそんなんじゃ全然ないし、迷惑とか全然そんなんじゃないからっ! むしろさ、せっかくの誕生日なのにみんな呼べなくて……」

「いや、そここそまじグッジョブ。こんな状況で祝ってくれそうなやつらが居たら、それこそ全員熱中症状態だわ」

 

 押し入れん中がスプラッタ状態とか勘弁してください。

 というわけで由比ヶ浜に促されるまま、リュックを開け───るわけにもいかないだろおい。

 小町、今こそお前が───あれ居ねぇ!?

 やだ小町ちゃんたらいつの間に木葉隠れとか微塵隠れのジツを!? ただ全部を俺に押し付けて逃げただけだな。ジツとかじゃないよこれ。本人は気を利かせたつもりでドヤ顔ってんだろうけど、恋仲でもないヤツに気を利かせてやったつもりになってるヤツって基本、心底うざがられるから気をつけようね、小町ちゃん。

 ……それはそれとして、ここで由比ヶ浜に“お前が開けてくれ”とか言うのは相当気まずい。空気を読まないフリにも限度ってものがある。

 むしろ由比ヶ浜、大分熱は取れたっぽいけど、まだちょっと頭がふらふら揺れている。そこにきていろいろと任せるのは、いくら俺でも気が重い。

 なので……ナムサン。許可を出したのだけはきっちり覚えていてくれ。

 念のためもう一度許可を得て、由比ヶ浜のリュックを開ける。

 すると確かにプレゼント包みが入っており、口を縛られた綺麗な包みには、その結び目自体がカード付属のゴムになっているようで、そのー……なに? 綺麗なメッセージカードっつーのかね。それが、袋を持ち上げると揺れていた。

 律儀なやっちゃ。

 こういうイベント事には積極的なヤツだ、きっと直筆でお誕生日おめでとー、とか元気そうな文字で───

 

  『あなたが好きです。他の誰が知らなくても、あなたにだけは知っていてほしいです』

 

 …………。

 うん。

 おかしいなぁ、見た覚えのある字で、そんなことが書かれてる。

 これを見たのは何処だったかなぁ。

 ああそうだ、こいつがにゅうぶとどけ(はぁと)を書いた時のものだ。

 奉仕部が書けて、なんで入部届けが書けなかったんだろうなーとか思いつつ、じぃっと見た記憶があるから…………えっ?

 

「や、やー……最初はさ? 手作りしようと思ったんだけどさ、やっぱり上手くいかなくて。だからね? 気持ちだけは込めようって、カードに気持ちを込めてさ? ……あ、あははっ? お、おかしいかなっ、“これからも一緒に頑張ろうね”とかさっ! こ、これでも結構書き直したりしてさ? 書き直しすぎてぐっちゃぐちゃになっちゃたカードとかもあってさ。一番最初に書いたのが一番気持ち込められたんだけど、あはは、ちょっと恥ずかしくて。結局時間なかったから最後に書いた綺麗なのを慌ててくっつけて持ってきたんだけど……ヘンじゃないかな。気持ち、ちゃんと伝わったかな」

「───」

 

 ああ、これアレね。恐らく一番最初に書いたのと、最後に書いたのを間違えたってヤツだ。

 恐らく、一番最初に書いたってのが……一番気持ちを込められたってのがこれで、最後のってのが一緒に頑張ろうってやつ、ってことで…………えっ?

 

「……由比ヶ浜。ちなみに一番最初に書いたのってのは?」

「わ、わわわ、だめだめっ、あれは見せらんないからっ! その、えと、うんほら、ストレートに書きすぎたっていうか! 包み隠さな過ぎたっていうか!」

「ほーん……? キモいとかキモいとかか」

「ヒッキーの中のあたしってどんだけキモい言ってるの!?」

「言葉で例えると……ああほれ、こんな感じ? “うわキモい ヒッキーキモい マジキモい”」

「川柳出来ちゃった!? って、ヒッキー、なんか顔赤いよ? だいじょぶ?」

「い、いや……まあ、暑いから……な?」

「あ、うん、だよねー……」

 

 やばい、やばいやばいやばいやばい、これマジだ。こいつの気持ちドストレート。

 え? こいつキモいキモい言いながら、こんなこと思ってたの?

 これ勘違える要素がねぇよ、ド直球すぎるよ。

 しかもここで黙ってたとしても、こいつが家に帰ればそこに残ってる“一緒に頑張ろうカード”で自分の失敗に絶対に気づくわけで。

 そこで俺がとぼけてみろ、こいつにいらんストレスを与えることになる。

 じゃあ? ……じゃあ。

 

「ところで、なんだが」

「? うん」

「これから話すことに、嘘をつくだとか誤魔化すだとか、そういうの、なしな」

「珍しいね、ヒッキーがそういうこと言うのって」

「まあ、そうな。けど、大事なことだから、頼む」

「そっか……ん、わかった。あ、でもほんとだいじょぶだよ? みんなほんとに用事があって来られなかっただけだから」

 

 あ、そっち側で解釈したから頷いたわけね。

 だがすまん、そうじゃない。

 そして言質はいただいた。

 

「その、だな。卑怯な言い回しで悪い。……ここに書いてあるの、本気の本気か?」

「え?」

 

 包みの結び目をほどき、メッセージカードをほれと渡す。

 由比ヶ浜は不思議そうな顔でそれを受け取って、「ふえっ……?」と情けない声ののちに泣きそうな声で小さな悲鳴をあげ、しかし……羞恥で真っ赤になり、目に涙を溜めてもなお、俺の目を真っ直ぐに見つめて、言ってくれた。

 

「は、はい。あたしは……由比ヶ浜結衣は、ヒッキー……比企谷八幡くんのことが、ずっとずうっと好きでした。ううん、今も……前よりも、もっと……好き。大好き」

「……、俺は」

「ヒ、ヒッキー、嘘も誤魔化しも無し、なんだよね? いいん、だよね……それで。……~……へ、返事……もらっても、いい、かな」

「───」

 

 条件を逆に利用された。

 そうだ、由比ヶ浜だけが一方的に真実を口にするわけじゃない。

 俺から言い出したなら、俺も聞くだけでは終われない。

 むしろ、日陰者として影が薄かろうが、きちんと両の目で俺って存在を見てくれて、真っ直ぐに告白してくれている相手に誤魔化しだのは……使いたくなかった。それをやったら日陰者以前に男じゃない。

 

「俺は───」

「っ……」

 

 声を出すと、由比ヶ浜の肩がびくんと跳ねた。

 期待だけじゃない、きっと恐れだってあるのだろう。

 それは俺が、勘違いをして女子に告白して、返事を待った瞬間よりも恐ろしいものの筈だ。

 なにせ俺は調子に乗ってしまっただけであり、由比ヶ浜は……一番にカードに描き、間違わずに気持ちを込められるほど、あのカードの言葉が本気だったのだろうから。

 そんな気持ちを無駄にしたくないって思った。叶えてやりたいって思った。同時に、じゃあ俺はこいつのことをどう思っているのかと考えて───

 

「すまん」

「───!!」

 

 続く言葉に、由比ヶ浜の目が静かに見開いてゆき、涙がツゥ、とこぼれた。

 それがあまりにも自然で、作られたものではなさすぎて、一瞬見蕩れてしまったが───すぐに首を振り、付け足した。

 

「俺の方は、正直まだはっきりしてないんだ。気持ちはどうなんだって訊かれりゃ、その……ダントツで気になっている女子、ってのは間違い無いわな。おう」

「……ぐすっ……う、うん」

 

 早とちりと知ってか、安堵の息と一緒に指で涙を拭って、けれどよほどに悲しみの量が大きかったのか、涙は止まらずぽろぽろとこぼれてゆく。

 

「~……ご、ごめんね、すぐ泣き止っ……ひぐっ、うぅう……!」

「………」

 

 泣く子を鬱陶しがる人は居る。

 俺も実際、外食の際は静かに食いたいって思ってても、寄った店に限って子供が泣きだす、とかよくある。

 そんな状況が、泣く人間が鬱陶しいと感じることは確かにあったが……どうしてなんだろうな。その涙が、本当の感情が、眩しいって思えた。

 俺にしてみりゃ本当の感情なんてものは、怒りと蔑み以外に見たことがなかった気がするから。

 面倒くさがり、子供が泣こうが放置して話に夢中な奥様を見たことがある。

 子供は懸命に親の気を引こうとして、けれどそれが逆効果で、でも子供はそれを知らないから、それしか出来ないからそれをする。

 聞き分けいい子が良い子なら、良い子ほど放任されやすい寂しがり屋は居ない。だって、構う必要がないから。

 

「………」

 

 由比ヶ浜は……構って欲しがりだけど、我慢するタイプだろう。

 気を引こうとして、けれどそれをすれば相手がどんな反応をするのかを想像して、空気を読んでそれを止めては笑っている。

 ハッキリ言って損をするタイプだ。

 それを考えれば、雪ノ下に抱き着いたりちょっと踏み込んだ無茶を言い出したりするのも……恐らくは、自分がどこまで許されるのかを知ってみたい好奇心と、それを許してくれる誰かを探しているって証拠でもあるんだろう。

 兄弟が居ないヤツは、そういったものを行き当たりばったりの経験で塞いでいくしかない。

 でも嫌われたくはないから、慎重にならざるをえなくて、踏み込み過ぎて、傷ついて、涙する。

 空気を読もうとするヤツの環境って、案外似てるもんだな。なんとなくわかるよ、由比ヶ浜。くだらない理解、わかったつもりでしかないんだとしても、それでも───知ろうとしてくれる誰かが居るだけで、嬉しいものなんだって。

 

「由比ヶ浜」

「……、ひっきぃ……」

 

 だから、まあ。

 傷つくことには慣れっこの、男子高校生という立場と───今まで積んできたぼっちという日陰者を合わせ、さらに小町のお兄さんという、酸いも甘いも経験してきた俺が、そんな無茶を飲み込んでやろう。

 どこまで許されるのかじゃない。全部許してやる。

 いっそ全部吐き出してしまえばいい。

 その先でどうなるのかはこいつ自身が決めることで、案外───そんな吐き出す先への感情を、好き嫌いと勘違いしているだけなのかもしれんのだから。

 

……。

 

 ───自分の誕生日っていう、まあべつに特別視する必要もない日に、俺と由比ヶ浜はお互いを知る努力から始める仲になった。

 告白は俺から。ってことになっているが、あのカードを見せられた時点で由比ヶ浜からなんじゃないの? そんなことをつついてみれば、由比ヶ浜は赤くなりながら否定し、ぽかぽかと俺を叩いた。痛くない。むしろくすぐったい。

 まあともかく、知る努力も許す努力もしてみてるんだが、おそるおそる甘えてくるのを受け入れてみたらもうすごい。腕に抱き着いて離れないし、たまに無性になんともいえない気分になるのか、「~……きぃいゅぅうう……!!」と声にならないような高い声を振り絞りながら、ぐりぐり~っと腕に顔をこすりつけてくる。

 なにこの可愛い生物。

 頭撫でたら「えへー」って笑うし、軽い買い物の用事でコンビニにって時もついてくるし、クラスの女子がコンビニに居たりして、急にびくりと震えて俺とクラスメイトを見比べて、「……いーぞべつに。好きにしなさい」と言ったら嬉しそうに抱き着いてきて。

 いやあの、俺どっちかっつーと女子の方に行きたがってるんじゃ、と思って言ったんだけど。まさか、クラスメイトの前で抱き着いていいかの確認だったとは。

 そりゃね、教室では話しかけんなオーラ出してた俺だよ? その確認は実に素晴らしい。しかし今さらそれを確認されるとは思わなかったんだよ。

 許可出しちゃったから、もうなにもかもが遅いけど。

 

……。

 

 そんなわけで、俺は夏休み中、毎日遊びに来る由比ヶ───結衣を甘やかし続けた。

 するとなにが満足に繋がったのか、結衣は落ち着きを見せるようになり、いや甘えることはめっちゃするが、そこに燥ぎまくりな要素が無くなって、慌てたりすることが減った。

 人は勉強の前にうんと運動をすると勉強に集中できるというが、結衣の場合は命短し恋せよ乙女。なにか逸るものがあったのかもしれない。

 それが満たされたからこそ、他のことへと少しずつ取り組むようになり───

 

「なんつーか、成績伸びたよな、お前」

「お前、じゃなくて結衣だってば。もう」

 

 ───髪も黒に戻した。

 髪型はサイドテールで、言ってしまえば入学式当日に俺が見た、髪を染める前の結衣の姿だった。パジャマだったら完璧ね。

 

「うん。なんかね、八幡にいろんなことを許してもらって、あたしはそれでいいんだって認めてもらったらさ。段々そのままのあたしじゃ嫌になってきて。あたしね、もっともっといろんな自分を八幡に見てほしいんだ。もしかしたら、許してもらえるのが好きなだけなのかも、とか思っちゃう時もあるんだけどさ。……で、でもね? ……ヒッキー」

「ん? あ、お───」

 

 おい、と言おうとした時には、もう俺の唇に結衣の唇が触れていた。

 ちゅ、ちゅっちゅっと二度三度と啄ばまれ、最後に唇を舐められて、桜色に染まる顔を離して……照れと恥ずかしさをどうすることも出来ないような顔で、言うのだ。頬を掻きながら。

 

「ヒッキー以外とは、キスしたいなんて思わないし……想像してみても、こんなに幸せな気持ちになれるの、ヒッキーだけなんだ。他の人となんて嫌だし、想像したら気持ち悪くて……あたしは───」

 

 隣を歩く時は八幡と呼び、背伸びするみたく背筋を伸ばして真面目ぶって。

 そのくせ、キスだとか恋人っぽい行為をするときはヒッキーに戻って、背筋も頬もくにゃくにゃの、弛み放題緩み放題だ。

 登校日にて、結衣が変わったことに一番驚いたのは三浦で、次が雪ノ下だった。

 黒髪に戻ったのもそうだし、なにより勉強にも恋にも真っ直ぐな在り方に、羨ましい……とか三浦がこぼしていたのを八幡イヤーが拾ったのは記憶に新しい。

 雪ノ下は雪ノ下で、結衣に抱き着かれる回数が減ったのがたまーに気になるのか、ちらちらと結衣を見ていることがあり……マア、百合ノ下さんたら麗しい。

 

「いい意味で慣れてきたってやつなのかね」

「? なにが? あ、誤魔化すのはだめだよ?」

「お前のこと。お前どうすんのこれ。本格的に夏休みが終わって、普通に学校始まったら」

 

 口調も変わって、落ち着いて、髪も黒いし着崩さないし、なのに無理をしてるって感じじゃないし。

 結衣がアホじゃなかったらどうたらとか言ってた戸部の行動が怖いわ。

 

「うーん……べつにどうもしないかな。なんだかね、心がさ、“あ、ここでいいんだ”って思った時からすっごく落ち着いてるんだ。無理して話題を集めなくても、無理してそうだよねって笑わなくても、無理して合わせなくてもいい。“あたし”が許される場所なんて初めてで……あたしは、それが嬉しくて。なんだかね? えへへ……」

 

 けど、まあ。いろんなものが変わって……いや、たぶん“戻った”って言ったほうがいいんだろうけど、それでもさ、ほれ。

 この笑顔と、えへへって照れ方はちぃとも変わらんこいつだからこそ、俺と居た時ってのは案外相当に、素に近いこいつだったのかもなー、とか……そう思うのだ。

 

「不純異性交遊がどうとか言われたらどうする? 言い訳とかできねぇだろこれ」

「えと。……ねぇヒッキー。……不純、なのかな」

「違うけど、教師どもが言いたい不純ってそういう意味じゃないんだと思うぞ」

「言い訳じゃなかったらいいのかな」

「なに。実は親が決めた結婚相手なんですとか言うの?」

「……!」

「はいはい、そこで“それだ!”って顔しない」

 

 しかしまあ、どれだけ変わろうが戻ろうが、結衣は結衣なわけで。

 たまに見せるこいつのこいつらしさには、やっぱり妙に安心する。

 あたしらしさってなんだろうね、なんて言い出した時には、そういう時に真剣に悩めるところだ、なんて言ってみれば、抱き着かれてキスされた。

 ……奉仕部で。

 もちろん雪ノ下、顔真っ赤。その後散々と文句も言われたが、最後には溜め息ひとつ、「比企谷くん。きちんと責任を果たしなさい。でなければ彼女の友達として許さないわ」と言われてしまう始末で。

 

「はぁ……」

「八幡、どうしたの?」

「いやなぁ……ちっと思うことがあって」

「えへへー……言って?」

「隣歩いて顔を覗き込むの、やめなさい。……ほれ、あの日のことだよ」

「あの日って?」

「俺の誕生日。結局俺、誕生日に結衣をもらったようなもんだよな、これ……」

「……あぅ」

 

 中身は実はあの日に俺が買ったミルクレープと同じものと、サブレ型犬のキーホルダーだったんだが。

 それよりも大きなものを、メッセージカードと一緒にいただいてしまったわけで。

 

「あんがとな。一生モンのプレゼント貰ったわ」

「……その。て、手放したり……とか……しないよね?」

「生憎ぼっちはものを大事にするんでな。家族内でもぼっちだと、使い潰すまでノートもびっしり、消しゴムだって滅びるまで使用する。……つまり、あー……その、なんだ。……自分から無くならないものを、俺から手放すとかあるわけないってことで」

「あの。あの、ヒッキー? えと……はっきり言ってほしい……よ?」

「お前ほんと、あの日以来誤魔化しとか嫌いになったよな……」

「え、えへへ……えへー……♪ 真っ直ぐに言って貰える嬉しさ、ヒッキーが教えてくれたから……」

 

 テレテレと照れる恋人さんのサイドテールをワシャアアアと照れ隠しに揉みまくると、きゃーきゃー言いながらも笑う恋人さん。

 そんな彼女に、俺もまた笑って届ける。

 からかうように、「相手の言葉を待ってばっかなヤツは待ってやらん。自分から行くんだ」、と。

 そしたら結衣はぽかんとしたのちに、じわぁっと花開くような柔らかな笑みで笑って、胸に抱き着いてきてヒッキーヒッキーって連呼してきて……ちょ、やめなさいその連呼は。聞いた人が“やだあの人引きこもりなんですってよ?”とか思っちゃうでしょ。

 

「じゃあ、あたしからも行けば、すっごく近いねっ!」

 

 こうして、俺達のゆるい日々は続く。

 時折的外れでアホなことを言い出すこいつに深い安心を得るのはどうしてなのだろうか。

 そんな時、そういう発言を雪ノ下が聞くと、安心した顔で結衣の頭を撫でたりするんだが……まあ、わかる。安心するよなー、その安心がどっからくるのかわからんけど。

 

「しっかし、来年のお前の誕生日に、俺はなにを贈ればいいんだよ」

「え、と……チョ、チョーカー……とか?」

 

 雪ノ下さん曰く。女の子の中には、好きな人に束縛、独占されたい人も居るらしい。

 自分はむしろ束縛したいんだけどねー、なんてケラケラ笑ってらっしゃった。ええそうでしょうよ。

 

「でさ、でさヒッキー。ヒッキーは次の誕生日、何が欲しい?」

「んー……お前もらっちゃったし、次、となると……」

「ふえっ? ……、あ……」

「お、おいっ、そこで赤くなるなよ!」

「うひゃあごごごごめんねっ!? てかこれあたしが謝るのなんか違くないっ!?」

 

 赤くなってお腹のちょっと下あたりに触れた恋人に、俺も恋人さんも、それはもう顔を赤くした。

 そしてやっぱり再確認。落ち着こうと慌てようと、やっぱりこいつはこいつである。

 両手をぐっと握って、「ダイエット……!」とか言ってる恋人さんは、果たして次の誕生日になにをくれるつもりなのか。

 あなた十分痩せてるじゃないの。これ以上痩せてどうすんの。

 誰か見せたい人か、見せても許せる人でも……、あ……。

 あ、あー……ダイエット、って、あー、そういう……うぐぉぁあああ……!!

 

「? 頭抱えてどうしたの?」

「いや……。楽しみにしとく、とだけ」

「わひゃっ……! …………う、うん。うん、ヒッキー」

 

 誕生日プレゼントで関係が変わった俺達は、これからも一年ごとに変わっていくのだろう。

 それがいい方向か悪い方向かは別としても、こんな笑顔を壊さない程度には、全力で努力していこうと思ってます。

 なんで、って。

 俺ゃ自分が引いた線の内側に招いた相手にゃ甘いからだ。

 小町は当然として、戸塚とか戸塚とかな。いや、両親はべつに。相手がむしろ壁作ってる気がしないでもないし。

 結衣もその理由がなんとなくわかるようで、俺が過保護っぷりを見せるたびに、鬱陶しがるでもなく頬を緩ませたりしている。

 見透かされているようで悔しいのに、逆に構われまくって照れる自分がなんかもうキモい。

 そのくせ、小町のように鬱陶しがられないだけで調子に乗っちゃう俺は、それこそ俺も誰かに許してもらいたかったのかね、なんてことをたまに思っては……なんだ、俺、もう許されてるじゃんと笑い、笑顔で手を差し伸べる恋人さんの手を───握らず、サイドテールをワッシャアアアといじくり倒すのだった。




 もはははは! 八幡よ! すまぬ! 遅れた! 熟睡であったわ!

 睡眠時間二時間が続き、鼻炎薬も飲み、仕事中に意識が飛ぶこと数回、自分の言動が謎なことを自覚すること数回、なんかもうなにやってんのかわからないこと数回。
上司に今日何日だ~と訊かれ、8日ですよ~と答えたのが昨日。
 8月8日……なにかあったっけ。な~にか引っかかってるんだけどなぁ、と悩んだ仕事中。
 夜、仕事が終わって家ろうとする頃、ようやく八幡の誕生日を思い出す。
 ヤベェェェェ完璧に忘れてたァァァァ!!
 家に帰ってPC起動、もちろん一文字たりとも書いてない。
 そのことをメッセで報告、三時間もしない内に昨日が終わるって時に慌てて執筆開始。
 途中まで書いて、ぬう、またぬるま湯でいくのもどうかなぁと書き直す。
 やっぱり頭カラッポでプロットなしのお話。
 いきあたりばったり、ざっくばらんに行こうぜェェェ!!
 ごめんなさい、久しぶりに思いっきり眠れたもので、テンションおかしいです。
 ええまあ、眠ったと言った通り、寝落ちしたんですけどね。飛ぶ意識には勝てなかったよ……。だって抗ってもぶちーんと飛ぶんですもの。

 はい、というわけで。
 ぬるま湯側は途中まで書いたけどUPは無しで、そのまま消します。
 なんか謎テンションになりましたし。
 どういった内容だったのかは……いつも通り娘二人が歌い始めたり、騒ぎ始めたり、八幡の誕生日だというのに結衣が熱を出してダウンとか、まあいろいろありました。
 関係は微妙にありますけど、ヒロアカのOPはピースサインの方が好きでした。

「虚実をぉ切ぃり裂ぁいてー! 蒼天をーあーおいーでー! 飛び立ったー、とーこしーえー!」
「そーらーにーうーたーえばー……!」
「後悔もー! 否応なぁく! 必然! 必然! なるべくしてーなる未来だー、それゆーえー、あーがーけー♪」
「すぅっ───この物語は熱き血潮が宿る太陽の手を持つ少年東和馬が世界に誇れる日本人の日本人による日本人のためのパン、ジャパンを作ってゆく、一大抒情詩である……!」
「僕のヒーローアカデミア!」
「はいちょっと待て馬鹿娘ども。べつに東和馬はヒーロー目指してねぇだろ。つか朝っぱらからなにしとんのだお前らは」
「あ、パパ! モーニン!」
「ん。モーニン、パパ」

 そんな、双子の騒ぎを冒頭に、いつも通りのぬるま湯なお話が始まるものでした。
 ……あのヒロアカのOPを聞くたび、ジャぱんとかの抒情詩台詞を思い出すのは僕だけではないはず……!

 そして正直、俺ガイル小説を書き始めた頃に全力で書きすぎたために、もうネタ的なものが……!


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特別なんてものは

クゥ~リスゥマァスがぁ今年もラン! ラン! ルー!!
……というわけで、クリスマスにpixivにUPしたお話です。


 クリスマス。

 多くの場合は恋人達がラヴラヴする日として知られている。

 聖誕祭だの降臨祭だの言われているくせに実は誕生日じゃないとか、アホな事実が隠されていたりもするのだが、まあアレね、日本人はきっかけさえあれば楽しめる者たちだから。

 日本に由来する偉人の聖誕祭だってんならわかるけど、なんでこうも大々的に祝おうって話になったのかね。

 実は誕生日じゃないのにそれを祝うために散ってゆく様々なものには素直に感謝を。チキン、今年も予約しました。

 さてクリスマス。

 前日の夜と言わず、一ヶ月も前から庭の木に装飾つけたり電飾つけたりで気の早い人も居る今日この頃だが───言っちゃえば宅の妹様もうきうき気分で飾りをつけたりしていたわけだが……。

 珍しいこと、今年は一応、俺にもきちんとした予定があったりする。

 いやバイトじゃないよ? ちゃんとアレだから。人との付き合いでの予定だから。

 ……自分で言ってて胡散臭いとか、どんだけぼっちこじらせてんだかね、俺。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 日曜という休日にクリスマスイヴが来る、というのは学校でこそそわそわしている男子高校生達にしてみると随分と勇気の絞り甲斐もないことだろう。

 勇気ある青少年青少女が気になる異性を誘って、寒い外で待ち合わせてデート。……なんつーか、ものすげぇ無駄なことをしている気がしないでもないんだが。

 べつに寒空の下じゃなくてもどっか落ち着いた場所で待ち合わせとかでよくない? 噴水前広場で待ち合わせねー、とか言うやつ、その時の気温とか考えなさいってね。

 傍の書店とかじゃだめなのん? え? わかりやすいのがいい? べつにこんだけ人が居れば、寒い外も暖かい店内も大差ねーでしょ。

 

「ま、定番だからって言えばそこまでか」

 

 口に出してみると、それが白い息となって消えていく。

 あーまったく寒い。

 しかしその寒さのお陰で、妙なことを考えなくて済んでいたりするんだから、まあ今はその寒さに感謝。

 

「………」

 

 人ごみを見て溜め息。

 どこもかしこもカップルだらけだ。

 雪も降ってるってのにおーおーお熱いことだ。

 しかしそんな男女に向けて特に言うことなどなかったりする。

 爆発しろとか爆ぜ散れとか、そんなことを口にしたところで自分が祝福されるわけでもない。

 なのでまあ、たまにはいいんじゃないの? ほら、祝福してあげるのも。

 

「……おめでとさん」

 

 祝った。……キリストを。だってそういう日だし。誕生日ではないらしいけど。

 

「………」

 

 ───ほっといてもやかましかった高校生活を終え、俺達は自分たちの道を歩んだ。

 仲良く見えたグループなんてものは、一度離れりゃ嫌でも離れた先でグループを構築、またはぼっちとなる。

 合格した大学で、例外なく孤立してみせた俺は、今もこうして一人で寒空の下で待ちぼうけをくらっている。

 親父からの猛プッシュもあって家を出て一人暮らしをする大学生活は、まあ余計なものがないのと、仕送り以外は自給自足という、まさに家に帰ってもぼっちで生活しなければならなくなったことで、俺もまた大人に近づいたといえるのだろう。

 親のツテで紹介してもらった部屋で、まあ不満はない。

 壁も厚いし風呂もある。昼には日当たりもいいし、まあちと狭いなとは思うが、そんなものは慣れだ。

 こうなればあとは大学と部屋とを行き来する日々に埋没するだけ。

 高校でそれなりの関係を築いた連中とは、既にろくに連絡も取れていない。

 連絡を取り合ってはなんとか再会していたいつかも、随分と遠くなった気がする。

 ただ、例外があるとするなら───

 

「八幡っ!」

 

 ……待ち人兼同居人が居る、ということくらいだろうか。

 いや、家事とかほんとぼっち級だったのよ? 八幡嘘つかない。

 自分でやらなきゃいけないことばっかりだったのよ? だってこの同居人、家事全般が壊滅的に下手だったんだもの。

 

「ご、ごめんね、バイトちょっと長引いちゃって……!」

 

 高校生活が終わってからも関係が続いている例外。

 お団子のままの髪を微妙にそのままに、息を弾ませるその存在のことを由比ヶ浜結衣といった。

 すこーしずつ伸びてきた髪は、肩より少し下まである。

 日に日に垢抜けて行くこいつを見ていると、時々自分だけが進めていないんじゃないか、なんて不安がよぎるが……困ったことに、こいつはどんだけ垢抜けてもその先で立ち止まって、わざわざ人の手を引っ張りに戻ってくるようなヤツなのだ。

 自分から行く、とはよく言ったものだ。

 

「んや、俺も大して───」

「……待った、よね? 手、冷たいよ?」

「冷え症なんだよ。もしくはあのー……なに? 低体温症?」

「頭のニット、雪積もってる」

「これこういう装飾なだけだから」

「それ、あたしが八幡にプレゼントしたのだよ?」

「………」

「………ばか」

「見栄っ張りなんだよ、男ってのは総じて」

 

 言いながらコートのポケットに手を突っ込むと、そうすることで出来た腕の隙間に結衣が腕を絡めてくる。

 親公認で同棲を始めてから大分。

 俺と結衣の関係は……まあその、不通? もとい普通だと思う。

 想像する限りのリア充的な関係ではあるんじゃないの? 基準とか全然知らんけど。

 “せっかく一緒に居るんだから”と細かいことを分担せず、なんでも一緒にやろうと言ってきたときは驚いた。

 普通こういう場合ってテキパキ分担決めるもんじゃないのん? とか考えたが、考えてみれば俺達は同棲以前にいろいろと足りていないのだ。

 補い合う以前の問題で、二人で一人前か否かって程度。

 だがそれで困ったことはなかったりする。

 なんでも一緒に一歩ずつやるってだけで、こいつがひどく近くに感じられるし、こいつはこいつで俺に甘えるのが好きなようで、一緒に居る時間のほぼは俺の横にべったりだ。

 しかし多くの場合、そういう時ってのは男の方こそ女にべったりと甘えているものだという。

 俺はどうだろうか。

 

「………」

 

 左手が、コートのポケットの中で結衣の手に包まれ、もみもみされる。

 ……あったかい。

 ちらりと見ると、ん、といった感じで視線に気づき、見上げるように「えへー」と微笑まれた。

 かわいいなちくしょう、キスするぞこんにゃろ。

 

(……はぁ)

 

 付き合っている女性に強く“女”を感じる時、男ってやつはひどく弱くなる。

 強くなるヤツも居るが、俺はどうやら前者であり、ドが付くほどに過保護に近くなったと思う。

 が、同時に独占欲、所有欲にも似たものが芽生え、そうなるといらん見栄を張ったりして大失敗をやらかす。それが男ってものである。

 しかしまあ、家事は苦手ではあったものの、同棲生活の中でお互い笑いながら積み重ねた結果、家事も少しずつやっていけてるし、料理も食えるようにはなってきた。

 

  今日はクリスマス。

 

 結衣と一緒にこの日には、と決めて、デート計画を積み重ねた。

 豪華な食事も爆笑できるようなアトラクションもいらない。

 ただ自分たちが自分達で満足し合えるデートをしようと、二人で決めたこと。……だったのだが。

 前日からハイボルテージ状態で、クリスマスイヴがクリスマスになるのを待っていた彼女に、彼女のバイト先から一本の電話。

 病欠が出たので暇だったら出てほしいという催促であり、空気が読める彼女がそれを断れるわけもなく。

 ていうか店長からそういう電話が来て、デートだからで断れる人って中々居ないでしょ。わかっててやってんじゃないのその店長。

 そんなわけでただいま絶賛クリスマス。

 頭のニットに雪を積もらせたぼっちが、バイトを終えた彼女とこうして歩き出したわけだ。

 

「んで、どうするか。帰る? それとも帰る?」

「んー……うん、帰るのもいいかも。帰ってさ、家でさ、二人っきりで向かい合いながらクリスマスするの」

「───」

 

 俺の捻くれなんぞあっさり飲み込む包容力と、今さらそんな性格に腹を立てることなく包み込む度量。

 俺はとっくに骨抜きにされており、いい加減完全に俺の行動パターンなんぞ理解された現在、あーだこーだ言いつつもこいつの様々にベタ惚れな俺です。

 だってしょうがないじゃない! 俺の面倒臭い性格全部受け止めきって、それでも好きって言う人間なんて後にも先にも結衣だけだし、そもそも俺がこいつに惚れすぎてるから、“俺なんかよりいいヤツが”なんて口が裂けても言いたくないわ!

 むしろそんなヤツが現れようものなら、どんな努力の先だろうと絶対にそいつよりいい男になってやるまである。

 好きでもなけりゃこんな寒空の下で待ってられっかっつの。

 あ? どっかの店で待ってりゃいい? こいつがちょっとでも俺を探して戸惑うとかそんなことさせるわけないでしょ、むしろ俺が探して迎えるまである。

 ……と、まあ、このように。

 実家から離れて一人暮らしを始め、そこに結衣が同棲する、といった生活に落ち着いてからというもの……つまりは小町から離れてからというもの、俺の甘やかし対象が結衣に変わり、可愛がり対象が結衣に変わり、優先順位の頂点が結衣に変わって以降、気づけばこいつに激甘でベタ惚れな俺が完成していた。

 小町が妹じゃなかったらなとか考えたことがあったが、実際にこんな風になんだかんだ言いながら人を甘やかし、だけど注意するところはきっちり指摘し、独りでやらせずに寄り添って努力する在り方を教えられりゃあ、惚れもする。

 もうだめ、俺こいつ居ないとだめ。俺の恋人超可愛い。

 

「……~」

 

 えへー、と微笑む顔にさっきから胸がやばい。どっこんどっこん鳴ってて、未だに慣れやしない。

 いや慣れんでいいです、ウヴなままのハートであってくれ。

 

「チキンは予約入れてあったんだっけ」

「おう。受け取る前に電話かけりゃあ、揚げたてをお渡ししますだそうだ」

「揚げたてかー……」

「……受け取ったらその場で一本食うか」

「わっ……なんでわかったの? 思ってたこと」

「俺も揚げたて食いたいって思ってたからな」

 

 人って出来立てとかそういうのに弱いもんです。もちろん俺も例外なく。

 新しいものには目がいく。もちろん古いが故にいいものもたくさんあるが。

 

「あ、じゃあケーキどうしよ」

「帰り道のコンビニでいいだろ。二千なんぼのケーキでも買って、二人でつつこう」

「んー……にせんえん……。ねぇ八幡」

「こういう時はちゃんと祝うって約束だろ。ショートケーキでいい、は無しだ」

 

 言ってなでくりすると、目を細めながら腕にすりすりされた。

 なんつーか、先読みされるのが好きらしい。

 所詮自分のことは自分がー、なんて思ってるヤツほど、理解者が居ると嬉しいもんだ。

 ……まあ、ただし自分にとっても相手が気心知れている場合に限るが。

 嫌いなヤツにいろいろ知られてたらキモい。ぼっちでなくともそうだろう。

 

「人、すごいね」

「そだなー。世のリア充どもは、こうしてデートするにも、ツレが居ないから仕事をするしかない者たちの覚悟の上で、こうしてデートをしてられてるってことをもっと強く知るべきだと思うね」

「ん、いつもありがとだ」

「おう、ありがとだな」

 

 誰にともなくぺこりと頭を下げて、歩いていく。

 その足で適当にコンビニに寄って、チキンとケーキ、あと適当なアルコールを買って帰る。

 そうして二人の帰るべき部屋へ戻ると、そこで小さな宴をした。

 派手さも賑やかさもない、けど……大切な人が傍に居る、ささやかでも顔はニヤケるクリスマス。

 向かい合ってーとか言っていたくせに、結衣は俺の胡坐にぽすんと納まっては、体を預けきった状態で“構えー”とばかりにじゃれついてくる。

 そんな彼女にチキンやケーキをあーんで食べさせ、俺ももぐもぐ。

 話題を振って振られてを続けるうち、ふと寂しくなったのか、結衣が小さくこぼした。

 

「ゆきのんとかサキとか……今頃なにやってるだろね……」

 

 友達だ、親友だと思っていた人が、ある切っ掛けを最後に離れていくことなんざよくあることだ。

 俺とこいつはこうして寄り添って歩く道を選んだが、雪ノ下は違った。

 やりたいことをやっていくために努力し、馴れ合いと呼べるものをやめ、俺達の傍から離れていった。

 お互い嫌いになったわけじゃない。

 ただ、お互いがしたいことのために、一緒に居てもお互いのためにはならないと理解した上での行動だった。

 そして、一度でも離れてしまえば、連絡の手段も機会も減っていき、やがて話すことさえなくなる。

 

「……知らんけど、頑張ってるんじゃねぇの?」

「……そっか」

「おう。……俺なんかよりもよっぽど上手く立ち回れてるだろ」

 

 俺の足の間にすっぽりと納まり、胸に後頭部を預けて脱力する恋人。

 そんな彼女を後ろから抱き締め、頭をやさしく撫で続ける。

 結衣はそんな俺の手に手を重ねてきて、指を絡め、握ってくる。

 絶対に連絡するから、いつまでも友達で、なんて続けられるわけがないのだ。

 そういうやつらに限って、同窓会とかでソワソワして目も合わせなかったり、ただ明るく振る舞うだけでお互いが誤魔化し続けるのだろう。

 

「………」

「あたしはね、よかったよ? 欲しいものはここにあるから」

「まだ何も言ってないんですが?」

「だって八幡、毎年訊いてくるし」

 

 お前はよかったのか、なんて……初めて訊いた時は喉とかカラッカラになるくらい緊張していたもんだ。

 高校二年の終盤に好き合って、お互いの傍を歩くようになり、やがて手を繋ぎ、腕を組んで。

 お互いの両親に了承を得て同棲を始めて、いろんなことに失敗しながら二人三脚してきた。

 そうなると格好付けている余裕なんかもなくなって、俺達はお互いを曝け出して、お互い同士を一層好きになって、今を生きている。

 寒い季節には必ず巻く、マフラーとネクタイ。

 あなたに首ったけ、を交換し合った俺達の冬は、無駄にぽかぽかしている。

 

「バイトもやって勉強もして、やりたいことも決まって、って……時々な、不安になるんだよ、やっぱ」

「大丈夫。なんとかなるよ、八幡」

「いや、そんな楽観的な話じゃなくてだな」

「楽観的でいいじゃん。明るくしたい未来のために頑張るのに、不安ばっかじゃしょうがないよ」

「………」

 

 挫けそうになると励まされる。

 理想論でしかないんだとしても、それは心のどこかで言ってもらいたかった言葉に違いなくて。

 ……体重を預けきって、力を抜ききった無防備すぎる恋人の頭をやさしく撫でる。

 撫でて、それから両腕できゅうっと抱き締めた。

 これからのために頑張ることを増やしてみても、不安になることなんて山ほどある。

 “これからどうなるんだろう”はいつだって自分の奥底にあって、ふとした時に自分の力の無さを噛み締めては、俺じゃないほうがよかったんじゃないか、が浮かんでくる。

 なのにその度にこいつはこうして手を握ってくれて、あたしは“ここ”がよかったんだ、と言ってくれるのだ。

 大きすぎる幸せなんていらない。

 約束された、ぶらさげられた幸福の未来なんてどうでもいい。

 ただ自分は、自分が力を抜いて自分を預けきれる……そんな場所が欲しかったんだと、笑ってくれる。

 そんな距離が……いつかは近い近いと避けていた距離が、今じゃこんなにも安心する。

 

「大学出たらどうしよっか」

「社会人やって、お互いの距離と価値観を測って、大丈夫そうなら……」

「そうなら?」

「……その。ほら、あれ、な?」

「んー? なにー?」

 

 くすくす笑いながら、人の腕と足の中でゆらゆら船を漕ぐように揺れるお団子さん。

 いや、だから。わかってて言ってるでしょお前。

 

……。

 

 ヘタレて、もごもごと伝えられないまま、いい時間になれば風呂に入って。

 大きいとは言えない湯船に二人で入って、体勢なんかはそのままに、ゆっくりと息を吐いた。

 

「………」

 

 結衣は相変わらず俺の足の間にすっぽりと納まり、軽く抱き締めるように回している俺の腕に手を添えては、どこか機嫌良さそうに鼻歌なんぞを歌っている。

 考えることはいろいろある。

 俺自身は、結衣自身はどれだけお互いを好きでも、社会人になって現実を知ってしまえば、呆れるくらいあっさりとお互いから興味を無くすんじゃないか。

 あれだけ眩しく輝いていた筈の、願いも希望も青春も、苦労してやっと見つけて手に入れた何かも、酷いくらい簡単に捨てられてしまうのではないか。

 不安はいつだって目の前にある。遠くじゃない。我がままが通じる少年時代なんて、もうとっくに自分の手から零れ落ちてしまっていた。

 

「八幡はさ、やっぱり不安?」

「……おう」

 

 今のままじゃお互いに後悔するだけで、いらない称号を名前の脇に刻むだけなんじゃないか。

 結婚してすぐに別れた、なんて、いい目で見られないに決まっている。

 しかもその別れる理由の大半が自分の所為でと考えてしまうあたり、ほんとぼっちてやつは。

 

「うん……今のままじゃ、そうなっても……きっと別れちゃうかもだよね」

「───」

 

 ぐさりと来た。

 あ、やばい、泣きそう。

 そういう未来を想像したりはしてたけど、いざ実際に相手から言われると……!

 けどここでそれは違うってムキになるのはまた別で。

 

「八幡とあたしとじゃ、結婚に対しての考えとか、たぶん違うんだ。あたしはただ漠然と憧れてて、八幡は先のことを考えすぎてて」

「……おう」

「あたしもさ、それがわかってるからここで“絶対大丈夫だから”とか“騙されたと思って”とかなんて言わない。そりゃさ、いつかは、えとー……平塚先生みたく結婚結婚~、ってなっちゃうかもだけど」

「お、おう」

「不安とかさ、いっぱい話し合おう? 黙ってちゃわかんないし、きっと全然通じ合えないから。そんなこともできないまま、八幡との先のことを諦めるのは、あたし……やだ。諦めて、ばいばいって言う日が来ちゃうんだとしても……」

 

 そこまで言うと、結衣はふるりと震えて、ばしゃばしゃと湯船のお湯で顔を洗った。

 

「あたしはさ、全部やってから諦めたい。中途半端なんてヤだから。……ね、八幡。あたしたちさ、出会った頃は……もっとそういうの、嫌いだったはずだよ?」

「結衣……」

 

 軽く回していた腕に力を込めて、彼女を抱き締める。

 抱き締めて、抱き締めて、頭を撫でて、やっぱり抱き締めて。

 

「……出てくる話題がな、愚痴ばっかになってる自分に気づいて、嫌になった時があった」

「うん」

「お前の笑顔に救われてるのに、気づけば苦笑ばっかさせてるって気づいた時、そんな話題しか振れない自分が嫌になった」

「うん」

「たまにどっかから話が飛んできて、ガキの頃に一緒のクラスだったヤツが成功してるのを知って、なにやってんだ俺、って……。だから頑張ってみるのに、そんな時に限って失敗ばっかやってさ」

「うん」

「俺は……」

「うん」

 

 どれだけ首ったけでも、お前を幸せに出来てないんじゃないか。

 苦労させてないか? つまらなくないか? お前の大切な時間を食っちまってないか。

 抱き締めたまま、震える声でそれらをこぼした。

 高校時代に広く浅くを身に付け、ぼっちとしてそれらを器用に扱っていた比企谷八幡って存在は、既に過去。

 高校時代に広く浅くが出来たからなんだってくらい、世の中にはもっと上が居て、そういうものを見せられては現実を知り、後に残るのは劣等感と後悔ばかり。

 

「俺は……」

「八幡?」

 

 じゃあ、と努力してみせるのに、いざ努力の前に立ってみると、自分が“なにが得意だったのか”さえ見失ってしまう。

 当然だ、そこに辿り着く前に適当に生きてきた“広く浅く”が、急に“広く深く”なんてものを吸収できるわけがない。

 自分が走って、泥を被ることで解決出来る物事なんて、所詮は狭い世界の中でだけだったのだと思い知らされた。

 だからこそ、社会を知れば……バイトなんて世界よりも一層に、今よりも重い世界を知るだけなんじゃ、と。

 どっかの漫画のように、物語のように、フィクションのように、俺が幸せにしてやる、なんて勢いよく言うだけ、なんてことが出来ないくらいには中途半端に現実ってものを知ってしまった所為で、何処にも踏み出せないでいた。

 そんな俺に、いつかこいつが言ったことがある。

 

  んっと……ねぇ八幡。幸せってさ、大きくなくちゃだめなの?

 

 俺はそれに、そりゃそうだろ、と答えた。

 幸せにしたい相手が居て、俺がそうしたいって思って、なのに小さな幸せしかあげられないなんて男としてちっちゃすぎる。

 そう言った俺に、結衣は少し寂しそうにして、笑った。

 

「………」

 

 俺はどうだろう。

 幸せは大きい方がいいか?

 俺の望み描く幸せは、───あ。

 

「なぁ、えと……ゆ、結衣」

「んー……? なぁに、ひっきー……」

 

 結衣は、黙ってしまった俺の腕の中で鼻歌を再開させて、体重を預けきったままで俺の腕をぱしゃぱしゃと撫でていた。

 頭を撫でれば「えへー」と笑って、ぎゅうっと抱き締めれば「どしたの? 八幡」なんてくすくすと笑う。

 そうしてみて、馬鹿馬鹿しいんだけど……高校時代に妹に言われたことを思い出した。

 俺なんぞが深く考えたところで無駄で、どんだけ考えて捻り出してみても届かない現実なんていつだって目の前にある。

 だから……そういう時は単純に、馬鹿馬鹿しく。

 

  そういう時は愛してるでいいんだよ。

 

 結衣は……今が不幸だなんていつ言ったんだろう。

 部屋に戻れば愚痴ばっかり言うようになった俺。

 疲れていれば大して取り合わずに寝てしまう時もあった。

 仕事の疲れってよりはバイト先での人間関係で精神的に疲れたって部分が大半で、前までの俺なら結衣と一緒に居りゃ癒されたのに、精神的な疲れってのは人と話すこと自体を嫌にさせるもんだからって決め付けて、話すこともせずに、俺は……。

 

「あ、あぃ……し───」

「……?」

「~……ゅぃい……~……!」

 

 彼女の首にマフラーを巻いた日からのことを思い出して、涙がこぼれた。

 嗚咽が漏れて、情けない泣き声のようなか細い声で彼女の名前を呼んで、ぎゅうっと抱き締めて。

 驚く彼女に、好きだを、愛してるを何度も何度も届けて、驚いた顔で振り向く彼女に泣き顔を見られて。

 そんな彼女に伝えた。

 

「俺も……大げさな幸せなんていらない……。俺……ただ、お前と……」

「ぁ……───うん、八幡」

 

 小さな幸せでよかったんだ。

 相手のささやかな喜びの範囲さえ知らないで、なにが彼女の幸せかも知らないで、ただ幸せにするなんて口にするのはまちがっている。

 高校時代、知る努力さえ無駄なことと人から距離を取って、それでもそんな青春時代に出会えるなにかがあったから今があって。

 

「好きだ……」

「うん、あたしもだ」

「好きだ……」

「うん」

「結衣……」

「うん……」

 

 恋人になってばかりの頃、アホみたいに相手の気持ちが気になった。

 そのくせ自分から自分の気持ちを言うのは格好悪い、みたいな意地があって、喧嘩したことがある。

 その日もクリスマスで、約束も出来ずになあなあで一緒に居ることになったその日、俺はこいつを泣かせた。

 仲直りは出来たけど、その次のクリスマスでもやらかして、その頃には結衣はしょうがないなぁって顔で、やらかした俺を包み込んでくれて。

 

「……せっかくのクリスマスに、毎年馬鹿ばっかやって……ごめん」

「わ……えへへ、ううん、あたし、こういうのがいいな。好きな人とね、すっごく近くで笑ってさ? 安心して……でね? 好きって言ってもらえるんだ。これってさ、簡単に見えて結構難しいんだよ?」

「~……好きだ」

「うん。あたしもね、八幡のこと大好きだよ」

「───、……っ……俺は……っ……! ごめん……ごめんな、結衣……!」

「でも、ごめんはやだ。八幡、本気で謝る時はすまんじゃなくてごめんって言うけど、そういうのは今はなし」

「結衣……」

「ね、八幡。小さくていいんだよ? あたしはさ、そんなのがいいんだ。小さくてもずっと続いてくようなさ、なんでもないものが……あたしにはすっごく嬉しいんだ」

「うん……」

「いつかはさ、そんな考えも変わっちゃうのかもしれないけど……そうなったら絶対に伝えるから。あたしはこんなのが今は一番幸せなんだって伝えるから。……だからね、八幡」

「うん……」

 

 やわやわと俺の腕を揉むようにして、時にその腕をマフラーに見立て、顔半分をうずめるようにして、それから……真っ赤な顔で振り向いて、彼女は言った。

 

 

───……。

 

……。

 

 大学卒業と同時に、俺と結衣は結婚した。

 式は挙げていない。

 書類だけの簡単なものだけど、結衣は幸せそうに笑っていた。

 

「で、なに? 久しぶりに来たと思ったら、そんなことを小町に報告しに来たってこと?」

「おう」

「あのねぇお兄ちゃん……小町だって今いろいろ忙しいんだけど?」

 

 かつての自宅にて、カマクラをいじくり倒す俺。

 いや、していた報告は結婚についてじゃなく、まあそのー……なに? ほれ、アレな。

 

「なーんでこの兄は実の妹に、誰かと一緒に居られて幸せだー、なんてことを報告しに来るかなぁ」

「いやほら、アレだよアレ。誰かに知ってもらいたいけど、俺にそんな相手が居ない」

「結衣さんに対してのろければいいでしょ。その選択肢に小町必要ないから」

「小町ちゃん冷たい……高校時代は頼んでもねぇのに人の恋愛事情に首突っ込んできたのに」

「そりゃそうでしょ、お互い好き合って、ああこれお互いに一緒に居るだけで幸せなパターンだーって見ればわかるのに、いちいちそれつついてられますかっての」

「………」

 

 周囲からしてみりゃバレバレだったらしい、俺の幸せ。

 カマクラをいじくり倒すのをやめて、珍しく家に居たらしい親父とお袋に挨拶をしていた結衣を手招き。

 一言言ってこちらに来た結衣を、言葉も無しに引き寄せ、足の間に座らせ、ぎゅーっと抱き締めた。

 

「はぁ……なんてーのかなもう。お兄ちゃん、ほんと変わったよね」

「おう」

「いやおうじゃなくて。妹の前で幸せいっぱいオーラとか見せ付けないでいいから」

 

 興味を無くしたカマクラがのっしのっしと離れていく中、いつかのあの日の風呂の中、結衣に言われた通り……俺はこいつの傍に居た。

 小さな幸せをずっとこいつに与えるために。

 俺もまた、幸せのために頑張れるように。

 それでよかった。

 それが、よかった。

 

  あたしね、ずっとずうっと……八幡の傍に居たいな。

 

 いつかの日に言われた言葉なんてそんなもの。

 それでよかったから、今俺達は傍に居て、小さな幸せを噛み締めている。

 笑っちまうくらいに自分の幸せに素直になれた捻くれ者はそうして、ぼっちってものから卒業したんだと思う。

 

「……結衣さん。今さらですし、またかって思うかもですけど、兄のことをよろしくお願いします。こんな兄ですけど、大切だと思うものに対しては、鬱陶しいほど過保護で、愛情を注ぐタイプですから」

「えへへー、うん。わかってるよ小町ちゃん。えっとね、……これでも加減されてるくらいだから」

「え゙……あの、マジですか?」

「うん」

 

 いやあのちょっと? なに人の愛で様を妹に暴露しちゃってるの?

 しなくてよかったでしょ今の。いや好きだけど。セーブしてるけど。愛してるけど。

 

「あのー……参考までに、どういった感じで……?」

「え? え、えとー……えへー……♪ き、キスだけで気絶させられちゃうくらい、幸せいっぱいにさせてもらってる……かな」

「……お兄ちゃんちょっとここ座りなさい」

「もう座ってるって」

「きききききキスだけで気絶って、いったいどんなことしてんのこの兄はー! 結婚してちょっとは変わったかと思ったら相も変わらず八幡なんだからまったくもー!!」

「いやおい、だから八幡は罵倒文句じゃねぇって何度言わせんの小町ちゃん」

「結衣さん! 大丈夫なんですか!? その、夜の営みとかおかしなことされてません!?」

「ふえぇっ!? あ、え、っと……そのー……」

「義理の姉が目を潤ませて真っ赤になって震えながら目を逸らす、なんて場面を目の前で見てしまった! ~……お兄ぃいいいいちゃん!!」

「待て待て待てっ、普通だ! 基準なんて知らんけど普通以上の何物でもねぇよ!!」

 

 だ、だって夜の営みだろ? 俺と結衣との体の相性が呆れるくらい良かったってこと以外、なんらおかしなことも不思議なこともない筈だぞ?

 キスだけで幸せ噛み締めて、ずっと続けてたら幸せが溢れて頂きに到達してしまって、それでも続けたら失神してしまった、とかそういうことが何度もあって、以降はHの度に結衣を頂に到達させまくるのが日課ゲフンゲフン! ……俺の中でのジャスティスになってしまった、とかそんなところだ。

 ……好きな相手なら気持ちよくなってほしいよな? 自分の手で到達させたいよな? 自分との行為で到ってほしいよな?

 ほら普通だ。普通だろ? 普通じゃないの。

 

「まあその、この兄の性格ですから、ベッドヤクザみたいなことにはなってないとは思いますが……ていうかむしろ、満足させられてるか不安っていいますか」

「は、はい、大丈夫です……」

「そうですか───あのちょっと待ってください結衣さん。え? あの、なんで今敬語に? …………おにーちゃーん? ちょぉっと詳しく聞かせてもらおーかー♪」

「妹に性生活を語る兄が居てたまるもんですか」

「だとしてもおかしーでしょちょっと! ままままさかお兄ちゃんに限って暴力なんか……!」

「アホ、嫌いになったってするかよ」

 

 ただまあそのー……絶頂させまくって、もうやめてと言われても果てさせまくった結果、何故かHの時にはひどく従順になってしまうことがございまして、はい。

 ……心の何処かに独占されたいとか、征服されたいとかそんな願望があったのかしら。

 俺自身も、結衣との行為中はなんでかちっとも治まらなくて、本能の赴くままに行為をしてるとほぼ間違い無く結衣が気絶する、という状況が完成してしまうようになってしまって……うーん。

 極めつけとして、結衣以外じゃ一切反応しないマイサン。その代わりに結衣相手だと治まらない。

 気絶しても行為を続けてたら、失神しながら絶頂するというものを目の当たりにして、なんというか……うん。余計に独占欲みたいなのを刺激されました。

 

「まあそりゃねー……結衣さん見てれば大事にされてるんだなーってのはなんとなーくわかるよ? 会うたび会うたび綺麗になってくんだもん、小町ちょっと羨ましいです。でもねー、まさかねー、自身のぼっち度以外に胸を張れることがなかったあの兄が……」

「面と向かって妹にそっちの心配をされる兄の身にもなってくれませんかね」

「ところでお兄ちゃん」

「小町ちゃん相変わらず俺の話スルーするの好きね」

「はいはいそんなんどーでもいいから。それよりもだよお兄ちゃん。……子供はまだなの?」

「式も挙げない内から子供の心配かよ」

「ほら、最近言うでしょ? 夜の相性の問題とか仕事の問題、時間が合わなくてわかれる夫婦ーとか。子供が出来れば、もう我が兄ながら逃げに走らないかなーって」

「お前の中でどんだけ外道なの俺……。心配せんでも順調だよ」

「いやでもお兄───」

「……結衣は俺がずっと幸せにする。他の誰にも譲らねぇ」

「ぃ、ちゃ…………」

 

 きっぱり言って、ホウケてる小町の額にズベシとデコピン。

 人の心配より自分の心配してなさいバカモン。

 もう大志がどうだの言わないから、いい人見つけて親父を絶叫させなさい。

 そんなことを考えながらも腕の中の結衣をぎゅー。

 肩越しから覗くように顔を見てみれば、くすぐったそうに、でも幸せそうに笑うお嫁さん。

 そんな笑顔を見るたびに、心の奥がじんわりと温かくなるのを感じる。

 たぶん、それが幸せってもので……そんなささやかなものが続くだけで、俺はただただ嬉しくて、楽しくて……安心を得られた。

 

「はぁ……目の前で随分といちゃついてくれちゃって……。あ、でも今日どうするのお兄ちゃん、結衣さん。泊まってく? 一応部屋はそのままだけど」

「んにゃ、帰る」

「ちょっと来てちょっと帰るって距離じゃないでしょ、アパート」

「だとしてもだよ。……もう、あそこが俺達の家だから」

「おおう……その感覚はまだ小町にはわかんないかなー……。いずれ建てるつもりなの?」

「おー……ささやかでも幸せなら何処でもいいかもだな」

「うん。むしろ広い場所に住んだら、離れる理由ばっか出来ちゃいそうだし、無理して広いとこじゃなくていいかなーって」

「似た者夫婦。もう引き止めたりしないからさっさと帰っちゃいなさい、まったくもう」

 

 言われた言葉に二人して笑って、準備をしてから家をあとにした。

 外に出れば、季節の寒さと夜の寒さがダブルで身に沁みる。

 

「うわーはー……! 雪は降らないって言ってたけど、降ってもおかしくないくらい寒いねー……!」

「だな……あぁほらこっち来いこっち」

「うんっ。えへー……♪」

 

 寒さに震えながらも手招きすると、ぴょいと近づき腕を組んでくる結衣。

 そのまま歩いて、駅を───ああいや。

 

「結衣、どうする? お義母さんのとこ行くか?」

「ううん、やっぱり合わせられなかったみたいだから、今行っても居ないみたい。今日はこのまま帰ろ? ……あ、それとも」

「それとも?」

「えと……前のあたしの部屋にさ、泊まってく?」

「……本番的な行為は一週間に一度で、今日が一週間目だったよな」

「はきゅっ!? ゃ、ぁ、ぇとー……はい」

「その、な。俺も相当溜まってるから、加減とか出来ないと思うんだが」

「……~……!」

「いや……なんでそこで嬉しそうなの……」

「だ、だって……“好き”をいっぱいぶつけてくれるから……」

「………」

 

 俺に対しての嫁の幸せのハードルが、随分と低い件について。

 じゃあ俺に他になにがあげられるんだーって言ったら、案外ひどくちっぽけな事実もまた然り。

 他の誰かが聞けば、安上がりって思うだろうか。

 ……とんでもない。お互い、自分らにしか出せない唯一で相手を幸せに出来てるなら、それはきっと安上がりでもなんでもなく、いつかはきっと出会ったであろう“大切なもの”に、たまたま早く、いい具合に出会うこが出来たってだけだ。

 

「なぁ、結衣」

「うん、なに? 八幡」

「そのー……毎年で悪い。今───」

 

 クリスマスが来るたびにいろいろある俺達。

 そんな二人の影は、背中側から街灯に照らされていても重なっていて。

 温かさがスッと口から離れると、言われるまでもなく幸せですって笑顔がそこにあったから。

 俺も負けじとキスを返してから、幸せで悪いかって感じで笑顔を返した。

 

  ……幸せは続いていく。

 

  それはとてもささやかだけど、きっとずっと続いていく。

 

  そんな幸せに対して、なにか届けられる言葉を探すなら……

 

  まあその、なんだ。

 

  メリークリスマス。



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食品売り場で黙礼する彼の事情①

 ……朝が来た、と認識した時、自室の扉が開いた。

 静かに開かれるそれに、ああ……と小さく納得すると、入ってきた人物を薄目で見る。

 

「……おはよー、八幡……」

 

 小さく囁くと、彼女は嬉しそうに笑った。

 加えて言うなら、「八幡、はちまん……えへへぇ……ふふっ、えへー……♪」と、人の名前を呼んではテレテレと照れている。

 そんな彼女が俺のベッドの横に立つと、きしりと手をベッドについて、俺の顔を覗いてくる。

 両手をついているから、もちろん彼女の立派なたわわがゆさりと揺れるわけだが……おわわ大迫力……! 朝からこれは刺激が……いやしかし見ないのは逆に失礼なのでは……いやいやそれでも。

 

「うんうん言ってる……魘されてるのかな」

 

 いいえ素で悶えてましたごめんなさい。

 

「八幡、朝だよー……? はちまーん……? ……ふふふ、えへへへ……えへー……♪」

 

 間近で俺の名前を呼ぶのがそんなに嬉しいのか楽しいのか、それとも両方なのか。

 もう目を開けてるとバレるので閉じてはいるが、明らかに幸せですって声が聞こえるたび、心がきゅんきゅんする。やだ俺ってば今誰よりも乙女チック。

 

「はちまん? はちまん、はちまーん……八幡。……八幡? はーちーまーんー……うわ、うわわー……! 顔が勝手にニヤケちゃうよぅ……! だめだめ、こんな顔ヒッキ……は、八幡には見せらんないから、うん」

 

 いえ、是非とも見たいのですが。

 けどここで薄目でも開けようものならバレて、こんな警戒心一切無しのテレテレガハマさんが見れなくなってしまう。

 

「ん、っと……はちまん、朝だよ? 起こしに来たよー? 八幡、はちまーん? はち……、…………」

 

 あ。なんか頭触られてる。

 さらり、さらりと撫でられて……うわ、いい匂い。

 女子ってなんでこんないい匂い……匂い? あれ? 近い? きしり、きし……ってベッドが軋む音がして───

 

「だだだめ、だめあたし! 相手がファーストキスを覚えてないなんてやだ!」

 

 ───キスとな。

 いえあの、ヴェヴェヴェツニイインジャナイデセウカ?

 ホラ、俺トカ意識アルシ。

 あ、でもその気持ちに返すことが出来ないのは確かに嫌かもだ。

 あとこんな至近距離で騒いだらだめでしょ。

 

「ん、ん……由比ヶ浜……?」

「うひゃあっ!? え、わっ、あ、あぅう……!」

 

 声が大きかったので、それを理由に起きたフリをすると、相当に残念そうにする由比ヶ浜。

 けれども挨拶には挨拶を返して、元気に笑ってくれた。

 挨拶? そんなもんやっはろーに決まってんでしょ。

 てか朝の挨拶にそれって合ってるの?

 

「今日も起こしにきてくれたのか……その、あんがとな」

「ううん、全然。あたしがやりたくてやってることだから。はい八幡」

 

 ベッドから降りると、はい、とタオルが渡される。

 制服やシャツなどは既に由比ヶ浜の腕の中にあり、ほら、行コ行コ早くっ、と促される。玄関の前で散歩を待つ犬のようである。

 てか胸に抱かれてる制服が羨ましい。私は制服になりたい。

 促されるまま部屋を出て階下へ降りると、ニィイマァアアと鬱陶しい笑顔の小町に見つかる。

 おはようの挨拶をするも、「まだ時間あるから、ゆっくりしっぽりしててもよかったのにー」なんて言われる。

 やめなさいよちょっと、小町ちゃん? そういうのだよ? そういうのが恋人たちを無駄に傷つけるんだよ?

 ニンマリ笑顔の小町をスルーして洗面所へ行くと、由比ヶ浜が着替えを置いて脱衣洗面所から出ていく。

 

「………」

 

 恋人同士、というものになってからというもの、由比ヶ浜はとても積極的である。

 “一歩”を大事に、日に日に近くなっていく距離に、俺はといえばもちろんたじろぐばかり。

 かつては夢見ては砕け散りまくった恋への渇望、羨望が日に日に叶えられていくと、さすがのプロボッチャーである八幡さんも───

 

「……だらしねぇ顔」

 

 うへぇ、とうんざりしそうになるのに、鏡に映る顔はてんでうんざりしない。

 ようするに嬉しいのだろう。嬉しくてたまらないのだ。

 まあその、そういうのも受け入れようって決めちゃったし、ニュー八幡となったからにはそうそう挫けるつもりもない。

 俺に恋人とか、今後一生無理そうだし、なにより俺自身も……日に日に近づく由比ヶ浜との距離に戸惑いながらも、やっぱり嬉しいのだ。

 強く意識するようになってからは特にやばい。

 あいつの行動、あいつのやさしさ、あいつの可愛らしさにどんどんと心がやられ、気づけば俺から近づきたいって思うようになったりして、どんなきっかけでもいいから一日一回くらいは話したいなって思うようになってしまい、時にじれったく、時にもどかしく。

 そんな風になってから思ったのだ。

 ああ、“自分から行く”って、こういうことなのかもなぁって。

 もちろん“待っててもしょうがない人”に由比ヶ浜が該当する、なんてことはない。むしろぐいぐい来る。

 そんな中、俺からも向かえば距離なんてあっという間に縮まるってなもんで。

 

「……っし、と」

 

 洗った顔と、着替えた服装を確認して頷く。

 そうして洗面所から出ると、出てすぐの壁に背を預けて待っていた由比ヶ浜がぴょいと壁から離れ、爛々とした目で俺を見つめてくるわけで。

 お犬様が“散歩!? 散歩!?”と尻尾を振るかのような反応……やばい、俺の恋人超可愛い。

 

「………」

 

 なんとなく、だった。

 どう反応するだろうって好奇心の方が勝った。そうした希望があったわけじゃない。

 ただなんとなく、おそる……と手を───気づくか気づかれないか程度、由比ヶ浜に向けて動かした。

 すると、ぱあっと明るくなる表情。

 きゅむと握られ、繋がった手に、ガハマさんたらお顔が“えへー……♪”と、おとろけあそばれている。

 

「……よくわかったな、今ので」

「うん。いっつも見てたから」

「しょほっ……そ、そか」

「うん、そだ」

 

 なんでもないように言ってくるけど、由比ヶ浜の顔は真っ赤だ。

 それでも離したくはないようで、真っ赤なままの顔でぎゅうっと目を閉じて、口を波線になるくらいきゅ~っと閉じて、なにかに耐えるようにして……やがてぱっと目を開けると、「う、うん、行こうっ」と俺を軽く引っ張りだした。

 

……。

 

 朝食が済んで準備も済めば、あとは登校。

 由比ヶ浜が来るようになってからは生活リズムも随分変わった。

 小町と一緒に本来禁止な二人乗りをすることが無くなったし、早い時間ってこともあって、小町は一緒には登校せず、“もうちょいゆっくりしていくからー”と言って俺達を送り出した。現在はきっとテレビでも見ていることだろう。

 

「やー、最近いい天気が続くよね」

「だな。入梅(つゆいり)はしたらしいのに、珍しいもんだ」

「八幡の誕生日の頃にはもう、こんな少しの涼しさまで懐かしくなるんだろうねー」

「もうちょい適温の時期を伸ばしてくれると助かるんだけどな。もう何年も、四季が春と秋を忘れた、なんて言われてるくらいには、丁度いい温度って時期が無くなった気がするしな」

「あー、それわかるなぁ。涼しくなったと思ったらもう寒いんだもん。あったかくなったー、と思ったら暑いしねー」

「ほんとそれな」

 

 なんでもないことを話しながらの登校は、なんだか懐かしい。

 まだ周囲が離れる前くらいには、ほんのちょっぴりでもこんな関係があった気がする。

 もちろん恋人関係ではなく、やすっぽくても友達、と呼びたいような相手らと。

 

「………」

「………」

 

 会話が途切れても、手は繋がったまま。

 嫌な空気が流れるでもなく、むしろ歩きながらその手の温かさ、やわらかさに頬が緩みそうになる。

 誤魔化すように、指で由比ヶ浜の手の甲を撫でると、逆に撫で撫でされ返された。

 負けるものかとじゃれ合っていると、散歩のおばさまに目撃され、「あぁんら若いっていいわンねぇ~!」と振り絞るような声で言われた。

 頬が緩みそうになる程度の恥ずかしさレベルじゃなかった。

 緩むくらいの方がまだマシだった……けど、きちんとカップルに見られたことが、どうやら俺はとても嬉しかったらしい。

 ちらりと横を見れば、そこにも照れてる人発見。

 繋がれた手に軽く力が入って、ヘンな声を出しそうになるのをこらえて、こちらからも軽く力を込めて握る。

 関係ないけどおば様方が声を振り絞る時って、どうして“わねー!”が“わンねぇ~!”になるんだろうな。ほんと謎。

 

「…………」

「……、……」

 

 一歩一歩を踏み締めて、一歩一歩を大事にする。

 そう決めた二人で想いを育みながら、ひねくれるでもなく日々をともに。

 幸せな気持ちはあれからも続いていて、新しい一歩を前にしては、思い出すのだ。

 いつかの誕生日のこ───

 

「は、八幡。あの……あのさっ? あの、あわわあのあの」

「お、おう、どした?」

 

 ちょっと? 今“あ、もうこれ回想入りそう”って雰囲気だったでしょ? あんまりそういうことすると、

 

「一歩……いいかな。も、もっと踏み込んじゃって、いいかな」

「───」

 

 一歩。

 今の距離を考えると、それはもう手を繋ぐという行為よりもワンランク上。

 それはつまり、いやでも、待て待て……!?

 

「そひょっ……それは、しょの……! えふんっ! ごほんっ! ……その。きょ、距離の事、か? それとも繋ぎ方の問題、とか……か?」

「え? つなぎ……───ぁ」

 

 あ。これ距離の話だったらしい。

 そう気づいた時には、ようやく落ち着いてきていた彼女の顔はかああと赤くなってしまい、しかし俯きながらでも指は俺の手の甲をさすり……まあ、その。

 大変恥ずかしかったし本気でどうしようかと迷ったりもしたのだが、彼氏として男として、そしてアレを制覇した修羅として、やりもせずにあっさり引くことなど許せるはずもなく。

 喉を一度鳴らしたのち、未だ俺の手の甲を撫でる由比ヶ浜の指に、自分の指を絡めるようにして動かした。途端に驚いた表情で顔を持ち上げる彼女に、こちらから一歩踏み込んだ。

 が、ここまでが限界。

 伝説の恋人つなぎまでこれを昇華させるには、まだまだいろいろと経験が───

 

「………」

「………」

 

 目を逸らして手を離したくなるくらいの恥ずかしさが、心の中でやさしく燃え続けている幸せな気持ちを押し潰しそうになる。

 それは困ると抗おうとしたところで、由比ヶ浜の方からも動きがあって、それなら……とお互いがお互いを勇気付けるように……やがて、手は、指は、一本一本を絡めるようにして繋がれた。

 

「~……!!」

「……、~……!!」

 

 当然悶絶。

 恥ずかしいくせに幸せで、嬉しいくせに離したくなってしまうというこの状況に耐え切れず、俺達はしばらく恥ずかしさと壮絶なバトルを繰り広げた。

 恋人って凄まじい。

 こ、これからさらに上があるって、人としてどんだけレベルアップすりゃ気が済むのか。

 リア充の先人達……正直すまんかった。

 爆発しろとか言われるまでもなく、一歩一歩が大変だ。

 踏み込み方が問題で、間違えれば嫌われちまうし、かといってじれったければ機嫌を損ねてしまう。

 楽しいことばっかじゃあないのだとわかった───というのに、俺の顔はきっと緩んでいるのだろう。

 羞恥に押し潰されそうだった幸せな気持ちは、火の勢いを増したかのように元気だ。

 それがたまらなく幸せで、調子に乗ってしまうとペースを乱し、踏み込みすぎてしまう。……ので、なんとかブレーキをかける。

 ま、まだぞ。まだ腕を絡めるには尚早といふものぞ……!

 

「……、」

「あ……」

 

 そんな真っ赤な顔同士が目を合わせると、羞恥はくすぐったさに変わって、互いにむずむずと緩むように笑い合う。

 擦れ違う人々に「微笑ましいわねぇ」とか「初々しいのう」とか言われても手を離さないくらいには、もうこの繋ぎ方に執着ってものを持っていた。

 

「あ……の、はちまん……」

「お、お……お、ぅ……」

「こっ……恋って……そのっ……すごい、ね……」

「しょっ……~……それな。お、おう、それな。まったく同じこと、考えてた……」

「……、そ、そっか、えへへ、そっかぁ…………えへー……♪」

 

 ……なお。こんな調子の二人を続けたのち。

 我らが部長様がなんでかブラックコーヒーに手を出すようになった。

 “ゆきのん、ブラックとか好きだっけ”という由比ヶ浜の質問に、彼女は薄く笑って言った。“好きにもなるわ。当然でしょう?”、と。

 紅茶の代わりに自作のマッカンが出るようになった時は、何事かと思った。

 しかも甘いのを飲むのは俺達だけで、部長さまは依然としてブラックだった。

 

「………」

「………」

 

 軽く俯きながらも歩き、歩く度に揺れる、繋がれた手がくすぐったく、それを誤魔化すように親指を動かしてみたりするのだが、反撃に手の甲を撫で返されて、やり返して、やり返して、なんてことをキャッキャウフフと続けた。

 早くに出た主な理由はこれで、恋人、というものを満喫しながら登校していると、何故だか時間がギリギリになるのだ。

 なのでこうして早くに出て、幸せを育んでいるというわけだ。

 一歩……一歩か。

 これからこうして、ただ繋ぐだけから恋人繋ぎにしたり、やがては腕とかを組んだりするのだろうか。

 腕を組んだその上で、さらに恋人繋ぎをしたりとか、その先とかさらに先とかプルスウルトラが止まらない。

 キッ……キキキキスとかは、まだ、な? 一歩一歩が大事ですから!?

 ……すいません見得張りました、正直なところしてみたいです。

 でも大事にするって決めたし、焦りすぎて醜態をさらすことを、ニュー八幡としては見過ごせない。

 だからいいのだ。これで……そう、これで。こうして今まで、相手が居なかったからこそ出来なかったことが出来る……それが勝利なんだ。

 まずは名前を呼ぶところから始めたいよな。

 次の一歩はそれからだ。この一歩は俺が進めたい。

 そのためにも、こんな日のために用意しておいた、そのー……デ、デデデデートの誘い文句、といふものを、だな……!

 こ、こう、超自然的に名前で呼んでから、誘う……そんなプランを立てた、のだが。

 

「あの……な、ゅぃ、がはま」

 

 ごめんなさいヘタレました。

 

「! ……、……ぅ、ぅん、うんっ、なに? 八幡」

 

 由比ヶ浜もそれがわかったのか、一瞬嬉しそうな顔をして、けどそこから少しやさしい笑みを浮かべる。

 仕方ないなぁ、なんて言うかのように。

 うう、すまん……! 今に言えるようになる……なるから……!

 

「そのー……よ。今度の休み、暇か? 暇ならデ」

「ひ、暇っ! うん暇っ! よよよ予定とかないから! ないからその……えと……~……い、いきたい、連れてって? 一緒に、行コ……?」

「…………おう」

 

 真っ赤になって、“嬉しい”をこうまで伝えてくれる。

 じんわりと心に広がる嬉しさが心地良くて、俺達はまたも、顔を緩ませながら、時に目が合うとてれてれと軽く視線を逸らし、見つめ、合わせ、微笑むと、ゆっくりと通学路を歩くのだった。

 

 え? あ、お、おう、こうなったきっかけな。

 おうきっかけ。

 あれはそう……6月18日。

 6月18日にまで遡るわけだが───



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食品売り場で黙礼する彼の事情②

 6月18日。

 いつしか心待ちにするようになっていた日付を指す。

 もう高校二年を何度繰り返したかは知らんがとかメタな発言はさて捨て、……いや、さて置いても話題に持ってくることもう無いだろうから捨てとくとして。

 ともかく6月18日である。

 今朝もはよからそわそわしている俺に、なんだか小町がニマニマしているが……もしや魂胆がバレてる?

 なら丁度いい。

 ゴクリと喉を鳴らしつつ、俺は小町に今日の朝食はいらないと告げた。

 

「え? いいの? そりゃまだ作ってないから小町としてはありがたいけど」

 

 そう、いいのだ。

 今日という日に食事はいらない。

 寝巻きのまま降りてきていた俺は、小町にそれを伝えると洗面所へ。

 顔を洗って歯を磨いてシャッキリすると、階段を登って自分の部屋へ。

 一つの行動に意識を向けて、しっかり着替えて、小さな鏡に映る自分を見てニヤリと笑ってみせた。

 いや、べつに今日もキマってるぜとか言いたいんじゃなく、笑みを抑えられなかっただけだ。

 そうしたソワソワ感はどうしても滲み出てしまうのか、階下にて二度目の邂逅を果たした小町は、やっぱりなんだかニマニマしてらっしゃる。

 

「お兄ちゃん、頑張ってね。小町なーんも訊かないけど、ただ頑張ってね!」

「お? お、おう。だな、確かに頑張る必要はあるよな」

 

 妹に純粋に応援されるとは、なんだかむず痒いもんだ。

 だがもはやこの震えるハートは燃えつきるほどヒート状態で、血液のビートを繰り返している。よし落ち着け。落ち着こう。落ち着いた。

 

「……行くか」

 

 逸る鼓動を抑えることもなく、一歩を踏み出し、早い時間だというのに登校を開始した。

 さあ……俺達の戦いはこれからだ───!!

 

   ×   ×   ×

 

 学校についてしばらくすると、当然人も集まり、やがては教師が来る。

 HRは静かに過ぎ、授業もそれなり。

 休み時間になれば一部の人はソッワァアア……! とそわそわしたり、一部の人は「ディャァ~ハハハハァ~ン? ウァ~リェヌゥェ~ィ? むぁズィプァヌェ~ンドゥェスケディョ~ン!?」と謎の言語を放つや、ゲラゲラと笑っている。

 知ってる中でのそわそわさんは……戸塚と、大岡と、大和と……由比ヶ浜か。

 由比ヶ浜はなんだかちらちら俺を見ているが、やめなさい、今ジュビ……もとい三浦が話してるでしょ?

 そんな中、こそりと戸塚が身を小さくしてひっそりと寄ってきて、話を振ってくるやだ可愛い。

 

「八幡……今日は……?」

「ああ、相当楽しみにしてる……」

「うん、僕も……! あ、材木座くんとも話し合ってあるから、詳しいことは……」

「お、おう……」

 

 にっこり笑う天使に心が癒される。

 あ、一応平塚先生にも意見を訊いておこう。

 あの人こういうの好きそうだし。

 ……ほら由比ヶ浜ー? いーから三浦の話に集中したげて。あんま無視すると泣いちゃうかもでしょちょっと。

 

「《ヴー! ヴー!》ん、っと。……材木座か」

 

 (ズィー)から連絡があった。落ち合うまではコードネーム的な名前で呼び合おう、なんて言われているからノってみてはいるものの、とどのつまりは材木座である。場所の用意とブツの確認は完璧らしい。

 あとはアレが必須なわけだが……いや、その準備もぬかりなく、だそうだ。

 よし、ならあとは授業が終わるのを待つばかりだ。

 男とのスマホのやりとりでニヤリと笑う男をどう思う? んなもん普通でしょう。ほら、あそこで海老名さんもぐふふ顔でこちらを……いや違うからね? そういう腐った感じのアレなアレとは違うから。

 ともかく準備は問題ない。あとは俺達が───

 

……。

 

 昼を迎える。

 普通ならばベストプレイスにてパンとマッカンでも頂戴するところだが、今日に限ってはマッカンのみ。

 じっくりちびちびと味わっては、天使の舞を材木座とともに眺めていた。

 

「……八幡よ。ついに、今日だな」

「おう。話を聞いた時は、まさかお前もとは思わなかったけどな」

「うむ。待ちわびた。想像を上回ることなどないとわかっていても、妙な期待が胸にある」

「だな。俺もわかってるつもりなんだけどな……どうしようもなく楽しみだ」

「フッ……」

「ふふっ……」

 

 珍しくも、俺達は不敵に笑って天使の舞を眺めていた。

 部員と軽く打ち合う戸塚。どうやら勝ったらしい。おお、すごいな戸塚。すご……すごい、まじすごい超スゴイスゴイしかないまで凄い。

 

「せっかくの誕生の日。今日という日を存分に祝おうではないか。無論我は意地を通す腹積もりである」

「男ならそりゃあそうだろ。無茶でも苦茶でも貫き通すのが意地ってもんだ」

「然り然り! 様々をいくら諦めようとも、諦められぬ、捨てられぬ矜持が男にはあるものだ……!」

 

 テニスを見ながらの話題がそれでいいのかとも思わないでもない。ないが、いいのである。だって俺達だけだもの、ここに居るの。

 

「八幡、お主に用事などは、よもやあるまいな。あ、あったら我、いろいろとそのー……都合つけるけど」

「ないからわざわざ素に戻るな素に」

「ふむそうか! では予定の変更は無しでいいのだな? ……いいよね?」

「おう」

 

 二人、やはり不敵に笑みを浮かべた。

 やがて昼休みも終わる。

 今頃二人で昼食を取っていたであろう雪ノ下も由比ヶ浜も教室を目指しているのだろう、なんてことを考えながら、俺達もそれぞれの教室へと歩いた。

 

……。

 

 放課後である。

 もはや待ちきれんとばかりに立ち上がると、早速廊下へと飛び出る。

 さあいざ益荒男どもよ、その心の猛り……存分に披露されませい!

 あ、でも廊下を走るの、メ。気配を殺しつつ、目立たないように、けれど早歩きで、待ち合わせの場へと急いだ。

 

「あっ、ひ、ヒッキー、今日小町ちゃんに───」

「ほら、なにしてんの結衣。あーしたちはこっちっしょ」

「えぁ、あ……う、うん」

 

 聞こえた声には、まあ、あれだ。

 まずは存分に祝われていればいい、と。

 あとでかいつかはわからんけど、ちゃんとあとで祝いはある。

 てか今小町とか言った? え? なにかあるの? いやいや気になるものの、今はあとでいい。

 

「おぉおお! はぁあちまぁああん!」

 

 ザカザカとステルス早歩きをしていると、あっさりと俺の姿を発見した材木座が、同じくざかざかと歩いてくるのを発見。

 横に並び、ざかざかとともに歩いた。

 

「む? 戸塚氏はどうした? 一緒ではないのか?」

「俺と一緒に歩いて噂になったら戸塚が可哀相だろ」

「八幡、それもっと女性にすればいい対応だと我思うの」

「いや、べつにいーだろこんなもん。俺にやられたって戸塚以外誰が喜ぶんだ」

「そこでしっかり戸塚氏はいれるのね」

 

 言いながらも歩く。歩いて、自転車乗り場に辿り着くと、俺は漕ぎ、既に別れていた材木座は別の移動手段で移動した。

 やってきたのは大型スーパーであり、人がごった返している、声の途切れない場のひとつだった。

 

「情報は確かなんだな、材木座……」

「うむ。コンビニではだめなのだ。7&哀、ラウソン、家族マート、ビッグストップ、そのどれもが期待外れ。だがここにはあったという情報を得ることが出来た……!」

「それ、何処情報? なんか物凄い不安なんだが」

「H教諭からの情報だ」

 

 あ、それ信じられるわ。確実だわ。無駄な心配だったわー。

 

「ってことは、既にH教諭は来たあとってことか」

「で、あるな。昼に来たのか、それとも朝には事前に調べておいてくれたのか」

「朝に調べたなら昼には連絡来てたんじゃないか?」

「む、然り」

 

 喋りながら、既に発見済みとの報告に、心が高揚するのを感じていた。

 逸る気持ちを抑えきれず、勝手に大股歩きになってしまうのを止められず、歩き、探し、やがて目的のブツを発見した。

 俺と材木座はやり遂げた男の……否、漢の貌になると、ゴヅゥと拳を叩き合わせ、胸を張った。

 会計を済ませれば、あとは約束の地へと向かうだけ。

 そこで待っているのは果たして、希望か、それとも絶望なのか───!?

 

   ×   ×   ×

 

 6月18日、月曜、放課後のとある公園にて。

 約束された地とは名ばかりのそこへと、俺、材木座、戸塚……そして多少遅れて平塚先生が現れた。

 

「例のブツは?」

 

 平塚先生が問う。

 

「ここに」

 

 材木座が眼鏡を鈍く輝かせつつ、(ひざまず)きながらブツを両手で差し出した。

 平塚先生はそれを受け取ると、ごくりと喉を鳴らす。迫力ゆえか、別の理由か。

 

「これが……。一応見てはいたが、手元に来ると迫力も凄まじいな……!」

「すごいよね、八幡……! あ、でも……ねぇ八幡、今日はここに来るの、これだけなのかな」

「大岡と大和がそわそわしていたが、あれは多分別の理由だな。近くでそれっぽいことを言ってみても、なんの反応もなかった」

「そっか……」

「それより戸塚は大丈夫なのか? 今回のこれは───」

「ううん、僕、ちゃんとやりたいって思うから! 僕だって男なんだって、証明するんだっ!」

「戸塚……」

「戸塚氏……」

「よし。では車にこちらで用意したブツが乗っている。持ってきてくれ」

「「「イェス・マム!!」」」

 

 男三人、綺麗に敬礼をして早速作業にとりかかった。

 今日という日になにがあるのか……それは、人によっては心底どうでもいいことで、人によってはとても大事なあること。

 誕生した日を祝うという意味で俺達はここに集い、どこで聞いたのか平塚先生がやってきて、こうして場は設けられた。

 個室が使えればよかったんだが、そんな場所もなかったのだ、仕方ない。

 

「これでよし、と……そういえば比企谷」

「はい? なんすか先生」

「君はいいのか? 今日、由比ヶ浜の誕生日だろう」

「いや、例の如く葉山グループと一緒に行動してたし、そもそも俺に祝われてもアレがアレでしょうから」

「君はつくづく、踏み込めない男だな」

「ほっといてください」

 

 6月18日は由比ヶ浜の誕生日。

 そんなことはわかっている。一応プレゼントも用意したし、俺がダメなら小町に渡してもらうつもりだった。

 当日になってみれば渡す機会くらいあるかと思えば、例の如く葉山グループとのお愉しみのようだし、ほれ、俺が出る幕なんて最初からないじゃない。

 だったら別の誕生を祝うことで、気を紛らわしましょうって魂胆だ。

 いや、魂胆云々は置いておいても、気になっていたのは事実なんだが。

 

「よし、時間だ」

 

 平塚先生がそう告げると、俺達は水飲み場の排水溝部分にサヴァー……とお湯を捨てた。

 そう……これは焼きそばである。

 ここに集い、ここに用意したるは焼きそば……6月18日に誕生した、ペヤングソース焼きそば超超超大盛GIGAMAXである。

 

「……、……」

「戸塚」

「だ、大丈夫、大丈夫だよ八幡……! 僕だって男の子なんだから、これくらいぺろりって……食べられるんだ……!」

 

 大量の麺にソースを入れ、混ぜる過程で戸塚の喉がごくりと鳴った。

 いい匂いに促された唾液を飲んだのか、迫力に負けそうになったのか。

 だが今さら退けない。

 食べ物は粗末にしてはいけないのだから。

 

「では実食しよう。いただきます」

「「「いただきます」」」

 

 早速割り箸を走らせた。奔らせた。噛んだ。味わった。咀嚼した。

 いつもの味、いつものペヤング。

 安心出来る味でも確かな予感。

 想像の域を出ることなど絶対にないと予測していた通り、いつも通りの味。

 

(((ああ、これ途中で味に飽きるやつや……)))

 

 恐らく戸塚以外が思ったであろうことを俺も思いつつ、ゾボボボと飽きる前に食い続けた。

 冷めてからが美味いという人も居るが、それが苦手な人には地獄が如き量。

 だが構いません、望むところだと食べる。喰らう。()み続ける。

 

「もぐもぐ……」

「……意外だ。材木座、お前、もの食べる時、姿勢とか綺麗なのな」

「ぶぼっほ!?」

「平塚先生、汚いです」

「べ、べつにいいであろう!? 姿勢とは全てにおいて大事なものなのだから! むしろ姿勢ひとつで胃に入る量も違ってくると云われているくらいであってだな……!」

「ウマイな」

「うん、美味しいねっ」

「聞いて? ねぇ聞いて八幡! ツッコんどいて聞かないとかひどいであろう!?」

 

 無言すぎたので気になったことを言ってみただけだったんだが、いい具合に力が抜けた。

 そうしてさらに食い続けて、食い続けて……

 

「うぶっ……うぅ……! か、完食、だ……!」

「「おぉおおおおっ!!」」

「わあぁあっ……! すごい! 平塚先生すごい!」

 

 ついに、平塚先生、完食……!

 

「ふ、ふふっ……うっぷ……! ま、まあ……やろうと思えば出来ないことなど……うっぷ」

「とりあえず確認出来たな」

「うむ……水分大事。後半になればなるほど、物凄い勢いで口の中の水分が吸い取られているような気分である……! だがそんな心配も水分さえあれば問題なぁあい! ン見よ八幡ンンッ! これぞ我が用意したトクゥホコーラであるぅ!」

「いや……この量の暴力に対して、腹が膨れる炭酸飲料とか持って来てどーすんだよ……」

「……はぽっ!?」

「き、気づいてなかったんだね、材木座くん……」

「ほら戸塚、飲んどけ、やさしいウーロン茶だ」

「わあ、ありがとう八幡っ」

「あ、あのー……八幡? 我にも……」

「おう。ここに集った同志を見捨てるほど、人でなしじゃねぇよ」

「八幡……!」

「平塚先生はどうします?」

「いや……今ものを入れると大変なことになりそうだから、今はいい……」

「一気に詰め込みすぎっすよ」

 

 それからも、ぞぼぞぼ、ずぞぞー、という音ばかりが耳に届く。

 巨大な容器には大量の麺。これでも大分減ったのに、まだまだ同じ味が続くと思うとさすがにこう、眩暈というか……頬の下あたりに謎の違和感が浮かびあがり、“もう咀嚼したくねッス”と言われているような、奇妙な気分になってくる。

 顎よ……耐えておくれ、これは試練なんだ。

 この量に打ち勝つ……それを為せる男でありたいと集った我らなのだから、ていうか一番最初に完食したのが平塚先生ってどういうことなの。

 俺てっきり材木座あたりがいくと思ってたのに。

 

「…………」

 

 あと。

 変わらぬペースでちるちる食べてる戸塚、可愛い。

 じゃなくて、つらそうな様子なんて全然ない。

 むしろこういうものを食べる機会がないのか、美味しいね、美味しいねと笑顔で食べている。

 あれ? もしかしてこれ、もしかするパターン?

 

「「………」」

 

 ちらりと見ると、同じくこちらを見た材木座と目が合った。

 よろしい、ならば───ここからは男の意地である。

 

「「…………!!」」

 

 戸塚はこの際順位には入れず、俺と材木座で敗北男を決めるという、奇妙な対決が始まった。

 大丈夫だ、こんなこともあろうかと朝からメシは抜いている。その代わり、腹が縮まってしまわないようにとマッカンや軽いものなら入れたのだ。

 準備はしてきた───が、それはおそらく材木座も同じ。

 

「「ムググォオオオーーーッ!!」」

 

 食う……食う、食う!

 しかし、すぐ傍でゆっくり美味しく食べている戸塚を見たら、なんだか俺達馬鹿らしくなっちゃって。

 

「…………ん、ぐ。……普通に食うか」

「……で、あるな」

 

 もう一度ここから。

 ペヤングの味に感謝しながら、ゆっくりと食べるのだった。

 

   ×   ×   ×

 

 で。

 

「美味しかったねっ、八幡っ!」

「お、お……おう……」

「はぽっふ……! むぐおおお……さすがに食いすぎた……!」

「ふう……私は少しは落ち着いた、かな……」

 

 ペヤングGIGAMAXを食べ終えた修羅たちは、今ようやく食後の休憩を終え、立ち上がるところだった。

 ええはい、例のごとくと言っていいのか、戸塚ったら結構食えるタイプだった。

 あの量を変わらぬペースで食べ続け、ついには残すことなく完食。

 俺と材木座、平塚先生、目を見開いて大驚愕。

 今度、美味しいラーメン屋に連れてってやると平塚先生が言うと、戸塚ったらそれはもう嬉しそうに本当ですかっ、って。やだもう可愛い。

 さて、そうして終わってみれば、修羅の宴のあとというのはこう、ものかなしいもので。

 後片付けも完璧にこなしたのち、何処に寄る気分にもならなかった俺達は、その場で解散というかたちになった。

 

「うぅっぷ……いや……ほんとさすがに食いすぎた……」

 

 食べる前は好奇心ばかりだったのに、食後はちょっぴり大後悔。いや、なんかそんな気分になるんだよ、ほんと。なんだそりゃって俺の方こそ訊きたいほどに、ちょっぴり大後悔。

 

「こりゃ家に帰ってぐったりモードなパターンか《ヴー! ヴー!》っと、材木座か……?」

 

 ぼふぅとペヤング味の溜め息を吐くと、スマホを取り出して確認。

 すると……

 

 “お兄ちゃんへ。

 

  黙ってたけど今日、うちに結衣さんと雪乃さん呼んで結衣さんの誕生日会するから!

  朝食べなかったんだし全然食べられるよね? いっぱいお祝い用のもの用意してあるからいっぱい食べてね!

  実はそれを予見して食べてなかったんじゃない? とか考えてる小町より。

  あ、朝言った頑張れってのはお兄ちゃんが結衣さんを誘うかなー、的な期待からだから、まあ予想通りだったのでほんとお兄ちゃんってお兄ちゃんだねって確認。”

 

「───」

 

 ───。

 

「───」

 

 ───目の前が暗くなるのを感じた。

 もうこのまま知らない街へ辿り着きたい。何処か遠くへ。

 でも小町頑張ったんだろうし、それを無視するとか最低すぎる。

 いやさ。そりゃね? 考えなかったわけじゃないよ? プレゼントだって用意してあるわけだし。

 でもそれで誘われるかな、とかソワソワしてたら中学の頃とかの巻戻しじゃないですか。

 なので食った。

 知り合いの誕生日に、俺は誘われるかなよりもペヤングを選んだのだ。

 男らしいじゃありませんか。

 だから俺は今、白の中に居る。

 男としての、正しい白の中に、俺は居るのだから───

 そうだ、もうなにもかもを受け入れるような悟りを開けばいいんだ。

 胃袋も死ぬほど解放しよう。

 お小言も受け入れよう。

 大丈夫、なんの心配もありませんよ。

 中学まで、近くの席の人の誕生日があるたびに誘われるかなとそわそわしていて、結局てんで誘われず、誘われても“あ、ほんとに来たんだ”な扱いを受けてきたプロボッチャーたる八幡さんが、今さら勘違いをするわけがないじゃないですか。

 

「………」

 

 とりあえず昔、人は姿勢で、ある程度の胃に入る量というのを調整出来る、というのを見たことを思い出し、スマホで調べながら帰った。

 自転車を押しながらだから苦労した。

 



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食品売り場で黙礼する彼の事情③

 そして我が家で始まった誕生会で、俺はもはや空気と化していた。

 全てを許し、全てを許容し、ある意味腹がいっぱいすぎたのと、あの量を達成できた満足感で、奇妙な方向で賢者モードに到達していたのだ。

 

「小町ちゃん、ヒッキー、ありがとー! 家に呼ばれてまでなんて、えへへ、なんか照れるけど嬉しいっ!」

「いいんですよ結衣さんっ、こうでもしないと結衣さんてば同じグループの……なんでしたっけ? お兄ちゃんにオカンとか思われてそうな人に捕まったままだったでしょうし」

「あはは、みんなが騒いでる時に急に小町ちゃんからメールが来てびっくりしたよー。ヒッキーに確認取ろうとしたら、さいちゃんとなんか話してたみたいだし、お昼になったら居なくなるし、放課後はなんかどっか行っちゃうし」

「その……由比ヶ浜さん? 大丈夫だったのかしら、あちらのグループとは……」

「あ、うん。いいんだ。みんな理由にかこつけて騒ぎたかっただけって感じだったし」

「あー……なんかあのー………大岡とか大和とかがなんか張り切ってそうだったアレな」

 

 ぽろりとこぼしてみると、由比ヶ浜が“え? 知ってたの?”と言いたそうな目でこちらを見る。

 いや見てたでしょーが、アータもこちら見てたでしょーがソワソワと。

 

「由比ヶ浜さん?」

「あ、えと、うん。なんか予約取ってたっていうか、優美子に取らされてた大岡くんがね? あ、お店まで予約取りに行ってくれたみたいなんだけど、隣の部屋に別の高校の女子が予約とってたとかで、そっちのことで気合入ってたって……あはは」

「うわー……人の誕生日にそういう方向に期待持って騒いじゃいますか……。そりゃ結衣さんも居心地悪いですよね」

「ううん全然っ!? やー……考えてもみればさ? 高校にもなってさ、こうして祝ってくれるだけで全然ありがとうだよ」

「ふふっ……そうね。一人はこうでもしなければ参加しそうになかったから、小町さんはここを場所として提供したのでしょうけれど」

「そだな」

「───、……あの。比企谷くん? その……」

「なんだ?」

「………」

「あのー……ヒッキー?」

「?」

「ねぇお兄ちゃん」

「どした? 小町」

「え? いやー…………」

 

 本日が誕生日というのなら祝おう。

 場所が我が家というのなら、親が居ない今、その中での長たる立場の俺が、盛大に祝おう。

 普段ならば面倒だと思うことだろうと、今の俺ならば出来る。

 そう……なにかを為したあとの達成感を、無粋な感情で崩すことなど馬鹿げている。

 故に言おう。

 人よ、喜ばしいことがあったのならば、その気持ちを忘れず、たとえ嫌なことが起ころうとも喜びを分け与えられる者であれ。

 この賢者モードが解除されればどうせ元に戻るだろうし、それまでのピュア八幡だろうと、分け与えることは出来る……そう、出来るのだ。

 故にまず、ま○か食品さんに感謝を届けよう。

 

 ───感動させていただいた。

 人は腹が空いた時は所詮ひとりぼっち(・・・・・・)だからな。俺は常にぼっちだが。

 量の所為で、どうしても味に満足したまま食べ終えることの出来ない点だけは気に入らないが、戸塚と完食を喜び合えたことは純粋に嬉しい。

 ぼっちの孤独を“感動”にする在り方には心から敬意を表するよ。

 今……“幸せな”気持ちだ。

 

「お、お兄ちゃん、料理の追加くらい小町が───」

「やりたいんだ。やらせてくれ」

「───……わお」

 

 満たされた幸福は、人を笑顔にするという。

 自然と出た笑みとともに小町に告げると、小町は驚いた顔をしつつも、立ち上がりかけた体をとすんと椅子に座らせた。

 そう、それでいい。動かさせてください。少しでも消化を早まらせるために。

 そして準備を、用意をする者とは食事などをあまりしないもの。

 こうしてテキパキと動くことで、怪しまれずに効率よく消化活動を促させ、さらにはあまり食さないという違和感に目を向けさせずに済む。

 問題点としては、普段から動かない俺がこういうことをしている時点で、もうめっちゃ怪しいという点のみなのだが。

 

「……、……? ……? ……~?」

「……!? !? !? ……、……~……~……!!」

 

 ニマニマした小町さんが由比ヶ浜にポショーリとなにかを囁き、その度に由比ヶ浜が俺を見て、小町を見て、わたわたして、やがてぷしゅううう……と顔を真っ赤にして俯いてしまう。

 あの……なに? 雪ノ下? なんで俺のことそんな驚愕に染まった顔で見るの?

 

「意外ね。あなた、そんなにも誰かを祝いたい、なんて態度に出す人だったかしら」

 

 しかしそこでさすがのユキノシタ=サン。

 見事にこの怪しさ抜群空間へのツッコミを入れてきた。

 だがそれも既に想定済みだ。

 俺という存在をよく知るこの三人を前に、こういった状況を乗り切るのであれば、大事なのは意外性。

 普段ならば考え付かないところをつつくことで、まるでキン肉マンキャラのごとく“ア、アアーーーッ!! そ、そういうことか~~~っ!”と思わせることが可能なのだ。……可能だよね?

 

「心境の変化ってやつだよ。その、なんだ。……祝いたいんだよ。悪いか」

 

 そっぽ向きつつ頭をがりがり掻いて、言ってみる。

 ほれ、思春期男子学生としては、誰かが喜ぶことをやってみたいなー、とか急に思っちゃうアレとかアレでして、って感じで。

 戸部とかマジあれな。その筆頭とも言えるんじゃないだろうか。

 いつも元気に騒いで燥いで、ノれる人ならしっかり騒げる場を完成させるプロ。

 対する俺は、そういう方向に持っていくことは出来ても、決定打となる“盛り上げ役”が居なければそれが出来ない。

 主役をそいつにすることで、場を一気に盛り上げさせることは出来ても、俺にはその主役ってのが出来ない。致命的に向いていない。

 

「………」

 

 雪ノ下はどこか、ぽかんとした顔で少しの間俺を見ていたが、やがてくすりと笑うと、手伝うわと言って立ち上がった。

 

「お、おい、いいって」

「現状の家主に全てを任せて寛いでいる、というのは居心地が悪いものよ。あなたなら想定できていると思っていたけれど」

「ああそれわかるすげぇわかるわかりすぎるまである」

 

 でもだからって手伝ってもらうのはなんか違う気がするの。

 しかしここで拒否しまくっても怪しまれるので、ある程度を超えたあたりで素直に受け取っておいた。

 

「あ、じゃあ小町も手伝いますっ!」

「え、え? 小町ちゃ……うー……じゃ、じゃああたしもなんか手伝う!」

「「「いえそれはやめてちょうだい」」」

「みんなひどい!?」

 

 俺、雪ノ下、小町の声が見事に重なった。

 言うだろうか、に賭けてみただけなのだが、まさかこうも重なるとは。

 しかし祝われる人を一人にしておくのは、なんて話になって、雪ノ下が相手をすることに。

 

「……んっふっふー、お兄ちゃ~ん?」

「……あのちょっとなに小町ちゃん。今とてもじゃないけどよそ様には見せられない怪しい顔してるよ? やめない?」

「そーゆーことはいーの! ……それよかお兄ちゃんお兄ちゃん、どういう心境の変化なの? あのお兄ちゃんが率先して祝いたいなんて」

「どうもこうも。そのー……なに? そういうこったろ(消化活性化と食事から遠ざかるため)」

「ほほう……つまりそういうことってこと?(結衣さんのためになにかをしたくなるほど意識しちゃった系のため)」

「そーだよ。いーでしょもうそういうことで。恥ずかしいからあんま言わせるんじゃありません」

「ほーん? ほほーん? ほほほほ~~~ん……?」

 

 いやだから小町? 小町ちゃん? 今ほんとやばい顔してるからね? ニヤケすぎて怪しいなんてもんじゃない方向にまで達しちゃってるからそれ。

 

「でもお兄ちゃんがねー……。ねぇお兄ちゃん、ずばり訊くけどさ」

「ずばっ……おいちょっと待て。小町お前…………」

「んん~?」

 

 小町が、まるで“なにを、どんな言葉で誤魔化す気?”みたいな顔で見てくる。相変わらずニヤケ顔だ。

 あ、これもしやしなくてもバレてる?

 

「……もしかして気づいてるか?」

「そりゃ、こんな明らかに不自然な兄を見れば」

「OH……」

 

 俺の努力は無駄だったらしい。

 まあ、小町を誤魔化せたら俺の態度とかもうパーフェクトすぎただろうしな。

 

「で、いつから意識しちゃってたの? あ。当ててあげよっか。誕生日が近くなってきてからでしょ(結衣さんの)」

「……そりゃ、そうだろ。いろいろあったしな(ここ最近、ネタ商品ばっかのペヤングだったしなな意味)」

「そっかそっかー♪」

 

 うわ、めっちゃ楽しそう。

 くそ、そーだよ、ペヤング堪能してて知人の誕生日素直に祝えないでいるよ、正直すまんって気持ちでいっぱいだよ。

 けど幸せな気持ちなのも確かなのだ。やった……やってやったぞ、みたいな?

 

「で、どんな気持ち? 小町、今こそ聞いてみたい」

「……幸せな気持ちだ」

「しあっ……ぅゎ、うわー……! あのお兄ちゃんがそんな……!」

 

 あのとか言うのやめてくれません? それどの八幡? この八幡だよ。俺だった。

 てかあのー……小町? さっきから気になってたけど、人と話をしている時にスマホいじったりとかやめなさい? あんまりにもお行儀が……あ、それ俺のぼっち族52の“間接”技のひとつ、話さっさと終わらせてくださいアピール・スマホ偏だったわ。

 え? 話しかけてきたの小町ちゃんだよね? え? 終わらせたいの? お兄ちゃんショックなんだけど、今はちょっぴり助かるっていうか、でもやっぱりショック。

 

「で、で、気分的にはどう? そのー……あ、気持ちとはまた別っていうかこう……」

「気分……おー、なんつーかこう、言葉に出来ないほど……満たされてる感じ?(腹が)」

「……! ……!!」

 

 小町。あの、小町さん。顔、顔がニヤケすぎてやばいです。

 え? そんなに俺がペヤングギガマックスを制覇したこと喜んでくれるの?

 やばい、うちの妹がこんなに兄思い。

 でもさ、やっぱさ、きっかけっつーか、MAXとかついてたら手ぇ出したくなるじゃん? ほら俺とかマッカン大好きだし。

 

「あ、あのさ、あのさお兄ちゃん。もしさ、そういう気持ちが相手に届いてたとしたら、お兄ちゃん的にはどう?」

「届く? あー……」

 

 そりゃもう、ま○か食品さんありがとうだろう。

 あと最初、ペヤングってのが会社の名前だと思っててごめんなさいとか?

 そんでもって制覇出来たことに対するそのー……なに? 勲章? 的な?

 

「一生大事にする、とかだな。この気持ちは絶対に無くしたくない」

「……! おぉおおお! お兄ちゃん! お兄ちゃーん!!」

「お、おう? どした? え? なに?」

 

 小町大興奮! え? やっぱあのペヤングってそんなにヤバいもんだったの?

 そりゃそうだって、完食した今なら頷けるけど、ま、まあ、だよな、俺頑張ったもの。

 ところでさ、椅子に座ってる由比ヶ浜が、俺が喋る度に頭振ったり俯いたりわたわたしたり忙しいんだが。

 今なんてなんか俺の方真っ赤な顔で見て、目まで潤ませて……え? なに? ほんとなに? 八幡わかんない。

 てか雪ノ下までなに? なにその出来の悪い部員の成長を見た部長の目みたいな……あれ? まんま? もしかしてあいつらにもペヤングのことバレてた?

 その試練を乗り越えたからこそ、俺の成長を喜んでくれてるとか。

 ま、まあな。俺とかほら、挫折とか投げ出しとか多かったかもだし? 依頼とかも達成ってよりは解消ばっかだったし……あれ? なんか悲しくなってきた。

 だけどそんな俺でも為すことが出来たから。

 そんな成長を喜んでくれるとは……あれやばい、ペヤングのことなのになんか嬉しい。

 俺の喜び、やっすいなおい。

 だがいい。

 わざわざそんなことを言って、自ら喜びに水を差しては結局成長出来ていないことになる。

 これからはニュー八幡として、成長できる男であらねば……!!

 きっかけはペヤングだったけど、戸塚と為した一歩は……戸塚の言う通り、確かに男としての成長を促してくれたのだろう。

 ならば俺も、全てを許し、全てを許容し、包み込み守れるほどの男であらねば。

 解消ばかりの日々にさようなら。

 俺はここから、戸塚とともに男の道を歩む者なり───!!

 

「……!」

 

 と、ここで由比ヶ浜が急に立ち上がる。

 ソファではなく椅子に座っていたので、がたたんっと結構な音が鳴った。

 心の狭い者ならばここで、人様の家の椅子をだのぶちぶち言うのだろうが、このニュー八幡は全てを許しましょう。

 さあ由比ヶ浜、お前は立ち上がり、何を言おうと───

 

「ヒッキ───~…………ひひひ比企谷八幡くん!!」

「へ? お、おう?」

 

 やだもうちょっといきなりフルネームとかやめてください、いや許すよ? 許すけど急に言われるとびっくりするじゃ───

 

「あたっ……あたしっ……あたし! いっつも一歩が踏み出せなくてっ、いっつもわかってくれたらなぁって伝え切れなくてっ……! だけどっ、だけどっ……!」

「………?」

 

 ふ……ふむ? ええっとそのー……な、なる……ほど? 由比ヶ浜はなにかをいつでも伝えたかったらしい……んだよな? いやわかってるよ? ニュータイプですものわかってる、八幡とってもわかってる。

 なんか俺の中で警鐘っぽいのが鳴ってるけど気にしません。

 何故なら俺は、今なら全てを受け止め、包み込み許す余裕があるからです。

 だよな、一歩、大事だもんな。

 

「……そうだな。いっつも一歩一歩って悩んでは、結局一歩が踏み出せなかったな」

「ヒッキー……うん」

「その……ほれ。踏み出してみればいいんじゃねぇの? 俺もさ、そうして得られたものを、これからも育んでいきたいって思うから」

「ヒッキー、それって……!」

 

 もちろんギガマックス攻略の栄誉である。

 そうして得た心の余裕を、これからも大事にしていきたいと……そう思うのです。

 

「由比ヶ浜、俺はもう踏み出した。今度はお前だ。お前は、どんな一歩を踏み出したい?」

「う、うん……うんっ……! そっか……もうバレてたんだね……まずはごめんね。こんなやり方で」

「? お、おー……いーだろ、べつに。やり方にだっていろいろあるだろうし、そうしないと踏み出せない一歩ってのはどうしようもなくあるだろ」

「それは、あなたのやり方、というものの───……いえ、ごめんなさい。忘れてちょうだい」

「お、おう」

 

 いきなり“あなたのやり方”とか言われて、心がドッキリだった。

 出来れば思い出したくない光景がよぎり、どうしても罪悪感に襲われる。

 ほら見ろ、由比ヶ浜だって───、……え? 笑って……る?

 

「……うん。うん、ヒッキー、あたし、もう大丈夫だ。もう、笑って話せるよ。悲しいことではあったけど、辛い嘘ではあったけどさ。嘘でもいいって思ったのはあたしで、今は……そんな嘘の先にこんな結果があるんだから」

「由比ヶ浜……」

「ヒッキー、ううん、やっぱり……比企谷八幡くん」

「ぉぁ、あ、ああ、なん───」

「あたし……あなたが好きです。もう、誰かに遠慮して、伝えずになんて無理だから……。あたしね、あたし……本当に、あなたのことが好きです。大好きです。あたしをあなたの恋人にしてください」

「だ───」

 

 瞬間、どっかーんと意識が飛んだ。

 え? なに? え? 好き? 今俺に好きと? え? 由比ヶ浜が? 言った? 言っちゃった?

 えーとえとえとなんて返せばいいんだ? えぇと俺はどうしたいんだっけ。

 ああそうそう、許容の心、これです。

 全てを受け入れ、抱き締め、慈しむ……そんなニュー八幡に、俺はなる!

 

「ああ。一緒にそのー……は、育んで、いこうな。この一歩で手に入れたあ、あのー……なに? 大事なものとかいろいろ」

「あはは……こんな時まで舌が回らないとか、締まらないなぁ、もう。でも…………うん。頑張ってこうね。あたし、絶対諦めないから」

「ぉ……おう」

 

 感覚としては、こんなことが起こったら、そうして返す……いわゆる定型文みたいなものを体が行なっている感覚、といえばいいのか。

 頭の中はパニック状態で、そのくせ冷静な自分も居て、それはだめだと叫んでいる自分が居て、告白されて舞い上がっている自分も居て。

 ただ、雰囲気に流されるように……いや、いっそ小町の声に促されるように、身体が前へと歩き、告白のために傍まで来ていた由比ヶ浜を、俺は───

 

「由比ヶ浜」

「は、はいっ」

「───、……いろいろ落胆させる光景ばっか浮かんでくるけど、ぁ、あぁなんだ、あのー……な。……努力、させてほしい。いきなり全部を、とか無理だろうから、少しずつ教えてくれ。俺にそのー……どうなってほしい、とか。あぁいや、お前の好みの男になる、とかそういうやつじゃなくてだな、その。お前がどういうことをされると傷つくのかとか、そういうこと……教えてほしい」

「ヒッキー……?」

「……ごめん。すまん。傷つける気なんて、本当になかったんだ。いまさら謝られてもって思うかもしれんけど……お前が笑えるって言ってくれても、俺は───」

「……、……うん。ね、ヒッキー」

「お……おう」

「サブレを助けてくれて、ありがとう。あたしの所為で怪我させちゃって、ごめんなさい。入学、楽しみにしてたよね……きっとしてたよね。それ、ぜんぶ壊しちゃって……ごめんなさい」

「───、……」

「ヒッキーだけじゃないよ……謝りたかったのは、ごめんって届けたかったのは」

「………」

 

 とても特殊な出会いと、続いてきた関係だったんだと思う。

 三人が三人ともとんでもない出会いをして、知るきっかけとなって、それをわざわざ口には出さず、けど……認識の仕方ひとつで、そんなものは変わってくるのだと。

 だから、今まで何も言わずに見守っていた雪ノ下が立ち上がった時、俺も由比ヶ浜も、ただ静かに耳を傾けていた。

 告白劇場のあとにこんなことになるなんて、きっと予想もしていなかっただろうが、結論を言おう。

 人の青春なんていつだって突然で、心の準備もろくに出来ていないことの方が多いからこそ、いつしかそれが忘れられない思い出になるのだと。

 ……な、なんかそういうもんだってどっかで読んだか聞いたかしたよ?

 いや、俺に訊かれても青春の文字とはほとほと縁遠い男だし俺。

 

「……由比ヶ浜さん。比企谷くん。あ、の……私……私は───」

「迷惑被った相手が俯くとかなんなの。もっと胸張って堂々としてりゃあいいんじゃねぇの?」

「……、けれど、私は───」

「あぁちなみに、俺のことなんて知らなかったもの、なんて言葉や認識は、俺は勝手に“俺の全てを知らなかっただけ”ってことに書き換えさせてもらったから、そういう“あ、やーだー、私ったらあの人に嘘ついちゃってたわー、てへ☆”的な言葉は受け取らん」

「ヒッキーキモい……」

「いやお前、ここでそれ言うか?」

「───……」

 

 あんまりにも普通のやり取りに、雪ノ下はぽかんと停止した。

 けどまあほらそのあれだよあれ。

 

「お前ね、ひとつ勘違いしてることがあるぞ」

「え……か、勘、違い……?」

「ぼっちは基本、自分から人には近づかない。適度な距離を保ちつつ、相手から話し掛けてきてくれるのをじっと待つんだ。そのくせ自分から離れるのも妙なプライドが邪魔してほぼしない」

「ヒッキー……」

「いやちょっと待って頼むから今はキモい連発とかやめて? ほんとお願い」

「……つまり、何が言いたいのかしら」

「ゃ……だから。嘘をついたことなんてない、なんて言葉は、誰だって使ったことのある言葉だろ。誰だって使ったことがあって、誰だっていつかはバレて笑われるか怒られる。みんなやってるからお前もやれってんじゃなくてだな、ほれ、あのー……」

「あ……」

 

 なかなか次が出てこない俺に、しかしそれまでの言葉でなにを拾ったのか、由比ヶ浜が俺を見て「えへー♪」と笑う。

 小町は小町で、俺を見て“しょうがない兄だなぁ”みたいな顔をして。

 どんな答えを得て笑んでくれてるのか知らんけど、ぼっちの先を読んで察するとかやめて? うっかりすると“この人は俺の全部をわかってくれてる”とか盛大な勘違いしちゃうから。

 

「その……し、心配とかせんでも、ぼっちはぼっちのくせに人恋しい存在だからな、理由でも作らん限り離れることなんかしないんだよ。言った言葉が嘘になるからその人から離れますとか、嫌われたらどうしようとか、それこそないわって感じになるまである」

「そうだよゆきのん、嘘なんて誰でもついちゃうし、なんならほらっ! その時はヒッキーのこと、車で跳ねちゃったくらいしか知らなかったんだから、詳しくは知らなかっただけってことにすればいいし!」

「お前それただ俺が撥ねられるためだけの存在みたく聞こえるからやめて?」

「そんなつもりないよ!?」

 

 あなたのことなんて知らなかったもの(撥ねられた存在ということ以外)とか、とってもぐっさり胸に突き刺さる。

 他にもいろいろあるからね? 八幡それだけの男じゃないから。

 ほら、たとえば中学の時は女子に告白するたびフラレてたとか、勘違いして散々っぱら恥をかいてきたとかやだもう死にたい……!

 

「うーん……小町にはちょっと距離のある会話だけど、でも確かに───」

「いや、お前は菓子だけ食って由比ヶ浜が挨拶しに来たことも忘れたことを、まず反省しような」

「うぐっ……ごごごごめんなさい結衣さん、雪乃さん……! なんか小町の所為で結構こじれたみたいで……!」

「大丈夫よ小町さん。こじれたのは事実でも、その事実のほぼ大半はこのゾンビが謎の理論を盾に先走ったために起きたことだから」

「……なんかすまん。ああいや……結局いろいろタイミングずれて、言う機会もなかったよな」

 

 え、とこちらを見る面々。

 由比ヶ浜、雪ノ下、小町の視線が俺に集中したところで、俺は深呼吸のあと、頭を下げた。

 義務的にしたものじゃなく、心から謝るために。

 様々を経験して、その経験から得たものを武器と盾にして、ぼっち理論を作り上げてきた。

 それを利用しての解消なら任せろ、なんて、人の心をよく知ろうともせずに“こういうもんだ”と決め付け、なまじっかそれがある程度当たってしまったから天狗になっていた。

 それを今、謝った。迷惑をかけた分はもちろん、そのために傷ついたことの様々も含めて。

 ……あ、この流れで、ペヤングからどうして告白になったのかを訊くのはまずいでしょうか。

 いや、それが踏み出したい由比ヶ浜の一歩だったってのは、まあよくわかっているんだが。

 



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食品売り場で黙礼する彼の事情④

 あれから、たくさんのことを話してきた。

 互いを許し合った俺達は、それよりも近い距離で様々を話し、時にふざけ、時に罵られ、時に呆れられ、しょっちゅう苗字をもじった謎ネームを唱えられ……って俺のことばっかじゃねぇか。

 なんにせよだ。

 一番これが変わったっていうなら、由比ヶ浜と俺の関係だろう。

 これまでどこか一線を引いていた……ほれ、たとえるなら、ヒーローに憧れる少年が一歩踏み出せず、遠くから眺めてる~みたいなのがどこかしら滲み出ていた由比ヶ浜だったが、もうほんとぐいぐい来るようになった。

 喩えるならこれ。主人にべったりのお犬様。

 もうね、由比ヶ浜の家に行った時のサブレの反応にそっくり。

 ちなみにそれを言ってしまうともうやらなくなるだろうから、敢えて言ってない。

 八幡、無粋なことはもう言いません。言いたいことがあってもよく考えてから発言しなさいと、僕たちは先人に学びましたね。

 でもよく考えても、よく考えてから発言しなさいって先生に怒られたことあるし、なんなら考えすぎて逆に言えなくなることだってぼっちあるあるである。

 ならもういっそ言わないほうがいいだろうって構えている時ほど、想定していた嫌なことは起こるもので。

 で、はい、決まり文句。

 

「なんで言ってくれなかったの!?」

 

 はいお疲れさん。

 

「なんでってほらあれだよお前。サプライズ?」

「だだだってあたし、こんなの……!」

「や、いらんのだったらいいけど」

「いるっ! 超いるからっ! 返せって言ったってヤだし、ずっとずっと大切にする! でもあの……いいの?」

「どこまで想像が斥候してやんちゃしてんのか知らんけど、まあ……」

「えへへー……ぼっちは自分から離れたりなんかしない、だよね?」

「~……」

 

 当てられて、恥ずかしかったので恥ずかし返しをすることにした。思い立ったらすぐ行動。ニュー八幡に隙はありません。ないよな? ないといいな。

 

  ───そんなわけで。

 

 由比ヶ浜の誕生日から少し経った現在、休日に早速デートしようってことになり、それはもう誘う文句を徹夜で考えて実行、なんか疑われまくったのちに、その悲しみも消し飛ぶほど喜んでもらえたので張り切って服を選ん───だら、小町に溜め息を吐かれた。それはない……デートにそれはないよお兄ちゃん……と、心底悲しそうな声で言われた言葉は、今も俺の胸の中で心臓をさくさくと定期的に貫いている。

 そういう理由もあって、ガッコが終わってから小町と服を買いに行く、なんてことになりそうだったのに、落ち合ってみれば小町じゃなく由比ヶ浜。

 小町からは“どうせなら結衣さんの好みで行こうってことになったから”とメールが……!

 理由をつけて帰ろうとしたけどあっさり掴まり、「ダメ?」と上目遣いで言われたらもう無理だったんや……。

 だって、恋人とは大事にするものであり、愛しき者とは一緒に居たいものだから。

 放課後になるや、いそいそと教室出ていっちゃったこいつを見て、俺がどれだけ悲しかったのか、お前達にこそわかるまい! などとカルガラやってないで。

 それが、実は俺との服選びデートにわくわくそわそわしていたからと知ってしまっては、俺の気分なんて青天上にございます。

 だ、だってね? ほらね? この娘ったら胸にくること言うんだもの。

 ……待ち合わせ、してみたかったんだって。照れ笑顔で言われちゃあもう八幡許しちゃうしかないじゃない。

 

  とまあ、そういったことがあったわけで。

 

 由比ヶ浜の好みで選ばれた服を着て、一緒に立てたプランでデートをして、食事もしたし、見たいものを見てひやかしもした。

 で、現在は広い公園のベンチで、二人横に並んで座りながら……こう、噛まないように注意しつつ、結局当日には渡せなかったプレゼントを渡したってわけだ。

 中身は……まあ、いいだろべつに。

 今日になるまでのほぼ一週間には、本当にいろいろとあったのだ。

 遠慮をなくしたこいつはほんと近いし、なんなら近いし、近すぎるまである。

 遠回りになるってのに朝起こしに来るし、俺が行くって言ったって「えっとね、なんかね、じっとしてらんなくて……だからあたしが行くよ」だって。

 え? 嫌なのかって? 大変嬉しいです。

 朝目が覚めたら恋人が居る生活って凄まじいです。

 しかも面倒くさそうに起こすんじゃなくて、嬉しそうに起こしてくるんですもの。

 一度早起きして待ってたら「なんで起きてるのー!?」って悲しそうな顔で驚かれた。

 その時は少々してやったり顔とかしてたのに、この娘ったらぽしょりと「……頬にキスとかしたかったのに」とか言ってて、それ聞こえちゃって。

 早起きは三文の徳とかあれ嘘な。損したわ。

 

  さて。

 

 そうして現在に戻るわけだが、恥ずかし返しに俺が選んだ大胆行動とはこう……おもむろに抱き締める、といったもの。

 いや、言い訳をさせてほしい。

 最初は手を握るくらいにしとこうって思った。おう思った。

 しかしながらGIGAMAXを制した男がそれでいいのかと、なんか背中をつつかれたような気がして、ならばもう10歩くらい踏み込んでみても……いんじゃね? と若者がアヤマチを起こすこと大前提な言葉が俺の中に浮かび上がったわけで。

 

「………」

「うひゃっ……!?」

 

 そしたらこの娘ったらなにも言わずに抱きしめ返してくるし! いい匂いするし! なんかやばくてやばいがやばい!

 ともかく、俺はそんな一歩も二歩も進みまくった人生を歩むこととなりました。

 きっかけがなにか? それはもちろん……MAXの文字を愛したあの頃までに遡るのだろう。

 あれからというもの、店でペヤングを見かけるたびに軽く黙礼をしていることは内緒だ。

 そして今だからわかるが、ペヤングから始まった誤解で結ばれた関係とか、絶対に口にしない。墓まで持ってく。もう絶対。

 なんか変だと思ったよ、うん。絶対に秘密。

 いいじゃないのこんな関係があっても。

 奉仕部も随分明るくなったし、なんか雪ノ下さんが驚いた顔で「へえ……? そっか。やめたんだ、ああいうの」って笑顔で言うような関係に到れたんだと思う。

 だからまあ……

 

「あんがとな、一歩、踏み出してくれて。てか、自分から来てくれて」

「え? えへー……♪ 来てくれたのはヒッキーからでしょ? あの一歩、嬉しかった」

「お、おう」

 

 ほんと、内緒な。閻魔に舌抜かれたって明かしません。

 

「だからさ、その……ヒッキー、ぁ……ううん、八幡」

「ぉ、ぉおおおおぅ、その……どどどした?」

「もう一歩……いい、かな。もっと、近くに……とか」

「ゆっ……由比ヶ浜……」

「また……さ? わかってほしいな、伝わってほしいな、で……ごめん。でもあたしさ───」

「───、結衣」

「……! ……、~……ぁ……ぅ、うんっ! うんっ、八幡っ!」

 

 なんとなくは、届いていた。

 そう、伝えようと必死だった。

 でも言えなくて、伝わってたらいいな、わかってくれたら嬉しいなが、俺には届きまくっていた。

 だってこいつ、由比ヶ浜って呼ぶと寂しそうに笑うんだもの。

 頃合を見て、さらっと言うつもりだったのに……ああ、もちろん今日。

 催促されるまで待たせてしまうとは、ニュー八幡ともあろう者が情けない……!

 よ、よしいいぞ、ゆいがは───結衣、次は絶対だ。何かを待ってそうとわかったら、即行動するから。

 それはこのニュー・ヒキガヤーの名において約束を───

 

「……ぁ、の…………~……はち、はち……まん……」

「───」

 

 嬉しさを隠そうともしなかった結衣が、そっと座る位置を狭め、密着してきた。

 その顔は赤、というよりは桜色に近く、見ている者をときめかせるくらいに綺麗で、それでいて可愛らしく俺を見つめてきていて。

 すぐに“あ、これは”とわかってしまったからには、もはや躊躇することもなかった。

 ただし雰囲気は大事。自分の恋人が、自分との時間をかけがえの無いものと思ってくれるよう、俺ももっと頑張らないと。

 そう心に決めて、俺は───俺の手の上に、不安を混ぜたまま乗せられていた結衣の手をやさしく握り返し、俺を見つめる結衣の顔へとゆっくりと近づき、やがて目を閉じるのだった。

 

 ……すまんペヤング。

 本当なら今日、家に帰ってから“名前で呼べましたおめでとう八幡の宴”として、ペヤングを食うつもりだったのに。

 こんな幸せな密着を覚えてしまったら、迂闊に歯に青海苔をつけることすら叶わない。

 なのでしばらく食べられそうにないが……ありがとう。俺、幸せになるよ。




 えー、はい。
 みなさん、GIGAMAX食べました?
 もう気持ち悪くなるくらいの量でしたね。
 食べた後の気持ち悪さとか、最中の頬の下のじんわりとした重たさとかは、とどのつまりは凍傷が実食して経験したものです。
 うーんまいったぞ、こいつはどれだけ食べてもペヤングだ、というゴローさんのような感想しか出てきません。
 あと水分が欲しかったのにトクホコーラしかなかったのも実話ですorz

 そんなわけで、GIGAハMAXなお話でした。
 焼きそばから始まる愛があってもいいじゃない。
 そんなお話。


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うっかり忘れてやっはろー

お題:こもれびさんがあるイベントのことをスコーンと忘れていたので、久しぶりになんかお題ものを書きたいなぁとか思ったけど今日既に誕生日なんですがどうするのちょっとこれと焦りつつとにかく即興で一本あげた八結物語やべぇ仕事遅刻する


 人間。

 それは経験し、記憶し、蓄積し、やがて忘れていくものである。

 多くの場合は記憶したものを思い出せなくなるが、実際は忘れているのではなく記憶を引き出せないだけなのだという。

 ならばどうすれば引き出せるのかといえば、都合のいいきっかけが必要だったりする。

 好きな歌だったのに、ある日思い出して頭の中で歌ってみれば、途中で歌詞がわからなくなるなど、よくあることだろう。

 そういった場合は幾度も覚えているところまでを歌い直し、それが無意識に近い状態にまでなると、自然と忘れていた部分を歌っていたりする。

 それは意識した時点で脳が“思い出すこと”に意識を向けすぎているため、意識が記憶の部分まで辿り着けないのだ。

 だからこそ無意識に頭の中で歌っている時ほど、するりと歌詞が蘇ったりする。

 ……。ちなみにこの考察は適当なものなのでアテにしないように。

 

 

  ■既に当日なのに特になにも書いていない状態から、ツイッターでのメッセやりとりにてこもれびさんがアレしたことから始まる八結物語■

 

 

 きっかけはいろいろあったんだと思う。

 しかし時の運というか、巡り合わせってのは案外複雑というか意地悪なもので、そうであってほしいと誰かが強く願う時ほど、その反対の結果を出すものだ。

 ようするに俺は悪くない。とか思いたいお年頃。

 まあ、無駄なわけだが。

 

「…………はぁ」

 

 溜め息ひとつ、少し本日を振り返ってみる。

 朝、目が覚めてダイニングに行ってみると、小町が居なかった。

 随分のんびりしてんのなと考えつつも朝の準備。

 料理が出来上がった頃に小町を起こしに行ってみれば、なんか熱だして寝込んできゅきゅきゅ救急車ァァァァ!! 救急車を呼べェェェェ!!

 などと割とマジで叫んだら声も裏返って、余計にパニックになる兄。

 その声に起きたらしい小町が、うわごとのように「だいじょぶだから……」と繰り返す。え? なに? 大丈夫ってなにが? 八幡わかんない。

 なのでガッコに電話して休むことを伝えようとするも、それこそ小町に止められた。

 ならばと小町のガッコには電話をして、妹の欠席は成った。

 よろしい次は看病だ、と腕まくりをしたら、やっぱり言われる「大丈夫だから」。さっさと学校へ行け、ということらしい。

 

「今日、だいじな日、でしょ……? こまちなら、へーきだから……」

 

 そのようなことがあろう筈がございません。日陰よりもひんやりしてそうなプロボッチャーの八幡さんより活力の劣る現在の小町が、なぜ看病要らずの状態などと……。

 てか大事な日ってなに。なんかあった筈なのは確定的に明らかなんだが、小町が熱出して寝込んでるってだけで忘却の彼方なんだが?

 

「いーから、はやくがっこ、いって……! おかゆもたべるし、くすりものむから……!」

「いや、けどな」

「はやくいかないと、ひらつかせんせいにめーる、するから」

「おいやめろお前ほんとやめろ。やめ……やめて、小町ちゃん」

 

 ああ、やっぱり、今回もダメだったよ。あいつ(平塚先生)は話を聞かないからな。

 仕方ないので学校へ行く支度をして、何度も振り返り、何度も心配の言葉をかけ、結果、何度も怒られながら家を出た。

 その間も今まさに見送ったことで体力を使い果たして玄関で倒れてるんじゃ……! なんて考えて慌てて戻ってみれば、待ち構えてた小町にハリセンでコパーンと叩かれた。すげぇ読まれてる。お兄ちゃん行動読まれてる。

 それだけ意識がハッキリしているなら、と、俺もようやく学校へ。

 で、教室にたどり着いてみれば、「あ、ヒッキー! やっは」「あ、ちょい結衣ー? 話あるからこっち来い」「ふえっ? あ、う、うん……」まさかのやっはろーキャンセルである。やはキャン、とか略すとゆるキャンとか思い出せそう。キャンプに出てやっはろーするだけの簡単な作業です。

 そうして女王三浦に呼ばれたガハマさんは、こちらに戻ってくることもなく、俺は小町を心配するあまり幾度も感じる視線を気にしている余裕もなかった。そうしてそのまま授業へ。

 小町を気にするあまり授業を半ば無視してました、なんて状況になれば余計に小町に心労をかけることは想像に易い。なので普段よりも懸命に励み、その上で存分に心配してくれようぞと授業に集中。自分でも信じられんほどの集中力を発揮し、なんかやっぱ感じる視線を華麗に受け流していた。時は休み時間へ。

 

「妹愛すげぇなおい……」

 

 集中したためか脳が、というか頭が熱い。なんとなく額を拭う動作をしてみても、まあ別に汗があるわけでもなかった。

 しかし体は糖分を欲しているようで、気づけば俺はマッカンを求めて移動を開始していた。「ヒ、ヒッキ」「結衣ー? どしたん?」「ぁぅ……」なんか聞こえたけど、体は正直であった。とどのつまりはマッカン飲みたい。

 そんな調子で次も次もマッカンを求め、視線も感じるし勉強捗るしで、思い返してみれば俺も相当に余裕がなかったのだろう。

 昼休みには平塚先生に小町の状況を説明、一時帰宅許可を得て自転車をかっ飛ばした。なんか声かけられたような気がしたけど知らん。むしろそうである可能性の方が低い。大丈夫、なんの心配も要りませんよ。そもそも学校で声をかけられることこそが稀少であるプロボッチャーの八幡さんに、昼休みという貴重な時間を割く人なんて居るわけがないじゃないですか。

 なので気兼ねすることなくモードを立ち漕ぎに移行。

 正義を貫かんとする無免ライダーのように、帰路を駆けたのだった。

 

   ×   ×   ×

 

 経過報告。小町は部屋で寝ていた。やかましく帰るわけにもいかんかったからステルスモードをアルティメットにして、“忍者、人にして人に非ず”を“ぼっち、人にして人に非ず”と表すかのように……いや人間だからね? ぼっち、ちゃんと人間だから。

 ともかく静かに部屋に行ってみれば、穏やかな寝息とともに眠っていた。

 ヘンに寝苦しくするでもなく、呼吸も静か。汗もしっかりと拭ったようで、傍には使用したらしいタオルと洗面器。やだ強い、小町ちゃん強い。

 

(……まあ)

 

 そらそーだ。兄がこんな俺なのに、ひねくれないで中学生活を突っ切る猛者だ。

 兄の嫌な噂なんかを聞けば、普通は嫌な顔もするし嫌いにもなるだろうに、こいつは愚痴はこぼしても人を嫌ったりしない。心も体も強いのだ。……違うか、強くあろうとしている。誰かに心配かけないために。

 兄ちゃんにくらいなら、多少迷惑かけてもいーんだぞ、なんて言おうものなら、たぶんそれを一番したくない、と考えるのだろう。

 

「………」

 

 触れて起こしてしまうのもなんだ。安堵の息をひとつ吐き、俺は静かに部屋をあとにした。

 そして、こんな妹の強さに報いるためにも、残りの授業も集中してくれよう、ぞ。と無駄に心に覇気を抱き、自転車をかっとばしたのだった。……途中でスッ転びそうになったが。

 立ち漕ぎずーっと続けるの、結構足にクるよね。しかしその甲斐あって、余裕をもって学校へ到着。平塚先生への報告も済ませ、教室に戻───……る前にマッカンを購入、誰かに会っていろいろ訊かれるのもアレなので、時間を潰してから戻ることにした。

 ぼっち相手にそんなこと訊くヤツなんて居るのか? なんて疑うヤツも居るだろう。さらば答えよう。“居る”。自転車かっとばして昼休みに校外に出たヤツが居たとして、それがクラスメイトってだけで、根掘り葉掘りして話題にしようとする傍迷惑なヤツはマジで存在する。

 しかしその場合、戸塚のように心配して声をかけてくれる類は非常に稀であり、だからこそ戸塚は大天使でありトツカエルであることの証明にもなるわけで───一層の研究が必要とされる。

 と、そんなことをベストプレイスでマッカンを飲みながら考えていた。

 で、まあ。時間を確認しつつギリギリで教室に戻れば、つついてくるヤツが居るわけでもなく。教室に入る前に、どこぞのオープンフィンガーグローブ男が「何処へ行ったというのだ八幡よぉおーっ!」と叫びながら駆けていったくらいだ。え? なに? 俺になんか用でもあったの? 小説読んでくれとかだったら奉仕部部長を通してください、俺は知りません。

 

  …………と、そんなわけで。

 

 終始そんな感じで放課後に到り、奉仕部での活動は平塚先生に断りを入れて不参加。

 そのまま帰宅することとなり───まあ、ようするにだ。

 

「あれ? お兄ちゃん? なんか忘れ物?」

「おん? 忘れ物って? つかお前起きてて大丈夫なのか?」

「あーだいじょぶだいじょぶ、汗いっぱい掻いて寝たらもうすっきり。ってそーじゃなくてだよお兄ちゃん。今日結衣さんの誕生日で、放課後に奉仕部で祝うことになってる、とか言ってたじゃん」

「───」

 

 ひゅう、と呼吸が細くなった。

 ぁヤッベ忘れてたヤッベェエエエエエエエエエッ!!

 叫ぶならそんな絶叫。

 しかしあんまりにも衝撃が強すぎたため、言葉にもならなかった。

 

「小町大丈夫か大丈夫だな大丈夫だよなよし大丈夫ってことで行ってきます!!」

「はーいいってらっしゃーい」

 

 大切な日ってそういうことかよもぉおおおおおっ!! どうしてこういう時の誰かって、その大切な日ってのの明確な答えを言わないのかなぁ! フツーに“今日結衣さんの誕生日でしょ”とか言ってくれりゃあいいのにもぉおおおおっ!!

 などと供述しているのは自分の迂闊さを呪う、言い訳ばかりを考える弱い心でございます。

 もちろん言い訳をするつもりはないので、ただでさえ汗だくだった身を酷使し、学校へと戻るのだった。

 

   ×   ×   ×

 

 で。

 

「~…………」

「………」

「はぁ……まったく」

 

 予想通りと言えばいいのか、由比ヶ浜は頬を膨らませていた。

 事情が事情なだけに納得しなければいけなかった、という言葉を聞くに、しっかりと平塚先生の説明は終わったあとのようだった。それより早く来られたなら、“イッケナハァ~イ、遅刻しちゃっとぁ~っ♪ トゥェヘッ☆”で済んだのに、こういう時だけは行動が早いのは何故なのか。

 そしてそれだけだったら飲み込めた由比ヶ浜だったが、“俺がすっかり忘れていた”というのがそれはもう気に入らなかったようでして。

 うっかりぽろりと真実を語ってしまったからには、“や、やー、しょうがないよヒッキー、小町ちゃん熱出してたんならさ、あたしもヒッキーがなんかそわそわしてるの、知ってたし”だった彼女の態度が、そりゃあもう一変した次第でございまして。いやあの、はい、ごめんなさい。マジすんませんした。

 そりゃね、中学時代までのように、もののついで程度で誘われて、行ってみたら“あ、来たんだ、ふーん”って来ちゃいけなかったみたいな空気になるレベルならこうもならんだろう。

 しかし今回のこの、奉仕部で祝いましょうを提案したのは俺だったのだ。カラオケボックス行ったりサイゼ行ったり、誰かの誕生日の度にこれでは金がいくらあっても足りない。

 なんなら依頼ってことで奉仕部で祝ってみてもいーんじゃねーの? なんて冗談半分で提案したら、見事採用されてしまったのだ。

 “提案してくれたってことは、えと、ヒッキーもちゃんと祝ってくれるってことだよね?”なんてちらちらこちらを見ながら言うもんだから、“いや俺はアレがアレの用事がアレだから”なんて言い訳が通じる筈もなく。

 こうして、今日という6月18日の放課後にこの場に、ってことに……なっていたのになぁ。

 

「あたし、優美子たちからの誘いとかも断って、待ってたのに……」

「うぐっ……す、すまん。俺もちょっと、いやかなり朝っぱらから余裕とか無くて……ってのは言い訳だな。すまん、ほんとそれしか言えん」

 

 ソ、ソッカー、朝っぱらの“やっはろーキャンセル”はそんなきっかけがございましたのねん……。

 いや、これは本当にまずいことをした。いくらぼっちの八幡さんでも、自分から提案したのをバックれて“ハハン? それがどうしました?”なんて顔は出来やしない。ていうかむしろされる側だから、自分がやられて嫌なことなどしてたまるものか。

 ならばどうする? これからも平穏な毎日を享受するために、俺はここでなにをどうするべきなのか。

 や、だって自分で提案したんだぞ? 冗談半分とはいえ、女子がぱあっと笑顔になるくらいの提案をして、お、おうとか集合することを頷いてしまったんだぞ?

 そんなものを反故したことが我がクラスにジュビ……三浦経由で広まってみろ! 天使が……我が大天使が俺限定で堕天種へと変貌してしまうのでは……!?

 

(ひどいよ八幡……僕、信じてたのに……)

(ち、違うんだ戸塚! 俺は───)

(見損なった! もう八幡なんて知らない!)

(と、戸塚ぁああーっ!!)【以上、脳内劇場】

 

 グワーーーーーッ!!

 だ、だだだだめだ! いまさらアルティメットぼっちになろうがどうしようがそれはいい! だが戸塚は! 戸塚の信頼が滅ぶのは!

 それに───

 

「………」

 

 それに。ここで開き直って居直って、こいつらに軽蔑されるのは。

 

「…………すまん。都合のいいことを言うようで悪いが、俺に出来ることならなんでもする。だから許してくれ。いっそここで無視して出てって、本気でぼっちになっても、なんて考えがよぎったけど、俺……お前らに対して、そういうの、したくねぇみたいで。だから───」

「…………ヒッキー」

「……意外ね。あなたが自分の気持ちを素直に吐くなんて」

「あ、あー……ほら、な。妹心配するあまり、ちと心がそういう方向になってるっぽい。だから、出来ることならなんでも叶えてやる。時間のかかることでも絶対守る。だから……頼む」

 

 椅子に座りながら、頭を下げた。

 途端に由比ヶ浜が慌てた調子で止めに入るが、罪悪感が困ったくらいにあるために上げられる頭がない。

 むしろお兄ちゃんモードだからこそ、相手の希望を叶えるまで引けない、みたいな気持ちになっている。

 

「も、もういいってばっ! やめよっ、ヒッキー! あたしも悪かったからっ!」

「い、いや、けどな……」

「そんな簡単になんでもするとか言っちゃだめだよ! 女の子じゃなくても、男の子に対してだって悪いこと考える人って居るんだからね!? た、たとえばほらっ! あの、えと……つ、つつつ、つきっ……あたしとつきあって、とか、本気の恋人同士になってくださいっ! ……───ぁ、───と、とかっ! うんっ! いぃいい今のたとっ、たとえでっ───」

「ぇ? お、おう、わかった。付き合おう、由比ヶ浜。恋人になってくれ」

「───え?」

「え?」

「え?」

 

 ……。

 

「「「え?」」」

 

 ……。

 

 …………。

 

   ×   ×   ×

 

 ある日、一人のぼっちに恋人が出来ました。

 オチはといいますと……結局あのあと「こ、こんなのだめ! やり直し! こんな告白ってないよ! やだ!」などと言い出した由比ヶ浜によって告白のやり直しが提案され、なんの拷問なのか俺とともに理想のシチュエーションでの告白大会(やり直し無制限)が実施され…………晴れて、マジモンの恋人となりました。

 いや、だってさ、あんな必死にこれじゃやだとかこんなんじゃ伝えきれてないとか繰り返されて、何度思い切り、本気で、告白されたかわかったもんじゃない。

 勘違いとかする余裕ねーよ。だってあいつ俺のことだけ真っ直ぐ見て告白するんだもん。

 なんだかわからん内に巻き込まれた雪ノ下がブラックコーヒー飲みまくるほど甘々空間だったわ。

 

「えへー、ヒッキー?」

「お、おう、おはよー……さん」

「………………」

「……う……」

「それだけ?」

「うぐっ……」

 

 恋人になって、告白しまくってから、こいつはきっとタガが外れてしまったのだ。

 毎日家まで迎えに来るし、家を出れば腕に抱きついてきて超上機嫌だし、おまけにそのー……

 

「……だ、大丈夫だ。勢いもそりゃあったかもだが、俺もちゃんと好きになっていってるから」

「……うん。───うん、うん。……えへへ……えへー……♪」

 

 毎日俺の気持ちを聞きたいとか言い出した。

 で、素直な気持ちを伝える覚悟を決めた俺は、きっと周囲から見ればただのバカップルAなのだろう。

 今日も今日とて雪ノ下の周囲がブラックコーヒーの缶で埋まりそうな一日を、元気いっぱいに過ごすことになりそうだ。

 

「あ、そういや誕生日プレゼント」

 

 ハッと思い出して口に出すと、なんかもう超上機嫌なまま、腕に抱きついて頬をすりすりしてる。

 ……なんか、これだけでもう十分に幸せですって言われてるみたいで、俺もまあなんとも……顔がちりちりする。

 果たしてあの時、俺が誕生日を忘れたのは良いことだったのか悪いことだったのか。

 え? 今? …………幸せだよ、わりぃかよちくしょう。

 




「そういえばさ、アニメ公式ページって誕生日のたびに“ハッピーバースデー○○! って更新してたよね。今年はどうだろう」
「あ、そういえば。忘れてた」
「アニメ3期の発表もあったし、いろはの絵があったりしたね、懐かしい」
「あったねー。さーて、どらどら? …………」
「? どしたん?」
「“ハッピーバースデーいろは!”で終わってる」
「………」
「………」

 それから二日ほど通ってみてもなにもなかったという悲しみ。(6月20日追記)


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穏やかな“ぬるま湯”
壊れない“全部”のカタチ①


 ぱぁん、と。凄い音が響いた。

 痺れる感触と、次いでやってくる激痛。

 訳も解らず相手を見る。

 目に涙をいっぱい溜めて、初めて“俺を敵として睨む姿”に恐怖した。

 

「……! ───、───!?」

 

 叫ぶように放たれた言葉が胸に突き刺さる。

 大切な存在な筈だった。

 雪ノ下と由比ヶ浜と、奉仕部で過ごす日々は、無理矢理入れられたとしても……気づけば気を許せる程度には大事な場所で……そこに居るふたりは、いつの間にかかけがえのないもの、になってしまっていた。

 どうして叩かれたんだっけと考えて、……考えて。言葉を発することを忘れている内に、黒髪の彼女は泣きながらその場から走り去っていった。

 

……。

 

 最低なことをした自覚は、じわじわと心を蝕んでゆく。

 自覚があるのにも関わらず他人から同じことを言われるほどうざいことはないだろう。

 だってのに、俺の妹は遠慮しない。

 

「……お兄ちゃん。小町は今本気で怒ってます。ねぇ、ほんとさ、なんなのあれ。自分のためにあそこまでやってくれた人に対する言葉なの? あれが?」

「いや、小町……あれは」

「そだねー、お兄ちゃんはさ、小学とか中学で辛い目見てきたんだよねー。で、なに? それ理由にして人を傷つけていいの? ほんっっとね、今回ばっかりは小町、ふざけんなだからね?」

「俺も、このままでいいとは思───」

「じゃあなんでごろごろしてんの? やれることいっぱいあるよね? 先延ばしにして時間で解決とか怒るよ? もう怒ってるけど」

「い、いや、気持ちの整理くらいだな……」

「あのね、お兄ちゃん。今回ばっかりは自分を下げて解決なんて、絶対不可能だからね? 絶縁されたってどうせこんなもんだって思うんだろうから、中途半端な関係で居続けながら怒り続けるよ?」

「………」

「本気で泣いてたんだよ? お兄ちゃんがあんなこと言ったから、本気で悩んで、相手がお兄ちゃんだからそうしたんだよ? なのになんでそのお兄ちゃんがあんなことしたの?」

「……俺なんかじゃなく───」

「それ本人の前で言ったらまた叩かれるよ? むしろ今小町が叩きたいくらい」

「……事実だろーがよ」

「……お兄ちゃんさぁ。あの人が誰のことが好きだから今まで頑張ってきたと思ってんの? ……相手がお兄ちゃんだからでしょ? その本人にそんなこと言われて、傷つかないとでも思ってんの? 違うでしょ? 前提からして間違ってるでしょ? あの人が好きなのはお兄ちゃんで、お兄ちゃんだから頑張ってきたんでしょ? それなのに俺じゃなくて他の? 人を好きになるって気持ち馬鹿にしすぎでしょ」

 

 でしょがゲシュタル……ああいや、茶化していい状況じゃねぇよな。

 俺だって解ってる。俺のはただの逃げだ。理解出来てるなら行動しなきゃ意味がないのに、それができないでいる。

 

「お兄ちゃんさ、誰かに告白したことあったよね? 胸糞とか悪くなっちゃうお返事とかもらったり、言い触らされたりもしたよね? そんなことがあったのにどうしてああいうことできちゃうの?」

「だから……俺にそこまで思われる価値は」

「そんなお兄ちゃんを好きでいてくれる人だから今日行動に出たんでしょ!?」

「ぐっ……」

「今お兄ちゃんが考えてること、小町にもな~んとなく解るよ? 勝手に応援しといて状況が変われば怒るなよ、とかでしょ? うん、そだよね、調子いいよね~。じゃあさ、いったい誰が今のお兄ちゃんを叱れるのさ。誰がそれは違うって言ってあげられるのさ」

「……大きなお世話だ」

「……そ。そういう答え出しちゃうんだね、お兄ちゃんは。解った、小町もうなにも言いません。……ただね、今回は本当に、いつもとは違うよ? 一人でも理解者が居るなんて思わないほうがいいからね。戸塚さんだって本気で怒ってたから」

「───……」

 

 戸塚も、か。そりゃそうだ、今回ばかりは本当にひどいことをした。

 自覚もあるし後悔もある。同情されることは絶対にないだろう。

 

  “カーストなんてものがあるから”。

 

 そんな言い訳なんて今さらだが、だからこそ今回のことに関して、カーストを盾に喚くやつらにはなにかを言われる筋合いはなかった。

 

 

───……。

 

……。

 

 黒髪の少女は言った。

 比企谷くん、と。戸惑いながら俺も返して、会話はつっかえながらも、けれど普通に進んでいった。

 やがて弾み、いつもの感じが戻ってきた時……彼女は深呼吸して、俺に告白をした。

 

  “あなたが好きです”

 

 嬉しかった。

 手を伸ばしかけた───いや、実際伸ばしていた。

 なのに、そんな光景を遠くで見ていたやつが居た。いつか廊下で、目の前の彼女のことを狙っているとか友人らしき男と話していた男だった。

 その目が言っている。“なんでテメェみたいな底辺が。彼女はその程度の女だったってことか?”と。

 自分が馬鹿にされるのはいい。慣れている。

 が、彼女が馬鹿にされるのは我慢ならなかった。だから俺は、てっとり早い方法を取った。

 告白を断り、自分を悪にする方法……いつも通りだった筈だった。

 だが、俺は“先の彼女”を心配するあまり、“今の状況”を置いてしまった。

 それが、すべてのまちがい。

 突き放すために言った暴言。いつもなら多少の怒りを見せながらも、許すそれを耳にして、彼女が取った行動は───平手だった。

 涙を浮かべ、当然の怒りと、見損なったという悲しみを浮かべたまま、言った。

 

「っ……ヒッキーにとって! あたしってなんなの!?」

 

 ……彼女───由比ヶ浜結衣は、その日……染めていた髪を戻し、服装も正して学校に来ていた。

 様々な男子が立ち止まり、女子でさえ“あんな子、いたっけ”と驚くほど、その在り方は目立っていた。

 何故って、その在り方がひどく自然で、彼女らしいと思ってしまったから。

 ……そもそも由比ヶ浜は空気を読んでの行動が多いやつだった。

 髪を染めたのも口調がああなったのも服装が変わったのも、全部周りに合わせていたからだろう。

 それをやめて“普通”に戻った彼女は、とても眩しかった。……眩し、すぎたのだ。

 

「ヒッキ……あ、ええっと。……比企谷くん。どう? これでもう、ビッチなんて呼ばせないんだからっ」

 

 ……その眩しさのすべてが、俺のためだった。

 俺が言ったことを、彼女は気にしていたのだ。

 そんな彼女に誘われるままに移動して、やってきたのはベストプレイス。

 そこで俺は真っ直ぐに告白され───……“あの男”が見ていることに気づき、最低最悪の振られ劇を、開始した。

 由比ヶ浜が最底辺の男とのことでよくない噂をされる……そんな嫌なものからは遠ざけたかった。

 

「……」

 

 だから、よせばいいのに実行に移した。

 結果は……頬を叩かれ、涙する由比ヶ浜に怒鳴られ、固まるしかなかった。

 なにかを言わなければいけない。それは確実。言わなきゃ全てが壊れる。そんな確信があった。

 言わなきゃいけないことってなんだ? ヘラヘラ笑って取り繕えばいいのか? それとも自分にとっての由比ヶ浜の価値を語ればいいのか?

 解らない。いっぺんに物事が起きすぎた。なにを先に考えて、なにを後に考えればいい。

 俺は、俺は───

 

「───っ」

 

 …………考えているうちに、それは終わってしまった。

 由比ヶ浜は泣きながら走り去り、俺はただ呆然としたまま、その後姿を見送った。

 あの男と擦れ違い、男は振り向きながら由比ヶ浜を見送ると……俺を見て、ざまぁないとニタついたのだった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 …………。

 

「ど、どうであろうか!」

「とりあえず死のうか《にこり》」

「ぶひぃっ!?」

 

 とある日、とある放課後。

 奉仕部にやってきた材木座によって手渡された小説に目を通し、はぁあと溜め息。

 物語の冒頭だけを見て、続きが見たくなるかどうかの感想が欲しかったらしいが───

 

「これは……随分と苛立ちを覚えるくせに、妙に比企谷くんのクズっぷりを拾ったお話ね」

「うわー、最低ですね先輩。最低すぎるくらい最低です。なのに妙に先輩っぽいところが無駄に先輩の最低っぽさを引き出してます」

「本人を前に最低最低言うんじゃねぇよ……これ俺じゃねぇからな?」

 

 いつもの奉仕部メンバーに一色を加えた四人で読む小説は、なんとも……発言に困るものだった。

 いつも通り中二ファンタジーを書いていればいいものを、時代はラブコメである! などと言い出して……この始末。

 

「で、この男って結局どうなんの」

「はっぽぉーん……小説の中のヒキタニくんは女性全員から罵倒され───」

「いや違うから。この名前のないモブだよ。つか、なんで名前ヒキタニにしたんだよ……誰に読ませたくて書いたんだよこれ」

「お、お、おー……そ、そのモブに関しては、傷心のヒロインを慰めようとして見事に玉砕、名前はそのー……せめて爆発させようと思ったが無理だった名残である!」

「おい」

 

 随分とぶっちゃけられた。

 だが言おう。俺のどこに爆発しなけりゃならん要素があるのか。

 

「そっか……そうだよね。髪戻して、服装もちゃんとしたら、もうヒッキーはビッチとか言わなくて……勉強も頑張れば、アホとか馬鹿とか言わなくて……」

 

 とか思ってたら、短いからという理由で雪ノ下の隣で原稿用紙を覗いていた由比ヶ浜が、ふんふんと頷いているのが見えた。

 え? 共感しちゃうんだ。つか、そんなことを言ってからこっちをちらりと見るとかやめて?

 

「それで結局、この話ってどうなるんですかー?」

「はぽっ!? ……ふ、ふふふ、知りたいならば聞かせてやろう。ヒキタニくんは唯一絶対の味方である妹君にまで睨まれるようになり、親愛なる戸塚氏にも一歩引かれるようになり、“自称ぼっち”であったことに気づきつつ、行動に出るのだ」

「自称ぼっちとかやめろ。最近ぼっちの意味が曖昧になってきてんだから。一色も、どうなるとか言ってこいつを調子づかせんじゃねぇよ……」

「えー? いいじゃないですかー。実際、ちょこっとだけ気になりますし」

「……は、はははっはははちまん? 八幡!? 気になるって! 女子が我輩の小説、気になるって! ちゃうん!? これっ……フラグとちゃうん!?」

「落ち着け材木座。一人称忘れてるぞ」

 

 あと、話かけてきたのは一色なんだから、俺だけ見て熱心にその後を語るのはやめろ。

 

「財津くん……だったかしら。ヒキタニくんが嫌われる流れは予想がつくからいいわ。知りたいのはこの由比ヶ浜さんとヒキタニくんのその後よ」

「そうですよ。正直先輩が小町ちゃんにどれだけ拒絶されようと関係ないですし」

「いや、だからこれ俺じゃないからね? ヒキタニくんだから」

 

 なにか言ってやって由比ヶ浜! この人達俺の言うこと全然聞いてくれない!

 つか、なんでそんな熱心に読んでんの!? ねぇ!

 

「そ、その後……であるか。うむ。ヒロインは走り去りはしたのだが、翌日にはヒキタニくんの傍に居た」

「すげぇご都合主義だな」

「そうではない。ヒロインはモブと擦れ違うことで、なぜヒキタニくんがその時にそうしたのか、理由が解ってしまったのだ。しかし悲しければ逃げ出さずにはおれんだろう。だから翌日に勇気を出して、理解も深めず逃げ出すのはやめたのだ。……という強き心のヒロインを目指してみたのだが」

「それって走り去って無視されるほうが、ヒキタニくんにとっちゃ楽だったんじゃねぇか……?」

「……悲しみを飲み込んでまで話をしようとする由比ヶ浜さんに対し、このヒキタニくんのクズっぷりはどうかしら……」

「先輩最低ですね……」

「だから俺はヒキタニくんじゃねぇし、最低言われる筋合いもねぇよ……」

 

 …………。いや、あるか。

 小説を読んでいて、抉られた部分がある。

 “ヒッキーにとって、あたしってなんなの!?”

 ……友達、ではない。ただの部活仲間だと言ってしまえばそこまで。

 だが、大切な存在だ。それは共感できるし頷ける。

 短くはあるが、いろいろと考えさせられる話だ。

 

「ちなみにこのヒキタニくん、ヒロインの気持ちを知っていながらその場凌ぎでのらりくらりと言い訳をし、先延ばしにさせ、そのくせどんどんと他の女性と仲良くなっていくという実にゲスい男でな」

「最低ねヒキタニくん《じろり》」

「清々しいほどのクズっぷりですね、先輩《じとー》」

「いや、だから……」

 

 やめて。自覚出来てる分だけ心にキッツイ。

 そうだ、あそこまでアプローチされてりゃ馬鹿でも気づく。

 が、それこそヒキタニくんのように思うのだ。カーストランクなんてものがなけりゃ、と。

 物語の中の小町が言っている言葉もよく解る。こうして客観的に見てしまえば、つくづく最低野郎だ。

 俺は過去に辛い思いをした。それは事実だ。が、由比ヶ浜の想いを無視していい理由にはならない。

 由比ヶ浜は真っ直ぐだ。ずかずかと入り込んでくるくせに、相手が引いている一本の線には敏感で、それ以上はなかなか踏み込まない。

 それはとてもありがたい空気の読み方だった。

 

「財津くん、続きを」

「はぽっ!? お、おおお……! 雪ノ下嬢が我に続きを促して……!?」

「御託と能書きは結構。早く」

「ひぃっ!? はははははいぃいっ! すぐに語るでありますっ!?」

「………」

 

 遮ったりはしない。俺も気になっていた。

 “ヒキタニくん”はどんな決断をするのか。

 

「正直清々しいほどのクズっぷりなので、書いていてイラッ☆とくることもかなりあったわけであるが、幸運なことにヒロインがやさしすぎたために事態は急速に解決へと向かうのだ」

「でしょうね。このヒキタニくんが自分から行動を起こす姿など想像ができないもの《ちらり》」

「結衣先輩、さすがですよねー《ちらり》」

 

 だから言葉のあとに俺を見るのやめろ。

 

「ヒロインは“話さなければ解らない”ということをよく知っていた。話しても解らんことは当然あるが、ヒキタニくんをきちんと理解しようと努力していたのだ。それをヒキタニくんはうだうだぐちぐちねちねちと」

「頼む材木座、今ばっかりは俺じゃなくて雪ノ下と一色を見て話してくれ。理由の無い痛みが俺を突き刺しすぎる」

「まあようするに主人公がヒロインに救われる話であるな。もちろんハッピーエンドだ! 捻くれて、深く話し合うことを拒絶していたヒキタニくんが、ついに自分の胸の内をヒロインに打ち明け、ヒロインがそれをやさしく包み込み、受け止めることで解決!」

「え? なんだそれ。ヒキタニくん結局どうなったの? ヒロインに許されて終わっただけ? え? 人間関係とかは?」

「ヒロインを幸せにすれば許すという条件で頑張ることを始めた。最初は許されるためだったが次第にヒロインの愛情に心を溶かされ、ヒロインをどんどんと好きになっていく様を描いた心温まる物語だ」

「なんかそれ逆にヒキタニくんがヒロインやってない? ねぇ、俺の感性がおかしいの? ねぇ」

「ああ……まあ、そうね……」

「あー……なんか解りますねー、それ」

「マジかよ」

 

 解るの? 解っちゃうの? 八幡わかんない。

 

「でもこの“俺なんかじゃなくて”ってほんとそうですよねー。あなたが好きってはっきり言ってるのに、どうしてそこで他人とくっつけようとするんでしょうね」

「自分にそんな価値はないと言っているくせに、夢が専業主夫とはどういう思考回路をしているのかしらね」

「おいやめろ。ヒキタニくんの地の文に専業主夫の文字なんて出てきてねぇだろ」

 

 まあ、そうなんだが。

 しかしこの流れはよろしくない。ここは一度、全員がクールダウンする必要がある。

 話題の中心はヒキタニくんと俺だ。ここは俺が一度退散して───

 

「……喉乾いたからマッカン買ってく───」

「その必要はないぞ八幡よ。……所望の品は、《ッカァーーンッ!》……ここにある」

「財津くん、机も一応備品なのだから、缶を叩きつけたりしないでちょうだい《にこり》」

「ひゃはぁあいっ!? すすすみませんっしたぁーーーっ!!」

 

 格好つけて、右手で眼鏡をクイッと、左手でカァーンとマッカンを机に置いた材木座が、雪ノ下の目が笑ってない笑顔で悲鳴をあげた。怖いよ。

 

「座りなさい比企谷くん。ヒキタニくんはきちんと話し合いには応じたそうよ? あなたは逃げるのかしら」

「……喉乾いただけだっつの」

 

 仕方なく座り、材木座が用意しておいたというマッカンを手に取った。……生ぬるい。

 しかしそれを開けて飲むと、話を聞く姿勢を取った。

 話し合いが目的なら、きちんと聞いた上で自分の答えを伝えればいい。

 いろいろと考えさせられる内容だった。恐らく、自分が同じ状況に立ったら同じことをしていた。

 が、その結果は客観的にみれば“確かにこうなる未来”だ。これは絶対にしちゃならない。

 自覚はあったんだ。由比ヶ浜が俺を見る目は、仲間だとか知り合いだとかの目では断じてないって。

 それをヒキタニくんのように先延ばしにしてのらりくらりと。

 

「……材木座。ヒキタニくんは……あー、ほら、この黒髪ガハマさんに、なんて返事をしたんだ?」

「ほむ? おお、それはだな。ビッチが清楚な振りをしてもビッチはビッチだと」

「───」

 

 ぞわりと心が灼熱に襲われた。

 ああ、これだめだ。自分が許せない。言ったのはヒキタニくんであって俺じゃない。

 だが、ビッチだアホだと言ったのは俺だ。

 そんな場面で、そんな状況で、その全てが“俺のため”なのに、そう返したのだ。

 周囲に許されるわけがない。当然だ。自分を下げて解決? 下がりようがないのにか。物語の小町の言うとおりだ。味方は一人として居ない。

 第一印象で勝手に決め、言い放ち、売り言葉に買い言葉を始めたいつか。

 反撃として“死ねば!?”、と言われたことを思えば、当時は当然だと思ってはいたが、言い出したのは俺で、そもそも由比ヶ浜の俺の呼び方は蔑称ではなかったのだ。

 知り合ってみれば解ることなど沢山あるだろう。知り合おうともしないで解った気になって、勝手に蔑称を口にしたのは俺が先だ。

 そして俺は、まだそれを……謝れてもいなければ、口にしてしまうこともあったのだ。

 

「先輩ちょっと最低すぎてさすがにどん引きです……なんですかビッチって」

「知りもしないで見た目で判断する存在は嫌いなんじゃなかったかしら、外道谷くん。一緒に居て事実を知っている身としては、思い出してみれば随分とひどかったわね、あの頃のあなたは」

「平然と毒舌吐きまくってるお前にだけは言われたくねぇよ」

「《ぐさっ》うっ……」

「え? ……え!? ちょ、雪ノ下先輩!? この人ほんとに言ったんですか!? 結衣先輩に!? ……ちょっと冗談どころじゃなく本気でありえないですなに考えてんですかどう見たって一途過ぎて憧れるくらいじゃないですかほんとありえないですごめんなさい」

「人を叱るついでに振るんじゃねぇよ……」

 

 逃げ道塞がれて自分のことに関して言われ続けるこっちの身に……なりませんね、はい。どう考えてもこれはヒキタニくんと俺が悪い。

 ……実際俺はどうなんだ? 嬉しくはある。由比ヶ浜みたいな可愛いやつに想われて、一途に思われ続けて嬉しくない馬鹿は居ないだろう。

 俺だって“こんな自分”じゃなけりゃ、カーストなんてものがなけりゃ、とっくに告白して付き合っていただろう。

 ……けど、じゃあなんだ? 俺はずっとそうやって人の気持ちを避けていくくせに、専業主夫なんて夢を見続けるのか?

 社会人になって出会いがあろうと、そこにカーストランクがないとでも思ってるのか? そんなわけがない。むしろより一層にある筈だ。

 高校生なんてまだまだガキだ。そんなガキが想像するよりもよっぽどドス黒い上下関係がある筈だ。

 そんな世界で人と出会って専業主夫? おいおいおい比企谷八幡、現実を見ろよ。苦い経験をしてきたからって現実を見たつもりになって、精神は成熟しているつもりにもなって、だから自分なら出来るだなんて本気で思ってるのか?

 

「…………」

 

 ……平塚先生はいつか言った。“今だよ”と。

 物語の小町は言った。“なんでごろごろしてんの? やれることいっぱいあるよね?”と。

 俺に出来ること、やれること、今すぐにでも出来ることってのはなんだ?

 シラを切ってのらりくらりと誤魔化すことか? 違う、そんな誤魔化しや欺瞞はいらない。

 付き合ってられんとさっさとここから逃げ出すことか? 違う、それこそ先延ばしにしかならない。

 気持ちの整理をしたいって言って時間を稼ぐ? 違う。

 別の話題に───違う。

 違う、違う。

 俺はどうしたかったんだ。知りたかった? 知って安心したかっただけか?

 ああ確かにそうだ、解らないことは怖い。知らないまま人に触れるのはとんでもなく怖いことだ。

 じゃあ、それから俺はどうした? 知ろうとしたのか? 努力をしたのか? そいつだけが見せるそいつだけを解った振りして、いつかのように勘違いしていただけなんじゃないのか?

 思い出せよ。由比ヶ浜と“初めて”接触した時、俺はなにを思ってあんな早くに家を出た。どうして学校に行くことにあんなに希望を持っていた。

 俺はどうしたい。

 ヒキタニくんのように泣かせたいのか? ───違う。

 泣かせた先で、他の誰かが由比ヶ浜を幸せにすりゃ満足かよ。───違う!

 あいつは誰を好きで、誰を思って今までアプローチしてきた。奉仕部か? 雪ノ下か? それだけか? ───……違うっ!

 結局お前はっ…………俺は、どうなんだ。

 由比ヶ浜の体裁とか交友関係とか全部見えなくした上で、俺自身の気持ちは。

 俺じゃなくて他のやつが、なんて考えるな。俺が考えた俺の結論を俺が出せ。

 願った筈だ。高校ではちゃんと、と。祈った筈だ。一人くらい友達が出来ますようにと。

 そこに、女子との青春を願わなかったのか? 本当にそうか? 想われて、思うことは一切ないのか? 思い出せよ。今だろ? 今だろうが。

 俺は。俺の気持ちは。俺の、俺のっ、俺の───!!

 

 

 

    ……ヒッキー……

 

 

 

「───…………」

 

 悩み、考え抜いた思考の先に、由比ヶ浜の笑顔があった。

 振り向いて、笑顔で俺を呼んだ姿が心に浮かんだ。

 一瞬で顔が熱くなって、思わず俯いた俺は、そうして───……自覚してしまったのだ。

 

「───あ……」

 

 ……意識して、集中して、こんな状態だからこそ思い浮かんだことを───いつか絶対にやろうとしていたことを思い出す。

 俺は女性の気持ちが解らない。

 だったら、いつか本気で恋ってもんを自覚した時、“どうしてそんなやつが好きなのか”を考えてみようと思っていた。

 ラノベにしたって漫画にしたってアニメにしたって、物語のヒロインは随分と惚れやすい。どうしてそんな冴えないやつを好きになるんだか、と呆れたことだって何度もある。

 だからこそ、その気持ちを知りたかった。

 ああ、自覚したんだ。これは恋だ。訳もなく、ただ由比ヶ浜の笑顔が見たい。話をしたい。傍に居たい。胸が苦しくて、離れている距離がもどかしい。

 そんな状態の自分だから考えられることを、考えてみたのだ。

 

「ひ、比企谷くん? 顔が信じられないくらい赤いけれど……だ、大丈夫、かしら?」

「先輩? 目が潤んでますよ? まさか風邪ですか?」

 

 ごくりと喉を鳴らす。鳴らして、とある一つの疑問を考えた。

 Q:その人が好きな理由はなんですか?

 A:…………理由なんてなかった。“その人だから”好きになった。

 

「───……!!」

 

 かちりと、自分の中の歯車が合わさった。腕時計の歯車くらいに小さなそれは、けれど俺の中にある最大の疑問を、固まりすぎて動かなかった歯車を軋ませてくれた。

 やがて動き出す。

 ずうっと凍らせておいた、傷つかないために眠らせておいた、自分の中の時計が。

 動いたら、もうだめだった。動かない理由がない。やろうとしない理由がない。

 簡単だったんだ。どうして俺なんかを、じゃない。俺だから好きになってくれた。それでよかったんだ。

 そして今はそんな単純な答えが嬉しくてたまらない。

 単純だから理解できた。胸に届いた。俺にも解った。

 

  ───好きだ。

 

 難しく考えることなんてなかった。もっと馬鹿でよかったんだ。

 最底辺な俺でも好きになってくれた。そんな俺でもいいからアプローチしてくれた。

 じゃあどうすりゃいい。……努力すりゃいいじゃねぇか。

 変わっていきゃいい。“俺なんか”を変えていけばいい。

 好きなら出来る。努力せずに諦めるな。

 “諦めること”に胸を張れるなら───“いつかフられるかもしれない自分”を諦めろ。生憎だがそこには“辿り着けない”って……諦めろ。

 不安要素を諦めて、希望をひたすら求めていけばいい。

 だから……今なんだよ、比企谷八幡。

 

「~~~っ……!」

 

 ああ、でも、これすげぇ。ほんとすげぇ。

 由比ヶ浜、尊敬する。好きな人の傍に居るって、すげぇ恥ずかしい。嬉しいのに恥ずかしい。そわそわする。

 あ、あー、あー……! そういうこと。そういうことなのか。由比ヶ浜が俺と居る時……厳密にいえば状況の所為で二人きりになった時、顔が赤くなってたのはこういう理由で……!

 ……そんな光景を思い出すたび、胸が弾んだ。嬉しい。やばい、なんだこれ嬉しい。

 え? 恋ってこういうもんなの? 相手が自分を思ってくれたってだけで、こんな嬉しいもんなの?

 

「………」

 

 由比ヶ浜を見る。堂々と見りゃいいのに、どうしてかおそるおそる。チラッ? って感じで。

 ……由比ヶ浜は、まだうんうん唸りながら小説を睨んでいた。睨んで、頭のお団子をくしくしといじくっている。

 

「あのー……先輩? ちょっとやばいくらい顔真っ赤ですよ? ほんと大丈夫ですか?」

「……大丈夫じゃない」

「え?」

 

 一色の声がどこか遠くに聞こえた。

 なんだろう。なんでもいいから接点が欲しくなる。声をかけるのでもいい、返事がもらえたらきっと嬉しい。

 笑いかけてくれるだけで、きっと一日舞い上がれる。

 ああ……そうだ。人に惹かれるって、こんな感じだった。純粋に、その人のことが知りたいって。

 でも、経験したのは拒絶と嘲笑。勘違いをした結果はあんな未来だった。

 じゃあ今は?

 

「…………」

 

 ……。

 

「…………~」

 

 ……。

 

「~~~~っ……ゆ、由比ヶ浜っ!」

「《びくぅっ!》ひゃあっ!? え、あ、え!? なに!? なにヒッキー!」

「え? あ、いや……」

 

 ただとにかく、声をかけなければって意識が走った。走って……走った先で、“え? これからどうすんの?”に変わった。

 とにかくなにかを話さなければって、取り繕った言葉をとりあえず出しておこうとするのだが、そうする自分に由比ヶ浜の姿が重なって、顔を両手で覆って悶絶した。

 

「ひ、ヒッキー? え? なに? なんなの?」

 

 人を呼んでおいていきなり顔を覆って悶絶する男。……不気味だ。

 いや、けどな、つまりは由比ヶ浜もこうやって声をかけてはみたけど話題が見つからなくてってのを経験してたってことで……!

 ぐっは! ぐっはぁ! どんだけ好かれてたんだ俺! やばいこれ死ぬ恥ずか死ぬ!

 

「ざ、材木座……俺」

「八幡よ……貴様の苦悩、同じぼっちである我には解った」

「材木座……! すまん……俺、どうしたらいい……? こんな時、どんな顔すりゃいいのか───」

「はっぽぉーーん! ……爆発すればいいと思うよ?《にこり》」

「はっはっはこの野郎」

 

 ああでも、これでいい。相手の気持ちが少しでも解ったなら、もう勘違いなんてする必要もない。

 あとは…………あとは。

 

「………《じー……》」

「……ヒッキー?」

 

 つい見てしまう、この乙女チックな自分に慣れなければ。

 い、いや、もちろん? 好きって自覚したなら告白したい思いますヨ?

 

(なんの問題もありません。告白経験ならベテランのプロボッチャーである八幡さんが、今さら告白程度で怖気づくわけがないじゃないですか)

 

 ただほら、こう、なんてーの? ば、場所とか……選びたいし。《ポッ》

 ……キモいな。落ち着け俺。

 ああ、けど、どうすりゃいいのか。どっかに呼び出す? メールでとか。

 メ、メール。メールね。

 スマホを取り出して、由比ヶ浜のアドレスを確認。

 ……おい、ニヤケんなよ、顔。好きな相手が登録されていることに、今さらながらニヤケんなよ。

 ともかく部活が終わったら残ってもらって、それで…………それで。

 スマホをいじってメールを飛ばして、そのままの調子でスマホをいじり続ける。由比ヶ浜のケータイが鳴っても、動揺せずに。

 俺とメールは無関係ですよアピールである。

 由比ヶ浜がメールを確認、驚くのが視界の隅に移るが、由比ヶ浜は声に出したりはしなかった。

 

「結衣先輩、誰からだったんですか?」

「え? あ、やー……ママ、かな」

「母親相手に“かな”、というのはどういう意味なのかしら」

「ちょ、ちょっと驚きの内容だったから、うんっ」

 

 手をぱたぱたと動かして誤魔化す姿が可愛い。

 そしてそれをちらちら見る俺、キモい。やだ助けて、顔が勝手にニヤケる。

 

「…………《ちらっ》」

「…………《ちらっ……ハッ!? かああっ……!》」

「…………《かぁあ……!》」

 

 ちらりと見たら目が合って、真っ赤になって俯かれた。

 その気持ちがなんとなく解ってしまって、俺も。

 い、いや、メールはよ、ほら。部活終わったら時間くれってだけだったんだけど、意識しちまうとダメね、これ。

 由比ヶ浜もきっとそんな感じなんだろう。ここで俺が特に恥ずかしがる素振りも見せなければ、あいつもあんな反応をすることもなかったに違いない。

 

「あ、それでですけどね、せんぱ~い」

「あ? あー……ああ、そういやそもそも、お前も用があってここに居たんだよな」

「そうですよー。なのにええっと、財津先輩? が小説の感想がどうたら~って。まあ、結構参考になりそうではありますけど」

「……八幡? これはつまり、我の小説が面白いということでいいのだろうか。えっ……ええのん!? これっ……書ききってもええのん!?」

「あー……いいんじゃねぇの? つかお前さ、雪ノ下の所為で一色に財津先輩って認識されてるけど、それでいいのか?」

「えっ? 違うんですかっ?」

「………」

「雪ノ下先輩?」

「…………《フイッ》」

 

 おい、そこで目を逸らすなよ。

 

「我は気にせぬ。己を定めるものなど我さえ居ればどうとでもなろう」

「あ、そうですか。じゃあ先輩、話の続きですけどー」

「え? 我の話これで終わりなの?」

「おう、なんだ?」

「八幡!? はっ……はちまーーーん!」

「材木座うるさい」

「中二うっさい」

「アッハイ」

 

 ほぼ同じタイミングで俺と由比ヶ浜に言われ、しゅんとする材木座を余所に、一色は鞄からごそごそと紙を取り出し、それを俺達に見せてきた。

 

「この学校って祭り事だと結構盛り上がるじゃないですか。進学校ってもっと頭の硬い場所かなーとか思ってたりもしましたけど、文化祭とか体育祭を考えると、もっとイベントみたいなのを増やした方がいいんじゃないかと思いまして」

 

 紙に書かれた内容をざっと説明するならこうだ。

 生徒の夢を歌にしてみないか、みたいな感じ。

 

「これ、選ばれたやつ悶絶死しないか?」

「名前はもちろん出しませんよ? 選ばれた人だけがガッツポーズ出来るような、そんなイベントです。歌は生徒の投票で最優秀を決めて、選ばれた歌は実際に作ってみたりとか」

「ゴラムゴラムゥ! それならば我もひと肌脱がねばなるまいぃっ!!」

「あぁ、あんまり個人があっさり特定されそうな歌はやめておいたほうがいいですよ? 下手にネタにもならずにバレたら、全校生徒からイタイ目で見られますから」

「ぶひっ……!?」

 

 ……以降、彼は発言を控えた。

 なんだこれ、もし自分の歌が選ばれて、全校生徒に歌ってもらえたら最高に嬉しいんだろうが、バレたりでもしたら悶絶必至じゃないか?

 

「でもこれ結構楽しいかも。ねぇねぇゆきのん、一緒に歌、作ってみようよっ」

「一色さん、それは自由参加、というかたちでいいのかしら」

「もちろんですよ。そうじゃなきゃ妙な反感食いそうですし」

「歌ねぇ……ちなみに生徒会長様は参加出来るのか?」

「え? なんですかいきなり。もしかして先輩、わたしの歌が聞きたいんですか?」

「いや全然。歌集めるだけで楽そうだなーって思っただけだ」

「なに言ってんですかー、集まった歌と投票を照合させて順位を出す仕事だってあるんですから、そこは……先輩? お願いしますねっ♪」

「いやなんでだよ。自分でやれ自分で。あとあざとい。語尾に音符とかついてそうであざとい」

「なんでですかー!」

「いろはちゃん、これって歌のジャンルとかは自由なのかな」

「あ……そうですねー。最初はジャンル毎に順位を決めようと思ったんですけど、それだと収拾つかなくなりそうだったので……」

「あー、そだよねー……。あとなんか揉め事とか起きそう」

 

 ああそうな、歌ってそこんとこ結構シビアだもんな。

 たとえば俺か材木座が必死こいて歌を作ったとしよう。それはとても素晴らしい歌で、皆が気に入ったと仮説を立てたとする。

 で、作者が俺か材木座って知れたら、皆の反応はどうだろう。

 ……揃って“なんだアニソンかよ”とか言い出すんじゃねぇの? 差別だろこれ、ほんと差別。

 大体、いい歌にアニソンもJPOPも関係あるかよ。いい歌はいい歌だ。

 耳に届いて心に届いて、じぃんと来て感動して、それ以外になにがあるってんだ。

 故に言おう。ジャンルなどいらない。いい歌はいい歌として聞いてりゃいいのだ。

 

「ジャンルは要らねぇだろ。いい歌をいい歌として選んでやりゃ、文句なんてねぇよ」

「あら。あなたにしては珍しくいいことを言ったわね。どういう風の吹き回しかしら、吹き谷くん」

「たまにゃぁいいだろ、べつに。いいもんはいいもんだって理解する耳と頭がありゃ、全部多数決で決まるんだろうからな。匿名参加ってのはいいと思うぞ、一色」

「当たり前じゃないですかー。あ、というわけで相談というのはこれからなんですけど」

「あ? ……なに? これ自体が、じゃねぇの?」

「なに言ってんですかせんぱ~い、これくらいならわたしだけでも案出して採用、で終わりますって。相談っていうのは、一つ歌を作ってサンプルとして提示して欲しいんですよ。ほら、一番最初に出すのが自分だ、とか思うと、こういうのって恥ずかしいじゃないですかー」

「……なんか地味に解るなそれ。あれな、たまたま早く終わったからってプリント提出したら、“なに張り切ってんのあいつキモい”とか言われるアレな」

「いえそんな妙に生々しい先輩の話が聞きたかったわけじゃなくてですね」

「いやおまっ……ばばばっかお前これアレだから。俺の友達の友達のH.Hくんの話だから」

「せんぱい、友達いないじゃないですか」

「……お前もう帰れよ」

「まあまあいいじゃないですかー! それよりほら、先輩っ、歌、歌ってみてくださいよっ」

 

 なんで俺の周りってこう、強い女ばっかなんだろな。

 もっと物静かで清楚でやさしい女の子と仲良くしたい。などと思いつつ、ちらりと由比ヶ浜を見る。

 ……周囲に影響されずにいたら、由比ヶ浜結衣という女の子は、いったいどんな子だったのだろう。

 今想像した通りなのか、それとも───

 

「あー……歌、歌ねぇ……夢を歌にするって、恥ずかしいだろ……」

「そうね。比企谷くんの場合は特にでしょう? なにせ専業主夫を歌にするのだから」

「ヒッキーキモい……」

「《ぐさっ!》っ……!!」

 

 カッ……カハァーーーッ!!

 キモっ……きも、きも……っ……カハァッ……!!

 マジか……なんだこのダメージ……今までの比じゃないんですが……!?

 あ、だめ……これ心折れそう……。え? もしかして由比ヶ浜も、俺にアホとか馬鹿の子とか言われて、こんな……?

 

「あ、あれ? ヒッキー?」

「…………《ずぅうううん……》」

「ひ、比企谷くん? あの……ご、ごめんなさい、失言だったわ。仮にも夢というものを恥ずかしいと決め付けるのは、ひどすぎたわね……」

「そ、そうですね。いっつも胸張って専業主夫になるって言ってるんですから、恥ずかしさなんてありませんもんねっ」

「…………《ずぅううん……》」

「え!? あれ!? せんぱい!? せんぱーーーい!?」

 

 専業主夫……妻に働かせて、家で……?

 実際に強く想像してみたらヘコんだ。自分が楽をしたいからとか働きたくないからとか、そんな自分で果たして由比ヶ浜は好きで居続けてくれるだろうか。

 最初はよくても、次第に周囲に“結衣っちの旦那、専業主夫なんだ~!”とか、“働きたくないでござるとか、ほんとに言ってる人居るんだ~!”とか、“でゅぷふふふふww いくら早く結婚出来ても相手があれではww その点相手をじっくり選んでる我ら、勝ち組確定ww コポォ”とか笑われて……。

 

「───」

 

 変わろう。なんかもう、無理だ。自分が好かれ続ける未来が想像出来ないわ。

 好かれ続けないなら諦める? 違う、そうじゃねぇだろ。“まだ”好いてくれているなら、変わらなきゃいけないのは今からだ。

 その前に謝りたい。心から謝りたい。キモい言われただけで、悪口や陰口に慣れている俺でさえこれなんだ。

 じゃあ俺にビッチ呼ばわりされた由比ヶ浜は、いったいどれほど───

 

「歌……歌な。おう、もうどうでもいい歌だからお前に託すわ」

「え? 先輩?」

 

 とりあえずアレだ。以前行った“ざらす”にておぼろげに歌ったアレを、お題『専業主夫』として作った替え歌を贈ろう。

 深呼吸して、はい。

 

「……歌うぞ?」

「あ、ちょっと待ってください、一応録音しますから」

「……お前俺を殺したいの?」

「どんな黒歴史歌うつもりなの!?」

「どんなって…………聞いてりゃ解る。んじゃ行くぞー」

「何故かしら……聞きたいような、そうでないような……」

「とりあえず参考にはなるんじゃないですか? 先輩次第ですけど」

「けぷこんけぷこんっ、ならば我が手拍子をしてやろう! 八幡、ペースはいかほどか?」

「あー……一秒に一回くらい?」

「うむ! では───《ッパンッ、パンッ、パンッ、パンッ》」

「外出たくな~い、ずっと~専業主夫~♪ 愛する妻に養われて~♪ 社蓄になんてなりたくな~い♪  働きたくなっ・いっ♪」

 

 …………。

 

「せんぱい……どん引きです……」

「さすがのクズっぷりね、比企谷くん。さっき落ち込んだばかりだというのに、真正面から叩き潰されたいのかしら」

「ま、待てっ、もうどうでもいい夢だって───」

「ヒッキーさいてー……」

「《ゾブシャア!》げっふ!」

 

 もうだめ、俺泣きそう。

 

「八幡よ……お主、ざらすに恨みでもあるのか……?」

「今出来たかもしれん……もういいからほっといてくれ……」

 

 いや、由比ヶ浜に言われる分は、自業自得だって受け止めなきゃダメか。

 ああでもだめだ、やさしさが、甘さが欲しい。

 材木座が用意したマッカンはもう飲み干してしまった……新しく買ってこよう。

 

「……マッカン買ってくる……」

「あ、先輩、わたしレモンティーがいいです」

「野菜生活をお願い」

「コッペパンを要求する!」

「自販機にコッペパンはねぇよ……由比ヶ浜は?」

「え? いいの? …………あ、じゃあ一人じゃ大変だろうしあたしも行くね」

「え、あ、いや」

「行くから」

「っ……お、おう……」

 

 立ち上がり、途端に乾く喉をごくりと鳴らして歩いた。

 部室から出れば、しんと静まった廊下が待っている。

 一緒に出てきた由比ヶ浜は「寒いねー」と言いながら、手を擦り合わせて苦笑をこぼしていた。

 

「~~~……《ふいっ》」

「あ……」

 

 俺はといえば、今までどういった感覚でこいつを見ていたのかを忘れてしまったかのように、顔を見るのも緊張してしまう始末。

 つい目を逸らすようにして歩いてしまい、聞こえた由比ヶ浜の声に胸がしくんと痛んだ。



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壊れない“全部”のカタチ②

「………」

「………」

 

 自販機まで無言。

 なにか話題を、と思えば思うほど上手くいかず、もやもやしたものが胸に溜まっていくのが解る。

 さっきまでドキドキしてたってのに、なんなんだこれ。せっかく二人きりなのに、不快にさせちまうじゃねぇか。

 

「……あ、あー……なぁ、由比ヶ浜」

「え……う、うん、なに? ヒッキー」

「…………」

「…………?」

 

 話題───思い浮かばねぇ!

 なにかないか、なにか。あ、あー……あー…………あー……!!

 ……思い浮かばねぇよ。

 どうする、自虐ネタでも……ああだめだ、由比ヶ浜にそっち系の話はNGだ。つまり修学旅行を思い出させるようなネタもダメ。

 なにか楽しい───俺に楽しい話なんて捻り出せねぇよ。

 ……だめだ、人ってそう簡単に変われねぇ───って、諦めるのはいつもの俺だ。諦めるならダメな自分を諦めるって決めただろうが。

 つまり……つまり。

 

「……今度、ハニトー食いに行くか」

「……! ……ヒッキー……う、うんっ、いつがいいかなっ」

「お、おう。俺はいつでも暇してるから、お前が決め───ああいや、次の休みとか、どうだ?」

 

 もっと自分で決めて、OKなら行ける自分でいこう。なんでもそっちで決めてくれ、はだめだ。晩御飯なにがいい? と訊いてきた小町になんでもいいって言って嫌がられるのを思い出せ。

 

「あ……次の休みは予定があるんだ……」

「そ、そか。んじゃあ……」

「~~……あ、待って、待ってヒッキー! えっと……」

 

 いつがいいか、を頑張って考えていると、由比ヶ浜はケータイを取り出して高速で指を動かす。

 

「《カタタタタタタ……パタン》……はふ」

 

 メールでも送ったのか、はぁあと息を吐いて、にこっと笑って俺を見た。

 

「……う、うん。今度の休みでいいよ、ヒッキー」

「……いいのかよ。予定入ってたんじゃ」

「えへへ、キャンセルしちゃった。あ、でもだいじょぶだからっ、そこまで大切な用事じゃなかったしっ」

「…………」

 

 ……俺を優先してくれた、ってことで……いいんだよな。

 な、なんだこれ、申し訳ないって思ってるのに、それよりも“嬉しい”が勝ちすぎてる。

 

「…………なぁ、由比ヶ浜」

「? なに?」

「少しのんびりして話がしたい。……いいか?」

「え、と……いいけど」

「そっか」

「うん……」

 

 きょとんとしている。まあ、俺も普段こんなこと言わないから、しゃあない。

 むしろ今勇気を振り絞りすぎて心臓バクバクだ。話題なんてないくせに。

 

「………」

「………」

「………ヒッキー?」

「っ《びくっ》」

 

 あ、ああ。話題、話題ね。あー…………だからねぇって。

 ……そこんところも正直に言ってしまったほうが、いっそ楽なんだろうか。

 話題もないのにのんびりとか言ったのか、とか落胆されないか?

 嫌われたくないって思ってるのは確かだ。なにか面白いことを言って、ポイント稼ぎたいとか柄にもなく思っていることも確か。

 ……しかし、二度と同じ徹は踏むまい。俺が面白さを狙ったって、他人のツボを刺激することなんてきっとない。

 だから……無難でいいんだろう。そこんところを、今からじっくり知っていこう。

 

「わ、悪い。あぁ、えっとだな。……すまん」

「……ヒッキー? 今日おかしいよ? どうしたの?」

「……話題がない。そのくせ、話したくてさっきからそわそわしてる」

「《どきっ》……は、話したくて……って?」

「そのまんまの意味だよ……。話題はないのに話したい、とか……な。え、と……あ───話題じゃねぇけど……その、悪かった。材木座の小説読んで、いろいろ思うところがあった。自分ってもんを振り返ってみて、ひでぇことばっか言ってたって自覚した。……ほんと、すまん」

「え、あっ……いいよっ、そんなのっ! それ言ったらあたしだってキモいとか死ねばとか言っちゃったし……! や、やー……なにやってんだろね、あたし……あはは。サブレの恩人に、死ねばとか……」

「いや、それは俺がお前をビッチとか言ったからだろ……すま───……いや。…………本当に、悪かった」

 

 体ごと由比ヶ浜に向き直り、頭を下げる。

 そうしなければいけないって思うくらい、今では悪かったって思ってる。

 不思議と、土下座なんかをするよりも勇気が必要で、侮蔑の目で睨まれる時よりも恐怖した。

 嫌われたくない。それでも、謝らなければ解決しない。許されたって、きっとそれは小骨のように喉に刺さったまま、ずっと気持ち悪さを残すのだろう。

 

「……。う───……えっと。……すぅ……はぁ…………───はい。あたしは、ヒッキ……比企谷くんの謝罪を受け取って、許します」

「───! ……由比ヶ浜……」

「……あたしもさ、あの小説読んで、いろいろ思うところ、あったんだー……。どうすればヒッキーにちゃんと見てもらえるかなって。ビッチって印象、消せるかなって。あたしさ、えへへ……こんなんだからさ。周りに合わせて口調も格好も変えてさ。……中二が書いたあれ、結構辛かったなぁって……」

「…………」

「ヒッキーはさ、あたしがいきなりヒッキー、って言ったから怒ったんだよね?」

「……蔑称かと思った。引き篭もりだの引き篭もり谷だのって言われ続けてたからな」

「うん……ごめん。そうだよね、ヒッキーにとってはあれが初対面みたいなもんだったし。あたしが勝手にいろいろ考えて、想像して、親しくもないのにあだ名みたいに言っちゃったから……」

「いや、お前は悪くねぇだろ。俺が勝手に敵だって認識したから悪かったんだ」

「え、と……うん。ちょっと引っかかるところはあったかなーって、今なら思うよ? ほら、あたしがビッチって言われるなら、影響を与えた優美子が言われないのはどうしてかなー、とかさ。サキサキもさ、夜のバイトとかやってたから、ヒッキーそう言っちゃわないかって、大志くんの相談の時、どきどきしてたし」

 

 脳内にピンクと黒のレースが浮かんだ。死にたい。

 けど、たしかにその通りだ。つくづく、あの頃の自分が嫌になる。

 だから、誤った解をやり直したいと思った。誤解だろうと解は出ている───それは自分の言葉だが、それを撤回してでも変えたいと思った。

 

「由比ヶ浜……ちゃんと、話をしたい。たぶんそれは、全部ぶちまけて“俺が”楽になりたいってエゴなんだと思う。……ひでぇよな、自分は自分勝手に動くくせに、他人のエゴは否定してばっかだ。そのくせ、後になって悔やんで、こうしてぶちぶちと文句を垂れてる」

「……ヒッキー。それはさ、しょうがないことなんだよ。だって、まちがえない、なんて無理だもん。ヒッキーはいろいろ知ってるから、ついあたしも頼っちゃうところもあるけどさ。……やっぱり……さ。言ってくれなきゃ解んないよ。解んないから…………話してほしいな。いっぱい話そ? それでさ、それで《チャララララー》あ……」

 

 ……まるで、いつかの焼き増し。

 言葉の途中で由比ヶ浜のケータイが音楽を奏で、あの夏祭りの帰り道のように言葉を遮る。

 途端、由比ヶ浜が悲しそうな顔で俺を見つめてきて───俺は。

 

「……出るな」

「───!」

「聞かせてくれ。……ちゃんと、聞きたい……って、思う……」

 

 出なくていいのか、と遮ったあの日。過去があるから俺であると胸を張って言える俺は、あの日を今は後悔している。

 あの日、もし全てを聞いていたら、今立っている現在はきっと違っていた。

 とはいえ、あの頃の俺になにが出来たかといえば……きっとろくでもないことだろう。屁理屈をこねて由比ヶ浜を泣かせていたかもしれない。……ヒキタニくんのように、だ。

 

「……《パカンッ、カチッ……》」

 

 由比ヶ浜がケータイを開き、操作して、それをポケットに仕舞った。電源を切ったのだろう。

 

「……うん。あたしも、いっぱい話したい。言いたいこととか、いっぱいあるんだ。だからさ……ヒッキーのこともさ、教えてほしい」

「おう。……つっても、ぼっちな俺が語れる自分なんて、僅かなことだろうけどな」

「それでもいいよ。……それでも、知りたいから」

「……───おし。んじゃあ、っと。ほれ」

 

 自販機でマッカンを買って、一本投げ渡す。

 わたわたと危なげに受け取った由比ヶ浜は、缶の熱さに驚きながら、けれどどこか楽しげにいきなりは反則とか言っている。

 奢りだし金は受け取らんとキッパリ言うと、今度は仕方ないなぁって顔。

 壁に背を預けて息を吐くと、由比ヶ浜も隣へ来て、同じように息を吐いた。

 

「どんな話、しよっか」

「そうだな……こういう時にどんな話すればいいのかも知らないのってまずいか?」

「ううん? なんかヒッキーらしいかも」

「……。おお。……俺らしいって、なんだろな」

「あ、真似すんなし」

「…………ふっ……くくっ」

「あははっ」

 

 くすくすと笑う。笑って、力を抜いた。

 

「そうだねー、ヒッキーらしさは……捻くれてるとことか、素直じゃないとことか、なんでも悪い方向から考えることとか……」

 

 つらつらと例を挙げられてゆく。そのどれもが、好きな人から語られるってだけでゾスゾスザクザシュと胸を抉ってゆく。あ、これ辛い。泣きそ。

 

(…………人間関係、か)

 

 今でこそ思う。

 一ヶ月入院くらいで諦めなけりゃよかったと。

 遅れての登校だろうと、希望を以って挑めばよかった。もっと強くあれたら、友達の一人や二人、明るい自分の一人や二人、できたかもしれんのに。

 希望を以って家を出た筈だったのに。

 

「……でもね。なんだかんだでやさしいところ」

「───……」

 

 けれど。

 そんな捻くれた馬鹿を、一ヶ月遅れでいろいろなものを諦めた馬鹿を、見ていてくれた人が居た。

 最初は罪悪感だったのだろう。それでもきっかけはそこにあって……自惚れじゃなければ……ずっと、見ていてくれた。

 どうすればいいんだろうな。返してやりたいことが多すぎる。ありがとうを言いたい。嬉しかったを言いたい。また明日と言って手を振って、翌日にはまた笑顔で会いたい。

 そんな、友達なら平気で出来ることが、俺には出来ない。

 あの日夢見て、朝早くに出かけた未来は、きっと今のままの自分では、これからもずっと手に入らないものだ。

 でも。じゃあ。今手を伸ばせば、届くだろうか。きっかけだった彼女となら、見ていたい、見ていてほしい彼女となら、そんな未来に手が届くのだろうか。

 伸ばした結果拒絶されたら? 俺が今まで散々とぼかしていた所為で、なにを今さらと言われてしまったら?

 後悔は先に立たない。とはいえ、なにもしなければこんな大事な想いもいつかは消えてしまうのだろう。

 イジメを無視し、相手が飽きるまで平然と過ごしていたあの頃のように、興味というものがそうであるように、いつかは恋心というものも───。

 

(それは───)

 

 それは、嫌だった。好きでいたい。好きでいてもらいたい。

 でも、あんな空虚な思いをするのはもうごめんなんだ。

 今はなんとも思っていない。でも、少なくとも告白する勇気を振り絞ることができるくらい、好ましいと思えた相手が居たんだ。

 そんな思いを言い触らされて、笑われて、どれほど自分の勘違いを恨んだ。

 どれほど自分の心に戒めた。

 だから、だから俺は───!

 

(それでも、俺は……)

 

 ……自分が泣くよりも、こいつが泣く姿を、見たくないから。そう、思えてしまったから。

 ああくそ、お前の所為だぞヒキタニくん。お前が、文字の世界の中とはいえ由比ヶ浜を泣かせるから。現実でなんて、もう二度とごめんだ。

 職場見学のあの涙を思い出せ、あんな顔で泣かせるな。

 傷つけないなんてことは出来ないと平塚先生は言った。

 けど、無意味に傷つけることを避けることは出来るのだ。俺は、それをしようともしなかった。

 今が全てじゃない。これから先、それこそ俺なんかよりも“いい人”は現れるだろう。でも俺は……今しか出来ないことを、精一杯してやりたい。関係が上手くいかなくてもいい、なんて言わない。もちろん上手くいって、俺が幸せに出来たらって今では思える。

 じゃあ今しか出来ないことってなんだ。考えろ。“そういう風にできている世界”に帳尻合わせを期待するのは、とっくの昔に諦めただろう。こんな世界に期待はしない。底辺は底辺でしかないと理解して目を濁らせ腐らせたいつかを思えば、俺はきっと世界ってものに“お前はその程度だ”って認識されちまってるんだろう。

 だったら“その程度”を“今しか出来ないこと”で破壊して笑ってやればいい。

 苦しんだからって本物ってわけじゃない。悲しんだ先に手に入るものは、きっと切ないものばかりだ。ちっぽけなゴミを握らされて“残り物には福がある”と笑われ、誰が喜べる。

 残りモノができるまで我慢をするな。そんな自分はもう捨ててしまえばいい。苦しんだからって本物じゃない、ってあの時に反論したなら、それを証明すればいいだろう。

 

  言ったから解るのは傲慢

 

 自分が言った言葉が喉を塞ぐ。

 言ってしまっていいのか、と疑問が沸くが、じゃあどうやって理解する。

 俺達は何度もまちがっている。そもそも、話し合えばあっさり解決することがどれほどあったか解らないくらいだ。

 伝えることを諦め、“解ってもらえない”ことを信じ、相手の理解力に任せ、ほらみろやっぱりと見下した。

 そんな自分がなにを傲慢だと語るのか。

 言いづらいことを言うのは辛い。自分の中の言葉を伝えるのは難しいことだ。

 それでも、計算、手段、策謀、それらの先に何を見て、俺はこいつに惹かれたのか。それを考えれば、言葉に出すことが怖くても、拒絶されることに怯えても、今まで歩み寄ってくれた分を踏み出す勇気くらい……出せなけりゃあ男じゃないだろ。

 

「……あの日、な」

「ヒッキー?」

「あの日……な。言いたいことなんて、なんにも残ってなかったんだ」

「あの日って……?」

「“本物が欲しい”」

「あ……」

 

 それで解ったんだろう。由比ヶ浜は口に含んだ甘さをこくりと喉を鳴らして飲み込んだ。

 

「あの言葉の意味は、俺にも解らない。ただな……ずっと昔、ガキだった頃から……それだけが欲しくて、それ以外はいらないって思えるくらい、それを望んでた筈なんだ」

「うん……」

「計算だの手段だの策謀だの、難しいことなんて考えなくてもさ、ちいっと手を伸ばせば繋がれたなにかが……欲しかった筈なんだけどな」

「友達、とか?」

「たぶんな、そんな簡単なもんじゃねぇんだ。解り合いたいとか仲良くしたいとか、話し合いたいとか一緒に居たいとか……そういうことじゃないんだ。自分が解ってもらえないなんてこと、ずっとガキの頃に気づいちまってる。だから、欲しかったもののかたちさえ知らないんだろうな」

「ヒッキー……」

「……解りたかったんだ。解らないのは怖いことだから。けど……な。自分を解ってもらえないって解ってるのに、それを他人に願うなんてそれこそひどい願いだろ。そのくせ、“解ろうとしない相手が悪い”って自分のエゴばかりを人に押し付けて、他人のエゴは否定する。矛盾だらけだ」

「………」

 

 由比ヶ浜は黙って耳を傾けてくれている。時々マッカンを手に擦り合わせるようにして、白い息を吐く。

 

「本物が欲しいって言った時……俺はさ、そんなことを考えた。お前が話し合えばって言ってくれた時、もし許されるならって」

「……! ヒッキー……」

「気持ち悪いって思ったよ。そんなことを、理解されないって解ってるくせにそれを願ってる自分が気持ち悪くて仕方がなかった」

「そんなっ……そんなことないよっ! そんなこと……!」

「でも……な。もし……もしお互いがそう思えるなら」

「ヒッキー……?」

「解り合いたいって……知っていたいって、お互いが思えるなら。絶対に無理だって笑われても、それが、手が届かない場所にある夢物語でしかなかったとしても……俺は」

「……あ……」

「酸っぱくてもいい。苦くても、不味くても、毒でしかなくても……手を伸ばせば届く、そんな果実があるなら……」

「……うん───」

 

 願ったものはあった。欲しかったものはあった。

 ガキの頃に諦めた、きっと信じ続けていたかった宝物。

 多くのガキは小さい頃に嘘を知って、それを笑い飛ばせるようになる。

 が、一部のガキは嘘を嘘と受け取らず、その先の“本当”を欲する。

 その先で強く傷ついて、いつしか欺瞞を嫌い、もう傷つきたくないからと“無難な真実”を作り、そこに身体を預ける。

 でも……たとえそうしてしまったガキが居たとしても。

 もう傷つきたくないからと世界の帳尻から目を背けたガキが居たとしても。

 そいつにだって、嘘の先にある“本当”の、さらにその先のものに手を伸ばす権利くらい……あった筈なのだ。

 諦めてしまえば楽だからと。泣かずに済むのが一番楽だからと、世界を濁らせ腐らせたのは誰でもない自分自身だ。

 自分の行動を自分で決めるのは怖い。責任すべてが自分に圧し掛かるからだ。

 けど、そんな恐怖の先に進みたいなら。責任の全てを背負う覚悟があるのなら、手を伸ばす権利くらい……自分で認めてしまえばいい。

 誰も許しはしないなら、自分で自分を許してしまえ。それは全部、お前の責任だから。

 

「俺は……」

 

 俺は……

 

『本物が欲しい』

 

 由比ヶ浜と、俺の声が重なった。

 由比ヶ浜は俺をじいっと見つめ、「そっか、そうだったんだ」と笑う。

 

「ね、ヒッキー。やっぱり話さないとだめだよ。解らないことばっかりだ。そりゃさ、話しても解らないこと……いっぱい、いっぱいあるよ? でもさ、そうすることで……一緒に考えることが出来るからさ」

「由比ヶ浜……けど俺は、」

「ヒッキーはさ、もう踏み出してるんだよ。“お互いが”って思えてるならさ、あとは打ち明けて、一緒に考えればいいんだ。だってさ、ひとりぼっちで考えても、それはずうっと“お互い”にはなれないんだから」

「───!!」

「一緒に考えようよ。……一緒に、考えたいな。あたしは嬉しいよ? ヒッキーのこと、やっと少し解ったかもって思えたから。あ、でもこう言うとヒッキー、“全部解ろうとか解ってもらおうなんて傲慢だ”とか言いそうかも」

「……、あ……」

「えへへー、図星? ───でもさ、ほら。ちゃんと、ちょっとだけど解ったよ?」

 

 言葉を先回りされて言われてしまうと、組み立てていた言葉が頭の中からなくなってしまう。

 用意しておいた言葉を出せずに戸惑っていると、由比ヶ浜は笑みを浮かべたままに“はぁ”と息を吐いてマッカンを飲んだ。

 彼女がその甘さに「うひゃあ」と頬を緩める姿に釣られ、自身の頬も緩んだことに気づき、驚いた。

 それは……俺が踏み出せた証、なんだろうか。

 

「なぁ由比ヶ浜」

「うん」

「水族園で話した依頼、覚えてるよな」

「……うん」

「俺の方で、答えはもう出てる。最初は罪悪感の方が大きかったんだけどな、もう固まった。その上で聞かせてくれ。……三人で、いいのか?」

「ヒッキー……」

「人と人との繋がりの脆さなんて、濁った目で見てりゃ嫌でも気づかされる。腐った目なら余計にだ。それが、誰かが誰かと手を繋いだだけで壊れるもんなら、そもそも葉山も海老名さんも奉仕部に声をかけたりしなかった……今ではそう思う。なまじ絆が強いから、その真剣さが解って崩れるものだってあるって知った」

「………」

「お前は全部が欲しいんだよな。俺も、雪ノ下も。言っちまえば、奉仕部もそうだし、小町や平塚先生も、一色もだろう」

 

 材木座は知らんが。関わったって意味でなら、戸塚も川……川崎、もだろう。

 

「お前は答えだけをしっかり見つめて、そこに向かう努力だけを絶対に怠らない。それはすげぇなって思う」

 

 そう、一人でなにかを続けることはすごいことだ。頼るものもなく、確実といえる答えもない世界で、誰も助言をくれない場所でもがかなければいけない。

 失敗すれば笑われる、なんてものではなく、全て壊れるかもしれない場所でだ。

 ただ……それでも。それでも答えだけをまちがわずにずっと見つめていられるのなら。届きたいと、手を伸ばしたいと、辛くても悲しくても、そう……伸ばした先にあるものが酸っぱいものでも辛いものでも不味いと解りきっているものなんだとしても。

 それが、どうしようもないくらいに自分が欲しい“本物”だというのなら。

 

「お前が好きだ、由比ヶ浜」

「───! …………ヒッキー……で、でもさ、それは……」

 

 あの日、由比ヶ浜は“全部”を願った。全部が欲しいと願った。

 俺も、雪ノ下も欲しいと。奉仕部がそこにあってほしいと。

 俺達が望む本物はきっとバラバラだ。どれだけなぞろうとしても、それは同じ模様にはならないのだ。

 まちがった答えを選べば壊れてしまう。壊れてしまうのは怖いから、だから全部を求める。

 けどだ。じゃあ、どっちか一方を選んだらすべてが壊れるなんて、いったい誰が決めたんだ?

 

「……そうだな。普通に考えりゃ、“今の関係”は軋むんだろうさ。……けどな? 由比ヶ浜。そんなちっぽけな答えを覆すことなんて、誰にでも出来ることなんだよ。だから、お前が全部持ってけ。俺も、雪ノ下も。俺達がどんだけまちがっても、お前だけは答えを見失わず、“真っ直ぐに全部を”見つめててくれ」

「え、え……?」

「“全部”が欲しいんだろ?」

「うん……」

「んじゃ、次は雪ノ下だろ?」

「うん……───え?」

「手に入れちまえ、全部。で、決めたらもう動くぞ。雪ノ下の依頼を解決して、ずっと笑ってりゃいい」

「……できる、かな」

「やってみりゃいい。つか、やらなきゃ解らん。解らんが、やる。やれなきゃ“全部”が全部じゃなくなるだけだ。そんなもんは答えじゃない」

「ヒッキー……」

「平塚先生の受け売りだけどな。……今のお前にとっては、今この時間がすべてって思えてるんだろうな。俺もそうだったし、今でもその気持ちはあまり変わってねぇんだ。本当に可愛くないなって言われた」

「うん、ちょっとずるいかも」

「だな」

 

 らしくもなく“たはっ”と笑い、それでも続ける。

 ああ、なんかいろいろすっきりした。そうだよな、先生。今だ。今この時間が全てじゃないとしても、今頑張らないと手に入れられないものは今頑張らなければ届かない。

 

「でもな、世界が、時間がなんとかしてくれる帳尻合わせなんざ待ってたって、お前が望む全部は手に入らねぇよ。雪ノ下の問題は、そんなに簡単なもんじゃない」

「うん……」

「“考えてもがき苦しみ、あがいて悩め。───そうでなくては、本物じゃない”。……お前はもうそれをして、雪ノ下と俺に伝えてくれただろ。だから、俺は……それが本物だって信じる」

「ヒッキー………………───ヒッキーは、さ。それで……いいの?」

「あぁ、まぁ、その……いいんじゃねぇの? あ、いや、いい、です? いいの、では? ……悪かったな、いいんだよこのやろう」

「な、なんでいきなりキレ気味なの!?」

「うるせ。素直に応援とか誰だよ俺。それでも顔が勝手にニヤケやがるんだからしゃあねぇだろが」

「…………《じー》」

「や、ちょ、見るな、おいっ」

 

 じいっと見てくる由比ヶ浜の視線から逃げるようにそっぽ向く。

 が、感じる視線はちっとも俺から外れない。

 

「……あたし、さ」

「? ……おう」

「欲しいものがあったんだ。ううん、ある。とっても大切でさ、そりゃ、それだけが大切ってわけじゃないけど……たぶんね、それも全部ひっくるめて、とっても大事なもの」

「……おう」

「でもね、現実味もなくて、正解なんて出せなくて、形もないからこれだって説明も出来なくてさ。たまにね、思うんだ。ゆきのんだったらあたしの“かたちにできないもの”を、ちゃんと説明できたりするのかなぁって」

「そりゃ、無理だろ」

「そっかな」

「おう、そうだ。自分の中にある何かを他人の口から説明させても、絶対に同じものにはならねぇよ。限りなく近いなにかにはなっても、どうしても輪郭がぼやける。だってそうだろ? 当の本人にだってかたちの解らないものを、他人にかたちにしてみろって言ったって出来るわけがない。どれを選んでもまちがってるかもしれないって思っちまう」

「……! ~~……う、うん。そう、そうなの。まちがった答えを選んじゃったら、取り返しがつかなくなっちゃうんじゃないかって……」

「でも、もう答えは出したんだろ?」

「うん。そう。出したんだ。どんだけ考えても、悩んでも、どうしてもそれになっちゃうし、それになるまでどんだけ条件を変えても、結局はそれが欲しいって思ったから───あたしは……」

『全部が欲しい』

「……うん。えへへ」

 

 由比ヶ浜と、もう一度声が重なる。

 くすぐったそうに笑う彼女だが、もう冷めてしまったマッカンをちゅ、とすすると、少し寂しそうに笑う。

 

「でもね、きっと“望まれてる答え”とは違うんだ」

「ほーん」

「……ほーんって…………あは、あははっ……もう、ヒッキーは……」

「いいだろ、べつに。誰が望んだ答えかは知らんが、それこそそんな見えないなにかの望みなんて、纏めて“全部”にしちまえばいいだろ。……その場所が居心地良い陽だまりみてぇな場所なら、素直じゃない猫だろうとイタチだろうと逃げたりゃしねぇだろ。魔王はどうか知らんが」

「? 魔王?」

「なんでもねーよ。それよりどうやって雪ノ下を口説くかだな。“雪ノ下”って家よりも由比ヶ浜を優先させるほどにゆるゆりして堕とすとか」

「ゆるゆり? なにそれ……ってかヒッキー!? 口説くってどーゆーこと!? あ、あたしのこと好きって言ったばっかなくせに!」

「そういう意味じゃねぇよ。口説くのは俺じゃなくてお前だ」

「? …………ふえっ!? あ、や、やー……あ、あぅ、えっと…………う、うん。だよねー……知らんぷりは、ずるいもんね。あは、あはは……えと………………うん。───あ、あたしも……ヒッキーのこと、好き、だよ?」

「───…………」

「……《かああっ……》」

「い、や…………その。お……お前が、雪ノ下を、って……意味だったん、だが……」

「!?《ボッ!!》」

 

 あら沸騰。可愛い。とか思ってたら缶を持った手で肩をパンチされる。

 

「先に言ってよ! バカッ! ~~……んっとにもう……!」

 

 そんなやり取りが、いつかの仲直りの日を思い出させた。

 それは由比ヶ浜もだったのだろう。顔を見合わせて、少しだけニヤッとした。

 

「…………あの首輪、まだ使ってるか?」

「…………うん、ありがとね、ヒッキー」

「………」

「………」

 

 お互い、顔を見合わせてくつくつと笑った。

 大声で、ではなく……なんというか、長い付き合いだから出来るみたいな、相手のしょうがない部分を理解出来ている……そんな笑い方だった。

 

「……うん。やっぱり、あたしヒッキーが好きだ」

「……おう。いろいろ悪かった。俺もお前が好きだ」

「でもね、ゆきのんも好き」

「そか。俺は雪ノ下とは友達になりたいな。既に二回断られてるが」

「……えへへ、全部欲しいなら、だよね?」

「まああれだな。雪ノ下母も雪ノ下に“自由に生きなさい”みたいなこと言ってたし、あいつが難しく考えすぎなだけだとは思うんだけどな。それを言質として扱うか、言葉通りに受け取らないかで雪ノ下の依頼の難度は格段に上下するな」

「うーん……ゆきのん、せーこーほー? しか選ばなさそう……」

「手に入れたカードを使うことはしっかりとした正攻法だ。そこんとこをきちんと説明してやれ。俺が言うと反発しそうだし」

「……そっかな。ヒッキーの言葉なら頷きそうだけど」

「マジか。じゃあ友達になってくれって───」

『ごめんなさいそれは無理』

「おい、まだ全部言ってねぇだ───…………おい」

「あ。あー……」

 

 なんですか今の声。

 じろりと睨むと、由比ヶ浜はうろちょろと視線を彷徨わせた。

 彷徨わせて彷徨わせて……行きついた先に、少し息を弾ませた雪ノ下。

 その手には……

 

「お前、電源切ったと思わせといて、通話しっぱなしでポケットに突っ込んでたのか」

「大事な話をするなら、って思って……ごめん」

「……はぁ。まあ、いいけどよ。同じ説明する手間が省けたし。……けどな、まあほれ、あれだ。お前が俺にどんだけ謝っても、俺とお前の告白劇はしっかり聞かれてるってこと、忘れるなよ」

「ふえ? ………………ひぃやあぁああああああああっ!!?」

 

 おい。こいつ忘れてたぞ途中から。

 涙を滲ませながら俺にマッカンを放り、雪ノ下の腕に抱き付く由比ヶ浜に、思わず溜め息。

 

「ゆ、ゆきのん忘れて! ゆきのん!」

「べつにそうしてほしいのならそれで構わないけれど。一色さんと財津くんのことは知らないわ」

「あうっ!? い、いろはちゃんは!?」

「せ~~んぱ~~い……いいんですかー、それで。先輩の本物って、そんな簡単に託せるものだったんですかー?」

「いろはちゃん!?」

 

 由比ヶ浜が雪ノ下に抱き付いているさなか、一色はなぜかぷくっと頬を膨らませながら上目遣いで文句を飛ばしてきていた。なんなのお前。フグの真似? ……言ったら怒られるな、これ。

 

「いいんだよ。俺も、今が居心地良いって気持ちに嘘はねぇし。それに、全部って言ったら全部だろ。答えを持ってるやつが居るなら、ブレないように俺達がしっかりしてりゃいい。俺が俺でいて、お前らがお前らならそうそう変わらんだろ。なぁ雪ノ下。“自分のことは自分で”。当たり前のことだろ?」

「……はぁ。ここであの時の仕返し? 意地が悪いわね、あなたも」

「お互い様だ。……だからその、よ。言葉遊びも出来るわけだし、そろそろ友達───」

「ごめんなさい、それは無理」

「だぁ! いい加減に諦めろよお前も……! 関係が曖昧すぎるだろうが……!」

「ふふふっ……ええ、無理ね。全部整理が出来たら、その時にでももう一度言ってちょうだい。いつになるかは、解らないけれど」

「はぁ……ですねー。でも、全部ってことは捨てるものがあっちゃいけないわけですし……ねー? せ~んぱいっ♪」

「なんだそりゃ……つか近い近い、なんなのお前、寒いんだったら由比ヶ浜みたいに雪ノ下に抱き付いてろよ」

「いいじゃないですか。あ、ところで先輩? 猫は解りました。魔王もまあ、なんとなく。イタチって……もしかして?」

「………嫌なら嫌でべつにいーぞ」

「仕方ないですねー、先輩がそこまで、どうしてもって言うなら───一色いろはっ、結衣先輩の“全部”に入っちゃいますっ♪」

 

 敬礼と同時にウィンク。おおあざといあざとい。

 あと宣言するなら由比ヶ浜に向けてしろ。俺にされたって知らん。

 

「で、具体的にはなにをどうしたら本物に辿り着けるんですかねっ」

「ん? おー、そだなー。………………雪ノ下の成長と自立を願う?」

「なに言ってんですか先輩、雪ノ下先輩にこれ以上どんな成長を望むって───…………あ」

「……一色さん? 今あなた、人のどこを見て、なぜ“あ”なんて言ったのかしら《ニコォオオ……!》」

「ひぃっ!? いやばばばべべべちゅ、べつになんでも、ないれひゅっ!」

 

 お、や、ちょっ、こらっ、人を盾にすんなっ、壁はいつだって俺の味方なんだから、わざわざ俺と壁の間に挟まってまで押すなっ!

 壁はすごいんだぞ、なんかもう壁さんって呼びたくなるくらいぼっちの味方なんだ。俺のテニスの相手もしてくれるし、疲れたら背もたれになってくれるし、苛立ちを受け止めてくれる相手にもなってくれる。

 ……あれ? なんかすごい虚しい。

 

「……比企谷くん」

「おう」

「あなたはもう、決めたのね?」

「ああ。お前ももう、決めちまえ。難しいことだろうとなんだろうと、雪ノ下さんがなんて言おうと、決めるのは、決めていいのは自分だって思い込んじまえ。自信が持てねぇなら俺の所為にしたってべつにいいだろ。そうやって、まずは歩いてみりゃいい。……俺もたぶん、こじらせていたなにかを憧れに引っ張ってもらった部分もあるからな」

 

 勝手に憧れて勝手に失望したいつかを思い出す。

 ……やっぱり、知らず変わってるもんなんだ。俺も、お前も。

 けど、しゃーないだろ。延々とぼっちを名乗るには、俺達の周りには“いい人”が多すぎた。

 

「憧れ……そう。そうね。……比企谷くん、由比ヶ浜さん」

「お」

「うんっゆきのんっ!」

「いえ……まだなにも言っていないのだけれど……」

「いや……俺も“おう”の“お”しか言えてないんだが……」

 

 どんだけ期待してたのお前。散歩待ってた犬みたいに、リード手に取った途端にひゃんひゃん言うんじゃありません。あ、それ預かってた頃のサブレだわ。

 

「………」

 

 早いもんだなって思った。同時に、短いとも思うのに……大切なものは増えていた。

 自分の世界なんて、自分と小町だけだと思っていたいつかが懐かしい。

 それでも変わるきっかけを求めてこの高校を目指して……一年で期待しない自分を作り上げて、二年でこいつらに会って……こんな感情を抱けるまでの付き合いになって。

 関係なんて薄っぺらいほうが楽だってスタンスは今もきっと変わらない。

 ただ、こんな奇妙な人間関係でも、大切に思えるくらいには自分は変わったのだ。

 もうまちがえない、今度からは必ずなんて言葉は意地でも吐かない。まちがえても必ずじゃなくても進めた先にこんな関係があったなら、俺はいつかの自分のように、ここまで歩いた過去を肯定したい。

 

「とりあえず、まずは雪ノ下さんを味方につけるか」

「姉さんを? 無理じゃないかしら」

「基本あの人はなにもしないくせに、人の壁になることは“あんたいつから居たの”ってくらいいつの間にか居て、的確にしてくるから、この話を知らないにしても話は通しておいたほうがいいだろ」

「……はぁ。面倒な姉でごめんなさい」

「でもヒッキー、味方になんて出来るのかな」

「正直に全部ぶちまければいいだろ。それ以外なんにも出来ん。考える基本なんか早々変わらないだろうしな」

「変わんないって?」

「俺達がどれだけ、なにをしたって、雪ノ下さんにとっては茶番劇にしか見えないってことだ。ガキが青臭い青春やってるなーって、その程度だろ」

「うわー……はるさん先輩ってそんなにすごい人だったんですか……」

「すごいっつか……強烈?」

「よく解らないけどすごい合ってる気がします……」

 

 あの人は揺れないしブレない。

 俺達が何を言ったところで自分を変えないし、説得は出来ないだろう。

 ただ、説得は出来なくても敵にさえしなければいい。俺達が変わらず“面白い存在”であるなら、あの人は潰しにはこないだろう。

 

  雪乃ちゃんはまた選ばれないんだね

 

 ……あの言葉がどう転ぶかは気にしない。

 俺はもう選んだ。選んだなら……ブレるのは違うだろ。

 

「ん……そろそろ完全下校時刻だな。んじゃ、積もる話はまた今度だな。いい加減寒くて風邪引くわ」

「そうね。今日はここまでに───」

「ゆきのん! 遊び行っていいっ!?」

「い、いえ、由比ヶ浜さ───」

「あ、じゃあ今日はゆきのんがあたしの家に来るとか!」

「……話を聞きなさい」

「あのー……もしかして先輩も行くんですか?」

「行くわけねぇだろ……家帰って小町と話して風呂入って寝るわ」

「でた、シスコン」

「うっせ。着ていく服とか考えねぇとだろうが……」

「あぅ…………そ、そっか……えへへ、そっかー……」

「……もはや隠しもしないのね」

「あ? なにを」

 

 ……? なんかいきなり隠すがどうとか言われたから訊ね返してみると、深く深く溜め息を吐かれた。

 え? ……もしかして声に出てた?

 

「なんだか私、比企谷くんに大事な話をすることが怖くなってきたわ」

「わたしもです……結衣先輩、ほんとに先輩でいいんですか? な、なんでしたらそのー……」

「うん。あたしさ、なにがダメとかアレがいいとかじゃなくてさ、ヒッキーだから好きなんだ。だから……だめ。ヒッキーじゃなきゃやだ」

「…………。先輩の幸せもの。エセぼっち。すけこまし」

「いつ誰が誰をコマシたんだよ……」

「こほん。では私も。……ばか、ボケナス、八幡」

「だから八幡は悪口じゃ───……なにお前、それ気に入ったの?」

 

 訊いてみれば、雪ノ下は楽しそうにくすくすと笑った。

 ……ほれ、笑える今なんて、案外転がってるもんだ。

 だから、まあ。今しかない、今しかできない、今しか起こらないなにかを掻き集めて、青春ってものを楽しもう。

 今は───

 

「あ、先輩のことよりもほら、あれですよ。歌、考えてください」

「いやいいだろそれもうさっきので。俺もうその夢捨てるから、永遠の匿名ソングとして一色が発表してくれ」

「いやですよあんな歌ー!」

「おい、あんな歌呼ばわりだけはやめろ。あんなんでも一応考えて作ったんだぞ、3分くらい」

「3分ぽっちなんだ!? さ……あれ? ねぇゆきのん? 歌考えるのに、3分って長いの?」

「圧倒的に短いわね。作詞作曲家の人に謝りなさいと言えるほどに」

「お前3分ナメんなよ。3分ありゃアニメだってドラマだってピンチから逆転出来るだろうが。考える時間として十分すぎるじゃねぇか。チキンラーメン鍋で煮てみようと思って、つい3分やったら鍋の場合は1分でよかったことに後になって気づいたとか絶対俺だけじゃねぇだろ」

「なんか関係ない喩え出てきた!? てかヒッキー! ちゃんとご飯食べないとダメ!」

「いや、ただの小話であって、べつに本当に食べてるわけじゃねーっての……なにその心配の仕方。お前は俺のかーちゃんかよ」

「かっ!? な、なに言ってんのヒッキー! か、かーさんだなんて……」

「あー、居ますよねー、奥さんのことかーさんとか言う夫」

「落ち着きなさい由比ヶ浜さん。彼はかーちゃんと言ったのよ」

「あのー、そろそろ我も会話に混ざっていいかなー……」

「いや、もういいだろ……収拾つかなくなるからもう帰らない……?」

「……言う割りに、ヒッキー楽しそうじゃん」

「お……───、……ま、そうだな」

「あれ? 八幡? ちょ……八幡!? はちまーーーん!?」

 

 今は……ああ。今は、それでいい。

 今は今しか出来ないことを、片っ端から、だ。そんで全部やって、今出来ることが終わったら、こうして揃って息を吐こう。

 それからでいいだろ、他のなにかを探すのは。

 そういうもんで、いいんだと思う。



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壊れない“全部”のカタチ③

 ───そして、時は流れ。

 何度の“今”を越えた先になるのかも数えなくなった、ある秋の日。

 

 

 

 

 カランカラン……

 

「へいらっしゃい」

「なにそれ、魚屋?」

 

 小綺麗な喫茶店。その扉を開けて入った客に、グラスを磨きながら対応する。

 

「ひゃっはろー、比企谷くん。久しぶり」

「一年ぶり、くらいになりますか」

「そうだね。開店祝いで会ったくらいだったもんね。あ、MAXコーヒーひとつ」

「へーい」

 

 カウンターの席にちょこんと座った雪ノ下さんは、あの頃からさほど変わらない容姿のままコロコロと笑っている。

 胡散臭い仮面のような笑いも今は消え、随分とまあ可愛いと思える笑顔だ。

 

「どう? 人の秘書の誘いを蹴ってまで作った喫茶店は」

「これでも繁盛してますよ。まあ、今は暇な時間ですが」

「繁盛ね。それは、コーヒーの腕で?」

「……明らかに看板娘狙いでしょ」

 

 言って、ほら、と視線を向ける。

 そこにはトレードマークのお団子を揺らす、“黒髪”の女性。

 客から注文を取って、ぱたぱたと戻ってくると、雪ノ下さんに気づいていつもの挨拶を「やっはろーです」とした。

 ああほら、あんま走んな。お前体調良くないんだろうが。

 

「おひさー、ガハマちゃん。ごめんねー、旦那借りちゃって」

「……あげませんからね?」

「あはははは、安心していいよーガハマちゃん。大丈夫大丈夫、“ちゃんと選んだ人”は要らないよ。決められなくて、怯えながらも抗ってるコをいじくるのが面白いんだもん」

 

 高校二年のあのまちがいだらけの青春真っ只中、ある意味で一番騒がしかった頃、それはもう大変な悶着があった。

 言わずもがな、雪ノ下と雪ノ下家の衝突である。いや、本当はあっさり終わる筈だったんだよ? 好きに生きなさいとママのん……もとい、雪ノ下母が言ったように、雪ノ下は自由に生きていいとのことだった。

 それだけならよかったんだが、それまで黙っていた雪ノ下さんが“じゃあわたしも!”とかほざき始めるからまあ大変。

 ママのん怒っちゃって、“あーあ”とか思ってたら雪ノ下さんが人の腕に抱き付いて、「わたし、この人と駆け落ちするの!」とか爆笑しながら言い出して。

 声を荒げてしまったことを恥じて、お茶を口に含んだママのん、大噴火。主にお茶を。

 それまで喋らなかったパパのん、ほお、今時の男にしては度胸が……だのぽしょぽしょ言ってるし。あの、それ多分俺くらいにしか聞こえてませんでしたよ。

 そこからは結衣も激しく参戦し出すし、雪ノ下も一歩も引かずに“雪ノ下さんに”口撃を始めるしでひどいもんだった。仲介役としてその場に居た葉山、完全にとばっちりである。

 けどまあほらあれだ……なに? 一応、一応……話し合いにはなったんだが、いやーママのんひどかった。なんつーか、面倒ごととかをとことん人に押し付けようとすんのね。落ち着いた雰囲気があると思ってたのに、中身は案外子供っぽかったよ。だからだろうか。しっかりと話してみれば、あら不思議。個人的には雪ノ下さんほど怖くなかった。

 だからきっちりと、聞こえるように、理解出来るようにみっちり説明、教え込んだ。

 ママのんに感じたものは幼稚さ……だろうか。きちんとした経営者なのに、相談とか苦手だし人との会話は雪ノ下父のみ。ああ、こりゃ娘たちがいろいろと苦労するわけだと呆れた。

 

「随分吹っ切れましたね」

「いやーもう、母さんの前で冗談に走るのがあんなに楽しいとは思わなかった。なんでもやってみるもんだね。怖いとか思ってたのなんて、わたしと雪乃ちゃんくらいだったのかもしれない」

「まあ、そうですね。じっくり話し合ってみりゃ、解らないでもなかったわけですし」

「そうそれ。それが一番驚きだった。まさか母さんが比企谷くんのこと気に入るとはねー」

「………」

 

 昔から、子供にゃ好かれてたんですよ、とは言わない。

 ただまあ、金持ちってのは普通じゃないってことなんだろう。親でもなんでも。

 忙しすぎて子供に構ってやれない親は、親としての本能が芽生える前に子供が成長してしまい、“親”としての覚悟も芽生えないままに親をするハメになる、とかどっかで見た気がする。

 そうなると接し方も解らないし、子供を理解しようとする意欲も湧いてこなくなるんだそうな。ほら、なに? 気づけば大きくなって、常識も知っていた子供が居たが、自分の子供って“常識的”には考えられても、手がかかるけど可愛い子、みたいな気持ちは浮かばないんだそうだ。

 おそらく、ママのんはその典型。だから厳しくするか自由にさせるかという両極端な選択しか出せない。

 

「あ、で、雪乃ちゃんは?」

「一色と菓子作りしてますよ。今日はコーヒーが多いんで」

「あー、お姉ちゃん失敗しちゃったかなー。紅茶頼んであげればよかったかも」

「どっちも飲んでくれると喜びますよ。俺が。……ほい、MAXコーヒー」

「ありがと。……《ちゅるっ》うっは! 甘っ!」

「MAXですからね」

 

 この店のコーヒーは俺が淹れている。

 いろいろ勉強していろいろ面倒ごとも起こして、いろいろ経験して、あれこれやった先で今がある。

 軽く説明するとそんな感じだが、一番の衝撃だったのはやっぱり3年の頃のアレだろう。

 高校3年のとある日。由比ヶ浜マに家に招待されて、行ってみたらハッピーバースデー。思考がフリーズしているところにあれこれ言われて、気づけば判子をこう、ポンと押していて、結衣が比企谷結衣になっていた。

 あれに勝る驚愕はなかった。まあ、お陰でヘンに度胸はついたが。心の中にそれまで以上の覚悟が芽生えて、どこかに残ってた“子供のままで居たかった”みたいな気持ちが薄れたしな。お陰で頑張れた。余所見をせず、しっかりと結衣との先を見つめていられた。

 ……それとは別に心配ごとはあったんだけどな。

 だってなぁ……学校行く度に平塚先生が……なぁ……。

 

「……充実してますか?」

「今の自分に文句はないかな。うん、楽しんでるよ? そっちはどう?」

「これで不満言ったら罰当たりもいいとこでしょ」

「そっか。うん」

 

 まちがいだらけの高校生活は───まちがってしまえば関係が壊れるのではと心配していた俺達の関係は、今もまだ続いている。

 雪ノ下が紅茶を、一色がお菓子を、軽食等は俺か雪ノ下か小町が、小町と結衣がウェイトレスを担当する今は、随分と穏やかだ。

 選んでしまえば他を切り捨てるしかないのでは、なんて心配も必要なかった。

 人との関係なんて薄っぺらだ、という認識は……数人の女性たちにあっさりと崩されたわけだ。

 最初は構わずぼっちでいさせてくれ、なんて考えていたもんだけど……もちろん今じゃ感謝してる。そんな自分から切り離してくれてありがとう、だ。

 

「きちんと“選んだ”のに、それでも人が去っていかないって凄いことだよ? 比企谷くんはもっと胸を張っていいんだぞー?」

「胸を張るべきは結衣でしょ。俺達はあいつに全部押し付けただけですし」

「ガハマちゃんかー……正直あそこまで積極的に動ける娘だとは、最初は思ってなかったんだけどねー……」

「そりゃ見る目がない。あいつは俺達の中で、一番成長が早かったんですから」

「あっははは生意気だなぁ。ま、でもいいや。わたしにはそれが掴めなかったんだから、うん。わたしの負け」

「勝ち負けの問題だったんですか……」

「いーからいーから」

 

 けらけら笑って、MAXコーヒーをすする。

 「うわ甘っ! あははははは! 甘っ!」と元気に笑う姿は、あの頃に見たこの人よりもよっぽど子供に見えた。

 ……ああちなみに、うちのコーヒーには甘さ設定がある。

 社会に疲れた者が望む甘さの段階を、ということで。

 

「まあその、いろいろ助かりました。旅費とか」

「それは母さんに言ってね。バリスタの修行をしたいって話を聞いて、勝手に張り切ったのは母さんだし」

 

 喫茶店経営ってのも楽じゃない。いや、経営よりもなによりも開業が大変だった。

 高校の内に出来るだけコーヒーに力を入れている喫茶店にバイトしに行ったり、コミュ障克服のために頑張って会話をしてみたり、話を振られればパッと返事出来るようになるために情報を集めたり……と、あの時で言う“今まで”ならほぼやらなかったことのオンパレード。

 それでもなりたいものがあったから、あとは根性だ。

 

「借金返済はのんびりとでいいそうだよ? よかったねー、比企谷くん」

「……感謝します。借りを作ったのはあくまで雪ノ下の母親に、ですけど」

「ほんと可愛くないなぁ」

「一応仕事中ですんで」

「客と華麗に話をするのもバリスタの仕事じゃない?」

「結衣が睨んでるからだめです」

「むー……。まあでも、早い内に選んでくれてよかったよ。ずるずる引き延ばして女の子を待たせる男って、ほんとクズだし」

「運がよかっただけですよ。きっかけがあったから大切なやつらに出会えました。……まあその、轢いてくれてありがとう、とは言えませんけど」

「うん。今度都築に伝えとく」

「やめてください」

 

 思えば、随分と笑顔でいられる時間が増えた。

 高校、大学と面倒ごともあったが、それでも俺達は俺達で居られた。

 当然、目的のために一度別々の道へ、なんてこともあったが……“そういう関係がどこまで続くのか、見てみたい”という雪ノ下さんの口添えもあって、金銭的な問題は借金という形で“雪ノ下”が負担。

 そうなれば挫折なんて出来るわけもなく、全員が全員夢に向かってまっしぐら。

 そうして完成した現在が……この喫茶店だ。

 客層も若い人からお年寄りまで様々。あまり騒がないように、が一応のルールなんだが……やかましいやつはやかましい。

 ほれ、最近じゃネタに困ると現れるようになった、あっちの男とか特にそれな。

 

「八幡っ! 原稿が上がったぞ! 添削を頼む!」

「いや添削くらい自分でやれよ……って、今日戸塚は?」

「う、うむ。そろそろ来るな。おお八幡、我はLowコーヒーで頼む」

「遠慮すんな。MAXサービスするぞ」

「眠りたくないでござる! 溜めているアニメがあるから絶対に眠りたくないでござる!」

「摂取するカフェインの量は甘さで変わらねぇよ……」

 

 甘さを選べる、という方法を選んだのは結衣だ。

 辛さブームに対抗して、甘さブームとかどうかな! とか。

 実際やってみりゃ、人生の苦さを甘さで中和したい我が同胞が案外居て、八幡嬉しかったり。集えよ我が同胞! 王の軍勢とか使えたら、世界に疲れた甘さを欲する猛者たちばかりが集いそう。

 

「《カランカラン……》おじゃましまーす……あ、はちまーん!」

「おう戸塚。材木座ならそこだぞ」

「しひぃっ!? へへへ編集者様っ、頑張って書き上げたので、どうか甘めな判断を……!」

「大丈夫だよ、まだ締め切りとかじゃないんだし……あ、じゃあ見せてもらっていいかな」

「……へー、あのコ、編集やってるんだ」

「ええ。知り合いに誘われたとかで。……で、誘った知り合いは編集者にはなれなかったっていう苦い現実がプラスされてます」

「あっちゃー、そりゃ辛い」

 

 あの。雪ノ下さん? 辛いって割には笑ってますけど?

 

「あ、さいちゃんっ! やっはろー!」

「やっはろー、ゆいが、えと、ひきが……えと」

「……戸塚、比企谷で頼む」

「うんっ。やっはろー、比企谷さんっ」

「えへへ、なんか照れるね」

「それな。……高校じゃずっと由比ヶ浜さん、だったからな」

 

 高校で既に婚約済みで、しかも比企谷さん呼ばわりはいろいろと問題があった。

 ああその、なに? カーストがどうとか以前の問題な。

 けどまあそれももう過去だ。いろいろあった、で済ませられる。

 苦い経験も辛いことも、……楽しいことも、だ。

 

「あーあ、ほんとまいっちゃうなー。こんなの見せられたら、ほんと羨ましくなっちゃうじゃない」

「なにがっすか?」

「んー……“本物”?」

「ああ、なるほど。まあ、あれです。答えを見つめていられるヤツがしっかりしてりゃ、まちがってでも辿り着けますよ」

「うわ、ほんとむかつくそのドヤ顔」

「当店のサービスです」

「クレームこない?」

「さあ。雪ノ下さんにしかやったことないんで」

「たっぷりのいらないサービスをありがと、比企谷くん。まあいっか、負けちゃったなら今日はなに言われても受け取る。……本物かぁ。わたしももっと、静ちゃんを信じてれば……」

「その前に振り回されてもついていける知り合いが居たかどうかでしょう、雪ノ下さんの場合」

「……ねぇ比企谷くん。なんであと3年、早く産まれてこなかったのさ」

「知りませんよ。両親に言ってください」

 

 ミルをゴ~リゴ~リと動かす。いつやってもこれ、なんか和む。俺だけか? 俺だけか。

 ゴリゴリ和んでいると、奥からひょいと結衣が顔を出して、声をかけてくる。

 

「ヒッキー、そろそろまかない作るけど、食べたいものとか……ある?」

「好きに作ってくれー。愛するお前の手料理なら全部食べるぞー」

「なバッ!? も、もうっ! なに言ってんの!? ばかっ! ヒッキーのばかっ! ばっ……~~~~……うん、がんばる」

 

 そして引っ込む。可愛い。

 

「……未だにヒッキーなの?」

「焦るとたまに言うんで、からかってます」

「普段は“八幡”なんだ。そりゃそっか」

「いえ、営業中は大体ヒッキーなんですけどね。あいつが望んだのが“全部”なんで、ここはそういった場所なんです。……呼び方云々で言えば一時期、“はーくん”だった時もありますよ。周囲からバカップルって言われまくって、やめましたけど……ほい、豆かん。これはほんとにサービスです」

「えー、わたし今シブいものの気分だったのにー」

「大人用の渋めの蜜もあるんで、それ、試してみてください」

「……なんか、言おうとしてたこと見透かされてるみたいでむかつくなぁ」

「学生時代の俺から見た雪ノ下さんは、まさしくそんな感じでしたよ」

「ふーんそっかー、わたしそんな風に見られてたんだー。……ああ、まあいいんだけど。それよりさ、ガハマちゃん、料理苦手って聞いてたけど……大丈夫なの?」

「上手くなりましたよ? つか、あいつの手料理が好きなんで、なんの問題もありません」

「へー! え、なに? どうやったの? 失敗したらおしおきー、とか?」

「主に俺が腹痛と気持ち悪さと妙な頭痛に耐えるかたちで。不味いものは不味いとハッキリ言って、雪ノ下とお義母さんとの監視の下での特訓とか、同棲中にいろいろ」

「……好きな人のためなら、かぁ。……ん、こりゃ認めるしかないね。ガハマちゃん、強いや。あの頃はおどおどしててなんだかなぁって感じだったのに……ほんと、成長したんだね。……ふふん? けどそれって、誰のお陰なのかなー……?」

 

 誰の、ね。

 カウンターに肘を立て、組んだ指に顎を乗っけて訊ねてくる雪ノ下さんに、俺はフッと笑って返した。

 

「そりゃ、あれです。出会えた“いい人”全員でしょ」

「───……」

 

 言われた言葉にぽかんと口を開いて固まる。

 それがおかしかったので、ちょっと乗り出してそんなお口に新作のケーキを小さく切ったものをかぽりと突っ込んだ。

 

「ふむっ!? ん、んん……甘っ!? あ、でも…………うわ、なにこれ美味しい……!」

「一色の新作ですよ。あいつも感謝してましたよ? “修行期間は地獄の苦しみを味わいましたが、学べたことは至宝です”って」

「……なんかもう、この喫茶店の従業員はわたしが育てたー、とか言いたくなっちゃうね」

「言っていいと思いますよ? そもそも金銭面でのバックアップがなけりゃ、こんなに早く夢の実現なんて出来なかったんですから。……まあ借りは雪ノ下母のものですけど」

「いちいち一言多いと嫌われるよ?」

「あんまり女性と話してると結衣が拗ねるんで、嫌われるくらいが丁度いいんじゃないですかね」

「ふーん…………そういえば、目の濁りも今じゃ全然だね」

「あぁ、高校の時の知り合いに会うと、それ大体言いますよ。中には俺だって解らないヤツとか居ますし」

 

 葉山とか固まってたしな。あれはけっさくだった。

 

「それもやっぱりガハマちゃんのお陰なのかな?」

「さあ。俺にしてみればいきなりだったし、気づいたらいつの間にかだったし。ただまあ戻せってんならいつでもこう、世界を憎んで自分を諦めようとすれば……《どよ、どよどよどよ……》」

「あははははははは! すごいすごーい!」

 

 あ、なんかウケた。でもこれって一度やると中々戻らんのだ。

 人間、ショックすぎることが起こると白髪になるとか言うけど、俺の場合は意識して目を腐らせることが出来る。

 客の間でも地味にウケているんだが……そう、中々戻らん。

 そういう時は眼鏡をつけて誤魔化すんだが……

 

「八……あ、えと。ヒッキー、まかない───あー! ヒッキーまたアレやったでしょ! 目が腐ってるよ!?」

「《ぐさっ》ぐふっ……いや、旦那に面と向かって腐ってるってお前……」

「もうやっちゃだめだって言ったでしょ!? ……幸せなの、否定されてるみたいでヤなんだってば……!」

「うぐっ……わ、悪ぃ……」

 

 恥ずかしげに顔を覗かせてきたと思ったら大激怒である。悪いことをした。

 しかしいつも通りと言えばいつも通り、結衣は俺の両頬に手を添えて、自分と目を合わせるようにして固定。

 しばらくじーーーっと見つめ合ってから、キスをして、深く深くキスをして、やがて離れる。

 

「…………う、うん。はい。……あぅう、やっぱりいつまで経っても慣れない……!」

「ば、ばっかお前、いい加減キスくらい慣れろよ……」

「キ、キスじゃなくて! ~~~……もう、ばかっ! 今度やったら本気で怒るからねっ!?」

 

 言って、ぱたぱたと走っていってしまう。

 ……あれ? まかないは?

 

「見せ付けてくれちゃって。なに? あれって客へのサービスかなんか? ───……って、え?」

「人前でのキスがサービスなわけないでしょう……」

 

 失敗したな、拗ねてるの治すの、大変なんだが。

 とか思ってたら雪ノ下さんが固まっているのに気づく。え? なに?

 

「“キスじゃない”って……あー、ガハマちゃん……ぷふっ、……そっかそっかー、なるほどねー……」

「なんですかそのニヤニヤした顔……」

「うーうーん? ただ、比企谷くんにとっての世の中のドス黒さなんて、キス一発でどうでもよくなるくらい、ガハマちゃんのことが好きなんだなーって」

「ええそりゃもちろん好きですよ。好きじゃ足りませんね。愛してますよ。むしろ愛以上の表現がないのが悔しいまであります」

「……比企谷くん、シスコン卒業してから恋人をダメにする男になったよね。何年経っても恋人気分で一緒に居られるわけだ。そのくせ妻としても大事にしてもらえる、か。雪乃ちゃんの代わりに、わたしが3年遅れて産まれてたらなぁ」

「やめてくださいよ。ここ潰したいんですか?」

「なんなら代わりに紅茶、淹れてあげよっか?」

「味が胡散臭くなるんでやめてください」

「あっはははははは!」

 

 ほんと、楽しそうにしながらもどこか胡散臭かったあの頃とは違う。

 笑い方も本当に楽しそうだ。

 

「“雪ノ下”の経営状況は……って、訊くまでもないですね」

「そうだね。わたしもなりたいものに勝手になったし、母さんたちも今は信頼出来る人に経営任せてのんびりしてる。まあ、裏切れば自分が消えるだけって状況でそれを出来る馬鹿なんて、そうそう居ないけどねー。……そんな馬鹿には少し心当たりがあったりするけど」

「人を見てニヤニヤしちゃいけません。つか、腹減ったんで雪ノ下と交代します」

「えー? こんな可愛いお客さんほったらかしにして、ご飯優先しちゃうのぉ~~?」

「甘えた声出さんでください。結衣じゃなきゃ嬉しくないんで」

「うわっは、店主まで甘いとかほんとここアレだね。……あー、でも解るなー、お店の名前、そのまんま。以前は嫌ってたけど、今じゃ嫌いじゃないよ、名前」

「そっすか。そりゃよかったです」

 

 言って、コーヒーのおかわりをサービスして奥に引っ込む。

 思い返せばしみじみ。ほんと、いろいろあった。

 いつかの夏に留美にも言ったが、学生時代の友人知り合いその他との交流が、そこを卒業しても続くのは奇跡に近い。

 連絡を取り合っていても、いつかは日々の暮らしに忙殺され、消えてゆくものだろう。

 それでも目的や夢があったから、苦労してでも掴めた今がある。

 ……つくづく、“全部”を欲してくれた彼女には感謝だ。

 欲張れば壊れてしまう。そんな恐怖を抱きながらも、全部を望んでくれた。俺が欲した本物も、雪ノ下が欲した本物も、だ。

 誰かが欲したものの先ではそれが得られない、なんて誰が決めたんだろうな。俺も雪ノ下もそれに気づけなかったから一歩が踏み出せなかった。

 踏み出してみれば……世界は案外簡単に広がってくれた。狭い部室から踏み出した世界には不安ばかりが存在していて、それでも辿り着きたい場所があったから頑張れた。

 その先にある今が、こんなにもありがたく、嬉しいものだなんて。

 本当に、“有り難い”未来だった。

 

「比企谷くん。由比ヶ浜さんが顔を真っ赤にして引っ込んでしまったのだけれど……あなたまたなにかしたのかしら」

「なんで毎度俺が悪いことになってんだよ……いや俺が悪いんだけど。雪ノ下、悪い。雪ノ下さんが来てる。俺まかない食べたいから、接客いいか?」

「姉さんが……?」

「一応客なんだから、そのうげぇって顔やめてやれ……」

「はぁ……」

 

 溜め息を吐きつつ出て行く雪ノ下を見送り、奥へ。

 休憩室ともミーティング室とも呼ばれている寛ぎの空間には、長机と椅子が存在している。

 喫茶店の中にあるくせに奉仕部、と呼ばれているそこは、従業員の憩いの場だ。

 

「あ、せんぱーい、遅いですよー! 結衣先輩が呼びに行ってからどれだけ経ってると思ってるんですかー!」

「おー、悪いな。魔王が来てる」

「はるっ!? ……は、はるさんせんぱいデスカ……な、なら仕方ないデスネ。ハイ」

 

 一色は未だに俺を先輩と呼んでいる。なんの先輩なんだかもう謎だ。

 しかしながら、菓子作りの修行もして個人経営をする実力もあるんじゃねぇのってくらいの菓子を作れるようになっても、ここで菓子を作ってくれているやさしいヤツだ。

 

「べつに待ってなくてもよかったのに」

「みんなで食べるから美味しいんですよ。わたしとしては全員で食べたいんですけどねー」

「店からっぽにするわけにゃいかんだろ」

「だから休憩時間、作りましょうって言ってるじゃないですかー」

「あほ、俺達がメシ食いたい時間は、客だって食いたい時間なんだよ」

「だったら昼のあとに急激に暇になる時間、休憩にしちゃえばいいんですよ」

「休憩時間作ると、客足が減るっつーしな……難しいんだよ。つかそれ、お前が休みたいだけだろ」

「てへっ☆」

「あーへいへいあざといあざとい」

 

 長机の端っこ、俺の定位置には、結衣の料理が置かれていた。

 その前に座り、ちらりと見れば、結衣の定位置に料理。

 

「……結衣ー、来ないと食べちまうぞー」

 

 呼んでみるとすぐ来る。

 奥の備え付けのキッチンから顔だけ出して、俺をじーっと見つめてくる。

 

「……先輩。また目、腐らせましたね?」

「……お前さ、毎度だけどなんで解んの? 今眼鏡つけてんのに」

「気づいてないのは先輩だけってことですよ。結衣先輩が真っ赤になってあんななるの、先輩の目が原因の時ばっかじゃないですか」

「………」

 

 そうかも。

 とりあえず埒が明かないので手招きをすると、おずおずと近寄ってくる。そして料理が乗ったトレーを持つと移動させ、椅子もガタガタと移動させて俺の隣に座った。

 

「えへへへぇ♪」

 

 この笑顔は変わらない。むしろいつかよりもよっぽど幸せそうに笑ってくれる。

 それはたぶん、そこから“周囲に合わせた笑顔”が無くなったからなんだと……そう思う。

 

「はぁ、ほんと、先輩たちってどこでもあまあまですよねー……人生が苦いからってマッカンが好きだったのに、人生まで甘くなってちゃ世話ないですよ。いっそ好物とか変えますか?」

「いいんだよこれで……人生ぬるま湯が一番だろ」

「ぬるま湯ですかー……最初見た人、絶対ここが喫茶店って思いませんよ? なんですか、ケーキとコーヒーと紅茶がとっても美味しいぬるま湯、って」

「あ、うん。あたしもお店開く前、優美子に言ったら“銭湯でも開くん?”って訊かれたし」

「“ぬるま湯”なくせしてお客すんごい入って、のんびりどころじゃないですし。ピーク時なんて熱湯じゃないですか。全然ぬるくないです」

「忙しいよねー。ねぇヒッキー、バイトとかパート募集とかしないの?」

「結衣先輩、下心しかない人なんていりませんよ。面接に来た人、みぃんなわたしや結衣先輩や雪ノ下先輩のことじろじろニヤニヤ見てきてましたし」

「あ、あはー……でもあたし、ヒッキー一筋だし……」

「なんですか幸せそうにうっとりと指輪撫でて自慢ですか幸せ自慢ですかうらやましいのでやめてくださいごめんなさい」

「なんかごめんなさいされた!?」

「そうだぞ結衣。お前が俺一筋だとしても、バイトどもが結衣を下心満載の目で見るとか俺がそいつの目を潰すわ」

「先輩さすがにそれはどん引きです」

 

 ほんとに引いた。が、「気持ちは解りますけど」と続けてくれるだけで十分だ。

 ともあれ、食事だ。

 散々と不味さを噛み締め、腹痛に耐え、嘔吐感に襲われながらも耐え抜いた末、結衣の料理は完成へと到った。

 未知の料理は相変わらず危険だが、それでも美味い。

 なにを入れればどんな味になってしまうのか、というよりはこれを入れてしまえばヒッキーがお腹を壊す、みたいな方向で覚えてくれたらしく、自分用に作るとたまに失敗する。

 けどなぁ……そんな覚え方、身に付け方が嬉しくてなぁ……。ああほんと、俺こいつにあまあまだわ。ユイコン言われても一切否定できない。

 

「休みの日とか二人ともすごいですからねー……なんですかあのラブラブ空間。見てるだけで歯が抜け落ちそうですよ」

「言っておくが俺は好きなものをハッキリ好きと言える男だぞ。じゃなきゃリア充の前でプリキュア歌えるかよ」

「そのハッキリさを人間関係に向けられたら、どれだけ人が悩まずに済んだと思ってるんですかー……」

「それはすまん。わりとマジで」

 

 結衣が散々と苦労したのを知っている。主に俺の性格でだ。

 だからそれは素直に謝る。謝りつつ、手を合わせていただきます。

 

「んむ……ん、んんー………………うまい」

「先輩ニヤケすぎですキモいです」

「お前さ、人が一口目を食うたびにそれ言うの、やめない? いいじゃねぇかよ美味いんだから」

「えへへ……えへへへへへぇ……♪」

「ほれ、結衣もとろけてるぞ。言ってやれ」

「結衣先輩は可愛いからいいんです」

「おい」

 

 俺の“美味い”発言に、両頬に手を当てて、てれてれと照れる結衣。

 いつものこと、と言ってしまえばそれまでだが、どうにも慣れないし慣れたくない。こんな初々しさが続けばいいなと思っている。

 

「は~~……でもですよ、せんぱい。このお店で一番忙しいのって、たぶんわたしですよね?」

「誰でもそう思ってるもんだぞ? なんなら雪ノ下と交代して紅茶淹れてみるか? それともコーヒー? 言っておくがな、一番忙しいのは結衣だぞ」

「あー……男連中からの下卑た視線としつこいナンパと鬱陶しいアピール、連絡先教えてとか仕事のあと暇? とかのアレですか……。目ぇ腐ってんじゃないですかね、そんなことは結衣先輩の指を見てから言ってほしいです」

 

 ちらりと見れば、きらりと光る指輪。俺が結衣に贈ったものだ。

 

「お前があざとい顔で接客すれば、全員釣れるかもだぞ。そしたら結衣も平和で俺も安心」

「うっわ最低ですね先輩。……でも、忙しさについてはまあ納得です。最近、先輩のほうにも言い寄る女性とか居ますしねー……」

「雪ノ下には葉山からのアピールが凄いしな……つか、あいつ三浦とはどうなったんだよ」

「結局はのらりくらりなんじゃないですか? そういう対象じゃないなら、ちゃんと選んだこととか教えてあげなきゃ辛いのに……」

「そういうもんか」

「そういうもんです。気づかない人とか、気づいてもそれをステータスとか思ってる人は最低ですね。その点、先輩なんてまさかの学生結婚……あ、婚約ですか。でしたもんねー。あれは驚きました。でも……これ以上ないってくらいの“選択”だったと思います。あとは、先輩のことが気になっていた人が“どう吹っ切るか”の問題だったわけですし」

「……そか」

 

 そう言う一色は楽しそうだ。

 浮いた話題はないのかー、とは言わない。

 仕事が忙しくてそれどころじゃないだろうし、そもそもそういうものを望んでいるようにも見えなかった。

 それは……たぶん、雪ノ下も。

 

「まあ、わたしは結衣先輩の“全部”のひとつですし。なんかもう結衣先輩がもらってくれたらそれでいいんじゃないですかね」

「おいやめろ。人んところの愛妻をそっちの道に引きずり込もうとしてんじゃねぇよ」

「そ、そうだよいろはちゃん。あたしはその、ヒッキーのだし……」

「お、おい……」

「え? あ………………でも、えと…………だよね?」

「………………」

「………」

「…………お、おう」

「…………《かぁあ……》」

「なんですかこの空間ぶらっくこぉひぃのみたいです……」

 

 いいじゃねぇか、甘いの好きだよ俺。愛してるまである。

 他人を見ては爆発しろって言ってた俺だが、なるほど、これはそう思われてでもそこに居たくなる。

 

「まあ、あれですよ。わたしもいろいろまちがった青春してたかもですけど、その時の“今”でしかすることの出来なかった恋は、きっと忘れません。そこに居たのが、やってくれたのが別の人ならその人に恋をしてたかもしれませんけど、“わたしの今”に居たのは残念ながらその人でしたからねー」

「言い回しがややこしすぎて全然解らん」

「わりかし幸せですねって言ったんですよ。じゃなきゃこんな仕事、笑顔で出来ませんよ。ああいえ、仕事がどうとかじゃなくて、毎日毎日らぶんらぶんな空気吸わされるのが耐えられないって意味で」

「え、えー……? そ、そんな……かな。これでも全然押さえてるんだけどな……」

「え? あれでですか? 結衣先輩、それ本気ですか? 休日の二人がすごいのは知ってますけど、あれ以上に……?」

「……一色。誰の視線もない休業日のこいつ、本気ですごいぞ」

「うひゃあっ!? ちょ、なに言っちゃってるのヒッキー!!」

「あー休業日ですかー……。そうですねー、なんだか休業日に向けてどんどんと綺麗になっていく結衣先輩、ほんとやばいですもんね……」

 

 休日明けはすっきりした笑顔。それから一週間、日が経つに連れてものっそい色っぽくなっていく。

 それの繰り返し。

 い、いや、その話は忘れよう。うん。

 一週間に一日しかシてないとか、そういうことは口に出すもんじゃない。

 ……本番がないだけで、じゃれ合うように愛し合ってはいるけどな。うん。

 ほら、あの、なに? ポリネシ───やっぱなんでもない。

 そして一日、と言ったのであって、一回だけしかシてない、とは言ってない。

 

「も、もうその話はいいからっ! ……はいヒッキー、あーん」

「お、おい、一色が見てる《ちらちらちらちらちらちら》」

「はいはい目ぇ逸らしときますから鬱陶しいくらいちら見しないでください鬱陶しいです」

「おい。二回言う必要あったの? ねぇ、あったの?」

 

 結衣にあーんされて、ぱくりと食べる。

 トマトは相変わらず苦手だ。大人になったら平気になるかと思ったんだが、苦手だ。俺大人だしもう平気だろとプチトマトを齧り、吐いたあの日が懐かしい。

 ああいや、食べさせられたものにケチャップがついてたから思い出しただけだ。

 つまり俺はトマトは食べない。

 

「えへへ、じゃあヒッキー」

「おう。ほれ、あーん」

「あ~……んっ♪」

 

 だから、俺の皿の上にトマトがあるってのは、こういうことだ。

 

「あのせんぱい、こまちちゃんよんでもらっていいですか? さすがにとうぶんかたでしんじゃいます」

「小町呼んだらいちゃつけないだろ」

「ハッキリいちゃつく宣言しちゃいましたよこの先輩! せんぱ~いぃ~お願いですからシスコンに戻ってくださいよぉ~……常識的なルールがあったほうが、まだ妹に甘いだけのキモい先輩で済んだんですからぁ~……!」

「んなこと言われても知らん。それに小町は川崎んとこ行ってるし、今日は居ないぞ?」

「え? それってあの……たい、たい……」

「タイキック?」

「誰ですか川崎タイキックって!」

 

 シスコンをやめてからというもの、小町もまあ俺の面倒を見ることから離れ、自由にしている。

 が、たま~に俺と結衣がくっつきすぎてると、頬を膨らませて密着状態を剥がそうとしてくる。

 たまに甘えたくなるのかもしれん。

 

「じゃなくて、姉のほうだよ。裁縫習いに行ってるらしい」

「あー……そういえばサキサキ先輩、そういうお仕事でしたっけ」

「おう。ほれ、あ~ん」

「えへ~……あ~ん」

「だからやめてくださいってば! 見て見ぬフリにも限界がありますよ!」

「……あーんはだめか」

「だめです」

「マジでか」

「まじです!」

「………」

「………」

「じゃ、じゃあ……《はぷっ》んっ……ひっひー……」

「お、おう……結衣」

「口移しにしろって言ったわけじゃなくてですね!?」

 

 その後ガミガミと一色に説教された。

 ああ、うん、されながら結局口移しはしたが。

 

「はぁ……じゃあわたし、お菓子作りに戻りますんで……」

「まだ客来てないし、手伝うぞ」

「お願いします。糖分混ぜるの辛いって思ってましたから……」

「あ、あはは……ごめんねいろはちゃん……」

 

 喫茶“ぬるま湯”ではお菓子の販売もしている。

 頼まれてから用意するものではなく、ケーキ屋みたいに置いておくものだ。

 急いでいる人なんかはむしろそっちの注文をすることが多く、言っていた通り、一色は忙しい。

 俺と雪ノ下も手伝いはするが、主力はもちろん菓子修行も治めた一色になるわけだ。

 

「今回の新作は自信作ですからねー♪ これが広まれば、きっともっと忙しくなりますっ! ……そしたら暇な時間にラブラブ空間で虫歯になりそうになる気分を味わうこともありませんしねー……」

「いろはちゃん!? 張り切るための理由がおかしいよっ!?」

 

 元気なのはいいことだ。いろんな意味で。

 だから元気出してけって意味も込めて、ぽんぽんと一色の頭を撫で───そうになったところで止める。そういうのは結衣だけにだ。選ぶってのはそういうことだ。

 ……はあ、久しぶりに発動したな、お兄ちゃんスキル。止められてよかった。

 

「……はぁ。年頃の女性の頭を気安く撫でようとしないでくださいよ。……がんばりたくなるじゃないですか」

「そか。んじゃ、もうちょい頑張るか」

「乙女の独り言を拾わないでください気持ち悪いですごめんなさい」

「うるせ。ぼっち経験者は耳がいいんだよ。……結衣、ごちそうさま。今日も美味かった」

「うんっ、えへへ───あ、ヒッキー、片付けとかはあたしがしとくから、いろはちゃんの手伝いの方、お願い」

「おう。んじゃ、頑張りますか《むんっ》」

「はい、頑張りましょう《むんっ》」

 

 一色と二人、口をへの字口に、腕まくりをして歩く。こんなことをしていると、たまに“兄妹みたいね”と雪ノ下に笑われる。まあ、こんなふうにノリに乗れる時は、案外くすぐったいもんだ。

 と、そこで店の方からのパンポーンという呼び出しチャイム。

 

「すまん雪ノ下が呼んでる、じゃあな」

「ちょっ、やる気にさせといて放置ってヒドイです! せんぱい!? せんぱーーーい!」

 

 しょうがないでしょそういうもんなんだから。

 

「じゃあ結衣を戦力に」

「ひとりでがんばります!」

「いろはちゃんひどい!?」

 

 そんな、なんでもない日々の会話で笑えることが、本当に多くなった。

 ……たまに、声が聞こえる。

 ずっとずっと前のいつか。独りぼっちになったばかりの頃の、小さな子供の声だ。

 どうしてお前は俺なのに、そんな笑えるんだって訊いてくる。

 俺はそいつに、いつもこう返している。

 

  歩んだ青春がどんだけまちがっていようが、選んだ道が正しいって信じてるからだ、って。

 

 自然と笑えるようになった顔のまんま、わあわあ騒ぐ結衣と一色を見る。

 こんな光景が目の前にあることを、時々に疑う。

 それでも“今”は、まだここにあって……そんな今が、不思議なくらい心地良い。

 

(っと、早く行かないとまた罵倒が飛ぶな……雪ノ下さん込みで)

 

 テキパキと片づけをする結衣を見守りつつ、思考にふけっていた頭を軽く振る。

 苦笑を漏らし、移動しようとしたところで結衣が振り返り、笑顔をくれる。

 その笑顔が、いつか自分の気持ちを自覚した笑顔と重なった。

 

「───……」

「ヒッキー?」

 

 ありがとうが溢れる。でも、一番言いたいのは“好きになってくれてありがとう”。

 こいつが居なかったらあそこは、俺達はどうなっていたのか。

 全部が欲しいなんて欲張りだ、なんて“みんな”は言う。

 けどそれが、努力することで得られるなら、努力し合うことで届く果実であってくれるなら、俺はそれに手を伸ばしたいと思う。

 あの頃では届かなかったクッソ不味い葡萄も、手を伸ばすだけでちょこんと掴める。その葡萄はとっくに熟れきっていて、不味かっただろう味を甘くしすぎてしまっている。

 それを残念に思うか? とんでもない。“俺”だったらいつだってこう言うね。

 人生は苦いんだから、口にするものくらいは甘くあるべきだろ、ってな。

 ほら俺アレだから。自他ともに認めるほど、甘いもの大好きだから。

 

「……行くか」

「うんっ」

 

 片づけを終え、目の前まで歩いてきた結衣の手を掴んで、繋ぎ合って、歩き出す。

 雪ノ下さんに冷やかされるだろうが、今はそれくらいが丁度いい。

 答えを見つめ続けてくれた彼女に感謝を。

 そして───

 

「あ、そだ。えっと……えとね? ……えへへ、あぅう……」

「おう。どした? 顔がめっちゃ緩んでるが」

「~~《かぁあ……》あの、さ。ほら。今日さ、早くから気分悪くてさ、病院……行ったじゃん?」

「そうだな。店開けずに付き添おうとしたら却下されたな」

「大げさなんだってばヒッキーは。……そ、それでね? えっと…………いろいろ調べたら……ね? ~~……お……」

「お?」

「……おめでた、だって……」

「───……」

「…………、あ、の……ヒッキー……? よ、喜んで、くれなぃ、の……かな」

「でかしたぁあああああああっ!!!」

「《がばぁっ!!》ひゃああっ!!? やっ、わっ……~~~……ひっきぃい~~っ♪」

 

 ……そして。新たな命に、ありがとう。

 頭が真っ白になったあと、心の奥底からあふれ出した感情が、一気に爆発。

 結衣を引き寄せ抱き締め抱き上げ振り回し、あらんかぎりの声で叫んだ。

 急に抱き上げられて振り回されて驚いていた結衣だったけど、どうしようもなく緩み、笑ってしまう俺の顔を見ると、本当に嬉しそうに笑い、俺の頭を抱き締めてきた。

 視界を塞がれても喜びは消えず、燥いだままにぐるぐる。

 バランス崩して二人仲良く壁に頭をぶつけても、それが笑いのタネとなってしばらく笑っていた。

 

  ───ああ、幸せだ。

 

 いつからこんなに笑えるようになったんだろう。

 ……いつから、こんなに笑うことを許されたのだろう。

 きっと誰も禁止なんてしていなかった自分の感情も、昔はずっと息苦しささえ感じていた世界も、ひとつの答えをひたすら追ってみれば消えていて。

 楽しい時には笑っていいのだと。格好つけず、自分のまま笑っていいのだと、隣に居てくれる人にこそ許された気がした。

 だから感謝を。自分が与えられる全てを以って、感謝していこう。

 出会ってくれてありがとう。見ていてくれてありがとう。好きになってくれてありがとう。好きで居続けてくれてありがとう。支えてくれてありがとう。

 

  幸せだと伝えたら泣いて喜んでくれた。

 

 あたしもと言ってくれるキミが好きだ。

 孤独だった頃では考えもつかなかった“好き”がそこにある。

 人を好きになることに憧れていたのだろうと、今なら思える。

 初めての興奮に燥いで、勢いだけで突っ走り、振られて後悔して笑われて後悔して言い触らされて後悔して。

 高校生活に希望を抱いて初日で失敗して、それでも……得られる絆があったから。

 こんなものは偶然だって笑えてしまえるような未来。

 それでも、あの日の結衣の言葉を信じるなら───俺達はどんなまちがった歩き方をしてきても、いつかは出会い、恋に落ちたのだろう。

 そんな幸福を、今では俺も、ずうっと胸に抱いている。

 

 

 

 

 

 

   うるさいわよ比企谷くん。そもそも呼び出されてからどれだけ経っていると───

 

  ああっ、雪ノ下! 雪ノ下! 結衣が! 結衣が!

 

   由比ヶ浜さんが? ───まさか具合が悪化してっ……!? ……元気そうだけれど。

 

    なんなんですかー、急に叫んだりして。厨房まで聞こえましたよー?

 

  あぁあ一色! 一色! やばい、やばいんだ、ほんとにやばい!

 

    なんですかそれいつかのわたしの真似ですかほんとキモいんでやめてくださいごめんなさい。

 

  真正面からひどいなおい! じゃなくてっ! お、おめっ、おめで……っ!

 

    え? もしかして新作完成おめでとう、とかですか? もー、言うのが遅いですよーせんぱ───

 

  おめでたっ! 結衣がっ! お、俺のっ、俺の子供っ!

 

   …………。由比ヶ浜さん、それは本当なの?

 

 う、うん……! 今日病院で、そのー……えへー……♪

 

  あれ? 今のべつに俺に訊いてもよかったよな? え? あ、いや、確かに結衣に訊いたほうが確実……あれ?

 

    ……なんでそんな大事なことを人のおめでとうと被せるんですかほんっと信じらんないです先輩って馬鹿なんじゃないですかこのばか!!!

 

  おまっ……学校でテストの度に“生徒会長だから~”って泣きついてきたお前に、誰が勉強教えたとっ……!

 

   そうね。主に私とあなただったわね。けれど比企谷くん? 一色さんが言っている馬鹿とは、そういう意味での馬鹿ではないのよこの馬鹿。

 

  俺、お前になんかした……?

 

   夫のくせに気づいてあげるのが遅いと言っているのよ。由比ヶ浜さん、今日はもう店を閉めましょう。いいえ閉めるわ。一色さん、今作っているお菓子を祝い用にアレンジできるかしら。

 

    おまかせですっ! あ、先輩はさっさと看板下げてきてくださいね。

 

  お、おい、今日三浦が予約取ってて───

 

   あら。巻き込んで祝えばいいじゃない。きっと喜ぶわ。

 

 あ、うん。あたしも優美子に報告したいし。それにほら、せっかくさいちゃんも陽乃さんも居るんだし。

 

  …………わぁったよ。あと材木座のことも忘れんなよ。……一応、あいつのお陰ではあるんだからな。

 

 知らない。ビッチが清楚にしてもビッチとか言っただけでチャラだし。

 

  まあ……アレはないな。ヒキタニくんに言わせたかったんだろうが。

 

   それから比企谷くん。小町さんとは連絡がつくかしら。

 

  おう。もうこうなったら全員巻き込むか。小町にかければ川崎も誘うだろ。

 

    そうですよねっ、全員揃っての“全部”ですからっ!

 

  あー、でもな……。

 

 ? ヒッキー? どうしたの?

 

  ……平塚先生、どうする……?

 

 あ……

 

    あー……。

 

  俺としては呼びたいんだが、あの人毎回泣く上に絡んできて、トドメに結婚したいだからな……。

 

   ……姉さんに丸投げしましょう。

 

  無条件で賛成。なにそれ最高。……つか、随分と言うようになったな、お前。

 

   困ったことに、追い抜かれたくないと思える人が親友になってしまったから。

 

  あー……解るわ。成長速度、どうなってんだかってな。

 

 ? なんのこと?

 

  なんでもねーよ。んじゃ、看板下げてくるわ。

 

 あ、あたしも行く。

 

   その前に比企谷くん。あなたはいい加減由比ヶ浜さんを下ろしなさい。

 

  えー、いいだろもうこのままで。

 

    一緒に行く、の意味がいろいろおかしいですよ、結衣先輩。

 

 えー、いいじゃん一緒なんだし。

 

   はぁ……この似た者夫婦は……。いいからさっさと行きなさい。

 

  おう。

 

 あ、ヒッキー、そっとだかんね? お腹に衝撃とか絶対ダメ。

 

  ばっかお前、俺がんなことするわけねぇだろ。もう愛してるから。性別も解らん我が子に既に愛情側のコンプレックスを抱いているまである。

 

 いくらなんでも早すぎだよ!? ……~~……あ、あたしのこと、ほったらかしにしちゃ、やだよ?

 

  しない。絶対にしない。つか無理。逆に子供に見せ付けて砂糖吐かせる。

 

 それはやりすぎだよ!? あははっ……もー、ヒッキーは~……

 

 

 

 

   …………。

 

    ……。雪ノ下先輩、糖分混ぜるの手伝ってもらっていいですか?

 

   ええ、任せなさい。存分に祝ってあげるわ。“親友”の、祝いの席だもの。

 

    ですねー。わたしも“後輩”として、全力で祝います。

 

   ふふっ……。

 

    あはっ……♪ ほんと、不思議ですよねー、この関係って。

 

   選べば壊れてしまうと思っていたのに……結局、勇気がなかっただけなのね、私も、あなたも。

 

    わたしのは参戦が遅れただけですし。まあほんと、今はもうもっと幸せになってくださいってだけですけど。だって楽しいんですもん、毎日毎日。

 

   そうね。私も同じだわ。

 

    ……まだ気になってたりとか、します?

 

   言ったでしょう? “親友”よ。……どちらも、ね。

 

    わたしも、どっちの“後輩”でもありますしね。あ、ちなみに吹っ切れたのはいつですか?

 

   婚約ね。高校3年であれは驚いたわ。驚いて、笑って、それで綺麗さっぱり、といったところかしら。

 

    わたしもです。まあ、ちょお~っと夢に苛立ちをぶつけた、みたいな時期はありましたけど。その甲斐あって、立派な職人さんですっ。《むんっ》

 

   今度葉山くんにでもアプローチしてみたらどうかしら。

 

    やです今さら興味ありませんていうか雪ノ下先輩ラブじゃないですかあの人なのに三浦先輩振ってあげないとか正直キモいですごめんなさい。……てゆーかっ! ですよ? 雪ノ下先輩はどうなんですか。居ないんですか、誰か。

 

   居ないわね。仕事が恋人でもいいと思っているわ。

 

    そう言って、いつか平塚先生の二の舞に……。

 

   べつにそれが悪いことだとは思っていないわ。格好いいじゃない、あれはあれで。……酔わなければ。

 

    ……まあ、解ります。ちゃんと選んでも周囲がほっとかないって、案外辛いですよね。

 

   私、何回ハッキリ葉山くんにお断りを伝えればいいのかしらね……。

 

    まあまあ、ほらっ、そんな苛立ちも糖分にぶつけましょう!

 

   ……そうね。では、私はクッキーを焼くわ。これがないと、“私たち”は始まらないから。

 

    じゃあわたしは子供用みたいに小さなお菓子を。……きっかけって、とっても小さいのに忘れないものですよね。

 

   だからいいのだと私は思うわ。小さいから大切に出来る。大きすぎては、手に余るもの。

 

    そうですか? わたしはでっかいのがいいです。だから、この関係って大好きですよ?

 

   そうね。ええ、本当に。

 

    ですよね。さって頑張りますかっ。…………って、雪ノ下先輩? なんか設定温度おかしくないですか? なに作るつもりなんですか? え? クッキーですよね?

 

   ふふっ……そうね。ジョイフル本田の木炭を作るのよ。

 

    なんでですかっ!? え、ちょっ……雪ノ下先輩!? わたしのお城で失敗作なんてダメですダメダメ! ダメですってばぁ~~~っ!!

 

 

 

 

 

───……。

 

 本当は、嘘でもいいのに。

 

 そう思って、願って、手を伸ばしたものが本物になった時。

 

 気づけばそこに、幸せがありました。

 

 これからずっとこんな関係が、なんてきっと無理なんだって解ってる。

 

 でも、頑張って手を伸ばして手に入ったいつかを思えば───

 

 いつか離れ離れになっても、また何度でも手を伸ばそうって思える。

 

 だからあたしは全部を願うんだ。

 

 歩く道をどれだけまちがっても、答えだけは見失わないようにって。

 

 

 

 あたしは……わからないものをわかるようになるために、頑張れたかな。

 

 頑張った分だけ遠ざかっても、それを手繰り寄せることができたかな。

 

 小さな声で、隣の彼にそう訊ねると、彼は笑った。

 

 途端、クラッカーが鳴って、集まってくれた全員が笑顔でおめでとうって言ってくれた。

 

 恥ずかしげな、ぶっきらぼうな声が耳に届く。

 

  “これが答えだろ”

 

 笑顔が溢れた。ありがとうが溢れた。

 

 出会ってくれてありがとう。助けてくれてありがとう。守ってくれてありがとう。好きになってくれてありがとう。

 

 いろいろなありがとうが溢れ出して、どうしようもなくなって、彼に抱きついた。

 

 おかしな声を上げて驚く姿はいつまで経っても変わらない。

 

 いい加減慣れればいいのに、とか思うのに、慣れてほしくもないとも思ってる。

 

 途中、いつかの“夢を歌にする”の話題が出てきて、彼が真っ赤になってそっぽを向いた。

 

 イベントとしては好評で、しばらくは続いたそれで、彼は最優秀を得たことがある。

 

 高校3年の……婚約を果たしたあとの夢の歌。

 

 いい歌だなーって思ってたら彼が真っ赤になっていて、全校放送している間中悶絶しっぱなしだった。

 

 内容は……犬がきっかけで出会った、男女の歌。

 

 そんな話題が出たからか、全員がヒューヒューとか言ってからかってくるのに、浮かんでくるのは笑顔ばっかり。

 

 くすぐったくて恥ずかしくて。

 

 でも、ふと見上げて、ふと見下ろされて、目が合うと……やっぱりあたしも彼も笑うんだ。

 

 そして言う。お互いに、小さく。

 

 

 

  ───幸せだな

 

 

 

 ───幸せだね

 

 

 

 って。

 

 周りに合わせたものじゃなく。

 

 “みんな”を嫌って、孤独を選ぶために身に付いたものでもない笑顔のまま。

 

 そんな、いつでも笑顔で居られる空気があるこの場所が───あたしは、大好きです。



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ぬるま湯に到るまで①

 ハロウィン。

 お菓子ちょーだい、じゃなきゃいたずらしちゃうぞ☆と、仮装した子供が家を訪ねる、元々は秋の収穫を祝い悪霊を追い出すための祭りだったらしい。

 古くは古代ケルト(略)真面目に語ると長いから、まあともかくカボチャの中身を刳り貫いた被り物などを使っての祭りだ。

 さて、なんでそんな話が出たかというと、一色が学校で仮装パーティーイベントとかどうですかねー、なんて言い出したからだ。

 俺はもちろん「やだよ」と返したが聞きやしない。

 結衣が「楽しそう!」とあっさり乗り、まあそうは言っても雪ノ下は説得出来まいと思ってたらゆるゆりの前にあっさり落ちやがったよちくしょう。ちょっと雪ノ下さん? あなたほんと由比ヶ浜さんに甘すぎでしょ。

 

「……猫の仮装……」

 

 あ、うん。私情も随分混ざってたね。それも多分に。

 そうだね、イベントなら堂々と仮装出来るもんね。でも心の中でくらい言わせてくれ。しっかりしろ部長。

 

「で、問題はですよ先輩。衣装などをどう用意するかなんですけど───」

「あーはいはい、どうせ川なんとかさんだろ、金はそっちで都合つけろ、俺は知らん。つかやらない」

「そうね。あなたはノーメイクで既にゾンビだもの、仮装の必要はないわね」

「千葉村で十分堪能しただろうがお前は……お前もうあの時と同じで雪女でいいよ」

「うーん……あの時の衣装はもうやだな、あたし」

「…………《ぽっ》」

「あ、先輩? 赤くなってますよ? なんですか? 結衣先輩のコスプレってそんなきわどいのだったんですか?」

「ばっ! なっ……!」

「え? あっ……ひ、ひっきーのえっち……」

 

 《ぐさっ》アウッ。

 反射的にだろうが、結衣の口からこぼれた言葉が胸に刺さった。

 勘弁してくれ……他の誰からでも受け流せる罵倒文句も、結衣からだとダメージがデカすぎる……。

 

「お前の所為で謂れのない罵倒くらったじゃねぇかよ……。べつにきわどいとかそういうのじゃねぇから」

「じゃあどんなのだったか言ってみてください」

「………」

 

 どんなって。ほら、アレだよアレ。小悪魔衣装。

 黒くてー、短くてー、胸元が開いててー。

 ……おい、言えるわけねぇだろうがよこんなの。

 

「せんぱい?」

「………」

「せーんーぱーいー? もしかしてやっぱり?」

 

 じとりと睨まれる。ちくしょう、ここで言わなきゃ本当の意味で疑われるだけじゃねぇか。恨むぞエロス教師。

 

「う……そ、その。あー……黒くて」

「はいはい」

「短くて」

「はいはい」

「あー……む、胸元が……その、開いてて」

「《たしたしたし……prrrr》」

「だから110番はやめろ! お前は雪ノ下かよ!」

「いえまあ冗談ですけど。やっぱりきわどいのだったんじゃないですかー」

「……あんなの小学生の林間学校イベントのために持ってくるほうがどうかしてんだよ……なんだよあれ……」

「~~~……《かぁあああ……!!》」

「ちなみに先輩? 雪ノ下先輩の衣装はどうだったんですか?」

「あ? あー、そりゃ……白かった?」

「いえほら、もっとなにかありますよね? 結衣先輩の時みたいに」

「いや、つってもな」

 

 白かったな。

 で───……いや待て。白装束……とは違うけど、白い着物だった、としか言えないんだが。

 と悩んでると、一色がひどく冷めた目でこちらを見ていた。

 

「……先輩、どんだけ結衣先輩のことガン見してたんですか」

「ひ、ひっきぃ!?《がたたっ》」

「ちょ、待て、誤解だっ! 体庇って立ち上がるとかやめてくれ、すげぇ傷つく……!」

「あ……ご、ごめん……」

「あ、いや……」

「………」

「………」

 

 俺と結衣の間に沈黙が訪れる。

 ……まあその。由比ヶ浜マに丸め込まれるように、学生結婚……ではなく婚約をしてから既に二ヶ月。いろいろと決めてきた覚悟はあっても、お互いいつまで経っても初々しいままである。とは小町の言葉。

 婚約と言っているからにはただの約束ではある。法律上の縛りなんて当然無いのだが、婚姻届など既に由比ヶ浜マ……ママさんの手にある。

 既に俺の方でも覚悟は決まり、いつでも提出してくださいって状況だった……んだが、ママさんに伝えられたことは“同棲してお互いを知りなさい”だったりした。そのことで我が比企谷家と由比ヶ浜家で家族会議があり、我が両親、一発で結衣を気に入り、こんな息子で良かったらとあっさりと俺を差し出した。

 しかしお袋はともかく親父の“遠慮するな出て行け”って態度に結衣とママさんがブチリ。お袋も小町もその態度はないと怒り、親父、言葉の袋叩き状態。

 両親の前で結衣が俺への想いを語りまくり、負けじと俺も愛を語り、お互いの両親に止められるまでそれは続いた。

 あ? その後? そりゃ…………親の前で愛を囁きまくったんだぞ? 二人してその場から逃げて、自室の布団に潜って“あ゙ぁあああああっ!!”って叫んだわ。……同じ布団だったのはアレだ。気にすんな。

 そんなこんなで同棲は既に始まっている。

 親父もお袋も、結衣とママさんが俺のことを気に入りまくっていることに驚いていたものの、それを知ってからは“しっかりな”と送り出してくれた。言われるまでもない。

 こちとらそっちが仕事尽くしで息子の顔をてんで見なくなってから、数少ない理解者達のために未来を目指そうって頑張ってきたんだ。コーヒーショップのバイトも始めたし、経営についての勉強も結衣と一緒にしている。しているが、こういう状況には未だ慣れない。

 ほっといてくれ、アレだよ、ウヴなんだよ。じゃなくてピュアなんだよ。

 

「《こんこんこんっ》あーのー? 今話してるの、わたしなんですけどー? 二人の世界とか作らないでくださいよー」

「一色さん、部の備品を殴らないでくれるかしら」

「はひゃいごめんなさいっ!? ……え、えー……? ちょっと机をこんこんしただけじゃないですかー……」

「とにかく。イベントと銘打つにはいろいろと穴がありすぎるわ。衣装をどう用意するか、作るとして、全校生徒にさせるのであればどれだけ時間がかかるか、そしてそれをどう纏めるか。実行に移すのならまずは地盤からきっちりと固めるべきね」

「……ゆきのん、実は楽しみ?」

「やりたくないのならやめてもらっても構わないわよ? “比企谷”さん?《にっこり》」

「えわやややややるっ! やるからっ! てかなんでそんな怒ってるの!? 怖いよゆきのんっ!」

「んじゃ、俺は不参加っつーことで───」

「小町さんにはもう連絡を入れたわ。比企谷くん、逃げ道などないと知りなさい」

「……お前鬼かよ」

 

 家で結衣とのんびりしていたかったのに。

 小町に知られたんじゃ、ひっきりなしに電話とかメールとか来まくるじゃねぇか。勘弁してくれよ……。

 

(小町ね……)

 

 比企谷小町。川……大志とともに無事に総武に入学出来てからは早速奉仕部に入部。

 なんでか大志まで入部してきて、おのれ……なんて思っていたが、これがまた意外なことに、小町に積極的に言い寄ったりなどはせず、なんでか“先輩せんぱーい!”とか言って俺に懐いてきている。いやなんなの? もしかして海老名さんが鼻血出す系のご趣味が? なんて思ったら、しばらく川なんとかさんの眼光が怖かったので自重した。ほんとなんなのこの学校。人の心読む人多くて怖い。なに? もしかしてサトリなの? ミノルは俺んだーとか叫ぶの?

 まあふざけるのはまた今度にして。

 小町は今日、お袋たちの帰りが早いから、晩飯の材料を買うために早々と帰宅した。

 女の一人歩きは危険だってんで、仕方なく大志をつけたが……大丈夫だろうなあの野郎。小町を襲ったらただではおかねぇし、小町を守れなかったらただではおかねぇ。

 買い物付き合ってくれたお礼とか言われて晩飯ご一緒したらただではおかねぇし、遅くなったからとか言ってお袋に引き止められてお泊りなんぞしようものなら……!

 

「………」

 

 落ち着け。シスコンは卒業するって決めたろうが。いい加減本気でキモいって小町に言われちゃったし。

 妹思いなのはいいけど、それで行動が制限されるのは嬉しくないって言われちゃったしな。仕方ないよな。

 ほら、いつも通りだ。俺がもし弟で、上にキョーダイが居たとして、それが雪ノ下さんだったとしよう。ほら、もしブラコンでいじくり回されたらどうよ。……OK冷めたし目ぇ覚めた。ないわ。キモいわ。

 いやー相変わらず雪ノ下さんはすごいな。俺の乱れた心を落ち着かせてくれる。そこに痺れぬ憧れぬ。

 

(さて)

 

 小町は大志と帰ったのではなくほらあれだよあれ。たい、たい……タイキックを会得して帰ったんだ。

 だから痴漢とか現れてもタイキックでKOなんだ。すげぇなタイキック。八幡安心、超安心。大志? 知らない子ですね。あれタイキックだから。小町の中の黄金長方形が具現化したスタンドエネルギーっぽいなにかだから。なんか知らないけど。

 

「解ったよ……けど、歌のイベントみたいな生き地獄になるようなのは勘弁してくれよ……?」

「あれはただの先輩の自爆じゃないですか。犬がきっかけで出会った男女の夢とか、ほんとどんだけ結衣先輩のこと好きなんですか」

「おいやめろ、ほんともうその歌のことはやめろ」

「じゃあいつか録音した“ざらす”の替え歌を」

「やめろもう思い出したくもない」

 

 と言っている俺の目の前で、スマホを出してたしたしと操作する一色。

 ……おい、まさかその中に入ってるとかじゃ───

 

『外出たくな~いずっと~専業主夫~♪ 愛する妻に養われて~♪』

 

 入ってたよ! なんでわざわざそんなの入れるんだよ八幡もうわけわかんない!

 

「やめろって言ってるだろうが……つかもう消せよそれ……。ほら見ろ、部長様が顔逸らして肩震わせてるじゃねぇか」

「そうだよいろはちゃん。ヒッキーはもう専業主夫なんて目指してないし、一緒に買い物もしてくれるし、デートもしてくれるし、家で二人きりの時は甘えさせてくれて……えへー……♪」

「ちょっ!? おまっ!!」

 

 なに二人の恥ずかしいひと時をべらべらと喋ってくれちゃってるのこの娘ったら!

 

「いろいろ聞き捨てなら無い言葉が出てきたわね。説明を求めてもいいかしら、比企谷くん」

「もういいから笑っとけよお前は……はぁ、悪いな、プライベートだ。言い訳とかじゃなく説明する理由が無い。むしろ断る」

「くっ……都合のいい逃げ道を見つけたものね……」

「いや悔しがるなよ……むしろ聞けると思ってたことにドン引くわ。あと結衣も。あんまり喋るなよ、言わなきゃ聞きたくなる、なんてことにはならないんだから」

「あ、うん。ごめんねヒッキー」

「ん……いや、ちょっと言い方に棘があったかもだな……悪い」

「えへへ、だいじょぶだよヒッキー、ちゃんと解ってるから」

「結衣……」

「ヒッキー……」

「《こんこんこんっ》でーすーかーらー!」

 

 また机を小突きつつ頬を膨らませる一色。

 なに? もうほっといてくれません? イベントとかそんな無理してやらんでもいいだろ。俺もう前回の歌のやつで懲りてるんだから。

 

「はぁ。んじゃあとりあえず、適当に案出して、それから纏めるか」

「ブレストはやめてくださいね……」

「安心しろ、玉縄の時もそうだったが、雪ノ下が居る限り俺が出した案なんて全部却下だ」

「た、たまなわ? の時って?」

「あーそれはですねぇ結衣先輩。ほら、玉縄先輩って覚えてません? あのー……話す時に轆轤回すみたいに手をくねくねさせる───」

「あー……なんか居たね、なに言ってるのか解らない人」

「はい、その人です。その人が先輩に言ったんですよ。はい先輩」

 

 はい先輩ってなに。俺が言うの?

 あ、あー……こほん。

 

「───そうじゃないよ。ブレインストーミングは相手の意見を否定しないんだ。すぐに結論を出しちゃいけないんだ。“だから君の意見はダメだよ”《くねくね》」

「……否定してるじゃん! あと動きキモい!」

「おう。俺も思わずツッコんだわ。心の中で。……あとキモいのは動きであって俺じゃないよな? な?」

「あの、せんぱい、雪ノ下先輩が顔を逸らして震えてるんですけど」

「そっとしといてやれ。たまによく解らんことで笑うんだ」

 

 妙に腹の立つうすら笑いと身振り手振りを混ぜた言葉の前に、雪ノ下は無力だった。

 てか、こんなんで笑わんでください、なんかちょっと嬉しくなっちゃうだろうが。

 

「ああ、まあその、なに? あの時も似たような、どちらかといえばハロウィンっぽかったんだし、それらを躊躇無く着た誰かさんに訊けば、案外衣装もあっさり見つかるんじゃねぇの?」

「? 前の衣装って小学校の先生が用意したんだよね?」

「あー、そだなー。女子高生のコスプレ姿が見たくてあのタイミングであの衣装だったんだろうなー」

「うわっ、なんですかそれありえないですそんな人が小学校の先生とかほんとキモいですごめんなさい」

「おい待て、この流れでなんで俺がフラれてんだよ。ほらもういいだろ、纏める気無いんだったら帰るぞ俺」

「あ、ま、待ってください待ってください、ちゃんと考えますから手伝ってくださいよー!」

 

 立ち上がり、結衣を促して帰ろうとすると、一色が小走りに近寄り、制服を抓みにくる。それをさっと躱して、結衣の隣に立つ。

 

「悪いな一色。この制服、結衣専用なんだ」

「なんですかそれ!?」

 

 あ、素でツッコまれた。

 そんなこと思ってたら、結衣の手が制服の端を抓んだ。

 ……俺もほんと、こいつに随分とまあ気を許したもんだ。

 人を好きになるってすごいのな、ほんと。

 今じゃ馬鹿っぽさも阿呆っぽさも可愛く見える要素でしかないってんだから、俺の頭は随分と温まってしまったようだ。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 後日。

 とりあえず奉仕部内でやってみて、楽しめるかどうかの実験。

 衣装の提供は海老名さんと材木座でお送りします。

 

「んふっ、んふふっ、ぐ腐腐腐腐……! この時を待っていた……! 私たちが輝ける腐情ある景色! 我らはそれをこの場に持ってきた!」

 

 ちょ、来て早々にやめて? 今なんか“風情”が腐って聞こえたから。

 

「ふむふははははは……! 我に声をかけるとは解っておるのぅ八幡よ。あ、でも我、女性用とか持ってないからそっちでは力になれないぞ? 衣装についての助言とかはしたが」

「急に素に戻るなよ」

「本来ならば衣装に着られる半端者の姿などは見たくないが、エビ嬢が目を輝かせる楽園がそこにあるというのならこの剣豪将軍、黙っているわけにはいくまいぃいっ!」

「つーか、なんか戸塚も一緒じゃなかったか?」

「あ、うん。さっき捕まえた。今日はテニス無いそうだから」

「捕まえたって……」

 

 やだ、海老名さん怖い。

 さっきから呼吸がぐ腐ぐ腐だし。

 

「さあそんなわけで第一弾! この人ならばこれしかない! 艦隊のアイドルぅっ! 那珂ちゃーーーん!」

「はぁーーいっ! 艦隊のアイドルっ、那珂ちゃんだよー! よっろしくぅ!」

 

 海老名さんの呼びかけに、引き戸を開けて入ってくる……ものすごいあざとさが輝くアイドルが居た。

 つか、一色だった。

 

「お前それ反則だろ……。あざとさといい言動といい、まんま一色じゃねぇか……」

「失礼ですねぇ先輩ー! わたしこんなに……あ、いえ。あ、あざとくなんかないですよー!」

「で、なにそれ。髪染めたの?」

「いえ、付け毛ですよ。ほら」

 

 被っていたカツラ……っていうと印象悪いから、つけ毛を取る一色。

 その状態で、「ほらほらどうですー? 先輩も提督さんなんですよね? 海老名先輩から聞きましたよー?」なんて訊いてくる。ああほら、あれな。林間学校の手伝いの時の、水着アピール小町チックに。

 

「あー、そだなー。世界一あざといよ」

「ばっさりですか!? なんですかぁそれー……いつもとなんにも変わらないじゃないですかー……」

「んふっ、んふふっ……じゃあ生徒会長ちゃん、こうなったら島風で───うひっ、うひひひひ……!」

「それは絶っっっっ~~~~~~~~~対にっ! 嫌です!!」

 

 ああ、まあ声……似てるな。うん似てる。

 つか那珂ちゃんとも同じ声だしな、仕方ないね。

 

「ちぇ~。じゃあ気を取り直して次! とりあえず声とお団子繋がりでこれを着せた! さあいざゆかん提督LOVE!」

「英国で産まれた、帰国子女の金剛デース! ヨッロシクオネガイシマース!」

 

 …………。引き戸の先から婚約者が出てきたでござる。

 声、まんま金剛。髪の毛の足りない分はウィッグかなんかなんだろうが、なんというかそのー……

 

「《じーーー……》」

「ひゃうっ!? あ、えと、ヒッ……じゃなかった、んっと、なんだっけ……て、てー……てーそく? あ、そうそう提督。……ヨシ。……ヘ、ヘーイ提督! そホッ……、そそそんなジロジロ見られると、恥ずかし……て、照れるデース」

「ノンノン違うでしょユイ。照れるよりももっとバーニングでラブでグッドなコミュニケーションをキャッチしていかないと《くねくね》」

「その手の動き流行ってるの!? うー……ヒッ……えと、てーとく!」

「……え? 提督って、俺?」

「ばぁーにんぐぅっ───!」

 

 ───! あ、これやばい。

 ぐっと力を込めた結衣を前に、慌てて椅子から立ち上がる。

 途端、結衣は床を蹴って走り、遠慮もなく俺へと飛び掛ってきた。

 

「らぁあーーーーぶっ!!」

「《がばしぃっ!》っ───ととっ……! お、おいっ……無茶すんなよっ……! …………? おい? おっ……おわっ!?」

「…………《ぼしゅぅうう~~~……》」

「うわ赤っ!?」

 

 飛びつきだいしゅきホールドをしてきた結衣は、それはもう真っ赤だった。

 うん、まあ、そりゃそうだよね、知人の前でこんなんすりゃ、誰だって赤くなる。俺だって赤くなる。

 

「うんうん、やっぱり金剛は提督LOVEの最前線を突っ走ってくれなきゃ」

「……海老名さん、あんまりこいつにヘンなこと教えないでくれな……」

「だったらもっと傍に居なきゃだよヒキタニくん。教える隙がないくらい、ヒキタニくんがもっと傍に居てやれば、ユイだって“どうすれば喜んでくれるかな”なんて訊いてこなかったんだし」

「うひゃあっ!? ちょっ!? 姫菜っ!? 言っちゃダメって言ったのに!」

「………」

 

 ぐっは……ダメ……。なんなのこの婚約者……。

 どこまで人をきゅんきゅんさせれば気が済むのか……。

 

「あの、あのね、ヒッキー……。歌のお礼、まだ出来てなかったから……。あたし、あれ本当に嬉しかったから……だから、なにかしてあげたくて……」

「お、おう……その、さんきゅ、な。うれっ……ごほん。……ほんと、嬉しい。こういう時、いっつも言葉に詰まっちまって、悪い……。真っ直ぐに言ってやれりゃいいんだけど、な……すまん」

「あ…………うん。だいじょぶだよ、ヒッキー。あたし、ちゃんと解ってるから……。伝わってるよ? 届いてるよ? だから……もっともっと、届けてほしい、かな……えへへ」

「いやいやユイ? そこはちゃんと金剛でいかなきゃ」

「台無しだ!? も、もう姫菜!? 真似するくらいならいいって言っちゃったあたしもあたしだけど、それはヒッキーが喜んでくれるって姫菜が言うからっ……!」

「じゃあ次! 雪ノ下さん!」

「姫菜!?」

 

 海老名さん、結衣のツッコミ完全無視。小町といい海老名さんといい、俺達相手に司会進行するなら、そりゃこれくらい図太くないとやってられないよな。

 まあ、気持ちはなんとなく解る。

 

「ほむん……? 八幡よ、雪ノ下嬢はどんな衣装でくるだろうか」

「声からして萩風じゃないか?」

「いや、ここは長い髪を活かしたグラーフ・ツェッペリンをだな」

「……萩風だ」

「はぽん? いやいや八幡よ、雪ノ下嬢のツインテールというのも───」

「萩風、なんだよ……材木座。萩風なんだ……」

「…………八幡よ。なにがお主をそんなにまで萩風にこだわらせる」

「……格差社会《ぽしょり》」

「はうあっ……」

 

 材木座は察したらしかった。

 そして目を片手で覆うと、「ごめんっ……こだわってたのは俺のほうだった……!」って素の声で謝ってきた。

 おいやめろ、あんま大きな声で言うと殺される。

 そうこうしている内に海老名さんの口上とともに引き戸は開かれ、そこから遂に雪ノ下が───!

 

『…………《むーーーん》』

「………」

 

 入ってきたのは、鉄仮面っぽいものを被ったなにかだった。

 鉄仮面の両側は、ほらその、あれだ。どこぞの“頂の座”のヘカテーさんの帽子みたいになんか横に伸びてて、その先端に装飾があって。

 で、そんな謎の鉄仮面の謎のアーマーな物体は言ったのだ。

 

『我が名はグラーフ……力の求道者』

『なんでだよ!!』

 

 俺と材木座の声が重なった。

 

『え? いえ……な、なにか違ったのかしら。おかしいわね……平塚先生に言われた通りに言ったのに』

「しかもちゃんと雪ノ下なのか!?」

『? なにがかしら《こてり》』

「おいやめろ、その鉄仮面でこてりと首傾げるんじゃねぇよ」

『……つまり、これはいろいろとまちがっている、ということでいいのね?』

「ああ。もうほんと、いろいろな意味でまちがっている」

「まったくもってその通ぉおーーーーりっ!! 我はっ! 我はツェッペリンのほうを期待していたというのに! いうのにーーーっ!!」

「ツェ……? 海老名さんにしきりにやめておいたほうがいいと言われたのだけれど、なんだというの?」

「気にするな」

「いえ、そう言われると気に───」

「気にするな」

「そういうわけにも───」

「気にするな」

「………」

「気にするな」

「え、ええ……解ったわ」

 

 なんとか説得できた……! 寿命が縮まる思いだったぞ、まったく……!

 あ。あと雪ノ下には是非にも萩風衣装か元の制服姿に戻っていただきたい。さすがにグラーフのままなのはどうか。つか、なに? 一色と結衣の姿を見て、なにかおかしいとか考えなかったのかしら、この娘ったら。

 そもそも猫の衣装とかが気になったから賛同したんじゃなかったのん? いやこれ、言ったら絶対に自爆するパターンだ、黙っておこう。

 



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ぬるま湯に到るまで②

 

 さて。一色、結衣、グラ……雪ノ下とコスプレを披露したところで、フフンと鼻を鳴らした海老名さんがビシッと構えを取って次を発表。……次? 次って誰?

 

「はい、では妙にウケも取れたことで、今回の破壊力筆頭! トドメにこれを用意したのにはワケがあるっ! 線の細さと髪の色を利用しての愛あるメイク&コォス!! 秋津洲ちゃんの登場だー!」

 

 え? 秋津洲? ……頭の中で秋津洲の声を響かせてみても、知っている女性と一致しない。

 その間にもどうしてか期待は高まるわけだが……引き戸は開かなかった。

 

「あれ? …………あ、ちょっとごめんね?」

 

 海老名さん、シビレを切らして引き戸の先へ。

 そこで待っているらしい人とわあわあ騒ぎ、ついには腕を引っ張ってやってきた。

 

「…………ほらっ、いいからくるっ! コスに身を包みながら見られたくないなんて、愛を持つ者としては捨ておけないのっ!」

「やぁっ、やめて海老名さんっ! おかしいよこんなのっ! やだっ! 八幡にこんなの見られたくないっ!」

「ぐ腐ぁっ!?《ぶしっ!》~~……くぅう、なんて破壊力なのこの可愛さ……! これはもうヒキタニくんの前に差し出して、女性コスのとつはちを……! さ、さぁあ! 勇気を出して出てみよう!」

「《ぐいっ!》わああっ!」

「───……」

 

 ……。引っ張られて、全身が見えたその人。

 視界に入った天使は天使だった。意味解らんが、天使だったのだ。

 

「……あ、は、はち……~~~《かぁあああっ!!》み、見ないで! 見ないでぇええっ!」

 

 言葉は羽黒なのに、なにこれ、まじ秋津洲。

 え? え? なにこれどうなってんの? ハマりすぎてて怖いんですけど。 

 

「わ……わああ……! さいちゃん綺麗……!」

「───はぽっ!? お、お……おおお……! そうであった、あれは戸塚氏……! そ、そうだ、うろたえるんじゃあない我……! 我は剣豪将軍……! あのような、ただ衣装に着られただけの素人に惑わされるなど、いくら相手が戸塚氏とはいえ……! ああっ、ああでもっ……! 心が、心が敗北を……!」

 

 まあ、解るぞ材木座。ありゃ反則だ。なにあれまじエンジェル。

 でもやめたげて? そりゃ戸塚と女子なんだから別々に着替えて待機してたのは解るけど、みんなが見惚れる中で雪ノ下が肩を落としてずぅううん……って落ち込んでるから。

 

『あの……海老名さん? 私、これ……着替えたいのだけれど』

「あ、じゃあこの衣装でお願いしたいんだけど、いい?」

『? あの赤いのと白いのが混ざっ』

「気にしちゃだめ」

『いえ、けれど』

「気にしちゃだめ」

『あ』

「気にしちゃだめ」

『え、ええ……解ったわ』

 

 戸惑う鉄仮面に、真顔の海老名さん。シュールである。

 ていうかそれ以前になんでそんな衣装用意したんだよ。なに? 実は平塚先生にも話を通して会ったとか? あったか。こんな堂々と部室を私物化して使えるくらいだし、イベントのために使いたいとか言ったんだろ。

 で、しなくてもいい説明を雪ノ下がした所為で、平塚先生が“グラーフといえば!”とかノリノリで。

 ……なんで先生がグラーフの衣装を持ってたかとかそんなの知らん。きっと知り合いにそういう人が居たのよきっと。

 まあそんなこんなでしばらくして萩風になってきた雪ノ下が戻ってくると、場は安定の盛り上がりを迎えた。

 え? 俺? ……抱き付いてきている結衣をずーっと抱き締めたままだが?

 いいじゃねぇかよ、ほらあれ、あれだし。俺抱き付かれた被害者だし? さういふ正当な条件といふものがあるのなら、よいのではないでしゃうか。よーし落ち着け俺、クールだ、クールになるんだ。

 

「あー……ところで、よ。仮装したのは、まあいい。大変目の保養……もとい、《ぎううう》いたいいたい、やめろこら脇腹抓るな」

「知んないっ! ヒッキーの浮気者っ!」

「ちょっと待て、なんでそこで浮気者なんて言葉が出るんだよ。いつもと違う婚約者を見て癒されるのが浮気っ……あ」

「…………ヒッキー?」

「ひやっ……こほん、いや、なんでもねぇし」

「え、と……ヒッキー、抓っちゃってごめんね……? もっかい、もっかい言ってくれるかな」

「いや俺なんも言ってねぇから言ってくれもなにも」

「ヒッキー……だめ?」

「だっ……だからお前は……あのな、俺がお前に“だめ?”とか言われりゃなんでも言うこと聞くと思ったら大間違いでだな……。俺だっていつもこう、婚約者に甘いわけじゃなくてだな……!」

「《なでなでさらさら》……う、うん……あの、あのあのひっきぃ……?《かぁあ……!》」

 

 それにしても抱き心地最高。撫でる髪もさらさらで、手櫛とかしてもなんか俺の手の方が浄化される勢いっつーの?

 天使だな、もう天使だ。

 

「めちゃくちゃ甘やかしてますね……」

「あれで甘くないつもりなんでしょうね、あのゾンビにしてみれば」

 

 おいちょっと? せめて谷はつけましょう? ストレートにゾンビ言わないでくれる?

 いや、そりゃあちょいと頭撫でたり髪を手櫛で梳かしたりしましたけど? こんなの普通ですよ? 普通。甘くない甘くない。ほらアレだし、小町にもしてたし。千葉の兄妹がやるんだったらこんなの普通で平凡で通常な愛情表現だろ。

 まあ、ともかくだ。俺だって夢を持った婚約者だ。相手を甘やかすだけの男になるつもりなど毛頭ないわけだ。

 だからつまりその……なに?

 

「……《ぽしょり》その、あ、あー、うん。可愛いと、思う、ぞ。いつもと違う格好も、悪くない、と思う」

「あ……ひっきぃい……!《ぱあああっ》」

「で、でも、だな、やっぱりお前にはさ、コスプレとかより、自分で選んだ服の方が似合ってるっつーか……なんか、目を惹くっつーか……」

「《とくんっ……》あ……え、うそ、ほんと……?」

「へ? あ、お、おう……そう、だが」

 

 嘘はないよな。おお、似合ってるし。

 なんでか嬉しいって感じるし、目も惹き付けられる。

 それを褒めると結衣は赤くなって、軽く握った手を頬に当てて、ほにゃあと頬を緩めた。

 

「あ、あのね、あたしね? いっつも、ヒッキーに似合ってるって言ってほしくて……だから、どんな服ならヒッキー、喜んでくれるかなって……見蕩れてくれたら嬉しいなぁって……」

「………」

 

 ……とくんと。胸が高鳴った。

 なんだろうな、この感覚。初めてじゃないけど、ひたすらに大事にしたいって気持ちが沸きだしてくる感覚。

 

「結衣……」

「ヒッキー……」

「いっつも、気が利かなくて悪い……。少し付き合いが慣れたくらいで、気づけば“言わなくてもいい”みたいな気持ちになっちまってたみたいだ……その……その、な。今までのデートの時も、違う服、違う髪型をしてくるたびに、あ、あの、な、にぁっ……似合って、る……って、思ってた……! ほんと、すまん……ちゃんと言えてりゃよかったな……。そんなの、俺に度胸があれば言えてたのにな……」

「ううん、いいんだよヒッキー……。そりゃ、言ってほしい時に言ってもらえないのは寂しいなって思うけど───」

「───!」

 

 寂しい、と。胸に届いた少女の本音に、胸が痛んだ。

 ああやっぱりだ、俺は知らずに彼女を傷つけていた。

 そうしないようにって、こんな俺を好きで居てくれた人のために、頑張っていたつもりなのに、気づけば結衣のやさしさや尽くそうとしてくれる心に寄りかかりすぎていた。

 そんなのはダメだ。ちっとも支え合えていないし、理解するってことを結衣に押し付けすぎている。

 

「でもね? ヒッキーが───《ぎゅぅっ……》わひゃっ……ヒ、ヒッキー?」

「……~~……」

 

 自分のいたらなさを改めて認識し、受け取ると、不思議と一番最初に沸いたのは“好き”。

 迷惑ばかりかけてごめんとかそういうものではなく、自分が愛されているという事実がなによりも速く胸の奥に届いたからか、我慢出来ずに抱き締めていた。

 どこかで聞いた気がする。

 女性は、顔立ちがいいだけの人よりも、気持ちを打ち明け、届け続けてくれる人の方が好きで居続けられるって。

 俺はどうだろうかと考えて、即座に鼻で笑えてしまうような自身の捻くれ具合に呆れが走った。

 こんなんじゃだめになる。

 今が全てじゃない。だが今できることをと選んで進んだこの道だ。その出来ることを、自分の捻くれと計算式だけで解決するのはもうやめた筈だ。

 躊躇は要らない。望んでいることを、望まれていることを、他人には出来なくてもせめて結衣にだけは届けられるように。

 今までの俺なら、絶対に結衣の言葉に自分の中の計算を優先させた言葉を返していただろう。

 けど、俺はもうこいつが選んだ本物を信じたから、そんな“正しいだけ”の頭でっかちなものなんて必要じゃない。

 いつかのあの日まで“そんなものは要らない”とつっぱねてきたものを、今は必死に掻き集めよう。それらは全部、結衣が俺達を思って差し出してきてくれたものだから。

 

「……あの。なんかあの二人、すっかり二人の世界作っちゃってるんですけど」

「いつものことよ。それより一色さん、着替えたのはいいけれど、これでどうハロウィンの良さを伝えるというのかしら」

「え? えーと……お菓子をねだるって年齢じゃないですよね、わたしたち……」

「うーん、もうただのコスプレパーティでいいんじゃないかなぁ。ほら、ユイもノリノリみたいだし」

「ノリノリどころかあのー……人目を憚らずキスしちゃってるんですけど……」

「その……婚約者であるのなら、それくらい当然なのかもしれないけれど……はぁ。時間と場所を弁えてほしいものね……」

「ぷふっ! くっふふふふ……! 言われちゃってるよ、ユイ……! 金剛なのに、金剛なのに……!」

「くっ……! 知り合いがリア充にクラスチェンジした件について……! おのれ八幡っ……羨ましくなんかっ……羨ましくなんかないんだからねっ!?《ポッ》」

「わああ……よかったね、八幡。本当に、よかったねっ」

「……素直に祝える知人が居ると、我ってほんとちっぽけね……。というかそのー……と、戸塚氏? しゃ、しゃしっ、写真一枚、いいであろうかっ!?」

「やめて!? 絶対やだからね!? ぼぼ僕だって怒るんだよっ!?」

「あふんっ《ポッ》」

 

 いろいろと聞こえてはいるものの、ツッコむとこっちが恥ずかしい集中攻撃を受けるのでツッコまない。

 ていうかコスプレした婚約者にキスって、めちゃくちゃ恥ずかしいです。しかも人前で。特に材木座の前で。戸塚の前だとなんでかそわそわする。悪いことしてるわけじゃないのに。なんでだろうね?

 

「その……よ。これからは……ちゃんと言えるように、努力するから。いや、絶対に言うから。いちいち言葉に詰まって面倒なやつかもしれねぇけど……その、待っててくれるか……?」

「えへへ、うん。大丈夫だよ、ヒッキー。ヒッキーがちゃんと受け止めてくれるなら、あたしのこと考えて、あたしの言葉をちゃんと受け取って、話し合ってくれるなら、喧嘩したって仲直り出来るし、楽しいことは一緒に分け合っていけるよ」

「ぁ……ぅ……~~……ほんと、なんでお前は……!」

「? ヒッキー?」

 

 結衣にしてみれば当然のことを言っただけなのだろう。

 でも、それは俺にとっては当然じゃなくて、歩いて来た道を振り返ればずうっと欲しくて仕方がなかった言葉だった筈で。

 こんなやつが子供頃から、ずっと傍に居てくれたなら、と思わずにはいられない。

 ……だってのに、居たとして、泣かせてばかりだったんじゃないかって自分の最低さを再認識する材料になっちまう。つくづく、俺ってやつは。

 しかし、もはや哀しむまい、だ。

 計算し尽くして残ったものが人の……俺の気持ちだと言うのなら。

 俺はもう散々自分の未来を想像して、どうすればいいのかを計算して、そこに結衣を当て嵌め、不幸にしないための努力も加え、ひたすらに考えつくした。

 つくづく自分の斜に構えた思考が邪魔をしたが、もうそんなものは置き去りにしてもいいのだ。持っていきはしない。けれど否定だけは絶対にしてやらずに。

 過去に散々なことがあった。嫌なことも、悲しいことも、辛いことも散々。

 黒歴史を挙げればきりがない。けど、けどだ。

 

(………)

 

 ふと、ある言葉が頭の中に浮かんできた。

 

  かつてキラキラ輝いていたものが

  今や永遠に失くなってしまったとしても

  たとえそれが還らなくても

  あの草原の輝きや草花の栄光が還らなくても嘆くのはよそう

  残されたものの中に力を見出すのだ

 

 世界の汚さを知ったいつかを思えば、それまでの日々はきっと煌いていた。

 もはや永久に戻ってはこない、未知であったが故に輝いて見えた世界は帰ってこない。

 でも……もう、それを悲しむ必要なんてないのだ。

 今には今の輝きがあることを教えてくれた人が居る。

 世界は腐っていると認識しても、そこに残されて生きている俺達の中に───あの日までは確かに輝いていたと思える思い出の中に、これからを信じていける力は……まだまだある筈なのだから。

 

(ワーズワースか……)

 

 小さく感謝を。

 心から感謝するには気恥ずかしくて、そんなんだから結衣にも素直になれないんだろうがと苦笑する。

 だから、まあ。とあるドラマでとある先生が道を示してくれたように、俺も一人の先生が示してくれた“大切なもの”を、何度でも計算し尽くしていこうと誓った。

 今さらか、なんて過去の自分が鼻で笑う姿が脳裏に浮かぶ。

 けど───そうだな。

 

  ……それが何だというのだ。

  かつてあんなにも煌いていたものが、今や私の目の前から永久に消え去ったからといって。

  草原の輝きと、花々の誇らしさ───そんな日々は還ってきはしない。

  だが、私たちはもう悲しむまい。

  残されたものの中にこそ。

  幼い日の思い出の中にこそ。

  見い出すのだ。

  ───力を。

 

 計算が苦手なガキが居た。

 自分を識ることばかりに夢中で、得意なことは人間観察。

 人の行動は理解出来るのに、人の感情は解らないまま、大切な人ばかりを傷つけてきた孤独なガキ。

 計算し尽くせと言われて、してみるのだけれど上手くはいかず、結局必要な言葉を伝えられないまま、本物が欲しいとだけしか伝えられず、泣いた子供。

 そんな言葉を拾ってくれる人なんて普通は居ない。

 居るとするならそれはよほどの馬鹿か───……そんなガキとの短い付き合いを大切に思っていてくれた、不思議な連中で。

 だからこそ、その孤独なガキは。

 

(そうだな……なにかに抗うことを諦めてりゃ、そりゃあそんなところに“力”なんて見い出せないよな)

 

 なにがなんでも諦める方向を選んだ。

 そのくせ、自分の意見は通したくて、それは違うという言葉に自分の頭の中を基準にした考えばかりを押し付けていた。

 とんだ勘違い野郎だ。自分の言葉に責任さえ持てていなかった。

 大志に諦めることの素晴らしさを説いたことを思えば、顔を覆って溜め息くらい吐きたくなる。

 それでも……間に合わせることは出来たのだろう。

 なにを諦めても、こんな絆を諦めなかったからこそ……今を見い出せたのだと。

 それが遅かったのか早かったのか、まだまだガキな自分が答えを出すには早い気がした。

 だから、これからもっと知っていこう。

 傍に居てくれる“本物”を何度も何度も計算して、残った自分をぶつけ合い、解り合い続けて、大切に育んでいこう。

 そこに、ガキの頃に憧れた嘘の先の本当の先のなにか。

 ……本物があると思うから。

 

「これじゃキリがないし、そろそろ纏めよっか。えーと……じゃあハロウィンはただの仮装イベントってことでいいのかな?」

「一部の頭でっかちな人達から反感食いますよ!」

「では参加は自由というかたちにしましょう。より愛くるしい姿になれた人が最優秀ということで───」

「美的センスはそれぞれだろ。どうやって優劣決めるんだよ」

「あなたの歌の時のように、また投票で決めればいいのではないかしら」

「……相当ダメージでけぇぞ? お前、選ばれた時に晒し者になる覚悟は出来てるか? 俺の時はまだ顔出しとか名前バレはしない方向だったからいいが、仮装を評価するってことは人前に出るってことだぞ?」

「一色さん、この企画は無しにしましょう」

「雪ノ下先輩!?」

「ゆきのん!?」

「お前優勝する気満々だったのかよ……」

「そうね。比企谷くんに出来て私に出来ないわけが……と思ったのだけれど、考えてもみれば目立つことで私にいいことがある、ということには絶対にならないと判断したわ」

「あー……ゆきのんならなんか呼び出されて告白とかされそうだよねー」

「あら。それは由比ヶ浜さんの方が多いのではないかしら。私と違って話しかけやすいでしょうし」

「え? なんで? ……えと、ほら。あたし、ヒッキーのお嫁さんだよ? ないってばないないっ、あはは」

『………』

「? え? え? こ、婚約者に告白する人なんて、居ないよね?《なでなでなでなで》ひゃっ!? わっ!? ちょ、なんで撫でるの!? やめてよゆきのん! いろはちゃんも! ヒ、ヒッキーとめっ……ってなんでヒッキーまで!?」

 

 賑やかな日々は続いてゆく。

 これからまだまだくだらないことに苦笑し、くだらない出来事で慌て、つまらないことで喧嘩することもあるのだろう。

 そんなことが起こっても───今度は“全員”で計算しよう。

 本物は俺一人のものじゃないのだから、それを俺だけで計算するのは不可能だ。

 そしてそれは、俺だけじゃどう足掻いたって計算し尽くせないものだから。

 知る努力を続けよう。

 傍に居る努力をしていこう。

 心を打ち明けることを続けていこう。

 んで……おう。愛し続けていこう。何度も何度も、感謝を贈れる自分のままで。

 出会ってくれてありがとう。好きになってくれてありがとう。

 いつか、ちゃんと口で届けられるようになるから、それまでは待っていてくれ。

 いやその、近日中には必ず。

 ……締まらねぇな、ほんと。

 

  仕方なく苦笑をこぼすと、なにかいいことあった? と問われた。

 

 ありすぎて困るまであると返すと、今度は嬉しいような困ったような、むず痒い顔。

 どうしたんだ、と訊こうとする俺に、彼女は両手を伸ばし、そっと俺の頬を包む。

 そして俺の目を真っ直ぐにじーっと見つめると、言うのだ。

 「勘違いだったら恥ずかしいけど……た、試しだかんね?」と。

 なんのこっちゃと首を傾げるのが合図になったかのように、結衣は背伸びをして俺へとキスをした。

 驚きに固まるも、視界と思考、届く香りまでもが彼女で満たされると、自然と目を閉じその感覚に身を委ねた。

 しばらくして彼女は離れ、赤い顔のままに俺の目を覗き込む。

 出てきた言葉は「……わああ……!」なんていう嬉しそうな声。

 

「? 由比ヶ浜さ───」

「どうしたんですか結衣せんぱ───」

「えっと、由比ヶ浜さん? 八幡がどうかしたの───か、な……」

「……ぬおっ!? 貴様何奴!? いつの間に我が相棒と入れ替わった!」

「? おい、お前らなんの話して───」

「え、ちょ、なんですかこれどうなってんですかどんな魔法使ったらこうなるんですか幸せならそれでいいんですかよく解らないですごめんなさい!」

「ちょっと待てなんで今俺振られた!?」

「あ、あなた……本当に比企谷くん……!? まさか、こんな……!」

「わああ……! すごい! どうしてなのかわからないけど、八幡すごく格好いいよっ!」

「お、おう戸塚、そう言ってくれるのはありがたいが、なんでいきなり?」

 

 いやあのちょっと待ちなさい? なにそっちだけで解り合ってるの?

 俺なにひとつ解らないんですけど? 俺当事者ですよね? なんなのこの疎外感。

 結衣に訊いてみたくても、なんでかぎゅーって抱き付いてきてて、話すどころじゃないし。

 

「ね、ねぇねぇ、ヒッキーっ、今さ、今……どんな感じっ?」

「すまん、理解したいんだが質問の意図が全く読めん」

「えとさ、えっと……ほら、こう……しあわせー、とか、うれしいー、とか」

「そうだな。とりあえず困惑してる」

「そ、そうじゃなくってさ、ほら、えーと……うー…………あ、じゃあ困惑する前とかっ」

「………」

「……ヒッキー。教えて?」

「~~……」

 

 早くも言った言葉を後悔しそうになったが、もはや悲しむまいだ。

 

「……その。ありがとう、と……幸せだ、って……あと、その。これからもよろしく、とか……あと、は……~~」

「ヒッキー」

「………」

 

 呼ばれて、くしゃりと頭と髪を撫でる。

 大丈夫だ、ちゃんと伝えるから。いっそ恋愛馬鹿になっちまえばいい。

 今まで見ないフリをしてきた世界を見るために自分を変えたいなら、きっと馬鹿になるのが一番早い。

 ただ馬鹿なだけの馬鹿になるんじゃない。

 自分のために動こうと、結果的に人の幸せを願えるような馬鹿に……俺は。

 

「その……な。“これから”が……楽しみだって思えたんだ。こんな世界なら自分も腐らずに居られるんじゃないかって。始まる前から諦める必要なんかないんじゃないかって。だから───」

 

 だから、幸せだと。お前らと会えて良かったと。

 そう伝えると、結衣はぐっと息を飲んで……そのあと、ぽろりと涙をこぼして、俺の胸に顔を埋めた。

 どうしたんだ、なんて訊こうとするより早く、どうしたらいいのか解らず、雪ノ下や一色に助けを求めて視線を投げてしまう。

 けど、どうしたことか雪ノ下も一色も顔を背け、小さく肩を震わせていた。

 おい、なにもこんな時に笑うことねぇだろう、と思ったんだが……そんな考えは、真っ直ぐに俺を見つめ、涙を浮かべている戸塚の顔を見て吹き飛んだ。

 そんな戸塚が言ってくれる。本当によかったねと。

 

「………」

 

 ……そうだな。

 俺なんかにはもったいないくらいの温かい世界だ。

 でも、もうそれをもったいない、なんて言っちゃいけないことくらい、頭でっかちな俺にだって解る。

 かけがえのないものは持たないようにしようとした自分は、そんな俺を見て“どうしてお前は俺なのに”と声を漏らす。

 その問いに、俺はどう答えるべきかを考えて……考え尽くす前に、あっさりと出てしまった答えを、今は差し出した。

 幸せでいいって思えた。

 幸せを受け入れていいんだって思えた。

 俺も、幸せになっていいんだって……ようやく解った。

 だから……今は。

 

(歩んだ青春がどんだけまちがっていようが、選んだ道が正しいって信じてる)

 

 そんな答えで納得してもらって、その上で歩いていく。

 さて、やることは山積みだ。

 今まで散々とのびのびしてきたんだ。そろそろ本気、出してみよう。

 

「結衣」

「ぐすっ……ぅ、ぅん……ひっきぃ……」

「好きだ。ずっと傍に居てほしい」

「───…………~~~……ふ、ぅぅ……ぃぅ……っ……ぁぁぁぁあん……!! ぅぁああああん……!!」

「───へ? あ、いやちょっ……なななんでだよっ! 泣くところかここっ!」

 

 本気を出した一歩目で婚約者を泣かせてしまった。

 え、えー……まじか、どうすりゃいいの、これ。

 物語の中だと嬉し涙とかよくあるけど、なんつーか……えーと。無粋だけど思うくらいなら許してくれ。

 金剛泣かせちゃったよ俺。

 いやいや真面目で行け、俺。でも思っちゃったことは確かなわけでして。

 なんでこんな、これからのことを決める告白の場で相手が金剛なのか。

 

「……一色。ハロウィンやめにしない……?」

「えぇっ!? なななんでですかー!」

「海老名さん……材木座……解ってくれるよな……?」

「あーうん、これはいくらなんでも。外側から見ると、もうほんと金剛泣かせた不倫男って感じだしね」

「八幡よ……とりあえず今お主が金剛は俺の嫁とか言ったら刺す自信があるぞ、我」

「とりあえずでそこまで行くのかよ」

 

 まあ、いろいろな意見はあれど、とりあえずどんな格好をしようが結衣は結衣だ。

 だだ大丈夫、相手は金剛じゃないよ?

 ほら、もうなんていうかさ、ウィッグ取ってさ、元の髪にしちゃえば問題ないだろ。

 はい、パチンパチンと…………あれ? 無理にウィッグつけてたのか、なんか髪がハネて……やだ、比叡だこれ。

 しかもそもそもの性格までもが案外比叡っぽくて……やだやめて、シリアス空間が逃げてゆく。

 はぁ、ほんと……締まらん。

 

   ×   ×   ×

 

 ふーん。で?

 なんて言葉に、意識が今に戻ってくる。

 

「ふーんもなにも。その帰り道、着替えたあとにきちんと告白し直したぞ?」

「なんかいろいろ台無しだったんだね」

「いいんだよ。それからはきちんと“伝え合うこと”を行動の基準に埋め込むことに成功したんだから」

 

 喫茶店の暇な時間。

 ピークも過ぎ、結衣も奉仕部という名の休憩室に引っ込み、売り上げなどの計算をしている中で、俺と絆はカウンターを挟んで話し合っていた。

 

「それから卒業まで、卒業しても今みたいにラブラブなの?」

「おう。言っておくが結衣への愛情を語らせて俺の右に出る奴は居ないぞ」

「あーうん、おじいちゃん泣かされてたもんね。ほんとパパ、どんだけママのこと好きなの」

「子供だったお前が恥ずかしいからやめてーって言う程度ならまだ序の口だ」

「それ、娘に言っちゃうのってどうなの……? まあパパのそういう堂々としたところ嫌いじゃないけどたまに恥ずかしいからやめてくださいごめんなさい」

「だから一色の真似はやめろっつーのに……」

「わたしにはママが三人居るからいいのです。髪の毛は雪乃ママ、顔立ちとかはママで、性格とかはまあその、いろはママって感じで。でもあの“わたし可愛いっ☆”アピールだけは真似できません恥ずかしいです」

「冷静に考えられる頭持ってるくせに、アレを真似ようだなんて出来るわけないだろうが。あれはちょっとばかし一歩先ゆく頭の持ち主じゃなきゃムリだ。自分の可愛さに絶対の自信を持ってるって意味でな」

「うーん……わたし、可愛い?」

「あー、世界で二、三番目に可愛いよ」

「うわー、一番が訊かなくても解るってのがもう……。まあ二か三のどっちかなら、そのどっちかが美鳩ってことくらいはわかりますけど。今頃なにやってるでしょうねあの双子の妹は。……あのですね? パパ。普通さ、男親って娘が産まれたら鬼可愛がりするもんじゃないですかねー。そこのところ、どうなのかしら、比企谷くん」

「お前も比企谷だろーが。髪撫でる仕草から完璧トレースして言うんじゃねぇよ。生憎俺は相手が娘だろうとまずは警戒する。愛情はたっぷり注ぐが、注いだ分だけ娘が父親を好きになるなんてまやかしだ。ソースは俺の親父」

 

 あと小町な。

 普通に親父、家じゃ立場なかったし。

 

「むー……わたしはこんなにもパパが好きなのに」

「将来パパと結婚するなんて言う娘なんてのは、ちっとすりゃすぐに赤い顔してクソガキャ連れて好いた惚れたほざくもんなんだよ。その場限りの限定的な愛情なら、そんなものはいらん」

「……ママ、よくこれを落とせましたね現実を前にしても信じられませんごめんなさい」

「おいやめろ。実の父親にこれとか言うんじゃありません」

「だからわたしの名前にはパパの名前が混ざっていないのかしら」

「雪ノ下口調でパパ言うのもやめろ。……子供に俺の名前なんて混ぜたらいいイジメの的だろうが。誰がそんな重荷になるかっての。お前は結衣の名前から取って、手を取り合って結ばれた衣、って意味で絆なんだ。これ以上の名前があるもんかよ」

「むー……八と結で“やゆい”とかでもよかったのに」

「どっちにしろ無理があんだろ」

「うー……でも、でもー……は、はち……えっと、やわた、とも読めるから、えーとえーと……“八衣”で“やころ”とか……いっそパパだけからとって……あ。八だからアハトで、アハト衣……なんかあざといみたいになった!?」

「お前、頭悪くないのにたまに天然で馬鹿だよな」

「誰が馬鹿だ!?」

 

 そうその反応、まるっきり結衣だ。

 

「あーほれ、客来たぞ。笑顔で迎えてやれー」

「ううー、もう! パパもちゃんと考えてよー!? じゃないと今夜お風呂に突撃しちゃうから!」

「お前どんだけ俺のこと好きなの……16にもなってやめなさい、恥ずかしい」

「親子だからだいじょぶ! あ、いらっしゃいませー! 喫茶ぬるま湯へよーこそー! もははははは! 我こそがこの喫茶店の看板娘ぇ! 比企谷絆であぁるぅうう!!」

 

 とりあえず材木座は殴ろうと思った。

 ま、でも……いいんじゃないのかね、幸せが続いているなら。

 まったく、あの頃に比べりゃ世界が眩しいったらない。

 濁った世界も腐った世界ももう早々見ることはないんだろう。

 未来に期待を持ったあの日から今まで、もう自分の目指す先は希望だらけだ。

 だから、諦めることなんてなにもない。

 そんなものでいいのだろう。

 

「パパー! ブルマいっちょー!」

「その略し方やめなさい! ブルーマウンテンでしょブルーマウンテン!」

「えー!? だってお客様が是非その呼び方でってー!」

「てめぇどこのどいつだっててめぇか材木座ぁあああああっ!!」

「ちょ、ちょっとした幸せ者へのやっかみであろう!? ちょっとくらいいいではないかーーーっ!!」

 

 こんな賑やかさが続いてくれるのなら。



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喫茶“ぬるま湯”の騒がしい年末年始①

◆注意◆

 オリキャラとして八幡と結衣の娘が登場します。
 それに合わせ、いきなり出てこられちゃ心の準備が……ということもあると思うので、先に3章である“少年だった僕らが描く、17歳の俺達へ”内の“そこにある青春のかたち”を読むことをオススメします。


◆比企谷絆───ひきがやきずな
 ヒッキーと結衣の娘。
 双子の妹が居て、美鳩(みはと)という。現在コーヒーを学びにはるのんと外国に行っているため、ここには居ない。
 髪を染めるとパパにビッチって言われるんだよと結衣に言われて育ったため、髪を染めるという行為に恐怖を覚えている。
 大体の動物は好き。でも犬と猫は次元が違うレベルで好き。
 16になっても一緒に風呂に入れるほどのファザコン。
 頭は悪くないのに天然馬鹿。

 ◆特徴
 髪型:ゆきのん
 顔やスタイル:ガハマさん
 口調:いろはす+小町チック。
 趣味:物真似、カラオケ、アニメ、漫画、ゲーム、裁縫、料理、人間観察、テニス
 好きなタイプ:養ってあげたくなるような人、むしろパパ。
 夢:過去にタイムスリップ出来るならパパと出会ってプロポーズして添い遂げる勇気まである。


 夕方の喫茶店というのは案外静かなものだ。

 学生時代にバイトしていた喫茶店も、心地良い音楽とコーヒーの香りだけで、随分と心が落ち着いたものである。

 時折来る、店に入るとギャン泣きする子供には勘弁してくれお客様と思ったものだが。

 ああいう時は一旦外に出るなりして泣き止ましてから戻ってくるものじゃないの? とか思っていたいつかを、まあ俺が体験する時が来るとは思ってもみなかった。

 いや、案外すぐ泣き止んだんだけど。どこまで俺のこと好きなの、こいつ。

 

 と、過去を思いつつ、陽も傾いた時間。

 自分たちの店である喫茶店でのんびりとミルをゴリゴリ回していると、

 

「もー、いーくつねーるーとー♪ や~ぁっはーろーおー♪」

 

 娘である絆がニコニコ笑顔で掃除を始めた。

 モップ掛けである。

 

「お正月には~やっはろぉー♪ こーまを回してやっはろぉー♪ は~~~や~くぅ言~い~た~い~やぁ~~~っはぁ~ろ~お~~っ♪」

 

 歌で解る通り、とも言えないが、本日12月31日。

 どうせ夜は蕎麦屋などに客は取られるだろうからとすぐに閉めようと思っていたのだが、予約があったので開けないわけにはいかなかった。

 それで今。予約の客も捌け、あとは来るかも解らない客を待つか、さっさと片付けてしまうかなんだが。

 ていうかなんなのそのやっはろー地獄。なんでそんなにやっはろーしたいの。

 

「パパ! わたしすごいこと思いつきました!」

 

 そして唐突にこちらを見ると、ほわーと明るい笑顔でなにかしらを思いつく。まあ、いつものことである。

 

「この歌を歌わせれば、いっつも“眠りなさい”とか“眠ろうかしら”とか言ってる雪乃ママに“寝ると”と言わせることが出来ます!」

「……“寝る”はべつに“眠る”の荒っぽい使い方とかそういう意味じゃねぇよ」

「解ってるよもうパパってば。屁理屈ばっかり。わたしはただ、雪乃ママに寝ると言わせたいだけで」

「だったら煮っ転がしの話でもしてやれ。何故か“ねっころがし”と似ているとか言い出すから」

「まじですか! やってきます! パパ提督、一等兵の無事を願ってください!」

「おう、冷蔵庫のプリンは拾ってやる」

「そこは骨を拾ってくださいよ! でもでもいぇっさー! いってまいります!」

 

 一色式ウィンク付き敬礼をしたのち、絆が奥へと走っていった。

 ……しばらくして、走ったことを怒られた絆が戻ってきた。

 

「フフフ……ねっころがし、いただきました!《ニヤリ》」

「お前、めげねぇなぁ……」

「それにしても暇ね、比企谷くん。誰も居ないのならいっそ、わたしを可愛がってくれないかしら」

「唐突に雪ノ下の真似はやめろ、妙に似てるくせに視覚的な違和感がすごくて怖い」

「視覚的? んー……まだ完璧じゃないってこと?」

「完璧にせんでいい。じゃなくて」

「? ……あ、やんっ、パパどこ見てるのっ?」

「おかしな声出すな殺されるだろうが主に社会的に」

「親子だからだいじょぶ!」

「……風呂に突撃してくるくせに、服越しに見られるのは嫌とか、女って解らん……」

「え? ほら。そこは乙女なハート的な。女の子は複雑なのです。ていうかパパもさ、そろそろママと一緒にお風呂入るのよそうよ……」

 

 もじもじしながら言われる。

 ああ、まあ、あんまり親がそういう感じなのは、子供にとっては嬉しく───

 

「なんなら代わりにわたしが!《くわっ!》」

「マジな顔してやめなさいほんと」

 

 娘相手に欲情なぞしないし、そもそも結衣以外相手にトキメいたりとかしない。

 いえ? 確かに? こいつには一度キュンとさせられたことはあったが、あれはほらアレだよアレ。子供を愛でる親的な。

 絆自身も冗談だったのか、たははと笑ってモップ掛けに戻る。

 結衣と雪ノ下と一色が考案した喫茶店の制服を揺らしながら、にっこり笑顔で。

 うん、ロングスカートはやはり安心する。装飾もうるさくない造りだし、喫茶店はやはり清潔感あってこそだと思うのだ。そして静か。いいことだ。

 

「あ、そういえばパパー」

「ん? どしたー?」

「最近やたらと葉山さんの視線が気になるんだけどー……わたし、もしかしてなにかやらかしたかな」

「……学生時代が懐かしいだけだろ。まあ、解る。お前、結衣と雪ノ下と一色と小町を混ぜたような感じだし」

「ふふーん、劣化版はるのんとはわたしのことっ《キリッ》」

「自分を劣化版とか言うなっつの」

「はーい。あ。あとなんか“隼人くんと呼んでみてくれないか”とか言われたから、嫌です怖いですキモいです読み方変えてハサンとか呼びたくなるほどサッバーハですあとキモいですごめんなさいって言っておいた」

「葉山……」

「あの、なんてーんでしょうね。たまに見せる貼り付けたみたいな笑顔がほんとサッバーハじゃないですかー。そう思いません? せんぱい」

「だから一色の真似はやめろ、ていうか今ミル回してるから抱きつくな。あとなんでお前fateネタ知ってるの」

「マスターフェンサー的なジェネラルさんが」

「普通に剣豪将軍って言えよ……」

 

 まあそんなとこだろうとは思ったが。

 

「……はぁ。で? 葉山は?」

「“雪乃ちゃんの仕草でいろはの言葉と結衣のキモいか……ほんと、まいったなぁ”って言ったから、ママを名前で呼んでいいのはパパだけですなんですか馴れ馴れしい上にキモいですごめんなさい、って言ったら落ち込んでた。あ、もちろんパパの知人をヘコませるのは絆的にポイント低いので、ちゃんとケアもバッチリです《ムンッ》。……きちんとその後、一回だけですからねって言って名前呼びしたよ?」

「お前なぁ、そういう“一回だけだから”が相手を調子に乗らすんだぞ?」

「だいじょーぶだよぉパパ。えへへぇ、心配してくれるのは嬉しいけど。ほんとだいじょぶ、呼んだっていってもほら、こう……“っべー! 隼人くん、マジっべーわー!”って感じだから。言ったら笑い出したよ? お腹抱えて苦しがるくらい」

「お前さ、どんだけ知り合い多いの……」

「全部パパの知り合いだけどね。あ、ほらほらお客きたよお客さん! 追い返していい!?」

「いやなんでだよ。暖かく迎えてやれよ」

「えー? だって先輩との語らいの時間がなくなっちゃうじゃないですかー」

「だからやめろというのに……ほれ、笑顔笑顔」

「……《ニタリ》」

「そこで俺の真似までするなよ……」

 

 にこっと笑って戻ってゆく絆を見送る。

 で、またやらかすわけだ、あの娘は。

 

「ぶるぁあああぉおぅうっ!! よぉくぞ来た勇者よぉぅ! ここが魔王城としてなんかご近所さんでも有名っぽーいぃ、喫茶ぬるま湯であぁるぅ! ここに来たのは貴様がえーとえーと……何人目だっけパパー!」

「解らないなら言うなよ……」

「まあいいや、ご注文は?」

「うん、スマイルひとつ」

「そう。出口はそこよ、回れ右して帰りなさい《にこり》」

「は、はは……相変わらず俺には手厳しいなぁ、絆ちゃん」

 

 ちらりと見れば、入ってきたのは葉山だった。応戦するのはもちろん、雪ノ下の真似をした絆だ。

 

「葉山、娘をからかうのはやめろ。つかなにしに来たんだよ」

「陽乃さんから頼まれて、差し入れだよ。ついでにコーヒーでも、ってね」

「そか。生憎スマイルってコーヒーはないな」

「そーですそんなのありません。あ、ちなみに右以外は許しませんよ? 回れ左して帰ったら塩撒きますからね! れっぷーけーん!」

「落ち着け。あとSUMOUネタはやめろ。ほら、こっちこいこっち」

「はっぽぉん……呼ばれてくるこの絆と思うたか!《くわっ》……《とてとて》」

「来てるじゃねぇかよおい」

「絆はパパの言うことならなんでも聞く良い子さんですから。そしたらパパも躾の行き届いた娘さんで羨ましいわぁ、とか言われるのですよ。パパ、褒められる。絆、嬉しい。あ、今の絆的に鼻が高い」

「そこはポイントにしとけ。ほれ、いーから雪ノ下呼んでこい。雪ノ下さん絡みはあいつの仕事だ」

「いぇっさー!《とたたたた……!》」

 

 一色式敬礼ウィンクをしてから元気に走ってゆく絆を見送り、俺は俺でコーヒーを用意。

 仕込んでおいたダッチコーヒーがいい具合だからそれを注いで葉山に出す。

 

「ダッチか。……いい香りだ」

「バイト時代の店長が好きだった。一度味わったら“負けた”って思ったな」

「専用器具とか無いと出来ないんじゃなかったか?」

「店を開店した時にな、独立記念にってその店長に一個譲ってもらったんだ。数少ない俺の宝だよ」

 

 人に認められて、信頼があったから貰えた、本当に数少ない宝だ。

 貰って、戸惑ってる時に肩を叩かれ、“頑張ってな、お前なら出来るから”って言われた時、自然と泣いちまったからな。

 不思議と思い出しても恥ずかしいとは思わない。

 あれは自分が認められて、応援される価値があるのだと理解できた瞬間だ。それを恥だって受け取ったら、店長にもあの涙にも失礼だ。

 

「ふぅ……美味かった。ありがとうな」

「おう。で? 最近うちの娘のことをジロジロと見ているそうだが」

「昔が懐かしくなった。これだけで解ってもらえると思う」

「……ま、そうだろうな。あいつほんと、雪ノ下と一色の血も引いてるんじゃないかってくらい似てるとこあるし。いろんなやつの真似をするから、あの頃が懐かしくなる」

「あの頃に大切にしてたものが、全部そこにある、みたいな錯覚を感じるんだ。まるで宝箱だよ、彼女は」

 

 そこは宝石箱にしとけ、とは言わない。宝石箱ってガラじゃないもんなぁあいつ。

 

「……海老名さんのは真似しなくてよかったって心から思うがな」

「……同感だ」

 

 二人、視線を交わして笑った。

 そうしてから、今度は普通にブラックとMAXを小さなカップに用意して、MAXを葉山に。

 

「俺は君が嫌いだ」

「こっちの台詞だ、馬鹿野郎」

 

 俺が嫌いだを謳い、葉山がこっちの台詞だを謳う。

 やがてカップを軽くぶつけてから、熱さも気にせず一気に煽る。

 

「うげ、苦ぇ……」

「うぐっ……甘い……!」

 

 それぞれ本音を口にしてから軽く拳をぶつけ合わせた。

 

  ───“嫌い”を飲み込む。

 

 言葉遊びみたいなもんだが、こいつとの付き合いも随分長い。

 “雪ノ下”の世話になるってことで、ほぼ強制っぽくこいつが仲介みたいなものになったんだが……ああいや、雪ノ下家とのって意味じゃなくて、雪ノ下さんとの、って意味な。

 その時にもこれをやった。

 というより、一年に一回は必ずやる。

 俺達は友達にはならない。ただ、いつまでも自分たちらしくあるために、こんな儀式めいたものを続けていた。

 馴れ合うつもりもなく、けれど突き放すわけでもない。

 嫌いと言い合えるくせにニヤッと笑い合える程度の仲。それが、俺達だった。

 

「あの娘は人の真似が上手いな」

「人間観察が得意だからな。俺が遊びで雪ノ下の真似をしたら、えらく気に入ったみたいだ」

「それでか。似すぎて結構ドキドキさせられるよ」

「惚れるなとは言わないが、お前が義理の息子とか勘弁してくれよ?」

「冗談でもやめてくれ。というか、もしそうなったとして、君は賛成なのか?」

「あいつが幸せになれるなら構わねぇよ。あいつの人生だ、放任はしないが、あくまで幸せを願うだけで、俺からなにかをってのはないな」

「……シスコンだったキミからは考えられない意見だな」

「俺は親父がアレだったからな。娘にべったりの父親ってのがどれだけ鬱陶しいのか理解してるんだよ。おまけに俺は自分自身がキモいってことも、もう散々周囲から言われて理解してる。だから、そんな俺を真っ直ぐに好きになってくれた結衣を愛し続けるし、傍に居てくれるやつらには信頼を以って応える。それ以外はわりとどうでもいい」

 

 人間ってざっくり言っちまえばそんなもんだろ。そんなもんだよな?

 口には出さないが、構われたかった時期に構われないガキの心情ってのも解るつもりだし。今の俺の立ち位置からすると、結衣がそれだ。

 俺が子供に付きっ切りになれば結衣はぽつんと一人になる。俺の親は小町を愛したが、俺はどうだって思い返せばそれほどでもない。

 だから、というだけじゃないが、俺は結衣に構い続ける。

 夫婦の営み? 健在です。

 時間をかけて愛し合うのが好きな結衣と、ゆっくりと溶け合う時間は俺にとっての最高の癒しと言える。

 人と愛し合う時はね、誰にも邪魔されず自由で……なんというか救われてなくちゃだめなんだ。

 二人で静かで豊かで……。

 

「どうでもいい、か。まったく。学生のうちに婚約しておいて、どっちがリア充なんだか」

「そりゃお前だろ。確かに俺は、今でこそこうして満たされてるけどな。学生時代が充実してたかっつったらそれは違うって答えるぞ」

「贅沢だな」

「そんな台詞は付き合ってるだけで“あんな底辺が”だの“趣味が悪いな”とか言われた俺と結衣の身になってみてから言え」

「……。そうだな、すまない」

「まあ、気にせず付き合ったがな。結衣が覚悟を以って“気にしない”って言ったなら、信じられなけりゃ隣に立つ資格すらないだろ」

「婚約までしておいて裏切られたら、どうするつもりだった?」

「二度と誰も信じねぇよ。誰もだ。家族だって信じねぇ。家族になりましょうって約束をしたヤツに裏切られるなら、そんな世界は信じる価値もねぇだろ」

 

 まあ世の中には婚約しておいて何股もした女が居るそうだが。

 やだ、女って怖い。

 

「そうか。……きみは本当に極端だな。信じたら裏切られたくないから、全力で信じる方向に走る。嘘でもいい、裏切られてもいいとは思わないのか?」

「“嘘でもいい”か。結衣に一度言われたことがあるよ。“正しすぎる世界よりも、優しい嘘が欲しい時がある”って。学生の頃……あー、奉仕部でいた頃のことな。いろんな依頼があって、俺達奉仕部の関係も随分と揺れに揺れただろ」

「……すまない」

「謝罪とかはもういい。というか、むしろ話の腰折りにしかならないからもう謝るな」

「そ、そんな理由でか……」

「あの頃な、俺は本物ってものを求めてたんだ。それこそ、まちがわないようにって計算をして、計算し続けて、答えを探した。そうして出した答えを提示すれば、それは絶対に間違いじゃないに違いない、なんて思ったこともあった。実際、まちがいだったことは滅多になかったからな」

「……だが、それはちょっと違うだろう」

「ああそうだ。“正解”だけで固めた世界なんてつまらないもんだよ。安定と安寧はあっても、そこにはなんの刺激もない。そんな世界が嫌だから、つまらないから人は解っててもまちがいを選ぶんだろうなって思った。……ほれ、おかわり」

「悪い」

 

 話の途中でコーヒーを淹れる。

 もちろん話に付き合わせている礼だ。

 

「結衣はさ、嘘でもいいから俺達三人が一緒の世界を望んでた。結果として今はあるが、当時は怖くて仕方がなかったらしい」

「それは、解るよ。俺もそうだった」

「……実際は、意味として大分違うんだけどな」

「意味?」

「……いや、なんでもねぇよ」

 

 言葉を濁して苦笑する。

 と、そこに丁度絆が戻ってきて、俺の腕に抱き付いてきた。

 そして極上のスマイルで俺を見上げ、言うのだ。

 

「パッパぁ~ん♪ わたしぃ、ヴィトンのバッグよりもパパの愛情が欲しいぃ~ん♪」

 

 ……猫なで声で相当あざとさが漂っている筈なのに、真面目にやってる所為でわざとらしさがてんでないから困る。

 

「そういう口調でパパって呼ぶんじゃありません」

「一度腕に抱き付いてパパにおねだりとかやってみたかったんですよ。バッグなんて飾りです。偉い人にはそれが解らんのですよ。ものを入れられて軽くて持ち運びに苦労しないなにかであれば、あんな高いだけのものよりもパパの愛情を選ぶのです。この絆一等兵は」

「絆ちゃんはブランドものとかは嫌いかい?」

「一瞬の贅沢よりも長い平穏です。この比企谷絆が妻になったならば、見栄っ張りな贅沢こそさせませんけど、ささやかだけど精一杯の愛情で日々を過ごしてもらう努力をする所存! 尽くしてみせます旦那さま! でも家でじっとしてる趣味はないので働きまくって、家に帰ったら旦那さまが料理を作って待っててくれるーとか、そんなの憧れちゃいます。どこかに専業主夫志望で絆にやさしいポイント高い人とか居ませんかね……」

「………」

「………」

 

 俺と葉山、顔を見合わせて……笑った。

 

「え? え? な、なんで笑うの!? 人の夢を笑うなんてひどいです!」

「ご、ごめんね絆ちゃんっ……ぷふっ、けど───」

「笑った時点で重罪です重いですひどいですあんまりです非道です外道です! むしろ軽蔑します! ていうか軽蔑するし悲しみます! そして軽蔑します! 軽蔑です!」

「……比企谷。なんか物凄い勢いで俺だけ軽蔑されてるんだが……」

「ネタだから気にするな。ほれ、機嫌直せって」

「いやです。一等兵はご立腹です。この怒りはしばらく燃え盛り、天まで煙を届けて雨が降って地が固まるまで治まることを知ら《ぎゅうっ》ふあぁっ……!?」

 

 そっぽ向きつつぶちぶちこぼす娘を正面から抱き締めてやると、怒気混じりの声がぽしゅーと抜ける。

 で、背中と頭を撫でると残った怒気も抜けて、俺の背に腕を回し、ぎうーと抱き付く娘の完成。

 その状態のまま俺を見上げる顔は、すっかり上機嫌で目がきらきら輝いていた。

 

「えへへー♪《にこー》」

 

 にこーと笑う顔は学生時代の結衣のまんま。

 いやまあ、お義母さんと同じく、結衣もてんで歳とったって外見してないんだけどな……。

 どうなってんの、由比ヶ浜家の女性の外見年齢って。

 ああ娘が可愛い。なのにそっぽ向いてぶちぶちこぼすところなんて、なんで俺に似たのか。

 

「治まることを知らない怒りはどうした?」

「わたしは過去の自分を否定しないとともに、今の自分を優先するのです。機嫌がいいのに怒るとか阿呆です。───なので比企谷くん。より深い触れ合いを所望するわ。頭を撫でなさい」

「───!《きゅん》」

「おい葉山。落ち着け。今のお前、形容しがたい表情になってるから」

「あ、ああ…………はぁ。きみ……いや、お前が羨ましいよ、比企谷。俺は結局選べなかったからこんな自分に辿り着いた。選ばないことを選んだ先がこれなら、俺はもっと踏み込むべきだったんだろうな」

「べつに。その時にこの道を後悔しないって決めたんなら、その時のお前がまちがってた、なんて誰も言わねーよ。その時になにも言わなかった周囲だって、それで納得したってことなんだから。あとになってからそのことで糾弾する方がまちがってるしアホらしい。後悔先立たず? 歩いた先でちっとも振り返らないし悔やまない世界ほど胡散臭い道なんてねぇだろ。すべてが最善だって胸を張れる選択なんざねーよ。大体、」

「それでも」

「………」

「……それでも。俺はその時の精一杯の最善を選びたいって思ってた。選ばないことが最善だって思ってたんだ」

「…………はぁ。そーだな。けど、それはお前にとっての最善であって、周囲の……特に三浦にとっての最善じゃあなかっただろ。恋する高校生乙女の青春を台無しにしやがって……とはキッパリ言えないな。俺もきっかけが無けりゃ、高い確率でまた泣かせてた」

「数えられるほど泣かせてるのか。言えた義理じゃないが、ひどいやつだな」

「お前、やいばのブーメラン投げるの好きだな。いいんだよ、気づけてからはむしろ俺があいつにべったりだったんだから」

「そうだな。いつも顔真っ赤にして“見すぎだ”って困っていたよ」

「お、おう」

 

 思い出すほど恥ずかしい。恥とは言わないが、くすぐったいというか。

 あれだよほら、幸せだったんだよ。あいつのお陰でいい青春時代を歩けた。

 

「パパはほんと、ママのことが好きだね」

「おう、当たり前だ。気づけば目で追ってるし、客がじろじろ見てたらその目を体術奥義サミングで潰したくなるほどだ」

「客相手に物騒だな……ていうかなんで俺を見ながら言うんだ」

「パパ、同感です。一等兵といたしましてもあまりジロジロ見られるのは本意ではありませぬ」

「はは……似た者親子だな」

「自慢の娘だな。たまに天然で馬鹿だが、だからこそだ」

「むうっ……馬鹿っていうほうが馬鹿だもん。こう見えてこの一等兵は国際教養科筆頭で生徒会長さんで学校のアイドルさんで」

「全部蹴っただろうが」

「うん。だってめんどいもん」

 

 一色と同じように生徒会長に推薦されたが蹴った。国際教養科に入れる実力もあるのに蹴った。アイドル的存在になれるかもって感じでも蹴った。

 どうしてだと訊いたら、“わたしの青春は喫茶店とパパとママたちの傍で完結してるんだよ!”なんてイイ笑顔で言いやがったのだ。

 あ? 友達? 普通に居るぞ? ちょくちょくコーヒー飲みに来てる。

 家に友達が来るだなんて、ぼっちだった俺とは大違いね。

 

「こういうところはつくづく比企谷の娘だって感じるな」

「馬鹿いえ、結衣だって興味があること以外は相当ドライだったぞ」

「パパに夢中の時のママってすごいもんね~っ♪ 周りの音とかぜ~んぶ聞こえないし……って、ありゃ? 雪乃ママ遅いね。ちゃんと呼んだんだけど」

「ん……なにやってた? 一色の手伝いか?」

「うん。パンさんパンを作ろうって躍起になってたよ?」

「あー……」

「はは……それは……うん」

 

 それ絶対に呼ばれたことに気づいてねぇよ。

 雪ノ下こそ、パンさんとか猫のことになると周囲が見えなくなるし。

 

「というか、パンも焼いてるのか」

「どうせならって一色がな。んで、絆にねだられた材木座がとあるアニメの円盤持ってきて、こいつがティッピーパンにやられた」

「名づけて“積雪象る半球の猫パン”! 略して“かまくら”」

「……比企谷が飼っていたっていう猫か」

「まあ今も居ますけど。何代目か。小町お姉ちゃんが頑なに“かまくらはカーくんだけだから”ってつけさせてくれなかったから、名前は違うけど」

「へえ……名前は?」

「カクタス・マルゲリタ・クジャッハスタ・ランバート」

「カマクラじゃないか!」

「おおっ、一発で解るとは! もちろん小町お姉ちゃんにも却下されたから、普通の名前になったんですよ」

「……まあ、長いしね。それで? 名前は?」

「ヒキタニくん」

「え?」

「ヒキタニくん」

「………」

 

 葉山が額に手を当てて“あちゃー”って感じで天を仰いだ。

 まあ、解る。

 俺も材木座の小説の所為でヒキタニくん嫌いになってたからやめてほしかったんだが、悲しいことにヒキタニくんなんだよ、うちの猫。ちなみに“くん”まで入って正式名称な。くん呼びするならヒキタニくんくんだ。

 

「とりあえずだ。この件に関して、あのテニスの時から俺をヒキタニ呼ばわりした戸部とお前は絶対に許さないリストに名前入りしている」

「そっ、その時点で訂正とかしてくれたらよかっただろうっ!?」

「黙れ笑顔がステキな色男。人の名前をよく知りもしないで、明らかにうろ覚えですって戸部の呼び方を素直に受け取りやがって。どうせリア充軍団と俺なんぞが交わることなんざそうそう無いんだ、むしろ当時の俺からしてみればあの一瞬だけであってほしかったくらいだよ。それがなんだ、平穏に暮らそうとしてみれば雪ノ下の幼馴染で結衣と同じグループで、しかも俺と同じクラスとくる。奉仕部の扉叩いた回数ってお前以上は居なかったんじゃねーの?」

「ぐっ……え、抉ってくるな……! いや、あの頃は本当にすまなかったと思ってる」

「そうです反省してください。わたしがヒキタニくんの名前の真実を知った時、どれだけザイモクザン先生が苦しんだと思ってるんですか」

「ザイ……?」

「材木座のペンネーム。ザイモクザン・テルヨシで小説書いてんだよ。で、絆は比企谷から取ってヒキタニってつけたんだが、俺にも結衣にも嫌がられるからって情報収集に出たのな。で、学生時代に材木座が書いた小説があって───」

「ママから内容を聞いた時、かつてない怒りがこの一等兵を燃え上がらせたのです。もうアレです。一等兵容赦せんって感じです。なのでいろいろ危ないモノを混ぜたMAXコーヒーをサービスですと言って出して、悶絶してもらいました」

「……ええと。ざ、ザイモクザキくんは、なんて?」

「小説の主人公の名前がヒキタニくんでな。結衣が髪の毛を黒に戻して告白するって話だったんだが、返事が告白の返事どころか……《ぽしょり》───で、《ぽしょぽしょ》……ってな」

「ああ……それは、また……。納得した。ひどく」

「すごかったぞ、その時の材木座。ハイポーションをストローで飲んだ某・馬ヅラのお方みたいに“ンブゥウフェエェッ!?”って吐き出して、咳き込んで、悶絶して、少しして痙攣してこぽこぽと謎の汁を吐き出しながら気絶したからな」

「それ普通に病院直行レベルだろう……」

「いや、そのあとすぐに起き上がったから問題ない。コーヒーなのに炭酸が混じってたりジョロキアエキス配合だったりタバスコ入りだったり、まあいろいろ刺激的に危なかっただけだから。ああ、あと糖分的にも」

「セットとしていろはママが焼いてくれたバスターワッフルも付けました。最強《むんっ》」

「いや、最強じゃなくて」

 

 何故かコロンビアポージングを取る絆に、葉山が素直にツッコんだ。

 

「バスターワッフルっていうのは? 名前からして強力そうだけど」

「練乳蜂蜜ワッフルだ。青春って意味で輝いた季節に登場した極甘のワッフルな。一色が甘さの限界に挑戦してみたいってんで提案してみたら、強烈すぎた。あれは俺でもキツい」

「MAXコーヒー好きの比企谷でもか……!?」

「ていうかだな。MAXコーヒーってそんな騒ぐほど甘いか? 飲みやすくていい味って程度だろ」

「まったくだよねパパ。あの味が解らないなんて……葉山くん? あなたそれでも男なのかしら」

「! い、いや。俺も男だ。男……男だ! 比企谷! そのバスターワッフルとMAXコーヒーをセットで頼む!」

「おう。8分で食えたら賞金な。挑戦したのはお前が二人目だ」

「挑戦イベントがあるくらい強烈なのか!?」

「ちなみに注文してからやっぱりやめる宣言したら永遠のヘタレ野郎として写真と名前がお店に飾られます」

「な、なんて地味な嫌がらせだ……!」

「んじゃ注文飛ばすな。《カチッ》一色~、バスターセットいっちょー」

 

 内線スイッチを切り替えて一色に連絡。

 俺は俺でMAXコーヒーをバスターモードに変えるべく、テキパキと行動。

 コーヒーの味を守りつつ、香り豊かに甘さ最強。

 しばらくすると内線連絡が来たので絆が奥へ引っ込み、出来立てバスターを持って登場……って甘っ! 香りだけでもう甘い!

 

「~~っ……すごい香りだな……!」

「にひひ~っ♪ これに塩をちび~っとだけかけて、バスターMAXコーヒーを横に置いたらハイ完成! 準備が出来たら言ってくださいね、時間計りますから」

「…………《ゴ、ゴクッ》」

 

 湯気とともに溢れ出る甘すぎる香りに、なんか葉山がくらくらしてる。

 しかし食べねばお店きってのヘタレ。しかも初の挑戦者はリタイアしたとはいえ食べたのでヘタレではなかった。

 つまり今断れば初のヘタレ。ぬるま湯界の筆頭ヘタレ男として、店を畳むまで一生十字架を背負って生きていくのだ。

 

「……よし。いただきます!」

「すたーとぉっ!《ピロリンッ♪》」

 

 絆がスマフォのタイマー機能をONに。

 葉山が早速バスターワッフルをザクッと噛むが

 

「ぐぉおおおっひゅあああああああああっ!?」

 

 叫んだ。

 叫んで、悶絶。

 あーほら、なんかあるだろ、甘いのとか酸っぱいのとかさ、食べると口の横の方がじゅわーってするの。

 バスターはね、あれが超強烈に襲い掛かってくるんだ。

 それこそ自分でも出すつもりはなかった悲鳴をあげるくらいに。

 

「ひぎゅっ! ぐおっ! あぐああああああっ!!」

 

 総武高校の人気ナンバーワンが悶絶している。

 なんだか、過去の自分が時代を超えてほっこりしたような気分だった。

 そんな葉山がたまらず、本能的に飲み物を求めてバスターMAXをゴクリ。

 

「ほぎゅぁあああああああああっ!!」

 

 そして悶絶。

 愚かな……セットとつくからには、相乗効果でより一層甘く感じられるように工夫が凝らしてあるのだ。

 甘さに関して、我ら喫茶ぬるま湯は最強。

 

「おっひゅ! おっひゅうっ! おっ……おぉおおーーーーーーっ!!」

 

 もうなんというかただの悲鳴である。

 しかし男の意地なのか、ざくざくもぐもぐと食べ、“うぃんにょぉおおおお……!!”と男が出すようなものじゃない悲鳴を上げていた。うん、声ひっくり返ってる。

 

「《ざくざくもぐもぐっ》えふっ! えふっふ! ひぐっ……んぐっ……!」

 

 なんかもう泣きながら食べてる。

 見る人が見れば、まるで餓死寸前の人がたった一つのワッフルに救われた、みたいな感動の場面に見えるのに、甘さが強烈すぎて泣いてるだけってのがな……。

 

「残り一分でーす」

「!?」

 

 必死なのだ。必死なのだが、体が既に甘さを拒絶している。

 ざくざくと音は鳴るけど少量ずつしか喉を通らない。

 気づけば時間は経っていて、葉山の手にはまだ半分のワッフル。

 その時間の無さとワッフルの残量を見て、葉山の手が止まった。

 フルフルと震える手とワッフル。

 見下ろす葉山と半開きの口。

 しかし覚悟を決めたのかクワッと目を見開き、そのワッフルを強引に口に突っ込み、MAXで流し込みにかかった!

 

「───ヴ《ごぽり》」

『!?』

 

 そして停止。のちにガタガタと震え始め───

 

「おわわ絆! トイレ! トイレ連れてけ!」

「パパ以外と一緒にトイレとかありえないよ!?」

「こんな時になにおっしゃってるのこの娘ったら! そういう意味じゃねぇよ! つかどういう意味だよそれ! ああもうとにかく葉山! こっちに───」

「…………《チッチッチ》」

 

 天を仰ぎつつ固まっていた葉山が、俺に手を伸ばしたのち、人差し指だけを伸ばした状態でチッチッチと左右に振るう。

 いや、格好つけたいんだろうが相当にアレだぞ葉山。

 KOF97で“なめるなよオロチ”とか言っておきながら結局暴走した八神さん家の庵さん級にアレだから。

 

「あ、時間切れです」

「───」

 

 絆のスマフォが、葉山の現在を表現するかのように“チーン”と鳴った。

 途端、葉山がカウンターにごどしゃあと崩れ落ちる。

 

 

 葉山はモノ言わぬ敗北者になった───

 

 俺と絆が無意識のうちにとっていたのは“敬礼”の姿であった───

 

 涙は流さなかったが、無言の男の詩があった───

 

 奇妙な友情があった───

 

 

 あ、うん。べつに友情はなかったわ。

 ていうかこいつほんとになに届けに来たんだ? 結局雪ノ下来ないし。

 



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喫茶“ぬるま湯”の騒がしい年末年始②

 噂をすれば影が差すとはいうが、べつに影は差さなかった。

 来たには来たが雪ノ下ではなく結衣だったし。

 ……うん、いつまで経っても若奥様でいらっしゃる。ほんとどうなってんの、由比ヶ浜家の血って。

 

「はー、やっと終わったー……あ、ヒッキー、計算終わったよー」

「おう、ありがとな」

「それでそれで? バスター頼んだ人居るんだよね? どうなったの?」

 

 カウンター越しに客席を見渡す

 が、カウンターに突っ伏している葉山には気づかない。

 

「あれ? ……えっ? もしかして怒って帰っちゃったとか!?」

「いえいえママ、ホシならここに」

 

 さっと絆が促すと、カウンターでぐったりの葉山。

 ……なんかこう喩えると、葉山がクロスカウンターとか喰らってダウンしてるみたいに聞こえるな。

 

「葉山くんだったんだ!? えと、だいじょぶ? うんうん唸ってるけど……」

「一番いいのを頼むっ《くわっ》」

「そういう意味で言ったんじゃねぇよ。どこに突撃する気だお前は」

「……パパ、今日パパのベッドで寝ていい?」

「ダメに決まってるだろ……妙なところに突撃願望抱くなよ。なに? 俺に何処で寝ろっての」

「わたしのベッド」

「ダメだな、断る」

「えー? なんでですかー、いいじゃないですかー、せんぱーいー」

「一色の真似はやめなさい、つか服引っ張るな伸びる伸びる」

「わたし、パパのベッドだと快眠できるんですよねー。だから是非わたしの素晴らしい明日の朝のために、今すぐベッドを献上しなさい比企谷くん」

「きーずーなー?」

「はひゃいごめんなさいママ! う、うー……いいじゃんちょっとくらいー、ママのけちー」

「ダメ。パパはママのなんだから、絆は自分の“素敵な人”を見つけなさい」

「素敵って?」

「え? んー……ほら、あれとか。なんかでっかいことが起きて、ピンチな時に雑草と現れて助けてくれるの」

「どこの野生児ですかそれー!」

「え? やせい?」

「……結衣。それ言うなら颯爽と現れて、な」

「え? え、ぁっ……し、知ってるし! ちょっと間違えただけじゃん! ヒッキーキモい!」

「……絆。パパフラれちゃった……今日は一緒に寝るか」

「はい約束です嘘ついたら許しません絶対ですからねありがとうございます!」

「わわわちょっ、待ってヒッキー待って! 今の違う! まちがい! きもくないから待ってぇっ!」

 

 まあその、日々こんなやりとりばかりをしている。

 絆にとっての結衣は、なんというか愉快で包容力のある、実に“お母さん”な人らしい。部分的な母性の戦闘力も凄まじいし、とやけに真顔で言っていた。

 

「そういえばさ、ママはいつまでパパのことヒッキーって呼ぶの? ママもヒッキーなのに」

「気にすんな。もうこれは死ぬまででもいいんだよ。俺がもう慣れちまったし」

「う、うん。あなた、とか八幡、でもあたしは好きだけど……やっぱりヒッキーが一番しっくりくるんだよね」

「もう比企谷くんでいいんじゃないかな」

「それもう他人行儀だから! もう、なんてこと言うの、この娘は」

「んー……ねぇママ? 親子の縁切ったら親だった人と結婚できる?」

「きーずーなー……!?」

「ごごごごめんなさいでもわりとマジですシリアスです!」

「だからパパはママのだってば! 絆はちゃんと、ママみたいにすっごい出会い方とかして“好きになるところ”から始めればいーでしょー!?」

「むー……! そんなの、もう経験してるもん」

「え?」

「へ?」

 

 経験……してる?

 え? なに? それってつまり……初恋を?

 

「まじか、相手誰だ? つか、衝撃的な出会いを経験してるってんなら、どんな出会いだったんだ?」

「う、うん。えとね……えへー……♪ 階段から落ちた時にね? こう……自分が怪我することも考えないで飛び出して、わたしを抱きかかえて助けてくれて……一緒に落ちちゃったんだけど全然痛くなくて、怖くて瞑ってた目を開けて見るとね? その人が自分が下になるように庇ってくれて……」

「………」

「………」

「…………ヒッキー」

「ハイ」

「ヒッキーのことじゃんこれ!」

「い、いやちょっと待て、もしかしたら学校であったことかもしれないだろ」

「その時から、パパを見るときゅんってなっちゃうようになったんだー」

「ヒッキーじゃん!!」

「待て待て待てっ、危険だと思って咄嗟に娘を助けたのに、なんで怒られてるんだよ俺! 親の鑑だろどう考えたって!」

「パパにぎゅーってされると頭があったかくて、ぽーってしちゃうんだよねー♪」

「あ、それ解る。ヒッキーにぎゅうって抱き締められるとなんか頭とか体が痺れちゃって、なにされてもいいやーってなっちゃって」

「そうそれ! ほんとそれ! まじそれ! それ超ある! それしかないまであるよママ!」

 

 ……喧嘩でもするのかと思えば、今度はキャッキャウフフ。

 もうほんとこの二人はなにをしたいのか。

 

「………」

 

 葉山、どうしよ。

 ……放置でいいか。雪ノ下さんの土産の件は、葉山が起きるか雪ノ下が自然とこっち来るかしたらでいいだろ。

 仕事しよう。

 

「というわけで今日パパと寝るのはわたしなので」

「だからだめだってば! ヒッキーはあたしと、おはようからおやすみまでずっと一緒なの! そういう約束なの!」

「なんですかいいじゃないですかママばっかりずるいですたまにはわたしにもご一緒させてください───」

「ヒッキーと寝て?」

「───ごめんなさい! ……ハッ!?」

「あちゃー、ヒッキーフラれちゃったかー、じゃあヒッキーはあたしと寝て、絆はいつも通り一人で眠ってね?」

「ひどいですずるいですなんてことするんですか娘の言葉の先を取るなんて! ママはいっつもお風呂も就寝も一緒なんですからたまには甘えさせてよー!」

「だめ! ね、ヒッキー! ヒッキーはあたしとがいいよね!? ねっヒッキー!? ねっ!?」

「ママよりわたしだよね!? ねっ!?」

「《ぎゅうっ!》いや……おま《ぎゅぎゅっ!》……お前らさ」

 

 ……仕事しようと離れたら、突如として腕に抱き付いてきた結衣と絆によってその行動を阻止された。ああもうなんなのこの二人。可愛いったらない。

 そしてこんな状況の時に限って、なかなか来なかった雪ノ下が来訪。

 俺の片腕ずつにしがみつく妻と娘を見て、絶対零度の視線を投げてきなすった。

 

「あら。両手に花とは随分なご身分なことね、侍らせ谷くん」

「お前さ……呼んでも来なかったくせになんでこういうタイミングでばっか現れるの……? なに? いっつもどっかでタイミングとか図ってたりするの?」

「そんなわけがないでしょう、付き合いも長いのだからいい加減に理解しなさい」

「いや、まあ結衣と絆に抱き付かれたあたりで“来るんだろうな”とは思ってた」

「……なんということかしら。想像通りに動いてしまった自分が歯がゆいわ」

「お前だっていい加減慣れろよ……っと、それはそれとして雪ノ下、葉山が来てるんだが」

「そう。出口はそこよ、回れ右して帰りなさい《にこり》」

「俺に言ったってしょうがない上になんでそんな示し合わせたみたいにピッタリなのお前ら」

「………《じとり》」

「てへり♪」

 

 雪ノ下に睨まれた絆だったが、一色式てへぺろをやったら余計に睨まれて俺の背中に隠れた。

 一色も結衣も絆も、なんで雪ノ下相手だとすぐに俺を盾にするの。ちょ、こらやめなさいっ、押すんじゃありませんっ!

 

「あ、あー……べつに葉山個人の用事じゃなくてだな。雪ノ下さんからのお届け物があるそうだぞ」

「姉さんから? ……どうせろくでもないものでしょう?」

「そろそろ今年も終わりですし、それっぽいなにかかもだよ雪乃ママ!」

「……はぁ。何度もやめなさいと言っているのに……。私はあなたの母ではないわよ」

「《なでなで》……う、うん、それはそのー……解っておりますといいますか」

(言う割りにいい笑顔で撫でてるな……極々自然に)

(……ゆきのーん……撫でてる、すっごく自然に頭撫でてるよー……)

「それで? 結局なんなんだ?」

「……そうね。開けてみれば解ることだけれど……」

 

 先を促せば、絆から離れてカウンターへと回り込み、葉山の傍に置いてあった紙袋……いかにも高級ですよって感じの紙袋を手に取ると、その中身を調べる。

 他に荷物がないからいいかもだが、これで実はその紙袋じゃないとか言ったらどうなるんだろうな。

 ……何故か俺がいろいろ言われる未来しか浮かばなかった。

 男ってほんと立場ないよな。

 

「これは……猿のぬいぐるみ? あ、いえ……これは───!」

「猿の着ぐるみ被ったパンさんか。なんかもうパンさんいろんな衣装着て自由だなおい」

「わー、可愛いね、ゆきのんっ」

「え、と……そ、そうかしら。いい加減、私の年齢というものも……かかか考えてほしい、と、思うのだ、けれ……ど……」

「ゆきのん、顔が緩んでるよ?」

「うっ…………~~……」

「年齢を考えろってんなら、お前こそいい加減素直に受け取る姿勢とか取ったらどうなんだ? ほれ、一緒に手紙入ってた」

「手紙……?《コサッ、ペラッ……》……“ちょっと早いけど、3日に戻れそうにないから先に……”」

「誕生日おめでとう、か。雪ノ下さんらしいな。学生時代からは考えられないっちゃ考えられないが」

「……これ、海外にしかないモデルなのよ。以前、欲しいと口にしてしまったことがあったのだけれど…………そう。覚えていたのね、姉さん……」

 

 雪ノ下からしてみれば、もう子供ではないのだからってとこなんだろうが、好きなものを好きって言えないのが大人になるってことだって言い張るなら、そんな行為こそが子供だろう。

 戸惑っていた雪ノ下はやがてフッと笑みをこぼすと、きゅっと猿パンさんを抱きしめた。

 そんな横顔を見ると、初めて奉仕部に入った日のことを思い出し、苦笑を漏らした。

 あんな、人を近寄らせない空気を纏った少女が、随分と重い荷物を下ろしたものだ、と。

 

「……今日はもう客も来ないだろうし、店閉めるか」

「ふえっ!? もうっ!? あ、わわわ……! まだ心の準備が……! パパパッパパパパパ!? 食事にします!? お風呂にします!? それともっ……そそそそれともーーーっ!」

「結衣で」

「パパひどい! 今日はわたしと寝る約束なのにー!」

「《ぴくり》……どういうことかしら比企谷くん。今、聞き捨てならない言葉が聞こえたのだけれど」

「べつにそのままの意味だよ、深い意味はねーから。つか、できることなら説得してくれ、俺は結衣と寝たい」

「……はぁ。大体状況は拾えたわね。構わないわ絆さん。二人と川の字にでもなって眠りなさい」

「さすが雪乃ママ! 話が解ります!」

「お前、結衣にもそうだけど絆にも甘すぎだろ……」

「黙りなさい不覚谷くん。どうせあなたがこぼした言葉を拾われた所為でこんなことになっているのでしょう? 吐いた言葉の責任くらいは取りなさい。それはね、比企谷くん。私が甘いのではなく、あなたの自業自得と言うのよ」

「…………解ったよ……。じゃ、結衣が真ん中な」

「普通ここは娘を真ん中にしない!? あ、じゃあパパが真ん中! これは譲れません!」

「わかったわかった……」

 

 なにかがきっかけで強く人を想う……その在り方は結衣譲りなんだろうか。

 まあそれがきっかけで一緒になれた俺だ。それを否定してやることだけは出来ないが……まあ、そうな。親離れとかするまではせいぜい甘やかしたほうがいいのかもしれない。

 俺が親にしてもらったものの回数を考えると、放置ってのは嬉しくないからな。

 いや、そりゃあぼっちでしたもの、適度に放置されるのはとてもありがたくはありましたが。

 でも親父のはやりすぎに入ると思うのだ。だから適度に甘やかす。

 

「じゃ、次の客が入る前に看板落としてこい。結衣は俺と一緒に片付けで」

「うん、ヒッキー」

「《とててててっ》看板終わったよパパ! おっふろっ♪ おっふろぉっ♪」

「いや早いよ……じゃあ一色にも連絡頼む。こっちは───」

「《かちっ》いろはママー? 今日もうお客さん来ないから早上がりだってーっ! …………~♪《むふんっ》」

 

 いや。そこで“どんなもんだっ”てドヤ顔で胸張られてもな。

 この娘ったらほんと、どんだけ俺のこと好きなの。

 あとお菓子の注文以外でそれ使うと一色がうるさいからやめて?

 あいつ純粋にお菓子作るの好きだから、内線入ると張り切るクセがあって、気合を込めたかと思えばただの連絡だったって時の落胆っぷりがなぁ……。

 気持ちが空回りして落胆するのはまぁ解る。けどなんでその鬱憤を俺に向けるのか。

 とか思ってたら《ブツッ》と内線が繋がる音。そして「ちょっとせんぱーい!? 何度も言ってるじゃないですかー!」と文句が。

 予想が出来てたから軽く絆を睨むと、絆は「きゃー!」とか言って走っていってしまった。

 自由だなちくしょう。

 

「まあいつものことだな。片付けが終わったら年越し蕎麦でも仕込むか」

「ん、そだね。……あなた」

「……ん。おう、おまえ」

「………」

「………」

「…………えへへー……♪」

「…………《かぁあ……こりこり》」

「はーあー。相変わらずラブラブですよねー、お二人。べつにそれをするなとは言いませんから、娘さんの行動くらいきちんと見張ってくださいよー」

 

 あなた、おまえ呼びにテレテレしつつ、頭をコリコリ掻いていたら後輩が怒りに来たでござる。

 その横には“つ、捕まっちゃったー、えへー”って顔で苦笑する娘。

 生徒会長に推薦されるくらいなくせに、どうしてこいつはこう、俺達の前では燥ぐのか。

 いや、こいつの友人に聞いた話じゃ、学校で猫かぶってるわけでもないらしいのだが、喫茶店に居る時と学校とでは元気度が明らかに違うらしい。

 俺達の傍と喫茶店で完結してるって、そういうこと?

 将来、干物妹的な存在にならないかパパ心配。

 

「あ、雪ノ下先輩、そろそろパンさんパン焼けますよ」

「ハッ! ……あ、いえ、べべべつに姉さんの贈り物に夢中になっていた、とかそういうことでは───」

「いーから。そーいうのいーから早く行ってやれ。パンさんが待ってるぞー」

「くっ……あなたの前で隙を見せるとは、私も随分と───」

「え? やー、ゆきのん高校生の頃から結構隙だらけだった気がするけど」

「えっ……!?《がーーーん!》」

 

 おいちょっと? 自覚なかったのあなた。

 猫とかパンさんとか地味に弱点ありすぎだったでしょーが。

 

「それで先輩? 早く上がるのはいいんですけど、これからどうするんですかー?」

「蕎麦を仕込む」

「え? おそばなんて買ってきてましたっけ」

「おう。粉でな」

「えええええ!? 今から作るんですか!?」

「冗談だ。練って寝かせたのがあるから、あとは伸ばして切るだけだ。まあ、ちょっとうどん粉も混ざってるから邪道といえば邪道かもだが、代わりに茹でた時にあまり千切れない」

「先輩、コーヒーの知識を溜め始めてからいろいろ覚えるの、好きになりましたよね」

「元の夢が専業主夫だったからな。必要とあらばって気持ちで始めたが、これがまた結構楽しかったりする」

 

 言われたことや書かれたことの通りにやってみても、上手くいかないものは結構ある。

 環境にもよるんだろうが、そうなってくるとあとは自分の目分量でどうなっていくかを開発するのが案外楽しかったりした。

 コーヒーの淹れ方にしても、結構人の腕とか関係してくるし。

 

「さて」

 

 ぱたぱたと小走りしてゆく雪ノ下が「走っちゃだめですよー!」と絆にツッコまれるのを見送りつつ、俺は俺で行動開始。

 日々は順調。

 楽しいことだらけで、けど苦労もあって、その甲斐もあって元気に育ってくれている娘も居る。

 いつかと比べれば随分とくすぐったい毎日だ。

 ……それが、眩しくてたまらない。

 

「さ、きーちゃん。ソッコーで片付けて年越しを楽しみますよー!《むんっ》」

「はいいろはママ! 一等兵にお任せあれです!《むんっ》」

 

 一色と絆が、いつかの俺と一色のようにムンと腕まくりをして歩き出す。

 それを見送って、ぽつんと残される俺と結衣は、視線を交わしてくすりと笑った。

 え? 葉山? 知らない子ですね───というわけにもいかないか。

 適当な時間に起こすか。今じゃもう、うんうん唸ってるけど眠ってるだけみたいだし。

 

「じゃ、結衣。手伝ってくれるか?」

「うん、任せてよヒッキー」

 

 もうすっかり慣れた調子で、二人手を繋ぎ、歩いてゆく。

 奉仕部という名のミーティングルームの備え付けキッチンで、寝かせておいた蕎麦を伸ばし、打ち粉をまぶし、切り、大きな鍋で沸騰させたお湯に泳がし、少し硬めで上げる。

 冷水で洗ってどんぶりに分けると、別に沸騰させておいた二つの鍋のお湯で麺と丼を温め、湯きりをしたら盛り、俺が蕎麦を完成させる間に結衣が作っておいてくれた具入りのつゆをかけてハイ完成。

 お好みで天ぷらもどうぞってものだが、油って案外一度使うとまた使うってことないんだよな。なので今回は買ってきた海老天一本。……などと言ったら雪ノ下にいろいろ言われるのでしっかり用意済みだ。

 ハイ、丁度いい具合に上がった海老天がこちらです。

 残った油は明日にでも再利用だ。揚げ餅とかな。

 揚げ餅って結構美味いのよ? 外はカリカリ中はもっちりを見事に味わわせてくれる。醤油をかけて一口一口味わうのが極上です。カロリーすげぇけど。

 

「よし、蕎麦OK」

「うん。じゃあ運ぼっか」

「おう。……明日、餅はなにがいい? 雑煮だけじゃ満足しないだろ、毎年」

「うーん……買ってきたきな粉と砂糖を混ぜて作るあべかわも美味しいし、磯部巻きもいいよね」

「こし網使ってふるったきな粉は美味いよなー……あ、砂糖醤油は外せないな」

「だよねっ」

「残った蕎麦で力そばってのも……いや、重いか」

「お餅ってついいろいろやっちゃうよねー……食欲って強いや」

 

 他愛ないことを話しながら、慣れた手付きで運び、配置が終われば全員を呼ぶ。葉山も起こしてみたが、別口で用があるとかで帰ってしまった。大丈夫かおい、ふらついてたが、

 なんにせよ、奉仕部に全員が揃えば、“頂きますと今年もお疲れ様でした”的な言葉を言い合い、蕎麦をすする。毎年の流れだな。実に普通だ。

 

「《スズズ……》ふわっ……また美味しくなってます……! 結衣先輩どんどん料理の腕上がってますね……!」

「えへへー♪ ヒッキーがどんどんアドバンスくれるから」

 

 え? あのゲームボーイの? 俺いつ結衣にそんな昔のゲームあげたの? 覚えが全然無いんだが。

 

「それを言うならアドバイスよ、まち谷さん」

「マチガヤってなに!? ヒッキー用の文句をあたしに使うのやめてよぅゆきのん!」

 

 間違いと比企谷を合わせたのな……ここに集まるとほんと、こいつらってあの頃のままな。俺もだけど。

 けど確かにとっくに“比企谷”な結衣に言っても、間違いではないわけで。

 ……あとそこ? ちょっと? 雪ノ下の仕草を眺めつつ、ふんふん頷くのとかやめて? 真似るための勉強とかこんな時にまでしなくていいから。

 ほら、雪ノ下もなんだか“しまった”みたいな顔してるじゃない。

 

「はー……ですけど、わたしたちの付き合いも随分と長いですよねー……」

「あはは、そうだよねー」

「そうね……《ちらり》腐れ縁、というものかしら」

「ちょっと? “腐り”って部分でわざわざこっち見るのやめてくれない? いいだろべつに。もう腐ってねぇんだろ?」

「ちなみにママ、パパって嫌いなもの結構多かったってさいねーちゃんに聞いたけど、ほんとにそうなの?」

「あ、うん。ヒッキー、前はほんと凄かったよ?」

「ですねー……」

「はい、そう聞きました。でもパパが嫌いなものを残す姿を見たことがないから、ちょっとへんだなーって」

「簡単よ、絆さん。この男が由比ヶ浜さんに自分の好き嫌いとリクエスト、アドバイスをして、由比ヶ浜さんがそれを受け取る代償として“嫌いなものも食べること”を要求されたのよ」

「あ、そっか。対価を要求されたら、のまないわけにはいかないもんね。パパだし」

 

 ……しゃーないだろ。

 自分は“こうしてくれ”って求めておいて、結衣が“そうして”って言ってきたらダメ、ってのはよろしくなさすぎだ。

 だからその条件で受け入れた。

 受け入れたら……結衣がめっちゃ張り切った。

 そもそも俺に喜んでもらいたくて料理の腕を磨いた結衣だ。嫌いなものも“自分のために食べて、美味しくなるようにアドバイスもくれる”って状況になったらすごかった。そりゃもうすごかった。

 ……え? さいねーちゃんって誰だって?

 ……戸塚だよ。

 我が娘、戸塚のことを女だって信じて疑わないんだよ。

 つかどうなってんのほんと、この歳になってもヒゲの一本も生えてこない戸塚って。年々女性らしくなっていくし、そりゃ間違い無く男なのだろうが、いつまで経っても、むしろ成長する毎に女っぽくなってる気がする。

 編集社で同僚に告白されたって話、実はマジだったりするのだろうか。

 仕方ないか、戸塚だし。

 

……。

 

 食事を終え、年が明ければあけましてやっはろー。

 娘に早速お年玉ちょーだいとねだられ、騒いだ後は普通に就寝。

 ……いや、寝る前に結衣と静かにゆっくりねっとりと姫を始めたりしたが、きちんと就寝。

 絆には悪いが毎年決めていることなので、ご遠慮いただいた。

 互いの誕生日には産まれてきてくれてありがとうを唱え、愛し合い、年の始まりには今年もよろしくと愛し合う。

 いつからかそうなった。といっても、同棲始めたあたりからだったが。

 

  そうして愛し合う日が過ぎれば、やがて1月3日。

 

 ほぼ一日中愛し合い、2日に思い切り休み、3日に盛大に祝う。

 これもまた毎年恒例。

 毎度雪ノ下と一色が顔を赤くしてなかなか目を合わせてくれないけど、まあ恒例。

 

「ゆきのんっ、お誕生日おめでとーーーっ!」

「雪ノ下先輩っ、おめでとうございますっ!」

「雪乃ママおめでとーーーっ!」

「おめでとさん」

「あ、ありがとう……はぁ、いつまで経っても慣れないわね」

 

 雪ノ下は相変わらず、自分のことで祝われたりするのは苦手らしい。

 もじもじしながら視線をうろちょろさせている。

 

「ふふっ……まるで自分の誕生日の時の比企谷くんのようね」

「やめなさい絆。雪ノ下が睨んでるから。めっちゃ睨んでるから。ていうかあの? 俺関係なくない? なんで俺が睨まれてるの? ねぇ」

 

 そんなに俺と似ている認定されたのが嫌かよ……いいだろもう、目とか腐ってないんだから。

 たまに来る戸部に「目ぇ腐ってねぇ比企谷くんとかさぁ、もうただのイケメンじゃねぇかよー!」って言われてるんだから。

 ……おう、あんま変わらないよあいつも。さすがにもうヒキタニくんとは呼んでこないけどな。

 

「………」

 

 さて、俺のことはまあいい。

 本日の主役である雪ノ下雪乃のことについてだが。

 ……現在、ヒキタニくんという名の猫を胸に抱き、うっとりしてらっしゃる。

 さっきまでの鋭い眼光はどこに行ったってくらいにうっとり。

 用意したのは絆であり、“ああ、だから睨まれるようなことも平気で出来たのか”と多少呆れた。

 ちなみにこの呆れは“よくやるなぁ”ってものではなく、どちらかというと“愚かな……”って感じのだ。

 話題を逸らした程度で雪ノ下雪乃は諦めない。存分にモフり終わったら、絶対に仕返しされるぞ絆のやつ。

 ヒキタニくんもモフられることが大好きなため、雪ノ下にモフられ続けている。抵抗は全く無し。どころか、撫でる手をハッシと掴み、指先をペロペロ舐めたり、かぷりと甘噛みしたりしている。

 ああ、雪ノ下の顔がもうとろけすぎてすごい。「にゃー」とか言ってしまってるあたり、あれはもう周りが見えてないんだろうな……。

 プレゼントも用意してあるから、渡したいところなんだが……これはもうヒキタニくんを自由にさせること自体が最高のプレゼントとして見守るべきなのでは? なんて考えまで浮かんでくるまである。

 どうすんだよこのプレゼント。

 ほら、結衣も一色も仕方ないなぁって顔で見守ってるし。毎年のことだけど。

 

「雪乃ママ? 雪乃ママー?」

「……? ───!?《ハッ!?》こ、ほんっ……ええと、なにかしら」

「そろそろプレゼント、いいかなーって」

「あ、ああ……そうね。というか、そろそろ誕生日会というのも恥ずかしいのだけれど……そろそろというか、結構前から」

「えー? やろうよ、ゆきのん」

「そうですよー。ぶっちゃけ楽しむための口実ってことでもありますし」

「お前物凄いことぶっちゃけるな……」

「こうでも言わないと雪ノ下先輩って納得しないじゃないですかー。本心だったらプレゼントなんて用意しませんよ。純粋に祝いたいんですから、口実だろうと本心だろうと受け取ってもらいます。で、楽しみましょう。いいじゃないですか、それで」

「……。そうね。ごめんなさい、無粋なことを言ったわね」

「いいじゃん、あたしも一生懸命作った料理とか食べてもらえると嬉しいし。いつかゆきのんに美味しいって言ってもらうのが、密かな夢だったしね」

「そ、そう……ならもう叶っているのね」

「え?」

「昨日のお蕎麦、本当に美味しかったわ。今日の料理もそう。いつもありがとう、由比ヶ浜さん」

「あぅ……う、うー、うー……うん、ゆきのん……えへへ、なんだか恥ずかしいね」

「ところで雪乃ママ、蝋燭って何本立てる?《ブスブスブスブス》」

「お前は空気読もうな? あと訊きながらケーキに蝋燭刺しまくるんじゃありません」

「《グイィずるずる》あーうー、ちょっとした冗談だよぅー……そもそも五本しか立てるつもりなかったしー……」

 

 五本? ……ああ、ここに居る人数の分だけか。

 蝋燭が刺さってりゃ、切り分けた時、確かにバースデーケーキって感じはするかも。

 ……作ったの、一色だけど。

 ほんと一色の菓子作り能力すげぇ。

 形もさることながら、味もすげぇから困る。

 なに? お菓子職人ってお菓子だけじゃなくてケーキも学ぶもんなの?

 あ、いや、洋菓子って意味ではケーキも菓子類か。

 

「じゃあ蝋燭に火をつけてー……絆、明かり消して」

「グブブブブ……! ママ……ママよ……! 罪深き汝よ……! 明かりを消して欲しくばこの魔王たる絆にイチゴが乗った部分を献上するのだ……!」

「ケーキ、分けたげないよ?」

「暗闇大好き!!《とてててばちんっ!》」

「弱っ!?」

「弱いな魔王!」

「弱いです!」

「弱いわね」

 

 皆が呆れる中、真っ暗になった奉仕部に、ぼんやりとケーキに刺さった蝋燭の火が揺れる。

 そんな中、絆がペンライトで顎下から自分を照らし、「それはある夜の晩のナイトな頃にパラディンな聖騎士が、ナイト・キャップを煽りつつナイトキャップを被った彼女へととある花を用意した夜のお話……!」などと言い始めた。

 

「花の名前がナイトフロックスなんだな。よし雪ノ下、オチたから火消し頼む」

「パパひどい!?」

「ふふっ……そうね」

「雪乃ママまで! ……あ、でもさ、こんな時だから言うけどさ。心霊モノとか《ドス》けひゅう!?」

「はーいちょっとこっち来ような~罪深き汝」

「けっほけほこほっ!! ~~~……ぱぱっ!? 可愛い娘が喋り途中なのに地獄突きはどうかと思うんだよ!?《ずるずる》」

 

 騒ぐ娘を無理矢理引っ張り、離れた位置へと……放置しとくとまた戻りそうなので、仕方なしに自分の足の上に座らせ、頭をぽむぽむと叩く。

 すると全力で脱力して……って言い方が変だが、ともかく身体を究極なまでに預けてきた。

 おいちょっ……こらっ、ちょっとは遠慮しなさいよアータ。

 ほら、結衣がこっち見て不機嫌に……って怖っ!? 蝋燭でぼうっとした明るさの中で頬を膨らませて睨まれると、可愛いのに怖い!

 そうこうしている内に、ふぅっ、と雪ノ下の吐息が蝋燭の火を揺らし、消してゆく。

 その時、絆が小声で「グワーッ! この火炎将軍が吐息ごときで滅ぼされるなど……! これが女王の……! 雪の女王の力……か……!」とか言ってた。

 とりあえず今度材木座がブラック頼んだらMAXをプレゼントしよう。

 それはそれとして、火が消えるのと一緒に拍手をするのは忘れない。

 こういうのって大事だからな。俺、こんな関係になるまで大人数で誕生日を祝うことさえなかったけど。

 

「絆? 絆ー? 明かりつけてー?」

「座り心地がいいから嫌です」

「だから。ケーキ、分けたげないよ?」

「ふふふはははは! パパの膝の上とケーキを天秤にかけるならば、この一等兵は迷うことなく膝の上を選ぶのだよ!《ぐいっ、すとん》パパひどい!?」

 

 天秤にかけられたので、喋り途中に持ち上げて下ろしてみたら怒られた。そりゃそうだ。

 いや、なんつーか……こいつほんと素直な反応くれるから、ついついつつきたくなるっつーか。

 しかも下ろされたと知るや、暗闇を駆けてスイッチ押して明かりつけてるし。

 

「ところでパパ、明かりつけることを電気つけてーって言う人居るけど、どっちが正しいんだろ」

「意味が通ってりゃどっちだっていーだろ」

「てゆーかちゃっかりママがパパの足占領してるし! どいてよママ! そこわたしの!」

「えへへー、だめー♪」

「むー! おばーちゃんもだけどママ大人げないー!」

「ああもう喧嘩するんじゃありません。つか、これだとケーキ食えないだろ……」

「だいじょぶだよヒッキー」

 

 「はーい、じゃあ切り分けますねー」と一色がケーキをカットして、テキパキと分けてゆく。

 しっかりとイチゴが均等に乗るように分けるのはさすがだ。

 で、まあ。

 

「ほれ」

「あ…………うん。ありがと、パパ……」

 

 俺に渡されたケーキに乗ったイチゴを、結局は隣に座った絆のケーキの上に乗せてやる。

 結衣も同じ考えだったようで、絆のケーキがイチゴだらけ……だらけとまではいかないが、「もちろんわたしもあげますよー?」「そうね。私も胸がいっぱいだから」……ああいや、だらけだ。切り分けられたケーキに、イチゴが五人分。

 もうイチゴとケーキのどっちが主役か解らないイチゴショートの完成だ。

 で、当の絆は……ぽへーと微笑を目を細めながらケーキを見つめていた。

 まあ、イチゴ好きだしね、こいつ。

 

「じゃあヒッキー、《もくっ》……ふぁーん」

「え、あ、おわ《んちゅっ》ふぶっ!?」

 

 結衣が横座りになって、フォークで切り分けたケーキを口に含んで……なんと口移し。

 戸惑う暇もなく口を塞がれた俺は、逃げ場もなく受け入れさせられた。

 ……ああ、うん。俺の逃げ方も回避方法とかももう把握されすぎてるから、結衣の行動の早いこと早いこと。

 そして口内にやってくる甘みと、鼻腔をくすぐる愛する人の香り。

 二人で咀嚼するのではなく舌で混ぜ合わせるようにしてケーキを崩し、口を合わせたまま甘さを堪能する。

 

「うわ、わわわ、はわわわわ……! ひとっ……人の作ったケーキでそこまでやっちゃいますか……!?」

「最近は落ち着いてきたと思っていたのに……。絆さん?《ギロリ》」

「ひゃうっ!? えっ、ええぇ!? ええええっ!? これ絆が悪いの!? 確かにちょっとママをつついちゃったけど!」

 

 舌同士で甘さを擦り合わせ、唾液を交換するように甘さを交換して、液状になるや嚥下し、それでも甘さを求めるように舌同士を合わせる。

 

「はむっ……んちゅっ……んっ……ぷあっ…………。えへへ……はいヒッキー……。次、ヒッキーから」

「……おう《カチャッ……もぐっ》……ん」

「うん、ヒッキー……んんっ……ちゅっ……」

 

 完全にケーキの甘さが無くなると、再びケーキを口に含んで二人で食べる。

 結衣が渡してきたケーキの皿からフォークで切り分けたケーキを、今度は俺が口に含んで、俺から結衣にキスを。

 ああ甘い。頭の中が結衣で占められてゆく。

 ぼーっとしてきて、この場で保っていなければいけない常識的ななにかがどんどんと崩されていって……。

 ア、イエ、べべべつにここでコトに走るとかそんなことはアリマセンヨ?

 ともかくそんな行為はケーキが無くなるまで続き、雪ノ下と一色は甘さで胸がいっぱいだとかでケーキを残す……ことはせず、何故かヤケ食いモードの絆へと献上された。

 これまたなんでか「パパなんて! パパなんてー!」とケーキを食いまくる絆は、今日も実に元気だ。

 

「はぅう~~~ん……♪」

 

 苺食べたら機嫌直ったしな。ちょろすぎですよ、絆さん。

 

「ああそれはそれとして絆さん?」

「ふえ~……? なんですかー、雪乃ママ~……♪」

「何処の誰が、誕生日を祝われそわそわしている比企谷くんのようだったのかしら。幸せ気分のまま、是非、口にしてもらいたいものね」

「───…………《ぴしり》」

 

 あ、固まった。

 幸せ笑顔がじんわりと気まずい顔になってゆき、真っ直ぐに雪ノ下を見ていた目も、少しずつ逸れていった。

 で、外した視線の先にはケーキが無くなってもちゅっちゅしている俺と結衣。

 慌てて視線を戻すと絶対零度の微笑の魔軍司令ゆきのんが居て、助けを求めて一色へと向き直ってみれば“甘さのお陰でイメージが沸きました失礼しますねごめんなさい!”といって逃走。それに続いて「おぉおおおおおお手伝いしますいろはマ《がしぃ!》たすけてー!!」……逃げようとした絆が雪ノ下に捕まった。

 結末が見えていた俺は、一色が走るのと同時に結衣を抱えて立っていたので、最後に結衣と一緒におめでとうを唱えてから静かにその場をあとにした。

 雪ノ下もにっこりと見送ってくれたので、あとは……祈っておこうかな。我が娘の無事を。

 

「うわーん! パパの薄情者ー! そのくせ発情者ー! こんなにパパラブな娘が居るのに親ばかにならないどころかママとの仲を見せ付けてばっかりなんてどうなってるんですか不公平ですたすけてくださいごめんなさい!」

「悪いな絆。産まれた子供に見せ付けるって部分は、お前が産まれる前からの約束だったんだ」

「産まれる前からそんな約束がされていたことにびっくりなんですけど!? どこまでラブラブなんっ───」

「絆さん?《にこり》」

「ひやぁああっはぁああっ!? ごごごごめんなさいぃいいいっ!!」

 

 その日、喫茶ぬるま湯内の奉仕部に、娘の悲鳴がこだました。

 ……さて。こんな賑やかすぎる俺達で、今年も一年がんばりますか。

 横抱きにした妻を見下ろし、見上げられ、いつかのように笑った。

 笑ったまま、これまたいつかのように言うのだ。

 額をこつんと合わせ二人にしか聞こえない声で。

 幸せだな、幸せだね、と。



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鬼は内、と呟いた足元で①

 鬼は外、福は内。

 節分という行事を簡単に表す言葉として、あまりに有名な言葉である。

 幸運をもたらす福……福の神とか? は、おうちにどうぞ、けど鬼、てめーはだめだっていう言葉だ。

 その鬼が俺になにをしたとかでもなしに、行事だからとこの寒い中、外に出ろはあんまりだろおい。いや、許可も無く“内”に居るらしい鬼もどうかとは思うが。

 もし福をもたらす鬼だったらどうすんの、とか考えないのかね。

 なので俺は、こう言うのだ。

 鬼は内、福も内。

 そもそも“みんな”が使う俺はいいけどお前はだめとかほんとアレだからな。

 ぼっちにされる鬼の気持ちとかほんと解ってない。

 だがまあその……なに?

 鬼が望んでぼっちになってんなら……外でも、いいのよ?

 ……なんか俺も外に出たくなってきた。

 

……。

 

 奉仕部で行われた豆まきは、べつに勝手にやっていることじゃない。

 総武高校奉仕部顧問、平塚静教諭から直々にやりたまえと賜った使命であり、それにあっさり乗っかった結衣が雪ノ下をあっさり説得、開始されたものである。

 

「で、なんでお前がここに居るのかね……」

「いや、俺も急に呼ばれて、なにがなんだか……」

「ていうか、お前が一人とか珍しいな」

「戸部は用事があるとかで、部活も途中で抜けてたからな」

「ほーん……」

 

 奉仕部メンバー+葉山。生徒会長の一色に、エンジェル戸塚。

 その八人が奉仕部に集い、紙で作った枡に豆を手に、立っている。あ、あと材木座。九人だった。

 なんとも奇妙な光景だが……まあ、やることと言ったら豆まきしかないわけで。

 

「おにはー! そとー!」

 

 結衣が元気に豆をまく。

 俺はぽしょりと鬼は内をつぶやき、ぼっちが好む教室の隅へとぱらり。

 強く生きろ、鬼。ぼっちにはぼっちの生き方があるよな。

 日本中から必要とされなくても、俺はその生き様を、在り様を称えたい。

 

「ほらほらゆきのんっ!」

「え、ええ……福は、うち《ぱら、ぱらっ》」

「ゆきのんっ、元気ないと福なんて来ないったら!」

「そうですよ雪乃さん! さあさあ小町と一緒に! 鬼はー内ー!」

「待ちなさい小町さん。鬼を内に入れてはだめでしょう」

「え? あ、そっか。いやいや、お兄ちゃんが当然のように鬼は内って言うもんだから、小町もすっかりそっちで慣れちゃってましたよ」

「……比企谷くん?」

「ヒッキー……?」

 

 う。じろりと絡む視線を感じる。

 いや、聞こえてたけどさ。べつにいいじゃねぇの、俺だけの理由だし。

 

「比企谷くん、人が鬼を追い出している陰で、手引きして鬼を招くような真似をしないでもらえるかしら」

「人の小さな呟きからどんだけ壮大なスケールの物語が展開してんだよ。いいだろべつに。言っとくが俺は鬼側だ。なにをしたわけでもねぇのに鬼だからって理由で追い立てられるなんてまちがってるだろ。比企谷って鬼みたいだよなって言われてクラス中から豆をぶつけられた俺以外、鬼を知ろうと思う奴なんて居ねぇよ。俺くらいなんじゃねぇの? 鬼役から豆ぶつけられたのなんて」

「お兄さん……辛かったっすね!」

「タイキック、お前に兄と呼ばれる筋合いはねぇ。あと同情も要らん」

「だから俺大志っす! 大志っすよ!?」

 

 奉仕部メンバーといえば雪ノ下と結衣、って感じだったが……小町もタイキックも随分と馴染んできた。

 相変わらずタイキックは俺に“先輩せんぱーい!”って絡んでくるが、ほんとなんなのこいつ。俺を説得して小町と付き合いたいとかそういうのなの?

 

「やめてくださいよ先輩……先輩に豆ぶつけようとしてたのに、やりづらくなっちゃったじゃないですかー」

「それ以前になんで俺にぶつけようとしてんだよ。鬼役なのかよ俺」

「いえ、鬼役は葉山先輩です」

「えっ? 俺っ?」

 

 意外すぎたのか、珍しくも葉山が心底想定外の事態に直面しました、ってくらいのヘンテコな声色を漏らした。

 しかし一色はてきぱきと鬼の面を用意して、葉山に渡す。

 

「い、いろは? 俺……こういうの、初めてなんだけど」

「ですよねー♪ 葉山先輩ってば人気者ですから、こういうことやったことないってぜ~ったいに思ってました」

「あ、ああ……はは」

「ちなみに先輩は?」

「黒板に被鬼谷って……被る鬼の谷って書いて被鬼谷って読む、みたいに書いて、節分行事なんて鳩が豆鉄砲どころじゃなかったな。あの時ほど八幡宮に鳩が集まることを恨んだ日はねぇくらい。なんなのあれ、投げる時に八幡宮八幡宮って、べつに俺鳩に豆鉄砲当てる趣味とかないんですけど?」

「……聞いてて辛すぎるので葉山先輩お願いします」

「いや……その。ザイモクザキくんとかは」

「投げれば当たるじゃないですか。そんな鬼に出てってもらっても、福なんて別の鬼に食べられちゃいます」

「え? いや……え? い、いろは? それは俺に出てってくれって───」

「悪さをしないなにかに、ものをぶつけるな。そんなの、教わらなくても常識のことですよ?」

「ああ……そうだな、はは」

「なので、はいっ♪」

「………」

「………」

 

 あざとくない笑顔で、一色は鬼の面を葉山に差し出した。

 いや……うん。お前、結構すごいな。俺でもあれは躊躇するぞ?

 

「身に覚えがないなら受け取らなくて結構です。あったら、受け取ってください」

「………」

 

 葉山は、受け取った。受け取って、面をつけた。

 

『鬼か……そうだな。鬼……なのかもしれないな、俺は。…………ごめん、優美子《ぽしょり》』

 

 で、面越しに喋るもんだからなにを言ってるのか、くぐもってよく聞こえない。

 しかしやる気にはなったのか、鬼っぽいポーズを取って構えた。

 

「……今のは聞かなかったことにします。せいぜいいっぱいぶつけられて、フってももらえない、待たされるだけの女の子の痛みっていうのを知ったらいいんです」

『いろは……きみは』

「あ、鬼らしく反撃もありなんで、この豆をどうぞ。それじゃあみなさーん!? はじめますよー!」

 

 ぽしょぽしょと話し合っていたようだが唐突に張り上げられた一色の声に静寂は破られ、そこからはもう騒ぎにしかならない。

 と、いうかだ。最初はぺしぺし当てられていた葉山だったが、急に元気に暴れ出し、豆を受け止めて投げ返すことまでしてきた。

 

「《べしっ!》ぐわぁーーーっ!!」

「!? ざ、材木座くん!」

「ふ、ふふふ……戸塚氏、無事か……? ……よか……った……《べしべしべしべし!》いたたたた! 痛い! やめて八幡! 痛い! ていうか我は鬼ではないのだが!?」

「いやすまん、なんかやり遂げたドヤ顔がむかついた《べしっ》っつ!?」

「えっへへー! お兄ちゃん、ヒットー!」

「へ? お、おい、俺だってべつに鬼じゃ《ぺしっ》だ、だから俺はっ」

「えへへー♪ 鬼は内~っ♪」

 

 背中にやさしくぶつけられ、振り向いたら天使が居た。

 ……あ、はい。鬼になって内にいきます。

 

「……おい葉山今すぐ鬼の面よこせ」

『いや……これは俺が受けなきゃいけないことなんだ。だから断る』

「いやいいから。鬼俺がやるから。今鬼は内とか言ったらお前が来ることになるだろうが。俺の家にお前はいらん。結衣だけ居ればいい」

『ひどい理由だな!? とにかく断る。こんなことで罪が流されるわけじゃないって解っているが───』

「いやそういうのいいから。そっちの隅でぽしょぽしょ言っててくれていいから面だけよこせ」

「あのー、先輩? そんなに言うなら、お面、もう一つありますけど」

「………」

『………』

 

 もらうことにした。

 で、つけてみれば懐かしい、小さな穴から見る景色。

 こんなのつけなくても豆をぶつけられたいつかがフラッシュバックするが、心配そうに俺を見る結衣の顔を見たら、そんな黒い気持ちは落ち着いてくれた。

 

『……鬼は外』

『《べちちっ》……鬼は外』

『《べちっ》………』

『………』

『葉山』

『なんだ、比企谷』

『いろいろ言いたいことはあるが───まあ、あれだな。俺はお前が嫌いだ』

『!』

『けど、嫌いにもいろいろある。……あとでマッカンおごるから、今は、あー……あれだ。泣いた赤鬼でいいだろ』

『……きみが言うと、重いな』

『解らせるつもりはないが、結衣と暮らしてると、まあいろいろあるんだよ』

『そうか。変わったな、きみは』

『うっせ。こっちだって覚悟して進んでんだ。変わるし成長もするっつの』

 

 言い合って、拳をごつんとぶつけてからは……“自分”を忘れた。

 鬼になるつもりで騒ぎ、逆に豆を投げ、ぶつけられ。

 

「もはははは! 豆が欲しいか……!? ならばくれてやる! ピジョンズゴッドブラスター!」

『ホガー!』

「《べしぃん!》はぽぉん!? ちょ、八幡!? はちまぁーーーん!! ホガーとかもはや人語では……!」

 

 材木座にぶつけられたので、鬼らしく咆哮、豆を投げ返した。

 

「お、鬼はー…………八幡なら、外じゃなくて……いいかな」

『……《きゅんっ》』

「ちょ……鬼さん? 我と態度違わない? ねぇ鬼さん? 鬼さぁん!?」

『ホガー!』

「《べしべしべしべし!》はぽぼべぼぼぼべはぽべぼぼ!? ちょ、たすけてぇえ! この鬼、人種差別するでござるー!!」

『《ぺしっ》ホガッ!?』

「あははっ、すきありヒッキー!」

『ホガー!』

「《ぺしっ!》ひゃんっ!?《ぺしぺし!》たっ、いたたっ!」

 

 豆を投げる。無論、加減をして。

 なんかこう、波打ち際で戯れるカップルな気分。片方、鬼の面して腐った目だけを円い穴から覗かせてるけど。やだ、これほんと鬼っぽいじゃない。

 と、ちょっと和んだところでちらりと視線を移すと、

 

『《バッ、ババッ! バッ!》』

「ちょ! 葉山先輩!? 本気で避けすぎですよ!?」

『いろはが言ったんだろう? 簡単に外に出される鬼じゃつまらないって。……面を被って、ぶつけられる覚悟を決めたなら、俺だって鬼になるさ。《べししっ!》っ!? 誰が───…………雪乃ちゃん』

「……そう。“豆”をぶつけられる覚悟が出来たのね。なら、ぶつけさせてもらうわ。ただ、面を被っても避け続けていたら、届かないものもあるのよ。……だからあなたは、あの時まちがえたのだから」

『…………。そう、だね。けど俺は。それでも俺は……“みんな”の中の先に立たされた子供に出来る、あれが精一杯だったって……今でも思っている。後悔はした。無力を噛みしめた。慕われてるからって何でもできるなんて、それこそ嘘だ。そこに立っているからそうで在らなきゃいけないことだってある』

「それでもそれは、あなたの最善だった」

『? ……そうだね。僕は最善を───』

「断言するわ。あなたはきっと、三浦さんを泣かせる。一生ものの傷をつけた上で。あなたは結局、あなたの中の最善しか選べないもの。もう、それしか選べないあなたを選んでしまっている。だから他を選ばない。選べない」

『雪乃ちゃん? なにを───』

「今のあなたには言っても無駄なことよ。もっと大人になって、三浦さんを泣かせた時くらいに、ようやく気付けるんじゃないかしら」

『………』

「さあ、勝負よ葉山くん。ああそれと。……もう、間違っても私を名前で呼ばないでちょうだい」

『……。わか、った……。じゃあ……いくよ』

「ええ。敵は排除するわ。鬼なんて、必要じゃないから」

 

 なんか青春してたっぽい緊張感が、そこにはあった。

 雪ノ下と葉山と一色、その3人はそんな緊張感の中で節分を再開。

 一方の俺達はといえば。

 

「もはははは! 白馬メテオ拳!!」

「《ぺししっ》わぁっ!? あははっ、やったなぁっ! それっ! えいっ!」

「《べしべしべし!》おふう! ちょ、戸塚氏わりと強い! テニス部強い!」

「先輩せんぱーーい! 見てくださいっすこれ! あげだまボンバー!」

『《べししっ》……食べ物を粗末にすんじゃねぇ。ぶっ殺すぞ』

「俺にだけ冷たすぎじゃないっすか!? 温度差があんまりにもあんまりっす!」

 

 いやこれはべつに大人げないとかそういうんじゃないから。

 なんかこう、あれがあれなだけで。とか思っていたら、俺の横にシュタッと一色がやってきて、妙なドヤ顔を見せた。

 

「ていうか先輩のこと先輩って呼んでいいのはわたしだけだって言ってるでしょー? あんまり燥ぎすぎてると……追い詰めちゃうゾッ☆」

「……《ボッ》……あ、いや、けど比企谷先輩は俺にとっても先輩っすから……!」

「だったらそうやって比企谷先輩って呼んでればいいの。ね? せ~んぱい? 先輩のこと先輩って呼んでいいのはいろはちゃんだけですよねー?」

『先輩って誰オーガ? 俺鬼だから解らねぇオーガ』

「どういう語尾ですかそれ!? 初めて聞きましたよそんな語尾!」

「さ、さすがっす比企谷先輩! そこは“オニ”とか語尾つけるとこなのに、妙なところで常識に囚われてないっす!」

『いいからさっさとかかってこいオーガ。鬼というだけで虐げられてきた鬼の無念……今こそ晴らしてやるオーガ』

「あのー……その語尾のほうがよっぽど鬼を虐げてそうなんですけど……」

「比企谷先輩、比企谷さん先輩と同棲始めてから結構面白い人になったっすよね……」

『おいやめろ。……オーガ。そこは由比ヶ浜先輩でいいんだよオーガ』

「語尾忘れるほど素でツッコまないでくださいよ《ぺしっ》ひゃうっ!?」

 

 なんか腹立ったので豆を投げた。

 ていうかさっきから材木座が俺の背中にべしべし豆投げてきて痛い。

 

「なにすんですか不意打ちとか信じらんないです最低ってレベルじゃないですわたしじゃなかったら通報レベルですよ覚悟してください!」

「お、俺もやるっす!」

 

 こうして、賑やかな豆まき……じゃねぇなこれ。豆合戦が始まった。

 

「鬼は外! 出ていきなさい鬼! このっ! 鬼っ! 悪魔っ!」

『《ざくっ!》っ!《ゾシュッ!》っ!!《ゾスッ! ゾブシャアッ!!》───!!』

「ゆ、ゆきのん! ゆきのん!? 葉山くん、避けてるのにとっても痛そうだからやめたげて!?」

「ていうかですよ? 結衣先輩っていつの間に葉山先輩のこと、葉山くんって呼ぶようになったんですか?」

「え、え? えとー、それは」

「あそこの鬼ゾンビが醜く嫉妬した時からよ。それから、男子で由比ヶ浜さんを名前で呼ぶのは比企谷くんだけになったわ」

「ふわ~~……好きな人のためにそこまでやっちゃいますか、結衣先輩」

「だってさ、ほら。ヒッキーも……ほら」

「……そういえば、先輩も小町ちゃん以外は名前で呼びませんもんね。あ、でもあのー……クリスマスの時の小学生の子はどうでしたっけ? えーと、るみるみ?」

「うん。あっちはヒッキー、ルミルミとしか言ってないし」

 

 女3人が姦しく会話を始めると、何故か葉山がorzと落ち込みだした。

 え? なに? 当たったらやばいところにでもヒットしちゃったの?

 

「それっ! 鬼は外っ! 八幡内っ!」

 

 で、俺は戸塚にぺちぺちと笑顔で豆をぶつけられ、トゥンクしていた。

 い、いやいや、俺選んだよ? 結衣を選んだんだから、他の誰かにトゥンクしちゃいけないんだ……けど、なんだろうこの暖かい気持ち。

 ずるいよ赤鬼、青鬼が傷ついてる中、お前はこんな明るい世界に立ってたの?

 ……青鬼、お前男前すぎるよ。けど、違うんだよな。同情されたくてやったわけじゃないんだ。自己犠牲だなんて呼ばせない。

 鬼は……俺達は、そうすることを納得した上でやってるんだ。それは断じて、犠牲などではないのだから。

 だからこれは鬼が鬼として生きる刹那を刳り抜いた間隙物語。

 青鬼のやさしさを理解出来なかった人間たちへ、赤鬼がどうして最初から解ってくれなかったんだと振りかざした小さな憤りなのだ。

 

『これは青鬼の分! これも青鬼の分! これだって青鬼の分! そしてこれが……赤鬼の怒りだぁあっ!!』

「《べちべちばちべち!!》はぽぽべぽはぽぼぽほべほ!? ちょ、はちっ、はちまーーーん!? 何故我だけ!? 我だけぇええっ!!」

「うわー……お兄ちゃんが青鬼に同調してる……。お兄ちゃーん? そういうのちょっとキモいよー?」

『…………《ずーーーん……》』

「うわっ!? 今度は素直にヘコんだ!? ちょ、お兄ちゃんどしたの!? いつもならこれくらい軽く返すのに!」

「こっちでも葉山くんがヘコんだまま立ち上がらないのだけれど……どうしたのかしら」

「うわー……雪ノ下先輩がそれ言っちゃいますか……」

 

 鬼役、撃沈。

 青鬼に感情移入しすぎたため、キモい言われてヘコんだ俺と、なんか言われたらしい葉山、二人してorz状態で震えていた。

 え? あ、いや、俺葉山がなにか言われてる時、戸塚にトゥンクしてたから聞こえてなかったんだよ。

 てゆーか青鬼キモくないし? めっちゃいいやつだし?

 同情とかじゃない、熱い何かを感じるし。

 

「大丈夫っすよ比企谷先輩! 俺、泣いた赤鬼とかめっちゃ泣いたっす!」

『うるせー……お前に青鬼の何が解るってんだ。言っとくがな、タイキック。同情とかそういうのだったら』

「そんなのいらないよ? 大志くん」

「うえっ!? え、いや、べつに同情とかじゃないっす! てゆーか俺タイキックじゃないっす!」

 

 言葉の続きを結衣に語られた。

 これであってる? って顔でやさしく微笑まれただけで、俺の傷、ベホマ。

 俺も単純になったね。一番最初に雪ノ下に会った時の俺と会ったら、こんなの俺じゃねぇって両方で言える自信あるよ。

 あぁ、あとあれな。結衣以外の女子に、興味が沸かない。

 妄想とかで“好きになったら一途なのに~”とか思ったこと、男子諸君ならばあると思う。俺なら絶対浮気しない、とかな。

 画面に映る嫁は何人目ですか? とか訊くなよ? それバニシュ&デジョンだから。

 じゃなくて、現実問題だ。

 アニメ見る頻度も下がって、頭の中の割合が結衣70%、バリスタ20%、娯楽10%くらい? いや、娯楽もっと少なくてもいいわ。

 なんつーか、だらけてた分が全部やる気に向いてる気分だ。

 いや、考えてもみろって。バリスタだろ? 喫茶店の店長やるっつっても、客が少ない日とかは結衣を眺めたり結衣と話したり、客が居たって結衣が“ヒッキー、エスプレッソおねがーい”とか言ってきてさ。

 やだなにこれ、結衣を一日中見ていられるし、そもそも家の中であまり動かず仕事してるだけって、まるで専業主夫じゃない。

 当然そんな甘ったれた意識が吹き飛ぶほど、ザ・仕事になることも予測出来ているんだが……困ったことに、一度思ってしまえば単純なのだ。

 そんな未来に辿り着きたいって思ってしまい、しかし一気に実行、というには難しく、小町に相談したり戸塚に相談したり、平塚先生に相談して知り合いの喫茶店を紹介してもらったりと、なんというか相変わらずどのきっかけも誰かに背中を押してもらってばっかだ。

 結衣への告白も、材木座がきっかけだったしな。内容はアレだったが。

 

「ヒッキー。泣いた赤鬼はあたしも見たけどさ。あたし、居なくなる猫は……」

『……解ってる。ただ、自己犠牲だとか可哀想だとか思われたくなかっただけだ』

「そっか。うん」

 

 orz状態の俺の傍に屈んで、手に手を重ねてくる。

 その手が、ひどく心に温かい。

 

『比企谷……俺は鬼にもなりきれない半端者だ……。雪ノ下さんに鬼と……出ていけと言われただけで……俺はっ……俺はぁあっ……《ぐすっ……》』

『お前も案外メンタル弱いのな……いや、そういう状況に立ったことないなら当たり前か。あー、いいよ。鬼役くらいやってやるから。お前はお前にやさしい誰かのところで泣いてろ』

『───……いや。俺はもう逃げない。逃げちゃいけないんだ。すまない、さっきの泣き言は、言っていいことじゃなかった。俺はもう、向き合うって決めたんだから』

『選ばないことを選ぶのに、なにと向き合ってんだよお前……』

『…………《ずーーーん……》』orz

「あはは……でもさ、葉山くん。気持ちに気づいてるならさ、選ばないとかじゃなくて……言わなきゃいけないことは言ってほしいなって。優美子には余計なことは言うなって言われてるけどさ」

 

 たぶん、三浦の青春は台無しになる。

 恋をして、一途に想い続けて、なのにフラれもしないで宙ぶらりん。

 きっといつかと期待を膨らませては、待ってしまっているから報われない。

 いっそ一色のように踏み出してしまえば……想像している結末とは違う何かを新しく想像できるのだろうに。

 そう思っていると、結衣が立ち上がって、豆を手に……結衣の言葉を噛みしめ、俯いている葉山に、やさしくぶつけた。

 

「鬼は、外。……葉山くんがさ、どんな考えをもってそうしてるのかは……あたしにはわかんないけどさ。厳しさとか悲しさとか、いつかそんなの全部ほうりなげちゃってさ。それで……バカみたいにさ、走っていけたら……いいね」

『結衣……《べちぃっ!》いったぁ!?』

「ヒッキー以外呼んじゃだめ。ふんだ、女の敵っ」

 

 今度は強く豆をぶつけ、べー、と舌を出した。

 ……ほんと、結衣は強くなった。

 俺みたいな成長だの変化だのに唾を吐くような人間が、人の強さがどうとか成長がどうとかアホかって話だが、それでも。

 ああほんと、雪ノ下と会ったばかりの俺ってアレね。逃げることのなにが悪いとか、変わることは逃げだとか。よくそれで成長を目指そうと思えたもんだ。

 周囲の影響が無ければ逃げっぱなしだったくせに。

 いやでもあの頃の雪ノ下はないわー。あの毒舌だけは、今思い出しても泣いちゃいそうになるし。

 

「ほらヒッキー、立って? 豆まきもいいけど、恵方巻もだよ」

『《ぐいっ》っとと……ああ、そういやそんなのもあったか……』

 

 恵方巻。太巻きを丸ごと、幸高い方向を向いて無言で喰らう、古くは大阪から流れた風習。

 食べながら夢を思い描くと良いとされ、具材は縁起のいい7つの食材から選ばれ、詰め込まれる。

 七福神にちなんだ食材が使われたとされるが、別にこれと決まっているわけではないらしい。

 と、うんちくを流したところで、面をとられて太巻きを渡される。

 

「先輩、今年はどっちでしたっけ」

「ああ。今年もぼっちだろうな」

「いえそういう目頭抓みたくなるようなこと言ってるんじゃないです聞き間違いでももうちょっとマシな返事用意してくださいごめんなさい」

「そう思うならもうちょっとやさしくしてくれよ……やさしい女は嫌いだけど」

「どうしろっていうんですかー……」

「一色さん、今年は南南東よ」

「そうなんですか。なんかわたし、ついこの間、どっかで西南西を向いて食べたような」

「おいやめろ。一年の内に4回も5回も食べたかもとかそういうのはいいんだよ」

 

 ともあれ、食う。無言で。

 願いを込めて食うか……どんなことを願う?

 ……目を閉じて想像してみたら、贅沢な望みしかなかった。

 けどまあ、そういうもんでいいじゃないですかね?

 自分で叶えられるものは自分で。無理なら神頼み。人間らしいじゃねーの。

 うん……でも……いいな、こういうの。

 男子は綺麗に切って小分けにして、なんて小奇麗な食べ方をしない。

 いいじゃないの、こういう食べ方。

 恵方巻って男の子だよな。

 

(……結衣がずっと健康で、……いや。幸せってものを、見守ってやっててくれ。幸せには、“俺達”が“俺達”を、って……やれるだけやってみるから)

 

 不幸ってものが近づいてこないよう、どうか見守ってやってくれ。

 それだけを願うよ。

 あーけどあれな。どうしてもっていうなら金とかください。エヘ♪(……こののち、どういうわけか知らんがアタッシュケースを拾うことになり、一億円が手に入ったとか入らないとか)

 というわけで、食べ終えた。うん、特別美味いとも感じなかったが、恵方巻ってそんなもんだと思う。

 思うんだが、海苔巻きというのは具材がシンプルであればあるほど美味いんじゃないだろうか。適当に具材を詰めたって味がごっちゃになって、味わうどころではないだろう。

 だからシンプル。でもベルムス巻きはない。

 

「んくっ……はふ。ヒッキー、なにお願いしたの?」

「あー……幸せには俺がするから、不幸が来ないように見守っといてくれーってな」

「小説家になれますよぅにィイッ!!」

「僕は……あはは、うん。まだちょっと内緒かな」

「わたしはもちろん超一流のお菓子職人です! いろいろ溜まってるモヤモヤとかぜ~んぶお菓子にぶつけてカタチにするんです! で。出来上がったら先輩に味見してもらって太らせます」

「じゃあダイエットしなきゃだね、ヒッキーっ」

「へ? お、おう…………っつーか、太ったらキモいとか、ないの?」

「んー…………ヒッキーは、あたしが見た目で人を好きになるって思う?」

「…………」

「《わしゃわしゃわしゃ》ひゃぷぷぷぷぷっ! だ、だから急に撫でないでってばヒッキ~~~ッ!!」

「太るとかねーから、安心しろ。あとダイエット超賛成。トレーニング、もうちょいハードにしてみるか」

「えへへ、そだね。あ、でもやっぱりあんまりムキムキなのはやだよ?」

「俺だってやだよそんなん」

 

 もし結衣の腹筋が割れたらとか、想像しただけでちょっとアレだ。

 でも、だからって嫌ったりは出来ないんだろうね、俺。

 

「ゆきのんは?」

「…………《もくもく》」

「あ、ごめん……まだ食べてたんだね」

「うわー……雪ノ下さん、なんだか食べ方が上品って感じするね」

「そうですねー……小町はなんかもうがっつりいっちゃいましたし」

「俺は姉ちゃんにいろいろ言われてるから、食い方には気をつけてるっす」

「ちなみに葉山先輩はなにをお願いしたんですか?」

「解り合えないなにかと、解り合えるように……かな。まあ、それは努力でなんとかするつもりだ」

「うーん……葉山先輩の場合、踏み込みが足りないだけだと思いますけどね。先輩は嫌われた方が早いからって線引きしますけど、葉山先輩って平等にって線引きしますから、相手からも自分からも近づけませんし」

「ヒッキーの場合はどんどん踏み込んでいけば、ぶつくさ言いながら付き合ってくれるし」

「ですよねー? というわけで、葉山先輩はじゃんじゃん踏み込むべきです。それもしないで神頼みとか神様ナメてんですかってレベルです」

「そ、そうかな」

「そりゃそーだろ。変わりたくねぇのに“神様変えて!”ってお前、心から願ってねぇだろおい」

「……いや。解り合う、って点では変わりたいとは思ってるんだ。でも、それを神様に頼んでちゃいけないって思った。本当に、それだけなんだ」

 

 言いながら、ため息。それは少し、自虐も含まれているような、冷たい笑みだった。

 ……そだな。葉山だって、解らないわけじゃない。

 ただ、眩しいものを眩しいままで残していたいと思うから、眩しいままで放置する。

 感情を冷凍保存出来れば、多少は長持ちするんだろうけどな。

 生憎と、それは生物なんだよ葉山。些細なことで腐っちまう。人の笑顔ばかりを見てきたお前は、それが解ってない。

 ザ・ゾーンなんてものがどれだけあったって、違う感情を持つ人が集まれば……“そのまま”は不可能なんだよ。

 そうは思っても、解っている。“そうであってほしい”は、人になにを言われたところで曲がらない。

 一度、最大級の後悔を味わって破壊でもされなきゃ、曲げられないんだ。

 それで破壊されるのが三浦優美子って女子の青春そのものだってんなら……お前はほんと、鬼になるんだろうさ。ぶっ叩かれたって後悔する権利すらねぇよ。

 



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鬼は内、と呟いた足元で②

 鬼役が飲み物を購入、という提案が投げられ、俺も葉山も頷いたことで……現在、二人きりで自販機前。

 やだ、去年の結衣との恥ずかしい話とか思いだしちゃう。

 ……あー、ここに海老名さん居なくてよかったわ。

 

「俺が鬼……か。そうだな。結局俺は、選ばない」

 

 んで。

 思ったことをぶちまけてみれば、葉山はそんなことは解ってるんだとばかりにそう言った。

 

「お前すげぇな。自分のことが好きな相手の青春、丸ごと潰すってなってもまだ選ばないとか」

「盾にするとか女子避けとか……そんなんじゃないんだ。友達、仲間……そんな関係で居られればって、本当に思ってる」

「好きじゃ、ないのか」

「友達として、仲間としては、だ。それ以上の感情は……たぶん、これからさきもきっと、ずっと」

「じゃあなんで振ってやらないんだよ。伝えないだけでどんだけ苦しめるって……って、俺が言えた義理じゃねぇか」

「いや。君は選んだんだ。それは言っても許されることだ。けど、俺だって悩まずにこんな関係を選んでるわけじゃない」

「……。振ってしまえば友達にも戻れない、ってか」

「高校の間だけでもいいんだ。卒業したら、俺のことなんか忘れて───」

「自分に好意を持ってるヤツ相手に“俺なんか”はやめろ、だそうだ。相手はお前が好きなんだ。お前だから好きになった。散々真っ直ぐ言われて、今も言われてるから言ってやるよ。解り易くだ。あいつらはな、“俺なんか”を好きになったんだよ。お前がどれだけ“俺なんか”って言おうが、そんなくっだらねぇ言い訳を振りかざしちまう相手を、その丸ごと好きになったんだ。お前がそんな姿に惹かれる時がこれから先にあるなら今のままでいい。無いんだったら振ってやれ。お前、本音で話もしないで仲間だなんだって、言ってて恥ずかしくないの? 馬鹿なの? 死ぬの?」

「……。お前にだけは言われたくなかったな」

「そうな。俺もお前に説教だとか気色悪くて吐きそうだわ」

 

 言いながら、ブラックコーヒーとマッカンを買う。

 んで、ブラックを手に、葉山にはマッカンを。

 

「? 比企谷、俺はブラックって───」

「……許せないじゃない、許さないだけ、って話……知ってるか?」

「え……あ、ああ。認識の違いの話、だよな。どれだけ怒っていても、怒っている理由や根本の向きを変えてやると、案外簡単に怒りは消えるっていう……」

「ぼっちは少なからず、誰に教わるでもなくそれを身に着けて生きていく。殺したいほど憎いヤツが居ても、いつかどっかでスイッチを切り替えて、べつにどうでもいいから二度と姿を見たくないって、許す代わりにもう現れるなって、そいつを気持ちごと捨てることも出来る」

「………」

「トラウマを植え付けた相手なんざ、忘れようにも忘れられないし、いっそ殺したいって思う時だってある。けど、たとえばその経験の先で現在が幸せで仕方ない時、そいつを殺すことで人生を棒に振るいたいかっていったら……そうじゃねぇだろ」

「……比企谷、キミは」

「“俺はお前が嫌いだ”」

「っ……それは」

「修学旅行のあの日、お前は俺にだけは頼りたくなかったって言ったな。俺もだ。あの時俺は、お互い様だよ、馬鹿野郎って思ってた。根本から、俺達は合わねぇんだ。これはしょうがない」

「なにが言いたいんだ」

「たまには捻くれてみろ。正しいだけなんてつまらねぇって、変わらないものなんてねぇんだって、一度でも受け入れてやれ。それは、お前にしか出来ねぇことだろが」

「…………。なぜ、きみが俺にそんなことを言う。そんなことを言うやつだったか? 比企谷って男は」

「前の自分を見てるみてぇで腹が立つ。いや、違うか。……仲間仲間言ってるくせに、仲間のことをきちんと考えてやれねぇその有様が、見てて腹立つ」

「…………」

「……。なにも返さねぇんだな」

「本当のことだからな。人の時間を自分の幸福のために潰してなにも思わないほど、俺だって人として壊れていない」

 

 それでも、と呟いて、葉山はマッカンを受け取った。

 

「いつか後悔するんだとしても、俺は“今”を選ぶ。変わらない今を。そのためにみんなの今をもらって、卒業したあとはなんらかのかたちで返していければって思ってる」

「………」

 

 無理だろ。

 そうは思ったが、口にはしなかった。

 そう信じていれば叶えられる。自分にはそれが出来る。

 なまじなにかが出来てしまうと、いつしかそれをそういうものだと信じてしまう。

 救われなかったらしい雪ノ下雪乃のことを、救えなかったらしいこいつは今でもきっと後悔している。

 だから大人になればと、今でもそれを信じているのだろう。

 けどな、葉山。どれだけ大人になったところで、体がでかくなったところで、踏み出せなけりゃ、なにも変わらねぇんだよ。

 孤独な馬鹿が泣きながら本物を求めるみたいに、一度でも……本当の感情を吐き出してみればいい。

 俺にとってのあれが恥ずかしい過去だとしても、それを受け止めて頷いてくれる誰かは居た。

 歯車が噛み合わさっても、答えを得たわけじゃない見えないなにかを、今でも追っては苦笑を重ねている俺達だ。

 たしかに全員が“今”をって生きているが、望んでいるそれは“変わらない今”じゃないから。関わることで、自分さえ知らぬ間に変わる自分に戸惑いながら、それでも突き放したりはせずに歩いている。

 手探りってのは心細いもんだが、歩いてみれば……見ている先は違うのだとしても、辿り着く先が同じだと信じていれば、こんなにも居心地がいい。

 

「はあ。やっぱ俺、お前は好きにはなれそうもないわ」

「……。そうだな。きみの言葉を借りるなら、俺の台詞だ馬鹿野郎、か」

 

 言って、二人してガラにもなくニカッと笑い合った。

 俺はブラック。

 葉山はマッカン。

 それをカシュッと開けて、かつんとぶつけ合って、

 

「俺は君が嫌いだ」

「こっちの台詞だ、馬鹿野郎」

 

 嫌いを、飲み込んだ。

 俺達はきっと、一生肩を組んで笑い合う、なんてことはないのだ。

 だが、嫌いだからって突き放したりするかといえばそうじゃない。

 

「うげ、苦ぇ……」

「うぐっ……甘い……!」

 

 素直な感想を漏らし、けれど残さず飲み込む。

 同時に飲み終え、それをゴミ箱に突っ込むと、まずいものを飲み込んだ者同士、なっさけねぇ顔をしながら……言い合ったわけでもないのに拳を持ち上げ、ごつ、とぶつけ合った。

 きっとこいつとは絶対に友達にはならねぇけど。

 

  その、変わらないって姿には……三浦にゃ悪いが、ちょっと憧れた。

 

  その、変わっていこう、幸せにしようって姿に、変わってゆく人の在り方に、変わらないと決めたくせに、ちょっと憧れた。

 

 おそらくお互い、まったく逆のものを考えながら、俺達はニカッと笑って自販機と睨めっこした。

 

「さーてイケメン。女子ってのはどんな飲み物が好きなんだ?」

「雪ノ下さんなら……紅茶、かな」

「残念、あいつは野菜生活だ」

「ぐっ……ゆい、がはまさんなら……ほっとれもん、か?」

「残念、なんか知らんがここで買う場合は男のカフェオレだ」

「そ、そうなのか? 意外だ……!」

 

 言って、なんだか笑えてきた。

 買う度にやさしい顔になって、男のカフェオレをえへへーって俺に見せてくる結衣。

 一番最初、依頼に来た頃に買った時も、大切そうに笑ってたっけ。

 ああほんと……あいつは、あんな時から……。

 ビッチとかぶっ殺すとか、あー……俺、あー……もう。

 うし、戻ったらめっちゃ甘やかす。お願いとかもう無条件で叶えるよ俺。

 

「いろはは……い、意外性でスポルトップ……か?」

「残念、そここそほっとれもんだ」

「……。比企谷。次に君が自分のことをぼっちって言ったら、俺は君を殴るぞ」

「あ、そ。んじゃあ俺は刺し違えてでも殴り返す」

「そこはただ殴られておけよ……」

「やだよ。痛いだろうが」

 

 ぽちぽちと飲み物を購入していく。

 途中、タイキックも連れてくるんだったと後悔するが、まあたまにはいい。

 こいつが二人でって目くばせしてきたんだから、ちっと多めに持ってもらえばいい。

 

「比企谷。妹さんはなにが好きだ?」

「そうだな。主にお兄ちゃんだな」

「そうのはいいから、さっさと答えろ。わざわざ尖らせないために小町ちゃんって呼ばなかったんだ、早くしろ」

「お前たまにひでぇよな。小町はそっちの長いのでいい」

「大志くんは?」

「タイキックな。あいつは───まあ、あれな。スポルトップでいいだろ」

「ジャンク系か……ザイモクザキくんは……この奇妙系でいいか?」

「あー、それ選んじゃうかー。いや、だめじゃない、だめじゃないがそれかー」

「え、あ……不味いのか?」

「んや。材木座が言いそうな言葉選んでみた。いいんじゃねぇの? つーか、なに買ってきても飲むだろ、あいつ」

「そうか…………それで」

「ああ、戸塚だな。戸塚……スポーツドリンク系、だと思うか?」

「いや……正直飲み飽きている可能性だってある。俺も水分と塩分補給とはいえ、毎度飲んでいると飽きるし」

「さわやかな恋の味、ネクタードリンクはどうだ?」

「すっきり桃の風味か……」

「…………。いや、桃は俺が個人的に買ってくわ」

「? そうか。意外だな……桃、好きなのか?」

「……人の影響ってすげーなって話だよ」

「?」

 

 結局、戸塚の分で結構悩んで、戻ってみれば遅いと怒られた。

 

   ×   ×   ×

 

 で。

 

「オンラブラトルド・アンベルト……オンラブラトルド・アンベルト……! 我は求め訴える……我が呼びかけに応じ、今こそ我が元に具現せよ! 汝の名、紡ぎし愛と哀の蒼き鬼! 鬼はぁーーー内ィイッ!!《くわぁっ!!》」

 

 喫茶店で豆まきイベントが実施され、恵方巻に見立てた一色式恵方菓子が結構売れて、店を閉めた夜。

 店内に炒り豆を散布しているのは、我が娘である比企谷絆である。

 ちなみに謎の呪文を訳すと、私はラブラドールが好きですが、鎖で縛るつもりはありません、という意味らしい。

 宅に犬は居ない。猫は居る。

 犬が……サブレがその生命を全うした時、結衣が見ていられないくらい号泣して以来、俺達は……犬は飼っていない。

 自然と犬の話題も出なくなったが、今でもいつか俺が贈った首輪は、捨てられずに飾られている。

 

「豆くらい静かに撒きなさい」

「元気がなきゃ弱気になんて勝てないんだよパパ! だからこう、あえて楕円球を投げるつもりで! 黄金の回転! 炒り豆のぉお! 無限回転エネルギー!」

 

 おいやめろ。豆なんか回転させてどうしたいんだよお前は。

 

「あーでも昔は鬼さん信じてたなぁ。赤いものには福があるーって、サンタも日の出もお雛様も振袖も、鬼だって信じてたなぁ。ねぇパパ? うちではどうして鬼は内なの?」

「鬼が俺達になにかしたわけでもねぇからな。鬼ってだけで外出ろってのは違うだろ」

「おおさすがパパ! ぼっちの気持ちを解ってるね! でもでも納得! 絆納得! 鬼はー内ー! 福もー内ー! ふはははは! 鬼でもなんでもわたしが相手だー! なーんちゃってうりゃー!《ぶんっ!》」

「……比企谷くん、奉仕部まで聞こえているわよ。少し静かに《べちぃ!》───」

「あ」

「………」

 

 調子に乗って燥いで、思い切り投げた豆が、丁度通路から出てきた雪ノ下の顔面に直撃した。

 ああ、なんだろう。雪ノ下の落ち着いたオーラというか、周囲に漂う静かな空気っていうのか? あれがD4Cラブトレインがチュミミ~ンってすり抜けられたみたいに掻き消されて、代わりに黒いオーラがモシャアアアって溢れ出してきたような……!

 ええと、ほら、一言で言うならこう…………鬼、到来?

 

「絆、さん……?《ニコリ》」

「ひぃいいやぁあああああああっ!? ごごごごめんなさいぃいいいっ!!」

 

 一言、鬼だと呟きたかったが、まあほら、よかったじゃない、鬼が来たぞ?

 ほれ、黄金回転でなんとかしてやりなさいよ。

 

「パパ助けて!」

「絆。蒼い鳥はな、いつだって近くに居るもんなんだ。探し物は近くに、ってな」

「雪乃ママ! パパが雪乃ママのこと鬼だって言ってる!」

「うおぉおいこらちょっと待て! これはそういう意味じゃ───」

「比企谷くん? ちょっとそこ座りなさい」

「い、いや、だからちが」

「座りなさい?」

「つーかそこ床───」

「ええそうね。それが?」

「………」

「………」

 

 ちょこんと正座で座る親娘ふたり。

 あの、なにこれ。なんでこんなことになってんの? 俺完全に被害者じゃないのこれ。

 ああちなみに、雪ノ下が戻ってこないからか、様子を見にきた結衣がなぜか一緒になって隣に正座したあたりから、説教が緩くなりました。

 かつての部長、相変わらず結衣には甘々すぎである。

 いや、まあ。俺も甘々すぎだが。

 

「あ、節分っていえばさー、高校でもやったよねー」

「ああ、葉山が盛大に落ち込んだアレか。結局あれってなにが原因だったんだ?」

「昔のことよ、忘れなさい」

「お前が原因かよ……」

「ぐっ……ええ、そうね。けれど原因、と言うのであれば、そもそもは葉山くんなのよ」

「え? またなにかやらかしたんですかあの人」

「そのいっつもなにか仕出かしてるみたいに言うの、やめたげなさい」

「? うん。パパの言うとおりにする」

 

 きょとんとしながらも頷いてはくれる。

 俺の言うことは大体素直に頷くから、なんちゅーか可愛いわけで。

 まあ、命令きかせて喜ぶ趣味はないから、それが当然って受け止める気なんざさらさらないが。

 

「ん……そういや、一色はどうした?」

「あ、いろはちゃんならあたしが作った恵方巻、用意してくれてるよ? 今呼びにきたの、一緒にたべよーって」

「今年はどっちだったか……」

「えへへ、もうぼっちじゃないよね?」

「その返し方やめなさい……ああはいはい、最高の嫁さんもらえて、鼻もポイントも胸のトキメキも幸福度も高いよ」

「そこに絆をそっと添える喜び……プライスレス!《ドヤァーーーン!!》」

 

 目を閉じ、静かに寄ってきた絆が、プライスレスの瞬間、ドヤ顔でクワッと目を開いた。なにしたいのこの娘ったら。

 

「はいはい、妙な病気ふりまいてないで、さっさと行くぞ」

「はーい。ねぇパパ? 恵方巻って鬼の金棒に見立ててるってほんと?」

「見立ててってだけだろうけどな。ほんとだったら尊敬通り越して怖ぇよ。どっちが化け物だよ。金棒食うとか昔の人々ったらなんでも噛み砕きすぎでしょ。なに? 紅羽高校で番長でも張ってたの? コンクリートブロックとか噛み砕いちゃうの?」

「金棒食べてお願い事とか、すっごいこと考えたよねー。ねぇヒッキー、なんで無言じゃなきゃだめなんだっけ」

 

 っつーか、なんで俺に訊くの。そこにユキペディアさんが居るから、そっちに訊きなさい。

 とは言わない。頼られてるって、ちょっぴり嬉しい。

 なもんで、うんちくを話しながら雪ノ下に溜め息を吐かれ、一色と合流して恵方巻を食べた。

 喋ってはいけない、という条件がある緊張感が好きらしい絆は、毎年人を笑わせに走る。

 

「地獄から来た野生の少年のケツを粉砕する冷血動物マシーンデブ殺し世界チャンピオン!《バッババッバッバッ!》スパイダーワッ!!《ビッシィーーーン!》」

「ぷふぅっ!?《ぷしゅっ!》」

 

 で、不幸なことに雪ノ下が笑った。

 あとはまあ、いつも通り鬼がご降臨あそばれたわけで。

 

「う、うわーん! 鬼は外ー!」

「そう、外でお話がしたいのね。いいわ、たっぷりとお話をしましょう?《にこり》」

「《がっしずるずる》きゃわぁあああっ!? たたたたすけてぇパパぁーーーっ!!」

「たまにはしっかり絞られてこい。つーか、イベントの度に怒られてると、もう恒例みたくなってるだろ」

「マ、ママっ……!」

「……ゆきのん」

「なにかしら、由比ヶ浜さん」

「えっとさ、絆もほら、楽しませようとしてやったことだし」

「……。まあ、そうなのでしょうけれど」

「ママ……!《じぃいん……!》」

「やさしく怒ってあげてね?」

「ママーーーッ!?《がーーーん!》い、いろはママッ……!」

「結衣先輩はやさしいだけじゃありませんからねー。とりあえずきーちゃん?」

「は、はいいろはママ!」

「……やまない雨はないよっ☆」

「絆は今すぐ大快晴が欲しいのですが!? う、うあーん! パパー! ママー!」

 

 こうしてスパイダーワッは雪ノ下に引きずられていった。

 いやほんと、毎度毎度雪ノ下をつつくことに関してはプロ級である。

 悲しいのは、それが狙ってやっているわけじゃないことな。

 

「さて。それでは先輩、結衣先輩。雪ノ下先輩だけだといきすぎた説教になっちゃうかもなので、わたしが様子を見てきますね?」

「……おう。そっちのミニケトル、お茶入ってるから持ってけ。外に出てのんびり会話するには、まだ寒いだろ」

「さっすが先輩、妙なところで気が利きますねー。あ、それじゃあお礼といってはなんですが。……ちゃんすですよ結衣先輩っ、存分に甘えてくださいねっ」

「え……やっ、ななななに言ってんのいろはちゃっ───」

「いまさら恥ずかしがることじゃないでしょー? 今日のための準備で忙しかったですし、存分に甘えてくださいってことで。あ、じゃあ先輩? お茶、ありがたくもらっていきますねー!」

「ちょ、いろはちゃん!? いろはちゃーーーん!?」

 

 うふふふふと謎の笑いを残しつつ、一色はてこてこと奥へと消えた。

 で……ぽつんと残される俺と結衣。

 

「あ、あはは……やー……なんか、えと。まだ慣れないね、こーゆーの」

「慣れなくていいだろ、こういうのは。その方がなんつーか安心できる」

「そっかな。……そっか」

 

 カショッ、と椅子を持ち上げて、てこてこと歩いてくる。

 下す場所は俺の隣。

 そこに座り、腕に抱き着いて、静かに体重をかけてくる。

 こんな距離が、心地良い。

 

「はー……なんか、ヒッキーってもうヒッキーっていうかコーヒーのにおいがするよね」

「俺から俺のにおいが消えたって、ちょっと怖いな」

「休みの日とかはいつものヒッキーのにおいだけど。……いっつも頑張ってくれて……ありがと。あなた」

「……おう。おまえも、昔っからありがとな」

「うん」

「おう」

 

 抱き着いてきている結衣の髪をさらさらと撫でる。

 この歳になって、なんて言葉は無粋だ。

 俺達は俺達の自然で生きていく。大多数に向ける当然なんてものは、俺達にとっては不自然だ。

 楽しけりゃそれでいい、なんて胸張れる歳でもないが……それでも、どうせだったら楽しくありたい。楽しければなんでもいいのではなく、選んだ先が幸福でありますようにと願うよう、俺達もまた───ってな。

 

「恵方巻、美味かった。ごっそさん」

「うん」

「豆も焦げてなかったしな」

「さすがにもう焦がすとかはしないってば」

「勉強も出来るようになったし、スタイルもいいし性格も良し。振り返ってみれば、お前に好きになってもらえるとか、すごい確率だよな……」

「えへー……♪」

 

 腕からずるずると崩れていき、ぽてりと俺の足の上に上半身を寝かせる。

 そのまま頭を撫でたり顔を撫でると、くすぐったそうにふるりと震えた。

 

「ん……眠いか?」

「ちょっとだけ」

「まあ、ちょっと忙しかったもんな。うし、寝ていいぞ? 部屋まで運んでやる」

「……うん」

 

 慌てることこそしないが、結衣は顔を赤らめた。

 そんな妻を見つめながら、よっと横抱きにすると歩き出す。

 

「えと……ヒッキー?」

「ん、どした?」

「恵方巻のお願いね? ヒッキーじゃなきゃ出来ないこと頼んじゃったんだけど……やってくれるかな」

「離婚しろとかじゃなければ大体大丈夫だぞ」

「それ言ったらあたし泣いちゃうからやめて」

「お、おう……すまん。笑えない冗談だったな」

「ん。ほんとだ。気をつけてよね、もう。ほんとそういうところって変わんないんだから。……ばか」

「……おう。で……なにをしてほしいって?」

 

 扉を開け、寝室へ。

 ゆっくりと結衣をベッドに下すと、その結衣が顔を赤らめたまま、きゅっと俺の服を撮む。

 

「えっとさ。今日はヒッキーの膝で眠りたいなーって。……久しぶりにね? サブレの夢……見たから」

「……そか」

「ほら、サブレさ、ヒッキーの傍とかでよくおなか見せたりして……膝に乗っけるとすぐ寝たし、だから……《ぐすっ》」

「……結衣。大丈夫だから。拒んだりしないから、遠慮なく甘えろ。ほら」

 

 ベッドにきしりと座って、左足を斜めに伸ばし、右足を軽く曲げ、横から見れば数字の“7”のような姿勢を取る。

 そこに結衣を招き、曲げた右足に頭を乗せて、体も左足の外側に飛び出ないように体を丸め、サブレがそうしたみたいに……息を整えた。

 

「………」

 

 少しすると寝息を立て始めた結衣を、やさしくやさしく撫でてやる。

 平気な顔して、辛いことがあっても我慢していつも通りで接してくれる“家族”に感謝。

 “水臭いな”とは思うが、言われたところでどうしようもないのが情けない。

 

「……ごしゅじんさまを守ってやってくれな。夢の中までは、守ってやれねぇから」

 

 ぽしょりと呟く。

 しばらくすると、んん……と身じろぎをする結衣だったが、起きるということもなく。

 ただ、かつてのペットの名前を呼ぶと、目尻から涙をこぼし、震えた。

 ……どうやら、夢の中で会えているらしい。

 律儀にお願い聞いてくれるとか、最高だな、まったく。

 

「……ありがとうな。ほんとお前、ペットの鑑だわ」

 

 ご主人様威嚇してばっかだったけどな。

 あんだけ泣いたんだ……きっと幸せだったろうさ。

 だから……どうかこいつが目覚める最後まで、やさしい夢を見させてやってくれな。

 勝手な願いばっかを押しつけ、いつしか俺も……体を曲げながら、眠った。

 苦しい姿勢で寝たからかどうかは知らんけど、見た夢はそのー……明晰夢? ってやつで。夢って解っていながら、起きるのがもったいねぇなって思える、いわゆる幸せな夢ってやつだった。

 夢の中では結衣がサブレと遊んでいて、それに俺も巻き込まれるなんて、なんとも普通な夢。

 そのくせ……二度と叶うことがない夢だから、ひどく大切で、幸せで。

 だからこそ、目覚めた時にもただただ普通に目を覚まして、一緒に目覚めた結衣が、泣きながら「会いにきてくれた」って言うのを……抱き締め、ただ受け止めた。

 ほれ。やっぱり、なんもしてねぇ鬼に豆を投げる、なんてしないほうがいいだろ。

 どこぞの河原の番人が気ぃ利かせて、うろついてた犬を少しだけ連れてきてくれたとか考えれば、なんでもない夢にだって涙にだって、たくさんの理由がつけられる。

 それが偶然なんだとしても、学生時代の俺なら“くだらない”って鼻で一言で片づけるようなことなんだとしても、一緒に歩いて、大切だって思えた時間があったら、考え方だって変わるもんだ。

 だから、ほら。あれだ。

 ぼっちだった野郎の礼なんざ欲しくねぇだろうけど。

 あんがとさん。

 嫌いじゃなかったら、今度同じ“豆”ってことで、コーヒーでも用意しとくわ。

 炒り豆苦手なんだっけ? 煎り豆なら平気かね。

 そんなことを考えながら、また“今日”を始めた。

 いつもより張り切る嫁さん見つめながら、同棲を始めた頃よりも足元が寂しい今を思って。

 

「パパ、今日も張り切っていきましょう! ママに負けてられません!」

「お前のテンションで頑張ったら途中で力尽きるわ」

 

 まあ……そうな。

 足元は寂しいけど、周りはそれ以上にうるさいから、寂しい思いなんてさせてやらねぇよ。

 だから、俺なんぞに懐いてくれたお前にも。

 

  ……───ああ。あんがとさん。



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チョコの日の喫茶店

 バレンタイン。

 訓練されたぼっちだろうとどうしてもそわそわしてしまう、人間の本能を悉くざくざくとつついてくる厄介な日である。

 期待などとうにやめた筈なのに、その日だけは下駄箱に心惹かれ、机の中に興味津々、などという恥ずかしい思いをした人も数多いことかと思う。

 しかし、本日においてそんな話はどうでもいい。

 何故なら今日は日曜であり、学校は休みなのだ。

 

「イ~~~~ッヒッヒッヒッヒッヒ!! イィ~~~~ッヒッヒッヒッヒッヒッヒ!!」

 

 さて。学生諸君は大きく二つ分けられ、歓喜と落胆を得ることだろう。

 イケメンリア充は落胆し、非モテの者どもは“いや行けばもらえたけど? べつにこだわってなんかないし?”と見得を張ったことだろう。

 話を視界の先に移そうか。

 学生であり、女子側である我が娘は、鍋でチョコを溶かして魔法使いのオババ的な声を張り上げているわけだが……ねぇ? ちょっと? それなんてグルグル? やめて? お前に生徒会長を任せようって願ったやつらが泣いて悲しむから。

 

「ああ、このチョコを砕いて湯煎する瞬間、大好きです。溶けるがいいのです市販品よ。食べられるべくして作られておきながら、アレンジされるために買われて溶かされるがいいのです」

 

 とあるバレンタインの……まあ日付変わってるからまさにバレンタイン当日なんだが、その前日の夜中から、まあその、なんだ。笑い声で大体察しがつくが、喫茶ぬるま湯の中でもある意味特殊な聖域、“一色の城”である菓子工房にて黒魔術もとい、チョコを作っている娘ひとり。

 市販のチョコを切って湯煎して固めるだけ、という半端はしないのは毎年のことだが、なんだって今年は魔女の釜的なやり方で作ってんの。

 そのボウルの上でくねくね動かしてる手はなんなの。玉縄なの? 魔女ってなんで釜の上で手をウネウネ動かすんだろうな。玉縄なの?

 

「ふうっ……愛情注入完了っ……!」

 

 愛情だった。やだ怖い。

 え? 玉縄っていっつもコミュニティーセンターで愛情振りまいてたの?

 ゲームとかなら“暗黒の釜”って技名で召喚されそうなのに。

 

「さってとー、あとはトッピングとアレンジだけど……味付け、なにがいいかな。パパはもちろん甘いもの好きだから、甘さ強化は当然としてー……」

 

 ……まあ、なんだ。キッチンでぱたぱた動き回る絆を、そっと廊下側から見守ってるわけだが……毎年あいつのチョコは美味い。年を追うごとに上達していて、市販品に味を追加しただけだっつーのによくやるもんだって感心してるほどだ。

 

「で、チロルの型に流し込んでー……あとは固まるまで待って、包装すれば完成、と。友チョコ式本格的チロルチョコのでっきあがりー!《どーーーん!》……まだ固まってもいないけど」

 

 友チョコに無駄に手間を加えた馬鹿娘がおった。

 たまになにか真剣に取り組んでるなって感心してると、ほぼおかしな方向にアレだから困る。

 

「さってさて~♪ いろはママ直伝のお菓子作りの腕前はまだまだこんなものではござんせん」

 

 友チョコ用だったらしい溶解チョコは横に置かれ、ボウルにある溶解チョコへと向き直った絆は、なにを思ったのか冷蔵庫からズチャリと漬物を取り出し───おい待て! なんでそこで漬物!? やめて!? パパ漬物チョコを食べる趣味とか───

 

「…………《コリコリ》」

 

 お前が食うのかよ。

 

「はああ……! おばあちゃんが漬けた漬物、最高です……! 夜中につまみ食い、しかも漬物という、およそバレンタインというイベントに胸をトキメかせる乙女が喰らうものではないものを敢えて喰らうこの喜び……! おっと、食べるのは一つまでですよ絆。食べ過ぎてはバレてしまいます」

 

 言いつつ漬物が入ったタッパーを閉じて、冷蔵庫に仕舞う絆。

 そのついでにいくつかの材料を手に取ると冷蔵庫を閉じて、作業に戻る。

 喫茶店ってこともあり、かつ菓子までもしっかり作る場所であるからして、そういう材料は大変豊富だ。

 が、一色の城である菓子工房の冷蔵庫はヤツの宝物殿であり、勝手に材料を使うと激怒する。なので材料は自分で持ち込む必要があり、一色も材料の数は把握済みだから、それさえ使わなければ文句はない。あ、いや、それさえじゃなかった。一色の工房に立つ限り、失敗は許さない。のだそうだ。

 やるからには成功せよ、それが菓子への礼儀である。

 ……漬物はたぶん、絆が持ち込んだんだろうな。匂いが移るかもだから、寝る前に戻しとけよー。

 

「よいしょ、っと……ここでアイスを混ぜ溶かして……」

 

 ……。まあ、あんま見てるのもあれだし、行くか。

 俺もちと仕込みをしたかったんだが、こりゃ邪魔出来んわ。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 朝が来た。

 

「絆ー? 一番さんおねがーいっ」

「はいはいはーーいっ! っとぉ! いらっしゃいませイカ野郎! ご注文は!? はい、はい、バレンタインデー限定生チョコケーキですね? ヘボイモ恐れいります!」

「絆さん、お会計をお願い」

「はいはいはいっ! 限定ケーキとLowで───はい、はいっ、一万円入ります! ざまぁありません! おかえりはあちらです! おとといきてくださ《ずっぱぁんっ!!》いったぁあーーーーーっ!?」

「バラティエ接待はやめろっつっとるだろうが……」

「そのハリセン痛いからやめてよパパぁ! だだ大丈夫だってば! 相手はザイモクザン先生とリア王さんだから!」

 

 言われて見てみれば、一番テーブルには材木座。

 会計を済ませたのは葉山だった。

 

「ほむんほむほむ……! 実際にバラティエスタイルで接待されるとああいう感じであるか……! 参考になったぞ八幡よ! お主の娘に感謝する!」

「……相変わらず俺にはキツいね、絆ちゃん……」

「お前ら来てたのか……言ってくれりゃ少しくらいサービスしたのに」

「君が俺にか?」

「おう。LowなのをMAXにしたりとかな」

「バスターはもうやめてくれ。あれはもう無理だ」

「いけそうだと思ったらまたやってみりゃいいだろ。と、冗談は置いておくとして、葉山。夜は暇か?」

「夜? ……すまない、仕事がある」

「そか。夜だけ限定で酒入りコーヒー出すんだが、そうか」

「アルコールが入るのか」

「うちの女性陣には好評だったな。自分で混ぜてみてなんだが、俺もかなり気に入った。今日はそこにチョコも混ぜた特製を出そうとしてたんだが」

「……美味しいのか?」

「自分でも驚いた。商品化も考えてる」

「……MAXか?」

「限定ってわけじゃねーよ。そっちも調節して、味が引き立つ割合ってのを決めてある」

 

 結構苦労した。なにせ味見しないことには味が解らない。

 適当に作ったものを出して、客に離れられるのだけは避けなければならんから。

 

「まあ、また今度来い。気分が乗ったら作ってやる」

「酒が入ってるなら車で来れないじゃないか」

「送迎でも頼むか? “雪ノ下”の方で運転代行してるところがあるが」

「やめておくよ。酒が入っているところを他人に任せるのは怖い」

「まあ、解る」

 

 軽く笑い合って、見送った。

 日曜ということもあり、今日は朝から中々混んでいる。

 平日の朝なんかは出勤前の客がぽつぽつ来るくらいなんだが、どうやら今日はのんびり一人の時間を過ごしたいお父さんやお母さん、はたまた子供に縛られずに二人の時間を過ごしたいお父さんお母さんが多いらしい。

 その間子供はどうしているのかって? ……家に友達でも連れて遊んでるんじゃねぇの? そんな時代に友達居なかった俺じゃあ完全理解には至らねぇけど。

 

『《ザッ》せんぱーい、限定ケーキあがりましたよー』

 

 過去を懐かしんでいると、一色の菓子工房から内線が届く。

 ストック用の限定ケーキが焼きあがったらしい。

 すぐに「あいよー」と内線を返し、動き回っている結衣に声をかけると、結衣はにっこり笑って「は~いっ」と返してきた。

 こういう時は誰に頼むのでもいい。いっそ俺の手が空いてるなら俺が行くのでもいいのだが、客が女性従業員に絡んでいる時がある場合、率先してその名を呼んで用事を作ってやることが重要だ。

 今回の場合、結衣が客にしつこく言い寄られていたから丁度よかった。

 つか腹立つ視線で結衣を見てんじゃねぇ、締め出すぞこの野郎。

 

「あ……もう行っちゃうの? あの、前から俺、キミのこと“いいな”って」

「旦那持ちですっ《べー!》」

「へ? ……えぇっ!?」

 

 おー、客が驚いてる驚いてる。

 だよなー、おかしいよな由比ヶ浜家の女性。

 どんだけ、いつまで若いのって感じ。いや、俺もまだまだ若いけど。

 ……お、よっぽど驚いたのか帰るみたいだな、おー帰れ、もう来んな。口には出さんけど。

 

「絆ー、3番が会計ー」

「はいさー! お待たせしましたお客様っ!」

「あ……き、きみも可愛いね。バイト? あの、これから俺と」

「お嫁さんになるって言った相手が居るんで無理ですむしろそんな目的でしたら出直さなくていいので二度とこないでくださいごめんなさい」

「…………愛は死んだ……」

 

 きちんと払って、項垂れた男性は去っていった。

 ……ちなみにパパのお嫁さんになるー、と確かに宣言されたが、受け入れてはいないので誤解なきよう。

 考えている内に3番の片づけを雪ノ下が終えて、絆はそのままてこてこと俺のところへやってくる。

 

「ん、どした?」

「パパまずいです、テンションで無理矢理耐えてきましたけど眠気がピークです。パパに愛とか囁かれたら目が覚めると思うんですけどどうでしょう」

「いやどうでしょうじゃねぇよ。眠いなら今なら平気だから、仮眠室で寝て来い。なんなら部屋でもいいから」

「いや~、眠いな~、今すぐ倒れるように眠っちゃいそうだな~、パパが愛を囁いてくれたら平気なんだけどな~」

「遠回しに小町っぽいねだり方するのやめなさい。……わーったよ、愛を囁けばいいんだな?」

「おおっ、さっすがパパ! 今の絆的にポイントマックスだよ!」

「へいへい、じゃあ約束な?」

「お任せですっ!《びしぃんっ!》」

「んじゃ……」

「……! ……!《どきどきわくわく……!》」

 

 目をらんらんに輝かせて一色式敬礼ウィンクをする我が娘の耳へ、ついっと顔を近づけて囁く。

 その言葉が彼女の願いを叶えますようにと……ぽしょりと囁くのだ。

 

「愛」

「そのままの意味じゃないよ!?《がーーーん!》」

 

 愛を囁いた。

 なのでほれ行けやれ行けと背中を押して、ぎゃーぎゃー不満を隠さずぶちまけまくる娘を客が待つ戦場へと送り出したのだった。

 

「絆さんもまだまだね。あの男が素直に愛の言葉を並べるわけがないでしょう」

「うぅう……絆としたことが……! パパの素直な返事に、つい期待をせずにはいられませんでした……! もしやバレンタインの空気が奇跡をくれたのでは、なんて素直に喜んでしまいました……! そ、そうですよね、パパがそんな、愛なんて囁くわけが───」

「あ、ヒッキー、ケーキ運び終わったよ。いつ注文来てもだいじょぶ」

「おう、悪いな。……その、いつもいつも助かる。ありがとな、結衣。愛してる」

「あ……ヒッキー……───うん。あたしもだ。大好き。愛してる」

「結衣……」

「ヒッキー……」

「めっちゃ囁いてますが!?《がーーーん!》ゆゆゆ雪乃ママ話が違いますなんですかあれずるいです絆も囁かれたいです!」

「はぁ……仕方ないわね。普段は聞き分けがいいのに、比企谷くんのことになると、なぜこうも……」

「それはもちろんパパが好きだからです。パパのレアな笑顔とか見れたら、絆はそのー……眠気とか吹き飛んじゃいますし、頑張れるのですよ。こういうのってポイント高いと思いません?」

「そうね。そこで素直に口に出してしまわなければ」

「うう……ですけど正直に真っ直ぐにがわたしのモットーといいますか、貫きたい信条ですから。あ、それで雪乃ママ? 仕方ないわね、と言ってくれたということは、」

「……愛《ぽしょり》」

「ですからそれを囁かれたいわけではなくてですね!? う、うわーんママー! パパと雪乃ママがいじわるするよぅ!」

 

 ちらりと見れば、ノリに乗ってみたらしき雪ノ下がこちらに背中を向けて俯くようにしてくすくす笑ってる。

 その姿はまるで、小町が俺にバカ、ボケナス、八幡と言った時の様子のようで、なんというか……懐かしくて、俺も笑った。

 

「あ、ヒッキー。これ10番さんの注文。MAXチョココーヒー二つ」

「おう」

「あと8番さんがチャレンジじゃなくて、普通に二人でチョコバスター食べたいんだって。いい?」

「そだな、いいだろ。《ブツッ》一色~、チョコバスターノーチャレンジでひとつー」

『《ザッ》りょーかいですっ☆』

 

 言ってみれば通じるんだから、これで案外一色もノリがいい。

 まあ、それくらい出来なきゃ、あざとく男を手玉に取るとか出来るわけがないか。

 

「バスターMAXはつけるか?」

「あ、コーヒーはホットダッチがいいって」

「ま、だろうな」

「だねー」

 

 笑い合って準備をする。

 バスターが出来る時間も把握しているし、それに合わせるように水出しであるダッチコーヒーを密封したままゆっくりじっくりと湯煎にかけて、温まったら容器に移す。

 すると濃厚なコーヒーの香りが広がり、結衣が「わあ……」と声をもらした。

 

「なんかあたし、すっかりコーヒーと紅茶の匂いで落ち着けるようになっちゃった」

「親友と旦那が紅茶とコーヒー好きだからな。おまけにお菓子は後輩だ」

「恵まれてるよね、ほんと」

 

 結衣がえへへと笑い、ダッチが完成する頃には一色から内線が届き、絆が受け取りに行って、戻ってくれば完成。

 二つに切り分けたチョコバスターの甘い香りと、ホットダッチの香りが混ざり合い、なんとも不思議な空気をトレーの上で作り上げていた。

 ……運んでしばらく、客席から唸るような悲鳴が響いたが、ツッコまないのがやさしさだろう。

 

……。

 

 昼になると客層も変わってくる。

 落ち着きたい男女からやかましげなカップル……と、言ってしまうのはアレだが、まあ事実はそう変わらない。

 もっとこう、誰にも邪魔されず自由で、なんというか救われたい気持ちを抱いてここに辿り着く客はいないものか。独りじゃなくてもいいから、静かに豊かに味わいたいと願う輩は。

 そんなことを注文を捌きつつ眺めていると、店内からやかましさが過ぎ去ったあたりにサラリーマン風の男性が来店。

 朝に散々騒いだからか、珍しく丁寧に案内する絆によって、当店で一番落ち着ける席へと着席した。

 

「…………ほほう」

 

 彼は一度ぐるっと店内を見渡したあと、荷物などを置き、早速届けられたお冷で喉を潤すと、差し出されたメニューを開いて思案していた。

 顎に手を当てて、なんの気なしになんだろう、視線を動かして……壁にでかでかと張られたPOPを見て視線を動かすことを停止させる。

 興味深そうに眺めたあと、チリン、とベルを鳴らして、向かった結衣にPOPの内容……バレンタインイベントケーキについてを訊ねた。

 説明を受けても眉間に皺を寄せ、腕を組んで考え込んでいる。

 どうやら食というものになみなみならぬこだわりがあるらしい。

 そんな彼が再び視線を彷徨わせ、バレンタイン限定チョコバスターに視線を留めるまで、時間はそう必要じゃなかった。

 

 

───……。

 

 

 夜。

 店仕舞いをして息を吐くと、俺達もようやく晩飯だ。

 しかし毎年バレンタインの夜は、飯を食うというよりもチョコを食うだ。

 朝から夜までぶっ通しで甘いもん提供してるのに、視覚も嗅覚も甘いものなんてもう嫌だって言ってるのに、貰えれば嬉しいのだから拒めない。

 男ってのは単純なのだ。

 いいじゃないの、嬉しいなら。

 

「やー、けどお昼のお客さんすごかったよねー」

 

 片づけとテーブルの拭き掃除が終わったらしい結衣が、隣に立って息を吐く。

 「いや、あれは俺も驚いたわ」と返せば、もう苦笑しか浮かばない。

 とりあえずアレな。期間限定バレンタインイベントにて、初代バスターチャンピオンが決定した。

 一見普通のサラリーマン風の男性だが、食べ始めたらすげぇのなんの。

 一口目、ザクッて頬張った時は普通。なんつーか“お? なんだ、普通においしいじゃないか”って顔で、少しして“……ぅぅうぉぉぉぉお……っ……!!”って感じで悶絶してたな。あれは面白かった。

 しかしその後がまた楽しそうに、本当に食を楽しんでるって感じで食べるもんだから、いっそ嬉しかったわ。まあ、“え? 甘さを感じる器官とかどうなってんの?”って思わずにはいられない食べっぷりだったが。

 やたら美味そうに食うもんだから、提供したこっちが逆に腹減ってきたわ。

 もちろん時間内に完食。

 写真付きで初代王者として潰れるまで飾らせてくださいって言ったら、さすがに恥ずかしがってた。

 名前はたしか、井之頭五「パパー! 準備できたよー!」……っと、ん……まあいいか。

 

「んじゃ、行くか」

「うん」

 

 いつも通り手を取り、繋ぎ合って奉仕部へ。

 辿り着くといつものメンバー。いつもの定位置に座ると、それぞれもいつもの位置へ。

 

「えー、ではっ、今年もバレンタインを乗り越えられたことを祝う宴と称し! ……先輩、ほら先輩」

「いやだから、なんでお前毎年俺に言わせんの。結衣でいいだろこういうのは」

「しょーがないじゃないですかー、結衣先輩が先輩にやってほしいって言うんですから」

 

 結衣? 結衣さんー? これあなたのための全部なんですよ? あなたがやらないでどーすんの。とは言わない。

 仕方なく、俺が……まあその、毎年みんなのために作るチョココーヒーを行き渡らせ、手に取ったあたりで音頭を取る。乾杯、と……おつかれ&ごくろーさん。

 

「これ先輩が作ったアレですよね? 毎年のことながら、いい香りです……じゃ、いただきまーす……《しゅるっ……》……~~……ふぅわぁあああ……!! ななななんですかこれすごく美味しいし飲みやすいし……! え!? ちょ、先輩!? これどうやって作ったんですかレシピ教えてください! 去年と明らかに違うじゃないですか!」

「いきなり声かけるなよ……ノリでフラレるかと身構えちまったじゃねぇかよ……」

「そんなことはどーでもいいんですっ! それよりもこれですよこれっ! どーやって作ったんですか!? 比率は!? 配合の仕方はっ!? なに入れたんですか教えてくださいっ!」

「お、おお……? 気に入ってもらえたようでなによりだ。だからまず落ち着け」

「先輩のほうこそ、喋りながら結衣先輩にあーんするのやめてくださいよ……」

「だめだ。これは俺だけの役得だ」

「そう。では……由比ヶ浜さん、私からも受け取ってもらえるかしら」

「おいやめろ、人の数少ない楽しみを奪うんじゃねぇよ」

「あら。私はただ、日頃の感謝を込めて、親友へチョコレートをあげているだけよ?」

「あ、じゃあわたしも結衣先輩にはお世話になってますし……はい、あーんっ♪」

「え? え? ゆきのん? いろはちゃん?」

 

 結衣と“いつも通り”をやっていると、雪ノ下と一色に邪魔された。

 結衣は二人同時にあーんをされてわたわたしていて、俺はといえば……すかさず滑り込んできた娘に膝に乗られ、もうなにがなにやら。

 

「さあパパ! 今日のために愛情10割・根性10割を混ぜて作った奇跡の混成チョコレートです! たべっ……くぁあひゅひゅ……うう、眠くない眠くない……き、絆はですね、パパのことを思えばいつだって覚醒出来る生命体であるからしまして………………くー《どごぉっ!》いたぁいっ!?」

 

 喋り途中で眠った娘が、長机に頭をぶつけて覚醒した。

 拍子に、綺麗に梱包されて中身の見えないチョコらしい箱が揺れるが、ヘコんだりしないようにしっかり庇っているのは……達人の為せる業なのか? 今きみ寝てたよね?

 

「だだだだいじょぶです寝てません絆は強い子ですから頭痛が痛くても立派なバリスタになるんですもう戦闘街とかで古龍種相手に大奮闘ですよ泣いていいですかごめんなさいぃ……!」

「強いのか弱いのかどっちだよ……ほれ」

「《きゅむ》……! …………《ホワー……》」

 

 ぶつけた個所を両手で押さえている娘を抱き締めてやれば、結衣のようにぎゅーっと抱き着いて胸にすりすりしてくる絆。

 次いで、ぶつけたところを撫でてやっているとなんだか動かなくなり、気づけば寝ていた。

 ……弱いなおい。

 

「とりあえずこいつ寝かせてくるわ……」

「あ、その前にヒッキー?」

「? どした?《ぷちぷちぷち》お、おい?」

 

 なんでかベストのボタンを外された。

 で、特に説明もなくいってらっしゃい言われたんだが……寝室のベッドに絆を寝かせた時に気づいた。こいつ、俺のベストを握ったまま寝てる。器用だ。

 なのでするりとベストを脱ぐと、ベストを抱き締めるようにして丸くなる絆。

 ……すまない相棒。今日はこいつの安眠のため、しわくちゃになってくれ。

 ベストにお別れを告げて布団をかぶせてやると、部屋を出て奉仕部へ。

 ……戻ってみると、みんな酔っていた。

 

「あ~~~っ……先輩じゃないですか~~~っ、もー、どこいってたんですか~~……」

「今お前がどこに向かってるんだよ……つーか、お前らアレ美味しいからってがばがば飲んだんじゃ───」

「う、う、うんっ……ひっく……なんかね、ぽかぽかしてね、ひっく……あったかくてね、おいしくてね、ひっく……ひっきぃ、ひっきぃ~~……」

「おう、とりあえずなに言いたのかまるで解らんから落ち着こうな?」

 

 おいしさの秘密は少量の酒だったんだが。

 酒といってもキツいものではなく、あー、なんだ。あるだろほら、飲みやすいタイプの。日本酒とかじゃなくてさ。言ってしまえば後味の邪魔にならない程度の混成酒を軽く混ぜただけなんだが……まさかここまで酔うとは。

 

「……《ちらり》」

「………《ぽーーー…………》」

 

 ちらりと、一言も喋らず、飲んで姿勢を戻したままっぽいかたちで固まっている雪ノ下を見る。

 なんかとろんとした顔で動きもみせず、ぽーっと……コーヒーからのぼる湯気を見守っている。

 

「先輩せんぱーーい! いろはちゃん解っちゃいましたよ! これのおいしさの秘密は~……お酒です! もー、先輩はいろはちゃんを酔わせて、なにをしようっていうんですかー……」

「なにもしねぇからなにもするな、せめて落ち着け」

「ひっきー……」

「……おう、どした?」

「…………」

「………」

「………」

「………」

 

 え? なんなの? 見つめられたまま動かないんですが?

 

「……ひっきーは、がんばった。うん、がんばった。出会ってからも、たぶん、出会う前からも」

「お……、………………。……おう」

「あたしはいっつも感謝してます。ありがと、ヒッキー。いつも朝から大変だよね。休憩もあんまなくて、どたばたしてばっかだよね。夜もなんだかんだで疲れちゃって、それでもいっつもこうして話し合いとかに付き合ってくれて、あたしは……ほんと、あたし……毎日、幸せです」

「……おう」

「あたしをお嫁さんにしてくれて、ありがとう、ヒッキー」

「おう」

 

 ありがとうを真正面から伝えることは、難しいことだと知っている。

 それは自分が尖った存在であればあるほど、感謝した回数が少なければ少ないほど、難しくなっていくものだ。

 謝ることはあっても感謝は少ない、なんて、きっとたくさんの人間が経験していることだと思う。

 けど……こうして伝えられて。

 自分がやってきたことにありがとうと言われて、俺は───

 

「………」

 

 言葉を返し、態度で返し、愛情で返した。

 いつも通りと言えばいつも通り。

 ただ、いつもよりも抱き締める腕に力とやさしさが籠っていた。

 

「いつもありがとう。本当に、支えられてるって実感する。独りだったらとっくに投げ出して、潰してたかもしれない」

「……ううん。それでもさ、きっとヒッキーは、なにかのためにって……しょうがねぇなーって感じで続けてたんだと思う。それがさ、あたしのためじゃなくて……自分のためだっていいんだ。ヒッキーがちゃんと幸せだったら、それでいいって……」

「思ったら怒るぞ?」

「……ん。あたし、もう欲張りだから。幸せはあたしがあげたいって思ってる。幸せにしてくれるのはヒッキーがいい」

「……おう」

 

 それで、そんな幸せを“全部”で囲む。

 俺達が願った先ってのは、そういうものだ。

 だから俺達は、互いを幸せにし続ける。諦めなければ、ずっと幸せだからだ。

 

「お~~っほほ~っ! そんなことではロザリオは渡せなくってよぉっ!? おーっほほぉほー! おー! ほぉー……」

「落ち着け一色、お前はなんの幻を見て何処に居るんだ」

「喫茶店……コーヒーの香り……。なぜかしら……青い山が見えるわ……。小説、小説を書かないと……」

「おーい雪ノ下ー? お前も帰ってこーい?」

 

 溜め息ひとつ、結衣と顔を見合わせて笑った。

 なにも言わずに立ち上がり、テキパキと水を用意したり飲ませたりするのは、もはや手慣れたものだ。

 

「お前は大丈夫か?」

「うん。ちょっとぽーってするけど、ヒッキーに抱き締められたら酔いも吹き飛んじゃった」

「そ、そか」

「ドキドキってすごいね。あたし、これが無くなる日なんて想像できないや。……大好きだよ、ヒッキー。……これからも、よろしくお願いします」

「ああ。こちらこそだ。末永くよろしく頼む。……で、だな。そろそろその……な?」

「うん。みんなにはみんな用だもんね。それじゃあヒッキー、はい。はっぴーバレンタインッ♪」

「お、おう……やっぱ、なんか照れるな……よし。んじゃ、俺からもだ。……ハッピーバレンタイン」

「……うん」

 

 お互い、自分たちが作ったチョコを交換する。

 毎年のことだ。みんなが寝静まってから交換して、存分ににやにやする。

 子供がもう16歳だってのに存分にラブラブだ。

 

「えと、それじゃ、毎年みたく……」

「おう。チョコは一人で食べて、感想は言わない。その代わり、その感謝を態度で、だな」

「うんっ、それじゃあ……おやすみなさい、あなた」

「ああ。おつかれ。雪ノ下たちはこっちでなんとかしとくから。……今日もありがとうな、おまえ」

 

 チュッ、とキスをして、笑って別れる。

 どうせ寝室は同じなのに、毎年これだ。

 まあ、別れるっていっても結衣が雪ノ下と一色に声をかけて、連れていくのもなんだかんだで毎年なわけだが。

 なんとかしとくって言ったのに、まったく───……っと、絆のチョコも食べないとだな……毎年この時期はニキビとかが心配だ。

 

「どれどれ? 今年の絆のチョコはどんな形に───」

 

 毎年手の込んでいる造形を思い返せば嫌でも期待は高まる。

 しゅるりとリボンを解いて、紙を丁寧に剥がし、箱を……開ける。と。

 

「………」

『…………《むーーーーん》』

 

 なんか……目が合った。

 いや、生き物じゃない。生き物じゃないんだが。

 

『…………《むーーーーん》』

 

 いっそ生物でも信じられるなにかがあった。

 えーと……一言で言うなら、“外道:スライム”?

 なんでだろう、ぶきっちょ女子がなけなしの女子力で料理を作ったらこうなりました♪ みたいなこの残念感。

 あいつ、眠たさと戦いながらどんな作り方したんだよ……。

 

「大丈夫だよな? どこぞのムドオンカレーみたいに殺人的な味ってことはないよな……?」

 

 端っこにあった欠片をカリッと噛んでみる。

 …………バニラの香り。混ぜ溶かしたっていうアイスの風味がした。

 

「おお……見た目はアレだけど結構美味いぞこれ……見た目はアレだけど」

 

 次に大本命、愛する妻からのチョコを箱から丁寧に出し、何個かあったそれを口に含んでみた。

 甘い……けど、絶妙な甘さだ。

 なんつーか、俺の好きな糖分量のギリギリを的確に守ってて、そのくせやさしいっつーか……なにこれ心が満たされる。

 

「ん、……うん……いいな、これ……んく……うん……、……───うおっ……!?」

 

 で、気づけば食いきっていた。

 ……これから寝るってのに、大丈夫か俺。

 

「やべ、顔がニヤケる……どうすんだよこれ」

 

 このまま寝室に行ったら、絶対にこっぱずかしい空間が出来るぞ。

 ああいや、ニヤケくらいこの外道:スライムと見つめ合ってりゃ治るだろうが……まあ、いいか。とりあえず今日はもう甘さはいい。適量を押さえてくれたみたいで、今ほんとこの状態が心地良い感じだ。

 うし、絆には悪いが、この外道:スライムは明日にでも……と片づけ始めると、ペラリと床に落ちる紙。

 ハテ、と拾い上げてみると、

 

  『パパのために頑張って作りました。残さず食べてくれたら嬉しいです』

 

 …………。

 

「……神様……」

 

 涙を滲ませ、小さく呟いた“父”に……逃げ道などなかったのだ。

 娘よ……あまりお父さんに、甘いものとか奨めすぎちゃやーよ……? 食うけど。

 

 

 

 

 

 ……翌日。

 

 喫茶ぬるま湯は開店はしたが、メニューにコーヒーは無く、紅茶と菓子しか出されなかったという。

 

 店長がおらず、ここぞとばかりにナンパ男が立ち上がったが、全員撃沈したそうな。



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ささやかな母の日に

 ───母の日。

 5月の第二日曜にやってくる、母に感謝を届ける日である。

 カーネーションをあげるのが一般的といわれている。

 ここで一般的といったのは、多くの母親が花なんぞ贈られても喜ばないからだ。俺の親なんか特にそれな。

 話は変わるが母の日の前には子供の日があることは知っていることだろう。

 その子供の日の謳い文句だが、“こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝すること”というものである。

 ……母親感謝されまくりでしょ。

 ちょっとでいいから俺にそのやさしさを分けてくれよ。

 

───……。

 

……。

 

 カランカラーン……

 

「らっしゃっせーい! 喫茶ぬるま湯へようこそ! こちらでお召し上がりですか!? それとも天に召されますか!?」

「……ええと、こちらで食べる……かな」

「ではお席に案内します! こちらへどうぞ! こちらメニューになります! お決まりになりましたらお呼びください!」

「え? あ、じゃあ」

「とんずらーーーっ!!《ゴシャーーーッ!!》」

「えっ!? ちょっ! 絆ちゃん!?」

 

 ある日曜の朝の頃。

 スーツ姿の葉山が店にやってきて、絆に案内されて席についた───ら、絆が全速力でこちらに逃走してきた。

 

「ふっ……ふふふっ……! や、やってやりましたよパパ……! 絆はやり遂げたんです……! お決まりになりましたらと言っておいて、じゃあとすぐに注文しようとする人から全力で逃走……! そしてぽつんと残される、疑問符を浮かべたままにおろおろする客……!《ずぱぁん!!》はぶぅぃ!?」

「いーから注文とってこい馬鹿者」

「うう……パパー、ハリセンはやめてったら……。だって本日一番最初に注文を取る相手があのうさん臭いスマイルスーツマンだなんて……!」

「……じゃあ美鳩に行ってもらうか」

 

 ちらりと視線を動かすと、びくりと肩を弾かせる美鳩。

 外国での勉強も終え、現在は普通にここ、喫茶ぬるま湯で働いている。

 高校はそのまま三年からの総武高校への転校ってことになった。二年でコーヒーの技術を認めさせるとか、我が家の娘、末恐ろしい。

 

「……パパに期待されたなら、男が苦手だとか言っている場合じゃない……! 期待に応えるその心意気、美鳩的にとてもジャスティス……!」

「おう、じゃあ頼むな」

「……! パパに頼まれた……! これはもう添い寝が許されるレベルのジャスティス?」

「どんな正義なんだよそれは。いーから行ってこい」

「…………う、うん。美鳩、行く。大丈夫、だだ大丈夫……! 美鳩は男などには怯えない……! たとえなにかを仕掛けてこようとも、我が手の内に御身と力と栄えあり……!」

「待てコラ、なんでコーヒー持ってく必要がある」

「お、襲われた時用にズビリッパコーヒーを……!」

「必要ないからさっさと行く!」

「あぅう……」

 

 さっきまでのジャスティスはどこへやら。

 美鳩はとぼとぼと葉山が案内された、この店で一番カウンターとは遠い席へと歩み寄っていった。いや遠いよ。どうせ今ガランとしてんだから、せめてもうちょいこっち側に案内してやれよ……。

 美鳩も美鳩で、注文を聞きに行った割には「ご、ごっ……」と言葉に詰まり、もごもごとしていた。

 あ? しゃーないだろ、客居ないから声が届くんだよ。生憎まだBGMとか流してねぇし。いやわざとじゃねぇよ? ほんとだよ?

 

「ご、ごっ……ご……!」

「ご注文は、だね? ええとね」

「……ゴクツブシ《ぽしょり》」

「なにが!? え、ちょ……美鳩ちゃん!? 今なにを思ってそんなことを!? ていうか、いい加減俺には慣れてほしいかなー……なんて」

「それは断じて断ることがジャスティス。美鳩の男性への想いの全てはパパにこそ向けられる。慣れる慣れないの問題ではなく、それが美鳩にとっての遥かに(とうと)(とうと)きジャスティス」

「……そ、そう、なんだ……《がぁああああん…………!》」

 

 あ。珍しく葉山のやつ、相当ショック受けてる。

 まあ貴く尊い、なんて、貴重さと尊敬まで喩えに出された上で“あなたに慣れたくありません”って言われたら、俺だってヘコむわ。相手がまったくの他人ならまだしも、知ってる相手でしかも娘なら、俺なら泣いて引きこもるどころか一晩中結衣を抱き締めて部屋から出てこないまである。……あれ? それ天国じゃね?

 

「…………まあ」

 

 なんにせよ、と。

 一言呟いて、本日お招きしてあるお義母さんの到着を、今か今かと待っていた。

 なにせ本日は母の日。

 毎年、母の日父の日敬老の日は欠かさない。

 お義父さんにもお義母さんにも感謝し、俺と結衣も娘たちに感謝されたりして、まあその、結構大事な日なのだ、比企谷家にとっては。

 ……あ、実両親たちはその限りではないので。いい加減仕事から離れたらどうだと思わんでもないが、それでも二人が好きでやってるなら止めない。

 

「ええと、それじゃあミルクティーとイチゴショートのセットを……」

「…………《カリカリ……》」

「……その。美鳩ちゃん? 注文を取る時は笑顔でいたほうがいいかなー……って」

「…………《……にこり》」

「そこでどうして比企谷の方を向いて笑顔になるのかな……」

「……くるっぽー」

「三歩も歩いてない内から忘れたっていうのは、鳩だからって言葉遊びには適さないかな……。いやこの場合は俺がって意味だけど。男性への想いの全ては比企谷に、だったね。そのうちの少しでも俺に向けてくれたらなぁって───」

「…………《とことことこ》……誰?」

「美鳩ちゃん!?」

 

 三歩歩かれて記憶から抹消された。

 ちなみに我らがぬるま湯は、注文はあくまで手書きで受ける。レストランみたいに機械でピッピッなんてものは無い。だってその方が喫茶店っぽいから。いやむしろあの店員さんがきちんと自分の願いを書いてくれる瞬間が、なんというかいいと思うのだ。

 

「……ごちゅっ……けふん。ご注文の確認をいたします。ミルクティーとイチゴショートのセットでよろしかったでしょうか」

「え、う、うん。合ってるよ、お願いね、美鳩ちゃん」

「……ご一緒に新発売のバスターワッフルはいかが……?」

「いや、ハンバーガーショップじゃないんだから。そのセットだけでいいよ」

 

 美鳩がてこてこと戻ってくる。

 届けられた注文は、当然のごとくミルクティーとショートケーキセット。

 すかさず絆が目を輝かせ、雪ノ下に習った紅茶の淹れ方を実践。

 

「ククク、この神崎風塵流をも唸らせる大神さん仕込みの紅茶で、目にもの見せてくれるわグオッフォフォ……!!」

 

 いいから黙って紅茶に集中しろサンシャイン。

 こんだけ綺麗でいて可愛いのに、どうして中身がこうなってしまったのか。いや、元気で大変よろしいのだが。

 ともあれ、茶葉を躍らせている内に美鳩が一色工房までケーキを取りに歩き、用意が出来る頃にはケーキも用意されて、準備万端。

 

「………」

「………」

「……ここは絆が行くべき。美鳩は注文を取ってきた。それは順番的にも正しく美しいジャスティス」

「いやいや、なにせ絆は注文の際に逃げ出した大罪人。今更どのツラ下げてお客様の前に立てましょう。なので美鳩が行ってください。そうするべきです」

「率先して行ってくれたら、俺的にと~ってもポイントが高いんだけどなー」

「離してください絆。これは美鳩が届けます。それは前提や前言さえ超越すべき美鳩的ジャスティス」

「いやいやぁ、美鳩こそそこらでゆ~っくりとしていていいってばぁ。これはわたしがきちんと届けて、パパからのポイントはわたしがきっちりいただくから」

「………」

「………」

「…………《ゴゴゴゴゴゴゴゴ》」

「…………《ドドドドドドドド》」

『ジャンケンッ!!』

 

 なにやらジョジョっぽい雰囲気でジャンケンを始めた二人を置いて、めずらしくも俺がセットを届けることになった。

 もうあいつら自由すぎ。人のこと言えねぇけど。

 

「ほれ。紅茶とケーキ」

「ああ、すまない。…………相変わらずだな、ここは」

「そんなにころころ空気が変わってたまるかっつの。んで? 今日はどうした?」

「用事があったとかじゃないんだ。ただ普通に食事に来た。これからちょっと面倒な仕事があってね」

「お前でも面倒とか思うんだな」

「そう思うのか? 学生の時分でも、君関連のことは正直面倒に思ったことくらいあったぞ」

「あー同感だよ。お前が絡むとろくなことが起こらなかった」

「……どこまでいってもブーメランだな。嫌な意味で鏡を見ているみたいだよ。いいところばっかりを取られた兄弟の話を思い出す」

「母が違って父が同じっていう嫌なパターンもあるけどな。片や病院の院長の息子で、片やタクシーの運ちゃんの息子。親がろくでなしの酒飲みの所為で苦労するって話だったか」

 

 まあ、どうでもいい。喩えに挙げたところで、到れた現在に不満なんてないし、俺の奥さん超可愛い。当然娘もだ。

 

「まあ、ゆっくりしてけ。どうせこの時間は客はあまり多くないからな」

「その分、絆ちゃんも美鳩ちゃんも甘え放題っぽいけどな。……ところで、今日は雪ノ下さんと由比ヶ浜さんはどうした?」

「今日は母の日だからな。結衣は一色工房でお義母さん用に菓子作りをやってる。雪ノ下はその監視っつーか……まあ、あれだよあれ」

「そうなのか。その……平気か? 彼女の場合、お前のため以外の料理って───」

「言うな。……っつーか、それほど心配してねぇよ。基礎は出来てるんだから、チョコレートと同じくらい───」

 

 ……これが。

 一色から内線が届き、工房が粉まみれになる数秒前の会話であった。

 

───……。

 

……。

 

 で。

 

「ほら、そんな落ち込むなって」

「落ち込んでるわけじゃ……ないけどさ。うー、今年こそはって思ってたのに」

「お菓子自体は上手く出来てただろ。お義母さんだって喜んでたし」

「いろはちゃんにいっぱい怒られた……」

「そりゃ、掃除が大変だったからな」

「ヒッキーもごめんね……。結局どたばたしちゃって……」

「気にすんな……はちょっと違うな。おう、気にしてくれ。俺も気にする。だから、今度は失敗しねぇように頑張りゃいいんじゃねぇの? 今度は俺も一緒に作るし」

「あ……うんっ! 一緒がいいっ!」

「お、おう」

 

 一色の菓子工房の掃除がようやく終わった。

 現在は夜ってこともあり、店も閉店。掃除を全てやると申し出た結衣とともに、俺も掃除を終えたところである。

 罰にならないからと遠慮した結衣だったが、そんなことはしらん。いや俺べつに? 手伝いとかじゃなくて? 急に掃除したくなっただけだし? ……ええいめんどいな俺。ああそうだよ手伝ったんだよ悪いかよ。

 

「お義母さん、来るたびに元気だよな」

「うん。息子も欲しかったからとか言ってたから、ヒッキーに祝われるのが嬉しいんだよ、きっと」

「そーゆーもんか……?」

「えへへぇ、そーゆーもんそーゆーもん」

 

 まあ、納得しろというのなら納得しよう。

 無意味に頷いて、面倒なくらい浮かんでくるぼっち特有の余計な“考えすぎ”をごくりと飲み込んで、単純な答えを受け入れた。

 

「しかし、今年は娘たちが大人しかったな。てっきりお前のことを盛大に祝うかと思ってたんだが」

「う、うーん……下手に祝おうとするより、二人きりにしてくれるほうがあたしが嬉しいって、解ってくれたんじゃないかな……とか、えとー……ね?」

「…………はっ!? あ、えぁ……それってつまりー……ぐぁあ……!《かぁああ……!》」

 

 気を利かされたってわけで。

 ああもう、母の日のプレゼントがこういう方向ってのはどうなんだよ……。いや嬉しいけど。めちゃくちゃ嬉しいけど。

 家族と一緒に住んでると、なかなか気兼ねなくいちゃいちゃ、なんてできないわけだ。周囲にしてみれば歳を考えろとか野暮なことを言うヤツだって居るだろう。

 それを無視してイチャつけば、結局は周囲を気まずい雰囲気で包んでしまうわけで。

 だからつまりその。家に居るというのに、娘たちが特攻を仕掛けてこないってだけで、俺達の関係としては大変うれしいわけで。

 

「………」

「………」

 

 お互い、未だに赤面しながら、ちょんと軽いキスをする。

 まったく、いつまで恋人気分だよ、なんて言われたって、きっといつまでもと答えるのだろう。

 慣れすぎるのはもったいない。こんな関係だからこそいいのだと、やがて触れる程度のキスを濃厚なものへと変え、静かに愛を伝え合った。

 

───……。

 

……。

 

「……完全に出るタイミングを逃したなぁ……」

「……《んくんく……》……余ったケーキ、おいしい……この味、とてもジャスティス」

「な~にやってんだろうねー、わたしたち。ある程度くっついていちゃいちゃしたら、プレゼント渡そうと思ってたのに」

「作業台の後ろから、出るに出られない……とりあえず今は見守る。……夫婦の仲がいい、それはとても良いこと。なにものにも代えがたいジャスティス」

「そりゃそうだけどさ。……あ、ケーキわたしにもちょーだい?《べしっ!》痛っ!?」

NO(僕のだ)!」

「人のものは散々食べといて、いざ自分のが取られると怒る外国人かあんたは……!」

「ひそひそ声も案外疲れる。囁かれるのはパパの愛の言葉だけにしてもらいたい……きっとそれは、心がとろけるほどに甘いジャスティス《ぽぽぽ……》」

「はぁ……いーなーママ。わたしもあんな風にされたい……」

「ポップコーンに手を伸ばして叩かれる?」

「ちーがーいーまーすー。……まあそれに関しては、今検索したところでトーキョーグールの“僕のだゾ”くらいしか出てこないんですよねー。ちょっと悲しいです。まあ実際の内容なんててんで覚えてないんですけどね。パパかザイモクザン先生が持ってた映像記録であったんだっけ?」

「平塚先生の」

「……先生にどんな意図があってあれを映像に残していたのかがまるで解りませんよね……」

「……《こくり》然り」

「まあでもそれはいいから、ケーキちょうだいってば《べしっ!》痛っ!?」

ノォウ(僕のだぞ)!」

「それはもういいったら! もう散々食べたでしょー!?」

 

 ……。

 作業台側から聞こえる声に、さすがに呆れる。

 聞こえてないとでも思っとるんだろうか、あの二人は。っつーかアホ毛を隠せ、アホ毛を。頭隠してアホ毛隠さずなんて悲しすぎんだろ、比企谷家。

 

「………」

「…………まあ、だな」

 

 家族の仲がいいことは、それだけで素晴らしいことだ。

 そう苦笑を漏らして、見つめ合い、頷いてから───……二人にはあえて声をかけずにたっぷりといちゃついた。

 恥ずかしかったが、母の日のプレゼントなら仕方ないもんな、存分に二人きりもどきを堪能しよう。

 まあでも、やっぱり恥ずかしいから今度からはちゃんと遠慮してくれな……いやマジで。



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恋に落ちる音がした。①

 ある日の喫茶店。突発的に始まった大掃除を終えようとしている時にまで時間は吹っ飛ぶ。
 どこで知ったのか、休みだったらしい葉山が手伝いに来てくれた。
 ご丁寧に腕まくりまでして、壁にかけられていた額入りPOPを掃除し、掛け直してくれている。

「絆ちゃん、ここらへんかな」
「もう少し右」
「よっ……っと。こうかな?」
「もう少し左」
「え? 美鳩ちゃ……え? こ、こう? こっち?」
『はい、魔導村!《どーーーん!》』
「なにが!?」

 今日もぬるま湯はぬるま湯してる。そんなお話。


 今朝も早から店の準備。

 健康を損ねることなく皆が壮健に店を開けば、ぼちぼちとやってくる客、客、客。

 そんな中にあって、本日どうにも奇妙なことがあり───その奇妙は、現在もてこてこと店の中を歩き回っている。

 

「───」

「───」

 

 一人はそのままの髪型。

 肩までの髪の毛を右側で結わい、サイドポニーにしている美鳩。

 そしてもう一人は長い髪を纏め、折りたたむようにして美鳩の髪の長さに合わせ、これまたサイドポニーにしている絆。

 二人はどこか半眼のような瞳でシャキッと姿勢正しく動き、注文を取るのも運ぶのもとても丁寧。

 なにより絆がやかましくなく、美鳩も男性客を前にしても狼狽えない。……まあ、若干どころか汗をだらだら流してはいるが。

 

「今日は別ななにかの真似か……?」

 

 喫茶ぬるま湯の接客……もとい、愛娘たちの接客方法はいろいろだ。

 ワンピースの海上レストラン、バラティエスタイルだったり、妙にスタイリッシュ紳士っぽく迎える坂本くんスタイルだったり、ひたすら元気だったり暗かったり何故か召し上がり方を訊いた上に天に召そうとしたり。

 まあ、その大半が葉山か材木座という、俺達の知り合い連中に向けられるわけだが。

 

「そんで、なんだって今日はメイド服着てるんだろうなぁあの二人は」

「うん、ちょっと前に姫菜が持ってきて、絶対に似合うからーって」

「海老名さん、そっち側のことをまだ続けてるんだな……」

「そっち側の知り合いに、そういうのが得意な娘が居るんだって。あ、そうそう、さっきヒッキーが奉仕部に行ってる時、しずっ……平塚先生来たよ? ほらあそこ」

 

 隣でグラスを磨いていた結衣に促されるままに奥の席を見ると、確かに平塚先生が。

 一応、正式に“雪ノ下”の名の下に纏められることになった俺達は、平塚先生を長女に置き、賑やかな日々を過ごしている。結衣が“しずっ……”と言ったのは、静姉さんと呼ぶのに慣れてきている証拠だろう。

 一緒に暮らしているわけじゃないが、朝は大体飲みに来てくれる。ありがたいことだ。

 仕事中や教師してる時はそのまま平塚先生でいい、というのがあの人の意見ではあるが、あの人俺が“姉さん”って呼ぶとやったらとニマニマして頭撫でてくるんだよな。まあ、今は俺達も仕事中ってことで、教師モードでいてくれてるみたいだ。こっちもシャキっと…………うん。それにしても……ああまあ、その、なんだ。

 ……あの先生どうなってるんだろうなほんと。老いないなぁ……マジで。

 あの人やっぱり戦闘民族かなんかなんじゃないの? 野菜的な。戦い続けられるために全盛期であれる時間がやたら長いとか。え? どんな戦いかって? ……こ、婚活……とか?

 などと思っていると、平塚先生がこちらをギロリと睨む。

 だからどう感覚が鋭ければ人の思考とか読めるんだよ! あの人何者!?

 

  カランカラ~ン♪

 

 どうにも目を逸らし難い状況の中、丁度良いタイミングで客が来てくれた。

 喜び勇んで出入り口に目を向ければ、スーツ姿の葉山。

 

「やあ。今日もお邪魔す───」

『《ザザッ!!》』

「!? え、っ……き、絆ちゃん? 美鳩ちゃん?」

 

 やあ、なんて爽やかに入ってきた葉山に対し、娘二人はズシャアとばかりに滑り込むように葉山の前に立ち、綺麗に横に並んで姿勢を正す。

 そして言うのだ。

 

「姉様、姉様。今日も葉っぱマウンテンが来店しました」

「美鳩、美鳩。今日も葉っぱマウンテンが来店したわね」

 

 眠たげな瞳で、ゆっくりと抑揚のない声で喋る二人。

 戸惑う葉山を前に、姿勢を崩さず、かといって案内するでもなくそこに立っていた。

 ……ああ、うん。戸惑ってるな。めっちゃ戸惑ってるな、葉山。

 高校時代じゃ珍しかったその姿も、このぬるま湯じゃ大して珍しくもないんだから面白いもんだ。

 あとなんの真似なのか分かった。あれリゼロの双子姉妹だ。

 

「えぇと……絆ちゃん? 美鳩ちゃん? なんて返せばいいのか……。あー……ああ、その。せめてそこはリーフマウンテン、とか……?」

「《カチッ》録音完了しましたわざわざの言質をありがとうございますリーフマウンテン様」

「それでは遠慮なく案内させてもらうわリーフマウンテン様」

「美鳩ちゃん!? 許可なく人の声を録音とか危ないから───ってそうじゃなくて!」

 

 そして、出来るだけ会話を拾って盛り上げようとした結果がこれである。

 やめとけ葉山……。高校時代と違って、女子側がお前の言葉に合わせて盛り上げようって気が一切ないから、無難に拾おうが疲れるだけだぞ。

 ……なんていう答えは出てるくせに、教えはしない。だって、誰かの会話に自分が割って入って助けるとか、そんなイメージが全然わかないし。

 

「お言葉ですがリーフマウンテン様、きちんと防犯用のため、あるいはそれらの証拠収集のため、会話の録音をさせていただくこともありますと、店には注意書きがあります」

「えぇえっ!? いつの間に……!? は、初耳だよそんなの……!」

「当然よリーフマウン……長いからリーフマンで我慢してください、エアーマンの天敵様」

 

 そしてあっさり原型が無くなった。あとエアーマンの天敵はウッドマンな。葉っぱ飛ばすんだからリーフマンでも構わん気もするけど。

 

「既に名前の原型がどこにもないな……ええっと、それより席に案内してくれると助かるかな……っていうか、これはなんの遊びだい?」

「ご安心くださいリーマン様。たとえ美鳩が青い方役だとしても、あなたをモーニングスターで圧殺することはあっても、あなたに依存することはありません」

「い、いきなり物騒だな……え? なに? 青い方? ていうかどんどんと略されていってないかな……?」

「気の所為です社畜様」

「どんどん不名誉になっている気がするんだけど!?」

 

 いやいや、社畜ってべつに不名誉で固定されて知られる名前ばっかじゃないよ?

 望んでそうしている人を呼ぶ場合だってあるんだし、ヒッキー、それを一纏めに“不名誉”と呼ぶのはどうかと思うな。

 

「あぁっと、とにかくごめん、時間があまりないんだ、先に注文いいかい? ええっと、カモミールとチーズケーキのセットをお願い出来るかなっ」

「まあ大変。社畜様の中でカモとして見られております、姉様が」

「まあ大変。社畜様の中で乳製品として狙われているわ、美鳩が」

「違うから! あ、ああもう! 比企谷!? 比企谷ー!」

「お呼びとあらば美鳩が参上」

「目の前に居るというのに比企谷を呼ぶとはなんと欲張りマウンテン。けれど呼ばれたからには絆が参上」

「いやいや違うから! 俺は比企谷をっ……」

「いかにも美鳩が比企谷美鳩」

「たこにも絆が比企谷絆」

『そしてあなたが社畜マウンテン』

「違うから! とにかく俺はっ……! ええっと、そのっ……!《かぁああ……!》」

 

 まずはメイド服のスカートをちょんとつまみ、二人は綺麗に礼をして名乗ってみせる。

 その綺麗な動作に俺がちょっとトゥンクしちゃったと思った次の瞬間には、二人は正面から指を絡ませるようにして手を合わせ、頬が触れるほど寄り添ってから葉山を見つめ、社畜マウンテン。

 ああうん、解る、解るぞー葉山。今のは真正面からやられると照れる。可愛いからなぁ宅の娘は。言われた言葉がマウンテンじゃなけりゃ、真っ赤になって大変だったんじゃないかね、あいつ。

 

「………」

 

 なんだか見てて不憫になってきた。

 むしろこの店の名物みたいになっていて、客もこの一連のやり取りで笑っていたりするんだが。

 妙な名物が出来てしまった。こういったやり取りを見るために朝早くから来る人まで居るっていうんだから、世の中ちょっぴりまちがっている。

 

「解った、カモミールとチーズケーキは取り消すから、もう手っ取り早いモーニングセットをお願い出来るかな……」

「お客様、お客様。ご注文はモーニング(スター《ぽしょり》)セットでよろしいですか?」

「え? 美鳩ちゃん? 今途中でなにか言わなかった? え? スター? え? ……え!?」

「お客様、お客様、ご注文は棘付き鉄球大圧殺でよろしかったでしょうか?」

「もはや隠そうともしてないよねそれ!」

 

 困惑の葉山を見つめ、いい加減に止めるか……と動き出したところで、俺の横を雪ノ下が歩いてゆく。

 綺麗で迷いのない動きで一直線に娘ふたりのもとへと行くと、溜め息とともに声を投げる。

 ていうか茶葉取りに行ってたのに、もう戻ってきたのか。

 

「……騒がしいからなにかと来てみれば。あなた、なにをしているの……」

「え……あ、雪乃ちゃん!《ぱああっ……!》」

「気安く名前で呼ばないでもらえるかしら《ぎろり》」

 

 困った状況の中で救世主が来たとばかりに笑顔になれば、口から出た名前に睨まれる。

 ……なんかやっぱり不憫になってきた。なにか奢ってやろう。ほら、バスターとか。MAXとか。

 

「そ、それはごめん。だけど、今はそれどころじゃなくてっていうか、その……」

「人の名を勝手に呼んで、“それ”扱いとは随分ね、お客様」

「あ、いやっ、今のは言葉の綾っていうかっ……! ああっ……ついさっきの時間に戻ってやり直したい……!」

「姉様、姉様。お客様には死に戻り願望があるみたい」

「美鳩、美鳩。お客様には死にも匹敵するM性癖があるみたい」

「ないからね!? と、とにかく誤解っ! 誤解だから!」

「姉様、姉様。お客様は五回DAKARAを運んできてもらいたいみたい。姉様に」

「美鳩、美鳩。お客様は五回DAKARAを運んできてもらいたいみたい。美鳩に」

「まっぴらごめんです、父様の頼みならともかく」

「まっぴらごめんだわ、父様の願いならともかく」

「お願いだから聞いてくれないかな!? いい加減泣くよ俺!」

「……初めて流す悔し涙か……《キリッ》」

「男は何度か泣いて、本当の男になるのさ《キリッ》」

「~~……ああもう……! いきなり男らしい声色で言われても、俺にどうしろっていうんだ……! こういうのを勉強してなかった俺が悪いのか……!?」

「ジャングルの王者ターちゃんか。哲学的名言が多いよなぁあれ」

「平塚先生!? 居たんですか!?」

 

 むしろ俺は、昨日まで娘二人が見ていた円盤が気になるんだが。

 どうすればリゼロで始まってターちゃんに繋がるんだよ。

 

「二人とも、葉山も忙しいようだ。じゃれつくのはそれくらいにして、案内してあげるといい」

「え? じゃ、じゃれっ……!? ……え、と、そういうこと……なのかい?《ぱああっ……!》」

「大変な真実です姉様。どうやら言葉遊びではなくマウンテン様にじゃれついているそうです、姉様は」

「大変な事実だわ美鳩。どうやら言葉遊びではなくマウンテン様にじゃれついているそうなの、美鳩は」

『それはないとして、けれどそれはそれとして案内しますわ社畜様』

「そこはお客様って言ってほしいかな……」

「大変、社畜様にねっとりと脚の様子を見られています、姉様が」

「大変、社畜様にねっとりと脚の様子を見られているわ、美鳩が」

「お脚の様って言いたいんじゃなくてね!? なんでそこだけ拾うんだ二人とも!」

 

 どうぞこちらへと、自分の言葉をあっさりスルーされるもしっかりついていく葉山。

 せっかくだからと平塚先生と相席になったようで、ぺこりとお辞儀をした娘たちがこちらを戻ってくる様子を最後まで眺めていた。

 

「父様、父様。早速ですが注文を承ってきました。美鳩が」

「父様、父様。早速ですが熱い愛情が欲しいです。絆へと」

『是非褒めてください。褒めて、褒めて』

「ええいステレオで言うな。もう出来てるから。ほら、モーニングセット」

「パパ、パパ。モーニングスターがありません」

「いやねーからね? あってたまるかそんなもん。モーニングスターがある喫茶店ってどんなだよ」

「なんなら異世界転生ものに限らず世界最硬、最高要領を誇る$袋にゴールドをぎっしりと込めて、それを振り回すのでも構いません。それを振り回し、敵を粉砕出来ればそれはきっと朝の星に勝るとも劣らないジャスティス《ずびしっ》ひゃうっ」

「真似るなら最後まで真似ろ。……ったく」

 

 物真似が緩くなってきた美鳩の額にデコピン一発。

 次いで促すと、絆も美鳩も綺麗な姿勢でモーニングセットを運び、葉山へと届けた。

 

「ありがとう。がっつくようで悪いけど、早速いただくね」

「おーもーいーではー、いーつーもーきーれーいーだーけどー♪」

「……なんで今それを歌うのかな、美鳩ちゃん」

「モーニングスターを提供できない悲しみを、せめて分銅付き鎖鎌で紛らわす奉仕の心です」

「抑揚がない所為で心がこもっているように聞こえないのは、セルフでご愛敬として受け取るマウンテン。さあ、食事を続けてくださいマウンテン」

「そ、そっか……うん……。(……なんで語尾がマウンテンになってるんだろ……)《カチャッ……》」

「…………《じーーー……》」

「…………《じーーー……》」

「……。その、ありがとう。運んでくれたなら、もう仕事に戻っても───」

「そーれーだーけーじゃーおーなーかーがー」

「歌わなくていいから!」

「姉様、姉様。お客様が心地よく食事が出来ないとはメイドの名折れです。主に姉様の」

「美鳩、美鳩。お脚様が心地よく食指を向けないのはメイドの名折れだわ。主に美鳩の」

「それは向かなくて結構です姉様」

「それは向かなくてもいいわ美鳩」

『だってそもそもメイドではないもの』

「…………《もぐもぐ》」

『だけどあなたは社畜マウンテン』

「お願いだから食べさせてくれないかな!?」

「……マウンテン・社畜?」

「い、言い方に文句があるとかじゃないから……! ね? 頼むよ、絆ちゃん、美鳩ちゃん……!」

「……マウント斗馬(とば)《ぽしょり》」

「どなた!?」

 

 さすがに相当慌ててるようだし、自由すぎる娘たちを呼んで戻らせた。

 葉山が心底助かったって顔をして手を合わせて拝むみたいなポーズを取るが、すまん、俺も早く止めるべきだった。

 

……。

 

 食事を終えた葉山に代金はサービスだと言うと、彼は感謝しつつ出て行った。

 お蔭で完全に目が覚めたよと笑ってはいたが、心労は溜まったんじゃなかろうか。

 

「八幡、ごちそうさま。いつもごめんね、長居しちゃって」

「おお戸塚っ……! あ、いや、気にすんな、仕事なんだからな」

「ふふんむ、解っておるではないか八幡よ。なので───」

「サービスはしねぇからとっとと払え。あ、戸塚の分は気にすんな」

「我にだけ冷たくない!? いや、毎度そうなのだから、払う分には構わぬが……」

「いつも僕も払うって言ってるのに……」

「いや、これは我の意地だ。じょっ……けぷこん! 戸塚氏に払わせたとあっては男子の名折れであろう」

「? そ、そうなの?」

 

 おい。今こいつ、女性って言いそうになってただろう。

 解るけど。超解るけど。解りすぎるまであるけど。

 髪伸びるとまんま女性だもんなぁ戸塚……。低い背も手伝って、銀色の髪とか綺麗だし。

 そう思いつつも、手は隣に立つ女性の髪に伸びて、さらさらと撫でている。

 

「ヒ、ヒッキー? どしたのいきなり」

 

 どうした、って。

 うん。俺の奥さん超可愛い。

 なにかを綺麗だなって思うのと好きとは違うんだって、もう心も体も解ってることが、なんとなく嬉しかった。

 どうしたのと訊かれれば、きっとそれだけのことなのだろう。

 

「あはは、いつも仲が良くて、見てるこっちも嬉しいな。遅いかもだけど、僕もそういうの、考えてみようかなぁ」

「ぶひっ!?」

「!!!」

 

 材木座が声に出して動揺するのと同じく、俺の心にも動揺が走る。……が、それを表に出したりはしない。

 ……あ、危ねぇ……! 結衣の髪に触れてなければ、みっともなく叫んでいたかもしれねぇ……! っべー、っべーわー……!

 

「そうだな。戸塚、お前になら小町を……」

「もう、八幡? そういうのってよくないよ? 八幡が、じゃなくて、ちゃんと小町ちゃんの気持ちも考えなくちゃ」

「? ほむん? それってば戸塚氏? 戸塚氏は比企谷妹のことを、割と?」

「あ、うん。そういった意味で言ったわけじゃないけど……すっごくいい子だとは思ってるよ?」

「姉様、姉様。天使が天使を想う瞬間を目撃してしまいました」

「美鳩、美鳩。それはつまり父様が認める天使が家族になると」

「ところで姉様、小町お姉様の好みのタイプは───」

「そうね、美鳩。奇しくもわたしたちと同じなのよ」

「………」

「………」

『違う。タイプというか、パパが好き』

「おい」

 

 再び正面から手を絡め、頬をくっつける勢いで寄り添った二人がこちらを見て、そう仰る姿にツッコミを入れる。

 寄り添いすぎて、どなたの血故なのか見事なお山同士がほゆりとぶつかる様から目を逸らしそうになると、結衣を抱き締めた。

 恥ずかしさなんぞに負けて、娘から完全に視線を逸らさないよう、勇気を分けてもらうつもりで。もちろんなによりも愛情を込めて。

 

『父様。そういう時は母様ではなく娘を素直に抱き締めるべきだと強く強く思います』

「だからステレオやめい」

 

 言いつつも抱き締めるのをやめない。

 腰を、頭を手で引き寄せるようにして、その顔を胸に埋めるように抱く。

 嗅ぎ慣れた香りがふわりと嗅覚を掠めるだけで顔が綻ぶ。

 それが嬉しくてさらに抱くと、自分の背にも腕が回され、ぎうぅっ、と結衣からも抱き締められる。

 ぐりぐり~っと胸をこすってくる顔の感触がくすぐったい。

 客はたっぷり居るのに気にならないほど愛おしい。

 むしろこれももう名物みたいなものになっていて、やっぱり「いつまで恋人気分だー!」とか常連さんにはからかわれる。

 ほっとけ、いつまでだって俺達の勝手だ。

 

「いつまでも仲がいいって素敵だよねっ! いいなぁ、僕もそんな恋とかしてみたい」

「……!!」

 

 小町! 小町をよろしく! そして俺の義理の───……性別戸塚だから義戸塚? なにそれ新しい。

 と、どれだけ心で叫ぼうが、それを選ぶのは小町と戸塚だ。

 そういうのはお互いで存分に青春してもらう方向で、だな。

 それがまちがっていても正しくても、自分たちが認められたならそれでいいんだろう。

 散々まちがえた俺が願うのもなんだけど。

 取り返しのつかないまちがい以外はどれだけやっても構わないから、笑顔のある未来へたどり着いてほしいんもんだ。

 

「……むう。ところで父様。今年は子供の日がすっぽかされてしまいました」

「……そう。だから、父様。母の日は我慢した私たちに、なにかご褒美をください」

「ご褒美っていったってな。なにか欲しいものでもあるのか? んー……アクセサリとか? お前らにはいつも助けられてるし、店を継ぐなんてことまで言ってくれてるんだ。多少の無茶くらいは聞いてやれるぞ?」

「………《ポムッ》」

「………《かぁああ……!》」

「おい待てやめろ、何を想像した」

 

 訊ねてしばらく、美鳩の顔がポムと上気し、絆が真っ赤になって俯いた。

 そんな二人の様子を伺いつつも、仕事で忙しかった戸塚になかなか渡せなかったプレゼントを、結衣と一緒に渡す。

 

「わあっ、いいのっ!? ありがとう二人ともっ!」

「気にすんな。俺が贈りたくて贈ってるんだ」

「えへへぇ、そうそうっ。喫茶ぬるま湯は誕生日にはこだわるからね~♪」

「ちなみに、本日の紅茶とケーキは雪ノ下と一色からのプレゼントだ。だから無料。材木座は余分に頼んでたから料金は取るが」

「あ……戸塚氏の分はいいってそういうことだったのね……。欲張らずにアレだけで我慢しとけばよかった……我落胆」

「あれ? そういえば雪ノ下さんは? さっきまで居たのに」

「ああ、さっき通った注文で特殊な紅茶作るのに、奉仕部の方のキッチン使ってる。呼んでくるか?」

「あ、いいよ、うん。お礼を言いたかったんだけど、お仕事の邪魔をしちゃ悪いし。僕もそろそろ戻らないとだから」

「そか。んじゃ、雪ノ下と一色には俺達から言っておくな」

「うん。ありがとう、八幡っ。また来るからね、ごちそうさまっ!」

「ではな我が盟友! 次もまたここを使わせてもらうぞ!」

「お前と友達になった覚えはねぇよ」

「ひどくない!? こういう時はノリであろう!?」

「お前と俺との間で、そういう煩わしいのはないだろ。わざわざ語って、親密度がどうとか言わなきゃどうにもならないわけでもない」

「はぽっ!? ……うむ、そうであったな。我らの間に言葉は不要か」

「おう。だからお前は友達じゃない」

「ねぇ八幡? それわざわざ言わなくてもいいよね? 不要だと言った矢先にあんまりじゃない? 泣くよ? 我泣くよ?」

「じゃーねーさいちゃーん! あ、中二も」

「……比企谷夫人も冷たい。そんな、アザラシの子供の真似してみてと言いたくなるような声をしているというのに」

 

 いいじゃねぇの。俺、アザラシ好きよ?

 ゴマフアザラシの赤ちゃんとか最高《くいくい》───じゃん? って、なに? 誰? 俺の服を引っ張るのは。今俺ゴマちゃんの声の素晴らしさについてを語ろうと……あ、ゴマちゃん言っちゃった。

 

「……父様が美鳩を見てくれません……やはり美鳩はいらない娘で……!《カタカタカタ》」

「あぁすまん悪いご褒美とか忘れてたなご褒美じゃなくて子供の日の贈り物だったかなんだなんだねなにが欲しい!?」

「父様、絆は何が欲しいとは口にしません。ただ、父様が選ぶ、相手がきっと喜ぶと思うことをお願いします」

「献立訊いて“なんでもいい”を返された主婦くらい悩む言葉だなおい……」

 

 困り、ちらりと結衣を見ると、苦笑を浮かべて“やってあげたら?”と促してくる。

 やってあげたらって、また漠然としたことを……。

 しかし……相手が喜びそうなこと、か。

 んー……

 

  お兄ちゃん? そういう時は“愛してる”でいいんだよっ

 

 ……おお。

 さすがだな小町、ここに居ないのに俺に“解”をくれる。

 シビれも憧れもせんけど感謝はしよう。

 で、それをいきなり俺に言われたからって喜んでくれるのは、きっと結衣だけだろう。

 足りないなにかを俺が補う必要がある。

 なぜって、いきなり俺が愛してるなんて言ったって、俺が考えたものじゃないことくらい簡単にバレるからだ。

 なら俺からのなにかを混ぜなければ、こういったものは成功しない。

 これ、ぼっちの知恵。

 なにかを隠す時には真実を混ぜて隠せ。

 それが出来ないやつに嘘は向かない。

 結衣とか特にな。こいつ追い詰められなくても真実ばっか話すし。

 まあ、だからこそ俺なんかでも傍に居られるんだろうけど。

 

「………」

 

 うむ。というわけで。

 綺麗に並ぶ、同じ髪型、同じ衣装、同じ姿勢、同じ背格好、ただし胸の大きさは違う二人を前に、深呼吸一丁。

 オウケイ覚悟は決まった。

 あとは二人を両腕で抱き寄せて、その耳元に口を近づけて、

 

「……愛してるぞ、絆、美鳩」

「……!! と、父さ───パパ《ちゅっ》ふわぁあっ!?」

「……!! ぱ《ちゅっ》ふわぁぅっ!?」

 

 愛を唱えたのち、その頬にキスをする。

 愛してるを提案したのは小町。頬へのキスで喜んでくれるのは結衣。

 なら、比企谷の血を引き結衣の血を引く二人なら、この二つで喜んでくれる筈───!

 

 



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恋に落ちる音がした。②

 頬にとはいえ、娘にキス。

 結衣以外に自分からとかものすごーくアレだし、むしろ娘二人もそこまでは望んでなかったとか自意識過剰あるあるな自体が起こったりするんじゃないかしら?

 

『……、……! ~~……!!《たっ、ととっ……》』

 

 ……などと思ってたんだが。

 二人は俺が腕を離すと、真っ赤な顔で目をとんでもなく潤ませ、ふらふらと後退り、キスされた頬に手を当て、震えていた。

 ……あれ? あれちょっと待て? 俺、もしかしてやらかした?

 やがて二人はカウンターにとすんと背をぶつけると、そんままぺたんと腰を抜かしたように座り込んでしまい、真っ赤な顔のまま俯き、胸にぎゅうっと握った手を当てるようにして沈黙してしまう。

 

「……なぁ比企谷」

「《びくぅっ!》おわあぁあっ!? えっ……ひらっ、平塚先生!?」

 

 一気に静寂に包まれた店の中で、急に声を掛けられて体が跳ねるほど驚いた。

 振り向いた先でコメカミに右人差し指を当てて、俯き渋い顔をしている先生は、「あー」とか「うー」とか言ってから、やがて言う。

 

「メルトでも歌ったほうがいいか?」

「いきなりなに言ってんですかあんたは」

「いや、私なりに気を使ったつもりだったんだが……ふむ。まあその、なんだ、比企谷」

「はい? なんすか?」

「とりあえずあれだ。恋に落ちる音というのを、私は聞いた覚えがないが、目に見ることは出来たと言っておく」

「?《くいくい》っと、なん───」

「…………《じとー……》」

「……結衣? ど、どしたー? なんでそんな、ふくれっ面で……」

「知んない。ふんだっ、ヒッキーのばかっ」

 

 なんというか。なんかやな感じ、と言われたメイド喫茶前を思い出した。

 え? ……え? もしかして頬にだろうとキスしたこと、怒ってるのか? はたまた愛してるを結衣以外に言ったことが……ああ、なんかどっちもっぽい。

 相手が娘だからーとか、そういう問題ではないのだ。むしろ自分に置き換えてみて、もし子供が息子であり、結衣がその息子に愛してるといいながらキスなんぞしたらぐあぁあああああ!!

 ~~……はぁ、はぁ……! ああ、無理、これ無理だ。

 なのですぐに結衣を抱き締めて、心からの謝罪を送った。後ろから抱きしめて、耳元で後悔の全てを吐き出すように。

 すると結衣はふるりと震えて、抱き締めた俺の腕に手を添えると、少し拗ねながらも「うん……」と頷いてくれた。

 いやほんと、きちんと後先考えてから行動しないとだよな……。ただでさえ、俺は誤解されやすいっつーか、そういう状況を作りやすいって小町にも雪ノ下さんにも海老名さんにも雪ノ下にも一色にも……言われすぎでしょ俺……。

 

「あの……ね。ヒッキー。これから絶対大変だよ? 今までじゃれつきとか、ヒッキーみたくシスコンがこじれたみたいなファザコンだったかもなのに、たぶん、これもう……」

「へ?」

 

 シスコン? ファザコン?

 それと今の状況となにの関係が───

 

「……ファザコン……そう、ですね……そう、ですか……。美鳩は全然、焦がれはしても本気ではなかったと……?」

「パパが……パパが愛してるって……。告白して、キスして……あぅ《かぁ……》あぅ《かぁあ》あぅぅううぅ~~~……!!《かぁああ……!!》」

「………」

 

 ───あった。

 二人の呟きが耳に届いた時、心の中のヒッキーくんが“やっちまったぁーーーい!”と元気に叫んでいた。やだ死にたい。

 

「ワア、僕チョット用事思イ出シチャッタ。アレガアレデアレダカラ僕行クネ《がしぃ!》ですよねー!」

 

 クールに去ろうとしたら、襟首を掴む者。

 その者、名を平塚静といったそうじゃあ……。

 

「比企谷。娘の恋を見届けるのも親の務めだ。さぁて比企谷~? 君は私にいつか言ってくれたな。娘が産まれたとしたら、娘が好きになった相手が居たとして、娘が幸せになれるなら祝福すると」

「なんでそんなことばっかり覚えてんですかあんたは!」

「君の確かな覚悟だったからだ。でなければ即刻忘れてやるさ、あんな言葉。……というわけで、君には約束を守る義務がある。結婚なぞ出来ずとも、幸せにしてやることは出来るだろう。君の周囲に集まる人たちのように」

「な、なに言ってんすか……俺はそんな」

「まあ、受け止めてやればいい。いずれ離れていくものもあるだろうさ。それまでは父としても男としても、幸福というものを届けてやればいい。ああいや、男としてとはいったが、さすがに犯罪はまずいぞ?」

「俺の恩師が最低だ!?」

「ひ、平塚先生っ! お店でそういうの、困りますっ!」

「ん、ああ、はは、そうだったな。いや~、あんまりにも人前でいちゃつくもんだからついこう黒いものが……」

「あたしの恩師が最低だ!?」

「なに。べつに間違ったことを伝えたつもりはないよ。誰かを幸せに出来るということは、それだけで本当に素晴らしいことだ。それがいつか自然と離れてゆくまで、一番近くで見守ってやればいい。君は“父親”で、恋焦がれた“男”なのだから」

「平塚先生……」

「私も結婚はとうに諦めた。今さら隣に誰かを置いても調子が狂う。それならいっそ、趣味や食べ物の好みが合う誰かと、賑やかさの中に埋没していくくらいが丁度いい。……今さらだがな、私は今こそ、青春ってものを楽しめそうな気がしている。恋、なんてものが全てでなくていいんだ。こういった今を見届けるのもまた、眩しいものだよ」

 

 言って、平塚先生は金を払い、笑いながら出て行った。

 レジをした結衣もぽかんとしている。

 でも……やがては“たはっ”と笑って、言うのだ。

 

「なんか、お母さんがもう一人増えたみたい」

 

 と。

 まあ、解る。あの人は怒るだろうけど、見守られてるって感じはするから。

 ……うん、解りはするんだが、現状とそれはまた別なわけで。

 

「パパ……」

「パパ……」

「お、おう。いやまあその、なんだ。さっきのはだな、あー、その。子供の日の贈り物ってやつであって、落胆させるだろうが、言葉だって小町が過去に言えって言ったものであってだな」

「……べつに。きっかけがそれならそれで構わない。気づけた事実こそが絶対不変のジャスティス」

「そうだよパパ。たまたま初恋の相手がパパだったってだけで、これからどうなるのかなんて解らないんだから。……解るつもりはさらさらありませんが《ぽしょり》」

「ちょっと待て今最後なんて言った!? 本気で聞こえなかったけど聞いておかなきゃマズイ気がする!」

「パパ、パパ。美鳩は一層、この店とその周辺のために尽力します。その働きが認められるものであったなら、是非とも褒めてください」

「パパ、パパ。絆は一層に、この店とその周辺のために尽力します。その努力が認められるものであったなら、是非とも褒めてください」

「だ、だからステレオはやめっ……《きゅむ》腕に抱き着くのもやめてくれません!? お、俺の腕は主に結衣を《ぎゅー!》……あの、結衣サン? だからって胸に抱き着けとは一言も……」

「ん!」

「いや、ん、って」

「ん!!」

「………」

 

 求められるまま、右と左の頬にキスをして、最後に唇に。

 それを見た娘二人が『あー!』と騒ぎ出して、場の状況は一層に混沌へGO。いやGOじゃねぇよ。

 落ち着け、落ち着くんだ。過去、散々なぼっちを経験した八幡さんはこの程度では動揺しない。

 そう、素数を数えろ。目を閉じて、俯い───た途端、口と左右の頬に、奥さんと娘二人にキスされました。

 ちょ、なにこの状況!

 助けて! 誰か助けて! この際お客様でもいいです助けて! 腕も体もぎゅうって抱き締められてるから上手く力が籠められない!

 いや「熱いねー!」じゃねぇよお客様! 結衣はまだしも他二人が娘だって解ってて言ってる!? 大体「なんか今さらあの二人がマスター以外にとか想像つかねぇよな……」「だよなぁ……普段からラブラブだったもんなぁ」オイィィィィ!! そこは想像しよう!? 要想像だよ!?

 状況が熱いどころか家族関係が別の意味で炎上するだろ!

 

「肉体関係がなけりゃいいんじゃなかったっけ?」

「恋愛までなら問題ないんじゃね?」

「あー、でもキスってどうなん?」

「大体の子供って、赤子の時に親にファーストチッスなんて奪われてるもんだろ」

『あ~確かに』

 

 客全員納得しちゃったよ!

 おいちょっと!? どうすんのこれ!

 

「おーいマスター! 俺ァこの店、雰囲気ごと好きだからよ! ヤボは言わねぇぜぇ! 末永くなんというかそのー……もげろ!」

「俺だってここのケーキの大ファンだっての! カカァが土産買ってこいって毎回言うくらいにな!」

「んふふー、私は紅茶が好きかなー。ちょっぴりクールな店員さんが淹れてくれる紅茶が大好きだよー?」

「おっ、ねーちゃん解ってるねぇ!」

「俺ァ未だに攻略出来ねぇバスターが最大の壁でなぁ……。ここで完食出来ねぇものがあるなんて許せねぇって何度も挑戦してるんだが……どうもなぁ。だからよ、初代攻略者であるゴロちゃんって人にゃあ尊敬の念を抱いてんのよ」

「フ、フヒッ……わわ、私はザザザ、ザイモクザン先生の本の巻末の紹介で……こ、ここを知った友人と……!」

「いつの間にかここもこんなに常連さんが増えちゃって。お兄ちゃんにも理解者が増えて……なんか感慨深いのに、ちょっぴり寂しいよ、お兄ちゃん」

「あ、あたしはその……最近やっと、MAXの味が解ってきたっていうか……まあ、そんなとこ」

「あらー、孫が二人ともパパに恋しちゃったんじゃ、曾孫は見れないわね~……。ここはヒッキーくんと結衣にまた頑張ってもらわないとかしらー……」

 

 ん? あれ? ちょっと待て? 今客に紛れてよく知る誰かとか全く知らん誰かとか紛れてませんでした? ちょっと? ねぇ?

 ていうか居たなら声かけてくださいお義母さん!! 一緒に来てたなら声をかけなさい小町!! 他の誰もに気づかなくてもそれは解るぞ!?

 あ、誰かさんのお姉さんはスルーの方向で。

 え? 川なんとかさん? MAXの味について語り合えそうじゃない? あいつにはホテルでマッカン用意してもらったこともあったし、それを思えば多少は。

 ああいやそれよりも誰かこの混沌とした状況を───なんて、誰かに救いを求めた途端、

 

  ッカァーーーン!!

 

 ……と。

 硬いスチールカップがカウンターに叩きつけられる音で、全員が沈黙。

 

「……お客様。店内ではお静かに」

 

 音の発生源を辿れば、にこりと微笑む氷結の女王。

 そんな彼女がちらりとこちらを見ると、結衣も絆も美鳩もババッと離れてくれた。

 

「もー、せんぱぁ~いぃ、さっきからうるさいですよー? 工房まで聞こえてきて、せっかく新作に取り掛かってたのにイメージが消えちゃったじゃないですかー」

「い、いや……騒いでたのは俺じゃないっつーか……」

「注意しなきゃ一緒ですー。反省してください、まったく。先輩がそんなだから、わたしも雪ノ下先輩もこっちに来たんじゃないですかー」

「そ……けふんっ。……そだな。悪い」

 

 頬を膨らませてぷりぷり怒る姿に、思わず謝る。

 その姿を見て思うことといえば───平塚先生といいお義母さんといい、この世界の女性は外見年齢が若すぎると思う、ということばかり。

 やっぱ野菜の星の人なのかしら。

 

「あ、雪乃ちゃーんっ♪ ひゃっは───」

「当店では馴れ馴れしい客、騒々しい客はお断りしております。回れ右してお帰りくださいませ」

「雪乃ちゃんひどーい! せっかく会いに来たのにー! ……あっ、美鳩ちゃんもひゃっはろー♪ このこのー、思い切ったことしたねー♪」

「……《チャッ》」

「だからコーヒー構えるのやめてったら! この服ほんとお気に入りなんだから!」

「陽乃様、陽乃様。あなたはお気に入りのものに試練を与えるのが大好き」

「えっ……えと、それは」

「比企谷家家訓その1。俺はいいけどお前はダメを許すな。……はるのん、試練、受けていかれる?」

「ちょ、やめて!? 値段がどうとかオーダーメイドがどうとかじゃなくて、これ本当に気に入ってるの!」

「陽乃様、陽乃様。それは美鳩が向こうでプレゼントした服ですね?」

「うぅう……」

「……ありがとう、はるのん。その、ものを大切にする心は、美鳩的には胸に染みるジャスティス」

「み、美鳩ちゃ───」

「だからいい加減に気に入ったものをつつき回して傷つける癖をなんとかする。さもなくば美鳩に頼りきりだったあちらの生活でのワンシーンを写真に収めたものを、雪乃ママに送る」

「やめてお願いそれだけはやめて解ったつつかないからお願いやめて!」

「……姉さん。それは考えうる最高の情けない姿を想像させるに十分な反応よ」

「………」

「あぅう……」

「……そ、そう。それ以上、ということ……なのね……」

 

 向こうでなにがあったんだ、この人に。

 

「お蔭で美鳩の家事レベルはとても素晴らしいものに仕上がった。もはや姉の明るさに暗く縮こまる理由もなくなったと思いたい。……だからパパ、その、褒めてください。美鳩は頑張りました」

「いい加減、青い子の真似はやめなさいね……いや、可愛いけどさあっちもこっちも」

 

 言いつつも撫でる。髪を、頭を。

 くすぐったそうに細められる目が、見ていてなんつーか、見ているこっちがくすぐったい。

 

「…………!《ふすーーーん!》」

 

 で。なんでこの双子(姉)は腰に手を当てて鼻からフスーと息を吐き出し待っているんでしょうかね。

 え? 流れで絆も撫でるの? いやべつに撫でるくらいいいんだが。

 

「ん。よし。偉いぞ美鳩。向こうで随分頑張ったな」

「《なでなで》……~……」

 

 普段は表情が硬い美鳩の顔が、ふんわりとやさしげに笑んでゆく。

 さらにさらにと撫でていると、やがて眼を閉じ、されるがまま、委ねるように俺の手に自分の手を添え、力を抜いてくる。

 で。

 その横からはグイズイと体を割り込ませんとする双子(姉)が。

 

「お前はもう少し、妹の手前、我慢をする偉い姉を振る舞えんのか……」

「ふふふ、甘いですよパパ。絆は常に自分に正直にをモットーに生きる修羅。そして“お姉ちゃんなんだから”を理由になにかしらのチャンスを奪われることを、この比企谷絆は何より嫌う! なのでパパ、絆も褒めてください。そりゃあ美鳩ほど貢献できたことがないかもですが、継ぎたい気持ちは一緒です」

「そこでもうちょい謙虚ならなぁ……」

「それを先輩が言いますかー? 黙っていて評価してくれる人が居るならそれでいいんですけどねー。困ったことに褒めてほしい人は奥さんに夢中で、学生の頃より視野が狭くなっちゃってるじゃないですかー」

 

 トチュリと一色の言葉が胸に刺さる。

 う、うんまあ、自覚はある……な、うん。

 あるので、絆の頭も撫でた。言葉でも褒めた。

 そして最後に、さっきから獲物へ飛びつかんとする猫のようにもじもじしていた結衣を抱き締めて、目一杯甘やかした。

 するとまた客から野次が飛ぶ。

 うっさい、ほっときなさいよ、いいでしょ愛しの妻なんだから。

 

「ほら。やっぱり最後は結衣先輩じゃないですかー」

「結衣で、恋人で、好きな人で、愛を誓った人で、誓いなんざなくてもこうしていたい人で、奥さんなんだから当たり前だろが」

 

 そして、子供の日の謳い文句に倣い、母に感謝することを実行。

 子供の日には遅れたものの、プレゼントを贈るというのなら、その母にも、だ。

 だから顔が灼熱して今すぐに走り出したいような言葉も真っ直ぐに伝え───あ、だめ、恥ずかしい、恥ずか死ぬ、これ死ぬめっちゃ死《ぎゅううすりすり……!》生き返るわ。マジ生き返るわー。っべー、結衣の抱擁、っべー。

 

「はぁ……。あなたね、そういうのは客の目の届かないところでやりなさい。というか、仕事の最中にしていいことではないでしょう」

 

 そんな、既に浄化済みの腐っていた目がさらに癒されるような状況を、雪ノ下が溜め息とともにぴしゃりと叱る。

 そんなこと言われてもな。一応仕事中だし───ってその仕事中に抱き合ってちゃそりゃいかんか。これは俺が悪い。

 

「ほれ、お前らももう仕事に戻れ。真面目に働くお前らで居てくれたほうが、八幡的にポイント高いぞー」

「姉様、姉様。ポイントが溜まったらきっと、もう一度告白とキスを……」

「美鳩、美鳩。ポイントが最大になったなら、次はディープなキスを……」

「もう真似はいいから真面目にやれ」

 

 二人の背中をトンと押してやると、二人はこちらへ向き直って、同時に綺麗な礼をして顔を赤らめながら仕事に戻った。

 ふう、なにはともあれ一応は仕事中なんだ。こんなことが茶飯事だろうと、やることはちゃんと───

 

「ほらほら結衣ー? 今からでももう一人……ね?」

「も、もうママ!? やめてったら!」

「お義母さんやめてください!?」

「だってー、ママ、曾孫も楽しみだったんだもの~!」

 

 ───義理の母親がいろいろアレだった!

 いや、そうは言うけど基本、俺は娘たちには恋愛自由で行ってもらおうと……!

 そりゃ結婚ともなれば目を濁らせる覚悟もあったが、好きになった相手が俺って……!

 

「ちなみに美鳩は、妹か弟が出来て、父様がデレデレになったなら、その末っ子に心から嫉妬する覚悟」

「ちなみに絆は、その末っ子の目の前で父様に甘えまくり、逆にお母さんっ子にすることで、パパから離す所存」

 

 いや所存じゃねぇよ。

 言いながら結衣に抱き着いてる時点で、マザコンでもあるお前らじゃ無理だ。

 え? 俺? …………俺も嫉妬しそうで嫌だな。結衣に構ってもらえない所為で、逆にこいつら甘やかしそう。

 

「はぁ」

 

 気持ちを溜め息とともに切り替える。

 接客しつつも、耳をこちらに傾けまくっていた娘たちが持ってきた注文通りにコーヒーを用意して、ケーキが頼まれれば「はいはーい、ただいまー」とウィンクをする一色を見送り、軽食を頼まれてキッチンへ引っ込む結衣と雪ノ下を見送って。

 帰る客に冷やかされながらレジを打ち、そんなことを繰り返しては一日が過ぎてゆく。

 なんともはや、賑やかなことだ。

 

……。

 

 そんなわけで、夜……なんだが。

 

「………」

 

 寝室に来たら、ベッドが双子で埋まってた。

 しかも寝てる。熟睡である。

 俺より先に来たらしい結衣は、やってきた俺を見るなり苦笑い。うん、俺もきっと同じ顔だろう。

 

「たぶん、ベッドでヒッキーを待つつもりが、寝ちゃったんだね……」

 

 二人に布団をかけ直してやりながら、苦笑をやさしい笑みに変えて言う。

 俺も、まあ。随分と幸せそうに眠る二人を見下ろして、軽く頭を掻いてから意識を切り替えた。

 

「明日休みだし、久しぶりにのんびりと、奉仕部で酒でも飲むか?」

「あ、うん。いいかも。今日、平塚先生が土産だって、持ってきてくれたお酒があるから」

「タイミングよすぎでしょ、あの人……」

 

 二人笑って、部屋を出た。

 しっかし、このくらいの年頃の娘っていうのは、親の匂いとかついているものは嫌うもんなんじゃないのかね。

 あーっと、ほら、なんつったか。遺伝子レベルの問題が出てくるから反抗期は起こる~とか聞いた覚えがあるんだが。

 それが悪い方向に働くと、一緒に服とか洗わないでーとかが出てくると……まあ、娘たちが子供の頃、必死こいて調べた記憶がある。だって嫌われたら死ねそうだし。

 実際、絆には一時期嫌われていたが、そこは結衣が上手くやってくれた。ありがたい。本当に。

 

「っと、雪ノ下? 一色?」

「あら」

「先輩? まだ起きてたんですか?」

「ゆきのんにいろはちゃんこそ。どしたの?」

 

 奉仕部に来てみれば、明かりもつけずに蝋燭……なんかオサレな、ええっと、キャ、キャンドル? って言い現わしたほうがよさげなものに火を灯し、それを長机の真ん中に置いて椅子に座る二人が。

 どうした、と訊いてみれば、なんとなく眠気が出てこなかったから話し合おうってことになったとか。

 

「あなたたちこそどうしたの? その、いつもなら───」

「そうですよ、眠気なんてなくても寝室にこもって、いちゃいちゃしてたら寝てましたってくらいが自然な二人なのに」

「ちょ、いろはちゃん!? なんで知ってるの!?」

「あ……やっぱりそうなんですか」

「結衣……そこは素直に返さなくていいから……」

「へっ!? あ…………あうぅう……!!《かぁあ……!》」

 

 まあ、そういったゴニョゴニョはさておき、恥ずかしさからかぱたぱたと小走りした結衣が、キッチンの奥から酒とグラスと氷、水などが乗ったトレーを持ってくる。しっかり人数分。

 

「あれ? お酒ですか? 珍しいですね」

「うん。平塚先生がお土産だ~って」

「眠れない夜には丁度いいわね。……比企谷くん、コーヒーを用意しなさい」

「お前ほんと相変わらずな……こういう酒には合わないから、これはこれで楽しもう。たまにゃあいいだろ、ほれ、注いでやるから」

「え? あ、あああの、えっと……ええ、……ありがとう」

 

 開封一杯目を、氷を入れたグラスを持つ雪ノ下のものへと軽く注ぐ。 ストレートで飲むか薄めるかは各自の判断でだ。

 全員に行き渡ったところで、軽く構えたグラスをキャンドルの上でチンと合わせ、乾杯……いや、一気飲みは無理だな。

 

「ん……はぁ……。透き通るような、軽い味ね……。これなら落ち着いて酔えそう」

「まあ、平塚先生だからなぁ。俺達が学生の頃は、ビール片手に“どぅぁっは! ビールが美味ぁーい!”とか言ってそうだったけど、落ち着いてきてからはこういうの飲んでたっぽいし」

「……いやに似ているのがまた現実味があって嫌ね……」

「あはは、言ってそう言ってそうっ」

「わたしも結構お世話になりましたけど、いい先生ですよねー。ほんと、なんで結婚出来なかったんでしょう」

「趣味とか好きなものとかいろいろなものが数あれど、結局はあれだろ」

「ええそうね」

「まあ、だねー」

 

 男より男らしすぎた。

 あと頼もしすぎた。

 よっぽどの男じゃないとあの人と釣り合わねぇよ。男としての自信だとか粉微塵ってくらい砕かれても一緒に居たいって恋心が無けりゃ、あの人の隣には立てやしない。

 そんな事実をなんとなーく察したのか、一色も引きつった笑みで笑う。

 出てくる会話は学生時代のことや、社会人になってからのことなど。

 今現在を他人事のように語るには、ここに居る四人は近くに居すぎていて、新鮮味のようなものはなかった。

 そうなれば、自然と話題は過去へと飛ぶわけだ。

 

「あー、そういや平塚先生で思い出した。学校の職員室にあったカレンダーが、誰かが家から持ってきた貰い物だったらしいんだけどな。そこにあった“ボイラーメンテナンス”の字をちらっと見て、“ボイラーメン……どんなものだか知っているか?”って真顔で訊かれたことがあって。直後に気づいたみたいで理不尽なボディブローをくらいそうになったな……流石に避けた」

「恥ずかしくなると攻撃に出る典型ですねー。男の人ってぇ、女の子のそういうところも可愛いとか思っちゃうものなんですか?」

「殴られそうになって“かわいいっ♪”とか思えるほど強くねぇよ……。あの人の拳、マジ内側に響くからな……」

「今じゃちょっと手をあげただけでも問題になるらしいね。厳しくできないから生徒も調子に乗って参ってるって言ってたよ?」

「その点で言えば、よくもまあ平塚先生もゾンビを生者まで戻せたものね……。素晴らしい偉業だわ」

「眩しいものを見るような目で人を見るんじゃねぇよ……生きてるからね? 平塚先生に出会うまでもなく生者だから」

 

 グラスを合わせてからは、いつもの定位置に座る俺達は、こうしているといつの間にかいつかのような調子で話し始めてしまう。

 懐かしいことだし眩しいことだとは思うが、あの頃に戻りたいからこうしているわけでは断じてない。

 現在は楽しい。かつては想像すら出来なかった大切なものに溢れている。

 そんな大切なものの中の二つが、本日少々暴走いたしたわけだが……まあ、男親としての意見で言えば、大変嬉しゅうございます。

 

  は、初恋……パパだって! やったね八幡!

 

 ガラにもなく心の中が燥ぎまくっている。

 心が叫びたがっているんだどころじゃない、現在進行形でヒィイヤッホォオオゥイと叫びまくっている。

 娘二人が俺に懐いてくれていたのは大変嬉しかった。ファザコン万歳でしょ。

 しかしそれが恋ではないことくらい、結衣のあの真っ直ぐさを知っている俺からしたら解りそうなもので。

 なのに本日、二人の目がとうとうかつての結衣……まあ、言ってしまえば“いつかの由比ヶ浜”のあの目と重なった。

 だから理解した。ああ、これは恋なのだと。

 娘を溺愛する父親といたしましてはそれこそイィイイヤァッホォオオゥィって叫びたい状況。ヴィクトリークッキーをヴィッキーとか名づけたい心境だ。喉が掠れるほど叫びたい。

 だがここで問題。

 このままじゃ娘たち、本気で結婚出来ないのでは?

 

「………」

 

 まあ、相手とは絶対に結婚は出来ないのだって心から理解すれば、いずれは離れる恋もあるってやつだろう。

 ……うん。たぶん。

 問題なのは結衣の……由比ヶ浜の血を受け継いだ人間ということで。

 きっと真っ直ぐに恋を続けるんじゃなかろうかと。

 親友のために一歩を引きそうな場面はあるのかもしれない。

 しかしながら、あの二人にはそうして引くための親友が……まあその、なぁ?

 

「……見守っていけばいいか」

「? ……あ……うん、そうだよ、ヒッキー」

 

 特に何も言わなくても察してくれたのか、俺の呟きに結衣が微笑んでくれる。

 雪ノ下の隣って位置から椅子をずりずり動かして、俺の隣に来るや……机の下で手をぎゅっと握って、いつかのようにえへへぇと笑うのだ。

 ……。

 この笑顔に何回救われてきたのだろう。

 ふいにそう思うと、たまらなくなって抱き締めた。

 驚きはしたものの、嫌がるでもなく背に腕を回してくれる在り方に感謝。

 雪ノ下や一色は溜め息を吐いたり、「またですかー……」なんて言ったりするが、そこに嫌悪の色はない。

 これからのことは解らない。そりゃ当然だ。未来視なんて出来ねぇし。

 当たり前のことで不安になっても、じゃあなんでも知ってる方がいいのかと訊かれれば、それもまた違うわけで。

 老後とかはそれでもいいのかもしれんけど、知った世界に全部を委ねるのはつまらんだろう。

 だから今は、先の解らんこれからに多少の期待を乗っけて、大事な人が望んだ全部が零れ落ちないよう、頑張るだけなのだろう。

 

「えっと。結衣先輩としましては、いつまで~も自分に甘える先輩ってどんな感じなんですか?」

「え? うーん……あたしは嬉しいよ? ほら、子供のお世話とかばっかりしてるとさ、“あー……自分はもう女の子とかじゃなくて、親でしかないんだなー”なんて思っちゃう時がくるんだけどさ。でもヒッキーがこうして抱き締めたりキスしてくれたりすると、“それだけじゃなくてもいいんだな”って思えるし。親になったからって恋しちゃいけないなんてこと、ないんだよね。ただあたしの場合、その相手はずっとずうっとヒッキーがいいなってだけで」

「うわーはー……どうしましょう雪ノ下先輩、ものすごーく惚気られました。見てくださいあの幸せいっぱいの顔……」

「幸せならいいでしょう、それで。これで不幸そうに笑われていたら、それこそ怒るでしょうけれど」

「あ……ですねー」

「ゆきのん? いろはちゃん?」

「なんでもないわ。それより由比ヶ浜さん、グラスが空いているわ。もっと飲みなさい」

「そうですよー、ほらほら先輩もっ」

「え、わ、わっ、ゆきのんっ、ちょっと多すぎだってばっ」

「たまにはいいでしょう? 私も、今日は飲みたい気分だから」

「当然わたしもです。幸せな二人に乾杯、というやつですね」

「う、うー……えと、じゃあ……ヒッキー? 多いから、手伝ってくれる……?」

「……お、おう」

 

 結衣がグラスを手に、上目遣いで俺を見る。

 顔に、酔いとは別の熱がこもるのを感じつつ、ツ……と酒を口に招く結衣の唇に視線が釘付けになり、やがてその口が俺へと向けられ……

 

「……こうなることは解っていたのに、何故注ぎすぎてしまったのかしら……」

「雪ノ下先輩、たまに素でポカしますから、わたしとしましては今さらですけどね」

「そ……そう……なのね……《がぁあああん……》」

 

 結衣に口づけをして、その唇を舌で割り、唇を密着させて酒をすする。

 こぼさないように、けれど味わうように。

 やがて冷たさが口の中でほどけ、暖かくなったところで嚥下すると、互いの唾液が混ざったそれが、ぴりぴりと頭を痺れさせるようななにかを俺達にもたらす。

 

「うわーはー、目に毒ですねー……」

「ええ、目に毒ね……。けれど、まあ、それもいいのかもしれないわね……」

「……ですねー……。なんか今、小町ちゃんでも呼んで、一緒に先輩のことつつきたい気分です」

「ふふっ……物凄い勢いでつついてくれるでしょうね……」

 

 バクバクと早鐘を打つ心臓が血の循環を速めているのか、酔いが回るのがとても速い。

 ボウっとしてくる意識の中、それでも目の前の人をひたすらに愛しく思い、想い、焦がれ、感謝を伝える。

 学生の頃は自分の人生プランをどれだけ語ろうが、そんな妄想が現実になるだなんて信じちゃいなかった。

 中学で散々痛い思いもイタイ行動も取ってきた自分だ、周囲にどう言おうがそれがカタチになるなんて信じられるわけがない。

 だからといって必死こいて働く自分も想像出来ないわけだ。

 なにがきっかけで自分が変わるかも解らない。気づけば変えられているのが自分ってもんだろう。

 どんなきっかけがあったにせよ、きっかけがあるのならそれは周囲の影響がほとんどだ。

 だから偉い人は言う。自分で変わるなんて無理だ。人を変えるのは周囲なのだと。

 実際俺は変わったのだろう。変わりすぎて、過去を振り返れば恥ずかしすぎて叫ぶまである。

 けど、まあ。

 中二病も高二病もきちんと受け止め、やがて発症した大二病は大事な人のためにひたすら頑張る、なんていう、言ってしまえば確かに病気と言えるものだったのだ。

 あー、その。恋の病? ぐっは死にたい……!

 

  でも……

 

 まあ、うん。でも、なんだよな。

 そんな経験があって、人を大事にしたいって思って、優先順位がガラリと変わって。

 信じてもいいんだと。

 こいつになら裏切られてもいいんだと信じるようになって、傍から見れば無様ってくらいに頑張った先に、こうした今があって。

 

「………」

 

 思い出すのは“ヒッキーは頑張った”と言ってくれた、いつかの日。

 今さら思い出して、泣きそうになるくらい嬉しくて。

 だから、無くなった酒をグラスから含もうとして伸びたその手を掴んで、なにもない口にキスをした。

 酒が多いからなんて理由ではなく、愛しいから。

 ぴくんと体が跳ねたものの、その手が俺の手を握り返し、もう片方の手が俺の背をやさしく叩いてくる。

 

  大丈夫、解ってるよ

 

 そう言ってくれている気がして、心が安らいだ。

 

「……一色さん」

「なんですかー……?」

「……三女か長男が産まれたら、私たちが育てましょうか」

「……賛成です。でもなんででしょうねー……男の子が産まれるって、想像がつかないです……」

「ふふっ……ええそうね。産まれたら比企谷くんが嫉妬に狂いそう」

 

 聞こえた声にツッコミたくなった……が、愛しさに負けた。

 で、思うのだ。

 何年経っても夫婦の在り方としてこんな関係でいたいと。

 年老いても互いを大切に思える、そんな関係で。

 

『………』

 

 ちゅる、とお互いの舌と口を舐めて、橋が出来ないようにしてから離れ、微笑み合う。

 ああ、もう、相当酔っぱらってるなぁと感じながら、頭をぼ~っとさせながら、椅子をくっつけ隣同士、寄り添うようにして、軽い頭重を堪能した。

 いろいろ思うことはあるが、まあまずあれだ。

 いつか娘二人が別の誰かに恋をしたら、連れて来たそいつらに“君は娘が初恋だったのかい? そうだよなァ。だが娘の初めての相手は貴様ではないッ! この八幡だッ! ───ッ”と自慢してやろう。

 うん大人げねぇ。

 

「………」

 

 あとは、まぁ。

 余計なことは考えず、目の前にある静かな関係を……ゆっくりと味わおう。

 “なにかを選べばなにかが無くなる”と……そう怯えていたいつかでは考えられないくらい穏やかな、今のこの関係を。



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そして、今日もぬるま湯な日々①

 ……たまには暇な時があっていい。

 そう思うと、こういう仕事ってのは大体忙しい一日になったりする。

 しかしながら本日は平和な時間と忙しい時間をきっちりと分けた日なようで、いい塩梅に客がハケたり入ったりだった。

 そんな中にあって、本日無駄に丁寧かつ素早く客をもてなしていた娘二人は……何故か俺のベストを小さく仕立て直したものを着用、ブルーマウンテンな青山さんのような恰好で、客を迎えていた。

 何故かっつーか……前もあったけどな、こんなこと。胸キツそうだからやめろって言ったんだけどね、聞かないのよ二人とも。

 

「《からんから~ん♪》やあ、今日も───」

「《シュタァンッ》いらっしゃいませお客様」

「わっ!?《びくっ》……あ、ああ、美鳩ちゃん。うん、また来たよ」

 

 やってきた葉山を凛々しく迎え、

 

「どうぞこちらへ。この季節にはありがたい、最適な温度と一人の時間を楽しめる席をご用意してあります《キリィッ》」

「え、あ、ああ……ありがとう」

 

 奥の、日差しを堪能できる席へと華麗に案内し、

 

「ご注文はお決まりですかジェントルメン。当店ではあなた限定で、かつての世、とある不良漫画内にて、金髪の不良が双子の男子に振る舞ったとされる下剤入り雑巾の絞り汁などがオススメですが……《ニコォ》」

「スタイリッシュになんてものをオススメしてるの……」

 

 優雅に注文を訊かれて、

 

「お待たせいたしました。こちら、ランチパック盛り合わせでございます《コトリスタスタスタ》」

「え? いや……え? ……え!? た、頼んでないんだけど!? え、ちょ、置いていかれても困っ……美鳩ちゃーーーん!?」

 

 美しく、頼んでもいないランチパック詰め合わせを持ってこられて、

 

「《コポコポコポ……》どうぞ。こちら、あなたのためだけの特別ドリップ、アルコールランプとビーカーブレンドです。……お口から、迎えてあげてください《ソッ》」

「いやソッじゃなくて! 火傷するよね!? 狂おしいほど煮えたぎってるのに口から迎えたら火傷するよね!? きずっ……絆ちゃん!? ちょ、待って行かないでくれないか!? これどうすっ……絆ちゃーーーん!」

 

 アルコールランプとビーカーで作られたコーヒーを飲まされて、

 

「こちら、丁寧に砥いだ国産米の盛り合わせ、ライスでございます《コトッ》」

「えっ……け、軽食……え!?」

 

 軽食を頼んだら皿にライスだけ盛られて持ってこられて、

 

「《ジリジリジリ……》ふぅ。寒い日が続くので、お客様の靴を温めておきました。どうぞ、熱い内に」

「《スボリ》うあぁあっちゃぁあああああああっ!!? ちょ、みはっ、あちゃあぁああちゃちゃちゃちゃぁああっ!!」

 

 気づけば取られてた靴がこんがり焼かれて、

 

「……《ゴトリ》」

「…………あの。絆ちゃん。俺、デザート頼んだんだけど……」

「………」

「あの……なんでワカメ……」

「…………」

「なにか言って!?」

 

 食後のデザートを頼んだら問答無用でわかめの盛り合わせを持ってこられて。等々。

 その一挙手一投足がCOOL! COOLER! COOLEST! 

 

「もはやただの嫌がらせなんじゃないのかこれ!」

 

 今日もぬるま湯は平和です。

 

……。

 

 で、閉店。

 客も完全にハケた現在、葉山が座る奥側の席へとコーヒーを片手に座った。

 

「はぁあ……」

「悪いな、いつも」

「ああ、比企谷か……。いや、それはいいんだ。俺もなんだかんだで楽しんでる。学生時代じゃ出せなかった自分だとか言葉だとか、今、遠慮なく出してるって自覚があって、恥ずかしいけど……まあ、楽しくもあるんだ。まあ、今日が休みでよかったよ。こんな時間まで居座るつもりはなかったんだけど、完全に帰るタイミングを逃した」

 

 娘たちが逃がしてくれなかった……っつーか、逃がさなかったっつーか。

 ある意味で懐かれてはいるんだろうか。……いや、やっぱちょっと違うよな、うん。

 

「たくましすぎでしょお前……ほれ、ホット。注文以外のものは全部払わなくていいからな。ま、いつも通りだが」

「サービスされている実感はあるよ。なんだかんだでやさしい二人だ」

「きっかけが結衣を名前で呼んだこととはいえなあ……」

「あの時は二人よりも比企谷の方が怖かったけどな。君、独占欲強すぎだろう」

「うるせ。自分以外の他人な男が、大事な相手の名前を呼び捨てとか腹が立つに決まってんだろ。お義父さんだけでいーんだよ、そういうのは」

「ははっ……そうか。君は本当に、由比ヶ浜さんが好きなんだな」

「ああ好きだね。好きだし本当に好きだしマジで好き。超好き大好き愛しているまである」

「……精神的にも随分と成長したんだな。以前の君なら絶対にそんなことは言わなかった」

「何年経ってっと思ってんのお前……高二病なんざとっくに卒業したっての。ある意味修了したと言っていいとさえ思ってる。二度とああはなるまい」

 

 中二も高二も恥ずかしい過去にしかならんのだ。

 大二病とかはアレな。ただひたすらに結衣に恋して結衣を愛する存在だった。いや冗談抜きで。当時の俺を知る者は口々に毎日が歯が抜け落ちるんじゃないかってくらい甘々だったと語る。

 まああの頃は俺は結衣に夢中で、自分を客観的に見れなくなってたし。

 あとは将来に向けての勉強とかで大忙しだったしな。

 もちろんどんだけ忙しかろうが二人の時間は絶対に取ったが。

 まあつまりその、なんだ。最終的にはこれにしかならんわけで。俺の奥さん超可愛い」

 

「~~……惚気るのはやめてくれ、コーヒーが甘くてたまらない」

「あ? なに───ああもういいですパターンですね解ります」

 

 どうやらまた口に出ていたらしい。

 

「君は本当に隙だらけというか……思ってることが口に出る、なんて、気が緩みすぎてるんじゃないか?」

「馬鹿いえ、俺の思ってること全部を口に出したらこんなもんじゃねぇっつの。俺の、あいつへの想いとかこんなもんだと思ってんならナメんなよ葉山。俺はな」

「え? いやおい、ここで語りに入るのか!? あ……っと、それよりもだな、比企谷っ……」

「うるせぇいいから聞け。こちとら言いたいことは口にしてとか言ってくれなきゃ解らないとか、同棲生活中に散々言われてんだ。それでも面と向かって言えないこととかまだあったりするんだから、その鬱憤でも受け取ってけ馬鹿野郎」

「い、いや、そうじゃなくて……な? って聞けよ! 無視して語り始め……あ、あー……解った、好きにしてくれ幸せ者」

 

 そんなわけで語った。

 面と向かってはなかなか言えないことも、愚痴という名の完全な惚気話も。

 話して話して話しまくって、自分でも夢中になってきているのが解り、しかし止まらない。

 自分で“あー……俺結衣のこと好きすぎでしょ”と呆れつつも、自分が惚れている部分を語り、感謝し、作ってくれる料理の中でどれが好きかも語り、しかし子供っぽいかもって理由で滅多に作られず、そこが結構しょんぼりだったりとか、けれどあの味は結衣にしか……! などと語り語って熱弁して、葉山がいい加減ぐったりし始めた頃。

 俺と葉山が座る、この奥側の席。そのテーブルの上に、コトリとオムライスが乗っけられた。

 

「へ? あ……」

「えと……ヒッキー。いつもありがと。あ、あと……えとー……す、好きなんだったら……さ、ちゃんと……言ってね? あたし、ヒッキーのために料理頑張ったんだから……言ってくれたら嬉しいよ?」

「………」

「………」

「グワーーーーーーーーッ!!!」

「ひゃあっ!? ヒ、ヒッキー!?」

 

 聞かれてました。ハイバッチリ。思わず叫んで頭を抱えてしまった。しかしその際、オムライスが揺れたり落ちたりするような行動だけは絶対にしない。案外冷静? 違う、結衣が作ってくれたものだからだ。本能的に守りたくなる。いやもうこれ俺本当に奥さんに参りすぎでしょ。

 だが言おう。結衣のオムライス、マジ美味しい。

 同棲時代に作ってくれた瞬間その味に惚れて、そりゃ結構焦げてたしボロボロしてたしだったけど本当の本当に美味しくて、胃袋鷲掴みにされて、しかし当時の俺なもんだから素直に言えなくて、ズルズル。

 そうこうしている内に電話した一色と食事の話になったらしく、オムライスは俺のイメージですかねー的な話に向かったらしく……オムライスが食卓に上がることが極端に減った。俺氏、絶望。

 そんなこんながあって、娘が産まれて以降はたま~に食卓に上がることがあり、顔が緩むのを毎度毎度隠しながら、用意される度に完成されてゆく味に、さらに胃袋を鷲掴まれたものだ。

 その時にちゃんと言ってやればよかったものを、娘の前だからってことで言えず、結局ズルズル。

 ……で、今。

 ……ばっちり聞かれちゃってたみたいです、はい。

 

「くっ……くっはははは……! ひっ、比企谷っ……はははっ……君、顔真っ赤だぞ……!」

「だーーーっ! うるせぇうるせぇ! あーそうだよ悪いかよオムライス好きだよ“結衣のオムライスが”大好きだよ!」

 

 いいじゃない! オムライス美味いよ!

 しょうがないだろこれほんと俺の好みが解ってるって味なんだもの!

 美味いんだよ! ほんと美味いんだよ!

 

「…………」

「比企谷」

「うるせぇ!」

 

 卵の上の、綺麗なハートマーク型ケチャップを、内側のハート型が崩れないように外側に伸ばしていく様をじっくり見られた。

 ほっとけ、これが俺の食い方なんだよ。

 量とかも完璧なんだよ。俺の好み解りすぎてんだよ。嬉しいじゃないの。

 こうして一口食ってみりゃさ、ほら……あーもう、ほら、美味ぇじゃねぇか。なんだよこれ、美味いなほんと。美味い。うま……美味しいです。

 

「からかって悪かった。美味しいって感じてるなら、眉間に皺は違うだろ」

「誰の所為だよこの野郎……! くそ……その、結衣」

「……ん、ヒッキー」

「……いつも、ありがとうな。初めて作ってくれた時から、その……ずっと言いたかった。言えなくてすまん。……すごく、美味しい」

「~……ヒッキー……!」

 

 もくもく食べる。ようやく言えた気の緩みからか、眉間に寄っていた皺もほぐれ、顔も盛大に緩み、そんな状態の時に結衣に抱き着かれた。

 いえあの、はい、幸せです、とても。

 口の中も体も幸せ、心も幸せ。幸せすぎてやばいまである。

 

「けど、オムライスか。最後に食べたのはいつ頃だったかな」

「いや、お前の事情は知らんが」

「それもそうか。由比ヶ浜さん、よかったらこのオムライス、メニューに───」

「…………《スチャリ》」

「待て比企谷悪かった、眼鏡を取って濁るのはやめてくれ、今さら濁った眼のお前を見るのは俺も嫌だ。……はぁ、本当に君、独占欲強すぎだろ……苦労してないか? 由比ヶ浜さん」

「えへへへへへぇ~……♪ ───あ、え? なに?」

 

 葉山の質問に、顔をほんにゃりと緩ませ、その頬を両手で支えるようにテレテレしていた結衣がハッとするが、結局聞こえてなかったっぽい。

 

「……独占されていた方が嬉しいっていうのもあるのか。なんというか、本当にお似合いだね、君たちは」

「ワハハハハハ! そして当然この絆もパパに独占されたい存在! ……遊戯王の社長ってワハハとか普通に笑うけど、パパ……やってみると結構恥ずかしいねこれ」

「来て早々に恥ずかしがるなよ……というか、相変わらず仕事さえ終われば真似とかはどうでもいいんだな」

「仕事とプライベートは別。先人はとても良い言葉を残した。美鳩も全面的に賛成。とてもジャスティス」

 

 話に割って入るが如く、絆と美鳩がやってくる。

 訊いてみれば、もう戸締りOK、“OPEN開店営業中”の札も、裏返して“CLOSED閉店まったり中”に切り替わっているとのこと。

 

「《からんから~ん》はっはっは~、やー、今戻ったぞー弟妹たちよー!」

 

 そんな時、ひら……あー……静姉さんがやってくる。

 苗字が“雪ノ下”になり、晩飯をここで食べるようになってからは、こういうことも多くなった。というか、むしろひら……静姉さんがそうしようと言い出した。独りメシは寂しいらしい。

 

「《からんから~ん》はぁ、まったく都築は……あぁ美鳩さんっ、元気にしていましたかっ?《ぱあぁっ……!》」

「お、奥様っ……! 出向く際には連絡をっ……! せめて一本入れるまで耐えることは───」

「黙りなさい都築っ」

 

 そのすぐ後に雪ノ下母……通称ママのんがやってきたり、小町が川崎姉弟を連れてきたり、雪ノ下さんが来た───と思ったら、なんでかめぐりんパワーの持ち主さんを連れてきたり、“ちょっとそこで会った”とかで戸部やら海老名さんやら三浦まで来て、材木座が戸塚と一緒に打ち上げに来たとかで来訪。

 全員に既に閉店時間だがと伝えたところで聞きやしない。まあ、知らない仲じゃないんだから別にいいんだけど。

 

「あ……隼人」

「優美子……」

 

 で、当然この二人は目が合うと気まずそうに……。

 もうなんなの? 結局はお互い意識しまくりなら、もう手とか伸ばしてみたらいいんじゃないの?

 過去とか引きずりすぎないで、いっそ名前の通りグラスフルなライフを送ってくださいよ女王様。

 ……過去の引きずりとか、俺が言っても説得力の欠片もねぇなおい。

 

「お前らさ、もうほんと、年齢がどうとか言ってないでくっついていいんじゃねぇの?」

「ヒキォッ……ひ、比企谷?」

「あ、そこはちゃんと直すのね? まあいつまでもヒキオ呼ばわりは勘弁とは思ってたけど。こっちももう比企谷が増えたし、むしろ今雪ノ下だしなぁ……ああまあそれはどうでもいいんだけどな」

「比企谷。君はなにを……」

「こうして集まるたびに気まずそうにされるのがいい加減、見てて鬱陶しい。普通そういうのは俺の役目だろうが。だってのにかつてのリア充が一番俯いてるってなんなの?」

「………」

「………」

「俺がこうして訊くのもアレだけど、誰かが訊かなきゃ進まないだろ。だから怒られること前提だろうと訊かせてもらうわ。お前ら、お互い思ってる相手とか、まだちゃんと居んの?」

『………』

 

 訊くと、お互いがお互いを見た。

 ……へ? いやちょっと待ちなさい二人とも。……え? まじ?

 

「え……は、隼人……?」

「い、や……すまない。俺は……俺自身は、もうとっくに吹っ切れてるんだ。むしろ、これだけ一途に想われて揺れない方が馬鹿で間抜けだろう」

「じゃあなんだって今まで……」

「言い出せなかったっていうのが本音……かな。もっと早くに吹っ切れて、もっと早くに手を取っていればと思うばかりで、罪悪感ばかりが浮かんできて……手を伸ばせなかった」

「おまっ……それ重ねてちゃ意味ねぇだろ……」

「それこそ今さらだろう? 仲が良かったゆ……由比ヶ浜さんも早くに結婚して、子供も出来て。成長する姿を見守る仲で、俺の中で“今さら遅い”って気持ちの方が強すぎた。そもそも、由比ヶ浜さんが妊娠したという話を聞いたのが、最後のケジメとして雪ノ下さんに告白したあとだった。誰かと比べたりしなければ、きっと俺はその時点でみっともなくても優美子に手を伸ばすべきだったのかもしれない。でも……でも俺は」

 

 そこまで言って、葉山は俺を見た。

 その眼には、どこか手の届かないなにかを見るような、しかし羨望、妬みのようなものも混ざっていて、一言では言い表せないなにかがあった。

 

「じゃあなに。なんだってお前、ここに通ってたの。雪ノ下にアプローチするためじゃねぇの?」

「…………殴ってもらいたかったのかもしれない。発破をかけてもらうって意味で、俺は……いろいろなものを手に入れた君……いや。比企谷、お前に」

 

 ただ、君が羨ましかったんだ、とこぼす。絞り出すように。

 

「絆ちゃんが成長していく過程で、自分の過去を振り返ったよ。絆ちゃんが雪ノ下さんの真似をするようになって、ますます当時の自分を振り返った。結局俺は選ばないことばかりで、それでも、それでもと引き延ばすことしか出来なかった」

「絆の、雪ノ下の真似にあっさり煽られてノッてたのは、つまりそういうことか」

「かつての自分を払拭したかった。“今の自分なら”ってね。どれも失敗ばかりで、相当ヘコんだよ」

 

 弱り切ったような顔で絆を見る。……視線の先で、何故か絆はポーズを取り、「勝ったのは……絆です!」なんて、ジョジョリオンやってた。

 おいこら、時と場所を弁えなさい。

 

「ふむ。そうか。私もかつての同窓に何度“お先”とにんまり笑われたことか。解るなー、悔しいよなー、羨ましいよなー」

「平塚先生……」

「……だが、君の場合は話が別だと言わざるをえないな。女を待たせるとはひどい男だ。いっそ殴ってやりたいところだが……まあ、それは相手に任せるべきだろうな。遅くないのなら手を取ってもらえばいい。諦めた私と違い、一途な女性というのは強いものだよ」

「………隼人」

「……優美子」

 

 すっかり奥の席が囲まれている状況の中、俺は堪能したオムライスの皿を手に席を立つ。

 途端、皿は絆に奪われ、スプーンは美鳩が回収。

 腕は結衣と小町に抱き着かれ、さあさとカウンター側へと連れ去らわれた。

 あとはあの二人の問題だよ、と。

 

「ずっと選ばないなんてさ、無理なんだ、きっと。だから……今がたぶん、最後。これで選べなきゃ、なんにも残らないから」

「結衣……」

「ん、だいじょぶ。“ただ引き延ばすことしか出来ない人”のところに、人なんて集まらないよ。なんだかんだでやさしいから、やさしかったからいっぱい悩んで、傷つけたくなかったから悩んで、やっぱり傷つけて、傷ついたんだ」

「……耳が痛ぇ」

「それもだいじょぶ。ヒッキーはちゃんと選んでくれたし、痛かったらあたしが治るまで一緒に居るよ? だから───」

「………」

 

 俺の奥さん超可愛い。

 改めて心に響いた。

 やっべ久しぶりに泣きたくなった。

 誰かに自分を理解してもらえたって実感した時って、やっぱり嬉しい。

 

「来て早々に人の成長の場を見せられるとは……ふふ。それも“葉山”の子息の。面白いものね、人の在り方というものは……」

「あ……ゆきのし───」

「母、で構わないわ、八幡さん。あなたはもう雪ノ下なのだから」

「……っす。まだちょっと抵抗がありますが」

「構わないわ。雪ノ下である私が許可します。だ、だからその……美鳩さん? あなたも……《そわそわ》」

「……ママのん?」

「《きゅんっ……》……の、のんを取ってもう一度……!」

「それはダメ。美鳩のママはママだけ。それだけはたとえパパが再婚しても許されない」

「ヒッキー!?《がーーーん!》」

「しないしないしてたまるか! 例え話で泣きそうになるほどショック受けるなよ!」

「……では美鳩さん。私の夫をパパと───」

「それもダメ。美鳩のパパはパパだけ。それだけはたとえママが再婚───」

「美鳩! 怒るよ!? あたしはヒッキーじゃなきゃ───」

「…………《ぽろぽろぽろ》」

ヒッキー(パパ)が泣いたぁああーーーーーーっ!!?』

 

 カウンター側が騒がしくなった直後、奥側の席でも大騒ぎ。

 おめでとうが聞こえたってことはいろいろいいところに落着したんだろう。

 俺は泣いてたけど。

 

……。

 

 そんなこともあって、喜びと驚きと悲しみで閉店後の喫茶ぬるま湯はとてもやかましくなり、ようやく落ち着いた頃には俺も葉山も顔を真っ赤にして俯いていた。

 

「お兄ちゃんの結衣さんラブは今に始まったことじゃなかったけど、まさか再婚って言葉で泣くほどとは……」

「小町ちゃんちょっとこっち来なさい? そんなこと言っちゃう口はしまっちゃおうねー?」

「お兄さん立派っす! 一人への愛を貫くその姿、俺も見習うっす!」

「…………えぇと。きみは……ラファティくんだったか?」

「大志っすよ大志! 誰っすかラファティって!」

 

 さすがに奉仕部でのんびりと晩飯、なんて状況じゃなかったので、そのまま喫茶店側のテーブルを使っての夜食みたいな状況になった。

 まあ俺、もう食べたから一人で満足してんだけどね。美味しかったです、結衣のオムライス。

 あとのみんなは、料理自慢の皆さまがこっちの簡易キッチンと奉仕部側のキッチン、さらには一色菓子工房まで利用して夜食制作。あっという間に全員分が出来て、軽いパーティー気分だ。

 ちなみに俺、現在両腕を娘に抱きしめられ、座っている。足の間には結衣が座り、はふーなんて言って体重を預けてきていたりする。

 この状態では可愛い奥さんを抱き締めることが出来ん。俺にどうしろというのだ。

 

「《からんから~ん》ごめんくださ~い、って、あらー!」

 

 さらにここに来てママさん追加。ママさん、すぐさまにママのんを発見、その席へと小走りして抱き着いた。

 ああ、うん。母娘ともども、雪ノ下には抱き着くんですね。ママのんもあたふたしながらも突き放したりしないし。

 

「ママ? どしたの?」

「あら結衣。それがねー、パパが孫に会いたくなったからってねー?」

「ちょっ、おまっ……げふんっ! あ、あー……八幡くん。久しぶりだね?」

「いえ、そこで取繕うようなことしなくていいですお義父さん。ほれ絆、美鳩」

「お爺ちゃんお久しぶりです!」

「お爺ちゃん、壮健そう。その健康状態に太鼓判。とてもステキ」

「お、おおお……! 絆、美鳩……! 我が孫ながら超可愛い……! さすが結衣の娘だ……!」

「あらー、パパ~? ヒッキーくんの娘でもあるからこそ、可愛いのよー? ほら、娘は父親に似るっていうでしょー?」

「や、あたしべつにパパに似てないよ?」

「《ゾブシャア!!》…………結衣……」

 

 ちょ、やめたげて! お義父さん、痛恨の一撃すぎて呼吸が細くなってるから!

 

「んおぉ、なんの話かよく知んないけど、結衣はおふくろさん似っしょー!」

「誰が結衣だ何を貴様勝手に呼び捨てに死にたいのか貴様アァアアッ!!」

「戸部ぇえええ!! てめぇなに結衣のこと呼び捨てにしてやがんだいつまで学生気取りだ死にてぇのかてめぇええっ!!」

「おわぁあんっ!? え、や、ちょっ……め、めんごっ? ちょっと軽く口が滑ったってゆーかぁ……だめ? 無理っぽ?」

「ほぉおおお……! キミ、戸部くんというのかぁあ……! ……いいかっ! 俺が結衣を名前で呼び捨てていいと認めたのは! 八幡くんだけだ! ……それにも相当な我慢が必要だったが……! だが! 結衣が認めたわけでもない男に! おぉおおおお俺の可愛い結衣を呼び捨てになどぉおおっ!!」

「ひぃいっ!? すすすすんませんっしたぁっ!!」

「戸部……お前もさ、自分の前で、もしお前の結婚相手が海老名さんだったとして、見知らぬ男が海老名さんを名前で呼び捨てにしたらどうするよ……」

「ヒキタニくん、いや比企谷くん、マジ悪かった。いや、すみませんでしたぁっ!!」

『解ればよろしい……!《フスーーーッ!!》』

 

 長く熱い息を吐き、呼吸を整えた。

 よし落ち着け。

 

「い、いんやー……ここの人、ゆい……がはまさんのこと好きすぎだべ……俺死ぬかと思ったわ……《コトリ》んお? おー、丁度喉乾いてたから水とかマジ嬉しいわ!《ぐびブバッフォオッ!!》げぶぉおっふぉぉっ!?」

「パパ以外でママを呼び捨てる男など滅べばいい……! 審判する(ジャッジメント)……! 秘技・“にがり地獄の刑(ポセイドン・ミネラル)”……!!」

「げぇっほげほげほっ! に、にがっ! おえっ! ぶはっ! み、みずっ!」

「おうおう可哀相に……苦しいならこれを飲むのだ苦しむ人よ!」

「お、おー! マジ助かるわぁ絆ちゃんっ!《ぐびゲボハァ!!》ぐびぇぇえっひぇえっ!?」

「───秘技・“花椒と激辛の輪廻(ヴォルカニック・ロンド)”!!」

 

 花椒───四川赤山椒などのことであり、山椒の実として知られる、舌が痺れたりするアレである。

 山椒の粉を多少ふりかけた程度では大して痺れたりはしないが、この花山椒、噛み潰したりしようものなら盛大に舌が痺れる。なお熱とともに摂取すれば、その痺れ具合もハンパじゃなく、舌に馴染みすぎるため、辛いものと一緒に摂取した日にはその辛さまで舌に付着。そう簡単には辛さが取れず、苦しむこととなる。

 

「……姉様は、優しすぎます」

「いやいやいや美鳩ちゃん!? 相手悶絶してる時点でやさしくないからね!?」

「むぅ……小町お姉ちゃんは納得出来ると?」

「んー……そりゃ、小町は結構お兄ちゃん以外で呼んでた人、見て来たからねー……でもまぁお兄ちゃんが選んだ人が相手なら話は別。一度呼ばないようにって決めたっていうのに、もー、だめですよ戸部先輩。そういうの、小町的にポイント低すぎです」

「げっほっ……! ま、まじごめんなー……こまっちゃん……! 謝るから、今はとりあえず……げほっ……水くれると……!」

「あ……ごめんなさい、それ来月からなんですよ」

「こまっちゃん!?《がーーーん!》いやいやいや水くらいあるっしょー! あっ……いろはすー! み、水っ!」

「ですからごめんなさい。それ来月からなんですよー戸部先輩」

「いろはすーーーっ!?《がーーーん!》」

 

 無情。

 しばらくそうして放置されていた戸部だったが、結衣が苦笑しながら水を用意した。

 

「うおお……マジ助かったわー……ゆ」

『───《ギロリ》』

「……い、んやぁ……もう、ほんと……。ガ、ガハマさんってば大事にされまくりんぐでしょぉこれ……」

 

 で。水を用意したらてこてここっちへ歩いてきて、やっぱりちょこんと俺の足の間に座る。

 ……うむ。遠慮なく抱きしめよう。今なら娘二人も離れてるし。

 

「《ぎゅー》んぅ……ヒッキー……」

「はぁ……。親も居るというのに、本当に遠慮というものを知らないわね、あなたたちは」

「いや、むしろその義理の親にこそもっとやれって言われてるし」

「そうよー、雪乃ちゃん。人の愛情っていうのはね? あからさまって言われるくらい解りやすいほうが安心できるものなのよ? 料理を食べたらおいしいって言ってくれる。嬉しいことがあったら一緒に喜んでくれる。悲しいことがあったら、慰めるだけじゃなくて一緒に悲しんでくれる。……当たり前のことだけど、そんな当たり前の積み重ねがとっても嬉しいものなの」

「おばさま……それは」

「雪乃ちゃん。……結衣が雪ノ下になったんだから、ママでもいいのよ?」

「ぁ…………ま、マ……《がばギュー!》ふやぁんっ!?」

「あーもう雪乃ちゃんたらかわいー! ねぇねぇ雪ノ下さんっ! 雪乃ちゃんこんなに可愛いじゃないのー! もっと思ってることちゃんと言ってあげなきゃだめよもうー!」

「ぃ、ぇ……その。時間が経てば経つほど、そういうことは言いづらくなってしまって……」

「その気持ちは解るけどー……でもダメよ、雪ノ下さん。届けたい言葉は届かせなきゃ。言わなくても解ってもらえるは、親しい仲にあって、一番怖い“信頼”なんだから」

「うぅ……」

 

 おぉお……あのママのんが押されっぱなしだ……さすがだママさん。

 まあその、とりあえず、アレな。

 ここに集まる全ての力関係の中で最強なの、ママさんだわ。

 雪ノ下は「可愛いなんて言われる年齢じゃ……!」なんて言っているが、「なに言ってるの雪乃ちゃん! 娘の同級生なんていつまで経っても娘と同じようなものなのよ!?」なんて言われて、逆に言いくるめられた上にぎゅー。

 まあ、そうな。ついでに言うとキミら、本当に年齢と外見が合ってないから。

 そりゃあ可愛いとかまだまだ言われるわ。

 うん。だから俺が自分の奥さん超可愛いとか言うのに違和感まるで無し。

 

「けど、たまたま寄っただけなのに面白いものよねー。知り合いばっかりこんなに集まっちゃって。軽い同窓会? って、それはいつもか。ねー? 比企谷くーん? あ、もう弟だったっけ。ねー? 弟くーん?」

「その、解ってて言ってから言い直すの、やめてくださいって雪ノ下さ───」

「お姉ちゃん。もしくははるねぇって呼びなさいって言ってるでしょ? 静ちゃんでさえ姉さんなのに、なーんでキミはいつまで経っても雪ノ下さん呼ばわりかなー」

「呼んだら盛大に絡んでくるからです。そういうのは雪ノ下にどうぞ」

「やめてちょうだい比企谷くん、そういうのは由比ヶ浜さんだけで十分よ」

「雪乃ちゃんひどーいぃ!」

「よかったな結衣、ついに雪ノ下が抱き着きを許可したっぽいぞ」

「ゆきのん!」

「ぇ、ち、違うわ由比ヶは《がばー!》まきゅっ!? ちょっ、由比ヶ浜さっ……!」

 

 雪ノ下が由比ヶ浜プレスの餌食となった。

 ママさんと結衣に挟まれるとか幸せな、お前。

 

「で?」

「で? とは?」

「呼んでくれないの? あ、もしかして弟くんが気に入らない? ハチくん? はっちゃん? はーくん? 姉弟で名前呼びはちょっと違うわよね。うん、やっぱり弟くん。ほらほらー、お姉さんのこと、ちゃーんと呼んでごらーん?」

「は……」

「うんうん、は? は、なに? なになにー?」

「……はる、ねぇ」

「───。………………ナニコレヤバイ」

「へ? あの《ぐわしっ!》はぶっ!?」

「いい! いいなぁこれ! うんうん、私やっぱり弟も欲しかった! 生意気で素直じゃなくて、でもここぞって時には弱い弟とか最高! うんうん、いい弟! 理想の弟だね君は!」

 

 頭を鷲掴まれたのち、わしゃわしゃと撫でられた。

 ……なんつーか、この歳になって、今さら広がる視野や状況があるなんて、世の中わかんねぇ。

 三浦は今さらだとか言わずに嬉しそうにしてるし、葉山は葉山で女性連中に囲まれてめっちゃ説教くらってるし。特に静姉さんに。

 めぐり先輩は最初は戸惑ってたけど、持ち前のほんわかさはまだ健在らしく、自然と溶け込んでいって、楽しそ~に話をしてる。……ママさんやママのんと。なんかそっち側との方が話が合うっぽい。

 川崎姉弟は主に小町や一色と話してる。たまに大志がこっちきていろいろ言ってくるが……いや、なんでそこでコーヒーの淹れ方とか訊いてくるの。なにお前、今さらコーヒーショップでも目指したいの? 今ちゃんと仕事してんだからそっち大事にしなさいよ。

 

「あー……ところではるねぇさん?」

「ん。なにかな弟くん」

「最近になって、やたらとどこぞの企業の客が増えたんですけど。なんかの影響だったりします?」

「あー、大方雪ノ下にいいクチ聞いてもらおうってやつらでしょ? いーよいーよ、客が増える分には困らないでしょ? たっぷりもてなしてお金取っちゃいなさい。で、なにかトラブル起こしたら私の番号に連絡ね。すぐに。あ、なんなら母さんのところにでもいいけど。たぶん私よりすっごい方法で潰しにかかるから」

「……気をつけて連絡します」

 

 まあこっちも、家族……まあ、なんだ。“家族(ぬるま湯)”に危害が及ばないなら、そうそうなにかをするなんてことはないが。

 

「ま、安心していいよ。弟くんはおねーさんがしっかり守るから」

「……あんま気負う必要とかないっすよ。あぁ、その、なんつーか……気負う必要も背負う必要もないっつーか……。その……俺だって守りますから。俺ももう“雪ノ下”で……あんたももう家族だ。両親はどうあれ、俺は妹を筆頭に、“きょうだい”には甘いんですよ。だから……守られてください。んで、守ってください。俺が出来る方向で守るから、俺達じゃ出来ない方向では、あ、あぁ、その。……お姉ちゃんが」

「………」

「それだけっす。んじゃ」

「《がばぁっ!》うひゃあっ!? わっ、やっ、ちょっ、ヒッキー!?」

 

 言いたいことを言ってから、結衣を抱き締め一気に立ち上がる。

 次いで材木座と戸塚が居るところまで駆けると、真っ赤であろう顔を隠すために、空いてる椅子に座るとともに結衣の首に顔を埋めるように抱き締めた。

 ちらりと見れば、さっきと同じ場所でこちらをぽかんとした顔で見ているはるねぇ。……っぐ、い、いや、雪ノ下さ…………ああもう、わかったよはるねぇでいいよもう。

 ともあれ、そんなはるねぇが“たはっ”て感じで笑ってこっちを見たまま口を動かした。

 

「私の弟くんは男の子だねぇ。このままもっと家族デレにしたらどうなるか………お姉さん楽しみだなー、あははっ♪」

 

 聞こえなかった。けど、なんか寒気したから気にしないことにした。

 

「はーちー!」

「……なんすかねーさん」

 

 と思ったら、今度は平塚せ……静姉さんがやってきた。

 

「ハチ。とりあえず酔いたい。マッカンブレンド用意してくれー……。自分の手で、かつての教え子をカップルにしてしまった……! そしていずれ、教え子にさえ“お先”と言われてしまうんだ私は……! いやもうあきらめた! 諦めたさ! 諦めはしたのに……! いや! 諦めはしたからこそ……! どんな状況であろうが結婚経験無し&お先に発言が無くなるわけではなく……KUUAAAA……!!」

「落ち着いてくださいねーさん。口調がどこぞの吸血鬼っぽくなってるから」

「いーいーかーらー! おーさーけー!」

「どこの我が儘弁慶ですかもう……あーわかった解りましたよー」

 

 内弁慶どころではなくどこでも弁慶な姉が突然出来ました。

 普段は格好いいのになぁ、どうしてこう精神的なダメージ受けると幼くなるのか。……いや、ただ甘えたいだけなのかもな。

 仕方なく結衣を抱き締めるのをやめて、コーヒーを淹れ始める。

 その過程、結衣も寄り添い手伝ってくれて、そうして完成したコーヒーに果実酒を混ぜたものを渡してみれば、上機嫌で飲み始める。

 

「ふはー……あー……やさしー味だなー……。私にもやさしー誰かが居ればなー……。なーんで結婚できなかったかなー、こぉんなにいい女なのになー。……はちー! おつまみー!」

「いい女は突然出来た弟をこき使いませんよ。はい、言うと思ったからおつまみ」

「うう……はちー……らーめんいこーなー。またらーめんいこーなー……。よく知りもしない男なんて知るかー! 私はもう、新しく出来た家族に青春を注ぐんだー!」

「うわっ……ちょ、ねーさんもう酔ってんですか!? っつーかここ来る前からもしかして飲んでました!?」

「本当は独りメシのつもりだったんだ……。酒も飲んで、いい気分になって。でも……でもなー……空になった酒の瓶を見て思ったんだ。さびしーって……そしたら我慢出来なくなった。さすがに酔っ払い運転をするわけにはいかなかったから、ど~~~せ使う当てもない金だ~って……タクシー呼んで飛んできたー」

 

 ぐっはもったいねぇ! 金の無駄、盛大にしておられるわこの教師!

 

「いいなー、私もここに住もうかなー……」

「酒のストックがあっという間に無くなりそうなんでやめてください」

「くっ……弟が反抗的だっ……!」

「いーからとりあえず絡むのをやめてください。結衣が見てます」

 

 この人が身内になって、しかも一緒に住み始めたとして、もし私生活が実にだらしなかったらどこぞのブリュンヒルデみたいなことになりそうだ。

 忙しい日には正直言えば何人かスタッフが居てくれると助かるけど、ねーさん教師だからなー。

 

「うう……仕事さえなければなー。仕事さえなければなー! 私だって今頃なー!」

「あーはいはい。なんなら教師やめてウチで働きますか?」

「…………」

「………」

「……いいなそれ。自分で言うのもなんだがまだまだ外見とか全然いけてると思うし、むしろ今こそ我が青春……」

 

 え? マジですかちょっと。冗談交じりでしかなかったんですけど?

 なんて、急に真顔になって考え始めるねーさんの傍ら、視界の隅から静かに歩み寄る存在を確認。

 

「それ、私も混ざっていいかな」

「城廻先輩?」

「今の仕事場が急に無くなることになっちゃって、丁度はるさん先輩に相談してたところなんだよ。出来たら見つかるまでの繋ぎかなにかで……」

「うわちゃー……」

「仕事が無くなる、か……世知辛いな。どうだろう比企谷、城廻を雇ってみたら」

「今の今まで酔っぱらってた人がいきなり教師に戻らんでください」

「なに。生徒の前ではいつだって、私は教師というだけさ。卒業したってそれは変わらん。ただし問題児の前は除く」

 

 うわーいすっごい贔屓きた。

 この人ほんと、はるねぇに負けず劣らずの勝手な人だ。

 

「あー、その。人は募集しようと思ってたから、入ってくれるなら助かりますけど……濃いっすよ? この喫茶店」

「それは解ってるよー。でもね、一度離れた人達とこうして集まってっていうの、なにかの縁だと思うしさ」

「小町も仕事が無ければ手伝えるんだけどね。最近忙しいし、いっそこっちで愉快に働いてればなーとか思わなくもないけど、向こうも楽しいからさー」

「あーへいへい、お前はそっちで楽しんどけ。何度目か忘れたけど、小町のことよろしくな、川崎」

「よろしくされてちっちゃくなるほど落ち着きないでしょ、コレ」

「うわー、コレ扱いされてるよお兄ちゃん」

「いや、されたのお前だからね? なにさらっと俺になすりつけてんの」

「任せてくださいっす! こっ……比企谷さんの安全は俺が───」

「うん。ちょっと黙ろうなラファティくん」

「大志っすよ大志! タイキックでもラファティくんでもないっす!」

 

 一度話題が広がればあとは早い。

 仕事の話が溢れ、今日もあーだった、昨日はあーだと騒がしくなり、そんな“みんな”を相手に、心を許した人と一緒に笑い合って、立ち上がり、コーヒーを用意して振る舞ってゆく。

 

「えへへ……なんか、嬉しいね」

「……だな。いい加減、自然に笑うのも慣れた」

「それ、慣れるとこ?」

「慣れるとこ、なんだよ。俺にしてみりゃな」

 

 懐かしい空気がそこにあり、いつも通りといえばいつも通りの空気もそこに。

 目指した場所になにかを築いて、その築いたものに知っている人が立ち寄ってくれて、築いたものが倒れないように支えてくれて、今がある。

 そんな今にも人が増えて、いつか手を振った人も集まり、笑顔が増える。

 なんというか、面白いもんだと思えてしまう。

 

「おーいはちー! 私は今日泊まっていくぞー!」

「あ~っ♪ じゃあ私もー! 雪乃ちゃん、久しぶりに一緒に───」

「嫌ね、断るわ」

「あーんもー! ゆーきーのーちゃーーーぁあん~~~っ! お姉ちゃんのこと、弟くんに取られてもいいのー!?」

「むしろ熨斗(のし)付けて送り出すわ」

「雪乃ちゃんひどーいーっ!」

 

 いつものことでしょそれ。いや、やりとりがって意味で。

 

「お泊り……美鳩さん、その」

「……ん。ママのん、よかったら美鳩の部屋に、泊まって?」

「美鳩さん……! ───都築!? 都築! 私は今日ここに泊まります! あの人には帰らないと伝えなさい!」

「はっ……!? 奥様、ですが」

「あらー、それなら結衣、ママも泊まっていーい?」

「え……でもそんな、布団の予備とかないよ?」

「男は男、女は女、部屋を分ければいいじゃない。あ、パパはどうするの? 帰る? 泊まる?」

「孫とお泊り……と、泊まっ……泊まろうかなー? わはっ!? わははははは!」

 

 そこから我も我もと止まる宣言をして、足りない布団はまさかのまさか、ママのんが都築さんに買いに行かせて……いやもちろん俺も一緒に行った。むしろ葉山もお義父さんも来た。ていうかお前も泊まるつもりなのかよ葉山。

 



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そして、今日もぬるま湯な日々②

 そうしてとっぷりと深夜を迎えてみれば、とある一室に男がみっしり。布団を並べて、適当に寝転がり、暗がりで天井を見ながら語っていた。

 別に順番っつーか……誰々が隣~ってことをどうこう言うつもりはないんだが……そりゃ、戸塚が隣ならなぁとか思ったが……隣がお義父さんって。緊張しちゃうじゃねぇかよ。どうしてくれんのこれ。

 

「あははっ、なんかこういうの、久しぶりだよね」

「なーっ♪ なんっつーかぁ、あの夏の日とか思い出しちゃう系っつーかぁっ! あ、そういやハヤトくん? 結局Yって誰だったん? 優美子?」

「はは……もう、忘れたよ。いいんだ、それで」

「うむ……皆、恋に恋して青春を歩んでおるのだなぁ……。いや、我、そういうの全然来なかったけど」

「というか君。戸塚さん、といったか? 何故ひとりこっちに? 女性なのだから、娘たちと同じ部屋に行くべきではないかね?」

「え? あ、あの、僕は……」

「あー……お義父さん。戸塚はですね、その……」

「んあぁガハパパさん? 戸塚っちゃんてば男よ? こ~んな可愛いけど、ほんと男」

「!?」

「あ、固まった……まあ気持ちは解りますよ、お義父さん」

「お察しいたします、由比ヶ浜様」

「都築さんも、いつもお疲れさまです」

「いえいえ、これが仕事ですから。充実した日々を送らせていただいておりますよ」

『シヴイ……!』

 

 都築さんマジ紳士。

 

「うう、なんか緊張するっす……! こ、ここに居ていいんすかね……! 流されるまま寝ちゃってるっすけど……!」

「いいっしょいいっしょ~♪ あ、けど、こうなるとあっちの方とか気にならね? 今頃あっちではレベルの高い女性たちがいろいろな話に花を咲かせて~……♪」

「戸部」

「ア、ウン……なんでもないわぁヒキタニくん……。いんやぁ、だけどこれでハヤトくんも優美子とってことっしょ? こーなると俺もそろそろーとか思うわけよー。ていうかズバリ訊いてみたいんだけどさぁハヤトくん。……ぶっちゃけ、子供どーすんの?」

「戸部」

「ア、ウン……やっぱなんでもないわぁハヤトくん……」

 

 そんなやりとりに、お義父さんが笑い、そこからなんとなくの世話話が始まった。

 仕事があーだとか、あいつがどうとか。

 暗すぎる話なんてなく、話す度に話題が広がって、材木座はふむふむ言いながらそれをメモに取っていた。些細なことでもネタのとっかかりにはなるから、他人の人生談は大切なんだそうだ。

 人生経験っつーか、前に“目を持つ者の喫茶店”とかいうタイトルで小説書いてたけどな。モデルは思いっきりこの喫茶店。普段は能力を隠しているマスターが、眼鏡を取って目を変異させることで───とか、なんかそんなの。

 ……べつに俺、そういう能力ないからね? 目を濁らせるくらいなら出来るけど。

 

「しかし、向こうですか。奥様がどういった話をしているのか、という点では……気になりはします」

「おー! そーっしょそーっしょー! ほらほらぁ俺だけじゃないってさぁヒキタニくぅん!」

「いーから寝ろって……。お前らが寝ないなら俺も寝ないから」

「比企谷、さすがにそれは過保護すぎないか?」

「べつにここに居る連中がとかそういうことだけじゃねぇよ。いつもなら隣に結衣が居るからいいんだよ。けど今日はそうじゃねぇだろ。もし強盗なんぞが来たとき、自分が寝てたらとか考えると絶望するわ」

「“常にもしもを”か。……よっぽど大事に思っていなきゃ出来ないことだな」

「お兄さんさすがっす!」

「誰がお兄さんだラファティくん」

「だから大志っすよ!」

「……その。きみたち? 八幡くんはいつもこうなのかね?」

『いつもというか常にです』

「そ、そうか」

 

 うっせ、ほっとけ。大事なんだからしゃーないでしょうが。お義父さんもそんな当然の質問、こいつらにしないでください。

 

「……本当に、大事にされているんだな。すまなかった、八幡くん。私も少々大人げなかったのかもしれん」

「いや、あんないい娘さんを俺なんかの嫁に出すっていうんだから、お義父さんの不満も頷けますよ。俺だって、もし絆や美鳩が目が腐ってて捻くれまくりで、自分のことを好きな相手を泣かせるようなヤツだったら───」

「……だが。泣くにしても、結衣は幸せそうだ」

「お義父さん……」

 

 ふぅ、と息を吐いて、お義父さんは天井から視線を俺に移し、初めて穏やかな顔を“俺に”向けてくれた。

 

「休みの日にでも、酒でも飲むか。いい店を知っているんだ」

「……いいんですか? 俺で」

「良いも悪いもない。私の問題だったんだ。結衣が選び、そして幸せだと笑える場所がある。……一にも二にも、私はそれこそを喜ばなければいけなかったのだろうに……」

 

 そう言って、お義父さんは少し恥ずかしそうにして咳ばらいをした。

 

「え、え? なんか……シリアス? シリアス?」

「戸部、ちょっと黙れ」

「あ……わり、ハヤトくん……」

 

 戸部がこの空気に耐え切れずに声を出すが、すぐに葉山が静まらせる。

 いや、俺もべつに二人の世界みたいなのを作りかったわけじゃないから、喋っててくれてもいいんだが。

 

「結衣が選んだ相手が、君でよかった。今さらなのだろうが───これからも、娘を頼む」

「あ…………~───」

 

 不覚にも、なんて思わない。

 ぐっと来て、視界が滲んだ。

 きっと、ずうっと……この人には認められないのだろうな、なんて思っていたから。

 それもしょうがないって思っていた。

 愛娘をいきなり、目が腐ってて猫背で普段からだるそうに喋る捻くれ野郎に奪われるっていうんだ、俺だったら絶対に殴ってでも追い返す。

 それでもこの人はそれをせず、結衣の手前、ママさんの手前、頷きたくもない首を頑張って縦に振ってくれたんだ。

 

「俺も…………俺も。結衣の父親が、あなたでよかった」

「…………ふっ……ふふふっ……恥ずかしいもんだなぁ、誰かを認めるというのは。だが、あえて言わせてもらおうか、八幡くん。“当然”だろう? 私とあいつが育てたんだ、良い娘に育たない理由がない」

「あー……でもファブリーズ」

「それは忘れなさい」

「…………」

「…………」

「…………ふっ」

「くっ……くふふははっ……」

「ふふふははははっ……はっはっはっはっは!」

 

 笑い合う。

 今まで目が合えば逸らしていた分を取り戻すように。

 笑って笑って……そして、ようやく力を抜いた。

 近づけば思わず身構えてしまう相手を前に、警戒を解くように。

 そして思うのだ。

 なんてくだらない回り道をしていたんだろうなぁと。

 ……そうだな、結衣。やっぱり、話してみなきゃ解んねぇよな。そんなこと、もっと早く思い出して、ぶつかってみればよかったのに。

 

「こういうのも青春というのかな」

「青春は年齢じゃないそうですよ。夢に年齢制限なんてないって、どこぞの歌でもありましたし」

「そうか、青春か。……そうだな。なにも愛だ恋だばかりが青春なわけじゃあない。……まあ、私が青春の中で出会えた奥さんは超可愛いから、それを否定するつもりもないが」

「どうすればあんな人とくっつけるのかが謎ですよ」

「はっはっは、それをキミが言うのか」

「……なるほど」

 

 つまり、奥さんがいい人すぎた。これに限る。

 

「お互い、妻を大事にしよう。まあ私は娘も大事だが」

「それ言ったら俺だって同じですよ」

「なら私は孫もだ」

「なら俺は義理の親もです」

「………」

「………」

 

 なにを言うでもなく。手を伸ばして、ごつんと拳同士をぶつけた。

 何も言わずに見守ってくれている男たちの前で、けれど恥ずかしいなんて気持ちは浮かばずに。

 

「……羨ましいな、相手の親とそんな関係に、なんて。俺は……きっと、そうはならないんだろうな」

「葉山様。決断が遅れ、待たせてしまったとしても……娘が決めて、愛し続けた者と結ばれるというのなら、親というのは嬉しいものですよ。“その手を取りたい”と思ったのであれば。迷いなど捨てて、その相手を愛し続ければよいのです。……あなた様はもう、“選んだ”のですから」

「都築さん……」

「結局我は声優さんとは結婚出来なんだのう……ていうか女の影すら見えんとか。いやべつに? 我一人でもいいし? たまに打ち合わせの時に“あんなヤツがあんな美人と……!”とか言われるほど我イケメンだし?」

「んやー……それ、ただの戸塚っちゃんの容姿の問題ってだけだべ……」

「ぶひっ!? …………いいもん。我、忙しくて使い道のない金で、お手伝いさんでも雇って眺める暮らしするから」

「まああれだ。朝刊のトップにだけはなるなよ」

「ゴラムラゴム! ……やめて八幡縁起でもない……!」

「けどすごいっすよね将軍さん! 俺アニメとか毎日見てたっす!」

「……やだこの後輩素直……! ふふんっ! 見よ八幡! こんな近くにも我のファンが!」

「あ、いや、ファンっていうか、妹が見てたのを一緒にってだけで」

「……そこはわざわざ訂正するでないよこのラファティめが……」

「えっ!? これ俺が悪いんすか!?」

 

 いや、そっちこそそこでマジ声になって返すなよ。いろいろと心配になっちゃうだろうが。

 

「くぁ……はふ…………ぁ……ごめん、僕、もう眠くて……」

「《きゅんっ》……戸塚氏のあくび……何故こうも色っぽいのか……」

「危ないこと言ってないで寝ろ。戸塚も、明日普通に仕事なんだろ? 悪かったな、お泊りに付き合わせて」

「あ、ううん、それはいいんだよ八幡。僕も久しぶりにこういうことしたかったし。“そうしよう”って思わなきゃ出来ないことなら、実行しなきゃもったいないよ」

「……我、ほんと戸塚氏が担当でよかった……! 戸塚氏じゃなきゃやだと駄々をこね続けている甲斐があるというものよ……!」

「あ、なんか今までの不思議が解消されたわ」

 

 ずっと同じ担当ってのも珍しいなって思ってた。

 よかったなーマジで。そういう我が儘を叶えてくれる編集社で。

 いや、案外戸塚が上にお願いしたから通ったのかもしれんけど。なにせ戸塚だし。

 

「けどさー、こうして集まれんのも何回くらいかねーとか思っちゃわね? たまたま集まったから会えたけど、こんなん偶然でもなきゃ滅多に叶うもんじゃねぇっしょ」

「……そうだな。俺も、これからはもっと頑張らないとだ。今まで散々待たせたんだ、優美子には幸せになってもらいたい」

「何回、とかじゃなくて、べつに、客としてくる分にはうちはいつでも来いだが」

「そりゃー俺とかたまたまこっちに仕事で来てるからいいけどさー、向こうに戻ったら早々来れねぇべ?」

「休みにでも飲みに来りゃいいんじゃねぇの? 休日は家でだらだらが趣味です、ってんなら止めねぇけど」

「んー……ま、それも……アリ? ようやくこっちも進展しそうだし」

「戸部くんは、まだ海老名さんを?」

「未練っちゃ未練だよなー。ん、でもやっぱ好きだから、こーゆーのってしゃーないっしょ。海老名さん、やっぱ結婚する気とかなかったらしいけど、猛アタック続けてたらようやく……ほら、そのー……ねぇ? ちょっとばかし進展したっつーか……うーわっ! こういうのマジ恥ずかしー! べっ……っべー! っべーわー!」

「そうなのか……おめでとう、戸部」

「おーう! サンキュなハヤトくん! そーゆーハヤトくんもおめっとぉう!」

「ああ。ありがとう」

 

 ……今さら、確かにこういうのが青春の代名詞だよな、なんて思っている自分が居て、驚いた。

 そんな自分に苦笑しながら、どうしても……思ってしまうことがある。

 こんな会話をしている今が、もしあの林間学校のコテージの中だったら、と。

 そんな頃から恋をして、付き合って、同じ頃に子供が出来ていたら、なんて。

 もちろん年齢ってもので視野を狭めるのは俺だって好みじゃない。

 ただ、もしそれがもっと早かったなら、幸せもそれだけ長かったんじゃないかと……思ってしまうのだ。

 本当に、世界ってやつはまちがいだらけでやさしくない。

 だからやさしい人には今でも弱いし、けれどそのやさしいだけじゃない相手が好きすぎて、参りすぎている。

 世界を変えることなんて無理だって解ってるから、世界のことはしゃーないって諦める。

 ただ、手を伸ばせば変えられるものは…………まあその、なんだ。変えたほうがいいのなら、現状維持ばかりで腐ってしまわない程度には変えていこう。

 

「青春でございますなぁ……」

「はっはっは、青春ですなぁ。私も、なんだか家内に会いたくなってきました。まあ今行けば追い出されるのは解り切っていますが」

「由比ヶ浜様も、もっと素直になられたらいい」

「ですな。久しぶりに、強く人恋しい気分です」

「ふふっ……どういった出会いだったのか、お訊ねしても?」

「ははっ……ええ、あれはまだ私が“俺”だった頃の───」

 

 静かな夜。

 しかし暗い部屋の中は意外と賑やかで、寝るという選択肢を捨てているような気がする。

 知られざるお義父さんとママさんの出会いやらなにやらを聞いて、見ていて危なっかしかったからとお義父さんがいろいろと世話を焼くところから始まったらしい二人の恋は、なんというか……あれだな。やさしい世界だった。

 トラブルらしいトラブルもなく、世話を焼き、感謝され、話すようになり、笑顔が増えて……そういった感じの、本当に少年が憧れるような青春ラブコメそのものだった。

 俺達みたいな、心の弱さを胸に泣いたりだとか、勝手な行動で泣かせてしまったり、なんてことはない……“だからこそ”信頼できる間柄を築き、やがて結衣が産まれた。

 羨ましいなと思ったのは本音。

 でも、俺の青春だって捨てたもんじゃないさと思ったのも本音。

 捨てていいようなものだったなら、きっとここでこんな話を聞くこともなかったんだろうから。

 

「…………ん《ゴソ……》」

「比企谷? どうした?」

「喉乾いた。お前も来るか?」

「いや、俺はそうでもないな、やめておくよ」

「そーかい」

 

 掛け布団をどかして立ち上がり、部屋を出る。

 さすがに5月ともなると……いや、夜だとまだ少しだけ寒いか? ……布団に入ってた所為か。まあいい、とにかく水だ。

 そんなわけで明かりもつけず、用意もせず、すっかり暗い夜の我が家を歩く。

 

「そういや、自分で作るようになってからマッカン自体を飲んでないな……」

 

 たまに恋しくなる。今度出掛けた時にでも買って飲むか。

 呟きながら静かな廊下を歩いて、奉仕部に到着。

 暗がりの中、長机の上のクッションで丸まる猫のヒキタニくんをひと撫でしたのち、そのまま歩いてキッチン横の冷蔵庫をワヂャッと開けると、水を…………

 

「………」

 

 水を…………

 

「………」

 

 ……まじかよ。マッカンがある。

 え? あれ? どーしてー!

 心の中が疑問符でいっぱいだ。

 しかし幻ではなく、手を伸ばしてみれば触れられる。

 マジかよ信じられねぇ……こんなところにマッカンがあるだなんて……きっとボスからだ。いやそうじゃねぇよ。驚きすぎて心がちょっとドッピオだった。

 

「…………《きょろきょろ》」

 

 の、飲んでいいの? いいよね?

 “我が家にマッカン=俺のもの”でいいんだよね?

 ……とか思って取ってみれば、マッカンに紙が貼られてた。

 冷蔵庫から漏れる光に当てて見てみれば、文字も書かれている。

 

「……ママからヒッキーくんへ? やべぇママさんグッジョブすぎ……!」

 

 俺がマッカン好きと知っていて、わざわざ……!

 喫茶店で働いていると知っていながら、あえてこの黄色のニクイヤツを買ってきてくれるなんて……!

 

「は、はああ……!」

 

 キンッキンに冷えてやがる……! あ、ありがてぇ……! などとカイジやってないで。

 とりあえずマッカン片手に冷蔵庫を閉めて、コワチャッと開封。

 プルタブの音とか缶詰の音って独特でなんか好きだ。

 

「黄色の響きにいざなわれ、比企谷絆───推参!《クワッ!》」

「黄色の香りに誘われて、比企谷美鳩───参上?《クワ……?》」

 

 で、開けたらなんかどっからともなく娘が現れた。

 

「……なにやってんのお前ら」

「えっ……え、や、やー、なにってほら、あれだよパパ。…………おばあちゃんがマッカンをお土産に持ってきたのを目撃。久しぶりに飲みたかったので、パパが行動を起こすのを今か今かと待っていたのです!《どーーーん!》」

「マッカンは確認した……。でもパパのものという事実も確認……! 一本しかない……! こうなったら、パパが開けるのを待って、横から奪うしかない……!」

「封印の解き方が解らないから主人公側が解封するまで待って、解封されれば横から奪おうとする悪役かおのれらは」

「ま、まあともかくあれだよパパ。───この娘の命が惜しければ、そのマッカン……渡してもらおうか!」

「《がばしっ》あーれー、ぱぱ、たすけてー」

「……。ちなみに渡したらどうなる?」

「ふふっ、知れたこと……! ……美鳩と一緒に飲むのです!《どーーーん!》」

 

 この人質のVIP待遇っぷりときたら。

 

「さ、さあすぐにそのマッカンをこちらへ……!」

「待て。その美鳩……まごうことなき美鳩であろうな?」

「ちっ、疑り深いやつめ。そら」

「《もにゅり》!!《かぁっ!》」

「《ドズゥ!》うぴゃあうっ!?」

 

 訊ねてみれば、何故か暗がりの中で美鳩の胸を揉む絆。

 振り向きざまの脇腹への地獄突きが深く刺さり、次の瞬間には腕を取られ、「がああああ!」……アームロックが決まっていた。

 

「痛っイイ! お……折れるう~~~っ……!」

「じゃあな」

「あわわ待って待ってくださいパパ待ってぇ! でででではこうしま───がああああ! ちょ、離して! ごめん謝るから! 美鳩やめて! 美鳩!」

「次やったらグーで殴る……!」

「そこまでなの!? う、うー……と、とにかく。まずはパパはそのマッカンを長机へ置いてください! で、手で触れないでください! この絆も触れませんから!」

「……。……《ことん》」

「へっへっへ……さ、最初からそうすりゃあいいんだよ……!」

「存分に楽しんでるなおい」

「人質ごっことか脅迫ごっこなんて初めてかもしれないんだよパパ! この絆の心も躍動するというものです! ひゃっほーい!!」

 

 宅の娘が今日も元気である。元気だけど、脇腹押さえながら、さっきまでロックされていた腕をぐるぐる回してる。うん、見てて気の毒とか思っちゃいけない。

 あと静かにしなさい、もう夜なんだから。

 

「では約束です。絆はマッカンに手を触れません。パパもです。だが───《ニヤリ》」

「……美鳩はその条件の範疇にない。なのでこのマッカンを手にするのは───!」

「……《カコッ》」

「あ」

「あ」

 

 手で触れない。

 うん。だから、缶のクチのところを歯で噛んで持ち上げた。

 

ヴァ(じゃ)

「ままままま待ってくださいパパ! 慈悲を! 三分の一分けてください!」

ヴォゥ(僕のだぞ)!!」

「パパまでそれするの!?」

「で、でも美鳩はそれを手で触れていい……! 口で噛むパパには負けな《なでなで》……ぁ……きゃぅ……」

「ああっ!? 美鳩がなでなででオチた!? が、頑張って美鳩! それを乗り越えなきゃマッカンは手に入らないんだよ!? というわけで撫でるのはマッカンに触れない絆にして、さぁ美鳩はマッカンを!《どーーーん!》」

 

 とんでもなく欲望に忠実な娘であった。

 

……。

 

 仕方もなしにマッカンを分けると、二人はキャッホゥとばかりにそれらを飲み、「今日はいい夢見る!」といった感じの言葉を残して部屋に戻った。

 ……見れそうじゃなくて見るってところがまたなんとも。なんでこう無駄に男らしい部分を残して育ってしまったのか。

 いや、それでも可愛いんだけどさ。

 さすがにマッカン三分の一じゃ足りなかったので、再び冷蔵庫を開けて水を取り出していると、人の気配。見れば、通路側から歩いてくる結衣。

 俺を発見するなり「あっ」と頬を緩ませ、にこりと笑み、笑顔のままにこちらへたととっと小走りしてくるやだ可愛い。

 

「えへへぇ~♪」

 

 水を注ぎ、椅子に座った俺の横へと椅子を持ってきてとすんと座る。

 暗がりでもしっかりと相手を見分けるところがさすがというか。まあ、そりゃ解るか。こっちも電気消して寝転がってたお蔭で、暗がりでもまったく苦じゃなかったわけだし。

 

「こっちは今まで話とかしてたけど、そっちはどうだ?」

「うん。こっちもそんな感じかな。絆と美鳩が幸せそうな顔で戻ってきたから、ヒッキー来てるのかなって、出てきちゃった」

「そ、そか」

「うん」

 

 にこー、と笑ってくれる。それだけで視覚的に幸せっつーか……顔が緩む。

 いやもうほんとアレな。俺に真っ直ぐ警戒のない笑顔くれる人なんて、ほんと珍しい。いや違う違う、珍しいとか希少性の話をしたいんじゃなくて、なんというかそのー…………いいやもう、可愛いはジャスティス。俺の奥さん超可愛い。

 

「………」

 

 そろりと手を伸ばし、その手を握る。

 あ、と。暗くても解るくらい赤い顔で俺を見つめる目を見つめ返して、ぽしょり。

 男が群れるあそこへ連れていくわけにはいかない。

 女が溢れるそちらへ連れられるわけにもいかない。

 じゃあ? ……別室でしょう。

 そもそも現在使っているのは前まで小町用に使っていた一室と、来客用の大きな部屋だ。

 ならば俺達は何処へ行くべきか?

 別室は別室でも、自分たちの寝室へ。

 

「あはは……な、なんかね、もう……ヒッキーと一緒じゃないと、安心して眠れる気がしないんだ……」

「んぐっ……う、その……俺も、だ。お前のことが気になって気になって……。離れた場所で眠ってる間に強盗とかが急に来たらどうしようとか、傍に居られないもどかしさばっかが……その……あー……なんだ、つ、つまり…………」

「うん……ヒッキー」

「……一緒に居てくれ。いつでも隣に居てほしい」

「…………うん。あたしも……隣に居てくれるのは、いつだってヒッキーがいい」

「結衣……」

「ヒッキー……」

 

 手を繋ぎ、絡め、腕を抱くようにして寄り添い。

 見上げ、見下ろし、微笑み合って……やがて歩く。

 恋人同士になった頃からずうっと続く、こんなやりとり。

 飽きることなく隣で笑い、尽きることなく想いを届ける。

 自分が幸せであることを素直に頷けるって、すごいことだよな。

 けど、すごいってのが身近にあることが、今では普通だった。

 願った全部はここにあって、回り道をしてしまったものもあっても……そこにはきちんと笑顔が生まれた。

 綺麗だと思っていたものに何かが混ざることで、それがどうなっていくのかは混ぜてみなければ解らない。

 これから関わることになる人、一緒に働くことになる人、家族になった人たちのことを考えれば、心から落ち着く日々なんてものはもう来ないのかもしれなくても───……少なくとも、隣に居てくれる彼女が笑ってくれている内は、俺も顔を緩まさずにはいられないのだろうから。

 

「えと、んとー……ね、ねぇヒッキー?」

「ん……どした?」

 

 ふと、大事な人が声をかけてくる。

 見上げられ、見下ろした先には真っ赤で目が潤んだ愛しい人。

 どした、と訊いてみると、視線を彷徨わせ、えと、その、とこぼし、こくんと息を飲むようにすると、やがて言った。

 

「あのっ、あのさっ……! も、もう一人……ががが頑張って……みる?」

「───」

 

 …………。

 

「………」

 

 ………ハッ!?

 いやいやいかんいかん、ちょっと意識飛んでた。……飛んでた割に、なんでこの腕は結衣を抱き締めてらっしゃるのでしょうか。グッジョブ。いや落ち着け。

 

「いや、えっと、だな……《かぁあ……!》」

「う、ううぅぅううん……《かぁあ……!》」

「………」

「………」

 

 見つめ合い、くすりと笑って、額同士をくっつけた。

 

「……作ろう、って頑張るんじゃなくて……」

「……ん、だね。自然にそうなったら、って……それでいいよね」

 

 その方がきっと、なんつーかその。結晶って感じはするだろうから。

 

「あ……でもそうなったらまた子守とか……」

「ぁぅぅ……! えと、えとね? ヒッキー……さっき向こうで、ママとゆきのんのママが張り切っちゃって……。も、もう一人産むことになっても、むしろどんとこいだ、って……。それどころかゆきのんもいろはちゃんも子育てしたいって言いだして……」

「う、ぐぉぉ……そ、そそっ……そっか……。そりゃあ、その……心強いっつーか……」

「あと絆と美鳩も妹が欲しいって……」

「娘限定なのか……」

「や、やー……それは、えっと、あのね? 息子が産まれたとしたら、女泣かせになりそうだからーって……ゆきのんとかいろはちゃんとか小町ちゃんとかサキとか、優美子まで言い出しちゃって……」

 

 ほぼ全員じゃないですかやだー……。

 

「まあでも、俺も娘の方がいいかな、とは思う。正直、息子を甘やかす自分が想像出来ねぇよ」

「? なんで?」

「いやっ……だっておまっ…………~~…………わるかったなくそっ……独占欲強いんだよ俺は……!」

 

 息子だろうがなんだろうが、男にお前を取られるなんて嫌だ、なんて思うあたり、本当にもういつまで俺はこいつにやられっぱなしなのか。

 ~~……いい、もういい。このもやもやは全部、首を傾げた最愛の人にぶつけよう。

 

「……お義父さんもお義母さんも、果てはママのんや都築さんまで居るんだから、声は抑えてな」

「え? …………ふええっ!? えっ……ぁっ……きょ、今日……する、の?」

「───」

 

 する。と言いたいところだが、そういった行為をもし第三者に聞かれたらと思うと、理不尽ながらも殺意が沸くな。

 

「ヒ、ヒッキーがしたいなら……あたし、頑張って声……抑える……よ?」

 

 軽く、ふるるっ……と震えながら、真っ赤な顔も軽く俯かせ、潤んだ瞳を泳がせては、胸の前で合わせた指同士をこねこね。やだ可愛い。可愛いしかねぇのかよ。可愛いんだからしょうがねぇだろ。可愛いんだよ。

 っつーか抑えるって言っても、いっつも枕に顔埋めて必死になって震えて……あ、いや、げふんげふんっ!

 

「………」

「ヒッキー……?」

 

 おそるおそる、声を投げてきた。

 どうするかを完全に俺に委ねている割に、とっくにきゅむと胸に抱き着き、顎を持ち上げて俺を見上げる結衣。

 さらり、と髪を撫でると気持ちよさそうに目を細めるもんだから、ついキスをしてしまった。

 至近距離。

 瞳に映る自分さえ覗けるような距離の中、彼女の目が喜びに揺れるのが解った気がした。

 そうなると次は早く、ちゅむ、と唇を奪い返され、奪い返し、二度、三度。

 離し、もう一度見つめ合ってからは、迷いはしなかった。

 寄り添い歩き、寝室へ入り、安心する距離、いつもの距離で横になり、抱き合い、キスをした。

 さすがにやっぱり最後まではしなかった。誰かに声とか聴かれたら、ひどく後悔するからという理由で。

 

  その代わり、飽きることなくキスをした。

 

 翌日、朝食を全員で囲む席でも、結衣の顔が緩んだまま治らないくらい熱くしつこく。

 

「比企谷くん……あなたまさか……」

「い、いやちょっと待て、さすがに知り合いがこんなに居る屋根の下でやらかすほど馬鹿じゃねぇぞ俺は」

「じゃああの結衣先輩はどう説明するんですかー……」

「抱き合っていちゃいちゃしてただけだっつの……ていうか本人にいちゃいちゃとか言わせるなよ……」

「そんなのお兄ちゃんが勝手に言い出したんでしょーが。まあ確かにお兄ちゃんにそんな度胸があるとは思えないし、なによりそういうのは独占しようとするだろうから、小町はお兄ちゃんの言葉を信じるよ」

「小町……!」

「あ、でもあそこまで緩むほどのキスとかなにやってんのとは言いたいかな……。うん。ていうか言う。なにやってんのお兄ちゃん」

「……すんません」

 

 今日も奥さんが幸せそうでなによりです。

 まあでも、幸せを目指すための“全部”なんだから……その中の誰かが幸せで、自分もそれを素直に喜べるなら、笑っていいんだよな。

 

  昔の俺が今の俺を見たらなんて言うかね。

 

 今までも何度か思ってきたことを、また頭の中に浮かばせてみた。

 答えらしい答えは沸いてこない。

 そりゃそうだ、もう願ってることがあるんだから、そんな想像の中の過去の自分でさえ、いつか結衣と出会い、恋に落ちると信じている。

 だから、“なんて言おうが結衣と一緒に幸せになりやがれ”が素直な気持ちなのだ。

 

「あ、それじゃあみんな、おべんと作ったから持ってって」

『───…………』

「なんでみんなして涙目で俯くの!?」

「い、いや……これはだな、その……いいか、由比ヶ……いや、結衣。わわわ私はべつに、君の腕を疑っているわけではなくてだな……!」

「静ちゃ……あ。ここはあえて静お姉ちゃんで。それじゃあ静お姉ちゃ~ん? 毒っ……じゃなくて味見してもらっていいかなー♪」

「陽乃、お前というやつはこんな時ばかり……!」

「なにお通夜ムードみたいにしてんの? っつーかここの軽食、結衣も作ってんしょ? なら貰ってくわ。あんがと、結衣」

「優美子……! う、うんっ! ぜったい美味しいから任せてっ!」

「んまあ、これで作ってもらったもんに文句言ったらバチがあたるべ。ありがたくもらってくわー」

「あら。結衣、ママたちにもくれるの?」

「うん、せっかくだし。あとで感想聞かせてね?」

「へー、人数分作ったんだ。朝から頑張ったね、結衣」

「姫菜も良かったら持ってってね。てゆーか持ってってくれないといろいろ余っちゃって大変かも……」

「大丈夫大丈夫、ちゃんと貰ってくから。ありがとね、ユイ」

「そしてしっかり存在する美鳩の分……グラッツェ、ママ」

「あ、でもママ? この分だとパパが別の男の人に嫉妬とかしちゃうかもだよ? どうすr───」

「え、えと……で、ね? これがヒッキーの……。い、いっぱい、いっぱい頑張って作ったから……えと……」

「お、おう…………おう。ありがとう、な。結衣」

『……既に、パパ用デラックス弁当が用意されていた……!!』

 

 顔を赤くして、恋し愛する乙女の照れ顔とともにお弁当を頂いた。

 家で食べるのにお弁当。でも、こんな機会がなけりゃ今じゃ食べられもしないのだ。ここで捻くれた言葉を返すのは違う。絶対に間違っている。だから素直に感謝を口にして…………《ニヤ》うおぉっ!? 顔が、顔が勝手にニヤケる! ちょ、やめろお前ら見るな! 人のニヤケ顔とか見るんじゃねぇ!

 

「え……これあたしと大志もいいの? なんか悪いね」

「あ、ううんっ? むしろえっと、愛情が溢れすぎて作りすぎちゃったっていうかー……《こねこね》」

 

 川なんとかさんの感謝に、結衣は目を逸らしながら指をこねこね。

 溢れすぎたって……えぇと。まさかとは思うが。

 

「あのー……結衣さん? このお弁当ってもしかして全部、お兄ちゃんのために作り出したのがそもそもで、作りすぎちゃった……とか?」

「ちょ、小町ちゃっ……! あ、ぁ……ぁぅぅうう~~……《ふしゅうう……!》」

 

 想像通りだったらしい。

 そうなると、途端に全員の弁当を自分が食いたくなるが、さすがにそれは狭量が過ぎるし、なによりもう人の手に渡ってしまった。それを返せとは言えないだろう。

 

「うん、愛だね。えと、これ私も貰っちゃっていいのかな」

「あ、はい、城廻先輩も、嫌じゃなかったら……」

「嫌だなんて言わないよー。むしろありがとー」

 

 めぐりんパワーでほんわか癒される……が、やっぱり散ってしまった愛情が気になる。お、落ち着け俺。それはさすがに細かい上にキモいだろ。

 

「……パパがもやもやしてる」

「だいじょーぶだよパパ! 分けられてしまった愛情は回収すれば問題なし!」

「いやお前、回収ってどうやって」

「うっふっふ……言葉を添えるだけでいいんだよパパ。あー、こほんっ! ママのお手製お弁当を手にした男性の皆さま! そのお弁当に混ざりし愛情はパパへのママの愛情! 食べてもママの愛情が受け取れるわけじゃなくて、むしろなんというかそのー……バレンタインでモッテモテな男子のチョコのおこぼれをもらったあの瞬間の、愛しさと切なさ心細さと……」

「ちょ、きーちゃんストップ! 戸部先輩が胸を押さえて蹲っちゃったから!」

「お、俺は……こっ……比企谷さんにもらったことあるし……いや、思いっきり義理って言われたけど……ももも貰ったことあるから……! でも、お兄さんのついでってキッパリ言われて……あ、あぁああ……!」

「こっちではトラウマが発動してる……! 絆、もうやめてあげるべき……! でもそのパパ優先の行動、実にジャスティス」

「イッツジャスティス!」

 

 たしーん、なんてハイタッチしてる娘二人をよそに、お義父さんはママさんと、都築さんはなにかを懐かしむようにお弁当を見て微笑んでいた。

 

「あ、隼人。食べたらあーしにも感想聞かせて。絶対結衣より美味しく作ってみせるから」

「え? あ、ああ……」

「ミス・グラスフル、それは考え方の根本がちょっと違う」

「YES・Graceful! それ違うそう違う実に違う! ママの料理はパパを喜ばせるために作られたパパのための料理! それを越えたいのであれば、ライバル視するのはお門違い!」

「人の名前の“優美”だけ拾うなし……べつにいーっしょ、先に“お嫁さん”ってやつになった友人を目標にするくらい。んで、負けっぱなしは趣味じゃないから追い抜く。そんくらい早く大股開きで走らなきゃ足んないっしょ、こんな“幸せ”までは」

「ミ、ミスグラスフル……!」

「だからそれやめろ。優美子だから。優美じゃなくて」

 

 言ったところで聞かなかった。娘の中で、三浦の名称がグラスフルで固定された瞬間である。

 

「え、っと……そんなわけだから……さ。その。奉仕部、まだやってんしょ? 久しぶりに依頼、したいんだけど」

「おお依頼ですか! 大丈夫! こう見えても絆は! 紅茶淹れの達人! お菓子作りも結構いけます! いけますとも!」

「任せとけ……! 何を隠そう、美鳩はコーヒー淹れの達人……! 軽食もけっこういける……!」

「あ、いや、あーしは雪ノ下さんに───」

「円の動き」

「円の動き」

「え、ちょ、なんでこの双子、人の周りぐるぐるしてんの!? 結衣、ちょ、ヒキオ! 見てないでなんとかしろし!」

 

 あ、ヒキオに戻った。

 つーか気にすんな三浦、構ってやればやめるから。

 

「三浦さん。その二人は私や一色さん、由比ヶ浜さんの弟子のようなものよ。最初から学ぶなら、二人からの方が丁度いいと思うのだけれど」

「……いや。なんか年下に学ぶとか恰好悪いじゃん」

「ならばママ! ママこそ最強!」

「パパより二ヶ月おねーさんは伊達じゃない……!」

「や、それは目標に教わるって感じでちょっとアレだし───」

「円の動き」

「円の動き」

「ちょっ、だからなんで人の周りをっ……!」

 

 そんな娘の動きを、都築さんに言ってカメラに収めているママのん、ぬかりなし。

 ……都築さん、いつもお疲れさまです。

 

「でも、由比ヶ浜さんが八幡のために作ったんならきっと美味しいんだろうね。ありがとう由比ヶ浜さん」

「うん、さいちゃんも、よかったら感想聞かせてね」

「……え? これ……我ももらっていい流れ? じゃあ遠慮なく…………って八幡? おかしいよ八幡。なんか箱がひとつ足りないんですけど」

「ああほれ、お前の分はこっち。いつもお疲れさまって戸塚が作ったものだ」

「ぶひっ!? お……おぉおお……! いつの間に……!」

「うん。体調管理も編集さんの仕事のうちだから。貰った食材で悪いんだけど……」

「いい! すごくいい! 我大歓喜! ワハハハハ見よぉ八幡んん!! 我はブルーアイズを引いたぞぉ!」

「弁当だからなそれ。まあそれほどレアだって言いたい気持ちはよく解る」

 

 が、我が手の内に御身と力と栄えあれ。

 俺には結衣の弁当があります。なんかやたらと大きいけど、あります。大きくて重ねてありますけど、あります。

 と。

 ニヤケる俺に、結衣が背伸びをして口を寄せる。

 なんだ? と耳を傾けると、あとで一緒に食べようねと。

 

「………」

 

 に、二人前であったか……!

 そ、そうか、ならこの大きさも納得……!

 で、この流れってあれですよね、全部“あーん”で食べるアレで……! ああほら見透かしてるのか、ママさんとかニコニコ笑顔でこっち見てるし、お義父さんはそわそわしながらママさん見てるし。……あ。アレなんとなく解った。自分もママさんと、とか考えてるアレだ。和む。

 やはり勝手に緩む顔をなんとか押さえ、朝食を終え、それぞれが喫茶店を出ていく様を見送った。

 仕事に行く者、家に帰る者、学校へ向かう者、様々だ。

 そんなみんなをぬるま湯一同で見送るように、声を出す。

 

  いってらっしゃい。

 

 他人に向けて言うことなんて滅多にないものを口にすると、なんだかくすぐったい。

 やがて娘たちも高校へと向かい、四人での営業が始まる。

 

「じゃあ、今日もやっちゃいますかっ」

「ええ。比企谷くん、ヘマをしないよう気をつけなさい」

「なんでピンポイントで俺なの……むしろお前だろ、妙なところでポカやらかすの」

「も、もー、みんなでがんばろーでいいじゃんっ、ヘマなんてしないぞー、って! ほらほらっ!」

「いえ結衣先輩が言わないでください」

「由比ヶ浜さん、あなたが一番危なっかしいわ」

「結衣、お前が一番落ち着こうな?」

「みんながひどい!?」

 

 今日も元気にやっていこう。

 人を迎えることなんかなかったくせに、今ではすっかり慣れてしまった言葉を口に。

 

「あぁほれ、来たぞ。んじゃ、今日もよろしくお願いします」

『よろしくお願いします』

 

 結衣が元気に、雪ノ下が丁寧に、一色が“しまーす♪”と伸ばし、そうして向き直った先に、扉を開ける客。

 並び、声を揃え、一言を届ける。

 

『いらっしゃいませ』

 

 言葉の裏では「ようこそ奉仕部へ」、なんて。

 懐かしい言葉が浮かんでいる。

 依頼を聞くこともないくせに、それでも思い浮かぶのは、ここに居る三人のお蔭と言うべきか原因と言うべきか。

 さあ、今日も平和な一日を───

 

「いらっしゃいませ。こちら、メニューに───」

「……あ、あのっ、俺っ、ずっとあなたのことが───」

「人の妻に手ェ出すとはいい度胸だ表出ろコノヤロォーーーッ!!」

「比企谷くん落ち着きなさい!」

「最初の客でいきなりそれはまずいですってーーーっ!!」

「《からんから~ん♪》パパごめんっ! 忘れ物───わっほい乱闘だーーーっ!!」

「《かららんっ♪》乱闘……! つまりママ狙い……! この店でママを狙うとはいい度胸……! 審判する(ジャッジメント)!! 秘技───!」

「ひっ……ヒィイイイイッ!!《ダッ》」

「あっ! 逃げましたっ───ってそれでいいんでした!」

「わはははは逃がすかぁーーーっ!!《ズザザァッ!》」

「って! きーちゃん! 回り込まなくていいから!!」

「円の動き」

「円の動き」

「ひぃいっ!? ななななになになになになにィイイッ!?」

「回らなくていいからっ! ちょ、先輩、早くなんとか───」

「結衣……!《ひしっ》」

「ヒッキー……!《ひしっ》」

「あぁあああもうこっちはこっちで抱き合ってますしぃいいっ!! 雪ノ下先輩、どうするんですかこれ!」

「……紅茶でも淹れましょう」

「……ですね。ナンパじゃなくてお客さんが来るまでのんびりしますかー……」

「秘技……! “水の誕生を喜ぶ者たち(マイム・ベッサンソン)”!!」

「秘技……! “沸きて渦巻く水の感謝(ウンディーネ・クレイドル)”!!」

「ヒィイなんか踊り出したぁああっ! たすけてぇえええっ!! ナンパしてごめんなさぁああいいぃっ!!」

 

 ……今日も、喫茶ぬるま湯は平和です。



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6月で16日といえばアレ①

 /6月16日における、やつらの事情

 

 

 “人は順応出来る生き物である”。

 たとえ辛いことが起こったとしても受け取り方次第でそれらを幸福にも不幸にも導ける。

 さて、では俺がなにを思い、ここに居る全員の意見を訊こうと思ったのかと言うと。

 

「諸君」

「はいパパ!《シュバッ!》」

「いや、まだ開始の合図もしてないからな? 一寸待とうな」

「らじゃー!《ビシィッ!》」

 

 奉仕部にて“諸君”と言った途端、元気よく起立して手を挙げる我が娘を、手招きに似たゼスチャーで座るようにを促しながら、ちょっと待てを伝える。

 ……今さらだが“ちょっと”は“一寸”とも書くが、一寸法師の名前を考えると面白いもんだよな。

 

「諸君、とうとう6月が来た」

「はいパパ!《シュバッ!》」

「だから待て」

「だってパパ、去年とノリが一緒……」

「これからが違うんだっての。あー……毎年ながら、結衣は雪ノ下と一緒に買いだしに行ってもらってるわけだが。本年、本日もこうして結衣生誕祭計画に集まってくれて感謝する」

「わーーーほほっほっはっほっはぁーーーーぃっ!!」

Auguri(おめでと)……んん、まだ早い……。わー、うぉー、じょいやー……!《ぱちぱち……》」

「うん、ありがとうな。盛り上げる意志は受け取ったから今は黙ろうな」

「うん」

Si(スィ)……」

 

 絆が騒ぎ、美鳩がぱちぱちと拍手をしながら世紀末覇者拳王だったり、今年も騒ぐ理由が日付とともにやってきた。たまにイタリア語っぽいのが出るのは、散々付きまとわれた友人のオネェが原因らしい。

 それはそれとしてだ。そう、ただ今、なにについての相談をしようとしているのかというと、

 

「東!」

「京……!」

『わんにゃんショーーーーッ!!《どーーーん!》』

 

 二人が叫ぶ。いや違うからね? 頼むから話聞いて? 一色も小町も困ってるじゃないの。

 ……今さらだが、順応云々を脳内で語ったのは、こういう状況にも慣れたもんだーとかそういう話でもある。人間、自分が伝えたいことを散々と遮られると腹が立つものだが、もういい加減慣れてしまった。

 女性って、人が話してるところに割り込んで喋るの、好きだよな。

 それを知った上で、このぬるま湯の男女比率を振り返れば、順応云々の話題にも頷いていただけると思う。

 ようするに発言力が弱いというか……無いに等しいのだ。小町が居ると特に。

 

「きーちゃん、みーちゃん、そうじゃなくて、結衣先輩のお誕生日の話だよ」

「もちろん知ってますとも! けれど楽しむべきは多いほうがいい! そのことを我ら姉妹は知っているのです! あぁああ……今からそわそわします……! どうしてくれましょうどう祝ってくれましょうかあの素晴らしき母めを……!」

「なんで怨敵に向けて言うみたいになってるの……」

「怨敵という意味でなら、パパを奪い合う上での避けては通れないラスボス……! けれどもちろんママも好き。それは決して譲ることの出来ない家族愛という名のジャスティス」

「ディェ~~~フェフェフェフェ……! 今年はどう祝ってくれましょうかねぇ~~~ぇぇ……! 我輩、とてもとても楽しみデス♡」

「絆ちゃん、その千年伯爵みたいな喋り方やめなさい」

「お、押忍」

 

 何故か剥き歯っぽくなりながら喋ってた絆が、小町にぴしゃりと怒られた。懐かしいな千年公。

 返事がどうして押忍だったのかはもはや解らん。そんな気分だったんだろう。

 

  ───さて。

 

 毎年のことながら、6月18日が迫ると、こうして結衣を店外に連れ出してもらい、相談をする。

 今年の相談相手は一色を筆頭に、小町、絆、美鳩が居て、ついさっきまではねーさんも居たりした。現在は学校である。休みな筈だったのに学校側でトラブルがあったとかで、現在その処理に向かってる。酒飲む前でよかった。

 今日は喫茶店自体も休みだから、結衣ものんびり買い物してくるだろうし…………いや、いっつも俺か結衣かが買い物、とくれば二人一緒に行くのが俺達だったくせに、誕生日間近になれば雪ノ下か一色と行ってくれとか丸解りすぎて逆に恥ずかしくもあるのだが……この種の恥ずかしさは嬉しい側のものだから、喜んで受け入れよう。むしろ毎度のことだしいい加減…………慣れねぇんだよ、悪かったな。

 

「訊くまでもないと思うけど、お兄ちゃんはもうプレゼントとか用意してるの?」

「余裕だな。俺にプレゼント選ばせたらそれはもう凄いことになるぞ? 一年かけてじっくり厳選したまである」

「厳選しすぎだよ!? 去年の誕生日終わってからずっと悩んでたの!?」

「雪ノ下に“俺の感性はそれほど悩んでようやく結衣に追いつけるくらい”とか言われたことがあってな……。だから一年、ずっと結衣を見守った上で、なにが喜ばれるかを考えた上で用意した」

No()……ママならパパにリボン巻いて差し出すだけで大喜び」

「おいやめろ、想像しちまっただろーが」

「先輩キモいです」

「お兄ちゃんキモい……」

「なんで俺が悪いみたいな流れになってんだよ。俺プレゼント選んだだけじゃねぇか」

 

 まあいい。いや厳密に言えば全然ちっともよくないが、話が進まんからいい。

 ともあれ誕生日だ。

 わんにゃんショーの二日後、もはや忘れることの出来ない大切な日となった6月の18日は、俺達にとって祭りの日のようなものだ。

 雪ノ下曰く、自分の誕生日でもないのに俺ほどそわそわしている人は居ない、とのことだが。いいじゃないの、それほど大切になったんだから。自分後回しにしてもいいってほど俺が人を大切に出来るなんて、立派なもんだろーが。成長具合とか。

 

「この日のために密かにパセラに通って、ハニトーの味とかを調査、一色菓子工房で少しずつ練習した俺のハニトーに死角はねぇよ」

「ですねー。結衣先輩にバレバレってこと以外は」

「え? マジで? ……え?」

「当たり前でしょお兄ちゃん。普段から暇さえあれば寄り添ってるような二人なのに、片方がこそこそやってれば嫌でも気づくよ。他のことになら鈍感でも、お兄ちゃんのことになると怖いくらいに鋭い結衣さんなんだから」

「…………マジか」

 

 ショックだ。驚かそうとしてたのに。

 “わあ、ヒッキーってばいつの間にお菓子作りとかこんなに上手く~”とか妄想してた自分が恥ずかしい。ていうか死ね。考えてみれば当たり前すぎて死にたい。一緒に居るのが自然ってくらい、相手の隣が定位置な俺達なのに、よくもまあ気づかれていないとか思えたもんだ。

 あ、ちなみにプレゼントとハニトーは別な? ……誰に言ってんだ俺。

 

「それで、気づかれてるって気づいた上で、どんな誕生日を企むんですか?」

「ぃゃおまっ、企むって……───企んでるけどよ。あー……まずはアレな、そのー……なに? えぎゃっ……ごほんっ、とりあえず笑顔にすることは大前提な。んで、喜んでもらうには───」

「パパが真っ直ぐ告白、でいいと思うのです! むしろ絆に! 変化球とか大事です!」

「Si……絆は無視で、パパが愛を囁く、で問題ない。ジャスティス」

「お兄ちゃんが一日中、座りながら抱きかかえてるだけで十分でしょ」

「先輩が告白、抱擁、キスするだけで一日中幸せですよ、きっと」

「………」

 

 奥さんの幸福が、俺相手の時のみハードルが低い件について。

 喜ばしいことなんだが。

 確かに喜ばしいことなんだが。

 俺だって誕生日にそれやられたら、イチコロすぎて笑えるレベルなんだが。

 ああくそ恥ずいな、なんで俺だけこんな状況で幸福感じてんの普通逆でしょ?

 よし一旦話題逸らそう。

 

「あ、あー……そういや俺達のこの頃じゃ、この時期は中間試験だったか」

「うわー、あからさまに話題を変えに来ましたよこの兄。どうしてくれましょういろはさん」

「でも懐かしいですねー、職場見学とかもありました。そういえばきーちゃんとみーちゃんは? どうだったの?」

「ふふーんっ♪ 問題なく完璧っ! この比企谷絆、国際教養科行きを蹴ったとはいえ、十分な学力と実力はあります!」

「ふふり。美鳩も問題ない。戻ってきた時は少し国語に問題があったけど、それももう取り戻した」

「いや、そうじゃなくてね二人とも。いろはさんは、絆ちゃんも美鳩ちゃんも、職場見学とかはどうしたのって言いたいんだよ」

「自宅って書いたら担任が平塚先生を召喚しやがりました。おのれあのハゲ」

「喫茶ぬるま湯って書いたらナメとんのかって言われた……。きちんと職場なのに。おのれあのハゲ……」

「……なんていうか、こういうところがほんと先輩の娘って感じですよねー……」

「なんでこんなところばっか似ちゃったんでしょーかね……小町、妹として恥ずかしいです」

「なんでだよ。自宅最高だろうが。測らずとも自宅が職場って時点で娘たちの願いは叶ったってのに。これはあれだな、認めない教師側に問題があるだろ。絆と美鳩は珈琲紅茶お菓子と、学ぼうとするものが揃ってる職場なんだから、なんの問題があるのかむしろ説明してもらいたいくらいだな」

「先輩必死すぎてキモいです」

「いやキモくはねぇだろ……」

 

 でもかつての自分が今なら正当化できるかなーとか、そんな気持ちはちょっぴりだけあった。

 今さらすぎて笑えるが。あと娘たちがやっぱりハゲに厳しい。もしかしてそのハゲが原因なのだろうか。

 

「じゃあ話を戻そうな。結衣の誕生日についてだが───」

「もう先輩が一日中抱き締めて愛を囁いてちゅっちゅしてれば大喜びだからそれでいいじゃないですかー……」

「お前そんな、人の誕生日にすることを空の紙コップが吹き飛ぶくらいの溜め息吐きながら投げやりに言わなくてもいいだろ……」

「お兄ちゃんが一日中抱き締めて愛を囁けばいいよ!《どーーーん!》」

「だからって元気に言えって言いたかったのとは違うから、ちょっと落ち着こうねー小町ちゃん」

「はいパパ!《ズビシィン!》」

「はい絆。あと挙手するならもうちょい静かにな」

「わたしもパパにそれしてもらいたい!《どーーーん!》」

「あ、すいません。それ結衣専用なんですよ」

「パパ……《スッ》」

「はい美鳩」

「Si……難しく考えないで、パパや美鳩たちで楽しくお祝いすれば、全然なんにも問題ないと思う……」

「ですねー。大体こんな会議を開こうっていうこと自体が、もう結衣先輩を喜ばせる行為にしかなってないんですから、あとは普通に祝えばいいんですよ。見ました? 出掛ける前の結衣先輩の顔」

「あー……すっごいゆるゆるで、ママが顔を引き締めるための筋肉をどこかに置き忘れたって思うくらいだったなぁ……あれヤバイよパパ」

「あれは凄かったね、うん……。小町も結構ドキっとしたもん。愛に飢えた男が見たら、声を掛けずにはいられないレベルだよアレ」

 

 あぁ、そういや見送る時、ちらりといつでも付けてる指輪を見下ろして、幸せそうな顔してたっけ。

 あれヤバかったな、傍に雪ノ下が居なければ問答無用で抱き締めてたわ。

 俺の視線に気づいてからは、えへへーと指輪を見せてにこーってしてたし、雪ノ下がにこにこしてる結衣を促して歩き出した瞬間、短い距離を小走りで詰めて、勢いのまま背伸びしてキスされた。

 

「先輩、顔が緩んでます。いったいどんなキモいこと考えてたんですかキモいです」

「流れるように二回キモい言うな」

 

 キスされて、ほんと幸せそうな顔で“いつもありがとうね、ヒッキー”なんて言われたら、緩まずにいられるかっつーの。しょうがないでしょ幸せなんだから。

 そして思い返すだけでもバレバレすぎるんだから、もう笑うしかない。

 いいよ、楽しんで買い物してこい、こっちもバレバレのお祝い、しっかりするから。

 

   ×   ×   ×

 

 さて、そんなこんなで16日、幕張メッセ。

 東京わんにゃんショー……その現場に来ているわけだが。

 

「東!!《バッ!》」

「京……!《バッババッ!》」

『わんにゃんショォオーーーーーッ!!《どーーーん!》』

 

 娘たちが元気である。

 わざわざポーズまでキメて、ひゃっほい騒いでいる。

 

「ふはははははは! 今日という日をわたしは一年待っていた! 血沸き肉踊ったら普通は死ぬから無難に興奮していたとだけ言いましょう! 動物大好きぃいいいっ!! 猫! 犬! ケモミミーーーッ!!」

「その在り方はまるで、ちち、しり、ふとももと叫びながら女を追いかけるGSのようであった……《ススッ》」

「美鳩!? しみじみ言いながら距離取らないで!? どっ……動物なら美鳩も好きでしょ!? ほら、あっちには猫、こっちには犬っ! インコだろうがオウムだろうが大体居るよ!? 興奮せずにはおられようか!」

「Si.んん……これを目の前にしたからには美鳩の鳩の心も活火山のように活発。楽しいを前に燥がないのは愚の骨頂。……ところで骨の頂って頭蓋骨? ……愚の骨頂……頭が愚か? ───な、なるほど、美鳩は一層賢くなった……!」

「うん、たぶんそれ違うからね、美鳩」

 

 結衣、絆、美鳩とともに歩く。

 雪ノ下と一色と小町は既に別行動中だ。特に雪ノ下なんかは早かった。

 あいつ方向音痴どうなったの? 辿り着くなりシュゴォオオ~~~って感じで猫の方へ早歩きして行っちゃったんだけど?

 一色は一色で小町と一緒ににやにや俺のこと見ながら行っちゃうし。二人が絆と美鳩を誘ったが、娘二人はこれを拒否。今日こそママと回ると言って聞かず、現在に至る。

 そんな娘二人は、立ち止まって話し合い始めると何故か二人エグザイルでぐるぐる回る。やめなさい、いろんな人が見てるから。

 

「さあママ! 犬! 今日こそは絆と犬を見に行きましょう!」

ja(ヤー)……! 今日という今日は美鳩も本気を出す……!」

 

 元気があって大変よろしい、でもJaはドイツ語だ。

 まあそれだけ元気が有り余っている、もしくは黙っていられないほど興奮しているんだろう。喋らなくなるとすぐにエグザイルローリングしてるし。

 

「かつて、ママが愛した犬の名前はサブレという……。美鳩と並べば伝説の銘菓。……そこはかとなく、わりと、真剣に、ジャスティス……悪くない。ミニチュアダックス……頭にのせて、サブレ、サブレ…………ほぅ」

「んじゃとりあえず───」

「ママがまだそんなに乗り気じゃないから、まずはデイヴから見ましょう!」

「え、あ、や、やー……あたしべつにそんなわけじゃ……デイヴ?」

「そう! 小町お姉ちゃんに聞きました! かのロケットダイヴァー・ペンギンの名は、肥満が由来だと!」

「……き、絆。それ、仮説……。決定、してない……。肥満っていうなら、もっとうってつけの動物とか、きっと居るから……違う」

「ム? 美鳩はペンギン好きだったっけ? だがこの絆ッツォ、容赦せん! 確かに仮説だとか言われてるけど───」

「違う。デイヴの響きが好きなだけ。それを肥満と呼ばれるのは実に不愉快。肯定と否定を受け入れる心、とてもジャスティス」

「そっちなんだ!?」

 

 ああ、道行く人々がクスクス笑ってる。

 まあ、笑うなとは言わない。宅の娘たちが元気で賑やかな証拠だ。

 これで指さして馬鹿にするような笑いだったらパパ大激怒だったが。

 あとな、絆。その言い方だとストレイツォっつーかFF4のカイナッツォだからな? なにお前四天王なの? 死してなお凄まじいの?

 

「……結衣?」

「ん……だいじょぶだよ、ヒッキー。もう落ち着いてるから。ただ、やっぱり飼うのは無理、かな」

「おう。そこはお前の好きでいい。むしろヒキタニくんと喧嘩しないか不安なくらいだ」

「うん」

 

 行くことになって、到着してからも特に喋らず俺の腕にぎゅうっと抱き着いたままだった結衣は、そうして頷くとどこか儚げに笑った。

 ……訊くまでもなく、サブレのことを思い出しているんだろう。

 これは今年もダメかな、と思ったが、ぽしょりと「ゆーき、ちょうだい」と言って、腕ではなく俺の胸に抱き着いてきた。

 思わず抱き留め、彷徨わせかけた手を背中と頭に回す。ぐりぐりと胸に顔を埋めんとする強い抱擁に、いろいろと吹っ切れようとする……その、意志っつーのか。なにか、強い覚悟めいたものを感じた。

 忘れろとは言わない。でも、娘たちが毎回気を使ってるのは解っているから、結衣自身だって楽しみたいとは思っているのだろう。

 けど、言うほど楽に気持ちを切り替えられたら誰も苦労はしないのだ。

 

「……ヒッキー」

「ん。どした?」

「……ペンギン、いこうっ」

 

 ただ、よかったとは思う。

 苦労と言うつもりはないが、努力の先に、こんな笑顔があるなら。

 そりゃ、まだまだいつも通りの満面とまではいかないわけだが……いきなり全部は欲が深いってもんだ。

 俺はその“全部”を集める手伝いが出来ればそれでいいんだから。

 ほんと、まったく、まさかなぁ。俺が他人を支えたいだの幸せにしたいだのって思うなんてなぁ。専業主夫になりたいとは思っても、夢見たところで結婚さえ無理だろうとか心底では思ってたのに。

 

「《なでなで》わぷっ……ヒッキー? どしたの?」

「ん? んー……ぁあ、ははっ……いや、なんでもない」

 

 無邪気な存在に心惹かれることは、きっと誰にでもある。いつか、戸塚相手に無条件で心を許しかけていたように。

 ただそれでもそういった心には限界があるし、どれだけ伸ばしたって届かない手ってのはあるのだ。いや、性別の話とかそういうのではなく。

 

「いくか」

「うん」

 

 無邪気ななにかを信じ続けるのは、これで案外難しい。

 なにが理由で難しくなるのかは、きっと自分の心に寄るものだ。

 無邪気を無邪気なままで居させるために、自分にはなにが出来るのか。

 無邪気で居てもらって、自分はなにがしたいのか。

 どれだけ言葉や理屈や理想論を並べたって、結局それは相手には届かず、いつか無邪気は消えるのだろう。

 何故かと問われれば……相手だって生きて、学習しているのだから。

 じゃあ俺は自分の傍に居てほしい相手になにを望むのかといえば───それは、きっと。

 

「………」

 

 ……無邪気さなどでは、断じてないのだろう。

 そこにある現実の黒さも受け入れず、ただ無邪気なだけでは救われない。

 救われたくて行動しているわけじゃないと自覚はあっても、きっとその無邪気こそが周囲を理解できないのだろう。

 黒さを知らない人が、他人が持つ黒さを知ろうだなんて、無理な話なのだから。

 だから俺は、空気を読むのに必死で、そうした人の黒さも見てきて、悩んできた人こそを信頼する。

 あ、いや、べつに戸塚云々を言いたいわけじゃない。あいつだって十分に人の黒さなんて知っているし、むしろ俺と出会ったことで余計に知ったって部分がありすぎて、逆に申し訳ないまである。

 

「ペィングィン様……ペィングィン様じゃーーーっ! わっほほーーーいっ!」

「ほわあぁあ……ジャスティス……! ドラえもんに勝るとも劣らぬあのフォルム……ジャスティス美しい……!」

 

 何を言いたいかっつーとだ。

 ……無邪気に懐いて、人の黒さを知って離れる人より、黒さを知った上で近くに居てくれる人の方が好ましいって話。

 そういった点で、この娘たちったらいろいろな意味でレベル高い。

 つーかジャスティス美しいってなんだ。ペンギンをチベットパドマー寺院のティンズィン様みたいに言うのやめなさい。

 

「よし堪能した次行こう次! パパほら早く次々!」

「早いなおい……もうちょっと見てやれよペンギン」

「フフフ、絆を釘づけにしたいのなら、もっとアグレッシヴに動く様を見せつけなくては無理です」

「……要約。動かないからつまらない」

「美しさや可愛さを堪能したら十分ってことか。解った、次な」

「まあそれでも毎度一度は見に来るんだけどね。撮った写真を見た程度じゃ満たされない気持ちは、やっぱりこうしてナマで見なくては!」

「次、インコ、オウム……! 前回、言葉を覚えさせたコが居るか、楽しみ……!」

 

 にこー、と珍しくも……いや珍しくもないか。

 笑う娘たちに苦笑をこぼし、結衣を促して歩いた。

 あのペンギンがどうだったーとか話し合い、辿り着く頃にはオウムやインコの話に変わり。

 

「絆、美鳩、さっき言ってたけどさ、どんな言葉を覚えさせたの?」

「え゙っ……えと……ま、ママには言いづらいかなー……とか」

「パパ大好き愛してると、ママ大好き愛してるって、絆と一緒にステレオで話しかけ続けた」

「美鳩ーーーっ!? ななななななんで話しちゃうの!? なんで!? わたしせっかく黙ってたのに!」

「事実で、曲げようのない気持ちだから。誇れる心、とてもジャスティス」

「あうぅう……!」

 

 家族で好き合いすぎている俺達である。

 だが千葉の兄妹どころか、千葉の家族ならこれくらい普通だろう。

 少なくとも我が家では普通です。

 しかしオウムかインコか知らんけど、ステレオで囁かれた鳥も苦労し「あ……居た……! パパ、あれ……あのオウム……!」……っと、どうやら発見したらしい。

 一年経っても同じオウムを連れてくるもんなのかね、とか思ったが、大きさやらが同じだけで、別のオウムだろう。

 

「お、おおお……一年ぶりですね……ドーモ、お久しぶりですオウム=サン。ニンジャヒキガヤーです」

「ニンジャヒキガヤーです……!」

 

 で、二人の娘は律儀に……いや律儀かこれ。ともかく合掌、アイサツをして見せて、オウムの反応を見守った。

 いや、見守るまでもなくオウムは反応して、羽をばっさばっさはためかせながら……ついに返事をしてみせたのだ───!

 

『パーマン大好キ愛シテル! パーマン大好キ愛シテル!』

 

 …………。

 ああ、うん……。

 一年、経っても…………同じ鳥、連れてくるん……だな……。

 

「馬鹿な……! パパ、絆は今、とても動揺している……! パーマン……! あろうことかパーマンを知るオウムが居たなんて……!」

「グ、グレート……! “パーマン”知らない日本人は居ないって噂は聞いたことがあっても、まさかパーマンを知ってるオウムがこの日本に居たなんて……!」

「この鳥ッ……! 経験している(・・・・・・)! 食った経験があるっ! ビスコをッ! いつだかは知らないが食って、そしてパーマンを視聴しているッ! ……信じられねェー事実だぜ……! まさか鳥ごときが……!」

「油断はしないッ! 会話はこの距離、この位置でだッ! ……聴いたことがあるんだろう…………B・Bクイーンズを! おどるポンポコリンをッ! 抜け目のないヤツ……! だがッ!《でごしっ》はたっ……!」

「《でごしっ》あうっ」

 

 暴走し始めた娘二人にとりあえず軽くチョップ。何事かと他のお客が驚いてるからやめなさい。

 あとどうすんのあれ。パパとママが合わさってパーマンになっちゃってるじゃないの。

 

「うん……正直ちょっとやりすぎた……」

「Si……すこぶる反省……」

『パーマン大好キ愛シテル!』

「なにか別の言葉で上書きしてやった方がいいんじゃないかこれ……結衣、なにかないか?」

「え? えとー……や、やっはろー?」

『パーマン大好キ愛シテル!』

「ぬう、見上げた根性よ。よもやそこまでパーマンが好きだとは。きっと作者様も大喜びだねパパ。でもそれはそれとして」

「方針は決まった。やっはろー、それを覚えさせる。───絆、あれやる」

「呼吸はわたしに合わせてよ!?」

「絆が美鳩に合わせて……!」

 

 二人が芝居がかったポーズを決めながら、オウムが入ったケージを囲み、言葉を───

 

『パーマン大好キ!』

「なんか言いづらくなるからちょっと黙っててオウムさん!」

 

 放とうとしたら調子を崩されていた。

 

「ここは根性……! や、やっは───」

『愛シテル! パーマン大好キ!』

「やっは」

『パーマン大好キ!』

「………」

「………」

『………』

「や」

『パーマン大好キ! 愛シテル!』

『むきゃああああーーーーっ!!』

 

 ああ、娘二人がオウムにからかわれてる。

 そんな調子で二人と一羽の戦いは続き、やがて───

 

「ゲロゲロゲロゲロ」

「タマタマタマタマ」

『ギロギロギロギロギロギロ』

『パ、パーマ……! パーマン大ス……!』

『ギロギロギロギロギロギロギロギロギロ』

『コッ……コケェーーーーーッ!?』

 

 相手を無視する共鳴を囁き続けられ、とうとうオウムが悲鳴をあげた。

 

「虚しい勝利でした……」

「お前は強かったよ……。でも、間違った強さだった……」

 

 で、娘二人も何故か悲しそうな顔で勝ちを語り、戻ってくる。

 

「お前ら全力で楽しみすぎだろ……」

「いっつもこういうことしてたの?」

「勝ったのは!《ドンッ》」

「我らですッ!《ババンッ》」

「ジョジョリオンやめい。どうすんのアレ。オウムのくせにコケェーとか叫んでたぞ?」

「あ、でもヒッキー? もう元気そうに首傾げたりして───」

『ゲロゲロゲロゲロタマタマタマタマギロギロギロギロ』

 

 ……傾げたりして、共鳴を始めた。

 突然のことに、近づいた無邪気な子供がヒィとか悲鳴をあげるほどに不気味だった。

 

「よしもう行こう次行こう俺達はオウムなんて見なかった」

「え、ちょ、ヒッキー!? あのオウム───」

「フフフ不思議なオウムも居るもんだなぁ結衣。一羽で共鳴してるぞさあ行こう」

「仕込みは成功だねパパ!」

「オラたちのパワーが勝った……!」

 

 とりあえず娘二人には再度チョップをお見舞いした。

 さて、猫である。

 猫であるが………

 

「おいすげーぞあっち! 猫のほうっ! なんか、黒くて長い髪の毛のきれーなねーちゃんがぜんしんに猫くっつけて、うふふふふってわらってるんだってよ!」

「なにそれすっげぇ! い、いこうぜっ! みてみたい!」

 

 猫ブースにいざゆかんとした時、俺達を追い抜く子供たちの声が耳に届いた。

 ……うん。行くの、やめていいかな。

 

「ゆきのん……」

「雪乃ママ……」

「うん、きっと雪乃ママ……」

「……どうする? 行くか? 見ないでやるのもやさしさだと思うんだが」

「No……行く」

「そうだよパパ、行く。むしろ写真に撮る。美鳩一等兵、スマホの準備は十分か?」

「十分。では《がしっ》あうっ」

「《がしっ》ひゃうっ!?」

 

 いざ、と向かおうとした二人を、結衣が襟首を掴んで止める。

 そしてぴしゃりと言うのだ、「だめだよ」と。

 

「楽しみ方は人それぞれなんだから、ゆきのんの邪魔しちゃだめ」

『イ、イェッサー……!』

 

 きっと猫に埋もれて幸福状態であろう雪ノ下を想像しつつ、そっとその場から離れた。

 正直見てみたいが、自分がそういった状況な時に知り合い、それも従業員とか友人とかそういった近しい人に見られたいかと言ったら、そりゃもちろんNOだったから。

 自分がやられて嫌なことはやらない。これ、大事。

 

「でも残念だねパパ。めぐりんさんも来られればよかったのに」

「用事があるならしゃーないだろ。それに、仕事ならまだしもこういう日に時間を取られるのを嫌がる人だって居るしな」

「やー……ヒッキー? めぐり先輩、とっても行きたがってたよ?」

「いや……おう。例えだからな? 俺も城廻先輩が行きたがってたのはよ~く解ってるよ。なにせ用事をキャンセルしようとまでしてたし」

「用事の相手が陽乃さんじゃ仕方ないよ。むしろ陽乃さんもゆきのんと一緒に行きたかったって言ってたくらいだもん」

「あの人なら用事とか余裕で無視して雪ノ下のところ行きそうなんだけどな……」

「……はるねぇって呼ばないの?」

「~……《コリコリ……》……出来る限り呼びたくねぇんだよ。家族は大事にするけど、慣れるまでは距離は置きたい」

 

 左手で頬を掻きながら言いつつ、既に結衣に包まれている右手に力を込める。

 どんなことだろうがどんな相手だろうが関係ないのだ。自分の中の優先順位っつーのか、大事な人No1はきちんと決めていたい。

 一番二番とかそういうのとはちょっと違くて、けれどもきちんとした本音。

 そりゃ、娘は大事だし仲間も大事だ。けど、好きで愛しているのは結衣だけなのだ。その相手が少しでも不安になりそうなことは、極力避けたい。

 今さらそんなこと気にしたりしないだろ、なんてツッコまれそうだが…………不安がどうとかそういうのじゃなくてな、ほら、あるだろ。相手が自分のことを好きじゃないんじゃないかとかそういうのでもない、えぇと、あー……その、なんだ、おー……~~……お、俺が好きだからそうしたい、とか、そういうアレなんだよ、ほら。な?

 

「犬よ……わたしはやってきた!」

「この想いをどう伝えよう……! えぇと、そう……美鳩はパパが好き……!」

「それ犬関係ないよ!? でもまあ絆もパパが好き!」

 

 っと、いろいろやっている内に犬ブースへ辿り着いていたらしい。

 大小様々、格好も様々な犬たちを前に、絆も美鳩も大燥ぎだ。

 

「お~ぅほうほうほう! 撫でてほしい!? 撫でてほしいのかっ! ほーれほれほれー! あっはははははは! パパー! ママー! 可愛いー! 犬! かーいー!」

「この抱き心地、実にジャスティ《バッ!》……甘い。美鳩の頬も唇もパパのもの。それを舐めようだなんて、生涯早い……!」

 

 撫でまくり抱き締めまくり、そのくせ頬等を舐められそうになると、物凄い勢いで避けてみせる。

 指先は舐められても平気そうだが、手の甲もご遠慮願いたいらしく、バッババッバッと避け続けている。

 

「フッフフ、甘いのう犬よ。この絆の手の甲は、いつかパパが王子様が如くキッスをしてくれる時を待ち続ける穢れ無き部分! 飼うことになって、家族にさえなっていないお犬様に許すほど《がしっ》あ、ちょっ、押さえつけるなっ! 絆の手になにをっ……や、やめっ……やめろーーーっ!! そこはパパのために大事にーーーっ! あ、あっ、やーーーっ!」

 

 犬を撫でていた腕を前足で押さえられ、ベロォリと舐め───

 

「絆は油断しすぎ。そんなんじゃ犬に噛まれて呪われる」

 

 ───……られそうになったところで、美鳩が犬を引き剥がした。

 

「~~……うぅう……それは、妹側には言われたくないかな……」

 

 安堵の様子から察するに、あの娘ったら相当本気っぽい。なんか赤い顔でちらちらこっち見てるし。

 赤くなるくらいなら言うんじゃありません、他のお客さんの目が俺に向いて、恥ずかしい。

 などと、口元を軽く左手で隠しつつ、そっぽを向いていると、やはり感じる視線。しかも極至近距離。

 視線を移してみれば、結衣が期待を込めたきらきらな瞳で俺を見上げていた。

 いやあの……なに? なんなのその期待を込めまくりましたって目。

 

「えと……《テレテレ》」

 

 少し恥ずかし気に、しかし俺と繋いでいた左手はそのままに、腕を抱いていた右手を解放、手の甲が上になるようにすると、おそるおそる俺に差し出してきた。

 

「………」

「………《どきどきわくわくきらきらそわそわ……!》」

 

 しろと?

 キスをしろと?

 あとドキドキするのかわくわくするのか目をきらきらさせるのかそわそわするのか、どれかひとつに絞れません?

 ……いや、するけどさ。

 丸くなったもんだなぁと苦笑しつつ、モシャアと急速に湧き上がる気恥ずかしさや捻くれを破壊して、どこぞの騎士のように跪いて───は、無理だな。右手が完全にロックされてる。むしろ俺が恥ずか死ぬ。

 なのでそのまま。

 差し出された手の甲にくちづけをすると、結衣の顔が花開くように微笑みに溢れた。

 結衣はそのままその甲に自分もくちづけすると、いつものように「えへへぇ~……♪」と笑って、もう一度俺の腕に右腕を絡めた。

 ……ああもう恥ずかしい、嬉しいくせに恥ずかしい、なんとかならないかねこの顔の熱さ。

 あと娘たちよ。結衣の後ろに並んだって、いつまで経っても順番は来ないぞ。

 



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6月で16日といえばアレ②

 犬との戯れは、例年よりも長く続いた。

 去年まではそうでもなかった、犬に向ける結衣の笑顔も……少しずつだがいつも通りになっていて。

 ただそれでも、犬へと積極的に向かっていく、ということはなかった。

 

「……そう。今年も、だったのね」

「……ま、愛情いっぱい詰め込めば、それだけ次が辛いってのは解るんだけどな。カマクラの時は小町がめちゃくちゃ泣いたから」

 

 翌日の今、結衣が奉仕部で準備をしている間、喫茶ぬるま湯のカウンターにて雪ノ下と話す。

 豆の準備、OK。茶葉の準備、OK。

 いつも通りの準備をしながら、昨日の出来事を話し合うと、少し気持ちも落ち着いた。

 なんとか出来ないものか、ばかりを考えていて、硬結びの上をさらにがんじがらめに結んだような、凝り固まった頭がようやく解けた気分だ。

 人間、考えすぎるとろくなことが起こらないからな。

 主に仕事で失敗して、結衣に心配されるとか、心配してたことを見破られて罪悪感を覚えさせる~とかな。

 

「うし、んじゃあ今日もよろしくな」

「ええ。あなたも精々失敗しないよう努めなさい。毎年わんにゃんショーの後は、由比ヶ浜さんを心配するあまり気もそぞろでしょう」

「お前は毎年浮ついてて、注文間違えたりするけどな」

「っ……そ、そう……ね、気をつけるわ」

 

 どっちもどっちだった。

 気を引き締めよう。……って心に決めるのも毎年のことなんだけどな。

 っと、言ってる傍から客来たな。結衣も絆も美鳩も戻ってきてないし……まあ、たまには俺が行くか。

 

「《からんから~ん♪》やあ」

「帰れ」

「い、いきなりだな……」

 

 葉山だった。

 ……お前なにまた来てんの。いや来るなって意味じゃあありませんよ? 金使ってくれるならそりゃあ確かにお客様だが。

 

「三浦のことが済んだならもう来ることもないと思ってたんだが……?」

「はは、それはないかな。俺はこの店のコーヒーも紅茶も、軽食もケーキも大好きだから」

「ほーん? そーかそーか接客態度は気に入ってなかったか娘たちに言ってやろう」

「底意地どころか天辺から意地が悪いな君は! やめてくれっ、これでも二人には感謝してるんだ!」

「……マジか。お前もしかしてドM」

「そういう意味じゃないからな?」

 

 とりあえず案内しつつ、聞いてみれば……ぞんざいな扱いも、時に来る罵声も、なかなか決断できない自分にとってはありがたいものだったんだとか。

 ああ、Mな方向じゃなくて、機会があればすぐにでも、って心の向きを変えるって意味でな。で、散々いろいろ言われたりされたりした結果、俺が訊ねた途端に気持ちの向きを変えられたと、そういうことらしい。

 

「そか。んで? 三浦とはどうなってんだ?」

「近い内に結婚するつもりだよ。相手の両親にはもう挨拶してきた」

「……早いくせに遅いって、妙なもんだな」

「遅かったから早くって思ったんだよ。これ以上待たせたくない」

「いろいろツッコまれたりは?」

「ああ、その。優美子が一方的に一途だっただけだって思われていたらしくて。ようやく俺が落とされたんだって、むしろ歓迎されたよ。父親の方には、うちの優美子のなにがそんなに気に食わなかったんだ、なんて目で睨まれたけど。そこはきちんと向き合って話してきた。自分にも、自分だけじゃ解決しきれないものがあったんだって」

「……そか。こう言うのもなんだが、おつかれさん」

「人生経験の先輩として、ご苦労様とか言わないのか?」

「あほ、社会に出た身で相手の地位も考えずにご苦労さんとか言えるかよ。そもそも言うつもりもねーよ。お疲れさま、の方が好きなんだよ俺は」

「はは……まあ、それは俺も同じかな」

 

 言ってから注文を取り、戻ってみれば奥さんと娘二人。

 葉山が来ていることを知るや、『出遅れた……ッッ!!』と悔しがっていた。お前らどんだけあいつのことからかいたいの。

 

「葉山くん、来てたんだ」

「おう。三浦とのことの報告と、朝食だそうだ」

「そっか。注文は?」

「ダージリンとお任せの軽食。オムライスとか言ったけど却下だ」

「ひ、ひっきぃ……もう……」

 

 てれてれ照れる結衣をさあさと促して、お任せの軽食を作ってもらう。雪ノ下にはダージリン。

 そして俺と絆と美鳩はといえば。

 

「磨きに磨いたトレーを用意」

「ナイフ&フォークの準備もおっけー!」

「お水を乗せて完成……!」

 

 ……暇だった。

 トレーやらナイフやらを準備してしまえばやることもない。

 なので両脇から抱き着こうとしてきた二人から腕を逃し、むしろ自分から抱き寄せてわしゃわしゃした。

 

「うひゃあっ!? ぱっ……パパーーーッ!?」

「はぅ……パパ、今日は強引かつ大胆……《ポッ》」

 

 父親って不思議。

 無駄な接触だのなんだのやってりゃ、その内うざがられるって解ってんのに構わずにはいられない。娘が可愛いのだ、仕方ない。

 いずれ洗濯物は別に~とかお父さんが入った後のお風呂なんてヤだとか…………やべぇ言いそうにねぇ。どころか、風呂入ってきたら全裸で突撃してくるよこいつら。

 

「ふふ、ふふふふっ……いいですよ? パっ……ぱぱっぱ、っぱ……、パパがこんなに大胆だなんてかつてないことです。絆はもう覚悟を決めました」

「なんの覚悟だよ……ああその、たまにほらあれだ、親娘のスキンシップ? でも、な」

 

 関係ないけどスキンシップとスカラシップって文字とか似てるよね。ほんと関係ないけど。

 あと噛みまくりで動揺しまくりだから深呼吸でもしような。

 で、美鳩はなんで俺の手を両手で掴んでもにもにさわさわ揉んだり撫でたりしてんの。

 ……でもなんかいい感じに力だが抜けるっつーか。マッサージ的ななにかをされているようだ。いや実際マッサージ《ぐいっ》───ちょっと待とうか!?

 

「こ、こらこら美鳩ぉぉ……!? その引っ張ってる俺の手を、何処に持ってくつもりかなぁ……!?《ぎりぎりぎり……!》」

「パパを想って実った果実……?《ぐぃいいい……!!》」

「やめて!? 客でしかも知人が居るところでなんてことしようとしとんのだおのれは!」

 

 あとこの娘ったら地味に力ある!

 豆とか大きな袋のまま運んだりしてきた成果か!?

 

「ふふーん……♪ パパー? 美鳩もそれはもうすごいけど、絆もまた成長したんだよー? 由比ヶ浜の血は恐ろしい……! まだまだ戦闘力が上がる……! ……でも可愛い下着がつけられないのは悲しいかなーって。恋するとすごいね、女の子。胸がとても熱くなるんだよ、パパ」

「同棲中の時の結衣みたいなこと言うなよ《メキメキメキメキ》……ていうか絆までやめなさい! 俺に娘の胸を触る趣味はありませんっ!」

「一度超えてしまえば後は楽。美鳩はパパなら全然平気。むしろ嬉しいまである。それは愛というもののみを真っ直ぐに見据えた“人”としてのジャスティス」

「娘の初恋の人になった責任を、パパはとるべきだと絆は思うのです。そうしてくれたら絆的にポイント高い。そしてゆくゆくは“雪ノ下”全てを巻き込んだ“真の家族”に……!」

「やめなさいほんとまじで」

 

 俺が雪ノ下に殺されるわ。

 

「でも小町お姉ちゃんもパパのこと好きだったと思うんだよね。兄妹間のそういうことが自由なら、絶対にパパを選んでたと思うのですよ絆的には。今だって選んでないし」

「……タイキックさんの苦労は計り知れない」

「ん……実際どうなんだろうな、大志のヤツは。なんつーか、俺達の周りには一途なヤツが多すぎる気がする」

「えとー……パパ? たとえばさ、この人いいなぁって思った人がさ、結婚して相手をすっごく幸せに出来ててさ? その幸せを今もずーっと保ったままにするどころか、さらに幸せにしているって光景をみたらさ、どう思う?」

「ん? そりゃおめでとうとかか? それとも爆発しろか?」

「そうじゃなくってさ。自分がいいなって思った人がね? 相手をずーっと、もっともっと幸せにする光景を眺めてるの。たとえばそれでその人を羨ましいって思ってもさ、じゃあわたしも~って誰かを探したって、きっとそんな幸せは手に入らないんだと思うんだ」

「そりゃ解らんだろ、やってみなけりゃ」

「そだよね。でもね、どうやったって、憧れた幸せには届かないんだよ。だって、その幸せは“自分”が“いいな”って思った人が作り出した光景だから。他の人が頑張ってもその幸せには届かないし、届いたとしてもきっと追い抜いちゃうんだ。同じにはならないんだよ、絶対に」

「……なぞなぞかなんかか?」

「んへへー……♪ わたしもパパと結婚したかったーって話。この比企谷絆が憧れる幸福とは、ママが常に抱いてる幸福を指すんだから。それはね、パパが相手じゃなきゃ絶対にだめなんだよ。で、きっとパパは相手がママじゃないとダメだと思う」

「当然だな。俺に向けて自分から来てくれる相手は世界に唯一人、結衣だけだ」

「パパ……それは胸を張って言う言葉じゃない……」

「どこぞの金ピカ英雄が朋友を自慢する時みたいな言い方だよね。まあともかくだよパパ! わたし絆と妹の美鳩はパパとママが大好きってこと! そんな二人の幸せの中に居られることもまた大好きってこと!」

「そして隙あらば密着部分を増やしたい。幸せのおすそわけが欲しい」

 

 言いつつグイイと手を引っ張ってくるが……ってこらこらこら、どこに持っていこうとしてんの。果実以前に……おいちょっと? 美鳩さん? その微妙に開いた胸元はなに? え? 服の上からどころじゃなくて、まさかの!? ちょ、やめっ、やめなさいこらっ……!

 

「これから生きていく中でどんなアクシデントが起こるか解らない。初めて触れられる人はパパがいい」

「いろいろまちがってるから待とうな娘よ……!」

「まちがってても求める心は変わらないってばパパ! ならいっそ、がばりと奪ってほしいなーって!」

「……お前らなぁ。いや、そりゃあ好きでいるのは構わんし、それがお前らの幸せにちゃんとなってるんだったら俺もそれでいい。世間一般の親がどうだろうが俺は娘の幸せを優先させる。まあなによりの優先は結衣だが」

「YES! それでこそパパ!」

「Si.そんなパパとママを見て来たからこそ“幸せ”ってものに憧れた」

 

 にこりと笑いながら、絆と美鳩が腕から離れた。

 そこへ丁度軽食を作り終えたらしい結衣が戻ってきて、きょとんとしている。

 どしたの? と問われたので真っ直ぐ答えた。誤魔化しは要らん。

 

「そっか。うん、いいんじゃないかな。二人ともヒッキーが好きなら好きで仕方ないって思う」

「え……ママ?」

「意外……怒られるかと思ってた」

「こんなことじゃ怒らないよ。ただ───いーい? 二人とも」

「うん、なになにママ」

「きっちり聞く。なに? ママ」

「うん。えっとね? ……好きでいてもいいけど……でもね? 絶対、渡さないから」

「………」

「………」

「ね?」

 

 にこーと笑って、軽食をトレーに乗せて、はいと絆に持たせる。

 絆はさあさと背中を押され、戸惑いながら葉山のもとへ。

 で、俺は俺ですすっと寄ってきた結衣を抱き締めて、ほっこり。

 絶対渡さないだなどとはっはっは、……こっちの台詞だっての。

 あぁもう顔あっつい……! なんてこと言ってくれちゃうのもう可愛いまじ可愛い俺の奥さん超可愛い。

 

「ではパパ。今のママに対してお返事は?」

「こっちの台詞だバカヤロ───はっ!?」

 

 奥様を愛でるのに夢中で本音がぽろり。

 ああ、なんか俺もうだめだ。年々捻くれって文字が俺の中から消えていっている気がするんだ。

 原因? 言うまでもないだろう。

 時間をかけて素直にされまくってるんだよ。

 クセのついた捻じれも、しっかりと時間をかけて丁寧にほぐしてやれば、完全には治らなくても真っ直ぐに近いものにはなるってもんだ。

 真っ直ぐに好きだと言ってくれて、素直じゃない俺に根気よく付き合ってくれて、そこに立っているだけの大黒柱を支えてくれる。……ほぐされるなってのが無理だろ、なにこれ、無理ゲーすぎる。いやゲームじゃなくてリアルだから“無理アル”? ……出来の悪いダジャレみたいになった。忘れよう。

 そして絆? 戻ってきて結衣の後ろに並んだからって次に抱き締めるとかないからな?

 

「ヒッキー?」

「お、おう? どうした?」

「娘が甘えてきてるんだから、抱き締めてあげなきゃだめ」

「……いや…………まじ?」

「うん。でも……ん、んんー……」

「《こしこし》お、おい、結衣?」

 

 結衣が俺の腕の中で、胸に顔をこすりつけたり頬ずりしてきたりする。

 それを何度か繰り返すとひょいと離れて、雪ノ下のもとへ。

 

「……、……えっ!? あ、え? ママが……ママが許可を? 直々に? …………わっほほーーーい!」

 

 絆、来襲。

 戸惑いはあったものの、そうは離れていないこの距離で勢いを見事につけてみせ、俺の胸へとどかーんと飛び込んできた。

 

「パパ、パパ! ぱぱーーーっ! むふふーん♪ ぎゅーってしてください、ぎゅーって!」

「お、おう。こうか?」

「《ぎゅー》いえいえもっとです! こう、よくある抱き締めたら折れそうなほどの華奢な子をいっそ抱き締め尽くすかのごとく《ギュギィギギ》ギャーーーッ!!」

 

 豆運びで鍛えた香り高き芳醇マッスルでサバオリをしてみると、絆が雄々しき悲鳴をあげた。

 

「ななななんてことするのパパ! 今ちょっといえかなり乙女としては失格な悲鳴が口からまろび出たよ!?」

「いや、まろぶなよ。せめてこぼれろ。どうなってんのお前の口」

「そんなこといーから! も、もっとこう、力強く、けれどどこかやさしく繊細に……!」

「パ、パパ、パパ、次は是非美鳩を……!」

「ぬはははは甘いわ妹よ! 今はこの絆のターンぞ! さぁパパ、このままぎゅってして抱き上げてくるくる回って《ぺいっ》投げ捨てないでよ!?」

 

 容姿は整ってるのに脳内が賑やかかつ少々残念な娘をぺいと横に置き、大人しい方の娘を抱き締める。

 

「はぅ……。パパからの抱擁……嬉しい……」

 

 美鳩は特に希望を口にするでもなく、ただぎゅーっと抱き着いてきていた。

 ……のだが、ハッと顔を上げると、結衣の方を見る。

 

「パパから完全にママの香りがする……! なんてこと……! これじゃあピジョニウムが補充できない……!」

「じゃあ次は絆のターンで」

「まだダメ。絆ほど抱き締めてもらってない」

「まーまーまー! いーじゃんいーじゃん!」

「だめ、断固だめ、断じてだめ」

 

 ……。わーきゃーと娘たちが暴れる。

 どうしたもんかなー……と視線を彷徨わせると、扉を静かに開け、こちらの様子を窺っている……都築さん?

 

「……失礼を。込み入った話をしているようなので、客人の入店をしばしご遠慮いただいていたのですが……」

「あ」

 

 道理で邪魔が入らないなぁと。

 むしろお蔭で話も気持ちも纏められましたと感謝です。

 というわけで客ではないけど人が来たので抱擁も終了。

 ぶーたれる娘二人に「はい仕事仕事」と手を叩きながら言って、俺は俺でとことこ歩いて……結衣を後ろから抱き締めた。

 いきなりだったから「ひゃあっ!?」なんて声を出されたが、今度は俺が結衣をぎゅってした。マーキングとまではいかないまでも、娘たちの感触を上書きするかのように。

 

「あー! パパが早くもママを!」

「ひ、ひどい……! あんなにも抱き着いた美鳩のすぐあとに、ママと抱き合うなんて……!」

「おう。俺の意思で思い切り抱き締めるのは結衣だけだ」

「パパがブレなさすぎて逆にスゴイ!!」

「このくらいの歳の娘は反抗期を引きずってる家が多くて、美鳩たちのようなのはむしろ珍しい筈なのに……!」

「いやいや美鳩? それよりも父親と母親の関係が微妙とかよく聞く話でしょ……?」

「……うちのパパとママが特殊すぎるだけ?」

 

 おう。

 なにせ喧嘩をしても仲直り出来る関係をいつだって目指して、お互いを知ることから始めて、知れば知るほど好きになったっていう不思議なタイプの二人だからな。

 恋人、婚約、同棲の流れから結婚、出産に至るまで、喧嘩はあってもすぐに仲直りしたからなぁ。

 喧嘩のあとにお互いの気持ちを考えるようにして、それを飲み込んで、受け入れて、額を合わせてごめんなさい。そこから笑って抱き合って、お互いの譲れる限りを譲り合って、次第にその限りが広くなって、ぱちんって破裂したら、もうほぼなんでもが好きになってたな。

 そうなると相手が喜ぶことばかり探すようになって、相手も喜ばせてくれて、やがて抱き合って一緒にケーキ食べたりーなんてことも平気で出来るようになっていた。

 

「パパ! ズバリ、仲直りの秘訣は!?」

「あー……そだな。とりあえず相手の気持ちを考えること、だな。あと、出来るだけ自分の感情はコントロールすること。カッとなったらまず息を無理矢理にでも全部吐き出して、ゆっくり息を吸ってみるんだ。それで瞬間的な怒りはひどまずは抑えられる。そこで吐き出すのが息じゃなく罵声だったらまずいな。うん」

「じゃなくて、パパ、仲直りの秘訣……」

「相手の気持ちになって、言ってしまったことを反省することだな。あとは───」

 

 軽く昔話をしてみせる。やらかした馬鹿と、泣いた少女の話だ。

 過去の自分を振り返るに、好きな部分はそりゃああった。

 今の自分を思うに、好きな部分はそりゃあある。

 しかし、足して割ってみたところでより良い自分になれるのかといったらそれはない。むしろ悪化するのだろう。

 人が幸せになる過程を、幸せってものを知らない過去の自分が今に混ざったところで、きっと自分はそれを解消の材料に使い、何かを台無しにするのだ。

 ……そして、大切な人を泣かせる。

 何が悪かったのかも理解しないまま、効率だけを口にして、どっかの主人公みたく“俺は悪くねぇ”を振りかざすのだ。

 もう、そんな自分は嫌だから。

 人の気持ちも考えず、“好きな人にここで告白されたい”と目をきらきらいさせていた少女の前で、好きな人が自分の友達に告白して振られる様を見て、それが解消方法だって解っていても理屈じゃなく苦しくて。

 それでも苦しさを飲み込んで“でもさ、……こういうの、もう、なしね”と言ってくれたのに、効率を口にして泣かせた。気持ちなんててんで解ってないくせに。わかっている、なんて思って、あの時に感じたブレザーの重みなんてちっとも理解していなかった。

 理解していたら、泣かせることなんて絶対になかった筈だったんだから。

 

  やさしい女は苦手で、いっそ嫌いだった。

 

 でも、だからってそれを理由にやさしい人の全てを突き放していいわけじゃあなかったのに。

 

(あー……)

 

 ……ほんと、思い出しても実に阿呆。

 毎度毎度、こいつ本人とは関係のない、俺の一方的な思い込みで泣かせてばっかりな高校時代だった。

 中学の時にやさしい女性が嫌いになった、だからそんなものはいらんとかって拒絶した職場見学。

 恋する乙女の芽生えたばかりの憧れを、よりにもよって自分の目の前で友人にしてみせて、しかも苦しさを飲み込もうとしてるのに、効率云々を口にするばかりで結衣の言葉なんて一切飲み込んでいない。

 ……思い出すたび外道だなおい。

 え? 俺まじあの修学旅行で奉仕部としていったいなにが出来たの?

 くっつけるための行動も結衣任せで、スポットは雪ノ下の提案。

 戸部に高い位置に結ぶといーぞーって伝えただけで、結局は途中で知ったことの全てを奉仕部の仲間に伝えもせず、時間がない土壇場で言うことで思考する時間すら与えなかった。なぜ? 取る行動を教えたくなかったから。

 仲間なんだから信じるのが当たり前。雪ノ下は信じてくれたのだろう。

 でも、結衣はあの時に聞こうとした。目を逸らし、言わなかったのは俺だ。

 そうして、俺は俺が取る行動で起こることを口に出しもせず、勝手を行ない解消した。

 

  ……あなたのやり方、嫌いだわ。

 

 あー、そうな。振り返れば俺の方こそ嫌いだわこんなやり方。好きになる要素がどこにあんの。これこそ黒歴史だろおい。

 冷静になってよく考えてみろ、あれがあいつらの選んだものなら、俺は口を出すべきじゃなかった。最後の最後まで傍観してりゃあよかったのだ。

 だって、選ばないを選んだのはあいつらだ。

 よろしくねとは言われたが、依頼を受けた覚えなんてなかった……よなぁ?

 ただ、そこへ当て嵌める結論は、もう高校の時に出したから、それはそれでいいのだ。

 “人と人との繋がりの脆さなんて、濁った目で見てりゃ嫌でも気づかされる。腐った目なら余計にだ。それが、誰かが誰かと手を繋いだだけで壊れるもんなら、そもそも葉山も海老名さんも奉仕部に声をかけたりしなかった”……だよな。

 そうだ。だからこそだ。

 なまじ絆が強いから、その真剣さが解って崩れるものだってあるって知ったんだから。

 

「…………今さらか」

「ヒッキー?」

「いや。自分のアホさ加減を振り返ってたとこだ。過去ってまじ痛いな。お前に謝りたいことばっか浮かんでくるわ」

「《ぎゅうっ……》……ひっきー……」

 

 黒歴史って、あるよなー……。

 思い出すたび胸が締め付けられる。泣かせてんじゃねぇよ、ばーかばーか。

 

「そうね。あなたはいつもそう。土壇場にならなければ口を開かない。開いてみれば、“どうしてもっと早くに”と言いたくなるような案件ばかりで」

「耳が大激痛だ、勘弁してくれ」

 

 追撃の雪ノ下の言葉に、さらにダメージは加速した。

 ああくそ帰りたい。タイムマシンでもないかしら。

 

「ってわけでだ。仲直りの秘訣は、互いを知ってきちんと尊重出来る信頼関係を作っておくことだ。どっちを立てすぎたってだめなんだよ。あとあれな。喧嘩両成敗。喧嘩になったとしても、互いが自分の悪いところときちんと向き合える余裕を持つこと。これが出来なきゃまず話にもならんから」

「うわー……あ? あっとと、パパ? お店結局どうするの? 都築さん、待ってるけど」

「あー……今ちょっと心を込めてコーヒー作れる状態じゃないな……。美鳩、頼んでいいか……?」

「え……? パ、パパ……? それって……」

「……今日のコーヒー、全部。……任せても平気か?」

「───! ……やる……! やらせて、ほしい……!」

 

 そもそものきっかけが自分の情けなさからくるものであるものの、そろそろいいかなと思っていたことも事実だ。

 なのでそろそろ。

 外国での授業も修めたんだ、あとは気持ちの込めようだろう。

 ……なのであとは若いやつらに任せて、俺は奉仕部でしっぽりと結衣と《がしぃっ!》

 

「待ちなさい比企谷くん」

「なっ……なんだ? 雪ノ下」

「忙しくなったら頼らせてもらうから。……おかしな真似はしないでちょうだいね」

「いや。お前ね。俺をなんだと思ってんの。ちょっと抱き締めてなでなでするだけの話だろーが」

「パパ! それ全然“だけ”じゃないよ! むしろそれをそんな簡単なことと言うなら、あとでこの絆にも是非!《どーーーん!》」

「ん……パパ、あとで頑張ったごほーび、ほしい」

「おー、ご褒美な、まかせとけ。ただし過度なスキンシップは結衣専用だからそれ以外でな」

「だ、抱き締めてなでなでを!」

「あ…………ごめんなさい、それ結衣専用なんですよ」

「ママずるいー!」

 

 言いつつ結衣とともに歩いて、今日も一日が始まり、やがて過ぎていくのであった。

 散々と騒がしくはあったものの、客も上手く捌け、注文ミスも味が違うと文句が飛ぶこともなく。

 少しすると雪ノ下が奉仕部へと引っ込んできて、少し楽し気に「紅茶を絆さんに任せてみたわ」と言った。

 閉店まで残り一時間というところで、客も少ないらしい。

 そんな残り時間を全力で乗り越えた娘二人は、看板を落とすなり俺と結衣に駆け寄って抱き着いてきた。

 ミスは……しなかったらしい。困ったことがあるとしたら、ここぞとばかりにナンパが多かったくらいだそうだ。



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慣れ親しんだ笑顔が集まる日①

 誕生日。

 人によっては諸手を挙げて喜び騒ぎ、また別の人によるところでは手を挙げるどころか集まりもせず、虚しい思いをする一年に一度の記念日である。

 歳を重ねるだけだからと機嫌を悪くする者もいるが、だからといって祝われて嬉しくないわけではないと思う。

 え? 俺? ばっかお前、俺はほらその、あれだよ。

 ……俺のこととかどうでもいいんだよ。俺はほら、アレだから。おう、アレだ。……そもそも祝われる側じゃねぇんだよ、察しろ。大体、6月の現在に8月のことを考えたってしゃーないだろ。

 だからつまりそのー……なに? とりあえずアレな。

 アレだよアレ。

 ……アレってなんだよ。

 

   ×   ×   ×

 

 6月18日…………結衣の誕生日。

 当然ぬるま湯は閉店休業。

 土日ってものは飲食店にとって稼ぎ時とはいうが……知らん、結衣最優先だ。

 

「………」

 

 寝室のベッドにて覚醒。現在、早朝もいいところ。

 日付が変わる前から結衣を抱き、そのまま寝たもんだから、腕の中に結衣が納まっている。

 さらりと髪を撫でると、「んんぅ……」と小さく声を漏らして震える。やだ可愛い。

 

「………」

 

 ちなみに。“抱きしめたまま寝る”、というのはつまりそういう意味でございまして。

 腕の中の結衣は着衣をなにも身に着けておらず、肌に手を滑らせれば、さらりとした感触が掌に伝わってくる。

 朝から元気な八幡の八幡は、例に漏れずと言っていいのか納まったままであり、身じろぎすれば脳が痺れる甘い刺激を俺に与えた。

 ……えーと。

 男でゴメンナサイ。

 

 

<ン、ンン…? ア、ヒッキ…ンヤッ!? ア、アゥッ、ヤッ、ヤゥウーーーッ!!

 

 

 

……。

 

 ……えー、はい。

 朝っぱらからいたしてしまい、二人で風呂に入り、出てきてからはのんびりと準備。さすがに今日は体力作りのジョギングはやめておくことにした。

 休みに定められた日はそれぞれ、従業員には“のんびり起床”が定められている。……まあその、結衣の誕生日は特に。ええとほら、日付が変わった途端、俺が一番に祝って、今日みたいなことになるから。なので、結構やかましくしても問題なかったりする。

 ……それ以前にだ。建てる際に、はるね───げふんっ、雪ノ下さんが妙な気を利かせたために、寝室は防音仕様だったりするわけだが。

 なにを思ってそうしたのかは、たぶん訊かないほうが身のためなのだろう。うん、八幡、口にチャックする。……きょうび、お口にチャックとか聞かねぇな。

 

「………」

「………」

 

 で、奉仕部とは別の休憩室。詳しく言えば絆と美鳩が成長してきてから改良を加えたこの部屋は、奉仕部が思った以上に休憩室とは呼べなかったため、ならばと使っていなかった部屋をくつろぎ空間に仕上げた場所だったりする。まったりするのは主に俺と結衣だけだが。

 大きなソファがあるのはこの部屋だけであり、そのソファにあぐらを掻いて座り、結衣にはその上にちょこんと座ってもらって、それを後ろから抱きしめている俺。

 実に、今日という日には見慣れた光景であったりする。

 くるりと振り向けばキスをして、もぞもぞと動けば甘やかし、服を引っ張られればじゃれ合い、何を言い合うでもなく溶け合うように、ただひたすらに互いが互いに甘えまくっていた。これもよく見る光景である。

 普段からでも二人きりの時は甘えられるし甘えることもあるが、誕生日は特に遠慮が無い。

 それもみんなが起きてくるまでだから、今の時間は余計にべったりだ。

 

「ヒッキー、ひっきぃ……えへへ、ひっき~……えへへぇ……♪」

 

 ぽふ、と俺の胸にかかる重みが嬉しい。

 しかしまだ髪を乾かしていないので、じゃれつきながらもタオルで拭っている途中だったりする。

 やさしく拭っていると、「んんぅ……」と目を細めて頭を押し付けてくる。やめなさい猫じゃないんだから。……なんて思いつつ、別のところじゃ嬉しがっている自分が居るんだから、自分の心ってつくづく自分でもコントロールしきれない。

 これを“男ってやつは”とかで片づけるのも簡単なんだが……ああほらその、なに? 結衣のことに関しては男ってカテゴリで片づけたくないっつーか。

 ……こんな顔見せてくれるの、俺にだけなんだよ。“男”で分けるの、嫌だろ。

 だからこれでいい。“俺ってやつは”。

 結衣に対してだけこんなに弱いんだから、俺、でいいのだ。うん、いいな。

 

「ほれ、動くなって」

「えへへぇ~……♪」

 

 にこーと笑い、動きは止めるけど微妙に動く。

 言う通りにするけど、もっと構って欲しいらしい。構ってるから髪の毛を拭いているのですが?

 

「髪の毛、伸びたよなー」

「ん……短い方が好き?」

「結衣が好き」

「ぁぅ……」

 

 恥ずかしいことにも多少慣れた。多少。

 結衣が喜んでくれるなら、って意味での我慢に近いが、おそらく俺の顔は赤いだろう。ちくしょういいんだよ、もう俺はこいつをとことん幸せにするために動くって決めてるんだから。

 ガキの頃は自分の羞恥が勝って出来なかったことがたくさんあった。

 あの時ああしていればを思い出せばキリがない。

 それでも誕生日の時だけは、そんな自分を無理矢理殺して全力で祝ったし甘えさせたのだ。

 笑顔が見たいって思ったら、結構頑張れるものである。これはおそらく男なら共通。好きな女性の笑顔がみたい。なら頑張れる。これである。……真面目に思い返すと恥ずかしいから口には出さない。絶対にだ。

 甘い言葉で女を口説き落とすキザな男とかってどんな神経してんだろうね。八幡ちょっと解らない。いや全然解らない。

 まあそれはそれとして。

 

「《ファゴォー……》ん~……♪」

 

 ソファに座らせた結衣の髪を、ドライヤーで乾かしてゆく。

 初めてお願いされた時はとても困惑したものだ。

 小町に“おにーちゃんおねがーい”、なんて言われるのとはレベルが違った。

 なにせ大切な彼女の髪である。そりゃもう気を使ったし調べ事が捗りまくりだ。

 若かったなぁ……あの頃。

 そんな坊や八幡くんも、今ではこんなに器用にこなせるようになりました。

 熱風で乾かして~……冷風にしてキューティクルを~……髪の温度が気温に馴染んだら~……ほい、くしくしくし~……っと。

 

「……ん、よし」

 

 綺麗なお団子が完成した。誕生日の時だけの限定である。

 髪の毛の手入れが終わるとすぐにその姿をソファ越しに抱き締めて、振り向かせながらキスをした。

 ……ああ、俺も大概ね。誕生日の日はこいつを甘やかしていいんだって自然に想えてるから、“不必要に”はなくても傍に居たくなってしまう。

 

「………」

「《さら……》ヒッキー……えへへ、くすぐったいぃ……♪」

 

 髪を撫でながら、“近くっていいな”……って。

 誰かの傍に───油断出来る人の傍に居られるのっていいなって。そう思う。

 信頼ぜずに距離ばかりを取って、ぼっちを気取っていた日々が、時々ひどく……懐かしい。

 戻りたいかって言われたら、記憶を今のそのままに、戻りたいとは思う。

 戻って、好き同士で最初から始めて、泣かせたり素直になれなかった場面の思い出の悉くを、笑顔で上書きしてやりたい。

 そんなことが出来たらな、なんて……きっと別の涙がこぼれてしまう機会に怯える余地を全く考えることもなく、傍に居たい人を抱き締めて、笑った。

 腐った目を気にしなくなったのはいつだっただろう。

 いつしか鏡の中の自分を見て溜め息を吐くこともなくなった。

 笑顔の副交感神経だけは今も毎日。鏡の前でにっこり笑って、笑顔分を補給。

 振り返ってみて、そんな過程に感謝したくなる時って、他の誰かにはあるのだろうか。

 俺は……───俺は。

 

(………)

 

 彼女が大泣きした、家族を失ったいつかを思い出した。

 足元を元気に駆けていた、あの賑やかさはもう二度と戻らない。

 もう悲しむまい、とは言えないけれど───ありがとうはいつも胸に。

 そだな。過程にもそりゃあ感謝する。

 けど、中でも、出会えた人や動物たちに感謝することの方が多い。

 それらの全てを過程として受け取るなら、そりゃあ全部に感謝だが……小学中学には素直に感謝出来ないのは勘弁な。

 ぼっちじゃなければ総武を目指すこともなかったんだろうけど、それでも素直には感謝出来ない。人間ですもの。いや、こここそは“俺だから”か。ぼっちだったのは俺だけだし。

 

「……人に信頼されるって、嬉しいことだよな」

「え? ど───…………ううん、なんでもない。……そだね。嬉しいし、すごいことだ」

 

 急な俺の言葉に、結衣は問いを投げようとして、やめた。

 代わりにそれがどういった意味なのかを考えた上で、返してくれる。

 当たり前のことだが、傍に居るようになってから今日までで、随分とお互いを知ることが出来た。

 “言わないでも解ること”が増えるたび、普通ならきっと言葉は減ってゆく。

 けれど俺達は、あえて口にすることで得るものがあることも知った。

 信頼関係としてはとても高い位置にあるのだとしても、結局は話せるなら話したほうがいいのだ。

 その人との会話が、嫌いじゃない限りは。

 

(……考え事って、一度始まると長いよな)

 

 心の中で呟いて、思考を現在に持ってくる。

 こういうのは切り替えが大事だ。よし、くだらない質問でもして切り替えよう。

 

「たまに思うことがあるんだが」

「? うん」

「朝、起きてからの行動に正解とかないよな? あー……起きてからの行動ってのはアレな、顔を洗うとか歯を磨くとか」

「すっごくどうでもよさそうなこと考えてたんだね……あたし、かなりドキドキしてたのに」

「ば、ばっかお前、こういう時は───」

「えへへ、うん、ごめん、ちょっと意地悪した。……そだねー、正解とかはないと思うよ? 起きたらすぐにうがいくらいはしたいかなーって思うし、歯を磨きたいなって思う時もあるし。その、ト、トイレ……は、すぐだけど。うがいも歯磨きもしないでご飯はしたくないかな」

「同棲時代にゃいろいろあったな……」

「一日目からそれでぶつかったもんね」

 

 言いながら、結衣がぽすぽすとソファの隣を叩く。

 誘われるままに回り込んで座ると、遠慮することもなく抱き着いてくる結衣を、俺もぎゅうっと迎え入れた。

 すっぽりと腕の中に納まる存在に心が安らぐ。そうすることが自分にとっての当然だと言わんばかりだ。なんつーか、むしろこう、腕の中に収めておきたいといいますか。

 しばらく抱き合ったあとは見つめ合い、頬を擦り合わせ、互いの肩に顎を乗せるように密着して抱き合い、距離を埋める。

 背中を撫で、強く抱き締め、抱き締められ、心が温かくなるのを感じると、少し離れ、見つめ合い、キスをする。

 いつまで恋人みたいなことをなんて言われようが、こういう行動に正解なんてないのだ。お互いが好きなままで、こうしたいからする。究極的に、落着なんてものはそこに置いておく。

 

「ん、ぷあっ……」

 

 お互いの口の周りを舐め、唾液の橋が出来ないように吸い、離れると、とろんとした幸福笑顔。

 頬を撫でると目を閉じて身を預けてきて、よりいとおしくなってキスをする。

 頬を撫でる手に結衣の手が添えられ、少しずつ腕を上ってくると、やがて胸に手を添えられ、つ……と静かに体重をかけられて、ソファに沈む。

 天井を正面に捉えた景色をすぐに結衣が埋めて、飽きることなくキスをする。

 体は密着したままで、ちゅ、ちゅ、とついばむようなキス。

 それを、頭と背中に手を回すことで迎え入れて、結衣も自分も満足するまで、何度も何度もキスを堪能した。

 ……ちなみに。

 休憩室には鍵もかけられるため、現在はきっちりとかけてあったりする。

 このまま溶け合うことも当然出来るが、そういうのは我慢して夜に、が誕生日の決め事で秘め事だ。

 なのでいつも、繋がりたくても我慢して……まあその、夜は遠慮することなく。

 その衝動を、欲求を、自分達で勝手に盛り上げてしまった興奮も愛情も、全てを我慢するためにぎゅうううううっと抱き締め合い、飲み込む。

 

「うぅうう……ひっきぃ、ひっきぃいい……!」

 

 切なそうな声を聞くとヤバくなるが、そこは心を鬼にして。

 いやね? 結衣さん? 俺だって相当我慢してるのよ?

 いちゃいちゃするだけなら耐えられる。

 でも今日とか俺の誕生日とか、それどころか明日の父の日だって、俺達はこうしてくっつくわけだ。

 他に俺達を祝いたい人が居ないなら、日がな一日繋がっていられもするだろう。

 しかしぬるま湯の連中はもちろん、結衣にも俺にも祝おうと立ち寄ってくれる人が居る。

 なので誕生日は耐えるしかない。

 “あのー、雪ノ下先輩? 休憩室の鍵、かかってます”“そう。近寄らないほうがいいわね”“ですねー”とか気を使わせるのもあれだろう。

 むしろここじゃ音が漏れるから、たとえば早朝からタイキックが遊びにきていたとしたら?

 “ゆ、由比ヶ浜先輩って可愛い声出すんすね!”とかヤツに言われたら、俺はヤツを殺……記憶が無くなるまで殴りつける自信がある。

 だから、声が聞こえる場所では絶対にNO。こいつのそういう声を聞くのは自分だけでいい。独占欲すごいですね。それほどでもある。

 

  ……ただ、こう。

 

 スイッチが切り替わっちゃったあとだと、正直辛いです。

 

「~~……」

「~~……ひっきぃ……、ひっきぃいい……うぅうぅ~……ひっきぃ~……!!」

 

 夢中になってキスをしすぎた。

 お互いが欲しくて仕方がなくなって、しかしそれを二人で我慢。

 せめてとぎゅうううっと抱き締めるのに、抱き締めるから余計に我慢が出来なくなってくる。

 そんな時は自分の中の狼さんを、相手にやさしくすることで宥めて、ひっこんでもらう。

 もしくはくだらないことを想像して落ち着く、とか。

 その中でも自分がとった行動は、俺に覆いかぶさるように密着し、ぎゅーって抱き締めてくる結衣の背中を、やさしくぽんぽんと叩くことだった。

 

「………」

「………」

 

 きゅう、と声が漏れる。

 もう一度やさしく叩き、やさしく撫でて、頭も撫でる。

 三大欲求ってすごいね、とくだらないことを考えて自分の欲望を押さえつけ、結衣にはあくまでやさしく。

 しばらくすると結衣が俺の頬を舐めてきて、くすぐったさに笑いながら、そのまま撫でた。

 

「~~……ひっきぃ」

「……おう」

「…………よ……夜……だかんね?」

「……おう。むしろその……俺がお願いする」

「うん……えへへぇ…………ひっきー……♪」

 

 ほにゃりと、本当に嬉しそうな顔をする。

 しかしうずいた体というのはなかなかどうして、そう簡単に切り替わってくれるものでもなく。

 自然に落ち着いてくれるまで、そうしてずーっと抱き合っていた。

 ……今キスするとやばいので、キスは無しで。

 

……。

 

 早朝のまったり抱擁時間が過ぎると、お次は朝食。

 まったり室を出ると奉仕部のキッチンへ向かい、二人並んで朝食の準備。

 メニューを決め合って、和やかに食材を切って、サラダを作ったりスープを作ったり。

 

「ヒッキー」

「ん、おう」

 

 味見は自分ではなくお互いに。

 混ぜて作ったドレッシングがいい味出したら食べさせ合って、にこーと笑ってまた準備。

 この光景を見た様々な人は言う。“いつまで新婚ですか”と。

 ちなみにこんなものは同棲時代からやっていたため、俺と結衣の中の認識ではそのままの状態だ。新婚すら生ぬるい。

 

「んまいな」

「やたっ、えへへぇ~♪」

 

 ただ本日は、あんなことがあったためか、お互いの距離がめっちゃ近い。くっついてる。ほぼくっついてる。密着してる。やりづらいのに。でも嫌じゃない。けっして嫌じゃないぞ。

 

「ひっきー」

「お……おう」

 

 果物をサラダに混ぜるのはぬるま湯の朝食ではよくあることで、そのフルーツを棒状に切って、端っこを銜えてポッキーゲームのようにする。キッチンでなにしとんのじゃとツッコむ人も今は居ない。

 なので思う存分いちゃいちゃして、フルーツの味とキスの味を堪能した。

 え? 途中で折る気? なにそれ八幡知らない。折れてもそのままキスするまである。

 そうこうして用意しつつもいちゃいちゃしていると、我慢できなくなってお互いを抱き締めての接吻乱舞。

 フルーツの甘さが残る口内を互いの舌が撫でてゆき、足りない、足りないとばかりに唇を密着させては、可能な限り舌の密着部分を増やし、なぞり合った。

 フルーツの甘さが消えると、名残惜しくもお互いに離れて、赤くなった顔のままにお互いを見つめる。

 ちらり、と皿に盛られたサラダ……その彩の一部であるフルーツに目が行ってしまうのは、どうしようもないことでございます。

 

「……ひっきぃ?」

「あー…………だめ」

 

 それを口に含めばもう一度、と思わずにはいられないのは俺も同じ。

 しかしここは耐えよう。キリがない。いや、したいけど。めっちゃしたいけど。

 上目遣いで服をきゅーっと抓んで引っ張る結衣を、そのまま抱き締めてキッチンへと向かせる。

 二人羽織の要領で準備を進めていくと、結衣は嬉しそうに微笑んだ。

 

「パンはいろはちゃんとゆきのんがやってくれてるよね」

「まあ、誕生日は毎度そうだしな」

 

 例外を抜かせば、と付け足して、料理を進める。

 まあ、難しいことはしない。簡単で、美味しい。そんなシンプルなものでいいのだ。

 料理は愛情なんて言葉があるが、あれは“愛情を込めれば料理がおいしくなるよ!”ではなく、愛情があれば手抜きもしないし研究もするだろって話だ。

 つまり料理は愛で美味くなるのではなく、努力で美味くなるのだ。そらそうだ。

 しかしながら言わせてもらうなら、その努力の源が愛から来ているなら、確かに料理は愛情なわけだ。

 順番さえ間違えなければ、いい具合にそれぞれの言葉が支え合ってるんじゃないですかね。

 愛情! 努力! 美味しい! ……なんか麗しいじゃないの。よく知らんけども。最後の語呂が良かったらジャンプ三大原則っぽくなるじゃない。

 愛情! 努力! 勝利! ……愛情込めて努力して、俺を昏倒させる同棲時代の結衣の姿が真っ先に思い浮かんだ。ある意味KOで勝利じゃねぇかよ。

 

「ユ、ユイダイスキ」

「え……も、もう、どしたのヒッキー……《てれてれ……》」

(………)

「《ぎゅー》ひゃぅ……」

 

 照れてぽしょぽしょ喋る姿が可愛かったので、そのまま抱き締めた。

 二人羽織のような格好のまま顎に手を回して、そっと向きを変えさせると、その口にキスを。

 だだ大丈夫、本番はしないよ? 八幡うそつかない。割とつくけど結衣相手にはマジです。いやほんと。

 ああ、でも毎年朝はくっつき放題だからこう、脳がとろけるというか。いっそ今日はずうっと二人きりでもいいかなーとかそんなことを思ってしまう。

 けれどそれは他の皆さまが許さないので却下。あいつら祝うの大好きだから。まあ? べつに? 俺もそのー……ほら。結衣限定だったら? 間違い無く? 頷ける? わけだが?

 鬱陶しいな俺の考え方。

 ……結衣だけとかいっても、雪ノ下のも一色のも、娘たちのもきっちり祝っている俺なわけだが。

 

……。

 

 料理が出来れば、あとは長机に並べるのみ。

 いつ見ても教室で食べているような感覚だ。学校の部室に立派なキッチンなんざあるわけないが。料理研究部とかは別な?

 

「えへー……♪ “朝に一緒に料理とか、夫婦みたいだよねー?”」

「また懐かしいことを……“んじゃあ俺と小町とか超夫婦な。勘を取り戻すために超料理したからな”」

「“……妹じゃなかったら、小町ちゃんのがよかった?”」

「“あほ。妹じゃなかったら小町が俺の傍になんぞ居るわけねーだろが。言っとくがお前アレだぞ、小町は天使だから、野郎どもに囲まれて動けなくなるまであるから、俺のところになんぞ来ねぇよ”」

「“そっかな。あたしはそのー……行くよ? うん、超行くし”」

「………《かぁあ……!》」

「………あははっ、ヒッキー、あの時と同じ反応だっ」

 

 結衣がおかしそうに笑う。相変わらず可愛い。

 あの頃と違うのは、同棲じゃなくて結婚後ってことと、笑顔に別の……あの頃とは違った幸せが混ざっているような気がするところ、だろうか。

 今と同じことを言われて、真っ赤になってしまったあの頃のことは今でも思い出せる。随分とまあ懐かしい。

 そんな、真っ赤な俺の左隣にそっと寄り添って見上げてくる結衣。

 見上げられ見下ろし、「ね、ヒッキー……」と見蕩れるほどの柔らかい笑みで促されると、服をちょんと抓んだ手に自分の左手を重ねて、右手は結衣の左頬をやさしく撫で……そして。

 合図を口にするでもなく顔を近づけ、静かにキスをした。

 情熱的なものではなく、挨拶のような気軽さでもない。

 ただ、今もあなたを愛していますと伝えるように、お互いが“興奮”ではなく“幸福”を分け与えるように。

 

「………」

「………」

 

 ちゅる、と唇が離れると、暖かな溜め息と一緒にお互いを抱き締める。きつくではなくやさしく。

 背中を撫でられるとくすぐったい。お返しとばかりに撫でると、楽しそうに肩を震わせ、ぎゅーっと抱き締めてくる。

 こんないちゃいちゃを学生時代から続けていて、よくもまあ飽きないものだといつか小町に言われたことがある。

 飽きる、とはひどいもんだ。それ言ったら、小町との兄妹生活だって飽きたことはなかったぞと言ってやったら笑われたな。笑われた上で、“ありがとね、お兄ちゃん”とか言われた。

 高校3年の誕生日に婚約してからは、それはもういちゃついたもんだ。なにせ親公認だったし。……実際はその前から十分いちゃついていたが。しゃーないでしょ、自分のことをあんなに真っ直ぐ好きでいてくれる女子を前に、なにをどう自重しろっての。

 しかし相変わらず自分からは進めない自分だったため、結衣には本当に苦労をかけた。

 その分同棲生活ではもうめっちゃ頑張った。……つもりである。常に思っていた、こんな俺じゃあいつかは捨てられるんじゃ、なんて思いを“好かれる努力”をして吹っ切っていった。

 だってね、もうね、この娘ったら本当に尽くしてくれるんですもの。それこそおはようからおやすみまで。応えたくなるじゃないの、男としても人としても恋人としても婚約者としても。

 だから頑張ったね。頑張るとか嫌いだったくせに頑張った。超頑張った。高二病は終わりだと自分に言い聞かせて、素直になる努力から始めたよ。投げ出さなかったあの頃の俺、まじグッジョブ。

 

「………」

 

 まあそのー……おかげで、こんだけ結衣ラブになっちゃったわけですが……それこそしゃーないでしょ。愛してもらおうとすればするほど愛してくれるし、喜びを返してみれば“じゃああたしも”とばかりに喜びをくれる。

 途中から悟ったのだよ、この八幡は。ああ無理、こいつにゃ勝てん、と。

 悟ってからは早かった。こいつのために、なにかをしてやりたくて仕方が無くなった。本当の意味で必死になった。

 くだらない捻くれのために泣かせてしまった分以上を、とにかく喜びや幸福で返してやりたかった。

 で、現在はといえば……未だに負けっぱなしである。

 尽くしても尽くしても返し切れている気が全然しない。どころか愛されまくってて愛しまくり返して、もう好きすぎてやばいまである。

 

「……~……結衣ー……」

「《ぎゅー……!》んん……うん、ひっきー……」

 

 相手に尽くします合戦で負けていて、男として悔しいとかは全然ない。

 男がどうとか女がどうとかそういうことではなく、ひたすらに幸せだからだ。

 その延長でこんなにも毎日、相手のことが好きでいられている今に感謝だ。

 

「………」

「………」

 

 少し離れて、額同士をくっつけて、深呼吸。

 ああ好きだ───じゃなくて。いや好きだけど。

 咄嗟に出てくるのが好きだってくらい好きで好きで。

 もし結衣が俺の心の中を覗けたらどうなるんだか。

 逆を考えると想いの大きさに幸せ失神とかしちゃうんじゃないかしら、とか思ったりもするが、思っているよりも想われてなかったらどうしよう、なんて……まあ、冗談だ。困ったことにそっちに関して全然心配していない。

 むしろこれまで心配していたのは、知り合いの結婚式だとかそういった方面での集まりで、結衣を狙った害虫が現れやしないかだの、そっち方面ばかりだった。

 ちなみに実際そういった催しに結衣が呼ばれた時のお言葉。

 

  お酒は飲まなくて良くて、送迎に夫をつけていいなら行きたいっ! あ、二次会とか参加できないけど……いい?

 

 かつて、言い寄ってきた男子に対してのスルースキルが素晴らしかった結衣さんですが、その受け流しはそれはもう素晴らしいものでした。

 ……実際には言い寄ってきた男は居たらしい。新郎の兄だったらしいが、愛も変わらずのスルースキルでばっさり。

 夫が居ることも伝えたのに“オレトシンジツノアイヲー!”とか仰っていたそうで。……のちに、はるねぇ……もとい雪ノ下さんが調べたらしいけど、その兄、結衣の中学時代の同級生だったとか。その頃から結衣を見ていて、再会できたのは運命だーとばかりに言い寄ってみれば夫が居たと。

 あ、ちなみに結衣が知り合いだったのは新婦のほうな。って、誰に言ってんだか。

 

  えとー……お酒とか、怖いじゃん? あたしはさ、ほら……ぜんごふかく? になるのはさ、その……好きな人の前だけでいたいし……さ。……ね?

 

 そんなこと、指こねこねしながら上目遣いで言われてみなさいよ、抱き締めたくなるでしょうが。また尽くし大会で負けたーとか、競ってるわけでもないのに思っちゃうでしょうが。

 だから、いいのだ。“好き”に優劣なんぞつけず、ありのまま愛していこうって本気で思った。負けるのは俺の役目で、俺は負けっぱなしでいい。負けに関して俺の右に出る者なし我こそ最敗。

 それにしても思い出すだけでも好きが溢れるこの奥さんたらどうしてくれましょう。好きです大好きです。俺の奥さん超可愛い。

 

「ん……」

「あ……えへへ……ん……♪」

 

 俺から求めれば、ほにゃりと緩む表情が好きだ。

 頭を撫でられると、髪が乱れると言いながらも抱き着いてくる姿が好きだ。

 俺って人間の傍にこれだけ居て、呆れる部分から溜め息を吐くような情けない部分まで全部知って、それでもなお好きと言って傍に居てくれる彼女を……愛している。

 ああ、だめだな、ほんとだめだ。

 誰かの傍に居ることにここまで幸福を感じるなんて。

 

「結衣……」

「ひっきぃ……」

 

 キスをする。

 抱き締め合う。

 髪を撫で、頬を撫で、背を撫で、またキスをして、俯いて額をくっつけて小さく笑ってまた抱き合って。

 やがて───

 

「いい加減にしてください! いつまでやってんですかー!」

 

 顔を真っ赤にした一色に、怒られた。

 

「ふえぇっ!? い、いろはちゃんっ!?」

「いろはちゃん!? じゃないですよ! すぐに終わるかと思えばもー30分もらぶらぶちゅっちゅって! そういうのは夜の内に終わらせといてくださいって毎年言ってるじゃないですかー!」

 

 すぐ後ろに顔を赤くして俯いている雪ノ下も居ることから、よっぽど待っていたんだろう。

 ああその……なに? 毎年すんません。

 しかし後悔はない。今までの人生に、これから起こる事柄に、俺は後悔はないのだ。

 後悔は無くても、迷惑は考えような。うん。

 

   ×   ×   ×

 

 朝食は静かに始まった。まあ、始まりは。

 ペラリと本日の予定を書いた紙を見せたあたりから、あっさりと静けさは吹き飛んだ。

 

「というわけで本日のプランを俺なりに纏めてみたんだが」

「うっわなんですかこれ休憩時間一分たりともないじゃないですかアホなんですかハチ兄さん」

「おいちょっと? この義妹ったら一息で辛辣すぎるよ? 誰に似たのちょっと」

 

 やめてと言っても凝りもせずハチ兄呼ばわりの一色。

 悔しいので義妹と呼んでみてもこたえた様相一切なし。

 俺にイモウト呼ばわりとか、小町でもたまに嫌がったくらいなのに。

 

「すごいよパパ! まるで剛田猛男のデートプランだね!」

「砂川くんが居ないだけでここまで遠慮のないものになるなんて……さすがパパ、愛がすごい。その家族愛、とてもジャスティス」

「いやいや、きーちゃんみーちゃん? これ物理的に不可能だからね? こんなん実際にやったら結衣先輩、疲れ果てて倒れちゃうから」

「え? 大丈夫だよいろはちゃん。あたしこう見えても意外と体力あるし。今でもヒッキーと体力作り、続けてるからねー♪」

 

 にこーと笑ってガッツポーズのようなものを取る。

 対する一色は、別の運動もお盛んのようですけどねーと小さくぽしょった。

 

「へゃぅっ!? いいいいろはちゃん!? 聞いてたの!?」

「ちょっ、リアルな反応とかやめてくださいよほんとにしてたんですかなに考えてんです馬鹿兄貴!」

「いや馬鹿兄貴ってお前……! あ、あー……結衣? あのな? あの部屋防音だから……な?」

「えっ、あ、あぅうぅ……!!《ぷしゅう……!》」

「……お願いだから、食事中にそういう生々しい話はやめてちょうだい……」

 

 しゃく、とサラダを食べた雪ノ下は真っ赤なままである。

 そこのトマトとか色が似てていいんじゃないでしょうか。よかったら俺のも……ああいやいや、結衣が用意してくれたものはなんであれ食べる。これは義務ではありません…………“誇り”なのデス……。

 でもトマトが苦手って時点で、モッツァレラチーズとトマトのサラダは食べられないのが残念だ。トニオの料理に憧れない人間なんて居ないんじゃあないかな。

 

「ともかくだ。誕生日を祝うって話だが」

「随分ぶっちゃけましたねハチ兄さん……結衣先輩が隣に居るのにそれって、会議した意味あったんですか?」

「おう。本人に一緒に計画立てて遊んでみたいって言われた。俺にはそれを全力で叶える意志がある。義務で動くんじゃあない、俺がそうしてやりたいと心から願い、行動する。これは俺の意志だ。幸せにしたいと心から願ったのならな、一色…………」

「過程や!」

「方法など……!」

『どうでもよいのだァーーーーッ!!《バァーーーーン!!》』

 

 親娘揃ってアホである。だがそれがいい。しょうがないでしょ、ヘンに気取ったり悟ったりしてるより、今を全力で楽しまなきゃ損だって気づいちゃったんだから。

 基準にあるのは“結衣が好き”。行動理念は“結衣を幸せに”。

 そんなことを基準にずーっと大切なものを育んでくりゃあ、捻くれ者でもこうなるわ。

 

「というわけで今年度の結衣の誕生祭におけるスペシャルゲスト、比企谷結衣だ。彼女に訊けばやりたいことしたいこと、理解し放題。そしてなにを頼まれてもやり遂げる覚悟が俺にはとっくに出来ている」

「ハチ兄さんちょっと本気でキモいです」

「おい、ちょっとなのか本気なのかどっちかにしろよ」

「キモいです」

「選択肢増やすなよ……」

「気持ち悪いわね」

「正しく言われた方が傷つくからやめろ」

 

 いいじゃないの、実際どんなことだってしてやりたいんだから。

 誕生日なんてお前アレだよ? 年に一回しかないんだよ? 心から祝ってやりたいじゃないの。学生時代とかカラオケ行って騒ぐくらいしかしてやれなかったんだから。

 おまけにその、なんだ。俺が素直になり切れてなかった所為で、純粋に楽しんでもらえてたかも怪しい。

 だからこうして大人の心を得たからには、全力で祝って全力で楽しんでもらうんじゃないの。

 

「というわけでだ。結衣、朝食終わったらどうしたい?」

「出掛けよう! 天気もいいし、まずは外! それでさヒッキー、ヒッキーのプラン、行きたいとことか片っ端から行こう!」

「よし外だな、任せとけ」

「うーわー……毎年ながら、あの出無精だった先輩があっさりと……」

「本当に、人とは変わるものね。変わらないことがどうのと口走っていた頃が懐かしいわね、虚言谷くん?」

「あれは忘れろ……高二病も中二病も、思い出せば黒歴史にしかならねぇんだから……っつーか、あれ? 今日城廻先輩は?」

「あー……結衣先輩に話しちゃったんならもう関係ないですね。はるさん先輩と誕生日のための準備をするとかで、早くに出かけましたよ」

 

 さくり、と出来立てパンを齧って、「おいしい、さすがわたしです」とか言ってる一色。

 

「《グググ……》おそらく……ですが……パパ。絆はこう思うのです。………………人として産まれて、パンの味を知り。“嫌いではない子供”っていうのは……絶対に出来立てのクロワッサンに憧れるもんなんじゃあないかなぁ~……ってさァ~~~っ……」

「いきなり物々しくおそらくですがとか言っておいて、なんでパンの話なんだよ。解るけど。出来立てクロワッサンに憧れる気持ち、解るけど」

「あっ、それあたしもだったなー。子供の頃とか通学路の途中にパン屋さんとかあると、友達と一緒に足止めたよねーっ」

「車で通学していたわね」

「わたしのところじゃパン屋さんはありませんでしたねー……」

「あぅ……ヒ、ヒッキー? ヒッキーは? あるよね?」

 

 ちょっと? やめて? そこで捨てられた子犬みたいな目で俺を見るとか。

 これ、俺が“ある”って言わないと問答無用で空気が悪くなるパターンじゃねぇかよ。

 言っとくけどお前アレだよ? 俺こう見えても結衣には嘘はつかないって決めてるのよ? あるとかそんな嘘、言えるわけないじゃないの。

 

「あったとして、買って食って~とか、そういうのはなかったな。ああけど、ガッコの給食でクロワッサンを初めて食った時は素直に美味いって感じたな」

「だよねだよねっ!」

「けど料理として出て来たものは“そういうものだ”って印象が強いもんだろ? 俺にしてみりゃ給食で出て来たものはその時点で出来立てだったわけだよ。だから焼きたてのパンとか、そういうのを食べてみたい、とかはなかったな」

「あ、それはありますよね。逆にバターとかた~っぷり塗って焼いた食パンとかに一度はハマったり~とか」

「はい挙手! 焼いてから塗るか、塗ってから焼くかでも分かれますよねアレ! 絆的には塗って焼いてさらに塗るという荒業を推したい!」

「絆はいつか太るタイプ……ちなみに美鳩は焼いてから塗る派。焼けたパンの熱でとろけたバター、静かに染み込むそれをカシュリと食べるのがとても好き。ジャスティスうっとり……!」

 

 正義のうっとりらしい。

 まあうっとりは置いておくとしてだ。

 

「結衣自身、どこか行ってみたい場所とかあるか? ランドにシー、パセラにショッピング。時間の許す限り、どこでもいいぞ」

「ううん、大げさなのとかはいいんだ。とりあえず外に出てさ、みんなで一緒にいろんなところ行ってさ? 最後にここにただいまーって戻ってこれたら、それだけでいいんだ」

「お、おう」

 

 少し安堵。

 よかった、予定は崩れない。

 あとは結衣が食べたり飲んだりでぐったり状態にならないように調整していけばいい。

 ……まずどこに向かうかさえ知らないけどね。俺ほんと、こういう時の情報って小町が居ないとなんもないね。

 そうして、安堵と微妙な情けなさを振り返りつつ、静かに始まったくせに、始まったあとはやかましかった朝食の時間は過ぎていった。

 



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慣れ親しんだ笑顔が集まる日②

 朝食が済むと、まったりタイム。

 何も一日中遊んでいようって気は毎年無く、楽しく、それでいてきちんと休日であればいいのだ。

 祝われた上でずーっと縛られたままっていうのもつまらんだろうし。

 え? 俺? ……望むまま望まれるまま、ずっと傍におりますが?

 

「よし。じゃあ始めるか」

「うん」

 

 少しのまったりタイムを挟むと、軽く運動。

 太らないための大事なことである。

 数時間後には出掛けるんだから、汗だくになるまで運動してもしょうがない。

 なので軽い柔軟運動から、激しくない程度の運動。胃や腸を刺激してやり、消化活動を活発にしてやる程度。

 それが済むと、お互い笑い合ってまたべったりくっついている。

 その間もどこどこにいくーと話し合うわけだが、大体は思いついたら片っ端から、に近い。計画したって上手くいかんのだ。だって従業員の意見がなかなか一致しないんだもの。

 これが男同士なら、“あそこいく?”“おっしゃ行くべ”で即決なのだが、女性というものは行きたい場所が多いらしく───……とは言わない。

 むしろいっぱい悩んでくれ。俺も出来る限り提案しよう。

 あ、とりあえずカラオケは絶対らしい。食事はしない方向で、だからパセラは無しだ。

 

「窓を買いに来た───恐れることはない! なぜって? わたしが来た! わはははは! 冷やかしだけどね!」

「ウィンドウショッピングは楽でいい。でも窓を買いに来た、という言い方はちょっと違う」

「そこはノリと勢いだよ美鳩!」

Va bene.(わかった)……んん。今日が天気でよかった。天気の神様、グッドなジョブ」

「あ、美鳩ー、暑くなるかもだから水分補給飲料とか任せていい? わたしは塩分タブレットとか携帯しとくから」

「Ho capito.お安い御用」

 

 そんなわけで、様々な店が開く頃には出発。

 現在は毎年味わうことになる“女の中に男が一人”を味わっているわけだ。

 毎年どころか毎日か、これは。寝ても覚めてもってやつだが、ハーレムとは違うから……か、勘違いしないでよねっ!? ……誰がするんだろうな。

 

「あの頃から比べると、選ぶ服も落ち着いたやつになったよねー」

「だな。無難で安いのを買い求めるようになった。後先考えるようになったとも言うな。学生の頃の、とりあえず金があれば何かを買おう、みたいな衝動は綺麗さっぱり無くなった」

「うぅ……お金溜めて友達と遊んで、ばっかだったなーあたし……。ヒッキーと付き合うようになってからは違ったけど」

「そうね。一時期、“婚約”という言葉に重きを置いて、貯金の鬼になっていたわね」

「ゆ、ゆきのん……あれは忘れさせて……」

「でも二人とも結構楽しそうだったじゃないですか」

「実際楽しかったぞ俺は。バイトも結衣のためって思ったら頑張れたし、その頃には小町にも、いつまでもシスコンやってないで、小町に向ける分の気持ちとか全部、結衣さんに向けてって言われてたし」

「あー……あれはすごかったですねー……」

「思い出すだけでも軽く引くほどだったもの」

「なんでだよ。いいだろべつに、一途に想うってのはアレだろ、恋人だろうと夫婦だろうと大事なことだろうが」

 

 高校三年、結衣の誕生日を迎えて、ママさんに招待された俺は、しっかりと婚約を受け入れて頑張ることを決意。

 その前から結衣のためっていう行動はしてきたんだが、婚約したのならと小町や戸塚等、大天使的存在としっかりと話し合った末、それらに向ける全ての感情を結衣に向けるという行動を開始。

 意識改革ってのは思った通りにはそうそういってくれないものだが、こればかりは俺の問題なので、まずは本能的な優先順位を変えることから開始。

 ……した筈だったんだが、苦労するまでもなくママさんやお義父さんが親父とおふくろと話し合い、俺と結衣が互いの両親の前で互いへの想いの丈をぶちまけ、布団で“あ゙ぁああああ!!”と叫んだあたりでとっくに覚悟は完了していた。

 同棲を始めてからは余計な。

 そんなわけでお互いのらぶいちゃが遠慮なく披露されるようになると、雪ノ下にも一色にも散々ツッコまれた。小町とタイキックはむしろ応援のみだったんだが。

 

「あっ、この服とかゆきのんに似合いそうっ」

「そ、そうかしら……」

「こっちとか美鳩に似合うんじゃねぇの?」

「て、店主……! 店主はおるか……! みみみ美鳩はこの服を……!」

「待たれよ美鳩! 美鳩に似合うならこの絆にも似合う筈! それはそうはさせん!」

「……毎年思うんですけど、ツッコむ方のこともたまには考えてくださいね……」

「ツッコミとかいいから楽しんどきゃいーだろ」

「だったらもうちょっと娘の暴走を抑えてくださいよー!」

 

 服一つで随分と燥げる。

 試着してみて、本当に気に入ったら買って、笑顔が可愛くて。

 買わなくても笑顔は見せてくれるんだけどね。かたちあるものをプレゼントしたくなる男どもの気持ち、八幡、今ならとーっても解るのよね。

 だからってくだらないもの残していても仕方ないので、その度に悩んでいるわけですが。

 どんなものをプレゼントしても喜んでくれるのは解ってるんだ。それはもう解ってる。熟知してる。八幡解ってるよ。しかしだ。俺もプレゼントする側だ。気持ちを受け取ってもらうよりも、きちんとプレゼントでも喜んでほしい。なにより結衣を笑顔にしたい。幸せにしたい。可愛い。いやここで可愛い関係ねぇよ。可愛いけど。

 

「………」

「………」

「……《にぎにぎ》」

「…………《にぎにぎ》えへー……♪」

 

 ただまあそのあれだよあれ。

 こうして軽い遠出をして、服とかを見つつ、手を繋いで腕を絡めてにぎにぎし合って歩くだけでも、俺はこうして幸福なわけでして。

 あ? 安っぽい? けっして安くない。だって俺にこんな良い妻が、ってだけでも奇跡だろ。もう何度この自問自答を繰り返したかは数えてないから知らんけど、いやほんとマジで、俺を好きになってくれてありがとう。

 ……感謝してばっかだな俺。悪いことだとは言わんけど。

 毎朝顔を見る度、毎夜目を閉ざす度、隣に居てくれる女性に感謝してる。

 感謝してるだけかって言ったら違っていて、思い切り口に出して感謝してる。

 だって言わなきゃ届かんし。“話せば解るは欺瞞だ”とかかつての自分は言ったが、日々の感謝はほら、あれだろ。伝えなければ欺瞞以前の問題だ。

 

  昼になると小町と川崎とタイキックが合流した。

 

 不思議なもので、一年に一回は必ずこうして集まる日があり、それがどうしてか結衣の誕生日だったりする。

 同窓会を企画したわけでもないのに、どうしてか高校時代にどちらかといえば俺と近かった連中というのは6月18日に予定が空いているらしい。

 

「お兄さん……小町さんに告白したらフラれたっす……」

「……おう。まあなんだ。さすがにもうアレだよな……」

「あれっすか……。俺ってこうまで脈なかったんすかね……」

「年齢気にする頃になりゃコロっと、ってのは理想論だろ。むしろ小町はそういうのはきちんと恋愛してからってのが強いと思うぞ? 好きなタイプが割とアレだが」

「あー……俺もお兄さんみたくなればモテたんすかね」

「ほら大志、馬鹿なこと言ってないでさっさと行くよ」

「あ、わ、解ってるって姉ちゃん! ……世の中、いっそ一夫多妻制にならねっすかね。そしたら姉ちゃんも……」

「葉山とか大変そうだよな」

「……俺、時々お兄さんは刺されてもいいんじゃないかって思うっすよ」

「刺される理由がねぇよ。なに、それって痴情のもつれとか? 俺に限ってそれはないだろ……今時俺ほど一途な男とか居ないよマジで。自分で言うのもなんだけど」

「一途すぎるのも問題だって言ってるんすよ……はぁ」

 

 なにを言っとるんだこの男は。

 ……それにしても、人が合流したってのに案外スムーズに足が進むもんだ。

 あれ見たいあそこ行こうと意見が割れることもない。

 かといって結衣に何処へ行くかを決めさせるでもないんだから、なんというか……“慣れだよなぁ”ってしみじみ。

 

「ね、ヒッキー。そろそろお昼だけど、どうする?」

「ん、そだな。例の如くサイゼは却下だろ? んじゃあ……」

「はい提督殿! 絆一等兵は何故だかむっしょぉおーーーにっ! 酢だこさん太郎が食べたいであります!」

「押忍……! 美鳩一等兵はハートチップルが食べたいであります……!」

「あ、じゃあ小町カライーカとか食べたーい!」

「いやなんでそこで菓子? 普通にどっか寄ってメシでいいだろ」

「だったらガッツリステーキが食いたいっす!」

「川崎、なにか提案ないか?」

「ん? サイゼ……は、ダメだとか言ったっけ。じゃあそこらのレストランでいいんじゃない?」

「あれ? お兄さん? あれ!? 無視っすか!? いいじゃないっすか男らしくステーキ!」

「俺にとっては結衣が好むか否かを知ることが最重要事項だ」

「ほんとラブすぎっすね!? 振り返ってみると信じられない変化っすよね……あのお兄さんが……」

「タイキックー、早く来ーい。さっさと来ないと人数から省いてギッチリに座るぞー」

「だから大志っすってば!」

 

 川崎が促したレストラン……レストランだよな? 看板にレストラムって書いてあるんだが。

 レストラム中野……中野さんが店長なのか? と思ったが、なんか違うらしい。一色が知り合いらしくて、店長の名は中井出というんだそうだ。

 なにはともあれそこに入り、昼の時間を過ごす。

 

「あのー、ハチ兄さん。ハチ兄さんってお子様ランチの味って、思い出せます?」

「いきなりだなおい」

 

 しかしと考える。

 お子様ランチ。食べたことがあったのだろうか、この俺が。

 振り返ってみても思い出せない。

 が、小町ならなんとなく食べてそう。俺に内緒で、親父に連れられて。いや絶対に。確実に。

 

「小町」

「あー……お兄ちゃん? あれはそのー……親父殿が勝手に食べなさいと寄越したものでございまして、けっしてお兄ちゃんをのけものにしたわけではー……そのー……」

「ああ、やっぱり食べたことあるのな。そういうのは時候とかそっち方面で片付けていいから、どんな味かは覚えてるか?」

「えーっと。さすがに昔すぎるかなー。まあ当時は味がどうとかより旗が嬉しかったーっていうのがあったからね」

「あはは、うんうんそれ解るかもっ! あたしの時はパパが旗集めるのが好きで、あたしがべつのやつ頼みたくてもパパが問答無用で頼んじゃってさー!」

 

 お義父さん……なにやってんですか……。

 

「結衣さんのパパさんは随分と邪気の少ないお父さんですね……うちのお父さんもそれくらい茶目っ気とかがあればよかったのになー……」

「そうな。あと娘ばっかじゃなくて息子にも優しくしてほしかったわ」

「お蔭で絆ちゃんと美鳩ちゃんに嫌われてるもんね。まーあれは仕方ないよ、お父さんが悪いし。お兄ちゃん大好きの娘の前で、あっからさまな差別とかすればそりゃ嫌うって。しかもそれを意識したのが子供の頃だってんだから性質悪いよね」

「あ、あははー……だねー……。女の子って自分が嫌だと思ったことって忘れないもんねー……」

 

 逆に男はサクッと忘れたりするけどな。切り替えが早いっつーか、起こったことはしょうがないって諦められる。

 引きずるヤツも当然居るが、大体はいずれ忘れる。

 忘れるから、絶対に許さないノートとか用意するわけだな。うん、実に恥ずかしい。

 

「で、でも……嬉しいこととかも、忘れなかったり……する、よ……?」

「う……お、おう」

「まったまたぁ、それじゃあ結衣さんってばもう、毎日のこととか記憶しまくりってことじゃないですかー」

「? え? うん」

「…………え?」

「?」

「……あの。結衣さん? 一週間前の晩御飯とかは……」

「一週間前? えとー……あはは、覚えてないや……」

「じゃあ夜にお兄ちゃんがなにをしてたかとk───」

「うんっ、ヒッキーがね、なんか急に膝枕してやりたくなったとか言ってねっ!」

「お、おおおすごい食い付きっていうか食い気味っていうかあの結衣s───」

「ベッドの上でしてもらったから、もうこう、なんてのかなっ、すっごく安心出来て力が抜けちゃって、なんかもうすごくてっ、こう、ふにゃーって───…………えへー……♪《ほにゃー》」

 

 今まさに嫁がふにゃーである。やだもうほんと可愛いったらない。

 

「ヒートアップしている結衣さんはとりあえず自由にさせておくとしましてっ。忘れるとかの話でふと思ったんだけど、お兄ちゃん」

「お? なに、どした?」

「プリキュア好きが暴露された時ってあったよね? あれのことをふと思い出したんだけど、今でも続けてる昔の趣味とかってあったりする? 実はまだライバーだったりとか」

「もうやめとるわ。……っつーか、結衣と付き合うってことを意識した時点でそういうのはやめてる。暇に任せて見ちまうことはあっても、同棲前には大体終わらせてたよ」

「あー……そういえばお兄ちゃん、休みの日にも溜めたアニメを見るとかしなくなったっけ。今思えばちゃんと結衣さんのため~とか頑張ってたんだね」

「………」

 

 ほっときなさい。ぼっちは周囲の目や口には敏感なんだよ。

 俺がいろいろ言われるならまだしも、結衣が“あんたの彼氏ラブライバーww コポォ”とか言われて馬鹿にされるのは我慢ならんし。

 “そのアニメが悪い”とかじゃあないんだよなぁ、ああいうのを言うやつらって。ようするになんであれ、周囲を伴って見下し笑える要素が少しだろうとあればいいのだ。

 そいつらにしてみりゃ高校にもなってアニメに夢中だとか、大人になってもアニメに夢中でキモいとかな。需要と供給、作ってる人が儲けて、見ている人が楽しめてりゃそこに年齢なんて関係ないと思うんだが、悲しいかな、世界はそう単純に回ってない。

 で、そういった自分の趣味が関係していることで結衣が笑われるか、それとも自分がそれらから離れるかの選択肢を前に、俺はそういったものから手を引いたってだけ。

 まあ、よかったんじゃねぇの? 将来的に“お前の父ちゃんアニメオタク”とか言われて、娘たちがイジメられることもなかったし。

 そんな過去もあったからか、アニメのキャンペーンとか近所のコンビニでやるのは勘弁してやってくださいとはよく思ったが。増えたよなーああいうの。

 提督業をやめたあとでも続いたコンビニコラボとか見て、またはそれらの関連商品をご近所のシヴいおじさまが買って行った時は、相手が気づいてなかったこともあって見て見ぬフリをすることもあった。

 ああいうのが一部の奥様に知られた途端、“チョットオクサマキキマシテ!?”って広まるわけだ。奥様ネットワークめっちゃ怖い。

 

  そんな気遣い虚しく、今では私がお父さん。

 

  娘が楽しむのはもちろんアニメや漫画のカテゴリー。

 

  何故なら、彼女らもまた、特別な存在だからです。

 

 趣味が知られて陰口叩かれようが、成績優秀なら文句はあるまいとばかりに元気に楽しくやってるそうです。たくましいなおい。

 どういうきっかけでハマったの? と訊かれれば、大ヒットラノベ作家が父の知り合いだと言えばそれで納得。

 “でもラノベってー……ねー?”などの文句があるなら、担当編集者までどうぞ。ぬかりなく友人です。

 ……というか、何気に知り合いにすごい人が多いよな。

 そんな知り合いが集う喫茶店をどうぞご贔屓に。……記念日には容赦なく休むけど。

 

「………」

 

 そんな過去の振り返りをしたのち、俺の目の前にはお子様ランチが置かれていた。

 何故って、じゃんけんで負けたやつが食べてみるというゲームが、いつの間にか開始されていたからである。

 人が物思いにフケってる時に、よりにもよって出さなきゃ負けよジャンケンとか鬼畜すぎでしょ小町ちゃん。

 

(しかし……)

 

 ハモ、と食べてみる。

 ……うん、いかにもな味だ。

 なんというか、口に味がまとわりつくっていうのか。

 どれもこれも少し薄味のような……うーん、こいつはどこまでいってもお子様ランチだな。

 子供向けを意識しすぎて量も微妙だ。

 ミニスパゲティもいよいよ味が舌に乗ってきたってところで無くなってしまった。

 ていうかこらっ、やめなさい結衣っ、ただでさえ量少ないんだから横からつっつくんじゃありませんっ。

 え? お礼にあたしのもあげる?

 ……お、おう。

 

「……少し目を離しただけでいつの間にか食べさせ合いしてますよいろはさん……」

「わたしも昔はバカップルっていうのをナマで見てみたいーとか思ってたもんですけど、実際見るとただただ唖然とするばかりですよねー……。よくあそこまでいちゃつけるもんですよ」

「…………《もくもく》」

「見てよ小町ちゃん、雪ノ下先輩なんてもう慣れ過ぎて、無我の境地で黙々と食べてるよ」

「いっそ小町以上にラブラブっぷりを間近で見て来たでしょうからね……」

「ああいう自然な感じがいいんすね……勉強になるっすお兄さん! あ、あのっ、比企谷さんっ!」

『え? なに?《くるり》』

「───…………比企谷率高すぎやしないっすか!?」

 

 タイキックの言葉に俺、結衣、小町、絆に美鳩がタイキックを見る。

 正確にはもう雪ノ下なんだが、まあそれだと余計にややこしいから今まで通りな。

 

   ×   ×   ×

 

 昼食が終わると車で移動。

 行ってみたい場所などに突撃して、時に小物を買ったりアクセサリを見たりして楽しんだ。

 俺とかもう超見守るお父さん状態。

 だってアクセサリの良し悪しとか解らんし。

 しかしこの比企谷八幡、伊達に長い間を女性に囲まれて喫茶店やってたわけではございません。

 来る客去る客を眺めつつ調べた、こういった人にはこういうものが似合う、的な観察眼はまあ養われたんじゃないでしょうかってくらいには成長した。たぶん。

 なのでアクセサリを手にとっては、結衣が装着している姿を想像。

 似合う似合わないをきちんと分けて───…………

 

(やべぇどれも似合う……!)

 

 所詮嫁馬鹿である。

 覚えておこう諸君。こういうヤツが優柔不断の所為で人を待たせるのだ。

 自覚してる分には、果たして性質が良いのか悪いのか。

 しかし俺ほどのガハマスキーともなれば、この中でどれを選べば結衣が喜ぶのかも理解している。

 値段ではない。マジで。自惚れてごめんなさいだが、俺からの贈り物ってだけで+になり、自分の好みを俺が知ってたってことでも+。

 そうしたものを積み重ねて、尚且つ今、彼女が一番欲しいものを想定。真剣に。

 

  ……そんなことを、えー……すぐ隣で手を恋人繋ぎで絡めている人の隣でやるわけですよ。

 

 隣の女性ったらもう笑顔ほにゃんほにゃんでございまして、「えへー、えへへー♪」と超ご機嫌。やだ可愛い愛してる。

 言いたいことはもちろん伝えながら。誕生日にはリミット解除して、普段なら恥ずかしくて言えないことも極力伝えることにしているから、今日の俺は恥知らずだ。やせ我慢とも言う。今年もまた、夜のベッドで恥ずかしさのあまり身悶え、その上で結衣の胸に抱かれ、溶けていくのだろう。

 もうほんと毎年のことながらいつまで経っても慣れやしない。

 

「沙希さーん、なんかこれよくないですかっ?」

「買うより作ったほうが好みに合うよ。無理して買うことないんじゃない?」

「おおお……小町の中で沙希さんがどんどん超人に。これすら作れると……?」

「雪ノ下先輩もたまにはどうですか? ほら、この猫のイヤリングとか結構可愛いですよー?」

「そうね。けれど、もう持っているのよ」

「えっ!? そうなんですか!? え、でもこれ、ついこないだ出たばっかりとか…………あ、いえ、なんでもないです」

「よ、よしっ、俺も奮発して、ひきっ……じゃなかった、小町さんにっ……!」

「大志、あんたさっきから気合い入りすぎで暑苦しい。落ち着きな」

「うぐっ……だってさぁ姉ちゃん……」

 

 アクセサリショップでこうまで騒がしいのも珍しいよな。

 え? 珍しくもない? ……ほっとけ、どうせこういう行動自体、ろくに体験したことねーよ。

 結衣と二人きりでしかやったことなかったし、当時は自分がまさか正真正銘疑いようがないデートをしているとは……なんて頭が働いてなかったんだ。

 

「………」

 

 みんなが騒ぐ中、周囲を見てこれだと決めたものを手に取る。

 右良し左良し……いやよくねぇよ。好きな人が目と鼻の先に居るのですが? もうここで渡していいですか?

 と、視線をうろつかせれば発見する、ワゴン指輪の前で目を輝かせる娘。

 

「おおお……指輪がいっぱいだー……! これら全部つけて人を殴ったら痛いだろーなー……! この殴り売り最安値のカゴの指輪、全部嵌めてみていいかな! いいかなぁパパ!」

「いーわけでねーだろやめなさい」

「あー、たまにあるよねーそういうの。見習いのコが作ってるとかで安いんだっけ? あ、でもヒッキーと前に来た時は、なんか頭がモジャってした男の人が売ってたよね?」

「こういうところで売りに出される方が珍しいらしいけどな。大体は露店でうさんくさげな男が売ってたりするもんだ」

「へー……パパが売ってたらわたしと美鳩はイチコロだね」

「胡散臭いどころか状況が気に食わなくて目を腐らせる確率が100%だな」

「あ、じゃああたしが隣で一緒に───」

「結衣目当てで来る男どもを追っ払うのが本題になりそうだな、却下」

「ぶー……あ、あたしだってその……ヒッキー目当ての女の子とか…………だから一緒にって……その」

 

 ぽしょってるつもりなんだろうが、すぐ隣だから聞こえてますよ、お嫁さん。

 顔が勝手にニヤケるのを強引にゴキベキと直しつつ、会計を───

 

「ところでパパ。パパのことだから、相手が胡散臭い相手でも───」

「気づかんでよろしい」

 

 ええ買いましたよ、指輪買って贈りましたがなにか?

 俺の右隣でぽしょった美鳩の頭を、アクセサリを持ちっぱなしの手でぐりぐり撫でた。

 普段から半眼っぽい眠たげな眼がふわあああと見開かれ、すぐに細まって頭を押し付けてくる。すると左隣の奥様やもう一人の娘が撫でて撫でてと猛烈アピールしてくる始末。

 おーよしよしとばかりに半ばヤケクソ気味に撫でようとするも、その手がハッシと美鳩に掴まれ、もっと撫でろと頭に押し付けられる。

 そうなると撫でて勢が頭を押し付けてくるばかりになり、無言の頭突きおしくらまんじゅう祭りみたいになって、もう俺にどうしろと。

 

「……どうします? あれ」

「“仲睦まじい家族”という題材で、写真でも撮ればいいのではないかしら」

「仲睦まじい…………えーと、雪ノ下先輩? あれってなんていうかー……“おしくらまんじゅう-頭突きの章-”って感じなんですけど。ほら、今もハチ兄さんがゴスゴスされて“痛ぇ!”とか言ってますし」

「……《パシャリ》」

「とりあえず撮っとくんですね。まあ、わたしもですけど《パシャリ》」

 

 ちょっ、お前ら撮ってないでなんとかして!?

 店員さんとかなんかもうこっちジロジロどころかギロギロ見てるから! ……どこのフロッグ型伍長だよ!

 ちょっと!? ねぇ!? 両手とも掴まれてて撫でるとか無理なんだってなんで解らないの!? いい加減にしないと八幡怒るよ!? おこっ…………結衣に向かって怒る自分が想像出来ないあたり、俺って……。

 

   ×   ×   ×

 

 そうしてこうしてあれこれどうして、時は夕刻、向かうは少し大きめの飲み屋。

 もちろん酒以外もあるところであり、雪ノ下さんが予約してくれていた場所でもある。

 

「おー! おっそいぞ弟くーん!」

「へいへい、声かけるならまず妹さんにしてやってくださいね」

「まあまあハチ、そう固いことを言うもんじゃない。酒の席だ、無礼講ということでいいだろう」

「今の俺の言葉にその返しって、既に酔ってるって認識でいいっすか、ねーさん」

「構わんさ、現に飲んでるからな。ほら、そこにめぐりくんも居る」

「へ? あ」

 

 促されて見てみれば、通された個室の奥側、テーブルに隠れるようにして、顔を真っ赤にしためぐりんさんが仰向けで潰れていた。

 この二人に酒に誘われて、俺達より先に来てる…………か。いったいどれほど飲まされたのやら。

 

「で? そっちは今まで?」

「カラオケでいろいろ発散してましたよ。この人数だとさすがに時間が飛ぶ飛ぶ」

「あっはは、なるほどなるほど。まあともかく座って座って。ほら弟くん、こっちこっち」

「嫌ですよ。そこ一人分しか空いてないじゃないですか」

「うわー……もうガハマちゃんが隣に座ることは確定っていうか、当然のことなんだ」

 

 当然だと答える。恥ずかしいが、答える。だって、“結衣の誕生日には素直に”が約束だ。俺の勝手なものだが、これはずっと続けてきたことだから譲れん。「顔、真っ赤だよ?」とつつかれようが曲げんのです。曲げっ……曲げないからやめて!? つつかないでほんと! 赤いの解ってますから!

 そんなわけで定番。結衣を座らせ右に俺が、左に雪ノ下が座って、しっかりと奉仕部ガード。

 あとの座る位置は適当に───

 

『じゃんけんぽんっ!《ドギャアッ!》』

 

 ───……俺の右隣を争って、娘たちがジャンケンしてるけど、座る位置は適当に埋まっていった。

 あ? 結局どうなったかって?

 あー……なんか川なんとかさんが座ったわ。

 娘二人が『ほゃわぁあーーーっ!?』って指差しながら叫んでたけど、争いのタネが無くなって結構じゃないの。グッジョブ。



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慣れ親しんだ笑顔が集まる日③

  で、食っては飲んで。

 

 普段ならこういう集まりに来たところで、断固として飲まない結衣だけど、気心知れた人達の前だ、楽しみながらちびちびと飲んだ。

 え? 俺? 俺は飲みませんよ? 俺にはしっかりと結衣を連れ帰る義務と宿命、役目や願望希望や欲望その他いろいろ、様々な理由があります故。なのに俺が車に乗れない、見守れない、前後不覚とかハッハッハご冗談。

 たとえ酒が好きでもそこに結衣が居るなら絶対に飲まん。

 居なかったとしても、酔いつぶれた俺を誰かが家まで運ぶなんて状況ならば絶対に手は借りん。

 キモくて結構! 義務だどーだと言ったが、こいつを守り幸せにするのは俺の生涯の目標であり譲れない覚悟と誓いだ。

 なので意識が無くなるような行動や、それに繋がることなど、たとえ親しい者の前だろうとあってはならない。

 これは自慢でも誇りでもありません…………誓いなのデス。

 タイキックに「お兄さんは相変わらず飲まないっすね」と言われつつ、軽いツマミだけを食べる。うっせ、ほっとけ。それよか小町を止めろ、物凄い勢いで飲んでるから。

 

  騒ぐ中、見知った連中が到着する。

 

 最初に入ってきたのは材木座であり、次いで戸塚。

 葉山と三浦、戸部と海老名さんが入ってきて、「とりあえずやっぱビールっしょー!」と注文する戸部をよそに、挨拶をしながら着席。

 

「葉山、都築さんは?」

「お前はいっつもそれだな……気持ちは解るが、今回も仕事だよ」

「いや、なんか休んでほしいだろ、あの人には」

「……言った通り、気持ちは解るよ」

 

 今日もママのんに振り回されているのだろうか。

 最近じゃ雪ノ下さんの運転手はしてないみたいだし。

 

「まーまー今日くらい仕事の話はなしなしー♪ ほんじゃあヒキタニくん! 音頭の方、バッチリ決めちゃって!」

「また俺なのな……あ、あー……ん。よしっ! 結衣、今年も全力で祝わせてくれ! 誕生日っ! おめでとぉおおおおおおっ!!」

『おめでとぉおおおおおおっ!!』

「ひゃっ……あ……あははっ、もう、みんな大声出し過ぎ……」

 

 叫び、乾杯。

 ママさんとお義父さんも呼びたかったんだが、お義父さんは見事に抜けられない仕事、ママさんはそんなお義父さんを待っててあげたいからと断られた。

 麗しい愛である。今ならそんな在り方が、ひどく眩しい。

 俺も普通に会社務めとかだったら、結衣をそうして待たせてたのかなって。

 喫茶店を選んだのはほぼ俺の我が儘だ。

 それでもついてきてくれた彼女には、本当に感謝している。

 当然、そんな夢に付き合ってくれた彼女たちにもだ。

 

「んあ……ふぁれ……? ひゃあっ!? な、なんかいっぱいいる……?」

「あ、めぐり起きたー? ほれほれ、みんな集まったからもっと飲む飲む~♪」

「え、や、ちょっ……は、はるさん、わらひ、もうそんな、飲めな……ひゃぶぷぷぷ?!」

 

 真っ赤な顔して潤んだ目の、やたらと色っぽいめぐりん先輩が、起きた途端に早速雪ノ下さんに捕まって酒を飲まされてる。……ああはなるまい。全力で抗おう。

 

「あ、そういえばここ、カラオケも出来るから、誰か歌わない?」

「おっ! 俺そういうの待ってた系よー!? っしゃあそんじゃあ俺、一番手ー! 行かせてもらっちゃっていい!? いいかなー!?」

『………』

「ちょ、そこで無言とか一番キツいべ……」

 

 けれども一番手、戸部。

 昔流行った歌から今よく聴く歌まで、幅広く歌ってみせ、次いで一色、小町と続いて、元気に騒いでいる。

 さすがに俺達はもう散々と歌ったため、歌うにしても一曲程度だ。

 

「でもママ、ほんとにケーキはよかったの?」

「いいのいいの、ケーキっていってもほら、ぬるま湯でほぼ毎日見てるし……」

「美鳩的に、ティラミスには幸福が詰まっていると思う」

「いきなり関係ないにもほどがあるね、みーちゃん」

「……ママのお祝いだとしても、食べたかった……!」

「お前ほんと、一色のケーキ好きな」

「中でもティラミスを全力で推したいお年頃。チョコレートロマンスを添えるあなたはきっとパプワくんが大好き。そこはかとなくジャスティス」

「お前はどういった状況でそういうネタを拾ってくるんだろうな……友人に過去の漫画好きでも居るのか?」

「シンディが日本好きで、外国語版の漫画を結構持ってた。ジャパニーズオネエを謳ってただけはある。大変興味深かった」

「何者だよシンディ……」

 

 現在、材木座が元気にはっぽんはっぽん歌っている。うん、暑苦しいんだけど無駄に上手いのがまたなんとも。戸塚は相変わらずエンジェルボイスだし……男として普通に疑問なんだが、どっから出してるのあの綺麗な歌声。

 そこに葉山も加わり、三浦が歌い、選曲も明るい傾向が目立ったものに。

 時に辛いものでロシアンルーレットなどをして遊びつつ、見事に悶絶しつつも騒がしく賑やかに。ていうか痛っ! なにこれ痛い! 辛いどころじゃないんですが!? どこぞの至高を求めるお方なら女将を呼べとか言えるレベルで痛い! ……なのにしっかり味があって美味い。

 不覚にもその絶妙な匙加減に、八幡心惹かれちゃった。

 辛いのにしっかり美味しいのって、なんか嬉しいよね。注文してよかったって思う。でも次は普通に美味さだけ味わいたい。

 最近の辛さっていうのは赤いだけが判断基準じゃないからな……まいったね、どうも。いや、わさびとかもまた別だけどさ。

 

……。

 

 夢中で騒げば、終わるのも早い。

 それを証明してくれたみたいに時間は過ぎて、解散の時間となる。

 この歳でもうプレゼントとかいいから、と結衣が言ったために、贈り物もない。

 なんか締まらないから、という理由で、それぞれが注文したデザートの一部を分けて作ったカオスデザートがプレゼントになったわけだが、意外に美味しかったらしい。一色が参考にするとか言ってた。怖いよ。また喫茶店に奇妙なチャレンジメニューが増えるかもだ。

 そうしてそれぞれが思い思いに別れを告げて去ってゆく。

 この瞬間の結衣はいつもどこか寂しそうで、けれど俺の腕をぎゅーって抱き締めて見上げてくると、見下ろしている俺と視線を交わし、にこーと幸せそうに笑うのだ。

 過ぎ去ったあの頃は戻らないとか、よく聞く。

 とはいえ、変わらないままじゃどうあっても手に入らないものがあるから、結局は進むのだ。そういうことを言わせたら右に出なさそうな我らが恩師は、今現在へべれけに酔っぱらっている。

 雪ノ下さんが都築さんを召喚しようとしたが、今は別の仕事で出られないらしく、別の運転手が来た。

 さすがに疲れたそれぞれがそうして車に乗る中、結衣は俺をちらりと見て首を横に振るう。

 まあ、俺達も車で来たんだから当然。

 じゃあ帰るかー……ってことになったんだが、雪ノ下と一色は他の人達と話があるからと、雪ノ下さんが召喚した送迎車に乗った。

 当然、こちらには俺と結衣、絆と美鳩のみに。

 

「……いくか?」

「……うん」

 

 小さく訊ねると、少しの酔いも手伝ってか、赤い顔でほにゃりと笑う。

 車に乗り込んで、いざ帰路へ。

 のんびり安全運転で夜道を進むと、ほどなくして娘たちはぐったり就寝。落ち着けとツッコミたくなるほど騒いでたし、疲れたんだろう。

 

「ねぇ……ヒッキー……」

「んー? どしたー?」

「毎年さー……ありがとねー……。この歳になってーとか、いつまでも祝われてーとか、ほんとはね、ちょっと恥ずかしいかなーとか……思ってたんだー……」

「おう。まあ、そうな」

「でもさ……けどさ……それだけじゃないんだよね……きっと。こういうことでもなきゃ、みんな集まれなくて……来られない人だって当然居てさ……。久しぶりに会っても久しぶりって言うよりは、また会えたねって言葉よりも“ただいま”みたいなこと、言いたくて……」

「………」

 

 青春の残照、とでも言えばいいのか。

 過去を振り返ってみてとか、昔はよかったと懐古する人はそりゃあ居る。

 古い友人に会って、昔の自分を思い出して、こんな筈じゃなかったと泣く人だって居るだろう。

 あの頃は確かに良くもあり悪くもあり。後悔したことなんざ山ほどなわけだが、戻ったところで果たして何が出来るというのか。

 後悔のタネをなんとかしてハッピーエンドに向かおうとしたところで、そうしたことで起こる様々な出来事にまた頭を悩ませ、まちがい、また後悔するに違いない。だって俺だもの。

 むしろ今幸せだし。戻りたい理由はあっても、じゃあ戻りますかとはならんのだ。

 

「お前が願ったのが全部だからな。そりゃ、繋がりは大事にしないとだろ」

「ん……ほんと、ありがとね…………」

「……眠いか?」

「んん……だいじょぶ。それより今日は、なんかね、もっとヒッキーといっぱい、話とかしたい」

「そか。じゃあ無駄にならなくて済むかも」

「? ヒッキー? 無駄って?」

「……いや。それよりさっきの飲み屋の───」

「ああ、あれ! おかしかったよねー! あれってさぁ───」

 

 暗い夜道を車で走り、いつかのように楽しむ。

 車を手に入れたばかりの頃はドライブとかもよくしたもんだ。

 子供が産まれてからはそんな機会も無くなった。

 隣に結衣を乗せて、ただ景色を楽しむだけの時間が、俺も嫌いじゃなかった。

 格好つけたような車ではなかったが、それでも結衣は楽しそうだったし、俺も楽しかった。

 今が楽しくないと言うんじゃない。ただ、昔はよかったと言うのでもなく、懐かしいとは思うのだ。

 懐古の全てを“大人の逃げ”だと言われたらたまらない。思い出を懐かしむことくらいは許してほしい。

 

「ね」

「ん」

「あたしさ」

「うん」

「…………えへへ」

「……っはは、どうしたんだよ」

 

 まるで初恋が実った恋人同士が照れ合うみたいに笑い、答えのない沈黙を楽しむ。

 言ってくる言葉自体は、きっと俺も贈りたい言葉。

 でも、言われたい言葉でもあったから、待った。

 毎日好きを伝えよう。

 作ってくれた料理に、美味しいを素直に伝えよう。

 隣に居てくれる喜びをありがとうで伝えよう。

 捻くれていた自分を毎日なんとか真っ直ぐに伸ばそうとして、失敗して、それでも少しずつ変わっていった自分が、今では結衣を幸せにしている。

 変わってよかったのだと確信が持てた頃なんて、とっくに自分が結衣に夢中で、よくもまぁこれで変わらない自分を目指せたもんだと笑った。

 急に笑った俺を、きょとんとした顔で見て、けれど一緒に笑ってくれたこの人が大好きだ。

 会えてよかったと心から思える。

 だからきっと、言われる言葉は───

 

「……ヒッキーに会えて、ほんとによかった」

 

 ───俺が伝えたい言葉と、まったく一緒なわけだ。

 それがたとえ、毎年いつかは伝えている言葉だって構わないんだ。

 何度だって伝えて、何度だって心に刻みたい。

 心が温かくなる時間を胸に抱きながら、まだかまだかと車を走らせ───ついに赤信号に捕まるや、俺と結衣は可笑しく笑いながら……キスをした。

 おう、安全運転は基本だからな。ありがとう赤信号。

 

   ×   ×   ×

 

 そうしてぬるま湯に戻ると娘二人を起こし、ゾンビのようにのろのろと自室へ戻ってゆく二人を見送って、「じゃあ、あたしたちも戻ろっか」という結衣を……引き留めた。

 

「? ヒッキー?」

 

 そのまま喫茶店内を手を繋ぎながら歩き、カウンター側に座らせると、軽くベストだけを着付け、カウンターを挟んだ結衣の前に立つ。

 

「あ……」

 

 結衣も、なんとなく察してくれたようだった。

 そうだ。

 こんだけ長い間一緒に暮らして一緒に仕事をしたのに、俺は結衣を“きちんと客として”迎えたことがなかった。

 結衣の幸せに、と頑張った結果、もてなしたかった人を一度も、心からもてなさなかったとか、少々呆れるもんだが……。

 

「では、大切なお客様。本日は真心を込めて接待させていただきます。生憎と本日は貸し切り、店員はわたくしのみとなっておりますが」

「……うん」

「本日はお客様の誕生日ということで、ささやかではありますが……たまにはこんな誕生日プレゼントでもと」

「うんっ……ありがと、ヒッキー……!」

 

 コーヒーの知識を頑張って学んだ。結衣のために。

 店を開くために海外にも行って自分を鍛えた。結衣のために。

 それを今、ようやく結衣に向けてあげられる。

 娘たちももう高三だ。

 これまで育ててきて、ようやく息が吐けるところだと勝手に思っておく。

 ずっと前からいつかはと思っていたことを、ようやく叶えられた。

 ハニトーはバレバレだったって聞いたから、苦労しつつもバースデーケーキを用意した。料理だって作ろう。

 飲み屋でせこせこ結衣が注文したものを抓んでいたのもこのための布石……! あ、これ言わないほうが格好よかったやつだわ。

 

  結衣は幸せそうに笑いながら、カフェオレを頼んだ。

 

 二度目の俺との接点といえばカフェオレだった。

 俺が適当に買った“男のカフェオレ”を戸惑いながら受け取ってたっけ。

 一度目は言うまでもなく、サブレを庇った時の出会い。

 そんな日々を懐かしみながら、ゆっくりとカフェオレを作った。

 

「そういえばヒッキー、カフェラテとカフェオレの違いってなんなの?」

「そうだなぁ……カフェオレはこうして普通に作るコーヒーに、牛乳を混ぜたもの。まあミルク入りコーヒーってやつだな」

「カフェラテは?」

「カフェラテはエスプレッソを素に作るミルク入りコーヒー。エスプレッソと普通との違いは前に話したよな?」

「うん。フィルターで作るのと、マシンで作るのだよね? あ、じゃあ豆自体も違うんだ?」

「そゆこと。奥さんがきちんと覚えてて、俺も嬉しいよ」

「……うん。あたしも嬉しい。……一緒に、頑張って勉強したよねー……」

「……ああ」

 

 カウンターに腕を乗せ、その上に右頬を寝かせるようにして、懐かしむように過去を話す結衣は楽しそうだ。

 俺も自然に微笑みながら、出来上がったカフェオレを出す。

 結衣の好みを俺なりに理解した上で仕上げた、“男のカフェオレ”ならぬ“結衣へのカフェオレ”だ。

 そして、冷蔵庫から小さなバースデーケーキを取り出し、結衣の前へ。

 パセラに通って勉強したくせに、出来上がってみればハニトーではなくきちんとケーキ。意地ってやつだよ、ほっとけ。

 それほど大きくないそれを、結衣の前へとコトリと置く。

 

「あ…………ヒッキー……」

 

 菓子職人のように綺麗には出来なかった。ひょいと見ればいかにも素人が作りましたって感じのケーキ。

 それでも、結衣にはそれが嬉しかったらしい。俺の顔を見て、綺麗な笑顔とありがとうをくれる。滲んだ涙は喜びからなのだろう。そんな瞳を真っ直ぐに見ながら、照れくささをなんとか押し込めて、腹に力を込めて……伝えたい言葉を伝える。

 

「……いつも支えられてるって実感してる。傍に居てくれてありがとう。笑顔をありがとう。幸せをありがとう。……俺と、一緒になってくれて、本当に本当にありがとう。……結衣が好きだ。変わることなくどころか、好きってかたちがどれだけ変わっても、変わりまくっても、好きなままだ。…………誕生日、おめでとう。いつもありがとう。これからもずっと傍に居てほしい。……それから……」

「ぐすっ……うんっ……」

「……愛してる。こんなにも幸せな気持ちで感謝できる未来を、ありがとう。好きになってくれて……ありがとう」

 

 涙を拭い、鼻をすする結衣に、感謝と……心の中でずっとずっと渦巻き続けている言葉を伝える。

 自分の立ち位置や相手の“居場所”を気にするあまり、突き放してばかりだった自分が本当に恨めしい。

 もっと早くに手を繋げていられたならと何度思っただろう。

 本当に、中二病も高二病もろくなものじゃあない。

 

「もう……ばかぁっ……! 泣かさないでよぉ……! せっかくヒッキーが淹れてくれたのに……味がわかんないよぉ……!」

「い、いや……泣かすつもりは……! えぇとその……なんだ、……すまん、お前に泣かれると弱い……!」

 

 でも嬉し涙なら、泣き止んでくれなんて言える筈もなく。

 カウンターを回り込んで結衣の傍まで行くと、その背から腕を回し、涙するその姿を抱き締めた。

 

「ひっきぃ……ひっきぃい……!」

「その、ああ、ええっと……わるい、とかは言いたくないし、ごめんなも違うし……ありがとう、じゃまた泣かせるかもだし……ええいもう、思う存分泣いてくれ、結衣。その頃には、あっついカフェオレもいい温度になってるだろうから……な」

 

 いわゆるあすなろ抱きのまま、結衣が泣き止むまでを待つ。

 やさしい気持ちと愛しい気持ちとが沸き、あふれ出て仕方ない。

 どうすれば治まってくれるのかも解らず、だからこそひたすらに気持ちを込めて、包み込むように。

 

「………」

 

 誰かを支えるだとか、誰かのためにだとかは煩わしいって思っていた。

 人は恩を忘れるし、覚えていたとして、果たして人を選ばず恩を返せる人がどれほど居るのか。俺に対して、まず“返そう”と思える人がどれだけ居るのか。

 恩返しが欲しくて行動したわけでもない筈なのに、無意識に何かを欲してしまうのが人間ってものだと思う。

 でも……形を欲するでもなく、感謝を届けるだけでも顔を緩ませて笑ってくれる人を知って。

 そんな人と一緒に歩いて、賑やかな世界を知って。

 未来のために離れなくちゃいけなくて、いっそ一緒に行けたらと自分こそが一番悩んで。

 声が聴きたくて、一日に何回電話して、何回雪ノ下さんに笑われたか。

 でも……声が聴けたことももちろんだけど、それ以上に迷惑っぽくもなく、おざなりってわけでもなく、電話する度に喜んでくれる声が嬉しかった。

 支えられてるんだなって、強く自覚した。その前からそんな自覚はあったけど、あの外国暮らしが一番の決定打だった。

 

(俺…………頑張れたよな)

 

 過ぎてしまえばただの思い出だ。

 あれだけ苦しかった日々も笑い話になる。

 人の生き様なんて“そんなもの”。

 いつかは埋もれる青春の1ページでしかない。

 

  それでも。

 

 “そんなもの”を積み重ねた先に、幸せってものがあったから。

 だからこうして、俺は───……俺達は。

 

「………」

 

 ふっ、と笑いがこぼれた。

 目を閉じると小さな頃の自分。

 随分と綺麗な目で、知るもの全てを信じていた、ガキだった自分。

 嘘を知って傷ついて、嘘をついて涙して。

 嘘に慣れて、嘘を嫌って、嘘じゃないなにかが欲しくなって。

 見えないなにかに名前をつけて、それを必死に追いかけては、違うものばかりを手にするのに……その手に入れた何かが、また別の何かを育んでいって今がある。

 

  子供の自分に、“嘘を知るのは怖くないか”と訊ねてみた。

 

 “純粋なままでいればよかった”。

 嘘を嘘とは受け取らず、愚直なまでに信じ続けていれば、自分は───

 けど、目を閉じた先の子供は笑い、“知らなきゃ俺になれないから”と言った。

 知った先で出会えたものを捨てて笑えるほど、今立っているここにある幸福は安くないのだと。

 だから、怖くても知るのだと。

 

「………」

 

 今、腕の中にある大切なものと別れろと言われたら、俺は泣くだろう。

 つまり、当て嵌める答えなんてそれだけで十分なのだ。

 惚れた弱みとかいうんじゃない。

 いろいろあったけど、ここにある全てが、俺達が頑張った結果だからだ。

 その全てを捨ててまで純粋でいたいのかと言われたら、俺は絶対に首を横に振るう。

 幸福はここにある。

 これ以上を望むのは贅沢だ、なんてありふれた言葉はいらない。

 幸福の材料は揃ってるんだ、ほっといたって“これ以上”は訪れるし、なにより俺がもっと幸せにしたいから。

 

  答えなんて解り切ってるじゃん

 

 子供の俺が笑って消えた。

 自然と俺も笑ってる。

 ありがとうが溢れて、愛しさが溢れて、抱き締める腕に力がこもっても、壊さないようにやさしく抱いて。

 少しして、泣き止んだ結衣が涙を拭ってえへへと笑った。

 落ち着いてからカフェオレを飲むと、ほにゃりと表情を緩ませる。

 ……俺を抱き着かせたままで。

 しかしヤボを言うつもりもないので、小さく笑いながら、結衣の行動を見守った。

 ケーキを食べて目を輝かせたり、肩越しに俺に「美味しいよ? ほら」とフォークに刺したケーキを差し出してきたり。

 それを食べて、恥ずかしさに赤面しながらも離れようとはしないで、今日もまたいちゃいちゃ。

 大切なお客様、ということで、我が儘も受け止めて、バリスタとしての話し相手もきっちり務めて、恋人としてじゃれあって、夫婦としてキスをして。

 「えと……ヒッキー? 朝の約束、覚えてるよね?」と言われ、もちろんだと返す。

 けど、それにはまだ早いからと、もう一度腹に力を込めて離れると、“頑張ってきた自分”として立って、大切なお客様を迎えた。

 部活仲間としても、恋人としても、夫婦としてもいろんなことをしてきた。

 だから、今は頑張ってこられた自分として。

 腕を離して距離を取る俺に、寂しそうな顔を向けた結衣も、それは解っているのか、ムンッと無駄に構えて気合いを入れた。

 

「その……ええっと、だな……あの、あれだ……いやあれじゃねぇよ……あ、あー……」

「うん」

「~……お前が居たから頑張れた。離れても好きでいてくれて、そ、の……ああえっと……! ほ、本当に……───ありがとう」

 

 改まって言うのは恥ずかしい。

 しかし目は逸らしたくなかったから、盛大に真っ赤なままであろう自分で、しっかりと感謝を伝えた。

 結衣は、その“頑張った結果”を最後まで飲み切ると、目を閉じて息を吐いて……「あたしもだ」と呟いた。

 

「あたしも、ヒッキーだったから頑張れた。最初っからさ、簡単で甘いだけの恋なんかじゃ、どこかで綻びとか出来てたんじゃないかなって。あ、もちろんそこからでも頑張るし、絶対にヒッキーを幸せにしてやるって張り切ると思うけどっ」

「……おう」

「漫画みたいに頑張れば頑張るだけ報われる、みたいに簡単じゃなかったから、成長出来たんだって思うんだ。奉仕部に行ってさ、クッキー作って、もしあの時に簡単にクッキーが作れちゃうくらい、簡単にお礼を言えちゃうくらいに難しくなかったら、本当にお礼だけで終わってたんじゃないかって……たまに思う」

「結衣……」

「一年間見てた。いっつも一人だなーとか、なんとか声かけられないかなーとか、いろんなこと考えて、出来なくて。……でもさ、きっとあれはあれでよかったのかなって思うんだ」

「………」

「ゆきのんに言われなきゃ、人に合わせてばっかだった自分を見つめ直せなかった。いつかヒッキーが言ってくれたかもだけど、言われる前に何かを無くしちゃってたかもしれない。優美子に指摘されてさ、ヒッキーがなにか言おうとしてくれて、言ってくれて。でも……そうなったらたぶん、今みたいに優美子と友達のまま、とか出来てなかったかもしれなくて」

「………ああ」

「すれ違いばっかしてさ、怒ったり泣いたりしてさ。でも、当たり前なんだよね。お互いのこと、全然知らないんだから。そうやってヒッキーのこと知って、それでも好きなままで。だからあたしは───」

 

 そうだ。好きで居てくれたから、だからこそ俺は。

 ……ふと、言おうとした言葉を、結衣の指がそっと塞ぐ。

 わかってるから、と言われたような気がして、言葉は出なかった。

 

「引っ張ってくれてありがとう、ヒッキー。あたしだけじゃ、きっと一歩を踏み出せなかったから。自分で行くって決めて、頑張って、でも……ひとつだけを選ぶことなんかできなくて」

 

 笑顔のままに言う。そんなのは俺も同じだと、言葉にせずに返した。

 

「たまにね、思うんだ。マラソン大会の時、もし怪我をしたヒッキーを治療したのがあたしで、その時にしっかり相談し合えてたら~とか。チョコの時も、陽乃さんが来なくて、違和感なんか忘れて話し合えてたらとかさ」

 

 自分たちのことをひっかき回されて、まちがって、抗って。

 じゃあもし、引っ掻き回す存在がそこに現れず、俺達が俺達の意見だけでしっかりと向き合っていたらどうなっていたのか。

 ……こうした結果に辿り着いた今、その答えは曖昧すぎて、見えやしない。

 でも───隣に居るのはきっと、目の前の彼女なのだろうと……そう思うのだ。

 言葉通りに自分から来て、ぶちぶち文句をたれる俺を引っ張って。

 雪ノ下もそうして引っ張られ、笑顔のままに歩いていく。

 まちがっていたっていいのだと。

 まちがっていても、そこに幸せは一切ないかと言われたら、そんなことは絶対にないのだと頷けるから。

 

「だから、ずっと不安だったことを今聞かせてください」

「っ、結衣?」

「……あたし、奉仕部に居てもよかったのかな。そこに居て、誰かの役に立てたのかな」

 

 我慢はしなかった。出来なかった。

 言われた瞬間には体は動いて、乱暴に結衣を抱き締めると、振り絞るように「当たり前だ」を届けた。

 

「はっきり言うけどな。お前って緩衝材が無けりゃ、俺はとっくにあんな部はやめてたんだ。顔を合わせれば罵倒を口にして、行こうとしなければ腹を殴る先生が居る。そこに居たって面倒しか転がってこないし、俺が“変わらない自分”を保つ限り、雪ノ下の口撃だって終わらない。お互いが譲りたくないものを譲らないままで居続けて、妥協もしないで、あの部は……いや。俺がきっと耐えられなかった」

「……でも」

「“でも”はないんだよ。解る。お前がそこに関わらないってことは、そもそも俺と雪ノ下の接点もない。サブレを助けなかったから車に撥ねられもしないし、雪ノ下が俺に“俺のことなんて知らなかった”なんて言うこともなかった。罪悪感もないんだ、言葉を交わす理由にもならない」

「ヒッキー……」

「話し合いもしない、相談もしない。解り合うことだってない。そもそも解ろうとする理由がない。それがどういう結果を生み出すかは、修学旅行で思い知っただろ。……お前がちゃんと、俺のところへも雪ノ下のところへも、自分から来てくれたから保っていられた関係なんだよ」

「………」

「あと、それにその、だな。あー……お前に居てもらわなきゃ、俺が困る。自分勝手で悪いが、今さらお前以外とか想像もつかないし長続き以前に派手にフラレて枕を濡らすまである」

「……あはは、それはないんじゃないかなぁ。きっと、ヒッキーのことをちゃんと知ったら、いろんな人が好きになってくれるよ?」

「~~……ああもう解んねぇやつだな! 俺はそれが! お前じゃなきゃ嫌だって言ってんだよ!」

「ぇ……あ、ひゃう……!?」

「いいからっ! ……~……これからも、俺の傍に居てくれ……! 居ても良かったか、なんて言わないでくれよ……!」

「…………」

 

 抱き締める腕に力がこもると、結衣も静かに腕を回してきて、ぎゅう、と抱き締め返してきた。

 呆然としていた顔が笑顔に緩むと、遠慮もなしに全力で抱き締められた。ちょっと苦しいが、変わらずここに居てくれるという実感が強く強く体に走り、俺もまた抱き締め返す。

 そうしてキスをして、唇を密着させ、舌を舐め合い、感情が走るままに近づき合って、やがて───

 

「え、と……ひ、ひっきぃ…………やくそく」

「……おう」

 

 ぽしょりと呟かされた言葉に顔を赤くして、一度離れる。

 そうしてからはテキパキと皿やカップを片づけて、もうしてほしいことはないのかと訊くと、真っ赤な照れた顔のまま、「これからいっぱいしてもらうから」と返された。

 ……顔面がボルケイノ。やめてください顔が焼けてしまう。

 しかしそういうことならと、結衣を先に風呂へ「酔っちゃってるから……支えてほしい、な。……ダメ?」……“これからいっぱいしてもらう”は、既に始まっているようだった。

 

   ×   ×   ×

 

 翌日の今日。

 本日もぬるま湯は平和である。

 

「いらっしゃいませ。お二人様ですか?」

「え? あ、ああ、うん。二人……だけど」

「それではお席へ案内しますね。どうぞこちらへ」

「え? え? え?」

 

 夜から朝にかけて、結衣が眠りにつくまで気持ちを届け、寝てからもまあいつも通りというか。幸せそうに眠りこける結衣を撫でながら、俺も眠った。

 あまり眠れる時間はなかったが、起きてみればスッキリ爽快。根性論ってすげぇと思うの俺。漫画小説ゲームの主人公とかってマジそれな。根性があれば何度でも立ち上がるし。

 まあ勇者の根性云々は捨てておくとして。

 昨日と同じ朝を迎えて、顔を真っ赤にした結衣と風呂に入り、シャッキリしてから開店を迎えたぬるま湯は、変わることなくいつも通り。

 違うことといえば、娘たちが葉山をからかうことが無くなったくらいだろうか。

 戸惑う葉山がかなり挙動不審である。

 お客様の中にポリスな方はいらっしゃいますかとか言って、もし居たらいろいろ質問とかされそうなくらい驚いてる。

 

「ではこちらのお席へどうぞ。こちらメニューです。ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」

「え、あ、はい……………………あれ?」

「? どしたん隼人」

「あ、いや……えぇえ……!?」

 

 落ち着くべき場所に落ち着いたのなら、つつく理由もないのだと、娘二人はテキパキと仕事をこなしている。

 そもそもが葉山が結衣を名前で呼び捨てしたのが原因で、さらにここに入り浸っているというのだから警戒もあったのだろう。

 実際、三浦とくっついてみればすっかりと落ち着き、バラティエ接待をすることもスタイリッシュ接客をすることもなくなった。

 まあ、たまに毒は吐くが。

 

「やあキミ可愛いね。バイトの子? 空いてる日教えてよ、俺と遊ぼう?」

「死んでください太子」

「死!? え……死!?」

「ああいけません急にギャグマンガ日和の真似をしたくなりましたただの真似なのでべつにあなたに言ったわけではありませんよええそうですとも絆がお客様にそんな暴言を言うわけがありません死ね」

「おい!? 今“ありませんしね”の“しね”の部分に危険な発音混ぜなかったか!?」

「気の所為ですキモいです近寄らないでください口臭いですキモいです」

「くっ……口のことは言うなぁぁあっ!」

 

 ナンパされてもこんなもの。

 あとキザっぽいお客様は口臭を気にしてらっしゃるようだった。

 

「この比企谷絆は従業員である前に一人の人間! 気づいたことは教えてやるのが流儀である! なので口臭いです。自分で自分を格好いいと思ってるならお口のエチケットくらいしてください。口は臭いし服からはタバコ臭。ハッキリ言葉にして届けます。───臭い!!」

「姉様姉様、夜にはきっとお酒臭さも追加されます」

「まずは胃腸の改善、禁煙、歯垢除去などからオススメします。そんな状態でサワヤカ男のようにナンパなど1年くらい早い!」

「1年くらい!?」

「まあ実際どれくらいの期間で匂いが消えるか知らないので。ナンパをして女性に来てほしいのなら、自分が出来る努力を怠らないことです。そしてそもそも好きな人が居るので全力でお断りです」

「右に同じくお断り。希望を持たせないその在り方、実にジャスティス」

「な、なんだよ……俺はこれでももう頑張って───」

「精進が足りん! 出直せい!!」

 

 一蹴であった。

 男はしょんぼりして帰り、絆はヌワッハッハッハッハとどこぞの柳生十兵衛のように笑っていた。

 ……だから。どっからそういうネタ持ってくるのお前。サムスピとか今の若者なんて知らないだろ……。

 

「もう、絆? 美鳩? あんまり敵を作るようなこと、言っちゃだめだよー?」

「じゃあママは心に決めてる人が居るのにナンパとかされたい?」

「え? えと……《ちらり》」

「ママアウト! はいアウト! そこでパパを見ちゃうんじゃあ全然ダメ!」

「Si、ここでパパの一言。ナンパ男がママに近寄ったら?」

「とりあえずハンマーな」

『怖いよ!?』

 

 奥さんと娘二人に驚かれた。引きはしないらしい。

 

「はぁ……これでお客様がまた一人減ったわね……」

「ナンパしか目的じゃないなら来なくていーだろ。それともなに。お前されたい?」

「冗談でしょう? 寄ってきた時点で触れることなく打ち負かしてあげるわ」

「おい。つい今しがた、何に対して溜め息吐いたのか思い出してみろ」

 

 そんな些細に笑う。

 まあその、アレな。喫茶店は食事や飲み物を楽しむところなので、ナンパはやめましょうね?

 

「あ、ヒッキー! モカマロンとカフェラテセット一つね!」

「おうっ、《ブツッ》一色、モカマロン一丁」

『らじゃーですっ★ あとハチ兄さん? 昨日のケーキ、どうでした? 結衣先輩を喜ばせられました?』

「あー……いや、べつに言わんでいいだろ」

『気になるじゃないですかー。というわけでほら、教えてくださいってば』

「いや、だから……アレがアレでだな。つまりほら、そう───」

「パパー! ブルマいっちょー!」

「ブルマっ───」

『ブルマ!? えぇえっ!? ケーキからブルマプレイに発展ですか!? どういう過程があればそんな結果になるんですかキモいマジキモいです先輩さすがにドン引きですよごめんなさい』

「ちょっと待て全力で誤解だあとプレイとか言うななんで真っ先にそういう方向に向かうんだ!」

「パ、パパッ、パパぁあ……! ハァハァ言うお客様が、みみみ美鳩に、まままっままんっ……まんごーぷりんを何度も、何度も復唱させて……!《かぁああ……!》」

「てめぇお客様! 人の娘になにやらせてんだ表出ろこの野郎!」

「ちなみにブルマはパパの知り合いイケメン野郎の注文だよ? マンゴープリンは三浦さん」

「葉山お前なにやってんの!? 三浦! お前も!」

「ちょ、ちょっと待て! 俺は普通にブルーマウンテンをお願いって言っただけで!」

「あ、あーしだってその子がぼそぼそ言うから、ちゃんと言いなって言ってただけで!」

「ギルティ」

『《ぐわしメキメキ》はぎゃあぁああああああっ!!』

 

 双子の娘をアイアンクローでシメた。

 それを見て溜め息を吐く雪ノ下と、苦笑しながら止めに入る結衣。

 音声が繋がった先の一色は、ブルマと俺の変態性についてを説き、それに全力で誤解だと返す俺と、慌てる葉山と三浦。

 なんとも賑やかなぬるま湯だと苦笑しつつ、今日も、大切な人の隣で実感するのだ。

 支えられてる、感謝してばっかりだと。

 返せているのかは解らない。笑顔で居てくれる限り、まあ落ち込んだとしても、その努力をやめるつもりなんてさらさらない。

 

「うう……あ。そうだパパ! なんかさっきね!? ママがカフェオレ頼まれてたのに、カフェラテに強引に変えてたよ!? これはギルティだよね!」

「うひゃあっ!? 絆っ、それ言っちゃダメって───!」

「いやそりゃ変えるだろ変えるよな変えて当たり前だな常識でさえあるまである」

「えぇ!? アイアンクローは!? ……ずるい! ママずるい!」

「ママすごくずるい……! ずるい……!」

「えへへー……ずるくていーの。これはね? ママだけの特権なんだから」

『アイアンクローが!?』

「カフェオレがだよっ!! もうっ!」

 

 だからまた確認をして確信を手にして、小さく呟くのだ。

 今日もぬるま湯は平和で、幸福の中にある、と。



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父さん元気でいとおしい

 父の日。

 それは家庭内ポジションが名前に出る日の中で、随分とまあ軽視されたり無視されたりする日であり、母は祝われても父は祝われない、なんてよくある話の代表とも言える日である。

 家族のためと汗水吹き飛ばしながら働いても、結局人は目に見える行動こそを喜ぶのだ。父がどこでどう働いていようと、見えなければありがたみなど感じないに違いない。

 うちの親父とか特にアレな。小町からのプレゼントは喜ぶくせに、俺からなにかがあっても喜びやしない。

 ちなみに俺が気まぐれを働かせてプレゼントを用意、それを小町が発見して乗っかった父の日でさえ、感謝されたのは小町だけだった日があった。

 ……以降、プレゼントなぞしてないが。

 ほれ、誰がきっかけでとか気づかなければ、人間なんてこんなもんだろ。

 などと思っていたんだが。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 コチャッ……

 

「コーヒーを……お持ちしました……」

「ありがとう」

「………」

「………」

「………」

「あの……絆ちゃん?」

「むう。ザイモクザン先生ならここで、ズズ……と飲んで“オー、ブルーマウンテン”とオリバってくれるのに……!」

「ごめん……なんの話かわからない」

 

 結衣の誕生日も過ぎた今日。

 ブルマとマンゴープリンでいろいろあった店の中も、現物を出してしまえば落ち着いたもの。

 三浦も紅茶とマンゴープリンをつつきつつ、美味しさのためか笑顔だ。

 

「しっかし、父の日って相変わらず暇だよな。やっぱり他の日より軽視されてるんじゃねぇの? パパ悲しい」

「不思議だよね。あ、でも……あたしもあんまり、パパのこと祝ったことなかったなぁ……」

「うちは小町が祝えばそれでハッピーだったな」

「そして我が家は絆と美鳩! 我らはパパを全力で祝うものとする!」

「Si……! 毎年、ママの誕生日と父の日には全力で挑む我ら……! とても家族愛に溢れたジャスティスファミリー……!」

 

 父の日は他の日よりも静かなもんだ。

 ちゃんと父の日としてコーヒーが安かったり、社畜な日々を送るあなたへ安らぎをとばかりに、MAXが通常の値段と同じで提供されるっていうのに。

 あ、もちろんコーヒー苦手なパパな人用に、紅茶等もいいお値段。

 ケーキだって割引されてるのに……やっぱり来る人は少ない。

 常連さん達は普通に来てくれるのだが。

 

「比企谷くーん、豆、運び終わったよー? ……~……は~~っ……、コーヒー豆って結構重いんだねー……。私、もっと軽いかと思ってたよー」

 

 倉庫の方から“たはー……”と息を吐きながらやってくるのはめぐり先輩。

 注文しておいた豆が来るから整理を、って段階で“先輩にまっかせなさ~いっ”なんて腕まくりをするもんだから、任せてみたんだが……なんかもう虫の息っぽい。

 ほんわかめぐりんオーラは自分には効かないようだ。癒しが足りない。

 

「城廻先輩、とりあえず水をどうぞ」

「あっ、ありがとうね、雪ノ下さん」

 

 水をくぴくぴ飲む姿からは、なんというか年上としての威厳もなにも見えはしないし感じもしない。

 実に和む。いや和んでちゃだめだろ。

 

「うんっ、じゃあ次、なにをしよっか」

「あー……それじゃあ接客等をお願いします。結衣、説明いいか?」

「うん、任せて。それじゃあめぐり先輩」

「うん、よろしくね、ガハマちゃん。まだまだ慣れなくて」

「慣れる慣れないの判断は大体一ヶ月っていいますし、全然おっけーです。じゃあ───」

 

 めぐり先輩への説明は結衣に任せて、カウンターに戻る───と、丁度そこへお客さん。

 

「《からんから~ん♪》おーう、今日父の日だってな! 大将、MAXセットチャレンジ一丁ね! っへへー、今日こそクリアしてやるぜぇえ~~……!」

 

 頼み慣れてる人なんかは、入ってくるなり俺に注文を投げる。

 すぐに絆と美鳩が動くが、「よぅっ、絆ちゃん美鳩ちゃんっ、今日もかわいいねぇ!」なんて気さくに言うだけで、座る席も適当。

 

「まるで居酒屋気分ね」

「あの人、自由だからなぁ」

「以前からの知り合いだったりするのかしら」

「……あの人、雪ノ下建設の関係者だぞ」

「───」

 

 あ、微妙そうな顔した。

 まあなんにせよだ。今日はきっとそこまで忙しくもないだろう。

 こんな日はのんびりと過ごすのも、心のゆとりには必要なことなんじゃないかね。

 

   ×   ×   ×

 

-_-/由比ヶ浜結衣

 

 日付が変わった瞬間、あたしの誕生日から父の日に変わる。

 昔は全然気にならなかったその日が、絆と美鳩が産まれてヒッキーがパパになってからは、驚くくらいガラリって変わった。

 相変わらずパパへのお祝いって気持ちは湧かないけど、あたしにとってはいつの間にかとても大事な瞬間になっていた。

 今年は特にありがとうだ。

 だって、すっごく祝ってくれて、嬉しい気持ちのすぐあとに、そんなありがとうをいっぱい返せるんだ。

 ほんとなら“子供が父親に”、とかそういう日なんだろうけど、ヒッキーに対してありがとうがいっぱいな気持ちのあとに、パパにありがとう、なんてちょっと違う。

 それが変わったのはやっぱり、ヒッキーが絆と美鳩を抱きかかえて「これで俺もパパか」って言った瞬間から。

 そんなことがあってから、自分の誕生日と同じ月に父の日があることが、密かな嬉しさだったりする。

 ……ゆきのんが言うには、密かな、どころかちっとも隠せてないらしい。そ、そんなことないと思うけどなぁ。

 

「………ヒッキー……」

 

 日付が変わった瞬間、愛されてたあたしは愛し返して、驚いてるヒッキーと一緒になってベッドの上で……その、えと。

 ちょっと……うん、ちょっとだけ寝るのが遅くなっちゃったけど、眠気も残ってないし、むしろスッキリ。

 一緒のベッドで眠るヒッキーの顔は綺麗なもの。

 えと、“無垢”っていうのかな。目を開けてたって格好いいけどさ。

 目から“腐った”って言葉が抜けただけで、ヒッキーはすっごく格好良く見える。

 でも、だからって好きになるのとは違って、あたしはヒッキーだからもっともっと好きになる。

 目が腐ってても腐ってなくても、ヒッキーはヒッキーだから。

 

「…………ぁぅ」

 

 それはそれとして。

 目が覚めてから、その。お腹のあそこに違和感。

 深く愛し合ったあとは大体繋がったままだから、もちろん今日もだった。

 体勢を変えようかなって動くと、ヒッキーのカタチが解って、恥ずかしくて…………嬉しくて。

 えと。

 それ以上に、ちょっと…………うん。ヒッキーの顔見てたら、スイッチ入っちゃって……。

 ……ご、ごめんねヒッキー。好きすぎて、ごめん。

 でも……ヒッキーだって悪いんだからね? 昨日、あんな嬉しいことばっかしてくるから、好きすぎて……もう……!

 

<ン、ンン…? ア、ユイ…ンクッ!? エッ、ア、オイチョッ、ウァアアアァァーーーッ……!!

 

 

……。

 

 ……え、えと。

 久しぶりに朝からあたしからしちゃって…………こうして一緒にお風呂に入ってスッキリして、こうして仕事をして。

 やっぱり思うんだ。こういうの、いいなーって。

 

「あっと」

 

 軽食の注文が入った。

 今日は“父の日”。

 今日だけは、軽食にもとっても力を入れる。

 その場をめぐり先輩に任せるとキッチンに向かって、軽く腕まくり。

 

(えとー……食べる人はヒッキー、ヒッキー……!)

 

 ヒッキーに食べてもらうつもりで頑張って作る。愛情は乗せないけど。

 ……うん、やっぱだめだ、友達に食べてもらう感覚で作ろう。愛情は家族と親友にだけ与えたい。

 

「………」

 

 ふと思い立って、別の器を用意。

 本当に、気まぐれだったんだと思う。

 軽食を作り終わって、それをヒッキーに届けて。

 キッチンに戻ると、その器に……キャットフードを盛りつけた。

 

「………」

 

 ペット用の固形食糧が、ざらららららって器に落ちる音に胸が痛む。

 思い出の中のあたしが、それをあたしがあげちゃっていいの? って訊ねてきてるみたいで、怖い。

 ただエサをやるだけだ。普通のことの筈なのに、器を持つ手は震えて、匂いを嗅ぎつけたのか音を聞いたのか、猫のヒキタニくんがにゃあと鳴いて、長机の上のクッションからひょいと降りて、寄ってくる。

 猫は、苦手だった。今ではそうでもない。

 犬が大好きだった。今ではそうでもない。

 あたしはきっとサブレが好きだったんだ。犬ならなんでもよかったわけじゃない。

 すり、と足に頭をこすられる感触。

 思った以上に体が跳ねて、心臓がどくんどくんってうるさい。

 

(こんなの、簡単だ。器を持って、屈んで、置いて、離せばいいんだ)

 

 そう思う。

 思うのに、上手くいってくれない。

 

(……やだな)

 

 この子は悪くない。

 誰が悪いとかじゃない。吹っ切れなきゃいけないわけじゃない。

 ただの心の問題。

 

「…………、んっ」

 

 息を飲んで、お腹に力を込めて、屈んで、器を離す。

 すぐに猫が器に顔を突っ込むようにして、豆みたいなキャットフードをカリコリ噛んでく。

 

「……はっ……」

 

 たったそれだけなのに、体から力が抜けて、その場にぺたんって座りこんでしまった。

 手は震えて、咄嗟になにをしようとしたのか、自分の行動を振り返って……悲しさが溢れてくる。

 撫でようとして、失敗したんだ。

 

「………」

 

 大事なものを失うのは怖い。……とっても、怖い。

 大事なコだったっていうのもそうだし、ヒッキーとゆきのんとの出会いを作ってくれたコでもあった。

 ばかだなぁ、って思う。

 情けないなぁ、て思う。

 でも、いつまでも引きずって、なんて言われるのは違うって言える。

 あたしだって悲しいことばっかり思い出してるわけじゃない。楽しいからこそ悲しいんだ。

 覚えていられるなら悲しくていいって思ってた。

 でも……悲しさだって喜びだって、時間が経てば消えちゃって。

 写真を見なきゃ、サブレがあの時どんな顔だったか、なんてことさえ思い出せない時があって。

 忘れちゃったら楽なのかな。

 忘れちゃって、他のコを飼って、笑っちゃえば、あたしは───

 

「っ!《ぱぁんっ!》」

 

 頬を叩いて一喝。

 だめだっ! うんっ、だめっ! 今日はヒッキーの日っ……じゃなかった、父の日っ!

 暗い考えなんていらないいらないっ!

 そうだ、暗い考えとして思い出したいわけじゃない。

 少しずつ慣れていこう。一歩一歩。うん。

 

「………」

 

 ごくりと息を一飲み、ヒキタニくんにちょんと触ってみた。

 にゃあ、って鳴かれてびっくりした。

 

「………」

 

 動物を抱きかかえて無邪気に笑う、なんてことはまだまだ無理そう。

 でも……そだね、一歩一歩だ。

 

……。

 

 喫茶店に戻ると、いつの間にか随分と賑わってた。

 あたしがもたもたしてる間にいっぱい客が来たみたい。

 それを見て、葉山くんと優美子が立ち上がって、レジの前に。

 

「混んできたみたいだし、そろそろ帰るよ」

「帰れ!《どーーーん!》」

「はは……絆ちゃん、コーヒー一杯で居座っちゃって悪かったから、そんなに怒らないでくれないか───って、なんだいこれ」

「コーヒー一杯につき一枚引いてもらうくじ引きである! ちなみに引けるのは男性のみ! さぁ引けやれ引けさぁさぁさぁ!《ドシュドシュ!》」

「わ、わかった! 引くから! 引くから箱を突き出しまくらないでくれ! 引けないだろこれじゃあ!」

 

 箱……へー、あんなの作ったんだ。

 いつの間に、って思ったけど、たぶん絆と美鳩がだよね。

 とか思ってたら、くじ引きBOXを手にする絆を発見した美鳩が、仕事もそこそこにすすす……って絆の隣に戻ってくる。

 

「ちなみに一等とかそういうのはあるのかい?《ゴソゴソ》」

「Si、提供ははるのん。雪ノ下建設の野郎どもが疲れて訪れるだろうから、それで労ってくれーって」

「はるさんが? へぇ……! なんか私もやってみたくなっちゃった……え? コーヒー一杯頼めばやっていいの?」

「城廻先輩、仕事中です」

「あぅ……そ、そうだよね……うん」

 

 しょんぼりするめぐり先輩をよそに、葉山くんがくじをひく。

 結構大き目な箱に何枚も入ってるみたいで、かき混ぜるようにしてからピッと取った一枚を、絆に見せた。

 

「はい、これでいいかな」

「押忍、端っこを破いて中身の確認をどうぞ。書いてあるものがそのまま景品!」

「《ぺりっ……》えぇ、と……」

「隼人、なに出た?」

 

 気になるのか、優美子も横からくじを覗き見る。

 う、うー……うん、あたしも……ちょっと気になるかな。

 ……めぐり先輩がもうすっごく見てる。めぐり先輩、陽乃さんのこと好きだよねー。

 

「あ……カフェオレ無料券だね」

「!?《びくっ》っ……あ……」

 

 カフェオレって聞いて、昨日の今日だったから肩がびくんって跳ねた。

 べつに普通のことなのに、今日だけはカフェオレはやだなって。

 

「───! ぴんぽんぱんぽーん! おめでとうございます! 引き直しチャンスです! さあ引き直してくださいさぁさぁさぁ!!」

「えぇ!? いや絆ちゃん!? これほら、カフェオレ無料券って……俺これでいい───」

「黙れ小僧!!」

「小僧!?」

 

 困惑する葉山くんをよそに、ヒッキーが無言で近づいてきてカフェオレ券をスポッて回収。

 あたしの手にきゅっと握らせると、そっぽを向いて仕事に戻ってった。

 

「………」

 

 ~~……ちょっと暗かった心がもうぽっかぽか。

 あたし、単純だなぁ。

 

「えぇと、じゃあ《ゴソゴソ……コサッ》これ、かな。で、中身は……MAXバスターチャレンジ無料券!?」

「おめでとうございます! その券を手に入れたあなた様には、次回来店の際には問答無用でMAXコーヒーとバスターワッフルが提供されます! 絶対にだ! 逃れることは出来ん! 顔は覚えたぞコノヤロー!!」

「い、いやっ……全力で遠慮したいんだけど!?」

「ノー! 返品は効きません! だめネ! 絶対ダメ!! フフフハハハハハハ!!」

「……激写《ぱしゃり》」

「この状況で写真を撮るとかやめてくれ美鳩ちゃん! 不安になるじゃないか!」

「いーじゃん、無料ってんならもらっとけば?」

「優美子はあれの恐ろしさを知らないからそんなことが言えるんだ!」

「え……なに? ちょっと結衣、これそんなにヤバいの?」

「えとー……ん」

 

 ちょい、とさっきの雪ノ下建設の人をこっそり指差してみる。

 ざくり、とバスターワッフルを齧って、「おごぁああああああ!!」って悶絶してるところだった。

 

「………甘いのが苦手な人なん?」

「あの人、相当の甘党だよ?」

「……マジ?」

「うん。葉山くんも半分くらいしか食べられないで脱落してるんだ」

「うわっ……あ、結衣? さっきのカフェオ」

「ヤ」

「ヤ、って……いやカフェオレだけど交換───」

「やだ」

 

 カフェオレは渡さない。これは意地だ。

 無料券を守るようにして言うと、優美子は“たはっ”て感じで笑って、頷いてくれた。

 

「わかった、おし、ほら隼人、べつにいーじゃん? それで。二人で分けて食べよ? 次回はタダってことなんだから」

「グフフフフフその軽口が次回のいつまで保つことか……! 楽しみにしておるぞお客様どもめが……! またの来店を心より、もうほんと心よりお待ちしておるぞ……! グフフヘヘハハハハハハカカカカカッカッカッカッカ……!!《ぺしっ》はたっ」

「こーら。……ったく、なんでそこで、“悪役老人が笑う声を忠実に真似ました”みたいな笑いを絞り出すんだよ」

「もてなしたいのか怪しまれたいのかどっちかにしろし……」

 

 あ、でも解るかも。

 なんでか悪役っぽい人ってあんな笑い方するよね。

 

「はぁ……まあ、二人でならいけるかもしれないしな……わかった、これはもらって帰るよ」

「その覚悟に敬礼!《ビシィ!》」

「敬礼……!《ビシィ!》」

「従業員に覚悟を認められるようなもん売んなし……」

 

 あ、あはは……それは、まあ確かにそうかも。

 苦笑いしてた葉山くんが優美子を連れて出ていくと、あたしたちは思い思いに動き出す。

 さてと、洗い物とかパパッと───

 

「《からんからんっ》すまないっ、手帳を忘れ───」

「確保ぉおおおおっ!!《ギャオッ!》」

「いらっしゃいませお客様ご注文はバスターですねそうですね美鳩は今こそあなたを歓迎するジャステイス!《シュバタタタタッ!》」

「え───うわっ、うわぁああああっ!?」

 

 空気が一瞬緩んだ途端、葉山くんが忘れ物を取りに戻ってきた。けど、忠告した通りに“次に来店したら”って条件のもと、絆と美鳩がいきなり走る。

 驚いた葉山くんは思わず逃げ出しちゃったみたいで、バタムと扉が閉ざされると……訪れる静けさ。

 ヒッキーが「あー……はぁ」って溜め息を吐いて、葉山くんと優美子が座ってた席にあった手帳を手に取ると、店の外に出てって葉山くんに渡してた。

 ガラス越しに見る葉山くんは、やっぱり本当に驚いたのか、胸に手を当てて呼吸を整えてるみたいだった。

 少ししてヒッキーが戻ってくると、二人はべしりとおでこを叩かれてた。

 

「知り合いとはいえお客さん驚かせてどーすんだ、ばかもの」

「ククク、平和に埋もれた世界にこの絆一等兵が刺激を……!」

「忘れ物だろうと次回は次回……バスター恋しさに戻ってきたかもしれない。なのに驚かすようなことをした……反省《ぺしり》はぅっ」

「反省する点が明らかにまちがっとるわ」

 

 軽いチョップが美鳩のおでこに当たった。

 うーん、これで来づらくなったりしなきゃいいんだけどなぁ二人とも。

 

……。

 

 そんな感じで……じゃないね。葉山くんと優美子の例はあくまで特殊で、それでも今日もぬるま湯は平和だ。

 みんながみんな楽しみながら仕事して、お客さんとの会話も楽しんで。

 くじでいいのが出れば、お客さんも喜んで。

 

「おっ、ティラミス無料券!? やった大好物! え、え!? これ今すぐもらえんですか!?」

「いえ、基本次のご来店時の注文から有効です」

「そっかぁ……持ち帰りしたかったのになぁ。あ、じゃあ出てすぐ入ったら───」

「クフフ甘いわ。来店したなら喰らわせるのみぞ。この比企谷絆、無料で持ち帰りなど許しはせぬ。ましてやいろはママ特製ティラミス! それを鮮度抜群の内に食わぬなど!」

「あ、いや、実は娘が入院していてね」

「いろはママぁあっ! お持ち帰りでティラミスいっちょぉおおおっ!!」

「えぇええっ!?」

 

 ……うん。でもちょっと落ち着こうね絆。

 お持ち帰りOKなのにノリでお客さん混乱させたから……ああほら、後ろからヒッキーが「《ぐわしっ》はぴょっ!? あ、あっ……ままま待ってくださいパパ今のはちょっとしたジョーク! ジョークってやつで《メキメキ》ギャーーーーッ!!」……うん。アイアンクローした。

 

「うぐっ、うぐぐぅう……! 馬鹿な……! ハリセンが無くなれば、やさしくこう、ツンッてやって“悪戯はだめだゾッ★”ってパパがやってくれると信じてたのに、むしろハリセンの方がやさしかったなんて……!」

「はぁ……ハリセン隠したの、やっぱりお前か」

「フフフ、隠したなどとなにを甘いことを……! この比企谷絆! 自身を攻撃するための武器なぞ分解し、折り紙の要領で兜にしてくれたわ!《ぺちーん!》はぷぅっ!?」

「神棚にデカい兜飾ったのはおのれかぁーーーーっ!!」

「イエス・アヴドゥル!《ぺちぺちぺちぺち!》いたたたたた!!」

 

 胸を張った途端にまたおでこを叩かれてた。

 絆はほんと元気だなぁ。

 あたしも学生の頃とか、みんなからはこんな感じに映ってたのかな。

 ……や、やー、あたしあそこまで無茶はしなかったよ……ね?

 ところで“いえすあぶどぅる?”ってなに? ヒッキーに訊いてみたら、イエス・アイアムのことだって。

 

「はぁ……比企谷くん、5番さんがお帰りよ」

「っと、絆の額をぺちぺちしてる場合じゃないな」

「そ、そんなひどい……! 絆をこんな体にしておいて……!」

「おう、元気で健康に育ってくれたな。この調子ですくすく育てよ」

「むふーん! りょーかいであります! えーとほいほいほい~っと。はいっ! 720円になります! 1020円のお預かり! 300円のお返しです! ありがとうございましたー! ……パパ! ここで“またお越しくださいね”って言うのと“雷おこしください!”っていうの、どっちがいい!?」

「考えるまでもねーだろ……」

「わっはははそだね! じゃあ───雷おこしください!」

「よーしわかったお前は考えような?」

 

 ほんと、このコは元気だ。

 それにポンポンと言葉を返せるヒッキーもヒッキーだけどさ。

 

「冗談はさておき! さあくじを引くがよい! なにかが無料になるかもしれん! 引けー! 早く引くんだー! どうなってもしらんぞー!!」

「いいからお前は少し落ち着け」

「らじゃっ!」

 

 やがてくじを引く、少し太ったおじさん。

 どこか楽し気にぺりぺりってくじを開くと、そこには───

 

「おおっ!? これはまたなんと不運な……お客様が手に入れたのは命令券です!」

「ムホッ? 命令券……?」

「……こほん、そこは美鳩が説明する。命令券とは、命令できる券。命令できる。でも相手がそれを聞く理由にはならない。それだけ」

「つまりハズレくじだね。というわけでまたのご来店をお待ちしておりまー───」

「ちょっと待ってくれんかね。……これは、命令ができるのかね? 従業員になら、誰でも?」

「はあ、できますけど。残念でしたね」

「残念なものかね! では早速使わせてもらおう!」

「あ、使います? ではどうぞー」

 

 ……え? え? 命令って……え?

 なんかぞわぞわって嫌な予感がして、ヒッキーを見る。

 や、見ようとしたんだけど、ヒッキーは素早くあたしの前に来てくれて、じろじろあたしを見るおじさんの視線からあたしを守ってくれた。

 

「その……ぶふぅ、そこの女の子と握手させてくれんかね」

「───!」

 

 ぞわってきた。

 やだ。

 ヒッキー以外の人に触られるとか、必要じゃないこと以外でなんて───!

 

「はい、ではご来店ありがとうございましたー」

「ございました……」

「ございました、っと」

「ええ、ありがとうございました。……」

 

 寒気が入って体が強張ると、そんなあたしの前にゆきのんも立ってくれる。

 二人はあたしを見て、安心していいよって顔で笑ってくれた。

 や、ち、違うんだよ? あたしだってほら、ヒッキー以外に触られるのはって恐怖みたいのが無ければ、体が強張ったりなんて……。

 

「…………ぶひ? ───な、なにを言っておるのだね? まだ握手は───」

「あの。それ命令券ですよ? さっきの話、聞いてました? 命令できるだけです。叶えるかは言われた人次第なんです。つまり、どこまでいってもはずれくじですってば。大声で命令してみても、わたしたちはな~んにも聞かなかったという、一種のスカっとしてください券みたいなもんです」

「………」

「黙って帰れば男としての狙いはバレず、命令すればなにが狙いかを暴露することにもなる……人の欲望は恐ろしい。ノンジャスティス」

「まったまたぁ~~~っ、とってつけたような言い訳を。はずれくじとか言って、ほんとはこんなもの一枚しかないんでござろう? ほれっ、見せてみたまえ!」

「あっ!」

 

 にんまりしたおじさんが、絆の手からくじ箱をひょいって取って、中身を取り出してべりべりっていっぱい破る。

 でも出てくるのは命令券ばっかり。

 そりゃそうだよね、はずれなんだから。

 

「……OH」

「……お客様。とりあえずコーヒー5杯分、飲んでいきます?」

「ぶひっ!? …………あの、俺、ザイモクザンの執筆仲間で───」

「……ざいもくざん? って誰?」

「あ、そっか、めぐり先輩は知らないんだっけ。中二のことです」

「……中二?」

「あ、えと」

 

 どう説明したらいいのか。

 考えているうちにヒッキーは電話をして、

 

「《たしたしたし……prrrr》あ、戸塚? 今うちに材木座の仲間ってやつが───」

「戸塚さん!? ヒィイあの人に恥を知られるとか勘弁でござるーーーっ!!」

 

 相手の弱点を的確に狙った行動をとってた。

 その中で聞いた話じゃ、中二が書いた喫茶店の小説の元になったここを知ってみたくて来たら、父の日フェアで心わくわくだったんだって。

 で、命令券なんてものが出たから期待しちゃったとか。

 

「いえあの……ほんとごめんなさい……。調子に乗ってました……。命令とかちょっと憧れだったンス……。もうしませんから……」

「相手がママじゃなきゃ、パパもこんなに反応しなかったのに……」

「へ? ママ? …………え? きっ……既婚者の、方? っていうかこんなに大きなお子さんが!? ウソォオ!?」

「あの……ごめんなさい。あたし、ヒッキー以外の男の人とかちょっと……」

「しかも丁寧にごめんなさいされた………………いや、逆に良かった! 一途な女なんて居ないとか決めつけていたが、そこまで潔癖なら……!」

「No……潔癖っていうか、パパが好きすぎるだけ」

「そだねー、ママは潔癖って言うにはちょっと違う気がするなぁ。ちなみに暇さえあればパパとらぶらぶちゅっちゅする仲だから、他の人が入り込む余地一切無し! 失せるがいい!」

「《びくんっ》おふっ……親を守ろうとする娘からの罵倒…………イイ……!」

「…………美鳩、やばいですどうしましょう、この人Mです」

「…………絆、やばいですどうしましょう、ザイモクザン先生でもここまでひどくない……」

 

 どうしたらいいのかなーって対処に困ってると、ヒッキーが間に入ってくれて、さいちゃんからの軽い伝言っていうのを挨拶みたいな軽口で伝えた。

 それはたったひとつの言葉。

 

  ……作品、もう出来たのかな?

 

「ぶひぃいいいいいいいいいっ!!!」

 

 それだけで、うっとりしてたお客さんが叫び、震え出した。

 そこからは早かった。

 お客さんはすぐに千切っちゃった5枚のくじ分の代金、コーヒー5杯分を払うとばたばたと走って、出て行った。

 あたしは溜め息を吐くヒッキーにぎゅーってされて、背中を撫でられて、頭も撫でられて、髪をさらさら手櫛で梳かされて、またぎゅーってされて…………ひ、ひっきー? みんな見てるよ? お客様も……ほら、えと………………えへー……♪

 

「あーあ、せっかくエスプレッソ無料券があったのに、拾いもしないでいっちゃうなんてもったいのない。パパ、これどうしよ」

「またくじ箱に入れときゃいいだろ。一応軽くシェイクして」

「Si……既に解り切った品を引くか、未知に挑むかはお客様次第」

「おおなるほど。さすがパパ! ちなみにこの絆ならばあえて別のを引く! 解り切った結末など、恋路に苦労を重ねた女の子が報われる瞬間のみで良し!」

 

 んー……あたしも別のを引くかな。

 解り切っていればいいのって、身近なものだけで十分だし。

 ほら、えっと……ねぇ? あたしがヒッキーのことをこんなに大好きだーって気持ちとか。

 

「おお……美鳩、ママがまたくねくねしてる……」

「きっとまたパパのこと考えてる……。ママがああなる原因、パパだけ……ジャスティス……とてもジャスティス」

 

 娘の声が聞こえると、ちょっとは冷静に、っていうか恥ずかしくて止まる。

 でも目ではヒッキーを追っちゃって、目が合うと胸がとくんって鳴って、なんか……なんかもう……うー、ヒッキー、ヒッキー……。

 いやいやだめだめ、今日は父の日なんだから、ヒッキーを助けるんだっ。

 あたしがもらってばっかじゃダメ。うん、いっぱいいっぱい返すんだ、昨日のありがとうも嬉しいも幸せも。

 だからすれ違うたびにキスしたり、抱き着いたり、ありがとうって届けたり幸せを届けたり。

 そーゆーのを積み重ねて、精一杯の恩返しを───!

 

……。

 

 どしゃあ……。

 

「パパが真っ赤になって倒れたーーーーっ!!」

「パパーーーッ!?」

 

 そして、やりすぎちゃったことを自覚した。

 

「ヒ、ヒッキー!? ヒッキー!」

「い、いやっ……大丈夫だから……! ただちょっと幸せすぎて突っ伏して……あぁ、その……」

「ようするにニヤケて仕方ない顔を隠して、存分にニヤケたのね」

「人がぼかしてることをハッキリ言うのやめません?」

 

 ゆきのんに言葉を返す今も、顔は真っ赤っかだ。

 なのに、ごめんって言おうとすると口を塞がれた。……口で。

 

「嬉しくて仕方ないからニヤケてんだよ。それを、くれたお前が否定しないでくれ。いいか? 俺はな、その、まじで嬉しいんだからな? そりゃめっちゃ恥ずかしいが、こんな恥ずかしさも嬉しさの中のひとつでしかねぇよ」

「《ちゅむっ》はぷっ……ふわぁ……~……ひっきぃ……!」

 

 頭が痺れるくらいのやさしいキスをされた。

 頭がとろけていく。

 このまま力を抜いて、ヒッキーに体を預けたいなって……そんな欲求が湧いてくる。

 でも今は仕事中だから我慢我慢。うん。その……また、夜にね?

 ぽしょりって届けると、抱き締められたあとに、ちゅって頬にキスされた。

 っ、ず、ずるいっ、なんか今のずるい! なんでか知らないけどきゅんってした!

 

「あ、あのー……すんません、会計お願いしたいんすけどー……」

「───」

 

 きゅんって何かが、じぃい~~~ん……って体を痺れさせてる途中、お客様がお帰りになる。

 ずるいけど絆を促して、あたしはヒッキーの腕を掴んで、その腕にぐりぐり~って顔をこすり付けていた。

 ごめんなさい今はちょっと無理、離れたくない。

 

「フッフフ、ママに会計をお願いしたいのなら、まずはこの比企谷四天王がひとり、絆を倒してゆくがよいわ」

「倒すって……あ、くじ引いていっすか?」

「あ、どーぞどーぞ」

「どうぞって言いながら、なんだってくじ箱を持ち上げるんだよ……」

「なんかポーズ取ってたほうがありがたく思えるかもしれないんだよパパ! というわけで、きっと見覚えがあるポーズ!《ビッシィ!》」

 

 絆が、箱を左腕で肩に抱えて、右手を頭の上から回すようにして支えに使う。

 そうして箱の口をお客さんに向けて構えて、くじを引いてもらう。

 

「あー……ジョジョ第四部のEDの、家を抱えてる東方仗助?」

「フフフまだまだ甘いねパパ……! ───宝貝(パオペエ)! 『ビーナス・愛の泉のあふるる壺』!!」

「引きたくなくなるからやめろ!」

「ヒッキー……お客さん、お腹抱えて笑ってる」

「うおっ……すいません、なんか」

 

 言いながら、頭を下げるためにするってあたしの腕を解く。

 突然無くなる温かさに寂しさを抱くのは、こういう時はダメ。お客さんは大切にしなきゃだ。

 

「いやいや、相変わらず可愛い娘さんじゃないですか。あ、じゃあ引かせてもらって構わないかな?」

「おお、どーぞどーぞ!」

 

 箱を抱えるのをやめて、普通に引いてもらう絆は笑顔だ。

 からかうことでヒッキーが構ってくれるのが、たまらなく嬉しいみたい。

 わかるなぁ、そういうの。

 あたしもヒッキーが構ってくれるならーとか、結構……や、やー……やらないよ? うん。

 ほら、今だって改めて腕を組むのが恥ずかしいからなのか、ヒッキー向こう行っちゃったし。

 

「……おっ、なんか一等っていうのが」

「一等!? おぉおお! おめでとうございますお客様! あなたが一等! 一等だあなたは! 一等のあなたには雪ノ下建設より、家族で行ける温泉宿泊券をプレゼント!」

「えっ……ほ、本当に!?」

「もちろんですとも! あ、ちなみに換金しようとしたら問答無用で捕まるのでお気をつけください」

「怖っ!? えっ……捕まる!? なんか危ない券とかだったりするんですか!?」

「No……お客様は解ってない。美鳩たちは温泉に行ってほしいだけ。それをお金に変えるなんて……許されることじゃない」

「押忍、つまりはそういうことであーる! 換金所には既にお話が通ってるし、友人にお金で譲ろうとしても、使えるのは“当選者のみ”です。“当たった”という幸運を……どうか売ることなどせぬよう」

「も、もちろん」

 

 そうして宿泊券を貰ったお客さんは帰ってった。

 ……結構むちゃくちゃなことしてるのに、ほんとよく無事だよねーこのお店。

 ほんとにまずいことになったら大変なんだけど、それでもたま~に思っちゃうことは事実なわけで。

 でも……うん、コーヒーも紅茶もケーキも美味しいもんね、ここ。

 

「でも一番の目玉商品が持ってかれちゃった……どうしましょうママ」

「これは困った……どうしよう、ママ」

「んー……商品ってさ、何等まであるの?」

「5等まで。はるのんが用意してくれたのがそこまでで、あとは商品無料で繋いでる感じ」

「そっかー……えっと。とりあえず命令券はややこしいからやめたほうがいいと思うな、あたし」

「さっきみたいなことが起きないとも限らないしね……ハズレだ~って言ったのに、よりにもよってママに手を出そうとするとは」

 

 だねー、って返しながら、庇ってくれたヒッキーとゆきのんを見る。

 ゆきのんは注文された紅茶を淹れて、ヒッキーはちらちらあたしのこと見てる。

 ……気にかけててくれてるんだなーって思うとくすぐったくて。

 あたしはてこてことヒッキーの隣まで歩くと、伸ばされた腕の中にぽすんって納まった。

 はぁああ~~~……って、なんだかえっと、例えるのが難しい幸福の中で力が抜けてくけど、それじゃダメ。

 今日はヒッキーを甘やかす日なんだから、ぐっと我慢して逆にヒッキーの頭を胸に抱いた。

 わたわた驚いてるけど知らない。逃げようとするけどダメ。

 くせのある髪をさらさら撫でると、それがヒッキーの髪なんだって自覚していく度に、胸がどきどきしていく。

 自分にヒッキーの匂いをつけると安心するっておかしいかな。

 ……今は、おかしくてもおかしくなくてもまずは仕事か。

 頑張ろう、うん。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 仕事は滞りなく進んだ。

 

「ママー! クラブサンドみっつー!」

「はーい!」

 

 軽食を頼まれればせっせと。

 お皿も洗ってカップも洗って、ケーキ運んで、注文が途絶えたらヒッキーを抱き締める。

 

 「ぉわわわわ!? なんだどした!? なんだって今日はこんなに抱き締めてくるんだ!?」

 

 ヒッキーはこんなこと言って驚いてたけど、知んない。

 父の日なら、あたしはきっとパパを祝うべきなんだろうけど知んない。

 パパにはママが居るから、あたしはヒッキーだ。

 

「………」

「………」

 

 次第にくっついてもなにも言わなくなって。

 ヒッキーから寄り添ったりしてくれるようになって。

 そして、気づけば誰よりも近くに居た。

 

「……ヒッキー」

「……結衣」

 

 仕事が終われば誰に遠慮することもなく。

 あ、めぐり先輩が「ハワワワワ!?」って驚いてたけど、それでも。

 服を掴んで、引き寄せて。

 手を繋いで、引き寄せて。

 腕を組んで、引き寄せて。

 胸に抱き着いて、もっと、もっと───

 傍に居たくて、お互いが距離を潰し合って、じゃれ合って、キスをして、くすぐったくて、嬉しくて。

 一番近くを求め合って、お互いがこれ以上は無理だって気づくと、そのままじゃれ合った。

 

「……ふだっ……けほんっ、普段から、あの二人ってああなの……?」

「いえいえいえ、甘いです。言っちゃなんですけど、あれでもまだ甘いほうですよ、めぐり先輩」

「今日はじっくりくっついていくパターンね……。今はまだいいけれど、今回のくっつき方はこれからがむずがゆいというか、ショックというか」

「ママは普段がああだから、甘え始めるとすごいですよー……?」

「特に禁パパ状態が続くともうすごい」

「そうなんだ…………あれでまだ緩い方って…………す、すごいんだなぁ」

 

 今日くらいはずうっとあたしが包み込もう。

 そう思って、いつか彼が苦手と言った“やさしさ”で包んで、甘やかしまくった。

 あたしも嬉しいしヒッキーも嬉しいし、上手いこと気を抜くことが出来たと思う。

 それでも足りないから、仕事が終わってからも抱き締めたり頭を撫でたり、キスしたりして……えと、えとー……その。

 み、みんなが寝静まってからも、二人で抱き合って、繋がった。

 してもらうことよりもお返し出来ることの方が少ない気がして、やっぱりもらってばっかだなぁって思うのに、ヒッキーはいっつも「俺の方がもらいっぱなしだ」って言う。

 

「……いつもありがとう、ヒッキー」

「……いつもありがとう、結衣」

 

 いつも傍に居てくれることを、二人してありがとう。

 キスを交わして、くすぐったかったから笑って、今日もまたお互いの体力が続く限り、愛し合った。

 あ、や、えと。愛し合ったっていうか、今日はあたしが……って、うん。

 ……頑張った。うん。

 ヒッキーは顔真っ赤っかで、あたしもきっと真っ赤っか。

 でも……やっぱり幸せで、嬉しかったから。

 やがて自然と夢の中に旅立つその瞬間まで、今日もあたしたちはお互いを好きなまま、無防備にも身を委ねながら眠った。

 

  その日見た夢は、いつもとなんも変わらない普通の夢。

 

 でもそれだけでとても幸せだって実感できるような夢だったから、あたしは夢の中でも手に握りっぱなしだったカフェオレ無料券をヒッキーに差し出して、彼が作ってくれる彼の頑張りの証を口にして、穏やかに笑った。

 あたしが笑えば彼も笑ってくれて。

 それがたまらなく嬉しくて、近づいて、抱き締めて、抱き締められて。

 

  やがて朝を迎えて、幸せを噛みしめると、また繋がったままのおはようを届けた。

 

 ……えと。

 お、お風呂に入るところまでいつもと一緒。

 そこからはちゃんとシャキっとして、今日も頑張ろう、って張り切った。

 今日も平和なまま、あたしたちらしい一日を作っていけたらなって思───

 

「《からんから~ん♪》……や、やあ」

「確保ぉおおおおおっ!!」

「いらっしゃいませお客様ようこそバスターようこそMAXどうぞこちらへさぁさぁあさあぁあ……!!」

「うわっ!? うわぁああああっ!!」

 

 ……穏やかな、っていうのは無理かもって思った。

 まあでも、お互い笑顔だし、いいのかな。

 

「………ふふっ」

「……あははっ」

 

 視線を合わせれば可笑しくなって笑う。

 そんな一日を大事にしていこう。

 じゃあ、えっと。

 

「いやいやいやいやいやどうしてロープなんかちょっと絆ちゃんべつに逃げないから椅子に縛り付けるのはいや待ってくれ優美子は関係なうわわわわわぁああああっ!!」

「はぁ……んっ! もーーーっ!! 二人ともっ!? 落ち着きなさぁああああいっ!!」

『《びびくぅっ!》りょ、了解でありますママ!!』

 

 今日も、喫茶ぬるま湯は平和です。



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母の日で父の日なある日

こちら、pixivにてガハマさんの誕生日に投稿しようとして、寸前で寝落ちして誕生日にあげられなかったお話です。


 夏到来前の、じっとりとした梅雨。

 うんざりするほどの湿度を叩き出すこの季節を好む人などそうそう居ない。

 しかしながら、そんな日々の中にあって、今日という日を楽しみにする者も居る。

 期待に胸を膨らませ……いや、張るんじゃなくて膨らませなさいよ、そりゃ物理的には無理だろうけど、ブリッジしそうになるくらい胸張らんでもいいから。

 思わず心の中でツッコみを入れた相手は、そんな心境を察してくれたりでもしたのか、胸を張るのをやめて互いに頷き、思い思いのポーズをキメた。

 

「東!!」

「京……!!」

『わんにゃんショォオオオーッ!!』

 

 はい、毎年お疲れさん。今年もやっかましいわ。

 というわけで本日は6月16日、東京わんにゃんショーである。

 今年もぬるま湯一行で訪れたそこで、俺達は思い思いに行動を開始した。

 俺の隣には当然ながらの結衣。

 既に腕を抱き締め寄り添い、恋人繋ぎまで完璧にこなしている状態だ。

 

「ふははははは! わたしはこの時を待っていたー! 一年……一年である! なんというあっという間感! もっとのんびり生きていたい!」

「Si、まったくの同意。静かに穏やかに過ごしたいと思う心、実にジャスティス」

 

 だったら少しは静かにしなさいね。俺たち以外の客が何事かってこっち見てるでしょーが。

 てか、早速雪ノ下が居なくなってるんだが、もうほんとどうすんのこれ。

 

「雪ノ下先輩って、普段は冷静なのに猫が絡むと凄いですよね……。一緒の仕事、一緒に暮らす中で、時間が経てば反動とかで猫から離れたりするんじゃないかなーとか思ってたんですけどねー」

「俺もそう思ってた時期があったよ」

 

 悪化しただけだったけどな。どんだけ猫好きなの。

 代わりに、こっちの犬好きは……随分とまあ、犬から離れるようになったが。

 好きなままではあるが、サブレのこともあってってやつだ。

 雪ノ下だってカマクラがああなった時は……いや、わざわざ言うことじゃないか。

 

「パーパらっパッパッパらっ・パーパーパーパッパッパらっ♪」

「パーパらっ・パッパッパらっ・パーパーパー・パッパッパらっ♪」

「おはよー! さー、みなさん準備はいいですかー!?」

「はーい……!」

「いきますかー! 元気ー!」

「幻鬼ー……!」

「勇気ー!」

「幽鬼ー……!」

『ポンポポンポポンキッキー!!』

 

 しんみりしている中でも娘たちが元気すぎる。

 エグザイルローリングを二人でしつつ、なんでかポンキッキーズやってる。

 あとパーパラッパッパッパラって時、やたらと俺を見る。ラの部分だけ力を抜いて。パパって言いたいんだろうか。やめて? やっぱり周りの人達がじろじろ見てくるから。

 あと美鳩。お前、元気と勇気を別の意味で言ってなかったか?

 

「いきましょうパパ! わんにゃんは当然ながら、ペィングィン様やオウムインコが待っています!」

「今から胸のときめきが止まらない……! 気が高まる……! 溢れる……! ジャ、ジャスティス、とてもジャスティス……!」

 

 おい落ち着けブロリー、それ以上気を高めるんじゃない。

 つーか雪ノ下どうすんの。猫ブース目指したんだろうけど、あいつ方向音痴だぞ? 未だに。

 ジョイフル本田とか行くと、買い物メモを持っているにも拘らず毎度迷子になるレベル。いや、あれはジョイフルが品物の配置を変えまくるのが悪いのか。

 

「ゆきのんだったら平気だよ。小町ちゃんもめぐり先輩も一緒に行ってくれたし」

「小町は流されると一緒に騒ぐタイプだし、城廻先輩はアレだろ、その……ほれ」

「あー……あはは……」

 

 肝心なところで天然さんをやらかす。

 今回は時間が取れたこともあって、めぐり先輩もはる姉ぇ……もとい、雪ノ下さんも来ている。

 雪ノ下さんは主に、ママのんに美鳩の燥いでいる写真を撮ってきなさいと命じられたらしいが、全力無視で雪ノ下のところへ駆けだした。

 猫に夢中で周囲に目もくれない雪ノ下を激写する気満々である。ほんと、どうしてあの二人って過去はあんなにツンツンしてたんだろうな。

 

「じゃあ、時間も限られてますし回っていきましょうよ。入口前で立ってたってあの二人は落ち着きませんし」

「おう、そだな」

「うん。じゃあいろはちゃん、一緒に───」

「え? やですよ、わたしに胸やけしろって言う気ですか。いつまで経っても恋人気分のお二人の傍じゃ、落ち着いて動物鑑賞なんて出来ないじゃないですかー」

「そんなこと言わないよ!? ていうかさ、動物見に来たんだから、一緒に居ても普通に見れるんじゃ……」

「二人がどんないちゃいちゃっぷりをするのかが気になって集中できませんからキッパリイヤですごめんなさい」

「いちゃいちゃとかしないからぁっ! べ、べつに普通にしてるだけだよ? ね? ね、ヒッキー?」

 

 俺達夫婦のいちゃいちゃレベルが、世間一般では普通とは言わない件について。

 俺達の普通がイチャイチャレベルで、俺達のイチャイチャがもはや愛のひと時レベルらしい。とは雪ノ下談。なので申し訳ないが、首を振った。横に。「なんでー!?」と驚かれていたが、お前も一度雪ノ下さんにホームビデオと称した俺達の様子を客観的に見てみりゃいい。恥ずかしいわ。でも大好き愛してる。

 そんなわけで一色は……何故か俺を見て、にひひーといった感じで笑うと、さっさと行ってしまった。

 いやおい、初々しいカップルに気を利かせるレベルとかそういうの、今さらすぎて困るんだが?

 そんなんやらんでも普通にイチャ……こほん。

 最初は絆と美鳩も連れていくつもりだったんだろうな。声かけてたし。

 しかしあっさり『お断りする!』宣言である。

 

「いいのか? たまには雪ノ下さんとか城廻先輩と見て回るのもいいだろ」

「むっふふーん♪ べつにそれが今でなくちゃいけない理由にはならないんだよパパ! あとで時間を取ればよろしい!」

「Si、まずはパパとママと歩くこと。それが我らのジャスティス」

 

 次は甘兎(あまうさ)ローリング(高い位置で片手の掌を合わせ、スキップ調でくるくる回る)をやって上機嫌な二人。

 さあ動けやれ動けとこちらを急かしては、動かないとくるくる回っている。どっちが犬なんだかってくらい元気だ。

 

「絆、美鳩? べつに二人で楽しんできてもいいんだよ?」

「フン断る」

「即答だ!?」

「もうママ!? どれだけ叫べばこの思いは届くのだろうだよ! この比企谷絆は! パパとママと美鳩と! 見て回りたいのです!」

「ん、それは決して譲れぬジャスティス。というわけでママ。……いこ?」

 

 きっぱりと断言、しっかりと譲る気もない二人は、結衣を促してはうろうろと蠢いている。

 少しほったらかしてたら、ターバン巻いてるインド人がやるイメージのアレ(両手を頭の横で外側に曲げて、頭だけを左右に動かすアレ)をやり出し、その場でくるくる踊り出した。ええい鬱陶し……くはないが、落ち着きがない。

 

「ん、わかった。じゃあヒッキー、今年も───」

「おう。のんびり見て回ろう。ああしろこうしろとは言わんから、……自分のペースでな」

「……ん」

 

 少し寂し気に俺を見上げ、腕に抱き着いたままの結衣は笑った。

 ……で、歩きだせばそそくさと娘二人が俺の逆隣を狙って早歩きで来て、二人でべしべしと戦い始めた。

 俺の腕に手を伸ばしては、それを姉妹にべしりと叩き落とされるという謎の戦闘方式である。

 

「中々の腕捌きだが美鳩……! これはいったいなんの真似だ……!?」

「かつての姉、絆よ……。パパの隣は美鳩の理想郷とも呼べる特別な場所……! 大切に想う気持ちじゃあ、誰にも負けられん……!」

「ぬっ……!? 貴様ァア!!」

「気安く近づくな姉ェエエ!!」

「ぬぉおおァァ!? なんだその裂帛(れっぱく)の気合いはァァァ!!」

「今日から美鳩は乙女前の人生を歩むと決めた……! 絆は姉らしく妹に譲れ……!!」

「双子に姉も妹もあるかー!! そこはわたしんだー!!」

「だめ……! させない……! ここは美鳩の……!!」

 

 隣がべしべしやかましい。

 あとなんなのさっきの寸劇。瀬戸の花嫁?

 

「二人とも、ほんと元気だね……」

「特に何も考えずに……でもないか。家族思いなだけだろ。……その、俺も、お前もだけど」

「ヒッキー……~……んっ」

 

 頷いて、ぎうー、と腕に一層抱き着いてくる。

 俺はといえば、空いている手でそんな妻の頭をやさしく撫でながら、今年もまた……犬スペースへと足を運ぶのだった。

 

「おっと待っただよパパ! まずはペンギン!」

「お犬様、またはお猫様はメインディッシュ……!」

 

 ……運ばせなさいよ娘ども。

 

……。

 

 で、ペンギン。

 

「ねぇパパ? コウテイペンギンってエロいの?」

「なんてこと父親に訊いとんのだ」

Nn(んん)……ザイモクザン先生が、なんかそんなこと言ってた。最近、ペンギンを純粋な目で見れなくなってしまった、って」

 

 なにやってんのアイツ……ほんとなにやってんの。

 

「それはそれとして……わっほーい! わぁっほーい! ペィングィン様じゃー! なんという美しいフォルム! これで元気に動き回ってくれたなら、この絆も究極なまでに心惹かれるというのに!」

「Si。でもあの魚を丸飲みする瞬間は、いつも下腹部あたりが“ひゅい”って感じで怖くなる……」

「うん。あれは怖いねー。わたしでも怖いさー。怖すぎる絆さー」

「ところで絆。メインディッシュってさっき言ったけど……ディッシュは皿」

「うぬ、そだね」

「膝の骨のアレも皿、とかいうけど、ディッシュ?」

「……今この時、ジャンピングディッシュパッドという名が誕生した……!」

「絆、それだと露出骨折状態」

「おおう!? これはしまった!」

「ところで河童の頭のアレも……」

「おおディッシュ……!」

「ペンギン見てやれよ……」

 

 なんでペンギンブースに来て皿の話に夢中になってんの。

 結衣なんて……あ、人の腕に顔を埋めて、震えるくらい笑ってる。

 ……まあその。なら、いいのか?

 

……。

 

 しばらくペンギンの姿を堪能したのち、オウム・インコブースに来た……のだが。

 流石に二年連続はなかったらしく、パーマン大好きなアイツは居なかった。

 

「馬鹿な……」

「馬鹿な……!」

 

 ショックを受ける娘たちと、それに追い打ちをかけるように置いてある『おかしな言葉を覚えさせないでください』の立て札。

 これにはさすがに心当たりがありすぎて、つい目を逸らしてしまう。ていうかもう次行かない? 父さん恥ずかしくて、いやそれよりも申し訳なくて、ここに居辛い。

 

「おかしなことなど何もない! ヤツはあの時ようやく、パーマンが好きなこととカエルの共鳴を知り、ニワトリに進化したというのに!」

「大人はいつもそう……! 自分に都合が悪くなれば、こうして触れ合える機会ごと潰してゆく……!」

「おーい、次行くぞー」

『ラーサー!』

 

 言いたいことを言えたならそれでいいらしい。

 促せばあっさりついてくる二人。……結衣はアレな。腕に抱き着いたままだから、自然と一緒に。

 

「ところでパパ、今年は猫ブースには───」

「別に写真とか撮ったりしないならいいんじゃねぇの? つか、お前らが撮らんでも雪ノ下さんが撮りまくってるだろ。それか、撮られまいと必死で冷静なフリをしてるとか」

「くっ……気になる!」

「雪乃ママがどうなってるのか、とても気になり心配する心……ジャスティス」

「そうこれはジャスティス! さあ行こう美鳩! 正義は我らにあり!」

「……結衣?」

「ん、先に行こっか。ゆきのんの邪魔しないなら、あたしだって止めないよ?」

「そか。そりゃそうだ」

「ふふり。たっぷり猫の香りをつけて、ヒキタニくんに嫉妬させる……!」

「むふん。美鳩、お主も悪よのぅぉ~……!」

「お前らなぁ……。なんで純粋に可愛がる方向で行かないんだよ……」

「楽しみとはいろんな方向から味わうべきものだからだよパパ!」

「Ja……! それは絶対に譲れない、人としてのジャスティス……!」

 

 だからJaはドイツ語だと言っとろーが。

 

「じゃ、約束。ゆきのんは毎年楽しみにしてるから、邪魔とかしないこと。いい?」

「我が母のお望みとあらば!」

「Wenn es meines Muttis Wille……!」

「……? う、うぃー?」

 

 だからやめなさい。

 普通に使ってもわからん人の方が多いから。

 

……。

 

 そんなわけで猫ブース。

 色とりどり、大小さまざまな猫が存在するそこに……

 

「───」

 

 幸福にどっぷりと浸かりきった、かつての奉仕部部長が居た。

 ふれあいコーナーにて、猫を侍らせ、猫に乗っかられ、猫にじゃれつかれ、猫に指を舐められ、直後にかぷりと甘噛みされて……ああっ、至福だ! 今まさに至福の時を迎えている! 表情は変わらないのに、なんかわかる! わかるのがなんかツライ!

 ……そして、そこから離れた位置にて、からかうでもなく抱腹絶倒、笑いすぎて悶絶する雪ノ下さんと、それを介抱するめぐり先輩を発見。

 一色は───……あ。雪ノ下から少しだけ離れたところで他人のフリしてやがる。

 いやまあ……うん、無難、だよな。俺だってそうするわ。一緒に居ても止められるわけでもないし、邪魔出来るほど無粋なわけでもない。かといって“もしかして一緒に居るあの人も……”とか思われるのもなんか嫌なわけで。

 

「くっ……はるのんをとってもつつきたい……! つつきたいけど、楽しみは人それぞれだってママに言われたから……!」

「ん……きっとほうっておくのがはるのんにとっての幸福。ここはスルーして、美鳩たちも存分に楽しむべき」

「でもでも雪乃ママもつつきたい……!」

「美鳩的にはむしろそれを我慢するのが大変……!」

 

 だから落ち着こうなお前らは。見てみなさいあなたの母を。俺の隣でこんなにも冷静に───

 

「……どうしよ、ヒッキー……。自分で言ったのに、今すっごくゆきのんをなんとかしたい……」

 

 おい。見てみなさいとか言いそうになっちゃったじゃないの。口が滑らなくてよかったわ。

 

「あー……ほっといてやれ、幸福で周りが見えてないくらいな方が、人ってやつは幸せなんだよ……」

「う、うー、うー……~……うん……」

 

 幸福な時は周りが見えないものである。そして、見られていたことにあとになって気づいて赤っ恥をかくのだ。人生ってなんかそうやって出来てるの。ぼっちにとっては特に。

 だからとりあえずは、そっとしておくのが吉。

 今は猫たちと触れ合い、モフり、癒されよう。既に切り替えたらしい、娘たちのように。

 

「ほわぁあ~……! なんという毛並み、なんという触り心地……! 猫さん猫さん、シャンプーはいったいどこのものを……? もしやハーバルエッセンスなのでは? 猫シャンプーじゃないけど、この毛の芯まで潤っちゃうような滑らかな触り心地……! シャンプーされてイエ~スとか猫語で鳴いたりしてませんか?」

Vieni qui(おいで),Vieni qui……Nn……やっぱりロシアンブルーは懐かない……。既に誰かの色に染められてしまっている……」

「おお、いいよねロシアンブルー。一途な者達の集いとばかりのぬるま湯には、きっとお似合いのお猫様……!」

「パパ、ママ、もし次があっ───」

『却下』

 

 同時であった。

 や、ないから。可愛いとは思うけど、もし結衣に懐いたらどうすんの。

 

「パ、パパ? ママ?」

「だめ。もしヒッキーに懐いたりして、独占しようとしたら……その、ヤだから。だめ」

「まあほら、その……あれだ。サブレの時もいろいろあったんだよ。だからな、どっちかに懐いてどっちかを独占しようとする系の動物は、だめだ」

「むー……」

「……、ママ。ママはまだ……犬は、怖い?」

「ちょ、美鳩!? それはっ───」

「絆。そろそろ、踏み込んで訊いてみるべき。我らが愛するママは、そんなに弱くない。むしろ、母は強し」

「美鳩……」

「……ママ。聞かせてほしい。美鳩は……家族でここに来てるのに、そんな時に悲しそうな顔をするママが……悲しい」

「………」

「ママには笑っててほしい。パパの隣で見せてくれるあの笑顔が、美鳩は大好き。でも、たまに見ることがある、寂しそうな顔は嫌い」

 

 随分とまあストレートに。

 ……けど、それは俺も同じだ。

 こいつが……結衣がサブレと遊んでいた時の笑顔をもう一度見せてくれるなら、既にヒキタニくんが居ようが新たに犬を飼うことさえ頷ける。金はかかるが、第一に金の心配とかないわ。

 

「あたしは……」

 

 結衣の手が伸び、猫を撫でる。

 撫でて、撫でて……しかし次第に猫が嫌がって、するりと手から離れてゆく。

 

「怖いのは犬じゃないよ。……触れられて、思い出を作れる相手なら、きっと誰だって同じなんだ。大切なものを失くすのが、とっても……とっても怖いだけだから」

 

 その気軽に言える“だけだから”が重いから、踏み込めない。

 のだが───

 

「……犬ブース、いこっか」

 

 結衣が眉を八の字にして、顔だけは笑って、俺の腕を引っ張って……歩き出した。

 その引っ張る腕が、心細いくらいに力が入っていなかったから……俺は俺の腕を引っ張る結衣の手に手を添えて、「安心しろ」を届ける。

 結衣は振り向かないで……一度だけ頷いて、鼻をすすった。

 大事にすればするほど、別れの時は辛いもんだ。そんなことはわかってる。わかってるから、俺達は───

 

……。

 

 そして、犬ブース。

 目的地へ着いても結衣は止まらず、そのまま歩いた。

 歩いて歩いて……辿り着いたのは、ミニチュアダックスのコーナ-。

 

「おい……結衣?」

「っ……」

 

 右腕を俺の腕に絡めたまま、ぎゅっと、ぎゅうっと抱き締めたまま、左手を伸ばす。

 その先に居るのは、サブレと毛並みやらなにやら、よく似たミニチュアダックスだった。

 撫でてもらえると思ったのか、結衣を見上げて尻尾を振るい、俺には目も向けないミニチュアダックス。

 

「…………、は、ぁ……」

 

 深呼吸。

 焦っているという自覚もあったのだろう、結衣は自分に落ち着くようにと呟いてそして───

 

「うひゃあっ!?」

 

 伸ばしていた手を舐められて、深呼吸中にびっくりしていた。

 だが……それだけだった。

 そう、それだけだったんだ。

 

「……、~……───ん。ばいばい」

 

 結衣はそう言って、寂しげな顔でミニチュアダックスにぱたぱたと手を振った。

 

「え? え? ま……ママ?」

「ママ……?」

 

 驚いたかと思えば、急にやさしい顔に寂しさを混ぜたような顔で笑う結衣に、娘二人は戸惑う。

 俺は……なんとなくわかってしまった。

 きっとどこかで認めたくなかっただけなのだ。サブレはもう居ないのだと。

 街中で、散歩中の似た犬を見かけては、ああ……なんて思い返す日々は少なくなかった。

 それだけでもよかったんだ。似た犬が居れば、まだ思い出せるから。懐かしめるから。

 でも……触れようとして、違うということを強く認識させられれば、嫌でもわかってしまうこともあるんだ。

 ……結衣を相手にすれば、なかなか尻尾なんて振らなかったサブレ。

 撫でていても、すぐに避けようとするサブレ。

 俺が近くに居れば、結衣のことは無視してでも俺に懐いたサブレ。

 その全てがほぼ真逆だったのだ。

 だからわかる。冷静に、なれた。

 冷静になって、自分を振り返って、そして……もう、どうやっても戻らない日々を思い、受け入れ……

 

「~……ぁ、ふ……ぅ……あぁああ~……!!」

 

 懐かしむことも出来る。夢にだって出てきてくれた。

 でも……もう、触れることも、同じ反応を見ることもないのだ。

 だから泣いた。受け取って、受け入れて、悲しかったから、泣いた。

 瞬間、誰にも見せるものかと彼女を胸に抱いた。いつかのように泣く彼女の声が、周囲の賑やかさに紛れるように。

 娘たちはしゅんとしてしまい、何度か結衣の背に手を伸ばしかけ……止め、頭を下げて、歩いていった。

 

「………」

 

 親になるってのはほんと、難しいもんだ。

 こんな時、なんて言ってやればいいのかもわからない。

 娘に声をかけてやればいいのか、妻に声をかけてやればいいのか。

 だからせめて、胸の中で泣く妻の声が消えるようにと、強く強く抱き締めていた。

 

……。

 

 頑張って普通の顔をしているつもりの、ほっくほく顔の雪ノ下と、お腹を抱えたままにエフッエフッと苦しんでいる雪ノ下さんが、めぐり先輩が運転する車に乗り込んで去っていった。……てか小町何処行った? 途中から姿が見えなかったが。めぐり先輩に訊いてみてもあからさまに慌てた風で、でも教えてくれんかったし。……なんかあるんかね。ほれ、明後日のための根回し的ななにかとか。

 まあいい、ともかく……って、そういや一色も居ないな───と思ったらいつの間にか乗り込んでいたらしく、走り去る車の後部座席で手を振っていた。逃げやがったあんにゃろ。いやまあ気まずい空気があるのはわかるんだが。

 で、俺達比企谷家族はといえば……帰るわけでもなく、泣きはらした結衣の提案で、ペットショップへ。

 そこでわんにゃんショーと同じく真っ直ぐにミニチュアダックスの子犬が居るところまで来ると、結衣が俺に向き直って真剣な顔をして言ったのだ。

 

「……ヒッキー! ……お願いがあります! 一生のお願い───」

「わかった」

「早いよっ!? え、あ……い、いいの?」

「普段わがままらしい我が儘を言ってくれない妻が、他でもない夫に甘えてきたんだ。応えなくてなにが男だ」

 

 あ、抱き着いてくるとかそういう方向の甘えや我が儘は別な。

 俺もしてるし。などと思っていると、ソソッと絆が俺へと歩み寄り、

 

「パパぁン、絆、パパの愛が欲しいぃ~ん♪」

「毎度甘えてるやつは知らん」

「パパひどい!?」

 

 猫撫で声の言葉を発してきたので一蹴。

 

「No……わかりきった結末だった」

「うう、ちくしょう……」

 

 しかし、気まずかった空気をなんとかしようとしてくれたってのもわかってたから、そのまま絆の頭を撫でた。

 ほんと、家族に恵まれてるよ、俺も結衣も。

 

(……さて)

 

 それにしても、ようやく、って言ったらアレなんだが……ようやく。

 結衣はここからもう一度、犬に手を伸ばしてみようと考えられたらしい。

 嫁さんの新たな出発だ。手伝わないわけないでしょ。

 娘二人にしっかり確認を取り、とっくに帰っただろう雪ノ下たちにも連絡を入れて───あっさりと、だが元気に了承を貰えたからこそ、結衣はありがとうと元気に返し、俺はといえば───店員さんを呼び止めて、この子が欲しいんですけど、と───ちょっと待てメスだよな? 雄だと俺の嫉妬がひどいことになるんだが。

 などとくだらないことを考えつつ店員相手に説明をすると、俺は頬が緩むのを抑えるのに必死になりつつ、購入手続きを。

 やだやめて、落ちついて俺の表情筋……! 嫁が喜ぶことが何より大好きとか、周囲にバレると恥ずかしい。え? 周知? ほっときなさい。

 

「あ……申し訳ありません、この子、もう買い手が───」

「ならば相手の二倍出そう!」

「えぇっ!?」

「おいこら待て待て暴走娘」

「買い手の名前をぎぶみー……! 直接交渉して黙らせる……!」

「やめろっつーの」

「い、いえあの……! そ、そんな、急にいろいろ言われましても……!」

 

 ああほら泣きそうだからやめたげなさい、思いっきりバイトちゃんって感じじゃないの。

 

「うぬぬぬぬいい流れになってきてたのに、我ら比企谷の宿願の邪魔をするとはいい度胸! どうせこの裏っ返しになってる札あたりに予約者の名前が書いてあったりとかするのさ! 何者ぞ! 我らの行く手を阻む者は、さあ何者ぞ!」

 

 

 

   ご購入・ご予約のお客様:鶴見留美様

 

 

 

「………………OH」

 

 絆の、呆然としたような声が店内に響いた。

 お相手は、たまに喫茶店に来る、かつてとある林間学校がきっかけで知り合った女の子であった。

 

「ヌッハッハッハッハ! るみちぃとは腕が鳴るわ! さぁ行こうパパ! わたしたちのラスボスが決まった!」

「るみるみ姉さんなら相手にとって不足なし……! 美鳩のズビリッパコーヒーが火を噴く……Nn……? コーヒーだから火は無理……? じゃあ……? ───! 香りと湯気を噴く……!」

「客足が遠退くわ! 店潰す気か!」

「んうぅ……じゃあ……小町姉さんを呼んで、交渉してもらう……?」

「小町か……あ、あー……いや、俺が交渉してみるわ。っつか、あいつもなんだってこのタイミングで……?」

 

 結衣がサブレのことで犬と距離を取っていたのは留美も知っていた筈だ。

 なのに何故? 自分で飼いたくなった? ぶっちゃけると25万あたりもするのが普通で、軽い気持ちでは結構キツいと思うのだが……───あ。

 

「あー……その、店員さん?」

「え? は、はいっ」

「あ、あー……えっと……なんだ、その……」

 

 どう説明したもんか。いや、どう訊いたもんか。

 訊きたいことはひとつなんだ。留美と一緒に、雪ノ下建設の長女は来なかったかーって、それだけ。

 今となっては家族になった俺達であり、義妹にはやさしい雪ノ下さん。

 大方今回のことも実は陰でこっそり俺達の話を聞いたり様子を見たりしていて、購入を留美に任せたー……とか、そんなのでは? と考えてみたんだが。

 にしたって25万をPONと出せるのはどうなんだろう。あの人ならやりそうだけど。

 え? 俺? 出すぞ? 結衣関連だもの。

 ていうか結衣? どもってるのは別に照れてるとか気恥ずかしいとか、相手が女だからとかじゃないから、腕をぎゅーって抱き締めつつ、頬を膨らませて俺を見上げるの、やめない? かわいいでしょーがこんちくしょう。

 もうこれアレだろ。俺と結衣に“懐き度”とかがあるなら、俺も結衣もお互いにロシアンブルー並みに懐いてるし好きだろこれ……。

 

「……いや、ちょっと……すんませんね」

 

 店員にちょっと待ってくれのポーズを取って、ポケットからスマホを取り出す。

 妻に頬を膨らまされたら負ける。ほぼ負ける。ていうか負ける。勝ち目がない。問答無用で俺の意志が降参する。でも別にやましいこととか考えてるわけじゃないから勘弁してほしい。いや、今現在心が弱ってて、自覚出来ないくらい構って欲しい状態なのはよくわかってるんだ。サブレの夢で泣いた時の結衣がそうだったから。

 ていうか、そもそもだ。俺は接客は慣れたが、こちらが客として話しかけるのはまだまだ苦手なんだよ。だから出来ればいろいろと察してくれるとありがたいんだが……まあ、しゃーない。こういう時は、しゃーない。甘やかそう。存分に。

 あぁほら、あるだろ? 心細い時には構ってほしくなることとか。一人暮らしの病気状態とかマジそれな。しかし中々そうも言っていられないのが現実ってやつで。世界が俺だらけになれば、俺の行動からなにを考えているのかくらい、わかりそうなものなのにな。なにせ世界中が俺だから、あ、あいつ今ヘンテコなこと考えてるわーとか。

 と、無駄なこと考えてないで留美に電話をかけてみる。

 番号が変わってなけりゃ、出てくるはずだが……と、スマホでかけてみればワンコールで出た。速いよ。速い速い。

 

『……なに? 八幡』

「いや、ちょっと○○○のペットショップのことで訊きたいことがだな」

『───、切る』

「ちょ、待て待てっ、そういう反応が出るってことはなにか考えがあってのことだったんだろ?」

『別に。ただ相談されただけ』

「誰に? じゃなくて、あー……一色か? いや、途中から居なくなってた小町か」

『………』

「沈黙は肯定ってアレで受け取っていいか?」

『……別に。こっちから言う事なんて何もない。言わなきゃ言ってないのと一緒だし』

 

 相変わらず捻くれてらっしゃる。

 誰に似たんだか。

 とりあえず内緒の話がしたいから、結衣にも娘たちにも離れてもらって───あ、無理。宅のお嫁さんが抱き着いて離れない。

 人に甘えたくなる時ってあるよな。俺もある。もちろんある。

 ただそういう場合って、相手の方がてんで受け入れてくれなくて、心があっさり拗ねる方向に曲がってしまうため、甘えが成功する確率なんて微々たるものだ。

 しかしこのぼっち経験者八幡さんは違います。

 そういうところを拾えてこそ、かつてのリア充たちとは違うと頷ける。経験者は語るというやつだ。

 ……というわけで内緒の話なんて無理です無茶です許してくださいごめんなさい。

 苦笑をひとつ、せめて店員からは離れた位置で、一度スマホを持ったままに“ぎうー”と結衣を抱き締め撫でまわしたのち、留美に言う。

 

「父の日と結衣の誕生日。……ってことで、理由の関連性とかは片付くか?」

『……降参。コマさんにはお世話になってたから、ちょっとお願い聞いたってだけだから。詳しいことはこっちも知らない』

「そか。……で、このミニチュアダックスのことなんだが」

『明日引き取って、18日にぬるま湯に連れていく予定だったから、店員に言えば大丈夫だと思う。なんなら電話変わって。直接言うから』

「お前、こういう時は度胸あるよな……」

『……? 形式で固まった商談なんて、コミュなんて必要ないただの“お話”でしょ? こんなの、友達一人作るより簡単だから』

「………」

 

 順調に拗らせているらしい。わかるけど。

 苦笑が普通に笑いへと形を変える中、スマホを店員さんにホイと渡す。

 可愛らしく首を傾げたバイトちゃんはそれを受け取って、留美にいろいろ言われたのか、店長さんを呼んで電話を変わって、とテキパキ。

 さすがに声だけでは……と言う店長さんだったが、留美が店へ電話をし直したことで解決。

 てかほんと出来る女って感じで、普段ぬるま湯でマッカンを飲んでは愚痴ってばかりのあいつの行動とは思えない。

 

「……留美ちゃん、ゆきのんみたいだね」

 

 さすがに店が客の電話一本でテキパキと動き回るのを見て、結衣も少しは落ち着いたらしい。

 ぽかんとした顔でそう呟くと、少し恥ずかしくなったのか、腕から離れ───ようとするのを俺が止めて、その頭を胸へと抱いた。

 他の理由で恥ずかしくなってとか、そういうのいいから。甘えられる時に甘えとけ、このばか。そういう意味も込めて、抱き締めた。口には出さんけど。

 

「くっ……外でのるみちぃがここまで出来るおなごだったとは……!」

「ぬるま湯での、かつて“結婚したい”と呟いて飲んだくれていた平塚先生にも負けない、マッカンと愚痴を愛する女性というイメージが崩壊していく……!」

 

 やめなさい。ちょっとシャレにならないから、忘れてやんなさい。主に平塚先生のために。

 まあでも、出来る女だから愚痴が増えるってのもわかるのだ。仕事はテキパキ。でもプライベートでくらい砕けて愚痴ったっていいでしょ。だって人生だもの、どっかで息を吐かないと疲れちまう。

 で。だから。順番待ちしたって抱き締めないから、結衣の後ろに並ぶのはやめなさい二人とも。

 

……。

 

 そうして。

 結局はこちらがきっちり金を払い、結衣の心が変わってしまわない内に、ミニチュアダックスを購入。

 こういう場合、金のことを頭に入れてはいけない。せっかく迎えた新しい家族にケチをつけることになるし、いちいちそのことが頭にチラつくと、その度に自分の思考が鬱陶しくなるからである。

 

「………」

「………」

 

 車で自宅へ向かう中、結衣はずーっと移動用のケージに入ったまだまだ小さなミニチュアダックスを見下ろしていた。

 助手席で、膝の上に乗っけたケージの中が気になって仕方がないようだ。

 それも仕方ないことなんだろう、今までの反動だと思えば。

 

「ママママ、名前! なにはともあれ名前!」

「Si、とってもステキな名前を……! それをしてこそ我らが家族……!」

 

 じぃっと、不安と期待を混ぜたような顔で、ミニチュアダックスを見下ろしていた結衣が、娘たちの声に「あ……そっか」と顔を上げる。

 名前……名前か。まあ、店のメンバー全員に訊いたらややこしいことになるだろうし、ここは結衣にズバっと決めてもらったほうがいいかもしれない。

 

「じゃあ……んと。クッキー?」

「おいやめろ」

 

 変形とかしそうだから。あと声が形態によって変わったりしそうだから。

 小さくても頭脳は大人で、出歩く先々で殺事件が起こったり、目に絶対順守のギアス能力とか負荷してそうだから。

 

「……思い出に関連したのがよかったのに」

 

 いやうん、俺だってわかってはいるんだぞ? でもね? 世の中ってなかなかそう上手くはいかなくてね?

 ……印象って大事だわー、マジ大事だわー。

 

「思い出……むふん。ではこの絆から提案をば! ───“ゾンビ”!」

「絆、あとでアイアンクローな」

「ごめんなさい!?」

「絆はちょっと安直すぎる。ここはこの美鳩がとても心に染みる名前を。……“マックス”」

「バスターセットの前に散っていった客がドン引きしそうだから却下」

「じゃあ、じゃあ……えっと、総武高校……奉仕部~……ヒッキー、ゆきのん……あ、ヒッキーが助けてくれた時のことも……病院とか、菓子折り持ってったこととか……」

「いや、べつに思い出にちなんだもんじゃなくていいぞ? 確かに一層大事に出来るかもだけど、それって苦い思い出も漏れなくついてくるパターンだろ」

「あうっ……。じゃあ……」

「提案であります!」

「はい絆」

「そろそろママが“ヒッキー呼び”を卒業、このワン子に継承させて、パパのことを名前呼びに───」

「ダメ」

 

 即答であった。

 

「おおう……ママのパパ愛には勝てなかった……!」

「ならば次はこの真打、美鳩がいざ出陣……!」

「ぬう、ならばその次はこの真打、絆が……!」

「お前ら昨日の時代劇、見てただろ」

「うん面白かった!」

「Si、悪代官にはいつの世も下衆であってほしい。それは時代の流れにも負けない、明確な善悪のバランス。Nn……とてもジャスティス」

 

 まあ、そうな。でも名前とは関係ないから、時代劇に傾倒した名前つけだけはやめような?

 

「というわけで美鳩は“越後屋”を提案する……!」

「美鳩。アイアンクロー」

「!? ば、ばかな……何故……!?」

「はいはいはーい! では挽回するために絆、いっきまーす! ……んふふー♪ パパ、わかってるよー? ただの越後屋じゃあ芸がないよね? 越後屋は企み恨まれてこそ! そこでこれ! “おのれ越後屋”!」

「……絆。時間延長な」

「あれぇ!?」

 

 やめろ。マジやめろ。

 犬の名前呼ぶたびに、“おのれ越後屋……!”って越後屋を恨むことになるでしょうが。

 

「お前なぁ、日常の中でペットを呼ぶ際に越後屋を恨む馬鹿が何処に居るんだよ」

「世界は広いんだよパパ! きっとどこかに居るよ! 勇者が!」

「いやそれ間違い無く蛮勇として家族から馬鹿にされる方向だからね? 最初のインパクトだけで、冷静になってから周囲の目が気になって後悔するパターンだから」

「ぬぐっ……名づけとはかくも難しいものか……!」

 

 ヒキタニくんの時点で学んでくれ頼むから。

 あと、そこで「いい名前をつけてくれてありがとう……」とか感謝しないの。こっぱずかしいでしょ、ちょっと。

 

「ヒッキーヒッキー、ポテト、っていうのはどうかな」

「消える飛行機雲を僕たちで見送りそうな名前だな……」

 

 や、アレ飼い犬じゃなかったらしいから、ある意味ではセーフなんだが。

 ……ぴこ、とか鳴きださないよな?

 蹴られても無傷で戻ってくるとかないよな?

 てかなんで食べ物関連? じゃがいもじゃだめなのかしらん? ……そりゃだめか。だめだわ。

 

「ポテトか。まあ店の中でポテト呼びするようなものも他にないし……」

「押忍! では正式名称ポテトで決定! なにせママがつけた! さすがのパパといえど文句などありますまい!」

「Da、きっととても良い犬になる……! というわけで早速あだ名、もしくは家族間での呼び名を決める……!」

「Daってロシア語だっけ? んまあいいや! この絆がきーちゃん!」

「この美鳩がみーちゃんと来れば……!」

 

 ? 順当に行けばポーちゃん? ぐはっ、もしそうなっても俺は普通にポテトと───

 

歩泰斗様(ぽたいとさま)……! この名を授けよう……!』

「おいちょっと待て馬鹿娘ども」

 

 なにそれ。……え? いやおいちょっとなにそれ、八幡マジでわかんない。

 

「いやいやパパ? ポテトってさ、こう……POTATOって書くじゃん?」

「Si、TAでテって読むのは日本人としてはどうにも微妙。だからまずはポタト」

「でもでもポタトって呼ぶのはママがつけた名前に失礼でしょ?」

「だからTAとTEの間をとってポテイト。うまるちゃんもポテトのことはこう呼んでるし」

「しかし、だからといってポタトっぽさを捨てるのもアレだから、さらに間を取ってポタイト」

「こうなれば、伝説の武人として名高い武泰斗様(むたいとさま)の名に近いこともあって、きっと強きお犬様として生きるであろうことを期待して、歩泰斗様(ぽたいとさま)

「然り! 武泰斗様の名にちなむなら、様をつけないなんて無礼の極み! ならばこそ呼びましょう! 歩泰斗様(ぽたいとさま)!」

「素晴らしい……! なんというジャスティス……! 美鳩は今、感動に打ち震えている……!」

「さっすがママだね! 絆たちをここまで感動させるなんて!」

 

 娘たちが後部座席でキャッホウと元気に騒ぐ中、前の俺と結衣は早速そのー……あれだ。頭痛が痛いっつーか。まあ、苦笑が漏れまくりだ。

 

「…………ヒッキー」

「……だいじょぶだ。俺はちゃんとポテトって呼ぶから」

「うん……」

 

 俺達がこんな会話をしている中、ケージの中のミニチュ……ポテトは、首を傾げつつ、ひゃんひゃん元気に鳴いていた。

 ……おう。これからよろしくな。いろいろ苦労があるだろうが、いずれ慣れるから。

 

……。

 

 やがてぬるま湯に着くと、車から降りてぬるま湯の中へ。……これ、言葉にすると風呂に入るみたいだよな。

 ともあれ、早速ケージから解放されたポテトが、不安そうに……でもなく、元気にズシャアと走って止まった。

 尻尾が千切れんばかりに振られている。どうやら新しい景色に興奮するタイプのお犬様らしい。……さすが狩猟犬。いや、それさすがなの?

 

「ようこそ喫茶ぬるま湯へ! 新たなる家族歩泰斗様(ぽたいとさま)!」

「……ちなみにだが絆、美鳩。そのあだ名は───」

「当然、フルネーム歩泰斗様(ぽたいとさま)! さん付けをしたいなら歩泰斗様(ぽたいとさま)さん!」

「Si,ヒキタニくんと同じ。とっても親近感が沸くと思う……! 家族を想う心、尊いほどジャスティス……!」

「まあ、名前云々は横に置いておくとして。まずはきちんとトイレの場所とか覚えさせないとな」

「サートンリーサー! この絆にお任せあれ!」

「No,ここは美鳩が動く……!」

「いや、もういっそ二人でやってくれよ……。結衣はどうする?」

「心配だから見てるね。絆、美鳩? ちっちゃい頃の動物は、なんでも繊細だから、あまり大声とか出しちゃだめ。まずはそこからね?」

「なんと!? お、おっとと……らじゃ、いえすマム……!」

Va bene(ん、わかった).」

「元気だからって急に動いて驚かしたり、追いかけ回したりもだめ。ストレスはあまり与えないの」

「ふんふん……?」

Wow(わあ)……いつになくママが饒舌……」

「それから───」

 

 それから、結衣は語り続けた。

 ヒキタニくんの時よりも、長く。いやまあヒキタニくんの時は雪ノ下の方がすごかったんだが。

 あいつに猫の説明させたらダメね。しっかり聞くなら半日くらい潰れるのを覚悟しなきゃならなくなる。

 

……。

 

 梅雨だというのに、不思議と晴れの日が続く今日この頃。

 まだ散歩は早いので、二階の居住スペースを歩かせる時間が続く。

 最初こそ絆と美鳩が我こそはと構っていたんだが、あっさりと結衣にダメ出しをされ───

 

「パパー! モカマロンケーキいっちょー!」

「おー」

「雪乃ママ、ダージリンが二つとアッサムひとつ、ディンブラでアイスひとつ」

「ええ」

 

 ───……6月17日、早朝開店、珍しく忙しい現在、結衣だけ二階にて、ポテトの躾中だったりする。

 今のところ結衣にはとても従順であり、かなり懐いているポテト。

 絆と美鳩が近づくとジリリと後ろに下がるあたり、初っ端から騒いだのかよろしくなかったらしい。

 あ? 俺? 俺はほれ、人畜無害だし? 近寄ったら首傾げられるぞ? むしろ顔を覚えられてないまである。……だめじゃねぇかそれ。

 

「くぅっ……犬がっ……! 歩泰斗様(ぽたいとさま)が気になるっ……! パパー、隙を見て二階に行ってみていーい?」

「だめ。おらー、集中しろ集中ー」

「パパだって隣にママが居ないだけで、調子狂ってるくせにー!」

「いやなに言ってんのお前。俺がそんなミスするわけがないでしょ。言っとくけどパパはあれだぞ? こう見えてかつては一人でなんでもこなしたぼっちの鑑ってやつなんだぞ? 見える範囲に居ないからって焦ったりとかねーよ。っと、結衣、トレーひとつ───」

「ぶふしゅっ! ~……!!」

「パパ……」

「パパ……」

「いや違っ……! い、今のはついクセってやつでだなっ! つか雪ノ下!? 屈みこんで肩揺らすほどウケることでもないだろおい!」

 

 いやほんと違うんだぞ?

 今のはほら、健やかなる時も病める時も傍に居なきゃっていう誓いの延長だし? ヴェヴェヴェべつに俺がどうこうってことじゃ……!

 いや正直になります、隣がぽっかりと刳り抜かれた気分なほど、心細いです。半身を失った気分ってこんなんなん? ってくらいには動揺してます。

 だが、耐えねばなるまい。なにせ、結衣が……ようやく結衣が、犬のことで前を向き始めたのだから───!!

 

「……うしっ、気合い入れ直して頑張ってくか」

「おおっ? パパが折れない! でもなんかいい!」

「Si……凛々しいパパ、素敵……!」

「比企谷くんはああなった時が一番危ういから、二人とも、よく見ておいてあげてちょうだい」

「らじゃっ!」

Ho capito(了解です)

「気合い入れ直してって言ってんでしょーが……」

 

 人の気合いがてんで信頼されていない件について。

 しかしまあ不安に思うのもわからんでもない。

 俺がそれだけ、隣に結衣が居る生活に慣れ過ぎているってことだろう。それはそれだけ、他のやつらにしてみれば“俺が結衣に頼っている部分”をよく見ているということだ。

 なるほど、それならこの心配も納得だ。結衣を信頼して、結衣に頼っている部分は間違いようもなくあるし、自覚もあるのだから。

 ならばこその気合いの入れ直しだったんだが……まあいい、口で言うより行動でだ。

 結衣が傍に居なくても、出来るパパなのだということを存分に見直させてやろうじゃないの。

 

……。

 

 結果。一時間もしない内から雪ノ下に「いい加減にしなさい」と怒られたでござる。

 い、いや、こんな筈は……! 大丈夫だぞ? いやほんと出来るから! たまたまた失敗が重なっただけだから!

 

……。

 

 それから十分しない内に怒られた。馬鹿な……!

 いやいや落ち着け雪ノ下、これはほらアレだから。世の中にそのー……必要悪? ってのがあるみたいに、必要失敗的な……あ、だめっすか。そりゃそうだった。

 

「比企谷くん……」

「比企谷くん……」

「あの……はい、すんません」

 

 ガッコに行った娘二人に代わり、店に立つめぐり先輩と雪ノ下が深く溜め息。

 俺の集中力なんて、ルシフェルに「ああ、やっぱり今回もダメだったよ」ってあっさり言われるくらい、長続きしなかった。

 あの……俺、これ相当まずくないですか? 結衣がなにかしらの用事で遠くに行くとかになったら、俺、耐えられるのかしら。

 ……まあマテ、今はそんなことより現在をどうするかだ。

 

「うーん……比企谷くん。いっそさ、ガハマちゃんが居なくても平気、とかじゃなくて、ガハマちゃんにあとでいい報告が出来るように頑張ってみるとかどうかな」

「へ? ……結衣に、いい報告をするため、ですか?」

「そう。居なくても大丈夫、ってやせ我慢するんじゃなくて───」

「や。やせ我慢とかそんなんじゃ全然ないっすけど」

『どの口が言うの』

「……ごめんなさい」

 

 雪ノ下とめぐり先輩が真顔でキッパリ言うもんだから、素直にごめんなさいが出た。怖い。マジ怖い。

 まあそりゃそうだ、この短時間だけでも注文間違えるわ、皿落っことしそうになって慌ててキャッチした拍子にシンクに頭を強打して、雪ノ下の腹筋が崩壊しそうになったりとかいろいろあった。

 でも八幡ハッキリ言いたい。笑っといて説教はひどいと思う。

 

「……そっすね。結衣にいいとこ見せるつもりで───」

 

 お前が居なくても平気だったぜ、なんて言うわけじゃなく、あいつが犬のことで前を向くための時間を作るために。

 ……頑張んなきゃ、だもんな。よし。

 

「うっす。目、覚めました。ありがとうございます、城廻先輩」

「え? あ、ううん? これ相談してきたの、雪ノ下さんだから、お礼言うならこっちじゃないよ?」

「うぐっ……その。なんか、すまん」

「どうということはないわ。あなたに迷惑をかけられることなんて、今に始まったことではないもの。主に、あなたが勝手に突っ走ったこととかではね。わかるまで何度でも言うけれど、一人で解決出来そうにないと挑戦してから決めるより、もっと早くに相談しなさい。この店はあなたたち夫婦だけで支えているわけではないのだから」

「……おう」

 

 まったくだ。

 こういう時にこそ頼りにしないでどーすんだか。

 

「すまん。じゃあその、早速だが頼らせてくれ」

「ええ。可能な限りのフォローをさせてもらうわ」

「おう。じゃあ俺、ここ抜けて上行って、結衣の手伝いを───」

「比企谷くん? ふざけているなら引っぱたくわよ」

 

 頼りすぎたらマジトーンで怒られた。

 ごめん。マジでごめん。

 

……。

 

 そんなことを繰り返し、なんとか娘たちが帰ってくる時間までを繋いでは、なんだかんだと仕事も終了。

 今日に限ってなんだかやたらと忙しかった。なにこれ、新手のイジメ?

 まあ、そういう日ってあるよな、人が少ない時ほど忙しいって。

 

「やー、今日のパパがもう、なんというか……もう……!」

「Si……! とってもとっても、言葉に表せないほど……!」

 

 そして、そんな時に限ってやらかすことの多かった俺は、娘たちの目からすると大変珍しかったらしく、随分とつつかれた。

 やめろって言ったって聞きやしない。俺はきちんとやっているつもりでも、やっぱりつい“ぽっかりと誰も居ない隣”を見てしまい、その度に恥ずかしい思いをした。

 

「はぁ……俺って……」

 

 看板の電気を消しつつ、溜め息。

 クローズドの文字が、俺の心を何処か寂しくさせる。

 こんな有様では結衣に良い報告など出来る筈もなく、さらに自分の情けなさを噛みしめる結果となった。

 

「つか、昼から居座ってますけど、どしたんです雪ノ下さん」

「弟くん? 仕事終わったんだから、ほら。さんはい」

「……はる姉ぇ」

「ん、よろしい。いやさー? そもそも犬のことは、明日みんなで一斉に~ってことで内緒にしてたのに、まさか当日買いに行っちゃうなんて。しかも同じペットショップ。小町ちゃんから計画が台無しですよーって連絡来た時は、まさかーって思ったわよ」

 

 カウンターまで戻り、昼から居座りずーっとニヤニヤしていた雪ノ下さんに声をかけ、片付けを開始。

 すべては結衣の行動力を甘く見た、皆様の失敗から始まったらしい今回のこと。

 あいつはなー……ほんと、目標を定めると真っ直ぐだから。いや、まあ、そこがいいんですけど? あいつの性格を知っちゃうと、ああいう真っ直ぐさこそが眩しくなる。

 それは、自分にはないものに憧れるあの心境によく似ている。

 

「実はね? もやもや悩み続けてるくらいなら、いっそ無理矢理飼っちゃえば嫌でも前向きになるんじゃないかーって、はるさんが計画したのが今回のことなの」

「相手の迷惑になるかもなので、次は強硬手段系は勘弁してくださいね。……でも、誕生日プレゼントに子犬って、発想ぶっ飛んでませんかね」

「先輩~? 留美ちゃん説き伏せてお金出したの、誰でしたっけー?」

「ぐっ……! 一色……」

 

 途中から聞いていたのか、一色工房から来たらしい一色が、くすくす笑いながら言う。

 ああそうだよ、誕生日に子犬プレゼントしたの、ある意味俺だよ。しかも別の人から購入を奪う形で。

 しょうがないじゃない、一生のお願いって言われちゃったんだから。

 

「つかお前、留美とそんな仲良かったか?」

「面識の始まりとしては、いつかの合同企画の時ですよね。先輩がなんかやたらと気にかけてましたし、その後にたまたま知り合うきっかけとかありまして。今じゃ、小町ちゃんと京ちゃんと一緒にたまに集まって話をするくらいには仲いいですよ?」

「京ちゃん? ……あー、京華か」

 

 川崎さん家のけーかちゃん。

 信じられんくらいの美人さんになってて、八幡びっくり。

 いやまあ川崎がここに手伝いに来てくれてた時にもたまには会ってたが、女ってすごいのよ? 一年くらい合わなかっただけで、印象とかガラリと変わるから。なんなら半年会わないだけでも変わりすぎるまである。

 で、そんな子が一色や小町や、同じく呆れるほどの美人に育った留美と一緒になって話しているわけだ。

 ……それだけでかなり危険な気がする。年齢から考えると、今が丁度かつての平塚先生くらいの歳か?

 周囲がほっとかないんじゃないだろうか。

 

「あ。パパが娘につく悪い虫に心配する顔してる」

「どんな顔なのちょっと。ねぇ、それどんな顔? パパにちょっと教えて?」

「Nn……心配と怒りが混ざったような……複雑な顔?」

 

 余計にどんな顔かわからなくなった。

 ようするにキモそう。

 

「じゃ、仕事も終わったしガハマちゃ───ん、こほん。妹も一人で上に居るわけだし、そろそろ明日の計画とか始めちゃおっか」

「つか、もう犬と結衣が一緒に居る時点で誕生日が始まってる気分ですけどね、俺」

「まあ似たようなもんだしねー。あ、ちなみに弟くん? 留美ちゃんも京華ちゃんも、まず相手の中身を知りたがる所為で、未だにフリーだから安心していいよ?」

「……いや、安心っつーか。逆に心配になりません?」

「嫁き遅れたら家族を増やせばいいでしょ。人に、人の内面を見る癖をつけさせた張本人がここに居るんだし」

「はる姉ぇさんに関しては俺は一切関与してませんがね。俺よりひどかったっしょ、姉さんの場合」

「目は腐ってなかったわよ?」

「心が腐ってたっしょが」

「あっははー、言ってくれるなぁ比企谷くん」

「いや呼び方戻ってる。怖い怖い怖い」

 

 軽口を言い合っている内に片付けが完全に終了。

 軽い掃除も終えると、いざ明日のための計画を───

 

「まあ、明日は父の日でもあるから、弟くんは別にこれに参加しなくていいんだけどね」

「ダメね、断るね」

「あはは、だと思った」

 

 こと結衣を祝うことに関して、夫を差し置いてもらっては困る。

 むしろ一番最初に、誰よりも早く祝いたいまである。

 毎年日付越えたら一番に祝うのが俺だ。もちろん同じ寝室、同じベッドで。

 

「んふふー……弟くんー? ……同じベッドで、とか考えてるでしょー?」

「もちろんです」

「うわ隠しもしない。んー……ねぇ弟くん? 冗談とか抜きで、今回は抜けてみない?」

「……それは、祝われる側に回れってことっすか?」

「そ。なにもガハマちゃんのことを祝うなって言ってるんじゃなくてさ? どうせ日付越えたら一番に伝えるんだろうし、それはいいんだけど、だからこそって方向で」

「あ、賛成! この絆、はるのんに賛成であります! なんだかんだ、ママはパパや雪乃ママからのおめでとうに弱いから、わたしたちのお祝いが弱体化する可能性があります!」

「Si、ならばこそ、別々で祝ってみたい。そうすると喜びも二倍。父と母を敬う心、とてもジャスティス」

「そうそう。まあそうなると雪乃ちゃんも中々手ごわくなるってことだけど───どうする雪乃ちゃん。なんなら弟くんと組んで、こっちの祝いと対決してもいいけど」

「生憎ね、姉さん。結衣さんは自分の誕生日を争いごとの種にされることを望んだりはしないわ」

 

 雪ノ下、キッパリ。

 まあそうだよな。基本、争いは嫌いなあいつだ。

 輪の中に入ってきたなら、“ただひたすら楽しいことしよう!”って感じで手を引っ張っては微笑むのだ。自分が一番、いろんなもん内側に溜め込んでるくせに。

 そういった溜め込んだもんを、時にはつついて破裂、時には忘れさせてほぐしてやるのが、俺や雪ノ下や一色の役目みたいなもんだ。誰に頼まれたわけでも、決めたわけでもない。ただ、そうしたいだけの……まあ、なんだ。あの頃から続く、一種の身内的な願いと行動の果てってやつだ。

 楽しいことでの争いならまだしも、ギスギスした雰囲気になるって分かり切ったことには絶対に反対する。なお、キッパリ言えない状況だったり、言い出しづらい場合はちらちらと俺や雪ノ下を見る模様。

 

「じゃ、普通に祝う方向でいっか。雪乃ちゃんがそうまで言うんじゃしょうがないしね」

「あの。祝われるとかガラじゃないんすけど」

「今まで散々祝われてきたのに? 誕生日にも父の日にも騒がしいお嫁さんと娘が二人も居るのに」

「あー……その。毎度確かに祝われてますけどね。家族だから頷けるところもあるっつーか……家族だから耐えられるっつーか……」

「じゃ、問題ないじゃない。弟くーん? 私たちの今の関係はー、なんだったかなー?」

「一色、言ってやれ。ねちっこい姉はいりませんとか」

「先輩が言ってくださいよ! なんでここでわたしに振るんですかー!」

「でも、みんなで家族とか、いいよねー。毎年こうして、都合つけてみんなで集まるとか、私も結構憧れだったんだー。あ、はるさんは今年、海外とか行く予定はないんですか?」

「私? んー……ないかなぁ。母さんから逃げるって名目なら、手段としてはあるかもだけど」

 

 なにがあなたをそうさせてんですか。

 もうちょい話してあげましょうよ、ママのんと。

 一度コレと決めたら口うるさいだけで、基本は可愛いもの好きで素直じゃないだけの、大きな雪ノ下って感じじゃないですか。言ったら告げ口されるだろうから言わんけど。

 

「とにかくです。先輩? そーゆーことなので、今回は一緒にお祝いは無理ってことでご了承くださいごめんなさい」

「だからついでにフるのやめて? いらんショック受けるから」

「え? それってわたしが好きってことで───」

「過去を思い出してトラウマ掘り起こしてるだけだからそれはないですごめんなさい」

「人の言葉でなんてもの掘り返してんですかー!」

 

 いやほんとそれな。でも俺だって掘り起こしたわけじゃねぇのです。

 人間の感情ってままならないよなぁ。

 しかしながら……こういう場において、一人でも祝われる側が居るのはやりづらいだろう。ていうか、俺の方がやりづらい。

 だって祝われる側とか意識したことなんてそんなないし。

 精々、結衣にいつ祝われるかとかそれを想像してソワソワしてて、反抗期だった絆にキモい言われてショック受けたくらいだ。

 なので……このままこの場に居座って気まずい思いをするよりは───スピードワゴンはクールに去るってやつだろう。

 

「んじゃまあ、そういうことなら……俺、もう部屋戻りますんで」

「比企谷くん」

「あ? どした?」

「くれぐれも、犬に嫉妬をしないように気を付けてちょうだい」

「真面目顔でなに語るかと思えばそれかよおい」

 

 軽く口の端を引きつらせつつ、普段どう見られているのかを正しく認識、溜め息を吐いた。

 まあいい。今は部屋に戻って、のんびりまったり……。

 ……い、いえべつに? 結衣成分補充とかラノベチックなこととかしませんし? ただ精々そのー……気が済むまで抱き締めるだけですし?

 いつものことだもんな、おういつものこと。

 …………なんか……改めて思えば、いつものことのハードル……変わったなぁ。

 しみじみ思いつつ、喫茶店エリアをあとにした。

 通路を抜けて、ないとは思うけど結衣が寝てたら邪魔になるだろうから、静かに階段を上がってみれば───

 

「ん、えらいえらいー♪ そうそう、おトイレはここで、眠る場所はあっちでー♪」

 

 上った先の廊下で膝をつき肘をつき、ポテトと同じ目線で躾をしている妻を見つけた。

 まだこちらには気づいていない、なんならいっそ廊下にねそべり、曲げた足をぱたぱた揺らしながら頬杖ついて鼻歌でも歌いそうなくらい上機嫌な妻。

 ……とりあえずアレな。はい激写。

 

「ふえっ? うひゃああああああっ!? ヒ、ヒッキー!? うぇっ、なっ……いぃいいいつからそこに居たの!? ってか写真! わわわわだめぇええっ!!」

 

 緩んでいた自覚があったのか、シュバッと立ち上がって駆け寄る……ことはせず、焦りすぎてか立つこともしないままどたばたと手と膝とで駆けてきた妻。

 ここで、さっきの結衣の声を真似て“ハイハイがお上手でちゅねー”とか言ったら……喧嘩待ったなしだなよしやめよう。

 

「ななななななんでっ!? えっ!? もうそんな時間!? うひゃあ真っ暗だ! あ、あれっ!? みんなご飯は!? 仕事は!?」

「終わった。もう片付けも済んでるぞ」

「………」

 

 音で表すなら、へなへなペタン。

 脱力して座り込んでしまった結衣は、そこまで夢中になっていた自分に驚いたのか、仕事を一切手伝わなかったことに罪悪感を抱いているのか。たぶんどっちもだろうなぁ。

 しかし俺は案外嬉しかったりする。

 なにせ一生のお願いの延長だ、少しは迷惑をかけてくれるくらいで丁度いい。

 

「健やかなる時も、病める時も、支えるって誓ったのに……」

「あほ。今まで俺が支えてもらってたんだから、今は俺が支えてるところなんだっつの」

「………」

「そこでジト目しない。言いたいことはわかるから」

 

 自分の方が支えてもらっているって言い出せば、俺達の場合はキリがない。

 けど、事実だから覆しようがないのだ。そこに居てくれるだけで支えになってくれる人なんて、俺達には互いに居なかったから。

 俺の場合はかろうじて小町がそうなんだとしても、あの子ったらお兄ちゃんのことゴミぃちゃんとか称しつつげしげし蹴っちゃうこともありましたしねオホホホホ。

 

「いーか結衣。誓ったのは、支え合うことだ。支えることじゃない。だから、いっつもお互いにじゃなくていいんだよ。つか、いいことにしよう。言い出したらお互い、自分の方が貰いすぎてるって言って止まらないだろ。……いやまあ確認するまでもなく、俺の方がもらいすぎてるけどな」

「そ、そんなことない! あたしの方がいっぱい支えられてる!」

「……ほれ、こうなるだろ」

「あ……。うん、えへへ、そだね」

 

 互いに苦笑を漏らす。

 付き合いなんて、学生時代の頃から比べたら二倍三倍じゃ足りないくらいの付き合いだ、理解できるところも大分増えた。

 それでも完全に知り合っている夫婦なんてものは滅多に居ないし、俺達にしてもそれはまだまだなんだろう。

 ……現に、まさか結衣があんな猫撫で声で犬に接しているだなんて思わなかったし。

 

「……ってか、結婚式で誓ったことを律儀に守ろうとするヤツなんて、自分以外に居たのな」

「神様には誓わなくても、一緒に歩きたい人に誓うことに、嘘なんてつかなかったよ?」

「………」

「………」

 

 だな、と呟いて、手を伸ばす。

 片や、階段の途中の夫。

 片や、廊下にへたり込んだ妻。

 けど、見方によっては愛する人に跪く、みたいに見えなくも……いや普通に昇り途中の男だな。うん。

 それでも、俺達は気にしない。

 伸ばされた手に微笑んで、それが頬に触れれば目を閉じ重みを預けてくれる妻。

 恥ずかしくたって格好悪くたって、いつだって支え合ってここまで来た。

 俺達の場合は、“こんな”だからいいのだ。

 ちゅっ、と軽くキスをして、額をくっつけ合って、くすぐったそうに笑う。

 こんなくすぐったさが温かく感じられる、俺達だから。

 

「あ……でも、えと。きょ、今日は……さ? いいのかな。その……いっつもはさ、自分で言っちゃうとアレなんだけど……さ? じゅっ……18日の前は、みんなで話し合ったり……とか」

「あー……ほれ。明日はなんの日だ?」

「父の日! …………あ」

「おう正解。お前の誕生日で、父の日だ。だから、祝われる側はすっこんでろだとさ」

「あははっ……そっか。じゃあ、しょうがないよね?」

「おう、しょうがない」

 

 言って、階段を上り切って結衣を抱きかかえる。その過程で結衣は傍に居たポテトを抱えて、えへー、と笑う。

 

「さっきね、この子のこと構ってる時、思ったんだ。絆と美鳩はほんといい子に育ってくれたからさ。苦労はこの子にかけてもらおうかなって」

「お、おう。そか」

 

 “ポテトに苦労をかけられる”。

 言葉にしてみると、なんとも調理に苦労している結衣の姿が浮かんできて、少し笑いそうになった。

 けど、そか。

 絆には手を焼かされたことが“俺だけ”あったが、確かにいい子に育ってくれた。

 しかしなポテトよ。あまりに結衣の手を煩わせ、俺と結衣との一緒の時間を削ることになれば、俺はいつしか修羅と化そう。ってか自分が嫉妬する未来が今から鮮明に描けすぎてて我ながらキモい。

 そっかー、俺、動物に喩えるなら自分は狐だーとか思ってた部分があったけど、実はネコネコの実・モデル:ロシアンブルーであったか。

 いやべつに? 部屋で飼うことになって? 一緒の時間が減るからって、せっかくの家族にケチつけるとかないよ? ないとも。ないです。

 心の中でいろいろ飲み込み、振り切り、気持ちをガションと切り替えて、完全に悪い方向の気持ちを忘れる。

 大丈夫だ、ぼっち経験者は気持ちの切り替えが得意なのだ。

 なので結衣を抱きかかえたまま自室までを歩き───「あ、ヒッキー、止まって?」お、おう?

 歩みを止めて、促されるまま結衣を下ろすと、結衣はポテトを下ろして……下ろされたポテトが、いつの間に用意したのか、廊下の先にあるクッション完備のケージへと歩き、納まり、ひゃんと鳴く様を見送った。

 

「……来て早々、すげぇな……」

「元気がよくても、まずは“自分の巣穴”を覚えさせるのがいいんだって。外敵が来なくて安心できる場所じゃないと、なかなかリラックスしないんだ」

「なるほど。休日の日に外出せず、自宅に引きこもるどこぞの誰かを連想させる……」

「リラックス、するでしょ?」

「するな。実になるほど」

 

 自分の場所がある世界ほど安心できるところはないってことか。

 まずはそれを覚えてもらったと。

 

「ちなみにお手とかは?」

「あれは芸だし、いっそべつに覚えさせなくてもいいんだ。ただ、なにかしなくちゃものは食べられない、っていうのは覚えさせたほうがいいかも……かな?」

「そこで俺を見るのはやめなさい」

「あはは、うん。ごめんねヒッキー。こういうことを話す時、ちらっと兄を見てやると動揺しますから、って小町ちゃんが教えてくれて」

 

 ちょっとー……!? なにやってんの小町ちゃん……!

 人の大事なお嫁さんに妙な兄情報を教えるはやめなさいって、あれだけ言っといたでしょ……!?

 いえまあお陰で胃袋も心も同棲時代に掌握され済みですがね?

 妹グッジョブ、マジグッジョブ。

 

「じゃあ……えと」

「ん……おう」

 

 改めて、っていうのは恥ずかしいもんだが。まあ、いいのだ。

 なにせ明日は大事な妻の誕生日であり、父の日でもある。

 妻を祝えて俺も祝ってもらえるなんて、最高の日じゃないの。

 笑い合い、もう一度キスをして、自室へ。

 いや、雰囲気は出てるけど、そういうアレはもうちょいあとな。

 ……まだ風呂にも入ってないし。というわけで着替えを取って、二人で風呂へと向かった。

 

……。

 

 お互い、今日かいた汗を流し、寝間着に着替えて自室へ戻る。

 せっかくなので、お姫様抱っこで。

 そんな中、ふと、風呂でよく温まった顔を持ち上げ、お湯の温度で火照った以外にも赤い要因のあるであろう顔で訊ねてくる。

 

「ね、ヒッキー? あたしはさ、誕生日おめでとうって言ってもらえるけど、父の日おめでとうって……なんか違うよね? なにか、おめでとうが言えればいいのに」

「なに、どしたの急に」

「うん。ほら、さっきのどっちが貰ってるかの話なんだけど……」

「あー……」

 

 そんなの簡単だろ、と頭をコリコリ掻く。

 たださすがに恥ずかしいから、そっぽを向きつつベッドに下ろした妻の顔を見ず、耳に口を近づけて……「出会ってくれてありがとう。そんで、出会えておめっとさん、俺」と呟いた。

 そうしてからリモコンで電気をつけると、「ひゃっ、わ、わっ、待っ……」と結衣が焦った声をあげて…………そこには、真っ赤っかで、わたわたと手を突きだして俺を止めようとしていた妻の姿が。

 

「いや……なんかその。……赤いな?」

「~……! ヒッキーずるい……! あんなこと言われたら、どんな顔したらいいのかわかんないよ……!」

 

 自然体で構いません。つまりそれでいい。

 赤い顔も照れた顔も、全部全部好きなんだから。

 ただし、出来る限り悲しみの涙は流させたくない。そんな俺です。

 そうして俺が和んでいるうち、そんな顔が少し寂し気に揺れる。

 

「……出会わせてくれたのは、サブレだよね」

「……おう」

 

 なんとなく予感はしていたから、俺も普通に返した。

 返して、見つめ合って……電気を消して、抱き合って……ベッドに沈んで。

 そんな状態でゴロゴロしながら、あいつが死んで以来、意図的に避けていたサブレの話を始めた。

 あの時あんなことがあった、あの日にこういうことがあったよね、と。

 そうして話し込んでいる内に日付は変わり、俺と結衣は誕生日がどうとか理由はとりあえず置いておいて、お互いに顔を見合わせたままに『おめでとう』と言い合った。

 いろいろな意味を込めたありがとうに、お互いが微笑み合って、またキスをする。

 出会えたこと、出会ってくれたこと、引き合わせてくれたあいつに感謝を届け、お互いにはおめでとうを届けて。

 そうして抱き合ったまま眠り、朝を迎えれば───賑やかな家族に一匹を加えた日常がやってくるのだろう。

 それに、不安と期待を混ぜながら、ゆっくりと呼吸を整えていった。

 どうかいい夢が見られますように、なんてことを軽く願いながら。



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そのあとにいろいろあったお話

 最近ぐったりで君だけのやる気スイッチも見つからない日々が続いております。
 なので久しぶりに適当にお題決めて、プロットなんぞ一切なく、てけとーに書いてみよう! な執筆。
 あ、かかった時間は1時間と13分です。

 よし安心した。


 お題/一時間くらいで頭カラッポ状態からどげなこと書けるかな的なお話

 

 高校を卒業して、大学がどーだこーだとあってしばらく。マッカン好きが高じて“やってみよう!”と、ほぼ単純な勢いで描き出した喫茶店の夢。

 正しいより楽しいだとばかりに、それこそ“やってみよう”なノリで歩いてみれば、その道は決して楽ではなく、苦労の先にようやく落ち着けたかと思えば、トラブルの方が自ら人の安息へ土足で上がり込んでくるから、まったくこの世の中ってのは腐っている。

 あ、腐ってるのは俺の目だった。

 

「……はぁ」

 

 そうして夢を叶えて完成した喫茶店。

 現在、お客さんはゼロである。静かなもんだ。

 

「お客さん、こないねー」

「そだなー」

 

 隣では若奥様がぐでーっとカウンターに突っ伏して……いることもなく、涼しい季節ってこともあってか、人の腕に抱き着きすりすりしている。くすぐったい。つか心地よい。天国が隣にある。

 改造型ベスト付きエプロンと落ち着いた栗色に近いシャツを着て、下は動きやすいように広がりのあるキュロット。エプロンより少々長いのがポイントらしい。……用意したの雪ノ下さんだから、俺の趣味とか言われるのは心外だ。つか、最初に結衣にこれ渡してきた時、ひどくニヤニヤしてたよなぁあの人。

 なんでだ? なんて思ってたら……あの人、現実で仕事の制服に乳袋処理を施しやがったのだ。

 お蔭で結衣の胸が強調されること強調されること。

 ちなみにその後、俺はフツーに結衣にベスト付きエプロンをプレゼントした。……おう、エプロンだけは俺がプレゼントしたものだよ。ただまあその、なんだ。……正直、ああまで合わせてくるとは思ってもみませんでした。

 乳袋……侮りがたし。

 まあそれはそれとしてだ。

 

「ま、店が軌道に乗るまでは暇なもんだってのはよくある話だしな」

 

 ラビットハウスとかラビットハウスとか。

 ……俺もカフェ・ド・マンシーでもやってみようかしら。コーヒー飲ませて、その飲み痕から相手の運勢を占うー、とか。

 

「仕込んだものが無駄になるのは……少々悔しいわね」

「そういう日はそういう日だって割り切るしかねぇだろ。だからって仕込みを減らせば、その時に限ってそれがいっぱい出るのが世の中ってもんだ」

「ええそうね。本当に、上手くいかないものだわ」

 

 俺と同じく黒のベストと白のシャツ、黒ズボンを着た雪ノ下が、茶葉が入った容器を手に寂しそうに溜め息を吐く。

 一色が仕切っているケーキ制作場、その名も一色工房からは、注文用の内線から引っ切り無しにコールが。

 どんだけ暇なのちょっと。いや実際暇だけど。やめて? 俺に文句言われても注文取ってあげらんないから。

 

「おう、どしたー」

『どしたー、じゃないですよーせんぱーい……暇です、とっても。ケーキの注文取ってくださいよー』

「客が居ないんだからしゃーないだろ」

『開店当時はいっぱい来てくれてたじゃないですかー! 詐欺ですよこんなの! この集客率なら今後も安心だーって思ったわたしの安心、返してくださいよー!』

「おい、物騒なこと言うのやめろ。まるでこれから潰れるみたいだろが」

 

 開店当時は、そりゃあ混んだもんだ。

 しかし少し月日が経つと、客は減った。今ではとっても暇である。

 そりゃなー、喫茶店なんて今時流行んねーなーとは、俺もまあ思ったりはするけどさ。

 しょーがないじゃないの、こいつらとこういうことしたいって思っちゃったんだから。

 

『はるさん先輩に知り合いを紹介してもらって、サクラしてもらうとか出来ないんですか?』

「美味しく感じてもらって来てもらわなきゃ意味ないだろ。なにお前、自分の自慢のケーキ、金掴まされたから食べに来ましたとか言われたい?」

『いやですキモいです冗談じゃありませんごめんです絶対嫌ですごめんなさい』

「ついでで振ってくなよ……」

 

 内線繋ぎながらも隣の妻を愛でまくっているので、まあ学生時代に比べりゃちぃともこたえないが。

 好きな人が明確って、素敵なことだ。しかし、そんな好きな相手が自分と連れ添ったことで破滅するとか、そんな未来があっていい筈がない。

 なんとかしなければ。

 

「でも、お客さんが急に減った原因ってなんなんだろうね」

「ああ……そだな」

 

 そう二人で話し合うと、雪ノ下がちらりと結衣を見た。……詳しく言えば、結衣のお腹だが。

 

「……その。大きくなってきたわね、お腹も」

「え? あ、うん、だよねっ! 双子なんだって!」

「………」

「? ゆきのん?」

 

 雪ノ下、溜め息。

 なに。どったのちょっと。

 

「看板娘が急に妊娠とか、それはね……多かった男性客もこぞって絶望するわよ……」

「ゆきのん、今なんて?」

「逞しい双子が産まれるわと言ったのよ」

「わっ……えへへー、うんっ、ありがとうゆきのんっ!」

 

 そして今日も百合百合し……くはないな。結衣が腕を離してくれん。結果として、結衣が俺と雪ノ下の腕を抱き寄せる形になった。

 

「うん、だいじょぶだっ! あたしたちが集まれば、こんな困難なんて飛び越せちゃうんだからっ! きっとほら、お客さんのお財布のじじょーとかアレがああなってアレなだけだから!」

「……由比ヶ浜さん。あなた、比企谷くんの思考回路に引っ張られてはいないかしら」

「え? ……えへへ、そんなゆきのん、似た者夫婦なんて……えへ、えへへ……えへー……♪」

「………」

 

 やめて。そこで心底疲れた顔で俺を見るの。

 いいじゃないの仲良し夫婦。俺達ゃどんだけ歳取ってもお互いに遠慮なく好き合える夫婦を目指してんだから。つか、知る度好きになる相手をどう嫌いになれっての。

 

『あのー? あーのー? それで結局この暇さ、どうするんですかー?』

「メシ食うか」

『え? どうしてここでご飯の話に───』

「まあほれ、安心しろ。こういう暇な時に飯をって思考を働かせるとだな、それが本気であればあるだけ客が来るもんなんだよ。たとえばだな、あー…………」

 

 結衣の手料理。俺のために作ってくれた料理。

 食べたい。食べ……むしろいちゃいちゃしたい。もっとくっつきたい。つかもう客来ないよきっと。寝室戻って抱き締めていい? つかする。しまくる。愛し合うまである。

 

  からんからーん♪

 

 ……本気で、真剣に、真顔で看板下げようとしたら客が来た。所詮そんなもんである。ほんと世の中腐ってる。

 

「ほれ、客が来たぞ」

『……先輩。今食事どころか、べつのものを召し上がろうとか考えてませんでした?』

「なにお前。エスパー?」

 

 いや、俺よりも、ちょっぴり赤い顔して頬を膨らませて、客を軽く睨んでしまっている奥さんがめっちゃ可愛いんだが。もう抱き締めていいだろうか。俺の嫁さん超可愛い。

 

「言うまでもなく確認するまでもなく、似た者夫婦じゃない……はぁ」

 

 そしてまた雪ノ下に溜め息を吐かれた。

 ……結局、客が来なかったのは一時的なもので、少しののちに店は客で溢れた。

 結衣が出産のために入院する頃には客の入りは凄まじいの一言で、慌ただしい喫茶店なんて喫茶店じゃねぇ! なんて叫んだものだ。

 それが、今となっては懐かしい。

 ……だって、忙しいのが普通になってるんだもの。

 

……。

 

 ……と。

 

「そんなこともあって、実はヤバかったこともあったわけだ。まあ、今じゃ客の入りも安定してるけどな」

「なるほど! その時の子供というのがわたしと美鳩と言うワケですか!」

「大変興味深い……。自分のルーツを知る、というのはなんというか……深い……。とても、とてもジャスティス」

「あの時は大変だったよねー、このままダメになっちゃうのかな、なんて不安になっちゃって」

「知らぬは本人ばかりなり、ね。男性客が由比ヶ浜さんのお腹を見て、ぼそぼそと話し合うのをよく見るようになってからだったもの」

「……そういや雪ノ下、お前は仕込んだものの心配しかしてなかったな……」

「当然でしょう? 味が確かなら、客というものはいずれ戻ってくるものよ」

 

 まあ、そうな。

 俺も新しい店が出来たとしても、やっぱりなんだかんだ、馴染み深い店の味を思い出して戻ることとかあったし。

 

「もはははは! そしてこの絆が看板娘として立った日から、この喫茶店も軌道に乗ったってわけだねパパ!」

「いや、俺の中じゃ結衣が永遠の看板娘だから」

「ぬ、ぬぅ、ママが強敵すぎる……! パパー、たまには絆にもやさしくなってくださいよー」

「パパ呼びしながら一色の真似はやめろ、なんか怪しい感じがして怖い」

「あら。それならこうして余裕の笑みで翻弄したほうがいいのかしら、やめろ谷くん」

「雪ノ下の真似もやめろっつーの」

「あー……そういえばきーちゃんは人の真似が好きですけど、みーちゃんはそれほどでもないですよね? そこのところ、親としてはどうなんですか? 先輩」

 

 いや、どうとか言われても。

 

「ふふり。たった今話題に出たこの美鳩も、実は人の真似は好きだったりする」

「そうだったんだ。じゃあみーちゃん、誰かの真似してみて?」

「……! すっ……好き、とは言ったけど、出来るとは言ってない……」

「……なんかこういうところ、地味に先輩ですよね」

「地味とか言うな」

 

 自分で、“まあわかるけど”とか思っちゃったら、いろいろと救いがない。

 けどまあ、賑やかなのはいいことだ。

 

「ねぇパパ? それはそうと、はるのんの誕生日を七夕と一緒に祝ってから、もう一週間経ちそうだよ?」

「月日が経つのは早い……」

「あ、ちなみにきーちゃんみーちゃんはどんなこと短冊に書いたの? あ、ハチ兄さんと結衣先輩は想像がつくんでいいです」

「なんでここで敢えてハチ兄さん呼ばわりしたんだよおい……」

「あ、わたしは当然世界征服! いつかこの喫茶店の味で世界の喫茶店の頂点に立ってやるのだフワァーハハー!!」

「Si,それは野望とも取れるとっても大切な大願。いつかパパとママが隠居しても、きっと叶えたい夢……!」

「うんうん、わたしが紅茶とケーキを作ってー♪」

「美鳩がコーヒーと軽食を頑張る……」

「葉山さん家の翆ちゃんが働いてくれるようになったら、接客を手伝ってもらってー♪」

「美鳩も可能な限り手伝ったり、新作を考えたり……」

「当然この絆も手伝って、客が美味しさと接客の良さに感動して打ち震えて───」

「「そこを我が殴る蹴るの暴行よ……!」」

「やめい」

 

 二人してどうしてかワイルドワイルド・プッシーキャッツだった。

 やめなさい、我ーズブートキャンプは基本、拷問にしかならないから。

 

「さ、明日も早いのだから、あまり長く話し合っていても仕方ないわ。今日はもう終わりにしましょう」

「はーい! 雪乃ママ!」

「そういえば、最初の頃はゆきのんもママじゃないのよ、とか言ってたね」

「……言っても聞かないのだから、仕方がないでしょう」

「お前それ、昔からだろ。結衣との関係も、押し切られるままだったわけだし」

「!?」

「ゆきのん!? なんでそんなショック受けてるの!?」

「ていうか気づいてなかったんですか、雪ノ下先輩……」

「パパ! お風呂入ろ!」

「絆、あなたにはまだ危ない……。ここはこの美鳩に任せて……!」

「お前らはまず脈絡から考えような」

 

 なんで唐突に風呂の話になるの。

 そりゃ入るよ? 入るけどさ。でも娘と一緒ではない。

 

「パパが好きだから脈絡なら最初から十分! じゃあGO!」

「GO……!」

「会話させろっつーとるんだ馬鹿娘ども」

「あ、じゃあ結衣先輩、今ですよ今今」

「? え、と? んと……ヒッキー? 一緒に、入ろ?」

「おう入るか」

「パパ!? 会話は!?」

「どこに入るかすら言ってないなら、会話じゃない……! ノンジャスティス……それはずるい……!」

「いやこれあれだから。恋人や夫婦に許されたアイコンタクトとか雰囲気コンタクトだから。言葉にしなくてもわかることの中の一つだからいいんだよ」

「と言いつつ、あなたたちのことだから、二人きりの際には思う存分に話し合っているのでしょう?」

「ゆきのんなんでわかるの!!?」

「「「「わからいでか」」」」

 

 娘二人と馴染深い二人にきっぱり言われた。

 まあ、俺でも言うわ、それは。

 けどほれ、あれだ。知り合っているからってなんでも言わなくてもわかる、は、破滅にしか向かわんからだめだ。

 むしろなんでも言い合わなきゃ心が通わない。

 だから俺達は遠慮することなく気持ちをぶつけ続け、そのたびに好きになっている。

 

「はぁ……このままだと話も終わりそうにないし、私は先に失礼するわね」

「いつも通りですもんねー。あ、わたしも失礼しますね」

「ではこの絆もこれで。あ、パパ? あとで着替え持ってお風呂に突入するね?」

「せんでいい」

「ママも。震えて待っていてほしい。大丈夫……美鳩も必ずかけつけるから……」

「美鳩? 駆け付けなくていいからね?」

 

 娘が親が大好きすぎて辛い。

 いやまあ、可愛いもんだけどな。

 

「……んじゃ、行くか、結衣」

「うん、ヒッキー」

「フッフフ、どぅれ、この老骨も腰をあげるとするか……」

「師父だけに任せて先になど行けませぬ……! この美鳩も───!」

「ノリで混ざれば行けるとかないから、いーから部屋戻っとけっての」

「パパはケチです!」

「ケチでいーから。俺ゃ基本結衣に自分の全部を置いてんだから、いーんだよ他へはケチで」

「その分の愛情が、ママから美鳩たちへ……!?」

「あ、えとー……あ、あはは……ごめんね? ほぼ、ってか大体、ヒッキーに……」

「ママもケチだー!」

「ケ、ケチじゃないから! これケチとかそーゆーんじゃないから! だって夫婦だもん! こんくらい普通なんだってば!」

 

 娘と同レベルで騒ぐ奥さんが可愛い。

 つい目を細めて見つめてしまう。

 まあ……そうな。明日も早いし、そろそろ。

 

「んじゃ結衣、今度こそほんとに行くぞ」

「あ、う、うん。……えと……うん。はい……えへへ……」

 

 声を駆けられれば頷いて、手を伸ばしてきて、掴んでやればどうしてか“はい”って返して、赤くなって。

 まあ……こうなると、風呂の中でも布団の中で……なぁ。

 

「パパ! 年頃の娘が居るので、ジョージ的なあれは───」

「断る」

「「即答だ!?」」

 

 絆と結衣の声が重なったあたりで、結衣を引っ張って歩いた。

 好きな人を存分に愛でることは悪ではない。

 青春ってのはまあそのー……ほれ。嘘であり悪ではあったのだろうがな。

 

「……美鳩。レコーダーを手に待機です」

「Si」

「だからやめろっつーの」

 

 それはそれとして、宅の娘たちは誰に似たのか自由である。……誰に似たのかって、喫茶店に関係する様々な人を思い浮かべれば、その全てなんだろうなって思うのは……娘に“絆”って名前をつけた甲斐もあるってもんだと笑えるものだった。

 皆を結ぶ絆であったり、離れたと思った心でもいつかひょいと戻ってくるような想いを込めて名付けた鳩だって、実に自由。



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たまの連休、いつかの青春

「……あ!」
「ど、どうした!? なにごとかー!」
「いや……新年の挨拶してないよ僕! どうしよう、そもそもクリスマスの話のところにちょっと書くつもりだったのに、それすら忘れてた!」
「いやしゃーないっしょ……つい最近まで仕事ぎっしりだったし」
「ほんと年末年始が落ち着き無い仕事っていややわぁ……ということでどうしよう。今さらだけどクリスマスのお話の前書きあたりに書くとか? あ、それとも活動報告に───」
「新規投稿があるではないか。書け」
「……………………エッ?」

というわけで。あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします!


 “新しい朝が来た”という言葉ってやつは、ほぼ毎日使える言葉だが───ここでひとつ考えてみてほしい。

 一日の始まりは朝からだなんて言う奴も居るが、正確には深夜0時の時点で新しい深夜来てるんじゃないの? と。

 だって0だよ? 次が1なら最初からじゃないの。

 なんだって朝さんが始まりだなんて思われてんの。新聞配達の人だって、深夜出勤の人だってこの時間に“いざ”って動く人はわんさか居るだろうに。

 つまりなにが言いたいかっていうと……ほら、あれだよ。

 新しい深夜が来た、でもいいんじゃないでしょうか、とか思っただけだよ。

 え? 来たのを確認したいのは朝昼夜を分けるものであって時間じゃない?

 いやまあそれなら朝なんて毎度新しくなってるんだから、同じとは言えんけど。

 いいじゃないの、ふと思ったことを無駄に詳しく考えてみるくらい。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 とある日、とある、休みの日の喫茶店。

 とある、とか書くと、なんだか禁書目録とか思い出しちゃう子は、英語の授業では気をつけようね。

 間違った英語の覚え方とかしないように。いやそれはべつにいいんだ。間違えても「お前禁書好きだろ」とか冷静にツッコまれるだけか、正しくぼっちなら「○○○ってフィクションを真に受けちゃうタイプだよなプークスクス」とか思われちゃうだけかもだから。

 いやまあそれはどうでもいい。

 ちょっと心えぐられちゃう過去とかあっても、思い出すたびそれを正しく訂正してくれる友人が居なかった過去を振り返ることになっても、過去は正しく過去であり、自分を形成し、構築する物事の一つなのだ。

 しかしここで“過去を受け入れる自分、カッコイイ。”などと思ってはいけない。

 ぼっちとは恥ずかしい過去を受け止め、その上でそれを人生経験として胸に刻み、二度とそうはならないように現実と向き合う姿を指す言葉。然り然り然り然り然り。

 いや、だからそれはいいんだって。

 ともかく、ただいま現在目の前で起こっている状況について、少し振り返───

 

「というわけなんだ、比企谷。おかしなことを言っているのはわかってる。けど協力してくれないか」

 

 ───……振り返させなさいよ、元リア王。

 

「あー……纏めるとそのー……なに? 娘が産まれるから、そんな娘にきちんと向き合えるよう、今時の女の子の心の機微を知っておきたいとかそんなところか」

「あ、ああ、悪い、わかりづらかったか?」

「言い回しがくどいわね」

「《ぐさっ》うぐっ」

「葉山先輩はもう少し、要件を前に出せるようになった方がいいと思いますよ? 前置きが長すぎです」

「すまない、これでも気をつけているつもりなんだが……」

「つーか、だぞ?」

 

 話し合いの場として設けた喫茶ぬるま湯が奥、ミーティングルームとも休憩室とも呼ばれている奉仕部と謡われている一室にて、俺、雪ノ下、一色は、相談相手に葉山を迎え、ちらりとその席から一室の開けたスペースを見た。

 

「よォ~~~しよしよしよしよしよしよし! かわえー! 歩泰斗様かわえー! ウヒョー!!」

「Si……! これは流石の美鳩も同意せざるをえない……!」

 

 そこには新たなる家族、ポテトこと歩泰斗様を迎え、燥ぎまくる娘たちの姿が。

 本日、そして翌日と、連休であるこのぬるま湯は、その名の通りにぬるま湯な日常を送っている。

 

「……あれで参考になるのか? ウヒョーとか言ってるぞ?」

「いや……親である君がそこを疑問に思っちゃだめだろ……」

 

 親である前に一人の人間だもの、突っ込み入れたいところには入れるぞ?

 

「でも、葉山先輩がパパですかー……しかも娘の」

「……何故かしら。物凄く好かれるか、物凄く嫌われるかの二択しか頭に浮かばないのだけれど」

「ああうん、なんかわかるわそれ」

「ですよねー……」

「ぐっ……すまない、それ、戸部にも言われたんだが……理由を教えてもらえなかったんだ。よかったら教えてもらえないか?」

「学生時代のあなたが、わかっていながら答えを口にせず、距離を置いていたものよ」

「“選ばない”を選ぶって、ある意味物凄い優柔不断ですからねー……。娘さんとの関係でもついついそれが出た時、娘さん泣いちゃうかもですよ?」

「ああそうな。ほれ、たとえば娘と誰かが喧嘩して、親まで連れての話し合いになった時、明らかに相手が悪いのに両成敗を選んじゃう~とか、まずは娘の方をぴしゃりと叱っちゃうとか」

「……君たちの中で、俺の学生時代ってそこまでひどいのか」

「つい最近まで三浦さんを宙ぶらりんにさせていた男の言葉とは思えないわね」

「《ズォグシャア!!》…………カハッ」

 

 あ、やばい、今の完璧なまでにクリティカル。

 寝てる妹の顔面に雷獣シュート決めるかのような所業だわ。

 ああほれ見てみなさいよ、胸押さえて俯いちゃったじゃないの。

 

「けどこればっかりはなぁ……。俺はなんだかんだ、雪ノ下母とかお義母さんが居たから回ってたって部分があるし」

「それと、主にわたしたちの手伝いあっての喫茶店ですもんね? せ~んぱい?」

「へいへい、日々感謝してますよ、こ~はい」

「……本当に、君たちは仲がいいな」

「選ばなかったっつったって、お前だって今の仕事で仲間くらい居るだろ」

「顧問弁護士なんて、居るのは敵ばかりなものだよ。軽い人脈は作れても、その人脈が主に面倒事しか持ってこないとくる。助けられることはそりゃああるけど、あくまで今後のための先行投資にしか見えなくなってしまっているって程度のね」

 

 だから、こういった関係が眩しく、その眩しさを味わいたくて、朝にはここに来るのだと。

 どこか寂しそうに笑って、葉山は言った。

 

「お呼びとあらばすぐ参上! 明るさ筆頭絆一号!」

「遅ればせながら静かに参上……! 穏やか筆頭美鳩二号……!」

「おー、ポテトはもういいのか?」

「ぐったりして動かなくなった」

「体力が少ない。1から鍛えないと、このままじゃ名前負け……」

 

 見れば、舌を出しながら寝そべって、ぐったりな歩泰斗様。

 ……いや。犬の体力に打ち勝つってどうなの? 普段どんだけ元気有り余らせてるの。

 

「あ、じゃあ参考までに……絆ちゃん、美鳩ちゃん。最近の子供と仲良くなるには、子供が好きなアニメとかを一緒に見るのがいいっていうのを聞いたんだ。女の子の目から見て、どんなのが好きなのか教えてもらえないか?」

「まず話題に乗り遅れないことは大事ですね。子供の頃に見るアニメはとても大事なものです。周囲がこれを見ているのに自分だけ別の、なんてことになれば、話題から置いてけぼり。好きなものを極めるのはとても素敵なことですけど、子供の頃のグループ構築に遅れるといろいろと面倒ですからね」

「Si、その場合、女の子志向で行くか男の子志向でいくかはとっても大事。女子グループを無視して男友達を作るか、女子グループと無難に手を繋ぐか」

「ちなみに、ぐ腐腐先生のレクチャーによると、女子グループはたとえ同じグループでも、好きの偏りと肩入れが激しいから、心から仲良くなることは極々稀で、実は常に誰かが笑顔の裏で我慢しているそうですよ?」

「あー……その場合、かつての葉山グループだと結衣がそうか」

「うぐっ……」

「あれ? そういえばパパ、ママは?」

「Nn……コナン現るところ乱あり、というくらいに当たり前の、“パパの隣にママ”がないなんて……」

「言いつつ人の両隣に椅子持ってこない。お前らがポテトに夢中の間、三浦と二階に行って話してるよ」

 

 女同士で積もる話も……ってことだったんだが、どうしてか雪ノ下と一色は上にはいかなかった。

 何故って……まあほれ、あれだ。

 出産経験がある人に相談したかったとか、そういうことらしいから。

 ……さて、娘たちの言葉を丁寧にメモしているこの男は、書いたことを読み返しながらこくこくと頷いているわけだが……

 

「あぁそうだ、ちなみにアニメとかで好きな言葉とかはあったりするのかな。アニメから学べることは多いと、材木座くんに熱弁されたことがあって、今更ながらにそれを知ろうとしているところなんだ。心に響くものがあったら、それがなんなのか教えてもらっていいかい?」

 

 こいつはこいつで、それこそ今更ながら、“誰かのため”に自分の価値観を崩して、崩した場所に違う知識を植えようとしているのだろう。

 これから頑張るぞっ! と顔に張り付けたような顔で、いっそ少し興奮した面持ちで、そんなことを娘達に言った。

 いや、参考にならないぞ? 誓ってもいい、絶対に参考にならない。

 じゃあはい、絆から。

 

「POPEEtheぱフォーマーの最終話の、ケダモノの素顔を見たカエルの“ぐおおっ!?”って声」

 

 はい次、美鳩。

 

「はじめの一歩のジェイソン尾妻が勝利を確信した時、ボディーブローを喰らった際に漏らした悲鳴」

 

 では葉山さん、一言どうぞ。

 

「細かすぎてなにも伝わらない……!!」

 

 はいお疲れさん。

 

「絆……カエルの悲鳴でなにが学べる……?」

「そういう美鳩こそ、あのジェイソンさんなら“直撃ダ! 僕ノ勝チダァ!”の方がいいでしょ」

「No……! それは違う、絆は間違っている……! あの短い、“アァッ!?”だか“ハァァッ!?”だかの声には、様々な苦難と後悔が詰まっている……!」

「正確な言葉も表現出来ないでなにが好きな言葉なもんかー!」

「パパならわかってくれるはず……! パパ、パパはどっちが好き……?」

「当然この絆だよね!?」

「No……! 断然美鳩……!」

「好きの方向性が変わってるからまずは落ち着きなさい」

 

 あえて口に出せというなら結衣が大好きです。

 

「比企谷……同じ男として、君はどんなアニメが……」

「基本、主人公が自分の意見押し通して絶対にその通りになるような世界設定はあまり好かん」

「現実って甘くないですもんねー……。ていうか先輩なら逆に、現実が辛いからせめてフィクションはーとか言うかと思ってました」

「一色さん。……この男はもう既に、現実まで甘いからどうしようもないのよ」

「あー……」

「そこで手の施しようがないものを見るような目で見るの、やめない?」

 

 いいじゃないの、ようやく幸せ掴めたんだから。

 幸せって素敵です。学生時代の俺が俺を見たら、呆れすぎてぽかんと開いた口が地面にすら届きそうだ。

 

「けどまあその、あれだよほれ。娘と見るっていうなら、三浦も楽しめるようなものの方がいいんじゃねぇの? ちっこい子供が見るアニメの大半って、今じゃ朝に集中してるもんだろ」

「え……そういうものなのか?」

「大きいお友達が見るようなのは夜中とかだけどな。材木座は大体そっちだ」

「あれ? でも先輩、きーちゃんとみーちゃんが朝に見てるあのー……プリ───」

「一色。我が義妹よ。あれはハマるとヤバイ。葉山のイメージじゃないが、もし子供よりハマってしまったら、いろいろとヤバい。むしろ三浦がお悩み相談に来訪しまくるまであるくらいの結果になる」

「そうね。なんだかんだ、葉山くんはのめり込んだら極めてしまいそうなタイプだから」

「あ、それわかりますよ雪乃ママ!」

「Si,ネット生活が充実した物語で桜井さんやってそうな印象がとてもある……!」

「「そして気づけば廃課金……!」」

「わからんでもないけどやめろっつーの」

 

 キミら何回俺にやめろって言わせたいのもう。わざと? ねぇわざとなの?

 あと一色、義妹って呼ばれてからテレテレするのやめなさい。

 雪ノ下も。なんでそんなソワソワしてんの。呼ばないからね? 義妹なんて呼ばないからね?

 そりゃ確かにそういった感じで見てしまっていた過去もなきにしもあらずっつーか……ああもういいだろ、ともかく。

 

「とにかく、最初は子供向けのやさしい物語とか見せていけ。子供向けだと思って見せたら血生臭いバトルになってるものとかにはマジ気をつけろ。長寿アニメとかっていろんな世代の意見とか時事ネタとか盛り込まれたりして、過剰になっちゃってるものもあるから」

「そ、そうなのか?」

「アンパンマンとかたまに“え? これ子供に見せていいの?”ってくらい残虐な所業に出るバイキンマンとか見れるからな。たとえばアンパンマンが水が弱点と知れば水攻めにして、マシンアームでギウウと体全体を絞ったりして───」

「いやっ、もういいっ! なっ……なんか、わかった気がする……!」

「お、おう、そうな」

 

 人は子供である時の方が残虐っていうけど、ああいうアニメの影響もあったりするんじゃないかしら。

 だって悪と知れば、なにもやってなくても殴って良し、みたいな空気あるだろ、あれ。

 で、悪人も主人公と協力すれば、過去の行ないがいつの間にか許されてる、みたいな空気もあるし。

 フィクションだから人気が出るんだろうけど、何人も人を殺した奴が善行をしただけでいつの間にか許されてる、なんて空気はまずないだろ……。

 ミサカの感情が豊かになればなるほど、屠られていった約一万のミサカたちにもそんな微笑ましい状況の数々が待っていたかもしれないと考えると、八幡は八幡はとっても心が痛いと唸ってみせる。

 それ考えると、大魔王の息子のくせにラディッツさんや栽培男以外特に殺してないナメナメ星の緑の人とかめっちゃやさしいのな。

 や、見えないところでなにかやってたのかもしれんけどさ。

 野菜王子もなー、ナメナメ星の人、殺しちゃってるし……魔人状態の時にやらかしちゃってるし。

 なんであれで善人扱いなのかしら。不思議。

 

「しっかしアニメね……ああいうの、本人に楽しむ気がないと案外見てても辛いだけだぞ? 自然と内容に惹かれてどっぷりハマるヤツも居るけど、アニメの内容とかろくに知らないヤツの場合、どうせそんなもんだし時間の無駄だ、みたいな考えで見るから、内容が入ってこない」

「うっ……実はそれも心配の種ではあるんだ。だからこう、今の内にアニメのことを知っておこうかと」

「お前の場合、まず“お話”として頭に入ってこなけりゃ途中で挫けそうだし、挫けなくても楽しめなさそうだから、そうだな……」

「むう。ここで安易にオータムを勧めていいものか、絆はしこたま戦慄」

「その言い回しはやめなさい。普通にクラナドでいいだろ」

「No……! ここはロミオの青い空でいくべき……! この美鳩が自信を以って推す……!」

「でも美鳩? ロミ青はアルフレドが居なくなってから随分と失速した感が───」

Nh(んぅ)……それは否定できない……!」

「はぁ。とりあえず葉山、無難に天空の城ラピュタでいっとけ。展開も速いし案外飽きずに見られると思うから」

「というわけでこれがラピュタだ大切に扱うのだぞイケメン殿!」

 

 言ってみたら、絆がズザァと滑りつつDVDを持ってきた。

 

「BDではないんだな」

「別の過去の名作をBDで買った時にちょっとな。実際昔のアニメだとディスクによっての差とかあんまないんだよ。だからDVDにしてる」

「名作をBDで! って張り切ったあとのあの残念感とか、すごいですよねー」

「まあまあイケメン殿、こちらの仮眠室とは名ばかりの真・休憩室へ」

「さあさあイケメン殿、こちらで鑑賞会を」

「え、あの、絆ちゃん!? 美鳩ちゃんっ!?」

 

 で、葉山にDVDを渡すや、その背中を押して奉仕部横の仮眠室へ。

 そこにある備え付けの機器で、早速ラピュタを再生させると扉を閉め、ガチャリと鍵を閉めた。

 

「おい……トイレとかどうする気だよ」

「紳士なら堪えられるよパパ!!」

「紳士さん膀胱炎になるからやめなさい」

 

 ともあれ、鍵は開けてそのまま放置。

 ……俺達も適当なる時間を過ごし、結衣が雪ノ下と一色を呼びに降りてきて、再び二階へ上がり……やがてそろそろかと思った頃。ごたごたやっている内にやがて扉が開いて、葉山が出てくる。

 

「…………!」

 

 その顔は、いかにも興奮していますって顔で、ラピュタのDVDケースを胸に抱いてそわそわしていた。

 あー、これアレだわ。自分が抱いた感想を誰かに伝えたい系のアレなアレだわ。

 材木座とかがよく、気になってるアニメの翌日とかにこの状態になって俺に突撃しかけてくるから、モロわかりだわ。

 だというのに、それを知っていてあえて触れない鬼畜双子娘。

 普段ならば黙っていてもつつきに行くというのに、とことんひでぇ。

 

「あ、あのっ、きずっ───」

「アー! いろはママに頼まれてたことがありました! ちょっと失礼します!」

「え、あ、えと……みはっ───」

Mi scusi(ごめんなさい)、何故だか唐突に用事を思い出したので失礼する」

「えぇっ……!? あ、えぇと……ひ、比企谷、比企谷っ」

 

 で、最終的には標的が俺になった。

 まるでぼっち初心者が、先生の心無いあの死の呪文を口にした所為で、ペアを求めて彷徨うような目を向けられ、逸らせなくなる。まあ現在は娘二人を除いたら、俺しか居ないんだから仕方ないんだが。

 だがまあそれはそれとしてだ。自分らから勧めておいて、アニメを好きになった人をほったらかしにするような遊びでつつくのは感心しない。

 

「絆、美鳩、好感度ダウン」

「《ズシャアッ!》さぁ話そうやれ話そう!」

La ringrazio molto(深き感謝を)。アニメというものに心を動かされたというのなら、あなたはもう同志。というわけで次はリラックスと休憩も兼ねて、ポピーザぱフォーマーをオススメする」

「え? いや、待って欲しい、まずはラピュタの感想を……! す、すごいなこれ! 感動したよ! こんな短い時間に勇気と感動がたっぷり詰まってるんだ!」

「───~……」

「───~……」

 

 あ。

 絆と美鳩が、アニメこのすばの“口一文字”状態になってる。

 “その道は既に我らが通過した道だッッッ!!”とか言いたそうだが、それを言ったら相手のアニメに対する興味を壊すことになるから我慢してますって感じ。

 

「ラピュタは最後、どの辺りまで飛んでいってしまったんだろう。動物たちが生活出来る標高だといいんだけどな」

「Si,それはきっと誰もが思うこと」

「ただでさえ雲があるような場所にあったんだからね、相当に寒いよ? それとも古代の科学力で適温が保たれているのかどうなのか」

「それのほうがまだ救いがある。水に沈んだ都市にもきっといろいろあったんだと思う。美鳩としては、それこそが気になる」

「なにかしらの装置があってー、」

「押すと水が移動して、」

「都市に下りられるようになってー♪」

「降りてみたら、見たこともない文明の残照が盛りだくさん……!」

「……!」

 

 絆と美鳩の妄想話に、葉山……目を輝かせて興奮気味。

 ほんと、珍しいこともあるもんだ。

 まあじっくり見たのが初めてなアニメがラピュタなら、それもわからんでもないのかも。

 

「ちなみにこの絆、TOPをプレイして超古代都市トールを見て真っ先に思い出したのが、何を隠そうラピュタである」

「左に同じくこの美鳩。テイルズオブファンタジアは思い出深い作品」

「「提供はザイモクザン先生でお送りします」」

「あいつは……。人の娘にどんなゲームをオススメしてんだよ……いや、好きだけどさ。いいゲームだけどさ、TOP」

「SFC版もPSP版もやらせてもらいました! 絆的にはSFC版をオススメしたい絆です!」

「Ja! あれはとてもいいもの……! ジャスティス……とてもジャスティス……!」

「オートセミオートシステムと、レンジシステムには結構難儀した記憶があるけどな」

「アルベイン流か魔法でなければダオスは傷つかないと言っておきながら、ベルセルクアローを装備したチェスターの強さに開いた口が塞がらなかったこの絆」

「クレスが一生懸命奥義を放つ横で、矢二本であっさりその奥義のダメージを越えてゆくチェスターに、口をあんぐりだったこの美鳩」

『つまりアルベイン流は、当時の技もなにもないバークライド弓術以下だったということ……!』

 

 ミゲールさん泣いちゃうからやめたげて。

 あといきなりそういう話とかしても、葉山にわかるわけないだろうに。

 ほれ見なさいよ、ぽかんとしてるじゃないの。

 

「ティーオーピー……?」

「TOPというのはですね、時と場所をわきまえるっていう───」

「そりゃTPO」

「……ボクシングで相手をノックアウトすること?」

「TKOな」

「国連平和維持活動特別委員会!」

「PKO。……殴らないからな?」

「パパ! そこは空気読もうよ!」

「ドラマCDにおまけが付くなんて珍しいことかもしれないこともないかもしれない……!」

 

 だからって娘を“……って、い~加減にしなさいっ!”と言いながらどつけと。

 あれ、アーチェさんでも痛がるくらいに結構いい音が鳴ってたぞ?

 ここはさっさと話題を変えるべきだろう。

 

「で、葉山? アニメに対する妙な先入観は取れたか?」

「ああっ! ほ、他にオススメとかあったりするのかっ!? 時間を忘れて何かに集中するなんて久しぶりだったんだ! 心から言えるよ! 面白かった!」

「お、おう」

 

 まあよ。結構成長してから急にハマるなにかってあるもんな。

 確かに言ってしまえば、それは俺達が随分前に通った道ではある。

 が、俺だって未だに急に夢中になってしまうものだってあるのだ。

 なにってほれ、ポテトに夢中になってる結衣の意識を俺に向ける100の方法探しとか?

 ……なんで俺、例え話で流れるように犬に嫉妬してんの。

 

「まあ、とりあえず絆と美鳩にみっちり教えてもらえ。裏っぽい名作って意味なら材木座に訊くのもいい。ただ、そっち方面では娘はあんまり喜ばんかもしれんから、やっぱりそいつらに訊くのがいいと思うぞ」

「そうか……その、すまない。助かるよ、比企谷」

「お前が俺に素直に感謝とか気色悪いからやめろ」

「いつでも俺には失礼だな、お前は……。相手を選んで感謝する理由なんてないだろう。そんなヤツに娘二人をつける気か?」

「もはははは甘い甘いわリア王よ! 乱心して襲い掛かってきた時は、この護身用スタンロッドが火を吹くのだ!」

「Si,一人を押さえたと安心した途端、反対側からこの美鳩が撲さ───スタンさせる」

「ぼっ……え? あの───え? 今撲殺って言いかけなかったかい?」

「……失礼した。殴殺の間違い」

「もっとひどくなってるんだけど!?」

 

 我が娘達に振り回されまくる日々の中、なんだかんだこいつもたくましくなったよな……。昔から考えれば、こんな勢いのあるツッコミとか出来るタイプじゃなかったのに。

 

「ほむ。大丈夫、安心するのだリア王さん。襲い掛かったりしなければなんの問題もないのだから。というわけでやっぱりとりあえずオータムで」

「Si,盛り上がりのない高校生活を送ったお方に、無駄にさせてしまった青春の深さを知ってもらう時……! 相手を学ばんとする心、実にジャスティス……!」

「ええとその。それはラピュタよりも長いのかな」

「長い」

 

 きっぱりだ。まあ、長いわなぁ……。

 何度も思うが、映画っていう一本の映像にあれだけの内容を詰めるってのはすごいもんだ。

 世の中には睨み合って、“はぁああ~!”とか気を溜めるだけで終わるようなアニメもあるってのに。

 

「映画と普通のアニメとはやっぱり違うからねー。まあとりあえず見てごろうじろ」

「ちなみにリア王さん、仕事の予定は……?」

「しばらくは入ってないんだ。面倒な山を越えたばっかりでね」

「「───ようこそ、貫徹の世界へ」」

「えっ……いや、俺にも優美子との時間が」

「FuFu、ミスタ・ハヤマ。……そんなものは彼女が降りてきてから考えればよろしい」

Buona fortuna(貴方に幸あれ)。弛まぬ努力を。さらば幸ある時間をお約束する。それは絶対に絶対です」

「……えっと。それは頑張らなきゃ楽しめないものなのかな……?」

「ヌワッハッハッハ! ───然り! 熟練のアニメ好きでも、時間を大事にする者はまず最初の数話で様子を見るものなのだよ! 主に3話目あたりまでとか!」

「残念だけれど面白いと見込めなかったものは切り捨てないと、時間がもったいない。そしてその好みの幅は個人によって大分違うので、自分が絶対にいかに“これは絶対に面白い”と思おうと、人に勧めすぎるのはノンジャスティス」

「然り然り! なのでそんな数あるアニメの中で、これこそがというアニメと出会うまでが初心者としての道のりと言えるのです!」

「それが、美鳩ちゃんにとっては、ええと、ロミオの青い空……?」

Esatto(その通り).胸を張って好きと言えるアニメはとても大事。確かにアルフレドが死んでしまってからの空回り具合はとても寂しいけれど、だからこそと思えるからとても好き」

 

 右手を胸に、左手を横へと広げ、目を閉じ熱弁。

 こいつも熱が入るといろいろと表現がアレになるからなぁ……。それというのも、こいつらが子供の頃から材木座のヤツが様々を大げさに熱く語ってきた所為だろう。

 

「というわけでさあ見よう! ていうかここに所持してるアニメのDVD・BD目録があるから、さあ見てみたいものを適当に!」

「地上波アニメはもちろん、映画やOVAなどもある……!」

「ラピュタから入ったなら少年冒険劇がいいかもだね!」

「なにがいいだろう……迷う、とても迷う……!」

「あ、あの……俺、学生時代に聞いたことがある、海賊の冒険のアニメとかがちょっぴり気になってて───。なんていったっけ。わ、わんぴ?」

「ならぬ」

「ならぬ!?」

「No……長寿アニメには長寿アニメの良さがあるけれど、オススメは出来ない……」

 

 ていうかあれもまだ完結してないしなぁ……。

 いったい何年続ける気なんだろうか。

 

「わたしたちはイケメンさんに、短く、けれど内容に溢れたアニメをたっぷり見てほしいのだよ! なので物語としては長くても、幾つか話しとして完結しているものを見ていこう! いいやダメダメ否否否ァ! こんな問答さえアニメの視聴には無駄でしかない! 時間があるならまず見よう! 続きが気になるか否かをまずは一話を見て判断するのだ!」

「今夜は寝かさない……! でも不穏な動きをしたらスタンガンが火を吹くと知るといい……!」

「とことんまでに信用されてないね!? あ、あのね美鳩ちゃん、絆ちゃん? 俺はもうきちんと優美子を選んだし、彼女以外と幸せに、なんて思ってもいないんだ。そこのところを間違って認識されているなら、いくら俺でも怒るよ?」

「その言葉が聞きたかった! ありがとう紳士!」

「Si,これで美鳩たちも笑顔で接待できる……!」

「え?《がしぃ!》え、え?《がしぃ!》」

「「さあ、ともに逝きましょう……?」」

「え、や、ちょっ……比企谷! たすけっ……比企谷ぁあーーーっ!!」

 

 葉山が両腕を捕られ、仮眠室に連行されていった。

 俺はそれに片手で南無と拝んでおくと、新しいブレンドでも研究してみるかなぁと歩き出すのだった。

 

……。

 

 翌日。

 

「マイネームイズ……オクレ!」

「外人になってるーーーっ!?」

 

 仮眠室からよろよろと出てきた葉山は、目の下にクマをつけ、さらに開くことも億劫なのか目をしょぼしょぼさせて……外人になっていた。

 同じく泊まっていったジュビコ……もとい葉山夫人、驚愕。

 

「ちょ、ちょっとあんたら! この人になにしたん!?」

「フッ……知れたこと」

「なにを言い出すのかと思えばそのようなこと……」

「「アニメを見せたのだ!!《どーーーん!!》」」

 

 さて。

 娘二人が三浦にツイン・フェイスロックをされる中、俺はといえば昨日一緒に眠れなかった結衣と抱き合い、愛を確かめ合っているわけだが。

 

「ああもう朝から暑苦しいですね……顔を合わせるなり抱き合うとか、そんなに離れたくなかったなら一緒に眠ればよかったじゃないですかー……」

「それは無理でしょう。三浦さんが結衣さんを掴んで話さなかったのだから」

「代わりにポテト抱いて寝てたけどな」

「ハッ!? し、しまった! この絆としたことが!」

「なんということ……! ママが居ない昨日ならば、堂々とパパと一緒に眠れたのに……!」

「おのれ歩泰斗様! 我らを差し置いて抜け駆けなど! ここは一度どちらが上かを教え込まねば~~~っ!!」

「そ、そう。ならばこそこんなところで捕まっている場合では───」

「あんたらにはまだ話があるからだ~め……!!」

「《ぎゅううう……!》グワーーーッ!!」

「《ぎゅううう……!》お、おゎぉおゎおぁあ……! じ、自分の息子に殺されるとは……! これも、サイヤ人のさだめか……!」

 

 娘達が締め上げられ、ニンジャとパラガスさんになっていた。

 その間もこちらに手を伸ばしてヘルプミー状態なんだが、すまん、結衣を感じるのに大忙しなんだ。

 あと俺もまだ女王モードの三浦は怖い。弱い父さんを許してくれ。

 

「いや、待ってくれ優美子。元々は俺がお願いしたことなんだから、二人を責めるのはやめてくれ」

「隼人……」

「というわけで、優美子。一緒に語り合わないか……!? 語りたいことが山ほどあるんだ……! 俺はとらドラとクラナドを見て、君にしてきた仕打ちを強く強く悔いた……! 頷けなかった分の時間を今から取り戻させてほしい───!」

「───」

 

 言うや、葉山は充血した目のまま三浦の手を取り、仮眠室へと歩いていった。

 三浦にしてみれば今さらそんなことを言われても、ってところだろうが───むしろそんなん言われるよりも、さっさと受け入れて一緒の時間を作りたかったわ、とか言いそうだ。

 しかし止める暇もなく二人は仮眠室へと消え、空気を読んだ絆がカチャリと鍵を閉めた。

 大丈夫、なんの心配もありませんよ。長い恋を成就させた二人が、アニメの話でこじれるわけがないじゃないですか。

 あといろいろ盛り上がっちゃってもご安心。防音は完璧です。

 でも後処理とか完璧にお願いします。なんか気まずいし。

 

「あの、あのあの、ヒッキー? えと、ヒッキー? ……ひゃんっ! ちょ、わ、わわわ……!? ゃ、ゃぅぅ~……!」

 

 そんな二人を見送った俺はといえば、一日離れただけで“もうだめだー!”とばかりに、抱き締めて背中を撫でたり頭を撫でたり、胸に抱くんじゃ足りなくて自分の肩に結衣の顎が乗るように屈むようにして抱き締めたり、肩越しに首筋にキスしたり耳をはぷりと唇で甘噛みしたり、キスしたりキスしたりキスしたり───

 

「比企谷くん。そのへんにしてあげてちょうだい……。結衣さん、真っ赤になって目を回しているから」

「へ? あ、うおっ!?」

 

 抱き締め状態から離してみれば、それこそほんとに真っ赤になって目を回しているお嫁さん。

 離した拍子にかくりと揺れる、目を閉じてしまったその顔も可愛い。

 いとおしく、そのくたりと力が抜けた体をもう一度ぎゅうっと抱き締めた。

 直後、「やめろと言っているのよ」と、雪ノ下にハリセンでスパーンと叩かれた。

 い、いや、これあれだから。愛妻がいつまでも可愛いくて綺麗なのが良くて、それに中てられっぱなしの俺が悪いだけだから。つまりほらアレだよアレ。俺の嫁さん超可愛い。

 あと普段なら結衣の後ろに並ぶ娘二人が、並ぶどころか既に抱きついてきてるんだが。なに? どったのちょっと。

 

「パパ……絆は再び学びました……いえ、思い出したのです……。思ってるだけでは届かない……行動せねば、想うだけでは……」

「Si……美鳩も思い出した……。それはとてもとても大切な、思い出すたび刻み込むべきジャスティス……」

「声がもう完全に眠ってるな……。ほれ、いーからとりあえず寝てこい。夜更かしは美容の敵だっていうだろーが」

「うー……でも、パパー……」

「それが真実かは知らんけど、綺麗な肌してんだからそれを汚す可能性を自分から殺すこと───」

「イェッサー絆眠ってきます! 綺麗になって戻って来るね!」

「Ho capito,パパの真意が深く美鳩に刻まれた……! 綺麗な美鳩に戻って来る……!」

「へ? いや、べつにそういう意味じゃ───」

 

 言ってる途中で、既に駆けて行ってしまった。

 しかし雪ノ下に叱られると、ザムザムザムザムザムと早歩きで進む娘二人。

 

「なんというか、なんだかんだで素直な子ですよねー、きーちゃんにみーちゃん」

「ええ本当に……。どうすればこの男の遺伝子からあんな良い子が」

 

 真面目に不思議がって首傾げるのやめない? ねぇ俺泣くよ? 泣かないけど。

 まあそうな、結衣の遺伝子が大量に含まれてるからだろ。

 だって俺、こいつの前じゃどんだけ捻くれても包み込まれてばっかだもの。

 つまりほらアレな。俺の遺伝子なんぞ、結衣の前では形無しみたいなもんなのよ。

 ほんとなー、俺の遺伝子っつーか、似た部分なんてアレだろ、あの立派なアホ毛くらいだろ。

 あとは自分に友好的な家族には激甘なところとか、妙な部分にばっかり理解があるっつーか、知識が深いっつーか、そんなとこだろ。

 

「そういう話は置いて、朝飯にでもしない? なんつーか今日はそんな気分だから料理とかめっちゃ作るし」

「あら。どういった風の吹き回しかしら。普段なら二人で作るか、結衣さんの手料理を望むあなたが」

「ほらほら、雪ノ下先輩、あれですよあれー♪ きっと一日離れた分、愛情を送り足りないってやつですよー♪」

「……確認するまでもなかったわね」

「真顔でひでぇなおい」

 

 でも事実なので言い返せない。言い返してもいいんだけど、正論で論破されるのが目に見えてるからね、仕方ないね。

 

「まあ、今日も休みなんだしのんびり過ごすか。とにかく朝食はあのー……任せてくれりゃいーから」

「あら。別にそこの椅子で離れていた分をいちゃついていても、一向に構わないのだけれど?」

「ですねー。実は昨日、三浦先輩と家庭の料理談義しちゃいまして、ちょおっと家庭料理を作るのに燃えちゃってる部分があったりするんですよねー」

「そうか。じゃあ俺が作るな?」

「ちょ! なんでそこでそうなるんですかー!」

「いや、だから俺が作るから、お前のその燃え滾る情熱とかは昼か夜かに回してくれって」

「家庭のキモっていったら朝ごはんですよ! 男の人っていうのは朝の始まり、お味噌汁とかに心惹かれるものなんですから! どういった経緯があるから、“俺のために毎朝味噌汁を”なんて殺し文句があると思ってるんですかほんと先輩ってありえないですごめんなさい!」

「俺も結衣のために味噌汁作るんだよ文句あっか」

「だからなんでそう無駄にヒロイン力高いんですか先輩はー!!」

 

 知らんよそんなもん。

 俺にとって結衣こそヒロインで、大事な存在なんだから。

 ともかく料理だ。まずは結衣を奉仕部の椅子に丁寧に座らせて、と。

 で、いざ料理を《くんっ》うおっと!?

 

「椅子にでも引っかかっ……OH」

 

 服が引っかかってつんのめった、格好悪い……と思ったら、気絶中の結衣の指が俺の服を摘んでいた。

 

「………」

 

 なでなで。

 愛しく、可愛く思い、つい頭なでなで。

 愛情マシマシで煩悩を撫で付けるようなことはないが、誠心誠意作らせていただきます。

 そっと摘んでいる指をほどいてやると、いざキッチンへ。

 そこでエプロンをヴァサァと身につけると、

 

「さて、やりますか《ムンッ》」

「はい、やりますか《ムンッ》」

 

 腕をまくってへの字口、って時に、何故か一色も混ざってきた。

 

「いや、だからね?」

「先輩はお味噌汁お願いしますね。わたしは厚焼き玉子でいくんで」

「待ってちょうだい一色さん。ここはオムレツでいくべきはないかしら」

「えー? 朝の卵って言ったら厚焼き玉子って、昨日わたし言ったじゃないですかー」

「ええそうね。私はオムレツと言ったわ」

「いやいやなに言ってんの、朝で卵っていったらベーコンエッグだろ」

「なに言ってるんですかほんとせんぱい有り得ないです。お味噌汁って漢字の多いところになんでカタカナ持って来るんですか。厚焼き玉子一択に決まってるじゃないですか」

「いいえ違うわ。朝からあんな、たっぷりの油を使うような卵料理なんて胃がもたれてしまうわ。ここは細かな野菜を混ぜたオムレツにするべきでしょう」

「油がどーたらって言うなら少量の油と水で蒸し焼きみたいにした目玉焼きでもいいだろが。ベーコン入らないだけで漢字ばっかだぞ、ほれ、文句ないでしょこれで」

「目玉焼きにベーコンもハムも入れないなんて有り得ないです!」

「そうね、あなた疲れているのではないかしら。主に眼球から」

「いやお前ら……どうしたいの? ねぇどうしたいの?」

 

 あ、でもオムレツなら刻んだハムとかオホーツクとかもいいよな。

 で、あったら嬉しい刻みニラ。あれ入れるだけでオムレツの味、深まるよな。

 ……ハイ、結衣の味にすっかり慣らされている旦那です。

 そんなわけで調理開始。

 結局ベーコンエッグも厚焼き玉子もオムレツも作ることになり、しかし味噌汁は俺の役目。

 あとは焼き海苔などをパリッと軽く火で炙り、納豆を用意して、と。

 焼き魚……は、魚がなかった。喫茶店やってると案外忘れる魚介類。

 貝類のパスタはやってても、魚は使わないからなぁ。

 まあ朝だしそこまで数は要らないだろう。

 美味い飯っていうのは漬物と味噌汁だけで白米が進むもんだ。

 よくぞ日本人に産まれけり。

 

「そして絆が誕生した」

「食に眠気は不用なり。美鳩───見参」

「どうしてお前らは普通に来れないんだよ……あー、15分か?」

「イエスパパ! 寝たらスッキリした! まああんまり効果続かない睡眠だけど!」

「そこらへんは努力と根性と腹筋でカバー……! それより朝……! パパの朝ごはん……!」

 

 宅の娘は腹筋で眠気をカバーできるらしい。

 いやわかるけど。眠い時、究極に腹筋絞めてると、案外眠気取れるけど。

 

「んじゃ、料理運ぶの手伝ってくれな」

「フッ、旦那……俺っちの力が必要かい?」

「旦那にゃあ借りがある……ここは俺達に任せてもらおうか」

 

 ああいや、やっぱこいつらちょっと寝惚けてるわ。

 なんでか、“恩人の役に立とうとするニヒルな旅仲間”チックに料理を運び始める娘たちに、少々の呆れを抱きつつ……雪ノ下も一色も一緒に皿を運び、俺は結衣を起こし───

 

「あ。葉山たちどうする?」

「No,料理の香りがあっても出てこないのであれば、呼びに行くのはヤヴォ。ノンジャスティス」

「そうだね。八幡、あとできっと優美子が葉山くん専用に作るよ」

「ああ……まあそうか。むしろ作る機会を奪ったら怒りそうだもんな」

 

 呼び方が八幡に戻った結衣が、俺の隣でにっこり。

 やがていただきますを揃えて言うと、全員でのんびりと朝ごはんを堪能した。

 

「ではここで問題です。結衣せんぱ~い? この卵料理の中に、一品だけ先輩の料理があります。どれで───」

「ベーコンエッグ」

「一発ですか!?」

「むふん。甘いですよいろはママ。ママならパパの調理のクセや朝に好むものくらいなんでも知ってます」

「Si.そしてなにより、他の二つもどっちが雪乃ママが作ったか、いろはママが作ったかもわかる」

「オムレツがゆきのんで、厚焼き玉子がいろはちゃんだよね?」

「……すごい……なんでわかったんですか?」

「えへー……♪ いっつも見てるし、好きだから、かな」

「「………」」

「ひゃっ、わ、あのちょっ……な、なんで撫でるの!?」

「結衣先輩ってほんとあれですよね……なんでたまにこんな可愛いんですかもう……」

「馬鹿言え、いつも可愛いだろ」

「はいはい、先輩の色ボケ眼鏡はこの際どうでもいいですから」

「いろぼっ……」

 

 仮にも色を苗字に冠したあなたが罵倒文句に使っちゃっていいの? いやべつにいいんだろうけどさ。

 いいじゃないの妻を愛すくらい。好きでなにが悪いの。

 言っとくけどあれよ? 色眼鏡とか無しに可愛いからね?

 

「けどあれですよねー。最初の頃は先輩、なんでも甘くして大変だったそうじゃないですか」

「………」

「やっ、だ、だって“同棲してた時はどんな料理だったん?”って優美子が訊いてきたから!」

「当時は電話で相談に乗っていたりもしていたけれど、恋人にまで甘い飲食を強要するのはどうかと思うわ」

「ママさんに注意されて以降、しっかり直したよ。悪かったな」

 

 やめて! 過去の悲しみを抉らないで!

 あの頃は本当に甘さこそ至高! とか考えてたんだよ!

 だって世の中ほんと甘くないんだもん!

 え? じゃあ今はどうして平気なんだって? ……いやほらあれよ? …………甘さに包まれてるから?

 

「はふー……! ごちそうさまでしたー!」

「最後に味噌汁を食道に流す喜び……! とてもジャスティス……!」

「おう、おそまつさま」

「ほむ。パパはこういう時、おそまつさん、なんて言い方はしないよね。なんで?」

「某アニメを連想するからなー……。とあるぐ腐腐さんを食事に招いた時、いろいろあったんだよ……」

「……この絆、痛いほどわかりました」

「同じくこの美鳩、痛いほどに……」

 

 昔懐かしのものが新しいアニメになりました。

 ……さて、どこをどうすれば腐った内容がすっ飛んで来るのか。

 人の想像力と創造力は実に恐ろしいものですなぁ。

 

「それでパパ、これからどうする?」

「ん? 結衣と一緒に居るが」

「うん。ママと一緒に? なにするの?」

「一緒に居る」

「…………」

「………」

「遊ぼうパパ!」

「フン断る」

「パパー!?」

 

 一言で切って捨てて、隣の結衣を抱き締めた。

 しかしさすがに悪いと思ったのか、いや俺も悪いと思ったけど、結衣は俺を見て「みんなで、だよ?」と笑った。

 

「んじゃ昨日、暇に任せて部屋掃除したら出てきたゲームでもやるか」

「おお! どんなのどんなの!? 今や安値で過去の名作がダウンロード出来る中、あえてその過去のゲーム自体をやる喜び! 絆は今! 猛烈に! 熱血してる!」

「パパ大変……! 絆が病気……! 病院行ったほうが……!」

「真面目に返答された!? あ、でもパパが付き添ってくれるなら……!」

 

 わーったからまずお前らはもっぺん寝てきなさい。

 いろいろ言動がおかしくなってるから。

 

「八幡、ゲームなんて持ってたっけ」

「ああほれ、お前が出産して入院してる間、あんまりにも落ち着きがない俺を見かねて、平塚先生にもらったもんだ」

「へー……どんなの?」

「チェーンソーしか持ってないパーティーが“かみ”の前に立ってる魔界塔士SaGa入りゲームボーイと、あとはNEOGEO本体とゲームが何本かだな」

「……?」

「……? ……?」

 

 わあ。娘達がゲームの名前を聞いても目をぱちくりさせてる。

 平塚先生、ジェネレーションギャップがすげぇです。

 

「ま、とにかくやってみりゃいいだろ。特にSaGaはやっとけ。“神をチェーンソーで斬殺”はゲーム史に名を残す素晴らしい名シーンだ」

「おお……! 噂では聞いたことがあったけど、それがサガという名のゲームだったとは!」

 

 ただよく覚えておいてほしい。

 あのゲームは“チェーンソーさえあれば神に勝てる”のではなく、謎の斬殺経験を積まねば神をバラバラに出来ない。

 チェーンソーを購入して、まずは雑魚敵をバラバラにしまくろう。

 熟練のチェーンサーさんじゃなければ神はバラバラにならない。

 そしてバラバラにしたあとの“やっちまったな……”のあの台詞ほど、キッツイものはないと思う。

 

「パパパパ! そのねおじおー、とかいうのは!? どんなゲーム!?」

「とりあえずサムスピとガロスペだって渡された。やはり地獄変でなければ、って渡されたんだけどな?」

 

 なんのこっちゃだったんだが、やってみたら敵が強いのなんの。

 ちょいと斬られただけで体力ごっそり減るし、容赦なく両断されるし。

 やっと辿り着いたミヅキさんに毎度惨殺されたのは苦い思い出。

 ズィーガーが死んだ時に何故ラブリー言ってたのかがずっとわからない俺でした。今は知ってる。ラブリーじゃなかった、恥ずかしい。

 で、結衣が退院してからは封印されたわけで、結衣が知らないのも当然なわけで。

 

「その……比企谷くん? なにかを惨殺することを子供に勧めるのはどうかと思うわ。腐っている腐っているとは言ってきたけれど、まさかあなたがそんな───」

「悲壮感たっぷりに言うな、マジに聞こえるから」

「だって普通に考えたらチェーンソーなんて有り得ないじゃないですか。そういうゲームなんですか? ええっと、なんでしたっけ、じぇいそん、とかいうのが出てくる?」

「………」

 

 ジェイソン知らないとかマジか、とか言いそうになったが、俺だってたまたま知ったにすぎない。

 そうか、世の中はそんなにも進んでおったか……。平塚先生が聞いたら泣きそう。

 

「実際にそんな残酷な場面を見せるとかそんなんないから」

「ほんとですか? 人が斬られたりとか両断されちゃったりとか、ほんとにないですか?」

「な───」

 

 い、と言えなかった。

 やっちゃってるじゃん。サムスピ、やっちゃってるじゃん。

 

「義妹よ、とりあえずその話は置いておこう」

「状況が悪くなると義妹扱いするのやめてくださいハチ義兄さん」

 

 その割りに毎度毎度微妙に嬉しそうじゃないの。

 ほら見てみなさいよ、隣の雪ノ下だってなんかそわそわしちゃってる。

 言ってほしいの? 義妹って言ってほしいの? やっぱり言った途端に罵倒文句で切り返されそうだから言わないけど。

 

「まあ対戦ものとかもあるから、適当に順番回してやる方向でやってみればいいんじゃないか? 久しぶりに時間もあることだし」

「……けれどその時間をわざわざゲームに使う必要もないでしょう? むしろもっと───」

「絆ー、美鳩ー、雪ノ下は負けるのが怖いからやらないとー」

「安い挑発ね。安い挑発だけれど、侮られたままで引き下がるのも癪だから、いいわ、相手になってあげる」

「うわー……」

「ゆきのんちょろい……」

 

 かつての部長は相変わらずだった。

 そんなわけで一度二階に戻ると物置になっている部屋へ行き、丁度片付けたばかりだった本体とゲームを手に広間へ。

 そこへ皆を呼び込むと、まずは娘たちにSaGaを渡して、大人達はレッツ対戦ゲーム。

 懐かしい起動画面ののちに、懐かしい操作方法が流れる中、これまた懐かしい独特のBGMが流れ、それが激しいBGMに変わるや“モビィイイイイ……!!”という重苦しい音が鳴り、チャ~ンチャララチャンチャンチャンチャンチャ~ン♪ とサワヤカなBGMが……!

 

「………」

「………」

 

 絆、美鳩、呆然。

 しかし突然吹き出し、笑い始めた。

 

「き、きーちゃん? みーちゃん?」

「いろっほ! いろっはまぼっほ! いろはマボフ!! あははははははは!!」

「くふぅ……! これっ……これは予想外……想定外……! ここまで爽やかにチェンソーでなにかを斬るものを、みはっ……みはっほ……! みみ美鳩は初めて……ふ、ふっく! ぷはははははは!!」

「お、おぉおお……? ちょ、せんぱい? せんぱーい!? みーちゃんが! みーちゃんが大声で笑ってますよ!? いったいなにやらせたんですか!?」

「だから、SaGaだって。ほれ、やってみろ。ちゃんと電池は交換してあるからまだまだ遊べるぞ」

「……?《ぴこーん♪》」

 

 戸惑いつつ、電源が切られていた遊戯(ゲーム)ボーイの電源を入れ、一色に渡す。

 操作方法がいまいちわからんくてもボタンの数は少ないのだ、適当にやって、“かみ”のBGMが聞こえ始め、チェーンソーしかないことに驚き、しかし少しののちにモビー。

 真っ二つに裂かれていった神を目の当たりにしたであろう、唖然とした一色の顔がしかし、直後の明るい戦闘終了音楽によって驚愕に変わり、さらに直後の“やっちまったな……”の言葉で呆然。

 そんな状態のまま、ぽち、ぽち、と条件反射のように文字を送り、やがてエンディングテーマが流れると、助けを求めるような目で“え!? これで終わりなんですか!?”と訴えかけてきた。目で。

 それに頷いてやると、またも呆然としたのち……もはや笑うしかなかったのだろう、顔を背けて肩を震わせ始めた。

 俺はといえば、そんな一色を“まあそうなるわなぁ”と頷きながら見守り、いつの間にか雪ノ下と白熱バトルを繰り広げていた結衣を確認したのち、久しぶりに大声で笑っている美鳩の頭を撫でていた。

 

「くっ……!? もう一度、もう一度よ結衣さん!」

「うんっ、あ、じゃあ次こっちやってみよ? いろんなものやってみないともったいないよ。あ、ううん、いろんなもの、ゆきのんとやってみたい」

「───……そう、ね。ええ、けれど、やるからには負けないわ」

「うん、それはあたしも。えーと、ねぇ八幡、これって対戦できるやつ?」

「いや、対戦ってか協力プレイだな」

「協力! やろうゆきのん!」

「そう……対戦ではないのね……。そう……」

 

 あのちょっと雪ノ下さん? なんでちょっと安堵してるの? もしかしてパズルゲーで瞬殺されたの大驚愕?

 ともあれ開始される、軍隊モノ横スクロールアクション。

 例の如く操作画面を見てから開始───少しののちに死亡。

 これではいかんとばかりにやり直し、進めてゆき───ゲームオーバーになろうがリトライ、何処でなにが出るかを頭に叩き込み、常に最善の行動を取るようにして───

 

「フフッ……ノーミスでクリアしてしまったわ……!《ドヤァアアアン!!》」

 

 1ステージをパーフェクトにクリアする雪ノ下がここに降臨。

 対する結衣と一色は、無理矢理付き合わされて逃げることも出来なかったため、少々グロッキー。

 まあこういうのって楽しみながらやるもんだし、楽しみ方もそれぞれで、むしろ他人の楽しみ方に無理矢理付き合わされた際には魂が吸われたってくらい疲れるしな……。

 

「……あら、続きがあるのね。結衣さん、続きよ」

「ひうっ!? ききききずなっ、絆っ! 交代! あたしもうだめ! パス!」

「むふーん……! ママに頼られてしまったからにはこの絆、立ち上がるしかありませんね! さあ参りますよ雪乃ママ! この絆に───付いてこれますか!?」

「ふふっ……1ステージでコツは掴めたもの。パーフェクトとまではいかないけれど、兵として頼られるほどの活躍を約束するわ」

 

 おお……勝気なゆきのん久しぶり。

 なのにそのきっかけがメタルスラッグってどうなんだろう。

 

「………」

 

 ちらりと見れば、傍のテーブルの上には雪ノ下が書いた1ステージの攻略法。

 うーわやっばい、今ここに平塚先生呼びたい。

 そうだよなー、昔のゲームなんて、サイトで攻略法を見る~とか、ネットの動画配信で攻略動画を見る~とかじゃなかったんだよな。

 全て手探りで、ほぼ失敗して覚えるものだった。

 かつてはアイワナは死んで覚えるゲーム、なんて言われていたが、そんなのは当然の世界だった。

 魔界村とか鬼畜すぎでしょ、ボスにも会わせず最初からやり直せとか、製作者は鬼よきっと。

 そうそう、ゲームとは一種のネットワークだった。

 わからないところを学校で話し合って、攻略できたヤツをスゲーと素直に褒め称えて、なにくそと自分も頑張ってみて。

 ……まあ、俺にはそんな相手は居なかったが。

 いつもありがとう小町ちゃん、お兄ちゃん、いっつもキミの存在に救われてました。

 

「くっ! 馬鹿な! この絆が! この絆がーーーっ!」

 

 と、ここで絆が雪ノ下より早く死亡。

 次いで雪ノ下も死んでゲームオーバーになると、「より多くの経験が必要だわ……」とメモを取るYUKINON。

 

「いけ、ミハートゥ。お前がナンバーワンだ」

「バトン、受け取った。この美鳩が出るからには戦死者など出さぬ……!」

 

 そして絆は美鳩にバトンタッチ。

 雪ノ下の攻略と、今まで見てきた画面を武器に、雪ノ下とともに攻略にかかった。

 

「ほれ、義妹ー、もう参戦しなくていいのかー」

「せんぱい、このSaGa、チェーンソー以外で戦ったらどうなるんですか?」

「簡単には勝てないらしいぞ? 普通に戦う“かみ”の強さは異常だって聞いた」

「まじですか。それがチェーンソーで……ぷふっ! ~……!」

 

 何度目になるのか、一色の手の中では再びモビィイイイという音が響いていた。

 ちょっと? さっきから何回斬殺してんの?

 

「雪乃ママ……」

「ち、違うのよ美鳩さん……! べべべつに、失敗をしたというわけでは……!」

「んー……ねぇゆきのん? もしかして、八幡に義妹って呼ばれたい?」

「ふきゅっ!? ……違うわ《キリッ》」

「「「「……………」」」」

 

 俺、こいつらと居て、何度“やめて”って言ったり思ったりしたんだろ。

 やめて? 全員で俺のこと見つめたりしないで?

 

「……イモータル・雪乃」

「《びくっ》……別に不滅ではないのだけれど。なにが言いたいのかしら、比企谷くん」

 

 いや、グリザイアでもやってたけど、イモータルと妹ってなんか似てるなって。

 蕎麦屋でも開く? ご冗談、喫茶店は譲れません。

 あとそこのお前ら、“ほら早く。早く!”って目で急かすんじゃありません。

 大体、相手を妹よ、とか呼ぶのって状況揃ってないとおかしいでしょ。

 どうすんのこれ。

 

「あー……その、な。我が義妹雪乃よ」

「《うずっ》……~……な、なにかしら。急に我とか気色が悪いわね。とうとう財津くんのクセでも伝染ったのかしら……その、に、……義兄さん」

「………」

 

 あら顔真っ赤。

 視線もうろちょろさせて、けど頑張ってすまし顔をしようとして。

 丁度背伸びしたがってた頃の小町がこんな感じだったっけ。

 いやー、あの頃は面倒な妹になったなーとか思ったけど、思い返してみれば可愛い可愛い。

 なのでつい、義妹とはいえ同級であった相手の頭を気安く撫で───ることはしません。

 

「あ、止まりました。ええ、そうですよ先輩。好きな人が居る人が、女性の頭を気安く撫でるものじゃありません。そういうのほんとダメですアウトですごめんなさいです」

 

 おおそうな。

 いつかの一色の時でも止まったのに、今さらこんなところでやらかすわけにもいかない。

 

「べつにあたしはいいけどなぁ……ほら、ゆきのんもいろはちゃんも、もう“雪ノ下”の義姉妹なんだから」

「じゃあ先輩わたしのこといろはって呼んでぎゅーって抱き締めて頭撫でてくださいっ! あ、呼び捨てでですよ呼び捨てで!」

「それはだめだよ!? ななななに言ってんのいろはちゃん!」

「やっぱりだめなんじゃないですかー! けちです! お義姉ちゃんはけちです!」

 

 ぎゃーぎゃーと騒ぎ始める嫁さんと義妹、それに便乗して我も我もと寄ってくる娘達。

 困惑している内にきゅっと手首を掴まれて、その手が雪ノ下の頭の上に置かれ、左右に振られた。

 

「お、おい雪ノ下?」

「小町さんにはよくやっていたのでしょう? べつに構わないわ。あなたの場合、女性に触れるという時点で“気安いもの”ではないことくらい、わかりそうなものだもの」

 

 そう言う雪ノ下は、“今では義妹よ? 文句でもあるのかしら”とばかりで少々ドヤ顔。

 溜め息ひとつ、自分の意思で撫でてやると、途端に真っ赤になって俯いたんだが。もうなんなのほんと。義妹なんでしょーがアータ。

 

「って結局撫でるんじゃないですかー! じゃあわたしもお願いします! 前に直前で止めたぶんもきっちり愛を込めて!」

「アホ、愛は結衣にしか込めねぇよ」

 

 言いつつも、もう片方の手でなでなで。

 俺に撫でられて嬉しいんかね。ああいや、兄って存在が居ないと、そういうのに憧れる部分があるのかもしれん。

 俺も綺麗でやさしいお姉さんとかには憧れたことはあった。現れたのは胡散臭くて腹黒い綺麗なお姉さんだったけど。

 あれ? そう考えるとその枠ってめぐり先輩くらい?

 ……俺の周りってどんだけキッツイ女性ばっかなのちょっと。

 と、ここまで考えたあたりで絆と美鳩が俺の腰と胸に抱きついてきた。

 「手が塞がってるのならハグで!」という謎理論らしい。

 

「……お前らが学生時代に同級生だったらーとか、幼馴染だったらー、とか考えると、いろいろと振り返っちまうことがあるな」

「むふーん! それは───」

「絆では無理。最初からパパに愛を抱いていた美鳩でなくては、きっとパパに罵倒ばかりだった」

「ぬぐおっ! ぬ、ぬう、この絆が、事実だから言い返せないだと……!」

「そうね。それでもこの男は自爆して自嘲を重ねて、目を腐らせていたと思うわ」

「まあ……そうな。他人の心配そっちのけで、内側に篭る未来しか想像できねーわ」

 

 ほんとどんだけ面倒な男だったの俺。

 しかしながら、それでも結構楽しくやれたんでは、とは思うのだ。

 ちっこい頃は俺にキツかった絆だが、心から嫌われていたわけじゃないと思う。

 俺の接し方がもっとマシだったら、純粋に普通の父親として見られていただろう。

 ようするに物心ついた頃からの接し方に問題があったのだ。

 幼馴染として出会ったにせよ同級生として出会ったにせよ、それだけでもいろいろ変わったんじゃないかね。

 

「出会いが最低だった場合、お前が心許すまでどんくらいかかるんだろうな」

「むう。とりあえず危機的状況から助けられればパパ限定でコロリと逝きそうな気がする絆です。嫌いとか苦手意識は反転できるものだって神にーさまが言ってましたし」

「幼馴染とか同級生で、俺がお前を救う状況ってなんだよ……」

「躓いて階段から落ちるって時に、身を挺してかばってくれるとか……!《キラキラ……!》」

 

 普通に今と変わらんだろそれ。

 イメージしやすいって意味ではなるほど、確かにそうだが。

 と、いい加減自分の周囲がアレな空気になってくると、撫でる手をどかして娘達を剥がし、むー、と頬を膨らませていた嫁さんを招いて抱擁。

 他の女性の香りで支配されそうだった空気を結衣で満たして、心から深呼吸。

 キモくてもいい、愛とはピュアで一途であれ。

 

「はぁ、結局最後はこうなるんですよね。っと、そろそろ昼ですけどどうします?」

「そうね───そろそろ下の鑑賞会も一時中断くらいにはなるでしょうし、二人も混ぜて考えましょう」

「あ、賛成っ。優美子の料理とか、あたしも食べてみたいっ」

「……かつての結衣先輩並みだったらどうしましょう」

「……悪夢ね。さりげなく胃薬を用意しておきましょう」

「二人ともひどい!?」

 

 抱き締めていた結衣が、雪ノ下と一色と料理についてを語り合う中、今ぞとばかりに抱きついてきた双子を受け止める。

 おーよしよし、八幡、今やたらとなにかを構いたい気分だから遠慮無用で撫でちゃる。

 あるよね、たまに。学生時代だったら大した反応を見せないカマクラを撫でまくっていたもんだが。つまりそういった衝動なので、愛とかそういうのではない。

 

「Nn……ピジョニウムが満たされていく……」

「でもいーなー、パパと幼馴染かー。……まあ、今の記憶を持ってそんな状況になるんだったら、やっぱりわたしはパパにはママとくっついてほしいかな」

「Si,それは曲げたくもないジャスティス。ママを泣かせてまで自分の幸せを選べるほど、我らは家族嫌いではない」

「……おう。あんがとな」

「感謝は是非ハグで!」

「ミセス・グラスフルのツイン・フェイスロックで支配されてしまったきつい感触を、是非パパに上書きしてもらいたい……!」

 

 ……そりゃなにか、抱き締めろと?

 もしくはフェイスロックをしろと?

 

「………」

 

 まあ、たまにはおかしなこと考えないで素直にいこう。

 結衣にそうするように、やさしくやさしく抱き締める。

 思えば過去から今まで、宣言通りに子供にさえ見せ付けて砂糖を吐かせる勢いで嫁を可愛がってきた俺だ。

 その分だけ娘達に寂しい思いをさせたのかもしれんなら、たまには。

 

「はぅ……パパやさしい……」

「これはとても心地良い……。ジャスティス……すこぶるジャスティス……」

 

 すこぶる言うな。

 

「んじゃ、行くか」

 

 自然と笑みをこぼし、結衣に声をかける。

 と、双子娘がシュパッと離れ、結衣の手を引き俺の胸へと飛び込ませる。

 

「うひゃあっ!? ちょ、二人ともっ!?」

「うん、やっぱりこれこれっ」

「昨日のパパはとてもソワソワだった。ママが居なきゃ、もうパパはパパらしく振る舞えない」

 

 そうなの? と見上げてくる結衣を、既にぎゅーっと抱き締めているあたりで、どんだけ反論したって無駄なことは俺がよーく理解しておりました。

 いいじゃないの、一途な愛って今時珍しいと思うよ?

 ……促し促され、全員揃って広間を出て階下へ。

 ぞろぞろ降りる中で葉山夫妻の声が聞こえ、奉仕部へ向かってみれば俺達を発見する三浦。

 なにやら目を輝かせていることから、あー……こいつもなにかにハマるとのめりこむタイプだったかーと思いつつ、その口から放たれるラピュタ愛に拍手を贈った。

 よかったじゃないの、夫婦揃って好きになれるアニメがあって。

 結局のところ宮崎アニメを存分に堪能したらしく、今さらながらにアニメというものを見直したのだとか。

 惜しいな。学生時代に受け入れられたなら、お互いにもっと、個人的な話で盛り上がれただろうに。

 ……まあ、アニメ好きで意見を言い合う存在が恋人関係っていうの、あんまり想像できないけどね。

 どうあっても意見分かれるからなぁああいうの。

 

「ってわけで、優美子っ! ご飯作ろうっ!」

「へっ? あ、いや、急に来といて泊めさせてもらって、ご飯までとか悪いでしょ」

「大丈夫! 大勢で食べた方が絶対に美味しいから! ていうか、言っちゃうと優美子の料理がどんななのか食べてみたいなーって」

「……そういえば、結衣には負けないって言っといたっけ。ん、わかった。やってやろーじゃん。ヒキ……比企谷の舌を唸らせるくらいの料理、作ってやるから」

「ヌフフワハハハハ……! 多少料理の勉強をしたからといって自惚れるなよあーしさん……!」

「クフフフフ……! まずはこの比企谷四天王が二人、絆と美鳩を唸らせてから言ってもらおう……!」

 

 えっ? 四天王なんて居たの? 誰? あと二人誰?

 あとなんでお前らこういう時にノリノリで混ざってくるの。

 ノリが男子高校生の日常みたいだからやめなさい。ってまたやめなさい言ってるよ俺。

 

「てか、唸らせるなら葉山の舌だけでいーだろ……俺のことは気にすんな。俺は結衣ので究極的に満足できるから」

「比喩表現だっての。一応今現在の料理での目標は結衣なんだから、ならあんたを唸らせるのが一番でしょ。辛口評価でもなんでもいーから、思ったことズバッと口にしな。いい?」

「お前じゃ無理だ《ズバッ》」

「食ってから言え!!」

 

 愚かな。林間学校で子供が好きとか言いながら料理はパスとかぬかしたヤツの努力が、今までのこいつの味を越えるなどない。

 なにせ結衣のは俺の味覚に合わせて成長した、まさに俺への想いの具現というやつだ。恥ずかしいから口には出さないけど、なんかそんなのなの。

 愛情ってすごいよ? 究極にメシマズでも、堪えて堪えて、相手が腕を上げられるまで堪えられるんだ。それが今では俺の大好物にまで昇華した。これ愛さないとか馬鹿でしょ。

 故に言おう。お前じゃ無理だ。それは葉山が食べて葉山が鍛えるべき愛の証だろう。

 俺に振る舞ってる時間なんてないの。いいから葉山を満足させなさい」

 

「………」

「………」

「……、OK、その顔はもう何度か見た。久しぶりにやらかしたみたいだし、嘘もついてないから是非そうしてくれ」

「……寝惚け眼な俺が言うのもなんだけど、お前って結構隙だらけなんだな、比企谷」

「好きだらけのなにが悪い」

 

 硬直の葉山夫妻に胸を張って告げて、結衣の肩を引き寄せる。

 隙と好きってよく似てる。だって好きになると隙だらけになるし。

 

「じゃあ優美子、俺と一緒にやろうか」

「え……いや、隼人のはあーし……あたしが」

「前に、二人でキッチンに立ってみたいって言ってただろ。足りないものは補い合おう。やりたいことは口にしてくれ。せっかくの夫婦なんだから」

「隼人……」

 

 わあ。目の前が一気に乙女チック空間。

 なるほど、俺と結衣はいっつもこんな二人の世界を作り上げていたのか。

 傍から見ると恥ずかしいもんだな。と、結衣を見てみると、両手で大きく頬を覆うようにして真っ赤になりながら、あわあわと葉山夫妻の愛空間を眺めていた。

 で、俺の視線に気づくと、短いけど妙に高い声をあげて、また沸騰。

 しかし慌てて離れるのは違うと思ったのか、視線をうろちょろさせながらもそっと寄り添ってきた。

 やだ可愛い。俺の嫁さん超可愛い。

 

「というわけで、今日の昼食当番は葉山夫妻に決まった」

「ああ、任せてくれ。……っと、けど器具や皿の位置とかは───」

「むふん。器具の位置はこの絆めにお任せを」

「ふふり。食材の位置はこの美鳩めにお任せあれ」

「ああ、よろしく頼むよ、絆ちゃん、美鳩ちゃん」

「大丈夫。わたしもママのかつての失敗料理の味は知ってますから、全力でサポートします。美味しい昼食のために……!」

「Si……! あれは危険……とても危険……!」

「……なんか素直に喜べないんだけど。なに食わせたん、結衣」

「普通の食べ物だよ!? その、ちょっと失敗しちゃっただけで」

「見た目は普通だったんですよ……ただそのー……一口食べたらメシャゴシャシャって中から炭が出てくるとか……」

「結衣……」

「ふ、普通に作ったんだよ!? けどなんでか中の方が焦げちゃったっていうか!」

「純粋な疑問なんだけど、どうすりゃ外が普通で中だけ焦げるん……?」

 

 謎である。が、それは俺が何年も前に通過した道だ。

 大丈夫、滅多なことじゃあんなダークマタービックリ箱は精製されない。

 

「よし、じゃあ料理は葉山夫妻に任せるとして」

「なにします? なんか今のわたし、ゲームな気分ですよせんぱいっ」

「人生ゲームでもやる?」

「それ前に絶望ゲームに変わったやつだろ……二度とやらん」

「う……そ、そだね。うん」

「あれはひどかったわね……私も別のものがいいわ。というか攻略が途中だから、私一人でも進めたいのだけれど……」

「お前どんだけ夢中なの」

 

 俺、いっそこいつに神々のトライフォースやらせたいわ。

 平塚先生、ニンテンドークラシックミニ持ってないかしら。

 3DS版の2では生ぬるいのでだめだ。スーファミ版の1でなくては。

 攻略にどれほど燃えてくれるだろう。ハートの器集めるのにどれほど熱中してくれるだろう。

 あ、そういった意味ではガイア幻想紀も……赤い宝石集めと謎解きとか、夢中になってくれそう。

 今さらながらだろうとゲームに興味を持ってくれてありがとう。

 攻略サイトや攻略本を一切無視した、己の知恵と努力で攻略する人を見ることが出来て、八幡とっても嬉しい。

 この感動を平塚先生……いや、義姉さんにも届けたい……!

 

「…………」

 

 というわけで届けた。スマホで。

 直後に返信。“すぐ行く”という雄々しき文字とともに、彼女はきっと風となった。

 

「葉山ー、食事の量、一人分追加で頼むー」

「わかった。というか、誰か呼んだのか?」

「平塚先生。たぶんゲーム抱えて突っ込んでくるから」

「な、なんでそうなったんだ……? 経緯がまるで見えないんだが……」

「んじゃ結衣、広間をちょっと片付け《ヴー》……っと」

 

 メール? 誰───

 

 【途中で陽乃とめぐりくんを拾った。連れて行くから場所の確保を頼む】

 

「………」

 

 あの人ほんと自由な。

 

「葉山ー、もう二人分頼むー。陽乃さんと城廻先輩も来るってよー」

「ず、随分増えたな……! しかも陽乃さんって……失敗できないじゃないか……!」

 

 俺としてはもう出発していることが怖いわ。どんだけ急いでんのあの人。

 けどまあ、そういう日もあるだろ。安全運転でお願いしますとだけ返して、息を吐いて……

 

「………」

「?」

「……えへー♪」

 

 どこかで期待していたのか、勝手に緩んでいる顔を見上げられ、にっこりな嫁さん。

 それが、“いつかに出来なかったこと、いっぱいしようね”って言ってくれているようで、俺も苦笑をこぼし、苦笑が自然と笑顔になり、そうだな、と……言葉にせずに頷いた。

 今日はとことんまでに休みを満喫して遊ぶか。

 それこそ、同級生や幼馴染だとか言うでもなく、ガキの頃に出来なかった遊びを堪能するように。

 



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過去の思い出を覚えていると、些細なことが嬉しかったりする話

 GWという文字を見て思い出すのはなんだろう。

 愛しのゴールデンウィーク? それとも絶望のゴールデンウィーク? 

 このように、GWとは体験する年齢、または職種によっても様々な感情を与えてくれる、罪深い文字だ。

 休めるお父さんも休めないお父さんもお疲れ様です。

 休みなのに家族に休ませてもらえないお父さん、痛恨です。

 そして容赦なくだらりと休みまくりな俺、おめでとう。

 今日は小町も遊びに出てるし、親も居ない。だらけるための条件が揃っていた。

 

「………」

 

 しかし問題がひとつ。だらけるためのアイテムが足りなかった。

 疲れているなら寝るのもいい。暇に任せてゲームをするのも、小説、漫画を読むのもいいだろう。

 けれども悲しいかな、既に読み終えたものしかない上に、眠気なんぞとっくに滅んでしまっている。寝てなるものかと休日の夜に最後まで休日を惜しむ気概など今の俺にはないのだが、そんな眠気様はとっくの昔に討伐されてしまっているのだ。

 結論を言おう。暇だけどやることがない。

 なんということでしょう、ぐったりたっぷりのんびり出来る状況にあるというのに、やれることなぞないのだ。

 これは……あれだな。病院のベッドに寝転がり、暇だからとゲームをやろうとするのだが異常な睡魔に襲われ、寝て起きてみたら真っ暗で、周囲に気を使いながらゲームとか無理、とか思っちゃう小心者スパイラル理論的なアレだろう。長いよ説明。

 

「………」

 

 ちらりと視線を動かすと、俺に弄繰り回されてだらりと伸びている猫。その名もフカヒレ、もといかまくら。なんでフカヒレ? いや、なんか頭に浮かんだ。それくらい暇。

 だからって外に出る~とかそんな気分ではないのだ。せっかくのだらけられる時間を、外に出て潰すなど……と無駄に惜しんでしまう所為で、無駄に時間を浪費するパターンだ。わかっているのに動けない。

 スマホを使って暇潰しでも……と思ったら、つけた途端に消えた。世に言う充電切れである。

 

「……自分の部屋にまで行くのがめんどい……」

 

 リビングにて伸びる猫と人間。実にのびのびで、自由と不自由を味わっている。

 そういやゲオで進撃のゲームが2000円程度で売ってて、買……わなかったな。財布の中に2000ちょいしかなくて、無性にマッカン飲みたくなって、ゲームは諦めたんだった。

 なんであの時マッカン優先したのちょっと。先生怒らないから言ってみなさい。

 ……その時別に暇じゃなくて、飲みたかったからです。

 先生あなたの全てを許します。つまりマッカンは最強。暇だ。

 

「……ん」

 

 その時である。

 ごろごろぐでぐでしていた俺の腹が、可愛らしくも美しい音色を奏でた。嘘だ。ヴォグゥ~とか、文字で表すとそんなおぞましい音だった。

 

「三大欲求には勝てないな」

 

 そもそも理由が無ければ立てない暇さというのも罪深い。2000ちょいあったんなら、適当な本でも買っておけばよかった。

 しかし過ぎたことを言っても仕方が無い。既に俺の血肉となったマッカンに最上の敬礼を贈り、冷蔵庫を開けた。

 

「………」

 

 見事に空であった。

 やだもう小町ちゃんたら、俺が外に出る理由を作るために、こんなにギリギリの献立で振る舞っててくれたなんて。

 あ、そういや昨日の晩飯「簡単なものでいいでしょ」って強制で冷奴だった気が。あれ? あれ気遣いでもなんでもなくない?

 小町ちゃん? 小町ちゃーん? お兄ちゃん怒らないから、買い物面倒だったんならそう言いなさーい?

 

「……うし」

 

 ぶつくさ言いながら、しっかり完全装備で玄関に立つ。

 財布オッケー靴オッケー、顔面は……うし、いつも通りの腐った目だ問題ない。

 

「いってきゃーす……」

 

 誰も居なくてもつい呟いてしまうのが家と言う名の魔窟だろう。

 そんなこんなで戸締りしっかり、鍵も閉めて、と。

 

「さて……」

 

 お腹がすっかりペコちゃんだ。さあなにを食べよう。

 家の中で済ませようとしたのに出鼻を挫かれたとなると、俺の胃袋は今家庭的な料理を求めている。焼肉とかバーガーとかそういうのではなく、こう……

 

「……ああ、だめだ」

 

 思考を回転させようにも空腹が勝つ。

 美味く、リーズナブル。それでいい。

 でもちょっぴりオムレツとか食べたい気分。

 チキンライスの、ケチャップ多めのオムライスとか……よろしいんじゃなくて?

 ……とにかく、店を探そう。

 

……。

 

 胃袋が刺激されない程度の速度で自転車で移動して、店があるあたりまでやってきた。

 こうなると頭の中はメシのことでいっぱいで、焼肉はだめだとかそんな問答もどうでもよくなってしまう。人間ってやつは現金なのだ。

 今の俺はまるでカービィだ。なんでも食べられる気がする。

 けれどこの時間ならばと思う場所はある。ファミレスなどだ。

 普段の昼だのの丁度いい時間などは、子供連れが多く、その子供がやかましくてのんびりと食に集中出来ない。

 だが、だらだらぐだぐだしたお陰で空腹になる時間がズレにズレた俺にとって、今のファミレスなど空調完備の静かな空間である。

 ……いいんじゃないでしょうか。

 俺ったらすっかり胃袋がファミレスになっちゃってる。よし、ファミレスに決まりだ。

 

……。

 

 そしてファミレスにやってくると、予想通り客は少なく、居るのは俺のように静けさと空調を求めた熟練の……疲れた中年男性ばっかだよ。やだ、俺の脳内判断能力が中年寄りっぽい。

 

「いらっしゃいま───ヒッキー!?」

 

 ところで店員さんが知り合いだった件について。

 いや誰ですかヒッキーって。俺比企谷八幡だから店員さんに声かけられて注目浴びる予定とか全然ないですごめんなさい。

 

「あ、や、やー……あのっ。お一人様……だよね?」

「そうだよ一人だよ休日じゃなくても常にお独り様であることを自負しているまであるよ。やめろよお前、せっかくの連休にお一人様アピール押し付けて部活仲間の心を傷つけるの」

「そっ、そーゆー意味じゃなくて! あ、えと、とにかく案内するね。おタバコは───」

「吸うわけないでしょちょっと、いいからお前まず落ち着け」

「だだだって急に来るからっ……!」

 

 ああまあ、適当に突撃したファミレスだったけど、ちょっときわどい……とも違うが、知り合いには見せたくないような格好だもんなぁ。

 

「こ、こちらの席へどーぞ!」

「おー……」

「ご注文がお決まりになりましたら───」

「おー……」

「……えと」

「おー……」

「あの、ヒッキー?」

「なに、どったのお前。注文ならまだ決まってないんだが」

 

 顔赤くして視線ちらちら動かしまくって、で、バイトの制服のスカートをぎゅうっと握って、

 

「えと……どうかな」

「マッカンください」

「注文じゃなくて!」

 

 え? 違うの? だったらもうちょっと主語とか大事にしてくださらない? いやまあこれは俺が悪いか。OK,小町にぶちぶち言われながらも少しはオトゥメティックハートを学んだ八幡さんです。

 女性がいつもと違う格好をしている場合はとりあえず褒めろと、我らリア充外勢力たちはラノベ等に学んだのです。

 

「おお、まあその、あれだ。おー……に、似合って、んじゃ……ねぇの?」

「ぁ……そ、そっか。そっか。えへー……」

「そっ───」

「? そ?」

 

 それより注文を、と言いそうになって留まった。

 この場面での“それより”は、イッツ・ア・ヨクナーイ。

 でもこういう状況で話を注文に戻すのってどうすりゃいいの? 話し慣れしていない男子高校生に、女子のクラスメイトと会話を盛り上げろとか勘弁してほしいんですけど。

 いや盛り上げとか必要じゃないよ。注文したいだけだよ。このデミソースとこだわり鶏肉のトロトロオムライスくださいって言えばいいんだよ。

 あ、そうだ。これみよがしにメニューとか広げてちらちら見ればいいんじゃね? そしたら相手の方から注文決まった? とか訊いてきて───

 

「……? ヒッキー、読めない字でもあった?」

 

 ちょっと由比ヶ浜さん? こんな時こそ空気読んでくださらない?

 しっかり言えないチキンな俺が悪いけど、そんなチキンな俺でもこだわり鶏肉のオムライスが食いたいんです。

 

「いや、違うから。あー、その。こ、この……デミトリ───」

「でみとり?」

 

 頭の中で吸血鬼がデーモンクレイドル。やだもうなに噛んでマキシモフ語ってんの俺! デミソースの鶏肉! デミトリって略せるけどそうじゃないからね!?

 

「あ、デミオムのこと? じゃあデミオムと……あ、マッカンないけどどうする?」

「マジか……あぁ、じゃあ適当にカフェラテで」

「ん、わかった。じゃあちょっと待っててね」

「………」

 

 注文をとると、ぱたぱたと走っていってしまう。なんかうきうきしてるよ。どしたのちょっと。

 あと食事する場所で走ったらダメでしょ。ヒッキー知ってるよ? 埃がないように見えても、服とかに自然とついたものが落ちたりするから、歩くときには出来るだけ静かにが基本だって。

 

「………」

 

 そして待つ時間、暇潰しの道具がないことを思い出す。

 スマホ充電して持ってくればよかった。俺の馬鹿。

 

「………」

 

 しかし静かだこと。BGMも落ち着いた感じだし、なにより家族客が居ないのが八幡的にポイント高い。

 などとほっこりしていると、カフェラテが届けられた。

 

「こちら、カフェラテです」

「あ、ども、……っす」

 

 見知らぬ女性はカフェラテを置くと、そそくさと厨房の方へ戻っていった。

 なんだろう、なにかキャッキャウフフと噂されているような気がしてならない。

 なぜなら、先ほどの女性がやたらと俺の顔をじろじろ見ていたからだ。

 

「フゥー……」

 

 しかしこの比企谷八幡は動じない。

 なぜなら俺は、ここに癒しと味を求めに来たのだから。

 ファミレスの女店員が目の腐った男の噂をしている? 結構、聞こえない範囲でウフフしててください。そんな程度で今日までを生きたこの八幡さんは折れません。

 

「…………さて」

 

 ところで、なんでこのカフェラテ、ラテアートでハートマーク? が描かれているんだろうか。

 しかもかなり不恰好。鹿楓堂(ろくほうどう)のカフェラテじゃないんだからもうちょい整えてほしい。

 でも味はいい。普通。あくまで普通。んん、トレビアン。

 と、頭の中を愉快にさせていると、マキシモフを持ったガハマさん降臨。

 

「お待たせしました、デミソースオムライスです」

 

 にっこり笑って、流れるような手際で置いてくれる。いいね、もたついて、しかもあぶなっかしく置かれる料理ほど、不安になるものなんてそうそうないし。……いや、不安になるものゴロゴロ転がりまくってるけどね? この世界。

 で……

 

「なんでお前まで座ってんの?」

「え? やー、ほら、あたし休憩時間でしょ?」

 

 でしょ? とか知らんし。

 きみたちっていっつもそうね、相手が知ってること前提で話してくるの。

 言っとくけどキミらが思っている以上に、その言葉を口にする相手に興味持ってる男子高校生って少ないのよ?

 俺とかその筆頭とも言える。むしろ色んな人に興味がないまである。

 なお戸塚と小町は別の模様。

 

「わー! ヒッキーこれ美味しいよ!?」

「えー……? それお前が言っちゃうの?」

 

 まずは客である俺に食わせてくれよ。感想とか俺自分で納得しながら言いたかったわ。心の中で。

 てかなんでお前もデミトリ持ってきてんの。別に違う料理でもよかっただろうに。

 つか、まかない料理選べるの? なにそれすげぇ。じゃあ俺、一番いいのを頼みたい。

 

「ん、む……お、たしかに美味い」

「でしょ? だよねっ?」

 

 言いつつ、なんでか胸を張るガハマさん。

 やめて、目のやり場に困っちゃう。

 んん、しかしこれは美味い。うまいなこれは。しかしオムライスとカフェラテ……正直あまり合わない。

 こういうのにはいっそジャンクな、メロンソーダとかで良かったかもしれない。

 嫌いじゃないです、あのわざとらしい味。

 

「あ、あのさ。ヒッキーはそのー……オムライスとかこういうの、好きなの?」

「好きっつーか……あるだろ、こういうの急に食べたくなること。ウチはほれ、作るの小町だし、食べるのが俺と小町だけってなると、簡単なもので済ませようとするから。たまに凝ったものを作っても、それが向かう方向がこういう料理じゃないんだよ」

「へー……それって? たとえば?」

「ひとつ。サラダが無駄に凝っている」

「あ……それうちのママもある……」

「ひとつ。カレーに隠し味を入れたとかで、気づかないとなんか拗ねる。あとらっきょがいつものと違うメーカーとか。知らんわ」

「あー……あるかも」

「ひとつ。時間が無かったからとか言いながら、袋ラーメンで無駄に凝ったの出してくる」

「そんなことやるんだ!? ていうかオムライスひとつも掠ってない!」

「だから作らないんだよ。作ってもらってんのに、今日はそれ食いたいからそっち作ってとか言えないでしょ」

「あ、うん。ガッコでさ? 優美子たちと話してて、おいしそうな料理の話とかされると、ついママにリクエスト言っちゃう時があるんだよね。ママ、もう用意してくれてたのに」

「お前それマジで謝っといた方がいいぞ。あの小町でさえ比企谷家三大奥義のひとつ、アイス三日間献上の封印を解かなきゃ許してくれなかったほどだぞ?」

「もので許してもらおうって時点でなんかヤだよ!?」

 

 そういうもんかね。

 いやしかし美味いなこれ。なんだこれ。これレシピとか普通に知りたいわ。

 

「でもそっか。ヒッキーはオムライスが……へー……?」

「あ? なに。ガキっぽいって言うんだったらお前は全国のオムライスファンの同志たちを敵に回すことになるぞ?」

「あ、ううん、そういうんじゃないから。ただちょっと、頑張ってみようかなって思っただけ」

「ほーん……?」

「と、ところでさ、ヒッキー。ヒッキーはオムライスって、ケチャップとかいっぱいつける派? ちょっとだけつける派?」

「卵の硬さに寄るな。卵が硬けりゃ多め、とろふわだったら少なめだ」

「あ、それわかるかも!」

「つか、俺の好みなんて聞いてどうすんの」

「えへー……♪ うん、どうするんだろうねー……♪」

「……?」

 

 テーブルの上に軽く立てた肘の先。指を軽く絡めた上に顎を乗せ、どこかやわらかく笑む由比ヶ浜を前に、息が詰まった。

 安心と一緒になにか……期待のようなものを受け止めたような、不思議な感覚だった。

 ……? よくわからん。よくわからんが、まあ……楽しそうなら、いいのかね。

 

「つーかさ、由比ヶ浜。お前せっかくのGWにバイトって、欲しいもんでも出来たのか?」

「あ、うん。ちょっとお金欲しいのと、友達の紹介でさ? どうせ暇してたし、いーよーって言ったら、初日からヒッキーで」

「あのー? ちょっとー……? その言い方、用事がある日に初日から引きこもったみたいに聞こえるからやめてくれる?」

 

 むしろこの娘ったら、暇さえあれば雪ノ下の家に突撃してるイメージとかあったわ。

 え? 違う? 違わないだろ。ほら想像してみなさいよ。

 休み。由比ヶ浜。はいセリフ。

 “ゆきのんゆきのーん!”

 “ち、近いわ、由比ヶ浜さん”

 ね? 簡単でしょう?

 

「ねぇねぇヒッキー、ヒッキーはこれからの予定とかある?」

「んや、別に。飯食うためだけに出てきたから、家に戻ってぐったりだらだらするだけだ。ああ、帰りに本屋かなんか寄って、適当な暇潰し道具買うのも忘れないつもりだ」

「ぐったりだらだら過ごすの!? え、えー……? もったいなくない?」

「誰にも邪魔されずに怠惰をむさぼるという孤高の行為だぞ、もったいないわけないだろ」

「でもお金はかかるわけじゃん? えとー……本、とか買って」

「家でくつろぐ、ブックオフで立ち読み、なにもしない、くらいしか時間を流す方法なんてねーだろ。俺レベルのぼっちともなれば、もはや細かな暇潰し方法なんて通過しすぎて暇なぞ潰せないまである」

「……そ、そっか」

「おう」

「………」

「………」

 

 しかし美味いなオムライス。

 オムライスにして正解。これでいい。これがいい。

 ラテもまあ……慣れてくると、オムライスにもいいんじゃないでしょうか。

 この謎のハート型? は結局なんだったのかはわからんが。

 

「~……」

「?」

 

 てか由比ヶ浜がちらちらカフェラテ見てくるんだが……え? なに? 飲みたいの?

 いいや八幡騙されません。ここで差し出すような仕草をしたら、飲むわけないじゃんヒッキーキモいと、まるで唱え慣れた魔法詠唱のようにキッパリ言われるに決まっている。

 ほんと、女子の言葉って凶器だわー。

 

「あ。あのさ、ヒッキー」

「んむぁ? んぐ……ん。なに、どったの」

 

 もしかしてマジで飲みたいとか? それとも異様に喉が渇いていて、キモささえ受け入れられる程に乾いてらっしゃる?

 その割には青春に生きてますって感じの、染まった顔と潤んだ瞳をしてらっしゃるのだが?

 

「や、やー、えっと。ほら、あたし今日、あとは片付けやって終わりなんだけどさ」

「え? 休憩時間って話は?」

「先輩たちが、今日はいいって。…………か、~……かれ、し、と……一緒に帰れ、って……」

「? すまん、あとの方、なんて?」

「ううんっ!? なんでもっ!? なんでもないから!」

「おい、それって大体、あとになって男が悪いって言われるパターンのアレだろ。女のなんでもないほど疑っとけってのは、様々な物語を見てきた男たちにとっては総意の結論なんだよ」

「そんなの初めてきいたよ!?」

 

 おーそーかい。

 俺も初めて言ったわ。

 

「それよりほれ。なんつったの。俺に関係ないことならきっぱりそう言ってくれ。きっちり忘れる」

「ぁ、ぅうう……」

 

 訊いてみれば、なんでか俯いてもじもじしだすガハマさん。

 言いたいことがあればキッパリ言うような三浦とは違って、随分とまあ奥ゆかしいギャルだこと。

 しかしギャルって呼び方もなんとかならんもんかね。どうも亀仙人を思い出してしまう。きっとこれは平塚先生も頷いてくれることだろう。

 

「あの、あのー……あの、さ?」

「おー……」

 

 ああ、そうこうやっているうちにオムライスが終わってしまった。

 久しぶりにお代わり所望して、腹がいっぱいになるまで食べたいような美味なるオムライス……だが、これくらいにした方が美味しい思い出というのは残るものだ。

 無理して腹に詰めようとすると、下手をすると残してしまい、罪悪感が残る。

 なのでこれで終いにしよう。

 はい、両手を合わせてごちそうさまでした。

 

「予定ないんだったら、このあとちょっと、いいかな」

「“ちょっと”の内容に寄る」

「うわー……あ、うん。ヒッキーだもんね」

「あ? なに、それどういう意味?」

「んーん、なんでも」

 

 一にも二にも女の言葉にハイって頷くなんて危険なこと、ぼっちはそもそもしません。

 むしろ教師の言葉だろうと上司の言葉だろうと、まずはきっちり内容を訊くことから始めましょう。

 なんなら言われた途端に、“アレがアレだから無理です”というのを第一に置いてもいい。

 ただしその場合、用事の詳細を語れなければあっさりと論破されてしまうので注意しよう。ソースは俺。……俺の例えの中で、ソースが俺以外のことなんてほぼねぇよ。

 

「あ、えと、ほら。そろそろ暗くなりそうだし!」

「まあ、急に曇ってきたからそう見えなくもないな」

「うん、だからさ」

「………」

「………」

「……お前ね、言って欲しいことなんて待ってても出てこない時のが大半なんだぞ? 特に俺はこういう時、なんなら送って行こうか? なんて───」

「う、うんっ! お願いっ!」

「言う───…………」

 

 例え話を拾われてしまった。

 まじかー……。

 断ろうにも、にこーと……とっても嬉しそうに微笑む級友相手に“いや無理だから”とか無理でした。

 だって暇してるって言っちゃったもの。なにか買ってでも暇潰したいって説得カードを相手に渡しちゃってるもの。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 そうして、その日は由比ヶ浜を送り届けて、普通に帰宅……できればよかったんだが、雨に降られてびしょ濡れになりつつ、いっそこれだけ濡れたんなら……と徒歩りそうになるのを、財布が濡れたらお札が台無しだと、休みたがる怠惰な体をに鞭打ち走ったわけで。

 

「いやいやいやパパ! そこで重要なのはパパが濡れたことじゃなくてオムライス!」

「おいちょっと? 人がその後の情けなさを糧に話題を逸らそうとしてんのに、なんで邪魔すんの」

 

 ……娘に過去を知りたいと言われ、そもそものきっかけを話すという恥ずかしい行為。

 本日も喫茶ぬるま湯の仕事は終わり、夕食の時間になると、娘二人が語りかけてきたのだ。

 いやね? 俺自身当時のあのファミレスのオムライスはかなり気に入って、何度か通ったりもしたのよ?

 なんか行く度にバイトのお姉さんに「この幸せ者」とかニヨニヨされたり言われたりして、居心地悪くなって行かなくなったけど。

 そしたらどうですか。その随分あと。結衣と同棲するようになってから、オムライスなんて作ってくれて。食べてみたらこれがまた美味いの。

 あの店を超えた味に俺感動。でもオムライス大好きなんて気恥ずかしくて言えず……ほれ、前に葉山に話した時のような状況になったわけだ。

 

「Nn……つまりパパはママにぞっこん」

「改めて言わんでよろしい。……まあ、おう。ぞっこんだよ」

「つまりママもその頃からオムライスの練習を……!? おお……愛だよ愛! これは愛だよパパ!」

「わかってるからそんな何度も言わんでいい」

 

 現在、厨房では結衣がオムライスを作っている。

 ふんふんふ~ん♪ ととても上機嫌だったことから察するに、今日の味も相当期待してよろしいと思われる。

 平静を保っているが、俺の心は既にオムライスだ。胃袋がオムライスを求めてやまない。

 

「ああまあ、でもあれだな。きっかけ自体は忘れてたりするもんじゃねぇの? 一方が覚えていても一方が忘れてる、なんてよくあることだろ」

No()。ママに限って、パパに関することでそれはない」

「そーだよパパ! ママに限って!」

「ええそうね。結衣さんに限ってそれはないわ」

「先輩……照れ隠しに結衣先輩の愛情を疑うなんてちょっと信じられないですごめんなさい」

「疑ってるとかじゃねぇよ……ただ、そういうもんなんじゃないかって話だろ」

 

 ていうかキミたちそうは言うけど、好きな相手のことだからって全部覚えていられるもんなの?

 え? 俺? 俺はほら、アレがアレでアレだから。

 

「おまたせーっ。あ、絆、美鳩、運ぶの手伝ってもらっていい?」

「らじゃー!」

Ho Capito(オ カピート).すぐに実行に移る……!」

 

 結衣が厨房から出てきた。その手には皿が二つ。

 一つは俺の前に真っ先に置かれて、一つはその隣の結衣の席に。

 

「えへへー、こちら、思い出のデミソースと鶏肉のふんわり卵のオムライスになります♪」

「───」

 

 俺氏、硬直。

 覚えてないんじゃないのか、とか言ってたら、その日の夕食が思い出のオムライスでした。

 やだもう恥ずかしい! なのに嬉しい!

 そんな羞恥と歓喜の直後に、雪ノ下と一色が「「ぶふっ!」」と吹き出し、笑い始めた。

 

「え? え? なに? どしたのゆきのん、いろはちゃんっ」

「い、いえ……! そこの男の動揺と硬直が、実におかしくて……!」

「ほらほらせんぱ~いぃ? なにか言うこととかあるんじゃないですか~?」

「ぐっ……!」

 

 これは……試練だ。

 過去に打ち勝て、ではなく、過去に感謝しろという試練と……俺は受け取った。

 そう、いつかではない……感謝を届けるなら今。明日って今さ!

 

「あ、あのな、結衣」

「あ、そだ。ヒッキー、ちょっと待ってて」

「ぇお、おう……?」

 

 いざ感謝を、と思ったら、結衣がまた厨房の方へ行ってしまう。

 え、えー……? このタイミングで外されるとか、とっても次に繋げづらいんですけど……? 結衣ならそのへん、完璧に理解しているだろうに。

 あ、でも既に八幡マイスターな結衣でも、それらを一時的に忘れる時があった。

 ひどく緊張している時とか、別のことで頭がいっぱいでそわそわしている時だ。

 ……ということは?

 

「はい、ヒッキー。思い出の、ならさ、やっぱりこれがないと、って。ヒッキーや美鳩みたいに上手くできなかったけど……」

 

 戻ってきた結衣が、両手で渡してきたそれは……マグカップ。

 中身は……ハートのラテアートが浮かんだ───そう、いつかのカフェラテと同じものだった。

 へ? え、あ……え? つまり、あのハートマークのカフェラテって。

 

「いっつもヒッキーから言ってくれるから、今日は頑張ってみたんだ。えと……“八幡”。いつもありがと。あと……あの頃から、ううん、それよりももっと前から、大好きです」

「───」

 

 ラテアートを見てぼけっと停止していた俺に届く、暖かい言葉。

 気づけば顔はちりちりと熱く、なにか言おうにも呂律は回ってくれなくて、しかしなにかを返したかったから───マグカップを置いて、隣……まあ、正面向き合っちゃってるが、テーブルから見れば隣に座る結衣を抱き締めた。

 

「わやややや、ははは八幡っ?」

 

 驚き慌てているようだが、そんなものは我慢なさい。

 こっちだってめっちゃサプライズだったわ。

 もう、今現在顔を見せたくないくらいに真っ赤に違いない。

 ああもう可愛いなちくしょう……! 俺の嫁さん超可愛い……!!

 

「……そしてオムライスを手に戻ってみれば、両親がいちゃついていた件について」

「Si……パパ、ママ、無粋なのはわかってるけど、早くしないと冷める」

 

 や、もうちょっと。もうちょっとだからたぶん。

 感謝が溢れて止まらん、むしろ助けて。

 

「はぁ。結局一日に一回は抱きつかなきゃ気が済まないんですよねー……」

「仲睦まじいのはいいことだけれど、食事時くらいは勘弁してもらいたいわね」

 

 言われても気にしません。

 背中を、頭を撫でて、態度でだが、心を込めてありがとうを贈り続ける。

 結衣も受け取ってくれているのかどうなのか、仕方ないなぁって感じでくすっと笑って、俺の背に腕を回して、ぎうーと抱き締めてくる。

 実際、食事前になにをしてるんだってもんだろうけど、仕方ないじゃないの、嫁さんが思い出アタックしてくるんですもの。

 これにはさすがの元プロボッチャーの八幡さんもタクティカルノックアウトも夢じゃないレベルでやられちゃってます。

 よしよくわからん。

 よくわからんが、くだらないことを考えたお陰で顔の熱が取れた気がする。

 ならば食おう。冷めてしまう前に、美味しくいただこう。

 と、離れてオムライスと向き合ってみれば、

 

「あ、あの……ね、八幡。あたしね、八幡と同棲したとき……ほら、オムライス作ったよね。あの時さ、八幡……きっと喜んでくれるって思ってたんだ。美味しいって言ってくれる八幡に、あたしがさ、ほら、どーだ、あたしだって出来るんだから、って胸張るの」

「ぁ……ああ」

「でもヒッキー、ぶすっとした顔するだけで、美味しいとも言ってくれないんだもん。失敗しちゃったのかな、って、バイトしてた時に教えてもらったレシピ、何度も見返してさ。言わなかったけど、オムライス作る時、いっつも怖かったんだよ?」

「……すまん」

「ん、ほんとだ。言ってくれなきゃわかんないって何度も何度も言ったのに。ヒッキーのばか」

「すまん」

「でも……ほんとは好きでいてくれて。気に入ってくれてたのに言いづらかっただけって知って。もうほんと、ヒッキーってヒッキーだなぁって」

 

 ああうん、これほんと、全面的に俺がアホウだった。

 ほんとすんません、マジで後悔しております。

 

「ね、八幡。あれから大分経ったけど……このオムライスはさ、あの日のオムライスより美味しく出来てるかな」

「当たり前だろ。そりゃ、ただ作るだけなら厨房の料理人のほうが、腕も手際も上なんだろうけどさ」

「うん……」

「生憎と、店の料理人は俺の細かい好みなんざ知らんのよ。その点、結衣は俺の好みに合わせて作ってくれる。……俺限定ではあるかもだが、確実にあの日のオムライスよりも美味ぇよ」

「あ…………うんっ、うん、八幡っ!」

 

 いや……ほんとね、具材の切り方からケチャップの量、卵の焼き加減とか完全に俺の好みにピッタリすぎて、ほんとパーフェクト。

 むしろここまでやって不味かったらすげぇでしょ。

 と、ほふりと食べてみれば───おっ……おぉおおおおお……!! 美味っ! 美味ぁあああ……!! ほっぺ、ほっぺ痛い! じわぁと旨味が広がって、美味すぎて困る!

 そうして美味さに悶えていると、結衣の表情が緩み、「えへー……♪」と微笑む。

 そこまで見届けてようやく自分も食べるんだが、オムライスを頬張り、咀嚼しては、俺をちらちらと見てやっぱり微笑む。

 やめなさい、人の笑顔をおかずにでもされてる気分になってくるから。

 

「本当に、どんなきっかけからでもラブラブできる人達ですよね……」

「ほうっておきなさい、一色さん。もう手遅れなのよ」

「ええまあ、はい、それは痛いほどわかってますけど」

 

 などと失礼なことを言われつつも、食事は続いた。

 時に食べさせ合いっこしたり、時にありがとうを口にしながら。

 娘達からブーイングが飛んできたけど知りません。

 ほっといてちょうだい娘たち。父さん、今幸せ噛み締めてるところなんだから。



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真・母の日で父の日なある日①

◆前書き劇場

「ねぇねぇゆきのん! ゆきのんに訊きたいことがあるんだけどさ!」
「なにかしら」
「アブラハムニってなに?」
「───……あの。ごめんなさい、今、なんと?」
「アブラハムニ!」
「………」
「雪ノ下、たぶんあれだ、アブラハム」
「……あ、ああ、そう、そうなのね。ええと、アブラハムというのは───」
「羊の子で、一人はのっぽであとはちびなんだって。のっぽな羊ってどんなだろうね!」
「……雪ノ下、七人の子、な。羊じゃなくて」
「……そ、そう。ええと……」
「えとー……みんな仲良く暮らしてるのはわかるんだけど、なんで急に踊り出すんだろ。右手、左手、とか言うのってなんでかわかる?」
「………」
「アブラハムの子っていう童謡のことな」
「ヒッキー! さっきからうっさい! いちいち言わなくてもゆきのんならわかるってば! ね!? ハッキリ言っちゃってゆきのん!」
「ごめんなさいちっともわからなかったわ」
「ゆきのん!?」
「…………、ほれ由比ヶ浜、これ歌詞な」
「わっ、とと……ねぇヒッキー、自分のもの、簡単にぽんぽん渡すのよくないよ?」
「いや……べつに盗んだりしねーでしょお前。取られて困る情報もないし」
「え? あ、やー……それってあたしのこと信頼してくれてるってこと、だよね。そっか、そう……ふふ……えへー……」
「由比ヶ浜さん、それよりもそのページをじっくり読んで頂戴」
「え? あ、うん。んっと…………、……~……!?」
「そういや由比ヶ浜、前に俺にもっとふれんどりぃに接したほーがいい、とか言ってたよな。フレンドリー一歩目としてこれからお前のことアブラハムニって呼んでいいか?」
「うわーん! やめて! やめてよー!!」
「くぷふっ……! アブラハムニ……!」
「ゆきのん! 笑うとかひどいぃ!!」
「けどまあ確かに……なんでこれ、右手左手言いながら踊ってるんだろうな」
「そういう踊りだからではないかしら」
「最後にお尻回しておしまいの踊りってなんだよ……怖ぇよ」
「くぷふっ……!」
「でもさ、このアブラハム? ってなんなんだろ。どっかの国かなんかかな」
「ああ、なんでも人の名前らしいぞ? 外国の方じゃ“Father Abraham”って歌で知られてる」
「……ヒッキー。もしかしてわざわざ調べたの?」
「いや………………気になるだろ、やっぱ」
「ヒッキーの方がよっぽどアブラハムニじゃん!」
「やめなさいちょっと、アブラハムニを罵倒文句みたいに使うの。アブラハムニさんに失礼でしょ、あ、すんませんご本人様でしたか」
「ヒッキー!!」
「くっ……くふふっ……~……!」



 ───休日の喫茶店は、混む時間が案外定まる。

 まあもちろん、会社に行く前だとかその帰りだとか、学校帰りだとかが大体。

 それ以外でいうなら、奥方どもの集まりだとか───材木座のようになにかしらの打ち合わせだとかが挙げられる。

 ただし本日の休日は6月18日で、父の日でもあった。

 

「あ、あーその……お、お誕生日、おめでとう、結衣」

「うん。ヒッキーも、父の日だから祝わせてね。おめでとう、っていうのはやっぱりちょっと違うかもだけど───せーのっ」

『おめでとぉおーぅ!!』

 

 誰かの誕生日には、きっと忙しくなるであろう日だろうと休みにするここ、喫茶ぬるま湯では、本日───結衣の誕生日会が開かれていた。朝っぱらから。

 同時に父の日でもあるってことで、主役は俺と結衣と、先日ご購入したミニチュアダックスのポテトだったりする。

 しぱんっ、しぱぱんっ!! とクラッカーが鳴り、客席に謎のロールテープ……なんつったっけこれ、が飛び散る中、俺は結衣と顔を見合わせ、照れるように笑った。

 ……まあ、ぐっすり熟睡なさってた所為で連れ出すのも気が引けたから、ここに居ないんだけどね、ポテト。

 

「さーじゃんじゃん食べなさい! 大いに飲みなさい! 今日の主役はパパとママなんだからね!」

「Si、当然この美鳩も容赦しない。食べる。賑やかさに乗じて私腹を肥やす……Nn、ジャスティスでデリシャス……!」

 

 実際、今回は“祝われる側に回れ”との指示もあったように、この騒ぎの全容などはまったく知らない。

 つか、まあ、祝われるだけなんだろうから全容もなにもないのだろうが。

 はる姉ぇ……雪ノ下さんが企画、というだけで、うすら寒いなにかが背筋を登ろうとするのは何故だろう。経験則ってだけか。なるほど納得。物凄い説得力だ。

 まああれだ。一色が言っていたように、俺を含めたみんなで結衣を祝う、っていう方向からはズレている。

 今回の主役は結衣であり、父の日でもある所為か副主役が俺、みたいな感じになっている。

 

「いんやー、けどこうしてみんな集まるっつーたらやっぱぬるま湯でしょぉ! なんか祝いのきっかけでもなけりゃ、みんなで集まれねぇしさー!」

「戸部先輩は相変わらず戸部先輩ですね。いい加減口調とか直せとか言われないんですか?」

「んや、さすがに仕事場とかじゃ気ぃ使うよ? けども気ぃ抜いていい場所でくらい砕けたいじゃん? なーっ、隼人くーんっ♪」

「だな。その点で言うと、ほんとここは気安いよ」

 

 おうそりゃどーも。

 どーもだけど、こっちちらちら見て照れるのとかやめてくれません?

 

「てかヒキオ……こほん、比企谷。あんた相変わらず結衣のことそうしてんのな」

「結衣の誕生日には、俺は何を願われても断らないを信条としてるからな。出来る限りでいいからこうしてくれと、たとえ冗談で言われようとも断らない覚悟が俺にはある。あるったらある」

「顔真っ赤にして、よくやるわ……」

「えへへ……優美子も葉山くんにやってもらったら? 慣れると幸せだよ?」

「───!!」

「いや……いや、待ってくれ優美子。それはまだ俺にはハードルが……!!」

「ふふり。ならば美鳩が助言をば」

「むふり。しからば絆が助言をば」

 

 動揺する葉山を前に、現れたるは二つの影。

 ……あ。葉山があからさまに嫌な予感を表情に浮かばせた。

 まあ、わかるわ。こいつらが不敵な笑みとともに一歩前に出ると、大体ろくなことにならないし。

 

「「超えられるハードルがあるならば超えてゆけぇい! その先に、貴様の父としての強さがある!」」

「えっと……ぐ、具体的には?」

「今すぐハグ。我らの目の前で」

「おおヴレイヴ。とてもジャスティス」

「それは勇気がどうとか以前の問題じゃないか!?」

 

 まあ、心の準備を勇気で片付けられるかは本人の意思だもんな。

 俺? 俺は結衣のためなら自分の羞恥なんざ横に置けるのだ。そう決めた。決めたからあんまじろじろ見ないでくださいめぐり先輩。

 

「よかったね、比企谷くん。ガハマちゃんがわんちゃんのこと受け入れてくれて」

「……っす。今回のこと、いろいろ計画とか立ててくれてありがとうございました」

「いいのいいの、元はといえばはるさんが“やってみよう!”って決めたことだし、あの人に振り回されるのも慣れっこだし」

 

 いや……なにやってんすかはる姉ぇ……。

 めぐめぐめぐりん先輩が一瞬とはいえ疲れた表情を見せるとか、相当ですよ?

 

「まあ、義理とはいえあの人の弟になったってことは、それだけ振り回されるってことだろうし……またなにかあったら協力するから、いつだって頼ってくれていいからね?」

 

 やだ天使……!!

 でも……すいません。

 俺、どれだけ想像を巡らせても、めぐり先輩がはる姉ぇに振り回されて泣いている未来しか見えない……!

 

「もははははは! はぁちまんよぉ! 飲んでいるか! 食っているかぁああっ!!」

「飲んでるし食ってるよ。なんでお前に確認されなきゃならん」

「あふんっ、ひどい。我はただ話のきっかけになればと言ってみただけなのに」

「なんつーか、お前は変わらないよな」

「当然である。我が我であるからこそ我の作品が売れるのだ。己を無くして媚びへつらうものになんの魅力があろうか! 我は見たいのだ……! 人間の、その個人が秘めし可能性というものを……!」

「学生時代はパクリばっかだったくせによくそこまで言えるな」

「《ゾブシャア!》ぐわぁあああああーーーっ!!」

 

 何気ない正論が、ザイモクザン先生を傷つけた。

 

「ぐ、ふぅううっ……! それは、確かに正論……! だが我はそこから小説というものを学んだのだ……! まずは書く楽しさを……! そして、次第に読んでもらえる嬉しさ、そしてソワソワとした緊張感……! ……で、ボロクソにけなされる絶望……」

「いきなり素になるなよ……」

「だがご安心! かの有名なスケベ本先生の主人公とて、最初はテイルズオブファンタジアのパクリから入ったのだ! 我とて同じよぉおっ!!」

「どうでもいい場面で女が脱ぎ始める話がか」

「《ゾブシャア!》ぐわぁあああああーーーっ!!」

 

 何気ない過去の過ちが、ザイモクザン先生を傷つけた。

 

「は、はぽっ……はぽっほ……! お、おねがいはちまん……! それだけは忘れてくださらぬか……!」

「未だに中二は背負えても、そういう部分はダメか」

「言ったであろう! 媚び諂った部分など既に汚点なのだ! それを戒めに日々を駆け抜けているとはいえ、真正面から言われるとあの……マジつらいんで勘弁してください……」

「お、おう……」

 

 どうやら本気の本気で黒歴史らしい。

 まあほら、あのー……な? たとえばさ? 絵が好きで絵を描きまくってたとする。

 当時は上手く描けてる自信があっても実際はまだまだで、調子に乗って描いてしまったものがあったとして───それを成長してから見つけた時。いや、むしろ親が部屋の整理をしている時に発見されてしまったものがあったとして。

 ……もしもそれが、人生初のエロ本だったらどうか。

 

『……!!』

 

 ぽしょりぽしょぽしょと、結衣の耳を塞ぎながら材木座に語りかけてみると、心底怯えた表情で震え上がった。あ、ちなみに俺もである。言っておいてなんだけど、想像したら魂から震え上がった。

 

「あの……我、まだまだマシな方だったのね……」

「想像でならどんだけでもひどく出来るんだから、こんなところで挫けるなよ」

「例え話で我を傷つけたの、八幡なのだが!?」

 

 賑やかになった材木座をさらっと宥めつつ、少し移動。

 そこでは戸部が葉山と酒を飲んでいた。

 

「おー! ヒキタニくんおひさー! どんくらいぶりだっけー!」

「酔ってるな、思いっきり」

「悪い、楽しませてもらってるよ」

「悪くないから存分に楽しんでくれ。こういう日でもないと羽目外せないだろ、お前ら」

「あー、俺とかまだ平気だけど、隼人くんはなー……」

「いや、これで昔ほどじゃないとは、父親から聞かされてる。家族との時間が取れるくらいには、陽乃さんの方で調節してくれたみたいだ」

「ほーん……? で、戸部は?」

「おー! 俺とかもうめっちゃラブラブよー!? あ、ごほんっ。……まあ、周囲に幸せものって言われるくらいには楽しくやってる」

「素の口調、めっちゃ格好いいなお前」

「おう、よく言われる。けどチャラくしてた方が目もつけられないって、姫奈が言ってきて……さー……うえへへへ、これってばもう最高に愛されてるって証拠じゃねー!? もう俺ってばべー! っべーわー!」

 

 耐えられなくなったのか、結局元の口調に戻った。

 まあ、戸部だし。

 ……となると、葉山はどうなのか。

 

「お前の方はどうなの。ほらその、夫婦生活とか」

「ああ、順調だ。珍しいな、お前が俺の心配をするなんて」

「無関係だったわけじゃないからな、そりゃ多少は気になる」

 

 主に親御さんたちとの関係とか。

 よくもここまで娘を待たせやがったな……とか恨まれてなきゃいいけど。

 

「順調だよ。家族関係も。君達は本当に、互いに関わることで随分と変わったんだな」

「お前相手に俺のことを事細かに語った記憶なんざ俺にはねぇよ」

「“言われるまでもなくわかる性格だ”って聞こえなかったのか?」

「お前はそういうところ、ようやく隠さなくなったんだなって言い返してやりてぇよ」

「君に対してはそうありたいって意識しているところはあるな。対等だと思っているからな」

「お前、それ好きな」

「ああ。おかしなことを訊くんだな。自分の口から自然と出る言葉を、わざわざ嫌う理由なんてあるのか?」

「お前にゃありそうな気がするわ」

「あ、うん。あたしもそう思うかも」

「そうなのか!?」

「おー……まあ俺としても隼人くんには悪いけどそれっぽいとことかあるかもだわ」

「………」

 

 いやほら、お前っていっつも言葉を選んで、無難なことばっかり言ってたイメージあったし。

 なんならいっそ、自分の奥底から沸きだしたそのままの言葉なんて、ろくに言ったことがなかったりしません?

 ほら、わざわざ嫌う理由はなくても、躊躇する理由とかならありそうだろ?

 ……まあ、頭で思うだけで伝えはしない。なんか偉そうな言い回しになりそうだし。

 

「…………さて」

「ヒッキー?」

 

 これで一通りアイサツは済ませた、ということで「ちょっと弟くーん? こっちこっちー♪」……終わりません? ここで終わりましょうよ。

 俺、はる姉ぇの傍には行きたくないかも───

 

「本日が父の日ならば、父のために己が身を盾にするのが娘の役目……! さぁこいはるのん! この絆が相手だー!」

「はるのん……海外ではとても世話になった挙句にとても世話をしたはるのん……。相手にとって不足はない……!」

「へぇ……? なに二人とも。私とやり合う気?」

「その通りである! 矢でも鉄砲でも火炎放射器でも持ってこいやァーーーッ!!」

 

 言いつつ、絆は回し受けの構え!

 

「既に新しいコーヒーは淹れた……! 少しでもおかしなことをしたら、かつてのようにズビリッパコーヒーがあなたを襲うことになる……!」

 

 言いつつ、美鳩はすぐ傍のカウンターにあるコーヒーをすぐさま取れる位置を陣取った。

 

「はいお前らはちょぉっと静かにしてようなー?」

「《ギリギリギリギリ》グワーーーッ!! ま、回し受……グワーーーッ!!」

 

 しゃかしゃかと忙しなく手を動かしていた絆にアイアンクローを進呈。

 

「くっ……美鳩がやられた……! けど安心するのは早い……! ヤツは比企谷四天王の中でも最弱……! ならばこの美鳩が───!」

「美鳩。このコーヒーもらうね?」

「えっ……あ、ま、待ってマ───」

 

 適温だったコーヒーは、結衣がごくりと飲んでしまった。

 

「………」

 

 そして、二人の前に笑顔で君臨するはる姉ぇのこの存在感よ。

 

「パ、パパッ! わたしはパパとママを守りたくて立ち塞がったのに!」

「Si……! こ、こんなのはあんまり……! みみみ美鳩は、美鳩は……!」

「そう思うならまず立ち塞がり方から見直せ、ばかもん」

「まままま回し受けは危険なんてないんだよ!? 自衛手段とかそういう段階の問題でー!」

「ここここここの美鳩とて身の危険さえ迫らなければ、コーヒーを振るうことなど───あわわわわわ……!!」

「絆、美鳩~? 誰かを前に、まず最初に“攻撃されること”を前提にしないの」

「うぬっ……た、確かに……! この絆も老いておったわ……! はるのんを前にして、警戒せずになどおられようかと……!」

「……でもママ。はるのん相手に警戒するなはちょっと無理」

「ぁ………あー……」

「ちょっとガハマちゃん!? そこは否定してよー!」

 

 というわけで次のアイサツは雪ノ下はる姉ぇさん。

 来てくれて、おめでとうと言ってくれたからには全員に挨拶を……と思ったんだが、思ったより来てくれて驚いたよ。

 なんなのみんな、6月18日だけは意地でも予定空けてあるの? 俺は言うまでもない。当然だ。

 

「相変わらずここは賑やかだね。家族が賑やかなんて、羨ましいなー」

「今では賑やかの一部分なあんたがなに言ってんですか」

「んっふふ~ん……♪ なにって、弟くんに“賑やかの一部”、つまり家族って言ってもらいたくて言ったんだけど?」

「狡猾で面倒な姉とか要らんので縁切っていいっすか」

「あはははは、容赦ないなぁ。でもだ~め。勝手に縁切れないように、いろいろ書類で固めてあるから」

「なにやってんすかアータ。いやマジでなにやってんすか」

「なにって。家族を好きになる努力? ……じょーだんじょーだん、もうとっくに好きで大事だから、そんなドン引いた顔しないで」

「は、陽乃さん、好きになる努力から始める、なんて言わないでください。そりゃ、えと、学生の頃はちょっぴり苦手だなーとか思ったことはありますけど、今、あたし、陽乃さんのことほんとにお姉ちゃんだって思ってますから」

「ほんと?」

「は、はいっ」

「ぜったい?」

「はいっ」

「じゃあお姉ちゃんのお願いとか聞ける?」

「はい!」

「弟くんちょーだい?」

「聞いたけどダメです」

「うっひゃ! あははははは! すっごいきっぱりだ! いいねー、愛されてるねー弟くん! あはははは!」

 

 笑い、うんうんと頷きながら、はる姉ぇは結衣の頭をやさしく撫でて、言う。

 

「うん、相手が姉だからとか、そんなくだらない理由で大切なものを譲ったりとか、しちゃだめだよ? そういうことをする子になったら、お姉ちゃん……本気で潰しちゃうんだから」

「陽乃さん……」

 

 あ、なんかちょっぴりいい空気。

 ……だったのだが、

 

「じゃあ陽乃さんに渡す筈だった、美鳩の子供の頃の写真はあげないままにしますね」

「ちょっ!?」

 

 結衣が笑顔で反撃に出た。

 ……あ。これちょっぴり怒ってる時の笑顔だ。

 

「い、いやー……それがないと、私がお母さんに怒られるっていうか……!」

「人の心配をからかうための道具にする人なんて知りません」

「ごめんねガハマちゃん! 私もまだお母さんは苦手なの! ね? ねっ!?」

 

 頬を軽く膨らませて、プイスとそっぽを向く結衣を、はる姉ぇが宥めにかかる。

 その勢いに押されて結衣を放し、少し離れたわけだが……そこに丁度雪ノ下が居た。

 どうにも姉の様子を眺めていたらしいが。

 

「……なんつーか。あっちのがよっぽど姉妹してる感じ、するよな」

「そうね。きっと遺伝子レベルで産まれる場所を間違えたのよ、私と結衣さんは」

「お前の立ち位置に結衣が、とか怖いわ。じゃあなに? 俺お前が猫と散歩してる時に───その、なに? 猫を助けようとして、結衣が乗ってる車に轢かれるの?」

「失礼ね。私は猫にリードをつけて引っ張ったりなどしないわ。それでもしその飼っている猫が野良猫に襲われたらどうしてくれるのよ。高い確率で病気になって死ぬ、と言われているのよ?」

「お、おう、そうなのか」

 

 えー……? 俺、猫の散歩をしているご婦人を見たことあるんだが……あれはまあ好みってことなんだろう。

 てか、飼い主同伴前提でリードつけて散歩してる飼い猫が、野良猫に襲われる瞬間ってどんなんよ。

 などと、厳しいことを言ったりもしません。

 大丈夫、今日は父の日。

 パパは子だろうと妻だろうと、姉だろうとなんだろうと厳しいことは言わんのだ。

 なのでもうちょい父の日を大事にする意味も含めて、俺のことも大事にしてほしいです。

 

「ところで比企谷くん。もう一人……いいえ、もう一匹の主役はどうしたのかしら」

「まだ二階の廊下のケージで寝てるんじゃないか?」

「…………あの。それは正気なのかしら。……え? 仮にも狩猟犬だったのでしょう?」

「種類なぞ知らん。俺にとってあいつがあいつだ。無理に変えたあいつじゃねぇよ。ポテトはあれでいーんだ。よくなければ結衣が叱るだろうし、もっと反抗するなら俺も手伝う。それでいいんだ」

「……ふふっ、随分と投げっぱなしな信頼なのね」

「人を雇う職場で、俺がお前や一色に上から目線で、その性格なんとかしろ、なんて言ったかよ。そーゆーこった。作った自分なんて要らん。じゃなきゃ店の名前の“ぬるま湯”なんて、本当に名前だけのものになるだけだろが」

「───……、……そう」

「おう」

 

 まあ、昔に比べりゃ随分丸くなった気がするから、そんなことも言えるのかもしれんが。

 ともかく、“その性格をなんとかしろ”なんて言葉は……そだな、笑い話の延長か、勢い任せで言うくらいで丁度いい。もちろん、冗談で、ということが前提としてある場合のみで。

 そう苦笑しながら言って、陽乃さんと言い合っている結衣のもとへと歩き、後ろからガバー。

 

「うひゃあああぅ!?」

 

 とっても驚いてくれました。

 慌てて振り向いた姿を今度は真正面から抱き締めて、愛情を込めて撫でる。

 

「んぷゎっ……ヒ、ヒッキー?」

「ちょっと疑問なんだけどな、結衣」

「ふえっ? う、うん……?」

「……父の日、父はなにをしてたらいいんだろうか」

「え……えと。あたしとしては……さ。一緒に居てくれるだけでいいんだけど、それって父の日と関係ないし……んー……」

 

 訊ねてみれば、真面目に考え始めた。

 別にもうちょい簡単に考えるだけでもいいのに、俺のこととなるとどうしてこう真剣になってくれるのか。

 答えを探してみたらむず痒くなって、やっぱりぎうーと抱き締めた。

 

「わぷぷっ……」

 

 と、そこへ呆れ顔でやってくる、小町と留美。

 

「またやってるよこの兄は……結衣さーん? 嫌だったら押し退けていいんですよ? ていうかボディに一撃くれてやっちゃってください」

「八幡、少しは人目も気にするべきだと思う」

 

 結衣とは違う“仕方ないなぁ”って顔で、綺麗な顔を苦笑に変える小町。

 その隣でじとりとこちらを見るのが留美で……なんつーか、やっぱりあんま変わらんね、キミたち。

 そしてそんな風に結衣は、我が妹にして妻の義妹となった小町の助言の通りボディに一撃くれるわけでもなく、俺の背に腕を回すとぎうーと抱き締めてきた。

 

「まあ、結衣さんはそうですよね。はい兄、そこで抱き締め返す。なんですぐに応えてあげないかなぁこの兄は……」

 

 言われるまでもないですから、お願いだから夫婦の愛劇場に口出しするの、ほんとやめてくれません?

 いじわる小姑でもしませんわよそんなこと。

 

「で、おにーちゃん?」

「おう、どした、妹よ」

「……今のお兄ちゃんの目を見て言うのもなんだけど、まあ一応毎年恒例ってことで。……ちゃんと、幸せのままお嫁さんを祝えてる?」

「お前ね、普段だったらこういう席が終わってから訊いてくんのに、どったの」

「そろそろいいかなって。宅のお兄ちゃんは人が居ないところでは饒舌なくせに、いざ人が居ると本音とかなかなか口にしないからね。だからほら、抜き打ちみたいなアレのアレの延長」

「………」

 

 ちらりと見ると、さっきまで結衣と言い合っていたはる姉ぇが、モノクマさんもかくやって表情でうぷぷぷぷと笑っていた。

 ……ちょっと小町ちゃん? お兄ちゃんいっつも言ってるでしょう? なににノセられてもいいから、はる姉ぇにノセられるのだけはやめときなさいって。

 

「まあ、男が感じる“言うほどのことじゃない”ってことの大半が、夫婦生活や恋人間にとっての呆れるくらい大事なことだ~ってのは……その、なんだ。……わかるつもり、だぞ?」

「じゃあはい、口に出す。さんのーがーはい」

「それただお前……いや、はる姉ぇさんが聞きたいだけだろ」

「普段から人の目なんて気にしないでいちゃこらしといて、今さら視線が気になるとか言わないでしょ?」

「改まれると難しいことってあるでしょーが」

 

 なので逃走。しかし留美に回り込まれた。

 

「どったのお前。こういうことに積極的に混ざってくる感じじゃなかったろ」

「そりゃあ、たまに食べに来たりはしてたけど、そういう時にみんなが言う……その、いちゃこら? とかしなかったでしょ」

「え……まさかお前、それを見たいがために今回のことに参加したのか?」

「……馬鹿じゃないの? さすがにそこまで暇じゃない」

 

 そらそーですね。

 でもお前が真っ先に“馬鹿じゃないの”とか言う時って、その酷さを利用して隠したい言葉がある時ばっかだって知ってるから、視線うろちょろする癖直してから出直しなさい。

 貴様の動揺を抑える仕草や言動など、この元プロボッチャーの八幡さんにとっては何十年も前に通過した道だ。

 なので説得と論破の意味と、人前で語れないほど小さい想いでこいつと一緒に居るんじゃねぇんだぞという意味を込めて……遠慮なく愛を語り、腕の中の妻を愛でた。

 結果。

 留美はあわあわと顔を真っ赤にして、はる姉ぇは笑いながら「ほんとブレないなぁ弟くんは!」と俺の肩をぱんぱん叩き、小町は───安心したように、微笑んだ。

 

「ほんと、あの頃の兄からは考えられないほどの進化ですよ。一時期はひねくれが過ぎて、進化の過程でスプリングマンになっちゃうんじゃないかってほどの変人でしたし」

「おいちょっと? 俺いつから悪魔超人になったの? ひねくれってそういう意味じゃないのよ小町ちゃん」

 

 (ひね)ると()ねるは違うからね?

 とツッコんでみれば、作戦成功、みたいなニターっとした笑み。

 マア! この子ったら人の国語知識を利用して、ただ兄に説明させたいだけだったみたい!

 ……そして案の定、腕の中の愛しき妻が「そうだったんだ……」とか感心してらっしゃるし。でも構いません。

 俺にとっては既に可愛さの中のひとつです。



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真・母の日で父の日なある日②

 ガヤガーヤと皆が騒ぎ、カラオケセットで戸部が歌う中、俺は俺で気になったことを小町に訊ねた。

 ていうか戸部よ、祝いの席とはいえ、朝っぱらからアルコールとカラオケって……喉死なない?

 

「そういや小町、今日は川崎は?」

「あー……大口の依頼が来ちゃったとかで、大志くん捕まえて作業中。小町───こほん。私も途中までは手伝ってたんだけど、あたしらの分まで、って、こうして」

「その中でサプライズ用意するって、どんだけ計画立ててたのキミら」

「スケジュールなんて、計算し尽くせば案外どうとでもなるよ。問題になってくるのは、そのスケジュールを自分の不手際出潰しにかかる仕事仲間だけだし」

「うひゃー、留美ちゃんズバっと言うなぁ。でもその言葉には小町も賛成。大事な用事がある時に限って、失敗やらかす仕事仲間が居るわけですよ。進捗がよろしくないのに当日付近まで隠して、どうしようもない状態になってからわざわざ伝える。もうね、それで何度沙希さんが激怒したか……!」

「服飾の世界はよく知らんが、そんなにやばい?」

「やばいってもんじゃないってばお兄ちゃん! だってオーダーメイド頼まれてて自分の担当部分は完成! さああとは───ってところで、他の部位が全然進んでませんでした、って地獄だよ!? しかもそうなっちゃう前に進捗状況訊ねておいたのに、ただの見栄だった時なんてさぁ!」

「お、おう……まあその、わかった。小町がそこまで声を荒げるってのは相当だ。……その、お疲れさん」

「はいお疲れさん!」

 

 ほれ、と近くにあった飲み物を渡してみれば、ぐいーっと飲んでしまう小町ちゃん。

 しかし炭酸だったためか一気に飲みで悶絶。その頭を久しぶりに撫でると、結衣を伴って……むしろ抱き締めたまま移動を開始。

 歩きづらさ? そんなものはもはや克服した。つまりは毎度のことである。

 

「留美、妹のことをよろしく頼む」

「嫁に出すみたいに言わないでよ。でもまあ、コマさんのこういう所、ほっとけないしね」

 

 え? ……え? なに? もしかしてあれなの?

 大志とともに、小町を巡るデッドトライアングルな関係が「馬鹿じゃないの?」……あるわけないね、ごめんなさい。

 てか人の視線でいろいろ察してそういうこと言うのやめてください。

 

「じゃ、弟くん、こっちこっち」

「へ? なんすか? 俺とうとう、ずっと待っててくれた戸塚のところに───」

「その前に静ちゃんが待ってるから。ほらほらー? 長女を待たせるもんじゃないぞー?」

「よしはる姉ぇ、それを平塚先生の前で堂々と言ってみてください。戦闘コマンドに“にげる”はつけない方向で」

「あはー……ちょっと身の危険を感じるからやめとく。長女~とか、待たせるもんじゃない~とか、そういうの敏感に拾いそうだし」

 

 あの人、世が世ならブリュンヒルデとか呼ばれてIS操縦してたんじゃないかね。

 歩く途中で材木座に訊ねてみれば、「つくづく然り……!」と冷や汗垂らしながら同意してくれた。

 つまりは逆もありえるってことで、ブリュンヒルデの婚活がマジでヤバかった件について。

 

「どもっす」

「ああ。勝手にやらせてもらってるよ。誕生日の度に休みにするなんて、まったく不真面目な社長だ。私が上司ならば叱りつけているところだ」

「従業員なら諸手挙げて喜んで、酒飲んでるんじゃないですか?」

「……。まあ、否定はしない。だが稼ぎが少なければ、そんな酒宴も出来んのだ、やるせないものだな。君の場合は家族でやっているからいいものの、そうでなければとっくに潰れているんじゃないか?」

「不吉なこと言わんでください」

「っと、ああすまない。古い友人が仕事をやめたと聞いてな。少し思うところがあった。大丈夫だ、由比ヶ浜。ここはそう簡単には潰れやしない。そんな悲しそうな顔をするな───っと、すまん比企谷、させたのは私だったな。悪かったから目を濁らせるな、真正面からその目は、久しぶりということもあってなかなか怖い」

 

 まあ、休みは欲しいけど休みばっかじゃ金入らんし。

 忙しすぎても、金はあっても使う暇がないし。

 何事もほどほどが一番なわけで。

 ……それ考えれば、常連客が客席にあるカレンダーを見て「明日は○○○ちゃんの誕生日休みかぁ……」なんて口にする店、他にないだろう。

 

「? あ、お、お? どどどうした結衣、そんな怒った顔して」

「やっちゃだめって言ったのに……ほら、ヒッキー」

「え? あぉ───ふぐっ!?」

 

 え? なに? と戸惑っていると、顔を両手でやさしく包まれ、キスをされた。

 少し背伸びをしなきゃ届かないキスが、俺の頬をやさしく引っ張り、彼女がくんっと背伸びをすることで成立する。

 なにをされたのかをきっちりと認識すると、途端に濁り始めていた視界がクリアになって、つまりは綺麗な視界に結衣のドアップ。

 愛しくて、気づけば再び抱き締めておりました。

 

「……陽乃。付き合え。酔いが吹き飛んだ。……まったく、目の前でなんてものを見せるんだ……!」

「静ちゃん、顔赤いよ~? もー、いくつになっても初心なん───」

「あ゙?」

「だ、か…………あ、あはっ、あははっ、ははっ……!?」

 

 のちにはる姉ぇは言った。

 私を眼光だけで仮面ごと引き攣らせるなんて、年齢のことを持ち出した時の静ちゃんくらいだ、と。

 

「はぁ……まあ、年齢のことなどこの際どうでもいい。諦めてみれば案外すっきりと視界が広まるものだ。後に残るのが、義理とはいえ家族や元教え子たちの笑顔が広がる未来、というのも……これで嬉しいものさ」

「しず───」

「あ゙?」

「まだなにも言ってないでしょー!?」

 

 いやわかります。どうせお爺ちゃんみたいとか言うつもりだったでしょ。口には出さないけど、俺も結衣もそうだったし。

 てか、そういう予想が出来るなら、そんなことを言わないでもらいたい。

 

「はぁ……あぁほらほら、このシュテンドルフは私が押さえておくから、弟くんも妹ちゃんも行った行った。主役はちゃんと挨拶。これ、社交界の常識」

「うんざりしそうですね」

「うん。うんざりするよ? 経験者は語れるから。言っちゃえばこのパーティーなんて天国だよ? 仮面なんて必要ないって、それだけで幸せなんだから」

「……っす。なんか……わかります、そういうの」

「ん。“比企谷くん”だからわかること、あそこには嫌なほどあるから。キミはそういうのを敢えて知らないまま、ここに居るべきだよ」

 

 にこーと笑う笑みに、いつかの仮面くささはない。

 ただ、それが本物なのかどうかは……平塚先生に頭を撫でられ、きょとんとしてから崩れ、笑いに変わるのをみれば、ああ、やっぱり、とも思えるのだ。

 仮面なんてひとつじゃない。

 人間関係の数ほど作られていくものだし、一人一人のために用意されたものだって腐るほどあるのだろう。

 たぶんだけど……その仮面の中でも一番脆いのが、平塚先生の前でつけるもので。あの笑顔はきっと───

 

「ヒッキー?」

「んや。行くか」

 

 酒宴を始めた二人を視界から外して、改めてぽすりと結衣を腕の中に招き入れ、視界に入るや笑顔で手を振るマイエンジェル戸塚に手を振り返す。

 いや、ほんと……あの細身、あの長い髪、あのスマイルを持って生まれて、何故男なのかが未だに謎である。

 声とか秋津洲だし、いっそ影では材木座に胸のない秋津洲って呼ばれているまである。

 

「八幡っ! 比企谷さんっ!」

「おう戸塚」

「やっはろー、さいちゃんっ!」

 

 いつになっても幼さの残るこの美しさといったらどうだろう。

 一緒に働いている人とかいろいろ大変なんじゃないでしょうか。

 しかし天使というのはいつになっても天使である。ああ尊い。

 けれども八幡動揺しません。しても表に出しません。

 俺は───

 

「……ヒッキー、心臓ドキドキしてる」

 

 いや違うんですよ結衣さん誤解です。

 これは大事な友人に出会えたことが純粋に嬉しくてですね?

 浮気とかじゃ断じてないんです信じてください!

 もはや八幡的生理現象といいますか、自分ではどうすることも出来ないのです!

 

「……ほんと、さいちゃんが女の子じゃなくてよかったかも」

「ばかいえ、戸塚が女だったら、そもそも俺なんざ相手にされないどころか話すきっかけすらなかったまであるわ」

「テニス部の依頼で話してたかもしんないじゃん?」

「女の戸塚が部長で、男子どもがやる気出さないって?」

「…………ないね」

「だろ?」

 

 たとえばだらける男子部員どもに、戸塚が“み、みんなっ、真面目にやろうよっ!”と言ったとする。

 そしたら男子ども、張り切って真面目にやってたろ。

 え? それが俺だったら?

 ……それが、不思議と自分が参加する光景が浮かばないとくる。

 まあ、あれだ。戸塚は男で、なのに分け隔てなんかがなかったからよかったのだと思うわけだ。

 もし本当に女だとしたら、俺は確実に距離を取っていたと思う。

 何故って? 戸塚相手にちょっかい出そうとする男どもに、嫌な目で見られたくないからだ。

 ぼっちならそうする。俺だったらそうする。

 女子を思う男子のやっかみほど、鬱陶しくも理不尽なことってそうそう無いからなー……ああほんと、男子高校生ってのはめんどい生き物である。。

 

「二人とも、相変わらず仲が良いねっ。僕の中の理想の夫婦像って、もう八幡達で定着しちゃったよ!」

「ぬむんふっ! それは実に然りである……! ていうかここまで来ると、盛大な夫婦喧嘩とか見てみたいでござる」

「やめとけ、材木座。それ以上催促みたいなことすると、後ろの娘二人が黙ってないから。あと急に現れるな」

「はぽんっ!?」

 

 慌てて振り向いてみれば、コーヒーを構える美鳩と、「人の道を教えてやる……!」とか言って拳をペキコキ鳴らそうとして、コパキッと小気味のいい音を指が鳴らした途端、結構マジで痛がる絆。

 あー、あるよなー、ペキッと鳴るだけのつもりで圧迫してみたら、超激痛が襲ってくること。

 「~……ッッ……ツァッ……!」とか言ってる。ああ、あれは本気で痛いパターンだ。

 

「うむ。しかしつい先ほどまではあちらに居たかと思えば、我が背後を取るとは……!」

「二人とも、たまに八幡みたいに気配消しちゃう時があるからね。話してる相手が自分から意識を外した途端に消えちゃうから、すごいよ?」

 

 戸塚がわざわざ俺の特徴を覚えてくれた……!

 やだ嬉しい、八幡嬉しい……! うれ……ハッ!?

 イヤアノアノ……ちちち違うんですよ結衣さん? これ浮気とかじゃなくて……!

 だからじと目とかやめてください……! 浮気のつもりもないのに浮気を疑われるなんて、俺にとってそれはダメージがデカすぎる……!

 いや、結衣だってもちろん冗談でやってるんだろうけど、冗談でもダメージがきついとなると、実際もしそんなことになったら…………俺ショック死するんじゃなかろうか。

 

  死因:浮気死に

 

 ……シャレになってない。

 余計に心配になってきた……冗談の段階でさえ解消……もとい解決出来ないんじゃ、俺っていよいよもってやばいのでは?

 話題を逸らそう。思考と一緒に。

 

「とっ……とと戸塚は今日、平気だったか? 朝からじゃなくてもよかったんだぞ?」

「大丈夫だよ八幡。前から6月18日にはお休みを、ってお願いしてあったんだ。てっきり渋られるんじゃ……とか思ってたら、編集長が普段は見せない笑顔で“お父さんに任せなさい”って。あれ、どういう意味だったのかな」

「「「………」」」

 

 俺と結衣、材木座、顔を見合わせて少し編集長を思うコト。

 たぶん、中々にお歳を召したお方なんだろうな。

 わかるよ、編集長。きっと上目遣いでお願いされちゃったんだろ?

 で、普通なら“毎年6月18日に休む……まさか誰かの誕生日だからとかぬかすんじゃあねぇだろうなァ~!”とか言いそうなものを、ついぽしょりと戸塚が“父の日が……”とか漏らそうものなら、なんかそれっぽいことしてやりたくなっちゃったとか。

 戸塚の祖父とかやったら、自分用の金を持ってても全部貢いじゃいそうで怖い。やだ、マジ怖い。でも戸塚なら許せる。そんな切ない思い……!

 いやまあ喩えであって、そんなことをすれば戸塚が頬を膨らませて怒るのはよーくわかるので、やったりなどしないわけだが。

 

「……さいねーちゃんは少し、自分の可愛さと向き合うべきだと思うな」

「Si……無知で純粋な武器は時に恐怖に繋がる」

「え? あ、もしかして絆ちゃんと美鳩ちゃんは理由とかわかるの? あれ、どういう意味なのかな。お父さんに相談してみたら、普段は見せないくらい怒り顔になって───」

「「「………」」」

 

 俺と結衣、材木座、あー……とばかりに納得。

 というか、そうか。戸塚は両親と暮らしてるのか。いや、それも両親が超絶心配して許さなかったんだろうなぁ……一人暮らし。

 だっておかしすぎるもの。

 俺や材木座なんか、確かに大人になっていってるなぁ……とか、まあぶっちゃけてしまえば歳とってってるなぁ、なんて思ってるのに、戸塚の場合はこう……知人枠の女性陣の如く美しいままなんだもの。

 さすがに学生時代とちっとも変わらない、なんてことはないが、幼さの中に美しさが滲み出る容姿は今尚健在である。

 材木座情報だが、他の担当作家から告白されたことがあるとかなんとか。……え? ああ、もちろん男から。大丈夫か、その会社。

 絆と美鳩がかつてない焦った顔で、懸命に説明をしているが、その合間にもチララチラチラ、チッラァアアア!! って感じでこちらを見てくる。いや見すぎ。それもうチラ見の域を超越しちゃってるから。

 

「助けてあげないんですか?」

「っと、一色? いや、助けるもなにも……って、お前それ」

「はい、バスターです。朝っぱらからの宴ってこともあって、長時間かかろうがチャレンジしたいっていう声を、作戦会議中に結構聞いちゃいまして」

「……勇者だな」

「ゴローさんに星を取られちゃった有敗ワッフルですけど、まだまだ現役です。味を損なわない程度に強化もしたので、手強いですよ?」

「お前、それを俺達に聞かせてどうしたいの……」

「? どうって。チャレンジしてください。食べてもらえない食べ物ほど悲しいものはないと思います」

 

 あの……それの材料費、我が家持ちだってわかってる?

 まあ、美味しいものやコーヒー紅茶に合うものを作るためなら、経費も惜しまないって研究費用を負担したのは俺達なのだが。

 実際、こいつの作る菓子には助けられまくってるしな……。

 

「……いつもあんがとな」

「期待に応えられる後輩ですからっ」

 

 胸張らんでいいから。

 

「というわけで材木座、第一号行ってみるか?」

「なぜ真っ先に我に!? ……い、いや。ここは店長が行くべきではないか? 我としてはそのー……無粋なことはしたくないなー……とか」

「まったくです。相変わらず先輩は逃げるのが好きなんですから。感謝するならまず食べてみてくださいよー」

「うぐ……」

 

 正論である。

 腕の中の結衣が、思わずくすくすと笑う程度には、正論である。

 なので、ミニサイズのワッフルを一つ取って、ザクッと半分に割る。

 で、俺の口と、結衣の口にひょいと放り込むと───悶絶した。

 

「……悶絶しようと離れぬ二人は時に目に毒であるな……。暴れ出したい衝動を互いに抱き合うことで耐える恋人同士……これでネタになるだろうか」

「感想を口にして離れようとしているところアレですけど、一つは絶対に食べてくださいね?」

「はぽっ!? い、いぃいいや、わわわ我は甘いものを食べたら死んじゃう病で……!」

「そうなの!? さっき僕が持ってきたお菓子、勢いよく食べてたのに───!」

「ぶひぃっ!?」

 

 そして、材木座の逃げ道が潰れた。

 なにお前、戸塚の差し入れ、一人で全部食べちゃったの?

 よろしい、ならばワッフルだ。

 

「あ、戸塚先輩はこれどーぞ♪」

「うっ……ぼ、僕もこういうチャレンジはちょっと……」

 

 と、ここで戸塚が俺を見る。

 途端、ぎゅっとガッツポーズみたいなのを取って決意の表情を見せると、目をきゅっと瞑って渡されたワッフルを食べた。

 やだもう仕草とかいちいち可愛い……!

 そしてやっぱり甘いのか、口を開かずに搾り出したみたいな、きゅううう……! って高い声が漏れてくる。

 しかし俺達ほどの反応じゃないところを見ると、一色め、さてはあれだけ、言うほど甘くないな?

 じとりと見れば、にっこりと“なんですかー? せんぱーい♪”なんて言い出しそうな顔で微笑まれた。こんにゃろう。

 

「ぬ、ぬう……! 戸塚氏が勇気を見せたならば、供に歩むが筆者の務め……!」

 

 周囲の人が次々に勇気を見せると、男として踏み出さぬは恥、とばかりに流されるやつ、居るよな。

 俺も材木座も、きっとそういうタイプでして。

 最後まで意地を張って食べない、勇気を見せないヤツとかも居るが……まあ俺もどっちかっていうとそっち寄りだが、半分ずつで誤魔化したわけだし。

 

「じゃ、先輩? 結衣先輩? さっきは半分だったので次は一個ずつどうぞ?」

「「………」」

「あぽろぉおおおおおおおおおっ!?」

 

 一口バスターワッフルを一気に食った材木座が悶絶する頃、俺と結衣は誤魔化せなかった現状を思い、薄い笑みを浮かべて硬直するしかなかった。



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真・母の日で父の日なある日③

 さて。

 全員漏れなく悶絶し、「い、いえっ! わわわわたし作ってきたじゃないですかー! なんでわたしまでっ……やっ、いやっ……あーーーっ!!」と、漏れなくと言ったからには一色も悶絶した現在。

 少し時間が経過して落ち着いた店内では、それぞれが楽しく話し合ったり歌ったりをしている。

 

「しんじられません。なんだってんですか、こっちだって味見とかしてるんですから、改めて食べさせなくても味なんて知ってるんです。それをまったく。せんぱいはまったく」

 

 目尻に涙を残したままぷんすか怒る一色は、そのくせこちらをつつきたいのか一向に離れていこうとしない。

 さりげなーく話題が途切れたところで離れてみると、てこてことついてくる。やだこわい……! “とりあえずあいつが居るから愚痴こぼしとこうぜ症候群”にかかってるのかしら……!

 どこにでも居るよな、一度でも愚痴を聞いてくれたヤツの前だと、とりあえず愚痴は許されるんだってベラベーラと愚痴をこぼしまくるヤツ。

 思えば学生の頃から、なにかというと奉仕部まで来て、愚痴をこぼしまくってたヤツの中でも筆頭だった一色。

 どうやらそういうところは、大人になっても変わらんようだ。

 まあその、頼られるとは違うんだろうが、それだけ安心して言葉を吐ける相手って思われてるって意味では、悪い気は……まあ、する時はする。

 結衣と二人きりになりたい時とかはそっとしといてください。

 

「恐ろしい……! よもやバスターにモードセレクトが追加されるなんて……!」

「さいちゃんおねーさんが食べたのがイージー、わたしたちが食べたのがノーマル……そしてハードが───」

「隼人くん!? 隼人くーん!!」

 

 葉山が口から謎の汁を吐き出しながら、気絶していた。

 ハード? とんでもない、あれインフェルノだから。ベリーハード超越してるから。

 あとモードセレクトなら、前から多少ではあるがあったと言ってもいい。

 ……主に一色の機嫌によるところが多いが。

 

「まあバスターのことはこの際忘れて」

「そうね。彼が気絶したところで、べつに祝いの席に支障をきたすわけでもないのだから」

「……ほんと、ここに来るたび隼人くんてば不憫だわ……俺とかもうワッフル食べただけで酔い吹き飛んだし」

「っと、そういえば一色、今回は何処かに移動、とかはないんだよな?」

「はい、ありませんよ? 今日は一日中、ぬるま湯で飲めや歌えや休めや騒げのお誕生日会です」

 

 戸部が“ここに来るたび”と言ったから、そういえばと他に移る予定などを考えてしまった。

 まあ、前回が移動しすぎだっただけか。

 

「休憩には奉仕部横の休憩&仮眠室を使ってくださいねー。一応鍵もかけられますし、防音なのでいびきをかいちゃう人でも安心です」

「さすがに一日中騒ぎっぱなしは無理がないか……?」

「なに言ってんですか先輩、このメンバーで騒ぎ切れないことなんて有り得ませんよ。ほっといても話題からやってくるくらいです、絶対。たとえばほら、こんな風に急に会話が途切れちゃった時とかは───はい、えぇと、はっぽん先輩」

「はっぽん先輩!? え!? それ我!? ふっ……だが指名されたからには立ち上がらぬは修羅の恥。というわけで、取り出だしましたるわ……我がスマホ。これをこうして、音楽ファイルを再生すれば───」

 

 材木座が一色に促され、スマホを操作してなにかを起動させる。

 と、次の瞬間、“スコンッ♪”と、どっかで聞いたような音が───

 

「モンスターハンターは「狩りィッ!!」」

 

 瞬間、絆が叫び、追うようにして美鳩が“狩り”の言葉に追いついていた。

 

「依頼を受けたら狩りに出る!」

「武器はしっかり装備して───」

「卵もちゃっかり頂いて、と思ったら」

「「ワイバーンに見つかっちゃって超がっかり!!」」

「狩り狩り狩りで狩りばっかり!」

「モンスターハンター出来たばっかり!!」

「「「「上手に焼けましたァーーーッ!!」」」」

「CAPCOM」

 

 いや……うん。

 なんでお前らそんな昔のCM知ってんの。つか、戸部も材木座も、まさかの戸塚も、当然ながらとばかりの平塚先生も、張り切りすぎ。

 

「むふんむ! やはりモン狩は年齢問わずの一種の常識現象となりつつあるな! 我は今! 猛烈に感動している!」

「ていうかな、材木座。お前のスマホの音楽フォルダ、どうなってんの」

「はぽ? アニソンとゲームやアニメBGM、時折音声ファイルやCMファイルが混ざっておるだけであるが?」

 

 え? だけってレベルなの? それってば。

 

「ちなみにもう一度同じ音を鳴らすと、GのCMに移行すると思われるが……や、やる? 皆が一丸となってCMの流れを叫ぶ状況、作っちゃう? きっと夜神総一郎もはしゃぎ出す一瞬である……!」

「わかる人にしかわからんネタはやめとけ」

「ふむ。ちなみに私はモンハンのCMはGまでが好きだな」

「いや平塚先生、そういうこと聞きたいんじゃなくて」

「今は静姉さんだろう、八幡」

 

 まいった、素敵にめんどくさいぞこの義姉ども。

 いいじゃないのべつに、個人個人が今はプライベート♪ って思ってれば、呼び方なんて。

 千冬姉に苦労するワンサマさんみたいだ。

 

「えーと、わたしもモンハン? は知ってますけど、CMとか細かいところまでは知りませんね。ねぇ先輩、G、でしたっけ? それ以降のCMってどうなんですか?」

「「「勢いがない」」」

 

 俺と平塚先生と材木座の言葉が重なった。

 そうそう、あの勢いがあってこそだよなぁモン狩のCMは。

 是非ともモンスターハンタードスも狩り! とかやってほしかった。

 まあ、ポータブルあたりで語呂が悪くなるのはよくわかるんだが。

 “モンスターハンターポータブルセカンドGも狩り!”とか言ってられないもんな。長いよ。いや長い。

 なのでそのまま、“MHP2Gも狩り!”な感じでいいんじゃないでしょうか。……そもそもモンハン知らないと伝わらないな、タイトル。

 ワールドになって、またあの調子のCMに戻ってくれたらよかったのに……と思ったのは俺だけか? 俺だけか。

 

「むう。つくづく悔やまれる。モン狩も、せめてワールドになった際に、初志に戻るつもりでCMも戻ればよかったものを。そうは思わんか八幡よ……え、え? なに? なんで我の肩叩くの?」

 

 居たわ。同じこと思ってた人、居たわ。

 

「あ、私も知ってるよ? 同じクラスの男子くんたちが、よく噂してたから」

「あ、あはは……城廻先輩がプレイしてたら、違和感凄かったかもです……」

「そうなの? 私も結構ゲームとか好きだよ? ほら、すごろくとか」

((((それゲームとして、ひと括りにしたらだめなやつです……))))

 

 相手の趣味のことを知りたくて、シリーズ最初からやり始めた猛者も居るゲームってうのは、こういうのもなんだが馴染みが深い。

 高校も終盤って頃、俺の趣味のことをいろいろ知りたくて、小町に相談してモンハンやってた結衣、というのを知った時、俺がどれほど驚いたか。

 ちなみに、小町は頻りに……結衣に“ねぇ小町ちゃん。えとー……犬のオトモはいないの?”と訊ねられていたらしい。

 そういや犬居ないよな、あのシリーズ。

 

「てーか誕生日に話すことがモン狩の話って、俺達ちょいヤバくね? あ、文句がどうとかじゃなくて、ほら、俺とか大岡や大和と話してたことがあるっつーだけでさ?」

「そうなのか?」

「あー、隼人くんとかこういうのしなさそうだから、話題振れなかったっつーのもあった系の話なわけよ。あ、誕生日でゲームっていやぁさぁ! 会社入ってまだ二ヶ月程度の時にさぁ! 上司が結婚記念日とかで、なんか用意しとけーとか言ってくるわけよぉ!」

「うわ、まじですか。後輩に、というか他の人に結婚記念日とか関係ないのにプレゼント寄越せとか、先輩後輩以前に人としてどうなんですかってレベルの話ですよ。ねぇせんぱい」

「お前この前、自分の誕生日の時、一つ上のランクの粉欲しいって言ってたよな」

「あれは仕事上の話じゃないですかー! いつも注文してる粉屋さんがそんな話振ってくるんですもん! 試してみたいって思うじゃないですかー!」

「ええそうね。好きに作ってみてくれという割りに、削減がどうとかと安いものを掴ませようとするわね」

「妥協出来るところはしっかりしとけって、それだけでしょーが。こちとら最上級の豆使うよりも美味しいブレンド発見したわ。なんでも最高がいいとか、そんなの関係ねぇでしょ。ようは、この店の在り方に合った素材を用意出来るかなんだから」

「だからそれを知るためにも新しい別の粉ですよ!」

「お前そう言ってこの間、注文ミスして余分に買ってたろ。しかも味と仕上がりが大きく変わったとかで、粉ばっか持て余して」

「あ、えと、それはそのー……ひ、必要悪、っていいますかー……その」

「あと雪ノ下も」

「あら。何かしら言いがかり谷くん? 私がなにか注文ミスをしたとでも?」

「語呂悪ぃよ。紅茶に合う砂糖、なんでも試すつもりで少し使ったら放置、の砂糖が倉庫に幾つか置いてあったぞ」

「………」

「はいこっち見る」

 

 あからさまに視線を逸らすとか珍しいもんだが、いやほんと珍しいもんだが、たまにポカやらかすからなぁ、このかつての部長様は。

 一色はこう、生徒会長時代の名残か結構しっかりした部分はあるのに、相談せずに張り切ると失敗することが多い。

 なんなのキミたち、高校時代じゃ俺にホウレンソウとか強要しそうな勢いだったのに、なんか立場とか逆になってない?

 

「それ言ったら先輩だって、ちょっと視線から外れたと思ったら結衣先輩といちゃいちゃしてるじゃないですかー……」

「ええ。客が引いてしまうくらいね」

「あぁうん、比企谷くん、あれはあまりよくないと思うな」

「比企谷、知っているか? 別れやすい恋人関係というのはな、四六時中べったりしている者たちや、人前でも構わずいちゃいちゃする者たちに多く見られると───」

「静ちゃん、静ちゃーん……? この二人がどれだけ長い時間、ラブラブバカップル続けてきてると思ってるのー?」

「……すまん、無駄な説得だった」

「無駄って言われた!?」

 

 そら言われるわ。ほれ、そっちで絆も美鳩も頷いてるし。

 いや実際ね、同棲時代とかめっちゃつつかれたぞ? 四六時中一緒に居ると別れるパターン多いよーって、大学で知り合った友人に結衣の友人に忠告されたこともあった。

 そりゃ喧嘩だってしたし擦れ違いもあったが……面白いもんで、苦労しても諦めそうになっても、目指した未来だけは手放したくなかったんだよな。

 俺と結衣だけで、漠然とした未来を目指していたなら、正直どうなってたかもわからん。

 二人じゃなく大勢で目指した未来があった。んで、それを無くしたくないって……信じ続けたいって思えたから、頑張れた日々があった。

 バイトでコーヒー学んでる頃から不安なんてどっさりあって、同棲してからも怖くて、海外に学びに行った時なんか、材木座から送られてきたURLにアクセスしたら単身赴任中の恋人の浮気小説なんかがありやがって、“ヤロォオオぶっ殺してやぁあある!!”と本気で叫びそうになったもんだ。

 まあ、お陰で……頑張ろう頑張ろうばっかりで、修行が終わるまでは結衣には連絡しない……なんて縛りをしようとしていた俺も、結衣に電話をかけて弱音を素直に相談出来るようになって。

 そしたら結衣も素直に相談してくれるようになって……お互いに励まし合ってたら、なんだか自然と笑えてきて。

 束縛はしなくても独占欲はある、なんてぶっちゃけたら、恥ずかしそうに“……う、うん。それ、あたしもだ”なんて言われて。

 結局俺もこいつも、独占欲が強い上に、手に入れたら満足するんじゃなく、その関係の先さえも欲したってだけだ。

 

「ね、八幡」

「ん? どした?」

 

 相手の“今”だけが欲しいんじゃない。

 一緒に歩く先の全部も欲しいって思えた。

 なにも頭が痛くなるくらい特別なことじゃない。

 ようするに、別れちまったやつらよりも、お互いに欲張りだったってだけなのだ。

 手に入れたら満足する、なんて言葉じゃ足りない。

 こいつとの未来の全部を一緒に見て、その最果てで笑いながら死んで満足する。

 独占したいのは、きっとそんな一生なのだ。

 俺はそんな未来を描いて、こいつはそんな中でも全部が欲しいって言って。

 だったら俺は、俺達は、全部の中の一である俺達が、その未来を独占したいって思えば……まあ、ほら。

 

「えへー……♪ 楽しいね?」

「───……おう」

 

 ぼっちだった頃を懐かしく思えるくらいには、眩しい世界を歩けるのだ。

 その先で俺は笑っている。

 引き攣ってる所為で雪ノ下に気味悪がられる笑みなんかじゃなく、見てくれた妻が一緒に笑顔になってくれるくらい、素直に、純粋に。

 

「………」

 

 どうでもいい話からゴリゴリ潜り込むみたいに切り出して、笑って、ツッコんで。

 子供の頃には諦めてしまった、そんな当たり前の光景を……何故か時折、ひどく眩しく思う。

 手を伸ばせばハッシと掴まれた手に、もう片方の腕と胸の中に納まっている妻を見下ろすと、肩越しに振り向いてにっこりと笑みを向けられた。

 あとはもう、手はおそるおそる伸ばすこともない。

 伸ばすどころかむしろ、のっしのっしと歩み寄って、その喧噪の中に飛び込んだ。

 さあ、くだらない話で盛り上がろう。

 妻の誕生日を主体に、嫁自慢をするも良し、妻自慢をするも善し。

 娘二人に早速ツッコまれたけど知りません。俺の奥さん超可愛い。

 

「ん? あっ、おおおーーーっ!! 降りてきた! 歩泰斗様が自分で上から降りてきたーーーっ!!」

「ばかな……! あの、絆でさえも落ちた、ぬるま湯のくせにぬるくない比企谷家伝説の階段を、この矮躯で……!?」

「そのことはゆーなーーーっ!! ぐぅっ……! この絆、一生の不覚……!」

 

 主役の三人目……人? まあいいや、三人目が降りてきたことで、場も無駄に盛り上がりをみせた。

 妙に興奮した二人がポテトを追いまわし、抱き上げて連れてくる過程でこいつらがポテトに距離を置かれるようになるのは……まあ、また別の話ってやつだろう。

 

「おうポテト、元気か?」

『……ひゃふ?』

「だからなんで首傾げるんだよ……」

「あ、あはは……」

 

 いつかの、結衣に対するサブレを見ているようだった。

 それでもまあ、笑えたから。

 俺はそのまま手を伸ばし、ポテトの頭を撫で《がぶり》……。

 

「は……はち、まん?」

「ああ、だいじょぶ。噛んだってよりは挟んでるって感じだから」

 

 けど、これより先は地獄ぞ、とばかりにポテトが俺を見る。

 試しに手を少し前に出そうとしたら、『ヴ~……!』という唸りとともにミリミリと“挟む”が“噛む”に変わって……!

 

「………」

 

 とりあえずアレな。

 犬の口内で犬の舌を撫でて、驚いて離した隙に手を引き抜くと、この悲しみにも似た不思議な思いを歌に捧げることにした。

 サブレ……お前、最高の犬だったぜ───!! などという気持ちもこもってたけど、気にしない。

 

 

 

 

-_-/由比ヶ浜結衣

 

 

 ───眩しさの中に居る。

 

 騒がしいほど眩しい世界に、好きな人、大事な人と一緒に。

 

  おー! ヒキタニくん今年も行ったれー!

 

 背から離れた温かさが、マイクを手にむずむずした顔のまま歌い出す。

 

 “産まれてきてくれてありがとう”をハッピーバースデーに乗せた歌には、きっといろんな意味が込められている。

 

 歌詞を書いた人の想いの他に、今……歌ってくれている人の想いも。

 

  我がどれほど心を込めようともこうはならぬ……これが超越者の力、というものか……!

 

 時折に思う。

 

 あたしはそんな想いに、想いの分だけ応えられているのかな、って。

 

  お兄ちゃんて、これ歌う時、心込めすぎなのがなぁ……って、留美ちゃん号泣してる!? お兄ちゃん! ちょ、ストップストップー!

 

 共感できるなにかと、連想できるなにかがあれば感動できるものがあるみたいに、あの人の言葉や行動、想いには、なにかしらの人を惹きつけるものがあるんだと思う。

 

 そんな想いに相応しい自分でいられているのかな、って……あたしでよかったのかなって、思っちゃうことがあって。

 

  泣いてない……ただいろいろ振り返ってただけだから……。

 

 いつか、自分が立っている場所を誰かに譲ってしまえば、そんな思いからも離れられるかなって思いついた。

 

 その瞬間、そこに立っている黒髪の友達を想像して、泣いたことがある。

 

 自分はずるい人間だ。

 

 自覚した上でこの場に居て、大事な人全員を縛り付けちゃった罪悪感を、今も引きずっている。

 

  心を込めて歌う……か。優美子も歌が好きだったし、俺も……よし。

 

 罪悪感を抱いたまま、“罪悪感って消えないよ”って口にしてからずっと……たぶん、今も。

 

 何度、誰に許されようと、きっと消えることはないんだろう。

 

 思い出すたびに、胸にちくりと刺さる、戻ることも出来ないいつかの後悔。

 

 もしあの時ああ出来たら───そう思うと、あたしはどれが正解だったのかなんてわからなくなる。

 

  そういえばはるさんの本気の歌とかって聞いたことないかも……あります?

 

 届けられなかったありがとうとごめんなさいがあったから生まれた関係があって、お菓子と一緒に届けられて、全部がそこで終わっていたら続かなかっただろう関係があって。

 

  歌? んー……いいよ? その代わりめぐりも歌うこと。

 

 そんなぎくしゃくとでこぼこから始まった関係だから、話し合えた関係があって。

 

  私の歌を聴けぇえええーーーっ!!

 

 誰かが一人欠けてたんじゃ、学べなかったたくさんのものがあって。

 

  ひらっ……静姉ぇ! シャウトは流石に迷惑だって毎度言ってんでしょーが……!!

 

 後悔や涙の先で、それでも、って……手を伸ばして、欲しいって願って、無くしたくないって思えて。

 

  ふははははは! マイクはこの絆が貰った! さあ聞くがいいー! 吐き切って吸うことこそキモのこの歌……“ともに”!

 

  Si。ただし置き去りになんかしない。全部拾って、抱き締めて……その上で、歩いていく。

 

 一緒に居たい人達と、手を繋いで、手を離した先でも思い描いて……夢を叶えて。

 

 叶えた夢の先で、今こうして……“全部”を口にした大人しい方の娘が、幸せそうにあたしに笑顔を向けて、姉とともに歌い出した。

 

 歌とともに皆が手拍子をして、そんな中、頭を掻きながら隣に立ってくれる夫が息を吐く。

 

 主語もなく、ただ漠然と、意地悪みたいに……ただ、訊いてみた。

 

  「応えられてるかな」

 

 夫は即答した。

 

  「じゃなきゃここに居ねぇよ」

 

 驚いて、隣を見る。

 

 顔を真っ赤にして、あたしの方を見ようとしない夫が居た。

 

 

 

 一人ぼっちから始まったあたしたちの関係は、一人ぼっちの種類は違くても……思うことへの根本は変わらないのかもしれない。

 

 だから考えることも根っこではどっか似ていて。

 

 だから。

 

 

  笑ってるだけじゃ、ヤなんだ

 

   おう

 

  笑い合ってたいって、そう思う

 

   おう

 

  もらってるだけじゃ、ヤだよ

 

   自覚が足りないのはほどほどにしような

 

  でも

 

   何度だって悩んでろ。何度だって答えてやるし、応えてやる。だからだんまりは無しな。話し合うんだろ? じゃあ、伝えろ。悩んで、伝えろ。

 

  それ、学生の頃に何度ヒッキーに対して思ったかなぁ

 

   で、なんで今度はお前がそれを自分でやってんの

 

  ほら。後になって気持ちがすっごくわかる……あれ

 

   やだ……わかりすぎて辛い

 

  じゃあヒッキー。“先輩”として、なにかアドバイスは?

 

   ……お前が傍に居てくれて、本当によかったわ

 

  ふえっ!? え、えっ……!? ななな……えっ? 聞き間違いっ……? ヒッ……はち、はちまん? いま、なんていったの?

 

 

 ……少し間を置いて、彼は言った。

 

 あたしを真っ直ぐに見て。

 

 まだ赤いままの顔で、けれど……あの頃には見れなかった、少年みたいな笑顔で。

 

 

   わかり合えるまで話し合えばいい。

 

   そしたら、わからんことだってわかるよ。

 

   だからまあ、その。

 

   ……ありがとう。

 

 

 って。

 

 話し合えばわかり合える。

 

 いつかは否定されちゃった言葉。

 

 でも、今は───……そこにある笑顔が答えってことで、いいんだと思えた。

 

 

 

 

 

「あ、ガハマちゃーん? なんか二人の世界作ってるとこ悪いけど、昼過ぎたらもっと人来るからそのつもりでねー!」

「まだ来るんですか!?」

「あ、結衣さーん、沙希さんもある程度片付いたから来るそうですよー!」

「えぇっ!? むむむ無理とかしてないよね!? もし疲れてるなら、無理してこなくても───」

「いえそれが、大志くんと京華ちゃんも来るそうで」

「おっ、夜になるけど姫菜も来るってさー! これ盛り上がること間違いなしっしょぉ! 主に俺とかさぁ!」

「……結衣さん。その……母さんが、これから来れる、と……」

「えぇええっ!? ゆきのんのお母さんまで!? って、わわ、電話……もしも……ママ!? えっ!? 今から来るって……いいっ、いいからっ! もう親に祝われるとかそんな歳じゃ───ママ!? ママー!? ぁ、あー……」

「ふむ。然るに八幡よ」

「なんだよ」

「こういう状況のことをひとえになんと呼べばいいだろうか」

「……まあ、そうな。一応、強引所為はあったとしても……」

「しても?」

「……人懐っこさの為せる業?」

「人徳ってやつですね。先輩の場合、因縁の方が強そうですけど」

「うっせ……、っと、もしもし? ……あー、おー、……いや、マジで? いや……正直べつにいいかなって……いや、べつにいいってそっちの意味じゃなくて。え、えー……?」

「えと……八幡? なんとなく流れで予想がつくんだけどさ……もしかして?」

「おう……親父とお袋も来るって」

「えー……? なにこの子供同士の遊びの場に、いい大人が混ざる、みたいな状況。ねぇ八幡、我隠れててもいい?」

「そこで帰るって言わないところはさすがだよなお前……」

「ザイモクザン先生は、大人に混ざる子供な絆と美鳩のことが嫌いなんだ……主に美鳩を」

「何気ない一言が絆と美鳩を傷つけた……主に絆を」

「はぽっ!? い、いや否である! 我は自ら人を嫌うなど滅多にせぬ超越者よ! つ、つまりね? 我はね? ……ごめんなさい」

「そうだよ、絆ちゃん、美鳩ちゃん。僕も材木座くんも、二人のこと大好きだから。嫌いになんかならないよ」

「なんという温かき言葉……!」

「美鳩はあなたの言葉に深く感動した……! お礼に絆をあげる」

「あげるな妹! 勝手に人のことあげちゃダメでしょ!」

「別の人の傘下に入れば、堂々とパパに愛の告白を───」

「ハッ!? その手があった! ってどっちみち無理でしょそれ!」

「Si、愛の告白が出来るだけ」

「そんなん別の苗字にならんくても堂々と出来るわー!」

「……絆は少し、恥じらいを持つべき……」

「なにをー!? 大体美鳩は《スコンッ♪》モンスターハンターGも狩り!!」

「ちょ、ザイモクザキくーん!? こんな時にモン狩はねーっしょ!?」

「くっ……空気に耐えられなかったのだ! 我の言葉がきっかけで姉妹が争う……そんな空気、我とか無理! 剣豪将軍といえど人の子なのだからー!!」

「………」

「………」

「ま、いつも通りか」

「あはは……だね」

「んじゃあ、まあ……結衣」

「うん、八幡」

「また一年、よろしく」

「こちらこそ。貰うばっかじゃヤだからね?」

「こっちの台詞だ、ばか」

 

 言って、手を繋いだ。

 見せ付けるようなべたべたなものじゃなくて、高校時代だったらきっと、これが精一杯だっただろうなっていうくらいの……顔を真っ赤にしての、手を繋ぐだけの行為。

 それだけであたしたちはお互いに照れてしまって、くすぐったくて笑って。

 また一年、ゆっくりと……あたしは。

 この人のいろんなところを、好きになっていけるんだと思う。

 

「あ、ところではるさん、昼過ぎになにやるんですか?」

「出かけるとかはやっぱりなし。みんな来るんだったらいろいろ面倒だろうし。絆ちゃんに美鳩ちゃーん? 今から来る連中への迎撃体勢を整えよ!」

「「イェッサーはるのん!!」」

 

 嫌いだと思ったところは言ってくれよ、と言う彼に、あたしのこともだ「無理」よ、と言う前に即答された。

 仕方ないなぁって笑いながら、軽い言い合いをして、時に怒って、なのに手は繋いだままで。

 きっといつまでも、こんなあたしたちのまま……あたしたちの独占合戦は続いていくんだろうな。

 それでいい。

 ……うん。

 そんなんでいいんだ、あたしたちは。

 あなたにとっての幸せってなんですかって問われたら、きっと今がそうで、これからもそうだと答えられる。

 漠然としすぎた、明確じゃないかもしれないものでも、暖かいから恋焦がれて、掴みたいから走ってきた。

 だから今を歩けている。

 

「迎撃体勢って、陽乃さん、なにする気なんですか? 小町にもちょこっと噛ませてくださいっ」

「おっ、やる気だねー義妹ちゃんってばー♪ ───《キリッ》とりあえず片っ端から酔わせて、気になる異性を聞きだしてからかいまくる」

「噛みました!」

「噛んじゃだめなやつだよそれ! だめ小町ちゃん落ち着いてーーーっ!?」

「大丈夫ですよ結衣さん! まず兄を酔わせて、気になる異性を訊きますから!」

「ぇっ……や、うー……」

「おいちょっと最愛の妻さんー!? そこ悩むところじゃないでしょー!? 大体な、俺は結衣と二人きりの時じゃなきゃ飲まないって、なんべん言えばわかるんだよ妹よ……」

「それはそうだけど、こういう席でくらい、もういいんじゃない?」

「そうだよねー、何度も聞いてるし、お姉ちゃん耳にタコってやつだよ弟くん。あ、じゃあMAXコーヒーにお酒を混ぜて───」

「表へ出ろ雪ノ下陽乃……久しぶりにキレちまったよ……」

「───え? ぇちょっ……え? おとっ……比企谷……くん?」

「ちょっ……陽乃さん! 八幡はMAXコーヒーというものは練乳で完成してるって信じてるんですから、アルコール混ぜるなんて言ったら───!」

「あ、あはっ、あははははっ……!? わ、わー……! 物凄い勢いで目が腐っていってる……!! でも比企谷くんは女の子に暴力なんか振るえないもんねー? 大体、バスターセットの時だって練乳以外にも混ぜてるんじゃないの? それなのにそんなこと言われたってねー?」

「《ピッポッパ……》あ、もしもし“お義母さん”ですか? はい、“美鳩”の父の八幡です。ええ、実は“陽乃義姉さん”のことで少し相談が」

「いやぁあああああっ!? やめちょやめてやめてこれ以上面倒ごと増やさないでぇええええっ!!」

 

 元から大きな幸せじゃない、小さな幸せがくっつき合って大きくなった幸せの中で、こうして笑い合える今を───全部を求めたあの日から、今もこうして歩いている。

 “自分”が明確に始まったって思えたのはいつかな。

 周囲に合わせてばっかりで、集団の中に居るはずなのに心細くて、苦笑ばっかりしてて。

 そんな自分が嫌で、頑張ってみて、ちゃんと前を向けるようにって張り切ろうとして、失敗しちゃって。

 罪悪感が出来て、目で追う人が出来て、お見舞いのお菓子を届けたんだからいいかな、って言い訳が出てきて……消えない罪悪感がずっと残ってて……言えない日々が続いて、

 言えない人と再会して、言えない人のやさしさを知って、言えない人と同じ部活に入って───

 楽しいって思えて、届けたい言葉がごめんなさいからありがとうに変わって、心から一緒に歩きたいって思える人に変わってって、見てみたい未来を思い描いて。

 ……結局、いつから自分が始まったのかもわからない。

 わからないから……自分の胸に手を当てて、目を閉じた。

 

 

 

  ───あの頃のあたしへ。

 

  今、あの時に笑って欲しいなって思っていた人が、笑っています。

 

  信じられますか? あの人、こんな風に笑うんです。

 

  子供みたいに無邪気で、汚いものなんて知らないってくらいに元気に。

 

  もっと早くに出会えていたなら、そんな笑顔をずっと守れたのかなって……そう思う時があります。

 

  でも、頑張ったから手に入れられた今を後悔したら、きっと罰が当たっちゃうから。

 

  あの頃みたいに濁った目で、それでも無邪気な笑みがあります。

 

  たぶんあたしは───そんなのでいいのだ。

 

  罰が当たらない程度に、こんな幸せと一緒に、ずっとずっと生きていく。

 

  ……でもやっぱり濁ったままは悔しいから、近寄って、抱きついて、キスをした。

 

  真っ赤な顔と、綺麗な目があたしを見下ろした。

 

  そんな目に、あたしは負けないくらいの笑顔で返してやるのです。

 

  父の日なんだから、そんな目とかしちゃだめだよ、って……ちょっぴりだけ、お姉さんぶりながら。



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つまりは彼女の得意な物真似

◆前書き劇場2

「ねぇねぇゆきのんゆきのーん!」
「!? なっ……なに、かしら」
「あれ? なんでそんな身構えてるの?」
「アグラハムニで懲りてるんだろ……あんま変な質問するなよ? てか普段からケータイいじってんだからそっちで調べなさいよアグガハマニさん」
「アグラハムニのことは忘れてったら! ヒッキーのいじわる! だ、大丈夫だよゆきのん! 今回のはヘンな質問じゃないから!」
「おお、偉いぞ由比ヶ浜。ヘンって自覚はあったんだな」
「ヒッキー!!」
「え、ええ、大丈夫よ由比ヶ浜さん。それで、どういった質問かしら」
「あ、うん。この前ね? ケータイの電池切れてて、久しぶりに家の電話で電話かけたんだけどさ」
「ええ」
「間違えちゃったみたいで知らないところにかかっちゃって……えっとさ? なんか急に昔話が始まって、えとー……“きっちょむさん”、だっけな? って、どんな漢字で書くのかな」
「………」
「………」
「あ、あれ? え? あのー……えっ!? もしかしてこれ変な質問だった!? ごごごごめんねゆきのん! 今の忘れて!?」
「いやお前……え? お前の電話、過去にでも繋がってんの? キッチョムってあの吉四六だろ?」
「……あの。由比ヶ浜さん? よく聞いて頂戴。電話で繋がるキッチョム……こう、吉、四、六、と書いてきっちょむ、と読むのだけれど、これはね、昔NTTが用意していたテレホン民話なの」
「え……へー! 電話で聞ける昔話みたいなのだったんだ! ……あれ? 昔?」
「あのな、由比ヶ浜。NTTがお送りするテレホン民話・吉四六話はな、もう何年も前に終了してるんだよ」
「………………え?」
「ええ。だから、その……繋がる筈が無いのよ。もう存在していないのだから」
「で、でも。ねぇゆきのん、ヒッキー、嘘じゃないよ? ほんとに繋がって、賑やかな音楽から始まってね? そ、それから……!」


「……ねぇ、由比ヶ浜さん。あなた……いったいどこへ繋いだの?」



 お題:急なホラー。……ホラー? あ、本編の内容は普通です。
 なお、NTTが送るテレホン民話、吉四六話は実際に存在しました。
 以前はHPもあったのですが、今もあるかは謎。

 ◆今回の本編の補足
 CVイメージ
 比企谷絆 :ヘスティア様
 比企谷美鳩:香風智乃


 朝。

 いつも通りの朝に、いつも通り起き上がり、ベッドから降りると身支度をして、扉を開けて廊下へ出る。

 と、いつもならここでキョーダイの片割れが出てくるというのに、今日は出てこなかった。

 ハテ、と思いつつもまだ眠っているのだろうかと部屋を訪ねてみると……熱で苦しむキョーダイの姿。

 額に触れてみると一瞬で悟る。あ、これアカンやつやと。

 そうなれば、次に取る行動は早かった。

 

  ザサッ

  ガッ

  しゅるっ……

  ぎゅっ

  バサァッ

  カチッ

  シャッ

  サラァ……サラァ……

  すぅ───

  はぁ───

 

 デェェェェェェェェェェン!!

 

「乗り越えてやるぞ……この危機!!」

 

 従業員が一人居ない……その辛さは、飲食店を経営する人のみならず、様々な働きマンな人ならわかるはず。

 なので頑張らなければなりません。

 守護(しゅご)らねばならぬ……この店の平穏を……。

 

  そんなわけで。

 

 sisterの汗に濡れた寝巻きを着替えさせ……当然汗の処理もした上でベッドに寝かせ、現在ぬるま湯には私一人。

 ごくりと喉が鳴るけれど、もはやあとには引けない。

 やるといったらやるのだ。

 

「ふぁっ……ふぁいとぉおおおっ!! うおおおおーーーっ!!」

 

 自分に発破をかけるつもりで叫ぶ。

 そして発音練習をしたのちに、誰にともなくサムズアップ。

 早速店の掃除を開始して、今日という日を乗り越える覚悟を決めていった。

 

……。

 

 慰霊の日、というものがある。

 沖縄県にて存在する休日らしい。

 ただし地方限定の休日だそうなので、千葉には関係ない。

 ぬるま湯にはもっと関係ない。

 関係ないけど……今日は、忙しかった。

 

「いらっしゃいませイカ野郎! ヘボイモ恐れ入りますが何名様でしょうか!」

 

 そんな中でもきびきび働く。

 顔には笑顔。

 辛くなっても目はぱっちりと開いて、挨拶は元気元気……!

 必要なのは心の根……そう、お米のように強い心の根を張る!

 音はあげない……大丈夫、出来る、気持ちの問題、気持ち、気持ち……!

 だだだだから、だからこそ───

 

「うーん……今日は軽めにしたいから───パンの方の軽食で」

「お米食べろ!!」

「ぇえっ!? あ、え、ご、ごめん!?」

「……はぅっ!?」

 

 ついやる気が外に出てしまった。反省。

 「た、確かにお米の方が朝から力がつくかも……」と、カウンターの席にてメニューを見直している、リーフマウンテンさんにはごめんなさいだ。

 

「じゃあ、この朝ランチで。……それにしても、今日も元気だね、絆ちゃん」

「もははははは当然である! なにせ二人分を背負っておるからな! 守護(しゅご)らねばならぬのだ……双子看板娘の在り方、というものを……!」

 

 双子で看板娘って、結構珍しいことだ。

 加えて我等姉妹はママに似て綺麗らしいので、それ目当ての男性客も結構多い。そうでなければナンパなどされないだろうし。

 まあ似ているといっても姉が雪乃ママ似、妹がママ似という、遺伝子もないのに何故そう似る、とツッコミたくなるような容姿らしいが。

 現在の私はいつもの仕事着に黒髪ロング。雪乃ママをイメージすれば、まずそれはないだろうという笑顔のままに、接客をしている。

 注文きっちり、速度も安定、それでも手が回らないから紅茶等は雪乃ママに任せることになるけど。

 

「……コーヒーを……お持ちしました」

「え、あ、うん。朝ランチのだよね? ありがとう、って、米の方の飲み物ってお味噌汁じゃなかった?」

「………」

「……ぁ、あー……あぁ、そっか、そうだった。《スズ……》オー、ブルーマウンテン」

「恐れ入ります」

「……これでよかったかな?」

「す……はい、それはパパからのサービスなので」

「“す”? え? すってなに? え? ……あ、ああまあいいや、比企谷、そういう時は言ってくれ、急に出されても困るだろ」

「まあ、たまにくらいならいいだろ。ほれほれ、止まってないできびきび働けー」

「らじゃっ!」

 

 いろはママ式敬礼ウィンクをしてパタパタと動き回る。

 むう、なんだってこういう時に限って忙しいのか。

 おのれシスター、なにもこういう時に風邪を引かなくても。

 いったいヤツめはどこで病原菌を頂いてきたのか。

 ……あれ? この流れだと次は私の番?

 それはまずい。もっと熱い血を燃やして、病原菌の繁殖を防がないと。

 守護(しゅご)らねばならぬ……って、もうそれはいい。

 

「ママ、軽食をパンの方で二つ。パパ、ブレンド三つ。いろはママにティラミス5つの注文。雪乃ママ、ディンブラーでアイス」

 

 注文は伝票に書いてあるけど、いろいろ重なると口に出すときにこんがらがる時がある。

 長いことこういう仕事をしていれば、そういう失敗も少ないものだけど……あ、例外としては新メニューが出来た時とか、限定メニューの時は怖い。

 気取って略した言葉で早口で言う客とか、本当に勘弁してほしい。

 それがわかりやすい略し方ならいいんだ。

 注文した本人にしかわからないような、一緒に来てる女性が“え? なにそれ”なんて言っちゃうような、その時だけの略した言葉とか、本当にない。あれはない。

 女性の前で得意ぶった顔をしたい男子よ。あれは本当に引かれるからオススメできない。悪いことは言わない。やめるべき。

 

「《ブッ》一色~、ティラミス6頼む~。あ、一つは娘用で」

『え? そっち案外暇ですか? 休憩にはまだ早いですよ? いえまあティラミス5来てる時点でいろいろ想像出来ますけど』

「朝にしちゃ忙しいな。ほれ、今日は片方休んでるだろ? 頑張ってるからまあそのー……あれな」

『せんぱぁ~いぃ? そういう時はちゃんとご褒美~って言ってあげたほうがいいですよー?』

「ほっといてくれません? あとそのねちっこく先輩言うのやめない?」

『経費でケーキ食べさせてくれたら考えます』

「味見とかしてるって言ってただろが。太るぞ」

『なに言ってんですか経費で食べるのと味見とじゃあ感じる味とか全然違うんですっ! あと太りません頑張ってますから!』

「お、おう、そうか」

 

 そうですよパパ、女性は見えないところでも頑張っているものなのです。

 っとと、お客さんだ、もっと頑張ろう。

 

「よく来たな勇者よ……! ここが貴様の死に場所だぁあーーーっ!!」

「ふふんむ! 果たしてそれはどうかな……! いかに魔王の力が強かろうと、この我が纏いしフルァアアブ・カーテェエエン! を越えることなど出来ぬわぁっ!!」

「贅肉のカーテンとかやめろ。ほれ、いーからさっさと座れ、他の客に迷惑だろが」

「あ、すんません……と、ところで八幡? 今日はまだそのー……戸塚氏は」

「まだ来てないな」

「うむよし! では今のうちに特典小説の添削を───」

「《からんから~ん♪》お邪魔します、八幡」

「おう戸塚」

「ぶひぃっ!? ばばばばば馬鹿な! 先ほどまで気配すらしていなかったというのに、この我が回り込まれた……だと……!? あ、絆嬢、我、モカマロンケーキとモカ」

「かしこまっ!」

「なんでブルーマウンテンの次はモカ尽くしなのお前」

「時の気分である。それより八幡? 我ちょっと考えたんだけど。洋服の青山って聞くと、普通に服屋ってイメージなのに、洋服のブルーマウンテンと変えるだけで、心やうさぎがぴょんぴょんしそうな地方の青山さんが洋服を着てますよ的なイメージになると、たった今気づいたの」

「どーでもいいこともったいつけて話すなよ……」

 

 パパの会話を余所に、テキパキと行動。

 バリスタが行動している時、他の者が不自然でない速度で動くことで、客にストレスを与えることなく所望のものを用意できる。

 話術も大事だけど、行動でストレスを与えないことも大事。

 あぶなっかしく忙しそうにバタバタと動いては、客だってそわそわするし、来なかったほうがよかったんじゃないか、なんて気を使ってしまう客だって居るのだ。

 え? 紅茶? 紅茶は……雪乃ママへどうぞ。紅茶のサホーとかは知らない。

 常識は知っていても、作法とかを知っているかっていったらまた別なのだ。

 

……。

 

 そうして、大忙しで疲れを考える暇もなく動いていたら、いつの間にか日は落ち、本日の営業も無事終了。

 途中、相当危ない場面もあったけれど、大丈夫、上手くやれた。

 ママや雪乃ママが片づけを始める中、私も戸締り確認をし始める……と、傍にパパが来て、ぽすんと私の頭を撫でた。

 

「……? パパ?」

「お疲れさん。気ぃ張っただろ今日。大丈夫か?」

「も、もっちろんだよパパ! この程度でこの私は負けません!」

「おー、そかそか」

「ふわゆゆゆ!?」

 

 次いで、わしゃわしゃと乱暴に撫でられる。

 それはまずい、とても嬉しいけど、頭が揺れすぎるのは困る。

 

「だったら今度からは、もうちょい“わたし”の使い方に気をつけろな」

「───」

 

 え、と顔をあげると、普段はママにしか見せないような笑顔で、私を見るパパ。

 ぽかんと停止している内に、パパはママと合流、終了作業を進めると、晩御飯の準備にかかった。

 

「あちゃー……そっかそっか。頑張れてると思ったんだけどなー……」

 

 咳払いを一つ、私も戸締りを確認、晩御飯の準備に取り掛かった。

 さて、シスターには極上の粥でも振る舞ってやりますか。

 そして、今日一日ママ以外では一番パパを独占できたことを自慢してやるのです。ふふり。

 

   ×   ×   ×

 

 ───定休日を挟んだ、次の営業日。

 

「いらっしゃいませイカ野郎! 本日の注文はなんですか!?」

「あ、はは……今日も元気だね、絆ちゃん……。あ、じゃあブレンドでパンのモーニングを」

「かしこまりましたー! パパ、ママー! モーニン一丁ー!」

「喫茶店でその威勢の良さはやめろ」

「Sì、絆は少々やかましい」

「やかましい!? 少々やかましいってどういう意味!?」

 

 今日も喫茶ぬるま湯は賑やかです。

 

「美鳩さん、体調の方は平気?」

「Nn、美鳩はいつでも元気です。大丈夫、問題ない」

「そういうことを言い出す子が一番危険なのよ。比企谷くんのように、自分が耐えればなんでもなんとかなる、みたいな考え方はとてもとてもよくないわ」

「パパ、ひどい言われ様……」

 

 小声で語りかけてきてくれた雪乃ママ。けれど微笑み返し、きちんと大丈夫であることを伝える。

 そこへ絆が来て、「お、なんの話?」と訊いてくる。

 

「べつになんでもない。美鳩の黒歴史的なこと」

「ほむ? ん、まあいいや。あ、ところで結局うやむやになっちゃったけど、一昨日《ドスッ!》おごっ!?」

「絆……! いちいち蒸し返さない……!」

「え、え? もしかして話してたのってそのこと!? でも待って!? 今べつにお腹に貫手する必要なかったよね!? 痛いからやめようよ!」

「いいから来る……! そんなものは本人だけがわかってたらいいこと……!」

「む。そりゃ、まあ、失敗したなーとか思うことは、本人が一番強く後悔してるのに、周囲に言われると泣きたくなることもあるけど……でもさ、言わない罪悪感もあるよ? わたしとしてはきちんと……」

「蒸し返したら刺し違えてでも絆の髪飾りを破壊する……!」

「OKわかったわたしはなにも知らない! あれはパパに貰った大事なものだから、もし破壊されたらたとえ美鳩でも許さぬのでダメ! わざわざ姉妹間で喧嘩することないって、ね? まあもし破壊されたらわたしも美鳩の大切なバリスタカード破壊するけど」

「…………」

「………」

 

 姉妹二人、自然と手四つで組み合い、ミシシシシと圧し合いを開始した。

 およそ花の女子高生同士が競う方法ではない。

 むしろどこぞの宇宙海賊と樹雷王家第一皇女くらいしかやらないんじゃないだろうか。

 

「おーいそこの二人ー? 馬鹿やっとらんと、手伝うんなら手伝えー」

「「SirYesSir!!」」

 

 パパに言われれば行動は早い。

 まずは一色工房へ突撃して片づけを手伝って、いろはママを連れてきては一緒に晩御飯のメニウを考える。

 既にママが作っているものとは別にもう一品、なにかを作ろうってことになって、その案を出し合う。

 

「いろはママは今、むしょーに食べたいものとかってあります?」

「そうだねー……甘いものばっか作ってると、むしょーに塩辛いものとか食べたくなるんだよね」

「いろはママの晩の提案、イカの塩辛……! とてもシヴい……!」

「《ご、ごくり……》男じゃのういろはママ……!!」

「塩辛いもの!! 塩辛じゃなくて! もーせんぱーい!? 娘さんたちにどんな教育してんですかー! もー!」

「ふむふむ、いろはママ、塩辛はだめ、と《がしぃっ!》……、い、いろはママ?」

 

 メモを取っている手が、マジ顔のいろはママによって止められた。

 お、おぉお……!? いったいなにが……!?

 

「今の気分じゃないだけで、塩辛がだめとは言ってないから」

「え、え? いろはママ?」

「言ってないから」

「……すぃ、Sì……!」

「い、いろはママ落ち着いて……! ソレにわたしたちにはわからない魅力があるのはわかりましたから……!」

「あ……こほん。いえべつに、魅力を語りたかったわけじゃなくてですね」

「いろはママ、誤魔化す時に早口になって丁寧語になるの、直した方がいいよ」

「ほっといてください!」

 

 塩辛には、大人にしかわからない魅力があるのかもしれないです。

 まあなにはともあれ。

 騒ぐ二人から離れて、私は私で準備をする。

 なにか一品。なにがいいだろう。

 と考えていると、パパがちょいちょいと私に手招きをするので、体から溢れる歓喜を隠しもせず、ぱたぱたとそちらへ駆けつけた。

 途端に頭をなでられた。丁寧に、丁寧に。

 

「気づいたのは俺と結衣くらいだろうから、まあそこらへんでは気ぃ抜いとけ」

「………」

 

 親の愛とは凄まじい。

 ちらりと厨房の方を見てみれば、ママがひょいと顔を覗かせて、にこーと笑う。

 どうやらバレバレだったらしい。

 

「……そんなにおかしかった?」

「俺か結衣かはる姉ぇくらいか……あとはギリギリ小町くらいか? 結衣は親だからって部分もあるだろうけど。あ、ママのんとか絶対気づくわ。あの人お前のこと可愛がりすぎだし」

「…………まだまだ修行が足りない」

「ま、コーヒーの注文入るたび、俺の方へ申し訳なさそうな顔を向けたり、紅茶の注文が入れば雪ノ下に任せたり、仕方ない場面も随分あったしな。……べつにな、お前でよかったんだぞ? 無理することなんてなかったんだ」

「絆は元気。お客さんもきっと、そっちの方がいい」

「……物真似もほどほどにな。するんだったら絆みたく、雪ノ下か一色の真似にしとけ。つーか。お前、あの様子じゃ絆に、お前が絆の真似して店出てたの、言ってないな?」

「Sì《ディシィッ!》はぴゅっ!?」

 

 肯定した途端、でこぴんされた。

 

「お前が絆の物真似が得意なのはわかったから。……はぁ、前に物真似のこと訊かれた時、動揺してたのはこの所為か」

「……会話が苦手で男性の接客が苦手な看板娘なんて、きっと客の方から願い下げ。だから、そうした方がみんな笑顔になると思った」

「あー……あの長髪は?」

「シンディにもらったウィッグ。“姉ってどんな人なの”と訊かれた時に借りて、そのまま“思い出としてあげるわ”って」

「……例の修行の時に出会ったオネエか」

「Sì、うるさいオネェ」

 

 シンディはうるさかった。そしてオネエだった。

 口癖は“なによ!”。こっちこそなにが“なによ”なのかを訊きたかった。

 

「訊くのは野暮かもだが。真似てみてどうだった? 少しは男に耐性───いやいい言わんでいい、物凄い汗出てるぞお前、思い出しただけでもそれなら、当日なんてもっと辛かっただろ」

「……夜、眠れなかった」

「……ったく、お前は」

 

 申し訳無い気持ちが溢れて、俯いてしまう私を、パパが静かに抱き寄せた。

 途端、ここ……奉仕部に居た総員が何事かとざわめくけど、なんとなく雰囲気か空気を呼んだのか、はたまたパパが目配せでもしたのか、なにも言ってこなかった。

 

「高校年長組になろうがどうしようが、お前は俺の娘だ。辛い時にゃあ甘えりゃいいんだよ。迷惑だなんて思うな、そっちのが迷惑だ、このばか」

「……ごめんなさい」

「おう、受け取った。なんにも心配がないのはいいことだろうが、親としてはたまには心配させてもらいたいもんなんだ。だからな、美鳩。お前はお前として心配かけろ。姉の真似はしなくていい」

「…………しかと胸に響いた」

「その返事は真エイサイハラマスコイ踊りがぬるぬるしそうだからやめなさい」

「………………Sì」

 

 そんなつもりはなかったんだけど、確かにそうかもだった。

 

「ねぇいろはママ? 内緒話してるみたいなんだけど、この状況でわたしが美鳩の後ろに並ぶのって空気読めてないかな」

「今日はやめておこうね、きーちゃん」

「───……はぁ、そう。そういうこと」

 

 絆がそわそわして、いろはママがにっこりしながらぴしゃりと言って、雪乃ママがなにかに気づいたように溜め息。

 絆に「私、と言ってみてもらえるかしら」と言って、絆が首をこてりとしながら「わたし」と言う。

 それだけで納得がいったのか、私の方をちらりと見て、目が合うとどこかおかしそうに「お疲れ様ね、美鳩さん」と言った。

 

「……La ringraziamo.」

 

 物真似をしていたのは自分なのに、わかってくれる人が居るのが嬉しいのはおかしいだろうか。

 それでも感謝したかったから口にして、「ええ」と受け取ってくれた雪乃ママに、やっぱり感謝を。

 

「んじゃ、美鳩の分は俺が作るわ」

「ええ、そうしてちょうだい。飲み物は私が作るわ」

「え? え? あ、じゃあよくわかりませんけど、試作のものでよかったらデザートはわたしが用意しますね」

「ぬ、ぬう……! 妙ぞ、こはいかなること……!? みんなが美鳩にやさしく、この絆が場違いな場所へと投げ出されたような気分はどうだ……!?」

「いや、俺にどうだって言われても知らんが」

「なんかこういう言葉使いってしたくなるじゃないですかー。ていうか構って! パパ、この絆にもなにか作って!」

「お前はまた今度なー……」

「ぐぬぅっ……! これが熱に負けた者の末路か……! 好きで休んだんじゃないのに……!」

 

 Sì、その気持ちはとてもよくわかる。

 けど今は、たまなこんなやさしさを、自分一人で味わわせてもらおう。

 他のなんて知らないけれど、やっぱり我が家の家族が一番暖かい。

 

「ね、ねぇ美鳩? わたしにもちょっと───」

「“NOゥ”《僕のだぞ》!!」

「ちょっとくらいいいでしょ美鳩のケチー!!」

 

 ケチで結構。

 雪乃ママに似た容姿なのにとっても元気な姉に、ママに似た容姿なのに物静かな私は、静かに笑顔になりながら、今日もまた、この家の家族として産まれたことを感謝した。

 あたたかいって、とてもステキなことだから。

 



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その夏が暑かったから。

 真夏日。

 まさにそんな言葉が相応しい暑さが続く中、冷房はつけているものの、なんとなく目が覚めた夜。

 自身の誕生日を過ぎた、まさに真夜中の寝室を出れば、むわりと漂う不快な生暖かさが体に纏わりつくような感覚に、うっ……と部屋から出ることを数瞬躊躇する。

 しかしそのまま歩を進めて寝室のドアを閉め……ながら、すいよすいよと眠る結衣の姿ににこりと微笑み、静かにドアを閉ざした。

 こう、きちんとドアノブを動かしてから、静かに閉ざし、ノブを戻して。

 

「さて」

 

 喉が渇いていた。

 となれば、向かう先は最短で階下の奉仕部。

 学生時代を思い出すように武技『ステルスヒッキー』を使用して存在感を消し、足音さえも殺して歩く。

 おお、見よ、気配や音に敏感である犬のポテトにさえ気づかれぬこのシノビアシ・ジツを。

 などと遊んでないで、とにかく階下へ。静かに、寝ている者を起こさないように。

 そうして辿り着いた階下……の、奉仕部にて。

 

「…………?」

 

 気配。暗がりで、ゴゾォと蠢くなにかを発見。

 ゴパチャアと冷凍庫を開けて、漏れる光からなにかを取り出すその姿は…………うちの娘だった。

 またチューベットでも冷やしてたのかあいつは。

 と近づいてみたら、冷凍庫を閉ざす際に見えたのその横顔は───

 

「美鳩?」

「ひうっ!?」

 

 声をかければ、心底驚いたのか素直に跳ねる美鳩の肩。

 すぐに振り向くと同時に戦闘体勢を取るのは、その、なんだ。お前はやましいことでもしてたんかいとかツッコミたくなる。

 

「な、何者……!? ここが喫茶ぬるま湯と知っての狼藉ならば、この美鳩が許さない……!」

「妖怪冷凍庫漁りに狼藉者呼ばわりされる覚えはねーよ馬鹿者」

「……!? ……パ、パパ?」

 

 おうパパぞ。

 言って、冷蔵庫に近づいて開き、水を取り出すと適当なグラスに注いでガヴォガヴォと飲む。

 この冷たさがたまりません。

 暑い日に飲む水っていうのはこう……その、なに? 水を飲むっていうよりはさ、なんというか冷たさを飲む、という感覚に近いと思うのだ。水分はもういいと思ってるのに、冷たいものを喉に通したい……そんなアレな。

 

「で、どしたの。チューベットでも冷やしてたのか?」

「……? No。それは絆の所業。美鳩の夏のpreferito(お気に入り)は…………これ」

「?」

 

 言って、美鳩は冷凍庫から取っていたらしいブツを俺に見せてきた。

 ラベルが剥がされている小さなペットボトル。

 暗くてよく見えないが、お茶……かなんかか? 色がついてるっぽい。

 

「『ア゙アアアェイ! お茶』かなんかか? まあ、冷やしたら美味いよな、あれ」

「No,違う。………………ん。パパ、飲んでごろうじろ」

「いいのか? ってか、プレフェリート……お気に入りだったか。を、簡単に渡していいのかおい」

「代わりはたくさん。ひとつじゃ足りやしない」

「そ、そか」

 

 この冷凍庫には果たして、チューベットと謎飲料がどれだけ詰められているのか。

 しかしまあせっかくなのでミリッ……とキャップを捻り、未開封が確認されたそれをぐびりと飲んでみた。

 するとどうだろう。

 キンキンに冷やされたソレの冷たさ、それと旨味とが口内に走り、次いでシャリッ……とした歯応えが遅れてやってくる。

 

「こりゃ……梅の味か……?」

「Sì。mio preferito,“梅よろし”のシャーベットドリンク……! これの美味しさ、冷たさはたまらないほどジャスティス……!!」

「た、確かにこれは……! んぐっ……ぉ、お、おお……!」

 

 飲むと、口に残るシャリシャリ感が、すぐに溶けて喉を通る。追ってやってくる少し強めな味と甘みがまたたまらず、いやとにかくこれ美味い、なんだこれやばい。

 

「絆にはこの美味しさを受け取ってもらえなかったから、是非ともパパには───」

「んっ、んぐっ、んっ、んっ……ぷぁっは! おぉおお……! いいなこれ……!!」

「───………………飲みっ…………」

 

 美味しくて、つい一気に飲んでしまった。

 するとどうだろう、普段から半眼で眠たげな美鳩の表情が、さらにどんよりと瞼が落ちるような目となり、じとぉとこちらを見つめてきて……

 

「あ……す、すまん、全部飲んじまった……」

「……気にしてない。ストックはたくさんある」

「そ、そか? じゃあなんでそんな落ち込んで───」

「…………シャーベットになるには時間がかかる……。梅よろしは凍るまでが長い……」

「…………なんか…………すまん」

「一口…………飲みたかった……」

 

 うおおやばい……! 美鳩が素直に弱音を吐いてる時は本気で弱ってる時だ……! 暑いもんなぁ最近!

 ていうか元々自分が飲みたくて冷やしてたのに、飲もうとして出した分を全部目の前で飲む親とかどうなの!? ……それこの場合の俺じゃねーか!

 こ、こういう時は……!

 

(開けてみたら偶然もう凍ってました♪ とかは───)

 

 ムチャアと冷凍庫を開けてみる。毎度思うが、冷蔵庫等を開けた時のこの音、なんか……いいと思いません?

 しかし悲しいかな、開けてみたら他の梅よろしが凍ってました、なんて……そんな都合のいいことは起こらない。

 …………ので、既にシャーベット状になっていた絆の熟成チューベットをもらった。無断で。

 

「ふん」

 

 振り下ろしたそれを膝でコパキャアと両断。

 片方は俺が口に、もう片方を美鳩の口に突っ込むと、美鳩の悲しみはとりあえず紛れた。

 

「……絆には内緒な?」

「…………《こくこく》…………《ぱああ……!》」

 

 上機嫌な表情でこくこくと頷かれた。

 俺と秘密の共有、というのが嬉しいらしい。

 ……すまん、八幡悪い子だ。なんとなくそれを期待して、こういう行動を取ってしまった。

 

「けどほんと美味かったな……梅よろし」

「Sì、あの味は他のでは出せない。そして最近の暑さにやられ、連日近くの自販機で購入していたら、二つ並んだ梅よろしのどちらもに売り切れの文字が輝いた……」

「どんだけ買ってんのちょっと」

 

 いや、俺もマッカン箱で買うことあるけど、自販機滅ぼすとかねぇどんだけ? ねぇどんだけなの教えて? ねぇ。

 

「ところでパパ」

「おう」

「最近知った。パパは最強の喧嘩師となにか関係が……!?」

「どこのお兄さん情報だよあるわけないでしょちょっと。声がちょっと似てるかもとか思ってもそういうのはやめなさい」

 

 中の人が同じってだけでそういう行動に出る人結構居るんだから。

 べつに俺の背中に侠立ちが彫ってあったり、拳一つでヤクゥザの組ひとつを潰せるとか、暑い夏にこっそり可愛いカキ氷機とか買って事務所に置いてあったりとかしないからね?

 

「ん、っと。んじゃ、チューベットも食ったし……戻るか?」

「No,美鳩は意地でも梅よろしが凍るまでを待っている」

「う……すまん。絆が来てなにか言い出したら、俺のこと言っていいからな」

「Sì」

 

 素直にこくりと頷く娘を前に、おやすみと言って自室へ戻る。

 階段の途中で絆と遭遇、擦れ違ったが、のちに階下から悲しみの悲鳴が。

 …………このまま部屋に戻るのも気が引ける。

 後日だろうとなにかを買うか奢るかする約束でも───

 

「こうなったらパパのマッカンを別の容器に移して凍らせて喰らうという所業に───!!」

 

 聞こえた声に、慌てて階下へ下りてゆく。

 おいやめろ。

 マッカンは飲み物だからこそいいんだ。

 ソウルドリンクは飲み物じゃなけりゃドリンクじゃない。そうだろう?

 だからやめろ、今すぐやめろ。

 やめ───…………

 

  あ、なんか普通に美味しかったです、マッカンシャーベット。

 

 しかしこの騒動でどうにも眠気が覚めてしまった娘二人は、戻ろうとする俺にモンスターの如く回りこみ、眠気が来るまで付き合ってくれと言う。

 ……まあ、こいつらが大きくなってからは、我が儘は言ってきても叶えてやったことなんてあまりなかったかもだ。

 なので。

 珍しくもあっさり頷いた俺を前に、椅子に座って体を左右に揺らしながら“Cheers”を歌い出した。はたらく細胞の歌だったか。懐かしい。

 眠る気ほんとあるのかって状況だけど、たまにはいいんじゃないかね、こういうのも。

 

「あ、ポテト下りてきた」

「さすがに犬には聞こえる」

 

 おいでおいでと美鳩が手招きすると、ポテトは真っ直ぐに美鳩のもとへ。

 俺がおいでおいでーと言ってみれば、立ち止まって俺を見たあとに、くぅん? と首を傾げた。

 あー……ほんっとに結衣の気持ちがわかる。わかるわー。

 サブレ相手に散々首傾げられてたもんなー。同じ屋根の下に居るのになー。

 

「パパー、わたしと美鳩、これからにゃんこいのBD見るけど、パパはどうする?」

「なんでにゃんこいなのかは知らんけど、俺は部屋に戻るよ」

「むぅ。どうせなら朝まで一緒に居ればいい……」

「困ったことに、朝目が覚めた時にお互いが見えないと安心できないんだよ、俺と結衣は」

「これからの行動を訊きたかっただけなのに惚気られた!」

「パパ、自重……」

「やかーし。それより、静かにな。一応みんな寝てるから」

「ほーれほれ歩泰斗様~、おやつ取ってこーい」

『ひゃんひゃんっ! ひゃんっ!』

「言った傍からお前は……」

 

 投げられたカリカリおやつを前に、ポテトは大燥ぎであった。

 寝起きでそんなもん欲するのは犬くらいだと思う。

 

「よーしよく取ってきたよく取ってきた。食べたい? まだ食べたい? 何個? 二個? 二個かっ、このいやしんぼめっ!」

『ひゃんっ!』

「じゃあいくよ? 二個いくよー? ……キルキルアウナンアウマクキルナンンン……!! これぞ正義の必殺! ゴールデンキャノンボォオーーール!!」

 

 そして盛大にやかましくも元気な我が娘は、妙な構えを取るや二つのカリカリおやつをシュパァーンと発射した。

 追いかけていくポテトはとても楽しそうである。

 

「いやほんと……静かにな?」

「心得た!《どぉーーーん!!》」

「……雪ノ下基準で静かにな」

「……ねぇパパ。ザイモクザン先生基準にまからない?」

「それは静かとは言わん」

「マメマメマメマメ…………」

『《ガリリガリョガリョ》ひゃふっ、ぷふっ……ひゃ、ひゃふ……ゲハッ! ガハァッ!』

「はーいはいはい、美鳩ー? 戻ってきたポテトにひっきりなしにカリカリ豆食わせない」

「犬を飼ってたら一度はやると思うよ?」

「たくさん食べる、うぬが好き」

「自主的に食わせてやれ……。おーいポテトー? ここに居ると酷い目見るぞ? 一緒来るかー?」

『…………?』

「おおもういい、首傾げるのはいいから。強く生きろよ……いやマジで」

 

 大丈夫、なんの心配もありませんよ。

 過去に犬と猫を飼った経験のあるプロボッチャーの八幡さんは、この程度で泣いたりなどしないのです。

 代わりにテーブル上の簡易ベッドで寝ているヒキタニくんを撫でて、心癒された。

 癒されたならばもはや振り返らない。

 階段を登り、寝室へと戻ると、そこですいよすいよと寝ている結衣を……愛でることにした。

 いや、エロォスな意味じゃなくてな?

 こう、きしりとベッドに座って、安心しきって寝ている結衣の頭をソッと膝枕して、もうめっちゃやさしく……撫でまくる。

 ポイントは呼吸に合わせるように行動すること。

 大前提として、ステルスすると一発で目を開けます。

 俺の気配がないのに自分に触れるなにかがあると、ほんと一発で目覚めます。

 なのでむしろ自分という存在感全開で愛でまくる。

 というわけで存分になでなで。

 心底安心しているのか、起きる様子もなく……むしろくすぐったそうにむにゃむにゃ言いつつ微笑んでいる。

 おーよしよし、(かわ)いいこ(かわ)いいこ~♪

 

(ふむ)

 

 こうしてちょこんと胡坐の上に妻の頭を乗せ、枕にしてもらっていると、なんだか役に立ててる感が地味に湧いてくる。

 せっかくなので軽く肩を揉んだり、ツボマッサージを痛くない程度に……

 

「ん、ん……んぅ……んーん……」

 

 で、ここで脱力~……

 

「ん………………ふ、んー…………すぅ、すぅ……」

 

 で、血流がよくなったあたりでやさし~く耳たぶを揉んで、顎の輪郭に沿って触れるか触れないかの低い刺激でマッサージ。

 どうしても勝手に力が入る場所まで脱力させてやると、結衣の体が少しずつ汗ばんでくる。

 風邪を引かん程度にエアコンの設定温度を微調整、と。

 で、あとは……《はぷり》……OH。

 

「………」

「……ん、ふぅ……ん、んくっ……」

 

 人差し指がはぷりと銜えられた。

 しかもなんかちうちうと吸われてる。

 あ、そういやさっきチューベット食った時、指についてから洗ってなかった。

 あ、こらよしなさい結衣! マッサージのためにいろいろ触ったから、多くなくても埃とかついてるかもでしょ!

 やめなさいこらっ! やめっ……ちょ、離して!?

 と、右の人差し指に吸い付いた彼女の口に、左の指を近づけた途端、今度は左人差し指が銜えられた。

 

「………」

 

 これは、あれだろうか。なにかを犠牲にしなくちゃなにかが逃げられない、トラップかなんかなんだろうか。

 お、おう……あれな? 昔の少年漫画とかであった、罠に嵌まった主人公を仲間が助けて飲み込まれちゃう的な……!

 アイスキャンディーかチューベットでもあればどうにか出来たんだろうが……!

 

「…………えーと」

 

 あの。たとえば、それはええと。指以外のものでもよろしいのでしょうか。

 はいここでエロいこと考えた人死刑。

 

(いえ健全ですよ? こんなことは日常茶飯事。そう、愛を確かめ合う夫婦ならばこれくらいは)

 

 ということでキス。

 体勢を変えて、指の代わりにそのー……舌を。

 そしたらはぷりと舌が吸われて、なんの負けるものかと俺も結衣の舌を探り当てると、ぞるぞるとなぞるように舐めあげて───

 ぴりっとした刺激と感覚に頭の中がモヤに覆われたかのように、なんだか思考が鈍っていって、やがて目の前の好きで大事で愛している人のことしか考えられなくなり───

 

  ……そのキスは、結衣が舌からの刺激と幸福とで、何処とは言わないけど登り詰め、体全体を襲う甘くて強い痺れと熱さによって目覚めるまで続きました。

 

 え? それから?

 …………ケ、KENZENデシタヨ?

 けけけ健全だったとも!

 ただまあそのー……熱くなっちゃったから、とても力強く頭を胸に抱き締められたとか、その後にめっちゃ顔にキスされまくったとか、行き場のない情熱を持て余すかのようにとにかく強くきつく抱き締められて、ぐりぐりと胸板に顔をすりつけてきたりとか、散々うーうー言ったあとに、真っ赤な顔で「ばか……はちまんのばか……!」と涙目で言われてしまったとか……うん。

 いえまあそのー……宅のお嫁さん、俺以外が自分の中に侵入することをとてもとてもとてもとても嫌っておりまして。

 ですからなんといいますかそのー……届かざる左の護剣(マンゴーシュ)とか大嫌い。あ、あのジュニアが装着する薄いやつのことです。ローデリア王国の護剣術は関係ありません。

 で、ですからえっと、そういう周期はつまり、体が熱くなろうとも我慢するしかないわけでしてそのー……。

 

「ええっとその……あの……」

「うー……! ふ、ふっ……ふぅっ……! うー……!!」

 

 涙を滲ませて、俺の胸に顔をうずめたまま、じろりと俺を睨みつけてくる。

 ああうんほんとすんません。

 なんか今ヘタなごめんなさいとか逆効果だよな、謝るくらいなら熱くさせるなって話で。

 じゃっ……じゃああれなっ!? むしろ今それ言うかーっ! って感じの冗談でシラケさせるとか、むしろそれで場を冷たくして冷静に───!

 あれ? これ結構いい案じゃなかろうか。

 ……そうな。

 じゃあ───

 

「なんだったらそのー……3人目、いってみるか?」

 

 言ってみた。

 そんな軽い調子で言うようなことじゃないでしょー、ってツッコミがくると確信して。

 ───しかし俺は女性の感情というものを、まだ完璧に把握していなかったのだ。

 結衣の気持ちなら最早完璧と自負していたつもりであったが、“こんな時の結衣”のことまで把握出来ているはずもなく。

 

「……ほんと?」

 

 返されて、“え?”なんて返すより先に───そう。悪ふざけモードから自分を解放するより先に確認を求められてしまい───

 

「おう」

 

 返してしまいました。

 

 

  次の瞬間───

 

 

  ───寝室は、愛の空間と化したのです……

 

 

……。

 

 絆や美鳩が産まれてから、実に十数年ぶりの子を作るための本気行為。

 それは溺れるくらいの愛をもって開始され、事実溺れ、どろどろに溶け合い、娘達が産まれてからも続けていた営みよりなお深く深く重ねられ……続いた。

 やがて互いの絶頂による痺れまでもが二人を繋げているような気分にまでなり、俺達は間違い無く深い愛と繋がりを感じながら……カーテンの隙間から漏れる朝日に目を細めることで、終わりを迎えた。

 体ががくがくで上手く力が込められず、立ち上がるのでさえやっとな二人のまま笑い合い、ちゅ、ちゅ、と何度もキスをしながらゆっくりと回復を待つ。

 回復、といってもジュニアはさすがにもうぐったりと動くこともなく、足などが多少まともに動くようになってからは寝巻きを着直し、二人で浴室へ向かった。

 二人でシャワーを浴びて、上がって、拭いて、着替えて。

 そして───

 

「「…………仕事、休みたい……」」

 

 盛大に疲れ果てた身体で、今日も今日とて仕事の時間までを仕込みで潰すのだった。

 いや、ほらその、な? いたし続けて疲れたので休みますとか最低すぎるだろ。

 なので疲れていようと寝不足だろうと開店は揺るがないのだ。

 と、二人で額をごつんとくっつけ合って、仕方ないよね、仕方ねぇなぁってくすくす笑っている中、コチャリと開いた奉仕部横の仮眠室からゴゾォと出てくる双子姉妹&ポテト。

 その表情は明らかに貫徹のものであり……あれからずぅっと、アニメを見ていたことが簡単に想像できた。

 

「……あー……その。だいじょぶか? 仕事、出来そうか?」

「ね……」

「ね?」

「眠いです……パパ、絆は、絆は……もう、眠くて……」

「……んんん……パパ……んー……パパ、パパー……ぱー…………」

 

 あ、うん。だめだこれ、ダメだな、うん。駄目。

 

「お……こりゃだめだな、ムリそうだな、娘がこの調子じゃ開店とか無理だわ、もうこうなったらどうしようもないわ、努力と根性と腹筋で取り戻せるもんじゃねぇわ」

 

 よし閉店。

 今日は休みにしよう。

 サワヤカに微笑んで、俺は───……臨時休業のPOPでも作ろうとしていたところを雪ノ下に止められ、とてもありがたい説教ののち、ふらふらしながら仕事を始めたのでした。

 

……。

 

 で……そんな日々が大体二週間かそこらは続いた頃。

 夜も順調、今度はきちんと睡眠も取っての営みは続き───本日もさあ仕事だというある日の朝。

 

「………」

 

 一歩を踏み出そうとした時、服をきゅっと掴まれる。

 誰? と振り向いてみれば、顔真っ赤にして俯いたお嫁さん。

 ハテ、何用だろう。もしやただのスキンシップ? 最近毎日深く愛し合ってるから、急に離れるのが寂しいとか───それ俺か。

 じゃあ? ……ああいやともかく。ここからの上目遣いコンボで毎回やられるヒッキーだけど、毎回やられてりゃ耐性もつくってもんです。

 さあ、どこからでもかかってきなさい、などとターちゃんやるより先に、やっぱり話し合いとか時間を作るため、やはり臨時休業のPOPとか作っちゃいたいんだけど……え? あの、どったの?

 

「あ、の……さ、はちまん」

 

 ふるりっ……と震えるように肩と言わず体を小さく弾かせ、彼女は上目遣いをすることもなく……俯いたまま、言った。

 

「なんか……なんか、ね? ……あの……たぶん、きちゃったかも、っていうか……」

「へ? 来たって……なにが?」

 

 ザッパ? ザッパなの? ちょんまげの方が好きだったりするの? あ、それとも聖徳太子? あの憲法の達人の。

 はたまたチャンスにカツラを脱ぐタイプの……いや、むしろ課長がハイレグなあの!? おのれ鍋奉行がぁあぁ!

 つまりそれはカタパルトってことでその原因が中身がロボじゃないことに関係しててつまりはっ……そのっ………………ごめん、俺前座だから。よし! なにひとつわからない!

 落ち着こう。

 来ちゃったかも、というのはええっと。あのー……。

 

「あぁその、すまん。……そういうの、わかるもんなのか? ぁぃゃっ……! 俺が想像してたものとは違うってんならそれはそれでいいっつーか……」

「ううん……あってる、よ……? たぶん……えと、うん……そーゆーこと……で」

「お、おぉお、おおぉ……おう……」

「………」

「………」

「………~」

「《ぎうー》いたいたたいたいたいたい……! な、なんだっ? どうしたっ?」

 

 今度は服じゃなくて脇腹抓られた。

 どしたのちょっと、今の俺いろいろと混乱してるから、普段ならお前の全てにおいてプロフェッショナルなつもりでも、現在はランクが大分下がっちゃってましてネ?

 

「だって……えと……で、」

「で?」

「でか、し…………~……!」

「いや、だってな……! 絆と美鳩の時に調べたんだが、そういうのって少なくとも7日~15日くらいはかかるって、なんかに書いてあった気がするぞ? そんな、馬鹿正直に二週間かそこらでだな───」

「そ、それはあたしだって知ってるよ!? てか八幡より知ってるってば! ででででもっ! でも……なんか、わかっちゃったっていうか……丁度二週間だし、なんか……ほら、その。体の中の大事なもの、なにもしてないのに減っていってる気分っていうか……ね?」

「───」

 

 わあ。

 それはつまり……え? マジって……ことですか?

 自分の中の栄養、子供に流れていってるとか、そういう……こと?

 

「…………」

「《きゅむっ》わぷっ」

「……気持ち悪さとか、だるさは?」

「ぇ、あの……いまのとこ……ない、かな」

「吐き気もない? ほんとか?」

「う、うん。だいじょぶ」

「そか。じゃあ───」

 

 ぎゅう、と抱き締めて、少し屈んで。

 その耳に、優しく小さく、でかしたを届けた。

 

「あぅう……~……!」

「葉山んとこと同じくらいになるかもな。……あ、まだ他のやつには……?」

「あ、うん。一番は八幡にって思ってたから」

「……おう、大丈夫だ。産むななんて言わねーよ。あぁ、まあ、けどな……今度もママさんやママのんが手伝ってくれるとは限らんから、いろいろ忙しくなるとは思うが……相談はしような。じゃなきゃ怒られそうだ」

「あはは……だね」

 

 さてさて、かつての部長サマと後輩はどう反応するのか。

 お義母さんとかママのんは、なんとなくだけどめっちゃ喜びそうな気がする。

 親父とお袋は…………報せなくていいか。やかましそうだし。

 

「……八幡。お義父さんとお義母さんに、報告ね?」

「………」

「……ね?」

 

 やだ……! 俺の行動パターン、ほんとわかってらっしゃる……!

 こうなったらもうどうしようもない。これで知らんフリとか結衣への嘘行為である。

 仕方もなしに「おう」と返し、俺は自分の嫁さんを思う存分抱き締めた。

 と、そこへ、いつもの如く我も我もと娘が順番待ちをするかのように並ぶのだが。

 

「……ぬう!? なにやらいつもと雰囲気が違うような……!? パパ、ママになにかあった……!? もしや緊急事態!?」

「いやおい、由比ヶ浜家の血ってそういうところに鋭いなにかとか備わってんの? なんでわかんのちょっと」

「むふーん! なにせこの絆は皆様の絆であるが故、ママ以上に空気に敏感だといいなぁと日々思っておるのです!」

「思ってるだけなのか……」

「でも気になる。パパ、ママになにかあった? ママの雰囲気がいつもと違う。お報せがあったりする? 悪い方向ならすぐ対処、良い方向なら超ジャスティス」

 

 超ジャスティスってなんだ。え? 正義が正義を超越しちゃってるの? それって正義なの?

 

「いや、あのー……ほら、な?」

「服いらないと思って捨てた!?」

「言葉回しが似てるからってそっちで考えるなアホ。言うから、言うからちと待ってくれ」

「Sì、纏める時間は大事」

 

 ……知らんかった。

 とうに16を過ぎた娘に、弟か妹が出来るかもしれないぞー、とか言うのってめっちゃ勇気要るのな……!

 いやこれっ……ど、どどどどう言ったもんか……!

 え、だって同じ屋根の下で生活しとんのよ?

 つい二週間前から、梅よろしとかチューベットのことで夜な夜なガヤガヤとやりとりしててさ? 実はその夜から結ばれてましたのオホホとか……。

 あ、だめ、これめっちゃ恥ずかしい。

 言った途端に親としての何かが消滅しそう。

 でもどの道わかっちゃうわけだし、世に言う“ほうれんそう”は後回しにするとろくなことにならないと、ぼっち時代の経験で思い知っている。それを抜きにしたって、結衣との将来のためにって必死で働くようになってからは余計である。

 つまりはそのー……逃げ道など最初からなかったんや……。

 

「絆、美鳩。とても大切な話がある」

「拝聴いたします《カッ》」

「一言一句逃さない《カッ》」

 

 抱き締めたままの結衣を解放して、真っ直ぐに、真面目な顔で娘たちを見ながら一言告げると、娘達は姿勢を正して踵をカッと揃えると、そう言った。

 ……なんなのこの行動の早さ。

 俺が結衣を離して話すことがそんなに珍しいか。……やべぇ珍しいわ。

 

  ともあれ。

 

  そうして俺は───

 

  この二人に、どういう状況なのかを───

 

  語ったのです。

 

 すると

 

「ヒィイイイイヤッホォオオオオオオオウッ!!」

「う、宴……! これは宴しかない……! 美鳩に妹が……! 妹か弟が出来る……ついに……! なんたるジャスティス……! 轟然たる我がジャスティスの胎動……!!」

 

 お前は母親が身籠るとブラッディカリスでもぶっ放すのか。

 ああいや、そんなことは今はいい。いいのだ。

 ……どうするかね、この状況。

 と、結衣を抱き締め直しつつ考えていると、雪ノ下が登場。

 ヒャッホウと騒いでいる絆と、おろおろとしながらも喜びを隠しもしない美鳩とをじっくり見たのち、

 

「うるさいわよ比企谷くん。開店前とはいえ、お店の中なのだから静かにしてちょうだい」

「いやお前状況しっかり確認した上で、なんで俺に真っ先にうるさい言うの」

 

 俺に対してのみ大変失礼だった部長さんは、今でも度々辛辣であった。

 と、ツッコミを届けるその視界の先から、一色もやってきた。

 

「今日も賑やかだねー、きーちゃん、みーちゃん」

「さ、最高……さ?」

「最高に……ジャスティス!」

 

 最高らしい。てかなんなの絆、その最高加減。なんで疑問系?

 

「いや、すまん。実際きちんとした確信が持ててるわけでもなくてな。言っていいもんかって悩んだものの、とりあえず娘にはってな」

「……そう。つまりお店の用事というよりは、家族間での話というわけね?」

「いや、まあ……そう、っちゃそうなんだが……店のことでもあるっつーか」

「煮え切りませんね。なんなんですか? 先輩がもごもごしている時って案外どうでもいいことが多いんですから、ズバッと吐いちゃってくださいよ」

「お前ほんと俺に対して容赦ねぇな……。あー、じゃあ言うぞ? そんなことをこんなに簡単に、とか言っても一色の所為ってことで」

「えっ!? なんですかそれずるいです! もごもごしてたのは先輩じゃないですかー! それって先輩の優柔不断をつついたら勝手にこっちの責任にされるようなものですよ信じらんないですサイテーです!」

「えぇっとだな、雪ノ下、一色」

「ええ」

「むー……なんですか、先輩」

「……結衣が、身籠った。三人目。俺の、子供」

「───」

「───」

 

 とりあえず結衣の手をとり俺の耳へ。

 俺は結衣の耳をきゅむと塞ぐ。

 

「なっ……!?」

「えぇええええええっ!?」

 

 雪ノ下が叫ぶとは思えなかったので、主に一色対策。

 塞いだ分だけ防音は出来たが、いやほんと想像に漏れないなこいつ。

 

「さささ三人目って! いつですかいつ仕込んだんですかていうか最近夜中おき出してマッカンシャーベットとかシャリシャリしてたのにいつの間にですかまさかあれ行為の中の休憩だったんですか談話しちゃったわたしの平穏返して下さいサイテーです!」

「お前ほんと演説者向きだって思うわ……よく噛まずに言えるなおい」

「ひっ……こほん。比企谷くん、由比ヶ浜さん。それはその……本当、なのかしら」

「いや、俺もさっき結衣に言われたばっかで、正直頭の中がぽやぽやしててな……」

「あなたのそれは、いつだってゆいがは───結衣さんを抱き締めているからでしょう。大事な話の時くらい離れなさい」

「……そんな四六時中抱き締めてるわけじゃ」

「どの口が言うのよ」

「どの口が言うんですか」

「………………なんかすまん」

 

 仕方なしに離すと、即座に結衣は二人に連れ攫われ、仮眠室へGOした。

 俺はといえば……店のカウンターにて準備をしながら、未だに大燥ぎの娘二人を眺めつつ、苦笑。

 ……親とか義理の家族たちへの連絡は、きちんと確認取れてからで……いいよな?

 ぬか喜びになるかもしれんし。

 ああいや、その。出来るまで、やることやるつもりではあるんだが。

 

「パパ! 絆は考えました! どんな名前にするのかを!」

「パパ! 美鳩は考えた……! どんな名前にするのかを……!」

「ポテトにつけたようなあだ名をつけたら娘といえど覚悟しろ」

「パパ怖いよ!? くぅ……! これは子供が産まれる前に、パパ成分をたくさん摂取しないと嫉妬の戦士にクラスチェンジしてしまいそうだ……!」

「Sì……パパをママ以外に独占されてしまったら、この美鳩とてまだ見ぬキョーダイに嫉妬してしまいそう……!」

 

 いや……そりゃまあ……なぁ。

 確かに産まれてくるのが娘だと、デレデレになる可能性が……なぁ。

 そして息子であった場合は嫉妬に狂いそうな予感が……。

 

「絆」

「ラーサー!」

「美鳩」

「ラーサー……!」

「…………遊ぶか」

「「Wenn es meines Vaters Wille!!」」

「お前らほんと自由だよな……」

 

 でもいい。遊ぼう娘達よ。準備、しながらな。

 こいつらの言う通り、産まれるのが娘であれ息子であれ、こいつらを時折寂しくさせる時は絶対にあるだろう。

 ならばこいつら言うところの成分? とやらは、補給しておいて損はない。

 ほら、俺もあれだし? 結衣が子供にかかりっきりになったらモヤモヤするだろうし?

 なのでとりあえず歌った。

 恥ずかしさなど置き去りにして、童心を取り戻す勢いで、準備をしつつ、かつふざけながら。

 のちに雪ノ下が額に手を当てながら溜め息を吐くなんて状況になったり、一色に「先輩……三人の親になるっていうのに……」とか呆れられてもまだ、俺は子供にやさしいパパであろうと努力を惜しまぬ決意をここに。

 

  あ、ちなみに。

 

  はる姉ぇにはあっさりと雪ノ下から連絡が行って、その日の午前中だってのにものすげぇ速さでママのんとともに来訪しました。

 

 ママのん経由でママさんにも連絡が行き、めぐりん先輩には一色から。

 そんな感じで俺が報告するまでもなく家族ネットワークは広まり、開店した喫茶ぬるま湯は昼の部で終了。

 こうまで臨時休業が多い店って、きっと他にない。

 それでも客が多いってんだから、ほんとお客様には感謝です。

 ただし結衣に色目を使う野郎は除く。

 

  で。

 

 ただ今現在、ぬるま湯の店側の席はぎっしりと知り合いで埋まり、口々におめでとうを届けられるわけだが。

 

「葉山……なにお前、暇なの?」

「雇い主がここに来いって言うんだから仕方ないだろ……! 俺だってなにがなんだかって気持ちだったよ……!」

「いや……そういやそうか、なんかすまん」

「ていうかその。君、まだそういう……その、夜の行為、してたんだな。ほら、俺達にはいろいろ事情があって遅れたのはあったけど……」

「普段から、まあ、な。さすがに危険な時には我慢するんだが、お前と三浦のこともあって、ほら、その…………三人目、どうだ? ってことに……なって、な」

「そ、そうか。けど、助かるよ。言っちゃなんだけど、こっちも子供がって時に知り合いのところにもってなると、優美子も安心出来るだろうし……子供にも友達が出来るかもしれない」

「俺は逆に心配だけどな。絆と美鳩がコミュ力発揮するタイプとなると、次の子供がぼっちになる可能性とか……」

「怖いこと言うなよ……そういうのは経験者が引っ張ってあげなきゃだろ」

「あほ、ぼっちに引っ張るもなにもねぇよ。ぼっち相手に一番有効なのは、引きこもってる場所まで自分から行って、問答無用で一緒になってやることだ」

 

 経験者は語ります。

 いやほんと……自分で行くって決めた女子って強いからね?

 ぼっちの理論なんていろいろ崩されちゃうから。

 

「ま、なんにせよ安心してそーでよかったんじゃねぇの? お前の奥さん」

「……あぁ。優美子、嬉しそうだ」

 

 飲み物を注文してカウンターに座る葉山は、後ろを軽く振り返った自分の肩越しに、結衣と楽しそうに笑う自分の奥さんを見た。

 俺も楽しそうに笑う結衣を見てほっこり。

 

「……ほれ、マッカン」

「……ああ」

 

 葉山が注文したのはマッカンとブラックだ。

 いつもの、とは言わないが、俺はブラックを、葉山はマッカンを手に、軽くカップを合わせ、冷たいそれを一気に飲んだ。

 

「うげぇっ……苦ぇ……!」

「う、っぐ……! 甘っ……!!」

 

 いい加減慣れろと言いたいが、それはおそらくお互いにだ。

 けどまあ……それも、これをやるたびのいつものことだ。

 

「俺は君が嫌いだ」

「こっちの台詞だ、馬鹿野郎」

 

 “これからもよろしく”を言い換えたような気安さで、俺達は笑う。

 これから起きることなんてわかる筈もないんだが、まあそんなことはいつだって言えること。

 起きるなにかに備えることは出来るんだから、俺達は今までの経験を糧に、それらに備えて……余裕の時は、こうやって笑っていよう。

 

「で? お前はどっちが産まれると思う?」

「娘……かな。なんとなく。そっちが男の子だった場合、恋人になったりするんだろうか」

「娘が可愛いと、今笑顔で言ってる言葉を後悔する日が絶対くるぞ」

「それって、娘はやらんぞ、みたいなやつか? はは、いいな。君の息子相手ならそういうのもやってみたい。逆にきみのところの子が娘だったら───」

「娘がきちんと惚れない限り、絶対にやらん。絶対にだ」

「はっ……くっ……はははは……! あ、ああ、お前なら絶対にそう言うと思ってた」

「はあ……そーかい」

「ははははは……はぁ、ほら、奥さん呼んでるぞ? 行ってあげなくていいのか?」

「あんまりからかうつもりなら、また双子けしかけるぞお前……」

「やめてくれ、二人には悪いけど嫌な予感しかない」

 

 もう、意識して目を腐らせることもない。

 今はただ、喜びと楽しさばかりを胸に、ゆっくりと幸せな日々を噛み締めていよう。

 

「ヒッキー!」

「おー。……呼び方戻ってるぞー」

 

 こんな、眩しくて温かい、ぬるま湯の中で。



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我が人生の愛

ハロウィンの時に書いてそのまま忘れてたものが発掘されました。
なんでいまさら……。時は遡る。5ヶ月半くらい。


 ハロウィン。

 10月31日に行なわれる、元々は秋の収穫に伴い、祝うとともに悪霊を追い出すためのものであったが、今は何故か悪霊ではなくかぼちゃのお化けにお菓子を渡すイベントと化している。

 何故収穫したかぼちゃに菓子をあげる、なんてものとなったのかはまあ各自で調べて欲しい。俺、千葉以外のことは正直どうでもいいアレなアレだから。

 ともかくだ。

 今日は10月31日。

 1日限定メニューとして、かぼちゃを使った料理やケーキ、ドリンクなどが販売されている。

 あと川崎から提供されたパンプキンドレスが可愛い。

 詳しく言うなら俺の嫁さん超可愛い。

 

 

    ×   ×   ×

 

 

 今朝も早よから仕込みと開店準備。

 毎年ながらの限定メニューでキリキリ働き、手が空けばここぞとばかりに嫁を眺めてほっこりする店主がおる。俺である。

 

「なんというか、川崎も毎年どんどんと手が込んでいってるよな……」

 

 独り言が多いのは兄さんが満たされてるからだよ。ええ満たされてます。

 そんな風にして和んでいると、時間が来たのか絆と美鳩がパンプキンヘッドを装着、前まで覆えるほどの大きなマントを着込みながら現れる。ちなみにこの間、ウェイトレスは結衣だけである。

 ここで美鳩かぼちゃが収穫の祝いとしてお客にお菓子を振る舞い、絆かぼちゃがお菓子くれなきゃいたずらしちゃうぞー、的なながれをするささやかなイベントモドキだ。

 さて、ではここで絆がトリックオアトリート、お菓子くれなきゃいたずらしちゃうぞ、と───

 

『───菓子などいらぬ!!』

 

 ……いたずらしたいだけの傍迷惑なかぼちゃが現れた。

 お前はお師さんの死に涙するサウザー様か。要らないのは愛だけにしろ愛だけに。

 ともあれ、そう叫んだ絆は親と一緒に来ていた子供にちょっかいをかけては、きゃっきゃと喜ばれて大好評だった。

 

「あれ、いいのかしら」

「知らん。ほんとあいつ、妙なところでアドリブに強いからなぁ」

「……美鳩さんと戦い始めたわね」

「収穫を祝う日にヒーローショーやってどうすんだよ……」

 

 そして結衣に怒られ、正座するかぼちゃ二体。一部のお客さんが爆笑している。

 しかしそれでめげないのが宅のかぼちゃもとい娘なわけで。

 そういう不屈な精神は、きっと結衣から受け継ぎ、小町や一色に鍛えられてきたんだろう

 「いたずらするにしても迷惑にならないことをしなさい! もう!」と結衣に怒られた二人は、ならばと歌を歌う準備を始めた。

 なるほど、歌なら───

 

『……ある日、バキを見ていたら、楽しみにしていたビスケット・オリバ氏の“オー、ブルーマウンテン”が“ムッ! ブルーマウンテン……!”でした……。聞いてください、“a moure La vie”』

 

 絆がそう切り出してから数秒後。

 すぅっ───と美鳩が息を吸い、声を発する。

 

amour de la vie.(アムール ドゥ ラヴィー)

 

 朝には発声練習とばかりによく歌う娘たちが歌いだした。

 あまり聞き覚えのない始まりだが……ハテ?

 

『たとえ小さく~ても~♪』

 

 美鳩の声に続き、絆が歌う。

 海外で暮らしていたこともあってか、やっぱり美鳩の外国語の発音は綺麗なもんだ。

 

『たとえ~、馬鹿げて~い~てもォ~~夢ぇ~を~この~手~に、掴んだとぉ~きは~♪』

『『けし~て~、離~しはしな~~~い……♪』』

 

 ……あ、これアレか。

 思い出したけど、なんだってこれなんだ?

 

『帰る家さえ~、見~当~た~ら~ず~……』

『ただ一人立ち~~尽~くす~~~~……』

『『だけど誰かが私を何処かで今も待ってる♪ 苦しみを~解き放つ~ため~~~~~~~♪』』

人生(ラヴィ)ィィィィ~~~~~!!

人生(ラヴィ)ィィィィィィ~~~!!

人生(ラヴィ)ィィィィ~~~~~~ッッッ!!

『『人生(ラヴィ)イイィィィィ~~~~!!』』

 

 …………うん。あれ、アニメ版バキのドリアンの歌だ。

 漫画だとo toi la vie(オウ トワ ラ ヴィ)だったけど、アニメだと謎の人生の歌になってたアレ。

 そういえば最近、懐かしのアニメ特集とかで、スマイル動画でバキ無料放送とかやってたっけ。

 ……そしてなんだか微妙な空気になる店内。そりゃいきなり人生を歌われても。

 てかもっと知られてる歌にしなさい、あれバキ見てなきゃ誰もわからんだろ。

 

『シンとした空気……黙り込む人々……。ハハ、いたずらは成功ですね』

『Sì。というわけで一層の悪戯を』

『食べちゃうぞ小僧~~~っ!! ボバーーーーッ!!』

 

 絆がぽかんとしている子供を強襲!!

 しかしその男の子の前に女の子が立ち塞がり、なんとお菓子を差し出してくる。

 

「か、かぼちゃさん、お菓子あげるから、大樹のこと、みのがして……?」

『ぬふっく!? か、菓子……だと……!?』

『Nn……このジャック・オー・ランタンが菓子を貰うといたずら出来ぬと知ってのこの行動……!』

『いいだろう! ……小娘……貴様の弟を思う姿に免じて、このジャック、うぬらを見逃そう……!』

「え……あの、お菓子───」

『fufu……二人で食うがよい。生憎とこのジャック、今は腹がいっぱいなのでな……』

「あ、ありがとうじゃっくさん!」

 

 おい……なんか無差別に悪戯する最低かぼちゃ野郎が、なんか言い話で〆ようとしてるぞ、あれほんといいのか?

 

『そして急に腹が減ったのでそこの小僧! 貴様のお菓子をもらう! 寄越さぬならば、いたずらあるのみ!』

「や、やだよ! かぼちゃさん、さっき菓子などいらぬっていってたもん!」

『ぬうううし!?』

 

 そして子供に図星を突かれてすこぶる驚愕する娘がおった。

 はっはっは、なにやってんだろうなぁ宅の娘は。

 なんかああいうところを見ると、結衣の娘だなぁとほっこりしてしまう俺はいよいよもってやばいと思う。

 そんな娘たちは、「ならば菓子地獄の刑にしてくれる!」「たくさん食べてお腹いっぱいになって苦しむといい……! ただしお残ししたらいたずらする……!」と、子供に菓子をこれでもかと押し付けていた。

 そうなると、もっと菓子がもらえると期待して、店に居る子供全員が一斉に二人のもとへと集結し、ジャックさんが「ぬわーーーっ!」と叫んだ辺りで、俺は視線を結衣へと戻した。

 

「そういやな」

「ええ」

 

 なのに話しかけるのは、隣で絆たちを見守る雪ノ下である。

 

「いつかお前を助けるって話」

「よく覚えているものね」

「……まあ。で、だけどな。今のお前はその……なに? ……救われてんのか?」

「笑わない日がない、とだけ言わせてもらうわ」

「それって絶対苦笑も混じってるだろ」

「そうでもないわよ。5割があなたへの失笑だもの」

「それ笑うってカテゴリでいいの? ねぇいいの?」

「ふふっ……ええ、人をからかえる余裕も随分出来たのだもの。言葉にするくらい、問題ではないでしょう? さ、注文の料理が出来たから、結衣さんと届けてもらえるかしら。今のところ、コーヒーの注文はないでしょう?」

「かぼちゃシリーズって紅茶セットばっかで来るからな……おう、任せとけ」

「ええ、子供は燥いでいるのだから、大人には大人の娯楽で対応しなさい。まあ、あなたに話術を求めるつもりはないけれど」

「お前ほんと、俺に対して容赦ないね。まあ、行くけど」

 

 日々平穏。

 ぎゃいぎゃい騒ぐ娘たちをよそに、俺は結衣を促してかぼちゃシリーズを手に客席へ。

 一人で行けよとか言わないで欲しい。シリーズ全部よこせって言う客がたまに居ると、量が多いんだよ。

 娘達? かぼちゃイベントで大忙しだ。

 

「この調子で毎度毎度イベント毎に騒いでて、静けさとか癒しを求めてクラシックな喫茶店を期待した新規さんが離れやしないかって、俺は不安でしょうがないよ」

「んー……ねぇヒッキー? それってさ、客ひとりひとりに合わせてあたしたちに変われって言ってるのと変わんないよ? ヒッキー出来る?」

「俺ほどの人間になると余裕だな。なにせ結衣とその他で圧倒的な差別が出来る人格者としてご近所でも有名だ」

「差別と対応の変化は違うと思うよ!?」

「なにお前。俺に来る人来る人口説けっての? 俺逆に結衣がそういうことしたら嫉妬に狂って客にズビリッパコーヒーする自信あるわ」

「ずび……?」

「熱々のコーヒーを対象にぶちまける奥義だ。地球にやってきた宇宙人に対して一人の男が使用していた奥義だな」

「そ、それは絶対だめだけど、とにかくだめ。口説くのもダメだし、嫉妬はほらそのえとー……う、嬉しいかもだけど、お客さんにそういうこととかだめ。うん、だめだから。てか宇宙人にコーヒーって、なんの話!?」

「ハイパーなレストランの話だ。ほいお待たせ、かぼちゃセットだ」

「うむんぬ! ご苦労である八幡よ!」

「あはは、相変わらず賑やかだねここは。こんにちは、八幡、由比ヶ浜さん」

「うんっ、さいちゃんも元気そうだねっ」

「おう戸塚、今日も材木座の担当か?」

「うん。そろそろ新しいお話を~って話になって」

「……お前さ、きっちり一本終わらせてから新規で書かないと絶対にエタるぞ……?」

「ぶひっ!? い、いや大丈夫だ八幡……! 我とて無策で書いているわけではなぁーい! きちんとプロットも完成し、戸塚氏に見てもらっているところだ!」

「うん、全部ボツだね」

「ぶひぃっ!?」

「ねぇ材木座くん、ヒットした作品の流れにあやかりたいのはわかるけど、これだと同じ話にしか出来ないよ? 新しいお話を作ろうって企画なんだから、方向性も変えなきゃ」

「お、おぉ、おっふ、おふぅ……!!」

 

 よっぽど自信があったのか、ボツの言葉にぷるぷると震える自称同志。

 戸塚は戸塚で、「お話自体は面白いのに……これ、前作の時に見たかったなぁ……」なんて言ってる。

 あー、あるわー。そういうのあるわー。おなじシナリオ担当のゲームとか、このドタバタをあのキャラ達で見たかったーとか思うやつ、あるわー。

 まあ、これで諦めないのが材木座なんだが。

 ダメージは受けても好きなものには相当真面目なんだよな、こいつ。だからこそ売れたんだろうが。

 好きなものには真面目…………ふむ。

 

「? ヒッキー?」

 

 惚れた弱みってすごいわ。

 俺ほんと、こいつのためなら頑張れるって心で動いてるし。

 じーっと見てくる俺を、結衣は俺の目の奥を見るように見つめて───ポッと頬を染めると、きゅむと手を繋いできた。

 あ、やばい、これ行動パターン読まれてるやつだ。これ奉仕部に下がってめっちゃキスする流れだわなにそれ最高じゃんでも友人と話した後にキスとかほんのちょっぴり罪悪感がいや初めてじゃないんだけど何度もやっちゃってるんだけども。

 ほらごらん、もはやそれを何度も見ている雪ノ下が、珍しくも左手でカウンターに頬杖をついて、右手でどうぞとばかりに奉仕部への通路をスッと促す。

 あれ? これもう許可されてる方向? いいの? 許可が出たなら遠慮しないよ? 俺も、結衣も。

 ほら、なんかもう結衣が俺の腕にきゅむと抱きついて目を潤ませて恋する乙女(戦闘体勢)に入っちゃってるし。

 止めるなら今ぞ? これより先は修羅道ゆえに。

 

「………」

「………」

 

 そして娘たち。かぼちゃ被ったまま結衣の後ろに並ばんように。

 しないから。何度も言ってるけど並んだってしないから。

 

……。

 

 秘宝。違う。悲報、キスしていたら店が終わっていた。なんだよ秘宝て。ちからのマギ?

 んで、夜の奉仕部にて全員が集まる頃、一色が溜め息付きで「最低です、先輩最低です」って言ってきた。

 

「お互いに夢中になっても、仕事だけはきっちりこなす二人だと思ってました。裏切られた気分です」

「おいちょっと待て、俺はきちんと許可を得てだな」

「得ても仕事を優先してくださいよー。頑張ってたわたしたちの後ろで、らぶらぶちゅっちゅしてたとか後になって聞かされたわたしの気持ちも考えてください」

「ええそうね。奉仕部で二人がいちゃついているから近づかないように、と伝えてからというもの、注文を間違えた上に間違えたケーキを食べていて、次の注文を忘れた一色さんの言う通りね」

「間違いって誰にでもありますよね」

 

 ものすげー掌返しだった。それでいいのか元生徒会長。

 

「でもですよ? 雪ノ下先輩だってどうしたものかしら~って言ってたじゃないですかー」

「ええ、以前から何度も議題に上がった問題だもの。結局のところ、お客様に見せない方向にするのが一番だとそう決めることにしたわ」

「……無難ですね」

「“これで”無難なのよ。解決策なんてないもの。この二人に愛し合うな好き合うななんて、通用する筈もないでしょう?」

「先輩、ものは試しなので愛し合ったり好き合ったりをやめてみてください」

「店を畳もう」

「そこまでですか!?」

「いろはママ……さすがにパパとママの幸福の時間を殺しにくるのはダメです」

「Sì、それはさすがに看過出来ない見過ごせない」

「美鳩さん、意味が被っているわ」

「重要なことなので、だよ雪乃ママ! でも……うーぬ、例えば、夫婦間の恋愛禁止令が叶ったとして、もやもやする二人はいつしか他の人に癒しを求めるように……?」

「……Nn(ンン)……NO()、パパとママに限ってそれはない」

「だね。ていうか他の誰かがパパやママに近づこうものなら!」

「この比企谷シスターズが黙っていない……!」

 

 言って、何故か席から立った二人が、壁殴り代行ポーズをムキっと決めてみせた。

 やめて、なんかもう一人が産まれたらAAが完了しそう。

 

「きーちゃん、みーちゃん、具体的には?」

「純愛以外を拒絶する我らが由比ヶ浜の血にとって、NTRなぞDIOが語るジョースターの血統以下の存在です。なのでそれ目的で近づく、またはそれが目的ではなかったのにそんな気持ちになってしまった野郎女郎どもには、思いつく限りの嫌がらせの数々を諦めるまで、執拗に、ねちっこく繰り返します」

「うわぁ……」

 

 おいやめて? うわぁとか言いつつ俺見るのやめて?

 それ違うから。俺が教えたとかじゃないから。俺基本嫌なヤツ相手は無視っつーか関わらないタイプだし、なんなら全力で相手から逃げるまである方向性の人間だから。

 嫌なヤツ相手に、嫌がらせのためとはいえ自分から近づく? そんな人との係わり合いを積極的にするわけがなかろう。比企谷八幡をおナメでないよ。逃げるよ? 逃げるだろ? はい、逃げるってことで。だって係わり合いたくないもん。

 てかDIOのジョースター家に対する印象って、便所のネズミのクソにも匹敵するくだらない物の考え方? それとも彼の運命という路上にころがる犬のクソのようにジャマなもんのこと? ……どっちもか。ひでぇ。まあ俺だってそういう輩が近づいてきたら最大級に警戒する。関わる関わらないで言うなら、どちらかというと大拒絶。

 

「ちなみに先輩は、結衣先輩に近づく輩が居たらどうします?」

「嫌われてようが、一層嫌われることになっても近寄らせねぇよ。こいつは俺が絶対守る。そこに俺への好意とかそういった感情は関係ねぇんだよ」

「うわぁ……あ、結衣先輩はどうですか?」

「うーん……あたしの場合、周りに馬鹿女だ~とか言われても、ヒッキーについていくだけだから。騙されてる~とか、あんな男と~とか言われてもさ、好きなんだもん。しょうがないよね」

「………はぁ~ぁあ……これですよ。この家族は揃ってこうなんですから。まあ、わたしもそういう人が居たら静かに動きますけどね。気づいた時にはその人の立場とかいろんなものが滅んでるかもですが」

「ええ、もちろん私も協力するわ。私はそういうものが見たくてここに居るわけではないから」

「結局そこなんですよね。はぁ。変わらないものってあるもんですよね~……」

「違うわ、一色さん。変わっているけれど、その変化が私たちに合ったものでしかない。ただそれだけのことなのよ」

「あー……それわかります。わかりますけど、もどかしいですよね」

「ふふ……ええ、もう慣れてしまったけれど」

 

 くすくす笑い合う雪ノ下と一色。

 ポージングを変えて、“ピュアピュア~~~ッ!”とか“ニャガニャガニャガ……!!”と笑う娘達。てかなんなのその笑い方。無量大数軍(ラージナンバーズ)なの? クスクス笑いをする女性二人と、肉笑い(キン肉マン系笑い)をする娘達……その間に挟まれる俺達夫婦。

 もうものすっごい微妙な空気なのに、キン肉マンネタとはわからない結衣は俺の手を握ってきて照れくさそうだけどやさしく微笑んでいた。

 で、俺もうものめっさ微妙な心境。せめて肉笑いさえなければ。

 誰だよこんな風に育てたの。俺達だ。ヘンテコな部分は主に俺と材木座だ。

 それでもそんな照れ笑いを見ていれば、不思議と周りの音が聞こえなくなってくる。

 気づけば俺と結衣は微笑みのまま顔を寄せ合って、目を閉じ、くちづけを交わし合っていた。

 

「……雪ノ下先輩。試作でビターチョコレートケーキ作ったんですけど、食べます?」

「ええ、いただくわ」

「Sì、ならば美鳩はすかさず糖質の吸収をおだやかにする飲み物を用意する」

「ならばこの絆は───リバースカードオープン! “ワイズマンの食卓”を発動!」

「……どのみち穏やかにするだけだから、あとで動かなきゃだけどね。きーちゃん、みーちゃん、ともに白髪の生えるまで」

「糖質の前に、女子とは常に同志たれ! です!」

「Sì……! けれどそれは糖質制限ダイエッターにも言えること」

「この場合、あとは野となれ山となれ、ではないかしら。……それにしても、糖質……糖質、ね。サイクリングでも始めてみようかしら。意外に消費カロリーが高いと聞いたことがあるわ」

「糖質制限しても、カロリー計算してなきゃどうしようもありませんからねー。大学時代でも居ましたよー? “私糖質制限ダイエットしてるから、お肉とか脂質とかいくら食べてもいいのー!”とか言って、カロリー無視で食べ続けて余計に太った子」

「……愚かね」

「ダイエット戦士としての戦闘力で言えば生まれたてのカカロットにも劣る愚かさですね」

「NO、絆……産まれたてで戦闘力2は地球人にしてみれば相当強い」

「おっとそうだった。でも産まれてあそこまで髪の毛ハッキリしてるって、悟空さもブロコリとやらもすごいよね。トランクスはちょっぴりある程度だったのに」

「それは純粋な野菜星人と地球人との差というもの」

「……ところでそのー……二人がいよいよディープな音を奏で始めたんですけど。え? これをBGMにケーキ食べるんですかわたしたち。移動しませんか? むしろ邪魔しちゃ悪い気がしてきました。ていうかどうしてこの二人休憩室行かないんですかなんでわたしたちが気を使わなきゃいけないんですかこれ普通逆ですよねごめんなさい無理です耐えられません」

「一色さん」

「へぁはいっ!?」

「環境音、というものよ。わかるでしょう? 夏の夜に鈴虫が鳴く。昼には蝉が。田んぼではカエルが鳴いて、朝には鳥が鳴くものよ」

「いえいえいえいえいえいえいえいえっ! 環境音って! そりゃ毎日聞いてますけど! もう環境音レベルですけど!」

「風に揺れる草の音を気にする人間は極々僅かなもの。悟るのよ一色さん。……二人の世界を築いたこの二人に、場所なんて関係ないのだもの」

「あー……だからお店でおっぱじめる前に奉仕部行け、なんですねー……」

「一種の悟りの境地」

「Sì、雪乃ママの陰りある悟りスマイルに敬礼……」

「敬礼……!」

 

 時に息継ぎをしながら、荒くなったそれを唇で覆って、お互いの呼吸を交換する。

 頭が痺れるような感覚が全身に広がって、意味もなく視界が滲み、けれどお互いだけは見失わずに愛を深めていく。

 ああ、俺こいつのことが好きだー……って頭どころか体と心が自覚するたび、相手のことがいとおしくなり、またキスをする。

 そしてより近づきたくて、やがて椅子のことさえ忘れるくらいに抱き締め合い、互いの背を引き寄せるようにしてキスを。

 

「……美味しいですね」

「ええ、とても。この脳髄を焼くような甘さがたまらないわね」

「……雪ノ下先輩、これビターチョコレートケーキなんですけど」

「美鳩美鳩」

「はい、なんですか姉さん」

「レムちぃの真似はいーから。……このケーキを愛し合う二人の口の間に挟んだらどうなるかな」

「……………………空気なんて読まない」

「やってみよう!」

「「正しいより楽しきを取る我らの手に、御身と力と栄え有り!」」

「グオッフォフォ……!! ではまずは一口サイズに切って……!」

「息継ぎのために離れて、また近づいた時が狙い目……!」

「…………!」

「…………!」

「真由子さん! 今!!」

「“LES ARTS MARTIAUX”!!」

 

 息継ぎのために離れ、また近づいた瞬間、口と口の間になにかが挟まった。

 だがそれはすぐにお互いの唾液にまみれ、口に含まれ、ほどけたために、苦さも味もすぐにお互いを欲する麻薬へと変わる。

 お互いの口の中でほぐしながら、お互いに食べさせるように舌と舌とが絡み合い、同じ味を分け合っているという事実が余計にお互いを近づけさせた。

 

「あ、あわわ……あわわわわわ……!!」

「め、めに、目に毒……! Ha fallito(失敗した)……! 迂闊に手を出すべきではなかった……!」

「な、なにやってるのきーちゃんみーちゃん! 普段からのその二人のこと見てれば、ケーキなんて与えたら口と口とで食べさせ合うってわかりきってたことでしょー!?」

「苦ければなんとかなるって思ってたのに甘く見てました! なんたること……! 娘たるこの絆の目をもってしても読みきれなんだ……!」

「音が……音がよりディープで生々しい音に……! パパ、パパッ……! 口開けてもの食べちゃだめ……! 少なくとも美鳩はそう聞いて育てられた……! だめ……! だめ……!」

「ケーキを食べるだけで、なぜこうもやかましくなってしまうのかしら……。まったく、この家族は……」

 

 口の中の苦さが互いの唾液の甘さとともに嚥下される頃、周囲の音が戻ってくる。

 そこでようやく雪ノ下たちが両手を合わせてごちそうさまを言っていることに気づき、なにか食べたのかと訊いてみると、

 

「お菓子をあげてもいたずらがあったようなものよ。気にしないでちょうだい」

 

 と返された。

 なんのこっちゃ。

 

「……今日は美鳩がコーヒーを淹れる。どんなのがいい?」

「「「濃度の高いブラックで」」」

「Ho capito」

「? じゃあ俺は───」

「先輩、ブラックですよね?」

「へ? いや俺は」

「比企谷くん。ブラックね?」

「や、だから」

「結衣先輩はどうです? ブラックですか? ブラックですか?」

「それブラックしかないよ!? あ……でも、うん。なんだか口の中がすっごい甘いし、心も甘いから……ん、美鳩、あたしもブラックで」

「Sì」

「で、先輩は?」

「………………」

 

 いやなんなの? これなんなの?

 たまに似たようなことあったけど、これっていじめ? ブラックは俺、葉山とのアレの時以外飲まないようにしてるんですけど?

 

「絆」

「ラーサー! って、え? なになにパパ」

「苦いの頼む。紅茶で」

「ホワッ!? お、おおぉお! パパから絆に紅茶の注文! 了解だよパパ! ゴールデンドロップを振り絞る勢いで最高に美味しくも苦い紅茶をプレゼンティッドバァーイ───絆!」

「……むうっ! 本来なら美鳩が頼まれていた筈なのに……!」

「悪いな、ジンクスってわけでもねぇけど、ブラックは葉山以外とは飲まないようにしてるんだよ」

「なんと!? おのれ弁護士……!」

「……今度食事にミラクルフルーツ混ぜる」

「どっから持ってくる気だばかもん」

 

 べつにうちの店、すっぱいもんとか出さんからやめろ。

 

「まあでもこれで我が家のラブラブ夫婦っぷりは今後も健在と証明されたということだよ雪乃ママ」

「Sì、近づく輩はとことんまでに甘さを知って絶望する」

「そもそも愛し合うな好き合うなが無茶な提案だったもんね」

「……目に毒という一点においては納得せざるをえない」

「……清き一票」

「絆さん、投票しなくていいわ」

 

 なんだかよくわからんがひどい言われようだということはわかった。

 仲が悪い夫婦よかよっぽどマシじゃないの、なにが不満なのちょっと。

 

「せんぱ~ぁ~ぃ~? 仲が悪いよりマシじゃねーかって顔してますけどですよ?」

「ねぇちょっと待ってそれどんな顔? それどんな見方すりゃわかんの? ねぇ」

「うるさいです。とにかくですよ? 例え話ですけど、せんぱいの両親が人目をはばからずらぶらぶいちゃいちゃちゅっちゅしてたらどうです?」

「キモい」

「うわ即答ですよこの人……。せんぱーい~……それ、自分の娘にも当て嵌めてみてくださいよー……」

「え? 自分もしてもらおうと結衣の後ろに並んでるあいつらがどうかしたか?」

「きーちゃ~ん、みーちゃ~ん♪ ……二人ともしばらくケーキ抜きね♪」

「なんで!? え、えちょ、───なんで!?」

「え、な、ぁう……ま、待ってほしい……! 美鳩は、美鳩は……!!」

 

 甘いものが好きな二人に渾身の一撃。

 でも紅茶とコーヒーを淹れ途中であるために、妥協しない二人は慌てつつも冷静に飲みものを淹れた。見事。

 そうして手渡された紅茶と、同じく渡されたコーヒーを手に、俺と結衣はケーキを巡って言い争いを始める娘と後輩と、それを眺めて苦笑をもらす雪ノ下を眺めつつ、笑った。

 隣に居る自身の幸せの象徴も楽しそうに笑って、俺の肩にぽすんと体を寄せながら、幸せそうにコーヒーを飲む。

 相当苦かったらしく顔をしかめたけど、それも笑いの種にして、幸せそうに、嬉しそうに。

 俺はそんな妻の肩を抱いて引き寄せて、紅茶を飲む。おお苦ぇ。

 そんな俺の顔を見て微笑む妻に、苦さの共有と称してキスをすると、頬を染めつつもくすぐったそうに笑う。

 賑やかさにつられて降りてきたポテトも混ぜて、今日もまた騒がしく日々を〆るのだ。

 今日も、喫茶ぬるま湯は平和です、ってな。

 ……平和だから。犬にかぼちゃヘッド被せるのやめなさい。重さで潰れてるじゃないの。

 




ドリアン海王の歌については歌詞は違うかもです。
だって歌詞知らないもの……!

あと“ム!? ブルーマウンテン……!”に関しては、当時は本当に「違う……! こんなものを聞きたかったんじゃない……!」でした。
小説のネタにするほど好きな場面だったのに……どうして……。

そんなオチャメさと怪力無双っぷりが凍傷は大好きだったんですけどね……。そんなオリバが今ではハハッ、かませ犬ですよドチクショウ。
板垣先生、やっぱり旧キャラ嫌いなのかなぁ……。


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いつか夢見たぬるい未来で

 人は順応出来る生き物……って、これ前もやったな。

 まあ、そうな、順応出来る生き物である。

 しかしそれは経験したことのある物事に対して言えることであり、そんな経験が活きない場面では案外もろいものだ。

 この場合においての……というのも、現状での俺の目の前にある事柄に対して言うことではあるが、この場合においての経験が活きること、というのは、一時にそれらの事柄が起こることを指す。

 ただでさえ面倒な物事が、想定していたソレと同時に起きた時、人間ってのは案外行動停止するもんだ。

 ただしそこに大切な何かを守るだのといった別のそのー……要因? っていうものが存在する時は、頭で考えるよりも体が動いてしまうこともある。

 あーほれ、俺の場合は結衣とか結衣とか家族とか結衣とかな。いや、結衣も家族だけど。

 つまりほれ、なんだ。

 ……さすがにこれは想定してなかった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 ゴォオオオオオオォォォォ……!!

 何故だか風が吹き荒れているような気がしないでもないこの場にて、腕を組み不適に笑う存在みっつ。

 一人が真ん中に、二人はその後方に左右一人ずつ。

 真ん中の腕を組んでふんぞり返……ってはいない、軽い俯き気味の姿勢で前を向く男が一歩ザリ……と前に出ると、

 

「もははははははは……! 益荒男どもよよくぞ参った! 本日これより始まるは動物の祭典! 汝らが求め訪れた理由どもが血気盛んに蠢く、心踊る祭りの園よ!」

 

 名を、材木座義輝といった。

 いや、なんでここに居んのお前。

 

「さあいざ益荒男よ! 己が求める獣も然り! まだ見ぬ獣を求める心も然り! この祭りの園にて存分に(うち)なる心を披露されませい! 普段では“ヤッダウッソォ~、外見や性格からは考えられな~い!”などと勝手な見解で決められ、イメージを壊したくないからと無理矢理誘われた体で来訪せし強面の者も! 好きすぎることを隠しつつも、心では常に爆発させたかったその愛も! 尽きることなく発揮して愛でるが良い! では唱えよ総員!! 魂のままに、感謝とともに叫ぶのだ!!」

「東!!」

「京……!!」

「「「「「わんにゃんショォオオオオオオオッ!!」」」」」

 

 材木座の言葉とともに、人々は叫んだ。

 ここ数年でいい加減見慣れた人も、実際に隠していたけれどそんな理解に心震えた人も、絆と美鳩の言葉から始まるもので叫ぶべきを予測し、叫んだのだ。

 ていうかなんでお前ここに居んの?

 

「ふははははは! ううむ! 此度も人の心は猛っておるわ! やはり祭りはこうでなくてはならーん!! ……同志八幡よ! うぬも壮健であるか!」

「なにいきなり話しかけてきてるわけ?」

「はぽっ!? ひどくない!? 我と貴様の仲であろう!?」

 

 いや、純粋に疑問なんだが。お前少し前に新作の小説がどうとか言ってただろうが。

 

「む、むふんむ! 実は新作の小説の内容で、どうしても動物の資料が必要でな。こうして戸塚氏と東京わんにゃんショーに来たわけだが……」

「だが?」

「とっ……戸塚氏とはぐれてしまい、こっ……こここ心細くて……!!」

「お前今何歳だよおい……」

「恐怖に年齢は関係ないであろう!? 普段からそこまで興味もないと思っていたが、過去にフレンズに心擽られ、時を経て今まさに動物のお話を書かんとしている我に対してその言い草!」

「なにお前。次回作動物ものなの?」

「あ、いや、短編で動物ものを書くことになったのだ。普段からバトル物を好んで書く者がまったく別のジャンルに挑戦する! といったイベント的なあれである」

「あー……昔ジャンプとかであった連載作家達に読み切り書かせるアレみたいなアレか」

「うむ、そのようである。この我にバトル物以外を、しかも動物ものを書かせるなどなんたる……! なので戸塚氏の休みに合わせてこうしてやってきたわけだがそのー……」

 

 見事に戸塚とはぐれてしまったと。

 まあそれはいい。わかった。わかったからいい歳こいた男が胸の前で人差し指同士をつんつん合わせるポーズはやめなさい。

 で、そんないい歳をした男を前に、挙手したのちにヴィスィーとポーズを取る娘二人。

 

「押忍! そんな時に不審者レベルでソワソワするザイモクザン先生を見つけたので確保いたした所存! ───右の絆!」

「Sì、迷子の子供以上に泣きそうだったので、ソッと寄り添い中二強度を盛り上げた所存。───左の美鳩」

「「「三人揃って! かぶろぶらぼれあぼろふともめず!!」」」

「いやわかんねーよ。三人揃って、まで揃ってたのになんでキメ台詞みんなバラバラなのちょっと」

「regretful……打ち合わせをしていなかった弊害……! 口惜しい……すこぶる口惜しい……!」

「ザイモクザン先生、ここは合わせないだよ……」

「我が悪いの!?」

「いや、どうせこいつらも合ってなかったから気にすんな。それより別行動してる戸塚が心配だな」

「はぽ? そうであるか? 我が言うのもなんだが戸塚はよっぽどしっかりしておるだろう」

「ナンパされる」

「「「一大事であるな……!!」」」

 

 言うや否や、三人は「イチ、ニ、散ッ!!」の合図で散開した。

 で、残された俺達は……

 

「相変わらず元気ね」

「仕方ありませんよ、毎年のことですし」

 

 苦笑を漏らす雪ノ下と一色に「まあ、そうな」と返しつつ、繋ぎっぱなしの手をもにもにと動かしては心癒されていた。

 ちらりと隣を見渡せば、こちらを見上げてくる視線。

 交わすそれらで“どうする? 探す?”“みんなで探したら探したで、さいちゃん迷惑かけた~とか思うと思うから”とあいコンタクトを終了させる。

 OK,俺達は俺達で楽しむ方向でGO。

 とか思ってる傍からメールが届き、『やった! 勝った! 仕留めた!』との本文を確認するに、戸塚が絆に捕獲されたらしいことを把握。

 一応合流するかを訊いてみると、『オウmこっちは大丈夫!』との返信。

 おいちょっとー? 消えてないよー? オウム消しきれてないよちょっとー?

 

「まだ諦めてなかったのか……」

「? ヒッキー?」

「絆と美鳩は別行動だと。戸塚も無事見つかったみたいだから、俺達は俺達でのんびり行くか」

「そっか。じゃあまず───」

「ペンギンですね」

 

 言おうとしたところで一色がかぶせてきた。今年はどちらになるのか、なんて考えた矢先だ、正直ありがたい。

 

「………」

「………」

 

 途端、結衣と雪ノ下がじぃっと一色を見るが、一色はどこ吹く風って態度で溜め息をとほー。“わたし、困ってます!”って感情を前面に押し出しまくった表情で返した。

 

「いえ、だって毎年毎年犬が先か猫が先かで妙な空気になるじゃないですかー。でしたらまずはペンギンを見て、見終わったあとの気分でどちらを先にするかを決めるべきですよ。むしろ必ずしも一緒に行動しなければいけないわけでもありませんし。あ、もちろん先輩は結衣先輩と一緒で全然構いませんけど」

「いや、お前な」

「え? 一緒に行かないんですか? 奇跡的に別行動ですか? 頭大丈夫ですか?」

「疑問に紛れて人の頭を疑うんじゃねぇよ。正常だから。別行動しないから」

「だったらまず人の言葉に足して反論を探すのやめてくださいよ。まったく、先輩は本当にいつまで経っても先輩なんですからー」

「お前もほんと、いつまで経っても一色だけどな……」

 

 なんですかそれ、なんて返して、そのくせ笑顔で雪ノ下を引っ張っていく一色。

 まあほんと、普通じゃ考えられないよな。高校の知り合いがひとつの会社の下で家族になるとか。

 気心知れてるって意味ではとてもありがたいケースではあるんだろうが。

 

「……行くか」

「どっちに?」

「俺らは俺らのペースで、でいーだろ。むしろ犬スペース行って、他は行かないって方向でもいいわけだし」

「………」

 

 そう言うと、結衣はにこーと笑みを浮かべて、繋いでいた手を辿るように腕を抱き、えへー、と笑った。

 妻の、緩んだ笑みから花咲くように笑顔になる過程が、どうやら俺はかなり好きらしい。

 そんなもんを至近距離で見せられれば当然照れるわけで。いい加減照れ隠しにぶっきらぼうな態度を取るわけでもないが、代わりに不意打ちでキスをした。

 ちくしょう可愛いなこの妻。キスするぞこの野郎、ではなく、キスしたぞこの野郎。

 ふひゃあっ!? なんて驚く妻の腕をこちらからも逃さないように絡めてから、ズカズカと……では照れ隠しっぽくなるので、結衣の歩調で歩き出す。

 そうすると結衣も「あぅう……不意打ちってまだ慣れない……」なんて言いながら付いてきてくれる。

 当然、俺の照れ隠しって部分も承知の上でだよちくしょう。だってちらりと見れば、顔を赤くしながらもしょうがないなぁって顔で俺を見てるんだもの。

 男ってほんとアレね、好きな女の前だと大人になりきれないっていうかほら、その、アレだよ。……気ぃ惹きたくてしょうがないんだろうな、きっと。

 それを自覚できている分まだ行動出来る方な俺は、照れて行動出来ずにただ気を惹きたくてちょっかいかけるだけ、なんて頃よりはマシなんだろう。……マシだよな?

 

   ×   ×   ×

 

 犬スペースに向かうさなか、ふと思い立ってその途中にあるオウムが居た場所に寄ってみる。

 すると───なんということでしょう。

 おかしなことを吹き込まれてから跨いだ今年。しばらくおかしなことを吹き込まれることがなかったから油断したのか、変な言葉を教えないでください看板がなかったそこにて、

 

「円の動き!」

「円の動き……!」

「ムーヴオブッ……サァークルゥウウッ!!」

 

 オウムを囲み、ぐるぐる回る娘二人と知り合い一人を発見した。

 そして早くもぶつぶつとなにか教え込んでいるやだ怖いあいつら怖い!

 さすがにヤバイと感じたので止めようとしたんだが……いやむしろ知り合いとか身内に思われるのもどうなんだってレベルでやばいんだがどうしよう。

 中学時代までの俺も、他人の目からしたらあんな感じだったんだろうか。

 ああうん、そりゃ距離取られるわ、告白されてもドン引くわー……。

 などと一人理解を深めていると、

 

「あれ? 三人とも居るのにさいちゃんが居ない……」

「ん? あ、そうだな……」

 

 言われ、探してみる。

 戸塚のことだからアレに参加することはなかったようだが、だからといってあの三人をほったらかしに別行動を取るような人間でもないことからして、と視線を動かしてみれば、設置された長椅子に座り、ソワソワしている美女もとい美戸塚を発見。

 

「……毎年思うんだけどさ。さいちゃんってほんと……」

「……産まれてくる性別、間違えてるよな……」

 

 頭の中でも間違えるほどの美女もとい美戸塚が居た。

 長い髪を後ろでひと房に結わい、誰に教わったのか女性が切るようなズボンタイプの衣服に身を包み、梅雨の時期でも暑すぎず涼しすぎない見た目のソレは、通りすがる人の目を惹きつけてやまない。

 

「お、おい見たか今の娘……!」

「見た見たー……! めっちゃ綺麗だったよねー……!」

 

 デート中のカップルも双方ともに振り向いては、褒めまくりなほどの美戸塚である。

 そんな声がこの喧噪の中でも聞こえてしまったのか、戸塚は顔を真っ赤にして俯いてしまっている。

 こういったことがさっきから続いていたのだろう、だからソワソワしていたっぽい戸塚が、キョロキョロと落ち着かずに視線を動かすと、はたと俺と結衣を発見。

 パア……っと表情が花開く、なんて表現もあることもないかもしれんこの時世……俺と結衣は、そんな表現を目の当たりにすることとなった。

 

「……いいか?」

「うん。だってさすがにほっとけないもん」

 

 眩しい笑顔でぱたぱたと駆けてくる戸塚を、結衣も笑顔で迎えた。

 いやー……救いの手あり、を体験したからなのか、早口で喋る戸塚の可愛いこと可愛いこと。

 ていうかどうなってんのほんと。以前会った頃もだけど、ほんと歳取ってないよね、外見的な意味で。

 まあどうあれ、人って照れ隠しの時ってやたらと口が走るよな。それが照れ隠しがバレる行動第一位だと、その時の本人は自覚出来ないことが大体なのだが。

 

「ごめんね由比ヶ浜さん、せっかくのデートなのに」

「ううん、平気平気。娘を二人も育ててるとね? そういう状況での自分の立ち方っていうのもわかってくるものだから」

「そうなんだ」

 

 話し方からして、むしろ声からして、いやさ存在からして女性にしか見えない戸塚が、結衣の隣を歩く。

 一度、俺の右隣をちらりと見た戸塚だったが、次に結衣をちらりと見てひとり頷き、結衣の左隣に行ったわけだが……これはそのー、なんだろうか。なにを遠慮されたのか。

 そして結衣の“そういう状況での立ち方”というのが、恐らくは自分を抑えたりしない、なんていう立ち方であろうことはわかりきっているわけで。

 いや、結衣? 奥さん? それ、ママのんとかお義母さんが頑張ってくれたから出来たことだからね?

 今回だってママのんが我ぞ我ぞと和香(のどか)の面倒を見るって言うから、こうしてわんにゃんショーに来られているわけで。

 

「あ、ところで八幡、由比ヶ浜さん、今日、和香ちゃんはどうしたの?」

「あ、うん。ゆきのんのお母さんが面倒を見てくれることになって」

「そうなの? 雪ノ下さんのお母さん、子供が好きだよね。美鳩ちゃんの時もすごかったし」

「あはは……うん」

 

 比企谷和香。宅の三女にございます。

 和みと香りを提供するお店の娘、という意味とかそれ以外の意味も含めての、それはもう家族や知り合い全員が揃って名前を考えたという一大事の中で産まれた。

 一人くらい男の子が居てもそのー……いいのよ? なんてこれっぽっちも思わなかった俺にとって、和香の誕生はとても素敵なものだった。

 そして、以前手伝ってくれないかも……なんて心配していたママのんもお義母さんも、むしろ子育てなら任せんしゃいとばかりに二人揃って和香にデレんデレんである。

 葉山さん家の(みどり)さんと大体産まれた日も近く、ジュビコ……もとい三浦も、ママのんとともにお義母さんに母親のあり方を教わっているのだとか。

 

「で、戸塚。材木座の調子はどうなんだ? 原稿あげられそうか?」

「あはは、うん。いっつもうんうんうなってるけど、なんだかんだやり遂げてくれるから、心配はしてないんだ。まったくの別ジャンル、っていっても書きたいものはあるみたいだから」

「動物なのにか? へぇ……あいつがね」

 

 どんな話だろうか。ほのぼの動物物語から始まって、ある日動物世界が人間どもによって踏みにじられて、力に目覚めた動物達が人をブチノメすために旅をするんだろうか。

 ……まあ、俺が考えても答えにはたどり着けそうもない。

 あいつももう完全にプロ作家だ、考え方や広げ方にもちろんクセはあるんだろうが、きっちりと“売れる物”が書けるんだ。

 俺がどうのこうの考えたってなにが進むわけでもない。

 

「で……材木座ほったらかしで歩いちゃってるわけなんだが……いいのか? あれ」

「うん、僕は全然構わないよ。材木座くんも童心に帰って夢中になっている時こそ、純粋なるネタが浮かぶものなのだー、って言ってるからね」

 

 おう。なんかいきなり胡散臭───もとい怪しく───もとい…………ああうん胡散臭いな。

 

「んー……でも絆と美鳩が、オウムが居るからって八幡と別行動取るなんて、なんか珍しいよね」

「いや、あいつら案外面白いことを目の前にすると止まらないから、ある意味そのまんまの行動なんじゃないか?」

 

 もしくはいい加減親離れの時が来たのかもしれん。

 まあそれはいいとしても、離れるための相手が材木座ってのはどうなんだろう。

 

「………」

「えへー……♪ ……複雑?」

 

 じぃっと円の動きを続けている娘を眺めていると、結衣がにこにこしながら問いかけてくる。

 複雑……まあ、複雑だよな、なにせ相手が材木座なんだから。

 これが戸塚だったらもう娘をよろしくっ……! ってくらいには即決で祝福できるんだが、ってそういう話してるんじゃねぇよ。

 材木座相手に娘らが熱を上げているとかそういったわけでもなく、ただその、なに? 離れるきっかけが材木座なのが複雑ってだけだ。

 

「ほらほら八幡? 絆たちのことは中二に任せて、あたしたちも行コ? 犬もそうだけど、今回は本当に、じ~っくりといろんなの見るんだから」

「や、それお前が今までふんぎりつかなかったからってだけで───」

「八幡? そういうのはわかってても言っちゃだめだと思うんだ、僕」

「………」

「………」

 

 妻と戸塚にゃ勝てない俺です。つまり最初から負けは確定していた。

 溜め息ひとつ、「んじゃ行くかー」と促して歩く。

 腕に抱き付かれてもとっくに平気になった歩法で、足同士がぶつかることもなく完璧に。

 知るがいい若人どもよ……! 寄り添い歩くとはこういうことだ───!!

 ……。

 途中、戸塚に「歩き方とかすごく息ぴったりだよね! すごいね!」と無邪気なる賞賛を送られた。

 夫婦二人、真っ赤になった。

 

   ×   ×   ×

 

 ペンギン、猫、犬と回って再びオウム。

 途中で再会を果たした雪ノ下と一色も一緒に、こうして絆と美鳩(おまけに材木座)を迎えにきたわけだが───

 

『ユミヤガーカケヌーケタキーセキー! ツーバーサーヲチラーシテー!!』

 

 憧憬と屍の道を熱唱するオウムが発見された。

 はいちょっと待とうねパパちょっとわからない。

 どんだけ熱心に教え込めばこんだけの短時間でオウムに言葉を覚えさせられんのちょっと。

 そんな、奇妙な罪悪感にもにた焦燥を抱きつつ視線を移すと、胸の前で腕をクロスにして高らかに笑う双子(姉)が居た。

 

「ミッションコンプリィーーーッ!! ボハハハハハハ!!」

 

 こいつらほんとどっからその元気が出てくるの? てかドン・観音寺とか懐かしいなおい。

 

「これぞオウムの実力……! 都内の小学生の天然声なアレとは一線を画す……!」

 

 だから、懐かしいって。どっから得てんのその知識。

 なんなら結衣のほうがそっち方面にうといまであるわ。ほれ、今も俺の腕を抱きしめつつも袖をくいくい引っ張って見上げてくる、なんてことをやってきてるし。

 知らんなら帰ってから“outside オウム”でググってみような? ……え? 俺も見る? いや……ぁぁぃゃわーたわーた、わかりました。わかったから袖引っ張らない。かわいいなちくしょう。俺の嫁さん超かわいい。

 

「もはははは! これはまた随分と懐かしいものを連想させてくれよる……! ていうか絆嬢? 美鳩嬢? そういう知識どっから拾ってくるの? 八幡とかにふつーに我の影響だとか言われるの、なんだか今とっても理不尽に感じてるんだけど」

「憧れのあの子の隣になりたいとキエエエと唸る謎のオウム……ステキだった」

「つくづく然り! まあまあそれはそれとして。───どーですかパパこれこそ我らの実力! うぬらがのんきに各地を回って動物を愛でて心をリフレッシュさせていた頃、我らはオウムを成長させていたのだーっ!!」

「……ペンギン……見たかった……」

「美鳩は犠牲になったのだ……素晴らしきオウムの発声練習……その犠牲にな」

 

 いや犠牲とかどうでもいいから、どーすんのこのオウム。

 てか話纏めてくれ、材木座困惑してるだろーが。

 

「ところでパパ」

「いやほんと人の話聞こうな? てか聞いて?」

「ママとのデートはどうだった?」

「そりゃお前幸福のまま続行に決まってんでしょ。むしろ今もデート中だと意識しているまである」

「ぬぅっく……! 娘の前でもゆるがぬその在り方……!」

「……絆。今日は我慢」

「フッフフ、わかっておるわ美鳩よ……! でも男の本懐的な意味で寄り添う方向でチャンスがあったりとか……」

「No、パパに限っては存在しない」

「……ダヨネ」

 

 おいちょっとー? 目の前でぽしょぽしょ内緒話するとかやめない?

 普通に聞こえてるから内緒話って体は捨ててくださらない? パパ無視されてるみたいで辛いんですが? むしろ中学時代に似たようなことされて結構傷ついた思い出が……。

 

「パパ、ママ、これからの予定は? まだ時間ある?」

「あたしもゆきのんも犬と猫で時間取っちゃったから、あんま無いかも、かな」

「くぅっ……! 今回は犬猫ペンギンと見つめること叶わず……!」

「Sì……敗北原因はオウムに構いすぎたこと……!」

「むしろその根性がすげーよ。一日かからず“憧憬と屍の道”を覚えさせるとか偉業にもほどがあるから」

 

 てかあとで怒られそうで怖い。だ……ダイジョブだよね? 係員の人がズカズカ来て、“キサマナニヤッテルカー!”とか叫んだりしないよね?

 そもそも材木座お前なにやってんの? 動物の取材しにきたんじゃなかったの?

 

「むぅ……まあ、そこはやり遂げられたかな~とは思ってるけど。なにせ……」

「Nn……ではパパ、珍しくもママから離れて、こっちに来てほしい」

「待て、なにを企んでる」

「言われて行動するよりも疑いから入る親子関係……」

「わかったわかったわかったから目薬差して涙を演出するな。……近づけばいいのか?」

「Sì」

 

 美鳩に促されると、結衣は考えるでもなくするりと腕から離れて、なんでかいってらっしゃい、なんて言って俺の背を押した。

 え、え? なに? なんなの?

 

「うむ! ありがたく拝聴するがよい八幡よ! ……いやうん聞いてください、じゃないと我らの苦労とか水の泡だから」

「材木座? なにやったんお前」

「“我が犯罪的なことを犯した前提”で話進めようとするのやめない!?」

「だってお前、動物見て回るでもなくオウムの周りを回るだけだったろ。大丈夫なのか? 小説とか」

「はぼっほ!? ……と、戸塚氏?」

「わからなかいことがあるなら、ここじゃなくても動物園に行けばいいんだよ。時間ならまた作るから」

「天使……!」

 

 いまいちわけもわからんままに促され、なんか『ユメノツヅキガミータイナラー、オマエハナニヲサシーダーセルー』と何度も何度も繰り返すオウムの前へ。

 ……普通に怖いんだが。怪奇なんだが。

 え? なんなのマジで。これ新たなる催眠学習かなんか? オウムに同じコト連呼させるって難しいんじゃないか?

 などと思っていたまさにその時。

 

『キッ……』

「? キ?」

 

 オウムがふと、今までにない声をこぼすと、

 

『キョウハ、チチノヒ! パパ、イツモアリガトウ!』

 

 次の瞬間にはそれが感謝の言葉だと受け取れた。

 

「へ……? あ…………」

 

 ……で、もちろんそんなことを予想もしていなかった俺は、思考停止するくらい驚いたわけで。

 不意打ちで停止していた俺だったが、意識が戻ればあとは早い。

 バッと娘たちと材木座を見れば、無言でサムズアップ。

 その勢いのまま結衣を見てみれば、にこーと笑う笑顔がそこにあるわけで。

 ……知らなかったの、俺だけ? もしや戸塚と材木座とのいざこざとかはぐれ具合、さらに言ってしまえば随分あっさりとまあ捜索中の戸塚が発見されたことも、自然と集合させるための……?

 なるほど、全員がグルで俺ぼっち。ぼっちに対する仕打ちとして最高水準なんじゃないでしょうか。

 あ、もちろん幸福方面での意味で。マジか。

 

「あ、先輩? ちなみに発案者は結衣先輩ですよ?」

 

 驚きのあまり、呆然と突っ立っていると横から声。ちらりと見れば、先輩なんて言った通り一色だった。隣には雪ノ下も居る。

 

「先輩ってほら、こういうサプライズ的なのって好きじゃないじゃないですかー。それを考えた結衣先輩が、そんな嫌な思い出なんて塗り替えちゃおう、とか言い出したもので」

「……、……てか、だな。そもそもの疑問で、オウムが言葉を覚えてくれなかったらどうするつもりだったんだ?」

「もちろん、私達がきちんと言葉で届けたわよ。まあ、あなたは私たちの父ではないけれど」

 

 言われんでもわかってます。俺がお前の父だったらまずその、言葉の中に地味に混ぜる棘をなんとかするところから頼むわ。

 え? 親らしく命令? 無茶です死んでしまいます。

 けど嬉しかったは事実であり、じわじわと込み上げてくる喜びをこの手に宿し、いつの間にやら隣に戻っていた結衣を抱きしめ、存分に頭を撫でたりなんだりすることにした。

 自分が感謝する側だった頃は、父の日なんて……とか思ってたもんだが……なるほど、やっぱり微妙に込み上げてくるもんだなと笑い、込み上げてくる喜びだの照れだのが一定量に達すると、我慢せずに改めて嫁さんを抱きしめ、撫で回し、愛を唱え続けるのだった。

 ああ、大丈夫、今幸福と興奮の所為でいろいろと麻痺してるから、恥ずかしさとかもあんまないんだよね。

 サプライズとかほんと、いい思い出にはなりづらいと思うのだ。前から思っていたことだが、散々とそっけない態度を取っておいて、その時が来たら喜ばせようとしてハイ嬉しがれ、ってのは無理がある。

 そんで嬉しがらなきゃそいつが悪い空気になるのな。ひどい話だろう。

 俺もそういった空気に巻き込まれる側だったので、よくわかる。……わかる筈だったのだが、今日は別に嫌な空気を味わわされたわけでも、そっけなくされたわけでもない。

 その空気のままに、いや、そりゃまさかオウムに祝われるとは思ってなかったけど、覚えこませるために何度も何度も繰り返し口にしたことを思えば、いったい娘たちは何度感謝をくれたのか。

 

「………」

 

 なので、結衣の後ろに並んで、自分の番を待っている様子の二人を見て、いつもなら“並んでも同じことはしないからな”とスルーするところを、なんかもう羞恥心のタガが外れた今ならばと───

 

「? あ、あれ? パパ? なんか今日はいつもよりママを解放するのが早いようなふやわぁあああーっ!?」

「!?」

 

 存分に抱き締め、頭を撫でることにした。

 いつもならば結衣を抱き締めたままなのに、自分に近づいてきた俺を見て困惑している内に、こう、がばしーっ、と。

 普通ならこのくらいの歳の娘ってのは、父親なんて煙たがるものなんだと思うのに、本当に宅の娘は真っ直ぐに……見えつつ、いろんな意味で螺旋を描くように育ってくれたものだ。こう、真っ直ぐなんだけどぐるぐる捻じ曲がってるのな、いろんな部分が。

 さて。突然抱き締められて慌てている絆を解放して、次に見やるは美鳩さん。

 絆がそうなったのなら、ときっちり身構え……る、というよりは、腕に納まりやすいように身を縮み込ませてる。

 そんな娘をきゅむと抱き締めてやれば……いつかの、言ってしまえば同棲時代頃の結衣のように、自分が納まりたい場所を探るかのようにもぞもぞと動くと、ここぞと思う場所を見つけたのか動きを止め、抱き締め返してきた。こう、ぎうー、と。

 

「はうあしまった! 抱き締められたのが意外すぎて、堪能するのを忘れた! パ、パパ! パパ、もう一度! いっつもスルーするのにいきなりなんて反則です心の準備とかくらいさせてくださいずるいです!」

 

 で、そんな妹の横で、今日も元気に騒ぐは絆さん。

 そんな彼女を見て、笑みや苦笑を漏らす、家族や知り合い。

 改めて……本当に、学生時代じゃあ想像出来ない場所まで来れたんだな、なんて思った。

 いや、想像くらいはしていたのだ、それこそ多感であった中学の頃に。

 俺もいつかは、なんて。あの親父でさえ結婚できたんだから、自然とそういうふうになっていくものなんだって思ってた。

 まさかそう思ってた中学時代に、様々が崩れるだなんて思ってもなかったが。

 平塚先生……静姉さんあたりなら、“それらもお前が努力した結果だ”なんて言ってくれそうだが。

 

「………」

 

 ……だよな。努力、出来たんだよな。

 少なくとも、中学時代の自分から離れたくて、総武を目指して入れたくらいには努力できたんだ。

 希望を捨てていたら総武には入らなかったし、入った先で次こそはと早朝から学校へ向かい……サブレを助けることもなかったんだろう。

 そうやって自然と自分が頑張れた結果を認めることが出来たら、ふと泣きそうになってしまった。

 妻意外にそれがバレるのは嫌だったから、美鳩を離すと再度絆を抱き締めた。や、美鳩の方が離さなかった所為で、絆と一緒に抱き締めるかたちになったが。

 そうなったらもうヤケである。娘らに顔を見られないようにしつつ、結衣を手招きすれば、目が合うよりも先に……俺を落ち着かせるような笑顔で迎えてくれた彼女が、娘ごと俺を抱き締めてくれた。腕の長さが足らんけど、それでもそれだけで自分が幸福に包まれるのがわかった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 材木座と一色に促されてあとにしたわんにゃんショー。

 なんというか思い出深い一日になったわけだが、その翌日にはなにやらヤバ……もとい、少々すごいことになっていた。

 

「お前の周りはほんと、話題が絶えないな」

「お前もその周りの一部だってこと、たまには自覚しような」

「いや、それにしたってだろう。ニュースを見た時は凄いものを見た気分だったが、内容が内容なだけに犯人像が見えてくる、というのもな」

 

 今朝もはよから葉山と静姉さんが店に来ていて、モーニングを食している。

 話題は昨日のわんにゃんショーのことであり……

 

「歌を熱唱したあとに、父の日に感謝するオウム、なんて。何事かと思ったよ。けど毎年通っていることと、オウムの“パパ”って部分で“ああ、もしかして”ってね」

「私も同様だ。というかオウムにあの歌を覚えさせるなんて発想、キミの娘か材木座のものだろう」

「実際にその通りだったから反論のはの字もないっす……」

 

 当の娘達は、「ヒャッホウやったぜオウムさん! 話題を一人占めだー!」とか、「パーマン大好きな先代の先を行った……! ジャスティス……実にジャスティス……!」などと供述しており……。

 まあ、わんにゃんショー自体が話題になったことで、来年とか客も増えるんじゃないかね。

 

「俺はまだ娘が祝ってくれるほど成長してないから。羨ましいよ、素直に」

「自慢の娘です」

「自慢の娘……!」

「はいはい、そこで自ら胸を張りに行かない。ほれ、あっちの客呼んでるから行ってこい」

「ラーサー!」

「男性客なので見守るスタイル。10点」

「従業員としてはマイナスだ、ばかもん」

 

 絆が突貫、美鳩が待機。そんないつもの状況で、注文されればコーヒーや紅茶にとりかかる娘らは今日も元気だ。

 そんなふうにして感謝されたり敬われたりすると、やっぱり随分と遠くまで来たなぁと思うのだ。

 そして、こんな場所に連れてきてくれるきっかけになった嫁さんに、最大級の感謝を届けたくなる。

 言葉じゃ伝え切れなくて、大体が抱擁やキスになるわけだが。いや、ほんとあの頃から考えると想像もつかない自分だよ。ありえねーよってレベルであるまである。

 

「………」

 

 しかしまあ、辿り着けたんなら堪能しないとだろう。

 有り得ねぇを受け入れて全部をぶち壊すなんて、それこそあっちゃならん。高校一年の、夢も希望も失せたあの頃なら、やけっぱちになってやれることだろうが、そんな時代もとっくに過ぎた。

 俺はこうして、今日も誰かに朝だの昼だの夜だのを伝えるコーヒーを淹れる店を構えつつ、自分の周りに居てくれる様々な人に感謝をしながら生きるのだ。……滅多に口にはしねぇけど。

 んで、たまぁに嫁さんがこぼす“ヒッキー”って言葉に苦笑を漏らしつつ、“自分がそうであった頃”を忘れないまま、今日ものんびりと生きていく。

 

「……あんがとな」

 

 子供の日でも母の日でもない、なんでもない日にでもいつだって感謝しながら。

 ぽしょりと呟いた言葉は誰に拾われるでもなく、店の喧噪に消えていった。それでいい。

 さて、今日もやかましい一日を乗り切ろう。疲れたら嫁さん抱き締めて心を癒す方向で。

 いつもとなんも変わらねぇな……けど、それでいいのだ。それがいい。

 笑えない日がないくらい、穏やかでぬるい関係でも……それがずっと続いてくれる場所があるなんて思わなかった。作れるとも思ってなかった。

 それがあるってだけで、俺はもう十分に幸せで。

 そんな未来を夢見て、行動ばっか早くて失敗ばっかしていた中学時代の俺が描いた夢は、もう形になっているのだから。

 



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少年だった僕らが描く、17歳の俺達へ
そして彼は、彼女の隣を歩き始める/その一歩で歩く場所


 ガハマティックアフターズ。
 こちらの章はアフター的ななにかになっております。

そして彼は、彼女の隣を歩き始める/その一歩で歩く場所=強気の愛をアフター
夢が繋がった日=猫を拾った日アフター
責任はとるって言ったんだしな=メールのタイトルアフター
そこにある青春のかたち=壊れない“全部”のカタチアフター
そんな青春の日々を、僕らは笑う。=幾度も結ぶ僕らの恋アフター
小年の僕らが描いた、大人になった俺達へ=強気の愛をアフター+アフター

 pxivの方で文字限界数30万3千字に挑戦した作品となっております。
 ワードに書いて30万ぴったし! と喜び、pixivの投稿フォームにぺたりとしたら何故か文字数が一万減って、急遽即興で一万字を書いた懐かしい思い出……。
 ハーメルンでは15万が最大なんですね。いえ、挑戦しないから大丈夫です。
 「読み込み長ぇ!」とか「このガラケー殺し!」とか「読者の気持ち、もっと考えてよ!」とか……い、言われないと……思うヨ?
 ではでは、よかったら楽しんでいってください。……楽しいかどうかなんて、読んでみなきゃわかりませんよね、はい。


 ヒッキーと一緒に居る時間が当然って思えるくらいに増えて、人を観察することが得意になってから、しばらく経った。

 今日も放課後に依頼者を待ちながら、あたしとゆきのんとヒッキーはそれぞれ時間を潰している。

 日々の努力とあと一歩が利いたのか、最近はカラオケに誘っても渋々だけど一緒に行ってくれるようになった。ヒッキー、アニソンばっかりだけど。でもアニソンも結構いい歌あるんだよね。驚いた。

 

「どっこまでー! あっるいてもー! おーわーりーがー見ーえーないー!」

 

 歌うまでは渋るヒッキーも、歌い始めると元気だ。

 ゆきのんも実は結構歌を知っていて、いろいろな歌を聞かせてくれる。

 激しいものはなくて、ただ静かに胸に染み入る歌ばかりだけど……ゆきのんらしいと思う。

 あたしは……ほら、ヒット曲とかそんなんばっか。

 自分が“これが好きだからっ!”っていうのがなかなか無くて、そりゃあ好きな歌くらいはあるけど……なんていうか流行のものばっか選んでるみたいで、ちょっとやだ。

 

「傷つーくーことが怖くなぁってー、言いわーけーの盾が増えてゆくー♪」

 

 っていうか、ヒッキー、アニソンも歌うけど普通にJPOPも歌う。

 歌うけど、その歌の大体が過去に辛いことがあったみたいな歌ばっかり。

 歌うと気が晴れるんだって。

 

「奏でていた───変わらない、日々を疑わずに……朝は誰かがくれるものだと思ってた」

 

 そんなヒッキーだけど、最近は一緒に居てくれるって感じが増えて、嬉しい。

 前まではおどおどしてた部分も、今じゃ落ち着いてくれてる。

 こう、えと、なんてのかな。一緒に居るのが自然って、ヒッキーも思ってくれてるみたい。

 

「ヒッキー、ここなんだけど……」

「おし、ここはな……」

 

 勉強を教えて、って言えば丁寧に教えてくれて、自分の知らないことは一緒になって調べて、勉強する。

 あたしもヒッキーも“一緒に”って言葉に弱くなっちゃったみたいで、気づけばなんでもかんでも一緒にやっていた。

 最近かじり始めた料理も、連休の時とかはヒッキーの家にお邪魔して一緒に作ったりして、小町ちゃんにもう結婚しちゃったらどうですか、とか茶化される。

 

「ばっ、おまっ! なに言って……! だだ大体俺まだ18じゃっ……」

「ほーん? じゃあお兄ちゃん、18になったら結衣さんと結婚する気満々なんだ?」

「いぃいいいやいやおままなにいっひぇ……」

「どーなのお兄ちゃん。ほら、言っちゃって? 言って楽になっちゃいなさいってばさ。今ならカツ丼つけるよ?」

「お、俺がよくても結衣が……」

「はいお兄ちゃんそれ禁止。結衣さんが好きなのはお兄ちゃんなんだって傍から見てれば歯が抜け落ちるほど解りきってるんだし、なのに他でもない結衣さんの前で“俺じゃなくて”は禁止」

「………」

「好きなんでしょ?」

「……おう」

「お兄ちゃんが幸せにしたいんでしょ?」

「……おう」

「だったら努力しなきゃだよ。現状維持を選ぶのはそりゃ小町的にも楽だなーって思うよ? でもさ、今以上の幸せが───」

「結衣っ……俺、変わるから! 辛いことでもなんでも、努力するから! 俺と結婚してくれ!」

「欲しいなら───って、えぇえええーーーっ!?」

 

 そしてある日、ヒッキーにプロポーズされた。その後ろで小町ちゃん絶叫。

 あたしは……最初はもちろん戸惑って、あわあわしてたけど、困ったことに嫌な気持ちとか全然湧かなくて。

 むしろ次第に嬉しさばかりが湧いてきて、あたしは頷いた。

 あ、もちろん条件はつけたけど。

 

「じょっ……条件か……《ごくり》……なんだ? アニメ見るのがキモいならその、やめるし、ラノベもやめる。望んだ通りの俺に───」

「それはだめ。無理に変わったヒッキーなんて、欲しくないよ」

「う……そ、そうか」

「ん、そうだ。で……えっとね」

「おう」

「……あたしにも、隣で努力させてほしいなって」

「……《きゅんっ》」

「ヒッキーだけが努力してたんじゃ、たぶんすぐに疲れちゃうよ。一緒に、がいいな。お互いで支え合いながらさ、歩いていけたらなーって。そういうの、ちょっと憧れてたから」

「……ん。解った。いいな、それ。俺も……俺も、それがいい」

「……うん」

「~……おうっ」

 

 ほら、いい笑顔。無理に変えたってきっと、ヒッキーはこの笑顔を見せてくれないから。

 無理して一緒に居られるのはお互いに辛いから、そんなのはだめ。

 もちろん辛いことがまったくないってのは絶対にないんだろうけどさ。

 でも。でもだよね。

 

「辛いことも悲しいことも一緒に乗り越えて、そうやっておばあちゃんになっても隣で笑っていたい。難しいこととかはいいんだ。うん、いい。あたしはさ、あたしは……ね? そんな、なんでもない先を、好きな人と一緒に過ごしたい」

「結衣……」

「あたしが欲しいのは、そんなの、かな。あたし、たぶん欲張りだから、どんどん増えるんだろうけど」

「……それ、いらなくなったら俺が捨てられないか?」

「欲しいものは捨てないよ? あたし。欲張りだもん。だからね? えへへ……全部持ってくんだ。全部持ってって、全部の傍で幸せに過ごすの」

「そりゃ……苦労しそうだな」

「そんなことないってば。たぶん、思っちゃえば結構簡単なことなんだよ? ヒッキーが傍に居れば、大体揃っちゃうものだし」

「へ? それって───う、ぐ……《かぁああ……!》」

「うん。だから……比企谷八幡くん」

「ひゃ、ひゃいっ」

「周りから見たら子供がいっちょまえに、なんて言われちゃうかもだけどさ。……あたしと、歩いてくれますか?」

「………」

「ほらっ、お兄ちゃんっ、そこ、そこっ! そこでいかないでどーすんの!」

「ちょっと静かにして小町ちゃん……! お兄ちゃん今、人生最大の勇気を掻き集めてんだから……!」

 

 そんな日があって、二人でプロポーズみたいなことをしてから、あたしたちの距離はもっと縮まった。

 高校二年でこんなことを、って思うかもしれないけど、あたしたちはそれでよかった。

 目標を決めたら、頭の中がすっきりしたっていうか、頑張る理由が持てて、あたしの毎日は凄く眩しいものになっていった。

 これからのあたしたちはどんな道を歩けるのかなーって、ちょっとした物語みたいに考えてみた。

 その時あたしはどうしているのかな。

 その時あたしは笑っているのかな、泣いてるのかな。

 泣くんだったら喜びの涙とかがいいな。悲しいのはちょっとヤダ。

 もっともっと難しいことなんてない、“楽しい”の中で笑えたらいいのにな。

 誰かを好きになって、その人の隣に居て、なんでもないことで笑って。

 傍には友達が居て、辛いことがあっても乗り越えて、手を繋いでよかったねって笑えるような、そんな世界。

 ……ちょっと無理があるかな。

 “でも”……だよね。目指せるなら目指してみたい。

 “それが答えだ”って信じて、計算が間違っててもいいから、その答えだけを見つめて、見つめ続けて、絶対にそこに辿り着くんだーって……頑張るんだ。

 あたしだけじゃなくて、隣に居てくれる人と、馬鹿みたいに笑いながら。

 ずっと…………ずっと。

 

   ×   ×   ×

 

 ヒッキーと同じ大学に行きたくて、勉強をする日々が続く。

 まあえっと、一緒に居られるから嫌じゃない。勉強、嫌いだったのに、今じゃなんだかありがとだ。

 

「まるでー僕らのー、青春はー、コメディーみ~た~いに~」

 

 息抜きにカラオケいったり買い物行ったり、デートだってバイトだっていろいろやってる。うん青春。

 

「転んで泣いて~、怪我だらけ~。新しい自分目指~して~」

 

 カラオケといえば、ヒッキーがなんか替え歌を結構歌ってた。

 ろくなことがなかった過去を振り返って、作ってみたんだって。

 

「わくわくすること~、目の前に~、降~ぅって~こい~。誰もが普通にやぁっているっ、み~~た~~いに~~っ……笑いたいんだー」

 

 リア充にとっての底辺の青春なんて潰してこそ。イジメに走るか見下して笑うやつらは、俺達みたいな底辺の青春がおかしくて仕方ないんだ、って。

 そんな自分を歌にしたからリア充よ笑え、だって。

 俺達の青春なんて笑われるためにあるんだ、だって。

 

「青春っ! 17ぁっ! ワロォーーースッ!!」

 

 怒った。

 怒ったら謝られた。

 少なくともあたしはそんな目で見てないし、ヒッキーとは一緒に幸せになりたいって。そう真正面から伝えたら、ヒッキーはなにを言われたのか解らないって顔のまま固まって、でも……その目から、ぽろりって涙がこぼれた。

 まさか泣かれるなんて思ってなくて、どうしたのって訊いたら、嬉しかったからって。

 でも、誤解だからって少し笑ってくれた。

 今まで散々溜めてたものとか、全部吐き出したいだけなんだって。

 黒いものをいっぱい溜め込んだまま隣を歩きたくないからって……聞いてて不快かもしれないけど、吐き出させてくれって。

 

「ぼさぼさ頭、コミュ障で。上手に話も出来なくて」

 

 「ルパンじゃないけど、男だろうと誰だろうと、自分の世界ってのを持ってるんだ」ってヒッキーは言う。

 その世界の自分はいつだって誰にだってやさしくて、相手も誰にだってやさしいからみんなが幸せなんだ。

 でも、この世界じゃどれだけ人にやさしくしたって誰も自分にはやさしさを向けてくれなかった。視界を濁らせても、見る世界を腐らせても、自分を笑う人は居ても、想ってくれる人なんて居なかったって。

 

「人生の中身の妄想と、意味不な自信だけあって」

 

 自分は自分なりに普通に生きてきた筈なのに、どうして自分だけだったんだろうって。

 タガが外れたみたいに弱音を吐くヒッキーを、あたしはただただ受け止め続けた。

 

「やがて“やさしい人”に出会って、勇気を出して告ったら」

 

 小学でも中学でも“次こそは”を信じて、そのたびに失敗して、勘違いして。

 

「キモがられ引かれたその後に、言い触らされてて泣いた」

 

 世界が自分を認めないものだって理解した頃には、ヒッキーの周りには誰も居なかったんだって。

 話を聞いてくれるのは小町ちゃんだけ。

 だからシスコンなんだと思うって。でも……同時に、怖くもなるんだって。

 どうして、って聞いたけど、寂しそうに笑うだけで教えてはくれなかった。

 その顔は、ヒッキーが小町ちゃんにごみぃちゃんって呼ばれた時にする顔によく似ていた。

 

「笑い話にされたまま、みじめな日々は続いて」

 

 そんな顔が見ていられなかったから、あたしは───

 

「濁って腐った目とともに……期待するのをやめましょう───」

 

 ───……。

 

……。

 

 あたしは、悪口を言われて傷つかない人は居ないって思う。

 慣れたってどれだけ言えても、出る溜め息は本物だ。

 それはもちろんヒッキーも同じで、感じるものを小さくすることは出来ても、まったく傷つかない、なんて絶対に無理だ。

 だから───

 

「ヒッキー!」

「お、おう? どした?」

「もっと一緒に居よう!」

「………」

「《ソッ》……え? あの、ヒッキー? どうしたの急に。あたし、頭撫でられるようなこと、したかな」

「いや、熱測ってんだよ。額撫でる趣味は俺にはない」

「平熱だし! 健康そのものだよ!」

「だったらなんでいきなり一緒に居ようなんて話になるんだよ。つかなに? なんで休日の朝っぱらから人の家来てんの……ほら、バッグ貸せ。疲れてないか? ポッカリスウェットあるぞ。スポルトップのほうがいいか? あ、その服可愛いな、結衣によく似合ってる《テキパキ》」

「あ、ありがと……って、“なんで”とか言いながらすごく歓迎されてる!?」

 

 だから、ヒッキーの家に突撃してみた。ヒッキーに足りなかったのは、きっと人との触れ合いの時間だからって思ったからだ。

 そしたら、先に“明日早くに遊びに行くね”って教えておいた小町ちゃんは友達と出かけてしまったらしくて、家にはヒッキーだけ。ご両親は仕事だって。

 話を聞く間、すごくすっごく大事に家に通されて、お茶もお茶菓子も用意されて、にっこり微笑まれた。

 ……優美子たちに言っても信じないだろうなぁ、こんなヒッキー。

 うん、ほんと、二人きりになるとすごくすっごく大事にしてくれる。

 どうしてここまでしてくれるの? って訊いてみたら、“自分が大切だって認めたものを大切にするのは当たり前のことだろ”ってきょとんってした顔で言われた。もう顔が熱くて死ぬかと思った。

 ヒッキーは、小町ちゃんをとんでもなく大事にしているように、大切なものって認めた上で線の内側に入れたものを大事にする。そこに捻くれ要素が入る時はそりゃあるけど、基本はやさしいんですよ、っていうのは小町ちゃん情報。

 

「ヒッキーってさ、身内にはすごく甘いよね……」

「信用するって決めた相手じゃなけりゃ、動こうと思ったって動けねぇよ……。で? 結局今日はどうしたんだ? い、いやその、会いに来てくれたなら嬉しい、けど《カァア……》」

(わ、ヒッキー照れながら嬉しそう……)

 

 お茶とかで迎えられて、一息ついたら階段を上ってそのままヒッキーの部屋へ。

 来るのは初めてじゃないけど、やっぱりちょっと緊張する。

 

(はふ……)

 

 二人きりの時のヒッキーは結構素直だ。

 小町ちゃんと二人の時はいっつもこうなんだろうなって考えたら羨ましくて、小町ちゃんが羨ましいって言ったら、いくらシスコンだって妹相手にここまでしないって言われた。その日はまともにヒッキーの顔を見れず、ヒッキーもぽろりとこぼれてしまった言葉だったみたいで、お互いが顔を真っ赤にしながら過ごした。うん、逃げたりはしなかった。恥ずかしくても、一緒に居たかったし。

 

「ほーん……? つまりここに来たのは俺の様子が変だったから……か。なんか、いつも悪い。俺かなりめんどいよな」

「全部まとめてヒッキーだし、そんなヒッキーが好きだからいいの」

「……ひゃ、ひゃい」

 

 自虐みたいなのが始まったら、きっちりと想いをぶつけること。

 最初こそ“俺なんかじゃなく”とか言ってたヒッキーも、今じゃそれを言わなくなった。

 苦手なものに手を出すようになって、不慣れなファッションとか流行のものにも目を通すようになって、無理して変わんなくてもいいって言ったのに、“これは変化とは違う。自分を変えてまで結婚したくないと誓った俺だが、自然に行動したなら変化じゃねぇよ”って。

 ヒッキーはたぶん、自分の中の興味ってものをあたしに向けてくれてるんだと思う。自惚れじゃなければだけど。

 なんでそう思うかっていうと、えとー……ほら、うん。あ、あたしが……ほら、ヒ、ヒッキーに夢中だから……その、そうだったらいいなーって……。

 まさかほんとにそうだとは思わなかったけど。あぅう……顔、熱い……。

 

「その……よ。あんま甘やかさないでくれよ? 俺、“お前がそう言ったからそうやったんだろうが”、とか言ってお前に嫌われるの、嫌だぞ」

「ん、解ってる。ヒッキー、優美子と約束してたもんね。ただだらだら狎れ合うだけの付き合いをするつもりはないって」

「しゃーないだろ……“そんな関係とかマジあーしが許さねぇから”とか言い出すんだから。なんなのあいつ、オカンなの?」

「よかったじゃん。優美子、“あーしが認めなきゃくだんない男なんて始末する”、とか言ってたし」

「なにそれ怖い」

「ヒッキーと同じだよ。身内には甘いんだ、優美子。……気に入らないものにはトゲトゲするけど」

「あー……なにかをハッキリ言わないヤツとか嫌いそうだよな」

 

 そんなことを言って、くすくすと笑った。

 笑って……空気が柔らかくなってから、キュッと握った手を胸に当て、深呼吸。

 

「ねぇ……ヒッキー」

「ん? なんだ?」

「隣……行ってもいいかな」

「………」

 

 ベッドに背もたれするように座るヒッキーは、視線をうろちょろさせた。

 あたしに机の椅子を譲ってくれたのは、あたし的にはポイント低いから、なんかもう待つんじゃなくて自分から行くことにする。

 そりゃ、ヒッキーから言われたいって願望はあったけど……───待ってたらいつまで掛かるかわからないから。

 

「ヒッキー……あのさ」

「……ん」

 

 ヒッキーの隣に座る。

 べつに幅がないわけでもないのにヒッキーは横にずれて、まるで密着されるのを怖がるように距離を取った。

 あたしは構わずすぐ隣に座って、彼の右腕をぎゅうっと抱き締める。

 

「ふひゃいっ!? お、おぃっ!?」

「ヒッキー……ヒッキーがさ、内側の人にやさしくしてくれるの、すっごく嬉しい。そこにあたしも入れてくれたことも、すっごく。でもさ……あ、ううん。だからさ。ヒッキーにも……もっと寄りかかってもらいたいんだ」

「……いや、俺べつに」

「ううん、ヒッキーは全然寄りかかってないよ。小町ちゃんにもあたしにもやさしいけど、やっぱりどっかで遠慮してる。人間観察とか慣れてきたから解るんだ。……あたし、ヒッキーばっか見てたから」

「ぐ……う……《かぁああ……!》」

「もっと頼ってほしいな……。疲れたから寄りかかる~くらいの軽いことでもいいから……。あたし、嫌がらないよ? むしろ嬉しいし、受け止めたいって思う」

「………」

「やった途端にキモがるとか、そんなのないから」

「!? っ……な、なんで」

「うん……なんとなく、かな。ヒッキー、たまに寂しそうな顔するの、知ってるから。……小町ちゃんにごみぃちゃんとか言われた時とか。……自覚、ある?」

「い、や……。まじか、気づかなかった……」

 

 呆然とする。

 態度に出したつもりなんて全然なかったみたいだ。

 そんなヒッキーをちょっと強引だし恥ずかしいけど引き寄せて、その頭をぽすんって膝の上に乗せた。

 

「お、え、あぅあっ!? ゆ、ゆ───」

「大丈夫。なんにもしないから」

「───………ん。解った、結衣」

 

 すぐに退こうとしたヒッキーだったけど、静かになにもしないって言うと、深呼吸をしてから受け入れてくれた。

 その頭をさらりさらりと撫でると、「お、おい」って戸惑う声。

 

「あ、あれ? 頭撫でるのも、やだった? やならやめる……けど」

「~~……いや、これ反則でしょ……。正直頭撫でられて喜ぶ高校生男子は居ないと思うが……その。あ、あー……意外なことに、そのー……なんだ。心地良いので……え、延長お願いします……」

「……《くすっ》……うん」

「……今笑ったか?」

「うん。嬉しかったから」

「……そ、そか。悪い、笑われたって思ったら、嘲笑だって思うのはもう癖だな……」

「大丈夫。そんなことしないよ……。ゆっくりさ、慣れていこ? 難しいかもだけど、ヒッキーのトラウマなんて、全部あたしが上書きするから」

「それは俺のトラウマレベルを更新するという意味でしょうか……さすがにお前にそんなんされたら俺が死ぬんだが」

「うぇええっ!? ちがっ、違うよ!? ただ、あたしはっ……!」

「……いや、まあ冗談だ。そんなことするヤツじゃないことくらい、知ってるから」

「~~……っ……もぉおっ! ヒッキー!?」

「ごめんなさい!?」

 

 さすがにカチンと来て怒鳴ったけど、膝枕は続行。

 逃げようとしたヒッキーの頭を抱き締めて、そのまま膝に押し付ける。

 

「おわわわわっ!? うわっ!? ほわあっ!?」

「ひゃあっ!? ど、どしたのヒッキー! どっか痛かった!?」

 

 今まで聞いたことのない声をヒッキーが出してびっくりした。

 慌てて頭を離して訊いてみても、顔を真っ赤にしてふるふると震えるだけ。

 ? ……? ……あ。

 

「あ、ご、ごめんねヒッキー……! え、えと、そのー……!」

「あ、お、おぅその……っ……! なんだ……あ、あんま無防備なのは、心配だからその……!」

「ななななに言ってんの!? こんなことヒッキーにしかしないしっ! ……あ」

「~~……《かぁああ……!!》」

 

 ……あたし、ヒッキーの顔を胸に抱いて、膝に押し付けてた。

 それはつまりその、ヒッキーの顔に自分の胸をぐいぐい押し付けてたわけで。

 あ、あはは……そりゃ、へんな悲鳴、だすよね……。

 でも、男の子って女子の胸とか好きなんじゃないのかな……まさか悲鳴をあげられるなんて思ってもみなかった。ちょっと……複雑かも。

 

(………)

 

 今はまだちょっと勇気が出せないけど……いつかはそういうこと、するのかな。

 するんだろうな。

 うん。初めても二回目も、ずっとずっとその先も、ヒッキーしか考えられないや。

 初めてはこの人がいい、ってよく言うけど、次が他の人とか怖いし嫌だ。

 

「ねえヒッキー。……喧嘩してもさ、仲直りできる仲でいようね」

「ん……俺はいつだって、嫌われないかってそわそわしてるけどな。……大丈夫だろ、嫌われない限り、ずっと好きだよ。つか、もうその……結衣以外とか考えられないし……な」

「~~~……《かぁあ……》」

 

 この人は。どうしてこう、あたしが言われて嬉しいことをぽんぽん言ってくれるんだろう。

 我慢できなくて膝枕したまま、体を丸めてキスをした。

 胸がちょっと邪魔で、ヒッキーの顔の上でむにゅってちょっとつぶれたけど、恥ずかしさよりも“キスをしたい”って気持ちが勝った。

 

「う……あ……!《かぁああああ……!!》」

 

 唇を離すと、目を見開いてじわじわと真っ赤になってくヒッキー。

 そんな姿が可愛くて、顔が勝手に緩んで、そのままでさらりさらりと頭を撫でてゆく。

 ヒッキーはそれを受けて……どうしてか一度泣きそうな顔になったあと、それをぐっと飲み込んだ。飲み込んで、ぽしょって……小さく呟いて、頭を撫でるあたしの手に自分の手を重ねてきた。

 あたしは……その手が震えていることに気づいて、だからこそ……ううん、そうじゃなかったとしても、きっと。

 

「…………うん。信じて。全部受け止めるから、全部受け止めてほしいな」

「───……」

「絶対に幸せにしてあげるから。だから、あたしのこと、幸せにしてほしい。……一緒に、だよ。ヒッキー」

「……~……、……うん」

 

 今度こそ、ヒッキーは我慢しなかった。

 重ねるだけだった手であたしの手を握って、膝の上の彼は泣いた。

 泣いて泣いて……それから、昔話をしてくれた。

 人のやさしさに憧れた、ひとりの馬鹿な子供のお話だった。

 だからあたしも、それを全部受け止めてから話したんだ。

 人との繋がりに憧れた、ひとりの馬鹿な子供のお話を。

 やがて話し終えたあたしたちは、互いに見下ろして見上げて、生きていくうちにすっかり慣れちゃった苦笑いを浮かべて……顔を近づけて、キスをした。

 慰め合いでも狎れ合いでもなく、苦笑をそこへ置いて、また歩き出すために。

 さあ、笑顔でいこう。幸せにして、幸せになるんだ。

 強気の気持ちは忘れない。一歩を踏み出せる自分たちでいよう。

 じゃないときっと、この人は一歩下がったままで世界を見つめ続けるだろうから。

 そこまで、ちゃんとあたしが歩いて、手を引くんだ。

 いつか、彼の過去が自虐じゃなくて、ただの昔話になってくれるまで。

 ずっと……ずっと。

 

「………」

 

 目を閉じてみる。

 膝の上に彼の重みを感じたまま、これからの未来を思って。

 どんな未来を歩けるだろう。

 どんなあたしたちで歩けるだろう。

 あの時ああしていたら、今からこうしたら、そんな“もしも”を考えても、答えはひとつしか見えていない。

 重くて動けなくなるくらいの真実よりも、たまにはやさしい嘘も欲しい。

 でも、どんな嘘を受け取っても、最後に手に取るのはやさしさだけであって欲しい。

 だから願おう。辿り着こう。見失わないように、答えだけを見つめ続けて、悩んで悩んで、頭は良くないけど、それでも考え続けて。

 そうして出した答えにやさしさを足して……掴みに行こう。あたしだけじゃなくて、ヒッキーだけじゃなくて……ゆきのんだけでもなくて。欲しいもの、全部を足したあたしたちで。

 

 ねぇ。

 たとえばの世界があったとして、あたしはどんな道を歩いていますか?

 あたしは笑顔で居られてますか?

 隣に捻くれてるけどとてもやさしい人は居ますか?

 やさしさに慣れていない綺麗な女の子は居ますか?

 あたしたちは、笑顔で居られてるでしょうか。

 ……うん。居られてなくてもいいんだ。絶対に届かせるから。

 どんなにまちがってても、目指したい場所は決まってるから。

 あとは、そこに行くための勇気があれば。

 だから、一歩を踏み出すんだ。

 そこに怖さと戸惑いばっかりしかなくても、きっとあたしは踏み出すんだ。

 そんな場所で捻くれた助けられ方をしてさ。

 そして……絶対に、同じ人を好きになる。

 

 そんな夢を……温かな重さを感じながら、静かな呼吸の先に見た。



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夢が繋がった日①

 夢。

 人間が生きていく上で、必ず見るもの。

 目を開けながら見る夢は目指すものであって見るものじゃないが、言うまでもなく俺の夢は専業主夫……だったのだが、それも猫になった夢で消え去った。

 不思議なもので、あの日は現実だったんだと思いつつ雪ノ下に訊いてみても、頭がおかしい人扱いされた。

 小町に訊いてみても、結衣が俺の荷物を持ってきてくれた事実はあったが、それはただ俺が忘れていったものとして認識されている。猫と書いた紙もあったそうだが、それは俺が突然書き出したものとして認識されているらしい。そりゃそうだ、書いたってことは事実だし。

 どうなってるんだか、と思いつつ、ならばと結衣に頼んで雪ノ下のスマフォのフォトフォルダを見てもらったのだが、猫の俺が結衣の頭に乗っている写真は無かったそうだ。

 

「ゆきのんゆきのんっ、あそこのクレープがねー?」

「ち、近いわ、由比ヶ浜さん」

 

 そんな疑問もどこへやら。

 現在、結衣の提案で外に出ていた。と言っても、ちょっとお菓子買って話そうよって程度のもので、集合場所は雪ノ下の家。

 結衣にしてみれば猫の夢……俺はラブコメの神様が見せた夢だと思っているが、それのことについてどうしても知ってほしいようだ。

 まあ、大切な人には秘密を知ってほしいとか、そういう気持ちはちょっとは解る。

 俺にとってのその相手が小町と結衣くらいなわけだが。あ、あと戸塚な。材木座? なにそれ、どっかのシアター?

 

「………」

 

 二人できゃいきゃい楽しそうに話す二人を、一歩も二歩も遅れた場所から見守る。

 ちょくちょくと結衣がこっちを振り返っては、「ヒッキー遅いし! 隣来ればいーじゃん!」と言うが、よせやめろ声かけるな、と口パクで伝え、他人のフリ。

 だってほら、知り合いとか思われたら恥ずかしいじゃん。あいつらが。

 俺はそれでいいのだ。

 あんなゆるゆり空間に入ったら、なんか俺キモい笑みとか浮かべそうじゃねぇか。

 それこそ通報されるわ。……されちゃうのかよ。

 でもさ、ほら、見てみろよ。今あいつら、ケータイにイヤホン繋げて二人でひとつのイヤホン片耳ずつつけて音楽聞いてるんだよ? あそこに混ざれって? 勘弁してください、俺が死にます。

 

「はぁ……。どうでもいいけど、車には気をつけ───……は?」

 

 頭を掻きながら、つぶやくように言った時だった。

 地面に向けていた目を真っ直ぐにしたその先。

 横断歩道、赤信号が色を変えるのを待っている二人に向けて、大きな塊が迫っていた。

 二人は音楽を聞いているのか気づいていない。いや、それにしたってすぐ近くに大型トラックが止まっていて、そのエンジン音で掻き消されているのだろう。

 

  考えながら、とっくに走っていた。

 

 走ってどうするとかは考える暇が無かった。

 ただ走って、手を伸ばし、掴んで、思い切りトラックの進行方向の外へと逃がした。

 反動で、自分が体勢が悪いまま前に出てしまうことも構わず。

 

「えっ───」

「ひゃっ!? ヒッキ───!?」

 

 たたらを踏むくらいならすぐに身体を逃がせと命令するけど、体は思うように動いてくれない。

 足に力を込めて逃げ出そうとするのに、崩れた体勢がどうしてもそれを許してくれなかった。

 いっそ倒れてしまえばいいのだろうかと考えてもどの道潰される。

 なら跳躍? いろいろ考えていられるくせに、どうして身体は思考より早く動けないのか。

 ああ、だめだ。これ、死ぬ。

 黒塗りの高級車の比じゃない。

 だって、ブレーキ音すらしない。

 居眠りか。

 なんだよそれ。

 やっと俺、やっと……自分は幸せになってもいいんだろうかって───思い始めてたのに。

 

「っ───ひっきぃいいっ!!」

「!? なっ! ばっ───」

 

 ようやく体勢を立て直した瞬間、手を思い切り引かれた。

 反動で振り向いた視界に映ったのは、涙目で、必死な顔で俺を引っ張る結衣。

 せっかく逃がしたのに、助けるために戻ったのだ。

 ばかやろう、なんで、無理だ、お前の力で男一人を引っ張り切れるわけ───!

 

「───!!」

 

 いろいろな考えが一気に頭の中に流れる。

 助けたくても、塊はもう目の前で。

 

  だからせめて、自分が盾に。

 

 突き飛ばしてももう間に合わない。

 そもそも、結衣が立っていた位置がまずかった。

 思い切り引っ張って逃がしても、外側だった結衣は上手く逃がせた雪ノ下と違い、逆に俺から離れた位置まで逃がせられなかった。

 そこまで考えた瞬間、強烈な衝撃。

 結衣を持ち上げ、自分の背を盾にし、逃げられる限界まで跳躍して、それでも逃げ切れず、吹き飛んで───地面に叩きつけられ、そして───……そして。

 

「………」

 

 けほ、と。なにかが聞こえた。

 なんだろう、と目を開けてみると、ぐったり横たわる結衣の頬に、赤いなにかがべちゃりとついていた。

 拭おうとするのに手は動かなくて、どうして、と思って首を動かそうとすると、痛みのあまり声が消えた。

 

  ああ……赤い……。なんだこれ……なんでこんな……。

 

 体が動かない。周囲がうるさい。

 えっと……どうなったんだっけ。

 生きてる、んだよな……? 結衣、結衣はどうだ?

 ……解らない。

 なんだろう、世界が赤くなっていく。

 まってくれ、なんで、さっきまであつかったのに、いま、こんな、つめた……い……

 

「ひ……きがや……くん……? ゆいが、……はま……さ……え? え……? な、なに、これはいったい、どうして……!?」

 

 ……だれかのこえがきこえる。

 ともだちになりたかっただれかのこえ。

 あれ? どうしておれ、“なりたかった”なんて、かこけいに……。

 ゆい、ゆい……ぶじなら、なにかいってくれ……たのむから……。

 ああ、つめたい……さむい……。

 こまち……きょうのばんめし、なにつくってるかな……。

 あったかいのが…………いいなぁ……。

 ゆいもゆきのしたもつれていくから…………そしたらさ、またおかしなはなししながらさ……。

 そしたら……。

 さぁ……。

 ……。

 

   ×   ×   ×

 

-_-/?

 

 遠い、ずっとずっと昔の夢を見た。

 世界は今よりも広くて、新しいものばかりで眩しかったいつかの日。

 希望ばかりに目を輝かせて、知識を得ることがとても楽しくて、知ることの全てを信じていた遠い遠い蒼い季節の話。

 

  誰かが言う。産まれてきてくれてありがとうと。

 

 男女であるその二人は嬉しそうに涙をこぼし、祝福してくれた。

 ああ、自分はこの二人の子供として産まれたのかと……笑いたかったのに、泣いた。

 おぎゃあおぎゃあと泣くのが子供の仕事なら、自分……あたしはきっと、この時に産まれたのだろう。

 

 

 

 

-_-/由比ヶ浜結衣

 

 気づけばあたしはあたしとして歩いていた。

 解らないなら解らないなりに生きるしかないと受け止めて、前の記憶を持ったまま。

 うん、そうだ。あたしは由比ヶ浜結衣。

 総武高校に通っていて、奉仕部に入っていて、ヒッキーが好きで、その……こ、恋人、に……なれた。

 でも……今でも思い出せる。

 大きな塊……トラックがあたしとゆきのん目掛けて突っ込んできて、それをヒッキーが助けてくれて。

 でも“ヒッキーが死んじゃう”って思ったら足に力が入って、体を逃がすんじゃなくて戻して、ヒッキーを引っ張ってた。

 瞬間、ヒッキーは“どうして”って泣きそうな顔をして、あたしを抱き締めて……そして、そして。

 

「………」

 

 たぶん、間に合わなかったんだろうね。

 あたしはあそこで死んじゃって、今こうして……どうしてか、またあたしとして生きている。

 鏡に映るあたしはまだまだ小さい。

 そりゃそうだよね、子供だもん。

 住んでる場所もまだ団地だし、引っ越して以降会うこともなかったいつかの友達も、まだそこに居た。

 ……うん、ヒッキーの言うとおりだったのかなぁ。別れた人といつまでも友達、なんて……ありえないって。

 

「ヒッキー……」

 

 好きな人のあだ名を口にする。

 会いたいな、と思っても、子供が簡単に行ける場所じゃないし、簡単じゃなくてもきっとママもパパも許してくれないんだろうなって思った。

 ヒッキーに会いたいな。

 今なにをしてるのかな。

 電話……かければ通じるかな。

 あ……あはは……覚えてないや。

 ばか、あたしのばか……。

 ケータイにばっか頼ってるから、こんな時に番号とか解らないんだ。

 

「結衣ー? お友達が来たわよー」

「あ、うん、ママ……今、いくね……」

 

 今日も子供なあたしを演じる。

 でも、心の中ではいつもヒッキーとゆきのんのことばかり。

 あたしはこうなっちゃったけど……ヒッキーは無事だったのかな。

 ゆきのん、泣いちゃってないかな。

 ごめんね……ごめん。

 心の中で謝って、表面では笑う日々が続いた。

 そうやって友達とその日その日の衝動で遊ぶことを決めていても───あたしは、猫を飼うことはもうしなかった。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 しばらく経った。

 小学生になって学年も上がって、どうせならと勉強を頑張ってみて、案外解ってみると楽しくて。

 心配してもどうしようもないってわかってても、どうしてもヒッキーとゆきのんのことを考えちゃうあたしは、どうもママとパパからすると随分と大人しい子みたいで、時々やたらと構われる時がある。

 欲しいものはない? とかあれ買ってあげようか、とか。

 まあ、うん。ねだりもしないしわがままも言わないから、いい子なのか悪い子なのか。

 心配をさせない子供っていうのも寂しいものだって、前になにかで読んだことあるし。

 ……じゃあ、わがままとか言ってみてもいいのかな。

 ヒッキーの家に行ってみたいとか……ううん、ヒッキーの家じゃなくてもいい。その近くの公園に行ってみたいとか言って、そこからヒッキーの家に……。

 でも……会ってどうするんだろ。

 会って、それから……。

 ……“他人”のヒッキーに誰だよとか言われる瞬間を想像してみた。

 あ……え、と……えへへ。だ、だめだなぁこんな。それだけで泣きたくなるなんて。

 あたし、ヒッキーのこと好きすぎだよ……もう……。

 

……。

 

 泣いているところをパパに見つかって、慌てたパパが気分転換にって車を出してくれた。

 ママも一緒で、家族でお出かけ。

 向かう先は……知らない。でも、もうどこだっていいのかもしれない。

 ヒッキーに会えたって、結局は他人から始めなきゃだし、そこにあたしが好きだったヒッキーが居てくれるイメージが全然沸かない。

 あたしは確かにヒッキーだから好きになった。でも、どんなヒッキーでも無条件に好きになれるわけじゃないと思う。

 自分を救ってくれたから惹かれた。それだけじゃないけど、それが関係ないかっていったらそういうわけでもない。

 あたしは怖いんだ。

 いつか自分で言ったみたいに、別の出会い方をしてくっだらない方法で救われて、それでもしヒッキーを好きになれなかったら、どんな自分がそこに居るのかを想像するのが。

 そんなことない、きっとあたしはヒッキーのことを好きになる。

 だって、幸せだったし嬉しかった。

 人を好きになるって感情を初めて知って、夢中になれた。

 一時の迷いだって言われたって、だってそれは確かにそこにあるなにかじゃないか。

 あるものを否定して、ないものを認められるなんて冗談じゃない。

 だから……だから。

 

「結衣、ちょっとここで待っててねー。ママ、パパとちょっと買いたいものがあるからー」

「……うん」

 

 やってきたのはショッピングモール……かな。よく見てなかった。

 連れられるまま歩いて、子供の遊び場みたいなところに辿り着いた。

 パパとママはそわそわしながら歩いていって、ああ、たぶんあたしが喜ぶなにかを探しにいくんだなーって、なんとなくそう思った。

 気を使わせちゃった……あはは、だめだね、ヒッキー、ゆきのん……。あたし、ひとりじゃ全然だめだ……。

 得意だった空気を読むことも、今じゃぜんぜんだよ……。

 ねぇ……ヒッキー……ゆきのん……。

 あたし……。

 あたしさ……。

 ひとりじゃ…………ひとりじゃぜんぜんだめだよぉ……。

 

「ひっく……うくっ……うぇぅっ……」

 

 涙がこぼれた。

 子供たちが元気に遊び回る中、独りで。

 みんなは楽しそうなのに一人だけ独りぼっちで泣いている。

 ヒッキーも……こんな気持ちだったのかな。

 そうやってまたヒッキーのことを思い出して、また涙が溢れて。

 そんな時だった。

 

「集団の中で泣くくらいなら集団から外れとけ……。なにお前、ぼっち初心者なの? だったらまずは一人で居ることを当然だって受け止めろ。いいか、“一人”って文字をこう……“独り”と覚えろ。これがプロのぼっちになるための第一歩……? なんだよ」

 

 頭をぽんぽんと撫でられ、顔を上げてみると……子供が居た。

 どこかけだるそうに喋って、でもこっちを気遣ってるのが凄く解る、“懐かしい空気”。

 知っている。

 あたし、この子のこと知ってる。

 目は腐ってないけど特徴的な髪の毛。

 なによりピンって立ったアホ毛が、彼が彼であることを証明してくれているみたいで───!

 

「う……あ、ぅ……あ…………ぁあああ……あぁあああんっ!!」

「え、お、おわっ……!? ななななんだなにがまずかった!? 馬鹿な……こう見えても子供の扱いには自信がっ……ああいやおいお前、泣くな、求めろ、さらばあたえられんっ……ってなんのこっちゃ……! とにかくあの、やめて? やめてください、親とか来たらこれ俺が明らかに犯人だろちょっと……!」

「ひっく……えぐっ……~~……ひっきぃ……ひっきぃいい……!!」

「へ? …………え?」

 

 つい漏れた“ひっきぃ”って言葉に、目の前の子供が身体を震わせた。

 濡れた目で見る世界はぐにゃぐにゃで、それでもそんな中で、その子供がすごく驚いていることはよく解って……「そんな」とか「うそだろ」とか呟いているのが耳に届いて、“もしかして”が少しずつ現実になってゆく。

 

「……ゆ………い? 結衣………か?」

 

 震える声が届く。

 それで解った。解ることが出来たんだ。

 この子供は、どうしてか知らないけど……ううん、しちゃいけないことだったけど、“期待していた通り”、ヒッキーなんだって。

 だから嬉しさと一緒に、“ここに彼が居ること”の真実を考えて、前のヒッキーは同じように死んじゃったんだと思い、喜びだけを抱けないまま、頷いた。

 

「ゆっ……結衣っ───結衣……っ……結衣いぃっ!!」

「えぐっ……ひっきぃっ!!」

 

 二人、互いに互いを知ったら、もう止まらなかった。

 “前のあたしたち”のことが胸に苦しくても、居てくれた。覚えててくれた。知っていてくれたのだ。

 それが嬉しくて、近くに居るのに駆け寄るように飛びついて、抱き締め合った。

 

「~~……ごめんっ……ごめんな結衣っ……ごめんっ……! 守ってやれなかった……! ごめんなぁっ……!」

「───! ちがっ……違うよ、違うよヒッキー……! あたしが戻ったから……! ヒッキーはちゃんと助けてくれたよ……!? あたしがっ……うえっ……うぇええん……!!」

「あ、ああぁあっ……ああぁああ……!!」

 

 二人して、抱き締め合って、泣いた。

 あんなにも暖かかった場所。もう戻れない場所、時間を思って、話そうとする言葉全部が泣き声になって。

 ただ悲しかった。辛かった。

 あんな一瞬で人って死んじゃうんだって。

 あんなに苦労して幸せに向かおうとしても、あんなに簡単に死んじゃうんだって。

 あたしたちが大切にしていたものが、あんな一瞬のために続けてきたものだったなんてって、悲しくて泣いた。

 しばらくしてパパとママ、ヒッキーのパパとママと、連れられてた小町ちゃんが来るまで……ううん、来ても、ずっとそうやって泣いていた。

 パパとママ、驚いてた。もちろん離れるようにって言われて引っ張られたんだけど……抵抗した。このあたしになってから、初めてパパやママの言うことに反抗した。

 あんなにねだらない結衣が、離れたくないだなんて、って驚いてた。

 うん、そりゃそうだよね。もう離れたくないからって、あたしとヒッキー、ずうっと手を、っていうか腕を絡めるみたいに抱き合ったままだったし。

 それにはヒッキーのパパとママも驚きだったみたい。

 ヒッキーはこっちでは物静かで冷静で、頭が良くて手のかからない……でも、泣きもしない真面目な子だったみたい。

 だから驚かれて、それでも……ヒッキーのパパとママ、どこか嬉しそうに苦笑いしてた。しょうがないなって感じで。それはあたしのパパとママも同じ。

 

「比企谷さん。これもなにかの縁ということで」

「だな。由比ヶ浜さん」

「八幡がこんなに人と一緒に居ようとするなんて珍しいんですよ」

「あらまあ~、うちの結衣もなんですよー」

「だめ! にーはこまちのー!」

「はっはっは、小町、小町にはパパが居るだろー?」

「やー! にーがいいのー!」

「……おのれ八幡、このスケコマシめが……!」

「ばか、子供に向かってなに言ってんの。あ、じゃあこれ連絡先。いつでもいいんで連絡ください。っていうかまあほぼ毎日朝から晩まで仕事だから、子供たちに関してはいつでもどうぞって感じなんですけど」

「こんな息子でいいならむしろそちらに《コパァン!》ぼぺっ!? ちょ、おまっ! 買ったばかりのスリッパはないだろ!」

「だからアホなこと言うなっつってんでしょ。家のことも小町のことも学業も真面目な息子になんの不満があるっての」

「小町が俺になついてくれない……!《ギリリ……!》」

「……まずその性格改めなさいこの阿呆。……ほら、行くよ八幡、小町」

 

 ……でも。出会いがあれば別れがあるって言葉があるみたいに、時間は待ってくれなかった。

 住んでいる場所だって違うし、帰る場所も家族も違う。

 だから別れるのは当たり前で。

 

「結衣」

「ん……ヒッキー」

「俺の住んでる場所は変わってない。お前が居るのは……まだ団地か?」

「うん。結構遠い」

「そか。気軽に会いに行く……ってのは難しいな。でもな、結衣」

「うん……」

「こうして、また会えた。それだけで奇跡だって俺は思ってる。“会える機会”は俺達で作っていきゃいい。だから……頑張っていこう。俺が言えたセリフじゃねぇけど、ほら。目、腐ってないだろ? 不謹慎かもだが、少し嬉しいんだ。目の所為でいろいろ言われることもない。お前の隣に居ても、お前の趣味が悪いとか言われないんじゃないかって」

「あ……」

「だから……」

「……うん。がんばろ? ヒッキー。実はさ、あたしも今結構、勉強が楽しくてさ」

「……そっか。じゃあその調子でいけば───」

「うん、総武高校なんてよゆーだしっ」

「おう、俺だって負けてねぇぞ。算数から学び直してるし、それが案外新鮮で楽しめてる。だから───」

「うん、だからだね」

 

 だから、次に会うたび、成長した自分でいよう。

 そう約束して、あたしとヒッキーは……笑顔でお別れをした。

 今はまだまだ子供だから。

 まだまだ、なんにも出来ない子供だから。

 子供を卒業出来るまで、学べることは学んでいこう。

 そして、胸を張って隣を歩くんだ。

 もう馬鹿だなんて言わせないし、髪だって染めない。

 ギャルっぽくなってビッチなんて呼ばせてたまるかーって感じだし、自分の可能性を“あたし馬鹿だから”で諦めることも、もうしてやらないんだ。

 そして……そして。

 あの娘に会いにいこう。

 頭が良くなって、見える世界を変えた自分で、堂々と親友だって言える自分で。

 サブレが可哀想だから、絶対に事故なんて起こさせてあげないけど……きっとあの場所に行けば会えるから。

 

   ×   ×   ×

 

 それから、頑張る日々は続いた。

 ママに言わせると、ヒッキーと会ったあの日から、あたしはまるで別人みたいに元気になったそうだ。

 そうなのかな。自分じゃ解んない。

 電話は……毎日してる。

 長電話しすぎちゃって怒られちゃったけど、その割りにママはニッコニコだ。

 これはもう嫁ぎ先が決まっちゃったかしら~なんて笑いながら言っている。

 あたしは───うん。もうね、ヒッキー以外とか無理だ。

 助けられて、好きになって、繋がった夢の中で好き合って、告白されて、受け入れて。

 これからって時に全部無くして、ただ生きるために生きる、みたいな生き方をして……そんな時に再会できた希望みたいな人。

 好きで、好きすぎて、きっとこれ以上を望むんだとしたら、その“それ以上”自体がヒッキーじゃなきゃ嫌なくらい。

 そしてそれは、きっと会う度に叶えられるんだ。

 だからあたしも負けられない。頑張ってもっと強いあたしになって、ずっとヒッキーの彼女でいるんだ。

 

「ママ! 料理教えて!」

 

 どんなこともコツコツ。

 苦手なことも、ちゃんと言われたことを聞いて、それをなぞるところから始める。

 大丈夫、きっと出来るから。

 あたしが幸せにするんだ。

 誰かのために自分の命さえ盾にしちゃうあの人を、あたしが。ずっと、ずっと。

 

 

───……。

 

 

 パパとママの都合が合って、出掛けられる日にはいっつも比企谷家に向かう。

 言った通りヒッキーのパパとママは仕事づくめでろくに帰れないみたいで、車で出掛けること自体が数えるくらいしか無かった小町ちゃんは、窓から入る風を顔に受けながら目をきらきらさせていた。

 あたし? あたしは───

 

「………」

「………」

 

 なにも言わないで、ヒッキーの腕を取って抱き付いていた。

 会えない日が長い分、会えたらもうすごい。心がすごく喜んでるのが解るんだ。

 近ければ近いほど嬉しくて、幸せで。

 それはヒッキーも同じみたいで、腕に抱きついたら、もっとくっつけるようにって体勢を変えて、抱きしめてくれた。

 

「イギギギギギギ……!!《ぎりぎりぎりぎり……!!》」

「パパー? 子供相手に嫉妬はみっともないわよー?」

「わ、解ってる……! 解っているが……! 結衣が……あの結衣が……! パパにもママにも無防備な笑顔を見せなかった結衣が……!」

「うふふ……幸せそうよね。あんな風に笑えるだなんて、母親なのに知らなかったわ……」

「ぐっ……、……そう、だな。そこはその……八幡くんに感謝だ」

「あの日、どうして泣いて抱き合ってたのって訊いても答えてくれないのよ。きっと、とっても大切なことがあったのねー……ママがヒッキーくんに触ろうとすると怒るし。ママ悲しい」

 

 そんなこと言われたって仕方ない。

 だってもう、あの時解っちゃったから。

 あのヒッキーが大声で泣いちゃうくらい、あたしは本当に想われてたんだって解っちゃったから。

 あの時、本当に……心から、ああ、この人を幸せにしたいって……思っちゃったから。

 だから頑張れるんだ。

 あたしはもっと頑張れる。

 もう無くしたくないから。

 無くす怖さを知っちゃったから。

 

「にー! こまちも!」

「小町には父さんが居るだろ」

「やー! にーがいいの!」

「親父ェ……」

 

 ヒッキーは普段、子供らしくを演じるために親のことを父さんって呼んでる。

 あたしと二人の時は親父とか。

 でもたまーに出ちゃうみたいで、今もなんかぽしょりって漏れてた。

 

「えへへー、にー♪」

「はいはい……」

 

 仕方ないなって顔でヒッキーが左腕を差し出すと、小町ちゃんはぎゅーって全身でヒッキーの左腕に抱き付く。

 そして、あたしを見て“これこまちのだもん!”って顔をする。

 

「悪いな小町、俺はもう結衣に売約済みなんだ」

「ばいやく?」

「もう売り切れてるってこと。俺が幸せにしたいのは結衣なんだ」

「こまちは?」

「俺は兄ちゃんだからな、小町の幸せはいつでも願ってるぞ。でも、幸せにするのは俺じゃないんだ」

「……よくわかんない」

「それでいいよ。ただ、小町はもうちょっと勉強しような」

「にーがするならする」

「はいはい……」

 

 どうするでもなくヒッキーは苦笑いをこぼした。

 パパがまた運転しながらイギギギギって言ってるけど、気にしない。

 幸せにしてくれるって。幸せにしたいって言ってくれて、あたしはそれだけで胸がいっぱいだったから。

 

 

───……。

 

 

 そんな日が続いて、小学校を卒業して、やがて中学生になる。

 小学六年あたりから胸が大きくなってきて、男子の目が集まり始めてきたけど……中学はもっとだった。

 綺麗になる努力はずっとしてるし、余計なところにお肉がつかないようにって運動も。

 ヒッキーもジョギングとかストレッチをしてるみたいで、この前会った時はその柔らかさに驚いた。もうね、べたーって。足がすっごく横に開いて、上半身が床にべたーって。

 あたしはまだそれが出来ないから、ちょっと羨ましかった。

 あと、ちょっと危機感。

 目が腐ってなくて運動してて、頭がいいヒッキー……ただの格好いい男子じゃん!

 小町ちゃんに訊いてみれば、女子とかに結構声かけられてるんだって!

 ……あたしも男子に声、かけられてるけどさ。

 んんー……なんか、なんかだー……。

 

「───」

 

 中学で、いつかみたく優美子を見つけた。

 でも、誘われても手を繋ぐことはしなかった。

 

 

───……。

 

 

 中学3年。

 告白された。

 振った。

 何度目か忘れた。

 好きな人が居るって言った。

 “誰だ”って訊かれて、教える理由がないから教えなかった。

 そしたらその男子のことが好きな女子に絡まれちゃって、いじめ……みたいなのが始まった。

 やだな。なんで、こんなこと。

 好きな人が居るから嫌だって言ったのに、どうして、こんな……。

 そんな風にして落ち込んでたら、ヒッキーにあっさりバレて、ヒッキーにイジメのこととか話したくなかったから言わなかった……んだけど、何度も何度も訊かれて、イジメで弱ってた心が降参しちゃった。

 あたしから事情を聞いたヒッキーはあたしの手を取ると、もう片方の手で自分の胸をどんと叩いた。

 どうするのかなって思ってたら、ヒッキー、自分の学校サボってあたしの学校に乗り込んできて、教室に入るなり言ったんだ。

 

「朝っぱらから失礼します。今日は婚約者がイジメに遭ってるっていうんで来ました」

「な、なんだねキミは! 今は授業中───」

「授業中なら声がよく通ると思いまして。あと騒ぐ人も居ないでしょう。……由比ヶ浜結衣の婚約者で、比企谷という者です」

「ぬぁっ!?」

「ふえやぁあっ!? え、ちょ、えぇええっ!?」

 

<エ? コンヤクシャッテイッタ!?

<ジャアアイツガユイガハマサンノスキナヤツ!?

 

「ヒ、ヒッ───はは八幡くんっ!? どうして───」

「ああ結衣、さすがに見過ごせなかったから……来ちゃった☆」

「な、なっ、なぁあっ……!!」

 

 ヒッキーはテヘペロみたいな顔をしておどけた。けどすぐに心配するなって顔をして、言ってくれる。

 

「あぁ、ちゃんとママさんとうちの両親の了承は得てるから。問題起こしてもいいから、イジメなんぞは滅ぼしてこいだと」

「えっ……ママ……」

 

 そっか。ママにももうバレてたんだ。あ、や、ヒッキーが言ったのかな? ……ううん、きっとバレてたんだよね。ママ、へんなところで鋭いし。

 あたしがそんなことを考えた次の瞬間には、ヒッキーの顔がキリってなって、教室中を見渡して、言った。

 

「あー、その。そんなわけだから、もうこいつに告白とかイジメとか、やめてくれると助かる。好きな相手が居て、その想いを貫いただけなのにイジメに遭うとかおかしいだろ。告白全部受け入れて何股もしてりゃあ満足か? 違うよな。それから、イジメを始めた女子。誰とは言わないけどな、そんなつまらないことをしてる暇があるなら、好きな相手に好かれる努力をしろ。そんなことしてても相手は振り向かないぞ。振り向いたとして、その先でそいつが見るのはイジメをしてる姿だけだろ」

 

 ……。どこかで息を飲む音がした。

 けど、それだけで何かを言うわけでもない。

 きっと解ってたんだと思う、あの娘も。だって……イジメって、人に好かれるようなことじゃ……ないから。

 

「ちょっと待てよ! お前が由比ヶ浜さんの婚約者!? 証拠は! 証拠はあんのかよ!」

「え……いや、なにこの人、なんか今にも自分がやりましたとか言いそうなんだけど……ああまあとにかく。結衣」

「うんっ、ヒッ……八幡っ」

『───!?《ざわっ……》』

 

 名前を呼ばれたから、あたしは“いつものあたし”でヒッキーの傍へ駆け寄った。

 駆け寄って、腕に───抱きつきたかったけど、先生の手前、それはちょっとまずいかなって思ったからやめた。

 

「あ、あの由比ヶ浜さんが……! 男子にそっけなくて、スルースキルMAXだとか噂されてた由比ヶ浜さんが……!」

「う、うわ、うわー……! 恋する顔ってあんななのね……!」

「……かわいい……《ぽしょっ》」

「え? ちょ、久美? 久美っ!? 顔赤いわよどうしたの!? えちょ……マジ!?」

「ウ、ウソダウソダウソダーーー! 由比ヶ浜さんは俺と結ばれるべきでぇえっ!!」

「うわキモッ……なんか勘違いしてるやつがいんですけどー……」

「う、うそだよね由比ヶ浜さん! いや結衣! き、きみは俺と一緒に居るべきで───」

「……勝手に名前を呼ばないでください。あたしは本当に、心から八幡が好きだし、結婚だって八幡とじゃなきゃ嫌です。彼はあたしが幸せにするって子供の頃から決めてるし、あたしを幸せにするのも八幡じゃなきゃ嫌なんです」

「は、はは……そ、そいつに言わされてるんだろ? 大丈夫、お前を解ってやれるのは俺だけで───」

「由比ヶ浜さーん、ズバっと言っちゃえー」

「あー、友人がこんなやつだったとかショックだ……由比ヶ浜さん、大丈夫、なんかもういろいろ解ったから。彼とお幸せにってことで、トドメさしてやって。……その、俺も、好きな相手が居るって聞いてたのに告白とかして悪かった」

「俺も……ごめん」

「俺も……」

「俺も……って、え? お前も!?」

「お前興味ないとか言ってたじゃねぇか!」

「え!? お前もかよ!」

「お前、なんて言われた?」

「いや、ただ好きな人が居るからごめんなさいって、真っ直ぐに……」

「だよな、すっげぇ真っ直ぐに言ってくれんだよな」

「そうそう、未練っつーの? 可能性残させないために真剣にっつぅのかな」

「なんか……ちょっと嬉しかったんだよな、あれ。いや、なんかさ、……好きになったのが由比ヶ浜でよかったーってのかな。や、同じクラスになっていいなって思ったからいきなり告白したんだけど」

「ぶはっ、ちょ、おまっ」

 

 なんか、ちょっと教室の中がおかしな空気になった。

 おかしな、っていっても悪い感じじゃなくて、男子はへらへら笑ってる一人を除いてみんな笑ってる。

 女子もそれに釣られるように、なんだか納得したみたいな顔で。

 そしたら一歩、一歩とあたしのことを目の敵にしてた女子が歩いてきて……

 

「あ、の……わたし……」

「……うん。あたしね、この人のことが本当に好きなんだ。他の人ととか考えられないくらい。だから……ごめんね」

「う、ううんっ!? そうじゃないよ! なんで由比ヶ浜さんが謝るの!? 由比ヶ浜さんはちゃんと言ってたのに、それを無視して勝手に苛立ったのはわたしで───! ご、ごめっ……ごめん、なさいっ……!」

 

 その娘は泣きながら謝ってくれた。

 あたしは……うん。勘違いされるのって、辛いなーとか何度も思ったから……えと、ヒッキーが勘違いを嫌いになった理由がわかったかなーとかいうくらいは傷ついたから、ちょっとだけ文句とか言いたかったけど……うん、無理だね。

 だからもう許した。それに、やっぱりあたしって単純なのかな。こう、えっと、くすぶ? ……うん、燻ってたムカーって感情よりも、ヒッキーが来てくれたことに対する嬉しさがあっさり勝っちゃって、もう怒るとかそんな感情、どっかへいっちゃってた。

 だから許して、もうひとりの問題の人へと向き直って───

 

「あたしには本当に大好きな、この人を幸せにしたい、この人に幸せにしてもらいたいって人が居ます。そしてそれはあなたではなくこの人です」

「う、うそだ! うそっ───」

「なにより、好きな相手の言葉も信じられないで頭から否定する人を、あたしは好きになれません」

「あ───…………あ、あ、え……? あ……」

「おおお! ナイスクロスカウンター!」

「思った以上にバッサリだぁあーーーっ!!」

 

 どうせまた嘘だと言われると思ったから、はっきりと被せるみたいに言った。

 名前も思い出せない男子は呆然として、やがて震え出して、「もういい!」って言って教室の外へ───「多田! 授業中だぞ!」……戻ってきた。

 あ、あー……えっと。うわー……顔真っ赤だー……。

 ど、どうしよヒッキー、どうし……って、どうして胸押さえて泣きそうな顔してんの!?

 

「言葉も信じられないで否定ばっかでごめん……」

「え? え、あ───ちちち違うよ!? ごめんねヒッキー! ごめんね!?」

 

 そういえばそうだった。

 ヒッキーも、今でこそすっごい素直であたしの言葉も受け止めてくれるけど、最初の頃なんてあたしの言葉を受け取るや効率がどーのってすぐに否定してたし。

 

「あー、それでキミ。もう用事は済んだね? イジメに関してはこちらできちんと───」

「え? イジメ? そんなのありませんでしたよ? ていうか、あってももう生徒同士で解決しましたんで、教師の出る幕は無いんじゃないでしょうか」

「なっ……!? ではキミはなにしに来たというのかね! 確かにイジメがあると───」

「では“みんな”に訊きましょう。みんなー、このクラスにイジメなんてあったかなー?」

 

 ヒッキーは言いながら、さっきのコにニカッと笑ってみせた。

 戸惑いながらあたしを見るその子にあたしもニカッと笑って、頷いてみせる。

 その瞬間から、クラスのみんなが示し合わせたように笑って、ヒッキーが腕を振り上げるのと同時に言ったんだ。

 

『ありませーーーん!!』

 

 先生、顔真っ赤。

 勢いのままヒッキーに「授業妨害だ! 出ていきなさい!」って言って、面倒なことを追加される前にヒッキーはさっさと出ていっちゃった。

 我が学校にイジメはありません。

 ひとつ前のあたしの時、よく聞いた言葉だ。

 それを上手く使って、ヒッキーは場の空気を解消して出ていった。

 自己犠牲みたいなことはしなくなった。けど、こういう問題に首を突っ込みたがるのは……もう性分みたいなものなのかなぁ。

 傷つくところは見たくないから、出来るだけしないでほしいのに……そんなことをやってのけてしまう彼を見てると、仕方ないなぁって思いながらも笑っちゃうんだから、あたしもどうかしてるのかも。

 

 ……ところでだけど。

 学校が終わってから会った時に、「あの……婚約者って……本気にしても、いいのかな」って、勇気を出して訊いてみた。

 ヒッキーは「えー」とか「えー」とか「おー」とか「ンー……なんだ」とか言って、なかなか返してくれない。

 でも顔は真っ赤だから、頑張ろうとしてくれているのはわかった。

 解ったから……いいかな、まだ。

 言えるようになったら言ってねってだけ返して、あたしはヒッキーの腕を取って隣を歩いた。

 

「そういえばなんで“えー”だけ二回言ったの?」

「……“COSMOS”って知ってるか?」

「?」

 

 解らなかった。

 



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夢が繋がった日②

 そして、高校。

 ヒッキーが中学に乗り込んできたあの日から、一気に女子のみんなから話しかけられるようになって、あたしが総武に行くって知ったら泣く子がいっぱい居た。

 嬉しかったし別れは寂しかったけど、決めていたことだから。

 それで……なんだけど。

 

「あ、あの……隣に引っ越してきた由比ヶ浜です……」

「」

 

 玄関を開けた先で、ヒッキーが固まってた。

 そう、なにがどうなったのか、どうしてそうなったのかは知らない。

 でも結論として、由比ヶ浜家はマンションじゃなくてヒッキーの隣の家へと越してきた。

 

「え? いや、え? お隣さんどしたの? 居たよね? なんか割りとしっかりした造りの家に住んでたお方」

「あたしにもよく解んなくて……ただ、パパが比企谷さんには感謝だな、とか言ってたから、ヒッキーのパパがなにかしたんじゃないかな」

「……あの親父にそんな人脈が」

「人脈って、お隣さんだよ!? そんなに狭いって思ってたの!?」

「いや……普通そうじゃないか? お隣ならまだしも、三件隣とか普通に苗字知らないで当然とかなかったか?」

「……ぁぅ」

 

 言われてみれば、そうかも。

 団地でも遊ぶ子は居たけど、名前知らない子とか苗字知らない子、結構……ていうか団地に住んでたかさえ解らない。

 

「ふ、普通だね? 普通……だよね?」

「お、おう普通だ。普通だから……まあその、知らなくていいことなんだろな」

「……そだね。それに、嬉しいんだから喜んどけばいいんだよねっ」

「おうっ」

「えへへっ、ひっきぃ~~っ♪《がばし!》ふきゅっ!?」

 

 抱きつこうと思ったら抱き締められた!

 わ、わわわ……! こんなん初めてだ、恥ずかしい……!

 

「結衣……」

「ヒッキー……」

 

 呼び合って、顔を見たら、もうだめだった。

 自然と顔が近づいて、少し傾けあって、やがて───

 

「結衣ー? 挨拶は済んだー?」

「ふきゃあああーーーーーーっ!!?」

 

 やがて、ババッと離れた。

 

「あら。あらあらあらー? ママったら邪魔しちゃったかしらー?」

「じゃっ、じゃじゃじゃ邪魔とかじゃないしっ!? てかどーしたのママ! あ、挨拶にはあたしが行くって言ったじゃん!」

「そうよー? ヒッキーくんへの挨拶はー、結衣に~って。お隣なんだから、ママがヒッキーくんのママたちに挨拶しないわけないでしょー?」

「あぅっ!? で、でもそれにしたって、もうちょっと後でも……そのっ……ゴニョゴニョ」

「ヒッキーくん。ママに気を使わないで、もう……しちゃっても、いいのよ?」

「エッ……いや、その」

「だ~いじょうぶよ~? ママ、もう二人が隠れてちゅっちゅしてるの、知ってるからー♪」

「ママーーーーーッ!!?」

 

 い、いつから……いつから!? 

 あ、あの時かな……それともあの時!? あ、や、やー……あの時かも……!

 いやいやもしかしたらあの時……! ……はうっ!? あの時かも!

 ……思い当たる時ありすぎだ!?

 

「パパももう知ってるわよ? その日なんて涙で枕を濡らして、えーとー……うふふ、いろいろあったし」

「いろいろってなに!?」

「ゆーいー? 出来るなら弟と妹、どっちがいいー?」

「なんかすっごい生々しい話が来た!? うあーーんヒッキー!!」

「ん、解ってる。……ママさん」

「うん、なに? ヒッキーくん」

「……妹でお願いします!」

「ヒッキー!?」

「うふふ、まっかせなさーいっ♪」

「ママーーーッ!? う、う~~~っ……! もー! もーーーっ!!」

 

 もう怒った! 二人とも勝手だ!

 人のことからかって楽しんで《ぎゅっ》うん、まあいいや。

 えへへ、ヒッキーあったかい。

 後ろから抱き締められるの、好きだなー。

 こう、ふにゃーってなっちゃう。

 

「あらあら、結衣は本当にヒッキーくんが好きねー」

「うん」

「否定も躊躇もないのね……我が娘ながら、恋すると一直線……ヒッキーくん、結衣のこと、よろしくね。ママの子とは思えないくらい秀才少女で、ちょくちょくママの子らしく天然でポカやらかす子だけど、やさしく可愛く綺麗に育ってくれたわ。たぶんそれはママたちだけの力じゃなくてー……」

「いえ。ママさんが居たからそんな結衣に育ったんです。それは確実ですよ」

「ヒッキーくん……」

「あと、えっと……そんな結衣だったからこそ、その……俺も引っ張られたっていうか……惹かれたっていうか、その」

「あら。あららあらあら~~~……♪ なんだかこれ、ママがヒッキーくんに告白されてるみたいねー♪」

「ヒッキー!?《がーーーん!》」

「違う! 断じて違う! 誤解だ! 濡れ衣だ! ~~~……ママさん!」

「うふふ、うふふふふふ……! あーもうヒッキーくんかわいいわー♪ ママねぇ、娘もだけど、息子もほしかったのよー。だから子供の頃から知ってるヒッキーくんが、もう可愛くて可愛くてー」

「だめ! ヒッキーはだめ! あたしのだかんね!? ママにはパパが居るでしょ!?」

「ねぇ結衣。ママ、早く孫が見たいの。ママの子供と結衣の子供が兄弟みたいに育ったら、可愛いと思わない?」

「え? あ……わあ、なんかそれいーかも……!」

「そしてある程度育ったら複雑な人間関係に戸惑うんだな……」

「やっぱりだめぇっ! マ、ママ! だめ!」

「えー……? こればっかりはどうなるか解らないし、結衣が手がかからなすぎたから、ママ逆に寂しかったしー……ママもまだまだ若いからー♪」

「そそそうじゃなくてっ! 年齢とか考えようよ!」

「ママ、実は13の時に結衣を産んだのよ?」

「うそっ!?」

 

 え……え? じゃあ、ママ、まだ28か29歳とかなの!?

 知らなかった……! そ、そっか、ママ全然若いもんね! たまにあたしのお姉ちゃんとか言われることあるし!

 

「え、え? でもママ、結婚って16歳からじゃ」

「両親同士の同意があれば、13からいいのよ? あ、もちろん結婚は16だけど」

「おじいちゃんとか反対しなかったの!?」

「むしろ孫ー孫ーってせっつかれたくらいねー。お金の面倒は見るからとにかく産みなさいって」

「……お爺ちゃんとお婆ちゃんの印象がぁ……」

 

 まあ、うん。認められなかったらあたし、産まれてなかったんだけど。

 うー……なんか複雑……。

 う、うん。この世界が前の世界と同じかどうかなんて解んないんだけどね。

 ……でもママ、向こうでも同じくらい若かったし。

 うー……16歳くらい離れた弟とか妹……どう接すればいいのか解らないよぅ。

 

「………《ちらっ?》」

「? 結衣?」

 

 そりゃ……そりゃ、さ? ヒッキーとそういうこと、期待しないわけじゃないけどさ。

 あたしもさ? ほら……これから~って時に事故に遭っちゃったから、なんにも出来なかったし。

 あ、や、やー、べつにそこまでしたいとかー……えっと、そういうんじゃなくて。興味はあるけど……あげるんじゃなくて、貰われたいっていうか、求めるならヒッキーからがいいっていうか……な、なに考えてんだろあたしっ! あはっ、あははっ!

 一時期は周囲に流されっぱなしだったあたしだけど、高2で処……とか遅れてるとか言われたってそんなの気にしない。あたしはあたしのペースでって思うし、そんな周囲のノリでそういうことしちゃうのは違うんだって、今では胸張って頷けるし。

 でも……えと。ヒッキーに求められちゃったら、たぶんあたし…………うん。

 

「……~~《ふしゅう……》」

「《きゅっ》……いや、あの……顔真っ赤にして服抓まれると、さすがに照れるんだが……」

「そんなこと言ってヒッキーくん、背景がホテル街だったらゴールインだったわよねー?」

「やめてくださいってばママさん……!」

「いいのよー? ママもママの両親と一緒で、孫とか見たいし。むしろママのママに話してみたら、曾孫が見れるって喜んでたわよ?」

「……おばーちゃん……」

 

 お婆ちゃんの印象が……。

 で、でもそれってヒッキーのこと認めてくれてるってことなのかな。

 まだ会ってもいないのに、いいのかな。

 

「あ、ちなみにヒッキーくんのことは写真とカメラ映像でしっかり紹介してあるから、問題ないわよ? むしろ自分より結衣を優先してる姿が気に入ったーとかで、早く婿に来るなり嫁に迎えるなりして曾孫見せろーって。やったわねー、ヒッキーくん。家族公認よ?」

「~~……《かぁあああああ……!!》」

 

 あ……ヒッキーが顔を覆って俯いちゃった……。耳、すっごく赤い。

 でも……でも、そっか。えへへ、そっか。

 じゃあえと、えとえと。あとはヒッキーのパパとママが許してくれれば……

 

「話は聞かせてもらいましたよ結衣さん!」

「ひゃうっ!? 小町ちゃん!?」

 

 ヒッキーとあたしが顔を赤くして俯いてたら、すぐそばの部屋からバーッて小町ちゃんが飛び出してきた。

 その手には携帯電話。

 

「あ、結衣さんのママさん、やっはろーです」

「は~い、やっはろー、小町ちゃん。それで、仕込みはどう?」

「フフフ、ばっちりですよ奥さん……! 既に父と母に連絡を入れて、二人の許可も受け取ってますとも! ていうかむしろさっさと結婚しろって感じで」

「う、ぉあ……!? ま、まじか……!? あの親父が……!?」

「うん。むしろ“結衣ちゃんみたいな子が俺の義理の娘になるなら願ったりだ”って」

「……親父ぃ……」

 

 ヒッキー、なんかほんと呆れたって感じにすっごく長い溜め息吐いてる。

 でも、なんか、えっと。ハッてしてあたしを見たら、顔を赤くして……でも、目を逸らさないで、照れたみたいに笑った。

 …………。あ、そっか。そうだ。

 これって、そういうことだ。

 あたしとヒッキー、もう……許されたんだ。

 

「いやー、これでようやくお義姉ちゃんって呼べますよ! あ、これからもよろしくお願いしますねお義母さん!」

「あらあら~♪ そういえばこれで小町ちゃん、ママの義娘になるのねー?」

「ママ!」

「小町ちゃん!」

 

 あたしとヒッキーが見つめ合う横で、ママと小町ちゃんががばしーって抱き合ってた。

 あたしは……えと。すっごく嬉しくて、でも照れちゃって、わたわたしてるくせに……目を逸らしたくなくて、じっとヒッキーを見てた。

 ヒッキーもずっと見ててくれて、嬉しくて、恥ずかしくて。

 

「そ、の……な。あの、あ、あー……えっと」

「……がんばれっ、ひっきぃっ」

「ぐっ……! わり、ちゃんと言うな。……由比ヶ浜結衣さん。生まれ変わってもずっと好きです。俺と結婚を前提に付き合ってください」

「───……」

 

 胸が、とくんって鳴る。

 まるで、ずっと待ち焦がれてたみたいに、足りなかったなにかが胸に届いたみたいに。

 ずるいよね、こんなの。答えが決まってるのに、それでも口にするのには勇気が要るなんて。

 言ったあとには喜びが待ってるって解ってるのに、それでも言葉にするのは難しいだなんて。

 

「~~……は、はい……はいっ……! あたしでよければ、喜んでっ……!」

 

 それでも、だよね。

 難しくても、絶対に届けたい言葉はずっとずっとしまってあったから。

 それを取り出して、想いをいっぱいいっぱい乗っけて、好きな人に届けた。

 

「っ……お、おう……いや、はい……あ、あり、……~~…………ありがとう」

「……うんっ」

 

 ヒッキーは真っ赤になって、でも目は逸らさないまま、受け止めてくれた。

 服を抓んでいた手を、今度は彼に伸ばす。

 その時、一瞬……車が突っ込んできた光景が叩き付けられるみたいに頭の中に浮かんできた。

 幸せな気分が一気に消えそうになる。

 この手を伸ばしたら、二人してまた死んじゃうんじゃないかって。

 でも……震えた手は、あたしの身体は、次の瞬間には繋げられて、引き寄せられて、抱き締められてた。

 

「……大丈夫だ。今度は絶対守るから。お前は手を伸ばしてくれ」

「ヒッ……キぃ……」

 

 声が震えた。

 どうして解るの、って言葉を出したかったけど、それより先にヒッキーの体も震えてることに気づいた。

 ……ああ、そっか。ヒッキーも思い出したんだ。

 きっと、戻らずに、手を伸ばさずにいれば自分だけは助かったあの瞬間。

 助かっていれば、ヒッキーは泣かなかっただろうあの瞬間。

 でも……そんなのはあたしだって同じだ。

 自分だけ助かっても、助けてくれた人が助からなかったのに助かっても、ちっとも嬉しくなんかない。

 あたしが逆の立場だったら同じことをしていたって自信を以って言える。

 だからヒッキーも、あの時のあたしの行動についてを何も言わないんだって解ってる。

 

「ヒッキーくん? 浮気したら許さないわよー?」

「する相手が居ないし、そもそも結衣以外に俺を好きになるやつなんて居ませんよ」

「またお兄ちゃんは……。小町何度も言ってるでしょー? お兄ちゃんはもっと、自分がどんだけ格好いいかとか考えたほうがいいって」

「おうありがとな、小町。身内補正だとしても嬉しいぞ」

「……お義姉ちゃ~ん、ママ~、お兄ちゃんが解ってくれませんよぅ」

「あらー……ヒッキーくんはなにか、前に嫌なことでもあったの?」

「まあ、いろいろ。言っても仕方が無いことなんで。でも……結衣は“そんな俺”を見てくれたから。だから……こいつ以外は、無理なんです」

「ひっきぃい……!」

 

 抱き締められながら言われたら、もうだめだ。

 心がぎゅうってされて、苦しい筈なのに嬉しくて。

 だからあたしも、ぎゅうって抱き締め返す。

 自分ってものが、もっともっとヒッキーの傍に近づくように。

 

……。

 

 入学式はなにごともなく終わった。

 ゆきのんが新入生代表で挨拶をして、その姿が眩しくて心が震えて。

 早く声をかけたいのに動いちゃだめってもどかしいなって思いながら───でも。

 接点のないあたしたちが急に話しかけて、ゆきのんは受け入れてくれるのかなって急に怖くなった。

 

「あ、ヒッキー!」

「おう」

 

 残念ながらヒッキーとは別のクラスになっちゃったけど、隣だからすぐに会いにいける。

 ヒッキーはあくまで“友達”って枠は作らないで、話し掛けられれば応える、みたいなスタンスをそのまま保っていた。

 目が腐ってないから結構話しかけられることはあるんだって。

 あとさいちゃんが居たことに目をきらきらさせてた。なんかちょびっと悔しい……って思ってたら、廊下なのに抱き締められて頭を撫でられた。

 うう、あたしってちょろいのかなぁ。ヒッキーにこれをやられたら、それだけで許せちゃうとか……。

 いい……よね? いいよね? ヒッキーにだけなら、べつに問題ないし。

 そう思っちゃえば早くて、胸に抱きしめられたあたしはそのままぐりぐりーってヒッキーの胸に顔を押し付けて、クラスが離れちゃった分の心細さを満たした。

 

「……はぷっ。ね、ヒッキー」

「お、おう……なんだ?」

 

 胸に抱きついたまま、顔だけ持ち上げてヒッキーを見る。

 顔真っ赤。なんか嬉しい。

 

「奉仕部って……いつ頃できるんだろ」

「それは俺にも……ちょっとな。なにかの拍子に聞いたかもだが、その頃は無理矢理入れられたってことで大抵の雑談は話半分だった」

「そっか……」

 

 ゆきのんが動いて作るのか、平塚先生がゆきのんにこういうものを作らないかって言うのかも解らない。

 でも、ぜったいにそこに入ろうって思う。

 

「けど、ほんと余裕で入って来るとはなぁ……アホの子とはもう言えないな。天然炸裂した時以外」

「ヒッキーまたそれ言ってる……あたしだってちゃんと勉強したんだから。むしろ勉強が好きになってから、覚えるのも楽になったし。ヒッキーが国語だけ成績良かった理由、ちょっと解ったかなーって」

「好きこそもののなんとやらだな。ま、部活の方は平塚先生にでも探りを入れながら、今は様子を見よう」

「え? 見るの? えと、ゆきのん探して友達になろー! とか……」

「いきなり言ってあいつが頷くわけねぇだろ……不審に思われるだけだ」

「そうかな……ゆきのんなら平気だと思うんだけど」

 

 でも解った、と続けて、あたしはもう一度ぎゅーってヒッキーの胸に自分を埋めるように抱きついた。

 ……えへへ、ヒッキーの匂いって好きだなぁ。なんか安心する。

 

「……比企谷ー? 廊下で女子といちゃつくとはいい度胸だなぁ」

「ヒリャッ!? ヒリャッカせんふぇい……!?」

「なんだその奇妙に略したみたいな呼び方は……っと、きみは由比ヶ浜だったな。そうか、きみたちは知り合い、というか恋人関係だったのか。べつに青春するなと言うつもりはないが、多少は人目を気にしておけ」

「あ、は、はい……」

「あ、あのっ! 平塚先生っ!」

「……? なんだね?」

「新入生でも、新しい部活の設立とかって出来ますかっ!?」

 

 ちょっと不安だけど、知りたいって思ったら止まっていられない。

 ヒッキーが“それもう訊いちゃうの?”って顔で見てくるけど、うん、訊いちゃう。だって、知っておきたいし。

 

「ああ、べつに可能だ。全校生徒数に合わせて、そういった教室の数も旧校舎に案外余っているものだ。もちろんそれなりの部活内容であり、教師に認められる上に顧問もつかない限りは難しい。だが、顧問がつけばべつに一人だろうと構わない。……既に例外も居るわけだしな」

『───!』

 

 あたしとヒッキーは同時に見上げて見下ろして、確信を持って微笑んだ。

 

「あの、それってもしかして、新入生代表の───」

「うん? なんだ、あいつを知っているのか? ああ、雪ノ下雪乃だ。行動が自由になるや、職員室にやってきてな。やりたいことがあるのでと部活の設立……いや、まあ出来ていたようなものだが、設立を申請してきた。で、顧問は私だ」

「ヒッキー!」

「おう」

『あのっ!』

 

 二人して、笑っちゃいそうな顔を頑張って引き締めながら、声を重ねた。

 ……ここからだ。

 あたしたちは、またあたしたちの青春を始める。

 前とは違う形で、けれど……前よりもっと早くに。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 結論から言っちゃうと、奉仕部はとても静かだった。

 紅茶セットもなければ、長机だって用意されてない。

 ぽつんと置かれた椅子に、ただゆきのんが座っているだけ。

 その姿がとても寂しそうで、たまらなくなって駆け出そうとして……ヒッキーに襟を掴まれて止まった。

 

「あうぅ……なにすんのヒッキー……」

 

 喉が絞まった。ちょっと目の前が滲んでる。

 

「いきなり親密度MAXで行ってどうすんだよ……初対面で知らない男に抱きつかれたらお前どうする?」

「うぅっ……」

 

 解ってるけど。

 うー……ゆきのん、ゆきのーん……。

 

「あ、い、いらっしゃい……えぇと……なにかご用かしら……。あ、この教室についてのことなら、きちんと先生に許可を得て───」

「ああいや、違う。そもそも同じ新入生だし、部活設立について教室奪還が目的とかそういうのでもねぇよ」

「……では、どういった用件かしら」

 

 わ。あたしとヒッキーとじゃ態度が全然違う。

 あらかじめヒッキーに言われてたけど、ゆきのんって最初こんなんだったんだ。

 えーと、確かヒッキーの見た目で身の危険を感じるーとか言ったって言ってたよね?

 

「部活内容は平塚先生から聞いてる。入部希望者だ」

「……え?」

 

 ゆきのんが固まった。

 そりゃそうだよね、設立したばっかりなのにいきなり入部希望者だもん。

 

「えっと、由比ヶ浜結衣っていいます」

「あー、その……比企谷八幡だ。よろしく頼む」

「平塚先生は、許可を出したのね?」

「うんっ」

「おう」

「……そう。ええと、まず最初にとても失礼なことを訊くけれど……由比ヶ浜さん、といったかしら」

「え? う、うんっ、なにっ? なにかなっ」

 

 ゆきのんが声をかけてくれたっ!

 な、なにかなっ、なにかなっ!

 

「そこの……比企谷くん、という彼とは恋人、なのかしら?」

「ふえっ!? あ、え、えとー……う、うん……! あの……こここ、子供の頃から、大好き同士、やってまひゅ……!《かぁああ……!》」

「う……お、おう……《かぁああ……!》」

 

 ゆ、ゆきのんたらなんてこと訊いてくんの!?

 や、やー……そりゃそうだけど! 恋人だけど! なんかもう婚約とか、子作りのことまで認められちゃってるけど!

 

「そう……ではしっかりと手綱を握っていてちょうだいね。間違っても、彼が私に近づくことがないように」

「───……」

「……ほれ、な?」

 

 ゆきのんの突然の言葉に、ちょっぴり呆然。

 けど、ヒッキーが“言った通りだろ?”みたいな声でそう言うと、あー、そっかー、なんて納得しちゃった。

 

「そうだね、ゆきのん可愛いもんね。今までもいろんな人に告白とかされたんだよね?」

「───……その。由比ヶ浜さん? ゆきのん、というのは……私のことかしら」

「うん」

「……やめてほしいのだけれど」

「だめ。えっとあのあの、ひひひっひひ人の婚約者っ……さん、が、自分に惚れるだなんて、うう……ここ婚約者の前で言った罪は重いんだよっ!? ゆきのんっ!」

「婚約者っ……!?」

 

 ほんとは恋人、って言おうと思ったけど、たぶんゆきのんならそんな人からの告白も経験してるんじゃないかなって。

 だから、口にするのは結構抵抗はあったけど……こ、婚約者って。

 

「いえ、それは、その……ごめんなさい。けれどその、この歳で……いえ、べつに不思議では……ないのかもしれないわね」

「おい。言っとくが政略的な関係とかは一切ないからな? お互いがちゃんと好き合って……ぐおお……!《かぁあ……!》」

「ヒ、ヒッキー! そこはちゃんと言い切らないと余計に恥ずかしいよぅっ!」

「わり……悪い……! あぁあその、なななんだ……えっとだな……ちゃんと、な? 好き合って、付き合ってるんだ……。大変驚くことに、もう両親同士から子作りしろとまで言われてる……」

「こづっ!?」

「ヒッキー!? そそそそこまで言わなくていいよ!?」

「ウエッ!? あっ……」

 

 ヒッキーがもっかい、ぐおお……って言って顔を両手で覆って俯いちゃった。

 あたしもいっそそうしたいけど、今はゆきのんとちゃんと友達になるところから……!

 

「と、とにかくねっ!? そういう関係だからっ、絶対安心だからだいじょぶ! だから───……ほら、ヒッキー」

「お、おう……そだな。───ああ、だから」

 

 ちらりと見上げて見下ろして、にこっと笑って息を合わせる。

 そして、次の言葉を待っているゆきのんにハッキリと言うんだ。

 

「俺と」

「あたしと」

『友達になってください!』

 

 やっと、あたしたちの奉仕部が始まる。

 始まり方はあの時とは違うけど、きっと……事故のことが無い分、あたしたちはもっと早くに笑い合え「ごめんなさいそれは無理」ゆきのん!?

 

「えぇええっ!? むむむ無理って、なんでー!?」

「急に現れて急に騒いで急に友達になりましょうなんて言われて、あなたたちのなにを信じて友達になれというの」

「じゃあ最初は部活仲間からでいいからぁ! 友達しよーよぉ!」

「《ガリ……》あー、その。雪ノ下? お前がもし、俺達がお前の苗字のことになにかしらの期待だの希望だのを持っているとか思ってるなら、そんなもんはまったくもって無駄なことだぞ?」

「───! ……あなた」

「はっきり言って雪ノ下のあーだこーだなんて興味ないし、金だって自分らで溜めたもの以外は欲しくねぇよ。俺達は俺達の目的のためだけに行動する。そこに、“雪ノ下”って苗字なんてのは関係ないし、ハッキリ言うならどうでもいい」

「どっ!? ど、ど……うでも……と、言われたのは…………初めてね」

 

 頭をガリって掻いたヒッキーが、少し呆れながら言った言葉は、ゆきのんの心に結構ぐっさり刺さったみたい。

 ヒッキー……いくらなんでも“どうでもいい”は言いすぎだと思うんだ、あたし……。

 

「べつにお前が“自分の苗字”をひけらかして生きていくならそれでもいい。苗字じゃなく、自分自身の名前で生きていくんならそれでもいい。お前が何者かとか親がどうとかどうでもいいんだ、心底。だからほら、その……あー、なんだ。よかったら、俺達と友達になってくれ」

「そうすることで、あなたたちにどういったメリットが生まれると? それを教えてもらえるかしら」

「? 友達が出来る」

「うん。友達が出来るよ?」

「い、え……あの。そうではなくて。私と友人になることで、あなたたちがどういった得をするというのかを───」

「友達が出来るな」

「友達が出来るよ……ね?」

「………」

「?」

「ゆきのん?」

 

 えっと。あれ? それ以外になにかあるかな。

 ほら、あたしたちってちょっと特殊だから、ヒッキーと出会えてからはろくに友達といえる友達も作らなかったし、それっぽい人は居てもどんな時でもヒッキーを優先させちゃったから付き合いも悪かったし、気づけば友達っぽかった人なんて自然と離れていってたし。

 友達が出来る……今なら解るよヒッキー! これってすごいことだね! とか思ってたら、ゆきのんが突然俯いて、肩をぷるぷる震わせ始めた。

 

「ゆきのん?」

「……っ……ふっ……くふふっ……! え、ええ……解ったわ、けれど、まずは知り合いから始めさせてちょうだい。その……恥ずかしいことだけれど、友達というものを持ったことがないの。そのくせ、理想だけは高いから、あなたたちに不快な思いをさせるかもしれないから」

「もちろんだよゆきのん! ね、ヒッキー! いいよねっ!? もういいよねっ!?」

「……その〝飼い主おあずけされてた犬”みたいに見上げるの、やめてください」

「そんなことどーでもいーから!」

「《……コリコリ》」

 

 あたしの言葉に、ヒッキーは頬を掻いてゆきのんに言葉を投げた。

 

「まあ、結衣の言ったことも解る。雪ノ下、確かにお前は綺麗だ。だが、正直に言えば俺はもう結衣以外の女性にそういった感情は持たん。あぁあとこれはおまけだが、こいつは好きな相手には異常に人懐っこいから、拒絶しない程度に受け入れてやってくれ」

「え、えへへ……そんなヒッキー、あたしだけなんて……あれ? なんかおまけ扱いだ!? ちょっとヒッキー!?」

「ほれ、行っていいぞ。愛しのゆきのんが待ってるぞー」

「そんな言葉で騙されないかんね!? さっきまであたしの話が本題で───」

「……《ソッ》」

「ひっきぃっ!《がばっ!》……ハッ!? ヒッキー!?」

 

 怒った途端、ヒッキーが両腕を広げて迎える姿勢を取った。……ら、あたしは反射的にヒッキーの胸に飛び込んでた。

 すぐにハッとして離れるけど……うー……! ヒッキーずるい! ここここんなんじゃあたし、もう騙されないから!

 

「あの。じゃれあっているところ悪いのだけれど」

「はうっ!?」

 

 そうだった、ゆきのん! あ、で、でもヒッキーのことも……えっとえっと……!

 

「えと、なにかな、ゆきのん」

「その。二人は入部希望でよかったのよね? ……ようこそ、奉仕部へ。歓迎するわ」

「あ…………ゆきのんっ!」

「《がばぁっ!》きゃあっ!? え、な、なっ……!? ゆゆ、由比ヶ浜さっ……!?」

「人懐こいっていったろ? 隙あらば抱き着くから気をつけろよー」

「……知り合いから赤の他人に降格させてもらっていいかしら」

「やめてよぉ! せっかく部活仲間から始めたのに、そんなのやだよぅ!」

 

 なんだか懐かしい感覚だった。

 そうだったね、最初の頃のゆきのんってほんと、とりあえずなんでも断るみたいな雰囲気あったっけ。

 あんまり意識してなかったけど……ていうか仲良くなりたい一心で必死だったけど、あたし結構頑張ってたんだなぁ。

 んん……でも……頑張ったって意味なら、ヒッキーのことも一緒だよね?

 ずっとずっと好きで、好きで居続けて、今も好きで、好きで好きで。

 その想いが長く大きい分だけ、傍に居るととっても安心できる。

 前のあたしの時、なにかで〝馬鹿な女は頭が悪いから一途でいるしかない”なんて言葉を見た気がするけど……そうだとしてもそうじゃなかったとしても、相手も自分も大事にして大事にしてもらえるなら、馬鹿だろうと天才だろうとそんなのは関係ないんだ。

 勉強が好きになって、いろいろなものへの理解が増えたって、結局ヒッキーが好きって気持ちは消えなかったし。

 むしろ前のあたしよりももっと好きだ。

 どれくらい好きかっていうと……えと、ほら。うん。抱き着いてると、ぽーってなって、ヒッキーにならなにされてもいいやーって……ほら。

 

「それで、なのだけれど。早速最初の仕事を手伝ってほしいの」

「おう、あれだな」

「え? あ、うん。あれだね」

「? あれ、とは……何を頼むか解ったというの?」

「長机と俺達の椅子」

「でしょ?」

「え───……いえ、その通り……だけれど。……そうね、お願いできるかしら」

「任せとけ」

「えっへへー、あ、じゃあ机も拭かなきゃだね。ちょっと雑巾持ってく《ぎゅむっ》ひゃんっ!?」

「俺が行くからいい。お前一人を向かわせるとか、心配だ」

「うー……それってあたしが───」

「新しい環境で浮かれて調子に乗った男子に囲まれたりとかしないかって意味だ。新しい環境ってのに酔うと、人間なにをしでかすか解らんからな。ソースは俺。おまけに材木座とか」

「…………ぁぅ」

「頼りないとかそういう意味じゃないから、そんながっかりすんなよ」

 

 それを言われると弱い。

 入学式の日、ヒッキーはサブレを庇った所為で骨折したんだ。

 だからそれを出されちゃうと、あたしはなにも言えない。

 そうしてあたしが沈黙してると、あたしを後ろから抱きしめてたヒッキーは足早に部室を出ていってしまった。

 ……ヒッキー、運動を始めてから性格的にも前向きになった気がするな。

 前までのヒッキーだったら、同じことを思っても自分から動くことなんてしなかったんじゃないかな。

 それって、えっと…………だよね。えへへ。

 一人でにこにこして、ハッとしてゆきのんと話を始めた。

 きっかけはなにがいいかなーと思って、とりあえず考えて……あ、じゃあ、って、気まぐれな猫の話。

 すぐに乗っかってくれて、結構盛り上がった。

 ……うん、あたしの言ってる猫は、アホ毛が生えた捻くれた彼氏さんなんだけど。

 ああでも、今じゃそんなに捻くれてないよね。とってもやさしい。でもやさしいだけじゃないから、それがなんだか嬉しいんだ。

 一緒に歩くために、いろいろと足りないものを教えたり付き合ったりしてくれる。

 

「………はふ」

 

 一度だけ、もし自分が犬になったらー、なんて話をしたことがある。

 いっぱい怒られた。

 飼い主はヒッキーがいいなー、なんて言ったら、俺みたいな人格破綻者が世話だの教育だのを誰かにするとか馬鹿げてるって。

 それをするならまず自分が変わる必要があるから、間違っても誰かと一緒に歩く覚悟も持たない、口を開けば欺瞞欺瞞言ってるだけの馬鹿のペットにはなるなって。

 ……あたしが言ってるのは今のヒッキーなのにな。

 そう言ったら真っ赤になってた。

 真っ赤になって、“それは嫌だ”って。ちゃんと由比ヶ浜結衣のまま、隣に居てくれって。

 やっぱりずるい。泣いちゃったよあたし。

 

   ×   ×   ×

 

 そうして始まった奉仕部は……とっても暇だった。

 長机を用意して、いつかのままの位置に座って……みたんだけど、ゆきのんともヒッキーとも距離を感じて、結局詰めた。

 

「これだけ長い机だというのに、なぜこんなに固まって座る必要が───」

「え? だってほら、近いと楽しいよ? それにさ、依頼人が来たらさ、やっぱ三人で正面向いて聞きたいし」

「そう、かしら……そういうものかしら」

「そうそう! ね、ヒッキーっ!」

「へ? あ、ああ、そうなんじゃねぇの?」

「ヒッキー!」

「うおっ……い、いや、すまん、なんかちょっとアレがアレでな……。懐かしさの所為か、自分に話を振られるとは思わなかったっつーか」

「むー……」

「悪かった、ちゃんと聞くから。……そだな、雪ノ下、一気にじゃなく、少しずつ妥協してみりゃいいぞ。それは敗北じゃなくて譲り合いだ」

「……いえ、べつに勝ち負けにこだわっているわけではないわ。ただ、私にも譲れないものというものがあって、それを言わせてもらうのなら、由比ヶ浜さんは───」

「あたしにだって譲れないものくらいあるよ? それ言ったらゆきのんは───」

 

 あーでもないこーでもない。

 あたしとゆきのんはお互い思っていることをぶつけあって、ヒッキーが苦笑する横で親睦を深めた。

 何度も何度も、これでもかってくらい話して頷いて、そうじゃないよって首を横に振って。

 そうやって、まずはお互いを知る努力から始めて───そんな日を何日も何日も続けた。

 隣ではヒッキーがやっぱり苦笑してて、でもあたしのやりかたを否定するとかそういうのは全然なくて、むしろお互いが最初から思いをぶちまけられるなら、最初からそうしちまったほうが楽だろ、なんて言ってた。

 

  そして……二週間。

 

「えへへへへへぇ」

「うぅ……その、由比ヶ浜さん、やっぱり近すぎではないかしら……」

「そんなことないよ、友達ならとーぜんだよっ!」

「そ、そう、なの……? そうなの……」

 

 妥協して頷いて解り合って譲り合って、たくさん話をして……勉強も一緒にやって、歌も一緒に聞いたりして、気づけばゆきのんとの距離は無くなってた。

 あたしがゆきのんに夢中の間、ヒッキーはヒッキーでさいちゃんと仲良くなって、あたしとゆきのんも合わせた四人でジョギングとかもしたりして、口にはしなかったけどゆきのんの体力作りも合わせた、いつかのさいちゃんの依頼の土台作り、ってのをヒッキーの案で始めた。

 それにしても、なんか安心。

 ゆきのんが近いってだけで、あたし、すごく落ち着いてる。

 隣に居ても、“近い”って言うだけで拒絶はされない。

 紅茶も淹れてくれるようになったし、遊びに行くことも……たまに。

 ただ、ここでのゆきのんは車で送迎されてた。

 あの事故がなかったからなのか、ただ単に“ここ”がそういう流れになっただけなのか。あたしには解らないけど、とりあえず遊びたいって予約入れておかないと、ゆきのんは送迎を優先させるから一緒には遊べない。

 一人暮らしをしてみたいって言ったんだけど、ゆきのんのママが大反対したんだって。ゆきのんのパパは大賛成だったらしいんだけど。

 あと一週間以内になんとかしてみせるわ、なんて言ってた。

 

「由比ヶ浜さんは、その。親に期待をされすぎている、ということはないの?」

「期待……えっと。はやくそのー……こ、子供が見たいって」

「うくっ……!? い、いえ、期待というのはそういう意味ではなく……ええと。親の家業を継ぐため、という方向での、将来の期待とかよ。……あなたも比企谷くんも、大分成績がいいでしょう? そういう方向で何かを願われている、とかは……」

「んー、ないかなぁ。やりたいことをやりなさいって言われてるし、笑顔になれないことはママが許しませんって怒られちゃってるし」

「……そう。やさしいお母さんなのね」

「えへへ、たまに強引だけどね」

「その……比企谷くんのご両親は……?」

「んあ? あー……基本放置だな。真面目で頼り甲斐のある長男を目指してみたが、余計に放置がひどくなっただけだった。まさか俺だけ由比ヶ浜家に預けて小町と旅行行くとかするとは思わなかったわ」

「あー、あれは驚いたよねー」

 

 そう。ヒッキーは前の世界で旅行に置いていかれていたそうだけど、この世界でもそうなんだ。

 ヒッキーのパパが“八幡、お前は旅行よりも結衣ちゃ───”“あらー、比企谷さん? ヒッキーくん……こほん、ハチくん以外に男性が結衣を名前呼びなんて、許しませんよー?”“───ごごごごめんなしゃいっ!? えぇえっとそのあれだほら! 旅行よりも娘さんと一緒に居たいだろ!? 居たいよな!?”……とかなんとかいうやり取りのあと、ヒッキーがあたしの家にお泊りしたりしたことも何度かあった。車で迎えにいって、一緒に団地に戻るなんて結構楽しかった。

 何年か越しの気の長い説得っていうか付き合いで、もうパパもなんだかんだでヒッキーのこと気に入ってくれてるし、将来お酒に付き合う約束もしたってヒッキーが言ってた。

 いつかパパにお酒を買って、一緒に飲む予定ができた、なんてヒッキーは笑ってた。

 そのお酒も、二十歳になったらすぐに買って飲んでみたい、なんて言ってる。

 あたしたちはとにかく無駄遣いをしない。お金をずうっと貯めてるし、特にヒッキーは物心ついた頃から家族に誕生日を祝われないで、お金だけ渡されてたらしくて、それも貯めてるから結構すごいみたい。

 前のあたしだったらすぐに友達との遊びで無くしちゃって、貯めるなんてしなかったなぁ。だからやりくりを覚えたし、少しでも安くなればっていろいろ考えた。だから計算は少しだけ得意だった。それが数学の授業やテストで役立つかって言ったら全然だけど。

 ま、まあ今はヒッキーと一緒に勉強したりして、ゆきのんにも認められるほど、まあまあ頭はいいつもりだし!

 

(わ……)

 

 ……優美子と付き合いがあるわけじゃないのに、たまに“し”が出てくることに結構驚く。

 ごめんだけど、この世界では深い関係の友達はそんなに作らないつもりだ。

 どうしてもお金が飛んじゃうし、あっちにふらふらとかはしたくない。

 だから、なんだかんだでぶつかり合ってた優美子とゆきのん、その両方と友達っていうのは、やっぱり難しいし……気になっちゃうだろうけど、そこは我慢。

 “これ”って決めたらちゃんと選ばないとだ。

 あたしとヒッキーは、もう選んだから。他に揺れるなんて、あっちゃいけない。

 

「ゆきのんのママは?」

「……。あれは厳しい、という部類に入るのかしら。自分の思い通りにならないことを嫌うのは皆同じだし、自分より上手い人が居るのなら、その人に任せた方が効率から言えばとてもいい。けれど───」

「ゆきのん?」

「いえ、なんでもないわ。そうね……ただの、そう。ただの、我が儘な……人間よ」

 

 そう囁くように言って、ゆきのんはフッて笑った。

 その微笑みがどんな意味を持ってるのかは解らないけど、その日から……ちょっぴり、ゆきのんはこっちに歩み寄ってくれた気がした。

 



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夢が繋がった日③

 しばらくして、ゆきのんが一人暮らしを始めた。

 やっぱりゆきのんのママにはとても反対されたらしいけど、ゆきのんのパパは賛成してくれたみたいで、高校にも一人で通ってる。

 前より誘いやすくなったし、運動とかも積極的に混ざってくれるようになった。

 ジョギングとかストレッチとか。もうあたしもべたーって出来るから、ヒッキーと一緒で体の柔らかさとか、けっこー自慢だったりする。

 ……うん、座って、両足開いて、上半身をべたーって地面にくっつけるのは、他のやつの前ではやるなってヒッキーに言われてるからやらないけど。

 中学の時にやって、男子の目が気持ち悪かったから、もう絶対やだし。

 まあ、えと。それはそれとしてなんだけど……うん、奉仕部。そう、奉仕部。

 奉仕部は、相変わらず暇してる。

 

「おお、百点満点。さすが俺」

「くっ……! まさか、比企谷くんに……!」

「えへへぇ、数学でゆきのんに勝っちゃった……!」

「!?《がーーーん!》」

「ゆきのん!? なんでそんな驚くの!?」

「い、いえ、だって……普段のあなたから考えると、なんというか、その……」

「まあようするに行動が馬鹿っぽいってことだろ」

「誰がバカだ!?」

「ごごごごめんなさい、そうではないのよっ……! 比企谷くん、少し黙っていてちょうだい」

「………《ニヤニヤ》」

「その気色の悪い笑みで見つめるのもやめなさい」

「なにそれ理不尽」

 

 依頼者なんてちっとも来ないまま、集まればお話したり勉強したり。

 そんなことを続けて、やってきたテストで、まさかの百点満点。

 ゆきのんは軽いミスをしちゃったみたいで、ひとつだけ間違って……結果がこれ。

 仕方ないよね、急な一人暮らしの所為でまだいろいろ戸惑ってるんだろうし。

 でも……えへー、やっぱりひとつでもゆきのんに勝てたのって嬉しい。

 料理も勉強もだめだったからなぁ、あたし。

 

「………~♪」

 

 ゆきのんがどんどんと近くなる。あたしはそれが嬉しい。

 ヒッキーに言わせると、高校生活を一年まるごとぼっちで過ごせば、心だってどうあっても冷たくなるもんだって。

 だから一年の始まりから知り合えたのは幸運だったって。あ、おまけに“ソースは俺”とか言ってた。……そだね、ヒッキーも骨折して入院しちゃった所為で、あっちじゃ一ヶ月近く休んで……一年間ぼっちだったから。その、あたしはちょくちょく様子見に行ってたけど。

 あたしも勇気だして、もっと早くにヒッキーに声かけてたら、とっくに……だったのかなぁ。

 それこそ、ヒッキーの病室に行って全部謝って全部打ち明けて、えと、あの頃はまだちょっと形になってなかった気持ちとか、燻らせたまま……ほら、友達なんかになっちゃってさ。

 でさでさ、毎日お見舞いに行って、ゆっくり仲良くなって、ぼっちのエリートなんかじゃないヒッキーと……いつか。

 

「…………《じー……》」

「お、おお? 結衣? どした?」

 

 そんなことを考えてたら、じーってヒッキーのこと見てた。

 恥ずかしかったのか照れなのか、ヒッキーはちょっともじもじしながらあたしを見る。

 目は腐ってなくて、髪型とかも小町ちゃんに“結衣お姉ちゃんみたいな可愛くて綺麗な人が婚約者なのに、自分の容姿に無頓着とか小町的にポイント低い!”って、えーと……モテる男のなんたら~って本を開いて勉強させてた。……んだけど、ヒッキーは一言、あたしに“どんな髪型とか服装がいい?”って訊いてきて、あたしはびっくりしながらそれに答えていった。

 そしたら……なんか、もう。もうもう。

 休日とかね、ヒッキーすごい。格好いい。

 たまたまヒッキーのママ……えと、もうお義母さんって呼びなさいって言われちゃってるけど、えとー……えへへ。じゃなくて。

 たまたまお義母さんが連休の時に服を買いに行こうってことになって、お義母さんに何処に行くんだって呼び止められて、素直にデート用とかの服を買いに行くってヒッキーが言ったら、お義母さん、ニ~ヤ~って。すっごいやさしいし嬉しくてたまらないって顔で、ヒッキーにお金握らせて“……男、いや……漢になってきな、八幡”なんて言ってた。すっごいイイ顔で。

 その軍資金がとんでもなかったからすぐに返そうとしたヒッキーだけど、お義母さんは“あんたにゃいつも家のこととか小町のことで迷惑かけてる。言っちゃなんだが自慢の孝行息子だ。これはその礼みたいなもんだから、遠慮……いや。こんな時まで我慢すんじゃない”ってヒッキーの背中を叩いた。

 それから服を買って髪型も変えてみたら……すごかった。

 うん、なんていうか……すごかった。

 学校だと今まで通りの髪型だし、いつも通りなんだけど……休日、すごい。

 そんな人が今では、小町ちゃん言うところの好き好きオーラを遠慮無しにあたしにぶつけてくるから、えと、なんてのかな。えへー……恥ずかしいのと違くて、照れるっていうか。うん。嬉しいんだけど、こう……ほら。えと。

 ……し、幸せってこんな感じなのかなーって、ぽーっとしちゃうんだ。

 さいちゃんもゆきのんも、初めて見た時驚いてたもん。

 

「えへへぇ」

「《きゅむっ》……っと。……あー、うん」

「《なでなで》わぷっ……んー……!」

 

 奉仕部で過ごす静かな読書の時間。

 隣に座るヒッキーの腕を静かに抱き締めて、自然と緩む頬に、嬉しさを感じる。

 なんか、なんかだー。なんかもうあたし、いろいろあれだ。ヒッキーと一緒で嬉しい。

 今さらだけど、やっぱり好きだ。確認するまでもないけど、好きだ。

 でもちょっと心配。

 初めて服を買って、じゃあいっそって髪型も美容院でビシっとして帰った時、すごかったもんね。

 あの格好で一人歩きとかしてたら、絶対に声とかかけられちゃいそうだ。

 お義母さんに本気で“誰!?”って驚かれてたもんなぁ。

 でも……うん。

 ヒッキーの本当にいいところはそういう外見的なものじゃないから。

 そうしてもっと、ヒッキーのことを知ってくれる人が増えたらなって、そう思うのに……女の子に声をかけられるのを見ると、ちょっぴりモヤっとしちゃう自分が嫌だった。

 ……前の時、ゆきのんの時もゆきのんが誰かと仲良くするのが嫌だって思ったけど……あたし、ほんと独占欲強いのかなぁ。……強いんだろうね。

 空気を読んでなにかを譲ることはあっても、本当に大切なものは……絶対に、譲りたくないって思う。

 

「しかし、こうなると二年の教科書も欲しくなるな」

「入学して半年も経っていないというのに、また随分と自由な言葉が出たわね」

「文系方面には自信があるから、理系に集中していれば問題ない……と断言は出来ないが、多少自信があるんだ」

「あたしはそれほどでもないかなぁ。えっとヒッキー、ここの解釈ってこうでいいんだっけ?」

「まあ、高校で覚えるものにもいろいろあるよな。そもそも漢字の読み方が違う。これの読みはな」

「ふんふん……は~、やっぱヒッキーって国語強いね」

「案外覚えてるもんだな。いや、こういうのの場合は“触れて思い出してる”って言ったほうがいいのか?」

「……? まるで一度学んだことがあるような言い方ね」

「おう。実は俺、知り合いの卒業生に教科書見せてもらったことがあってな。それを覚えてるもんだなーって」

「……そう、そういうこと。卒業生といえば……、……」

「ゆきのん?」

「いえ。ただ、姉もそうだと言いたかっただけよ」

 

 ゆきのんは陽乃さんに関わる話になると、言葉を詰まらせる。

 あたしはキョウダイっていうのが居ないから気持ちが解らないけど、そんな言葉に詰まっちゃうようなものなのかな。

 ヒッキーに言わせると、それこそ言葉に詰まるどころか溢れ出るのに。

 そんなゆきのんの反応を見て、ヒッキーはさっさと話題を変えちゃった。

 ……なんか、ヒッキーも変わったな~って。

 前の時でもこういうことはしたかもだけど、どっちかっていったら自分が絡まなきゃ流れに任せるみたいな感じだったのに。

 や、それでもなんだかんだ首突っ込んでくれてたんだけど。

 …………。えへへ。あ、や、思い出し笑いとかはいいから。

 

「……今日はここまでにしましょう。そろそろ完全下校時刻になるわ」

「っと、もうそんな時間か」

「時間が経つのって速いよね。昔はもっと長かったのになー」

「? 普通は、覚えるものが多いと短く感じるものではないかしら」

「いや、雪ノ下、結衣の場合は勉強に限ってのことだ」

「ヒッキー!? なんで言っちゃうの!?」

「……ええと? つまりそれは───」

「昔は解らないことだらけで、むしろ覚えようともせずに時間の経過を待ってたタイプ……って言えば解るか?」

「……《じと》」

「ちちち違うんだよゆきのん!? あれはただ理解の範疇を超えてたってゆーかっ! もうヒッキーもなんでこんなこと言っちゃうの!? 話題出したのあたしだけど!」

「由比ヶ浜さん、それは自分で答えを言っているようなものよ」

「ふぐっ!? ……うー、うー……!!」

「《くいくいくいくいくいくい》や、ちょ、やめなさいこら服引っ張らないの……! 悪かった、悪かったから……!」

 

 図星を突かれて、っていうかあたしも思ってたことを指摘されて、なにも言えなくなっちゃった。結構恥ずかしい。ヒッキーには解ってもらいたくてくいくい服を引っ張ったけど、ヒッキーは言葉の割にくすぐったそうに笑いながら、シャーペンを置いて左手で服を引っ張るあたしの右手を掴んで、右手でぽんぽんと頭を撫でてくれた。

 それだけで、ふしゅーって恥ずかしさとかが抜けちゃうあたしって、単純なのかな。

 いいよね、それで。だって、そのほうが幸せだ。

 

「あ、ゆきのん、今日は遊べる?」

「勉強をしたあとに遊ぶ……まるで小学生ね、由比ヶ浜さん」

「楽しみたい心に年齢なんて関係ないってばゆきのんっ」

「比企谷くん、あなたの恋人でしょう。止めてちょうだい」

「その躾がなってないわよみたいな顔やめない? お前、結衣に対して一気に馴染みすぎな上に遠慮無くしすぎでしょ……」

「遠慮を無くされたのなら返さなければ負けているみたいじゃない」

「お前って、負けず嫌いな……」

「おかしなことを言うのね比企谷くん。世の中、好んで負けることを選ぶ人なんて、人生に“諦め”を張り付けた人くらいなものよ」

「《ゾグシャア!!》……無自覚な抉りってわりとダメージデカいってこと、久しぶりに体感したわ……。だよなー、最初の頃の雪ノ下ってアレだったもんなー。思い出しても泣きそうになるよ……」

「?」

 

 今度はゆきのんに見えないとこで、ヒッキーから服をくいくいされた。

 なんだか嬉しくなってその手を掴んで、なでなでさらさら。

 たま~にこうして甘えてくれると、胸がこう……なんてのかな、えっと。えへへ。きゅーってゆーか、ぎゅーってゆーか、とにかくええと。頭よくなっても、例えられる言葉ってなかなか見つからないことってあるね。

 だったら、やっぱり、だよね。

 楽しいなら言葉の飾りつけなんてしなくて、楽しいって言えばいいんだ。

 今のあたしは…………嬉しい、だね、やっぱり。

 

「まるで~僕らの~青春は、コメディーみ~た~いに~」

 

 あ。でもヒッキー、久しぶりのダメージが辛かったのか、悲しい歌を歌い始めた。

 

「貶され笑われ嘆いても~……変わらない自分めざ~して~」

「ヒ、ヒッキー?」

「ドキドキすること~、この胸に~、や~ぁって~こいー」

 

 なんか目がどよどよしてきてる!? ヒッキー!? ヒッキーってば!

 

「子供が無邪気に駆け抜ける~、み~た~~~いに~~……燥ぎたいんだー……」

 

 青春17ワロス、とか言って、ヒッキーはあたしの手にのの字を書き始めた。

 なんか見てらんなくなって抱き締めたら変な声だして戻ったけど。

 

   ×   ×   ×

 

 楽しくて眩しい時間が過ぎてゆく。

 高校二年生になって、ヒッキーと同じクラスになって、優美子に誘われたけど“葉山くん”のグループには入らず、女子だけのグループで楽しんで。

 結局優美子とは友達になった。我慢しようとしたけど、だめだった。

 あ、でもお金とかは使わない方向でっていう自分を最初にちゃんと伝えたら、“むしろ無駄遣いとか逆に許さねーし”って笑ってた。

 この世界でも優美子は葉山くんのことをちらちら見てる。

 時々一緒のグループ作らない? って訊いてくるけど、人が増えればそれだけ難しいことも増えてくる。

 あたしはもう目標があるから、遊ぶことになったって“じゃあ一緒に”は無理だからって伝えたら、それでもって優美子は一歩を踏み出した。

 それからは、優美子とはそんなに話してない。

 顔を合わせればいっぱいいっぱい喋るけど、お互いに気になる相手が居るし、無駄遣いもしない二人だから、喫茶店に集まって女子会~っていうのも全然だ。

 気づけばいつかみたいにクラスの女子の中心って位置に居た優美子は、やっぱりちらちらと葉山くんを見ては赤くなってた。

 

  あたしはいつも通りだ。

 

 ヒッキーの隣の家に越してきてから、ヒッキーとはずっとジョギングとかストレッチを続けて、体力作りとかの運動もばっちり。これでも運動神経とか自信ある。前のあたしはそこまでじゃなかったけど。

 ゆきのんもさいちゃんも一年で大分体力がついたって喜んでたし、特にゆきのんがすごい。元々運動神経がよかったから、休日にテニスとかやると、もうほんと、すごい。さいちゃんの練習のためだったのに、気づけばあたしもヒッキーも巻き込まれて、ゆきのんが手伝えない時でもさいちゃんの練習相手が出来るくらいにまで、まあまあ上手くなってた。

 ヒッキーがそこに足すみたく、柔道も教えてくれって言った時は、ああ、あれかなって思った。うん、あたしも頑張った。

 それはそれとして、テニスってやってみると面白い。走って振るって……うん、でも長くやってると胸痛い。

 あ、えと。休日のことは今はよくて。

 そう、あたしの学校での過ごし方とか、そのあとのこと。そう、いつも通りのこと。

 休み時間の度にヒッキーの席に行って話をしたり、お昼になれば一緒にご飯食べたり、放課後になればヒッキーと一緒に奉仕部に行ったり、ヒッキーと一緒に下校してヒッキーの部屋で勉強したりお話したりごろごろしたり、ヒッキーのベッドで一緒に寝たり、朝いちばんにヒッキーにおはようって言ったり、ヒッキーと一緒にご飯食べて、ヒッキーと一緒に登校して、席替えでヒッキーの隣になった女子と席を代えてもらったりして、ヒッキーの隣でヒッキーと授業を受けてー……こんな幸せな時間を残したくて、日記とかつけてみようかなーってゆきのんに言ったら、どうせ比企谷くんのことしか書かないのだからやめなさいって言われた。

 そ、そんなことないよ!? ほら、えっと………………か、帰りに買い物とかするし! ……ヒッキーと。

 楽しい番組とか見て笑ったーとか……ヒッキーと。

 ととと解けなかった問題が解けて喜んだーとか! ……ヒッキーと。

 バババイトとかもめっちゃするし! ……ヒッキーと同じ場所で。

 え、や、ちょっと待って!? やめてよゆきのん! なんでそんなやさしい顔ではいはいって笑うママみたいな顔してんの!?

 

「うー……」

「うーっす……って、おい雪ノ下。なんで結衣、ふてくされてんの。人がトイレ行ってる間に喧嘩があったとかやめてくれよ?」

「由比ヶ浜さんが自爆しただけよ。悪いことではないし、むしろ微笑ましい部類の悩みだから、比企谷くん。あなたがつついてあげなさい」

「つついてって。……結衣? 結衣ー?」

「~~……あ、あたし決めた! ヒッキー断ちする!《どーーーん!》」

「………」

「………」

「…………俺。お前になにかしちまったかな……。ごめん、結衣……なにも思い当たらないんだ……」

「うひゃああ!? そうじゃないよヒッキーはなんにも悪くなくて! むしろあたしがだめだなぁって思うことばっかで! えとえとっ……あ、あのねヒッキー、聞いて? さっきゆきのんと話してて気づいたんだけど……」

 

 泣きそうな顔のヒッキーに慌てて自分の気持ちを伝える。

 ヒッキーのことばっかで、このままじゃなんていうか、ダメになっちゃうんじゃないかって思ったから、あんまりにもべったりな今のあたしをなんとかしようって思ったことを、真っ直ぐに。

 

「けれど由比ヶ浜さん? 比企谷くんの話をきちんと受け止めると、あなたは比企谷くんと一緒になってから随分と能力を向上させたようだけれど……」

「いや俺べつにそういうこと言ってねぇから。人一人を俺が育てたとか偉そうに言えるほど、人として誇れる道とか歩んでないからね? 俺」

 

 確かに、ヒッキーと会ってからのあたしは……随分変われたんだと思う。

 会ってからっていうのは、サブレを助けてもらってから。

 周囲に合わせるだけだったあたしが恋を知って、奉仕部を知って、自分の意見を伝えることを前に出す喜びを知って。

 この世界でもヒッキーともう一度出会えて、頑張ることが出来て、頭もよくなったし料理も結構いけてる。

 それはそうなんだけど、そろそろヒッキーにべったりな自分も卒業して、強くならなきゃって。

 

「あたし、がんばるから!」

「……そう。頑張りなさい、由比ヶ浜さん。一日くらい」

「うん! ……え? あの、ゆ、ゆきのん違うよ? あたしもっとこう……」

「明日を楽しみにしているわね」

「ゆ、ゆきのん? 聞いて? ゆきのん? ゆきのーん……」

 

 穏やかに笑いながら読書に戻るゆきのんに、もうあたしの声は届かなかった。

 

……。

 

 完全下校時刻になると、部活が終わる。

 鍵を返してくるわと言って別れたゆきのんに、「おう」って返事をするヒッキー……の、左腕から目が離せない。

 部室出て一歩目でこれだった。

 抱き着きたい。あそこ、あたしの場所。

 なんかそんな意識が噴水みたく湧き上がってくる。

 あ、あれ? こういうのってじわじわ湧き出してくるものなんじゃないのかな。

 おかしいのかな、あたし。

 

「………《じー……》」

「いや……おい」

 

 一緒に下校。

 左腕。じー。

 

「……───ってことがあってな、あの時小町が───」

「そうなんだ! もー、ヒッキーはー!」

 

 電車に乗らず、歩いて下校。好きな時間。

 他愛ない会話で、ヒッキーの肩をぽすんって叩いたりして、触れると胸がとくんどころかどくんって鳴って…………えと。

 左腕。じー。

 

「……いや……」

 

 家の前。

 いつも通りヒッキーと、ヒッキーの家に入ってただいまーって違うよ!?

 きょ、今日は違う! ちゃんと家に帰るの! ヒッキー断ちしてるんだから!

 そそそそうだ! 家に帰ってー、「ただいまー」部屋に戻ってー、「んしょ……うう、また胸おっきくなったかな……」着替えてー、「いってきまーす」ヒッキーの家に……ってだから違うよ!?

 ななななんでそうなんの!? ヒッキー断ちやってるんだってば! ほら、戻って! 戻るの! もどっ……も…………

 

「…………《じー……》」

 

 えと。

 ちょ、ちょっとくらい顔見るとか……いいかな。

 あ、でもいきなり行ったらほら、あたしの決意とかそんなもんかーって笑われるかもだし……あ、用事とかがあればいいよね!

 ほ、ほら、ママがなんか急に晩御飯作りすぎちゃったーとか!

 

「《ガチャバタン! バタバタバタ……!》ママ!」

「あら結衣、今日はもう料理、手伝ってくれるの? まだヒッキーくんと一緒じゃなくて───」

「これ晩御飯!? お裾分けしてくるね!」

「え? ちょ、……結衣~!? それまだ作りかけっ……結衣!? 結衣ー!?」

 

 ことこと揺れてたお鍋を手に、ヒッキーの家に突入。

 迎えてくれた小町ちゃんに鍋を見せると“わあっ……!”って顔になって、入ってから鍋を開けると“うわあ……”って顔になった。

 うん……作りかけだね。あたしもうわーだよ。自分にうわーだ……。

 こっちで仕上げようと思って、って言い訳をすることでなんとか納得してくれた小町ちゃんだけど、うう……絶対に怪しまれてるよね……?

 

「~♪」

 

 でも大丈夫、あたしももう、ヒッキーになかなか美味いって言ってもらえるほど、料理の腕は上がってる。

 このお鍋がなにになる予定だったのかはまだちょっと解んないけど、なんならママに連絡して作り方を……

 

「さーさどうぞどうぞお義母さん」

「ごめんなさいねー小町ちゃん。結衣ったらハチくんのことになると周りが見えなくて」

「あれ……ママ? どしたの?」

「どしたのじゃないでしょ、もう……ママ久しぶりに叫んじゃったわよ。それはまだ結衣には教えてない料理なんだから、勝手に暴走しないの。まったく……それで? 今回はどうしたの?」

「今回って……そんな毎回なにかやってる、みたいな言い方……」

「ハチくん関連で毎回やらかしてるじゃないの」

「あぅ……」

 

 言い返せなかった。

 今日だって、ヒッキーの顔が見たくて暴走しちゃったし。

 なのにヒッキー、部屋に居るみたいで下りてきてくれないし。

 うう……ヒッキー、ヒッキィ~……。

 

「ていうかお義姉ちゃん、会いたいならいつも通り会いに行ってらぶらぶいちゃこらしてくればいいじゃないですか」

「だ、だめ。今あたし、ヒッキー断ちしてるから」

「───……」

「───……」

「お義母さん、料理、始めましょうか」

「そうねー、それじゃあ小町ちゃん、エプロン借りるわねー?」

「……あれ? ママ? 小町ちゃん? えと……あれ? あたしあの……ねえ? ねえー……?」

 

 ママと小町ちゃんは、コンロの上に置かれてる鍋をちらりと見ると、やさしい顔で料理を始めた。

 あたしの言葉は右から左。

 あ、あれ? ねぇ、聞いてる? ママ? 小町ちゃん?

 ちょっ……あれー!?

 

……。

 

 少しして、いつも通りヒッキーの家で食事。

 調理の最中、ずっとママとか小町ちゃんにからかわれた。上にいかないのかーとか、熱があるのかーとか。二人ともひどい。

 で、今はこうやって食事中。ヒッキーと小町ちゃん、ママとあたし。

 他はお仕事で帰りは遅いから、いっつもこの四人。

 でも今日のあたしはママの隣で、ヒッキーの隣は小町ちゃん。

 

「《じぃいいいいい~~~~ぃいい……!》」

「うぐぉ……あの、お義姉ちゃん……? 小町、そんなにじいっと見られると、年頃乙女とは思えない奇妙な声とか出しちゃうんで、やめてほしいなーと……ていうかもう隣に来たらどうですか?」

「へ、や、やっ……だだだめだよっ、あたし今、ヒッキー断ち中だから!」

「あらー、だったら結衣は家の方で一人で食べる?」

「…………~~《じわぁ……!》」

「ゆ、結衣? なにもそんな泣きそうな顔することないでしょー……? ああほら結衣、ママが悪かったから……」

「なんていうか、お義姉ちゃんってばお兄ちゃんのこと好きすぎですね……。そんなお義姉ちゃんに質問ですけど、なにを以ってお兄ちゃん断ちとしてますか?」

「え? やー……それは、ほら。腕に抱き着かないとか、すりすりしないとか……ヒッキーの部屋で話したり、一緒の布団で寝たりしない…………とか…………《ずぅううん……》」

「あの、もうほんと好きに寝ちゃってください、見てるほうが気の毒になるほど落ち込まれると、小町すっごく辛いっていうか」

「小町、真顔で返すのやめたげなさい。せめて笑って返してやれ。俺も今めっちゃ恥ずいから……!」

 

 がまん、がまん。

 ヒッキーの隣にはあたしが、とか思っちゃってるけど、我慢。

 そうだ、なにも関係をゼロにするってゆーのじゃないんだから、ヒッキー断ちをやめたらいっぱいくっつけばいいんだ。

 うん、よく三日坊主って言葉があるし、四日我慢すればいいよね?

 四日なんてすぐだ。ヒッキーと一緒だと一週間だってあっという間なんだし。

 だからヒッキーと離れて、学校からここまででもとっても長く感じたのに、それを四日………………四日。

 

「よっか……《ずぅううう………ん……》」

 

 一分が長い。一時間が長い。よっか。長い。

 あ、そ、そだ、勉強すればいいんだ。あたしは頭がよくなって、ゆきのんはあたしが“ヒッキーにそこまでべったりじゃない”って納得出来て、日記だって意味があるんだーって解って貰えて。

 そ、そう、日記。今日から日記を書くんだ。

 ヒッキーと離れて過ごしたこととか、ヒッキーとはせずに一人で勉強したこととか、一人で番組見て、部屋で一人で過ごして、ひとりで、ひとりで…………

 

「よっか……《ずぅうううううう……ぅうん……!》」

「……お兄ちゃん。お義姉ちゃんが“よっか……”しか言わなくなっちゃったよ……」

「……大方、三日坊主の一歩先に行こうとか考えて、四日は続けようとしてるんだろ……」

「!《ビクーン!》」

「あ、肩がびくーんって……図星ですかお義姉ちゃん」

「結衣? 無理はしないほうがいいわよ?」

「む、無理なんかしてないもん《プイッ》」

「もう、この娘は……。ハチくんと会う前はあんなに素直だったのに、すぐイジケるようになっちゃって」

「イジケとかそういうのじゃ───っ……! …………ないもん《かぁああ……!》」

 

 自覚してる。ごめんママ、こんなの自分勝手なワガママだ。

 自分で言っておいて、全然守れてない。

 ヒッキー断ちっていうなら、ママが言うみたいに自分の家に戻って一人で居るべきなのに。

 見えないと怖い。あの瞬間みたく、今度はヒッキーだけが居なくなっちゃうんじゃないかって、怖いんだ。

 

「………」

 

 居なくなる。

 それって、別の部屋で寝てる最中に、急にヒッキーが病気とかになったりしたら───

 

「っ……!」

 

 そんなことあるわけない。

 でも、じゃあ、どうしてあたしたちはあの時、車に襲われるようなことになったんだろう。

 そんなことあるわけない、が起こったからじゃないのか。

 じゃあ、そんな安心は当てにならないんだ。

 ……思わず、涙が浮かんだ目でヒッキーを見てしまう。

 ヒッキーは……黙々とご飯を食べてる。

 ヒッキーは不安じゃないのかな。あたしがもし、とか……考えないのかな。

 そんなことを考えてたら、ママが頭を撫でてきた。

 うぅう……子供扱いされてる……。ヒッキーにされると喜んじゃうけど、ママにされると恥ずかしい。恥ずかしいのに……安心する。

 ……やっぱりあたし、弱いままだなぁ。

 

「……結衣。結衣のやりたいようにやればいいのよ」

「ママ……」

「我慢して後悔なんか、しちゃだめよ? ママ、結衣にはあまりなにかをしてあげられなかったけど……そんな後悔をするようなことを選ぶなら、絶対に怒るから」

「……うん」

 

 ママが背中を押してくれる。

 一人で決められたらなって思うけど、そんなのはもっとちゃんと自分で立てるようになってからだ。

 まだまだ努力が足りないんだ、きっと。

 だから、今はまだ我慢する。

 そんなことあるわけない、を心配してたら、それこそあたしはヒッキーから離れられない。

 

「……で、お兄ちゃんは後悔とかだいじょぶそ? いっつも自慢の兄で、小町的にポイントも鼻も高いけど」

「しゃーないだろ……結衣が頑張るっつってんだから」

「そーじゃなくて、お兄ちゃんは? どうしたいの?」

「抱き締めて甘やかしたい《キッパリ》」

「うわー……あのお兄ちゃんにここまで言わせられるのって、やっぱりお義姉ちゃんだけだよね……」

「俺断ちって言ってるんだから協力は当たり前だろ……。当たり前だけど…………」

「……え? な、なに? 小町の顔になんかついてる?」

「《スッ》……、……はぁ」

「ちょ!? 今頭撫でようとして溜め息ついたでしょ!? どっ……どーせ小町じゃお義姉ちゃんの代わりにはならないけどっ! ならないけどー!!」

 

 ……とか思ってたら、ヒッキーがちらちらこっち見てきてた!

 あたしが気づかなかっただけで、なんか結構見てきてる……わ、わわ……あたしだけじゃなかったって思っただけで、胸がすごい……うう、やっぱりあたし…………ううん、単純でいいや。あたしはヒッキーが好き。答えなんてそれだけでいいんだから。

 でも我慢だ。今日はもう我慢する。

 こんな調子で四日だって一週間だって我慢できる自分になるんだ。

 うん。

 ……うん。

 出来ると思うんだけど……うん、出来る。

 でも、ないとは思うけど、ヒッキーから求められたら、我慢出来る自信とか、ないや。

 

……。

 

 で、翌日。

 

「《ぎゅうううう……!!》…………」

「はぁ。結局こうなったのね」

 

 放課後の奉仕部で、あたしはヒッキーの腕に抱き着いてすりすりしてた。

 だ、だって、ほら、アレがアレで………………だって。

 

「それで? 比企谷くん、昨日奉仕部を出てから何秒保ったのかしら」

「秒とかひどい!?」

「一秒後には俺の左腕をちらちら見てたな」

「ヒッキー!?《がーーーん!》」

「そう。抱き着かなかっただけ素晴らしいものね……それで?」

「会話をしてなにかの拍子に“もー、ヒッキーはー”とか言って肩を叩いてきたりした拍子に、その手が流れるように腕に絡まりそうになって、その度にハッとして引っ込めて、うーうー唸ってた」

「や、やめてヒッキー! やめてよぅ! てか見てたの!?」

「いや、そりゃ見るだろ……隣で顔真っ赤にしてうーうー唸られてちらちら見られまくってるのに、気づくなってのは不可能だ」

「そう。それで?」

「家が隣同士なのは前に話したよな? まあ今までの流れで一緒に俺の家に入りそうになって、慌てて自分の家に戻ってって、どうしてるのかなーって自分の部屋の窓から結衣の家見てたら、私服に着替えた結衣がぱたぱた出てきて、ハッとして戻って行ったな」

「見てたの!?《がーーーん!》う、うぅううう……!!《ふしゅうう……!》」

「で、完全には戻りきらずにちらちらと自宅の玄関とこっちの家を交互に見て、きゅっと目を閉じて自宅に戻っていった」

「……我慢できたのね。すごいわ、由比ヶ浜さん」

「うぅっ! え、えと、えと、その……ね? ゆきのん……」

「少しあとに“これお裾分けだから!”ってママさんが作りかけだった晩飯のおかずを強奪して持ってきてたけどな」

「あ、あぅあう、あのね、ゆきのん? あのね?」

「……あなたには失望したわ由比ヶ浜さん」

「ゆきのーーーん!?《がーーーん!》」

 

 だだだだって傍にヒッキーが居ないと寂しくて!

 落ち着かないし、調理中にはママににこにこ笑顔で“今日はハチくんのところ、行かないの~?”なんて言われるし!

 ヒッキー断ちのことを話せば、なんでか真剣な顔で“ね……熱でもあるの……!?”って言ってくるし!

 あたしあんな真剣な顔のママ初めてだったから、逆にこっちが驚いたよ!

 あ……えと、初めてじゃなかったか。ヒッキーがサブレを庇って事故に遭った時に、一度見たっけ。当然だけど、怒られちゃったし。

 

「う……で、でもヒッキーの傍にはいかなかったんだよ!? ヒッキー、部屋に居て下りてこなかったし! ご飯の時も隣じゃなかったし!」

「顔見せたらお前が落ち着かないって思ったからだよ。……むしろこっちが会いたかったってのに《ぽしょり》」

「え? ヒッキー? 今なんて?」

「なんでもねーよ。まあ、アレだ。結局昨日から今日にかけて、こいつは我慢出来たんだよ。……ついさっき、教室出るまでは」

「~~~……《かぁああ……!》」

「そこまで我慢して、何故?」

「あー……なんつーか、ほら、な。我慢はしてたんだが、席が隣同士だろ? ちらちら見られて、しかもその目が構ってほしい犬とか猫みたいでほっとけなくてな……」

「猫……そ、そう。猫。猫ならば仕方ないのかもしれないけれど……」

「え? 納得しちゃうの? いやまあ最後はこう、あんまりにも構ってほしそうだったから、一緒に部活行こうって時にな、ほれ、あれだ。……言っちまったんだよ。こう、……“おいで”って。そしたらまだ教室にほぼ全員居るってのに全力で抱き着いてきて、キスはするわ舐めてくるわで」

「うわぁああああんやめてよぉおお!! だだだってヒッキー! ヒッキーがぁあ!!」

 

 言い訳を並べても、ゆきのんはやさしい顔で頷くだけ。

 ちゃんとこっちにも言い分がるんだって伝えたいのに、恥ずかしさの所為で頭が回ってくれない。

 

「だ、大体! ヒッキーだって“こうしたかった”って言ってくれたじゃん!」

「彼女に恥のすべてを押し付けて黙っているなんて最低ねクズ谷くん」

「信じられねぇ速度で手の平返しみたいに罵るなよ……いや、そりゃ言ったけどよ。その……なに? 自分の欲ばっか押し付けて、彼女が頑張るって言ってんのにくっつきたいとか、理解のない最低野郎みたいだろ……だからさっさと話して、自分が先に折れたってことを言いたかったんだよ……。結果だけ言うと、お前誤解しかしないだろ、今みたいに罵り優先にして」

「《ぐさっ》っ……そ、そう、ね。言ってしまって後悔しているわ……ごめんなさい比企谷くん。私には解らなくても、きっとその行動は彼氏として正しいのでしょうね」

「ヒッキー……ゆきのん……」

「だ、だから、あー……我慢とか、無しな。今さら遠慮とかされてもアレだし、なんつーかアレがアレで…………~~……隣に居ないと調子狂うんだよ……《ぽしょり》」

「……? ヒッキー? 今なんて───」

「やっ……べべべつになんでもねぇよ」

「……私はきちんと聞こえたけれど」

「!? や、ちょっ……!」

「え? え? ゆきのんゆきのんっ、ヒッキーなんて言ったの!?」

「雪ノ下、口止め料だ。野菜生活を買ってくるから勘弁してくれ」

「お断りよ比企谷くん。私、そういう賄賂のような取り引きは嫌いなの」

「じゃあ出来る限りの言うことを聞く方向で───」

「……出来る限り。大きく出たわね。人は死ぬ気になれば出来ないことなどないと言われているのよ?」

「お前、一言を黙る代わりにどんなこと要求するつもりだよ……等価交換って言葉知ってる?」

 

 知ってるけど、ヒッキー、そんなにあたしに聞かれたくないこと、言ったのかな。

 なんか……ちょっと、悲しい……な。

 

「《がばっ! ぎゅうっ!》ひゃわぁっ!?」

 

 少し寂しさを感じた途端、ヒッキーに引っ張られて抱き締められた。

 そのまま頭を撫でられて、ヒッキーの温かさを感じると、寂しさも悲しさも簡単に引っ込んでく。

 それから口止めまでしようとしてたことをヒッキーが自分から話してくれて、なんかあたし、もう顔真っ赤で、ヒッキーの胸に顔を押し付けて黙るくらいしか出来なかった。

 言ってくれたら嬉しいのに。隠さないでほしい。不安になるから。不安になるって、信頼してないのかなって気分になっちゃって、なんか自分が嫌になるから。

 

「比企谷くん、由比ヶ浜さん、離れなさい」

『《パッ》……《抱きっ!》』

「一度離れればいいと言っているのではなくて……」

「ゆきのん、あたしまちがってた。我慢するんじゃなくて、我慢しなくていい方法を探せばいいんだ!」

「……そう。それで、日記はどうするの?」

「うん。ゆきのん観察日記にする!」

「絶対にやめてちょうだい」

 

 ……。日記は結局、書くことはなかった。

 



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夢が繋がった日④

 それからの奉仕部は、いつかをなぞるみたいに流れていく。

 奉仕部に中二が来て、今度はあたしも読んで、つまらないってきっぱり伝えて。

 さいちゃんの依頼で、部員が真面目に練習してくれないから手伝って欲しいっていうのを受けて……あれ? 前のは上達すればーって話じゃなかったっけ。

 あ、そか。さいちゃんだけが上手くてもダメだったんだ。

 じゃあ、えと。どうすればいいのかな。

 この世界でのゆきのんは、さいちゃんがちゃんと実力があることは知ってる。だから死ぬ寸前まで体を鍛えてーとかは言ったりしない。

 するべきことは───部員を叩き直すこと。ってゆきのんが言ってた。

 で、日を改めながら部員一人一人とテニスコートで話し合って、やる気を出させるってことをやってたんだ。うん、やってた。

 そしたら三日目くらいに優美子が来て、テニスをやりたいって言い出して。

 少し見ない内に、優美子が女王様になってた。

 カーストトップのプレッシャーに負けちゃったのかな……そこに、前まで話してたやさしい笑顔はなくて、そうしなきゃいけないみたいな尖りを見せた女王様が居た。

 

「ごめん三浦さん、僕達、遊びでやってるんじゃないんだ」

「あ? なに? はっきり言えし」

「……っ……!」

 

 高圧的な優美子の声に、さいちゃんが体を震わせた。

 そこに、前みたくヒッキーが声を挟んで、今回は傍に居たゆきのんも参加して……結局、テニス対決は始まった。

 結果は……

 

「ゆ、雪ノ下さん、由比ヶ浜さんペアの勝利!」

 

 ……勝っちゃった。

 えと、なんてーのかな。……体力のあるゆきのん、無敵。

 

「葉山くん。聞けばあなたは部で国立を目指すと言ったそうね。そんな志があるというのに、他人の部の邪魔は平気でするのね」

「……! ゆ、雪乃ちゃっ……雪ノ下さんっ、それはっ……!」

「こちらはあなたの言う“みんなで”が問題になって時間を取られているのよ。こちらの問題も正確に把握しないまま、必要ではない余計な“みんな”を増やす気なら、そんな気遣いは要らないお世話よ」

「…………」

「結衣……あーしは……」

「……ん。やー、最近さ、ほら……あんま話せてなかったし……ね。また遊べて楽しかったよ。でも……」

「……ん。ごめん」

「……うん」

 

 優美子は真っ直ぐに言ってくれた。

 最近いろいろ重圧みたいなのがあって、気づけばこんな位置に立ってて、対等に話せる相手も居なくて、いろいろ溜まってばっかで、って。

 そしたらあたしがテニスをしてたから、いつかみたいに話して、テニスとか出来たら、って。そう思ったらそれしか見えなくて、って。

 

「今度さ、一緒に遊ぼ? やっぱりお金を使うのは無しだけど、遊ばなくても一緒に勉強するのでもいいしさ」

「それって……結衣の彼氏も?」

「あ、うん。優美子はそれで……いい?」

「………」

 

 優美子がちらって“葉山くん”を見る。

 葉山くんはゆきのんを見てて、優美子の視線には気づいてない。

 

「隼人も……って言いたいけど。たぶん、無理だね、あれ」

「優美子……」

「ん、平気。こんくらいじゃ折れねーし。わかった、んじゃ、次の休みにでも」

「あ、ていうかさ、優美子」

「ん?」

 

 ……。

 

……。

 

 放課後……の、奉仕部。

 

「…………うわ、なにこれキッショ……」

「《ゾブシャア!》ぶひぃいいーーーーーっ!!」

 

 さいちゃんの依頼も無事に済んで、授業も終わった放課後。

 優美子を奉仕部に誘って、勉強会しよう! ってことになったんだけど、そこに中二が強引に混ざってきたからちょっと……うん。

 

「性懲りもねぇな……だから完結してねぇのを見せるなって言ってるだろうが……」

「い、いやこれはだな……! こ、好評なら続き書く! という戦法で……」

「そう。ならば続きは結構よ」

「《ザグシャア!》ぐわぁあーーーーっ!!」

「うん。つまんない。言い回しがキモい」

「《ズァゴシャア!》グワーーーーッ!!」

「ああでも、パクリが無くなったのは高評価だな」

「げふっ……お、おおお……お主は解ってくれるのか、見知らぬリア充男よ……!」

「お前にリア充とか言われる日がくるとはな……いや、確かにペアで困ってなかったからお前とは面識なかったけどよ」

「はぽん? なにを言ってい───……いや、そうか。フフフ、よもやこの場に我以外にも“目”を持つ者が居たとはな───!」

「いや、そういうのないから」

「《ぐさぁっ!》はぽっ!?」

 

 あ、そっか。前の時も中二のヒッキーに対する反応がヘンだなーって思ってたけど、こっちだとヒッキーのペアにはさいちゃんが入るから、中二と面識がないんだ。

 

「てゆーか、マジなんなの? ほーしぶ? 結衣、あんたこんなとこでなにしてんの?」

「え? えっと……お魚で釣ってお悩みを聞き出す……だっけ?」

「由比ヶ浜さん、それはまったく違う見解よ。三浦優美子さん、ね?」

「……。雪ノ下雪乃」

「ええ。お互い自己紹介が必要ないようでなにより」

 

 そう言って微笑んで、小さくこほんって可愛い咳払いをしたゆきのんは、

 

「簡単に言うと、悩んでる生徒に俺達なりの解決方法の閃きに対する助力? みたいなのをする場所だ。解決はしない。解決は本人の力で、っていうのだな」

「───…………」

「……ちょ、ヒッキー……! ヒッキー……!」

「《くいくい》ぅぉっ……ど、どした?」

「だめだよ……! ゆきのんが言おうとしてたのに……! ゆきのん、咳払いまでしたのに黙り込んじゃったじゃん……!」

「へ? ……あ、あー……でもなぁ。あれ、正直争いの種にしかならないぞ? 俺、“最初”に言われた時、何様のつもりだって思ったし」

 

 実際、ヒッキーが“こんのアマ……!”って言うくらいに腹が立ったそう。

 うーん……その一番最初の……二年生ゆきのん? に会ったことないから、ちょっと想像つかない。あたしが会ったのは、ヒッキーっていうクッションがついてからのゆきのんだし。

 確かに、そりゃもう、ドがつくくらいストレートな物言いとかすることもあったけどさ。そんな姿が格好いいとか思ったこともあったけど。

 

「ふーん? てか、生徒が生徒の願いを叶えるとかアホくさくない? 自分でなんとかしろって話じゃん」

「その二歩目を挫こうとしたあなたが言う台詞ではないわね」

「っ……だ、だから、あーしはっ……!」

「ま、あれだ。三浦もそれがどんだけ大変か味わってみりゃあいい。ほれ、お悩み相談一号様のお悩みの素だ。きっちり読んで、感想を言う。それだけだ」

「は? なんであーしが」

「優美子。……それ、だめ。やらないのに文句だけは言うなんて、そんなのずるいだけだ」

「結衣…………ん、解った、読めばいーんしょ? やってやろーじゃん……」

「ええ。最初から、きちんと最後まで、ね」

「るっさい、あーしは結衣と話してんの。邪魔すんなし」

 

 言いながらも優美子は中二が書いた小説の原稿用紙を手に、一枚一枚ちゃんと読んでいった。

 なんか、珍しいかも。こんな優美子、初めてみる。

 途中、何度も「読み方イカレてる」とか「脱ぐ意味あんの? きも」とか言って、それを聞いた中二がはぽんはぽん言って苦しがってた。

 

「はぁ……」

 

 とりあえず数枚読んで、顔を上げた。

 

「無理。読むのが苦痛。これ読まなきゃいけないなら退部扱いでも喜べんじゃないの?」

「《ぐさり……》……《どさぁっ……》」

 

 丁寧に、言葉の刃が中二を倒した。

 

「つーかさぁ、あーし勉強するっつーからここ来てんだけど? やらないんなら帰るし」

「そうね。私も由比ヶ浜さんに言われて、そのつもりでいたのだけれど。比企谷くん、とりあえずそこの依頼人にはお帰り願ってもらっていいかしら」

「あいよ。ほれ起きろ、ジャイアントハポリコ。部長が出ていけだそうだ」

「うぐぐぐぐ……イケメンよ……! 男のお主に訊きたい……! お主ならば、お主ならば男が憧れるこんな物語……解ってくれるな!?」

「無理だわまったく憧れん」

「《トチュッ》…………ぶひっ……」

 

 ……中二が、静かに出てった。

 それからは静かに勉強。

 優美子に勉強出来るなんて意外だとか言われた。

 これでも頑張ってるから、当たり前。でも認められるとやっぱり嬉しい。えへへぇ。

 

……。

 

 それから、暇な放課後には優美子が奉仕部に来るようになった。

 勉強したりお話したり、ゆきのんと口論したり、負けて泣かされたり。

 今日は静かだ。

 このままなんも起こらなければなー、とか思ってると、優美子のケータイにメール。

 ……ついに、あれが来た。

 

「……はぁ。またこれ? めんど」

 

 チェーンメールだ。

 そろそろ職場見学の時期だから、そろそろだったっけとか思ってたけど。あたしは今回はあまりアドレス交換とかしてないから、あたしのところには来てない。ていうか男子のアドレスはヒッキーだけ。

 あ……そういえばこれの犯人、結局誰だったんだろ。

 ぽしょってヒッキーに訊いてみると、「彼女が三人も居るのって、ある意味すごくない? 彼女居ないやつは羨ましいだろうな」って。

 ……あ。そういえば、そうかも。

 

  で、いつかの日。

 

 葉山くんがチェーンメールについて相談しに来たから、すぐに提案。

 葉山くん、さいちゃん、ヒッキーで班を組むことになって、あたしは元々ヒッキーと同じ班だから、べつに困ることとかなかった。うん、スピード解決!

 でも葉山くんのグループにはほんと近寄りづらくなっちゃった。

 あのあとヒッキーが、「ラフプレーをしたっつったって、相手校に確認取れば本当かどうかも解るから、これも案外意味がない」とか言ってたから。

 ただ、とべっちのカラーギャングについては否定してた。ん、これはあたしも。

 とべっちはたまにアレだけど、そういうことはしないと思う。

 噂に流されやすいのに、噂の中心にはならない人っているよね。そういう人だ。

 

「じゃ、勉強の続きしよっか」

「ん」

「……なんか普通に馴染んでるな、三浦」

「あ? なんか文句あんの?」

「いや。葉山のことはいーのかってな」

「!? っ……は!? なななに言ってんの!?」

「様子見てりゃどう思ってんのかくらい解るだろ。なに言ってんのはこっちの台詞だ」

「~~……あ、そ。ま、さすが結衣が選んだだけはあるってこと?」

「そういう基準は知らんけど」

 

 ヒッキーが赤くした顔を逸らした。可愛い。

 やっぱりヒッキーって、たまに見せる隙とかが結構可愛いんだよね。

 猫っぽいって言ったらアレだけど……うーん、犬っぽいところもないかなぁ。

 

……。

 

 勉強会を続ける中で、小町ちゃんがヒッキーに沙希のことで相談を持ち掛けてきた……けど、スカラシップの案であっさり解決。

 お礼を言いに沙希が奉仕部に来て、あたしたちが勉強してるとこ見たら“気になるところがあるから”って、一緒に勉強をすることになった。

 それからは、時間がある時には一緒に勉強してる。なんかいつの間にか勉強部みたいになってる。

 そうやって……いつかみたいに依頼をこなしていって、バイトもして、運動もして。

 

  わんにゃんショー。

 

 普通にデートして、騒いで燥いで。

 あたしの誕生日にはヒッキーがいつかみたくサブレの首輪をくれて、それとは別にチョーカーを買ってくれた。

 な、なんか首輪してるみたい。えと……えへへ、なんかちょっと嬉しいかも。や、やー……ヘンな意味じゃなくて。

 こっちではヒッキーと喧嘩してないから、すっごく楽しい。

 ずっと一緒に居て、いろんなことで話し合って、ゆきのんも優美子も沙希も巻き込んで、奉仕部はすごく賑やかだった。

 あ、うん。優美子と沙希は部員じゃないけど、なんだかんだ、いろいろ提案してくれるし。

 

  遊戯部の依頼。

 

 ヒッキーが先に中二のほうに手を打ってたとかで、なんも起こらなかった。

 

  柔道部の依頼では頑張った。

 

 いっぱいゆきのんに教え込まれたヒッキーは結構強くて、油断した先輩さんに勝っちゃった。

 先輩さんは顔を真っ赤にしてたけど息を整えると落ち着いて、小さくなんか言って帰っちゃった。

 

  林間学校のサポート。

 

 今回はヒッキーも水着を持ってきて、一緒に遊んだ。

 特別仲が悪い人が居るわけでもないから、ヒッキーも普通に楽しんでくれてたみたいで嬉しい。

 うん、なにをするにもヒッキーと一緒だ。カレーも一緒に作ったし、夜の散歩も一緒にした。

 いじめはやっぱりあったけど……それは、いつかみたいにじゃなくて、ちゃんと留美ちゃんに相談した上でやった。

 ……えと。

 コスプレは、しなかった。ヒッキーが絶対だめだって。着たら俺は男子全員の目を潰すって言ってた。

 隠れて、ヒッキーにだけ見せたのはゆきのんにも内緒。

 ……全部終わったあと、留美ちゃんのヒッキーへの懐き方がすごかったけど、気の所為だよね?

 

  サブレをご近所さんに預けて、あたしの家とヒッキーの家とで旅行。

 

 前は家族とだけだったこれも、パパとママがお義母さんとお義父さんと相談して決めたんだって。

 で、ここでもあたしはヒッキーと一緒になって楽しんだ。

 楽しんで楽しんで……宿泊先で、部屋があたしとヒッキーで一部屋取られてたことに驚いて。

 

「結衣? ママね、孫の顔が───」

「やめてったらもぅ!!」

 

 ママは諦めてなかったみたい。

 そ、そりゃ憧れないわけじゃないけど、高校で妊娠なんてしたら、友達とかに白い目で…………あれ? うん。

 なんだ、それって結局周りの評価だけだ。

 自分が欲しいって思ったら、そんなの……関係ないよね?

 う、うん。でもまだだってばママ。さすがに無理だし。

 

  ヒッキーと夏祭り。

 

 陽乃さんに会わないように行動して、ヒッキーとゆっくり花火を見た。

 帰り道のあの場所で、改めてヒッキーが告白してくれて、嬉しくて泣いちゃった。

 最初、もうこっちに家はないのにって思ってたのに、なにかと思った。

 ずるいよこんなの。反則だ。

 

  文化祭準備。

 

 文化祭では実行委員長をさがみんに任せないで、あたしとヒッキーが二人でってことで立候補。

 陽乃さんに会ってないからって、ゆきのんが無茶しないとも限らないから、出来るだけあたしたちで頑張ろうって。

 結局陽乃さんと会うことにはなったけど、耳は貸さなかった。

 さがみんみたいに言葉を鵜呑みにして、まちがった受け止め方をして、サボったりなんか絶対にしない。

 そうしてちゃんと、きっちり、ばっちり全員で進めていったら、なんの問題もなく文化祭は始まった。

 人が集まれば当たり前みたいにトラブルはあったけど、全員が力を合わせて一日目も二日目もこなして、大盛り上がりのまま文化祭は終わった。

 体育祭もそのままの勢いで全力で楽しんで、青春してるねって感じであたしたちは毎日を楽しんだ。

 毎日来てんだし、って優美子が奉仕部に入ったり、いつの間にか大岡くんと大和くんがグループから離れてたこと以外は、いつかとあまり変わってない。

 あ、うん。つまりあたしの周囲は結構変わった、のかも。

 

  で……うん。

 

 とべっちが来た。あの依頼だ。

 あの時になにがあったのか、もうヒッキーから全部聞いてる。

 葉山くんのことも、姫菜のことも。

 だからあたしはこれを受けるかどうかを考えて───

 

「戸部。あんたマジなん?」

「ちょ、なんで優美子がここ居るわけ!? 俺こんなん初耳だわぁ!」

「部員なんだから当たり前だっつの。んで? 正気?」

「うわ……真正面から正気疑われた……ないわぁ、マジないわぁ」

「……隼人?」

「いや、すまない優美子。一応止めたんだが」

「いやぁ、なんかこの奉仕部? って願い叶えまくってるらしーじゃん? したら俺の告白もバッチサポートしてくれないかなぁって。オナシャッス! 絶対フラレたくないんスわ!」

 

 ぱんっ、て手を叩いて拝むみたいに、とべっちは言った。

 ……うん。とべっちの想いは本気のものでも、それは……ちょっと違うよね。

 あたしもまちがっちゃったけど、これはほんと、違う。

 

「……だめだよ、とべっ……くん。好きなら、ちゃんと自分で届けないと。失敗したくないとかじゃなくてさ。好きなら、自分だけの想い、ぶつけなきゃだ」

「うぅ……ゆーてもほら、失敗して気まずくなったら、もう話も出来ないっつぅかぁ……なぁ、比企谷くん」

「……え? 名前間違える基準ってなんなの?」

 

 とべっちに声をかけられたヒッキーが、純粋に驚いてた。

 あたしもちょっと驚いたけど……そうだよね。ヒッキー、こっちじゃ有名人だもん。格好いいし運動出来るし勉強出来るしやさしいし。

 

「とりあえず、アレな。恋愛相談は受けてねぇよ。失敗したらこっちの所為にする気満々なの?」

「いやいやいやぁ、そんなつもりは無いってばさぁ。自分の失敗他人に押し付けるとか最低でしょー。ただほら、ちょっとこう、手伝って欲しいっつーことでひとつっ!」

「いやなんも伝わってこねーから。なにがひとつなのちょっと」

「比企谷くん、格好いい顔して言うことキッツいわー……」

「あー……ひとつ訊きたいんだが。戸部、お前が告白することで、グループの空気が微妙になっても後悔とかねぇの?」

「いやぁ、だから失敗したくないっつーか、絶対にフラレたくねぇし? わかるっしょ?」

「葉山。お前はどうだ。嘘とか無しで頼む」

「………俺は」

「優美子はどう?」

「あーしは……」

「あー……最近優美子ってば付き合い悪かったけど、部活やってたん? や、俺も隼人くんも部活やってっからそもそも付き合いどころじゃねーけどさ」

「………」

 

 優美子は少し黙って、それからとべっちを見て、口を開いた。

 出てきた言葉は、やめとけ、だった。

 

「へ? な、なんで? いや俺マジよ? 本気で海老名さんのこと───」

 

 とべっちは食い下がったけど、優美子は男子のことをどう思っているのかを伝えた。

 それにヒッキーも混ざって、男子のカップリングが好きなのは、男子を近寄らせないためだってことも話す。

 

「は? なんで比企谷がンなこと知ってるし」

「推測だ。たまに見る目が、そんな感じだ。……それに、葉山も海老名さんも、ついでに三浦も、今のグループが好きなんだろ? 告白したら今まで通りってのは絶対無理だ。どうしても告白したいなら、グループ抜けて、ただの戸部翔として告白するしかねーだろ」

「お、おい比企谷、それは」

「大体な。今がいいとかどーのこーの、そんなもんで壊れる関係ならそれまでだろ。今がいいからって、仲間にその気持ちは我慢しろとかどうなんだ? お前たちが逆に我慢しろって言われて出来ないものを、多数決で戸部に押し付けんのかよ」

「それはっ……!」

「人の感情が強く出る依頼は、出来れば勘弁してくれ。俺達にその気はなくても、巻き込まれれば嫌でもしこりが残るだろ。告白に失敗したのは奉仕部の所為だとか、奉仕部が受けた所為でグループが崩壊したとか。……戸部。俺が言えた義理じゃないけどな、男なら自分で伝えないとだろ。むしろなんで葉山に相談したんだ」

「へ? いやほら、隼人くんてばいろいろ慣れてるし、女子にモテモテだし?」

「……断る方法は知ってても、付き合い方なんて知らないだろ」

「え…………あ」

「言っちゃなんだが、葉山に相談した時点で賛成は得られなかっただろ。三浦にしても同じだ」

「いや、そりゃそうかもだけどさぁ」

「……じゃあ、そうだな。俺の見た感じじゃ、海老名さんは誰に告白されても断るぞ。今は誰とも付き合うつもりはない、って。誰に告白されても同じだって感じで。三浦の話を聞けば予想くらい立てられる。男を紹介されて“じゃあもういいや”なんて言えるなら、押しつけも変化も嫌ってる証拠だ。恋愛は望んでない。遠巻きにして、男子が騒いでるのを眺めるくらいが丁度いいって、そういう人なんだろ」

「え、えー……マジ?」

「優美子から見てどう?」

「……そう、かも。たぶん、いや絶対に無理だ。やめとけ」

「……まじ?」

「ねぇ、とべっ……くん。それならさ、もっと仲良くなってからでいいんじゃないかな。ほら、想い続けるのは自由だし。でも───」

 

 うん。でもだ。

 

「どうしてもさ、どうしても想いを押さえつけられなくなっちゃったらさ、グループを抜けて、ぶつかってもいいんだと思う。だって、それは戸部くんの大事な気持ちだから。たとえさ、それでグループがヘンになっちゃってもさ。きっとまた、手はつなげるんだ。大丈夫。人の誰かを思う心って、そんなにやわじゃないよ」

「───………………由比ヶ浜さん…………う、わ……やっべ……すげぇ胸に来た……! あ、ありがとな、由比ヶ浜さん! 俺、俺なりに頑張ってみるわ! あ、依頼は無しで! これで立たなきゃ男じゃないでしょお!」

「お、おい戸部っ……!?」

「……隼人くん。俺、隼人くんがどう思ってても、やっぱ告白はするわ。今がいいって気持ちは解るけどさ、俺……ちゃんとぶつかって決着つけないと、その整理も出来ないんだわ。だから……ごめん」

「戸部、あんた───」

「優美子もさ……好きなのに、我慢、出来ねっしょ? 誤魔化してずっととか、グループ解散するまでやんの? 無理っしょ。大和も大岡も離れて、あっちこっちで楽しそうにやってるわ。なにが足りなくて俺達がこうなったのか知んないけど……俺さ、ここに相談してよかったわ。もしかしたら由比ヶ浜さんが居てくれりゃ、もっとみんなで盛り上がったかなーとか……ま、言ってもしゃーないことっしょこれ」

「………」

 

 優美子は、なにも返さなかった。

 とべっちが出ていって、葉山くんも何も言えず、静かに出ていって。

 そのあとに少しだけ話したけど……その日は結局そこまでで、あたしたちは帰った。

 

  そして、修学旅行。

 

 いつかを依頼で潰しちゃったあたしたちだけど、今回は割り切って本気で楽しんだ。

 ゆきのんが用意していたガイドブックで何処に行くかを念入りに決めて、ヒッキーと腕を組んで、どこまでも元気に。

 ヒッキーももうあたしの隣を歩いてくれるのに慣れてるみたいに、騒ぐ時も遠慮とかしないで楽しんでる。

 班行動なんて案外自由なもんだから、集合時間を決めちゃえばあとはほぼ自由行動だ。

 あっちこっち騒いで歩いて、とべっちと姫菜を気にするばっかで見て回れなかったところをいっぱい回って、嬉しくて、楽しくて。

 完全自由行動になれば、ヒッキーの左腕とゆきのんの右腕を抱いて、三人一緒に歩いて回って。

 ……優美子は葉山くんのところだ。

 あの奉仕部での一件以来、優美子とはまたあまり話さなくなった。

 また話せて嬉しいなっていうのはあったけど……仕方ない、のかな。

 でもやっぱり……悲しいな。

 

……。

 

 いつかの竹林を歩く。

 周りには誰も居ない。

 とべっちはきっと、誰の助言も受け取らないで自分だけで、姫菜に告白してるんだと思う。

 あたしは……いつかと同じこの場所で───

 

「“ずっと前から好きでした。俺と付き合ってください”」

 

 ───ヒッキーに呼び出されて、告白されていた。

 あたしは……ふふって笑って、舌をべっと出して言ってやる。

 

「ぜ~ったいやだっ!」

 

 って。

 そしたらヒッキーはちょっと泣きそうな顔をしたあとに、咳ばらいをしてから言ったんだ。

 

「結衣。お前が好きだ。これからもずっと、俺の傍に居て欲しい」

 

 ……ん。そうだ。

 誰かのために使った告白なんて要らない。

 あたしは、あたしのためにヒッキーが考えた言葉が欲しい。

 だからあたしは笑って、その言葉を受け止めた。

 誰も居ない夜の、ぼうっとした燈籠が並ぶ景色で……あたしは。

 いつかの泣いちゃった過去を、ようやくだけど……前向きに受け止められたんだと思う。

 

「……ヒッキー、泣いてる?」

「いや、ちょ……絶対やだとか、まじやめろ……本気で泣きそうだった……」

「わわわ、ご、ごめんねヒッキー……! でも、でもさ、あたしも……」

「……すまん」

「……うん。許すから、許してね」

「……ん……本当に、悪かった」

「うん……えへへ、やっと、ちゃんとやり直せるね」

「……葉山グループのことは、よかったのか?」

「前のあたしだったら、きっと全部欲しがってた……かな。でも、今は違うんだ。あんなことがあって、あたしたちは死んじゃってさ。大切なものをどれだけ集めても、あっさりなくなっちゃうんだって知っちゃったから。だから……」

 

 嘘だ。本当は全部欲しい。

 でも、そんなものは無理だって解ってる。

 ヒッキーを助けたいと思った瞬間、あたしはゆきのんだけでもって突き飛ばしたから。

 ここにあっちのゆきのんが居ないのは、つまりゆきのんは助かったってことで……あたしは、自分の手で持てるものの限界っていうのを、知っちゃったんだと思う。

 あれもこれもを欲しがったって、笑顔でくれる誰かは居ない。

 子供の頃みたくパパやママがハイってくれるわけもないし、手を伸ばさなきゃ手に取れないもので溢れていて、手に取ったってこぼれるものだっていっぱいだ。

 頭がよくなれば解ることはたくさんある。

 それはとても悲しいことで、いっそ馬鹿だったらなって泣きたくなることもあって。

 それでもさ、手放したくないものだけは、あるから。

 その答えだけは、今もずっと見つめたまま……あたしはこうしてあたしを生きてるから。

 

「《くしゃり》あ……ひっきー……」

「無理すんな。体、震えてるじゃねぇか」

 

 心配そうにあたしを見下ろして、頭を撫でてくれる。

 心地いい……けど、やっぱりちょっと悔しい。なんでもお見通しだ。

 

「……あはは……や、やー……だめだね、あたし。隠し事とか全然無理だ」

「その……な。なにもかも救うなんて、絶対に無理だ。欲しいものはどんだけ答え合わせをしたって削らなきゃいけねぇし、全部が、ってのは……難しい」

「ん……そうだよね」

「ただ、救うとかじゃねぇなら……出来るところまでは出来るだろ。最初っから葉山達を友達だって考えるから全部が増える。今の由比ヶ浜結衣として生きてきたお前が、この世界で欲しい全部ってのはどれだ?」

「………言わない。言ったらヒッキー、絶対無茶するから」

「…………だな。けど、それでいいのか?」

「うん。こっちで欲しいものは、きっともうすぐ近くにあるんだ。あっちで手に出来なかったものぜんぶ、こっちにあるから。だからさ、あたしも……我が儘な子供から成長しなきゃなんだ」

「大人だって欲しいもんは欲しいだろ」

「でもだめ。欲張ったら、未練ばっかりになるって……向こうで知っちゃったから」

「結衣……」

「だから……さ」

「おう」

「ヒッキーは……居なくならないでね?」

「まあ、事故とか病気でもない限りは俺だってそれはごめんだ」

「うんっ」

 

 頷いた途端ぎゅうって抱き締められた。

 安心する、いつもの温かさ。

 一度死んだらいろいろなものを冷静に見れるかっていったらそうじゃない。

 死んでしまうのならって手を伸ばしたくなっちゃうし、我慢なんてきっと出来ない。

 それなら、って……欲しくなるものに近づかないことを選んだ。

 そんなのまちがってるって解ってるけど。“今”は、それでいいんだ。

 もっともっと大きくなって、自分ってものにもっと余裕を持てたら……全部をって。

 たぶんその頃にはもう、いろいろなものが手を伸ばしても仕方ないところにあるんだって解ってるけど。

 それでも、あたしは……。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 修学旅行が終わった。

 なにも変わらず、なんてことは無理で、少しの間とべっちが奉仕部に遊びに来るようになって。

 いろはちゃんが依頼に来た時には、葉山くんのグループを離れて、サッカーもやめてた。

 奉仕部に入部して、なんか吹っ切れたーみたいな顔で「っべー!」って言ってる。

 

「戸部……その、よかったのか?」

「お? それってばグループ? サッカー?」

「そりゃ、どっちもだろ」

「あー……んー……まあ、やっぱほら、あそこってば隼人くんのグループじゃん? 職場見学の時にちょっとひっかかってたけど、最初は俺も大和も大岡も別に仲が良かったわけじゃなかったし、隼人くんが大事にしたいグループなら、そこを壊す俺が居たってしゃーないっしょ。あ、サッカーも似た感じ? みたいな?」

「……まあ、そうな。お前、葉山の隣に居るよりも、一人の方が目立ちそうだし」

「お? まじでまじで? いんやー比企谷くん解ってるわー! あ、っつーことでこれからオナシャス!」

「とべっ……くん、海老名さんとは……」

「あンッ……え、と……ああ、はは……見事にフラレたわ~……。あ、けどべつに由比ヶ浜さんの所為じゃねーし、気にすることなっしんぐってやつで!」

「そう……戸部くん、紅茶でも飲みなさい。温まるわ」

「おー!? この部ってばこんなんまで出んの!? 至れり尽くせりじゃないのこれってばさぁー! サッカー部ではプロテインしか出なかったこと考えると、マジで……ほんと………………~~……あったけぇ……」

『………』

 

 とべっちは、紅茶が入った紙コップを持って……静かに泣き出した。

 聞けば、断りの文句はあの竹林でヒッキーが姫菜に言わせた言葉と一緒だったって。

 振ってくれるならくれるでそれでよかったのに、ヒッキーが予想として伝えた言葉とまるで同じだったことが、“ただ用意された言葉を言われた”みたいで、とべっちにとっては凄く悲しかったんだって。

 だって、あれ……言葉通りだ。

 誰に告白されたって、って言うなら、返す言葉も同じなんだ。

 それがとべっちには悲しかったんだ。

 

  そんなことがあっても、依頼は続く。

 

 結局はいろはちゃんの考え方次第ってことで、勝手に推薦されて嫌々やるのが嫌なのか、それとは関係なく自分でやるって決めて受けるのかをいろはちゃんに訊いた。

 いろはちゃんは迷ってたけど……そこで、とべっちが「あ。なんなら雪ノ下さんとかやっちゃえばよくね?」なんて軽く提案。

 そういえば前のここでは、ゆきのんが生徒会長になりたがって……あ。思い出した。

 奉仕部が無くなっちゃうって考えてたけど、それって───

 

「……まあ、少しは考えなかったわけでもねぇけど。雪ノ下、生徒会をやりながら奉仕部をやることは可能か?」

「───……!!《ぱああっ……!》え、ええ───ええっ、問題ないわ。任せてちょうだい」

 

 ───わ。ゆきのん、すっごい嬉しそう。

 え? でも、え? 奉仕部、なくならないの?

 

「《ぽしょり》生徒の願いを聞いて、って時点で、生徒会も奉仕部もあんま変わらねぇんだ。いや、そもそも……あの時点で俺はまちがえていたんじゃねぇかって。雪ノ下の“やってもいい”は、陽乃さんに対抗心を燃やしたものじゃなくて……本音だったんじゃねぇかって」

「《ぽしょり》あ…………」

 

 思い当たるものはあった。うん、あったんだ。

 ゆきのんは素直じゃないから。

 だから、もしかしたらあの時も。

 だから、今はこんなにも。

 

「《ぽしょり》ヒッキー……! あたし、なにしたらいいかな……? ゆきのんのために、なにかしてあげたい……!」

「《ぽしょり》副会長に立候補するだけでいい。俺は……まあ、そだな。庶務あたりでいいんじゃね?」

 

 言って、ヒッキーは何かを思い出すみたいに笑った。

 なんだろ、って思っても……今のあたしはゆきのんのために! ばっかりで、そこまで気にならなかった。

 



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夢が繋がった日⑤

 そうして、あたしたちは生徒会長と副会長になった。

 ゆきのんとヒッキーが立候補したからなのかはわからないけど、他に立候補する人は居なくて、他も結構あっさりだった。

 書記と会計はヒッキーととべっちが分担するみたいなカタチで。

 ヒッキーが副会長じゃないのはなんでだろ、とか思っても、ヒッキーはやっぱり笑うだけ。ちょっと気になる。

 

  早速やってきた、クリスマスイベント。

 

 生徒会になって初めての仕事がこれなんて、ほんとどうかしてるって思う。

 でも、ゆきのんは軽く引き受けてニコニコだった。

 まるで“私たちなら問題なく出来るわ”、って言ってるみたい。

 う、うん出来ないこともないかもだけど……あっちにはあの、轆轤の人が居てさ……。ゆきのん、知らないから安請け合い出来るんだよ……?

 なんかヒッキーの所為で轆轤とか普通に覚えちゃったし。

 うん。玉縄。轆轤。回す。かんぺき。

 

  そうして集まった海浜総合との会議。

 

 早速ゆきのんが頭に手を当てて、目を伏せる時間が始まっちゃった。

 どうするの? ってヒッキーととべっちを見───たら、とべっちがノリノリで話に乗っかってった。

 

「いんやー、けどそれってもっとロジカルシンキングで論理的にっつーかぁ! アーティスティックな芸術的意欲が試されるべきっつーかぁ!」

「そう、それだ。お客様目線でカスタマーサイドに立つっていうか」

 

 うん。これ、今のあたしなら解る。同じこと言ってる。

 

「……戸部くん」

「《びくぅ!》ひゃはぁいっ! すすすんませっしたぁ!」

「え……いや、きみ?」

「海浜総合高校生徒会長、玉縄さん?」

「え……な、なんだい?」

 

 ……そこから。早くも薄く笑ったゆきのんの攻撃が始まった。

 せっかく張り切ったのにこの頭の悪い会議はなんだ、みたいな感じで。

 見てると切なくなるくらい、その攻撃は凄かった。うん……えーと……あたしだったら泣きたくなるくらい。

 

「───以上。反論があるなら手を挙げてから述べてちょうだい」

「い、いや。違う、そうじゃな───」

「手を、挙げてちょうだい。言葉が理解できないのかしら、耳無いわさん?」

「ひっ……あ、あの……《スッ》」

「はい、玉縄さん」

「あ、ああ……その。ブレインストーミングはね、他人の意見を否定しないんだ……だから、」

「ええそうね。それで? 誰がそれを纏めるのかしら。聞いていれば案を出すだけで誰も纏めない。整理されない粗野な案に、いったいどういった価値があるのか。あなたは答えられるの?」

「それは案を出し終えてからで───」

「そう。それはいつ? ギリギリになって纏めようとしたところで、それをあなたが纏められるとでも? 案を出すだけなら子供にだって出来るわ。必要なのは案を出し、整理した上で準備をし、完成させる時間でしょう? そしてそれは、不測の事態に備えて早ければ早いほどいい」

「そ、それじゃあ期日を決定する案を出し合って───」

「案は本日終了まで。整理は次。準備はそれ以降。無駄は省きなさい。決定もされない案の出し合いほど無駄なものはないわ」

「ひゃい……!《ぐすっ……》」

 

 ……うん。見てらんない。

 ろくろの人、涙目だ。

 

  そんなこんなですっごい速さで準備は進んだ。

 

 前の時みたく小学生にも参加してもらって、とにかくたっぷりの余裕を持って、のびのびとって感じで。

 こっちではその……ヒッキーのあの言葉は聞けなかったけど。

 言わなくても解る、通じ合えるみたいなそんな関係を、あたしたちは少しずつ築けていけてるんだと思う。

 途中、やっぱりお金の無心で平塚先生に相談した時に、ディスティニィーランドのチケットをもらう。

 ゆきのんは前の時のヒッキーみたく「この時期はちょっと」って言ったけど、そこは強引に押し込んだ。とべっちが。

 

  ディスティニィーランドでクリスマスの勉強。

 

 ていうかもうこれデートだ。

 

「ヒッキーヒッキー!」

「お、おう、あのな、あまり人込みの中でヒッキー連呼はやめてください。あとちょっと落ち着け。まだ来てないやつ居るんだから」

 

 ディスティニィーにくるのは、これが初めてじゃない。

 お金を溜めてるとはいえ、ヒッキーはなんだかんだ付き合ってくれる。

 TVのディスティニィーのCMとか見ちゃって、行きたいなって言ったら一緒にって行ってくれた。

 その。えと。えへへ……シーの方に。

 

「……その……海老名さん。ぶっちゃけ、来てくれるとは思わなかったわ……」

「……うん。あれからさ、由比ヶ浜さんに“誰に告白されたって同じ”なんて、とべっちに失礼な言葉で断ったこと、怒られちゃった」

「え……まじで?」

「うん。でも……期待とか、しないでね。誰に告白されても断るってところは、本当なの」

「あの……俺、別に海老名さんが男同士のことが好きだとか、その……腐ってる? のが好きでも気にしねぇよ? それ含めて海老名さんだしょ。むしろそれがないと元気が出ないなら、もうどんどんどうぞって感じだしさ」

「ん……ありがと。でも、ごめん」

「……そっか。じゃあせめて友達から、いけない? いけてない?」

「ね、とべっちさ。もしそうやって近くに居てさ。私がずっと応えられなかったり、別の誰かを好きになって……それでも耐えられるの?」

「海老名さんが誰かを好きになったらしゃーないべ。俺も黙って祝福……する。ゆーても涙とか超垂れ流しかもだけどさー。……でもさ、ちょっとでも可能性があんならさ、近くに居ないともったいないっしょ」

「とべっち……」

「だから……海老名姫菜さん! 俺と……友達になってください! オナシャス!」

「……友達、かぁ。ねえ、とべっち。ずっと友達かもしれないけど、それでも本当にいいの?」

「我慢できなくなったらまた告白すっから、そしたら思いっきり振っちゃって。したらもう、俺も諦めっから。だからそれまでは……え、と。その」

「……ふふ。じゃあ……友達から」

「っ……! お、おおおぉお……おぉおっしゃああああああっ!! って、今さらだけどこれって前までは友達ですらなかったってことじゃね!?」

「うん。グループの仲間だったね」

「ちょっ……! な、ないわぁ、マジないわぁ……! けど、おっけおっけ!」

 

 年パスがある分、やっぱり余ったチケットで他の誰かを呼ぶことになった。

 とべっちが姫菜を呼んで……来てくれた姫菜とちょっと近づいて。

 ヒッキーはさいちゃん呼ぼうとしてたけど、用事で来られなかったって。

 ……あれ、でもじゃあ、チケットとかどうなったのかな。

 って思ってたら、あたしの前に誰かが立って……

 

「……、その。結衣」

「えっ……ゆ、優美子?」

 

 優美子だった。

 ちょっと気まずそうに、髪の毛のくるくるをくしくしいじって、あたしの目を見ようとしないでぽしょぽしょってなにかを言ってる。

 

「ひ、ヒッキー……?」

「あー……その。と、戸塚が呼べなかったからー……いや、実に残念なんだがー……ええっと。……一応部員を呼んどいた。まあ、部員だし? なんかそわそわしてるの見えたし?」

「………ひっきぃ……」

「……ほれ。やわじゃないんだろ? 何度でもぶつかって、完全にダメになるまで伸ばしてみりゃいいんじゃねぇの? あーその、なに? 手とか」

「……ぷふっ……ふっ……あははははっ……! もう、手以外なに伸ばすの?」

「戸部あたりなら鼻の下が伸びるな」

「それただいやらしいだけだよ!?」

 

 思わず叫んだら、気が抜けた。

 優美子を前に躊躇してた心とか、どうしようって心配とか。

 そうだ。人の思いはそんなヤワじゃないんだ。

 離れちゃっても、また掴みにいく。

 本気の本気で断られちゃったらそれまでかもだけど。

 ……優美子は、来てくれたんだから。

 

「ああ、あと葉山も呼んどいた。ほれ、あそこ」

「えぇええ!? ヒ、ヒッキー!?」

 

 ヒッキーが葉山くんを!? え!? なんで!?

 

「ちょっ……比企谷!? あんた、なんでこんなっ……!」

「同じクラスで席も近いのに、トップカーストが暗いんじゃ空気悪いんだよ。さっさとなんとかしてくれねぇと、恋人までどんよりするだろうが。だからとっとと決着つけろ、三浦」

「そっ……そんな理由で……!?」

「戸部はもう、一歩進んだぞ。お前はなにもせずに人に愚痴るだけか? “一回しか無い”青春だぞ? 踏み込まなくてどうすんだよ。せっかくの“今”を無駄にすんな。……今だよ、三浦。振られるにしたって成功するにしたって、やってみなきゃお前、どこにも進めねぇだろ」

「───っ……あんた……結衣の彼氏じゃなけりゃ、今ぶっ叩いてた……!」

「いやなんでだよ。え? 今俺結構いいこと言ったつもりなんだけど……? えー……?」

「あーしの道を! あんたが勝手に決めんな! ~~っ……隼人!」

 

 優美子が早歩きで葉山くんのところへ向かう。

 葉山くんは……なんか、ちょっとぐったりしてるような───

 

「ヒッキー……? 葉山くんに、なんかした?」

「物騒だなおい……ただ、お前が動けば“みんな”が変われるって助言を出しただけだ。ちょっと口論になったけど、問題ねぇよ」

「それで、葉山くん……来たんだ」

「お前が変わらないのは勝手だが、変わらなきゃ進めないやつらまで巻き込むな、……って。全部終わっちまって、全部変わっちまった自分の目で見ると、なんか……見てられなくて……な」

「ん……解るよ、ヒッキー。あたしもだ。考えてみればあたしたち、みんなより17年くらい多く生きてるんだもんね」

「そだな。そりゃ、踏み込んでいかないやつらはじれったく思うよな」

 

 優美子が葉山くんに話しかける。

 葉山くんはどこか疲れたような顔をしてたけど、優美子の言葉を聞いて……こっちを、ヒッキーを見て、どうしてか羨ましそうな顔をしたあとに……俯いた。

 なにを話してるのかは解んないけど……えと。

 

「葉山くん、なんか疲れた顔してるね」

「先に雪ノ下と話がしたいって言ってたから、そっちでいろいろあったんだろ」

「そっか」

 

 いろいろは、いろいろだ。

 あたしが知らないゆきのんの過去で、葉山くんとなにがあったんだとしても、二人にしか整理出来ない何かがあるんだと思う。

 あたしとヒッキーが、死んじゃった過去をあたしたちでしか整理できないみたいに。

 

  結局、葉山くんと優美子はお互いを知るところから始めるみたいだ。

 

 長かった話を終わらせて、二人はこっちに来た。

 えと、途中で葉山くん、優美子に殴られてたけど……な、なにがあったんだろ。

 

「すまない比企谷、全部終わった」

「いや、男に涙目でそう言われる趣味はないんだが」

「これの他にどう言えっていうんだよ。……その。いろいろ面倒をかけた。自分のグループのことで他者を巻き込んで、俺はなにも出来なかった」

「……殴られただけで十分なんじゃねぇの? 見ていてこっちがハラハラするわ。てか三浦も顔面はやめてやれよ……」

「るっさい。隼人がそうしろっつったんだからいーでしょ。あーしだって考えなかったわけじゃねーし」

「優美子……」

「結衣……ほんと今まで我が儘ばっかでごめん。こっちもようやく始められそうだから。だから……その」

「うん。優美子? 部員なんだから勝手に休んじゃだめだよ? 部長さんがき~っちり怒ると思うから、覚悟すること。……ね?」

「結衣……!《ぐすっ》」

 

 優美子があたしに抱き着いてきた。

 あたしはそれを受け止めて、……え? え!? 優美子が!? ハワワワ!?

 わ、わわわっ、え、ちょ、ヒッキー!? どどどどうしたらいいのこれ!

 優美子がっ、あの優美子がっ! ヒッキー!? ヒッキー!!

 

「……よ、女泣かせ」

「やめてくれ、今、それはキツい」

「雪ノ下とは決着つけてきたのか?」

「……ああ。過去を清算……とまではいけなかったんだろうけど、こっぴどく振られてきたよ」

「おつかれさん」

「胸には来たけど……不思議とそこまで悲しくなかった。結局俺は、誰も本気で好きになったことがなかったのかもしれない。上辺だけを見て、取り繕って。そんな自分に気づかされて……ああ、相当ヘコんだよ」

「だから疲れた顔、してたのか」

「そんな顔、してたか? ……そうか」

「三浦のことは……」

「……知る努力から始めるさ。あんなに真っ直ぐに感情をぶつけてくれる人が、俺には居なかったから。気づいてはいたけど、優美子は自分から来るタイプではなかったし」

「あー……だな。ヘンにカーストトップなんかに立つと、意地とか立ち位置が邪魔して行動しづらいだろ」

「……比企谷、君な。由比ヶ浜さんが居なければどれほどモテたのかとか、考えたこともないだろ」

「結衣と、友人が居ればいいからな。それ以上を望むのは贅沢だろ」

 

 葉山くんとぽしょぽしょ話してたヒッキーが、やっとこっちに来てくれた。

 それで、あたしから見える位置でぜすちゃー……ゼスチュアだっけ? で、優美子を抱き締めろって教えてくれる。

 こ、こう? ……ひゃあっ!? 余計泣いちゃったよ!? え!? え!?

 あ、でもヒッキー、それでいいって頷いてる。

 ……そっか。優美子、今まで気を張りすぎてたのかも。

 カーストって、いろいろ助かることもあるけどさ……人の感情が強く出るところって、いいことばっかじゃないよね。

 

「うん。優美子はがんばった!」

「ゆい……ゆぃいいい~~~っ……!!」

「《ぎうううう……!》い、いたたたた……! ちょ、優美子、いたい、いたい……!」

 

 ぎゅって抱き着いてくる優美子が、なんか可愛くて。

 苦しかったけど、あたしはひたすらやさしくできるように受け止めた。

 頭を撫でて、背中を撫でて。あたしがヒッキーにされると嬉しい受け止め方を、優美子にも。

 ……もちろんその後は化粧室直行の優美子だったけど、あたしたちはもう一度ここから始めて、笑顔で歩き出すことが出来た。

 グループは……解散するって。

 でも葉山くんも優美子も、姫菜だって楽しそうで……結構呑気に、また仲良くなれたらとべっちも巻き込んでグループ作ればいいんだからって笑ってた。

 やわじゃないんだから、って……あたしに微笑んで。

 

……。

 

 クリスマスイベント当日。

 ほんとにまったくトラブルもなく、クリスマスイベントを迎えた。

 ゆきのんもあたしもヒッキーもとべっちも、準備をやり遂げたことに笑い合って。

 とべっちはまだたまに、元気なくてぼーっとしてる時もあるけど……みんなでこうしてなにかをやってる時は、わりと元気だった。

 姫菜とは、それなりの友人関係を築けてるんだって。えと、びぃえる? な本を見せられて、それでも踏み込んで、勉強して、「なんつーか今、人生で一番脳みそ使ってる気がするわぁ……」って言ってる。“へ? いや、元気ないのはその所為じゃねぇの?”とは、ヒッキーの言葉だ。

 

「はー、ほんと、比企谷くんが羨ましいわぁ」

「ん……どしたのお前。いきなり」

「いやほら、由比ヶ浜さんってば黒髪が綺麗だし、お団子も似合っててキュンキュンだし? 空気読めるっつーか、絶妙なとこでフォローしてくれるし綺麗だし可愛いし、スタイルいいし勉強出来るし運動出来るし……え? なに? 天使?」

「とりあえずエロい目で結衣のこと見たら、俺はお前の目を潰さなくちゃならん」

「いやいやいやいやただ羨ましいってだけの話だってばさぁ比企谷くぅん! ほ、ほら、あれだしょ? 俺フラレちゃったわけじゃん? 青春してる比企谷くんがやっぱどうしても羨ましいっつーかぁ……あんだけいろいろ揃ってて頭もいいとか……。あれでアホの子とかだったらないわーって感じだったのに」

「よし戸部。とりあえず表に出ようか」

「おあわわわわうそうそ冗談アホの子とか例えばだって比企谷くん! ごめんマジごめん!」

「はぁ……そんなことより持ち場につけって。雪ノ下の挨拶が終わったら、こっちも動かなきゃだろ」

「……比企谷くんが居なかったら、俺、アタックしてたかも」

「浮気はやめとけ」

「まだまだ友達どまりだからちょっぴり寂しいのよ、俺の心。まあそれでも大好きだから諦めねーけどね! ここはまだまだガンバでしょー!」

「……そか。まあ、どっちにしろ、そういうのはやめとけ。好きな相手が居るのに、アホじゃないから好きになるかもって、ふざけんなだろ。どこに耳があるかも解らねぇんだし、これがきっかけで友達もダメとかになったらさすがにフォローできん」

「おぉあっ……そりゃたしかにっ……! っべー……比企谷くんマジ冴えてるわぁ……! あ、ゆーてもまあそれだけじゃないんだけどさ。ん、ほんと、比企谷くんが羨ましいわ。っかー! 俺もあんな風に一途に好きになってもらいてー!」

 

 ……顔、熱い。

 う、うん。ずっと好きだったし、あたしもここまで好きになるなんて、って……たまに思うことがある。

 でもさ、しょうがないよね。好きなんだもん。ばかみたいに好きになって、ヒッキーも好きでいてくれて。こんな幸せなのって、なかなか無いと思う。

 それが嬉しくて、今日もあたしはヒッキーの傍で幸せを噛みしめてる。

 

  そんなこんなで無事にイベントも終わって。

 

 また優美子が奉仕部に来るようになって、ゆきのん、ヒッキー、あたし、とべっち、優美子の五人で長机を囲む日が来た。

 沙希も居ればな~って思うんだけど、たまに勉強しに来るくらいで、結構忙しいらしいんだ。しょうがないよね。

 

「結衣、次の週末、隼人とデートなんだけど」

「由比ヶ浜さん、紅茶を淹れたわ、熱い内に」

「えっ!? あ、うん。が、頑張ってね優美子。ありがと、ゆきのん」

「や、そーじゃなくて。……デ、デートってどんなことすんの?」

「砂糖は入れる? 蜂蜜などどうかしら」

「え? え? え? や、ちょ、待って優美子、ゆきのんっ」

「……雪ノ下さん? 結衣が困ってっからあっち行けし」

「あら。あなたはまた由比ヶ浜さんを頼るのね。近づけたのならこれからは自分でと思わないの?」

「ちょ、すとっぷすとーーーっぷ! 喧嘩とかだめ!」

「…………《しゅん》」

「…………《しゅん》」

 

 な、なんかへんだ!

 ディスティニィーランドのあの日から、優美子がすっごいべったりしてくる!

 そしたらゆきのんまでいっぱい話しかけてきて! え!? な、なんなのこれ!

 

「あ、ごめんねゆきのん、優美子。べつに怒ったわけじゃないからさ、えと」

「そ、そう? まああーしと結衣の仲だし?」

「そうね。その、し、親友、なのだから」

「あ?《ギロリ》」

「なにかしら……?《ゴゴゴゴゴ……!》」

「だ、だからだめだってば!」

『…………《しゅん》』

 

 なななななんかへんだよ! 助けてヒッキー! ひっきーぃいっ!!

 

 

───……。

 

 

……。

 

 …………それから、いろいろあった。

 年越しをヒッキーの家族とうちの家族で騒いで、初詣に奉仕部と小町ちゃんと姫菜と葉山くんを混ぜたメンバーで行って、ゆきのんの誕生日のためにヒッキーとプレゼントを買いに行って、「今度こそは似合うよね!?」って眼鏡をつけてポーズを決めてみたらいきなり抱き締められて頭を撫でられて「ほゃわー!?」ってヘンな声出た。

 えと。可愛かったって言われて、顔が熱くて。まあ騒ぎすぎて店員さんに怒られたんだけど。

 店員さんが女の人で、ヒッキーのことちらちら見てたけど、ヒッキーは無言であたしの肩を掴んで引き寄せて「騒いですいませんっした!」って言って……それで、終わり。

 

「え、と……あれって、あたしのこと彼女アピールしてくれたってことで……いいのかな」

「え? あれでもアピールっていうの? いや、まあ、事実としてそうなんだから、今さらアレがああだとか言ってどうのこうのするつもりはまったくアレなわけだが」

「ヒッキー照れてる?」

「ばばばっかお前っ、おりゅっ……俺ほどのぼっ」

「ぼっちじゃないよね?」

「………」

「………」

「照れてますごめんなさい」

「えへへ、いい子いい子ー♪」

 

 顔真っ赤にして謝ってきたヒッキーの頭を撫でる。

 逆にあたしも撫でられて、なんか二人して顔真っ赤。

 近くを通ったおばさんに「若いわねぇ~」なんて言われて、余計に。

 

  ゆきのんの誕生日を祝った。

 

 奉仕部+葉山くんと姫菜のメンバーで、わいわいがやがや。

 大切な日にはお金を渋らないってことで、あたしもヒッキーも思いっきり祝った。

 優美子の誕生日は祝えなかったから、ちょっとだけ優美子が拗ねてたけど……それも兼ねるみたいに、一緒に。

 

「てゆーかー、比企谷くーん。比企谷くんてばさぁ、そんな金貯めてなにしたいん?」

「《ぽしょり》結衣と結婚して家建てて幸せに暮らしたい」

「ぶっふぉ!? え、えー!? っべー! 比企谷くんマジっべー! もうそこまで考えてるん!? っべ、っべー! っべーわマジっべーわ!」

「? どしたのヒッキー、とべっ……くん」

「あ、あー……いや、ン……えぇとぉ。ゆ、由比ヶ浜さんはぁ、そんな金貯めて、なにがしたいん?」

「え? それはー……《ちらっ》……えへへぇ……♪」

「…………っかー! なんかこれもう相思相愛すぎて見てるだけで糖尿病まっしぐらすぎるっしょー! ひひひ比企谷くん、いや比企谷さん! ズバリ! お子さんは何人で!?」

「うひゃあ!? ちょっ……とべくん!?」

 

 ななななに言い出してんのとべっち! ていうかなんかもうほんと“とべっち”って言いそうになってばっかだあたし!

 や、でもなんかとべっちってTHE・戸部って感じだし、むしろとべっちがすごく合ってて……あ、でも姫菜が居るんだからそれはまずいよね。

 うん、戸部、戸部ー……戸部くん。うん。

 

「…………《ちら? ちらちら》」

「いや……呼び止めるみたいにしたなら止めろよ……」

「ふえっ!? あ、だだだだって……! ……えと。ヒ、ヒッキーは……何人くらいが……いいのかな、って」

「ぐっ……!《かああ……!》いや……あのな……! まだプロポーズだってしてねぇのに……いや、そりゃ今さら結衣以外とか全然無理だけど……! ひ、ひやっ……俺だって? そりゃ考えなかったわけじゃねぇけど、出来れば一人は欲しいし? でも結衣の体に負担をかけるようなら無理はさせたくないし?」

 

 顔を真っ赤に、ほんとに真っ赤にして、目をあっちこっちに動かしながら、それでも答えてくれる。

 ひっきりなしにうろちょろしてる目は恥ずかしさの所為なのかな、ちょっと潤んでて。

 あはは、やっぱりヒッキーのこういうところ、可愛くて好きだなぁ。

 なんて思ってたら顔が緩んじゃって、「……はぁ。くそ、やっぱ俺、結衣のそういうとこ、好きだ……」……ふえっ!?

 

「ひ、ひひひひっきー!?」

「へ? ど、どした?」

「え、やっ……い、今好きって……」

「へ? …………ぐっは……!《ぐぼんっ!》」

 

 うひゃあ顔真っ赤!? え……あ、いつものアレだ。

 ヒッキー、喋ってたつもり、なかったんだ。

 

「見事なものね、赤谷くん。人とはこんなにも真っ赤になれるものなのね……」

「いや感心するところ違うからね……? 明らかにまちがってるからね……? むしろ今日は雪ノ下の誕生日なんだから、お前が楽しまなきゃだろ……」

「……そう見えなくてごめんなさい。これでも十分に楽しんでいるわ。友人に祝われるのはこれで二回目ね。ありがとう、由比ヶ浜さん、比企谷くん」

「うんっ! どーいたしましてゆきのんっ!」

「お、おう。まあよ」

 

 ヒッキーはまだ顔を赤くしたまま、そっぽを向きながら言う。

 隣に行って、つんつんつついてみると、抱き締められて頭をわしゃわしゃ撫でられた。

 やっぱり、ずっと一緒に居るとヒッキーからの接し方も近いって感じがして嬉しいな。遠慮がなくて、でも乱暴じゃなくてとってもやさしい。

 

「まーた始まった……っかー、比企谷くんと由比ヶ浜さん、マジ毎日らぶらぶしすぎっしょ……」

「……ま。ああいう関係に憧れないわけでは、ないし?《ちらちら》」

「……優美子、それはまたおいおい、な。俺にはハードル高すぎるって」

「いんやー、隼人くんならあれくらい簡単に出来るって思ってたんだけどなぁ」

「断り方は知ってても、女性との付き合いなんて知らないよ。比企谷の言う通りなんだ。だから、手探りで人を傷つけるのが怖くて仕方ない」

「だっ……大丈夫だし! あーしなら隼人を受け止めるくらいわけないから!」

「それは俺が軽い男って…………はぁ。まあ、そうなのかもしれないな……《ぽしょり》」

 

 あたしがヒッキーにわしゃわしゃされてきゃーきゃー騒いでる中で、元のメンバーは結構楽しげに話してる。

 それを姫菜がちょっと離れて見守ってて、それに気づいた戸部くんがニカッて笑って引っ張る、みたいな。

 ……うん。なんだろね。前の世界のグループよりも、近いって感じがする。みんな、近くて……そこに、あたしが居ない。

 居ないって意味では大岡くんも大和くんもなんだけど、でも……

 

「《なでなで》わぷっ……ひっきー……?」

「壊れなきゃ作れないものもあるってことだろ。そんな、泣きそうな顔すんな」

「……うん」

 

 あたしは新しい関係を築くことが出来たんだと思う。

 それは前よりも眩しくて、前よりも近くて。

 離れちゃった人は居ても、誰がチェーンメールを、なんて考えるよりはよかったんだ。

 お互いがお互いを思いやって、ちゃんと近くの人に目を向けられる。

 遠くの人ばかりを見て、気づかない振りをしている人は……もういない。

 ヒッキーも葉山くんも近くの人を見られるようになって───それで……それで。

 

   ×   ×   ×

 

 楽しい日々は続く。

 眩しい日々は、曇りの下でもいっつもだ。

 雨が降ったって傘を差して、好きな人の隣をぱしゃぱしゃと歩いた。

 

  車にはご用心。

 

 歩きながら音楽とかは聞かなくなった。

 

  音には敏感。

 

 後ろから車の音とか聞こえると、結構びくってなる。

 

  晴れの日にはゆきのんを連れてピクニック。

 

 あたしとゆきのんでサンドイッチとか作って、ヒッキーと小町ちゃんを連れて歩き回って。

 

  雪の日には雪合戦。

 

 雪玉をぶつけられたヒッキーが珍しく目を輝かせて、子供みたいに燥いだ。

 サブレとカマクラちゃんと一緒に、ヒッキーが作ったかまくらの中でゆっくりしたり。

 ゆきのんが雪だるまとか雪うさぎじゃなくて、雪猫をつくってにこにこしてたり。

 

  春が来て夏が来て、秋が来て冬が来て。

 

 気づけば春で、お別れを経験して、大学でも相変わらずヒッキーと楽しく過ごして、楽しくて、嬉しくて。

 とっくに“知らない未来”を歩いているのに、不思議なんだけど怖い、なんて気持ちは湧かなかった。

 高校の頃から大学までずうっとバイトしてお金貯めて、社会人になったら忙しくて大変で、それでも家に戻ればヒッキーを待って、帰ってくる音が聞こえれば比企谷家に突撃して抱き着いて。

 目標金額が溜まるまではここでしっかり貯めていきなさい、っていうのが両方の両親からの提案で、あたしたちはそれに乗っかった。

 家には入れなくていいからって言われて遠慮しようとしたけど、遠慮するなら早く孫を見せろって。……なにも言えなくなっちゃった。

 

  お金が溜まれば欲しかったものを揃えて。

 

 プロポーズされて、婚約して、結婚して、家を建てて……子供を産んで。双子だったから大変だった。

 同窓会で懐かしい人たちと会って、今の連絡先を聞いて。

 葉山くんと優美子、とべっちと姫菜が結婚してることに驚いて、連絡してくれなかったことを怒って。

 身籠ってた頃だったから心配だったんだって言われて、なにも言えなくて。

 少し遅れて入ってきたゆきのんに、知り合い全員が声を漏らして、なんかもうTHE・大人の女性! って感じのゆきのんに駆け寄って、抱き着いた。

 反応はいつかと変わらない。

 子供が産まれた時に一度会いに来てくれて、それ以降会えてなかったから嬉しかった。

 

「この娘……絆さんと美鳩さん?」

「うんっ、おっきくなったでしょ?」

「……ええ。目元が結衣さんにそっくり」

「おう……俺に似なくて本当によかったわ……いやマジで」

「? 何故かしら」

「何故って…………あー、そか。腐ってなかったんだったな。忘れてたわ」

「?」

「ま、なんにせよだ。久しぶりだな、雪乃」

「ええ。久しぶりね、ハチ公くん」

「おいやめろ。お前まだ人の名前をいじくらなきゃ気が済まない性質なの?」

「ふふっ、まさか。親友だからよ」

 

 高校三年の時、ゆきのんとは“雪ノ下家”のことでいろいろと悶着があった。

 ゆきのんがなんかすっごくあたしに近いなーって感じてた頃からの違和感があって、依存がどうとかって話も出たんだけど……それはちゃんとゆきのんが自分で答えを出して、解決した。

 その時に、私はまちがえるかもしれないけれど、そうと感じた時は正してほしいって言ってきて……その時から、あたしたちは親友を名乗っている。

 ヒッキーとも八幡とかハチくんとか言える間で、ヒッキーも雪乃で返してる。ゆきのんって言うと怒るけど。

 

「雪乃は……あー、その。まだ?」

「ええ。好きな人も居なければ、そんな相手も必要ないわ。結婚しろと言われているわけでもないし。ただ、そうね。一人として暮らせば余計なお金もかかるし、いっそのこと二人と養子縁組でもしようかしら」

「お前が家族になるのか……そりゃすげぇな」

「ゆきのんが家族になるのっ!? やろやろっ! その……よーしえん!?」

「え、お、落ち着いてちょうだい結衣さん、今のは冗談で……」

「やー、家を建てたけど四人じゃまだまだ広くてさー。ゆきのんが来てくれたらきっと賑やかになるし、ね? ねっ!?」

「え、あ、あの、あのあのっ……は、ハチ、たすけて……!」

「あんまりこいつの前で、喜びすぎること言うの、やめような? お前はもうちょっと、こいつに好かれすぎてることを知っておくべきだ」

「ええ……その、痛感したわ……」

「けどま、いいんじゃねぇの? 金使って部屋借りてるとかなら、一度家に住んでみるか?」

「…………いえ、やめておくわ。その、夜とか耳塞ぐので大変そうだから」

「だいじょぶ! 防音完備!」

「ぶっ!? い、いやお前っ……!」

「え? …………あ《かぁああ……!》や、やー! ちがっ、ちがうのゆきのん! だだだってほらっ! こどもがおっきくなったら、ほらっ、あれがあれだしっ! ~~~もうっ! とにかく一度来てっ! ねっ! ゆきのんっ!」

「《がっし!》えっ……あ、ちょっ……結衣さん!? ゆっ……あぁああぁぁぁ……!!」

 

 とある同窓会でゆきのんをお持ち帰りした。

 ちゃんと聞いたけど、やっぱりお金を払って部屋を借りてたんだって。

 家に頼るつもりはないからお金を稼いでお金を払っての繰り返し。

 だったら、って家の部屋を貸して、そこから仕事に行ってもらった。

 

「ハチくん、これは?」

「MAXブレンド。酒入りコーヒーにハマって、マッカンで作ってみたもんだな」

「………」

「警戒すんなよ……結衣も結構気に入ってんだぞ? まあ、結衣はMAXじゃないが」

「給料日にはお酒を入れようっていうのがここのしきたりなんだよゆきのん! あんまり入れると絆が嫌がるからそんなに飲まないけど。あ、あと戸締りしっかり」

「おう。んじゃ、今月もおつかれさんっ」

「えへへぇ、おつかれー!」

「お、おつかれ……さま……」

 

 給料日にはコーヒーにお酒を混ぜたもので乾杯。

 そんなに強いものじゃないし、肝機能にもいいんだって。

 そうして飲んで、軽く酔って、日々の疲れを吐き出すみたいに話し合って。

 楽しい時間を堪能して、笑って、笑って、時々喧嘩して。

 でも、やっぱり人には人の目標があるから、時間がくれば……別れる。

 

「ゆきのん……」

「ごめんなさい。姉さんに事業の手伝いを依頼されてしまって」

「陽乃さん……外国で働いてるんだよね?」

「ええ。相当忙しいらしいの。次にこちらに来られるのは、いつになるか」

「ゆきのん……」

「泣かないでちょうだい、結衣さん。……また必ず会いましょう。いつになるかは解らないけれど……」

「うん……うん」

「んじゃ、こいつが泣かないためにも絶対に守って貰わないとな。雪ノ下雪乃は、“暴言も失言も吐くけれど、虚言だけは吐かない”もんな」

「───……! ……ええ、そうね。ふふっ……そうね。ええ」

 

 ヒッキーの言葉にフッて笑ったゆきのんは、ゆきのんにしては珍しく大きく手を振って、家を出て行った。

 その姿に、いつかの団地の猫を重ねてしまったあたしは、ヒッキーに抱き着いて……泣いた。

 やっぱり……猫は苦手。

 居なくなるなにかは、悲しいって思う。

 でも、約束したから。

 だから、そのいつかを……待っていよう。

 この、温かい家で。

 

   ×   ×   ×

 

 約束は果たされるべきだ。

 だって、そうじゃないと悲しい。

 楽しみにしていた分、果たされないって知った時、どれだけ悲しい思いをするのか、誰も想像がつかないんだ。

 きっと、した方もされた方も。

 

  10年が経った。

 

 娘も大きくなって、美鳩ともども元気に外で遊んでる。

 二人ともヒッ……は、八幡のことが好きすぎて、ちょっと困ってる。

 

  20年が経った。

 

 絆が八幡似の男の子を連れてきて、結婚しますって叫んだ。

 八幡、絶叫。

 美鳩は笑っていて、男の子と八幡の言い合いを面白そうに眺めてた。

 

  30年経った。

 

 家もだいぶ静かになった。

 知り合いの老夫婦が辞めるっていうので譲ってもらった喫茶店を、趣味みたいに始めたあたしたちは、静かに穏やかに暮らしている。

 

  40年───

 

 ふと、昔の夢を見て、飼っていたペットの最期を思い出して泣いた。

 傍に居てくれる人が抱き寄せてくれて、いつものように頭と背中を撫でてくれる。

 

  50年───

 

  60年───

 

 …………。

 

 どれくらい経ったのかも考えなくなってから、静かに過ごす時間だけが続いた。

 無理ない運動を続けたお蔭か、背中もピンと伸びたまま。

 そんなささやかな自慢も、寿命には敵わない。

 

「………」

「……結衣……」

 

 あれから、結局雪乃さんとは会えなかった。

 なにがあったのかも解らない。

 手紙を出したくても何処に住んでいるのかも解らず、雪乃さんから届く、ということもなかった。

 

「……、やっぱり……悲しい、ね……」

「………」

「みんな、みぃんな……居なくなってしまって……」

「……結衣」

「ふふ……あなただけは……あの頃から、ずうっと……約束を守ってくれて……」

「……そう、だなぁ……。なにせ……居なくならない猫になる、と……約束したからなぁ……」

 

 愛しい人が、元気づけるように言ってくれる。

 力の入らない手を撫でながら、目に涙を浮かべて。

 その顔が、段々と見えなくなってくる。

 

「……、絆たちは……」

「別室だ……。俺が、二人にしてくれって……頼んだからなぁ……」

 

 しわくちゃな感触が手に触れている。

 いつだって傍に居てくれた、温かい感触。

 思えば、自分はこの人にとんでもないことを願ってしまったのではないだろうか。

 居なくならない猫になってくれ、なんて、辛くても逃げずに看取って見届けてくれと言っているようなものだ。

 だとすれば、私は……“あたし”は。

 そんな風に後悔が浮かんできたというのに、この人は簡単にそれを払ってしまう。

 幸せだったと。

 お前とここまで歩めて、自分はとても幸せだったと。

 もうぼやけて見えないけれど、ぽたぽたと手になにかが落ちるのだけは感じた。

 ああ、待って。

 まだ、私はこの人の傍に居たい。

 この人を残してなんか逝きたくない。

 まだ、もっと……この人を………………幸せに…………まだ……。

 

「……死んでも見られた夢がこれなら……こんな夢をありがとう。でも……でもなぁ、結衣……。俺は……俺は、さぁ……。目覚めても……また同じ夢を───……」

 

 最後に聞こえた声に、なにかを返したかった。

 でももう声は出せなくて。

 ぴー、って音が聞こえた頃には、あたしはもう、なにも出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

  ……ねー

 

 ───

 

  ……ねー、ママー。

 

 ……? あ……んん、なに……? 絆……。

 

  ママ、猫の恩返しって知ってる?

 

 ……犬の恩返しとかないの?

 

  もー! 猫の恩返し! えっとね、大切にしてもらった猫がね?

 

 ……うん。

 

  居なくなっちゃうんだけど、恩返しのためにご主人様に夢を見せるの。

 

 夢?

 

  うん、そう。サキ先生が言ってた。えっとね、その人が見たい夢とか、好きな人の夢とくっつけたりとか。すごいんだよ!? 猫ってね、“じかんにとらわれない”んだって! だからずーーっと先のこととかも昔のこととかも見せちゃうんだって!

 

 わー、すごいねー。あ、うん、でもそんな経験、ママにもあるかも。

 

  そうなんだ!? あ……でもママ、猫苦手なんじゃないの?

 

 嫌いなわけじゃないんだけどね。それで?

 

  うん! その夢だと、会いたいって願えば願うほど会いたいなにかとは会えなくてー……

 

 うん。

 

  でもね? 目が覚めると───

 

 

 

 

 

 

 

 ───……。

 

 

 ……。

 

「…………、ゥ、ァ…………」

 

 喉が、固まったみたいに痛かった。

 なんだろう、って目を開けてみると、真っ白な部屋。

 目が慣れてくると、それが眩しさだったって解って……段々、景色が色を付けていく。

 

(…………、病室……?)

 

 ……そうだ。

 もう長くないからって病院で、ゆっくり終わりの時を待って……それで…………。

 

(…………?)

 

 あの人が居ない。

 首を動かしたいのに上手く動いてくれなくて、視線だけを動かした───その先に。

 

「っ…………、え───」

 

 白い引き戸を開け、入ってきた……いつかのままの親友の姿を確認した。

 

「由比ヶ浜さんっ!?」

 

 叫ぶように、どころじゃなく、本当に叫んで、彼女は私のもとへ駆けてきた。

 涙をこぼし、必死に“大丈夫なの”や“よかった”を口にしてくれる。

 ……。

 なんだろう、頭がぼーっとする。

 たくさんたくさん考えなければならないことがあるのに、それよりも眠たくて。

 

「す、すぐに先生を呼ぶから! あ、いえっ、ナースコールをっ……~~っ……ふ、震えないでお願いっ……! 焦っている場合じゃないの……!」

 

 よっぽど動揺しているんだろうなぁ、なんて、静かに考えながら……震える手でナースコールを握る彼女の姿を眺め……やがて、目を閉じた。

 眠くて。

 眩しくて。

 そうやって目を閉じた真っ暗闇のどこかで、遠い昔、どこかで聞いた猫の声が……聞こえた気がした。

 

   ×   ×   ×

 

 世界には不思議がいっぱいある。

 科学で解明されてるー、なんて言ったって、専門外の人にしてみれば解明なんて全然されていないのと同じだ。

 夢の中で見たお話が事実だったとして、その夢がなにを伝えたかったのかは解らない。

 解らなくても……夢の登場人物が恩返し、なんて言ってたなら……私は。ううん、あたしは……あの時に猫を抱いたことを、後悔しちゃいけないんだと思う。

 

「ゆっきのーーーん!!」

「《がばぁっ!》きゃあっ!? ちょっ……由比ヶ浜さっ……! あなた、まだ退院したばかりなのにっ……!」

「結衣って呼んで?」

「え!? あ、あの、由比ヶ浜さ」

「ゆ~いっ!」

「い、いえあのあの……!」

「あーこらそこ、俺が嫉妬するからやめなさい」

「ひ、比企谷くん……! 由比ヶ浜さんが」

「ハチでいい」

「!? ひっ、ひひ比企谷く……!?」

「あー、そのだな、雪ノ下。俺、これからは超全力で依頼解決に精を出すから、そのつもりでな。んで、平塚先生の賭けに勝った暁には俺の親友になってもらう」

「なっ……!?」

「じゃああたしが勝ったら、ゆきのんはあたしとヒッキーと養子縁組してもらって、ずーっと一緒に同じ家に住んでもらうからっ!」

「ゆひっ!? ゆゆゆゆゆいがはまさん!? なにをっ……!」

 

 あの日、トラックに撥ねられたあたしたちは、ゆきのんの親の知り合い……っていうよりは葉山くんのお母さんの方かな? の病院に運ばれて、ずーっと意識不明の重体だったんだって。

 あたしたちはもう完全に死んじゃったものとばかり思ってたけど、ずーっと同じ夢を見てただけで。

 ……人生一生分を夢で見ちゃうなんて、サービス満点。

 このことをヒッキーに話したら、「いや……やりすぎでしょ、お前の猫……」って呆れてた。うん、あたしも呆れた。

 でも、“それだけ恩を感じてたってことだろ?” って言われたら……もう、緩んじゃう顔を止めるなんて出来ないよね。

 

「ま、のんびりやっていこう。おじいさんにまっかせなさーい」

「えへへぇ、おばあちゃんにまっかせなさーいっ♪」

「~~……二人がなにを言っているのか、まるで解らないわ……! って、比企谷くん!? あなた、目が……」

「お? …………まあ、前向きにゃあなるだろ、あんなもん見せられちゃ」

「あ……ヒッキーは、あの後……」

「……おう。あれから二ヶ月くらい生きた。お前の誕生日に、仏壇の前でだった」

「~~~っ……ひっきぃ……!」

「あ……お、おう。まあ、……また会えて、よかったわ。~……う、うしっ、それじゃあ片っ端から依頼を片づけていくか。あ、その前にリハビリとして勉強の予習復習な」

「えへへぇ、もうゆきのんにだって負けないからね~?」

「いや……お前の場合、入学式から一年であれだからな……また抜けてたりしないか?」

「ヒッキーひどい!?」

 

 ヒッキーはまるで別人みたく明るくなった。

 目も腐ってないし、穏やかでやさしいし、微笑みがすごく似合ってて自然だ。

 あたしたちはあんな経験をして、目が覚めてからは……体に引っ張られるみたいに、それまでの自分を思い出した。

 だからそれまでの癖なんかはなかなか抜けないけど、余裕があるって意味だと、確かに一度はおじいちゃんおばあちゃんになってるんだ。

 でも、体は高校生のままだから、引っ張られれば引っ張られるほどまだまだ元気。

 

「ゆきのんっ、あたし、解ったんだっ! 居なくなっちゃうなら、自分から行かなきゃだ! それで、やっぱり全部が欲しいっ!」

「ゆ、由比ヶ浜さん……」

「結衣!」

「え……い、いえあの、由比ヶ浜さ」

「結衣だってばゆきのん!」

 

 抱き締めながらワーワー騒ぐあたしたちを見て、ヒッキーが隠すことなく笑ってる。

 歩く道は静かだ。

 車にはご用心。

 またここから始めよう。

 猫を拾った日から始まった夢みたいな現実で、手に届く“全部”が零れ落ちないように。

 あとは……そだね。

 これでまだ嫌ってたら罰当たりだよね。

 だから、あたしは……ううん、あたしも。

 猫が、大好きだ。



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責任はとるって言ったんだしな①

 ピクニックに行くには寒すぎると思うんだ。

 早い段階で結論を出したあたしは、予定を変更してヒッキーが「あー……まあ、いいか」って呟いて、どっかに連絡するのを見守った。

 なんかすっごくつっかえつっかえしながら話してたヒッキーだけど、電話が終わると「すぐでも構わないらしい」、ってよく解らないことを言って……あたしは連れられるまま、歩いたり電車に乗ったり。

 そうしてやってきた場所は……千葉のパセラ。中央駅から少し歩くくらいで行けるハニトー……ハニートーストで有名なカラオケ店だ。

 カラオケって書いてあるけど、べつに普通に食べて帰るだけってのも出来るし、パーティー用として利用することも出来る。部屋の数はそんな多くないけど、二人で一部屋なら十分に広い。

 ヒッキーは予約しといた者でしゅけど、ってちょっと噛みながら話を通して、奥の個室に。

 

「ヒ、ヒッキー? えと……」

「ハニトー。食いに行こうってメールしといたろ。一応予約取れそうな時間を聞いておいたんだよ。で、連絡入れたら頼んどいたもの作ってくれって」

「頼んどいたもの……?」

「おう。なんかその、なんだ。小町情報だが、あー……なんでもオーダーメイドが出来るらしくてな」

「あ、それ知ってる! へー……って、ヒッキーが頼んだの!?」

「お、おう……ここ数年分の勇気とコミュ力使った気分だったわ……禿げるかと思った」

「そんなになんだ!?」

 

 驚きながら、メニューとか曲リストとかを落ち着きなくぱらぱらめくる。

 や、だだだって……それってさ、ヒッキーが、さ。計画立てて、デートに誘ってくれようとしてたってことで……!

 前倒しみたいになっちゃったけど、これ、ちゃんとデートってことで……!

 わ、わー! うわーうわー! 顔あっつい! なんか、ずー、ってへんな音が聞こえるくらい顔があっつい!

 

「で、なんか他に頼むか? ハニトーって言えばパン一斤だが、前の時もなんだかんだ食えたし、タパスでも追加するか? あ、ハニトーの方にデザート系が結構乗ってると思うから、デザートは食べ終わってから考えてくれ」

「うん。……えっと……あ、じゃあタパスのこの……あひーじょ? っていうの食べてみたいかも。アサリのやつ」

「おし。じゃあ俺はこっちのチーズナチョスってのを」

「うんっ、じゃあ歌おう!」

「歌う気満々だなおい……」

 

 だってパセラって、食べるか歌うかだし。

 だから曲を登録して、思う存分歌う。

 

「しっぱい~は~成功ーへーのっ、挑戦~をっく~れるっか~らっ♪」

 

 歌って歌って、ヒッキーにも歌ってもらって、最初は渋ってても歌い始めると結構ノリノリで歌うヒッキーは、やっぱりアニソン多めだけど、それだけじゃなかったりした。

 や、アニソンもいい歌多いし、結構ドキってしちゃうやつも多くて驚いたけど。

 

「10年経って……夢を~忘れ~てぇ♪」

 

 でも、今歌ってるのは結構アレだ。歌詞とも全然違うけど、すっごく心が籠ってるからなんか止められない。

 

「20年経って……涙~を拭ってぇ♪」

 

 替え歌っていうのはあんまり聞かないけど、ヒッキーのこれって……なんか実感こもってるっていうか。

 

「30年経って……いつか~を思ってぇもぉ……! うつぅむぅかぁ~~~ずにぃっ……! 行けぇーーーーっ!!」

 

 それでも、あとになればなるほど、その歌は元気になった。

 うん、へんな言い方だけど、後になると……なんか、えへへ。顔が緩んじゃうくらい、明るい歌だった。

 最後にはあたしも叫んでたし。

 うん、いい歌だ。

 

……。

 

 しばらくしてハニトーとタパスのアサリのアヒージョと、チーズナチョスが届いた。

 

「うわぁはぁーーーっ♪ すごいよヒッキー! アイスとか超乗ってる! わっ、このミニケーキ、パンダだ! あ、犬もある! わ、これってサブレ!? あははっ、ちょっと違う感じだけどサブレちゃんって書いてあるっ! オーダーメイドって初めて見たけどすごいねっ!」

「……オーダーメイドでいろいろ頼めるっつーから、犬の特徴とか詳しく…………注文の時に噛みすぎて、恥ずかしさのあまり死にたくなったわ……」

「ありがとヒッキー! ありがとねっ! ありがとぉっ!」

「お、お……おう……おう」

 

 お礼を言うと、ヒッキーは真っ赤になっておうおう言ってた。

 照れてるヒッキーって、じっと見てると可愛い。

 照れ隠しなのか、テキパキとハニトーを切り分けて、お皿に分けてくれるんだけど……

 

「うーん……」

「? ど、どした? こっちのほうがいいか?」

「ううん、そうじゃなくて。えと。はい、ヒッキー! あーん!」

「……。いや、ハニトーにフォークぶっ刺して差し出されながらメンチ切られるなんて、初体験なんだが」

「そのあぁんじゃないよ!? ……ってかヒッキー? 解ってて言ってるでしょ」

「や、や、やー……ほら、え、まじで?」

「嫌なら、ヒッキーがしてくれる?」

「…………、……お、おう」

「ふえっ!?」

 

 え? あ、え? ちょっと意地悪してみただけなんだけど……え? やってくれるの?

 どうせやってくれないんだろうなーって思ってたのに。

 

「ほ、ほれ。その、」

「あーん?」

「……言わなきゃだめか?」

「だめ」

「~~~……あ、あーん……」

「えへへぇ、あ~んっ♪」

 

 ヒッキーが、小さく切ってアイスを乗せたハニトー差し出してくれる。

 それを口に含んで、やさしい感じの甘さの蜂蜜が染み込んだ、カリッとしたトーストを、えーと、そしゃく? する。

 蜂蜜が染み込んだ柔らかいところと、焼き立てあつあつのカリっとした食感。そこにアイスの冷たさが混ざって、口の中に甘さが広がってく。

 うわぁああ……! 出来立ておいしぃいー……!!

 ほっぺたがじゅわーって! じゅわーって!

 

「ど、どうだ?」

「おいしいっ! ほらほらヒッキーも食べてみてよ! はい、あーんっ」

「え、や、俺は自分で」

「あーんっ!」

「……あー……んっ」

 

 食べるのと一緒に目を閉じて、真っ赤な顔のままもぐもぐしてる。

 でもその顔が緩むのを見たら、なんかあたしも嬉しくなった。美味しいよね、やっぱり。

 

「なんだこれ……新しい味だマジで……。前のよりクリーム多めだから食いやすいし」

「だよねっ」

「っつーかあの時のはお前が俺の分のクリームまで食ったから」

「ほらほらヒッキー、まだあるよっ、あーんっ」

「いや聞きなさいよ……あ、あー……」

 

 一回目が過ぎると、差し出せば食べてくれるようになった。

 それがなんだか可愛くて、はいはいはいはいってどんどんあげちゃって、気づけばあたしの分が無くなってた。

 ちょっとしょんぼりしてると、今度はヒッキーがあたしにあーんをしてくれる。

 恥ずかしかったけど……うん、全部食べた。

 は~~~、って息をついたら、次はタパスだ。

 

「アサリのアヒージョ……アヒージョってなんだろ」

「ん……なんかニンニク風味がどうとかって話だ。ニンニクとオリーブオイルで煮込む料理……だったか? タパスってのは小皿とか小さな料理とか、まあそんなところらしい」

「へー……! あ、じゃあ食べてみよ?」

「おう。……っと、ほれ。あーん」

「ふえっ!? あ、えと、ヒッキー?」

「? あ? …………《ボッ!》ばっ……! ちょ、ちょっと……? もういいなら先に言ってくれません……!?」

「あ、や、やー、違うの違うのっ! あたしからやらないでも、ヒッキーからやってくれるなんて思わなかったからっ……! あ、あの……ヒッキー? ……えと、あ、あーん」

「……~……あーん」

 

 真っ赤なヒッキーが、切り分けたチーズナチョス……タコスのことだっけ? をくれる。

 それをぱくって食べると、チーズの風味とソースの味、あとはえーとえーとなんかとにかく広がってく。うん、おいしいっ!

 でも先にハニトー食べたから、あつあつじゃないのはちょっと残念。

 

「じゃあ次はこっちね。アサリのアヒージョ……ニンニクの芽の食感って結構アレだよね。あ、でもこれあーんとか出来ないかな」

「だな。普通に食うか」

「あ。ヒッキー今あからさまにホッとしたでしょ」

「い、いやべつに……」

「じゃあ、はい。ニンニクの芽。あーん」

「アサリくれよ……」

 

 言いながらも食べた。

 そうしてあたしたちは、食べて、休んで歌ってを楽しんだ。

 

 

───……。

 

 

 パセラを出ると、結構いい時間だった。

 お店で食べると時間経ってるよねー。不思議だ。

 まあカラオケもしたし、今日は納得だけど。

 

(……そろそろ“帰るかー”とか言うかな)

 

 用事が済んだらすぐ帰る。ヒッキーならきっとそう。

 言われてもすぐ返せるように、どっか寄ってくとことか考えとこ。

 

「んじゃ、次行くか」

「やだっ」

「《ぐさぁっ!》…………すまん」

「え? あっ! うひゃあ違うの違うの!! 待ってそうじゃなくて! え!? ヒッキーどっか連れてってくれるの!? あたしてっきり帰るかとか言うと思って……!」

「お前……今のまじで泣きそうになったぞ……因果応報かもしれねぇけど、勘弁してくれよ……《ぐすっ》」

「ごめんってば! その、インガオホー? ってのじゃないから!」

「……ドーモ、ユイガハマ=サン。ニンジャヒキガヤーです」

「え? え? ……ド、ドーモ?」

 

 よく解んないけど、手を合わせて小さなお辞儀とかされた。

 

「それでヒッキー、どこ行くの?」

「ん……小町からお土産よろしくってメールきてるから、帰り際にそれ行く」

「あ…………そ、そだよね、あはは」

 

 ヒッキーがあたしと居たいからー、とかでデートを続けようとかないない。

 責任とるとかメールでくれたけどさ。義務じゃないとか言ってくれたけどさ。

 ヒッキーだもんね、うん……。

 

「んじゃ、行くか」

「うん……」

 

 ちょっと沈んだ。

 ヒッキーはシスコンだから、こうでもなきゃ続きなんてなかったとは思うけど……はぁ。

 

……。

 

 ……。

 ……?

 …………あれ?

 

「このリードとかどうだ?」

「えっ……」

 

 ……あれ?

 

「ドッグフードってこだわりとかあるか?」

「え、や、やーほら、さすがに食べないと思うよ……?」

「え……まじか……!?」

 

 あ、あれ?

 

「最近は服とかも着せたりするっていうよな?」

「そりゃ着るよ!? 着ないと変態じゃん!」

「へっ……!? 初めて知った新事実だ……!」

 

 なんかへんだ。

 ヒッキー? ねぇ、ヒッキー? 小町ちゃんのお土産探してるんだよね?

 なんでさっきからペットショップ系ばっかなの?

 

「すげぇな……お前相当厳選したもの買ってんだな……」

「てゆーかさっきからヒッキーがヘンなもの選びすぎなんだってば!」

「え……そんなにヘンだったか……?」

「へんだよ……なんか小町ちゃんをペットみたいに見てるっていうか……」

「? へ? 小町? なんで小町?」

「え? だってヒッキー、小町ちゃんのお土産買ってくって」

「お、おう。帰りにって言ったよな? ……え?」

「え?」

「………」

「………」

「そ、そうかっ……ぶふっ……! なんかへんだ、とっ……ぶふっ……おもったら……ぶふっ……!!」

「わああああ待って待ってさっきまでのなしなしなしぃっ!! もどろっ!? 最初まで戻ろっ!? わっ……笑わないでよぉーーーっ!! うわーーーんっ!」

 

 やらかした。

 あたしもへんだなって思ってたけど、ここまで話がズレてたなんて。

 だ、だってヒッキーが悪いんじゃん! いっつも帰るとかばっか言うし、小町ちゃんのことはすぐに優先するし!

 だからあたしは───…………あ、あたしは…………あれ?

 

「……ヒッキー」

「くふっ……くっくくく……! な、なんだ……?」

「う、うー……! いくらなんでも笑いすぎだからぁっ! もうっ……! え、えっとさ、ヒッキーっていっつも小町ちゃんのこと優先するよね? なのにお土産があとって…………」

 

 訊いてみたら、「ぅぐぁっ……」ってヘンな声が漏れて、ヒッキーの笑い声が止まった。

 

「ひ、ひやっ……これは……べべべつに深い意味は……!」

「ヒッキー」

「ひゃいっ」

「……ありがと」

「ぁ───ぃゃ……、……おう」

 

 なんか、あたしやっぱりヒッキーには甘いのかも。

 甘いくせに、気にかけてほしいからそわそわしちゃって。

 気づいて欲しいから一歩が踏み出せなくて、自分から行くって言ったくせに足踏みしてばっかだ。

 でも、今はヒッキーが踏み出してくれたから。

 だから、あたしもちゃんと近寄って、知りたいことを知っていかなきゃ。

 

「ヒッキーヒッキー、ほらっ、いこっ?」

「……はぁ。へいへい」

「あ。なんで溜め息吐くし」

「苦笑してんだよ。んじゃ、改めてリードとか見るか」

「うんっ!」

 

 見てきた場所を戻って、一からやり直し。

 めんどくさそうな顔してるんだろうな、なんて……怖い気もしたけど、見つめてみた横顔は……なんだかちょっと嬉しそうで。

 ……まだ彼女ってわけじゃないけど、さ。

 もっともっと、期待して……いいんだよね?

 責任っていうのが、どこまでのものかも解んないけどさ。

 ……いいんだよね?

 

 

───……。

 

 

……。

 

 遊んで騒いで燥いでむせて。

 電車に乗って帰る頃には結構暗くて、心配だからってヒッキーは家まで送ってくれた。

 

「ヒッキー、ありがとね。わざわざ送ってくれて」

「ん……まあ、気にすんな」

「気にしなかったらありがとうも言えないじゃん。気にさせてよ」

「……そんな切り返しされるとは思わんかった。なんか新しいな、おい」

 

 小さく笑って、ヒッキーは「んじゃな」って言って後ろを向いちゃう。

 家の扉に手を掛けてたあたしだけど、そんな後ろ姿が離れていくのが嫌で、つい手を伸ばして───

 

「《クンッ》うおっ!? ……へ? ゆ、由比ヶ浜?」

「え? あ……」

 

 ……気づけば、ヒッキーの服の袖を引っ張ってた。

 

「あ、あはは……なにやってんだろねあたしっ、や、やー……べつにほら、へんな意味じゃなくて……あ、ほらっ、あれだっ! ひ、ヒッキーさっ」

「お、おう?」

「眠れないって言ってたよねっ? 帰っても眠れないんならさっ、こ、っ……《かぁあ……》ここ、で……えと……」

「…………《かぁぁ……!》」

 

 勢いで言っちゃったけど、これ結構アレだよね……な、なにいってんの、なにいってんのあたし!

 今日はパパもママも居ないからって、まずいってば!

 あ、や、ヒッキーがなにかするーとかじゃなくて、パパとママが居ないのにヒッキーを上がらせたとかママに知られたら、もうどんだけからかわれるか解んないっていうか!

 

「……無理すんな。そういうのはもっと、段階踏んでからのほうがいいだろ。俺が焦るならまだしも、お前が焦る必要とかねーだろ」

「え、そ、そんなの解んないじゃん! あたしが踏み出さなかったから次の日にはヒッキーが誰かと、とか考えると怖いしっ……」

「お前な、常識的に考えろよ……俺なんぞをお前以外が好きになったりとかするわけないだろ。気にかかっててもキスとか絶対やだキモいとか言われるに決まってるわ。……だから。つまり。よーするに。……心配とか要らねぇってこったよ。キスされてから、お前のこと意識しまくりって言葉、なんとかしてほしいくらいにマジだから」

「う、うそ……だって、ヒッキー、あたしに好きとか言ってないし……それに、どうなるか解んないじゃん。ヒッキーのことが好きって子が出てきてさ、ヒッキーのこと好きって言ったらさ、ヒッキーはあたしを見たままで居られる? あたしのこと好きって言ってくれる?」

「あのちょっと? 由比ヶ浜さん? 休日潰してまで最後まで付き合うあたりで察してくださってると思っていたのですが?」

「……? なに、それ」

「……《がりっ》……由比ヶ浜。俺に言って欲しい言葉とかあるか?」

「え……えと、ことば? 言葉……えと。“ゆい”?」

「(いきなりハードル高っ!?)……げふんっ! ……あー……、結衣?」

「ふえっ!? あ、えぅう……!?」

「他は?」

「あ、は、はい、あと……す、好きだ、とか」

「結衣、好きだ」

「《ぼっ!》ふひゃあっ!?」

 

 え……え? なにこれ、どうなってんの?

 なんでこんな……あたしがお願いしたこと、ヒッキーが言ってくれて……?

 ……なんでも言ってくれるの? ……なんでも?

 って、ヒッキーすっごい顔赤い! 真っ赤っか! なんか目も潤んでるし、無理してる! それもすっごく!

 でも……でも、これだけは。

 

「ヒッキー」

「お、ぉおぉお……おう……」

「これだけは……言わされた、とかじゃなくてさ。ちゃんとヒッキー自身で言って欲しいな。……あたしは、比企谷八幡くんが好きです。あなたは、あたしをどう思ってくれてますか?」

「……~~……だ、だから。俺は」

「………」

「───……そう、だな。回りくどいのは“言った”って言わねぇよな。……由比ヶ浜結衣さん。俺は、あなたが好きです。夢に見るほど意識しまくってます。デート一発で心が決まるってのもすげぇけど……ど、どうせこの際だから言っちまうな。キモかったら断ってくれていい。お前が好きだ。他の誰にも渡したくねぇ。俺の隣はお前で、お前の隣は俺がいい。……デート、すげぇ楽しかった。ずっと続けばいいって……思ってた。まだ行き当たりばったりで、デートコースなんて気の利いたプランもなんにも立てられない俺だけど、よかったら……俺と付き合ってください」

「───……」

 

 真っ赤になって、顔を逸らしたいだろうに必死にあたしを見つめたまま、涙を滲ませて言ってくれる。

 ……胸に来た。

 いつかの日、本物が欲しいって言ったヒッキーのあの目が、あたしに向けられていた。

 あの時に込められていた答えはまだわからないままだけど……それでも、必死に伝えてくれた言葉が嬉しくて。

 ヒッキーは歩み寄ってくれた。

 だったら、あたしももっと……自分で行かないとだ。

 目は逸らさなくても伸ばしきれない手が、今、そこで揺れているから。

 ゆっくりと手を持ち上げて、不安そうに揺れてる手を握る。

 手袋越しだから、なんか締まんないけど……いいよね? あったかいもん。

 だからあたしは頷いて、ぱあって笑顔になるその人の涙を指で拭う動作のまま、背伸びをしてキスをした。

 驚くヒッキーの手を引っ張って、家に引っ張りこんで、扉を閉めて部屋まで駆けて。

 そこで……誰にも聞かせたくない言葉を、ヒッキーにだけいっぱいぶつけた。

 不安だったことや怖かったこと、誰かが手を伸ばせば全部が崩れちゃうんじゃって後悔したことや……気づかれてなければ、キスのことは絶対に言うつもりはなかったこと。

 こんなことになって、嬉しいけど……明日には無くなっちゃうものがあるんじゃないかって。

 

  ヒッキーは……壊れたものは戻らない、って言った。

 

 でも、それはどこぞのリア充の理論だから、ぼっちである俺は抗うって。

 それからはいっぱいお話をした。

 ヒッキーが入院してる頃の話とか、退院してひとりぼっちの入学式を体験したみたいな気持ちだった頃のこととか。

 あたしも、ヒッキーのこと見に行ってたこととか、どうしたら話しかけられるかなって考えてたこととか。

 嫌だな、なんて気持ちは全然わかないまま、なんか自然に……ヒッキーをベッドに寝っ転がらせて、膝枕をして。

 撫でる髪が気持ちいい。

 “おかーさん”の気持ちってこんななのかな。

 ピンって伸びたアホ毛をくしくしいじってみると、なんか楽しい。

 少しするとヒッキーは寝ちゃって、あたしも……楽な姿勢じゃないのに、心があったかくて……気づけば寝ちゃってた。

 

   ×   ×   ×

 

 朝帰りをしたヒッキーは、随分と小町ちゃんにつつかれたらしい。

 学校で聞いたのはそんなこと。

 あ、うん。ちょっと朝帰りって言葉に顔を熱くしちゃったけど、それはいいんだ。

 それよりも、って。

 ゆきのんにヒッキーとのことを話したら、なんか……なんか、普通におめでとうって言われた。

 ……あれ? うん。……あれ?

 ゆきのん、てっきりヒッキーのこと好きだって思ってたのに。

 心配ごとは、なんか普通に流れていった。

 それどころかあたしとヒッキーが一緒に居るとにこにこして、逆に一緒に居ることが多くなった気がする。

 嬉しくて抱き着くと、やっぱり“近い”って言うけど、嫌がったりしなくて。

 

「うーん……なんか先輩たち、ずいぶん距離が少なくなった気がするんですけど」

「……ん? そうか?」

 

 ある日の奉仕部。

 あたしたちをじーっと見てたいろはちゃんが、そう言った。

 うん、あたしも近いって思う。

 特にゆきのんが。

 結構びっくり。かなりびっくり。

 

「特にそのー……雪ノ下先輩が」

「私?」

 

 言われたゆきのんはきょとんってして、いろはちゃんからあたしとヒッキーの方を向くと、ちょっと心配そうな顔をする。

 

「ん……まあ、確かに最近、近いって感じは……するか?」

「そう、かしら」

「うん」

「ま、べつにいいんじゃねぇの? あんまゆるゆりされると俺がちょっと嫉妬しちゃうくらいなだけだし」

「うわー……」

「おいちょっと一色さん? やめて? 特に言葉を返すでもなく“うわー”だけとかめっちゃキツいから」

「まあそれはともかくアレですよ先輩。ちょっと手伝ってほしいことがありましてー」

「いや自分でやれよ……」

「そうね、一色さん。いくら一年とはいえ、全てを任せきりにしては生徒会長として成長出来ないのではないかしら」

「えー……? ですけど、荷物とか結構重いものを運ぶとか、わたしにはちょっとキツいですしー」

「荷物運び目的って言っちゃったよこいつ……誰か他にいねーの? ほれ、あの副会長くんとか」

「そうね。彼も男子なのだから、べつに比企谷くんに頼むでもなく、彼に頼んだほうがいいのではないかしら」

「生徒会内でそんな頼ってたら、デキてるとか葉山先輩に思われちゃうかもじゃないですかー。その点先輩だったら奉仕部ってことでりよ……頼めますしー」

「こいつ利用って言おうとしちゃったよ……」

「あ、じゃあいろはちゃん、あたしたちも手伝うよっ! みんなでやればすぐ終わるしっ!」

「ええそうね。奉仕部としての比企谷くんに頼むのであれば、これは依頼というかたちになるのだから」

「いえいえいえ雪ノ下先輩や結衣先輩に頼むほどのことでもないですから」

「俺だったらいいのかよ……なんなのお前」

 

 ヒッキーがぐったりした顔でいろはちゃんを見る。

 で、溜め息ひとつ、しゃーないって感じで椅子から立ち上がった。

 

「じゃ、悪い。そういうことらしいからちょっと行って片づけて───」

「あたしも行く。ね? ゆきのん」

「ええ」

「え……で、ですから、お二人の手を煩わせるほどのことではー……」

「じゃあ早く終わらせて、カラオケにでも行こう! ほらほらいろはちゃん、早く早くっ」

「《ぐいっ》わわっ……あーもう、わかりましたよー……」

 

 いろはちゃんの背中を押して、早く早くと急かす。

 そんな中、ヒッキーはゆきのんをじーっと見てて、いつも通りの言葉を言われて溜め息吐いてたけど……なんだったんだろ。

 

……。

 

 おかしいな、って思ったことは何度かあって。

 でも、近いっていうのが嬉しくて、そのままにした。

 誰かが何かを言うこともなくて、それでいいならいいのかなって。

 

「ゆきのんっ……ど、どうかな……!」

「ええ、上手に出来ているわ。おいしいチョコレートよ」

「やったぁーーーっ! ヒッキーヒッキー! たべてたべてっ! 上手にできたよほらほらほらっ!」

「おわちょっ……落ち着けっ……! 押し付けてこなくてももらうっつの……!」

 

 コミュニティーセンターをお料理教室って名目で借りて、集まったみんなでチョコ作り。

 来る予定だったらしい陽乃さんが来れなかったらしくて、それを聞いたゆきのんが“私だけで十分よ”って張り切って、チョコ作りの講師をしてくれて、楽しんで、騒いで。

 優美子も隼人くんにチョコを渡せて、あたしもゆきのんもヒッキーにあげて。

 

「───………」

 

 一緒にやって、一緒に楽しくて、一緒で……一緒で。

 でも、違和感があって……それがなにか解らなくて。

 こんなものは最初だけだ~って思って……いつかは慣れるんだって。

 だから、あたしは……その日の夜。ゆきのんを見送った帰り道で、ヒッキーに相談した。

 

「違和感? ……まあ、あるな。平塚先生に感じるな、考えろって言われたわ」

「考えるんだ……。なんなのかな」

「んー……そりゃ、俺達が前より互いに近いってことあたりなんじゃねぇの? 俺はもっと線を引いてたし、雪ノ下なんてもっとだろ。言い訳並べて他人となんざ関わり合いたくありませんって俺らが、気づけばこうして人と関わって笑ってる。違和感っていうならそこかしこにあるわな」

「でもさ、それっていいことだよね? あたしはいいと思うけど」

「いいと思ってるのに引っかかるんだろ? じゃあそれは本能的にあまり良いとは言えないものなんだろ」

「……悪いことなのかな」

「悪いものでも慣れればどってことねぇだろ。つか、べつによくないか? 変わるより受け入れろだ。……それが、おぞましかろうがなんだろうが、選んでるのはそいつで、なにもこれからずっとそのままってこたぁないんだ。“今”しかなくても、“今”変えなきゃいけないなんてことはねぇと思う。どうするかはあいつが決めるべきだろ」

「……ヒッキー、ちゃんと解ってたんだ」

「あんだけ近けりゃな……」

「うん……」

 

 ヒッキーは言う。

 あいつは自分の理想を俺達にぶつけてきている、って。

 そうであったら、って願うものをぶつけてきて、でも全部願う通りにいくことなんてないって解ってるから、妥協して、同じになったものだけを求めて、また妥協して。

 依存とかっていうんじゃなくて……あたしたちに、自分が願う眩しさを求めてるんだ、って。

 だから、“言わなくても解る関係”を願ってる。

 私たちなら、あたしたちなら、俺たちならを並べて、その中で同じものやくっつくものを掻き集めて、そうやって完成するものに名前をつけたがってるんだって。

 

「それってさ……」

「子供の頃、なんにでも名前をつけたがったもんだよな。あいつはたぶん、すごい姉は居ても相談に乗ってくれる姉や……俺みたいに理解ある妹が居なかったから……全部自分でやるしかなかったんだ。当然、遊ぶ余裕なんてないわな。ぼっちが考える最強遊戯、ぼっち遊びさえしたことがないんだろうよ」

「ヒ、ヒッキー、それってさ」

「妥協を許さなかったやつが、いろんなもんを妥協して俺達に近づこうとしてる。……無くしたくないって思っちまったんじゃねぇの? こういう関係を」

「………うん」

 

 ゆきのんはなんでもできる。いろんなことが解って、いろんなことが出来て。

 でもそれって、“なんでも持ってる”のとは違って……なんだろ。なんて言えばいいのかな。やだな、言葉が見つからない。なんて言えばいいのか解んないや。

 

「……雪ノ下さんにとって、葉山は興味の範疇じゃない。取り繕って、現状維持ばかりを選択するから……ってだけじゃねぇだろうけど、たぶん、怯えてでもなにかに抗ってるほうが人間味があっていいんだろうな」

「ヒッキー……?」

「この前な、雪ノ下さんに言われた。俺達が遊んでるところを見たって言って、今の俺達はつまらないだそうだ」

「つまんない……? えと」

「人を見てまず面白いかどうかで判断するなって話だけどな。……違和感ってのはそこなんだろうな。外から見てもおかしいって思う関係だ。俺もお前も気づいていて、たぶん雪ノ下は気づいてない」

「……うん」

 

 あたしたちは現状維持を望みすぎてる。

 あたしとヒッキーが付き合うことで、奉仕部が壊れるんじゃないかって。

 ゆきのんはおめでとうって言って笑ってくれて、むしろ近くに来てくれるようになったけど……それは本当にいいことだったのかなって。

 

「雪ノ下は雪ノ下さんの背中を追わなくなった。が、それだけだ。……葉山が言った言葉だけどな。雪ノ下は最初、人間ごと世界を変えるなんて言ってたんだ。それだけの意志と覚悟があったんだろうが───……それも今はない。妥協して譲って、小さくまとまって、勢いを無くしてる。考えるに、まあおそらくというか当然というか、ああいうヤツだからな。変えるための強い意志はあっても、変えられる覚悟がなかったんだ。自分が変わったかどうかって自覚もないのかもしれねぇ」

「ヒッキー……でもさ、それってそんな悪いことかな」

「え?」

「えっとさ。そりゃ、早く直したほうがいいものとかってあるよ? 癖とか、将来それはだめだーとか、社会人になったときそんなんじゃだめだーとか、そうやって言う人、いっぱい居る。でもさ、子供の頃に出来なかったことを今やっちゃったとしても、それって頭ごなしに怒って無理矢理直させるのは、あたしは違うって思う。出来なかったならやらせてあげなきゃ。こんなのゆきのんじゃないなんて言うんじゃなくてさ。あれだってゆきのんだって言ってあげて、それからさ、ちゃんとゆきのんが決めなきゃ」

「───…………」

「《くしゃっ……》わっ……ひ、ひっきー?」

「………」

 

 頭を撫でられて、ぽしょりって呟かれた。

 “お前、やっぱ人のことよく見てるわ”って。

 

「心理と感情か……はぁ、厄介だわー、ないわー、まじないわー」

「それとべっちの真似?」

「~……心に栄養与えないと鬱で死んじゃう病なんだよ。……ま、あれだよ。あいつは今、宝物を壊さないようにって必死なんだろうさ。なぁ由比ヶ浜。子供が構ってもらおう、自分を見てもらおうとする時、なにをすると思う?」

「え? えとー……かまってーってダダこねたり?」

「そうだな。それもあるが……“良い子”を一度でも願われて、褒められたやつはそうじゃねぇんだ。もっと良い子になれば、もっと頑張ればって、自分らしさを殺してまでそれを追い続ける。んで、雪ノ下には大変優秀なお姉さまが居た。だから追った。トレースした。完璧を目指した。期待に応えて正しく良い子になってだ。けど、だからこそ“あなたなら大丈夫”と太鼓判を押された。そりゃそうだ、手間がかからない子供に構う忙しい親が何処に居る。そいつはもう“あなたなたら大丈夫”が最低ラインになって、そうなったらもうだめだ。多少そこから外れただけでも、“あなたはそんなことをする子じゃないと思っていたのに”って言われるだけになっちまう」

「そんな……そんなのひどいよ……」

「雪ノ下には友達が居ない。幼馴染に葉山が居るが、関係は良好とは思えない。ガキの頃になにかがあって、それに葉山も関係してるってことだろう。で、それは、葉山に惚れた女子が、幼馴染であり葉山に近い雪ノ下にあれこれ嫉妬していろいろやったってことだと推測する。あー……あれな。上履きを60回隠す、とかな」

「うん……」

「おそらくそこでも葉山は動かなかった。もしくは気づかなかった。雪ノ下が一人で居ても、むしろ雪ノ下自身が一人を選んでいるとでも勘違いした可能性だってある。あいつは“みんな”を見るが“一人”は見ない。だから一人が苦しんでても“みんなでやろう”なんてアホなことが平気で言える。といっても、その頃に葉山が雪ノ下を守ろうとしたって逆効果だったろうけど……そこで下手に触れず、外でケアするなりしてやりゃよかったのかもしれねぇけど、恐らく葉山はそれをしようとしなかった。みんなが居る学校だからこそ雪ノ下にも笑顔で近づいて、結果として様々を壊した。孤立している雪ノ下にことあるごとに接近して、その度に他が嫉妬して、と。それの連続だったんだろうよ」

「ゆきのん……」

「まあその、あくまでぼっちとしての推測だけどな。あいつは今、自分の宝石箱をごしごし磨くのに夢中な子供みたいな状態なんだろ。このままがいい、綺麗なままがいいって、壊れることを恐れている。……呆れることに、たぶんそれは俺もだ」

「うん……あたしもだ。三人一緒がいいって思ってる」

 

 でも、それだけなのかな。

 あたし、ヒッキーと恋人になったからってゆきのんと友達じゃないなんて言うつもり、ないのに。

 

「恋人が出来ればお互いが夢中になって、一人の自分は当然ながら疎外感を覚えるもんだろ。たとえばこれは俺の知り合いのH.Hくんのことだが、中学時代に三人一組を組まなきゃならなくなって、仕方なく組むことになった二人が恋人同士で目の前でいちゃいちゃ……あの時の疎外感といったらな……」

「結局それヒッキーのことじゃん!」

「ぐっ……と、とにかくアレだ。雪ノ下さんはそれを否定するだろうが、それもまた雪ノ下だろ。変わったとかじゃねぇ、変われもしなかっただけだ。違和感があろうがなかろうが、あぁいうもんを自然に馴染ませたのがこれからの雪ノ下になるってだけだろ。……ただ、」

「うん。最近へんだなって思ってたのは、アレだよね」

「だな。……人の決定に従順すぎる」

「うん……なにか言うたびに“そうね”って頷いてばっかになった気がする」

「自分の意見を貫きすぎて、嫌われるのが怖いんだろうな。俺は貫きすぎて失敗した側だから、解らんでもない。むしろ解りすぎて辛い」

「あたしは……それでも周りに合わせちゃってたかな……」

「そうだな。言っちまえば、今のあいつは前の由比ヶ浜なのかもしれない。空気を読む、とまではいってない、読み方も知らない子供がとりあえず相手の意見に頷いてる、ってだけだが」

「えと……どうしたらいいのかな」

「お前が言った通りでいいんだと思うぞ? 今すぐってんじゃない。人にいきなり変われとかアホかって話だ。きっかけはいろいろ必要になるだろうし、多少強引だろうが仕方なしだが、いろいろ試してみるしかないだろ」

「うん……」

 

 ヒッキーは言う。

 言わなくても解る関係ってものに届かなかったなら、せめて次はって、人はそうやって手を伸ばすもんだって。

 とある映画でもあったけど、家が火事で全焼したら、その時はショックを受けても、せめてなにか一つでも無事なものがないかって探すものだって。

 ゆきのんは“言わなくても解る関係”をあたしたちに求めるのを諦める代わりに、喧嘩をしても、仲直り出来る関係を選んだのかもしんない。

 解らなくても、わかんないのが解るっていうか……そんな、見えないなにかを信じるだけでも繋がってられる関係を。

 たぶん、あたしがそう願って、このままじゃやだよって願って、卑怯だって言っても受け入れてくれたから。

 話せばきっと解ることは多くて。

 でも、全部なんて絶対無理で、やっぱり解んなくて。でも、そういうのが解る、曖昧だけどきっとそこにあるなにか。

 “らしさ”っていうのとも違うんだと思う。

 絆って言っちゃっていいのかもよく解んない。

 でも……ゆきのんは今、そういうのを繋ぎとめようとしてるんだと思う。

 解らないから手探りでやるしかなくて、怖いから委ねたくて、不安だから自分で決められなくて、壊れてほしくないから大切にする。そんなの誰だって同じだ。ゆきのんだけが特別じゃない。

 こんな考えは一方的でしかなくて、正解なんかじゃないのかもしれない。これがゆきのんが思ってること、なんて胸張って言えることじゃないけど。でもほら、解ろうって考えて、努力することは出来るんだ。

 解んなくてもそういうのが解るって、曖昧だけど大切なことだと思う。

 思えるから一人になんかしたくないし、したくないなら……自分から行かなきゃだ。

 

「……俺は。近い人のことは、知っていたいって思ってる。理解して、安心して……でもな、そんなことをしたことがないから、その先になにがあるのかもわからねぇ」

「……あたしは、なんでも言い合ってさ、それで解り合えたらなって思う。ヒッキーは、えと、ごーまん? って言うけどさ。で……」

「ああ。はぁあ……“解るものだとばかり思っていたのね”、か。今はあなたを知っているって言ったくせになんも言わなかったことから考えて、あいつは“言わなくても解り合える関係”ってのを望んでる。けど、俺達は解ってやれなかった。あいつはなんだかんだで生徒会長になってみたくて、けど叶えられなかったから、その時点で妥協しちまったのかもしれない。言わなくても解る関係から……別の何かに」

 

 だから嫌われるのが怖くて、でも妥協してばっかの自分は嫌で、なのに笑ってるしかなくて。

 ああ……そっか。うん、ほんと……前のあたしだ。

 でも、だから解ることもある。このままじゃだめだ。

 あたしは、遠慮なんかしないで言い合いをしてるヒッキーとゆきのんに憧れた。

 いい部活だなって、本当にそう思ったんだ。

 それを与えてくれた一人がそうなっちゃうのは、ワガママかもだけど悲しい。

 今じゃなくてもいいって、そりゃ、うん、もちろんだ。

 でも、今やらなきゃ直ってくれないものだったら、ゆきのんのこれからの時間をあたしたちの所為で壊すことになる。

 お節介かもだけど、踏み込まなきゃだ。せめて、ゆきのんがこの関係を大切だって思ってくれている内は。

 



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責任はとるって言ったんだしな②

 知って安心する。

 話し合って理解する。

 なにも言わないで理解する。

 全部を合わせるのは難しくて、でも……それってやっぱり、今答えを出さなきゃいけないことじゃないんだと思う。

 話し合って理解して、理解したから安心して、安心できたらいっぱい時間をかけて理解を深めて、その上でなにも言わなくても解り合えるあたしたちになればいい。

 時間はかかりそうだってきっとみんな言うと思うんだ。

 でもさ。

 あたしたちは一年もかからないでこんな関係になれたんだ。

 最初はほんと、呆れちゃうような関係だったのに。

 口を開けばビッチとか死ねばとかぶっ殺すぞとかさ。おかしいよね。

 でも……今はこんなにも言い合える。

 解ってることが増えて、言わないでも解ることだっていくつかあるんだ。

 そのいくつかを、どんどんもっと増やしていけばいいんだ。

 そこに必要なのはなにかなって考えて、なんもかもぜーんぶぶちまけちゃって、その上で。

 

「ゆきのんは、どうしたい?」

 

 あたしはそれを、ゆきのんに訊いた。

 

「え……あ、の……」

 

 いつもの放課後って言っちゃえばそれまでの、なんでもないなんにもない、思い出せばどうでもいいってくらいに普通な日の奉仕部で。

 あたしはヒッキーとゆきのんと三人、ヒッキーが淹れ始めることでおろおろしてるゆきのんと三人、渡された紅茶を飲みながら訊いた。

 対面にはゆきのん、こっちはあたしとヒッキー。あたしとヒッキーと、交互に見るゆきのんには、少し前までの余裕が全然なかった。

 

「あの……ゆ、由比ヶ浜さんは───」

「違うよ、ゆきのん。ゆきのんが決めるの。ゆきのんがどうしたいか」

「っ……あ、あの、比企谷くん」

「ん……ちと卑怯だが、こう返そう。シャキっと決めてみろ、“部長”。いや、いっそ、生徒会長になってたとして、お前今のままだったらいろいろアウトだったぞ」

「……、……あ、ぅ……」

 

 ゆきのんが弱々しく呟く。なんて言ったのかは聞こえない。

 

「わ、たし……私は……、~~……」

「なぁ、雪ノ下」

「───!」

 

 私は、で声をつまらせたゆきのんにヒッキーが呟くと、俯かせた顔を持ち上げる。そこには期待と喜びみたいなのがあって───

 

「人が人を解るってのは、難しい。お前にはお前の、俺には俺の、由比ヶ浜には由比ヶ浜の譲れないものがあって、それを全部ぶちまけたところで……言えないことの一つや二つはどうしても残るだろ。たとえ全部ぶちまけても、生きていきゃ絶対に言えないことも増えてくる」

「………」

「けどな、雪ノ下。偉い人が言うには、“感じるな、考えろ”だそうだ。俺たちはいろんなものをまちがって、嫌な空気を抱いて、見当はずれの解を掴み取っても、こうしてまだ三人で居る」

 

 ヒッキーは、どこか自分でも確認するみたいに喋ってる。

 たぶん、ヒッキー自身も答えが決まってないんだと思う。

 あたしは……もう、決めてる。それが答えでいいって……それじゃなきゃやだってものを、もう持ってる。

 

「居心地がいい場所を守るのは誰だって当然だ。そうであってほしいからって、踏み出して、失敗した。……まちがえないなんて無理なんだよ、雪ノ下。お前は俺に、“自分が知っている俺”を求めて、俺は修学旅行でそれを破壊した」

「───!」

「“それでも”を求めたお前は生徒会長を目指したが、俺達は奉仕部って場所を守ろうとして、お前は三人一緒の関係を守ろうとして失敗した」

「ひ、比企谷くん……っ《ぱあっ……》」

 

 ヒッキーが並べてく、憶測でしかないものを耳に、ゆきのんの顔に喜びが増えてゆく。

 そうだ、言わずに解ってもらえるのは嬉しい。

 自分のことを解っててくれる人が居るのは嬉しい。

 でもさ、ゆきのん。あたしたちは、それでもう失敗しちゃってるから。

 言わなくても全部を、なんて無理だから……だから。

 

「でもな。今さらお前がしたかったことを理解できても、もう間に合わないことだってある。先に知っていれば出来たことが、今はもう出来ない。だからな、雪ノ下。俺達はもっとお互いを知って、もっと話し合って、そうしてからお互いを察してやれる関係を目指すべきだ。それをするには、今のままじゃ無理なんだからな」

「あ……、……」

「雪ノ下さんが人と話す時、ヒントばっかで答えをくれない話し方をする理由が、ちょっと解った気がした」

「───! ね、姉さんは関係ないでしょう……! 私は……! ……わ、私は……」

「そうだ、関係ないでいいんだ。言っちまえば、お前の願う強い意志には、俺達だって関係ない。───だから、お前が決めろ。お前はどうなりたい。お前はどうしたい。お前が出せるお前の答えを、お前が口にすればいい。……していいんだ。我が儘でもなんでも、ぶつけてみろ。壊れたものは戻らないってのがリア充の考えで、そんなもんで挫けるほどもろいもんなら、壊れた先で自分の意見をぶつけ合って、くっつけられるもん全部をくっつけてカタチにしちまえばいいだろ。いっそ遠慮もなくなって、案外楽しめるんじゃねーの?」

「……、ぁ……」

「ヒッキー……」

「……、私は……」

「……ゆきのん?」

「私は……!」

 

 きゅって握った手を胸に当てて、ゆきのんは俯いて、小さく震えた。

 でもそれも少しの間だけ。

 目に涙だって滲ませてたゆきのんは、ヒッキーやあたしを睨むくらいの勢いで顔を上げると、強く強く、いつかのゆきのんみたいな力強さで言ったんだ。

 

「私はっ……あなたたちを知っていきたい……! 欲しいものを欲しいって、言えるようになりたい……! 言えないまま無くしてしまうのは、もう、い、いや……で……! だから、っ……だから……! 私はっ……! わ、た……───!? あ……」

 

 言葉の途中で、ゆきのんはハッとした顔になってヒッキーを見た。

 うん。そうだ。あたしだって考えた。

 喉を詰まらせてでも、自分の内側全部を伝えられたら、相手の人はどう思うんだろうって。

 それが原因で避けられたらどうしようって。離れていってしまったらどうしようって。

 でもね、ゆきのん。

 あたしたちは、もうそれをしてくれた人を知ってるから。

 怖がらなくても、全部ぶつけてみればいいんだ。

 何度だって壊していこう。その度に、いっぱい知って、知ったことでくっつけて、それを過去にして否定せず、あたしたちのまま変わっていくんだ。

 

「私はっ……!」

 

 解らないって言ったいつかがある。

 否定してしまったいつかがあって、でも……解ったから泣いちゃうくらいにごめんなさいって思える。

 ゆきのんは涙を拭うこともしないでヒッキーを見て、あたしを見て。

 そして、自分の内側の全部を押し出すみたいにして、口にすることで───

 

「私はっ……本物が欲しいっ……!!」

 

 ───あたしたちは、やっと少しだけ……お互いを知ることが出来たんだと思う。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 鍵を閉めた奉仕部の中で、あたしたちは静かな時間を過ごしてた。

 感極まって泣いちゃったあたしと、泣いてたゆきのんと、ちょっともらい泣きしちゃってそっぽ向いて鼻をすするヒッキーと。

 やっと本当に近づけたって感じがして、嬉しくて、恥ずかしくて。

 

「ていうかだな……ぐすっ……雪ノ下。知り合って一年も経ってないのに、言わなくても解る関係とかハードル高すぎだろ……」

「ぐしゅっ……あ、あら。そんなものはその密度によるものでしょう? あなただって人の上辺だけを見て、何度も心理と感情を擦れ違いさせて、誤った解を出していたじゃない」

「ぐっ……! いや、解ってる気になって、人のやり方を嫌うことでしか自分の感情を整理できなかったお前に言われたくないぞ」

「うぅっ……! け、けれどあれはっ……! …………そうね、比企谷くん。丁度いい機会だからあの修学旅行での偽告白の件、きっちりと話してもらうわ」

「あ、そうだよヒッキー。姫菜と隼人くんが時々ヒッキーを、えと……なんてのかな、寂しそう? みたいな目で見てるの、あれなんなの?」

「………」

「比企谷くん?」

「ヒッキー? 今さら言わないとか誤魔化すのは無しだよ? それってあれだよ? えと、ぎ、ぎー」

「そうね、欺瞞傲慢の類だわ。あなたの大嫌いな」

「………」

 

 雪ノ下が完全に雪ノ下だ……って当たり前のことを呟いて、ヒッキーは教えてくれた。

 とべっちの依頼のあとに来た姫菜の言葉の裏。

 とべっちの告白の前に隼人くんがヒッキーに告げた言葉、全部。

 

「……気にいらないことの裏にはつくづく、あの男か姉さんが絡んでいるのね……」

「いや待て待て、言っちまえば海老名さんも葉山も自分の心境を語っただけで、勝手に行動したのは俺だ。単独で行動するなら実行する理由なんてなかったし、部として動くならお前らにちゃんと相談しなきゃいけなかった。あの時まちがったのは俺だけだったんだよ」

「でもヒッキー! それって───! ……それって、さ《ちら……》」

「……! ……、そう、なのね。……比企谷くん、ごめんなさい。私は、あなたを解ってあげられなかった。言わなくても解る、という関係を望んでいたのに、私は自分の中にある定理、“そうであること”を望みすぎて……あなたという人間を見失っていたのかもしれない」

「い、いややめろ、なんか恥ずかしいだろおい……!」

「恥ずかしくてもさ。……ヒッキー、最初っからそんなだったわけじゃないでしょ? 小学とか中学とかさ、頑張ったんだと思う。じゃなきゃ、話し合えば解るなんてのは欺瞞、なんて言葉……出ないよね?」

「っ……」

 

 ヒッキーが喉を詰まらせるみたいにして、あたしを見つめる。

 

「経験してなきゃ言えないよ……。経験したからそれは違うって言えるんだもん。そんでさ、たぶんヒッキーは一番最初にそれをして、解ったつもりになって……言わなくても解ることに期待して、だめだったから……」

「───……」

 

 ヒッキーは何も言わなかった。言わなかったけど、隣に居るあたしの頭を、ぽんぽんって叩いて……それが解ってくれてありがとう、って言ってるみたいで。

 

「ね、ゆきのん。あたしね、答えは解ってるんだ。ずっとそれだけをって考えてたから、どうすればとかこうしなきゃとかじゃなくて、そこに行けばいいって強引な答えしか出せないけどさ。でも……それは、三人が一人ずつ決めて、誰かがこうしたからこうしようってのじゃだめだから……さ、ゆきのん」

「……ええ。私も、もう決められたわ。比企谷くん、あなたはどう? 随分と偉そうに自分の意見を述べてくれたものだけれど、答えらしい答えなどなかったじゃない。……さあ、あなたの答えは?」

「決めたとか言っといて、お前らだって答えを言ってねぇだろうが……」

「……えと」

「そうね。それじゃあ」

「……おう」

 

 三人が二人を交互に見て、そして、答えを出す。

 それは言葉にしてみれば短くて、追い求めれば涙が出ちゃうくらい大切で。

 見えないのに恋い焦がれ、見えないからもどかしくて。

 口にしちゃえば陳腐なもので、きっと人によってはもう聞き飽きたよーなんて言えるようなもので。

 そのくせ、きっと誰もがそれに憧れてる。

 そんな関係が本当にあればって、心の中で求めてる。

 あたしたちはそれを口にして、たとえ言葉としては、えとー……ち、陳腐? にしちゃったとしても……同じことを口にした二人を大事にして、三人で歩いていく。

 そういうのでいいと思う。

 あたしは、それがいい。

 そんなんでいいんだ、あたしは。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 ───ヒッキーとゆきのんを誘って、水族園に行った。

 いろんな魚を見て、驚いたり笑ったり。

 マグロと背比べしてみて、大きさに驚いたり、ヒッキーがヘンな形のサメを見て目をきらきらさせてたり、ヒッキーがヘンな魚に共感を覚えたり、ゆきのんがネコザメについてを考えこんじゃったり。

 そんな光景を見て、二人とはべつにはしゃいでたあたしも、やっぱり知らないこととかいっぱいあるなぁって苦笑い。

 だってヒッキーが、えと、はんまーへっどしゃーく? にあんなに興味津々だなんて初めて知ったもん。

 ゆきのんだってぽかーんとしてたけど、次の瞬間には笑ってたし。

 

「ね、ゆきのん。こうしてさ、いろんなこと知って……その先でさ」

「……由比ヶ浜さん、大丈夫よ。私はもう、理想を押し付けて勝手に失望する自分は卒業したの。ゆっくりでいいから……知っていかせてちょうだい。私は、それがいいって……そう思えたから。……決められたから」

「ゆきのん……うんっ」

 

 一通り回って、あたしもゆきのんもヒッキーも、気づけばいろんな生き物に夢中になってた。

 ヒッキーを中心に、腕を組んでぐいぐい歩く。

 ヒッキーは顔を真っ赤にして驚いてたけど、気にしないで進んだ。

 

「いやいや雪ノ下っ!? 由比ヶ浜はまだ解るが、なんでお前がっ……!」

「比企谷くん。私、平塚先生が提案した勝負を全力で勝ちにいこうと思うの」

「へっ!? そ、それと今と、なんの関係が……」

「私が勝ったら私の嘘をひとつ、聞き逃しなさい。そんな事実はなかったのだと」

「あの? 意味がまったく解らないんですけど?」

「本心から言うけれど、私はあなたに対して愛だの恋だのの感情は一切持ち合わせていないわ。けれど、近くに居て知っていきたいと心から思っている。……比企谷くん、私の親友になってちょうだい」

「うわー……なにお前、O・ワイルドに全力で喧嘩でも売りたい年頃なの?」

「男女の関係において、友情はありえないと言った偉人ね。……そうね、それもいいかもしれないわ」

「まじかよ……で、お前がいう聞き逃してほしい嘘ってのは───」

「“あなたと友達とか、在り得ないわ”」

「ですよねー」

 

 言って、ヒッキーもゆきのんも笑った。

 知らないことだったからちょっと、えーと、そがいかん。

 ぎゅーって腕を引っ張ってみれば、真っ赤な顔のヒッキーがへいへいって頭を撫でてくれようとして……その腕にゆきのんが抱き着いてることを思い出した。

 

「あ、あー……その」

「えと……手が使えないんじゃしょうがないよね。じゃあ……ヒッキー、んっ」

「いや“んっ”てお前」

「んっ!」

「…………」

 

 目を閉じて、顎を持ち上げる。

 ヒッキーからはまだだったから、望んでくれるならって。

 ちょっと怖かったけど……ヒッキーはキスをしてくれて、自分でもちょっと意外だったから目を開けてみたら、ヒッキーのドアップ。

 

「比企谷くん、由比ヶ浜さん。時と場所を弁えてちょうだい……。あと、出来れば私の目も考えてもらえると嬉しいのだけれど……」

「ぷあっ! あ、ごごごごめんねゆきのんっ! でもなんかちょっと寂しくてっ!」

「心配しなくても、この男をあなたから取り上げる、なんてことはしないわ。むしろ知ることで、あなたが比企谷くんに失望することがないかが心配なくらいで───」

「おいやめろ。俺だってこれからいろいろアレなんだから。本気出すから」

「ふふっ……そう。人には偉そうなことを言えるのだから、言えるだけの男になりなさい。そうして由比ヶ浜さんを幸せにしてくれたなら、私はあなたを親友としてとても誇りに思えるわ」

「……そこまで言っても上から目線じゃねぇんだからすげぇよな、お前」

「? 親友の成功をを誇るのは当然でしょう? ……そ、それで提案なのだけれど」

「? ゆきのん?」

「その。わ、私もその、由比ヶ浜さん? もう、あなたを親友と思っているのだけれど───」

「ゆきのん!《ぱあっ……!》」

「あ、ま、待ってちょうだい。抱き着くのは《がばしー!》きゃあっ!?」

 

 嬉しくて、中心のヒッキーも巻き込んで三人で抱き合うみたいになった。

 でも、それがなんだかあったかい。

 

「も、もう……!」

「なに? それで、なにゆきのんっ!」

「そ、その…………名前、で……呼んでもいいかしら。結衣、さん、と……その。は、八幡……くん?」

「わっ……ゆ、ゆきのーーーんっ!!」

「《ぎゅうーーーっ!!》んむーーーっ!?」

「……おい。おい由比ヶ浜。雪ノ下窒息するから」

 

 嬉しくて、ヒッキーの左腕を右腕で抱いたまま、ゆきのんの顔を左腕で胸に抱いた。

 ゆきのんがぱたぱた暴れるけど、嬉しすぎてもうだめだ。

 ゆきのんゆきのんゆきのーーーんっ!!

 

「《ぽごすっ》ふきゅうっ!? ……うう……ヒッキーひどい……」

「やかましい」

 

 ヒッキーに拳骨されて、ゆきのんを離した。

 なにも拳骨することないじゃん。

 ……とか思ってるくせに、そんなことをヒッキーがしてくることに、近くなったんだなーって実感が湧いてくるあたしは、やっぱりもうほんと、ヒッキーが好きなんだぁって……えへへ。

 

「あー……こういうのは俺からの方がいいか? あ、キモかったら言ってくれ。即座にやめて孤独を愛する」

「そういうのはいいってば。もう……じゃ、ヒッキーから」

「お、おう。……結衣。雪乃」

「わ……う、うんっ、うんっヒッキー!」

「物凄い違和感だけれど、これも次第に慣れていくのでしょうね。よろしく、ひき……八幡くん。結衣さん」

「…………おう」

「うんっ! じゃあ次あたしだ! ゆきのんっ、ヒッキー!」

『はいダウト』

「《べしんっ!》はたっ!?」

 

 腕を離されて、べしーんって頭を叩かれた。……えっ!? 叩かれた!? ゆきのんにっ!? ヒッキーにっ!?

 

「ゆ、ゆきのん? ヒッキー……?」

「結衣さん? そこはきちんと雪乃と呼ばないとだめでしょう」

「そうだぞ結衣。いくらなんでもここでそれはないだろう」

「なんで親が子供に言い聞かせるみたいなカンジになってんの!? う、うー……ゆ、雪乃? 八幡?」

「……ええ」

「おう」

「《なでなでなでなで》だだだだからなんでよくできましってカンジにっ……もーーーっ!」

 

 怒ると、二人は笑った。

 本当に無邪気な顔で、心を許した友達に“遊ぼっ”て声をかけられた時みたく。

 あたしはそんな笑顔に見惚れちゃって、ああ、よかった……って。ちゃんと、答えに辿り着けたんだなって思って……あたしも、自然に。

 

「え、えとっ……ゆきのんっ……じゃなかった、雪乃っ、八幡っ、これからどうしよっか! もっかい回るっ!? それともどっか別のとこ行コっか! カラオケとか!」

「お前ほんとカラオケ好きな。おう、べつにいーぞ。アニソンばっかになるが」

「アニソン……知識の幅を広げるのも悪いことではないわね。八幡くん、今度私にも理解できそうなアニメの歌を教えてくれるかしら」

「あっ、じゃああたしもっ! あ、なんだったらこれからヒッキーの家行こっか!」

「…………《じわ》」

「なんで泣くの!?」

「い、や……悪いっ……。けど、だけど……お……っ……俺の家に友人が……っ……恋人がっ……~~~っ……!」

「…………」

「…………」

「雪乃」

「ええ、結衣さん」

 

 手を伸ばす。

 恋人に、親友に。

 腕を組んで、帰るために。

 

「よーっし! これからヒッキーのトラウマとかぜーんぶ壊しちゃおう!」

「ええ、行くわよ八幡くん。私たち二人にかかれば、あなたのトラウマなど気に掛けるほど無駄であると理解させてあげるわ」

「いやおいちょっと!? 少しくらい感動にひたらせっ……おっ、おわぁーーーっ!?」

 

 ゆきのんと……えと、雪乃、と一緒に、八幡の腕を引いて歩いた。八幡、八幡……あはは、ちょっと慣れるまで大変かも。

 でも、なんか新鮮だ。胸はドキドキしっぱなしで、なのにすごく嬉しくて。

 そうだ、あたしは昔から、“こんな関係”に憧れてたんだ。

 そうなりたくて頑張るのに、“みんな”は必要以上に燥ぐあたしから離れて、馬鹿とかアホとか言った。

 険悪になりそうになればわざと騒いだり、話を逸らすのに、大体の人は“いきなりうるさいな”って顔をして嫌がったっけ。

 でも、今はそれがない。ご機嫌伺いなんて必要じゃなくて、自分のあるがままを見せたって、呆れはしても嫌いにならない関係がここにある。

 あたしがほしかったものは……もう、ここにあるんだ。

 

   ×   ×   ×

 

 で。

 

「ふふっ……見なさい八幡くん。クイズゲームでパーフェクトを取ってしまったわ……!《ドヤァアアアン……!!》」

「なんで初めてでパーフェクト取れるんだよ! お前どこまでユキペディアさんなの!? いっそ清々しすぎて拍手しか贈れねぇよ!」

「失敗したら交代ってルールだったのに結局一回も交代しないで終わっちゃったよ!? ヒ、ヒッキー! べつのやろうよべつの!」

「いや、っつってもぼっちな俺の家に多人数プレイ可能なゲームとかねぇぞ?」

「ってそうだよ! そもそも歌のこと調べに来たんじゃん!」

「あ、そ、そうだったわね。では……その……《ちらちらちら》」

「……あー、そうな。ぼっちだとなんかテトリスとかパズルゲー、めっちゃやりたくなるよな。なんでか知らんけど。いいぞやってて」

「……!《ぱああっ……!》あ……ありがとう、八幡くん《にこり》」

「───」

「………」

 

 あたしもヒッキーも、ゆきのんの純粋な笑顔に言葉を無くした。

 うわ、わ、わー……! なにあれ、反則だ。

 あ、でもゲームの始め方が解らなくて首を傾げるゆきのん、可愛い。

 

「ゆき……あー、雪乃。お前はまず説明書からな。ほれ」

「あ、ありがとう、ひきっ……八幡くん」

「俺の苗字で詰まるのやめろ……なんか引き攣ったみたいに聞こえるから」

「そうね。あなたの場合、存在自体が引き攣っているのだもの、それを他の家族にまで当てはめるのはひどい話よね、怠慢くん」

「おい、まさかこれからは名前で罵倒するつもりかよ」

「当たり前でしょう? “比企谷”でし続けてしまっては、小町さんやご両親を悲しませることになるのだから」

「あの? 雪乃さん? 今俺が大絶賛悲しんでいるんですが?」

「……ごめんなさい、まだいろいろと距離を測りかねていて。……その。これから、頻繁に足を運ぶ場所に……なると思うから」

「───、……雪乃…………」

「………」

 

 雪乃と八幡がじいっと見つめ合う。

 互いの目に互いを映して、逸らさないで目と目を……視線を交差させて。

 やがて二人は───

 

「……………来る度に罵倒する気かこのやろう」

「友達とは遠慮しない関係でしょう? それと、女性に野郎と言うものではないわよ」

「容赦ねぇなお前……」

「自分の振る舞いたいように振る舞っているだけよ。遠慮せずあなたもそうすればいいじゃない。天真爛漫くん?」

「なんかもう最後に“まん”がつけばなんでもいいみたいになってるじゃねぇか。飾らない関係ってのを所望したいんだろうが、似合わんからやめてくれ」

 

 にこりとかふんわりとかじゃなくて、ニヤリって笑ってそう言い合った。

 あ、あれー!? なんかちょっとしんみりしたなって思ったら、全然そんなことなかったよ!?

 ……でも、楽しそうならいいのかな。

 うん、いいよね。

 よし、せっかくこんな関係になれたんだから、あたしも楽しまないとだ。

 

……。

 

 それから、ヒッキーの部屋で音楽……アニソンを流しながら、漫画とか……ラノベ? とかを見てみてる。

 っていってもあたしは文字ばっかだと頭が疲れてくるから、まずは興味が向くようにって渡された漫画。ラノベが漫画になったやつなんだって。

 最初にラノベの絵とかを見て、絵が可愛いって思ったやつの漫画を見てみたら、結構楽しかった。こう、どーんってなってぐぐーっていって、どっかーんって。

 難しい設定とかが最初にくるのは、うん。合わなかった。覚えてらんないし。

 

「しっかし……」

「ん? どしたのヒッキー」

「どしたの、っつーか。どうかしすぎてるだろ、さっきの今で」

 

 むず痒い、みたいなふくざつそーな顔をして、ヒッキーはあたしとゆきのんを見る。

 っていっても、ゆきのんはあたしたちにそそのかされて、“寝転がって小説を読む”って行動をやってる内にうとうとしてきて、そのままぱたんって寝ちゃったけど。……ヒッキーのベッドで。

 ヒッキーはそのベッドに背中を預けて、足は軽くあぐらをかくみたいにしてる。

 あたしは……そのあぐらを枕代わりにして、仰向けで読書。恥ずかしいけどなんか新鮮で、こんな行動が楽しい。

 

「あはは……そうかもね」

「あの小町が……来たと思ったら何も言わずにそっと出ていったからな……」

 

 あー……うん。小町ちゃん、元気だし賑やかなイメージあるもんね。

 そんな小町ちゃんが“おにっ…………《ぱたん》”って静かに出てくって、すごいよね。

 

「ヒッキーはさ、その……迷惑だった?」

「……い、や……なんつーか。これで嫌とか、罰当たりもいいところだろ……。っつっても、そんなん抜きにしたって感謝ばっかっつーか……」

「ヒッキー?」

「~~……まあ、その、……ありがとう、な。俺だけじゃ絶対に踏み込まなかっただろうし、こんなもんは慣れれば安定するんだ、とか言って全部台無しにしてたかもしれねぇ。だから、まあ、なんつーか、そういうこと、っつーか」

「……うん。よく解んないけど、あたしもありがと」

「よくわかんないのかよ……」

 

 とほー、って溜め息吐いて、くしくしってお団子がいじくられる。

 くすぐったくて笑ってたら、見上げるヒッキーもやさしい顔で笑ってた。

 そんな笑い声にゆきのんが起きて、しっかりと掛け布団まで掛けられて眠ってたことに真っ赤になるんだけど……急に始まった早口の誤魔化し文句に、ヒッキーが軽くツッコむと、「ひう」ってヘンな声出して止まった。

 

「ゆきのんゆきのん、よく眠れた?」

「い、えあの……、……結衣、さん。雪乃、よ。ゆきのんではないわ」

「じゃあ雪乃。よく眠れた?」

「~~~……」

「お~、お前が寝てからもう二時間経ってたのかー。……仮眠にしちゃ寝たほうなんじゃねーの?」

「くっ……! ……ええ、そうね。不思議なほど熟睡していたようね……」

「べつに気にすんな。むしろ気ぃ許してくれてるみたいで嬉しいわ。親友って、そういうもんだろ。出来たことねぇから知らねぇけど」

「───、……あ…………そう、ね。そうだったわね。では八幡くん、お水を持ってきなさい」

「それは親友じゃなくて小間使いっつーんだよ」

 

 言い合って、二人が笑う。あたしもそんなやりとりに笑って、一緒の時間を楽しんだ。

 

「あ、そうだ! ねぇねぇヒッキー、お願いがあるんだけど」

「……嫌な予感しかしないから嫌だ」

「ん、じゃあ小町ちゃんに」

「予想がつくからやめろっ! ……よ、よーし、よーく考えろ結衣。よーくだぞ? お前、もし自分がやられたら頷けるのか?」

「うん、だいじょぶ」

「……そこに赤子のお前が居てもか」

「え? うん、だいじょ───」

「待ちなさい結衣さん! …………ええ、そうね、よく考えるべきだったわ、八幡くん……」

「解ってくれるか、雪乃……」

「え? え? なに? なんなの?」

 

 なんか二人が解り合っててずるい。え? アルバムだよね?

 赤子のあたしが映ってたって、べつにあた───……し…………あ、赤子? 赤ちゃん? 裸で───ひゃああっ!?

 

「うひゃあああわわわわごめんなしなしやっぱいまのなしぃいっ!!」

「……まあ、だろ? その反応が正しい」

「なら比企谷……こほん。八幡くん。あなたが“見せたくない写真”をあらかじめ除いておく、というのはどうかしら」

「いやいいだろもう……べつに俺の写真なんて見たって面白くもなんともねぇぞ? ぼっちだから常に一人だし、家族以外と一緒に映ってることなんてまずねぇし、そもそもその家族との写真さえろくにねぇし」

「思ってたより寂しい断り文句が来た!? ゆ、ゆきのんどうしよう!」

「雪乃、よ。……いいわ、寂しくても受け止めるのが友情というものよ。……八幡くん、見せなさい。いずれ私のものも見せるから」

「あ、じゃああたしもっ! やっぱりヒッキーの子供の頃の写真って見てみたいし」

「………」

 

 「物好きどもめ」ってぽしょって呟いて、ヒッキーは押し入れの奥をごそごそし始めた。

 で、なんか明らかに“最近じゃ開きもしてませんよ”って感じのアルバムを開いて、何回かめくると何枚かの写真をべりべり剥がしたあと、あたしとゆきのんにアルバムを見せてくれた。

 

  幼稚園時代

 

 小さな服に身を包んだ、こっちにVサインしてニカって感じで笑ってる子供が居た。

 わ、可愛い……けど誰? なんて最初は思っちゃって、ベッドの上のゆきのんが……あ、雪乃がハッて息を飲んで、子供の髪の毛を指さしてくれたおかげでやっと解った。

 こんな頃からピンって立ってる、特徴的な髪型。これヒッキーだ!

 わ、うそ! 可愛い! すっごく可愛い! うわーうわーうわー! 笑顔だ! すっごい可愛い笑顔だー! 可愛い! ヒッキー可愛い!

 

「…………《じいいいいいい……!!》」

「…………《じいいいいいい……!!》」

「あの……せめてなにか言ってくれません? 顔真っ赤にして過去を見つめられ続けるの、めっちゃ恥ずかしいんですが……?」

「ヒッキー見て見て! 可愛いよ! すっごく可愛い! ほら!」

「お、おう……いや、うん。それ、俺な? うん。俺に俺見せてなにしたいの?」

「随分と写真が多いわね……それも、どれも笑顔。ふふ、無邪気なものね。これが、なぜこうなってしまったのかしら……」

「おいやめろ」

 

 こうなってもなにも、ヒッキーかっこいいよ? たまにキモいけど。

 思ってたことは言わないで、アルバムをめくっていった。

 笑顔笑顔でとっても可愛い。

 ほんとに目が腐ってなくて、世界の全てが楽しくて仕方ないって大声で言ってるみたいな笑顔ばっかだった。

 

  小学生時代

 

 まだ笑顔。

 友達みたいな子も何人か一緒に映ってて、それが何枚か続いたあと……少しずつ、笑顔が無くなっていった。

 

「………」

「………」

 

 やがて、一人。

 笑顔がぎこちなくなって、俯き始めて、笑わなくなって、一人で……独りで。

 目が、濁っていって……腐って。

 急激に写真は減って、中学の写真なんてろくになかった。

 

「……ヒッキー」

「……八幡だ。解ったろ、ぼっちのアルバムなんて見るもんじゃねぇよ。そんなイベントは友達が多い連中でやるべきだ」

「そうね。あなたがそうして被写体となるのを拒んだ、という事実もあるのでしょうけれど……私はどちらかといえば、あなたの両親に対して溜め息をこぼすわ」

「ゆきのん───っとと、雪乃?」

「…………、……いえ。ただ、きっと小町さんは写真が多いのでしょうねと思っただけよ。携帯電話が一般的になって、親が写真を撮る機会が少なくなった今でも、そうなのだろう、と」

「───!」

 

 言われてみて、納得しちゃった。

 そうだ、きっと小町ちゃんの写真は多い。

 アルバムは一つだけじゃないかもしれないし、小町ちゃんの手元になくても、ヒッキーのパパとママがいっぱい持ってるかもしれない。

 ……その中には、忙しいからって、お兄ちゃんだからって理由でヒッキーにカメラを持たせて、撮らせた写真だっていっぱいあるかもなんだ。

 ……なにそれ。勝手な想像だけど、そんなのってないって思った。

 

「ヒッキー!」

「八幡な、結衣」

「い、いまはそういうことよりさ! う、うー! ヒッキー! ヒッキー! あの、あのっ!」

「……言おうとしてくれること、予想がつくから……これから頼む。俺も、お前たちとなら……そういうの、増やしていきたいって思う」

「写真っ…………ふえ?」

 

 なんだかもどかしくて。

 本当の事情も知らないで怒ったりするのって、すっごくアレかなって思ったけど、それでも悔しくて。

 自分のことじゃないのに自分のこと以上に悲しくて、それをぶつけようとしたら……ヒッキーから言ってくれた。

 

「俺は……よ。これから、一度失敗したことを繰り返すんだと思う。もう二度とするかって誓ったことを、お前たちに。……相当鬱陶しいし、重いだろうけど……受け止めてくれると、その……あれだ。……う、嬉しい」

「ヒッキー……」

「だから、八幡な」

「訊いてみてもいいかしら。あなたが失敗したこととはなに? 人間関係だと言うにしても、今さら“ただのそれ”を失敗した、と言うつもりはないのでしょう?」

「……ああ、そだな……なんて言えばいいのか」

 

 溜め息ひとつ、ヒッキーは話してくれた。

 馬鹿だったから失くしたもの、信じたから見失ったもののことを。

 

「人の関係なんて軽いものから崩れていくもんだ。最初は小さな冗談から、次第に周囲がそれに乗って、一人ひとりは冗談半分面白半分でやっていようが、やられている方は一人からの軽い冗談が10倍にも20倍にも大きくなって、潰れそうになる。辛いから友人にやめてくれって言うと、なにマジになってんだよ、冗談だろ? なんて軽く言う。そりゃそうだ、本人は本当に軽い冗談のつもりだった。だが、周囲がそれを真似して、やられている方の身になれない時点で、それはもう軽いもんでもなんでもなかった」

「……ええ。やがて、軽い冗談さえやめてくれない相手を信じられなくなる」

「そうだ。そんな軽さにさえ気づけない奴を、信じられなくなる。だから離れるのに、相手にしてみりゃ軽い冗談さえ受け取れないノリの悪いヤツで完結して、軽い冗談は性質の悪い攻撃に変わって、本格的なイジメになる」

「あなたはその相手から離れたの?」

「………」

「……いえ、そうね」

「……うん。ヒッキー……八幡だもん」

 

 話し合えば解るっていうのは傲慢だ。

 そんなことを言える人が、その時の友達を信じようとしないわけがない。

 きっと信じた先で……言わないでも解り合えるって信じて、裏切られて、話し合おうとして拒絶されて……それで……それで。

 

「~~……っ……」

 

 ……悔しい。

 悔しいな。

 どうしてあたし、その時にヒッキーの傍に居られなかったのかな。

 一緒に居て、馬鹿みたいとかアホみたいって言われても、ずっと傍に居られたなら───最初からそうだったなら、あたしたちはきっと今頃……。

 今さらどうしようもないことがぐるぐる渦巻いてると、ゆきのんがぽしょって呟いた。

 

「……私たちが……もし幼馴染なら。もっと小さな頃から知り合えていたなら……」

 

 って。

 そうだ。悔しくて仕方ない。

 小さな頃からお互いが欲しかったものがここにあって、どうしてあたしたちは最初から出会うことが出来なかったのかなって。

 ヒッキーがなにか言おうとしたけど、あたしたちはそれを止めた。

 来る言葉が予想出来ちゃったから、先にあたしたちがってゆきのん───雪乃と頷き合って。

 絶対に幸せにするんだ。あたしたちが、この人を。

 そして、あたしたちも幸せになるんだ。

 将来のこととかまだ解んないし、三年になってからのことだって不安はあっても、それを答えとして見つめ続けて、逸れちゃわないように進むんだ。

 いっぱいいっぱい話そう。

 いっぱいいっぱい知っていこう。

 誰におかしいって言われたって、それがあたしたちの答えなら、それは世界がまちがっているって言ったって、あたしたちにとっては本当の答えなんだから。

 



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責任はとるって言ったんだしな③

 人が変わろうって決めた瞬間、人はそれまでの楽な生活に後ろ髪を引かれるもんだって八幡は言う。

 楽だから、誰もがそれを選んで、せっかく見つけた眩しいものを掴みもせず、集団に埋もれていくのよって雪乃は言う。

 あたしは、変わろうとした先の世界が自分にとって眩しいものなら、迷わずに進んでいける。

 そりゃ、もったいないなって思うものもある。無くしたくないなって思うものなんてたくさんだ。

 でも───そのたくさんが、その先のものを否定するだけしかしないものなら、いつかそれは大切なんてものじゃなくなっちゃうんだ。

 全部が欲しいってどれだけ思っても、いつかは離れるものもある。解ってるんだ、あたしだって、もう経験してるから。そんな経験があるから、空気を読んで、せめて悲しまないようにって歩いてきたんだから。

 

  いろんなことを言い合った。

 

 熱くなりすぎちゃって喧嘩したこともあった。

 なんで解ってくんないのってくらいのぶつかり合いをして、その度に八幡が間に入って、冷静になってから話を組み立てて、お互いの気持ちを少しずつ受け入れて、考え方の方向……えと、たとえ? を変えてみると、案外その……軽くさ、こう……ぽーんってボールをパスされるみたいに受け取れて、あとはもう解ってあげられなくてごめんって謝り合って。

 あたしたちはまだまだ子供だ。

 自分の意見が絶対に正しいんだって意地になっちゃうことが多いし、こうして間に入ってくれる八幡だって、結構やらかすことがあって、話し合いっていうか……解り合い? 八幡が言い出した、へんな言い方だけど間違ってない集まりに参加してくれた小町ちゃんに、

 

「はぁ……お兄ちゃん? どうしてそうなるの? そうじゃないでしょー?」

 

 ってよく怒られてる。

 集まりには平塚先生を混ぜることもあって、先生はあたしたちのことをすごくやさしい顔で、眩しいものを見る目で見つめてきて、よく……あたしたちを抱き締めて、笑ってくれる。子供みたいな顔で。

 

「……そうだな。私にはそれをしてやることが出来なかった。歩み寄ることが出来なかった。君たちはその青春を大事にしろ。それは将来、君たちにとっての大切な宝になる……って、もう他人に言われるまでもないのだろうな」

 

 って。

 歩み寄れなかったっていうのが誰のことか解らなかったけど、八幡と雪乃が頷き合ってるのを見たら……ああそっか、陽乃さんのことなのかもしれないって思えた。

 たぶん、知っていくっていうのはそういうことでいいんだ。

 ちょっと不安だったからあとで訊いてみたら、やっぱりそうだったし。

 服をちょんって引っ張られる感覚があって、振り向いてみたら雪乃が嬉しそうな顔で「解ってくれてありがとう」って。

 そんなの、あたしだってありがとうだ。

 言わなきゃぶつかり合う必要もないことだって言い合って、その所為で喧嘩になっても、ちゃんと聞こうって姿勢で待ってくれる。頭ごなしに怒鳴ってさっさと居なくなったりしないで、受け止めようって構えてくれることがどれだけ嬉しいか。

 そのことも口にしたら、そんなのこっちだって同じだ~って雪乃にも八幡にも言われた。

 ……同じって、嬉しいな。今はそんな関係が、くすぐったいけど嬉しい。

 

……。

 

 頭の中がすっきりすると、今までのことが嘘みたいに物覚えが良くなった。

 まだまだ雪乃や八幡には勝てないけど、勉強も十分ついていけてる。

 平塚先生にも「この調子なら比企谷と同じ大学は余裕だな」って言われたし、安心だ。

 雪乃は最終的にどうするのって話になったけど、雪乃は別の大学に行くんだって。

 「もう逃げないと決めたから……ごめんなさい」って言う雪乃は、すっごく、えっと、なんかこう……誰にも負けないって感じの……オーラっていうの? よく言う迫力みたいなのがあったから、きっと寂しいとか言うのは重荷になる。うん、言ったけど。言いたいことは言い合う約束だから。

 そしたら雪乃は笑って、

 

「二度と会えなくなるわけではないでしょう? なんならいっそ、私の部屋に三人一緒に住む?」

 

 なんて言ってきた。

 驚いたけど……なんか、それもいいかなって。

 そんな話をどこで聞きつけたのか、陽乃さんが奉仕部にやってきて、いろいろとつついてきた。

 

「雪乃ちゃん、比企谷くんたちと同じ大学に行くの、やめたんだって?」

「ええ。やりたいことが見つかったの。そのために必要なものを築くため、狎れ合いではなく支え合うことを選ぶの」

「ふ~ん? 雪乃ちゃんにそれが出来───」

「出来る出来ないではないのよ、姉さん。するの。もう決めたわ」

「───……へー……? 誰になんて言われ───」

「姉さん。もう人を試すみたいな言い回しはいいわ、ごめんなさい。……私はもう自分で決めたのよ。意地だとかプライドだとかではなく、ただ自分がそうしたいと、心から思えたの」

「……雪乃ちゃん……」

「ありがとう、姉さん。私は、たとえ苦労を積み重ねようとも、見つけた答えを諦めることはしたくないのよ。だからもう、自分の道だけを見てちょうだい。誰に押し付けるでもなく、誰に決めてもらうでもなく。私は私として、私の答えのためにもがき、苦しんでいきたいから」

「……。そんなもの。高校生のガキが出したものに、いったいどんな価値があるっていうのさ。ねぇ雪乃ちゃん? こんな一時の場の空気に流されて、あとで後悔する人なんて呆れるくらいに居るんだよ? 雪乃ちゃんは怖くないの? “それが一番だ”って信じて走った先で、裏切られるかもしれない~とかさぁ」

「怖いわ」

「ほら、やっぱり雪乃ちゃんは───」

「でも。それを決めるのはあなたじゃない」

「───!」

 

 雪乃は怒る様子もないまま、微笑むみたいに言う。

 あたしと八幡は、黙って見守るだけ。

 陽乃さんが“なにも言わないんだ?”みたいな顔であたしと八幡を見るけど、あたしも八幡もうっすらと笑うだけだ。言葉なんて返さない。

 

「っ……ゆ、雪乃ちゃん? 雪乃ちゃんは───」

「姉さん。もう、人を試すような、言い回しは、いいわ、と言ったのよ」

「………」

 

 ひとつひとつを言い聞かせるみたいな言い方。

 それを受けて、陽乃さんはなにも言わなくなった。

 ただ、じぃって雪乃を見つめて、一瞬だけだけど、泣きそうな顔を見せたあとに、笑った。

 

「そっかそっかー。ね、比企谷くん。これが比企谷くんの言う、本物?」

「違いますよ」

「っ、え……!? ち、違う? これ、じゃないの? え?」

「俺がなにをどう言ったって、それの通りのものが出来るわけがないでしょーが。だから、本物ってのはこれじゃありません」

「……、じゃあ、比企谷くんはなんだってこんな……。こんな関係の先に、きみは何が欲しいの?」

「あー、悪いけど言えませんねー。知りたかったら俺と友達になってください」

 

 八幡の言葉を聞いて、陽乃さんは笑った。

 笑ったあとで、「なにそれ」って冷たい声で言う。

 

「“陽乃さん”」

「っ!? な、なにかなー比企谷くん。急に名前で呼んだりするからびっくりしちゃったよ?」

「勘がいいくせに誤魔化す大人は嫌いですよ?」

「───……」

「………」

「はぁ……───そ。比企谷くんが言うところの友達っていうのは、馬鹿みたいに信じ合うだけの狎れ合い?」

「姉さん」

「……あーもー、わかったわかりましたっ! ……はぁ、雪乃ちゃんが可愛くなくなっちゃった……」

「答えが解ってるくせに、人に言わせるための言い回しばっかするからでしょーが。自分は自分の願ったように言わせたいくせに、自分は他人の願いは受け取らない。陽乃さん言うところの、ただの可愛げのないガキでしょ、そんなの」

「うわー、ばっさり来たなぁ……。ま、いいけどね。自覚あってやってたし」

 

 わー……自覚あったんだ。や、うん。あるんだろうなーとは思ってたけど、自分で言っちゃうとは思わなかった。

 なんだかんだで陽乃さんってすごいよね。

 ちょっと言い負かされたのかな、って空気だったのに、椅子持ってきて座ったら、もう普通な顔してるし。

 

「それで? 答え合わせはしてもらえるのかな?」

「しませんよ? 俺達の答えに陽乃さんは関係ありませんから」

「うわっ……またばっさり……! ひどいっ! 雪乃ちゃん、比企谷くんがいじめるっ!」

「勝手にずかずかと入ってきて、自分の意見を身勝手に押し付けてきた人に言葉を返すことが虐めだと言うのなら、犯罪なんてやりたい放題ね」

「むしろなんで話してもらえるって思ってたんすか。そもそも勝手に出した問題に答えを求めるとか、アウトでしょう。ぼっちゲームは人様の迷惑にならぬよう、独りで静かに豊かにするのが暗黙のルールってやつでしょう」

「ちょっ、ちょっと待った待った! 雪乃ちゃんも比企谷くんも息合いすぎじゃない!? 少し会わないうちになにがあったの!? ……あっ、もしかして恋人同士になっちゃったとかっ!? 雪乃ちゃんてばやる~、このこの~っ♪」

「姉さん。それは友人への侮辱と受け取っていいのかしら?《……ニコリ》」

「わお……! 雪乃ちゃんが怖い……!」

 

 そうは言うけど、陽乃さんは随分と普通だ。

 いつも通り。でも、ちょっとだけ違うっていうか。

 

「……ねえ雪乃、八幡。やっぱりさ、陽乃さんには話したほうがいいんじゃないかな。ほら、お姉さんなんだし」

「おおっ、ガハマちゃんいいこと言った! ほらほら雪乃ちゃん? 比企谷くん? ガハマちゃんもこう言ってることだしさー。あ、まずは雪乃ちゃんと比企谷くんを名前で呼んでるところの説明からお願いしよっかなー? いいよね?」

「無理ね。人の話を聞く態度ではないわ」

「無理ですお引き取りください」

「えちょっ!? ゆゆゆ雪乃ちゃんっ!? 比企谷くん!? ここはほらっ、駆け引きとか……! ほ、ほらほらー? 雪乃ちゃん? ここで話を切っちゃったら、正々堂々と戦って勝ったってことにはならないぞ~?」

「そう。勝負をしたつもりもなかったのに、姉さんは勝手に負けたのね。では出ていってちょうだい。出口はあちらよ?」

「……! ひ、比企谷くっ───」

「……ひとつ質問っす。“陽乃さん”は、雪乃に自分で答えを出せる人間になってもらったら、何がしたかったんすか? そうなったらそれで終わりっすか? それとも引っ掻き回したかっただけっすか?」

 

 ……。質問のあと、陽乃さんは少しだけ、えと、ぼーっとしてた? のかな?

 なにを言われたのか解らない、みたいな感じになって、少ししてから溜め息を吐いて答えるみたいになった。

 

「答えたら、そっちも答えてくれる?」

「え? 嫌ですよめんどくさい」

「そっ……そこで断るってどうなの!?」

「姉さん。あなたは自分が今までどれほど性質の悪い人間だったのかを知るべきよ。私はもう自分と向き合い、それらを整理することが出来たから───言わせてもらうわ」

「言うって……雪乃ちゃん?」

「自分を曝さない人に、“私達”を理解することなんて不可能よ。だからお願い。自分を偽らず、自分のままで話をして、聞いて、受け取って……理解してほしいの。私ももう逃げないから……お願い、“お姉ちゃん”」

「───! ……雪乃ちゃん……」

 

 関係を諦めることって、結構簡単なことだ。

 なのに、関係を続けるのは結構大変で、ほどけそうなものを繋ぎとめるのはとっても難しい。

 どっちか一方が“もういいや”って思っちゃったらきっと無理で、直っても結局どっかにほころび? みたいのがあってさ。どうやったらそれを直せるかなって、きっとみんな考える。なのに踏み込めば切れちゃうからって不安になって、結局はなにも出来ないでほどけるのを見守っちゃうんだ。

 じゃああたしたちならどうするかなって考えて……三人で向き合って、結局はこうするんだ。それはきっと誰だって最初は取る行動で、こうするしかないことだ。なのにいろんな人が途中でやめちゃう大切なこと。……そう、知る努力から始めるんだ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 陽乃さんに、涙が出るくらい笑われた日から少し経った。

 結局あたしたちはあたしたちの事情を全部陽乃さんに話して、それから思い切り笑われた。

 笑われて笑われて、たまたまやってきた平塚先生に拳骨されるまでそれは続いて、でも最後に陽乃さんは見惚れちゃうくらい綺麗な、なんかこーすっきりした? みたいな顔で八幡になにかを言ってから……平塚先生に連れていかれた。

 それ以降、陽乃さんが奉仕部に来ることはなかったけど───平塚先生の話じゃ、平塚先生のところに頻繁に来るようになって、ちょっと呆れてるって。

 

「ま、歩み寄ってくれるのなら拒む理由もないさ」

 

 平塚先生はそう言って笑ってた。

 一方で、あたしたちは……相変わらずだ。

 勉強をして運動をして、三人で居る時間を増やして、解り合う時間を増やした。

 

「あーのー、せんぱーいー?」

「あ? どした?」

「いえ……なんか、先輩方、近くないですかねー……って」

「あー……」

 

 陽乃さんが来なくなってからは、いろはちゃんがよく来るようになった。っていっても、それは前からだったけど。

 

「いろはちゃん、なんかの手伝いならあたし、手伝えるよ?」

「そうね。今なら力仕事もそこそこいけると自負しているわ。……そろそろその、体力もついてきた頃だと思うし。だからその、手伝えることなら手伝ってあげようと……その」

「いやお前どんだけ力試ししたいの。やめとけ、なんか自滅する未来しか想像できねぇよ」

「ていうかですよ? 三人とも、いっつも机の両端と真ん中って感じで座ってましたよね? それがなんで今じゃ……」

「しんぎょーの変化ってやつだよいろはちゃん」

「……結衣さん。それを言うなら心境の変化よ。あなた、般若心経でも唱えるつもり?」

「ちょ、ちょっと間違えただけだってばゆきのん! ほら、あたしもう成績とか安定してきてるし!」

「雪乃、よ。……そうね、一色さんの質問に答えるのなら───」

 

 あたしたちの座る位置は、動かないヒッキー寄りになってる。

 誰が言い出したわけでもなくて、少しずつ雪乃から近づいてきてくれてる。

 だからあたしから見て右に居るヒッキー……八幡側に、あたしも雪乃も近づいてる感じだ。

 べつに物理的に寄らんでもいいだろって八幡は言うけど、近いとなんか嬉しいからこれでいいんだ。

 

「なんとなく、先輩がもう結衣先輩と付き合ってるのは解りますよ? ですけど、そうなってるのに雪ノ下先輩が近いのがよく解らないっていうか……」

「あー……まあ、他のヤツから見ればそういう風に見えるんだろうけどな。……あのな、一色。お前にはもう聞かれてるから言うが……俺達は真剣に、お互い同士で“本物”ってものを目指してみてる。これがそれなのかっつったらもちろん違うわけだが……あー、その、なんだ。つまり俺達は恋人と親友ってやつで、周囲が考えそうな二股だとかそういうのでは断じてない」

「……、…………あの。それ本気で言ってます? 男女間で友情とか、相手同士に相当レベルの高い恋人がいなきゃ無理ですよ? ていうかそれも友情かどうか怪しいって思いますし」

「だな。こっちが納得していようが周囲はそうじゃねぇ。そういうことも知った上で、それでも俺達はそういう関係を目指してんだよ。……笑いたきゃ笑っていいぞ、ゆき……はぁ。陽乃さんにも散々笑われたわ。笑われて、うらやましいって太鼓判もらった」

「え……あのはるさん先輩にですか!?」

「そうだったんだ!?」

「なにか言い残したと思えば、そんなことを……そう、あの姉さんが……」

「だからまあ、あれだ。あんなこっぱずかしいことを聞かれたお前にだから頼む。見守ってやってくれねぇか。在り得ないとか頭ごなしに否定するんじゃなくて、そういうのもあるんだ程度でいいんだよ。もちろん強制はしねぇし、そもそもするもんでもねぇから、呆れてぇなら好きなだけ呆れてくれていい。これが原因で人が離れることくらい予測の範疇だ。ただ───」

 

 八幡が喋る中、いろはちゃんは俯きながら居心地悪そうにしてる。

 こんな空気をなんとかしてあげたいけど、これは引っ掻き回しちゃいけないものだって解るから、見守った。

 自分にとって空気が悪いからって、それを壊すだけが“人との関係”じゃない。

 相手にとって空気が悪いからって、それを壊してあげるのが“信頼”じゃない。

 学んで知ることで、目を逸らしたいことなんてたくさんある。

 もっと世界がやさしければなぁ、なんて、願っても叶えられないものもたくさん知った。

 ほんと、この世界って厳しくて、難しくて、もっと簡単だったらいいのにって思うことばっかで。なのに……

 

「……ただ。そんなのを、よ。理解してくれるやつが、そういう……その。恥を知ってくれてるやつだったらいいなって……思った、つか……ああ、その……だからつまり」

「……せんぱい」

「っ……お、おお……なんだ?」

「その……納得できないこと、いっぱいです。なんですかそれってのが、正直なところっていいますか。……でもですね、ひとつ、ああいえ、ひとつどころかちょっと思い切りぶちまけさせてください。いいですか?」

「…………おう」

 

 願われれば断らない。

 理解しようって、受け止めようって思ったら……知ろうと努力する人は断れないよね。

 そんな言葉がなくたって、なんだかんだ言って八幡は頷いちゃうんだろうけど……

 

「まず先輩。先輩は結衣先輩が好きで、二人は付き合ってる、ってことでいいんですよね?」

「……おう」

「雪ノ下先輩はそれを知った上で、友達として一緒に居る……」

「ええ、そうね」

「……危機感とか、ないんですか? 友達のままならいいです。そりゃ、友達なら、隣に居ることはできますよ。でも、けど、もし好きになってしまったらとか……考えないんですか?」

 

 いろはちゃんの目は雪乃に向かってる。

 睨むくらい、真っ直ぐ。

 雪乃は……そんないろはちゃんの目を真っ直ぐに見て、「そうね」って呟いた。

 

「いつか私が、頼ること、信頼することを恋と誤認して、それがきっかけで、ということもあるかもしれないわ。男性にここまでの信頼を寄せたのなんて初めてだもの、そんな初めてが無いなどと、断言をすることはできないわね」

「だったら───! 怖いって思わないんですか!? その時に大事にしてた、えと、そのっ……友情、とかっ……信頼してたものがなくなっちゃうって……自分の所為で壊れるかもって……」

「それで壊れるのなら壊せばいい。壊して、また話し合い、時間はかかってもくっつけて、必ずまた笑うわ。ただの理想論と言われれば、言葉としてはそこまでの話でしょうね。本当にくだらない、子供が描くような夢物語」

「……そこまで言えるのに、どうして」

「ふふっ……子供だからに決まっているでしょう? 描ける夢を描き続けて、周囲に笑われてでも馬鹿な夢を描き続ける。……一色さん、人の傍には常に人が居るわ。人というのは、人が何かを為そうとする時に身を案じ、悪意のない安全を口にして、平穏をその手に渡してくれるものよ。それが妨げにしかならない場合でも」

「そっ……そう、ですよ。無理して周囲にヘンに思われることをする必要なんて───」

「けれどね、それでは進めないの。成功者の努力というのは、周囲を納得させるところから始まるの。あるいは、その悪意のない“あなたのためを思って”を振り切るところから。……解るわ。あなたは本当に、私達の今後を思って言ってくれている」

「あ……、……な、なんでそんなこと言うんですか……。……言っちゃうんですかー……! わ、わたしはっ……」

「学校一の悪役を救うのに、正攻法なんてなんの役にも立たないからよ。一色さん、知りなさい。正義で悪は救えないわ。やさしさでも、悪でも救えない。悪は救われてはいけないの。悪は悪でなければ、そのままでなければ、悪がしてきたことが無駄になるから」

「じゃあ、なにも……っ……誰も救われないじゃないですかー……」

「……そうね。だから───」

 

 フッて笑って、雪乃は立ち上がって、座ってるあたしの肩両方に手を置いた。

 え、え? ゆきのん? じゃなかった、雪乃?

 

「……だから、自分から行くのよ。救われてはいけない悪が捻くれているその場所まで、自分の足で」

「え……でも、でもそれって……」

 

 小さく考えてみる。

 救われないのは誰だろう。

 悪って誰だろう。

 どこで救われないんだろう。

 解りきってることを、短くまとめてみれば、答えなんてもう胸の中にずっとあった。

 だから言う。当然のことを当然だって胸を張るみたいに。

 

「……うん。それじゃ、誰も救われないよね。そこに居る捻くれた誰かさんも。そこに行ったあたしたちも」

「ええそう。けれど───」

「うん。でもだ。あたしたちはべつに、救われたくてこういうことしてるんじゃないんだ。敵って思われたっていい。馬鹿なやつだ~とか思われたっていいんだ。そこに行くっていうのはさ、行って自分も救われたいから~とか救いたいから~とかじゃないんだ。もっとすっごく単純でさ。あたしがヒッキーの傍に行きたいだけだから。そんな想いが悪と一緒に救われるとかさ、“みんな”はきっと許さないよね」

「そ、そんなことないですよ、ちゃんと、ほらっ、結衣先輩が言ったみたいに話し合えばっ……!」

 

 いろはちゃんが目に涙を溜めながら言ってくれる。

 ……うれしいな。

 生徒会のこととかイベントのこと、フリーペーパーとか……そのあともヒッキ……八幡のこととかで話すことはそりゃあったけど、あたしたちのことでこんな風に真剣になってくれるなんて。

 でも、それでいいんだ。

 あたしたちはべつに、幸福を諦めてるわけじゃないから。

 窮屈になっちゃうかもだけど、譲りたくないものはちゃんと貫かなきゃ。

 

「ね、いろはちゃん。いろはちゃんがヒッキーだったら、えーと……大きな……組織? の中で悪になっちゃった人を幸せにしたいって思ったら、どうすると思う?」

「え……わたしが、先輩だったら……ですか?」

「うん」

「ええ。皮肉と捻くれを存分に盛り込んだ上で、軽く考えればいいわ。すぐに答えが出るから」

「───え、っと……そうですねー……。悪のままで、先輩を……大きな組織から───あ」

 

 ちょっと呆れが混ざった声が、いろはちゃんの口から漏れた。

 あはは……まあ、そうだよねー。簡単に想像出来る分、ちょっとアレだ。

 八幡はもっとべつの方向でも考えられるんだろうけど、あたしたちならそれくらいで丁度いいんだ。

 

「なんですかこれただの屁理屈もいいところじゃないですか散々悩ませた責任とってください」

「いやおい、いきなりなんなんだよ……」

「いろはちゃん?」

「一色さん?」

「~……あの。ようするに学校では悪なんですから、そこ以外ではやさしくするみたいな感じでいいんですよね? 解ってくれない人に無理矢理に理解を押し付ける~とかじゃなくて、解ってくれないならほっといてくれ、みたいに」

「ふふっ……ええ、そういうことよ。解ってくれる人は一握りでいい。いっそ居なくたって構わないわ」

「うん。居てくれた方が嬉しいけど、そんなのこっちの都合だもんね」

「っつーか、それが解ってるならもうここに依頼とか来ないんじゃねぇの? 理解できないやつらに頼ろうとか、いろいろアレだろ……」

「理解から外れているから使い捨ててやろう、なんて思う者も居るでしょう? あなたなら真っ先にそう言うと思ったのだけれど」

「解ってくれたらいいってやつの前で、さすがにそれはねぇだろ……いや思ったけど。真っ先に思ったけど」

「あはは、そだよね。ヒッキーならなんか思ってそう」

「八幡、な」

「うぅっ……たまにくらい許してよ……」

 

 あたしたちの会話に、いろはちゃんはやっぱりぽかーんってしてた。

 でも少しするとくすくす笑って、陽乃さんみたく声をあげて笑い始める。

 

「い、いろはちゃん?」

「もー、なんなんですかそれー。ほんと、ただの子供の理屈じゃないですかー」

「そうね。だから子供のうちにそれを確かなものに作り上げるのよ。大人になってからでは難しいと思うものを、馬鹿みたいに信じてみる。失敗しても信じられる相手なら、私達は何度だって失敗出来るわ。だから───まちがっていてもいいのではないかしら」

「……。雪ノ下先輩は、ほんとにそれでいいんですか?」

「ええ。むしろ私が彼に恋をした時にこそ、関係というものが試されるのだから。たとえ壊れても、私は私の思う通り、それまでの関係を信頼して想いをぶつけるわ」

「うわー……ぶつけるつもり、とかじゃなくてぶつけるんですねー……」

「その時の感情が大切なら、ぶつけなければ失礼でしょう?」

「失礼って……結衣先輩に対してですか?」

「“その時まで目指していたいものに対して”よ」

「あ…………“本物が欲しい”」

 

 いろはちゃんの言葉を聞いて、あたしも雪乃も頷いた。

 頷いて、いつか雪乃にしたみたいに言ったんだ。いろはちゃんはどうしたいって。

 

「……。今すぐに決めろとか、無茶振りもいいとこですよ……なんなんですか、三人とも青春しちゃって……キモいです、正直、とってもキモいです」

「一色……」

「でも、…………そんな関係が羨ましいって思ったら、自分のことが可笑しくて仕方ないです。笑っちゃいますよ。笑って……そして……それで…………」

 

 いろはちゃんが、真っ直ぐに八幡を見る。

 そして言った。「誤魔化しとか無しですからね」って呟いたあとに、目を逸らさず。

 

「わたしは、一色いろはは比企谷八幡先輩が気になってます。好きかどうかって言われたら、まだきっとライクです。でも、たぶん、このまま一緒に居たら……好きになると思います」

「───、……。葉山のことは?」

「相談って体じゃないと、どっかの誰かさんは逃げるだけだと思いまして」

 

 いろはちゃんは笑顔だ。でも、楽しそうなものじゃない。

 そんな顔を見て、あたしは……───

 

「………」

 

 目を逸らして黙ってれば、きっと楽なんだろうなって。

 でもそれはずるいから。本当の意味でずるいから、それはしない。ちゃんと見る。

 自分が好きな人が、他の誰かに想いをぶつけられている瞬間を見て、思うところがないわけない。胸が苦しいし、信じてても不安にはなっちゃう。

 いろはちゃん、可愛いし、ぐんぐん踏み込んでいくし、なんだかんだでヒッキ……、……“ヒッキー”に、手伝ってもらえるいろはちゃんが羨ましいって思う。

 そりゃさ、手伝ってって言えばいろいろ愚痴はこぼしても手伝ってくれるヒッキーだ。たぶんあたしが頼んでも手伝ってくれる。でも───……でも。

 ……これってずるいって言えるのかな。自分にだけやさしくしてほしいな、なんて……ずるいのとはちょっと違う気がした。

 

「そんなわけですから、葉山先輩のことは……ランドで終わってるんです。最初っから、始まってもなかったんでしょうけど。“みんなの憧れの葉山先輩”が隣に居ればって憧れてただけで……結局あたしは、誰も好きになったことなんてなかったんですよ。……泣いちゃうほどとは思いませんでしたけど。きっとアレですね。本物じゃなかったとしても、気持ちをぶつけたのが初めてだったから……それが否定されるのが辛かったんでしょうねー」

「……お前すげぇわ。それは気づけなかった」

「葉山先輩のことですか? 気持ちのことですか?」

「どっちもだろ。本気かどうかも解らねぇ中途半端な気持ちを武器に、遠慮もなしに葉山に突撃しかけられるだけすげぇよ。……っつーか、未練はあったろ」

「まあ、多少は。知っていこうとは思いましたけど、“一人”として知ろうとしたら、見えちゃったものがあって……───あの。葉山先輩ってあれですよね。みんなは見ても、一人は見ないって感じで」

『───!』

「だからってわけじゃないですけど、なんとなく解っちゃったっていうか。本当なら最後まで知ろうとするべきだとは思いますけど……だめですよね。たぶんあの人はなにも返してくれないんです。得たものは分け与えて、一人のためには動かない。気になっている人が居たとしても、たぶんそれ、恋とかじゃないんです」

「……まあ、そうな」

 

 ぽしょって呟くヒッキーに、いろはちゃんはあははって苦笑いをこぼす。

 雪乃は溜め息を吐いて、でも……

 

「この場に居ない者を罵ったところで始まらないわ。それより一色さん」

「……はい。先輩、わたし結構欲深いです。欲しいものは欲しいって、口には出さなくても影で実行しちゃいます。ですので、今の内に……ライクのうちに、そういうの……折らせてください。それで先輩は、好きって言ってくれる人を振るのがどれだけ辛いか、ちゃんと知ってください」

「ライクなのに振るって方向でいくのかよ……」

「当たり前です。そもそも先輩がやさしいのがいけないんです。最初っから奉仕部全員で手伝ってくれてれば、こんなライクはなかったんですからきっと」

「……ここで謝るのは」

「ダウトです。なので、そんなしょーもない先輩にはわたしが、きちんと女性と付き合うための“恋愛のいろは”を教えてあげます」

「え、あの、いろはちゃん? そういうのはあたしが───」

「だめです。結衣先輩の場合、絶対に甘やかします」

「そうね」

「ゆきのん!?《がーーーん!》」

 

 ゆきのん即答だ! ひどい! ……でも、うん……甘やかしちゃうかも。

 つい出ちゃった言葉にやっぱり注意されて、ちょっとだけ迷ったあとに正直な気持ちを打ち明ける。

 もやもやは無くしていこう。ちゃんと人と向き合ってかないと。

 

「? そんなの当たり前じゃないですかー。結衣先輩は恋人さんですし、ずっと想ってた相手と恋人になれたなら、それをまずは満喫しないともったいないですよ。なので、好きなだけ“ヒッキー”でいいと思いますよ? それって結衣先輩だけの、先輩の呼び方なんですから」

 

 言ってみたら返された。なんか 恥ずかしい。

 

「雪ノ下先輩も、なりたての恋人に押し付けすぎです。遠慮ないのもいいですけど、結衣先輩の気持ちもちゃんと考えてください」

「……そう、ね。ごめんなさい結衣さん。私はその、恋という方面では知識が浅くて」

「う、ううんっ!? あたしがもっと自分の気持ちを言わなかったのが悪いんだからっ!」

「いや、それを言うなら俺が───って、これいつものパターンだな。うし、また一から組み立てるか」

「賛成っ! ……それでえと……いろはちゃんは、“どうする”?」

「先輩からの言葉を受け取ったら、それから考えます」

「……流せたと思ってたんだから、つつくなよ……。その重箱の隅、毒しかねぇじゃねぇか」

「可愛い後輩の成長のためと、先輩自身の成長のためですよ。どーせ先輩のことですから、中学時代とかまで気になった女子とかに勢いだけで告白~とかしてたんじゃないですかー?」

「《ぐさっ》………」

 

 あ。ヒッキー、あからさまに目、逸らした。

 

「なので、ばっさり言っちゃってください。どうせ先輩もわたしも……葉山先輩も、本気で人を好きになったことなんてなかったんです。言っちゃえば、たぶん先輩が勢いで告白した誰かも。だから平気で突き放せますし、いっそ噂を流して笑うことだって出来ます。女子って男子が幻想するほどいい子ちゃんじゃありませんから」

「いい子ちゃんだけだったら俺だってこんなになってなかったんじゃねぇの? ……ま、今はそれでよかったって思ってるが」

 

 ちらってヒッキーがあたしを見た。

 えと、それってそういうことでいいのかな。

 ……ううん、今はそういうの置いておこう。

 

「んじゃ……いくぞ?」

「はーい。じゃあ……───先輩。わたし、先輩のことが今は先輩として気になってます。好きになっていいですか?」

「───、……っ……」

 

 しくん、って胸が痛んだ。

 途端、逃げ出したくなるくらいの不安が、ぶわーって湧いてくる。

 やだな、って思っても聞き遂げなきゃいけなくて、でも言ってほしくなくて。

 なんでだろう、ってもやもやが胸の奥からのぼってくるたびに泣きそうになって───それが、あたしは───

 

「……すまん。好きな奴が居るんだ。俺は俺が持つ全部で、そいつを幸せにしてやりたい。だから、無理だ」

 

 ……“しくん”、が“ずきん”になった。

 耐えられなくて、涙がこぼれる。

 

「あはは……はい、解ってましたけどね。はー……結構きついなぁ、これ……」

「……っ……い、いろはちゃ───」

「結衣先輩、泣いてくれてありがとうございます、とかは言いませんよ? それきっと、わたしのためとかじゃないんでしょうし」

「……うん。あたし……」

「いいじゃないですか、それだけ好きならわたしもスパって諦められますし。もっと踏み込んでからじゃなくて、よかったです」

「いろはちゃん……」

 

 隣に座るヒッキーが少しおろおろしながら気にかけてくれる。

 でも、大丈夫だから。これは、ほんと、どうしようもないものなんだと思う。

 べつにあたしが傷ついたからとかじゃなくて……やさしい人が、人との関係を願った人が、人を突き放さなきゃいけないそんな状況を、勝手に悲しんだだけなんだから。

 

「すー……はー……。はい、では。ちょっとちゃんと整理するまで時間はかかると思いますけど、でも……それでこの関係全部を諦めるのは正直もったいないので。一色いろは、先輩方の輪に入って知っていきたいと思います」

「一色さん……それは」

「大丈夫ですよ、二度の失恋くらいじゃ乙女は挫けたりしないんです。むしろこの関係でもっと人間関係への知識を磨いて、せんぱ───……比企谷先輩が羨むくらいの恋人さんを作って、いつか後悔させてやるんですから」

「一色……お前」

「線引きってやつですよ。……先輩、あざといとか言いながら、素のわたしを見ても逃げも突き放しもしないで付き合ってくれて、ありがとうございました。それが本当の“好き”になることはありませんでしたけど……ちゃんと後輩の気持ちを受け取って、“先輩”してくれる人はあなただけでした。だから───……だから、ありがとうございました」

「……。おう」

 

 綺麗な笑顔だった。可愛く見せるとかそういう意識なんてない、ほんとに綺麗な笑顔。

 ヒッキーはそれを受け取って、深呼吸をしたあとに“おう”って返した。

 それを見て、あたしは……

 

「あ、でも結衣先輩? この関係を続けていく上で、どうしても気になっちゃうってことはあるかもです。人間なので。その時は遠慮なくぶつかってくんで、その時は恋人さんの強さで、きちんとわたしを諦めさせてくださいね?」

「ふえっ!? あ、もももちろん! 望むところだよ!」

「そこはかとなく不安が残る返事ね、まったく……」

「……だいじょぶだよ、雪乃。あたし、ちゃんと学んでいくから。たださ、好きになったら好き同士で笑い合って、だけじゃないんだなって……ちゃんと受け止めただけだから。や、やーほら、こういうの想像してたのとやっぱ違うなーってさ。だから……」

 

 だから、それを見て、あたしは強くなろうって思ったんだ。

 あたしが揺れてちゃだめだ。

 ちゃんと受け止めて、好きって言うだけの恋愛は卒業していかなきゃいけないんだ。

 難しいけど……ちゃんと、逃げないで受け止めてく。

 あたしは、ヒッキーが好きだ。だから、こんな気持ちを諦めるなんてこと、ヒッキーが迷惑だって言わない限りは続けていくんだ。

 迷惑だって……嫌いだって言われたら、その時はいっぱい泣こう。

 そんな未来を想像して、そうならないようにってちゃんと頑張れるように。

 



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責任はとるって言ったんだしな④

 

 ……。

 

「はぁ……しっかし……葉山への行動がフェイクとか、女子怖いよ女子……」

「比企谷先輩の場合、気づく必要がなかっただけですよ。自分がそんな風に思われるわけがない、って決めつけてたんでしょうから」

「あ、そだね。ヒッキーってほんとそうだったし」

「あの膝枕の一件がなければ、どうせ結衣さんの想いに目を向けることさえしなかったのでしょうね」

「あの、やめて? 三人がかりで一人をいじめるとか。なにお前ら、鬼なの?」

「遠慮を無くしていくんですよね? だったらこれくらい当然じゃないですかー」

「女子が三人で姦しいって、あれほんとな……」

「あら。深い関係をと近寄る女性に対して、やかましいとは随分なお言葉ね、八幡くん」

「基本俺にしか罵倒が来ねぇだろうが……いや、今じゃそれも言葉遊びみてぇなもんだからいいんだけどよ。俺じゃなきゃもう心折れてるからね? そこんとこきちんと汲んだ上で考えてみろっての」

「……そうね。あなただからと寄りかかっているところはあるわね。ごめんなさい」

「あ、じゃあヒッキーも遠慮しないでいろいろ言ってみればいいんだよ!」

 

 この関係が始まってから、結構言いたいことは言ってくれるようになったけど、大切にされてるんだなーって思うことはあっても、やっぱりちょこっとだけ線引きを感じるなって思う時はあったんだ。

 だからもっと、遠慮を無くしてくれたらなって。

 そう言ったら、なんかヒッキーが「本気?」とか言ってくる。

 え? うん、本気。遠慮とか今さらじゃん? って感じで言ってみると、ぎゅうって抱き締められて頭を撫でられた。

 ふえっ!? えっ!? えぇえっ!? なななになになにっ!? ヒッキー!?

 

「あー……そりゃそうですよねー。恋人に遠慮は無しとか許可出されちゃったら、友達さんが近くに居るから遠慮しちゃうこととか、やっちゃいますよねー」

「……べつに普段から抱き締めるなんてことは、日常的に見ているのだけれど」

「あ、じゃああれですよきっと。口出ししないで、ちゃんと見届けてくれたお礼とか。普通、自分の恋人が今から告白されますって時、何も言わずに我慢するとか出来ませんよ。それが嬉しかったとかなんじゃないですかね」

 

 え? そ、そうなの? そうなのヒッキー。

 いろはちゃんの声が聞こえたからか、ヒッキーは一層にあたしを抱き締めてきて、でも……頭を撫でる手は、どんどんとやさしくなってく。

 あったかくてやさしくて、なんか……不安とかもやもやしたものが、ぶわーって消えていく。

 あたしって単純だー……でも、それでいいんだよね。無理に別の自分を演じたって、ヒッキーはそんなものはいらないって突っぱねるだろうし。

 うん、あたし、ヒッキーが好きだ。好きだから、あたしが持ってるもの全部で幸せにしたい。初恋は実らない~なんて言葉をやっつけるつもりで、ううん、なかもう叩き潰しちゃう勢いで、成長していくんだ。

 

「でも、隠し事とかあんまりしないでいいのは、気が楽かもですねー。あ、でもそれなら……雪ノ下先輩、前から気になってたんですけど、葉山先輩となにかありました? えと、たぶん昔とかそっちの過去なお話で」

「……。そうね。あなたが言った通り、一人を見ずにみんなを見たために、人が救われなかったというそれだけの話よ。面白くもなんともない、今思い出せば、本当にくだらない子供の話」

「えと……雪乃、それってせーさん? できないのかな」

「清算……あの男と和解、いえ。話をつけろと?」

「結衣。ハッキリ言うがあのタイプは“自分が望む結果”じゃなけりゃ清算されたって納得しねぇぞ? 言っちまえば、“子供の頃のように仲良く出来なきゃ、清算されたなんて言えないさ”とか平気な顔で言うくらい余裕だ」

「あー……今だからこそ言いますけど、簡単に想像できますねー……」

 

 言われて、あたしも想像してみた。

 …………。

 うん、確かに言いそうだった。ていうか言う。

 で、とべっちとかが“それだわー、ハヤトくんマジ冴えてるわー”とか言って、“それな”“確かに”って続いて……な、なんだろ。今だから思うけど、グループの会話ってこんな薄っぺらだったっけ……。

 

「でもですよ? 今後のことも考えると、片づけられるものは片づけておくべきだと思うんですよー」

「そうね……まったく、とても、呆れるくらいに嫌だけれど、困ったことに親同士で無関係ではないから無視し続けるというのも不可能なのよね……」

「えと……じゃあ、隼人くん呼ぶ?」

「……つーか、結衣自身はどうなんだ? 最近俺達と一緒のことが多いけど、あっちのグループとは」

「うーん……ちょっとよそよそしい……かな。ヒッキ……八幡から事情聞いてからだと、余計にさ。姫菜もそれが解ったのかな、ちょっと距離取ってるところがあって」

「? 事情ってなんです?」

「あーうん、ほら、八幡の噂でさ、文化祭とか修学旅行のやつとかあったでしょ?」

「あー、ありましたねー。まあわたしはわたしが見て感じたものしか信じないので、噂とかどーでもよかったんですけど」

「そっか。うん、そこでいろいろ誤解があったんだ。あたしも雪乃も知らなかったそれを、八幡が話してくれてね、それを姫菜がなんとなーく察しちゃったのかなーって」

 

 知らないことを知ることが出来た日から、変わったことは結構あって。

 たぶんそれを、あたしはあのグループにこそ感じてる。

 確かに八幡の言う通り、直接的に頼んだわけじゃないから“どう動くか”は八幡任せだったのかもしれない。

 でも、じゃあ八幡だけに言う必要がどこにあったのかなって。

 相手に任せるだけなら、あたしや雪乃にも話したってよかった筈だ。

 ある日にそう思っちゃってから、あたしの中に隼人くんと姫菜への嫌ななにかが生まれてて。

 やだなって思うのに、それはちっとも消えてくれない。

 

「あの、結衣先輩? そこに居ることが辛いなら、無理して居る必要なんてないですよ? 誰々に恩があるから~とか、そんな気持ちがあるんだったらそんなものはその件でチャラじゃないですか。結衣先輩だけじゃなくて、奉仕部全体に亀裂が走って、かといってそっちのグループはなにもしてくれない。どーせ比企谷先輩あたりに“わたしたちの所為でぎくしゃくしてない?”なんて声かけてきたんじゃないですか?」

「いやなんで知ってんのお前。エスパー?」

「まじですか……。あのですね、比企谷先輩。絶対にそうだって言うわけじゃないですけど、察しがついてるんじゃないですか? そういうのって先手打たれたら大体負けるんです。私達の所為で~なんてトップカーストグループに言われて、“あなたたちの所為で”なんて言える人が居るわけないじゃないですか。相手に本当にそのつもりがなくても、それってすっごい失礼な質問ですよ?」

 

 また、ずきんって痛んだ。

 解ってたけど、言わなかったけど……痛いな、これ。

 姫菜にはそんなつもりはなかったんだと思う。

 ただ本当に心配だったから、声をかけただけなんだ。

 でも違う。いろはちゃんの言う通りだ。カーストってものがあるから男子に告白されることが少なくなった経験、あたしにもある。だから自覚しなきゃいけないことだってたくさんあった。

 八幡が言うように、トップがあるなら底辺がある。八幡がそれだなんて、誰が言ったって頷かないけど、それでもあるものはどうしてもあるんだ。

 そのトップってものに立ってるなら、勝手な言葉で相手の言葉を言わせないようにする、なんてことはしちゃいけない。

 やさしい人に“自分の所為で”なんて言い出したら、“そうじゃない”って言うに決まってるんだから。

 

「………」

 

 今もきっと笑ってるんだろうな。

 楽しそうに、“みんな”で。

 サッカー部の部活が無い日だから、“みんな”で。

 ───隼人くんはなんとかするって言って、とべっちに告白を諦めるように言うことしかしなかった。

 連れてきといて、紹介しておいて、回る場所とか考えたり応援したり、とべっちと姫菜が二人で組めるように動いてたあたしを見て、どう思ってたのかな。

 ───姫菜は最初から断ることしか考えてなかった。

 今が好きだから、壊したくないから。

 でもさ、じゃあとべっちの今はどうなるのかな。

 気づいてたなら、最初から答えが決まってるなら、どうしてちゃんと最初から向き合って言ってあげなかったのかな。

 恋ってさ、そういうのじゃないと思う。

 断わるなら、自分がちゃんとその人に言ってあげなきゃだと思う。

 友達なら、グループなら……仲間ならなおさらだと思う。

 ───優美子はなにかがあるって気づいてて、コンビニでたまたま会った八幡に姫菜のことを話したんだって。

 なにかしてるならやめろって。今が好きだからやめろって。

 そう思ったならどうして自分が動かなかったんだろう。

 隼人くんがどうにかするなら大丈夫、なんて信じて、それで…………それで。

 ……じゃあ、あたしは?

 あたしも同じだ。

 グループの仲間だから、恋愛ってものが眩しかったから、もっと仲良くなってくれたらって思うと嬉しかったから。

 だから頑張った。どうすればいいか考えて、場所も行動も出来るだけ二人が一緒になるようにって。

 でも……最初から答えが決まってる隼人くんや姫菜や優美子が、そんな行動を許すわけがなくて。

 ……結局、あたしととべっちだけが空回って、それで…………それで。

 

  ……グループってなんだろね。

 

 決まってたなら最初から言ってくれたらよかったんだ。

 グループだけの問題にして、依頼なんてしなければよかった。

 自分たちの勝手は許しても、とべっちやあたしの勝手は許さなかった。

 “俺はいいけどお前はだめ”……そっか、これがそうなんだ。

 あたしはもう、“今のまま”なんて嫌だから。

 空中廊下で雪乃に言った通りだ。

 あたしは変わりたい。進みたい。成長したい。

 知りたいから話し合って安心して、たくさん知ってから、言わないでも解る関係まで辿り着きたい。

 だから……進むために、“今のまま”を選びつづけるそれを、置いていく。

 全部が欲しいって思ってた。

 願えばきっと、それはいつかは手に入るんだって。

 でもそれじゃ、あたしも……あのグループも、変わらないし進めないから。

 

「ねぇ、みんな」

「ん? どした?」

「結衣さん?」

「結衣先輩?」

「───話があるんだ。えと、その……結構さ、大事な……話」

 

 あたしは、静かにその一歩を踏み出した。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 八幡と雪乃といろはちゃんに相談して、実行して……あたしは、グループを抜けた。

 抜けるって言葉をすっごくあっさり受け入れて頷いた八幡たちは、どうすればいいのかもひどくあっさりと教えてくれた。

 真っ直ぐに、抜けるって言えばいい。これだけ。

 「ちゃんと三浦と話し合ってな。間違っても葉山に相談とかやめろ」っていうのは八幡の助言。

 優美子を呼び出して、いつかの日みたいにすっごい重い空気の中で、でも……あたしはもう躊躇したりしないで、言いたいことを真っ直ぐにぶつけた。

 優美子も遠慮とかしないで……うん、遠慮するタイプじゃないとは思ってたけど、ほんといろいろ言い合って、最終的には引き留められたりしたけど……無理だって言って。

 泣きそうな顔の優美子に、ごめんは言わなかった。

 優美子とは席が近いからどうしても気まずくなるって心配も、八幡の隣のコに席交換してって言ったらすっごいあっさり変えてもらえた。そのコ、すっごい喜んでた。

 ……あたしは嬉しいけどなぁ、八幡の隣。

 

「はぁ……うん、よしっ」

 

 翌日なんて言わないで、その日の帰りに染髪剤を買って、髪の毛を黒く染め直した。

 決別の証のつもりだった。

 翌日の朝にはお団子も解いて、ただのサイドテールにする。

 “ヒッキー”がサブレを助けてくれた時まで、そうしていた髪型だ。

 これもなんだか懐かしい。

 鏡に映る自分に笑いかけて、「じゃあ、行くね」って言って歩き出す。

 

  さあ、知る努力を続けよう。

 

 知りたいことをもっと知るために。

 知って安心して、その上で、もっともっと知って、安心以上のなにかを掴むために。

 それがなんなのかーって言われると、あたしもまだ解ってない。

 おぼろげだし、カタチなんてないし……なのに欲しくて、求めて、目指しちゃうなにか。

 きっとグループのみんなにも、目指してたなにかがあったんだ。

 最初はそれが眩しくて、みんなで頑張って組み立てていくんだ。

 たぶんそれは、出来上がりを喜ぶようなものじゃなくて、気づいたらいつの間にか出来てるもので。

 そういうのがあったからみんなが集まって、そういうのがあったから隼人くん……ううん、葉山くんもそれを守ろうとしてた。

 やっぱりそれがなんだったのかなんて、あたしには解らない。

 解ろうとして踏み込んでも、葉山くんは教えてくれないんだろうなって思った。

 べつにそれが悪いことだなんて言わない。“普通”に考えれば、なんでも言っちゃえるほうが“普通じゃない”んだ。

 そう、言わないんだ。言わないけど……語られない何かを信じ続けて、傷ついた人を見ないフリをする、なんてことは出来ないから。……もう、周囲に合わせて笑うなんてこと、したくないから。

 あたしはこの道を歩いていく。もう、決めたから……迷わない。ま……迷わない。つもり。

 ……や、迷わなかったらいいなーって。

 いきなり断言は難しいけど、努力からってことで。

 

   ×   ×   ×

 

 教室内で八幡と話すことが多くなった。

 隣の席なんだから当たり前だけど、そうなってくると普段から教室で八幡と話すさいちゃんとも会話の量が増えてくる。

 相変わらず八幡はさいちゃんには弱い。

 話しかけられるとドギマギしてるし、キョドりまくっててキモい。

 でもそれも、段々と落ち着いていって……今では結構普通に話せてる。

 さいちゃん見てると、裏表とかそういうのとは無縁って感じ、するもんね。ちょっと羨ましい。

 ……ていうか教室だとまだ八幡って呼ぶの難しい。結構ヒッキーになってる。

 

「ヒッキー、どうかした?」

「ああいや……葉山のグループも、相変わらずだなってな」

「うん、そだね」

 

 離れた位置……教室の端から見つめるかつての場所は、全員笑って話してて、見てるだけで楽しそうだ。そこにあたしが居ないだけ。

 とべっち……戸部くんが盛り上げて、大岡くんと大和くんが同意したりツッコんだり。

 男子が仲良くしてると姫菜がいつも通りああなって、優美子が世話をして。

 そういうのを外から見てると、なんだか少し安心する。

 自分が居なくてもちゃんと回るものなんだ、って。そりゃそっか、空気読むばっかだったもんね、あたし。

 

「……ヒッキーから見て、どう?」

「明らかに無理してるな。“相変わらず”を演じてるようにしか見えん。なにより戸部が動揺してて、騒ぎ切れてねぇのが痛いな。大岡も大和もあれだ、状況を把握できてねぇ」

「……うん、そだね」

 

 人が離れるってことは、それだけのなにかがあったってこと。

 言われなくたって解るし、たぶん何があったってあの二人が訊いても、戸部くんはどれが原因かなんてことまでハッキリ言えないだろうし、葉山くんも優美子も姫菜も全部は話さないと思う。……ひどい言い方だけど、話せるなら最初から仲間全員を頼ったと思うから。

 全部が欲しいって思ったら、全部に手を伸ばさなきゃって思ったことはある。

 でもそれって、なんにも解決できないくせに手だけを伸ばして、全部壊しちゃうだけだって知ってる。

 伸ばしすぎた問題は解決じゃなくて解消しか出来なくて、それで傷つく人が居るなら……あたしはその幾つかを諦めなきゃいけない。

 ……もっと単純ならいいのにな。

 仲良くしたいから一緒に居ようって言って、解り合いたいから話そうって言って、“うん、そうだね”って笑い合えたらな。

 優美子には断られて、姫菜には苦笑いしかされなくて、葉山くんは首を横に振るだけだった。

 決めたとか決意とか、そんな覚悟なんて持たなくてもいい、もっとやさしい世界だったらよかったのに。

 優美子はグループのままでいいじゃんって言って、姫菜はさすがにそれは無理かなって笑って、葉山くんはそれが出来たら、なんて言って……やっぱり進むことはしなかったんだ。

 居心地が良い場所が出来たら、それが変わるのは嫌だなって……あたしも思う。

 あたしだって、あんなことがあって……ヒッキーとキスをしたりしなきゃ、踏み込んだりすることが出来たかどうかだ。

 

「お前も、無理すんなよ」

「うん……でも、難しい、かな」

「……。そもそもだ。俺みたいなやつが居るわけでもねぇのに、同じグループ内で隠し事がありすぎるのがいけねぇんじゃねぇの? もっとオープンなマインドを心がけてフレンドリィなライフを送ってればノープロブレムだっただろ《くねくね》」

「ヒッキーきもい」

「あのちょっと? 元気づけたかったんだからストレートにキモいはやめない?」

「あははっ……うん、でも……ありがと」

「……おう。その、あれだ。グループ抜けたなら、無茶かもしれねぇけどあんま気にかけてやるなよ。そうするくらいなら最初から抜けるなって相手は思うし、お前だって中途半端な気分から抜け出せねぇだろ」

「うん……そだね。解ってるんだけど」

「……お、おし。なら、そだな。気分転換にそのー……あー、あれだ。ほっ……放課後、ディェッ……でーと、でも……すすすするか?」

「えっ……?」

 

 え? ヒッ……八幡、今なんて?

 

「あ、いや、すまん……悪い。お前ならこっちの言い方の方がよりょっ……喜ぶ、と思ったんだが……うわはっず……! “え?”とか返されちゃったよおい……! 遊びならいいけどデートとかねぇよな忘れてく《がしぃっ!》」

「行くっ!!」

「……れ……、お、おう……」

 

 顔を覆ってた八幡の手をがっしって掴んで、引き寄せて言う。

 ……、ちょっと切り替えるの大変だけど、そうだ。未練とか残したくてグループを抜けたんじゃない。

 抜けといて気にするのは何がしたいんだって話だし、それじゃあ抜けた意味だって全然ない。

 今すぐにはやっぱり無理だけど、あっちが頑張って“相変わらず”をしてるなら、あたしは変わんなきゃだ。

 頑張ろう。

 こういうの、頑張るのはどうかって思うけど、今のあたしはどんどん頑張ってかなきゃ、動けそうにないから。

 

……。

 

 デートした。四人で。

 雪乃は遠慮してたけど、あたしと八幡とで連れ回した。

 元気出したいなら四人でだ。二人でのデートは心に余裕が出来てから。

 じゃないと寄りかかりすぎて、なんかちょっと違うなにかになっちゃいそうだった

 ちなみに、デートの内容はいろはちゃんのお手伝い。

 “デートの定番ってなんだと思うー?”って八幡に訊いたら、“買いもしないものを見る時間つぶしみたいなものに付き合わされて、男が重いものを持って歩かされるものとか?”なんて言った。

 そう、デート場所は生徒会室だ。

 買うわけがない書類と睨めっこしたり、重いものが入ったダンボールを八幡が運んだりした。うんデートだ。

 

「そういえばさ、ヒッキーはさいちゃんを誘おうとか思わないの?」

「戸塚を? この集まりにか?」

 

 そんなわけで、いろはちゃんが言う“ちょっと面倒なもの”を一通り先に済ませて、あたしたちは生徒会室の椅子に座って“はふー”って一息ついていた。

 

「うん。さいちゃんなら喜びそうかなって」

「ん……そりゃ思ったことがねぇとは言わんけど。それはちょっと違うんじゃねぇかなって」

「そうね。結衣さん、私達はお互いを深く知ろう、知った先に目的があるから、と集まっているわ。けれどそこに自分が好きだからと人を集めては、ただの薄っぺらな関係にしかなれないと思うの」

「あー、そうですねー……いくら誰かが“この人は信頼できる”って断言しても、他の人から見れば知らない人なわけですし」

「戸塚くんのことは、依頼などを通じて多少は知っているけれど、それだけ。知る努力から始めるにしても、とりあえずはまだ、男と意識して付き合うのはこの男だけで十分だわ」

「お前もうちょっと言葉選ばない? この男で十分とか、なんかものすんげー引っかかるんですけど?」

「まーまーいいいじゃないですかー比企谷先輩っ♪ それよりほんとによかったんですか? 手伝ってくれるのはそりゃ嬉しいんですけど。楽ですし」

「お前ほんと遠慮なくなったな……」

「いーじゃん。そういうの望んでたんだし、あたしはこっちの方が好きだな」

「……そか。んじゃ、楽しんで生徒会するか。っつーか副会長はどうしたんだよ」

「用事があるとかで帰りました」

「おい」

 

 用事かー……うん、それじゃ仕方ない。

 それにそのー……あたしも雪乃も、そっちの方がやりやすいし。

 

「お前結構律儀だよな……副会長帰ってんのにお前は残るとか。なに? 俺達来なかったらお前だけで片づけてたの? この量を?」

「間に合うようなら比企谷先輩を顎で……お願いしようと思いましてっ♪」

「やだこの子今顎で使うとか言おうとしてたよ怖いよ後輩が怖い」

「まあ、今さら取り繕ったってしょうがないですし。というわけで、せっかく来てくれたのでお願いしますねっ?」

「へいへい……」

「うん、どーんと任せてよっ! それでゆきのん、これどうすればいいの?」

「……何を任せればいいのかを考えるところから始めましょう……それと、雪乃よ」

 

 くすくす笑われた!? う、うーん……まあいっか、笑えてるなら。

 

「そういえば……今だから訊きますけど、雪ノ下先輩は生徒会長になって、なにがしたかったんですか?」

「なにを……? ……そうね、きっと誇れるような志があったわけではないのよ。守りたいものと、信じたいものがあっただけ。全部子供の独りよがりで、思い返せば赤面もするような内容だけれど」

「それって、今からでも叶えられることですか? でしたら、今だけは生徒会長になりきっちゃうとかどうでしょう!」

「……、そうね。ではこの放課後だけ、権限を譲ってもらえるかしら」

「えっ!? 乗り気ですかっ!? 意外です……てっきり仮初めのものになんて興味がない~とか言われるかと」

「甘いな一色。“今の雪乃”ならこうだ。“───一色さん? 仮にその提案に乗ったとして、私になにをしろというのかしら。そもそも既に席が埋まっているものを譲られ、喜ぶほど子供ではないわ”」

「うーわなんだか妙に熱が籠っててキモいですありえないですキモくてキモいですやめてくれませんかわっ……笑っちゃい、ます、のっ……ぷふふはははは! あはははははっ!」

 

 あ。笑顔。

 なんか、久しぶりに見たって気がする。

 そうだよね、気持ちの整理なんて、なかなかつけらんないし……無理に笑うのとも違うし。

 

「……八幡くん? 私は、きちんと、譲ってもらえるかしらと、言ったはずだけれど?」

「い、いやそんな、ある意味噛み砕いた言い方しなくても……待て、からかうつもりはなかった、なんか知ってるお前を真似てみたかったっつーか……!」

「《ムッ》……そう。それなら……そうね。私もあなたの真似をすれば仕返しになるのかしら」

『むしろ見てみたい(です)っ!!』

 

 あたしといろはちゃんの声が重なった。

 雪乃はビクッてしてたけど、八幡を見てからとほー……って溜め息を吐いて、

 

「こほんっ、……ええぇと……その。あ、あー……あれ、あれな。あれ。……あれしかないまである」

 

 声を頑張って低くして、顔を真っ赤にして、そう言った。

 途端、生徒会室は賑やかになった。

 八幡が顔を真っ赤にして頭を抱えて、雪乃が「わ、笑わないでちょうだい……!」って怒って、あたしといろはちゃんは笑って笑って、お腹かかえて、苦しくて、楽しくて。

 

「はー、もう……なんなんですか先輩方……。これじゃあおちおち悩み事でくよくよもしてられませんよー……」

「その割には遠慮のない笑い方だったようだけれど……?」

「お、怒らないでくださいよー、こっちだってそう簡単には切り替えられなかったんですから……」

「? そう言うってことは、もう切り替えられたの?」

「訊かれてはいそーですってとこまでは、まだちょっと。でも、もう一歩を踏み込みたいとは思いました。なので雪ノ下先輩、比企谷先輩」

「なにかしら」

「ん?」

「ええっと……すーはー……ヨシッ、名前で呼んでもいいでしょうかっ! 呼んでもらってもいいでしょうかっ!」

 

 いろはちゃんの提案は、それだった。

 うん、あたしもちょっと気になってた。

 せっかくこんな関係になれたんだから、もっと遠慮とか無くしていこうよって。

 

「……、……べつに、構わないわ。むしろ遅かったくらいね」

「おう、まあ、いいんじゃねぇの? つーか、お前がいいのかよ。俺に名前でとか」

「むしろ葉山先輩がアレなのに八幡先輩が一色っていうのが、今の関係では結構気に入りません。なのでお願いします」

「……そか。んじゃあ───」

「はいっ」

「───雪乃からな」

「……うっわほんと流れぶった切るの好きですねなんですか水差し大好き人間ですか転生してジョウロになってやり直してきてくださいよこのヘタレ」

「なんでそこまで言われてんの俺…………ったく。いろは。ほれ、これでいいか?」

「心がこもってません。やり直しを要求します」

「…………結衣が好きだ」

「そっちに心こめてどうするんですかー! ていうか顔隠して真っ赤になるくらいなら言わないで下さいよ!!」

 

 うぅう……顔、あっつい……!

 も、もうなんでいきなりあんなこと言うかな……!

 その、嬉しいけど……嬉しいけど、さ……!

 

「う、うるせー……今まで出来なかったこと、全力でやってみてんだよ……。青春してみてんだよ……恥ずかしいけど嬉しくて楽しくて、テンションおかしくなってんだからそっとしといてくれ……」

「───《ピンッ♪》……じゃあそんな照れ屋さんをつつくのは後輩とか周囲の人間の青春ですよねー? 恥ずかしいですか? 恥ずかしいですかハチせんぱーい♪」

「いやちょっ……やめろつっつくなそれ物理攻撃だから……! つか、なにそのハチ先輩って……」

「八幡先輩じゃ長ったらしいので」

「比企谷先輩言うのと一文字たりとも変わらねぇんだが……?」

「そうね。ハチではあの有名な忠犬のようで、犬に失礼でしょう」

「え? 失礼の点そこなの?」

「もっと猫らしい名前にしましょう。そうね……ごめんなさい猫に失礼だったわ」

「考えてからそれ言う方が失礼ってもっと早くに気づいて欲しかったわ……」

「そうね、ごめんなさい。犬と猫に謝るわ」

「いや違うからね? 謝る方向さえ違うから。つーか、いい加減に話とか戻さない? 雪乃、お前生徒会長になってなにしたかったの」

 

 八幡がとほーって溜め息を吐きながら言うと、雪乃はハッとして椅子に座り直して、あたしと八幡を見て、言った。「生徒会執行部ではなく、生徒会奉仕部が作りたかったのよ」と。

 

「あの時はごめんなさい。知っているつもりになって、解っているつもりになって……解ってもらえるものだと思い込んで、あなたたちに……いえ、“私達の関係”に勝手に失望をしたわ。多少の擦れ違いも、新しい関係から始めれば何度だって構築できると思い込んでいた。……私は、それをきちんと謝りたかった」

「ゆきのん……、───あ、あたしもっ……あたしも、解ってあげられなくて……ごめんね」

「結衣さん。歩み寄りもしないで解った気になっていた私が悪かったのよ。私はあの時の自分を後悔している。だから……その、ええと……これからは、~~……あ、歩み寄れたら、と……」

「ゆきのんっ……!《ぱああっ……!》」

「雪乃、よ《ぴしゃり》」

「今は見逃してよぅ!!」

 

 嬉しくて、抱き締めた。

 そしたら顔を赤くするのは前と同じだったけど、ゆきのんもおずおずって感じで抱き締めてきてくれて。

 それが嬉しくて、抱き締めて、抱き締められて。

 

「生徒会長になったら、結衣先輩を抱き締めたかったんですかね……」

 

 いろはちゃんの声が聞こえて、あたしとゆきのんは余計に真っ赤になった。

 

「それをツッコんでやるなよ……いや俺も思ったけどさ。思っちゃったけどさ。……たぶん、その立場になってたら、自分はどうしてたんだ、とか考えたじゃねぇの?」

「……えと。でもですよ? それって……」

「ああ。たぶん無理だ。当時の段階で考えて、俺か結衣が副会長とかってのは現実味がない。面倒事を押し付けるって意見が集中するか、現副会長が辞退するかしないと無理だっただろ」

「そこはなんとかしちゃいそうですけどねー、奉仕部なら」

「……まあ、考える時間があればどうとでも出来たかもだけどな。俺の評判とかもあったし、難しいってのは事実だよ。……ま、それを逆手に取って、“俺に面倒を押し付ける”って意識を向けてやれば、いっそ生徒会長にもなれただろうけどな」

「うわー、手段を選ばなければ確かにって思えちゃうから、ほんとハチ先輩ってアレですよねー」

「うっせ、アレとか言うな。内容が気になるだろが」

 

 またへんなこと考えてた。ほんと八幡ってヒッキーだ。言っててわけわかんないけど、なんかそんな感じ。

 八幡の声が聞こえたから、じとーって睨んだらそっぽ向かれた。

 

「ハチ先輩って、気まぐれ屋さんで無鉄砲なのに、怒られるとしゅんとするとことかって犬と猫を混ぜたみたいな感じですよね。あ、でも気づけば化かされてる~みたいなとこありますから、キツネですね。キツネなんて飼ったことないから知りませんけど」

「……俺も知らん。つーか、そういうのいいから手ぇ動かせ。お前全然進んでねぇじゃねぇか」

「えー? だってー、頼りになる先輩方がいらっしゃいますしー」

「あ、そ。んじゃああとはお前が頑張れ。俺達もう頑張ったみたいだから」

「うぐっ……こ、ここまで来ちゃったら一蓮托生とか……だめですかね? ほらほら、可愛い後輩のお願いですよー?」

「あざとい。やり直し」

「今のはほんと素ですよ!」

 

 仕事して、騒いで、仕事して、騒いで。

 そうして、あの時は知りもしなかった“生徒会の仕事”を片づけてみて───あたしも雪乃も八幡も、たぶん同じこと考えてる。

 “なんだ、自分たちにも出来たんだ。自分たちでもよかったんじゃないか”って。

 もしあの時、雪乃を応援出来てたら。

 もしあの時、守ることしか考えなかった自分を変えようって思えてたら。

 ……そんなことは今さら言ってもしょうがないって思っても。

 

  やっぱりちょっと、そんな関係に憧れた。

 

 これからもこんな、隠し事をしちゃうよりも話しちゃって、難しいと思ってたことも四人で解決して、なんて楽しい日々が続いていくんだろう。

 もちろん喧嘩もする。しないんじゃなくて、ちゃんと自分の中にある不満をぶつけるつもりで。

 「たまにはゆきのんから抱き締めてくれるとか!」って言ったら、「努力はするから、そうしたいと思える事態を用意してちょうだい」って言われた。すぐに「いや、単に雪乃先輩が抱き締めればいいだけの話じゃないですかー」っていろはちゃんからツッコミがあって。

 いっそのこと、っていろはちゃんから提案されて、生徒会と奉仕部をくっつけてみたり、そうすることで副会長さんといろいろあったり。

 でも、結構、ううん……かなり楽しく青春してる。

 時間が経って、三年になって、それと同時にさいちゃんがテニス部をやめて生徒会奉仕部に入ってきたり、隠し事とか無しでぶつかるあたしたちの関係に目を輝かせたさいちゃんが全力でぶつかってきて、なんかいろいろ考えてたのが馬鹿みたいに馴染んでって……───あたしたちは。

 

「………」

「三浦さん? 少しくっつきすぎなんじゃないかしら」

「は? べつに雪ノ下さんに関係ねーっしょ」

「うわー、見てくださいよハチ先輩、修羅場ですよ修羅場。彼氏としてどうですか、この状況」

「八幡、止めなくていいの?」

「俺にどうしろっての……氷と炎を鎮めるとか俺には無理だからね? っつーかあいつら結衣のこと好きすぎでしょ……」

 

 三年になって、“今のまま”を望んでた筈の優美子は、違うクラスになっちゃったことがきっかけで、近寄ろうと一歩を踏み出して……挫かれた。

 偶然が重なって二人きりになって、いい雰囲気になって……踏み出してみたら、ダメだったって。

 どんだけ今のままがいいって思ってても、恋してるんだもん、自分からいかなきゃって思うよね。あたしはキスしちゃうなんて結構卑怯な方法でいっちゃったけど……。

 

  でも、そんなことがあっても葉山くんは変わらなかった。

 

 変わらず、教室では普通だし、優美子に会えば普通に声をかけるしで、優美子は“変わらないこのまま”っていうのが怖くなったんだって。

 そうなれば自然に、別のクラスになってたってことも助けて、優美子は葉山くんのところに行くのをやめた。

 あのグループからあたしと優美子だけが別クラスになって、少しずつだけど話すようになって、それで……

 

「結衣、このあと31行くし。思い出したらムカついてきた」

「このあとは私の家で泊まり込みの勉強会よ。部外者は出て行ってちょうだい」

「は? 男も混ぜて?」

「下種な勘繰りはやめてもらえるかしら」

「下種っ……!? ちょ、あんた……!」

「結衣さんと八幡くんの間はべつとして、私と戸塚くんに部員に対するそういった類の感情は存在しないわ」

「……ふん、どーだか。……友達とか仲間なんて、ちょっと離れりゃ簡単に……そう、簡単に崩れるだけだし……」

「それは単にあなたたちに踏み込む勇気と変わる覚悟がなかっただけのことでしょう?《ドヤァアアン!》」

 

 うわー、ゆきのん嬉しそう。

 ゆきのん、たまにこうして急になにかを自慢したくなるから可愛い。

 本人気づいてないみたいだけど、そういう時に褒めたりすると、その時に見せる“ぱああっ……!”って感じの笑顔がすっごく可愛くて。

 

「見てくださいハチ先輩、褒めるなら今ですよ」

「なにを褒めろってのお前。あの時のはたまたまだろ」

「あ、でも八幡に褒められると嬉しいっていうの、解るなぁ。僕も八幡に褒められたりすると、すっごく嬉しいし」

「さいちゃん先輩はちょっと特殊なんですよきっと。いえ、純粋って方面で」

「楽しそうに話してないで助けてよー!」

 

 両脇を雪乃と優美子に抱き締められてるあたしに出来ることは、机を挟んだ対面に座ってる三人に泣きつくだけ。なきつくってゆーか、動けないから助けてって言うだけだけど。

 

「え、えとー……そんでさ、優美子。どうするの? 葉山くんのこととか」

「……。ちょっと引きずってっけど……まだ好きだけど……ちょっと見つめ直してみたいっていうか。あーしが考えてた“今がいい”と、隼人の“今のままがいい”って、なんかちょっと……あ、いや……“全然”、違うのかなって……」

「……あのー、三浦先輩? ちょっといいでしょうか」

「……あ?《ぎろり》」

「ちょっ……にに睨まないでくださいよー……! 一応は同じ人を好きになったよしみっていうことで、ちょっと話し合いましょう。一度冷静になって、文字通り恋に恋する乙女から卒業した目できちんと見た、葉山先輩の印象とかばっちり教えますんで」

「………」

 

 ムッとしてた優美子だけど、あたしの腕を離して椅子に座り直すと、話を始めた。

 話して、否定して、迷って、頷いて、怒って、泣いて。

 全員で意見交換をしながら見る優美子は、本当に感情をそのまま出してるみたいで。

 それだけ好きだったんだろうなって……もしあたしも八幡と……とか考えると、泣けてきちゃって。

 そこから、千葉村での雪乃の言葉についての疑問を優美子が口にして、小さい頃にいろいろあったって話が出て、「雪ノ下さんとのことが解決されてないから隼人が踏み出せないんじゃないの?」って話になって───葉山くんが呼び出された。



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責任はとるって言ったんだしな⑤

 来て早々、葉山くんは「……比企谷。これは」って呟いた。

 生徒会室にて。

 黒板側にいろはちゃん。

 扉側に葉山くんと優美子。

 窓側にさいちゃん、ゆきのん、ヒッキー、あたしの順に座って、話し合いの場は……も、もう? もうけられた。うん。用意された。うん。

 

「葉山、ここで嘘とか誤魔化しは一切無しだ。そういうルールを敷いてる。いい加減、全部“解決・解消”しちまわないか。……一人が踏み出さない所為で解決できねぇことが多すぎるんだよ。あとはお前だけだ」

「いや……けど俺は」

「もうとっくに変わっちまってるものを、“今のまま”だなんて呼べねぇだろ。……話せば解るってのは傲慢だ。今でも、たまに思うことがある。けど、話さないことで変わらないままを押し付けるのは、怠慢だろうが。トップがそうしようって押し付けりゃ、下はそうそう逆らえねぇんだ。腹立たしいが社会なんてもんは結局縦社会だし? 部下が手柄立てても上司の手柄、なんてのはしょっちゅうだし? あーだからそのつまり、なに? ……たまにゃトップらしいことしてみやがれ」

「………好き勝手言ってくれるな。俺は望んでトップになったわけじゃない。そんなものは周囲の押しつけだろう」

「押しつけでもなんでも、お前がその位置に立ってその立場でそのままを望んだ事実は揺れねぇし動かねぇよ。だからお前自身が動かせって言ってんだろが」

「………」

「雪乃も望んでる。一度全部ぶちまけて、解消しちまえばいいだろ」

「雪ノ下さ……雪乃ちゃんが? ……いや、比企谷、お前……その呼び方」

「“雪乃ちゃん”、ね……。あー……まあいろいろあったが。今じゃ親友ってのをやらせてもらってる。羨ましいなら踏み込め。じゃなけりゃ、そんな資格さえねぇよ」

「───!」

 

 「軽い挑発のつもりだったのに“効果はばつぐんだ”過ぎて引いた」……あとでヒッキーが言ってたのがこれ。

 いろはちゃんがカチャンって鍵を閉めた生徒会室で、あたしたちは全員で、それはもう話した。

 知らなかった雪乃の過去とか、葉山くんがなにをしたのかとか、どれが失敗で、その時どう思ってたのかとか。

 優美子も黙って聞いてて、たまに泣きそうになって、そんな時は手を握って。

 

「結論。独りを見ないやつがみんな仲良くとかキモいわ」

 

 話が終わって、ヒッキーが出した結論がこれだった。

 

「一人も見ようとしないからみんなに目を向けられない君に言われたくない」

 

 返された言葉がこれ。

 次の瞬間には小さな呟きみたいな喧嘩が始まって、じょじょにえすかれーしょん? 

 して。

 

「大体お前は!」

「君がそれを言うのか!」

 

 ……大喧嘩が始まった。

 取っ組み合いとかはしなかったけど、机を挟んでの男の子の言い争いに、あたしたち、呆然。

 さいちゃんが「ちょっと羨ましいかな」とか言ってたけど……あ、うん。あたしも実は羨ましい。

 あんなに感情を出したヒッキー、なかなか見れないし。

 そうやって完全下校時刻まで散々言い合った二人は、顔を涙で濡らしたまま頭をべしべし叩き合って、最後に拳をごっつんこさせて、笑い合ってた。

 

「男の子って解りませんねー……どうしてあそこまでの喧嘩をしておいて、笑い合えるんでしょうかね」

「うーん、そんなに難しく考えることじゃないのかもしれないよ? 一色さん。……ちゃんと自分を出して、解って、受け止めてもらえたならさ、下手な友達よりもよっぽど自分を知ってる人なんだから。……僕も、八幡とあんな感じになってみたいなぁ」

「いえ、さいちゃん先輩じゃ絶対無理です。即座にハチ先輩が折れます」

「うん、さいちゃんじゃ無理だよ、絶対」

「……いいなぁ、葉山くん」

 

 それからの葉山くんは、随分とすっきりした顔をしてた。

 雪乃に告白した時は驚いたけど、絶対に無理だって言われて断られて……でも、それには好きだとかってものじゃなくて、いろはちゃんみたいにライクの方が大きなもので。

 優美子といろはちゃんに謝った葉山くんは、静かに生徒会室をあとに《ガタタッ》……できなかった。あ、そういえばいろはちゃん、鍵閉めてたっけ。

 

「え、あ、ちょ……いろは?」

「あ、一色でお願いしますね葉山先輩。あと、自分だけすっきりしてさようならとか、それひどいですから」

「いや……けど今さら俺に何をしろって……」

「ちゃんと三浦先輩と向き合ってください。自分のことが決着ついてなかったから三浦先輩を突き放したなら、今向き合わないでどーするんですか」

「……手厳しいな」

「今期の生徒会長さんは、恋する乙女の味方であると同時に、女の敵のラスボスさんですから」

 

 胸を張って言ういろはちゃんは、結構楽しそうだ。

 そんないろはちゃんの隣を通り抜けて、葉山くんと向き合って立つのは優美子。

 涙を流した所為で、またちょっと目がパンダみたいになってるけど、そのままで向き合った。一応教えたんだけど、そのままでいいって。

 

「隼人……」

「……ああ」

「あーしは、やっぱり隼人が……」

「……。俺の過去を聞いてもか?」

「………」

「雪ノ下さんを傷つけた過去があるのに、まだそれを繰り返してる俺なのに」

「………」

「踏み込めば清算する時間なんていくらでも作れただろうに、それ以上関係を悪化させたくないからって、結局は現状維持しか選べなかった俺なのに《ばごっ!》ぶっ!?」

「だったら変われっ! このへたれっ!!」

「ゆっ……!? ……み、こ……」

 

 驚いた。

 ぶちぶちと後悔をこぼす葉山くんを、まっすぐに殴った優美子が怒鳴って。

 殴るだけでも驚きなのに、急に叫んだりするからあたしたち、肩がすっごいびくーんってなった。

 

「さっきから聞いてりゃ過去がどうとか選べなかっただとか! だったらこっから選べばいいだけのことでしょ!? こっから変わっていけばいいだけのことでしょ!? 過去を清算したいみたいに言っといて、結局後ろしか見れてない! 前を向け! 変わって見せろ! 言われるだけで黙ってんな!」

「……~~……君に俺の何が解る! 俺はっ───!」

「解んないよっ!!」

「っ……」

「知ろうとして近寄っても離れるだけで、今まで隼人が何を見せてくれたっての!? 頑張っても曖昧に笑うだけで! 勇気出しても誤魔化されるだけで! それでもしょうがないじゃん! 好きなんだから! 好きになっちゃったんだから! なのに……! ……隼人が、それ、言わないでよ……! 解ろうとしたのに……なんであんたがそれ、言うの……!?」

「…………っ……俺は……、…………俺は……」

 

 葉山くんが、泣きそうな顔で歯を食いしばるみたいに表情をゆがめた。

 優美子は泣いちゃって、生徒会室の空気は……とっても重くて。

 雪乃が動こうとして、ヒッキーにデゴシって頭に手刀落とされて、「お前が言ったらややこしくなるだろーが」って言って……ヒッキーが動いた。

 

「とりあえずお前らさ、もう付き合っちゃえば?」

「え……ひ、比企谷、君はなにを───」

「お前さ、今、ただの最低人間としか映ってねぇから。これ以上低くなれねぇなら、せめて相手を慰めるくらいしてやれよ。しっかり付き合ってみて、ダメならダメでそれから考えりゃいいんじゃねぇの?」

「……それは相手のやさしさに甘えてるだけだろう」

「現状維持なんてそれの塊だろうが。なにお前、今まで甘えてたつもりなかったの? 恋する乙女の青春時代をフりもせず宙ぶらりんで消費させといて、それがやさしさに甘えてただけって言わないつもりか?」

「…………容赦ないな、君は」

「相手の気持ちに気づいてるくせに、現状維持を続行し続けるお前に言われたくねえよ」

 

 「俺に“やいばのブーメラン”を投げる趣味はねぇし」って、あたしを見ながら続けたヒッキーは、顔を真っ赤にしてわざとらしく咳払いをした。

 

「こんなんなっても好きだって真正面から言われて、ちっとも心が揺れないならそれでいいんだろうさ。いやまあ、見て解るくらい動揺しまくりだけどねお前。……だからよ、もういいだろ葉山。せめてきちんと向き合って、受け止めて、返すくらいはしてやれよ」

「……君はもうそれを選んだのか」

「あーそーな。むしろオトされたよ。むしろ毎日いろんな顔を見せられて、その度に惚れているまである」

「……気色悪いな」

「うっせ、自覚してんだからほっとけ。で、どーすんのお前」

「………」

 

 ヒッキーは、葉山くんにそう言いながら、たしたしってスマホをいじりだした。

 少ししてあたしの……あ、あたしだけじゃないや。

 今の奉仕部といろはちゃんのケータイにメールが届いたみたいで、内容を見てみれば、“考えさせてくれに一票”って文字。

 さ、さすがにそれはないんじゃないかなーって思ってたら「少し……考えたい」って、ぽしょりと呟く葉山くんが「《ディシィッ!》いったぁっ!?」……ヒッキーにデコピンされて、いい加減にしろって言われた。

 

「やいばのブーメランを投げる趣味はねぇって言ってんだろが……この期に及んでぶつぶつ、どういう方向で考えたいのお前。逃げ道? はぐらかし方? どうすりゃ傷つけないか? 誰かさんが言ってたけどな、傷つけないってのは無理だぞ。人との付き合いに混ざるってのは傷つけていくことらしい。全部を鵜呑みにするわけじゃないにしても、お前今傷つけまくってるだろうが」

「……じゃあ。ここで考えもせずに出した答えを、責任持って貫けっていうのか」

「いつかこういう日が来るって想像もしないで、三浦の気持ちを無視し続けてたっつーんならな。……とっくに考えてたことくらいあるだろ。そこに今の自分の気持ちを乗せればいいだけの話なんじゃねぇの?」

「っ……なんでだ。どうして俺の考えてることを、ことごとく……!」

「大変腹立たしいことではあるが、どうやら方向性は違っても基本的な考え方が似てるんだろうよ、俺達は。ただ、それの処理の仕方が俺とお前じゃ違いすぎるってだけだ。俺の解消は“俺が一人で潰す”。お前の解消は“みんなでうやむやにする”みたいなもんだろ。だから、一人で解決することにも解消することにも慣れてねぇ」

「……俺は……」

「それでも待ってもらうのか? だったら、一番に言ったように付き合っちまえよ。べつに恋人になれとかじゃなくて、誘われれば全部に乗るって方向で。みんなとの中立じゃなくて、三浦をとことん選んで付き合ってみりゃいい。それでダメだってんならどうしようもない。それでいんじゃねぇの?」

 

 頭叩いたりデコピンしたり、少し前の二人じゃ考えられない。

 なのにヒッキーは……あ……そっか。わざとやってるんだ。

 俺なんかに説教されて恥ずかしくないのかって。

 でもヒッキー、それって……

 

「……嫌味が混ざった挑発だな」

「挑発なんてそんなもんだろ」

「嫌なヤツだ。少しでも友達になれるんじゃって思った自分が恥ずかしい」

「今の俺とお前じゃ無理だろ」

「……言われるまでもないさ。だから……」

 

 項垂れてた葉山くんが、優美子を見る。

 少し疲れたような、でも……真っ直ぐな目で。

 

「優美子……君は俺がどう変わっても、見ていてくれるか?」

「生理的に受け付けないとかじゃないなら……平気なんじゃない?」

「手厳しいな……はぁ、そうだな。俺は、君の生理的に受け付けない存在っていうものも知らなかったんだ。……知る努力か。少し……いや、大分……頑張ってみるよ。“みんな”じゃなく、一人に目を向けられるように」

「その一人ってのは……雪ノ下さん?」

「……。誤魔化しを混ぜないなら、小さな頃から気になっていた。けれど、好きとかじゃないんだ。結局俺は、誰も本気で好きになったことなんてなかった。罪悪感から気にしていたにすぎないんだろう。だから───」

「……そ。んじゃ隼人」

「あ、ああ、なんだ?」

「先に言っとく。あーし、待たないから。待ってたら言い訳しか並べない相手を待って、これ以上時間を潰すとかしたくないし、ヒキオには悪いことしたって思うなら、もう足踏みはやめる。今のままがいいとか、周囲を巻き込んだ上で言える言葉じゃねーし」

「優美子……」

 

 戸惑ったままの葉山くんから視線を外すと、優美子はヒッキーを見て頭を下げた。

 急な行動にここに居るみんなが驚いて、でも……ヒッキーはそこまででもなくて。少し困った顔をして、首の後ろあたりを掻いてた。

 

「ヒキオ、ほんとごめん。あーし、隼人なら大丈夫だなんて、過信してなにもしなかった」

「依頼のこともよく知らなかったんだろ? しゃーないだろそれは。つーか、謝罪なんて要らん。グループ内のことなのに相談しないとか、まずそこらへんからおかしいから。ぼっちにしてみりゃ仲間や信頼関係ってのは“裏切られるまで裏切らない”っていう、いっそ頭がおかしいって思われたってそれが大切だって思える関係だ。だってのにお前らなんなの? 今のままがいいとか今が好きとか、言ってるだけで誰もなにも打ち明けてねぇ。壊れたら戻らないとかどうとか、そんなもん、壊した先で新しく作ろうとか思わないの? 俺、リア充ってもっとそういうことも平然とするもんだと思ってたわ」

「んーなの、言うほど簡単に出来るわけねーっしょ……」

「んじゃ質問だ三浦。お前、今が好きみたいなこと言ってたのに、クラスが変わってから葉山に告白したんだよな? お前はいいのに戸部はダメってのはどうなんだ?」

「……、それは」

「グループだどうだって言ったって、自分がその立場に立ってみりゃ手のひらなんていくらでも返すもんだろ。……俺達のことは俺達で解決した。けど戸部は違うだろ。俺に謝罪とかはどうでもいい。お前らは“最初から振るつもりしかなかった茶番劇”で、何も知らずに真剣に雰囲気良くして告白しようとしてた戸部に謝れよ」

 

 ちらってヒッキーがあたしを見てくる。

 あたしは……何も言われなくても、首を横に振った。

 うん、ありがとヒッキー。

 あの時頑張ってたあたしにも謝れ、って言おうとしてくれたんだよね?

 でもいいんだ。あれはあたしが勝手にやったことだし、受けなきゃヒッキーのこと誤解することもなかったけど……それがきっかけで、あたしたちはもっとお互いを知ることが出来たから。

 そうだ、あたしたちのことはあたしたちで解決した。

 今さら誰かの謝罪が欲しいなんて、そんなことは全然ないんだ。

 

「結衣……すまない。グループからの依頼ってくれば、君が頑張ろうとすることくらい考えれば解っていた筈なのに」

「ん、それはもうほんといいから、苗字で呼んで、葉山くん」

「え───あ、す、すまない」

 

 不思議だなって思う。

 今まで平気だったのに、ヒッキー以外の男子に名前で呼ばれるの、嫌だ。

 

「それで、葉山くんはこれからどうするの? ヒッキーは───」

「おう、もうあの時のことはどうでもいい。解ってくれるヤツが居るなら、謝罪とか本当にどうでもいいわ」

「そっか。ヒッキーはこう言ってるけど、葉山くんは?」

「少し、関係ってものを欲張ってみようと思う。誰かの期待に応えるだけの道から、逸れてみるよ。それさえも、もしかしたら誰かに願われたからなのかもしれないが……俺にはもう、それが自分の意志なのかどうかさえ、解らなくなっているのかもしれない」

「頭ん中から“誰かが言ってたから”ってのを抜かして考えてみりゃいいだろ」

「そんな単純なことじゃないさ……染みつくものは、そう簡単に離れていってくれないからな」

「……“それを含めて俺”が廃るぞ」

「それならそれでいいよ。……それしか選びようがなかった、なんて。選ばなかっただけで、選択肢なんてあった筈なんだ。俺はただ、変わることを恐れていただけだ。保身なんて考えなければ、行ける場所なんて何処にでもある。罪悪感を抱き、憧れを抱いても、それが恋にならなかったのと同じだ。俺は雪ノ下さんに罪悪感を抱いて、陽乃さんに憧れを抱いて、それを自分の都合のいいように解釈していただけだ。そうした方が楽だから、って」

「……お前の出した答えを不誠実だって詰めるなら、そいつはさぞや納得のいく答えを出すんだろうなって……前は思ったよ。けどな、そんなもん、遠くから見てみりゃちっぽけな人間一人の考えでしかねぇんだ。納得もなにも、どれだけ答えを並べようがお前がそうじゃないって言っちまえばそれで終わる。お前が答えを出さなきゃ、どんな綺麗なものだって納得には繋がらねぇんだよな」

「ああ、そうだ」

 

 ……そっか。葉山くんの悩みはあの日のゆきのんに似てるんだ。

 自分では答えを出せなくて、誰かに言われたことをそのまま、みたいに。

 ただ、葉山くんは言われたことをやる、じゃなくて、期待されたことをするんだ。

 周囲が望む“葉山隼人”を行動して、“さすが”って言われては、またその“さすが”に追いつくように努力する。言っちゃえば、それだけ。

 

「でも、もう変わらないといけない。ずうっと変わらないままでいられるほど、この世界はやさしくないから。だから……ええと、雪ノ下さん。情けとかなしに、思いっきりお願いしたい。……あの時、君を守れなくてごめん。俺はあの時、みんなじゃなく一人を選ぶべきだった」

 

 葉山くんが真っ直ぐに雪乃を見て言う。

 雪乃は目を閉じて、すぅ、って息を吸うと、いつもと変わらない表情で世話話とかするみたいに言った。

 

「謝罪を受け取るわ。私もいい加減、引きずったままは嫌だから。あの日に言った通り、あなたも過去に縛られなくてもいいでしょう? ただ、だからといって仲良く出来るかといえばそれは、現時点ではありえないわ。私、あなたのその“みんなの期待のために自分を殺す”生き方、嫌いだもの」

「っ……ああ。……ああ……っ……! あり、がとう……!」

 

 雪乃の言葉に俯いた葉山くんは、絞り出すみたいな声でそう言った。

 そのまま腕で目の周りを拭って、優美子を真っ直ぐに見て───そして。

 

「優美子」

「ん、友達からね」

「ぐっ……! せっ……っ……せめて告白くらい……」

「散々待たせといて、もやもやさせといて、自分主動でいくつもりとか馬鹿にすんなし」

「……すまない」

「いーよ、惚れた弱みってやつでしょこんなん。……これから、いっぱい知っていかせてよ、隼人のこと」

「ああ。その……これから、よろしく」

「ん」

 

 短い返事だった。

 けど、優美子はどうしようもなく笑顔になっちゃう顔に、顔を赤くさせながら……やっぱり嬉しかったんだろうね。涙を流して、あたしに抱き着いてきた。

 

「はー……やっと納まるところに納まったーって感じですかねー。葉山先輩も、宙ぶらりんじゃなくてもっと踏み込める性格してたら、わたしももっと早くに別の恋とか探せたんですけどねー……。はー、急に世界が一夫多妻制とかになったりしませんかね」

「? えっと、一色さんは好きな男の子が居るの?」

「聞いてくださいよぅ戸塚先輩~、最初は恋に恋して、二回目は気づいたら~って感じでしてー……。でもまあ、どっちも本気になる前だったからよかったんですけど。告白して振られて泣いた経験はあっても、ただ心から青春してただけなんだろーなーって。そういう戸塚先輩はどうなんですか?」

「僕は恋より友情……かな。でも、いつかは夢中になれるくらいに眩しい恋とか……してみたいな」

「……戸塚先輩ってほんと乙女な感じですよね。いっそ男らしい女性とかと相性がいいんじゃないですか?」

「うーん……そういうのはまだ解らないかな。でも……やさしくて強くて、格好いい人がいいな。憧れなんだ、僕の」

(……それをどうしてハチ先輩を見ながら言うんでしょうね。いえ、まあ、解らなくもないですけど。……絶対に、生まれる性別間違えましたよね、この先輩……)

 

 優美子が落ち着くまでは時間がかかって、落ち着いてくれてからは……随分ゆっくりとお話をした。抱き着いてた優美子も元の場所に戻って、顔を赤くして。

 最初はぎくしゃくしてたけど、細かいことにヒッキーがツッコミを入れ続けてたら優美子も葉山くんも我慢しなくなって……もう、ほんと、どうしてそういうやり方しか出来ないのかな。

 そう思ってヒッキーとゆきのんを見るんだけど、楽しそうに笑ってるんだ。

 どうして、って訊いてみると、言われて気づく。あたしも笑ってた。

 自然すぎて気づかなかった。

 嬉しいんだ、空気がどうとか気にしないで、まっすぐにぶつかれることが。

 空気が悪くなっても全員がそれを崩して、あっという間にいつも通りでいられるなにかが、ここにはあった。

 

「はぁ……でも、驚いたよ正直。最初に君たち……奉仕部に依頼をしに来た時、随分とバラバラな関係なんだなって呆れもしてたんだけどな」

「そらそーだろ。ある意味で初対面じゃなかったとはいえ、ある意味では初対面だった俺達に、あんな短期間に馴染んで仲良くとかアホか」

「? ある意味で?」

「お前にゃ関係ねーよ。忘れろ」

「失言しておいて忘れろ、というのは随分と勝手な話ね、守秘義務怠慢くん」

「なげぇよ。やり直し」

「……不満くん」

「せめて四文字にしない? ねぇ、なんか不名誉な呼ばれ方なのにこっちこそすごい不満なんですけど?」

「えと、まん、まんがあとにつく言葉ー……」

「いや結衣も。わざわざ考えなくていいから」

「えー? いーじゃん。あたしも一度やってみたかったし。えっと、えとー……あ! ……えへへぇ……♪」

 

 思いついた。

 えーっと、こういう場合はヒッキーみたくゆきのんの真似をしながらのほうがいいよね?

 ゆきのんゆきのん…………口に出したらまた“雪乃よ”とか言われちゃうから言わないけど……うーん、いい名前だと思うんだけどなぁ。

 まあいいや、今は思いついたこと。

 

「こほんっ、……えーと」

 

 たしかこう、髪の毛をサラって手の甲で掬うようにしてー……ちょっとやりづらいけどこうしてこうして……。

 

「……これからも仲良く一緒に、温かい関係を作っていきましょうね、家庭円満くん」

 

 すこ~し、うっすらと笑うのがポイント。うん、たぶん。

 結構似てたんじゃないかなこれ……どう? ヒッキー、ゆきのん、いろはちゃん、さいちゃんっ、どうかなっ!

 

『…………』

 

 物真似から意識を戻してみると、葉山くんや優美子をふくめた全員が顔を真っ赤にしてた。

 ……え? なにこの空気。も、もしかして失敗しちゃった?

 

「いやおまっ……家庭って……!」

「?」

 

 え? 家庭円満でしょ? まん、まん~って考えてたらそれが浮かんできた。

 家庭円満。仲が良い関係ってたしかそれだよね?

 み~んな笑顔で仲良くて、それでそれで───…………あれ? 家庭? 家族?

 …………………………え?

 顔が一気に熱くなるのを感じた。

 

  途端、“あ”って顔をするヒッキーとゆきのん。

 

 口が震えて、涙がじわり。

 

  ヒッキーとゆきのんが人差し指で自分の耳の穴をふさいだ。

 

 堪えようとするのに体も震えて、恥ずかしさが爆発しそうになる寸前。

 

  ヒッキーとゆきのんが、こんなのを言われなくても解ってもなー、って目をあたしに向けて、苦笑い。

 

 で、あたしは叫んだ。うひゃーって。恥ずかしさのあまり。

 恥ずかしさで後悔して、机に突っ伏してるあたしに、いろはちゃんと優美子がいきなり大声をあげたことを叱ってきたけど、さいちゃんと葉山くんはヒッキーとゆきのんに“どうして解ったのか”を訊いてた。

 二人は特におおげさな説明とかをするんじゃなく、やっぱり解ってますって顔で苦笑いした。

 

「ま、そりゃあ」

「ええ、それは」

『仲間ですから』

 

 言ってからはドヤ顔。なんか悔しい。

 言われて嬉しいのがまた悔しい。あたしも隣で……二人に並んで、胸張って言いたい。

 胸を張ってるのは誇ってるからで、言われたあたしはその仲間で、なのに隣の自分が胸を張れてないのがなんかヤだ。

 だから立ち上がって椅子を持って、ゆきのんとヒッキーの間に置いて座って、あたしも胸を張った。……途端、ゆきのんとヒッキーに頭とか撫でられた。

 ち、違うよ!? そーゆーんじゃなくて! なんか違う!

 

「三人ともどんだけ仲がいいんですか……わたしまだそこまで理解出来てませんよ……?」

「い、一緒に居るようになって一年くらい……なんだよね? すごいね八幡……僕ももっと早くに、八幡に声をかけてたらな……」

「!」

 

 あ、ここだよね? ここ、いいんだよね? 胸張るところだよねっ!

 えーとえーとこうやって胸張って、胸の上あたりに右手とか添えるとなんかじょーひんっぽいかも……《なでなでなでなで》だだだだからなんで頭撫でるの!? 違うよ!? なんか違うったらヒッキー! ゆきのん!

 

「……なんか、あったかいね、あっち」

「……そうだな」

「あーしたち、まちがってたの……かな」

「それは違う。……断言する。俺達は俺達の付き合い方で、あんな関係が好きだったからそのままを望んだんだ。今日、こうして後悔することになりはしたけど、それまでの関係を否定するつもりは全然無い」

「隼人……」

「でも、もう“そのまま”もここまでだ。打ち明けなきゃ進めない。後ろめたいことに蓋をしたまま続けていても、そんなものは……仲がよさそうに見えるだけで、“仲間”とは呼べないんだろうから」

「……一発殴られるくらい、覚悟しとけばいーんじゃない? あとは戸部次第っしょ」

「優美子だったら、どうする?」

「自分の平穏のために人の恋路を邪魔しといて? しかもそれが最初っから答えが決まってる茶番劇で? グループの一人が居る部活の仲までぶち壊しにするかもしれなかった影響まで与えておいて、一発殴られれば終わるとか本気で思ってる?」

「………《スッ》」

 

 あたしが撫でられまくってる中、どうしてか葉山くんが降参のポーズをしてた。

 ヒッキーがなんか小さな声で「あの構え……トキ!」とか言ってたけど、なんだろ。

 

「実は……戸部なら、って……期待してしまっているんだ。あいつなら解った上で許してくれるんじゃ、って。それが俺の勝手な都合で、許してくれなければ逆恨みするんじゃないかって恐怖もあって。俺は、それが怖い。踏み込めば踏み込んだだけ拒絶されるのが、たまらなく怖い」

「はぁ……ほんと、男子ってアレだ。これじゃ結衣のほうがよっぽど強くて勇気あんじゃん」

「優美子?」

「あのさ、隼人。たったひとつのグループのことでそんな悩んでたら結衣はどうなんの。戸部と海老名のことで頑張って、それが茶番だったって知って。そんな茶番の所為で奉仕部での関係で苦しんで。みんなこっちがしっかりしてなかったから起きたことで、結衣はそんな状況の板挟み状態でも頑張ってたんしょ? なのにそのグループの中心がそんなんでどーすんの。あんたがそんなだから、結衣も抜けたんじゃないの?」

「………」

「ほら。しっかりしろし。ちゃんと前向いて、困難にも立ち向かってけ。男の子でしょ?」

「あ…………、───……ああ。そうだな」

 

 あ……反対側からやさしい空気が……。

 こっちは撫でられすぎてあわあわ状態なのに、優美子と葉山くんはやさしい空気。

 いいないいなってヒッキーを見てゆきのんを見ると、二人は視線を合わせて少し笑った。あたしもそれで解っちゃうあたり、くすぐったくて、嬉しくて。

 

「少し前の俺が今の俺を見たら、鳥肌サブイボ蕁麻疹でさらに呼吸困難起こして死ぬわ」

「私は私を否定し続けるだけだったのでしょうね。“世界を変える”という意味をきちんと噛み砕きもせず、言葉だけを信じたままで」

「あたしは」

『空気を読む』

「言わせてよぉ!」

 

 言いながら、三人でやさしい空気。そこに、そわそわしてたいろはちゃんとさいちゃんを招いて、何度だって知る努力から始めていく。

 

「んじゃ、結衣。あーしらそろそろ帰るわ」

「え? あ、う、うんっ」

「で、なんだけど……なんっつーかその……あの。結衣?」

「? うん?」

「……助かった。あんがと。結衣が居てくれて、よかった。……っつーか。……そんだけ。じゃ」

 

 なにを言われたのか、少しの間理解できなくて。

 ぽかんとしている内に優美子は早歩きみたいに引き戸に向かって《ガタタッ》……鍵がかかってることを思い出した。

 

「ちょっ! これなんで開けらんないん!? 普通外からだと鍵が必要ってだけっしょ!?」

「こんなこともあろうかと百均で買いましたっ☆《てへりィイイイん!!》」

「だったら早く鍵出せしぃいっ!!《かぁあああああっ!!》」

 

 言い残して出て行くって状況で、出て行けないのって恥ずかしいよね。

 優美子、顔真っ赤にしていろはちゃんを急かしまくってるし。

 あたしもようやくなにを言われたのか受け止めきれて、嬉しくて、恥ずかしくて。

 

「優美子っ」

「《びくっ!》……、~~~……そ、その……なに?」

「うん……あのね? あたしも……優美子が誘ってくれて嬉しかった。もう抜けちゃったけど……ありがと」

「───! ……~~《じわ……ごしごしごしっ!》……ん、どーいたしまして」

 

 それだけ。

 いろはちゃんが鍵を開けて、そこから優美子と葉山くんが出ていって……生徒会室に、ただただ寂しい感じの静かな空気が流れた。

 

「……行っちゃったね。葉山くんたち、上手くいくといいね」

「戸部がどう思うか、だろうな。けど───、……」

「? けど? ……八幡?」

「ん。……けど、な。偽告白でさえ、“負けねぇから”って頑張れるあいつだ。希望が詰まった考え方だけどよ、マイナス思考で受け止めたりはしねぇんじゃねぇの? やめておけって言われても踏み出したってことは、覚悟があってのことだろうし」

「そっか……。八幡はやっぱりすごいね。いろんな人のことをよく見てるんだな、って、そう思う」

「……見てても、動いてやらなきゃいけない時に動けないんじゃ、無駄に相手を傷つけるだけだよ」

「《くしゃり……》あ……」

 

 言葉と一緒に、やさしい手つきで頭を撫でてくれる。

 それがごめんなさい、ごめんなさいって言ってくれてるみたいで……やさしくて、あったかくて。

 もう、気にしないでいいよって伝えたくて顔を見つめると、照れくさそうに笑う。

 

「ああもう安心しきった顔して……! 可愛すぎでしょう結衣先輩……! あ、あの、わたしも撫でてみて……いいですか?」

「だめね」

「絶対だめ」

『断じてダメ』

「ハチ先輩は解りますけどどうして雪乃先輩まで言うんですか!?」

「どうして、って……その。……ゆ、結衣さん自身に私からそうしてくれればと言われているのは私だけなのだし、それにその……なんというか……あなたが私より結衣さんと親しくする未来は気に入らない。腹立たしいわ」

「えっ…………ぇええええええっ!?」

 

 驚いた。いろはちゃんが驚きの声をあげる中で、あたしはあたしの腕をぎゅうって抱き締めてくるゆきのんを見て顔真っ赤。

 だ、だって……いつかヒッキーに打ち明けたようなことを、まさかゆきのんに言われるだなんて思わなかったから。

 そ、そっか。ゆきのんも同じ気持ちだったんだ……。

 あたしも他の子がゆきのんと仲良くなりそうなの、嫌だったし。

 

「マジですかー……いえ、それがゆりんゆりんな関係だとは、わたしも考えたりはしませんけど……」

「べつにおかしな話ではないわ。愛だ恋だを語っているのではなく、あくまで関係、親友というものを大事にしたいというだけの話だもの。八幡くんが戸塚くんとの関係を大事にしたいと願うのと、そう変わらないわ」

「戸塚……」

「八幡……そ、そうだよね。僕達もその……親友、だもんね……?」

「戸塚……!《きゅんっ》」

「いえあの雪乃せんぱーい……? いいんですか? これと同列でほんっとにいいんですか?」

「八幡くんのキモさに目が行きがちだけれど、いい関係なのよ、これが。これだからいいの。大切にしたいと思い、思われるというのは……それこそがとても、大切なものなのだから」

「……でもキモさは認めるんですね」

「ええ。気持ち悪いもの《どーーーん!》」

「《ぐさっ》…………」

 

 ヒッキーが無言であたしの手を握ってきた。

 あたしはそれをやさしく握って返して笑う。

 ゆきのんもさすがに言いすぎたって思ったのか素直に謝ってたけど、ヒッキーに言い返されて少し涙目になってた。

 うん、素直に感情をぶつけるようになってから、二人とも結構涙もろくなった気がする。って、あたしもだ、これ。

 

「えと、それじゃあこれからどうしましょうか。そろそろ完全下校時刻ですけどー……」

「あ、うん。あたしたちはゆきのんの家でお泊まり会するんだけど───」

「それ聞くのも慣れてきましたよね……仲良しすぎでしょう、先輩方……」

「その。よかったら、だけれど……一色さんと戸塚くんも来る? 一色さんは女性で問題はないし、戸塚くんは、眠る頃には八幡くんが寂しそうだから」

「え、あ、あの……雪ノ下さん? 誘ってくれるのは嬉しいけど、その……僕は」

「……だな。信頼するあまり、無防備になるなよ雪乃。いくら俺と戸塚が草食っぽく見えてもだな」

「あら。あなたの結衣さんの胸を見る目は、いつだって肉食でしょう?」

「ひ、ひっきぃっ!?」

「誤解しか生まないこと言うのやめてくれます!? おぉおおお俺ほどのぼっちともなれば、たとえ心に獣を飼っていても、それもう獣っつーか鳥だから! 骨のないチキンだから!」

「それはそれでヘタレですよねー……」

「どうしろってんだよお前は……」

「あはは……うん、でも八幡の言う通りかな。僕もお泊まり会には憧れるけど、それはもうちょっと、ちゃんと僕を信頼してくれてからが嬉しいかなって。あ、じゃあいっそ八幡が僕の部屋に来る?」

「えっ《ポッ》」

「なにを頬を赤らめているのかしら? 八方美人くん?」

「ヒッキー……」

「うーわ恋人の前で最低ですねこの先輩……」

「いやおい待てこら、なんで浮気現場を発見しましたみたいな状況になってんだよ……」

 

 だって、反応がマジっぽかったし……。

 そう言ったら、なんか“本気でそんなつもりはなかったけど、そう見えてたならすまん”って謝られた。

 ……そうだよね、ヒッキーにとっては大事な友達だもんね。

 そういうところ、ちゃんと受け止めなくちゃだ。

 

「その、ごめんなさい。私も男の親友なんてあなたが初めてで……その、どう反応していいのかが、自分を制御できていないというか……」

「う、うん、あたしも……」

「……なんか、先輩方って恋愛も友情も初心者って感じですよね。三人だけだったら結構危なかったんじゃないですかね。共依存っていうんでしたっけ?」

「それに近いのはもう経験してるから、そうならないための努力はしてるんだが……まあ、否定は出来ないな。悪い、戸塚。俺もまだ浮かれてて……」

「あ、ううん、僕のことは気にしないでいいから。……雪ノ下さん、由比ヶ浜さん。僕も一年かけて、ゆっくり仲良くなれたらなって思うんだ。だから、今度はそう思えた時に誘ってくれると嬉しいな」

「戸塚くん───……ええ、そうさせてもらうわ。ありがとう」

「うん、さいちゃんっ」

「戸塚先輩ってほんと、理解力と包容力のある女性って感じですよね……。ほんとに女子だったりしたら、いったい何人に告られてたんでしょうね。ハチ先輩は当然として」

「女だったらそもそも俺に声なんかかけねーだろ」

「……まあ、ハチ先輩ですもんねー……」

 

 ……そうかな。さいちゃんだったら、話しかけてたと思うな。

 そうじゃなくてもテニス部の依頼がきっかけで、とかあったかもしれない。

 たまに、テニス部じゃなくて奉仕部に入ってたらどうなってたのかなーって思うんだよね。みんな、二年じゃなくて一年の時に出会っててさ、それで、全員で奉仕部やって。

 きっと楽しいんだろうな。二年の今頃じゃ、きっとヒッキーも元気にはしゃいでるんじゃないかって思う。

 

「えっと、それじゃあ雪乃先輩の家に? これから、でいいんでしょうか」

「ええ。それと───戸塚くん」

「え? なにかな、雪ノ下さん」

「───これから、私の部屋でお泊まり会をするのだけれど。よかったらあなたもどうかしら」

「…………えぇっ!? え、あの、ゆゆ雪ノ下さんっ!? さっきの今だよ!?」

「ええ。信じ方が少しアレで申し訳ないのだけれど、私はこの、警戒心が強い捻くれ者が無条件で信じるあなたを信じるわ。親友が信じるから信じる、なんて条件で悪いとは思うけれど……これをきっかけにして、知る努力が出来ればいいと思っているの」

「あ…………で、でも」

「お、おう。その……いいんじゃねぇの? ていうかだ、戸塚。お前、女性を傷つける趣味、ある?」

「ないっ! そんなのないよっ! いくら八幡でも怒るよっ!?」

「す、すまん……でも、答えは出てるなら、大丈夫だろ」

「あっ……! ……も、もう……八幡はこういう時、いっつも強引なんだから……!」

『…………《じとー……》』

「あの、やめて? “こういう時”とか“いっつも”って部分に、なんでそんな過敏に反応してんのお前ら……」

「でも、あの、雪ノ下さん、僕はやっぱり───」

「それなら一日生徒会長として、奉仕部部長として命令するわ。あなたを招待します。来なさい、戸塚彩加くん」

「う……~~……うんっ」

 

 こうして、さいちゃんも一緒ってことになった。

 きっと、あたしもゆきのんもヒッキーも、人との繋がりを、今……一番欲しがっているころなんだ。

 

「着替えとか取りに一度戻るよね?」

「あ、じゃあ待ち合わせ場所を決めて、一度解散しましょうか。どこがいいですかねー」

「駅前でいいか? っつーか戸塚と一色は平気か? 家が離れるなら無駄に金かかるだろ」

「べつに問題ありませんけど、行って戻ってっていうのはちょっとアレですねー……そこらで下着を買って、とかでもいいんですけどー……《ちらっ?》」

 

 下着、って部分をきょーちょーして、いろはちゃんがちらりとヒッキーとさいちゃんを見る。

 無条件に信じたいわけじゃなくて、でも、信じたい人が居るなら信じたい。

 押し付けるんじゃなくて、知る努力をして、知って安心して、安心してからもっと知って、言わなくても解る関係になりたい、って。

 でもそれも、相手がさいちゃんといろはちゃんだから出来ることなんだろうなって。

 そう思ってたら、ヒッキーがこほんって咳ばらいをしたあとに裏声でゆきのんの真似を始めた。

 

「……一色さん? 男子も居るのだから、少しは気を使ってもらえないかしら」

「……コホンッ、……ねぇちょっと? それ誰の真似? いやいや、ドヤ顔しても似てないからね?」

 

 それに対抗するみたく、次はゆきのんがヒッキーの真似を。

 

「二人して物真似するのやめてくださいよ!」

「私だけ真似られるのは負けているようで癪でしょう?」

「いや、っつーかお前なんなの? 俺の心でも読んでるような言い方じゃねぇの今の」

「気づいていないの? あなた、割とああいった言葉をぶつぶつとこぼしているわよ」

「……マジか」

「う、うん。わりと……」

「マジか……っとと、戸塚はどうだ?」

「あ、うん。僕は平気かな。ジャージも着替えもあるから。あ、今日は天気が不安だったから部活はなくて、洗濯したままだったから安心してっ? に、匂ったりはしないと……思う、よ?」

「ヒッキーは? 今日は?」

「持ってきてあるよ。朝からメールされりゃ、用意くらいするだろ」

「なんか慣れてる感じがキモいですよハチ先輩……」

「うっせ、ほっとけ。指摘されると恥ずかしいだろが……」

 

 これから始まる関係がどうなっていくのかは、始めてみなきゃ解らない。

 壊れてもくっつけて、崩れてもそこから始まるなにかに、怯えるんじゃなくて期待できるくらい、こんな関係に胸を張ってみるのもいいって思える。

 なにも知らないからそんなことが言えるんだーとか言われたって、ほんとに知らないんだからしょうがないし、それをするのは経験した人じゃなくてあたしたちなんだから……問題なのは、その先であたしたちがどう動くかなんだ。

 

「ヒッキーもいい加減慣れればいいのに」

「浮かれてる自覚がある内は、当分慣れなくていいって思ってんだよ。それもほっとけ」

「《くしくし》あ……う、うん。そだね。えへへ、そだね、ヒッキー」

「けどまあ……その内な。ずっとそのまま、ってのは、もう否定しちまったからな」

「うん。えと……えいっ」

「《だきっ》おわっ!? ……お、おい……」

「あたしたちの関係も……だよね?」

「~~~……お、おう……《かぁあ……!》」

「あーあー毎度見せつけてくれますよね、ほんと。小町ちゃんも呼んでいいですか? 是非ふたりでハチ先輩をつつきたいです」

「だったらもういっそドン引きするくらいいちゃついて───あ、いや、うそですそんな度胸ないから呼ばないでお願い」

「……ひっきぃ……?」

「……ァゥ……」

 

 あたしは……変わっても、あたしたちのままがいいって思う。

 そのままがいいとかじゃなくて、えと、なんていうんだろ。

 えっと……解んないや。でも、そういうのに期待が持てるっていうか。そうなるんだっていうのが解ってるっていうか。

 

「八幡くん? 恋人さんは期待しているみたいだけれど……?《じとー》」

「~……膝枕でも耳かきでも手櫛でも、頭撫ででも抱擁でも、出来そうなことならやるから……。そんな不安そうな顔すんな」

「ひっきぃっ……!《ぱああっ……!》」

「ああ、もう……」

「随分甘くなったわね。ふふっ……本当に“そういう時”が来たら、是非親友枠として呼んでちょうだい、家庭円満くん」

「仲人でもなんでもやってくれ、もう……」

「わあ……! 八幡はもう結婚する気なんだねっ!」

「へ? ───ぐっは!」

「…………《たしたしたし……prrr》あー小町ちゃん? うん、わたしわたし、いろはちゃんだよー」

「だから待てぇえっ! っつか、いつの間に番号交換をっ……!」

「さ、行くわよ八幡くん。親友でなければ出来ないこと、してみたいことがたくさんあるのよ」

「ほ、ほらヒッキー、行コ? あ、あたしもそういうの、期待してるけど……でもさ、その前にさ、恋人同士ですることとか、もっといっぱいしたいっていうか……ほら、ね?」

「それならわたしはアレですね。後輩として甘えられることの全てを体験する方向で」

「僕は……うん。僕も親友同士で出来ること、いっぱいしたいな。……いいかな、八幡」

「だぁ! もう! 好きにしろっ! 付き合えばいいんだろ付き合えばっ!」

「あ、ハチ先輩? 通話中の小町ちゃんが妹として頼めることの全てを体験したいって───」

「……結衣、みんなが俺をいじめる」

「ヒッキーのことが好きなだけだよ。だから……好きになっちゃえばいいんじゃないかな」

「好きに………………そか。そうだな」

 

 だから、あたしたちは変わっていく。

 “知らない”っていう不安に怯えても、見えない何かを求めながら。



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そこにある青春のかたち①

 そわそわそわ、そわそわそわ……そ、そわっ!? ソッワァア!!

 

「比企谷くん、鬱陶しいわ」

「なんで俺いきなり鬱陶しがられてんだよ」

 

 季節は夏。

 本日も大変良い天気に恵まれ、外は暑いったらない。

 そんな中、本日も喫茶ぬるま湯は普通に営業。

 ……なのだが、集中出来ない。

 何故って? ……結衣の出産がもうやばくて。その結衣も、陣痛と大激闘を繰り広げつつ入院中だ。なにせ双子らしい。相当リスクがあるとか言われている、あの双子だ。医師によれば結衣の場合は珍しくも安全に埋める流れらしいので、ほんのちょっぴりだけ安心できる要素はあるものの、結衣が帝王切開は嫌だと譲らず、現在も格闘中。

 なんかもう産まれるまで休業にして泊まり込みで付き添いたいのに「そんなのダメ」って結衣自身に言われちまって、ああもう落ち着かない、どうしてくれようか。

 

「くそ、なんで客が多いんだ。今日くらい暇でもいいだろおい……むしろゲリラ豪雨とかが来て、仕方なく休業って体なら結衣だって納得して……!」

「あなた毎日それを言っている自覚はあるの? ……それで? あなたはどうやって病院まで行くのかしら」

「ぬるま号で強引に」

「やめなさい。事故を起こして早くも未亡人にでもするつもり?」

「おいちょっと? さらっと言ったけど今確実に怪我どころか死ぬこと前提だったよね? 死なないからね?」

 

 男の俺には解らんことだが、陣痛ってのは相当痛そうだった。まさか喋られないほどだとは思わんかった。男じゃ痛みに堪えられないレベルらしい。すげぇ。

 陣痛カウンターなんてものがあること自体、最近になって初めて知ったレベル。

 雪ノ下母の提案で、初産なのだから陣痛が10分間隔の内でも病院に行った方がいい、とのことで送ったのだが……ああ気になる! 今頃苦しんでいるのだろうか……!

 傍に居てもしてやれることがないのは解っているが、助けたいのに助けられないことの辛さって尋常じゃねぇのな……俺の方が泣きたくなっちゃう。

 ……ちなみに、ぬるま号とは喫茶ぬるま湯にて、免許持ち全員に使用される店用の車である。主に買い出しや送迎などで使われる。

 

「しっかりしなさい。これから父親になる男がそんな様では、母親になる由比ヶ浜さんが安心出来ないでしょう?」

「いや……あいつなんでも我慢するから、不安になるなはちと無理だ」

「う……そ、そうね」

 

 あの妊娠からの長い月日、いろいろあった。

 妊娠が確認された秋からこの夏まで、それはもう。

 何度か入退院を繰り返したものの、基本はここで外出禁止令を守っていたわけだが……いや、それはもう凄かったぞ。双子のリスクについてを調べたり、調べた結果帝王切開じゃなくてちゃんと産んであげたいって言い出したり、体力ならヒッキーとジョギングとかでつけてるからだいじょぶ! とか言い出して譲らなかったり……まあほんと、いろいろあった。

 そんな結衣を支えるため、かつては専業主夫を目指したこの八幡さんが、ママさんをして“本当に主夫みたいね”と言わせるほどの尽くしっぷりを見せた。

 世話をすることが苦ではなく、むしろこいつのためになんでもしてやりたいって欲が沸きっぱなしでやばかったくらい。

 従業員さんからは仕事しろとそりゃもう言われまくりましたが、なにか?

 いや、手伝ってくれたママさんや小町や川崎やタイキックやけーちゃんには感謝感謝だな。川崎一家には本気で感謝だ。頭が下がる。

 

「むしろ比企谷くん、あなたこそ平気なのかしら。由比ヶ浜さんに付き添っている間、ほぼ眠っていなかったでしょう」

「仮眠に最適とされる時間を正確に取って、休める時にはしっかり休んだからな。問題ねぇよ。会ったばっかの頃にも言っただろ、基本高スペックなんだよ俺は。同棲してから始めた運動もずっと続けてるしな。ほれ小町ー、エスプレッソー」

「ほいほーい。あ、お兄ちゃん、4番さんモカケーキひとつ」

「あいよ」

 

 注文を受ければ内線を繋いで、一色の菓子工房に注文を飛ばす。

 用意が無いものは時間がかかるが、ここ数年でその時間帯に来る客層の好みも大分把握できた。

 なので、あまり時間はかけずに用意できている……と思いたい。まあ、とりあえず内線スイッチオン。

 カチリと押せば、ザッという音とともに繋がる、なんというかトランシーバー的な内線である。

 

「《ザッ》一色~、モカひとつ~」

『《ザッ》おまかせですっ☆ ていうか今日は注文少ないですね。お客さん少ないんですか?』

「《ザッ》まあ、ぼちぼち程度に来てるな。紅茶かコーヒー飲んで帰る客も結構居る」

『《ザッ》むー……それってわたしのお菓子が紅茶とかコーヒーに負けてるってことですか? ねーねーせんぱぁ~ぃい~、もっとPOPだしましょーよー、ケーキ美味しい~ってもっとアピールしてくださいよー』

「《ザッ》解ったから用意してくれ」

『《ザッ》なにか、お菓子が売れそうなPOP考えといてくださいねー?』

 

 一色は平常運転である。

 まあ、普通に振る舞うことで心配を減らしてくれてるってのは解ってるんだが。

 

「ほら比企谷、注文とってきたよ」

「お、サンキュ。そろそろ川崎も休憩入ってくれ」

「それはいいけど……いい加減バイトかパートでも雇ったら? あたしたちだって毎日手伝えるわけじゃないんだから」

「最初のバイト野郎が最悪すぎた。任せられん」

「彼女が勝手に誤解して店で修羅場ったってだけの話でしょ? むしろあのバイト、被害者側でしょ」

「誤解されるほど好かれてるなんてリア充すぎだろ」

「あんたが言うな」

 

 ぴしゃりと言われ、擦れ違うように伝票で頭を叩かれた。川崎はそのまま奉仕部へと引っ込んで、ホールでは小町とタイキックが動き回っている。

 

「お兄さん、注文取ってきたっす!」

「今さらだけどお前、大丈夫なのか? せっかくの休日だったんだろ? あとお兄さん言うな」

「ゲームで時間潰すくらいならって姉ちゃんに呼び出されたっす」

「……そか。まあ、ちゃんとバイト代は払うから安心してくれ。つーか、払わなきゃこっちがヤバい。経営方面で」

「そうなんすか?」

「労働してもらったなら親兄妹だろうが対価は必要なんだよ。ほれ、注文のブルーマウンテン」

「お兄さん! ナイスブルマっす!《ビッ!》」

 

 ……なんでこいつ、ブルーマウンテン受け取りながらサムズアップしてんの。

 

「……とりあえずお前の姉ちゃん呼んでくるわ」

「うわわわちょ、待ってくださいっす! 材木座先輩に注文と一緒によろしくってお願いされただけっすよ俺!」

「客って材木座かよ……結衣が大変だから、産まれるまでは大変だから来るなって言ってんのに……」

「仕方ないっすよ。戸塚先輩との打ち合わせ、絶対にここにしてるみたいっすから」

 

 戸塚が来てくれるのは嬉しいんだが、ここ最近に至っては少々余裕がない。

 世のお父さま方はすごいな、こんな不安の先で戦っていたのか。

 こうなると己が手で充実というものを勝ち取りし先人たちを尊敬せねばなるまい。

 

「………」

 

 しかしあれだ。あれだよな。あれだろ。ほら。……親父を褒めるのはなんだか癪なので、ヤツだけは気にしない方向で。

 ともあれ、妊娠したのが男でも女でも祝福して可愛がるつもりだ。

 時にやさしく時に厳しく、時にまったり時にのんびり、そしてある時には……と考えてみても、どう接するのがプラスとマイナスになるのか、想像がつかなかったりする。

 俺が親に…………実感湧かないもんだな、うん。

 

「比企谷くん、手が止まっているわよ」

「っとと、悪い」

 

 少しボウっと考え事をしていたら、どうにも手が止まっていたようだ。

 集中集中、遊んでて稼げるほど、自営業は楽じゃない。

 一色の言う通り、なにかPOPでも考えないとな……。

 

───……。

 

 

……。

 

 人が慌てる時ってのは、大体がろくなことがない。

 当然俺から言わせてもらえば、慌てる要因は自身のことよりも他人のことでの方が多いのだが───今回に限っては他人事ではなく家族ぐるみ、どころか知り合いぐるみ……いやこれも違うか。俺達風に言えば、“全部”ぐるみの一大事だった。

 まず病院から電話が来て端的に言うとそろそろヤベェ的なことを言われ、今何時だと思ってんですかとツッコむよりも全力で病院へゴーな心。

 既に営業時間は終わっていたし、むしろ今すぐ行こうとしていたところに連絡があったので、望むところだと臨んだものの、ぬるま号をかっとばそうとしたのにこんな時に限ってバッテリーが切れてたり。ぐっはぁ買い出し行った時にライトつけっぱなしだった!

 車が動かないからとバスか電車でとも思ったものの、すぐに乗れる時間のものはなく───ならば自転車だと立ち上がってみれば何故かパンク状態。……え? 慌てるな? 無理でしょう。

 川崎に連絡───しようとしたが、夜に用事があるって言ってたから無理。

 雪ノ下も一色も実家の用事があって出てるし、もう連絡は行っているだろうけどこっちに来てから病院へとなると遠回りにもほどがある。

 連絡をくれたのは小町だから、そもそも小町は病院だ。

 あ、やべぇ、これ詰んでる? 後片付けなんて後回しにして、俺も小町と一緒に行けばよかった……! 阿呆! 俺のアホウ! バッカじゃねーのほんとこんな時ばっかいろんなことが裏目に出るとか! ばかばかばーかばーか!

 などと、店の前で手段も人脈もない状況と自分に打ちひしがれていると、目の前に結構な勢いで滑り込むようにして、なのにビタァと綺麗に止まる黒塗りの車がひとつ。

 車から降りてきたのは───

 

「比企谷? どうした、こんな時間に外に一人で。ああいや、丁度良かった。少し酒に付き合ってくれないか」

 

 ───平塚先生だった。

 たまに飲みに付き合ってくれとやってきては、部屋をひとつ借りて泊っていく恩師である。

 さすがに飲んだ上で運転して帰ることは出来ないからと、一度泊めたのがきっかけだ。……というのも、初めて泊まったのがいつかの妊娠おめでとうパーティーの時だったから、追い返すとか無理だった。

 しかし今日はそんな偶然に感謝しよう。

 

「平塚先生!」

「お、おおっ? どうした? ───いや。なにか緊急か。乗れ比企谷、手短に用件だけを簡潔にだ」

「ノリと理解が早くて助かります!」

 

 下りてきたっていうのにすぐに車に乗り直して、俺が助手席に乗るのを確認するとすぐに発進。

 病院へと言うだけで察してくれたのか、オットコマエな笑顔を見せると凄まじきドライビングテクニックで急行してくれた。……制限速度を守って。うん、これほんと大事。

 

……。

 

 そうして病院へ到着した俺は、小町の誘導で分別室前へ。

 来るのが遅いと散々言われたが、先に説明を済ませていた平塚先生が事情を説明してくれると、これまたボロクソに日頃の行いがだの準備がだのと、既に来ていた雪ノ下や一色や、当然のことながら小町にも言われまくった。ちくしょう泣くぞ。

 

「泣くのはあとにしなさい。由比ヶ浜さんが待っているわ、あなたは早く中へ」

「なのにバッテリー切れとか自転車パンクとか、ほんとこのごみいちゃんは……!」

「いややめて小町ちゃん、今はほんとやめて。あ、ああいやいい、今は───」

 

 待っていてくれた白衣のおばさまに促され、分別室へ。

 そこで寝転がりながら苦しそうにしている結衣を見て、一瞬にして頭が真っ白に。

 駆け寄って声をかければ、汗だらけの顔で振り向いて、安心したように笑ってくれる。

 たまらず手を握るんだが、その時点でハッとした。

 出来ることがあるのか? やれることが、してあげられることがあるのか? と。

 苦しんでいるなら助けてあげたいとは思うが、なにをしてあげられるのかと。

 不安だらけの出産が始まる。

 いや、とっくに始まっていて、俺はそこに遅れてやってきただけなのだろう。

 苦しみから救ってやることも出来ず、応援なんてものが昔から苦手で、がんばれなんて無責任に言ったところでなにが変わるものかと考えていた俺にとって、そんな安っぽいもので何が救えるのかと……こんな時まで考えてしまい、それこそ泣きそうになってしまう。

 周囲では人が忙しなく動いている。声を出し、指示をして。

 俺にも「パパも声をかけてあげてください」って言ってきて、けど俺は……。

 

「ゆ、結衣……」

「んっ……、っ……んくぅう……!! ヒッ……は、はち、ま……!」

「~……ヒッキーでいい、気にっ……~~……気に、すんな」

 

 そんな、どうでもいいことしか言ってやれない。

 もっとあるだろ、なにかあるだろって考えるのに、助けてやりたいのに、どうにかしてやりたいのに。

 してほしいこととかあるか? なんて言えない。

 そんなことも解らないのにここに居るのかって自分でも呆れる。

 こういう時のためにネットで調べた体験談も、頭の中が白すぎて思い出せない。

 無力を噛みしめながら、悔しくて手をぎゅうっと握るのに、結衣はそれだけで安心するように微笑んでくれた。

 直後にはその笑みが苦しげに歪むのに、やっぱりなにも出来ない。

 ただ。

 ただ……強く握られれば返し、見つめられれば見つめ、微笑んでくれたならなっさけない顔ででもいいから微笑み返して。

 そこまでして、ようやく自分の中で“こいつが隣に居る日常”が戻ってきて───……その目を見て、してほしいなにかを受け取ることが出来た。

 

「……結衣」

「っ、ぐぅうっ……っ……っは、う、うぅっ……!」

「……が───がん───」

 

 応援は苦手だ。むしろ嫌いと言ってもいい。

 無責任に言葉を放ち、相手任せにして、期待通りにいかなければ失望される、そのきっかけの言葉。

 勝手に期待されて勝手に失望されて、そんなものを嫌って、呆れ、それをする相手に自分も失望して。

 しても、いいのだろうか。

 それは、許されるだろうか。

 なにも出来ないことなんてのは解ってるんだ。

 それを手助けすることも出来ない。

 ただ手を握って、信じられないくらいの力で握り返されて、それも強く握り返して。

 ただ、それだけの自分が、応援するだけなんて……許されるのだろうか。

 ああ、自分が嫌になる。

 こんな時にまで理屈を並べて、相手が欲しているものを素直に届けることさえできやしない。

 応援したところでなにになる。

 俺がなにもしなくても、周囲の人間がやってくれるだろ?

 

「───頑張れっ……!!」

 

 ……そんな、自分の中の醜さを、その一言でぶっ潰した。

 周囲じゃだめなんだ。

 こいつは俺に求めてくれた。

 受け取ってやるまで時間がかかったけど、結衣が欲しいって伝えてくれているのは“みんな”からのなにかじゃなく、“俺から”の応援で。

 見返りがほしいとかそんなものでもなく、ただその一言が欲しいだけなのだと。

 そんなの、高校時代からちっとも変わらないこいつの本心だから。

 どんな理由があるからじゃない。

 俺だから好きになってくれた結衣が望んでくれるなら、自分の中の醜さだとか捻くれた気持ちとか過去のトラウマなんてものも、どうでもいい。

 望んでくれたものを素直に贈れる自分であれ。

 俺は、もうこいつから……何度もそれを受け取っているのだから。

 

「頑張れっ……!」

 

 好きだ。

 

「頑張れっ、結衣!」

 

 あなたを愛している。

 

「っ……、うんっ……!」

 

 口で応援をして、目で想いを届けた。

 苦しいだろうに、苦しさで涙を流したままの顔で微笑んで、ぎゅううっと手を握ってくる。

 その手に力が込められるたびに声をかけて、逸らされない目をずうっと見つめ、集中した。

 周囲の音を意識から外すように。

 当然そんなことが出来るわけもないが、そんな願いがせめて早く、大事な人を苦しみから解放してくれるように。

 

……。

 

 手を握ってからどれほど経ったのか、必死すぎて時間の感覚も曖昧だ。

 けれど手に込める力は緩めず、応援も続けて、「汗を拭いてあげて」と渡されたタオルで、やさしく結衣の汗を拭いてやる。

 その過程で頭を撫でると、いつものようにほにゃりと微笑むのが、なんともはや、根性だ。ヘンなところで母は強しを体感させられた気分。

 旦那が居ると出産に集中しづらい、という記事も読んだが、望まれたならそこに居るのが正しいのだと、いろんな理屈や屁理屈、捻くれた価値観を放り投げてでもそう思うことにした。

 するとどうだろう……いや、どうだろうっつーか……もうこれ、なんというか、自分の中の変化がすごい。

 こいつは俺が守らなきゃっていう気持ちが、湧き出しすぎてすごい。

 今苦しんでいて、今なにも出来ないくせにって捻くれたものが浮かびあがるのに、それも鼻で笑って“そういうのじゃねぇんだよ、アホ”なんて返してやれるほど、その気持ちは強かった。

 強いから助けが必要なんじゃない。

 何かに強いからこそ、別の何かで助けてやらなきゃなんだ。

 母は強し。そりゃそうだ、そうじゃなきゃ子育てなんて出来るわけがない。

 

  母親なんだからそうして当然だ、じゃないんだ。

 

 親だって一人の人間だ。

 してやりたくたって、理解したくたって、なんとかしたくたって、出来ないことの方が多い。

 もうしたくなくて、理解したくなくなって、どうする気にもならなくなって、出来なくていいと放り出したくなっても、それが人間だ。自分の時間こそを大事にしたいって人が大半に決まっている。

 でも、親だから。俺達は、子を授かるのだから。

 当然だから、常識だからを実行するのではなく───ただ、親であることを。何かを育む心を、守りたいという心を広げてゆく。

 思い通りにいかないことが多いなんてことは、とっくに知りすぎて呆れているまである事実。

 届けたくても届かないことの方が多いことも、とっくに知っている。

 そんな覚悟がどれほどあったって、結局は体験したことのないことに喧嘩もするし泣きもするんだろう。

 

  それでも。

 

 ああ、それでもだ。

 頑張っていこう。

 守っていこう。

 傷つくことには慣れている。

 ステータスとか見ることが出来たなら、罵倒耐性なんて絶対にカンストレベルの八幡さんだ。

 お前達のパパは凄いぞ。

 今はなんにも出来ない、してやれないヘタレ状態だが、こう見えても基本は高スペックだ。

 お前達に、この世界を教えよう。

 お前達に、この温かさを届けよう。

 お前達に、ここにある幸福を、伝えよう。

 だから。

 

  頑張れ。

 

  お前達も、早く出て来い。

 

  ここに居るから。

 

  ここで、待っているから。

 

 声には出さず、赤子も応援するように。

 

「───」

「───」

 

 お互い、声はもう出さなかった。

 ただ見つめ合って、想いを目で伝え合って、微笑んで、苦しんで、なにも出来ないことに悔しんで。

 そして───産まれた命に、二人して涙した。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 一言。キモかった。いや、赤子はマジでエンジェル降臨だったわけだが。

 

「…………《ずぅうううん……》」

「ちょっとせんぱーいぃ……なんでそんな落ち込んでるんですかー」

 

 いろいろと済んだ現在。

 病院内の適当な椅子に座り、膝に肘を立てて顔を覆って俯く馬鹿一人。俺である。

 

「子供、抱けたのでしょう? なにをそんな、解り易い姿勢で落ち込んでいるのかしら」

「……いや……カンガルーケアっつったっけ? 産まれた子供を母親に、って」

「ええ、そうね。それが?」

「いや……安心した顔で、すげぇ綺麗な穏やかな顔で、結衣が子供……ああ、えっと、絆と美鳩を抱いてたんだ。その光景に見惚れてな……その」

「……あの、せんぱい? まさか」

「……看護婦とかが動き回ってる中で、“聖母だ”……って」

「───…………クフッ! ……っ……、~~~……」

「……雪ノ下、盛大に笑っていいぞ……。むしろ笑ってくれ、隠さず」

 

 死にたい。

 でも素直な感想だった。

 幻想的に見えたんだからしゃーないだろあんなもん……。

 

(双子か……)

 

 知らされてはいたものの、いざ産まれると驚くもんだ。

 一卵性双生児であり、姉を絆、妹を美鳩と名付けた。まあなんとも可愛い娘たちだ。

 

「そっ……それで、っ……こほんっ、…………由比ヶ浜さんは?」

「顔を真っ赤にして、それでも……その、なに。あー……ありがと、だって」

「……まあ、そうでしょうね。比企谷くんの失言なんて、由比ヶ浜さんにしてみれば日常茶飯事でしょうし」

「おい待て、いくら俺でもそんな毎日なんてしてねぇぞ?」

「しても指摘しないだけなのではないかしら。ある日、急に由比ヶ浜さんが笑顔になったり抱き着いてきたりして、理由も解らず困惑したことは?」

「…………」

「あー……これ心当たりがありすぎるパターンですねー……」

「そっとしといてくれ……」

 

 雪ノ下と一色にツッコまれ、心当たりがありすぎて泣きたくなった。

 あ、あー、そっかー、急に笑顔になったり、急に抱き着いてきたりしたのは失言の所為だったかー。いや、そういう場合って失言って言うのか?

 まあいい、なんにせよだ。

 

「結衣に会っていきたいんだけどなぁ……」

「疲れて眠っていると言っていたのだから、やめておきなさい」

「……と、泊まり込みとか」

「明日の仕込み、どうするんですかー」

「きゅ、休業を」

『却下』

「いや、けどな? ほら、アレがアレだしな?」

「どんだけ結衣先輩の傍に居たいんですか……」

「それが自然だと受け取れるほどには傍に居たい。むしろ一心同体であると公言したいまである」

「正直キモいです」

「《ぐさぁっ!》───!! …………《ずぅうううん……》」

 

 正直な感想が胸に鋭くゲイボルグ。

 ああ、胸が痛い。

 

「そろそろ小町ちゃんが手続きを終わらせてくる頃ですし、今日は帰りましょう。平塚先生が外で待ってるって言ってましたから、先輩はあんまり待たせちゃだめですよ」

「そ、そうか。悪い」

「シャキっとしなさい。これからは、本当に父親になるのだから」

「───おう。その覚悟なら、もう散々決めたよ」

 

 親、っていうよりは……やっぱり恋人、夫側の意識がまだまだ強いんだろう。

 守ってやりたいと強く思ったのが結衣なんだから、自分で軽く自分に指摘してみりゃ、図星もいいとこだ。

 それの方向を少しずつ変えて、きちんと娘も……絆や美鳩と名付けた赤子も、守っていけるように。

 

「……頑張れ、か」

 

 応援はやっぱり苦手だ。

 それでも……結衣の次に抱いた、あのやわらかくも頼りない命の重さを覚えている。

 頑張ろう。

 義務としてじゃなく、自分の意志で俺が親だって胸を張れるくらい。

 

   ×   ×   ×

 

 子供が産まれてからの日々は、なんとも甘ったるく、なんとも忙しい。

 

「仕事時間を短くしたいって何度思ったことか……」

「馬鹿なことを言っていないで手を動かしなさい」

「お兄ちゃーん、モカマロンケーキいっちょー!」

「あいよー」

「お兄さん! ブルマっす!」

「材木座には代わりにこっちのMAXもってけ。あと毎度言わされてるそのブルマもやめろ。客の目がおかしいから。あーほれ、客来たぞ」

「っす! って、葉山先輩じゃないっすか!」

「いらっしゃいませお客様。お帰りはあちらよ? 回れ右して帰りなさい」

「いやあの……俺はただ出産祝いを持ってきただけで……あの、毎回それ言うの、やめてくれないかな……」

 

 結衣が退院する前もしてからも働くことはやめず、しっかり稼ぐ。

 結衣と娘たちが退院して、その生活が少し安定してからは、子守にはママさんと……あろうことか雪ノ下母が参戦してくれて、危なっかしくも賑やかな日々を送っている。

 

「ほぎゃああっ! ほぎゃああああっ!!」

「あ、ああっ、ああぁあっ……! あ、あのあの由比ヶ浜さんっ……!? ここここういうときは、どどどうしたらっ……!」

「落ち着いて、雪ノ下さん。まずは落ち着くのよー。はい、吸ってー、吐いてー」

 

 ママのんが抱き上げた途端に美鳩が泣いてしまい、ママさんに頼って安心を得たり。

 親同士と娘同士では立場が逆な関係に、思わず笑みが浮かぶ。雪ノ下と雪ノ下さんは呆れたり笑ったりだったが。

 まあなんともそんな日々を続けている内に、かつては仕事ばかりで覚醒に至らなかった母性に目覚めたママのんがほんとヤバかった。もうね、美鳩のこと猫可愛がりといえばいいのか、超がつくほどデレッデレ。アータ仕事はどうしたの。あ、もう誰かに頼んであったんだっけ。

 

「………」

「あぅ……あむ……あーぷぃ……あーぃ……」

「…………《にへらハッ!?》……い、いけません。雪ノ下の女たる者、常に己を律して……」

「あぅ? あー、ぃー……」

「…………《にへら…………ハッ!?》……こほんっ、わ、私はべつに、だらしのない顔などしてはいません。ええ、いません」

「うぷふへへ~~~♪」

「~~……ぁああああ!! 由比ヶ浜さん! 由比ヶ浜さん!? 美鳩ちゃんが! 美鳩ちゃんが私に笑いかけてっ……!」

「ひぅっ……あぁあああん! びぁああああああん!!」

「ああああごめんなさい急に大きな声を出してしまってごめんなさい! な、泣き止んで!? 絆ちゃんも美鳩ちゃんも! ほ、ほーら、あぶぶばばー! ……ねっ? ねっ!?」

『………』

 

 時々様子を見に行く雪ノ下が、ひどくやつれた顔で戻ってくるのはどうしてなんだろうな。

 その割に雪ノ下さんが様子を見に行って戻ってくると、呼吸困難状態になってるし。いや、笑いすぎて。

 結衣はそんなママさんやママのんと一緒に、育児の勉強をしている。

 看板娘というか、看板妻が居ない穴を埋めるため、いつもよりも忙しいのは……まあ、産休扱い状態の頃にもう慣れた。

 そうした賑やかな日をひとつひとつ越えてゆき、少しずつ少しずつ、自分が父親になったっていう現実を受け止めてゆくのだろう。

 実感ってものを、現実の自分が居る位置まで持っていくのは難しい。

 “そうなんだって思うだけ”じゃ完全には自分ってもののピースとして嵌まりこんでくれないし、じゃあどうすればいいのかを教えてくれる人も居ない。

 こればっかりは自分で歩いて知っていくしかない、というのがパパガハマさんの言葉だ。

 

「……意外だわ」

「あ? なにが」

「小町さんに比類なきシスコンっぷりを見せていたあなたのことだから、子供にもべったりになると思っていたのに」

「子供に、それも娘にべったりな親がどれほどキモくて嫌われやすいか、親父で知ってるからな。軽く距離を置くくらいが丁度いいんだよ。これ、ぼっちの知恵」

「……そう。けれどまちがえてしまわないように気をつけなさい。相手はあなたのようなぼっち経験者ではなく、まだ親への甘え方も知らない赤子なのだから」

「……だな。忘れないようにするわ。その、さんきゅ」

「ええ。覚えておきなさい。親に構ってもらえないというのは、寂しいものだから」

 

 雪ノ下のそんな言葉を胸に刻みながら、それでも日々は流れてゆく。

 父親らしく、っていうのは案外難しいもんだが……というかしてやれることはやっぱり少なくて、だったら懸命に働こうと頑張れば頑張るほど、なんというかこう、娘に構ってやれる時間が少なくなるっつーか。

 いえ? まあ? 結衣に構う時間はどれだけ疲れようが取まくってるヒッキーですがね?

 かつての宣言通り、娘の前でもいちゃこらしまくりである。

 とはいっても娘に語り掛けるのも忘れないんだが……やっぱりしてやれること、少ないよな。

 

「あ、ヒッキー、お帰り」

「おう、たでーま。……絆と美鳩、もう寝たか?」

「うん。ごめんね、あたしも手伝えればいいんだけど」

「それは言いっこなしだ。むしろ子供の面倒の方が大変そうで、俺が手伝ってやりたいくらいだ」

「それも言いっこなしだよ。ママとか手伝ってくれるし、負担もそれほどないんだ。あ、でも夜泣きとかはちょっと大変かなーって」

「まあ、そうな。……でも」

「うん、でもだよね」

 

 仕事が終わって寝室に戻ると、言う言葉は“ただいま”。

 笑顔で迎えてくれる妻が居るって、なんか心がほっこり。

 知られた時は雪ノ下にも一色にも呆れられたが、目覚めと寝る前には必ずキスをする俺達は、娘の前だろうとそれをやめない。

 実に円満ってやつである。しゃーないでしょ、好きなんだから。

 そんな俺達が、欲しいと願って産まれた子供だ。

 夜泣きの所為で熟睡できないとか、そんなことは努力と根性と腹筋でなんとかする。

 

「ほぎゃあああっ!!」

「あいあーい……」

「《しゅばばばばっ!》……ぁぃー……」

「……ぐぅ……」

「もぎゃぁあああああっ!!」

「あいー……」

「《しゅばばばばっ!》……ぁぅー……」

「……ぐぅ」

 

 そんな日々にいい加減慣れてくると、夜泣きが来ても冷静にオムツを手早く変えたり、高速であやしたりと、ほんと夜泣きにも普通に対応。

 「ヒッキー、寝ながらオムツ変えててびっくりした」とか言われた時、オートで発動しすぎなお兄ちゃんスキル……もとい、お父さんスキルに驚いたもんだ。

 しかしながら当然辛いと思うことはあって、疲れが溜まりすぎると、

 

「…………結衣ー……結衣、結衣ー……」

「ひっきぃ……ひっきぃ、ひっきぃい~~……」

 

 二人でベッドに横になって、抱き締め合いながらごろごろしたりいちゃいちゃしたりするのだ。

 娘たちはママさんやママのんに任せて。

 大人になりきれてない部分がやっぱりどうしてもあって、そういう部分が弱音を吐いた時、俺達は互いに慰め合い、充電して、次の日に臨むのだ。

 

  首が据わり、ハイハイをするようになり───

 

 子供たちの行動範囲が広がった。

 油断していると何処に行ったのかが解らなくなり、ゴドシャーンと何かが倒れた音と、ママのんの悲鳴が聞こえれば、もう大体発見できる不思議。

 ハイハイで高速移動をする子供らを都築さんに指示して綺麗に録画してるママのん、パネェ。

 

  立ち上がり、歩けるようになり───

 

 行動範囲、さらに拡張。

 そしてママのん、今のところ皆勤賞。家のこととか大丈夫なのかこの人。

 あ、都築さん、ほんといつもお疲れ様です。

 

  時は流れ、保育園。

 

 待機児童が多いと噂される中、待つこともなく入れた絆と美鳩は、それはもうママのんに写真を撮られまくった。いや、ママのんが、というよりは指示された都築さんがだが。

 ママさんも“この歳で友達が出来たみたいで嬉しいわー♪”なんて嬉しそうにしてた。

 

「ぱぱー、ぱぱ、ぱぱー」

「お、どしたー、美鳩ー」

「おんぶー」

「さっき下したばっかだろおい……」

「おんぶー!」

「へいへい……絆はどうするー?」

「……《ぷいっ》……ままー」

「……なんでか絆が懐いてくれん……いやほんと、なんでだ」

 

 でもママのん、入園祝いってなんかめっちゃ高価そうなものとか贈ってくるの、やめてください。

 都築さん、荷物持つの手伝います。ほんとお疲れ様です。

 

  お遊戯会。

 

 周囲に同じ子供が居ると成長も学ぶ速度も速いもので、どんどんと吸収しては、自分の知識として蓄えてゆく。

 そんな中で一年ごとに開催される催し物も、去年とは明らかに違う動きを見せる娘に、随分と驚かされるものだ。

 あとママのんの燥ぎ様がすごい。なんというか……もうすごい。

 たぶん十人中十人、ママのんは絆たちの家族ではありませんって言われたら驚くだろう。

 そんくらい燥いでる。うん、マジすげぇ。

 あ、都築さん、カメラ捌き凄いですね。

 

  運動会。

 

 仕事は休めないのでローテで様子を見に行く。

 親と一緒に走りましょうって競技で走ったが、まあもちろん子供の速度に合わせれば疲れもしない。

 しかしながら顔が盛大にニヤケる自分に気づくと恥ずかしく、出来るだけ顔に出ないようには……出来てなかった。

 後でビデオ見たらえびす顔だったよ。

 都築さん、いつもカメラお疲れ様です。

 でも俺は撮らなくていいっすから。

 

  卒園式。

 

 ママのん感涙。

 泣く要素はなかった筈なんだが。ていうかほんともうこの人大丈夫か。雪ノ下家が心配になってきた。

 雪ノ下さんに相談してみたら、“声かけると孫が欲しいしか言わないから関わり合いたくない”って言われた。

 そんな雪ノ下さんの愚痴も受け止める都築さん、お疲れ様です。

 ママさんは普通にビデオ撮ってたな。ママさんはほんと、マイペースで助かる。ママのんもある意味マイペースではあるのだが。

 



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そこにある青春のかたち②

 

  怒涛の小学校時代。

 

 この頃になるとそりゃあもうやんちゃである。

 なんにでも興味を示すのは幼稚園時代からだが、その趣味の幅が広がりまくりで、三歩歩けばアレが欲しいって、そういうのばかり。

 しかしそこはガハマさん。

 無駄遣いは一切許さず、場の流れを完全に支配して興味の方向をあっさり変えると、仕事に戻ってくる。

 もぎゃーと駄々をこねようと、その駄々の方向さえも変え、きょとんとしている娘たちを寝室に置いてくると、普通に喫茶店の仕事を手伝ってくれた。

 もちろん聞き分けのいい時はいいので、そこまで世話を焼かずに済むようになった。

 そうなると自然とママさんやママのんに頼ることも少なくなり……いや、むしろ俺達が遠慮したんだが、ともかくママのんがぬるま湯に訪れることも少なくなり───

 

「都築。この辺りで働く社員に、休憩はぬるま湯で取るように指示してちょうだい。忙しくなれば人手が必要になるでしょう?」

「……奥様、ご自重ください」

「ああ……もう三日も会っていないのに……! はぁ、由比ヶ浜さんを誘って食事にでも行こうかしら……都築、車を」

「はっ」

 

 都築さん、本当にお疲れ様です。

 ところでそんな会話を偶然聞いてしまったあと、やたらと客が増えた気がするけど、気の所為ですよね?

 客が“雪ノ下建設”とか糸で縫った文字付きの服を着てるんですけど、気の所為ですよね?

 

  小学生ってのは多感なお年頃。

 

 経験があるからよーく解る。うん解る。

 しかしそれを、まさか父親目線で見守ることになるとは思わなかったな。

 などとしみじみ思う日々はまあ平穏と言えるだろう。

 時折起こるトラブルを見ないフリしてみれば、案外平和そのものと言えるのではなかろうか。

 

「ママ、ゆきのママ、いろはママ」

「え、えーと……なんだかくすぐったいですねー……あの、絆ちゃん? んー……きーちゃん? わたしはきーちゃんのママじゃないんだよ?」

「んーん、きずなにはママが三人。おねえちゃんはこまちおねえちゃん」

「んー……絆? パパは?」

「んん……パパは」

「パパはえいゆう」

「英雄!? え、と……美鳩ちゃ───みーちゃん? 英雄って……」

「はるのん言ってた。パパは、みはとたちのために、“にちやどりょくをしてる”~って。だからあんまりあそべない」

「みーちゃん……」

「でも、みはとたちがげんきにあそぶには、パパがえいゆうじゃなきゃだめなんだって。だからみはとはパパがだいすき。みはとてきに、それはとてもじゃすてぃす」

「ジャスティスって……はるさん先輩、子供になに教えてるんですかー……」

「別に言葉通りの正義とかそういうのじゃないよ? 折れない信念、曲げたくない大事な心があるなら、それをそう呼ぶのって教えただけだし。……まさか気に入られるとは思わなかったけど」

 

 一卵性はよく似るっていうが、宅の双子は案外似ない。

 ただミラーなんとか……なんつったっけ?

 ミ、ミ……ミラボレアスじゃなくて。あー……おお、ミラーツインか。

 鏡に映したように左右対称に育つってあれな。

 絆は結構元気っ子で右利き。

 対して、美鳩は結構静かで左利きだった。

 いっつも眠たそうな目をしてる。半眼って言えばいいのか? ぱっちり開くとやたら可愛いが、半眼状態をこよなく愛しているように見える。

 

  小学中盤。

 

 美鳩はなにかと俺の近くに居たがる。

 眠たそうな目をしているのに眠くはないらしく、読書が好きで未知に対して興味津々。

 対して……どうやら俺は、絆に好かれていないらしい。

 

「美鳩さんは比企谷くんのことが本当に好きなのね」

「傍に居て安心出来る人は稀少。学校にそれが無いからではなくて、パパだから心安らぐ。それは、美鳩的にとてもジャスティス」

「それに対して、絆さんは……」

「……………《じー……プイッ》」

「……本当に、随分と嫌われたものね」

「なんかな……結衣も自分も美鳩もほったらかしで、お前らと楽しそうに動き回ってるのが気に入らないっぽくてな……」

「そうね……確かにあなた、最近微笑むことが増えたわ」

「いや、ただ仕事が終わったら遊んでやろうとか考えてるだけなんだけどな。終わったら終わったで、絆寝てるし。だから起きて待ってた美鳩と遊ぶんだが、それを絆に見られて“自分とは遊ばないくせに”って誤解されてな……」

「あなたは昔から、人の誤解を自分に集中させるのが上手いわね……」

「今回ばっかりは狙ってるわけじゃねぇよ……」

 

 絆は結衣にべったりだった。

 結衣に、というよりは……結衣や雪ノ下や一色、川崎に小町にママさんやママのんにか。

 何故か男性陣には懐かなかった。だが、それがいい。

 

  そんな擦れ違いが逆転した日。

 

 とある日、盛大に喧嘩した。

 といっても俺からなにかを言うでもなく、絆の中のなにかが爆発したわけだが。

 二階の自宅スペースにて何故かいきなり怒鳴られた俺は、親としてそれを受け止めてやるつもりできちんと話を聞いていたのだが、ここで失敗した。やらかした。

 どうやら絆は本音のぶつかり合いをして仲直りをしたかったようなのだが……ああ、これは後から結衣に教えられたことな。

 だってのに俺は受け止めるばかりで、なにもぶつけない。

 それが悔しくて悲しくて、しまいには泣いてしまった絆。

 「もういい! パパのばかっ!」と言って駆けだしてしまい、涙で視界が歪んでいたのが悪かったのか───まあ、これは言っても始まらない。

 階下へ降りるための階段の一歩目を踏み外したのだ。

 咄嗟に壁に手をついて体勢を立て直そうとするが、そんなものが長く続く筈もない。

 しかしながら、かつての修学旅行、結衣を泣かせたまま見送ることしか出来なくて後悔した俺が、泣いて走り去る存在をただ見送る筈もない。

 後に悔やんだのなら二度とそれをしてしまわないようにと決めた覚悟があった。

 絆が駆けたすぐあとに走り出していた俺は、その勢いのままに跳び出し、絆の体を抱き締めた上で思い切り体を捻った。

 手を伸ばして掴んで、踏ん張ってじゃあ間に合わないかもしれない。

 自分も勢いを殺して掴むんじゃ、届かないかもしれない。

 だったら。

 自分も跳び、確実に命を抱き締めて、落下する。

 体を捻り、自分を下にして。

 

  やがて、けたたましい落下音。

 

 一度だけでは済まず、ごどどどどんっと連続して音を立てて階下までを滑り落ちた俺は、仰向けに倒れる自分の上に……きちんと絆が居たことに安堵して───突然の落下音に様子を見に来た足音を耳にしながら、意識を手放した。

 ……え? ああ、目覚めは病院だったよ。

 ハッと気づけば白い天井。知らない天井だ、とは言わなかった。

 だって入学式の日に見たもの。

 

「ひっきーのばか……ばか……! ばか……! ばかぁあ……!!」

「いやお前、そりゃないだろ……。娘助けたんだからもうちょっと……つか、語彙増やせ。なんで馬鹿しかねぇのお前」

 

 入院生活中、結衣にはそりゃもう泣かれたし怒られた。

 何度も謝ったものの、許してもらえるまでは時間がかかったりした……と見せかけて、とっくに許していて、ただ喧嘩ごっこみたいなのがしたかっただけらしい。見舞いに来てくれたママさんが言ってた。結衣の前で。あーはいはい、真っ赤になって騒ぐんじゃありません。

 心配してくれてるのはちゃんと解ってるから。

 ていうか“由比ヶ浜”の血を持つ女性を助けると足を折るって呪いでもあるの? ええ、また折れちゃいました。

 

  見舞いにて、絆にめっちゃ謝られた。

 

 もう凄かった。

 ビワーって、すごかった。

 それがきっかけだったのか、なんでか知らんが顔を赤くして俺の傍に居るようになり、やたらと触れてくるしニコリと笑うし。やだなにこれ、デレ期?

 

「パパはやっぱり英雄。絆を守ってくれた。家族を守れる存在は、誰の目にそうとは映らなくても、家族にとってはとても英雄。家族愛をとても愛する美鳩的には、それが、とても、鬼のようにジャスティス」

「鬼のように正義ってなんだよ……」

「……あ、の……パパ……」

「……おう。まあ、怪我が無くてよかったわ」

「……おこ、怒らない、の……? なんで……? 絆、パパに怪我させたのに……なんで……?」

「……《こりこり》……怒るだの叱るだの、底辺を自覚して生きてきたぼっちにやれとか、注文の難度が高いんだよ……。はぁ……絆。とりあえずこっちこい」

「《びくっ》う、うん……はい……」

「経験談からして、言われるまでもなく階段を下りる時はきちんと見える状態で下りよう、って誓っていることだと思う」

「うん……」

「言われるまでもなく、何をするにも言い捨てて逃げるのも卑怯だった、と自覚してるだろ」

「うん……で、でも」

「だから、親としてとりあえず一発な」

「え?《ごちんっ!》ふきゅっ!? ……、……~~~~っ……!?」

「~~……気をつけろ、このばかたれっ……! お前が死んだら、俺は泣くぞ……! 悲しいぞ……! どうして助けられなかったんだってずうっと後悔するんだ……! 一時の苛立ちに飲まれて全部を台無しにするような行動を取るんじゃねぇ……!」

「───……、…………~~~……」

 

 拳骨を落として、初めての説教。

 殴ったこっちの心が、もう死にたくなるほど痛かった、初叱り記念日。

 絆は殴られたところを両手で押さえて、涙をこぼして……でも、きちんと俺の目を見て、逸らさずに受け止め、頷いた。何度も何度も。

 ……あとから結衣に聞いた話だが、あの場で“お前が死んだらみんなが悲しむ”なんて言おうものなら、余計に嫌われていたかも、らしい。きちんと自分の気持ちだけをぶつけてきてくれたのがとても嬉しかったんだそうだ。

 ……そういや俺、“俺は泣くぞ”って……自分の中にある言葉しかぶつけなかった。

 まあ、そりゃあ、ぼっちでしたし。自分のことだけぶつけるのは得意ですよ?

 

  で、まあ。これがきっかけでデレたようで。

 

 退院してからも喫茶店に復帰してからも、気づけば美鳩とともに、俺のうしろをちょこまかついてくるようになった。

 代わりに俺が結衣のことを構いまくっているわけだが。あ、これはいつものことだった。

 

「…………~♪」

「《ぎゅー……!》ひゃ、ひゃわわっ……ひ、ひっきぃ? あのっ……絆も美鳩も見てるっ……」

「おう」

「や、やっ……おうじゃなくってさ、えと、あの……!」

「かつての宣言通り、俺は娘の前だろうが結衣が好きだ。大好きだ。愛しているを通り越しているのにそれ以上の表現がないから愛していると言わざるをえないまである」

「あぅううう……!!《かぁあああ……!!》」

「パ、パパ……パパ……! 美鳩も、美鳩もハグを要求したい……それをされたい願望と期待は、誰に侵されることのない美鳩のジャスティス……!」

「ママはいっつも抱き締められているのですから、こういう時こそ娘を抱き締めるべきだと思うのですよパパ!」

「断る」

「なんか真っ直ぐ断られた!?《がーーーん!》……ひ、比企谷くん? 今すぐその手を放し、私を───」

「似てない。やり直し」

「あぅうっ!?」

「………」

「《よじよじよじ……》いやちょっ……美鳩!? なんで背中に上る! つーかその上り方には無理がっ……!」

「ママの居場所が腕の中なら、美鳩はパパの肩を選ぶ……それが美鳩的にそこはかとなくジャスティス」

「不満ありすぎってことじゃねぇかそれ……」

「だ、だったら絆は腕です! えーとえーと……せ、せんぱ~い、わた」

「似てない。やり直し」

「うわーん!」

 

 家族仲が安定すると、一気に日々は賑やかに。

 結局のところ、絆もどうすればいいのか解らず、結衣や雪ノ下や一色に相談を続けていたらしい。

 いろいろな案は出たものの、まっすぐ伝えるのが一番だって結論が出て、ぶつけてみたけど受け止めるだけな俺。

 本音で語り合いたい人にとって、俺の性格ってすっげぇ面倒臭いんだろうなぁ。

 だからって好んで合わせたいとは思わんのだが。

 むしろ、俺が雪ノ下の真似をしたことで、絆が物真似に興味を持ち始めたって話を聞いた時は素直に驚いた。

 嫌ってたわけじゃなく、どうぶつかっていけばいいのかが解らなかったんだそうだ。

 そのことについては、雪ノ下にも一色にもハッキリと“俺の性格が悪い”と言われた。

 ……俺が悪い、って言われるよりも地味にダメージがデカかった。

 

  娘たちが、なんか知らんけど俺の好みを必死になって知ろうとしている。

 

 情報収集から始め、アニメが好きだったと知れば過去のアニメなどを調べ、小説も好きだという事実を思い出すと小説家である材木座に相談。

 アニメの円盤などを持ってきたりなどして、そこからアニメを知っていった。

 なにを思ったのかパンを作るなどと言い出して、ティッピーパンにチャレンジしたりしていたな。失敗して一色に怒られていたが。

 

「パパ!」

「パパ……」

「ん? どした? もうちょいでお客さん切れる時間帯だから、話があるなら───」

「パパ、プリキュアが大好きってほんと!?」

「ほんと……?」

「ざぁああああああいもくざぁあああああああああっ!!」

 

 声が裏返るほど絶叫した。

 しかし娘たちに嘘をつくつもりはなかったので、大変恥ずかしかったが客と従業員が居る中で、俺はそれを肯定してみせたのだった。

 ……なんか知らんが客から「あんた勇者だ!」とか言って拍手喝采を受けたが。

 これくらいで勇者なもんか、俺より上級者はもっといっぱい居る。

 

「パパ……この訳、とても難しい……とても」

「訳? 英語かなんかか? まあパパも必要最低限を必死こいて覚えた程度だから、役に立てるか解らんが───えぇとなになに?」

「ん……“次の言葉を正しい日本語に戻しなさい”。……この石段は【シュー】ウイ悲しみ。1が1歩ずつしっかり噛むのが極上です」

「ワニムじゃねぇか! なんでこんなのの訳とか真面目に勉強してるんだよ……」

「絆と問題を出し合った……。パパレベルにまで達しているなら解る筈と煽られて、美鳩としては立ち向かうことをとてもジャスティスとした。負けられない戦いが、そこにはあった……」

「……べつに俺、それを見たことはあっても全部覚えてるとかじゃないぞ?」

「……!?《がぁあああん……!!》…………騙された……」

「はぁ……今夜時間取るから、あまりおかしな方向に走るなよ。な?」

「《なでなで》ふわぁああぁ……!? ……パパのなでなで……とてもジャスティス。もっと撫でてほしい、もっと、もっと……!」

「へいへい……」

 

 いっつも眠たそうな半眼をしている美鳩だが、撫でるととろんととろけ、時折目をぱっちり開ける。

 不意打ちに撫でた時とか特にだな。

 しかしまあ、なんだ。

 こうまで喜ばれると、かつてぼっちを歩んだ俺でもニヤケてしまうもので。

 それについてを日々指摘され、雪ノ下や一色にからかわれる日々だ。

 ……まあ、ほんと。楽しんでるからいいんだが。

 

  小学卒業、中学へ。

 

 順調に日々を楽しみ、中三にもなるともう結構な一人前な感じ。まだまだ子供だーって見ちまうのは親だからだろう。

 まあそれはそれとして……最近、美鳩が雪ノ下さんと話しているところをよく見かけるようになる。

 あの人も今なにやってんのかね。

 海外の方で仕事を持ったって聞いたけど、なにしてるのか教えてくれないし。

 しかし雪ノ下さん自身が店に来ること自体が案外少ないために、それ以外の時間は俺にべったりな美鳩。

 とっくに店のツイン看板娘として働いてくれている。

 

「……いらっしゃいませ。ご注文を」

「オアッ……き、キミ可愛いね?」

「……そんな商品はありません」

「いやそうじゃなくて……あの、バイト? 仕事が終わったらさ、ちょっと会わない?」

「……人間として“合”いません」

「そ、そんなこと言わないでさぁ~」

「……ご注文がないのならお冷をどうぞ。それを飲んだらお帰りください……それはとてもジャスティス」

「なにそれ? きみ面白いねぇ! あ、俺は───」

「~~……! ……~~……!」

 

 丸トレー(サービストレーというらしい)を両手で盾にするように構え、ふるふる震える美鳩さん。

 どうにも美鳩は胸が大きく、男子の目を集めてしまうためか、静かな性格も手伝って男嫌いになりつつあった。ていうかたぶんもうなってる。

 なので男の客への対応の大体は絆がやるんだが、このままではいけないと慣れようとしてみればこんな客である。

 しかしそんな場所にザッと現れ、救ってくれる存在。その名も───「お客様。おいたは感心しません」……都築さん。

 今日も今日とて客としてやってきていたママのんとともに店の中に居た、我らが苦労人……もとい、なんでも屋みたいになっている苦労人……もとい、…………やっぱ苦労人だ。

 

「よりにもよってこの喫茶店で、それも可愛い可愛い美鳩さんをナンパなど……───恥を知りなさい、下郎」

「……奥様、お下がりください。ここは私が」

「な、なんだよあんたらっ! 俺は客だぞっ!?」

「おや。私の記憶が確かならば、貴方様は注文もせず、その場で言いたい放題を繰り返していただけの筈でございますが。あくまでナンパ目的であるならば、それを客とは呼べませぬ」

「うっ……! な、なんだよ! いいだろうが! こんな可愛い娘っ───あ、あれ? ちょ、あれ!? 何処にっ……」

「パパ……あの男が話を聞いてくれない……。会話をしようともしない人と一緒に居ることは苦痛でしかない……! この解答は美鳩的に至極ジャスティス……!」

「あーはいはいジャスティスジャスティス。だから俺が行くって言ったろーが……」

「頼り切りだと一人前の女性とは呼べない……。そんな自分を克服してこそ輝く美鳩……とてもジャスティス」

「へいへい」

「《なでなで》んゅ……! パパ……ぱぱー…………~……♪」

「《ぎゅー》……おう」

「なんかいちゃこらしてる!? つーかパパ!? お、おおお……! でっへへへお父さーん!? 娘さんを俺に───」

「喝ぁああああああっ!!」

「《ビビクゥッ!》オォアァアッ!? ちょっ……なんだよあんた! なんっつー声……!」

「誰があなたのような男性に大事な大事な美鳩さんを! 己が身の程度というものを知りなさい!」

「お、奥様……!」

 

 ママのんがキレた。

 いや、俺もさすがにふざけんなとか言いそうになったが、その前にママのんが叫び、その男は都築さんに写真を撮られた上で出禁になった。

 それにしても喝、って……。スゲー迫力だったけどさ。

 苦労するだろうなぁ、美鳩も、絆も。

 俺と結衣は当然ながら、ママのんにさえ気に入られる男じゃなけりゃ、結婚どころか交際さえ認められなさそうだ。

 

  ───そして。

 

 その話は、少し前から聞いていた。

 絆は聞かされていなかったようで、それはもう怒ったり喧嘩したりだったが───

 

「美鳩……陽乃さんの紹介で外国の高校に行くってほんと?」

「はいママ。美鳩は未知を知り、大人の女性を目指します。得た知識で親を支え、家族の愛をもっと深めていきたい。美鳩にとって、それは揺るがないジャスティス」

「……本気、なんだ」

「会えないのはとても寂しい。離れて辛いと思える寂しさ、それは苦しくても心が死んでいない証拠。とてもジャスティス」

「でも、何年も会えなくなるんだよ?」

「……“家族だからだいじょぶ”。離れていても、繋がっている。姉ではなく、それをそう呼ぶ言葉が美鳩は大好き。だから、これはジャスティス」

「美鳩……」

「絆。……美鳩はほんのちょっぴり、狭い世界を広げてくるね。帰ってきたら、その広がった世界をぶつけるから。そしたら、絆は美鳩にこの愛しい世界をぶつけてほしい。それは、美鳩にとって得難いジャスティス」

「…………相談してくんなかったのがすっごい嫌だった」

「言ったら絶対に反対する。もしくは一緒に行こうとする。それはダメ。“絆”はちゃんと“絆”でなきゃ、名前の意味がない。それを否定する心、家族のジャスティス」

「……~~……でも……」

「美鳩は鳩だから旅をする。旅をして、また帰ってくる。ここには美鳩の八幡宮があるから、美鳩の帰る場所はここ。美鳩に豆をくれるのはいつだってパパだから、ここしかない。でも、食べるのは“みんなで一緒”。ぽっぽっぽー。それが家族。それがジャスティス」

「うっ……ひぅうっ……みはっ、美鳩ぉお~~……!」

「……外国で得た未知で大人になった美鳩に、パパはきっとメロメロ。途中からデレた貴様なんぞに入る隙なんぞないと思え、とか煽ってみろと言われたので煽ってみる。ウフフ」

「なんかいろいろ台無しだ!? だ、誰!? 誰に言われたの!?」

「大人の女性は多くを語らない。これ、わりとジャスティス《にこー》」

「ぐっ……! わ、わかったわかりましたよ! だったら美鳩が外国でぼっちを続けてる中、絆はみんなの絆になって家族愛を守り通して見せますよ! だから───」

「うん、だから」

「……さっさと未知なんて知り尽くして、回れ左で胸張って帰ってくるがいいのです……」

「……ん。家族の鼓動は左胸。胸張る時は左を前に。やり遂げたなら左から、尻尾巻くなら回れ右。……安心して欲しい、絆。家族だからだいじょぶ。美鳩はちゃんと、やり遂げて帰るよ」

「……ジャスティス?」

「ん、とてもジャスティス」

 

 曲がらない想いを二人で誓い合い、姉妹は喧嘩したと思えば仲直りした。

 卒業から出発の時までをいつも以上に姉妹仲良く過ごし、俺達とも存分に話し合って。

 空いた穴を埋めるために、そこになにかを置きたい、と美鳩が言い出し、それならと……雪ノ下の強い推薦もあり、猫を飼うことに。

 名前は……まあその、あれだ。……ヒキタニくん。

 

「パパ……美鳩はさらにパパの写真を所望したい」

「俺のと言わずに家族の集合写真でも持っていきゃいいだろ」

「……! それはとても、とってもジャスティス……!」

 

 写真も撮った。

 向こうへ行っても寂しくないようにと、ぬるま湯従業員一同と、川崎姉弟や雪ノ下さんやママさんやママのん、戸塚に材木座、平塚先生に……あー、それから葉山。

 え? 撮ってくれた人? ……都築さんである。ありがとうございますほんと毎度毎度。

 

「しかし、こうしていると比企谷達の高校時代を思い出すな。君たちは本当に、雪ノ下と由比ヶ浜によく似ている」

「うーん……髪型の問題では? わたしこと絆は、雪乃ママのように長い髪を愛しているので」

「……美鳩的には、短めの髪でサイドテールこそジャスティス」

「ふむ。お団子にはしないのか? 長さも丁度あの頃の由比ヶ浜のようなのに」

「ママがパパに助けられた出会いの時、していたのがこの髪型と……まことしやかに囁かれている。つまりきっかけこそが全ての始まりであり、家族の愛を築くための原初にしてジャスティス」

「そうか。いいなぁ青春……ま、私も今さら結婚がどうとか足掻いたりはしないがね。そういった縁がなかったということだろう」

「んん……子は無くともパートナーは欲しい、という人を探せば、それが相手にとってもとてもジャスティス」

「ん、そうか。その手があったか。さすがにこの歳で出産、というのは、自分の体にも負担がかかるし、成長すれば子供も嫌がるかもだからな……よし、探してみるか」

「結婚を度外視するのなら、我が家のパパとか、すごく、とても、ジャスティス」

「元教え子を愛人に薦めるな、馬鹿者」

 

 平塚先生は相変わらずだが、結婚願望はそれほどでもないらしい。

 がっつかなくなり、余裕が出来てからは結構声をかけられることも多くなったとか。

 ただ、相手も年齢を聞くと驚くらしい。

 由比ヶ浜の家系に限らず、若く見える人が多すぎるんだよ、俺の周り。

 

  そんな賑やかさも、いつかは欠ける。

 

 散々と騒いで楽しんで、しかし、その日が来れば嫌でも別れはやってくる。

 娘がやりたいことがあるなら、背中を押してやるもんだと強がりはするが、正直寂しくて仕方がない。

 それをなんとか押し込めつつ、ママのんにボディガードは確実とお願いして、やがて───雪ノ下さんと、ママのんとともに海外へと旅立っていった。

 ……っつーかママのん、頼んでおいてなんだけど、何故アータまで。

 え? 旦那の都合で行く予定があった? ソ、ソウデスカ。

 

「帰ってきたら、雪ノ下家の娘として洗脳されてたりしてな……」

「ふふん、問題ありませんよパパ。美鳩は強い子です。なにより家族を愛する美鳩が、ママのん相手だろうと負ける筈がありません」

「まあ、そうな。んじゃ、お前もこれから総武だし、頑張らんとな」

「お任せですっ☆ 美鳩が居ない分、絆が盛り上げていきますよ! なにせ、ここには美鳩が愛した世界があるのですから!」

 

 ……こうして。

 この喫茶店から一人が旅立った日々が始まった。

 入学式までの間はいろいろとドタバタして、自分のことでもないのに親があーだこーだ言って、まあ……そういうものも楽しんだもの勝ちってやつなんだろう。

 ママのんが居ない分、高校の入学式とかは静かになりそうだ。

 都築さん、今年はせめてのんびりできることを祈ってます。

 

   ×   ×   ×

 

 そんなわけで。

 

「パパ! 実はわたしは過去からやってきたパパの恋人の娘なんだよ!」

「いやそれ当たり前だからね? 四月馬鹿するならもうちょい設定捻ってから出直してこい」

「……ザイモクザン先生が大ヒット!」

「こんだけ長く小説家出来てりゃ、そりゃあな。むしろすげぇよマジで。作品の何本かがアニメ化とかした時は、自分のことのように祝ったもんだ」

「好きな人が出来ました!」

「今すぐ連れて来い」

「空気が一瞬で変わった!? も、もうパパ~、ウソだよ嘘、えへへー♪」

「おう、俺も嘘だ」

「うわーんパパのばかー!!」

「というのが嘘だ」

「どっち!? う、うー……! こんな嘘をつくなんて……! かくなる上は家出して───」

「そうか家出か。今日はハニトーパーティーだったんだが」

「ただいまパパ!《どーーーん!》」

「ちなみに嘘だ」

「パパのばかぁあーーーっ!!」

「はぁ……あなたたち、営業中なのだから少しは静かにしなさい」

「仕方ないよゆきのん、今日はお客さんも巻き込んでのエイプリルフールイベントだもん」

「一色からの提案でノったはいいが、これ、俺ばっかり苦労してない? 客のどいつもこいつもが嫁さん紹介しろだの娘をくださいだの……」

「……そんなことないもん《プイス》」

「? 結衣?」

「由比ヶ浜さんも、旦那をくださいと言われたりしているのよ。というかせっかくの嘘を許すイベントだというのに、そういったものばかりなのはいただけないわね」

「まったくです。まだ子供連れのお客さんの子供の方が、ウソのセンスがありますよ。ていうかいろはママ、絶対に自分が参加しないからこそこの提案しましたよね……」

「あいつはあいつで退屈してるんじゃないか? んー……《ザッ》一色、好きな菓子作っておやつにしていいぞ」

『《ザッ》せんぱ~ぃい、遅いですよー。せっかく内線なんてものがあるんですから、もっと頻繁に嘘とかついてくださいよー』

「《ザッ》……何気に楽しみにしてたのな、お前」

『《ザッ》さすがに工房に一人だと、嘘つく相手も居ないので退屈です。きーちゃんは来てくれますけど、面白いくらいに騙されすぎて逆に退屈です』

「《ザッ》……なにお前、一色に嘘つかれまくったの?」

「嘘? いえ、エイプリルフールが終わったらラズベリータルトをごちそうしてくれると言われたくらいです。楽しみです。絆、やる気に満ち満ちてます。むふーん!《キラーンッ♪》」

「……それ、嘘だからな?」

「えぇええええええええっ!?」

「というわけで、嘘は大成功してるぞ」

『《ザッ》大満足です。きーちゃんは素直ですよねー。ほんと、どうして先輩からこんないい子が……』

「《ザッ》おいやめろ。……っと客来たから切るな?」

『《ザッ》はーい。今度は注文をくださいね。客が少ないならきーちゃんをこっちによこしてください。お菓子作りを教える約束がありますから』

「《ザッ》はいよ。……よし、んーじゃあ」

「はちまーんっ、仕事が休みだから普通に食べに来たよっ」

「おおっ……戸塚!」

「お久しぶりですさいねーちゃん! さーさー席に案内します! お水ですメニューです!」

「え、わ、わ、うん、あ、ありがとう絆ちゃん……」

「いえいえ! 今日も綺麗です!」

「き、綺麗っていうのは……喜んでいいのかなぁ……。あ、サクサクワッフルセットをモカで。それと───えと」

「?」

「は、……八幡を、ひとつ」

「ママー! ワッフルセットモカと、パパいっちょー!」

「わわわわっ、由比ヶ浜さんに言ったらだめだってば! 嘘! 嘘だから絆ちゃんっ!」

「さいねーちゃんは美人ですからそういう冗談は危険なのです! もっと自分がどれだけ綺麗か自覚してくんなきゃ困ります!」

「え、っと……絆ちゃん? 僕男───」

「もー、嘘はもういいですって」

「えぇえっ!? いやあのっ、そうじゃなくてっ、何度も言ってるけど僕っ……」

「戸塚、よく来たな」

「あ……八幡……《ほっ……》」

「───絆センサーが発動しました。パパが来た時のこの安心しきった表情……! さいねーちゃん、やっぱりさいねーちゃんは《ぐわしっ》はぷぶっ!?」

「ほれ、いーからワッフルの手伝いしてこい」

「い、いくけどっ……うら若き娘にアイアンクローはどうかと思うんだよ、パパ……っ」

 

 なにかしらのイベントがあれば騒ぎ、イベント毎になにかしらをやるんで、客足も案外賑やかだ。

 そのイベントのたびに遊びに来る知り合いも、あれで結構暇なのかもしれない。

 毎度やってきては、写真とか撮らされている葉山とか特にな。……おう、ママのんの指示らしい。お疲れ。

 え? 都築さん? ……海外でも大活躍中らしい。ほんと、振り回されっぱなしで心配だ。

 



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そこにある青春のかたち③

  数日後には入学式。

 

 入学式の日には俺が無理矢理同行し、車に注意することを厳重に言い聞かせつつ。

 弁当は結衣が作り、持たせた魔法瓶には特製ブレンド。要望があれば紅茶も。

 昼食の時間にそれらで女子がフィッシュされたらしく、放課後に早速友達になった女子を連れてきた時は苦笑しか出なかった。社交性の高さは結衣譲りだな。あと一色仕込み? なんにせよ、ぼっちではないらしい。

 そんな調子で日々を元気に騒ぐ娘は、日に日に様々を学び、身に着け、すくすくと成長している。

 

「いろはママ! 誕生日おめでとー!」

「ありがとうきーちゃんっ、さあさあ先輩? 先輩も遠慮せず祝ってくれていいんですよ?」

「これでまたひとつ歳をとっ《どすっ》おぼっ!?」

「ほんっと先輩って結衣先輩以外にはデリカシーのかけらもありませんね! どーしてそういう言い方しか出来ないんですかー!」

「エホッ……やめっ……おまっ……! 予告もなしに腹パンとか……!」

「その男にデリカシーを説いたところで、空気に溶けて消えるだけよ。一色さん、いい加減に学びなさい」

「むしろそこは先輩が学んでデリカシーを身に着けてほしいところですよ……」

「まあその、冗談だ。お前ほどじゃねぇけど、ケーキも用意したから許してくれ」

「えっ……先輩が作ったんですか!?」

「いや、結衣が」

「……短い人生でした」

「どーいう意味だ!? ちゃ、ちゃんと美味しく出来てるってば! ヒッキーと一緒に作って、味見もしてもらってるし平気だから!」

「ええ。一色さん? それはきちんと美味しいから安心していいわ」

「そ、そうですか。雪ノ下先輩がそう言ってくれるなら………───……“それは”?」

「ちなみに最初にママだけで作ったケーキは、チョコレートコーティングをしたわけでもココアパウダーをまぶしたわけでもないのに黒かったです。綺麗に梱包してザイモクザン先生宛にファンからのプレゼントとして贈ろうとしたら、さすがにやめとけとパパに止められました」

「そんなことしようとしてたの!?」

「ふんわりケーキを目指して作られたのに、ナイフを入れるとザキョキョ、バリィとまるで包丁でハードな麩菓子を割るような音が鳴って、その際のパパの感想が“斬新なエアインチョコだな”でした」

「ヒッキー!!」

「いや俺悪くないだろ!」

「そうね。食べ物と比喩しただけでも最上級のやさしさだと思うわ」

「ゆきのんひどい!? う、うー……!」

「はぁ……もう。わたしの城で失敗は許さないんですけど……お祝いされて怒るほど子供じゃないですし。《ぱくっ》……ん、む……はい、このケーキ、とっても美味しいですから、許しちゃいます」

「《ぱああっ……》いろはちゃんっ……!」

 

 4月16日。

 一色の誕生日ということで休業。

 ケーキを焼いたりプレゼントしたり、全員でどっかに出かけたりと、それはもう楽しんだ。

 誰かの誕生日には大体こうな。おう、毎年こんな感じ。

 

「屋根よーりーたーかーいー鯉のーぼーりー! おおきーいー真鯉ーはーおとうーさーんー! 風が無ければ輝けぬ鯉ども……笑止! さあ絆が支えておいてやるのです! ぽかんと開けた口から風を喰らい、ぷるぷる震えておるがよいわー! あっはっはっはっはー! パパー! 屋根の上で鯉のぼり振り回すのたぁああのしぃいいいいっ!!」

「飾るだけって言っておいてなんで振り回してんだお前はー! いいからさっさと下りてこーい!!」

「ねぇねぇヒッキー。なんで鯉のぼりの歌って“おかあさん”が居ないんだろね」

「解釈はいろいろあるけどな。歌が作られた時代とか鯉のぼりが作られた時代じゃあ、女性が前に出ることが許されなかった~とか、緋鯉を母として数えてなかったからとか。ただまあ、家族として見るならよ。……ええとその、なに? ……お母さん視点で歌ってるから、ってことで……いいんじゃねぇの?」

「ヒッキー……」

「まあ、今じゃ普通に真鯉はお父さん、ってところが省かれて母親の歌にされてるバージョンもあるそうだし、立場逆転で一気に日陰のお父さんとかまさに俺な。だから、まあ。見守るのは交代交代ってことでいいだろ」

「……うん」

「ああっ! またパパとママがラブラブしてる! ふふん、しかし絆は気の利く娘です。夫婦仲が円満だというのに、泣き叫んで邪魔をする赤子とは違います。……美鳩、美鳩……届いていますか。姉の名の下、あなたにピピピ電波を送ります。我らが家族愛は、いつだってMAXですよ……!」

 

 5月になれば子供の日に娘を祝い妻に感謝し騒いで燥いで。

 きっちりと美鳩にプレゼントを送ったら、きちんと子供の日のうちに届いたようで、当日に国際電話で感謝された。

 

「あー、その……なんだ。元気にやってるか?」

『ん……今、とても元気。パパの声はやっぱり安心する。美鳩的に揺るがぬジャスティス』

「そか。友達とかは───」

『ぼっちを貫こうとしたらシンディに捕まった。うるさい。とてもうるさい。でも賑やか。だけどうるさい』

「そ、そこまでなのか……って、名前からして訊くまでもないが、女なんだよな?」

『シンディはオカマ。“ジャパニーズ・オネエ”と言って譲らない。ことあるごとに“なによ!”って言い出してうるさい。あとうるさい。とてもうるさい。……賑やかなのだけは認めてる。あといろいろと気が利く。でもうるさい』

「……主だった感想がうるさいばっかりなんだが」

『喩えを出すなら忍んでない上半身裸の頭巾師範のようなうるささ。すごい漢感満載。あとうるさい。お化粧とか人一倍うるさい』

「ああ……そりゃうるさそうだな……」

 

 美鳩も向こうで楽しくやっているらしい。

 出来た友人がうるさいのだけが悩みの種だそうで、その種が雑草並みに芽吹きまくってぐったりしているんだとか。

 用意された住居には雪ノ下さんとママのんとで住んでいて、そこで花嫁修業めいたものも学んでいて、“帰る頃には何処に引きこもっても恥ずかしくない専業主婦……!”と言っていたことは、他の誰にも知らせずにおこうと思う。

 

『たまに、遠く離れていても愛情を感じる。それはたぶん双子の特権。あると信じていればあるんだから、それはきっと、とてもとても尊い、親に感謝すべきあたたかなジャスティス』

「……おう。ま、大型連休でも入ったらたまには戻って来い。アメリカは三か月も夏休みがあるって聞いたが、そっちはどうだ?」

『ん……あるとは思うけど、今年は帰らない。一年目からやると、たぶん癖がつく』

「そか。解った。……結衣か絆に変わるか?」

『それもいい。パパの声で充電完了。家族愛は絆を通して届いてるって思い込んでおく。そっちのほうがきっとジャスティス』

「わかった。じゃあ、健康には気をつけてな」

『だめ。まだ切るのだめ。早すぎる。まだ第二充電が完了してない』

「完了って言ってただろうが……はぁ、まあいいよ。客が来るまでは好きなだけ付き合ってやる」

『……? この時間だと、そっちはとっくに───』

「パパー!? お客さんすごい! めっちゃすごい! もういっつも忙しい時間帯なのになんで長電話なんて《ぐわしぃっ!》はぴょっ!?」

「はっはっはー、絆ー? 今すっごい暇だなー?」

「だからパパッ……! 娘にアイアンクローは……! あぐっ……はごぉっ…………!」

『…………うん。ありがとう、パパ。大好き』

 

 絆とは違い、俺の傍から離れずに早くからコーヒーについてを学んでいた美鳩は、日本の専門学校ではなく海外で学ぶ方向で歩を進めた。

 雪ノ下さんと話していたのはそっちの相談であり、卒業と同時に資格がもらえる場所を選んだとかで、その意志は固そうだ。

 学校でも学び、家でもそっち方面の勉強をして、頭のなかをコーヒーだらけにしつつ生活しているのだとか。

 「比企谷くんが嘘とかつかずにきちんと教えたお蔭で、基本は出来てるから」とは雪ノ下さんの言葉。そりゃまあ、コーヒーのことで、しかも実の娘に、嘘とかないだろ。

 料理のことも菓子のことも、雪ノ下や一色に訊いて覚えたし、川崎や小町に教わったことも様々だ。俺の味覚については結衣にたっぷり仕込まれたっぽいが、まあそれが向こうで役立つかって言ったらNOだろう。

 ただ、男と話すのが苦手な美鳩であるから、バリスタとしての会話能力には不安が……とか相談したら、雪ノ下さんが「じゃあ比企谷くんが言うところの強化外骨格の付け方でも仕込んじゃおっかな~」とかいやちょっと待て! 待って!? 待ってください! あいつにあんなもん仕込まれたら俺を含めた家族が泣くのですが!?

 

  母の日。

 

 散々と騒ごうが忙しかろうが、イベントはやるのがぬるま湯根性。

 全然ぬるま湯じゃねぇ。しかしやる。

 

「ママ! ハッピー母の日! えーと……ママには赤! 雪乃ママには白で、いろはママにはピンクです!」

「俺からは全部だ。いつもありがとうな、結衣」

「わ……え、えへへ……毎年ありがとうね、ヒッキー、絆」

「今年はきちんと花言葉も調べました! ぬかりはありませんっ、むふんっ!」

「あ、そういえばきーちゃん、去年は全員に赤を渡してたっけ。先輩? カーネイションの色別の花言葉ってなんでしたっけ」

「そこで俺に振るなよ……」

「じゃあ雪ノ下先輩に訊くので先輩はもう用済みですからどうでもいいですごめんなさい」

「あのちょっと? そっちの意味でも振らないでくれます?」

「カーネイションの花言葉は赤が真実の愛、白は尊敬、ピンクは感謝と言われているわ」

「へー……丁度三人でそれっぽく纏まった感じですよね、わたしたち。そしてその全部を結衣先輩に渡す先輩……」

「な、なんだよ……べつに嘘はついてねーぞ? 感謝してるし尊敬してるし、なにより好きだし大事だし深く愛しているまである」

「あーはいはい、もう解ってますから」

「……俺に近しい人って、なんで慣れてくると対応が小町的になってくるんだろうな……」

「慣れたからでしょう? つまりそれが一番楽なのよ」

「嬉しくねぇ……」

 

 しっかりと美鳩からもカーネイションが届けられて、結衣も雪ノ下も一色も顔を緩ませていた。

 なんとも、我が家は思いやりに溢れている……かもしれん。

 「あっ! ママのんに送るの忘れちゃった! どうしようパパ!」「おまっ!?」……なんてことがあり、慌てて送ったが遅れた所為でママのんが落ち込んだ、という情報が美鳩からの国際電話で届けられた。どんだけうちの娘好きなのあなた。

 荷物が届いていないかを何度も確認させられたらしい都築さん、毎度お疲れ様です。

 

「《べりゃあっ!》……さらば5月……! 貴様のカレンダーとしての役目は今終わった……! そしてフフフ、今年も来た……6月! ジューン・ジュンジュン・ジューンジューン! パパパパ! ママの誕生日、今年はどうしよう!」

「その前にわんにゃんショーもな。毎年、わんにゃんショーと誰かの誕生日は休業日だから絶対に行く。行かなきゃ雪ノ下の精神テンションがヤバい」

「あー……一度どうしても行けなかった時、大変だったもんね……」

「あの時はこの世の終わりみたいな顔してたな……」

「うーん、でも……今年は美鳩が居ないのかー……それだけが残念だよ、パパ」

「だな……あいつも毎年楽しみにしてたから」

 

 六月。

 誰かの誕生日がある月になると、どうしてもテンションが上がる。

 それが家族のものならば余計にだ。

 絆は学校の方で中間試験があったらしいが、余裕で乗り越えた。

 燥ぎっぷりは馬鹿っぽいのに、普通に頭はいいんだよな。結構天然でポカやらかすだけで。

 

「東! 京! わんにゃんショーーーッ!! 猫よ! ああ犬よ! 絆は! 絆はまた来ましたよ! スマホカメラオーーーン! 映像を撮って美鳩に送るのです! さ、さあパパ! まずは何処から行こう!? 犬かな! 猫かなぁ! うえへへへへ……!」

「はいはい落ち着こうねー絆ちゃん。動物好きなのは解ってるから。ほらほらよだれ、ちゃんと拭く」

「え!? よだれ!? うわわほんとだ……! ありがと、小町お姉ちゃん」

「とりあえずお前は雪ノ下と猫に行っとけ。俺は結衣とのんびり回るから」

「えー!? 今年も!? う、うー……あの、パパ? どうしてもっていうならそのー……う、うさぎからでも……いいよ?《ポッ》」

「その言葉のどこに頬を赤らめる要素があるのかがまず解らん。いーから行け、ほれ」

「うさぎはいっつも発情してるとかどっかで聞いた気がして……」

「わざわざ言わんでよろしい」

「そうそう。ほらきーちゃん、さっさと行くよー? 先輩たちには先輩たちのペースがあるんだから」

「あの、一色さん? 私にも私のペースが───」

「雪ノ下先輩のペースに合わせてたら、猫だけで一日が終わっちゃうじゃないですかー」

「うぐっ……」

「雪乃さんって猫のことになると長すぎますからね。あ、今はどうなんですか? 新しく猫を飼ってるんですよね? なんていいましたっけ」

「ヒキタニくんですよ小町お姉ちゃん!」

「いつ聞いても“うわー”な名前……もうなにやってんですか雪乃さんがついていながら」

「意見を出す前に決められていたのだから仕方ないでしょう? ……これでも何度も却下したのよ」

 

 東京わんにゃんショーには従業員全員+小町で出動。

 毎年のことながら、賑やかなことだ。

 小町が自分のことで喫茶店を手伝えなくなってきてからは、こうして集まることも珍しい。

 それでも時間が取れればこうして楽しみ、全力で遊ぶわけだ。

 

「……んじゃ、行くか」

「……うん」

 

 わんにゃんショーに出掛ける時、結衣は手首にいつかの首輪を巻いてくる。

 今では誰の首にも巻かれない、細工してアクセサリになった綺麗なそれは、かつて俺が贈り、サブレがつけていたものだ。

 わんにゃんショーに来て、燥がないわけじゃないが……別れを経験してからは、その燥ぎ様は半分も湧かず、やさしい顔をして犬を撫でるだけだ。

 

「なぁ結衣。犬はもう───」

「うん。もう、飼わないよ。意地になってるだけなのかもしんないけど、サブレだけにしたいから」

「そか。……まあ、飲食店で多くの動物を飼うのはってのもあるが……それは気にするなよ。飼いたいって思ったら遠慮すんな」

「それ考えると猫を許可したのは驚いたかな。どうして飼おうって思ったの? 美鳩が外国に行った寂しさの穴埋めってだけじゃないよね?」

「まあ……絆なら無理矢理にでも順応するとは思ってたから、ペットはいらなかったんだろうけど」

「じゃあ?」

「絶対にそうしろとは言わないから、その……あれだよ。あー……傍に居てくれるもののあったかさ、忘れねぇで欲しかった。目ぇ逸らしたくなるほど恥ずかしいし、なに言ってんだこいつって内容かもだが、その、なんだ。……本心だよ」

「ヒッキー……」

「別れを泣いてくれるのは嬉しいんだろうけど、よ。今の、今日まで一緒に居る俺の意見を届けるならな。……泣いてほしくて、そんな笑顔をしてほしくて隣に居るわけじゃねぇんだ。いっつも感謝して、隣に居てくれて嬉しくて、隣を歩けて幸せで。出会ってくれてありがとうとか、好きになってくれてありがとうって感謝はあっても、その先でいつか先の別れにどっちかが泣くとしても……引きずるなって言いたいんじゃない。泣くなって言いたいんじゃねぇけど……笑みを濁らせないでくれとは、絶対に言えるんだよ」

「あ……ぅ……」

「お前がそのー……ヒキタニくん? を妙に避けてるのは知ってる。猫は居なくなるからって、それだけの理由じゃなくなってることも、まあ」

「うん……」

「なにかが居なくなったから“ハイ次ね”ってのは違うって、まあ……俺にも解る。愛していた何かを忘れて、ってのも無理だから、それもなんか違うよな」

「……ヒッキー?」

「その、だから、ようするに。もし、だが。もし俺が死んで、お前がいつか別の男と、って考えると、化けて出る自信がある。お前がもし死んで、いつか俺がってなったら、俺は自分が嫌いになりそうだ。その場の感情理論なんてこんなもんだけどよ、結論出すなら仕方ねぇんだよな。そうできるように出来ちまってる」

「………」

「それでもだ。我が儘は言うぞ。お前にはもっと笑っていてほしい。そうすることでまたいつか泣くことになっても、泣きながら、そいつとの楽しい思い出を思い浮かべられるような、そんなお前であってほしい。言っててキモいが、その、あれだ。一応、本音だ」

「………」

「………」

「ヒッキーは……相変わらずずるいね」

「まあ、そうだな」

「あのね? あたし……あれからね? ゆきのんからさ、猫の……習性? 聞いたんだ。聞こうと思ったわけじゃなかったんだけど、喋り出したら止まんなくてさ」

「……じゃあ」

「うん。子供の頃はただ居なくなるだけって思ってた。あんなに仲良しだったのに、いきなり居なくなるんだって。少し成長してからは、死んじゃいそうになるとそんな姿を見せたくなくて居なくなるって聞いて、誤解してたことが悲しくて……馬鹿だなあたしって後悔して。でも……」

 

 ……猫は死期を悟ると、主人の前から居なくなる。よく聞いた話だ。

 しかし実際は違っていて、怪我などをした場合や病気になった場合、外敵に襲われぬように安全な場所を目指し、移動するのだという。

 怪我や病気の時に狙われればひとたまりもないからだ。

 が、多くの場合はその安全な場所で傷が悪化、病気が悪化し、そのまま戻れずに死んでゆく。

 その他にも、安全だと思って休んでいても、そこが必ずしも安全ではなく敵に襲われる可能性だってあるため、傷つけられ、弱り、動けず、やがてそのまま。

 猫ってのは自由で、家で飼っていてもすぐに外に出てしまう。

 当然、そこで怪我を負えば安全な場所を求めるが、じゃあ家の中に居ればいいのにと思っても、果たして傷を負った猫や病気の猫にとっての“構ってくる主人”が敵ではないかといえば、人間だけの考えを押し付けるには荷が重い。

 だから自分が感じた安全な場所……主人も来ることが出来ない狭い場所などを選び、そこで休み、悪化し、やがて。

 

「野良猫……だったんだもんね。子供だったあたしたちがさ、遠慮なく撫でまわしたりしてれば、怪我してたり病気だったりすれば、ゆっくりなんて出来るわけなかったんだ。なのに勝手に苦手意識持ってさ。遠ざけて……後悔して」

「結衣……」

「ヒッキーの“知って安心したい”って言葉、すっごく解るんだ。あたしももっと、知ろうとすればよかった。そんな後悔があってもさ、やっぱり怖いんだよ。自分より先に死んじゃうなにかを受け入れるのが」

「まあ、そだな」

「サブレ……さ。少し顔見せないとすぐあたしのこと忘れたり、忘れてるから威嚇したりだったけどさ。最期の時、苦しそうに悲しそうに鳴きながら、あたしの顔を舐めたんだ。助けたいのになにも出来なくて、抱き締めることしか出来なくて」

「……おう」

「でもね、絆と美鳩を産む時にさ。ヒッキーが泣きそうな顔であたしの手を握ってくれて。やっと、ちょっとだけ解った。なにも出来なくて、泣くことしかできない人が、それでも傍に居てくれて……嬉しかったんだ。なにも出来なくて悔しいって泣いてるヒッキーに、あたしはそれでも、ありがとうをいっぱい届けたかった。いっぱいキスして、いっぱいありがとうって言いたかった。……だからさ」

「………」

「えへへ……あたしもずるいや。自分で見ないように、考えないようにしてたくせに、自分で考えて、組み立てて、口にして……やっと今気づけた。あたしさ、サブレに“なんで死んじゃったの”とか“なんで居なくなっちゃうの”とか、そういうのを言いたいんじゃないんだ。サブレもさ、あの時に鳴いてたのは悲しいからとかそういうんじゃなくて……手を握ってくれてたヒッキーに、あたしが言いたかった言葉とかで……」

「………」

「《くしゃり》ん……今度サブレに謝らなきゃ。誤解しちゃってごめんって。こっちが誤解かもだけど……」

 

 くしゃりとやさしく髪を撫でると、結衣は儚げに笑ってそう言った。

 確認する方法なんてなくても、“せめて”を思えば前を向ける。

 俺から言わせてもらえば、“前”だけが正しいなんて誰が決めたんだ、って話だが……それでも。必要なんだよ、人には。前を向くって行為が。じゃなきゃ進めねぇから。

 けど、だからこそ、一度前を向いて、なにかを飲み込めた人間ってのは強い。

 強いから……

 

「ね、ヒッキー。サブレは強い主人と弱い主人、どっちが好きだったと思う?」

「いや、お前威嚇されてただろ。お前って時点で好かれてねぇんじゃねぇの?」

「そんなことないったら! キモい! ヒッキーキモい!」

「キモくねぇよ。つーか俺のキモさ今関係ねーでしょ」

 

 言いながら、いつかを思い出しながら、こつんと額をくっつけ合って、長く長く息を吐いた。

 で、言うのだ。それでいいんじゃねぇの、と。

 

「いいのかな」

「いいだろ。強いとか弱いとかじゃねぇよ。俺も同じだ。お前だから好きになった」

「……うん、あたしも。ヒッキーだから好きになった」

「お、おう……だから、いいだろ、それで。お前だから威嚇しようが、お前だから最期まで一緒だったんだ。それを、ちゃんと受け止めてやりゃいいだろ」

「そっか。…………そっか」

 

 それからは……笑った。

 なにがおかしかったのか、沸いて溢れ出して止まらない、蛇口から溢れる水のように。

 笑って笑って、周囲の人に引かれても……それでも、涙が出るまで笑った。

 こういうのは後で恥ずかしさのあまりに頭を抱えるパターンだが、そういうもんだろ人生って。その方が楽しい。そんなもんでいい。

 犬に囲まれて過去を話し合い、悔やんだいつかを語り合って、急に笑って急に泣いて。そりゃ周囲は引くだろうが……この場で考えなきゃ解決出来ないものがあるなら、そんな恥ずかしさなんて些細なことだ。

 存分に恥ずかしさを味わおう。

 んで、あとで二人でまた笑おう。

 その笑顔は今日の始まりよりも自然だろうから。

 

   ×   ×   ×

 

 6月18日。

 気づけば大切なものになっていた文字の並びに、ほにゃりと顔が緩む。

 毎年恒例、個人的ビッグイベント。

 美鳩が居ないのが寂しいものの、しっかりとプレゼントを送ってくるあたり、家族愛を愛する美鳩らしい行動だ。

 

「特別じゃない、英雄じゃない、みんな~の~上には空~があるっ♪」

 

 我が喫茶店は、従業員の誕生日には休みになる。

 べつに休みにするから俺達に付き合え、と言っているのではなく、そもそもそれじゃあ回らんのだ。たった一人が欠けただけでも上手く回らんのだから大変だ。そりゃあ川崎に人を雇えとか言われるって。

 いやさ、そりゃな? 最初は誕生日のやつだけ休業ってことに……と話したんだ。

 だってほらそのー……あれだろ? 俺とは違って、リア充ってのは誕生日には友人を招待したりされたりで楽しむもんなんだろ? ……俺には嫌な思い出しかねぇけど。

 だから、休みにするから遊びにいってもいーよって、休日を設けたわけだが……これがまた面白いほどに誰とも出掛けず、むしろぬるま湯総出で祝って、祝ったあとは外に出掛けて騒いで楽しんで食事して、だったりする。

 ちなみにその際の金は経費である。経費っつーか……うん、俺が払う。

 誕生日なんて月に何度もあるわけでもない。

 俺だけじゃ経営不可能な場所を手伝ってもらってんだから、誕生日に許される無遠慮な贅沢くらいどんとこいだ。

 で、そんな俺達が総出で何処に来たかと言えば……カラオケ。ではない。

 

「雨の日もあるっ♪」

「風の日もあるっ♪」

「たまにー晴れたら」

『まるもーおーぉけぇ~っ♪』

 

 現在、ただふつーに道を歩いているだけである。

 仕事のことは忘れて楽しむ、が休日の過ごし方ってもんであり、俺達はその切り替えが実に上手い。

 上手いから歩きながら歌っちゃうし、歌った絆に合わせて結衣が風を歌い、一色が晴れを歌い、最後は三人で声を合わせて。

 雪ノ下は混ざるべきかどうかを考えているのだろう、やたらそわそわしている。おいちょっと? なんでそこで俺を見るの? なに? あいつが歌うなら俺も歌おうってアレ? やめて? 俺そのパターンって口パクしかやらなくて、相手が俺を睨んできた記憶しかねぇから。

 つーかこいつら無駄に歌上手すぎて、隣で歌うとかかつてはプロボッチャーだった八幡さんからするととても恥ずかしいレベル。

 しかも三人ともものすげぇ楽しそうに歌うんだもの、そこにゾンビを混ぜるとか、パパ恥ずかしい。ゾンビなのかよ。もう腐ってねーよ。

 

「いや……ちらちら見られても歌わねぇから」

「もう、八幡協調性なさすぎ」

「おー、よく協調性なんて言葉覚えてたなー。すっかり忘れてるものかと思ったわー」

「一緒の大学とか行くために一緒に頑張ったでしょ!? いつまで馬鹿扱いしてんのヒッキー!」

「落ち着きなさい由比ヶ浜さん。その男は自分が名前で呼ばれることに違和感を覚えて、誤魔化しているだけよ」

「だから……なんでお前ら人の考えてることとか解っちゃうの? いいだろもう、解ってんだったらほっといて?」

「先輩は慣れてくると解り易いですからねー。結衣先輩も愛しの旦那様に馬鹿にされたりとかしなければ、一番に気づいてたと思いますよ?」

「……いや……おう」

「……ばか」

「すまん」

 

 服の腰あたりを引っ張られて、見てみれば真っ赤な顔で少し目を逸らす愛しの妻。

 それとは逆を何故か引っ張るのは、絆であった。

 

「どした?」

「パパ! こんな時は歌いましょう! 幼い頃からママたちの歌を聞いて育ったこの比企谷絆! 歌にはそれなりの自信があります! むしろここで歌いましょう! 歌おう友よ!」

「いや歌わないから。この歳で家族と一緒に天下の往来で歌うとか恥ずかしすぎるだろ……」

「天下の往来じゃなければいいんだっ! じゃあヒッキー! カラオケ行こう!」

「また今度な。来年とか」

「う、うー……いいけど、なんで来年?」

「今年は美鳩が帰ってくるつもりがないらしいからな。どうせなら、そういうのは家族全員で楽しもう」

「……ほんと、先輩って身内にあまあまですよね」

「ええ、いっそ清々しいほどにね。それで比企谷くん? 祝われるべき相手の提案を蹴る、ということは、他に提案があるのね?」

「サ」

「サイゼリア以外で」

「───」

 

 なんでだよ。

 サイゼリアいいじゃない、安くて美味くてのんびりできて。

 そんなことをわざわざ考えながら、クックと笑う。

 

「成長しねぇな、俺達も」

「やりとりを楽しんでいるだけのくせに、よく言うわね」

「それ、雪ノ下先輩もじゃないですか。さっきから顔が笑ってますよ?」

「! あ、こほんっ……いえべつにそういうやりとりがどうとか懐かしいからとかそういう意味で笑んでしまったのではなくて、つまりはこれは私が」

「ゆきのん。素直に」

「ァゥ…………あなた、やっぱりずるいわ」

「えへへぇ、そうじゃなきゃ、こんな関係望めないでしょ?」

「先輩たちって三竦みを見てるみたいで飽きませんもんね。結衣先輩は先輩に弱くて、先輩は雪ノ下先輩に弱くて、雪ノ下先輩は結衣先輩に弱くて」

「待ちなさい一色さん。なぜ私が由比ヶ浜さんに弱いという結論が」

「え? ……お前、強いつもりだったの?」

「え?」

「え?」

「………」

「………」

「? ヒッキー? ゆきのん?」

「……お前いっつも結衣に押し切られてるだろ」

「あ、あれは……! いえ、そういうあなただって由比ヶ浜さんに“だめ?”と言われると絶対に頷いているじゃない」

「い、いやあれはほらお前、あれがあれで……あれ弱さとかじゃないからね? 竦んでるんじゃなくて、惚れた弱みとかだから。……弱いのかよ結局」

「そうだよいろはちゃん、あたしだってゆきのんに強く言われたらなんも言えなくなっちゃうし。あ、でもヒッキーに弱いってのはそうかもかなぁ」

「うーん……いろはママはそこに入らないんですか?」

「わたし? わたしは……」

「絆、やめなさい。そいつはトラブル運送業って感じだから、混ぜるな危険なんだ」

「な、なんですかー! その言い方ー! もとはといえば先輩がわたしに生徒会長を押し付けて、そのくせなったらなったで自分でなんとかしろみたいな態度取るから悪いんじゃないですかー! あんなわたしにしたのは先輩なんですから、責任取るべきだったのにあの頃の先輩はー!」

「ばっ、おまっ……! だから天下の往来で大声をだな……!」

 

 賑やかさはいつも通り。

 性格的には子供のまま大人になった、みたいな状態だが、それでもまあそんな感じで生きている。

 それでいい。わざわざ難しい考え方をして、枯れた生き方をする必要もねぇだろ。

 だからこそ絆も遠慮せず混ざることも出来て、家族でわいわいガヤガヤ。

 今年は美鳩が居ないのが寂しいものだが、だったら逆に、絆と美鳩の誕生日には盛大に祝ってやろう。

 まさか向こうまで旅行するってことは無理だから、普通に贈り物をする方向で。

 

「それで、結局何処に行くんですか? サイゼ? それともサイゼですか?」

「ぷふくくくっ……! いいですよきーちゃん、今のは先輩によく似てます……!」

「ええそうね。来るなり帰るかを訊ねてくるあの無駄骨という言葉を体で表さんとするあり方は、実におかしな存在として記憶に残っているわ」

「ちょ、やめて? そんなの忘れてていいからやめて? つーか、行く先なら結衣が決めてくれないか? カラオケ以外なら付き合うぞ」

「パセラは?」

「いやあそこカラオケだからね? 選択肢にハニトーが増えただけだからね?」

「あはは、うん。さすがに冗談。じゃあえとー……」

 

 提案。

 こうして歩いて楽しんで、家に帰ったらみんなでごろごろしてまったりする。

 一にも二にも俺と絆が大賛成。

 雪ノ下と一色は仕方ないなって顔で、苦笑とともに頷いた。

 そんなわけで軽く買い物なんぞをしたのち、その足でのんびりと家に戻り、仮眠室に布団を持ち合って適当に並べると、そこに全員が寝転がり、まったり。

 「テレビでもつけますかー?」と訊いてきた一色に待ったをかけ、適当にCDをチョイス。流れた音楽に息を吐き、再びぽてりと布団に倒れた。

 

「あ……いい曲ですね。なんだか落ち着きます」

「歌ばっか聞いてると、たま~に音楽だけってのが恋しくなるんだよ」

「亡き王女のためのパヴァーヌね……意外だわ」

「まあ……偶然どっかの店で聞いて、気になって調べてる内に気に入ったパターンだな。独りで考え事とかする時、少し落ち着ける」

「ところでパパ、明日父の日だけどどうする?」

「いや、それ俺に訊く? いいよべつに、どうもしなくても」

「じゃあ明日はわたしが! この娘である絆が! おはようからおやすみまでをしっかりサポート!」

「お前におはようされたら、朝っぱらからフラッシングエルボーが飛んできそうだからやめろ」

「しないよそんなの! しても、寝てるパパのベッドにトペ・スイシーダするくらいだよ!」

「と、飛び降り自殺……!? 比企谷くん、あなた娘になにをさせるつもりなの……!?」

「いやちょっ……待て、待て待て、プロレス知らないのに普通に意味が解るお前が怖ぇえよ……。どこまでユキペディアさんなの、こんなところでマルチリンガル発揮されると驚きよりも言葉を失うわ……。あのな、ただの技の名前だから本気にすんな」

「? 自殺? ……トペさんが水死だ?」

「……ちなみにスペイン語な。トペは頭、スイシーダは自殺。プロレスのリングから場外に居る相手に頭から突っ込むところから、そう名付けられたらしい。水死だと全国のトペさん泣いちゃうから、その日本語読みはやめてあげような、結衣」

「え、う、うん……?」

 

 言いつつも、隣で四肢をのびのびリラックス状態な結衣を抱き寄せ、胸に抱くと頭を撫でる。

 あ~……まったり。

 割といつもやってるけど、やろうと決めてやると……なんか新鮮。

 

「はぁああ……なんかこうしてなにもせずにぐったり過ごすのも、案外いいもんですねー……」

「そうね……“こう”と決めないと、なんだかんだとなにかしらをしたり考えたりしてしまうから……確かに、この雰囲気にパヴァーヌは合っているわね」

「えへへ……家デートの時は、こうやって静かな音楽流しながらまったりだもんね」

「家デートの度にこんないちゃこらしてるんですか先輩……」

「デートってのはほれ、一緒に居て相手を知ることを差すんだろ? だったら今の俺達にとって、これ以上のデートはねぇんだよ」

「まあ、結構アイコンタクトとかしてますもんね……。普通に“それ解っちゃうんですか!?”ってことまで平気で。わたしもまあまあ解りますけど、まだ先輩ほどじゃないですね……」

「ふふーんっ、ヒッキー以外にも、ゆきのんのことなら結構解るよっ?《むふーん!》」

(……ドヤ顔かわいい)

「《なでなで》ヒ、ヒッキー? あれ? ちょ、くすぐったいよ? どしたの? ヒッキー? ヒッキー?」

 

 妻がかわいい。

 あの頃で言うとママさんくらいだろうか。ママさんの年齢、知らんけど。でもかわいい。

 

「けれど、そう……明日は父の日なのね。明日はどういったイベントをするのかしら」

「父親なら割引とかでいいだろ。もしくはMAXのみ無料とか」

「どんだけ同志を求めてるんですか先輩。あと無料はやりすぎですよ」

「パパじゃなきゃダメなんだからいいんじゃないか? 母の日のケーキ割引よりよっぽど安いだろ」

「あはは……毎年、あれやると女の人の客がすごいよね」

「って、結局仕事の話になってるじゃねぇか。今日はもうこのまままったりでいーだろ……」

「あー、せんぱいに賛成ですー。なんか今、とっても心地良い感じです……」

「ん、あたしも……。はー、なんか……なんかだけど、今さらだけどさ? ここまで来たんだなーって……ちょっと安心」

「……そう、ね。ええ……いろいろあったけれど、よくもまあ関係が続いているものだと思うわ。ふふっ……子供同士の口約束のようなものだったというのに、全員がここに到ることを疑わなかった。私は、それが……」

「……ゆ~きのんっ」

「……ええ。平気よ、由比ヶ浜さん。もう、受け取っているから。わかってもわからなくても、そういうのがわかる……ふふっ……ええ、こういうことなのね」

「えへへ……」

「ありがとう、由比ヶ浜さん。私の中の答えも……ようやく“かたち”になりそう」

「うーん……わたしにはそれが見えませんけどー……でもそれがなんなのかは、なんとなく解るつもりです。面白いですよね、ほんと。たぶんこれ、名前をつけちゃいけないんだと思います。いつか先輩が言ったアレだって知ってても、口にしちゃったらもったいないっていうか。見えないままだからいいんだと思います」

「……そうだね。言っちゃったら……うん。言っちゃうのは、なんか違うんだと思う。きっかけとしてヒッキーが言ってくれたあの時だけでいいんだよ、きっと」

「パパ? 顔真っ赤だよ? パパ?」

「ちょ、やめて絆さん、パパ今とっても照れくさいから」

「恥ずかしいことなの? そのー……名前のないなにかが」

「いやべつにその……な、言っちまえば恥ずかしいんじゃねぇんだよ。俺はそれだけは絶対に否定しねぇよ。そこに手が届きそうな今を、青臭かろうが胸張って誇りたい。本気でだ。……ただ、な、その……あー、なんだ、こう……嬉しすぎるから、っつーか……な?」

 

 解らないから知って安心したいガキが居た。

 知りたいからこそ話し合って、解りたい少女が居た。

 “知っている”と口にしたからこそ、言わなくても解ることに憧れた少女が居た。

 俺達のきっかけはきっとそこから始まって、今は……そんな三つが混ざり合って、ようやく“かたち”になってきた。

 それはいつか憧れた“見えないなにか”であって、でも……名前をつけてしまったら陳腐なものになってしまう予感を持つなにか。

 だから、知っていても口にしない。それでいいんだと思う。

 

『───』

 

 バラバラに寝転がった俺達。

 全員が仰向けのままに、なんの気なしに左手を頭上に伸ばすようにすると、面白いことに絆を抜いた全員と手が触れた。

 そして笑うのだ。

 子供が意地になって、“ごっこの遊び”を“大人の仕事”に無理矢理昇華させたようなこんな関係。

 当時は子供だった俺達のそんな青春を、大人のほとんどは“やめたほうがいいぞ”みたいに止めた。

 高校三年で知り合った誰かも、大学で知り合った誰かも、口々に“善意”でそれを止めようとした。

 それでも俺達はそれが“なにか”になることを信じて走った。

 “雪ノ下”に支えて貰えなきゃ叶わなかったであろうそれを乗り越えて、こうして今、偶然みたいな関係は続いている。

 苦労した分、笑顔を削った日々の分だけ、経験したものの数だけ、“それ”に名前をつけることに違和感を抱くようになり、今ではそれを口にすることもなくなった。

 “言わなくても解る場所”に辿り着けた俺達は、そこでなにをすればいいのだろう。

 ふと、そんなことを考えて……触れた手を纏めて掴むみたいに絡めた。

 

  楽しめばいい。

 

 一般的に言う青春時代なんてものが既に“過ぎ去ったもの”の中にあったとしても、そんな文字通りの“過去”にはなかったものが手のひらにある今だからこそ、今出来る青春を、じっくりまったり───息つく暇もなかった修行時代には出来なかったくらい、たっぷりと味わえばいい。

 ここには全部があるのだから、そんな全部と歩いていく。

 やっぱり、“それでいい”のだ。

 

「むー……! 絆をほったらかしで、その解り合ってますって顔をするのが悔しいです! こ、こうですか!? 手を重ねればいいんですか!」

「うーん……きーちゃんにはまだちょっと早いかなぁ」

「だったら絶賛早熟するので教えてください! ほらほら、絆ったらもうとっても大人ですよ!? え、えーと……う、うっふーん?」

『ぶふっ!』

「うきゃああああああっ!! わわわ笑うなんてひどい! ひどいです! こっちは頑張ってるのに!」

 

 幸福がここにある。

 全部は、ここにある。

 心地よくて嬉しくて、安心したように体が勝手に長く息を吐くと、俺はそのまま眠ってしまった。

 

  そして、いつかの懐かしい夢を見る。

 

 夢の中の俺は自転車をこいでいて、視界に犬の散歩をしているサイドテールの女の子と、接近する黒塗りの車を見ると───痛いのは嫌だな、って思うくせに、結局は同じ行動をとった。

 そして、案の定骨折して、ぼっち確定で入院生活を過ごした。

 面白いのはそんな入院ぼっち生活の中、小町が背中を押して無理矢理入室させた女の子のことで───……俺は、経験したことの無い光景を見て、苦手なくせに自然と、その黒髪の女性を応援した。

 がんばれ。

 そいつは一筋縄じゃいかないだろうが、腐り切る前なら……きっと心からお前に心を許すだろうから。

 そんな温かな夢を見ながら、やがて父の日を迎えた。

 

 



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そこにある青春のかたち④

 翌朝。

 

「……右良し左良し、味吉陽一……今! トペ・スイシーダの季節!《ダッ!》」

 

 適当に敷かれた布団の上を、ダトトントンッと側転バク転する賑やかさの後、仰向けに寝る俺目掛けて娘が頭から飛んできた。

 寝ぼけ眼に見るその光景のインパクトは凄まじく、即座に覚醒。

 自身に掛けられていた布団を両手両足でガボフと持ち上げると、その中心で娘を受け止めると《ドボォ!!》

 

「ゲブゥ!?」

「《ゴゴキィ!》ギャー!?」

 

 勢いが殺し切れずに腹に一撃をもらってしまった。が、絆も首へのダメージが凄まじかったらしく、親娘二人、朝っぱらから言葉も無しにその場で悶絶した。

 

「げっほっ……! な、なに考えてんだこのばかたれっ……!」

「~~~! ~~~!!」

 

 春巻の具がほどけるように、掛け布団からごとりと転がった絆が、両手で項のあたりを押さえて悶絶。

 どうやら声にならない痛さだったらしい。

 

「……はぁ。まあ、落下直前で手で止まるつもりだったんだろうけどな……まあ、すまん。そりゃ急に布団が持ち上げられりゃ、驚くわな」

「~~……!!《こくこくこく……!》」

 

 しかしそれはそれとして驚いたので、膝枕……というよりは、ふくらはぎ枕をしつつ額をぴしゃんと叩いた。

 つーかそもそもトペスイシーダの季節ってなんだよ。

 

「ん……雪ノ下と一色はもう起きたのか」

「う、うん……えと。───《キリッ》あとは由比ヶ浜さんと比企谷くんだから、起こしてきてもらえるかしら……って言われたから」

 

 それがどうしてトペスイシーダになるんだよ。

 溜め息ひとつ、くにくにと娘のほっぺたをいじくりまわしたあと、傍で寝ている結衣を起こした。

 起こし方はとっても簡単。どっちが先に起きようと、お互いが目覚めのキスをする。これだけ。

 ……うん、これだけって言うにはやっぱり難度たけぇよ。

 未だに慣れん。気恥ずかしさがどうしても先に走る。

 あとから駆け抜ける愛しさは、それはもう高速で気恥ずかしさを追い抜いていくわけだが。

 

「パパー、結局父の日のPOPとか作らなかったけど、だいじょぶ?」

「ま、なんとかなるだろ。知らずに入ってきたら、相手がパパンなら教えてやりゃいい」

「お客様がパパだったら、わたしはたっぷり張り切れるんだけどなー……」

「客が全員俺だったらキモいわ」

 

 んん、と小さく声を漏らして妻が起きる瞬間……なんか、安心する。

 次いで、ぐぐぐーーって伸びる姿とか、なんかいい。

 なんというかこう、伸びる猫を連想させる。で、伸びてる途中で目が合うと、その姿勢のままビタァって止まるのな。……ほれ、止まってる。ただし顔が赤い。

 横に寝たまま様子を見てると、顔を真っ赤にしても誤魔化すみたいにキスしてきたりするんだが……ああうん、今日もそれをしようとして体を起こしたが、俺の足で絆が寝てることに気づいた途端、しょんぼりした。やだ、ワタシの奥さん超可愛い。

 

「時間は……っと、結構な時間だな。少しのんびりしたかったけど」

 

 仕方ない、と絆の頭をソッと布団の上に下して立ち上がる。

 って昨日俺風呂入ってねぇよ。

 

「フフフ、パパ……その目は絆がお風呂に入ったかを疑問に思っている目だね?」

「いや、俺自身の心配しかしてなかったが」

「そこはしようよ! ……こ、こほんっ、うん。甘いねパパ! この比企谷絆! 三人のママに負けぬレィディを目指すべく、日々努力を重ねる修羅ぞ! それが風呂に入らぬなどと……在り得ぬ! そして有り得ぬ!」

「あんま髪洗いすぎると皮脂が過剰分泌してハゲるぞ?」

「ちゃんと考えて洗ってるもん! パパいじわるだ!」

 

 そこはさすがの乙女らしい。ともあれ開店時間にはまだ余裕がある。のんびりする時間はないが、シャワーならギリギリってところか。メシの時間は……まあ、ないわな。客第一号がすぐに来ないことを祈ろう。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 父の日。

 それは全国のお父さんが…………他の日ほど誰かになにかを祝われることのない、案外寂しい日である。

 黄色い薔薇とかないわ。

 むしろ花言葉って大体裏があるから嫌だ。

 なんだよ“嫉妬”とか“薄れゆく愛”とか。

 風水的にはいい結果があるとか言われても、そんなの愛が薄れちゃ意味ないだろ。

 ちなみに他の花言葉は“あなたを恋します”から始まる、友情、美、可憐などだ。

 全部を唱えるなら、“恋に飽きた”や“別れよう”や“誠意がない”、“不貞”、“嫉妬”、“薄れ行く愛”などがある。

 ちょっと? ねぇちょっと? 誰なのこれ考えた人。あなたを恋しますって言ってんのに恋に飽きたってひどすぎじゃないの?

 もう、一言これでいいだろ。

 

  “あなたとは遊びです”

 

 ……やべぇ、俺もうこれから知り合いに黄色の薔薇もらったら泣くわ。

 結衣だったら死ねる。

 はぁ、父の日なんて。

 

「おし、シャワーも浴びたしベストもきっちり。んじゃあそろそろ───」

「あ、ヒッキー、朝まだだったよね? これおにぎり。小さいやつだけど、食べて?」

「………」

 

 父の日万歳。

 なにこの不意打ち、すっごい幸せ。

 っとと、あんま時間かけていられないんだった、だが慌てて雑に食べるような真似はしない。

 

(このおにぎりは【ユイ】ウイ優しさ。1が1歩ずつしっかり噛むのが極上です)

 

 いや社友者やってる場合じゃなくて。

 どうやら自分が思うよりもよっぽど、浮かれてしまっているらしい。

 でもこれはしゃーないだろ、父の日なんて、ってやさぐれそうになったところにこんなやさしさ、反則だ。

 しかもこれ、結衣的には父の日だからってやったことじゃないぞ、たぶんだけど。

 

「《はもっ》…………絶妙な塩加減……」

 

 妻に好みを把握されている喜び、プライスレス。

 そもそもが俺に美味しいと言ってほしくて上達した腕だから、そりゃ把握というか掌握されてるわ。

 ああ美味しい、嬉しい、顔がニヤケる。

 

「比企谷くん、準備は───……また、随分とえびす顔ね」

「ん、んむ……ん、ん……《ごくり》……おう、おはよう雪ノ下。……そんなニヤケてるか?」

「ええ、いっそ元からそういう顔なのだと思わなければ、数瞬誰なのかを疑うくらいに」

「怖ぇえよ。元からえびす顔って、恵比寿さんに失礼だろ。一応神様だぞあっち」

「そうね。言い直しましょう。気色が悪いわ、あなたのニヤケ顔」

「そういう意味じゃねぇよ……それ俺じゃなかったら傷ついてるからね? 冗談言い合える仲だから受け入れられてるだけだからね?」

「解っているわよ。この店の人以外にこんなこと、言えるわけがないじゃない」

「……さいで」

「ええ、さいよ」

 

 言って、くすくす笑い合う。

 俺も地味に仕返しはしてるから、まあ、こういう気安い関係はどんどこいだ。

 

「んむっ……ん、……おし、じゃああとは歯を磨いて」

「比企谷くん、お客様よ」

「ですよねー」

 

 やっぱりこんなもんだろう。

 バリスタとして歯ぐらい磨きたかったが、これは俺が悪い。

 さて、今日も頑張りますか。パパな皆様には少しやさしい方向で。

 

『いらっしゃいませ』

 

 意識を営業用に切り替えて、今日も一日が始まった。

 

   ×   ×   ×

 

 6月が過ぎ、7月。

 娘が産まれてからは、毎年七夕には来ていた雪ノ下さんも、今年は居ない。

 どうやらあっちで美鳩に祝われたらしく、写真をメールで送ってきた。純粋に嬉しかったのか、綺麗な笑顔だ。が、隣の美鳩にばかり目がいくため、わりとどうでもいい。

 代わりに雪ノ下が、「普段からこうしていればいいのに」と呟いていたくらいだろう。

 雪ノ下? 今のを本人に言ってあげなさい? 最高のプレゼントだから。

 とか思ってたら、一色がスマホ片手に俺にだけバチーンとウィンク。

 どうやらしっかり録音してたらしい。

 それをどこぞに送信すると、しばらくして雪ノ下のスマホがやかましく鳴った。

 ……当然、俺と一色は静かにその場を離れ、あとになって「ゆきのんが探してたけど……どしたの?」と結衣に心配された。

 いやいや、とてもいいこと(雪ノ下さん的に)があったんだ、と誤魔化して、今日も賑やかな日常が始まった。

 

  うなぎ。

 

 七夕の短冊にかけた想いがどうなったのかは俺達には解らんが、とりあえず妻と娘の健康を願った俺。

 しばらくしてやってきた土用の丑の日に、毎年のごとく食べているうなぎを用意するわけだが……

 

「ねぇパパ。なんでうなぎなんだっけ」

「ヒキペディアの引き出しはあんまり広く深くないんだが……あー、そうな。うなぎが栄養満点で、これからやってくる夏の暑さに負けないようにするのと、“丑”の“う”から連想してきているって話もあったっけかな」

「んん? あれ? 栄養があって“う”がついてればどれでもいいってこと?」

「まあ、間違ってはいねぇだろうな」

「ネイチャーメ○ド・マルチビタミンの蓋に“う”って書いて飲むだけ、とかは?」

「やめなさい」

「だって、うなぎって高いわりに、そこまで美味しいって思えないんだもん。わたしはママの料理の方が好きだなぁ」

「それを言うなよ……俺もだけど。イベントに好き放題言ってたら回らない場所だってあるんだよ。そういう日本のイベントが好きなところに救われてる場所だってあんだから、そっとしときなさい」

「うん。それはそれとしてママ特製ひつまぶし美味しい」

「それな」

「あなたたちは……。とりあえず文句を言わなければ気が済まないの?」

「ふふん雪乃ママ? わたしは最初から、ママの料理が好きだってことしか言ってないよ!《どーーん!》」

「きーちゃん? それでもそこまで美味しいとは思えないんだよね?」

「はいいろはママ。うなぎ単品ならそこまでじゃないです、ほんと」

「あー……それはちょっと解るかも。うなぎ食べるくらいでしたらそのお金で安くて美味しいの食べますよね、先輩」

「だな。だから結衣には毎年感謝。用意されなきゃまず手とか出さねぇよ、うなぎ」

「……絆さん、今日は私の部屋に来なさい」

「あ、わたしの部屋でもいいよ? 今日の夜はアツそうですからね。ねー先輩?」

「いや、おい……」

「はいヒッキー、お茶。……なんの話?」

「なんでもないでーす。ただ、締めくくりのごちそうが楽しみなんじゃないですかって話をしていただけですよ。ね、先輩?」

「お前最近酔っ払い親父みたいだな」

「先輩さすがにそれはひどいです……」

「けれど、そうね。最近では小町さんのようになってきた気はするわね」

「ええ……? わたし妹ポジですか」

「あざとさが足りん、出直せ」

「しかも出直しくらいましたよ!?」

 

 土用の丑の日にうなぎを食べて、その日も元気に営業。

 夜には寄り添い合い、長い時間をかけて愛を確かめ合った。内容? 言わせんな恥ずかしい。

 

  そしてやってくる夏休み。

 

 外国の夏休みはめちゃくちゃ長いとか。

 アメリカは三ヶ月もあるらしい。すげぇ。

 美鳩に連絡をしてみたが、やはりあっちで過ごすそうだ。

 寂しいが、その途中の誕生日には忘れずにプレゼントを贈った。絆にも、美鳩にも。

 電話でのお礼の言葉は詰まり詰まりのもじもじ感たっぷりなものだったが、その後に雪ノ下さんから届けられたメールには、プレゼントを胸に抱いてベッドでごろごろ転がり回る美鳩の動画が添付されていた。

 しっかりとカメラに気づいて「ほやわぁああっ!?」って叫び、カメラに向かって顔を真っ赤にしながら駆けてくるところまで撮られていた。

 我が娘、可愛ゆし。

 

  そうなると、俺の誕生日にも届くわけで。

 

 外国から届けられた美鳩からのプレゼントはネクタイ。

 外国のものらしく、なんかちょっとカッコイイ。

 きちんとバリスタに似合うものから選んだらしく、感謝の国際電話をしてみれば、「あんなお店、初めて行った……もう、とても行きたくない……。その心、ジャスティス……」と、少し声を震わせていた。さすが我が娘。

 何故ネクタイ? と訊いてみれば、ティッピーパンでおなじみ、某円盤の内容を覚えていたからだそうで。

 ……ネクタイって意味では絆とダブったって教えたら、「さすがは以心伝心。家族愛は電波で届く。ピピピ」なんて言っていた。

 ああ、もちろん喫茶店は休みだった。

 俺の誕生日なんていいから、という提案は却下され、営業するつもりだったのに阻止された。

 毎年のことである。

 一年くらい忘れてもいいのよ? とは思うのだが、だ~れも忘れないからすげぇ。

 小町までしっかり祝いに来たし。

 

  敬老の日。

 

 一応、絆にとっては祖父母ということで、毎年この日にはママさんとパパヶ浜さんを店に呼んで、心から感謝を。

 あ? 親父? おふくろ? 知らん。

 パパヶ浜さんには絆が料理を振る舞った。ら、泣いて喜んでた。

 やっぱり孫は可愛いらしい。俺でも軽く引くくらいのえびす顔であった。

 やめなさい雪ノ下、そこでドヤ顔を見せるのは。

 

  10月には衣替え。

 

 最近は寒暖差が激しい、なんて毎年言っていることを口にしつつ、長袖に腕を通す。

 

「むふふーん……わたし、やっぱり長袖の方が好きだなぁ。どうどうパパ! 似合う!?」

「おー、静かにしてたらとってもかわいいぞー」

「すっごい棒読みだ!? う、うー、パパ、パーパー……」

「《くいくいくい》ちょ、こら、やめなさいっ、これから仕事って時に甘えるなっての……!」

「あ、でも長袖の方が好きってのはあたしも解るかなぁ。視線とかあんま来なくなるし」

「おう。俺も安心だわ。男の客を睨む回数が減るから」

「あははははっ、もー、ヒッキーはー……」

「あ、でも雪乃ママみたくピシッとしたのも着てみたいな。あれってパパのと同じデザインだよね?」

「ちと違うけどな」

「ゆきのん、格好いいよねー。あたしも着させてもらったことがあるけどー……」

「……ママ。オチが解るから言わなくていいよ……」

「まあ、なぁ……」

「あ、あはは……」

 

 胸のボタンが届かなかった。届いて、ボタンが飛んだーとか漫画あるあるの話ではなく、届かなかった。

 だったら俺の制服をと用意してみれば、それでもギリギリ。で、ボタンが飛んだ。 

 以来、結衣はベストを着ていない。メイド服とはまた違う、落ち着きのあるロングスカート型の制服だ。

 最初はエプロン型だったんだけどなー。それだとエプロンがめっちゃ押し上げられて、男性客がそこしか見なくなって、俺がやめさせた。

 

  トリックオアトリート。

 

 毎年のことながら、学生時代のコスプレを思い出して、恥ずかしい思いをする。

 本日のみ、ぬるま湯内では仮装をしての接待になるわけだが、こういうイベントだと絶対に材木座が来てやかましい。

 お前もう結構有名人なんだから、あんま騒ぐなよ。

 

「知る人ぞ知る、という範囲では、であろう? 我は今でも心は少年。童心を忘れぬ者にこそ、神はネタを降らせるのだ八幡」

「お前さ、ブルーマウンテン以外飲まないの?」

「う、うむ。最初は絆嬢にブルマ言わせるのがきゅんとしたからだったのだが」

「ご注文は拳ですか?」

「せめてうさぎにして!? う、うむ……しかし最近ひどーく扱いが軽いというか、寂しいのでそろそろ何か別のが欲しいかなぁと」

「つーか忙しくねぇの、お前」

「けぷこん……最近では若手が次々と良作を出してデビューしている。最年少記録がどうとか、むしろ業界側が話題欲しさにやっているのではと思うほどにな。我からすれば擬音ばかりでやかましいだけの内容なのだが……」

「流行り廃りの問題だろ。お前だって多少その流れに乗らなきゃやっていけねぇんだろ?」

「時にはな。だが、惰性で買われるくらいならば楽しいものを提供する。昔の書き方の方が勢いがあったと言われればちょっぴり泣きたくなるが、時代の流れというものよなぁ……然り然り。……か、悲しくなんかないんだからねっ!?」

「あんだけ売れてりゃじゅーぶんだろ。アニメ化もしたしコミカライズもしたじゃねぇか。大成功って言っていいだろ」

「……声優さんと結婚出来なかった……」

「それは忘れていいだろ」

「パパー! 見て見て! かぼちゃ衣装、小町お姉ちゃんが仕立て直してくれた!」

「ほーん……? あいつも裁縫上手くなったもんだよなー……。川崎の教えの賜物か」

「それじゃあ早速……パパ! トリックオア……トリック!《どーーーん!》」

「どんだけいたずらしたいんだよ」

 

 店の中と従業員がカボチャ的な空気に包まれる中、来店した材木座とは結構話した。

 仕事をしながらだから、カウンターに招いたが、相変わらずいらんことを次から次へと喋る喋る。

 しかしこちらもバリスタ。

 しっかりと話題を受け止め、時には振って、お客様を退屈させない心配りを披露した。

 「退屈しなかったけど、我が傷つくトラウマばっかり話題にされて、我泣きそうだったんだけど!?」なんて言葉は知らない。

 カボチャを使った一色の菓子も好評で、それを目当てにやってくる女性で、この日はいっぱいだった。

 

「ポッキィーーアァーーンドプリィイーーーッツ!!」

 

 で、11月。

 ポッキーの日に騒いでいるのは我が娘、絆であった。

 今日も今日とてぬるま湯は営業。

 ポッキーに見立てたお菓子も売れ行き順調、紅茶に合うお菓子が出来ると、コーヒーよりも紅茶が売れるから退屈になる。

 

「ねぇねぇパパ! ポッキーゲーム───」

「しねぇよ」

「最後まで言わせてよぅ! じゃ、じゃあプリッツゲーム!」

「いやそれ大して変わんないからね? やらねぇよどの道」

「うー……ママとならするくせに」

「娘とする方がおかしいってどうして解らんのかこの娘は……」

 

 本日、カップルや夫婦でポッキーorプリッツゲームをして、キスまでしたら2割引き。

 おホモ達がいらっしゃって、濃厚なキッスまでされた時はどうしようかと思ったが、まあ順調にイベントは進んでいった。

 海老名さんは元気にしているだろうか。たまたま来てたら鮮血乱舞だったんじゃないかしら。

 

  七五三にはその歳の子供にお菓子をサービス。

 

 これが結構好評で、タダ菓子食いに奥様がいらっしゃったりした。

 中には奥様は一番安いコーヒー一杯で、子供に菓子を無料で食べさせて帰る、という猛者も。

 まあ、実際本当に三歳か五歳か七歳か、なんて解らないのだが。

 

「千歳飴美味しい……あまあま……」

「まさか飴まで作るとは思わなかったぞ……つーか毎年用意してたあれ、手作りだったのかよ。なんなのお前、菓子作りの神かなんか?」

「案外簡単にできるんですよ? お菓子作りならいろはちゃんにお任せですっ☆《ぱちんっ♪》」

「絆も絆で、三本贈られても平気で食べるとか、甘くない?」

「こればかりはパパにだってあげません。物欲しそうにしてたってだめです。これは母が子供に贈るものですから、絆だけの味わいなのです」

「………」

「あははっ……はいヒッキー、材料余ったから。千歳飴みたく長くはないけど、飴玉でよければ」

「お前最高もう大好き超絶愛してる」

「あなた……どれほど飴を食べたかったのよ……はぁ」

「う、うるせぇよ……。親にもらったことなかったんだからしょうがねぇだろ……初めてもらったのがママさんとか、我が家のイベント事情ってどうかしてんだろ……」

「あ、先輩、その理屈だと小町ちゃんは?」

「……しっかりもらってた」

『………』

 

 その後、何故か全員に頭を撫でられた。

 ちなみに美鳩にも飴を贈ったらしく、後日例によってとろける笑顔で長い飴をチュパる娘の姿が写メで送られてきた。

 雪ノ下さん、まじグッジョブ。

 

  勤労感謝の日。

 

 この日は喫茶店は休みである。なにせ勤労感謝だから。

 普通の店ならば開店して稼ぐところだろうが、俺達は違う。

 なにせ店長が俺だから、休む時は休むがモットー。

 俺達頑張ってる。よし休もう。そんなノリである。

 それで回ってるんだからすげぇ。

 まあほんと、雪ノ下建設の客がリピーターになってくれてるってのがデカいんだが。

 いつかの日、ママのんが差し向けた出来事が、きちんと後にまで繋がってるってんだから世の中解らん。

 訊いてみれば、純粋にこの店の味が気に入ったからだって言ってもらえて、嬉しくないわけがない。

 そしてこの日は世話になった人を呼んで、ささやかだが飲み会を開く。我が喫茶店で。

 

「最近、子供を作れない男との出会いがあってな……」

「ちょ、先生、のっけから重そうな話を……」

「重いってなんだ。出会いの話をしているんだぞ私は」

「……フラれたとかの話じゃないなら聞きます」

「………」

「………」

「……《ぐすっ》」

「……まあ、飲んでください。おごりです」

「なんなんだ……! 僕より男前すぎて嫉妬してしまうからごめんなさいって……! そんなものは一緒に過ごして飲み込んでいくべき些細なことだろう……!」

「人それぞれってことでしょ……はぁ」

「ヒッキーくん、飲んでる?」

「あっと、お義母さん。うす、飲んでます」

「うう……由比ヶ浜さん……私は、私はぁあ……!」

「あらあら平塚先生、そんな泣かないで。きっと今に大切な人に巡り合えるわよ~」

「うう……うん……」

 

 子供を欲しがらず、ただパートナーが欲しいって余裕が出てきただけの筈なのに、平塚先生は男前すぎた。

 まあ……一人称が“僕”な相手からしてみれば、相当にオットコマエなんだろうしなぁ。

 

「やあ比企谷、飲んでるか?」

「いや、なんで第一に飲んでるかを訊いてくるんだよ……。飲んでるよ、マッカン」

「そこは酒を飲めよ……」

「うるせ、俺まで酔ったら誰が結衣を守るんだ」

「ははっ、相変わらず過保護だな」

「ほっとけ。それより葉山、今日都築さんは」

「さすがに来れないだろ。今も外国だ」

「……だよな。いや、今日はマジで都築さんにお疲れ様と感謝を言いたかった」

「気持ちは解る。深く理解出来るな……」

「はっちまーーーん! 飲んでいるか! 飲ぉおおんでいるかぁああっ!!」

「あーうるさい、お前はもうほんとうるさい、少し静かにしろ」

「我にだけひどくない!?」

「んで? 材木座、お前自身は飲んでないのかよ。顔は……赤いな」

「いや……飲んでも飲んでも酔いが醒めてしまってな……」

「? なんで」

「うむ《ビッ》」

 

 頷き、親指で促された先。

 少しふらふらしながらやってくる、長い髪の美人が……

 

「は、八幡ごめんね……なんだか僕、ちょっと酔っちゃったみたいで……。お水、もらえるかな……」

「」

 

 戸塚だった。

 編集部にてとある女性に捕まって、以降は髪を伸ばしたほうがいいですよと促されたらしく、男らしくなりたいからと言っても“今では長髪で男らしい人もいっぱいですよ”とそそのかされ、伸ばしてみた彼が、そこに。

 ……あ、その女性とはべつに付き合ってるとかじゃないらしい。ここ重要。……重要か?

 

「……どうだ八幡よ……酔いなど醒めるであろう……? これでなぜ女性ではないのだろうな……」

「………」

 

 下手な女の子より女の子してる。

 しかもいつかの仮装をどうしても思い出してしまうその長髪は綺麗で、なんというか……ああ秋津洲。

 せめて後ろで結ぶとかしない? もうお前、どんな服着ても女性にしか見えないから。

 いそいそと水を用意して飲ませると、その飲み方がまた色っぽく。

 俺と葉山と材木座、三人で顔を赤くして目を逸らしたのは苦い思い出になるだろう。

 

「葉山も材木座も、なんかコーヒー飲むか?」

「ダッチはあるか? 出来ればそれで頼む」

「はぽっ……その。我は絆嬢が用意した怨殺ヒキタニくんスペシャル以外を……」

「遠慮するなよ材木座」

「やめて!? あのあと我、トイレが恋人になって大変だったんだからね!? 学生時代に書いた小説のことで、まさかあのようなことになるなど一体誰が予想出来ようか……! まさに“過去が……追ってくる……!”というやつか……」

「お、おんさつ?」

「あぁ葉山、お前は知らなくていい。つか、必要になったら言うから忘れろ」

「あ、ああ……?」

 

 そうやって様々に感謝しつつ、日々を送る。

 クリスマスに騒ぎ、燥ぎ、やかましく過ごして。

 雪が降ったホワイトなクリスマスには、ホワイト多めの彩色のお菓子を提供して、クリスマスイベントも消化。

 きちんと贈ったクリスマスプレゼントは、結衣にも絆にも美鳩にも好評だった。

 翌日には絆に引っ張られて外でカマクラを作って、雪合戦もして大いに燥いだ。

 ……なんつーか子供が出来て、ようやく俺も子供らしい遊びが出来てるって感じ。

 ほれ、そのー……なんだ。雪ノ下もめっちゃ燥いでるし。

 ぼっちは二人揃って大人げねぇ。子供のように燥いだよ。

 

「ふんぎんがぁあーーーーーっ!! ……パパ! 雪が鉄球みたくなった!」

「おいちょっと? 絆さん? 今乙女が出しちゃいけない声が出てなかった? ねぇ」

「そんなのは重要じゃないんだよ! ほらほらパパ! 鉄球だよ鉄球! 黄金の回転!」

「いやそれ雪球だから。どれだけ固めても氷球にしか進化しないから」

「無限回転えねるぎー!」

「《どぼぉ!》いてぇ!!」

「あ」

「………」

「あ、えーと……パ、パパ? 目が、目が笑ってな……っ……」

「雪合戦なら返さなくちゃだよな?《ぎゅっぎゅっ……》そりゃあっ!」

「ひゃあっ!?《さっ》」

「比企谷くん、さっき妙な悲鳴が聞こえ《バスッ!》…………」

「あ」

「あ」

「……比企谷、くん……? これは、いったいなんの真似かしら……?《ゴゴゴゴゴ……!》」

「い、いやこれはっ……そ、そうっ、絆、絆がっ!」

「えぇええええええっ!? パパひどい! ここで娘になすりつけるなんて!」

「いやそもそもお前が当てといて避けるからっ……!」

「そう。では合戦開始ということでいいのね? ……受けて立つから逃げられるなどと思わないことね」

「いやいやいや待て待てっ!」

「ゆゆゆ雪乃ママッ! 話して解ろう!? 話せば解るよ!」

「いやよ。言葉も無しにぶつけられた暴力を、返しもしないで頷くなんて負けているみたいじゃない」

『うわぁ大人げねぇえーーーーーっ!!』

 

 絆と言葉を合わせ、叫んだ。人のこと言えないが。

 この後めちゃくちゃ雪合戦した。大人げなく。圧縮雪球めっちゃ痛かった。

 少し経てば年末がやってきて、大掃除をして楽しんで。

 



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そこにある青春のかたち⑤

 年末にはいろいろあった。いや、いろいろって意味なら年末年始にか。

 

「もー、いーくつねーるーとー♪ や~ぁっはーろーおー♪」

 

 雪ノ下さんから雪ノ下にちょっと早い誕生日プレゼントがあった、とかな。

 後日雪ノ下が雪ノ下さんに電話をしていたが、プレゼントのチョイスは美鳩だったらしく、雪ノ下さんがちょっと呆れられていた。

 慌てて言い訳めいた言葉を並べたらしい雪ノ下さんだったが、なんでも限定パンさんは限定のくせにポーズが違うのが多くあったらしく、その中で雪ノ下に贈ったものを選んだのが美鳩らしい。

 ああ、あと絆のタイプの男が判明したな。

 どうやら専業主夫が好みらしく、帰ってきたら温かい料理で迎えてくれたらもう最高、なんだそうだ。

 ……俺、学生時代に絆に会うなんて奇妙な出来事が起こってたらヤバかったかも。

 

「あけましてやっはろーっ!」

 

 年を越せばやっはろー。

 といっても越す前に姫を終えて、年が明ければ姫を始めて、お正月的行事を軽くこなせば再び寝室に戻って姫を続けたんだが。

 子供にとってはお年玉くらいしか目立つイベントがないそれは、案外退屈だったらしい。

 今までだったら絆と美鳩が昔ながらの元旦バトルで燃え上がったりもしたんだが、今年は静かだった。

 その勝負の中のひとつ、いろはかるたがママカルタって呼ばれていることについては、ツッコんだら一色が怒るので触れない。

 

「はぁ……今年は美鳩が居ないから退屈です……。ヤツが居たなら、羽根突きも福笑いも、カルタも双六もコマ回しも、凧上げでさえも競えるというのに……!」

「うーん、きーちゃんくらいの世代で、それをやりたがるのなんてみーちゃんくらいだしね」

「くううっ……! 絆の友達はみぃんなスマホだのゲームだのにうつつをぬかして、伝統的な遊びに走る人が居ないのです! あれだけ楽しいというのに! というわけでいろはママ! わたしと───」

「きーちゃん? 三箇日はまったりするためにあるんだよ?」

「う、うー……! だってパパとママが部屋から出て来ないんです! 娘がこんなにも寂しい思いをしているというのに!」

「あー……お姫様始まっちゃってるんでしょうねー……。今日は諦めたほうがいいよ、きーちゃん」

「だったら雪乃ママに挑戦状を叩きつけてくるのです! ふはははは! 雪乃ママなら絶対に誘いを断らない筈!」

「断らないっていうか、負けず嫌いだからねー……」

 

 後から聞いた話だが、絆が雪ノ下に遊びで挑戦して、まあいろいろあったらしい。

 

  たとえば羽根突き。

 

「うりゃうりゃうりゃうりゃへあへあへあへあ! ナイス虫取り網!《ぼてっ》ノーーーッ!?」

「静かにやりなさい」

 

 あっさり負けた。

 

  たとえば福笑い。

 

「絆……集中です。集中するのです。瞼の裏に焼き付けた顔のパーツをイメージ通りに置いていけば、なんの問題もありません……! 目がここ、鼻がここ、口がここで……こう! どーだー!《しゅるりっ》」

「……はぁ、出来たわ《しゅるり》」

「わ……雪ノ下先輩完璧です……! ……きーちゃん、他パーツは大体合ってるのに、なんで目だけがこんなに吊り上がってるの」

「え、えーと……りょ、りょ、呂布だー! とか言ったら───」

「ごめん、よく解んない」

「あうぅう……!」

 

 結局負けた。

 

  たとえばオリジナルカルタ。

 

「猫に小判」

「《シュパァンッ!》……ふっ」

「え、え? え……!?」

「猫の手も借りたい」

「《パァンッ!》……ふふっ」

「え、あ、あれ? え?」

「窮鼠猫を」

「《パァンッ!》……ふふふ」

「ゆ、雪乃ママ? まだ言い途中───」

「猫の前の鼠」

「《パシィッ!》……ふふふふっ……」

「それって蛇に睨まれた蛙と違うんですか!?」

「猫も杓子も」

「《バッシィァ!》……ふふふふふ……!」

「ていうかなんでさっきから猫に関わることしかないんですか!? え!? いろはカルタじゃないんですか!?」

「きーちゃん、雪ノ下先輩が偶然見つけた猫のことわざカルタだよこれ」

「そんなのあったんですか!?」

 

 一方的に負けたらしい。

 

  たとえばコマ回し。

 

「これをこう回して、投げるのではなく引くつもりで……雪乃ママ、同時だよ? 先に倒れたほうの負けで」

「ええ、いつでも。一色さん、合図を」

「はいはーい。それでは! コマ回し一回戦目……始めぇぇっ!」

『───ふっ!《しゅぱぁんっ!》』

「………」

「………」

「………」

「……地味です」

「コマ回しになにを求めてたのきーちゃん」

「絆と美鳩ならばぶつけあって吹き飛んだ方が負け、という方式でやるからとっても熱いんですけどね」

「ベーゴマでやろうねそれは……って言ってる間に雪ノ下先輩のが倒れましたね」

「やった! 勝った! 仕留めた!! うわっほほーーい! 勝った勝ちました! 雪乃ママに勝ちました絆の勝利ですなんかこれだけ言うととってもいいこと言ってるみたいに聞こえます! 絆の! 勝利です! わっほほほーーーい!! なんでしょうこの“オラたちのパワーが勝った”みたいな、一人なのに大勢居るような心強さ! あ……もう一度、たっぷり言わせていただきます。勝ったのは……《ドンッ!》絆です!《ババンッ!》……たっぷり! さあ雪乃ママ続行です! 今の絆は孤独が故に最強ですよ!」

 

 なんか勝てたらしい。

 

  たとえば双六。

 

「《コーーーン……》負けました……」

「勝負は時の運って言いますけど、ここまで時の運に見放される人も珍しいですよね……」

「どうしてそうまで1と2が出せるのかしら……」

「たまに3が出ればもうけもんなんですよ絆は……い、いいえ! これはなにかの間違いです! さあ次です! 次こそ絆の勝利を! 凧上げです! なにを隠そう、絆は凧上げの達人! 少しも上げられなかったら絆の負けでもいいと宣言しましょう!」

 

 双六、完敗。

 

  たとえば凧上げ。

 

「……ここらへんも電線が増えたわね……」

「あ、雪ノ下先輩、なんかあっちに凧上げはご遠慮くださいって書いてますよ」

「では絆さんの負けということで」

「う、うわーーーん!!」

「禁止なのに“上げられなきゃ負けでいい”って言っちゃいましたからねー……」

 

 凧上げ、不戦敗。

 

  最後に、お手玉。

 

「ふむふははははは!! お手玉は絆の得意な遊びのひとつ! はっほっはっ! どうぞ見てくださいこのジャグラーばりのお手玉術! いい手さばきでしょう!? 余裕の手技だ! 動きが違いますよ! このまま一曲ろうじてみせましょうか! ……シデンへ~~、ようこそ~~~♪」

「きーちゃん? お手玉は数よりも続けることを競うものだから、失敗したら……」

「え?《がすっ》あ、あ、あー……《ぼととぼとぼと》」

「はぁ……そもそもあなたにお手玉を教えたのは私でしょう……」

「うう、ちくしょう……」

 

 お手玉、惨敗。

 そんなこんなで結局はほぼ負けたらしい。

 

「美鳩と互角の戦いを繰り広げる日々に、絆は上を目指すことを忘れていたのかもしれません……! しかも今では店のための修行でさえ美鳩に先を越されて……こ、このままじゃいけません! 絆、頑張ります! ので! 雪乃ママにいろはママ! 紅茶とお菓子を教えてください! 美鳩が本格的コーヒーを学ぶのであれば、絆は紅茶とお菓子を極めてみせます!」

「たしかにティーインストラクター、アドバイザーの資格は持っているけれど……」

「あ、きーちゃん? きーちゃんとみーちゃんでこのお店を継ぐなら、わたしも喜んで伝授するけど、どう?」

「うぬっ……こ、この絆に……! や、ヤツと手を組めと……!?」

「はいはいそういうのいーから。どーなのきーちゃん」

「せめてちょっとは付き合ってほしかったです……いえまあもちろん、絆はこのお店が大好きなので、是非とも継ぎたいと思っていますが。美鳩の夢もそうだった筈です」

「わー……これは先輩が聞いたら泣くほど喜びますよ……ね、雪ノ下先輩?」

「そうね。彼はあれで、身内には甘すぎるから」

 

 そんなこんなでバトル終了。

 あとは楽しむ程度にそれぞれささやかな遊びをして過ごした……というのを、二日の日に聞いた。

 断食&一日ぶっ通しの愛は、俺と結衣に備え付けのスポーツドリンク以外を摂取させない濃厚な一日である。

 

  一月三日には雪ノ下の誕生日。

 

 ざっくり言うなら罪深き汝が地獄突きされたり、俺と結衣が一色のケーキでラヴラヴしたり、罪深き汝が雪ノ下に怒られたりと、まあそんな一日だった。

 1~3日の内に見た夢を初夢というらしいが、俺と結衣は互いに似たような夢を見たので、縁起がいいかどうかは置いておいても笑顔だった。

 

  1月7日。

 

 人日の節句。

 七草粥を食べて無病息災を促し、一年間がんばりましょって日である。

 

「七草粥……これのための七草が1パックに揃えて売られてるのって、なんだか滑稽だよね……」

「滑稽言うな」

「だってこれどう見たって“雑草詰め合わせました♪”って感じだよパパ! なにこのしなびた雑草みたいなの! これなら馬で犬なあの人がハイポ作れそうだよ!」

「だからやめなさい。食欲無くなるだろうが……一応栄養満点なんだから文句言わない」

「………《スッ》」

「ネイチャーメ○ドから離れなさい。つーか蓋に“う”って書くのやめなさい」

 

 少し経てばまた行事。

 

  その名も鏡開き。

 

 行事か? まあいい。

 神に供えた餅を、木槌などで割ることを指す。

 普通に包丁で……と言ったら美鳩が断固として木槌がいいと言ったので、毎年木槌。

 これは美鳩が好きだった。

 ちなみに包丁だと切腹の意味に繋がるから、切るのではなく開く、という表現で、切断はやめておいたほうがいいらしい。

 固まった餅は木槌で割る。酒樽とかも木槌で割る。まあ、割るって表現よりも開くって表現の方が正しいらしいが。

 故に鏡開き。

 

「鏡開き……神に捧げた供物を、自然物を加工して作ったもので割る……。そう、神に渡ったものを割るという行為ッッ! 実に粋ッッ!!」

 

 どこまでノリで生きたいのか、この娘は。

 綺麗な顔、ステキプロポーションなのに、頭の中が実に賑やかだ。

 成績もいいのに。

 まあ、だからダメだって言いたいわけでもないんだが。

 

「覚悟は良いかッ! ───愚か者めェィ!!《カポォン!!》いったぁあーーーーーーっ!?」

 

 振り上げ、下された木槌が見事に餅を外した。

 お陰で愉快な音が鳴って、そのダメージが絆の手を襲う。

 

「絆、めっ。食べ物で遊ばないのっ」

「ううう……! ち、違うんだよママ、これはアレがアレで……! ほ、ほら、食べ物で遊ぶっていうか、木槌振り回してただけだし、今の時代、有名RPGのブラウニーでさえ木槌を振り回す時代なんだから……」

「きーずーなー?」

「あぅう……ごめんなさい……。で、でもだよ? 中華一番のOPでも、包丁をヌンチャクにして振り回してた料理人の風上にも置けないハゲが居たし」

「いや、失格だとしてもハゲは関係ねーだろ。つーかなんでそんなもん知ってんだよ。俺でさえよく知らねぇぞ?」

「平塚先生が円盤貸してくれた」

「……あの人の年代だとしても計算的にどうなんだよ」

「ほら、なにかのきっかけでたまたまアニメを見て、気になって揃えたとか」

「あー、ありそうだわ。あの人ならありそうだわー……」

 

 男の胃袋を掴んでモノにする⇒よし料理だ⇒ただ料理を習うのもな⇒よし漫画かアニメだ⇒新しいものより一つ前くらいのほうが肌に合うな⇒なんか珍しいの見つけた。しかも意外に面白い。料理よりバトルメインっぽくていい───って感じで。

 

  2月の初めはやはり節分。

 

 あたたかい夢を見た日。

 そして、美鳩が大変喜んで鬼役をする日でもある。

 普通は名前に“鳩”の文字があると、ハトポッポなんて馬鹿にされたりしてヘコむんだろうが、美鳩は鳩の文字があることを誇りに思っている。

 俺の名前が八幡だから、自分の帰るべき場所はパパの傍、というのがヤツのジャスティスなんだそうだ。

 そういった意味で、豆大好き。普通に味としても豆が好きなんだそうだが。

 

「あ、あはは……あー……泣いちゃったなー……」

「べつにいーだろ。いい夢見れたんだろ?」

「うん……」

 

 会いにきてくれた、と泣いた妻の頭を撫でて、今日も一日が始まる。

 無茶な体勢で寝てた所為で、体が突っ張っているが……まあ、なんとかなるだろ。

 

  バレンタインデー。

 

 バラティエだったりゴローだったりコーヒーだったりチョコだったり……スライムだったり。

 いや、うん。美味かったんだよ? 美味かったんだけどさ。

 いやもちろん? これしきで腹壊したりしないのがマッカンで鍛えられた甘党の八幡さんですよ?

 ……でも、知らない内に届けられていた美鳩特製チョコ。あれが効いた。

 あとで食べればよかっただろうに、絆と同じ文章が書かれた紙が同封されていてな……。

 そんなわけで甘さに耐えられず、仕事は休みましたごめんなさい。

 

  3月。

 

 桃の節句にはちらし寿司とはまぐりのお吸い物は欠かさない。

 男が俺しか居ないから男の健康なんざどうだっていいのだ。

 だが、女児の健やかな成長や厄除けに効くと知っては毎年欠かすわけにはいかないわけで。

 そんな日が過ぎればホワイトデー。

 毎年毎年忙しい日である。

 今年は海外にも送らなければいけないので、そりゃもう良い飴を用意したよ。

 飴が作れることは確認済みだから、一色に教わりながらきちんと作った。

 

『パパ……飴、届いた……! これはもう家宝にするしかない……! ジャスティス……とてもジャスティス……!』

「食べなさい。いいから食べなさい」

『ちょっと比企谷くーん? どーしてお姉さんには飴のプレゼントがないのかなー?』

「いえ、チョコもらってませんから」

『……あれ? あげてなかったっけ?』

「雪ノ下宛にならひとつ」

『……美鳩ちゃん。宛名、比企谷くんにしてって頼んだよね?』

『……はるのんは愚か。とても愚か。愛と感謝を届けるべきものを他人任せにするなんて、心が籠っていない証拠。そんなものをパパに届けようなんて、美鳩に阻止されて当然。……ん、ジャスティス』

『美鳩ちゃん、今日ごはん抜きね?』

『ひょっ……兵糧攻めとはとても非道い……。けれど美鳩はそんな脅しには屈しない。三日くらい我慢出来る。お生憎というやつ。フフリ』

『そ? じゃあ目の前で美鳩ちゃんの大好物をこう……んむんむー♪ んん~~~っ、おいしーっ♪』

『~~! ~~……! ひ、非道……! なんと非道な……! はるのん、すぐにその行為をやめるよう忠告をする……! でなければ、美鳩がバリスタ修行の中で閃かせた魔技が、あなたを襲うことになる……!』

『ふーん? あはは、魔技だなんて、なんのことか知らないけどさ、多少のことじゃわたしは動じないよ?』

『……本当ですか?』

『ほんとほんとー』

『信じて……いいですか?』

『いーよいーよー……って、え? なんでちょっと感動ものみたいな雰囲気に』

『じゃあ覚悟する……! 魔技・ズビリッパコーヒー!』

『《バッシャアア!!》うぁあっちゃぁああああああああああああっ!?』

「《ブツッ……ツー、ツー……》…………なにやってんの、あの人達……」

 

 バリスタ魔技のひとつ、ズビリッパコーヒーが炸裂したらしい。

 ちなみにズビリッパコーヒーとは、カップに入ったコーヒーを勢い良く横振るいで、相手にぶつけるようにコーヒーの中身をぶちまける奥義である。

 当然ながら、熱ければ熱い。

 たぶん向こうで喧嘩になってるんだろうな。

 美鳩~? バリスタ志望が人にコーヒー浴びせてはいけませんよ。

 ということで……そっとしておこう。

 

  そして進級。

 

 絆が二年になり、俺達にとっても思い出深い学年に。

 もう奉仕部はないが、なぜだか急にあの場所に行きたくなったりする。

 

「二年になったからといって、なにがあるわけでもないんだけど……ああ、APTX4869が欲しいです。あれがあれば、カプセルの中身を少量だけパパに飲ませて、一緒に青春する夢をみることが出来るのに……」

「誰が許可すりゃ入れるんだよ……戸籍がねぇだろまず」

「そんな現実問題を気にしたら物語なんて作れないんだよ、パパ」

「作らんでよろしい」

 

 3月を過ぎて4月になれば、まーたエイプリルフール。

 散々と解り易い嘘を言い合って、散々と楽しんだ。

 その日の内に美鳩から夏休みに遊びに行く、という嘘まであったんだが───

 

   ×   ×   ×

 

 時は流れ、6月。

 東京わんにゃんショー。

 ───その日に、彼女は姿を現した。

 

「《ザッ……》懐かしい日本の香りがする……」

「こんな場所まで来てからそれ言うんだ……空港で言えばよかったのに」

「はるのんはやはり甘いです。美鳩にとっての日本の匂い。それはパパとママ、そして喫茶ぬるま湯の匂い。つまり何処に居ようとパパとママが居ればそこが日本」

「でも夏休み三ヶ月は長いと思わない?」

「これを機に一度舌を思い切りリセットします。バリスタに味覚を殺すような食べ物は厳禁。お陰でパパが贈ってくれたものはろくに食べられなかった。美鳩的にこの気持ちは嘆く方向でジャスティス」

「はいはい。さってとー、雪乃ちゃんはどこかなー? 来るって話は通してないけど、隼人から情報はもらってるからこの時間になら着いてる筈で───ねぇ美鳩ちゃん? 美鳩ちゃんなら懐かしい日本の香りとかで比企谷くんの匂いが───あれ? 美鳩ちゃん? 美鳩ちゃ───」

「《シュタタタタタ!》タックルは腰から下っ……!」

「《どごぉ!》おぉわあっ!? ななっなななにっ……って美鳩!?」

「速っ!? え? あ、え!? さっきまで隣に……えっ!? なんでもうあんなところに!?」

 

 美鳩、郷愁。強襲とも言う。

 写真ではなく、直接見るのは一年ぶりとなる娘が可愛かったので、抱き締めて振り回して頭を撫でまくったら、いつもの眠たげな目のままに真っ赤でふにゃふにゃになってしまい、大変だった。

 

「美鳩、無事だったか? ズビリッパのあとにこれといった連絡がなかったから心配してたんだぞ?」

「ふふり、そこはご安心。豆の管理や湿度調整は基本中の基本。お湯の温度にさえ超絶丁寧なバリスタ志望の美鳩さんは、人が火傷する温度というものを知り尽くしている。熱いとは感じても火傷にはならない絶妙な温度で相手に効果的な嫌がらせをする。なんというジャスティス」

「お前はなにがしたくてバリスタ目指してんだよ……」

「今の世の中、きっと護身もできないバリスタは闇討ちで死ぬ。人が口にふれるものにスパイスを塗ってくるような者が授業に混ざっているのはとても悲しい。なので花山椒を粉末状にしたものを塗る嫌がらせ返しをしてきた。やられる覚悟も無いままに美鳩を敵に回すとは愚か」

「まあ、日本人ってだけで嫌うヤツも居るしな」

「それはそうとパパ。イタリアではアイスコーヒーがあまり主流じゃなかった。頼んでる日本人が居たけど、ホットコーヒーにアイスをぼちょりと入れられていた」

「まあ、そうな。向こうはHOTが基本。砂糖もたっぷりだ」

「そう。MAXコーヒーを作ってみせたら“甘さが素晴らしい!”って喜ぶ人と、“甘さが凄まじい!”と驚く人が居た」

「そかそか」

「そう。それから、それから……! パパ、あのね? パパ……!」

 

 美鳩は自分の知識を伝えて、頷かれることが嬉しいようで、目をきらきらさせて興奮気味に話してくれた。

 体に抱き着いて、俺を見上げて話してくる様は、いつかの結衣に似ている。

 なのでつい頭を撫でてしまうのは仕方のないことだと解ってやってほしい。

 

「パパー! 今年こそはわたしと犬スペースに───って美鳩!?」

「……! 絆……!」

 

 そして再会する双子姉妹。

 一卵性なのに特徴が違う二人は、そのくせ妙な電波を飛ばしては受信するので見ていて退屈はしない。しないのだが、会えないと寂しいもんだ。

 走ってくる絆を確認して、ほれ、と美鳩を解放すると、《ぎゅむ》……再度抱き着かれた。

 

「えぇええっ!? み、美鳩!? そこはわたしに抱き着くところでは……!」

「その判断は実に愚か。パパから離れることで枯渇していたピジョニウムを補給するべく、美鳩は鳩として八幡宮エナジーを抱擁から摂取する必要がある。咄嗟に思いついたにしてはなんという理屈。実にジャスティス」

「おのれっ! ピジョニウムって鳩じゃないですか! 鳩エネルギーなら自分で精製出来るってことじゃん! 離れろー! そこはわたしの特等席だー!」

「それこそ愚か。ここはママの特等席。けれど一年も離れていた美鳩には、ここを堪能する権利が与えられた。なんか知んないけど」

「知らないんだ!? ぐっ……まあ、いいです。姉、やさしいですから。ここは背中から抱き着く方向で」

「いやおま《ぎゅっ》えっ……って、だから《ぎゅー!》……動けないだろこれ……」

 

 娘に抱擁サンドイッチ状態にされた。

 しかしまあ、どっちを優先するかっていったら美鳩だろう。

 なので頭を撫でつつ、話したがっていることを聞くことに。

 

「バリスタの授業の方はどうだ?」

「日々新鮮。でも、対人トークはやっぱり苦手」

「……だな。俺も苦労した」

「でもはるのんに奥義を伝授してもらった」

「奥義?」

「そう。強化外骨格、とかいうらしい。人の前に出ても、上っ面だけだから傷ついても平気な奥義」

「雪ノ下さん、ズビリッパしていいですか?」

「やめてよ!? この服気に入ってるんだから!」

「なぁにが“気に入ってる”ですか! 娘になんつーもの教えてっ……!」

「んー……そうは言うけど比企谷くん? それ無しで、美鳩ちゃんにバリスタが出来ると本気で思ってる?」

「会話方面はやかましいこいつが居ます」

「こいつです《どーーーん!》」

 

 促してみれば、絆が胸を張った。

 ノリがいい。背中から離れてまでドヤ顔でキメてくれたので、今の内に抱き着かれないように美鳩を絆側へ移動させて……これでよし。

 

「二人で一人っていったって、資格取るのは美鳩ちゃんでしょ?」

「ぐっ……」

「資格取っちゃえばそれでいいんだし、それまでは我慢我慢。美鳩ちゃんだって家族の前で“そんなもの”つけないでしょ?」

「そう。美鳩は家族の前ではいつだってありのままの美鳩。この気持ち、常にジャスティス」

「なるほど、そして資格さえ取ってしまえば、美鳩は普段通りに、会話はこの絆の出番だと。力を合わせたのち、家族の絆で勝利する……素晴らしい、それは素晴らしい」

「ん、ジャスティス」

「………」

 

 拝啓、小町さん。

 娘たちがたくましいです。

 いや、それはもちろんいいんだが、なんだろう、こいつらはいつまで一緒に居るつもりなのかをちょっぴり考えてしまった。

 喫茶店を続けてくれるのは嬉しいが、経営が安定し続けるとは限らんしなぁ。

 や、そりゃ、隠し財産的なアレはあるにはあるが。

 ……まあ、いいか。そこはこいつらが決めることだ。

 お前達のことを思ってー、とかアホみたいに言い続けるほど、押しつけがましいことなんて好かんし。

 



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そこにある青春のかたち⑥

 戻ってきた結衣が驚く様を存分に堪能してから行動開始。

 雪ノ下さんは雪ノ下を探しに猫スペースへと向かったので、現在こちらには比企谷親娘だけである。

 美鳩は結衣の腕に抱き着いており、絆は俺の腕に。

 

「ああ、ママの香り……安心する」

「美鳩は甘えん坊さんのままだねー。えへへぇ、なんか安心するねヒッキー」

「“外国に渡ったらなんもかんも変わって帰ってくるんじゃ……!”とか心配してたもんな、結衣」

「大丈夫……奥義をいくつか得てきただけで、美鳩の中身は変わらない。変わるとしたら、そう……誰かに心から変えられる瞬間だけ……!《ポッ》」

 

 はいちょっと待ちましょうね? そこで真っ赤な顔で目を潤ませながら俺に言う意味はなにかなー?

 ……ツッコんじゃいけない気がする。スルーしよう。

 

「てゆーか……美鳩?」

「なに? 絆」

「………」

「…………《もにゅり》……無言で胸を鷲掴むのはどうかと思う。とりあえずヘルスラスト」

「《ドス》うひょう!? ちょ、お腹に地獄突きはやめて!? なんでパパも美鳩も地獄突きするの!?」

「ならばこちらも説明を求める。なぜ胸を掴んだの」

 

 言いつつ、何故か結衣から離れ、俺の腕に抱きついてくる美鳩。

 

「《もにゅもにゅ》こ、こらっ、言いながらどうして俺の腕に押し付けてくるっ! やめなさいちょっ……こらっ!」

「……双子なのに大きさで負けている……!? み、美鳩!? 外国でなにがあったの!?」

「……ふふり。女の子は恋をして成長する。それは、想いが強ければ強いほど。パパの隣で日々を過ごしていた絆より、遠く離れた地で恋い焦がれていた美鳩のほうが乙女度が高かった……ただそれだけのこと。この気持ち、実にジャスティス」

「っ……こ、この絆がっ……まさか、傍に居ることで満足していたというのか……!」

「腕に抱き着かれながらそんなこと言われるとは思いもしなかったわ。そして生憎だが俺は結衣一筋だ。好きになったら自分の全部をそこに置いて、一生を懸けて愛していく。それが人生ってもんだと思ってる」

『くうぅっ……! やはり最大の敵はママ……!』

「なんでいきなり敵扱いされてるの!? う、うー……ヒッキー……」

 

 寂しそうに唸る妻を招き、腕を組んで歩く。

 左腕を結衣にきゅっと抱き締められると、右腕は私がと、美鳩と絆で争奪戦を始めた。

 とりあえず娘は自由にさせといて、妻に笑いかけながら歩いてゆく。

 それだけでもほにゃりとやさしい笑顔を見せてくれる妻が、なんとも愛しい。ああ幸せ。

 

「ところでママ」

「ん、なぁに? 美鳩」

「美鳩が海外暮らしをしているうちに、なにか……あった? ママ、前までわんにゃんショーは少し躊躇してた。なのに今日、嬉しそう」

「あ、あー……うん。やーほら、えっとー……そだね。いろいろあったんだ。大丈夫、ママはこれからも頑張れるって、それだけの話だから」

「……パパ?」

「……そだな。いいことがあったんだよ。それだけじゃだめか?」

「……ううん。パパがそう言うなら、ママにとってそれはとてもいいこと。ジャスティス」

「そうそう、楽しく行きましょう。今日もお留守番をしているヒキタニくんを嫉妬させてしまうくらい、犬と猫とたわむれて楽しめばいいのです」

「だな。んじゃ、行くか。のんびりと」

「あ……うん、ヒッキー」

 

 より腕を絡め、手も絡め、繋ぎ合う。

 そして、去年よりも少しだけ緩んだ笑みと一緒に、ただ静かに撫でるだけだった犬スペースへと歩いてゆく。

 娘の同行も許可しなかった以前と比べれば、随分と落ち着いたもんだと思う。

 そこでたっぷりと犬と遊び、ヒキタニくん用のお土産を選んだりして、今日を楽しんだ。

 会話は主に美鳩の話になるのは当然のこととして。

 

   ×   ×   ×

 

 散々と楽しみ尽くし、戻ってきた喫茶ぬるま湯にて。

 

「……改めまして。夏休みの間だけ帰還が許された一羽の鳩、名を美鳩。寝ても覚めてもバリスタの勉強でそろそろピジョニウムが枯渇してきていたから、チャージするべく帰還。修行中のため、舌を殺すような飲食は禁止しているので、それは解って欲しいのと同時に、選り好みで食べてしまうのをママにもごめんなさい」

「あはは、いいよ。ちゃんと舌とかにやさしい料理作るから。はー、でも海外かー。ヒッキーの時は短期集中のやつだったっけ?」

「そだな。あの時はお前が一緒に行くって言って大変だったな……」

「そ、それはもう忘れてったら……!」

「むう。ということは。美鳩は長期でのんびりと、ですか」

「ふふり、その通り。ただし、学ぶペースは選べるし、授業だって好きなだけ取れる。つまり知識と経験を積んで、それが認められれば修了として、いつだって卒業が可能。もちろん資格を得られるわけだから、その判定も甘くない。大変」

「あはは、そうそう。美鳩ちゃんたら少し授業をするなり、講師に“パパの傍で経験を積んだ実力を見てほしい……!”なんて言って、修了試験なんて受けようとしてねー」

「……や、やめてはるのん。あの時の美鳩は自惚れていただけ……! 講師に散々言われたのはもはや黒歴史……! でも基本がしっかりしていると褒められたのも事実。これから肉付けしていくところだったのでしょう、から続く言葉でパパが褒められた瞬間、彼女は美鳩の恩師になった。軽くジャスティス」

 

 軽くなのかよ。

 というわけで、現在はぬるま湯内の奉仕部。

 ここに住む者+雪ノ下さんというメンバーで揃って座り、近況などを語り合っていた。

 

「けど美鳩、夏休み中でも、やろうと思えば授業は受けられたんだろ?」

「各自自習期間。夏休み中、自身で様々を学び、学校以外でも知識を深めるのが目的らしい。そこでどれほど自分を鍛えられるかでも、自分の将来への意欲が窺がえるらしい。そうして長期の人が休んでる中、夏休みを利用して短期で学びに来る人を育てる、らしい」

「あー……なるほど。登校日とかはないのか?」

「気になったこと気づいたことがあれば、講師にいろいろ訊くことも許可されてる。でも義務じゃないから、好きにしていいって聞いた。ね、はるのん」

「そ。一応、どこかのお店で勉強したいって時は、そのお店の名前を教えておくっていう……まあこれも義務じゃないんだけど、出来れば伝えて、そのお店がその生徒に合っているかを講師側で検討してみたりーとかやさしい部分もあったんだけど」

「故に美鳩はこのお店を選んだ……! イタリアに本格的に修行に来てるのに、日本に行ってどうするって無言のツッコミがあったけれど、美鳩にとってそんな冒険こそジャスティス……!」

「あ。安心していいよ、比企谷くん。美鳩ちゃん、自宅と学校の他に、ちゃんとエスプレッソが美味しいお店でバイトもしてるから。お店の人に結構可愛がられてるし───あっとと、比企谷くんにとっては性別が気になるかなー?」

「美鳩、店の主人は女か? 女だな? 女だよな?」

「? 妻子持ちのハゲ。サングラスがとっても似合ってる、体のおっきな人。日本人のお客さんからは親しみを込めて海坊主って」

「おいやめろ」

 

 っつーかなんで宅の娘は頭が丸い人を容赦なくハゲ呼ばわりするんだよ。

 そっとしといてあげなさい、それが好きでやってる人もいるんだから。

 

「まあとにかく、順調ってことでいいのか」

「そう、とても順調。それまでに散々怒られて馬鹿にされたことは決して忘れない。日本人というだけで“エスプレッソに砂糖も入れずに飲むイタイ通気取りが来たぞ!”と笑われたあの日を、美鳩は忘れない……! 美鳩にとってコーヒーとは砂糖を入れるもの……! それを日本人だからと鼻で笑った存在に、黄色と黒の結晶、我らがマッカンを投げつけてやりたかった……!」

 

 いや、投げつけちゃだめだろ。飲ませてあげなさいよ。

 

「というわけで美鳩は常に進化しています。ここでも勉強第一にするつもりなので、パパ、お願いします」

「……そか。まあまずは舌も少し休ませてやれな」

「りょーかい、パパ」

 

 人の足の間に座り、にこーと笑う娘がおる。

 まあ可愛いので撫でる。めっちゃ撫でる。

 

「はー……わたしもお菓子の修行の時はいろいろありましたけど、コーヒーも大変なんですねー……。先輩が修了出来るくらいだから、楽なんだと思ってました」

「おいちょっと? これでも俺、当時は相当頑張ったんだぞ? 短期とはいえ泊まり込みだったし、休む時間なんてほぼ無かったわ」

「まあ、それもウチで紹介した場所と用意した場所だったけどね。あの時はいろいろと人脈フル活用したっけなー」

「うぐ……ア、アリガトウゴザイマシタ」

 

 結果的に援助してくれたのは雪ノ下母だけど。

 

「あっははははっ、結果を出してくれたんだし、いいよ。結果も出さずに途中で逃げ出すようなら、追い詰めて捕まえて、じ~っくり潰してたけど」

 

 うわこわっ、怖い、怖いよこの人。

 宅の娘は大丈夫なんだろうか。妙なストレスとか溜めてない?

 え? 溜めてない? むしろママのんが過保護すぎて困るレベル?

 

「あ……そういえば美鳩言うところのママのんは?」

「今頃夫婦水入らずじゃない? あっちはあっちでいいでしょ、あまり興味もないし。じゃあ比企谷くん、美鳩ちゃん、早速だけどコーヒー淹れてみてよ」

「えー……? 動き回ってからコーヒーとか淹れたくなぁいぃ~」

「えー……? 帰国して早々、コーヒーとか淹れたくなぁいぃ~」

「うわー、この似た者親娘め……。いいからほら、早く。これも修行の一環でしょ? あ、それとも失敗するのが怖いのかなー? どーなの? ほれ、ほれほれー」

「それは美鳩への、ひいてはパパへの宣戦布告と受け取ります……! では───」

「うん、美味しいのを一杯───」

「出てってください」

「…………エ?」

「宣戦布告をしてきた敵を家に入れっぱなしの家族がいったい何処におりましょう。さあ出てってください。やすい挑発でコーヒーが飲めるとお思いですか。生憎と美鳩は先日まで、授業とバイトと家庭教師の教え、そしてはるのんの身の回りのお世話まで完璧にこなした隙の無いMihatoMk.Ⅱ。はるのんの考えていることなんてお見通し。人の目が無いからと服を脱ぎ散らかしてだらだらと堕落するその姿を、今ここで鮮明に口に出しても───」

「うわー! わーーーっ!! ちょ、やめて美鳩ちゃん! わかったわかったから!」

「ふふり、悪は去りました。家族水入らずの瞬間に早速修行の成果をだとか、無粋というものです。明日になれば存分に披露しますので、今は再会を喜ばせてください、はるのん」

「はぁあ……まったく。わかった、それもわかりました。どーしてこんなふうに育っちゃったかなぁ。確かに舐められないようにってわたしとお母さんとでいろいろ叩き込んだけどさ?」

「それが原因でしょう……はぁ、まったく……我が家族ながら……」

「雪乃ちゃんひどいっ! お姉ちゃんだって美鳩ちゃんが傷つかないようにって頑張ったのにっ!」

「服を脱ぎ散らかして? 炊事洗濯掃除、美鳩さんに任せきりで?」

「~~~……アゥ……《かぁああ……!》」

 

 そしてこの赤さである。

 どんだけ羽を伸ばして過ごしてたんすか、雪ノ下さん。

 

「とにかく、美鳩はこの一年で確実にステップアップした。大人のレディーに一歩近づいた。それはとてもジャスティス」

「みーちゃん? 大人のレディーは父親の足の間に座らないと思うよ?」

「だいじょぶ、ママもやってる。つまりそれは大人も許される至高のジャスティス」

「うわー……先輩、なんだかみーちゃん、前より甘えん坊になってません?」

「肩車じゃなくなっただけ助かってるよ……。こいつ、穿いてるのがスカートだろうと肩に上ってくるから大変だった」

「お望みとあらばいつでもっ……《ポッ》」

「やめろ、いい、結構です」

「パパひどい……」

 

 さて。

 まあそれはそれでいいんだが……うん。

 甘やかしまくってるよ? 一年離れてたんですもの、たっぷりだろここは。

 それはいい。それはいいんだが。

 

「……《ズッ》」

「…………《ズッズッ》」

 

 隣の妻と長女が、少しずつ椅子をズッて近寄ってきてるのはなんとかならんだろうか。

 家族愛が素晴らしいって言ってしまえばそこまでなんだが、これ絶対雪ノ下とか一色とか、とにかく雪ノ下さんにからかわれるパターンだろ。

 つーか結衣? 結衣さん? アータ親なんだから、少しは我慢をですね?

 

「先輩、なに唐突に結衣先輩引き寄せてキスしてんですか心の準備くらいさせてくださいキモいです」

「キモくねぇよ。いいだろべつに、好きなんだから」

「あぅう……ひっきぃ……《かぁあ……!》」

 

 親でも好きならいいじゃない。我慢? 知らない子ですね。

 

「まあ、ここでまったりするのもいいけど、俺としても気になるし……よし美鳩、コーヒー淹れるか」

「……!《ぱああっ……!》う、うん、淹れる……! パパに見て欲しい……!」

「あれ? なにその笑顔。さっきわたしそれ言って、出てけって言われたのに。あ、あれ? 美鳩ちゃん? あれー?」

「美鳩さんも、その……ええと。ピジョニウム? というのを補充できたということでしょう? それと、人がせっかくのんびりしているところに、海外でぐうたらして身の回りの世話を押し付けていた人にコーヒー淹れてと言われては、言い返したくもなるでしょう。姉さん? あなた、家の問題から離れてからというもの、少したるみすぎているのではないかしら」

「う、うわー……雪乃ちゃん辛辣ー……。そして否定出来ない……。これでもお姉ちゃん、がんばってるんだけどなー……」

「そういえばはるさん先輩はどんな仕事してるんでしたっけ?」

「ん? んー……海外の方でね、勉強したこと活かせる仕事。全部無駄にしちゃうのはもったいないでしょ? 今回の留学も、そのツテでなんとか出来たってだけだけど。……ほらほら比企谷くん? 今回はぜ~んぶお姉さんの人脈があればこそなんだから、感謝してくれていいんだぞー?」

「感謝ならしてますよ、とっくに。ただ真正面からお礼言ったって、茶化すでしょ、雪ノ下さん」

「それが楽しくてつついてるんだもん、当たり前でしょ?」

 

 うーわー、この人ほんっと大人げねぇ。

 まあそれも、子供らしい遊びとかしてる暇もなかった反動だったりするんだろうか。

 昔っから、時間があれば絆や美鳩たちの遊びに付き合って燥いでたし。

 ああいう時に見せる笑顔は破壊力がすごかったっけ。

 

「………」

 

 まあ、いい。

 今はのんびりコーヒーでも淹れようか。

 大事なのは贈る心。楽しむ心。やすらぎの心。

 尖って穿った気持ちで淹れたもので、人に安心は贈れない。

 これ、修行時代の恩師の名台詞。

 難しいなら笑顔になれ、悩みで自分を潰すくらいならいっそ忘れてぶつかってけ、と。なんとも豪快だった。

 

「美鳩。心は?」

「わくわく。コーヒーを淹れる時に暗さは無用。美鳩は腐った目のパパも大好きだけど、コーヒーを淹れてるやさしい顔のパパはもっと好き」

「……そか。あんがとさん」

「うん。あんがとされた」

 

 店の方まで出て行って、そこで準備をしてからじっくり淹れる。

 出来て当然だから余裕の表情なのではなく、相手に安心を贈れることを喜べるよう、そんな顔で淹れるのだ。

 仏頂面で雑に淹れられて喜ぶやつは居ない。そりゃそうだ。

 だからこそ、淹れる者こそが安心してなきゃいけない。

 美鳩と顔を見合わせて、ニカッと笑う。

 いっつも眠たそうな目の美鳩も、この時ばかりは本当に楽しそうに笑う。

 昔っから続けてきたからか、そんなことをするタイミングってのも解っているようで、そうしてコーヒーを淹れるのも一度や二度じゃない。

 うちのやり方を知っていて、学んだものをそこに混ぜて、けれど難しい顔をするのではなく、そうして提供できることを喜ぶように……やがて、家族に贈る一杯が完成する。

 その香りに頬を緩ませ、パーンとハイタッチ。

 奉仕部に戻って振る舞うと、大絶賛された。

 コーヒーは……どっちがどっちだかは教えなかったが、全員にあっさり解られてしまった。

 

「パパのはやっぱり安心するね……。美鳩もこんなコーヒーを淹れたい……人を安心させたい。だからこの道を選んだ」

「最初は好きなモノを仕事に出来たらなって軽い考えだったんだけどな。やってみればしっくりくるもんだ。まあ、訊きたいこととかあったら遠慮なくこい」

「ならパパの好きな女性のタイプを訊きたい……!」

「おい」

 

 いろいろツッコミどころ満載のまま、お帰りなさいパーティーは続いた。

 ものを作るってものにうずいたらしい一色と雪ノ下が、ケーキと紅茶を用意しだしてからはそれこそパーティー。

 そのまま夜遅くまで、騒ぎは続いたのだった。

 ああ、ちなみに夜は俺と結衣の寝室に娘二人が雪崩れ込んできた。

 昔はこうして寝たもんだが、もう狭い。

 

「ああっ、落ちるっ、落ちますママッ! もう少しそっちに……!」

「もうこれで限界だってば! あ、あたしとヒッキーなんて、もう抱き合ってるくらいだし……」

「パパの背中、あったかい……ぎゅー」

「いや、美鳩? もうちょいそっち行けるだろ。ぎゅーじゃなくて」

 

 広々とは無理だったが、まあなんとか、無理矢理寝た。

 お? おう、もちろん娘の前だからって遠慮せずいちゃいちゃしたが。かつて宣言したことは今だって続いている。

 娘の前だろうと妻をないがしろに~なんて、誰がするかっつの。

 

……。

 

 翌日。

 今日も元気にお仕事である。

 

「いらっしゃいませ」

「え……美鳩ちゃん? 帰ってきてたのかい?」

「……お帰りはあちら」

「いや……だから。なんで絆ちゃんも美鳩ちゃんも、俺にだけそれを言うんだ……」

 

 本日のお客様第一号、葉山隼人。

 一応美鳩が席に案内して、メニューをズイと差し出す。

 

「モカとマロンケーキのセットを」

「ん……わかった。震えて待て」

「え? 震えて? なんで?」

 

 とことこと眠たそうな顔で戻ってきた美鳩が、モカとマロンケーキをと告げる。

 マロンケーキの用意はあるからこれでいいとして、モカか。

 

「美鳩、やってみるか?」

「《ぱああ……!》パパ……! 大好き、愛してる……!」

「いやまあ、相手が葉山だからだが。一応自分が淹れたってことも言ってやれよ?」

「そこは解ってる。パパのことだから、どうせ美鳩の淹れるモカの分はお金を取らない」

「……だな。まあ、気負わずにやってみろ」

「うん」

 

 そうして始まる作業。

 後ろから見守る俺、なんか親とか師匠っぽくてちょっとくすぐったい。いや、親だけど。

 しかしこう、眠たそうではあるのに目は真剣そのものだ。

 きちんと手順を踏んで、混ぜる量も気をつけて、やがて完成。

 それをむふーんと満足げに見下ろす美鳩。ドヤ顔である。

 

「じゃあ持っていく。感想はすぐ傍で。大丈夫、美鳩は現実というものを知っている。まだまだパパのものには敵わないから、なにを言われても平気。でも辛くなったら泣きにくる。胸とか貸してくれたら美鳩的にとてもジャスティス……!」

「いーから行け」

 

 ぶつぶつ言う美鳩の背を押して、葉山のところへ向かわせる。

 出来はいい方だが……飲み慣れたものとは明らかに違えば、葉山の反応は変わってくるはずだ。

 合格点をあげる条件は、葉山が気づかないこと。

 

「ん……モカマロンセット、です……」

「ありがとう」

「………」

「………」

「………」

「………あ、あの、美鳩ちゃん?」

「美鳩のことは気にしなくていい。飲んで?」

「あ、ああ……いただくね」

 

 葉山がカップを手にする。

 な、なんだか俺まで無意味に緊張してきた。

 どんな反応をするんだ葉山のやつ。

 

「《スズ……》ん……あれ? 味を変えたかい?」

「───!」

「………」

 

 だめか。

 さすがに変化があれば気づくらしい。

 みるみる美鳩がしょんぼりして、戸惑う葉山をほったらかしにしてこちらへととぼとぼやってきた。

 

「美鳩はまだまだ修行が足りない……」

「っつっても、味が違うって感じただけで、まずいとは言ってないだろ」

「美鳩はパパの味を継ぎたいの。だから、それはだめ」

「───……」

 

 やだ、娘が可愛すぎる。ええいもうこやつめ、どうしてくれようか。

 ……とりあえず頭を撫でくりまわした。

 うん、娘、可愛い。

 

「うはー! 寝坊したー! あ、おはようパパ! 美鳩もやっはろー! ってなんか撫でられてる! なにがあったか知りませんがこの絆も追加でお願いします!」

 

 とりあえず便乗していくスタイルらしい。

 いや、客居るのに堂々と寝坊とか言うなよ……。

 

「おはよう、絆ちゃん」

「いらっしゃいませお客様。お帰りはあちらよ? 回れ右して帰りなさい」

「……比企谷。俺、そろそろ泣いてもいいか?」

「やめろ、空気が悪くなる。っつーか、今日は飲みにきただけか?」

「その言い方、飲酒しに来たみたいだからやめてくれ。ええと……これ。雪ノ下さんの母親から、イタリアのお土産を預かってきた。本当は本人が来たかったそうなんだけど、ちょっと忙しいらしくてね」

「いや、悪いだろ……旅費とかあっち持ちなのに」

「ああ、ほら。美鳩ちゃん、孫みたいに可愛がられてるから。家に戻って、気持ちが全部比企谷のほうに向かないかって気が気じゃないのかもしれないな」

「あー……お義父さんみたいなもんか」

 

 結衣の父親は、そりゃあもう孫に甘かった。仕事があって来れないことが多いし、どっちかといえばママさんばかりが来ていたが、それでも来れた時はすごかった。もうね、あれぞえびす顔って感じ。

 孫にデレデレの海原雄山もびっくりのデレデレっぷりだった。

 写真とか送るとめっちゃ喜ぶぞ。まあ、最近じゃあ絆も美鳩も、パパの手元に残さない写真は撮ってほしくないとかいって、カメラ向けると逃げるけど。

 お義父さん、泣いてたっけ。

 

「ところで比企谷、このモカ」

「おう。娘の修行の成果だ」

「そうか。うん、やっぱりいつもと違うけど、いい味だよ」

「お世辞はいらない。どうしても世辞を贈りたいならパパの口から言わせるべき……!」

「いやなんでだよ」

「へー、これ美鳩が淹れたんだ。あ、じゃあわたしももらっていい?」

「パパの味にはまだ遠い。アドバイスがあったら言ってほしい」

「まっかせろい! 姉妹だからって容赦しないからね!」

「ん……絆のそういうところ、嫌いじゃない」

 

 そうしてまた、美鳩が真剣な顔で準備を始める。が、その一歩目からダメ出し。

 

「笑顔が足りない! やり直し!」

「……! 迂闊……!」

 

 再開。

 楽しむ気持ちを思い出した美鳩が、なにを思い出したのか、ふふっと笑いながら淹れ始める。

 

「うんうん、パパのコーヒーは癒しがテーマだからね。ほっと息を吐けるぬるま湯。それがここ。真剣な顔で難しく作ったって、そんなのたとえ美味しくてもパパの味じゃないよ、美鳩」

「ここぞとばかりに抉ってくる……! でも、わかった……もうまちがえない……!」

「ふふんっ、美鳩が向こうで胸を膨らませてる中、わたしはパパの味というのを研究したからね。……足を引っ張るとかじゃなくてさ、二人でちゃんと守っていこうよ。わたしもここ、大切だから」

「……なんか悔しい。でも、それは解る。大切にしたいその心、常にジャスティス」

 

 やがて完成する。

 それを無言でコチャリと葉山の前に置く絆。

 ……飲めと。

 

「う、うん……じゃあ、いただくよ」

「いい判断です。飲まなければ客ではないと見なし、追い出してました」

「これも金をとるのかい!?」

「お金を払ってでも飲む価値がある、と感じたら払ってください。それでいいです」

「いや……それ、答えによっては俺がここに物凄く来づらくなるんだけどな……」

「しのごの言わずに飲むのです」

「……~……わかった」

 

 カップを手に取り、しゅる……と熱いモカをすする。

 その表情は……少し、固い。

 

「……ごめん。美味しくないわけじゃないけど、比企谷の味を目指してるならこれは違う」

「美鳩ー! 違うってー! もういっちょー!」

「えぇえっ!? いやっ……さすがに三杯とかっ……け、ケーキも食べたし……!」

「あら、葉山くん。あなたそれでも男なの? 女性が成長しようと頑張っているというのに……薄情ね」

「はっ……薄情なんかじゃ……! よし比企谷! 美鳩ちゃん! どんどん持ってきてくれ!」

「え、お、おい葉山? 葉山ー? ……聞いちゃいねぇ。おい絆……葉山の前で雪ノ下の真似して煽るのやめろって言ってるだろが……」

「美鳩の成長のためだよパパ!」

「……金はもらわないからな?」

「うん。パパの考えなんてお見通しお見通し~♪」

「はぁ……だったらもうちょい、騒がしくしない方向で頼む」

 

 それはだめ、なんて返事をされて、溜め息を吐きつつ……葉山の試練は続いた。

 え? そこは美鳩の、じゃないのかって? ……いや、これどう見ても葉山のだろ。

 

……。

 

 で。

 

「…………《どしゃり》」

 

 水っ腹に苦しむかつてのリア王が、テーブルに倒れた。

 

「おかしい……こんなに近づけようとしているのに、どうして……?」

「あー……美鳩。自分自身で気づかなきゃ意味がないとか、面倒なのは嫌いだからズバっと言おう。美鳩はコーヒー淹れる時、なにを考えてる?」

「え……コーヒーを淹れることしか考えてない」

「そか。俺はその度その度、結衣に喜んでもらいたい一心で淹れてる」

「……! 愛……!」

「愛とかハッキリ言うのやめなさい恥ずかしいでしょ。まあ、ともかく。客に淹れるつもりではやってないんだよ。喜んで欲しいなら淹れ方も丁寧になる。喜んでくれるって思えば、顔も勝手に笑っていくだろ。だからな、美鳩。なにか大切なものとか人とか、まあ……喜んでもらいたいって気持ちで淹れてみろ。それでもだめならもっと悩んでみろ。愛情が足りないのかもしれないって足掻いてみろ。そうでなければ“本も”───ああその、なんだ」

「パパ?」

「……こほん。まあ、ともかく。それでやってみろ。見えるものがあるかもしれない」

「……ん、わかった。頑張ってみる」

「おう」

 

 熱く語ってしまった。反省。

 しかしこれがきっかけで化けてくれたらむしろありがとうだ。

 ……葉山、動かないから次は俺が飲むんだろうか。

 まあ、いいか。家族との付き合い、大事。

 

「っつか、絆? 結衣はどうした?」

「もう来ると思うよ? 洗濯機が壊れたーとか言ってた」

「まじか」

「うんまじ」

 

 洗濯機ってほんと、なんでこのタイミングでって時に壊れるよな。

 新しいの買うか、修理に出さないと。

 

「パパ、出来た」

「おう」

 

 まあ、今は娘の成長を味わおうか。

 こんな日が来るとはなぁ。

 娘が修行までして、俺のあとを継いでくれるとか……やだ、八幡泣いちゃう。

 

「《しゅる……》ん……おおっ? かなり近づいたんじゃないか?」

「ほんとっ……? ほんと? パパ……!」

「おうほんとだほんと」

 

 さっきの今でこれほどとは……た、宅の娘は天才やー!

 ……とは言わない。努力の賜物だな。

 うん、頑張った! 美鳩は頑張った!

 ふと、学生時代に結衣に言われたことを思い出して、心がほっこりした。

 あの頃は、こんな未来に辿り着けるなんて思いもしなかった。

 それを思えば、それを叶えるために手を貸してくれた全てに、感謝せずにはいられない。

 俺の感謝なんて欲しい人が居るかは解らんけど。

 

「俺は結衣を想って、だけど。美鳩は誰のために淹れたんだ?」

「………………《ポッ》」

 

 はーいちょっと待ちましょうねぇ娘さん。

 何故俺を見て頬を赤らめるのかな?

 

「これはパパへの愛のかたち。パパが美味しいって笑ってくれるなら、美鳩はそんな想いをコーヒーに込めて何杯でも淹れられる。この心、とてもジャスティス」

「へいへい……」

「むう……受け止めてくれない……。でもそれくらいのほうがたぶん燃える」

「燃えんでよろしい。ほれ絆、美鳩。一応これ、雪ノ下に渡してこい。ママのんとか雪ノ下さん絡みはあいつに丸投げだ」

「らじゃっ☆ 絆一等兵、推して参る! 略して推参! あ、ところで中身ってなに? イタリアの食べ物とかだったら絆、めっちゃくちゃ興味あります!」

「それも含めて雪ノ下に訊いてこい」

「らじゃー!」

 

 絆が「たっべもっのたっべもっの♪」と歌いながらスキップで駆けてゆく。

 向こうのほうで走ったことを怒る雪ノ下の声が聞こえたが、気にしなくていいだろう。

 

「はー……ヒッキー、洗濯機、壊れちゃった……どうしよ」

 

 で、入れ替わりで結衣が来た。その顔は実にしょんぼり。

 しかし客が居ると知るやシャキンと切り替えられるだけ、こいつも随分とそういうことに慣れたもんだ。

 

「あれ? 葉山くんだったんだ」

「おう」

「……えと。どしたの? 具合悪くなった……とか?」

「葉山は犠牲になったのだ……未来を目指す娘の夢……その犠牲にな」

「? なにそれ」

 

 うん解らん。

 しかしまあそれはそれとしてだ。

 結衣にも飲んでもらおう。そして、娘の成長に驚いてくれ。

 

「結衣、これ」

「? コーヒー?」

「おう。美鳩が淹れたモカだ。飲んでみてくれ」

「そうなんだ!? へー……! あ、えと……ヒ、ヒッキー? これ間接キス……」

「言いたいことはよーく解る。それを今さらだーとか言うほどヤボじゃないが、今気にするところ、そこじゃないからな?」

「あ、あはは、だ、だよねー……! う、うん。それじゃ……うん」

 

 言いつつ、しっかりと飲んだあとがある場所から、しゅるっとすする。

 ああ顔熱い。ていうかお前も、そんな赤くなるくらいならするんじゃありません。

 キスとかそれ以上のことを散々やっておいて、今さら間接キスで躊躇するとか……ああもう俺の妻さん可愛すぎ。

 

「わ……美味しい……! ……あ、でも」

「ん。ママ、覚悟はできてる。美鳩はパパの味を継ぎたい。だから味が違うなら言ってくれなきゃ成長できない」

「うん。じゃあ言うね」

「うん……!」

 

 ───それから、結衣の俺のコーヒーに対する熱い思いが語られた。

 味わい、温かさ、心にじぃんと沁みるまろやかさとか、大切に思われてるって思えるなにか、そこから広がる気持ちや愛を、それはもう。

 次第に美鳩はわたわたと戸惑い始め、しかし結衣は止まらない。

 次第にのろけ話に派生して、それはお客さんが来るまで続いた。

 



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そこにある青春のかたち⑦

 

 で。

 

「うう……思い知った……。美鳩のコーヒーにはまだまだ気持ちが足らない……。ママがとろけるくらいの味を出せてこそ、パパの味を継ぐこと……」

「いや、俺も結構新鮮だったわ。結衣が俺のコーヒーをあんな風に思っててくれたなんてな……」

「あうぅう……わ、忘れてヒッキー、忘れて……!」

 

 熱く語りすぎた結衣、現在ゆでだこ状態。

 まあそりゃね、娘に対してあたしはこんなにパパが好きなんだぞーってめっちゃ語ったようなもんだし。

 俺もめちゃくちゃ恥ずかしかったわ。

 

「客もぼちぼち入ってきたし、コーヒーの練習はまた今度な」

「ん……。次こそ、なんて言わず、じっくり学んでいく。美鳩はここが大好きだから」

「……おう」

 

 娘の素直な言葉にありがとうを。

 俺達が好きでいるこの場所を、好きになってくれてありがとう。

 

「雪乃ママー! アップルティーとイチゴショートのセットひとつー!」

「絆さん。叫ばず、きちんとここへ来て伝えなさい」

「看板娘は元気が一番!《ビッシィーーーン!》」

「妙なポーズも取らなくていいわ」

 

 言いつつも仕方ないわねって顔で、いそいそ紅茶を淹れる雪ノ下。

 いやお前ほんと結衣とか娘とか猫に弱いな。

 

「はいどうぞ。転ばないよう気をつけなさい」

「さすがにそれはないってば」

 

 フラグかと思ったが、セットは無事に客に届けられた。

 うーむ、今日は紅茶が多いな。パパ、結構暇。

 

「パパー、MAXコールドいっちょー!」

「おおっ! ……って、お前今注文とかとってきてなかっただろ」

「うん。ママが欲しいって」

「へ? 結衣?」

「う、うん。なんか飲みたくなちゃったかなーって……だめ?」

「………」

 

 真心込めて作らせていただきます。

 

「し、仕方ないな、おう。仕方ないから、な《ニコニコ》」

「パパ、顔がニヤケてる」

「ほっとけ」

 

 そんなわけで淹れる。

 淹れて、差し出して、飲んでもらえば、結衣はいつかのように「うひゃあ」と甘さに震えていた。

 それが懐かしくて、俺もつい笑顔になる。

 いやもうあれね。今が営業時間じゃなかったら絶対抱き締めてる。

 ていうかもう抱き締めていいんじゃないかな。

 

「パパ?」

「!?《ハッ》」

 

 わあ、手が伸び掛けてた。危ない危ない。

 さすがに客が居るところではまずい、おうまずい。

 落ち着け俺。

 

「お、おし、仕事な、仕事。……絆、コーヒーの注文取ってきてくれ……」

「それはお客様次第だから無理だよパパ……」

 

 そりゃそうだった。

 

……。

 

 そうこうして、本日の仕事、修了。

 最後の客を見送り、看板の電気も落として店に戻った時点で結衣を抱き締めた。

 

「《がばしー!》ふきゃあっ!? え、あわわ、ひ、ひっきー?」

「いや……悪い。なんつーか、仕事の途中からずーっとこうしたくて」

「う、うん……なんかずーっと見られてるなーとは思ってたけど……」

「すまん」

「ううん、あたしは嬉しいよ? あたしもさ、ほら……こうしたかったし」

「《ぎゅー……!》お、おう……」

 

 

 胸に、ぎゅーっと抱き着かれる。

 いつもの結衣の香りがして、それだけで安心する。

 人それぞれに安心する匂いってあるけど、困ったことに俺は……いや、匂いフェチとかでは断じてない。

 ただ相手のいつもの感じが好きっていうか。

 

「………」

 

 強く抱き締められる中、俺も強く抱き締める。左手で背中を引き寄せて、右手で頭を撫でるように。

 するとぐりぐりと頭で胸をくすぐられ、なんともくすぐったい。

 このくらいの歳になると冷めきった夫婦関係とか珍しくないらしいが、俺と結衣は本当にアレである。その、ええっと、なに? な、仲良し?

 いい歳して未だにラヴラヴ。いいことだ。

 

「………」

 

 右良し左良し。

 ちょっと催促するみたいに、とんとんと肩を叩いてみる。と、真っ赤でとろけた妻が俺を見上げ、ほにゃりと微笑んでくれた。

 この年齢の女性ってまだまだこんなに若々しいものですかと誰かに問いたくなる。

 ママさん然り結衣然り、外見若すぎでしょ……やっぱり“綺麗”っていうよりは“可愛い”な妻に、そのままキスをする。

 今でも照れが先に走るあたり、俺も間接キスがどうとかって結衣を笑えない。

 仕方ないでしょ、好きなんだもの。

 

「ぷあっ……はふ……んん、ヒッキー……」

「おう」

 

 ぎゅーっと抱き締め合う。

 くすぐったくてあったかくて、恥ずかしいのに離れたくなくて。

 結婚しても子供が出来ても、相手に恋してるっておかしいだろうか。

 ……おかしくないよな。うん、俺、とっても普通。

 一緒になることでいろいろな面を知ることになっても、幻滅するどころか好きになれた。

 だって人間だもの、完璧でいられる超人を好きになったわけじゃない。

 

「………」

 

 ぎゅーってして、頭を撫でまくって、またぎゅーってして。

 そんなところを、カウンターに隠れる双子の娘に見られた。

 いや、隠れても無駄だから。アホ毛がしっかり見えてるからね?

 つっこんでみれば、ごそごそと出てくる二人。

 

「ん……以前からちょっと疑問だった。もし同じ血液型の比企谷の血をママに輸血したら、ママにもアホ毛が生える……?」

「えっ!? そ、そうなのヒッキー!」

「んなわけないだろ……っつか、なんでちょっと嬉しそうなのお前」

「え……だ、だって。あたしだけ、それ無いし」

「………」

 

 う、うん。好きよ? 俺、こんな突拍子もないことを急に言ったりする妻のこと、めっちゃ愛してる。

 え? 欲しいの? こんなぴょいと尖ったやんちゃ坊主が。

 

「……《ちら、ちらちら》」

「………」

 

 へいへい解ってるよ、気の利いたこと言ってやれってんでしょ。つーか娘にそういうこと促されるとか、俺どんだけ心配されてるレベルのヘタレなの。

 

「あー、その。俺はお前のお団子もサイドテールも、好きだぞ?」

「え……ヒッキー?」

「だからその、そんな気にすんな。お前にはお前の良さがある。らしさ、じゃなくてな?」

「…………」

 

 またぎゅーってされた。めっちゃされた。もうもう言いながら、ぐりぐり頭を胸にこすりつけられた。やだ可愛い。

 

「………」

「………」

 

 で。娘たちよ。なんで結衣の後ろに並んでいるのかな?

 並んだって抱き締めたりしねぇよ? いやほんと。

 いや……いじけられたって……いや、おい……ちょっとやめて? 俺悪くないのになんか罪悪感が……だぁ! わかったよ! 抱き締めればいいんだろ!

 

「はぁ……悪いな、結衣」

「ううん? あの時はあたしをないがしろにしちゃやだよ、とか言っちゃったけどさ。あたしだっていつまでも子供じゃないんだし、それくらい平気だから」

「ママから正式に許可が……! ではパパ! 今日は一緒に寝ましょう!」

「それはだめ」

「ママ大人げない!」

「たまには美鳩たちにパパの隣を譲るべき……」

「それだけは絶対に、誰にも譲りませんっ。ヒッキーの隣は……あたしじゃなきゃ、やだから」

「ううっ……ママが可愛い……! なんですかこんなの反則です……!」

「……じゃあ一緒ならいい?」

「……前みたいに? う、うん……それなら……」

「じゃあ絆、パパの隣とーった!」

「美鳩はその反対側」

「それはだめだったら!」

「ママ大人げない……」

「ううう……ヒッキー、娘がいじめる……」

「いや……だから……。お前らどんだけ俺のこと好きなの……」

 

 ちょ、やめて? 三方向から服引っ張らないで?

 服とかつまんでくる女子とかに憧れたことはあったけど、こんな多方向からとか嬉しくない。

 それでも結局はぞろぞろと寝室に向かうことになって、もちろん順番に風呂にも入って、で───

 

「……不束者ですが、よろしくおねがいします」

 

 戻ってきた寝室で、なんで娘が三つ指立ててるんだろうな。

 

「……チェンジで」

「パパひどい!?」

 

 いや、べつにそういうのを経験したことがあるとかじゃなくて、漫画で知っただけだから。

 だからやめて? そんなショック受けた顔しないで?

 

「うう……もう。今日はヒッキーと二人きりがよかったのに……」

「また今度な。子供が親を好きでいてくれてる内は、こういうのもいいだろ」

「……嫌いになんかならないんじゃないかなぁ、この二人は」

「もちろんだよママ。パパとママを嫌いになるとか」

「俺は嫌われてたけどなー……」

「む、昔のことは忘れてください! あんなものは黒歴史です! 今のわたしはパパのこと大好きだから! もうめっちゃくちゃ大好きです!」

「ふふり。その点美鳩はずっとパパが好き。どやぁ」

「くっ……なんかむかつきます……! っとと、そっちもうちょっと詰めてください落ちる落ちる落ち《どしゃあ!》ふきゅっ!? ……ごぉおお……! 脇腹にきました……!」

 

 だから。お前はもうちょっと、女っぽい悲鳴を上げる努力をだな……。

 と言ったところで聞かないのは解っているので、まあ軽い忠告で終わらせた。

 

「そ、それは……パパが女の子らしい女の子が好きってことでいいの?」

「あ? いや、俺の好きなタイプは結衣だが」

「限定されすぎです! も、もっと広い目で見ないと新しいものとか産み出せないよ? ほらほら、たとえば娘とか」

「いや、そんな広い目とかいらんから。視界が広くても娘に手を出す時点で腐ってるじゃねぇか」

「くっ……手強い……!」

「アホなこと言ってないでとっとと寝ろ」

 

 言いつつ、結衣をぎゅーって抱き締めて目を閉じる。

 今日、娘が居なかったらどうなってたのかしら。

 ……いや、まあ、言わねぇよ? 恥ずかしいだろ。

 

「……それはある夜のことだった……!」

「無理に怪談とか言わんでよろしい」

 

 むしろ寝ろ。寝てください。

 

「……ある~日……森の~中……」

「歌わんでもよろしい」

 

 熊さんも冬眠したがってるだろうから寝かせてあげなさい。

 今6月だけど。

 

「えと……あたしもなんか言ったほうがいい?」

「………」

 

 もじもじしている妻の頭を撫でて、寝なさいとぽしょり。

 我が家族ながら、本当に賑やかでいいことだ。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 ぺらりぺらりと日付は進み、愛妻の誕生日がやってきた。

 約束通りカラオケに来た俺達は、それはもう盛大に楽しんだ。

 来た場所、パセラだけど。

 

「好きなーおーとをー、奏でーてーみるー♪」

「このむーねーに響け僕ーのー歌ー♪」

 

 娘二人が一緒に歌い、一色が歌い、雪ノ下が歌い、結衣が歌い。

 で、渡されたマイクに思わず「え? 俺も?」と返した。

 まずは全員一回歌うこと、と、馬鹿みたいに分厚い曲リストをドカァと渡されてはいたが……。

 

「………」

 

 まあ、いいか。

 たまには昔を思い出して、思い切り歌ってみよう。

 娘の前でいろいろ曝すのも、こう、ええと、なに? 青春を振り返る、みたいでいいんじゃねぇの?

 案外ファザコンから離れるかもだし。それはそれで寂しいが。

 

  そんなわけで選曲。

 

 先に替え歌であることを伝え、曲が流れ始めると、やっぱり人前で歌うとか慣れねぇよな……なんて考えながら……歌ったのだった。

 

 

 

 

 

-_-/由比ヶ浜結衣

 

 ───好きな人が心を込めて歌う様子を、隣でただ見つめた。

 結婚しても“好き”が消えない人。

 子供が出来ても、こんな歳になっても、好きで好きで、自分でも笑っちゃうくらいに好き同士なあたしたち。

 ゆきのんもいろはちゃんも、ご近所さんだって“ここまで好きで居られる方が珍しい”って言うくらい、あたしとヒッキーはお互いが好きだった。

 もちろん喧嘩したことだってある。

 上手くいかないことなんて、同棲を始めた頃からたくさんあった。

 でも……なんでだろね、喧嘩しても怒っても、どうしようもなくて泣いちゃう、なんてことだけは絶対になかったんだ。

 喧嘩しても歩み寄ってくれたし、擦れ違っても振り向いて手を握ってくれた。

 悩んでたら声をかけてくれたし、落ち込んでいれば、すっごいぶきっちょだけど励ましてくれて。

 修行とかで大変な時でも毎日電話をくれて、あたしが辿り着きたかった場所に、連れていってくれた。

 

「………」

 

 周りを見れば、家族が居る。

 ゆきのんもいろはちゃんも、あたしにとってはもう家族だ。

 一緒に居て欲しいし、楽しいことがあれば一緒に笑っていたい。

 もちろんいつだって思うことはあって、二人が結婚しないのは“そういうことなのかな”って……思ったりして。でも、それで落ち込むのは本当にずるいから、目は逸らさないけど笑顔で。

 

  ちょっと前、陽乃さんに提案されたことがある。

 

 元はゆきのんのママの提案だったらしくて……いっそのこと、みんなで家族にならないかって。

 どんだけ娘たちのこと好きなのかって、苦笑いしちゃったけど。

 でも、言いたいこと、解るんだ。

 あたしたちは自分たちの気持ちを前に出して、こんな関係を続けてる。

 ゆきのんもいろはちゃんも、誰とも付き合わないで、とっくにこんな年齢で。

 それも納得できてるから続けてるけど……これからを考えれば、辛いことだってきっとある。

 

  まるで僕らの青春はコメディーみたいに

 

 ヒッキーが歌う。

 懐かしい昔を、黒歴史を吐き出すみたいに、でも……どこか楽しそうに。

 絆と美鳩がその歌の内容に、「パパをキモがったり告白を言い触らしたりなんて正気ですかもったいない!」なんて言い出して、ゆきのんもいろはちゃんもお腹を抱えて笑ってる。

 そんな、楽しそうな光景に、あたしもやっぱり笑った。

 

  家族より家族してる。

 

 結構前に、優美子に言われた言葉。

 羨ましいって言われて、あたしはなにも返せなかった。

 去っていく背中になにも言えなくて、悲しくて泣いた。

 優美子には優美子の事情があって、葉山くんにだって、そうしない理由がもちろんあって。

 想い続けてれば絶対に叶うなんてことはなくて、誰かが幸せになれば、何処かで誰かが泣いているのかもしれない。

 

「───俯いた君よ……どうか一つ。……覚ぉ~えぇて~いてー……♪」

 

 歌は続く。

 替え歌で繋がれる言葉は結構めちゃくちゃ。

 でも、それがヒッキーにとって、吐き出したかった言葉だって解ったから、その歌に耳を傾ける。

 

「滲んだ目で見る世界にも……あたーたーかい場所はぁーーーあるぅっ!!」

 

 滲んだ目、って聞いた時……思い出したのは奉仕部の光景。

 あたしとゆきのんで、正面に座って依頼をしてきたヒッキーを見つめたいつか。

 そんな日々を温かい場所、って言われた気がして……

 

「まるでぇ僕らのぉおおっ! 青春はぁっ! コメディーみぃたぁああいにぃいっ!!」

 

 そこからは、叫ぶみたいな歌が続いた。

 誰かに、届け届けと願ってるみたく、胸にくる声で。

 

「知らない不安に怯えてもぉ……見えない本物求ぉおーーーめてぇえええっ!!」

 

 ふと、きゅって手を握られて、横を向けばゆきのんが……ヒッキーを見たまま、あたしの手を握ってた。

 あたしも握り返して、驚いて振り向いた顔に、笑顔で返した。

 すぐにその隣のいろはちゃんの方も向いたから、たぶんいろはちゃんも握ったんだろうな、なんて思いながら───あたしも、知りもしない、聞いたこともない替え歌の歌詞を想像して、口にしていた。

 ゆきのんもいろはちゃんも。

 

「あふれる笑顔よぉーーーっ! “俺達”にぃいっ! やーーぁってーーーこいぃーーーっ!!」

 

 ずっと昔、憧れたものがあった。

 たぶん、誰でも憧れるもので、人との関係が上手くいかなかった子ほど、それは欲しくて仕方のないもので。

 焦がれて、伸ばして、届かなくて、届きそうで、振り払われて、笑われて、傷ついて……泣いて。

 そうして諦めて、それでもまだ……情けなくても惨めでも、心のどこかでずうっとそれを望んでた。

 それに名前をつけてみても、口にしちゃうのはなんか違くて。

 だからあたしたちは、それがなにかを解っていても、もう口にはしなかった。

 口にするなら、“ヒッキーの依頼”。

 あたしたちはあの日、強い一歩を三人で踏み出せた。そこにいろはちゃんも混ぜて、欲しいから手を伸ばして、望んで、歩いて。

 結果が今で、思っていた全部と違っていたとしても、じゃあ全部を諦めるのかっていったら……そんなものは違うんだって言える。

 誰もが夢見た景色を、ちょっと違うからって捨てちゃう度胸は誰にもない。

 もし捨てちゃったって、それは度胸から来るものなんかじゃなくて……ヤケになって勢いで捨てちゃって、あとで泣いて悔やむもの。

 

「───」

 

 四人で叫ぶように歌った。

 娘たちは知らない歌だったみたいだから、ぽかんとしてたけど……それでも最後には笑顔で、ノリだけで手拍子をしてくれたり。

 自分たちの青春は、コメディーみたいにおかしなものから、悲しいことまでいっぱいあった。

 物語に名前をつけて笑えるような、楽しいことばっかじゃなかったから、それをコメディーって呼んでいいかは解んない。

 楽しくなるようにって努力もしたし、努力しないで楽しいからコメディーっていうんじゃないかなって、思い返してみればそう感じちゃうことなんていっぱいだった。

 でも。じゃあ、ここまでの自分には後悔だけしかないのかーとか。

 今がそんなに嫌なのかーって言われたら、やっぱりそれは、そうじゃない。

 今が好きだし、今の関係が大事だし、変わっていく中でも、ずっと繋がっていたいって思う。

 幸せなんだ。

 でも、全部を願うならそれだけじゃなくて。

 あたしは───

 

 

───……。

 

 

 散々歌って、あとちょっとで時間ってところで、あたしは口に出した。

 楽しい雰囲気を壊しちゃうんじゃないかなって怯えながら、娘に聞かせることでもないんじゃないかな、とも怯えながら。

 

「へ? 雪ノ下母が?」

「う、うん……あと、陽乃さんも」

「……はぁ。あの姉は、本当にいつもいつも……」

「えっとーつまりですよ? わたしたち全員で“雪ノ下”の養子にならないかーってお話ですよね?」

「そういうことになるのね……。勝手な母と姉だとは思っていたけれど、まさかここまで……」

 

 口にしてみれば、やっぱりみんな微妙そう。

 そりゃそうだよね、あたしも…………いや、あたしは。

 

「ん……いや、なんつーか。正直な話、いいか?」

「あ、それならわたしもあります」

「奇遇ね、私もあるわ」

「それはこの絆とて同じよ《どーーーん!》」

「腕を組んだ双子が並ぶ……これはとてもあれを言いたくなる。良い子の諸君……!」

「美鳩、あれ双子じゃないよ」

「うん知ってる」

 

 全員が溜め息を吐いた。そして、言った。

 

「べつにそれ、今となんも変わらんだろ。ただそのー……いろいろと金が浮く?」

「それですよ先輩。住み込みしてるとはいえ、いろいろと出ていくものはありますし、毎度毎度要らない書類が送られてきてうんざりです」

「そうね。現状がほぼ変わらず、敢えて言うなら絆さんと美鳩さんが義理の娘になって、……その。比企谷くんと由比ヶ浜さんと一色さんが、義理の兄妹に……」

「あれ? それって小町ちゃんの許可も取れば、小町ちゃんも義妹ってことじゃないですかー! なんかいいですねそれ! わたし妹とか欲しかったんですよー!」

「……それに。お店とはいえ、一つ屋根の下にこうも長い間、男一人のもとに女性が、というのもいい印象を与えないわ。いっそ家族になってしまえば、という提案は、むしろプラスになるかもしれない」

「……となると、先輩がお兄ちゃんになるわけですか」

「おいやめろ、この歳でお兄ちゃんもなにもねーだろ」

「そうなると、長女は由比ヶ浜さん、ということになるのね……」

「えっ!?」

 

 急に言われてドキッとする。

 ていうか、え? みんな嫌じゃないの?

 わたわたしてる内に、いろはちゃんがお姉ちゃんとか冗談みたく言ってきて、一気に顔が熱くなった。

 そんな暑さを逃がしたくて、顔を振ったらその先にゆきのん。

 

「え? え、……ええと。その……結衣、姉さん?」

「───」

 

 うん。家族になろう。

 じゃなくて!

 

「え、え!? みんないいの!? そんな簡単でいいの!? あたしすっごく悩んでたのに! これで亀裂とか入ったらどーしよって!」

「今さらそんなんで亀裂入るかっつの。むしろこのままの方がいろいろあれだ。あー……とりあえず俺は賛成。お前らは?」

「ええ、私も構わないわ」

「わたしもです。うちはパパにもママにも孫を抱かせてあげられなかったのが心残りですけどー……家族が増えたって言ったらどうしますかね、ほんと」

「驚愕されるのだけは事実でしょう。説得は骨が折れると思うわ」

「あ、ううん? そこは陽乃さんが“どうにでもする”って」

「…………その。なぜ、そこで“なんとかする”ではなく“どうにでもする”……なのかしら」

「ちょ、なんかすっごく心配になってきましたよ!? 結衣先輩!? パパとママは無事なんですか!?」

「あ、あたしも知らないってば!」

 

 ……え、えー……なんかすっごく簡単に受け入れられちゃった。

 心配とか問題は残ってるけど───でも。

 

「雪ノ下八幡、ねぇ……これ、親とかとの関係はどーなるのかね」

「雪ノ下……八幡……」

「あ? ……おい? ちょっと? 雪ノ下? どしたのお前、顔真っ赤にして」

「あ……こほん、別に、どうもしないわ。ただ…………ふふ、そうね。ただ、少しだけ昔の気持ちを思い出しただけよ。今となっては、きっとどうでもいいことよ、“義兄さん”」

「あ、いいですねそれ。じゃあわたしも……えっと、八幡義兄さん? ……うえ」

「おい、そこで吐きそうな顔すんな。なんなのお前、人の名前呼んどいて」

「いーえーべつにー。ただ似合わないなーって思っただけです。やっぱり先輩は先輩ですね。ただ、全員が雪ノ下先輩になるんじゃややこしいので、ハチ兄でいきます。……うわー、自分で言っててくすぐったいですねこれ」

「いや……お前らさ、そこは結衣にお姉ちゃんとか言ってやれ───よ……って、どした、結衣」

 

 お姉ちゃん……お姉ちゃん……お姉ちゃん……!

 

「も、もっかい!」

「あ?」

「もっかい言って! ヒッキー!」

「もっかいって、なにを」

「お姉ちゃん! ね!?」

「いやちょっと待て、なにが悲しくて愛する妻を姉呼ばわりしなくちゃなんねーの。俺そんな趣味ないんだけど?」

「ヒッキー……ダメ?」

「……あ、い、いやその……」

「相変わらずちょろいわね、ちょろ谷くん。いえ、雪ノ下になるのだから……縁の下くん?」

「おい、それ“力持ち”つけねぇとただの床下暮らしだろうが。なにお前、俺に縁側じゃなくてその下で茶でもすすれとか言いたいの?」

「…………プフッ」

「いや……ここで笑うなよ……悲しくなっちゃうだろ……」

 

 それでもぽしょりって言ってくれるヒッキー。

 ちょろいとかじゃなくて、ありがとうばっかりが浮かぶ。

 でも今は嬉しかったから、その頭を胸に抱いて頭を撫でた。

 いい歳してーとか言われても、このくらいの歳だったらママだってやってたし、全然普通だ。うん普通。

 よそはよそ、うちはうち。

 それが幸せのかたちなら、それでいいんだ。

 

「ええっと、ようするにですよパパ、ママ。これからは雪乃ママもいろはママも、義理とはいえ本物のママになると?」

「あー……まあ、そうなるのか」

「わたしとしては姉も憧れますけど、そこは小町ちゃんでチャージしましょう。というわけでいろはママ、着任ですっ☆ あ、じゃあパパとも仲良くないとですよね?」

「へ? や、ちょっと待て、そりゃ養子縁関係上の話であって」

「そうね。特別意識する必要もないのではないかしら。今までと同じで構わないでしょう? その距離が、合っているのだから。ただ───」

「? ゆきのん?」

「家族。……ふふっ……どうしてかしらね。あの頃は温かみも感じられなかった響きなのに、今はそれが……とても温かいわ」

「ゆきのん……」

「思えば、試すような口調や自分で決めるよう促す挑発。そのすべてが独り立ちを願ったことで……私はそれに、一人では応えることが出来なかった。見方を変えれば、温かみなんてすぐ傍にあった筈なのに」

「戻れるなら戻ってみたいところだけどな、無理だろ。そーいうのはアレだ、言葉遊びで満足しとけばいい」

 

 言葉遊び?

 って、みんなが首を傾げる中で、ヒッキーは少し頬を掻いてからそっぽ向いて言った。

 

「あーほれ、あれだ。パラレル? もしもの世界の自分たちなら案外、とかそういうのな。前に見た夢がちっとばかし面白いもんだったから、なんとなく……な。あとは───雪ノ下」

「なにかしら」

「……今のお前に、“自分”はあるか?」

「あ……」

 

 いつかの日、陽乃さんがゆきのんに言った言葉。

 あの重い空気が一瞬だけ出てきたけど、それもゆきのんの小さな笑みで吹き飛んだ。

 

「ええ、あるわ。私は、今ある場所の未来が欲しい。誰に決められたものでもない、誰に倣ったものでもない、私が私として欲する自分は、そんな日々を望んでいる。あなたはどうかしら」

「俺はひたすら結衣を幸せにするだけだな。んで、自分も幸せになる。現状でとても満足している俺だが、今ではよっぽど欲張りだ。まだまだ幸せにしたい。ほい一色」

「え? わたしもですか? えっとそうですねー……わたしは今の関係以上ってのは想像出来ませんし、むしろ相当満足してますよ? ウェディングドレスに憧れなかったわけじゃないですけど、べつに好きな人もいませんでしたし。心から好きな人と、ウェディングドレスを着て、っていうのが乙女の夢です。“誰でもいい”からドレスを、とは違いますからね。なので、わたしは、このままさらに楽しく幸せに、を望みます。女子は欲張りでなくちゃ、ですよ、ハチ兄さん」

「やめなさいその呼び方。……絆と美鳩はどうだ?」

「家族が増えるのは望むところです!」

「ん……美鳩は、ただ喫茶店を継ぎたいんじゃない。“あの喫茶店”だから継ぎたい。それが家族になる……その未来、とてもジャスティス」

「まあそこは小町お姉ちゃんがどう言うかも考えてからですよね。いろいろありますが、絆的にはどんとこい! です!」

「ん、そう。語ってみるならこんな感じ。───小さな町に集まった家族は、雪の上に一色ずつ色を描く。独りずつが描く色は混ざり合って、様々な色を広げてゆき、やがて八万の絆を結ぶ。鳩はそんな白い景色で、雪の下にある遠い春を待ち続ける。それは、とてもとても心温まる、未来あるジャスティス」

「おおポエム」

「ポエムとか言わない。ほんと、絆はわかってない……」

「なにをー!?」

 

 娘二人が騒ぐ中、小さく想像してみる。

 家族になった全員で、ひとつの喫茶店を続けてゆく、そんな未来。

 いろいろありそうだけど、なんでかな。楽しそうって言葉ばっかりが浮かんでくる。

 

「……陽乃さんには、これがガハマちゃんへの誕生日プレゼントになればいいねって言われてたけど……」

「ふふっ、そうね。姉さんがそう言ったのなら、面倒ごとはあの人に任せましょう」

「賛成」

「即答すぎますよ、先輩。まあ、わたしもですけど」

 

 想像が広がっていくと、自然と頬が緩んでいく。

 もちろん問題だって山積みになっていくんだろうけど……そんなものを少しずつ崩していくのも、この人たちが家族になったあとなら楽しそうだって思えたから。

 

「じゃあえっと? はるさん先輩が長女ってことでいいんですかね?」

「え? やー、えとー……長女は、平塚先生だって」

『───え゙?』

 

 騒がしい日常は続いていく。

 15の出会いで始まって、16のあの日に再会して、17の頃に駆けだした、眩しい青春。

 誰かの青春を見て指差して笑うんじゃなくて、こんなにも楽しい青春を、自分自身で笑顔で駆け抜ける。

 残り時間を歌に込めて、今まさに思ってたことをヒッキーが歌いだすと、なんだかおかしくなって全員で笑った。

 青春は短いと、誰かが言った。

 青春は若さだと誰かが謡った。

 でも、それなら叫ぼう。夢に年齢制限なんてないんだって。

 いつだって夢見ていいし、いつだって懐かしんだっていい。

 今できることを思いっきり楽しんで、そのあとに、赤面するなり恥ずかしがるなりしたっていい。

 それはきっと、恥ずかしいけど……顔は緩んでて、楽しい思い出になる筈だから。

 

  隣に居る人と手を繋いだ。

 

 握った手は二つ。

 二人とも、ぽかんとしたあとに恥ずかしそうに笑ってくれる。

 親友も後輩の手を繋いで、恥ずかしそうにしていた。

 青春時代に出会った絆が家族になるって、なんだかくすぐったいけど。

 まだ本当にそうなるのかなんて解らないけど。

 今は。

 そう、今は、そんなくすぐったさを噛みしめていよう。

 変わっていく世界の中で、変わり続けても嬉しいままの幸福を、ずうっと離さず握りながら。

 幸せだな、幸せだねって……微笑みながら。



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そんな青春の日々を、僕らは笑う。①

 ふう、と溜め息を吐いたあと、後ろから声が聞こえた。

 

「……驚いた。本当に、彼女は変わったな」

 

 騒がしい周囲に紛れるようにして行動する、なんて珍しいことをする彼が、俺に向けて言った言葉だ。

 軽い会話のあと、雪ノ下と葉山が話す機会があって、その内容に対する言葉がそれ。

 雪ノ下が言う、“ごめんなさい”と“感謝しているわ”がなにを指して言った言葉なのか、俺には解らない。当然、離れていく雪ノ下の背中に、彼が呟いた言葉にどんな意味が込められているのかも、俺には解らなかった。

 

「幼馴染、なんだよな」

「……そんな大層なものじゃない。馴染まなきゃいけなかったってだけさ。親同士の都合で」

「お前はそれが嫌だったのか?」

「……。どうなんだろう。昔から、“そうしなきゃいけない”をこなしてきただけで、俺は結局……なにに対しても、関心というものを向けていなかったのかもしれない。触れた時はいいんだ。その関係を心から喜べた。名前も知らず、くだらないことで笑って、一緒に駆けて。でも」

「………」

 

 イケメンリア充には、爆発しろなんて言葉が投げかけられる。

 けれど、本当にリアルが充実しているイケてるメンズなんて、実際にどれだけ居るのか。

 羨ましいと思っている位置は思った以上に窮屈で、そうしなければならないことが用意されすぎていて、それをいくらこなしても周囲からの期待が増えるだけで、期待に応えるだけ応えても、期待が高まっていくだけ。

 やがて自分の能力じゃ処理しきれないほど期待が増えて、やがて落胆される。

 どれだけ努力を重ねても、出来なくなれば笑われ、手のひらを返される。

 憧れ、純粋に追いかけていられた内は幸福だったと、彼はひどく悲し気に笑った。

 

「追いかけたって……雪ノ下を?」

「……いや。なんでも。悪い、おかしなこと言って」

「おかしなもなにも、まるでなにも解らないんだが……」

「君はなんだかんだ、中心に居るから“そういうものなのかもしれない”と思ってしまう時があるんだ。届ければ応えてくれる、っていうのか……いや、これも違うのか。すまない、当てはめる言葉が見つからない」

「それは、俺に言ったほうがいい言葉だったのか?」

「……誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。もしくは、選んで、そうした先できちんと幸福でいられる君にこそ、なにかを言ってほしかったのかもしれない」

「……じゃあ、言っていいんじゃないか? 言って楽になるなら言えばいいだろ。嫌いなんだろ? 俺のこと」

「ははっ……君は好き嫌いにひどく敏感なんだな。“選ばない”しか選べない俺からすると、見てて危なっかしいよ。そんなんじゃ、いつか好きってものまで疑いそうだ」

「………まあ、解る。向けられる善意ってのは、相手にとっては悪意でしかない場合が多いしな」

 

 俺の言葉に、葉山は“……解るんだな”って寂しそうな顔で笑った。

 そんな時、三浦さんと一色がなかなか戻ってこない葉山に痺れを切らしたのか、やいのやいの言いながら手を振る。

 

「……呼ばれてるぞ」

「……だな」

「……いかないのかよ」

「………」

 

 同時に手を振ったことでギャーギャー騒ぎだした三浦さんと一色を、結衣と彩加と翔と海老名さんが止めにかかる。

 この打ち上げの中だけで結構見た光景だ。

 

「選ばないを選んでるって。それってつまり、意見が割れたらどっちの意見にも乗らないってやつか?」

「関係を壊さないように中立するんだ。そんなものしか選べない。関係が壊れることは、ひどく怖いことだから」

「……まあ、な。仲良しだったと思ってたら、翌日からはとかよくある話だ。自分の前では猫被ってて、他人の前では平気で悪口とかな」

「経験があるのか?」

「そもそも仲良しだったヤツがいねーよ。そういうのを何度も見たってだけだ」

 

 ほら俺、空気だったし。

 居ないものと認識されていた俺にしてみりゃ、人が居るのに堂々とさっきまでその場に居た友人(笑)の悪口を、ああも平然と言える人間に反吐が出た。

 だから───まあ、その。

 ちょっと前から感じていた違和感も含め、こりゃ少しおかしいなとは思っていた。

 

「なぁ葉山」

「なんだ? 比企谷」

「……わざわざ苗字で返すなよ」

「今まで話していたのにわざわざ苗字で呼んだのは君じゃないか」

「………」

「………」

 

 見つめ合い、うへぇ、って顔をしたあとに苦笑し合った。

 うわー、こいつこんな顔出来るんだ。

 うん嬉しくない。

 

「お前、選ばないんだよな?」

「……。ああ」

「他人の期待に応えて、みんなの葉山として中心に立つ。それが、葉山隼人なのか」

「……ああ。足掻こうとしてももがこうとしても、結局は“それしか選びようがないもの”を選んだなら、それは自分の選択肢とは言えないだろ」

「自分の選択肢、あるのか」

「いや、当たり前だろ……俺のことをなんだと思ってるんだ、君」

「選ばないのはなんでだ? お前がみんなの葉山だからか? あー、その、なに? 自己満足……ってやつ?」

「……ひどいことを正面から言ってくれる。ひどいやつだな、ほんと」

「………」

「………」

「お前にはお前の理屈があって、選ばないことがお前にとっての最善だってんなら、べつに他人がどうこう言うことじゃない」

「………意外だ。てっきりなんの足しにもならない、鬱陶しい持論でも並べてくるんだと思っていたよ」

「遠慮ねぇなこのやろう」

 

 けどまあ、その理由もなんとなく解る。

 こういう場合の周囲ってのは、自分の考えの押しつけしかしない。

 俺だってもちろんそうだし、そうすることでしか届けられるものがないからそうする。

 しかし、そういう考えの押しつけってのは大体、相手も解っててやっていることの方が多い。今さらそんなこと言われなくても解ってるわ、ってのがまあほんと、大体。

 ただ、大変意外なことに、葉山にとっては今の俺の方が意外だったらしい。

 なんだよ。俺はそもそも好んで誰かと話すなんてこと、滅多にしないぞ。

 そんな時間があるなら自分の時間を迷わず選ぶ。

 今で言うなら結衣との時間だが。

 

「……話、戻すけど。お前が変わったっていう雪ノ下って、どこがどう変わったんだ?」

「……姉の影を追っていない。自分ってものを考えて、向き合って進んでいるように見える。ただ……」

「ただ?」

「まだ少し、頼りないかなって……そう思った。いや、まあなにを偉そうにって言われればそれまでなんだけどさ。……見てきた側からすれば、思わずにはいられないんだ。近づくものには威嚇を以って牽制して、言葉も選ばず盾と矛を向けるような…………けど、それしか方法を知らないから、なまじそれが成功してしまったから、それしか取る方法を知らない」

「……よく解らん」

「皮肉なものだなって話だよ。唯一“成功した自分”が、きっとそれだったんだ。だからそれを捨てるわけにはいかなかったのに……どんな経緯があったのかは解らないが、そこに踏み込んだ人たちが居た。最初は“成功した自分”で向き合って、盾も矛も構えたんだろうけどね。もしくは、構える間もなく踏み込まれてしまったのか」

「……?」

「なぁ比企谷。唯一自分で認めていた“自分”が、いつの間にか第三者の手で変えられていたら、君ならどうする?」

「あー……ぼっち最高とか思ってたのに、いつの間にかぼっちじゃなかったらとかか」

「誰かに“お前に自分なんてものがあるのか”って言われた子が、立ち向かって成功したものがあったんだ。その子はそれを喜んで、そうすればよかったんだって知って、それを大切に守っていた。けど、その、自分が選ぶべき手段が意味を為さず、それでも自分のもとへ入り込んでくるなにかを前に、気づけば……いや。気づかず、自分が大切にしていたものが崩されていたとしたら。……そういう話だ」

「………」

「………」

 

 飲み物片手に、嘘も誤魔化しも許さないって目が俺を見る。

 俺もそれに応えるように腹に力を込めて……いやほっといて、そうじゃなきゃ俺の中の何かがキャインとか言って屈伏しそうになるの。

 

「それは、お前にとっての選ばない、みたいなもんか?」

「……。ああ、そうだ。俺は……いや、俺も、これを変えることは───」

「ほーん……? じゃあ質問。お前自身、それが知らずに変えられてたらどーすんの?」

「……? どーすんの、って。いや、これは俺の自己満足だ。変わることなんて」

「変えられてたら、どーすんの?」

「………」

「………」

「……そう、だな。もしそうなら、変わってもいいのかもしれない。知らず、そうであったなら、俺はきっとそのままでいいって思える。俺が今を嫌っていないなら、そんなものは───」

「んじゃ論破な。お前選ばないどころか選びまくってるから」

「え?」

 

 言って、飲み物を飲み込んだ。

 きょとんとしている葉山を見つつ、はぁ、と息をついて、すぐ後ろにあったカウンターにグラスをコトンと置く。

 

「待て、俺がなにを選んだって───」

「俺は君が嫌いだ」

「!!」

 

 なんかいろいろ語られたけど、こいつもう選んでることあるからね?

 中立者気取りなのに一人だけ盛大に嫌ってくれちゃって、なんなのもう。

 

「進路のこと、教えなかったのはその、選びようがなかったことーってのに関係してるのかもしれないけどさ。お前それ、ちゃんと選ぼうとしたの? お前の家庭事情なんて知らんけど、選ぼうとしてもいないのに選びようがないって決めつけて言うのってなんか腹が立つ。いやほんと、お前の事情なんて知らんけど」

「………」

「んじゃほら、変わってみろ。今の自分をちゃんと受け入れてんなら、選んでた自分も受け入れてるってこったろ。いや、俺も中学卒業あたりは相当ヤバかったが。べつにきっかけがありゃ変わっていいだろ。それすらダメって言われるほど抗ってみたならしゃーないけどさ、お前その、なに? 最初っから自分は選ばずみんなの隼人くん☆ で居て、いい加減疲れない? 自己満足って言いながら寂しそうに笑ってる今の、どこに満足があるんだよ」

「………」

「あとさっきの質問な。自分なんてものがあるのか、なんて言われたヤツが、いつの間にか変えられてたってんなら、もう自分ってもんがあるんだろ? いいんじゃねぇの、それで。大体……って、お、おい、葉山? おい? …………いや、これ……べつにお前が言ってた持論でどーのこーのってわけじゃなくてだな……わ、悪い、なんか俺にだけ嫌いだって言ってたくせにって思ったらちょっとな……!?」

「…………か?」

「へ? お、おう?」

「……っても…………変わってもいい、って……思うか?」

 

 ……OH?

 いや、いいもなにも。

 

「………」

 

 思い出してみよう。

 あの白い部屋、騒がしい入口、やってきた妹と……俺を変えてくれたあの人が居たあの日。

 これが最後でいいからって踏み出して、偽物でもいいからと諦めそうになって、偽物じゃ嫌だと言われて、救われたいつかを。

 それが悪いことだったって言うのなら、俺は救われた事実も否定しなきゃいけない。

 そんなのは嫌だ。

 そんなものは受け入れられない。

 だから───だから、ああ、ええっと……。

 

「………」

 

 こういう奴にはあれな。青春っぽいかたちで届けたって届かない。

 理屈っぽく言うのでもない。

 そんなことをすれば、相手の正論で砕かれて、そんな気持ちも冷めるだけだ。

 じゃあなにがいいのか?

 ……真っ直ぐぶつけりゃいい。

 ひどく簡単に、単純であればあるほど、それはいいのだろう。

 だから俺は言うのだ。

 青春っぽくもなく、暑っ苦しくもなく、理屈を並べるのでもなく、偉そうにするのでもなく、ただ単純に、そう思うからそれでどうぞとパスをする。

 

「手くらい貸すから、自分で決めろ」

 

 と。

 冗談めかして、苦笑しながらほれと手を差し出してみる。

 すると、そんな手をぽかんとした顔で見つめたあとに、そいつは───

 

「~~……」

 

 くしゃりと。

 あの余裕とさわやか笑顔ばかりを顔に張り付けていたそいつは、顔をゆがませて、両手で俺の手を握り、俯いた。泣いたわけじゃない……んだと思う。まあそれよりも。落ちたコップを咄嗟に掴めた俺、超ファインプレー。

 グラス持ってるのに両手でとかなに考えてんのちょっと! これ割ったらさすがに弁償でしょ!? ……などと言える雰囲気でもなく。いや、言うつもりなかったけどさ。そこまで今、頭回してる余裕ないし。

 

「………誰かにぶちまけて楽になりたいって思うくらい嫌ならさ、そんな“選ばない”なんてさっさと捨てちまえばよかったんだ、ばかたれ……」

 

 だから俺は、今出せる言葉を適当に並べたものを口にして、そっと、キャッチしたグラスを自分が使ったコップの隣に置いて、溜め息を吐いた。

 

……。

 

 あのあとは大変だった。あーそりゃもう大変だったよ。

 三浦さんには反論の隙も与えない勢いで、“キサマナニヤッテルカー!”的なことを纏まらない言葉で並べ立てられるし、結衣と彩加と翔にはめっちゃ心配されるし、海老名さんは本気で救急車呼ばれそうになるし。お店の人、マジすんません。

 それでも……落ち着いたあとにもうちょい話を続けた。

 続けたことに、まあ、意味はあった。

 

「……べつに、選ばなかったことを悔やんでいるわけじゃないんだ。自己満足ではあっても、それが一番いい方法だって信じてる。今だってそれは変わらない」

「じゃあ泣いてるんじゃないか、って思うような行動とか取るなよ……。俺が三浦さんに泣かされそうだったじゃねぇか……」

「……ごめん、とは言いたくない。嬉しかったんだ。たぶん、それだけのことだ。俺にはさ、対等にものを言ってくれる人が居なかったから」

 

 まあ、そうな。

 見ててなんとなく解るよ。

 たぶん、あのー……なんていったっけ。……なんていったっけとか、まだ口調とかアレだよね、俺。

 いや、結衣はそんな俺の方がいいって言ってくれてるんだけど。

 好んで乱暴な口調とか使いたくないし、もう自然なままでいいんじゃないかとは思ってるんだけどね。ほら、なんか男相手だとさ、見得張りたくなるっていうか。相手が対等がどうとか言ってる分、底辺って自覚してても……ほら、ねぇ?

 ……やめよう、それこそただの見得だし、これ。

 

「全員、俺ってものじゃない、俺の周りにあるなにかを求めて近づいてくる。近づいてくれるきっかけがそれでも、手を繋げるならそれでいいって……最初は思ってたんだ。けど、結局それは最初から最後まで変わらない。……解るんだ。俺がその中からなにかを選んでしまえば、それはあっという間に崩れてしまう。……今までの関係も、些細なことで笑えた日々も、無くしてしまう未来しか見えなくて。だから、って……俺が選ばなければみんな笑っていて、期待に応えれば応えるほど人は集まった」

「だろうな。俺は逆だったから、なんとも言えんけど」

「なぁ比企谷。君は俺が羨ましいって思ったこと、あるか?」

「お前ほんっと嫌なやつだな……あるよ、このリア充め」

「俺も、あるよ。君が羨ましかった。だからきっと、俺はそれを求めて“嫌い”を選んだんだろうな。広く浅くが、いつかきっと広く深くになるって信じていた。選ばず、応え続ければいつかはって。でも───」

「葉山?」

「広くなくても、あんなに近く深い君の関係が羨ましかった。気づかされたんだ。期待に応えているといっても、応えられない期待もあったこと。解消しなければどうしようもない出来事に直面すれば、どうやっても個人の期待には応えられないこと」

「…………つまり、お前は」

「対等な誰かが欲しかった。負けたくないって純粋に思える、選びようがないものを曲げてでも、こいつの言う通りにはしたくないと反発したくなるような相手が。……よくも悪くも、人にイケメンリア充と言われるくらいには、ものが出来てしまったから」

 

 だから、と。

 葉山は手を見下ろして、苦笑した。

 

「なぁ比企谷。俺と友達になってくれないか」

「お前……反発したいって言った直後に、よくもまあその本人に言えるもんだな」

「どうせ“選ぶ”なら、最初はとんでもないものを選びたいんだ。……それからは、遠慮しない。好き勝手に選んでいくって約束する」

「……そか。んじゃあ───お断りだ。生憎と、俺は……俺達は、そう簡単に友達にはならねぇんだよ。知る努力から始めて、知ってから、ようやく友達になってんだ。ちょっと話しただけでもまあまあ知れたとは思うし、なにも全部知りたいとかアホなことを言うつもりはねぇけどよ。もうちょいいろいろ片づけてからでいいんじゃねぇの? ……って、そういやお前さ、三浦さんのこと、実際どうなの?」

 

 それでも、差し出された手をぎゅっと握りつつ、言ってみる。

 すると、あ、みたいな顔をして、空いてる方の手でこりこりと頬を掻く。

 

「どうなんだ、って言われても……そりゃ、好意には気づいてる。綺麗だとも可愛いとも思ってはいる」

「お、おう」

「ただ、その気持ちを“お前”に言ってもしょうがないだろ」

「ほんと遠慮ねぇなこのやろう」

「握ってくれたからな。遠慮はしない。対等ってそういうものだろ。だから、呼び方も“君”なんて言わないさ」

「あーそーかい。……あんま、待たせて女子の青春の時間を潰してやるなよ。恋愛が全てってんじゃねぇけどさ、する気がないならさっさと振るなりしてやんねぇとだろ」

「お前が俺ならそうしたか?」

「真正面に告白してくれりゃあな。そもそも俺じゃあ、気持ちを向けられても勘違いだとしか思わないし、告白されても罰ゲームに違いないって即決するだろうし」

「…………」

「いやおいちょっと? そこで黙らないでくださいます?」

「ふっ……っくっ……くく……! い、いやっ……悪いっ……! それでよく、あの由比ヶ浜さんとっ……!」

「ぐっ……うるせーよ……! 俺だって奇跡以外のなにものでもねぇって思ってんだから……」

「……はぁ。いい人に会えたんだな。羨ましいよ」

「おう。我が身と人生を粉にしてでも幸せにするわ」

「そうか。ただちょっと、その口調に違和感を感じる。無理してないか?」

「それも大きなお世話だ。……けど、まあ。お世話なりに、こうじゃないほうがいい、とかは思うか?」

「好きにしたらいいと思う。……俺も、久しぶりに……抗ってみようって、そう思うからな」

 

 ───話したことは、そんなこと。

 二人で話がしたいからと、心配する仲間を無理矢理納得させて、離れた席で。

 今も奉仕部メンバーや葉山グループが心配そうにチラチラ、ちら? チッラァアア! って感じで見てるけど、まあ、心配するようなことはなにも。

 

「じゃあ、これで解散か?」

「いや、まだだ」

「へ?」

 

 んじゃ行くかーと立とうとしたら、止められる。

 え? もうちょっとなに? 俺さっきからそわそわしてる結衣を今すぐにでも抱き締めたいんですけど?

 

「その……名前で呼んでくれないか?」

「キモい」

「《ゾブシャア!》ゲフッ……!」

 

 素直な返事が出来たと思う。

 遠慮ない関係か……いいねっ☆ いやまあ冗談だが。

 

「真顔で言うからなにかと思ったじゃねぇか……そういうのは気になる相手にでもやってやれよ……」

「い、いや、そんなつもりは……」

「はぁ……ええと、あー……は、隼人?」

「あ……ああっ、八幡っ」

「………」

「………《にこにこ》」

「……お前さ、海老名さんが心配してるような存在じゃ……ないよな?」

「断言するが違うぞ!? あと存在って言い方はやめてくれ! なにかおかしな生命体みたいに聞こえるじゃないか!」

 

 じゃあなんだって男に名前呼んで、呼ばれて、そんなにこにこしてるの。

 え? 俺も彩加の時そうだった? あらやだブーメラン。

 と、自己完結も終わったところで。

 

「んじゃ戻」

「待った!」

「……なんなのお前。俺これから大事なことが……」

「い、いや……その。八幡は、さ。由比ヶ浜さんと付き合って……長いんだよ、な?」

「へ? お、おう……そりゃあまあその……な?」

「そ、そうか。それじゃあ質問なんだけどな……」

「?」

「……お、女の子と付き合う場合、どうすればいい? いやそれ以前に、告白する場合とかはどうすれば……! い、いやっ、優美子には散々もやもやさせたまま待たせてきたし、関係を始めるなら俺からって思った、から……その……!」

「───」

 

 ───その日、僕らは思い出した。

 イケメンリア充がどうとか言っていたとして、その存在がその実、誰とも付き合ったことがなかったとしたなら───女性経験なんてゼロに等しかったのだと───……

 いや、僕らはどころか俺と葉山しか居ないんだが。

 



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そんな青春の日々を、僕らは笑う。②

 そして盛大になにも始まらない。

 あえて言うなら進撃の隼人。

 それからの彼は凄かった。とにかく教室でも遠慮が無くなっていった。

 今までの完璧な“みんなの隼人くん”をポリバケツに便利に収納して、資源ゴミの日に捨てるような行動を……いやどんな行動だよそれ。

 ともかく、今までの“みんなに笑顔を”から離れ、やたらと俺のところに来るようになった。

 これには三浦さんも海老名さんも呆然唖然。

 なにより、ええっと、なんていったっけ。さ、さがー……さがみん? ああ相模だ。そいつに「そっちじゃなくてこっちで話そうよ」って言われた時、みんなの前で「俺はもう期待に応えるのはやめたんだ。自分のために生きて、馬鹿なこととかいっぱいやってみたいんだ。だから、ごめん」ってキッパリ言ってみせた時の周囲のざわめきはすごかった。

 そしてそんなざわめき一切無視で、信じられないくらいに人懐っこい顔で「昼飯食おうぜっ!」って誘ってくるリア王の勢いに、まあその、なんというか。笑ってしまったのだ、俺達は。

 もちろん頷いた。知る努力を説いたくせに、その努力から逃げるわけにはいかない。

 ぽかんとしていた相模が結構しつこく誘ってきていたが、隼人はこれを拒否。

 サッカーまでやめると言い出した時は、さすがに男子も女子も“ざわ……”どころの騒ぎじゃなく、しかしその発言がまさに引き金になったのか、“みんなの期待に応える葉山隼人”ではなく、“やりたいようにやる葉山隼人”の誕生を、確かにこの場に居たクラスの連中全員に知らしめたのだ。

 そんな中、ハッとした、えーと……大岡? 大和? どっちだったっけ。

 忘れてしまったけれど、その誰かが隼人に向かって言った。

 

「ちょ、ちょ待っ……サッカーやめるって、国立目指すとかって話は───」

「目指しはしたけど、無理だろ、あれは。サッカーは一人でやるもんじゃない」

「いやっ……けどっ……」

「もう疲れたんだ、頼られるんじゃなく一方的に期待されることに。だから、俺も俺の好きにさせてもらう。……“時間には限りがある。だから、誰かの人生を生きることで浪費するべきではない”。───俺はさ、もう……自分で決めていたつもりのことで、逆に縛られていたって気づいたんだ。だから、もう俺に期待するのはやめてくれ。俺は、それには応えられないから」

「………」

 

 大岡だったか大和だったかは言葉を無くし、何も言わなくなった。

 伸ばしかけた手は垂れ、少しして……やがて、一人、また一人と背を向け、自分の席へと戻っていく。

 「いいのか」って訊いた俺に、隼人は「いいんだ」って苦笑で返して、分かれ道は作られた。

 

  初日はそれで終わった。

 

 きっと一日経てば、なんて思ったんだろうな。

 翌日にはいつもの調子でクラスの連中が隼人に声をかけるんだが、そのどれもを拒否して、隼人は俺達の居る場所へと来た。

 休み時間になっても、昼休みになっても、放課後になっても。

 部活は本当にやめたらしく、平塚先生経由で奉仕部に入部届が出されたことを知った。

 ……そんな事実を知った今、奉仕部にて。

 

「あなた本気なの? この時期に、部長というものを任されておきながら」

「それこそきちんと選ばなきゃいけないことだろ。俺は俺の青春のために、今しか出来ないことをしようって決めた。それは、先輩に任されて期待に応えたってだけで請け負った、サッカー部部長なんてものじゃない」

 

 まあそうな。声をかける人は一人、また一人と減っていった。

 いろいろとアピールしていた相模も離れてゆき、今では───

 

「んで? この部活ってなにするところ? お茶飲んで本読んで、でいいの?」

 

 ……それでも傍に居たがる人なんて、いつの間にか用意された椅子にドッカと座り、スマホをいじる女王様くらいなものだ。

 

「三浦さん。あなた、部員でもないのに」

「べつにいーっしょ。先生には入部届出したし、あとは雪ノ下さんと結衣とヒキオが認めりゃいいって聞いたし」

「俺もそう聞いてる。雪ノ下さん、由比ヶ浜さん、……八幡。どうか、俺に変わるための機会をくれ。ゆき───、……雪乃ちゃんが変わることが出来た、変化を求めた先があるここで、俺も……変わっていきたいんだ」

「葉山くん───」

「雪乃ちゃん……」

「……名前で呼ばないでもらえるかしら」

「えぇぇえーーーーーっ!? いっ……言うことそれなのか!?」

 

 雪ノ下の言葉に、隼人がそれは大層驚いておった。

 いや、どんな幼馴染だったのかは詳しくはしらないけど、そりゃいきなり呼ばれれば嫌じゃないか?

 

「ごめんなさいは言ったけれど、あの頃のようになりたいと言った覚えはこれっぽっちもありはしないわ。誤解しないでちょうだい」

「は、はは……ああ、わかった。確かに、今さらなんだろうね。けど……あの頃のようにとはいかなくても、なにかに関わることくらいは許してほしい」

「あなたがここに居ることで、他の女子からのいらぬ誤解がこないのなら喜んで。私にしろ由比ヶ浜さんにしろ、そういうことが一番困るのよ。良くも悪くも、目立つのだから、あなたは」

「……。そう、だね。けじめは、つけないといけない。───優美子」

「っ……な、なに? 隼人」

「そ、の……ええと、だな。……もう少し、待っていてほしい。もう少し気持ちを整理出来たら……必ず伝えるから。……聞いてほしいことがあるんだ」

「───! ……う、うん。わかった。……うん、…………うんっ……」

 

 言いながら、ふいっと隼人から視線を外す。

 しかしながらこっちからはよーく見える。俯いてるけど、緩んでるのが丸解りでござる。

 ……ちなみに俺と彩加と翔と材木座は、隼人に向けて、人に告白するための勇気と知恵を、今日までにいろいろと説くことになった。

 なにせこの葉山隼人、本気の本気で女性と恋仲になったことはなく、誰に誘われても断っていたため、断り方は知っていても付き合い方など知らないと来た。って、それはもう言ったな。けど意外だったんだから仕方ない。

 ならばと、まずは三浦のどこが気になっているのかを訊いてみた。

 返答は……まあ、いろいろ。

 まずは一途っぽいところ。うん、これは同感。

 次になんだかんだ世話焼きなところ。……俺は結衣と、お互いの世話を焼きまくってるが。まぁ解る。

 なにか言うにしても、キツくても相手のことも考えているところ。……ここには結構、自分の願望とか押しつけが入ることがあるのが玉に瑕。

 とまあそれ以降にもあったにはあったが、心から惚れているとまではいかないらしい。

 なので俺が人間観察で鍛え上げた観察眼で見た“三浦優美子”という存在のいいところは、と語り始めた。

 語るにあたり、重要なポイントは、いかに三浦さんが隼人を想っているかをこいつに自覚させること。

 そうして少しだけ誇張しつつ、真実を多分に含めた説明を続け……やがてそれが終わる頃、俺の視線の先には顔を真っ赤にしたリア王がおりましたとさ。

 

  ……と、いうわけで、現在に至る。

 

 過程で俺と翔が隼人を隼人と呼ぶことに抵抗を覚えなくなってからは、もう相手がリア王だとかそういうのはどうでもよくなっていた。

 さらに隼人洗脳作戦……いや洗脳とまではいかないまでも、プラス思考作戦は実に効果的で、こうなってしまえば隼人は三浦さんを意識しまくりだし、三浦さんは最初から隼人を意識しまくりなわけで。

 あとはお前の勇気だけが武器だ! とあとのことは丸投げ。まあ、告白ってそういうもんだと思う。

 もちろんというべきか、それだけじゃ足りないから告白に関するアドバイスをくれないかと頼まれてしまい、まあその───うん。アドバイスとはいっても、俺達はべつに想いを伝えることに関してベテランだとか女性のことを良く知っているというわけでもない。

 材木座に“お主は由比ヶ浜嬢にいつも告白しているであろう!?”なんてキレ気味に言われたけど、あれは相手が結衣だから出来るんだ。

 今さら恋に恋するみたいな自分がやった、あんな中身のない告白なんて絶対にしたくないし、それを誰かにアドヴァイスするのはぜったいにまちがっている。

 だから却下。

 ならばと海老名さんに真っ向から告白した翔に白羽の矢が立った。

 それについての翔の反応は?

 “保身考えて、人を好きになんかなれねーっしょ。そこはもうほらあれだべ? 自分の全部をそこに置くつもりでぶつかってみりゃいんじゃね? どんな心にくる告白されたってさ、最初から相手が断るつもりだったら成功なんてしねーんだし。あ、これ体験談ね”

 と。直後に“だからもう八幡てばマジ親友! 心の友! 俺が女だったら惚れてたわぁ~!”とか言って、俺に抱き着いてきてチッスかまそうとしてきたので、全力で抗った。

 そんなわけで、てっきりもうここで告白しちゃうのかなとか思ってたんだが……そんなことはなかった。

 

「けじめをつけると言っておいて、待っていてくれとは……あなた、神経が図太いにもほどがあるわね」

「ああ、そこでその……相談があるんだ」

「相談?」

「そう。その……どこか、場所を借りるかして、バレンタインの日……は入試があるから無理として、その前でいいから噂が広まりそうななにかを開けないか?」

「……。そこで、あなたが───……いえ、これを私が言うのは違うわね。けれど、場所を借りたとして、それが上手く周囲に広がると本気で思っているの?」

「3年はもう卒業するから、それはいいんだ。2年はもう情報が広がっていると思う。問題は1年だけど、そこはいろはに頼もうと思っている」

「一色さんに?」

「んんー……隼人くん? そりゃちょっとアレじゃね? 一色ちゃんってばさ、クラスの知り合いに生徒会長押し付けられそうになってたんだよね。それ考えると、一色ちゃんに噂の拡散してくれーってのはちっとムズいべ?」

「いや、1年の誰かがその場面を見て、それを一人にだろうと伝えてくれればそれでいいんだ。人は誰かのスキャンダルほど知りたがるからね。知ってしまえば、それが真相なのか、知りたい人は確かめにくる」

「あ、そっか。その時にとっくに葉山くんと三浦さんが付き合ってれば───あ、……えっと、ご、ごめん八幡、これ、僕が言わないほうがよかったかな……!《ぽしょォ……!》」

「もういっそ今くっついちまえって気分だし、いいんじゃないか?《ぽしょり》」

「あーそれ俺も思った。まどろっこしいの抜きにして、隼人くん、もう告っちゃえば?《ぽしょぽしょ》」

「まあ、べつにイベントを利用しなくても、一色に葉山隼人は三浦優美子に告白して付き合いましたって言えば、そこから拡散しそうではある……な」

「つーかぁ、隼人くんてばバレンタインに女子にチョコあげて告るん?」

「へ、変か? 外国だとむしろ、男が女にあげるものだったりするんだけど」

「マジで!? っべー! 隼人くん物知りだわー! あ、そういや去年、八幡がガハマっちゃんに……あれ八幡だからやったことだと思ってたわー……」

 

 翔が指をパチンと鳴らしたのち、隼人を指さして言う。

 だからそのリアクションなんなの、ほんと。

 手ぇ叩いたり指パッチンやったり、忙しいな。

 

「あーその……ちなみに相手の作ったものより男が上手く作るとヘコませるから気をつけろ」

「え? ……けっ……経験済みっ……なのか……!?」

「そらそうっしょー、八幡はありとあらゆるイベントとかきっかけがある度、ガハマっちゃんに告白してるし」

「……というか」

「えっと……ねぇ八幡? もういい加減言ってもいいかな」

「え? 言っちゃう? 言っちゃう系? よっちゃんも言わないで今まで耐えてたのに、言っちゃう系の雰囲気?」

「うむ……いい加減我も我慢の限界……! ツッコむべきはツッコんでこそ……! 八幡! お主───」

「いや、べつに言わなくても───」

『なんで恋人を膝の上に乗っけて寝かしつけてるの?』

「───……いい、のに……」

 

 いや、ただ椅子が少なかったんだよ。最初はそれだけだったんだ。

 ここも人が増えた。

 最初は雪ノ下だけで、俺と結衣が入って、彩加と翔が入って、材木座が入って。

 で、今は隼人と三浦さんだろ? ほら、椅子がね?

 だから相談者用の椅子を出してもひとつ足りないから、そこで結衣の椅子を……三浦さんに渡して、で、結衣は俺の膝に。

 最初はそれでよかったんだけど、こんだけ近いとほら、その、あれですよ。家デートの時にいつもやってるような空気が滲みでちゃって、手を掴まれてお腹側に回されて、じゃあ、ってやさしく抱き締めて、頭とか撫でたりしてたら……ええと、ほらその、なに? 家デートとは言っても基本はベッドで抱き合ってまったりする僕らですから? 眠たくなれば眠りましょうを普通に決めてあったわけでして? ……ええはい、その癖ですとんと綺麗に眠ってしまいましたやだ可愛いめっちゃ可愛い。俺の恋人超可愛い。

 

「ぐぬぅっ……! 正直っ……素直に羨まし───」

「しー……!」

「あ、すいません……」

 

 いつもの調子で“羨ましいぞぉおっ!”と叫ぼうとしたであろう材木座に黙ってもらう。

 せっかく安心した感じに寝てくれているのだ、起こすのはヤボである。

 

「…………」

「《さら……さら……》んゅ……ひっきぃ……」

「…………」

 

 完全に体を預けきってきている恋人の頭を、ゆっくりと撫でる。

 右手で頭を、右手でお腹をやさしく、叩くのとは違う、軽く弾ませる程度にぽんぽんと撫でて。

 

「ぅ……ぁあ…………! え……な、なにあのヒキオの顔……。やさしいどころの顔じゃないっしょ……!」

「うーん……そうかなぁ。由比ヶ浜さんの傍に居る八幡って、いっつもこんな感じだよ?」

「そうそう、めっちゃんこにやっさしい顔してんのなー。ほんとたま~に俺達にも向けてくれる時があって、そん時ってば頼られてるんだなーって思えて嬉しいのなー。なー、戸塚ちゃーん」

「ねー、戸部くんっ」

「え? うそ。我にはそんな笑顔、一度も見せてくれたことがないのに……!」

「……そういえば、ええと、財津くん? だけは名前では呼ばれていないのね」

「《ぐさっ!》ぐふぁっ!? もっ……もははっ? もはははは……! なんのなんのなんジョルノ……! それを言うなら雪ノ下嬢……! お主こそいつまでも苗字であろう……!」

「……ふ、ふふっ? それがどうしたというのかしら。わわ私は別に、それを望んでいないもの《ソワワワワワ……!》」

(あ)

(これ)

(めちゃくちゃ)

(望んでいるでござる……!)

「?」

 

 眠る恋人を慈しみまくっていたら、ふと視線を感じて意識を戻す。

 と、何故か全員が俺をじーっと見ていた。あ、いや、もしかして結衣か? いやもしかもなにもそっちか。うん解るぞ、天使だもんな、結衣。寝顔とかもう最強すぎる。

 外敵が多い(個人調べ)学校で、こんなにも体を寄りかからせてきているだけで嬉しいのに、この安心した寝顔。最高でしょう。

 

「あ……話の流れを切って悪い。雪ノ下さんにひとつ訊きたいことがあったんだ」

「? 葉山くん?」

「ああいや、べつにおかしなことじゃなくて。この部活では、些細なことでも相談し合うって聞いたんだけど、それは本当かい?」

「ええ、そうね。相談して、どれだけ悩もうとも最終的な決断は自分で決める。その先で後悔しても、人の所為にしないために」

「……君に、それが出来たのか」

「《ムッ……》それはどういう意味かしら」

「あ、けど最初ん頃の雪ノ下さん、結構決めるまでおろおろしてたべ。あ、最初っつーよりは……途中から? 遠慮が少なくなってきた辺りから、なんっちゅーか決めあぐねるっつーの? そーゆーの多かったっしょ。他の人への指示はスゲー的確なのに、自分が動くってことになると迷うっつーの?」

「そ、そんなことは…………、……ない、とは言い切れないわね」

「ま、それも一年で随分引っ込んだけど。今ではズバズバ決めっからおっかねーもんなー、八幡ー?」

「いや、ちゃんと自分で決めてきっぱり言えるってのは怖いとかじゃねぇだろ」

「うむ然り! 人を束ねられるのは選んで決めて実行出来る者である!」

「材木座、しー」

「はぽんっ!? い、いいであろうっ!? 決めセリフくらい言わせててくれたって! ……ていうかあのー、事実として確認されるとマジ辛いんで、俺のこととか名前で呼んでくれないでしょうか」

「いきなり素に戻るなよ……」

 

 けど確かに、まだ正式に入部したわけでもない隼人は名前で呼んでいるのに、なんだかんだで付き合いの長い材木座がそのままっていうのも…………でも、翔と同じで材木座ってTHE・材木座って感じだから、名前呼びって少し躊躇が。

 ……結局翔も呼んだんだし、それはそれでいいのかもだけど。

 

「……羨ましいな。もっと前から関われていれば、俺も……《ぽしょり》」

「? 隼人?」

「あ、いや……」

 

 なにかを呟いた隼人だったけど、俺が声をかけるとすぐに言葉を濁し、俯いてしまった。

 途端、少しだけ沈黙。

 そんな空気を容易く砕いたのは、はぁ、と溜め息を吐いた三浦さんだった。

 

「ん? そんでなに? 結局さっきからぼそぼそ内緒話ばっかでこっち、全然ワケ解らねーんですけど? 言いたいことがあんならハッキリ言えし」

『あ』

 

 結局やっぱりなにも始まってなかった。

 

……。

 

 翌日の昼休み。

 あのあとすぐに完全下校時刻になったこともあって、その場で解散した俺達は、バレンタインをどうするかで、難しい顔をしていた。

 今年もまたあの日が来るのかー、なんて思う時間が増える。もうめっちゃ増える。

 教室では奉仕部と葉山グループとが分かれ、葉山グループは窓際、奉仕部グループは引き戸側で、わやわやと話し込んでいた。いや、込むっていうほど濃い内容でもないんだけど。

 材木座は同じクラスではないため、ここには居ない。

 彩加と翔とで、黒い塊を贈ることを乙女チックに悩んでいた。

 

「ううう、っべーわぁ……こ、ことっ……今年は海老名さんから貰えっかなぁ俺ってばぁ……」

「考えてみると、ちょっと想像しづらいよな……」

「うーん……普段の海老名さんを見てると、確かにそうだよね。八幡はどう? 由比ヶ浜さんからは」

「頑張るから、って宣言までされてる……去年ももらったんだけど、心は込めてもあまり上手くは出来なかったからって」

 

 ちらりと葉山グループを見てみる。

 そこに、海老名さんと話があるからと、そちらへ混ざっている黒髪眩しいお団子さん。

 俺では到底無理であろう空気読みスキルを駆使して、あの女王の発言さえ見事に受け止め、その流れを逸らし、笑顔で会話をしている。

 

「……八幡、すっごいやさしい顔してる」

「へっ!? え、あわわ悪いっ、ヘンな顔だったよな、悪い」

「謝ることなんてないよ、八幡。やさしい顔って言ったんだから」

「っかー……! ほんと、中学までの八幡の周りのやつらってなにやってたんだかなー……。自分でヘンとか悪いとか言っちまうのが自然になっちまうくらいってことっしょ?」

「あ、いや、俺の場合は主に勘違いの所為で自爆した結果だしな。それは後悔しても受け入れてるから、いいんだ」

 

 話している間、クラスのカースト上位の女子がバレンタインに向けて、手編みのマフラーだかセーターだかをプレゼントする、的なことを言いつつ、懸命に編み棒を動かしているのを視界に捉えた。

 進捗状況、まだ一割程度。現在、バレンタイン間近。いや無理でしょ。

 言っちゃうのは可哀想だけど、無理でしょ。

 

(………)

 

 可哀想とか何様だ俺。よーし落ち着こう。

 とか思ってたら、結衣と話していた三浦さんが“手作りなんて重い”とかそういうことを言った。

 途端、ぴしりと凍る教室。ああっ、編み棒を動かしていた女子が固まった!

 

「うーわー……この状況でアレとかハッキリ言っちゃう? っべーわー……」

 

 けれども現実問題として、あれはちょっと間に合わない。

 重い云々度外視しても、あれは諦めたほうがいいかもしれない。

 ……と、思いはしたが、方向性を変えればいいだけじゃないか、とも思った。

 ようするに手編みものじゃなくて、手作りチョコでいきなさいよと。

 そんな時、確認するみたいに三浦さんが「結衣はどう?」なんて、結衣に話を振る。途端、他人事だった話題が自分に降りかかってきたような、あの嫌な重圧がミシリと俺を襲った。

 ちょ、やめて、自分がそう思ってるだけならそれだけでいいじゃないか。なんだってそう、すぐ人に同意を求めるの。

 

「……えと、気持ちが籠ってるんならさ、それでいいんじゃないかな」

「結衣?」

「届けようとしなきゃ、始められないと思う。あたしは……届けたい、よ? だってさ、えと、その人にとってなにが重くてなにが軽いのかも解らないのに、決めつけて諦めるなんて……出来ないもん。……優美子は、どう?」

「………あーしは」

 

 ……知らず。

 自分の視線は、結衣の方へと向いていた。

 そんな視線に気づいた彼女は、たははと少し困った風に笑って、胸の前で小さく手を振ってくれる。

 ぱたぱた、と振るわれる手に、思わず顔が綻んだ。

 

「……こういう時、八幡の相手がガハマっちゃんでよかったーって思うわー……」

「うん……だよね」

 

 たぶん、俺の顔は真っ赤なんだと思う。

 いつもなら顔を逸らして、熱が引くのを待つんだろうに……その顔が逸らせない。

 そうなればもちろん、結衣と視線がぶつかったままになって…………結衣も、視線を逸らさずに、困った顔からやさしい笑みになって、俺を見つめてくれていた。

 

「───……」

「………」

 

 あなたが好きです。

 口にはしなかった。でも、伝えた。伝わった。

 はい、あたしもあなたが好きです。

 口にはされなかった。でも、届いた。届けられた。

 ───いつかの日、“たまに二人に戻りたくなる時がある”って意識が通じ合った時のように、くすぐったい気持ちが湧き上がって……でも、それがちっとも嫌じゃない。

 傍から自分を見たなら“色恋に溺れて鬱陶しい”だの思うんだろうに、こんな気持ちを知ってしまえばもう馬鹿に出来ない。

 

「結衣? ちょ、結衣? ……はぁ。そりゃ、結衣は相思相愛なんだから問題ないだけっしょ。知りもしない相手からいきなり手作りとか、重いし困るって話で───」

「んー……むしろそれ言われればすっぱり諦められるし、いいんじゃないかな」

「海老名?」

「ていうかさ、優美子。優美子は人があげたものを重いなんて言う人、好きでいられる?」

「あ? 無理に決まってっしょ。何様だっつの」

「あはは、うん。私も同じ。でもさ、複雑に考える必要がないだけ、スッキリできていいんじゃないかな。それをきっかけにも出来ないで、ただ重いなんて言って断るんじゃ、そもそもなにも始まらないよ?」

「………」

 

 俺と結衣が見つめ合う中、耳にそんな会話が届いた。

 次いで、「べべっ……べべべべ、べべべー……! べーってば海老名さん……! ちょ、怖い怖い怖い、それ以上つつくと三浦さんとか超怒るんじゃね……!? いや絶対守ってみせっけど……!」って翔の声が聞こえて、自然と笑んでしまうと、同じタイミングで結衣も笑って、それがおかしくて二人して笑った。

 

「青春だなぁ」

 

 彩加の呟きが耳に届いた。

 ……そか。これ、青春なのか。

 そう振り返ってみると、そんな嘘も悪も、全てを諦めようとした時よりも温かく感じられた。

 

……。

 

 で。

 

「三浦さん? 奉仕部はなんでも屋ではないのよ?」

「うぐっ……」

 

 放課後の現在。

 “葉山隼人の進路調査”に引き続き、どうして三浦さんたら生徒会に来てらっしゃるのでしょうね。

 いや、理由は聞いた。とっくに。

 “隼人にチョコ贈りたいから手伝って!”という内容だ。あら解り易い。

 

「最低限の努力もしないで人に頼るばかり。そしてそれを頼られたからと手を差し伸べ続けては、奉仕部の活動方針から外れるわ」

「あ、じゃあわたしからの提案というか依頼ということで」

 

 ぴしゃりと言われて言葉を詰まらせた女王に代わり、軽く手を上げたのは生徒会長になるかもしれなかった一年、一色いろは。つか、なんでお前も居るの。

 

「いえほら、やっぱりこう、あれですよ。自然にチョコレートとか渡したいじゃないですかー。あ、最低限の努力ならしてますよ? サッカー部でマネージャーしながら、葉山先輩の情報を集めたりとか」

「そのまま自分の力だけで進もう、とは思わないのね……」

「そりゃもちろんです、だって確実にいきたいですし。というか、まさか情報収集の途中で退部されるとは思ってもみませんでした」

 

 一色の言葉に、一同硬直。

 特に翔がばつが悪そうに頭を掻いていた。

 

「あ、あのー……一色……ちゃん? っつったっけ? あのさぁ、それヤバイ系のものの考え方だわ……」

「え? なんでですか? っていうかあなた誰でしたっけ」

「ちょ、そりゃないっしょー……戸部、戸部翔。ちゃんと生徒会役員で、奉仕部だから」

「へー」

「おふぅ……ひどい棒返事を見て聞いた……」

「それで、ヤバイってなんでですか?」

 

 悪びれもせず、一色は翔に先を促す。

 なんでって、本気で解ってないからこの手の依頼は怖い。

 

「いやほら、失敗しないように、なんて誰でも願ってることだべ? 俺だって修学旅行で海老名さんに告白する時、絶対に失敗したくねぇからって奉仕部に依頼したけどさ。俺はそれでよくても、周囲はせっかくの修学旅行に余計な仕事を割り込まされたのよ。そのくせ、自分じゃ結局、呼び出された人に告白するだけだったっつーか……それも八幡が居なけりゃ成功もしなかった。……な、一色ちゃん。色恋沙汰は、自分で立ち向かわなきゃだろ。サポートの仕方が悪かったとか逃げ道用意してるようじゃ、気持ちなんて絶対に伝わらねぇと思う」

「………でも。そうはいいますけど。少しでも確率を上げたいって思うのって、そんなに悪いことですか?」

「悪いことじゃねぇべ。ただ、やり方の問題っつーか……あー……悪い、上手く言葉が出てこないわぁ……」

「努力の幅の問題、ということよ、一色さん。あなたは私達が提案する、たとえば葉山くんが先日に出したような案を実行するとして、案以上の努力をするのかしら。それとも案通りに実行、上手くいかなければ全てを奉仕部の所為にするの?」

「え、いえいえいえっ! そんなことしませんよー! ことお菓子に関することで言えば、わたしは誰に手伝ってもらわなくても、いいものが作れる自信がありますしっ!《ちらり》」

「あ?」

「ひぃっ!?」

 

 言葉のあとに、ちらりと隣の三浦さんを見るあたり、なるほど、確かに自信はあるようだ。

 でもやめて、あまりその女王様のことをつっつかないであげて。

 

「ていうか、ですよ? その。葉山先輩が案を出したって、どういう案で───」

 

 少し震える声で一色が話題を逸らそうとすると、そこに聞こえてくるノックの音。

 雪ノ下が「どうぞ」と応えると、隼人が入ってきた。

 

「隼人……」

「悪い、遅くなった。サッカー部の顧問に捕まってて」

「そう。もう始めているけれど……そうね、比企谷くん、説明を」

「え? 俺?」

「由比ヶ浜さんといちゃいちゃしている余裕があるのなら、出来るでしょう?」

「お、おう」

 

 なんかごめんなさい。

 



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そんな青春の日々を、僕らは笑う。③

替え歌FULL注意報。


 緊急、ということで、結局バレンタインイベントは開催された。

 いろいろと悶着はあったものの、どうせならばとクリスマスイベントの時のように海浜高校と合同でのイベントとして、またコミュニティーセンターを借りて。

 なにをするのかといえば、子供にも教えられる、今さら人には訊けない手作りチョコ講座~みたいなものをやってみたわけで。

 ちなみに結構オープンに呼びかけたから、どこぞの小学校の子も混ざってきていたりする。

 

「あ……ゾンビの人」

「……よう、ルミルミ」

「それキモいからやめて」

 

 おーいみんなー、小学生にキモいって言われる高校生が居るぞー。……俺だった。

 いやちょっと待て、伊達眼鏡を取った俺ならまだ解るが、この状態で…………いやまあいきなり人にルミルミ言われりゃキモいか。

 少し知り合った程度の人に、いきなりハチハチとか言われるようなもんだうおおこりゃキモいまさにキモい。

 ……でも、結衣にならちょっと呼ばれてみたいかも……って落ち着け、今まさに俺がキモい。

 

「……悪い、確かにキモかった」

「……ん。じゃあ」

「ん? おう」

「うん」

「………」

「………」

「……?」

「ん」

「ん?」

「………」

「………」

「名前、呼んでってば。そんなことも解らないの?」

「お前俺にどれほどのコミュ力求めてんの……」

 

 そりゃ、結衣と出会ってからというもの、数倍以上はコミュ力上がってるとは思うけど。

 でもまあ呼んでくれというのなら…………いや、いいのか?

 

「……ちょっと訊きたいんだけどな。俺に名前で呼ばれて嬉しいか?」

「なに? それ」

「いや……俺にさ、名前で呼んでくれって言ってくるやつが居るんだ。お前は……留美、はどうだ? こう見えて、中学までひどいぼっちだった俺だ。お前が言うように、キモいキモい言われながら学園生活ってのを過ごしてきた。……不思議なんだよ。キモいって言ってるのに、どうして名前で呼んでくれって言えるのかって」

「……。そんなの。行動がキモいだけで、はち……八幡、には……感謝してるから。だから、呼んで欲しいって思うだけ。言いたいこと言える人が居るって、それだけで……すごく楽だし」

「───……」

 

 そりゃそうだ。

 俺だって、今の奉仕部との関係がひどく心地良い。

 馬鹿話も言い合えて、多少キツいことを言っても言われても、腹も立たない。

 狎れ合いはいらないって気持ちは今も変わらないのに、今のこの関係がただの狎れ合いだなんてちっとも思えない。

 じゃあ、なんなんだって訊かれたら───今こそ、俺はその関係をこう呼ぶのだ。そういうのが“友達”っていうものなんだろ、って。

 簡単に壊れるならそれは知り合いだ。

 無駄に庇い合って潰れて合っていくだけなら、それは狎れ合いでしかない。

 支え合って、目指し合って、一緒に成長していける。

 目指すなにかに過剰に心配して足を引っ張るんじゃなく、それを目指すには何が必要なのかを調べ尽くして、背中を押していけるような……そんな、なにかを……俺は。

 

「……そっか。呼んで、よかったんだな」

「当たり前。本人がいいって言ってるのに、なんで八幡が迷ってるの?」

「呼んだ途端に“うわ本当に呼んだよやだキモい”とか言われそうだろ? 少なくとも、俺が小学の時にはそういう性質の悪いからかいとイジメがあったんだよ」

「…………めんどくさいよね、人って。みんな、ガキばっか」

「……だな。俺も、こんなことで迷ってるようじゃ、まだまだガキだよ」

「……私が八幡くらいになったら、もっと大人になってる」

「そか。じゃあ、お前の未来は眩しいな」

「友達は居ないけどね。でも、中学になったら───」

「……。だな。一緒に上がってくるイジメ馬鹿が居ても、そいつじゃなくてお前を信じる“友達”を作れ。そうすりゃ、お前の未来はきっと眩しいから」

「………」

 

 そんなの見つかりっこない、とか思っているんだろうか。

 自分の立場で考えてみても、軽はずみな提案だとしか思えない。

 それでも……だよな。眩しいって信じてるなら、それが最後でいいって覚悟でも振り絞らなきゃ、なにも掴み取れない。

 俺はたまたま成功しただけかもしれない。

 小学生にこんなことを、なんて考えれば残酷なことこの上ないけど。でも。でもさ。

 “あたたかい世界”が欲しいって思う心に、小学生だとか高校生だとか、子供だとか大人だとか……そんなの、関係ない筈だから。

 求めたっていいんだ。望んだっていい。

 ただ、そこに辿り着くための努力を忘れなければ。

 努力の全てが報われるわけじゃない。そんなことは解ってる。

 ぼっちを経験したなら、誰だって解ることだ。

 

「……八幡」

「ん?」

「……チョコ、作り方教えて」

「おう」

 

 でも、だ。

 最低限の努力だけは、忘れちゃならないんだ。

 人と関わらずに生きていけたら最高だな、なんて思っていたって、親っていう人間の脛をかじらなきゃ生きていけない。

 孤独なまま生きたくても、世界はいつだって数が少ないものに厳しく出来ているから。

 だから、そんななにかに抗えるくらいには。

 強くあろう。

 せめて、自分の傍に居たいって思ってくれる人と、馬鹿みたいに笑える青春を続けていけるくらいには。

 

……。

 

 チョコ制作における講師は雪ノ下が勤め、見事にこれを捌ききった。

 俺も溶かして流してくらいなら余裕で教えられる! なんて気取ってみたが、留美と一緒に固まらないチョコを前にして首を傾げてしまった。

 

「ヒッキー……湯煎って、チョコに水をかけて沸騰させて溶かすんじゃないんだよ……?」

「!?」

 

 そして結衣に料理のことでツッコまれ、とてもショックだった俺が居た。

 い、いや、知ってたんだぞ!? これでも俺、去年の今頃にはキミにチョコ渡してたんだから! ただちょっとし手違いからずるずると“やっちまった”だけで……いえはい、失敗は失敗ですよねごめんなさい。

 つまりものの見事に失敗したわけだが───

 

「……っ……ふっ……ぷっ、あははっ……あははははっ! は、はちまっ……あんなに自信たっぷりだったのにっ……あはははは!」

「…………」

 

 留美は、それはもう楽しそうだった。

 さて、ここでラノベなどなら頭を撫でたりするが、それはNGだ。

 相手が笑っているなら、笑わせておいてやればいい。

 このお年頃にとって、ただ笑うだけってのがどれほど心の栄養になることか。

 え? 俺? なにかの物真似とかひとりでやって、ニヤニヤしておりましたが?

 ……だめだな俺、当時の俺の未来、てんで眩しさがねぇよ。

 

  ともあれ。

 

 バレンタイン前日のバレンタインイベントはきちんと進行して、海浜側にも随分とお礼を言われた。小学校側からもだが。

 中には園児も混ざっていたが、その子が以前、依頼で会った川なんとかさんの妹であることが解り、少し話した。

 なんでも結衣に相談があったそうで、そこから雪ノ下に伝わり、じゃあ、と。いや、よく解らないか。バレンタインってことで、幼稚園児もおませさんになりたいお年頃だったんだろう。

 作ってみたいと姉に言ったそうで、そんな時に奉仕部でバレンタインのイベントをやるって話をどっかから得て、園児でも平気かと話を通して、とのことらしい。

 

「よし、っと。じゃああとは片づけて帰るだけか」

「そうね。ああ葉山くん、三浦さん、あなたたちは先に帰ってくれていいわ。ここの片づけは私達がやるから」

「え……い、いや、そういうわけにも」

「いーから行け、あほ。他人に時間を使う暇はないんだろ? だったら……しっかり選んで、自分の青春、掴んでこい」

「……八幡」

「そうそう、思いっきり応援してやりたいところだけどさー、やっぱこういうのって本人が頑張ってこそでしょぉ! そんで、今まで振ってきた相手の気持ちもちょっとは受け止めてやると……いんじゃね? きらーん♪」

「……はは、そうだな。解った、行ってくるよ。……行こう、優美子」

「あ……う、うん」

 

 促せば、隼人は頭を下げてチョコ教室をあとにした。

 当然三浦さんも一緒。

 あまったるい空気が場を支配する中で、なんでか少しの緊張を抱きながら、俺達は片づけを続けた。

 

「……八幡。上手くいくかな」

 

 心配だったのか、彩加がぽしょりと呟く。

 

「解らん。でもまあ、悪い結果には……ならないんじゃないか?」

「うん……そうだね」

 

 にこりと笑ってくれる。

 やだ、とつかわいい。

 ああいやいや、落ち着け、隼人もそうだけど、俺もだ。

 これから結衣に、自分が作ったチョコレートを……

 

「……《チラッ》」

「……《チラッ》」

『!!』

 

 片づけが終わり、いざ、と視線を向けると、結衣も丁度俺を見て、視線がぶつかる。

 同時に顔が赤くなって、おそらく俺も相当赤くて。

 ああくそ、好きって感情って上限とかないの? 好きすぎてヤバいんだけど俺。なにがやばいって、ヤバイがヤバい。

 

「ゆ……結衣」

「う、うん……ヒッキー……」

 

 近づいて、手が届くところで止まって、どこの乙女だってくらい顔をチリチリと熱くさせて、背中側に隠したチョコの感触を確かめる。

 包装も丁寧にやって、紙を折るたびに心を込めた。

 リボンなんて初めて巻いたが、そんなものにまで、心から。

 あなたが好きです。

 俺と付き合ってください。

 何度言ったって、何度届けたって足りない。

 相手も同じ気持ちであることが嬉しくて、初めてでもないのにガッチガチに緊張して、奉仕部のみんなが見守る中、チョコレートを差し出した。

 

「あ、あのっ、だな……その。きき緊張して、湯煎の仕方から間違えたりもしたが、作り直したし……う、上手く出来てるって……思うんだ。よよよよかったら……受け取って、ほしい……っていうか……その……!」

「おーい、八幡ー? そこで“ていうか”は余計じゃねー?」

「ききき緊張してるんだからしょうがないだろっ! だ、だから、つまり、つまるところ、その、ええと……! ~~…………あっ……あなたが、好きです……! これからも、俺と一緒に……!」

「………」

 

 真っ赤な顔であろう俺を真っ直ぐに見て、結衣は顔を真っ赤にしながらくすぐったそうに、顔が緩んでしまって仕方ないって言うみたいに、ほにゃりと頬を緩ませた。

 そして手を伸ばし、俺のチョコを受け取ってくれる。

 

「は、はい……あたしも好き、大好き……。え、えとあのっ、よかっ……よかったら、あたしのも……受け取ってください。あ、えと、去年みたくなりたくなくて、頑張ったんだ。ゆきのんにも手伝ってもらったり、料理の本とか調べたりして」

「~……結衣……《じぃいいん……!》」

「たぶん、美味しく出来てると思うから……だから」

「あ、う、うんっ、じゃなくておうっ、ああぁあああありっ、ありが、とう……! 嬉しい……ほんと、嬉しい……!」

 

 チョコを受け取って、お互い見つめ合って、恥ずかしくて、照れくさくて。

 チョコを持つ手とは逆の手を伸ばして、伸ばされて、繋いで、繋ぎ合わせて、絡めて……やがて、にっこりと微笑んで、もう一度好きですを届けた。

 

「……はぁ。相変わらず虫歯になりそうなくらい甘いわね……」

「あー、俺も恋人同士になった瞬間とか見たかったわー」

「あはは、きっと今よりもくすぐったい感じがすごかったんだろうね」

「然り然り。我もなにかきっかけがあればモテたりとか……」

「よっちゃんはあれでしょー、まずは痩せてからじゃね? 化けると思うのよねー、よっちゃん」

「え? マジで?」

「マジもマジマジぃ! こうあのー……金田一少年の事件簿のキンダニくんとかさぁ」

「おお……お? いやあのちょっと待って戸部氏、それちょっと微妙じゃない? 我、どっちかっていうと錬金術のほうのニーサンとかが……」

「ま、なにはともあれまずは痩せなきゃだべ! 最近はジョギングもついてこれてるし、ここは継続して痩せなきゃもったいねーべ!」

「いや、小説家になったほうがモテない? そしてアニメ化して声優さんとつながりを持って……」

「……甘いぜよっちゃん。どうせ声優さんと一緒になるのなら! 周囲が認めて羨むよっちゃんになってからのほうが胸張れるってもんでしょー!」

「《ガカァアアン!!》───! そ、その時我に、電流走る……!」

 

 片づけも終わって、あとは帰るだけって時に、随分と賑やかな自分の周囲。

 材木座の目はやる気スイッチが押されたみたいにやる気に満ちていて、まあ動機はあれだけど……気持ちが解るからなんとも言えない。

 中学になれば彼女が、とか、高校になれば彼女が、とか考えてたっけ。懐かしい。

 そんな俺なのに、今ではとても大事な人が傍に居てくれる。

 友達も含めたそれらが居る世界が、今はこんなにも……あたたかい。

 

「……行くか」

「うん」

 

 どうしても緩んでしまう顔を隠しもせずに言う。

 すると結衣も笑ってくれて、それが嬉しくて、恥ずかしくて。

 

「って! いうかですよ!」

『え?』

 

 ……そんな状況が、一色の声でどかーんと破壊された。

 

「どーして言ってくれなかったんですかー、葉山先輩と三浦先輩が、もうなんというか見てるだけでもやもやする恋人一歩手前状態だったって! もっと早く知ってれば、用意したチョコとか無駄にならずに済みましたよー!?」

「………」

 

 ああ、まあ、そうね。

 ていうかだ。うん。

 

「そうは言っても、一色? お前って“みんなの人気者”の葉山が欲しかっただけだろ?」

「っ、……え? なな、なに言ってんですか、わたし、そんな……え?」

「あちゃー……八幡、これ本人が気づいてない系のパターンだわー……。えーっとなんつったっけ? い、いろはす?」

「うわなにいきなり人のことあだ名で呼んでんですかキモいですやめてくださいごめんなさい」

「ちょっ、ひどくね!?」

「だ、大体わたしが、人気取りのために葉山先輩に、とか……」

「……。そうね。なら一色さん? サッカー部のエースという肩書きを捨てた葉山くんに、あなたはなにかしらの興味を引かれる? 容姿以外で、みんなの期待に応えなくなったあの葉山くんを見て」

「それはっ…………それは……」

「もし葉山くんを彼氏に出来たとして、あなたが彼を自慢するその内容はなにかしら。よく考えてみて」

「………」

「まあそれはそれとしてだべ! これから奉仕部全員でサイゼ行くんだけどー……いろはすも来る?」

「え? でも……」

 

 躊躇する一色は、出入り口の方をちらりと見つめ───ああ、なるほど。

 

「……隼人なら今、無事恋仲になったって連絡が来たぞ」

「えぇええっ!? そんな簡単にっ!?」

「まあほら、アレだよ。ただの憧れだったってんなら、ちゃんとした恋をしてみりゃいいだろ。俺なんかアレだぞ、中学時代に気になった女子に声をかけて、その悉くを失恋してるから。それも結局、誰かを好きになった自分が格好いいとか、俺青春してるじゃんやべぇとか、そんな不純なもんだったに違いないんだ。……一色、お前が隼人とのことで本当に真剣だったっていうなら……すまん、本気で謝る。けど、そうじゃなかったなら……それはだめだ。“偽物でもいいから”じゃ……絶対に後悔するから」

「……先輩……」

「だ、だからほら、その……アレな。嫌なことは飯食って忘れるに限るだろ? な? なんだったらそのー……お前の分とかおごってやってもいいし」

「………」

 

 ぽかん。

 そんな擬音が絶対に似合う顔で、一色は固まっていた。

 けれどやがて、くすくすと笑い出すと……目元をグイッと拭って、「じゃあ遠慮しませんからっ!」なんて言って、笑ったのだ。

 

「あー、いろはすいいなー、おごりいいなー。俺も友達におごられるとか憧れるわー……ちらり?」

「え? あ……えっと、あ、い、いいなー、一色さん、八幡におごってもらっていいなー。……ち、ちらり?」

「いやおいちょっと? おごらないからね? お前達はちゃんと自分で払ってくれよ……」

「ゴラムゴラム! 目の前に釣り針があるというのに、釣られないなどもったいないであろう! というわけで我も便乗しよう……ごちになります!」

「暑っ苦しいよお前は……───あ、いや」

「はぽん? ……八幡?」

「その。……義輝?」

「うぶるふぁあっ!?《ポッ》……ばっ……馬鹿な! ……デレた!? 八幡がデレた!?」

「だぁ! やっぱなんでもねぇ! 行くぞ結衣!」

「あははっ、うんっ!」

「ねぇどんな気分? 我の名前呼んでどんな気分? どうなのねぇ八幡ねぇねぇねぇ!」

「ああもううるせぇ!」

 

 真っ赤であろう顔を隠しもしないで、結衣の手を引いて歩きだす。

 ああほんと、アレな。青春ってやつはこれだから。

 

「……つつくと案外面白いんですね、先輩って」

「そうね。きちんと自分自身で真っ直ぐにぶつかってきてくれるから、そこは私たちも評価しているわ。いえ、その……評価、とは違うわね。……一緒に居て楽なのよね、きっと」

「そんなもんですかー……」

「ええ、そんなものでいいのよ。私達の関係は」

 

 ───こののち。

 サイゼでリーズナブルな会食をと考えていたのに、なにを思ったのか一色が「カラオケ、付き合ってください!」なんて言い出した。

 もの食うだけの方がよくない? とか言える雰囲気でもなく、やっぱこう、叫んだほうが紛れるのかしら、と受け入れた。

 ……ああ。しっかりと一色の分、俺持ちでな。

 もちろん俺も元を取らなければって思い切り歌いまくった。

 結衣と付き合うようになってから、聞く歌の幅も広くなったし、それを片っ端から歌うつもりで。

 

「ぶるあぁあああっ!! 我の歌を聞けぇえええいっ!!」

 

 ざ……義輝、は。まあ予想通り、終始アニソンばかり。

 けれどラノベを中心に、互いの趣味の範囲を分かち合った俺達は、その歌がなんなのかをもう理解できるレベルで、このメンバーで来たにもかかわらず、アニソンで大いに盛り上がることが出来た。

 

「八幡~、これ歌ってみ? これこれ」

「HAPPY? 懐かしいな、BUMPか」

「いんや~、八幡に合うと思うのよねー、これ。んでさぁ《ぽしょぽしょ》」

「……まじか」

「や、もちろん八幡が嫌なら嫌で、それでいいべ。ただ、いっちょ聞いてみてぇなーって思ってさぁ」

「………」

 

 考えてみる。

 これの歌詞に込められた想いや言葉の価値。

 俺が歌ったとして、キモいことにならないかなぁとか、まあそんなことを。

 でもさ、アレですよ。結衣がさっきから目をきらきら輝かせて待機してるから、歌わないわけにもいかなかった。

 なので、歌うなら全力で。

 いやまあこれでも? カラオケは地味~に経験がありますから? 登録とかももう迷いませんし?

 っつーか、結衣が用事で付き合えない日とかは、翔とか彩加とかとこうしてオケったりしてますし。

 で、さっきぽしょられたのが、アレ歌ってみねぇ? っていう誘い。

 アレっていうのが……ほら、アレだ。

 青春ってものをようやく味わってるんだから、そんな青春を歌ってみるべ、なんて翔にそそのかされて始めた替え歌だったわけだが。

 

  やがて、歌う。

 

 入院したこととか、強くなかった自分を思っては、歌に込めるようにしっかりと。

 この歌はハッピーバースデーを言葉に出して歌うが、俺にとっての今日のこれは誕生日おめでとうではない。

 ただ、翔に言われたように……感謝と、これからもよろしくと、なにより───

 

  産まれてきてくれてありがとう、を。

 

 出会ってくれてありがとう。

 好きになってくれてありがとう。

 そんな想いの全てを歌に込めて、結衣にだけじゃない、一緒に歩いてくれる友達にも、心からの“産まれてきてくれてありがとう”を。

 悲しみはいつか消える。喜びだってきっとそう。

 でも、産まれなければ、出会わなければ、それすら始められないから。

 心を込めて、ひとつひとつにありがとうを───これまでの自分を思い返しながら、歌った。

 あの日の病室で手を伸ばしたのは、俺にとっての続きを歩くか全てを諦めるかの分かれ道だった。

 怖いことだらけで、偽物でもいいからと伸ばした手を、握ってくれる人が居た。

 そうして続きを進んでみれば、手探りのことばかりで、知らないことに恐怖して、それでも嬉しくて。

 そんな続きにこそ勇気をもらって、俺は───

 

  どうせいつか終わる旅を、僕と一緒に歌おう

 

 ───俺は。今、こんな賑やかな青春の中に居る。

 嘘であり悪だとつっぱねるだけなら簡単で、でも……進んでみれば、案外楽しく眩しい、あたたかいせかいに。

 

「ウェーーーイ!! 八幡ウェーーーイ!!」

「すごいよ八幡! 僕、僕っ……ちょっと泣けてきちゃった……!」

「馬鹿な……! な、なんなの? 現実でツンデレにトゥンクしちゃうとか、そんなことあるわけないって思ってたのに……我の心がなにかに満たされ───溢れ出よるわ!」

「すっ……すごい、な……! こんなに心に沁みるような歌、初めて聞いた……!」

 

 歌い切ってみれば、男子からは拍手を。

 隼人でさえ驚いた顔をして、拍手をくれる。

 ……ちなみに結衣はといえば、俺の腰に抱き着いて離れてくれません。

 ええはい、やっぱりなにより結衣に向けて気持ちを込めたから、なんか伝わり方がすごかったみたい。

 雪ノ下と三浦さんは……呆然としたまま、ぱち、ぱち……と拍手をくれる。

 驚いてくれているらしい。なんかちょっと、勝てたって気分で嬉しい。いや、勝ち負けの問題じゃないんだが。

 で……一色は。

 

「………」

 

 あれ!? なんか泣いてるんですけど!? いやちょ、なんで!?

 

「あ……あー、なんかこう、ぐっときちゃいましたー……。だめですねーわたし。なんか、なんかもう……自覚させられたっていうか……。そうです、よね。偽物じゃ絶対に後悔します。わたしは、それが───」

 

 ぐい、と涙を拭って、あははと笑うと、もう一本のマイクを手に取って、流れた曲を歌い出した。

 なにかしらのラブソングだった。

 その途中、一色は隼人に真っ直ぐに告白をして…………振られたのだ。

 

「はい! これでもう悩みとか無しです! 一色いろは、きちんと自分に正直に生きていきます!」

「いろはちゃん……」

「というわけで先輩! またなんか歌ってください! 心がいっぱいになるなにかがいいです! なんでしたらまたHAPPYでいいですから!」

「い、いや、またあれを歌えとか、恥ずかしいだろが……!」

 

 やめて? どんだけ心込めたと思ってんの。

 そう言ってるのに、一色は俺を上目遣い&涙目で見上げてきて……や、やだ、ちょっとトゥンクしちゃう。でも腰に抱き着いてる結衣が、ぎゅーってしてきたからそんなもんは吹き飛んだ。

 

「んじゃ八幡、あれでいいっしょ。青春、笑い飛ばしちゃうべ」

「え……まじでやんの? 俺めちゃくちゃ恥ずかしいんですけど」

「だいじょぶじょぶー! 俺も一緒に自分の黒歴史とかの思い出を込めて、合いの手とかやっちゃうからー!」

「うん! 僕も!」

「ふふぅんむ! 当然我もである!」

 

 男子勢がめちゃくちゃ楽しそう。俺もそっち側にいきたいくらい。

 でもまあ……いいんじゃねぇの? これが青春だって自分で認められたんなら……そんな17の日々を、精々笑い飛ばそう。

 

「んーじゃあレッツゴー!」

 

 翔が合図を出すのと同時にイントロが流れ、やがて歌い出す。

 ちょっと馬鹿っぽく歌うのがコツ、というが、俺達はあえて全力で心を込めて歌う。

 

「まるでぇ僕らのぉ~! 青春はっ! コメディーみったぁーーいに~っ!」

「転んで泣いてー、怪我だらけ~!」

「新しい自分目指ぁーーーしてぇーーーっ!」

「わくわくすることー! 目の前にー! やぁーあってぇーーーこいー!」

「誰もが普通にやぁっているっ! みったぁーーーいにぃーーーっ!」

「ウェーーーイ!!」

「笑いたいんだー!」

「あははっ……せぇのっ!」

『青春っ! 17ぁっ! ワロォオッスッ!!』

 

 合いの手っていっても、翔はウェイウェイ言ったり歌ったり。

 彩加はせぇのと合図してくれたり、義輝は暑苦しいまでに全力で歌ったり。

 でも……まあ、笑い飛ばすのが青春なら、これくらいの方が……俺達には合っていた。

 ワロスワロスと歌って、女子連中がぽかんとしていても、気持ちだけは忘れずに込める。

 言ってしまえば黒歴史を込めた替え歌で、とても、とてぇええも恥ずかしいが……歌ってしまえば楽しいのだ。笑ってしまうくらい。

 隼人も歌だけは知っているのか、ワロスの部分は苦笑しながらも叫ぶように歌ってくれた。

 そんな五人で肩を組むようにして、まるで酔っ払いのおっさんどものように青春を歌った。

 ちなみにこの歌に共感を覚えてくれたのは彩加と義輝。

 容姿のこともあってか男子にも女子にも距離を取られていた彩加と、中二病を受け入れてくれる理解者が居なかった義輝。

 そんな二人と、きちんとノリを汲んでくれる翔とで歌い、なんかもうすっかり歌詞とか覚えられてしまった。

 

「ぼさぼさ頭っ、コミュ障で~」

「コミュ障で~♪」

「上手に話も出来なくてー」

「できなくてー♪」

「人生の中身の妄想と~」

「妄想と?」

「意味不な自信だけあぁってー」

「然り然り!」

「やがて“やさしい人”に出会ぁて~、勇気を出して告ったらー♪」

「こくったの?」

「キモがられ引かれたその後にー、言い触らされてて泣いたー♪」

『あー……』

「笑い話~にされたままー、みじめな日々は続いて~……濁って腐った目とともにー、期待するのをやめましょう~」

 

 諦めようとすれば諦められたことがある。

 それでも、伸ばした手を偽物から始めるのは辛くて、そんな手を偽物は嫌だからと握ってくれた人が居て。

 

「まるでぇ僕らのー! 青春はっ! コメディーみったぁーーーいにーーーっ!」

「笑われけなされ嘆いてもー、変わらない自分目指ぁーーしてぇーーーっ!」

 

 変わらない自分を、目指そうとは思った。

 そのたびに、俺の傍まで来て手を引いてくれる人が居て。

 

「ドキドキすることー! この胸にー! やーぁってぇーーーこいーーーっ!」

「子供が無邪気に駆け抜けるっ! みぃーーたぁーーーいにぃーーーっ!!」

「ウェーーーイ!!」

「はしゃぎたいんだぁーーーっ!」

「せぇのっ!」

『青春っ! 17ぁっ! ワッロォーーース!!』

 

 ワロスワロス。

 叫ぶたび、歌うたびに楽しくなって、歌詞は解らなくても結衣も手拍子をして聞いてくれている。

 普通なら望むこともなく手に入る日常を、望まなきゃ手に入れられもしなかった、馬鹿なぼっちの青春を。

 

「10年経ってー! 夢をー忘れぇてー!」

「20年経ってー! 涙ーを拭ってー!」

「30年経ってー! いつかーを想ってぇもー!」

「うつーーーむぅかーーーずにぃーーーっ!! ゆけーーーーっ!!」

 

 間奏。

 ウッ・ハッではなくウェイウェイ言ってる翔と一緒に、俺も彩加も義輝も、ウェイウェイ言って盛り上がる。

 

「俯いたキミよー……どうか一つ。忘~れぇなぁ~いでー……」

 

 あたたかいせかいがあることを知っている。

 そのせかいに感謝しながら、心を込めて。

 

「滲んだ目で見る世界にもー……あたーたーかい場所はぁーーーあるぅっ!!」

 

 さあ、叫ぼう。

 謳って歌うと書いて、謳歌する。

 肩を組み、ありがとうを伝えるために。

 

「まるでぇー僕らのぉおーーーっ!! 青春はぁっ! こめでぃぃいみったぁああいにぃいいっ!!」

「知らない不安に怯えてもー!」

「見えない○○(なにか)を求ぉおおめてぇええええっ!!」

「溢れる笑顔よぉーーーっ! 俺達にぃっ! やぁーーーあってぇえええこいぃいいっ!!」

「僕らが(えが)いた青春のっ! 果ぁてぇえええまでぇえええええっ!!」

「ウェーーーイ!!」

「笑いたいんだーーーっ!!」

「せぇのっ!」

『青春んんっ! 17ぁっ! ワロォーーース!!』

 

 隠すことなどなにもなく。

 

「ワッロォーーース! ワローーース!!」

 

 ただ、思っている気持ちを全部伝えたくて、歌った。

 

「ワロォース! ワロォーーースッ!」

 

 ありがとうも嬉しいも、幸せも楽しいも。

 

「ワッロォーース! ワロォオオオオ~~~スッ!!」

 

 ワロスを叫び、青春を笑い飛ばして、女子連中に手招きをして、最後に全員一緒に、思い切り笑い飛ばした。

 

『うぉういぇええええーーーーーいっ!!』

 

 17の青春も、あと何ヶ月かで終わりを迎える。

 その前に、盛大に笑って泣いて、青春するのもいいのだろう。

 今まで出来るだなんて思いもしなかった、ひとりぼっちの世界はもうない。

 手を繋いで、手探りで歩いてきた青春に、ただ感謝を。

 

「あたたかい場所……そっか。わたしは……」

 

 歌の余韻の中、騒ぐ翔の声に紛れるように、一色の声が聞こえた。

 呟かれた言葉がなんだったのか、聞こえなかったが……その顔は、どこかすっきりしている。

 

「ヒッキーずるい! 隠れてあんな歌作って! あ、あたしも呼んでくれたらよかったのに!」

「いや、お前が用事あるって時にやってたんだから無茶だろそれ……」

「う、うー! うー! でも、でも……!」

「比企谷くん。その……今のは替え歌、なのよね? あなたの人生経験から来る」

「うぐっ……まあ、そだな」

「そ、そう。なら、その……あたたかい場所、というのは……」

「ぐぅっ……~……いやそれ、改めて訊くとかやめろよ……」

「……ふふっ、そうね。では勝手に受け取っておくわ。……産まれてきてくれてありがとう、比企谷くん」

「ぐっは!? な、なんで……!」

「べつに。言葉にはしなくても、そう言われている気がしただけよ。歌っている最中、ずうっと」

「そ……そか」

 

 真正面から言われると、めちゃくちゃ恥ずかしい。

 なので結衣を愛でた。誤魔化すように愛でた。……そしたら甘えられて、こっちの方が恥ずかしかった。

 

「おかしな関係よね。骨折して入院、なんてことがあっても、こうして話していられる」

「べつに、ただそういう関係だったってだけなら、こんな関係にはならんだろ。せいぜい、廊下ですれ違うかどうかって話じゃないか?」

「そうね。私、あなたのことなんて知らなかったもの」

「あーそうな。知らないどころか、自分に告白するつもりなんじゃ、とか考えてたしな」

「うっ……あ、あれは……!」

「でもまあ、あんな出会いだろうが知るきっかけだったんだってこったろ。あの時はただの騒がしい闖入者だった俺達でも、今はお前を知ってる」

「そう……ね。ふふっ……ええ、そうね」

 

 雪ノ下は嬉しそうに笑った。笑って、なにかを呟いた。

 

「……わかる、というのは……こういうことなのね」

 

 カラオケ特有の騒がしさの中、その呟きは俺には届かなかったが───まあその、なに? 嬉しそうに笑ってるんだから、いいんじゃないの? ごめんなさい聞いてませんでしたとか言える雰囲気じゃないし。むしろ聞こえなかっただけだし。

 

「ゆきのんゆきのんっ! 次デュエットしよ!」

「ええ。曲は私が決めてもいいかしら」

「えっ!? あ……う、うんっ!」

 

 なんかいきなり上機嫌だぞこいつ。

 結衣にゆきのん言われても咎めないし、楽しそうに曲を選び始めた。

 

(まあ、これも……)

 

 変化なのかね。

 そう思いながら、これからのこの関係を想像してみた。

 なにをすれば仲がいいままでいられるだろう、なんてことは考えない。

 ぶつかる時は遠慮なくぶつかればいいと、そう結論づけているからだ。

 結局、絶えることなくって勢いで全員が歌いまくり、やがて解散。

 生徒会役員が学校帰りにカラオケで夜までとか、まあなんとも無茶をした。

 しかしながら、偶然カラオケで遭遇したぼっちカラオケ中だった平塚先生は、むしろ燥いでいた雪ノ下を見て嬉しそうにしてたけど。

 ……え? いや、どうして一人なのか、とか、怖くて訊けねぇよ。

 なので黙して見送った。口外するなよって言われたし、うん、俺はなにも見なかった。

 ただまあそのー……誰か早くもらってあげて、ほんと。



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そんな青春の日々を、僕らは笑う。④

 さて。

 二月も残すところ十日余りといったところ。

 そんな何気ない日に、結衣がぽしょりと呟いた。

 

「……予算が余ってる」

 

 生徒会室の一角。

 会計でもないのに、副会長様が予算チェックをしだしたのがきっかけといえばきっかけ。

 いや、雑用やってた俺を手伝ってくれたのがそもそもだったんだが。

 副会長様やさしい。でもぽしょりと呟かれた言葉に、雪ノ下がぴくんと反応した気がするのは気の所為?

 

「え? マジで? それってばもったいなくねー?」

「えっと……僕はそういうの、知らないけど……生徒会の予算って溜めておけたりするのかな。もし出来るなら、溜めておけばいいんじゃ───」

「戸塚ちゃん良い子だわー……俺だったらそーゆーの、貯めるより使っちゃうかもだわ」

「戸部くん。これはあくまで学校側と生徒から捻出され予算なのだから、それはだめよ」

「いやいや俺の金の話だから、学校の金を勝手に使うとかないわー。ん、でも誤解される言い方だったかも……ご、ごめんなー、雪ノ下さん。あ、えーと、そんじゃあガハマっちゃん? それどーするん? やっぱ溜める?」

「うん、出来るならそうした方がいいと思う。お金ためるの、大事だし」

「いや、そういう金って残しておいても、いいことにはならなかったんじゃないか? あ、いや、もちろん金を溜めること自体はいいことだし、学校側としても助かるんだろうけど」

「はぽん? 八幡、それってばどゆこと? 我にも解るように平明に語って?」

「俺が喋った途端に、待ってましたとばかりに喋り出さないでくれ……」

 

 生徒会奉仕部は今日も地味~に仕事中。

 会長と副会長が決まっていて、他の仕事は男子で回す、みたいな状態の俺達は、もちろん会計だの書記だのの役員も決まってはいるのだが、纏める案件においての向き不向きによってころころ変わる。

 会長に雪ノ下。

 副会長に結衣。

 書記に俺か隼人、会計に彩加と三浦さん、庶務に翔と義輝、といった感じではあるのだが、それも状況に応じてだ。まあ三浦さん、今日用事とかで居ないけど。

 なんなら副会長の仕事だって、ローテでやっていると言っても過言ではないくらい。

 まあもちろん、偉い人が居る場合はきちんと結衣に頑張ってもらうわけだが。

 

「そういうのってたしかあれだろ。予算が余ってるなら次からは削ってもいいだろって、次の予算が少なくなるってパターン」

「そうね。おそらく次からは削られるでしょうけれど……それは城廻先輩やその他の役員が上手くやりくりをしていた結果じゃないかしら」

 

 言いつつ、なんでか俺と結衣をちらちら見る雪ノ下。

 え? なに? え? なにか伝えたいことでもあるのん?

 ちらりと隼人を見てみるも、かつてのリア王様でもどういうことなのかは予想がつかないらしい。

 

「あン……それってばさぁ、主だったイベントをやらなかった結果~とかってない? 行事はあっても細かなものとかがなかったーとかさぁ」

「えと、そうかな。あたしは……結構提案したこと通してもらって、文化祭とかも楽しかったよ?」

「そりゃ俺もかなーり楽しんだけどー……そっか、やっぱ先輩ってのはすげぇのなー。なーなー八幡ー、こりゃ俺達も負けずに楽しいことやっていくっきゃない系の衝動、バリバリじゃね?」

「あー……言いたいことは解るけど、そこで俺に振られても。それより予算の話だろ」

「っとそっかそっかー……え? それってやっぱ使ったほうがよかったりする系?」

「緊急に備え、予算は多いに越したことはないけれど……それだって削減していけばどうとでも出来ることよ。少ない予算でやれることをする。とてもいいことだと思うわ」

 

 「節約かぁ……」と彩加がぽしょるのを耳にして、俺もうんうんと頷く。

 節約、大事。

 結衣が彼女になってから、ほんとお金の節約には真面目になった俺も太鼓判。

 

「けどそれってばあれでしょお? 今まさにお金が必要なのに! って時に“お金がありません”が一番困るアレでしょー? いやもちろん、金の管理とかは先生がするんだろうけどさー」

「ええ、一生徒にお金そのものを預けたまま、という学校はさすがにないでしょう。あるかもしれないけれど、少数ではないかしら」

 

 言いつつ、なんかそわそわしてる生徒会長さん。

 なに? 言いたいことがあるならハッキリと仰って?

 なんて若干おかしな口調で考えていると、動かした視線が結衣とぶつかる。

 その目も“ゆきのん、どうしたんだろ”って気になってる様子。

 

「は……ぽん? え? は、八幡? 生徒会って教師よりも学校を裏で操り、牛耳る組織じゃ───……金の管理も請け負ってて、部費の振り分けも生徒総会とかで部長達が集まってー、とか……」

「んなのごくごく一部だろ。全部が全部そんなわけがあるか、ラノベの見すぎだ。そもそも牛耳るとか無理だから」

 

 ちょっとぶっきらぼうに言ってみたら結衣に睨まれた。

 やめて、ちょっと乱暴に言ってみたかっただけなの。

 やっぱり似合わないか、俺にそういう口調とか。いやまあ俺もちょっとなーとは思ってたけどさ。

 喋りやすい方でいいよな、うん。

 

「でっ……では会費で遊ぶとか───」

「ない」

「経費でお菓子買ったりお茶代にしたり……!」

「生徒会役員をクビにされるわ」

「ならば予算について、部活連中が異議申し立てをしてきて熱いバトル展開! とか……」

「だから、金の管理は教師がやってるんだっての。もちろんそういうのを生徒会に丸投げしてる高校もあるけど、少なくともそれが原因でバトルなんてしたら、その場で部活動が潰れると思うぞ」

「ぬぐおっ……正論すぎてなにも言えぬ……」

「学校側からいくらか出るとはいえ、それだって一万行けばいいほうだろ。特に活動らしい活動もしてない部活には、千円出ればいい方なんじゃないか?」

「……ちなみに奉仕部は?」

「平塚先生のポケットマネー次第だ」

「泣けるっ……!」

 

 まあ、ただし、部員は部費を払えってのもないわけだが。

 とはいえ、もし仮に、俺がこの部活に無理矢理入れられたとして、それで部費払えとか言われたら、弱者なりに全力で抗う所存でございます。払いたくないでござる! 絶対に払いたくないでござる! まあふざけて言う意味ではないとしても、それで払わなきゃいけないのは本気でどうかしてるし。

 その点で言えば、ディステイニィーの時に金の無心した時は、平塚先生ってば太っ腹すぎた。ほんと、なんで結婚できないんだろう。不思議だ。

 俺が同年代だったらほっとかないと思うんだけどな。むしろぐいぐい引っ張ってくれて、アニメとかにも詳しくて、ラーメン好きで話も意外に合う。たばこはかなりあれだが、ほんと……相当素敵な女性だと思うんだけどなぁ。

 

「………」

「? ヒッキー?」

 

 いえまあ、今で言う同年代の恋人の、きょとんと首を傾げる仕草にまた惚れている俺が居るわけですが。

 困りました。彼女が可愛いんです助けないでください。

 

「んお……? つーかさー八幡? この余った……金? ってば、使わないとどうなんの? 溜めておけんならいいけど、センセのポケットに納まるとか?」

「来年度に持ち越せるんじゃないか? ただし、次回の生徒会費は少なく削られるって感じで」

「じゃあやっぱ使っといたほうがいんじゃね? あ、もちろん生徒のためにって方向で。うーわっ、なんか俺今超生徒会役員って感じのこと言わなかった?」

「そうだな……使わないで次の費用が削減されたら、いざお金が足りませんって時には役員から千円~一万円あたりで徴収されるかもだ」

「マジで? ちょぉ、隼人くーん、俺今金なくなるの困るわー……なにがとはいわないけど、やっぱいろいろ金かかるもんじゃん? デートとかデートとか」

「俺と結衣は基本、金はあまり使わないな……ちゃんと計画立ててこの時は使おうって決めてる」

「恋人の時から既に財布握られてるって、八幡レベル高すぎでしょー……」

「別に問題ないぞ? 小説は家にごっちゃりあるし、これといって喉から手が出るほど欲しいものがあるわけでもないし。それに計画立ててるだけであって、本当に財布を預けてるわけじゃないしな」

「ゆーてもその計画通りに動いてるんしょ? 八幡てば」

「? もちろん。めちゃくちゃ金溜まって、中学までの自分での細々したやりくりってなんだったんだろうって思うレベルだ」

 

 デートに出ても基本は一緒に歩いたり、公園のベンチで話したりだったりする。

 たまに贅沢してドーナツ頬張りながらーとか、一緒にクレープ買って、違う味を食べさせ合いして、とかもあるが、基本的に二人一緒に居られれば何処だっていいのだ。

 むしろ結衣に提案して、デートスポットとして何処が一番喜ばれるか……ああいや、ちょっと違う。何処を指定すると一番嬉しそうなのかをあえて決めるとするならば、家デートだったりする。それも俺の部屋。もっと言うならベッド。

 抱き合ってごろごろ、が相当気に入ったらしく、土日なんかは雨降ってるとうきうきしてるほど。

 ママさんも今となっては結衣の外泊まで許してる有様で、“なんならヒッキーくんも泊まりにきなさい”なんて軽々と言ってくる。いや、もう何度か泊まったけどさ。年明けなんてめっちゃ歓迎されたしあけましてやっはろーだったけどさ。

 

「わあ……八幡、顔がすっごい嬉しそうに緩んでる……」

「うぬぬ、イケメンだとしても八幡は我寄りだと思ってたのに! 思っていたのにィ! 眼鏡を取ったら美人さん♪ などという昔のジャンルを飛び越して、眼鏡をつけたらイケメンリア充とか! 我にもなにかがきっかけである日突然……! とかないかしら。高校生になれば彼女が出来るとか幻想を抱いていた頃が懐かしいでござる……」

「あ、それだわ……俺もそれ思ってたわー……。いやまあ今は彼女居るけど。よっちゃん、お先?」

「あ、これ絶許だわ。我今とても震えるぞハート」

「それは翔に向かって言おうな? どうして俺に言うのかな、義輝」

「材木座くんもきっかけって言うならさ、もっともっと痩せてみるとかどうかな。マラソンでも結構頑張ってたんだし、このまま続ければ……」

「ぶひっ!? ……い、いけるであろうか戸塚氏……。こんな我でも、まだまだいけるのだろうか……!」

「小説の執筆って、動かないんでしょ? 体にもよくないし、どうせなら健康的な小説家にならなきゃ。病気がちな恋人が出来ても、ええっと……その声優の人? が寂しいんじゃないかな」

「あふぅんっ!? そ……そうだ、言われてみればそうであった……! 我は今までいったいなにを……! 声優の恋人が欲しいと言っておきながら、我は我自身のことをまるで見えていなかった……! 恋人が出来たからなんだというのだ! その後を見ずに理想だけを語っては、恋人が出来てもなにも出来ぬではないかぁーーーっ!」

「よっちゃん、ちょい静かに」

「はぽっ……おおすまぬ……」

 

 義輝が静かになったところで、雪ノ下が話のまとめに入った。

 結論。どちらにしろなにかに使うのであれば、三月頭の経費精算までに間に合わせなければならないことを考えると、今さらジタバタしたところで間に合う筈もなく。

 言ってしまえばマラソン大会始まる前から準備しとかなきゃ間に合うわけなかった。

 え? それでも間に合わせるとしたら?

 きちんと予算を出して買う価値があるものを選んで、先生に確認を取るとかじゃない? もしくは生徒のためになるものを経費で作ってハイ経費で! って。

 ちなみに後者の案の場合はまず間に合わない。なんだよ生徒のためって。なに作ればいいの? みんな喜ぶヒッキー式千葉ガイドブックとか? やだ、誰も手に取らなそう。あ、いや、結衣なら取りそう。やだもう大好き、勝手に想像してまた好きになってる自分が相当恥ずかしい。

 しかしだ。

 たとえばそのー……ガイドブックなりフリーペーパーなり作るにしたって、圧倒的に時間が足りない。

 たとえ数ページのものをと意気込んだところで、1から本を作るというのは絶対に“こんな筈じゃなかった……!”ってくらいに大変なものなんだ。絶対後悔する。ウスという世界で異本として扱われている本でさえ、それを作るのに大変な期間が設けられていると聞く。あ、この情報は翔繋がりで海老名さんからの提供でお送りします。

 ということを踏まえて。

 全員で徹夜しまくって周囲も巻き込んで、それでもギリギリか、足りなすぎるレベル。

 それにしたって一ヶ月は欲しいのに、既に二月の中頃と来たもんだ。

 相手が相手ならただのお笑いとして受け取って、“ハハッ、ワロス”で済ませる。

 現実問題を振り返ってみよう。

 今月中に。

 この人数で。

 企画から煮詰めて載せるものを決めて。

 “予算ギリギリに!”って頑張る所為でページ数が地味に増えて。

 そのページを埋めるために出案。

 これといったものが決まらなくて。

 決まったかと思えば時間がなくて。

 一応頑張ってはみるけど結局間に合わない。

 そんな黄金パターン。

 いやだな、こんな黄金。

 

「生徒会に必要で、揃えておきたいものとかないのか?」

「余った予算が中途半端なのよ。その、だ、誰かになにか、案があれば……その」

「───」

「………」

 

 結衣が俺を見て、俺が結衣を見て。

 で、雪ノ下を見て、少し思い出した。

 打ち上げもどきにて、生徒会長様が語った自分の理想というもの。

 勝手に想像するのなら、それは……“言わなくても解る関係”。

 俺も憧れた、叶えるのが途轍もなく難しい、しかしぼっちならば高望みしてしまう存在だ。

 友達にするなら自分は心から信じて、裏切られるまで裏切らず、言わなくても解るような、解ってくれるような、とても大切な存在。

 思えば一色の依頼で、雪ノ下を生徒会長に推してみた時、雪ノ下は今までにないくらい嬉しそうだった。

 それはたぶん、雪ノ下は生徒会長になりたくて───それを、俺達が言われなくても受け取ってくれたと思ったからなんじゃなかろうか。

 

「………」

「………《そわそわ……ちら? ちらちら》」

 

 どーにもそれっぽい。

 しかもなんか俺達が理解できること前提でじらされてるっぽい反応だぞぅこれ。

 言ってしまえばじらしているわけではなく、今現在だって確信なんて持てちゃいない。

 これでもし違っていれば義輝あたりにコポォとおかしな笑い方をされること請け合い。

 だが言おう。

 俺だって憧れなかったわけじゃない。むしろ憧れた。

 今からでもそんな関係を目指し、そんな憧れに手が届くなら……俺は。

 そう心に決めて、結衣を見つめる。

 結衣はハッとした顔になって、ちらりと雪ノ下を見ると……もう一度俺を見て、こくりと頷いた。

 よし。

 

「そうだな。今からいろいろ考えて、案を出してじゃ間に合わない。誰かがもう案を決めていて、ある程度進めてあるとかなら、協力すればいけるんじゃないか?」

 

 無難な釣り針を垂らしてみる───と、雪ノ下の表情が“ぱああっ”て明るくなって、鞄からごそごそと書類を出してきた。

 ……それは、新入生用に作られた、言ってみれば学校案内の案を随分纏めたものと、それにかかる費用を書き出したようなものだった。

 

……。

 

 結論。

 平塚先生が「これからやるのか!? ……はっはっはっはっは! ま、また随分と青臭いことを……! ああ、いい、やれるものならやってみたまえ」と楽しくて仕方がないって顔で笑い、大変珍しいことに雪ノ下の頭をくしゃくしゃと撫でながら許可をくれた。

 そうなればやらないわけにもいかず、その日の内に実行開始。

 アポ無し突撃インタビューに大変驚いていた各部活動の部長様はしかし、それで部員が増えるのならとあっさりとインタビューに乗ってくれた。

 インタビュー内容は既に雪ノ下によって決められていたので、必要な質問だけをして写真を撮ってハイ終了。

 テニス部は生憎と部長がサボっていたため、しかも部員にもやる気が全く見られなかったため、流れた。これには戸塚が相当がっかりしていて、寂しそうだった。

 サッカー部には翔が行った。やめたばっかりなのに隼人が行けるわけもなく、新部長に質問を投げて、写真を撮って終了。

 ゲーム部には義輝が行ったらしい。柔道部は俺が行って、なんだかやたらと歓迎された。恥ずかしかったです、はい。

 そういった感じで部活動内容は煮詰められ、次にこの周辺の良いお店などの紹介を書くため、どこがいいかの案を……と思ったが、既に雪ノ下によって書かれていた。いやどんだけ予算使いたかったの。とは言わない。ようするに全員でなにかをしたかったのだ、この生徒会長様は。しかし言い出せなくてもじもじしている内に、ここまで来てしまった。

 お互いぼっち体質だと苦労しますね。

 

「……なぁ雪ノ下。なんかやたらと猫に関する店、多くない?」

「……《ぎくっ》」

 

 でも一部は修正決定になった。

 ああしかし人手が足りない。

 なんとかならないかを平塚先生に訊いてみると、何故だか平塚先生は笑い……その後、奉仕部の戸を叩く者が。

 

「あ、あのー……」

「な、なにかしら。今とても忙しくて───」

「えと、入部希望なんですけどー……」

『採用!!』

「えぇええっ!?」

 

 テレッテー! 一色いろはが仲間に加わった!

 初日から超こきつかわれて泣きそうな後輩仲間が出来ました。

 

……。

 

 インタビューで集めた言葉や部活動についてのPR、部長会会長のありがたーいお話や、それらを含めた軽いこの学校全体の紹介。

 学校から離れた、一度は行ってほしい場所の紹介を煮詰めて、数ページに叩き込む。

 あとから参加した三浦さんは「ちょ!? こんなんやってたなんて聞いてないんだけど!?」などと戸惑ってはいたものの、きちんと手伝ってくれた。

 それでも時間が足りないので、やっぱり急ピッチの突貫作業。

 紹介文は意外なことに義輝が猛威を振るう勢いで書き進め、どうしたものかと悩んでいたスペースもあっさり埋まった。

 各名所の写真についても翔と彩加がその人懐っこさで話を通して掲載の許可を得て、「手強かったお店の人とかも戸塚ちゃんがお辞儀するだけで一発だったわ……っべー」と言っていたのは、納得は出来るけど衝撃の事実だった。

 やだちょっと、あの店行きづらくなっちゃったじゃない。

 わかるけど。気持ち、わかるけど。

 そんなわけで雪ノ下が事前準備をしてくれていたお陰で作業は超急ピッチで進み、なんだかんだで間に合った。

 

「あー……今にしてすっげー思うわー。生徒会とかすごすぎでしょー……。俺ってば尊敬しちゃうわ……っべーわ……」

「うむ……もう二度とやりたくないでござる……」

「でもよかったね、なんとか終わって」

「おー、それなー。俺達めっちゃ頑張りまくりんぐだったっしょ……戸塚ちゃんも、おつかれ」

「うん、ちょっと目が回っちゃったかな」

 

 終わってみればぐったり。

 隼人がサッカー部をやめて、部長会会長も下りていたのが何気に痛かった。

 隼人のコメントで1、2ページくらい埋められたかもなのに、それが出来なかったのだ、

 お陰で残ったページをいかに潰すかで随分と迷った。

 しかし今ではそれも終わり、俺はぐったりな結衣の隣に座りながら、肩に頭を預けてくる結衣の好きなようにさせて、まったりしていた。

 

「お疲れ様。お陰でやり通すことが出来たわ」

「おー! なんかめっちゃ生徒会って感じである意味新鮮だったわー!」

「だな。雪ノ下さんも妙に張り切っていたみたいだけど……なにか思い入れでもあったのかな?」

「口にするほどのことではないわ。ごめんなさい」

 

 隼人の言葉に、どこかいたずらが成功した子供みたいな笑顔で応える雪ノ下は、随分と笑顔が増えた気がする。

 まあ、それは俺も同じか。

 

「うう、先輩たち鬼ですよー……右も左もわからない後輩に、あんな量の仕事……」

「ってゆーか。雪ノ下さん、人使い荒すぎ。あんなの生徒のやることじゃねーし」

「あなたたちなら出来ると思っての采配よ。ありがとう、本当に助かったわ、三浦さん、一色さん」

「あう……」

「うっ……ま、まあ? またなんか困ったことあったら言えばいいし? 気が向いたら助けてあげなくも……ないってゆーか」

「ふふっ……ええ、ありがとう」

「~……なんか調子狂う」

 

 素直にお礼とか言われたことないのかもな、三浦さん。

 っつーか、雪ノ下がお礼言うのが珍しいのか? ……珍しいのか。

 なんにせよ長い闘いが終わった。降って沸いたような危機だったが、なんつーの? こう成功しちゃうと、達成感っていうのか、妙な無敵感っていうのか、それが沸いてくるから困ったもんだ。

 これが沸くときは大抵、その衝動を胸に動いて後悔する。

 なので平静に。

 恋人を抱き締めて、撫でて、まったりしていよう。

 

「んん……ひっきい……」

「………《ぱああ……!》」

 

 癒される。ああ癒される、癒される。

 

「あの……雪ノ下先輩? あの二人、部室でもいっつもあんな感じなんですか」

「ええそうね。もはやなにを言っても無駄なレベルよ。その甘えっぷりに釣られて、甘えたい人が一人増えて、困っているくらい」

「は? なんであーしのこと見て言うわけ?」

「彼氏の腕に抱き着いてへにゃへにゃな顔で言われても怖くないわね」

「うっ……い、いーっしょべつに! こっちは今までずっと耐えてきてたんだっつーの! ……少しくらい、甘えさせろし……!」

 

 恋する乙女は美しいとはよく言ったもので、顔真っ赤にされて怒られても……なるほど、怖くない。

 

「みなさん、よく今までこんな甘ったるい部室で……」

「目的が決まれば強いのよ、二人とも。ただ、暇が出来るとああして抱き合ったり見つめ合ったり……はあ」

「苦労してますねー……って、あの。わたし入部しちゃいましたけど、生徒会になるんでしょうか、それとも奉仕部になるんでしょうか」

「生徒会奉仕部よ。持つ者が持たざる者へ、慈悲を以ってこれを与える。……とは、もう言えないわね。持っているくせに気づこうともしない、努力をし尽くさない人に、これを教える。ここは、そんな場所よ。ようこそ一色さん、生徒会奉仕部へ。歓迎するわ」

「あ、い、いえいえっ、どうせやることとかありませんし。それに……《ちらり》」

 

 ? なんかちら見された。なに?

 

「偽物じゃない関係っていうのを、近くで見ていたいって思っちゃいましたから。だからその。青春、させてください」

 

 全員に向き直り、一色が頭を下げた。

 俺達は思い思いに声をかけて、最後によろしくを。

 そうしてからは───いつものまったりタイム。

 

「それであのー……」

「? なにかしら」

「仕事とか、ないんですか?」

「ええ。一緒に片づけてしまったから」

「青春させてくださいよ!」

 

 誰かが聞けば、笑ってしまうような日々は続く。

 青春って名前をつけたそれは、いつかまたひどい裏切りの前に、嘘だの悪だのになるんだろうか。

 まあ、その時は仕方ない。

 いつか思ったように、それを最後にしてぼっちとして生きればいいのだ。

 でも……どうしてだろうな。

 そんな日が来たら、立ち直れる自分を想像出来ない。

 それでも───その関係を守るためになにかをする、ということは、しないのだ。

 することは知る努力だけ。

 お互いがお互いを知って、些細なことから笑顔になって、手を繋いで、嬉しくて、幸せで。

 そんな青臭い日々を送りながら───

 

「はい、由比ヶ浜さん。今日はレモンティーにしてみたのだけれど」

「わっ、すごい! 今日すっごくレモンな気分だったんだー! ありがとーゆきのん!」

「ふふっ……ええ、どういたしまして」

 

 ───知っているものを増やしていこう。

 一部を知って、知ったつもりになるのじゃなく。

 いつまでも努力を続けて、知っていって……いつかはこうして、憧れはしても諦めるしかなかった言わなくても解る関係っていうのを……。

 まあでも、とりあえずはアレな。

 今は目先のことに集中しておこう。

 結衣からのお誘いで、実は水族園でデートすることになっている。

 それを、この疲れた体へのご褒美にしながら……今は、ちょっと眠ろうか。

 結衣にいいところを見せたいからって、徹夜続きとか社畜の才能ありすぎね、俺。

 

「ヒッキー、眠たい?」

「あ、ああ……悪い。ちょっと張り切りすぎたな」

「ううん、ヒッキーかっこよかったよ?」

「う、ぐ……《かぁあ……!》そ、そか……」

「うん。それじゃあヒッキー、はい」

 

 言って、ぽんと膝を叩く恋人がおる。

 ……え?

 

「寝ていいよ? 下校の時間になったら起こすから」

「いや、けど」

 

 ちらりと生徒会室に集まった仲間を見る。

 その目が言う。なにを今さら、と。

 ああはいそうですね今さらですねごめんなさい。

 

「う……その、じゃあ……」

「うん」

 

 椅子を並べて、その膝の上にぽすんと頭を置く。

 「ひゃっ……えへへぇ♪」と声をもらす結衣は、とても嬉しそうだ。

 

(ああ───落ち着く)

 

 心がやすらいでいくのが解った。

 警戒なんてまるで必要じゃない、こんな空気がありがたい。

 眼鏡が取られ、さらり、と頭を撫でられると、くすぐったかったものの、嬉しい。結衣がもっととねだるのも解る気がした。

 

「…………」

 

 すぅ、と息を吸うと、すぐに眠気に包まれる。

 もっとまどろんでいたい気持ちは、すぐに安心という言葉に飲み込まれてしまった。

 不安がないのはいいことだ。

 他人を知って、安心して、こうまで安らげる場所に辿り着いて。

 俺は……

 

「ん……結衣……」

「ん……なに? ヒッキー……」

「……あり、がと……な。あの時、偽物を選んでたら、俺は……」

「…………うん」

 

 やさしくやさしく撫でられる。

 もう、意識はとっくに散り散りで、口を動かしてもなにを言ったのかもわからない。

 ただ、まあその。

 受け入れてくれるってだけで幸福で、一緒に歩いてくれるだけで嬉しいから。

 俺はまた、いつものように言うのだ。

 

  あなたが好きです。俺と付き合ってください。

 

 と。

 いつもより心を込めて。

 ちゃんと言えたかどうかは解らない。

 それでも……結衣の声が聞こえたから。

 

  ……うん。あたしも、大好き。ずっと一緒に居ようね、ヒッキー。

 

 青春の苦さとか辛さ、むず痒さを置き去りにして、今はただ甘さだけを。

 最近じゃ飲まなくなったマッカンを想いつつ、俺は……他人に自分の重さを預けきるなんて、前までじゃ考えられないことをしたまま、眠りについた。

 これからの未来を思い、楽しみに出来るようになった自分で。



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少年の僕らが描いた、大人になった俺達へ

-_-/由比ヶ浜結衣

 

 風が流れていた。

 さら、と揺れた髪が、自分の頬をくすぐる。

 ふと目をあけると、大好きな人の顔。

 いつの間に寝ちゃったのかな、なんて思いながら、手を伸ばして……膝枕をしてくれている人の頬を撫でる。

 

「目、覚めたか?」

「うん……ごめんね、いつの間にか寝ちゃってた」

「気にすんな。疲れてたんだろ」

 

 見渡すといつも通りの景色。

 懐かしさを覚えて、ゆきのんは? とこぼしたら、彼は笑う。

 

「一色と菓子対決中。新作をどうするかで、もめてるみたいだ」

「そっか」

 

 むくりと起き……ようとして、もうちょっと甘えていたくて、寝転がったままぐうって伸びた。

 随分懐かしい夢を見た。

 高校生になればきっとなんでも出来るって思ってた、幼い日の思い出。

 なってみても結局はなにも変わらなくて、でも……好きな人が出来て、クッキーを作って、贈って、告白して。

 いろいろあったなぁって言っちゃえばそれで終わっちゃうものも、思い返してみれば本当にいろいろあった。

 それでもあたしたちが頑張ったから今があって、この喫茶店はその結晶だ。

 

  強気の一歩があったから。

 

 しみじみ思いながら、ぐりぐりと彼の足に顔をうずめる。

 なんか、ほっとする。

 

「ほれ、起きたなら───」

「あ、そ、そだ。じゃあ優美子は?」

「誤魔化しが下手だなおい……隼人に弁当届けてからは知らん。挑発に乗って、雪ノ下と一色に巻き込まれてお菓子でも作ってるんじゃねぇの?」

「……じゃあ姫菜は?」

「いやなんで海老名さん? 絵本作家になって、結構人気出てるだろ。アシスタントに戸部使い放題とか、最高な」

「───」

 

 思い出してくる。

 浮かんでくる。

 そうだ、あたしたちはちゃんと選んで、その先でここに立っている。

 全部が欲しいなんて子供の我が儘みたいなことを言って、ぶつかって、傷ついて、傷つけて、泣いて、泣かされて。

 そうして手に入れた今に、あたしたちは、ちゃんと。

 

「ヒッキー」

「また懐かしい呼び方を……。なんだ? 昔の夢でも見てたのか?」

「うん。すっごくあったかい夢だった」

「そか。けどそろそろ起きて、あいつら止めてくれないか。営業は終わっても、あれじゃあ片づけ出来ねぇだろ……」

「あはは、うん。よ、ッと……」

 

 彼の足から頭をどかして、立ち上がって息を吐く。

 さて。

 ちょっと疲れちゃって眠っちゃったけど、今日も元気元気。強気に一歩。

 

「ああそうだ、結衣」

「え? なに? ヒッキー」

「ああ、その。……俺もな、愛してるぞ、お前のこと」

「───……、ふえっ!? ななななに言ってんのヒッキー!」

「どんな夢を見てたのか知らんけどな、言われたんなら返さないとだろ」

「言っ……てた、の……? あたし……?」

「お、おう。さすがに顔が緩んだ。だからまあ、やられたらやり返す」

「それちょっと違うよ!?」

「いいんだよ。俺が言いたかったんだ。今日もありがとな、結衣」

「あ………うんっ」

 

 喫茶店、雪色結びは今日も賑やかだ。

 ここでこうしてても、いろはちゃんの菓子工房からはうるさいくらいの声が聞こえる。

 喫茶店の名前を決めたのは陽乃さん。

 ヒッキーは“ぬるま湯”がいいって言ってたけど、すぐに却下された。

 従業員はほぼ高校の頃の友達。

 ゆきのんに優美子にいろはちゃん。めぐり先輩もたまに来て手伝ってくれて、平塚先生は常連さん。

 陽乃さんは社長って立場で、その名も有限会社雪色結び。なんかの組織みたい。……組織だけど。

 姫菜は絵本作家になって、なんか動物の雄が熱い友情を育むのとかいっぱい書いてる。たまにここに書きに来る。その時はとべっちも一緒だ。

 葉山くんは優美子と結婚して、弁護士の仕事をしてる。

 優美子は毎日おべんとを作って届けて、なんだかんだでほにゃりと嬉しそうに笑ってる。

 

「うわー……お菓子のことでなんでこんなに言い合えるんだろ……聞かなかったこととかには……出来ないよね?」

 

 中二は小説家……らのべ? っていったっけ? その作家になった。

 さいちゃんは看護師。

 休みの日なんかは遊びに来てくれる。

 中二はヒッキー目当てで。

 沙希は保育園の先生。いつも娘がお世話になってる。

 小町ちゃんは料理学校の先生になって、暇な時は喫茶店を手伝ってくれたり。

 思い出すと懐かしい。

 今でも全員と繋がりがあるって、すごいことだ。

 ヒッキーが“毎日がプチ同窓会だな”って言うのも解る。うん解る。

 

「あ、結衣せんぱーい、聞いてくださいよー! 雪ノ下先輩がー!」

「一色さん? それを由比ヶ浜さんに言うのは少し卑怯ではないかしら」

「っつーかあーし、さっさと隼人の晩御飯とか作りたいんですけど? いいからどけし。疲れには甘いものがいいからって、お菓子つけるって約束したんだから」

「そんなものはあなたの勝手な都合でしょう?」

「そうですよ、大体ここはわたしの工房で───」

「みんなで出し合って作ったもの、よ。主に姉さんだけれど」

「うぐっ……」

 

 今日もこの喫茶店は賑やかだ。

 言い合ってはいるけどちゃっかりともう、一人一人がお菓子を作ってるし……出来上がったら出来上がったで、試食し合って笑ってるし。

 

「それで由比ヶ浜さん? どうかしたのかしら」

「ヒキオにセクハラでもされた?」

「なんでいきなりセクハラになんの!? て、いうか……あたし、ヒッキーになら……えと」

「あーはいはいごっそさん。はぁ……隼人、早く帰ってこないかな……」

「彼が帰るのはここではないでしょう?」

「仕事が終われば家から電話してくれんの。いい加減覚えろし」

「電話が来たらあなたが飛び出していくくらいしか知らなかったわ。ごめんなさい、なにも説明されていなかったから」

「うぐっ……」

 

 いきなりセクハラとか言われて赤くなってるあたしをよそに、ゆきのんは楽し気に言う。

 もうすっかりお菓子作りにも慣れた優美子だけど、最初は手作りチョコも作れなかったんだから驚きだ。

 ……や、やー……あたしも全然、だけど。

 これでも調理師専門学校を卒業したし、免許も持ってる。

 頑張って頑張って、頑張り続けた結果、ヒッキーだけがすっごく喜ぶ料理しか作れなくなっちゃったけど。

 

「でもそろそろだよね? 葉山くん」

「いつもならね。もう家で待ってよっかな……」

「鍵は貰ってるんだよね?」

「う、うん。いつでも来ていいって……《ポポポ》」

「じゃあもう帰っちゃえばいいじゃないですかー」

「いや……なんか電話されて帰るほうが、必要とされてるみたいだし……ほら」

「あ、解るよ優美子! この前ヒッキーがさ!」

「それ前に聞いた」

「言わせてよぉ!」

 

 関係はきっとだいぶ変わって、でも変わらないものもあって。

 ひとつひとつで考えてみれば、ただ仲良くって関係でも……きっと複雑なんだよね。

 それでもあたしたちはこうしてお互いが交わる場所? っていうのを見つけて、今でも一緒に頑張ってる。売り上げは……毎日てんてこまい。

 雪ノ下建設の人がここに食べに来て、休みに来て、飲みに来て、その数がもうすごい。

 ゆきのんのママがそうなるようにって仕事の方針を変えたらしいけど、毎日忙しい。

 うん、もちろんその人たちだけがお客さんじゃないんだけど。

 みんな美味しかったって言って帰ってくれるから、やっぱり嬉しい。

 頑張った甲斐があったなーって。

 

「《prr》っと、じゃああーしいくから! じゃあね結衣!《ガチャバタンちりりんっ》」

 

 ……。

 びっくりした。

 優美子のスマホが鳴ったと思ったら優美子が走って、出入り口を開けて締めて。扉につけられたおっきな鈴が鳴ると、あたしもゆきのんもいろはちゃんも、あははって苦笑した。

 

「ようやく一息つけるわね。……お茶にしましょう、一色さん、ケーキをいいかしら」

「あ、はいっ」

「由比ヶ浜さん、料理をお願いしたいのだけれど」

「え? いいのっ!?」

「甘さは控えてでお願いするわ」

「うんっ、まかせてっ!」

 

 ゆきのんが料理を作ってくれ、なんて珍しい。

 なんか……いいよねこういうの。なんか、なんかだ。えへへ。

 でもいっつもみたくヒッキー用にやっちゃいそうだから、隣にヒッキーに立ってもらって、それで作った。

 ……なんか、同棲時代を思い出す。えへへ。

 

「大学の時、こうしてキッチンで一緒に料理とか作ったよね」

「ああ……まず、なんにしても桃缶を買わせないようにするのが大変だった……」

「それは忘れてったら!」

 

 なんでもない会話をしながら作る料理は楽しい。

 料理は愛情、とか言うけど、楽しんで作るほうが合ってる気がする。

 みんな口をそろえて、“あたしは愛で作ったほうがいい”って言うけど。

 

「───……」

 

 頑張って手を伸ばして、手探りで進んで、それでも全部なんて無理だったら……あたしはどうしてたのかな。

 全部無くしちゃって、泣いてるだけだったのかな。

 そう考えると、ちょっと寂しい。

 失敗しても傷つけても傷ついても、手を伸ばし続けて……それでも、って……

 

「ほれ、考え事しながら作らない」

「え? わっ、う、うん」

 

 ぷに、と頬をつつかれた。くすぐったい。

 

「………」

 

 暗い考えを捨てちゃって、明るいことを考えることにする。

 ヒッキーは、学生時代が信じられなくなるくらい、傍に居てくれるようになった。

 こうして頬をつついたりとか抱き締めたりとか、お互いを知れば知るほどやってくれるようになって。

 

「よっと……ふふーん、どう? ヒッキー」

「綺麗に焼けたな……オムレツはもう完璧なんじゃないか?」

「えへへぇ、喫茶店にふわとろオムレツがあると、ちょっと嬉しいよね」

「あ、それは解るわ。出来立てとか持ってきてくれるとマジテンション上がるのな」

「ハンバーグもいいよね」

「おう」

 

 何気ない話をしながらサラダも用意して、一通りの軽食を完成させる。

 それをヒッキーと一緒に持って行って、ミーティングルームでお食事。

 

「わー……! なんですかこれ、もうオムレツは完璧なんじゃないですか結衣先輩……! ……甘さをもうちょっと無くしてくれれば」

「そうね。色といいカタチといい、中のとろとろ感といい、素晴らしい出来だわ。……甘さがもう少し押さえてあれば」

「あ、あはは……ごめんね、結局いつも通りにやっちゃった……」

「料理は愛情ですねー……結衣先輩の料理ってほんとそれだから困っちゃいます」

「一度是非、私達用に練習してみせてほしいわね」

「えっ……いいのっ!?」

「いえごめんなさいやっぱりなんでもないわ忘れてちょうだい」

「ゆきのーーーん!?《がーーーん!》」

 

 ゆきのんひどい! 失礼だ!

 あ、あたしだってちゃんとやれば、きっちり……!

 

「…………《じー》」

「? 結衣?」

「………」

 

 作ってる最中、ヒッキーの喜ぶ顔しか思い浮かべられる気がしない。

 や、やーほら、だって今までそれだから頑張ってこれたんだし。

 あー……あたし、やっぱりヒッキーのこと好きだなー……。

 

「それじゃあ、いただきましょう」

「いただきまーす」

「お、おう。その、いただきます」

「どうぞめしあがれーっ」

 

 そうして晩御飯が始まる。

 絆と美鳩は沙希のところだ。

 休み前はいっつも、沙希のところで泊まり込みで遊んで帰る。

 沙希のことが好きな理由はなに? って訊いたら、なんか雰囲気がパパみたいだからって言われた。

 うん、うちの娘、パパのこと好きすぎ。

 迷惑じゃない? って訊いても、沙希は賑やかなほうがいいって言って、いつも助かってる。

 最初はどうしても構ってあげられなくて、沙希にお願い出来るかなって無茶を承知で言ってみたら、なんかあっさり引き受けてくれた。

 それからはええっと。休みの前になると、って。

 子供が好きなんだねって言ったら、すっごい照れくさそうな笑顔で「まあ」って。あたし、笑っちゃった。ほんとヒッキーみたいだった。

 うちの娘だけかって言ったらそういうのでもないらしくて、沙希の家はいっつも賑やかだ。

 

「目玉焼きには醤油やソースってやつが居るけど、オムレツはケチャップだよな?」

「だし入りのそばつゆとか結構おいしいですよ?」

「塩や塩コショウという人も居るでしょう」

「じゃあ、オムライスの中身はチキンライスだよな?」

「チャーハンも捨てがたいです。一度食べてみてください」

「カレーピラフ風のものを入れるのもありではないかしら」

「………」

「………」

「………」

「結衣。結衣はどうだ?」

「結衣先輩、チャーハンですよね?」

「由比ヶ浜さん、正直に」

「ふええっ!? え、えとー……あの、ほら。……ド、ドリア……とか?」

「オムドリア! ……そういえば学生時代に食って感激した覚えがあった……!」

「え? なんですかそれそんなのあったんですか、どうだったんですか味は」

「熱くて美味くてとろふわで、なんっつーかすごかった」

 

 うん。あれ、美味しかった。

 ヒッキーのためにって頑張ってみたけど、結局作れなかったっけ。

 そんなことを考えてたら、ヒッキーが頭を撫でてくれて、「あの時のこと、覚えてたんだな。その……ありがとな」って、ぽしょり。

 そりゃ、覚えてるよ。ヒッキーの好みだもん。

 

(でも……今なら)

 

 出来るかな。

 自分の料理の腕がどれだけ上がってるかは別としても、ほら、その。ちゃんとレシピがあれば。

 ……うん、ちょっと頑張ってみよう。

 

「えと、うん、じゃあちょっと頑張ってみる。他に食べたいのとか、ある?」

「あ、じゃあわたし、自家製ミラドリとか食べてみたいです」

「えっと……レシピとかあるのかな」

「調べればあるかもです。今度調べときますね」

「そういやもう、サイゼとか行ってないな」

「喫茶店をやっていると、そういう場所に行くのは少し抵抗があるわね」

「あ、うん。それよく解るよゆきのん」

 

 それからも他愛ない話で盛り上がる。

 本当になんでもないことで、それでも毎日が楽しいから。

 

「ねぇヒッキー」

「ん? どした?」

「えへへ、ううん、呼んでみただけ」

 

 傍に居てくれる人の名前を口にして、あたたかくなる単純な自分に笑みがこぼれる。

 幸せだなって思える今と、いろいろあったけど楽しかったって思える過去にありがとう。

 答えだけを見つめて歩くのは結構怖い。

 計算式が違っていれば、答えだけを見てたってきっとどこかでまちがっちゃう。

 そういうなにかに怯えながら、それでもやっぱり答えに辿り着きたくて、頑張る。

 辿り着いた先でしたいことはなにかな、なんて考えて、それさえ考えずに走ってきたことに気づいて。笑って、呆れて。

 でも、そんなのでいいんだよね。失敗しない、なんて無理なんだ。

 失敗しても辛くても、辿り着きたい場所があるなら、頑張んなきゃだ。

 

「───」

 

 特別なんてものじゃなく、ただの“普通”がそこにはある。

 普通だからそこにあって、当たり前だからそこにあって。

 あたしたちは、そんな普通の中で普通の会話をして。

 そんな関係が特別だっていうのなら───

 

  いつかの日、考えたことを思い出す。

 

 これからのあたしたちはどんな道を歩けるのかなーって、ちょっとした物語みたいに考えてみた。

 その時あたしはどうしているのかな。

 その時あたしは笑っているのかな、泣いてるのかな。

 泣くんだったら喜びの涙とかがいいな。悲しいのはちょっとヤダ。

 もっともっと難しいことなんてない、“楽しい”の中で笑えたらいいのにな。

 誰かを好きになって、その人の隣に居て、なんでもないことで笑って。

 傍には友達が居て、辛いことがあっても乗り越えて、手を繋いでよかったねって笑えるような、そんな世界。

 

  ちょっと無理があるかな。

 

 そう諦めそうになっても、目指せるなら目指してみたいって前を向いたいつか。

 計算が間違ってても辿り着けたこの場所で、それが答えだって信じて走って、頑張って。

 

  たとえばの世界があったとして。

 

 そう思ったいつかを思い、ここに居るみんなを見る。

 あたしは笑顔で居られている。

 隣に捻くれてるけどとてもやさしい人が居て。

 やさしさに慣れていなかった綺麗な女の子が居て。

 願ったものにたくさんの人を足しながら、あたしは今……笑ってる。

 

  足りないのなら踏み出してみよう。

 

  一歩先の世界に飛び込んで。

 

 それで、なんでもない言葉で挨拶をするんだ。

 そこから広がっていくものと、手を繋げるように心を込めて。

 

 やっはろー、って。



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ショートガハマさん
たまには強引なSSを


こちらはショート劇場となります。
ひとつひとつは……他のに比べれば短い、かと。たぶん。
昔っからどれくらいが長いか~とか考えずにズヴァーと書いていたから、何文字からが長いものなのかとかいまいちピンとこないのです。
えー……随分前に書いたオリジナルが大体全千話くらいで、一話が8千~二万五千文字くらいで……う、うん! 二万文字で完結なんてショートショート!
4千字とかショートよショート! ヴェリィイ~~~ショートよシーザーちゃぁ~~~ん!
では始まります。



 高校入学の朝、俺はいつもより早く家を出た。

 新しい環境、新しい人間関係にわくわくしていた、ということもあるが、なにより───

 

「入学祝いの自転車が道端に落ちてた釘一本でオシャカって! どんなギャグ漫画だっ、くそっ!」

 

 わくわくは出発から数秒でボッと破裂した。

 なので、まだ余裕ではあるけど走ることにした。

 たまにはこんな青春もいいだろう。

 なにせ自転車で出ようとした時間は早すぎたため、むしろ歩いて行っても余裕なくらい。

 しかしこのむしゃくしゃをなにかにぶつけたくて、走った。

 途中、なんかパジャマで犬の散歩をしているえらい可愛い子を発見した。が、俺の腐った目なんかで見たら怯えられるだけだと視線を逸らし、そのまま走る。

 

「サブレッ!?」

 

 ……筈だったんだが。

 美人さんの手から離れたお犬さまが、なにを思ったのか道路に飛び出すのを見た。

 しかもなんというタイミングだろうか、黒塗りの高級車が丁度向かってきており、このままでは犬が轢かれる───そう思ったらじっとしていられなかった。

 うちも猫を飼う身であり、犬の可愛さも経験済みだ。動物が動かなくなってしまう瞬間なんて見たくない。

 気づけば走っており、車のクラクションに驚いてしまい、逃げずにその場に伏せをしてしまった犬を走りながら抱きかかえた───瞬間には、もうすぐ傍に車。

 

  あ、やばいこれ死ぬ。

 

 そう思った瞬間、せめて犬だけはと犬をやさしく放り投げ、漫画とかラノベみたいに衝撃を殺せないかなあと“自ら後ろへ飛ぶ”みたいな状況を作り───ドグシャアと車と衝突した。

 後ろに飛んで威力を殺すとか、あれ嘘な。

 自分の跳躍速度と人が思い切り拳や武器を振るう速度とか、なにかが自分にぶつかる速度がその威力を決定的に殺す要因になってくれるわけないじゃん。

 ええつまり、人の跳躍速度程度で車が近づく速度とかの威力を殺すとか無理。

 吹き飛ばされ、やがて地面に激突───するかと思いきや、ご近所のゴミ袋の山に落下することになり、それがクッションになって落下ダメージはほぼ殺せた。ありがとうゴミの日!

 

「い、つつ……あ、あれ? 痛いけど動ける……」

 

 もしや足を折ったり、どころか死すらぞわりと頭に浮かんだのに、案外平気だった。

 放り投げた犬も無事着地したみたいで、ひゃんひゃん鳴きながら俺のもとへと走ってくる。それを追うように、飼い主の女の子も。

 

「だっ───大丈夫ですかっ!? ごめっ……ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! あたしっ、あたしっ!」

 

 よっぽど動揺しているんだろう───ってそりゃそうだ、人が目の前で轢かれたんだから、そりゃ動揺もする。

 だが心配はいらない。なにせゴミ袋さんのお陰で怪我なんてどこにも《ぶらんっ……》

 

「あ、いや、大丈夫ですから───ぶらん?」

「………」

「……オワッ!?《ぶらぶら》」

 

 左腕が変な方向に曲がって、ぶらぶらしてらっしゃった。

 この日、俺と、初対面の女の子は顔を見合わせて悲鳴をあげた。

 

……。

 

 その後運転手さんに病院の手配をしてもらい、どころか車に乗せてもらって、元から乗っていた雪ノ下さんという女の子と犬の飼い主である由比ヶ浜さんと一緒に病院に行くことに。

 運ぶと言ってくれたのは雪ノ下さんらしい。

 急に飛び出したのはこっちなのに、やさしい人だ。

 由比ヶ浜さんもべつにいいって言ったのに付き添ってくれた。この人もやさしい。

 でもパジャマであることを今さら思い出したのか、なんかDなフラグの船堀さんのように唇を歪ませながら真っ赤な顔で涙目になっていた。

 そんなことがきっかけで入学からよくつるむようになって、三人ともクラスは違うものの、友達って関係になった。

 ……すげぇ、友達一気に二人出来たよ。高校生ってやっぱりすげぇな……。

 

「ヒッキー、ほら、おべんと食べさせてあげる。口あけて?」

「ひ、ひやっ……おりゅはべちゅに、ひとりゅでたべりぇりゅし……!」

「ハチ、そのカミカミ言葉は正直気持ち悪いわ」

「ユキ……頼むからちょっとは歯に布着せてくれ」

「あら嫌よ。“友達になるのならなんでも言い合える関係を目指してみたい”と言ったのはあなたじゃない」

「い、や……確かに言ったけど……これ、ちょっと違いません?」

 

 呼び方は友達らしくを目指し、愛称で呼ぶことに。

 俺がヒッキーとハチ、結衣が……まんま結衣。もしくはユイユイやゆーさん。ヒッキーって言ってきたからユッイーって返したら怒られたんだよ。

 ユキはゆきのんかユキで。こちらもユッキーっていったら怒られた。なにそれ理不尽。

 そんな俺達は奉仕部というものを設立、気楽な付き合いのまま、部活を続けている。

 

「だだだ大体、結衣はどうして俺にそんなやさしくするんだ? べつに俺、そういうの狙ってやったわけじゃないから、そういうのだったら───」

「狙ってたってどうしたって、あたしの所為だから……だからね? 気が済むまでいろいろやらせてほしいんだ……だめかな」

「い、いやっ……だめってこたぁない、けど……」

「……!《ぱああっ……》う、うんっ! うんっ! あたし頑張るねっ、ヒッキー! あ、ほらほらっ、あーんして、あーん!」

「え? いや、これはべつに……」

「……ひっきぃ……だめ?」

「……や……だ、だから」

「ひっきぃ……」

「………………~~……イタダキマス」

「……! ひっきぃ……!《ぱああっ……!》」

「ハチ、毎度どうせ頷くのなら、最初から受け入れなさい」

「たまには助けてくれよ……恥ずかしいんだぞこれ……」

「ええ、見せられるこちらも恥ずかしいわね。友人として忠告するけれど、あまり日常化させないほうが身のためよ」

「だから、そういうなら助けてくれ……」

 

 小町が作った弁当が取り上げられ、結衣がひとつひとつを箸でつまんであーんしてくる。俺はそれを、動かせない腕をもどかしく思いながら受け入れた。

 口に含んで、もぐもぐ、ごっくん。

 それを何度も羞恥に耐えながら繰り返して、ようやく終わる頃には肉体よりむしろ精神がぐったり。

 今初めてリア充を尊敬する。こんなんやっててよく元気でいられるな。いや、これが本当に恋人相手なら俺も喜べるけどさ。

 

……。

 

 それからというもの、ええ、まあその、

 

「ヒッキー、腕動かせないと階段も怖いでしょ? 肩貸すよ」

 

 そんなことが、

 

「ヒッキー、鞄開けづらいなら開けるよ?」

 

 腕が治るまで、

 

「ヒッキー、マッカン欲しいの? だいじょぶ、あたしが代わりに買うから」

 

 続いたわけでして。

 

「ヒッキー、他にしてほしいこと、ある?」

 

 その笑顔が、行動が眩しくて、

 

「ヒッキー?」

 

 毎日毎日勘違いしそうになる俺を無理矢理殺して、

 

「ヒッキー」

 

 健全なる友達付き合いといふものを構築しているわけでございまして、

 

「え、と……ほらその、俺からもそのー……プ、プレゼント」

「わっ……わぁああ……!《ぱああっ……》ありがとう、ヒッキー……嬉しいな、なんだろ……!」

「好きです付き合ってください」

「えぇええっ!?」

 

 無理でした。

 こいつ俺のこと好きなんじゃね? が押さえきれなくなって、腕が完治してから迎えた彼女の誕生日の日。

 場所として自宅を提供したとある日に、勢いのまま告白。

 プレゼントを渡した時の結衣の顔が可愛すぎて、抑えられなくなり、ユキも小町も居る前で堂々たる告白。

 ユキが驚き、けれど“やっとか”とばかりに溜め息を吐いて、小町が“おおおお兄ちゃんがいったー!”とばかりに叫び、やがて結衣が───

 

「う、うん……はい……! あたしも……あたしもヒッキーが好き……大好き……!」

 

 嬉しそうに、涙を溜めてまで頷いてくれたのだった。

 ……対する俺、大驚愕。

 言ってしまってから“ああ、やってしまった。せっかく出来た友人関係が壊れてしまう”なんて怯えていたのに、まさか……!

 

  そうして、俺達は恋人になった。

 

 結衣は骨折の時にしてくれていた世話焼きがすっかり板についてしまい、なにかというと俺の世話を焼くようになって、俺は俺でそんな結衣を真剣に想い、想ってくれている分を返すが如く努力をして。

 気づけば周囲からバカップル呼ばわりされるようになったんだが……お互いが好きで大事って思ってるなら、これくらい当然じゃないか? と首を傾げてしまう。

 

「ンブゥウッフェェッ!?《ゴプシャア!》」

「ヒッキー!?」

 

 でも料理の腕は相変わらずだった。いや食うけど。全部食うけど。

 昼時、もはや教室では皆様の視線が痛くって、奉仕部に来て結衣とユキと一緒に食べる日々。

 そんな、中学の頃からは考えられないくらいの穏やかな日々が続いていた。

 

「ヒッキー、もういいってばっ、美味しくなくてごめんっ! ぐすっ……つ、作り直してくるからっ!」

「だめだ……! 彼女の手料理は彼氏たる男の夢と浪漫が詰まったもの……! 残すだの捨てるだのなんて選択肢は、断じてない……! あぐっ、んぐっ…………んむんむ───ヴッ《ごぽり》」

「だったらせめて流し込んでよ! どうして味わおうとするの!?」

「……結衣が作ってくれたものだからに決まってるだろ」

「……ヒッキー……!」

(……お昼だけれど、依頼者こないかしら……。はぁ、紅茶、淹れましょう……渋めに)

「ヒッキー、あたし、頑張るから。ぜったいぜったい、美味しく作れるようになるから……っ!」

「ああ。楽しみにしてる。あ、それでも毎日作ってくれると嬉しい」

「え、だ、だめ、ちゃんと美味しくなってから───」

「他の男に味見とかさせたら、俺泣くからな?」

「あぅう……ヒッキー……」

(……ぶらっくこぉひぃってどんな味なのかしら……)

 

 奉仕部は今日も平和だった。

 依頼者? どうしてか話の途中で「コーヒー飲みたい」とか行って立ち去っていくんだよな。で、絶対戻ってこない。

 なんなんだろうな、ほんと。

 



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あーしさんの誕生日と言われて気づいてその場で20分で書いたSS

 ある日、由比ヶ浜からメールが届いた。相も変わらずスパムのような名前の表示だが、本人が打ち込んだだけに変えるのも忍びない。

 

「ほーん……? 三浦の誕生日ね」

 

 内容は三浦の誕生日を祝うから、今日は奉仕部には来られない、というものだった。

 

「………」

 

 カラオケBOXにでも篭って、戸部あたりがウェイウェイ騒ぎながら祝う光景が浮かぶ。

 楽しそう、というよりは騒がしそうだ。

 

「………」

 

 なにか返すべきだろうか。つってもいつも通り“おう”だの“了解”だの返せばいいわけだが、一応祝いの席っていうことなら、三浦が地味に喜びそうなものを送ってやるべきではなかろうか。いや、これ三浦のアドレスじゃねぇけど。

 ほらアレだよアレ。由比ヶ浜なら見て見てとか言って三浦に見せたりするんじゃねぇの? で、キモいとか言うのな。……キモいの確定してんのかよ。

 

「…………《たしたしたし……》」

 

 のんびりとスマフォをいじり、文字を打ち込む。

 ガラケーに慣れてると、案外タッチパネル式ってめんどいよな。打ち損じとかあるし。

 

「ほい送信」

 

 まあ、ともかくだ。送信した。一応誕生日ってことと、18っていういろいろな意味での大人っぽい境を意識して。いやまあ送った内容を考えるなら、女は16からなわけだが。

 

「あら比企谷くん、携帯をいじるだなんてあなたにもようやく友達が……いえごめんなさい。空気は友達ではなかったわね」

「おいやめろ。お前だって今しがた、いじってただろうが。由比ヶ浜だよ。俺べつに空気と友達になった覚えとかないからね? ボールが友達のウィングくんよりも人間との絆は強いつもりだからね?」

 

 愛と勇気だけを友達と言い張って、カレーと食パンを泣かせるような子供のヒーローだって居るんだから、友達ネタで人を傷つけるの、よくない。

 いや、ほんとに泣いたかどうか知らんが。

 

「それにしても、誕生日、ね……。由比ヶ浜さんはやさしいわね」

「あいつ友達の誕生日祝うだけで日々の金飛んでるんじゃないか……?」

「………」

「………」

「今度、思い切り祝ってあげましょう」

「だな」

 

 紅茶をすすりつつ、平和な時を過ごした。

 しかし……ハテ。そろそろ由比ヶ浜から返信があってもいいと思うんだが、一向に来ないな。

 18って年齢を祝って、葉山とお幸せにって送信しただけなんだが《ガラァッ!!》

 

「はぁっ……はぁっ……!!」

「お……由比ヶ浜?」

「由比ヶ浜さん? 誕生日会は───」

「ヒッキぃいっ!!」

「《びくぅっ!》えひゃいっ!? お、お……おう……!? どうした……!?」

「あ、あたしと隼人くん、そんなんじゃないからね!? 今日は優美子の誕生日会だっていうから一緒に行っただけで! あたしが一緒に居たいのはヒッキーだけだから!!」

「………」

「………」

 

 …………。

 

「……雪ノ下。俺、純粋って言葉の意味、すごく眩しく感じる」

「……私もよ。そして比企谷くん、あなたはただのクズね」

「いやちょっと待て! 俺はべつにおかしなメールを送信した覚えは……!」

「あなたのことだから、どうせ葉山くんとお幸せにとでも書いたのでしょう? 三浦さんへ伝えて欲しいという旨も書かずに」

「あ」

「え? ……え? ゆ、ゆきのん、それどーゆーこと?」

「その前に比企谷くん。メール好きの由比ヶ浜さんが、メールで伝えずに走って戻ってきてまで伝えてくれたのよ? あなたにはきちんと返事をする義務があると思うのだけれど」

「───」

「え? …………あっ!? あえ、えぁあっ!? うひゃあああああっ!? ちょ、わっ、やっ……あわぁああわわあたしどさくさでなに言ってぇええっ!?」

 

 騒ぎ、真っ赤になる姿に、真実味というものを感じた。

 いや、それ以前にわりと大事なことさえメールで伝えることもある由比ヶ浜が、こうして走って戻ってきてまで伝えてくれた姿に、彼女の本気と……大切なもの、という意志を感じた。

 気づけば俺は立ち上がっていて、そんな俺を見ておろおろと慌てる由比ヶ浜に一歩二歩と近づき───

 

「好きです! 俺と付き合ってください!」

 

 “今”浮かんだ“好き”が、かつてのトラウマの量を超えた。その結果、俺は頭を下げ、右手を由比ヶ浜に突き出し、そう叫んでいた。

 

「あ…………───《ぐすっ》……ひっきぃ……」

 

 そして、その手がそっとやわらかな両手に包まれ───俺達は、恋人になった。

 

───……。

 

……。

 

「ウェーーーイ! ハッピーバースデーっしょー!」

「おめでとう、優美子」

「おめでとうね、優美子」

「それな」

「確かに」

「…………え? ちょ、結衣は?」

「ああ、なんか“とっても大変なことが起こっちゃったから”って言って、走っていった。優美子にはごめん、って」

「……《しゅん》」

「間に合うようなら戻るって言ってたから、ほら」

「うう……べつに泣いてねーし《ぐしゅっ……》」

(……泣かないでとか言ってないんだけどなー……)

「ああほら、ユイが注文しておいてくれた超丸焼いてある鳥が来たから。ほら優美子、ケーキの火消して」

「……ん」

 

 そうして三浦は仲間に祝われ、楽しき誕生日を迎えたらしい。

 由比ヶ浜は戻ろうとしたのだが、雪ノ下に止められ、由比ヶ浜の携帯から雪ノ下が葉山に連絡。急用が出来たので戻れないことを伝え、由比ヶ浜はおろおろしながらも俺と穏やかな時間を過ごしましたとさ……めでたしめでたし。

 

『雪ノ下さ……いや雪乃ちゃん、よかったらキミがこっちに来───』

「気安く名前を呼ばないでちょうだい《ブツッ》」

 

 甘い場所あれば苦い場所あり。

 そんなラブコメはたぶんきっとまちがっていない。



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あるメッセ内でのやりとりで失言をしてしまったので罰として即興で書いたSS

 12月も中旬。

 そろそろ雪でも降るんじゃなかろうかと心配になってくる寒空の下、俺と小町は越冬のためのエネルギー、まあ言ってしまえば食料の買い出しのために近場のスーパーへと足を運んでいた。

 あ? コンビニ? あんな高いところにカロリー買いに行くなんて専業主夫志望の風上にも風下にも台風の目にも置けねぇよ。とりあえずお一人様1パックの卵は確実に二つ入手するとして……あ、ちなみに“たまご”は調理前が“卵”、調理後が“玉子”な。

 

「うーん、なんとかして卵あと1パック欲しいなぁ。お兄ちゃん、分裂とか出来ない?」

「おいちょっと? 小町ちゃん? きみ、当然って顔してなんてことお兄ちゃんに頼んでるの? 出来るわけないでしょそんなこと」

「うんまあさすがに冗談だけど。でも卵は欲しいし……どっかに誰か家族ですーって言ってくれる人居ないかなぁ……って、あんなところに川……川……くん、のお姉さんが」

「家計のやりくりとか知ってそうだからって巻き込むのやめろよ? 俺が顔合わせとか辛くなるから」

「そりゃね、沙希さんも卵が目当てのご様子。無茶は言えないって。カゴ見れば一目瞭然。小町アイにかかればそれくらいの分析なんて軽いもんだよ」

「だったら人間が分裂できないことくらい最初から分析しといてくれよ……」

 

 スーパーの中を歩く。

 歩いて、必要なものをカゴに入れては、時間を稼ぎつつ様子を見る。

 

「小町の見立てだとこの野菜は一定量減ると値引きシールが貼られるハズ……! あ、今だよお兄ちゃん!」

「おうっ、兄ちゃんに任せとけっ」

「あれ? ヒッキー?」

「あ、お兄ちゃん待った」

「《グゴキィ!》んっがっごっご!?」

 

 値引きシールが貼られ、マダム達が一気に動き出した途端、俺も動き出した───ら、襟を小町に捕まれサザエさん。喉が詰まって盛大に咽た。

 

「げっほごほっ! ~~……なにしやがるっ!」

「おお基本だねお兄ちゃん。まあキョンくんの真似はいいから、ほらほらお兄ちゃんっ、家族候補だよっ!」

「やっはろーヒッキー! 小町ちゃんもっ!」

「由比ヶ浜……どしたの、こんなとこで。お前の家こっちじゃねぇだろ」

「あ、うん。パパが家族でご飯にって車出してくれて、その帰り。ちょっと飲み物欲しくて寄ったらヒッキーが居たから」

「おーそか。すまんな、今から俺には専業主夫の力が試される聖戦が───」

「値引きシール分、売り切れましたー!」

「───…………」

 

 手遅れでした。聖戦なんてなかったんだ。

 そんな、呆然としている俺の肩をポムと叩き、憂いを帯びた顔を向ける我が妹。

 

「お兄ちゃん、人の夢って儚いね」

 

 いや、これお前が止めたからなんだが。

 

「お前が言うなよ…………はぁ。つか、そもそもあれだ、由比ヶ浜にも責任あるから、ちと付き合え」

「え? え? 付き合え、って……?」

「あ、はい結衣さん。ちょっと家族になってもらいたくて」

「…………へぁえっ!? か、かかか家族!? え!? えぇ!? ヒッキー!?」

「ま、そーゆーこった。いや、嫌ならいいんだけどよ。そっちの都合もあるだろうし」

「え…………っ…………あ、の……ヒッキーは、いいの……?」

 

 いい、っつか。なんでこいつこんな顔赤くしてるのん?

 もしかして風邪? いや、こういう状況ってのはラノベ的に言うと照れている、と受け取るべきだが……ああ、あれか。もし家族のフリして、ガッコの誰かに見られて噂されたら恥ずかしいし、的な。

 ときめいてるメモリアルの幼馴染は、幼馴染ってのをなんだと思ってるんだろうな。まぁちょいと容姿を上げようと頑張っただけで周囲が惚れ込むような人間になる主人公も大概人間離れしているが。外井さんに惚れられる美しい肉体とかほんとなんなの?

 

「ダメなら最初から頼まねぇし、責任云々なんて言わねぇよ」

「責任…………そ、そこまで考えてくれてるんだ……」

「当たり前だろ? これからの俺達(小町との食生活)のためなんだから」

「───……《きゅんっ》…………ヒッキー」

「ん?」

「あの……あたしさ、馬鹿だから……解らないこととかいっぱいあるし、おかしなこととかやっちゃうかも……だけどさ」

「……おう?」

「これからも……よろしくしてくれる?」

「?(……奉仕部のことか? ……だな)ああ、そだな。こちらこそよろしく頼むわ」

「《ぱああっ……!》う、うんっ! じゃあヒッキー、こっち来て! パパとママに紹介したいからっ!」

「え……まじか? 両親にも協力してもらえるのか? やったな小町」

 

 これで卵がプラス2個。

 やだ、最初の倍どころじゃないよこれ。

 

「……お兄ちゃん。小町からお願いがあります。一生のお願いです。叶えてくれたら、それはもう小町的にポイント高すぎます。……聞いて、くれる?」

「そりゃな、俺は時々嘘はつくが、そこまで真っ直ぐに頼むってこたぁ、無茶な話でもないんだろ? いいぞ、言ってみろ」

「うん。じゃあ……これから起こることを全部受け入れて、肯定して、認めて、何を言われても退かない覚悟で挑んで、幸せにしてほしいんだ」

「? 幸せ……(小町をか?)……まあ、な。それくらいならべつに、むしろ当然だろ」

「んっ、じゃあ指きり! 嘘ついたらお兄ちゃんが録画してきたアニメとか全部消すから」

「任せろ八幡ウソツカナイ!」

 

 そうして、俺達は由比ヶ浜の案内のもと、協力してくれるらしい由比ヶ浜の両親と顔合わせをすることとなり───言われた通り受け入れ、認め、肯定し、何を言われても引かぬ覚悟で挑み、幸せにすると口にした。

 するとどうだろう。由比ヶ浜は幸せそうな顔で涙し、由比ヶ浜マはやさしそうに微笑み、パパヶ浜は……真顔になり、一発俺を殴ったのちに───俺の首に腕をかけ、言った。娘を頼むと。

 

  …………アレ?

 

 人生、なにがきっかけで人との縁が出来るかなんて解らないもんだとつくづく思う。

 そして俺達夫婦は、卵がきっかけで付き合い、今日……新たな命を迎えた。



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ぼっちが歩む、あるきっかけの八結①

 なんにもない日々が続いていた。

 どこかわくわくしていた日々なんて既に遠く、なにが起こるわけでもないぼっちの日々を送っている。

 入学式で誰かと衝突してだの、新たな学生生活の中で友達が出来たりして、などということもなく、言ってしまえば当然のようにぼっちになった。

 これでも努力はした。積極的に声をかけて、友達になれるようならと頑張ってみた。

 しかし全てをこの目が打ち砕いた。触れてもいないのに幻想をぶち壊すとか、俺の目ってどこまで幻想をブレイクしちゃってるの。

 目が腐ってて、会話もどうにも上手く出来ない俺は、友達を作ろうと躍起になっていた頃のこともあり、クラスメイトの皆々様方から一歩引かれている。

 他のやつらだって仲間を作ろうと張り切ってただろうに、なんで俺だけ引かれるかね。やっぱ目か。あと微笑みかけたのがまずかったのか。うわ……とか引かれたもんな。ちくしょう。

 “これで友達が出来る!”なんて本、買うんじゃなかった。

 やっぱアレな。世にある便利グッズなんてものは、全てリア充のために用意されたものなのだ。もしくはリア充予備軍。

 俺なんぞが買っても、その真価は発揮できない。

 所詮ぼっちには無用のアイテムだったのだ。

 

 

  ×  ×  ×

 

 

 親しい人間関係を構築出来ないまま、二年になった。

 その思いの丈を“高校生活を振り返って”に長々と書き綴ったら、先生に呼び出しくらったでござる。

 

「比企谷……なんだこのふざけた作文は」

「昨年を全力で振り返ってみました。あ、最初に言っておきますが、嘘も誇張も一切ありません。勉強以外になんにもない高校生活でした」

「……きみは。少しは青春してみようとか思わないのかね」

「入学までは期待してたんですけどね……俺が友達になろうって言うとみんな引くんすよ……。笑ってくれた人なんて誰一人居ません。俺だけ笑って、それが青春なら今すぐ笑いましょうか? 努力したのに全部終わっちまった生徒に、そんなもん強制しようとしないでくださいよ」

「……君の目は、腐った魚のようだな」

「昔はこんなんじゃなかったんすけどね。産まれ付きだって言っても小町が証拠持ってるし、なんでこうなったのかって言ったらあれですよ、きっと社会が悪かったんでしょ」

 

 言ってみれば溜め息を吐かれた。吐かれて、ついてこいと言われるままに案内されて、強制的に部活に入れられた。

 名を奉仕部。

 持つ者が持たざる者に慈悲を持ってこれを与える部活、だそうだ。

 

「先生、俺がなに持ってるっつーんですか」

「………」

「先生? そこで目ぇ逸らすのってどうなんですか?」

「君に望むのはその性格の矯正だ。べつに君が問題の解決を背負う必要はないよ。人の手助けをして、人と交流を図り、少しずつでいい、捻くれたものの見方を治していけ」

 

 部長である雪ノ下が平塚先生に物申していたが、それも却下。

 身の危険を感じるとか、初対面相手に随分なことを言ってくれる。

 そんなリスキーなこと、頼まれたってするもんかよ。

 俺は俺の平穏と時間があればそれでいい。

 最近勉強するのが楽しくなってきたしな。他にすることないし。

 お陰で苦手だった数学も結構頭に入ってきたよ。専業主夫したいなら計算出来なきゃ致命的だって小町にツッコまれちゃったし。

 夢に必要なものを忘れたりはしない。故に、その時に勉強したことも忘れない。

 素晴らしい勉強法だった。世界に広めればひと財産築けるんじゃないの? 広める気ないけど。

 

……。

 

 さて、そんな奉仕部だが。

 

「………」

「…………《カリカリ》」

 

 暇だ。

 やることないからずっと勉強してる。

 雪ノ下もずっと小説読んでるし、会話があるわけでもない。

 

「………」

「…………《ニヤリ》」

「!?《びくっ!》」

 

 おっといけない、楽しかったラノベのこと思い出したら顔がニヤケてしまった。

 なんか雪ノ下が動いた気がするが、勉強だ勉強。

 

「比企谷くん」

「ん? なんだー……?《カリカリ》」

「あなた、学力テストで───」

「あー……べつに他にすることないからな。ぼっちなんてそんなもんだろ」

「……そう」

「おう」

「………」

「…………《カリカリ》」

 

 文系コースで一位を取った。だからどうしたってこともなく、遊んでるやつより、友達が居るヤツよりもただ単に“自分に使える時間”があっただけのこと。

 ソロでロンリーなぼっちにとっての最大のギフトってのは、自分の時間の全てを自分のために使えることだろう。

 他に割く必要がないのなら、その道を極めるのも面白い。むしろそれしか出来ないから、気づけばこんな自分の出来上がりだ。

 

「その……作ろう、とは思わなかったのかしら」

「小中と散々だったからな。もちろん作ろうと思ったぞ? 知ってるヤツが来れない高校を選んで、必死こいて勉強して、で、入学。わくわくしながら声をかけてみれば、全員に引かれた。結果は前と変わらねぇよ」

「……そう」

「おう」

 

 静かだった。

 特に話す話題も、共通するものもない。

 あえて挙げるのであれば、双方ともにぼっちってくらいで、だからといってぼっち同士が馴れ合えるかって言ったらそうでもない。

 ましてや男女だ。無理だろ。

 

「………《ペラリ》」

「…………《カリカリ》」

 

 小説をめくる音。

 シャーペンを走らせる音。

 それくらいしか存在しない空間で、二人居るのに一人ぼっちの日々は続いた。

 

 

───……。

 

 

 なんにでもきっかけってものはある。

 かつて望んだように、新しい環境でならば上手くやっていけるんじゃ、なんて思いもきっとそれに含まれるだろう。

 誰とも出会わず、馬鹿にされない程度に自分を高める環境に身を置けたのは世界かなんかからのお情けに違いない。

 ぼっちの日々は変わらず続き、目立たず生きることにも相当に慣れてきていた。中学の頃だって目じゃないくらいだ。

 これ……もうええのとちゃうん? 中学でベテランぼっち、一年でプロぼっち、それから一年経過で俺もエリートとか名乗ってええのとちゃうん?

 ぼっちキラーに絡まれても逃げられるだけの体力は、と体も鍛えてるし……うん、人ってのは結構やれるらしい。積み重ねって大事な、ほんと。

 まあ俺の人間関係は積み重ねてもマイナスか、たまにゼロになるとかばっかりだったが。

 入部ってかたちで雪ノ下と強制的に知り合いになったところで、結局はなにが起こるわけでもない。会話らしい会話もなく、時折一言二言質問されて、それを返すだけ。

 依頼もなくすることもなく、勉強と小説が進むばかりだ。

 それでも……やっぱりきっかけってのはどっかにはあるもので。

 今日のそれは、きっとその中に含まれるものだったのだろう。

 

「だーからー、ごめんじゃなくて。なにか言いたいことあんでしょ?」

 

 教室を支配する嫌な空気。

 せっかく集中して勉強出来ていたのに邪魔をされて、なかなかに苛立っていた。

 ていうかなにこれ、ただ一方が一方を好き勝手に罵倒しているだけにしか聞こえないんだが。どの口が“自分たちは友達だろう?”的なことを言うのか。

 そもそも先生に呼び出されたから教室から出る、と言っていた女生徒……ユイ、とか呼ばれてたか? に、ついでだからと飲み物買ってくるようにってどうなんだ? 男と話している暇があるなら自分で行ったらどうなのか。

 ていうかそれもうパシリじゃないか? いつ戻れるか解らないからと言ったユイとやらに“付き合い悪い”とかって、それ関係なくないですか?

 

「………」

 

 ああ解ってる、空気悪くてもう勉強どころじゃない。ほらみなさい、あなたがたが愛してやまない“みんな”だって、あまりの空気の悪さにだんまり状態だよ。どうすんのこれ。

 “あーしら友達じゃん”とか言って友達意識の確認を強要してるような状況で、どうしてそのまま睨むような状況に発展するんだよ。友達ってそういうもんなの? 出来たことないから解らん。

 なに? リア充の友達って一方が一方を睨んだままガミガミグチグチ言うことで成立するの? うわー、俺リア充じゃなくてよかったわ。

 よかった……ああ、よかったが───

 

「………」

 

 気に入らない。

 小中と嫌な思いをしてきたから、この空気の悪さの中心に立たされているユイとやらの気持ちがよく解る。

 大体先生に呼ばれてるって言ってんだから、それに用事を追加するのがおかしいのだ。それを断ったからって、最近付き合いが悪いからって、そんなもんで疑って愚痴る関係なんざ友達でもなんでもない。結局それは、一方が一方を下に見て踏ん反り返りたいだけだ。

 ハッ、リア充の中でもカーストか。そんなに上下関係が好きか。

 これだからリア充は。自分が一番じゃなけりゃ気が済まないわけだ。立派なことだ。

 ああ解るぞ? 三浦、お前はこう言いたいわけだ。

 仲間だからなに言ってもいいしなにをしてもいい。出来ないなら仲間じゃないと。

 じゃあ質問だ。ユイとやらは用事があるからそれを達成しに行きたい。けどそれをお前は邪魔している。それはお前の言う仲間とやらの考え方にツッコミを入れていいものだよな? なんでお前だけふんぞり返ってんの? 仲間ならなにしてもいいなら、付き合い悪いかもって思っても用事を済ませるくらいいいだろうが。

 

「……言いたいことがあるなら、ねぇ」

 

 呟いて、席を立つ。

 どうせ今さら誰にどう思われてもいい俺だ、ここらで自分のぼっちとしての可能性の清算をきっちりしてしまおう。

 俺にはまだ希望はあるか? 俺と関係を持とうと思ってくれる人は居るか? あ、関係っていっても大人の事情系統のものではなくて。

 ……知り合いだろうとなんだろうと、付き合いを結びたいって思ってくれる人は居る否か。これを実行すれば全てが解るだろう。解って、俺もいい加減希望を持たずに済む。

 さあ行こう、誰も出来ないなら最底辺が出来ることをお前らに。

 持つ者が持たざる者へ───孤独者が持つ“嫌われ者の空間”を、愛するクラスメイトへ。

 

「おい。そのへんに───」

「るっさい」

 

 睨まれ、鬱陶しそうに言われただけで、心の八幡が回れ右をした。

 思わず“すびばぜんだじだぁっ!”と涙ながらに謝ってしまいそうなほどの恐怖が、視線の先にありました。

 だが逃げるな、これこそ俺の領域だろう。

 ユイとやらが陥っている、“相手が謝らせたい、攻撃したいだけ”の状況やポジションは、本来俺のような最底辺の人間が立つべき場所であり、間違ってもリア充やカーストのトップ周辺に立つような存在が請け負っていいものではない。

 こちとらエリート寸前のぼっちだ。エリートならばエリートらしく、そこに立てるだけのぼっちであるべきだろう。

 まあ、なんだ。言ってしまえば───気に入らねぇんだよこの野郎。

 三浦に睨まれ、失せろとばかりに言葉を発せられても、黙りはしたが動かない俺を、ユイとやらが涙目のまま見てくる。

 それを見て、三浦は苛立ちを重ねた溜め息を吐き、言うのだ。

 

「ね、結衣ー。どこ見てんの? 今話してるのはあーしなんだけど?」

「───話してる? 一方的に自分の意見押し付けてる、の間違いだろうが」

「……あ?」

 

 心臓バックバク。逃げていいなら逃げたい。

 だが、俺は俺の平穏と自己責任のために留まろう。

 

  トップカースト。

 

 ああ、確かに群れにボスは必要だな。どんな世界にも言えたことだろう。

 だが、そのトップが間違っている時、止めてやるのは下のものの仕事であり、またそれを受け止め間違った自分を修正するのはボスの務めだ。

 それが出来ないならボスの器じゃないし、意見も聞かずに頭からうるさいなどと否定する相手など、そもそも上として認められん。

 人間は言い訳が大好きだ。もちろん俺も大好きで、なにかにつけて理屈はこねる。

 けど、責任から逃げたりはしない。

 自業自得は受け入れるし、たとえ結果として逃げてしまったのだとしても、のちに待つ自分への仕置きはどうのこうの理由を並べようがきちんと受け入れる。

 だから、そんな生き方を否定するような“あーしはいいけど他はだめな?”みたいなボスなど認められない。それが気に入らないし気に入れない。

 まさかこんなところで勇気を振り絞ることになるとは思わなかったが、言い出してしまえば、もう責任はついてくる。

 ほれ、見てみなさいよ。クラスの“みんな”が、“やめろよ、余計な火種投入するんじゃねぇよ”って顔で見てる。

 ああそうだな、俺だって出来れば投入したくなかったよ。けどそれ以上にあんな空気の中でメシを食うなんてごめんだ。

 だったら俺だけに向けられる敵意の中で食べたほうが、俺にとってはとっくに自然なんだよ。ぼっちなめんな。

 

「……あのな。うるさいのはお前だっての、この教室見て解んねぇの? だったら───」

「あ?《ギロリ》」

「ぐっ……」

 

 ……おい。ちょっと? 人が喋ってんのに被せるなよ、逃げ出したくなるだろうが。ビクッてなりかけただろうが。

 だが言おう。もはや引けない。嫌われ者は嫌われ者らしく、嫌われるために行動しよう。

 

「……い、言いちゃいっ……げふんっ! い、言いたいことあるなら、い、言っていいんだよな? ~~……はあっ……“うるせぇよ”。……この教室、べつにお前専用の場所じゃねぇんだよ。あとなに? 友達じゃんとか言ってたけど、今こうして説教みたいなのするのってリア充専用の友情劇なの? 一方的に口で攻撃するのが友情? 笑わせんなよ」

「なっ……!?」

「威圧的にされて、親しい関係でいたいから言えないことだってあるのに、それを言わないから仲間じゃない、みたいな空気作っておいて、仲間だったらパシリも出来るよねって。なんだそりゃ。ガキの言うことちっとも聞かず、頭ごなしに説教する頭の悪い頑固親父の姿しか思い出さなかったわ」

 

 OK、次に出す言葉を次々に定型文に登録しろ。噛むとか絶対ないからな?

 ここで噛んだらお前、たしかに俺らしいけど状況はそれを許さないから。

 腹に力を入れろ。逃げ出すな。八幡日陰の支配者、我こそ最強。

 

「お前、友達失格だな。用事があって付き合えないって言ってんのに、その上パシリ? で、拒否されたからって友達なのになんで買ってこないんだよってか。お前さ、自分がジュース買うついでに、誰かの分を一緒に買ったこと、一度でもあんの?」

「っ……!」

 

 タカビー……とは違うだろうが、自分が一番って思ってるやつを蹴落とすのはなにが一番効果的か。もちろん正論で叩きのめすことが一番だが、それには状況がついてこなければいけない。

 状況、というのは、ボスであるための環境、つまり下の者が見ている状況で、ボスを打ち下すこと。

 ただし俺はべつにボスなんて興味がないので打ち下したりはしないし勝ったりもしない。俺は敗北者だ。だから、俺の仕事は敗北すること。それはこの状況でだろうと変わらない。

 この状況での敗北とはなにか? 相手に反省させつつ負ける方法とはなにか?

 

「ずっとそうやって自分だけは友達してもらって、お前はなんにも返さない。トップカーストに立ってるならそれが当然なら、ハッキリ言うぞ? “お前、友達居ないだろ”」

「!!」

 

 ずっぱぁーーーーんっ!!

 

「つっ……」

 

 平手が飛んだ。おお痛い。

 だが耐える。勝利条件はたった今刻まれた。

 この手の相手には正論だけをとことんぶん投げて、言葉を封じるのが一番だ。なにせそうなると、相手は“は? 意味解んないんだけど”しか言わなくなる。

 だがその条件を手に入れてもまだ、詰めがなければ終わらない。

 だから、怒りはいらない。騒ぎもいらない。

 心を落ち着かせて、あくまでもどこまでも静かに、ねっとりと……潰す。

 

「…………、……はぁ。で?」

「! っ、え……?」

「いや、話の続きだよ。ビンタしてちったぁ落ち着いた? じゃあ続きだろ。ああ心配すんな、俺は一切手を出さない。図星つかれたからってトップカースト様を殴るとか、そんなことは恐れ多くてとてもとても」

「ぐっ……! あ、あんた……!」

 

 三浦がギリッと歯を食いしばって睨んでくる。

 心の中の僕がヒィと叫んで逃げ出したくなるのを、表の俺が必死に押さえる。

 だだだ大丈夫! 八幡強い子! 言いたいことは言える自分で在りなさい!

 でもごめん正直逃げたい! たすけて小町! たすけて!

 だけどこれも条件のひとつだから逃げるわけにはいかない。

 勝利条件は、三浦をボスのまま、俺を最底辺のまま、三浦に“ボスの在り方はそうじゃない”と自覚させることだ。だからそれが成し遂げられるまで逃げるわけにはいかない。

 最底辺に言いくるめられてもボスのままで居られるのか? という心配は無い。

 なにせ三浦は“トチ狂った最底辺に因縁をつけられた可哀想なやつ”になる。

 そもそもどうやったって俺に好印象など向かってこないのだ。だから遠慮なくやれる。でも怖い小町たすけて!

 そんな心の葛藤の最中、苦笑を漏らすような顔でリア充の王が割って入ってくるのを確認。

 OK、定型文は既に用意済みで、状況も思う通りに整った。

 

「まあまあ二人とも、そのへ───」

「ああ葉山、そういうのもういいよ。遅いから。ほんと遅い。言うならもっと早くに言ってやるべきだろ。なにお前、仲間泣かせてから助ける趣味でもあんの?」

「え……、あ……いや……」

 

 言い返されるだなんて思ってなかったのか、言葉を濁しつつちらりとユイとやらを見るリア王。

 視線の先には涙を滲ませる、彼ら言うところの仲間の姿。

 そう、このきっかけの女子も可哀想なやつで済まさなきゃならない。

 これを機にグループを抜けてぼっちになるも良し、別のグループに入るもよし。

 ただし、そうなったとしても周囲から心配される終わり方でなければならない。

 そのためには三浦とユイとやらの間にある嫌な空気の矛先を、どこぞに向けてやる必要があったのだ。そう、あった。とっくにそれは俺に向いてるが。

 

「とにかくさ。友達ごっこなら余所でやってくれ。迷惑だ」

「は、は? あんたには関係───」

「だから、この教室お前のものじゃないだろ? なんならお前らの言葉で言ってやろうか? “みんな迷惑してんだよ”。……便利だよなー、“みんな”って。俺も何度言われたことか。誰も賛同してねぇのにその場のボスが言えばみんなそうだそうだって頷いてくれるんだ。……言ってみたらどうだ? “急に最底辺が絡んできた、みんな、こいつキモくね?”とか《グイッ》っと、お……?」

「……やめろよ」

 

 そこまで言った辺りで、葉山が俺を押し退け睨んでくる。

 ……ああ、まあ、いいけど。言いたいことも言えたし、教室の連中だって勝手に巻き込まれて本来の敵を見失ってる頃だろ。十分だ。

 

「きみが言った言葉、そのまま返すよ。ここで一方的に言葉で責めたって、なんの解決もしない」

「俺はもっと早くに、その言葉を、お前が三浦に言ってやればって思ってるけどな」

「……それは……すまない。けど、もう十分だろう?」

 

 言って促した先には、目に涙を滲ませた三浦。

 ……え? あれ? ちょっと、メンタル弱すぎではございませんか……!?

 俺べつに泣かせること言った覚えは……むしろ俺のほうが頬が痛くて泣きたいんですが……!?

 

「…………」

 

 ヘイトが一気に俺に向いた。“あーあ、女子泣かせやがったよあの魚眼野郎”って感じで。やだ、斬新な罵倒文句。小町ちゃん、お兄ちゃんますます泣きたい。

 

「なにが十分なのか俺には解らないな。おあいこだろそんなもん。……ただな、友達なら何してもいい、何しても許されるべき、それがダメなら仲間じゃない、なんてのが当然だと思ってんなら、そんなもんはそもそも友達でも仲間でもないだろ」

「……やめろ」

「頭に“お互いが”が付かないで、どこに信頼があるんだよ。そんなものは───」

「やめろって言ってるだろう……!」

「………」

 

 胸倉を掴まれ、睨まれた。

 OK……これでこのクラスのエネミーは決定した。

 三浦は目が腐った性質の悪いぼっちに泣かされた可哀想なやつで、葉山はそのぼっちを黙らせた英雄様。

 三浦にも“言いすぎだった、勝手だった”って意識は生まれるだろうし、空気を悪くしていた張本人が被害者になったことで、体のいい悪役は決定したわけだ。

 これで三浦がユイとやらときっちり話し合えば、晴れて綺麗なグループの出来上がり。ぼっちは変わらずぼっちである。最高じゃないか。

 目的は達成できた。だから俺は葉山の腕をぽんぽんと軽く叩いて離してもらい、何も言わずに離れて教室から出ていく。

 教室から出て、廊下を歩いて角を曲がった辺りで───

 

(~~~~っ……つぁああーーーーっ!!)

 

 こらえるのをやめた。

 痛っ! いったァアーーーーッ!?

 なんて平手持ってるのあの女王様! 頬が千切れ飛ぶかと思ったわ!

 あ、だめ、今さら涙が! いいよね? 俺頑張ったよね? もう遠慮なく痛がってもいいよね!?

 

「~~っ……うあっ、血ぃ出てる……!」

 

 なにやら鉄サビめいた味がしたので、指を少し舐めてみれば赤の色。

 叩かれた拍子に噛んだのか、それとも三浦のビンタが肉体よりむしろ内部の破壊を目的とした一撃必殺の暗殺拳的なビンタだったのか……って無理、おかしなこと考えて気を紛らわすとか無理!

 

「……はぁ」

 

 まあ、これで静かになるだろ。

 授業中以外は極力教室に居なけりゃいい。

 どうせ居たって、俺の居場所なんてベストプレイス以外にはないのだから。

 俺、クラスの敵。

 そんなわけで、これでエリートぼっちは完成したわけだ。

 

「…………」

 

 エリート昇進おめでとさん。

 記念にマッカンでも買って飲むか。

 俺あれだね、俺の中にグルメ細胞とかあったら、絶対にマッカンで傷口塞がるわ。身体に穴が空いたマンサムさんが酒で塞ぐくらいに。

 

  ……ちなみに、飲んだマッカンは傷を癒すどころかめっちゃ沁みた。

 

……。

 

 翌日と言わず、授業前から早速、教室内に俺の居場所は無かった。

 いや、アウェー感スゴイ。言葉にするなら2Fグミ・スゴイコワイヘヤってくらい怖い。わけわからん。けどなんかギスギスしてる。

 だがそんな緊張なんのその。

 大丈夫、なんの心配も要りませんよ。中学の時に既にベテラン、高校一年時にプロになり、先ほどエリートになったエリートボッチャーの八幡さんにとって、こんな空気なんて平和の象徴のようなものですよ。

 そんなわけで授業時間を過ごして、授業時間が終わればそそくさと教室を出て「あっ……」……ハテ? 今なんか聞こえたような。

 ……いや、今の俺に、というか前からも俺に声をかけるやつなんて居るわけがなかった。

 

 

  ×  ×  ×

 

 

 で。

 

「……《ぽんっ》おぁ?」

 

 翌日になって、教室の空気がいつも通りに近くなったことに安堵しつつ、俺はいつも通り空気に。

 なんて考えつつ教師が来るまでの僅かの間を着席しつつ待っていた俺の背中を、ぽんと叩く何者か。振り向いてみても誰もおらず、勢いのままに歩いていた髪の長い女子が、ぽしょりと「勇気あるじゃん、あんた」なんて言って去ってゆく。

 

「………」

 

 …………いや………………誰?

 ていうかやめて? 昨日言われるならまだしも、なんだって翌日に言うの。

 いや、俺昨日はとことん教室には居なかったから、解らんでもないけど。

 けど、あんなもんは勇気とは違う。

 あんなもんはアレだ、お勤めだ。下の者が下の仕事をしたにすぎないんだよ。

 だから「あ、あのっ」いや、だから人の言葉に言葉を被せるなと───って、誰?

 

「………」

 

 座ったまま振り向けば、えらい美人がそこに居た。

 振り向き、見上げなければならなかったが…………誰? いや誰?

 俺の記憶に、こんな美少女に声をかけられるフラグはなかった筈だが。

 

「あの……」

「お、おう……?」

 

 え? なに? なんなのこれ。

 もしかしてアレ? 早くも俺を潰すために三浦が寄越した罰ゲーム的ななにか?

 美少女に話しかけられたと舞い上がって、そのまま返事したら“うわキモッ”って返されるアレですか?

 ……ふう危ない。エリートボッチャーである八幡さんでなければ容易く引っかかっていたところだった。

 

「おうお前ら席につけー」

 

 で、特に会話もないままに教師が来て、着席を命じる。

 謎の美少女はわたわたと慌て出すが、「あ、あのっ、昨日、庇ってくれてありがとっ……!」と言って、ぱたぱたと自分の席へ小走りに戻っていった。

 

「………」

 

 ハテ。

 彼女が戻っていった席を確認。

 ハテ。

 そこは昨日、三浦に攻撃、もとい口撃されていた、ピンクに近い茶髪の女子、ユイとやらが座っていた場所ではなかったか。

 

「………?」

 

 あれ? でもあいつ、黒だぞ? 髪の毛、黒いよ?

 

「………」

 

 まあ、いい。

 どうせ今の言葉も一応の感謝ってだけのもんだろう。

 大丈夫だ、エリートぼっちは誤解しない。

 たとえ誤解でも解は出てるのだ、それ以上の説得力のある言葉以外では塗り替えられることなんてないのだ。

 



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ぼっちが歩む、あるきっかけの八結②

 なにかがおかしい。おかしいよね? おかしいだろ。

 

「………」

「………」

 

 つけられてる。

 この場合、つけられる、を漢字にするなら“尾行られてる”になる。

 でもどうせならお行儀よく“尾行られている”と言いましょうね。書くとしたら余計に。あ? 俺? べつに行儀悪くたって見てるやつなんて居ないからいいのだよ。いや良くはないが。

 “俺はいいけどお前はダメ”、よくない。

 

  まあそんな感じで。

 

 休み時間のたびに。

 昼休みのたびに尾行される日々は続き───

 

……。

 

 あの騒動から数日後の昼のことであった。

 いつも通りの時間を過ごし、昼になればベストプレイスで優雅に食事。

 この瞬間、たまりません。

 ……って、なる筈だったんだが。

 

「あ、の……ひ、比企谷くん。ちょっといいかな」

「………」

 

 声をかけられビクッとして、段差に腰掛けたまま振り向いてみれば、いつかの女子。ユイとかいったっけか。

 髪を戻し、三浦たちとも話さなくなり、孤立……とは違うか。あれは明らかに自分から距離を取っていた。どっちかっていったら三浦のほうがおどおどしていたくらいだしな。

 その間に立って困った顔をしている葉山の顔はお笑いだったぜ、などとパラガスはしないが、やっぱその程度だったってことだろう。

 しゃーないだろ、あれは。逆に三浦がアレをされて、友達のままで居たいって思えるか? 無理だろ、ふざけんなしとか言って自分から離れていくだろ。この女子もそれをしただけだ。

 

「あ、ああ……その……なに?」

「うん……まださ、お礼、ちゃんと言えてなかったから」

「言っただろ、あの日の翌日に」

「あ……そか、ちゃんと聞こえてたんだ……よかった」

「……おう」

「うん……」

「………」

「………」

 

 え? なに? 終わり?

 ちょ、ちょっと、終わったなら去ってくれるとありがたいんですけど?

 なんで留まってるの? 俺こんな時に女子に対して気の利いたセリフなんて言えないんですけど? え? これで立ち上がりつつ頭突きして気絶させればいいんですか? たすけてヨシタケ!

 

「あの……あたし、さ。グループ……抜けたんだよね」

「まあ……知ってる。自分から距離取ってたみたいだし、な」

「あ……うん。見てたんだ」

「い、いやっ……きっかけになったなら、ほら、その、なんだ。俺の責任だし? そこで見て見ぬフリをするほどクズになった覚えもねぇよ」

「…………《くすっ》そっか」

 

 やだやめて? なんでそこで微笑むの、可愛いだろうが。

 鍛えられたエリートぼっちじゃなければ絶対に一発で惚れてたね。だってめっちゃドキドキしてるし。

 

「で、なに? あんま俺と一緒に居ると、見られて誤解されるぞ。最底辺ぼっちなんてほっといて、新しいグループにでも入ってろよ」

「ううん、それはもういいんだ。あたし、あんまり頭はよくないからさ、いっぱい考えて、結構時間かかっちゃったけど……もう、いいって決めたから」

 

 ……いや、主語抜けてますよ? 決めたってなにを? グループに属さないことを決めたの? それとも別のことを決めたの?

 

「あたしさ、その……人の顔色ばっかり見て、自分の意見とか言えなくてさ。そんな自分が嫌だなーとか思ってて……優美子に言われてた時もそんな感じで……ずっと他人の言葉に合わせてばっかだったから、あんな時になにを言えばいいのか解らなくてさ」

「……まあ、とりあえず謝れば済むって意識は解る。……解決はしねぇけどな」

「あはは……だよねー……って、ああ、もう……。ほら、こういうのがさ、どうしても出ちゃうんだ。なにか言われたら“だよねー”ばっかでさ。だから───」

「ああ、ほら。前置きとかいいからさ。結局なにが言いたいんだよ。辛かったね、可哀想だねって言ってもらえりゃ満足か?」

「………」

 

 被せ気味に言葉を放つ。

 悪いがこちとら平穏を求めてここに居る。誰かの後悔を聞きたくて居るわけじゃない。だから言いたいことがあるならさっさと言えと、口で、目で伝えた。

 ……伝えたのに、どうしてこいつは眩しいものを、羨ましく思うような眼で見てくるのか。

 

「うん。それ。あたしもさ、言いたいことを言えるようになりたいって思った。合わせてばっかじゃない、比企谷くんが優美子……ううん、三浦さんに躊躇しながらでもはっきり言えたみたいに、強く」

「……へ?」

「だからね? 比企谷くん。その……あ、あたしと、友達になってください」

「………」

「………」

 

 きっかけ、ってのはさ。ほんと、よく解らん。

 けど確かにそこにあって、見えなくても思い出せる厄介なものだ。

 こいつがあの時の俺になにを見てどう憧れたのかなんて、正直興味もないのだが。

 しかし……

 

「……ハッ。大方、俺が頷いたらただの罰ゲームでしたとか」

「言わないし、もう友達とかも居ないから」

 

 まあ……

 

「じゃあお前が“なに勘違いしてんの”とか言って───」

「言わない。約束してもいいよ?」

 

 その……

 

「俺に対しての約束を守る理由も価値もないだろ」

「他の人のことは知んないけどあたしにはあるし。……あ、えと。ある。うん、ある。“し”はもう使わない。うん」

 

 なんだ……

 

「俺にそういうの通用しねぇから。なにせ俺は小学でも中学でもぼっちで、女子に馬鹿にされた回数、やさしくされたからと勘違いして告白して撃沈した回数、それを言い触らされた回数で言ったら、最底辺にしてトップカーストと呼べるエリートだ。今さら騙されねぇし、騙されたって痛くも痒くもない」

「? なんで勘違いしたの?」

「いや、だから。それが俺だけに向けられていたって勘違いして、こいつ俺に気があるんじゃね? とか思って───」

 

 つまり……

 

「じゃあ始まりは勘違いでもいいよ。友達になろ? ほらほらケータイ出してっ、連絡先交換しよっ?」

「《ドキーム》……い、いや。騙されないぞ? アデョッ……アドレス交換とか、魅力的なことを言ったところでこのエリートボッチャーである八幡さんが動揺するとでも……!《どきどきそわそわ》」

「めっちゃ動揺してるよ!?」

 

 あれだ……

 

「いやこれあれだから。あれがあれなだけだから」

「や……アレってなんだし。あぅ……“し”、禁止……禁止」

「…………」

「………」

「……ん」

「ケータイ渡しちゃうんだ!?」

「べつに見られて困るもんがあるわけでもねぇし。考えてみりゃあ期待して失敗して曝されようと、俺の立つ場所が変わるわけでもねぇしな……」

 

 あれだよあれ……

 

「そんなことしないったら……。あ、でもじゃあなおさらだ。赤外線通信とか、したことある?」

「はっ、エリートぼっちなめんな。そんな響きに心をときめかせてそわそわした中学時代、俺は女子に引き攣った笑みと同情とともにアドレス交換を手動でして───他のやつとは赤外線だったくせに俺には手動でさせて、メール送ってもメーラーデーモンさんに本文そのまま叩き返されたほどの猛者だ」

「…………」

「……お、おい? なんでお前が怒ったみたいになってんの?」

「……ちょっとその人にむかついただけ。ほら、比企谷くん、赤外線しよ? あたし、もう慣れちゃったけどさ……一番最初に成功すると、とっても嬉しいから」

「───…………」

 

 ……あれだ。

 

「《タッ、たしたし……》……どれだよ赤外線」

「ん、ちょっと見せて……スマホの場合は確か……」

「いやっ、近い近い近いっ」

「え? あ、ひゃあっ!?」

 

 ……。

 

「え、と……あの。こう、たしか……はい、あとは押せばいいから」

「お、おう……」

「じゃあ……」

「……おう」

 

 その。これもなにかのきっかけってことで。頷いておけばいいんじゃねぇの?

 なんのきっかけだったのかなんて、起こってみなけりゃ解らんのだから。

 

「《ピピッ……ピロリンッ♪》あ…………~~《ぱぁああっ……!》」

「えへへぇ……どう?」

「《ハッ!?》あ、いや……べべべつに大したことねぇし?」

「一回きりなんだから、初めては喜ばないともったいないよ? あたし、嬉しかったもん」

「ぐっ……《かぁあ……!》」

 

 正直顔がニヤケてやばい。

 なにこれ、ただ文字を送って、登録して登録されたってだけだろ?

 俺だって小町とか小町とか小町とメールのやりとりとか超しまくってるし、通信なんて当たり前の筈なのに……。

 

「…………」

 

 どうして、連絡先が相手の同意の下に増えたってだけで、他人の名前が並んでくれたってだけで、どうしようもなく顔がにやけるのか。

 

「じゃあ、これで友達だねっ」

「いやそれはない」

「ないんだっ!? え、えー……? なんでー……?」

「俺はやさしい女は嫌いだ。どうせ今はやさしくしても、あとで“簡単に騙されてやんのチョロイ上にキモい”とか言うに決まってる」

「しないってばそんなこと……。あ、じゃあさ、お試しっ」

「お試し?」

「そう! えーとほら、まずお試しで友達やってみるの。あたしも全然比企谷くんのこと知らないし、比企谷くんもあたしのこと知らないよね。……ってか、名前すら解ってないとか、ないよね?」

「……いや、ほらその……なぁ? あれだろ?」

「あれってなに?《じとり》」

 

 こいつハナから信じてねぇ……いや知らないから信じるもなにもないんだが。

 けどほらアレだよアレ。リア充どもの名前の特性を考えろ。葉山とかモロそれだろ。どうせこいつもえーと、ユイとか呼ばれてたし、苗字にもユイがあるんだろ?

 ほれ、だったらアレだ。千葉の民らしく千葉にちなんだ、または千葉と関係のあるっぽい“ユイ”がついた名前で迎えてやりゃあいい。

 あるだろ、千葉駅からいける駅とか、千葉のどこかにそういう名前の。

 あー…………あ、あったわ。

 

「由比ヶ浜」

「わっ……知ってたんだ……そ、そっか、……そっか《てれてれ》」

「───」

 

 まじかよ合ってたよ、ありがとう千葉、愛してる。

 神奈川だけど。由比ヶ浜、神奈川だけど。

 てか、これからどうしろっての。え? 仲良くするの? そりゃね、強引だったとはいえ初めてのアドレス交換相手(小町は除く)。無碍には出来ないし、むしろ心躍る懐かしい気持ちがじわりじわりと湧いてきたりもしますが、このエリートはそう簡単には騙されん。

 きっと今はやさしくても、あとで手の平が返されたりするのだ。

 だから俺はそれを待って、そうされたらほれみろと笑ってやる。それでいい。

 つまりはそのー……まあ、いいんじゃないの? 今はこうして関わられても。

 昨日家で小町に数学のこと自慢したら、“言われたこと”もあったし。

 

「で、お互い知り合ったわけだけど……なに? この関係ってなにするもんなの?」

「え? 友達でしょ?」

「………」

「?」

 

 いや、そうじゃなくて。あなた最初に言いましたよね? ジュビコ……もとい、三浦にはっきりと物言いをすることが出来た俺がどうのこうのって。

 そうなりたいとかじゃなかったの? え? 違うの? やだ八幡恥ずかしい。

 恥ずかしいのに当たり前みたいに“友達でしょ?”って言われてトゥンクしちゃった自分のハートが恨めしい。ちょっと、ちょろいですよマイハート。もっと落ち着きなさい。

 なにそんな、ポロポロ心臓落としてんの。なに? 俺モノブロス? 岩に角刺しただけで心臓落としちゃうくらいちょろいの?

 

「いや、ほれ、あれだ。ギブアンドテイクっつーか……メリットなけりゃ、俺と一緒に居る理由もないだろ」

「? シャンプー?」

「どこの弱酸性だよそれ。じゃなくて、ああもう」

 

 とりあえず説明から始めた。

 覚えようとする気はあるらしくて、熱心にふんふんと聞いてはいるんだが……こいつ、あれだ。電話で話を聞いて、その時は覚えてるのに電話を切ると緊張が消えるのと一緒に内容も消えるタイプの人間だ。

 つまりその場その場のことしか頭に残らないから、人に馬鹿と言われやすいタイプ。

 ……まあ、語尾に“ただし”がつくんだろうが。

 人を馬鹿だのアホだの言うのは楽だ。それで落着するし、そう認識してしまえば話しは続かずに済む。

 が、こっちにも事情がある時はその限りではない。

 ギブアンドテイク、メリットなんて言葉を出したからには、俺にも目的がある。

 それこそ小町に言われたことと繋がるわけだが───

 

「関係ってのはアレだ。由比ヶ浜、お前は遠慮なく物事をズバッと言う力を身につけるため。俺は……コミュ力を磨くため、互いに利用し合える関係とかそういうのだ」

「やだ」

 

 きっぱりだった。

 ちょっと待ちなさい、そういう話じゃなかったのか?

 

「利用じゃなくて、協力がいい。それだったら大賛成。でも利用はやだ……かな」

「なに言ってんだよ……んなこと言って、むしろ利用するだけなのはそっちだろ? 上の者が下の者から搾取する。世の中はそうやって出来てるだろ」

「……そんなの友達じゃないじゃん」

「《ズキッ……》………」

 

 ……。ああ、これ無理。こいつ、本気で“友達”を語ってる。

 その純粋さに胸が痛んだ。

 

「……解ったよ。協力な。元々俺が割り込んでなければ、ある意味では穏便に済んでたかもしれないんだ。その責任は取る」

「責任ってなんだし……あわわ、せ、責任ってなに?」

「いや聞いとけよ……俺が割り込んでなければほら、あのー……なに? 三浦が溜め息吐いてもういいやとか言ってなあなあになるか、葉山が止めて喧嘩みたいな空気も終わってたろ。んで、ほとぼり冷めたあたりにお前がごめんなさいして、三浦がべつにいいしとか言って、また元の鞘ってやつ」

「………」

 

 その光景を想像したのだろう。

 由比ヶ浜はどこか自虐じみた悲しそうな笑みを浮かべ、ぽしょりと「そうかも」と呟いた。

 

「でも、それはもう起きないことだから……今は今だ。うんっ、あたしがんばるっ!」

「ほーん……? で、まずはどうすんの。ハッキリものを言うって、具体的にはどうやって?」

「え? えとー……あはは、考えてなかった……」

「……まあ、俺もコミュ障の方はそう簡単にどうこう出来る問題じゃないとは思ってるしな……つか、ほんとにいいのか? カーストでいや、俺とお前って天地もいいとこだが」

「んー? べつにいいんじゃない? 話したい人と話せないルールなんてつまんないじゃん」

「俺は話しかけても引かれるけどな」

「あ、あはは……じゃあこれからはあたしがいっぱい話しかけるからっ!」

「同情とかならそんなもんはいらん」

「そんなんじゃないったら。ていうか、同情でも友情でもなんでもいいじゃん。話したいから話す。それでいいじゃん。きっかけがなきゃ、誰とも話せないんだから」

「………」

 

 論破された。勝ったと思うなよ……。いや、もう勝負ついてるか。

 馬鹿な、エリートの力とはこんなものだったのか……!?

 いや、違うか。なんつーか、こいつはこれだからいいって思えてしまった。

 希少だから、逆に曲げたくない。

 大体俺の性格自体がそもそもコミュには向いてないのだ。

 だったら、小町の言うように専業主夫に必要な奥様ネットワークに対抗し得る自分を磨かなければ。

 自分を変えてまで結婚をしたくはないが、卑しくも専業主夫を目指すのなら周囲との付き合いは絶対条件。たとえば俺の所為で小町が周囲から悪く言われるようなら、俺も立ち上がらないわけにはいかない。

 ええまあ、昨夜ですね? そんなことを妹様にまじまじと説教されてしまったわけで。「専業主夫目指すのはいいけどさー、お兄ちゃんそれで人も自分も守れると思ってるの?」って。

 ただ家に引きこもって家事をすればいいわけじゃない。

 家計簿とも戦わなきゃならんし、そうなればタイムセールなどは逃せない。

 料理も勉強しなきゃだし、そもそも奥様方というのは情報が全ての世界。

 その会話の中に入れなければ、周囲から嫌われ、自分にも妻にも子供にもひどい迷惑になる。

 お兄ちゃん目覚めました。専業主夫を望むなら、自分を変えてまでとかそんなことは言ってられん。つか、望んでるのが結局専業主夫なら、それまでの過程なんてただの努力であって変化じゃねぇよ。

 高二病とかどうでもいいから真面目に夢を目指す。その方が眩しい自分でいられるだろ。

 ……そう胸を張ったら、「それで夢が専業主夫じゃなければね……」と小町に腐ったものを見る目で見つめられた。

 

  まあ、なんにせよ、どちらにせよだ。

 

 言った通り責任からは逃げ出さない。

 やることはやるし、やっちまったものは捨てられない。

 だからギブアンドテイクの上で、俺はこの初であろう友人のため、ぼっちの時間を割く覚悟を決めた。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 で。

 

「ヒッキーヒッキー!」

 

 こいつ、由比ヶ浜結衣だが───

 

「ヒッキー! これなんて読むの!?」

 

 日が経つにつれ遠慮というものを無くし───

 

「ヒッキー、帰りにさ───」

 

 いつの間にやらヒッキー(比企谷、からとったらしい。断じて引き篭もりじゃないと熱弁された)と呼ばれ……

 

「ヒッキー!」

 

 笑顔を見せるようになり、

 

「ヒッキー?」

 

 照れるようになり、

 

「ヒッキー……」

 

 時に怒るようにもなり、

 

「ひっきぃっ♪」

 

 なんつーか、変わった。いい方向に。

 ……あ? 俺?

 俺はほら……あれだよ。あれ。あれなんじゃない?

 まあ俺のことはいいよ。

 由比ヶ浜な。あー、その……結論。

 由比ヶ浜結衣は、興味が向いたものには物凄い力を発揮する。

 こう、集中力? っていうの? ちょっと違うかもだが、とにかくすごい。

 ただ、

 

「ンぶぅううっふぇっ!?《オゴォップッ!!》」

「ひゃあぁっ!? ヒッキー!?」

 

 料理の腕は壊滅的であった。

 弁当作るのが流行ってるとかで、なんか作ってきてくれたんだが失敗作もいいところ。

 ポーションをストローで飲んだ馬のような声をあげて、俺は我慢も出来ずに吐き出した。

 ……ああ、うん、その後の由比ヶ浜だろ? 怒って味見して、自分も男性にはとてもお見せできない状態になりかけたよ。

 

「………」

「………」

 

 そういう関係が続いて、気づけば俺もこいつに引っ張られるように、笑っていた。それに気づいてすぐに顔を引き締める、なんてことは、もう何度あっただろう。

 そのたびにこいつが“仕方ないなぁ”って顔をするから、いつしかそんなものを引き締めるのも……面倒になってしまっていた。

 自分を変えるのは好みじゃない。が、自然に変わったなら、それは好みとは別のなにかだろう。

 そんな言葉の逃げ道を拾っては、いつしか俺も、こいつ……由比ヶ浜が喜んでくれるであろうなにかを探すことに没頭して、カースト、なんて言葉を置き去りにした関係を築いていた。

 相応しいとか相応しくないとか、そんな言葉で人の関係を語るなら、誰も幸せになんてなれないから。それを証明したいわけでもないし、自慢したいわけでもない。

 ただ、いつの間にか隣に居るのが当然みたいに思えるようになった友達と、いつまで一緒に居られるのかな、と……最近では思うようになっていた。

 高校での付き合いがそれ以降も引き継がれることなんてそうそうないだろう。

 大学で分かれればそれは当然と言える。

 こんないいヤツが広い世界に出れば、俺のことなんてすぐに忘れるのだろう。

 それを思えば、友達、なんて関係でよかったのかもしれない。

 

「比企谷くん。最近耳に届いたのだけれど……あなたに恋人が出来たとか」

「何処情報で誰情報だよそれ……んなわけないだろ。俺と付き合えるような人間なんて居るわけがない」

「そう……はぁ。成長を促す、というのは難しいものね」

「んー……? ああ、俺のことか。どんだけ俺を追い出したいんだよお前……」

「べつにそういうことを言っているわけではないわ。成長が見られない、と……そう言っているのよ。する気がないにせよ、周囲からの影響で多少は変わってもおかしくはないと思うのに」

「そう簡単に人が変われるわけねぇだろ。……っと《ガタッ》」

「比企谷くん? まだ下校時刻ではないのだけれど」

「喉乾いたから飲み物買ってくるだけだよ。ついでだ、なにか飲みたいもん、あるか?」

「野菜生活をお願い。…………これも、多少の変化かしら」

「あ? なんか言ったか? 俺難聴主人公とか大嫌いだから、言ってくれるまで引き下がるつもりはねぇぞ」

「自覚がないのは面白いものねと言ったのよ。さ、行きなさいパシリ谷くん」

「お前そういうのやめろ。マジやめろ」

 

 言いつつも歩き、戸を開け、廊下に出た。

 さて、自販機自販機……って、金あったかな。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 しばらくして部室に戻ると、客人が居た。つか、俺のよく知る人物。

 

「由比ヶ浜?」

「え? ふひゃあっ!? ヒッキー!? えなぁあななななんでここにいんの!?」

「いや、俺ここの部員だし」

「丁度よかったわ比企谷くん。あなたの気持ちを聞かせなさい」

「へ? “マッカン飲みたい”?」

「その気持ちではなくて……」

「ちょ、雪ノ下さん!? なに言って───!」

「他人から伝えられたくないのなら、自分で言いなさい。遠回りをせず、直接。そもそも色恋の話を誰かに相談なんて、失敗したらあなたの所為だと言いたがっている言い訳にしか聞こえないわ」

「うっ……」

 

 色恋? いろ…………え? 由比ヶ浜が?

 まじか……え? なにこれ、なんでこんな、ムカッとしてんの俺。

 ……え? 嫉妬? 名前も姿も知らない相手に嫉妬してんの?

 …………そか。そっか。はは、そっか。なんだかな、まったく。

 気づくのが遅いとか、そういうんじゃ……ないよな。早く気づけたとして、結局結果は変わらなかったに違いない。

 人を好きになるのを好きになったいつかとは違う、“彼女だけは”って気持ちがひどく胸を打つ。でも……無理だろ。手遅れとかそんな次元じゃなく、最初から。

 だから俺は言う。いつも通りの顔で、心を動かすこともなく、冷静に。

 

「そっか。由比ヶ浜、好きなやつ居たのか」

「え、あ……ち、違うよっ!? それはそのっ、そーゆーんじゃなくてっ!」

「ああ気にすんな。好きな奴が居るならそっちに夢中になるべきだろ。俺のことなんか気にすんな。お試しの友情だったんだ、今こそお試しだったって言って離れりゃいい」

「…………ちが……」

「罪悪感とか必要ねぇよ。なにもかもが今まで通りになるだけだ。つか、依頼ってそれか? 好きな人に付きっ切りになるから、ぼっちになるヤツのケアをよろしくとか……あ、ないか。むしろどう告白すればいいのかって相談か」

「まって……まってよ、ひっきぃ……ちがう、ちがうの」

「……そだな。悪い」

 

 ガラにもなく、ってこともなく動揺した。

 俺ほどのぼっちともなれば、その動揺を外に出さない程度の技術は持っているんだが……それが通用しないくらいに動揺した。

 

「雪ノ下、とりあえず俺は依頼を受けることには賛成だ。知らない仲じゃないしな。けど、色恋沙汰はこれっきりだと助かる」

「そうね。けれど比企谷くん? あなたはそれでいいのかしら」

「構わねぇよ」

「そう……由比ヶ浜さんの依頼は、好きになった相手に告白して幸せになりたい、幸せにしたいというものだったのだけれど、構わないのね?」

「だから、いいって」

「二言はないわね?」

「いや、なんなの? 俺にそこまで確認する必要あるのか? ああまあその、そこまで言うなら二言も訂正もしねぇって返すけど……これっきりって話だしな」

「そう……では由比ヶ浜さん。あなたの依頼はこれで達成されたわ。存分に幸せになりなさい。二言も訂正もないようだから」

「あ…………う、うんっ! あのっ、ヒッキー!」

「あ? なんだよ」

「好きです! あたしと付き合ってください! 幸せにします! 幸せにしてください!」

「………………」

 

 いきなり言われて思考停止。

 のちに起動、なにを言われたのかを組み立ててみて、沸騰。

 言葉を出そうとしたが二言も無く訂正も出来ず、俺は……

 

「……絶対に幸せにしてやるから覚悟しろちくしょう……!」

「なんでそんな悔しそうに言うの!?」

 

 ……俺は。

 男の意地と、エリートぼっちであったプライドにかけて、この女の子を絶対に幸せにすると誓ったのだった。

 ただ一方だけ言うってのはフェアじゃない。

 フェア精神なんてものが俺にあったのかといえば、そんなものはその場その場での戯言でしかないんだが、案外それも悪くないだろ。

 

「あー……その。言われてからで悪い。さっきはみっともなく嫉妬とかして、相手が自分だって解って恥を掻いたわけだが……」

「え……そ、そっか。ヒッキー、嫉妬してくれてたんだ……って、え……? じゃあ……?」

「う……あ、あー……ああ。その、なんだ。由比ヶ浜」

「……あ、あの、ヒッキー。お願い。もしこれから言ってくれることが、あたしが欲しい言葉なら……結衣って呼んで欲しいな」

「………」

 

 まじかよ。

 いや、でも幸せにするって言っちまったし。

 しまった、これカードゲームで言ったら永続トラップじゃねぇかよ。

 責任は果たすって意地が俺にある以上、由比ヶ浜が望むことは俺が叶えなきゃいけないわけで。

 ……まじか。

 

「……結衣」

「───…………~~~~~っ……!!《じわぁあ……!!》」

「えっ……お、おいっ……!? なんで泣くんだよ、まだなにも言ってないだろ……つかまさかそれほど嫌だったとかか……!?」

「違うわよ勘違い谷くん。由比ヶ浜さんは先に言ったでしょう? “自分が望む言葉なら名前で呼んでくれ”と。そしてあなたは名前で呼んだ。……由比ヶ浜さんは、約束された幸福を前に、喜びを噛み締めているだけよ」

「へ? …………グワーーーーッ!!」

 

 アイエエエエ!! ガハマ!? ガハマナンデ!

 言われてみれば名前呼んじゃってるよ! その時点で望む言葉を言いますって言ってるようなもんじゃないかよ! ぐっは! ぐっはぁ! なにやってんの俺バッカじゃねぇの!? バッ……ば……!! ~~……。

 

「ひっく……ぐすっ……ごめ、ごめんねひっきぃ……! なんか、なんかね、涙がね、勝手に……~~~~っ……ひぃうっ……えっく……!」

「………」

 

 ちくしょう。

 なんだってんだよ、くそ。

 永続トラップ? それがどうした。こんな幸せそうな顔で泣いてくれる人の傍で、ずっと幸せにしていけるんだぞ? もっと自覚しろ、もっと覚悟を決めろ。

 自惚れていいから……自分が幸せにするんだって頷いちまえ。

 

「……結衣。俺も、いつからか友達以上の目でお前を見てたみたいだ。お前に好きな人が居るって知った瞬間、本当にみっともなく嫉妬して、自分の気持ちに気づいた馬鹿野郎だけど……こんな俺でよかったら、お前を幸せにさせてくれ。で……その。捻くれてる俺だけど、きちんと受け止められるように頑張るから。……幸せってものを、感じさせてほしい」

「ひっきぃ……」

「情けねぇけどさ……正直、人を信用することに、まだまだ不安があるんだ。迷惑だってかけるって思う。お前が想像するよりよっぽど面倒を被ることになると思う。それでも……嫉妬ばっかで悪い。お前の相手が俺って解って、嬉しかったんだ……。こんな告白聞いても、気持ち悪いとか思わないんだったら…………これからも、頼む」

「…………うんっ。ぎぶあんどていくー、だね」

「……一緒の大学行こうな。勉強は任せろ」

「うんっ! って、あれ? なんで急に大学とか勉強の話? ん、でも頑張ろうっ!」

 

 笑って、ひとり“おー!”と手を天井へ突き出す結衣。

 その姿に笑みが漏れ、俺は……自分の手の平を見下ろして、軽く握ってみた。

 ……いいよな。馬鹿になっても。もういいだろ? 馬鹿に戻っても。

 ガキが夢見た世界の果てってのは、いつだって目の前にある。

 世界はそれを認めてくれないし、いっつも常識ってもので縛って、家族はそんな常識外れが恥ずかしいから頭ごなしに否定する。

 子供は親の言うことを聞くしかなかったし、それが受け入れられないことだって学んで行くと、いつしか世界の果ての輝きってもんを忘れてしまう。

 純粋って言葉は眩しいものだって思う。

 そこには自分が持ったままでいられなかったくせに、中途半端に信じていたかったからこそ腐ってしまった理想ってもんが詰まっている。

 今さら手を伸ばしたって、真似してみせたって絶対に戻ってきてはくれないもの。

 それでも───もし、そんな純粋ってものが隣を歩いてくれるなら。そんな世界を見たままに歩いていてくれるなら。俺は……そんな純粋を幸せにすることで、馬鹿なガキだった自分の夢を、今さらだけど叶えてやろう。ついで、で悪いけどな。

 

「な、結衣」

「うん……なに? は、は……はち、まん」

「《ズキュゥウウウン!!》………」

 

 あの、ちょ……待って。それ反則……。なんでいきなり名前呼びとか……!

 なにこれ、一瞬で幸せなんですけど。やっすいな俺の幸福価値。

 でもいい、それでいい。やすくてもいいから、そんな些細をくれる人とこそ……俺は。ずっと。

 

「え、と……な。おま……お前のこと、聞かせてくれ。その、よ。俺、まだ知ってること……少ねぇから……。知って、ちゃんと知る努力して、それから……幸せにしてやりたいって……思うから」

「……うん。じゃあ、あたしももっとヒッキ……あわわ、八幡のこと、知らなきゃだ…………ふわわ……! やっぱりはずかし……!」

「……ヒッキーでいいぞ? なんつーか、もうそっちで慣れた」

「うー……でもさ、やっぱりさ、名前で呼んでくれるなら、名前で呼び返したいし……あ、やっ、今の“し”は違くてっ!」

「べつに禁止してないから気にすんな。言葉くらい好きにすりゃいいだろ。そんな、遠慮する関係とか目指してるわけでもねぇんだし」

「そう。それなら遠慮なく言わせてもらうわね。いちゃつくなら余所でやりなさい浜谷くん」

「おいやめろ、妙に混ぜて呼ぶんじゃねぇよ。つか場の空気読んでくれ」

「あら。読んだからこそ今まで黙っていたのだけれど?」

「おうあんがとさん……」

「言葉と顔がまるで一致していないわね。変わらないことを望んでいたあなたとは大違いだわ」

「ばっかお前、俺は変わってねぇよ。こんなもんは普通だ。俺はいつだって自分の奥底から沸きだした生きる目的に正直だからな。正直に生きる。俺に誓って真っ直ぐに。ほれ、変わらないただひとつのぼっち。それがエリート」

「………」

 

 無言で結衣を指差された。

 はい、もうぼっちではありません。

 すまないエリートぼっちよ……俺にはその称号は重すぎたようだ……。

 せっかく新惑星ロンリーの王になって、底辺ぼっちを最下級ぼっちって呼ぶ準備もしてたのに。心の中で。

 

「解ったよ……はぁ。ぼっちの称号はお前に譲るわ」

「いらないわ、そんなもの」

「いやそんなものって……エ、エリートだぞ? ベテランを乗り越えプロを経て、ついにはエリートになった、唯一俺が胸を張れた孤独の称号───」

「いらないわ」

「………」

「いらない」

「なにも言ってねぇよ……って、そうか。お前エリートの素晴らしさを解っ」

「いらないわ」

「…………《ずぅううん……》」

「ヒ、ヒッキー、ほら、お話ならあたしが聞くからさ。ね? 落ち込まないで?」

「結衣……《じぃいいん……》……俺、俺を好きになってくれる人がお前で、ほんとによかった……」

「ふやぇっ!? あ、あぅ……そ、っか……えへへ、そっか……そっかぁ……」

 

 もう決めた。俺絶対にこの子幸せにする。

 もうね、この子天使だろ。天使だよな? 俺の中で天使決定。八幡的エンジェル認定。

 

「さて、では依頼は完了ね。恋人も出来て、人を幸せにするための意欲も湧いた。……比企谷くん、これは更生したとは言えないかしら」

「お前どんだけ俺のこと追い出したいんだよ……いやいいけどよ……。んじゃ、更生ってことで平塚先生に報告してくるから。……勉強と小説読むだけみたいな関係だったけど、まあその……静かなのは嫌いじゃなかった。一応言っとくわ。さんきゅな」

「構わないわよ。私はきちんと仕事をしただけなのだから」

「…………。おう」

 

 結衣と連れ立って、奉仕部をあとにする。

 思えば案外短いような入部だった。

 楽しく……は、なかったな。退屈だった。

 が、勉強に集中できたのはいいことだった。

 そんな部活とも今日でお別れか。せっかく小町にも褒められていたんだが……またなにか探さないと……か?

 いや、なんかあいつの場合、恋人が出来たってだけで“部活よりも恋人を優先させなきゃ!”とか言いそう……あ、その前に“なに言ってるのお兄ちゃん。その人はね、画面の中にしか居ないんだよ?”とか平気で言ってきそう。

 

「ヒッキー?」

 

 悲しい未来予想をしていると、結衣が心配そうに声をかけてくれる。

 やだやめて、弱った心に天使のやさしさとか、八幡簡単に寄りかかっちゃいそう。

 寄りかかったらかかったで“うわキモッ!”とか言われそうだからしないけど。

 

「………」

 

 結衣はそんなことしない。

 そんな言葉が頭に浮かんだが、そんなもんは押し付けだろう。

 だから俺は調子には乗らない。

 自分をきちんと律して、結衣の迷惑にだけはならないように───《ソッ》───あれ?

 

「ヒッキー……我慢してることとかあるならさ、無理しちゃ……やだよ? 友達だった頃から気になってたけどさ、ヒッキー……たまにすごく悲しそうな顔……してるからさ」

「………」

 

 キモッとか言われるだの云々以前に、既に結衣に軽く引っ張られ、抱きとめられたでござる。

 うわわわわいい匂いなにこれやわらかいなにこれ!

 つか、やめてくれ、こんな、どこかで望んでいたことを連続してやられたら、俺は───

 

「ヒッキー?」

 

 俺は───

 

「……いいんだよ、ヒッキー」

 

 アゥ。

 頭を抱き締められ、撫でられた。

 抵抗しようという意志が浮かんだのなんて最初だけ。

 その意思が、人の温かさで覆われ、包まれた時、ほっちの抵抗なんて意味をなさなかった。

 誰も言ってくれなかった何かを伝えてくれたような気がして、ただただ硬く閉ざされていたなにかが、静かに解かれ、べつのなにかで結ばれたような気がした。

 

 

───……。

 

……。

 

 同日。

 俺は結衣と一緒に平塚先生へと更生云々の報告と、奉仕部を抜けることを伝えに行った。

 いろいろと理由を訊かれ、それに胸を張って応え、真人間を目指すことも伝える。

 話の最中に彼女を幸せにするために、ということも口にすると、結衣も俺を幸せにすることを熱く語ってくれて、それだけで顔が緩んでいたところへ俺の腹へと軽い拳がボムスと埋まった。ごめんなさいもう惚気ません。

 

「はぁ……更生のきっかけが女性とくっついたから、とは……きみも正しく男だったということか」

「そういう目で見るのは勘弁してください。それだけが理由じゃないんですから」

 

 たぶん結衣以外じゃこうはならなかったんじゃないかって思うから。つか、そもそも俺と付き合ってくれる人なんて結衣以外に居ないだろ。

 だから余計に大事にしたいと思う。いや、する。

 

「高校二年で幸せにするだのしてほしいだの、人前で堂々と……くそっ、羨ましくなんか……!」

「あ、あー……その。先生もその、もっときっかけとか作ってみたらどうっすか? 先生って綺麗ではありますけど、どっちかっていうと格好いい印象の方が前に出てますし……」

 

 ぎりぎりと歯を食いしばる姿が見てられなくて、当たり障りのない励ましを口にすると、結衣がきゅっと左腕に抱き付いてきて、見れば少し頬を膨らませていた。

 イ、イエ、べつに綺麗とかそういうのは、結衣以外の人に惹かれたとかそういう意味じゃなくてですね。

 

「そ、そうか。綺麗か。そう言われて悪い気はしないが…………ついでだ比企谷。私と気が合いそうな相手を探すには、どうしたらいいと思う?」

「へ? あ、あー……そっすね。人と会う機会があったら、軽めに探りを入れてみるとか。いきなり自分が好きなものをドッカリ突きつけるんじゃなくて、少しずつって感じで」

「……ふむ。少し前のガ○ダムが好きでも、まずは最近の話から入り、少しずつといった感じか」

「……まあその、はい。多分そんな感じなんじゃないでしょうか」

 

 そこでいきなりガ○ダムが出てくるあたり、中々レベルが高いのではないでしょうか。ドライブとか無難な言葉はなかったのでしょうか。いや、俺もそんな趣味はないし、むしろプリキュアとか好きだし、人のこと言えねぇけど。

 

「大人もやっているゲームなどから入った方がいいんだろうか……よく耳にするのは艦○れか?」

「まあ、それも人を選ぶとは思いますけど」

「実際にあった戦艦などが出てくるゲームだったな。最近じゃどんなのが出ているんだ?」

 

 参考までに、とか言ってくる。

 やだやめて? 俺が提督だってことが結衣にバレちゃう。いやもうどうするか悩んでる時点でバレてるか。“なに? それ”って首を傾げて見上げてきてる可愛い。

 

「あー……鹿島とか、グラーフ?」

「グラーフ……ほう。なにかのコラボかなにかなのか?」

「へ? いや、まあある意味ではドイツとのコラボってことには───」

「そうかそうか、そういう部分から入っていけばいいのか。ああすまんな比企谷、時間を取らせた。奉仕部の退部だったな。解った、きちんと受理しよう。また道に迷ったと思った時は、いつでも扉を叩きたまえ。いつでも待っている」

「……っす。その時は、相談させてもらいます」

 

 お世話になりましたと頭を下げ、俺と結衣は職員室をあとにした。

 さて……これで自由の身、というわけだが……

 

「ヒッキー……」

「ん、どした?」

「…………《じー》」

「……? ……? ゆ、結衣?」

「……ん、なんでもないっ。帰りにさ、クレープ買っていこ?」

「か、帰り道にクレープ……! レベル高いな……!」

「こんなの普通だよ普通っ、ほらほらヒッキー!」

「おわぁっとと、おいっ、引っ張るなって!」

「えへへっ、友達同士じゃ出来なかったこと、もう我慢しなくていいんだよねっ? あたし、ヒッキーとしたかった恋人同士ですること、いっぱいあるんだっ!」

「へひゅっ!? え、やっ、それっひぇ……」

「うんっ、デートしよう!」

「───……」

 

 デート。

 聞き間違えかな? なんて思っていると、結衣が引いていた俺の手首を手繰り寄せるようにして腕を抱き、「ひゃひぃ!?」とへんな声をあげる俺ににっこり笑って「行コ?」と促してきた。

 ……ああハイ、もう勘違いとか聞き間違えだとか無理です。

 気の迷い? なにそれ、こんな迷路なら迷いたい。

 でもその迷路自身がゴールだから、なんかもうたまらない。

 余計な捻くれた考えとかが、“否定”を生み出そうとするたびに破壊されて、内部からトロケさせられていった。

 アア……ダメ……なんかもうダメ……。

 俺、ダメにされてる……。

 エリートってなんだったっけ……。

 だだ大丈夫、なんの心配もありませんよ。

 エリートボッチャーである八幡さんが───は、八幡さんが……!

 

「ヒッキー、ねぇヒッキーっ」

「ななな、なんだ?」

「えへへ~……呼んでみただけっ♪」

 

 ……エリートは死んだ。もう、幸せに突っ走る馬鹿でいいです。

 馬鹿ップルとか言われても本望だ。なにそれ最高の称号じゃん。

 

 

 こうして俺達は人目も憚らずいちゃつき、笑い合う仲になりましたとさ。

 友達は少ないっつか居ないけれど、日々がとても充実しております。

 あ、でも最近、戸塚という天使と、背中をポンと叩いた川、川なんとかさんと友達になりました。

 葉山グループとは相変わらず疎遠ではありますが、結衣は結衣で吹っ切ったようなので、俺がとやかく言うことでもないと受け入れて。

 で、奉仕部なのですが───部員は雪ノ下一人、という元のままになった、となる筈だったのですが。

 とある婚活パーティーに出席していた平塚先生が、珍しく順調に仲が良くなっていた男性に、なにを思ったのか口にした言葉があった。

 

「我の拳は神の息吹! 堕ちたる種子を開花させ、秘めたる力を紡ぎだす!」

 

 美しき滅びの母の力が、男性を呆然とさせたそうな。

 え? ああうん、なんか“お前の所為で全部台無しになった”って、もう一度奉仕部に突っ込まれたよ。

 今度は結衣も一緒に。

 雪ノ下に「脱獄に成功してもう一度捕らえられた囚人を見ているようだわ」と言われたが、余計なお世話だ。

 つか、艦隊ゲームの話してたのに、どうして“そっち”のグラーフを想像するとか考えるよ。先生それ違う、べつのグラーフや、とかその場に居ない俺がツッコめるわけないじゃん。

 あ、でもそれがきっかけでプライベートでもゲームの話題で話をするようになったとかで、たまに廊下をスキップする平塚先生を見かけるよ。

 ……俺、もう一度突っ込まれる意味なかったんじゃね?

 

「静かだけど……なんかいいね、こんな部活も」

 

 なんかもういいねこの部活、部活サイコー。奉仕部万歳。意味? 意味なんて作ればいいだろ結衣と一緒にいられるとか結衣と一緒の部活だとか。

 

「でもこう、なんの依頼もないのもちょっとアレだよね。あ、そうだゆきのん、依頼者が来ない日はさ、自分たちでお願いしてみるってどうかなっ」

「……。由比ヶ浜さん。その、ゆきのん、というのは……私のこと、なのかしら」

「え? うん。雪ノ下雪乃、だからゆきのん。ヒッキーは比企谷、だからヒッキー」

「……あなた、あだ名のセンスが壊滅的ね……」

「ゆきのんひどい!? そんなことないもん! じゃ、じゃあゆきのんあたしにつけてみてよ!」

「えっ……そ、それは」

「ほらっ、ゆきのんっ」

「……。雪ノ下。お前、誰かにあだ名つけた経験とか───」

「いいでしょう、私が責任を持って、由比ヶ浜さんにあだ名、というものをつけてあげるわ。ええと、そうね……《ぴんっ♪》……ゆいゆい、というのはどうかしら」

「絶対に嫌だよ!?《がーーん!》」

「!?《がーーーん!》」

 

 少しドヤッてた顔が驚愕に染まった。

 まあ、そんなこんなな関係はこうして始まったわけだ。

 二年からの奇妙な関係だが……まあ、こんなのも悪くない……よな?

 

 ちなみに平塚先生だが、趣味の話でヒートアップしすぎて、大喧嘩して付き合いは無くなったらしい。

 ……趣味への拘りって、深いもんなぁ……。

 でも部室に来て「結婚したい……!」って嘆くのはやめてください。

 

「ではそうね。比企谷くんに良いあだ名をつけられた者の勝利としましょう」

「ヒッキーはヒッキーだよ?」

「由比ヶ浜さん。ヒッキー、というのは引き篭もりという蔑称と取られることもあるのよ。自分の彼がそういう目で見られたくないのなら、別のあだ名を用意するべきだわ」

「あぅ…………ひっきぃ……?」

「いや、俺もべつに結衣だけが言うなら構わんのだが」

「あっ……ヒッキー……! ほ、ほらっ、ほらゆきのん!」

「………」

「………」

「……ゆきのん?」

「部長命令よ。考えなさい」

「ゆきのん!?」

 

 やだ、この部長さんとっても負けず嫌い。

 そんなこんなで、今日も依頼者が来ない奉仕部は、地味に賑やかだった。



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修学旅行の後悔の狭間

 なぁ戸部。お前、振られたらどうするつもりだ?

 そりゃ、諦めらんないっしょ。

 

 そんな遣り取りをした数分前を思う。

 海老名さんの到着を待つ、ぼんやり灯るいくつか並ぶ灯篭の傍。

 俺と雪ノ下は喉を鳴らし、その時を待った。

 

「おい、由比ヶ浜はどうしたんだよ」

「……。その、お花を摘みに」

「……なんかすまん」

 

 まあ、仕方ない。生理現象だもの、仕方ないよ、生きているんだ友達なんだ。俺はその範疇にはいないけど。オケラ以下かよ俺。

 雪ノ下は少し困った顔をしながら、ケータイを耳に当てている。由比ヶ浜に連絡を入れているんだろう。

 

「どちらにせよだ。このままじゃ戸部は振られる」

「……。そう、かもしれないわね」

「一応、丸く収める方法はあるが……」

「それは、どんな方法かしら」

「………」

「言いたくないこと、ということ? ……ああ、そうね。つまり、そういうこと。比企谷くん、文化祭に続き、そんなことをしてしまってはあなた、本当に味方を失くすわよ」

「元々俺に味方なんて居ねぇだろ」

「あなたのことだから、この場で戸部くんより先に告白、などという愚かな行為をして、海老名さんに“誰とも付き合う気がない”と言わせて収める、という方法を選ぶのでしょう?」

「………」

 

 言葉に詰まる。

 その通りだ。

 だが、言ってしまえばそれがてっとり早く、かつこの状況を最速で解決……いや、解消できるものだ。

 戸部には恨まれるかもしれないが───

 

「馬鹿な真似はやめなさい」

「いや、馬鹿って───」

「ろくに手伝いも出来なかった私が言うのもなんだけれど、あなたがそこまでする理由が何処にあるというの」

「手伝いならしてくれただろうが。むしろ俺こそなにもやってねぇだろ。由比ヶ浜は戸部と海老名さんをくっつけるために、出来るだけ接触の機会を頑張って増やしてた。お前はクラス自体が違うってのにオススメの場所を教えてくれた。俺だけがなにもやってねぇんだよ」

「それでも。それは、やってはいけないことよ。それは由比ヶ浜さんの友人として、私が認めない」

「………」

 

 なんでお前が、なんて言葉が喉まで上ってくるも、それを止めた。

 雪ノ下の真っ直ぐに見つめる目に射抜かれ、なにも言えなくなっていたのだ。

 

「それに、彼はそろそろ自分の立ち方と向き合うべきよ」

「あ? 彼?」

「……葉山くんよ。彼は言ったわね、“なんとかする”と。告白するのが戸部くんの依頼。あとのケアは葉山くんが自ら宣言した仕事。比企谷くん、もう一度きちんと組み立てて、状況を飲み込みなさい。私たちのすべきことは、“戸部くんの恋愛の成就”などでは断じてないわ。あくまでその手伝いであり、海老名さんという魚を彼に渡すことではないの」

「………」

 

 それは、俺も考えていた。けど、雪ノ下がそれに気づいているとは、正直思わなかった。

 文実の時もまちがったこいつは病気になったし、今回だって由比ヶ浜に押されるかたちで結局は請け負った。

 それでも……そっか。そこは、まちがってはいなかったのか。

 

「いい、比企谷くん。たとえここで戸部くんが振られ、彼らのグループの雰囲気が悪くなろうと、それは彼らの問題であって私たちの問題ではないわ。たしかにそのグループの中に由比ヶ浜さんは居て、私たち以上に気まずい状況には陥るでしょう。けれど、彼女は頑張っていたのでしょう?」

 

 雪ノ下は、“それ”を見ていなくてもそれが当然だというように言った。

 ああそうだ、頑張っていた。むしろそれを邪魔していたのは葉山だ。

 “自分がその空気が好きだから”、戸部の青春を否定して自分の場所を優先した。

 

「あなた、葉山くんとなにかあったわね?」

「っ、……べつに、なにも」

「そう、あったのね。大方、青春の波に触れて、自分もその場の登場人物になった気で居るのだろうけれど……比企谷くん。今この場は、あなたの青春物語ではないわ。だから、余計なことは必要ではないの。部長としても、知人としても言うわ。“やめなさい”」

「……お前」

「誰かが大きな悪となることで、いがみあっていた者たちが手を組み共闘する。よく出来た物語よね。けれど、いつだって大きな悪は救われない。はっきりと言うわよ比企谷くん。自分がいつだって最底辺で、自分がどれだけ傷つこうと誰も気にしないというのはあなたの思い上がりよ。少なくとも───……文化祭のことで、その噂で、苛立っている人が居るということだけは、忘れないでちょうだい」

「雪ノ下……」

 

 でも。俺はもう、葉山に大口を叩いてしまった。

 動かなければ責任は消えてくれない。

 だったら───いくしかないだろうが。

 

「……それでも、行くというのね」

「じゃなきゃ、自分の信念にまで嘘つくことになるからな」

「……そう。ただ、嘘の告白をして、という方法だけはやめてちょうだい。想像してみた選択肢の中で、それが一番不快だったわ」

「なにお前、俺のこと好きなの?」

「別の誰かを思ってのことよ。あなたは少し、人に想われているということを自覚しなさい」

 

 馬鹿にしたように笑い、それでも止めずに見送ってくれた。

 さて。少し長く話してしまったが、戸部が戸惑ってくれているお陰でまだ間に合いそうだ。

 海老名さんもとっくに到着している。

 あとは俺が───……どうすりゃいいんだ? 嘘の告白が封印されてしまったんだが。

 

「……比企谷くん、ちょっと待ちなさい」

「あ? なん───」

 

 なんだ、と言いかけた時。

 戸部と海老名さんを挟んだ向こう側に、人影を見た。

 それは……ケータイを耳に当てた由比ヶ浜で。

 

「……、おい雪ノ下。お前まさか」

「ごめんなさい、通話したままだったのだけれど、由比ヶ浜さんが突然“ごめん、あたしの所為だ”と言い出して」

 

 自分たちとは反対側に居る由比ヶ浜を見る。

 薄暗い世界の下に見える彼女の顔はどこか悲しそうで、そんな顔を見た途端、俺の中に感じたことのない気色の悪い何かが湧き出してきた。

 

  止めろ。

 

 本能が叫ぶくらいに嫌な予感。それをさせるなとうるさいくらいに警鐘が鳴る。

 なんだ? なにが起こる。

 けど、走らないとまずい。

 

「───! 比企谷くん!」

「解ってるよ!」

 

 雪ノ下も嫌な予感を感じたのだろう。俺はそれに怒鳴るみたいな声を返して、走った。

 由比ヶ浜結衣、という少女は頭がよくない。

 だからその場その場で行動を決めるし、予定というものも案外適当な部分もある。

 が、これと決めたら止まらないし、案外強引で、けれど人の気持ちは考える方で、多少自分の意見を選んでくれたら嬉しいな、という面を見せても、引き下がることは多い。

 けど、今回は自分のグループ内での恋愛相談、ということで張り切った。

 電車での席のことでもそうだし、観光巡りでもそう。頑張って頭を動かして、成功してくれればと誰よりも頑張った筈だ。

 じゃあ問題だ。

 今にも戸部が告白しそうな状況の中、彼女が選ぶこの場の破壊方法とはなんだ? グループの“空気”を守るためにすればいい方法とはなんだ?

 簡単だ。雪ノ下が“やめなさい”と言った、俺が取ろうとした方法。

 だが、それは俺が底辺であるから成功するのであって、そんなことをトップカーストの、それも同じグループの由比ヶ浜がやれば───いや、それ以前に───!

 

「え、海老名さんっ───俺っ───!」

「あのっ! とべっち!」

 

 いよいよ、といった感じで戸部が息を吸った。

 それに被せるように由比ヶ浜が声を張り上げる。

 

  ───やめろ

 

 途端、ずきんと胸が痛む。

 知らず、全力で走る身体。やめろやめろと声にならない叫びが喉の奥で渦巻く。

 そんな俺を見て、由比ヶ浜が泣きそうな顔をする。

 それを見て、俺は“今までの全て”が勘違いではなかったことを嫌でも思い知らされ、だというのに彼女がそれをしてしまうことに吐き気さえするほどの絶望を感じ───

 

  どうするどうすればいいやめろやめてくれこんなものは見たくないやめろ

 

 思考を回転させる。けど、こんな“初めて”の事態に対して、孤独者というのはひどく脆かった。

 経験から得たものを盾に独りで様々を解消する自分は、初めて経験するものにはひどく弱い。そして脆い。

 勘違いではなかった。でも、じゃあなんだ? 勘違いでないのなら、そんな好意を抱いている相手の前で、俺は好きでもない相手に告白し、今俺が感じているものと同じ気持ち悪さを、好意を抱いてくれていた時間の数だけ味わわせるところで───いや、今はそれは置け、今はいい、今は止めろ!

 

「っ……!」

 

 けど。

 やめてくれと叫びたくても喉は動いてくれなくて、じゃあどうすればいいんだ、って。どんな言葉なら動いてくれるんだって戸惑い、そうしている内にも由比ヶ浜は行動に出ていて───!

 

  ───することなんて一緒でいい。“用意していたもの”なら、出せるだろ?

 

「───!!」

 

 一歩踏み出す。

 悪いな由比ヶ浜、お前も覚悟は決めただろうが、とっくに言う言葉を用意していた俺の方が遥かに早い。

 二歩を踏み出す。

 由比ヶ浜は俺に悲しそうに微笑んでから、小さく口を動かす。

 それが“ごめんね”に見えて、俺は───!!

 

 

 

  ずっと前から好きでした 付き合ってください

 

 

 

 ───。

 走った。けど、辿り着くには遠くて。

 やがてその言葉がこぼれた時…………由比ヶ浜は、戸部から俺へと視線を移し、震え、堪えきれずといった様相のままにぼろぼろと涙をこぼし、泣いたのだった。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 ぱぁん、と。平手が飛んだ。

 叩かれた相手は葉山。かなり痛そうな音が鳴った。

 

「なんとかする、が聞いて呆れるわね。結局あなたは“自分が立つ場所の居心地の良さ”しか選ばず、他者を巻き込んでは傷つけていただけじゃない」

「……すまない」

「それからそこのヒキガエルくん。あの場では見送ったけれど、あなたも随分と馬鹿な真似を考えてくれたものね」

「……すまん」

 

 戸部と海老名さんは、結局上手くはいかなかった。

 戸惑う戸部に、泣いてしまった由比ヶ浜を見てキレた雪ノ下が特攻。

 それを止めに入った葉山も含め、状況の説明会が突如として開かれ、全ては伝わった。

 そのまず一言目がこちら。

 

  そんな内輪揉めは自分たちで解決しなさい。はっきり言って迷惑だわ。

 

 正論すぎてもうどうすればいいのか。

 それに対して言い訳を並べようとした葉山、雪ノ下の正論ラッシュを前に撃沈。

 さらに海老名さんにも最初に奉仕部に相談しに来たのなら全員に話を通せと激怒。

 それでこちらの関係が崩れてしまったらどうするつもりだったのだと散々言われ、海老名さんが泣かされた。

 それを庇おうとした戸部もまた雪ノ下の猛攻を前にたじろぎ、反論を殺され、やがて沈黙。

 ついにはこの場に居ないあーしさんを葉山のケータイで呼べと伝えられ、あーしさん、状況も解らず来訪。

 話の内容を聞いて、平手が飛んだ。葉山に。

 え? 俺にはなんか謝罪がきたけど。まあ、コンビニでの件もあったしな。

 三浦も葉山を盲目的に信じていただけなんだが……信じすぎるほうも悪いと思うのは俺がおかしいのか?

 

「………」

「……ヒキタニくん、マジごめんな……。なんか散々なことになっちまったし……」

「この件に関して、お前は一切悪くねぇよ。一言言うなら、葉山に相談したのに奉仕部に来たこと自体が間違いだったってだけだ」

「……青春ってだけじゃ片付けらんねぇことってあるのなぁ……。好きな人に好きって言うだけのことに、グループの許可が必要なんて……なんっつーか自由じゃねぇっしょ……」

「そういうのを選んでるから続けてられんじゃねぇの? 俺、グループの付き合い方なんて知らんけど」

「んや。なんか見せつけられたっつーか思い知らされたっつーか……ほら、あれっしょ。やっぱさ、あそこ、隼人くんのグループでしかねーんだなって。なんかそれが解っちまったっつぅか。隼人くんもあれだろ、自分のことしか考えてなかったろ。……俺も、だったんだろうけどさ」

「海老名さんも今の関係がいいって話だったんだし、そんなもんなんじゃないか? 全員がそう思ってるからグループってのは続いていくもんなんじゃねぇの? 自分を殺してまで続ける価値があるのかは知らんけど」

「あー……それなー……。ほんと、マジそれ……。そりゃ、俺もあのグループ嫌いじゃないけどよ。じゃあけど、なに? 俺も優美子もさ、最初っからずうっと、望みのない恋愛をしてなきゃいけなかったんかなって。今がいいからって、好きって気持ちを抑えとけって言われてさ、んで、隼人くんや海老名さんはたぶん、あれだろ? 誰かを好きになったら我慢しない。んでなに? ずっと好きだった俺達には“ずっと友達で居ましょう”? ……ああ、なんか俺もう無理だわ。辛いわこれ……ヒキタニくん、辛すぎだろこれ……」

「“俺はいいけどお前らはダメ”。“上”がよくやることだろ。お前らは知らんが、俺達底辺にしてみりゃいつものことだ」

「まじかよ……こんな気持ち、いっつも味わってるとか辛いだけだろ……。あ、あー……その、結衣も、さ……その。ごめんな、マジで」

「………《ふるふる》」

 

 由比ヶ浜はあれっきり一言も喋っていない。

 ただ、まあその……俺に抱きついたまま、一切動かない。

 

「はぁ……でもよかったわぁ。俺危うく結衣の初恋と初告白、台無しにするとこだったんしょ? マジあそこでヒキタニくんが叫んでくれなきゃ、恋する男としては最低のことをするとこだったってことじゃんそれってばさぁ」

「……ぼっちは定型文が武器だからな」

 

 そう。あの時、上手く言葉が出せなかったあの瞬間。

 俺は、海老名さんに言って状況を破壊するつもりだったあの言葉を言った。

 ずっと前から好きでした、だ。他の言葉は出せなくても、あれだけは用意しといたからな。

 けどそれは海老名さんにではなく、由比ヶ浜に向けて叫んだ。

 相手が絶句するくらい、キモくて引くくらい、言葉を無くして黙するくらいに全力で───俺の代わりにする、泣いてしまうくらい嫌だと感じる嘘の告白を黙らせるために、誰が見ても引かれるくらいの全力で、気持ちをぶつけた。

 結果として嘘告白は防ぐことが出来て、由比ヶ浜は俺を呆然としたまましばらく見つめ、やがてかたかたと震え始め、耐え切れないといった様相のままに泣き崩れた。で、その泣き顔と泣き声を聞いてゆきのんマジギレ。ええ、ほんと……怖かったです。めっちゃ怖かった。

 

「ったく……泣くほど嫌なら嘘の告白なんてしようとするなよ……《ぎゅううう……!》……すまん、今のはなかった」

 

 俺の言葉に、由比ヶ浜はさらにきつく抱き付いてきて、謝るしかなかった。

 なにせ、本来なら俺が由比ヶ浜の前でしてしまうところだったんだ。その気持ちを考えれば、こんなことはよっぽどの馬鹿じゃなきゃ言えやしない。

 ……ああそうだよ、馬鹿だよ。全部勘違いだって勘違いして、危うく“告られるならここがいい”って目をきらきらさせてた女の子を、絶望の海に叩き落すところだったんだ。“自分はこんなシチュエーションで告白されたいな”って場所で、他人に、しかも知り合いの女子に告白なんてされてみろ。俺だったら本気で泣くわ。しかも相手……いや、この場合は俺になるんだろうが、俺に“ここがいい!”なんてはっきり言ってたんだよこいつは。なのに、だろ? 実際に告白する相手なんていねぇけど……それくらい、今なら解る。ほんと、馬鹿だろ、これ。

 けど、勘弁してください、今俺、いろいろ自覚してて恥ずかしいんですから。だって、号泣ですよ? 知り合いが居る前で、かたかた震えて泣き出したんですよ? ……つまりあれだろ? それほど俺のことを想ってくれてたってことで……それほど嘘の告白なんて嫌だったってことで。

 ……もうこれアレだろ。俺ほんと馬鹿だろ。

 

「いんや~、けどあん時のヒキタニくんの絶叫、胸に来たわぁ。俺が言われたわけでもねぇのにドキっとしちゃったもんなー。……あ、でだけど……アレ、本気? ヒキタニくんてばマジで結衣にラブ?」

「……。また誤解されて泣かれて雪ノ下がキレても困るから、言えることは言っとく。自覚したのはさっきだし、これが好きとかどうかってものかは正直解らんが……解ってることは言っておくな。誰かに取られるとか絶対に許せん。それが独占欲とかそういうものの延長だろうと、そう思ったことは事実だ」

「や、それ完全に好きっしょ。ラブっしょ。あ、んじゃあ質問の仕方変えるわ。結衣が誰かに告白されたら?」

「……むかつくな」

「事前に防げるとしたら?」

「妨害するな」

「結衣の腕を掴む男子とか居たら?」

「気に入らないが、由比ヶ浜が望んでる相手なら俺がどうこう言えたもんじゃねぇだろ。気に入らないが」

「あ、二回言うほど重要なのね……んじゃあ次これ。結衣がヒキタニくんに告白したら?」

「───《ボッ!!》」

「……あ、うん。おっけ。なんかもう答え見えたわ。ヒキタニくん、結衣のこと好きすぎでしょぉ……」

「……まじか」

 

 そうなのか。…………そう、なのか。……そっか。やばい、嬉しい。

 

「んでどうよぉヒキタニくん。自覚してみて、感想は?」

「嬉しい───ハッ!?」

 

 ぽんと質問されて、ぽろりと本音が出た。

 答えるつもりはなかった、という言い訳が後から出るほど、それは本音らしい本音だったのだろう。

 するとどうでしょう、俺の胸にぎううと抱き付いていた由比ヶ浜の腕が少し緩み、顔が持ち上げられ、すぐ近くに好きな異性の上目遣いが……!

 

「ぐすっ……ひっ、ひっきぃ……今の……ほんと……?」

「ア、アーウー……イヤソノゥ」

 

 うわわわわ可愛いやばい可愛い不謹慎だけど泣き顔綺麗やばい可愛い慰めたいやさしくしたいなにこれやばい!

 

「い、いや……けど、俺みたいなのがお前の周りをうろついてちゃ迷惑───」

「そんなことないっ!」

「《びくぅっ!》ゆひょっ!? ……ちょ、やめてくれ……いきなり叫ぶな、本気でヘンな声が出た……」

 

 ゆひょってなんだよゆひょって。でも本気で驚いた時って、ほんと変な声出るよな。

 

「ぐすっ……うぅう……」

「《ぐりぐりぐり……》いや……おい……。なにか言おうとしてくれてるのは解るが、人の制服で涙全部拭うのってどうなんだ……?」

「……ヒッキー」

「……おう」

「他の人がうろつくのは、やだ。近くに居てくれるなら、あたしはヒッキーがいい……。周りの評価なんてどうだっていいし、近くに居てほしい人と居るだけなのにいろいろ言ってくる人こそ、あたしは近くに居てほしくないよ……? ヒッキーはさ、そうじゃないの……?」

「………」

 

 あ、無理。これ説得無理だ。むしろ俺が思ってるようなこと、あっさり言われた。

 その所為で説得力がヤバイ。

 俺を嫌うなら嫌うで構わない、居たいやつだけ居てくれりゃいいって、まさにそれだ。

 つまり、由比ヶ浜が覚悟を決めていればいる分だけ、断る理由がない。

 

「あー、ヒキタニくん? 俺もそっち行っていい? あ、やーその、そりゃ海老名さんのことはまだ好きだけど、改めて事情聞かされたら引いたっつーか……。いや、最初から答え決まってんならさ、ヒキタニくんや結衣を巻き込む意味、なくね? こんだけ大げさにしといて、結局俺ってば最初からフラレる流れだったんだろ? 確かに隼人くんは俺にやめとけやめとけ言ってたけどさ、きちんと“そういう事情”を話してくれりゃあさ、先延ばしくらいはしたよ? 俺。そこまで空気読めないわけじゃねぇし」

「ま、そうだな。今のまま葉山のグループで仲良しこよしってのは無理だろ」

「今の仲を大事にしたいんだったら、まず相談してほしかったわ……当事者に相談せず絶対に振る、なんて計画立てられてたんじゃ、俺ただのピエロだろこれ……ないわぁマジないわぁ」

「だから“そっちへ行っていいか”、か。いいんじゃないか? 決めるの俺じゃねぇけど」

「へ? いやいや、俺、ヒキタニくんと結衣とでグループ作りたいっつってんだけど」

「へ?」

「へ?」

「………」

「………」

「ゆ、由比ヶ浜、すまん、悪い、状況が理解出来ない。なんか言ってやってくれ、頼む」

「……ぐしゅっ……あたし、ひっきーが好き」

「言えってのはそうじゃなくてですね!? いや俺も好きだけど! ……ぐっは! どさくさで……っ……!! い、いや今のは《ぎゅうう……》……戸部、お前恨むぞこの野郎……」

「まーまー! 振られた俺と比べりゃ遥かに幸せっしょー! あ、俺これから結衣のこと由比ヶ浜って呼ぶからさ、ヒキタニくん、がんばっしょ!」

「……そりゃなにか? 俺にこいつを呼び捨てにしろって意味か?」

「前から呼ばれたいって感じはしてたでしょぉ、ほれ言っちゃえヒキタニくんっ!」

「……~~……」

 

 上目遣いの、涙が滲んだ瞳に期待が孕む。

 どうしろ、なんて……たぶんそれをするしかないわけで。

 ここでゆいゆいなんて言ってみろ、視界の端で凄まじい眼光を放ってらっしゃるユキノシタ=サンが再び特攻、今度は俺がビンタ喰らうわ。

 

「あーその……ゆ、結衣?」

「《ぱあああ……っ! ぎゅううう……!!》」

「いや……なんか言いなさいよ……」

 

 名前を呼んでみれば、無言で胸に抱き付き直し、ごしごしと人の胸に顔を擦り付けてきた。あーもう可愛い。

 つか……え? いいの? これ抱き締め返したりして……いいの?

 

「……?」

「《こくり》」

 

 窺うように戸部の顔を見てみれば、クチの端から舌をペロリと出し、ウィンク&サムズアップでGOサインが出た。

 そ、そか。じゃあ……

 

「………《そっ……》」

「《……ぎゅうっ》ふやんっ……!? ひっきぃ……?」

「すすすすすまんでもほらあのすまんやっぱキモかったよなちょちょっちょちょ調子に乗ったなすまん!」

「……ううん。嬉しい」

「───」

 

 ア……も、だめ、無理だわ。小町、お兄ちゃんもうだめ。これ完全に恋しちゃってる。

 むしろもう勘違いって逃げ道塞がれちゃってるから、どうすることも出来ないじゃん。えーと、じゃあなに? どうすんの?

 …………全力で恋していいんじゃねぇの? ───だよな。

 

「ゆ、結衣」

「あ……う、うん。ヒッキー」

「結衣……」

「ヒッキー……えへへ」

「結衣……」

「ヒッキー……」

「あんのー……ゆぃっ……っとと、由比ヶ浜もヒキタニくんも、フラレた男の前であんまいちゃつくとか勘弁してほしいんだけどさぁ……」

「! あ───わ、悪いっ!」

「ごめんねとべっち!」

「……んや、やっぱ続けてくれていいわ。迷惑いっぱいかけちゃったしさぁ。あ、でも今はもう帰んべ? そろそろセンセとかうるさくなる頃でしょぉ」

「……だな。雪ノ下は───」

「あっちでまだ優美子と一緒に隼人くん説教中だわ。ま、あっちはあっちでさ、俺達は帰るべ。んで失恋&成功パーティーでもやって慰めてちょーだいよ……」

「……まじか。リア充ってそんなことまでしてんのか」

「いんや、俺もやるのは始めてだけど」

「………」

「………」

「ま、まあ、いいか」

「そうそう! ノリ良くいこうぜヒキタニくーん! なんか俺、ヒキタニくんとなら上手いことやっていけそーだわー!」

「そんなこと言うならまず名前覚えろよ……」

「あ、そうだよとべっち。ヒッキーは比企谷、なんだから」

「お前のそのあだ名呼びもいろいろアレだけどな」

「え? ……や、やだった……かな」

「たとえば俺がお前のことユッイーって呼んだら」

「ヒッキーキモい! まじキモい!」

「なんでだよ! たとえ話だろうが! ユッイーキモい! マジきもい!」

「キモくないし! ヒッキーのばか!」

「いや……ゆい、がはまに馬鹿とか言われるとか辛いわ……ヒキタニくんまじ同情するわ……」

「とべっちひどい!?」

 

 そんなこんなで……まあ、なんだ。

 後日の話をすると、葉山グループから結衣と戸部が抜けた。

 三浦はいろいろ言ってたけど、最後はしゃーないって認めてくれた。

 グループを抜けたからって仲が悪くなる、ということもなく、三浦とはなんだかんだで交流は続けているらしい。……三浦とは、な。

 

 で、現在はといえば。

 

 とある日、とある放課後の奉仕部にて。

 

「いんやー……ノリで奉仕部入っちゃったけど、することなくね?」

「いや、お前サッカーは」

「よくよく考えたらべつにそこまで夢中ってわけでもなかったし、いんじゃね?」

「……まあ、葉山の影になってたって感じはあったから、お前がそれでいいんならいいだけどな」

「つぅかヒキタニくん、それなに?」

「なにって……結衣だが」

 

 修学旅行から戻ってきてから、いろいろあった。

 いろいろっつーか……相思相愛すぎてバカップル呼ばわりされているというか。

 今現在も椅子に座った俺の足の間に座った結衣が、俺と同じラノベを読みつつ「これなんて読むの?」とか訊いてきてたりする。やわらかい。いい匂い。やばい。

 

「はぁ……彼女持ちこそリア充とか言われるべきっしょこれ……。はーぁ、俺もこんな愛し愛されの恋とかしてみたかったわぁ……」

「ヒッキー、次のページいっていい?」

「おう、いいぞ」

「えへへぇ……♪」

「お、おい、あんまりすりすりするな、くすぐったいだろ……」

「えー? いいじゃんべつに……」

「……あのー、雪ノ下さん? この二人いっつもこーなん……?」

「話しかけないでちょうだい。気にしたら負けなのよ、“それ”は」

「あー……もうそういうレベルなのね……おっし、んじゃあ俺コーヒーでも買ってくるわー……」

「ああ戸部くん。ブラックコーヒーをお願い」

「おっけおっけ!」

 

 今日も奉仕部は平和である。

 ああちなみに、最近やたらと自販機のブラックコーヒーが在庫切れになるらしい。

 なんでだろうな、ほんと。

 



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生き続ける意味を知る青春謳歌

 犬を庇い、足を折って入院した時に思ったことがある。

 たとえば価値。

 自分がこの世界に居て役立てることはあるのかと、独りきりで考えた。

 とりあえずの答えとしては“健康な体があればいい”。

 正直、尿瓶は恥ずかしいし、折れた足ではトイレに行くのも一苦労だった。

 大きな傷があると人ってのはどうにもダメだ、中学で散々味わって慣れたつもりでも、心は強くならないままで、独り考える夜ばかりが続いた。そんな弱さに耐えられなくなりそうで、全てを諦めそうになる。

 

「はあ……」

 

 車と衝突しても生きていたことは幸い。ただ、他人にとってそれは幸いだったのか、なんてことを考えたために自分の価値を……命の値段を測っていた。

 犬が健康だったら自分はどうなってもよかったのか。それを思えば、躊躇もなく犬を庇って轢かれた自分にも納得が出来るかもと。

 あったのは結局、どっちも死ななくてよかったじゃないか、なんて無難な考え。死ぬのはやっぱり怖いのだ。そして……自分の価値を諦めるのも。

 だから今日も、そんな夜を受け止めて……自分の価値を誰かが拾ってくれる、そんなはっきりしないけどガキが描くような……落書きのような夢を見ている。

 

「………」

 

 そんな俺を同情する声がたまに聞こえる。目が合えば絶句して逃げる人ばかり。

 やさしい言葉は同情ばかりで、そこに理解は一切ない。

 うるさい雨のようにざあざあと走るそれらを耳に、そんな同情ってだけのやさしさと一緒に自分の弱さを流せたら、俺はもっと強くなれるだろうか。

 そんなことを考えた夜に、ひとつの答えを出した。

 

(悲しみは消える。でも───)

 

 時間ってのはやさしい。でも、喜びだってやがて消える。

 ありがとうを笑顔で言えていたいつかを思い、次の瞬間には蹴落とされたいつか思い。

 誰に祈れば救われたのか。他人を頼ったのがだめだったのか。散々嘘を吐かれて、傷つけられて、ぼろぼろで継ぎ接ぎだらけの自分を引きずって。

 

 “みんな”はいいよな。

 

 なにかが憎くても、誰と戦えばいいのかも解らない。

 苦しいから、救われたいから力を振り翳そうとしても、みんなは一人を責めた自分をみんなで攻撃する。

 痛みは増える一方で、居場所は無くなる一方で。

 それでも信じたかったから、目を腐らせても、誰も教えてくれない孤独の道を、注意深く進んでいた。

 

  膨大な知識があればいい

 

 孤独から抜け出るために、痛みを忘れるために、過去の自分は知識を欲して、総武高校へと辿り着いた。

 弱い心はきっといつかのまま。強くなんてなれないから、せめてやさしさは敵だと決め付けて、守ろうと思った。守らなきゃいけなかった。もう、信じて傷つくのは嫌だから。

 そんな知識の先で出会った少女は、なんだかんだと理由をつけては自分に構ってきた。やさしい女は嫌いだからと気をつけていても、彼女はいろいろな表情を見せながらも俺へ手を伸ばす。

 自分の笑顔よりも、俺の手を取ることを尊いものだと思うかのように。

 

「───……」

「………」

 

 だから突き放した。

 ばか、と言って走り去った少女に罪悪感を抱かないわけもない。ただ自分を守りたくて言った言葉で、初めて自分の意思で人を泣かせたんだなって気づくと……じくんじくんと胸が痛むのと同時に、過去の自分が泣いているように思え、悲しくなった。

 

  傷は、どれだけの知識や経験で覆っても傷のままなんだな、って……この時に思い知らされた。

 

 いっそ感じることを諦められれば、ただの孤独な馬鹿として生きていけただろうに。そんなことさえ出来ない。そんなことが、こんなにも難しいだなんて、思わなかった。

 

 それでも関係は続いて行くものだから、逃げられるものじゃないから、今日もよそよそしい日々が続く。

 仲直りをして、ぎくしゃくした空気が消えて、そんな日々を歩いて、でも……気づけば“かけがえのないもの”なんてものになってしまっていた関係。

 効率を重視したために崩れかけ、取り繕ってしまったから壊れることもできなくなった宙ぶらりんの関係。

 それを今終わらせてもいいのかと考えて、何度も考えて、解らなくて、怖くて、辛くて。

 いっそ終わらせてしまえば楽なんじゃないかって思えたのに、それをすることさえ怖いと感じた。

 だから……その時。言葉を貸してくれた平塚先生に感謝を。

 そして……終わらせる勇気があるのなら、続きを選ぶ恐怖にも……きっと勝てると。

 あの日に無くしてしまった、そこにあるのにからっぽな奉仕部。いつしかそんな場所に居心地の良さを感じていた自分を思い、泣いた自分。

 借り物の言葉だって構わない。そこに確かな鼓動があるなら───どうせいつかはこんな関係も終わってしまうって解ってる。でも、それでも、許されるのなら───!

 こんな、青春っていう安っぽい言葉で済まされてしまうような、みんなの中のひとつでしかない旅を。自分と一緒に謳歌してほしいと。

 

「それでも俺は……俺は、本物が欲しいっ……!」

 

 ……。

 やさしい言葉はもうなかった。

 その代わりに、やさしくはない、けれど自分にだけ向けられたものではない他人事のような絆が、自分たちにかかった気がした。

 一歩踏み出せばよかったのだ。

 捻くれていたのは自分だけだった。

 話そうとしなかったのは彼女もだった。

 解ろうとして、歩み寄り続けてくれたのは彼女だった。

 そんな三人で、ちっぽけなからっぽは満たされた。

 

(……ああ、そうだな)

 

 そんな時に思い出す。悲しみは消えるというのなら、という自問。

 悲しみは消えた。そのあとにやってきた喜びは、今ここにある。きっといつか無くなるそれも、今はただ愛しいと思える。

 それを無くさないように、誰に祈ればいいのかもまだ解らない命題を、俺は苦笑と一緒に投げ飛ばした。

 それよりも大切な手を取るために。

 この世界にはたくさんの勝者と敗者が居て、でも……そんなものに明確な基準なんてない。ぼっちがぼっちじゃなくなったら負けだ、なんて問いがあるなら、勝利とも言えるし敗北ともとれる。

 でも、それでいいのだろう。守りたいものは、自分が守りたいと確かに思ったものはあったのだ。

 夢を見ることさえ教わらなかった。

 どう歩いたらいいのかも解らなかった。

 それでも……自分はそんな問答を続けていた自分よりも、一歩だけ大人になれたのだろう。

 

「───」

 

 “続き”を選んだいつかから歩く日々は怖さでいっぱいだ。知らず、無くさないように、壊れないようにと大切に大切に守ろうとする。

 そんな日々を守ろうとするのは自分だけじゃない。

 必要だったのは歩み寄り、話し合うことだっただろうに、それが出来なかった孤独な二人は、本当のことだけ探していた少女に救われる。

 笑うことよりも大切な誰かの手を……俺達の手を握って、全部が欲しいと呟いた少女に。

 続きがくれるのは恐怖だけじゃない。勇気さえくれて、その未来に希望を持たせてくれた。

 希望なんて持たないと、からっぽだった胸に湧き上がるのは、目の前の彼女がくれる希望だ。

 無くなったのならまた持てばいいと。持てないのなら代わりに持つからと。笑顔で手を取る彼女に、俺と雪ノ下は、きっと……。

 

 過去は消えないだろう。トラウマはそういうものだから、悲しみも消えない。

 でも……それでも、悲しみは消えると誰かが言ってくれるのなら。

 それはきっと、過去にある悲しみよりも、よっぽど眩しい喜びに変わるのだろうから。

 

 消えない悲しみがあるなら。

 それがいつか喜びに変わるのなら。

 変えてくれる彼女が居てくれるのなら。

 この青春っていう人生に、生きる意味をくれるというのなら。

 どうせいつかは終わる、そんな人生って旅を───どうか、一緒に謳歌させてほしい。

 

 

お題/歌をSSに

 

 *題材:BUMP OF CHICKEN 『HAPPY』

 



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あわてないで、ゆっくりやってこい

 放課後。がららぁっ、と奉仕部の引き戸が開かれた。

 誰、と思う間も無く、ノックさえせず開かれた戸の先には、赤と白が映える温かそうな服を着た由比ヶ浜が居た。

 

「ゆきのんっ、ヒッキー! メリークリスマやっはろー!」

 

 いや、クリスマまで言ったならスまで言ってやれよ……。あけましてやっはろーと同じで、なんなのそれ。

 というかだ。

 

「あの……由比ヶ浜さん。クリスマスは明日なのだけれど……」

「え?」

「おい……日付くらい確認しろよ……」

「えぇえええっ!? だってみんな笑顔で送り出してくれたよ!? 姫菜とか耐え切れずに吹き出すくらいだったし! ……あれ? 笑われてる?」

「いや、まあその、なんだ。……似合ってるんじゃねーの?」

「えっ……そ、そっかな、そっかな、ヒッキー」

「おう。あわてんぼうのサンタクロースの格好」

「これただのサンタクロースだよ!?」

「そうね、クリスマス前に来たのだから、あながち間違っていないのではないかしら」

「ゆきのんまで! 違うったら! これただのサンタクロースの衣装でっ!」

「なにお前、鐘鳴らして煙突から落っこちたらいきなり踊り出すの? やだ怖い」

「こっ!? 怖くないし! ちょ、ちょっと間違えちゃっただけじゃん! ヒッキーのばか!」

「……もう一度来ればいーだろ。歌詞通り」

「え?」

「ええ、そうね。とりあえず由比ヶ浜さん、紅茶を淹れるから座ってちょうだい」

「あ、あー……うん。ありがとゆきのん」

「ふふっ、どういたしまして、あわてんぼうさん」

「それはもういいったら! ……って、あれ? これ、なに?」

「ああ、それはクリスマスを間違えたどこぞのゾンビが私たちにと買ってきたものらしいわ」

「ゾンビじゃねぇよ。つか、それもうゾンビ以外のなにものでもねぇよ? 谷どうしたの谷」

「……ヒッキーだって間違えてたんじゃん!」

「いや俺はほらアレだから。小町に騙されただけだから。それ言うなら雪ノ下だってクリスマスに発売のゆきんこパンさんが気になって、ケータイで時間調べてたくせに日にち間違えてたしな」

「……ゆーきーのーんー……?」

「い、いえっ……べつに騙そうとしたわけではなくて……!」

 

 その日、珍しくも彼女が拗ねることになり、これまた珍しくも俺と雪ノ下、二人でなんとかご機嫌を伺うこととなった。

 いやまあ実際は、雪ノ下はあっさり許されて、俺は何故か休日にちょっと出掛けて食事をおごるくらいで済むことになったんだが。

 …………あれ? なんか差が無い? ていうかこれってデート? いや違うか、ふう危ない危ない、また勘違いするとこ───

 

「……《ぽしょり》……ヒッキー。デートなんだから、そのつもりで用意してきてね?」

「!?」

 

 ───勘違いで済まそうとしたら、耳元でぽしょりと囁かれた。

 お、OKOK、これはあれだ、めかしこんでいったら笑われるタイプの罠だな。

 そう思いつつも家に帰り、小町に相談したら強引にいろいろされて、当日にはしなくてもいいのにビシッと決めた格好にさせられ…………待ち合わせ場所にて由比ヶ浜に笑顔で迎えられ、普通に行動し、いつの間にか楽しみ……気づけば夕暮れの綺麗な景色の中で告白され、戸惑っている内に口が勝手に了承を唱え、付き合うことになった。

 訂正しようとしたが、目に涙を浮かべて喜ぶ由比ヶ浜に二の句を告げられず、やがて俺は“どうせすぐ俺がフラレる”と思いつつ、だったらせめて“いい思い出”ってやつになろうと全力で付き合うことに。

 

 

 で……そんな日々をいくつも越えた今日。

 

 

「ねぇパパ」

「ん? どうした、[[rb:絆 > きずな]]」

「そういえばさ、パパってどんなきっかけでママと付き合うことになったの?」

「きっかけなら前に話しただろ。俺がママの犬を助けて───」

「あ、ううん、そうじゃなくてさ。えーと。こ、告白、とか……どっちがしたのかなーって」

「……結衣からだ」

「……パパのへたれ」

「やめなさい、パパ泣いちゃうぞ」

「ママ綺麗だから大変だったんじゃない?」

「そりゃな、俺なんかが告白されるとか、ただの罰ゲームだろとか思ったもんだ。けどまあその、その時からそれなりに大切だと思う相手だったからな……どうせフラレて笑われるのが俺だけなら、俺からは全力でいい思い出になろうって思ってな」

「で、全力出したらママも実は本気だった?」

「あれは驚いたな……。こいつになら騙されてもいいんじゃないかって次第に思うようになって、全力の真似事がこっちも本気になって、なにかする度に笑顔で喜んでくれるあいつに本気で惚れて……まあ、その……な」

「……ママ、苦労しただろうなー」

「やめろというのに……学生時代のパパはただの馬鹿だったんだ。今では本当に感謝してるし幸せだ」

「パパ、普段からママに好き好きオーラ出しまくってるもんねー。あれ、絆的にポイント高いよ?」

「仕方ねぇだろ、好きなんだから」

「恥ずかしかったりしない?」

「馬鹿言え、本気で好きなら恥ずかしさも躊躇もねぇよ。本気で好きで、伝えれば笑顔をくれる。こんな嬉しいことはねぇだろ」

「……ママもきっと苦労したんだろうなー」

「ああ、そりゃあまあ、なぁ。俺みたいなのが相手で、散々苦労かけただろうし。だから記念日になる日は欠かさず祝ったりプレゼントしたりだったな。まあ、それは今でも変わらん」

「や、そーゆーんじゃなくて。パパ、格好いいし」

「おうあんがとさん。言われて悪い気はしないが、それは一種の気の迷いだ。身内補正なんてあんま当てにならんから、美的感覚は磨いておけよ?」

「……これだもん。苦労するよ、ママ。パパって自分の良さとかに自覚とかないの?」

「結衣を幸せに出来るならその範囲だけで十分だ」

「むぅっ……私は?」

「娘として愛しているな」

「パパって、ドタコン?」

「やめなさい、何処で覚えたのそんな言葉。……俺のはただのユイコンだ。ほれ、さっさと飾りつけ終わらせるぞ。そろそろ帰ってくる」

「あ、うん。……毎年毎年飽きもせずよくやるよねー、ほんと。ママ絶対気づいているよ? 出かけるとき、笑顔だったし」

「それでもだよ。こういう行動が好きなんだ、結衣は。大事なのは祝う気持ちと動こうとする意志だ。んで、俺は結衣が好きだから、毎年誕生日は盛大に祝う。飾りつけとかは俺達祝う側の仕事だ」

「……パパの誕生日の時、ママも同じこと言ってる」

「うっ……そ、そか。…………そか《うずうずニヤニヤ》」

「パパ、にやついててキモい」

「おうキモいぞ、好きに言うがいい。結衣に言われない限り、もはや痛くも痒くもない」

「むー! 私も構ってよー!」

「あーはいはい世界一可愛いよ」

「うっは!? 全然心篭ってない!」

「っと、ほれ、帰ってきたみたいだぞ。行くぞ絆一等兵」

「あーもー! 解ったよぅパパしれー! はぁ……せーのっ!」

『お誕生日! おめでとう!!』

 

 扉が開いて、笑顔の妻が今日も俺に感謝をくれる。

 俺はそれだけでくすぐったくて嬉しくて。

 そんな積み重ねを何度もした先で、こうして幸せな日々を送っている。

 娘からは不思議なもので構って構ってとつつかれる日々であり、反抗期もなく、むしろべったり。

 夫婦仲は良好すぎて、娘にからかわれる毎日だ。おう、毎日だとも。

 

「で、結局本当のきっかけは? こう、付き合うってことになるきっかけとか」

「ん? あー……そうな。……あわてんぼうのサンタクロース」

「ちょっ!? ヒッキー!?」

「お前、いい加減その呼び方やめろ……」

「あっ……やー、これはたまに自然に出ちゃうっていうか……。ていうかあなただって、その、えと、よ、夜、とか、こう呼んでいいって……あぅ」

「やめなさい娘の前でなんてこと言うの」

「あーはいはい、パパとママがラブラブなのは解ってるってば……。でも、そっか。もしかしてクリスマスの前になんでか祝うのって、それが原因?」

「我が家のクリスマスは二度ある」

「忘れてって言ってるのに聞いてくれないんだもん……ヒッキーのばか」

「馬鹿で居りゃ祝えるなら馬鹿でいいな」

「~~~……あぅうう……!!」

「……ママ、ちょろすぎ」

「い、いーの! パパにだけなんだから! もう、ほんっとヒッキーは……!」

「ママ、顔ゆるみっぱなし」

「も、もうほっといてったら! ヒッキー、絆がいじめる!」

「おうよしよし、もうほんと、どっちが親だか」

「ヒッキー!?《がーん!》」

 

 そんなわけで。

 俺と結衣は、今日も平和な日々を送っている。

 あわてんぼうのサンタには、もうほんとマジ感謝。

 まあ、中身はこいつだったわけだが。

 

 

 

お題/歌をSSに2

 

 *題材:あわてんぼうのサンタクロース



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この叫びが届きますように

微・クロス注意報。他作品のキャラがちょっぴりだけ出ます。
いずれも、目や顔の所為で苦労したキャラなので、そういう方向で。


 クリスマス。

 さて諸君。いつかの日、俺は真に否定するべきはウェイウェイ言っているやつらだと言ったな。

 確かに今もその志は変わっていないが、少し訂正したい。

 いや待て、TB(とべ)ウィルスに侵され、急にウェイウェイ言いたくなったわけではない。騒ぎたくなったわけでもない。

 俺は常に周囲にやさしい人間であり続けるべく、必要最低限のことしか喋らないし、団体行動においても常に空気となって人々に貢献してきたはずだ。

 そんな俺が言おう。

 彼女ができました。

 

「あっ、お待たせしましたーっ!」

 

 離れた位置から女性が駆けてくる。

 ご丁寧に手まで振って、元気なことだ。

 俺はそれを眺めつつ、すっかり白くなった息に苦笑をこぼした。

 

  女性は俺の横を通りすぎ、後ろの方に居たイケメンのもとへ。

 

 いや、言っとくけどあれじゃないからね?

 俺の知り合いであんな口調なのって一色くらいだけど、一色が俺になんて有り得ないから。

 あったとして、俺なんか散々利用されて便利に使われて、よしんば結婚できたとしてもずうっとそんな関係が続くわけですよ。そして気づけば仕事させられて、同僚の飲み会に付き合わされて“妻がさぁ~”とか泣きながら愚痴をこぼすわけですよ。

 ……いや、まあ、こんな腐った目のやつと誰が結婚なんぞするんだって話だが。

 

「あっ、ヒッキ~~ぃっ!」

「おっ……結衣っ……!」

 

 いや。

 なんにでも例外はあると思いますけどね? ハイ。

 しかしその、なんだろうな、ほら。

 付き合ってから結構経つけど、なんかもうアレだな、アレ。

 結衣に声をかけられた時の自分の反応が、戸塚に声をかけられた時のようになっているだけ、俺も随分と骨を抜かれたものである。

 これあれだろ? 既にあのぱたぱたと走ってきている女性のことを天使として認定してるってことだろ? ああうん、もうそれでいいよ、やけにしっくりきた。大天使ガハマエルだ。

 しかしながら、周囲は結構冷めたもんだ。

 今も耳を澄ませば、「うそだろ、あんな可愛い子があんな目が腐ったやつと……」とか、「なにあれ、うわキモ、目がヤバいんですけど」とか、「結婚したい……!」とか───あれ? ちょっと? 今平塚先生居なかった?

 まあ、ともかくだ。

 そんな声が聞こえてしまえば、せっかくの気分も台無しになってしまうわけで。

 結衣はニコニコ笑顔のまま俺のもとへと来てくれたが、俺は逆に気持ちが沈んでしまっていた。

 いや、俺がどう言われようとそれは構わんのだ。もう慣れたもんだし、こんなものは雑音でしかない。

 しかし俺への言葉ではなく、結衣への「趣味悪いな……せっかく可愛いのに」とかそういう言葉が聞こえてくると、たまらなく胸が痛む。

 

「………」

「あ、もう。またそんな顔して。あたしは平気だよ? 周りの声よりも、ヒッキーと居られることの方が大事なの。おっきいの。だから、小さいことなんて気にならないくらいに楽しかったら、周りの声なんて気にならないよ」

「……すまん、騒ぐのは苦手だ」

「ヒッキー、それは苦手なんじゃなくて、騒がないだけとか騒ぎ方を知らないだけだよ? もうさ、ほら、叫んじゃえばいいんだよ。わーって感じで」

「え? やだよ恥ずかしい」

「ここで冷静にツッコむんだ!? え、えー……? ヒッキー……? ヒッキー……」

 

 くいくいとコートが引っ張られる。ちょ、やめて、なんでいっつも的確に同じところを抓んで引っ張るの。なに? そこに目印でもあるの?

 

「それにその、普段からクリスマスにウェイウェイ騒ぐ奴のことうざったがってたのに、俺がそれ自身になるとかブーメランもいいところだろ。とにかく、それだけはありえん。やらん。ねだらん。勝ち取らん。そして諦めろ。さらば普通に与えられない」

「与えられん、とかなんかありがたいせっぽーとかじゃないんだ!?」

「大体、騒ぐったってどう騒げっての。ウェイウェイ言えばいいのか? 俺が戸部みたいになったとして、お前まだ好きでいてくれるのか……?」

「? うん。ヒッキーだもん」

「《グボッ! ……カァアア……!!》ぇ、あ、あゃっ……ェァア……!!」

 

 無理、これ無理。天然さん最強。なんか勝てないって思い知らされちゃった……!

 二ヶ月お姉さん、伊達じゃないわ……!

 しかも本人にとって当然のことすぎたのか、恥ずかしいことを言ったって全然自覚してねぇよこの娘ったら……!

 今もきょとんとした顔で、顔を逸らした俺をひょいひょいと追うように覗いてくるし。や、やめて! ごめんなさい俺が悪かったです! やめて! たすけて小町! 二ヶ月お姉さんがいじめる!

 

「ヒッキー、なんか顔赤いよ? あっ……もしかして待たせすぎちゃった!? ご、ごめんね、風邪引いたりしちゃった!?」

「───」

 

 そして今、ラノベ主人公が使う“顔赤いぞ、風邪引いたのか”をやられている、まさかの俺。

 やだ、なにこれ、もしかして俺のヒロイン力、高すぎっ……!?

 そして手を引かれ、薬局目指して連れて行かれる自称彼氏。いや、自称じゃなくてちゃんとそうなんだが……あれ? なんかもう早速歩く道を定められてしまっている気が───いやまあ普段から専業主夫がどうとか言ってる俺がそれを言うのもどうかと思うんだが。

 いや、ここはあれだ。一度くらい、彼氏らしくなんかこう、ほら、あれだよ。彼女の願いとかを受け止めて、叶えてやるのが甲斐性とかそういうのなんじゃねぇの?

 俺、解消ばっかりで甲斐性なんて今までなかったし。いや、ギャグ言いたいんじゃねぇんだよ。本当に思ってるんだって。

 なので風邪のことは気の所為だとちゃんと言って、せっかくのクリスマスなんだからって口火を切って、なんでも願いを叶えるって条件で願いを求めた。

 おう、本気だ。俺なんかに出来た初めての彼女だ。大事にしたいって思う……んだが、困ったことにどうせすぐに飽きられて捨てられるって“諦め”が、いつまで経っても消えてくれない。

 だからこれはきっかけってやつだ。

 結衣の願いをきっかけに、自分ってものをいい加減に変えたい。

 じゃないと、俺はきっと、ずっと結衣の横を“立ち辛い場所”としてしか認識できなくなってしまう。

 

「な、なんでも……なんでも? ほんとに?」

「あー、その。意識改革ってやつだ。その……な。俺はこんなだから、なにかデカいきっかけでもないと変われないと思う。変わろうとか口で言っても、“変わらない自分”を内側に染み込ませすぎた所為で、変わった自分が想像出来ねぇんだよ。だから……頼む。これはもう俺からの願いでもあるんだよ。じゃないと俺、お前の隣……胸張って歩けそうにねぇから」

「ヒッキー……う、うん、解った。でっかい命令、だね?」

 

 俺の言葉に、こくこくと頷き、顎に指を当てて“んー……”と考え始める結衣。

 同時に、大丈夫なのかこれと恐怖が湧いてくるが、そんなものは自分を変えるための恐怖なんだから受け入れろと胸を叩く。

 大丈夫だ、恋人を信じろ。

 これからも信じていきたいって思えた相手だ。

 こいつでダメなら俺は本当にだめだ。

 こんな俺でも、いや……俺だからこそ好きなんだって言ってくれた相手に、せめて無条件で願いくらい叶えられる男でありたい。

 相手の想いに応えられるだけの自分でありたい。

 勘違いに恐怖して人から離れていたのなら、勘違いをする必要がない今ならもっと素直にならなきゃ嘘だ。

 だから……どんな言葉だって受け入れて、自分と結衣のために、自分を変えていこう。

 

「すぅ……はぁ。ンッ、ヨシッ」

 

 ……って、ちょっと? 由比ヶ浜さん? なんでここでアータが深呼吸とかしてるのん?

 え? やだちょっと、どんな恐ろしいことおっしゃるつもりで?

 …………イ、イヤ、俺ほんとやるよ? 明日から本気出すどころか今から超全力だから。全力で諦め───いやちげーから。諦めねぇから。諦めるなら弱い自分を諦めろ。諦めたがる自分を諦めて、勘違いをする必要のない相手の幸せのため、俺が叶えてやれる全てを以って、彼女を幸せに───!

 

「ヒッキー! あたしが言う言葉に続いて、自分の気持ち、思いっっ切り叫んで!!」

「おう! ……おう? へ? や、叫ぶ? え───」

「すぅぅっ───あたしはぁっ!! 誰にどんなことをこそこそ言われてもぉっ!! ここに居る目が腐ってるけどとってもやさしい男の子のことがぁっ!! はぁっ、すぅっ───だぁああいすきだぁああああっ!! 文句あるかー! ばかーーーっ!!」

「…………」

 

 叫び。

 ああ……ああ、それは、確かに叫びだった。

 耳を澄ませる必要もなく、陽が落ちて暗くなったゆく世界に電灯が灯る時間。行き交う人々がちらちらと俺達を見て、いや……俺を見て、「うわ」とか「なにあれ」とか未だに言っていた世界に強く強く響く、それは確かな叫びだった。

 

「……《ぽろっ……》え……あ……」

 

 そんな叫びだ。

 孤独で馬鹿なガキの胸に届かないわけがない。

 真っ直ぐに胸を殴りつけ、心のどこかで怯えていた感情に、強く強く響いた。

 ……ありがとうが浮かぶ。

 次いで、その言葉に応えたいと。

 想いを返したいと。

 願いを叶えたいと体が震え、この寒さなのに汗ばんできた手をギウウと握り、こぼれた涙を拭いもせずに───今、一歩を。

 

「っ…………れはっ……! 俺、俺はっ俺はぁあああっ!! 俺はっ……! こんな俺でもっ……こんな俺の隣でも笑顔をくれるっ……! 真っ直ぐに信じてくれる彼女がっ……! ~~っ……ぐっ……だいっ……だい、すっ……」

 

 嗚咽が邪魔をする。

 拭わなかった涙はとっくに溢れ、叫ぶことを邪魔し続ける。

 でも、心が震えている。

 その想いを叫びたいと震えている。

 きっと変われるから。

 これはそのための涙なんだって受け入れて、なんら恥じることないこの想いを……今こそ。

 

「俺はっ! 由比ヶ浜結衣がっ! 大好きだぁあああああっ!! 文句あるかぁあっ!! ばっかやろぉおおおおっ!!」

 

 釣り合わないなんてことは解ってる。

 俺の所為で彼女がひどいことを言われる、なんてことももう解ってるんだ。

 それでも隣を歩きたいと言ってくれた。

 俺を好きだと言ってくれた。

 そんな相手を信じられないようじゃ、それは捻くれがどうとか以前に人としてまちがっていると、そう思えたから。

 信じていこう。変わっていこう。

 その先を歩く自分を好きになれたら、その時こそ俺は───

 

「《がばっ!》うわっ!? え、あ……ゆ、結衣……?」

「うんっ……うんっ、ありがとっ……ありがとね、ヒッキー……!」

「なっ……な、なに、泣いてんだよ……はは、泣くようなことなんてなかっただろ……」

「ヒッキーが言うなし……ヒッキーだって叫びながら泣いてたじゃん……えへへ」

「おい……なんだよその“いいもの見ちゃった”って小町が言ってた時と似たような顔……」

「え? うん。いいもの見ちゃったけど……」

「…………」

「《ぎゅううごしごし》ひゃぷわぷぷっ!? ふぃっひっ……ふぃっひー!」

 

 なんか腹立ったから、結衣の顔を胸に押し付けて、頭を撫でまくった。

 そんな時だった。

 

  ぱち、ぱちぱちぱち……

 

 どこかから、音が聞こえた。

 そしてそれは、時間とともに増えて、やがて小さな音から大きな音へと変わる。

 

「ふぇっ? わうぃっ!? ふぃっひー、はなひふぇっ、ふぃっひー!」

 

 ふえ? なに? ヒッキー離して、ヒッキー、あたりだろう。うん。

 しかし離さず、辺りを見渡した。

 すると……俺達を囲み、笑みを浮かべた知らない人達が、拍手を贈ってくれていた。

 何故、なんて言わない。

 今日は特別な日だ。だから───きっと、告白し、告白されれば祝われるべきで。

 そこに、目が腐っているだとか釣り合っていないだとか、そんなやっかみは必要ないのだろう。

 勇気を出さないで幸せを掴んだ者に文句が飛ぶのは当然だ。

 俺だって、イケメンってだけでクリスマスを豊かに過ごす男を睨んだりしたもんだ。

 でも……たとえばそれがどんなに釣り合ってないと思う男女でも、互いに強く想いをぶつけ合い、それが結ばれたなら……その勇気は認めてやるべきだと思う。

 つまり、今はそれが───

 

「ぷはっ……! も、もうヒッキー!? 苦しかったんだからねっ!? って、うひゃあなにこれ!? 囲まれてるっ!? ヒ、ヒッキー……!」

 

 言いつつソッと俺の背に隠れる結衣さん。

 ちょっと? さっきの威勢はどうしたの。あの叫びをした勇気は何処に?

 いやまあ何処に行こうが守るけどさ。……あ。

 

(……なんだよ)

 

 自然と守る、なんて想いが溢れ出た。

 なんだよ、やれば出来るんじゃないか、自分。

 

「おー! なんか知らないけどおめでとー! 頑張ったな少年! わっはっはー! あ、ほらほら高須くんも!」

「ちょっと待ってくれ櫛枝っ……───ん、よしっ! クリスマスに絶叫告白とはやるじゃねぇかー! 目ぇ腐ってるけど、大方それで苦労したクチだろー!? 俺も目つき悪いってんでいろいろ誤解受けてさぁ! お互い上手く行かねぇことばっかだけど、頑張っていこうなー!」

「ぬっはっはっはっは! 頼りにしとるよ管理栄養士くん! あ、でも早く戻らないと大河怒ってるかも」

「あいつが待ってるのは食料だろ……」

「高須くんに餌付けされちゃったら仕方ないって。かくいう私も気づけば高須くんが居なければ生きていけない身体に……!」

「人が居る場所でそういう言い方やめてくれっ!」

 

 応援されて、ちらりと見たら目つきが鋭すぎるヤンキーっぽいお方が居た。───が、雰囲気で解った。ビリビリ来たね。あれは主夫だ。間違い無い。しかも俺からしてみりゃ雲の上の住人。

 あ、うん。なんか無理。アレ見て専業主夫目指すとか、もう軽く言えないわ。

 それに、苦労が受け取れたからだろうか。目を見ても怖いって感じはしなかった。

 ……ああ、そっか。あいつにはもう、自分を理解してくれる誰かがとっくに隣に居るのか。

 そっか。

 じゃあ、大丈夫だ。

 前例があるなら、少し救われた。

 これから俺も、頑張っていこう……って、なんかどこぞの弓兵みたいになったな。

 

「へぇ……こんな大勢の前でスケに告白───なかなか度胸あんじゃねぇか」

「……? どうしたの、竹久くん」

「あ、北野さん。告白ですよ、公衆の面前で。やろうと思っても中々できることじゃありません。というか、野郎の目が相当ヤバいです。俺も目つきにゃ自信がありますが……」

「きひぇっ!? こ、告白……!? すごいね、こんな場所で……!」

 

 ───そんな覚悟ののち、悪魔と出会った。

 な、ななななんだあいつ! 見るからにっ…………み、見るからに…………。

 ……あれ? なんかあんまり怖いって感じないな。

 顔は明らかに人間じゃねぇって顔なのに……なんでだろうな、戸塚と同じ空気を感じた。人間観察が得意な俺から見て、彼は……彼は……あれ? なんだほんと、天使? 顔は悪魔なのに。

 

「竹久くん、あんまり見てちゃ悪いよ。きっと頑張って勇気を出したんだから」

「うす。黒田の野郎にチキン買わせてるんで、今日は盛り上がりましょう」

「ふふ、僕の家にこんなに人が集まるのなんて初めてだよ。楽しみだなぁ」

「言ってくれたらいつでも集まりますよ」

「ありがとう、竹久くん」

 

 そして悪魔は去っていった。

 ……なんだろう。今俺、自分の目が腐ってることなんてものすごーくちっぽけなものに思えてきた。

 

「………」

「ヒッキー」

 

 そう、だな。そうだよな。

 認めてくれる人はいる。必ずしも認められ、受け入れられるものってわけでもないけど……勇気を讃えてくれる人は居るのだ。

 どうせ、なんて考えて諦めず、認められるまで努力していけばいい。

 努力することに疲れた俺でも、こいつに対してだけは……こいつの願いを叶えるために、自分自身を諦めさせないために、努力をしなくちゃ嘘になるから。

 小町……お兄ちゃん、変わるな?

 努力したいって思える人に出会えたから、ちょっと頑張ってみるよ。

 

「……《すぅ》」

 

 一瞬、心の中が透き通るみたいになって、それからはもう温かさが溢れた。

 きっと“ずっとカラッポのまま満たされることなどないのだろう”と思っていた心が満たされ、自然と口角が持ち上がる。

 キモい顔になってないかなと心配したけど、俺を見上げる結衣は笑っていて。

 ああ、それなら安心だと思ったらまた笑えた。

 

「───……ヒッキー、目が……」

「腐ってるってんだろ、いいよ、それは。それよりそろそろ移動しよう。俺達が動かないと、周りのやつらがずっと拍手してそうだ」

「え? あ、う、うん………………うんっ、そだねっ。元々腐ってるかどうかで判断なんてしてないし、“それはいい”でいいんだよねっ」

「? よく解らん」

「どっちにしろ、あたしはヒッキーが好きってこと。それでいいんだ、うん」

「うぐっ……お、おう。俺も…………俺も、結衣が好きだ。ありがとう」

「……うん」

 

 ほにゃりと頬を緩ませ笑う彼女にただ感謝を。

 そして頑張りや勇気を讃えてくれる聖夜に生きる同志たちよ。

 メリークリスマス。




通行人ネタバレ

とらドラより、高須くんとみのりん。
エンジェル伝説より、北野誠一郎と竹久くん。


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描くのではなく書いたらこんなんなったという例

とある八結の集いにて、なんの気なしにUPしたロビンマスクの絵がきっかけで、ウォーズマンとの子弟コンビの絵が見たいとか言われ、描くのではなく書いてみよう、という気になったので書いたら……うん、こんなんなりました。どうしてこうなった。


 放課後の奉仕部に通う日数もそろそろ大変な数になる頃、いい加減読む小説も底を尽き、どうしたものかと悩んだ末に漫画を持ってくる日々は続いた。

 

「ヒッキーヒッキー、今日はなに見てるの? 漫画だよね? だよね?」

 

 そして、持ってくるのが小説ではなく漫画だと知ってから、やたらと人の傍をトテトテうろうろと歩きまわるようになったお犬さん一人。まるで散歩を待つ犬のようだ。いや、ほんと。

 

「昨日と同じだよ。つか、続きだ」

「へー! あたしも見ていい?」

(《もにゅんっ》あふんっ)

 

 由比ヶ浜は俺が見ているものがどうにも気になるのか、無防備にも背中に圧し掛かるようにして肩越しに漫画を覗いてくる。

 最初は横に椅子をつけて、だったんだが、端っこが読みづらいんだそうだ。どうしてこうなった。そして肩甲骨あたりにやさしく舞い降りたぬくもりが天国すぎてすごい。

 

「ってうひゃあああああっ!? ひゃっ、ひやああっ!? ヒッキーなんてもの見てるのっ!?」

「へ?」

「ゆ、由比ヶ浜さんっ!? どうしたの!?」

「うわーーんゆきのん! ゆきのーーーん!! ヒッキーが! ヒッキーが男の人が裸の漫画見てるよーーーっ!!」

「なっ……!? ……ひ、ひひひひきが、がやややくん……!?《わなわな……!》」

「あ、いや、ちょっと待て。誤解があるから落ち着け。どんだけ騒いでもいいから、まずは人の話を聞け。まず漫画持ってきた初日に言ったな? キン肉マンはプロレス漫画だって」

「……ええ。それがまさか、あなたが嫌っていた海老名さんの趣味に繋がるとは思いもしなかったわ愚腐谷くん……」

「だから待てっつーの……」

 

 なにグフガヤって。え? 海老名さんのあのぐ腐腐から来てるの? モビルスーツ的なグフかと思って、ちょっとトキメいちゃったじゃない。

 

「まず俺が見ていたのは倫敦の若大将ってやつで、ロビンマスクの青春時代を描いたものだ。恋人のアリサのために超人から人間にドロップアウトして、幸せになろうとした超人の物語だ」

 

 

【挿絵表示】

 

↑件の紳士である

 

「そう……男同士ではなく、男としての欲望を視覚的に満たそうとしていたのね。学校で、しかもこの奉仕部で、エッチな本を読むだなんて。私はあなたを存外高く評価しすぎていたのかしら」

「だーからちょっと待てっつーの。最後まで聞け。つか、読んでみろ。お前が思うようなエロス要素があったら、今後どんな理不尽も無条件で受け止めるわ。ほれ、由比ヶ浜も」

「う、うー……ほんと……? ヒッキー、腐ってない……?」

「アホか、俺は普通にその、お、女が好きだってーの……つか、なんてこと言わせんの、俺の好みとかどうだっていーだろ……」

「え、だ、だめ、言ってほしいな。ヒッキーさ、どんな女の子が好きなの? 言ってくんなきゃその、信じない、かな」

「お前鬼かよ…………。あーその、なんだ。俺を、その……」

「お団子つけてる? む、胸とかおっきい? 元気かな」

「おいやめろ」

 

 なんでどんどん限定していってんのキミ。

 

「…………《ペラ……ペラ……》」

 

 そして雪ノ下は、なにやら熱心に倫敦の若大将を読み始めてるし。すげぇ集中力。なにあれ、そんなに俺を理不尽に責めたいの? やだ怖い。

 

「ドロップアウト……なるほど。それで…………紳士ね、この男性」

「だろ? けどまあ、ちっと刺激は強いだろうから気をつけろよ」

「? なんのこ───ぶふっ!?」

 

 雪ノ下がページをめくる。

 と、そこにはおそらく、“何故か”鎧が外れたロビンマスクが描かれているはず。

 

「なハッ……ななな、なぜ裸にっ!? 比企谷くん!?」

「落ち着け、いいか、よーく聞け。キン肉マンに疑問は要らない。いいか? キン肉マンに、疑問は、要らない。どうしても気になったならこう唱えろ。認識しろ。受け入れろ。“ゆで先生だから”だ」

「………」

「………」

「あ、あの……ひきゅっ……ひきがや、くん……。紳士が……紳士が、裸で歩き始めて……」

「ゆで先生だからだ」

「あの……裸のまま、町まで……服屋まで……ひっく……」

「ゆきのん!? ちょ、ヒッキー!? ゆきのん泣いてるよ!? なんで!?」

「ゆで先生だからだ」

「顎が割れて……清々しい顔してても、さっきまで裸で町を……ひっく……」

「雪ノ下、笑っとけ。それはな、深く考えちゃいけないんだ。シリアスな笑いってやつだ。……笑って、いいんだよ。雪ノ下……」

「比企谷くん……」

「……ヒッキー、これほんとにプロレス漫画なの?」

「超人プロレス漫画だ。様々なツッコミどころを世界が認めた大変珍しい漫画だな。ほれ、由比ヶ浜にはこっちのウォーズマンがロビンにスカウトされる漫画だ」

「あ、そうなんだ。ふつーのキン肉マンの方で、たしかパロスペシャルが凄かったからスカウトしたんだよね?」

「…………まあそれの受け取り方は自由だが……ゆで先生だからな」

「? え? どういう意味?」

「後付も自由自在というか、楽しむ部分ってことだよ。ま、とりあえず紅茶でも飲め。ほれ、雪ノ下も。お前いくらなんでも動揺しすぎだ」

 

 紅茶セットでテキパキを紅茶を淹れる。

 出来るのかって? 人間観察S級ランクのぼっちをなめちゃいけません。もはやどのタイミングでどうすればいいのかまで見切っているまである。

 

「あ、ありがとう……いただくわ……《スズゲボハァッ!!》」

「ゆきのん!?」

「けっほこほっ! けほっ! うっ……ぶふっ! けっほ!」

「ヒッキー!? なに入れたの!?」

「信じられない速度で人を疑うんじゃねぇよ! なんも入ってねぇから……ほれ《ごくごく》ふぅ……自分の飲んでもなんともないだろ」

「あ……ほんとだ。ゆきのんのだけ? ん……《こくこく》……わ、美味しい……ゆきのんの紅茶みたい」

「疑ってたわりにあっさり飲むのな……」

「え? だってヒッキーだし……」

「………」

 

 疑ったくせに真っ直ぐに信じすぎでしょあなた。

 やめて? 照れくさいじゃない。

 と、照れを隠すように咳払いをして、雪ノ下が栞を挟んでいたページを開いてみる。と、

 

「? ヒッキー? …………うひゃあああああっ!? ヒッキーがまたぁっ!! キモい! ヒッキーきもい! マジでキモいからぁ!! 信じらんない!!」

「だから待てって……あぁもう」

 

 開いたページでは、何故か尻丸出しのまま宙に浮いているロビンが居た。

 テリーに鎧を各部位ごとに投げられて、何故か「ヒョオオ~~~ッ!」とか叫びながらガニマタフルチンで回転しながらパンツを履く紳士。そりゃ紅茶だって噴き出すわ。てゆーかだな。テリーもさ、まず一番最初にパンツ投げてやれよ……可哀想だろ紳士が……。

 

「ひっく……ひっく……紳士が……紳士が……」

「うぇえええん……! ヒッキーが……ヒッキーがぁあ……!」

「どうすんだよこれ……たすけてウォーズマン」

 

 そして今現在、紳士の行動によって奉仕部が崩壊の危機に陥っていた。

 仕方ないので雪ノ下には“ゆで先生だから”がどれほどこの漫画に説得力として正しいものかを、今日持ってきた漫画の全てを以って説明した。

 途中で珍しくもノックをして入ってきた平塚先生も含めて、わりとマジで。

 結果、俺と同じく平塚先生も“ゆで先生だから”を常識として知っていてくれたお陰で、雪ノ下は信じてくれたのだが……。

 

「………」

「………」

 

 完全下校時刻を過ぎ、学校から出ることになっても、由比ヶ浜は目に涙を溜めたまま、俺の制服を抓んで離さなかった。

 説得もしたしマンション前にも送ったんだが、離れない。

 ならばとマンションを上り由比ヶ浜家の前まで行って、由比ヶ浜マに引き離してもらう算段でチャイムを鳴らしても、こんな時に限っていらっしゃらないというタイミングの魔物に邪魔される。

 

「………」

「………」

 

 溜め息ひとつ。

 仕方ない、と独り言ち、抓まれたまま小町に電話した。

 

……。

 

 さて、自宅である。しかも愛すべき我が部屋。

 そこに由比ヶ浜を招き入れ、用意した小さなテーブルにはキン肉マン。

 とりあえずアレだ。納得いくまで語り明かそうじゃないか。これがいかにゆで先生だからで語れるものなのかを───!

 

「………」

「………」

 

 ……と、最初は意気込んでいたんですがね。

 なんでこいつ、俺の足の間に座ってんでしょうね。

 

「………ん」

「あいよ……《ぺらり》」

 

 しかもページめくるの俺だし。

 解らないことがあったら俺が解説しなくちゃならんし。

 いやね? だからね? 難しく考えることないんだっつの。ゆで先生だからでいいんだ。常識なんてそこにはない。複線なんてなにもないんだ。

 

「あ、あれ? ヒッキー? なんかへんだよ? ロビンがウォーズマンにパロスペシャル教えてるよ?」

「おー、よく覚えてたなー」

「これくらい覚えてるし! って、こっちでは、えんかく……なんとかで覚えたってことになってるし!」

 

 まあほら、どうなってるって言われても。

 

「いいか、由比ヶ浜。キン肉マンに限らず、ゆで先生は常にその場の流れで物語を作る。複線なんて無い。過去に描いたものは過去の流れで描いたものだ。本人が言ってたんだ。だから、今描かれているものとは違うんだ。三大奥義を適当にやったら雷が落ちるとか、喰らったのがマリポーサだけでもツッコんじゃいけない。未完成マッスルスパークをやったスグルが喰らわなかったからって、そこにツッコんじゃいけないんだ」

「そ、そっか……そなんだ……」

 

 渋々納得したようだった。

 逆に由比ヶ浜なら気に入ると思ったんだけどな。案外その場のノリで行動すること多いし。

 ……ああ、だからその場のノリでツッコんだわけか。

 ていうかあのー、近いんですが。なんかこれもう完全に俺が後ろから抱き締めてるみたいになっちゃってるじゃないですかー。

 

「……なんかいいね、ロビンとウォーズマンって」

「まあ、そーな。何も言わなくても解り合えるっつーの? 漫画の中じゃよくあるもんだが、昔はちょっと憧れたよ、そういうの。……って、んなことはどうでもいいか。……まあほら、なんかいいわけだよ。その二人は。片や顎が割れてて裸で街まで外出ジェントルで、片や機械の体なのにヒゲ剃ったりするからな」

「ツッコんでるじゃん! ヒッキーもすっごいツッコんでるじゃん!」

「え、あ、お、おいっ、やめろ暴れんなっ」

「え? あ、ひゃあっ!?」

 

 急に振り向いた由比ヶ浜に思わず仰け反り、由比ヶ浜は振り向き様に俺の胸でも叩こうとしたのか、空ぶったままにバランスを崩した。

 で……

 

「………」

「………」

 

 ラブコメみたいな押し倒しイベントが発生した。

 ちょ、待て、待て待て待て、どこでこんなイベントフラグ立てたの俺。奉仕部以外の何処でもねーよ。ていうかキン肉マンだよ。

 

「ゆ、い……がはま……」

「…………ひっき、ぃ……」

 

 すぐ目の前に互いの顔。

 息がかかるくらい間近で互いを呼んで、互いに赤面した。

 いや、だめだ、これはよくない。すぐに俺らしく行動しろ。押し退けるでもなく近いって言やぁ、真っ赤になって離れるに違いな───《ちゅっ》───…………あれ?

 なんだ? やけに目の前が暗くて、口が柔らかくてあったかくて……え?

 

「んゅっ……んっ……んんっ……」

 

 …………エ?

 え、あ、え……え? これ……え?

 なにこれ、由比ヶ浜? えーと。なんだ? 由比ヶ浜の口が、俺の口に……えーっと、なんつったかなこれ。

 …………あー! あーそーだそう、キスだこれキききキスぅ!?

 ……いや、夢とかだろこれ。ほら、例えばこう、肩を掴んで引き剥がそうとすれば───

 

「《がしっ》! ん、んー! んー!」

「《ちゅうううう!》んむーーーっ!?」

 

 めっちゃキスでした。しかも胸元にしがみついて離れません。いや離れませんじゃねぇよ、とにかくこれはいろいろやばい! 早く引き剥がして、ただ場の雰囲気に流されただけだろって言ってやらなけりゃ、こいつの今後が───!

 

「ゆっ……《ちゅぷっ》ぷあっ! ゆいっ《ちゅるるっ》んむぅっ!」

 

 引き剥がして───!

 

「ゆぶっ! ゆむむっ!《ちゅっちゅっ》ゆぷっふ! はむれっ……! はなれ《れるるるる》んむあああーーっ!?」

 

 引き剥がして……

 

「はぷっ!? ふむぐっ、ん、んー! んー!」

「はむぅっ……ん、ちゅっ……ひっきぃ……ひっきぃ……!」

 

 引き……

 

「ん、ぶ………………ん…………」

 

 ひ…

 

……。

 

 コーーーン……

 

「………」

「……ひっきぃ?」

 

 夜を越え、朝を迎えた。

 抵抗なんぞは無駄だった。

 もがいてもキスを贈られ、離せば好きを贈られ、それは違うと言おうとすればキスを贈られ、舌がもぐりこんできて、蹂躙され、それでも抵抗して、キスされ、好きと言われ、それでも抵抗して、それでもキスされて、されまくって、されすぎて、好きと言われ続け、それこそその、夜通し……く、口説かれ……て。あー……その、なに? つい先ほど……ええ、はい……口説き、落とされました……。

 もうさ、いいだろ。ここまでキスされて好きって言われて好きにされたら、信じる信じない以前に心から惚れるわ。

 ああもちろん、そもそもの問題として相手に信頼を置いているかどうかにもよるが。

 

「ねぇヒッキー」

「お、おう……?」

「お互いがさ、信頼出来るような関係、これからたっぷり作ってこーね?」

「ガッコ行ったら雪ノ下に“由比ヶ浜に押し倒された”って言っていい?」

「だだだめぜったいだめだし! やめてよぉ! 確かにそうだけど! そうだけどさぁ!」

「い、や……まあ、その、よ。ここまでされなきゃ頷きもしなかっただろうから、過ぎたことはいいんだが……」

「うー……!」

「わーったから泣きそうな顔で見るなよ……つか、いい加減上から下りてくれません?」

「……ヒッキーからキスしてくれたら、その、えと……いー……よ?」

「…………、と……じゃあ」

「あ、待って! やっぱだめ!」

「《ぐさぁっ!》……しようとしたところにダメ出しとか、お前どんだけ俺のこと嫌いなの……」

「ひゃああそうじゃなくてごめんヒッキーごめんっ! そうじゃなくって! えっと、えっとね? キスしてくれるなら、さ……あの……結衣、って……呼んでからがいーかな、って……」

「…………」

「………」

 

 心が(おまっ!?)って叫んだ。

 ていうか順序とかいろいろバラバラすぎません?

 そもそも恋愛というものはですね、まずは手を握るところからプラトニックなアレがアレで……

 

「結衣」

「───! ~~~っ《じぃいいん……!》う、うん……っ! ヒッキー……んっ……」

「ン……」

 

 口が勝手に呼びました。呼んで、キスをした。

 そうすると、大変困ったことについ少し前まで完全に赤の他人だった人へ、きちんと意識して自分が近づこうとしていることを嫌でも意識させられ、顔が灼熱した。

 が、なんかもうここまでくるとアレな。俺の恥とか二の次だ。

 名前を呼べばキスしていいんだよな。とりあえず昨日の仕返しから始めようか。

 やられたらやり返す。世界の常識だよな?

 

「結衣」

「ん? なに《がばっ》ひゃんっ!?《どさっ》え、あ……ひ、ひっき《ちゅっ》んむっ!? ん、んむ……んぁぅ……」

 

 とりあえずキス。とにかくキス。めっちゃキス。

 さあ、恥ずかしがって押し退けろ。そうすれば合法的に離れることが───

 

「ちゅるっ……んぷっ……れるっ……」

「ん、んん……ふああっ……んぷっ……りゅじゅっ……」

 

 ……離れ……

 

「んゆっ……んああぅ……ぷあっ……やぁ……ヒッキー、もっと……」

「《ちゅうっ》ふむぶっ!?」

 

 離れるどころか超受け入れられました。

 体勢を入れ替えて押し倒しまでしたのに、下から首に腕を回され、熱烈キッスの嵐。

 そんな感触と結衣の香りが頭の中を徐々に支配していき、俺は……じっくりと、自分ってものが溶かされてゆくのを……自覚した。

 体勢は再び覆され、拍子にテーブルに足が当たり、キン肉マンが一冊落ちた。

 ぱらりとめくれ、一瞬だけ見えたページでは、ロビンとウォーズがタッグフォーメーションAののち、ローリングベアクローを使っていた。

 

 

 

  ……なんかいいね、ロビンとウォーズマンって。

 

  まあ、そーな。何も言わなくても解り合えるっつーの?

 

 

 

 ああ……俺もそんな信頼関係を……なんて思いつつ、とろけた頭で由比ヶ浜の目をじいっと見ていたら、再び口を塞がれたでござる。

 

  ……ああ、まあその、なに? ……一応、目で伝わったってことで。

 口には出さねぇよ。恥ずかしいだろーが。



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勘違いガハマさん

お題、勘違い。


 サンタクロースを、いつまで信じていたか~なんてことは、他愛もない世間話にもならないくらいの、ど~でもいい話だが。

 それでも、いつまで俺がサンタなどという想像上の赤服じいさんを信じていたかというと……これは確信を以て言えるが、最初から信じてなど、いなかった。

 

「………」

 

 某アニメの始まりを頭の中で再生し、ふと思いふける。

 最初から、ってのは無茶なんじゃなかろうかと。

 この自分はおろか皆様にも目が腐っていると言われて愛されている比企谷さん家の八幡くんも、最初はもちろん信じていたぞ。

 つか、最初から信じないってどうすりゃそんな生き方出来るの。サンタの存在を知った途端、マスオサンタに夢でも壊されたの? それなら納得だが。

 いや待て、サンタを認識した瞬間に疑ってかからなければ、それは最初からではないのではなかろうか。

 

「………」

 

 さて、現実に戻ろう。

 金槌どこかな。こんな時は金槌だろ。金槌だよな? 

 

「………」

 

 ベストプレイスに辿り着き、俺としたことが愛しのマッカンを買い忘れたことを思い出し、戻ろうとした時。

 少し歩いた先で、チャラい雰囲気の男に声をかけられている由比ヶ浜を発見。

 あの、ほら、あれですよ。なんでそれで金槌になるかつったら……ほら。俺の中で黄金長方形認定No.1だから、急に黄金の回転エネルギーを体感したくなったっていうか。投げたらきっとあいつ回転しすぎてこう、どっかに吹き飛んでいくんじゃないの? 地面とか。

 

「………」

 

 由比ヶ浜が笑う。結構苦笑の色が強い。あれは嫌がってるな。

 

「………」

 

 止めに入るという脳内選択肢が出てくるが、生憎と俺にそんな権利はない。ただの部活仲間が他人の話に口出ししていったいなにになるというのか。

 まあ、ほら、あれだし。世界は平等じゃないにせよ、恋愛なんてもんに挑む権利は度胸を先に前に出したヤツの勝ちなわけだ。様子見ばっかで計算ばっかなヤツには本当の恋愛なんてものは出来やしない。

 ……俺と葉山がそうあるように、な。ほんとは誰も好きになったことなんかねぇって言葉、ざくりとくるよな。

 今の俺はどうなのか。ちょっと考えてみて、ため息を吐いた。その時、先を急いでいることを行動で知ってほしかったのか、由比ヶ浜がちらちらと男から視線を外して……俺と、目が合った。

 

  たすけてヒッキー!

 

 ……やだなにこれ、目で訴えられた言葉、簡単に読み取れちゃった。だってなんか泣きそうなんだもの。

 

「………」

 

 頭の中で行動を組み立てながら歩み寄る。

 男は典型的なアレな方みたいで、あーほら、居るだろ。自分が無視されるのは我慢ならないやつ。

 自分の話は何事よりも優先されるべきだーって、誰かがしゃべろうとすると大声で自分の声を通そうとするやつな。……だったみたいで、自分を見ていない由比ヶ浜を無理矢理自分へ向き直させようとして、

 

「《がしぃっ!》いっつ……おい、いきなりなにすんのお前」

「へ? な、なんだよお前」

 

 割り込んで、なんか俺が肩を掴まれた。

 いやほんと痛いなこれ。なにこいつ、こんな力で振り向かせようとかしてたの?

 

「あの、廊下の真ん中でべらべら、道塞がねぇでくれます? こちとら急いでんですよ」

 

 じろりと見つめると、男はバッと手を離して数歩後ろに下がった。

 ……おい、なにそのあからさまな態度。まさか男尊女卑な俺様型だけど男は苦手とかそんなお方だったの?

 

「ほれいくぞ由比ヶ浜」

「え? あ、うん」

「は? おいちょっと待……ってくれ、よ。そいつは俺と───」

「これから部活行くんだが。なに? 同じ部員でもねぇやつに、用事制限される覚えとかねーんですけど?」

「同じ部活っ……!? あ、ああいや、け、けどさ、それだけだろ? すぐ終わるから、あんただけ先行ってろよ、俺はその女と」

「………」

 

 うーわー、これ超めんどくさいタイプだ。

 俺様が高いところに上りすぎて、もう自分じゃ下り方解らなくて、でもとりあえず俺様だから威張っておこうって、何言っても自分が正しい、でも男とか大人は怖いとか自分の中で序列決めてそれがジャスティスを地で行く人……! やだ、初めて見ちゃった……!

 あー、っと。たしかこういう相手への対処は……。

 

「………」

 

 え? まじでやるの? やった途端にキモいとか言われそうなんだけど。

 でもな、この手のタイプは人の行動をいちいち舐めるように観察して、そっから誤解していくタイプだ。俺が小声で由比ヶ浜に作戦内容をささやけば、もう俺がどんな行動を取ったってそれを信じないだろう。

 つまり、その、演技だ、とか伝えることなく実行して、由比ヶ浜がそれを受け入れる演技を完璧にこなす必要がある。

 ……演技? え? このゆいゆいさんにそれを望めと?

 いや、これは賭けるしかないだろう。いやほんと、この手のタイプって一度執着すると堂々と犯罪出来るタイプのストーカーにまでクラスチェンジ出来ちゃうし。

 

「………」

 

 ギロリと男を一睨み。

 腐った目で真っ直ぐに睨まれると結構効くのか、男は再び数歩下がると、ごくりと喉を鳴らした。

 俺はそれを確認せず、自然な動きで由比ヶ浜───いや、意識から変えろ、こいつは恋人、恋人、恋人───……おし。

 自然な動きで結衣の肩に手を置き、抱き寄せ、男を睨んだままに言ってやる。

 

「こいつは俺の女だ。気安く声なんてかけてんじゃねぇよ。潰すぞ」

 

 主に情報社会に言いふらして姑息に社会的に。

 

「は、は……? お前の女? そんなの誰が許し───」

「結衣」

「ふえっ!? は、はいっ!? ……え? ヒッキー……?」

「お前は、俺の女だな?」

 

 肩を抱き寄せ、顎をくいっと持ち上げた上で、世界の汚さとか面倒臭さ、その他もろもろを頭から一掃、こいつを守ることだけを頭に、そう言ってやる。そう、本気だ。本気でこいつが恋人で自分のものだと意識しろ。のちの面倒とかストーカー事件はもちろん、追われた先でこいつが刺されるとか襲われるとか…………冗談じゃねぇんだよこの野郎。

 だから腹に力を込め、嘘を混ぜない本気の、それこそ自分の中の過去最大の勘違いを自分自身で暗示をかけるようにして言ってみせた。

 途端、結衣はぴくんと肩を弾かせ、慌てそうになったその体は力を抜き、表情はとろんととろけ、瞳は潤み……

 

「は、い……あたしは、ヒッキーの……」

 

 とだけ。

 続きは喉の奥でもごもごと囁かれたが、その手は俺の服の胸元をきゅっと握り、最初は額をとんと胸にぶつけてきて、次に身を委ね、寄り添ってきた。

 

「……で?」

 

 そんな状況に心底安心……すればそれを読み取られるのは解っていたから、余裕の笑みを浮かべて男を見る。

 男は呆然としたのちにへらへら笑って、取り繕うように何事かを言うと、慌ててばたばたと駆けていってしまった。

 

「………」

「………」

 

 さて。

 

「《グボンッ!》」

 

 ぐああああああああああーーーーーーーっ!!

 なにやってんのなにやってんのアホですかバカですかやらなきゃいけないっつったって限度があるでしょバカバカバーカバーカ!!

 おああああ顔熱ぃいいい!! 絶対これ瞬間沸騰とかやってるよ擬音で例えるとグボンとかだようおおおお恥ずかしいなにが俺の女だだよぎゃああああああもういっそ殺してぇええっ!!

 

「………」

 

 などという心の葛藤は、家に帰ってから存分にいたしとうございます。

 今は状況のケアを最優先に、だ。

 いや、でも由比ヶ浜の演技完璧な。あれ俺じゃなくてもっつーか間近で見てた俺も完全に騙されてたよ。

 あ、こいつ俺の女なんだ、なんて納得しちゃうくらい……いやいやおいおい、そこは“納得しちゃいそうになるくらい”だろ、なに納得してんの、それもう勘違いだからね? 勘違い、かんちが……

 

「…………《ぽ~……》」

 

 ……いやあの、由比ヶ浜さん? あの? もうそのー……彼、もう行ったよ?

 目を潤ませたまま、まるで主人の命令を待つ犬のように、期待の色を込めた目がそこにあった。

 が、その奥には不安というか、確信が持てない弱さみたいなものがあり……あれ? もしかしてこいつ、あれが演技だとか理解してない?

 いやまあ相当というか、人生の中で超最高ってくらい全力でやったが……むしろ自分も騙せるくらいの意識でやったが……。これはまずいだろ、こんな勘違いでこいつの青春を潰していいわけがない。

 ちゃんと言ってやろう。言って、勘違いを正して、またこいつが“そ、それくらい解ってたし!”とか言って……元通りに。

 

「結衣」

「───! うん……!」

 

 あ。

 つい自分の暗示が解けないまま、結衣って呼んじゃった。

 しかも、途端に瞳の奥の不安が全部吹き飛んで、結衣の目が本気に……。

 ……あれ? これもう無理じゃない?

 これもう取り返しつかなくない?

 あ、そそそそうだ、アレな、いつも通り俺が俺らしくやって、解消しちまえば……。

 相手にとって引いてしまうような質問とかをして、こう、自然に……!

 

「結衣、質問がある。お前がクッキーを渡したい相手ってのは誰なんだ? 好きなのか?」

「う、うん。あたしはずっとヒッキーが好きで、渡したい相手がヒッキーだから、最初に相談しに行った時に驚いて……」

 

 ……うん? あれ? なんかこれ自分で自分を追い詰めてない?

 いや、ていうか俺も“結衣”じゃなくて!

 

「サブレを助けてもらったお礼か?」

「ただのお礼じゃないっ!」

「おわっ……!?」

「身を挺してサブレ助けてくれて、そりゃ最初は感謝が強かったけど……罪悪感もあったけど……でも、ずっと見てて、それで、どんどん好きになって……! だから、あたしは……!」

「……そ、そうか」

 

 だから、そうかじゃなくてだな! ……お、おし、これな! これもう確実、絶対100%ドン引かれる! 奉仕部の関係事態が軋みそうだけど、こればっかりはリセットしてやらなきゃまずいだろ……!

 

「じゃあ、次の質問だ。今まででお前は誰かを好きになったことがあるか?」

「……うん。あたしは、ヒッキーが初恋で、初の……えへへぇ……♪《ぽぉお……》」

 

 ぐっ、ぅぉお……! なにこの心を許してますってとろけるやさしい笑顔……!

 え? まじでやるの? この質問本気で投げかけちゃうの? 今なら冗談で……いや、なんかもうこれ冗談ですとか言っちゃったらこいつ泣いちゃわない?

 ……いや、けど、これがこいつの今後のためになるなら───!

 

「……じゃあ、最後の質問だ。……お前は処女か?」

「…………」

 

 後悔、到来。胸の痛みが尋常じゃな《きゅっ》……痛みが鋭いところに、やさしい手の感触が届いた。

 

「……うん。見た目の所為で言われちゃったこともあるけど……好きでもない人に、体をゆだねたりなんか、しないよ? だから───」

 

 だから、と。

 痛んだ胸に手を当てたまま、俺を見上げて言った。

 

「そんな、辛そうな顔、しないで?」

「───」

 

 質問でも行動でも結果でも、傷つくのは結衣だとずっと思っていた。

 それが隠し切れずに顔に出ていたようで、結衣は俺の頬に手を当て撫でると、背伸びをしてちゅっ……と口にキスをしてきた。

 

「あたし、この格好やめるね。全部元に戻して、たぶんヒッキーがどっかで聞いちゃった噂とか、全部解消する。してほしいこととかあったら言ってね? あたし……今、なんでもしてあげたいって気分なんだ。えと、ほら。あたし……ヒッキーのだし」

「───」

 

 俺がどーのこーの言うより先に、自分の全部をぽすんとパスされてしまった。

 なんという先手必勝。

 クッキーあげたいのが俺で、好きなのが俺で、好きでもない人には体を許したくなくて、でも俺にはこうして預けきってて、笑顔をくれて、キスしてくれて。

 ……あれ? 勘違いから始まったのに誤解が何処にもなくなっちゃったぞこれ。

 こんなん普段から気になってて、ナンパされたら金槌投げたくなるような相手にされた日には、誤解も勘違いも浮ついた惚れやすさも通り越して、本気で好きになっちゃうだろ。ていうかもうなってる。だめだこれ、逆に俺がオトされた。

 あ、けど、ちょっと確認。これで拒絶されたら目も覚めるから。

 

「結衣」

「うん、なに?」

 

 サブレが“遊んで!”っていうかのように、目を輝かせて俺を見上げる結衣。なんかもう苗字で呼べなくなっちゃった、どうしよ。

 いやいこう、これで拒絶とかされたらもう頷く。それでよかったのだと。

 

「キスしていいか」

「あっ…………うん」

 

 少しうつむき、けれどホワッと微笑んで、彼女は頷いた。拒絶どころじゃねぇよこれ完璧に受け入れられちゃってるよどうすんのこれ。

 やがてつま先立ちになるでもなくそのまま顎を持ち上げ、目を閉じ……俺はそれに、自然と惹かれ、吸い込まれるように……キスをした。

 

(───あれ?)

 

 いやキスをしたじゃなくて。

 あ、だめ、これもう戻れない、俺からしちゃったらもうだめだよこれ。勘違いが本気になって、自分の中で固まってしまった。

 

───……。

 

 それからというもの、結衣は教室の中だろうと話しかける……ということはなく、今まで通り教室では俺に対しては静かなもの。

 しかしひとたび教室から出ると犬のように飛びついてきて、腕に抱きつくとそれはもうすりすりして、ひっきぃひっきぃって甘えてくる。……いやあの、それものすげー意味ないですからね? なに、一歩教室から出たら抱きつくとか。教室で抱きつかない意味がないくらいじゃない、ほら、同じクラスの方々が固まってらっしゃるよ。

 最初はこうじゃなかったんだが……なんでか結衣にチョーカーをねだられ、ほら、俺も彼氏ですし? 誕生日プレゼントに親からもらった一万がまだ残ってたから、初彼女の初ねだりですしと買ったんだ。

 買ったんだが……それを首につけてと言われ、つけた日から……変わった、と思う。

 いや、普段通りですよ? 普段通りなんですけど、俺への甘え方がすごいっていいますか。

 え? 犬なの? 犬プレイ?

 なんて勘違いしてしまわないよう気をつけつつ、腕に抱きつかれつつ頭を撫でると喜ぶもんだから、ついつい撫でてしまう。

 

「……結衣?」

「なに? ヒッキー」

 

 思えば、昨日の家デートもやばかった。

 デートプランとか組み立てるの苦手だし、いつも通りドン引きネタとして、待ち合わせ場所に行ってから「じゃあ帰る? それとも帰る?」なんて言ってみれば、「うん」と言われて自宅へ。結衣も一緒に。

 あれ? なんて思いつつ、俺も本気じゃなかったから自室へ案内して、そこでまったりとしていたんだが。

 だんだん自分がそこに居ることに慣れた犬のように、結衣の行動は積極的になっていき、最初はじっとしていたのに俺の傍に来て、服を抓んで、手を握って、腕を抱いて、腰に抱きついてきて、胸、やがて首……になると、キスの嵐であった。

 じゃれつく犬が顔を舐めるみたいに、ちゅっちゅと、何度も何度も。

 今じゃ、視線を交わすとキスをする、みたいに……いや、そのくせいやに丹念に心を込めてキスするもんだから、俺ももうなんといいますか、楽しみにしているというか。もうだめね、俺完全にこいつにやられてる。

 けどまあ、前後したとはいえきちんと言わなきゃいけないことってあるだろ。

 

「好きだ。ずっと俺の傍に居てくれ」

「………………うん。~~……はい。えへへ、ていうか、ヒッキー以外とか絶対やだし」

「お、おう。そか」

「でも……えと、たまにさ、もっかい言ってくれないかなーとか……その」

「好きだって? 何度でも言うぞ?」

「あ、や、そうじゃなくて、その」

 

 ちらちらと俺を見上げては、何かに気づいてほしそうに……恐らくは言ってほしい言葉とやらを待っている。

 はて? と思っていたら、結衣の首のチョーカーが目に入った。

 ……まさかとは思ったが、まあその。実験というか、妙な独占欲が働いたというか。

 だからいつかのように自分に暗示をして、強気のままに抱き寄せ、囁くように、けれど力強く言ってみた。

 

「結衣」

「ひゃっ……は、はいっ……」

「お前は、俺の女だな?」

 

 自分でもギゃーとか言って赤面して逃げ出したくなるような言葉。それをしっかりと結衣に届けると、結衣は「ふわっ……」と小さく鳴き、へなりと力を抜いて、真っ赤な顔のままで俺に体を預けてきた。

 ……やだ、間違ってなかった。え? 定期的にこれやらなきゃいけないの? 俺めっちゃ恥ずかし《カツァーン!》

 

「…………」

「…………」

 

 ギャア。

 物音がしたんで見てみれば、わなわなと震え、ケータイを落とした三浦さん。

 

「ヒ、ヒキッ、ヒキキッ、ヒキ、オ、オオオ、オォオ……!?」

 

 三浦はまるで、言葉を忘れてしまったかのようにヒキヒキ呟き、俺と結衣とを何度も指さし……ああえっと。これ結衣にも早急に教えたほうがいいやつだよな。うん。

 というわけでとんとんと肩を叩いて向こうを向くように促してやるんだが、結衣はそれを俺に呼ばれたと思ったのか顔を持ち上げ、俺が見下ろすタイミングとそれが丁度合い、目が合って固まってしまって。

 ハッと気づいた時にはキスをされ、見守っていた三浦が真っ赤になり───やがて叫んだ。

 

 こうして人前で堂々とキスをしているところを目撃されるに至り……俺と結衣は晴れて、知人公認のバカップルになった。

 勘違いから始まったくせに、祝福されるとか……俺の周囲、地味にいいやつ多すぎでしょ。

 特に文句言いながらも一番祝福してくれたどこぞのオカンとかオカンとか。



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長い時間をかけた想い

 でーでーでーげーでーで・デーゲーデーデーデェ~♪

 でーげーでーでーでーで・テーローレー♪

 

「はっぽぉおおおおーーーーーーーーーーーーん!!」

 

 休日。

 なんの偶然なのか、適当にぶらつこうと歩いていたら見知った人々と出会い、捕まった。

 なんでかカラオケBOXに行くことになって、現在は数人で薄暗い密室でキャッキャウフフ。

 いや、そんな華やかなもんじゃねぇけど。

 

「参上ォッ! 必勝ォオッ! 剣豪ォ将軍ンンッ!」

 

 材木座が先陣切って一撃男のOPの替え歌を全力で歌っているあたりからして、なんかもう幸先がアレだ。

 

「でもヒッキーが外に出てるなんて珍しいよね」

「なにお前、俺の心抉ってそんなに楽しい?」

「そんなんじゃないってば、ただ珍しいねってだけじゃん。もう、なんでそんな受け取り方ばっかすんの?」

「ん……その、悪い。俺もべつに、おかしな風に言うつもりはなかったんだけどな。ほれ、いーから歌え歌え。提案したのお前なんだから」

「うんっ、あ、ねぇねぇヒッキー? 一緒に歌わない?」

「え? いや、いいよ」

「知ってる歌、なんでもいいから言ってみてよ。歌えそうなら歌うから」

「っつってもな……」

 

 なに? アニソン一緒に歌えって? そういうノリじゃないだろ、お前のは。

 じゃあアレか。俺に歌えるJPOPなどを提示しろと。

 ……まあ、知らんわけでもないからいいけど。

 

「じゃあ───」

 

 ひとつリクエスト。

 材木座が歌い終わって、戸塚が拍手し、雪ノ下が困惑し、葉山が苦笑いを浮かべる中、俺と由比ヶ浜はマイクを取った。

 で、歌う。

 由比ヶ浜が知っているか、多少の心配はあったものの、普通に歌ってくれた。

 

「むー……」

「お、おお……どした? やっぱ俺と一緒なんて嫌だったか」

「そうじゃなくて。……えと。こういう機会もあるかなーって、アニソンも勉強してきたんだ。なのに選んでくれなかったから」

「いや、勉強ってお前……アニソンどんだけあると思ってんの」

「ヒッキーが好きそうなのを小町ちゃんに選んでもらって、それで」

「………」

 

 小町さん? 兄のプライベートって……あ、そうですね、ありませんね。

 

「八幡、やっぱり歌上手だよね!」

「そ、そうか? おう、ありがとうな」

「ヒッキーのばか、キモい……」

「いきなりそれはないだろおい……」

 

 いや、確かに話の途中でいきなり戸塚の方向いたのは悪かったけど。

 それだけだよな? なにをそんな、頬を膨らませてまで怒ってるんだ、こいつは。

 

(……と、まあ)

 

 気づかないフリ、目を逸らすってのも……胸が痛むもんだ。

 小町に訊いてまで、行くかも解らないカラオケのためにアニソンを練習したという。

 誰とのカラオケのために? ……。

 

「なぁ由比ヶ浜。ひとつ確認。お前さ、材木座と二人きりでカラオケとか行きたいか?」

「……~~……《じわ……》……やだ」

 

 はい、あの、ごめんなさい、泣かせるつもりはなかったんです、ていうか例え話で泣くほど嫌ですか、なんか俺もトラウマ思い出しそうなんで勘弁してください。

 隣の席になったからってあからさまに嫌がるとか、俺があなたになにをしたっていうんですかとかなんかもう鬱だ死のう。死なないけど。

 ……。

 まあ、ほら、あれな。

 最初っから俺と一緒に、しか言ってなかったんだから、確認するまでもねーだろ俺。

 

「-----……!!」

 

 雪ノ下が高く、しかし激しくはない声音で、騒がしいカラオケ独自の空気を破壊する。

 そんな中で、ひとつひとつと心境の確認をしながら出番が来れば歌う。

 戸塚の歌にときめき、葉山の歌に無駄に上手いなこのリア充めと悪態をついたり、材木座の歌をスルーしたり、由比ヶ浜の歌に…………

 

「ほむんっ……!? このイントロは……馬鹿な!? アニソン!? いや、似ているだけなのか!?」

「わあっ……なんか賑やかそうな始まりだね、八幡っ」

「あ、い、いや……戸塚、この歌は……」

 

 聞いたことはある。ただの偶然だが、本当にたまたまそのアニメの最終話だけを見ただけ。

 暇だったんだ。どんなアニメでもよかった。

 眠れなかったからと、小説を読む気分でもなかったから、たまたまつけたテレビで、昔のアニメをやっていた。

 一番最初に最終話を見るとか、なんて笑っていたが……その最終話に流れた歌が、これだった。

 歌が始まり、由比ヶ浜が歌う。

 アニソンやアニメのことになればうるさい材木座が、ハッとして口を閉ざすほど……その歌には、ああ、その……なんて言えばいいんだ? 気持ち……心? が、込められているように感じられた。

 

「あなたと出会った、あの頃の私は───あなたの一番、嫌いなタイプだった」

 

 アニメで聞いて、心に沁みて、歌のタイトルを検索したいつか。

 名前は……恋愛の時空。

 

「いつでもわたしを、無視してたあなたは───」

 

 その歌には物語がある。

 結局、最終話しか見なかった俺がそれを語るのは烏滸がましい。

 けど……歌こそに物語があるのなら、きちんと出会い、顔を合わせ、“俺の敵じゃねぇか”と認識したいつかを嫌いなタイプと喩え。

 元気に近づいてきても軽くあしらい構おうとしなかったそれを、無視と喩え、黒歴史を知識として提供したり経験則や効率を武器にした俺との会話は、さぞかしかみ合わないもので。

 いつでも無視をしていたと。話が合わないやぼったい男だと思っても仕方のないことで。

 

「───」

 

 ……熱い恋に予感なんてない。

 俺達は……少しずつ変わったのだろう。

 敵としてしか見なかった瞬間を思えば、同じ部の仲間として。

 同じ依頼を前に悩む者たちとして。

 死ねばだのぶっ殺すぞだの言い合った頃と比べれば、その差は大したものだろう。

 

  桜が散る頃に、偶然会いましょう───

 

 ……。由比ヶ浜は、ずっと俺を見ながら歌っている。

 穏やかな笑みを浮かべながら、届け、届けと願うように。

 再会で失敗してしまっても、もう一度始められるのだと。いつだって戻れるのだと。

 長い時間を……青春時代の一年間なんて時間をかけて温めた、最高の恋なのだからと口にするように。

 

 ……その想いを恋と。

 彼女はそう歌い、俺に手を伸ばした。

 反射的に掴んでしまった手を、由比ヶ浜は嬉しそうに握り返し、俺を引っ張って立たせる。

 で、マイクを差し出すもんだから……戸惑いながら、けれどまちがえないように丁寧に歌う。

 そう……心を込めて。

 人の言葉に逆らい、自分の理論ばかりを前に出していた誰かさんに、手を焼いていたことだろう。

 なにかしらの感情を向けていたのには気づいていたのに、気づかないふりをしていつもそっけなく突き放していた。

 さぞかし憎らしかったのではないかと……今では思う。

 相手が抱いていたものが恋ってものなら、きっと甘いだけではないのだろう。

 恋なんてものは、擦れ違い、傷ついて知っていくものなのだ。

 俺のように勘違いをして知っていくべきものじゃない。

 

  桜が散る頃に偶然会いましょう

 

 四月の偶然の再会でいがみあい、それでも話し合って解り合って、知ってゆく。

 校則から明らかに外れた見慣れない服を着て、知っていた筈なのに他人の顔をして。

 画面に映る歌詞をなぞるように歌いながら、考えた。

 手を離さず繋ぎ続ける彼女のそれは、俺を見つめ続けるその意味は、最初の出会いから続いている長い恋なのか、と。

 途端、それは勘違いだと心が警鐘を鳴らすのに……俺は、この繋がれた手と、見上げる眼差しを欺瞞だの一言で片づけることをしたくはなかった。

 これが誤魔化しやら騙すための行為に繋がるなら、俺が磨いた人間観察スキルなんてなんの役にも立たないものだ。

 

  やがて、歌が終わる。

 

 気づけば俺も心を込めて歌っていて、終わった途端、その場に居た全員から拍手をもらった。

 そんな状況でも、俺と由比ヶ浜は見つめ合ったままだ。

 

  ふっ、と。手を引き、彼女を引き寄せ、抱き締めたくなった。

 

 けど、そんな衝動は消してゆく。

 こんな状況でそんなことをすれば、由比ヶ浜はいい笑い者だ。

 人の目を考えろ。

 そうだ、そもそも歌に引っ張られて心が浮ついただけに決まっている。

 勘違いをするな。

 俺は───

 

「……ほんとはね、二番、ゆきのんに歌ってもらいたかったんだ」

「っ……由比ヶ浜?」

「ヒッキーとゆきのんの出会いっていうのを、あたしは知らないけどさ。えと、結構キツかったんだよね? 平塚先生が笑いながら言ってた」

「……おう」

「え、ええ……その……あまり、思い出したくない……かしら《かぁあ……!》」

「ねぇゆきのん。あたしね、ヒッキーが好き。……好きなの」

「!? ゆ、由比ヶ浜さん!?」

「ゆっ……い、がはま……?」

「ゆきのんは……どうかな。練習の時、この歌を一緒にって言ったら断られちゃったけど……」

「結衣、ちょっと待」

「葉山くん、今は邪魔しちゃだめだよ」

「えっ……と、戸塚?」

 

 俺が言葉に詰まっている中、葉山が止めようとするが、それを戸塚が止めた。

 見たこともないくらい真剣な目で、力強くきっぱりと。

 

「……。はぁ……由比ヶ浜さん。私に、その男への恋愛感情はないわ」

「え……そうなの? だって」

「なんだかんだと人を救う姿と、文句を言いながらも様々を受け止める……そんな在り方に、その……少しだけだけれど憧れたことならある。けれど、それは好きとかそういうものとは違うのよ」

「……ほんと?」

「ええ、誓ってもいいわ」

「……あたし、ゆきのんと喧嘩しなくて……いいの?」

「? なぜ私が…………ああ、なるほど、そういうことなのね……。由比ヶ浜さん? この際だからはっきりと言うけれど。私がこの男とそんな関係に、ということは在り得ないわ。姉さんが念仏のように唱えているけれど、彼と付き合うつもりもなければ、彼氏にしたつもりもないの。むしろあなたの気持ちがきちんと固まっているのなら、余計なお世話でもないのなら手伝いたいくらいよ」

「ゆっ……~~……ゆきのん……! あ、あたしっ……あたし、ゆきのんのこと大好き!」

「!? ……、い、いえあの……わ、私にそちらの趣味は……っ……」

「え? あ、ちちちちちがっ、違うよ!? 違う違うっ! ただほらやーそのあれでっ……ってこれヒッキーみたいだ! そうじゃなくて! 友達としてっ! 親友として好きってことでっ!」

「そ、そう……あの、あまり驚かせないでちょうだい……心臓が止まるかと思ったわ……」

「え、えー……? そこまでなんだ……」

 

 何気にショックらしい。

 つーか俺も結構ショックを受けている。

 いや、雪ノ下の言葉にじゃなく、まさか……勘違いだと思い続けていた、いや……言い聞かせていたものが、事実だったなんて、と。

 

「さ、蟠りも迷いも晴れたでしょう? 親友を彼のもとへ向かわせるのはとてもとても癪だけれど……あなたが好きだというのなら、これも応援になるのでしょうね」

「ゆきのん……うん。───ヒッキー!」

 

 そしてようやく、彼女は俺へと向き直った。

 真っ直ぐに、俺の手を繋いだまま。

 もう次の歌のイントロが始まってるのに、誰も歌わないまま。

 やさしいイントロだ。静かに流れるBGMを耳に、俺もきちんと自分の気持ちと向き合いながら、由比ヶ浜を見下ろした。

 この告白劇の全てが本当のことならば、俺は自分を押し付けることでどれだけこの娘を傷つけてきたのだろう。

 普通に出会い、妙な先入観さえ持たなければ、傷つけることもなく再会できたかもしれないのに。

 

「~……♪」

 

 やがて曲が終わり、次に入ると材木座が静かに歌う。

 激しい歌でも暑苦しいわけでもなく、ただただ静かな……恐らくは喉休めのために入れた歌なのだろう。

 それに戸塚が遅れて乗って、歌詞とメロディーの流れを多少聞いて頷いた雪ノ下が乗り、最後に葉山が歌い始め……俺と、由比ヶ浜は。

 

「……誤魔化すとかそんな雰囲気じゃないよな」

「うん。逃げたら泣いちゃうから」

「……泣かれるのは、もう嫌だな」

「……ん。あたしももう……さ、泣くなら嬉し涙とかがいい……かな。えへへ」

「……偶然会った時から、考えてたのか? 戸塚とかもか?」

「あ、ううん? ゆきのんとも偶然に会って、他のみんなも全員偶然。あたしはただ……うん。ただ、待たないで、迎えに行こうって思ったから」

「……そか」

「ん、そだ」

 

 見つめ合う。手を繋ぎ、互いに逸らさずに。

 こ、こういうのは……男から、だよな。

 これで実は違いましたとかだったらもう死ぬわほんと。

 

「ひとつ、いいか? まず先に確認をとっておきたい」

「え、と……あたしの気持ちなら───」

「いや、そうじゃなくて。それはもう十分伝わってる」

「《ボッ!》……あ、う、ぅううううん……! えと……うん……」

「その。……名前で呼んで、いいか?」

「───! う、うんっ、うんっ! 呼んでほしいっ! 結衣って…………ひっきぃ……っ!」

「……っ……」

 

 ……やばい、なにこれ可愛い。

 花が咲くみたいにふわぁって広がる笑顔って本当にあるのな……!

 破壊力すげぇ……なんだよこれ、ほんとやばい可愛い……!

 勘違いじゃなくて、本当に自分にその好意が向かっていたんだって認識したら、俺の由比ヶ浜に対する感情とかが制御不能状態でそっちもやばい……!

 ……、……よ、よし、深呼吸よし。

 躊躇はするな、一気にだ。だが勢いはつけるな。急げば噛む。絶対にだ。

 焦るな。丁寧に、ゆっくりと、相手が聞きこぼさないようにだ。

 

「結衣……」

「あ……う、うんっ…………!」

「俺と、友達から始めてください」

「うんっ───え?」

『《ずどごどしゃあっ!!》』

 

 ……? 言った途端、戸塚らがズッコケたんだが。な、なに? なにがどうした?

 

「ひ、比企谷くん……! あなたね……!」

「え? な、なんだ? なんかヘンなこと言ったか?」

「八幡……そこは好きです、とかじゃないの……?」

「いや……部活仲間からなら次は友達だろ。そりゃ由比ヶ浜と……あ、いや、結衣、と恋人ってのは、その、あれだ、正直嬉しいし、マジかって小躍りしたくなるくらい嬉しい。なんなら絶叫したっていい。けど、いきなり恋人は……もったいないだろ。俺はまだ友達ってものを知らないし、どうせならそういうところから一歩ずつ知っていきたい。いきなり恋人としてを求めるんじゃなくて、……その。長い恋、ってのを大事にしたいっつーか……」

「……ヒッキー……」

「関係がどうであれ、知ろうとすれば出来ることくらいは解ってるつもりだ。解ってるけど、だからこそ大事にしたい」

「ふふんむ! よくぞ言った八幡よ! 敵を知り己を知るは勝利を掴むための常套手段! けどなんか祝福するのが腹立たしいから応援なんてしてあげないんだからねっ!?《ポッ》」

「いらん」

「ひどくないっ!?」

「比企谷……君は」

「……。俺に友達なんて居ない。だから、大切にする。それは親友になったって恋人になったって変わらねぇよ」

「えと、八幡、僕は?」

「いや、戸塚は天使だから」

「も、もう八幡っ!? そういう冗談はいいからっ!」

 

 え? 冗談抜きで天使ですが?

 え? 違うの?

 

「え、と……ヒッキー? あたし……」

「あ、ああその……嫌だったら、悪い。段階を踏んでゆっくり恋人になりたいってのは俺の勝手な願いだし、お前が恋人のほうがいいっていうなら、それからで全然構わない。むしろ俺に勇気がなかっただけっつーか……」

 

 けど、よくあることだろ? 友達からお願いしますって。

 むしろ……友達じゃだめなのかな、なんて言葉には嫌な思い出しかない。

 そんななにかを払拭して、恋人になれたなら、俺はもっともっとこいつを大事に出来ると思うのだ。

 だから───と。そんな願望も混ざっていることを正直に話すと、きゅっと強く手を握られた。

 

「うん……そだね。そうだ。あたしが、ヒッキーのトラウマとか全部、上書きするね。思い出しそうになっても、あたしとのことを思いだせるようにって」

「由比ヶ浜……」

「“ゆ~い”っ」

「あ、ああ……ああ。結衣」

「えへへ、うんっ。じゃあ───友達からだね。よろしくね、ヒッキー」

 

 眩しい笑顔がそこにあった。

 喉がぐっと締まるうような緊張に襲われるのに、それがべつに嫌じゃない。

 噛み締めるように結衣の言葉を受け入れると、俺もゆっくりと言葉を返す。

 

「……おう。よろしく、結衣。なにか直してほしいところとかあったら言ってくれな。出来るだけ、努力してみる」

「…………さいちゃんへとか小町ちゃんへの愛情を、少しでもあたしにくれると嬉しい、かな」

「ぐっ……た、確かに……恋人相手でもないのに、想像してみりゃ自分でちょっとアレだったな……解った、やってみる」

「うん。それで、ヒッキーのお願いとかは? なんかある?」

「俺は……《ちらり》」

「? 比企谷?」

 

 ちらりと、無意識に葉山を見ていた。

 ハテ。俺的に、結衣に関係することで葉山がなにかあったか?

 結衣のことで……結衣………………結衣? ……あ。

 うわ、まじか。これ相当イタイ……いや、けど、えー……? ほんとマジか。

 俺結構アレなのな……まいった。

 あ、でも小町のこと考えりゃ、それも当然なのか?

 

「……あった。相当我が儘だし迷惑かけるけど、いいか?」

「う、うん。にごんはないしっ!」

 

 ……そこはかとなく不安だ。なんか二言の言い方がちょっとアレだったし。

 

「えっとだな。その。……男でお前を名前で呼ぶのは……おぉおっおぉおお俺だけが、いい、んだが……」

「───…………」

「だ、だめか? そうだよな、さすがにキモ───」

「~~~……!《ぱああ……!》」

 

 ……ん? あれ? なんかすごく嬉しそうなのですが?

 え? いや、これ俺自身、自分で考えておきながら引かれるかもって、本気で思ってたんだが……。

 だってこれ、まんま所有欲に近い感じじゃない? 本人ですらさすがにないわーって……なのに、ええぇえ……!?

 

「……葉山くん」

「葉山くん」

「え、あ……わ、解った。ゆ……“由比ヶ浜”?」

「さんをつけなさい」

「葉山くん、さんもつけないと」

「そ、そっか。じゃあ……“由比ヶ浜さん”」

 

 葉山が少し言いづらそうに、結衣の苗字を口にする。

 ……べつになにか特別な感情は湧かなかったが、少しだけ安心を得た気がした。

 

「ご、ごめんね隼人く───」

「待ちなさい由比ヶ浜さん。“葉山くん”、よ。こうなればとことんまでに比企谷くんの要求に応えなさい」

「うんうんっ、そうすればきっと、もう由比ヶ浜さんのことしか見れなくなるからっ」

「え……そ、そっかな。……そっかな、そうだといいな……」

 

 いや、小町と戸塚を除けば、もうその通りでございますって感じなんだが。

 っつーか小町は妹で戸塚はおとk……戸塚だから、二人は天使だけど付き合うことは出来ず、俺を好きと言ってくれて、真っ直ぐに俺だけを見てくれて、かつ付き合えるしなんの問題もない結衣は……あれ? 大天使? ガハマエル?

 

「………………」

 

 あ、やばい。火がついたみたいに胸が熱い。

 え? な、なんだこれ熱い。

 これって……

 

「………」

 

 答えを急ぐな。じっくり知っていこう。

 そのために友達からを選んだんだ。

 恋人関係ってのに、当然のことながら憧れないわけがない。

 しかもそれが由比ヶ浜だっていうなら、本当にガッツポーズくらい取って叫ぶくらい嬉しい。

 が、俺はよくても相手は由比ヶ浜なのだ。

 今さら俺でいいのかなんて言わない。言わないが、それでもきちんと俺って人間を知ってから頷いてもらいたい。

 そのために俺は、引いていた線を足で踏み消し、彼女を内側へと招いていこうと思った。

 

「抱き締めるのとかは、友達じゃまずいよな……」

「ふえっ!? あ、うん……で、でも、女子トモなら、ほら、ハグくらい……」

「男子にされたらまずいだろ……」

「うぅう……、……? あれ? ……ヒッキー、えと、抱き締めたい……の?」

「へ? あ」

 

 あ、だめ。自爆した。

 なに欲望垂れ流しにしてんの俺。

 自分から友達からって言っておいて、これはあまりにアホだ。

 

「い、いや、すまん。少し暴走した。今のは忘れてくれ。で、段階踏んだら思い出してくれるとありがたい」

「……ヘタレ《ぽしょり》」

「《ぐさっ》ぐっ……! そ、そうな、自分でもそう思うわ……」

 

 お互い、顔を一層に赤くして、だってのに逸らさないで笑い合う。

 照れくさいのはもちろんだが。恥ずかしいのももちろんだが。自然と浮かぶ笑みに、そうそう悪い意味なんてないだろ。たぶん、ほれ、軽い幸福とかってこういうなんでもないものなんじゃねぇの? 知らんけど。

 

「うむんヌ! では纏まったところで我から行こう! 我の歌を聞けぇええええい!!」

「はぁ……小町さんでも呼ぼうかしら」

「……。変わらないままがいい、か……。きっと、これから変わっていくんだろうな……」

「……《こそっ》八幡、由比ヶ浜さん、あのさ」

「? さいちゃん?」

「戸塚?」

 

 たっぷりと見つめ合う俺達をよそに、新しく流れ出したイントロを耳に歌い出す材木座と、騒がしさに溜め息を吐き、ケータイ片手に試案顔の雪ノ下。

 葉山は……これがきっかけで変わるであろうグループの在り方を思い、戸塚は俺と結衣に身を寄せ、ぽしょりと話しかけてきた。

 それは、二人で抜けて、もっと楽しんできてもいいんだよ、という言葉。

 俺と結衣はすぐに顔を見合わせて、俺はつい口から「パセラ、とか?」なんてこぼしちまったが、結衣は顔を赤くしながらも首を横に振った。「そこは恋人からがいいな」って。……だな。

 

「だったら、今は友達としてだな。あ、あー……結衣? こういう場合の友達ってのはその……馬鹿みたいに後先考えず、燥いだほうがいいのか?」

「え? うーん……ヒッキーが思い切りはしゃぐとか想像できないけど、うん。そういうのでいいんだと思う。ヒッキー、あんま考えないでさ、楽しめばいいんだよ。あたしも、空気読んでた頃よりも、今のほうが楽しいんだ」

「───! ……結衣……」

『葉山くん』

「《びくっ》うわっ!?」

「葉山くん、“由比ヶ浜さん”、よ。二度と間違えないでちょうだい」

「そうだよ葉山くん。そういうのはちゃんと分けなきゃ」

「え、あ、ああ……すまない。けど…………そう、だな。変わらない、なんてないんだ。どころか、もうとっくに変わっていたんだよな……最初とは違う」

 

 自分に確かめるように言うと、葉山は俯かせた顔を持ち上げ、勇気を振り絞るような顔で「聞いてくれ」と言った。

 丁度、材木座の歌が終わる頃に、だった。

 

「葉山くん?」

「由比ヶ浜さんや比企谷の告白に便乗するみたいですまない。けど、このままじゃ“俺は”なにも変わらないし、成長も出来ないって思った。だから、聞いてほしい」

「……、もったいぶった言い方は結構。伝えたいことがあるのなら真っ直ぐに言えばいいでしょう」

「ああ。俺は、……俺は。変わらないものがほしかった。見ていたいって、そこに居たいって思ってた。仲が良かったのに、告白してきて台無しになった友人関係、笑い合えてた相手が急に冷たくなったいつか。あんな世界が嫌だから、せめてグループだけはって。なにがあっても中立に立って、まあまあ、なんて無難な言葉と提案を出して。けど」

 

 けど、と。

 葉山は拳を強く握り、俺と結衣を見たあとに言った。

 

「最初は結衣が変わった。周囲に合わせてばかりだった君が、自分の意見を言うようになって……それに合わせて、優美子も少しずつ。戸部と大和と大岡も職場見学とチェーンメールの一件で少しずつ変わっていった。姫菜も……あの修学旅行から」

「……そうね。結局、あなただけが変わらない。変わらないように見えて、違和感はしっかりと感じているのでしょうね。あなたのグループ全員」

「うん……正直、とべっちが元気に盛り上げてくれるからってとこ、あると思う」

「……そうだな。だから……いい加減、俺も。遅すぎるけど。比企谷には散々だっただろうけど」

「ああ、そうな。今さらすぎてなんなのお前って感じな。そんな簡単に納得できるなら、あの時に偽の告白するの、お前でもよかったろ」

「はは……さすがにそんな勇気はないな。だから、俺は、君が……羨ましかった。羨ましいから……俺は」

 

 言葉をこぼし、もう一度拳を握りしめ、葉山は雪ノ下を見た。

 そして息を吸う。目に怯えを孕ませ、けれど真っ直ぐに伝えるために。

 

「雪乃ちゃん。いきなりでごめん。俺は、俺は君が好きだ。俺と」

「ごめんなさいそれは無理」

「っ……、…………」

 

 食い気味どころか完全に食った切り返しだった。

 葉山は苦しそうな表情をしばらくして、深呼吸をしたあとに……「そう、か」と受け止めた。

 

「ありがとう、雪ノ下さん。これで、俺も変わっていける。小学校の時は、本当にごめん」

「はぁ……べつに、もういいわ。気にしないことは無理だけれど、それについてを今さら言うつもりはないの。ただ、その“一人”を見ないくせに“皆”を守ろうとする在り方がまちがっていると言いたいだけ。だから、言うわね。……あなたのやり方、嫌いだわ」

「っ! ……ああ。ありがとう。本当に」

 

 言われ、噛み締め、葉山は頷いた。

 そしてマイクを手に取ると、今までの“王子様”を捨て、叫んだのだ。

 

「はっぽぉおおおおおーーーーーーーーーーんっ!!」

「ぶひっ!? き、貴様なにをっ……!」

「……はぁっ! 比企谷! 俺は君が……いいや、お前が嫌いだ!」

「……、はっ、上等。あーそうだな! 俺だってお前が嫌いだ!」

「自分を底辺だなんだと言いながら、結局はお前が全部持っていく! 俺には出来ないやり方で! 俺が憧れた場所に! ふざけるな! なにがぼっちだ!」

「こっちの台詞だ大馬鹿野郎! トップに居ながら何もしないで全部周囲に押し付けやがって! ヘラヘラ笑ってるだけで味方を増やして球を蹴りゃあ黄色い悲鳴だ! 踏み込みゃなんだって出来るだろうにその解消さえ人に押し付けやがって! 自分のグループの始末さえ自分でつけられない奴が、人にどうしてそんなやり方しかなんて言えた義理か!」

「だから羨んだ! 俺だってそんな自分で居たかった! そんな自分になりたかった! お前に解るか! そういう家に生まれた奴の気持ちが!」

「だったらなればいいだろうが! なりたい自分を親の所為にしてんじゃねぇよ! 生まれた家がどうだとかじゃねぇ! お前自身はどうなんだよ!」

「子供の理想を口にして大多数の人間を不幸に出来るのか!? 育つ過程で贅沢をしたなら、一度でもそれに甘えたなら、そんな状況を作ってくれたものに返さない人間になにが救えるんだ!」

「だったらお前になにが救えたんだよ! 顔も知らない、お前のことなんざどうとも思ってないやつらだけを救って、お前のグループのやつらはどうなってもいいってのか!」

「っ……こ、の……! どうでもいいって思っていたなら迷いも悩みもしなかった! 守りたいに決まっているだろう! だが俺が変わったらそれが当然だって思ってるやつにどんな影響が出ると思う! そここそが居心地がいいって思っているやつが、どう反応すると思う! 嫌なんだよ! 変わることで離れられるのは! だから変わらないなにかが欲しかった! お前は違うのか! 比企谷!」

「っ……!」

「人の気持ちから目を逸らして、誤魔化して先延ばしにしていたのはお前だって同じだろう! 由比ヶ浜さんの気持ちは傍から見ただけでもすぐに解った! 向けられているお前が気づかないわけがないだろう! それを今まで受け入れなかったのはどうしてだ!」

「てめっ……! それをお前が言うのかよ! だったら三浦のことはどうなんだ!」

「!? 俺はっ…………! 比企谷ぁああっ!!」

「葉山ぁあああっ!!」

 

 テーブルを挟み、絶叫し合う。

 しかし熱くなろうが取っ組み合うことはしない。

 自分の中に溜まっていた、溜まりすぎていたなにかを存分に吐き出すため、俺も葉山も、比企谷八幡と葉山隼人を選んだ。それだけの話だ。

 普段は叫んだりもしない俺と葉山の姿を、その場に居る全員がぽかんと見守っていた。

 怒鳴り、睨み、怯み、返し。

 そうして、熱いアニソンのイントロをBGMに叫び続けても、その感情に完全に流されなかったのは……ぽかんとしながらも、きゅっと手を握ってくれた温かさのお陰だろう。

 

……。

 

 で。

 

「………」

「………」

 

 けほっ、と咳が出た。

 結衣が飲み物をくれる。ありがとう。

 こくこくと飲むと、荒れた喉にやさしさが沁みた……気がした。

 ねぇ知ってる? 乾いた喉に、摂取した水分が行き渡るのって人体から見た順番だと一番最後なんだよ?

 だから特殊な飲み方でもしない限り、喉がいきなり潤うってのはないそうだ。これ、豆知識な。

 

  ……あれから。

 

 散々お互いの嫌いなところを叫び合った俺と葉山は、気づけば肩を組み、歌を歌っていた。

 変わると決めたからには嫌いなものに手を伸ばす。そんなことを、雪ノ下に提案されたのだ。

 で、やってみるのだが……こいつ、リア充のくせに流行りの歌とかそこまで知らんのね。というのが解った。

 勉強にスポーツに自分磨き。そこに家のことや将来のための勉学も混ぜれば、まあ、そらな、足りない部分はどうしても出てくるわ。

 それをスマイルで誤魔化すリア充の王。なるほど、笑顔の仮面がうすっぺらいわけだ。

 

「けほっ……おりぇも……げふんっ! ……比企谷。俺も。ちゃんと向き合ってみるよ。もう、俺も決めた。変わるんだ。もう、他人の目を気にしてなにかに遠慮、とか……もめ事が起きないために、とか……しない。しないんだ、俺は」

「おー……そか。けほっ、そだなー……。俺ももっと、欲張っていくわ……。あーでもお前みたいにみんなが欲しいとかは無しな……っつーか、お前A型? 広く浅く過ぎてキモいわ……」

「うるさいな……お前それ、A型のみなさんに失礼だろ……」

「……お前がそういう言い方するの、すげー違和感……」

「だから、うるさい……。俺だって、変わるんだ……だから、今から優美子に会ってくる」

「ほーん……? 会って、どうするんだ?」

「お前と同じだ。友達から始めて、知って、納得できるまで知って、それで……」

「……あほ。お前まだ自分が選べる立場だとか思ってんの? だからいろいろ見えてねぇんだよ。見てみろよあの雪ノ下の呆れ顔。もうお前はな、選ばれなきゃほっとかれる立場なんだよ」

「……。……そうか。そう、だな。…………そうか。ははっ……ははははは……なんだ、それだけのことだったのか」

「? ……葉山?」

「選んでもらえる…………楽でいいな。けど、俺はそれに甘えるつもりはないよ。ぶつかって、玉砕したっていいんだ。俺の道は俺が決めたい。それで泣けるなら……それって青春だろ?」

「お前が青春言うと臭くてしょうがない」

「ほっとけ。言うくらいいいだろう。俺から言わせてもらえば比企谷、お前だってふざけんなだ。そうやって、隣に居てくれる人をちゃっかり手に入れてる。充実してるのはどっちだって話だ。なぁ、ザイモクザキくん」

「はぽっ!? ……フムンヌ、確かに実に余りに然り! ……あの、正直羨ましいです」

「いきなり素で喋るなっての……」

 

 いきなり声をかけられて混乱したのか、素直な声が聞けた。

 まあ、そうな。こんな恥ずかしいやりとりの中、嫌な顔もせずに隣に居てくれる。

 理解のある恋人……げふんっ、もとい、友人を得た。

 

「うーん……ていうかさ、八幡。八幡の中で、こんなにも八幡への理解があって包容力がある人って、まだ友達どまりなのかな」

「へ? あ、あー……」

「うむ! それは我も気になっていた。お主の傍で清濁併せ様々な噂を耳にしようと、なんというかお主という存在に想いを寄せるというのは並々ならぬ試練であることは疑うべくもない」

「わざわざもったいぶった言い回しとかいーから」

「雪ノ下嬢とそこのビッ」

「材木座くん?」

「《びくぅ!》はぽっ!? イ、イエソノ……ゆ、ゆいゆい嬢?」

「キモい」

「《トチュッ》……げふんっ」

 

 ではどう呼べばよいのだぁああっ! と叫ぶ材木座に、とにかく先を促して話を聞く。

 まあようするにあれな。

 雪ノ下と結衣の関係が親友なら、もう俺と結衣もステップアップしていいんじゃないかと。

 ……え? 友達から始めたばかりなのですが?

 

「じゃあ、その。比企谷」

「あ? なんだよ」

「俺と友達に───」

「ごめんなさいそれは無理」

「まだ言い切ってないだろう!」

「比企谷くん? それは誰の真似なのかしら」

「八幡、全部思い切り話したならさ、いいんじゃないかな。八幡は今の葉山くんに、なにか不満とか、ある?」

「……。《ガリ……》……葉山」

「? なんだ?」

「正直……な。お前と叫び合って歌い合った時、正直、正直な話な。……まあその、楽しかった」

「……! あ、ああ……俺もだ」

「でもな、それよりに先に、あるだろ。待たせてる奴に対するアレとか。……べつに呼んでもいいんじゃねぇの? 来れるなら」

「───、あ…………そう、だな。そうだ。俺はまた、先送りにするところだったのか」

「雪ノ下は、いいか?」

 

 一応、仲が悪そうだし訊いてみる。

 と、意外にもべつに構わないという返事。

 材木座が微妙な表情でごくりと喉を動かしていたのが見えたが、そこはエンジェル戸塚、見事にフォローして頷かせていた。いいな、俺もささやかれたい。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 それから、カラオケBOXに大急ぎでやってきた三浦も含め、俺達は盛大に燥いだ。

 三浦は葉山に友達から始めさせてくれと言われ、戸惑ったもののこれを受ける。

 混乱が治まらないうちに結衣から「ヒッキーがいろいろしてくれたんだ」的なことを言われたようで、何故だかしきりに感謝された。

 なんでも、あそこまで感情をぶつけられたのは初めてだったらしい。

 なので、なんの気なしに「ここからだな」って言ったら、「あんたもね」と、八重歯を見せながら笑った。

 あらやだ、そんな笑顔も出来るのね。

 

「俺は喝ぁぁああつ!!」

「常に勝ぁあああつ!!」

『圧勝ォオオオーーーーーッ!!』

 

 で、男二人一つのマイクで絶叫乱舞。

 一回で歌詞を覚えたのか、葉山が叫び、俺が叫び、二人で叫んだ。

 もちろん材木座もノって、知っている曲であれば戸塚も乗って、それはもう暑苦しく絶叫。

 そんな葉山の一面をたった今知った三浦、呆然。

 

『パァ~~ゥワァ~~♪ Getパァ~~~ゥワァ~~~ッ♪』

 

 散々叫んだあとはちょっとしっとり。

 そのあとはもちろん絶叫。

 喉を潰さんばかりに叫びまくり、汗が噴き出ても気にしない。

 今まで我慢してきたすべてを吐き出すつもりで、俺と葉山は叫び続けた。

 

「え、え……? 隼人……? え……?」

「優美子、次一緒やろ? ほらほらマイク」

「ゆ、結衣? え? どうなってんのこれ」

「え? うーん……一応、友情なのかな。あはは……」

「……隼人ってあんなに叫ぶんだ……」

「ヒッキーもだよ。あたし、驚いちゃった。優美子が来る前ね? 二人とも大喧嘩するみたいに叫び合ってたの」

「……マジ?」

「うん。ゆきのんもさいちゃんも聞いてる。最初にね、あたしがヒッキーに友達から頼むって言われて。そのあといろいろあってヒッキーが葉山くんと叫び合ってさ」

「? 結衣、隼人の呼び方……」

「あはは、あ、うん。ヒッキーがね、あたしの名前を呼ぶのは俺だけがいいって。そしたらゆきのんが、だったらあたしも呼び方を変えるべきだって」

「………」

「優美子。葉山くんね、変わりたいんだって。変わって、ちゃんと向き合いたいからって……表にださなかったもの、今一生懸命吐き出してるんだと思うんだ」

「隼人……」

「優美子はさ、友達からでいいって……素直に思えた?」

「……壁があった頃より、遥かにマシだし」

「あはは、だよね。あたしもだ。でもさ、告白して一気に恋人っていうのにも憧れたけどさ。相手のことを知らないままそうなっても、上手くいかないことばっかなんだよね、きっと」

「………」

「あたしはよかったって思ってるんだ。友達から始めて、なんかいきなり親友になっちゃったけど……あんな風に笑ってくれるんだもん。許しちゃうよ」

「……ん」

「親友を卒業したら告白してくれるってことだもんね。だったらさ、ほら、今は友達をたっぷり楽しまないとだ。あたしの心はさ、もう決まっちゃってるけど、友達のままは嫌だから我慢なんてしないんだ。そしてさ、ヒッキーも友達のままは嫌だって思ってくれたら、あたしの想いが叶うのはそっからだと思うから。だから、えーと……あはは、上手く言えないけど……楽しんじゃおうよ。もっともっと。じゃないともったいないよ?」

「結衣……」

「あ、そろそろだ。いくよ優美子っ」

「あ───んっ! 任せな! 歌い切ってやるし!」

「ゆきのんもっ!」

『は!?』

 

 雪ノ下と三浦の声が綺麗に重なった。しかし器用に誘導させ、いつの間にか雪ノ下と三浦を自分の左右に引っ張っていた結衣に、もはや後退の二文字は存在しなかった。

 曲が始まり、歌い始めればもう止まらない。

 なぜなら、片方が歌ったのに自分が歌わないのは、即ち敗北であるからだ。

 

「……!」

「……!!」

 

 氷と炎が競って歌い、間の空気読みマスターは穏やかに。

 三浦が前に出すぎれば宥め、雪ノ下が逸れば落ち着かせる。

 なにこの氷炎の魔術師、クッキングは苦手なのに氷と炎を自在に操ってやがる……!

 

「見事なものだな……」

「……そだな。奉仕部に来たばっかの頃の結衣じゃ、あれは無理だわ」

「優美子もだ。言われてもきっと、自分の気持ちを押し付けるだけしかしなかっただろうな」

「………」

「………」

「まあ、なんだ。相手の関係で、長い付き合いになると思うが」

「そう、だな。俺たちがいがみ合ってても、なにがあるわけでもない。っていうか、もう言いたいことは吐き出したしな」

「おーおー、自分のこと棚に上げてよく言ってくれたもんだ。……あ、それ俺もか」

「はは……そうだな。少しは手加減しろよ、馬鹿野郎」

「こっちの台詞だ馬鹿野郎」

 

 気づけば苦笑するように笑い、悪態を吐き合う。

 だが、もう嫌な気分はそこにはない。

 そんな中、葉山がぽしょりと言う。

 

「ここは……いいな。遠慮もなにもない。初めてだったんだ、こんなに……自分を出せたのなんて」

「……まあ、俺もだな。昔はそりゃ遠慮はしなかったが、周りがそれを認めなかったよ」

「……俺もだ。親が偉いと、周囲は子にまでそれを求める。俺は……真っ直ぐじゃなくてもよかったのに」

「それを周囲の所為にしたいか?」

「出来ればしたかったかな。けど、もう無理だ。お前が居る。人の所為にして自分を正しく見せるのは、お前に対してフェアじゃない」

「なんだそりゃ。どっから来てんのその理論」

「人の目にどう映るのかなんて、自分で選べばいいって理論だよ。俺はもう、それを選んだんだ。自分の意志で。だから、遠慮なんてしない。俺は、お前とは対等で居たいから」

「……。そか」

「ああ」

「……んじゃま、その……あー……いろいろよろしくってことで」

「はは、なんだそれ……まあ、でも、だな。よろしく頼む。たぶん、女性との付き合い方ってことで、いろいろ相談することになるだろうけど」

「それこそお前の領分だろ」

「いや……恥ずかしながら、女性と付き合ったこととかはない。上辺だけでの社交辞令とかそんなの付き合いじゃないだろ?」

「はぁ!? ……え!? いや…………ま、まじか?」

「あ、ああ……その、ガラにもなく、さっきから緊張してる」

「………」

「………」

『…………《ガッシイ!!》』

 

 こうして俺達は、力強く握手を交わすところから始まった。

 恋愛初心者の俺達が、これからどんな道を辿るのかは正直解らんが……まあ、たまにはいいんじゃねぇの?

 汚名だとか悪声を浴びる意味じゃない、こんな嘘や悪を被ってみるのも。

 まあ、つまり。

 青春万歳?



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長い時間をかけた想い【再】

pixiv方面を整理中。
この話、こっちにUPしてたっけなぁと。
覚えていないのでとりあえずUP。
ちなみに凍傷はレッドブルよりもモンスターエナジーが好きです。

あ、このSS普通に何話目かにあったぞ!? と確認出来ましたら、是非是非ツッコんでやってください。
なおpixivアカウントが消滅いたしますので、移し忘れの小説は全部消えます。


 ついにお手製モンスターが完成した。

 これはただの焼き物菓子ではない。

 MonsterのMを名乗る、謎硬度、謎配色への道のりは険しかった。むしろ謎だった。どうすりゃクッキーがこうなるの。

 

 小麦粉投入時点でのレシピ放棄、斬新な酷さ、何百回もの雪ノ下による注意も華麗にスルーで繰り返し、

 ついに誰もが求めていない味わいが完成した。

 

 Yuigahama Original Carbonは、

 仕事に遊びに必要なエナジーをシナジーと間違えてふんだんにミックス。(ちなみにここでの“フンダン”は中国語で馬鹿である、とも読める。用例=馬鹿お前、なんでそれ混ぜちゃうのちょっと……!)

 

 要するに、ヤバイ…。

 

   ×   ×   ×

 

 ───ゾクゾク感、なんてものが存在するのだとしたら、きっとその存在そのものなんだろうなぁと思った。

 とある日、とある比企谷家のキッチンにて、それは誕生してしまった。

 いつもならば存在していた筈の雪ノ下がその場に居なかったのが、おそらくは最大の間違いだったと言えるだろう。

 え? 一緒に居るの? ……葉山と三浦ですがなにか?

 

「うわ、なにこれすっご。ちょ、結衣、あんたなんでクッキー作ろうとしてザッハトルテ完成させてんの」

「え、え? ざ、ざっは?」

 

 愛……覚えていますか?

 俺は覚えている。

 そもそもなんでこんなことになってしまったのかを思い返せば、嫌でも思い出せる。

 あれは……そう。

 俺と葉山がカラオケボックスで盛大に喧嘩し、由比ヶ浜が“恋愛の時空”で俺との出会いを振り返ってくれたあの日に遡る。

 俺はめでたく由比ヶ浜と付き合うこととなり、葉山は三浦と付き合うことになった。

 なったのだが……いやほら、あの……あれだよ。

 俺達、別方向から同じ悩みを抱えておりまして。

 ようするに女を喜ばせる会話もデートも知らないってなもんだから、いつかの日、葉山が俺に相談してきたのだ。

 

  デートっていうのはどうすればいいんだろうか

 

 知らねぇよ俺こそ知りたいよ俺が解るわけないじゃないですかー。

 なので俺の相談相手であり、妹なのに教授レベルの相談役、小町に相談だ、ということになったのだが。

 ……な~んで女子二人までついてきちゃったのかなぁ。

 

「いやっ……さっきも言ったが、俺はちゃんと比企谷に用があるって言ったんだぞ!? 重要な話だから、二人きりで話させてくれって! そうしたら───!」

 

 悪びれもなくついてきて、俺の部屋とかスルーしつつキッチンで菓子を作り始めてしまったと。

 味見よろしくね、と言われていた筈の小町が消えるわけだ。

 見てくださいこの見事なカーボン。ジョイフル本田の木炭にだって負けません。

 ……なに混ぜればここまで黒く、そして硬くなるのか。

 

「ひ、比企谷……ここは、男として食べるべきなのか? それとも───」

「………」

「比企谷……?」

 

 そわそわしていた葉山を押し退け、ザッハトルテの前に立つ。

 どうするか? んなもん、思い知らせてやるだけだ。

 

「結衣」

「え、う、うん、なに? ヒッキー」

「作ったなら味見。俺も食うから、食ってその味を知れ。知ったら次はもっと上手くなる」

「ほんと!? もっと美味しくなるの!?」

「“上手く”なるぞ」

「そっかー!」

「ああ、“上手く”なる」

 

 八幡嘘つかない。

 出来たばっかの恋人に嘘つくなんざ最低行為じゃねぇか。

 俺はほら、アレだよ? 今までが捻くれていた分、自分を好きになってくれた人には誠実でありたいとか思ってるのよ?

 だから嘘はつかない。とんちは使う。OK?

 なので使うとんちと言えば、“ほら、僕らまだ友達ですし!”……あれ? これただの状況的真相じゃね?

 ええはい、まだ恋人じゃない僕らです。友達から始めようって言ったもの、そりゃそうだ。

 けれども雪ノ下にメールを飛ばしておきながら、レシピメールを受け取ってなおそれを無視し、Monsterを作り出したこいつはほんとどうしたもんか。

 

「君……結構ひどいことするな」

「俺がひどいんじゃねぇよ。結衣が純粋すぎるだけだ」

「……君の頭の中が案外愉快なことに、俺は結構驚きと安心みたいなのを得てるよ」

 

 言いつつ、結衣と一緒にザッハトルテ(カーボン)を手に、パキャアと齧る。

 ザクッ、どころかこの、氷が弾けるような炸裂音はどうか。

 瞬時に顔を真っ赤にして俺の手を掴み、涙目で「吐き出して! ヒッキー吐き出して!」と言ってくる恋人さんは、まるで某駄女神様のような語彙力だった。

 ほぅら上手くなる。次はもっとマシになる。

 そのためなら一緒の味見くらいなんのその。

 男とはな、葉山。体を張って恋人の成長を促していくものだと、俺は悟ったのだよ。

 だってほら、ヒーローとはいつだって命懸けで、常にピンチをぶち壊していくものだってオールマイトも言ってたし、だったら俺のことをヒーローとか言っちゃった結衣の期待に応えるためにも、俺は命懸けでピンチをぶち壊していかなきゃならんのだ。

 え? この場合のピンチ? 主に炭食物を食べることによる癌リスクの回避のための、結衣の料理の腕の向上じゃないでしょうか。

 ならば良い受難を。

 PlusUltra(更に向こうへ)!!

 

「すごいな……相手のために身を犠牲になんて」

「ちげーよ、犠牲じゃねぇ。先行投資だ。一緒に成長してまちがいは修正する。俺がまちがっても結衣がまちがっても、止めてくれる相手が居るならこれほどありがたいことなんてねーだろ」

「……君、それでその先、自分がフラれて、その成長を他人のために使われる恐怖とか、ないのか?」

 

 ドゴッ! ゴシャア!!

 

「ひ、比企谷!?」

「ちょ、ヒキオ!?」

 

 膝から崩れ落ちた。

 痛恨である。

 綺麗なorzを描いた俺は、溢れる涙を止めることすら出来ず、素直に泣いた。

 

「ぐすっ……お前……ひっく……やめろよ……! 今は、結衣が……っ……カーボン片付けに、行ってるからっ、……って、お前……!」

「あ、ああその、すまない。まさかそんなにまでダメージ受けるとは……」

「つーか、隼人もちょっと結衣のこと舐めすぎ。あんな恋に真っ直ぐなのに、ヒキオのこと振るとかあるわけねっしょ」

「そうなのか?」

「見てりゃわかるし。あーいうの、好きになったら自分の全部をそこに置くタイプだから。問題なのは相手の方。ヒキオ、あんた、求められること全部叶える勢いでぶつかってやんな。てーかそんくらい軽く出来るくらいデカい男んなれし。釣り合いがどーとかじゃなくて、あんたも男ならそんくらい努力しろ。あいつばっかに頑張らせるな」

「……!」

 

 お、おかん……!

 知らず、心の内側から温かいなにかが湧き出した。

 結衣に、俺の何処に惹かれるものがあったのかを訊いた時、ヒーロー像を語られ、困惑したが……それは無理に目指すものじゃあなかったのかもしれない。

 ヒーローとは心だ。

 口にして満足するものではなく、その心が指す場所───“志”こそがヒーローを象る。

 ならば───

 

「今はまだ、友達として出来る限りを楽しまないとな……。ところで葉山、友達ってなにするもんなん?」

「えっ………………いや…………」

「え? ……いやお前、グループ作っといて、まさか知らないとかないよな?」

「作ったっていうか、いつの間にかあったっていうか……」

「………」

「………」

 

 俺と葉山で、妙な覚悟が決まった。

 俺達はきっと本当の意味で友達すら知らなかった。

 ならばこれから知るしかない。

 ではどうやって知るか? そんなもん、目の前に丁度いい同志がいらっしゃるじゃあないですか。

 

「運命共同体ってやつか……」

「お前ととかゾッとするけど、これも結衣の幸せのためだ」

「俺だって、優美子の幸せのためだ」

「おう」

「ああ」

 

 とりあえず、二人してうへぇって顔をしつつ、ごつんと拳を合わせた。

 さあ、友を知ろう。

 酸いも甘いも辛しも苦しも味わい、いざ、関係の頂へ───!!

 

……。

 

 その日々は───熱かった。

 

「葉山っ! 細かい遊びからやってくぞ!」

「今か!? あ、あぁいや望むところだ! 悪い戸部、用事が出来た!」

「え? あ、あぁうん……ガンバっしょ? 隼人くん……?」

 

 俺と葉山はとにかく友というものを学ぶため、一緒にする行動を増やし、気安い関係を目指した。

 

「じゃんけんぽん! あっち向いてホイ!」

「じゃんけんぽん! あっち向いてホイ!」

 

 細かい遊びからじっくり系の遊びまで、とりあえずは楽しむ努力をする方向から。

 葉山が知る遊びという常識をぶち壊し、アニメやゲームを教え、俺の常識は葉山が壊し、なんかよく解らん遊びを教わり。

 

「フェンシングって遊びじゃねぇだろおい!! 真面目にやってる人に謝れ!」

「遊びでやってる人も居るんだよ! 嘘じゃない!」

「マジでか!?」

 

 遠慮をしないよう努め、務め、勤め、勉め、やがて遠慮する意味がない状態まで来ると、俺達はなにをするにも笑えるようになってきた。

 

「はいはいはいはいはいはいはいはい!!」

「はいはいはいはいはいはいはいはい!!」

 

 時に卓球、時にテニス、打ち合いまくり叩き合いまくり、子供がやる相撲から大人がやる柔道、合気などを学び、あれ? これなんか違くね? とか思っても遠慮とかないからやがて気にしなくなり───

 

「とんだところで───」

「護身、開眼───!!」

 

 俺と隼人は、好きな相手を守れるくらいのモノノフと化していた。

 ……いや化していたじゃねぇよなにやってんのちょっと。

 

「なぁ隼人……俺らさ、遊びを通じて友というものを学ぼうとしてたんじゃなかったか?」

「いや……もうこれが友達ってものでいいんじゃないか? ほら、遠慮とかとっくになくなっただろ。名前呼びになったし、八幡も噛んだりとかしなくなったし」

「逆に結衣とか三浦が遠ざかった気がするんだが」

「……女子って何故か、男の夢とか浪漫を聞くと白けるっぽいからな……」

「まあ、気持ちは解るんだけどな。で、肝心のオトメゴコロとか全然わからんのだが。この男同士のユウジョウを武器に、結衣とか三浦と仲良く出来ると思うか?」

「………」

「………」

「無理……だよな」

「ですよねー……」

 

 とある日々。俺達は二人してアホだった。

 あ、でもナンパ野郎とか単体で撃退できるようにはなったわ。

 たとえばチャラい男とかが近寄ってきたりでもすれば───っていってもここ教室だし、そんな人物が───あ、居た。

 

「おっ、海老名さんとか今から帰る系? これからちょっちオケとか寄っていっちゃわない? ってかそのー……チャンスとかくれると俺ってばめちゃ喜んじゃう系の現状っつーかぁ……」

「ぬう!!《ギラッ!!》」

「ヒィッ!? ちょぉ、隼人くんてばなんで睨むん!? 俺べつに優美子に色目とか使ってるわけじゃないっつーかぁ!」

 

 隼人が、海老名さんにアプローチをかけた戸部を、まるで世紀末覇者拳王のように眉間に皺を寄せて、睨んで見せた。

 するとどうでしょう、戸部が思わずヒィとか言ってしまう迫力が、ここに完成……! いやだから完成じゃねぇよどんな完成だよこれ明らかに失敗だろやりすぎちゃいましたごめんなさい。

 あといろいろ見せたアニメとかの影響か、睨む時にも“ぬう”とか言っちゃってるし。

 あのー……はい、正直すまんかった。

 

「というわけで」

 

 教室の一角にて、カーストとか関係なしに目立ってしまう俺達なわけだが。

 というわけで、と声をあげた海老名さんに、視線を向けた。

 

「なんか熱い展開だったから傍観してたんだけど、二人ともなにかあったの? 二人が仲良しであればあるほど、なんかこう期待が高まるっていうか、仲が悪い方が燃えるシチュでもあるにはあるんだけど、普段犬猿な二人がベッドでは……とかそういう展開の方が───」

「自分への干渉は拒絶しといて他人には首突っ込むとかやめてくれませんかね……」

「うはっ、直球だ。ま、そうだよね、ヒキタニくんはそういう人だ。べつにきっちりとした真相とか求めてないよ。ただ、どうしてユイと優美子じゃなく、隼人くんとユウジョウしてるのかなーって」

「相談出来る相手が居なかったからだよ……」

「やめてくれ……なんでそんな解りきったこと訊くんだ……」

「えぅっ……う、うん、なんかその…………ごめん」

 

 海老名さんが珍しくも相談を受ける側な顔で質問をしてきた。

 それに、俺と隼人は当然を返した。

 ……ちょっと考えれば海老名さんなら解ったことだろうに。

 なんとも珍しい……というよりは、ぐ腐腐が優先されて頭が回転してなかったんだろう。

 

「どうしたもんかな」

「姫菜、優美子たちからなにか聞いたりしてるか? 相談とか」

「んー……それは私が言っていいことじゃないかなぁ。きちんと二人が考えて答えを出さないと」

 

 ……うわぁ。

 

「…………でたよ。ちょっと出ましたよ隼人さん」

「ああ……出たな、八幡。真剣に悩んでる相手に対してこの言葉……なるほど、確かにこれは、された方はとんでもなく嫌な気分になるな」

「んじゃ海老名さん、それを言ったからには俺達に落胆することの一切は禁止ってことで」

「だな、うん。俺達に理解を任せるんだったら、どんな結果でも文句は聞かない。君はそれを選んだ。……すごいな、そうやってすぐに選べるんだから」

「え、え? あの、ヒキタニくん? 隼人くん?」

「じゃあ……俺達、行くから」

「邪魔したな、姫菜。大丈夫、全てがブチ壊れても……ふふっ、いや、なんでもない。それじゃあ」

「いやっ、あのあのっ、隼人く───」

「なるほど」

「いやなるほどじゃなくて」

「すごいな」

「いやー……ちょっと聞いてほしいなーって……」

「悪いのは君じゃない」

「嫌な予感しかしないから聞いて!?」

 

 そうして俺達は歩き出した。

 育み経験してきたユウジョウを、いざ、友達にぶつけんために───!!

 

……。

 

 こ~~~ん…………

 

  で、この有様である。

 

「あの…………なんで俺達、正座させられてるんでしょうか……」

「男の友情を女に向けた結果に決まってんしょ。てかあんたら馬鹿か。フツー女との友情調べるために、女ほったらかして男同士で遊び呆ける?」

「……友達たくさんの優美子に、ハッと気づけば友達なんか居なかった俺達の気持ちなんて解るもんか……!!」

「よく言った隼人!」

「そ、そうだ優美子! 俺は」

「黙れ」

「「きゃいん」」

 

 結論。男は弱かった。

 呼び出した二人と待ち合わせた近場の公園にて、その中心付近にある石の床に、ゴリリと正座させられてる俺と隼人は、早くも負け犬ムードだった。

 

「どーいう速さでヒキオに毒されてんの隼人……! あーしが好きな隼人はもっと───」

「好きを引き合いに理想を押し付けるなぁっ! おっ……俺だって……! 俺だって実は友達居ませんでしたなんて気づきたくなかったんだぁあっ!! 一緒のグループなのに戸部も大和も大岡もなんか一線引いてる気がするし! 他の男子からはなんか距離取られてるし! そんな俺に声をかけてくれた戸塚にどれだけ心を救われたことかっ……! 解るもんかっ! 解るもんかぁあっ!! うわぁああああああっ!!」

「ちょっ、隼人!? 隼人ー!?」

 

 やべぇ泣ける……!

 だよな、そうだよな……!

 こういうボス属性のやつらはみんなこうして、人の心を抉ってくるんだ……!

 なにもこんな場所で言わせることないじゃねぇの……! せめて二人きりで詰問開始してりゃ泣くほど傷つけることなんて……!

 

「あ、あの、ヒッキー? 葉山くん泣いちゃったけど……」

「ユ、ユイサン、お手柔らかにお願いシマス……」

「えやっ!? やややべつに責めたりとかしないよ!? ただちょっと羨ましいなー、とか、あたしのことも構ってほしいなって……そう、思っただけで……。た、たぶんね? それって優美子もなんだ。だから嫌ってるとかじゃなくて、構ってくれなかった分、拗ねてるっていうか…………えと」

「ちょ、結衣っ!? なんで言うし!」

「三浦…………ツンデレが現実で有効だなんて思うなよ。俺達ぼっちはツンの時点で致死量のダメージをいつでも負うことになるんだ。その後のデレで回復できるなんて甘えは通用しねーよ……」

「はぁ!? なにそれわけわかんねーし!」

「あの、あとその、大声で“はぁ!?”とかやめてくだひゃい……! ぼぼぼぼっちには刺激が強いってゆーか……!」

「優美子! ヒッキーのことはあたしに任せるって約束だったじゃん!」

「えぇ!? これそーゆーんに入ってるん!?」

 

 男同士の友情は育めた。

 嫌いだ、とか言い合ったくせに、ほんと理解が深まったよ。

 方向性は違ったかもだが、俺と隼人は似た者同士だったんだ。

 でもそんな友情も、女相手にゃ通用しなかった。そりゃそうだ。

 結局はOワイルド氏の言葉に頷くしか、俺達には残されていなかったのかもしれない。

 男女間の友情は有り得ないか……寂しいものだ。

 

「というわけで結衣」

「え? う、うん。なに? ヒッキー」

「す───」

「す?」

 

 なんかもう告白して恋人になってください、とか言ってしまおうか、なんて考えが浮かんだ。

 けどなんか違う。

 一人が正座した状態で告白とか、きっとオトメゴコロってやつをちっとも理解していない行動だろう。

 なのでここでの最適解は───

 

「すまん、“す”は間違いだ。えっと、その、だな。……デッ……デデデデート、しよう」

「えっ…………でも……いいの? えと、友達からって……」

「それもすまん。頑張ってみたけど、やっぱ男女間の友情って難しいってのがわかった。でも、だからっていきなり告白ってのも違うって思うから、だな。その」

「デート……?」

「お、おう。あ、もちろん嫌だったら───」

「う、ううんっ、いいっ、したいっ! したいよ、デート……」

「ぇぉっ……そ、そか……じゃあ……」

「うん……えへへ……うん。…………えへー……♪」

 

 あ。なんかいい雰囲気。

 一方正座したままだけど、結衣が目の前にしゃがんで、同じように座って……。

 なんか求められてる気がして、手を持ち上げたらきゅっと握られて。

 そんでそのー……なんつーか。

 二人してむずむずテレテレしながら、手をにぎにぎさわさわし合った。

 ……なんでしょうね、この謎行為。

 謎なのにものすげぇ幸せで、顔がニヤケて戻らない。

 そんな俺達の横では、隼人が三浦に「ん」と促されて、同じくデートの約束をさせられていた。

 ……こういう関係になった途端、女って強いですね。

 目でそう問いかけたら、隼人がそうですねって目で返してきた。

 

((ところで、デートプランってどうやって立てればいいんだろう……))

 

 この後、女子二人と別れたあと、俺と隼人がデートに関する雑誌を買いに本屋まで走ったのは言うまでもない。

 相談する相手? 居たらとっくに友情の件で相談していますが?



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エイプリル・オニールイタメール

夢が繋がった日のおまけ的なお話。
四月馬鹿に書いたものなので、繋がりとかは考えずに気にせず読んでください。


お題/こたつガハマさん

 

 こたつ。

 秋の終わりから冬、冬から春の始まりまで、人々の足止めをするのに最適な古の暖房器具。

 かつては随分とお粗末で、なんとも扱いにくく、小さなものだったが、今では大変大きなものから、一人暮らし用の小さなものまで幅広く揃っている。

 さて、そんなこたつだが。

 

「うひゃあああっ……さむっ、寒い寒い~~~っ! ヒッキー、こたつ、こたつつけてー!」

 

 ぬかりなし。

 俺の部屋にぱたぱたと結衣が入ってくると、俺は既に温めておいたこたつから出て場所を譲り、結衣を迎え入れた。

 まあ部屋自体がそこまで寒くもないから、騒ぐほどでもなく温まるだろうが……まあ、人が感じる寒さってのはやっぱりいろいろあるのだ。

 部屋が暖かくても、こたつとか布団に入るまでは落ち着かないとか、ああいうタイプの安心な。

 

「はふぅう~~~……♪」

 

 そして、座ると同時に足と手を突っ込んでは、このだらしない……いや、幸せそうな緩い顔である。やだ可愛い。

 

「ママさん、なんだって?」

「うん、順調だって」

「そか」

 

 結衣と対面するように正面に座り、こたつに足を突っ込む。

 しかしあれだな、こたつっていうのはこう……炬燵と漢字で書くよりも、ひらがなでこたつと書いた方が温かみがあるのはどうしてだろう。

 いや、どうでもいいかそんなことは。

 

「あたしに弟か妹が出来るのかー……えへへ、なんかそわそわしちゃう」

「だな……っつーか、また赤子からやり直すことになるとは思わんかった。お前の猫、どんだけお前のこと好きなの」

「あ、あはは……だねー」

 

 トラックに撥ねられ、猫の夢にて臨終までを生きたのち、目が覚めた俺達だったが、その後にいろいろあってまーたこんなことになってしまっている。

 やり直しも二回目ってことで、もう遠慮なく楽しんでいるわけだが……面白いもので、今回は随分と早い段階で結衣の両親と俺の両親が仲良くなっていた。

 なにより小町がウチの両親に泣いて“一緒に居て!”って言ったのが効いたらしく、両親の仕事の時間が大幅に減り、早い段階から隣に引っ越してきた結衣の両親との交流も倍増。いや、倍どころじゃないか。

 ともあれ増えて、いつしか俺と結衣は許嫁同士になり、元々生涯を連れ添う予定だったのでこれをあっさり受け入れた。

 で、両親ともに子供が乗り気ならば! といろいろと手配を始めて、かつての猫の夢でママさんが言っていたように13歳で子供を作ることが決定し……同時に、ママさんも妊娠。いや、俺の子供じゃなくてな? ちゃんとパパヶ浜さんとの子供だから。

 こんな風に暢気してる結衣だが、お腹の中には既に双子が。13で子供なんて! などと言いそうなものだが、驚くことに周囲の反応はむしろ応援に近いものだった。

 名前は既に決まっている。絆と美鳩である。

 いや、まだ性別が解ってないんだから、急ぎすぎだとは思うのだが。

 双子と聞いてしまっては、他に名づけようと思う名前が浮かんでこない。

 性別が違った場合は、またその時にでも考えようと決めている。

 

「えとー……その。作ろうとした時期が全然違うのに、ちゃんと双子が出来るって……すごいよね」

「だよな……そういう相性関係なのかもな、俺達は」

「う、うん……えへへぇ……。あ、ヒッキー、あたしは長期入院ってカタチで学校にはいけないけど……」

「まあ、中学ではあんまりいい記憶もないし、無難に過ごすさ。俺よりも結衣とママさんだろ。なにかあったらすぐに連絡くれよ? 遠慮とか無しで」

「……うん。遠慮、しないから。またず~~~っと、あったかい家庭、作っていこうね?」

「……おう」

 

 言いながら、急に触れたくなって手を伸ばそうとするも、結衣は手も足もこたつに収納状態。

 ……どうする? と考えて、ピンと閃く。

 わざとらしく足を動かして、何かが足に当たったーとかうそぶいてこたつ布団をめくると、その奥にあるおみ足をぎゅっと掴んで

 

「うひゃああっ!!? ちょっ……ヒッキー!?」

 

 冷たい足と温まっている足がぶつかってウヒャーとか、そんなラブコメは置いていく。だって結衣、靴下履いてるから、俺の足とぶつかったってそこまでウヒャーとかはない。

 ただ、それにしたってじっくり触ってると可哀想なくらい冷たいので、足をそのまま引っ張って結衣をこたつに引きずり込み、その足をもみもみとこするように揉んでやる。

 

「やひゃひゃひゃひゃ! やめっ、やめてヒッキー! くすぐった……ひゃあああ……!!」

 

 丹念に温めようとしてるのに、くすぐったいらしく笑いだす婚約者。あんまりどたんばたんするのも母体にも母胎にもよくないだろうし、ある程度で止めてからは抱きしめ合っていちゃいちゃ。炬燵の中でなーにやってんでしょうねってツッコミはスルーの方向で。

 

「けどさ。中学の体で双子を産むって……大丈夫なのか?」

「体力は相当使うことになるけど、一人が産めるなら問題はないって」

「まあ……理屈は解るけど」

「うん。だから、えと……また体力作り、付き合って……くれる?」

「毎日一緒に早朝トレーニングだの付き合ってるだろ。今更だ。……っつーか、おう。どーんとまかせとけ。むしろ頼ってくれ。絶対に支えてみせるから」

「ヒッキー……えへへ、うん」

 

 にこりと笑う婚約者を前に、俺も自然と頬が緩む。

 重ねて言うが、こたつの中である。

 最近のこたつはあれだよな、足が高いから余裕で入れてなんか面白い。

 

「結衣……」

「ヒッキー……んっ……」

 

 そしてキス。

 時間があればくっついて、キスをしているような関係の俺達は、それはもう子供の頃からラブラブだった。

 もちろんそちら側で腑抜けすぎていればパパヶ浜さんに嫌われるだけだと思い、朝から新聞配達のバイトもしたし妹の面倒も見て、炊事洗濯掃除を担い、結衣とも全力で遊んで、親孝行も散々したしご近所付き合いも学業も運動も完璧にこなして見せた。伊達に基本高スペックを自称しておりません。

 そんな日々の努力と結衣が俺を好いてくれているという事実、さらに両親同士がとても仲がいいことが後押ししてくれたのか、俺達は親同士に随分と気に入られた。

 そうじゃなきゃ、ママさんの“息子も欲しかった”って言葉にパパヶ浜さんが張り切ることもなかっただろうし。

 しかし普通に考えて13離れた妹か弟が産まれるって、結衣も複雑だろうに。

 いや、前回の時もそういう話はあったんだから、それと比べれば逆に楽しみが増えたってものか。

 

「なんか……こたつであったまるのを待つよりも、あたし……ヒッキーと抱き合ってたほうが全然熱くなるや……」

 

 そんなことを言って、えへへと笑う婚約者をなんかもうたまらずぎゅううと抱き締める。

 「ゃんっ……」と声を漏らした結衣は、けれど自分からもぎううと抱き締めてきて、俺の胸にぐりぐりと顔を押し付けてくる。

 この娘ったらほんとこれ好きね。マーキングだって気づいたのは前回でも結構あとだった。

 え? どっちがどっちに匂いをつけてるのかって? 結衣が、俺の匂いを自分につけたがってる。で合ってる。俺に自分の匂いを、というのとは違うらしい。むしろ俺から俺の匂いが消えるのは嫌っぽい。

 

「たしかに、熱いくらいだ。でも、その、なんだ……安心する暖かさっつーか」

「だね、えへへぇ……ね、ヒッキー、ねっ」

「ああ。んっ……」

「んぅっ……ん、んー……♪」

 

 自分からキスをしてきたり、ねだったりと気まぐれなところはあるものの、真っすぐに好かれるっていうのはこれで、随分と嬉しくも恥ずかしいものだ。

 かつての自分のひねくれ具合とかを思い出すたび、こんな、自分に向けられた感情を勘違いとか思っていたことが恥ずかしくなる。

 

「中学で子供を産んで、子育てかぁ……なんかすごいよね。なのに覚悟が決まっちゃってるっていうか……あはは、孫の世話もしたことがある身としては、むしろいつでもこいって感じだよね」

「今回はお前の弟か妹がそこに加わるわけだから、いろいろ大変になりそうだ」

「でもヒッキー、楽しそうだよ?」

「まあ……楽しんではいるな。その……俺一人じゃ絶対に無理だろうけど」

「ん……あたしもだ。一緒に歩いてくれてありがと、ヒッキー。あたし一人だったら、きっと前回の時もずっと一人で泣いてたと思うんだ。だから……」

 

 結衣の言葉に、捻くれた返答が口から出ようとするが、それを飲み込む。

 いい加減直りなさいっての。そういうの、もう必要じゃないから。

 臨終まで付き合っておいて、未だに素直になれない自分が出てくる時があるからたまらない。

 思ってることをぶつけてやるのが一番喜ぶって解ってるくせに。ほんと、自分のことながら素直じゃない。

 

「ん……えっと、その。へんな質問するけど、また胸……大きくなったか?」

「う……う、うん。前回よりも……えと、現実よりも成長が早いってゆーか……。なんかで読んだんだけどね? 女の子って恋をするとそういう部分の発育がよくなるって……。だ、だから、さ、その……」

「……お、おう」

「……ヒッキー、大好き。出会った頃より、再会した時より、知っていった時よりも……両想いになれた時より、やり直して再会した時より、結婚した時よりも……どんな時よりもっと好き。あ、あんまりさ、大きくなるのは困っちゃうけど……しょうがないよね。それだけ好きなんだって思っちゃったら、なんかもう、しょうがないのかなーって」

「……あ、あんがと……いや、ありがとうな、結衣。俺も好きだ。何度お前に惚れてるのか解らない。知らないことを知るたび、安心が増えるたびに好きになってる。お前が好きだ。好き、なんだ。目覚めても同じ夢が見たいって思うくらい。大して動けなくなっても、動くのも億劫でも、どこがお前の近くなのかわからなくなっても、仏壇の傍で一日過ごす馬鹿だったけど……」

「ヒッキー……」

「嬉しかったんだ。またお前と始められて。生きていられて。笑い合えて。だから……」

「うん……ヒッキー……」

 

 キスをした。こたつの中で、こたつの熱よりも互いの熱に浮かされるように。

 もちろんいい加減熱くなったので顔をこたつの中から逃がすと、顔を見合わせてくすくすと笑い、そこでまた抱き合って、ごろごろして、キスをして。

 十分温まるとこたつから出て、結衣が着替えると二人して布団へ。

 ……結衣がこの部屋で着替える光景ももう見慣れた。いや、断じて言うが着替えるのを見つめてのことではなくて、まあその、ようするに、ここは俺の部屋でもあるが、結衣の部屋でもあるわけで。つまるところ、中学にして同棲同衾中。子供も出来た。物凄い中学生である。しかも親公認とくる。

 両親同士がご近所様と仲が良く、普段から根回しするように孫が早く抱きたいとか言っていたのが緩衝材になったのか、孫の誕生に肯定的なご近所さんマジ最高。

 両親が認めていれば13から子作りは許されている、という話も地味に流していたらしく、法律で決まってるなら、あとは本人同士の問題だしと頷いた人も多かったらしい。

 むしろ知的好奇心を持つ人のほうが多かった。

 TVの向こう側では14で出産ってだけでも驚きがあった時代があったのに、こちらは13でしかも双子とくる。

 そりゃ、産んでみてほしいとは思うだろう。中にはもちろん、こんな小さな内からはしたない! とか言う人は居た。うん居た。

 が、まあ。言ってしまえばその人の価値観のために家族が望んでくれている命を今さら堕ろせとでも? といった感じの説得をおふくろがしたところ、あっさり引き下がったとか。あんな小さな子に責任が取れるとか思ってるのー!? とかも言っていたらしいが、取るし取らせるしその上で幸せになってもらいますとキッパリ言ったとか。さっすがおふくろ。“言うことは格好良く”な、ニヒルな母である。あれ? ちょっと違う?

 

  まあ、なんにせよ。

 

 そんなこんなで、俺達は再びの人生をかなり楽しく、そして無茶もどんと来い状態で走っている。

 一度でも臨終まで生きれば妙な度胸もつくってもんだ。

 そして一度看取った身としては、親が大事。してあげられなかったことばかりが頭に浮かぶたび、孝行しようと頑張れた。頑張る、なんて言葉が嫌いだった頃が懐かしいよ、いっそ。

 結衣と結婚してからは随分と助けてくれたママさんには特に感謝。

 お互い素直になれず、気持ちをぶつけ合えたのも相当あとになってからだったパパヶ浜さんとも、こっちの今じゃ息子同然に扱ってもらえている。

 ……まあ、そこは好きなものから趣味までを姑息につつき、合わせることでの好意を広げていった結果だが……言った言葉や贈ったもの、行なった行為に偽りは一切ない。多少の打算はそれはあったが、どうせなら祝福されたいし、義理とはいえ親になるのだからと全力でぶつかっていった。

 臨終の時、きみが結衣の旦那でよかったと本音を言ってくれた瞬間、俺がどんだけ泣いたと思ってんですか。もう二度と、あんな不意打ちも返せない思いも抱かせたまま逝かせません。全力で孝行されてください。

 そんなわけで、困ったことに俺は家族が好きすぎるのだ。むしろ両親より義理の両親愛してる。

 こっちでもかなり頑張ってみたが、やっぱり両親の小町好きは俺には向いてくれんかった。両親にとって、やっぱり俺は頼りになる、構わなくても平気な長男らしい。

 まあ、それはもう別にどうでもいいのだが。

 それが理由で、由比ヶ浜家が大好きすぎる俺が誕生したわけですし。

 

……。

 

 そういえば、と彼女は言った。

 激動の中学時代を乗り越え、大変ながらも子育てをして、高校でお馴染みのやつらと出会い、輪を広げ、楽しんで。

 順調に育っていく娘たちと、ママさんの息子を見守る日々の中、結衣は言った。

 

「この夢に入る前って何日だったっけ」

 

 なんでもない質問に、俺は思い返してみる。

 3月31日……ああいや、もう日を跨いでいたなと。

 いや、実はべつに事故ったから夢を見ているわけじゃないのだ。

 眠たくなって寝たら、いつの間にかだった。

 

「一緒に居たし、べつに事故があったりとかもなかったよね?」

「まあ再会してから真っ先に確認し合ったことだしなぁ……それはなかった」

「えっと。もしかしてこれ、エイプリルフール? 猫が軽い嘘をついてみましたー、とか……」

「だとしても、猫にそういう考えとかがあるのかが一番謎だろ」

 

 ちなみに。結衣の弟は庵という名前で、いやべつに月を見るたび思い出しそうな名前が由来したわけではなく。いろいろあったらしい。

 姉と常に一緒な俺を本気で兄と思っているらしく、にーちゃんにーちゃんって……お、おう、その、かわいい弟ではある。でも娘たちと仲良くしているとこう、もやもやと。

 

「まあ、この夢がいつ終わるのかも解らない以上、楽しまないのはもったいないよな。人生経験を増やすつもりで頑張ろう」

「うん。それじゃえっと、今日の晩ご飯、なにがいい?」

「一緒に作りながら考えよう。そっちの方が楽しいし嬉しい」

「う、うん……なんか……なんか、ヒッキー、ほんと近くなったよね。すっごく嬉しい」

「俺から捻くれを取ったら好意しか残らんだろ……」

「シスコンは?」

「一度人生終了してみると、案外消えるもんだなって。むしろ俺に心配されなくても飄々と立ち回る姿とか散々見たからなぁ。つーわけで、今や普通のお兄ちゃんって程度だ」

「そっか」

「おう」

 

 高校生活も順調。

 ここに至るまで、もちろんひっどいことも経験したし、面白半分でつついてくる嫌なやつとも遭遇したが、それも二人で乗り越えてきた。

 デートとかはほぼ無い。家デートは年中無休。

 お互い、前回は娘たちが出て行ってからは旅行しまくったからなぁ。

 雪ノ下からの連絡はとうとう無かったし、再会も無かったが……それでもそれだけを待って人生を終えるのはもったいない。

 なので連れまわした。若者どもが普通にやることから、ちょっとお金をかけなきゃ難しい場所まで、それはもう。

 金を貯める癖はつけてたから、金はあったんだよ、ほんと。

 そうして散々楽しんで謳歌して、ずうっとお互いを好きで居続けりゃあさ、目覚めても同じ夢を見たいって……思うだろ。

 だから俺は今が好きだ。大好きすぎてやばいくらいまである。

 

「まあその、なんだ。これからもよろしくな、結衣」

「こちらこそだよ、ヒッキー。目が覚めちゃっても、また何度でも夢を見て、そのたびに違うことしてみようね。あ、一緒にってことぜんてーで」

「別れてくれとか言われたら泣きすぎて死ぬわ」

「あ、あたしだってそんなのやだよ……だから、ね?」

「おう、一緒に、だな」

「うん、一緒に」

 

 微笑み、手を取って、のんびりと過ごす。

 料理も作って、掃除もして、ふとしたことで笑い合い、およそ高校生カップルとは思えない近さと穏やかさで。いえまあ、結婚もう来年に控えてるんですけどね。

 そんな俺達を見て、小町はカップルっていうか老夫婦みたいと言って呆れるのだ。

 まあ、間違ってはいない。

 なので顔を見合わせて笑って、やっぱり穏やかに日々を過ごした。

 

……。

 

 さて、その後のことなんだが、中学あたりから庵の目が濁ってきていた。

 絆と美鳩の話だと、自分達との関係性と友人関係でトラブルがあって、世の中が濁って見えてきたとのことで。

 ならば任せろと会話を試みて、かつてエリートを目指した知識で次から次へと悩みを受け止め、解消し、納得させ、ついには「なんだ! その程度のことだったんだ! サンキュー兄ちゃん!」と解決した。

 

「美鳩! 俺、美鳩が好きだ! 俺と付き合ってくれ!」

「それはだめ。美鳩はパパを誰よりも愛している。その心は揺るがない。想いを貫かんとする心、実にジャスティス」

「ぐっはぁああああっ!!」

 

 庵、撃沈。

 なんでもべたべたくっつくでもなく、距離を必要以上に取るでもなく、しかし静かに励ましてくれた美鳩に惚れたらしいのだが……というか、美鳩さん? なにそのジャスティス。え? 雪ノ下経由で雪ノ下さんと会った? 曲げない信念をジャスティスとして教えられた? なにやってんのあの人!

 

「うぅううう……兄ちゃん……俺、しばらく立ち直れないかも……!」

「いや、お前昔っから女にやさしくされるとすぐ好きになってただろ……誰かさん見てるみたいでツライから、その癖なんとかしたほうがいいぞ……?」

「好きになっても告白なんて初めてしたんだよぉ! うう……美鳩、美鳩ぉお……!」

「まあ、これに懲りず、次の恋でも───」

「あ、居た。パパー、小町お姉ちゃんが呼んでたよ。ちょっと人生相談があるとかで」

「そういうのは高坂兄に相談してくれよ……ていうか、たまに実家に来てもそんな用しかないのかよ……」

「ほらほら庵も、一回フラレたくらいでくよくよしないっ! もっと元気に楽しくあれ! じゃないと人生がもったいない!」

「うるせー……頭の中まで元気でいっぱいなお前に、俺のピュアな気持ちが解ってたまるかよぅ……」

「一回フラレたくらいで全部諦めて泣くだけなんて、どのへんがピュアなのさ。ほんとに好きなら何度だってアタックして、美鳩の理想に追いつける自分になるくらいやってみればいーじゃん」

「───! ……き、絆……」

「ほらっ! しっかりしろ男の子! あんたが義弟になるかもとか想像つかないけど、多少のお手伝いくらいしてあげるからっ!」

「…………《ポッ》」

「庵。とりあえずお前、自分にやさしけりゃ誰でもいいのな」

「ち、ちがわい!」

「あー、まああれだ。とりあえず電車で痴漢に遭ってる大和さんでも助けてみろ。案外お前の“俺物語”が始まるかもだから。あと気の多いやつに娘は任せられん」

「お、お義父さん!」

「誰が父だぶっ殺すぞこの野郎」

「怖っ!?」

 

 庵は……結衣の弟は、姉には似ずに気の多いやんちゃ坊主だった。

 ただし好きになったら本当に真っ直ぐで、本気で告白したいって思った相手なんてウチの娘だけだったんだとか。

 しかしまあ絆は随分と真っ直ぐに育ってくれた。

 もしアニメとかゲームに興味を持ったらどんな性格だったんだろうなーとか、たまに思う。

 まあどちらにしろ、元気っ子なのは変わらないのだろう。

 

……。

 

 で。

 

「美鳩ー! 俺だー! 結婚してくれー!」

「やだ」

 

 ある周期で告白しては、努力する日々が続いた。

 

「美鳩ー! 俺の恋人になってくれぇえっ!」

「やだ」

 

 いっそ哀れなくらいにフラレるもんだから、学校でのあだ名がラブガハマだったりしたんだが、むしろ愛に生きる男として受け入れたらしい。絆が笑って教えてくれた。

 

「美鳩ー! お、俺と兄ちゃんとの違いを教えてくれ! 俺、そんな男になってみせるから!」

「人として違うから無理」

「ギャアーーーッ!!《がーーーん!》」

 

 人として否定されて、大層落ち込んだそうな。

 ていうかほんと、絆と美鳩からのラブがすごい。

 庵に告白された日なんか、絶対に俺から離れないくらいベッタベタにひっついてくる。

 そんなことを中学や高校でも続けて、玉砕回数が100に至った頃には、庵は完璧超人なみのスペックへと至っていた。努力の賜物だな。でもフラレた。

 

「なんだよぉおお……! なにがダメなんだよぉおお……! こんなに好きなのにぃいい……!」

「美鳩にするのと同じくらいに絆にも告白してるからだろーが……つーかなんでお前はウチに来て泣き言言うかね……」

「え、や、やーほら、ここに来れば美鳩が居るかもーって」

「お前さ、美鳩のスマホの登録名がストーカーにされてるの、知ってるか?」

「超ショック!?《がーーーん!》え、え……まじで!?」

「いいからまずは幼馴染に戻るところから始めてみろ。な?」

「なんかやさしい声でめっちゃひどいこと言われてる。あ、けどさ、兄ちゃん。まだ二人とも誰とも付き合ってないってことは、俺にもワンチャンあるよなっ?」

「ご近所のワンちゃんラーメンでメシでも食ってろ堕ァホ。二人ともって時点でいろいろアレだ、このたわけ」

「堕ァホ!? たわけ!? うう……ひでぇよ兄ちゃん……。しょーがねぇじゃん、二人とも好きになっちまったんだから……」

「だから一人に絞れっつっとろーが」

「け、けどさ、もし一人に告白して完璧にフラレて、実はもう一人が俺を好きでしたとかだったら」

「それはない断言するっつーか死ねこのクソ野郎」

「かつてないひどい罵倒された!? うう……まあ、言われてもしゃーないけどさぁ……あぅう……絆ぁ、美鳩ぉお……! だ、大体! 二人があんなに可愛いから悪いんだよ! あの二人と一緒に成長していけば、誰にも渡したくなくなるのなんて当たり前じゃねぇか!」

「そうか。じゃあ俺の気持ちもわかってくれるな? 貴様に娘はやらん。帰れ」

「うわはぁん頼むよぉ兄ちゃぁああん! 俺ほんとに好きなんだよぉおお!!」

「しがみつくな泣くな叫ぶな鬱陶しい結衣助けて」

 

 由比ヶ浜庵。娘二人に恋をした、悲しい男である。

 ちなみにかなりの美形。お世辞抜きにいい男だし、親にも姉にもやさしいヤツ……なのだが。

 恋にはめっちゃ奥手で、やさしくされると惚れやすくて、しかしそんな経験を終えてもまだ、好きなままだった二人に本気で恋してしまったらしく、しかし娘二人が重度のファザコンでいろいろあるらしい。

 なにせ親と子の年齢差がアレだから、娘とかめっちゃこっち意識してて、親離れとかどうなってんのってくらいべったりである。

 俺と結衣、絆に美鳩はマンション暮らしであり、その場所が現実での由比ヶ浜家なので、なんか面白い。で、こいつは暇さえあればここに来て泣きついてくるわけで。

 

「ただいまー……って、庵? また来てたの?」

「あ、姉ちゃん! 聞いてくれよぉ、兄ちゃんがさぁ~!」

「キモい」

「ひどくね!?」

 

 最初こそ甘えてくる弟に甘かった結衣だったが、ある程度成長すると距離を置くようになった。その反動からなのか、ただでさえべったりだった俺との距離をもっと詰めるようになって、まあこうして姉を頼って甘える声を出したところで、この返答である。

 

「またヒッキーに泣きつきに来たんでしょ。色恋は自分で解決しなさいってお姉ちゃん何度も言ってるでしょ?」

「それが出来れば100回もフラレてないって……」

「庵のは出来ないんじゃなくてしないだけ、でしょ?」

「う、うー……!」

「100回もフラレてるのにまだ好きなんて、誰に似たんだろね、もう……」

「姉ちゃんはいいよなー……出会って一目惚れでずーっと好き合ってるんだろ? 俺なんて……」

「誰彼構わずやさしくして、やさしくされたら惚れて、って、そんな気の多いことしてるからだよ。空気を読むにしたって、読み方を間違えすぎ」

 

 めっ、と叱られて、しょぼんな弟。

 内弁慶なヤツって居るけど、こいつの場合は親しければ親しいほど弱いタイプだ。

 叱られてしょぼんとする大型犬みたいなイメージ。

 で、構ってほしくて近づいては怒られてしょぼん。

 

「お、おーけー、俺がアレなのはもうとっくに解ってる。だから次で最後にするよ。101回目のプロポーズってのも昔あったって聞くし」

「身内にそれをする人が居るって、実際恥ずかしいって解ってる……?」

「……ゴメンナサイ、正直俺もないわって思う……」

 

 結衣、庵ともに顔を赤くして落ち込んだ。

 まあ、実際101回だもんなぁ……それも全部フラレてるとくる。

 

「ま、今日はもう遅いし泊まってけ」

「いいの!? マジで!?」

「えとー……庵? 庵こそいいの? 絆と美鳩のヒッキーへの態度、すごいよ? たぶん傍で見てるといろいろ折れると思う。ていうか、庵が居るから余計にべたべたすると思う」

「帰らせてくださいお願いします!」

「だめだ」

「なんで!?」

「ただいまー! 部活長引いちゃったー! パパ、パパ居るー!? あとこたつ! こたつを所望する! さむかったー!」

「ただいま戻った……ハト帰還。パパ、旅から戻った鳩をたっぷりと撫でてほしい。それはきっととてもジャスティス───あ」

「どしたの美鳩……って、あ……庵」

「うぐぁっ……よ、よう、絆、美鳩……」

「……学業とプライベートは別。お久しぶりです叔父様。いらしていたのですね叔父様」

「叔父様さっきぶりー! なになに? 今日は遊びに来たの叔父様!」

「ちぃいっくしょぉおおおお!! プライベートなんて大嫌いだぁああああっ!!」

 

 そんなこんなで急遽お泊り会。

 え? どうなったのかって? ……なんか庵に爆発してくださいって言われまくった。泣きながら。

 まあその、なにはともあれ、ノーサンキューな場合は娘たちに叔父様呼ばわりされている庵である。

 おう泣け、泣いていいよマジで。

 

 と、いうわけで。

 そんな賑やかな日々を、堪能しながら生きた。

 言ってしまえばいろいろあったが、青春ってものを間近で見られたと思う。

 三人の青春がどうなったのかは……まあ、語るのはよそう。

 外から見ているとなんとも楽しかった、とだけ。

 結局はその三人の話が落着したあたりで目覚めた俺と結衣は、同じ布団の上で目をぱちくり。のちに笑って、それからも幸せに過ごしましたとさって感じで続く。

 まあ、なんとも不思議な、冗談を許されたエイプリルフールだったということで。

 猫がそれを知っていたかは別として、なんだか笑えたからそれでいいと思えた。

 

  ちなみに。

 

 そんなことがあったからか、結衣がママさんに弟が欲しい! と言ったらしく、その夜にパパヶ浜さんがもげた。もとい、いろいろあったらしい。

 「弟が出来るかも!」と元気に言っていた結衣の横で、俺はパパヶ浜さんの疲労を想いつつ、「出来たらいいな」と笑ったのだった。

 

 

 おしまい。



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rのあとの彼女の事情

DVDorBD購入特典小説anotherの後を妄想して書いたお話になります。
つまり、rのあとのガハマさんのお話。


 ぱたん、と扉が閉まる。

 視線を足元に向けると、靴が並んでいる。

 パパも帰ってきていることを確認すると、鍵をかちゃんと掛けて靴を脱ぎ、ミトンを外しながらとたとたと歩いた。

 

「ただいまー」

「おかえりなさい。んふふー、どうだったのー? 結衣ー」

 

 早速にっこにこ笑顔のママが、今日のことを訊いてくる。

 すると、自分でも解んないけど無意識に両手をポケットの中に突っ込んでしまった。

 

「? 結衣? 寒いの?」

「え? あ、ううんっ、べつにそんなことないけど…………えと」

 

 なんか……うん、なんか。

 どうだった、って訊かれたら、どきどきした、としか。

 うん、すっごく楽しかったし、嬉しかったし、面白かったし……けど、なによりもどきどきした。

 近づいたんだなって、本当に……本当に意識できたし実感も出来たんだ。

 

「………」

 

 ママはポケットに手を突っ込んだまま視線をあちこちに動かすあたしを見て、なんだかくすって感じに笑って、「ごはん、食べるでしょ? 手、洗ってきなさい」って言った。

 ……。なんか、見透かされてるのかなーって。

 でもお腹は空いてる。結局、浮き輪まんのあとはなんにも食べなかったし。

 や、やー……その後っていえばほら、あれがああだったから、お腹が空いたーとか、そういう雰囲気でもなかったし。

 

「………」

 

 ポケットから手を出して、両手を見下ろす。

 右手は小指だけピンと伸ばして、左手は握られた感触を確かめるように閉じたり開いたり。

 

「…………《ほにゃり》」

「結衣ー? うふふふふ、顔がニヤケてるわよー?」

「ふやいっ!? ななななににニヤケてないよ!? もうなに言ってんのママ!」

「……クッキー。受け取ってもらえた?」

「《とくんっ》………………《かぁああ……!》」

「……そう。よかったわね、結衣」

「…………うん。………………うんっ」

 

 頷いて、いい加減動き出す。

 コートを脱いで、洗面所に行って、袖をまくって手を洗───

 

「………」

 

 洗…………

 

「………」

 

 …………。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 …………ぽー……

 

「…………《もぐもぐ》」

「結衣?」

「………」

 

 …………ぽー……。

 

「…………えへー……♪《にこー……》」

「……ヒッキーくん《ぽしょり》」

「《びびくぅっ!》ふひゃあっ!? えなっ!? なななにっ!? ママ、なにっ!?」

「んふー……♪ 結衣、ヒッキーくんとなにかあったでしょう?」

「えっ…………や、やー……べべべつになんもないよ、うん。なんも」

 

 なんもなかった。

 そのうちだもん。そのうち。

 ま、まあその“そのうち”も、自分から行って、何度だってあたしから言うつもりだから、待ってなんかやらないんだ。

 だから……

 

「…………えへー……♪《にこー……》」

「さっきから小指見つめてにこにこして。なんにもないわけないでしょー? 小指がどうかしたの? ゆびきりげんまんでもする?」

「ふしゃーーーーっ!!」

「ひゃんっ!? ゆ……結衣?」

「うー……!」

 

 ひょいと伸ばされたママの指が小指に絡まりそうになった瞬間、なんか思わず威嚇みたいなのをしちゃった。

 だめ、せめて今日くらいは誰にも触れられない小指でいたい。

 

「はぁ……ヒッキーくんとなにか、約束でもしたの?」

「う、うー……知んない。ほっといてったら、もう」

 

 ご飯をぱぱっと食べて、片づけて、そそくさと部屋に戻る。

 その途中、ママが「頑張ってね」って言ってくれて…………恥ずかしがってばっかりでなにも言わないあたしは、なんだか自分の行動が恥ずかしくなって。だからせめてって、恥ずかしさを押し込めながら「うん」と「ありがと、ママ」だけを……振り向きもしないままに言うだけ言って、部屋に戻った。

 

「………」

 

 脇に抱えたコートをハンガーにかけて、着替えもせずにベッドに身を投げた。

 はぁ、と溜め息をつくと、自分の子供っぽさが恥ずかしくて、ぐしぐしと両手で顔をこすってみる。

 ……と、その両手がアレだったのを思い出して、顔がちりちり熱くなるのを感じた。

 

「こっちは指切りで……こっちは寒いからって……ヒッキーが…………」

 

 顔、あっつい。

 そのくせ緩みっぱなしだからたまらない。

 右手だって結局は小指から絡まって、繋いで、絡ませて。

 

「………」

 

 花火は寂しい思い出のイメージが大きかった。

 でも……今日からは、花火を見れば笑顔になれそうだ。

 それが、なんだか嬉しい。

 

「あ、そうだ」

 

 ごそごそとバッグを開いて、その中から大事に大事に一枚の写真を取り出す。

 そこにはあたしのことをすっごく見てるヒッキーと、いたずらが成功して楽しそうに笑うあたしが、それぞれすっごい近くで映ってる。

 わ、我ながら恥ずかしいことしちゃったかなーって思うのに、恥ずかしいよりも嬉しいが勝っちゃうんだから、もうほんと、あたしは……ほんと……うん……。

 

「えと……こうして……こう、と。うんっ、よしっ」

 

 シーで一緒に買ったフォトスタンドにきちんとはめ込むようにして、ベッドから降りるととてとてと歩いて、机の上に置く。

 

「………」

 

 今日だけで、いっぱい近づけたって……本当にそう思う。

 今日のあたしが、ヒッキーにとってどれだけ近寄れたのかは解らなくても、ああやって……寒いからって理由でも、手を繋いでくれたり……指切りのあとに繋いでくれるほど、近づいてはくれたってことで……いいんだよね?

 

「……うん、もっと頑張んなきゃだ」

 

 命短し恋せよ乙女。

 そんな自分にとっての大切な言葉を胸に、明日はどんなお話をしようかなって……早速ヒッキーに会いたくなっていた。

 

「うう……眠れる気がしない……。今日だって寝不足で、ヒッキーと一緒なのに寝ちゃったのにな……」

 

 ドキドキがすごい。

 そんなあたしのケータイが突然音を奏でると、不意打ちもいいところ。あたしはほやわー、ってヘンテコな声をあげちゃって、扉越しにママにぴしゃりと怒られた。

 パパ、明日早出で寝てるからって。うん、これはあたしが悪い。

 とにかくケータイで相手を調べてみると、小町ちゃんだった。

 どうしたんだろ。なんかあったのかな。

 

「もしもし? 小町ちゃん?」

『あ、結衣さーん! やっはろーです!』

「あ、うん。やっはろー、小町ちゃん」

 

 出てみれば、異常なくらいテンションの高い小町ちゃん。

 なんかドタバタ聞こえて、小町ちゃんの声が……えと、揺れてる? 走ってるみたいな息遣いも聞こえる。

 

『いやー聞きましたよ結衣さん! なんと! なんとあの兄とシーにデートに行ったとか! んああ仰らないで! 詳しいことは先ほど兄から全部聞きましたから!』

「え……全部───全部!? え!?」

『小町が必死こいて問題に向き合ってる最中にまったくこの兄はラブラブイチャイチャしちゃってぇ! でも許します! 小町許します! あんな話を兄から聞いたなら、もう許しちゃうしかないでしょう!』

『やめて小町ちゃんマジやめて今回ばっかりは本当の本気でやめてお願いしますやめてくださいぃいっ!!』

『お兄ちゃんうっさい! 今小町が話してるでしょ!』

 

 向こう側からドタバタ。

 一緒にヒッキーの泣きそうな声まで聞こえてきて……え、ええと。なにがあったのかな。

 

『それでですね! 全部というのはそれはもう全部でして、兄がデート中に見た結衣さんについての感情を、それはも~~う熱く語ってくれちゃいまして! 気持ちをはっきりさせたいから相談に乗ってくれっていきなり言い出すもんですからなにかと思えば!』

『やめてぇえええっ!! マジやめてくれほんとやめてなんでもするから! 頼むお願いお願いします!!』

『なんでも?』

『なんでも!』

『絶対に?』

『絶対に!』

『じゃあやめるね。約束守ってよ?』

『お、おう…………はぁあ……!』

『ん、じゃあ一旦やめたから話すね? それでですね結衣さん』

『ちょ、小町ちゃん!? それやめたって言わな───』

『邪魔しないでお兄ちゃん。約束、守ってね?』

『───』

『それでですねー結衣さん! 今日の兄の結衣さんに対する反応がですねー!』

『いやぁああああ!! やめてぇ小町ぃいいいっ!!』

 

 聞いてて悲しくなるくらい必死な声だった。

 そんな声を無視して耳に届いた言葉は───……

 

「…………」

 

 可愛かったって。

 寝顔、可愛かったって。

 コートに顔をうずめるあたしを受け止めて、心がすっごく穏やかになったって。

 表情がころころ変わるあたしだけど、そんな変化を賑やかだ~とか面白いとか楽しいとか可愛らしいって思うことはあっても、綺麗って思ったのは初めてだった、って……。

 気づけば笑顔を目で追っていたことに文字通り気づいたって。

 もう一度、“待たないでこっちから行く”と言ってくれて嬉しかったって。

 

『と、いうわけで。現在兄が顔を真っ赤にしてリビングにひっくり返って悶えてます』

「あ、あはは……えと……小町ちゃん」

『はい、嘘とかじゃなくてマジです。かつてないほど真剣に相談があるーとか言うから真面目に聞いたら、ただの惚気話だったので発散しました。大体ですよ結衣さん。人が受験でいっぱいいっぱいっていうのに、こんな面白いことを小町抜きで……けほんけほん。えーっとあははー……結衣さん』

「う、うん。なにかな、小町ちゃん」

『兄のこと、よろしくお願いします。兄はこんなだから、人に対してこんなに真っ直ぐに感情を吐露することなんてありません。そんな兄が、小町に真剣に相談に乗ってほしいって言ってきました。強引な手段でしたけど……幸せになってほしい、小町にとっては自慢の兄です。ですから───』

「……ん。大丈夫だよ小町ちゃん。あたしも、もう足踏みなんてしたくないから。嘘でもいいのにって思ってた。でも、もう嘘じゃヤだから。だから───小町ちゃん。えと」

『……はい。これからも、よろしくお願いしますね、結衣さん。長いなが~い付き合いになったら嬉しいです』

「え? こ、小町ちゃ───!? それって───」

『それでは小町、ただいまやる気充実モードなのでこれで失礼しますね! こんな報告が昨日きてたなら、満点だって夢ではなかったに違いありません! ほらほらお兄ちゃん! さっさと次のデートに備えて準備とかするよ!』

『いっそ殺せぇえ……!』

 

 通話はそこらでぷつんって切れた。

 

「………」

 

 相手がヒッキーだから、マイペースにそれこそ“そのうち”程度にしか考えてないかと思ってた。

 なのに内心はとっても喜んでくれてて、あたしは……由比ヶ浜結衣は。

 

「~~~……ぅ、ぁ……わーーーっ!! わっ、わぁっ! わぁあーーーっ!!」

 

 クッションをむぎゅって抱きしめて、ポーンとジャンプしてベッドに沈んだ。

 それからぱたぱたと足やら体やらを振ったり跳ねたり。

 しばらくしてぴたりと止まると、もう頭の中はヒッキーだらけ。

 ぽしょり。ヒッキーって呟くだけで、胸がとくんってなって、ドキドキが止まらなくなる。

 ああ、これ、またきっと眠れない。

 デートだからってドキドキして眠れなかった昨日と同じだ。

 そ、そそそそだ! お風呂入ろう! 入って、さっぱりすればいろいろしゃきっとするかもだし!

 そんでさ、お風呂あがる頃にはきっともう落ち着いてるんだ。

 落ち着いたなら眠れる。眠って、元気になって、明日またヒッキーに会って、隣まで歩いて、やっはろ-って……!

 

「………やだな。もう……」

 

 もう、会いたい。

 もっと頑張りたくて、見てくれる時間が増えてほしくて、もどかしくて、苦しくて、それなのに顔はにやけっぱなしで。

 

「ヒッキーのこと、キモいとか言えないじゃん、こんなの」

 

 呟きながらクッションをむぎゅーって抱いて、右手を目の前まで持ってくる。

 じーっと見てると、顔がほにゃーって緩んできて……「……えへー♪《ぱたぱた》」……足が勝手にぱたぱた動く。

 少しだけそんなことを繰り返したあと、ママに言われてからようやくお風呂のために立ち上がった。

 

「…………」

 

 部屋を出る前。

 机の上の写真のヒッキーを見て、なんとはなしに手をぱたぱたと振った。

 いってきます。

 すぐになにやってんだろって笑って、今度こそお風呂へ向かった。



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とある些細なやりとり劇場

ショート馬鹿話。
メッセ内で、坂本ですがの話が出たことがきっかけで急遽書き上げたものです。


 ───市立総武高校国際教養科に、入学早々学校中の注目を集める生徒が居た。

 

 日直さえもスタイリッシュ。

 

 ランチタイムもスタイリッシュ。

 

 犬を助ける少年を車で撥ねることさえスタイリッシュ。

 

 その一挙手一投足が

 

 Cool!

 

   Cooler!

 

     Coolest!

 

 圧倒的にクールでスタイリッシュな学園生活を送る、その生徒の名は─── 

 

「───ゆきのんですが?」

 

 

 

───……。

 

 

 

「というのを妄想してみたのだが、どうであろうかっ!」

「いやどうであろうかじゃねぇよ。雪ノ下が居ない時とか見計らって、なに言い出すかと思えば。あとなんなの? 車で人を撥ねるのにスタイリッシュとかあるの?」

 

 とある日の放課後。

 いつものように奉仕部で依頼人を待っていると、めんど───もとい、めんど……面倒なことに、材木座がやってきた。で、なにを言い出すかと思えばこれである。

 ちなみに雪ノ下は花を摘みに行っている。言わせんな恥ずかしい。

 まあともかく、そういうわけで現在は俺と結衣の二人きりということになる。……材木座を除けば。

 

「いやしかしな八幡。我らはこう、何年も前から2年のまま、流れるように春から冬アニメを見送ってきたわけであろう? 2011年3月18日から既に5年。こんな時期にごちうさなんてやってるわけがないのに、我が“心がぴょんぴょんするじゃ~”とか言ってる時点でいろいろアレなわけだが」

「おいやめろ」

「ハヤテのごとくの世界でも大して時間が経っていないのに、カプコンさんが物凄く頑張って恐ろしい速さでモンハンを発売させまくっているであろう? あれと同じく、そんなことがあってもいいと思うのだ。……漫画内での3rdの発売の早さに驚いたものよ。あの世界のカプコンさん、仕事しすぎでしょ……」

「やめろっての」

 

 いろいろ危ないから。

 

「そこまで来たら今さら“坂本ですが?”の話題で盛り上がるくらいいいではないか! というわけで、アニメ“坂本ですが?”のOPの全ての坂本くんを、雪ノ下嬢に置き換えてイメージしてみるというのをやってみたいのだ。むしろ我以外の意見を聞きたい。よい反応ならスマイル動画とかに投稿してちやほやされたいでござる」

「なんでわざわざ動画まで用意してんのお前……」

「ふふんむ! こういう時こそぬかりなし! というわけではいスタート」

 

 わざわざノーパソまで用意した材木座がそれを開き、見せてくる。

 となればこちらもせめて見るくらいはしなくては、文句も言えない。のでガタガタと椅子を動かして見る体勢を取ると、その隣にガタガタと椅子を持ってきて座る結衣。

 

「んんっ……ね、ヒッキー、もーちょっとそっち詰めて」

「いやお前はべつに見なくても……って近い近い近いっ」

「ゆきのんのことなら気になるじゃん。ってゆーか……その、いいじゃん? べつに……近いくらい、さ……」

「いや……~~……お、おう……」

「……なにこの空気。なんか我今すぐ帰りたい」

 

 ……。

 

───……。

 

 “坂本ですが?”OP視聴中───……

 

「んーと、この男の子をゆきのんに置き換えるんだよね? ……ちょっとイメージしづらいかなぁ……」

「眼鏡あたりは俺が贈ったブルーライトカットの眼鏡でいいんだろうけどな。……ま、クールって点も多少は解るし」

 

<ハンパナンパネコゼハノーォオーーーッ!!

 

「あ、この猫背って部分でなんか反応しそう」

「サーフィンとか、やろうとすればすぐに出来るようになりそうだな……」

「んー……花束捨てるのは似合わないかなぁ」

 

<オーオーオーオーオー!!

 

「あっ、ステージの上でってのは文化祭のおかげでイメージしやすいかもっ。あ、でも一緒にステージの上に居たから、客側の目線とか難しい……」

「ステージの上で踊ってる最中、体力尽きてぜえぜえいってそうな。マジで」

 

<ミヒライテソラスナメヲー!

 

「このえっと、なんか光ってるところで、ぐったりして横になってる姿とかで?(眩しく孤高の新世界の部分)」

「……ぶふっ! た、立ってポーズ決めてたら、それはそれで……ぶふっ!」

「ぷはっ……ちょ、ヒッキー……! あんまりヘンなこと言わないでよっ……!」

 

 雪ノ下が溢れる光の中、足をクロスさせて、まるで太陽賛歌をしているソラールさんのようなポーズを取る姿を想像したら、それは見事クリティカルとして俺達の腹筋を襲った。

 

「スタイリッシュって……! ぶはっ! ~~……れ、レペティション・サイドステップも先生が来るまで続けてられねぇんじゃ───……ぶはっ! くっ……くふふ……! い、いや待てっ……すぐに落ち着こう……! こういうパターンだとすぐ後ろに雪ノ下が来て、お馴染みのオチで終わるっていうことばっかり《ぐわしぃっ!》ああもう例に漏れねぇなぁちくしょう!」

 

 その後たっぷり説教されたそうな。

 

 

……。

 

 

 はぁ、と溜め息が聞こえた。

 俺も吐きたいよ。つか吐く。

 

「それで? どういう経緯でそんなことになったのか。聞かせてもらえるのかしら」

「材木座が悪い」

「中二が悪い……かな」

「ぶひっ!? いやっ……わ、我はっ!」

 

  ───財津説明中……

 

「……スタイリッシュかどうかは別として、何故私が自ら“ゆきのんですが”などと名乗るのか。まずそこから説明してもらえるのよね?」

「そ、それは、だな……! つまりそのー……で、あるからしてー……!」

「俺じゃなくて雪ノ下見て言え」

「我にはやはり難度が高いから無理ィイ! そ、そう! こういう説明は得意であろう!? あとは任せたぞ八幡よ!」

「俺にそんなもん求めるんじゃねぇよ……俺に説明しろだなんて言われても、出来るわけが───……あ、じゃあ結衣、任せた」

「ふええっ!? あたしっ!? え、あ、え、えと、えとー…………ゆ、ゆきのんっ!」

「……なにかしら」

「ゆ、ゆきのんってさ! れ、れぺ、れぺー……」

「レペティション」

「そうそれ! レビテーション・サイボーグストーブって出来る!?」

 

 空飛ぶ人工装置登載的人型ストーブの完成である。じゃねぇよ。

 

「ええと……その。レペティション・サイドステップ、といいたいのかしら……」

 

 すげぇ! ゆきのんすげぇ! 今のでよく拾えたなおい!

 

「あ、うんそれそれ。できる?」

「……由比ヶ浜さん。それは私に運動が出来ないと言っているようなものよ」

「あわわ違くてっ! 中二が言ってきたことがそれっぽいことだったから、訊いてみただけってゆーかっ!」

 

 ぱたぱたと胸の前で手を振る結衣を見て、次いで俺をじろりと見る。

 もちろん俺は肯定の意を込めてこくりと頷いてみせる。

 

「馬鹿にされたものね……財津くん、あなたがどういった考えでそんな質問を投げたのかは知らないけれど、私は運動神経はとても良いの。反復横跳びくらいわけのないことよ」

「あれ? なぜか我が諸悪の根源みたいに……だが我、こういうノリとか雰囲気……嫌いではないぞ!?」

「んじゃ雪ノ下、一応依頼らしいからやってみてくれ。全部納得させれば依頼達成&材木座も去るわけだし」

「……そう、ね。解ったわ。その挑戦……ではないわね、依頼、受けましょう」

「あ、そだ。ゆきのんゆきのん、運動する前にさ、えっと……ブルーライトカットの眼鏡、つけて?」

「え……けれど運動の時につけるようなものでは───」

「ふぶっ、ふぶるくくコポポォ……!! どうやら雪ノ下嬢は失敗することが怖いと見え───」

「いいわ、付けましょう」

『早っ!?』

 

 鞄からケースを取り、それをスチャリと装着。

 徐に立ち上がると、その場に居た全員での耐久“反復横跳び”(レペティション・サイドステップ)大会が始まった。

 

「《ザムゥウ~~~ッ》うじゃああ~~~……」

 

 で、ものの十数回で材木座が脱落した。

 

「って、いうかっ……だなっ……! なんだって、俺までっ……やらなきゃっ……!」

「それ、いうならっ、あたしもっ、だよっ!」

「あら。人のことを随分と話題にしてくれたくせに、早速息が荒れているわね」

「ゆ、ゆきのんすごっ!? 息っ、全然っ、荒れてなっ……はっ、はぁっ、はふはっ……!」

「ふ、ふふふっ……ふ、ふ───ふーーーっ! ふーーーっ!」

 

 あ、なんかダメだ。怪我したところを蹴られたイチゴ味の聖帝様みたいな感じになってる。

 それでもやはり負けず嫌いは発動し、反復横跳びは続き───

 

「んっ、うっ……ぁぅ……ひ、ひっきー……! あのっ……あ、あたし、胸いたいっ……!」

「なんでそれを俺に言う!? って、あ───」

 

 体力が尽きてからは早かった。

 雪ノ下、脱落。

 

 

───……。

 

 

 ……。

 

「そ、そう……つまり、この財津くんが持ってきた、その……坂本……くん? が出来ることを、私にしてみせろという挑発がそもそもだったのね……」

「いやおい待て、挑発って発想はどこから来た」

「うー……かかなくていい汗かいたー……。お風呂入りたいよー……」

「あー……そだな。結衣ももうこんな調子だし、今日はもうお開きにして───」

「待ちなさい。それが依頼だというのなら、解決せずに帰るのは失礼というものでしょう?」

「やめとけ雪ノ下、その負けず嫌いは絶対に後悔しか生まない」

「なにを言っているのかしら引き下がりくん。受けて立ちもせずに敵前逃亡でもするつもりなの? あなたは」

「挑まれてるわけでもねぇのに勝手に対抗心めいたもん燃やしたってしょうがねぇだろ。やめとけ、後悔するから」

「……やるわ。いいから見届けなさい比企谷くん」

「えー……」

 

 やることになったらしいので、仕方なく……まずは“坂本ですが?”を見せることから始まった。

 

「…………《カタカタカタカタ…!!》」

「雪ノ下」

「《ビビクゥッ!!》へひゃいっ!? な、ななななにかしらっ!?」

「………いや。あー……マジでやるのか? 人間業じゃないことばっかやってるけど」

「や……や、やる、わ……! ええ、やってみせるわよ……!」

「結衣……」

「あ、あはは……こうなっちゃうとゆきのん、全然話聞いてくんないから……」

「……OH」

 

 翌日から、YUKINONの挑戦は始まったのだ。

 

……。

 

 スタイリッシュ1。落下する黒板消しを華麗にキャッチ。

 先に奉仕部の鍵を受け取り、部室で待つこと数分。引き戸が開かれ───

 

「由比《ボスッ》ヶ…………」

 

 キャッチどころか黒板消しに気づかなかった。

 

……。

 

 スタイリッシュ2。机と椅子が無いので窓枠の上で優雅に華麗に。

 

「~~~…………!!《かぁあああ……!!》」

「雪ノ下さん? 窓の前でどうしたの?」

「机がないみたいだけど……」

 

 やる勇気が出せなかったそうだ。

 国際教養科の教室でそれが出来たら勇者な。マジ勇者。

 

……。

 

 スタイリッシュ3。咄嗟の超空気椅子。

 奉仕部にて紅茶を淹れたのちに座ろうとした際、椅子を取られても対応出来「《ドテッ!》きゃんっ!?」……る、か……。

 

「………」

「………」

「………………《スクッ! ババッ!》」

「ああっ! 空気椅子やり直した!」

「ゆきのんすごい! めげない!」

 

 出来なかった。

 

……。

 

 スタイリッシュ4。蜂の襲撃に冷静に対応し、マナービーンズが出来るか。

 

「………」

「………」

「…………蜂、こないね」

「…………だな」

 

 そうそう来るわけがなかった。

 

……。

 

 その後も雪ノ下は様々なスタイリッシュに挑戦しては顔を朱に染めることになり、しかし決して諦めようとはしなかった。

 やがてその努力が実を結び、次第に体力がついてゆき、様々なスタイリッシュな行動にも対応出来るようになり、総武高校にその人ありとまで言われるほどの圧倒的COOLでスタイリッシュな女子高生として有名になった。

 

「………」

「……なんつーか……ここも随分と静かになっちまったな……」

「そだね……。今日もゆきのん、ひとりで解決してるのかな……」

「かもな……。あいつ一人で解決できるようになってからというもの、手伝えることが無くなっちまって……」

「………」

「………」

「……ヒッキー。あたし、やだよ……。このまま、なんて……やだ……やだよ……」

「……けど、じゃあどうするってんだよ。あいつの真似して限界を越えろってか?」

「解んないよ。解んないけど……でも……!」

「結衣…………解った。俺だって、このままでいいなんて思ってねぇよ。だから……やるぞ、結衣。俺たちも行くんだ……あの高みに……!」

「ヒッキー……! うんっ!」

 

 その日から、俺と結衣の努力は始まった。

 出来ることを増やすことから始め、その全てをスタイリッシュに解決するための力をつけるためにも努力を続けた。

 やがて俺達も同じ高みへと昇り詰め、追いつき、雪ノ下が生徒会に入るのをきっかけに、生徒会奉仕部を設立。

 生徒の悩みをクールかつスタイリッシュに解決する、生徒会が誕生したのだった。

 

「ねぇ、ヒッキー《シャババババババスタァーン!》」

 

 生徒会室の一角にて、結衣が書類の枚数を素早く数え、纏め、揃えて片づける。

 窓からふわりと吹く風が髪を揺らし、とても美しく見える。

 

「なんだ、結衣《トタタタタタタンッ!》」

 

 俺も速読の要領で書類を確認、料金確認などの書類に手早く印鑑を叩き、処理を完了させる。

 

「これ……なんか違くない?」

「……言うなよ」

「まったくあなたたちは……。私一人でもなんとかなったというのに」

「人のやり方には待ったをかけるのに、自分一人の行動は肯定、ってのは違うだろ。だからそれを止めるために、俺も結衣も来たんだ」

「そだよ、ゆきのん。同じ目線じゃなきゃ届かないことってさ、あるよ。ゆきのんがどうとかじゃなくってさ、あたしたちが来たかったんだ。そりゃ、やっぱちょっと違うかなーとは思うけど」

「やれやれ、本当に仕方のない人達ね……」

「その坂本くんチックな返事の仕方やめろ……」

 

 輝かしい高校生活。

 俺達奉仕部は……今日もまちがった方向に全力でクールでスタイリッシュだった。



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お題文字列劇場①

過去の6月18日に向けて書いた八結文字列劇場です。
UPしたのは17日でしたけどね。いろいろ混ざっているので注意です。
とはいっても、大体はぬるま湯ルートですが。


お題/ガ

 

 ガ。

 それはこの世界の創造までを振り返れば、なくてはならない文字である。

 青い本として名を馳せたガガガは、その文字からして完成されたものである。

 そう、想像、創造、誕生。その三つが並び、ガガガ。いや関係ねぇか。まあいいとにかく誕生だ。んで、今日は6月18日。この日を忘れるとか、相手のことをよく知らなかった頃の学生の時分の俺ならまだしも、今では到底ありえないことだろう。

 日付が変わった瞬間、一緒にその瞬間を迎えようと頑張って起きていたけど眠ってしまった結衣におめでとうを唱えつつ、穏やかな寝息をたてる妻の頭をやさしく撫でる。

 んゆ、と小さく返すその姿に自然と頬が緩み、眠ったままの彼女の頭を胸に抱き寄せ、俺もやわらかなベッドに沈みながら息を吐く。

 すぐに眠気はやってきて、俺達は互いに好きな香りに包まれながら、今日も大切な一日を笑顔で過ごすため、夢の中へと落ちていった。

 

  ……まだ、娘たちが産まれる前の、実に静かな日の出来事。

 

 お腹に命を宿した妻と、俺と。こうしてても一応、川の字ってことになるんだろうか。いや、べつに三つ並びの“ガガガ”と掛け合わせたとかじゃねぇんだけど。

 

「……早く産まれてこい。こっちは、ほんと退屈しねぇぞ……。そんでな、眩しいもんがいっぱいあるんだ。腐った目で見ちまうにはもったいないもんばっかだ。……それを、俺と……あ、いや…………~……俺達と。一緒に見よう。だから───」

 

 だから。元気に育って、笑顔を見せてくれ。

 そう呟いて、俺も目を閉じた。

 意識が落ちる途中、鼻をすするような音が聞こえた気がしたけど……でも、そこに不安はなかったから。

 起きることもなく、ただ静かに、好きな香りと落ち着く空気に包まれながら、やがて眠りについた。

 

 

 

お題/ハ【ぬるま湯シリーズ既読推奨】

 

 葉山隼人は暇なんじゃなかろうか。

 時々そう思う時がある。

 

「お邪魔するよ」

 

 今日も今日とて葉山が店に来た。

 カプチーノとシフォンケーキのセットを頼み、一緒についてくるコパンをコリコリ噛んではにっこりしている。

 

「お前、ほぼ毎朝くるけど暇なの?」

「これから仕事だよ。といっても、弁護士なんて相談相手が居ないと中々ね。もちろんお抱え弁護士だから、それなりに相談役として立ててはいるんだけど」

「あー……相手が雪ノ下さんなわけか」

「はるねぇとは言わないんだな」

「あの人の前じゃなけりゃ言いたくない。あの人に喜んでほしいとかそういう意味じゃなくて、必要じゃないなら言いたくもねぇよ」

「はは、そうか。っと、すまない、カプチーノのお代わりをもらっていいか?」

「おう。おーい、美鳩ー、カプチーノとMAX頼むー!」

 

 カウンターに呼びかけると、美鳩がサムズアップして応えてみせた。

 いや、普通に返事で返しなさい。なんで妙に男らしいの。

 

「三浦の……こう、愛妻弁当的なものはないのか?」

「はは……彼女もなかなか、料理が苦手でね。今は修行中ってところかな。悪くないと思うのに、まだだめだって食べさせてくれないんだよ」

「俺の時は……まあ、結衣の時は、俺が無理にでも食べて感想言ったもんだけどな。お蔭で俺の味覚を基準に完成した結衣の料理だ。当然ながら美味い」

「食べた人の正直な感想は相当な糧になる、ってどっかで見たな。俺も少し倣ってみるか」

「最初はマジで怒るから気をつけろよ? 美味しいの食べてほしかったのにって泣きそうになる可能性もある」

「そ、そうか……それは、苦労しそうだ」

 

 言う割に顔は楽しげだ。

 そんな彼のもとにカプチーノが届き、俺のもとにはMAX。

 味わい慣れたものを喉に通すと、なんというか落ち着きというものが来訪する。

 なんかいいよな、こういうの。

 

「すっかり上手くなったね、美鳩ちゃん」

「淹れる相手によって心を切り替えて淹れてるらしいぞ? よかったなー葉山。前に材木座は醤油出されて吐いてたぞ」

「それは普通香りで気づかないか!?」

「葉山。お前が思うよりもな、コーヒーの香りを楽しむやつって少ないんだ。それを解ってたのと、絆にブルマ教えた天罰だって言ってた」

「……まあ、それは材木座くんが悪いな」

「それでも懲りずにいろいろ言わせてるらしいからな。絆も面白がってやってるし、まったく」

「……見てて解るよ、本当に大事なんだな、娘のこと」

「当たり前だろ。俺は結婚する前から家族は大事にしてるっての。両親は微妙だが」

 

 俺の言葉に、「そういえば比企谷の両親は結婚式以外じゃ見たことがないな」と返してくる。

 いや、ほんとそれな。たまには飲みに来ればいいのに。

 そしたら娘がMAXとバスターをサービスしてくれるぞ。絶対に。嫌がっても無理矢理食わせるだろう。

 

「はぁ……本当に、美味しい。…………なぁ比企谷」

「ん? どした、改まって」

「気が早い話でもあり、遅い話でもあるんだが……俺にも子供が出来ると思う」

「まあ、そうな」

「ああ。その時に娘か息子か、興味を持ったら……コーヒーを教えてもらえるか?」

「……? 紅茶じゃなくていいのか?」

「“Y”は忘れたよ。いいんだ、それで」

「……そか。解った、それなら娘が伝授してくれるだろうさ。今じゃ菓子作りも習ってるから、いつか大きくなったら連れてこい。潰れてなければ教えるだろうさ」

「はは、潰れるのか? ここ」

「ママのん次第だろ。割と本気で」

 

 もう借金も返して、十分な貯蓄もあったりする。

 けど満足して終わり終わりってわけにもいかない。

 俺はそれでもいいんだが……むしろコーヒーは美鳩に任せてウェイターでもやってりゃいいんだろうが、こんなおっさんにも声をかけてくる客が居たりするわけで。

 すると結衣の機嫌が悪くなるわけで。もちろん逆もまた然り。

 

「君……いや、お前は本当に、由比ヶ浜さんのことになると目が変わるな」

「好きな女性と一緒になって、どんどん好きになっていけば嫌でも解る。娘でも産まれてみろ、余計だぞ」

「……俺がお前みたいに過保護に? ははっ、冗談だろ」

「ほーん……? んじゃあ絆がちっこい頃、ロリコンっぽいおっさんがゲヘゲヘ言いながら───」

「すまん俺が悪かったあれは忘れてくれ……!」

 

 手伝いを始めたばかりの頃の絆に、ゲヘゲヘと言い寄るハゲなおっさんが居た。

 絆は涙を浮かべて後じさり、それを丁度来店した葉山が発見、おキレあそばれた。

 あそこまで取り乱す葉山も珍しい。今でも記憶フォルダにはしっかりと焼き付けてある。

 ともあれ、以降、あのハゲが来ることはなくなったが…………アレ? 娘たちのハゲ嫌い、あれが原因か?

 

「つまり、娘に近寄る男全部があのハゲとまではいかないが、近いものに見えてくるぞ。そして妻に言い寄る男をシメたくなる」

「それはいきすぎじゃないか? 心配しないでも由比ヶ浜さんは───」

「苦労して仕事を終えて、帰ってみれば家が荒らされて───」

「わかったやめてくれ、その手の話はお互いの心をえぐる結果にしかならない」

「……だな」

 

 しみじみと溜め息。

 しゅる、とMAXをすすりつつ、ぼちぼち客が増えて来た店内を見渡す。

 

「悪いな、そろそろ忙しくなりそうだ」

「いや、こっちこそ悪い。俺もこれを飲み終わったら行くとするよ」

「おー。また懲りずに来い。そして俺らの糧になれ」

「ひどい言い方だな、まったく。素直にまたのご来店をーとか言えないのか?」

「俺に言われたって嬉しくないだろ、お前」

「───、…………なるほど、違いない」

 

 そうして、終始互いに軽いノリで話し、やがて別れた。

 実際に葉山が忙しいか暇かで言えば、最近は案外暇らしいということだけが解った。

 顧問弁護士ってのもいろいろあるらしい。

 

「比企谷くん。9番さんにこのブルマを運んでちょうだい」

「だからブルマ言うのやめなさい! ていうかなんでよりにもよって雪ノ下の真似でブルマ!? やめなさいほんとマジで! 雪ノ下がかつてない表情で睨んでるから!」

 

 ……もちろん、喫茶店にもいろいろあった。

 どっと沸いた疲れを、「ヒ、ヒッキー、だいじょぶ?」と心配して寄ってきた奥さんをがばしと抱き締めた。

 ああチャージ。疲れが癒えていく気分だ。

 雪ノ下に「葉山くんが今のあなたのようにならないことを、一応祈っておくわ」と溜め息を吐かれたこと以外は、まあたぶんいつも通りの平和な日だった。

 

 

 

お題/マ

 

 モッチャモッチャ……

 

「小童めが……」

「いきなりなにを言い出すんだお前は」

 

 とある日の午後。

 丁度客も少ない時間帯に、旅行に行ったらしいご近所さんからお土産をもらった。

 ままどおるである。

 これ、食べるともっちゃもっちゃするよな。美味しいけど。

 

「で、もっちゃもっちゃと言えば柳生十兵衛だと思うんだよ絆的には!」

「どこの柳生さんだよそれは」

 

 SNKあたりだろうけど。

 

「というわけでお題! ままどおる! じゃなかったデザート! 前から思ってたんだけど、この店にはもっと小さなおやつっぽいのを用意するべきだよパパ!」

「ほーん? アイデアは?」

「ズバリ“ぱぱどおる”!!」

「結衣ー、昼食どうするー?」

「あ、うんー! 今作ってるよー!」

「パパひどいです無視とかひどいです絆泣いちゃいますよごめんなさい!」

「おー泣け泣け。そして強くなれ。あと混乱しててワケの解らん一色言語になってるから落ち着け」

「むやみやたらと妙な試練を課さないでくださいパパ……それよりミニデザートの話だけどねパパ」

 

 絆が言うには、こう……一口で食べられて、お値段も安めななにかがあったら嬉しいんじゃないか、とのこと。

 小さなデザートねぇ……。

 

「麦チョコでも配るか」

「一口すぎるよ! もっとこう、そんなちんまいのじゃなくて、ほどよく大きくて人の温かみがわかるやつっていうか……!」

「人の耳の形をしたお菓子とかか……まじかお前」

「別の意味で人の温度を感じたいわけじゃないってば! もうパパ! 真面目に!」

「へいへい……」

 

 絆的にはままどおるっぽい何かが出来れば、とのこと。

 結構気に入ったらしい。

 俺の分もやるぞと言ったらわっほほい喜んでた。

 

「で、ですよパパ《もっちゃもっちゃ》」

「食い終わってから喋れ」

「うん《もぐもぐもぐ……ごくんっ》それでねパパッ!」

「注文きたから行ってくるわ」

「あれぇ!?」

 

 お客さんから注文を取り、ほれと紅茶の注文を突き付ける。

 さすがに仕事ならばやらざるをえない。これがコーヒーの注文だったら、俺か美鳩だったんだが。

 ちなみに雪ノ下はぬるま号に乗って買い出し中。

 

「ね、ねーパパ? 茶葉が開くまでお話しよ? 続きなんだけど……ほら、ままどおるに対抗して、斬新な、まったく新しい名前のお菓子を用意するとかどう?」

「ままどおるに続く銘菓、“おきしどおる”か。傷口に染みそうな名前だな」

「そういうダジャレが聞きたいんじゃなくてー!!」

 

 本日も実に平和。

 しかし新作の細かなデザートか……一色にでも相談してみるかね。

 

 

 

お題/さ(親指が結ぶ物アフターっぽいなにか)

 

 サブレ、という名前を聞いて思い出すのはなんだろう。

 有名な菓子? それともミニチュアダックスフンド?

 俺は名前が八幡なだけに、鳩ネタでからかわれたことがある。

 なので素直に思い出したいと意識するのは犬のほうになる。

 

  さて。

 

 本日も結衣を迎えに由比ヶ浜家に来ているわけだが、出来るだけ同じ時間に来られるように時間も調整して、いざチャイムを鳴らせば迎えてくれるは恋人さん。

 人の顔を見る前から笑顔で無防備にやっはろー言ってくる。

 新聞の集金でーすとからだったらどうするのほんと。

 と思っていたら、なんでももう既にやらかし済みらしい。

 “集金に来てあんな笑顔で迎えられたのは初めてよ”と、集金のおばさまが喜んでいたそうだ。

 

『ひゃんひゃんひゃんひゃんひゃんっ! ひゃんっ!』

 

 迎えられるままに家へ上がれば、その足元をぐるぐると回り、足にしがみついてくるお犬様一匹。

 よほどに興奮しているのか、『ひゃぅうう~~~~んっ!』高い声を上げながら、穢れ無き瞳で俺を見上げている。

 ならばと濁った眼で見下ろしていると、余計にブンブカ振り回される尻尾。実に元気だ。

 犬は恩を忘れない、三日飼えば3年間恩を忘れないとか言われているが……命を助けた場合は一生忘れないものなのだろうか。

 迷信だーとか言うのは簡単だが、この懐きようを見ると、あながち間違いじゃなさそうだ。

 

「結衣、指の具合はどうだ?」

「あはは、もー……それ昨日も訊いたよ? ん、だいじょぶ。もう全然動かせるし、痛みもないよ」

「……そか。よかった」

「ヒッキー……」

 

 注意すれば助けられたことで、女性に傷をつけてしまった罪悪感はまだ消えない。

 今じゃ罪悪感だけで迎えに来ているわけではないとはいえ、仕方のないことだろう。

 

「あらヒッキーくん、いらっしゃーい。朝ごはん、もうちょっとかかるから、そこで結衣と待っててねー?」

「あ、はいママさん」

 

 由比ヶ浜マの呼び方は、いつの間にやらママさんで定着している。

 ママでいいのよ? とは言われているものの、まだ早いっていうか……いや、既に親公認っつーか、婚約めいたものはしているわけだが……。

 ……赤くなる顔を誤魔化すようにサブレを抱き上げて、腕の中で寝かせながら歩く……と、服をクンッと掴まれる。

 振り向いてみれば、結衣が俺をじーっと見てるわけで。ああいや俺だけじゃなくてサブレも。

 …………。…………? …………~……? …………あ。

 

「……ちょっとごめんなー?」

『ひゃふっ?』

 

 一度抱き上げたサブレをすとんと下ろして、「え? あ、え?」とちょっと戸惑い気味の結衣へと近づき、まずは抱き締める。

 

「あ……ひっきー……」

 

 どこか安心した声───を、華麗にスルーして、力が抜けた瞬間を狙って一気に横抱きにした。

 

「え、わっ、ひゃああっ!?」

 

 俗に言うお姫様抱っこである。

 状況が理解出来ていない結衣は慌てるばかりだが、それでも構わず抱いたまま、ソファまでを歩いた。

 

「結衣? どうしたのヘンな声───あらっ! あらあらあら~♪」

「わ、ちょっ、みみ見ないでママッ、見ないでー!」

 

 そうして歩いているところをママさんに見られた結衣は、さすがに恥ずかしがった……のだが。

 見られてしまったならと、顔を真っ赤にしたまま俺の首に腕を回し、口を波線のようにひずませながら俺を睨んだ。あ、少し涙目。

 でも離そうとはしなかったから、ソファにはそのままの体勢で座って、開いた足の間に結衣のお尻を着地させると、そのままちゅっ、とキスをした。

 「ふわっ……」小さな声が漏れて、潤んでいた目は余計に潤んで、顔がほんとに真っ赤っか。

 ただし睨むような目は夢見る乙女的なものに変わって、俺の首に回していた腕には、もう離したくないとでもいうかのように力が込められた。

 

『ひゃんっ!』

「《ぽすっ》うひゃあっ!?」

 

 そんな幸せいっぱい夢いっぱいの結衣の腹に、ぽすんと駆け上るサブレさん。

 くすぐったかったのか、うひゃあと叫んでしまった結衣、さらに真っ赤。その……ドンマイ?

 

「うー……もう、サブレー? 今あたしがヒッキーと……」

『ヴ~~~……!』

「なんで唸るのー!?」

 

 溜め息を吐きつつ、結衣の膝裏に通していた腕を離すと、サブレの頭を撫でてやる。

 ……尻尾の振りが勢いを増した。

 対して、結衣の甘え度が加速。

 上体を起こして俺を抱き寄せるようにして、首に顔をうずめると、首をぺろぺろと舐めてくる。

 いやちょっ……くすぐったいくすぐったい! でもなんか嬉しい自分がアレだ……!

 すると負けじとサブレが俺の胸に手をついて、俯いた俺の顔を舐めてこようとする。

 それを見るや、結衣が俺を引き寄せて頬にキスをしたり舐めてきたりってオワーーーッ!?

 

「だだだだめだかんね!? ヒッキーはあたしのだから!」

『ひゃんっ! ひゃんひゃんっ!』

「吠えたってだめ!」

 

 ここに、わんこ対ワンコの凄絶なる戦いの火蓋が切って落とされた───!

 

「はいはい、朝ごはんできたわよー? そんなに騒がないの、ヒッキーくんにみっともないって思われちゃうわよー?」

「あぅ……だってサブレがー……」

『ひゃふぅう~~……』

 

 イ、イエ奥さん? こんな俺を犬相手とはいえ取り合ってくれて、おかしな話ですがワテクシ大変嬉しいといいますかなんといいますか。

 

「ヒッキーくんは人気者ねー? はい、今日もいっぱい食べてね?」

「あ、どもです」

「です、なんていいわよー。もっと、本当のママと思って接してくれれば。ほら、結衣も膝から降りなさい?」

「う、うん……」

「……それともー……ヒッキーくんの膝の上で、食べさせてもらう?」

「!!《ボッ!》い、いいっ! 降りるったらっ! もう! ママのばかっ!」

 

 ああ……この反応、実は期待してたのか。

 ま、まあその……アレな? なんだったら弁当食う時、ベストプレイスで……な?

 そうアイコンタクトしてみると、結衣の顔がぱああと綻んだ。

 もちろんそれを見逃すママさんではないわけで。

 頬に手を当ててあらあら、なんて言っていた。母は強し。

 

『いただきます』

 

 そうして今日も、由比ヶ浜家で朝食をいただいた。

 もうすっかり慣れた状況に、なんとなーく頬が緩む。

 しかも本日はもはや渡さんとばかりにサブレが膝の上に飛びあがってきて、動こうとしない。

 ……結衣、それを見てぐぬぬ状態。

 それでも嫉妬されて嬉しいとか、ほんと男ってやつはこれだから……。

 

「ゆ~い」

「あ……う、うん、ひっきー…………お昼、だかんね……?」

「おう」

 

 約束は守る。

 雨とか降らん限りは普通に出来るだろ。

 そう安心と期待を膨らませていたら、昼近くになると生憎の豪雨。

 うるうると俺を見上げてくる結衣には勝てず、仕方なく奉仕部を使うことになったんだが。

 

「……あの。由比ヶ浜さん? ゾンビ? ここはいちゃつく場ではないのだけれど……」

「おいちょっと待て、今お前ストレートにゾンビだけ言った? なにそのゾンビでしかないゾンビ……ゾンビじゃねぇか。俺そこまで腐り要素とかねぇよ」

 

 先客が居た。当然雪ノ下。

 昼のたびに鍵借りるのって面倒じゃねぇのかね。

 まあそれはそれとして、膝の上に結衣を座らせて、食べさせたり食べさせられたりする俺達。実にバカップル。

 しかし客観的に気づかない限り、こんな行為が幸せすぎるってんだから、人間って不思議。

 

「サブレ、最近ヒッキーにすっごいべったりだよね……」

「犬は恩を忘れない、とか言うしな」

「それは───~~……あたしだって、忘れないけどさ」

 

 ありがと、とばかりにちゅっとキスをされる。

 玉子焼きの味がした。お返しにお姫様抱っこ状態でキスをすると、とろんととろけて脱力。

 ひっきぃひっきぃと甘えた声を出して、犬のように懐いてきた。

 そんな結衣を抱き締め、撫でながら、心の中ではサブレまじグッジョブとか拳を握っていたりした。

 たまには嫉妬されたいとか、ほんと男ってめんどい。

 そんなお話。

 

 

 

お題/ん

 

 ん。

 しりとりを代表する文字だと思う。

 依頼者も無く、暇だからたまには、という理由で由比ヶ浜が提案してきたしりとりだが───

 

「おわん───あっ! うわー……“ん”、ついちゃった……」

「あー……じゃ、“ンドゥバ”」

「へっ!? ん、んどぅ……?」

「暇潰しなんだからいいだろ。ちなみにゲームのキャラな」

「へー……“ん”から始まるものなんてあるんだね……あ、じゃあゆきのん、“ば”」

「……そうね、暇潰しというのなら、堅苦しいルールなんて取り払ってもいいわね。……むしろ小説を読みたいのだけれど。…………バランサー」

「“あ”、だよね? それとも“サー”?」

「好きでいいだろ」

「え? あ、うん……あたし、ヒッキーが好き《ぽろり》」

「へ?」

「!?」

「え?」

 

 ……空気が凍った。

 今…………なんと?

 

「え、あ───《カァアアアアア!?》ひゃわぁああっ!? ななななしなしっ! いまのなしっ! ただよく考えてなくてヒッキー今日もかっこいいなーとかえっとそのいろいろ考えてたらつい本音がってあわわそうじゃなくてえーとえーと!」

(───《ギラリ!》……比企谷くん、女性に恥をかかせるものではないわ)

(───《びくぅっ!?》うさ美ちゃん目、こわっ!)

 

 なんかいきなり雪ノ下に睨まれた。

 え……なにか言えと? なにか───っつーかこんな慌てながら本音だだ漏れ状態の相手に俺になにを言えと!?

 ……え? 本音? …………ああ、そっか、本音なのか。

 

「………」

 

 やばい、嬉しい。

 こんなふうに真っ直ぐに想ってくれて、しかもそれだけ慌ててくれるなんて。

 

「由比ヶ浜───」

 

 ぽろりとこぼれるくらい、普段から想っていてくれただろう想いに応えるためにも、俺もまた踏み込む。

 俺達のお話は、こんな暇潰しめいたしりとりから始まった。

 

 ちなみにこの頃から、俺の中で風来のシレンのンドゥバは神のように祀る対象となった。

 



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お題文字列劇場②

お題/大

 

 とある日の休日。

 平塚先生が部屋を大掃除したいとかで、なんでか奉仕部員が招集された。

 ラーメンを奢るから頼むと言われたとはいえ……

 

「部員が来る以上、部長が欠席というわけにもいかないでしょう……」

「ラーメンに釣られたわけじゃないのか」

「べっ……! べ、べつに、そういうものに憧れがあるというか、そういう意味では……ないわ」

「ゆきのんっ、ラーメン楽しみだねっ!」

「~~……だから、違うと……!」

 

 俺は純粋に楽しみだが。

 なにせ平塚先生が紹介してくれるラーメン屋、今までハズレがなかったし。

 そんなわけで大掃除を始めた俺達だが───

 

「うわー……おっきな時計……!」

「うん? ああ、それはうちのじっさまが残した年代ものだ。数年前は私もこれを見上げ、大きなのっぽの古時計を歌ったものさ」

「数年前?」

「言いたことがあるなら歯を食いしばれ、比企谷」

「ひ、ひやっ……なんでもありゅませんっ……!」

 

 歯を食いしばったら喋れません、サー。

 と、話題に出たように、大掃除の最中に大きな古時計を見つけた。

 まだ時を刻んでいる。今はもう動かない、なんてことはないらしい。

 

「じっさまのお気に入りでな。そのくせ私が実家を出る時になったら持っていけと押し付けて来た。なんでも古い神様が宿っている、なんて言っていたが」

「へー……! どんな神様なんですかっ?」

「縁結び」

「え?」

「……縁結びだ」

「…………」

「…………」

「…………」

「よし目を逸らしたヤツ、歯を食いしばれ」

「全員じゃないっすか!」

「平塚先生、さすがに横暴がすぎます。ここは比企谷くんが引き受ける方向で」

「なんでだよ!」

 

 そんな悶着をしつつ、掃除も再開。

 由比ヶ浜がきらきらした瞳で古時計を見上げて、ちらちら俺を見ていた。

 

「由比ヶ浜、サボるなら俺と代わってくれ。掃除とかまじめんどい」

「さ、サボってるわけじゃないったら! ヒッキーじゃあるまいし……!」

 

 ぷんすか。

 はぁ、と溜め息を吐くと、急に古時計がボーーーン、ボーーーンと大きな音を高鳴らす。

 

「っ!?《びくぅっ!》」

「由比ヶ浜!?」

 

 その音に驚いた由比ヶ浜が飛びのくのだが、運悪くそこにバケツがあり───さらにその後方にはあとで纏めて捨てようと集めておいた硬く尖った機材などが。

 あのまま倒れたらまずいと本能が叫び、体勢も整わないうちに床を蹴り弾いていた。

 必死に駆け、速度が乗り切る前から姿勢を低くして飛びつき、機材に体をしこたまぶつけようが、意地でも由比ヶ浜を抱き留めた。

 

「ぐあああっつぅうっ!!」

「あっ……ヒッキー!?」

 

 由比ヶ浜は助けた……が、ぶつけた二の腕が痺れ、視界が点滅するくらいの強打。

 痛みに動けなくなり、体が強張るため、自然と由比ヶ浜を強く抱き締めるようなかたちになってしまい……謝りながらも、しばらくは動けなかった。

 

「ヒ、ヒッキー! ヒッキー! ごめんっ! ごめんねっ!? 大丈夫!? ヒッキー!」

「~~~っ……だい、じょうぶだから……! お前のほうこそ、大丈夫か……!?」

「う……うんっ! うんっ! ヒッキーが守ってくれたから……! でも、でも……!」

 

 っ……ぉおおおおお……!! 痛ぇえ……! 痛い、痛すぎて動けねぇ……!

 あ、でもいい匂い……でも痛ぇえ……!!

 だ、大丈夫かこれ、骨とかイってない?

 息が止まるほどマジ痛いんですが……!?

 

「~~……っかし……! なんだっていきなり鳴ったんだ、この時計……! なにか、決まった時間ってわけでもねぇだろ……!」

「う、うん……半端すぎて、おかしなくらい……で……~~……ひっきぃ……ひっきぃい……」

「ああもう、泣くな、泣くなって……。無事だったんだから笑っとけよ……」

 

 相変わらず、他人ばっかり気にするやつだ。俺のこと気にして泣くくらいなら笑っとけよ。

 ああでもまじ無理、今本気で動けないくらい痛い。

 

「悪い……言っといて格好悪ぃけど、痛くて動けねぇ……! 俺に抱き着かれるとかキモいだろうけど、許してくれ、本気で痛ぇ……!」

「そんなこと気にしてる場合じゃないでしょ!? あ、あぁあ……ヒッキーが……またあたしの所為でヒッキーがぁあ……! ごめっ……ひぐっ……ごめ……!」

「……泣くなって。泣いてほしくて助けたんじゃねぇよ。どうしたいからとかそういうのより先に、勝手に体が動いたんだ」

 

 苦しそうに泣く由比ヶ浜の姿が、いつかの公園で泣く小町の姿と重なった。

 なんとか動かして頭を撫でる。泣き止んでくれと願いながら。

 そんな手を掴んで、由比ヶ浜はごめんね、ごめんねと余計に涙した。

 

「はぁ、わーった。じゃあこの借りはいつか必ず返してくれ。それで許すからもう泣くな」

「ぐすっ……ひっきぃ…………うん……。《ぐしぐしぐしっ》……な、なんでも言ってっ! あたし、頑張るからっ!」

「なんでもって……あのなぁ、女の子が男に対して、んなこと言うもんじゃねぇよ。んじゃなにか、今俺がここで中学の時みたく、俺と付き合ってくださいとか言ったらどうするつも《ちゅっ》ふぐっ!?」

 

 一瞬だった。

 避けようとか考える以前に体が動かないのだから無理としても、まさか。

 気づいた時には唇を奪われていて、しばらく硬直。

 我に返って押しのけようにも体が動かずされるがまま。

 由比ヶ浜はそのまま、本当に愛しい人に長く長くするようなキスを俺にすると、ぷあ……と離れ、潤んだ目で俺を見つめた。

 

「そんなの、償いじゃないよ……! あたし、ずっとヒッキーのことが好きだったんだから……! だから、もっと……あたしに出来るなにか……!」

 

 痛さとキスへの驚きで余計に動けなくなっていた俺へ、さらに動けなくなる爆弾発言。

 好き? 好きって……俺を?

 ちょ、ちょっと待て、初耳なんだが!?

 あ、いや、でもそれっぽいアプローチは確かにあった……あったな、かなりあった。ありすぎた。気づかない方が頭がおかしいまである。

 ぐ、ぐおぁあ……! 顔、あっつ……!

 ちょ、待ってくれ、頭の中の整理が追いつかない。

 おいちょっと? 時計さん? 今こそ音を鳴らしてこんな状況をリセット───……

 

「………」

「ひっきぃ……?」

「……時計」

「え……? …………あ───」

 

 ふと見た大きな古時計。

 さっきやかましく鳴り響いたばかりだというのに、その振り子は止まり、すべての機能を停止させていた。

 

 ……のちに、平塚先生や雪ノ下に訊いてみると、時計の鐘の音なんて聞こえなかったという。

 あれだけ大きな音だったというのに、聞こえない筈がない。

 しかし現に二人はこの部屋に訪れず、どころか平塚先生も、時計の鐘の音なんてずうっと聞いたこともなかったという。

 なにがどうして急に鐘が鳴り、俺と由比ヶ浜にだけ聞こえたのかは───

 

「……縁結び、だったんかね」

「? ヒッキー?」

「んにゃ、なんでもない」

 

 考えるだけならタダだ。

 溜め息を吐きつつ、病院から出た俺は、今日も“結衣”に付き添ってもらっている。

 あの事故以来、付き合うことになった俺達は、まあ確かに……縁を結んでもらったのだろう。

 おそらくは“恋人が欲しい”とか“結婚したい”とかではなく、既に好きな人が居て、相手も少なからず意識している相手との縁を結ぶっていう、条件付きの気の利いた神様によって。

 でも痛いのは勘弁してください。

 とか思ってたら、“今まで泣かせたり傷つかせたりした罰だ”と……そんな声が聞こえた気がした。

 わーお、神様ったらよく見てる。

 苦笑をもらすとともに、じゃあこれはしゃあない、自業自得だと諦められた。

 代わりに、自分を真っ直ぐに想ってくれる恋人が出来たわけだし。

 

 

 

お題/好

 

加藤チェン「(ハオ)

 

 ではなく。

 好き。

 それは物への感情から人への感情、食べ物でもゲームでもなんでも、好きと呼べるものは大分あると思う。

 しかし人への感情はなかなかどうして、簡単に口に出来るものではなく。

 迂闊に口にすれば言い触らされ、たとえば言い触らされたのが中学ならば、卒業まではずうっと十字架を背負うような生活を強いられことになる。

 恋をするのは素晴らしいと誰かが言ったな、ありゃ嘘だろ。

 報われないものに心を燃やして踏み込んでみても、多感な頃の青春を自分で潰すだけだ。

 なのでこれからも同じ学校に居る内に告白とか、自殺行為に等しい。

 噂のひとつでも流れればあっという間に広がるのが、世界ってもんだ。

 俺が告白したなんてことになればあっという間に笑い者。

 どこぞの美人が告白してダメだったとなれば、あんなやつに告白したんだと見下される。

 

  さて。

 

 前者ならまだいいが、いやいいのかよ。

 まあいいとして、後者はさすがに美人さんが可哀相ではなかろうか。

 見下されるような相手に告白、っていうのもまあ信じられない話だが、恋する乙女ってのは見た目よりも内面に惹かれることが多いと聞く。

 ちなみに俺は外も内もアレであると自称出来る。

 およそどうあっても“イケてるメンズ”とはいえないだろう。

 なので俺が告白なんぞされる心配をすること自体、世界の在り方としてまちがっている。

 

 ……そんな風に思っていた時期が、俺にもありました───

 

 

───……。

 

……。

 

 その日は随分と平凡で当たり障りない……いやなんか事故りそうなフラグを立てちゃいそうだからこの言い回しは無しな。

 ともかく普通の一日だった。

 午前の授業を終え、さてメシだとベストプレイスに向かい、パンを食む。

 うんウマい。なんというかいかにもパンって感じのパンだ。

 一緒に飲むマッカンがまたいいわけだが…………うーん、これはどこまでいってもパンだぞ。

 などと、マジで孤独で孤独のグルメの真似をしていたわけだが。

 段差に腰掛ける俺の隣に、すとんと座る誰かさん。

 ちらりと見れば、由比ヶ浜だった。

 

「ん……どした?」

「うん。今日ゆきのん休みらしくて。奉仕部も開いてないし、また教室に戻るのもアレでしょ? そしたらヒッキーのこと思い出して、居るかなーって」

「ほーん……そか」

「ん、そだ」

 

 では、と。由比ヶ浜は弁当を包むハンカチを膝の上で広げると、いただきますと言って蓋を開けた。

 

「………」

「………」

 

 ……。

 

「………」

「………」

 

 ……えーと。

 

「なぁ。由比ヶ浜」

「う、う……うん……ひっきー……」

「俺にはそれが……どうにもアレに見えて仕方がないんだが」

「うん……あたしにも、アレに見える……」

「………」

「………」

『たくあんだこれーーーっ!!』

 

 たくあんだった。

 たくあんだけが入っていた。丸ごと一本。

 

「え……え? なにこれ……え? ママ……え?」

「お前ママさんになにやったのちょっと……どうすればこんな、俺でもされたことがないような弁当の内容になるっての……」

「し、知らないよ!? あたしべつにママと喧嘩とかしてないし!」

「…………じゃあ、まさか……お父さんが何か、喧嘩みたいなことして、間違えて詰めた……とか?」

「あ……そういえば昨日、ママが“パパが結婚記念日忘れてた”……って」

「………」

「………」

「その……あれだな、おう……あれ……。ゆ、雪ノ下が休みでっ……そのっ……よ、よかった……な?」

「…………ウン……ソウダネ……《ずぅうううん……》」

 

 学校で、家族じゃない人の夫婦喧嘩の一端を垣間見てしまった……!

 なにこの気まずい空気……! かつてない……! かつてなさすぎてツライ……!

 

「あ、あー……たくあん丸ごと食う趣味なんてないだろ? ほれ、俺のパンやるからそれよこせ」

「え……ヒッキー? でも───」

「もう俺は一個食べて、結構腹は満たされてるんだよ。ほれ」

「ヒッキー…………うん、ありがと。ごめんね」

 

 たくあんと惣菜パンを交換した!

 …………うん、たくあんだ。実にたくあん。

 まいったな……こりゃあどこまでいってもたくあんだぞ。当たり前だけど。

 ひどいや母さん……! たくあんは嫌いだって……! あれほど言ったじゃないかぁあああっ!!

 とでも言えばいいんだろうか。

 まあいい食おう。

 

「…………《カリョリョリ……コリポリ》…………」

 

 たくあんだな。

 たくあんだ…………正真正銘たくあんだよ……。たくあんすぎて辛い……。

 

「…………《はむはむ》」

 

 由比ヶ浜は申し訳なさそうに俺を見ながらパンを食う。

 俺、そのままカリッポリッ! ……やだ、なんかベビースターラーメンのキャッチコピーみたい。

 そしてやっぱりどこまでいってもたくあんだ。

 しかしたくあんだけってスゴイ喉乾くな。

 マッカンが進むわ。

 

「ンンッ!? ん、んくっ……んぅうっ……!」

 

 ……ホワ!? え!? おいちょっと!? まじか、ガハマさんたら喉つまらせやがった!

 こっちばっか見て食うからだ! えーとえーと飲み物───ぐっは俺のマッカンしかねぇよ! 間接キス───なんて言ってる場合か!

 

「由比ヶ浜! 飲め!」

「……!」

 

 なりふり構っていられない。

 マッカンをほれと渡すと、一瞬躊躇はしたものの、由比ヶ浜はそのままぐっと飲み始めた。

 何故か両手で大切にするように掴み、ぐーっと。

 それで上手く流れてくれたのか、涙を滲ませながら、はー……と溜め息を吐いた。

 

「大丈夫か?」

「う、うん……なんか……ごめんねヒッキー。あたしこんなんばっかだね……」

「気にすんな。とりあえずたくあんを恨んどけ」

「うん……結婚記念日なんて大切なこと忘れてたパパのこと、恨んどく……」

「おー、そーしろそーしろ」

「うん……」

「おう」

「………」

「………」

 

 こりぽり……はむはむ……。

 

「……ねぇ」

「んー……?」

「ヒッキーだったらさ、そういう……その、えと。奥さんの……奥さんとの記念日とか、忘れない?」

「そりゃ当たり前だろ。専業主夫は常に嫁さんのご機嫌伺いが仕事だ。いかに相手の機嫌を損ねずに───」

「専業主夫は置いといて」

「なんでだよ……あ、あー……まあ、そうな。家族以前に、恋人とか出来りゃあ記念日は忘れねぇよ。恋人以前にほれ、前にあっただろ、一色の誕生日覚えてたアレ。ああいうの、案外忘れない性質なんだよ。だから、恋人だとか嫁さんだとか、大切だって思えば思うほど忘れねぇよ」

「…………じゃあ…………さ。も、もしヒッキーのことが好きな子とかが居たら……」

「おう、名乗り出て本当に好きでいてくれるってんならもう生涯尽くすね。専業主夫はダメとかいうが、そもそも尽くす気がなけりゃ、ただ楽そうだからって理由だけでそんなの受け入れようだなんて思わねぇよ。まあそれ以前に俺のことを好きだとか言うやつなんて、人をからかってるだけか気の迷いってやつに《がばっ!》……きま…………って……」

 

 背中から、温かな感触。

 話の途中で由比ヶ浜が立ち上がり、俺を背中から抱き締めてきた。

 

「……あの……ね? あたし……ヒッキーのこと、好き……なの。好き……なんだ……」

「……は、ほわっ!? え、や、なに言って……! さ、相模に頼まれたか一色にお願いされたのか!? 俺をからかってくれーとか!」

「違う……ヒッキーの過去のこといろいろ聞いておいて、そんなことしたりしないよ……。頼まれたってやだ……ヒッキーに嫌われるようなこと、したくないよ……」

「《ぎゅうぅっ……!》う……あ……」

「……ね……? 好きじゃなきゃ……こんな、好きって言うだけで、どきどきしたりなんか……しないよ……?」

「……ゆい、がはま……」

 

 誤魔化すのは簡単だった。

 逃げ出すのは簡単だった。

 しかし、それは自由が利けばの話だ。

 今の俺は由比ヶ浜に抱き締められていて、逃げることなど出来やしない。

 

「あ、の……これでも、さ……とっても、勇気出したんだ……。受け取めもしないで、返事もなしで、勘違いだ、で終わらせるのだけは……お願い、やめてほしいな……」

「…………」

 

 どくんどくんという鼓動とは別のなにかを感じた。

 それは……震え、だろう。

 怯えているのだ……断られることを。関係が壊れることを。

 さっき自分で考えたばかりだ。

 美人が告白してダメだったら、の続きがここにあるのだろう。

 俺が断ってしまえば、それがどうなるのか、という結末を見ることになる。

 俺みたいなヤツが告白して失敗するならいつものこと。

 だが、その逆は───

 

「見たくねぇな」

 

 見たくない。

 そう思った瞬間、こいつを守りたいって想いばかりが一気に溢れ、それは小町を守りたいっていうシスコンに似たなにかか? と自分に問うてみれば、それは違うと首を振れた。

 つまりそれは───ど、独占欲? …………いや、それとも違くて。俺は───

 

「由比ヶ浜」

「……うん」

「真っ直ぐにぶつけてくれたっぽいから、俺も真っ直ぐだ。……俺、お前を誰にも渡したくねぇ」

「………………うそ」

「いやなんでここで嘘なんだよ……マジだマジ。思ったよりも独占欲強いらしいっつーか……その。お前が他の男と話してるの見ると、なんかイラっとするしな」

「あ……それ、あたしも。ヒッキーが女の子と楽しそうにしてると、なんか……もやもやして……」

「……だから、だな、その」

「だから……さ、えと」

「………」

「………」

 

 好きだから傍に居てほしい。

 好きだから傍に居たい。

 この感情は確かに独占欲でも、所有していたいとかそういうのじゃないんだ。

 傍に居て、自分にだけ笑ってほしくて、そんな笑顔を共有したい。

 そんな気持ちばかりが沸いて出て……。

 

「由比ヶ浜」

「……結衣、って……呼んで?」

「……じゃあ他の男に名前で呼ばせないでくれ。なんか腹立つ」

「あたしは……ヒッキーのままでいい?」

「呼ぶのはお前の母親くらいか?」

「あ、あはー……だね。ママはきっと直してくれないと思うけど……うん、隼人くんたちには───」

「……名前呼ぶのも俺だけにしてくれ、ってのはダメか? いや、男だけでいい」

「はぅうっ……! ヒッキー、そんなに、えと……嫉妬、とか……してくれてたの……?」

「いや……嫉妬とも気づいてなかったんだよ。なんか気に食わないって思ってた」

 

 一度自分の中にあった欲を語ってみれば、ぼろぼろとそれらを囲っていた殻が破れ、欲がこぼれおちてゆく。

 由比ヶ浜───っとと、結衣だな。結衣もそうなのだろう。

 ぎゅうって抱き着きながら、おそるおそる言葉を重ね、要求を重ねている。

 

「………」

「………」

 

 やがて欲が語られなくなると、無駄に作っていた壁も無くなる。

 傍に居ても重くもなく、邪魔だとも思わない。

 

「なんか……えへへ、不思議な感じ……」

「だな……。さっきまで焦ってたのに、今はひどく落ち着いてる……」

「うん……」

「おう……」

 

 なにも焦る必要もなく、近しい人の温度に安心する。

 でも普通、こういうのって男が女を包む場面じゃねぇのかなぁとか思うあたり、自分のヘタレ度合いが解ろうもので。

 ……少しは変わっていかないと、いつか愛想つかされそうだと思った。

 

(高二病もいい加減卒業か)

 

 誰かのためにこれから頑張ってみるのも……悪くないんじゃねぇのかね。

 自分なんぞを抱き締めてくれる温かさに笑みをこぼしつつ───俺は、確かに自分が変わっていくきっかけというものを、感じていた。

 

  “好き”ってすごいのな。

 

 そう考えられるようになった俺は、苦手な分野でも格好いいところを見せたくなり、努力を開始する。

 なんでも出来る気がして、なんにでもまず挑戦するようになり───失敗しても克服する努力を知り、乗り越えていった。

 やがて手と手を取り合って困難を乗り越え……俺達は夢を叶え、願いに到達し、穏やかで賑やかな生涯をすごした。

 

 

 

お題/き

 

 ゴゾォオ……!

 

「WRYYYY……!」

 

 はい、本日、喫茶ぬるま湯の状況をお伝えするのはワテクシ、比企谷絆でございます。

 絆……そう、絆でございます。気軽にきーちゃんとお呼びください。

 さて本日、ワテクシがなにをしているのかというと。

 

(前日の夜でもないのに前夜祭と名づける意味は果たしてどこに……)

 

 べつに意味などないことに悩んでおりました。いえ嘘ですが。

 一応前日で、夜、という点では変わりはないわけではありますが……ちょっぴり釈然としないものってありますよね。

 前夜祭って普通こう、その日の前の夜……ほら、18時~とかそんな感じがしませんか? 陽が落ちるのが遅い季節だと余計にその時間が夜だ~って感じませんし。

 なので0時から陽が上る時間帯を前夜と呼ぶのはみょ~に抵抗があるわけなのです。

 まあ絆の思惑はどうあれですよ。

 

  ママの誕生日前日。

 

 興奮すべき日を前に、なんでか眠れません。なんでかどころか興奮しているからでしょうが。相変わらず気が早くて困ったものですね、いえそんな自分が絆は嫌いではありませんがウフフ。

 しかし実際困っているのも事実です。

 明日はヴァース・デイであり、休みとはいえ本日は仕事があるというのに。

 ぬるま湯では従業員の誕生日には休みがあって、その日をヴァース・デイと称して問答無用で休みます。

 求人広告にも従業員の誕生日は休みとさせていただきます、と書いたこともあったほどです。ええまあ人の目に映ることはなかったそうですが。

 まあともかく眠れないので自室を離れたキッチンにて、ホットミルクでも飲んで温まってから眠ろうと思った次第です。

 しかしなんということでしょう、奉仕部キッチン前には、夜中にも関わらず先客が居たのです。

 

「………」

「………」

 

 パパとママでした。

 まーたところ構わずラヴっているようです。

 おのれ。

 あー、うー、困ったなぁ、こんな時に出くわすなんて。

 いえ、絆としましても二人が仲が良いのは大変に、すこぶる嬉しいのですが。

 頭とは反して、心は結構ズキズキです。

 なにせ父親を好きになるという事情を抱えてしまっている絆ですから、美鳩とともに日々をもんもんやってます。

 あそこに居るのがママじゃなくてわたしだったらな……と思ったことなど数知れず。

 けれどあそこに居るのがママでよかったと思うことだって数知れず。

 パパもママも好きなんだから、仕方ない。

 そんなドキドキもがっくりも弾けて混ざったような気持ちを抱えているからか、どうにも最近雪乃ママやいろはママの真似を、という気分にもなれない。

 やってみればパパがツッコミ入れてくれて嬉しいんだけど、それもちょっぴり複雑といいますか。

 ……うー。

 

(……戻ろう)

 

 来た道を静かに戻る。

 そうだ、美鳩の部屋に侵入して、暇でも潰そう。

 きっと双子な彼女も今頃はもやもやしているに違いな《ベキィ!》

 

「ゲェエーーーーーーッ!!」

「!? 誰だ!」

「キャーーーーッ!?」

 

 なんということでしょう。

 盗み見伝統芸、木の枝を踏むを、あろうことか建物の中ですることになり、しかもそれがあんまりに驚愕の事実だった所為で“ゲェー”なんて雄々しい悲鳴が口から飛び出て、かつパパが“誰だ!?”なんてお決まりの台詞を言うもんだから、“キャー”なんて悲鳴が漏れた。

 

「やっ、ていうかなんでこんなところに木の枝っ───」

「やあ《どーーーん!》」

「なにやってんの美鳩!?《がーーーん!》」

「ふふり。盗み見をする人を盗み見するという特殊シチュを体感。知りたがり屋は早死にするのかを検証したかった。好奇心をコントロールする心、ジャスティス」

「わざわざこんなところに木の枝置いたのはおのれかぁーーーーっ!!」

 

 そうこうしている内にずかずかと歩いてくる気配。

 美鳩はわたしの手を掴んで、すぐ近くの部屋へと音も無く入り、そして閉めた。

 

 ……うん。即座に見つかって、怒られた。そりゃそうだ。

 

……。

 

 で、やっぱり眠れないからホットミルクはしっかり飲む。

 

「はーぁ……怒られちったーぃ……」

「Si……けれど成し遂げた気持ちは大事にしたい」

「そだね。ドラマみたいに隠れればなんとかなるーってのは、自宅じゃ無理だねー」

「そもそも絆がゲーとかキャーとか叫んだ挙句、人の名前を大声で口にするのが悪い」

「うう……すこぶる申し訳ない……」

 

 でもしょうがないじゃん。出ちゃったんだから。

 わたしだってびっくりだよ、よりにもよって年頃の乙女がゲェエーとか。

 

「それにしても、今日もパパとママはラブラブかー……」

「Si、実に良いこと」

「んー……美鳩はさ、わたしより早くパパを好きだったわけじゃん? こう、本気で惚れる前からでもさ」

「? Ah bon(そう)

「そう? じゃなくて。ていうかそれフランス語でしょーが。イタリア語どこいったの」

「べつにこだわりたいわけじゃない。Ja(ヤー)とかDa(ダー)とか普通に好き」

「むうっ……気持ちが解るだけに強くツッコめない……ああまあとにかくさ、苦しいとか辛い~とかなかったの? わりとわたし、胸が痛いなーとか思うことあるんだけど」

「報われない恋は、恋した時点で敗北している。けれどそれを敗北だなんて思いたくないから、せめていい思い出を胸に、その炎が燃え尽きるまでを楽しむ。美鳩にとって、今の恋こそ青春。いつか他の誰かを好きになろうが、今を忘れたいとは思わない」

「……そっか。悪い方に考える必要、ないんだ」

「Si。青春してるんだから、それでいい」

 

 なるほど、一足先に恋してる女の子は強いね。

 わたしはちょっと弱気だった。

 や、そりゃもちろんパパは好きだけど、どうやったって叶わないもんね。

 

「いっそタイムスリップでもしてパパが高校時代の時に行けないもんかなー」

「No……パパはママと結ばれるべき。べつに絆と美鳩が産まれないからとか、そんなチンケなことを言うんじゃあない……そうあるべきだって思ってるから」

「ママの努力を無駄にしたいわけじゃないってば。この比企谷絆、ずうっと恋していた女の子が、ライバルがメインヒロインだからという理由で失恋する少女漫画なぞ大嫌い! 先に好きになって、散々アプローチしてきた人にこそ幸せになってほしい! なのでママの恋はいつだって応援しているのさ! …………まあ、こんな気持ちがなきゃ、パパが好きでも我慢我慢~なんてできないよー……」

「実に家族愛。ジャスティス」

「……そだね。どこまでいっても家族愛だ」

「ん」

「うん」

 

 二人で笑って、ぺしんと軽く掲げた手を叩き合わせた。

 争う必要のない恋のライバル。それも姉妹で双子だ。

 おかしな関係として産まれてきたもんだ。

 産んだ人がライバルで、既に決着ついてるってんだからね。

 もうほんと、なんなんだか。

 

「寝よっか。ここで寝てっていい?」

「ん、構わない。今日は寝かす」

「そこは寝かさないゼって嘘でも言おうよ。いや寝たいけどさ」

「僭越ながら比企谷美鳩、子守歌を歌わせてもらう」

「おお、双子相手に子守とはよい大言を吐くものよ。じゃあお願い」

「ん」

 

 布団にもぐって寝る体勢を取る。

 美鳩も電気を消してからすぐに隣にもぐってきて、わたしのお腹近くをぽん、ぽん、と軽くたたきながら……やがて歌った。

 それは目を閉じて集中していると耳に残る……なんとも呪術めいた歌で───って!

 

「なんでそんなおどろおどろしいの!? 眠れるわけないでしょこれで!」

「毒には毒を。暗くなりがちな心に暗さを配合、吹き飛ばして元気にツッコミ。meraviglioso.(素晴らしい)

「むうっ……確かにちょっと面白くて、ツッコミ入れたらすっきりしたけど。……はぁ、まあいっか。今日も早いし寝よう寝よう」

「Si」

 

 娘は時々もやもやしてる。

 本日はそんな気持ちをソフトにお伝えしました。

 けれどもそんな鬱陶しさは残しません。

 寝てスッキリ、朝には元気! それが我ら姉妹の恋の輝き。

 恋した所為で、なんて言いたくないのだ。ならばこう、あれです。

 この想いがどこに続くのかは誰も知らないけれど、後ろなど振り向かないでゆく!

 

「ところで絆」

「なんだい美鳩」

「……美鳩もホットミルクほしかった……」

「先に言おうよ!」

 

 暗くなれば小さく支えてくれる妹が居る。

 姉としては~とか、姉なんだから~とかは思わない。美鳩だって妹としては~なんて思ってない。

 どっちかががっくりくれば、姉も妹もない、ただの家族として支えるのだ。

 だから、まあ。

 笑いながら、ふたりしてキッチンに向かった。

 パパとママはまだいちゃついてるだろうけど、時と場所を弁えてもらおう。

 なるほど。これは常識的に、こっちがジャスティスだ。あははっ。



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冬休みに強襲されたような夢

 雪ノ下の誕生日会も過ぎ、1月4日。

 特になにかの日ということもなく、大体の場所が1月7日までは冬休みということもあり、俺達も例外なく休みを満喫していた。

 

「あ~……だらだら最高……。動きたくない……働きたくもない……」

 

 わざわざ口に出すものでもないのに出すのは、現在家に誰もおらず、ソファで寝転がってだらだらしている俺を咎める者など誰も居ないからだ。

 暖房の効いた部屋で、小町が居る時にやれば、嫌味と一緒に腹に軽い拳でも落ちてきそうな状況だが、今はそれをする者も居ない。

 そして手を伸ばせば届く場所にある黄色と黒の至福の具現、マッカン。

 小説を読みながらのんびりと、優雅に……そして力強く。

 そうしたまったりの時間はしかし、いつだって他者によって破壊されることを俺は知っていた。うん八幡知ってたよ? だっていつものことだもの。

 どーせここらで平塚先生からスマホにメールか電話がかかってくるのだ。

 なので先手必勝、スマホの電源を落として、家の電話のモジュラージャックをブチーンと抜いておく。

 そしてちと面倒で億劫だが歩き、玄関の鍵を《ぴんぽーん》…………オワタ。

 玄関ってさぁ、なんで妙に半透明っぽいところとか作っちゃうかね。そういうのがあるから、居留守使いたい健全な男子高校生が悲しむハメになるんだよ? ちょっと誰よこの家設計したの、気分だけでもいいからはやくあやまっテ!

 

『あっ、今中で動いたっ! ヒッキー居るみたいだよゆきのんっ!』

『ええそうね、今動いたわね』

 

 ……男の子として、結婚した相手に言ってみてもらいたい言葉のいくつかを、どうしてか今聞いていまったような気がする。

 あのねキミたち、そういうのは赤ちゃんを身籠って幸せな家庭の中で言ってあげて? 間違っても“比企谷八幡は静かに引きこもりたい”を実行したいこの比企谷八幡を、理屈を武器に引きずり出す時に言わないで?

 

『…………。あれ? 出てこないね』

『……、なるほど。大方引きこもるために鍵でもかけにきたところに、丁度私たちが来た、というところね。電話も通じないところを見ると、まさしく。でしょう? 引き籠りくん』

「………」

 

 ちょっと……なんでそもそも冬休みだってのに人に家に来てるの?

 小町が目的なら今居ないよ? だから帰って?

 

『あ、あのさヒッキー、実はあたしたち、小町ちゃんから連絡もらってさ。ど~せ家に引きこもってぐでぐでしてんでしょーから遊びに誘ってあげてくださいって』

 

 小町ちゃん? ちょっと? なんで最近のキミってばそう余計なことしたがるの?

 あんまり兄の安穏を崩すつもりなら、悪戯メールとか送っちゃうよ?

 ……たとえばほら、材木座から贈られてきた、“ケータイ小説とやらにチャレンジしてみた”がタイトルの、このおっそろしくつまらん小説を。だって設定だけで終わってんだもの。

 そしてそんなもんを送った日には、妹からもひどい暴言を送られかねない。ひでぇ、俺泣き寝入りみたいに受け入れるしかないじゃないの。

 

「《ガチャア……》……いや、なんで居んのお前ら」

「あ、ヒッキー! やっはろー! なんでって、さっき説明したじゃん?」

「いやべつに断ること出来たでしょ。小町がそう言ったからって、用事があったーとか適当言ってこなかったとしても俺としては大歓迎であるまである」

「おじゃましまーす」

「おじゃまします」

「ねぇちょっと? ねぇ? 聞いて? ていうか勝手に入らないで上がらないで?」

 

 言ってはみるも、二人はずかずかと上がり込んでしまう。上がった上で、由比ヶ浜がケータイ片手に「小町ちゃんが上がっていいって!」と。

 ……小町ちゃん? お兄ちゃんたまには怒っていい? 妹にやさしいジェイムス・シスコンティだってね? たまには怒るんだよ? 誰だよジェイムス。

 

……。

 

 で、結局は上がられてしまったわけだが、客のために何故俺が気を使わなければならんのか。

 そう思い到ったなら開き直れよ人類。

 二人が適当に動く中、べつに見られて困るものがあるわけでもなし、俺は再びリビングのソファに転がり、息を整えた。

 べつに自室で寝てもいい。

 しかし……しかしだ。あえてタオルケットを持ってきて、この場で眠るその行為。……不思議と穏やかに眠れたりするのだ。

 咎める人が居ないってステキ。代わりに世話してくれる人もいねーけど。

 そんなわけでゆっくりと意識が内側へと埋没《どすっ》おふっ!?

 

「………」

 

 突如として、腹へ衝撃。

 見てみれば、腹の上に乗っかったカマクラさん。

 ……まあ、いい。

 猫はこたつで丸くなるとはいうが、今現在こたつなんざ出してないからな。タオルケットに守られた人間の体温だろうと恋しくなるのだろう。

 おお、寝ろ寝ろ、寝てしまえ。

 

「………」

 

 …………。

 

「………」

「…………《じーーーー》」

 

 ……やだ。なんか明らかに視線がきてる。

 気配なんて感じなかったのに、これ絶対見られてる。

 薄目を開けて周囲を見てみれば、いつから居たのか髪の長い女性霊が───!!

 いや嘘だが。雪ノ下だ。

 微動だにせず、タオルケットの越しの俺の腹の上で丸くなるカマクラをじーーーっと見ているようだ。

 ていうかスマホ出して写真取り出した。

 やめて!? それ俺も写っちゃってるから!

 お前それを友達に見せたりした時にどう説明───…………ああうん、友達居なかったよな。

 

「………」

「…………《じーーーー》」

 

 そして眠れない。

 やーだー、ちょっと男子ー? いや男子関係ねぇけど、やだちょっとほんとやめて? 自分に危害がない分、ヘタに何も言い出せないし、枕元に立つ幽霊さんとかよりある意味よっぽど性質悪いじゃないですかー。

 

「………」

 

 仕方ないので、起き上がりながらタオルケットでカマクラをやさしく包むように持ち上げ、きょとんとする雪ノ下に向けてホレと差し出す。

 「え、あ」と思わず手を差し出した雪ノ下の手にカマクラは納まり、俺は俺でタオルケットを片手に自室を目指した。

 リビングは犠牲になったのだ……雪ノ下の猫への愛情……その大きすぎる感情の犠牲にな……。

 

「………」

 

 で、自室に来たんだが。

 

「………」

「………」

 

 俺の布団がお犬様に奪われていた。

 例えに上げれば可愛らしいものだが、現実では由比ヶ浜が寝ていた。

 ちょっと待ってなにこれなにがどうなってこうなった? なんでこのガハマさん人のベッドで寝ちゃってるの?

 

「………」

 

 ……なんだか段々腹が立ってきた。

 俺はただこの冬休みを怠惰ですごすと決めていたのに、何故こうも妹や部活仲間に邪魔されなければならんのだ。

 溜め息ひとつ、ごろりと由比ヶ浜が寝返りを打ったのを見計らい、自分もベッドに潜り込む。

 そう、これは俺のベッドなのだ。いわば聖域。普通ならば誰にも邪魔されることなく休める約束の地。

 だというのに何故他人に遠慮をする必要があるのか。ここでは由比ヶ浜こそが客人であり、遠慮するべき存在なのだ。ならば堂々と眠ってくれようホトトギス。ホトトギス関係なかったわ。

 

(……、)

 

 いや待て? もし急に具合が悪くなったとかでここで眠ることになった、とかだったらどうする?

 さすがに小町の部屋を勝手に開けるのはとかって話になって、ならば不本意だろうけれど比企谷くんのベッドで、なんて雪ノ下が言い出して、事後承諾となったがそれを俺に訊くために雪ノ下は下に来た、とか。

 やだ、妙に辻褄合っちゃった……!

 だとするならまずい、事情があるのなら悪は俺になる。いや猫に夢中で説明しなかった雪ノ下も相当アレだが。やだもうどんだけ猫好きなのそういうの八幡困る。

 

「………」

 

 でも、だからって今すぐ出て行くのもべつにいいんじゃないでしょうか。きっぱり言うなら眠気がすごい。

 これを手放すのは人類というか、八幡的に大いなる損失です。

 ちょっと、ちょっとだけだから。この心地よい香りに包まれながら眠るだけだから。ていうか布団入って布団が既にあったかいってどれくらいぶりの感覚でしょうか。

 昔は布団乾燥機~みたいな感じであらかじめ布団を暖めてたよな~。

 あー、なつかし………………───

 

 

 

 

-_-/由比ヶ浜結衣

 

 …………どーーーん、って。頭の中でものすんごい音が鳴った。

 

「~~、~~……! ……!!」

 

 目を開けたら、目の前にヒッキーの寝顔。

 呼吸止まったし、わあ、なんて叫びそうになるのを止めるのにすごく苦労した。

 えっと、えとー…………うん。なにこれ。

 えと、遊びに来たのはいいけどヒッキーがすぐにソファで寝転がっちゃって、部屋に行けば嫌でも起きてくるでしょうってゆきのんに提案されて、電話越しに小町ちゃんにも許可をもらって、行ってみて、途中でゆきのんがカマクラちゃんを発見して、よたよたふらふらと追いかけてって……あたしはヒッキーの部屋に来て、あれこれしてたら躓いて、ベッドに倒れて……えと、えとー…………そのまま気づけばこんな状況で。

 あ、うん、これ夢……だよね? だだだだってヒッキーがほらっ! そんなっ、あたしと一緒に眠ってるとか…………うん。

 

「…………」

 

 いつの間にか毛布も掛け布団も被ってたらしいあたしは、自分の分だけじゃない暖かさに包まれながら、ドキドキがうるさいくせに心が穏やかになっていくのを感じたまま、目を閉じ───る前に。

 

(ど、どうせほら、夢……なんだから、ね?)

 

 ケータイを取り出して、眠っているヒッキーと並んで……自撮りしてみる。それとはべつに、ヒッキーの寝顔もぱしゃり。

 顔が緩むのを感じながら、夢じゃなければいいのにな、なんて溜め息を吐いて、今度こそあたしは……あ。

 

「え、と。そう、夢、夢なんだから……」

 

 こくりと喉を鳴らして、それからゆっくりと近づいて。

 ちゅっ、と。

 穏やかに眠る好きな人のほっぺたに、おやすみのキスを。

 や、やーほら、口だとさ、やっぱり…………ファーストキスを相手が知らないのとか、ヤだし。

 

「ん、えへへ……おやすみ、ヒッキー」

 

 緩む頬はやっぱりそのまま。

 あたしはもう一度寝転がると、瞼を閉じた。

 

 

 

 

-_-/ヒッキー

 

 ……のちに。

 なんか結局自分ひとりで寝ていたらしい俺は、隣に由比ヶ浜が居ない状況にハテ、夢だったのかしらと部屋を出て階下へ。

 そこには誰もおらず、陽も傾きすっかりうす暗い見慣れた風景しかなかった。

 

「………」

 

 人恋しいんかね。あんな夢を見るとか。

 溜め息ひとつ、どおれ二度寝と洒落込みますかねと水を飲んだのち、部屋へと戻ったのでした。

 

   ×   ×   ×

 

 ……さらにそののち。

 学校が始まってからしばらく、雪ノ下と由比ヶ浜がスマホやケータイを眺めては、頬を緩めるといった日が続いた。

 訊いてみたって「なんでもないわ」とか「うひゃわぁあなんでもないよ!? ななななんでも!」とか言われちゃうし。

 なんなんだろうね。やっぱり女子ってよくわからん。

 よくわからんのだが……なんだか最近、外堀が埋められてきている気がする。

 何故だか知らんのだけど小町が「お兄ちゃんってばやるね~♪」とか言い出したり、偶然会った由比ヶ浜マにも結衣をよろしくね~とか言われて。

 

(え? なに? なんなの?)

 

 よくわからないままに日々は過ぎて、とあることがきっかけで由比ヶ浜のケータイを見てしまうに至り、喧嘩したり言い合いしたりののちに、俺に恋人が出来ていました。

 いや、だってね、人の寝顔を待ち受けにされてさ、顔真っ赤にしてわたわた慌てる女子とかさ、あれでしょ。

 寝顔を撮って馬鹿にするつもりだったのかね、なんて最初は思ってたのに、出るわ出るわの“自分がどれだけ好きなのか”の大告白。

 なしてこげんとこで言いおっとやー的な返事で返してしまい、喧嘩もしたが……結局告白は告白だったわけで。

 つまりそのー……はい。

 ただいま、幸せです。



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12巻はいろいろと切なかった。でも

*俺ガイル12巻をざっと読んだ時に浮かんだ気持ちをストレートに出したものです。

 

 

 ……パタムと、とある書物が閉ざされた。

 最後は少女が泣く場面で終わっている。

 そんな書物を閉ざした双子が、チラリと自分らの母を見る。

 

「……ねぇママ。この最後の、ママのセリフなんですが」

「Si,さすがにツッコミたいことが」

「え? あ、えとー……これあたしに言われても。ほ、ほら、舞台裏~とかこんなところでやっちゃっても失礼だし、えとー……」

「そうな。けどまあいろいろ言いたいことはあるかもだな。つーわけでほいどうぞ。例のセリフ」

「例のセリフ扱い!? う、うー……えっと。こほん。……ヒッキーはヒーローだから。あたしはもう、助けてもらっちゃったから」

「………」

「………」

「………」

「なんか言ってよぅ!」

「あー……ほれ、あれだ。お前の中のヒーローの条件がどうかは知らんけど、捻くれ者にそれ守れとか言われても。つまりその、あれだ。……助けたいって思った人だけ助けるヒーローが居てもいいんじゃねぇの? 回数なんて知らんし」

「え、で、でも」

「つか、サブレのことのみならず勉強だのなんらかの手伝いだの、何回手伝ったって助けてきたと思ってんのお前。もう助けてもらったからとか今更片腹痛いわ」

「真面目な場面なのにすっごい聞きたくないこと言ってきた!? うわぁんゆきのーん!」

「大丈夫よ結衣さん。今にそこの目が腐ったヒーローが助けてくれるわ」

「パパ、また目が腐ってます」

「きっとママ成分が尽きたから。ピジョニウムを必須とする美鳩にはよくわかる」

「いやわからんでいいからそんなもん。……つーわけだ、結衣。難しいこととか考えず、青春すりゃいいんだよ。もっと我が侭になれ。押し付けてみろ。可哀相な子になんかならなくても、お前が泣いたら俺が辛いんだよ」

「ぇ、や、やー……あの、ヒッキー? こっちのあたし、あたしじゃなくて───」

「ほれ、どうしたい?」

「………」

「ん?」

「……だ」

「だ?」

「抱きしめて……ほしい、かな」

「おう」

「《きゅむ》ふわっ……」

「次は?」

「はい! 絆もハグしてほしいですパパ!」

「なんの、美鳩はその上で愛を囁いてほしい……!」

「《ぎゅうう……》ん、んぅ……ひっきー……?」

「……愛してる」

「あ……ヒッキー」

「「ちょっと待ったぁああーーーっ!!」」

「ノーパパ違う! ハグするのは絆! 絆をよろしく!」

「そ、そう、違う……ちがう、パパ……! 愛は是非、美鳩に囁いてほしい……!」

「はぁ……客が居ないからと、急に本を取り出したかと思えば……」

「あーのー、あんまり注文こないと、暇で仕方ないんです、け、ど…………あの。雪ノ下先輩、何事ですかこのカオス」

「いつものことよ」

「……まあ、そうですけど」

「《カランカラーン》やあ、近くに用事があったから、寄らせてもらったよ」

「いらっしゃいませ。お帰りはあちらよ? 回れ右して帰りなさい」

「……久しぶりなのにあんまりすぎるよ、雪ノ下さん」

「葉山先輩、そうは言いますけど、どの道今は商売になりませんよ。ほら、あっちでいちゃついてる───」

「「「「いらっしゃいませ、喫茶ぬるま湯へようこそ《キリッ》」」」」

「いえ、えっと。……さすがにTPOは弁えてました」

「いらっしゃいませイカ野郎!」

「イカ野郎……!」

「あの。絆ちゃん? 美鳩ちゃん? なにかの真似なのはわかったから、イカ野郎はやめてくれるかな……」

「……このイカが」

「イカ……」

「そういう意味じゃなくてね!? 野郎を抜いてくれって言いたいんじゃなくて!!」

「そういえば、っていうのもなんですけど、今日は三浦先輩は一緒じゃないんですか?」

「ああ。翠の世話があるから、今日は俺だけなんだ」

「奥さんに子供の世話を任せ、女の園にやってくるその胆力……この絆、軽蔑します。ていうか軽蔑するし、むしろ軽蔑します」

「は、はは……軽蔑しかされてないね……。言い回しからして、途中までは褒められるんじゃ、とか考えてた俺がバカだった」

「三浦さんをあんなにも待たせていた時点でわかりきっていたことでしょう?」

「……あの。一応俺、客なんだから、もうちょっとやさしくしてほしいかな……」

「いらっしゃいませイカ野郎さん!」

「お待ちしておりました、本日はようこそ、イカ野郎……!」

「だからそういう意味じゃなくてね!? ていうか口調がどこかやさしくなっただけで結局イカ野郎じゃないか! ……で、あの。後ろで比企谷が由比ヶ浜さんとキスをし始めたんだけど。客として俺はどうしたら……」

「そうね、まずは客席へ案内するわ。どうぞこちらへ」

「こちらの席へどうぞー! お冷におしぼり、こちらメニューになっております!」

「Si、そしてこちらがかつて貴様が食わずにうやむやにしたバスターワッフル無料券になります……!」

「ごめん俺急用を思い出したから!」

「逃がさん《ピッ───ガラララゴシャーン!!》」

「出入口にシャッターが!? ちょっ……え、ぇええええっ!?」

「食い逃げ防止。これでもう逃げられない……さあ、たくさん味わって。どうせ無料」

「葉山先輩……まさかあの葉山先輩が、女性の手料理が食べられない、なんて言わないですよねー?」

「手料理っていうか普通に毎日店で出しているものじゃないか!」

「失礼ですねー、ちゃんと知り合いには真心込めますよぅ。というわけではい、暇だったのでみんなでつつこうと思ってたバスターワッフルです」

「MAXは僭越ながらこの美鳩が」

「結衣……」

「ヒッキー……」

「さ、葉山くん。店長からの空気までも甘い尽くしのサービスよ。是非とも完食していってちょうだい」

「……俺……ただ静かにコーヒーが飲みたかっただけなのに……」

「ん」

「当然のようにMAX渡されても困るからね!? 美鳩ちゃん!」

 

 ……その日。

 いつもの調子で結衣といちゃこらして、時間が潰れ、ハッと気づけば結構な時間が経っていて。

 これはよくないなと気を引き締めた途端、ドグシャアと何かが倒れる音。

 何事かと見てみれば、テーブルに突っ伏し動かなくなった葉山が居た。

 いや……なにやってんのこいつ、と訊ねてみれば、雪ノ下が「静かにコーヒーを飲みに来たらしいわよ」と教えてくれた。

 ……葉山も今が大変な時か。よっぽど疲れてたんだろうな、コーヒー飲んで突っ伏して寝るなんて。

 

「あ、じゃあ優美子にはあたしから連絡入れとくね?」

「おう頼む」

 

 そんな行動の中、絆と美鳩が葉山の傍に寄って、なにかをぽしょりと呟いていた。

 

「あなたの男気……確かに見届けさせていただきやした。もはやイカ野郎などとは呼べませぬ……」

「ヒーローの話からどうしてこうなったのかはまるでわからないけど、今この時、あなたはヒーローになった。……完食、おめでとうございます……コングラッチュレーション……!」

「あ、きーちゃん、みーちゃん? ちなみにさっきのバスター、家族用だからお客さんに出すチャレンジバスターよりも全然甘くないよ?」

「おかえりなさいませイカ野郎!!」

「ようこそイカ野郎……!」

「……さすがに気の毒になってきたわね……。結衣さん、三浦さんにホットミルクでも用意してあげるよう伝えておいてあげて」

「ん、わかった! あ、ヒッキー!」

「おう、どした?」

「えへへー……あたしもね、ヒッキーのこと、大好き。愛してる」

「うぐっ……お、おぉお……~……お、おう」

 

 いい歳をしたおっさんだろうに、たった一言二言で真っ赤になれる。

 まあ、偉い人は言ったのだ。夢に年齢制限なんかないと。

 夢にそれが適応されないなら、こんな夢のような日々にだって適用されてていいんじゃないかしら。

 そんなわけで───《からんからーん♪》

 

「っと。いらっしゃい、喫茶ぬるま湯へようこそ」

 

 ヒーローでもなんでもない俺が経営する喫茶店は、今日ものんびりと、しかし騒がしく日々を回っている。

 



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彼が夜更かしをした理由

彼が夜更かしをした理由

 

お題/安定のこもれびさん(こもれびさんが夜更かし上等でいろいろやっていたことを勝手にお題にして完成したSS)

 

 人間、夜更かしが過ぎると注意力が散漫になるのはよく知られている。

 しかし人の集中っていうものはどうしてか夜中にこそ働くものであり、いや統計とか知らんけどなんか特に男子とかってそんな感じじゃない? なので夜更かしは遊べる時間が限られる人間としては当然の行動である。

 

「比企谷。他に言うことはあるか?」

 

 放課後のちょっとした時間。

 これから部室へって時に職員室に呼び出された俺は、いつかのように平塚先生を前に汗をだらだら視線をうろちょろ。

 

「いや、先生ならわかってくれるでしょう? いろいろ疲れた時とか、天鱗がどうしても出なくてあと一回とか思ってしまう瞬間とか、あと一回やれば婚活も上手く───」

「ふんっ!」

 

 拳は空ぶらなかった。

 腹にドボスと衝撃が走る中、平塚先生は「最後が無ければ頷くくらいはしたものを」と呟いた。

 はい、すんません。

 

「最近遅刻が目立っていると聞くから呼び出してみれば、ゲームかね」

「いや、実際はそうじゃないっていうか……」

「なんだ、歯切れが悪い。悩み事なら相談でもしてみるといい」

 

 その生徒からの相談を生徒に任せる人が何言ってんすか。普段のあなたに言ってやりたい。でも言い出せないよね、現実って厳しい。

 

「いえべつに悩み事ってほどのものじゃないっていいますか。ほらあれですよ、思春期男子特有のアレコレとか」

「君は誤魔化すのが下手だな」

 

 先生は婚活が下手ですね。

 そう思った瞬間、いつかのように拳は顔の横を通り過ぎた。

 

「───次は本気で行く」

 

 やだもうこの人! だからなんで人の考えてることがわかるの!? (さとり)の妖怪とかだったらミノルは俺ンだーとか言って今すぐ去ってくださいよ!

 

「君はいちいち受身だからな。考えていることが露骨に顔に出る。そのくせ、自分はポーカーフェイスを貫けていると信じている上、誰もそれを君に指摘しない。だからわかる」

「……指摘しないっていうか、してくれる友達も居なかっただけっすけどね」

「………」

「………」

「……なんか、すまない」

「いえ、俺も……」

 

 そうだよなぁ、思うだけで手が繋げたら誰も苦労はしないのだ。友達って自然になってるものじゃん? とかアホか。

 作らなきゃ出来ないんだよ。作れなかったからぼっちやってんだよ。

 

「で? 結局のところ何が原因で夜更かしなんぞしているんだ。君のことだ、どうせぶつくさ言いながら、他人事でこそ悩んでいるんだろう」

「いやその……なんつーか……」

「うん?」

「あの。恋人ってどうなるものっすかね」

「………」

「そこでケンシロウのようにゴキベキ拳を鳴らすのは、教師と生徒の相談状況ですることじゃないと思うっす」

「ほう。この私に。この私にそんなことを聞いておきながらそれを言うか」

「言えって言ったから言った言葉で拳を構えられるって、理不尽の極みじゃないっすかね」

「………」

 

 矛は収められた。気づけば顔の横を通り過ぎているような音速拳に対する盾なんて持ってない俺は、それを矛盾として受け止めることなんて出来ないから勘弁してほしい。

 

「なんだ、恋人が欲しくて悩んでいたのかね」

「いえその、相手自体ならっつーか、恋人なら出来たんすけど」

「───。比企谷。それの呼び方は恋人ではなく“嫁”と───」

「そういう方向じゃなくて。……いや熱もないっすから、心配顔でおデコに触るのやめませんか」

「あ、ああ、うん、そうか。……ところで───」

「それで、悩みなんすけど」

「い、いや……っ! いいっ! 言わなくていい! 君は私にどういった助言をしろと言わせる気だ!」

「デートってなにをするもんなのかと」

「ぐふっ!!」

 

 脚を組んで椅子に腰掛けていた平塚先生が、その豊かな胸を両手で押さえるようにして、体を折って項垂れた。

 

「な、なるほど……だから婚活がどうのと……!」

「……その。一応俺なりに気を使ったつもりっすけど」

「……ここに、ラブラブで幸せですとか余裕を見せて、わざわざ私に当て付けで寄越してきたペアチケットがある……。なにが“静ちゃんも早くいい人見つけなよ~”だ! わ、私は! 私はー!」

「ちょ、平塚先生、一応ここ職員室……!」

「あ、ああ、すまない、取り乱した……。ああうん、これを、君にあげよう」

「え……いやでも」

「私には縁のないものだ。渡す相手もいないし、そもそも予定がぎっしりで行けるわけもない。それを知っていて渡してきたんだ、あいつは……!」

「……う、うす」

 

 やだ……! なんかもう踏み込んだら抜け出せなくなるくらい語られそうな、そんな過去の苦悩が滲み出てる……!

 踏み込んだらいけない、本能がそう言ってる。

 なので……

 

 >そっとしておこう

 

 チケットを受け取って、にっこり比企谷スマイル。

 当然、対人で笑むことなんぞ不得意な俺は、盛大に引き攣った笑みに対してひどい作り笑いだとツッコまれた。ほっといて!? これでも頑張ってんだから!

 

「ただし、一応価値あるものだ。是非有効に使ってくれたまえ。ヘタレてデートに誘えない、などということがないようにな」

「ぐっ……」

 

 途端、平塚先生のニヤニヤした顔と視線が俺を射抜く。

 そう、問題はそれなのだ。

 デートで悩むのもそれはいいだろう。けど結局のところ、どうやって誘うのかが問題なのだ。

 小町なんかは“ありのままでぶつかっていけばいーんだよ!”と言ってくれたが……普段の俺、ありのままの俺ってしょっちゅうあいつにキモいとか言われてるんですが?

 

「ほう、相手は由比ヶ浜か」

「心を読まんでください」

 

 そう、相手は由比ヶ浜だ。

 ただし本当に恋人であるかといえば、その一歩手前。

 些細なことから言い合いになって、語り合ってぶつけ合って、気づけば気持ちを暴露してくれたあいつを前に、俺がヘタレて時間をくれって言っちゃったあたりで……ああもうほんと、平塚先生の言う通りじゃねぇの。どうすんのこれ。

 誘う前からヘタレてるんじゃ、反論も出来ないんですが。

 

「比企谷……何を悩む必要がある。誘う、という行動を決めている時点で、君は以前より前に進めているんだ。そうする行動のために悩み、まあ遅刻は感心しないが、きちんと踏み込もうとしている。そこで永遠に踏み込めないのなら意味はないが、きっかけなら君の手の中にもうあるだろう?」

「……うす」

「ならばあとは進むだけだ。呼び出してでも、自分から行くのでもいい。ただし、きっかけを与えた私は君がこれから“どうでもいい”に埋没することは許さないぞ? さあ、君はどうしたい、どうする」

 

 自分は仕事を理由に埋没したのに、ものすげぇ掌返しを見た気分だ。誰かこの人なんとかして。むしろなんとかしてあげて。

 けど……まあその、なに?

 ……理由、貰っちゃったからな。

 ほら、あれだろ? 使わなきゃもったいないし、あいつもこういうの好きだろうし、いつか無駄にしちゃった時に後々言ったりしたら“なんで誘ってくんなかったの!? もったいないじゃん!”とか言いそうだし。

 

「じゃあ、その」

「おっと、メールで誘うは無しだ。君が、彼女の前できちんと誘うこと。……無言でチケットをつき返すのはやめなさい」

「先生、何年俺のこと見てきたんすか」

「5年以上、などと言ってみたいところだがそこはお口にチャックだ。年月の問題ではないよ、比企谷。不順異性交遊がどうとかを唱えるつもりはない。出会いは大事なものだし、これもまた青春だ。だからこそ、簡単に済ませられるもので解決しようとする癖は直したまえ。心を知るんだよ、比企谷。“楽”に流される今を変えるんだ」

「平塚先生……」

「だからチケットを押し付けるな! 本当に仕事で出られないだけなんだ! わ、私だって仕事がなければ! 仕事が無ければなー!!」

 

 おおう……女教師を泣かせてしまった……!

 どうせ相手が居ないからーとかじゃなく、気になっていた相手は居るのかしら……!

 いたたまれなくなったので、一言届けてから職員室を出ると、ひとつ溜め息。

 

「…………誘うったって」

 

 どうしよう。

 ここはやっぱりあれかしら、校舎裏に呼び出して……いや、そんなもん、誰かに見られた時点であいつが噂の中心に立つことになる。

 じゃあそのー……

 

「……さっさと部室に行くか」

 

 放課後のちょっとした時間に呼び出されただけなのだ、あいつも今頃、部室で雪ノ下とゆるゆりしてるんじゃ───っと、ここで呼び止められ、忘れ物だとばかりに鍵を投げられる。

 

「………」

 

 ……え?

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 悲報:雪ノ下がお休みだった。

 ちょっ……どうすんのこの空気!

 部室に行ってみれば、入り口前で由比ヶ浜が途方に暮れていて、やってきた俺を見るやぱあっと笑顔を咲かせてって……え!? やだちょっと、これから二人きり!? 俺にどうしろと!?

 

「あ、ヒッキー! 部室開いてないんだけど、ゆきのんまだなのかな」

「………」

 

 おぉおお落ち着け、落ち着くんだヒッキー! これ以上気を高めるんじゃない! まずは深呼吸をしてだな、テンパるとろくなことにならないんだから、まずは状況説明と、それからすることをだな……!

 

「ひ、ひやっ……あにょ……げふんっ! い、今な、平塚先生に呼び出されて、な」

「え? うん……?」

「そのっ……」

 

 雪ノ下、今日休みだから鍵を受け取ってきた。

 これでいい。ナイス定型文。

 あとはこれを届ければ───

 

「───今度の日曜、俺とデートしないか」

 

 ───。

 ……。

 miss、あ、みうs、ミス。出す定型文間違えた。

 これ俺がここ連日、夜更かししながら考えてたストレートな誘い文句だったわ。

 すいません、まだ現実のキーボード(コミュ)になれてないもんで。

 …………。

 ……。

 グワーーーッ!!

 

「あ、いやっ! すまんっ、今の」

「うんっ! 行こうっ! 行く! 絶対行くから!」

「───」

 

 状況がハイスピードで解決していく様を見た。

 ちょっと待ってと言おうにも、ズズイと近づいてきてこんな嬉しそうに頷かれたらさ……。

 しかしだ、やっぱりぼっちってあれね、ヘタレ。

 だからこそ、今さらで申し訳ないが。

 

「由比ヶ浜。その……肝心なところでヘタレて悪い。誘ってる時点でもうアレだと思うけど、俺とデートしてほしい」

「ふわっ……あ、えと。……うん。なんだろ、さっきのより、今言ってくれたほうのが、心に来た……」

「……そりゃ、定型文じゃないからな」

「? ヒッキー」

「ひ、ひやっ……なんでもっ……」

 

 ぽしょりと呟いた言葉が、危うく拾われそうになった。

 も、もういいだろ、頑張ったよ俺。

 相手が頷いてからじゃないと、自分の本当の言葉も届けられないヘタれでも、今だけはって思ったんだ。

 だからきちんと今の気持ちで届けて、やらかな笑顔で頷いてくれたから。

 

「……好きです。俺と付き合ってください」

 

 俺から視線を外してうきうきしていた彼女に、ついぽろりと本音が漏れた。

 もちろん嘘偽りのない言葉で、心も純粋なまでにたっぷりと詰まっていたから、彼女はうきうき笑顔のままにぼふんと真っ赤になって───

 

「普通そういうの、デートの最中とか終わりの頃に言わない!?」

 

 ───って言葉を、真っ赤なまま、照れたまま、緩む顔を抑えられないままに言って、俺に抱きついてきたのだった。



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命短し恋せよ乙女
選択肢0~5


「2万字でも多いわ!ww」とツッコミが来たので8千~1万5千あたりでいきます。
お、多くて2万~2万5千あたりで。
さてこちらは、ガハ祭りで投稿した選択式物語です。
軽いあらすじめいたストーリーを先に書いて、あとは参加者が好きな選択肢を選んで~……というお題を適当に振ってみたらなんか採用されちゃって……!
皆様きっとステキなSS書くんだろうなぁあ……と思ったら、言い出しっぺなら多少はいいとこ見せなきゃ! と妙に張り切ってしまい、一つの選択肢どころか全部書いてしまったがね……。
そんなSSです。どうぞ。


00/選択肢

 

 部室に来てみれば鍵がかかっていた。

 この場で待てば雪ノ下が来るだろうとは思ったが、今日はどうしてか気が向き、職員室まで取りに行く。

 「あ、あたしも行くっ」と元気に言ったお団子さんが、隣を嬉しそうにぴょこぴょこ跳ねている。やめて、なんかべつなものまで跳ねてるから。

 そうして鍵を手に入れ、部室に入り、定位置に座ってみたのだが。いつまで経っても雪ノ下が来ない。

 これはもう帰っていいんじゃなかろうかと思ったあたりで、そわそわしていたもう一人のケータイに着信。今日は家の事情で来られないという事実が判明。一気に微妙な空間の出来上がりである。

 雪ノ下を待つ、というこれ以上ない名目がなくなった今、ここでこうしている理由もない。

 俺は───

 

1:帰るか。帰るね。ああ帰る。まじ帰る。(帰るしかないまである)

 

2:そういやラノベの新刊が(買い物をして帰る)

 

3:依頼者を待ってみる(二人で解決or後日三人で解決)

 

4:来られないと見せかけて、廊下で待機中のゆきのん(何故!?)

 

5:依頼者を待ってみる(難癖つけてとりあえず断るorギャグ方面へ)

 

6:無難な会話を試みる(小町あたりにコミュ力上げろとか言われた)

 

7:一緒に帰る(実は付き合ってましたorこれをきっかけに進展を)

 

8:襲われる(……襲われる?)

 

9:からかってみる(笑いに走るもよし、愛に走るもよし)

 

10:急に具合が悪くなるor元から悪かった(ぽかぽかする)

 

11:真剣に話し合ってみる(全部を手に入れたい彼女のお話)

 

12:誰かが来る(知り合い等)

 

13:しっとりと、愛(18禁)

 

14:青春してみる(あなたの思い描く青春)

 

15;自由枠(むしろ最初からこれ書いておけばよかったのでは)

 

 

 

 

01/帰るか。帰るね。ああ帰る。まじ帰る。(帰るしかないまである)

 

「じゃ、帰るか」

「え、あっ……ヒ、ヒッキー! えと、一緒に帰ろ?」

「なんでだよ。べつにいいだろ一緒じゃなくても」

「……じゃあ帰る。隣歩いても、ただ普通に帰ってるだけだから」

「いやおい……」

 

 普通に帰った。由比ヶ浜が隣を嬉しそうに歩いている以外は、普通だった。

 普通だった───

 

「あらー、ヒッキーくん?」

「え? あれ? ママ?」

「へ?」

 

 ───筈だったんだが。

 こののちに由比ヶ浜マに誘われ、由比ヶ浜家で夕食をごちそうになることに。

 断ったんだが無理で、妹が待っていると言ったら由比ヶ浜が電話をして、帰ってこなくていい宣言までされた。

 食べに行くしか選択肢が残されておらず、行ったら行ったでパパヶ浜さんが……おがったとしぇ(おりましたとさ)

 

「そうそう、パパー? このコが結衣のだ~い好きなヒッキーくんよー?」

「え? やっ、ちょっ!? ママーーーッ!!?」

「ひぇ!? す、好き!? へ!?」

「や、やっ、ちがっ、違うのヒッキー! 好きってのはあのっ、えとっえぇっと……! ちがっ………………ちが、わない、けど……」

「…………由比ヶ浜?」

「───……ヒッキーくん、といったか」

「《ビビクゥ!》ひゃい!? ひ、ひっひひひ比企谷八幡イイマス!」

「……そうか。結衣からはよく聞く名前だ。いやむしろ、一年前から結衣が出す話題と言えば君の話題ばかりだ」

「パパまでなに言うの!?」

「私としては大変、大変に腹立たしいことではあるが……大事な娘の恋だ。応援してやらないなど親として失格だろう。ああもちろん、これからのキミと、今の君の気持ちも重要ではあるが」

「そうねー……ヒッキーくん? 結衣のこと、好き?」

「やめっ……やめてったら! そういうの、親が訊いて答えることじゃないでしょ!? やめてよ!」

「…………」

 

 泣きそうな顔の由比ヶ浜が目に映ると、俺も納得して、拳を握った。

 気持ちは……かなり浮ついている。

 親に毎度毎度人のことを話すくらいには、俺は想われてるってことだ。

 しかも、その上で“好きかどうか”を訊ねてくるってことは、そういう方向で由比ヶ浜は話しているってことで。

 でも……そうだな。それを親に訊かれたからって口にするのは違う。

 アピールはずうっとあったんだから、今度は俺が、こいつにこそ返してやらないとだ。

 

「……由比ヶ浜」

「はーい」

「なにかね」

「えっ……いや、そうじゃなくて」

「あらー、ママだって由比ヶ浜よー?」

「私とて由比ヶ浜だ。大黒柱だ。由比ヶ浜オブ由比ヶ浜だな」

「……その。結衣、サン?」

「ふえっ!? あ、や、やー…………えぇっ!? あ、あぅあぅあぅあぅ……!」

「はいヒッキーくん? そこで“さん”は取っちゃって?」

「いやちょっ……呼び捨てとかまだ早いんじゃ……!」

「なんだね、キミは私の娘とそんな軽い気持ちで付き合っているのかね!」

 

 付き合ってませんが!?

 いや、でももし付き合ったとしたら───……いや、そもそも俺、なんで迷ってるんだ?

 予防線を張る必要もなく親が認めるほどに、家での由比ヶ浜は解りやすいとくる。

 じゃあ俺はそれに頷けば、由比ヶ浜と付き合うことになって───いや、けどそれは───マテ。じゃあ俺は由比ヶ浜が嫌いか?

 …………。

 いろいろ言い訳は並べられる。けど、それが由比ヶ浜で嫌いって答えに結び付くかっていったら全然NOだ。

 それどころか…………あれ? むしろいいことだらけっつーか、嬉しい───あれ?

 

「………結衣」

「え───あ、うん。…………え? え、え? ヒッキー、今───」

「俺でよかったら、付き合って欲しい」

 

 どうせフラレる。

 そんな答えがあっさり浮かんだ。

 だったら、妙な期待を持ってしまう前にきっちりとフラレてしまえば───

 

「───、…………はぃっ……!」

 

 ───……。あれ?

 いきなりな告白にドン引きしてヒッキーキモいが来ると思ってたのに。

 こんな、ムードもなにもない、親の前での告白なら……夢見る乙女なんてものは絶対に怒ると思ったのに。

 それどころか涙を溜めて、胸に手を当てて、眩しい笑顔で“はい”と返された。

 

「………」

 

 “いいことだらけ”なんて理由で相手を選ぶ自分に反吐が出そうだった。

 きっと由比ヶ浜は俺を意識してくれていると、そう思ったのはいつからだったか。

 けど、そんな想いを抱いてくれた相手に対して、“いいことだらけ”なんて気持ちが浮かんだ自分が気持ち悪くて仕方がなくて。

 だからみっともなく拒絶されれば、こんな最低な気持ちも無くなると、そう思ったのに。

 

「ぐっ……! 娘が、父さんにも見せたことのない笑顔で……! これが、これが恋する娘の笑顔か……! た、耐えるんだ……! これも娘のため……!」

「はいはいパパ? 邪魔しちゃ悪いから、二人きりにしてあげましょう?」

「ふ、二人きり!? だめだまだ早すぎる!」

「ぱーぱー?」

「ひゃ……ひゃい」

 

 パパヶ浜さんが由比ヶ浜マに背中を押され、廊下の奥へと消えていった。

 そして残される俺と由比ヶ浜。

 

「あはは……変な誤解、させちゃったかな……」

「……へ? 誤解って」

「……あたし、解ってるよ? ヒッキーが本気じゃないことくらい」

「!!」

 

 ズキンと胸が痛んだ。

 本気じゃないってわかってた。……なのに、あんなに嬉しそうに。

 

「やー……ぶ、部活仲間の親にさ、ほら、あんなふうに詰め寄られたら……さ、言っちゃうよね、うん。言っちゃう言っちゃう。だ、だから……さ、だから……」

 

 気持ち悪さが喉に沸き上がってくる。

 俺は、なにをやった?

 見た目が今時の女子高生でも、中身はアホって言えるくらい素直で純真で、今時子供かってくらいの乙女な夢とか持ってそうな相手に、俺は───

 

「まっ……待て、待てっ、待ってくれ! 俺、俺はっ……」

 

 そんなつもりじゃなかった。そう言うのは簡単だ。

 けど、俺はとっくに自分勝手に踏み潰して、修学旅行のあの場所だけでは飽き足らず、こんな……相手を正面に捉えての告白まで、状況解消の材料に……!!

 

  瞳が潤んでゆく。

 

 俺のじゃない。由比ヶ浜の。

 だめだ、やめろ、泣かせたくない。

 どうすればいい、考えろ、いや、もう考えるな。

 なんで泣かせたくないんだ。後悔からか? 二度も泣かせたからか?

 それだけじゃない。それだけじゃない理由はなんだ。

 考えるな。そこにある答えを口から出せばいい。

 答えが当てはまらない考えなんて全部捨てろ。残った、捨てられないものが───

 

「俺はっ! 俺はお前が大事なんだ! 泣かせたくねぇんだよ! だから泣くな!」

 

 ───俺の、答えだろうから。

 

「………」

「………」

 

 で。

 これ、答えだとして、前後とか繋がってなくないですか?

 あ、だめ。なんか顔が赤くなっていく。

 由比ヶ浜も涙を溜めたままぽかんとしてるし。

 

「え、と……ひ、ひっきぃ……? 大事、って……」

 

 でもだ。すぐに次の疑問は浮かんでくる。

 部活仲間として大事なのか、それとも、と。

 

「ぶっ───」

 

 すぐに部活仲間だ、と口が動こうとするのに、それは答えじゃないとばかりに喉は引きつる。

 それを言ったとして、どうなるかが目に見えているからだ。

 泣かせたくない。笑っていてほしい。

 そう思える理由はなんだろう。

 笑わせたいなら、俺はどうしたらいい。

 泣かせたり怒らせたり困らせたりばかりだった。

 笑ったのだって、きっと苦笑い程度。

 こんだけ一緒に居るってのに、そんな笑いしか提供できてねぇんだ。

 だから……

 

「俺は……お前のことが、好きなのか……正直わかんねぇ。わかんねぇことだらけだけど……その、よ。笑っていてほしいとは……思うんだよ。二度と泣かせたくねぇって、笑っていてほしいって。んで……ほら、あれで……」

「……うん……」

「わ、笑わせるのは、俺がしたいって……思う。……あ、あー……わり、キモいよな。自分でもそう思うわ。今言ったこと《ちゅっ》ふむぶっ!?」

 

 自分の中にある、どうやっても消えてくれない“答え”ってものを伝えてみれば、やっぱり恥ずかしい。

 すぐに言い訳を用意して話を終わらせようとしてみれば、俺は……駆けるように地面を蹴った由比ヶ浜に、口を塞がれていた。

 

「え、えっ……えばぁばばばばば……!? ばっ、ななななにやってんだ! 女がそんな、むやみにキスとか……!」

「……好きな人にしか、しないよ?」

「っ……あ、……」

 

 ワンパンだった。

 あんだけぐるぐる渦巻いていた気持ちが、たった一言で整理された。

 ああ、だめだ。俺、こいつのこと、今……

 

「あ、あのさ、ヒッキー。さっき言った部活仲間っての、取り消させ《がばぁっ!》ひゃあうっ!」

「~~…………」

 

 今、こいつのこと、どうしようもないくらい……

 

「……絶っっ対に幸せにする……! 俺と、一緒に歩いて欲しい……!」

 

 ちっぽけな自分のなにもかもを懸けてでも、幸せにしたいって思っちまった。

 

「…………」

 

 由比ヶ浜からの返事はなかった。

 ただ、抱き締めたその体がぴくんって跳ねて、小さく震えて。

 その細い腕が俺の制服の背の部分をぎううって強く握ると、

 

「……、……~~っ……ぁ……ふぁあああああぁぁん…………!」

 

 声を出して、子供のように泣き出したのだった。

 

 

 

 

02/そういやラノベの新刊が(買い物をして帰る)

 

「んじゃ帰るか」

「あ、うん。ヒッキー、えと、せっかくだしさ、一緒に帰ろ?」

「いや、俺これからアレがアレで買い物していかなきゃならんから」

「どうせ途中まで一緒じゃん? 一緒に行こうよ───あ、買い物ってなに? あ、あたしもさ、えとー……買いたいものとかあったり……」

「あーそーかい、残念だったな、俺が買うのは本だからお前とは無縁だな」

「ちょっ! あ、あたしだって本くらい買うってば!」

「ほーん? たとえば?」

「え? や、やー……ほら、……料理の本……とか?」

「んじゃなー、気を付けて帰れよー」

「わああ待った待ったほんとだってば! なんで先行っちゃうの!? 待ってってば!」

「お前よくもそんな誰も騙せそうにない嘘を……」

「嘘じゃないったら……あれから結構頑張ってるんだよ? だ、だから……さ? 本……一緒に」

「…………《コリコリ》……そうな。んじゃあその……行く、か?」

「あっ……《ぱあっ……》うんっ! えへへぇ、ほらほらっ、早く行コっ、ヒッキー!」

「なんでそんな急に元気なの……俺ちょっとそのノリにはついていけな《ぐいぃっ!》おぉあっ!? おいちょっとなんで引っ張るの別に店は逃げねぇだろ……!」

「時間は減るんですー! ほらほらヒッキー!」

「へいへい……」

 

 こののち。

 本屋だけで済むかと思っていた用事は料理勉強に発展し、何故か小町に教えを乞うことになった由比ヶ浜が比企谷家へ来訪。

 そこでなんでか俺の好みをぽしょぽしょと小町に訊ねていたことを小町から聞くことになり……翌日。

 由比ヶ浜に引っ張られ、訪れた昼のベストプレイスにて、弁当を贈られた。

 お礼がどうとか言っていたが、生命にかかわるのでは……と怯えを孕んだ俺の目を見るや怒った。そらそうだ。

 味? 味は……まずいに近かったものの、きちんと努力のあとが見られた。ならばと最初っから疑ってかかった罰として、作ってきてくれりゃあ味見する約束をした。

 流石の俺でも、きちんと努力をしている人を鼻で笑うみたいに突き放すとか無理だ。その努力が自分に向けられているなら尚更な。

 え? なんで知ってるかって? ……小町に逃げ場を無くされた上でじ~っくりと説明された。勘違いとかじゃないからきちんと受け止めないと、捻くれ以前に人としてアレだって。

 アレってなんだよ。気になるじゃないの。

 

 ……と、まあ。

 これが我が家の、というか……俺専属のシェフが誕生したきっかけだったりする。

 あ? 今現在? ……いろいろあって同棲しております。

 高校三年のある日に家を追い出され、アパート暮らしだ。そのためのお金もお互いの両親が出すからと言って譲らず、事実上結婚が決まっている。うん、婚約、済ませたしね? 俺の誕生日が来たら婚姻届けを役所に出すのだ。

 いやべつに嫌だとかそういうんじゃなくて。

 ただ。まあその。

 男って、胃袋を掴まれるのはもちろん、その過程でもあっさり落ちるんだなぁと。

 自分のために料理を頑張る可愛くて空気が読めてスタイルのいい女子に好かれて、落ちないやつなんて居るのかね。

 自分の好みだとかそんなものはどうでもよくなった。

 どうしてもって言うなら答えよう。結衣がタイプです。

 

 

 

 

03/依頼者を待ってみる(二人で解決or後日三人で解決)

 

 せっかくなので依頼者を待ってみた。

 

「…………《ペラリ》」

「…………《カタカタカタ》」

 

 ……が、ものの見事に誰も来やしない。各自、小説を読んだりケータイいじったりと、いつも通りの時間を過ごす。

 まあ……そうな。普段から誰も来ないのに、今日に限ってとかあるわけがない。

 待つことを選んでおいてなんだが、もういっそ帰ってしまおうか。

 そう思った時、きやがりました、ノックの音。

 

「!」

 

 由比ヶ浜が耳を弾かせる犬や猫のように反応して、バッと引き戸を見つめ、次いで俺を見る。

 …………なんかもう居留守でいんじゃね? 今小説がいいところだし。

 そんな意志を目に込めて送ると、頬を膨らませて目で怒ってきた。地味に伝わったらしい。

 

「あ、ど、どうぞー!」

 

 そんなわけで由比ヶ浜がどうぞと言ってしまったために、本日の依頼者、来訪。

 

「はろはろー♪」

「あれ? 姫菜?」

「………」

 

 あまり会いたくない人物のご登場。

 いやそもそも俺って会いたい人物って戸塚以外に居るの? この学校って俺に対して苦手な人ばっかなんですけど。なんとかなりません? ……自業自得なところは受け入れるが。

 そんな海老名さんは何故か正面には座らず、椅子を動かして由比ヶ浜の近くに座った。

 

「え? ど、どしたの? あたしになんか用? それとも……」

「うん、依頼。ちょっと困ってることがあってさ」

「そ、そなんだ。えと……なにかな。今ゆきのん居ないけど、聞くだけならあたしたちでも出来ると思うし」

「それなんだけどね。実は───」

「実は?」

「……たまたま、なんだけどね。知っちゃったことがあって。利己的なものだーって自覚もあるし、ちょっとこれはないかなとも思ったんだけど。こういうやり方しか出来ないのかもって……ちょっと諦めつつあっても、後悔はやってからしようかなーって」

「? えと……なんなのかな。ごめん、なに言ってんのかわかんないや……」

「……修学旅行《ぽしょり》」

「!!」

「?」

 

 海老名さんが由比ヶ浜にだけ口を寄せ、ぽしょりとなにかを言った。

 ……由比ヶ浜は随分と驚いてるようだったが。

 

「結衣が泣きながらヒキタニくんになんか言ってるところ、見た人が居てさ。たまたまそれが耳に届いて。あ、広まらないようにってちゃんと止めたから、それは大丈夫」

「……え、と、……やー……うん……。そ、それで、なんで姫菜が……?」

「結衣、ヒキタニくんのこと、好きだよね?」

「───!」

「……ん。確認してからでごめん。あの日のことは、本当にごめん。ごめんなさい。あの日のとべっちと私の依頼は……さ」

「……ちょっと待って」

 

 ……お? 由比ヶ浜が立ち上がって、なんでか俺のところに……え? なにこれ。ケータイ? イヤホン俺に差し出して……あ、あー……音楽でも聞いてろってことですか?

 

「いや、べつに大事な話があるなら外に」

「……ここに居て」

「え、ぁ……お、おう」

 

 言われるままにイヤホンをつけ、由比ヶ浜が普段聞いている音楽を大音量で聞く。音量は由比ヶ浜がグイーと適当に決めていった。うるさい。あとうるさい。

 元の位置に戻る由比ヶ浜を見送りつつ、仕方もなしに途中だった小説を読むのだが……集中できん。

 どうしたもんかー……ってあらやだなにこれ、いい曲じゃねぇのこれ。

 タイトルはー───などと別の方向に夢中になりだすと、目を閉じて大音量に集中する。

 慣れれば案外いけるなこれ。……すごいネ、人体!

 そうしてしばらく目を閉じていると、肘をついていた長机が急にがたたっと揺れる。

 な、なに? 何事?

 自分以外の要因を探せば二人しか居ない。

 パッと見てみれば…………どう見ても、由比ヶ浜が海老名さんを叩いたって状況だった。

 …………。え? なにこれ。

 思わずイヤホンを取ると、当たり前だが声が聞こえた。

 

「どうして……! どうして! 答えが決まってたのに、どうして人を巻き込んだの!?」

「……、あのままのグループが」

「だから! グループなんかじゃない! それは姫菜ととべっちの問題でしょ!? ……たしかにそうだよ……? 姫菜が告白されて断れば、グループにだって妙な空気とか出てたかもしんないよ……。でも、じゃあ、姫菜はそんなことがある度にそうやって、どうして欲しいかも言わずに相手にやり方を投げっぱなしにして、自分だけ笑ってるの!? それでいいの!?」

「結衣、私はさ、結衣を泣かせるつもりなんかじゃ───」

「言わなかったじゃん!! ヒッキーに任せて! ヒッキーが嘘の告白して! ~~……あたしにでもゆきのんにでもっ……言ってくれてあったら……! あんな苦しい想い、しなかったよぉっ!」

「…………ごめん、結衣。ごめんね……」

 

 ……。俺もごめんしか届けられない。

 言わなかったのは俺も同じなんだ。

 気づいたことを相談しようと思えば出来た筈なのに、方法もなんもかも、出来れば知られたくないなんて理由で、俺は結局また泣かせてしまったのだから。

 ああいや……違うな。一度は飲み込もうとしてくれたんだ。辛くても、これっきりならと、涙さえのみ込もうとしてくれた。

 なのに俺は効率云々を口にして、あいつの我慢の壁をぶち壊しちまったんだ。

 本当に。

 恋心ってものも。

 辛さを耐えようとする心ってものも。

 全然、これっぽっちも考えてやれてなかった。

 

  ───人の気持ち、もっと考えてよ

 

 ほんと、その通り過ぎて呆れちまう。

 効率だけを前に置くなら、きちんと相談した方がよかったに決まっているのに。

 なぜって。

 “みんな”の気持ちなど、“ぼっち”には解らないからだ。

 だから“みんな”の依頼は“みんな”で考えなきゃいけない筈だった。

 それを、俺はまちがえてしまったのだから。

 

「由比ヶ浜」

「っ! ひ、……っきぃ……」

 

 声を掛けると、由比ヶ浜は肩を弾かせて振り向いた。

 叩くよりも叫ぶよりも、俺に声を掛けられた瞬間、自分を取り戻したって様相だった。

 挙げてしまった自分の手に残る、人を叩いた感触を思い出してか、手を見下ろして震えている。

 なんでイヤホンを取ったのか、なんて言ってはこなかった。そりゃそうだ、目の前でやれば、イヤホンつけてたって嫌でも気づくってもんだ。……目、閉じてたから肘とか机についてなけりゃ気づかんかったかもだが。

 

「あー……それで結局、なにをしたくてここに来たんだ? 謝りたくて、とは違うだろ」

「……うん。謝りたくて、は違うかな。謝るには今さらすぎるしね。だから、いっそ叩いてもらいたかったっていうのが本音かな。結衣には本当にひどいことしちゃったから」

「そうか? 俺には今の状況の方が、よっぽどひどいことしてるように見えるけどな」

「……そう、だね」

 

 由比ヶ浜は泣いていた。

 叩いてしまった手を左手で押さえ、胸に抱くようにして。

 叩かれて許されたいとか、相手にスカっとしてほしいとか、そんなのは思い込みの一種だろう。

 どんな理由があろうと人を叩きたくないヤツだって居る。

 空気を読むことに長けて、人のことばっか見てたこいつが、人を叩いてスッキリするなんてことは……決めつけかもしれないが、あるわけがない。

 海老名さんもそれに気づけないほどに罪悪感を感じていたってことだろうが、さすがに泣かされるのは見ていて辛い。

 

「ヒキタニくん。依頼、お願いしていいかな」

「……さすがにもう、独断で受けることはしねぇよ。話、ちゃんと聞いてからだ」

「うん。結衣とじっくり話し合ってくれていいから。むしろそうしてほしい」

「……?」

 

 ちょっとした違和感。

 話し合ってくれていいと言うわりに、海老名さんは椅子から立ち上がり、俺の傍まできた。

 そして、俺の耳元まで顔を近づけると、「……結衣の想い、叶えてあげてほしいんだ」と言った。

 

「自惚れなんかするまでもないよね? 人の行動に敏感なヒキタニくんが気づいてないわけないもん」

「……なんだ、それ。自分の罪悪感消すために、人の感情を利用しようってのか。だとしたら前の依頼よりも性質が悪い。由比ヶ浜と絶縁しにきたのか?」

「見てみぬフリをしてた私の自業自得だから。結衣に元気がないこと知ってて、いろんなことへの自覚も見てみぬフリして。……泣かせるつもりなんて、本当になかったんだよ。だから、どうせ嫌われるなら、それがひとつくらい喜びに繋がってほしいって」

「───」

「だから、私はここでいらないことを付け足すことにする。……ヒキタニくん。これはね、“自己犠牲じゃない”よ。私が勝手にすることだから」

 

 ……。吐き気がした。

 ようするに、俺がしてきたことってのは他人から見れば“こんなもの”なのだ。

 悪意や害意は自分が受け取り、周囲はハッピー。

 そんなことを平気でやって、自分の近くに歩み寄ろうとしている誰かの気持ちなんて、これっぽっちも考えない。

 だとすれば、変わらない自分なんてものを貫こうとすれば、俺はまた、今の海老名さんのように由比ヶ浜を泣かせることに───

 

「依頼は以上。よく話し合って、よく振り返って、最後にとびっきりのハッピーエンドにしてくれたら嬉しいかな。私ももうちょっと、グループの方で頑張ってみるから。自分で蒔いた種だし、それでおかしくなっちゃうなら……仕方ないよね」

 

 それだけ言うと、海老名さんは最後に由比ヶ浜に頭を下げて、出て行った。

 

「………」

「………」

 

 沈黙。

 こんなんどうしろっての、と悪態をつきたいところだが……そだな。

 泣いている今だから丁度いいのかもしれない。

 泣かせた自分が謝ることさえ出来なかったいつかの巻き戻し。

 そう思えば、泣いている今だからこそ。

 

「由比ヶ浜。依頼のことだけどな───」

 

 解決方法はすぐそこにある。

 依頼解決はひどく簡単なものだ。ようするに俺の心の覚悟の量の問題っつーか。

 歩み寄ってくれていた分、俺も一歩でも二歩でも踏み込んで、泣かせた分を笑顔にしてやろう。

 断られたって何度でもぶつかる。人を想って泣けるなら、いっそ想われても泣いてくれ。

 

  そうして、俺は一歩を踏み出した。

 

 何を言われたか解らないって顔の由比ヶ浜に、言葉に詰まりながらも何度だって伝えて。

 弱っている心に温かい言葉は届きやすいなんて言うが、それはちょっと違うんだと思う。

 弱ってるからこそどん底に落ちたいって人も居る。罪悪感がひどい人なんか特にそれな。

 加えて、由比ヶ浜はどうしてか雪ノ下がどうのと言い出した。が、一刀両断。

 

「あほ。他人のあれこれがどうこう以前に、お前はもっと自分のために動け。お前の感情に、お前がしたいことに、雪ノ下を巻き込むな。お前はお前でいいだろが。俺に捻くれがどうとか言うなら、お前ももっと自分の気持ちを前に出してやれ」

「でも…………」

 

 つーか、伝えればすぐに頷いてくれるとかどこかで期待してました。照れるし恥ずかしいし逃げ出したいからお願いします気持ちを受け取ってください。

 ダメならダメで拒絶してくれていいから、なんかもういっそ殺してください。

 のようなことを伝えると、

 

「拒絶なんてしない! ……ぁっ…………」

 

 叫ぶように即答して、直後に沸騰。

 顔を真っ赤にして俯き、けれどもう一度俺を見ると、「……いいのかな」とぽしょり。

 雪ノ下にどんな遠慮があってそういうこと言うのかは知らんが……あれ、ほんと愛だ恋だじゃないからね? 甘えることを知らなかった子供が、たまたま自分が出来ないことを出来る人を見つけて、少し意識を傾けた、とか……そういうのでしかないから。

 

「で、でも」

「なんなら雪ノ下に言ってみろ。間違いじゃなけりゃ、顔真っ赤にして言い訳乱舞になるから」

「………」

 

 言ってみると、素直に電話をかける由比ヶ浜=サン。あら素直。

 しばらくして繋がったらしく、俺が言った通りの言葉を口にすると、予想通りといえばいいのか、多少離れていても聞こえるくらいの上ずった声で始まる言い訳乱舞。

 由比ヶ浜は俺を見てぽかーんとした表情。ケータイからは未だに言い訳乱舞。

 少ししておかしくなったのか、由比ヶ浜は笑った。

 苦笑いなんてものじゃなく、こう、なんつーのか。さっきまでの苦悩も悲しみも全部とっぱらった……ああほれ、あれだ。屈託ってもののない笑顔? っつーのかね。そんな笑顔を見せたのだ。

 ……あらやばい、自分の動きが止まるくらい可愛かった。

 雪ノ下には見せても俺には見せない、そんな笑顔が俺に向けられた。

 そこにはきっと安堵も混ざっていて、こいつのことだから……もし、とか考えたらキリがなかったんだろう。

 いや、雪ノ下が俺をとか、まずないっての。行けて精々友達だろ。……いや、部活仲間? ……だな。だって“ありえない”とまで言われちゃってるし。お前さ、俺が言うのもなんだけどもうちょっと未来の可能性とか信じようよ。

 俺と友達だなんて有り得ないとか、いざそんな関係でもいっかーとか思ったらウソつきになっちゃうんだゾ? いや“だゾ”じゃねぇよ。

 

「で……あー……その。すまん。ダメならダメで、早くトドメを刺してほしいんだが……」

「───……」

 

 目の前の賑やかさ(主に雪ノ下)にあてられたってわけでもないんだが、さすがに恥ずかしくなって呟くと、由比ヶ浜は俺の目を真っ直ぐに見つめた上で、ふわりと頬を朱に染めながら笑い、今度こそ想いを真っ直ぐに伝えてくれた。誰に遠慮するでもなく、なにを気遣うこともなく、誰のために空気を読むでもなく。

 そうして、ようやく自分のために行動をした彼女を幸せにするために、俺の自分改革も始まったのだった。

 とりあえずアレな。捻くれ禁止。そういった方向での依頼解決も一切禁止。

 まずは目の前の、心を完全に持ってかれちまった笑顔をいつだって見られるよう、その機会を増やす努力から始めよう。

 きっかけがなんであれ、もう“こいつのためなら”とか思っちまったし。

 他人のために動き続けてたんなら、これからは俺が。

 それに対して遠慮をするってんなら、まずお前が他人のためをやめてみろ。……おし、完璧な最終兵器が用意出来た。

 んじゃあ始めよう。

 まず手っ取り早く笑顔にするための冴えたやり方。

 

「……あ、ああえっとその、だな。由比ヶ浜」

「う、うん……なに? ヒッキー……」

「……名前で呼んでいいか?」

「…………ぁ───」

 

 結論。泣かれた。悪い意味じゃなくて。

 こうすればこうなるとか、自分の勝手な思い込みって役に立ちませんね。

 なので、もっと知る努力を続けようと思いました。まる。

 

『…………はぁ。二人とも? まだ繋がっているのだけれど……』

『!!《びくぅっ!!》』

 

 ……恥ずかしさにも慣れていこうな。

 たぶん、俺とこいつとじゃあ相当必要になりそうだし。

 

 

 

 

04/来られないと見せかけて、廊下で待機中のゆきのん(何故!?)

 

 ……。

 

「……《ゴゴゴゴゴゴゴ……!》」

 

 特別棟、奉仕部部室前。

 そこに、携帯電話の着信音をゼロにしつつ、どこかジョジョチックなシヴい顔で溜め息を吐くおなごがおった。

 名を、雪ノ下雪乃。通称をゆきのんという。

 

「……。危ないところだったわ……気づくのが遅れていたら、すぐにバレてしまうところだった……」

 

 さて。

 何故この奉仕部部長様が部室に入らず、こんなところに居るのかといえば。

 

「由比ヶ浜さんは普段から比企谷くんを気にしている……それは解り切っていることね。ええ、傍から見ていてもやもやしてしまうくらい……こう、じれったい、というのかしら」

 

 確かめたいことがあったのだろう。

 あえて二人きりにさせてみて、どうなるのかを見てみたかった。

 そもそも由比ヶ浜結衣は、比企谷八幡のことに関して、どうしてか雪ノ下雪乃に遠慮をしているようである。

 ならばそこに自分が居なければどうなるのか。それを見てみたいと、純粋な好奇心が沸き出した。

 普段ならばこのようなことをする彼女ではない。

 昨日たまたま入手したねこねこ大集合ブルーレイBOXを夢中で見るあまり、たまたま徹夜をしてしまったことが原因でたまたま遅れてしまい、たまたまこんな場面に出くわしたわけでは断じてない。ないったらない。ほんとうにないんだからねっ!? ……というわけで、この物語はネタ寄りでご提供いたします。

 

(……とはいえ)

 

 廊下で座りながら聞き耳を立てるって、部長としてどうなのだろう。

 小さくそんなことを考えて、溜め息を吐いた。

 しかしそんな悪戯めいたことをする自分に、少しわくわくしているところもあり、溜め息のあとには小さく笑みを浮かべていた。

 特別棟は案外静かだ。聞き耳を立ててみれば、中の声は案外聞こえる。

 それに、由比ヶ浜結衣の声は耳に届きやすい。どこぞのけだるそうに喋る誰かさんとは大違いだ。

 

『ね、ねぇヒッキー』

「!」

 

 会話が始まると、意識が鋭くなる。それこそ猫が物音を聞いてピンと耳を弾かせるが如く。

 どうしてかT-SUWARIから正座に変えて、目を閉じて意識を会話へ集中させた。

 

『えっとさ? えとー……』

『干支?』

『や、そうじゃなくて……えっとさ。今度ほら……あれじゃん?』

『ああそうな、アレな』

『………』

『………』

『あれってなにって訊いてよぉ! 会話終わっちゃったじゃん!』

『そりゃそうだろ。ぼっちたる者、会話の全ては終わらせるためだけにある。常にどうすれば会話が落着に辿り着くのか、そればっかりを考えて、常にそれを実行するまである』

『……えっとね? あれってのはさ』

『わー、無視して話し始めちゃったよこの人。いや、俺もそれはねーだろとは思ったけどよ』

『ほ、ほら、父の日ってあるじゃん? 今年は19日で、そんでさ……』

『あぁ、もうそんな時期なのな。んじゃあなに、前日はお前暇?』

『ふえぇっ!? ななななんで!?』

『あ? だってお前、誕生日───……うぐぉぁ』

『ヒッキー…………お、覚えてて……くれたんだ……』

『い、や……そりゃ、あんなことがありゃ、覚えてるだろ……』

『……だって、さ? なんか毎日、すっごくどうでもいいって感じだったし、そんなもんなのかなーって……』

『なにお前、催促してまで祝われたいの?』

『祝われたいよ! ……だって……ヒッキーだもん……』

『………』

『………』

 

 物凄い速さで話が進んでいる気がする。

 こういうものは普通、ラブコメ的展開で言えばあーだこーだと話が長引いて、邪魔が入って、もやもやするものじゃああるまいか。

 廊下で正座、目を閉じている雪ノ下雪乃はそう思わずにいられなかった。

 しかし彼女は知らない。気づかない。

 既に顔見知りの何人かが奉仕部の前を訪れたが、目を閉じ正座して、声をかけても反応がない彼女に首を傾げつつ戻っていったことを。

 邪魔者来訪フラグはあったが、全て折られていたのだ。

 

『なぁ、由比ヶ浜。自惚れていいなら一度踏み込んで失敗してみてぇって思う。……お前、俺のこと好きか?』

『うひゃあっ!? ななななに言ってんのヒッキー! キモッ! キんモい! いきなり人の気持ち口にするとか、マジありえない!』

『……あー……まあ、そうな。そりゃそうだ。おう、これで疑問も誤解も全部解けたわ。由比ヶ浜結衣は俺にそういった感情は抱いてない。それが解れば、俺も割り切って───』

『え? ち、ちがっ、違うよそうじゃなくて!』

『あ? 違うって、なにが。キモい言っといてそれは違うって、わけが───』

『わかんなくない! ……人の気持ち、勝手に言うからキモいって言ったの! ……もうちょっと、ムードとか考えてよ……』

『………………へ?』

 

 盛り上がって参りました。

 正座した膝の上に乗せた手が、自然とギュッと固まる。

 いきなさい、迷うことはない、あと一歩だ。

 

『ほんっとヒッキーってあれなんだから……。う、うー……! もっと胸にくる状況とか、夢だったのに……! ……ヒッキー!』

『お、おう? なんだよ……なんでそんな怒って』

『あ、あたし、ヒッキーが好き! ヒッキーのことが男の子として大好き! あ、あの、えっと、あれだからね!? べつに罰ゲームとかそういうのじゃないから!』

『……い……や…………、待て、待て待て、それは気の迷いってやつだろ。出会ったきっかけがアレだったから、ちょっと意識してるってだけで』

 

 おのれこのヘタレ。

 彼女が別の男に声をかけられればいい顔をしないくせに、いざこんな状況になれば答えを濁す。

 構わないわ由比ヶ浜さん、そのヘタレ谷くんに実力を行使してでも想いを伝えるのよ。言ったって解らないなら───

 

『じゃあ……これでも信じらんない?』

『へ? あ、おいっ! 待───』

 

 ……。

 音が、消えた。

 声もない。

 ただ静かな時間が流れ、やがて───

 

……。

 

 ……。

 

「…………のん? ゆきのーん?」

「《びくっ》んっ……!? あ…………由比ヶ浜さん?」

 

 ふと目覚めると部室。

 長机に突っ伏すようにして眠っていた。

 

(…………夢?)

 

 だとすれば自分はなんという恥ずかしい夢を見ていたのか。

 よりにもよって友人の告白を盗み聞きしてしまうなんて。

 ちらりと見れば、目の腐った彼も口をへの字にしながら私を見ていた。

 

「お前が居眠りなんて珍しいんじゃねーの? 材木座の小説の時以来か?」

「……、ええそうね。不覚だわ。人の前で眠ってしまうなんて」

「ぐっすりだったよー? あ、でももう完全下校時刻だからさ、帰ろ? ゆきのん」

「ええ……、ん……わかったわ」

 

 立ち上がりながら返して、鞄を手に取る。

 はぁ、まったく、おかしな夢。

 そもそもいくら自分が夜更かしをしたからといって、廊下で正座するなんて。

 廊下に出て、鍵をかけ、歩く。

 少し頭を冷やそう。

 鍵を返して、それから───

 

「………」

「………」

 

 そんなことを考えていたからか、寝起きだったからなのか、彼女は気づかなかった。

 一人、鍵を返しにいくその違和感。いつもならついてくる彼女が隣ではなく、彼の隣に立ち、その手を繋いでいることに。

 

「ああ……そういえば由比ヶ浜さん」

「《シュパァン!》うひゃあなに!? ななななにっ!? ゆきのんっ!」

 

 振り向く彼女に、由比ヶ浜結衣は物凄い速さで手を振りほどいた。その顔は真っ赤である。

 

「人を椅子に座らせてまで夢ということにしたいのなら、まずはその潤んでやまない恋する乙女のような目をなんとかしなさい。浮かれすぎていて、逆に心配だわ」

「え───ひゃああ!? あ、あたしそんな顔してる!? あ、で、でもヒッキーが受け止めてくれたから……あぅ、ふゎ……ぁ……え、えへぇぇ……♪《ほにゃあ》」

「いやおまっ……解りやすすぎだろ……! あ、あー……その、なんだ。そういうことっつーか。説明するまでもなく丸解りだろうけど」

「ええ、精々泣かせないように努めなさい。嬉し涙以外を流させたら……潰すわ」

「どこを!? あ、いや、社会的地位を、とかそういう意味か!? そうだよな!? どこを、じゃなくてなにをでいいんだよな!?」

「ふふっ……」

「そこで笑うなよ怖いだろ!?」

 

 立てていた予想を口にすれば、簡単に全てを説明してくれる自分の親友を、本当に可愛く思う。

 そんな笑みに心が温かくなるのを感じながら、雪ノ下雪乃はのんびりと廊下を歩いた。

 

  ───この物語は地の文と登場人物の心が必ずしも一致するとは限らない作風でお送りいたしました。

 

 

 

 

05/依頼者を待ってみる(難癖つけてとりあえず断るorギャグ方面へ)

 

 がらぁっ!

 

「っべー! いんやーヒキタニくーん、これやばいわー、マジやばいわー!」

「そうか帰れ」

 

 ガラピシャアァンッ!

 ……悪は去った。

 




pixivにて他の参加者様の作品をネタに使ったものは、さすがにこちらでは使えないので、新しく書いたりしています。


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選択肢6~8

06/無難な会話を試みる(小町あたりにコミュ力上げろとか言われた)

 

 無難。

 難しいことが無い、と書く。

 平凡で特になにもないこと、という意味らしい。最高。

 しかしそれを会話として出す場合、コミュ力がないと長続きはしない。

 かといってこのまま黙っているのも空気的によろしくなく、そもそも由比ヶ浜がやたらとこちらをちらちら見てくるのがアレでアレなわけで。

 いやなんなのお前、空気読むのが得意ならいっそほっといてくださいません?

 これで俺の社会の窓が全開だったーとかなら八幡ごめんちゃいだけど、…………開いてないよな? おう開いてない。

 

「………」

「…………《ちらちら……かぁああ……!》」

 

 じゃあなんだってこのお団子さんは、ケータイもいじくらんと自分の膝に手ぇ乗っけて肩を突っ張らせるみたいに“THE・緊張してます”って姿勢で俺のことチラ見してるのん?

 見てくるだけならまだしも赤くなる理由が解らん。

 リア充ならばここで“ハハァン? 俺と二人きりになって緊張してるんだナハハァン?”とか考えたりするんだろうが、俺に限ってそれはない。

 しかしだ。

 相手が由比ヶ浜で、その相手が俺だという場合、気になることはそりゃあある。

 今までそれっぽいアプローチはあったのだから、いっそこれを機会に清算してみてもいいんじゃないでしょうか。

 そうした方がこう……ほら、なに? ただの部活仲間ってだけの関係を確立しやすいんじゃないでしょうか。

 ……おう、無難な会話な。無難な会話でそのあたりの決着、つけてみましょーよ。

 

「あー……由比ヶ浜?」

「ひゃあっ!? な、なにっ!? みみみ見てないっ! 見てないしっ! あたしべつにヒッキーのことなんかっ!」

「………」

 

 空気読んでください。人が無難にいこうとしたのにそんな慌てられたら、ぼっちとしてはどうしたらいいのか。

 あー……んじゃああれか。ここは今までのことを逆手にとって、つついてやるのが一番なのかね。

 漫画とかでもありそうなシチュだろたぶん。

 

「ほーん? 俺なんかか。じゃあ今日までいろいろ気にかけてくれてたんかなって思ってたの、全部俺の気の所為か」

 

 ほれ、こんな感じだろ?

 そしたら由比ヶ浜が“あ、あったりまえじゃん?”とか言って、小さな笑みが───

 

「ぇ、ぁ───そんなことないっ! 違うっ、違うよ!?」

 

 予想の斜め上の返事が飛んできた。想定外で予想GUYデェス。

 バンッと机を叩くようにして立ち上がった由比ヶ浜が、短い距離だってのに駆けるようにして俺の後ろに来た。いきなりだったから反応出来ず、そのままあすなろチックに抱き着かれてしまった。

 

「おぉわっ!? ちょ、なにを───!」

「気の所為だなんて受け止めちゃ、やだよ……! あ、あたしだって、勇気出せなくて誤魔化しちゃうことだってあったけど……! で、でも、あたしにだって譲りたくないこと、いっぱいあるから……! だから……!」

「……、……」

 

 何かを言おうとして、言葉に詰まった。なにを言おうとしたのかも一瞬で砕けて、解らなくなってしまう。

 ただ自然と、首に回された腕に軽く触れ、その制服の袖を軽く引っ張った。

 

  ……本物が欲しいと訴え、雪ノ下が部室から出て行ったあの日。

 

 由比ヶ浜に服を掴まれ、叫ばれ、手を握られて以降、こいつとの距離は縮まった気がする。

 わからないで終わらせたらだめだと、叫んでくれた。

 ……知っていいのだろうか。

 知ろうとした途端、拒絶されて笑われるだけだろう───そんな、“どうせ”という考えが前に出る。

 けどだ。

 気の所為で受け止められるのは嫌だと、こんなことをしてまで否定してくれるのなら。

 

「………」

「あ…………ひっきー……」

 

 いつかこいつがしてくれたように、掴んでいた服を離し、手を握った。

 一人で歩けるからと振りほどいたのは俺だ。

 そんな俺が、自分から他人の手を掴む。

 拒絶されるならされるでいい。解り切った現状の方が、なにも期待しないで済むから。

 なのに、どうしてだろうな。掴んでおいて、拒絶されるならされるで、とか思っておいて、それをされる未来が全然想像出来なかった。

 

  掴んだ手が、きゅっと握り返された。

 

 そうして、始まる。

 まちがってばかりで、泣かせてばかりで、誤魔化してばかりだったお互いの物語。

 ラブコメって言うには随分とシリアスばかりだった気もするが、まあ。冒険はただの序章にすぎないってどっかの誰かが言ってたんだ。物語は、これからなのだろう。

 

「…………」

 

 人ってあったかいな。

 ぽしょりと呟いた言葉が拾われ、うん、と返された。

 俺の言葉を拾おうとしてくれる人に、ただ感謝を。

 繋いだ手に思わず力が入り、離したくないと思ってしまって。

 案外踏み込まれたらちょろいんじゃないかと自分を振り返って、笑った。

 

 

 

 

07/一緒に帰る(実は付き合ってましたorこれをきっかけに進展を)

 

 一緒に帰る。

 リア充が実に極自然に行なう、群れを成す者どもの呪文。いやべつに呪いたいわけじゃねぇよ。呪いの文と書いて呪文とか物騒すぎでしょ、もうちょっとなんとかならないのこの文字。

 ちなみにこれをぼっちが唱えようものなら、瞬く間にドン引き、陰口めいたキモいが高速連続詠唱されること請け合い、時に勘違いした馬鹿が“ぼっちごときがなに言ってんの?”とニヤついた顔で近づきながら言ってくるわけだが……いや、お前こそ頭大丈夫かと気遣ってやりたくなるほど見ていて痛々しいので、お前こそ気をつけような、マジで。

 

……。

 

 で。

 言えと?

 俺に、由比ヶ浜へ、一緒に帰ろうぜッ★ と。

 これ言うくらいなら冗談でも“バンドやろうぜッ★”と、古泉君がキョン君に言うように口に出す方が楽だ。なにせ冗談で済む。

 でもこれガチだろ。ガチでヤバくてキモい言葉だろ。

 仲の良い相手ならいいだろう。気心知れた相手なら即答で“そうね(Ah bon)”って感じで返してくれるだろうさ。

 だが俺が言おうものならキモいで終わる。いや、それで終わればいい方だ。まず一気に気まずい雰囲気が出来上がるだろ? それから“うっわなに言っちゃってんの身の程くらい知っとけよダボがァ”って目で見られたあと、見下した目で歩みよりながら“お~いおいぼっちごときがなに言っちゃってんの~?”と……いやほんとマジでお前のほうこそ見てて痛々しいからやめてくれなほんとマジで。すまんほんと言わなきゃよかった、痛々しいからやめて、お願い。

 ……ともかく、そんな事態を招いてしまうわけだ。

 中学の多感なお年頃などは特にだから気をつけよう。

 

「………」

「…………《かた……》……え、と……どしたの、ヒッキー。さっきからこっち見て」

「ン、あ、いや……悪い」

 

 いろいろ考えてたら、じいっと見てしまっていたらしい。反省。

 べつに一緒に帰りたいとかそういうことじゃないんだ。

 可能性問題として、俺がそれを言ったならばこの状況はどうなるのか……その知的好奇心をどーのこーの。

 

「由比ヶ浜」

「え、う、うん? なに? ヒッキー」

「一緒に帰るか」

「───」

 

 そう、知的好奇心だった。

 なにかとチラチラ見てきたり気にかけているような言動をし、且つ教室から一人で部室へ向かえば鞄で叩いてくるという、まるで置いていかれた犬が拗ねて甘く噛んでくるようなあの態度。

 ならいっそ踏み込んでみたらどうなるか、知りたくなるってもんだろう。

 しかしながらそんな好奇心とはよそに、俺の予想はあっさりしたものだ。

 キモいとかそれに似た言葉を投げられ、きまずい空気が流れるだけ。

 そういった空気にならないよう努めるのが一流のぼっちというものだが、真のぼっちはそんな空気にも順応し、会話なんぞなかったとばかりに読書を「ど、どしたのヒッキー! 具合、悪い?」……予想外にも程があった。心配されちゃったよ俺。

 

「いたって健康ですんませんね。いいよ、アホなこと訊いた。今言ったことは忘れてくれ」

「え、だ、だってヒッキーからなんて……! あ、待って待って、帰るし! あたしも超帰るからっ!」

 

 超帰るってどんな帰り方? 通常の三倍の意気込みで帰るんだろうか。いや、どこぞの野菜な星の人のように普段の50倍ほどの意気込みで帰宅に臨むと……。

 超帰宅人ゴッド超帰宅人とか相当キモそうだなおい。

 くだらないことを考える傍ら、由比ヶ浜は「なんでそんな捻くれた返事しか出来ないかな……」なんて呟いていた。

 

「ほーん? んじゃ訊くが、誘ったのが三浦だったらお前はさっきみたいな返事をしたか?」

「え…………そりゃ、しないけど……」

「つまりそーゆーこった。相手がそういう態度でくるならこっちだってそういう態度で返すだろ。俺みたいなぼっちがトップカーストを誘ったところでそうなるって解り切ってんだからな」

「……じゃあ。なんで誘ってくれたの?」

「ん……いや、そりゃまあアレだよ」

「あれって?」

「………《スタスタスタ》」

「あっ、ちょっ! だからなんで先に行くし!」

 

 再び鞄アタックされた。

 

「お前こそぼっちにそういうこと訊くのやめてくれません?」

「……だって。気になるじゃん? そういうの」

「そんなもんかね」

「うん。そんなもんだ」

 

 言っといて、自分で“お前がそれ言うのかよ”と自分に対してツッコミを。

 気になったのは俺が先だってのに、どの口が言うのか。

 あまりこうして相手の反応を試すってのも、いい気分じゃないもんだ。

 早い内のがいいだろう、タネ明かし、しちまおう。

 

「あー……その。悪い」

「? 悪いって、なにが?」

「お前らリア充がしてるようなこと、やってみたらどうなるか、確かめたかった」

「えっ……」

(……人の反応見てからかってみるとかな。いや、やってみても全然楽しくねぇわ)

(……えと。それってあたしと帰ってみたかったってことかな。……こと、だよね? そだよね? ……あ、あっはっ……! こ、これも充実なのかな、……だよねっ! …………やだ、困ったな、えとー…………ひゃああ……! ヒ、ヒッキー、あたしと帰ること、そんなふうに思ってくれてたんだ……。ど、どうしよ、嬉しいよぅ)

 

 悪いことしたな……なんか顔真っ赤にして俯いてるし。

 これあれだろ、間違いようもなく怒ってるパターンだろ。

 こ、ここはアレか? なんでもないのを装いつつ、なにかを奢って気を紛らわしたりとか……小町とかはそれで“しょうがないなぁ”って折れてくれるし……お、おし、それでいこう。

 大体にしてぼっちがトップカースト様を誘おうなんてのが間違いだったのだ。

 ここは密かに施しを贈りつけて忠誠心を下げて人材登用をするくらいの卑劣さで、怒りを由比ヶ浜の中から抜き取ることこそ最良。

 というわけで、リア充とかが好むもの。高すぎず手軽に挙げられるものが良し。

 あー……

 

「由比ヶ浜」

「《びくっ》ふえっ!? な、なにっ!?」

「………」

 

 いやちょっとこれまずいんじゃないの? 急に話しかけたわけでもないのに咄嗟に返事に困るほど怒りに夢中とか、パラガス様のブロコリコントローラーでも鎮めるの無理だろ。

 

「そ、そのー……クレープでも……食い行かね?」

「えっ……それって」

「ひ、ひやっ……嫌ならべちゅにいいんだけどよ……!」

 

 噛んだ死にたいそして殺される。

 なんでこんな時に噛むのちょっと! ここ噛まずにさりげなーく言うところでしょ!? なに怒りを増幅させるような行動とってんの!

 などと慌てていたら、服の袖をぎゅぅっと抓まれて、上目づかいで「……行く。……行きたい」と言われた。

 やべぇ顔真っ赤だよいつも元気なあの由比ヶ浜が静かに返すほど怒ってるよ……!

 これはもう誘っといて奢りじゃないとかが許される状況じゃない。

 そりゃ金はあるけど。お年玉とか未だに残ってるから問題ないけど。

 

(けどこのまま無視して帰っても気まずくなるだけだし……どこだ、どこで選択を間違えた……!)

(うわ、わ、わー! わー! これ、これってえと、デートだよね? デート……! しかもヒッキーから誘ってくれるなんて…………《ほにゃキリッ!》うわひゃあ顔が緩む! だ、だめ、落ち着かなきゃ! え、えとー、深呼吸深呼きゅ……あ、ひ、ヒッキーにバレないようにー……)

 

 ……。

 やばい。なにがやばいって、隣を歩く由比ヶ浜が急に静かだけど深い呼吸し始めた。

 あれ絶対、あふれ出る怒りを呼吸で鎮めようとしてる類の呼吸法だよ……。

 たとえるなら、教室で堂々と居眠りしてる金髪の三橋くんが、リコちん以外に起こされるとフーハフーハッハって謎の呼吸で相手を威嚇するみたいな反応。

 ク、クレープでは足りぬというのか……!

 

……。

 

 その後、思いつく限り女子が喜びそうなことをして、楽しませる努力とともに由比ヶ浜の反応を観察。相手を知る努力も始めるところから、彼女の気を鎮める行動は始まったといえる。

 俺とていくらぼっちとはいえ、むやみやたらと相手を不快にしたいわけではないのだ。

 相手がご機嫌ならべつに構ってくれるなって在り方こそぼっち。自分の所為で気を悪くするっていうのは、ぼっちの本意とは違うのだ。気分がいいのになんだって俺に構うんだってのが正直なところ。

 なので由比ヶ浜にもそういった方向の気持ちを思い出してもらいたく、次の沈静時間も請け負う約束をして別れた。当然、家まできっちりと送ってから。

 

「んじゃ、気をつけてな」

「もうマンション前なのに?」

「……マンション前だからって完全に安全ってわけじゃねーだろ。強盗が入ってたりとか」

「あ…………心配、してくれてるんだ」

「いや……そりゃ、まあ……」

「……うん。わかった。じゃあケータイヒッキーの番号出しながら入るね。なにかあったら、その……電話、するから」

「おう。すぐに駆け付けるわ」

「…………《ぱぁあっ……!》」

 

 花が咲くような微笑みだった。

 ……あれ? グッドコミュニケーション?

 

(ふう……とりあえず機嫌はよくなったっぽいな)

(嬉しいなぁ……嬉しいなー……。ヒッキーから誘ってくれて、またデートしてくれるって…………えへー……♪ しかも電話したらすぐに駆け付けてくれるって……)

 

 とりあえずは手を軽くあげて、その場を離れた。

 時折心配になって振り返っては、まだこっちを見たまま入ろうとしない由比ヶ浜に軽く手を振って。

 それを何度か繰り返し、曲がり角を曲がったあたりで一息。

 よし、とりあえず怒りを増やすようなことは避けていけた筈だ。

 思えば俺、由比ヶ浜に対してろくなことしてないからな……こんな時くらい、小町にするご機嫌伺いめいたことくらいならしてやらねぇと。

 ……何様だろうなぁ俺。

 

……。

 

 さて、それからのことだが。

 ガッコで俺と由比ヶ浜が二人で帰りつつ、クレープ食べたり遊んだりをしているところを戸部に見られたらしく、噂はあっと言う間に広まった。

 由比ヶ浜は怒ってはいなかったが困った様子で、三浦から投げられる質問に答えていたのだが。

 ……。なんかそれ、違うだろって、どうしてもツッコミたい。

 由比ヶ浜の行動にお前や戸部の意見とか関係ねぇしどーでもいーだろ。

 つか、戸部。なんで言い触らした。

 こうなりゃアレか、またなにかをエサにして話題の方向を変えてやって───

 

「───! あ……ゃ……だ、だめ、だめヒッキー……」

 

 溜め息ひとつ、面倒臭そうに濁り切った目で立ち上がる俺を見て、嫌な予感でもしたのか。

 由比ヶ浜は小さくなにかをこぼしたが、それは誰にも届かない。

 

「やめ……やめてよぅ……! もう、あんなのやだよぅ……!」

 

 代わりに俺が届けよう。そしていつものように解消してやればいい。

 戸部、三浦、それはみんな誤解であり、俺が───

 

「───~~……優美子っ!」

「《びくっ!》っ……ちょ……な、なにちょっと結衣、声デカ……」

「あたしっ……ヒッキーのことが好き!」

「───…………す…………、ぎ…………? ───へ? ちょ、結衣? は!?」

「好きな人とクレープ食べて、遊んで、またするデートの約束して……それってそんな悪いこと!? なんもかんも優美子とかとべっちに許可とらないとしちゃいけないの!? 好きなことしただけでこんなふうに言い触らされて、なんで周りの目とか気にしろとか言われなきゃいけないの!? そんなの違う! まちがってるよ!」

「ぇ、や……ちょ、ちょ……結衣? とりあえず落ち着けし───」

「落ち着いて考えなかったのは優美子とかとべっちの方じゃん! 話題欲しさに人のこと話したり、楽しかった出来事に水差すみたいなことして! あっ、あたしっ……あたしはっ…………本当に、嬉しかったんだよ……!?」

「あ…………」

 

 ……。あれ? デート…………あれ?

 なんか俺とあっちの空気、明らかに違いません?

 つーかデート? デー…………わあ、デートだ。あれデートだよ思いっきりデートじゃねぇかぁあ……!!

 しまったつい小町とするのと同じような行動を……!

 いやでも小町がああしてやることがご機嫌取りには最適って教えてくれて……! ちょ、小町!? 小町ちゃーん!? あれデートらしいですけど!? 俺いつデートプランとか教えてって頼みましたっけー!?

 

「ご、ごめんなー結衣……。俺、ちょっち珍しいもん見たーってだけだったんだわぁ……。こんな大事になるなんてさぁ……」

「……結衣、ごめん。悪かった。でも……本気? ヒキオのこと。おかしいってんじゃないし、好きになるのは自由だけど」

「ん……本気」

「結衣ならもっといい男とか───」

「……優美子はさ。顔が良くてやさしかったら誰でもいい?」

「───…………そ。“ちゃんと見て好きになった”ってこと? ならしゃーない、か。……頑張れ、結衣。あぁそれと安心しな、戸部にも隼人にも、もう名前呼び捨てとかやめろって言っとくから」

「え……優美子?」

「ダチ同士ならまだしも、恋人が出来たのに他の男に呼び捨てにされるとかキモいっしょ。むしろ、あーしも叶ったら真っ先に戸部とか黙らせるし」

「…………あー……うん。確かに、やだね。そっか、えへへ……そっか。ヒッキーの恋人に……」

 

 ちら見されて、とてもやわらかい微笑みを贈られた。

 途端、俺、沸騰。

 中学以降、真っ黒な歴史を築き上げようとしなかったこの心が、久しぶりに震えた。……なお、戸塚は除く。

 エートつまり、状況を整理するなら……エート。

 

  俺、由比ヶ浜に告白された。

 

  俺、中学以来のトキメキ。

 

  イコール?

 

 ……することは簡単だった。

 中学の頃、青春に飲まれるままにやってしまった自殺行為を、もう一度……いや、きちんと、向き合ってしてみればいい。

 心を込めて、恋に恋するのではなく、俺だけに向けられたあの笑顔をもう一度見たいと思った、この心を解き放つように。

 

「ゆい───」

「《ギロリ》」

(ヒィ!?)

 

 由比ヶ浜、と言おうとした途端に女王に睨まれた。

 お蔭でゆい、で止まってしまい、まるで名前を呼び捨てにしてしまったような状況に。

 そんな状況を前に、女王ったらよーしよしとばかりに目を閉じて頷いてらっしゃるんですが!? なんかそれこそ偉そうに腕とか組んで!

 

「え……ヒッキー? 今……結衣って……」

 

 ええい小町よっ! じゃなくてままよっ!

 (*ちなみに“ままよ”とはママ、母親のことではなく、あるがまま、などの“まま”の意である。“ええいパパよ!”とか言ってはいけない。なるようになれ、的な意味でGO)

 

(いやマテ)

 

 俺のかつての告白は告白としてそもそも機能していたのか?

 みんな物凄い微妙な顔をして濁していたわけだが、どうしていっそバッサリいかなかったのか。

 ……やっぱり微妙すぎたからなのではないだろうか。

 つまりここは、女性がされて嬉しい言葉で───!

 ……女性? 女性が喜ぶ言葉───女性、女性…………平塚先生?

 

「───俺と! 結婚を前提に付き合ってくれ!」

 

 ……。

 

「………………」

 

 ………………。

 うん、死にたい。

 なんでよりにもよってこの土壇場で平塚先生思い出すかなぁ俺ぇえええ!!

 なんで───な、なん……、……───俺、女の知り合い、超絶的に少ねぇ!!

 ソ、ソッカー、ジャアショウガナイヨネー。これぼっちだった俺が悪いヤー。

 OK全てを受け入れよう、きっと俺はこれからプロボッチャーではなく、教室プロポーザーHIKIGAYAという名の十字架を背負って生きていくことになるのだ。

 で、雪ノ下に死ぬほどからかわれるのだろう。

 ああ、俺の人生って───!

 いや、いい、せめて、せめて自分が納得できるだけ足掻いて足掻いて足掻きまくろう!

 そして、せめて自分だけでも───!

 

「ぐすっ…………ひっきぃ………ずっと、ずっと傍に居てくれる……?」

「幸せにする! 絶対にだ!《どーーーん!》」

「……~~~……《ぽろぽろぽろ……!》」

 

 ……うん。あれ? なんか由比ヶ浜がぽろぽろ涙してらっしゃるのだが。

 自分を幸せにする宣言がそんなにキモかったのだろうか。

 とか思ってたら胸に抱き着いてきて、思わず見下ろした刹那、俺の唇にやわらかな感触が。

 ……ドワッと教室中が沸いた。

 うおおと叫ぶ者やひゅーひゅー言う者、泣き叫ぶ者、様々だ。

 

(…………アレ?)

 

 キモくて固まってたんじゃなかと?

 つーか、いいの? 結婚……え?

 

「………」

 

 決めた。

 俺、これから“そう”と感じた時、迷わずこいつに気持ちを伝えるようにする。

 誰かの前だからとか、そんな遠慮は一切しない。

 気持ちがあふれ出て仕方ない。

 好きだ。

 

「好きだ」

「ひっきぃい……! うんっ……あたしっ……あたしもっ……!」

 

 “好きだ”が浮かべば素直に伝える。

 なんだ、こんなにも簡単なことじゃないか。

 

  ───そうして、俺と彼女は付き合うことになった。

 

 いつでもどこでも気持ちを伝える男として俺は有名になり、しかし結衣はとても嬉しそうだった。

 やがて結婚して、子供が産まれてもそんな調子なので、たまに遊びに来る三浦とかは「相変わらずここ来ると胸やけとかすごい」とか笑っていた。

 終いには子供たちにまでからかわれる始末。

 しかし反省はしない。悪いことをしているわけではないのだから。

 

「ね、あなた。ずっと傍に居てくれる?」

「幸せにする。絶対にだ」

「えへへぇ~……もー、答えになってないよー」

「言われるまでもないとか、いろいろ言葉は浮かぶんだけどな。ちょっと違うだろ、それ。だから、幸せにする。ずっと傍に居るのがお前の幸せに繋がるなら、ほら、その。……そういうこったろ───あぁいや違う…………居る、ずっと、死ぬまで一緒だ」

「……うん。いっつも、気持ち……ぶつけてくれてありがとね」

「話さなきゃ解らないこと、いっぱいあるって自覚しちまったからな」

 

 不覚にも、とは言わない。

 お蔭でこうして、自分を好いてくれた人を泣かせることなく歩めたのだから。

 

 ……ああ、幸せの涙は別な。そっちの意味ではいっぱい泣かせました。

 

 

 

 

08/襲われる(……襲われる?)

 

 寝不足がたたっていた。

 細かい休み時間に眠ろうとしたんだが、そういう時に限って誰かが接触してきたりするもんだ。

 主に平塚先生とか。

 戸塚はむしろ大歓迎だったんだが……いや、正直目が覚めました。その時だけ。

 少し話がしたかったとかで、今日に限って休み時間になるたびにやってきて、昼休みには平塚先生。

 お蔭で眠ることも出来なかった。

 まあ学校で寝る、って行為自体がそもそもおかしいんだろうが、眠いものは眠い。人として当然のことなんだもの、許されたっていいじゃない。

 ……結局は眠れなかったわけだが。

 というわけでうとうとしていた。

 人として、眠い時に眠ることがどれだけ素晴らしいことかは、ぼっちとリア充の壁があろうときっと皆さまには理解していただけると思う。

 この尊さにぼっちとリア充の壁はないものだと思う。

 

「……、……」

「……ヒッキー?」

 

 うとうとしていると、意識の端から由比ヶ浜の声が聞こえた気がした。

 が、こいつなら空気を読んでそっとしといてくれるだろうと勝手に思うことにして、俺はそのまま夢の世界へと旅立った。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 かちゃかちゃかちゃ、となにかが鳴っていた。

 ふと目を開けると、奉仕部部室。

 ……そういや寝てたんだっけ、と妙に重い頭で考えると、突っ伏していた机から起き上がるついでに、ぐうっと伸びをする。

 そうしてから息を吐いて脱力すると───……じゅうう、とホットプレートでなにかを焼いている由比ヶ浜を発見した。

 おいちょっと? なにこの状況。なんで部室にホットプレート持ってきてんの? いやそれ言ったら雪ノ下なんて紅茶のポットとか持ってきちゃってるけどさ。

 よく“飲食”、って言って、飲むのと食べるのと一緒くたにされるけどさ、学校においては飲むと食べるじゃ結構な差があるだろ。

 ポットとホットプレート。

 持ち込んでも許される範疇ってどこらへんにあるのかしら。

 でも八幡なんとなくわかるよ? ポットはかろうじて許されても、ホットプレートは許されないと思います。

 

「お、おい? 由比ヶ浜?」

「あ、ヒッキー起きた? 今お好み焼き作ってるんだ、食べる?」

「………」

 

 料理だった。いや、そりゃあホットプレートでじゅううと焼いてるんだから、大体はそうなんだろうが。

 つか、なんでお好み焼き? 他の選択肢とかなかったの? むしろ材料どっから出した。

 

「え? 平塚先生が常備してるのを貸してくれたよ?」

 

 共犯が居たらしい。

 ちょっと? あの先生学校になにしに来てるの? 俺が言えた義理じゃないけど、ほんとなにしに来てるの?

 

「えへへぇ~……♪ お好み焼きってさ? 好きな具、入れていいんだよね? 桃入れて~、ハチミツ入れて~、クリーム混ぜて~♪」

「!?」

 

 おいやめろ馬鹿。あのお好み焼きは早くも終了ですね。

 

「で、芯に火が通るまで焼いて~……強火の方が火は通るよね?」

 

 言いながら、由比ヶ浜がホットプレートのメモリをぐんぐん上げてゆく。

 ……うん、さよならお好み焼き。君の食べ物としての命運は今尽きた。

 

「ヒッキー、出来るまでもうちょっと待っててね?」

「!?」

 

 そして俺に衝撃到来。

 いや…………いや。なんで? 俺べつに食べるなんて言ってないんですけど? ちょ、やめて? そして止めてあげて? “お好み焼き?”がぶすぶすいってるから、止めたげて!?

 

「えとー……焼き物ってちょっぴり焦げ目があるくらいのほうが美味しいんだよね? 男の子はそっちのが好みだ~ってのも、えへへぇ、ちょっと調べたんだ、あたし」

 

 お前今すぐちょっぴりの意味を調べてきなさい、いや調べるよりまず火力を弱めましょう!?

 それ食材に対しても食べる人に対しても拷問であり失礼だから!

 この世の全ての食材に感謝どころか下剋上レベルだから!

 

「出来たよヒッキー! ほらほら、食べて? あ~~~んっ♪」

「いやちょっ……! ……ッハ!? なんだこれ体が動か───……」

「ちょっぴり焦げちゃったけど……えと。た、食べてくれたら、さ? あたしが……口直し、してあげるから……さ」

 

 そう言って、由比ヶ浜は自分の人差し指と中指あたりで唇を撫でた。え? それって……え?

 ───あ、夢だなこれ夢だ! 由比ヶ浜が俺にあ~んとかするわけねぇし体が動かないとか! だよな!? そうだと言って!? お願いします!

 つかなんで箸でそんなデカいお好み焼きまるごと摘んでんのこのお団子さんは! 指筋がどうとか以上に形を保ってられるお好み焼きがすげぇよ! もうほぼ炭だけど! ああっ、だからか! 八幡納得!

 じゃなくてそれよりも目の前に迫った炭をなんとかするのが鮮血じゃなくて先決で……やめて!? そんな大きいの入らないから! あーんするならもっと小さく分けよう!? むしろ炭を食べさせようとか《がぼり》ウボァーーーッ!!

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 ビクゥッ!

 

「ハッ!?」

「ひゃうぅっ……!?」

 

 ……、…………お、っ…………~~……恐ろしい夢を見て、目が覚めた。体がビクゥと跳ねるほど。

 ……しっかりと夢を見るほどに熟睡していたらしい。それも、真っ白に燃え尽きたジョースタイルで。

 げっ……現実……だよな? ああ、現実だ。奉仕部だし、ホットプレートもない。あーよかったー、夢だったかー。

 

「……はー……」

 

 すごかった。まさか俺が由比ヶ浜に襲われるなんて。

 

「………」

 

 待て。待て、なんか口にヘンな感触が残って……つーか、なんか椅子のすぐ傍で顔を真っ赤にして口を両手で隠してる由比ヶ浜が居るんだが。

 ……え? あの……え?

 

「お、おまっ、おまっ……! キス……!」

「ふえぇっ!? ヒッキー起きてたの!?」

 

 夢が夢だった所為で───いやべつに口直しを期待していたわけじゃなくてですね? でもなんかついストレートにキスなんて言ってしまいまして。

 で、それがビンゴでした本当にありがとうございます───じゃねぇよ!

 え? いや、え? ちょ……口内にまで感触があるんですが? どこまでやったのアータ! ちょっとアータ!

 

「お前……初めてでディープとか……」

「ひやぅっ!?《ぐぼんっ!》……だ、だって、だって……! ヒッキー、口開けながら寝てたから……。さ、最初は、ほら、ちゅって……軽くするだけのつもりだったんだよ……? あ、あたしも初めてだったし……。でも、でも……初めてだからすぐに離れたくなくて……。くっつけてたら我慢できなく……なって……《かぁあ……!》」

「う、おぉあぁ……!《かぁあ……!!》」

 

 キスをしたのか云々ではなく、ディープの理由を説かれてしまった。俺にどうしてほしいのちょっと。

 あ、いや、でもキスまで、いやディープまでされて、挨拶ですとかなわけないし……しかもファーストキスって……。

 

「……由比ヶ浜」

「あ、やっ、ご、ごめんねっ!? ヒッキー、こういうのやだったよね! わ、忘れちゃっていいからっ! なっ……無かった……ことに……《じわ……》」

 

 あ、無理。俺もうこいつ泣かせたくない。

 そう思ったら由比ヶ浜の腕を掴み、引っ張って、その口に自分からキスをした。

 至近距離に、見開いた由比ヶ浜の目。

 驚いたのか逃げる体を無理矢理抱き締め、噛まれたって構うもんかと舌を入れた。

 やはり驚いて暴れそうになるが、すぐに動きを止め、おそるおそる、俺の舌を舌でつついてきた。

 それからは遠慮もない。

 二人で抱き合って、好きなだけキスをした。

 

「んゅっ……ぷぁぅっ……はぁっ…………んん……ヒッキー……嫌じゃ……なかった……?」

「困ったことに全然嫌じゃなかったからな……その。つまり、まだ自覚が追いついてねぇけど、俺はお前のことが《んちゅっ》んぷっ!?」

「はむっ……ん、んちゅっ……ひっふぃぃ……はふっ……ひっきいぃい……!」

 

 喋れませんでした。キスをされ、舌を舐められ、舐め返そうと伸ばせば吸われ、銜えられ離すものかとばかりにハムハムされた。

 



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選択肢9~10

選択肢10が、本来なら他者様の作品にリンクを貼ったものだったので、即興です。


09/からかってみる(笑いに走るもよし、愛に走るもよし)

 

 からかってみる。というのはどうだろう。

 普段からなんというかこう、スキンシップとはまた違った、こう……コミュ? が足りていない気がする。

 最初を思い返せばひっどい会話内容だったわけだが。

 とりあえずあれだ。俺は二度とこいつにビッチとかは言わない。

 気安く人をビッチとか言う人よ。一度真面目に意味調べて、こいつの性格とかよく知った上で当て嵌めようとしてみなさいよ、罪悪感ひどくて辛いよ俺。……口には出さないけど。

 ビッチ。雌犬。そのままの意味でなら、まだ……まあ、女の子で、子犬めいた可愛さはある。

 しかし妙に日本で浸透したビッチというのは、正直言葉として見ても気持ち悪さしか存在しない。

 人を見かけで判断してビッチ発言とかマジあれな。……後悔ってなんで先に立たねぇかなぁほんと。まじで死ねよあの日の俺。

 

「………」

「……、……《そわそわ、そわそわ》」

 

 会話はないが、妙に構ってほしげにこちらを見ている。

 思えばこいつって男に近寄られるの、苦手っぽくしてるくせに、俺には結構近づいてくるよな。

 そういう行動が世の男子高校生たちに期待を持たせちゃうんだぞ? なんて言ってもたぶん通じないんだろうな。

 ……ああ、そだな、じゃあそのあたりをつついてみるか。

 

「由比ヶ浜」

「わひゅっ!? あ、ふわっ、ヘンな声でたっ……え、なななにっ? なに? ヒッキー……!」

「お前ってさ、もし俺から告白されたら嬉しいか?」

 

 他の男には超そっけない。ハンマー握りたくなるけど、そっけなさは安心する。

 じゃあ俺が言い寄ったらどうなるんだろうかと少し気にな「う、うんっ! うれっ……嬉しいっ───《ハッ!?》……ん、じゃ……ない、かな? うんっ……たたたたぶんうれしいんじゃ、ないか……なぁっ!?」……曖昧さが回避できない。

 

「お前さ、男に言い寄られても近寄られても、露骨に嫌そうにっつーか……そっけないだろ? でも俺のところには自分で行く、とまで言ってるし……あ、いや、俺のことじゃなかったらあれは相当に恥ずかしいわけだが」

「う、ううん? あってる……ヒッキーの、ことだもん……」

「じゃあ……」

「うん……」

「その……」

「うん……」

 

 空気を支配された。

 真っ直ぐに俺を見つめる由比ヶ浜の顔はうっすら赤く、目は潤んでいて。

 吸い込まれるようにその目に夢中になっていて、俺は───

 

「……結衣……」

「うん……《じわ……》」

 

 瞳が潤んでゆく。

 カラオケボックスでさらりと言っただけだった言葉を、こうしてハッキリと伝えただけで。

 ああ、なんてことだろう。

 からかうつもりが、いつの間にか、愛に走ることに───

 

 

───……。

 

 

 ───あれからどれくらい経っただろう。

 すっかり大人になった俺は、今日も仕事を終え、最愛の妻と娘たちのもとへと戻った。

 かつての自分からは想像もつかないくらいの頑張り屋になった俺は、家族を幸せにするためにいつでも全力だ。

 疲れていようが家族への愛は忘れない。むしろ愛さないと元気でない。素晴らしい需要と供給だとは思いませんか。

 

「んん……ぱぱー……」

「おー? どしたー、美鳩ー」

「ぱぱはー……ままのどんなところがすきになったのー……?」

「んー……そうだなぁ……って、痛い痛い、こら絆っ、噛みつくんじゃありませんっ」

「ぱぱ、むこう! きずな、ままとねる!」

「はぁ……なんできずなは俺のこと……」

「ほんと、なんでだろね……あたしは美鳩に嫌われてるし」

「まま、あっち。みはとはぱぱとねる……」

「だーめ。パパの隣はママのなんだから」

「ぶー……」

「ははは……ん。そだな。パパはな、ママの真っ直ぐさにやられたんだ。誰の目から見てもおかしかろうが、ママだから好きになった。それでいいんだ」

「ママは? ママはなんでパパなんか好きになったの?」

「こーら、“なんか”なんて言わないの。パパは……ヒッキーはあたしの……」

「結衣……」

「ひっきー……」

『やー! はなれるのー!』

「…………お前らなぁ」

「もー……キスくらいさせてよ二人ともー……」

『や!』

 

 娘たちはなんでかお互いにお互いが苦手だった。ああ、親って意味な。

 一方が好きすぎて、一方に取られると思ってしまうらしい。

 真似してキスしようとしてきたりもするが、全力で防いでいる。

 結衣が寝てるところに絆がキスをしようとしようものなら、もう全力で。泣き喚いてしまおうが止める。

 こいつにキスしていいの、俺だけ。

 ちなみに美鳩の時は結衣が全力で止めている。理由は俺と一緒。

 こんな関係を続け、娘たちが高校にあがる頃には、すっかりラブラブバカップル夫婦として娘たちに認識され、ご近所でも有名だ。

 後悔はない。これまでの人生に、これからの二人の暮らしに、俺は後悔はない。

 

 

 

 

10/急に具合が悪くなるor元から悪かった(ぽかぽかする)

 

 部長様が来ないなら、依頼者を待ってたってしょうがない。そうしょうがない。

 なので、んじゃあ帰るかとばかりに立ち上がった途端、急に視界がぐるりと歪んだ。

 

「……ぉ……ぁ……?」

 

 机に手をついて支えようとするんだけど、その手も持ちあがらない。

 そのまま机に突っ伏した。

 せめて頭を打たないようにするだけで精一杯だった。

 

「ヒッキー? 帰らないの? …………ヒッキー?」

「……、……」

 

 あー、だめだこれ、声も出ない。

 どんだけ潜伏してたのちょっと、寸前まで気づかせず、一気に攻めるとか反則でしょ。

 頭の中は暢気なのに、体は相当ヤバかった。呼吸はいつの間にか荒れていて、じりじりと動かした腕で机を押してみるのだが、体はちっとも持ちあがらない。

 

「ヒッキー!?」

 

 俺の様子に気づいた由比ヶ浜が立ち上がり、すぐに駆け寄ってくる。

 伝染るからやめろと言いたいのに口は動かず、結局は迷惑をかけちまう。

 ……病気って、一人でする分にはいいけど、近くに誰かが居る時ってほんと厄介よね。

 ぼっちで病気なら、そのまま学校休める~とかのんびり出来るのに。

 あぁだめ、頭働かない。やがて意識も曖昧になって、そのまま───……

 

 

 

-_-/由比ヶ浜結衣

 

 ヒッキーの様子がおかしかったのには気づいてた。

 風邪かな、とは思わなかったけど、妙にだるそうにはしてたから。

 

「どっ……どうしよ、どうしよ……! こういう時は……!」

 

 そうだ、保健室の先生!

 先生を呼んできて、診てもらわなきゃ!

 

「待っててねヒッキー! 今保険の先生呼んでくるから!」

 

 言い残して走る。急げ急げと。

 廊下は走っちゃいけないなんて、緊急時にばっかり浮かんでくることをいつも通りに無視して走った。

 そして───……そして。

 

「いない…………うそ……」

 

 保健室には誰も居なかった。

 こんな時に限ってどうして、って思う。

 鍵もかかってるし、呼びかけたところで、大事な用があって中から締めきっている、なんてこともない。

 すぐにゆきのんにメールを飛ばそうとして、自分が頼ってばかりなことを思い出す。

 本当に、こんな緊急時にばっかり、どうしてこういうのって浮かんでくるんだろう。嫌になる。

 

「……~……あたしに……」

 

 あたしに出来ること。

 なにか───……あたしに……。

 きっと、ママでもよかった。

 小町ちゃんに訊いたってよかった。

 どうすればいいのかって。こんな時にどうすればいいのかって。

 でも、あたしは。なのに、あたしは……───

 

「由比ヶ浜? こんなところでどうした」

「っ、ぇ……あ───平塚先生───」

 

 ……見知った人に声を掛けられ、やっぱり頼ってしまう気持ちに、涙が出そうになるほど無力を感じた。

 

……。

 

 平塚先生に伝えて、車を用意すると言ってくれたことに感謝して。

 そのためにはぐったりと動かなくなっちゃったヒッキーを運ばなくちゃいけなくて、あたしはせめてって頑張るんだけど……支えることも出来なくて。

 やっと奉仕部から出たあたりで平塚先生が来てくれて、あとは平塚先生が。

 

「………」

 

 自分に対する黒いなにかが沸き上がるのを感じながら、あたしは……自分の荷物と、ヒッキーの荷物を抱きかかえながら、奉仕部の部室に鍵を閉めた。

 それでも、って顔を上げて、すぐに追って、一緒に車に乗って。

 ヒッキーの家に着く頃にはヒッキーも起きて、ぼ~ってしながらも「だいじょうぶ、だいじょうぶだから」ってうわごとみたいに言ってた。

 一応歩けたけど、平塚先生は念を押して本当に大丈夫か? って訊いてきた。抜けられない会議があるから病院に付き合ってやることは出来ないって。

 ヒッキーは「大丈夫っすから」って、お腹に力を込めるみたいに言って、しっかりと立って平塚先生を見た。

 

「……では、しっかり休め。治るまでは無理に来るんじゃないぞ?」

「むしろ急な休みを堪能しますよ」

「治ったらきちんと来るように。サボりは許さん」

「はい……」

 

 いつもの調子の会話が出来たからか、平塚先生は安心してあたしに言う。あたしの家まで送ってくれるって。

 あたしはそれを断った。会議があるならそのまま向かってくださいって。

 べつにそんな暗いわけでもないし、歩いて帰れないわけでもないから。

 

「そうか。気をつけて帰るように。……すまないな、こんな時ばかりに無駄な仕事があって」

「そ、そんなっ、それは先生の所為じゃないですよっ」

「そうっすよ、社会が悪いんです社会が」

「仮にも教師に向かってなんてことを言うんだ君は……」

 

 そんな軽口を最後に、平塚先生は行ってしまった。

 んじゃあ、ってヒッキーが言って歩くけど、そこまでで限界だった。

 精一杯の強がりが足からがくんって崩れて、咄嗟に抱き留めるんだけど、やっぱり重くて。

 

「ひっ……ひっきー!?」

「っ……わ、るい……! 油断した……!」

 

 苦しそうに言うヒッキーの顔に、さっきまでの余裕なんてなくて。

 すぐにベッドに寝かさなきゃって思って、玄関までをゆっくり歩くのに、玄関は開かなくて。

 

「え……な、なんで? いっつもこの時間なら、小町ちゃん、居るんじゃ……」

「……、やべぇ……そういや、今日は友達ん家に……泊まるって……」

「嘘!?」

 

 小町ちゃんが居ない? じゃあ、ヒッキー、こんな状態でこのまま……!?

 

「~……っ」

 

 自分に出来ること、とかそんなこと言ってる場合じゃない。

 今出来ることは、誰かに頼ることだ。

 好きな人のために何もできない……涙が出るくらい悔しいけど、泣いてたってなにも始まらない。

 だからあたしはケータイを取り出して───ママに電話した。

 

「……ま、いーだろ……。こんなん、寝てれば……そのうち……」

「ダメ! 病院、行こう!?」

「いや……さすがに、そんな体力、残ってねぇから……」

「今ママ呼んだから! 来てくれるって言ったから!」

「ちょ……」

「保険証の場所、教えてっ!? ていうか、えと……鍵、ある?」

「~……由比ヶ浜、あのな」

「お願いっ……手伝わせてよ……! あたしもう、動けないヒッキーの前でなんにも出来ないなんて、やだよぅ……!」

「───! ……、……」

 

 体を支えるあたしを見下ろすヒッキーは、驚いた顔をしてから……辛そうな、動かしづらそうな動作でポケットに手を入れると……あたしに、鍵を渡してくれた。

 

「ヒッキー……」

「……こんなもん、すぐ治るっての……。医者が診たって寝てりゃ治るって言うに決まってんだ……“だから言っただろ”って……馬鹿にしてやるから…………すまん、保険証、頼む……」

「……うん!」

 

 でもさすがに家探しみたいには出来ないから、玄関の鍵を開けてヒッキーを連れて入ると、教えてもらった場所から保険証を持ってきて、それから、えっと……着替えとか、必要かな。

 薬とかはどうなんだろう、病名がわからないのに適当に飲ませるのって危ないんだっけ? サブレの動物病院で聞いたことがあるから覚えてる。たぶん、人間も同じだ。

 ちゃんとよく考えるんだ。こうすればいい、これなら絶対大丈夫なんて自分の勝手な考えでの行動は、今はしちゃいけない。

 迷惑になるわけにはいかないから、喋るのも辛いだろうけどヒッキーにしてもらいたいことはないかを訊いた。

 そしてあたしは、伝えてくれる、自分が出来るだけのことを精一杯やりながら、ママが来るまでを待った。

 

……。

 

 病院に行って、診察してもらって。

 最近の病院って要予約とかが大体で、言っちゃなんだけど不便だって思った。

 そこはママがしといてくれたから助かったけど……あたし、もっとちゃんとしなきゃだ。

 結局、ヒッキーは風邪と……ちょっとだけ脱水症状になりかけだったって。

 点滴を打ってもらったヒッキーは、風邪までは治らなかったけど、今はさっきよりも落ち着いてる。

 そんなヒッキーを前に、頬を膨らませているのは……あたしだ。

 

「………《ムー……!》」

「あー……その……ごめんなさい」

「大したことあったじゃん……脱水症状になりかけとか、ほんとヒッキーって……」

「やめて……? 点滴に風邪に対する回復効果は望めないんだから、一応俺、病人なのよ……?」

「大したことないって言ってたくせに……。人ってさ? 眠ったらコップ一杯分の汗を掻くって聞いたことあるよ……? 寝てたら治るどころか、悪化してたし……小町ちゃん、居なかったんだよ……? 脱水症状で動けなくなって、そのまま、なんてことになったら……どうするつもりだったの……?《じわ……》」

「っ!? ぃゃっ……待てっ、なんで泣くっ……!」

 

 風邪薬も処方してもらって、今はママが会計をしてくれてるところ。

 お医者さんが“少し休んだら帰ってもいいですよ”って言ってくれたから、あとは帰るだけ、なんだけど───

 

「……ヒッキー」

「だから、すまんって……」

「そうじゃなくて。どうするの? 家に帰って、そのまま……? 小町ちゃん、呼ぶ?」

「それには及ばねぇよ。可愛い妹がたまの休日前に友達んところにお泊りするってのに、目の腐った兄が病気に倒れたから戻って来いとか、さすがに情けなすぎて言えないだろ……。つか、風邪引いたくらいは伝えたんだろ?」

「うん……そしたらちょっと考えてから、“小町ちょっと帰れそうにないんで、結衣さん看病とかお願いできませんか”って」

「……小町ちゃん……兄を他所の人にあっさり任せるとか、お兄ちゃんへの愛が足りないよ……? ……はぁ、いーよ。今度こそ寝てりゃ治るんだから。薬ももらったし、そこらのコンビニかどっかでお粥買って、それ食って薬飲むわ」

「ヒッキー……でも……」

 

 こうなるとヒッキーは退かない。

 でも、あたしだって退きたくない。

 心配だし、やっぱり……なにも出来ないのが辛いって感じる。

 

「助けを呼んでくれて、病院に連れてきてくれただけであんがとさんだ。……言われた通り、あのまま寝てるだけじゃあやばかった。……すまん……は、ちがうか。その、あー……あ、ありがとう、な」

「………」

 

 ありがとうを届けられて、喜びは湧いたけど……それでも、車を出してくれたのも指示してくれたのもママだ。

 あたしはただ助けてって呼んだだけ。

 呼ばなきゃなにも始まらなかったんだろうけど…………やだな、こんな気持ち。

 ヒッキーが無事だったんだから、喜べばいいだけのはずなのに。

 

「お待たせ結衣、ヒッキーくん。結衣、はいこれ」

「あ、うん」

 

 ママがあたしのケータイをはい、って差し出してくる。

 さっき、小町ちゃんに話があるから貸してって言われたものだ。

 ……なに話したんだろ。

 

「それじゃあ帰りましょっか」

「……うす、迷惑かけてすんません……」

「こういう時はお互いさまだからいいのよ。代わりに結衣が大変な時は助けてあげてねー?」

「ちょっ、ママ!?」

「……っすね、はい。受けた恩は必ず返します」

「ヒッキー……」

 

 だるそうにしながら、ヒッキーはきちんとそう言った。

 たぶん、その方が後腐れっていうのかな、そういうのがないからだ、とか……そういう理由なんだと思う。だって、ヒッキーだもん。

 でも、そういうのって…………うん……なんか……なんかだ。

 気づかれないように小さく溜め息を吐いて、ヒッキーを連れて車まで戻った。

 点滴を打ったからなのか、さっきほどぐったりじゃなくなったヒッキーは、ふらふらはするけど歩けるようで、しきりに近い近いって呟いてた。

 ……近くなきゃ支えらんないじゃん、ばか。

 

「じゃあ、まずはヒッキーくんの家に寄って、着替えを取らなきゃねー♪」

「……っす。……へ? いや、あの……?」

「ママ?」

「妹ちゃん、小町ちゃんっていったわね? その子に事情を話して、今日はうちでヒッキーくんを預かるってことになったから」

「なっ!? っ……げっほげほごほっ! ちょっ……なにがどうなってそんなことに……! い、いいっすから……! あとは寝てれば……!」

「ヒッキーくん。お医者さんのお話、ちゃ~んと聞いてた~? 栄養を摂って、薬をちゃんと飲んで、汗をたくさん掻いて、しっかり水分と塩分を摂ること、よね?」

「そう、っすけど……」

「栄養はどうするの? 汗は寝ていれば大丈夫かもだけど、着替えは? 汗を拭いてくれる人は? 辛くなった時に支えてくれる人は?」

「うぐ……」

「うちの結衣がね、ゆきのんちゃんが風邪を引いちゃった時、すっごく気にしていたのよ。ゆきのんちゃんは一人暮らしで、ヒッキーくんは今、似たような状況でしょ? それはさすがにママ、知らん顔してほうっとくとかはできないわねー」

「な、なんで……」

「ヒッキーくんが、ゆきのんちゃんと同じくらい結衣にとって大切な子だからよ?」

「ママ……」

 

 そうだ、ゆきのんの時も、辛かった。

 もっと早くに気づいてあげられたらとか、その場に居なかった自分じゃどうしようもなかったことなのに、どうしても考えちゃう。

 ひとりぼっちで風邪を引く、なんて心細いよね。

 あたしは……いっつもママが居てくれたから寂しくなかった。

 でも……ふとした瞬間、ひどく静かな部屋に一人で寝てると、すごく寂しくなるんだ。

 見えない誰かに手を差し伸べて欲しくて、心細くて、でも誰も居なくて。

 だから……

 

「ヒッキー……」

「《きゅっ……》う……いや、やめて? なんで病人でもないお前の方が、辛そうな顔で人の服とか引っ張んの……」

「~~……」

「……、……わ、かった……。その……正直、助かる。さっきから無理矢理声、出してる、けど…………そろそろ、やば、い……」

「ヒッキー……?」

「…………《ふるふる》」

 

 ヒッキーが口を押えながら手を横に振る。喋らせないでくれ、って言いたいみたいだった。

 車を止めてコンビニに寄って、向かった先のトイレで、店員さんにはごめんなさいだけど、ヒッキーはもどしちゃったらしい。

 真っ青な顔をして戻ってきたヒッキーを支え直して車へ戻ると、今度こそマンションに向けて走った。

 

……。

 

 小町ちゃんが友達の家にお泊り出来る理由があるように、明日明後日は連休だ。

 本来ならパパも休みを取れて旅行に、って話だったんだけど、急な仕事が入っちゃって、旅行どころかパパは出張で連休中には戻れなくなってた。

 むしろ仕事が無かったら、あたしはヒッキーの病気のことも知らずに、旅行の準備のためにって部活に行かず、買い物をしてたかもなんだ。

 タイミングってどこで噛み合うかなんて解んないもんだって、本当にそう思う。

 

「ヒッキー、自分で食べれる?」

「……、……《……ふるふる》」

「じゃ、口開けて。ふーっ、ふーっ……はい、あーん」

「……ぃ、ゃ……」

「ヒッキー、困った時は、だよ」

「………」

 

 お互い様。

 ヒッキーは躊躇してたけど、やがて本当につらそうに口をあけて、おかゆを食べてくれた。

 点滴は打ったけど、あれって脱水症状にはよく効いても、風邪にはあんまり効果はないんだって。

 点滴を打った、って意識が状態を良くしてくれたり、点滴と体温の差で一時的に熱が下がったり、なんてことはあっても、結局はまた熱があがるから逆に体がだるくなる人だって居るみたいだ。

 

「……っつか……なんでお前の部屋、なのん……? 俺べつに、そこいらのソファでも……」

「ヒッキー、怒るよ?」

「……すまん」

 

 病人をソファで寝かせるなんて、普通はやらないと思う。

 少なくともあたしはしないし、そうするくらいならあたしがソファで寝る。

 

「………」

 

 こうしてヒッキーを自分のベッドに寝かせることに、躊躇がなかったわけじゃない。

 けどそれは風邪の菌が布団に~とかそういう躊躇じゃなくて……。

 ……、……うん、緊急だもん、しょうがない。

 仕方ないけど……もっともっと、自分で出来るようになろう、とは思った。

 お粥も結局ママが作ってくれたし、ヒッキーはパパの部屋にって言ったママの言葉を押し退けたのはあたしだ。そのくせ運ぶのを手伝ってもらった。

 

(ほんと、これじゃ我が儘なだけの子供だ)

 

 出張の間に妻が男の子連れ込んで、自分のベッドで寝かせたーとか、想像してみると泣きたくなると思う。……そんな“男の子側”の気持ちを教えてくれたのはヒッキー。

 それを理由にソファで眠るつもりだったんだろうけど……それは、だめだ。許せない。

 

「……てか、じゃあお前はどうすんの……」

「……寝ない」

「お前の中で今の俺、どんだけ弱ってんの……。由比ヶ浜、いいからお前こそお父さんの部屋かお母さんの部屋で寝とけ。娘が密かに自分のベッドで寝てたとか、パパ冥利に……」

「………《じわ》」

「はぉぁっ!? なんで泣く!? っ……げっほげほ!」

「~……ひ、ひっき……だいじょぶ……?」

「は、はぁ、はぁ……あー……その、すまん。あんまツッコまさないでくれると嬉しい……」

「ひっきーが、……」

「? 俺が……?」

 

 ヒッキーが、他の男のベッドで寝ろ、なんて言うからじゃん。

 言いたかった言葉を飲み込む。

 代わりに誤魔化すような言葉を並べて、軽く自己嫌悪。

 

「………」

「………」

 

 それからは特になにを言うでもなく、ヒッキーは目を閉じた。

 じいっと見てたら眠れないってわかってるのに、眠ろうとするその姿を見つめた。

 額にはタオル。

 冷えピタは……血管? 動脈? が太いところに貼るといいらしいから、別のところ。

 喉の横とか腋の下とか……足の付け根もいいそうだけど……さ、さすがにそれはヒッキーがすっごく抵抗した。そりゃそうだよね、うん。

 

「………」

 

 もっと頑張んないと。

 ……たぶん、心が“向きたい方向を向いた”って時があるとしたら、この時だった。

 そのために頑張れる自分になろうって、強く思えた。

 大切だって思える人を守れるくらい、支えられるくらいの人になろうって……そう思えた。

 なにも今すぐにってんじゃなくて。

 今から目指したい何かをちゃんと決めて、そうなれるように、って。

 やがてヒッキーが、すうっ……って深い呼吸をしたあとに眠るのを見届けてから、あたしはあたしで調べものを始めた。

 こんな時になにも出来ない自分じゃなく、強い自分になるために。

 ベッドの横に背中を預けて、ケータイで調べ事。

 一定時間が経ったらヒッキーの額のタオルを水で濡らして、絞って、乗せて。

 大切な人のために出来ること、増やしていこう。

 一生懸命勉強して、たとえ……それがいつか空回りしちゃって、隣にこの人が居なくても。

 学んだことで誰かになにかをしてあげられるくらいには、なろう。

 

「………」

 

 未来の先で、ヒッキーの隣には誰が立ってるのかな。

 漠然としててわかんない。

 でも……それが自分だったらな、って想いは、いつだって渦巻いてる。

 まだまだ大人の自分なんて想像できないし、結局は今のことばっかり考えちゃう子供なあたしたちだけど、“こうだったらいいな”はいつだって持ってるから。

 ……そだ。

 その時に隣に立ってるのがあたしじゃなくても……たとえばそれがゆきのんでもいろはちゃんでも、別の誰かでも。

 頑張ってと。おめでとうと。そう言える自分になろう。

 言って、一人になってから……いっぱい泣こう。

 

「………、……」

 

 一生を付き合っていきたいくらい好きなのかって言われたら、きっとわかんないことだらけの今。

 それでも、こんな気持ちは初めてだったから。

 それを大事に大事に育てて、甘くて嬉しいことばっかじゃなくて、泣いて傷ついてばっかのものでも……欲しいって思っちゃったんだから。

 

「……ヒッキー、大好き。……こんな時になにもしてあげられなくてごめんね。あたし、もっと頑張るから。いっぱいいっぱい頑張るから。だから……」

 

 だから、あたしは。

 大切なものを失くしてしまわないよう、欲しいもの全部に手を伸ばしたい気持ちを抑えて、少なくても大切だって思えるものに手を伸ばす覚悟を……今、決めたんだと思う。

 

 

 

-_-/比企谷八幡

 

 連休中、由比ヶ浜の家に厄介になることになった。

 お泊り先から見舞いに来てくれた小町に、お決まりの「すまないねぇ」なんて言葉を投げてみれば、「これを機に小町にお姉ちゃんを紹介出来るくらいの度胸とかつけてね」とか、いろいろとアレな言葉を残していきやがった。

 

「………」

 

 お姉ちゃんの紹介とか言われ、顔が赤くなったのを自覚した。

 それというのも、由比ヶ浜に告白されるなんて夢を見た所為だ。

 あれ夢だよな? 夢でしょ。俺が告白されるとか。

 

(…………)

 

 いや。アプローチと思われるものは、今まででも散々あった。

 それを見ない振りして、今まで引きずったのは俺だ。

 どうせ報われないものがあるのなら、いっそ受け入れて早々にあきれ果てられ、捨てられてしまった方がよかったのでは、と思わなくもない。

 それをしないのは何故だろう。

 傷つけられるのは慣れている。どうせ、なんて考えるからいろいろなものを失う自分なのに、そのくせ人に感情をぶつけられることにはひどく臆病だ。

 それが憎悪だったなら軽くスルー出来るくせに、温かな感情は受け取り辛いとくる。

 もうほんとなんなの俺。めんどい、ほんとめんどい。

 

「………」

 

 なんてことを、必死に言い訳として並べるわけだ。

 この、ベッドに背を預けたまま、こっくりこっくり眠ってしまっているお団子さんを眺めつつ。

 小町も起こさないようにってそっと来てそっと去っていったし、っつーかそれでも起きないとか俺より熟睡じゃないですかー。

 

「………」

 

 しかしながら、だ。

 自分が苦しむ中、頑張って自分に出来ることを探していたのを知っている。

 その上で、出来ることを見つけられない自分に歯がゆさを覚えていたであろうことも知っている。

 ぼっちはそういう無力感に敏感だ。自分の力量を弁えているから、悔しい思いを噛みしめる状況もよくわかる。

 ただ、ぼっちは諦めるのが早くて───……普通の人は、諦めることを嫌う。だから悔しいのだろう。

 ほんとに寝てるのかどうか、かなり失礼なものの顔を覗いてしまった時、涙の痕とか見つけちまったら……もう、なぁ。

 

(風邪も昨日ほどじゃあ……ないな)

 

 だるくはあるが、動かせはする。

 で、ここで無理に行動を起こすと悪化するので、今はただ耐えるのみ。

 

「………」

 

 他人のためにこんなに動いてくれて。

 普通なら嫌だろうに、自分のベッドに病人寝かせて。

 こんな捻くれぼっちのために、無力を嘆いて涙まで。

 

「…………、」

 

 わかってる。いいやつだとか、やさしいってだけで、普通はここまで世話なんて焼きやしない。

 やさしさに憧れて失敗してきたからこそ、本当のやさしさってものに触れれば、“黒歴史”(それまでのもの)こそがやさしさなんかじゃない嘘だったんだってことくらい理解できる。

 ただそれを、いつものように気づかない振りをするのか、受け入れるのかは……

 

(俺は───)

 

 寒くて辛かったり、熱くてだるかった自分の体温が、ふと……気持ち悪さの混ざらない、ぽかぽかしたものになっていることに気づく。

 それはどこから来る温かさなのかを考えて……自分の胸に触れ、苦笑した。

 

……。

 

 連休の間、由比ヶ浜は何処に出掛けるでもなく自分の部屋に居た。

 自分の部屋、というか……俺が行くところ何処へでも。

 トイレに行こうとした時、「だいじょぶ? 一人で出来る?」とか言われた時は、恥ずかしさから顔が灼熱。

 顔からヨガインフェルノってレベルで火が出そうだった。

 その過保護っぷりは、由比ヶ浜マさんさえもが驚くほどで。

 不思議に思って、なんでそんな張り切ってんの? と訊ねたところ───

 

「え? ん、んーと……えとー……。口にするのって大事なことなんだなーって。聞こえなかったんだとしても、聞こえる距離でちゃんと伝えるのって、大事なんだなって。だからね、ヒッキー。あたし、頑張りたいって思うんだ」

 

 なにを口にしたのかは教えてくれなかった。

 ただ、俺の顔を見て、えへー……と微笑むのだ。とてもやわらかく、やさしい表情で。

 そんな笑顔が、俺にこそ向けられたから……なんだと思う。

 俺はあれが、たぶん……夢なんかじゃなかったんじゃないか、って……すとんと納得しちまって。

 けど、本人に確認するのは違う気がしたから……そだな、って笑って、俺も少しずつ、近づく決意をした。

 

  こんなものは熱の所為で、正確なぼっち的判断が出来なかった所為だ。

 

 そうして、全部風邪の所為にして、由比ヶ浜が自分から来て、俺がそっと近づくような関係は始まった。

 気持ちはもうとっくに受け取ったつもりで、なにを言われてもくっだらない屁理屈で返しながら、それでも結局は受け入れる、みたいなやり取りを続けて。

 それを少しずつ、由比ヶ浜が気づかない程度の速度で受け入れる回数を増やして。

 やがて───俺達は。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 時間をかけてじっくり近づく。

 我ながら、相手の青春を食いつぶすような受け入れ方だなぁとは思った。

 しかし、気づけばなんとやら。

 受け止めていたつもりが受け止められていた、と自覚した頃には、俺の頭の中は“由比ヶ浜”のことだらけで。

 いつの間にか名前で呼び合うようになって、いつの間にか近くが自然になっていて。

 

「は、はー……ヨシッ、八幡っ」

「お、おう、結衣」

 

 いつかの日、高校三年のある日に、それを雪ノ下に指摘された時の俺の恥ずかしさといったら、服が汚れるのも構わずに、奉仕部の床をごろごろと本気で転がるほどだった。

 いや、だってね? 基準がおかしいんだよ? 気づかされなけりゃ疑問にさえ思わないほど、結衣のこと優先、みたくなっててね?

 戸塚は微笑ましい顔で俺を見るし、一色は「あれで気づいてないんだからすごいですよねー」なんて言うだけだし、材木座なんかは「八幡の馬鹿ーーーッ!」とか言って走り去っていくし。放置してたら「ここは追ってくるとこであろう!?」なんて逆ギレしてた。いーから。戻ってこなくていーから。

 

「………」

 

 高校を卒業してしばらく。

 いつから名前で呼び合おう、なんてことになったのかもわからない。

 ただ、それがちっとも嫌じゃなく、呼ぶたびに“好き”を自覚してしまい、実に恥ずかしい。

 そのくせ、一日の始めに名前を呼ぶのに勇気が要って、結衣なんて“ヨシッ”とか自分を鼓舞していたりする始末。

 こんな俺達なのに、付き合ってなんかいないと知った知人の表情は、それはもう驚きに満ちていた。

 

「………」

「………」

 

 見上げ、見下ろし、自然と笑う。

 自分から行く、と言った彼女は、それはもう自分から来まくりで。

 ただ、だからといってそこに夢見る少女の願望がないかっていったら、そんなことはないわけだ。

 だから、ここまで歩み寄ってくれたなら、次の一歩は俺から。

 自覚を抱いた時から決めていたことで、結衣もそんな俺のもどかしさに気づいてか、どこか何かを待っている様相で、一緒に居てくれている。

 

  今日はクリスマス。

 

 雪が降る、なんてことはなかったが、それでも……まあ。この寒空の下、呼び出しまでして……俺達は。

 

「あ、あー……その……だな」

「うん」

 

 既に顔が赤い結衣は、温かそうな衣服に身を包みながら後ろで指を組むような格好で、俺を見る。

 俺はといえば、なかなか出てこない言葉に、自分に対してもどかしさを抱きながら……リュックからマフラーを取り出した。

 

「八幡?」

 

 それを、結衣の首に巻いて、自分の喉に喝を入れるイメージをしつつ。

 

「……その。女が男にネクタイを、ってわけでもねぇけど……よ。男の場合、なにをどうすればそんな想いが伝わるのか、わからなかったからっつーか……」

「うん……」

 

 結衣はマフラーの感触を確かめながら、どこかきょとんとした顔のまま俺を見つめる。

 が、女が男にネクタイ、って部分を考え始めたのか、再びその顔に赤みが戻ってゆく。

 

「お前が好きだ、結衣。その……必死こいて編んだ。俺の、ちっぽけな専業主夫の夢の残照だ。~~……あ、あぁあその、だな、あー……」

「う、うん……」

「……“あなたに首ったけ”。男から言うのはキモいだろうけど、その、あ、あー……本心、だから。……これから、お前のために頑張らせてほしい」

「……~~……うんっ」

 

 風邪を引いたあの日から、自分から行くっていうアプローチが増える中、ふと考えたことがあった。

 これから先、こいつの隣には誰が立つんだろう、と。

 湧いたいたのは醜い嫉妬だったが、嫉妬が湧く理由を考え抜いて、出た結論が……顔が真っ赤になるほどの好きって気持ち。

 だらだらと一緒に居たいってわけじゃなく、欲しいものがたくさんあって、それは俺一人じゃ手に入れられなくて、けどそれを手に入れるために利用する相手が欲しいんじゃなくて。

 そうして言い訳ばかりを前に出しては破壊して、考え尽くして……やっぱり結論は変わらなくて。

 だから……まあ、いいんじゃねぇの? 男から女に首ったけを贈っても。

 

「じゃああたしからも」

「へ?《しゅるっ……きゅっ》…………結衣」

「ご、ごめんね? 綺麗に出来ればよかったんだけど、初めてはヒッキーにしてあげたかったから」

 

 しゅる、と首にネクタイが巻かれた。

 文字通り巻かれただけだったけど、それが妙に嬉しくて。

 アホな話、パパヶ浜さんを練習相手に、とかだったらそれはもう嫉妬してた。

 

「……ね、八幡」

「……ん、結衣」

「……一生、首ったけでも……いいかな。ネクタイ締める練習、ずうっと八幡が相手で……いい、かな」

 

 既に心に余裕がある歳。

 連絡を取り合っては再会する友人たちとも、いつでも気軽に会えるわけじゃない。

 それでも一緒に居たかったから、同じ場所を選んで同じ場所で笑って。

 そうして、今───俺達は。

 お互いの首に巻かれたそれを、やさしく巻き直すことで、一生を誓い合った。

 首だけじゃなく、心までぽかぽかするようなそんな関係を、これからも温めていこうと笑い合いながら。

 



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選択肢11①

11/真剣に話し合ってみる(全部を手に入れたい彼女のお話)

 

 こほん、と咳払い。

 そうしてから、ちょいちょいと結衣に手招きをする。

 

「!」

 

 すると、ぱあっと笑顔になって、椅子から立ち上がると、その椅子を手にしてすぐ隣まで来て、改めて座り直す。

 

「えへへ、どしたのヒッキー、依頼者が来た時に近すぎると話しにくいだろうからって、いつも通りに座るってことだったのに……えへへぇ」

 

 ものっそい嬉しそうに笑う素直な婚約者に、あらやだ心がほっこり。

 ……そう、婚約だ。

 既に3年、8月8日を通り越して、婚約をして同棲をして。

 雪ノ下のグラーフ姿に唖然としたいつかを過ぎ、現在は未来へ向けての考えを纏めようって状況である。

 しかしあんまり近いと、進学校のイメージがどうたらってんで指導を受けかねないため、あまりくっつきつぎないように、と雪ノ下に注意されたのが最近。

 

「あー……その、だな。バイト、あるだろ? 喫茶店の」

「うんっ《にこー》」

「《きゅむっ》お、おおう……」

 

 近いのがどれだけ嬉しいのか、にっこにこ笑顔で俺の左腕に抱き着いてくる。

 いや、俺も今すぐ抱き締めて頭とか背中とか撫でまわしたい気持ちでいっぱいですが。

 

「《ぎゅー、なでなで》わぷぷっ……えへー……♪」

「───」

 

 やだ、体が勝手に……!

 しかし本意である。後悔はない。

 用件はあるからちゃんと言うけどな。

 

「少しバイトの時間増やそうと思うんだが、どうだ?」

「んと……あたしとしては、別の喫茶店で働いた方がいいんじゃないかな、とは思ってるよ? 一ヶ所はじゃなくてさ、いろんなところで“こんな味、出してみたい!”とか思える場所、探してみたらどうかな

「別の場所……その発想はなかったな」

 

 仕事なんて、始めてしまえば終了までを待つ、一種の修行的なものだと思っていた。

 まあ今はそんなことはないんだが、現実としてあの喫茶店、あまりコーヒーに力を入れているって感じはないからなぁ。

 

「まあ、な? 小町にも戸塚にも相談して、さらには平塚先生にも相談して、良い店がないかって調べもしたんだよ。時間を増やそうと思ったのは、あんま悪い印象を残さないで店を去るためとかだったんだが」

「あ、お店を変えるつもりはあったんだ……」

「店長の結衣を見る目がアレで嫌だ」

「あぅ……も、もー……ヒッキー……」

 

 てれてれくしくしと、顔を赤くしつつお団子をいじくる結衣。

 このお団子も最近じゃ珍しい。

 髪を黒く染め直してからは、サイドテールになっていたのに。

 理由を訊いてみると、今日の運勢占いで、俺の星座のラッキーポイントがお団子だったんだそうな。

 いや、たぶんお団子ってそれじゃねぇよ。とは言わない。こういう妙な馬鹿というか……たまにやらかすポカが可愛いからいいのだ。

 同棲して距離が近づくと、そういったところに手を伸ばしてやりたくなる自分が構築されていった。

 元々お兄ちゃんスキルがあり、小町に対しては妙に過保護なところもあった俺だ。それが彼氏スキルとなって結衣に向けられると、それはもう甘やかし野郎に変貌した。

 

「……てか、結衣? お前、熱くないか?」

「ふえ……? そ、そんなこと、ないよ? ほら、たぶんヒッキーの傍だから───《ひたっ》……ぁぅ」

 

 額に手を当ててみると、やっぱり熱い。

 じとりと軽く睨むと、観念したのかしょんぼり。

 いや、まあ、わかるんだけどな、その気持ちも。

 高校生活も残り少ない。

 多少の体長不良くらい無視して、今しか会えないかもしれない誰かと、今しか作れない思い出を作りたい。……結衣らしい考えだとは思う。俺がこんなの予想出来るとか、ほんともう数年前の俺が見たら“誰だお前”ってきっぱり言えるよ。

 

「帰るか。バイトは休みで」

「え、だ、だいじょ」

「だいじょばないからダメ」

「で」

「でももへったくれもねぇ」

「あ」

「だめったらだめ」

「………」

 

 言われるであろう言葉を完全に先回りして封殺。

 立たせると、きちんと腕に抱き着かせて支えるように歩く。

 そうして、一緒に“我が家”へと帰り、たっぷりと看病をした。

 あ? なに? 食材等? ぬかりなし。

 水分補給用のポッカリスウェットと一緒にきちんと買ってきたし、家事は交代制でやっていたから苦でもない。

 というか、結衣を喜ばせたくて家事も料理もめっちゃ勉強した。

 それが案外バリスタの仕事にも活用出来そうだから、個人的にも未来に活かせそうでなによりだ。

 

「うぅ……ごめんねヒッキー」

 

 まずはミルクをあたためたものにバナナを混ぜ、パジャマに着替えた結衣に呑ませてから布団に寝転がらせ、ストレッチをさせる。

 血液の循環を良くして、汗を掻かせる。

 ストレッチと言っても俺が支えたり押したりをしてのものだ。

 ゆっくりとしたそれが終わると、結衣は長く息を吐いた。

 俺も大分息を吐く。

 知っての通り、動かない人を動かすのは力が居る。

 しかし、ああ、うん。おかしな話なんだけどな。

 そうして支え、世話を焼くことが嬉しいとさえ思えている俺は、もうとっくにぼっちの在り方なんて忘れてしまっているのだろう。

 人のため……ではなく、結衣のために行動出来ることが嬉しいのだ。

 こいつが……結衣が、俺関連のことで行動するたび、“えへへ”と微笑んでいる意味を、ようやっと俺も理解出来たらしい。

 まあその、つまり。

 俺の恋人超可愛い。

 

「で、でもさ、あのさ、そのさ、ね、ねー……寝ちゃうのは、さ? まだ早くない? まだ夕方だよ?」

「途中で起きて、眠れなくなったらいくらでも付き合うから。ほれ、寝とけ」

「うー……でもさ、でもさ」

 

 とりあえず寝かせ、掛け布団をかけると、手首をきゅっと握られた。

 ……外しにかかると、ぷくーと膨らむ頬。やだ可愛い。

 仕方ないので、もう片方の手でさらりと頭を撫でると、えへーと緩む頬。

 その隙に外そうとすると、今度は“だめなの……?”って不安な顔で見つめられる。

 こうなると無理。こいつの悲しそうな顔とか不安な顔には、とっくに弱くなりすぎている俺だから。

 

「………」

 

 手首を掴む手をさわさわと撫でながら、同棲している部屋を見る。

 狭い部屋だ。広いとは言えない。けど、そんな空間が心地よいとさえ思えてるんだから、恋ってものは不思議なものだ。

 最初はな、総武校から近いってこともあって、結衣のマンションに俺が、なんて話も出たんだが、パパヶ浜さんが耐えられそうになかったので却下。

 そりゃな、父親の前で娘をどれほど愛しているかを熱烈に話す相手と、さらにその娘自身がにっこりぽやぽや笑顔でえへーとか腕に抱き着いてくる光景を毎日見せられてみなさい。

 俺がもしその立場で、相手が小町とタイキックだったらとか思うと……ああ、うん、とりあえず川崎何某。名前をラファティくんに変える気はないかな? ほら、髪の色はどうあれ、髪型とか似てる気がするじゃない?

 そしたらディスクン星人みたくフルボコってポリバケツに───いやゲッフゲフン!

 そんなことしたら俺が川なんとかさんにフルボコられるな。

 よし、冷静にだ。シスコンはもうやめて、その分の想いを結衣に向けるって決めただろーが。

 ぼっちは賢しく柔軟で在れ。しかし甘く在りたい相手には究極に甘く。

 だってぼっちだもの、心を許せる相手以外とじゃあ満足に話せない。

 

(ぼっちねぇ)

 

 今さらだ、と溜め息を吐きつつ、ぼっちをほうっておかなかった第一人者との些細なやり取りを楽しんだ。

 “やりとり”ってなんだって? ほら。あれだよ。あれ。手ぇさわさわしてくるから、さわさわし返したり、触れられる面積を増やそうと手を伸ばしてくるから、いーから寝なさいと頭をやさしく優しく撫でたり。

 そうしてアレコレやっている内に、いつの間にか……結衣は俺の胡坐に頭を乗っけるかたちで、すぅすぅと眠っていた。

 ……枕より俺の足枕の方が眠れるって、どういうことなの……。

 しかし、甘えられてるんだなぁとか、信頼されてるんだなぁとか、そういう結論に至ってしまえば俺もまた甘くなってしまうわけで。

 あーもう。くそ。……可愛いじゃねぇかちくしょう。

 

「……っと」

 

 しかしながら、やっぱり風邪は風邪だ。汗は掻くので、用意しておいたタオルでやさしく丁寧に拭いてゆく。

 拭く、っていうか……フカフカと軽く押し付けるようにして、汗を吸いとるように。

 その感触がくすぐったいのか、もぞもぞ動いては「やぅぅ……」と声を漏してやだ可愛い。

 

「?」

 

 くすぐったさから逃れるように横向きに寝返りを打った結衣は、今度は手をのそのそと彷徨わせる。

 それにそっと触れてみれば、ふわりと安心に綻ぶ表情。

 ……単純な人ってのは馬鹿にされがちだが、感情をきちんと表現できるってのは大事なことだよな。俺にしてみりゃ特に。

 で、俺は、こんな風に寝ながらでも気持ちを伝えてくれるこいつが……───

 あー、もう。あー……~~……もう。

 

「……人に伝染すと、治るらしいぞ」

 

 どうしてそういう結論に至ったのか。

 ふと、口についた言葉に、

 

「……じゃあ、もらってくれる……?」

 

 なんて、返す声。

 見下ろせば、寝苦しさで起きたのか、少し息を荒げている結衣が俺を見つめていた。

 次ぐ言葉は……“悪い、起こしたか”、なんて言葉ではなく。

 

「………」

「……ん」

 

 全部が欲しいって言った恋人へ、捻くれも見せずに素直に行動する。

 足枕をしたままキスなんて、普通位置が逆なんじゃなかろうか、とも思わないでもないが……いいだろ、べつに。好きなことに変わりはないのだ。

 ころん、と仰向けに体を戻した結衣の口に、自分から口づけを。

 この“自分から”というものが、どうにも長年のぼっち生活の弊害か、未だに慣れない。……慣れないのに、その行動で結衣がどれだけ喜ぶのかも知っているから、俺の恥ずかしさなんぞ横に置いて……その、頑張れるっつーか。

 怖いわー、惚れた弱みって超怖いわー、なんて冗談めいた言葉を頭の中で流していなければ、赤面して悶絶するレベルには恥ずかしい。

 

「んゅ……ぷあっ…………はぁ……えへへ……♪」

 

 唇が離れると、結衣は柔らかな笑顔で俺を見つめる。

 ……今まで、ただ待つだけだった俺。

 人を観察しては、会話の揚げ足を取っては捻くれるばかりだった俺が、今では率先して誰かを幸せにしたいだとか思っている。

 待たず、動き、どんな些細なことでも俺から自分へ感情をぶつけてくれることが嬉しいらしい結衣は、本当に本当に、嬉しそうな顔で笑ってくれる。

 俺はそんな笑顔がいつの間にか大好きで、笑顔が見たいからって理由も当然あるんだが、笑っていて欲しいから行動し続けるようになった。

 それがいつしかお互いを支え合う結果になって、今のこんな生活が続いている。

 同棲生活初期の頃なんて、生活の一歩目で喧嘩だってしたっていうのに。

 

「けどまあその、なんだ。……一緒に風邪引いたら、学校にもバイトにも行けなくなるな」

「えとー……その。これからの練習、ってことで……いいんじゃないかな。一緒に暮らすならさ、こういうこと、一回や二回じゃないと思うし」

「いやちょっと? ガハマさん? 風邪ひく度にお互いに伝染すつもり?」

「だって……」

 

 さわさわされていた手が、きゅっと握られる。

 ……まあ、理屈がわかっちゃうから困ったもんだ。

 

「まあ、うん。言いたいことは……わかるつっつーか。……どうせお互いがお互いのこと、ほうっておかないからな。風邪なんて伝染り放題だろ」

「ぁ……~……えへー……♪ ひっきぃ~~……♪」

「いやちょっ……やめてください、手ぇ握ったまま揺らさないで、あとなんなのその笑顔可愛いからやめてキスしたくなっちゃう」

「ぁ……ぁぅ……えと、その…………んっ……?」

「………」

 

 我が人生。

 まさか膝……もとい、胡坐枕をしている婚約者に、顎を持ち上げてのキスで、「んっ……?」なんて疑問形の催促で迎えられるとは思わなかった。

 ほんともうこの婚約者さんったらどこまで俺を受け止め切るつもりなのか。…………全部なんだろうなぁ。ああもう、ほんと、こいつは……。

 

「結衣……」

「《ちゅっ》……んぅ……《ちゅっちゅっ》んゅっ……、ゎ……《ちゅるっ、れるっ》んんっ!? ひ、ひっき《ちゅっちゅっ》あむぅ……ふわっ……あ、あにょ《はむっ、れるれる》んんぅぅっ!? ん、んっ……んんぅ~……」

 

 どうしようもないほどの愛しさが爆発した。

 しかし衝動に理性を破壊されるほど、ぼっちというのは弱くない。

 常に心を鍛えられてこそぼっち。

 なので乱暴にするのではなく、ただただ愛しい人を慈しむようにキスをして、キスをして、キスをして。

 舌を潜り込ませればびっくりして、けれど戸惑いつつも迎えてくれて、頬にも額にもキスをするやっぱり驚いたようで、声をあげようとすると唇を塞いで。

 いや、いやいや、衝動になんて負けてませんよ? プロボッチャーとして常に心を鍛え上げ、恋する戦士にクラスチェンジした八幡さんが、愛しさくらいで心を暴走させるわけがないじゃないですか。

 ……あ。俺、愛戦士としての熟練度、まだまだ底辺だった。

 そんなわけで、“俺からの”心も気持ちも込めまくったキスの嵐は、熱を出した婚約者にはレベルが高かったらしく、しばらくすると、こてりと気絶。

 高熱のためとかではなく、俺からの気持ちが予想以上に凄まじく、結衣が思う“こ、このくらいなんじゃないかなぁ”なんてものを軽く超越、凌駕してしまったようで、キャパオーバーというか……嬉しすぎて失神? みたいな状況だったらしい。

 当然そんなことなんぞわからない俺、大慌て。

 散々パニクったのち、小町に電話をかけて助けを求めたあたりで、久しぶりにごみぃちゃん言われた。

 一応様子を見にきてくれた小町は、気絶から睡眠に移行した結衣を見て、眠っているだけだと判断。

 「むしろ病気の婚約者にキスしまくるとか何考えてんのお兄ちゃん……」と、心底呆れられるとともに、「あのお兄ちゃんがねー……」と遠い目をされた。

 

「んじゃ、小町帰るね。たまには結衣さん連れてご飯でも食べに来てよ。作る相手が居ないと、な~んか料理も手抜きになりがちで」

「……なんつーか。今までほんとあんがとな、小町。しみじみ、お前にゃ迷惑かけた」

「ほんとにね。でも小町も迷惑かけなかったわけじゃないし、恩返しみたいなもんだから」

「恩返し?」

「……お兄ちゃん。小町はもう、一人ぼっちの家に帰っても寂しくありません。立派に成長しました。……子供の頃さ、見つけてくれてあんがとね。……や、やははっ、なんか改まっていうのも恥ずかしいね。でも……うん、ありがと」

「……。おう」

 

 別れ際に交わした言葉なんてそんなもの。

 近い内にかつての自宅にお邪魔することを約束すると、小町は手を振って帰って行った。

 茶でも出すがと言ったんだが、妹だろうと他の女が部屋に入るのは嬉しくないもんなのですよお兄様、とキッパリ言われてしまった。

 ……まあ、そうなのかもな。

 なにせこの婚約者ったら、気絶しようがどうしようが、俺の手を離さないんですもの。

 小町が来たって俺の胡坐枕から離れるでもなし。気絶してしまった瞬間、慌てつつ“とりあえず病院───!”と立ち上がろうとしたら、ズボンまでぎゅーって握られてて、立てませんでした。

 なのでスマホ。

 わざわざここまで来てくれた小町が、胡坐枕で結衣を寝かせる俺を見て、「うわぁこの兄貴は……」とか普通に言っていたのは結構痛恨。いや、自慢したかったとかじゃないのよ? それだけはわかって小町ちゃん。ほんとに慌ててただけなんだからねっ!?

 

「……、ひっきぃ……」

「……おう。ここに居るぞ」

「《なでなで》……えへー……♪」

 

 眠りながらでも俺を探しているらしいこのワンコさんは、どうにもほうっておけない。

 俺もまた、結衣からしてみればほうっておけない存在なんだろう。

 だから支え続けていられるし、お互いが好きすぎて大事すぎるから、喧嘩をしようが仲直りが出来て、そのたびにもっと受け止められて、好きになれる。

 お互いがお互いに対して甘すぎるんだろうなぁって自覚はある。

 が、同時に成長も出来ている実感があるから……恋愛ってのはすげぇなぁと思うのだ。

 

「けど、さすがに足が痺れてきたな……。足を入れ替えて……《ぎゅー……!》……OH」

 

 ああうん、やばいこれ。体勢、変えられない。

 

「………」

 

 溜め息ひとつ、起こす意味も兼ねて撫でたり愛を囁いたりキスしたりを繰り返した。

 そうして、「えへー……」と頬を緩ませ、それでもまだ眠っている婚約者が手を彷徨わせるたびに近づいて、ずりずり、ずりずりとゆっくりと姿勢を変えると……

 

「………」

 

 なんか、俺の腰に抱き着く形で俺の足の間に居る結衣が完成した。

 俺、足を伸ばせたはいいけど、その足の間にうつ伏せ気味に軽く横向きな結衣が居て、そのまま腰に抱き着かれている。

 熱の所為で姿勢的な苦しさと熱の苦しさが混ざって、姿勢の悪さで起きる、なんて意識が混濁しているのかもしれない。

 ……そんな状況なのに、自分にこそ抱き着いてくれている姿にちょっぴり、いやかなり感動。男ってやつは……いや、八幡って俺はこれだから、まったく。

 でも可愛い。俺の婚約者超可愛い。

 

「……ま、あれだ」

 

 この調子で好き合っていくのだろう。

 いやね? 俺だって人との関係に怯えた経験者。

 そういうもので失敗しないために、調べものとかひっそりとしましたよ?

 浮気体験談だの離婚の話だののスレを、つい熟読してしまったりだとか、その原因を調べてみたりだとか。

 初恋は実らないって、人間の精神とか本能? 的なものが原因だったりする場合があるらしいね。

 好きって気持ちは長続きしないんだと。困ったもんだ。

 その長続きしない内に別の誰かを好きになって、浮気が発生する。

 自分だけはそうならない、なんてものは当てにはならない。

 だからこそ、俺は───




選択肢ひとつで1万7千ってアータ……。
えーと、やっぱり長いので分割します。
ひとつの選択肢が分割しなきゃ長い結果になるとは……!


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選択肢11②

 ───ヘレン・フィッシャー、という名をご存じだろうか。

 とあることで世界的な統計を調べ当て、おおよその答えを叩き出した、とある人物である。

 恋愛、結婚をするにあたり、この人の言葉を知っているのといないのとでは、不安を抱く存在は結構多いものかと思う。

 俺もまた、その中の一人であり、俺が抱いたのは不安だったりするのだが。

 へ? どんな不安か? いやお前、ほら、あれだよ。

 ……いや、今でこそこんな感じだけど、不安はそりゃあったに決まってんだろ。相手俺だし。

 だから、つまりそのー……アレなんだよ。

 

……。

 

『笑止!!《どーーーん!!》』

 

 同棲生活からどれほど経ったのか。

 とある喫茶店にて、双子の姉妹が胸の下で腕を組んで大きくそう言った。

 時刻は夜。営業も終了して、奉仕部と呼ばれる休憩室もどきにて、全員で遅めの夕食を摂っているところである。

 

「パパ? この絆の恋を諦めさせたいなら、より運命的な出会いと究極的な敗北を思い知らせることです」

「Si.大体、その計算で言うと、ママは高校卒業時点でパパのことが好きじゃない」

「そうだよパパ! ヘレン・フィッシャーさん曰く、恋は3年愛は4年! でもねパパ、由比ヶ浜の血にそんなものは関係ないのだよ!」

「ん。何故ならパパの行動毎に惚れ直してるから」

「いや……そうは言ってもだな」

 

 いやね? そりゃさ? かつて調べたことでヘレン・フィッシャーさんの言葉に到り、3、4年後に離婚する夫婦が多いってことに怯えていたりもした俺だよ?

 俺、今年こそ捨てられるんじゃ……! とか。

 だってのにこのお嫁さんたら毎日にっこにこなんですもの。

 そして俺もその笑顔に惚れ直し続けて……今に到る。

 

「ていうかあのー……雪乃ママ? パパとママって倦怠期とかなかったの?」

「むしろ訊くけれど。あると思うの? その二人に」

『あー……』

 

 今も奉仕部にて隣り合い、手を握っては指でお互いの手をさわさわ。

 目が合えばにこーと笑い合い、好きになってはキスをしている。

 あえて言えば、俺の海外修行期間が恋をし続けるのに重要な時間だったのかもしれない。

 離れていた分だけ、再会した時なんてすごかったから。何がとは言わないが。

 

「恋は3年、愛は4年ですかー……先輩と結衣先輩ってどこからどこまでが恋で愛なんですかね」

「行動の全てが、じゃないかしら。文字通り恋愛をしているのでしょうね、ほぼ毎日」

「ゆ、ゆきのん? えと、よくわからないけど、あたしおかしいって言われてる?」

「大丈夫よ由比ヶ浜さん。その歳で好き合い続けているということが稀少だ、と言っているのよ」

「ちなみにパパは、今で言うとママのどんなところを惚れ直してますか?」

「? いや、普通に寝る前にキスして、寝て、起きて寝顔を見たら惚れてるが」

「ヒ、ヒッキー!?《ボッ!》……~~~……そ、そなんだ? そなんだ……!」

「ぇ、ぁぃやっ……~……忘れてくれ……!」

 

 そして盛大に自爆する。

 おのれこいつら……! 問答みたいなのを続けて、喋るのが当たり前、みたいな状況を作り上げるとは……!

 いやまあ、やっぱり普通に俺が自爆しただけなわけだが。

 

「そうね。あなたのような人種を好きになる、という時点で珍しいのだから、それを思い返せば何度でも好きになれるのでしょうね」

「おいちょっと? 今人のこと種としてわけちゃった? 別にそんなの珍しくもねぇだろ。3年4年でドーパミンが尽きるヤツも居れば、一生尽きないヤツだって居るって例だろうが」

「えと……あたしの場合、喧嘩したり意見が合わなかったりしてさ? 落ち込んだ時に……ヒッキーから歩み寄ってくれて、そしたらさ、えとー……えへー……♪ やっぱり好きだなーって」

「そう。つまり比企谷くんの方が惚れやすいのね」

「毎朝惚れ直してるってことですもんねー」

「え? あ、ううん? あたしもそれはそうだよ?」

「………」

「………」

「ああその、つまりですよ結衣先輩。結衣先輩にとって、先輩は朝に目が覚めておはようを伝える時にはもう、また好きになっている相手ってことですか?」

「うん。………………え、え? あのー……いろはちゃん? 普通さ、お嫁さんとかって……そういうものなんじゃないの?」

「いくらなんでもそれはないですどんだけ幸せな夫婦やってんですか世の中には些細な擦れ違いで離婚しちゃう人だって居るっていうのになんなんですかありえないです」

「一息でひどい言われようだ!? だ、だって実際そうなんだから、しょうがないよ!?」

「はぁ……というかそもそも、何故こんな話になったのかしら……」

 

 雪ノ下が盛大に溜め息。

 何故こんな話に? そりゃあ……

 

「ただいまー。いやー、外、風が強くてまいっちゃったよー」

 

 ……思い出そうとした時、城廻先輩が帰ってきた。

 次いで平塚先生も買い物袋を手にニヤリと笑う。

 

「……そうだったわね。クリスマスの話から、神に誓った恋人達はどれほど関係を続けていられるのか、という話になって……はぁ」

 

 そこで溜め息はやめてください。

 無駄な問答をした、みたいな空気が流れるじゃない。

 

「よっしゃー! それでは買い出し班も戻ったことだし! 歌おう友よ! 一番手はこの絆が担いましょう!」

「……聖夜の歌といえば、なに?」

「え? そりゃー……ズィングッベー?」

「Da、なら遠慮はいらない。というか……フル、知ってる?」

「知らぬ!《どーーーん!》とりあえずジングルベーとか鼻歌歌ったあとに、ヘーイって言えばいいって小町お姉ちゃんに聞いた!」

 

 ちょっと小町ちゃん? アータなにやってんのほんと。

 ジングルベルくらい知らなきゃでしょ、毎年嫌でも町とかで流れてるじゃない。……いや、俺もフルは知らんけど。

 

「ケーキにチキン! 飾りにシャンパン! さあ心躍らせ歌おう友よ!」

「ちなみにシャンパンはシャンパーニュという名前だから、シャンペンって呼ぶのがあっているのかどうかは微妙なところ。時に豆知識は大事」

「で、えーとジングルベルの最初ってなんだっけ!? ジングッベーでいいんだっけ!? ママー! ママ!? どうだっけー!」

「ふえっ!? え、えと、えーとー……!」

 

 いやん、そこで俺のことじっと見つめないで?

 ジングルベルだろ? 知らないよそんなの。ぼっちにとってクリスマスなんて適当にぼっちで遊ぶ日って決まってんだから。

 もしくは妹と戯れる日な。

 なので、

 

「気にするな。魂で歌え」

「ヒッキー!?」

「さっすがパパわかってる!」

「Si、歌はそもそも人の思考から生まれたもの。歌いたいと思う気持ちがかたちになるのなら、歌詞なんて重要じゃない。重要なのは、歌いたいという心……!」

「オッケぃステキだマイシスター! じゃあ小町お姉ちゃんが教えてくれたように、なんかそれっぽいの歌ったらヘーイ! って言う方向で!」

「ヘーイ……!」

「まだ歌ってもないよ!?」

 

 今日も今日とて娘たちが元気である。

 俺と結衣は見つめ合って笑い合って、城廻先輩に切り分けられたケーキを、お互いに食べさせ合った。

 ケーキは毎年一色が作るが、たまには自分が作ったものじゃないのを食べたいですよー! と怒られてしまい、急遽買い物要員をじゃんけんで決定、城廻先輩と平塚先生が買い出しに行ったわけだ。

 

「じんぐっべー! ズィングッベー! すっずっがーなるー!」

「ヘーイ……!」

「じんぐっべぇーぃじんぐっべー、すっずっがっなっるっ!」

「ヘーイ……!」

「じんぐっべー! じんぐっべぇーーい! すっずっがー、なるぅー!」

「ヘーーイ……!」

「じんぐっべーるじんぐっべーい! すっずっがぁなーるっ!」

『ヘェーーーイ!!《ジャーーーーン!!》』

 

 …………キメポーズを取って、歌が終わった……らしい。

 はい、ここで娘の両親から一言。

 

「……鈴しか……鳴らなかったね」

「だな……ジングルベルどころか、ジングッベィにしかなってなかったしな」

 

 ダメ出しである。

 その後、娘が二人、雪ノ下に溜め息を吐かれながら、ジングルベルの歌詞を教えてられた。

 絆は「お、押忍」とか言ってこくこく頷き、美鳩は「ヘーイしか言ってないのに注意を受けるのはちょっぴり理不尽……」としょんぼりしていた。

 

「むう。こういうのは場の雰囲気とノリで盛り上がるから楽しいんだと思うんだけどなぁ絆的には」

「君達の場合はノリだけで突っ込みすぎなんだ。もう少し落ち着いてみたまえ。そうすれば、見えてくるものもあるだろう」

「落ち着き───……おお、相変わらず平塚先生は良いことを言いますなぁ。つまり落ち着きのあるジングルベルを歌えと!」

「違う、そうじゃない」

「ジングルジングルジングルジングル陽気にジングールー!」

「混ざってる混ざってる」

 

 しかし、とりあえずやってはみる精神はいいんじゃないかしら。

 俺だったらギターと同じで、小町から苦情が来た途端になんでも諦めてたわ。

 

「うーん……ケーキ……ケーキかぁ……。このケーキ、材料ケチってますね……。このイチゴも見栄えはいいんですけどー……うーん……」

「一色さん? クリスマスイヴくらい、職業病は捨てていいのよ」

「うう、わかってはいるんですけどねー……こう、綺麗に出来ているように見えて、実は……みたいな部分が見え隠れ……。これ、どこで買ってきたやつですか? 手作り系の場所ですよね? あ、近場のお店って意味でですよ? 予約発注のケーキとかじゃないですよね?」

「ああ。駅前の方にある洋菓子屋で買ったものだ。城廻くんがオススメしてくれたのでな」

「ここのケーキ美味しいんだよー? 手作りで有名なんだー♪」

「ええ知ってます、修業時代のライバルですから。悔しいですがやっぱり美味しいです。細かい部分がまだまだだって、修行時代に言われてたのにそこは直ってないようで、妙に安心しましたけど」

「ほーん? で、一色の不得手な部分ってなんだったんだ?」

「ちょっと先輩、なんで不得手から入るんですか。もっとこう、褒める部分から入ってくださいよー」

「ライバルっつーんだからあったんだろ? 欠点」

「……そりゃ、ありましたけど」

「馬鹿な……いろはママの菓子作りに欠点……!?」

「驚愕……! 菓子作りにおいてはぬるま湯にて覇を抱くいろはママが……!」

「きーちゃん? みーちゃん? わたし二人にどういう認識のされかたしてるの」

 

 そりゃ、菓子作りの鬼、みたいなもんだろう。

 実際に修行して修めた分、雪ノ下よりも本格的に作れるようになったし、アレンジとかも見事なもんだ。

 どうやって作ってんのこれ、ってお菓子だってあっさり作ってしまう。

 そんな一色の、苦手、または欠点とは?

 

「……大方失敗したら物凄く不機嫌になって、あとの菓子作りに支障が出るとかそのへんだろ」

「なんで知ってるんですか!?」

「……ビンゴかよおい」

「あー……そっかー、いろはちゃん、“わたしの城で失敗は許しません!”とか言ってるもんね」

「うぐぁっ……じ、自爆してたんですか……! でも仕方ないじゃないですかー、作るからには失敗なんて許せませんし。いえまあ、そのことで、先生に“ひとつの菓子に誇りを持つのはいいことだが、その誇りで次の菓子を傷つけていいわけがないだろう”って言われたりしたんですけどね。注意されておいてなんですけど、結構好きな言葉です。まあ、好きでもやっぱり失敗すればヘコみますしね、人間の感情ってほんと、自由じゃありません」

 

 言いつつ、ライバルが作ったらしいケーキをハモっと口に運ぶ。

 「まあ、お菓子に罪はありませんしね」なんて言っているが、顔は美味しさに緩んでいる。

 まあ……うん、確かに美味いな。一色とは違った味の使い方だと思う。

 味なんてどれも一緒だと思うのに、微妙に、ほんと微妙に一色のものとは違う。

 その微妙さが、また楽しかったりするのだから…………生きているっていうのは、体にものを入れていくことなんだなぁと、どこぞのゴロちゃんのようにしみじみ思った。

 いや、うん、まあ、その甘さの大部分は、結衣があーんで食べさせてくることに原因のほぼがありそうだが。俺も俺でお返しに食べさせたりしてるし……ふと我に返ると恥ずかしさに悶えそうになるんだが、好きで大事な相手を甘えさせてやりたいって願望は、べつに悪いもんじゃない……よな? 程度にも寄るだろうが。

 バカップル? いい言葉だと思うよ? 人間、馬鹿になればああも人を大事に出来るっていう、いい例じゃないの。

 優先順位がガラリと変わるくらいに誰かを大事に出来るって、相当な経験だと思うよ? いや言っとくけどこれ言い訳がどうとかじゃないから。純粋にそう思ってるだけだからね?

 

(実際、優先順位なんてガラリと変わったからなぁ……)

「?」

 

 そんなことを考えながら見つめる結衣は、俺の視線を受け止めてきょとんととしていた。

 思うところがないわけではない。

 ここまでただひたすらに山もなく、なんて、軽く辿り着けたわけでもない。

 喧嘩はしたし、泣くことも泣かせることもあった。

 その度に譲り合って語り合って理解し合って、その先に今がある。

 

「いや。考え事」

「……、……あんまり、楽しい考え事じゃなさそうだね」

「クリスマスにするようなことじゃないのは確かだな」

 

 恋や愛が3年4年で終わっても、それまでに積み重ねてきたものが消えるわけじゃない。

 なら俺達は、馬鹿みたいにその積み重ねを信じていればいいのだ。

 “全部”は、いつかは砕けてしまうのだろう。

 “全部”は、いつかは離れてしまうのだろう。

 人を信じて人を諦め、距離を取っては人を見ていた腐ったいつか。

 戻りはしないし戻れもしない日々を思い返し、時折に、眠る彼女に無言で問いかける。

 

  俺で、よかったのかな

 

 でも、そんな不安を吹き飛ばすくらい、目を覚ました彼女が眩しい笑顔をくれるから。

 俺はその度に恋をして……何度だって気持ちを伝えようと思ったのだ。

 希望に溢れた入学式で、もっと別の出会い方をして、お互いに好き合えたなら、いったい俺達はどれだけの好きを届けていけたのだろう。

 もしそこに手が届くならと自問をして、今と引き換えにと言われたのなら、伸ばした手はどう足掻いたって答えに届くことはない。

 いつかは砕けようが、いつかは離れようが、俺達はそれを望んだからこそここに居て……それが全部であり、俺達の…………あれ、なんだからな。

 辿り着いた今は幸せに溢れている。

 けど、他の誰かならもっと幸せに、なんて考えをしなかったわけじゃない。

 しかしながら、そんな自問をするたびに、答えをくれるのはいっつも……

 

「結衣」

「うん? なに? ヒッキー」

「今───、…………」

 

 幸せか、と。口にしようとしたのに、口が、喉が動いてくれない。

 訊いてどうなる、なんて。

 ぼっちぼっちと口にはしても、もうとっくに忘れかけていた自分の内側が、久しぶりにニタリと笑った気がした。

 途端、心の中は狭く寒くなってゆく。

 

「───《どよ……》」

「……ヒッキー」

 

 目の前が暗くなっていく。

 久しぶりに、黒いなにかがじわじわと昇ってきて、俺は───……、……俺は。何故か急に結衣に頬を手で包まれて、

 

「……? 結衣?《ちゅっ》んぷっ!? ん、んぉ……は……」

 

 真正面から、キスをされた。

 暗さに傾いていた心が、え!? やだなに!? なにごと!? と騒がしくなると、黒い気持ちも消えて……目の前も、明るくなってくれた。

 

「あのね、ヒッキー。あたしね? 今、幸せだよ? すっごく」

「結衣…………」

「どうして急に目が濁ってったのかは知らないけどさ。寂しかったり辛かったり苦しかったりしたらさ、ヒッキー。……なんでも、言っていいんだよ?」

「………」

「あたしたちはさ、あたしたちだから“全部”なんだ。そこにはもちろんヒッキーも居てさ、ってゆーか、そもそもヒッキー居なかったら、この関係とかないかもなんだから」

「いや、そりゃねーだろ。俺が居なくても、たぶんチェーンメールあたりで結衣が奉仕部を訊ねて、一色は生徒会長の話で奉仕部に行く。俺が居なくても───」

「あ、それはないですよ先輩。わたし、先輩をこき使う名目以外では、特に奉仕部に用ありませんでしたし。あとは海浜高校とのやりとり以外ではべつに、でした」

「え? いやおまっ……ここでそれ暴露しちゃうの?」

「暴露というか、あからさまだったから今さらではないかしら」

「というか、ハチ。お前のその態度も随分と懐かしいな。なんだ? 学生時代でも思い出したか?」

 

 はっはっはと笑いながら、平塚先生……静ねーさんがシャンパンを開ける。

 何本か開けると、それをグラスに注いで娘たち以外に回してくる。

 娘たちにはシャンメリー。

 それぞれを用意して、長机を挟んでの、グラスを合わせた乾杯。

 

「少し、同棲時代のこと思い出してたんですよ。結衣との将来のこと、真剣に考えてはもやもやしてた頃のこと」

「あー……あたしが風邪引いちゃった時のこと? あのあと不安とか打ち明けて、いっぱい話したよね」

「ふむ。……ああ、ハチが真剣な顔で“辛くてもいいから、修行ってくらいコーヒー学べる店、紹介してください”って言ってきたあれか」

「……っす」

 

 今さらながら、というか……今さらだから恥ずかしい。

 青春してたなー、俺。

 

「おお、新事実。パパはやはり、こうと決めれば頑張れる益荒男であったか……!」

「そしてその原動力がママであることに、妙な納得を抱くのが当然になっている今がある。実にジャスティス」

 

 話をしっかり聞いていた娘が二人、『おお家族愛……!』とか言ってハイタッチをしている。

 やめなさい、大げさに受け取らないで? パパ恥ずかしいから。

 

「そういえば、急にやる気に満ちた顔になって、働き続けて勉強し続けて倒れた日があったわね」

「あの時の結衣先輩、すごかったですねー……」

「うひゃああれは忘れてったら! ななななんで覚えてるの!?」

「? なにかあったの?」

「そうなんですよー城廻せんぱ~い、結衣先輩ったら、電話かけてくるなり“ヒッキーが死んじゃうー!”って」

「バイトがあるからと、二人が早くに部活を抜けた日だったわね」

「救急車を呼ぶ、という行動よりも、信頼を置かれていたということだろう。というか、一色? 君はその時雪ノ下と一緒にいたのかね?」

「え? あ、はい、生徒会長が小町ちゃんになれば、わたしも暇ですからねー。なんだかんだで奉仕部に入り浸ってたんで、雪ノ下先輩に結衣先輩から電話がかかってきたとき、ばっちり隣に居ました」

「~~~~……《ふしゅううう……!!》」

 

 ちょっと? やめてあげて? 結衣が真っ赤になって悶絶してるから。

 やんわりと家族に注意しつつ、俺の胸にぎうーと顔を押し付けて恥ずかしがる妻を、それはもう抱き締め慈しむ。

 いやね、だってね、俺だって結衣が急に倒れたらそんくらい慌てるよ? というかまず電話する相手が小町になりそう。そして“小町に電話してる場合じゃないでしょうがこのごみぃちゃんはー!”とか怒られるのな。

 ……やだ、例えとしてあげたのにリアルすぎて泣ける。

 けど、そうだよな。普通なら救急車だ。それか近くの頼れる人。普通ならそう思うんだろうに、結衣は……いや、結衣だけじゃねぇよな。きっと俺だって、それが正しいってわかってるのに救急車よりも先に、ここに居る誰かや、今は離れている誰かに電話をするのだろう。

 そう思える今だから、思えることがある。

 こんな俺でもこんな場所に辿り着けたことを、なにかに感謝したいと。

 切っ掛けはなんだったんだろう。

 総武を目指したからとか朝早くに出たからとか、理由はまあいろいろある。

 それでもそのどれかが一つでも欠けていたら、俺達はこんな関係にはなっていなかったかもしれない。

 それが時々胸を締め付けるのに……そんな世界の先を想像してみると、きっといつかは……ひっどい出会い方になろうと俺達は集まって……きっと、彼女に恋をする。

 

  俺でいいよな?

 

 漏れた苦笑と一緒に、自分の中に問いかけると、そいつは黙って引っ込んだ。

 確かにな、俺じゃなかったならもっと別の幸せがあったのかもしれない。

 金持ちと結婚して不自由ない生活~とか、俺じゃあるまいし専業主婦になって肥えてみたりとか。

 

「結衣」

「うん、ヒッキー」

 

 額と額をくっつけ合って、くすくす笑う。

 人の人生に“でも”は付き物だ。

 ああであったならよかったーとか、こうであったらなーとか、そんな考えは行動のあとにいつだってついてくるものだろう。

 “でも”。

 こいつが望んでくれた幸せは俺との幸せで、ここに居る全員が望んでくれたのは、そこにある幸せを集めたからこその“全部”だったんだから。

 

「……恋する乙女って強いのな」

「えへへぇ、今さらだよ、ヒッキー」

「あー……はは、そだな。今さらだな」

「おおっと恋する乙女と聞いてはこの絆! 黙っていることなど出来ぬぅうう!!」

「聖夜の思い出が欲しい……熱烈に。一言で言うなら愛を誓い合ってほしい」

 

 で、恋する乙女と聞いては黙っていない娘たちが、我こそはと名乗りをあげた。ええいちょっと静かにしていなさい、今いろいろと心に決めてる最中なんだから。

 

「結衣。俺は…………んんっ。結婚の時にも誓ったけど……な」

「うん……」

「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、苦しいときも。お前を愛し、お前を敬い、お前を慰め、お前を助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓う。……好きだ、結衣。お前を、愛してる」

「……うんっ」

「パパ……!?《がーーーん!》迂闊だった……! 誰と誓い合ってと付け加えることを失念していた……!」

「美鳩のばかー! これじゃあ毎年と同じじゃないのさー!」

「学力がいいだけの天然馬鹿に言われたくない……」

「《ぐさっ》はうぐっ!? だだ誰が天然馬鹿だーーーっ!! 天然は血筋だい! わたしだけが特別なわけじゃないんだかんなーーーっ!?」

「ほらハチ、たまにはアルコールもいいだろう。ここに由比ヶ浜を狙う下衆い男は居ないんだ」

「いえ、シャンパンだけで十分っす」

「なんだなんだー、姉さんの酒が飲めないってのかこらー」

「毎度毎度、いきなり馴れ馴れしく絡んでくるのやめてくださいよ……」

 

 ……賑やかさの中に居る。

 かつては眩しく思い、焦がれ、届かず、目を腐らせ心を捻じれさせた光景の中に。

 自分には手に入れられないものなのだと諦めた筈なのに、引っ張ってくれる人が居て。

 俺は───……

 

「───、……」

「ヒッキー? 今なんて……、───…………うん。幸せだね」

 

 ありがとうが自然と口からこぼれた。

 次いで、“幸せだ”とも。

 ……幼い日に抱いた光景がこれだ、とは言えない。

 あの日に眩しいと感じたそれは、きっともう二度と手に入れられないもので、あの時のあの自分でなければ嬉しいと感じられなかったものなのだろう。

 傷ついて痛みを知って、濁って腐って捻くれてしまった過去を持った今では、あんなにも輝いて見えたものから輝きを奪ってしまった。

 それでも…………ああ、それでもだ。

 俺が欲した場所にはもう、別の輝きがあるのだから。

 もがき苦しみ、足掻いて悩んだ先に得た輝き。

 欲しかったものがあって、それが一人じゃ手に入れられないものだったからこそ今があって。

 それらのすべてが、ひとつピースがずれていれば手に入れられなかったかもしれなくて。

 考えて考えて、まちがえてまちがえて、苦しみもしたし悲しみもしたし、孤独ってものを心が捻くれるくらいには味わって。

 そうして残されたものの中にこそ、答えはあったのだから。

 自分ひとりじゃ届かなくて、結衣とだけでもきっとダメで……叱って、注意して、支えてくれて、時に一緒に笑ってくれるような人達が居たから……俺は。俺達は。

 

「………」

 

 聖夜になにかを誓うことで、もしその想いが叶えられるなら。

 俺はなにを願うだろう。

 それはきっと、誰であろうと願うことで、世界から見りゃちっぽけなもの。

 なのにそれはとても温かく、欲しても簡単には手に入らなくて。

 ……俺は、そんななにかを手に入れられたかな。

 満足にはきっとまだ遠い。

 だって、満たされて足らしてしまったら、願うことをやめてしまいそうだから。

 きっとちっぽけだったものでさえ、望むことすら嫌悪され笑われたいつかは遠く。

 手に入らないのならと、嫌うことで興味の無いフリをしたところで、わかってもらえたら嬉しくて。

 俺は結局……こいつが全部を願ってくれなかったら、欲しかったもののほとんどを見ることも感じることも出来ず、いつかどこかで泣いていたのかもしれない。

 強制的に渡される高校のアルバムを開き、ある部活の写真の中で、カメラも見ずにそっぽ向く黒髪の少女と、目を腐らせカメラを見つめているようで微妙にズレた位置を見て移ってる男と、その中心で二人を一生懸命引っ張って、頑張って真ん中に寄せようとしているお団子の髪型の少女を見つめ……泣いていたのかもしれない。

 

  なぁ。俺……お前にしてやりたいこと、いっぱいあるんだ。

 

 感謝ばかりが浮かんでくる。

 言葉じゃ足りないから抱き締めて、抱き締めて…………ただ、抱き締めた。

 

「……ひっきぃ……?」

 

 急な行動に驚くでもなく、背に腕を回して抱き締め返してくれる。

 理由を訊かないやさしさにもありがとうが浮かんだ。

 ……時々、ひどく悲しい気持ちになることってあるよな。

 俺にとっては今日がそうで……結衣にとってはきっと、サブレの…………いや。

 きっかけがどうとかは特になかったのだ。

 本当に、ただ久しぶりに、心の中の黒い部分が浮かんだだけ。

 だからこんなものはシャンパン飲んで騒いでみれば、案外簡単に消えるのだろう。

 

「んっ……よしっ!」

 

 気合一発、シャンパンをゴッフと一気飲みすると、結衣を抱いたまま立ち上がって歌おう友よ!

 

「おお! パパがやる気だ!」

「ならば我らも本気を出さねばなるまい……! 父の背を見て成長する娘……実にジャスティス……!」

 

 そうして、叫べるような歌───ではなく、楽しげな歌を歌った。

 次いで結衣が歌って、俺も低音で歌って。

 ……いつかの話はいつかでいい。

 結果がその時に到った現在に辿り着いた時にこそ、また思い出して……それでも、そこにあってほしいものがあるのなら、俺達はまた額を合わせ、笑うのだろう。

 幸せだな、幸せだねと伝え合いながら。




というわけで選択肢11、終了。
こもれびさん、済まぬ。とりあえず1万5千以下でいけるようにしよう、そうしよう。
……いえね? こんなに長くするつもり、なかったんですよ?
というか長いって感じなかったんです、書いてて。
これくらいじゃあまだ5千くらいだろうなーとか思って字数みたら1万7千とか。
いえもうほんと……ごめんなさい。
ヘレン・フィッシャーさんの恋は3年、愛は4年に関しては、こもれびさんの“コク・ハク”を見ればわかりやすいかもですよ!

したらな!


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選択肢12~15

12/誰かが来る(知り合い等)

 

 がらぁっ!

 

「いやまじでさぁ! っべーんだってぇ! 相談乗ってくれってぇヒキタニくぅん! いやヒキタニさん!」

「そうか帰れ」

 

 がらぴしゃあん!

 悪は去った。

 

 

 

13/しっとりと、愛(18禁)

 

 雪ノ下が来られないことを知ると、二人きりという状況の中、ふっ、と……空気が変わった気がした。

 ついさっきまでは隣で弾むように歩いていた少女が、まるで大人の女性になったかのような色気を孕む。

 いや、それは言いすぎか。よくて同棲中の女の子。いや、その手前。

 顔を赤くして俯き、手は膝の上でぎゅううと握り、おそるおそるこちらを見ては、目が合うとパッと逸らす。

 

  結衣と付き合うようになってから大分経つ。

 

 しかしいつまで経っても初々しく、また、そんな感情が嫌じゃない。

 軽く笑ってみせると、ほわっと柔らかく安堵したような笑みを浮かべ、そそっと近づいてきて……ちょこんと俺の足の間に座る。

 すぐに俺の服の袖をちょいちょいと引っ張ってくるあたり、抱き締めてほしいらしい。

 もちろんそうするつもりだったから、そっと後ろから抱きしめると、きゅう、と可愛い声が漏れた。

 

「あたしの部屋かヒッキーの部屋以外で……こういうことするの、初めて……だよね?」

「公園とかカラオケボックスとかでも割としてる気がするけどな」

「あぅ……そうだった……《くし……》あ……えへへぇ……♪」

 

 恥ずかしそうに俯く結衣の、お団子をくしりと撫でる。

 嬉しいのか、ひょいと持ち上げ振り返った顔は笑顔だ。

 

「お団子作るの、随分慣れてくれたよね」

「お前が指を骨折して以来だったか。治ってくれてよかった」

「うん……ありがと、ヒッキー」

「気にすんな。したとしても、迷惑かけたとかそっちの思考は回転させなくていい。……そうなったから、俺もお前もこうしてるんだから」

「うん」

 

 結衣が引き戸に指を挟んで骨折して、送り迎えを俺がするようになってしばらく。

 世話を焼いている内にすっかり結衣の世話をするのが好きになってしまった俺と、そんな俺に甘えまくるのが好きな結衣との関係は、それはもうバカップルそのものと言えた。

 なにせ俺が世話焼きで、三浦もそれを認めていて、三浦が認めるってことはカーストトップの許可が下りてるってことで、教室でもいちゃいちゃし放題。

 あんなことがもうないようにと引き戸は俺が開けてるし、体も柔らかい方がいいだろうってことで柔軟体操なども一緒にやって、時間がある時はジョギングとかにも一緒に行ったりしている。

 甘えまくって、どこまでやってくれるか試してみたかったんだろう。歯、磨いてーなんて言ってきた結衣の歯を、実際に磨いたこともある。顔真っ赤にして、あわあわと目を回しているうちに終わらせた。

 それ以来なにかがぷっつり切れてしまったのか、この娘の密着具合がいろいろすごい。あ、でも歯を磨いてとかは言わなくなった。でも密着具合がすごい。

 

「んー……んんー、んー……♪」

 

 鼻歌ではないのだが、なにかを確かめるようにもぞもぞしては、んーと言って、にこー。

 少しすると俺の制服の上着を少し肌蹴させ、シャツにすりすりと頬擦りしてくる。ちなみに座り方はとっくに調整済みだ。

 横座りのような格好で俺を見上げる結衣を、やさしく支えるように手を回す。

 するとその手が片方捕まって、自分の頬へと導き、すりすり。のちに、にこー。

 ……うん、これはまいった。恋人が可愛い。

 しかもこんだけ密着して、柔らかいところとかがふにふにとなれば、こちらも反応してしまうわけで。

 

「ふえ? あれ? ………………あ」

「……不可抗力だ」

 

 お尻に当たる固いアレに気づいたらしい。顔を赤くする結衣だけど、離れようとはしない。

 

「う、ううん……恥ずかしいけど……驚いたけど……えと。ちゃんと、あたし……そういうふうに見られてるんだなーって。ほら、なんてのかな、その。最近、ただ……うー……自分で言っちゃうとアレなんだけど、ただ、可愛いものを愛でてる、みたいな、そんな接し方に思えてたから……それに甘えてたあたしもあたしなんだけど」

 

 だって実際可愛いし、仕方ないだろそれ。え? 愛でちゃだめなの? いいだろ、いいでしょ、はい、いいってことで。

 とりあえず抱き締めた。小さな体が俺の腕の中にすっぽり。

 きゃう、と小さく驚いた彼女だったが、すぐに力を抜いてすりすりしてきた。

 見上げられ、見下ろし、自然と近づき、ちゅ、ちゅ、とキスをする。

 名前の知らない温かさが胸に湧くと、その頭を抱くようにして二度三度。

 次第に密着する時間が増えて、口を開き、舌で唇をつつき、舐め、舌を絡ませ、一層に密着してゆく。

 

「一緒ってあったかいね……」

「……そっか。そうだな。そんなもんで……いいんだな」

 

 名前の解らないものに名前をつけたがるのは男の悪い癖だと思う。

 知らないなら知らないで、“温かいね”でいいのだろう。

 口にしてみればすとんと胸に納得を刻み、またキスをする。

 歯を舐め、歯茎をくすぐり、舌を絡め合わせ、離れる際にもう一度唇だけで吸い合い、橋を作らずに離れる。

 鮮明になった表情はとろんととろけていて、力を抜いて身を委ねているようだ。

 そんな綺麗な顔にキスを降らせていくと、やぅう……と恥ずかしそうに身を捩った。

 お返しとばかりにシャツの下から侵入してきた彼女の手が、俺の体をくすぐると、お返しとばかりに彼女の首に顔を埋める。

 鎖骨のラインを舐めてみれば、ぴくんと跳ねるその姿に興奮した。

 

「ひっきぃ……んぅっ……」

 

 物事は積み重ねとよく言う。

 俺と結衣がこんな風に互いを求めるようになるまで、時間はそれなりにかかった。

 どっちがどう踏み出したから、なんてことはなく、ほぼ同時だったのだ。

 もっとお互いの深いところまで知りたいと。

 唇から離れ、首を甘噛みし、互いに印を残した。

 行為はどんどんとエスカレートしていき、やがて……

 

「……ひっきぃ」

「……ゆい」

 

 結衣の手が俺の手を掴んで、そっと導く。

 今までけっして触れようとはしなかったところ。

 導かれるだけでも抵抗があるくせに、触れたいと強く願うのは男としての本能なのか。

 やがて俺はその二つのふくらみへ手を───

 

 

 

 

   このあとのおはなしはふたりだけのむつみごとなので、ざんねんながらみられないよ!

 

 

 

 

14/青春してみる(あなたの思い描く青春)

 

 青春。それは。

 

「きみが~みた光~♪」

「いやそれ青雲だから」

 

 青春についてを話してみようってことになった。

 どうしてそんなことになったのかは解らん。由比ヶ浜しか知らん。

 

「で? なんだっていきなり青春の話になったんだよ」

「え? だって青春ってさ、“高校生~!”って感じ、しない?」

「……まあ、言いたいことは解る」

「その青春がもう半分以上終わっちゃってるんだよ? “なんか損した気分だ! 青春返せー!”って」

「ほーん……? じゃあたった今からでも青春すりゃいいんじゃねぇの? なに? これからマルガリータして野球部にでも入る? それともサッカー部入って葉山達と国立(笑)目指す?」

「そんなの目指さないってば。もう。女の子の青春っていったら……さ? ほら、あるじゃん? もっとおっきくて大事なのが」

「?」

 

 なにそれ八幡わかんない。

 

「ち、ちなみにさ? ヒッキーはさ、もしそのえとー……け、結婚して、さ? 奥さんとか子供とか出来たら、どんな自分になってると思う?」

「……そうな。とりあえずライバーやめて、子供が“お前の父ちゃんラブライバー”とかからかわれないように努めるわ。道端でガチでそれやられてる子供見た時、さすがに泣きそうになった……」

「え? な、なに? らぶ……?」

「知らなくていい。アレ自分がやられたらと思うと本気で泣ける。熱中するなとは言わねぇけど、時と場所は弁えねぇとだよな……マジで」

「えと……つまり立派なお父さんになりたいってこと……なのかな」

「そだな。がっかりさせない程度には強い夫でいたいよな。専業主夫だろうと立派に子供の舌を唸らせ飽きさせない存在を、俺は目指す」

「あ、専業主夫は無しで」

「なんでだよ……あぁまあ想像でいいならそれもアリなんだろうな」

 

 俺が妻を持った夫だったら。

 子供は何人がいいだろう。ふたり? 双子とかいいんじゃない?

 娘……は、嫁に出す時暴れそうだな俺。

 じゃあ息子……いや、なんか腹立つ。嫁に抱きかかえられてるとかなんか嫉妬しそう。

 ……うわぁ、俺、壊滅的に親に向いてねぇ。

 

「子供は二人。娘がいいな。双子で」

「ふたっ……は、初めてで双子っ……あぅう……だいじょぶかなぁ……」

「由比ヶ浜?」

「ひゃあっ!? ななっ、なんでもないなんでもっ、あはっ、あははは……」

 

 ぱたぱた手を振ったりお団子をくしくしやったりと忙しい。

 しかしこほんとわざとらしく咳ばらいをすると、

 

「と、ところで……さ? お嫁さんにするなら……どんな人? あ、養ってくれるーとかはなし」

「わーってるよ。ん、そだな……まず俺にやさしくて」

「うんうん」

「料理が上手で」

「はぐぅっ……が、がんばろ……うん……」

「綺麗っつーか可愛い感じで」

「《どきっ》……う、うん」

「で、八重歯がキュートで」

「……あれ?」

「アホ毛が生えてる」

「それ小町ちゃんじゃん!」

「あ? だから理想だろ。俺のことよく知ってて、その上で無理矢理にでも離れないなんて今時珍しいだろ」

「…………ここにも、いるのに……《ぽしょり》」

「……? すまん、聞こえなかった、もっかい言ってくれ」

「え、あ、なななんでもない! もうっ、ほんっとヒッキーは……!」

 

 ……ふむ。

 俺、このパターンってあまり好きじゃないんだよな。

 きちんと聞こうとしてるのに、なんでもないって言われて怒る。

 これってラノベとかでもよくあるが、相手悪くないだろ。なにせちゃんと聞く耳を持とうとしている。

 聞き洩らしてしまったから聞きたいのに、相手はそれを誤魔化して、なのに聞かなかった相手が悪いってことになる。

 他の会話にしたって、相手が恥ずかしがってきちんと話さないのが悪いってのに、赤くなって逃げ出しておいて、あとでどーのこーのと文句をつけて殴りかかるラノベとかよくあるよな。

 ISとか特に。あれ、いつか一夏くん死ぬんじゃなかろうか。

 なんか言ったか、と訊かれたなら耳に届いて、意味が染み込むまで意地でも話してやりゃいいのにな。それさえせずに“よし殺そう”とかもうヤバいだろ。

 

「……あ、の……ヒッキー、怒った……?」

「聞かれたくない言葉ならそもそも口にするなとは言いたいな。気にするなってんならそれでいい。お前は、それでいいんだよな?」

「え……あ、の……それは……」

「いや、なんでそこで詰まるんだよ。お前がここでそれでいいって言やぁ、それに関連するなんもかんもに俺が口を出すこととか無くなるんだから、頷いときゃいーだろ」

「なんもかんもに……え───や、やだ!」

「ホワイ!?」

 

 今まさにナンデ!? なんで詰まるどころか今度は完全拒否!?

 

「や、お前、なんでもないって言っただろ……聞く耳持った相手を“ほんとヒッキーは”とまで言って」

「だ、だって……でも……だけど…………!」

「はぁ、もういいよ、言い方が悪かった。もう口出さねぇから、ぼっちはぼっちらしく黙ってるから、由比ヶ浜。お前ももう気にすんな。ほれ、これで終わりな」

「───!!」

 

 これで終わり。

 その言葉に、由比ヶ浜が異常ともとれるほどショックを受けた。

 顔を見れば解るほど、その動揺がこっちにまで伝わるほど。

 え、ちょ……やだなにその反応。俺べつに間違ったことやってないよな?

 え、えー……? すごく当たり前の反応したと思うんだが……?

 

「さて、んじゃあ小説の続きを《クンッ》……あの、なに?」

「………」

 

 いざ小説をと思ったら袖を引っ張られた。

 馬鹿な……あの距離をこの一瞬で……! などと馬鹿やってないで。……いったい何事なのか。

 

「話すから……」

「ん?」

「話すから……これで終わり、とか……言わないでよ……」

「いや、だって───ああいや、これこそ野暮だな。わかった、聞く……じゃないな、聞かせてくれ」

「う、うん……」

 

 ここで“だってお前、なんでもないって言ったじゃん”とか話を蒸し返すのは外道の所業だ。自分がやられて腹立つことは出来るだけやらない。

 あと“わかった、聞く”とか何様だ。落ち着けよ俺、COOLになれ。

 

「………」

「………」

「………」

「………」

 

 ……。

 うん。

 …………あれー?

 それで、いつになったら話してくれるんでしょう。

 たしかにそもそも聞いてほしくなかった言葉だから濁したんだろうが、……ああやばい、これそもそも俺が聞こえなかったフリしてりゃあなんの問題にもならなかった。むしろ謝りたくなってきた。

 じゃあそれを伝えて終わり───というわけにはいかないらしい。

 今ようやく俯かせていた顔を持ち上げた由比ヶ浜が、真っ直ぐに俺の目を見たからだ。

 

「ヒッキー……あたし、これから青春する。たぶん、これ以上はいらないっていう、叶ったら泣いちゃうくらいの青春だ」

「青春? それって───」

 

 その話、まだ続いてたのか。

 暢気にそんなことを考える俺に対し、由比ヶ浜は真剣な眼差しで俺を見つめていた。

 だから自然と俺も背筋を伸ばして、真っ直ぐに由比ヶ浜を見た。

 

「あたしね、あたしとゆきのんとヒッキー……3人でいるこの奉仕部が好き」

「……お、おう」

「あたし、ずっと……ずうっと、誰かが踏み出しちゃえば、そんな関係は崩れちゃうんだろなって思ってた。だって……あたしが思った通りの関係がここにあるなら、それって……続けていくのがすっごく辛いと思う。あたしじゃ、きっと泣いちゃうから」

「由比ヶ浜……?」

「決めるのはきっとヒッキーで、でも……ヒッキーもきっとあたしと同じなんだ。壊しちゃうくらいなら、選ばないことを選ぶ。その時が来て、選ばなかったことをヒッキーだけの所為にして、あたしもゆきのんも泣いちゃうんだ」

「おい、いったいなんの話を───」

「…………ほんとに、わかんない?」

「っ───」

 

 ドッ、と。

 心臓が、跳ねた。

 今までいつも通りだった景色が途端に色を変えてしまったような、“今まで通り”が不意に重くのしかかるような、そんな気持ち悪さに襲われる。

 

「ずるい子だって、自分を悪者にしてなにかを解消するのは楽だよね。ただのお礼って言って、自分の気持ちを無しにしちゃうのだって、あとでたくさん泣くだけで解決するんだ」

「………」

「でも───選んでほしい。あたしかゆきのんか、いろはちゃんや……他の誰か。女の子に興味がないっていうなら、仕方ないのかもしんないけど……それでもきっと振り向かせるから。今は───」

「由比ヶ浜、俺は───」

「言ったよね、自分から行くんだって。だから。───比企谷八幡くん。あたし、由比ヶ浜結衣は……あなたのことが、ずっとずっと好きでした。そして、今も……前より、もっと好きです。……あたしと、付き合ってください。あたしの……彼氏になってください」

「───」

 

 ずどんと来た。

 そりゃそうだ、真っ直ぐな言葉だった。

 疑う余地もない、本当に、その想いを大事にしているって表情で……幸せそうな顔で、告白してくれたのだ。

 

「………」

 

 その言葉を受け取り、目を閉じて考えてみる。

 俺達の始まりは、そもそも犬を助けたあの日から。

 雪ノ下にしたって由比ヶ浜にしたってそうだ。

 きっかけはそこにあり、繋がりもまたそこから。

 いろんなことがあった。

 くだらないことから難しくも面倒くさいことまで。

 作りたくもない人との繋がりが次第に出来ていくことに歯噛みし、馴れ馴れしい知り合いが増えていくと、鬱陶しいとさえ思ったものだ。

 なのに───

 

「………」

 

 目の前の彼女は、ずっとそこに居た。

 再会は最低。

 お礼をしたい相手にこそビッチだの殺すぞだの言われ、作ったものを不味いと言われて。

 なのにそれでも自分なりに頑張った。

 俺はどうだろう。

 人からのやさしさなど要らないものと断じて、やさしい人は嫌いと意識して、時に泣かせ、時に傷つけ、時に……

 

(なのに、なんで───)

 

 傷つけられても、泣いても、それでも好きだと言ってくれた。こんな、これが自分の大切な想いですって顔で。

 

「───《とくんっ》」

 

 応えたい。

 こんな幸せそうな表情で自分との関係を伝えてくれるこいつに、俺が与えられるのであれば、彼女が喜んでくれる全てを。

 でも、じゃあどうしたらいい。

 与えたいからじゃあ恋人にっていうのは違うと思う。

 そもそもまだ俺の中で気持ちが固まっていない。

 人を好きになった自分が好きって誤解してた中学の頃とは違って、気持ちが追いついてくれていない。

 けど。このまま何も伝えず帰らせたくない。傍に居てほしい。もっと欲を言えば、俺は───

 

「───……」

 

 ……なんだ。答え、出てるじゃねぇの。

 

「由比ヶ浜」

「《びくっ》はっ……はいっ……」

 

 言葉を返そう。

 きっとどん引きだろうが、それでも沸いた思いは本物だ。

 

「正直、まだ好きかどうかってのは解らない。いきなりだったってのもあるが、それ以上に気持ちが追いついてない」

「う、うん……そっ……そだよね、あははっ……あー……あたし───」

「けどだ。待て、待ってくれ。……その。お前が別の誰かのところに行くとか、考えたくねぇ。傍に居てほしいし、居てくれるなら笑顔で居てほしい。……今、物凄く自覚してて恥ずかしいし頭が痛いんだけどな。どうにも俺、嫉妬深いらしい」

「うん知ってる。小町ちゃんのことで」

「……返す言葉が見つからねぇ」

「でもその……えと。ヒッキー?」

「おう」

「それって……あたしに傍に居てほしいって……そのままの意味でいいんだよね?」

「……すまん。本当に、好きかどうかは解ってないんだ。中学の時に持った、妙な感覚はある。似たようななにかではあるんだけどな。結局それを恋心だと思って突っ走って、全部失敗して言い触らされた。この妙な感情がある限り、踏み込むなんて出来ねぇんだろうけど───」

「けど……?」

 

 困ったことに。

 ああ、実に困ったことにだ。

 

「お前と青春、してみたいって思っちまった。青臭い? 結構じゃねぇか。だから、ひとつお願いがある。たぶん、お前にしか出来ない。つか、してほしくない」

「あたしにしか……ヒッキーに……う、うんっ! 言って!? 頑張るからっ!」

「ああ、頼む。……その。俺に、好きとか恋ってのを……教えてほしい。俺の中で由比ヶ浜結衣って存在は相当デカくなってるんだ。それは確かなんだ。もう傷つけたくねぇし、泣かせるなんてごめんだ。大事だって思うし傍に居てほしいって思う。けど、俺には散々馬鹿やって失敗した経験があって…………もう、どんなのが恋なのか、なんて解らねぇんだ」

「ヒッキー……」

「だから……頼む」

 

 俺を見ては顔を赤くしていたこいつだ。

 きっと、恋って感情には強いのだと勝手に信じた。

 だからどうか、俺をそんな感情が解る場所まで───

 

「やり方は任せてくれるの?」

「お、おう。全部任せる。お前が真っ直ぐに打ち明けてくれたなら、俺ももう捻くれがどうとかいつまでも馬鹿やってらんねぇだろ。好きなようにやっちまってくれぃ」

 

 どんと構えて真っ直ぐに見る。

 と、由比ヶ浜がふっ……と笑って、俺の膝に手を置いてくる。

 

「お、おい、由比ヶ浜?」

「じゃあ……教えたげる。あたしが毎日、ヒッキーを見てどんだけどきどきしてるか」

「え───」

 

 手はそのまま。

 顎をクイ、と持ち上げた由比ヶ浜が、俺の戸惑いなんざ完っ璧に無視して、俺の唇に自分の唇を押し付けた。

 

「………………」

 

 音にするなら、ぐっぼぉんって感じだろう。

 顔が沸騰するってくらい熱くなるのを感じて、なのに由比ヶ浜は離れず、いわゆるキスを続けた。

 息を止めてしまい、息苦しくなって、思わず膝に立てられた由比ヶ浜の腕を掴んでしまう。ぴくり、と反応するも、由比ヶ浜はそのままキスを続けた。

 

  嫌なら押しのければいいじゃねぇか

 

 心の奥底の冷静な自分がそう言う。

 押しのける? 俺が?

 ……そうか、押しのければいいのか。そうすれば息が吸える。自由になる。

 だったらそうすればいい。なんの心配もない。

 

  手に力が籠る。

 

 グイと押せば、由比ヶ浜は抵抗もなく離れてくれるだろう。

 そうして、俺は───

 

「───」

 

 押しのけるどころか。

 膝に立てた腕から手を離し、肩を抱き、引き寄せた。

 

「ヒッ……ぷあっ!?」

 

 頭が焼ける。ちりちりする。

 恥ずかしさとかじゃない、興奮からくる熱だろう。

 我慢なんて言葉が思い浮かばない。他の言葉も。

 ただ、酷く醜い感情が沸き出してくる。

 こいつは俺のものだ、もっと傍に、そして、そして───

 

「…………」

 

 ……そして。笑っていてほしい。

 

「………」

 

 荒ぶっていた感情が一気に落ち着いた。

 次いで、温かななにかが胸に満ちてゆく。

 強くキツく抱き締めていた肩からも力を抜き、やさしく、撫でるようにしてキスを続ける。

 息継ぎのために離れてしまうには惜しくて、ずっと繋がっていたくて、舌を使って密着し、開いた口から息をする。

 由比ヶ浜の体が震えたが、お前からしてきたんだからと言い訳を作ってしまえば、引く理由なんてなく。

 俺達はお互い、満足するまで密着し合い、キスし合い、その距離にこそ安心するように、お互いを求めていった。

 

  ……脳が焼ける。

 

 ジリジリと頭の奥が熱を持って、息も荒くなり、それでも離れず、お互いを求める。

 舌と舌がこすれ合うと、痺れるような気持ちよさが全身を駆け巡り、やがて脳に溜まり、それが熱となってグラグラと煮えたぎっているような感覚。

 もっと近くに、もっと傍に。

 キスだけじゃ足りなくて、もどかしくて、由比ヶ浜が膝の上に乗り、強く強く抱き着いてくる。

 俺も由比ヶ浜を膝に乗せながら背に腕を回して思い切り抱き締め、口を斜めに密着させながら舌を舐め、時に吸い、蹂躙する。

 興奮で頭が馬鹿になり、やがて痺れるような感覚が頭の奥に溜まりきった頃、俺達はなにを言っているのかもわからない悲鳴をあげ、唇を離し、ただただお互いを強く抱き締め合った。

 弾け、震える体を手繰り寄せ、がたがたと痙攣を繰り返し、強張る体をそのままに互いを抱き、泣きそうになるほどのなにかを互いを抱き締めることで落ち着かせてゆく。

 

「……、~~~…………んぁああぅう……!! ひっきぃ、ひっきぃい……!」

 

 口を開けばかちかちと顎が震え、歯がぶつかり合って。

 それほど震えているのに、腕はあくまで互いを離さない。

 なにが起こったのかも理解しようとしない震える頭で、それでも互いだけは離したくないと動き、探り、またキスをする。

 今度はお互いを慈しむような、やさしく、つつくようなキス。

 ちゅ、ちゅ、とついばむように動いては、頭から体に降りてきた痺れを逃がすように。

 涙も流し、口も唾液でべとべと。

 それでもそんなことさえ気にならないくらいに相手のことしか考えられず、二人でそうして、しばらく抱き合っていた。

 

……。

 

 完全下校時刻のチャイムでようやく抱擁を解いた俺達は、けれどそのまま離れるのが名残惜しいどころか嫌で、手は繋いだままだった。

 随分冷静に思考が回るようになっても、体が、心が、離れたくないと思ってしまっている。

 まいった、自分にこんな感情があるだなんて知らなかった。

 幼稚な独占欲とは違う、相手のことを強く意識して、幸せにしたいと自然に想えるような、そんな───……

 

(……ああ、うん。これ無理だわ)

 

 たぶんこれが恋ってもの。

 気づいた時にはもう遅い。

 気づけばとっくに好きすぎて、もう意地でも幸せにしてやりたくなっていた。

 傍に居てほしくて、傍に居たくて、離れたくなくて、離したくなくて。

 

(まじか……うわー……まじかぁ……!)

 

 そんな感情は我が儘なガキっぽい野郎だけの感情だと思っていたのに、まさか自分がこんな有様とは。

 しかも女の子からキスされなきゃ自覚出来なかったとか、どんだけヘタレなの俺。

 

「………」

 

 由比ヶ浜は、選ぶのは俺だって言った。

 けど、改めて振り返ってみても、俺が雪ノ下を、とかそういう未来は描けない。

 そもそもあいつが俺を見る目はそういうのではなく、俺もまた───そういうものに近かった。

 時に憧れ、時に勝手に落胆し、時に……頼られている、と感じて。

 けれどあいつのそれは頼るとしても、自分で道を決めるのを恐れただけだろう。

 自分では正解にたどり着けない、自分に持ってないものを持っている誰かが羨ましい、だから選ぶことをやめた。

 結果として甘え、頼っているように見えるアレは、愛だ恋だなんてものよりも程遠い、男が誤解すれば残酷なものにしか至らない感情になった。

 あれは、そういうものでは断じてない。

 だから、手を伸ばせばいつかは……いや、伸ばし方を間違えた時点で壊れてしまうから。

 

「………」

 

 選ぶことはするのだろう。

 由比ヶ浜も雪ノ下も、そもそも手の伸ばし方からしてまちがっていた。

 だから、俺が選ぶのは手の伸ばし方のみであり、雪ノ下の手を握るのは……由比ヶ浜の役目だ。俺じゃあない。

 俺が伸ばすとしたら、そのあとなのだろうから。

 

「……帰るか。いつまでもここに居てもしょうがないだろ」

「……ひっきぃ……」

 

 ぎゅう、と……手を繋いだまま、俺の腕に抱き着いてくる。

 そんな由比ヶ浜の頭をさらりと撫でて、自分でも驚くくらい穏やかに笑ってみせる。

 

「あー、あと、あれだ。えぇと…………好きとか恋ってのの気持ち、自覚出来たわ。だから、その……だな。今さらなのかもだけどな。えっとだな」

 

 やたらと“な”を連発してしまい、恥ずかしさを噛みしめつつ、それでも伝える。

 由比ヶ浜は、ぎうー……! と俺の腕を期待の分だけ強く抱き締め、そのままの格好で俺を見上げてきている。ちくしょう可愛いなこんにゃろめ。

 

「お前が好きだ。その……俺と付き合ってほ」

「うんっ!」

「いや……最後まで言わせなさいよちょ」

「ひっきぃ! ひっきー! んんんぅう~~~……ひっきぃーーーっ!」

「っ……て、だから」

 

 笑顔がこぼれた。腕を離して胸に抱き着いてきた小さな体を受け止めて、背に手を回し、遠慮もなしに強く抱く。

 ぐりぐりと胸にこすりつけられる顔の感触がくすぐったくて、けれど離したくないから、頭と背に手を添えるようにして抱き締めた。

 

  ……こうして、俺と由比ヶ浜はいわゆる恋人関係になった。

 

 翌日に、勇気を以てそのことを雪ノ下に話した由比ヶ浜は、雪ノ下に笑われた。

 結構ショックを受けていたが……まあ、そりゃそうだろ、いけて精々友人だ。その友人にだって、恐らくは依頼達成度の勝負で勝って、ようやく“有り得ない”から“なってあげてもいいわ”くらいになる程度なんだろうし。

 あーほら、そのー……あれだ。オタリアの長谷川翠?

 

「? なにかしら」

 

 ……なんか、こいつを目の前にしてそれを考えること自体、間違ってる気がする。

 オタリアってば上手くいきすぎでしょ。

 

「まあ、これでそこのゾンビが真っ当に生きてくれるのなら、それは大変喜ばしいことね。これであなたを更生するという平塚先生の依頼も終わりかしら」

「いろいろ引っかかるが、一応そうなるのかね」

「え? それが終わったらどうなるの?」

「俺が奉仕部に居る理由がほぼ無くなる」

「ひっきぃ……」

「《ぎゅうう……!》いや理由なんていっぱいあるなむしろ続けるべきだろべきだなべきしかないまである」

「あら。それを良しとするのは部長の私であってあなたではないわよ、比企谷くん」

「お前たまには空気読まない? この流れでダメとか鬼かよお前……」

「鬼っ……!? ~~……確かに空気を読めなかったことは何度かあったかもしれないけれど、あなたにそこまで言われる筋合いは……!」

「人を散々妙なあだ名で呼びつつ罵倒文句並べといて、それ本気か……?」

「ぐっ…………そ、そうね。たしかに、それは…………はぁ。そもそも入部はしているのだから、退部するにしても平塚先生の許可が必要だし、どうせ平塚先生は今さらあなたの退部なんて認めないでしょう?」

 

 入部の仕方がアレだったもんなぁ……。

 いつ思い返しても横暴すぎる先生である。

 

「こほんっ! ところで、その……比企谷くん? 由比ヶ浜さん? あなたたち、いくらなんでもその……近すぎではないかしら。さすがに目に余るのだけれど」

「あぅ……」

「まあ、そうだよな……。ほれ、由比ヶ浜、少し離れよう」

「うー……うん……」

 

 ……かしょん。

 椅子がハンバーガー4個分くらい離れた。I'm lovin' it.!

 直後に雪ノ下の溜め息。まあ、解る。

 しかし俺も離れたくないと思ってしまっているあたり、なんとか妥協案が欲しいところで───

 

「なぁ雪ノ下、目に余るんだよな?」

「え? え、えぇ……そう、だけれど」

「じゃあこうしよう」

 

 かしょんかしょんと椅子を運び、着席。

 雪ノ下を真ん中に、俺と由比ヶ浜がその左右に。

 

「……まあ、これなら……」

 

 言って、小説を読み始める雪ノ下だが───

 

「…………《ちら?》」

「…………《ちら? そわそわ……》」

「…………《ぺらり》」

「………《そわそわ》」

「………《ちらちら……ちら? ちらちら……》」

「いい加減にして頂戴」

 

 5分もしないでギブアップだった。

 

「おいおい部長、もうちょっと頑張れよ……」

「こんな時ばかり部長呼ばわりはしないでもらえるかしら……!」

「だ、だめならしょうがないよねっ? じゃあ、じゃあっ、ひっきー、ここ、ここっ」

 

 眩しく無邪気な笑顔で、由比ヶ浜が自分の隣の空間をほらほらと促してくる。ああもう可愛いなちくしょう。

 その隣で、はぁ……と溜め息を吐く雪ノ下の顔には、諦めという文字が大きく描かれているようだった。

 

「あなたたち……それだけ近くて、なぜ未だに苗字呼びなのかしら……」

「いや、だって、部室でそこまでいちゃついたらさすがにお前が嫌だろ……」

「気の使い方が壊滅的に間違っているわ。むしろもう呼んでいるのならそうしなさい……!」

 

 なんだか怒られてしまった。

 ちらりと由比ヶ浜───結衣を見れば、期待に胸を膨らませてにっこにこ笑顔だ。

 

「じゃあ……結衣」

「ひっきー……」

「結衣……」

「ひっきぃ……」

「……おうちかえりたい」

 

 雪ノ下の呟きに悪いとは思いつつ、二人でくっつき、じゃれ合った。

 雪ノ下曰く、ずっとそうしていればいずれ飽きるでしょう、とのこと。

 依頼者からのノックがあれば当然離れたが、それ以外は大体くっついていた。

 

 

 

 ……え? 結局飽きる日が来たのかって?

 

 喫茶店構えて経営して、子供が出来た今でもいちゃいちゃ状態ですが?

 

 これはそんな、とある青春の物語である。

 

 

 

15/自由枠(むしろ最初からこれ書いておけばよかったのでは)

 

 がらぁっ!

 

「だっ……! だからさぁ! いやほんと! マジお願いってばさぁヒキタニさぁん!!」

「そうか帰れ」

 

 がらガシィッ!!

 

「今回は俺もマジだからっ……! すぐ閉めるとかさせねぇっしょぉお……!!」

「こ、こんにゃろっ……! 由比ヶ浜っ! 手伝ってくれ! どうせまた面倒な依頼だ!」

「え、で、でもさヒッキー、話くらい聞いたげても……」

「結衣! お願いだ! お前を頼らせてくれ!」

「わかった任せてヒッキー!」

「ちょぉっ!? 結衣!? そりゃねぇっしょー!!《ゴシャーン!!》つぶつぶーーーっ!?《コキコキ……♪》」

 

 由比ヶ浜と一緒に閉めた引き戸にゴシャーンと顔を挟んだ戸部が、妙な音を立てつつどしゃあと倒れ込んできた。

 てか、つぶつぶーってなんだよ。

 

「あの……まじ話だけでも……。ほんと困ってんだわ俺ってばさぁ……」

「平塚先生にでも言ってくれ。手に余る」

「まだなにも言ってないのにひどくねっ!?」

「あー、あととべっち、あたしのこと名前で呼ぶの、もうやめてね? みんなが呼んでるならってヒッキーが呼びやすくなってくれたらなって思ってたけど、呼んでくれたから」

「お、おー……それで話聞いてくれんならばっちこいだべ」

「ん、じゃああたしは聞く」

「……入られたんじゃもう聞くしかねぇか。で? どしたのお前」

「あぁ……それがさー……」

 

 それから戸部は話した。

 なにやら相模の友人ぽい女子に急に告白され、どうしようか迷っていると。

 

「いやほらさぁ、俺ー……奉仕部とかさー、俺の依頼でいろいろあったべ? だってのに海老名さんがダメだから他に、とか……いいんかなー……って。今思えばヒキタニくんのあの告白って、あれ……ああいう意味だったんだろ? なんか俺今さら罪悪感ひどくって……」

「そうかじゃあ帰れ」

「いやこれで帰れってひどくね!? 確かに聞くだけとは言ったけどひどくね!?」

「ごほんっ。……そうね。それはあなたの考え次第でしょう? 結局またあなたが告白するか否かの問題に奉仕部を巻き込むというのなら、こちらにも考えがあるわ」

「そうだよとべっち。告白するのに誰かの手を借りるとか巻き込むとか、ダメ。もうグループの問題でもないんだから、ちゃんと自分で答え、出さなきゃ。あとヒッキー、ゆきのんの真似やめて、キモい」

 

 言いつつ、さっきから俺の隣に座った由比ヶ浜が俺の袖をくいくい引っ張りまくってくる。

 名前呼びと、頼られたのが殊の外嬉しかったらしい。やだやめて、くすぐったくて仕方ない。

 あとキモくないからね? べつにキモくなかったよね? …………キモいか。

 

「そっかー……まあ、これは奉仕部に言われたらしゃーないわなぁ……。おしっ、んじゃあいっちょやってみるべ! 海老名さんのこと好きだし、やっぱ愛は一途っしょぉ! お互いがんばっしょ、ヒキタニくん!」

「あ? なんで俺───」

「だってさっき、由比ヶ浜のこと名前で呼んでたべ? つまりそういう関係っしょ?」

「へっ!? あ、いやあれは《クイィイ……!》…………ああそうだよそういう関係だよ」

 

 袖、めっちゃ引っ張られてる。やめて伸びちゃう千切れちゃう。

 

「おーし! んじゃあ俺これからいろいろ片づけてくるわー! 邪魔してごめんなー!」

 

 そうして、戸部は元気に去っていった。

 のちに、戸部をめぐっての相模グループと葉山グループの熱い抗争が始まったり始まらなかったりなんだが、俺には関係ないのでスルー。

 俺はといえば、由比ヶ浜を頼って以来、やたらと由比ヶ浜が踏み込んでくるようになり、やがてその勢いに負ける形で付き合うことになり、今では完全に心まで溶かされている。

 いや……だってやばいんですよこのお団子さん。

 キモいとか言ってた時代が懐かしいってくらい尽くしてくれて、なんか返してやりたいと思って行動すれば、それにまで全力で尽くしてくれて。

 溶かされるなってのが無理だろこれ……なんかもう好きすぎて、可愛すぎでやばい。

 そうしてお互いがお互いに尽くす関係に到り、現在……自他ともに認めるバカップルをやっている。

 

 あ、ちなみに戸部は相も変わらず海老名さんを追っかけ、そんな戸部を女子Aがおっかけ、を続けているらしい。

 結婚式にまで追っかけて来た時は悲鳴が漏れかけた。

 さっさと決着つけてあげて、戸部。

 

「いやぁ! 俺ちゃんと断ってるんだぜー!? っべーとかふざける暇もなく真面目に! むしろ助けてくださいヒキタニさん!」

「人の結婚式に問題持ち込むなって言ってるんだよ……頼む、マジで」

「あー……それなー、それほんとごめんなー……」

「やー、でもヒッキー? とべっちだって悪気があったわけじゃ───」

「ちなみに結婚式に問題を持ち込まれた新郎新婦が喧嘩別れする確率って、割と高いらしいぞ」

「とべっちひどい!」

「ほんとごめん!!」

 

 実際、ほんとに高いらしいから笑えない。

 こっちに直接関係ないからって、相手の友人のトラブルを持ち込んだーとか親が言いだせば、その時点でもう問題なのだ。

 幸い、女子Aはすぐに捕らえられたし、それで終わらせるほどお互いの両親が冷めた性格してなかった。

 結婚式は大いに盛り上がり、俺と結衣は今日も青春の先を幸せなままに歩いている。

 



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クロスボッチャー
孤独者のSAO①


ワンクッション。クロス注意です。
といっても他者様の作品キャラが少々出てくるとか、内容はSAOなのに、SAOキャラはほぼ出てきませんとか、そんな程度ですが。
SAOは特にクロスの意味ねぇ! ってくらいですが、だってぼっちの物語ですもの。
そんなSSを書いてみたかったの……。
あ、三話で終わります。


 たとえばだ。

 たとえば、急に自分が立っていた場所とは違う世界に飛ばされたら、どうする?

 しかもそこは現実世界じゃなくて、現実によく似た仮想世界だったら。

 さらに、その世界のボスっぽいヤツに死んだらほんとに死ぬと言われたら。

 まず最初の質問だが、違う世界に飛ばされたら受け入れる。そうしなきゃどうにもならんからだ。騒いで帰れるならそうするが、現実はそうじゃない。これに限らず、多くの場合の現実ってのは人を裏切るもんだ。

 二つ目の質問に自答しよう。飛ばされた世界が仮想世界だったら、べつにどうもせん。べつに異世界に飛ばされたのとなんも変わらんし。ただ、なんか知らんが顔がやたら整ってたり目の腐りが無くなってたから、まあそれはそれでいいんじゃあねぇの? あ? 手鏡? ボスっぽいやつの贈り物を手に取るとか、知らないおじさんからものをもらっちゃいけないって習わなかったの? 周囲が覗き込んで叫ぶ中、ずっとこのままだったわ。だから目は腐ってない。いわゆる“ゲームキャラの顔”のままだ。ていうかこれ、目が腐ってなくて髪型も整ってるだけで、普通に俺じゃないのん?

 さて三つ目。この世界のボスっぽいやつ、茅場とか言ったか? が、ここで死ねば現実でも死ぬと言った。……いや、うん。ゲームがどうとか以前にそのままここに飛ばされたから、死ねば死ぬって意識しかもってねぇよ。どうしろっての。

 というわけで、こうして命を懸けた……いや、べつに普通の話だが、命を懸けたゲームが開始した。

 ゲームをクリアしなければ戻れないっていうのなら、クリアすれば帰れるのだろう。

 ようするにクリアしろってことで。

 

「……まいったな」

 

 心が現実に追いつききれてないのだろう。後から考えればアホなこと考えてたと断言できるわけだが───俺には帰らなきゃいけない理由がある。

 紆余曲折あって、とある女性に心からおとされ、彼女をデートに誘って、そこで告白するつもりだったのだが───ああそうだよ、待ち合わせ場所に向かう途中でこんなことになったんだ。恨むぞ、茅場とかいうヤツ。

 人の一大決心を踏みにじりやがって───!

 

 

───……。

 

 

 威勢良くいけたのなんて、町から出るまでだった。

 厳密に言えば出て、モンスターと出会うまで、か。

 猪型のモンスターと早速遭遇、なにはなくとも回復アイテムと道具屋でアイテムを購入、初期装備のままでフィールドへと出た俺は、最初のモンスターの体当たりを受け、HPゲージがジリジリ減る様を見て初めて、こんなちっぽけなゲージとゲームエフェクトに自分の命が懸かっていることを認識した。

 そうなれば人はどうなるか? 怯えて引きこもるか、相手を完全な敵と判断、駆除するのみ。

 ……俺の場合は後者だった。

 気づけばボシュッとポリゴン片になった猪……フレンジーボアを見送り、恐怖と興奮のあまり肩で息をする自分。

 短剣の熟練度が上がるのを確認、取得した経験値や金を見て、やれないことはないのだという気持ちと、絶対に死ねないという強い意志が浮かび上がる。

 普段の俺からなら到底考えられない前向きな思考。

 だがハッキリ言おう。

 誰とも知らん大多数に任せてクリアなんて待てやしない。

 みんななんぞ知らん。

 自分が帰りたいと願うのなら、自分で進むのがエリートぼっちというものだ。

 

「待ってろよ、由比ヶ浜……!」

 

 なんの連絡もなければきっとずっと待っているであろう相手を想い、俺は駆けだした。……町へ。

 いや、だって結構ダメージ受けたし。まずは回復しなきゃでしょ。

 絶対に死ねないなら当たり前だ。

 

 

 

    ×  ×  ×

 

 

 

 フレンジーボアをよーく観察し、攻撃の初動、パターンなどを分析、確実に仕留め、余裕になるまで戦闘熟練度を頭と体に叩き込んだ。

 この世界でいかに自分が数値化されていようが、敵がどれだけ自由に動こうが、そこには当然生物や創造物としてのパターンがある。

 怒ればどう動くのかなどを当然のように分析して、まずはモンスターとしての、そして種族としての行動分析を開始。

 経験も積んでゆき、昼になろうが夜になろうがそれを続け、夜間戦闘の経験も積み続けた。

 攻撃も喰らわなくなったから回復アイテムを買う必要もなかったし、溜まった金で防具も買って、とにかく死なないための地盤作りは続いた。

 ものを攻撃する時に躊躇しないよう。

 攻撃を喰らう際に目を閉じぬよう。

 意識を平和な自分から鋭い自分へと沈める覚悟で、それを何度も繰り返した。

 誰々が死んだ、なんて言葉も右から左。

 ぼっちがぼっちらしくあるため、ただ独りで自身の強化に努めた。

 

  そうこうして一か月。

 

 ボス部屋を発見したとかで、その討伐隊が編成されるらしい。

 一応行ってみたんだが、サボテンみたいな頭の男がギャーギャー騒いでやかましかったって印象しか残らなかったよ。なんなのあいつ、あれならまだ音に反応して踊る花のオモチャのアレのほうが人を和やかにするよ。

 で、ぼっち殺しの、みんな大好き“パーティーを組んでみよう!”の掛け声で、早速俺の心は死んだ。とんだトラウマティックショットだ。もちろん俺は六人パーティーから見事にあぶれ、安定のぼっちである。

 しかし実力がないわけじゃないから参加しないわけにもいかない。むしろさっさと次の階に行きたい。ここらじゃもう経験の足しにならん。

 そうして迷宮へと躍り出て、順調に進み、なんの問題もなくボス部屋へ至り……戦闘は始まり、単独で動き自由にザコを倒しながら、ボスの行動を観察する。

 武器は斧……だが、腰にデカい剣を装備してる。

 あら? なんかタルワールがどうとか言ってなかったか?

 あ、これ言っておかないとヤバいやつや。けどぼっちの俺がどうやって───っと、丁度いいところになんか黒くてデカい外人さんが……って、あれ? ちょっと? ハードル高くない? いきなり外国人さんに話しかけろって、ぼっちに対してレベル高すぎない?

 

「にゃっ……なぁあんた!」

 

 噛んだ死にたいなにやってんの俺ェェェェ!!

 

「おう! なんだ!」

 

 あ、でもなんか乱戦中なのに聞く姿勢取ってくれた。いい人かも。

 

「敵が腰につけてる武器! 情報と違わないか!?」

「なんだと!? ……おいおいありゃあなんの冗談だ……! タルワールなんかじゃねぇじゃねぇか……!」

 

 黒い人はその後、大声でリーダー……ディアベルとかいったっけ? に呼びかけ、情報との違いを説明、敵の様子を見つつの攻防は続き、しかしそれが全体の一層の防御に繋がり、それぞれが互いの命を守り、ボスと戦うという経験を積んでいった。

 ……相変わらず俺はぼっちだったが。ちょっとそこのタンクさん? 今明らかに俺への攻撃のガード、忘れてたよね? 俺今べつにステルスヒッキーしてないよ? ねぇちょっと?

 そんなツッコミどころを何度も味わいながらも戦闘は続き、武器をスイッチしたボスの攻撃もきっちり捌き、総攻撃が開始される。

 途中、ディアベルが全員に下がれと命令したが、やべ、俺もう投擲しちゃったよ。

 そう思った時にはゾグシャアと投擲武器が兜を縫ったコボルドロードの目に突き刺さり、雄たけびを上げたコボルドロードがポリゴン片と化した。

 

「………」

 

 うわ、なにこのやっちゃった感。

 ディアベルが俺を呆然と見つめる中、しかし周囲は初めてのボス討伐に一気に盛り上がり、傍のヤツと拳を合わせたり抱き合ったり燥ぎ合ったりで大忙しだ。

 あー……まあその、なに? べつに俺、指示とかされなかったしパーティー組んでたわけでもねぇし、なにか言われる筋合いとかないんじゃね?

 なので“みんな”が騒ぐ中、一人でさっさと次を目指した。経験値と、ラストアタックボーナス……LA入手の文字に少し胸をワクワクさせながら。

 途端、ピピンッて聞き慣れない音と一緒に勝手にパネルが開き、ユニークスキルとやらの習得を報せた。

 …………。なにこれ。

 

 

 

  ×  ×  ×

 

 

 

 ユニークスキルの名前は孤独者だった。あらユニーク! って喧嘩売ってんのかこの仮想世界。いやカヤ、カヤ……カヤなんとかさん。

 いやまあ自他ともに認めるエリートぼっちの八幡さんですから? 孤独者とかゲームに認められたってべつに事実なだけですし?

 ……ナイテナイヨ?

 

「なになに……?」

 

 孤独者。

 一人でPT分の経験値を一気に得ることが出来る。

 孤独で居る限り経験値6倍。仲間を得るごとに5倍4倍と減ってゆく。

 最大LVが600に変更。熟練度の最大値も6倍状態に。

 レベルがカンストしても仲間を入れれば500に制限されるので注意。

 

「………」

 

 世界にぼっちと認められた男は、どうやら個人として最強になれるらしい。

 じゃあ、もう、なんというか……レベリング、開始しちゃう?

 溜め息ひとつ、入手したLAとやらをタップして装備しようと───なになに? コートオブミッドナイト? やだ、なんか後頭部がミッドナイトみたいな名前。

 でもなんか装備者のレベルに応じて成長するみたいだし、装備しておいて損は無いか。

 これはいいものを手に入れた。

 

  そんなわけで、ほぼ休まずのレベリングは続いた。

 

 朝から晩まで敵を探しては砕き、レベルが物凄い勢いで上がるのを見送り、武器耐久度が減ってきたら、他に使う宛もない金で修理してもらって、レベルが上がりづらくなれば転移結晶を片手にボスに挑み、なんか勝てちゃって、次へ次へと進んだ。いや、もうね、熟練度の上がり具合も6倍な所為で、体捌きとかもう自分じゃないみたいで怖い。成長速度6倍だと、実感もないままゴリゴリ上がっていくから怖いよ逆に。

 だから慣れるためにザコと戦うんだが、そこでまたレベルが上がったり熟練度が上がったり。なんで俺、自分とイタチごっこしてるのん? ……けど、それはそれで丁度良かった。

 独りでいけるなら、困ることなんてないからだ。

 LA装備で自分を固め、町に戻ることが少なくなり、迷宮区でひたすら敵を倒す日々が続く。

 フロアも二桁になり、ぼっちのまま進み、途中で宝箱を開けると逃げられなくなるトラップとかにも遭遇したが、むしろ経験値の山だーとばかりに敵を倒しまくる。やけくそってやつだよ、ほっとけ。

 もちろん全てのボスとも独りで戦い、これ一人じゃ無理だろって相手でも投擲武器を上手く利用して撃破。八幡さんの投擲力は、“キミなんでこんな下層に居るの? 馬鹿なの? 死ぬの?”と思われるほどです。

 しかし最初に買ったガイドブック、すごい役立ったな。

 おかげでそこまでは順調に行けた。情報と違う場所があろうと、結局は観察しながら戦うから油断はしてやらない。

 むしろなんか観察眼ってスキルが異常なくらい上がってるから、もうオートで油断出来ないレベル。

 25階のボスが久しぶりに強かったーとかそんな感想は置いておく。

 お陰で調子に乗っていた気持ちが引き締まったから、また地道にレベルと熟練度を上げて、けれど出来る限り先を急いだ。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 それから五ヵ月もの月日が流れた───

 などと言ってみると、さすがにため息。

 ていうかこのスキルやばい。スキル熟練度が上がったら最大レベルがまた跳ね上がったんですけど。

 なんなの孤独者熟練度って。俺が一層ぼっちだって言いたいの? そりゃもう長い間、誰とも話してないけどさ。

 俺もう最大レベルが1200状態なんですけど。実際のレベルは354だが。

 

「モンスタートラップは何処ですか……」

 

 最近じゃ敵を探す方が億劫になってきた。たすけて小町。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 25、50と25ずつ数えた階層のボスの強さは、それまでとは違い歯ごたえがありすぎた。

 それを踏まえた74階層でのレベリングは過去に見ないほど続いた。

 いっそもうモンスター滅んでるんじゃね? とか冗談でも言いたくなるくらい、続いた。

 困ったものでどれだけレア鉱石とか手に入れても武器を作れる鍛冶屋がおらず、むしろ居ても知り合いでもなんでもないから作ってくれるかも解らず、相変わらずのぼっち生活は続いている。

 冒険を通して誰かと仲良くとか、恋仲になったりなんてことはない。だってぼっちだもの。

 むしろこんなくそったれな世界から戻れたら、もう無駄に完成された度胸を以って由比ヶ浜にプロポーズだって出来るよ俺。そして引かれてフラれるのな。……フラれちゃうのかよ。

 

「……うし」

 

 たまに冗談を混ぜないと自分が消えそうで怖いってのはある。

 必死すぎると見えなくなってしまうものとかって、あるもんだ。この世界でいろいろ学べた。学べたけど、いいことばっかりじゃなかった。

 まあ、ともあれだ。レベルもとうとうカンスト。熟練度も24000で終了したし、なんていうかもう負ける気がしない……と思うのはデスフラグなので、いつだって挑戦者の気持ちで挑むことを忘れない。

 

「んじゃ、いくか。回復アイテム良し、転移結晶良し、予備の武具は腐るほど、っと」

 

 じゃあいきますか。

 75層のボスよ、知りなさい。

 たとえあなたが何十人もの敵を滅ぼせる敵だとしても、その“何十人”の力が一点に集中された力と防御がどれほど強いか。レベルが2400で孤独者熟練度24000の超孤独人ゴッド超孤独人をナメんなよ。……やっぱりなんかおかしいよね、スーパーサイヤ人ゴッドスーパーサイヤ人って。

 

「ふっ……ぬっ……!」

 

 ゴコォ……ン……と、巨大な扉を開けて、中へと侵入。

 すると、扉は勝手に閉ざされた。おお、なんか最先端技術……とふざけている場合ではなく。閉ざされたってことは、転移結晶は使えないんだろうなぁこれ。

 考えながら、敵が目の前に居ないのを確認するとすぐに上を向いた。

 気配察知も既にカンスト済みだ。そこに居る巨大な骸骨ムカデっぽいヤツに向けて、すぐに構えた投擲武器を無遠慮に投げつけた。

 落下してきたソレの額に投擲ランスはドゴォと衝突し、落下しながらソレは叫んだ。

 もちろん一発では終わらせない。とっくに二本三本とランスを投げていた俺は、油断することなく落下してくるそれを観察。落ちた瞬間に跳躍して衝撃波を躱して、その跳躍のままに剣からマグマが溢れる武器、インセンディエリを全力で振るい、ガサガサと蠢く骨の足の一本目を切断。

 痛みに悲鳴を上げている隙に二本三本四本と破壊して、ともかく移動手段を封じる。

 怒りの咆哮とともに振り向くそいつに再びランスを投擲、怯んだ隙にまた足を切断、ということを繰り返した。

 迂闊に胴体真っ二つ、とかすると、敵が二体になりそうだから、絶対にしない。

 

『クゴォオオオオオオッ!!!』

「うるせぇ……よっ!!」

 

 すべての足を切断したら後方から砕き続け、関節を狙って攻撃を続けては、やがて武器である鎌足も切断。骨ミミズみたいな姿になったそれを、ただただ砕き続けて滅ぼした。

 

「………」

 

 見飽きたコングラチュレーションとLAドロップの文字。

 とりあえずLAを確認するとして……なになに? サウンザンドリーパー?

 

 ◆サウザンドリーパー

 ソードスキルのディレイを大幅に上げる代わりに、通常攻撃のディレイを無くす。

 常に武器からソードスキル独特の光の軌跡が出るようになり、振るう全てがまるでソードスキルのようになる。

 ただし速度上昇や威力上昇などの効果があるわけではない。

 

「おお……こりゃいいな」

 

 装着決定。

 何故って、ソードスキルなんてもう使っていないからだ。

 この世界がカヤなんとかさんが作って監視しているような、ヤツにとっての箱庭ならば、退屈を嫌い、同じようにゲームに参加していると思うからだ。

 そんなヤツがもしラスボスになったりでもしてみろ、ソードスキルなんて読まれすぎてて、倒す前に殺されるだろう。

 だからヤツが開発や協力をしたであろう技は使わない。

 使うのはあくまで、極限まで隙を殺した攻撃だけだ。

 

「じゃあ」

 

 もうレベリングをする必要もないんだし、サクサク行くか。

 一歩を踏み出し、未だ下層で地道に冒険を続けているであろう他のプレイヤーを少々思いつつ、次を目指して歩いた。

 トラップなんかは全部滅ぼしてあるし、罠で死ぬことはないと思うけど……まあ、今さらだな。

 町の転移門もアクティベートはしているものの、名前とか誰にも喋ってないから誰かが来るとかもない。

 変わらずソロで生きる俺が、誰かと関わることなんて絶対にないと断言できるまである。

 そんなわけだから先を急いだ。

 

……。

 

 ……ん、だが。

 なんということでしょう、辿り着いた町に鍛冶屋がありませんでした。ていうかしばらく店らしい店も見てない。

 愛剣であるインセンディエリも随分と耐久がアレだから、そろそろメンテしないとヤバイ。

 

「……これメンテ出来るやつ、居るのか……?」

 

 不安だ。

 不安だが、愛着が相当あるから壊してやるわけにはいかなかった。

 仕方ない、腕のいいスミスさんが居るか、ひとつひとつ転移しながら調べるか……とほー……。

 

 

  ×  ×  ×

 

 

 やってきたのは第一層。はじまりの町である。

 何故って、闇雲に探すよりも情報を得た方が早いと思った……俺が馬鹿だった。

 こんな人の多いとこ来てどーすんの。俺に、人になにかを訊ねるだけのコミュ力なんてもう残ってねぇよ……!

 孤独者のスキルがカンストしてから、なんかもう人を見るだけで心臓とかヤバいレベル。もうやだなにこれ。

 

「ととととにかく、なにか知ってそうなやつとか……そ、そう、なんか長老っぽいやつが居ればそいつとかっ……!」

 

 長老。なんかすげぇ知ってそう。

 でもこの世界のことを訊くんだったらプレイヤーに聞いたほうが早い気がする。

 いやむしろ情報とか纏めてくれるNPCとかいらっしゃいませんかお願いします。

 

「おぉおお! にーちゃんかっけー!」

「《ビビクゥッ!》ヒィ!?」

 

 そして突然声をかけられて、肩を弾かせる勢いでヒィと叫ぶカンストプレイヤー。

 ……ハイ、ボスより人間とのコミュが怖いです。

 

「なぁなぁにーちゃんその装備なに!? かっけぇ!」

「………」

 

 振り向くと、12歳くらいの子供が居た。

 目をらんらんに輝かせ、俺を見上げている。いやあの……なに? いきなり背後から声をかけるとかやめてくれません? 俺の気配察知がすごいとはいっても、行き交う人々全員に注意してたら心労とかすごいから無理なんですごめんなさい。

 

「おっ……おひゅっ……おう、ひょっろ……ちょっときひっ……訊きたいんだが」

 

 そして盛大に噛みまくりの俺。死にたい。

 

「ん? なに?」

「お、おう……すーはーすーはー……よし。今、一番有名な鍛冶職人って、誰だか知ってるか?」

「鍛冶職人……ああっ、鍛冶職人ならマスタースミスのねーちゃんがいるぜ!」

「いや、ねーちゃんじゃ解らんのだが」

「なんかずーっと鍛冶を任されたとかで、実戦とかは特にやらなかったそうなんだけどさ。すっげー武器作るんだぜ? あ。あとおっぱいでけぇ」

「そんなことは訊いてないんだが……」

 

 いや、うん。わかるよ? おっぱいはロマンだな、うん。

 堂々と言えるのは少年の証ってやつだろうか。素直に生きろ、少年。

 

「あー……で、そいつは?」

「なんか鉱石採りに行くとかで、軍のやつらと出掛けてったよ? 行く途中で会ったから訊いてみたら、マスタースミスが居ないと採れないだのなんだの。……でもへんなんだよなー。軍にあんなやつら居たっけなぁ」

「軍ってのは?」

「アインクラッド解放軍って名前のギルドだよ。にーちゃん知らねぇの? 今一番でかいギルドなんだぜ!」

「……。で、そいつらは何処に転移した?」

「たしか───」

 

 名前を訊いて、納得。確かに結構奥の方に珍しい鉱石がある場所はあった。

 俺は採取できなかったから、言っていることも間違いじゃないんだろう。

 ただ───

 

「よし、しゃんきゅ……げふん。サンキュな。ところでそのマスタースミスの名前は?」

「ユイねーちゃん。髪の毛ピンクっぽい茶髪で、おっぱいでかくて綺麗で可愛いんだ!」

「───」

 

 聞いた途端、全力で地面を蹴り弾いていた。

 別に他人がどうなろうと、と思っていた部分があったが、そんな自分を殺したくなるほどに。

 軍にあんなやつらが居たか、なんて疑問が本当に正しければ、外道で下種な行動を取るヤツなんざ腐るほど居るのだ。

 たとえば───こんな暮らしにいい加減嫌気が差し、オレンジになろうが構うかってヤケになったヤツらが、よってたかって女を囲み、武器で脅して倫理コードの解除を、なんて下種なことを……───!

 

「っ……!」

 

 全速力で転移門へ辿り着き、町の名前を唱えて転移。

 すぐに町を跳び出してフィールドを駆け、鉱石があった山までを駆け抜け───

 

「───だからよぉ……俺たちゃもううんざりなんだよ! こんないつ終わるかも、いつ死ぬかも解らねぇ世界で生きるのは! けどよぉ? なにかしらの楽しみがありゃあまだまだ……なぁ? 解るだろ?」

「へっへっへ、さっさと倫理コードを解除しろって。気持ちよくしてやっから《マゴシャア!》ょヴァアアーーーーッ!!」

「へっ!? ヘイーーーン!!」

 

 辿り着くなりヤクザキックが決まった。

 ヘインって男は勢いのままにバキベキゴロゴロズシャーと転がり滑ってゆき、道の先でピクピクと痙攣している。

 あ? 言ってやる言葉? これでしょ。

 

「……失せろ」

 

 マグマ煮えたぎる大剣、インセンディエリをドゴォンと地面に突き立てて“威嚇”を発動。

 ……男たちはホギャーとモンスターみたいな悲鳴をあげて、逃げ出してしまった。

 

「いやおい……もうちょっと粘るとか……おい……」

 

 威嚇だけで悲鳴上げて逃げられるレベルかよ……。やだ、もう強すぎて自分自身で引くレベルだよこれ……。

 頭をがしがしと掻きつつ、背後に庇っていた女性へと向き直る。

 まさか、と思わなくもなかったが……そこには、確かに見覚えのある顔。

 俺を見上げ、かなりびくびくと怯えている。

 衣服は無事なのに体を隠すように距離を取ろうとするその姿は、俺を異性として完全に警戒していた。

 

「……すまん。来るのが遅れた」

「………」

 

 声をかけても警戒は取れない。そりゃそうだ、恐らく、誰かの助けになるのならと手伝うために立ち上がったのに、脅されて倫理コードを解除しろ、ときたもんだ。

 相手が男ならそりゃ疑るし警戒する。

 

「けど、ああその、なんだ、あー……」

「……? え……?」

 

 頭を掻きつつ言葉を探し、しかし言葉が浮かんでこなくて視線を泳がし、もう片方の手はくねくねうろうろと蠢き奇妙に彷徨っている。玉縄ではない。断じて。

 そんな姿を見て、何故か女性……由比ヶ浜は目を瞬かせて、俺をじっと見つめてきた。

 ……あ? もしかして俺が俺だって解ってない?

 

「………」

「………」

 

 ……ああ! そういや俺、手鏡使ってねぇからプレイヤーキャラの容姿のままだよ!

 あ、ああまあよかった、のか? さすがに俺の姿を確認してから警戒されたらいくら俺でも傷つくよ。

 

「はぁ……まずは、あれだな。無事でよかった、由比ヶ浜」

「───! え、なっ……なんで、あたしの名前……」

「……こんな状況で自己紹介って物凄くアレだな……。まずはこれ」

 

 アイテムから手鏡を取り出して、覗き込まずに見せる。

 すると由比ヶ浜は「あっ」と声を漏らし、次いで俺と手鏡とを見比べて……目に涙を溜めて、おそるおそる訊ねてきた。

 

「……っ……ひっ……きぃ……?」

 

 俺はそれにこくりと頷いてやると、きちんと自己紹介を《どすぅ!》「ひきぎゅ!?」……比企谷、と言おうとした途端にタックルされた。もとい抱き着かれた。

 

「お、おいこらっ……」

「ひっきぃ……! ひっきぃいい……!!」

「…………ォゥ」

 

 男とはともかく、泣く異性にゃ勝てません。

 あと、知り合いが一人しか居ないであろうこの世界じゃ、そんな相手を心底大事にするのは当たり前のことなわけで。

 

「……とりあえず、こんなフィールドダンジョンみたいな場所で話を続けるのもアレだし……俺の家、来るか?」

「《ぎゅううう……!!》」

「……おう」

 

 きつく抱き締められることが返事だった。

 PTに招待して転移結晶使って自分のホームポイントがある階層を唱え、さっさと戻ったら家へと招待した。

 

「休むためだけに用意した場所だから、特になにがあるってわけでもねぇけど……」

 

 有り余る金で買った拠点、まあ家だな。に案内してみると、由比ヶ浜は借りてきた猫のようにおとなしくなってしまっていた。

 まあ、そうな。急に飛ばされてデスゲームですとか言われて、知り合いが全く居ない状況で知り合いに会えれば心底安心するわ。

 俺も今、めちゃくちゃそれを実感しているところだ。

 しかし説明しないわけにもいかないので、お互いが安心するための状況確認は始まった。

 

「まず俺は……お前をデートに誘ったあと、そっちに向かう途中でいきなりこの世界に飛ばされた」

「え? デート?」

「へ?」

「え?」

「………」

「………」

「デート、誘ったよな? ハニトー食いに行こうって」

「えと……あたしは、夏祭りの後に、家で眠ったら……」

「………」

「………」

「まあ、あれだな。ラノベとかそういう系のものである、人物は同じでもパラレル的なところから飛んできた、みたいな無駄な設定」

「設定とか言っちゃうんだ!? え、で、でも……えと、ヒッキーが知ってるあたしは、あたしと……えと」

「あー……おう。そのデートで告白するつもりだった」

「わあ……! いいなぁ、そっちのあたし……」

 

 いいなぁ、という言葉が実によくわかるほど、こっちの由比ヶ浜は目をきらきらさせて……けれど、少し寂し気だった。

 

「あーその、なに? 気にすんな。夏祭りってことは……ああ、あのあたりか。由比ヶ浜だから教えるな。俺を攻略したかったら、とにかく押せ。いいか? 他に目をやる暇があるなら俺に構いまくってろ。俺ってやつは自分に好意が向いても、それは勘違いだだのなんだのと屁理屈をこねる。つまり、勘違いって思う暇もなく好きって気持ちを伝えまくりゃあ簡単にオチるぞ」

「うわー……自分のことなのに……でも、ほんと?」

「そりゃそうだろ、だって勘違いじゃなけりゃいいんだから。“俺なんかより”だとか言い出したら、ヒッキーだから好きになったんだとでも言ってやれ。むしろ俺が言われたい。ほんとそう思ってるからあっさりオチるぞ」

「わー……うん、なんかヒッキー自身がそう言うなら、説得力とかすごい」

「あー……で、なんだが。ゆ、由比ヶ浜が好きなこととかものってなんだ? 俺も告白したいんだが、その……絶対に失敗したくねぇっつーか。今まで散々傷つけてきたから、本気の本気で幸せにしてやりてぇんだよ」

「…………。えと。ヒッキーはさ、この世界……クリアできると思う?」

「出来るぞ? あと25層だし」

「………………。え?」

「お?」

 

 ? 25層だよな? 25層だな。25層だ。

 

「えぇっ!? だって今っ……えぇっ!? 調査隊はまだ48層程度までしかっ……」

「ああ。俺ソロでやってるし他に情報とか渡してないからな。LAも全部取ってるから装備にも困らん。ただ、丁度メンテが必要だったから鍛冶屋を探してたら、お前を見つけた」

「………」

「……無事でよかった。ほんと」

「え、と……あたしが、ヒッキーが好きなあたしじゃ……なくても?」

「当たり前だ。世界が違おうがどうしようが、俺は由比ヶ浜結衣を幸せにしたいんだ。だから比企谷八幡の情報だって渡しまくるし、お前の恋も応援したい。っつーか是非ともオトしてくれ。その、なんつーかな。……お前じゃないと嫌なんだよ。他の俺でも」

「……ヒッキー……」

「あぁそうそう、手っ取り早く意識させたいならな、髪を黒に戻して、服装もきっちりして、んで、ラブレターとか回りくどいことせずに手を掴んで真っ直ぐに目を見て好きって伝えてやれ。誤魔化そうとする度に、言い訳する度に、目を逸らす度に。重ねられまくってりゃ罰ゲームがどうとか言えなくなるから」

「わ、わ、わ……! あたしに、できるかな……っ」

「んで、まだぐちぐち言うようならキスしてから真っ直ぐに、比企谷八幡が好きだって言ってやれ。どーのこーの言いながら、結局愛に飢えてんだから、そこまでやられりゃコロリだ」

「……コ、コロリ……なんだ……。でも、その、えと、あ、あたし、まだキスとか、初めてで……!《かぁああ……!》」

「そっちのヒッキーとそれをしたくないなら奨めねぇよ。他に好きなやつが出来るまで《くいっ》っと……」

「やだよ……他の男とか気持ち悪いし……」

「───…………そ、そか」

 

 まあ、とりあえず。利害関係が構築された。

 俺とこちらの由比ヶ浜は互いに頷いて、お互いが持つ自分のことを交換しまくった。

 しまくってしまくって、それで…………それで。

 

「………」

「………」

「……なんか、へんな感じだね」

「……そだな」

「ヒッキーなのに……ヒッキーじゃない、なんて。あたし、ヒッキーだからヒッキーのこと好きになったのに」

「それは意味が違うだろ。お前が好きになったのは、お前を助けた比企谷八幡だ。断じて俺じゃない。だから、お前はお前の“好き”を大事にしろ」

「……そだね。えへへ、なんか面白いよね。お互い同じ人が好きなのに、好きな人に好きな人のこと相談してるなんて」

「まったくだ。本人には出来ないな、絶対」

「そうかな。喜ぶと思うな、あたし。ヒッキーは?」

「照れながら、内心で“これは勘違いこれは気の所為これは別の意味だ”って言い聞かせてるだろうな」

「わー……照れてるのは解るけど、そこまでなんだ……」

「まあ、そうな。っと、そうだ。それで結局、武器のメンテは出来そうか?」

「あ、うん。それなら任せて。戦闘とかは全然だけど、スキルだけは完璧だから」

 

 妙な雰囲気になりそうだったから、別の話題……でもないか。本来の目的を話すことで、場の空気を繕った。

 由比ヶ浜は早速俺の武具を鑑定し始めるが、予想通りといったところか、ここでメンテは出来ないらしい。そりゃそうだ、工具がない。

 

「んじゃ、買うか」

「え?」

「由比ヶ浜、お前、ここ住め。あんなクズどもが居る場所に帰らせるとか、これからを想像するだけで吐き気がする」

「で、でも」

「……どのみち、あのアホども殴った所為で俺はオレンジだから、町には行けねぇしな。だからそのー……なんだ。ここなら安全だし、あー…………帰ってきて、気が許せる相手が居ると、俺も安心できるっつーか」

「……ヒッキー、もしかして小町ちゃんと会えなくて寂しい?」

「ばばばばっかお前! べべべちゅに小町に限った話じゃねぇし!? とと戸塚とか戸塚とか……! …………約束、果たせなかったお前とか」

「ヒッキー……」

「……頼む。いろいろあって、デートなんかに誘えるくらいにまでなれた俺達だけど、知ってることも解らないことも含めて不安なんだ。お前が別人なんだとしても、それでも由比ヶ浜結衣って女があんな目に遭いそうになる場面なんて二度と見たくないし想像したくもない。……ここは購入者が許可しなきゃ誰も入れないようになってるし、戦闘も出来ない場所だ。誘われたってここから出なけりゃ安全だ。だから───」

「……ヒッキー、そんな必死にならなくてもいいから。だいじょぶだから、そんな不安そうな顔しないで?」

「由比ヶ浜……」

「でも……あたしも集めた鉱石とかいっぱいあって───」

「…………《ちょいちょい》」

「ヒッキー?」

 

 鉱石とくれば話は早い。

 由比ヶ浜を手招きして、奥の倉庫の扉を開ける。

 …………。

 少しして、その平和な景色に少女の驚愕の悲鳴が響いた。

 まあほら、あれだ。下層のレアが上層ではボロボロ出るなんて、よくある話だ。

 稀少品とかも大体、敵がポロっと落としたりするしな。



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孤独者のSAO②

 それからの日々は、ひどく充実していた。

 家に人を招いたからか、孤独者スキルにマイナス修正が入ったが、今さら問題になることもなく。

 むしろその分を鍛えられた武具を装備することで補い、由比ヶ浜も余ったLA装備でごっちゃり身を固めたり、レアドロップ鉱石などで作った工具を使えば、より一層の強化が可能になった。

 試し切りがしたいってんで俺が弱らせた敵と戦わせたりしてたらレベルもどんどん上がり、なんだかんだ……随分と楽しい日々を過ごした。

 由比ヶ浜ではあるけど、俺が好きな由比ヶ浜ではない。

 その関係は、いつか望んだ“友達”……いや。“親友”って立ち位置によく似ていた。むしろそのものなのだろう。

 いろいろなことを経験して二人して馬鹿みたいに笑って、悔しいからって鍛えていたらしい料理スキルで心底驚かされて、S級食材の料理で舌鼓を打ち、一緒のベッドで寝ようがそっち側の感情は浮いてこない。

 で、ふとした時に顔を見合わせて笑うのだ。

 お互い、一途すぎるよね、って。

 

「……ふぅ、一丁あがりっ」

 

 階層も99まで進んだ。

 相変わらずのぼっちであり、家から離れれば孤独者スキルも元通り。

 鋭くなり、固くなった武具で挑むボス戦は、由比ヶ浜との親友としての絆が強くなるほど“絶対に死ねない”が強くなり、カンスト状態の観察眼も警戒も全て全力発動。一切油断することなく、敵がポリゴン片になっても油断しない構えで攻略してきた。

 

「さて帰る……か?」

 

 そして。

 二桁ラストのボスを倒したことで入手したLAが、なんとも残酷なものだった。

 いや、俺にとってじゃなくて。

 

……。

 

 LAを手にしたまま家に戻ると、ゆっちが出迎えてくれた。

 ……いや、親友ってことで、ちょっと呼び方変えてみようってことになったんだよ。

 ゆいゆいは嫌がられるって解ってたから、ゆっちにした。一発OKだったよ。

 俺はハチくんだった。“ヒッキーでいいんじゃねぇの?”って言ったら、やっぱりそれはあたしの好きなヒッキーに言いたいから、だとさ。好きなのにヒッキーなのかよ。……いや、なんか解る気がするけどさ。

 

「ハチくんおかえり。えと……ボス、どうだった? 強かったから戻ってきた、とか……」

「おう、倒してきたぞ」

「そっか! じゃあ今日はお祝いだねっ!」

「お前いっつもじゃねぇか」

「いっつもボス倒してくるハチくんが悪いんじゃん!!」

 

 まあ、そうな。

 でもなぁ、これはなぁ……。茅場って馬鹿なの?

 今日手に入れたLA見たら、もうそんな言葉しか浮かばない。

 

 ◆孤独な勇者───こどくなゆうじゃ

 PTを組めない代わりにレベルやスキル熟練度の上限を二倍にする輝く紋章。

 “ゆうしゃ”ではなく“ゆうじゃ”。

 

 うん。とりあえず久しぶりにレベリングでもしようかと思います。

 99階層の敵、絶滅させちゃうつもりで。

 まずはアレな。親友が用意してくれる御馳走で、英気を養うとしよう。

 そんなわけで今日も楽しく燥いだ。

 いつの間にか大口開けて笑うことに躊躇もなくなった自分が、実に心地よかった。

 

……。

 

 で。

 

「………」

 

 4800レベルである。

 もう石投げるだけでコボルドロードが粉砕消滅するレベル。いやそれは前からか。

 だってさ、ほら。もう片手を思い切り振るうだけで衝撃波出せるよ。ギースだよこれ。れっぷーけーん。《ゴヒャウどっぱぁーーーん!!》『ゴギャアーーーッ!!』

 あ……。通りすがりのデッドリィウルフさんが、烈風拳でポリゴン片に……。

 

「………」

 

 見なかったことにしよう。

 レベルも熟練度もMAXだし、起こるイベントも全てこなした。

 ドーピングアイテムも全部使ったし、もはや思い残すことは───……

 

「…………」

 

 解ってる。クリアすれば、もう……親友には会えなくなるんだよな。

 一応、別れは済ませたが……。

 

「………」

 

 パネルを開いてメッセージを打ち込んで、ゆっちに送る。

 これまでの日々がどんだけ楽しかった。どんだけ救われたか。

 お前が戻る世界の俺を、こんな風に変えてくれることを祈っている。

 俺も、戻る世界のお前と、こんな風になれるよう、全力を出す。でも、なりたいのは恋人だから、親友以上を目指すけどな。絶対に幸せに出来るように頑張るから。

 

「………」

 

 少しして届いたメッセージに「おう」と返して、ボス部屋の扉を開いた。

 ……そうだな。お前はお前で居てくれ。いつも頑張っているお前だから、俺は───

 

「っとと、そうだった」

 

 “少しして、文化祭の準備が始まると思う。それで葉山の推薦ってカタチで相模が実行委員長をすることになるが、それは認めるな。相模は結局なにもせずに逃げ出して、俺が……あー、ぼかさないでハッキリ、お前に解り易く伝えるなら、俺が罪を被るみたいな感じで解消して終わる。相模は奉仕部に自分のサポートを願ってきて、自分はなにもやらない。それを受けた所為で雪ノ下は無理をして体を壊す。出来ることならお前が文化祭実行委員長になって、俺も雪ノ下も巻き込んで楽しんでくれ”

 

「……あとは」

 

 “修学旅行前に、戸部が海老名さんに告白するために葉山に相談して、その葉山が奉仕部を紹介して、それをサポートする、なんてことが起こる。いいか、絶対に受けるな。葉山と海老名さんは今のグループの在り方を気に入っていて、最初から戸部の告白が受け入れられることはない。俺の世界ではお前が雪ノ下にねだるカタチで始まって、あとで海老名さんが一人で相談に来て、俺にだけ解る言い回しで変わらないことを望んできた。結果、俺は戸部が海老名さんに告白する寸前に海老名さんに偽の告白をして、海老名さんに誰に告白されても受ける気はないと言わせて、場の解消をさせた。結果は……雪ノ下には俺のやり方は嫌いだって言われて、お前を泣かせちまった。だから、絶対に受けるな。もしくは、それまでにそっちの俺をオトしておいてくれ。……俺は、お前らなら解ってくれるって勝手に期待して、受け入れられなくて、勝手に期待した自分に失望する。あんな取り繕った奉仕部は二度とごめんだ。だから……頼む”

 

「……これでいい」

 

 さて、とパネルを閉じて、深呼吸をした。

 やり残しはない。

 振り返ることもない。

 思い入れは……あの家にはあるな。

 けど、ああいや。

 

「…………」

 

 “本当に楽しかった。俺なんかの親友になってくれてありがとう。心を許せる友人がお前で、本当によかった。俺が俺の世界の由比ヶ浜に惚れてなかったら、心底惚れてたわ”

 それは本当に思ったこと。

 相手が居るから揺らがない俺達は、相手が居なければ、きっと───と、そこまで思ったところで返信。

 “ん、あたしもだ。あ、そうだ! 全部終わったらメールでやりとりとかしようよ! これ、あたしのアドレス!”

 ……いや。それ知ってるし。送っても、俺の知る由比ヶ浜にしか届かんと思うぞ。

 

「…………ふっ……ふ、くっ……くふふははっ……あははははっ! あっははははは!!」

 

 もうこうして、ここで笑うこともない。

 ならばとここでの思い出を胸に、大きく笑い、笑顔のままで踏み出した。

 さあ、世界を救おう。

 孤独が故に最強な俺の、これが最後の冒険だ。

 

 

───……。

 

 

 ゴコォ……ン……!

 重苦しい音を立てて、相も変わらず無駄にデカい扉が開かれると、そこには───目が眩みそうなほど眩しい蒼。

 風が吹き、鳥が舞い、草花が揺れる、まるで大庭園のような景色があった。

 そして、その広い景色の先に……大きな玉座と、一人の男性。

 

「よく来たね」

「……お前が」

「そう。私が茅場明彦。このアインクラッドの最後のボスだ」

 

 赤と白を基準とした十字の盾を持った男性が、ガチャリと鎧を揺らして立ち上がる。

 

「お前の顔、見たことあるぞ……? プレイヤーとして紛れ込んでたってやつか? 趣味が悪いな」

「それは許してほしい。他人のRPGほど見てて退屈なものはないだろう?」

「一人でしかやったことねぇから知らねぇよ。ぼっちなめんな」

「そ、そうか……。さて、…………? きみ、ひとりか?」

「ああ。最初から最後まで一人だな」

「……。信じられん。まさかとは思ったが、このアインクラッドを一人で攻略してきたとでも……」

「いや、御託とかいいから。んで? お前倒せば解放されんの?」

「ああ、約束しよう」

「ほーん……? あ、そうだ。なんらかの方法で、このー……なに? メッセージ機能を残す方法とか、ない?」

「? そんなものは連絡を取り合えば……というか、きみ。勝てるつもりかね?」

「いや、冥途の土産ってやつ? で、どーなん?」

「可能だ。SAOを媒介にHNでやりとりをすることも出来るだろう」

「お前が負けたあとは? 機械だって壊されるだろ」

「いいや。すでに種は芽吹き始めている。……知っているだろうが、電脳空間にはまだまだ未知が隠されている。私はそこに人の可能性が浮かぶことを望んでいる。その種が花開かせた時、世界はより多くの感情と可能性で賑わうことだろう」

「……よく解らん」

「それは、君自身が勝利した先で見届けるといい。……勝てれば、の話だが」

 

 剣と盾を構える姿に油断も隙もない。

 既に戦いは始まっているのだ。

 始まっているのなら。

 

「疾ッ!」

 

 地面を蹴り弾いて一気に疾駆。

 反応が遅れた茅場が持つ盾に向けて、LAシールドブレイカーを振り下ろす。

 轟音を立てて砕け散る茅場の盾と、シールドブレイカー、───!? うそだろ!? これの耐久力、いったいいくつあると───!

 

「っ! この盾を砕くとは……!」

 

 驚愕しつつも既に取り出していた武器を、スイッチさせるように装備。

 取り出す動作をそのまま攻撃に移行して、振り切ると、再び轟音が高鳴り、次は茅場の鎧と俺の武器───アーマーキラーが砕け散った。

 

「馬鹿な! これは───はっ!?《ガシャアンッ!!》ぐわぁっ!? ……!!」

 

 鎧を砕けば次は武器。

 武器破壊の大剣を振るい、衝突させることで砕く。同時に、振るったブレイクブレイドも耐久がゼロになり、ポリゴン片に。

 ラスボスだからって豪華に数値を変更させすぎじゃあねぇですかね、製作者さん。

 これ、普通のプレイヤーが普通に戦って勝てるのかよ。

 と、驚いている内に茅場は予備の武器と盾を装備するが、防具は無いのか騎士団の制服のようなもののままだ。

 

「驚かせてくれるな……壊されないだけの耐久度は用意した筈なのだが」

「こっちはそれが驚きだよ。高く設定しすぎだっての。クソゲー呼ばわりされて喜ぶ性質なのか、あんた」

「ものを制作する、というのは、人に文句を言われるものだ。その文句の先にある良さを知ろうともしない者に、そこにあるバランスも良さも理解はしてもらえんさ」

 

 剣を振るう。が、まるで剣に吸い付くかのように盾がこちらへ向き、それを弾く。

 おい、まさかこれ、ゲームにアシストしてもらって無理矢理防いでるとかじゃ───……あーそう、そういうことしちゃうの。

 だったらこっちも最高速度だ。精々腕でも引きちぎれやがれチート野郎。

 あ、俺の台詞じゃなかったか、テヘッ☆ でも俺のはゲームの設定だから文句は聞かねぇよ。文句なら茅場とかいう人に言ったら? あ、本人か。

 

「そぉっ……りゃああああああっ!!!」

 

 ゲームアシストガード。

 言ってしまえば製作者のみに許されたーとかそんなものではなく、ほら、例えばこの盾を持っていれば、どんな攻撃も一度だけ防ぐーって設定が盾についてりゃ、無理矢理にでも盾がその攻撃を防ぐ、とか。

 じゃあその盾の反応速度を超越してやったら、腕とかどーすんですかねって話。

 大剣を仕舞って片手剣を装備すると、それはもう遠慮無用に速度重視の攻撃を繰り出した。

 当然一撃では止めず、豪雨が如く、効果音で言うならこう……ねぇ?

 盾が剣を弾く音が、ジョガァアガガガガガガとか、これなんの音? って訊ねたくなるくらいの速度で、一方からではなく様々な方向から。

 分身烈風剣とか出来そうな速度で、茅場の周囲を旋回しつつ。

 しかもこちら、ディレイ無しだから隙もなしに攻撃を続けられるし、剣で切ったあとに蹴りとか拳を混ぜるとかもやりたい放題。

 みるみる内に茅場の顔に焦りが浮かび、逃げたくても逃げられない旋回乱舞の出来上がり。

 そうこうしている内に盾の耐久が尽きたのかゴシャアと壊れ、あとは惨殺劇場。

 茅場のHPは一気に減り、しかしそれがレッド前でビタァと止まる。

 

「……お前、それはないんじゃない?」

「っ……はぁ……! っ……はぁ、はぁ……! ……ああ……すまない……、こちらも死ぬわけにはいかないからと、プレイヤーとして立っていた頃はレッドにはならないよう、設定していた……。それを解除していなかったようだ……」

「で、それ解除して……まだやんの?」

 

 油断なく、逃がすつもりもなく剣を突き付けながら言うと、茅場は剣を落として両手を軽く上げ、降参のポーズで目を伏せて笑った。

 

「いや。私の負けだ。一人で攻略されては、しかも製作者側の不正までもが暴かれてしまっては、私も立つ瀬がない。喜んで君を称賛しよう。……おめでとう、アハトくん」

 

 アハト。勝手に設定されてる俺の名前だ。

 その言葉が鼓膜に届いた時、大きなシステムボイスがこの世界に響いた。

 ソードアートオンラインはクリアされました、と。

 

「……これで終わりか」

 

 べつに感慨深くもないが……あの生活が終わるのだけは、少し、いやかなり………………いや。

 

「………」

 

 ゆっちのアドレスをもう一度見て、くすりと笑った。

 さて、こっちはこっちで別の大冒険をしないとだ。

 このゲームの影響で目の腐りが治る~とかそんなクリア報酬ねぇかなぁ。

 そんなことを思いながら、やがて白く染まってゆく世界を目に焼き付け、この世界の終わりを見届けた。

 

   ×   ×   ×

 

 そして、現実のいつか。

 どうやらきちんと元の世界に戻れたらしい俺は、いくつかの事実を知る。

 待ち合わせ場所に向けて走っている途中にいきなりアインクラッドに飛ばされたわけではなく、暴走車から由比ヶ浜を庇って撥ねられたらしい。

 で、俺は病院で長らく目を覚まさなかったそうだ。

 目を覚ました時、傍には由比ヶ浜が居て、抱き着いてきたり謝ってきたりで大変だった。

 いや、そんなことは些細なことか。めっちゃ嬉しかったけど。

 退院して、ああいや退院するよりも前に気づいたことがあって、それが今一番の困り事で……。

 

「はーぁ……リハビリ、ほんと地獄だったわ……」

「仕方ないよ……ヒッキー、脳のリミッターとかいうのが外れちゃってるそうだし」

 

 困ったことに、俺の腕力とかその他もろもろが、通常の人間に出せる範疇を超えていた。

 厳密に言えば、リミッターが外れるどころではなく、SAOのステータスをそのまま持ってきてしまった、といえばいいのか。

 出そうと思えばコマンドパネルまで出せるんだ、呆れるしかない。

 ただ……まあ。お陰で解ったことがいくつか。

 

「《ピピンッ》おっ」

 

 耳に届く電子音。どうやら俺にしか聞こえないらしいそれは、俺にしか見えないパネルから聞こえていた。

 いじってみれば、メッセージに新着一つ。……親友からだった。

 

「…………そか。……ははっ、そっか」

「? ヒッキー? どしたの? 急に笑ったりして」

「いや。親友がな、入院している最中に好きな相手をオトしたらしくて。その喜びをメールで届けてくれた」

「そうなんだ!? へー! ……って、ヒッキー今スマホ持ってないじゃん」

「ま、そうな。あー……ところで由比ヶ浜」

「ん? なに?」

「こうしてその、退院出来たことだし、な? あー、ええっとその《ピピンッ》……おう。言われるまでもねぇっての」

「ヒッキー?」

「……あ、ああ、ごほんっ! ……ずっとずっと好きでした! 俺と付き合ってください!」

「───、……ぁ…………っ……ひ、ぃぅっ《ぐすっ》」

「ホワァアアワワワ!? いやちょ、なんで泣く!? もしかして───」

 

 嫌だったのか、という言葉を飲み込む。

 親友の“そっちもがんばれ”って言葉と、あの世界で聞いたすべてを信じるなら、その言葉はこいつを傷つける。

 だから、つまり───これは。

 

「……嫌じゃなかったら、デートのやり直し……させてほしい。ずっと大切にするから。もう、逃げたり誤魔化したりなんて、絶対にしないから」

「ひっきぃ……!」

 

 命を懸けた日々を続けてきた。

 その中でさっさと帰るために頑張った理由なんて、そのほぼがこいつだったんだ。

 大切に出来ないわけがない。

 それこそ、命懸けで幸せにしたいって思う。

 度胸だけはついたんだ、死ぬ気で守っていこう。

 大変ありがたいことに、暴漢に襲われようが熊に襲われようが、今の自分なら余裕で勝てるし。

 ステータスカンストの影響か、物覚えも異常なほどいいしな。

 

「いいの……? あ、あたしで……いいの……?」

「いや、つか、お前以外無理だろ……いや、無理とかそれ以前に俺がそうじゃなきゃ困るっつか嫌だ。むしろお前が俺でいいのかって話だが」

「あ、あたしだって……! あたしだって……! …………ひっきぃじゃなきゃ、やだよぅ……!」

 

 きゅっと手を握られ、想いを真っ直ぐに伝えられた。

 ……ああ、十分だ。あとは、俺がどれだけ経験したアレらを武器に踏み込んでいけるか、だな。

 簡単だろ? 命懸けの戦い、孤独な戦いに比べりゃよ。

 だから───そだな。

 

(……俺も、上手くいったよ。恋人になれたからって安心すんなよ? “前”の俺は単独行動が大好きだったからな、効率とか言い出したら、恋人居るのに嘘告白とかするかもだ)

 

 メッセージを飛ばし、とりあえず……そうだな。

 SAOで散々訊いた、由比ヶ浜が憧れてること、してほしいことをとことんやってみますか。

 まずは告白されたあとはどうしてほしいか、だが。

 ……確か、ヒッキーから告白されたらたぶん泣いちゃうだろうから、やさしく抱き締めてほしい、だったな。

 ……お、おう。やるよ? 俺、やるよ? やりたいのに……なんで怖いかな、こんなに……!

 まじかよ、俺、死闘よりも恋愛に恐怖してる……!?

 ……っと、あとは名前を呼んで欲しい、だったな。

 俺に名前呼ばれて嬉しいのかね、とは思ったけど……そだな。もうこうなりゃ親友の言葉通り、喜ばせまくってやる。

 だから、そっちもがんばれよ。



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孤独者のSAO③

-_-/由比ヶ浜結衣

 

 ……病院を退院して、結構経った。

 あれからも、不思議な出来事は続いてる。

 SAO……だっけ。の、コマンドパネルが使える……けど、あたし以外には見えないとか。

 メッセージが届いた時に鳴る電子音もあたしにしか聞こえなかったりとか。

 それでも……親友から届くメッセージは、なんだかいっつも嬉しいことばっかりで。

 

「ん……どした? 由比ヶ浜」

 

 いつもの奉仕部。

 いつもの時間の中で、ゆきのんが平塚先生に呼ばれて出て行った今は、なんていうか静か。っていうのも、あたしが話しかけるのがゆきのんばっかな所為なんだけど。

 だ、だってほら、付き合うようになったからって、ゆきのんの前でその、えとー……いちゃいちゃするとか、ほら……や、やー……恥ずかしい、し?

 

「あ、うん。親友からメール」

「またかよ……お前ほんとメール好きな。っつか、ケータイ持ってねぇじゃん。なにお前、メールって、電波でも直接受信してるの?」

「うーん……まあ、そんなとこかも。あ、そうだヒッキー」

「お、おう? なんだ?」

 

 ヒッキーの質問を適当にやりすごして、別の話題を。

 っていってもべつに適当な話題じゃないから、こっちとしてはこれはこれで深刻ってゆーか。

 

「あたしさ、今度の文化祭、実行委員長やってみたいんだけど……手伝って、くれるかな」

「え? やだよめんどい。てかなんで実行委員長? せいぜい委員でいいだろ……」

「お願い。あたし、自分を成長させたいんだ。いっつもヒッキーとかゆきのんに頼ってばっかだし、そこに居るだけ、なんてヤなんだ。あ、も、もちろん出来るだけ自分でやるようにするよ? ただ、その、サポートっていうか」

「………」

「ヒッキー……」

「……そんな顔すんなよ。解った、サポートな。……つか、依頼ってことにしてくれりゃあ動きやすいから、そうしてくれ。じゃなきゃ雪ノ下あたりがまたつついてきそうだ」

「あー……そだね。付き合ってから、ゆきのんってヒッキーのことからかってばっかだし」

 

 入院中にヒッキーと付き合うことになった。

 告白は、あたしから。ハチくんからのいろいろなメッセージを見て、すごく不安になっちゃって、守ってあげたいって心から思ったら……もう、止まらなかった。

 ヒッキーがさがみんの罪を被るみたいなことは絶対にさせないし、ゆきのんの体調だって崩させたりしない。

 したくもない相手に告白なんてさせないし、そもそも……そんな依頼は、隼人くんのグループ内で解決しなきゃいけないことだ。

 だっておかしいじゃん。最初から答えが決まってるのに、自分から動かないのに今のままがいい、なんて言ってヒッキー任せになる依頼なんて。

 そんなのは絶対に許せない。それは、さがみんが“成長したい”って依頼してきたくせに自分はなにもやらないのと同じだ。隼人くんと姫菜がそんなことするなんてって思ったけど、意識して見るようになってから、とべっちが姫菜を見る回数……ひ、ひんど? が多いことを知って、その時にたまに見せる姫菜の顔が困ったっていうよりは……うん。あまり好きじゃない顔してるって知っちゃったから。

 

「………」

 

 だから、そんな依頼が本当に来たら……ちゃんと話し合って、グループ内だけで……ううん。そもそもそれはとべっちが姫菜にって話なんだから、二人で決着するべきだ。恋ってそういうものだと思う。

 それが出来なくて、解って貰えなくて、どうしてもこっちまで巻き込むなら……そんなのは友達でもなんでもないって思う。とべっちが遊び半分みたいな気持ちで好きだとか言うんだったら話はべつだけど、たぶん、とべっち……本気だ。

 本気なら、受け止めて、考えて、ちゃんと本気を返さなきゃ……そんなのは違うって思う。壊したくないグループに対して、そんな本音も返せないなら、いつかのあたしみたいに優美子を怒らせても仕方ないし、そんな関係をそのままで居たいっていうのは違うって思う。

 だから……そんな時が来ちゃったなら、あたしは……あのグループを、抜けるつもりだ。

 残念だなって思う部分はあっても、譲れないものは誰にだってある。

 巻き込まなくてもいい人を巻き込んで、好きな人を傷つけてまで“変わらないもの”を守るそこには、昔の自分が憧れたようなやさしい世界は無いし、今は壊れなくても……いつか、関係ない人を傷つけてまで守ろうとした場所のうすっぺらさに後悔するんだ。

 だって……そんな辛さを乗り越えてそのグループに立って、もし周囲が平気でいつも通りにしてたら、あたしはもう、同じ風には笑えない。

 どうしてあんなことがあったのに笑えるのかなって、距離を感じる。絶対にだ。

 

「ね、ヒッキー」

 

 ちょっと、ううん、だいぶ寂しくなって、椅子をがたがたと移動させてヒッキーの隣に座る。

 ヒッキーはあたしのことをちらっと見たけどすぐにそっぽを向いて、赤い顔を隠しながら……やっぱりちらちらこっちを見る。

 

「お、おう? なんだ? つか、お前はなんでそう何度も“ね、ヒッキー”から始めるの。俺に話しかける物好きなんて今のところお前と材木座くらいなんだから、そのまま話しを続けてくれていいぞ」

「…………《しゅん》」

「いやすまんマジでスマン、今のは俺が悪かった。材木座と同列にしたかったわけじゃなくてだな……その、悪い。まだその、恋人って関係に慣れてなくてな……つい前のノリでこう……! ざ、材木座はなかったよな、話しかけてくれるやつの中には戸塚も居るんだし……!」

「えと……こ、恋人らしいこととかしてたら……慣れる、かな」

「ふひょっ!? こいっ……恋人らしいこと、って……?」

「あ、や、やー……ほら、えとー……手、繋いで座る……とか」

「……そ、そうな。んじゃあ…………ほれ」

「《きゅっ》あ…………うん、ヒッキー」

 

 あたしってチョロいのかな。ヒッキーに手、握られただけでさっきまであったモヤモヤとか全部飛んじゃった。

 ……これ、チョロいとかじゃないよね? どっちかっていうとほら、あれだ。……単純? ……誰が単純だ!?

 う、うー……でも、単純、なのかも。やっぱり嬉しいし。

 顔が勝手に、こう、ふにゃってなっちゃって……あぅう、絶対ヒッキーにヘンなヤツって思われてるよ……。

 あ、そだ。ハチくん情報で、手を繋いだ時にされてみたいっていうのが……。

 

「……《ごくり》」

 

 たしか、恋人繋ぎのまま腕を絡ませる、みたいな……ってこれあたしもしてみたかったやつだよ!?

 え!? いいの!? ヒッキー喜んでくれるの!?

 よ、よよよよよし、やろう! だいじょぶ、親友を信じるんだ! こう、えと~……えいっ!

 

「《ぎゅむっ!》!? ……お、ぁぁあ……!?」

 

 勇気を出して、椅子をごちんと密着させて、あたしも一歩近づいた。

 腕をぎゅってくっつけて、絡めるようにして……指と指も絡めて。

 ヒッキーの左腕を抱き締めるみたいな恰好で、その近さに胸をどっきんどっきん弾ませながら、ヒッキーを見上げた。

 怒ったりしないかなってちょっと怖がりながら、おそるおそる。

 でもそこにあったのは怒った顔じゃなくて、戸惑った顔。

 迷惑だったのかなってやっぱり胸がズキンとしたけど……それが顔に出ちゃったのかな。あたしの顔を見たヒッキーがハッてすると、あたしの頭にぽすんって右手を置いて、深呼吸をしてから言ってくれた。

 

「びっくりしただけだから、そんな泣きそうな顔すんな。その、俺もまだ距離を測りかねてるところもあるから、上手いこと受け入れてやれねぇかもしれねぇけど……その、ええと、あれな。恋人、なんだから……お前ばっかり頑張る必要とかねぇし。つか、悪い。本当なら俺のほうからやってやった方が喜ぶんだろうな、こういうこと」

「え……ど、どうしてそう思うの?」

「あー……小町情報」

「妹に恋愛授業とか受けちゃだめだよ!? さすがにそれはキモいよ!」

「ぐっ……しゃーないだろ、そういう方面で失敗したくねぇんだよ。言っとくけどお前アレだぞ? 俺だけの行動でお前を気遣ってたら、とっくの昔にキモいキモい言われまくってフラれているまであるぞ?」

「んん……それは、やだ。困る」

「キモい言うことは否定しないのかよ……」

「だってヒッキー、キモい時って本気でキモいし……せめてさ、ほら……俺、かっこいい、って思ってる部分、捨てたほうがいいよ?」

「《ズァグシュァア!!》っ……ゲッファ!!」

 

 あ。なんかヒッキーが胸押さえて息を吐き出した。

 え? なに? どしたの?

 

「かっ……かっこ……悪い、デスカ……? 俺、男として……かっこわるい……?」

「うん。すっごく。見栄張ってる時なんかすっごい馬鹿みたい」

「《トチュッ》……!!」

 

 訊かれたから答えたら、また胸を押さえて、じわりと涙を浮かばせた。

 え? え!? なんで!? ハチくんが教えてくれたことなのに! 一度真正面から言ってやらなきゃ届かないとか言われてたから言ったのに!

 あ……で、でもえっと、次に言わなきゃいけないことがあって───

 

「でもね? 見栄張ってない素直なヒッキーが、あたしは好きだよ?」

「───…………」

 

 あ……今度はぽかんとしてる。

 で、えと、次は……

 

「ね、ヒッキー。見栄とか自分は格好いいとかそんなの全部無くしてさ、トラウマなんて忘れたヒッキー、見てみたいな。ヒッキーが過去を否定しないのは解るよ? けどさ、だったら純粋な心だって否定しちゃだめだよ。あたしはもっと……そんな“俺格好いい”って、作ったヒッキーよりもさ、なんてーのかな……こう、ニヒルに笑ってるつもりのヒッキーよりも、自然に笑ったヒッキーが、好きだから」

「…………由比ヶ浜」

 

 ちゃんと目を見て、本音で話す。

 ハチくんの助言はもちろんあったけど、作った言葉は届けたくないし、そんな言葉を言おうとすればあたしは絶対失敗するから。

 だから、ハチくんからのメッセージを思い出して、届けたい言葉を届ける。

 

「無理して作ってるヒッキーはね、うん……ごめん、キモい。でもね? たとえばさ、さいちゃんとかと夢中になって話してる時、たまに出てくるやさしい笑顔がさ……あたし、すっごく好きなんだ」

「……俺は」

「そんな笑顔を向けられてるさいちゃんが羨ましい。向けられない理由はキモいキモい言っちゃってたからかなって思うようになって、でも……好きな人が自分以外の誰かのことを嬉しそうに喋ったり、ニヤニヤしてるのがなんか悲しくて……さ」

「お前…………───そか。だからか。言われてみりゃ、キモい言われるのって……なるほど。すまん、アホだな俺。好意をぶつけてきてくれてるヤツの前で他のやつのことを嬉しそうにベラベラ。俺だったら絶対に許さないノートに名前を書いて、ネチネチと陰湿な嫌がらせを───」

「嫉妬の仕方がすごくセコいよ!?」

「冗談だ。けど、元気は出たか?」

「あっ…………~~……」

 

 ずるい。

 言いたいこととかいっぱいあったのに、全部消えちゃった。

 そんなことしたってどうせ上手くは言えないから、結局はあたしは感情任せでしゃべるしかないんだけど……いいんだよね、きっと、それで。

 

「ね、ヒッキー。デートしよう!」

「い、いや俺今日アレがアレでアレすぎるまであるほどアレだから」

「~~~……」

「《ぎゅうう……》いやおい頼むからその今にも泣きそうな顔やめてくれ……! わわ解ったからデートくらい気の済むまでするから……!」

「だ、だって……言い訳並べて拒絶するくらい、デートが嫌なのかなって……」

「うぐっ……そ、そか、そう受け取られることもあるのか……。すまん、悪気はほんとねぇんだよ……ただ断るための条件反射っつーか……いや待て、ほんと嫌なわけじゃないんだ、本音を言えば家から出たくねぇってのもあるが、あ、あーその……一緒に居たいって気持ちは、そりゃ、あるから……ぁだぁぁあだだだからその、えっとだな、つまり…………デート、嬉しいです」

「~~……ひっきぃい……!!《ぱああ……っ!》」

「……いつも悪い。なんっつーか俺、引っ張ってもらってばっかだな。小町にも踏み込んできてくれてんだから、せめてちゃんと受け止めろって言われてるんだ」

 

 うぅっ……小町ちゃん、応援してくれるのは嬉しいけど、たまに小町ちゃんの入れ知恵の所為で恥ずかしいことあるから、もうちょっとでいいから抑えてほしいなって思うことがある。

 

「……安易な変化を成長なんて呼びたいとか思わねぇけど……覚悟決めて変わるなら、それはちゃんとした成長だよな。……よし。由比ヶ浜」

「え、う、うん。なに?」

 

 改まって呼ばれると、ちょっとドキってなる。

 目は腐ってるけど、真剣だって伝わってくるから、余計だ。

 

「あ、あぁ、えっと、だな……あー……な」

「な?」

「名前で……呼んでも、いいか? ぁぃゃっ、キモかったらそれはべつにいつも通りだし俺はっ……!」

「……うんっ、呼んでほしいっ」

「あきらめ…………お、おう」

 

 嬉しいことを言われて、勝手に緩む顔をそのままで返したら、ヒッキーはどんどんと声を小さくして真っ赤になってった。

 でもちゃんと、結衣って呼んでくれたから、あたしはもう、なんていうか……もう、もうもう。

 

「あ、あの、ヒッキー、あたしっ───」

 

 気持ちが溢れるままに、どうしようもないくらいにうるさい鼓動を届けるみたいに気持ちをぶつけようとした。

 そんな時、こんこんってノックの音。

 溢れた気持ちの分だけ“うひゃー!”って変な声出しちゃって、あたしは椅子ごとヒッキーから離れてしまった。

 ……で、その音を確認してから入ってきたのは……ゆきのん。

 

「……あなたたち。いちゃつくなとは言わないけれど、せめて時間と場所を弁えてちょうだい……。部室はそういうことをする場所ではないのよ……?」

「う、ぁう、あぅう……!」

 

 違うんだよゆきのん! とか言い訳が出そうになるけど、それを否定するのはヒッキーへの想いを否定することだから、絶対にしないししてあげない。

 そんな我慢をなんでかヒッキーがじーーーって見てきて、なんでか小さく……ふわって表情を緩めて、慌ててキリって顔になった。

 ……わ……初めてだ。ヒッキーがさいちゃん以外であの顔を見せてくれた。

 わ、わ、どうしよ、やばいよこれ、すっごく嬉しい。

 

「あの……由比ヶ浜さん? 注意されてそんな顔をされるのは、とても、その、気色が悪いのだけれど」

「言い淀んでたのに言葉はちっとも選ばれてないよ!? ゆ、ゆきのんひどい! もうちょっとビブラートに包んでよ!」

「ごめんなさい由比ヶ浜さん、それは不可能よ」

「不可能なんだ!? え、えー……? ゆきのん、あたしのこと嫌いなの……?」

「い、いえ、そういうことを言いたいわけではなくて……由比ヶ浜さん? ビブラートというのは……」

「え? なに? それって俺が横から歌でサポートすりゃいいの?」

「……由比ヶ浜さん。声、というのは振動なの。私の声に比企谷くんの怨念溢れる振動を混ぜるようなことをすれば、私の言葉が呪われてしまうじゃない。言霊というか悪霊レベルで」

「おいちょっと? なに親が子に教えるみたいに丁寧に人の声帯を呪物扱いしてんの? ならねぇからそんなことには」

「……えと。ビ、ビブラート、じゃなかったっけ。包むの」

「オブラートな」

「!!《ボッ!》」

 

 やらかしちゃった! 知ったかぶって言ってみればこのしまつってやつ!

 い、いいじゃん! 名前似てるんだし! 似たような名前がいっぱいあるのがいけないんじゃん! 日本語は難しいしややこしいってみんな言って……え? 日本語じゃない? し、知ってるし! 知ってるもん!

 

「う、うー……じゃあヒッキー、オブラートってなに……?」

「デンプンを急速に乾燥させて糊みたいにしたもののことだな。菓子用に作ったものから、薬を包むものまで用途はまあまあある」

「……それでどうやって言葉を包むの? オブラートに包むって、出来ないじゃん……」

「いいか結衣。薬を包むって言ったよな? で、鎮痛剤の代名詞であるバファリンの成分が何で出来ているか、覚えてるか?」

「あ……やさしさ!」

「そうだ。よく覚えてたな。つまり薬を包み、痛みを和らげるって意味で、オブラートはその役目をだな」

「? でもバファリンにオブラートなんてついてないよ?」

「……そこは覚えとらんでよろしい」

「? ……? ……あっ! ヒッキー騙そうとした!?」

「いや待て、今のはお前のアホさ加減を図るために───まてまてっ! 今のはつい口に出たっつーか! 本心じゃない! アホだと思ったことはあるが、今はもうそれを含めて好きっつーか! …………ぐっは!」

「え、や、ややや……!《かぁああ……!!》」

 

 ずるい、ほんとずるい。

 アホって言われて喜ぶ人なんているわけないのに、なんで好きなんて言葉を混ぜるんだろうこの人は。

 ただ“好き”って言ってくれたら、嬉しいだけで済んだのに。それだけでよかったのに。ほんとヒッキーってアレだ。すっごくアレ。アレなのに……はぁ。仕方ないなぁ。どうして好きになっちゃったんだろうね。や、うん。こんなことを思ってるくせに、好きで好きでしょうがないんだけどさ。

 

「由比ヶ浜さん、単純にそこの朽ちたモノに認めさせる方法ならいくらでもあるわ。あなたはきちんとここを受験して受かったのだから、地頭力はいい筈なの。ただその、おそらくだけれど……新しい環境に夢中になりすぎたために、集中力というものを置き去りにしてしまっただけなのよ」

「うう……ゆきの~ん……」

「きちんと目標を決めて、向かい合ってみなさい。変わりたいと願うなら、まずは全てを擲ってでもそれを目指す覚悟を持ちなさい」

「すべてをなげうってでも……?」

「そう。人が成長するというのは、多少の変化を指すことではないのだから。今自分が持っている安寧を捨ててでも手に入れたいと思うなら、“どうしよう”は必要ではないわ」

「……そっか。うん……そだね」

 

 人の怖さを経験した。

 あんな世界は二度と行きたくないって思ってみても、考えてみれば……今立っているここだって、人の汚さも生き死にもあるんだ。

 あの世界で得たものを引っ張るかたちで戻ってきたあたしは、あの頃よりも記憶力はよくなってる。

 ハチくんとレベル上げしたお蔭だね。ほんと、ハチくんには感謝ばっかだ。

 ……ん、頑張んなきゃだよね。命懸けとまではいかなくても、失敗が続けばいつかはそれに似たような世界を歩くことになるかもしれない。

 それは嫌だし、嫌だって思うなら……必死にならなきゃだ。

 全部ハチくん任せになっちゃったあの頃とは違う。

 武具を鍛えてメンテしたりしたあたしだ、次は自分くらい鍛えられなきゃ。うんっ、女の子は自分が武器っ! で、あたしは鍛冶屋! マスタースミス!

 ……あ。なんか怖さとか無くなってきたかも。

 

「ゆきのんっ! あたし頑張るね!」

「ええ。あなたなら出来るわ。そこに目の腐った教師も居ることだし」

「だから……いちいち俺を話に出すたびに罵倒すんのやめろ」

 

 「え? つか、俺が教師なの?」って遅れて言ったヒッキーの傍まで行って、「とーぜんっ!」て言う。

 ヒッキーは少し嬉しそうな顔を覗かせるけど、すぐにそっぽを向いて「やだよめんど───」って言って、すぐにハッとしてあたしの目を見てくる。

 

「あ、いや、悪い、違う。い、嫌なわけじゃ、ない。つい癖がっつーか……あ、あー……けどあれな。ほら、お前にはほら、最近よく言ってる親友とか居るし、そいつに教えてもらえば───」

 

 ……ああ、無理してる顔だ。

 自分でもやめろやめろって思ってるのに、経験がそうさせちゃう、あの嫌な気持ちにしかならない……あたしが周りに合わせてばっかの時に、いっつも感じてた息苦しい空気。

 言い終わってから、やっぱりヒッキーも辛そうな顔になった。

 すぐに取り繕おうとするのに、言っちゃったからなかなか取り消せなくて。

 そうなっちゃうと、相手にゆだねるしかなくて。

 だから、あたしは───

 

「《きゅっ》っ! ……あ……」

「……ヒッキーは……さ。それで、いいの……?」

 

 もう一度、ヒッキーに訊ねた。制服の端を抓んで、引っ張って。

 確かにハチくんは物知りだ。

 目の前のヒッキーよりも、先のことまで経験してる。

 でも……そうじゃないよね。あたしが傍に居てほしいのは目の前のヒッキーなんだ。

 それに、相談に乗ってくれるからとか、ヒッキーよりものを知ってるからとか、そんな理由で別の人を好きになったりしない。

 もし他に誰かを好きになるなら、きっとそれは……あたしがもう望めないくらい大失恋をして、挫けちゃったそのあとだ。

 だから……挫けない限り、欲しいものは欲しいって思いたい。

 

「お、俺は……いや、それはお前が決めることで───」

「……“ヒッキーは”。それで、いいの?」

「…………」

「……ひっきぃ」

「…………《いらいらいら》」

 

 はうっ!? なんかゆきのんがすっごいいらいらしてる!

 なんかすっごくヒッキーのこと睨んでるし……や、やー……確かに煮え切らなくて、もやもやしちゃうけど……待って、もうちょっと待って。

 今ヒッキー、きっとすっごく考えてるから。

 前の自分と今の自分のことで、きっと……あたしの時みたいにすっごく悩んでると思うから。

 そんなことを思ってたら、制服を抓んでたあたしの手にヒッキーの手がおそるおそる重なって、あたしの反応を窺がうような目が一度だけ向けられて……すぐにそれも消えた。

 

「……一度だけ」

「……ヒッキー?」

「一度だけ……馬鹿みたいに信じてみて、いいか? 思い返せば恥ずかしくて死にそうになるくらい、受け入れてみて……いいか?」

「一度だけなんて言わないで、何度もだよ。喧嘩だっていっぱいしよ? その度にお互いが悪いとことかちゃんと納得してさ、それで……また恋人に戻るの。あ、でも……」

「でも?」

「“あたしなら絶対に許すから”とか、“こいつなら解ってくれる”なんて考えての行動とかは、絶対ダメ。まずは相談してくんなきゃ許さないから。えと、その。効率がいいからーとかで、他の人に嘘でも告白とか、絶対やだ。泣くから。許さないから」

「お、おう……? 心配しなくても、恋人居るのに他のやつにとかしねぇぞ俺。俺はこう見えて超一途だから。誰かを好きになったら自分の全部をそこに置く。今時古風な女性でもこうはいかねぇだろってくらい相手に尽くすね」

「……専業主夫で?」

「ぐっ……い、いや、なんつーかその。それってお前、その……俺と結婚すること前提で言ってる?」

「え? …………ふええっ!?《ボッ!》な、なな、なっ……………………はい《ふしゅううう……!!》」

「ぐおっ…………!? あ、えぁあ……!? ぅ…………そ、っか……」

 

 二人して真っ赤っか。

 でも、そうなれたらなって思う。

 自分で言うのもなんだけど、あたしも随分と一途だと思うし、ヒッキーもそうなら……いつかはきっと。

 

「いやでも、結衣を仕事に行かせて専業主夫……? くそったれな上司に騙されて弱みとか握られて、脅されたりとか……」

「比企谷くん。仕事はあなたがやりなさい」

「ゆきのん!? てかヒッキーもひどい! あたしそんな馬鹿じゃないし! 嫌なこととか要求されたら、そりゃ、それが仕事なら頑張るけど、肉体関係とかだったらそんな仕事絶対やめるし!」

「生活が危険な状態だったら?」

「ヒッキーと二人三脚で頑張るよっ。えへへ、貧乏でもさ、あったかい家庭、作っていこ?」

「………………雪ノ下。俺、なんかもう絶対こいつ幸せにする」

「私が会社を設立して雇うという方法も……いえ、けれど今のままでは家を頼ることに……ブツブツ」

「? ヒッキー? ゆきのん?」

「由比ヶ浜さん。とりあえず基礎としての力をつけましょう。まずは将来なにになりたいかを明確に───」

「? ヒッキーのお嫁さん?」

「《ツキューーン!》ハウッ……!」

「い、いえ、そういうことではなくて……! 由比ヶ浜さん、落ち着きなさい、どういう仕事につきたいかの話を……!」

「えへへ、内職でもいいから、ヒッキーと居られる時間が長いのがいいなぁ」

「《トチューーーン!》ハグゥッ……!」

「だ、だからそういうことでは……ああもう……!」

「?」

 

 ヒッキーとゆきのんが、なんだかとっても楽しそうだ。

 さっきから胸を押さえてくねくね動いてるヒッキーは……なんかの真似なのかな。顔真っ赤だけど。

 ゆきのんも顔を赤くしながら、あたしの将来の夢を聞いてくれる。

 その顔はほんとにあたしのことを思ってくれてるって解るくらい必死で、なんだかとっても嬉しくて。

 

「はぁ……解ったわ、由比ヶ浜さん。……比企谷くん、やはりあなたがしっかりと働いて…………比企谷くん?」

「………………《ぽーーー……》」

「…………あぁ、もう……。ええそうね、幸せにしてあげなさい。それはあなたにしか出来ないことよ」

「俺にしか…………ゆ、結衣っ!」

「《がしっ!》ひゃあっ!? は、はいっ!?」

 

 いきなり呼ばれて、いきなり両手を掴まれた。

 持ち上げられた手がヒッキーの両手で包まれていて、なんか……こう、ふわああ……! 顔熱い……! これ、これあれだよね? プロポーズとかのシーンでよく見る、あれだよね!?

 じゃあ、じゃあ───!

 

「俺、必死に働くから! 絶対に苦労かけないから! 毎日俺の味噌汁をっ───…………み、みそ……《ソッ》」

「なんでそこで目ぇ逸らすの!? …………~~~ひっきぃいいっ!!」

 

 なんかいろいろ台無しだ! 確かにあたし、料理はあれだけど! なにもこんな時にまで戸惑うことないじゃん!

 大体あたし、SAOで料理とかマスターしちゃってるから言っとくけどゆきのんにだって負けないんだからね!?

 ……あれ? 現実でSAOみたいに素材を切ったら勝手に料理になる、なんてこと、あるのかな。

 ……ないよね!? うわぁあんやっぱり全部やり直しだ! で、でも頑張るし! ヒッキーのためだもん!

 

「いやすまんでも料理とか考えたらいろいろとっ……!」

「あ、あたしだって頑張るよ! 全力でヒッキーのこと支えるもん! 料理だってヒッキーが喜んでくれるなら、どんな味付けにだってするから! だから…………狭くてもいいからさ。一緒の台所で、笑いながら、お味噌汁とか……作ろうよ」

「───、…………」

「……ヒッキー?」

「……由比ヶ浜結衣さん。毎日、俺のために料理を作って、ずっと傍で支えてください。俺も……俺も、支えるから。一緒に歩くから。だから」

「ヒッキー……」

「……どうしてこの子たちはこう、段飛ばしなのかしら……はぁ」

 

 こうして、あたしたちはお互いの将来を重ねることを心に決めました。

 とんでもなく早いかもだけど、他の人とか考えられないから、燻ってしまわない内に。

 今後どうなってしまうかなんて解らないし、なにかがきっかけで壊れたりしちゃうのかもしれないけど……壊れても直せるなら、お互いに寄り添って、強く固く直せるように。

 

(……ハチくん。こっちもなんだかんだで、上手くやっていけるかもです。あたしはこれからヒッキーのこと全力で幸せにするから、ハチくんも全力でそっちのあたしのこと、幸せにしてあげてください)

 

 メッセージを飛ばして、緩む頬をそのままにヒッキーに抱き着いた。

 ヘンな声が出てたけど、それでも背中に腕を回して抱き締めてくれたのが嬉しくて、もっともっとって抱き締めた。

 うん、すぐにゆきのんに怒られたけど。

 えーと。

 それからの日々を語ると、もう周囲の言葉一つで決着がついちゃうから、語ることはしない。

 だってみんな口々にバカップルって言うんだ。

 好きな人とやっと一緒になれたんだから、甘えるくらいいいと思うんだけどな。

 ヒッキーも中学まで散々だったからってあたしのこと大切にしてくれて、あたしもヒッキーのこと大切にして。

 想って、想われて。

 SAOの影響なんだろうけど、勉強も苦じゃないくらいするすると頭の中に入っていって、今ではヒッキーと同じ大学も全然夢じゃない。

 あたしはきちんと自分磨きが出来たみたいだ。

 だから……えーと。

 怖くはあったけど、あんな世界にも……一応、ありがとうを。

 親友に会えた。

 恋人も出来た。

 他に出会う人なんて、あたしのことなんか鍛冶職人としか見てなかったんだろうけど、おかげで今こうしてるんだし、それでいいんだと思う。

 不思議な体験は不思議な体験のまま、それで終わらせるのが一番だ。

 今はただこうして、大好きな人と大切な親友が同じっていう奇妙な世界を、楽しみながら生きていこう。

 あ、でも、研ぎ師の職に入るのもいいかも。

 ヒッキーが、包丁研ぐ姿が真剣すぎて逆に綺麗だ、って褒めてくれたし。えへへ。

 

「《ピピンッ》わっ……ハチくん?」

 

 頬を緩ませた、休日の自分の部屋。

 ヒッキーに電話かけようかなって時に来たメッセージには、なんかいろいろあって災害対策の人に勧誘された~ってことが書いてあった。

 ……うん。ハチくんならどんな災害が来ても押し返せると思う。

 バレちゃったのかな。バレちゃったんだろうなぁ。

 くすくすと笑いながら、“けど安定収入だ”って文字に、ほんと仕方ないなぁって思ってしまう。

 さ、これからあたしも頑張ろう。

 一応、普通の人よりは身体能力とかすごいし、料理スキルも高いままだったお蔭か、この材料でなにが出来るかとかパッと浮かぶようになったし、調理ミスもちっともなくなった。どんな工夫をすれば美味しくなるかも完璧で、毎日ヒッキーが美味しい美味しいって言ってくれる。えへへ。

 うん、こうやって強い奥さんになって、もっとずっと、しっかりとヒッキーを支えていくんだ。

 あ、でもやっぱり研ぎ師とかはやりたいかも。

 うん、頑張っていこう。

 現実もゲームも変わらない、死んじゃえば終わっちゃうような、こんな世界の下で。




 皆様、クリスマスはいかがお過ごしでしたか? 僕は仕事でした。
 クリスマスのガハマさん的なお話とか書かないの? とか言われました。が、仕事でした。
 余裕ないって悲しい……! ぼぼぼ僕だって書きたかったさ! でも出来ることっていったら選択肢のアレを少し更新するくらいだったんだもの!
 それも23:57分投稿とかめっちゃくちゃギリギリっていうかもうクリスマス終わってるんじゃない? くらいな時間で感慨もなにもあったもんじゃあござんせん!

 そういうことなので、時間がなくて投稿できなかった分、連続投稿でした。

 *今回の話を投稿するにあたり、“一部クロス”タグを追加いたしました。


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もっさりなのですよぅ。《デーン》

 pixivメッセ、“八結の集い”にて、あろえさんというお方のオリキャラ、アロエちゃんを俺ガイルに混ぜてみたSSを書いた時があったの。
 使用許可が出たので貼り付けますじゃ。

素敵な“アロエちゃん。”の内容はこちらの検索結果から。
http://www.pixiv.net/search.php?s_mode=s_tag_full&word=%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%82%A8%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%80%82


 ───医者いらず。

 これを聞けばまず思い出されるのはアロエであろう。

 主に我々が見ているものはキダチアロエといい、独特の形、初見ならばサボテンの仲間? と首を傾げる者も多いことだろう。

 しかしその実、アロエという植物として独立して知られる存在は300種かそれ以上とも云われており、しかしながら食用として知られる物は極僅かとされている。

 そんな医者いらず代表のアロエだが、実は大根も医者いらずと呼ばれており、これは“あろえさん”が描いた絵でもわかる通り、医者いらずとしての見えないプライドをかけた戦いが繰り広げられたことは、想像に難くないだろう。たぶん。

 

 そんなアロエなのだが。あー、なんだ。どーしてこんな話をすることになったのかといえば、そもそもあんなことがあったから、なのだが。

 

   ×   ×   ×

 

 とある日、とある放課後の奉仕部にて。

 今日も今日とて依頼者の来ない時間潰しのためのラノベを開き、いつも通りの位置に座り、いつも通りの時間を過ごしていた。

 本日も面倒ごとなどなく、普通に過ぎると……誰もが、いや、誰もがは言いすぎか。俺の一存で誰もがとか決めつけられたら、いろんなやつらに「やだキモいちょっとやめなよ、ヒ、ヒー……ヒ、なんとか」とか言われかねん。

 想像の中でも名前すら知られてねぇのかよ。そっちの方が泣けるわ。

 

「ねぇねぇゆきのん。昨日さ、あたし暇だったじゃん?」

「知らないわ」

 

 あー、居るよなー、自分のことは知ってもらってること前提で話すヤツ。

 ちなみに俺は誰にも知られていないから、そんな言い方をされることなど絶対にないと断言できる。……出来てしまうのだ。やだ稀少。

 

「暇だったんだけどさ、ほら、日曜だったし。そんでさ? たまには誰とも遊ばず一人でってのもいーかなって、一人で出かけてみたんだ」

「そう」

「そしたらさ、ららぽの近くで店頭販売とかやっててさ! なんか可愛いアロエ売ってたの! あ、あと大根!」

 

 おいちょっと? そこで大根言う意味あったの?

 話の筋に関係ないならそっとしておいてあげなさいよ。大根だって案外つつかれたくない時とかあるかもしれないでしょ? イケメンが賑やかな街の話題を出してる時に、“あ、そういえばそこにヒキタニくんも居てさ”とか言い出したら、途端に場が困惑に支配される、あの微妙な切なさ貧しさと心細さを知らねぇのかよ。

 ミミズもオケラもアメンボも生きてるんだから、植物だって生きててもおかしくねぇだろ。きっとほらあれだよ、頭だけ出して地面に埋まってる在り方とか、本能的にぼっちを志す孤高の存在なんだよきっと。

 ……適当にでっちあげてたら親近感覚えちゃったよ。大丈夫か俺。

 

「可愛いアロエ……葉が小さい、というよりは、全体的に小さかったりしたのかしら」

「ううん? 可愛かった!」

「………」

「?」

「おい由比ヶ浜。雪ノ下が言いたいのは、あくまで具体的な可愛さであって、可愛けりゃなんでもいいみたいな言い方のお前のそれとはそもそも意味が違ってだな」

「なっ!? なんでもいいわけじゃないってば! てか聞いてたの!? 女子の話に聞き耳立てるとか、ヒッキーキモい!」

「こんだけ静かであんだけ元気に喋れば、耳塞いでたって聞こえるだろ……」

 

 そして結局どう可愛いのかがまるで説明されてねぇ。

 もうなんなのこの子ったら。っつーか由比ヶ浜のことだから、写真くらい撮ってるんじゃねぇの?

 

「由比ヶ浜」

「な、なに? その、話に混ざりたいならさ、聞き耳立てるとかじゃなくて最初からさ……」

「いや、そうじゃねぇよ。写真だよ写真」

「写真? しゃ……《ポッ》あ、あのさ、ヒッキー。撮って……どうするの……?《もじ……っ》」

「いやお前の写真じゃねぇから。話進まねぇだろうが、アロエの写真とかねぇのかって言ってんだよ察してくださいお願いします」

「あっ、わ、わかってるし! 写真ね、写真……えとー……」

 

 その反応はわかってない子の反応だってお母さんいっつも言ってるでしょ。言ってねぇしお母さんでもねぇけど。

 

「写真はないんだけど、動画ならっ!」

 

 ───そして。

 ほら、と元気に見せてくるガラケーに、それは映っていた。

 

『あろえ』

『あろえ!』

『あろえ?』

『あろえ』

『あろえ!?』

『あろえ』

 

 ……。

 …………え?

 

「あ、の……由比ヶ浜さん……? これっ……~……これは……?」

「へ? ……え? ゆきのんもしかしてアロエ知らないのっ!?《ぱあっ……!》」

「由比ヶ浜さん? 今すぐそのうずうずとした笑顔をやめなさい。知っているに決まっているでしょう。けれど、こんなアロエは見たことがないのよ」

「……つーかさ。これ、アロエなのか?」

「そんなの当たり前じゃん? “あろえ!”って言ってるんだし」

「本人(?)が言ってるからそうだってわけじゃねぇだろ。口癖ってだけだったらどーすんの。その理屈だとお前の名前が“ヒッキー・シ・キモイユキノン”になるだろが」

「待ちなさい比企谷くん。その言い方だと私が気持ち悪いというように聞こえるわ」

「てゆーかなんなのその名前!」

「あ? なにって……」

「あなたがよく口にする言葉を並べただけよ、由比ヶ浜さん」

「そ、そんなことないよ!? ゆきのん違うよ!? あたしもっとべつのこと言ってるし! ってかヒッキーキモい! 人の口癖おぼえとくとかほんとキモいから!」

「言ってる傍からコンプリートしてるじゃねぇかよ……」

 

 耳を傾ければ、ヒッキー、し、キモい、ゆきのん、くらいしか主に言っていないんじゃなかろうか。

 いや、そんな疑問は些細なことだ。この映像の先の現実に比べれば。

 

「それで、その……由比ヶ浜さん? 今の一連のことはなかったことにするとして、それがよしんばアロエだったとして、まさかとは思うけれどあなた……」

「? うん、買ったよ?」

 

 945円だった! と元気に言ってのける由比ヶ浜を前に、俺と雪ノ下は頭が痛くなるのを確かに感じた。

 

「それでねそれでねっ? この子が可愛いんだー♪ 水が欲しい時とかちゃんと喉が渇いたーって言ってくれてね?」

『言う!?』

「うひゃあっ!? え、え? なに? どしたの二人とも……」

「……由比ヶ浜さん。とても聞き捨てならない言葉が耳に届いたのだけれど。今あなた、アロエが喉が渇いたと言う、と……そう言ったのかしら?」

「? うん、言ったよ? なんで?」

「………」

「………」

 

 あれれー? おかしいぞー? 常識さんが呼吸してないぞー? …………急いで蘇生措置だ! 逝かせぬ! 決して逝かせはせぬ! 日々の大恩人をこのような形で失うというのなら、俺は恥にかけて生きてなどおれぬ!

 などとヴィルヘルムさんやってないで。

 大変困惑している俺と雪ノ下を前に、さすがの由比ヶ浜も戸惑いと疑問を抱き始めてきた。

 

「……え? えとー……アロエって、喋るん……だよね?」

「………」

「………」

 

 雪ノ下と二人、頭を抱えて“あちゃー、そう来たかー”と息を吐いた。

 

「だ、だってほらほら、構ってあげると喜ぶし、水のあげかたとかまちがっちゃった時なんてほっぺた膨らませて怒るし、ストローもおっきいと“細いのがいい”とか言い出して、あの途中でコキキって曲がるタイプのストローのがいいとか、頭のお手入れとかしてあげるとつやつやになって、えとえと、ほらっ、動画でもっ」

『もっさりなのですよぅ《デーン!》』

「ねっ!?」

 

 なにがだ。

 雪ノ下と二人、真顔で見つめ返すしかなかった。

 

「あ……でもね、買う時に気になったんだけど……ひとつだけツヤがないアロエがあってさ。あたしが見た時、最後まで残ってたけど……どうしたのかな。ちょっと心配だ……」

「そ、そう……」

「お、おう……」

「というか、あの……由比ヶ浜さん? それはその……飼えるの? 飼えるものなの……?」

「え? …………んっふっふっふーん♪ やだなぁゆきのん、アロエは動物じゃないんだから、飼うのとは違うんだよー?」

「───……比企谷くん。あなたの顔面を殴っていいかしら。ええ、もちろんグーで」

「なんでだよ!」

 

 怖いよ。あと怖い。

 

「あ、そだ。買う時にさ、えっとー……ほら。栽培方法が書かれた紙、もらったよ?」

「栽培方法? ……そう、あくまで植物だと言い張るのね……」

 

 言いつつ、由比ヶ浜がリュックから取り出した紙を受け取り、目を通す雪ノ下。すぐに読み終えたのか、珍しくも俺に渡してくる。

 珍しいこともあるもんだと紙を受け取り目を通してみれば、飼育、もとい栽培の仕方が確かに書いてあった。

 ……会話ができること前提で。マジか。

 

「……感情の起伏で様々なことを喋り、学び、成長していきます……?」

 

 【水は欲した時にあげるのがよいでしょう。体にかけると怒ります。水道水は怒ります。かといってミネラルウォーターなどならなんでもいいわけではなく、軟水硬水での好みもあり、その好みはきちんと本人(以下、本アロエ)に訊いてください】

 【土を湿らせるのは普通のアロエと同じ頻度でいいでしょう】……おい、普通のアロエとか書いちゃってるよ。どうすんのこれ。

 ええと? 【花を咲かせるには、アロエちゃん本アロエの並々ならぬ苦労と努力が必要です。本アロエ自身が良しとしない限り、無理に行動に移ってはいけません。特に断水は一ヶ月にもおよび、その末期に到る頃には真っ白なペテルギウス・ロマネコンティと言われても“あ、やばい、ちょっぴり納得できるかも”と思えるほどゲッソリします】

 【育て方により容姿が変わってゆくので、どうか大事に育ててあげてください】

 【“アロエ代表”のタスキをかけてあげると、しばらくドヤ顔が見られるかもです。会話も大事な成長の要素なので、たくさん語り掛けてあげてください】

 【目指せ! アロエ界の風雲児!】

 

「………」

 

 栽培の仕方から顔を上げた。

 ……遠い目をせざるをえなかった。あー、そこで同じように遠い目をしてる部長様の気持ちが、今、もんのすごーくわかるわー。

 

「ところでゆきのん、ふーうんじってなに?」

「……。状況の流れに乗って、劇的に活躍する者、という意味よ。そうね、わかりやすく言うのなら……物語の中、危機的状況に勇者の卵が現れて、活躍して勇者になる、という意味かしら」

「おおー……!? ……うん、そっか、うん」

 

 こくこくと無駄に何度も頷く由比ヶ浜。……ああ、こいつわかってねぇわ。

 

「あー、ほれ、あれだ。野球で追い詰められた時に、普段目立たなかったのに、ここぞって時にホームラン打って、一躍有名になったーとか、そういう“流れに乗って勇者になる”存在だ」

「あ、なるほっ───だ、だからわかってるってば! あれでしょ!? 棚からずんだ餅!」

「ちげぇよ」

「違うわよ」

「あぅっ……も、もー! 餅の話はいいから! とにかくほら! ねっ!? ちゃんと可愛いアロエでしょ!?」

「まあ、そうね。確かに、言葉通り可愛いアロエね。困ったことに、他に説明のしようがないくらい、“可愛いアロエ”だわ。けど、その。訊いてみたいのだけれど、これは本当にアロエなのかしら」

「え? うん。包丁で指軽く切っちゃったんだけど、髪の毛千切って傷に効くからって」

 

 やだ献身的……!

 しかも自己犠牲なのに自己犠牲って意識とか全然なさそう……!

 あと包丁使ってなにしてたんですか? 八幡とっても気になります。

 

「……なあ、雪ノ下」

「なにかしら比企谷くん。私、今はくだらない質問に使えるほど、頭に余裕がないのだけれど」

「くだらないって決めつけるなよ……まあくだらねぇんだろうけど。……アロエ界における危機的状況って、どんなもんで、このー……アロエちゃん? は、どう活躍したいんだろうな」

「……。人を癒す世界……? アロエの活躍の場といったら、それこそ医者いらずの代名詞を叶えて見せること、くらいなのではないかしら」

「スケールでけぇなおい……!」

「そうでもないわよ。……そうね。世界を変える、というのはなにも、私だけがどう、ということで完結するものでは必ずしもなかった筈で…………目から鱗だわ……!《ぱああ……!》」

 

 おい。おいちょっと? 由比ヶ浜さん? 部長様が植物人間(意味が違う)の夢に感銘を受けて、目をきらきらなされちゃってるんですけど? どうしたらいいですか誰か教えてください。ぼっちだから他人への対処なんてわからない。知らないフリとかスルーとか無視とか視線逸らしなら知ってるけど。あ、スルーでいいのか。……どれも大して変わらねぇよ。

 

「あ、でもね、本人は嫌がってもさ、土は定期的に変えたり、栄養あげたりしなきゃだから、そこが難しいみたいなんだよね。変えようとすると植木鉢にしがみついちゃって」

 

 ……想像してみたら可愛かった。やだ、欲しくなってきちゃった。俺、毎日可愛がるよ。時間なら売るほどあるし。ぼっちだから。

 そんで構いすぎてアロエにも“キモい”って言われるのな。……言われちゃうのかよ。

 

「自分の居場所を護るのに必死になれるというのは、とても素晴らしいことだわ。千里の道の一歩目から諦めることしか考えていない誰かとはひどい違いね、比企谷くん」

「人を引き合いに出して罵るの、やめません? いーじゃねぇかよ身の程と分際を弁えてるってのは。誰の邪魔にもならない、誰にも干渉されない。俺にも他人にもやさしい世界じゃねぇの」

 

 だからもし世界を変えるなら、教師が“二人一組でペアを作れ”とか言わない世界を作ってください。

 もちろん願ってみるだけだが。

 しっかしアロエね。

 喋るアロエって、一緒に暮らしてみたらどんな感じになるのかね。

 少なくともぼっちとは相容れないんじゃないかしら。

 ……会話に困って気まずい空気になる未来しか想像出来ねぇ。

 って、考えてみれば相手、植物じゃねぇか。

 いくらぼっちでも植物相手に口ごもったりとか……なんて言えるのはぼっちとしてまだまだ未熟だ。

 意思疎通できるんだぞ? 会話できるんだぞ?

 その時点でアウトじゃね?

 いや、アウトって思うからだめなんじゃねぇの? 逆にポジティブに考えよう。

 

 

  世界初! アロエに気持ちで負けた男!

 

 

 ……。

 

 

 陽が傾き始めた奉仕部。

 

 

 一人の、目が腐った男がマジ泣きしそうになったという。

 

 

 

───……。

 

……。

 

 奉仕部を出て、やがて分かれ道に来るまでは、終始アロエ談義で盛り上がっていた。

 ああ、もちろん俺は度外視する。

 知らないものな上に、ぼっちたる俺に盛り上がれとか難度高すぎだろ。難易度、なんて言うまでもなく難度で十分なくらい、難しさしか存在してねぇってレベル。

 

「たでーまー」

 

 家に帰れば安心の溜め息。やっぱ我が家はいいものです。

 玄関の鍵も開いてたし、小町ももう帰って───

 

「あ、お兄ちゃん! ちょっとちょっと! こっち!」

「あ? どしたー?」

「いーから! 焦ってるの見ればわかるでしょー!?」

「……?」

 

 小町に急かされ、1.1倍くらいの速度で急ぎ、招かれるままに洗面所へ。

 辿り着くと、そこには……!

 

『ぁ……ぁろ…………』

「───」

 

 どっかで見たアロエがおりました。しかも水浸し状態で。

 やだ……! 妹がよもや殺人……!? ん? 人? あー……さ、殺……アロエ?

 

「お水欲しいっていうからたっぷりジャバーってやったらこうなっちゃって! 小町ちょっと植物に詳しい友達に連絡するから、お兄ちゃんちょっと見てて!」

「は!? ちょ、待て! そういう重要なことを人に任せるな! お前それあれだぞ!? 全人類に嫌われる明確な行動、“人に任せといて最悪の状況になったらそいつの所為”って最低行為だぞ!?」

「あーもーうっさい! そんなことしないから見てて! いーい!? 絶対弱らせたりしないでね!?」

「なっ……おいっ……! ちょ……!」

 

 …………行ってしまった。

 やーだー、これ思いっきり言った通りのパターンじゃないですかー。

 ちょっと聞きました? 奥さん。最後にしっかり弱らせたら承知しないとかそれっぽいこと言い残したりしていきましたよ? そんなことしないからが聞いて呆れますわよねぇ?

 

「………」

 

 しかしだ。

 流石に目の前、というか眼下で弱っている命ある者、しかも意思疎通が出来る存在をこのままにしておけるほど、目以上に心を腐らせているつもりはない。

 とりあえずアレな。アロエ、水のやりすぎで検索だ。

 

「ちょっと待ってろな……てか、すまん。うちの妹が」

 

 謝罪を口に、スマホで検索。

 出てきた結果から対処法を選び、その上でアロエ本人……ん? 人? ああいやそれもういい、本人に訊き、望む通りの対処を続けた。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 環境を整えてやれば、ゆるゆると復活し、もっさりなのですよぅというよりは、しっとりなのですよぅといった様相のアロエが、俺の部屋の窓際にちょこん。

 しかし相当怯えているようで、戻ってきた小町を見た時なんか悲鳴をあげた。

 おい小町ちゃん? どんな水のやり方したの。タイダルウェイブでも発生させたの? それとも水を張ったバケツの中にでも沈めたの?

 …………訊いてみると、そのどちらでも視線を外したので、しばらく俺が預かることになった。うちの妹がすいません、なんて言う日が来るとは思わんかった。むしろ言われる方だと思ってたよ。うちの兄がすいません、って。……思っちゃだめだろそれ。

 

『………』

「まあ、気にすんな……ってのは無理だな。あー……じゃあ、その、なんだ。…………ゆ、ゆっくりしてけ? か? 俺にお前に危害を加える理由はねぇよ。元気になったら、それ以降どうするかは自分で決めりゃあいい」

『………《こくり》』

 

 おお、頷いた。

 ………………。

 いや、べつに可愛いとか思ってませんよ?

 ただ胸がとくんとかしちゃったとか……いや、だからねーから。

 

   ×   ×   ×

 

 それからも、世話をする日々は続いた。

 少しずつだが口を利いてくれるようになり、話が出来るようになると、身近なものの話題が増えて、一緒に見たテレビのことで盛り上がり、今週のリゼロ、よかったなーとか言い合ったり。

 ふと、俺が飲んでるマッカンが気になったのか、別の容器に開けた少量のマッカンをストローですすり、目を輝かせてくれたものの、あとで目を回してぼてりと倒れたこととか、しかし美味しさに共感してくれて、大いに燥いだり。

 そうした日々を続けていると、学校でもついニヤケてしまうことがあるようで、ついに奉仕部にてそれをツッコまれた。

 

「い、いや……俺も、な。ほらその、あれだ。アロエ……育て始めて、よ」

「そうなんだ!?」

「比企谷くん……あなたにそんな趣味があったなんて」

「おいやめろ、マジやめて? 俺だってたまにハッと気づくと、頭を抱える時間とかあんだから。植物相手にアニメの感想とかラノベの感想を笑いながら言い合ってるところ、小町に見られた兄としての俺の気持ち、お前にはわからねぇだろ……」

「………」

「その“もう手遅れなのね”って目で見るのほんとやめような?」

「ね、ね、ヒッキー、ヒッキー……」

 

 心に寂しい風が吹く中で、由比ヶ浜が俺の傍まで来て制服を引っ張る。

 やだ、誤解しちゃうからやめて? こんなことくらいでトキメくほど、今の俺は緩くない……つもりなんだけど、アロエとの会話が続いた所為か、どうにも表情が緩くなりやすくなってしまったようで、顔に出る。

 小町に指摘された時は死ぬかと思ったわ。わかりやすいくらい、感情が顔に出てるって言われた。

 まさかとは思うが、あのアロエって心の病っつーか、ぼっちまで治すんじゃなかろうな。

 ……なんか冗談どころじゃなくなってきた気がする。

 

「ヒッキーのとこのアロエちゃんってどんなの? うちのはね、なんか赤ってのかな、色が変わったんだ」

 

 ほら、と見せてくるガラケーの画面には、赤くなったアロエ。

 赤っつーか、こいつの髪の色に似ている。

 そしてもっさりだ。

 

「ヒッキーのとこのは?」

「い、いや、俺は写真とか撮ってねーから……な?」

「そなんだ? 授業中とか休み時間、スマホ見ながらニヤニヤしてたから、最初はわかんなかったけど、そういうことだったんだーって思ったのに」

 

 ぐぉはっ!? 見られてた……!

 い、いや、あれべつにニヤニヤしてたんじゃないからね?

 俺はただ、少しずつ元気になっていくあいつが心配で、けれど嬉しかったっつーか安心するっつーか。

 

「ね、ヒッキー、土のことなんだけどさ、ちょっと相談……してもいいかな」

「相談? いや、あいつ大抵のしてほしいことは口にするだろ」

「えー? そんなことないって。なんか悟りとか開いた目で、“なんもしなくていいのですよぅ”しか言ってくんないよ?」

「……お前なにしたの……マジで」

 

 ……まあ、こんなことがきっかけといえばきっかけだったのだろう。

 アロエについて由比ヶ浜と話す機会が増えて、さらに言えばアロエと話す時間がかなり増え、漫画も小説もアニメも一緒に見るし、散歩もするようになった。(植木鉢ごと俺が持って歩いたり、自転車の籠に入れて走るスタイル)

 気づけばコミュ障というものが薄れていき、笑顔も増え、ある日指摘されると、目の腐りもなくなっていた。

 医者いらず、すげぇな……と呟いた頃には、奉仕部での座る位置も変わっており……

 

「ヒッキーヒッキー、うちのアロエちゃんが、またヒッキー連れてこいってうるさくて……」

「だからお前の話題は偏りすぎなんだよ。今度アニメとか貸してやるから見とけ」

「……えと。それ、さ。ヒッキーの家で見るとか……だめ、かな。や、やーほらっ、うちもさっ、DVDとかって自分の部屋にないっていうかっ!」

「……? そうだったか? ああ、まあならべつに…………いい、のか?」

「う、うん。いいんだよ、うん。アロエちゃんも、ちゃんと連れてくから」

「そ、そか」

「うん……」

「おう……」

「………」

「………」

「…………………」

 

 気づけば、由比ヶ浜との距離も縮んでいた。

 なんの話? と誰かが割り込んでこようが、アロエの話と言うとみんなが首を傾げるもので、しかしながら今になっては妙に生きがいめいたものにまでなっていた。

 小町がそろそろ返してほしいとやってきても、アロエ自身がそれを嫌がり、結局は俺が責任を持って共存することが決定。

 今も俺の部屋で、俺の帰りを待っていてくれているのだろう。

 部屋に戻った時におかえりなさいですよぅとか言われると、ちょっと感動。

 ぼっちだった心が洗われるようだった。

 

「あっと、もう完全下校時刻だね。ゆきのんっ、帰ろっ?」

「え、ええ……」

「んじゃ、下駄箱で待ってるから」

「あ、うん。てか、ヒッキーの家で待ち合わせでいいんじゃない?」

「いや、家まで送って───……ぐぉぁぁ……!!」

 

 しかしだ。

 洗われすぎて、たまに無意識に自爆する。

 今も一緒に帰るのが当然、みたいな流れが勝手に自分の中で完成してたし、もう泣きたい。

 由比ヶ浜は由比ヶ浜で、顔を赤くしてぶちぶち言いながらも頷いてるし。

 

「………」

 

 そんな由比ヶ浜だったが、雪ノ下に「鍵は私が返してくるから、ここまででいいわ」と言われ、少し粘ったが頷いた。

 そうして由比ヶ浜と二人、アロエの話をしながら歩き───

 

……。

 

 ……たしたしたし、prrrr……ブツッ。

 

『ひゃっはろー雪乃ちゃん。珍しいねー、雪乃ちゃんから私に電話なんて。なになに? どうかした?』

「………」

『え? アロエ? アロエが欲しいって……え? 喋るアロエ? ……あの、雪乃ちゃん? アロエは喋らな……ちょ!? なにその深い溜め息! “わかってねぇなこいつ!”って意味が多分に含まれてるみたいで、お姉ちゃんとっても不快なんだけど!?』

「………」

『話についていけないって……今現在お姉ちゃんこそが話についていけなくて困ってるよ! 大体なんでそんな話に……待って待って泣かないで!? これじゃあお姉ちゃんが泣かせたみたいでしょ!? ていうか、え!? 雪乃ちゃんが泣っ……ちょ、えぇえーーーっ!?』

 

 

 

 ……後日。

 なぜか幾つか買っていたらしい平塚先生から、1アロエ譲り受けたらしい雪ノ下が、ドヤ顔で話に混ざってきた。

 それから奉仕部は賑やかになり、平塚先生ともアロエ談義をする仲となり、部員も顧問とも仲良しな部活がここに完成。

 大きな刺激はないがとても平和で、ある意味で青春満載な学園生活は、こんな感じで続いてゆくのだった。

 ただ、平塚先生から譲り受けたという雪ノ下のアロエが、時折『青春できているうちに、彼氏でも作った方がいいのですよぅ……』とか言うのだとか。

 ……先生、アロエにいったいなにを語り掛けてたんですか……。

 

 

 了

 



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ごちゃ混ぜた結果①

なんかいろいろ混ざってます。
SS全部設定をほぼごちゃ混ぜたものです。
もちろんクロス系も混ざってるのでカオスです。
ただのお遊びなので、続く予定はありません。


 秩序の消えた混沌の町、千葉県千葉市美浜区腐眼通り。

 刺激を求める少年たちに安息はなかった。

 『愚者(フール)』とはそういった暴徒たちのことである。

 徒党を組み、組織化されたチームどうしで日々争いを繰り返していた。

 街に住む裕福な者たちにとって、愚者という存在はただの厄介者でしかなく、チームをたばねるボスたちの首に多額の賞金をかけ、楽しむ者すらあった。

 だが、自分の首にかけられた賞金の額など、彼らにとってはただのステータスシンボルでしかなかったのかもしれない。

 

  カオスな街である。

 

「オラオラ子供ォさっさと出さンかいクラッ!」

「その若さで墓石入りとうなかろうがオォ!?」

「俺たちゃ親切で言ってンだよ! ……どっちみち盗られンならよォ……ケガする前のがよかねぇか? ン?」

 

 カタッ……ポシュッ。

 

「そうそう、それでいンだよボケが…」

「ホッホォ~、持っとるのォォォォ」

 

 

───……。

 

……。

 

 

 

「パパー! あさりがしっかり砂吐いたよー!」

「これであとは海水から出して、濡れ布巾をかぶせてしっかりとコハク酸を出させることで完璧に仕上がる……! あさりの処理もしっかり完璧……これぞジャスティス」

 

 ドーモ初めまして、ニンジャヒキガヤーです。

 本日は晴天、ところによりはるちん。

 今日も元気な比企谷絆がお送りします、ヒューマンドラマの始まりです。

 ええまあただの一日ではあるんですけど。

 

「あのな……なんなんだよさっきのやり取り。なに? キャンディなの? バド・ワイザーなの?」

「たまにはハメを外したくなる時だってあるのです。さぁさそれよりパパ! 開店準備かんりょー!」

「どこからでもかかってきなさい……!《グッ……!》」

「美鳩、お客をターちゃんポーズで待ち構えるのはやめなさい。それより和香(のどか)(みどり)は?」

「和香ならお手拭きタオル取りにいっておるですよ? そしてこの絆は客を迎え討つ準備のため、呼吸法にて腹筋と、さらにその奥のインナーマッスルを刺激中! ……熱くなってきたぜぇ……!」

「ちなみに翆はお冷の準備中。そして美鳩はゴルフでいうプリショットルーティーンのように、お決まりの姿勢を取ることで肉体を活性化。なお、ルーティーンとはルーチンともルーティンとも言い、ルーティーンは主にスポーツ全般で呼ばれるものであるが故に、動作という意味で美鳩はルーティーンと呼ばせてもらう。喝!《クワッ!》……動作だけで既に熱き我が肉体、とてもジャスティス」

「……無理に熱くならんでよろしい。で、お前たちは? 肉体の準備はまあある意味スポーツ並みに動くから納得だが、開店準備の方は?」

「サー! 貝を見守っておりました! ちょいと脅せばゴハァと砂を吐き出す姿はお笑いだったぜ!」

「ゴハァと砂を吐く様を見届け、今はコハク酸をじっくり出させているところ。ちなみにお手拭きとお冷が揃えば準備は完璧。実にジャスティス」

「まあ、今日の日替わりはあさり使うから、準備って意味ではまちがってないわけだが。二人で見守るほど重要でもねぇだろ」

「ガマの油ですよパパ! 見つめることで緊張を高めさせ、呼吸を行なわせるついでに砂を吐かせるのです! あとはホラ、オラオラ子供ォとか脅すことで、より一層の緊張を」

「そして今は窒息させることでコハク酸。美味になるよう手段を用いられた食材は本当に美味しく尊い。美鳩はそれらの食材と、その技法を発見した先人に敬意を抱きます。表しませんが」

「そこは表してやりなさい」

 

 喫茶ぬるま湯。

 それなりに広い街の一角にぽつんと……っていうのはなんか嫌だから違うと言うけど、ともかく存在している喫茶店。

 そこがわたしたち比企谷家の住居であり仕事場だ。

 両親に比企谷八幡、比企谷結衣、子供にわたしこと比企谷絆と双子の美鳩、その妹として和香が居て、パパの妹として比企谷小町。……は、一緒に住んでないけど。

 わたしたちの関係は結構複雑……なのかな。

 じゃあちょっくらまとめダイジェスト。ざっくりと軽く、されどややこしい回想入ります。

 

 

 

-_-/回想みたいなややこしいダイジェストチックななにか

 

 えーと、そもそもパパとママの出会いは幼い頃まで遡り、とあるパパの誕生日の翌日にまで飛ぶ。

 

「はっぴばーすでー、つーゆー♪」

 

 親からの扱いが酷かったパパは家出まがいの冒険をして、とある公園でママと出会い、家族の代わりに祝ってくれたママにハートキャッチ。

 

「……えと、はーくん?」

「おう! 結衣にはそう呼ばれてる! 比企谷八幡だからはーくんだ! よろしくな! えーと、ゆきゆき?」

「それはやめて」

「お、おう」

 

 以来、幼馴染として一緒に過ごし、途中で雪乃ママや隼人さんを加えた、4人の幼馴染として仲良く過ごす。

 

「ありがとう。もう少しで俺は、幼馴染を見捨てるような男に成り下がるところだった……」

「なりさがるとか難しい言葉知ってるなぁ……べつにいいだろそんなの。誰かを悪者にしなくちゃ人の幸せを認められないような世界で笑ったって、きっと心の底から笑えないだろうし」

「……そうだな。えーっと…………そういえば君、名前なんだっけ。俺は葉山隼人だ」

「比企谷八幡だ」

「そっか。よかったら友達にならないか? ていうかこの学校の生徒じゃないんだよな? どこに住んでるんだ?」

「……《ぽしょり》」

「キミこんな時間にここでなにやってるんだ!?」

「幼馴染を助けに来た! 文句あるか!!」

 

 パパとママが恋仲になったのはそれこそ幼稚園か小学の時で、幼い日にママが欲しそうにしていた縁日の指輪を贈っての告白から深い仲に。

 

「おっちゃん、その指輪、これ全部と交換してくれ!」

「用意がいいなおい……どうしたんだよこれ」

「祭りだからトレード出来ないかって持ってきた!」

「……お前さん、さっきの嬢ちゃんの友達かなんかか?」

「お、おうっ! あいつに贈りたいから頼む! てか早く! 気づかれたら恥ずかしいだろ!」

「かっかっか! おうおうおう青春じゃねぇか! いいぜ? ただしそれ全部とだ」

「全部かよ! ……いいけど」

「作ったのが俺の兄貴なんだ、嬢ちゃんが成長してつけられなくなったら、この番号に連絡しな。中井出って言やぁわかるからよ」

「なかいで……な。よし覚えた!」

「んで? いつ渡すんだ? 今すぐか? ン?」

「け、結婚するまでには渡してやらぁ!」

「だっははは! そうかいそうかい!」

 

 や、その前にとんでもないことが起こったりもしたらしいんだけどね? そのとんでもないこと、っていうのが本当にとんでもないくせに、実際にあったことだから困る。ま、それは一旦置いといて。

 

「結衣、その……大丈夫か?」

「ん、へーき。もう、その質問もう5回目だよ?」

「だだだだってな……! そういう人が居たって話はあっても、実際に結衣がそうなると……!」

「大丈夫、ちゃんと産むよ。この日のために頑張って体力もつけたんだし。それに、こういうのがちゃんとかたちになるって……嬉しいから」

「くそ……なにか出来ねぇかなぁ俺……! なにか……!」

「大丈夫だよ、はーくん。はーくんはこれから先、あたしを何度も救ってくれるから。あたしはそんなはーくんだから、もっともっと好きになれたんだし、もっともっと好きになっていくんだ」

「なんだよそれ……まるでもう絶対に起こること、みたいに言って」

「ん、ぜ~ったい助けてくれるから、安心出来てるんだ。これは絶対。だから、また……あたしを助けてね?」

「助けるし守るし幸せにする! だから今出来ることが欲しいんだって!」

「じゃあ……隣に居て?」

「~~……ああもう! それしか出来ないのかよぉお……!」

 

 二人の仲があんまりにもいいからと親同士も意気投合、13で子供が欲しい、なんて話になって、実際にわたしと美鳩が産まれた。え? パパとママ? 今年で29歳ですよ?

 

「そう、ちゃんと結衣は双子ちゃんを産めたのね?」

「ああ。安産だったそうだ。……お前も、頑張ってくれてありがとう」

「さすがにちょっと疲れちゃったわねー……でも……うふふ、かわいい男の子。どんな子に育ってくれるかしら~♪」

「13も離れていると、結衣も戸惑いそうだな」

「今じゃ陽乃ちゃんも娘みたいなものだし……なんだか急に大家族になっちゃったわね」

「それでも支えるさ。これからも、支えさせてくれ」

「あらあらあら、それは私の台詞よ? ふふふっ」

 

 ちなみにその時、ママのママ、おばあちゃん……って言うほど歳とってるようには全然見えないんだけど、関係上はお婆ちゃんなママのママ、愛称マママも妊娠。わたしたちからすれば叔父となる男の子を産んだ。

 

「にーちゃんねーちゃん! みはとのことしらない!?」

「ん? 今はママのんのところじゃないか? あの人美鳩のこと好きすぎだから」

「それより庵~? 外から来たら手を洗う、でしょー?」

「ねーちゃんだってあらわないとき、あるくせにー」

「うぐっ……あ、揚げ足とらないの!」

 

 それが由比ヶ浜庵という男の子。同い年だけど叔父様だ。美鳩のことが好きらしい。相手にされてないけど。

 ……っとと、お客さんきた。ダイジェスト思考もいいけど、仕事もしなきゃだね。

 

「おっとお客様一号だ。おっし、元気になー」

「らじゃーですパパ! いらっしゃいませイカ野郎!!」

「だからバラティエ接待はやめろというのに……」

 

 いらっしゃったのはある日に助けた不良クンだった。

 名前なんていったっけ。えー……つ、つー……ああそうそう、都築さんと同じ苗字だったね。都築槻侍(つづきつきじ)クン。同い年。

 

「あ……よ、よっす」

「よく来たなコノヤロー! こちらの席へどうぞ! 注文があるなら言うがいい! 手遅れになっても知らんぞーーーっ!!」

「急かすなよ! えっ……と……ぶっ……ブルーマウンテンとティラミスセット、たにょむ」

「ブルマをチラ見ですね!? ヘボイモ恐れ入ります! あと噛んだことはあえて無視するものとする! ざまぁありません!」

「わざと!? ねぇお前わざと言ってんの!?」

 

 知り合いや常連、付きまとう粘着度の高い相手には、結構遠慮はしない。

 接待は楽じゃないのです。

 え? こやつ? なんかわたしの行動を逐一観察してきてるから、きっとどこぞのスナイパーに違いない。油断ならぬ存在よ。だがこの比企谷絆、その程度の監視で動揺するほど愚かではないわグオッフォフォ……!!

 

「パパー、ブルチラだってー!」

「───《モシャアッ!!》」

「うぉおおおいい!? マスター殺意の波動放ってるからマジやめて!? 本気で殺されかねねぇだろうが!」

 

 ちなみに。パパは世界的に、は違うかもだけど、千葉市にその人ありと謳われた伝説の超人、ニンジャヒキガヤーである。いきなりなんば言いよっとかとか思うかもだけど、とにかく普通じゃないのだ。あ、手ぇ空いたしまたダイジェスト回想いこうか。

 

「一人でレベル4800とか……やだ、ユニークすぎて笑えない……! 茅場って馬鹿なの? ねぇ馬鹿なの?」

 

 とある出来事がきっかけで超人的な能力を手に入れた、とかで、えーと……レベル4800? がどうとか。

 

「孤独であればあるほど強くなる、ねぇ……。結衣も雪乃も隼人も居ねぇし、他のやつらからも誘われるわけでもねぇし……いや、ソロの方が気楽でいいんだけどね。つかなんなのいきなり、気がつけばゲーム世界とか。異世界転移でぼっちとか笑えねぇよほんと……」

 

 水の上も走れるし、本気で拳を天に振るえば雨雲が吹き飛ぶところなんか、どこの地上最強のヨメだとザイモクザン先生がツッコんでた。まあそのつまり、一旦置いておいたとんでもないこと、っていうのがこれだ。

 

「たった一人で、この第100層までたどり着いただと……!?」

「あんたが茅場か。とりあえずお前ハイスラでボコるわ」

「ほう? 随分とまた余裕なものだ。たった一人で」

「せいやーーーっ!!」

「うぬっ!?《ガキゴシャアンッ!!》なっ……盾が!? シールドブレイカーか! だがすぐにストックを」

「せいやーーーっ!!」

「ぬおっ!?《ガッシャアンッ!》っ……アーマーキラー! まさか君は、すべてのLAやレアアイテムを」

「せいやーーーっ!!」

「ちょ待《ゴガシャァンッ!!》ブ、ブレイクブレイド!? 待て! 待ちたまえ! そ」

「せいやぁあああっ!!」

「《ザゴォンッ!!》っ……かはっ……!!」

「……、あれれー? おかしいぞー? HPバーがレッドにならないぞー?」

「~~っ……ぐっ……す、すまな───」

「イカサマ、チートには罰を。運営がそれやっちゃあいけないよな? じゃあ……とりあえずお前、リアル裏蓮華の刑な?」

「ままま待て! 待ちたまえ! 私の負けだと《ドゴゴシャバゴボゴガンゴンガン!!》ギャアアアアアアアアア!!」

 

 異世界転移、なんてものを本当に体験してデスゲームをクリア、そこで得た経験がそのまま身体能力として染み込んじゃってて、そんなことを何回か繰り返したとか。

 

「あー……これ、お前の方だと何回目だ?」

「5回目……かな」

「そか。俺はまだ二回目なんだけどな……」

「はーくんはどうして、毎回あたしを助けてくれるの?」

「お前のその背格好、小学五年あたり……だよな。まあ、もうちょいだろうから待っとけ。俺の方から告白するだろうから」

「えっ……《ポッ》」

 

 しかもその繰り返した数だけママを助けるに至り、平行世界がどうとかじゃなく全部同じママだったからさあ大変。子供の頃のママを助けてくれたのが青年のパパで、そんなパパに守ってもらってたママはパパに憧れ、面影がある元の世界の子供のパパが当然気になる。

 

「~~……《ちらちら、ちら?》」

「……なぁ雪乃。最近、結衣が俺のことちらちら見てくるんだけど……もしかして、バレてる?」

「だとするなら、早く告白することね。いつまでも渡さないままじゃ、指輪がもったいないわよ」

「わわわわかってらぁ!」

 

 さらに言えばそのあとも異世界転移を繰り返して、そのたびにパパに助けられてれば……そりゃ告白される前から好きになってるよね。あ、でもどのみちパパのことは好きだったみたい。それこそ、子供の頃から。だからまあ、結果はより一層好きになった、ってことくらいだ。

 

「で、今度は雪乃も居るわけね……それとも毎回居たのか?」

「あなたは……はーくん? 随分と背が高いけれど……」

「おう、今年で二十歳のはーくんだよ。そっちは中学になったばっかか?」

「え、ええ……ところで、その……この世界は、いったい……?」

「モンスターハンターの世界へようこそ、だ。しかも無印だ。封龍剣が栄えるな」

「あ、ゆきのーん! ゆきのんもこっち来てたんだ!」

「あっ……ゆーちゃん……!」

 

 雪乃ママも似たような経験をして、パパやママほどじゃないけど不思議な力を持ってる。あ、パパは傷とかも癒せたりしちゃうから、一時期は救助活動もやってたそう。

 あ、その似たような経験には隼人さんも巻き込まれることになったみたいで、話してくれた時は苦笑いから表情が変わることが無かった。苦労したんだろうなぁ。

 

「俺ももっと経験を積んで、八幡のように武器を振るえるようになりたいな……」

「私としては、ゆーちゃんのように素早く動けるようになりたいわ」

「んー……あたしの場合、えっと、SAO? の世界で、はーくんに手伝ってもらっておまけで100レベルになっただけだから……」

「大剣を二刀流とか、八幡は規格外だな……」

「アイテムストレージに武器も入れられるから、あれはあれで楽なんだけどね。ところでやっくんはこれが初めて?」

「ああ、うん。急に知らない景色だったから驚いた」

「はーくんはモンスターハンターG、とか言っていたわね」

「しかしあの武器は強いな……! モノブロスがあんなにも嫌がっている……!」

「あれ、もう切れ味レッドゲージの大剣だから、鈍器でしかないんだけどね……あ、角折れた」

「そういえば、真紅の角を欲しがっていたわね……。はぁ、あとは惨殺ショーかしら」

 

 救助隊の人は続けてほしかったらしいけど、パパはやりたいことがあるからってそれを拒否。たまに道行く人を助けることはあっても、千葉を護るヒーローになりたいわけじゃないって、今は喫茶店のマスターだ。

 

「ちっくしょう! 村が……! アミィ! アミィーーーッ!」

「父さん! 母さーーーん!!」

「隼人! 村人の避難は!?」

「完了してる! そっちの方はどうだ!?」

「アドネード親子はしっかり救助した! けどまずい! ペンダントが既に敵の手に渡ったらしい!」

「ペンダントって……あのペンダントか!」

「あの……っ! あなた達はあのペンダントがなんなのか知ってるんですか!? いや、それよりも父さんと母さんは無事で───!?」

「アミィは!?」

「だ、だいじょぶ! へーきだから落ち着いて!?」

「今は森の方へ避難してもらっているわ。それよりも……ペンダントが奪われたのは痛いわね……。ダオスにも母星を救うという目的があるとはいえ、話をするだけで納得してもらえるとも思えないし」

「やっぱ過去へ飛んで、ユニコーンロッドでユグドラシルにバリアーかけるしかない、か……」

「ユニコーン……あの、清き乙女の前にしか現れないという……」

「~~……《かぁああ……!》」

「……私が行くしかないのね」

「ゆゆゆゆゆゆきのん!? 今べつにそれ言わなくてよかったよね!? よかったよねぇ!?」

「13で子供とは、俺も驚いたよ。早く帰ってやらないとな、八幡? 絆ちゃんと美鳩ちゃんのためにも。君が今何歳なのかはわからないが」

「ほっとけ」

 

 ともかく。結構複雑な関係なのだ、比企谷家と由比ヶ浜家と雪ノ下家と葉山家は。

 

「いいから……僕に構うな! 今さら、どのツラを下げて戻れっていうんだ! それに、僕が裏切ったと知られれば、マリアンは……!」

「え? マリアンさん? もう救ったから平気だよ?」

「ヘ?」

「あいつらが油断するのをずーっと待ってたんだよ。だから、リオン……いや、エミリオ・カトレット。お前がここで死ぬ理由も、裏切りがどうとか悩む必要も一切無し。ほれ、行くぞ」

「え、あ、いや……だとしても! 今さらっ……!」

「じゃあ謝れ。悪いことをしたって思うなら、許してもらえるまで、罪悪感が消えるまで何度だって。死んだ方が楽ってのは無しだ。ていうか早く。さすがに洞窟ごと崩れたら、俺でも出られるかわからない」

「~~……僕はっ……!」

「過去なんて断ち切っちまえ。そんで、姉とか友人とか仲間に心許して、きちんと笑える自分になりゃいいだろ」

「僕はっ……!!」

「生きたいか生きたくないか!」

「いっ……生きたい! 僕はっ……あいつらを、信じてみたい!! だから……だから! 僕を救ってくれ! 頼む!!」

「……! はーくん!」

「よし! 昇降装置を追うぞ! 結衣! リオン! 俺に掴まれ! ていうか結衣はべつに残らなくても……!」

「だって! ……危ない目にあって、もし死んじゃうんだとしたら……一緒にって、思うもん……!」

「……~……《かぁああ……!》う、嬉しいけどな……! 娘たちのことも考えてくれな、ほんと……!」

「それ言ったらはーくんもだよ!」

「ゴメンナサイ」

「こんな時にまで夫婦喧嘩はやめろ!」

「うるさいわ! 元はと言えばお前がごねるから悪いんだろうが! ……よしっ! んじゃあ昇降装置目掛けて~~……!!」

「おいっ! 水が来たぞ!」

「超・跳躍!!《どごぉんっ!!》」

「うわぁああっ!?」

「~~っ……」

「そして昇降装置に蹴り!!《がしゃあんっ!! ……スタッ!》───よし! 急ぐぞ! あんま遅いと置いていかれる!」

「ああ! 早く僕を下ろせ! すぐに走《ギャオ!》うわぁああっ!?」

「喋るな舌噛むぞ!」

「どっ……どういう速度しているんだお前は!!」

「よし着いた! ……こんな速度だが?」

「───リオン!?」

「リオン!」

「ぅ、あっ…………スタン……、姉さ……ルーティ……」

「じゃ、行こう」

「うぇええっ!? ちょ、はーくん!? 感動の再会は!?」

「いやいやなに言ってんのちょっと、そんなのは船の中でやろう? じゃないと潰れるよ? いやマジで」

 

 幼馴染だった四人だけど、一度高校でぶつかり合ったことがあって、でもそれを奉仕部って部活の関係を通して和解、解決に到るやより一層に深い絆を認め合って、現在の仲に到ってる。

 

「本物が欲しい……ね。今ならわかるわ、その言葉の意味が。狎れ合いでは足りないものが確かにあった。私たちは、それに気づくことが出来なかった」

「うん……だからこうしてぶつかって、言い合って、ぶつかり合って、重ならない気持ちを重なるかたちに変えてくんだ。……はーくんだけが悪者になったってだめ。誰かを蹴落とさなきゃ幸せになれないなんて、そんな幸福、あたしは欲しくないよ……」

「そうだな……俺達はまちがってしまったけど、こうして顔を向き合わせて、伝え合い、手を繋ぐことができたから。今度はそうして出来たこの関係を、崩さないように支え合っていこう」

「つーかな、隼人。元々お前のグループのやつらがだな」

「いや、それを言うならお前が」

「二人とも。……言いたいことがあるのなら、全部をここに吐き出しなさい。全てまとめて、解決してしまうから」

「そうそうっ、今さら外の誰かの言葉で、あたしたちが迷う必要なんてないんだしさ、くっだらないことも楽しいことも、全部まとめてあたしたちで解決しちゃお? あたしたちだけでダメなら、陽乃さんメンバーで解決すればいいんだし!」

「まあ、彩加は外見はアレでも妙に頼りになるところとかあるしな」

「そこで真っ先にさいちゃんなんだね……」

「陽乃さんか。俺達の高校卒業に向けて、いろいろと練っているらしいから、これから忙しくなるだろうけど……頑張っていこう、八幡。俺達が手を組めば、出来ないことなんてそんなにないさ」

「まったくない、って言いきらないところがさすがだなおい」

 

 その過程、ってよりは高校一年の時に中学生だったいろはママとパパが本屋で出会って、中々賑やかな関係になってる。っとと、また客だガッデム、いやいいことなんだけど。

 

「……っしゃぁせー、っさぬるぁーゆよーそー……」

「やっ……やる気が微塵にも感じられない!! 友達が来たってのにこの扱いはないでしょちょっとー! 絆!? 絆ー!!」

 

 やってきたのはわたしの友人でした。適当に案内しましょう。

 




……うん、翆は絆たちと同年代の方が扱いやすいと思いますじゃ。
うーん失敗した。


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ごちゃ混ぜた結果②

 ……というわけで。また昔語りに戻ろうか。え? 友人? 適当に案内しましたよ?

 で、と。

 お婆ちゃん……パパ風に言うならママさんと、雪乃ママのママ……ママのんは乳母みたいな関係だし、陽乃さん……はるのんとも仲がいい。とくにママは妹扱いされてて、はるのんはママさん大好きっ子だ。

 隼人さんは優美子さんと結婚して翆を産んで、和香ともどもここで元気に社会勉強中だ。

 パパの友達である戸部さんも海老名さんと結婚、しょっちゅうここに遊びに来ては、仲良く語らって帰っていく。

 友達といえば……戸塚さん……さいちゃんさんとザイモクザン先生は外せないだろう。

 編集と小説家の仲で、上手いことやってるらしい。

 打ち合わせとか、静かに書きたい時なんかは結構ここを利用する。

 ム? わたしはわたしですが? 美鳩も美鳩である。

 ただ和香が……たまに中二病っぽい行動を取って、雪乃ママに精神的ダメージを与えてたりする。

 昔はどうしてダメージ受けるのかわからなかったけど、今は……まあその、なんとなく。雪乃ママにも……やんちゃな頃があったんだね……。

 

「おっとと、お客さんだ。始まったばっかりで忙しいっていうのは人気の証拠だね。さっすがパパの店!」

「やあ、絆ちゃん。今日もお邪魔するよ」

「いらっしゃいませお客さま。お帰りはあちらよ? 回れ右して帰りなさい」

「相変わらず雪乃ちゃんの真似が上手いね……」

 

 やってきたのは隼人さんだった。

 翆の父親で、優美子さんの旦那さん。

 はるのんが立ち上げた会社の一員で、言ってしまえばこの喫茶店もその系列のひとつだ。

 はるのんが率いるメンバーは、パパ、ママ、雪乃ママ、隼人さん、優美子さん、いろはママ、戸塚さんにザイモクザン先生、沙希さんに小町お姉ちゃん、戸部さんに姫菜さんだ。

 高校でそのグループを結成、総武高校の近くに構えたマンションに一時期は住んでいて、そこで高校一年から大学卒業まで随分とやんちゃしたらしい。

 実際、この土地と喫茶店建てるのも一括でPONと出せるくらい、余裕なお金があったそうで。

 最初こそはるのんの秘書みたいなことやってたっぽいんだけどね。

 そこから着手し始めたことを、はるのんに次々と任されるようになって、気づけばコーヒーの勉強が修了していて、こうして会社丸ごとな喫茶店が完成した。

 え? はるのんの会社本部? ここの二階ですが?

 全部屋完全防音、社員以外が適当にドアノブを回せば警報が鳴るような管理体制と、社員の服には警報用スイッチが仕込まれていて、危険が迫った時は容赦なく押してよし。

 レストラム中野の店長、中井出氏が旅行の土産を親切にも運んでくれた際、誤ってドアノブに触れてしまって大変なことが起きたのも懐かしい。

 え? 雪乃ママが隼人さんに“回れ右”を言い出したきっかけ?

 ま、まあそのー……黒歴史をつついてしまった、とだけ。ラーニングと胸の話と不忍池は禁句なのですよ。

 

「絆ちゃん、今日は社長……陽乃さんは?」

「重陽の節句に仕事が入ってたから~って、昨日菊酒飲み過ぎて、現在ぐったり中ですよ」

「なにをやってるんだあの人は……」

「まあ既に仕事は終わらせたようですけど」

「酒に酔おうと仕事はこなす、仕事人の鑑。その在り方、実にジャスティス」

「あぁ美鳩、注文なんか通った?」

「Si、日替わり軽食とティーセット。アッサムで」

「おお紅茶。そんな彼奴らには絆が! 今ここで! 真の紅茶というものを見せつけてやらねばなるまいて! どおれひと腕振るってやるとするか~~~~~~っ!」

「まだまだ雪乃ママには叶わない。絆は未熟。ふふり」

「みっ……美鳩だってでしょー!? パパの腕にはまだまだ追いつけないくせにー!」

「ぐっ……要修行……! 美鳩はまだまだくじけない……!」

 

 お月見や敬老の日も近い。ていうか本日お月見だから、張り切りもしよう。

 行事にはいろいろうるさいぬるま湯だ、今年もいろいろやるのだろう。楽しみだ。

 腕を振るいつつ紅茶を淹れるべく動くと、とっくにお湯の温度を調節している雪乃ママが居た。

 

「あれ? 雪乃ママ? てっきり軽食の方やってくれるかと思ってた」

「軽食ならゆーちゃんがやってくれているわ。……はぁ、けれど、こんなかたちで専業主婦めいたことを担うことになるとは思いもしなかったわ」

「雪乃ママ、それまだ言ってるの?」

 

 雪ノ下雪乃。

 子供の頃、何気ないパパの一言で専業主婦を目指すようになり、今日に到る。

 子供の頃に空港でいろいろあったとかで、踏み込んで訊いてみても、雪乃ママは顔を赤らめて俯くばかりだった。

 運動勉強料理に掃除、ほぼなんでもこなせる上に、漫画やラノベやアニメにも理解のある完璧超人だ。おまけに美人。最強。胸には触れるな。

 ただし、言った通りちょっぴりやんちゃしちゃってた期間があったそうで、それは本気で黒歴史。

 中二っぽい話題と胸の話題は控えよう! 絆との約束だ!

 ……ええはい、子供の頃に踏み込んで後悔したクチです。

 踏み込み過ぎて、ハイライトの消えた目から涙をツーとこぼさせつつ、希望を失ったような顔をさせてしまったあの日が、今も我が心に。

 ほら、あの、よくあるよね? 自分の左肩甲骨を覗くような姿勢で、自虐の笑みを浮かべつつ涙する、目から光が失せた女性と言えばいいのかどうか。

 まあその、ああなったわけで。

 

「家から一歩も出ずに、家の仕事をやる。紅茶を淹れたり皿を洗ったり。まあ、ある意味で間違っていないわね」

「まちがってるよー……まちがってないけどある意味と方向性敵にまちがってるよぅ雪乃ママ……」

「構わないわよ。そもそも私は世界を変えるために立ち上がったのだから。そのことでゆーちゃんともはーくんともやっくんともぶつかりはしたけれど、それも綺麗に清算できた。私の世界は、もう変わったし変えられていたのよ。よかったと思うわ。だって私、今の自分が嫌いではないもの」

「専業主婦を自慢するような自分が!?」

「ええ。自宅でずっと働いているようなものだもの。それに、幼馴染も続けられて、その絆も広がるばかり。とても心地よい世界だわ」

「なんかわたしが広がってるみたいで嫌な気分です」

「その絆ではないわよ」

 

 みんなの絆代表、比企谷絆。───そう、わたしです。

 そのかたちとして産まれたわたしですが、むふふ、ええ、いろいろな人の物真似が得意デス。なぜってみんなの絆ですから。

 首を90°傾げて“デス!”とか言うのも可能です。たぶん曲がってる。きっと。

 首の柔軟から始めて、一時期ゴキリと鳴って絶叫したりもしましたが、まあなんとか。常になにかしらから学び、賢く強かに生きることこそ勤勉。でも怠惰も大好きなので、そこはほら、バランスバランス。

 七つの大罪と言いますが、時に必要なものも混ざってるんですよね。

 まあようするに行きすぎるなってことですね。

 プライドラースエンヴィースロウスグリードグラトニーラスト!

 ……モンハンで怒り喰らうイビルジョー装備はグリード(強欲)ですけど、なんでグラトニー(暴食)じゃなかったんでしょうね。それが不思議です。

 

「《ハッ!》文字数の問題かっ……!」

「いきなりなにを言い出しているの」

 

 真顔でツッコまれてしまった。落ち着こう。

 ともかく、わたしの親たちはいろいろ複雑な関係にある。

 パパは異世界転移した影響で基礎能力が化け物になった所為で、一時期人を遠ざけたことがあるそうだ。

 その時に“ぼっち理論”を習得してしまった。

 ママもパパを刺激しすぎないようにって空気を読むことを覚えてしまい、雪乃ママも二人に頼りきりだったのでは、と孤高に生きようとしてしまって。隼人さんは何もできない自分を変えたくて悩むあまりに、ことなかれ主義に流れてしまって、それぞれがバラバラになっちゃって。

 これらが捻くれたお陰で高校でいろいろあった。

 もっとも、そのお陰で幼馴染とその周辺の皆さまはこうして仲良くなれたらしいのだが。

 “本物”っていうものを求めて、手を伸ばして、掴み合って、繋ぎ合って。

 そうやって出来た絆が、今ここにある。いえ、わたしのことじゃなくて。

 

「さ、紅茶が出来たわ。持っていってちょうだい」

「ラーサー! 美鳩ー、日替わりはどうー?」

「こちらも完了。仕込みが済んでいればどうということはない」

 

 ふむ。ママの手作りあさり料理。

 ……べつに摘んでしまっても構わんのだろう? ……構うか。

 

「お客様になれば毎日ママの手料理が食べられる……お客様は幸せ者だね」

「それ、はーくんの前で言うのは絶対にやめなさい? 最悪、軽食がメニューから消えて無くなるわ」

「パパ怖い!」

「その独占欲を娘に向けてくれればいいのに……実にノンジャスティス」

「あ、ところで今日叔父様は? いっつもなら朝イチに来るのに」

「……いい加減、お金尽きた?」

「ツッキーは頑張ってるのにねー」

「ツッキーは努力賞。好きな人に会うためならバイトも真面目にする猛者。叔父様は───」

「叔父様はねー……ママに言って、家族割引とかないのか、なんて泣き落とししてきた時点でアレだもんねー……」

 

 ツッキー。不良クンのこと。都築槻侍だからツッキー。

 あだ名の由来は、パパとママの間が微妙になった時、ママがパパにつけたあだ名に由来する。

 一時期、あのママがパパのことをヒッキーと呼んでいたことが判明し、わたしは大変驚きました。

 そんな驚愕から、この名前は来ているのですヨ。

 まあ微妙な仲になろうとも夫婦はしてたし、わたしたちもきちんと育ててくれましたから、パパとママにはアレです、マジ感謝ってやつです。むふん。

 

「《カランカラ~ンっ♪》むっほぉん! 八幡! 八幡はおるかーーーっ!!」

「いやうるせぇよ。静かなジャズが売りの店で絶叫名指しとかやめろ馬鹿」

「おお! 我が永遠の同胞・八幡よ! 今日も漆黒なる苦を舐めに我参上! ……あの、編集さんと打ち合わせがあるので、奥のいつもの席をお願いします」

「彩加来るのか。んじゃ、エスプレッソとティラミスだな。お前はどうする?」

「我もエスプレッソを所望する。あ、菓子はワッフルで。バスターじゃないやつ。砂糖たっぷりだけど練乳は入れない方向で」

「注文細けぇよ。もういいだろ、バスターMAXセットで」

「やめて!? 我このあいだ、それで悶絶したばっかりなのよ!?」

「それで悶絶&同情されて締め切り伸ばしてもらえたんだろが。つーか、もういいのか? 小説は出来てるのか?」

「ふむふはははは! 我をどなたと心得る! ローソンとかの放送で剣豪将軍とか言われてドッキーンとしたら、足利義輝のことでちょっぴり赤面しちゃった男! 材木座義輝なるぞ!?」

「胸張れる要素がこれっぽっちもねぇよ。ああ、そういやこの前、剣豪将軍義輝フェアとかやってたよな。いちいちお前のこと思い出して辛かったわ……」

「なにが!? なにが辛かったの!? 我べつになにもしてないであろう!? してないよね!? ねぇ!?」

 

 ザイモクザン先生は今日も全力で暑苦しそうである。

 ともあれ席へと案内して、注文通りのものを届けると、あとはさいちゃん編集さんを待つばかり。

 

「くふぅ……! この待つ時間というものは、何故こうにも人間を締め付けるのであろうか……! 岸辺露伴の言葉ももっともであるな……! 遅く来てもダメであり、早く来てもダメ……! むしろ途中で合流出来たなら、我は……我はぁあ……!」

「ここに来るまでの道のりで泡拭いて倒れそうですよ?」

「《ぐさっ!》ぶひぃっ!? き、絆嬢……! まさしくその通りすぎるから、やめて……!」

「ふふり。悩み事ならばこの美鳩にお任せ。悩める子羊…………子羊?」

「我、そこは疑問に思うところと違う気がする! 我だって……我だって痩せようとしたのに! 社長殿が! 社長殿がーーーっ!」

「あー……はるのん、ザイモクザン先生は太ってないとねー、って言ってましたねー……」

「でも健康太りで実にベネ。さいちゃん編集と並ぶと、実にバランスが取れていてジャスティス」

「あ、それはわかるかもです。よくあるあのー……聖書とか配りに来る人? 不思議と二人組で、太ってる人と痩せてる人、背が高い人と低い人、若い人と年老いた人、ってコンビで訪れるんですよねー」

「あ……なんか我、その例えすごくわかるかも……!」

「おっと、入り口付近が騒がしいですね。さいちゃん編集さん来たかもです」

「ぶひぃっ!? わわわ我は居ないって言って!?」

「いやなんでですか。そもそも打ち合わせに来たんでしょーに」

「わわわわかっているのだが、ついクセというものが……!」

 

 カタカタ震え出し、汗を掻き始める先生を置いて、わたしたちも仕事に戻る。

 一番奥の席からカウンター側へ戻ってみれば、来ていたのはやっぱりさいちゃんさんだった。

 

「あ、絆ちゃん、美鳩ちゃん、おはよう」

「おはようございます、さいちゃんさん」

「Buon giorno、さいちゃんさん」

「あはは、ciaoでいいってば、美鳩ちゃん」

「No、さいちゃんさんは偉い人なので、それは抵抗がある……」

「そんなことないのに……編集っていったって、社長のところで働かせてもらってるーってだけだよ?」

 

 戸塚さいちゃんさん。もとい、戸塚彩加さん。

 美人。以上、説明不要。え? ダメですか?

 えーと……美人さんでさえ言葉を忘れる美人さんです。

 別名、胸のない秋津洲。秋津洲については艦隊これくしょんをどうぞ。

 いえまあ、ほんと、髪伸ばしてる所為で女の人にしか見えません。あ、秋津洲と違って髪はストレートで腰まで長いです。どんな原理なのか、髪が横へとふわりと広がってる感じです。魔術かなんかですか? かわいいからいいんですが。

 スーツも女の子っぽいのですし、はるのん、これ絶対狙って選んでますよね……? この腰回りとか絶対に女の子ですって! なんですかこのくびれとか!

 スカートじゃないってだけで、なんかいわゆる仕事のデキる女! みたいな着衣ですし! やっぱり狙ってますって!

 そして、つい最近まで本気で女の人だと思って〝さいねーちゃん”と呼んでおりました。呼ぶとぷんぷん怒って“僕は男だよっ!”というところなんて、ザイモクザン先生悶絶の可愛さです。

 

「えっと、それじゃあ材木座くんは……あ、いつもの席だね? 八幡、八幡のことだからもう作ってあるんだよね? 受け取るから、出してもらっていい?」

「いや、これも仕事であってだな」

「自分で持ってくる、くらいのことをした方が、材木座くんも落ち着いてくれるんだよ。だから、お願い」

「っ、お、おう」

 

 ……だから! ああもうだから! 反則だって言ってるじゃないですかー!

 どうして男なんですかねこの人! お願い、とかあんな笑顔で言われたら、いくらママラブなパパでも動揺しますよ! そしてわたしの笑顔では微塵も動揺しないパパ。おのれ。

 ともあれ、丁度出来上がったセットを渡すパパと、受け取るさいちゃんさん。

 そして、笑顔で鼻歌なんぞを歌いつつ奥の席まで行くと、それを卓に置いて髪を耳に掬いあげるように引っ掛けながら席に着いて、「おまたせっ」、とにっこり。

 ……あ、ザイモクザン先生が「がはぁっ!」とか言ってテーブルに突っ伏しました。

 

「パパ……あれ、自覚ないんですよね……?」

「ああ、全然まったく、これっぽっちもない。天然ってマジ怖い」

「《ごくり》……さいちゃんさん……! おそろしい人……!」

 

 あ、でもおろおろして心配して声をかけられたら、一発で復活しました。

 ザイモクザン先生も大概です。

 

「あのー、す、すんませーん!」

「おや」

 

 美鳩がごくりと喉を鳴らしていると、とある場所で手を挙げて誰ぞを呼ぶ者。

 声でわかりましたけどね。ツッキーだ。

 一息吐いて、向かおうとすると、肩をグッと掴まれた。

 振り向けば、何故か凛々しい顔をした美鳩。

 

「姉者、ここはこの美鳩が」

 

 誰だアンタ。

 や、まあたまにテンションがおかしくなるのがわたしたちだけど。

 

「美鳩が~───来た!《ビシィンッ☆》」

「え゙っ……いや、俺は姉の方を───」

「個人を指名なぞ、この店の品を楽しみに来たのではないと断定する。YESジャッジメント?」

「ノ、ノージャッジ! 話がしたいんだっての! 弁護人を要求する!」

「喜べ少年。この美鳩が弁護する。主に絆を」

「意味ねぇだろそれ! え!? 俺それどうすりゃいいの!?」

「……フム。コーヒーもケーキも終わっている……」

「コーヒーおかわりおねがいしますっ! いいんだろこれで! そもそもそれが要求で、ついでに話せればってだけだっての!」

「……《コンコンッ》」

「カムイン」

 

 話を聞いていたこの絆にぬかりなし。

 しっかりとコーヒーのおかわりを用意してテーブルの傍まで来ると、そのテーブルをノック。

 美鳩のカムインの声を聞いてから行動して、

 

「コーヒーを………………お持ちしました」

 

 カラのカップにおかわりを注ぐ。

 さあ、それを見てのツッキーの行動や如何に!?

 

(なっ……なんかめっちゃ見られてる……! え!? これ、なんかしなくちゃなんねぇのか!? 間違ったら……あれか! 男として恥ずかしいって感じのやつか! よ、よぉしやったろうじゃねぇか! コーヒー飲むのに作法なんかあったのかなんか知らねぇけど、そういや紅茶にはあった気がするし、多分コーヒーにもあるに違いねぇ!)

 

 ツッキーがカップを手に取る!

 そしてしゅるっ……とすすって───!

 

「……ありがとうお嬢さん、とても美味しいよ」

 

 なんかダンディな声でそんなことをぬかした。

 対するわたしと美鳩、トホホイと溜め息。

 

「きみには失望したよ……」

「ツッキーには難しすぎた……残念」

「うぉおおい!? 俺が悪いのかよ! ってかこれに正解なんてあるのか!? 二人して俺をからかいたいだけじゃ───」

「そう言うと思ってこちらに熟知した先生をお呼びしました。先生、よろしくお願いします」

「もはははは! 甘いわ小僧! コーヒー! ブルーマウンテンといったら! ……あ、嬢、我に一杯」

「オッケィ先生!《コポポ……》……コーヒーを……………お持ちしました」

 

 現れたザイモクザン先生に、持ちっぱなしだったブルーマウンテンを注いだカップを渡す。

 先生、それを上目遣いのまましゅるっ……とすすると、驚いた顔で一言。

 

「……オー、ブルーマウンテン」

「恐れ入ります」

 

 そしてわたしと美鳩はハイタッチを決めたのであった。

 

「わけわかんねぇよ!? え!? それだけでよかったのか!?」

「てゆーか先生、もういいの? 打ち合わせは?」

「あふんっ!? い、いやそのな? なにやら思った以上にあっさりOKが出たので、我自身とても驚いていて浮ついていてな? つい大したコミュ力もないのに人と触れ合いたくなったといえばいいのか……!」

「おお……! ザイモクザン先生、おめでとう……!」

Congratulations(コングラッチュレーション)……! Congratulations(コングラッチュレーション)……!」

「おめでとう……! OKおめでとう……!」

「ふふふははははは! ま、まあ!? わわ我が本気を出せばこれくらい当然であぁるぅ!」

 

 腰に手を当て高らかに笑う先生だったけど、その後ろから音もなく静かに、姿勢よく近寄る美女ひとり。もとい美戸塚ひとり。

 言うまでもなくさいちゃんさんだ。

 

「あ、それで次のお話なんだけどね? 材木座くん」

「はぽんっ!? つつつ次でございますですか!? あの……あのほんと、お手柔らかに企画してくださると……」

「大丈夫。材木座くんは本気を出せばこれくらい出来て当然なんだからっ!《ぱああっ……!》」

「…………死に戻りでいいから3分でも前に戻って、前言撤回したいでござる」

 

 その時、先生の顔は一気に3kgは痩せたってくらいげっそりしてました。南無。

 

「ざっ……ザイモクザン先生!? え……マジで!? 俺大ファンなんだけど!?」

「おおツッキー、大きなファンなら一色工房の換気扇とか紹介しちゃうぞう?」

「その“ファン”じゃねぇよ! てか意味わかんねぇから!」

 

 その後、ツッキーはげっそり状態の先生に、震える手でサインをもらってはしゃいでた。

 サイン、めっちゃ歪んでるけど「これも味だよなー!」と大喜びである。

 そんなツッキーだったけど、店内の時計を見るとハッとする。時計? おお、そろそろ時間か。

 

「っとと、そろそろガッコの時間だ……えっと、比企谷ー、お前らはどうなんだー?」

「まあ、そろそろだけど。不良のクセにガッコの時間が気になるとか、真面目クンだねぇツッキー」

「うっせ、俺ゃこれから真面目に生きるって決めたんだよ。迷惑かけた上の兄とか姉にも頭下げた。今猛勉強中だ。ぜってぇいい男になってみせっからよ、そのー……ええっと、なんだ……」

「じゃあパパー、ガッコだから先に上がるねー!」

「忍法速着替え……! 美鳩、いっきまーす!《バサァッ!》」

 

 美鳩がエプロンドレスに手を掛け、バサァと引っ張ると、なんとその下には総武高校の制服が!

 

「……暑かった……!」

 

 速着替えっていうか、着込んでいただけらしかった。

 

「ところでいっきまーすってなんだっけ?」

「……KOFの麻宮=サン?」

「おおアレか。投げた制服が消えるのって、それだけでマジックだよね」

「クラウザーさんの鎧の行き先も気になる美鳩であった」

「その人、さんつけると別の人に聞こえるからやめようね、美鳩」

「登場の度に鎧を破壊するクラウザーさんはいったいなにをしたいのか……不思議ジャスティス」

「まあほら、パワーウェーブで額に十字キズが出来る不思議超人だし、いまさらいまさら」

「別に不思議じゃない。きっと地面を殴って発動させる技、という概念を超越して、額を殴ってのパワーウェーブを発動させた」

「な、なるほど! 絆納得!」

 

 迂闊であった! たしかに地面を殴らなきゃパワーウェーブは完成しない……そんな固定された考えに支配されていた……!

 ようはKIを溜めた拳で殴ればいいんだから、そこが額だろうが顔面だろうがどこでもいいんだ!!

 

「パパ! 絆はまたひとつ賢くなりました! この清々しい気持ちを胸に、今日も元気に行ってきます!」

「着替えてけ、馬鹿者」

「はうあ!?」

 

 まだエプロンドレスのままでした。再び迂闊。

 慌てて引っ込み、制服に着替えて、店を出た。

 

「いってきま~~~すっ!」

「いってきます……!」

「おー、車に気をつけろよー」

「らじゃっ!」

「ラジャス……! 超鬼神zenki、来迎聖臨……!」

「せんでいい」

 

 来迎聖臨した美鳩がパパにツッコまれつつ、今日も元気にガッコである。

 朝は手伝わなくていいって言われてるんだけどね、やらないと気力が沸かんのだよワタクシたちは。

 

「……あの。俺、泣いていいスカ?」

「泣かんでいいからガッコ行け」

 

 ツッキーとパパがなんか話してたけど、聞こえなかった。



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ごちゃ混ぜた結果③

 そんなわけで店を出て外で待っていると、翆と和香がやってくる。

 

「お待たせ、ねーさんがた」

「お待たせいたしました、きずねーさん、みはねーさん」

「ううんっ、わたしも今来たとこだからっ☆」

「今日もテンプレ。では行こう、やれ行こう」

 

 翆と和香は小学生だ。

 わたしたちと違って、パパやママ、隼人さんや優美子さんが結婚してから出来た子供だから、まだまだ若い。って、わたしも若いけど。なにせ高校一年じゃけぇのう!

 あ、ちなみにきずねーさん、みはねーさんとわたしたちを呼ぶのが妹の和香。いろはママに似た髪型の、大人しいけど時に毒舌なかわいい妹である。

 翆ちゃんは普通に絆さんと美鳩さんと言ってくれる。

 ロングがよく似合うかわいいお子だ。でもモミアゲ部分はちょっぴりローリング。遺伝ではなく、優美子さんの真似らしい。くせが移ったのか、自分のことはあーしって呼んでる。

 

「今時の小学って楽そうでいいね。制服とかないんだっけ?」

「はい。でもそれはそれで、お気に入りの服ばっかり着て行くと、貧乏だのと騒ぐ馬鹿が居て困りますけど」

「あ~……いつの時代でも居るんだねー、そういう誰かをつつかなきゃ気が済まない連中……」

「Si……翆はそんな人になっちゃだめ。是非とも強く生きてほしい」

「それはもちろんですけど……美鳩さんたちの時代にもそんな馬鹿は居たんですか?」

「当然居た。なにせ美鳩は学校の男子なんぞに興味がない。どう見られようと私は一向に構わんと、同じ服を何着も持っていた美鳩はそれらを着ていたら、当然の如く貧乏人と言われた。もちろんその時は服装自由登校ではなかったから、普段着として着て、外で遊んでいた時に」

「あ……思い出しました。きずねーさんとみはねーさんが急に誰かを連れてきたと思ったら、“こいつに服を見せてやりたいんですがかまいませんね!!”と言いだして……あの日ですか?」

「いえーすざっつらいと」

 

 話しながら歩いてゆく。

 当然途中で分かれるわけだけど、そこまでは一緒だ。

 

「で、見せたら見せたで“同じ服ばっか、馬鹿じゃないの?”とか言い出すからねー……もうどうすればいいのやらって。結局は“論点がズレておるわ馬鹿たれがァー!”って言い合いになって」

「Si。貧乏かどうかがそもそもだったのに、何故馬鹿であるか否かになるのか……」

「そんな彼女も散々言い合って、心をぶちまけた今ではオトモダチなのさ。……あ、なにも言わずに出てきちゃった。そういえば店に来てくれてたっけ。奉仕部側の勝手口から出ちゃったから、彼奴め、きっと未だに客として店内に居るよ?」

「…………メールでも飛ばしておく。ワレ、交差点に到達せり。……送信」

 

 ……。

 ヴィー!

 

「おお、返信速い……んん……? “この薄情者どもが! 今ならパフェおごりで許してやるから待ってるように!”、だって」

「よし逃げよう。逃げ切れば奢らずに済む」

「清々しいほどに外道ですね、きずねーさん」

「任せてくれたまえよ我が妹! 我らがツッキーに声をかけられた時点でデザートに夢中で、話なんぞ耳に入っていなかった奴が未熟なのよグオッフォフォ……!!」

「未熟とかそういう問題じゃない気がしますけどね、あーし的には……」

「なはは、いいのいいの。わたしたちの関係はこれくらいが丁度いいってあの子もわかっててやってるから」

「Si、結局は奢るから、そこは心配しなくていい。美鳩たちはこれでバランスが取れている。実にジャスティス」

「それより月見だよ月見! 家帰ったら仕事手伝って、店閉めたら月見DANGO!」

「今年は晴れますかね、空。私としては少々心配ですよ」

「だーいじょーぶだってば和香~♪ 曇ってもパパが居るからっ!」

「そう、大丈夫。パパの拳は雨雲さえ吹き飛ばす」

「……改めて、自分の父親が普通ではないと理解できますね……」

 

 和香はどうにも、家族に対しても敬語だからいかんと思う。

 でもそういう自分でいたいっていう気持ちの表れらしく、たまに中二が入るので雪乃ママが大ダメージをくらう時がある。

 

「っと、じゃあここまでね。和香ー? ファイッ!」

「誰と戦えというのですか……」

「己自身に打ち勝つのさ! また会おう……成長した貴様の姿、楽しみにしておるぞ!」

「───フッ。この和香にかかれば人としての成長など造作もないこと。見ていてくださいその千里眼で。我は人として一皮も二皮も剥けて帰還いたしましょう……!」

「ん、実に良し。帰ったら団子、一緒に作ろう」

「はいっ、みはねーさん!」

 

 素直なところは素直だから、ほんと実に良し。

 チェリオー、と手を振り合って別れると、お互いガッコ目指して歩く。

 さて、今日はどげな一日となりますやら。

 

   ×   ×   ×

 

 どげな一日になりますやらと思ったな。特になにもなかった。

 期待して損したとは言わないけど、まあ平和な証拠ということで。

 そんなわけで現在は夜。

 生憎の曇り空で、客足もまあ平凡なものだったよ。

 けれども看板の電気を落とす中、雲に覆われた月を見上げて溜め息を吐くパパひとり。その名もパパである。当たり前だった。

 イベントには実にうるさいパパの知り合いであるから、今日も皆さま勢ぞろいだ。曇り空の下だっていうのに、みんな楽しむ気満々。

 

「はぁ……」

「はーくんっ、がんばっ!」

「おーう……」

「はーくん、市長からのお達しなのだから、気合いを入れなさい」

「同じ市長ならハガーにでも頼まれてぇよ……」

 

 たまに偉い人から依頼めいたものが来る、不思議な喫茶店。

 それを叶えるのは、常人じゃ出せない力を持っちゃったパパだけが為せる業。

 もちろん断るのも自由なんだけどね。

 かつてはいろいろあったらしい。

 特別ってのは、普通じゃないってことだから。めんどいね、世の中。

 

「はーちゃーん? 今回の依頼達成出来れば、市長がいろいろ融通効かせるってさー♪」

「楽しそうでいいっすね、あんた……」

 

 楽しそうにエールを贈るのははるのん。

 なにかしらの約束を取り付けたみたいで、上機嫌だ。

 

「はぁ……よしっ」

 

 構え、吸って、吐く。

 そうしてから“スキル”を発動させて、すごく……大きく振りかぶって、

 

「青春のっ……ばっか野郎ォオーーーーーッ!!」

 

 繰り出した右の大振りが虚空を殴りつけ、強烈な風の大砲を空へと目掛けて解き放った。

 それは轟音を掻き鳴らして空へと昇り、やがて月を覆っていた雲をゴボファァアン!!と穿ち、掻き散らすと、月の光が届かなかったこの空の下に、光をもたらしたのであった……!

 

「相変わらず無茶苦茶ですね先輩……」

「つくづく然り……! 是非とも、緋槍でも投げてもらいたかったところであるな……!」

「やめろ怖いわ。誰が回収すんだよそれ……。宇宙空間行かずに落下していったら、誰かに刺さるかもじゃねぇか」

 

 ロンギヌスの槍を投げた瞬間を垣間見たようだったわ、とはザイモクザン先生の言葉。

 いや、むしろ平塚先生の言葉か。エヴァンなゲリオンというか、FF8のグングニルというか。

 

「それじゃ、きちんと晴れたことだしカンパイしよっかー! はいみんなグラス持ってー? あ、若いコはジュースね? ……こらはーちゃん~? 誰がマッカンでカンパイしていいって言ったのっ」

「いやべつにいーじゃないすか。別に誰に迷惑かけるでもなし。むしろ常人よりカロリー消費するんすから、そういった意味ではマッカンというものは手早くカロリーを摂取できる“聖癒飲料水”というものであってですね《ごぽごぽ》だわぁああっ!? マッカンに酒注ぐとかなに考えてんすかちょっと!」

「んふふー……♪ 社長権限っ♪《ぱちんっ♪》」

「……ウィンクって歳でもないでしょーに《どぼぉ!》ごはぁっ!?」

 

 パパがはるのんに社長ボディを喰らわされる中、カンパイは一斉に行なわれた。

 月見でカンパイなんて、って思うだろうけど、ぬるま湯では珍しいことじゃない。

 どういった理由にせよ、お祭り騒ぎの口実が欲しいんだ、この社員たちは。

 

「なぁなぁ八幡~、昨日さぁ、姫菜がさぁ~!」

「お前はほんと、テンション変わらねぇのな、翔……」

「いんやぁ俺だってちゃんと時と場所を弁えることくらい覚えたぜー? ただ話す相手によってその差とかテンションが違うっつぅかぁ! あ、っつーかそっち、服とかどうなってる? 和香ちゃんとかどんどん大きくなるから、服もちっさいべ? 服なら注文くれりゃあ作るから、いつでも言ってくれなー?」

「おう、助かる」

「……で、どう? 奥さんとは上手くいってる?」

「問題ねぇよ。毎日幸せだわ」

「んっへっへ~、もち、俺もだから、毎日顔とかにやけまくりんぐでしょお俺の人生ってばさぁ!」

 

 戸部翔。

 パパのお友達で、あることがきっかけでとてもパパのことが好きになったそう。あ、友達として。

 海老名姫菜さんと結婚して、海老名さんの趣味から発展したのか服作りの道を歩いて、今ではHARUNOブランドで服作りをしている。ようするにはるのんの会社の系列で、方向性は違うけど会社の系列は一緒なのだ。

 私服とかはほぼがHARUNOブランドの服だ。

 服といえば川崎沙希さんもHARUNOブランドで服の店を出していて、翔さんとは方向性の違うもの。うん、つまりわたしたちはどっちかっていうと沙姫さんのところの服を着ている。

 翔さんはどっちかっていうと姫菜さんのサポート。

 沙希さんのサポートは小町お姉ちゃんがやってるといった感じ。

 つくづく、HARUNO社員は優秀すぎると思うんだ、わたし。

 隼人さんは顧問弁護士だし優美子さんは美容師だし。

 周囲を見渡してみれば、なにかしら技術を持っているわけで。

 ぬるま湯を始めるにあたり、取得したにも関わらず活かせない技術もあったりしたらしいけど、まあそこはそれ、持っておいて損はなかった程度に受け止めたらしい。

 むしろはるのんが資格を取らせまくったみたいで、なにかがダメでもなにかにはなれるよ、というのが昔から聞かされていた安心の言葉だった。

 

「月に向けて思うこととかってなにかあるかな」

「んん……弾けて混ざりたい?」

「大猿になってどーするの」

 

 一度飾りゃあ十分でしょー? と我先にと団子を食べたはるのんの横で、わたしも団子を食べる。

 うん、今日もママの作ったものは美味しい。独特というか。

 いろはママの作ったものはランクがひとつ上な味だったりしますが、やっぱり娘だからかな、ママのが一番しっくりくる。舌に馴染むというか。

 なじむ……実になじむぞっ!!

 

「今日も騒がしいね、この店は」

「Si、実によいこと。そしてイベントの度に恋人気分でいちゃつく両親がとてもジャスティス」

「なはは、まあ、いつものことだよねー。……よし美鳩二等兵! わたしたちも乗ろうじゃないか! このビッグウェーブに!」

「ポセイドンウェーブ?」

「それラリアットだから!」

 

 笑いながら、騒がしさの中心へと駆け出し、ママの反対側からパパに抱き着いた。直後にわたしごと美鳩にも抱き着かれ、パパ困惑。

 そんな困惑も無礼講とばかりに笑い合って、今日も今日が終わります。

 

 ええ、今日もぬるま湯は平和です。

 




 これにてストック終了。
 あとは思い付いたら書く、といった方向で追加していきます。
 むしろギャフターに取り掛かると思うので、こちらは急に思いつかない限りはしばらくお休みかもです。
 うーん……俺ガイル小説初投稿が2015年の10月14日。
 一年と3ヶ月あたりで180万文字は書いたほうなんですかね? よくわからんとです。
 なんにせよ、ガハマさんとヒッキーを幸せにしたいという初志を貫徹できたかもしれないSSでござった。
 
 ではでは、一旦休憩を取ります。
 とかいって急に書きたくなったらまた投稿すると思うので、その時に「しょおぉお~~~がねぇなぁ~~~~ぁああ!!」とホルマジオな気分になったら読んでやってください。
 いえ、べつにホルマジオじゃなくても気が向いたらどうぞよろしくです。

 したらな!


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ぬるま~湯ドロップアウト

こもれびさんの誕生日に書いたぬるま湯クロスもの。
ガヴリールドロップアウトの内容を含むので注意です。


 喫茶ぬるま湯の朝は早い。

 

「モーニンだシスター」

「ん、今日も良き朝」

 

 我ら姉妹が同時に自室を出て、同時にシスターを発見、目が合えばサムズアップをして今日が始まった。

 階下に降りれば、珍しくもまだ起きてきていないらしい両親。

 どーせ寝室でいちゃこらしてんでしょうと早急にオチというか答えを決定、わたしたちの朝の仕事に取り掛かる。

 まあその前に。

 

「フェイスウォッシュに歯磨きに~」

「……誰が開発したのかはわからないけれど、化粧水を思いついた誰かに言いたい。ひどくめんどい」

「ぬっはっはー、付けた方がいいのはわかるけど、めんどいのは正論だよねー」

 

 女性の身支度とはめんどいものなのだ。

 しかし手抜きをするとよい結果にはならないので、めんどくてもしっかりさっぱり。

 

「んー…………んっ」

 

 そうしてフェイスの準備が終わればお互いの髪をさらりと梳いて、わたしは雪乃ママのごとくストレート、美鳩はサイドテールさん。

 では参ろう。まずは掃除からである!

 

「わっかめー♪」

「こんぶ」

「もずく!」

「こんぶ」

「もずく!」

 

 洗面所を出ると掃除用具を手に、早速掃除。

 途中で美鳩が準備していたお湯が沸くと、そそくさと美鳩がコーヒーを淹れてくれるので、それを飲んで意識シャッキリ。

 

「オー、ブルーマウンテン」

「おそれいります……」

 

 軽くネタを挟みつつ、掃除も中盤になると、埃がたたないタイプの掃除をしながら発声練習。

 接客業において、声というのはとてーも大事なのです。

 なので発声。

 

「ツー!」

「かー」

「いやそうじゃなくて。即座に返してくれる双子にサンクスだけどそうじゃないよ」

「……? なに?」

「うぬ、訊かれると毎度ながら困るもんだね。えーとなにかないかな。歌でも発声しやすいなにかでも」

「ん……こう、元気ななにか? 思わず続けたくなるような」

「おおそれだ! 応援歌とかなんか元気に歌いたくなる的な……いや、応援っていうか行進曲? みたいな? こう、リズミカルにザッザッザッザって感じで歩きたくなるような……ねぇ?」

「じゃあ……」

「じゃあ?」

「鏡の中の勇者?」

「おおシヴいところを……! いい歌だよね、あれ。聞かせてくれた先生には感謝感謝だ」

「と~お~い~む~かし~♪」

「愛~のた~めに~♪ って、そうじゃなくて。これもいいけど、もっとなにかないかな」

「んん……こう、ルーファウス神羅歓迎式典……的な?」

「………………なるほど! ならばアレしかあるまいて!」

「アレ?」

「ウヌ! ではっ、自分の歌声に合わせるであります! ───静粛に~!! 静粛に~!! ア~ッ~! ア~ッ~! こりゃこりゃ! さんはいっ!」

 

 喉の力を抜いてリラックス。

 舌や喉の一部が声帯を塞がぬように気道を確保。

 喉から歌うのではなく、腹式呼吸で溜めた酸素がお腹から自然と漏れるソレで声帯を鳴らすイメージで───!

 

「で~~~、でげで~~~ってけてってっー♪ でっげって~・てけて~~~ってけてって~~~っ♪ でってー・でってー・でってー♪」

「───!」

 

 口ずさむBGMで美鳩も気づいたようだ。

 なのでわたしたちは口を揃えて歌い始めた。ルーファウスではないけれど、なんかちょっぴり似てないこともないかもしれないこともない歌を。

 

「お~~おおーおおっよっしぃ~の~~~♪」

「みんな~、おーまーえーに~~~♪」

「感謝ー、しぃ~てぇ~るぅ~~~♪」

『おーおおっ! おーおおっ! おーおお~~~~~っ!!』

 

 そう、応援歌としては実に奇妙に完成された聖歌、その名もYO-SHI-NOである。

 このうららかかどうかは別とした朝の頃には、とても心地よく時に情熱的に心と喉をほぐすメロディ~だとは思いませんか?

 とまあそんなわけでわたしと美鳩は掃除しながらYO-SHI-NOを歌った。

 それはもう歌った。

 結局、ウルトラ吉野なのかハイパー吉野なのかどっちなんだろう。

 

「おぉおお元気でた! さすがYO-SHI-NO!」

「ん……! さすがYO-SHI-NO……!」

「いいやまだぞ! もっと元気と気合を入れて行こう! あと発声の調子とか!」

 

 発声練習目的だったけど、目的がついでになることなんてよくあることだ。

 ほら、買い出し頼まれたら美味しそうな限定モノを見つけて、それが本命になった~とか。

 なのでわたしと美鳩は元気に燥いだ。騒いだ。楽しんだ。発声した。

 

「YO-SHI-NO! HEY! YO-SHI-NO!」

「YO-SHI-NO……! SAY、YO-SHI-NO……!」

『YO-SHI-NO! HEY(SAY)! YO-SHI-NO!』

「フェスティバァール! ヨシノフェスティバァール!!」

「ふぇすてぃばーる……!」

『YO-SHI-NO! HEY(SAY)! YO-SHI-NO!』

 

 ヒートアップしてくると止まらない。

 今、この場、この高揚の全てはYOSHINOのためにあった。

 それが全てだったのだ。

 即ちYOSHINOとは真理である。真理であり宇宙的ななにかだったのだ。

 ゲーアノートさんがナポリタンに粉チーズとタバスコをかけることで、生命と宇宙、全てに関しての答えを得た時のように、YOSHINOとはYOSHINOであり、YOSHINOでしかなかったのだ。

 けれど叫び続ける。

 叫び、答えを得るのだ。

 何度も何度も叫んでみても、YOSHINOはYOSHINOでしかないから、夢であろうと、現実だろうと、きっとYOSHINO。

 

  ……その後。やかましさに降りてきたパパにスリッパで叩かれることで、ヨシノフェスティバルは閉祭となった。

 

……。

 

 そんなわけで今日はガッコがお休みだ。

 なんかの日だった気がする。なんだっけ。忘れた。

 しかし休日であるからして、そんな日はバイトくんが来たりもする。

 つい最近入ることになった───なんていったっけ。

 なして採用したと? とツッコミたくなるような振る舞いがデフォルトのおなごなのだけれど。

 

「《からんからーん》……休んでいッスか」

 

 来た。途端に休みたい宣言である。うんダメ人間だ。

 そんな堕落した死者……じゃなくて、堕落系女子をシャッキリさせるべく、美鳩がゆく!

 男は苦手だが女はまあ割と平気なんじゃないでしょうかなコミュを発揮、我が妹はサムと手を差し伸べ、

 

Tu ne(チュウヌ) voudrais pas(ブドレパ) gabriel(ガヴリール) mon amie(モナミ)?」

「……一応言っとくけどそれ意味わからんし絶対使い方間違ってるから」

 

 意味がわからなかった。

 というわけで、そう。そうだった。

 バイトくんっていうのがあの自堕落系女子、天真=ガヴリール=ホワイトらしい。

 とにかくやる気が無い、接客態度がなってない、短気とろくな条件が揃ってない。

 なのに何故採用されたのかというと……

 

「まあほれ、アレだ。人間的にクズだろうがカスだろうがゴミだろうが、磨いてみなけりゃわからんものとかいろいろあるんだよ。ああでもとりあえず現時点でのこいつがクズなのは間違いない。断言する」

 

 と、パパ。

 本人の横で堂々と言ってみせた。

 

「店長容赦なさすぎでしょちょっと……」

「初日で自身のクズっぷりを曝して、金を貰うために労働するってのに接客ナメくさってる相手に容赦が必要と。お前は本当にそう思うか?」

「思う───お、おーけーボス、眼鏡を取るのはやめよう」

「店員ひとりの接客態度で客足が遠のくことだってあるんだよ……。不快に思ったヤツがSNSで悪評の拡散をしちまえば、どっかに影響がでるってもんだろ。引き籠り志望の働きたくないでござるな人間が、それを知らないとかないだろ。ないよな? ないでしょ」

「くっそこの腐眼店長め……パワハラで訴えてやろうか」

「いや、それ説教されるの確実にお前だから。求められている最低基準も満たしてないのに騒いでどーすんだ」

「泣き落とす」

「客には常連も顔馴染も居まくるから、お前がどういう接客してるのかも知ってるし、正義感に溢れた弁護士も居るぞ? それを知った上で、天真。俺はお前を雇う時にきちんと条件を満たしてくれるならって言ったな?」

「じゃあ言ったこと無しってことで」

「……俺が言うのもなんだが、お前よくそういうこと真顔で言えるな」

 

 天真=ガヴリール=ホワイト。

 髪はぼさっとロングで、目は今にも死にそう。体から滲み出る働きたくないでござるオーラと、接客態度からあふれ出んほどに感じる堕落者ソウル。

 一目でわかった。ビリビリ来たね。こいつ、某青い髪の駄女神さまより駄目だと。ていうかそれを本人が認めてるっていうのもどうなんだろう。

 しかしぬるま湯は挫けない。

 使えないなら使える人になるまで教えればいいのだと。

 なのでこうして、休日やガッコが終わってから等にシフトに入ってもらっているわけで。

 

「あー……楽して稼ぎたい」

「おー、それは俺も考えたもんだ。専業主夫とか最高でしょとかな。小学レベルの家事スキルで奥さん満足させるつもりだったぞ。そのくせヒモになるつもりはないとか鼻で笑われるレベルのことを言っていた」

「うわー引くわー、それ私でも引くわー……」

「楽して、って時点でお前の頭の中とそう変わらねぇよ……想像出来る自分と比べてみろ、そんで口にしてみろ」

「宝くじでも当てて一人で暮らしたい。あと文句言わない家政婦とか欲しい」

「うわー引くわー、それ俺でも引くわー……」

 

 どっちもどっちだった。

 まあわたしはそんなパパを養いたいと思える、尽くす女である。しかも近距離パワー型。いっつも元気です。ぬふん。

 しかしまあ、ふと気づくと寄り添って、ラヴラヴいちゃこらしている両親も好きなので、尽くし方にもやり方とか奥義ってもんがあるのだ。ていうか既にイチャイチャしてる。客もとっくに慣れたもんだから困ったもんだ。

 ちなみにバイトくんはまだまだ慣れてないから、目のやり場に困ってる。

 パパー? さすがにバイトくんの近くでそれはマズ───あ、客来た。即座に離れてキリッと引き締まる両親は、なんとも見事。

 

「っと、客来たな。ほれ挨拶」

「っしゃーせー、お帰りはそちらです」

「接客態度に難あり。時給減らすな」

「これでクビにしないとかやさしいのか外道なのか……いや外道だな外道だろ低賃金で逃がすつもりがないとか」

「お前は人に文句言う前に自分の態度とか振り返ろうなマジで……言ってて自傷めいてるからほんとやめて? 呆れるくらいに真面目になれとか言わないから最低基準満たしてくれ」

 

 棒立ちのまま“っしゃーせー”とか、この絆や美鳩でもやりません。

 むしろ笑顔で迎えて回れ右を促します。

 しかしいつまでも客を待たせたとあっちゃあ、ぬるま湯の名が廃る!

 

「さあさ、接客だドブニィル! 気を取り直していきましょう!」

「ガヴリールだよお前わざとだろなぁわざとだろ」

「わざとだ!《どーーーん!》じゃ、満足したところで行こう!《スタスタ》」

「えっ……いや、えっ? …………えっ!?」

 

 正面からわざとと言われるとは思わなかったのか、困惑するドブニィルの手を引いて客のもとへ。

 席に案内してからは、ご注文がお決まりになりましたらーの定番な言葉。

 しかしすぐに注文はされて、それを書きとめるようにとドブニィルに合図を送ると、

 

「え? なに?」

 

 ぬぼーっと窓の外を見ておったわこやつめ!

 おぉおおおここまで“接客態度に難あり♪”を全速力で突き進むおなごがおろうとは!

 

「注文、ほらここ、書いて」

「へ? あー……カフェオレだったっけ」

「ホットココア! ホットケーキセット!」

「えー……? なんで喫茶店来てコーヒー飲まないんだよ。ほら、もう……な? いいだろ、カフェオレで」

「なんで接客業してて接客しないのキミは!」

 

 聞き分けのない子に、穏やかな笑みとともに言って聞かせるような感じで肩を叩かれた。おのれドブニィル。

 ……まあ、その、ともかく、こんな性格なので少々困っておるわけでして。

 けれども注文を通せばあとはそれが来るのを待つだけ。

 美鳩がココアを淹れて、ママがホットケーキを作って、それをドブニィルに───

 

「先輩手本見せてください」

「キミ、そうやって人に全部やらせて自分はやらないスタイル、ちったぁ隠そうねこの野郎」

 

 ───こほん。

 ガヴリールに渡して、GOサイン。

 するとガヴリ-ルは目に涙を溜めて、上目遣いで言ってくる。

 

「あのっ……私、箸より重いもの持ったことなくてっ……!《うるっ……!》」

「大丈夫だから。それ言う馬鹿者は大体左手に茶碗持ってるから」

「いや、基本主食はカップ麺なんでそれはないっす《どーーーん!》」

「ぶりっ子するなら最後まで貫くとかそういう気概はないのかこのダメ人間! だいたいカップ麺な時点で箸より重いでしょーが!」

 

 ぶちぶち言いながらも運んでくれた。や、くれたっていうかそれが普通だから。

 そうして戻ってきたガヴリールを迎えると、

 

「今ので腕の筋肉が死にました。休憩してていいっすか」

「まっ……真顔でなんてことを!」

 

 仕方ないので下がってもらった。

 ……雪乃ママのところに。

 大丈夫、さ、接客を続けましょう。

 

……。

 

 そんな調子で、バイトくんのぬるま湯な日々は続いた。

 翌日からダメ人間矯正プログラムが雪乃ママによって組まれたけど、ガヴさんはそりゃあもう自由だった。

 自由だったんだけど───

 

「え? いや、ちょ」

 

 腐った性根というレベルでは、学生時代からパパで慣れていたらしいぬるま湯メンバーにしてみれば───

 

「わ、わかった、これはやる、やるから」

 

 ガヴさんの捻くれ度など大したものでもないらしく───

 

「あ、あー……えぇと。これはこうして───」

 

 ……。

 

……。

 

 それから、一ヶ月の時が経った。

 

「いらっしゃいませイカ野郎!」

 

 彼女はそれはもう元気になった。や、イカ野郎言ったのはわたしだけど。

 

「絆先輩、そんな接客じゃだめですよ?」

「通例みたいなもんだから。それ言ったらガヴさんだって最初と全然違うじゃないのさ」

「ん、然り」

「恥ずかしいです。あの頃の私は少し、いえ大分、いえ究極に……その……」

 

 ……ガヴリール=ホワイトは、気づけば駄目人間からドロップアウトしていた。

 矯正プログラムはそれはもう非道の限りを尽くしたものだったらしいけど、なにが彼女をああまで決定的に変えたのか。

 雪乃ママははるのんにちょっとお願いした、とか言っていたけど。

 あんな働きたくないでござるさんが、なにをどうすればこんな、ホワイティンな性格に……!

 公園で草むしりとかして、子供たちと遊ぶ姿を見た時はなにごとかと思った。

 髪もぼっさりストレートからさらっさらストレートになったし、目も濁りそうだったものから普通のものになってるし。

 

  本人曰く、課金ネトゲの虚しさを知ったのだとか。

 

 とあるブラゲに事前登録、正式に運営が始まってからもどっぷりハマっていた課金ゲーがあっさり終了、つぎ込んでいたものがパーになり、心の底から虚しさを感じ、ハッと気づけば自分にはブラゲに費やした金の量と時間以外、なにも残っていないことに気づいたらしい。

 そのブラゲの運営に“雪ノ下”が絡んでいることは、きっと語っちゃならない。

 さらには運営していたのはあくまで限られた場所でだけであり、攻略ページも情報も全部“雪ノ下”が手回しして作ったものだったとか、そういうのも内緒。

 現在のガヴさんは“手に残るもの”を集めるため、日夜努力する者となった。

 「仕送りが今さらになって急増したんです」、なんて困った顔で言うガヴさんは、特に使い道もないのでと、臨時収入みたいなお金を募金に使った。

 ……そんな現場をたまたま見て、なにかあったに違いないと降臨したのが───

 

「ひっく……うっく……うえぇええ……!」

「ちょっと先輩! この子なんとかしてくださいよー!」

 

 現在、泣きながらいろはママに手を引かれてやってきた、胡桃沢=サタニキア=マクドウェル。

 ちょっぴり? いやかなり中二っぽいお方で、ザイモクザン先生の作品の大ファンだったりする。

 ガヴさんを追う形でバイトに入ったんだけど、いやー……最初のガヴさんとは違った方向で厄介さんだった。

 なにかにつけてガヴさんに絡むし、悪いこと、と称してどーでもいい、しょうもないことで営業の妨害をしたりする。

 今回も一色工房でなにかしでかしたらしく───聞けばなんでも、焼き上げておいたデコ前のケーキの下地に勝手にデコレーションしてしまい、用事から戻ってきたいろはママが発見した時には───!

 

「……で、これが……」

「ぐすっ……そ、そうよ! これこそが悪魔の王、いずれ世の支配者となる我が渾身のデコケーキ! スペシャルサタニキアブラックスペシャルよ!《どーーーん!》」

「いやなにそのネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲を彷彿とさせる、名前が被ってる部分があるケーキ」

 

 持ってこられたケーキは黒塗りの、上部分に五芒星が描かれ、中心にトナカイの砂糖菓子が乗っけられたケーキであった。

 ……スペシャルが二つついているわりに、案外普通である。

 

「じゃ、これはサターニャちゃんに買い取ってもらいましょう」

「ナァーーーッ!?」

「店の商品をいきなりダメにされたんだから当たり前でしょー? しかも丸ごと。普通なら切り分けて売るのに、丸ごとやられたんじゃたまったもんじゃないです。ね? 先輩?」

「まあ、そうな。で、弁償出来る代金は?」

「ふ、ふふっ……? ふふふふふふふ……! なーーーっはっはっはっはー!! そんなもの、この悪魔の王たるサターニャ様が払うとでも───」

「《ピピポッ》もしもし警察ですか? 実は泥棒が」

「ごめんなさい払います払わせてくださいだから警察だけは勘弁してくださいぃいいい……!!」

 

 5秒とかからずいろはママの腰にすがりつく悪魔の王候補がいた。

 いろはママ、ちらりと見えたスマホ、通話モードじゃなかったけど、あんまからかうのは可哀相だよ?

 

「はぁ。じゃあ先輩、払えないそうなので、誰かのバースデーケーキにしてあげてください。こう、ゲリラ的に」

「来客とっつかまえて“今日誕生日ですか”って訊くのかよ……。ていうか普通誕生日に喫茶店とかなかなかねぇだろ」

「え? ありますよ? 予約入れてケーキ作ってもらったり~とか」

「え? あるの? ……マジで?」

 

 パパ、本気で驚いてた。

 ていうか……

 

「ね、ねぇパパ? ママの誕生日をパセラとかで祝ったこととかあるんだよね?」

「いや、パセラはパセラだろ。喫茶店じゃねぇよ。誕生日用のハニトーを注文で作ってくれるから、たまたまそういう機会があったってだけだろ」

「店長……」

「ヒッキー……」

「おいやめろ、同情の視線とかマジやめろ」

「ていうかヒッキー、誕生日祝いだ~って、いろんなお店とか行ったよね? みんなとお祝いしたあとに、その……二人きりで。その中に喫茶店もあったんだけど───」

「ママ、ママ。それは違う。パパはママを喜ばせるためなら、たとえ誰が場違いだって言っても、どんな場所でもハッピーバースデーを言える……《なでくりなででででで》んゆゆゆゆゆ……!!」

 

 言おうと思った言葉を美鳩に盗られ、しかも次の瞬間にはその美鳩が、パパに後ろからネックロックのように抱き寄せられ、さらに撫で繰り回され……!

 

「い、異議を申し立てる! それはこの絆も言おうとしてたことだから、是非わたしにもなでなでが欲しい!」

「絆先輩、そこで声を大にするの、ちょっとわざとらしいです」

「それだけ必死なだけなのだよガヴリールくん! 抱き寄せられてなでなでしてもらえる権利を目の前に、何故黙っている必要があるだろう!」

「あの。私が言うのもなんですけど、仕事しましょうよ」

 

 かつてはドブニィルと呼ばれた少女が、パパァアアと天使の笑顔でそう言った。呆れも含めたエンジェルスマイル、0円。

 

「じゃああれですねー。このケーキはお客様の笑顔や、仕事に疲れようとも懸命に働く人たちに慰労と感謝を込めて、ということで。えっと……結衣先輩、そういう場合ってどんな文句がいいですかね」

「え? えっと……癒し、とかって意味も込めて、落ち着ける場所~とか穏やかだな~って思える印象で、えと……こ、木漏れ日……とか?」

「わかりましたっ、じゃあこうしてこうして~……」

「あぁああっ!? 私のスペシャルアドバンスサタニキアツイストがー!!」

「おい。さっきと名前違ってるぞ」

 

 くるみんやパパのツッコミも右から左。

 いろはママはケーキの上のプレートにちょちょいと細工をほどこして、真っ黒だったケーキ全体にもちょちょいと細工。

 瞬く間に真っ黒だったそれが木漏れ日を連想させるような、光と影を上手く表現したものになって……

 

「はいっと。かんせーですっ」

 

 むんと胸を張ったいろはママの前には、こもれびさんお誕生日おめでとう、のプレートが乗った綺麗なケーキがあった。

 おおお……! あの黒くて五芒星なちょっぴり残念ケーキがこうも……!

 

「ちょっとあんた! よくも私のスペシャ───」

「……《ピピポ》」

「ごめんなさい警察はやめてくださいおめでとうこもれびさんおめでとう!!」

 

 勢いよく食って掛かったくるみんが、次の瞬間にはいろはママの腰に抱き着いてわあわあ泣いてた。

 腰とか足に縋りつくって、なんでか女神アクアを連想させる。不思議。

 

「つか、一色の技量なら漢字で木漏れ日くらい書けるだろ。なんでひらがななんだ?」

「わかってませんねー先輩、こういうのはわかりやすいかどうかが問題なんですよ? 下手に漢字で書いて、贈った相手にわからなかったらお祝いの気持ちも嬉しさも半減しちゃうじゃないですか」

「……はぁ。いつまで騒いでいるの? 新規のお客様が来ているのだから、内輪で騒ぎ続けるのにも加減を知ってちょうだい」

「先輩の所為で怒られちゃったじゃないですかー!」

「俺の所為かよこれ」

「あはは、ほらほら、みんなもお仕事お仕事っ! いらっしゃいませっ! 喫茶ぬるま湯へようこそっ!」

「よし、早速ケーキの出番だな。ほれ絆、美鳩、バイト連れて、あのいかにもステーキハウスでサーロイン300g食ったあとに一服したいから寄りましたよって家族に、ゲリラアタックかましてやれ。ちなみに代金はいらん」

「えっ……あの、店長っ? あの人たちの中に誕生日の人が居るのかもわからないのに───」

「いえっさーパパ!!」

「絆先輩!?」

「Si、ケーキを腐らせるのはもったいない。今こそ特攻」

「美鳩先輩まで……」

「嫌よ。まったく、なんでこのサターニャ様がそんな───」

「行かなきゃ売る用に出して、売れなきゃ胡桃沢、お前がケーキ代払えな」

「行くわよガヴリール!! 絶対、なんとしても受け取ってもらうのよ!! なんなら一口どうぞって言って口の中捻じり込んで、飲み込んだらもう返品は効かないとか言い出せば───……あ、これかなり悪じゃない? にゅははははは! テンション上がってきたぁあーっ!!」

 

 こうしてわたしたちは、来店したほんわか家族に突撃アタックを果たした。

 来店した家族には大層驚かれ、たまたま、なんの奇跡か誕生日だったらしいパパさんには照れ笑いとともにケーキを受け取ってもらえて、こもれびさんおめでとう、の文字になにやら感じるものがあったのか、ギクリと肩を弾けさせ……そのプレートの後ろに書かれた“スペシャルサタニキアブラックスペシャル”の文字に「なにこれ!?」と大変驚いておった。

 

「絆、絆……! ここはやはり歌も添えるべき……!」

「む。バースデーソングサービスであるか。やはりここは“ハッピーバースデーお前”で?」

「よくわかりませんが、嫌な予感がするので却下です」

「ガヴちゃんノリ悪い……」

「こういう私を望んだ絆先輩が悪いんです」

「あはははは! 祝ってあげるわよ人間! この大悪魔、胡桃沢=サタニキア=ブラックに感謝しながらまた一つ歳を重ねるといいわ!」

「胡桃沢、減給。あと自分の名前間違えるな。マクドウェルだろ」

「しっかり祝ったのになんで!?」

 

 たまにはこんな変則的な日があってもいい。

 実に本日も、ぬるま湯はぬるま湯であった。

 ……あ、でもそこな娘さんや? 面白そうだって理由で、パパさんにバスターチャンレンジ奨めるのはやめたげなさい?

 パパさんも、祝われて気分高揚なのはとても良いことだと思うけど、そこで死地に飛び込むのは───……あ、やっちゃうでありますか。

 是非も無し!! それがうぬの男気であるならば、この比企谷絆、引き留めることなぞせぬ!

 

「パパー! バスターセットいっちょー!」

「あわわ絆先輩待って! 待ってください! 初めての来店だから知らないだけで、なにもこんなお祝いの席でそれを受け取らなくてもっ!」

「大丈夫だよガヴりん……娘を前にしたパパっていうのはいつでも最強なのさ」

「ん。祈っておく。完食の無事を」

「あの……お客さん? 食べるのはいいから、まずはそのケーキを完食してくれると、大悪魔とかもう大感謝で……その……」

「マジ声で下手に出るなよサターニャ……」

「ガヴりん、声」

「はっ!? ……ご、ごめんなさい。たまにツッコミが出ると声が……」

 

 果たして、こもれびさん一行(ママ命名)の前に、パパさんが食べるバスターセットと、奥さんや娘さんが食べるケーキセットが届いた。

 たまに天使を自称するガヴりんと、大悪魔を名乗る中二病さんのくるみんが必死に応援する中、こもれびさんがどうなったのかは───うん。一口目で悶絶しているパパさんへエールを贈ることに専念したとだけ。

 大丈夫、娘を持つパパは強いのさ!

 無事を祈るガヴりんの体が光って、なんか天使の羽とか生えてた気がするけど気の所為だ。



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お互いが好きすぎる男女のお話
ちらりと見ればもじもじしている二人


人、それを蛇足と呼ぶ。
いえ……コケるとわかっててもですね……なんというか……フフフ、好きなんですよ、蛇足。
幾度も結ぶ僕らの恋の一応の落着物語みたいなものですが、あれはあれで終わってたほうがいいという人には向きません。
うん、正直いちゃいちゃして。時に悩んで、をする程度です。
……UPするかは相当悩んだんですけどね。
あまりいい思い出の無い内容になっております。個人的な話ですが。


 人が変わる瞬間っていうのを知っている。

 きっかけがあったり、きっかけに気づけなかったからこそ急に変わったって思ったり。

 ただ、そのきっかけ自体が特殊な所為で、変わったわけでもないのに変わったって思っちゃったり。

 あたしが知るその人は、最初の頃は自分とよく似ていたんだと思う。

 あ、や……詳しくとか深くとか、考え始めちゃったら似てない部分なんていっぱいだ。

 その人に対して“あ……そっか、そうなんだ”って思うことを口にすれば、頷けることなんて多くて。

 ただその、あたしたちがお互いに“似てるな”って思うところは、あたしたちが思う以上に別のところにあったんだ。

 

  たとえば、ペット。

  たとえば、妹。

 

 今まで近い人とか動物に向けていた気持ちがそれ以外に向けられて、想いの量がまったく違うから“変わった”なんて気づかない。

 たとえばあたしはサブレが好きだけど、恋愛かーって言われたら違う。

 たとえばヒッキーは小町ちゃんが大事だけど、恋人として付き合いたいかーって言ったら違くて。

 だからきっと、あたしたちは“人が変わる瞬間”っていうのを知っている。

 知ってるけど、いい方向での人の変化を見たことはあんまりない。

 だからこそ、あたしはあの病院での出会いをとても大事にしている。

 人が車に撥ねられたことを喜んじゃいけないけど、出会えたことにありがとうって言うなら、そんなことにも頷かなきゃいけないと思うんだ。

 

  時々に夢を見る。

 

 白が基準の景色を歩いて、罪悪感に押し潰されそうになりながら病室を目指して、でも病室の前に辿り着くと、入る勇気も出せなくて。

 目をぎゅって瞑って勇気を出そうとするのに、思い返されるのは人から向けられる嫌な感情。

 人に合わせなきゃ歩けなくなるくらいの“人の悪意”を思い出すと、足が震えた。

 もっと簡単ならいいのにって、何度思っただろう。

 ただ無邪気に笑って、友達とわけもなく楽しんでいられたとても小さな頃を思い出す。

 そんなコとも団地から離れる時に離れ離れ。いつしか連絡を取らなくなっていた。

 最初の頃は何度もした。その日に起きたことを一生懸命話して、“離れても友達だ”に憧れるみたいに。

 でも、次第に相手からの会話の量が減って、ついには“友達が来てるから”で終わった。

 その時に、ああ、そっか、って。

 悲しみは消えるのだ。同じように、喜びも消えるのだ。

 彼女が悪いんじゃなくて、新しい環境に馴染もうとしないで、後ろばかり向いていた自分が悪かったんだ。

 

  じゃあ頑張らないとっ。

 

 ようやく前を向こうって思ったいつか。

 でもそうするには遅くて、とっくに固まってしまった新しい環境だった筈のグループには入れずに、馴染めずに、やがて……声をかけられれば「そ、そうだよねー」って合わせてばかりの自分が完成していた。

 楽ではあったんだと思う。

 言われたことを解ってもいないのに頷いて、家に戻れば頑張って話題の勉強して、なのに翌日には別の話題が出てて。

 嫌われたくないから、そっちの勉強ばっかりしてたら、成績は落ちる一方で。

 嫌われたくないから、相手のいいところを見つけられるように頑張るようになって。

 

  きっかけ、なんてものがあるならきっと些細なこと。

 

 リセットをしたかったのか、ただ新しい環境でならって思ったのか。

 身の丈に合わない高校を目指して、頑張って勉強をして。

 学校の先生に無理だって言われても頑張って。

 ……たぶん、自分の中の“無理だ”をなんとかしたかったんだ。

 “あたしだってやれば出来るんだ”って、なにかを変えたかったんだと思う。“このままじゃいけない”をかたちに変えて、“自分だって出来るんだ”が欲しかった。

 自分のことなのに曖昧な気持ちを、自分を変えるきっかけにしたかったんだ。

 大丈夫、今度も出来る。

 団地の友達は、変われたからああなったんだ。

 だから。

 だから───……合格発表の時、あたしは確かに自分を変える一歩を、自分で踏み出すことが出来た。

 そこから変えられる。

 きっと変えられる。

 

  なんだ、やれば出来るじゃん!

 

 不安が一気に自信になると、あの頃の笑顔を思い出せた気がした。

 ママに散々自慢して、嬉しくて、楽しくて。

 今度こそ失敗しないようにって話題になりそうなことも勉強して、勉強の復習もちゃんとして。

 入学式の日、自分でもちょっと呆れるくらいに早起きをしちゃって、目が冴えちゃって。

 だから……あんなのはちょっとした気まぐれだったんだ。

 今でもそう思う。

 どうして、なんて自分でも解らない。

 なのに、どうしてあんなことをだなんて思いたくもなかった。

 

  間ぁああに合えぇえええっ!!

 

 『まただ』

 『どうして』

 『変われると思ったのに』

 暗い絶望に叩き落とされそうになった瞬間を。

 浮かぶ限りの後悔が、すごい速さで自分の中で黒くなっていく世界を。

 きっと真っ黒になって、もう浮かび上がれないで沈んでいくだけだった自分を、救ってくれる人が居た。

 

「──────」

 

 そうして、あたしはここに立った。

 勇気が出せずに震える足に喝を入れたくて、なのに出来なくて。

 白が基準の景色の中で慌てる自分と、背中を押す、ちらって覗く八重歯が可愛いコ。

 

  ───きっかけってものがあるとする。

 

 それは大事なものからくっだらないことまで、ほんといろいろだ。

 でも───あたしがあたしの人生を大きく変えた、大事な大事なきっかけのことを口にするんなら。

 

「お兄ちゃんうるさい。とにかくほらっ、入ってくださいったら!」

「ひゃああっ……!」

 

 押されるままに入った、この病室から。

 もっと言えば、後悔だけで埋め尽くされる筈だった、散歩に出かけたあの朝から…………きっと。

 

   ×   ×   ×

 

 大事にされてるんだなって自覚したのはいつだったかなぁ。

 たまに、なんだかいきなり頭の中に疑問が浮かぶことってあると思う。

 

「………」

 

 ある土曜日の学校。

 土曜なのに、生徒会奉仕部は慌しい時間を過ごした。うん、過去形。今は結構暇してる。

 ちらって見れば、みんな溜め息吐いてる。そうだよね、休みだったのに学校だもん。知ってたならまだしも、いきなり用事とかはぐったりしちゃう。

 

(人、増えたよねー……)

 

 思えばとっくに大所帯。

 小町ちゃんが無事に入学して、早速奉仕部に入部して、それを追うみたいに川崎さんの弟のえーと、川崎大志くん? が入部。

 いろはちゃんはとっくにだし、葉山くんも優美子も居る。奉仕部もおっきくなった。今は生徒会だけど。

 ていうか部員が優秀すぎて問題が特にないっていうのもすごいよね。

 

「ん-と」

 

 自分で言うのもなんだけど、3年になって今日まで、あたしも随分と成績が上がった。今も頑張って勉強はしてるし、知る努力もいっぱい続けてる。お蔭でちょっと不安だった生徒会って仕事も出来てる。うん、ちょっとだけ誇らしい。“副会長になったよー!”ってママに自慢したら、あらあらうふふって笑われたけど。……ヒッキーにもゆきのんにも証言してもらって、ようやく信じてもらえたあの日がちょっと懐かしい。

 なにかを知るって素敵だねって、なんかそんなことをしみじみ言いたい気分だ。それを届けるなら誰でもいいわけじゃなくて、自分の大好きで大切で自慢の彼氏に届けたい。

 出来ればえっと。

 うん。

 こんな雨の日には、彼の部屋のベッドで。一緒にごろごろして。

 えっちな意味じゃなくて、じゃれつくみたいにして、ごろごろ。

 

「………」

 

 は~……って息を吐いて、書類を纏める。

 数はあったけど確認だけだったから、そんな難しくもない。

 中学の頃からは考えられないな~って、黒い髪を纏めたお団子をくしくしいじりながら、しみじみ。

 そんな時、隣に座る彼が「雨だな……」ってぽしょり。

 それだけで、胸がとくんって鳴って、期待してるあたしがいる。

 デートするのもいい。ウィンドウショッピングとか、見て回るだけでも……隣にこの人が居てくれるだけで楽しい。

 雨の日とかに出かけるのはちょっとだけ億劫だけど、彼となら全然嬉しい。

 でも、こんな雨の日は出掛けたりしないで、ベッドの上で抱き合いながらごろごろするのが、あたしは一番好きだったりする。

 他の誰に言っても、きっとえっちなことを考えると思うけど、あたしたちはそういうつもりは全然なくて、ただ本当に抱き合って、たまにキスをして、やっぱり抱き合うだけ。

 

「………」

 

 隣じゃヒッキーがスマホで天気の流れを調べてた。

 今日一日はほぼ雨、途中で晴れることもあるかもだけど、明日は豪雨注意。

 軽く覗き込もうとすると、ほれ、って見せてくれる。

 むう……覗き込むついでに、もうちょっと近づきたかったのに。

 そんな想いを込めてヒッキーを見ると、ほっぺたをちょっと掻いてから、とすんっ、て椅子ごと近づいてくれた。

 

「………」

 

 不思議だなぁって思うのに、それが嬉しくてむず痒くて。

 

  なんで言いたいことが解るの?

 

  ……よく見てるから。

 

 見つめることで訊いてみたら、そう返された気がした。

 あたし、顔を熱くして俯くしか出来なかった。

 

「いやー……雨ですねー……」

「ええそうね、雨ね」

「いんや~せっかく土日だってのに雨続きだと、料理教室とか開けなくて残念だわー……」

「あ、うん。そうだね。僕も出来れば明日とか、久しぶりにやりたかったんだけど……」

「残念だけど明日は豪雨注意だな。優美子も楽しみにしてたんだけど……本当に、残念だよ」

 

 葉山くんの言う豪雨って言葉に、ちょっぴり憂鬱な気分になる。天気が良ければ料理の練習、できたのに。

 ……お料理教室。日曜にたまにやってる、料理の腕を上げる授業だ。

 授業っていっても先生はその時によって違うし、本当に教師を連れてくるわけじゃない。

 やることといったら、たとえば親が居ない時間に家に集まって料理をする、くらいのやつ。

 会場は大体ヒッキーの家か、ゆきのんの家だ。

 作る料理は簡単なものから手の込んだものまで。

 最初はえとー……なんていったっけ。ば、ばんぷ? 将軍のさっと一品、っていうのから始まったはず。

 “ほのぼのしたのが見たいな”ってさいちゃんが言い出して、“ふぅん! ならば良いものがあるぞ!”って持ってこられたのが、川崎県川崎市で繰り広げられる善と悪の壮絶な戦いの物語だった。

 

「いやいやー、それもなんですけどね? 先輩がた」

「んん? 比企谷さん? 雨だとなんかあるの?」

「ふふーん、わかってないなぁ大志くんは。雨の日はねー…………にひー♪」

 

 小町ちゃんがこっち見て、八重歯を覗かせるくらい、にーって笑う。

 な、なにかな? え? あたし、なにかした?

 雨の日は───……うひゃあそうだった! 前に小町ちゃんに、ヒッキーと一緒に寝てるところ見られて……!

 や、や、でもでもあれから結構経つし、それのことじゃないかも。

 

「それだわ~、雨っていったら八幡とガハマっちゃんだべー!」

「あ、うん。僕も雨って聞いたら二人を思い浮かべちゃったかな……」

「はぽん? 何故デアルカ? 我にもわかるように平明に教えてくれない? 八幡」

「そこで俺に訊くのかよ……」

「俺も興味あるかな。八幡、なにか、雨の日に起きた思い出とかがあるのか?」

「あのな、隼人。サワヤカに訊いてきても応えないからな? いいからお前はそっちで三浦さんといちゃいちゃしてろよ」

「…………《グッ》」

 

 ヒッキーの言葉に、優美子が机の下でグッと拳を握ったのが見えた。

 ヒッキーってこういうところのフォロー上手いんだよね。お蔭で優美子も、“ヒキオって予想以上にいいやつじゃね? あーしかなり見直したわ”とか褒めてくれたし。

 なんだか自分が褒められるより嬉しかった。ヘンかな。

 

「はー……それにしても、仕事がないとただの仲良し倶楽部みたいな場所ですよね、ここって……」

「一色センパイ! 俺結構好きっすよ、こういう雰囲気っ!」

「大志くんって、成長したら熱血高校男児~~って感じになって、結構うるさそう……」

「いやあの、俺、現在進行形で高校男児っすけど……」

「野球とかやってそうなイメージなのに。なんで生徒会奉仕部に入ったの?」

「えっと、それはー……《ちらり》」

「?」

 

 いろはちゃんの質問に、川崎くんがちらって小町ちゃんを見る。

 小町ちゃんはきょとんって首を傾げたあと、鏡で自分の顔になにかついてないかとか確認してた。

 …………うん、川崎くん、がんばって。

 たぶん小町ちゃん、そういう方向には結構鈍感だろうから。

 ヒッキーは……

 

「…………《ちらっ》」

「…………《ちらっ》」

『《びくっ! ……かぁあ……!》』

 

 ヒ、ヒッキーは……敏感だよね? ほらっ、そのっ……あたしが気づいてほしい時とか、すぐに気づいてくれるし……!

 “わざと気づかないように”してなければ、きっともっといろんなことに気づいてくれてると思うんだ。

 

『…………《きゅっ……さわさわ》』

 

 長机の下で二人、手を伸ばして手を握って、お互いの手をさわさわって撫でる。

 くすぐったくて、嬉しくて。

 恥ずかしくて顔は見れなくなっちゃって、そしたらヒッキーが紙の端に小さく文字を書いて……

 

  好きです

 

 かあ、って余計に顔が熱くなって。気持ちを伝えたいのはこっちだって同じなんだってわかってほしくて、あたしも自分のシャーペンを出して文字を書く。

 

  あたしのほうが好きです

 

 ハッとした彼が、顔が緩みそうになるのを耐えながら、また書いて、あたしも書いて。

 

  俺のほうが、あたしのほうが

 

 意地になって書くのに、喧嘩になるわけでもなくて、目が合えば嬉しくて勝手に顔が微笑んで。

 こつん、ってぶつかった左と右のペンを持つ手が重なり合って、握り合って。

 

『………………《じぃいいいいいいい~~~》』

 

 ……もう少しで重なりそうだった口を、繋いだ手と一緒にすぐに離した!

 ななななんでみんなして見てるの!? ここここういうのは恋人同士の大切なことなんだから、見ちゃだめなやつでーーーっ!!

 

「あっ、どーぞどーぞ続けてください結衣さんっ! 他人の青春を見るのも青春ってやつですって!」

「あ、そっか、じゃあこれでわたしもようやく青春できるってことですね! じゃあやっちゃってください! 一色いろはっ、ここで起こることの全てを書記補佐として記録しますから!《スチャーン!》」

「なんでそこでスマホ構えるの!?」

「っかー、もうちょいだったのに惜っしいわ~……いやぁめんご? べつに邪魔するつもりとか全然なかった系のアレなんだけどさぁ」

「あのね、八幡。僕、そういうのがいけないっていうんじゃないけど、恋人同士の大切なことなんだから、人に見せちゃだめだと思うんだ」

「ぅぉっほぉん~~む! むしろいいぞもっとやれというやつであるな! なんかもう我羨ましいを通り越して悟りの境地に辿り着いたでござる」

「というか……なぁ八幡? 実際どうなんだ? 君は独占欲とか強いのか?」

『聞くまでもない』

 

 べ、であろう、んじゃないかな、って言葉が続いた。

 訊いた葉山くん、すっごく戸惑ってる。

 

「………」

「………」

 

 ちらって、隣を見る。

 やっぱり丁度目が合って、でも今度は目を逸らさない。

 

「あの……あたし、独占…………されてる?」

「あ、い、いやっ……俺はそんなっ、好き、だけど……行動を制限とかするつもりは……」

「されてないん……だ……」

 

 あたしがおかしいのかな……ヒッキーにならそうされたいって気持ちが溢れて、されてないって知ったら残念で、寂しくて。

 心がしょんぼりするのを感じたら、ヒッキーが慌てて言ってくれる。

 

「そっ、そりゃしたいけど! ずっと俺の隣にって抱き締めていたいけど! でもっ…………へ? ぁ───ぐあぁあああああっ!!」

「おやおやー? お兄ちゃんってばいくら結衣さんが残念そうにしたからって、こんな人数の前で堂々と結衣さん独占宣言とか……」

「お兄さん大丈夫っすか!? 顔赤いっすよ平気っすか!?」

「川崎、そっとしといてやれ……。こういう時の男は、そっとしておいてやってほしい……わりと本気で」

「それなーっ、葉山くんったらわかってるわぁ~! 女の前で失敗した時の男ってのは、なにはなくともそっとしておいてほしいもんだべ」

「そ、そうなんすか! 勉強になります! ……あ、でも、比企谷さん、めっちゃつついてるっすけど」

「小町ちゃんっ!  八幡もう顔とか真っ赤だからそういうのダメだよ!!」

「いえいえ戸塚さん! こういう時だからこそお兄ちゃんはつついてやらなきゃなんですよ! つつけばつつくほど過ちを犯さなくなるんですから、この場合は───」

「…………《じー……》」

「ぅぐぉぁっ……あ、あの……結衣さん? そんな見つめられると、小町ちょっとやりづらいっていうか……」

 

 だめ。それ以上、やられたら困る。

 過ちなんかじゃないんだ。あたしは、その……独占、されたいって思う。

 もっともっと我が儘とか言ってほしい。あたしに出来ること、してあげたいから。

 たくさんありがとうがあるんだ。

 たくさん嬉しいを貰った。

 たくさんの好きが湧いてくる。

 過ちなんて思われて、距離を取られるなんて嫌だ。

 だから……

 

「うぅ……わかりました。でもあの、結衣さん? たぶんお兄ちゃん、このままだと本当にすっごく踏み込みますよ? ただでさえ最近のお兄ちゃんの、結衣さんへの気の許しようとかすごいんですから」

「え……そかな。そうでもないと思うんだけど」

「そうです。そうなんです。今までは小町だけだったかもですけど、たぶんそろそろ……」

「……? 踏み込むもなにも、もう十分踏み込んでるだろ、俺」

 

 言われて、ヒッキーも気になったのか、赤い顔を軽く振ると小町ちゃんに先を促す。

 

「このままストッパーが外れたらヤバいって言ってるの。お兄ちゃんわかってる? 最近のお兄ちゃん、いろいろヤバいよ?」

「ヤバいとかアレだとかじゃなくて、ちゃんと言ってくれ。言ってくれなきゃわからん」

「………」

「………」

「じゃあ言うけど……」

「結局言うのかよ。なに言われるのか知らんけど、こいつらの前で言っていいことなの? ……おいちょっと? 小町ちゃーん?」

 

 小町ちゃんは溜め息ひとつ、あたしとヒッキーを交互に見てから言った。

 それはあたしも気づかなかったことで───

 

「お兄ちゃんさ、最近行動に淀みっていうか、躊躇とかなくなってきてるの、気づいてる?」

「…………行動? 躊躇? こんなもんじゃなかったか?」

「小町たちに対しては変わってないよ? あ、いや、むしろ小町に対しての行動が、結衣さんに向かってるっていうのかな。結衣さんに対して、やることなすこと遠慮がないっていうのかな。考えるより先に行動してるところ、ない?」

「? いや、だってな、考える必要ないだろ。結衣が願うことならなんだって叶えてやりたいぞ、俺は」

「はい、友達の皆さま、今の兄をどう見ますか?」

 

 促されて、自分を指さしてから頭を掻くとべっち。

 

「あ~~~……それなー。確かに最初ん頃から比べっと、すっげぇ変わったわー……」

 

 な、と言われて、こくこく頷くさいちゃん。

 

「そうだね。前はむしろ大切にしすぎててなにも出来ないって感じだったかも」

 

 その隣で腕を組んではけぷこんけぷこん言いながら頷く巨体。

 

「うむ。それが今では、大切だからなんでもしたいといった様子であるな」

 

 さらにその隣で少しきょとんとしてる葉山くん。

 

「そうなのか……俺はどっちかっていうと今の八幡から知ったから、自然なのかと…………あ、いや、言われてみれば、バレンタインから……厳密に言うと3年になって知らないヤツが増えてからか。随分と遠慮がなくなったようには感じる。……ああなるほど、これが独占欲か」

「でぇすよねぇ~? ほらお兄ちゃん、これだけの人が言ってるよ? お兄ちゃんおかしいって」

「やめなさい小町ちゃん、俺の頭おかしいみたいに聞こえるから」

 

 そ、そうなんだ。大切…………そっか。大切…………うわわ、嬉しくて顔が……。

 ? あれ? でもそれのなにがいけないんだろ。

 

「で、俺がそうだとして、なにがまずいんだ? 言い出したってことはよくないことになるかもなんだろ? 言ってくれ。結衣に関してで心配事は残したくない」

 

 ほら、ヒッキーもこう言ってくれてる。

 眼鏡、チャリって直しながら。

 …………あの仕草、好きだなぁ。他の誰がやっても気にならないのに、ヒッキーがやると目がいっちゃう。

 ずぅっと大事にしてくれて……眼鏡もあたしも……ああだめだ、にやけるのが止められない。

 

「お兄ちゃんさ、生徒会役員がそんな、人前で堂々といちゃいちゃしていいと思ってるの?」

「いいだろ」

「いやいやいやいやお兄ちゃん? 即答されるとは思わなかったけど、世の中には不純異性交遊っていうのが───」

「不純? ……いや、俺純粋に結衣が好きで一緒に居るんだ、けど……な……ぁ…………ぐぁあ……《かぁあ……》」

「~~……《かぁああ……!》」

 

 疑問に対して答えたヒッキーが、頭を抱えて机に突っ伏した。顔真っ赤で。

 あたしもじんじんするくらい、熱が顔に集まってる。

 だ、だってさ、まさかあんなに真っ直ぐに、即答してくれるなんて思わないよ。

 思わず顔も緩みそうになるけど……うん、そうだ。不純じゃないって気持ちは、ちゃんと届けたい。

 

「うん……小町ちゃん、あたしも純粋にヒッキーが好きだから、ずっとこうして隣に居たいなって思ってるんだよ? ヒッキーが居てくれたから成績も上がったし、頑張ろうって思えたんだ。不純じゃそんなこと、出来ないよ」

「いえあの結衣さん? 不純ってべつにそーゆー意味じゃなくてですね」

「……じゃあ、どんな意味?」

「ど、どんなってそのー……ほ、ほら、~~……みみみ三浦先輩バトンタッチお願いします! 小町にはレヴェルが高すぎるっていいますかっ!」

「あ? ……はぁっ!? ちょ、いきなりなに押し付けてっ……!」

「優美子?」

「あぐっ!? ……ぅ……ふ、不純ってのはさ、結衣……えと、ほら……がっ、学生の本分ってのはあれっしょ? 勉強ってかさ……」

「いやいやぁ三浦さん? この二人さー、不思議なことに付き合ってからの方が成績いいんだわー……」

「うん。特に由比ヶ浜さんなんて、親に驚かれるくらいだったって聞いたよ?」

「うんっ、すっごいがんばった!《むんっ!》」

 

 それは本当に驚かれたし嬉しかったから、むんって胸を張って答える。

 隣のヒッキーはあたしのそんな反応に小さく笑いながら頷いてくれる。

 

「ああ、通常の三倍は頑張れたかな……、あ、あいや、……がが頑張れた、ぞ?」

「むー……ヒッキー」

「ぅ……やっぱり……普通の口調のほうが、いいか?」

「うん。無理に変える必要、ないよ……そのままのヒッキーが、その、いいな……」

「そ、そっか……」

「うん……そうだ……」

「………」

「………」

「三浦先輩またいちゃいちゃし始めましたよ! 早く不純の定義を!」

「はぁ!? なんでまたあーしが!? 一色、あんたやんな!」

「うぇええっ!? え、ちょ、わわわたし不純とか学校でのそういうことに対する意味なんて知りませんよー! 言い出しっぺなんだから小町ちゃんでしょ!」

「いやいやいやいや小町としましては、運動も勉強もレベルアップして、することと言ったら手を繋いで赤くなったり、視線がぶつかっただけで赤くなって目を逸らしたり、何歩も踏み込んでようやくキスが出来るくらいの兄たちに不純がどうとかどう説明したらいいか!」

「ぃゃ……高校三年でそれって……。八幡、ガハマっちゃん、奥手にもほどがあるべ……」

 

 そ、そうなのかな……あたし、すっごい幸せなんだけどな。

 そりゃ、その、そういうことの先に興味がないわけじゃないよ?

 でもさ、抱き締められてさ、頬撫でられて、頭撫でられて、頭が胸に抱き締められて、抱き合って、背中撫でられて、たまにキスして……………………えへー……♪

 

「あ、だめです、結衣さんが旅立ちました。こうなると幸福の制御が出来なくてしばらく帰ってきません」

「はぁ……あんさ、この二人ほんとに高3? どうすりゃこんな、交換日記とか書いてそうな二人に仕上がんの」

「うちの兄は中学とかが散々でしたからね。人のことを信じないようにする決意っていうんですか? それを高校で固めようとしたところに、ちょーど結衣さんと出会ったって感じでして」

「小町ちゃん? おいちょっと? 人の過去を誰彼構わず暴露するクセ、いい加減にやめない?」

「そこはご安心だよお兄ちゃん。小町、お兄ちゃんを知ろうとしてる人にしか話しません。小町アイは人の良し悪しをよ~く見られるんだから。……小町だって、中学で嫌な想いしなかったわけじゃないしね。お兄ちゃんに対して悪意を持つ人を見分ける目はあると思うよ?」

「…………ありがとうとか言いそうになったけど、結局暴露する事実は変わらねぇじゃねぇかよおい」

「むう、そこに気づくとは……! あのー……お兄ちゃん? 小町もそのー……やさしい口調のお兄ちゃんとか、好きだなー……?」

「───《ハッ》」

「あ。結衣先輩が“好き”って言葉に反応して戻ってきました」

「ガハマっちゃんの独占欲も相当な。八幡に好きって言えば戻るってわかったから、これからは誰かに言ってもらうべ」

「うーわ戸部先輩どん引きです……女の子の“好き”を目覚まし扱いとかもうありえないです」

「えっ?」

「え?」

 

 あたし、ベッドでぎゅーってしてて、二人とも眠っちゃったあととか……目が覚めたヒッキーに好きって言うの、結構好きなんだけどな……。

 あたしのほうが遅れて起きた時は、ヒッキーがそうしてくれて……あ、あれ? おかしいことなのかな。あれ?

 

「どうしましょう雪乃さん、なんだかどんなことをやらかしてたのか想像ついちゃいました……!」

「ここで私に振らないでちょうだい」

「お兄さんって同衾とかしちゃってるんすか! レベルたけーっす!」

「はーい大志くんちょっと黙ろうねー? なに想像したのか知らないけど、そういうことは思うだけで口には出さないどこう。小町との約束だ!」

「いやでも比企谷さん、やっぱ気になるっていうか」

「あんまりしつこいと小町、お姉さんに言いつけちゃうゾ☆」

「押忍もう言いません! ───え? お姉さん? ───え!? そ、それって」

「あぁべつに深い意味とかないよ? 大志くんがお兄ちゃんのことお兄さんとか呼ぶから、わかりやすく言っただけ」

「…………《ずぅううん……》」

 

 頭の中がヒッキーのことでいっぱいになったあと、なんでか川崎くんが落ち込んでた。

 うわー……会話とか全然頭に入ってこなかったや。しっかりしなきゃだ、あたし。

 

「……なんか数ヶ月前の自分とか見てるみたいだわ……。えぇっと、タニシくん、がんばっしょ?」

「大志っす……」

「そ、そうだよ、頑張ろう! ええっと平間寺くん!」

「それべつの“川崎大師”っす!」

「けぷこん! ……つまり少年どもは一度はこの小童めを抱き締めねばならんのだな!」

「いやっすよ! 確かに文字はその大志で合ってるっすけど!《ちらちらちら》」

「君はわかりやすいな。……小町ちゃんが好きなのか?(ぽしょり)」

「んなぁあはは!? なに言ってんすか葉山先輩! 俺はっ、そのっ……!」

「?」

 

 ヒッキー以外の男子が、大志くんを引っ張って生徒会室の奥に離れてく。

 ぽしょぽしょ話してるけど、なんだろ。

 ヒッキーがそれを少し羨ましそうに見てる……と思ったら、あたしに目を向けてきて、気恥ずかしそうにもっと椅子を近づけてくれる。

 あたしももうどうせならって、椅子がくっつくくらい動かして、その腕に腕を絡めた。

 

「んでさぁ、こまっちゃんのことだけどさぁ。ちょ~っとブラコンっぽいところとかあっかなぁとか思ってたけど、八幡はべつにそこまでシスコンって感じでもねぇし、むしろこれあれじゃね? ガハマっちゃんと付き合うようになってから、妹に向ける分の愛情がぜ~んぶガハマっちゃんに向かっちゃってて、こまっちゃんが寂しがってる系のあれ?」

「うん、そんな感じはちょっとあるかも。たまに羨ましそうに八幡のこと見てる時、あるよ」

「ほほう、よく見ておるなぁ戸塚氏。我なんて恥ずかしくて女子と目を合わせるとか無理」

「戸塚は本当に人のことをよく見てるな。俺も少しは見習わないとだ」

「はぽん? 貴様はむしろ見ているほうではないのかリア王よ」

「その呼び方やめてくれ。……言うほど見れてないんだ。優美子の期待にもっと応えられたらって思うことばっかりだ。八幡のように、由比ヶ浜さんが望んでいることを先読みして、っていうのがまだ出来ない」

「いやいやいやいやいや!」

「いやいやいやいやいや!」

「いやいやいやいやいや!」

「いやいやいやいやいや!」

「っ、な、なんだ? 四人していやいやって……」

「葉山先輩! あれを真似るとか無理っす! 見習えるレベルじゃないっすよ!」

「然り然り! あれから学ぶなど、一種の予知能力でもなければ無理というものだろう!」

「いやぁ……葉山くん? 悪いこと言わねぇからあれだけはやめとくべ。俺も海老名さんとあーなれたらとか思うけど、あれ無理。まじ無理すぎでハイレベルすぎっしょ……」

「葉山くん……あれはあの二人だから出来るんだよ、きっと。八幡から少し聞いたんだけどね? あの二人はお互いが欲しくて仕方なかったものを与え続けられるから、ああしてわかり合えていられると思うんだ。葉山くんと三浦さんが、過去に似たような経験とかをした間柄ならまだいけると思うけど……」

「……羨ましいって思うのもだめな領域なのか?」

「正直、まじで、ほんっとーに、その気持ちはわかるわ。甘い恋に憧れる男子の、それこそ甘酸っぱい青春ラブコメそのものじゃねぇの。けどさぁ葉山くん。これこまっちゃんからのリークだけど、自分の家の自分の部屋の自分のベッドに大好きな女の子と一緒に寝てさ? 抱き締め合ってキスとかしてさ、それで狼にならずにいられる自信とか、ある? 我慢とかするんじゃなくて、ただ好きだからって理由で、キスまで、とか」

「……やってみなきゃわからないな」

「ベッドに、って恋人から誘われてもだぜ?」

「───」

「ここここ小町ちゃん! なんてこと話してるの! そういうことは恋人同士の大事なことなんだから、いくら僕らが八幡の友達でも言っちゃだめだよ!」

「えっ? あれっ!? なんで小町、急に戸塚さんに怒られてるんですか!?」

 

 急にさいちゃんがぷんぷんって怒った。えと……恋人同士? のことを小町ちゃんに言う……ってことは? ……さいちゃんが小町ちゃんに、ってことは、たぶんあたしたちのこと、なんだよね。

 たぶん小町ちゃんは必要な時以外に嘘なんて言わないと思うから、あたしたちの恋人としてのこととか話しちゃってて……って、こここ小町ちゃん!? あたしとヒッキーのこと、みんなに話してないよね!?

 とくに、えと、えっと、雨降りの土曜日とかのこと!

 

「~~……《じー……!》」

「《ハッ!?》…………《ソッ》」

 

 目、逸らした! 小町ちゃん目、逸らしたぁああっ!!

 なななななんで!? なんで教えちゃうの!? そりゃ隠し事とかあまりしたくないけど、恋人同士のことまで全部教えたいとか知っておいてほしいとか思ったことなんてないよ!?

 

「うーわー……男子が固まってなに話してるのかと思えば。ちょっと先輩がたー? そういうの女子の前でこそこそ言うの、感じ悪いしちょっとキモいですよー?」

「キッツいわー……いろはすマジきっついわー……」

「ちょっとやめてくださいよ戸部先輩誰があだ名つけていいとか呼んでいいとか言ったんですかあのほんとキモいんでそういうことは海老名先輩にだけしてくださいごめんなさい」

「お前肺活量すごいな……しかも噛まずに言えるとか。雪ノ下でだめだったら、お前が普通に生徒会長とかやってもよかったんじゃないか?」

 

 あ、うん、それはあたしも思った。

 なんだかんだで人を選ばずに話とか出来てるし、あとー……えと、物怖じっていうのかな? 躊躇とかはするけど、話し始めたら結構拾ってくれるっていうか。

 ……興味ないことはあんまり聞かないで、“そうですねー”しか言わなくなっちゃうのがたまにアレだけど。

 

「やめてくださいよ先輩……“ただ喋る”のと“仕事を纏める”のとは違いますって。わたしに雪ノ下先輩みたいに仕切るのとか無理ですよ、経験を積めば出来るかもですけど」

「ふふっ……そこで“絶対に無理”と言わないだけ、好感が持てるわ。気の早い話だけれど、次期生徒会長は一色さんに任せようかしら」

「おーぅ意義なーし! 一年生生徒会長とかマジ見てみたかった気持ちはあっけどさぁ、いろはす案外、人を纏めるのとかマジ向いてそうだべー! なー!?」

「……なんか戸部先輩に言われても、向いてないものを無理矢理向いてることにして、仕事を押し付けようとしてるみたいにしか見えないです。あとあだ名呼びやめてくださいってば」

「ひっで!? 俺これでも真面目なんだけど!? っつーかさぁ、」

「ゴラムゴラムゥ! ……失礼だが、言い争っているうちにまたいちゃつき始めたのだが…………目の毒だから誰か止めて!? 我もう耐えられない! なんか足の間に座らせちゃってるし! 同じ椅子でとか! 同じ椅子で後ろから抱き締めるとかーーーっ!」

 

 恥ずかしいけど、知った相手がみんなでよかったって思う。

 他の人だとちょっとアレだ。嬉しくない。

 とか考えながら、もっとくっつきたくなって……

 

「………」

「………」

 

 同じ椅子の上、ヒッキーの足の間で、深く深くゆっくりと息をする。

 心が安心で満たされて、体がヒッキーの香りに包まれて、自然に力が抜けていく。

 目を閉じればすぐにでも眠れそうで、自覚する。“ああ、あたしはこの人の腕の中に居ても、まるで警戒なんてしてないんだな”って。

 

「……~……」

 

 なにかを呟く。自分でもよくわかってない。

 ただぎゅーってされて、お腹を撫でられると、喉から子犬みたいな声が漏れる。

 くすぐったくて、お返ししたくて、ヒッキーの膝に指で文字を書いていく。

 さらさら、さらさら。

 そしたら後ろからまたぎゅーってされて、右の肩にヒッキーの顎が乗ってきて、耳にぽしょりって……「俺も好きだ」って。

 好き、って書いたのバレバレだった。バレバレなのに嬉しい。

 

「ひっきぃ……」

「結衣……」

 

 膝にまだまだ書き足りない好きを書いてたら、ヒッキーの手があたしの手を掬うみたいに動いた。

 恋人繋ぎできゅってされて、お腹のところに両手ともぽんって添えられる。

 くすぐったくて、言葉に出来なくて、甘えるように体重をかけてもたれかか───

 

「っだぁーーーっ!! いーかげんにしてください!」

 

 ───ったら、いろはちゃんが怒った。

 

……。

 

 で。

 

「…………《ずぅううん…………》」

 

 めちゃくちゃ離された。

 長机を挟んで、左端がヒッキー、対面しての一番左端があたし。

 ぁううう……ひっきぃ、ひっきぃい~……!

 

「ぅ……だ、だめですからね結衣先輩! そんな迷子の子猫みたいな目で見たって───」

「仕方ないわね由比ヶ浜さん、位置を変えましょう」

「ゆきのん!《ぱああ……!》」

「って雪ノ下先輩軽っ!? なにがそんな、心を動かすきっかけになったんですか!? 猫ですか!? 猫なんですか!? ちょ、だめですってば! なんでそんなにちょろいんですか!」

「あー……じゃあこうしましょう雪乃さん。位置は変えずにそのままでしたら、カーくんモフり放題券を」

「ごめんなさい由比ヶ浜さん、今のは冗談よ」

「ゆきのーーーん!?《がーーーん!》」

 

 ゆきのんが猫に負けた。

 でも、確かにこういう場所で恋人気分なのはだめだよね。

 ちゃんと切り替えなきゃだ。うん、よし。

 じゃあ早速仕事を───

 

「………」

 

 仕事……

 

「……!」

 

 ───そもそも仕事がなかったんだった! うわぁん離れ損だよこんなのー!

 

 




 /文字だけ見て想像すると、まるで違うことが起きる次回予告


「つっかれたわぁ~……ようやっと仕事から解放された~」

『おめでとーーーーーっ!!』

「じゃ、電気消しますよー!」

ムッハァーーーッ!! ハイラートギャラクシィーーーッ!!

「たまに我へ向ける目がきっついでござる……」

「あぁ……あれ、“海老名さんの時ヨロシク”って顔だな」

「なに言われても平然としてた雪乃さんが猫に反応した!?」

「ごめんなさいそれは無理」

「おー聴いてる聴いてる隼人任せた」

「腐ってやがるって言いたいんだろ」


次回、お互いが好きすぎる男女のお話/第二話:『“うぬ”はまた今度ね』

「自由スペースということで~~~───絆が来た!」
「そして美鳩がここに居る。この番組は楽しいトキを眺める奇妙、麺類と」
「ごらんの主犯が提供に巻き込まれた提供でお送りします!」

 巻き込まれ主犯:安定のこもれびさん

「というわけでなんだか急に北海道について語りたくなった! なんかないかな美鳩!」
「北海道といえば……北海道は都道府県でいう“道”らしいけど、北海道道と言わないのは何故?」
「むふふん、それにはこの絆が答えましょう。ズバリ語呂的にも文字的にもめんどかったからと見る! 独断と偏見で!」
「ところで北海道といえば雪のイメージ」
「無視!? や、まあそうかも」
「雪に抱くイメージは? 都会の皆さんに訊いてみた」

Tさんの答え
え? 雪? いんやぁ雪っつったらやっぱカマクラとか雪合戦っしょ!
Mさんの答え
あ? あんたらまたおかしなことやってんの? まあいいけど。雪ね……奉仕部部長とか思い出すから、いいイメージ沸かね。あれっしょ? かまくら作って中で休むとかじゃね? 知んないけど。

「……平和そうでなにより」
「あン~~~あ都会モンはこれだからやだィヤ、雪のおっかなさを知らん。 まァいいコテ。所詮雪国のチビシさは雪国モンしかわからんでや。千絵カナスィ」
「……? べつに絆は雪国モンじゃない」
「言ってみたかっただけだからオッケー! まあわたしたちにしてみたら、雪が積もれば庭駆け回る合図だったしね」
「鳩である美鳩は当然、豆鉄砲ならぬ雪弾を手に、犬と激戦を繰り広げた。獣に負けぬ心、実にジャスティス」
「うーん……美鳩はもし北海道に行ったら、なにをしたい?」
「オロフレ山頂に駆け上がってフーアムアイを叫びたい」
「……うん。なんでオロフレ限定なのかは訊かないでおくよ」
「北海道は、なんというか海の幸や陸の幸、食べ物のイメージも多い」
「魚かー……美鳩はどんな魚が一番好き?」
「断然タツノオトシゴ。是非、是非飼ってみたい……! ジャスティス……とてもジャスティス……!」
「……今度、連休でも取れたら家族みんなで瀬戸内海にでも行こうか……。きっとママのんに言えば一発だよ……」
「都築さんに幸あれ。都築さんのイメージは、なんというかヴィルヘルム・ヴァン・アストレアっぽい」
「最強お爺ちゃんだね」

 ちゃんちゃん。


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“うぬ”はまた今度ね

 帰る頃には雨も上がって、歩く道は賑やか。

 とべっちが「つっかれたわぁ~……ようやっと仕事から解放された~」って、なんだか社会人みたいなことを言ってる。

 まあ、しょうがないよね、土曜なのに急に呼び出されて、学校行事に付き合わされたんだから。

 それでもまだお昼で、“終わったあとは自由にしていい”って話だったから、みんなも頷いたわけだし。

 自由にっていうのは……ほら、うん。

 

「ぃやぁ、けどさぁ八幡? ガッコ行ってまで仕事してるって言葉が浮かぶのって、生徒会とか風紀委員とかばっかな気がしね?」

「あぁ、それは言えてるかも」

 

 そんなことを話しながらのんびり歩く。

 みんなが同じ方向なのには理由があって、制服を鞄に入れたあたしたちは、とっくに私服。自由にしていいっていうのは、学校帰りに生徒会役員が~とか……まあそういうところ。進学校だからそういうところは厳しいんじゃないか、って言いだしたのはヒッキーだけど、平塚先生はあっさりOKしてくれた。

 ……たまに、総武高校が進学校っていうこと忘れそうになるよ、あたし。進学校のてーぎ? っていうのはいまいちわかってない部分もあるけど。真面目じゃなきゃいけないとかそういう学校じゃないのかな? 詳しく調べたことなんてないからわかんないや。

 ちょっと優美子に訊いてみたら、「レベルの高い学校に行くつもりのやつが来る学校のこととかでよくない? 詳しいこととか知んないけど」だって。うん、なんかそんな感じする。

 訊かれたついでか、気になったのか、そのことについて優美子が葉山くんに訊いてみると、一応ってかたちで教えてくれた。“それまでの卒業生が、レベルの高い高校とか大学に受験してる学校”のことを言うらしい。ほんとにそうなのかは葉山くんも知らないって。

 あ、えと、一緒に帰ってる理由とそれはべつに関係ないんだけど……うん。ほら、あれだ。

 毎年恥ずかしいけど、今日はあたしの誕生日なのだ。

 それをヒッキーが祝うって言ってくれて、そこにみんなが便乗するかたちで集まる。

 ヒッキーは“仲間だから”って理由だけで呼ぶのは違うって言って、いっつもみんなを誘うことはしないんだけど……ヒッキー、あたしの誕生日が近くなるとそわそわしだして、みんなそれで気づいちゃうみたい。

 うん、自分の誕生日のくせに忘れてたあたしも気づくくらいだから、大事にされてるんだなーって。

 

(でも……)

 

 毎年、みんなが祝ってくれるのは嬉しいけど……悪いなって思う。

 お返しにみんなの誕生日にも騒ぐんだけどね。ほんとはただ、みんなで一緒に騒ぎたいだけなのかも。あはは。

 小さく笑ってから、駅から電車で移動。

 目的地に着くとお店に入って、慣れた動作で思い思いの場所に座った。

 

「んじゃ、今年も妙に挙動不審だった八幡主催! ガハマっちゃん生誕祭をはじめまーす! ほら八幡、ばっちりゴーっしょ!」

「俺にパスするなら最初からやらせてくれよ……ん、んんっ。……結衣、誕生日おめでとう」

『おめでとーーーーーっ!!』

 

 目的地……パセラに集まって、みんなでわいわい。

 ヒッキーがオーダーメイドで誕生日用のハニトーを用意してくれて、なんかもう祝ってくれるってわかってても嬉しくて恥ずかしくて……うん、やっぱり嬉しい。顔が勝手に緩んでいく。

 座る場所もヒッキーがまず座って、その隣を促してくれて。来るのは初めてじゃないから、緊張とかは……する。やっぱりする。慣れない。言っちゃうと、慣れたくない。こんな気恥ずかしさが今は嬉しい。

 

「じゃあロウソク、つけますね」

「18本18本……あ、いろはさん、ライター取ってもらっていいですか?」

「はい小町ちゃん」

「ロウソク18本……お、お兄さんっ、18ってなんだかいけない雰囲気がするっすね!」

「次に結衣関連でそういう妄想したら潰す」

「なにをっすか!? どこをっすか!? ていうか大事にしすぎっすよ! そのやさしさをもうちょっと俺に向けてくださいっす!」

 

 パセラケーキに細いロウソクが立てられてく。トースト部分にはもちろん立てられないから、たっぷり乗っけられたクリームの上に。

 いろはちゃんと小町ちゃんがやるっていったけど、最後までやらせてくれってヒッキーが。

 な、なんか恥ずかしいね、これ。自分の年齢をじっくり数えられてるみたいだ。

 

(………)

 

 ロウソクの本数が、病室で出会った時の歳と重なると、なんだか心にじぃんって……なにかがよぎる。

 人に合せてばっかりの日々だった。

 空気を読んでばっかりの日々だった。

 ニセモノみたいな笑顔を貼り付けて、それが偽物だってバレないように努力して。

 もっと別の方向に努力すればよかったのにって、今なら思うのに……たぶん、そんな頑張りをしてみせても、あの頃じゃ孤立するだけだったんだろうなーって思う。それがちょっとだけ悔しい。

 

  もう一本、もう一本ってロウソクが増えるたび、出会えた人に感謝する。

 

 ヒッキーも言ってたことだ。思い返せば忘れたいような自分の出来事ばっかな小学から中学の頃なのに、それがなければあたしたちは出会えなかった。

 出会ってきたすべてに感謝したいなんてきっと無理だ。

 どうしても好きになれなかった人だって当然居たし、人の胸見てにやにやしたり、男子だけで集まって、あたしのことなんかなんにも知らないくせに“あいつってエロいよなー”とか言うのなんて最悪だ。

 だからってわけじゃない。たしかに理由のひとつとしてはあったんだろうけど、あたしは……一緒の布団にくるまっても、ただやさしく抱き締めてくれたこの人が大好きだ。

 ヒッキーの匂いに包まれたってだけで、安心して眠っちゃうあたしもあたしなんだけど。

 大事にされてるんだなぁって、やっぱり感じられるんだ、そういう時は。

 

「ふぅむ。しかしそうか。これで八幡が18になれば、とうとう貴様らも婚約……」

「おっ、そういやそうじゃねぇのー! なーなー八幡ー? やっぱガハマっちゃん家に挨拶しにいったりすんのー?」

「……すっ…………する。既にしてあるようなもんだけど、結衣に関することは、とにかく誠実でいたい。その他がどうでもいいってわけじゃなくて」

「ヒッキー……うん。あたしもする。ヒッキーの家に、ちゃんと行くから」

「お、おう……」

「うん……」

「………《そわそわ》」

「………《もじもじ》」

「あーもー、ほんとどこでもいちゃいちゃしますねー、このカップルは……」

「いやー、小町的にはお兄ちゃんがこんなに積極的になってくれて、大変喜ばしいことですよ。お兄ちゃん? ボロとか出さないように、普段から部屋とか掃除しとかなきゃだよ?」

「最近じゃ家事全般引き受けてるだろーが。ほっとけ」

 

 そうなのだ。

 いつからかは詳しく教えてくれないんだけど、ヒッキーは比企谷家の家事全般を引き受けるようになったんだって。

 このままじゃダメだからって。

 あたしが出来るようになるからって言ったら、顔真っ赤にして“最初はそれでよくても、途中で出来なくなる時も来るかもだろ”って。

 最初は首傾げちゃったあたしだけど、意味がわかったらその……ほら、……うん。

 小町ちゃんなんかはいくらなんでも気が早いなんて笑うんだけど、あたしは嬉しかったから。

 きっと簡単なことや楽なことばっかじゃないから、慣れられるものは慣れとかないとだ。……ほ、ほら、妊娠した時……とか。

 でもやっぱり、いつ頃からやってるのか~とか、具体的な時期は教えてくれない。

 通り魔のことでお邪魔した時に料理を作ってくれて……もしかしたらあれからなのかな。だったら……嬉しい。

 

「ふ、ふーん……? そっか、婚約ね………………《ちらちら?》」

「いや……優美子? 俺たちはまだ早いと思うぞ?」

「べ、べつに今から期待してるわけじゃ……ないっていうか」

「ふふんむふむふむ! しかしそうか、高校生夫婦……うむ! ネタになるやもしれん! 男は魔眼を持つ男! 女はなにも知らない女! ある時出会い、将来を誓い合った二人は未来を夢見て婚約し、追ってくる組織の者たちを退けながら日々を過ごす男は、やがて女にその正体を知られ……!」

「うんうん、材木座くん、それから?」

「うむ! それから───……戸塚氏はしっかり我の話も聞いてくれて、真実天使であるな……あ、けぷこんけぷこん! それから、ショックを受けながらもやはり好きだからと受け入れた女と男は、それからの日々を二人力を合わせて乗り越えてゆき、いつしか平和と幸福を勝ち取って……! ……あ、なんか妄想に嫉妬してる我が居る。いっそここで敵側にHIRATSUKA女史を登場させて───」

「おいやめろ。なんか結婚出来なさそうじゃねぇか」

「大丈夫である! 問題などなぁああい! 平塚女史でだめならば、いっそ男をダメにする敵……うむ。“もっと頼ってもいいのよっ?”とか言われてダメ人間にする敵などを……!」

「いやそれ大丈夫じゃねぇだろ。ダメ人間って言っちまってるじゃねぇの」

「しかしあのロリお艦なら、なんであれ受け入れてくれそうな気がしない? ねぇしない?」

「いろんなものが厳しくて、いっそ家にずっと居られたらって、専業主夫って言葉に憧れたこともあったけど、それダメすぎるだろ……」

 

 言ってる言葉の意味はよくわからなかったけど、ロウソクは立てられて、火はつけられた。

 ヒッキーがあたしの隣に座り直して、よし、って笑ってくれる。なんでか口元を左手で覆って。隠してるみたいだけど、これ、顔が緩んでる時にヒッキーがやるクセだ。

 

「?」

 

 なにがそんなにヒッキーの顔を緩ませたんだろ。訊いてみても、「いや、幸せすぎて」って。……幸せなのはあたしのほうなのに。えと……なんか嬉しいな。自分のことみたいに喜んでくれるなんて。

 「じゃ、電気消しますよー!」って小町ちゃんが電気を消すと、ロウソクの火だけが眩しい暗さが完成した。

 

 

 

 

 

-_-/ちなみにロウソクに火をつけてた時のヒッキーくんの心の中

 

 材木座がなんとも珍妙な例を挙げてくる。まあ、ロリお艦のことならわからなくもないけどさ。

 専業主夫とか、そんなものを許してくれる人が居るとは思えない。

 居たとしてもその人の隣に俺は居ない。それは絶対だろう。

 むしろ今の俺は好きな人を支えたい気持ちでいっぱいだ。

 もっと頼ってもいいのよ、とかロリお艦とか、もろにあの八重歯が眩しい駆逐艦さんだが、俺はむしろ結衣に頼られたい。

 そ、そうだな、むしろ俺があのロリお艦の気持ちになったとして───だ。

 

(───俺が、結衣と結婚したとしたら……を、純粋な心で想像してみよう。……よし、開始)

 

 まず結婚式だよな。豪華じゃなくていいから一生の思い出に残るような。彩加か雪ノ下に仲人を頼んで……いや、正式な仲人の選び方とか、せめてここくらいは忘れる。

 で、どっちにするかで少しだけ軽い喧嘩をして、仲直りして。

 新婚旅行はどこがいいだろうか。結衣ならきっと一緒に悩んでくれるんだろうな。いっぱい楽しんでいっぱいくっついて。奮発して夜景が綺麗に見えるホテルとか取って、そのあとは……けほんっ! に、似合わないだろうけど精一杯勇気を出して、夜景よりも結衣が……くっはだめだ恥ずかしい!

 そそそそれらが終わったら小さくてもいいから一戸建てを買って、子供は……何人がいいだろう。元気に賑やかな家庭がいいな。ちゃんと家族で助け合って、かつ笑顔が絶えない幸せな家庭。ペットを飼うなら断然犬。俺が居ない間も結衣や娘(確定)を守ってくれる、猟犬だった誇り高き血統とか最高。

 いつまでも仲の良い、新婚もそうだけど恋人気分でもいいから末永く幸せな二人でいたい。子供が産まれると人は男から父親に、女は母親になるっていうけど、どっちも両立していちゃいちゃ出来るふたりで……! そう、結婚は人生の墓場なんかじゃないんだとそう叫べる二人でいたい。いつまでも何度でも、顔を見て照れながら好きだって言える二人で。具体的には手を絡ませて腕を絡ませて歩いてる俺達が、近所のおばさまに“あらあらいつまでも仲が良いわねぇ”とか言われるくらい親密で幸せで。

 あ、呼び方はいつまでヒッキーにしよう。結婚したら結衣も比企谷になるんだから、いっそハニーとかダーリンとかぐわぁだめだ歯が抜け落ちる耐えられない甘すぎる! でも実は一度やってみたかったりもして!

 子供が産まれたら俺に構ってくれるのは二番目になるんだろうかなぁ。俺、嫉妬しそうで怖い。逆に俺が子供につきっきりになったら結衣はどうなるんだろう。しばらくは二人きりを満喫したいって思うけど、早いうちに子供が出来たら若奥様とか言われて照れる結衣の横顔とか眺める俺が居て。

 俺はどんな父親になるかなぁ。結衣が辛い時には自分がどんなに辛くても支えることの出来る自分になりたいな。二人の大事な、大変な時をストレスで台無しにしてしまわないように自分をコントロールできるようにしよう。

 結衣はきっと子供好きで、だけど叱る時は叱れるいいお母さん。子供は叱られ、俺は尻に敷かれる。親父ギャグとかじゃなくて。敷かれてもいいからやさしいふたりでありたいな。

 育児に迷って二人で落ち込んで、それでも肩を寄せ合って一歩一歩学びながら歩いていく二人。今までも手探りで恋人の在り方を進んできた俺達だから、きっとこれからも大丈夫だ。その可能性を信じよう。笑顔でいられる努力と、知る努力、大事!

 だから子供を知るためにも成長記録とかつけちゃって、いつか子供が出て行ったあと、また二人きりを静かに過ごしながら、そんな過去を眺めるんだ。

 あの頃はこんなことがあったなぁって縁側とかでくすくす笑って。

 そして手を重ね合って、微笑み合って、そんな静かだけど賑やかな日々を送りたい。

 そのためにはお互いをもっともっと知って知るたびに好きになって想いを届けて届けられてどっちかが一方的に頼るんじゃなくてお互いが“お互いが居るからこそ頑張れる”みたいなそんな慎ましいけど賑やかで楽しいそして最高に幸せな結婚生活! 行動を起こせば人々に白い目で見られていたぼっちとこんな俺を理解して寄り添ってくれる美少女との国際結婚どころか銀河をも超えそうなレベルの奇跡の愛ッ! もうこれは伝承で説くなら天の川に遮られた恋にも匹敵するんじゃないかな! 時々口調がおかしくなる自分とかそのままの俺でいてとか言ってくれる恋人とか幸せすぎてムッハァーーーッ!! ハイラートギャラクシィーーーッ!!

 

(…………ハッ!? ~~~~っ……!! とりあえず落ち着こう……!)

 

 顔が緩む、ていうかニヤケる。考えることに夢中になりすぎて、テンションがおかしくなったし。助けて、未来に希望を託し過ぎてる自分がキモい。そのくせ本気でそうなりたいって思えちゃうんだから、緩むなってほうが無理。あと途中、頭の中でロリお艦が、レンタルドレスを着たマグナムウェディング婚活乙女に変身した。中の人、お疲れ様、なのです。あとベガ様、あなたは帰れ。結局“ムッハー”ってなんだったんだろうね。ベガ語か。

 ともかくこんな緩み顔、気づかれたら絶対に怪しまれるだろう。

 落ち着け、抑えるんだ……! だ、だめだ、まだ笑うな……! こらえるんだ……! し、しかし……!

 

「~~…………………………よしっ」

 

 なんとか一時的に峠は越え「ヒッキー? どうかしたの?」ヘアァッ!?

 いやちょっ、結衣さん……!? 俺今ようやく峠を越えたところで……! なのにあなたが声をかけてくるって……!

 

「?」

「~~~……」

 

 目の前の人が幸せに笑う未来を想像していた。

 そんな世界を見る自分はとても幸せそうで、それって本当に俺なのかよってくらいの顔で、妻と娘(と断定する)の隣で笑っていた。

 

「───」

 

 なんとか、「いや、幸せすぎて」って返した。

 もう耐えられない。

 緩み切った顔を見せないよう、結衣とは逆のところにある鞄を探るフリをして、そのニヤケを誤魔化した。

 

「…………~♪《ニヤニヤ》」

「!?」

 

 でも対面の席に座る小町には見つかった。

 死にたい。死なないけど。

 

(………しかし、あれだな)

 

 某ロリお艦な駆逐艦にマグナムウェディングされた提督のみなさんは、将来の夢は専業主夫……っていうかむしろヒモだったりするのだろうか。

 だってあのお艦、主夫の仕事とかも“私がやるから提督は休んでてっ!”とか言ってやりそうだし。

 看護イベントは鉄板ね。

 ともあれ、そんなの結衣に押し付けるなんて───

 

「………」

 

 押し付けるなんて……

 

(……どうしよう)

 

 むしろ喜んでやる姿が頭に浮かんだ。

 俺も結衣のためになるなら喜んでやるけどさ。

 たぶんどれだけ頑張っても、献身度じゃ結衣には勝てない気がした。

 

「んじゃ、今年も……ハッピーバースデー、うぬ~♪」

「あ、翔、今回それ無しって話、忘れてないよな?」

「ぉぅゎそうだった! んじゃあ……っつーかさ、先に誕生日おめでとう言っちゃったら逆に締まんなくね?」

「戸部……言わせたのはキミだろう」

「あ、それもそうだったわ……」

 

 隼人からのツッコミに、あっちゃあって顔で苦笑する翔。

 やっぱり締まらないものの、ハッピーバースデートゥーユーは届けた。

 心を込めて、今までの分も祝うつもりで。

 

 

 

 

-_-/由比ヶ浜結衣

 

 ハッピーバースデー・トゥー・ユー。

 みんなが笑顔で歌ってくれる。

 暗い中、ロウソクの灯りだけがゆらゆら揺れて、そんなともし火に息を吹きかけて消すと、拍手。

 いろはちゃんに言われて川崎くんが電気をつけると、じゃあ早速って勢いでプレゼントが渡された。

 

「おおっ、お兄ちゃん手ぇ早い!」

「おいやめろ、まるで俺が誰彼構わずちょっかい出してるみたいだろが」

「お兄ちゃんの場合、ある意味で間違ってない気がするんだけどなぁ。あーほら、なんてーのかなぁ。波長みたいなのが合えば、お兄ちゃんほど一緒に居て楽な相手って居ないと思うんだよね」

「妹だから言える言葉だな。むしろそれって波長が合わなけりゃ妹相手でもギスギスしてるだろ」

「まーたしかに? お兄ちゃんの場合はみんなに嫌われたから小町にやさしくしてたって部分はあったよね」

「……お願いだから祝いの場で人の過去掘り起こすとかやめて……」

 

 一番最初に渡したかったって、そっぽ向きたがってる目を頑張ってあたしに向けて、プレゼントをくれる。

 頑張らなくてもいいのにって言っても、「頑張りたいんだよ、頑張らせてくれ」って言われちゃったらなにも言えない。

 開けていい? って訊いたら、みんなと別れてからにしてくれって。

 う、うー……気になる……! 中身、すっごく気になる……!

 小町ちゃん知ってるかなって、チラって見てみた。小町ちゃんは気づいてくれたけど、バレないようにそっと首を横に振った。知らないみたいだ。

 さいちゃんとかも知らないみたい。ってことは………………えと《かぁあ……!》。

 そっか……そっか。ヒッキーが自分だけで選んでくれたんだ。

 そっか……………………えへー……♪

 

「いや~……同じ高校だと、兄の見たこともない挙動が見られて新鮮ですねぇ」

「んぉ? こまっちゃんそれどんなん? 八幡って毎度こんな感じじゃね?」

「いえいえぇ、最近の兄ときたら……あ、いえ、結衣さんと出会ってからの兄ときたら、それはもう変わりましたよ? 変わったっていうか、昔に戻ったっていうか。お調子者って感じは昔っからありましたけど、家族想いでやさしくて賑やかで───」

「ちょ、ちょちょちょ小町? 小町ちゃん? そういうこと言わなくていいから……! お兄ちゃん恥ずかしいでしょちょっと……!」

「一時期は小町相手にすら距離を置こうとしたりした有様でして、いえそれはまあとある小町の家庭事情によって、兄が迎えに来てくれることでいろいろ解決したわけですが」

「いやべつにあれそういうのじゃねぇから」

「……何処の家にも、そういった事情はあるんだな」

「そりゃそうだべー。そういう隼人くん家はどうなん? 円満だったりしないん?」

「俺の家は……そうだな、簡単じゃないな。あ、いや、べつに夫婦仲が悪いとかそういうのじゃないんだ。……そう思いたいだけなのかもしれないけど」

「そっかー……なんか複雑そうなー……。俺ん家は普通だな」

「俺の家も普通っす! 姉ちゃんがたまに怖いけど!」

「あー……川崎さんって時々睨む目とかハンパなく怖いよなー……あ、戸塚ちゃん家はどう? 夫婦仲円満? なんかそんな感じするわ、めっちゃしまくりんぐだわ」

「あはは、そんなことないよ、僕も普通だよ。材木座くんは?」

「たまに我へ向ける目がきっついでござる……」

『………』

 

 なんかいきなり空気が重くなった! え、な、なに!? なんなの!?

 

「あ、あー……優美子は、どうだ?」

「へ? あ、あーし? あーしは……普通。べつになんの問題もなくやってる」

「あっ、わたしもですよー葉山せんぱ~いっ♪ 刺激はないけど仲良くやってるっていいますかーっ♪」

「ちょっとあんた、人の彼氏に猫なで声みたいなので声かけんのやめてくれる?」

「べつにいーじゃないですかー。彼女になりたいとかそういう意味なんて全然これっぽっちも含んでませんし、仲良くしたいなーってだけなんですからー。それに当分、恋なんて無理ですよ。ていうかむしろ本気の恋自体、したことないかもです」

「あ? 隼人のことは」

「ですからー。ただ人気者に憧れてたってだけだと思うんですよ。フラれたってそこまで引きずるほどダメージもありませんでしたし。だから恋なんてまだまだです。いつか本気の恋を見つけたら、それに向かって思いっきり突っ走りますよっ!」

「……あ、そ」

「てゆーかですよ? わたしも指摘されて愕然としたんですけどー……三浦先輩のそれって、ちゃんと恋ですか?」

「なっ《ボッ!》」

「うわ真っ赤! ……あ、あー……ごめんなさい、確認するまでもありませんでしたね……」

「……ちょっとそこまでツラ貸しな」

「《がっし》うわわわわごめんなさいほんとごめんなさい軽く確かめてみたかっただけなんですよ悪気はちょっぴりはあったんでしょうけど悪意の塊では断じてなかったんです許してくださいごめんなさい!」

 

 あっちこっちから賑やかな声が聞こえる。

 なのに、騒ぎながらでもきちんと祝ってくれるところとか、なんていうか……さすがだなーって。

 あの、みんな? 祝ってくれるのはすっごくありがとうだけど、もっと自分たちで楽しんでもいいんだよ?

 ……むしろ思う存分楽しんでるから気にするなとか言われちゃった。

 

「……よし、っと。じゃあこれ、結衣」

「うん、ありがと、ヒッキー」

 

 じゃああたしも楽しまなきゃだ、って。

 ハニトー切り分けてくれたヒッキーにありがとうを返して、早速食べてみる。

 ……美味しい。ほっぺたの奥のほうがじわ~~ってなって、なんだかじっとしてらんない美味しさだ。

 そんな気持ちをすぐ隣の人にも味わってほしくて、せっせと他の人の分のハニトーを切り分けてるヒッキーに、フォークで刺した一口を。

 

「へ? あ…………お、おう」

 

 戸惑ってからあたしを見て、フォークの先を見て、顔を赤くして……それでも食べてくれる。

 こういうことをし始めた時は、差し出した箸とかフォークごと受け取ろうとしてたなぁって思い出す。あ、あと摘んだ料理だけ受け取ろうとしたり。

 そんなの“あ~ん”じゃないからダメって小町ちゃんに怒られたんだっけ。……ていうか、いつの間にか居て、影から覗くのとかやめてほしい。堂々と見てるならいいとかそういうわけじゃないんだけどさ。

 ハニトーの甘さにヒッキーの顔が緩むと、あたしも一緒になって緩んで、“おいしいね”って……言葉にしないで笑い合った。

 それからはあたしも切り分けるのを手伝って、早速歌い始めるとべっちにみんなが“たはは……”って笑って、ヒッキーが葉山くんにそっと促して、歌いたそうにしてる優美子に「次歌って聞かせてくれないか」って言ってみたり。

 ほんとヒッキーって人のことよく見てるなーって思う。

 あたしの場合、こう、なんてのかな。空気は読めても、次にその人がどうしたいかーとかまではちょっとダメだ。

 どうしても後出しになってばっかで、言っちゃいけないことを誰かが言っちゃってからフォローに回る~みたいなことしか出来ない。

 それか止めるかくらいかな。ほら、嫌な予感とか、することってやっぱりある。

 今この人が喋るのはとってもまずいな~って時に止めるくらいしか、予測できることってそんなにない。

 ……そういう場合って、大体その人は止めても喋っちゃうんだけどね、うん……上手くいかないよね、ほんと。

 

「そ、そう? そっか。んじゃ次あーしね。ほら戸部、さっさと歌い終われ」

「うっわひっでーっ! この曲こっからがいいのに! ひっでー!」

 

 言いながらもとべっちも笑ってる。笑って、自分のマイクを葉山くんに渡して、別のマイクを優美子に。

 え、って驚く葉山くんに歯を見せながらパチンってウィンクして、優美子にもほらほらーって促して。

 歌の途中からだけど、急にデュエットになったことで優美子は真っ赤。葉山くんは照れ笑いしながらも優美子を引っ張るように歌いだして、みんなして手拍子したりして盛り上がる。

 

「……うむ。戸部氏は空気の読める良い男であるな……。たまに我、恥ずかしい」

「あれが“いい男”のアシストってやつなんすね……見習うっす!」

「あれ? でもこっちにもウィンクしてきたよ?」

「あぁ……あれ、“海老名さんの時ヨロシク”って顔だな」

「ヒッキーわかるの!?」

「や、結衣さん? あれは小町にもわかりましたよ」

「たまにいいことをすると調子に乗る……なんていうか、戸部先輩ですよねー……」

「期待を裏切らない、という意味ではひどくわかりやすい存在ではあるのだけれど」

 

 “存在”言われちゃった! 打算とかあっただろうけどたしかにいいことしたのに、存在とか言われちゃった!

 

「ううぬ……! ここまで無遠慮に部員をこき落とす部長(生徒会長)というものを目にしてみると、真実戦慄を覚えるというものだな八幡よ……!」

「だから、なんでもかんでも俺に振るのやめて?」

「材木座くんってなによりもまず八幡に振るよね。あはは、気持ちはなんとなくわかるんだけど。でも、雪ノ下さんが言ってるのはべつに、こき落としとかそういうのじゃないと思うよ?」

「むう。ならば戸塚氏、ついでに八幡よ。お主らにとって部長の印象とはどういうものか!」

「雪ノ下の印象? あー……」

「えぇっと、そうだなぁ……僕が感じてるのは───真面目で綺麗で、気の利く人……かな。もうちょっと周りを頼ってくれたらなって思う時があるくらいで」

「俺的には……そうだな。たまに指摘するための言葉がキッツいこともあるけど、まあ、なんつーの? 猫みたいなやつ?」

「……《ぽっ》」

「なに言われても平然としてた雪乃さんが猫に反応した!?」

 

 そんなふうにして、みんなが思い思いに楽しんでくれる。

 話しながらもあたしにばっかり構ってくれるヒッキーは、なんていうか……あぅう、くすぐったい。や、うん、とっても嬉しくて、でも、ほら、えとー……ど、独占ってこんな感じなのかなーって。嬉しくてなんかやばい。

 

「~……」

 

 恥ずかしいのを押し殺してでも少しずつ近づく。

 座ってる椅子はカラオケボックスとかのと一緒でソファみたいな感じだから、近づこうと思えばどれだけでもくっつける。

 自然と繋がれた手があったかい。

 近くに居られるのが嬉しくて、嬉しいから頬が緩んで、緩むから微笑むことが出来て。

 二人して微笑んだら、そこに幸せが生まれる。

 なんだか嬉しいんだ、こんなのが。

 文字にして書ける“有り難い”が、こんな早くに掴むことが出来てよかったって……本当にそう思う。

 

「───?」

「~~、~……? ───!? ……!」

 

 次第に周囲の声が遠く感じてくると、お互いのことばっかりに集中してくる。集中してるから遠くなるのか。うん、そだね。

 こうなるといっつもみんなに“じーーっ”て見られるから、ちょっと意識して集中から逃げてみる。

 案の定みんなはこっちを見てたけど、それをゆきのんが手を叩いて自分へ向くようにしてくれる。

 ゆきのんの口が動く。「誕生日なのだから」って。

 

「まあ、そうっちゃそうなー。俺達が無理に混ざらなきゃ、二人っきりで自分たちのペースで楽しんでたわけだし、これ以上はえーとあれっしょ、ぶ、ぶー……無粋?」

「うむ。リア充爆発しろとはよく言う言葉だが、言う口を持っているからといって、常に祝福しないわけではない。……というか、勝手に絡んでおいて爆発しろはあんまりだよね、うん。義輝わかってた」

「それはえっと、中二先輩の問題でしかないですよ。そりゃ、一足先に幸せな恋人関係に~っていうのは羨ましいとは思いますけどねー。勝手に同行しておいて、本来なら二人っきりだったものを邪魔するのはいくらなんでもあんまりですし」

「かといってずっと声とかかけないのもアレじゃないっすか?」

「わかってないなぁ大志くん。あの二人はね、あれだからいーの。一応ハメを外し過ぎないように~って釘を刺すために言ったけど、小町はお兄ちゃんが幸せなのが一番なんだから。“誰かのために”を怖がり始めたお兄ちゃんが、ようやく会えた人だもん。アホなことしない限り、小町はお兄ちゃんの味方です」

「うぅ……お兄さん羨ましいっす……」

「うん? 小町ちゃん、アホなことってなんだい?」

「あぁほら隼人、あれじゃん? 喜び以外で結衣泣かすとか、誰にも相談せずに思い上がりやくっだらない考え方で選んだ行為で彼女傷つけるとか、そーゆーの」

『うっ……!』

 

 男子全員の肩がびくって跳ねた。

 ヒッキーの肩も跳ねて、ぎゅって……繋いだ手に力を込めてくる。

 ……ん、大丈夫だよヒッキー……あたし、そんな弱くないから。

 そりゃ……えと。なんでも相談とかしてくれたら嬉しいなって思うけど。

 あ、でもそれについてならだいじょぶだ。あたしたち、結構細かいことで相談とかしてるから。

 

「ヒキオ、なんか結衣に対して黙ってるものとかあるん? あるなら言えし。正直男のそーいうの、黙ってるとろくなことにならねーから」

「えっ……黙ってること、か……。パッと思い浮かぶことで、後ろめたいこととかはべつにないつもりなんだけどな───……あ」

「え? ヒ、ヒッキー?」

「なに? やっぱなんかある? なら言えし」

 

 優美子の言葉に、一気に不安が溢れてくる。

 信じてたのにとかそんな言葉からくる不安じゃなくて、言えない悩みに気づけなかった無力さの所為だ。

 

「いや……口調のこと。自然なままでいてくれたほうがいいって言ってくれて、ありがとうって」

『───……』

「え? な、なんだ? 俺なんかヘンなこと言ったか?」

 

 口調のこと、気にしてくれてたんだ。

 あたしも、自分の好みばっか押し付けるのってよくないなって思ってたのに……なんかあたし、そういうのやってもらってばっかだな。うん、もっと頑張んないとだ。

 そのことを隠さず、真っ直ぐにヒッキーに話したら、恥ずかしそうに、だけど嬉しそうに笑ってくれた。

 

「いやっ……その。俺としては、結衣が恋人で……眼鏡とかで違う世界を教えてくれただけでも、本当にありがとうなんだけど……」

 

 真っ赤な顔で、緩む顔をそのまんまで言ってくれる。

 隠さない態度が嬉しくて、あたしもありがとうをたくさん届ける。

 

「……本当に、どんな些細なところからでも感謝とか拾って、イチャイチャし始めるっすね……」

「それだけ幸せってことなのでしょうけれど。一年の頃から毎日同じ部室でこれを見せつけられる人の気持ち、少しは理解できたかしら」

「雪ノ下さん、マジお疲れ。俺からジュース奢らして。っつーか俺のとこのハニトーに乗ってたフルーツあげるわ」

「いらないわ」

「うわバッサリ……ぃ、ぃんやー、けどこうしてカップルとか居ると、俺も海老名さんとか呼びたかったわー」

 

 隣が寂しいわー、って言う戸部くんの言葉に、ヒッキーが「いや」ってこぼした。

 

「それは海老名さんが居づらくないか? 生徒会奉仕部に海老名さんを混ぜるって感じになるだろ」

「いや、そこは隼人くんも三浦さんもおんなじグループなんだしさー。ちょっと安心を得てもらったところでほらー、俺がバッチシサポートしてー。なー?」

「やめておけ戸部。言ってはなんだけど、鬱陶しがられると思う」

「ちょ、隼人くん!? ひどくね!?」

「うむ! 十中八九鬱陶しがられるであろうな」

「よっちゃんまで!?」

「最初はありがとうって言ってくれるかもしれないけど、戸部くんって時間が経つほどすごいから……」

「と、戸塚っちゃ~ん……」

「戸部先輩、俺漫画とかで読んだっすけど、そもそも心細くなるような場所に恋人連れてくるような男って、女子にめっちゃくちゃ嫌われるらしいっす!」

「マジで!? や、けど八幡とかガハマっちゃんはさー、ほら」

「正気に戻ってください戸部先輩。結衣先輩たちのはこの二人だから出来るんです。試しにそういう状況になって、二人とも遠く離れた席に座ってとか指示した場面を想像してみてくださいよ」

「…………あぁ、うん。さんきゅ、いろはす。ものすげー説得力だわ」

 

 あたしも想像してみた。でもだめだった。

 だってそういうところに連れてこられて、一緒に居ちゃいけないとかってあんまりだ。そりゃさ、空気読んで話し合わせて~とかは出来るかもだけど、それをしたくなくて立った自分が居るんだ。じゃあ空気を読まないのが正解なのか~って言ったらたぶん違くて。えと。……うん。

 一緒になったことで弱くなったところもあるんだうな。

 そういうところを支え合っていけるのが恋人なんだろうけど、じゃあどうしても離れちゃう時はどうするんだって言ったら、きっとあたしは散々迷うんだ。

 物語の主人公みたいにきっぱり決めることなんて出来ない。

 それでも譲れないものはあるから、きっとそれを前提にして歩いていけたらそれでいい。

 

「まあ、祝いの席で難しい話とかいいだろ」

「たまには外からの刺激に頭を働かせないと、あなたたちの場合、警戒心からしてゆるくなりすぎて不安なのよ」

「……自覚があるだけに説得力すごいな……。確かに幸せばっかに目を向けてたらだめだよな。いや、幸せなのにそれを噛みしめないのもあれなんだけど」

「引き締めるところは引き締めなさいと言っているのよ。けれど、そうね。なにも祝いの席でまで堅苦しくなることはないと、私も思うわ。ごめんなさい、時と場所を弁えるべきだったわね」

「いや、言ってくれなきゃわからないことだらけだ。正直助かる。特に乙女心とか未だに謎だらけだ」

「それについては、私も助言してあげられるものはないわね。出来るとしたら、とっくに友達くらい出来ていたと思うもの」

「作る気はあったのか?」

「…………なかったわね」

「だめだろそれ」

 

 言いながら、ヒッキーとゆきのんが笑った。

 思えば強引に友達になったなーって。

 けど、ゆきのんの話を聞いてるとそれでよかったんだって頷ける。当時はほんと迷惑だったかもだけど。

 

「そうね。当時は本当に迷惑だったけれど、慣れてみれば……悪くないものなのかもしれないわね」

 

 言われた!?

 あ、でも悪くないって…………そっか、よかった。

 

「じゃあもう、ゆきのんって呼ぶことを認めて───」

「ごめんなさいそれは無理」

 

 無理だった! 喋り途中だったのにキッパリ言われちゃった!

 

「雪ノ下……もう散々呼ばれてるんだから、べつにいーだろ……。ていうか最近じゃ呼ばれても特に反論しなかっただろ、お前」

「何度訂正を願っても直らないものを何度も言うのは疲れるのよ。それと自分で認めるのとでは違うでしょう?」

「……まあ、それは、違うよな」

「ヒッキー!?《がーーーん!》」

「いや結衣、考えてもみてくれ。もし結衣が義輝にゆいゆいって呼ばれて、嫌だって言っても無視して言われて、いい加減訂正するのが面倒で───」

「いや待て八幡! 待つのだぁああ!!」

「おいちょっと? 例え話くらいスムーズにさせてくれない? 頼むよほんと」

「それはすまんがしかし待つのだ待たれよ八幡ンンンッ!! ……そもそも我が女子をあだ名で呼ぶとか無理です」

「というわけでだ結衣。もし義輝にゆいゆいとか呼ばれて、嫌だって言っても言われ続けたらどうだ?」

「確かにやだね……ごめんねゆきのん、あたしがまちがってたよ」

「《ゾブシャア!》ぐわぁはぁああああっ!! ひどくあっさり納得された! わかってたけど我悲しい! でも……っ!《ビクンビクンッ》」

 

 中二がなんか震えてる。

 声かけようと思ったけどヒッキーが「そっとしといてやれ」って首を横に振った。

 

「……ん。……あ、あとさ、ヒッキー。ほんとゆいゆいはやめてね。ヒッキーだったら……どうしてもっていうならいいかもだけどさ」

「そこまでなのか……」

「だって……じゃあさ、ほら。あたし以外にヒッキーって呼ばれて、ヒッキーはどう?」

「嫌だな」

「うん。あたしもやだ」

 

 頷き合って、納得。

 例えとして中二(ヒッキーがそれでいいって)が言ったってことじゃなければ、むしろヒッキーが呼び続けてくれたって話なら、まだ受け入れられたかもだけど、もうだめだ。

 あたしだって、ヒッキーをヒッキーって呼ぶのはあたしだけがいい。

 だって、一年の時に、みんなで決めた呼び方だ。

 あの時はまだヒッキーとあたしととべっちとさいちゃんだけだった。

 でも、ちゃんと決めて嬉しかった瞬間を否定したくないから。

 あの頃から比べたら、あたしたちも変わったなーって思う。

 

「っつーかあんたらちゃんと聴いてる? 人がせっかく……」

「おー聴いてる聴いてる隼人任せた」

「投げるの早いな!」

 

 歌い終わった優美子が、溜め息と一緒にちらちら葉山くんを見ながら言う。

 一番に褒めてほしい人っているよね、わかるなー、なんて、ちょっと共感。口には出さないけど。

 次にさいちゃんが歌った時はみんな大盛り上がり。綺麗な声で、やっぱり何回聴いても驚く。

 優美子がちょっぴり不機嫌になっちゃったけど、そこは葉山くんがフォローしたりして。

 中二が歌い始めると、川崎くんが「あ、これ俺も知ってるっす! 一緒いいっすか!?」って言いだして、戸惑う中二が、でも「ついてこれるか……?」なんて言い出したりして。

 そんな調子で、誕生日は毎年騒がしい。

 ゆきのんとデュエットしたり小町ちゃんとデュエットしたり、いろはちゃんと……ってあたし歌ってばっかだよ!? なんでみんなあたしと「あなたの誕生日だからよ」ゆきのん!? なんかそうかもって思ったけどなんかやっぱりちょっと違うって思うのは気の所為かなぁ!

 

「ところでさーよっちゃん? 飢狼(きろう)伝説ってゲーム、最近知ったんだけどさー。あれの狼要素ってどこにあるかわかる? 俺わかんなくってさー」

「ほむん? そんな情報をどこで?」

「あー、なんか海老名さんの知り合いにカップリング云々でさー」

「……早すぎた方面からの情報であったか……」

 

 ? 早すぎた?

 

「ねぇヒッキー、早すぎたってなに?」

「腐ってやがるって言いたいんだろ」

 

 あー……そ、そっか。

 うん。あたしもみんなと一緒にラノベとか読み始めたから、そういう方向はわかってるつもりだけど……そっか。

 愛に生きるっていうのも大変だよね。とべっち、がんばっ!

 




 /予告っていえるようなものじゃない次回予告


「……ヒキオって、なんつーの? 言葉に心込めるの、上手いよね」

「まあ、なんといいますか。溝の口よ永遠なれって感じの歌です」

「あははっ、八幡、千葉のこと好きすぎだよ~」

「うーわー、失敬だなぁこの兄」

「……邪魔だと思うヤツは、このタイミングで声をかけたりしねぇよ」

「あーもうほらほら帰りますよ結衣さーん?」




次回、お互いが好きすぎる男女のお話/第三話:『笑顔のあとの変化の定義』

 既にお話が出来ている場合、次回予告で遊べたりします。
 でも、言葉だけを拾ってわくわくしていた方が、お話というものは楽しかったりしますよね。
 故に。
 この凍傷に期待なぞ寄せちゃあならないッッ!!
 蛇足で失敗するのはほんと、いつものことなので。


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笑顔のあとの変化の定義

 散々歌って、ハニトーも食べ終わると、時間までのんびり喋った。

 主に恋バナとかだったけど。

 

「そーいや結衣さー、その。ヒキオを好きになるために、なんかやったりとかってした?」

「え? えとー……知る努力、かな。あたしとヒッキーの場合、ほとんどが一目惚れっていうか、助けられて、手を握って、話し合って……知ることが増えるたび、こう……なんてのかな、知りたいことが増えていったっていうか。だから知る努力が楽しくて……気づいたら、もうすっごい好きになってた……かな」

 

 座る位置も変わってて、女子同士と男子同士で並んで、わいわいやってる。

 隣は優美子と小町ちゃんで埋まってて、二人とも遠慮なしにぐいぐい訊いてくるからちょっと困る。

 でもヒッキーのことを知ってほしいなーって願望もあって……うー。

 

「おお……うちの兄はそんなふうに思われてるんですか。いえ、確かに家ではいい兄なんですけどね。結衣さんと付き合うようになってからは特に」

 

 兄、と言われて、自然な感じでヒッキーを見ちゃう。

 ヒッキーは他のみんなに促されるまま、マイクを手に歌ってる。

 

「……ヒキオって、なんつーの? 言葉に心込めるの、上手いよね」

「あー……兄は人との付き合い等で、小さい頃からいろいろ見てきましたから。人の感情の流れに敏感なんですよ。だから、どういったところに力っていうんでしょうか、それを込めれば人に届くかとか、なんか知ってるっぽいんですよね。……あんまり言いたくないですけど、どっちかっていうと人から遠ざかるために覚えたものっぽいので、あんまりそのことで話題とか振らないであげてください。言葉に詰まると思うので」

「……そ」

「………」

 

 ヒッキーがマイクを握る中で、あたしは心を込めて歌われるそれを耳にする。

 いろいろな想いが込められてるそれだけど、ある一部までくると、ヒッキーがあたしを見た。

 あたしはその歌詞に対して首を横に振るって、ヒッキーも“だよな”って感じで笑った。

 壊すだけ壊して傷ついても。どれだけ悲しみに試されても。お互いの涙は知っていたいって思ったから。見て見ぬフリとかは無理だ。じゃあ気づけなかったら? ……逆に泣いちゃうと思う。

 だから、知っていたいって思う。

 相手の涙まで知っていたいって、おかしいかな。

 知らないところで泣かれちゃってた、なんて……あたしだったら嫌だな。

 

「てゆーか散々歌ったのにまだ歌えるって、先輩なに吹き込まれたんですかね」

「大方、戸部あたりに結衣への気持ちを~とか言われたんしょ?」

「戸部先輩、場を盛り上げるのは得意ですけど、空気読めないところとかありますよね……」

「そこを結衣がカバーしてるからバランス取れてるってことなんじゃないの? ……ま、居心地いいのはよくわかるし」

「三浦さんの場合、あのイケメン先輩が居るから~って理由なんじゃないですか~?」

「比企谷妹、るっさい」

「三浦さん、顔赤いですよ?」

「るっさいっての!」

 

 やっぱり恋バナばっかり。

 あたしは……ほら。少し離れて座るゆきのんに目をやって、優美子がいろはちゃんと小町ちゃんにつつかれてる隙に、座ってる位置から抜け出して。

 で、ゆきのんの隣にすとんって座ると、早速話題を振った。

 や、うん。抜け出したかったのは確かだけど、訊きたかったこともあったよ? うんあった。

 小町ちゃんといろはちゃんって妙なところで似てるってゆーか、挟まれると困るところもあって……優美子ごめん。

 そうして抜け出してみると、男子達が全員で肩を組んで歌い始める。

 聴いたことのないイントロ……でもなんだかのんびりした出だしだった。

 男子全員は肩を組みながら、代わる代わるマイクを渡しては歌う。

 歌までのんびりしてて、しんみりするんだけど……悲しいんじゃなくてあったかいっていうか。

 

「小町ちゃん、これ知ってる?」

「え? はい一応。これはなんというか、知ってたら混ざって肩組んで歌いたくなるっていうか……いえ、まあその、心は千葉ですよ? 千葉なんですけどね?」

「? どっかの地域の歌なの?」

「まあ、なんといいますか。溝の口よ永遠なれって感じの歌です。……あれ? 知りませんでしたっけ? さっと一品知ってますよね? ……あ、まだ一期だけなのか、なるほどなるほど」

 

 見てるとおかしくなってきて笑っちゃった。

 小町ちゃんもいろはちゃんも優美子も笑ってる。

 こういうところにみんなで出掛けるたびに、近づいてるなって思える。

 ゆきのんは……顔逸らしてぷるぷる震えてる。

 

『イェエエエーーーーーィッ!!』

 

 みんなして大声で叫ぶ姿に、どうしてか安心を感じた。

 たぶんだけど、あたしもどっかで緊張とか感じてたのかもしれない。

 最初はあたしとヒッキーと小町ちゃんで、そこにとべっちとさいちゃんが加わって、ゆきのんを巻き込んで……そんな感じでどんどん増えてって、今じゃいろはちゃんも優美子も葉山くんも。

 そこに今年から川崎くんも混ざって、人が増えれば増えるだけ、いままでの 何かが薄くなっちゃうんじゃないかって……どっかで思ってた。

 でもさ、こんなふうにして肩組んで、顔をにっこにこの笑顔にしながら歌われちゃさ。

 

(……悩んでるのなんて、ばからしくなっちゃうよね)

 

 んっ、曲調覚えた! 歌詞はケータイで検索!

 あとは行き当たりばったり! 楽しいことは楽しまなきゃ損だ! なんだったらもっかいみんなで歌う!

 

「ヒッキー!」

「! ……おうっ! 隣、来いっ!」

「うんっ!」

 

 ケータイ片手に張り切ってみれば、簡単に願ってたことを察してくれて、手招きしてくれる。

 テーブル回り込んで隣までいくと肩を組んで、ケータイ片手に笑いながら歌った。なんだろ、なんでかすっごい楽しい。

 どうしようもなく顔が緩んじゃって、笑いながら歌った。

 音を外したってそれがおかしくて、そんなことしてたらすぐに隣に小町ちゃんが参戦。

 いろはちゃんも巻き込んで歌う中で、優美子とゆきのんはそっぽ向いて混ざろうとしない。

 まあ、仕方ないよね。混ざるかどうかはその人次第で───

 

「おやおや~? せっかくの“親友”の誕生日なのに、親友が歌ってくれないなんて、結衣さん可哀相だな~」

『!!《シュバッ!!》』

「ひゃあっ!?」

 

 親友、って言った途端、ゆきのんも優美子も目の色を変えて立ち上がった。

 そうしてあたしの隣を奪い合うみたいに取り合って、じゃあって葉山くんが優美子を手招きして、結局はテーブルを囲むみたいに肩を組んで、溝の口foreverを歌った。

 

「あー、この歌ってなんかいーよなー、なー、はちま~んっ?」

「千葉にもこういう歌があればいいんだけどな……」

「あははっ、八幡、千葉のこと好きすぎだよ~」

 

 ひとしきり楽しんだあとに、もう一度、今度は全員でヒッキーが歌ってた歌を歌う。

 それで終わり。

 笑顔いっぱいのまま、誕生日会は終わりを迎えた。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 とっぷりと暗くなった空の下。

 パセラを出てからもあっちこっちで騒いだあたしたちは、今は解散して帰り道を歩いてる。

 隣にはヒッキーと小町ちゃん。

 散々「小町お邪魔じゃないですか?」なんて言われたけど、言われる度にそんなことないって返した。

 

「なんというか、不思議ですよね。あの兄に恋人が出来たことに、未だに慣れません。いえもちろんですよ? いい兄ではありましたけど、男としてはどーかなーとか思ってた部分もありまして」

「おいちょっと? 小町ちゃん? 兄の前で兄のことdisるのやめません? いやむしろ結衣の前でとかやめて?」

「そりゃ小町にはいいお兄ちゃんでしたけど、妙なところで鬱陶しいところもありましたし、めんどいこともたっぷりだなーって思うわけですよ。結衣さん、訊いてみたかったんですけど、兄のどこらへんがそんなにまで好きでいられるんですか?」

「小町? それ、恋人の家族に訊かれて地味に別れるきっかけになる魔法の言葉ランキング上位だからマジやめて?」

 

 あぁ……うん、それわかるなー……。

 急に“どこが好き?”なんて言われたって答えるのって難しいし、たぶん……自分はこんなところが好きだって言ったって、家族として育った人にはわからないと思うんだ。

 ヒッキーだから好きって言いたいけど、ヒッキーなら全部許せるかっていったらそうじゃないだろうし。

 じゃあどこが好き? ……ほら、言えない。だってこんなの惚気大会みたいなことになる。

 そしてみんなみたいに“また始まったー”みたいになるんだ。

 あの空気はあんまり好きじゃない。

 だから……うん、そだね。

 

「あたし以外に言っても、たぶんわかってもらえないような“好き”だから、これは小町ちゃん相手にも言えない……かな」

「……おお、そう来ますか。小町にはまだそういうのはわかりませんけど、なるほど。小町にしかわからないお兄ちゃんを語れって言われたら、説明したってきっとわかってもらえませんよね」

「………」

「ほらほらおにーちゃん? なんか気の利いた言葉とかないの?」

「女同士の会話に男が混ざって、いいことがあった試しなんてのは歴史上存在してないんだよ。あとあんまり言いたくないけど、どこが好きとかそういうの訊くの、ほんとやめてくれ。本人同士が知ってるだけでいいことを誰かに言わされるの、ひどく抵抗があるんだよ」

「……そんなもん?」

「そんなもん。好きな趣味が出来たとして、それについてをあまり知らない親父とかにさ、“それ好きか? パパも気になってるんだ。小町それハマッてるな~”とか言われるのを想像してみろって」

「うわぁ……」

 

 ……すっごい心がこもった“うわぁ”だった。

 あたしはどうかなって想像してみて、パパにそういうことされるのは嫌だなって素直におもえたから……うん、“うわぁ……”だった。

 

「お前はどんな相手と付き合うのかね」

「そだねー。ちょっとくらい手間がかかる相手がいいかな。逆に“お前はなにもしないでもいい”とか言い出す男とか正直ないなーって」

「まあ、どんな男だろうと親父がいろいろ黙ってないんだろうけど」

「あー、それは簡単に想像できるなー。……んふふー♪ もし小町に恋人が出来たら、お兄ちゃん嫉妬しちゃうんじゃない?」

「相手がくそったれな性格じゃなけりゃ、よっぽどのことがない限りは祝福するよ」

「おお、さすがお兄ちゃん。……で、その時が来たら泣いちゃったりするんだよね」

「……否定はできないな」

「や、そこはしようよヒッキー……」

 

 溜め息を吐きながら、ぎゅーって手を握ってくる。

 あたしもぎゅーってしながら、腕も組んで、にっこにこ。

 黙って小町ちゃんとヒッキーの言葉に耳を傾けてた。

 ヒッキーの腕に抱き着いたまま。

 急ぐわけでもなく歩く帰路は静かだ。

 暑くなったら海とかどーしよーかー、なんて話をしながら、残りの道を歩いてく。

 

「………」

「結衣?」

「んーん……なんでもない」

 

 腕に抱き着いたまま、ぎゅって力を込めたからか、気にしてくれるヒッキーの声に首を振ってまた歩く。

 思ったことは小さなこと。

 この先、自分たちはどう変わっていくのかなー、って。ただそれだけ。

 

(変化…………うん)

 

 “安易な変化を成長とは呼ばない”って、いつかヒッキーが言ったことがある。

 昔最低だった自分が居たから今のあたしたちとして出会えて、こうして笑っていられる。

 それはそうだねってさいちゃんも笑って、そらそーだってとべっちも笑った。

 あたしは……それじゃあ、ってにっこり。

 そのままの自分でいいって過去を認めた上で、無邪気に駆けまわっていた頃のヒッキーだってヒッキーだって言った。

 恥ずかしい過去に頭を抱えて、布団の中で叫ぶのだって立派な自分だ。

 そのままの自分でいいなら叫ぶのは違うし、恥ずかしいから思い出しくないって言うのも違うんだ。

 今の自分はまちがっているって認められる理由はたくさんあって、でもそれを、“世界の常識が『そうじゃない』って否定してるからまちがってるって言えるだけだ”って言ったらキリがない。

 

  なりたい自分になれるなら、こんな自分になってない。

 

 そんな言葉の意味もわかるんだ。

 こんな自分になったから出会えた今があっても、“じゃあなりたい自分ってどんなだった?”って訊かれたって、きっとあたしたちは自分の“辿り着きたかった未来”を語れない。

 ……あたしたちは子供だ。

 肩書きに終始したいわけじゃないけど、誰かに教えてもらわなきゃ、自分がどんな人間なのかなんて見出せない。

 背中を押してもらわなきゃ出せない勇気があって、誰かを泣かせなきゃ気づけない自分の過ちだっていっぱいあるんだ。

 過ちに気づいたって、ごめんなさいを心から伝えるのはとっても難しい。

 自分はまちがってないって思いたいから。泣かせた誰かの涙は“自分の所為じゃない、相手がまちがってるんだ”って思いたいから、いつだって言い出せないまま関係を崩しちゃう。

 そんなことが続くと、いつからか“もういいや”って見切りをつけるようになって……それで……それで、いつか、そんな自分を後悔する。

 

  誰だって、最初っから正解を引けたら苦労なんてしない。

 

 そんなことが出来るなら、夢見ることもなく、自分にとって最適な道を選び続けて、最後は“なんの刺激もない人生だったなー”って、振り返るんだと思う。

 あたしは……夢を見ていたい。

 今時子供かって笑われちゃうようなものだったとしても、世界の常識がそうだって決めちゃってるようなちっぽけな夢でも、あたしは、そんな自分でいたい。

 それを否定しちゃ、“安易な変化は成長じゃない。そのままでいい”って考えちゃうこと自体が違うんだろうから。だってそれって、夢見ることで変わってく自分まで否定するってことだ。それじゃ、夢は見られないから。

 

  だから、あたしは“それならさ”って口を開く。

 

 なりたい自分になれるなら、って……そう夢見た自分はどうなっちゃうのかな。

 現実知っちゃって、諦めるのはすっごく楽だ。

 なりたいけど無理だから仕方ないって、全部全部、み~んなみんな、世界の常識の所為にしちゃえばいい。

 でもさ、やっぱり違うよね。

 その時点で、なりたいって思ってた自分とは違って、そのままなんかじゃなくなっちゃってるんだから。

 誰かと関わって、変わらないなんて無理だ。

 そのままの自分でいようとしたって、そこに少しの罪悪感でもなんでも、感情が混ざったら……そのままでなんていられない。

 でもさ、ヒッキー。あたしはそれでよかったって思ってるんだ。

 成長じゃないって否定してくれたっていいんだ。

 ただ、自分は変わることが出来て、自分ってものを出せるようにはなれたから。

 他の人の前じゃ出せないなら、確かに成長なんかじゃないんだろうけどさ。

 じゃあ、それを成長に出来るように頑張るのって、今は成長じゃなくても……“成長していくこと”だよね?

 あたし、そんな自分になりたいんだ。ヒッキーの隣で。

 

(……安易な変化かぁ……)

 

 あの日、ものの見方が変わるくらいの大きな衝撃を受けた。

 家族が危ないって思っても動けなかったあたしと、動いてくれた誰かさん。

 命を救われて、感謝して、会いに行って。

 最初は不安で、怖くて、自分の奥底を知ってるような目に、驚いちゃったのも本当のこと。

 でも、そこから始まったんだ。

 知るきっかけがあって、“自分”を話す機会があって、知ることが出来て、知ってもらえて。

 小さな“似ているところ”を探しては、自分が知った世界を教え合って、方向は違っても、わかってもらえることが嬉しくて。

 きっと前向きな知る努力じゃなかったかもだけど、知れてよかった。

 今じゃこんなにも楽しくて、あったかくて。

 

「うーん……小町もいつか、結衣さんみたいに腕組んでにっこにこ~とかするのかな」

「ふえっ!? あ、んと……どうだろ。小町ちゃんなら彼氏なんてすぐだと思うけど」

「いえいえ、小町も出来ることならドラマみたいな出会いとかしてみたいです。そんな“お前かわいいから俺のものになれ”みたいな人と恋人関係とか無理ですって」

「やー……“すぐ”っていうのはそういう意味じゃなかったんだけどな……」

「自分の妹が男とかめっちゃ手玉に取りまくりそうで怖い……」

「うーわー、失敬だなぁこの兄。ちゃんとドラマみたいな出会いがしたいって言ったでしょ? いい出会いとかいい恋愛とか、やっぱり乙女としては憧れるわけですよ小町的には」

「乙女としてなのに小町的って、どんな乙女なんだよ……高望みしすぎると後悔するぞ? いや、たしかに可愛いけど。お前可愛いけど」

「うわ、なんかこの兄“でも世界では二番目だ”とか言い出しそう。お兄ちゃんちょっとキモいよ?」

「勝手に想像してキモいとか言うのやめろ。まあ二番目三番目とか言いたくはあるけど」

「それって雪乃さんとかも数えてだよね? はぁ……兄の目がどんどん肥えていく……」

「そういう言い方やめてくれ。そもそも順番なんてつけようとするからそうなるんだろ? 確かに俺にとっての一番は決まってるけど、そういうことを男に訊くのはやめなさい」

 

 言って、ヒッキーのほうから腕を引き寄せるみたいに密着してくる。

 いっつもしたいように抱き着かせてくれてるから、たまにあるこういう不意打ちはすっごく困る。や、嬉しいよ? 嬉しいんだけど…………~~……困る……!《かぁああ……》

 

「まあそれはそれとして。ねぇお兄ちゃん? 次あるー……えっと、行事っぽいもの? ってなんだったっけ。ほら、学校とかじゃなくて、日本的なえーっと……祭り、とは違くて。ほら、夏祭り~とかそっち側の」

「ああ、んー……七夕、とかか?」

「おお7月7日」

 

 七夕かぁ……やっぱり恋とかそういうの考えてると、織姫と彦星のことはどうしても頭に浮かぶ。

 一年に一回しか会えない恋人同士って、どんな気分なのかな。

 ……あたしも、もし親の都合とかでヒッキーと離れなきゃいけなくなったら、どうするんだろう。

 一年に一回しか会えないってことになったら───

 

「織姫と彦星も大分難儀な人生送ってるけど、お兄ちゃんだったらどうする? もし結衣さんと離れ離れに~ってことになったら。いっそ残ってもらって同棲しちゃうとか?」

「───……小町」

「へ? な、なにお兄ちゃん、マジトーンで」

「……まだまだガキな俺達じゃ、それはちょっと現実的じゃないだろ。そうしたいって気持ちはあっても、結衣だって家族といたいだろうし、進んで苦労を背負いたいだなんて思わない筈だ」

「お兄ちゃん……」

「あと、そういう“もう一方の相手側の気持ちもどうせなら聞こう”、みたいな質問はやめろっつっとろーが」

「《ディシィッ!》あたっ!? ちょ、お兄ちゃーん!? なにもデコピンすることないでしょー!?」

 

 小さなやりとりで小さな笑顔が生まれる。

 答えは生まないまま、濁すみたいに。

 あたしたちはまだ子供だ。

 出来ないことなんていっぱいあるし、助けてもらわなきゃ笑顔でさえいられないこともいっぱい。

 それでも答えを、って言うなら……どれだけ考えて考えて口にしても、たぶんそれは理想論ってものでしかなくて。

 進んでいった先でいっぱい泣いて、あの時ああしておけばって失敗ばっかり口にして、最初から得ることのできなかった成功を夢見ては泣くんだろうなって。

 

「………《ぎゅっ》」

「………ん《ぎゅっ》」

 

 それでも、掴んだ手は離したくない。

 後悔と失敗を口にして泣いても、その道を選んだから得られたものをいっぱいいっぱい抱え込んで、いつかは失敗も後悔も笑い飛ばしてやりたい。

 そう思えるから、繋いだ手に力を込めた。

 腕にまで力を込めて、引き寄せられるままに。

 

(……これってさ、ヒッキー。安易って呼べるような変化かな)

 

 小さく呟いて、あたたかく沸き出した幸福に笑みが浮かんだ。

 そんな時に感じる。

 自分は、ちゃんと変わって、変わってないものも一緒くたにした上で、成長してるんだって。

 

  ───……人が変わる瞬間っていうのを知っている。

 

 きっかけがあったり、きっかけに気づけなかったからこそ急に変わったって思ったり。

 ただ、そのきっかけ自体が特殊な所為で、変わったわけでもないのに変わったって思っちゃったり。

 あたしが知るこの人は、最初の頃は自分とよく似ていたんだと思う。

 詳しくとか深くとか、考え始めちゃったら似てない部分なんていっぱいだ。

 でも、その人に対して“あ……そっか、そうなんだ”って思うことを口にすれば、頷けることなんて多くて。

 ただその、あたしたちがお互いに“似てるな”って思うところは、あたしたちが思う以上に別のところにあったんだ。

 

  きっかけなんてそれだけ。

 

 人が変わっていくきっかけなんて、人と、その身近なもの以外じゃなかなか考えられない。

 あたしたちは、もう安易なんかじゃない変化を体験してるんだから。

 たとえそれが成長って呼べる変化じゃないんだとしても、そんな捻くれた理屈もなにもかも受け止めて。

 ……一緒に成長していこ?

 安易じゃない変化が一生無かったとしても、それはきっと楽しいよ?

 それで、たくさん変わらない時間を過ごしたあと、振り返ってみるんだ。

 そしたらきっと、その振り返る時間の数だけ、笑いたくなるくらいの成長を見つけられるから。

 劇的な成長なんて誰にも望まれてなんかないんだ。

 急に変わっちゃったら、それこそ成長じゃなくて変化でしかないんだから。

 

「………」

「………」

 

 見下ろされて、見上げて。

 目が合って、ふわって笑って。

 一緒にそんなお互いを見守っていこうねって口にしてみて、赤くなって、それでも……嬉しくて、楽しくて。

 

「あのー……お二人さん? やっぱり小町、邪魔じゃないですかね」

「……邪魔だと思うヤツは、このタイミングで声をかけたりしねぇよ」

「……うん。小町ちゃん、あたしもそう思う」

「だったら見せつけられる小町の気持ちも考えてほしかったなー……。いやぁ、役得だよ? 役得だけど。でもそれなら最初からそう言ってくれたら、それこそ小町だけ先に帰って~とか出来たわけで……って、あーもー結衣さん!? やっぱりするんじゃないですかー!」

 

 顔を赤くして騒ぐ小町ちゃんの前で、抱き締め合ってキスをした。

 深いものじゃない、お互いのこれからを誓い合うみたいなキス。

 うん、がんばっていこう。

 重荷にならない歩き方で、お互いを支え合いながら。

 あ、内緒の重い話とかは無しで。

 問題が出来たらすぐに相談しようね、って。

 そうお互いが言い合って、お互いがポカンとして、お互いが笑った。

 

「はぁ。ほんと、やっぱりお兄ちゃん、変わったよ」

「んん……そうか?」

「いやいや小町的にはこんな兄の成長も大変嬉しいものですよ? なによりほら、笑顔が増えたし」

「いや、だからな、小町。安易な変化は───」

「変わったきっかけが結衣さんなら、お兄ちゃんのは間違いなく安易な変化じゃないでしょーが。犬助けて車に撥ねられて、友人作って恋人出来て、部活もやってるし先生とも仲がいいし。小町に帰るのが遅くなるーとかメール飛ばすようになって、毎日笑顔で。ほら。これのどーこが成長じゃないっての。安易な変化だっての。言ってみなさいお兄ちゃん」

「あ……いや、それは……」

「お金も溜めるようになったし、無駄遣いも無くなったし、家のことも勉強も運動もして。眼鏡つければ腐った目もなくなるなんて、もはやパーフェクトお兄ちゃんじゃん」

「目の腐りはほっといてもよかったよね? ねぇちょっと? 小町ちゃん? ほっといてよかったよね? ねぇ」

「あー、うっさいうっさい。とにかく変わったの。成長してるの。それをま~よくも隣を歩いてくれてる人の前で安易がどーとか変化かどーとか。お兄ちゃん? 自分の信条とかを大事にするなとは言わないけど、子供みたいな頑固もいーかげんにしなさい。お兄ちゃんのそれって、ただ変わっていく人の中で“俺って変わってねーぞ、すげーだろー”って胸張ってる子供の理屈でしょうが」

「うわー……そゆこと言っちゃう? 恋人の前で、そゆこと言っちゃう?」

「変化だとか成長なんてのは成長した後に振り返ってみて、初めて気づけるもんだーって平塚先生も言ってたんだから。そのありがた~い言葉を今伝えるならこれ。“青二才が成長云々を語るなんて十年早い”。それまでの自分をまちがってないって言うのは全然いいけど、成長してまちがいに気づけても、“まちがってない”って言い続けるのはただの子供の理屈なの。お兄ちゃんのはそれ。だってお兄ちゃん、安易じゃない変化って、成長って呼べる変化ってなに? って訊かれたら、屁理屈こねて誤魔化すでしょ」

「……すんませんその通りです」

「お兄ちゃんの成長は、そういう誤魔化しとか捻くれを直した先にあるんじゃない? 顔も悪くないし家のこともやってくれて、無駄遣いもしないで自分より恋人優先。気も使えるし友達も大事にする。ほら、それさえ直せばパーフェクトー♪」

「お前さ、俺をどういう方向に歩かせたいのよ……」

「もちろん、結衣さんが好きなままでいてくれる方向」

「………………《かぁあああ……》」

 

 言われたヒッキーは、口を波線みたいになるくらいにぎゅーって閉じて、真っ赤な顔でそっぽ向いた。

 あたしも顔が熱くなったけど、逸らさないで腕をぎゅーって抱き締めた。

 途端、ヒッキーが真っ赤な顔のままバッとあたしを見て、あたしは今こそ顔を逸らしたい気持ちに襲われながらも逸らさずに、見つめ合った。

 今言う言葉はそれじゃない。

 そうだってわかってるのに、我慢できずに心に動かされるまま、伝え合った。

 

「……好きです。あたしと付き合ってください」

「っ……あ、っ……ありが、とう。うれっ……嬉しい。俺も、その、だだだっだだだ大、好きだ……! 俺のほうこそ、付き合って、ほしい……!」

 

 好きだって感じたら何回でも想いを伝える。

 どっちから始めたのかわからないくらい伝えているこの想いも、もう何回かたちを変えたんだろう。

 好きになって、また好きになって、知ることが増えれば好きになって、同じところをまた好きになって。

 それを言葉にして、また好きになって、真っ直ぐな気持ちをぶつけられては顔を赤くして、緊張でどもってしまう。

 真っ赤な顔で真っ直ぐに届けられる言葉が嬉しくて、あたしも顔を熱くして、また“好き”を届けて。

 

「あーのー、二人ともー? 邪魔とかしたくないけど、小町も居ること忘れないでよー? 結衣さんも、こんなところでいちゃこらするくらいなら、もういっそ家に帰ってからにしてくださいよもう《ピピッ》」

「えっ……こ、小町ちゃ───」

「《ブツッ》あーどうもー! 結衣さんのお母さんですかー? はい、はい、そうです小町ですー! いえ実はま~た二人が道端で好きだ好きだ大会を始めてしまいまして……はい、ええ、誕生日ってこともあってそっちでもなにかあるんじゃーって思って……え? ない? 今日はこっちに泊まらせるつもりだったと! さっすがお義母さん話が早いです! ええ、生徒会の仕事をしてる時から雨を見つめては、なにかを期待しているような……え~~ぇぇえもちろんですとも小町ですから! 土曜日で朝から雨とくれば、こちらの準備も整ってますとも! ええ、はい、では今日はお泊りということで! はい、ではー!」

「…………あの。小町ちゃん? 今の……」

「じゃあ今日は結衣さんお泊りなので、さっさと帰りましょう。ちゃんと結衣さんのお母さんにも許可は取りましたから。ていうか結衣さん……んふふふ~?」

「ふえっ!? やっ! べべべべつに期待してたわけじゃっ……あ、や、期待は……してたけど……でも……雨あがっちゃったし、えと……」

「だぁ~いじょうぶですってぇ! 小町は空気が読める子です! たまに読めても読まない時ありますけど。なので存分に泊まっていってください! ……《ぽしょり》既に宅には結衣さん用お泊りセットもあることですし」

「!? ~~~~っ……もぉおっ!! 小町ちゃんっ!?」

「人目も気にせずいちゃいちゃした罰です。たまには思い切りからかわれてくださいね。ほらほらお兄ちゃん、そうと決まったらさっさと帰るよ? あ、晩御飯どうする? 結局寄り道ばっかりしてたから、なんだかんだでそろそろお腹空きそうだけど」

「えと……あたしはいいかな。主役だから~って優美子にいっぱい食べさせられたから」

「俺もそんなにだから無しで大丈夫そうだ。買い物して帰るなら付き合うけど、どうする?」

「んー……いいや、小町も今日は家帰ってのんびりする。動かなきゃそんなにお腹も減らないだろうし」

「そか」

 

 じゃあ、って。

 三人並んで比企谷家を目指して歩く。

 でも歩く方向は一切変わらず、まるで最初から泊まることが決定してたみたいに…………あれ? ヒ、ヒッキー? …………え?

 

「……? どした───……って、あ、あー……そうだな、これは言っておかないと誤解するよな。えぇっと、その。向かう方向が一緒なのは、小町を家に戻してから、結衣を送るつもりだっただけだからな? 最初から泊めるつもりだったわけじゃないから、その……こう言うのもなんだけど、安心してくれ」

「あ、ううん? 不安とかがあったわけじゃなくて。……ただ、朝から雨だったから……その、えと……ヒッキーも期待しててくれたのかな……って」

「あ…………それは……その……」

「にしししし……結衣さぁん、それが聞いてくださいよぉ、お兄ちゃんってば土曜で雨だ~ってだけで朝からテンションが」

「だっ!? ちょ、こまっ! わざわざ言……っ……!」

「…………ヒッキー……」

 

 小町ちゃんの言葉にヒッキーが慌てれば慌てるだけ、心に温かさが広がってゆく。

 嬉しくて、自分だけじゃなかったんだって思えて、顔が緩んで、見られたくなくて、ぐりぐりーってヒッキーの腕に顔を埋めてこすりつける。

 う、うー、うぁー……! やだ、もう、顔あつい……!

 嬉しい、恥ずかしい、顔が勝手にニヤケちゃって……うー、うー……!

 

「~~……好きぃい……!」

「《ぎゅー……!》うきゅっ……!? おっ……おぉおお俺も……俺、俺も……好き、です……!」

 

 想いが募ったら口にする。

 でも急に溢れすぎた所為で、お互いヘンテコな告白になった。

 腕に顔をうずめながらの告白と、“俺も”を何度もどもっての告白。

 やっぱりお互い真っ赤っかで、それでも恥ずかしさや照れなんかで誤魔化して離れるのは嫌で、お互いがお互いの腕をぎゅーって絡めて離さない。

 

「……はぁ。なんかもうここまでくると小町、二人がどこまで初々しさを保ってられるのかが楽しみになってきた……。絵に描いたようなカップルって、たぶん二人のことを言うんだと思うな……」

「………」

「………」

 

 諦めたみたいな声で言う小町ちゃんに、苦笑するでもなく顔を緩ませた笑みで応えて、やっぱりぎゅーって抱き寄せ合う。

 カップルらしいって言われて喜ぶみたいに、“恋人だ”って他の誰かに言ってもらえて喜ぶみたいに、確認するまでもないのに嬉しくて。

 

「あーもうほらほら帰りますよ結衣さーん? お兄ちゃんも。ふたりがいちゃつきだしたら、いつまで経っても帰れないんだから」

 

 小町ちゃんに促されて、のろのろ歩いてた足をしっかりと踏み出す。

 お邪魔する場所に“帰る”って表現はちょっと違うんだろうけど、小町ちゃんにハッキリと“帰りますよ”って言われてドキっとした。

 “かっ……帰っていいの!?”なんて言いそうになる口をギューって閉じて、電車を使わない道のりをゆっくりと歩いた。

 




 /やっぱりあてになどなりもしない次回予告


「結衣さん? どうせあと二ヶ月程度の話なんですから、もうほら、ね?」

「そんなゴドムとソドラが重箱の隅をつつくような疑問はいいからさ、早く」

「雨に濡れたってのに熱そうだねぇ」

「……すげぇなそれ。ハードル高いっつーか理想高すぎじゃね?」

「ゃ……あの、ね? ヒッキー……あたし……つけてほしいな、って……」

「ぬわーーーっ!」

「毎日俺のために味噌汁を作ってくれって言う人の気持ち、解るなぁ……」

「へ? 否定…………ぶっは!? い、いやっ、夫婦ってのはっ……!」

「小町もういろんな意味でお腹いっぱいなのに……」



次回、お互いが好きすぎる男女のお話/第四話:『きっと、比企谷小町に糖分は要らない』

「はっぽぉおーーーん! フリースペースであーる!」
「おー、よっちゃん元気なー。ってゆーか、俺達なんで呼ばれたん?」
「うむ、今日も悩める生徒の相談がメールで届いている。口頭で返すだけで済むものは我らにと、割り振られたらしい」
「へー……で、どんな相談なん?」
「うむ! ……飢狼伝説ってなに? だそうだ」
「あー、飢狼伝説なー。海老名さんの紹介で知った格闘ゲームで、飢饉に苦しむ村の人達を救うために立ち上がったヒガン・ジョーとその仲間たちの戦いを描いたゲームなんよぉ」
「その通り。ザンギュラのウリアッ上やインド人を右になど、様々な誤植があるゲーム雑誌もあるが、それに限らず誤植というものは様々なゲームの情報誌でも出ている。FF4で言えば白魔道士ローザが百魔道士ガーサになっていたり、竜騎士カインが竜騎士カノンになっていたりする」
「おー! 百魔道士ってなんか強そうじゃね!?」
「まあ誤植なのだがな。ちなみに餓狼伝説の情報でももちろん誤植は多々あったのだ。ヒガン・ジョーもそのひとつであるぅ。ジョー東のことを書きたかったのだろうが、何故全てカタカナで書こうとしたのかは不明である。え? ダイの大冒険の鬼岩城をかけたギャグなの? あ、ちなみにさっき言った飢狼伝説のストーリーは捏造なので、信じる必要は皆無なり!」
「ちなみにさー、海老名さんに訊いてもボスのこととか教えてくんねーんだけどさー。ボスってどんなんなん?」
「うむ! これが初登場にしてなんだか子供っぽさの抜けぬ男なのだ! 戦いを遊びと呼んで、思い通りにいかねば“んんんんんー、許るさーん! 私の遊びの邪魔をしおって!”と怒る」
「へ? ゆるるさん? なにそれ」
「作品自体からして誤植が多かったのだ。1からプレイしてみた者にしてみれば、その代表としてアンディ・ボガードにあると言っていい。うむ」
「それって?」
「技の名前が変わっていたのだ。そもそも誤植だったらしいのだが、今では対空攻撃が昇竜弾、長距離飛翔攻撃が空破弾なのだが、1の頃は逆だったのだ」
「それってば昇竜弾を出すと空破弾って言うみたいな?」
「然り! まあ初期のボイスなど、よく聞かねば昇竜弾とも聞こえないのだが。残影拳なんてヘーアーとか聞こえてたものだぞ? 敵の勝利ボイスがほぼ“フォッホッホッホッホ”というおっさんの笑い声で終始しておったしな」
「へー……けど面白かったん?」
「うむ、まあ当時は。今やってみれば理不尽なラインバトルと被ダメージの量に目を見開くと思われる。キャラセレのBGMとライデンのBGM、お馴染みのギースのBGMは好きだったが。キャラセレ聴いてると龍虎の拳のジョン・クローリーのステージBGMをたまに思い出すの」
「そ、そっか。よくわかんねーけどおっけおっけ!」
「うむ! つまりネタとして楽しめればいい思い出ということだな! では諸君! よいゲームライフを!」
「したらなー!」


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きっと、比企谷小町に糖分は要らない

-_-/比企谷八幡

 

 完全に止んだと思っていた雨がもう一度やってきて、濡れ鼠になる前に足早に家に辿り着くと、俺と小町はただいまを。

 少し遅れて結衣がお邪魔しますを口にしようとしたんだけど、小町がそれに待ったをかけて言う。

 

「結衣さん? どうせあと二ヶ月程度の話なんですから、もうほら、ね?」

「二ヶ月……はうっ!?《ボッ!》」

 

 二ヶ月と聞いて、結衣の顔が一気に赤くなる。

 瞬間沸騰なんてゲームや漫画の中だけの話だろとか思っていたかつての俺……結衣と付き合う前だったら、きっといつまででもキミを信じていられた。

 「でも」とか「あの」とか、胸の前で人差し指をつんつんこねこねしている恋人が可愛くて仕方ない今の俺、なんとかフォローくらいしなさい。

 

「じゃあ……その。ヒッキー?」

「はひゅん!? ~……ぬなっ、ななななんだ?」

 

 慌てそうになる心を深呼吸で押さえて、なんとか普通の声色で対応。

 よし大丈夫、俺冷静。冷静冷静超冷静。言っとくけどアレだよ? はひゅんとか、とある部族の鼓舞の合図だからきっと絶対たぶんそうだといいよねメイビー。

 そうだよな、ただまだ他人の家のここだけど、そこに入って“ただいま”を言うくらい───

 

「ヒッキーがあたしの家に入る時、おんなじようにただいまって……言ってくれる?」

 

 はい無理ィイイイ!!

 “ただ”だの“だけ”だの言ったの誰だよ責任取って結衣を幸せにしろ俺でしたごめんなさい!

 せっ……責任か……! いや、もちろん結衣に関する自分が関係した出来事なら、全部責任を取りたいって思ってるっていうか取る。

 だったら答えはYES以外にないじゃないか。躊躇はいらないだろこれ。よし落ち着いた。

 

「だひょっ……大丈夫、ちゃんと言う」

「お兄ちゃん……そこで噛まなきゃ問題もなかったのに……」

「小町ちゃん? そうやってお兄ちゃんの失敗をわざわざ掬い取って指摘するのほんとやめて? お兄ちゃん恥ずかしさで泣いちゃうから」

 

 “大丈夫だ、問題ない”なんて、そう上手くはいかないものだ。

 大丈夫でも問題は残るのが現実ってもんですし。

 多くの場合は“大丈夫”が強がりで、目の前に君臨するのが“問題”だよね。

 ほんと、人生って容易くない。

 そんな大慌てで混乱中の俺をよそに、一歩を踏み出した結衣が

 

「……ただいまっ」

 

 上目遣いで俺を見上げ、どこか怯えと遠慮を混ぜた顔で言うもんだから、もう、すぐに抱き締めた。

 ひゃあ、なんて可愛い悲鳴を上げる彼女を、まるで自分の子供を溺愛する親のように愛でる。

 

「はーいはいはい、家に入るだけで恋愛スイッチ入れてないで。小町お風呂の掃除とかしてくるから、お兄ちゃんは結衣さん案内したげて」

「……たまに思うけど、なんで“してあげて”が“したげて”になるんだろうな」

「そんなゴドムとソドラが重箱の隅をつつくような疑問はいいからさ、早く」

「お、おう」

 

 疑問を口にしたところで、“知らねーよ”としか返ってきそうになかった。

 結構好きなんだけどね、ゴドムとソドラのあの空気。

 ともあれ案内……といっても勝手知ったるなんとやらだよな。

 一度や二度じゃないし。特に俺の部屋は。

 

「じゃあ……」

「……うん」

 

 小町が投げて渡したタオルを結衣の頭にバサッと被せて、俺の分も受け取る過程。顔を赤くして、俯き合って、二人して階段を上がってゆく。

 自室前に着くとそのまま開けて、中へ。

 掃除とかは普段からマメにしている。何故って、いつ来てもいいように。

 いかがわしいもの、誤解されるようなものは一切、重要なことだからもう一度言うが、一切置いていない。

 重いと思われようが、この身、この心は結衣に捧げた。某プロファイルゲームのベリナスさんが神にいろいろ捧げているように、俺も結衣に。

 元々そういうつもりだったんだ、当たり前だろう。

 最後に信じてみようってつもりで踏み込んだ自分だ、裏切られるまで裏切らないって気持ちを前提に、馬鹿なくらい正直に結衣に想いを捧げている。

 これでダメならもう無理だと、あの病室で決めたんだから。

 あ、もちろん結衣が引かない程度に抑えております。鬱陶しいくらい押し付けたら、それこそ引かれるってわかってるし。もう散々経験したことだ、こればっかりは仕方ない。

 

「っと、いつも通りだけど、好きなところに座ってくれていいから」

 

 いつも通りと言った通り、机に鞄を置きながら言うと、結衣も「じゃあ」って机にリュックを置いて、にこーっと笑って俺の腕に抱き着いてくる。

 リュックはいっつも机の手前の床に置こうとしていたのだが、何度も机の上でいいと言ったお蔭かようやく置いてくれるようになった。

 そんなどうでもいいことを考えている内に結衣に引っ張られて、ベッドへ───といきたいようだったが、やっぱり少しとはいえ濡れているのが気になったのか、途中でぴたりと止まった。

 少し悩んだ末に俺の胸に抱き着いてきて、ぐりぐり~っと顔をこすりつけてくる。

 俺も、誰も見ている人が居ないのをいいことに、思うさま背中に腕を回して、ぎゅーっと抱き締めた。

 

「好きだ」

「うん」

「好きだ」

「うんっ」

「~……好きだ~……!」

「んんぅう~~~……!」

 

 数秒、破壊衝動にも似た、相手をめちゃくちゃにしたい欲求が溢れてくる。

 それを抱き締め撫で回しキスを降らすことで落ち着かせて……いや、これもう落ち着いてないでしょ。

 ああもうやばい、好きだ、大好きだ。

 雨で少し濡れた水分が体温で軽く蒸発すると、それと一緒に結衣の香りが届き、それがまた衝動を強くして、それを押さえるように相手を求める。

 理性で抑え込もうとしても、抑え込んでこれである。

 正直土曜の雨の日とか一緒にベッドで抱き合っている、なんて時は、常に理性様が欲望とバトルしている。

 もちろん毎度理性様が勝っている。

 何故って、無防備に信頼を置いてくれる恋人を傷つけたくないって、心が深く意識すると、欲望が“せやな”って去っていくからだ。

 すごいネ、人体。欲望までもが結衣を大事にしてるって、それはもうすごいことですヨ?

 ……だってな、やっぱり嬉しいって思う。あの日、初めて俺に身体を預けたまま眠った結衣を見た時、溢れ出した感情と同じだ。

 嬉しいんだ、そんな信頼が。だから、欲望には勝てる。

 

「結衣……」

「ヒッキー……」

 

 少し水を吸った黒い髪を指で梳いて、被りっぱなしのタオルでやさしく撫でる。

 結衣は気持ちよさそうに頭を委ねてきて、安心しきって閉じた目に、俺も心やすらぐのを感じる。

 きゅうっと胸に抱き着き、顔だけで俺を見上げる結衣は、ほにゃりと顔を緩ませた笑顔。

 俺は両手でやさしくタオルを動かして、少しずつ水滴を拭う。

 しかし口は空いているわけで、少し動いてはちゅっ、ちゅっとキスをした。

 好きが溢れると好きを口にして、抑えきれなくなるとまたぎゅうーっと抱き締めて撫でまわして。

 また髪を梳いて、撫でて、キスをして。

 たっぷり時間をかけて髪を乾かす頃には、好きすぎて熱くなっていた体温で水滴は乾いていて。

 寒いどころか熱くなっていた俺達に、小町から「お風呂沸いたよー!」とのお報せ。

 さすがに一緒に入るほどの勇気はなく、どこかどころかしっかりと名残惜しさを残し、おずおずと離れる結衣を俺も手放して、いっておいでとばかりに送り出す。

 

「………」

 

 見送ってからしばらくして、喉がカラカラだったことに気づいて、水を飲みに階下へ。

 冷蔵庫を開けてミネラルウォーターのボトルを開けると、普段は使わない大き目のグラスに注いでガバガバと飲み干した。

 …………おぉお……冷えていく。いろいろと。

 

「おろ? お兄ちゃんも降りてきてたんだ。あ、小町にも水一杯ちょーだい?」

「おう」

 

 小町には普通のサイズ。

 俺はもう一杯デカいのに注ぐと、それをガヴォガヴォと飲み干す。

 

「雨に濡れたってのに熱そうだねぇ」

 

 そんな俺を見て、にししと笑うこの妹は本当に小悪魔系でいい性格をしていると思う。

 くぴくぴと小さなグラスで水を飲む妹をよそに、頭の中は結衣でいっぱい。

 深呼吸を繰り返すと、“風呂に入っている恋人”という文字からようやく思考を引き剥がせた。

 

「なんか、お兄ちゃんと結衣さん見てると、恋人同士っていいなぁ~って思えるよ。小町もいつか、そういう恋とかしてみたいなーって」

「ん? なに、候補とか居るの?」

「居ない居ない、今時のオトコノコなんてさ、み~んな格好いいとこ見せよう~とか、俺すげぇだろとかそういうこと考えてる人ば~っかだよ。それがだめだっていうんじゃないけどさ、いきすぎると鬱陶しいっていうか。ほら、なんての? 相手が強く出られない状況だと、あからさまに見下して見る人とか、居るでしょ? そーゆーのが多いんだよね。小町はそういう人とは合わないのです」

「まあ、嫌だよな、それは。じゃあ小町的にはどういう相手がいいんだ?」

「んー……そうだなぁ。まず好きでいてくれることは大前提で」

「うん」

「そう思ったらちゃんと言ってくれて」

「うん───あ、おう」

「大事にしてくれてー……」

「おう」

「誕生日とか記念日はちゃ~んと覚えててくれて」

「ふむふむ」

「抱き締めてほしい時とかはなんとな~く察して抱き締めてくれたりとか」

「……いきなり難度上がってない?」

「甘えたい時とかは黙って甘えさせてくれたり」

「………」

「努力したいって思ったら、手を繋いで一緒に歩いてくれるような……」

「……すげぇなそれ。ハードル高いっつーか理想高すぎじゃね?」

「…………」

「?」

「結衣さんは幸せ者だね」

「そ、そうか? いや、俺もまだまだ頑張らないとって部分があってな……。じゃないとまだまだ足りないっつーか……」

「あと追加。相手のことを知る努力をやめないところがあると嬉しい」

「男大変だなそれ……」

 

 小町、恋人とか出来るのかしら。

 さすがにかなり心配になった。いや、俺が言えたもんじゃないとは思う。

 俺だって結衣と出会えなければ、誰かと恋仲とか無理だったんじゃないでしょーか。

 ……無理だったろうなぁ。

 相当特殊な状況下じゃなけりゃ、そもそも俺が女性と“知り合う”ことさえなかっただろう。知り合う。ここ重要。

 俺だけが一方的に知った状況は、常に失敗してきた。だから重要。

 “知り合える”ってのはとても大事なことだ。

 相手が俺を知ろうとしてくれるなんてマジ奇跡な。

 だから俺は結衣を知って、俺のことを知ってほしい。

 その努力を、ずっとやめたくない。

 

「お兄ちゃん、なんか結衣さん用に飲み物とか用意してあげなよ」

「だな。あんまり冷たすぎるのもよくないだろうし……」

 

 よく眠れるように、とホットミルクを用意。

 あとは温めるだけの簡単な作業です。

 そうしてしばらく小町と話して、そろそろかな、といった時間に温めを開始。

 結衣用パジャマさえ常備してある比企谷家に隙はない。

 風呂から出て、しっかりパジャマ姿な結衣がやってくるのを確認すると、こしこしとタオルで頭を撫でる中、用意したホットミルクを差し出す。

 

「ぁ……ぁりがと……」

 

 ぽむ、と既に風呂の熱で赤かった顔がさらに赤くなる。

 ソッとマグカップを受け取った結衣をソファに案内すると、座らせていつも通りに髪のケア。

 これも慣れたもので、しっかりと水分を吸収するところから、ドライヤーでのキューティクルケアまでしっかり終えると、既に風呂に入っている小町が上がってくるまではふたりきり。

 そのこともあって、ちょっぴり大胆にホットミルクを含んだままキスをしたりだとか、たまに思い出して思いついたみたいにレモンドリンクを口に含んで、ファーストキスはレモン味をやってみたり。……ファーストどころじゃないけどね、うん。

 結衣が抱き着きたがってもじもじするけど、俺がまだ風呂に入ってないからそれはだめと押しとどめる。

 毎度、この時の結衣の寂しそうな顔には弱い。弱すぎる。しかし耐える。

 代わりに、抱き合わないままキスをする。

 ちゅっ、ちゅむ、ちゅるちゅく、と。

 その流れで、とろんと……高熱の風邪でも引いたんじゃってくらい真っ赤でうつろげな顔の結衣が、そっと俺へ腕を伸ばしてくるんだけど、それをはっしと掴んで却下。

 途端にとろんとした顔が捨てられた子犬に変貌するから困る。

 ちょ、だからやめなさい、俺まだ風呂に入ってないんだってば……!

 べつに汚いとか言うわけじゃないけど、なんか嫌だろ、片方が風呂入ったのにまだ入ってないうちに抱き合うとか。

 え? 匂いが消える? ……我慢なさい!

 ソファに座る結衣の髪を、後ろから乾かしていただけあって、結衣が俺に抱き着くにはソファを越えるか俺を引き寄せるかしなければいけない。

 そのために伸びてくる手を掴んでは、キスを降らせて欲求を逸らしてゆく…………つもりだったんだが、腕を伸ばす要因にしかなってませんでした。

 キスが増えるたびにうーうーと小さく唸られて、涙を滲ませた上目遣いで睨まれて、終いには勢いよく抱き着かれてしまい、首をかぷかぷ噛まれた。

 ここまでされたらさすがに、というもので。

 背中と頭を抱き寄せると、噛まれた首がぺろぺろと舐められ、ぎゅううと抱き締められた。

 その姿を丁度上がってきた小町に見られて赤面。

 慌てることこそしなかったものの、意識しまくりのまま離れて、用意しておいた着替えを手に風呂場へ向かった。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 湯船で十分に温まって、なにかの知恵袋で見たからと、指先に冷水をかけてから出る。代謝がどうとかだったっけ? いまいち思い出せない。

 タオルで水滴を拭って、着る物も着れば、あとは脱衣所を出て……部屋に戻ろうと思ったが、水分補給のためにリビングに戻ると、その隅っこにある冷蔵庫から再びミネラルウォーター。

 ……この冷蔵庫も、もうちょいキッチンの傍にあってもいいんじゃないのかね。

 

「結衣と小町は……居ないか」

 

 電気点いてたから居るかと思った。

 となるとトイレ……って考えは無粋なので、水を飲んでドライヤーで髪を乾かしてからきっちりと電気を消して、自室へと移動。

 部屋の前に辿り着くと、小町の部屋から話し声が聞こえたから、それで納得。ちょっとした用事で小町が部屋に招いたんだろう。

 安心して部屋に入ると、電気をつけて───……枕を抱いて、ベッドの上に女の子座りをしている恋人を発見した。

 

「───」

 

 …………へっ!? あれっ!? 小町の部屋に居るの誰!? 幽霊!? 大志だったら血祭りに───あげたら姉にひどい目に遭わされそう。

 とか思ったら、結衣は枕と一緒にケータイ掴んでた。

 ……すぐ近くなのになんで電話で話してるんでしょうかこの人たち。

 疑問はあっても、恋人が自分の部屋で自分を待ってくれてるのって、なんだか嬉しい。

 疑問なんかそっちのけで、えーと……こういう時ってどう言って近づくのがいいんでしょうか。それとも近づかないのが正解なんですか? わからない! 八幡わからないよ!

 視線を彷徨わせて、机の椅子を発見すると、心が砂漠のオアシスを見つけたかのようにふわりと軽くなって───……それに気づいた結衣が、自分の隣をぽすぽすと叩いた。

 ……ハイ、隣に来てほしいそうです。

 いやまあいつものことだからわかってたんですけどね? でもさ、なんかさ、こっぱずかしいでしょこういうの。

 顔が熱くなるのを感じながら、不自然にならないように努めて歩き、その隣に。

 自分のベッドなのに、なんだってこうも自然に近づけないのか。

 恋人がそこに居るってだけで、まるで自分のものではないかのような……抵抗ではなく、神聖な場所に近づく時の妙な見えない壁があるような……!

 ……結局座るんだけどね。うん。

 そうしてベッドの端に腰を下ろすと、待ってましたとばかりに、もう文句はないだろうとばかりに、結衣が抱きついてくる。

 もちろん俺も受け止めて、背中に腕を回して存分に。

 

「~……♪ ひっきぃい~……♪」

 

 これが猫ならゴロゴロ喉を鳴らしているところだろう。

 犬だったなら、尻尾なんて振り回しまくりだ。

 狐ならどうなのだろうか。……とりあえず喜びを体全体で届けることにする。ようするに抱き締めて、背中と頭を撫でて、ぽすんとベッドに倒れたら、あとはもう思う存分に抱き締め合ったままごろごろ。

 少しの隙間があるのも嫌ってくらい抱き合って、時にキスをして、唾液の交換をして。

 布団を被るとその中で密着し合って、時に首をかぷかぷされて、お返しとばかりに首に吸い付いてみたりして。

 

「あ……キスマーク……」

 

 で、ぽしょりと熱い吐息と一緒にささやかれた言葉にドキリと動揺。

 そのつもりはなかったけど、確かにこれ、痕残るかも……と思って口を離したが、べつに赤くもなっていない。

 結構強く、長く吸わないと出来ないのかもしれない。

 そのことを“安心してくれ”って意味で言ってみると、むしろ逆だった。

 

「ゃ……あの、ね? ヒッキー……あたし……つけてほしいな、って……」

「───」

 

 この人はあれなんだろうか。

 俺の脳を熱でどうにかさせたいんだろうか。

 それでも───不思議なことに、といっていいのやら。不思議でもなんでもないのかもしれないが、好きな人に、大事な人に自分と接した痕を、っていう行為に心臓が高鳴った。

 大きな罪悪感と、奇妙な期待。

 罪悪感は、まるで所有物に対する名前付けみたいな行為なんじゃ、って思ったこと。

 けれどその罪悪感は、所有されたいっていう昼あたりの結衣の言葉を思い出したことでブチ壊されてしまい、奇妙な期待へ変わる。

 ああ、もう、本当に。

 この大事な人は、人をこんなに混乱させて、どうしたいっていうのか。

 

「………」

「………」

 

 それからは無言。

 交わす言葉もなく、抱き合ったまま、首をかぷかぷされたり、首に吸い付いたり。

 一回で痕を残すんじゃなく、一回やったら離して、舐めて、また吸ってと時間をかけて。

 もちろんと言ったらアレなんだけど、その間にごろごろ位置を変えたりじゃれ合ったりして、誰かが見たら角砂糖吐きそうな密度で傍に居る人の温かさを感じ合った。

 それも時間を忘れるくらい続くと、やがて結衣の動きが鈍くなってくる。

 かぷり、と首にもたれかかったまま動かない時間が続いて、少しすると寝息が耳に届く。

 仰向け状態の俺に乗っかりながら眠ってしまうとは……ああ、もう、本当に。どれだけ無防備なのかこの人は。

 捻くれない普通の自分で心配するくらい、結衣は無防備だと思う。

 ぶっきらぼうな口調さえ忘れてしまうくらい、真っ直ぐに心配する自分も自分だけどさ……ああもう。

 

「………」

 

 俺も男なんだから。

 そう言いたい気持ちはあっても、不安にさせたくないから言わない。

 無防備なら無防備で、俺が守ればそれでいい。

 だから、間違っても襲う側になっちゃいけない。

 

「…………《さら……》……んぅ……」

 

 髪の毛をやさしく撫でると、くすぐったそうに身じろぎする。やだ可愛い。

 ……この三年間、こうして抱き締めて寝かせてきた。

 それを今さら崩す気なんてないのだ。

 せめて、結衣がそういうことを意識して距離を取るまでは、あくまで草食・草飲系男子で居よう。

 青汁の味とか思い出せば煩悩も裸足で逃げていくよね。

 うん、ぶっきらぼうな心は追い出して、そんなことさえ恐れ多いって思えてたあの頃の自分で。

 そうそう、踏み込めば拒絶されるって考えるんだ。

 俺は枕。俺はベッド。ただ大事な人に、穏やかに眠ってもらいたいだけなんだ。

 大好きだ。

 隣に居てくれてありがとう。

 こんな俺を好きになってくれてありがとう。

 

「………」

 

 やさしい気持ちはすぐに心を満たしてくれた。

 欲望なんて入り込む余地もないくらい。

 自分の上で無防備に眠る彼女の頭を撫でて、そっと横に下ろす。

 そうしてから改めて、ごろごろした所為でシワだらけになっていた掛け布団をピンと伸ばして、結衣と自分にかけてゆく。

 

「……誕生日、おめでとう。おやすみ、結衣」

 

 やっぱり無防備に眠る結衣の寝顔を見て、電気を消してから隣に寝転がる。

 結衣の方を体ごと向いたまま、顔にかかった髪の毛をさらりと掬って。

 

「~~……」

 

 欲望は我慢する。

 でも。

 もぞりと動いて、結衣を抱き締めた。

 手は出さないから、せめて抱き締めたまま。

 息を吸って吐くと、妙に心が落ち着いて、意識もすぐに沈んでゆく。

 とりあえずアレだね、ここで襲おうとかちっとも思えない限りは、自分でも安心なんじゃないかな、なんて思いながら───「んんぅ……ひっきぃ……」───寝言で呼ばれながら、ぎゅーっと抱き締められたあたりで理性様がブヂブヂと引き千切れかけましたことをここに謝罪します。

 知りなさい八幡。慈しむのです。愛を以て欲求を滅ぼすのです。

 あなたなら出来ます。

 出来ないのであれば、八幡大菩薩の名が泣きますよ。泣くというか大号泣。

 もうHEEEEEYYYとか叫ぶくらい。

 

「………」

 

 アホみたいなおかしなことを考えて、欲求の向きを逸らした。

 次いで沸き出したのはやっぱり愛しさで。

 穏やかに眠る彼女の頭をさらりさらりと撫でながら、やがて俺も穏やかな心のままに眠りについた。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 で。

 

「…………にへへー……♪」

 

 翌日の彼女は、朝からにこにこだった。

 いつものえへへーどころでは間に合わないくらい、口角が持ち上がってしまって大変らしい。

 何故かっていうと……まあ、その、誕生日プレゼントが思いの外嬉しかったらしく、そういえばって朝起きてから開けたんだよ。え? 朝? 俺が先に目覚めたから、好きって言葉で目を覚ましてもらったわけで。……いつも通りと言えばいつも通りだが、ともかくその後がいつもと違った。

 これまでサブレ用首輪とか、結衣にチョーカーとか腕時計とかプレゼントして、今年はネックレス型アミュレット。

 誕生石とお守りの7色を混ぜた特殊なもので、いろいろと大変だったけど……なんとか買えた。こそっとバイトとかしたりして。

 パールとかムーンストーンとか、宝石言葉がまたよくて。

 純粋無垢、健康、長寿、愛の予感、純粋な愛とか……頑張るでしょ。これ頑張るしかないでしょ。だって贈りたいし。

 貰ってすぐにパールとムーンストーンの宝石言葉をケータイで調べて、それからずうっとこの笑顔。

 まあ、宝石もさ、そんな大きいものじゃないけど……それでもとても嬉しかったらしく……。

 将来、もっと大きいの贈れるようになりたい。

 

「……とか思ってますよどーせ。うちの兄のことですから」

「……ヒッキー?」

「こまっ……!? ちょっ……!!」

 

 最大の敵が身内に居た!

 ななななんでそういうこと言っちゃうかなぁもう!

 そういうのを言われちゃうのって、男ってのは大変嫌がるものでしてね!?

 身近なキョーダイが密告者っていう状況はこれだから───!

 

「あ、あのー……結衣? あのさ、確かにその……」

「……大きさじゃ、ないんだよ? ヒッキー。お守りとか、誕生石とか……ちゃんと相手のことを想ってくれたことが、すごくすっごく嬉しいの。……ありがと、ヒッキー。あたし、ほんとに……本当に嬉しい……」

「………《きゅん》」

 

 妹、マジグッジョブ。

 狼狽えるあまり口調が戻っていた自分に対し、やさしい言葉がありがたい。

 

「それで結衣さん。今日はどうします? 家帰るにしても、今日もまた見事な土砂降りですから」

「う、うん……《ちらちら》」

 

 そうなのだ。

 現在外は、昨日の雨が予兆だったと言わんばかりの土砂降り状態。遠くの景色とか見えませんよのスコールカーテン状態だ。

 日曜ってこともあって当然学校は休みだが、どちらにしても外に出るって選択肢は一切ない。

 そして、先ほどから結衣が熱い視線を物凄い頻度で向けてきているわけで。

 さすがにわからないわけもなく、俺は……

 

「あ、雨……上がるまで…………その。部屋…………来る?」

「《ぱあぁっ……!》」

 

 はい、笑顔いただきました。

 

「じゃあちゃちゃっと朝、食べちゃいましょうね。お兄ちゃん、今日どうする? あ、どっちが作るかって意味で」

「俺がやる。むしろ悪かった、起きるのいつもより遅くなって」

「いや~……そこは理解のある小町ですから? 事情はなんとな~く悟ってたりするわけですよ? 若いんだもんねっ、男の子だもんねっ」

「おい。言っておくけど手出しとか一切してないからな……?」

「お兄ちゃんっていろんな意味でKENZENだよね。まあいきなり“あなたならどうする? 最高だった”とか語られたって困るけどさ。少ぉしくらい踏み込んでもいいんじゃないかなーって小町は思うよ?」

「俺がもうちょっと、人間的に成長できたらな。“失敗を恐れてちゃ”とか、“最初から成功出来るやつなんかいない”とか、いろいろ言い訳は言えるんだろうけど、免罪符があろうがなかろうが、出来るだけ失敗なんかしたくないんだよ」

「考えすぎじゃないかなぁそれ。結衣さんなら絶対、失敗も一緒に乗り越えていきたいとか言うと思うよ?」

「……それも知ってる」

 

 だったら、って詰め寄る妹の頭を強めにわっしゃりわっしゃり撫でまわす。

 「ぬわーーーっ!」とか言い出したけど、構わず撫で回してから離すと、もじもじそわそわと俺を見つつ、ソファに座ればいいのにダイニングテーブルの椅子にピシィーンと座って緊張しまくりだった結衣へ、おいでおいでと手招きする。

 するとどうでしょう、主人大好きのお犬様のように、ぴうと小走りにやってくると、なんでか頭を突き出してきた。

 …………撫でろと? いや、一緒に料理しないかって意味での手招きだったんだが。

 ああ、うん、どうやら少し羨ましかったみたいです。

 なのでやさしく撫で……たら、頭をぐいぐい押し付けてくる。

 ……あ、あー! なるほどー! 強く撫でろと! 小町にやったみたいにぐりぐりやれと!

 まあその、犬もさ、たまに“そんな撫で方では足りん”とばかりに頭押し付けてくる時、あるよね。うん、気持ちは受け取った。ならば。

 ぐりぐりわしわしと、押し返すように撫でてみると、結衣は笑顔になりながらさらに頭を押し付けてきた。

 そうして、ぐりぐりぐいぐいと押しては押されてを繰り返して数分。

 

「お兄ちゃん。結衣さん」

「お、おう」

「う、うん」

 

 じとーっと見ていた我が妹、小町さんに怒られた。

 咳払いをひとつ、気を取り直して調理を開始。

 朝ってことで食べやすさ主体でGOだな。

 

「じゃあ結衣、作るものだけど───」

「あ、うん。それならあたしにも───」

 

 エプロン装着。キッチンに二人、並んで立って調理開始。

 知っての通りラノベから知ってもらい、翔や彩加、隼人や大志にも馴染んでもらった俺達。

 そこから派生してアニメやら漫画にも興味を持ってもらったからには、料理漫画とかに出るレシピに挑戦したこともある。

 最近で言うなら甘々と稲妻とか。いいよね、あれ。特に彩加の感情移入っぷりがすごい。

 似たような経験があるのかといったらそういう意味でもなく、しかし親からの接し方っていうのか、それがおとさんがつむぎちゃんにするものによく似ていたのだとか。

 彩加以外の生徒会奉仕部全員が、しんみりと納得したのは秘密だ。子供の頃から可愛かったんだろうなって。

 ともかくそういうこともあって、俺達は料理等にも結構積極的だ。

 作る時は楽しく、食べてくれる相手を想って。味見は絶対にすることと 失敗しても次に生かすこと。これ厳守。

 なお、料理入門編として“ヴァンプ将軍のさっと一品”から入ったのもいい思い出だ。

 何度かお料理教室も開いたし、その際に“こんな材料で……”とか言ってた雪ノ下が、味の良さに驚いていたのも懐かしい。ヴァンプ様すげぇ。

 もちろん基礎を覚えた上でって話になるけど……やっぱり料理って、なんでも試してみるところから経験していくべきだと思うの、私。

 などとヴァンプ様やってないで。

 

「結衣、これどうだ?」

「うん…………んっ、おいしい」

「そ、そかっ」

 

 サラダ用のドレッシングにスティック状に刻んだ野菜をつけて、味見をしてもらう。

 お返しとばかりに味噌を入れ途中の味噌汁の味見をお願いされて、小皿に少し取った味噌汁を口に含むと、やさしい味が口内に広がる。

 朝から好きな人の味噌汁を飲めるとか…………なんか、幸せ。

 毎日俺のために味噌汁を作ってくれって言う人の気持ち、解るなぁ……」

 

「《ぴたり。》…………………………《かぁあああ……!!》」

「? ゆぃ………ぅぉおぁぁ………《かぁあああ……!!》」

 

 突然結衣が手を止めて、真っ赤になって俯いた。両手はエプロンをぎゅーって握り締めて、俯いていても見える目は潤んでいる。

 そんな彼女に声を掛けようとして、思っていたことが口に出ていたことを自覚。同じく顔に熱という熱を集中させたかのように煮立たせ、俺もまた手を止めた。

 しばらくしておずおずと伸びてきた手が俺の服を抓むまで、ずうっと停止。

 抓まれてからは、俺もその手に手を重ね、優しく握り、繋ぎ、俯かせていた視線を持ち上げ、微笑み合って……「……はい。あたしでよかったら、作らせてください」……返事をもらい、抱き締めた。

 

「………」

 

 小町はじーっと見ていたけれど、気を利かせてかカマクラを手招きすると、よいしょと持ち上げて視線を逸らしてくれた。

 そうして俺は、幸せな気持ちのままにキスをして、飽きることなく「好きです」を届け、「はい。あたしも……大好きです」と、やる気をみなぎらせた結衣とともに朝食の準備を続けたのでした。

 

……。

 

 張り切った朝食は、小町に一言「多い」と言われた。

 仕方ないでしょ、張り切っちゃったんだから。

 

「小町もういろんな意味でお腹いっぱいなのに……」

「間食でもしたのか? 運動してる身としては、あんまりおすすめしないぞ?」

「しょーがないでしょ強制的だったんだから! まったくこの兄はー……!」

 

 なにをそんなに食べたんだろうかと首を傾げる中、隣に座った結衣が顔を真っ赤にしておりました。

 そんな、ほのぼのな朝の始まりに心を温めた。やだ可愛い。

 

「……そして味は素晴らしいって。うーん、この短期間であっさり追いつかれるとか、なんか納得いかないよ小町的には」

「だってお前、お料理会には毎度参加しないだろ」

「だってさ、なんかお邪魔じゃないかなーって。珍しくもって言ったらアレだけどさ、お兄ちゃんが1から構築していったお友達との関係にさ? 妹だから~って理由だけで小町が参加するのってちょっとね」

「同じ生徒会奉仕部だろ。まあ、その妙な疎外感とか超わかるけど」

「そこはもう忘れていいんだってばお兄ちゃんは。せっかく前向きな考えばっかりになったんだから、お兄ちゃんはもっと踏み込んでいいの。結衣さんとのことは特に」

「踏み込んだら踏み込んだで、どーのこーの言って止めてくるだろお前」

「それはお兄ちゃんと結衣さんが時と場所を弁えないからでしょーが! そりゃ小町だってそういうことに興味がないわけじゃなかったけど、実際に兄と恋人とのあんなラブラブっぷりを目の前でされたら、さすがに止めたくもなるよ! な~んで純情で奥手なくせに、人前ではキスとか出来ちゃうかなぁ二人とも!」

「いや、それは…………結衣しか見えなくなるっていうか」

「う、うん……あたしも……。ヒッキーしか見えなくなっちゃって……その……」

「……似た者夫婦《ぽしょり》」

「ほっとけ!」

「…………ぁぅ」

 

 鋭くツッコんでみれば、なんでか小町は結衣を見てニヤニヤ。

 結衣も結衣でやっぱり真っ赤になって、隣の俺の服をきゅーって抓んできて、ゆらゆら揺らすように引っ張る。

 

「結衣?」

「否定しないんだー? お兄ちゃんってばだいたーん♪」

「へ? 否定…………ぶっは!? い、いやっ、夫婦ってのはっ……!」

「うんうん、そのまま捻くれずに素直なお兄ちゃんのままでいてね。その方が小町的にも嬉しいし、からかい甲斐もあるから」

「おぉおおぉぉぉお……!!」

 

 前略、両親サマ。

 妹の性格が、どんどんといろんな意味で恐ろしい方向に曲がっていっている気がします。

 結衣にかまけてあまり接してあげられなかったからでしょうか?

 そうじゃなかったとしても、もし結衣と一緒にならなかったらと仮定をつけたならば、俺は頭に“究極”をつけても差し支えがないくらいに鬱陶しいシスコンになっていたと思うのです。

 今の方がある意味バランスの取れた良きシスコンだと思うんだけどなぁ……っとと、口調口調。

 ……いや、なんかもう結衣が望む通りでいいかなぁ。

 俺だって、無意味にやさぐれたっぽい口調とかにしたいわけでもない。

 ただただ男らしくないとか思われたくないのと、他の男に甘くみられたくないのと、“そういう態度と口調”さえあれば、必要以上に近づく輩は居ないだろうってだけだったわけで。

 

「、」

「……」

「…………」

「…………」

 

 ふと目が合って、顔を赤くして、けれど目は逸らしたくないから見つめ合い、にこーと微笑まれて、胸がきゅんとなって。

 さっき言われたばっかりなのに結衣以外が見えなくなって、

 

「すっ……好きです、俺と付き合ってください……!」

「はい……! あたしでよければ、喜んで……っ!」

 

 告白して、受け入れられて。

 手を繋いで、二人の世界で幸福を味わった。

 お互いに相手のことしか意識しなくなれば、恋人同士っていうのは本当に強く、他人からしてみれば厄介極まりない。

 これものちに小町にツッコまれたことだけど、“兄をつつくとしたら、恋人関係になる前の、もたもたしている時に限る”だそうで。

 “そもそも内側の人には激烈甘いお兄ちゃんが、恋人に対してデレデレの甘々にならないわけがなかった”と溜め息は吐いたものの、嬉しそうな顔で言ってくれたから、俺も特に返す言葉も探さず、感謝だけを心に秘めた。

 どうのこうの言っても、絶対からかってくるのは目に見えてるし。

 けど、まあその、ほら……な。

 ……見守ってくれるのは、ほんと……あー……あ、ありがと、な。

 口に出して言えやしないけど、感謝はいつだってしてる。サンキュ。

 




 /予告……? いやこれは! これはぁああ! ……な、なんだろ?


         (静かな日って……考え事、増えるよな)


 「ご、ごめんねヒッキー……あの、あとで洗って……ね?」


  「……ご、ご褒美終了! お昼っ、食べよっ!?」


             「……俺は、さ。人が……怖いよ」


 やろうと思って動いたことを、最後まで貫けるのは素晴らしいことだ





次回、お互いが好きすぎる男女のお話/第五話:『彼の弱さ、求める強さ』

 比企谷少年がイチャイチャするぞ!

  ……いつものことでした。

 比企谷少年が思い悩むぞ!

  ……いつものことでした。

 緑谷少年がムキムキになるぞ!

  そもそも出ませんが!?



 凍傷はオールマイトが大好きです。


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彼の弱さ、求める強さ①

 食事が終わると、軽く腸内を刺激する運動。

 小町も合わせ、消化を助ける効果のあるそれをしてやってからは、小町は相変わらず止まない雨を窓越しに眺めて「あ~……」などと呟き、俺と結衣は……連れ立って俺の部屋に。

 リビングから出る際、小町が怪しい目で、こう……“キラ~ン♪”どころか“ギシャアアァン……!”ってくらいの怪しい目の光らせ方をしていたため、二人で相談し合って部屋の鍵を閉めた。

 そうするとさすがに意識はしてしまうものの、“そういう行為”をしようというわけでもなく、いつも通り話し合って、傍に居たくなればベッドに座り、雨音だけが聞こえる静かな空間で、隣に居続けた。

 ふと甘えさせたくなって、結衣を手招きするようにベッドの端に寝かせ、ベッドに腰掛ける俺の膝を枕にしてもらう。

 見下ろし、見上げられる。

 なにがおかしいのか、なにがくすぐったいのか、くすくす笑う結衣は、俺のズボンのダボついた部分をぎゅーって握って、赤い笑顔のまま膝枕を堪能しているようだった。

 俺もまた、そんな結衣の髪をさらさらと撫でて、雨音だけをBGMにするみたいに穏やかな気持ちで過ごした。

 

「………」

「………」

 

 無言。

 ふと思い立って今時の軽い掛け布団を手に取ると、結衣にかけて……またなでなで。

 きょとんとしていた結衣だったけど、温度が安定してくると理由もわかったようだ。

 雨降りの日っていうのは、よほどの暑い日でもなければ、案外寒いものだ。動かないと特に。

 お互い赤くなったりなんだりで熱く……もとい、暑くはあったものの、やっぱり落ち着いてくれば寒くもなる。

 そうして静かな時間を過ごしていると、見下ろす結衣がうとうととし始めた。

 捻くれた口調ではなく、「寝ていいよ」とやさしく伝えると、ほにゃりと笑顔で見上げてきて、そのまますとんと眠ってしまった。

 

「………」

 

 溢れてくるのはやさしさばかり。

 恋人の寝顔を見つめていたくて、静かに眠らせてあげたくて、ただただやさしく静かに頭を撫でた。

 しかしベッドの端ってこともあって、寝返りとか打ったら危険だ。

 それには気をつけつつ、けれどやっぱりやさしい気持ちのまま、穏やかで可愛い寝顔を眺め続けた。

 

「……好きです。あなたが、好きです。……本当に、大好きです。一緒に居てくれて、本当に本当にありがとう」

 

 中学の時に失敗した告白とは明らかに違った。

 青春を求めては焦ってばかりだった気持ちは全然なくて、やさしさと、表現するための言葉が見つからない奇妙でも穏やかな感情と、なにより愛しさを込めた告白。

 “何度も付き合ってくださいでいいの? 頷いたらまた最初からみたいじゃない?”と小町に言われたことがある。

 けど、いいのだ。想いは更新されるものだ。

 好きがどんどんと大きくなるたび、そんな自分の傍に居て欲しいって思う。

 もちろん付き合う中で、小町が言う言葉を気にしなかったわけじゃない。不安一切なく人と付き合う、なんてのは当然無理だから。

 けど、信じたい、信じてみようって踏み出したなら、あとで馬鹿を見たって、それが最後でいいからって踏み出してみたくなる。

 人ってのは基本的に博打好きしか居ないのだ。

 踏み出せばなんとかなるって人と、現状維持を求めて変化を求めない人。

 変化を求めない人のどこが博打好きかって言ったら、危機的状況でも変化を求めない方向を選ぶこと。

 動かなければ危ないっていうのに、それでもそっちを選ぶなら、それは立派な博打だ。人命とかその後の人生かかってる状況だったなら余計に。

 だから、あとは一歩。踏み出すかどうかだけ。

 

「………、」

 

 たはっ、と笑みがこぼれた。

 この状況で踏み出す一歩ってなんだろう、って。

 つながりをより深いものに~だとか、一線を越えて~だとか、そんなものはマイペースなままでいい。

 いっそそれこそ新婚初夜に、なんていうものに憧れないこともない。むしろ憧れている。

 急ぐ必要はないと、よくある言葉を言いたいっていうのもあるにはある。

 そんな必要云々を誰が保証してくれるわけでもないのに、おかしなもんだ。

 

(静かな日って……考え事、増えるよな)

 

 目を瞑って、愛しい恋人の頭を撫でる。

 くすぐったかったのか顔が動いて、手から逃げたのだが……その拍子、つんと唇をつつく形になってしまった指が、ひとつの拍子ののちにかぷりと噛まれた。

 噛まれたっていうか……銜えられたというか。

 思わずわたわた。

 汚いよ、と言うのもあれだし、一気に引き抜いたら起こしてしまうかもしれなくて……ああいや、でもこれって、ええとどどどどうすれば……!

 

「………」

 

 無心。

 とりあえず仰向けになった彼女の頭を、やさしくやさしく撫でることにしました。

 左手人差し指がかぷかぷされたままですが、無心です、無心になるのです比企谷八幡───

 

「…………」

「あ」

 

 目が合った。

 どうやら起きたらしく…………あぁあぁぁぁみるみる赤くなって……! 

 掛け布団を両手で引っ張って、頭まで被ってしまった。なのに膝枕はやめない。

 布団の中で声にならない声を上げてぱたぱた動いてる。なのに膝枕はやめない。

 ……やだ可愛い……! いや落ち着こう。ああもう心臓うるさい、少し落ち着いて、いやほんと、お願いですから。

 というか。この銜えられていた指はどうしたらいいのでしょうか。

 な、なんか無造作にティッシュで拭うのも印象悪いし、服の端でごしごしっていうのも印象悪いし……!

 ……え? な、舐める? 舐めて上書きした上で、ティッシュで拭う?

 あ、それなら結衣の唾液が汚いとかそういう方向には───ってなんかおかしな方向に頭が向かってる! 落ち着けってば俺! あ、口調……っていいから! もういいから!

 

「~~」

「え、あ、結衣?」

 

 そんな慌てた思考の途中、結衣がなにかに気づいたのか布団から顔を出して、バッと自分の鞄を見ると起き上がり───ぱたぱたと小走りに駆けて、ハンカチを持ってくると俺の指を拭った。

 あ、あー……ええと。

 

「ご、ごめんねヒッキー……あの、あとで洗って……ね?」

 

 そうは言うけど、べつに汚いと思ったわけじゃあない。

 なので仕返しに結衣の手を取って、その人差し指を銜えると、勝手ながら結衣が手に持つハンカチをするりと抜いて、その指を拭ってみせる。

 指を銜えた時点で「うひゃあっ!?」って声とともに硬直したお蔭で、ハンカチを抜き取るのはとても楽だった。……のだが、俺の行動を振り返り、結衣がじとーっとこちらを睨んでくる。

 

「……えっと、その。ごめん。汚いなんて感じてなかったって、わかってほしかったんだけど……」

「…………うん。でも、対処に困ってたんじゃないかなって……」

「あー……うん。正直なところ、拭うのは嫌な感じだし、舐めるのもどうかって思ったし……」

「あ、あはは……拭ってくれてよかったよ? あ、でもちゃんとハンカチとかタオルでね? 洗ってほしいのもほんと」

「まあ、俺も。…………洗いに行こうか」

「うん。そだね。……あと、口調。やっぱりそっちの方がいいと思うよ?」

「……二人きりの時だけね」

 

 恥ずかしながら、今さらこの口調はやっぱり男らしくないって思うんだ。

 ほら、彩加と友達な今だと、余計に。

 こういう口調は彩加の方がよーく似合ってるから、俺には……なぁ。

 苦笑をこぼすと、結衣に手を貸してもらってベッドから立ち上がる。

 べつに簡単に立てるけど、なんとなく手を貸してもらいたかったっていうか、繋ぎたかったというか。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 休日の過ごし方っていうのは人によって随分違う。

 俺の過ごし方といえば、読書したり勉強したりだ。

 なお、読書と勉強の時間は結衣が隣に居ること前提となっている。

 背中合わせに座って本を読んだり、肩を並べて座って読んだり、寝転がった俺の腹に結衣が頭を乗せて、本を読んだり。膝枕の時は、どちらかの足が痺れた時点で交代、なんてこともやった。

 俺の場合は結衣が膝に頭を乗せた時点で読書に集中など出来ず、結局は頭を撫でたりして……結衣もそれが心地いいのか、読書の途中でぽてりと寝てしまうこともあった。可愛い。

 と、まあ、読み方はいろいろだ。

 読書は小説に留まらず漫画にも参考書にも手を出すし、勉強はそれこそ将来のための勉強もそうだし、料理の勉強だって混ざっている。

 大学はそれぞれが好きなところを受けようってことになっていて、仲が良いから“全員でどこどこの大学に行こう!”なんて話が出る、なんてことはない。

 仮に出たとして、きっと全員で却下していたところだろう。

 今の関係は確かに大事だけど、大事だからこそ狎れ合いで潰すのは悲しい。

 目指すモノがあるのなら、目指したい場所があるのなら、自分たちの目的は果たさないとだ。

 ……で、休日の過ごし方って部分に戻るわけだが───

 

「………」

「………」

 

 勉強ももちろんするし、料理も作るし運動もする。

 雨ってこともあり、室内で出来る運動は限られるものの、一緒にやると楽しいもんだ。

 勉強も料理も運動も、とにかく一緒に。

 その方が不思議なほど頑張れるし、なにより“○○○と一緒だった所為で成績が落ちた”なんて言われるようなことは、あってはならないから頑張れる。

 自分でも呆れるほどに、今の関係を大事に思っている。

 あ、べつに現状維持がどうとかって話じゃない。

 人の関係なんてうすっぺらいものだって思っていた頃から比べて、確かに自分には変化がある。安易な変化であるとは思うあたり、成長ではないのだ~とかは思っているが、それもあの打ち上げの日に、結衣に頬をぺちんと叩かれた時と同じ感情で落ち着いている。

 

  後悔はしても否定はしない。

 

 いろいろと思うところは当然ある。が、俺はもう飲み込んだのだから。

 “もしも”なんだから、好きだと思うなら好きでいればいい。

 が、好きでいるなら、大事だと言うなら半端は無しだ。

 恋人と友人とを大事に思っている。

 そんな関係を構築したことで成績が下がっている、なんて見下されたくなんかない。

 大事だと思うからこそ、自分にはなかったそれらが出来たからこそ、自分は張り切れていると思いたい。

 現に今、無駄にやる気が満ち溢れてるし。

 ……溢れてるくせに、やってることといえばいちゃいちゃなわけだが。

 集中→休憩→いちゃいちゃ→集中、といった行動を繰り返している。これが思った以上の結果を生んでいるんだから、面白いもんだ。

 

「あのね、ヒッキー。あたしね? 中学の頃のこととか振り返ると、想像つかないなーってなる時があるんだ」

「ん……勉強のこと?」

「うん」

 

 “頑張ればギリギリだろうとなんとかなった”、という結果と現状があるっていう事実は、人を油断させる。

 また前のように頑張れば、自分は案外出来るんだからって……自分で自分を許してしまう。

 そんなことの連続ってものにハマってしまうと、元に戻すのは大変だ。

 まあその、ものすごーく自覚出来ることですし? 俺もかつては目や腕が疼いたり特別な存在なのですって感じなお年頃だった時もあったわけで。いや、それは関係ないか。関係ないことにしてください。むしろ忘れたい。

 けれどもそんな自分が“自分を変えよう”って立ち上がって、難しい場所を受験して受かることが出来た。出来てしまった、って言ってもいいのかもしれないが。

 

  成功にあぐらを掻いてしまうのは、人間の悪い癖だ。

 

 大なり小なり、誰だってそうすることで後悔することはあるだろう。

 人生において、成功のために要求されるハードルが同じであるなんてこと、ほぼ無いというのに。

 そうして失敗した人間は、大体が“しょうがない”とか“もういいや”を掲げ、自分を許し、努力を忘れる。

 逃げ道があれば、当然楽な方へ楽な方へと向かうのだ。

 俺の場合、それが“恋人や友人が出来たから”になるなんてことを許せないし許さない。

 大事に思えばこそ、逃げではなく成功のかたちとしてそこにあってほしい。

 重いかもしれないけど、青臭いかもしれないけど、誰にも話していない本音だ。

 あぐらを掻いて失敗するのは自己責任で自業自得でありたい。

 自分は、恋人も友達も、出来て良かったって本気で思っているんだから。

 それが後悔に繋がるなんてことにはさせたくない。

 

「………ほんと?」

「ほんと」

 

 結衣がきょとんとする。

 結衣が語ってくれた中学を振り返ってのことに、自分の気持ちを打ち明けてみれば、これがまた思ったよりも似通ったものが多いことに驚きを抱いた。

 もちろん全部が同じわけじゃないのは当たり前。細かいところで似ていたのだ。

 中学生が抱く不満や不安なんて、似ているものなのかもしれないけどさ。……そんな些細が嬉しいのだ。打ち明けられる相手が居るだけでも違う。

 そんな相手も居なくて、不満ばかりを積み上げていた中学の頃から考えれば、自分も変わったんだなって実感が持てた。

 

「………」

「………」

 

 過去を思うと、自分の情けなさやら不甲斐なさ、いろいろなものが恥ずかしく、“そのままでいい、変わらなくていい、それだって自分だ”と胸を張って言えないのが少し悔しい。

 安易な変化は成長とは呼ばない。

 “自分の過去や経験を受け入れ、成長という言葉に溺れない俺、大人である”……そんな普通の高校生男子から外れた意識を持つことに、奇妙な自信と力を感じるような高二病は、俺の中では薄い存在だ。

 尖るより、穿った意識を持つよりも、大事にしたいものが出来たからだろう。

 これが、いつまで経っても孤独で、さらに自分からそれに慣れ、埋没する方向に向かっていたのであれば、果たして高校生の俺というのはどんな人物になっていたのやら。

 ……とりあえず女子のやさしい言葉は信じない方向で、リア充どもは敵。体育は常に一人で、たまに声をかけてくれる彩加に心癒される日々だったのでは?

 結衣は……いや。結衣が居たらそもそも、そんな俺になってなかったんじゃないかと思う。どんな出会い方をするかにも寄るんだろうが、なんとなく……うん。どんな出会い方をしても、くっだらないことがきっかけで知り合って、自分が傷つかないために敷いた予防線とかあっさり踏み越えられて…………そして……そして。

 浸る想像は夢でしかない。

 なのに、純粋にそんな世界を期待して、信じることが出来た。

 そんなものでいいんだと思う。

 

「……ん。結衣、昼、どうする?」

 

 意識を思考の海から戻して、窓を叩く空模様に息を吐きながら訊いてみる。

 部屋に一緒に居る休日は、大体が断食日和だ。

 食事っていう三大欲求よりも優先されるらしい。言ってる俺も大賛成なんだから、らしいっていうのもおかしな話だ。

 

「勉強のノルマは達成したし……えと、ヒッキー」

「……そこで期待を込めた目で見られるとな……」

 

 最初の頃はご褒美ってものに近かった。

 出来ることが増えてきて、勉強が苦手だった彼女が知識を広げて、成績が追いついてくると、段々と褒美を得るのも難しくなってくる。

 それはなんだか寂しいので、ハードルを下げる自分はきっと、恋人に対して甘すぎるのだろう。

 いや、もう自覚してるからいいんだけどね? ご褒美云々以前に、俺がただ結衣になにかをしていたいだけなのだ。してあげる~とか偉そうなことを言いたいのではなく、したいのだ。

 ……むしろそういうのが待っていた方が、お互いに頑張れるため、“存在自体が需要と共有みたいな二人だな”と、隼人にからかわれたことがあるまである。

 

  そうしてまた、ごろごろ。

 

 クッションを二人して枕にして、問題を出し合って答えを言って、合っていたら指一本。

 正解が続けば指が繋がれ、不正解だと全て離す。

 そうして握ったり離したりを続けて、正解が十回以上続けば、結衣が仰向けに寝転がる俺の隣に来て、俺の腕を枕にして改めて寝転がる。

 そしてまた問題。

 正解すれば指一本ずつ頬に触れて、六回正解で引き寄せて俺からキス。

 俺から、というところが重要なのだそうだ。

 

「………」

「………」

 

 出す問題が無くなれば、仰向けで寝転がりながら片手ずつで本を開く。

 読むペースが違ったりは当然するものの、俺にしてみれば一度読み終わったものだから、問題ない。

 それが終われば、あの頃のように掛け布団へと手を伸ばし、自分たちにばふりと掛ける。

 掛け布団の中で抱き合って、穏やかに過ごし、他愛ない会話を交わして、愛しくなればキスをして。

 雨音も気にならなくなるほどお互いに集中し始めると、キスに夢中になり、満足するまでキスをすると、体を抱き締め合いながら長く長く息を吐く。

 やがて熱も冷めてくると、やさしく抱き締め合い、頭を撫で合ったりくすぐったがったり微笑み合ったりする。

 その頃にはクッションから離れてベッドに寝転がり、掛け布団を被ってごろごろ。

 彼女を抱き締めたまま仰向けになって、彼女の重さを感じてみたりもして、そうしたらまた首をかぷかぷされて、くすぐったがりながらも抱き締め、頭を撫でた。

 後で振り返って思い出すと、頭を抱えて叫び出したくなる状況である。が、毎度のことながら、それをしてしまっている時は気づかないものなのである。相手に夢中だし。

 まあつまりは。

 昼飯は、抜きになりそうだった。

 ……と、思ったら、急に結衣がうーうー唸り出し、バッと俺の胸から顔を離すと、

 

「……ご、ご褒美終了! お昼っ、食べよっ!?」

 

 と言った。真っ赤な顔で。ひっじょぉお~~~に名残惜しそうな顔で。

 

「結衣?」

「あ、の……ね? りょっ……~……料理も、勉強も、頑張るって決めたから……。あたしだって……さ、ヒッキーが原因で、また成績下がったー、とか……言われたくないんだよ? だから……」

 

 だから、頑張れることは頑張るのだと。

 成績は上がった。料理の腕も上がってきてる。

 友達も出来たし、空気を読んで人に合せてばかりな自分からも……大分離れることが出来た。

 それは成長じゃないのかと、心の中に生まれた自分が訊ねてくる。

 自分のエゴは押し付けるくせに、自分の基準で全てを決めようと穿って見ていたくせに、身近で見て来た大切な人の頑張りを……いつまで俺は。

 

「……なぁ。結衣は……成長って、どんなものだと思う……?」

「成長? んと、おっきくなるとかじゃなくて?」

「精神的とかそっちの方での。人として成長したいから~とか、あるだろ? ああいう成長って、どうなれば成長だと思う?」

 

 答えの出ていることを訊いて、なにをしたいのか。疑問が浮かぶが、それでも口にした疑問は撤回せず、一度離れた結衣を抱き寄せながら答えを待った。

 ひゃう、と声が漏れたけど、抵抗はされず、むしろ胸に頬をこすりつけてくる。

 

「ん……そだねー……。あたしはさ、安易な変化でも……良い方向に進んでいけたんならさ、成長って呼んでいいって思うんだ」

「……どうして?」

「だって、変わりたいって思って、努力して、変われたならさ……努力する前の自分とは違うよね? 小さな変化で、意識しなきゃ誰も気づかないような変化でもさ、なりたい自分に一歩近づけるんだよ? むしろ、安易じゃない変化で成長なんて、出来ないよ。それは成長じゃなくて、“人が変わる”って方向のものだと思う。積み重ねなきゃ変われないよ……あたしとヒッキーが、病室の中で少しずつ変わってったみたいに」

「………」

「ヒッキー?」

 

 思い出してみる。

 何度も失敗して、次こそはって思ってたくせに、その次こそにそれほど期待しなかった自分。

 どうせダメだを盾にして、ダメだったら“ほらやっぱり”って笑った。

 そこに希望なんてなくて、成功すれば首を傾げ、おかしいと思っていたに違いない。

 最初は信じていたなにかも、途中からなにを信じていたのかも忘れてしまった。

 踏み出したのは気まぐれでしかなかったのか、それともまた“どうせ”を盾に構えていたのか。

 それでも俺は“これが最後だから”と手を伸ばして、人を信じようとした。

 それは……諦めない努力だったはずだ。

 諦めるための理由はたくさんあったのに、それを選ばなかった。

 それは……知ろうとする努力だったはずだ。

 知らないってことは怖いものだ。

 不安でしかなくて、答えがわかっていれば楽なものを、あえて濃霧を満たして歩くようなものだろう。

 面倒なことでしかないだろうに、知っていくための努力をした。それを選択することが出来た。今ではそれに感謝している。

 あの病院から始めることが出来た。変わることが出来たのだ。

 そうして、仲間も友達も恋人も得ることが出来た。

 それは、俺が諦めようとした世界を、小さくだけど変えた。

 

  成長っていうのはそういうもんじゃない

 

 誤魔化す気もなければ欺くつもりもなく、一朝一夕、たかだか数ヶ月の期間で、人は確かに変わったのだ。

 だから、かつては思ったことがある。

 中学3年の頃には固まりつつあった自分の世界を眺めながら、小さく、だけど“それが世界の常識なんだ”と自分に理解させるつもりで。

 けれどそれも、結衣と出会い、最後でいいからと踏み出した世界で少しずつ変わっていったんだ。

 成長と呼ばないのかもしれないそれを実感しながら、翔に会って、彩加に会って、雪ノ下に会って……少しずつだけど、変わっていった。

 変わっていった筈なのに、心の奥底に居る目が腐った自分が、口にしたこともない言葉を投げてくる。

 そうじゃないだろう、それでいいのか、と。

 だから“今”の俺も、その言葉に対して気持ちを重ねる。

 そうじゃないだろう、今さらそうなりたいのか、と。

 




長かったので分割。
1万5千以上にいくようなら分割ようと思います。
1万5千3百、とかだったらご勘弁を。
そういう場合、大体よい区切りがありません。


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彼の弱さ、求める強さ②

 ───なりたい自分になれるなら、誰も最低な人間なんて目指しはしない。

 

  それでも、努力もしないでそれを笑う権利なんて誰にもない。俺なら余計だ。

 

 今の自分が間違っていると、どうして簡単に受け入れられる?

 

  その間違っていないと言えるつもりの自分が、誰かを泣かせる未来が想像出来たからだ。

 

 なんで過去の自分を否定するんだ。

 

  言い訳を盾に、努力を諦めようとしたからだ。否定も認めなきゃ、なにが人間だ。

 

 昔最低だった自分を、今どん底の自分を認められないで、いったいいつ、誰を認めることが出来るんだ。

 

  認めることなんてしないだろう? あのままの俺じゃ、自分の理想を押し付けて、勘違いして、まちがって、相手も自分も嫌いになり、失望していくだけだ。

 

 否定して、上書きするくらいで変われるなんて思うなよ。

 

  人とは違う行動を選ぼうとするだけで特別だって思い込んで、そのくせ自分は底辺って思い込んで、たまたま想定通りに事態が動いたからって悟ったつもりになって。それだけで、自分は正しいなんて思うなよ。

 

 肩書きに終始して、誰かに教えてもらわないと自分の世界を見いだせないでいる。そんな状態を成長だなんて呼ぶんじゃねぇ。

 

  だったら。なんでぼっちにこだわろうとした。肩書きに終始どころか固執しているのは俺だろうが。誰かに教えてもらわないと自分の世界なんて見えやしないくせに。……何度背中を押してもらった。何度後悔して、何度自分の行動を正当化しようと言い訳を口にした。

 

 どうして、そのままの自分でいいと、そう言ってやれないんだ。

 

  逆に。どうしてそのままの自分でいいって言えるんだよ。散々失敗して後悔して学んでまた失敗を経験して。そのままの自分が嫌だから変わったんだろ? ああそうだな、ガキの頃から考えりゃ、小学から中学卒業まで、一ヶ月やそこらの話じゃないさ。安易な変化じゃないんだろうさ。誰も教えてくれる人が居なかった。居たのは笑う人と言い触らす人、呆れる人……そんなやつらばっかりだった。

 

 ……。

 

  時間を掛けようが一瞬だろうが、人が変わるのなんてそのきっかけの度合いにすぎない。泣いてばっかだった子供が、親の危機に立ち上がる姿を、陳腐って呼ぶか成長って呼ぶかのくだらない差なんだろうさ。それでも……今の俺は、その立ち上がった子供を勇敢だって褒めてやりたい。上から目線で言うんじゃなく、純粋にそうしたいって思う。

 

 ……。

 

  人は成長する。安易な変化だろうと、その安易がその人の心をどれだけ揺らせるかで、成長は出来る。一ヶ月だろうが9年だろうが、ようは……俺が学ぼうとするか否かの話だったんだから。

 

 ……。

 

  もっと早くに気づいておけばよかったんだ。相手のやさしさがどういった類のものだったのかくらい。知る努力もせず、そうに違いないって勝手に勘違いしたから失敗した。やさしさが向けられている内に、告白をするんじゃなく、知る努力をして、知ってもらっていれば、違った未来もあったかもしれないのに。そのくせ失敗すれば“やさしさの全て”を否定した。

 

 ……俺は。変わりたいのかな。

 

  ……あほ。とっくに変わってるだろうが。成長してるんだ、少しずつ。安易な変化を重ねながら、ゆっくりと。……人間だからな。

 

 いや、そういう意味じゃなくて。

 

  そういう意味だよ。誰かに教えてもらわないと、自分がどう立っているのかさえ判断出来やしない。安易な変化を望まず生きたとして、結衣に会わなかったら、奉仕部に入らなかったら自分はどんな性格だったのか。

 

 ……。

 

  ……ろくに話もしない。平塚先生に迷惑をかけるだけの男だったんじゃないか? 相手のこともよく知らないで敵だと判断して、実際は相手に抱いた印象とはまったく別の言葉を贈ったまま誤解をするだけして、無意味に敵を作っていく。人への悪口がどんな勢いで敵をつくるのかを想定しないままにだ。やがて敵しか居なくなって、いつか振り返る。……なんのために総武高校を受験したんだろうなって。そのままを愛して、努力を放棄して、来てくれる者を拒まずに、けれどいずれはそれも自分で潰すんだ。

 

 ……ああそうだ、たとえば彩加が声をかけてくれる日々に感謝しながら、けれど嫌われ者に声をかけ続ければそいつがどうなるかなんて知っているから、自分から潰すのだ。台無しにするのだ。彩加を散々傷つけた上で。

 

  ……そこまでして後悔もないんだったら、そのままの俺でいいんだろうな。けど、俺には無理だよ。同じ傷つくにしても、俺は最後まで馬鹿で居たい。自分で潰すくらいなら、信じ続けて裏切られるまで“仲間だ”って叫んでいられる、そんな馬鹿でいたい。

 

 相手が信じ続けてくれるとは限らないのに?

 

  だから馬鹿でいい。きっと理想通りの裏切りを見せない人なんて居ない。どこかで誤解は生まれて、いつか泣く日が来たとしても……絶望を叩きつけられるまで、そんな夢を見ていればいいんだ。……元々、そんな常識が辛くて逸れた勇み足だ。一緒に、まちがったら喧嘩してぶつけ合って、泣いて謝って、自分たちが安心できる石橋を作っていけばいい。不安になったらそれを叩いて叩いて叩き壊して、また安心できるように組み立てていく。ただ信じるだけの関係なんて、きっと重さにしかならないから。

 

 ……。

 

  ……。

 

 ……小さく笑って、自問自答を終えた。

 昔の自分と今の自分とで思考をぶつけ合って、心を固めたところで息を吐く。

 もっと小さな子供の頃のように、衝動で動けた方が楽なんだろう。

 過去と今とを照らし合わせて、ようやく出せる答えにも不安を乗せたままなんて、本当に我ながら面倒臭い。

 それでも信じたいものがある内は、それを前提に置いて考えることくらい、いいと思えるようになった。いや、前からそうだったけど、その前提の向きが変わったのだ。

 後ろ向きから全方向って感じで。

 そうだよな、面倒な性格なら、いっそ思い切り面倒くさくなっちまえばいい。

 そんな分析と常識をぶつけた上で、そこに俺と結衣をプラスして考える。振る舞い方の計算式は組み立てられた。なら、あとは答えを探そう。

 こんなガキな俺じゃまだまだ出せない答えを、一緒に。……うん、“一緒に”、だ。

 

「…………」

「《なでなでぎゅうう……》はぷっ!? ひ、ひっきー……?」

 

 抱き寄せていた結衣を、改めて抱き締めて、その頭を撫でた。

 一緒がいい。そう強く思えた。隣に居て欲しいと、より強く。

 好きになるって凄いな。

 惚れ直し……は違うから、さらに惚れるってスゴイ。

 直すな、もっと惚れろ。上書きじゃなくて、増やしていこう。

 いいところばっかりを見ようとするな。全てを受け止めて、好きになる。

 それがいい。うん、それが良いな、俺。

 

「結衣」

「う、うん、なに? ひっきー……」

「……好きだ。ずっと隣に居てほしい」

「ふえ───? ……ぇあっ、え……えぅぅ……!?」

 

 腕の中の彼女が、どういう意味? と目を潤ませて見つめてくる。

 意味の理解は……任せたい。

 それがどんな意味でも、いずれはそういう場所に辿り着きたい。

 でもそれを言うのは優柔不断なので、辿り着きたい場所は声に出そう。

 わざと訊ねる形にして、相手の理想を口にさせるのはずるいって思う。

 

「想像した“喜べる未来”のぜんぶ、叶えたいって思う。そ、の……恥ずかしいって感情は出てるけど、まちがっても結衣と一緒なのが恥ずかしいっていうんじゃないって、わかってほしい……! 届けたいのは結衣で、聞いてるのも結衣だけなら、……~~……」

「……うん……」

「両親に認められてるけど……でも、それと俺達の気持ちは別だから、さ……。ちゃんと、言おうって思ってた。俺は結衣が好きで、大事で、一緒に居たくて…………そのくせ、そうやって変わっていく自分を気持ち悪いくらい冷静に見てる自分が居て……」

「うん……」

「……俺は、さ。人が……怖いよ。関わらないでいてくれたほうが安心できる。いつものことだって、いろんなものに壁とかシャッターとかつけられたらなって思ってたことがあって……それはさ、思い出しても違和感が湧かない今でも、同じなんだろうと思う」

「そんなこと……」

「……眼鏡を取るのが怖いんだ。今では生徒会奉仕部だとか言われて、たまにだけど俺を頼って寄ってくる人も居て。感謝されると嬉しくて、でも……冷静な俺がいつだって笑うんだ。“眼鏡取ってみろよ、目の前で。感謝もなにも全部吹き飛ぶぜ”ってさ」

「ひっきぃ……」

「一年の……小町の友達がさ、俺と結衣のことをお似合いだって言ったらしい。小町も同意したって聞いた。でもさ……それ、眼鏡取ってた時だったらどう思ったんだろうな。そう言われない上に、兄が腐った目をしてた所為で、小町との交友関係も考えたんじゃないかなって……そう考えたら止まらなかった」

「………」

「止まらなかったんだけど…………同時に笑えたんだ。“そんなもんか”って」

「……うん」

「“みんな”の意見なんて聞いてないんだ。俺は、結衣が好きだから。小町も、そんな事実に頷いてくれた。結衣が認めてくれてる。奉仕部のやつらも、腐ってるって引きはしても……肩を組んで笑ってくれる。義輝なんて、魔眼持ちとは羨ましい、なんて言ってくるくらいだ」

「うん」

「……三浦さんの“目、キモい”は本気で泣きそうになったけどな」

「うん……あのあとあたし、本気で怒ったしね……」

「涙目になってたな……まさか結衣が本気で怒るだなんて思ってなかったんだろ」

「ヒッキーの良さって、すっごい近くで知るか、離れた位置から結果だけ見て、いろいろ考えてみないとわからないんだよ。中途半端な位置からなんかじゃ絶対に見えないから」

 

 ようするに厄介者である。

 ほんと面倒な性格してらっしゃる。

 でも……それも、中学後半ほどじゃあない。

 

「結衣」

「うん」

「結衣が好きだ」

「あたしもヒッキーが好き」

「周りに煽られてじゃなくて、ちゃんと言いたい。……俺と、結婚して欲しい」

「───~~……はい……はいっ……! あたしも、ひっき……比企谷八幡くんと、ずっと一緒に居たいです……! あたしを、あなたのお嫁さんにしてくれますか……?」

「っ!《グボッ!》」

 

 カウンターだった。

 まさかそんなふうに言ってくれるなんて、想定外もいいところ。

 予想の外から来た反撃に、一気に顔に熱が溜まるのを実感して、口をぱくぱくして……けれど、腹に力を込めて、勇気を固めて、結衣を見つめて……言う。

 

「はい、もちろんです。俺の……俺の“生涯のたった一人”になってください。絶対に、意地でも、幸せにします」

「~~…………はぃっ!」

 

 自分の言葉で笑顔が生まれた。

 最初にそのことを喜んだのは何歳の頃だっただろう。

 きっと最初の相手は家族だった。母親か父親か、どっちかだったらいいなって思う。

 もし小町だったら少し悲しい。

 小町が産まれるまで、俺は誰にも喜ばれなかったってことだろうから。

 けど……きっと、そうだとしても、こんなに喜んでくれる人が居るなら……それまでの苦労も全部受け入れて、こんな自分になったことを感謝したい。

 産まれてきて、成長して……こんな自分でよかった、って……呆れるような言い回しで、自分を喜びたかった。

 その時こそ、“どうしてそのままの自分でいいって言ってやれないんだ”、って言葉に胸を張って言える言葉がある。

 ああ、そのままの自分でよかった。けど、それはやっぱり過去なんだ。

 これからの自分はそうじゃない。過去は過去だから、後悔はしても受け入れていく。過去は、そのままでよかった。これからは、そうじゃない。

 変わっていくんだ。安易でも、安易じゃなくても。

 

  裏切られるまで裏切らない。

 

 相手に自分を押し付けたような、ひっでぇ言葉だと思う。

 けど、それを本気で口にするのなら、その人は本当に相手のことを信じているのだ。

 そいつになら託せると。そいつになら自分を預けられると。

 俺は……いや。俺も、そうだ。

 裏切られるまで裏切らない。自分が知るどん底を知って、誰にそんなものはまだまだマシだと言われようとも、自分の知るどん底に落とされようとも……それが裏切りであったって自覚して絶望するまで、阿呆みたいに信じていよう。

 それが裏切りだったと知った時こそ、俺は俺の知らないどん底を知るのだ。知って初めて、“もう誰も信じない”を心から行えるんだろう。

 

  八幡は正義と悪ならどっちが格好いいと思う?

 

 いつか、親父がヒーローが活躍するテレビを見ながら言った。

 俺は迷わずヒーローと言った。今でもそれは変わらない。ダークヒーローとか胸熱だけど、結局はそうだ。

 その時は言わなかったけど、悪の意思はそれはそれで好きだった。

 正義は格好いい。けど、その全てを褒められるかといったら違う。

 筝あるごとに迷ってうじうじする姿にイライラしたし、掲げた正義を疑われて迷う姿とかもうアレね、正義やめちまえって思った。貫けない意志なんて振りかざして、悪の目標叩き潰すとかアホかって。

 だから、意志を貫くって意味では悪が好きだった。

 だから、正義の言葉に迷いを抱き、正義の仲間になる中ボスっぽい存在とかふざけんなだった。

 そんな中ボスに、裏切り者と言うでもなく、“自分の意志さえ貫けん未熟者め”と言ったボスにこそ心震えた。応援むなしく、やられてしまったが。

 

  やろうと思って動いたことを、最後まで貫けるのは素晴らしいことだ。

 

 そんなもん、子供でも知っている。知っていて、出来ない人が多い。

 正義と悪だったものが手を取り、強大な悪に立ち向かう。胸熱だろう。

 けど、ボスの目から見れば、結局は意志も貫けないで正義に染まったヤツでしかなかった。勝ち方も、自分のパワーを正義に託して、正義がボスを倒すってものだった。パワーさえ足りていれば倒せたのだ、つまり。それが、べつにそいつじゃなくてもよかったって言っているようで、ひどく悲しかったのを覚えている。

 ボスはあの強さになるまでどれくらい努力したんだろう。

 どんな理想を胸に、悪にならなきゃいけなかったんだろう。

 常識でみれば、やっちゃいけないことを実現しようとしたから“悪”と見做された。

 それでも、それに感じるものがあったから、中ボスだって協力したんじゃなかったのか。

 そのヒーローものを最期まで見て、思ったこと。

 正義のくせに迷って、その迷いに周囲を巻き込んで、そのくせ他人の言葉であっさり前向きになって、常識的には悪で敵なんだとしても、そんな手に入れたばかりの正しさで人の夢をぶち壊す正義とか最悪な、ってこと。

 正義って肩書きに終始して、誰かに言われなきゃ自分の世界も見出せない。見出したら見出したでそれが絶対だと言わんばかりに悪を潰す。おい、せめて自分の意思を最後まで貫けよ。正しい義なのにあっさり迷って、他人の言葉で人の大願を物理で叩き折りに行ってんじゃねぇよ、と。

 それならもう“俺が正義だ!”としか言わない、頭の中までパワーでいっぱいな脳筋ヒーローの方が好きだ。

 

「………」

「《さら……》ヒッキー?」

 

 心に不安がよぎると、いつも自問自答を開始する。

 明確な答えなんてなくても、それだけはと信じるものを計算式の傍において、なにをまちがってもそれはまちがえるなと心に決めて。

 ただ、いい加減もうちょい前向きになってくれ、とは思うわけだが……まあ、なぁ。

 

「《なでりなでり》わっ、わっ……! ヒッキー……?」

 

 誰かを笑顔に出来る人は凄いって思う。

 俺がなにを言っても、引きつった顔をする人は居ても笑う人なんていなかった。ああ、嘲笑するヤツは居たか。クラスメートとかクラスメートとか。

 だから、こんな俺の言葉に笑顔を向けてくれる恋人と友達が。

 こんな俺だろうと笑顔に出来る恋人と友達が、俺は───

 

「~~~」

「《ぎゅー!》ふひゃー!?」

 

 胸の中で暴れるなにかを抑えきれず、結衣を抱き締めた。きつくきつく。

 お返しだとばかりにぎゅーっと抱き締められたけど、喜ぶ結果にしか繋がらない。

 好きだ。大好きだ。また好きになった。もっと好きになった。

 力を込め、けれどやさしさも忘れず。

 戸惑う結衣が俺の目を見つめると、途端に結衣も一層にぎゅううと抱き締めてきて、それからはもう衝動に駆られて暴れ回る獣のように。

 ベッドの上でドタンバタンと何度も寝返りを打つように、抱き締めたまま上下した。

 やがてその、妙な衝動が治まってくると、二人してぜーぜー言いながら顔を見合わせて、思いっきり笑った。

 

「好きだ」

「好きです」

「大好きだ」

「大好き」

 

 言い合ってはキスをして、抱き締めれば首をかぷかぷ。

 いつの間にか立派な痕になってしまっていたキスマークを手でさすり、赤らんだ笑顔をほにゃりと見せてくれる彼女を一層好きになって、またごろごろ。

 ……で、そんな彼女のお腹がきゅーって鳴った。

 途端、何も聞こえずお互いに夢中になっていた俺達の耳に、大雨の音が届く。

 

「昼……どうする?」

「…………断食《プイッ》」

 

 そうしてそこに、意地が生まれたのでした。

 たぶん、悪の中ボスをも説得する言葉だろうと無視できる、力強い意地が。

 昼食は無しである。当然俺も付き合う方向で。いやいいけど。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 さて、そんな穏やかな昼だったのだが。

 突然鳴り出したドアチャイムによって、崩れた。

 大雨が屋根や窓を打つ中、こんな日にチャイムって、と思うと、どうしても配達の人、お疲れ様ですと思ってしまう。

 しかしながら本日やってきた来訪者はそういったお方ではなく───

 

『おにいちゃーん! お客さーーーん!!』

 

 階下からか、はたまた途中まで登った階段からか、大きく叫ぶ小町の声に、結衣と顔を合わせて起き上がる。

 ハテ、誰だろうと悩みながらも、

 

「面倒な相手だったら困るから、俺が出たら鍵かけといて」

「ヒッキー、それはさすがに心配しすぎだと思うんだけど……」

 

 ともあれ部屋を出て、階下へ降りて、いざ玄関へ。……何故か結衣も同行で。

 するとどうでしょう、玄関には、雨合羽や傘を脱いだり置いたりして、チョリーッスと手を挙げる翔や彩加、義輝に隼人が……! あ、あと川なんとかさん(弟)も。

 

「え、あ……あれ? どした? 今日なんか集まる予定とかあったっけ」

「いんやー雨降りでさー、暇だから…………ほい戸塚ちゃん」

「え、えと……あの、八幡?」

「お、おう?」

「…………来ちゃった♪《ポッ》」

「《きゅんっ》」

 

 目の前に天使がおりました。雨合羽を縫う途中だったのか、ダボついたそれから覗く上目遣いでそんなことを言われると、さすがにトキメくものがあり……けれど先ほどまで結衣に溺れていたワテクシにはそれほど通用はせんかったのです。……いや、ほんとだよ? キュンとはしちゃったけど。……ダメじゃねぇか。トキメいてるじゃねぇかよ。

 

「来ちゃったって……」

「んお? ガハマっちゃんも来てたん? んやぁそりゃ来るかー、来まくりんぐかー! あ、それとも昨晩は《ゾス》おごっ!?」

「言わんくていいこと、わざわざ言ってないでさっさと入れし。結衣、ヒキオ、邪魔するよ」

「優美子も? って、ゆきのん!? いろはちゃんも……」

 

 翔が隼人に脇腹を肘で突かれる中、三浦さんがげしげし翔の尻を蹴りながら押し入ってくる。

 その後ろからは傘を畳む雪ノ下と一色が。

 

「あっ、由比ヶ浜さん、僕らべつにみんなで話し合ってここに来たわけじゃないんだ。雨もひどくて、勉強も終わっちゃって、することないなーって……で、そういえば八幡どうしてるかなーって」

「そうそう、戸塚っちゃんとは偶然そこで会ってさー。あ、ちなみに昼ってことで、どうせなら~って材料とか持ってきたんだわ。これで一品作らね?」

「うん、僕も材料とか持ってきたからさ」

「ぬう、考えることは皆同じであるか……我の材料を見よ!」

「俺はその、両親が持っていけってうるさくて……。恥ずかしながら、こんなに深い付き合いの友達とか、今まで居なかったから」

「あー、それってばあれでしょお? これからも息子をよろしく的な、両親の方が張り切っちゃう《ドス》おごっ!?」

「翔、そういうことはわかってても言わない」

「ちょ、八幡~、そこさっき隼人くんに突かれたとこ……!」

 

 だから狙った。

 翔は脇腹を押さえながら、それでも楽し気に笑って、「こういうやりとりってTHE・友達っぽくて好きだわー」と言った。

 ……恥ずかしいやつだ、まったく。顔が緩みまくるからやめてください。

 

「へ~~~……ここが先輩の…………《キョロキョロキョロキョロ……ハッ!?》……あの、雪ノ下先輩雪ノ下先輩、やばい、やばいです……!《ポショォ……!》」

「? なにかしら、一色さん《ぽしょぽしょ》」

「結衣先輩の首見てください……! あっちの端の……!《ポショォ……!》」

「? ……? ……………………《ぐぼんっ!!》」

「ね……? ねー……!? あれって間違い無くアレですよね……! 虫刺されとかじゃなくて……あの、わたしたちほんといいんでしょうか……! お邪魔なんじゃないでしょうか……! いえ、そりゃ、確実にそうだと決まったわけでもないですし、この雨の中を今すぐ帰るのは正直うんざりですけど……!《ポショポショ、ポッショォオオ……!》」

「いえ、落ち着きなさい一色さん、まずは、そう、まずは紅茶でも飲んで……!《ガタガタガタガタ……!》」

「雪ノ下先輩がまず落ち着いてくださいよ……!《ぽしょぉり……!》」

『?』

 

 その横では一色と雪ノ下がなにやら赤い顔できゃーきゃー言い合っていた。

 小声だからよく聞こえなかったが、首がどーたら《ハッ!?》

 

「結衣、ちょっと」

「《ぐいっ》わっ、ひ、ひっきー?」

「すまん、二人きりで話したいことがある」

「えっ……《ぽっ》」

「みんな適当に上がっててくれ。小町、案内任せた」

「え? 小町に? んっふっふ~、お兄ちゃんの部屋でもいいの~?」

「やめれ!」

 

 焦りのあまり、方言っぽいのが出たけど気にしちゃいけない。

 ともかく引っ張って、洗面所に辿り着くと、丁度そこに置いてあった箱から絆創膏を取り出して、結衣の首にぺたり。

 「ヒッキー?」ときょとんとされたけど、ぽしょりと「キスマーク」と呟くと、「あっ!」て言って真っ赤になった。可愛い。

 

「えとあの……ひっきぃ……さっきのゆきのんといろはちゃんって……」

「気づいてたっぽいな」

「……うひゃぁあああ……!!」

 

 そして顔を両手で覆って蹲ってしまった。うん、気持ちはわかる。すごーくわかる。

 周囲に誰も居なかったら、俺も叫んでた。

 そして困ったことに、隼人が俺の首筋を見て赤くなって軽く咳払いしていた。あれは気づいた。絶対に気づいた。

 

「結衣、恥ずかしいけど、行こう。話題振られても方向転換する方向で。ほら、お料理会するつもりでさ。あいつら材料持ってきてたし」

「あぅう……でもひっきぃ、あたし、断食───」

「あとで捕まって根掘り葉掘りか、今混ざってぼかしつつ誤魔化すか」

「………」

 

 ……のちに。

 中ボスを味方につける言葉を凌駕する意地は、キスマークの前に敗北したのだった。

 




 /次回、なにかが起こる! そりゃそうだ!



 「なぁなぁ八幡~、これすごくね? 俺ってばスゲくね?」



       「あの……優美子。ヒッキー、期待してくれてるのかな」



        「なんでもないからっ!」



       「……。デザート、そんなに気に入らなかったか?」



      「会話に混ざったの、そんなに嫌だったか?」



               「ち、ちがっ……」



  「やだよ……こんなかたちで喧嘩なんて……あたし、やだ……」




次回、お互いが好きすぎる男女のお話/第六……な、七話?:『そして、一歩一歩』


「デッ……デザァーーートォーーーッ!」
「よせっ! もう手遅れだ!」
「離せっ! 離せよぅ! デザートが! デザートがぁあっ!!」
「くっ……ひでぇ……! 転落からの水責め……!」

 デザートは水に流れた。
 グラスとスプーンが無意識のうちにとっていたのは『敬礼』の姿であった───
 右手ではなかった。
 左手での敬礼、それは即ち敬意も礼も尽くさぬ叛逆の意志を込めた姿だった。

Q:叛逆するんですか?
A:いえ、なにもありません


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そして、一歩一歩

-_-/由比ヶ浜結衣

 

 慣れた手つきで卵を溶く。

 結局お料理会をすることになったあたしたちは、この雨の中食材を持ってきてくれたみんなと一緒に、珍しくもない料理に挑戦している。

 珍しくないから挑戦してるんだけどね。

 難しい料理はもっと上達してからだ。

 目標は厚焼き玉子を綺麗に作って、ヒッキーに美味しいって言わせること。

 女の子が作る美味しい厚焼き玉子とかは、男子の憧れなんだっていろはちゃんが言ってた。

 

「ねぇいろはちゃん。それ、どこで知ったの?」

「日々男子の好みを模索するわたしに隙はありません」

「や、違くて。どこで知ったのかなって」

「さあ結衣先輩、続きですよ続きっ」

「い、いろはちゃん? いろはちゃん!?」

 

 誤魔化された。まあ、うん、なにかに書いてあったかしたんだよね、うん。

 ともあれ料理だ。

 厚焼き玉子にもオムレツにも憧れる。

 特に、テレビで見たような綺麗な厚焼き玉子とかオムレツってすごいって思う。

 全然焦げ目のないオムレツを見た時とか興奮した。割った時なんてトロットロで、うひゃーってなった。で、憧れた。“あんなの作ってみたい!”って。

 で、それがそのまんま壁とかハードルになっちゃった。

 オムレツ、難しい。

 

「なぁなぁ八幡~、これすごくね? 俺ってばスゲくね?」

「わぁああ……! すごいメレンゲ……! 戸部くんよくここまでとがらせたね!」

「んふふー……いや、んふん、まあなに? 俺もさー、海老名さんのためにいろいろ学んでるっつーか?」

「はぽん? 見事なメレンゲだと感心するが……それを何に使うつもりであるか? べつにお菓子作りはしていなかったはずだが……なぁ八幡よ」

「ん……そだな。翔、これなにに───」

「いや…………その。前に海老名さんの友達にお菓子作りに誘われて、その時に頑張れ男の子って言われてやらされて、そんで褒められたもんだから~……その」

「……レモン汁でも入れて膨張させるか。隼人、レモン取ってもらっていいか?」

「ああ、それは聞いたことがあるな。卵白のみを空気と混ぜるように溶いて、レモンを少し入れてから卵黄と混ぜて焼くと、ふっくらと膨らむって」

「え? マジで? それってば俺怪我の功名っっぽいアレなんじゃないのー? っべーわー!」

「けど……なぁ戸部、八幡。ここまで尖ったメレンゲに卵黄入れて卵焼きって、成功すると思うか?」

「……ゴメンナサイ」

 

 あっちこっちで笑いながら料理が進む。

 やっぱり楽しい。

 ヒッキーと二人きりも大好きだけど、生徒会奉仕部が集まってなにかをする時間も好きだ。

 そんな、思わず笑顔を浮かべちゃってたあたしに、優美子が近づいてきて顔を寄せる。

 

「結衣、ちっといい?」

「優美子? どしたの?」

「いや……その服からして、あんたここ泊まったんしょ?」

「ひぅっ……!? な、なななな……」

「ぁあいーから、慌てんなし。べつにそれについてどーこー言いたいんじゃなくてさ。……その、あんたら一緒のベッドで寝てんしょ? 大丈夫なん?」

「? 大丈夫って……うん、全然」

「………」

「?」

「……前から思ってたけどさ。結衣、あんたヒキオに我慢させてない?」

「へ? が……我慢? 我慢って?」

「いや……結衣はそれでいいのかもしんないけどさ。ヒキオだって男で、毎日あんたに好き好き言ってるほどでしょ? そんなあんたと同じ布団で寝て、男がそれで平気だってほんとに思ってるん?」

「他の男の子のことは知らないよ……あたし、ヒッキーしか……」

「そーじゃなくて。ヒキオも男なんだってこと、忘れてない? 大事にしてるって姿勢によりかかって、我慢の限界で襲いました。でもそれはヒキオが悪いですじゃ、さすがにあーしはヒキオの味方する。今時アホなくらい一途で真面目じゃん。あーしと隼人のことも応援してくれるし。って、まあこれはいいんだけど。とにかく、あいつにはあーしも隼人も結構世話になってんの。だからって結衣に体差し出せって言いたいんじゃなくて、無防備なら無防備で、寄りかかるなら寄りかかるで。期待させちまう程度には構ってやれってこと」

「……期待……」

「そ」

「あの……優美子。ヒッキー、期待してくれてるのかな」

「…………は?」

「だ、だって……あたしだってさ、そりゃ……」

 

 そうだ。

 最初はあたしだってドキドキして、緊張もしてた。

 どうなっちゃうのかなって思ったこともあったし、どっかで期待してた頃もあって。

 でも……

 

「いつからかな……ヒッキーは違う、いやらしい目で見てくる男子と違うって思い始めて、警戒とか……しなくなってさ。えと、そりゃさ、好きだから、抱き締め合って、ベッドの中でごろごろしたりするよ? キスとかもして、好きって言い合って……」

「………」

「それで…………あれ? 優美子? え、あ、ちょ、なに《ディシィッ!》いたっは!? え、えっ? ゆ、優美子……?」

「はぁ……なんでもない、この幸せ者。んで? ほら、続き。さっさとしろし」

「~……?《ズキズキズキ》」

 

 なんか急にデコピンされた。

 でも続きっていうから、続き。

 

「えと、そんでさ? たまに暴れるみたいにぎゅーって抱き締めてくれる時があって、その時はキスもすっごい……えと、情熱的っていうのかな。激しくて……そういう時は、いっぱい好きでいてくれてるんだなーって感じて、あたしも……なんだけど《ディシィッ!》いたい!? な、なにするの、優美子~……!」

「デコピン。そしてあんたが悪い。……結衣、それ確実にヒキオを我慢させてる」

「え? …………え? そうなの?」

「男なんてみんな狼だって話、聞いたことあんでしょ。てーか逆にヒキオが凄い。結衣相手によく耐えてるって思う」

「ヒッキーに……我慢……? あたしが…………させてる、の……?」

「その暴れるみたいに抱き締めるのって、結衣を傷つけないためにって相当我慢してるだけなんじゃないん? あんた傷つけないために。もしくは最低な初めてにしないために」

「……ヒッキー……」

 

 言われて、つい視線で彼を探してしまう。

 探すどころか位置なんて把握していて、いつでも視界の隅に彼が居る。

 ハッキリ見ちゃうと顔が緩むから、端に。でも今は、そんな視線も悲しみに覆われてしまっている。

 顔も緩んでくれない。

 あたしが我慢させてるかもしれない。大好きな人に。

 あたしだけが穏やかでいいなーとか思っていたかもしれない。大好きな人に我慢させといて。

 そんなのは嫌だ。

 あたしはあの人を幸せにしたい。

 幸せになるならヒッキーにしてもらいたくて、彼が幸せになるなら、あたしがさせたい。

 二人で誓い合ったことだ。大切な約束だ。

 それなのに……

 

「優美子……あたし、どうすればいいのかな」

「え゙っ……い、や……あーしも、んーなのしたことねーし……ていうかまだ隼人とは手を繋ぐくらいしか……! そんな、肉体関係とかレベル高くて……!《ぐるぐるぐるぐる》」

 

 ……相談してみた友人が、顔を真っ赤にして目をぐるぐる状にして混乱してた。

 

「とほっ……とりあえずあれ……ほら……! ベッドの中で相手に触れてみるとか……!」

「……? 抱き締めてるけど……」

「キスッ……は、してるんだっけ……!?」

「うん……えと、えへへぇ……いっぱい……《てれてれ》」

「じゃ、じゃあもういっそ、首を舐めちゃうとか……!」

「うん、いっつもやってて、今日はかぷかぷしちゃった……」

「かぷっ……!? ……ん、んじゃあもういっそ、その延長でキスマークとかつけたりつけられたりしっ……しちゃえ、ば……!」

「~~……《そっ》」

「───」

 

 キスマークって言われて、顔に熱が集まるのを感じた。

 恥ずかしくてつい首の絆創膏に手を当てちゃうけど、これがだめだった。

 優美子はきょとんって首を傾げたあとに一気に沸騰。

 あたしから一気に距離を取って、なんでかいろはちゃんに抱き着いてわんわん泣き出した……ってなんで!?

 

「え? えぇええ!? ちょ、三浦先輩どうしたんですか!? ていうか……結衣先輩いったいなにを!? なにをどうすればあの三浦先輩が泣くんですか!? ───あ」

 

 で、そのままこっちを見たいろはちゃんが、首に手を当てっぱなしのあたしに気づいて顔をぽむんって赤くして、

 

「あ~~~ぁぁぁやややややや……ベベヴェヴェヴェトゥに言わなくてモいぃですハイわたしがまちがってましたこれ聞くのヨクナイ、耳に届いちゃいけない言葉なんです。とっ……トドクヨクナイ! ノートドク! ノー!!」

 

 優美子に泣きつかれたまま、いろはちゃんは無表情で頭を抱えて言った。

 どっかで聞いた言葉の真似だった。いろはちゃんも平塚先生に薦められたのかなぁ、あのラノベ。

 

「えっと……あたし、泣かれるようなこと……したかな」

「いいえ、そうではないわ由比ヶ浜さん。彼女の場合、友人が自分よりも進み過ぎていたことにショックを受けているだけよ」

「ゆきのん…………え? ショック? 進み過ぎ?」

「……その。あなたが比企谷くんに引かれていったあと、聞いてしまったのよ。一色さんと……その、三浦さんが話しているのを」

「? なんて?」

「くだらない話よ。高校三年にもなってヴァージンというのが恥ずかしいという───」

「わー! うわー! うぅわあああっ!! ちょ、ゆきのん! ゆきのん!? だめ! そーゆーこといっちゃだめ! 怒るよ!? 怒ってるよ!?」

「べつにそんなものはそれぞれの価値観の問題でしょう? そして、問題自体も価値観の問題でしかないわね。高校三年で恥ずかしい? 相思相愛で将来も決めてあり、両親が認めているのならまだしも。なんの地盤も固まらず、親の脛を齧っている身で無責任な行為をすることのほうが恥ずかしいでしょう」

「ゆきのんいいこと言った! だよね! 恥ずかしくなんかないよね!」

「だからヴァージ」

「うわわわーわわぁあああっ!! だだだだからだめだってばもー!!」

「………」

「…………《ふー、ふー……!》」

「ヴァ」

「わー!」

「バーモント」

「わっ……えっ!? カレー!?」

「ヴァー……ジニア州」

「わー! ……、……どこ!?」

「……、ぷっ……くっ……ふふ……!!」

 

 なんかどっかの外国っぽい名前を言って、ゆきのんが顔を背けて笑い出した!

 も、もー! あたし真剣なのに!

 

「雪ノ下、あんまりからかわないでやってくれ……俺がオロオロする。ていうかそもそもなんの話題だったんだ? こっち、翔と義輝がうるさすぎて他の声がほぼ聞こえない」

「それでわざわざここに来てまで? ご苦労ね、過保護谷くん」

「うっせ、大事な人を大事にしてなにが悪い」

「それは大切なことだろうけれど、あなたの場合は行き過ぎて───」

「対象が猫だったら?」

「大事ね、ごめんなさい」

「ゆきのん!?」

 

 あっさり認めた! う、うー……なんかすっきりしない……!

 でも、えと……ヒッキーに知られると気まずいし……うー……!

 

「結衣?」

「うっ……えとっ……な、なんでもないっ」

「いや、けどさっき」

「なんでもないからっ!」

「………」

「あ……ひっきー、あの、ほんと違くて……」

「いや、悪い。話したくなったら言ってくれ。話したくないならそれでいい。雪ノ下、悪い。俺、戻るな。結衣のこと、頼む」

「ええ。……ごめんなさい。騒がなければこうはならなかったのに」

「いいって。たまにはあるだろ、こういうことも」

「あ、あ……」

 

 苦笑をこぼして、ヒッキーは男子が騒ぐ位置まで離れていった。

 そこで戸部くんたちとお菓子作りを再開するんだけど、その笑顔に陰りが見えた。

 途端に湧いてくる罪悪感。

 やだ……なんで……なんでこんな……ヒッキーは悪くないのに……。

 

「おー……八幡なんか手馴れてる感じだわー……俺達よりも一歩先にいってるって感じっつーか。こまっちゃんとお菓子作りとかしてたりすんの?」

「おう、たまぁに。ほい義輝~、ここで卵黄、頼む~」

「うむ! 我に任せるがよい! ……闇の深淵にて重苦に藻掻き蠢く雷よ……! 彼の者に驟雨の如く打ち付けよ! グラビティブレス!」

「おいやめろ。なんか落ちてくるあれが卵型っぽいからってそれはやめろ」

「お? お? なんかの真似だったりしたん? よっちゃんのことだから素で言ってんのかと思ったわー」

「ククク……! …………なんか理解ある人が一気に増えて、我今青春真っ盛り……!」

「えーとー……八幡、驟雨ってたしか、にわか雨のことだったよね?」

「おう。彩加、バニラエッセンス頼む」

「うんっ」

「闇の深淵だとかががなにを指しているのかはわからないが、言葉の雰囲気からして危なそうだな。にわか雨はにわか雨でも、やさしいものじゃなさそうだ」

「隼人正解。あるゲームで一定の人にトラウマ与えた、奇妙な竜が好んで使った大魔法の詠唱だよ」

「うむ! “砕けろォオ! 燃え尽きるがいい! イグニート・ジャベリン!”の流れが我的には一番好きであった……!」

「それはいいから卵黄…………ああもう、翔、彩加、頼んでいいか?」

「おっけおっけ! おまけに尖った卵白とかいらね?」

「あー……お前の努力の結晶だから、お前が上手に使ってくれ。つまりいらない」

「きっついわー八幡……マジどうすっかなぁこれ。いろはすー、お菓子とか作っちゃう系の用事とかあったりしない?」

「なんでですかありませんよそんなの」

「ひっで!? あーもー八幡ー? 失敗してもいいから、さっき言ってたふっくら玉子作ってみたりしない? しちゃったりしない?」

「はい八幡。1個でいい? 卵黄だけでいいんだよね?」

「おう、サンキュな、彩加」

「じゃあ戸部くん、はい」

「いや……戸塚ちゃん? 俺に卵白渡されても……」

 

 離れた位置で調理を再開するヒッキーの顔は、すぐにいつも通りのものに戻ってった。

 その姿があんまりにもいつも通りすぎたから、一瞬……あたしの悩みってそんなものなのかな、なんて思っちゃう。

 自分でなんでもないって言ったくせに、もっと構ってほしい、みたいな独占欲が出てくる。

 ……やだな……こんなの。

 

「………」

 

 難しく考えないで、全部……委ねちゃったほうが楽なのかな。

 

 

 

 

-_-/平塚静

 

 ピキュリリリィイイイイン!!

 

「ハッ!?」

 

 今……誰かがとても、懐かしくも古い言葉に似たことを言ったような……!

 

「………」

 

 どうでもいいか。

 よし、今日は昨日古本屋で纏め買いした、めぞ〇一刻でも読破するとしよう。

 はっはっは、でてゆくでてゆくとか、懐かしいなぁ。

 …………。

 いや、私はまだ20代だからな?

 友人の歳の離れた姉に薦められてたまたま買ってみただけであって、連載時代に青春を駆け抜けていたとかそんなことはないからな?

 

「……誰に言い訳をしているんだ私は。はぁ」

 

 昼、どうしようかな……この雨では外にも行けないし。

 こういう時、料理上手な恋人でも居れば……こう、台所で手伝いをしながらキャッキャウフフ……!

 仕事さえなければなー! 仕事さえなければ私だってなー!

 

 

 

 

-_-/比企谷八幡

 

 ……誰かの慟哭がこの悲しい世界に響いた気がした。

 しかし心当たりがあるわけでもないので、そのまま料理を続ける。

 

(……料理作るのって、いいよな。こう……結婚してからも、結衣と一緒にキッチンに立って、仲良く料理を…………結婚、ケッコン?)

 

 ………………あ。

 

「? お兄ちゃん? どしたの? 手ぇ止まってるよ?」

「い、いや、なんでもない」

 

 気の所為気の所為。そういうことを無理矢理関連付けるのって、人の悪いクセだ。

 平塚先生はいい人だ。先生としても女性としても。

 相手が出来ないのが不思議なくらいだ。ほんと、周囲の男は見る目がない。

 もし結衣と出会ってなかったら、俺が……こうして、家で料理を作ったりして………………あれ? 想像してみたのに、相手が結衣の姿でしか浮かんでこない。

 ……ごめんなさい平塚先生、俺、心の底から結衣にぞっこんみたいです。

 

(……けど、さっきは驚いた。結衣が怒鳴るみたいに“なんでもない”って……)

 

 まあ、女子同士の会話に男子が無理に混ざろうとすればああなるよね。八幡ったらうっかりさんっ★ 急に男が割り込めば“ちょっと男子ー?”とか言われることなんて、茶飯事だったろうに。

 親しくなったからって、中学で学んだことを一時だろうと忘れるとは情けない。

 相手が恋人だろうと、その一線を越えてはいけません。

 越えていいのは恋人に求められた時だけ……ただその時だけだ。

 たとえばしつこく訊かれたくない話題を振られまくった際、恋人が彼氏を見て救難信号を出した時……その時こそ会話に割って入ることが許されるのだ。

 だというのにいけしゃあしゃあと話題に混ざる……! 恥を知れっ……恥を……!

 

(というわけで反省中。結衣には悪いことしたなぁ……あとできっちり謝ろう)

 

 許してくれるだろうか。

 それともかつての女子のように“なにあの勘違い野郎キモッ”とか……あ、だめ、ヘコム。

 ……い、いやいや、こういう時こそ美味しい料理を作って、結衣に笑顔を……!

 俺の所為でなんか元気なさそうだし……うん。

 

(料理は愛情……いい料理を作ろう)

 

 頭の中でどこぞの天使のような御仁が一番いいのを頼むとか言ったけど気にしない。

 元気になってくれるといいなぁ。

 

 ……余談だが、翔と一緒に作ったらんぱく膨張ふっくら玉子は、見事に失敗した。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 作った料理は好評だった。

 男子のより女子のが。

 いや……だってさ、あっちには小町居るし、一色も料理上手くて、なにより最終兵器ゆきのんが強敵すぎた。

 こっちも美味しくはあったんだ。あったんだけど……華やかさとか考えないTHE・男の料理すぎてダメでした。

 なので結衣の機嫌がよくなりますよーにと密かに作っておいたデザートは、とても喜ばれた。まあ、負けたものは負けたんだが。料理って難しい。

 

(でも……)

 

 なんでか肝心の結衣が、デザートを食べてくれない。

 やばい、立腹が過ぎて相手にさえしてもらえないとか?

 いや、もしかするといい加減俺って生物を理解したのかもしれない。

 遅すぎたくらいなんだ、長すぎたくらいなんだ。

 俺を知れば、大抵の女子なんてキモいだけしか言わなくなる。

 そんな常識がやさしさに包まれたおかげで麻痺していたんだ。

 そうか、夢は覚めたのだ。

 

「…………」

 

 ちょっと待て、と思考に待ったをかけたいのに、一度思い始めたら止まらない。

 ぼっちであった頃の弊害というのか、いい加減捨てたい考え方も、そう簡単には消えてくれないもんだ。

 だから、勝手に結論を出そうとする自分の頭に、結論が出ようが抵抗をする。

 いい夢だった。そう締めくくるのは簡単だけど、結衣に言われるまでは曲げない。

 信じ続けて、ダメだったらすっぱり諦めよう。

 未練を残すな。最後だって決めてたんだから、相手がきっちり切り替えて次を目指せるよう、胸を張っていよう。

 

「比企谷くん、ここの蔵書、読んでも構わないかしら」

「へ? あ、ああ、いいぞ」

「ありがとう」

 

 雪ノ下はそう言って、リビングの端の蔵書に手を伸ばした。

 適当なものを見繕うと、近くのソファに座って熱心に読み始める。

 一色は小町に呼ばれて小町の部屋に。

 三浦さんは隼人と料理の改善点についてを話し合い、彩加と義輝は翔と一緒にラノベの話で盛り上がっていた。

 結衣は……さっき俺が作ったデザートを手に、とたとたとリビングを出ていった。

 ハテ? 何処に……って、俺の部屋か小町の部屋くらいしかないよな。

 とりあえず翔に一声かけて、結衣を追うことにした。

 俺の部屋に行ったなら、なにか話があるのかもしれない。

 なくても、女子ト-クに割って入ったことは謝らなければだ。

 こういうのは経験上、後に回すのは大変よろしくない。何故って、妙なプライド……じゃないな、意地でもない、腐った男の虚勢が邪魔をして、面倒だからうやむやにしてしまおうとかいう下衆な考えが染み込んでくるからだ。

 だから、謝れる時に謝る。男はそうじゃなきゃいけない。

 

(はぁ……こんな気分になるのも久しぶりだな……。中学以来?)

 

 人と自分を比べて、多少だろうと優れている部分を探すのが人間だ。中学の頃に……いや。言ってしまえば、小学の頃にとっくにそれを知っていた。

 周りがそうだったから、“じゃあ自分の中でどれかが誰かより優れていれば”と得意なものだけに躍起になったこともある。

 なまじ本気になれば出来ることが多かったから、それで勘違いをして失敗した。

 いっそ“努力をしなければ”と危機感を覚えるくらいに駄目な自分だったらよかったのに、出来てしまったから“頑張れば出来るもの”と勘違いした。

 そういう失敗って、結構あるよね。

 ええとその、なにが言いたいかというとだ。

 俺が比べられる相手なんて、もう過去の自分くらいしか居ないわけだ。

 で、過去に失敗したなら、そのままでいいと思える自分も合わせて考える。

 どう謝るべきか。

 ……いや、謝罪に小細工とか浅知恵を混ぜるのがそもそもアウトだ。

 謝罪は真っ直ぐに、気持ちを込めてだ。

 うん、大丈夫。

 結衣ならきっと───……っとと待った待った待て待てっ、誰々ならきっととか、自分の理想を押し付けるのはアウトだ。

 あいつなら許してくれるを前提に置いたら謝罪の意味がないだろう。

 

(真っ直ぐ行ってごめんなさい。よし!)

 

 考えている内に階段を登り切り、いざ自分の部屋の前。

 開けっ放しだったそこを通ると───…………

 

「………」

「っ!? あっ……ひ、っきぃ……!?」

 

 ……何故か、俺のベッドの上にデザートぶちまけた結衣さんが。

 ……え? なにこれ。

 食べたくなくて、食べなくて、俺の部屋に持ってきて、それで、それで……

 

  いやがらせ

 

 すぐにその文字が頭に浮かぶ。

 自分の知る、雪ノ下のよく知る、俺達のもっとも嫌う行為だ。

 雪ノ下自身のことは、ある程度親しくなってから雪ノ下に教えてもらったことだけど……これは、なかなか……。

 

「……、」

 

 ぐぐっ、と気持ちの悪いものが喉まで競り上がってくる。

 なんでよりにもよってお前が、と叫びたくなる衝動を飲んで、冷静に……冷静になれるようにと拳に力を込めて落ち着かせる。

 冷静にだ、落ち着け、焦るな、理由が……理由があるはずだから、考えるんだ、まず。

 怒鳴っちゃだめだ、話を……話を……。

 

「……。デザート、そんなに気に入らなかったか?」

「っ……」

 

 一言目、自分の声なのか疑えるくらい、低い声が出た。

 結衣が息を飲むのが見えて、もっともっとと落ち着かせようとする。

 

「会話に混ざったの、そんなに嫌だったか?」

「ち、ちがっ……」

 

 近づきながら、勝手に低くなる声で質問を続ける。

 結衣は怯えた顔で首を横に振る。

 ……。それを見て、まずは深呼吸。怯える彼女に手を伸ばし、

 

「《ディシィッ!!》きゃうっ!?」

「悪いことしたらまずはごめんなさいだ、馬鹿」

 

 デコピンをした。

 ……うし、飲み込んだ。

 複雑な人間ドラマとかラノベとかギャルゲーじゃあるまいし、こんなことでいちいちこじれてたまるかダァホ。

 

「あー……状況確認だけど。ここに来れば俺も来るって思った。で、デザートは俺と一緒に食べようとした。でも躓くかなんかしてデザートをこぼした。OK?」

「……! ……!!《こくこくこく!!》」

「……そか。けど、なんだって一緒になんだ? べつに下で食べてもよかっただろ」

「だって…………謝って、仲直りしてから……食べたくて」

「? へ? 仲直りって?」

「え、と……さっきの、ほら……怒鳴っちゃったの……」

「……んん? だってあれ、俺が結衣と三浦さんの女子トークに割り込んだから怒ったんだろ? 中学の時の女子とかの反応に似てたし、女子の話に割り込んでんじゃねぇよマジキモい死ね、とかそういう意味じゃ」

「!? あっ……あたしっ! ヒッキーのこと、絶対にそんなふうに言ったりしないよ!?」

「《びくぅっ!?》おぉわっ!?」

 

 怒鳴られた。

 え、あの……なんかさっき怒鳴られた時より怖いんですけど……?

 

「あの……あのね? あの時は、ちょっと恥ずかしいこと、話してたから……! ヒ、ヒッキーに聞かれるの、怖くて……だから……!」

「おう、つまり俺が悪かったってことだろ? タイミングとかそっちの方向で」

「そうだけどそうじゃなくて! タイミングのことは、ほんと、ごめんだけど、違うのっ、ヒッキーはちっとも悪くない! あたしが、なんにも考えなかった所為で……ヒッキーを我慢させちゃってたから……!」

「…………」

 

 我慢。

 違うの。

 悪くない。

 ん、んん……?

 困った。女性の言葉で“信じるな、信じれば後悔するぞベスト”の言葉が耳に届く。

 とりあえず言い訳をする女性の“違うの”ほど当てにならんものはないと聞いた。何処とは言わない。でも聞いた。

 悪くないとか、誰が悪かを決めたがる女性にも注意しろというものもある。どことは言わない。ただ悪がどうとかは俺が言い出したからそれはいい。むしろ俺の馬鹿。

 で……うん。そのー……うん。とりあえず落ち着いたほうがいいんじゃないだろうかね、俺も、結衣も。あと染み込み過ぎる前に、掛け布団をなんとかさせてください。

 頬をコリリとひと掻き、布団の上のデザートの処理にかかると、クンと服を抓まれる。いやあの、話があるのはわかるんだけどね? 俺今日もここで寝るわけでして。

 

「ひっきぃ……お願い、話……聞いて……? やだよ……こんなかたちで喧嘩なんて……あたし、やだ……」

「………」

「《こつんっ》んゆっ……! ひ、ひっきぃ……?」

 

 軽く拳骨。強くとか無理。

 

「ゆ~い。悪いことしたら?」

「ぁっ…………ごめっ……ごめんな、さい……」

「よし、許す。それから……俺もごめん。結衣の言う我慢っていうの、俺にはどういう意味だかわからない」

「えっ……? あ、あの……それは……ほら……えと………………ひっきぃい……」

「《ぎうー……!》いやあの……やめて? 涙目で上目遣いとか、服、両手で掴むとか」

 

 やだ可愛い。首だけといわず、体全体で向き直って抱き締めまくっていいですか?

 

「あの、あの、あのっ……! べっ……ベッド、ベッドの……上で、さ……?」

「お、おう……?」

「抱き合って……キスしたり、してさ…………でも、その先とか……全然、なくて……」

「その先って……」

 

 …………え?

 もしかして、望まれてた、とか?

 あれだけ無防備だったのはつまり、彼女からの精一杯の……?

 でも俺はこの穏やかさが~とか思ってなにもせず、それが彼女の女性としてのプライドとかズタズタに……って待て待て、じゃあ我慢とかってどういう意味だ?

 冷静になれ、冷静に。よし、とりあえずデザートの残骸、処理完了。

 あとはべっとりついてしまったこのクリームなどを、ヴァンプ将軍から授かった知識を武器にきっちりと処理して……。

 と、処理を優先していたら、結衣がぎゅううううと背中に抱き着いてきた。背中っていうか、俺が腰を折って処理をしていたため、ほぼ腰に抱き着くみたいに。

 だだだだだ大丈夫だから! ないがしろにしてたとかそういうのじゃないんだ本当に! ただこういう汚れって本当に性質が悪いから!

 あとごめん! こういう腰を折っての作業とかしてると、無駄に重い息とか吐くから、それが溜め息に聞こえたりするよね! 経験あるからほんとごめん!

 なので処理を終えた掛け布団を抱えて、結衣に一言言って手を離してもらうと、すぐにそれを脱衣所まで持っていって、すぐにまた戻る。

 それからきっちりとドアを閉めて鍵を閉めて、結衣をベッドに座るように促すと、俺も座ってきっちりと聞く姿勢。

 誤解は解くべきである。

 誤解だって解だ、とか言っている場合じゃない。

 

「よし、話し合おう。まず俺は怒ってないし、むしろ俺が結衣を怒らせたんだって本気で思ってた」

「お、怒ってないよ!? ほんとにっ! だだだってあたしが自分勝手に怒鳴っちゃって、だから……!」

「……そっか。それは、よかっ……~~っ……はぁああ……!! よかったぁああ……!!」

 

 うわ、すげぇ、自分で自覚出来てなかったくらい安心してる。

 心がすごく沈んでたっていうのがわかるくらい、一気に重たいなにかが消えた気分だ。

 

「……いやもう、ほんと、中学の時のアレが再来したのかと思った……よかった……ああ、よかった……!」

「ヒッキー……~……ごめんね、ごめんねヒッキー……」

「ん、許した。で……なんだけどな。我慢ってなんのことだ? たぶん、ここでわかったつもりで頷くのは簡単なんだろうけど、言わなきゃわからないことだよな、これ。わかったつもりになって後で後悔、はもうしたくないからさ。よかったら話してくれないか? ……あぁその、これがデリカシーのない言葉だったら、ほんとごめん」

「…………」

 

 訊いてみると、結衣は首を横に振った。

 てっきり話したくないって意味かと思えば違うようで、顔を真っ赤にしながらも……聞かせてくれた。

 

「ゆっ……優美子がさ、教えてくれて……。おとっ……男の子は、みんな狼だ、って……。それなのに、あたしはヒッキーに抱き着いたりキスしたりして、一緒に寝てるのにそれじゃ、ヒッキーを我慢させてるだけだ、って……」

「………」

「ひっきぃ……正直に答えて……? 我慢、してた……?」

「………」

 

 ……YES。これは、正直に答えなきゃまずい。

 けど、自我がヤバくなれば、その衝動を抱き締めて可愛がりまくる方向に向けてきたし、正直苦しいってところまでは行きはしなかった。これからはどうなるか、とかはわからないけど。ほら、我慢って限界に弱いし。むしろ限界を理由に我慢をぶち破るのが人間ってやつだと思うのですが。

 というか好きな人にこういうこと訊かれるのって、気まずいってレベルじゃない。サザウェさんもびっくりなほどに裸足で駆けてでも逃げ出したい。

 

「~……してたんだ、我慢……。ううん、させちゃってたんだ……」

「あぁいやいやちょっと待て、べつに俺はそれで嫌な思いをしてたとか、そんなことはないぞ?」

「……やだ。信じない」

「え゙っ……えぇえっ……!?」

 

 本心を言ったつもりが却下された。

 

「あたし……高二の頃から、さ……高二にもなってその、えと……処……女、とか……恥ずかしい、って周りが言ってるの、気になってて。でも……そんなの、あたしたちのペースでいいんだって思ってた」

「お、おう。俺も───」

「でもね、それは……好きな人に我慢させてまで、そうありたいってわけじゃなくて……。あっ……ほんとね? その想いに、周りの人とか関係ないんだ。ただあたしとヒッキーの問題で……あたしだってそういうことに興味はあったし、ヒッキーがそうしたいならって……求めてくれるなら、それはとっても嬉しいなって」

「………」

「そういうことって、自然にそうなっていくものなんだって……そう思って。そういう時が来たら、委ねていこうって思って……。でも……だめだね。あたし、ヒッキーに寄りかかりすぎてた。だって、いっつも楽しくて幸せで、怖くもなくて、不安もなくて……。一緒に寝る時にさ、そういう緊張とか不安とか、あまり出てこなくなったら……その“自然”っていうのがいつくるものなのかとか、考えること……なくなっちゃってた」

「………………うん」

「だから……ヒッキー。一歩ずつ……いいかな。……あたしたち……進んでも、いいかな」

「……もちろん。ていうか、そういうのって男がもっとシャッキリしておくべきだよな。ごめん」

「ここでごめんはなしだよ、ヒッキー。あたしだって、無理に踏み出して傷つけたり嫌われたりとか、したくないもん……。不安になる気持ち、わかっちゃったから……」

「結衣……」

 

 きしり、と。

 結衣が空いていた距離を詰めてくる。

 俺も、まだ空いていた距離を詰めて、手を伸ばし……抱き締めた。

 

「……いいか? 一歩」

「うん……一緒に、だよ。ヒッキー」

「ああ、一緒に」

 

 傷つけないように嫌われないように、壊れ物を扱う気持ちで大事にしてきた。

 けど、ここからは違う。

 大事な一歩を一緒に踏み出して、知らない知識を互いに埋めるようにして学んでいく。

 ……のは、いいんだが。

 

「……結衣」

「うん、ヒッキー」

「……なにからも学ばずに、俺達だけでお互いに探っていくっていうの……やってみていいか?」

「……? それって?」

「い、や……その、な。中学の時とか、そりゃ年頃の男だから、そういうのを調べもした俺だけどさ。正直、深いところはまでは知らない。結衣と知り合ってからは、嫌われたくなくてそういうものには手を出さなくなったし、知識も……止まったままだ。正直、なにをしたらいいのかとか、知らない」

「《かぁああ……!》う、うん……そっか、ひっきぃもなんだ……。あたしも、友達とかがそういうの話してると、わざと聞こえないふりして離れて……さ。雑誌とかあっても見ないで……なんかヒッキーに悪い気がして」

「そ、そか」

「うん……」

「………」

「………」

「だから……うん。むしろ……ちょっと憧れる、かも。あたしたちだけで、あたしたちの愛し方……って」

「……うん。けど、その……な。どこらへんから一歩踏み出せばいいのかとか、正直わからない。とんでもないこと要求して結衣に嫌われるのも嫌だし、そうじゃなくても傷つけるのも嫌だ」

「……ねぇ、ヒッキー。傷つけない、なんて……無理だよ? 絶対になんて、どうやったって無理なんだ。だってあたしたち、まだまだ知らないこと、いっぱいあるもん。言いたくて言ったことじゃない言葉も、きっといっぱいある。知らずに傷つけちゃうことだってきっとあるよ。だから……さ。そんなに、怯えないで……? 傷ついても、仲直りできるあたしたちで居ようよ……」

「結衣……」

 

 抱き締めたままの結衣が、俺の腕の中でもぞりと動いて、俺の背中に回した手でぎゅううと服を握り締めてくる。

 まるで、そんなに弱くないからと伝えるように。……俺に、勇気をくれるように。

 

「……結衣」

「うん」

「ごめんな。今から、お前を傷つけるかもしれないけど」

「……うん。大丈夫、ちゃんと……受け止めるから」

「結衣……」

「ひっきぃ……」

 

 そんな勇気に手を引かれるように、やがて一歩を踏み出した。

 結ばれるための行動ではなく、近づくための一歩。

 未だ知らないお互いを知るために、少しずつ少しずつ、俺達は……

 

 

───……。

 

 

……。

 

 …………。

 気づけば雨は上がっていた。

 時刻は午後6時あたり。

 俺と結衣は興奮の消えない上気した顔のままにキスを繰り返し、やがて離れた。

 

「……ひっきぃ……」

「結衣……」

 

 進んだ歩みは一歩。

 今まで触れたこともなかった場所に触れ、けれど深い行為にまで及ぶことはなく、触れながら抱き締め合い、布団の中でもみくちゃになるみたいにごろごろと体勢を変えながらキスをしてお互いを求めた。

 何度も言うが、一歩だ。最後までは至っていない。

 服の上からでも大きいと実感できたアレや、胡坐の上に寄りかかられた時にも感じたソレに触れるに至り、興奮で頭がどうにかなりそうだったが、自分の結衣を大事にするという意志は、自分が思っている以上に強いらしい。

 理性さんがギャアアアムと叫ぶ中でも頑なに慈しみ、襲うなんてことは意地でもしなかった。

 ……まあその、胸もお尻も随分と触ってしまったわけですが。

 ともかく、一歩を進んだ関係で愛し合う途中、決めたことが幾つか。

 

 一つ。歩みはじっくりと。まずはいつも通り、じゃれ合うみたいに抱き締め合ったりキスしたりから始める。

 

 一つ。がっつき厳禁。欲望に負けたらダメ。負けたヒッキーじゃなくて、勝ったヒッキーと一緒に居たい。……って言われちゃ頑張るしかない。というか、それはこっちも同じ気持ちだったから構わない。

 

 一つ。自分で慰めるの禁止。そういうのは一緒に。……だな。一緒に。……エ? 一緒って……エ?

 

 一つ。大好き。キスは何回でもしてくんなきゃやだ。……いや、それ俺もだし。

 

 一つ。い、今は服越しだけど、その、えと、少しずつ……ね? ……お、おう…………おう。

 

 などなど。

 そんなわけで、胸やお尻だけでなく、腕や腰、首周りなどを撫でたり舐めたりする合間、口が空けばキスをする、なんてことを繰り返し、俺達はやがて離れた。

 結衣はとろんとした目と、力を抜ききった、自分を預け切った状態で俺の腕にすっぽりと納まっていて、もぞもぞ動いて少し位置をズラすと、また俺の首をかぷかぷしだす。

 気に入ったんだろうか。……いや、俺も気に入ってるんだけど。

 甘やかすつもりで抱き締めて、後頭部と腰に手を回してゆっくりと撫でると、きゅう、と小さな声が聞こえて、ぎゅうううときつく抱き締め返された。可愛い、やだ可愛い。

 

「……なんか……このあとにみんなと会うの、すっごく……恥ずかしいね」

「うぐっ……」

 

 それな、マジそれ。

 

「結衣、行けそうか? 行けそうっていうのはその、顔をあからさまに赤くしないで、きょどらずにって意味で」

「~~~……無理ぃい……!!」

 

 ばふっ、と布団に潜ってしまった。

 掛け布団は脱衣所なので、布団っていうか毛布だが。

 

「あー……うん。じゃあ俺がなんとか言いくるめるから。なんかすぐいろいろバレそうだけど、頑張ってみるから。結衣はここに居てくれ。な?」

「…………《きゅん》」

「結衣?」

「う、ううんっ? なんでも……。ありがと、ヒッキー。あと、ごめんね」

「いいよ、気にしないで」

 

 くれ、と続きそうになるのを無理矢理止める。

 ……前の自分の口調って難しいなと思いつつ。

 すっかりぶっきらぼう口調の方に慣れてしまっているあたり、少しショックだった。

 ともあれ立つ。立って、まずは翔や雪ノ下たちにする言い訳を考える。出来るだけ難しく。

 じゃないとご神体様がグワッハッハッハーなので、部屋から出ることが出来ない。

 しょーがないでしょ最愛の人とあんなことしてたんだから!

 くそう自分の体が男として正常すぎて泣けてくる。よく今まで我慢出来てたなって今さらながら、“今までの自分スゲェ”とか思うくらい。

 溜め息一つ、自分の中で最も面白くも楽しくもないことをわざわざ考えつつ、ご神体様が俯いてくださるのを待った。

 ……ちなみにこんなになっても処理は禁止だから、ある意味地獄の始まりである。

 イ、イエべつに? ワテクシそったらことシテマセンシ? いや、これは本気で。

 ただ愛しさ故に、穢しちゃいけないと耐えてきたものから触れて欲しいと許可が出てしまったあたり、宇宙の法則というか八幡の法則が乱れまくりである。

 俺……これからどうなるんだろう……。

 傷つけないようにってのは大前提な。うん。……頷いた途端、ご神体様が俯いた。

 ……おい。結衣のこと全身全霊で大事に思いすぎでしょ、俺……。

 





 /次回予告……みたいなもの


        「いろはす五人分の短冊……」



 「やめてよぉ! そこはスルーでいいじゃん!」



      「……ヒッキー? 悩みがあるなら相談して?」



「このっ! どうやって仲良くなったんだあんな良い娘と! このっ! ニクイねこのっ! こっ……憎い! 男として憎い!」



             「…………《ゴゴゴゴゴゴゴゴ》」



 「…………《ドドドドドドドド》」



        「《コッパァン!!》はぶぅぃゆ!?」



     『ハッピーバースデーだ! あんた!!』




「やめてゆきのん!? それ言われてみるとわかるけど、全然笑えないよっ!?」


 



次回、お互いが好きすぎる男女のお話/第八話あたり:『そうして、今日もどこかで青春する①』


 ひたすらいちゃいちゃするだけの話であった……。
 いえまあほんとはゴリゴリ書くだけ書いて、UPするかは悩んでいたものでしたし、いいのですが。
 10万文字あたりの小説UPしないとかアホですかとか言われるやもですが、読む方にしてみれば楽しいかどうかですしね。
 正直本気で蛇足でしかないかなぁと思っていたものなので。

 したらな!


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そうして、今日もどこかで青春する①

 それから……十数日の日々が流れた。

 

「はっぽぉおーーーん! 今日も筆がノる! 書ける……書けるぞぉお!!」

「んぉ? よっちゃん俺のこと呼んだー?」

「るふぅ!? いやっ……そ、その翔ではなくてといふか……!」

 

 それから、ってのはアレな。日曜の雨の日に全員が集まって、友人ほったらかしで俺と結衣でイチャイチャしていたあの日から、ってことだ。

 その十数日の中でやったことは……まあ、いろいろだ。

 義輝の小説の添削を手伝ったりとか、ジョギングに三浦さんや隼人を誘ってみたりとか、やってるバイトに隼人を誘ったりとか、いろいろだ。

 

「はっ……はっ……! あんたらほんとっ……! よくこんなん毎日っ……!」

「俺はサッカー部で鍛えたから全然余裕だけど……大丈夫か? 優美子」

「あの太い中二に負けてるってのがやたら腹立つ……! そりゃあーしだって、そういう方向の努力はしてるけど、これは走りすぎっしょ……! っ……はぁっ……テニス、続けときゃよかったかも……!」

「優美子っ、走ってる時に怒ったりしちゃだめ。余計に呼吸、乱れるよ?」

「~……結衣、あんた胸そんなに揺らして、平気なん……!?」

「むっ、胸は関係ないでしょ!? なに言い出すの優美子!」

 

 あの日、部屋に行く前に翔に声をかけておいたことが幸いし、なかなか戻ってこない俺と結衣に気を利かせ、翔はみんなを促して帰っていてくれたらしい。……ええ、スマホにメール来てたよ。そして小町に怒られたし呆れられた。“友達ほっといてなにやってんのー!”って。正直に“結衣とちょっと喧嘩しそうになって、それ関連でいろいろあったんだ”と言ったら、むしろ“おっけーお兄ちゃん小町がまちがってたよ!”と元気に言われたよ。

 

「いらっしゃいませー」

「なぁ……八幡。生徒会がバイトとか、いいんだろうか……」

「隼人……それを気にするのはさすがにいきすぎだろ……。平塚先生の許可は得てるし、問題ないって。っつーかロウソンってほんと、艦これのコラボ多いよなー……」

「由比ヶ浜さんのために、何かお金が必要なのか?」

「……俺、そんなにわかりやすい?」

「こと、由比ヶ浜さん関連じゃな。けど、良い顔してる」

「……そか」

 

 小町にとっては、俺が喧嘩なんぞで結衣と別れることの方が一大事に繋がるらしい。いや……俺本当に、ちゃんと友達のことも大事よ? 生奉部メンバーには悪いことしたなって本気で思ってたし。ただ状況が状況だっただけで……はい、あとで面と向かって謝り通しました。みんなあっさり許してくれた。むしろ「いつものこと」ってフレーズで笑われたまである。全員に。

 

「あーもー! こんなことなら小町ももっと早くにお兄ちゃんと運動しとくんだったー!」

「お兄さんどんだけねばるんすか!? いやねばるってより持久力が……! あ、結局ねばってるんすか」

「いくぞ彩加!《パコォン!》」

「負けないよ八幡!《パコォン!》」

「おー、はっちまーん! 次俺とダブルス組むべー!」

「悪いー! 隼人に先に誘われてるんだー!《ぱこぉん!》」

「結衣、次あーしと組んで、ヒキオと隼人、ボコるよ」

「ぇええっ!? ど、どしたの? なにかあった?」

「さっきすれ違った男に、どっちが男女仲がいいのかとかくっだらない目で測られた。むかつくからちょっち付き合えし」

「べつに自分の中の物差しでいいんじゃないのそれ!?」

「ちょっ……はぁっ!《ぱこんっ》待っ……!《ポコッ》ゆ、雪乃ちゃっ……強っ……!《ぽこんっ》」

「あら《ズパァン!!》誰がいつ《バコォン!》名前を呼ぶことを《ドコォン!》許可したのかしら《パッコォン!!》」

「……ああはなるまい」

「ゆきのーん!? これから葉山くんとダブルスやるから、手加減! 手加減ー!」

「その呼び方、やめてもらえるかしら」

「まだだめなの!?」

 

 一歩がどうのを踏み出す前に、メールでも飛ばしておけばよかったのかもだが、メールで“今日は帰っててくれ”とか言うのって誠意がまずないだろ? せっかく雨の日に来てくれたのに、メールで帰れとかあんまりだ。

 

「もははははは! 撃ってセニョーレ! かっきぃーーーんっ!!《ぼすんっ》はぽっ!?」

「なはははは! よっちゃんはーずれー!」

「バッティングセンター来るのなんて初めてだよ俺……」

「あ、あたしも……えと、ヒッキー? 飛んできた弾を打てばいいんだよね?」

「究極的にはつまりそういうことだよな……っと、彩加が打つみたいだ」

「さいちゃーんっ、がんばれー!」

「すーはー……大丈夫……! テニスでボールは見慣れてるし……ここっ!《カィンッ!》あっ……やったぁ! やったよ八幡! 僕打てた!」

「さすがっす戸塚先輩! っし、俺も比企谷さんに格好いいとこ見せて……! いくっす! せぇりゃ《ガィンどぼぉっ!》ほごぉっ!?」

「てぃっ……T氏ーーーーーっ!!」

「T氏がやられた! 衛生兵ーーーっ!!」

「しっかりしろT氏! 傷は浅いぞ!」

「たっ……大志っす……!」

「男子ってこういうノリの時、歳の差なんて気にせず騒ぎますよねー……」

「あー、わかりますよ一色先輩……戸部先輩と中二先輩ってほんとそれですから。戸塚先輩がエンジェルすぎますほんと」

 

 じゃあきちんと帰るって言う時間まで付き合って帰ってもらえばよかったのか、といえば、それじゃあ結衣に申し訳ない。心に不安を抱いた状態の結衣をあのまま待たせたらまずいって、さすがの俺でもわかる。だから……まあその、そうなったわけでして。

 

「っし! 依頼完了! ぃんやぁ今回の依頼は楽なもんでよかったわー!」

「うむ! こうなるとなにかしら、達成した時の合言葉でも欲しくなるものだな!」

「お? それってばどんな? どんな系?」

「うむ……こう、全員がフードを被るかイメージカラーを身に纏い、メカクシ完───」

『おいやめろ』

「あ、じゃあひとりひとりイメージできる動物で、とかはどうですかー? ほら、雪ノ下先輩なら猫、って感じでー」

「そうね。あなたはイタチかしら」

「……即答でどうしてそれが出てくるんでしょうね……」

 

 ともかくだ。あれから、学校で顔を合わす度に真っ赤になる俺と結衣は、奉仕部のみんなに首を傾げられたものの、どんなことをしていたかとかはバレないままでいる。普段からいちゃいちゃしてたから、どうせその延長で時間とか忘れてただけだろうって思われたようだ。三浦さんだけは顔を真っ赤にしてたけど……うん、いろいろ気づいてたっぽい。

 

「散々体動かしてからの方が、頭が回るっつーけどさー……っかー、やっぱ難しいわー……。あ、でも勉強の時は海老名さんも一緒だから、俺的には嬉しいっつぅかぁ!」

「うー……お兄ちゃん、ここ、わからないんだけど」

「お前はもうちょい、人に訊くより頭を動かしてみることを覚えような……」

「お兄さん、頭動かしてみてもわかんないっす……」

「おし、考えることを放棄すると、脳がまず働かないからそれでいい。考える時間はきちんと持つこと。いいな? んで、わかんないのはどこだ?」

「お兄ちゃんが大志くんにやさしい!?」

「あほ、俺ゃちゃんと努力するヤツにはやさしいっての」

「せんぱぁ~ぁいぃ~、わたしもぉ、ちょおっとここがわからないんですけどぉ~」

「ヨカッタナ」

「なんでそこで棒読みなんですかー!! かっ……可愛い後輩がお願いしてるんですよなんですかその態度ちょっと信じられないですありえないです!」

 

 そんな日々からしばらく。勉強して生徒会して時々奉仕部して、時間が来れば帰って……金曜のその帰宅に結衣がついてくるようになって、家に着けば俺の部屋に入って鍵を閉めて、じゃれ合うような抱擁から。

 

「ふぁあ~~……はふ。最近、仕事増えたよねー……」

「眠いか? ならまた今度でも───」

「……やだ」

「……そか」

「我慢はなし……だよ? あの、ね? 女の子だって……好きな人と、そういうことしたいって……思うんだから」

「……男もだよ。ただ、疲れてるのに無理矢理、っていうのは嫌だからな」

「……ん。ありがと。えへへ……心配してくれるの、うれしい。いっつもいっつもありがとね、ヒッキー」

「……おう」

 

 小町には勉強をしていると言ってあるが、実際勉強もしている。そりゃもう全力で。これが原因で成績落とすなんてあっちゃならないから、俺も結衣も本気だ。本気だから、お互いを知る勉強も一歩一歩。進み過ぎて、タガを外さないように。

 

「稲妻式ドーナツ、っべー! 美味くて甘くてサクフワやっべぇえーーーっ!!」

「あはははは! うん! なんか嬉しくて、顔が笑っちゃうね! 八幡っ、これ美味しいよっ!」

「けぷこんけぷこん! うむぅ……! 甘々と稲妻……実に奥深い……!」

「驚いたな……いろははお菓子作りも上手かったのか」

「趣味の域ですけどねー。どっかの誰かは人のチョコ食べてくれませんでしたしー?」

「は、はは……なんか、すまない」

「大志、お前のねーちゃんにも幾つか持ってけ」

「えっ!? いいんすかお兄さん!」

「さすがに作りすぎだろこれ……あ、彩加も良かったら親御さんに」

「いいの? ありがとう八幡、きっと喜ぶよ!」

「おう」

「あ、じゃあ……妹の分もいいっすか? きっと喜ぶと思うんで」

「持ってけ持ってけ。他に欲しい奴いないか? 普通に渡すのもいいし、厄介者を黙らせるためにも使えるかもしれないぞ」

「……、あの姉が、ドーナツを持っていた時にだけ都合よく現れるとは思えないけれど」

「姉? 雪ノ下に姉……ああ、そういえば平塚先生が言ってたような。……持ってくか? 今の言い様じゃ、あまり仲が良さそうには聞こえないけど……あ、まあそれじゃあほら、厄除けとしてだな。出てきたらマグネタイトを施すノリで」

「……現れなかったら私が食べるのでしょう?」

「他の誰かにやってもいいって。あー、その、ご近所さんとか?」

「………」

「……俺が言うのもなんだけど、ご近所付き合いとかしといた方がいいんじゃないか……?」

「突然挨拶されてドーナツを渡される方が異常ではないかしら」

「………」

「………」

 

 正直まだ、抱き合ってキスしてごろごろして、だけでも満たされるくらいの幸福感はある。けどそれだけじゃ進めないからと、やっぱりスローペースで少しずつ、お互いの関係を進めていった。

 

「クレープってほんとに家で出来るんだな……!」

「おぉおお……! 小町、なんだか感動です……!」

「このために材料買ってきた甲斐があったってやつだしょおこれってばさぁ! あ、俺ナッツとチョコとバナナと……!」

「あ、ちょ、割り込まないでくださいよー戸部先輩ー!」

「クレープって不思議と先に先にって気持ちにさせるよね……あ、はいヒッキー、あたしすぺしゃる!」

「おう、ありがとな。じゃあこっちは俺スペシャルで」

「……どっちもめちゃくちゃ甘そうであるな……! 我、見ているだけで胸やけが……!」

「んーなの普通っしょ? ほれ結衣ー、あーしのも見ろし」

「ちょっ、優美子!? いくらなんでも盛りすぎだよ!?」

「あの、比企谷さん? ちょっといいかな」

「お? なに大志くん。小町、今トッピング盛るのに大忙しなんだけど」

「あの、さ。なんていうか、生徒会なのに運動して食べてばっかりな気が……大丈夫なのかなこの部活。俺、この部活に入ってから肉も筋肉もついたって、姉ちゃんに驚かれてるんだけど。生徒会って言ったら“あぁ……”って遠い目で納得されたし」

「そりゃ、あんだけ走ってこんだけ食べればねー。おお、さすが小町スペシャル! おいしー!」

「……なのに戸塚先輩、筋肉がついてるように見えないよね……。あの華奢さのどこにあれだけの瞬発力が……」

「大志くん。戸塚さんのことに疑問を抱いちゃだめ。戸塚さんはいろいろなものを超越した存在だって思えば大丈夫だから」

 

 当然、泊まる日以外の結衣の帰宅は俺が付き添って送る。

 マンション前で別れる際に、キスをしているところをママさんに目撃されて、大変驚く、なんてハプニングもあったが……順調に歩めていると思う。

 

……。

 

 さて、そんなことを続けつつ、迎えるいつかは七夕。

 学校が終わるや、奉仕部全員が俺の家に集まって、軽い七夕パーティー。

 雪ノ下が少々遅れてきて、姉さんの誕生日だったから軽く顔を出して来た、と。

 いやあの、軽くでいいの? 俺とかアレだよ? 妹の誕生日って盛大に祝ったりするけど?

 

「さっさーのーはーさ~らさら~♪ …………あれ? 次なんだっけ」

「おっ、ガハマっちゃんその歌、なっつかしくねー!? 正式名称とか知らんけど、七夕の歌でよかったっけ? …………ん、んお? ……なあなぁ八幡? さ~らさら~の次ってなんだっけか?」

「軒端に揺れる、よ、戸部くん」

「おー! …………おー…………雪ノ下さん? のきば、ってなに? 退路? 退く場所?」

「あーほら戸部先輩? 軒、ってあるじゃないですか。のきした~、とかそういうの。軒端っていうのはその軒の下です。文字通りで言うならその端っこっていいますか」

「おぉお、すぐ答えられるとかいろはすすっげぇわ……!? あ、んじゃあ“すなご”ってなに? 砂の子どもとか? え? 金銀なん? ……色とりどりの」

「砂時計並みの細かい砂、ってことでいいんじゃないか? 二番の出だしは“五色の短冊”だったな。色とりどりって呼べる数かどうかはわからないけど」

「いろはす五人分の短冊……」

「戸部先輩? ヘンなこと考えてるなら竹で殴りますよ?」

「こわっ!? いろはすこっわ!? い、いんやぁ俺もちょっと調子乗っちゃったっつーかぁ……めんご?」

「あなたたちは……。少しくらい静かに風情を楽しむつもりはないの……?」

「いいじゃないですか雪乃さんっ、せっかくのこういうイベントなんですからっ! で、短冊といえば願いごとですけど……雪乃さんはなんて?」

「教えないわ」

「……世界平和、くらいじゃなきゃ、普通は誰も教えませんよね」

 

 辺りはとっくに暗く、そんな中で集まった面々は思い思いに短冊を飾る。

 俺の願いは……いや、専業主夫とか書かないからね? ほんとに。

 やりたいことは自分で達成する。だから、神頼みとか誰かに頼らなきゃ無理ってものを書くのが習わしだと思ってる。

 なので、生徒会奉仕部の無病息災。もちろん平塚先生込みで。

 ……短冊に結婚したいとか書いてないといいけどなぁ。

 あ、それと“腐った目つきが治りますように”だ。神様は叶えてくれなかったから。

 

「や、やー、でもさぁゆきのん? 七夕の夜って、特別~って感じ、するよね。なんてのかな、静か~とか綺麗~とか、なんかそんな感じの」

「歌いだしておいて、歌いきれなかったのが恥ずかしいのね」

「やめてよぉ! そこはスルーでいいじゃん!」

 

 今日も結衣が可愛いです。

 ほんと、中学の頃からは考えられないくらい、顔が緩みっぱなしの日々を送っている自覚がある。

 恋愛ってほんとすごいね。

 結衣と出会ってなかったら、俺ってどんな高校生だったんだろうなーって、もう何度考えたことか。

 とりあえずアレね。口調も尖って捻くれたものが定着していただろうし、コミュ障は重度のものになって、友達も恋人も出来なかったんだろう。

 高校デビューで頑張ってみようと張り切れば張り切るほど引かれて、それが尾を引いて二年でも三年でもぼっち。

 当然帰宅部で誰との接点もないままに、やがて卒業…………あれ、なんか泣けてきた。

 そうだよなー……翔も結衣にもらった伊達眼鏡のお蔭で話しかけてきてくれたし、彩加もそんな翔に便乗するような形で、だったんだ。

 となると……可能性があるのは義輝くらい? あの日、恥ずかしさのあまり逃げ出した結衣を追う真似をしなけりゃ、奉仕部に行くことだってなかったんだ、雪ノ下とも会えたかどうか。

 そうなれば奉仕部の依頼を通して知り合った連中全てアウト。

 ……あれ? 俺相当に悲しい高校生活送ることにならない? うわっ、俺の交友関係狭すぎっ……! ……解り切った結末でした。本当にありがとうございます。

 

(………)

 

 結衣が居なかったらか。今が幸せすぎる所為で、それを無くさないためにも本能的に考えていることでもあるのかもしれない。

 今の俺でもこうなんだから、あの病室で手を取り合わなかったら……いや、もし結衣が病室に来なかったら、どうなっていたんだろう。

 奉仕部員にはなったんだろうか。

 翔とは友達になれたんだろうか。

 彩加はテニス部に入部するのかな。

 義輝は……たぶん変わらない。

 隼人はみんなの隼人を貫いたりして、三浦さんを泣かせたりしたのかな。

 そして…………そして。

 俺と結衣は、どうなっていたんだろう。

 関係は……犬を助けた側と、助けられた側。

 病室に来なかったってことは、そこからの関係もなにもない。

 多少の罪悪感はあっても、やがて俺のことなんて忘れていたのかもしれない。

 

(……それと)

 

 翔は、海老名さんと付き合えたんだろうか。

 お調子者だけど、本当にいいヤツだから。

 男が男に願うのもアレかもだけど、幸せになってほしいって思うから。

 

(………)

 

 欲張りだけどもう一枚。

 ここに居るみんなが、多少の困難はあっても幸せになれますように。

 

「はっちま~ん! なーなー、なんて書いた? なんて書いた~? 俺はさ~、海老名さんともっと仲良くって書こうと思ったんだけど、それってやっぱ俺自身が頑張ることだべ? だからそれは俺が全力出すとしちゃってぇ~………………あー」

「翔?」

「…………八幡、やっぱ俺、お前とダチでよかったわ。今時こんなこと書いてくれるの、マジお前くらいだと思う」

 

 言って、俺の短冊を横から覗き見た翔は、俺の胸に自分の短冊を押し付けてくる。

 困惑しながら受け取って見てみれば、“俺のダチたちの願いが叶いますように”って。

 

「俺、こんな性格だからマジなダチとかあんま居なくてさ。お調子者っつーの? ただ雰囲気でツルんでるやつばっかっつーか……うん。ダチでよかった思える初めてが、八幡でよかったわ」

「翔……」

「はっ、あっはははは、っべー! なぁんかちっとマジムード出しちゃった系のアレじゃね俺達! 青春してるわー! 超してるわー! っべー!」

 

 照れ隠しなのか、べーべー言いながら離れていった翔は、願い事ではなく俳句を真顔で書き滑らせている義輝に絡み始めた。

 

「よっちゃんどんな願いごと書いてるんー!?」

「もははははは! 我の願いは川すら渡れんカップルなぞに叶えられぬわぁぁっ! 我は今! グレートハイカー中である! ……我が力、覚醒せりて、世を憂う」

「それって俳句なのかな……」

 

 彩加のツッコミ、というか素直な感想も納得の五七五だった。

 そんな彩加が「あっ」と声をあげて、俺を見上げてくる。

 

「短冊っていえばさ、短冊に書いたお願いごとって誰が叶えてくれるのかな。ねぇ八幡、知ってる?」

「ああ、それなら結衣が調べてたぞ? いや、俺も知ってるけど。結衣ー?」

「《ぴくっ》」

 

 呼んでみると、雪ノ下とわいわいやっていた結衣がぴうと駆け寄ってくる。

 そして“なに? なにっ!?”と尻尾を振るお犬さまのように、目をきらっきらさせて俺を見つめてくるわけで。

 ……どうしよう、七夕の願い事を誰が叶えるのか~とか、そんなことを訊くだけに呼んだなんて言いづらい。言うけど。

 

「ほら、そのー……あれだ。短冊に書いた願い事は、誰が叶えるのか~って話が出てな? ほら、結衣、張り切って調べてただろ? 知ってたら教えてくれないか?」

 

 お願いをしてみると、結衣はきゃらんと余計に目を輝かせて、ふふーんと胸を張った。

 そして説明してくれる。話してくれたことは確かに正解で、とてもわかりやすい説明だった。

 でも七夕の歌の歌詞は調べなかったっていうんだから、なんというか……可愛い。いやいやなんでもかんでも可愛いで済ますのはアレだろ。いや可愛いけど。

 

「まじっすか!? 初めて知ったっす!」

 

 あ、ちなみにこの七夕には川なんとかさん(弟)も来ている。

 あの豪雨の日にも来ようとしていたそうだが、姉に止められたんだそうな。

 で、願い事を叶える存在の話だが、実はこれ、叶える存在なんて居やしない。

 それもそのはず、本来が願い事を叶えてもらうために書くのではなく、願掛けっていえばいいのか……自分に言い聞かせるためのものって言ったほうがいいか。

 “叶いますように”、ではなく、“叶う!”と自分に発破をかけるために書くものなんだそうだ。

 だから短冊を書く時は“目の腐りが治りますように”ではなくて、“この目は治る! 腐りがなんぼんもんじゃい!”くらいの勢いで書くのが正解らしい。

 

「だよね、ゆきのんっ」

「ええそうね。よく知っているわね、由比ヶ浜さん」

「ふふーんっ、今日のために調べたからっ!」

「ふーん? んで結衣ー? 誰からも質問されたなかったらどうするつもりだったん?」

「ゔっ……」

 

 三浦さんの質問に対して、結衣はおずおずと俺を見た。

 おうとも、黙って全部を聞くとも。言いたいことも知ってほしいことも、ぜんぶ。

 そう言ってみせると、三浦さんは「あんたらほんと、妙なところで似てんのね」なんて呆れ混じりの声で言って笑った。

 

「大丈夫っす! 俺も聞くっす《ゾス》いたっ!? ちょ、なにすんすか戸部先輩!」

「はいはい~、そういう気の利いたセリフ、ガハマっちゃんには禁止なー。っつーか彼氏持ちの女子にやさしくするとか、ないわー、大ちゃんないわー」

「そうだよ大志くん。絶対に由比ヶ浜さんにやさしくするなっていうんじゃなくて、たとえばほら、もし大志くんが小町ちゃんと付き合うことになったとして、調子のいい後輩が小町ちゃんにやさしく、し、しまくりんぐだったりしてたらどう? 小町ちゃんだって後輩だから無下にできないって状況が出来てたら」

「んぐっ……い、いやっすね、それはいやっす」

「ごめんなー……俺とか戸塚ちゃん、一年の頃から八幡とガハマっちゃんのこと見てきたから、あの二人にはマジ幸せになってほしいんだわー……」

「いえ、謝らないでくださいっす。俺、なんかそういうのいいなって思うっすよ! 感動っす! お兄さんっ、俺、お兄さんのこと応援するっす!」

「それでもお前にお兄さん言われる筋合いはない」

「お兄さんひどいっす!」

 

 もはや慣れたようなやり取りに、細かな笑いが飛ぶ。

 “周囲に親しい人が居る世界”に慣れる日が来るなんて、これっぽっちも思わなかった。

 ……中学卒業したばかりの俺なら呆れたんだろうか。こんな、本来ならリア充どもがやるような日々の楽しみ方をする俺を見て。

 まあ、いろいろ思うところはあっても、心の奥底じゃあ……羨むんだろうな、とは思う。

 そんな気持ちが少しでもなければ、あの中学からの受験者が居なさそうな総武を受けたりはしなかった。

 心機一転したかった心なんて、もうとっくに過去のことだ。

 初日から車と衝突して、全部台無しになるはずだったあの日も過去。

 撥ねられなかったとしても、想像出来る未来はぼっちでしかなかったんだから笑えない。

 ……もしもはもしも。今は今だ。

 こんな賑やかさが当然の世界に辿り着けた自分を、今は手放しで喜んでおこう。

 

……。

 

 日々は怒涛の如し。

 七夕を終えて、賑やかさは保ったまま、俺達の日常は続く。

 勉強したり学校行事したり運動したりバイトしたり、お料理教室開いたりカラオケしたり勉強会したり。

 土日には結衣が泊まりに来るのが普通になっていて、少しずつ関係の歩を進めて。

 

「夏休み前に纏められるものは纏めておきましょう」

「えーとえーと去年どうしてたっけ!? 定期テスト終わったら、えーとえーとー……!」

「……そういや悩んでたのもあの頃の今あたりか。一年通して、悩み始めの周期とかあるのかね、俺って」

 

 原因は、七夕の時にも自覚した、一種の防衛本能のようなものなんだろうけど。

 結衣が居なかったら、を定期的に考えることで、彼女を失うような阿呆な行動は取らないように。

 

「……ヒッキー? 悩みがあるなら相談して?」

「あ、いや、今のはひとり言みたいなものんで……」

「………」

「あの…………」

「………」

「……ハイ」

「うん」

 

 去年の今頃を思い出すと、変わりはしたけど目覚ましい成長なんてしてないなーと思う。

 やっぱりそこは安易な変化が~とは思ってしまうものの、他人から言わせてもらえば随分とまあ変わっているらしい。

 あぁ、言ってくれた翔は、順調に海老名さんとの関係を〝っべーっべー”言いながら楽しんでいるらしい。……今年も戦場には赴くそうで、苦笑してた。「まだわかんねーこととかいっぱいだけど、それ含めて好きなんだからしゃーねーべ! いやー、惚れた弱みって文字通り弱いわー!」とは翔の言葉だ。

 弱いとか言ってるくせに、すっげぇ笑顔で話すんだから、もう早く幸せになりなさいよって感じだな。……逆か。幸せだから笑顔なのか。なるほど。

 

「………《ちらっ》」

「………《ちらっ》」

『…………《にこり》』

 

 そうした日々の中で、変わったものもいくつか。

 俺と結衣の関係は……なんというか一目見て“あ、こいつら絶対好き合ってるわ”ってわかるくらいにヤバいらしい。

 普段は仲の良い恋人同士って感じなのに、っていうかもうここで十分なのに、ふと目を合わせて微笑み合う顔が、それはもう見た者がホゥと溜め息を吐いてしまうほど、お互いを許し合っているような笑みなんだそうで。

 言われたってわからん。どんな顔だそれ。

 隼人曰く、“ああいうのって、よっぽど好き合ってなきゃ無理だと思う”、だとか。

 だから、言われたってわからん。ちょっと? ねぇ? どんな顔なのそれマジで。

 

『……! ……!』

 

 そうした日々。

 変化に微笑み、歩みを進める歩が、心をほぐし、溶かしてゆく。

 俺の部屋で関係の歩を進ませ、少しずつの歩みがとうとう幸福の絶頂に辿り着いた時、俺達は手を絡ませ、汗だくになりながらキスをした。

 もちろん繋がってはおらず、未だゆっくりと関係を深めている最中。

 脳を支配する甘いくせに強烈な痺れと興奮、震える結衣の体がかちかちと歯を鳴らし、そんな震えに耐えながらキスをする喜び。

 無防備な状態だからこそ近くに居てほしくて、結衣はそれこそ痺れや震えなど知らないと言うかのように、きつく強く抱き締めてきた。

 ……あ、無理、なんか感動。

 自分の腕の中で無防備に震えてくれる姿が愛しくて、保護欲から始まる感情が浮かびまくってきて、我慢もせずに、絶頂の所為かその前からか、とっくに涙で濡れっぱなしの瞳を見つめながら顔を近づけ、やがて目を閉じ、何度も何度もキスをした。

 離すたびに“好きだ”と伝えながら。




 /次回……元々一話のものを分割しているので、予告はなしです。


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そうして、今日もどこかで青春する②

 賑やかに流れる日々を重ね、訪れた8月8日。

 とっくに夏休みに入った8月上旬、俺達は前日まで集めた必要書類や印鑑、両親の同意などその他もろもろ、その全てを手に、婚姻届けを提出した。

 下校したのち風呂に入って汗を流して、綺麗な俺達で集合、提出の流れだ。

 が、ほんっとに緊張した。

 

 この日の前後にかけての3日間、珍しくもウチの両親が休みを取り、結衣の家族と揃っての一大イベント。

 “ものを届けるだけの簡単なお仕事です♪”なんて言ってしまえばひどく簡単ではあるものの、言うのとやるのとじゃ全然違う。口から心臓飛び出るかと思った。あ、これは驚いた時の反応か。

 ……え? ぷ、プロポーズ? したよ? しましたよとっくに。指輪だってしっかりと贈った。そのために、隼人を始めとする奉仕部メンバーとバイトしてたわけだし。いえまあもちろん、そんな高い物は贈れなかったが。正直値段で言ったら、誕生日に贈ったアミュレットの方が高い。が、やっぱり値段じゃないんだなって……思い知らされた。

 

 だってさ、指輪を贈ったら、泣いたんだ。

 日雇いの体力系の仕事もしまくったし、コンビニのバイトも続けた。結衣の誕生日から俺の誕生日までじゃあ、金なんて思うほど溜まらなかったけど、それでもその時点で最高のものを、って指輪を選んだつもりだ。

 けどさ、アミュレットの方が高価ではあったんだ。あっちは余裕があったから、なんて言ってしまえばそれまでだけどさ。

 それでも、結衣にとっては値段じゃなかった。

 アミュレットは喜ばれた。俺も嬉しかった。

 指輪は……泣かれた。何度もありがとう、嬉しいと言われ、指輪を指に嵌める前に抱き着かれ、泣かれた。

 その瞬間の俺の気持ちは、どう表せばいいのかな。

 ……うん。ほら。……言葉になんか出来ねぇよ。俺まで泣いちゃったし。

 

  絶対に幸せになろう。

 

 誓った言葉はそれだけ。

 俺が彼女を幸せにして、彼女が俺を幸せにする。

 他の誰にも譲りたくない、二人の約束を形にする指輪だったんだ。

 だから、形がどうとか、値段がどうとかそんな話じゃなかった。

 いや、だってさ、いつかそれより高いのを、なんてからかい半分で小町が言ったら、「これがいいの。これじゃなきゃやなんだ、あたし」って、凄く幸せそうな笑顔で言うんだもの。それ以上言うの、とっても無粋でしょ?

 

  ……と、まあ。

 

 そんな脳内会話を、比企谷結衣となった結衣の傍でした。恥ずかしいったらない。が、やっておかないと今現在、すぐ傍に居る双方の両親に散々からかわれそうだから、やっておかないわけにもいかない。何度でも。ああ恥ずかしい。

 婚姻届受理証明書をしっかり発行してもらい、受け取った時は結衣と二人……その。なんともいえない穏やかでやさしい空気に包まれながら、“あの、ええと……これからも、よろしくお願いします”“ひゃっ……は、はいっ、あたしもっ……じゃなくて、こちらこそ、よろしくお願いします……!”などと、少々テンパリながらも互いの将来を支え合うことを誓った。

 結婚式はいつか、お金が溜まったらってことで納得。

 学生の身分でそこまでやると、周囲の生徒から嫌な意味でしつこく絡まれるから、と結衣の親父さん……お義父さんが助言してくれたことでもある。似たような経験があるんだそうな。まあ……ママさん、若いものね、そりゃね、あるよね。

 なにより新婚旅行を考えれば、自由に動けるようになってからの方が望ましい、との助言。

 なるほどって思った。

 

 そんなわけで、帰宅後から約30分の比企谷家。

 

「わっはっはっはっはっは! あの八幡が! あの八幡がなぁ! 学生の分際で結婚とはこの野郎! 羨ましいな! この!」

 

 陽も沈まない内に顔を真っ赤にした親父が、俺にネックロックをした上でごすごす殴ってきた。

 そんなに痛くなかったから、冗談交じりの無礼講的な空気を読んで、苦笑しながらやめろよ~なんてやってたんだが、段々と痛くなり、親父の声にもマジが入り始めた。

 

「このっ! どうやって仲良くなったんだあんな良い娘と! このっ! ニクイねこのっ! こっ……憎い! 男として憎い!」

「《ごすっ! ごすっ!》いって! いてぇっ!! ちょ、やめっ……!」

「わわわわっ、ひ、ひっき───じゃなかった、えと、八幡っ……はっ……はぅっ……は、はち……はーくんっ!? だだだいじょ……はぅう《ふしゅぅうう……!》」

「あぁあお義姉ちゃんが名前を呼ぶだけでショートした! ちょっとお兄ちゃん!? なにやってんの!」

「俺が悪いのかよ! っつーかこの暴走親父なんとかしてくれ!」

「あらあら~、比企谷さん? ヒッキーくん……あっと、もうこの呼び方はだめなのねー……じゃあ、ハチくんをいじめたりしたら、いけませんよ?」

「いーんですよ奥さん! こいつはこんくらい雑な扱いで!」

「ほう? 聞き捨てならんな今の言葉。ウチの可愛い結衣が選んだ男を雑に扱う?」

「ほう? なにか文句があるようだなぁ由比ヶ浜の。いいぞ? 聞こうじゃないか」

「文句ではなく聞き捨てならんと言ったんだ、比企谷の。八幡くんはもう俺の義息子だ。これまでの付き合いで、本当に結衣のことを大事にしていることも知ったし、本人の性格も気に入った。それを雑に扱われ、聞き捨てていられるわけがないだろう」

「………《ゴゴゴゴゴゴ》」

「………《ドドドドドド》」

「《コッパァン!!》はぶぅぃゆ!?」

「なぁに馬鹿なことやってんの。いーから八幡離してやんな。あと息子に嫉妬してんじゃないの。アホか、ほんと」

「おまっ……スリッパとかやめろと言うのに……! それにだな、嫉妬というよりは、この馬鹿が結衣ちゃんを泣かせやしないかと心配で───~~……ああもうほんとうに! 運のいいヤツめ! ニクイ! ニクイぞこのっ!」

「《ごすごすごす!》いでっ! いでって! やめっ…………やめろっつっとろーがぁっ!!」

 

 いい加減頭に来たので、ソファ目掛けてバックドロップ。

 日々鍛えてる高校男児をナメるなよ親父殿。

 ドヴォオと鈍い音とともに親父がソファに沈み、首を抑えて悶絶したが、知らん。結衣を呼び捨てにした怒りも多分に含んだ高角度バックドロップであった。

 その隙にとろぉり幸せ顔な結衣を引っ張って、ダイニングテーブル側に座る。

 ソファ? 馬鹿親父が居るから無理。

 

「八幡くん、今からでもウチに来ないか? 由比ヶ浜八幡になりなさい。彼は君をないがしろにしすぎる。なぁ比企谷の」

「ぐおお脳が揺れる……! ……? ほ、ほほう? 言ってくれるなぁ由比ヶ浜の。この俺のどこを見て、八幡をないがしろに───」

「普通にしてるでしょ、お父さん」

「してるだろ」

「してんでしょ、なんでもかんでも小町優先で」

「……ハイ、ゴメンナサイ」

 

 首を抑えながらも不敵な態度で臨んだ言葉合戦は、あっさりと親父のひとり負けで決着した。

 

「しかし、結衣ももう結婚か。結衣には好きになった相手と幸せになってほしいと思っていたが、まさかなぁ、18でとはなぁ」

「結婚したんだからヒッキーく……ハチくんのところにお邪魔する方向でいいのかしら~? うふふ、家が静かになっちゃうわねぇ」

「はっはっは、奥さん、なんでしたら二人目でも作ったらいい! まだまだ全然お若いのだし《ゾス!》耳がぁあーーーっ!!」

「あんたほんと、最ッ低ね……! ちょっと黙ってなさい……!」

「そ、そりゃないだろかーさん……! なにも耳削ぎチョップとか……!」

「黙れ」

「ひゃい……」

 

 “はい”ではなく“ひゃい”とか言っちゃう父。おいやめろ。なんか嫌でも血を感じちゃっただろうが。

 

「けど、八幡? あんた随分早くに婚姻届受理証明書を貰えたのねぇ。こっちの場合は貰えるまでに数日かかったもんだけど」

「ラブラブ新婚応援キャンペーンでもやってたんじゃない?」

「小町? その口ぶり……あんた、八幡と結衣ちゃんがどんだけアレなのか、知ってんのね?」

「ぐふふふふ、もちろんですとも母上殿」

「よっし聞かせな。あ、八幡に結衣ちゃんはもう部屋に戻るなり外に出るなりしてていいよ。由比ヶ浜さんもちょっと混ざってかない? ほらあんたもっ、旦那さんもほら、こっち来た来た」

「あ、ああ……お邪魔ではなければ失礼して。……比企谷の。仕切りたがりなんだな、お前の嫁さんは」

「そういうことだ。だが、愛している。だからいい」

「そうか」

「おう。そういうお前の嫁さんは、随分とおっとりだな」

「これで随分と鋭いんだが。しかしそれがいい。愛している」

「そうか」

「おう」

 

 ……この両親たち、実は相当仲がいいんじゃなかろうか。

 そう思いながら、小町に手で促され、自室を目指した。

 

……。

 

 べつに苗字が同じになったから、それを認めるっていう書類を手にしたから、さぁ結ばれよう、という気持ちが湧いてくるわけでも───いや、多生はあったんだけどね? 困ったことに。……嬉しいことに、とも言えるが。

 俺にも結衣にもそれはあって、けど階下に両親が居る状況でそれって、相当その、あれだ。勇気、要る。むしろ無理。鍵とか閉めても扉の前にソッと近づいて聞き耳とか立ててそう。

 

「うわー……」

 

 言ってみると、結衣も“あるかも”って呟いて、次いで「うわー」だった。友人たちがあの日にそれをやらなくて本当によかった。ありがとう、翔。

 まあ、だからといって、二人きりが嬉しくないわけじゃない。

 二人、いつものようにじゃれ合うところから始めて、ベッドに寝転がった。

 いつかしたみたいに結衣の頭を腹に乗せて、前とは違ってベッドの上だから姿勢も限られるものの、気にせずそうして、すっかり綺麗になった掛け布団をばふりと被る。

 あの時は急に結衣が寝ちゃって、驚いた。

 思えばこんなじゃれ合いも、あれがきっかけだったわけだ。

 

「えへへー……♪ 誕生日おめでと、ヒッキー」

「ん、ありがとうな、結衣」

「もうヒッキーって言えなくなっちゃったね。二人きりの時くらい、いいかな。あ、でもそれが続いちゃって、子供の前でも言っちゃうのっておかしいよね……」

「………~~」

「? ヒッキー? どうかした? なんかお腹、震えてるよ?」

 

 その腹を枕にしている結衣が、姿勢を変えて俺を見る。

 と、きっと顔が真っ赤な俺が居たからだろう。結衣は小首を傾げたあとに……瞬間沸騰した。

 

「うひゃっ……ぁぅっ……えと……! こここっここ子供っていうのはあのほらえっと……! ~……~~…… ~~っ! ひっ───! ……ひっきぃ。……何人が……いい?」

 

 俺の腹から頭をどかし、ベッドに肘を立ててこちらを見る上目遣いな結衣さんは、真っ赤になりながら必死になにかを言おうとして……やがて、込める力を忘れるほどに灼熱したのかもじもじしだし、終いには指同士をつんつんさせるとそうおっしゃった。

 ……このコは、何回俺の好き履歴を更新させれば気が済むのだろうか。

 ああもう……好きだ!!(剛田猛男のように)

 

「かっ……考えなかったわけじゃない、けど。その。……結衣の負担にならないくらい、には……《かぁああ……!》」

「うん……《かぁああ……!》」

「今はまだ子供な俺達だから、そういうのは難しいって、現実が壁になると思う」

「うん……」

「でも……」

「うん」

「いつかは、欲しいな」

「うんっ」

 

 笑顔を見せて、なんでかお腹をさすさす撫でられた。

 あ、なんかこれアレね、服従のポースみたい。

 そう意識したら恥ずかしかったから、腹を撫でる結衣の腕を掴んで引っ張って、自分ごと丸まるみたいに抱き締めにかかる。

 結衣は「きゃーっ♪」なんて楽しそうに悲鳴をあげて、俺も笑いながらどたんばたん。

 そうしてひとしきりじゃれついたあと、軽く弾む息に笑みをこぼし……キスをした。

 

「好きです。ずっと傍に居てください」

「好きです。ずっと傍に置いてください」

 

 言い合って、微笑み、笑い合って、胸にこしこしと頬擦りされ、そんな彼女の頭を胸に抱き、撫で、呼吸を落ち着かせていくとともに、今自分が居るここが、きちんと現実なんだと自分自身に思い知らせる。

 思い知らせるって言い方はおかしなものかもしれないが、俺にはそれくらいが丁度いい。

 

「えへー……なんて呼んだらいいかなぁ。ヒッキー、で慣れちゃってるから、意識すると結構難しいんだ。えとー……は、はち……まん?」

「ん、んん、ああ、その、結衣?」

「……えへー……♪」

「呼び慣れてる筈なのに、改まると恥ずかしいな……」

 

 俺の名前を呼ぶ。

 返事をすればほにゃりと顔を緩ませて、俺の胸にぐりぐりーっと顔をこすりつけてくる。

 それから顔を持ち上げるたびに、

 

「ハチくん?」

 

 とか

 

「はーくん……」

 

 とか

 

「あ、あなた……?」

 

 とか言って、その都度顔を真っ赤にして胸に顔をぐりぐりしつつ、足をぱたぱた暴れさせる。

 相当に恥ずかしいらしい。しかし嬉しくもあるので、自分の感情を持て余しているのだろう。

 ああもう妻が可愛い。

 妻……妻。

 

「……おっ……」

「……? ひっきぃ……?」

「おっ……おまえ?」

「ひゃぅ……《ポムッ》」

 

 不意打ちをくらったって感じの、ぽかんとした顔で瞬間沸騰。

 言われた言葉はわかっているのに、表情がそれを受け止めきれていないといった感じで、夏用サワヤカ掛け布団に手を伸ばすと、それを引っ張って顔を隠してしまった。

 でも隠しているのは顔だけで、足がぱたぱたと上下に動く。どうやら恥ずかしさに悶絶しているらしい。

 

「まあその……なんだ。夫婦でも、名前で呼ぶ人も居れば、“くん”付けで呼ぶ人も居るし……でも、まあ、ヒッキーはちょっと違うよな」

「うー……うん……。……新しく始めるための、始まりみたいなあだ名だったから……すっごく大事だったけど……」

「……うん」

「さいちゃんととべっちの前で……さ。呼んでほしいって言ってくれて、ほんとにほんとに嬉しかった。嬉しかったんだ、ほんとに。……ありがとね、ヒッキー。あたし、本当に……ヒッキーのこと好きになれてよかった」

 

 ぱたぱたと動いていた足は止まって、代わりに掛け布団を掴んでいた手に、ぎゅうっと力が籠った。

 

「ああ。今までありがとう。これからも……よろしくな」

「……うん。はーくん」

「はーくんで、いいのか?」

「うん。結婚した人のこと、“くん”つけて呼ぶの、ちょっと憧れてて。でも八幡くん、っていうのはなんか違うかなって」

「ヘンな名前ですまん」

「大丈夫、そーゆーんじゃないんだ。今までヒッキー、ってあだ名だったのにさ、ちゃんと名前で呼んで、くんを付けたらさ、なんか遠いって思うから」

「だからはーくんか」

「うん。いいかな」

 

 ぱさり、と。

 軽い掛け布団をどかすと、涙を滲ませてるけど、眩しい笑顔でこちらを見る結衣が居た。

 俺はもちろん「ああ」と返して、そんな彼女を抱き寄せて───

 

「俺も、その。ゆゆゆ……ゆー、ちゃん、のほうが……よかったり、するか?」

「えと……ヒッ……は、はーくんには……さ。結衣、って……呼んでほしいかな。はーくんに名前呼んでもらうとさ、なんか……“うんっ”て感じがして……さ」

「~……今まで」

「え……?」

「今まで、ヒッキーって呼んでもらったら、俺も……そうだった」

「───」

 

 普通だったら蔑称として受け取れるようなあだ名。

 それでも、特別な相手からなら嬉しいって思う。

 これ、アレな。まんまデクくんだ。

 頑張れって感じのデクくん。

 俺の場合は……

 

「他の人ならさ、きっと馬鹿にするんだよね。でも……あたしはさ、ずっと想いは込めてたんだと思う。いつからか、なんて言われたってわからないけど、自然に、いつの間にか。……あたしのは、“好き”って感じのヒッキーだった」

 

 知ってた。俺も、いつからかなんてわからない。

 ただ、呼ばれるたびに嬉しくて、振り向くたびに嬉しくて……見つめ合うたびに好きになった。

 

「結衣」

「ぁ……はーくん」

 

 触れて促して、朱に染まる顔を見つめ、その唇へ自分の唇を《ヴィー!!》

 

『……』

 

 そして電話である。

 マナーモードって、たまに通常モードよりもやかましいって思う時、あるよな。

 見てみれば翔で、結衣を見てみれば“仕方ないよ”って顔で苦笑。

 とりあえずスピーカーモードにして、結衣にも聞こえるようにしてから通話。

 

「もしもし?」

『おー! 八幡いまおっけ? まずかったらかけ直すけどさー、あ、手っ取り早く用件だけ伝えると、ケーキとか用意したからバースデーやっちゃわない? ってお報せなんだわー。あ、八幡は強制参加してもらいてぇんだけど、おっけ?』

「強制参加なのに訊くあたり、ほんとお前って律儀っつーか……」

『あ、今カラオケ来てんだわー。今から来ない? 来ちゃわない? あー、ほら、あれっしょ? あれだべ? ……もう比企谷夫妻になったんだべ? それも含めてお祝いさせてちょーだいよぉ』

 

 声が聞こえた結衣は、仕方ないよねっ、て顔でにっこり。

 夫婦になったばかりの時間を邪魔された、なんて気持ちはどうしようもなく浮かんでしまうものの、祝ってくれると言われては喜びも沸いてくるというもので。

 最後にちゅっとキスをするとベッドから降りて、準備を始めた。

 

「あっ、はーくん、あの、ちょっと、いい?」

「? どした?」

 

 少し乱れた服を脱いで、別の服を着始めた俺を向き直らせ、結衣はせっせと前ボタンを閉じてくれる。

 

「結衣?」

「ほんとはさ、ほら……ネ、ネクタイ……とか、結んであげたかったけど……でも、なんか、こういうこと……ちょっと憧れてたってゆーか……あぅう……!」

 

 無理。翔、遅くなるけどごめん。

 こんなことされてトキメかない元ぼっちはおりません。

 心ゆくまで愛でてから向かいたいと思います。

 「はい、できたー♪」と、俺の胸をポンッと叩いた結衣をそのまま「《がばしー!》ひゃあうっ!?」と抱き締めて、破壊衝動にも似た“滅茶苦茶にしたい”を愛しさに変換。

 頭を撫で背を撫で愛を囁き頬にキスして耳を舐めてキスをして指を絡めて好きを伝えてキスをして《くたり》結衣ーーーっ!?

 

 ……気絶しました。

 

 不意打ち、ヨクナイ。

 

 

 




いちゃいちゃしているだけで一話が終わるお話。誤字チェックしていた本人が驚いた回であった。
……あ、次回で好きすぎるお話はおしまいです。


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そうして、今日もどこかで青春する③

 さて、そんなわけで指定されたカラオBOXまで来て、一息ついたわけだが───

 

「ハッピーバースデー、お前~♪」

「ハッピーバースデー、うぬ~♪」

「ハッピーバースデー、親愛なる~はーくん~♪」

『ハッピーバースデーだ! あんた!!』

「ここで俺にやるのかよ!!」

 

 結衣の時に出来なかったからって、俺の誕生日に“ハッピーバースデーうぬ”が来た。

 あ、小町も呼ばれたようで、ちゃっかり居た。あの両親たちから逃げおおせるとは……。

 

「いやいやついに八幡も旦那さんかぁ~、一足先に家庭を持った気分とかどーよぉ!」

「さっきの今で実感湧いたらすごいだろ」

「おー! その通りだわー! あ、まあまあまずは一杯やるべ! あー、じゃあ今日の音頭はー……おっ、なんか結婚式とかするなら仲人とかマジ雪ノ下さんになりそうだから、雪ノ下さん頼むわー!」

「わ、私っ……!? いえ、その……そういうことはやったことが……というか、仲人というのは通常、“友人だから”などで頼むわけではないのよ? 家庭を持っていて、その家族仲も円満で、且つ両家の新郎新婦やその両親ともそれなりの仲であるという条件が───」

「いやいやぁ、なにも本気でやってほしいとかそういうんじゃなくて、思ったこと言ってキリのいいとこでカンパイ言やいーんだってばさぁ! さっ、軽い挨拶とかおめでとうとかオナシャスッ!」

「……、そういうことなら。……こほん。……ええと、暑さも染み入るこの夏、誕生日という忘れようのない日に結婚という───」

『カンッパァーーーイ!!』

 

 長くなりそうなのでカンパイした。誤解の無いように言っておくが、翔の提案である。

 そして雪ノ下は、カンパイの音頭を軽く無視された近藤真茶彦のように、影のある顔で遠くを見つめた。

 

「《ゾスゾスゾスゾス》いたっ! ちょっ! いった! 痛い! やめっ! 悪かったわぁマジめんご!」

 

 そして翔は、真っ赤になった雪ノ下を見て、それはないだろって顔の隼人と小町に、左右から脇腹をゾスゾスつつかれまくっていた。

 

「今のは忘れてちょうだい……。けれど、二人とも、おめでとう」

「ありがとう、ゆきのんっ!」

「もう由比ヶ浜さん、とは呼べないわね。その……屍鬼谷(しきがや)さん?」

「やめてゆきのん!? それ言われてみるとわかるけど、全然笑えないよっ!?」

 

 いろいろな場所から笑みがこぼれる。

 「18になった途端に結婚とか、先を越されたってレベルの話じゃねぇっしょー! っかぁー! もうほんっと……幸せにだべ! 結婚式、絶対呼んでくれよー!?」と翔に言われ、首に腕を引っかけられて引き寄せられ、何度もジュースでの乾杯を強要された。

 ジュースで酔いでもしてるんだろうかってテンションだが、それだけ喜んでくれているんだろうかって思ったら、もう感謝しか浮かばない。

 結衣は結衣で女性陣に囲まれて、結婚ってどんな感じかとか、やっぱり式はしなくちゃですよねー、とか言われまくっている。

 

「八幡の結婚式かぁ……タキシードとか似合うんだろうなー。絶対呼んでね? 僕、絶対にお祝いしに行くからっ」

「おう。頼むな、彩加」

「式はやっぱり教会式でいくのか?」

「それはやっぱり女性の夢だろうから、結衣がしたい方向で決めるよ。……十中八九、というか確実に教会式になるだろうけど」

 

 隼人もそうだろ? と訊き返すと、苦笑を返された。

 けど、その苦笑も随分と慣れたって感じのものだったから、我が儘も譲り合いも、結構言い合ってるんだろうなぁとか想像できた。

 

「おー、やっぱ女の子っつったら教会式だべ! ってーかガハマっちゃんにはそっちが似合ってそうだわ! あ、逆に雪ノ下さんとか和式とか似合ってそうじゃね?」

「戸部……結婚式のことで和式洋式って言い方はやめておいたほうがいい。教会式、神前式、人前式で分けるんだ」

「へ? 隼人く───あっ……そ、そーな。まじそれな。っべー……言われてみりゃ、俺の言い方だとアレみたいだったわー……どれとは言わないけど」

 

 ていうか女性陣の目が怖い。翔がじとーと睨まれている。

 翔は声が大きいから、ついぽろりとこぼした言葉でも拾われやすいしなぁ。

 

「るふぅん……知り合いがリア充で、既に結婚済みとか……まさか現実で有り得ようとは。いや、世にある妄想がどうとか言われているものも、そもそも前例があってのものだと考えれば。つまり我もラノベ作家に! そしてゆくゆくは声優さんと!」

「はい、材木座くん。八幡がケーキ切り分けてくれたよ?」

「《ポッ》……戸塚氏」

「よっちゃん、その叫びからそのときめきはやべーわ」

「言われなくても解ってるであります!? おぉおお落ち着け、落ち着くのだ我が心よ! それ以上気を高めるんじゃない……!」

「けど、いいっすよね結婚。女の子じゃなくても憧れるっす」

 

 うん、それな。現在進行形で憧れてる俺がいる。

 思わず頷く俺をよそに、隼人が川崎に訊ねる。

 

「川崎は結婚式とか、憧れてるのか?」

「あ、俺がっていうか……姉ちゃんがそういうことになったら、っていうのを想像しちゃいます。……そういう葉山先輩は、三浦先輩とはどうなんすか……?」

「……順調、とだけ。優美子に由比ヶ浜さんの子供と同い年の子供が欲しい、とか言われないか、ハラハラしてる」

「ちょ、隼人くん……それシャレにならんやつだべ……」

 

 女性コワイ。

 でも、気持ちはわかるから、全員で応援しておいた。あくまで女性陣に聞こえないように。

 

「それは、俺もいずれはとは思ってるけどな……」

「まあ、がんばっしょ、隼人くん。で、八幡はどうなん? やっぱ欲しい?」

「結衣が欲しいって言ったら……かな。俺と同じ目で産まれやしないか心配だ」

「おー、そら平気だべ? 八幡のは生まれつきってわけでもねーし、むしろ人生の理解者が親に居るって、子供にとっちゃあ嬉しいもんだろ」

「そっか。そうなるといいなぁ……」

「八幡はきっとあれだね、親ばかみたいになると思うな」

「おー! それよくわかるわぁ戸塚ちゃ~ん!」

「親馬鹿っていうと……ぐっ、親父を思い出して嫌だな……! い、いや、俺は親馬鹿にはならないぞ。なるなら結衣馬鹿だ」

「うわぁお、説得力ヤバすぎだべそれ……」

 

 と、そんな感じで。

 夫婦になったことをつつかれまくり、もちろん祝福され、感謝して。

 カンパイとばかりに注文したジュースで喉を潤して、思い思いに歌った。

 デュエットもしたし全員で歌ったりもしたし、雪ノ下が本気の歌声で祝福の歌を歌ってくれた時は素直に拍手したりして、そしたら「あなたたちが拍手してどうするのよ……」と呆れられもして。『あ、そっか、これ祝福の歌だった』と、夫婦そろって声を重ねて、笑われた。

 

  思うことはいろいろある。

 

 時は8月。もう8月だ。

 いずれみんなと別れ、それぞれの道をゆく。

 俺と結衣は同じ大学だけど、方向性は違うのだ。

 いつか離れたみんなが、同じ方向を向けるような場所で集まれるといいね、なんて夢物語をどれだけ語っても、きっとそれが叶えられることはない。

 それぞれが新しい環境で新しい人と出会い、新しい関係を築き、やがて“親友”だった人も“友達”になり、“知り合い”にまで下がっていくのだろう。

 

(それでも───)

 

 それでも、って思う。

 どれだけ思ったところで叶うことはないのかもしれない。

 想像してみれば簡単なことで、どれだけ仲が良くても思いが離れるのなんてあっという間だ。

 それを知ってか、時折結衣はカレンダーを見ると、寂しそうな顔で溜め息を吐く。

 仲良くしていた子が居て、けれど“離れてもずっと”なんて思っていたのは自分だけだったと……いつか、そう語ってくれた。

 俺だって願いたい。でも、現実はそうじゃない。

 かといって、じゃあ諦めるのかって言ったら違うのだ。

 最後に信じると言って伸ばした手で掴んだものは、なにも結衣の手だけじゃなかったのだから。

 

(……だからって、なにが出来るかって言ったら……)

 

 なにも出来やしない。なにもだ。

 だから、俺達は自分の道を真っ直ぐに進むしかない。

 ずっと友達だぜ、なんて言い合ったって、いつかは離れるものがある。

 思い出だけが美しく残っていて、いつか道端で出会っても、共通の話題なんて出せずに気まずい空気だけを味わい、やがて苦笑いを浮かべたまま別れるのだ。

 そして、もう二度と───

 

「あ、なぁみんなさぁ、ちぃ~っと提案があんだけどさぁ」

「? 翔?」

「こうしてめでたい日に結婚した友人が居るわけじゃん? 誕生日に結婚とかもうすんげーっしょ! まず忘れらんねーってばさぁ! んで、そんな日をもっと忘れねぇためにもさ、なんかひとつ、約束事でも決めとかね?」

「約束事って……戸部先輩~? もしかしてま~たへんなこと考えてるんじゃないですかー?」

「ちょ、ひっで! いろはすひっで! 俺今超真面目だってばさぁ! あーほら、俺らさ、こうして集まれんの、もう一年もねーべ? これからそういう機会をもっと増やすっつーてもさ、八幡にもガハマっちゃんにも夫婦生活があるわけよ。言っちまえば今めっちゃ大事な時ね? それを俺達と会う時間を作ることで邪魔して、ストレスにするわけにゃいかねーべ?」

「え、ちょ、翔? 俺はっ……」

「ちょーっち八幡は黙っててくれな。こーゆーの、案外デリケートなもんだと思う。お前が思ってるよりも、そーゆーのマジ大事だから」

「翔……」

 

 翔が俺の肩に手を置いて、真面目な顔で言う。すぅ、と息を吸って、長く息を吐いて……もう一度、口を開いた。

 

「俺達が原因で夫婦仲が壊れるとか、俺ゃごめんだわ。いや、もちろん二人が来てくれるなら俺もめっちゃ嬉しいけどさ。今まで通り、っていうのとはちょっと違うっての、二人ともに自覚してもらえりゃーなって思う」

「……えっと、質問っすけど。今まで通りがダメって、具体的にはどんな感じでっすか?」

「Tちゃん、そりゃな? 本気で幸せになってほしいって意味だわ。俺もなにが幸せに繋がるか~ってのはわかんねーけどさ、俺達と遊ぶのに時間を割き続けてたら、ただそれが遠のくだけだと思うんだわ」

「……八幡」

 

 隼人が俺を見る。

 その目が、“俺達と遊んでいなければ、もっといい指輪が買えたんじゃないか”と言っているようで、少しだけ、心を抉った。

 

「だからさ、ちゃんとそれらを踏まえて、空いてる時に遊んでくれっと嬉しいっつーか……んー……あー、頭回転しねーわー! ちゃんと言わなきゃいけねぇってわかってんのに! あ、あのな、八幡!」

「お、おう?」

「俺! お前のこと嫌いになったとかそういうんじゃねーから! お前のことマジでダチだと思ってっし、ガハマっちゃんだって長い付き合いだ! 本音言っちまえばこのままこうやって、卒業まで馬鹿やっててぇよ! けどさ! ~……それでお前らが躓いて、それが思い出になるっていうなら……俺、耐えられねぇよ……!」

「翔……」

「この歳で結婚して、じゃあなにが幸せだ~とかやっぱわかんねぇけどさ!」

「翔」

「どうすればいいのかわかんねーから自分の考えばっか押し付けてっけどさ! 俺、竹林でお前が叫んでくれた時から、どうすりゃいいのかとかずっと考えてた! だから、俺っ!」

「翔!」

「《どすっ》おごぉ!?」

「人の話を聞けっての!」

 

 顔が赤くなっていることを自覚しつつ、ヒートした翔にツッコミボディブロー。

 当然、近くに居た彩加にツッコまれた。

 

「八幡、顔真っ赤……」

「ぐっ……彩加~……!? 今はそれほっといてくれな……!?」

「わっ……う、うん……! ~……凄まれちゃった……あはは《てれてれ》」

「そこで何故テレテレ出来るのかが我には……ハッ!? もしやこれが普段自分がされないことをされて喜んだ瞬間というものか!?」

 

 けどさ、大事な友達だって思ってる人からここまで言われりゃ、こうなるって。

 それも中学までぼっちだった俺がですよ? 泣くだろ。

 

「言われなきゃ、たぶん自覚しなかったのに。なんでわざわざ言うかね、お前」

「八幡ならそうだろうって思ったからに決まってんべ……付き合い2年以上よ? 俺ら」

「……最初から比べると、口調も随分砕けたよ、ほんと」

「そりゃ、そんだけ近いって思ってくれてる証拠だべ? けど、それとこれとは別なわけよ、俺的にはさぁ。自分のために叫んでくれたヤツなんて初めて見た。自分の想いを考えてくれって、そんなこと言ってくれたヤツも初めてだ。ノリで馬鹿ばっかやる俺と、嫌な顔せず付き合ってくれたし、料理とか勉強とか、興味なかったことの面白さもさ、全部全部八幡がきっかけだったんだわ。……なんか返さなくちゃ、真っ直ぐ顔見れねーべ」

「………《じー》」

「いや現状って意味じゃねーよ!? 俺マジなんだけど!? これ俺から目ぇ逸らさねぇと嘘みたいなのに、目ぇ逸らしたら逸らしたで真面目に聞いてねぇみてぇんじゃんかさぁ!」

「あー……あの、戸部さん? お兄ちゃんに友達との青春とか、察しろっていうのはなかなか難しいんじゃないかなーと小町は思うんですが」

「いやいやこまっちゃん? 俺べつに青春がどうとか言いたいんじゃなくってさ……」

「じゃあお兄ちゃん、どうぞ」

「どうぞってお前……」

「なんにも考えず、お兄ちゃんが思ってること、どどーんと言えばいいの。戸部さんはお兄ちゃんとお義姉ちゃんが幸せになりますよーにって思ってる。それには、この集まりに参加しすぎてたら出来ないこともきっとあるから、付き合いを減らしたほうがいいんじゃないかなーって思ってる。はい、お兄ちゃんは?」

「悪い。家庭優先にする」

『!』

「ヒッキー!?」

「んで、時間取れて、時間が合うなら全力で遊ぼう」

『………』

「ヒ……はーくん」

 

 いや、普通そうだろ? え? 違うの? そうだよね? ちょっと? ねぇ?

 

「あのですね、戸部さん。うちの両親にも言えることですけど、忙しいからって、それを投げることが幸せに繋がるわけじゃないんですよ? 欲張りでいいじゃないですか、小町たち、まだまだ子供なんですから。確かにお兄ちゃんもお義姉ちゃんも家庭を持ちました。家族です。18です。でも、じゃあ今日から全て正しく完璧に、なんて言われて、昨日まで17で結婚出来なかった人が完璧になんでもこなせて幸せになれると?」

「いや……そりゃ無茶だけどさぁ……」

「少しずつ自覚していけばいーんです。我が家には、それに関してはうるさい両親とやさしいけどやさしいだけじゃないお義母さん、見守ることに関しては完璧なお義父さんが居ますから。だいじょぶです、うちの兄はそういう、人を寂しがらせるような行為は大嫌いですから。特に身内や親しい人に対しては」

「そんなもん?」

「はい、そんなもんです。というわけでお兄ちゃん?」

「へ? な、なんだ?」

「幸せにならないと、ここにいる全員が許さないから」

 

 あ、だめ、なんか無意味なプレッシャーが俺を襲う。

 頭の中でガイコツな怪人が太陽なヒーローに蹴られてるシーンが浮かぶ。

 ほーらー、リギーくぅ~ん、落ち着いてぇ~? 落ち着けねぇよ!

 

「結婚したんだからお兄ちゃん一人の問題じゃなくなったのも当たり前。今まで通り遊ぼうとしたって、きっとお父さんとかお義父さんはいい顔しないよね? じゃあいい顔させながら遊ぶ方向に進むしかないでしょ」

「そうね。親御さんが安心しつつ、あなたたちが幸せで楽しいと思える新婚生活を送ること。私たちの願いの大元は大体そこにあるわ」

「そうだな。八幡も由比ヶ浜さんも、きちんと笑顔でいてくれた方が、俺達も安心できるし嬉しいよ」

「そうそう隼人くんそれだわ~! それ言いたかったんだわぁ俺もさぁ!」

「っつーかそれ簡単しょ? ヒキオが結衣を幸せにして、結衣がヒキオを。子供が幸せなら親もいい顔すんでしょ。んで、あーしたちとも遊ぶ。簡単じゃん」

「いえあの三浦先輩? その過程が難しいって話をしてるんですけどー……」

「いや、一理あるかもっすよ一色先輩。ようするにそれを実行できるほどに二人が……好き合ってたっすねすんませんっす」

「はぽん? つまりはどういうことだってばよ? 戸塚氏」

「えっと、つまり……ねぇ、小町ちゃん。これってようするに、八幡と由比ヶ浜さんがいちゃいちゃする時間を増やすだけで、僕らにしてみればいつもとあまり変わらないってことかな」

「ええまあざっくり言ってしまえば。あ、もちろんそれと一緒に、うちに来るのも簡単じゃなくなるわけですけど」

「あっ……そっかー、それがあったわー……新婚さんの家に頻繁にお邪魔するとか、自分でもないって思うわー……」

「え? それじゃあべつの場所を使えばいいだけの話じゃないですかー」

「そうね、べつに私の部屋でもいいということよ。もちろん、そちらの二人の時間が合えば、の話だけれど」

「あ、それでも断り続ける状況っていうのも罪悪感を覚えると思うので、誘うのは時々でいいかもですけど」

「ん? っちゅーか、そこはべつに生徒会奉仕部の集まりだけでもよくね? どうせ時間いっぱいまで部室にゃ居るんだし。なんならその時間に家庭科室借りて、そこで料理教室開いたっていいわけだしさぁ」

「ん、それでいーっしょ? 結衣、なんか言っときたいことある?」

「え? やー……べつにない、かな。あたしもこの集まり、大事だって思ってるし」

「由比ヶ浜さん、そういう言葉は迂闊に口にするものではないわ。家庭を優先したくなった時、そういった言葉が重荷になることだって有り得るのだからに」

「ん……うん、気を付ける。でも、嘘を言ったつもりとか、ないからね?」

「ふふ、ええ、ありがとう、由比ヶ浜さん」

 

 言ってることは、まだまだ子供の域なんだろう。

 それでも、恵まれてるって思う。

 真剣に相手の先を心配して、叫んでくれる人が居るだけでありがたい。

 もちろん、これがきっかけでぎくしゃくすることだってあったのかもしれない。

 これが原因で、亀裂だって入ったかもしれない。

 けれどもそんなことはなく、ようするに、まあ、あれなんだ。

 遊べる時が来たら遊びましょ、なんて……普段から忙しい友人を遊びに誘おうって状況と似ていると思えば、べつに首を傾げる状況でもなんでもないのだ。

 確かに責任は圧し掛かる。互いに幸せにしたい相手が居て、お互いにそれを目指している。

 遊んでいる暇があるのなら、さっさとその一歩を踏み出すべきなんじゃないか? なんて言う人だって居るだろう。

 けど、そんな人脈に助けられる人だって居るし、人脈なんて打算が無くても、俺には友人ってだけでも有り難い存在であり、捨てたいとは思えない大事なものなのだ。

 

「………《ちょいちょい》」

「!」

 

 ちょいちょいと手招きをすると、すぐに隣に並ぶ結衣。

 そんな彼女……あぁその、もとい……も、もとい。

 つ、つつっつっつ……妻、と……一緒に、みんなへ。

 

「悪い……いや、ごめん、みんな。言った通り、今まで通りに、ってのはなかなか難しいと思う。今まで通り十分遊べるぞーなんて軽く言って、さっき雪ノ下が言ったみたいなことになって、みんなの期待を裏切るよりも、先にそうだって言っておきたい」

「期待してくれたのにだめだったー、っていうの、なんかヤだよね……。ああいう思い、してほしくないからさ……。その、あたしとヒ……はーくんは……」

「あら、寿退部でもするつもりなのかしら、副会長さん?」

「ゆきのん……だっ……だってさ……!」

「バイトをするなとは言わないし、むしろ好きなだけしなさい。休みたい時には休めばいいの。けれど、転校するわけでもないのなら、請け負った仕事は任期を終えるまで務めなさい。勉強も花嫁修業も続ければいい。遊びの時は息抜きをしたい時だけ参加しなさい。すぐに家に帰って、べつにやりたいことがあるのなら別だけれど」

「《ハッ!?》結衣? まさかあんた、結婚したからって早速」

「ちがっ!? 違うよなに言ってるの優美子!!」

「あっ……その、ごめんなさい由比ヶ浜さん……! わ、私、配慮が……! そうよね、新婚で、初夜で……!《かぁああ……!》」

「ちちち違うったらぁ! もう! そういうこと言ったら意識しちゃって出来ないじゃっ───……あ」

『あ』

「~~~……もーーーっ!!」

 

 本日は晴天。

 しかし、とあるカラオケBOXには雷が落っこちた。

 まあ、結局はどーのこーの言いつつ、こんな日々が続いたり途切れたり、また繋がったりするんだろう。

 そういうのを纏めて懐かしむものが青春っていうなら……まあ、ほら。あれだ。

 

  悪くない……いや、いいもんだよな、青春っていうのも。

 

 子供の頃に憧れたような景色を、そのまま張り付けたような光景が、目の前で賑やかさとなって存在していた。

 自然と笑える今に感謝しつつ、それをくれた“みんな”にも感謝する。

 “みんな”って誰だろうな、なんて思っていた過去にはささやかな言葉を投げようか。それは、自分で決めればいいって。

 問題はまだまだあるんだろうが、悩み、相談できる相手が居るうちは、甘えてみたりするのも悪くない。

 安易じゃない変化が目の前に存在しても、“じゃあ変われますか?”って言われたって変われやしない。

 そのくせ、世界に存在するハードルなんて、想像よりも軽く越えられるものばかりなんだ。

 だから───安易だの劇的だの、変化ってものに名前を付けたがらずに、きちんと一歩を踏みしめて変化していけばいいのだ。

 さしあたり、こんな状況もなんとか出来る夫でいられるように。

 

 

 

  おぉわガハマっちゃんっ、ちょ、たんまたんまーーーっ!!

 

 ごごごごめんなさい由比ヶ浜さんっ、私が煽るようなことを……!

 

 もー! もーーーっ!!

 

  ゆ、結衣ー? そのへんで……

 

  八幡っ、がんばってっ!

 

 せんぱーいー! 引け腰になってないでなんとかしてくださいよー!

 

  そうっすよお兄さん! 旦那さんの意地、見せてくださいっす!

 

  意地とかそういう問題なのかよこれ……。

 

  ここぞとばかりに八幡にヘイトを押し付けるとか鬼畜の所業……! 八幡よ、これは試練というものだ……! 過去に打ち勝てという試練と我は受け取った!

 

  君が受け取ってどうするんだ!

 

  あふぅん!? イケメンから鋭いツッコミ! ……我、かつてないほど青春してる……!

 

 ゆっ……結衣っ! ちょちょちょちょっと落ち着けし……! べべ、べつに新婚なんだし? ほら、その、はずっ、恥ずかしいことじゃ───ってか、して当然のことだし? だから胸張って───

 

 言い出したのは優美子でしょー!? じゃあ優美子、葉山くんの前でみんなにそういうこと、今夜しますってこと話しちゃったって想像してみてよ!

 

 はっ? そほっそそそんくらい余裕じゃん? よよよ余裕よよゆよ《かぁああ……!!》

 

  優美子!? 優美子ーーーっ!!

 

 あの、あーのー? あんまり歌とかに関係なく騒ぐとお店にも迷惑ですし、静かにしたほうが───

 

 《だんだんっ》あーのー? すいませーん、隣の個室を借りてる者ですけど、騒ぐならせめて歌で───

 

 あっ、すいませーん! 今ちょっとたてこんじゃってまして《がちゃっ》……あれっ!? 平塚先生!?

 

 うん? なんだ、小町くんじゃないか。隣は君達だったか。今日は───ああそうか、比企谷の誕生祝いの集いかなにかか?

 

  そっ、そーなんすよー! いんやーめでたい! って!

 

 そうか……うむ。友のために騒げるのは悪いことじゃないな。こういう時くらいは羽目を外すべきか。すまなかった、私のことは気にせず、大いに騒いで───

 

  それと八幡と由比ヶ浜さんの結婚祝いも兼ねてるんですよっ!

 

 げはぁっ!?《ゴプシャアッ!!》

 

  彩加ぁあーーーーっ!?

 

 さいちゃぁあーーーーーんっ!?

 

 け、けっこん……!? 今っ……結婚、といったのか、戸塚……!

 

  え? あ、はいっ、今日、二人で届け出を出して来た、って───

 

 がっはぁあっ!!《げぷしゃあ!》

 

  ぃやぁああちょちょちょ戸塚っちゃんたんまたんまぁあ!!

 

  おお見える!? 平塚女史がダメージを負う度、見えない血が吐かれている様が我にはしかと……!

 

 あのー小町ちゃん? わたし、今すぐ逃げてもいいかなー……

 

 いいですけど、たぶん大魔王からは逃げられないって結果にしかならないと思いますよ?

 

 わたし関係ないのにー!

 

  いろは、大丈夫だ。俺達は……仲間だっ《キラーン♪》

 

 葉山先輩のそんな真っ青で汗だくなサワヤカ笑顔なんて見たくなかったです! ていうかもう道連れのための呪言にしか聞こえませんよー!!

 

  お、俺、姉ちゃんから電話がーとか言って今すぐ逃げたいっす……

 

 大志くーん? ここで逃げたら小町的にポイントひっくいよー?

 

  あれ? なんだろ……! 俺の脳内で、人間っていいなが流れ続けるっすお兄さん……! 涙が、涙が止まらないんす……!

 

  おう。なんか俺も……いや。誤魔化そうとするから悪いんだよな。よし。

 

 待ちなさい比企谷くん……! それは───!

 

  ちょぉお待った八幡それなんかやばい系のあれでしょおっ!?

 

  いや、けど、あれだろ、内緒にしようとするからこじれるあれだろ、これ。きちんとこう、なに? 結衣と結婚しました。男として、恥ずかしいことはしてないつもりっす。だから、誤魔化さず真っ直ぐ言います。って言えば……

 

 …………

 

 あ

 

  あ

 

 学生結婚……か。───比企谷、由比ヶ浜。

 

 は、はいっ

 

  うす

 

 楽なこと、楽しいことばかりじゃないぞ。そんなことはわかっていて歩み出した一歩かもしれないが、年長者として言わせてほしい。……けっして挫けてくれるな。若いからと、取り戻せるに違いないと手元にある幸福を捨て、次を見るようなことはしないでほしい。

 

 平塚先生……

 

  ……はい。

 

 今、そこにある幸せも大切に出来ない者が、次を大切に出来るわけがないんだ。伸ばした手を下ろすのは簡単だ。繋ぐことも、きっと簡単なのだろう。繋ぎ止めることだけが、ただひたすらに難しい。だが……難しいからと、それを簡単に手放しちゃあいけない。大切にしたまえ。

 

 ~……はいっ!

 

  はい……必ず。

 

 ……うん。いい顔だ。遅くなったが……結婚おめでとう、比企谷、由比ヶ浜。君たちの未来が幸福であることを願っている。《チャッ……バタン》

 

 …………。

 

  ……。

 

 なんか……やばいです、心に響きました。なんですかあれ、反則ですよー……。

 

  ちっと……マジで失礼な話だけどさ、平塚先生のこと、軽く見てたとこあったんだわ……いやほんと、失礼な話だけどさ。……でも……やべ、すっげぇじぃ~んってきたわ……。

 

 そうね……人を導く仕事をしているのだもの、私情なんて挟むわけがないわ。

 

  我としたことが、不覚にも涙腺が緩みかけるところであったというかなんというか……ぐすんっ。

 

  平塚先生、格好いいよね……。ああいう立ち方っていうのかな……憧れちゃうよね……。

 

  いや、戸塚先輩? 戸塚先輩が憧れたら、きっと先生ショック受けるっすよ……。でも、気持ちはわかるっす

 

 大人の女性……か。カッコイーじゃん。あーしもふらふらしてないで、もっとしっかり前を……

 

  優美子……

 

 あ、いや、べつに感化されたとかそーゆーんじゃなくてさ。……ちょっとだけ、そう、ちょっとだけ憧れただけ? っつーの? ~……いいっしょ、べつに。それよりほら、結衣とヒキオ、なんとかしろし!

 

  え? 八幡と由比ヶ浜さ───あー……

 

 あっちゃー……見事に二人の世界作っちゃってますね……。お兄ちゃん? おーいお兄ちゃーん? あ、だめですねこれ、相当深いです。

 

  んじゃあ誰かが八幡のこと好きって言えば戻ってくるべ! えー……ゆ、雪ノ下さん?

 

 いやよ

 

  いろはす?

 

 やですよなんでですか絶対いやですあきらめてくださいごめんなさい

 

  あれ? なんか俺いきなりフられた? じゃあ……み

 

 あ?《ギンッ!》

 

  おわぁんっ!? ちょ、見ただけで睨むとかないわぁ……!

 

 はーくん……

 

  結衣……

 

 あ、この流れやばいです絶対キス来ますって! こうなったら大志くんGO!

 

  好きな人の前で男に告白ってどんな拷問!? 泣いていいっすか!? 泣いていいっすよね!?

 

  うむ……? というか……夫婦が愛を確認し合う行為に今さら野次を入れても仕方ないのではないか?

 

  うんうんっ、そうだよ、ていうかそんなにまじまじと見たら、二人に失礼だと思うんだ、僕っ

 

 え? あのー……ざ、財津せんぱい、でしたっけ? 先輩たちがキスとかしても、爆発しろーとか思わないんですか?

 

  うむ。ご近所に年若い夫婦が仲睦まじく暮らしていても、いいなと思うだけで腹が立たないのと同じである。

 

 ……そう。ようするに、とっくに結ばれている相手に嫉妬するだけ無駄、ということね。

 

  あ、それわかるわー。熟年夫婦とか老夫婦って、見てると穏やかな気持ちになるもんなー。

 

 あ、小町にもそれわかります。仲が良いと余計ですよね。

 

  そこんとこ考えっとー……この二人はあれだべ? 死が二人を分かつまでー……なー?

 

 でぇすよねー!? 小町もそこは全然心配してないっていいますかー!

 

  あの。ところで隣の部屋からヤケクソで歌ってますみたいな絶叫ボイスが聞こえてくるんすけど……これって

 

  幻聴だべ?

 

 ええ、幻聴ね

 

 

 

 

───……

 

 

 

 

 ……婚約まで、何回言ってもらえたかな

 

  百は越えてるよな……うん

 

 そっか……ほんとに何回でも言ってくれて、ありがとね、はーくん

 

  いや……俺としては、伝えたいから伝えただけであって……回数とか、実際は数えてないっていうか……だな、その

 

 えへへー……うん、それが嬉しいんだ。自然に言ってくれたから、それが嬉しいんだよ

 

  そ、そか。でも……もう、違うよな

 

 うん……もう、違うね

 

  結衣

 

 うん、はーくん

 

 

 

 

  あなたが好きです。ずっと、俺の隣を歩いてください。

 

 ───はい。こんなあたしでよければ、喜んで。

 

 

 

 




 どうもです、凍傷です。
 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
 これにてこのSSは終わりとさせていただきます。

 結婚って難しいですよね。
 自分の知り合いで若い内に結婚した人は何人か居ましたが、18で結婚して今も続いているのは一組くらいです。
 お嫁さんがパワフルらしいです。元気で挫けず、励まし合って頑張れた、とか……話だけ聞いてるとただのノロケですよもう。これからもお幸せに。

 さてさて、あとがきが充実しててもあれですし、これにて。

 さよなら、さよなら、……さよなら。


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夢と現実の僕らの距離
長い長い夢のあとに


ある日、意識の外で猫が鳴いた。
なにを思ってなのか、なにを訴えたいのかはわからないけれど。
その猫は、何度も何度も、とても長いあいだ鳴いていた。


  ───あの時こうだったら。

 

 

 きっと誰もがいつだって思うことだ。

 

 そうであったなら、自分はきっとこうだったと。

 

 あの時こう出来ていたなら、自分は絶対にこんな自分じゃなかったと。

 

 けれどそれが叶うことは絶対になくて、仕方ないから今の自分を受け入れる。

 

 

  ───たとえば、って思う。

 

 

 家族からの愛が妹にしか向いてなかったとしても、自分にやさしくしてくれる人が居たなら、やさしさに憧れ続け、失敗し、やさしさに怯えることなどなかったんじゃないかって。

 

 空気なんか読まなくても、自分の内側に踏み込んでくれる誰かが居てくれたなら、関係が終わることに怯えて、踏みとどまる性格になることもなかったんじゃないかって。

 

 イジメに涙を見せない強がりを持っていたとしても、やさしさをくれる誰かが傍に居てくれたなら、もっと素直に感情を出していられたんじゃないかって。

 

 そんな俺や彼女たちが幼い日に出会って、手を取り合ったもしもを思う。

 

 濁り、腐った目をする少年なんてどこにも居なくて、空気を読んで周りに合わせてばかりの少女も居なくて、姉の真似をして自分を殺していた少女も居ない。

 

 ……これは、都合のいい“もしも”を夢に見た少年のお話。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 ───早く大人になりたいって思うことってあると思う。

 自分が子供だって強く自覚しちまった時や、無力を感じた時、今の自分が嫌になった時。

 大人になれば変わる。そう信じていた頃が、大体の人にはあったんだと思う。

 少なくとも俺にはあって、誕生日っていうのはそれを積み重ねる儀式みたいなもんだと思ってた。

 間違っても、祝われることを喜ぶものじゃない、とは確信していた。

 

「はっぴばーすでー、つーゆー!」

 

 目の前の子供が歌ってくれた。

 つたない声で、ちっこい体で頑張って。

 自分はおまけでしかないと自覚したその日に、そんなやさしさは眩しくて、あたたかくて。

 そんな懐かしい過去の夢を見ていると、強く自覚し、苦笑した。

 俺は、確かにこんな子供に救われたんだと。

 

……。

 

 子供ってのはいろんな意味で純粋だ。

 教えられたものは頑張って覚えようとするし、教えなくても見たこと聞いたことで学んでゆく。

 教えてもいないのに親の口調を真似ることがあったりとか、マジそれな。

 そうやって、夢を見ていると自覚している俺は、夢の中を遡っていた。

 なんだってこんな夢を見ているのか。

 呆れるとともに、自分の過去をこの目で改めて見ているようで、懐かしさも一入。

 

「ハッピーバースデー、小町!」

「おめでとう、小町」

 

 景色の先には賑やかな家族が居た。

 夫婦は笑顔で、祝われる子供も笑顔。その兄も笑っていて、仲が良さそうな家族だった。

 

  景色は飛び、兄の誕生日。

 

 祝われたが妹ほどの賑やかさはなく、淡々と進められる光景に、見ていた俺は“ああ、そういやこんなもんだった”と表情を消した。

 男親が突然笑う。

 祝われるべき子供はぱあっと表情を明るくし、放たれる言葉を待った。

 男親が言う。

 

「次の小町の誕生日、父さん張り切るからなっ!」

 

 兄は、笑顔を消した。

 それを見て女親が男親を張り倒したが、もう遅い。

 子供ってのは学んでいるものだ。

 賑やかではなくても祝われたことは嬉しかったそいつは、そのわずかな嬉しささえ隠し、もそもそとケーキを食べた。

 お兄ちゃんなんだからと、妹よりも小さく切り分けられたケーキを。

 妹はその隣で大きなケーキを嬉しそうに食べていた。

 

……。

 

 妹の誕生日は賑やかだった。

 女親は兄を気にしていたが、兄はとっくに愛想笑いを覚えていた。

 本当に楽しそうに笑って、妹を祝い、ケーキの切り分けを手伝ってやり、自分の分はひどくちっぽけに切り分け、食べ終え、部屋に戻った。

 女親は心に冷たい何かが差し込まれたような悲しみを抱き、次の誕生日には精一杯祝おうと心に決めた。

 

  そしてその誕生日。

 

 急に入った仕事に一日中家に居なかった両親は、息子を祝うことはなく。

 兄の誕生日を日付として意識していない妹は、両親の居ない家に泣き、兄はそんな妹を慰め、一日を過ごした。

 翌日、両親は帰ってきた。

 男親の方が早く、おかえりを言われるなり、妻に言われていたことを思い出し、遅れはしたけど誕生日プレゼントを渡すことにした。

 八幡をちゃんと祝ってやれ、と。言われたことをきちんとこなし、プレゼントを。

 兄は喜んだ。

 プレゼントと言われ、喜ばない子供もそう居ないだろう。

 けど、渡された“プレゼント”は茶色の封筒。

 首を傾げ、開けてみれば、お金が入っているだけだった。

 それで好きなものを買え、と言う男親は、風呂に入るとさっさと寝てしまう。

 

「………」

 

 誕生日おめでとうさえなかった。

 自分が見ている景色が歪んでいくのを感じて、兄は靴を履いて外に飛び出した。

 

……。

 

 家出のつもりだった。

 どこをどう走ったのかもわからず、気が付けば知らない公園に居た。

 こんな時はブランコだと乗ってみても、気が晴れるわけでもない。

 握り潰してしまっていた茶封筒をズボンのポケットに捻じり込むと、虚しさに襲われながらも学ぼうとした。

 羨ましがるな。あんなものはされたって嬉しくないものなんだ。悲しむ必要なんてない。むしろ祝われたらダサイんだ。

 そう思い込むことで、自分を救おうとしていた。

 けれど意識を内側に向けようとすればするほど涙はこぼれ、それに気づいたのは声をかけられてからだった。

 

「………」

「どっかいたいの?」

 

 スコップと小さなバケツを持った子供が居た。

 その光景を見て、ただ純粋に“懐かしいな”って思う。

 そういやこれがきっかけだったなーって。

 

「………」

 

 誰かに聞いてもらいたかった。

 心に学ばせてしまえば、それが当然だって思い込むことだって出来たのに、その途中で邪魔をされれば心は弱いままだ。

 だから、当時の子供心でも女の子に涙を見せるのはダメだ、なんて意地があったのに、泣きながら言った。

 そしたらそいつ、怒ってくれて。

 よくわかってなかったようだけど、「誰かを泣かせるの、よくない!」って怒ってくれて。

 んで、親の代わりに歌ってくれたんだ。

 はっぴーばーすでー、って。

 嬉しかった。

 そのあと手を引っ張られて、片手にちっこいシャベル入りのバケツを揺らすその女の子と、気が晴れるまで遊んだ。

 近くのベンチにその子の母親が座っていて、俺を見るとにこっと笑ってくれた。

 そうして散々遊んで、お別れになる頃。

 なにかお礼がしたくて……いや、男として格好いいとことか見せたかったんだろうな。

 近くにお店はないかって聞いて、握り潰しちまった封筒を取り出して、その子の母親が見守る中、精一杯の感謝を物として。

 けれどその子は、あなたの欲しいものはなに? みたいに聞いてきて、お金があれば欲しいなって思っていたものを指さす。

 子供の好みってのは案外安定しない。

 ヒーローものに憧れる時もあれば、同じ園のなになにちゃんが好みのプリキュアものが欲しくなったり~とか。

 その時の俺が指さしたのは、小町が綺麗・可愛いって言っていた砂時計だった。

 あいつが欲しがっていたものを、なにかひとつでも自分が欲しいって思っていた。

 だから指差した。欲しいって思ったから。

 するとその子は笑って、“じゃああたし、それがいい”って言って。

 

  ……自分が欲しいって言ったものまで、他人のものになるのか。

 

 心に諦めが浮かぶけど、男の子は約束を破らないのだ。

 悲しさを飲み込んで、お金のほぼ全部を使って贈り物をした。

 するとその子は、店員さんが気を利かせて綺麗にラッピングとリボンをつけてくれたそれを俺に両手で差し出して、

 

「はいっ! おたんじょーび、おめでとー!」

 

 そう、言ってくれた。

 

「───…………!」

 

 悲しみしかなかった心に、あたたかな風が送り込まれたような気分だった。

 その子の母親がそうしなさいと言ったのかもしれない。

 ただその子がそうしたいからそうしただけなのかもしれない。

 それでも。

 それは、そのガキにとって大切なプレゼントになったから。

 俺はその場で、本当に子供らしくびゃーびゃー泣いて、泣きながらプレゼントを受け取って、また泣いた。

 その子との付き合いはそれからずっと、今も続いている。

 帰り道がわからない、なんて言う俺に、その子の母親は嫌な顔ひとつせず付き合ってくれて、いっぱい走った、と言う俺の言葉をきちんと信じて、住所の文字で覚えている字はある? と近くの住所の文字をざっと見せてくれて。

 俺の名前と照らし合わせたりいろいろ時間を潰してくれて、そうして……家まで付き合ってくれた。

 

  でも……なんでだろうな。

 

 不安でいっぱいだった心は、家に辿り着いてみれば余計に膨らんだ。

 自分の家に帰るのに、なんでこんなに寂しいんだろうか。

 不安を抱きながらドアを開けてみれば、その先で旦那をマウントポジションで殴りまくる我が母が居た。

 あの光景は、ほんっと忘れようにも忘れられない。

 一言挨拶をと待っててくれたあの子の母親が、ぽかんと口を開けて固まる姿は……たぶんこの日が最初で最後。

 入ってきた俺に気づいた女親が俺の名前を呼んで、抱き締めて来た。

 俺はといえば砂時計が傷つかないようにって庇うようにして、ぎうーと抱き締められた。

 感動話とかだったら子供はここで泣くんだろうが、冷めた感情しか沸いてこないのな。

 だからただいまとだけ言った。

 家出をした罪悪感なんて微塵もありゃしなかった。

 

「………」

 

 解放された俺は、女親とその子の母親が話をするのを見ていた。

 待っている間、暇そうにしていたその子に手招きをして、やったことといえばプレゼントを開けてありがとうを何度も届けることくらい。

 退屈だったろうに、綺麗な造形の器の中を砂が通る様に目を輝かせたその子は、きれーだねっ、と笑ってくれた。

 出会いはほんと、そんなもの。

 ここから母親同士の交流も始まるわけだが、この時になって俺は、相手の名前を知らないことに気が付いた。

 また遊ぼうと言うつもりだったのにそれはない。

 なので改めて名前を言って、キミは? と訊ねて。

 

「うん。あたし、ゆい! よろしくね、はーくん!」

 

 そこから、幼馴染って関係は始まった。

 

……。

 

 時は流れ、ゆいとも随分と仲が良くなったいつか。

 小学生になり、出来ることも増えてきたけど、やることはそうそう変わらない。

 母のマウントナックルを見るという、夫婦喧嘩にもならない一方的な暴力を知った俺は、その原因であった俺の誕生日のことについて、“もういいや”を使用。

 小町の誕生日だけ盛大に祝ってやってと頼むと母は怒ったが、今までの誕生日を語ると苦虫を噛んだような顔をして謝ってくる。

 だからこそ、って言葉には“いらない”で返した。無理に祝われてもむなしいだけってわかったから。

 だからまあ、その日から、俺の誕生日プレゼントはず~~っと茶封筒だ。

 父は母に父親失格の馬鹿とか言われていた。懐かしい。

 

  この頃になると、男も女も同姓同士でつるむのをよく見かける。

 

 男は女と一緒に居ると冷やかされ、あいつらやたらとヒューヒュー! とか言うのな。

 けれど俺もゆいも、誰と一緒に居たほうが楽しいかくらい知っていたから、同姓の友人がなんと言おうが一緒に居た。

 逆に今まで仲がよかったのに、友人に煽られて離れる男女の友達を見て、ひどく寂しく思ったもんだ。

 そんな時はゆいと頷き合って、その男女の説得に走ったもんだ。

 ……ん? ああ、同じ小学だ。実に幼馴染である。

 いろいろあったけど、ウチの両親とゆいの両親が話し合って、こうなったそうで。

 俺は随分と走ったり歩かなきゃならなかったが、それも慣れてくると楽しいもんだった。

 いい加減慣れてくると、小町に対しても嫌な感情とか湧かなかったし。

 どうして妹だけ、ってのは随分と心のモヤとして溜まっていたもんだけど、砂時計が全部チャラにしてくれた。

 

「こまちあれほしい!」

「だめだ」

「ほーしーいー!」

「だめだ」

「ちょーだい!」

「だめだ」

「おかーーぁぁさーーーん! おにーちゃんがくれないー!」

「小町、あれだけはダメだ。諦めな」

「やーだー! ほしいー!」

「だめだ」

「……八幡。砂時計くらいあげりゃあいいだろう。お兄ちゃんだろ? な? 父さんが今度、カッチョイイロボとか買ってやるから!」

「“お父さん”。俺はあなたと何回出掛けたことがありますか?」

「へ? 何度って………………え?」

「……あんたもう黙んな。八幡のことに関して、あんたが関わるとロクなことがない」

「ひどっ!? い、いやちょっと待て、さすがに一回くらい……! あの時……は、小町、だったな。あの時は……小町…………ちょ、ちょっと待ってくれ、な? え? あるよな? え……?」

「八幡、こんど母さんとどっか行こうか」

「……いいよ、そんなの。結衣と一緒に居る方が楽しい」

「───《ブチッ》」

「ぁ、ちょ、悪かった! 俺もちょっと自分のアホさ加減に呆然として《ずっぱぁあん!!》ぶげぇっ!?」

「ちょっとちょっとうるっさいんだよこの馬鹿旦那! あんたにとって八幡はそんなにちっぽけな存在か!?」

「いっ……いっつ……いやっ……! この“ちょっと”ってのはつい出てしまうものであって……! いぢぢぢぢ……!!」

「いーよ。あんたはずっとそうやって小町だけ見てな。こっちはこっちで八幡だけ見てるから」

「だから、いいってば。結衣と、結衣のお母さんが居ればそれでいいし」

「悲しいこと言うなよ~! いーから任せときなっ! こちとら仕事ばっかだったとしても女のはしくれ! 料理とかバッチシ作って驚かせてやるさ!」

「期待しないでおくよ」

「あー……そっか。まあ、今までが今までだから、自業自得か。まあ、こっからこっから。私も旦那のこと胸張って馬鹿に出来るほど、構ってやれてたわけじゃないからね」

「……だから、いーって。前の誕生日の時、なにも言わなかったけど……気にしてくれてるの、なんとなくわかったから」

「───! …………はぁ、ほんと馬鹿だ。子供って見てるもんだね……そんなことも知らなかった。……よおぉっし八幡! 今日は一緒に寝るよ! 風呂も一緒だ!」

「いやだよ」

「……おにーちゃん、すなどけー」

「だめだ」

「やーだー!」

 

 まあ、そんなこんなでいろいろあったが……ともかく砂時計は俺の宝物になった。

 欲しいと言いまくる小町を突っぱねまくるのが、当時は最高でした。

 子供って単純ね。それでものすごーくスカッとしてしまったのだ。

 世紀末に愛で戦う北斗なあの人みたいに、ひたすら無慈悲に“だめだ”って言うのも、なんだか楽しかった。

 そんなわけで物心ついた頃にはそんなことも忘れ、千葉の兄妹の出来上がりだ。

 まあ、小町は俺達とは学校が違うわけだが。

 父のほうが、小町に朝からそんな距離を歩かせられるかと、近場の小学校にしたのだ。

 俺はゆい……まあ、結衣が通う学校の方な。

 

……。

 

 まあともかく、そんな日々を過ごしていたある日のことである。

 

「…………」

「……………」

「……」

 

 いつもの公園に、ひとりの見知らぬ子供が居た。

 先客ってやつだ。

 ていうか………………誰?

 

「お人形さんみたいだねっ」

 

 結衣は一言そう言うと、躊躇もなく子供へ向けて走り出した。

 俺が「え? あ、結衣ちょ待ァアーーーッ!?」とか驚いて慌てたって知りませんって感じ。

 行動力ありすぎなんだよこの幼馴染は。

 女子の間で交友関係に悩むこともなく、ほぼ俺と遊んだり人間観察したり、誘われれば俺も混ぜて女子と遊んだりした所為か、空気読むのも合わせるのも突っ走るのだってお手の物。

 最初に「おれとゆいとでえんりょとかなしな!」って言ったのが効いたのか、俺達はお互いにそう遠慮しない。

 それが行動にも出るようになってからは、結衣は本当に元気だった。

 

「ねぇっ」

「《ぴくっ》……なに?」

「誰かまってるの?」

「……べつに。なんでもない」

「じゃああそぼうっ!」

「───え?《ぐいっ》きゃっ、わっ……」

 

 デデーン! 見知らぬ少女が仲間になった!

 見知らぬ少女は犠牲になったのだ……ガハマさんの行動力……その犠牲にな……。

 それがきっかけで知り合った少女、名前は雪ノ下雪乃……は、なんでも家族との行動中、猫を追っていて、気づいたらここに居たらしい。

 帰り方もわからず、家族も居ない。ようするに迷子であった。

 同じ経験を持つ俺は、そんな彼女の両肩に手を置いて、「大丈夫だ! 俺達が居る!」な~んて胸を張ってみせたわけですよ。

 あー……さっきも言ったが、この頃の女子と男子ってのは、その関係を図に表すと“対立”ってつけてもいいくらいによろしくない。

 当然雪乃の学校でもそうであったようで、しかも女子からも嫌われているという雪乃に対し、俺と結衣は───

 

『よしっ、遊ぼうっ!』

 

 わかりやすい言葉を届けた。

 戸惑う雪乃に「だって遊んでみなきゃ楽しいかどうかなんてわからないし、好きになれるかもわかんないじゃんか!」なんて言って、いざいざいざと二人で片手ずつを引っ張った。

 いや、出会いって人を変えるよね。俺、結衣に会わなかったら日陰者として捻くれてぼっちな人生だったんじゃないかしら、とか割と本気で思うよ。

 こうして夢を見てると余計に。いやマジで。

 

  それからは、そりゃーもうひどいもんだった。

 

 三人一緒に、服が泥だらけになろうが知りませんってくらい遊び、騒ぎ、燥ぎ、笑い。

 最初こそあんまりにも喋ろうとしないから、笑わす方向から攻めてみた結果である。

 ……この雪ノ下雪乃、一般的な笑いの方向よりも半歩ズレた笑いにツボる性格だったらしい。

 ヤケクソでこれは絶対無理だろー! と自分でツッコめるお笑いに走ったら、途端に爆笑であった。

 ……うん、なんか仲良くしていける気がした。

 そうして、気づけば目に涙を浮かべて大笑いして、楽しそうに駆ける雪乃に俺と結衣も笑って、たっぷりと長い時間を楽しんだ。

 

  ええはい、素直に交番行っときゃよかったです。拳骨くらいました。

 

 迷子としてポリスに連絡が行っていたらしく、ホイホイと我が家に結衣と雪乃を連れ帰った俺は、なんか珍しくとっくに帰ってた母上様に「新しい友達を紹介するぜ~~~~~っ!」などとキン肉マンチックに語尾を伸ばした途端、母ナックルを頭頂にいただいた。

 不安におびえる誰かを笑顔に出来たって事実が嬉しかったのだ。だから、拳骨の痛みも勲章だ。

 すぐに連絡が届き、雪乃の家族が迎えに来て、俺と結衣の話を聞いて、感謝を届けた。

 しかし雪乃は俺と結衣の服を掴んで離さず、雪乃の父親は「雪乃がこんなにわがままを言うなんて……」と驚いていた。

 「いや、言ってないっす。行動でしめしてるっすよ」と口にしたら、母ビンタが頭頂を襲った。スパァンといい音が鳴って、雪乃が笑った。解せぬ。

 

「……比企谷さん、でしたね」

「はい」

「もしよろしければ、なのですが。娘を一日、預かってくれませんか。明日は土日ですし、遊んでやってもらえたら……」

 

 母、一言「べつにいいですよ」。

 雪乃は家に泊まることになり、「じゃああたしも!」と結衣も追加され、比企谷家は一気に賑やかになった。

 今考えると、雪ノ下の親、すげぇこと頼んでるな。おふくろもよく了承したもんだ。

 

……。

 

 雪乃の家は結構離れた場所にあるらしい。

 今日は家族なんちゃらでたまたま寄ったこの町で、とても可愛らしい猫を発見して、追っている内にあの公園に辿り着いたんだとか。

 

「かーさんに、なんであっさり“いい”って言ったのかきいたら、雪ノ下に名前を知られるって、そういうことだ、って言ってた」

「雪乃ちゃんすごいんだね」

「……べつに、すごくない。すごいのはお父さんとお母さんだし」

「けどさ、ならいごと、とかやってるんだろ? 俺のクラスにも塾に行ってるやつとか居るけど、すげーなーって思うしさ」

「べつに……姉さんのほうがもっとすごい」

「? そっか。でも雪乃は雪乃だろ? 俺、べつにお前のねーちゃんの話なんかしてねーし」

「………」

「だよな? ゆい」

「そうだよ雪乃ちゃん。あたしたち、雪乃ちゃんのお姉ちゃんのことなんか知らないし、雪乃ちゃんのことだってしりたいって思ってるとちゅーだよ?」

「………」

「いやー、兄妹持つってフクザツだよなー。俺も妹が天使な所為で、ちっこい頃はさー」

「えへー、お蔭ではーくんと出会えたんだけどねー?」

「んっ、つーわけでさ、雪乃。俺はお前と、友達になりたい。俺、そーゆーふうに誰かと比べられるの好きじゃないし、他の誰かもそうだって思ってる。だからさ、ねーさんだとかどこのだれだれってのは忘れて、……ゆい」

「うんっ、せーのっ!」

『友達になろうっ!』

「…………」

 

 例えるならポカーン。

 そんな擬音が合ってそうな雪乃は、一度おろおろとしだすとこっちを見たりどっかを見たり。

 けど、少しするとおずおずと手を伸ばしてきた。

 

『───!』

 

 俺と結衣は顔を見合わせてニッと笑うと、その手に手を重ね、

 

『ふぁいとーーーっ! おーーーっ!!』

「ち、ちがうっ……!」

 

 握手じゃなく、自分たちにエールを贈った。円陣を作ってよくやるアレだ。

 けれどそんな返され方がおかしかったのだろう。雪乃は我慢出来ないといった様相で笑い出し、もう一度手を差し出して、今度は自分も混ざった。

 ……それから、なにかというとこうして手を合わせ、適当な言葉を合言葉みたいにするのが、頑張るための合図みたいになっていた。




 /次回予告みたいななにか


「ローーーレーーーンス!!」


 「よろしくイガーハ」


「えっと。け、けっこんまえには」


  「せんぎょーしゅふとかって楽でいいらしいぞ! お前それになれ!」


「力もないのに騒ぐだけの子供は嫌いだよ」


  「タックルは腰から下ぁーーーっ!!」


「ふぁいとーーーっ!?」



    『おーーーっ!!』




次回、夢と現実の僕らの距離/第二話:『“男の子”をやった日』

 愛のマンハッタンの下に!

 ……御旗ならサクラ大戦。

 100話かぁ……ほぼ一話に纏めての投稿だったから、平均1万にしたらそんなに書いていたのですなぁ……。
 あ、基本、次回へ続くとなって更新されないのは寂しいので、お話が終わってから投稿してました。(ただしギャフターは除く)
 11万のSSだろうと一話としてPONとUPしていたため、短いと違和感がある的なことまで言われた凍傷です。
30万3千字小説をUPした時の感想が“次はどれくらい増やすんですか?”でしたし。
 ……ええ、結果として40万字小説を分割投稿しましたが。
 ではでは、また楽しめそうなら楽しんでやってください。


◆pixivキャプション劇場
 きらめーいてー♪ 永久にーつづ~く~よー♪(挨拶)

 ドーモ、閲覧者=サン、お久しぶりです、焼きそばです。(投稿当時、大盛りたこ焼きそばという名前で投稿してました)
 焼きそばのくせに暑さに負けていました。

 さぁて今回のお話はー?
 八結です。え? わかってた? お、押忍。
 まあ山も無く谷もなく、されど長いかもしれなくて谷には園が待っている。お茶漬たべたい。

 一話一話の~んびりいきますから、の~んびり読んでやってください。
 一話あたり一万文字以下くらいで書ければよかギンなぁ。

 表紙画像が奇妙ですが、内容がほんのちょっぴり不思議寄りなので、まあそんな感じで。
 髪型は6.5巻より。眼鏡は頭よく見えてほしかった、例の赤い眼鏡。

 
【挿絵表示】

 で、これがpixivで使った奇妙な表紙画像。
 ジョジョ顔メーカー作です。


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“男の子”をやった日

 仲良くなって、内緒話も増えたいつかの日。

 雪乃は小学でイジメ、というアレに苦しめられているらしいことを知った。

 ぽしょぽしょと語る雪乃は平気そうにしているが、手がぎゅううと握り締められているのを、俺も結衣も見逃さなかった。

 場所は俺の部屋の大きなベッド。

 成長しても使えるようにって、無駄に大きなそれをそのまま買ったその上で、俺と結衣と雪乃は寝転がりながら話していた。

 

「原因は?」

「……その子の好きな男の子が、私のことを好きだったから、……みたい」

「うわー……俺だったらそんな女子、ぜったい好きになれないぞ……? 好きって言ってくれるのは嬉しいかもだけど、それってべつに、だから嫌がらせをしていいってことじゃねーだろ……。俺、そういうのなんかやだ」

「あたしも……。ゆきのん、あたしにできることがあったら言ってね」

「……ゆきのん?」

「うん、友達になったから、あだ名」

「ゆきのん………………うん、ゆきのん…………あだ名かぁ…………私のあだ名……えへへ」

 

 嬉しそうに、くすぐったそうに笑う姿に、夢で見ている俺こそがドッキンコ。やだ可愛い。

 雪乃もなー、こうして昔みたいにいっつも笑ってりゃいいのに。

 

「じゃ、じゃあ、えっと、結衣ちゃん、は……」

「え? あたしにつけてくれるのっ!? なになにっ!?」

「えと…………ゆいゆい?」

「………」

「ご、ごめんなさいっ、すぐに考えるからっ……! えと、ええと……!」

 

 ゆいゆいと言われてぴしりと笑顔が凍り付いた結衣の反応に、慌てて別のを考える少女ゆきのん。

 しかし名前が二文字っていうのは、これでなかなかあだ名が難しい。

 苗字でいってもガハマさんだし。

 

「ゆ、ゆい……えと、いがはま、ええっと……ゆ、ゆー…………イガーハ!《どーーーん!》」

 

 フバーハとかイダーサちゃんっぽかった。

 夢を見ている俺、抱腹絶倒中。

 

「じゃっ……じゃあ、これっ、ゆーちゃん! は、八幡くんがはーくんなら、ゆーちゃん!」

「ゆーちゃん…………ど、どうかなはーくん! あたしに似合ってるかな!」

「よろしくイガーハ」

「はーくん!?《がーーーん!》」

 

 あだ名ひとつで必死になれる。

 そんな関係が、ここから始まった。

 “雪ノ下”に関わるっていうのは案外大変なものらしかったんだが、俺と結衣にしてみればただの友人の話だ。

 土日には遊ぶようになって、毎週車で送られてくる雪乃とへとへとになるまで遊んで、風呂に入って(一緒ではない)、一緒の布団で寝る。土曜に遊びに来たら確定だ。

 むしろそれ以外の曜日はほぼ遊べず、3人が揃う日は思っていたよりも多くはなかった。

 まあ、だからこそ来た日には、全力で楽しませるわけだが。

 たまたま土日に縁日が来た時とか、結衣と雪乃を連れ出して騒いだもんだ。

 来たのは初めてだったのか、雪乃のはしゃぎっぷりはすごかった。もちろん結衣のはしゃぎっぷりも。

 

「わぁあ……! すごい、ね……! すごい……!」

 

 並ぶ出店と俺とを何度も交互に見ては、すごいすごいと言う雪乃は新鮮だった。

 もちろんワテクシも男のはしくれ。

 新しい光景にわくわくする少女をきちんとエスコートして、祭りの楽しさを存分に思い知らせてやった。

 

「よぅし! それじゃあ宣誓! 手ぇ出せー! ……俺達は今日という縁日を全力で楽しむことを、ここに誓いまーす! ふぁいとーーーっ!?」

『おーーーっ!!』

 

 言葉の意味なんて考えない合言葉も、大分馴染んだと思う。

 意味よりも、楽しめることが重要だった。

 妙な一体感を感じると、俺も結衣も雪乃も笑えたから。

 そうして、夜だってのに提灯や店の灯りで彩られた道を歩く。

 俺と結衣は慣れたもんだけど、雪乃は初めてってことや珍しさも手伝って、本当にキョロキョロとあっちこっちを見渡していた。

 

「!? ひ……ひよこ……? ひよこがうってる……」

「あー……あれ、たまぁにあるんだよな」

 

 まず育たないから買わないこと。お袋に言われたことを思い出して、雪乃がそういう行動に出ないかを見守ったんだけど、雪乃はひよこに目もくれず、近くの屋台をちらちらと見るようになった。

 

「……どうした? 探し物か?」

「……猫は?」

「エ?」

 

 ペットショップの出店だと信じて疑わなかったらしい。

 きっちり説明すると、真っ赤になって俯いたのが印象に残っている。

 そんな雪乃がお花を摘みに行っている最中、結衣がとある出店前に座り込んでいるのを発見。

 声をかけようとして、その視線が……あるものに注がれていることを知った。

 

(…………指輪?)

 

 なんのことはない、おもちゃの指輪。だと思う。

 けど、なにやら随分と作り込まれているようで、おもちゃにしては綺麗だった。

 

「じょーちゃん熱心に見てるねぇ。見てるのは……この指輪かい? これはな、俺の兄貴が指輪とか作ってんだけど、その中でもイイカンジのものをたまにこうしておもちゃに紛れさせて売ってんのさ。会心の出来のものをきちんとした店で売ってるんだけどな、これは腕磨きの一環で作られた、完成品とは違うのさ」

「……かんぺきじゃないんだ」

「おぉよ。だが綺麗だろぅ? こりゃ完璧とは言えねぇな~なんて、作りながら思ってもな? そこで手ぇ抜かなけりゃ、その過程は経験値になるんだよ。だから、手抜きはしねぇ。けど完璧ではねぇもんは完璧じゃねぇ。だからこうして、“これでも喜んでくれる相手”に売るのさ」

「うん…………」

「まあ、さすがに他のおもちゃと一緒の値段ってのは無理だけどな。じょーちゃん、金あるかい? 気に入ったなら買ってみりゃいい」

「…………《ふるふる》……もうお金ないから、いい」

「……そっかい。悪いなぁじょーちゃん。こっちも商売だから、タダでいいってわけにやあいかねぇのよ」

「うん」

 

 ……あー、あったわー、こんなのあったわー。

 物語の主人公ならたまたまお金持ってた! なんてことになるんだろうが、そこは安定の俺。当然、小遣いなんて縁日の買い食いに消えた。

 だから、そっからは男の事情。

 少しあとに戻ってきた雪乃と、結衣を連れて縁日をあとにしたあと、自分ひとりで縁日に向かったっていう、なんとも懐かしい頃のことだ。

 

「おっちゃん!」

「おっ? ボウズ、なんか買ってくか?」

「う、ううんっ、買うんじゃなくて……」

 

 もご、と呟いて、背負っていたリュックを開ける。

 そこには誕生日プレゼントとかそういうの以外の、俺の宝物がぎっしり。

 

「おいおいおい、これをどうしろってんだ?」

「そのっ……そう、そこの指輪とこれ、交換できないかなって……!」

「……なんでぇボウズ、一丁前にアクセでもしてぇってか。あー、やめとけやめとけ。これは無理だ。少なくとも縁日が終わるまで、誰にも渡すつもりはねーよ。さっきここに可愛い嬢ちゃんが来てな。欲しそうだったから今日くれぇは取っておいてやるのさ。滑り込みで来るかもしれねぇだろ?」

「そいつにあげたいからっ……だ、だから……! 幼馴染で、そいつのこと、ずっと好きで……! だ、だから……」

「…………」

「~……」

「まじか」

「まじじゃなかったらこんなこと言えるもんかっ!」

 

 顔を真っ赤にした少年ヒキガヤーが叫んでいた。聞いてるこっちも恥ずかしい。

 少年らしい真っ直ぐさって大事ね、ほんと大事。

 

「しかしなぁ、こっちも商売だから……っつかおい、これって結構いい値段するやつじゃねぇか……!? 確か初期のやつで、生産数が少なくて……これも限定もので……!」

「………」

「……ボウズ。お前さん、ほんとにこれ、手放していいのか?」

「思い入れ、ないんだ。宝物っていったけどさ、選んで買ってきたわけじゃない。父さんが“どうせ俺にだから”って適当に詰め込んだものだから。妹のついでで、ほれ、なんて渡されたやつなんだ」

「………」

「おっちゃん、それで……指輪と交換は出来そう? 出来ない? どっち?」

「……もってけ。箱もあった方が女の子に喜ばれるだろうって、箱もあるから。いつか嬢ちゃんに渡してやれ」

「あっ…………~~……ありがとう、おっちゃん!」

「よせ、ちくしょう……そんな話されて、交換しなかったら俺、嫌なヤツじゃねぇかよ…………はぁ。兄貴になんて言おうかねぇ、まったく」

 

 指輪を取る際にきちんと手袋をして、箱に丁寧に差し込んで、品物が置かれている台へ置く。てっきり渡してくれるのかと思ったから、ちょっときょとんとしている俺。やめろ、男のきょとんとか見ても嬉しくない。

 

「“渡す”のはボウズ、お前さんであって俺じゃねぇだろ。指輪にだって意味はある。俺はよく知らねぇが、こだわる野郎ってのはそういうものでも気に食わないだろうからな。……バッチリ決めるんだぜ、ボウズ」

「……おうっ!」

 

 指輪が納まった箱を手に何度も感謝を届けてから走った。

 ふてくされて捨てたりしなくてよかった。

 親父がついでに買ったものが、俺に喜びをくれるなんて。

 ……え? 罪悪感?

 たしかこの時、少したりとも浮かんでなかったはずだぞ。

 ああ、もちろん結衣との思い出の砂時計は部屋にきちんとあるから安心だ。

 あれは別の意味で宝物だから。

 

……。

 

 それから、まあまあの時が流れた。

 が、指輪は渡せていなかったりする。

 状態が悪くならないようにって、おっちゃんの提案で指輪を持って行っては磨いてもらっていたりする。

 ちなみに俺が交換してもらったおもちゃは、予想以上の高値で売れたそうで。

 

「わりぃな、ボウズ。このメンテはその礼だ」

「べつにいいよ。プレゼントだったらきっとなんでも嬉しかったんだ。でも、あれは妹にプレゼントするためのおまけでしかなかったから。……妹にだけ渡すと、母さんがうるさいから、仕方なく買ったものだったから」

「……そか。うし、出来たぞ。っつーかいつ渡すんだ、あん?」

「えっと。け、けっこんまえには」

「かっ! その歳で結婚前提とはやるなぁボウズ! おっしゃ、んじゃあいつかサイズが合わないってことになるかもしれねぇから、その時は俺に言え! 兄貴を脅してでも調整してもらってやらぁ!」

「サ、サイズ? よくわかんねぇけどあんがとな、おっちゃん!」

「おうよ! がっはっはっはっは!」

 

 祭りだの七夕だのクリスマスだの正月だの。

 そんなイベントに一喜一憂して、楽しんではしゃいでいる内、一度雪乃が海外へ留学する、なんて話が出たりもしたんだが、雪乃、これを全力で拒否。

 しかしチケットをもう買ってしまったから、なんて言われて、学校にも話を通していたという。

 

「雪ノ下さん……あんたぁ……なんでそこまで」

「おや比企谷さん。……いやね、私は娘に……陽乃にもだが、父らしく接してやれなかった。八幡くんや結衣ちゃんを見て、つくづく思ったよ。なにより、その二人と楽しそうに笑い、遊ぶ雪乃を見て。……空港行きは絶対だ。あの娘は泣いてしまうかもしれないが、これも成長のためだ」

「男親、というのは辛いものですね」

「由比ヶ浜さん…………はは、そうですなぁ」

「嫌われるだろうな。それでも、やるんですか?」

「ええ。きっとわかってくれると思いますよ」

 

 問答無用だった。

 連れていかないでくれとどれだけ頼んでもだめで、見送りというかたちで俺たちは空港まで連れてこられて。

 何度母さんになんとかならないの、と訊いただろう。

 何度、雪乃のお父さんに頼んだだろう。

 けれど結果は変わらなくて、雪乃は自分の父親に手を引かれて、やがて……

 

「ほら、雪乃。お友達に挨拶するんだ」

「………」

「雪乃」

「~~……」

 

 父親に促されて、雪乃が目にいっぱいの涙を溜めて、てこ、てこ、と……弱弱しく歩いてくる。

 そして、途中で足を止めて……俯かせた顔を持ち上げて、言うのだ。

 さようなら、と……きっと。

 あんなに笑顔が可愛かったこいつが、泣きながら……さようならって。

 だから───俺は。

 

「小町! 結衣! 葉山!」

『うんっ!!』

 

 腹に力を入れて、叫んだ。

 びくって雪乃が肩を弾かせ涙を散らした瞬間、俺と小町と結衣と葉山は駆けだして、俺が雪乃の腕を引き、小町が親父の足にしがみつき、結衣がパパさんの背中をドンと押してこちらへ走り、葉山が雪乃の親父さんを止めに入る。

 ほんと、傍から見れば実にガキっぽい。

 イジメのことで仲良くなった葉山と一緒に立てた計画は、飛行機が行ってしまうまで雪乃を連れて逃げること、なんて考え無しと言ってもいいくらいのものだった。

 けど、子供心にそうしなきゃ、雪乃が連れていかれるからって……必死だったんだ。

 

「えっ!? わっ! きゃっ……は、はーくん!?」

「おうはーくんだ! やっぱり海外とかだめだ! どんだけそっちに居るかもわからないとか嫌だ! 友達が居なくなるとか嫌だ! 親の都合でとかっ……ぜぇええったいに嫌だ!!」

「でっ……でもっ……でもっ……」

「学校なら俺と結衣のところに通え! 家ならウチとか部屋空いてる……と思うし! な、なんだったら俺が物置に寝てもいいから! ややや屋根裏とか超憧れたね! だからきっと物置だってだいじょぶだ! 男だからな! つえーんだ!」

「~~……はっ、はっ……はっ……!」

「せんぎょーしゅふとかって楽でいいらしいぞ! お前それになれ!」

「え……えぇええっ!?」

「そしたら俺と結衣がえーとえーとなんだっけ!? や、やー……やしなってやる! お前料理うまいから、俺達が疲れて帰ってくるとごちそうい~っぱい作って待ってんだ! そんでえーとえーと……と、とにかく今は逃げるぞ! 飛行機行くまで逃げれば俺達の勝ちだ!」

「…………でもっ……! またチケット取っちゃったら、同じっ───!」

「そんときゃまた逃げる! 何度だって逃げる!」

「それじゃあはーくんもゆーちゃんも家に帰れない!」

「馬鹿なことやってるって思うよ! わかってんだそんなこと! でも嫌なんだよ! 諦めるのは楽だろうけど、それで周りが笑えないならそんなのちっとも楽しくねぇ! 俺はお前らに会って、楽しいこといっぱい知ったんだ! 俺のわがままなんだよこんなの! 俺が楽しみたいからお前の親父さんの邪魔をする! だから、ぜ~~んぶ俺が悪い! お前はちっとも悪くねぇ! だから笑え笑え!」

「っ……はーくん……!」

「だいじょぶだよゆきのん! ぜったい守るから! そーだよね! はーくん!」

「おうっ! 意地でも逃げてやる! 宣誓っ! 俺達は飛行機が飛んでっちまうまで、雪乃と一緒に逃げ切ることをここに誓いまーーす! うぃーーーきゃぁーーーんっ!?」

『どぅーいっと!!』

 

 逃げた。途中ですぐにバレないようにって髪を隠す帽子をかぶせて、逃げた。

 子供の足じゃ、速度なんてたかが知れている。

 だから人の波に紛れるようにして走って、結衣たちに言ってあった合流地点まで来ると、そこからまた散会。

 走って走って走りまくって、息切れ起こして足を止めて、少ししたらまた走って。

 けど。まあ。捕まるよな。相手、大人だもん。捕まる。

 子供が行きそうな場所を予測して待っていたのは陽乃さんで、雪乃の姉である彼女は、随分と冷静に妹をよこせと言う。

 妹なのに、海外に行かせることに賛成なんだって思うと、悔しさが湧く。

 このまま話し合って時間を……と思ったのに相手は容赦なんてしないで、強引に彼女の腕を掴んで引っ張った。

 当然止めに入った───のに、景色が急に回転して、冷たい床に叩きつけられた。

 

「力もないのに騒ぐだけの子供は嫌いだよ」

 

 倒れ、痛みに震える俺を見下ろし、キッパリと。

 俺は歯を食いしばって彼女を見上げ、痛みに耐えながら立ち上がると、ラスボスであろうその人を睨みつつ、内心でニヤリと笑っていた。

 

「ほら雪乃ちゃん。今向かえば余裕で間に合うから。もうこんな面倒なことやっちゃ───」

「………」

「…………? 雪乃ちゃん? ゆき───、……!?」

「《ばさぁっ!》……!」

「───!? あなた───……っ!?」

 

 掴み、引いていた腕に違和感を覚えたのか、陽乃さんが彼女の帽子をばさっと乱暴に取る。

 するとそこには、作り物の髪の毛がついた帽子を外された結衣の姿が。

 

「変わり身!? っ……ひ、ひきがやく《っぱぁんっ!》きゃああっ!?」

 

 驚き、慌てて俺へと向き直ったその目前で、大きな新聞で作った紙鉄砲を炸裂させる。

 尻もちをつく陽乃さんをそのままに結衣の手を引いて駆けた。

 やってみせたことはひどく簡単なものだ。

 合流した時点でトイレに入り、結衣と雪乃の着ている服を交換して帽子を被らせた。あとは逃げて囮になれば、それで全て解決。

 まさか陽乃さんが引っかかってくれるとは思わなかった。

 あとは雪乃と合流して、あと少しを逃げ切れば───!

 走って走って、落ち合う約束のトイレにまで着くと、そこから彼女が出てきて───……そこを、取り押さえられた。

 

「はぁっ、はぁっ……! まっ…………たく……! お姉さんのこと出し抜くなんて、やってくれるじゃない、比企谷くん……!」

「陽乃……さん……!」

 

 まじか、あの距離、あの人込みの中で、見失わずに追いつくって……!

 夢の中でも呆れるほどの身体能力だ。ミスパーフェクトとか心の中で思っていた時代を思い出した気分だ。

 俺の手をきつくきつく握る陽乃さんは、俺を逃がすつもりなんてこれっぽっちもない。

 結衣の服を着た彼女を一瞥して、勝ち誇った顔で「ほら雪乃ちゃん、もう行くよ」と言う。

 彼女は項垂れて、ゆっくりとした動作で帽子を取ると───

 

「答えは───」

「“馬鹿め”、だ!」

「───!? え、あ、へぇっ!?」

 

 彼女は、小町であった。

 はっはっは、子供の体形なんてそんな変わらんよ!

 兄弟、声を揃えて馬鹿めを届けた。

 驚いた隙を突いて、俺の腕をしっかりと掴んでいる側、陽乃さんの右脇腹を人差し指でゾスと突く。

 当然、急な痛みとくすぐったさとが混ざった衝撃にさらに驚いた陽乃さんの手は緩み、その隙に振り払って全力で逃走。

 それからも姑息と言われようと、真正面から出し抜く方向で抗い続けた。

 ……の、だが。

 

「まったく……てこずらせてくれちゃって」

「雪乃っ!?」

「ゆきのんっ!?」

「雪乃ちゃん!」

 

 そろそろ時間だと油断した……いや、油断しなくても捕まっていただろう。

 考えてみればわかりそうなものなのだ。

 人が下手に手を出せない場所で時間まで待機してもらうって方法は、案外鬼ごっこなどでは有効な時があったりする。

 人ごみに紛れて逃げ続けるのももちろんアリだが、それだと自分だって相手がどこに居るのか、いつ誰と遭遇するのかが予測できない。

 だったらそもそも性別の時点で追手の半分を削げて、その上鍵まで閉められるトイレはとても安全で安心だった。個室を取れたならほぼ無敵。

 しかしあろうことか陽乃さんはそれを、わざわざ締まっている個室全部をノックしてみせ、返事がない個室は上から覗いてみたらしく。

 早い段階で見つかってしまってからはもう早い。

 合流地点に引きずり降ろされた気分で、出入り口の先にある電光掲示板前に立ち尽くし、俺と結衣と葉山は陽乃さんに捕まった雪乃を見ていた。

 

「私もまだまだ人の先を読み切れてないなって驚いちゃった。比企谷くん、キミ結構やるねー。それとも隼人の入れ知恵かな? ……それはないか。隼人は人の裏を掻くとか、考えてもやれないだろうし」

「っ……」

「そっちのコは真っ直ぐって感じだし、そういう考え自体が苦手でしょ。ほら、こうなると比企谷くんだけ。それとも親に吹き込まれた? ……それもないでしょ。雪ノ下に喧嘩を売るなんて面倒ごと、普通の大人なら考えられないもんね」

「ゆっ……ゆきのんを離してくださいっ」

「んー……? んふふー、だ~め。そろそろ時間もないし。あと一歩ってところで全部がダメになる気分ってどうかな~って、それだけを確認したかっただけだもん。じゃ、行こっか雪乃ちゃん」

「《ぐいっ》やっ……!」

「ま~ったくー。前まではい~っつもお姉ちゃんの真似をしてて可愛い子だったのに。いつからこんな、反抗的になっちゃったのかなー。…………お姉ちゃん、ちょっと嬉しいじゃない《ぽしょり》」

「……?」

 

 引っ張られていく。

 陽乃さんが喋るたびに、引っ張るたびに雪乃の抵抗は弱まって、次第に引かれるがまま歩いていくように───

 

「タックルは腰から下ぁーーーっ!!」

「《どかぁっ!》ちょわっ!? ったっ───ととっ……! 」

 

 しかしここで伏兵出現。

 奥側から合流する筈だった小町が駆け付け、陽乃さんにタックルをかましたのだ。

 人間、倒れそうになれば当然両手でなんとかしようとする。

 その結果、雪乃の腕は解放され───

 

「結衣! 男らしくわかりやすく伝わりやすくだ! あと出来れば格好良さも!」

「うんわかってる!」

 

 解放され、同じくたたらを踏んだ雪乃。

 すぐに小町に駆け寄ろうとするが、

 

「雪乃!」

「ゆきのんっ!!」

 

 こっちを見ろとばかりに叫んで、二人同時に手を伸ばし。

 

『───来い!!』

 

 わかりやすく格好良く。

 叫んでみれば即座に行動。

 

「~~~───うんっ!!」

 

 雪乃は床を蹴り、駆け出し、俺達の手を片手ずつで握ると、一緒に、というよりは俺達に引っ張られるかたちで駆けだした。

 

「きゃああっ!? ちょっ、まって、まってまって倒れちゃ《ずべしゃあ!》へぷっ!?」

 

 むしろコケた。

 しかし痛がっている暇はないと立ち上がり、今度こそ三人一緒に逃げ出した。

 

「あっ、ちょっ……待ちなさっ……あー! もー!!」

 

 空港出入り口には陽乃さんの悔しそうな声が響いた。

 青春だな。うん青春だ。うーん青春だ。

 




 /アテにならない次回予告

「ローーーレーーーーンス!!」


 「……お前に俺の妻の怖さは一生わからんよ」


「はーくん、どうしよ、はーくん……! うち……引っ越すって……!」


   『絶対やめて』


  「……なぁ比企谷。お前、いつもこんなことを……?」


「……本当にごめんなさい」


   「自業自得だお嬢様」


 「即答なのね」


    「そ、そっか……あの陽乃さんが……」


 「私……なにをやっていたのかしら……。ありもしない力に憧れ、見えないものに寄り掛かって……」


「離れ離れなんて、やだよぅ……!」



次回、夢と現実の僕らの距離/第三話:『そして彼女は』

 平成枯れ葉にマロンの嵐! ……いえ、この言葉にはなんの意味もありませんよ?

 ◆pixivキャプション劇場
 Sir! YesSir!(ウォートラントルーパーズ)

 上手いこと一万文字にならないように調整できないかしらといじくっても、なかなか難しいものです。

 それはそれとして、いなげやの歌ってMP3とかで売り出してくれないもんですかね。あれ大好きなんです。
 ハローマイライフ!
 僕のヒーローアカデミアのインゲニウムの肩を見ると、いなげやのカードを思い出すのは僕だけじゃないと思うんだ。

 追記:ハイ、タイトルでエロォスなこと考えた人ー、自室を出て8秒だけ廊下で反省しなさい。

 追記:前回が奇妙な画像だったので、今回はきちんと自分で描いたものをUP。
 
【挿絵表示】

 もっと速く描けるようになりたいです。
 フィクションとはいえ、岸辺露伴には憧れますよね。
 ドシュドシュで終わりですもん。


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そして彼女は

 そんなこんなあって。結論を言うと、戦いには勝った。

 飛行機はゴヒャーと飛んでいってしまい、そのことが幼い俺達にもわかるように放送される頃には、俺は陽乃さんにフェイスロックをキメられ、雪乃に「お、俺に構わず行けー!」と叫んでみたりしていたところだった。やーらかかったです。なにがとは言わないが。

 葉山? 話し合いでなんとかしようとして一撃で撃沈しましたが? 時間がないからって実力行使しに来た相手に話し合いとか無理に決まってるだろうに。

 で、そんな俺達だったのだが。

 まあその光景は笑えるものだっただろう。

 フェイスロックくらって「い、行けー!」とか叫んでるガキとか、「はーくん置いていけない!」なんてほんとに泣いて戻ってきてしまう結衣とか、「雪乃ちゃん! きみだけでも逃げてくれー!」と叫ぶ葉山(床に倒れながら)とか。

 しかもそれを撮影している人が居たりしたもんだから、始末に負えないっつーか。

 

「はいはーい、お疲れさまねー、みんな~」

「え……ママっ!?」

 

 混沌状態の空港出入り口に、カメラ片手に現れたのは結衣の母、ママさん。

 次いでウチの両親、結衣の親父さんが現れて、笑った。

 

「お前もやる時はやるんだなぁ。女の子攫って逃走とは、男だなぁ八幡」

「お疲れ、頑張ったねぇ八幡。よくやった。母親として、なんか嬉しいよ」

「結衣……友達のために損が出来る子に育ってくれて、パパ嬉しいぞ……!」

「あら~、パパったら泣いちゃって」

 

 当然、そんな状況に困惑を持つのは俺達だけではなく陽乃さんもで。

 

「えっ……あの、どういう……?」

「どういうもこういうも、つまりね~陽乃ちゃん。あななたたちのお父さんは、最初から雪乃ちゃんを捕まえる気なんかなかったのよー」

「えっ…………な、なんで? だって、雪乃ちゃんを追いかけなさいって、父さんが」

「そう。捕まえろーとか連れてこい~とかそういうことを言いたかったんじゃなくて、追いかけっこしてきなさいって言いたかったの。子供らしい遊びなんてしてあげられなかったし、させてあげられなかったから、って」

「………」

「陽乃ちゃん?」

「……父さんは?」

「だぁれも戻ってこないから~って、笑いながら飛行機に乗って、外国行っちゃったみたいよ~? もったいないから外国行ってお土産でも買ってくる、って」

「はぁ、まったく。言伝を人の妻に頼むとか、雪ノ下さんは随分と……!」

「あなたー? あなたがそんな調子だから頼まれたんでしょー?」

「ぐっ……仕方ないだろう、彼が誰よりも先にお前に声をかけるからっ……!」

「はぁ。男ってほんとアレね。ウチの馬鹿旦那もアレだし」

「……なぁ。それ、“若旦那”に語呂が似てるけど意味がまるで違いすぎるから、もう勘弁してくれないか……?」

「ドやかましい。……さ、雪乃ちゃん。これからちょっと騒がしくなるよ。実際、もう学校をやめる手続きは終了しちゃってるわけだから」

 

 親連中が来ると、一気に話は進む。進むんだけど、陽乃さんがフェイスロックを解除してくれない。時折ゲンコツが組み込まれる。解せぬ。

 

「そうだよ……雪乃ちゃんはもう退学してるんだから、それは……え? むしろそこまでやっておいて、どうして……」

「忙しい物事や面倒ごとなんて、親の仕事さ。夢とか義務ってものはね、ある程度大きくしてしまえばあとは本人次第だ。彼……雪ノ下さんはね、家の仕事のことで、娘が自分の夢を諦めるようなことがないようにって願っていたよ」

「……うそ」

「はっはっは、まあ私も彼から聞いただけだから本当だ、と力説してやるわけにもいかないんだが……それでも、妻とはきっちり話をつけた、とは聞いた」

「え……じゃあ、雪ノ下建設は……」

「老人になろうが仕事を続ける者は居る。信頼できる部下に託す者も居る。……それは、夢多きキミみたいな子供が考える必要のないことだ。私も結衣という娘が居る。気持ちはわかるさ。……してきた習い事も、そうあるようにと躾けられたものも、別のなにかに向けてみたらいい。そのまま雪ノ下建設を継ぐのもいいだろう。だが、だ。継ぐのなら、自分が本当に継ぎたいと思ったから、という理由じゃなければ継がせないと言っていた」

「父さんがそんなことを……」

「妻の説得には時間がかかり、散々といろいろ言われたらしいが……それらが無駄になってしまうから、と。面と向かって言えばいいだろうに」

「父さん……」

「きみと雪乃ちゃんには選択肢がある。自由にさせる代わり、世の中を知るために実家には戻らせないのが前提条件としてあって、彼はそれを受け入れ、きみを自由にさせた。で、選択肢だが……実家に戻れないなら雪乃ちゃんと二人で暮らすしかない。しかしながら、私も比企谷も頼まれていることがってね」

「頼まれてること……」

「そう。……ほら比企谷、いつまで正座してるんだ」

「……お前に俺の妻の怖さは一生わからんよ」

 

 情けなさなら常時理解できると思うぞ。

 夢の中とはいえツッコミまくりの状況だ。

 そして子供の俺、ようやくフェイスロックから解放。

 代わりに腕を掴まれ逃げられなくなった。

 それを、結衣と雪乃が外そうと奮闘している。途中から大岡越前状態になって、「《ミチミチミチミチ》ギャアーーーッ!!」俺の腕がもげるところだった。大岡越前たすけてぇえ!!

 

「選択肢っていうのはね。一つ、俺の……比企谷の家に住んで、近場の学校に通う」

「もうひとつは私の家に住んで、近場の学校に、というものだ。べつに雪乃ちゃんと別々の家に住んでもらっても構わない」

「……。家を借りて、そこに住む……っていうのは」

「それがダメでなぁ。それはきみの両親から断固として反対されているんだ。それをしようというなら、自由になる権利の全てを放棄して雪ノ下建設のために働いてもらう、だとさ」

「……。なんで……急に、そんなことに……」

「羨ましそうだったから、だとさ。雪乃ちゃんを見るきみの目が、羨ましそうだったから、って」

「───……」

 

 沈黙。

 陽乃さんは呆然と親父を見て、結衣のパパさんを見て、俺達を見て……床に目を向けた。

 大岡越前状態からは解放された。

 俺はようやくいつでも逃げる準備をしていた体を休めると、すぐに力を込めて

 

「よっしゃぁあああっ!!」

 

 力の限り、喜んだ。

 

「やったなぁ雪乃! お前こっちで暮らせるってさ!」

「よかったねゆきのん! よかったね!」

「ばっか結衣っ、よかったねじゃあ雪乃だけ嬉しいみたいじゃんか! やったぜでいいんだって! 俺達も嬉しいんだから!」

「うんっ! やったねゆきのん! はーくん!」

「ぁ……ぇ……っ……ふ……ぁあああん……!! ゆーちゃん……っ……はーくぅうん……!!」

「うわぁ雪乃が泣いた!」

「ゆゆゆゆきのんどうしたの!? どっか痛い!? パパになんかされた!?」

「ちょっと待て結衣! なんでそこでパパ!? パパなにもしてないぞ!?」

「そっか! これが嬉し涙ってやつか! おー泣け泣け雪乃! 泣いて、泣き止んで、立ち上がったら今よりもっと強くなってるって漫画で言ってたぞ!」

「ぐすっ……えぅっ……うんっ……私、つよくなるね……! もっともっと、つよく……なる……!」

「うんっ、あたしもっ! はーくんもね!」

「おうっ!」

「じゃあ宣誓! あたしとゆきのんとはーくんは、三人一緒に今よりも~っと強くなることを誓いまーす! ふぁいとーーーっ!?」

『おーーーっ!!』

 

 俺達はともに喜び、抱き合った。

 視界の端では、床を見つめる陽乃さんがママさんに抱き締められ、頭を撫でられていた。

 撫でられ、やさしい声で……「うちに、くる?」と言われ。

 彼女はママさんの胸に顔を埋めながら、一度だけだけど……頷いた。

 

……。

 

 ───あの日から、俺達の日常は大きく変化した。

 比企谷家に雪乃が住むようになって、由比ヶ浜家に陽乃さんが住むようになって。

 そのまま関係は続くんだって思っていた───そんな、ある日。

 

「ひっく……ぇぅう……! はーく……はーくぅん……!」

「結衣!?」

 

 結衣が、泣きながら俺の家に来た。

 驚いて、慌てて、誰が泣かせたんだって怒りが凄い出てきて……けど。

 

「あたっ……し……あたし……! はーくん、どうしよ、はーくん……! うち……引っ越すって……!」

「──、……え?」

 

 幸せな時間なんてものは続かない。

 それなら今度は結衣を護ろう、なんて言っていられない状況だった。

 家に雪乃がやってきて、じゃあ結衣も追加で、なんて出来るとは思えない。

 説得力のない「俺がなんとかしてやるから!」なんて叫びを、俺自身がきっとこれっぽっちも信じていなかった。

 電話でママさんと話して、引っ越しをやめてくれって言ったってそれは無理だからと、やんわりと断られ。

 じゃあうちで結衣を、と言っても当然、それはだめと言われた。

 子供の我が儘が通じる限界なんて、こんなものだ。

 それでも俺はお願いして、頼んで、それでもだめで。

 

「ママ……あたし、はーくんの傍に居たい……! 離れ離れなんて、やだよぅ……!」

 

 力のないただのガキって言葉が重く圧し掛かり、無力しか抱けなくなった時。俺の手から受話器を取って、震える声で訴える結衣が居た。

 ……その言葉を耳にして、なにを勝手に諦めようとしてるんだ、と力が沸いた。

 こんなに簡単に諦めるわけにはいかない。

 そうだ、俺はまだ、指輪さえ渡していないんだから───!

 

『あらそうなのー? じゃあ丁度夏休みだし、そっちに泊めてもらってなさいねー?』

 

 ……。そしてこの困惑である。

 え? いや……え? あの……え?

 

……。

 

 結論から言おう。

 由比ヶ浜家が団地から引っ越すことになると、翌日には隣の家が騒がしくなった。

 なんだろう、って行ってみたら、なんか隣に由比ヶ浜の表札が付けられてて。

 うん。引っ越しだな。嘘なんて一言も言ってない。引っ越しだ。うちの隣に。

 あれだけ泣いて訴えていた結衣は、真っ赤になって口も開かなかった。もちろん俺もである。ママさんにすっげぇ撫でられた。めっちゃ撫でられた。結衣を護ろうとしてくれてありがとう、って……めっちゃ撫でられた。

 で、肝心の結衣は俺が撫でられている隙に、俺の部屋へ駆け込むとベッドへ飛び、掛け布団を巻き込むようにして丸くなり……まあその、慰めるのに時間がかかった。

 サプライズのつもりだったんだろうけど、そういうの無しね、要らん恥かきまくったわ。

 まあ結局はそのー……新しい家族が一気に増えたみたいで、俺達はそれはもう燥いだ。

 代わりに、雪ノ下建設は事業の安定化を目指しての行動や、信頼出来る者の選別などで大忙しで、まあだからこそ両家に娘を預けるようなことをしたんだろうが……しばらくは忙しいらしかった。

 家族が増えるってことで、ウチも由比ヶ浜家も賑わいと勢いを見せ、猫を飼ったり犬を飼ったり。猫がカマクラ、犬がサブレという、なんとも娘大好きといわんばかりの行動だった。ほんと、親父という存在は娘に甘い。

 

……。

 

 新しい家族が増えた日々を何日何ヶ月と過ごしていくと、慣れるものもあれば踏み込める場所も増えてくる。

 この関係の中で一番変わったのは、きっと陽乃さんなんだろう。

 いつの間にかママさんのことをママと呼ぶようになって、あのほんわりオーラに当てられたのか、嫌がらせや人の内側をつついてくるようなこともなくなった。

 前までは固かった笑顔が自然のものになって、今が楽しいって顔に張り付けてるってくらいニコニコしてる。

 それは雪乃も同じであり、いつからか丁寧な口調を心がけるようになったのもそうだけど、ラノベとか漫画にも手を伸ばすようになった。

 面白いことに、やろうと思えばほぼなんでも出来るような完璧超人のタマゴみたいなヤツで、多少手をつけるとテニスだろうとサッカーだろうと器用にやってみせた。

 正直羨ましいレベル。

 問題点といえば、体力がないことくらいだろうか。

 

「せっ……宣誓……っ! わ、わわわ私たち幼馴染は、諦めず、体力作りに励むことを誓います……っ! さっ……さらに向こうへぇっ!!」

『Plus・Ultraぁあーーーっ!!』

 

 じゃあ、と早朝ジョギングなどをして体力をつけることに。

 子供がよくするもののひとつ、“嫉妬”を向ける相手じゃなく、子供が憧れるような完璧な存在にしてみたくて、結衣と一緒に雪乃を引っ張った。

 するとどうでしょう、学校では成績優秀、運動も出来て真面目で、そのくせ漫画アニメ小説にも通じていて、と……まさにオールラウンドっていうのか? そんな存在が誕生。

 成長する過程、特に中学二年あたりで危うく腕に包帯、目に眼帯を身に着けかけたが、なんとか阻止。

 

「雪乃ちゃん、さすがにそれは……」

「黙りなさい葉山くん。私の力、ラーニングがこの身に宿されたことには、きっとなんらかの意味があったのよ。それを自覚もせず燻らせるのは持たざる者への侮辱。故に私は───!」

「雪乃ー、もう帰るぞー。今日のご飯当番お前だろー?」

「あっ、そうだった……それではね、葉山くん。ごきげんよう」

「ごきげんようって……一緒に帰らないかい? どうせ同じ方向だし」

「ごめんなさい、買い物をして帰らなければならないの。付き合わせるのは悪いわ」

「構わないよ。それくらい待てるし、荷物持ちでも───」

「なら卵を買っていくから、1パックを担当してちょうだい」

「……なんだか、たくましくなったね、雪乃ちゃん」

「最近、料理がとても楽しいの。二人と一緒に買い物をして、二人と一緒に失敗しながら楽しく料理を作るの。出来たものを家族で囲んで、失敗作に苦笑しながら食べる。……ふふっ、楽しいの。とてもよ?」

「……そうか」

 

 雪乃と一緒に、葉山も引っ越した。

 小学中学と同じ学校で、結衣も小町も喜んだものだ。

 その裏でどういう頑張りがあったかーっていうと、父同士が相当に意気投合、仲良くなり、どうせならってことでいろいろと金の使い道を考えたんだとか。

 

「ねぇはーくん。あたし、髪の毛染めたら似合うかな」

「似合うだろうけど俺はそのままでいいと思うぞ?」

「うん、そのままにする《キッパリ》」

「即答なのね……私はどうかしら」

『絶対やめて』

「……即答なのね」

 

 材料を買った帰り道、中学生の会話である。

 

「で、葉山。こうやったらこうやって、号令に会わせて掛け声を言う。OK?」

「たまにきみたちがやっているあれか。いいのか? 俺も」

「幼馴染だからな」

「そういうものか……?」

「えっと、じゃあ今日は料理だし、ゆきのんで」

「ええ。それじゃあ───宣誓。私たちはこのスーパーで、値引きシールの特売品を一人一品ずつ確保することをここに誓います───! 全軍んんっ───!!」

『とぉおつげきぃいいいっ!!』

「えっ!? えぇっ!?」

 

 どんな号令が来るかわからないから、初めての葉山じゃ無理だった。

 俺達は笑い、けれどすぐに表情を引き締めると、歴戦の猛者“OKAN”が蔓延る戦場へと駆けていった───!

 

……。

 

 で。

 

「買い物袋から長ネギが飛び出てると、買い物した~って感じするよねー」

「わかるわ、ゆーちゃん」

「死ぬかと思った……! ……なぁ比企谷。お前、いつもこんなことを……?」

「いつもってほどじゃねぇよ」

 

 今日の買い物はまさに戦いだった。

 いやはやOKANの皆さまの強いこと強いこと。

 買い物を頼まれていたらしい学生が、ブルチャージ(脂肪の塊タックル)くらって吹き飛んでたからね。

 

「彼女たちと帰りに食材の買い出し…………はぁ。よくもまあ、これで敵を作らないでいられてるよな」

「あー……まあ、二人とも可愛いもんなぁ。むしろお前と雪乃が結構噂になってた」

「お金持ちとお付き合いをするつもりはないわ。何事も多すぎないくらいが丁度いいのよ」

「あ、それ陽乃さんも言ってた。あはは、陽乃さんのこと、あたし最初は結構苦手だったなー。今じゃママにべったりな感じ」

「そ、そっか……あの陽乃さんが……」

 

 どういう条件で自分の道が変わるのか、なんてのはわからないもんだ。

 しかしながらこういう関係が続いて、仲良く出来てるんならそれはそれでいいんだろう。

 

「敵は居ないけど、友達も少ないよな、きみ」

「ほっとけ。女と仲良くしてるからって馬鹿にしてくるやつらとなんか、友達になんてなりたくねぇよ。欲しいもの……っていうのか、欲しいって思ってたものは隣に居てくれてんだ。これ以上は贅沢だろ」

「きみ、いつか刺されるぞ」

「刺っ……なんで!?」

 

 そんなもんは子供の頃のあいつらの自業自得じゃないのか?

 女と仲良くすればヒューヒューとしか煽ってこなかったやつらの。

 だから今さら羨ましいとか言ったって馬鹿ですかとしか返せない。

 現に結衣も雪乃も「馬鹿だよねー……」とか「愚かね」とかしか言わないし。

 喋りながら歩き、途中で葉山と別れる際にきっちりと卵も受け取って帰る。

 いつもの三人になると、どうしようかなーと思いつつも結局言う。最近特に気になっていることだ。

 

「ていうかさ」

「うん」

「なにかしら」

「そろそろ───」

「そろそろ?」

「もたついていないでハッキリと言ってちょうだい。勢いに任せた突然のことを言われるのは、もう慣れているつもりよ」

「そか。じゃあ……そろそろ同じベッドで、ってやめない?」

「あー……そろそろ暑くなってきたもんねー……」

「そうね……けれどべつに構わないのではないかしら」

「いや、暑いからとかそういう方向じゃなくてね? 最近、小町と陽乃さんの俺を見る目が厳しいっつーか」

「そっか。じゃあ小町ちゃんと陽乃さんにはちゃんと言っておくね?」

「はーくん。それはあなたが気にすることではないわ。私たちがしたくてしていることだもの。そもそもよくあるハーレムではないのだから、そこまで気にすることでもないでしょう」

「両腕に一人ずつ抱き着かれながら眠る、年頃男子の身にもなってくれよ……。床で寝るって言ったって、朝になったら二人とも床で寝てるし」

「居心地がいいのよ。それだけよ」

「そうそう、それよりほら、もう家つくよ?」

「……へいへい」

 

 状況はハーレムっぽい……のだが、べつにお互いを好き合ってる、とかそういうのはなかった。

 仲良しの延長と言えばいいのか、男女の境界が薄かったのだ。

 度が過ぎる行動は親が止めてくれたし、それ以外は許されたから、一緒のベッドで寝るのは日常的で。

 しかしいつからか漫画などでそれらをハーレムだとか言っていたのを機に、俺の中でそれが違和感になって突き刺さった。

 俺、最低な男なんじゃなかろうか、って。

 いや、答えは出てるんだけどな。

 ハーレムにおいてひどいと思うのは、主人公の“選ばないところ”だ。

 つーかその“選ぶ”って時点でなんか腹立つ。何様だ。

 選択とかじゃなくて、最初から決まってりゃそんな思いなんて必要ない。

 けれども選ぶことも必要な時はあるわけで。

 ……らっくん、マジよく選んだ。グッジョブ。千葉県のYさん、お見合いおめでとう。成功するかは知らんけど。

 

……。

 

 景色は変わって中学の英語授業。

 これはどうも覚えるのに苦労して、誰もが英語の授業では自分が指されませんようにと願ったものだ。

 

「アン───では今の英文を……ミス・ユイガハマ、日本語で」

「ふえっ!? は、はいっ! えと、えっと……!」

 

 指名されて立ち上がる結衣だが、教科書とにらめっこしたって答えはでない。

 しかしそんな彼女に、後ろから紙を差し出す救いの手が……!

 

(……! ゆきのん……!)

 

 ちなみにこの英語の先生、ハーフなのだが、誰かを指名して答えてもらう際、目を閉じるのが好きな人。

 目を閉じて、聞こえてきた答えに頷きながら正解不正解言うのが好きなんだ。外国人ってそういう聞き取り方するイメージ、あるけど。

 そんなわけで堂々と紙を受け取った結衣は、むふーん! と胸を張って答えを言った。

 

「えとっ……ヨシッ。スモトリを人質に、無人スシバーに立てこもったニュービーニンジャが、首にカラテチョップを受け、爆発四散! インガオホー!《クワッ!》」

「………」

「《ドヤァアア……!!》」

「廊下に立ってナサイ」

「あれぇ!?」

 

 アワレ、ユイガハマ=サンは廊下に立たされることになった。ショッギョムッジョ。

 

……。

 

 で、休み時間。

 

「ゆきのんひどいぃい!!」

「ぶくっぷふ……!! ご、ごめっ……ごめんなさっ……! まさっ ぶふっ……まさか、本当にっ……くっふふふ……! 文字を見てっ……おかしいって、気づくとっ……くぷふっ……うぷふっ……!! ふっ……ふぷふふふ……~~……!!」

「笑いすぎだからぁ!! は、はーくぅう~~~ん……!!」

「あぁよしよし、でもいくら英語が難しくても、明らかにおかしな文だったらまず疑おうな? 雪乃、最近ダークな行動に憧れてる部分があるから」

「うー……」

「……本当にごめんなさい。なにこれ、とか少しでもツッコミめいたものがあれば、本当の答えを書いたものを渡すつもりだったの。まさかあんなことになるなんて…………いまさら罪悪感が凄くて辛いわ、はーくん……」

「自業自得だお嬢様」

 

 雪乃は……なんというか、結構はっちゃけた。

 お嬢様って言葉を忘れるくらい、はっちゃけた。

 時々中二的な病気が入るくらい。

 結衣も俺もそれに巻き込まれ、しかしながら迷惑になることは滅多にしないし、その滅多も想定外のことからくるものだった。

 

  ……だから、俺と結衣はひたすらやさしく接した。

 

 片手でスタイリッシュに目を隠しつつ格好いい言葉を口にした時も、いきすぎて言語がルー語になっても、人の部屋のベッドの上に置き忘れた(らしい)ポエムがあった時も。

 そうしてともに過ごし、やがて中学二年を卒業する時。

 彼女は少し大人になり、「死なせてちょうだい……」と人のベッドの上で遠い目をしながら正座した。

 なにがあったかは……その、ほら……な? 陽乃さんにグリモワールを見られたというか。ほら、あの人容赦ないからさ。久しぶりに見たんだよ、あんなステキなおもちゃを見つけたって目をした陽乃さん……。

 で、これである。つかなんで人のベッドの上で正座してるの。やめて。なんか俺のベッドがジクジクと絶望色に染め上げられてる気がするから。

 

「私……なにをやっていたのかしら……。居もしないものを居ると言って、ありもしない力に憧れ、見えないものに寄り掛かって……そんな自分の世界をノートに纏めたものをグググリグリリグリモワールなどと、とととと…………───死にたい……」

「いやいや待て待て落ち着け! あれはなんというかしょうがないだろ! なまじっか人の行動を見て自分も出来る、みたいなのに長けていただけであって!」

「ゆきのんが悪いわけじゃないよ! ね!? ほ、ほら、ラーニングが悪いんであって───」

「《ゾブシャア!!》……ァグゥッ……!」

「あ」

 

 言葉の槍が、槍にした覚えもないのに雪乃の胸に突き刺さった。

 

「……ラーニング言わないで」

「……なんかごめん」

 

 彼女は成長したのだ。……成長したって言わせてくれ。

 

 




 /アテにならない次回予告

「ローーーレーーーーンス!!」


  「ただちょっと、年齢とか偽って、給料のいいバイトとか探そうかなって思ってただけだから」


「傍で雪乃ちゃんと由比ヶ浜さんときみを見ていたら、馬鹿らしくなってね。以降は好きに生きてるさ」


 「泣いてるやつほっといて笑ってるやつの手なんか握ってんじゃねぇよ! お前それでも幼馴染か!」


   「うん……毎年はーくんの誕生日に、封筒渡すおじさん……あたし大嫌いだった」


「言ってくれた。歌ってくれた。……嬉しかった。…………ありがとう」





次回、夢と現実の僕らの距離/第四話:『幼馴染は終わりにしよう』

 緑谷少年がムキムキになるぞ!

Q:なりますか?

A:なりません


◆そういえば
 pixivにて投稿していた時は、無駄に長い駄文をキャプションという名の前書きに書いていたのを思い出し、せっかくなので後書きにペター。
 飛ばしてくれて一向に構いません。ほんとどうでもいいことなので。
 (せっかくなのでこれの前の話のキャプションも、後書きに貼っていきます)

 というわけで───

 覇王翔吼拳を使わざるをえない!(使ったら一撃で殺されました)

 遠い昔の話です。
 ネオジオで龍虎の拳をやっていたんです。
 氷柱割りとかビール瓶切りとかをボーナスステージでやって、ついに“超必殺技伝授!”をやって、覇王翔吼拳を覚えたんですよ。
 Mrカラテのお決まりのセリフをご存じ? んああ仰らないで。
 ようするに覇王翔吼拳を覚えなければ貴様はワシには勝てませんってやつでした。
 なので覚えたなら文句はあるまいィィイ! と、仕合開始直後にコマンド入力です。
 プレイヤーキャラが構え、覇王翔吼拳を放とうとします。
 何故かカラテ先生も同じポーズでした。
 あっちゃー相殺かー、と思ったら貫通してカウンターで決まってこちらだけ死にました。
 その時思ったの。
 大人はみんなうそつきだ!

 冗談ですが。いえ、うそつきの下りだけ。一撃で死んだのはマジです。
 お決まりのセリフを言われて、覚えたから死んだんですが!? と素でツッコミました。

 ねぇ知ってる? ジョン・クローリーのメガスマッシャーは、溜めてる時に+レバーで飛ぶ方向が変えられるんだよ? ……拳を前に突き出してるのに、後ろに飛んだ時は腹抱えて笑いました。

 ここに書くことって、結構迷いますよね。なら書かなきゃいいんでしょうけど。

 本当なら0時に投稿するつもりが、誤字チェック中に寝落ちしました。すいません。

 追記:タイトルとキャプションをザッと見たら、「そして彼女は覇王翔吼拳を使わざるをえない!」みたいな流れになっていることに気づきました。雰囲気とかぶち壊しですね。

 ハーメルンにて追記:後書きに貼りつけたから、こっちじゃもう意味わかりませんね。
 この話のタイトルが“そして彼女は”なので、pixivだとすぐ下にキャプションが入るんですよ。
 で、その一言目が“覇王翔吼拳を使わざるをえない!”なので、そんな風に見えたという雑談。
 
 あ、こちら普段表紙絵に使っているガハマさんです。
 
【挿絵表示】

 絵を何枚も描ける人って本当に尊敬します……散々苦労して時間かけて、僕にはこれがやっとなのですじゃ……。


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幼馴染は終わりにしよう

 そんな関係が普通に続いて、高校。

 自転車でも通える距離に位置する総武高校に入学。

 危なげもなく余裕を持って入学したこともあり、俺達は随分と安定した学力を身に着けられていた。

 もちろん体力も日々の努力が実を結び、ミトコンドリア先生が頑張ってくれたお蔭か随分と。

 

『はぁっ……』

「ん?」

「え?」

 

 で───とある日。

 高校一年も早くも中盤、二年の今頃はなにやってんだろーなー、なんて考えつつ帰路を歩んでいた俺と同時に、溜め息を吐く……女子ひとり。ウチのガッコの制服だ。髪はポニー。あら綺麗。

 なんか通帳と履歴書持って溜め息吐いてる。……もしや困り事? 困り事だったらなにがどうなるってわけでもないが。

 これで、隣に結衣と雪乃が居たら、確実にこの女子のお悩み相談室が即席で作られたんだろうが、生憎とこの比企谷八幡! そんなに親切な性格ではなぁーーーーい!

 このままさっさと歩き去って…………

 

「………」

「………」

 

 歩き去って…………!

 

「………」

「…………《きゅるぐー!》……っ!?《かあっ……!》」

「………」

 

 無理っ……! なんかもう無理っ……! 履歴書持ってお腹鳴らすとか事情ありすぎっぽくて見てて辛い! そしてそんな人を無視して帰った日には、幼馴染からいろいろ言われそうだから即行動!

 とりあえず真っ赤になっている彼女の手を強引に引いて、学生の聖地、サイゼへと赴いた。

 

……。

 

 ご飯を奢ったら、訊いてもないのに説明された。

 きっと取り引き的ななにかか、それとも礼として渡せるのはこれだけだと言いたかったのか。

 なんにせよ重大な話っぽい雰囲気だったので真面目に聞くと、弟と自分の学費のことで困っているとかなんとか。

 さすがに金の問題はどうにもできないよな……どうしましょ。

 オススメのバイトでも探す? はたまたバイトの給料のいくらかを貸して、出世払いで~とか? いやいや、金を借りる癖をつけるのは大変怖いことだと聞いた。これはだめだ。

 じゃあ……うーん。学費、学費かー……。

 

「話を聞いてくれただけでもすっきりしたから。ありがとう、えぇっと」

「あ、比企谷。比企谷八幡だ」

「ん、比企谷。あたしは沙希。川崎沙希」

「そっか。力になれなくて悪い、川崎」

「いいよ。なんか少し安心もしたしさ。妹とか弟のために頑張ろうって思うの、悪いことじゃ……ないでしょ?」

「当たり前だ」

「……ん。あたし、もう少し頑張ってみるよ。……ほんとはさ、誰になにを言われてももういいかなって……そう思い始めてたんだよね。お金さえあればって」

「お、おいおい、まさか」

「おかしな想像しない。……ただちょっと、年齢とか偽って、給料のいいバイトとか探そうかなって思ってただけだから」

 

 全然“だけ”じゃないんだが。

 

「睡眠だけはちゃんととれよ? 総武だよな? 学年同じ───だな。ノートなら取っておくし、貸せるからきちんと休息は取ること。これ、仕事馬鹿の親の名言」

「…………ん。ありがと」

 

 高1の時にそんな出会いがあり、ノートを貸したりメシを奢ったり、俺がメシ当番の時は結衣や雪乃のついでで川崎の弁当を作ることもあった。

 大変らしいが頑張っているらしく、俺もなんとか出来ないかなと首を傾げながらも……明確な案を出せないまま、時間は過ぎていった。

 

……。

 

 で、成長と肉体鍛錬の高校一年を過ぎ、高校二年。

 

「……なぁ、葉山」

「うん? どうした?」

「……幼馴染が可愛すぎてつらい」

「爆発してしまえ」

「普段からモテまくりのお前に言われたくねぇよ……お前だから言ってんだろ、こんなこと……」

「“幼馴染が可愛い”からって、じゃあきみはどうしたいんだよ」

「いや……好きな相手は決まってるんだよ。むしろずっとだ。ハッピーバースデー歌ってくれた頃から。けどさ、なんかほら……距離が……あれだろ?」

「女子に言い寄られることはなくても、あの二人が居れば十分だろう、きみは」

「そういうこと言いたいんじゃなくてだな……あー……」

「告白とか、しないのか? 言っておくが、今の関係を壊したくないからとか言い出したら、俺はきみを殴るぞ」

「わーってるよ。子供の頃、それでも幼馴染かーってお前に言ったのは俺だ。人にそれまでの関係を捨てさせておいて、自分は嫌だとか言うつもりはねぇよ」

「そうか」

「……で、なんだけどな。お前から見てどうだ? 結衣ってさ、俺のこと……」

「だから言ってるだろ、爆発してしまえ」

「なんでだよ! ……って、つまりそういうことでいいのか?」

「人の言葉を自信にするのはやめてくれ。お前の気持ちでぶつからなきゃ意味がないだろ。俺が言ったから絶対OKとか、相手にも失礼だ。人の気持ちはきちんと考えろよ?」

「……なんか、お前ほんと変わったよな。昔見た時、第一印象が究極八方美人野郎だったのに」

「傍で雪乃ちゃんと由比ヶ浜さんときみを見ていたら、馬鹿らしくなってね。以降は好きに生きてるさ」

「三浦とのうわさは?」

「ノーコメント。助言とかされたら俺の気持ちが薄まる」

「……そっか。頑張れよ、イケメン」

「人に言ってる暇があるなら、きちんと男の子してから言え。そしたら俺だってイケメンって返すから」

 

 イケてるメンズの道は高く険しい。

 八方美人してりゃあイケメンだってんなら、世の中イケメンだらけだ。

 

「………」

 

 しかしまあ。

 

「………」

 

 可愛いよな、結衣も、雪乃も。

 なんで俺の幼馴染してらっしゃるのアータ、とか言いたくなる。

 葉山と並べば十人中十人が葉山の方がカッコイイと言い、お似合いだと言うだろう。

 気も利くし真面目で優秀だし。あいつの幼馴染してた方が、世間一般から見ても十人中十人、頷くんじゃないかしら。

 俺はといえば………………やべぇ、特に目立った特徴とかねぇ。

 強いて挙げるならこのアホ毛くらいか? やだ寂しい。

 

(あぁいかんなぁこんな……いかんいかん)

 

 少し冷静になろう。

 ほら、過去のこととか思い出してみれば、冷静にもなれるだろう。

 

……。

 

 雪乃の海外行きを阻止する前のこと。

 雪乃の前の学校でのいじめのことが黙っていられなくなった俺と結衣は、小遣いを出し合って電車に乗って、雪乃の学校まで突撃。

 道に迷ったりしなけりゃもっと格好よかったんだが、それでもそこで、上履きを焼却炉に放り込む女子を発見できたから、結果オーライ。

 そのことについて全力でぶつかって、いろいろなものを巻き込む大騒動を巻き起こした。うん、巻き起こしたんだから巻き込むの、ほぼ当たり前だった。

 で、その時に会ったのが葉山だ。どのクラスかは……覚えてない。

 焼却炉に上履き放り込んで、醜い笑みを浮かべていた女子を取っ捕まえて、案内させただけだ。

 その教室には雪乃も居て、俺と結衣を見てそりゃあもう驚いていた。

 幸いにも授業前だったからよかった。え? うちの学校? ……創・立・記念日! 我が学校の創立記念日は俺達の都合で365日いつだって変動する。のちに母ナックルを頭頂にいただいたが、満足だ。M的な意味じゃなくて。

 で、事情を聞いた雪乃は強がろうとしたが、俺達の前だったから気が緩んだんだろう。涙を流して泣いてしまい、それには教室中が驚いた。

 いじめで泣いたことなんてない、と言っていた。本当にそうだったんだろう。けど、傷つかないわけがないんだ。それを、お前らは集団で寄ってたかって……!

 

「~~……おいっ! お前ぇっ……!!」

「ひっ……!?」

「やめろ! その子、おびえてるじゃないか!」

「なんだよお前! そいつが雪乃の上履き、焼却炉に捨てたんだぞ!? 庇うのかよ!」

「なっ……ほんとなのか!?」

「ち、違う! わたしそんなことしてない! そいつが嘘ついてるの! 信じて葉山くん!」

「そ、そーよそーよ! 大体なによよそ者が勝手に学校に入ってきて! 先生呼ぶわよ!?」

「……なぁきみ。雪乃ちゃんは俺の幼馴染だ。なにかあったのかはうすうす気づいてたけど、いきなり怒鳴るのは違うだろ。もっと話し合えば───」

「馬鹿かお前! 今あいつが泣いてんだぞ!? 一人で泣いてるやつと、やってる場面を見られて違う違う言って、誰かの背中に隠れるやつと! お前、どっちの味方すんだよ!」

「だからっ……話し合えば───」

「泣いてるやつほっといて笑ってるやつの手なんか握ってんじゃねぇよ! お前それでも幼馴染か! ふざけんな!!」

「───!!」

 

 出会いも始まりもそんなもの。

 葉山は以降、“みんな”の輪から外れて雪乃の味方になった。

 いきなり知らない男が来て、いきなり幼馴染のことで説教される。そりゃ屈辱だ。

 お前なんかより俺の方が知ってるんだよボケェ! って、まさにそれだろう。

 

……。

 

 思い出してみて、落ち着けたかといったらそうでもない。

 ただ、雰囲気やシチュエーションは大事だってのは確かだ。

 だってあいつ、そういうのに憧れてるし。

 なんで知ってるのかといえば、少女漫画然りアニメ然りドラマ然り、そういう場面になるとこっちちらちら見ながら“こういうの、憧れるなー……”とか言うのだ。そりゃわかるだろ。…………いやわかれよ! あからさますぎるアッピルだったじゃねぇか! アッピルじゃなくてアピールな! いーから落ち着け! 

 

(あれ催促だったのか……! 気づけよ俺……!)

 

 じゃあ……じゃあとにかくシチュエーションな……!

 えーとえーと、あいつが学園もので好きな告白シチュっていったら……

 

……。

 

 昼休み。

 告白云々を先に葉山に説明して、雪乃を押さえておいてもらい、俺は結衣を手紙で呼び出して屋上へ。

 中学だと屋上は封鎖されてるってパターンが多いが、ウチのガッコは普通に解放している。

 屋上で遊んでいるやつ、話しているやつも居る場合もあるが、今日は居ない。

 何故って、今日は冬ってわけでもないのに、妙に寒いからである。

 

「………」

 

 しかし寒くない。

 さっきから鼓動バックンバックン、顔面灼熱状態なもんだから、現状といえば“冷気などでこの俺を止めることは出来ぬゥゥゥ!!”ってなものだ。

 

  ゴチャッ……キィイイ……

 

 やがて。

 屋上の扉が開かれ、そこから……確かに、結衣が出てくるのを見た。

 

「あっ……は、はーくん……!《ぱああっ……》」

「───」

 

 笑顔が眩しい。やだ可愛い。

 なんで俺を見るなり明るい表情になったのかは知らんが。

 いや、最初はひどく暗い面持ちだったんだ。なのに──────あ。俺差出人、つまり俺の名前書いてなかった。

 ……そりゃ、迷惑そうな顔するわ。

 ん? じゃあ表情を明るくしたってことは───…………いやいやいやそういう期待はこの際置いておけ。

 俺は俺の気持ちをぶつければいい。

 

「もー、びっくりしたよー。あたしてっきり知らない人からの手紙かと思って……。えと、これくれたの、はーくんだよ……ね? 伝えたいことが、ある……って……その…………えと」

「───」

 

 やばい喉が渇く。

 ごくりと唾を飲み込みながら頷く。

 

「あ、あーえと。もしかして帰りにどっか行くーとかいう話かなっ。それとも料理当番変わってー、とか?」

「………」

 

 空気を読もうと、無理に騒がしくする結衣が、少し気の毒に思えた。気の毒っていうか、俺の所為なんだろうが。

 結衣は、期待している。

 けど、その期待が落胆であり、自分の勘違いになってしまうことを恐れている。

 だから、その期待から目を逸らそうと無駄に騒ぎ、それでも俺をちらちらと見ては、そのたびに目を潤ませて…………やがて、声がどんどんと小さくなって、なにも言わなくなった。

 

「………」

「………」

 

 気まずい空気。

 けど、恐怖はもうない。

 結衣が、わざとなのかそうでないのか騒いでくれたお蔭で、逆に冷静になれた。

 咳払いはしない。余計なことは、言いたいけど言わない。

 届けたい言葉だけを、きっちりと、相手に届くように。

 

「結衣」

「は、はいっ」

 

 ハイって言われた。

 俺よりよっぽど緊張してるよこの娘ったら。

 けど、この際その緊張をそのまま利用させてもらおう。

 ちょっとズルいが、気持ちは本物だ。だから───俺は。

 

「その……な」

「うん……」

「今まで……いろいろあったよな。出会いは公園だった」

「うん」

「散々な日だったよ。誕生日……だったのはその前の日だったけど、祝ってくれたらきっとそれでよかったのに……封筒に金だけって」

「うん……毎年はーくんの誕生日に、封筒渡すおじさん……あたし大嫌いだった」

「ん……」

「最初はさ、小町ちゃんのことも……好きじゃなかったんだ。ケーキが用意されれば自分が祝われる~みたいな態度とか、ケーキの大きさとかさ。でもおじさんと小町ちゃんはそれが普通って感じでやっててさ。おばさんだけがはーくんにおめでとう、って言って」

「お前も言ってくれた」

「はーくん……でも」

「言ってくれた。歌ってくれた。……嬉しかった。…………ありがとう」

「~……うん……はーくん」

「お前に自覚はねぇだろうけど、俺はお前に救われてばっかだった」

「そ、そんなことないよ、むしろあたしとかゆきのんのほうが……」

 

 戸惑い口を開く結衣のくちびるに、漫画のようにソッと人差し指を当てて黙らす。成功するわけがないと思っていたのに、結衣はぴたりと言葉を出すのをやめた。

 

「自覚ないだろうけど、って言ったろ? ……本当に。どれだけ心を助けられたことか」

「はーくん………………うん。あたしもだ。はーくんに、とっても助けられて……今だって、傍に居てくれるだけで助けられてて、幸せで」

「………」

「………」

「結衣」

「うん」

 

 いい天気ですね。

 ───出そうになった言葉を危ういタイミングで飲み込む。

 待て待て待て、恋愛初心者でもいくらなんでもこれはだめだってわかるぞ!?

 だからその、つまりだな、あー、えー、うー、……告白ってどうやるんだっけ?

 緊張を利用するとか考えておきながら、その緊張に飲まれちゃってるよ俺。

 思い出せ、やろうとしていた行動を。まずポケットに手を突っ込んで、アレを取り出して……そう、そうだ。思い出した。

 

「まだ、よ。学生だし……高いものなんてとても用意してやれねぇけど」

「……? え?」

 

 いつか、おっちゃんにおもちゃと交換してもらった指輪の箱を、今こそ取り出した。

 同じベッドで眠る結衣の指のサイズを調べて、おっちゃんに言ってみればきっちりと仕立て直してくれて。

 っつーかむしろ兄貴さんとやらが十何年越しの恋を応援してくれるとかで、指輪自体を作り直してくれまして。

 ……金額聞いたら、ちょっと気が遠くなったのは真実。

 さすがにもらえないって言ったら、んじゃあその悪いって思ったぶんだけ、恋人さんを大事にしてやれって言われたわけで。

 ……頑張るしか、ねーだろ、こんなの。

 

「結衣。覚えてるか? いつかの縁日。露店の前にしゃがみこんで、お前は指輪を見てたよな」

「ぁ……」

 

 箱を取り出し、結衣に見せる。

 結衣の表情にあるのは困惑ばかり。

 指輪の話、箱、という状況の点と点が、線にならない状況だ。整理できていないのだろう。

 けどそんな結衣に一歩近づいて、箱(リングケースっていうらしい)の蓋を開ける。

 手触りのいいリングケースが開くと、そこには昼の太陽に照らされ、綺麗に輝く宝石付きの指輪が───……宝石? …………ほうせ宝石!?

 いやちょ、えぇえええええっ!!?

 値段しか訊かないで中身怖くて見なかったけど、宝石ってアータ!

 いや、そりゃ、小さなもんだけどさ! それでもここまで綺麗に並べられたら……!

 砕けて使えなくなったものを綺麗に研磨して“一つの宝石みたいに並べた”とは聞いたよ!? けどそれが本当に宝石だなんて誰が想像できましょう! 俺てっきり、綺麗な身近な綺麗な石を研磨した、子供なら宝石って言えなくもない“透明っぽくて綺麗ななにか”程度かと思ったよ! 宝石だってそりゃ石なのかもだけど!

 いやでも……陽を当てる角度によって、輝きの色が変わるってすごいなこれ……!

 さすがにダイヤとか混ざってない……よな? わからない。わからないけど、

 

「………」

 

 ここまでお膳立てされたなら、突っ走るところまで突っ走るべきだ。

 昔から心は決まっているし、俺達もあと数年で結婚出来る歳だ。

 だったら。

 

「由比ヶ浜結衣さん。……俺と、結婚を前提に付き合ってください」

 

 ……言った直後に“重すぎないか!?”と、自分の言葉を振り返る。

 しかしもはや、吐いた唾はなんとやら。

 断られるにしても受け入れてくれるにしても、結衣の返事を待つ以外に俺に出来ることはない。

 ああ、心臓うるさい、頸動脈とかゴドンゴドン脈打ってる気がする。頭がぼーっとしてきて、ああ、もう、怖い。少し気になった、程度の相手に言うんだったらこんなに緊張したりはしない。

 大事だから、ずっと一緒に居た相手だからこそ、こうすることで“関係を壊してしまうんじゃ”って怖かった。

 ……けど。もう好きを隠せない。

 今までと同じじゃ、嫌だった。

 だから───……だから。

 目の前の女の子の目から涙がこぼれた時、ああ、終わった、って思った。

 泣かせるつもりなんてなかった。

 いっそ笑いながら“友達でいよう”って言ってくれた方が救われた。

 でも、もうそれも出来ない。

 自分は失敗したんだ。

 

  なんてなっ、冗談だっ!

 

 そう言えたら、こんな悲しみも消えてくれるだろうか。

 言えたらまた、ぎこちなくても幼馴染でいられるだろうか。

 そう思うのに、届けた言葉を冗談になんかしたくなくて。

 それをしてしまったら、俺はもうこいつに本当に自分で向き合えないって思ってしまって。

 ならせめて、関係を壊してしまったことくらいは謝ろう。

 そう決めて近づいて、結衣の頭を撫でた。

 ああ……終わったんだな。本当に、終わってしまった。

 心地よかったな。楽しかったな。

 

「………」

 

 ……そうだ。

 これで終わりなら、こんな自分にごめんなさいを送れるよう、全てを吐き出そう。

 俺はあなたが本当に好きだと。

 

「……結衣。あの日、誕生日の翌日に救われて今日まで、ずっと好きだった。家族の中で、俺だけいらないやつなんじゃないかって思えて、苦しくて、寂しくて。そんな気持ちをどうすればいいのかも知らなかった俺に、お前はやさしさを教えてくれた」

「……ひっく……っく……ぇぅ……」

「やさしさってものに初めて触れた気がして、やさしさってものを好きになって、でも……誰からのやさしさでもよかったわけじゃなくてさ」

「………ぐすっ……うん……」

「いっつも傍に居て、楽しくて、自分はこんなにはしゃげたんだなって驚くことばっかりで。そんな自分に驚くのに、それが妙に嬉しくて。……たぶん、お前の前じゃ飾ることなく素直な自分で居られたんだと思う」

「ん………あた、あたし……も……あたしも……っ……《こくこく》」

「……ありがとう。お前に会えて、本当によかった。お前を好きになれて、本当によかった」

 

 もう、そんな夢ともさよならだけど……本当に、夢みたいな日常だった。

 さあ、現実に帰ろう。

 きっと俺は、これからぼっちとしての道を歩むのだ。

 結衣以外からのやさしさなど要らないと意地になって、やさしい女は嫌いだとか言って。

 だから───

 

「っ……ぐすっ……、……んっ! はーくんっ……!」

「………」

 

 きた。

 これで、終わり。

 つんと鼻の奥が苦しくなって、グスッとすする。

 涙は流さないつもりだ。

 男なら、背中で泣け。

 

「あたし……あたしね? あたし…………ぐすっ…………~~……はぁくぅうん……!!」

「えっ……!? あ、おいっ、ちょ……な、なんで泣くんだよっ、ここは───」

 

 ここは俺が泣かされるところだろう。

 俺が泣くところだろう。

 ……ああ、そうか、やっぱりこいつも悲しいんだ。

 これであの穏やかな幼馴染としての関係は終わりに《ぎゅうっ!》……オヤ?

 

「……結衣?」

 

 頭の中が自己完結するための答えを出し続ける中、俺の胸にぽすんっと……結衣が飛び込んできた。

 

「あ、たし……あたしっ………、……やだ……ふえっ……! ずっと、ずぅっと、憧れて、てっ……! こんな日が来たら、ぜったい……ぜったいかっこよく……きれいに、返そうって、そう思ってた…………ふ、うぇっ……うゎあああああん!!」

「あ、あぁ、ぅあっ……ゆ、結衣、結衣っ……? 俺、お前に泣かれると、弱い……! でもごめんは違くて……あ、ああもうっ……!」

 

 わんわん泣く結衣の体を、ぎゅっと抱き締めた。

 きっとこれで最後だからと。

 おちつけ、おちつけと……ひどくやさしい心のままで。

 大丈夫だ、結衣。

 俺、もうなんでも受け入れられる。

 お前はこれから新しい自分になっていくんだろうけど、それはきっと俺もで…………もう、子供のままじゃいられないんだろうな。

 ありがとう。

 本当に、いい夢だった。

 出会い方ひとつが違うだけで、きっとまるで変わっていたであろう俺達の関係。

 その中でも、こんな道を歩けたことに、本当に感謝したい。

 結衣や雪乃に出会えなければ、俺はきっと……独りでうじうじと考え込むような、寂しいやつになっていたと思うから。

 

「……結衣。好きだ。お前が本当に大好きだ。……だからもう、幼馴染ってだけだった関係からは、卒業しよう」

 

 そして、お互い成長していこう。

 俺、きっといい男になってみせる。

 お前を好きになった男は、こんなにもすごい男だったんだぞって、いつか後悔させてやる。

 だから、涙は見せない。強い俺のままで別れるんだ。

 だから───

 

「うん……! はい……! あたしも……あたしも、大好き……! はーくんのこと、ずっとずっと好きだった……! ぐすっ……あたしでよければ……はーくんのお嫁さんにしてくださいっ!」

 

 …………。

 うん。

 …………あれ?

 ……エッ!?

 

「………………《ぽろぽろぽろぽろ》」

「……はーくん……泣いてるの……?」

「……ばっ……! やっ、おまっ……! …………~~……結衣ぃいい~~~っ……!!」

「《がばぎゅー!!》ふきゃあっ!? わ、わわわちょっ、はーく…………~……ふえぇええ……!」

 

 泣かされた。

 二人して泣いて、わんわん泣き叫びながら、お互いを抱き締め続けた。

 なんのことはなく、ただの俺の早とちり。

 きっと、返事がこなかった時間はほんの短い時間で、俺だけがそれをとても長く感じていただけ。

 泣いてしまって、返事をしようにも嗚咽に邪魔されたところへ、俺からの“これが最後だから”とありったけを込めた好き好き攻撃に、小さい頃からの夢だったらしい想いが叶い、嬉しいのはいいけど返事が出来ない。

 なので抱き着いたんだが、ぎゅってしてくれるもんだから余計に嬉しくて泣けてしまって、と……まあ、そういうことらしい。

 結論を言おう。俺のアホ。

 けどまあそのー……しっ……仕方ないでしょ! 告白とか初めてだったんだから!

 

(あー、うんうん、覚えてる覚えてる)

 

 そんなやりとりを夢として見ていた俺は、懐かしいなぁと笑う。

 結衣と俺は散々泣いた後に軽く離れて、改めて俺は指輪を贈り、結衣は左手薬指にそれを嵌めてもらって、幼馴染としてでは見ることの出来なかった、幸せそうな女の子の顔を見せてくれて……俺は、そんな彼女にさらに心を持っていかれた。

 

 ただ。懐かしいと思えば思うほど、これは夢でしかないんだなと考え始める自分に、違和感と恐怖を抱いていた。




 /アテにならない次回予告

「ローーーレーーーーンス!!」



   「生徒に生徒の悩みを解決しろとか馬鹿なのですか先生は」



 「失礼するぞ奉仕部とやらぁ! ……我、参上!」



「黙りなさい下郎」



     『Sir! YesSir!!』



      「むしろゆーちゃんはもっと怒るかと思っていたわ」



 あなたを殺しにうかがいますゆえ。





次回、夢と現実の僕らの距離/第五話:『奉仕部活動日誌』

 ハートに届けっ! プラクティス!

 ◆pixivキャプション劇場

「なぁ材木座」
「はぽん? なんだ八幡、改まってこの我に声をかけるとは」
「焼肉のたれでよォ~……モランボンのアレ……あるよなぁ」
「え? なにそのちょっぴりジョジョチックな喋り方。もったいぶった言い回しとか我が言うのもなんだがキモい」
「うっせ。とにかくあるよな」
「うむ、あるな。肉に絡みやすくていい感じだ」
「そんなわけでよ、モランボンって四回連続で、ちょっぴり早口っぽく言ったあと、最後にボ~ンボボ、って言ってみてくれ」
「? よくわからんが」

 財津発声中……

「ぐわぁあああーーーーーーっ!!」

 そして落ち込みだした。

「ちょっと似てるよな……」
「う、うむ……ほんのちょっとだというのにこの威力……凄まじいな……!」
「まあ聴く人によって、音も違うだろうからな。中にはなんだこりゃって首傾げるやつも居るだろ。むしろ俺達ぼっち以外とは感覚からして違うまであるまである」

 fin

 ◆あとがき
 地獄のような大晦日を乗り越えました。
 朝の7:30に出発、完全決着が23時47分。
 僕……仕事が終わったら続きをUPするんだ……! とか思ってた時期が、僕にもありました。
 仕事は選べるなら選ぼうね! 鬼胃酸との口約束だ! 盛大に破るがよいわ!
 ストレスが溜まると胃酸が鬼のように出ますよね。さ、ギャフターの続きを書こう。

 ではではー!


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奉仕部活動日誌

 それからというもの、二人の距離はもっと近くなったといえる。

 部活も同じもの。

 登下校も一緒、

 あ、ちなみにクラスは俺も結衣も雪乃も一緒だ。

 隼人だけが隣のクラスで、三浦優美子って子と、お調子者の戸部翔ってやつと……一歩離れた位置で全体を見てる印象のある……海老名さん、だっけ? と仲良くしているらしい。

 あと二人居た気がするけど、思い出せない。

 

「しかしさぁ隼人」

「ん? なんだよ八幡」

「友達出来たんなら、無理に俺達と帰ること、ないんじゃないか?」

「幼馴染に向かって随分だな……いいんだよ。俺は徒党を組んでNOをYESに捻じ曲げる集団じゃなくて、俺が信じたい仲間と居たい。幼馴染で、友達で、仲間だからな」

「……そか。裏切ったら大変そうだよな」

 

 真面目な隼人に、おどけるように言ってみる。

 

「裏切るのか?」

 

 すると隼人も笑いながら返してくる。

 俺は「まさか」と返して、帰路を歩んだ。

 ……両隣を、幼馴染に囲まれた状態で。

 

「そういえばさ、はーくんにやっくん、いつの間に名前で呼び合うようになったの?」

「あー……その。えーとだな」

 

 やっくん。葉山のやから取って、やっくん。“は”から取るのはややこしいからダメ、と却下だった。

 ……どこぞの薬丸さんみたいで抵抗があるな、とは隼人談。

 

「そうね。おそらくはゆーちゃん、あなたがはーくんに告白されて、受け入れられた瞬間だと思うわ」

「ぐっ……! なんでわかるんだよ……!」

「相談されていたと聞いていたもの。……というか、私に相談してくれてもよかったのに」

「お前は逆に、結衣に相談されてると思ったんだよ。ていうか女の子にそんな恥ずかしい相談できるか」

 

 なんだかんだで頼りになるし、結衣も頼りにしてるし。……逆に雪乃も結衣を頼りにしているみたいだが。

 

「それで……その指のが八幡がくれたっていう?」

「……ぇへ…………うん……えへへ……~~……えへー……♪」

「ゆーちゃん、顔。緩みすぎているわ」

 

 はぁ、と溜め息を吐いて淡々と感想と注意を届ける雪乃に、結衣はほにゃほにゃと緩みきった顔で応え、俺の腕にぎゅーっと抱き着いてくる。

 

「結婚かぁ……そういえば、もう16なんだもんな。あと二年もすれば法律的にも平気なのか。なんだか、早いよな」

「だな。告白しておいてなんだけど、あまり実感が沸かないもんだよな」

「~♪」

「約一名、頭の中で将来を妄想している娘も居るようだけれどね」

 

 不思議と、俺達の関係は壊れなかった。

 あの日に感じた恐怖を現実のものにしないためにも、こいつらとの関係は大切にしていこうとつくづく思った。

 

……。

 

 言い忘れていたが、俺達幼馴染メンバーは、サッカー部に入った隼人を除き、奉仕部という部活に所属している。

 平塚先生が設立、顧問を務める特殊な部活だ。

 主に生徒のお悩み相談室的なアレ。

 「生徒に生徒の悩みを解決しろとか馬鹿なのですか先生は」と言った雪乃を褒めた俺は悪くない。

 だって、実際ヘンだって思うもんな。そもそも俺も結衣も部活なんてやりたくなかったんだが、二人で帰っている時に捕まり、帰宅部とは青春をナメているのかと、半ば強引に入部させられた。そこに雪乃が混ざったかたちで三人の部活、始動。

 しかしそうなれば、三人寄らば文殊のなんとやら。

 案外解決方法が見つかったりするから性質が悪い。

 ……ああ、第一依頼者は、雪乃だったりしたんだが。

 

「最近、はーくんとゆーちゃんの付き合いが悪い気がするわ。なんとかしてちょうだい」

 

 どうしろと。

 雪乃は……まあその、比企谷家に来てからというもの、借りて来た猫といえばいいのか、大人しいものだった。

 成長していく段階で、なんでかやたらと俺の真似をするようになった時期もあったりして。

 いつか、陽乃さんに“私、雪乃ちゃんの対象から外れたみたいだから。頑張ってねー? は~ぁくんっ♪”なんて言われたことを思い返すと、それまでは陽乃さんが真似られていたっぽい。

 そんなわけで、中二病の片鱗は俺に原因があったりもしたのだが。

 牛乳を飲む時、腰に手を当てて飲んでいると、それを慌てて真似るように、牛乳を注いでグイッと飲んだり。

 ゴミ箱にゴミを捨てる時、わざと遠くから投げるのを真似たり。(見事に入った時、俺の服を引っ張ってにこにこしてた)

 運動とかしているとどこからともなく現れて真似をする、とか。

 最初は体力がなくて大変だったジョギングも今では慣れて、スポーツ全般めっちゃ強くなってる。

 逆に結衣は、真似というよりは俺の隣に居たい、といった感じであり、なにをするにも隣に居たがった。

 むしろそれは俺の方がバッチコイだったので問題はない。

 うん、ともかく。

 そういうこともあって、雪乃は割とべったりだったりする。べったりって言うと近すぎるイメージが湧くけど、そこまでじゃないっていうか……うーん。

 猫ってきまぐれだけど、気を許した相手にはついて回るだろ? あんな感じ。

 

「暇だな」

「暇だねー……」

「暇ね……」

 

 そんなわけで奉仕部部室。

 ぐでーっと長机の上に上体を寝かせるようにしてだらけて見せる。

 と、雪乃は俺と自分の両手とを見比べて、同じ姿勢を目指して“ぐで~っ”と上体を寝かせてだらけてみせた。

 結衣はすでにやっている。

 ……ん? ケータイ? いや、ケータイいじるよりも俺と話してたほうが楽しいからって、そういうことはやってない。

 

「んん……なんかやって暇潰すか」

「なんか、とは?」

「あー…………むぉっほん! ……えー、新入部員の雪乃さん。この部活を選んだ理由は?」

「えっ───あ、その。はーくんとゆーちゃんが居るからですっ《クワッ!》」

「そうですか。ではこの部活でどんなことをしたいですか?」

「困っている人をどうこう、というよりは、二人と一緒に考えて悩める時間が……あの、大好きです」

『…………《きゅんっ》』

 

 俺と結衣、二人できゅんとした。

 やだこの娘ったら可愛い……! 俺達以外の前じゃ全力でコミュ障なのがアレだけど、それでも。

 一人で生きていこうとしていたら、もっと強い子だったのかしら。いえまあその、素直で、時々猫みたいに気まぐれなこいつも良いものですが。ってなに言ってんだ俺。

 ……なんてことを思っていたあの頃を見下ろしております。あぁ恥ずい。

 けど、こっからだったな。

 平塚先生経由で依頼が来るようになって、上手く解決出来るように駆けずり回って。

 楽しかった。本当に。

 

「んじゃ、今日も頑張りますか。まずは依頼者が来るまでの暇を乗り切ることから誓おう! ボリショーーーイ!!」

『パビエーダァッ!!』

 

 合言葉もどきも随分とヘンテコなものが増えた。

 まあほんと、楽しければいいのである。

 そんなわけで───

 

「失礼するぞ奉仕部とやらぁ! ……我、参上!」

 

 第二依頼者、材木座義輝。

 依頼内容:小説の感想をください。

 

「小説かぁ……まあ、ラノベも好きだから結構いけると思うけど」

「ええ、楽しみね」

「昔のあたしだったら、文字だらけ~とか嫌だっただろうなー……」

「ん? そうなのか? いっつも俺の隣で本読もうとするから、好きなのかと思ってた」

「ふえっ!? あ、や、やー……その……えと」

「鈍いわね、はーくん。苦手を克服してまで、あなたと一緒に居たかったのよ、ゆーちゃんは」

「ゆきのーーーん!? なんで言っちゃうのぉおおっ!!?

「お、おう……そっか……」

 

 いやいやまさか、と言おうとしたら、結衣が自爆したので言えなかった。むしろありがとうございます。

 

「くっ……まさか依頼をしに来た場所でリア充に遭遇するとは……! 人気の少ない教室で女二人に男一人……! ば、爆発しちゃえばいいんじゃないかなっ!?《ポッ》」

「いや怖ぇえしキモいよ。初対面の人に爆発しろとかやめろ。ぶっ殺すぞ」

「我のほうがキモいとか殺すとか相当ひどいこと言われてるんですが!?」

 

 ともあれ読む。

 ……読む。

 …………読む。

 

「なぁ。これ、いつ話が進むんだ? 敵と戦うところから始まって、主人公の説明に入ってからちっとも進まないんだが」

「ふふんむ! 読んでいればわかる! 展開が気になるのはわかるが、気を急くでないぞリア充よ!」

「………」

 

 ……読む。

 …………。

 

「……ねぇはーくん。ここ、なんで服が脱げたの?」

「すまん、俺もわからない」

「この文字でなぜこのルビが……それにこの主人公、なぜ最初から本気を出さないのかしら。戦いというものを舐めているとしか思えないわ。戦士失格ね」

「あー……相手をナメた所為で誰かが死んだとかあるよなー。龍の球のGTはさっさとキメてれば主人公が死ななくて済んだから、あれは心底ないわって思ったなぁ……」

「戦ってる最中なのに、腕より舌を動かすのに忙しいのね……命のやり取りをしている自覚、あるのかしら。あら、こちらでは主人公が女は殴らんとか言って放置した所為で、その女に仲間が殺されたわ。……戦場に立っている自覚と、一人で戦っているわけじゃないという自覚がないのかしら。…………この主人公はアレね。子供だから女性だから老人だからと殺せないで、途端にその子供か女性か老人が銃を構えて殺しに来ても、なんの役にも立たないのでしょうね」

「ぶっ……ぶ、ぶひっ……!《ぐさぐさぐさぐさぐさ》……い、いや、そこには主人公の美学が……!」

「主人公の美学のためなら味方がどれほど死んでもいいと? あなたね、主人公だけを目立たせたいのであれば、最初から主人公だけが強い作品でも書いていなさい。主人公を信頼して背中を預けて戦ったというのに、挙句が女性だから殺せないと主人公に見逃された女が、主人公を信じていた仲間を背中から殺すなんて、論外よ」

「……すまん。この主人公は好きになれん。いや、ぼっちならまだわかる。けど背中預けてくれる仲間を持ってるのにこれはないだろ……」

「はぽ……ぽっほ……!」

 

 ただ読むだけでは辛く苦しい。辛苦をそのまま語るように、いつしか三人そろってあーでもないこーでもない。

 少しすると、えーと……財津くん、だったっけ? の顔色が悪くなって、はぽはぽ言い出して、

 

「総評を言い渡します。面白いつまらない以前に腹立たしいわ。目を通すことが苦痛以外のなにものでもないレベル。壊滅的。言い回しがくどい。反語を使いすぎ。何度説明を上書きするように否否否否書けば気が済むの。なによりこんな殺し合いを舐めた存在が主人公な時点で論外。仲間になってしまったパーティに心底同情するわ。けれど三人で話し合えたことには感謝します。以上」

「…………《ドザァ》」

 

 きっぱりと言った雪乃の言葉に、財津くんがザムゥ~と床に倒れた。

 容赦ないなぁ……しかも三人で、って言葉を汲み込むことで、嘘なんぞこれっぽっちも混ざってないことを表現してみせた。

 

「ぐふっ……! なんという凄まじい力を持った言霊か……! 我の魂ごとこの身を貫き、立つ力さえ奪うとは……! だが…………感謝しよう部長殿。我は───」

「? なにを言っているのかしら。部長は彼よ?」

「へ?」

「あ、あー……ハイ、部長の比企谷八幡です」

「…………部長で可愛い部員独り占めとかっ! 爆発すべきである!! そうであろう!?」

「いや知らねぇよ……そういうのは平塚先生に言え。勝手に部長にしたの、平塚先生だし」

「あはは、ていうかゆきのんが断らなければ、ゆきのんが部長だったよね」

「部長なんてごめんだわ。そんなものになったら、人と話す機会が普通より増えるじゃない」

「……お前、そんなんだからクラスで俺達以外友達居ないんじゃねぇの……? 俺もだけど」

「うん、あたしも」

『…………にへー♪』

 

 どこまでも幼馴染だった。

 三人とも、この二人が居ればいいって感じでやっていっている。

 今さら人が増えたって、関係がグラつくだけだってわかってるんだ。

 そういうことを、経験済みだから。

 隼人は別だとしても、あいつにはもうあいつの仲間が居るし、付き合いがあるのだから。

 

「くっ……我とて幼馴染さえ……幼馴染さえ居ればっ……! ……あ、それはそうとまた読んでくれる? また書いてくるから」

「いきなり素に戻るなよ……まあその、ちゃんと改善してくれるならな。せめて完結したもの持ってきてくれ。あと説明長い」

「むぐっ……言ってくれるなリア充……いや、八幡といったか」

「《───ぎろり》その名前を呼んでいいのは特別な人だけよ。慎みなさい、財津くん」

「ぶひっ!?《びくぅっ!》……い、いやあの、我、材木座……」

「? その言い方だと、やっくんって特別なのかな」

「……さあ。誰かに言われるまで、泣いている人よりその場の調和を優先された身としては、どう言ったものか悩むところだけれど」

「あ……そだね」

 

 きゃいきゃい楽し気に話す幼馴染を前に、財津くんがこちらをちらりと見る。

 

「…………あの。部長さん? 爆発しません? いやマジで」

「……なんかすまん。でも悪気はないんだよ、ほんと」

「充実した目をしおって……これで目が腐っているとかならば、まだ手と手を取れたのやもしれんが……“持っている者”というのは、居るものなのだな……我泣きそう」

 

 ……依頼達成。

 のちに、三人で平塚先生にきっちりと仕返しした。

 自分がめんどいからって人にあんなの任せないでくれ、と。

 視線を逸らしながらあたふたと言い訳を述べる平塚先生に、じゃあこれ読んでくださいと言ったら頭を下げて“すまなかった”って謝られた。そこまで嫌か。俺も嫌だけど。

 

  第三依頼:テニス部強化作戦

 

 平塚先生からの紹介で、同じクラスの戸塚くんが奉仕部にやってきた。

 相変わらず女子のような背格好である。言わないけど。

 

「あれ? 比企谷くんに由比ヶ浜さん、それに雪ノ下さん? えっと、ここって奉仕部って場所でいいんだよね?」

「おう、合ってる。まあまあどうぞどうぞ」

「お茶よ。飲みなさい」

「本とか読む? お菓子食べる?」

「え? え? え?」

 

 あまりに暇だったので、次来た人を盛大にもてなす作戦……相手を戸惑わせるだけに終わった。

 ともあれ依頼内容を訊いてみれば、テニス部が弱いしだらけきってるから、自分が上手くなってみんなを引っ張りたいという。

 

「だめね。まずはそのだらけきった部員の性根を叩き割ることから始めましょう」

「そ、そんなことしたら辞める人が出ちゃうよ! あくまで自主的に、“じゃあ自分も頑張ろう”って立ち上がってくれるのを期待して、まず僕が……!」

「だめだめ、そーゆーのよくないよ、戸塚くんっ」

「みんながやるなら俺も、なんて、それこそ簡単に投げ出すヤツの考えだろ。相手が我が儘放題ダラケてるなら、今度はお前の我が儘ぶつけてやりゃいいだろ。んじゃとりあえず体力作りからだな」

「死ぬまで努力コースね。ええ、腕が鳴るわ」

「ゆきのん……それはそれとしても、ちゃんと他の人がついてこれるペースでやろうね……。みんなやめちゃったら、依頼達成できずに廃部になっちゃうし」

「……それもそうね、わかったわ」

「マジでやるつもりだったのかよ……」

 

 テニス部強化作戦、開始。

 まず部員に部活をさせることから始まった。

 まあ、これは奉仕部メンバーがマネージャーをするってことであっさり叶った。

 みんな欲望に忠実ね、死んでしまえ。

 

「マネージャーさーん。テニス部手伝うってんなら、それなりの服に着替えるべきだと思いまーす」

「黙りなさい下郎」

「下郎!?」

「あら。下郎では足りなかったかしら。そんな煩悩まみれで過ごしているから部活というものにも身が入らないのでしょう? あなた、なんのためにこの部活に入ったの? なにがしたくて? その手にあるラケットは誰が買ってくれたのかしら?」

「え、う……こ、これは……~~……あ、あんたには関係ねぇだろ!」

「では無駄口はそこまでにしなさい。私にも、あなたの趣味や煩悩なんて関係ないのだから」

「ぐっ……!」

 

 一人、性義の味方が居たが、あっさりと心折られた。

 いやほんと、なんでテニス部入ったのキミ。

 ラケット買ってくれた人が泣くよ? 安くないんだからね、まじで。

 ともあれ練習開始。地獄の強化訓練の始まりである。

 

「まずはスタミナ作りからな。ほれ走れ走れー」

「くっそ……! なんで部外者が仕切ってんだよ……!」

「部活だからだよ。文句なら平塚先生に言ってくれ」

「あはは、あたしたちはもう、これくらいなら慣れてるけどねー」

「………」

「今結衣の胸見たヤツ。十週追加」

『はぁああ!?』

「~……ぁぅ……」

 

 胸を守るようにして両肩を竦める結衣を背に隠し、とっとと走れーと背中から追いかけ続ける。

 おーおーナマってることナマってること。

 

「よし。んじゃあ次ストレッチな」

「あぁっ……!? はぁっ、はっ……走る前っ……やった、だろうがっ……!」

「それでもやる。いーからまずは言う通りにやってくれ」

「ったく……! なんでこんなことに……! あーくそ! 体固いヤツイジメて楽しいかよ! だから嫌なんだよ柔軟なんて!」

「だいじょぶ? 背中、押そっか?」

「エッ……あ、あの…………ハハハイ! お願いシマス!」

「結衣、いい、俺が押すから」

「え? でも」

「お前は無防備すぎなんだよ……! はらはらするからやめろ……!」

「…………」

「……なんだよ」

「えと。今のって……独占欲?」

「っ───!!《ぼっ!!》」

「《わしゃわしゃわしゃわしゃ!》ひゃわわわわ!? はーく、わぷっ! はーくん!? やめてやめてぇえ!!」

 

 図星を突かれて、結衣の頭を盛大にワシャった。

 まあそんなこんなやって、テニス部のレベルアップを計り、音を上げそうになれば戸塚くんが上目遣いで「やめちゃうの……?」と言って、部員達は根性でこれを続行。

 しばらくするとトレーニングのスケジュールも把握したのか、俺達が居なくても行動するようになり、テニス部は勢いに乗っていった。

 一応戸塚くんからも正式にありがとうと感謝を頂いたわけだし、依頼達成ということで終了。

 

「どこまで強くなるか、楽しみだったのにな」

「でも、メニュー通りのを続ければだいじょぶなんだよね?」

「それは保証するわ。きちんと効果のあるプロテインも紹介したし、下手をすればサッカー部よりも頑強になるかもしれないほどよ」

「それはそれで怖ぇえよ」

 

 あの綺麗な美少年が数ヶ月後には筋肉ゴリモリで見る影も無くなるとか、どこの半田くん? いや、この場合は筒井あかねくんか。

 まあ……それはさすがに部員が止めるだろう。

 依頼終了。よかった。

 

「案外なんとかなるもんだな……人のためになってんのかね、これで」

「あはは……ちょっと強引かもだけどね」

「多少強引にいかなければ、話も聞かない人ばかりでしょう? 最初に理解されないのはこの際折り込んだ上でぶつかりましょう」

「……やっぱお前が部長やらない?」

「嫌よ」

 

 即答であった。

 

……。

 

 そうして五月中は平和に過ごせるかな~……なんて思っていたら、やってきました依頼者。

 なんでも、隣のクラスの隼人のグループを中心に、メンバーの悪口が書かれたメールが出回っているらしい。

 それを解決……って、だから先生……! こういうのを生徒に任せるとか、なにやってんですかもう……!

 

「悪い、八幡。忙しくなかったか?」

「いや、べつにいーよ。で、これが噂のメールか……」

 

 メールは隼人の悪口ではなく、そのグループに居る戸部、大岡、大和の三人を狙ったものだった。

 悪口、噂の大きさも案外適当。調べてみればわかりそうなものばかりだった。

 それを見て不愉快そうに顔をしかめるのは雪乃だ。

 

「協力するわ。恩には恩を返さないと気が済まないもの。一応、過去に私の問題で味方をしてくれたわけだし。……その。いいかしら、はーくん」

「格好よくキメたんだから、最後まで貫こうな……。なんでそこで俺に訊くんだよ」

「そうそう。じゃあ宣誓!」

「おう」

「ええ」

「はは、久しぶりだな……」

「じゃ、えーと……んっ! 我々は部活動シップにのっとり、こんなくっだらないメールを無理矢理飛ばしてくる犯人を黙らせることを、ここに誓います! イェア・ゲッドラァック! ライク・ファイクミー!」

『Sir! YesSir!!』

「……頼むからわかる合図でやってくれないか。ていうか今のはなんなんだ?」

「軍隊式っぽくやったらそれっぽいかもって、子供の頃にどこぞのにーちゃんが教えてくれたものだ。当然意味なんてありゃしない」

「ほんと、叫ぶことが出来ればなんでもいいんだな……」

「ふふっ……ええ、そういうことよ」

 

 自分の主張はもちろんあって、意見も行動もきちんと言えるし実行できる。

 けど、そこに俺の同意があれば百人力、なのが雪乃らしい。

 かつては陽乃さんに対してそういう……ええっと、なに? 真似っつーかトレースっつーか、そういうのをしていたらしい。

 けれど家から離れ、姉から離れ、習い事からも離れを行なったのち、残ったのは頼りになった人のあとを追いかける、といったものだった。

 そこに愛や恋はなく、人によっちゃあ“俺のことが好きなのかも”と告白して、大後悔する流れだ。

 頼ってくれるし寄りかかってもくれる。信じてくれるし心も許してくれている。

 けど、恋じゃない。

 それは親愛ってものなんだろう。

 どっちかっつーとほら、家族に求めても得られなかったものを、他人に求めているって言葉が一番近い。

 俺もそうだったから、よくわかる。

 わかるからこそ一層、俺とこいつはどこまでも気を許せても、“好き”や“恋”には至らない。

 

「んじゃあメールだけど……片っ端から調べるか」

「そうね。調べた上で、掲示板あたりにでもデカデカと結果を張り付けてあげましょう」

「張りつけちゃうんだ!? え、えー……? それはちょっとやりすぎじゃ───」

「ゆーちゃん。私たちは貴重な時間を依頼解決のために潰すのよ。手間をかけられた分、返してもらう名目で鬱憤のひとつでも晴らさなければ割に合わないでしょう? どれだけ頑張っても奉仕活動で、顧問は私たちに丸投げ。ならばどんな解決方法を取ろうが、それは丸投げした顧問の選択なのよ」

「あー……たしかに、最近なんでもかんでも奉仕部に回し過ぎだよねー……」

「むしろゆーちゃんはもっと怒るかと思っていたわ」

「へ? なんで?」

「はーくんと恋仲になったというのに、これの所為で余計な仕事が増えたでしょう。両想いになったというのに、まだデートさえしていないのではないかしら」

「───」

 

 ぴしり。

 空気が凍った気がした。

 

……。

 

 のちに、メール情報は全て嘘っぱちであることが確定。

 掲示板に調査内容を書き出したものをバァンと張り付けて、メールなんざ気にせず笑い飛ばせばいいと思い知らせた。

 しかしそうなればすぐに別のチェーンメールを用意するのは当然ってもので、とりあえず平和的に解決方法を掲示板にどかーんと張り付ける。

 

  親愛なるチェーンメールの犯人様へ。

 

  これ以上しつこいことをするのであれば、メール発信元を雪ノ下の名の下に調べ、この場に曝します。捨てアカウントの登録内容も曝します。

 

  このままやめないようであれば、社会の波という死神様が、必ずあなたを殺しにうかがいますゆえ。

 

 そんな張り紙をすること数日。

 チェーンメール事件は解決した。




 /アテにならない次回予告


    「ローーーレーーーーンス!!」



         「はーくん・ごーほーむ!」



   「嫌よ。私は将来、専業主婦になるんだもの」



「キミは───スカラシップを知っているか!?」



   「え───なんなのそれ! え!? お姉ちゃんちょっと意味わからない!」



「~~……やめっ……やめてちょうだいぃい……!! やめてぇえ……!!」



 「ゆきのん助けて!」



            「全力で叩き潰すわ」




次回、夢と現実の僕らの距離/第六話:『奉仕していると言えるかはわからない部活』

 見てくんなきゃ、暴れちゃうぞ!

「大変ですよ元太くん! 見ないと灰原さんが暴れるらしいです!」
「うンまァアア~~~~ぃいっ!! これはー! このうな重はァアーーーっ!!」
「懐かしいな……ぐれえとで子供役で出たっけ……」
「元太くんうな重から離れてください! 歩美ちゃんはなに言ってるんですか!?」
「壺こすりにも磨きがかかるわい」
「阿笠博士が壊れました! もー! こんな時にどこに行ったんですかコナンくん!!」
「へへっ……呼んだかい?」
「あっ……その声は!」
「なべやきコンブ! 料理人さ!」
「誰だよ!!」
「子供料理漫画で、料理で人を殺した最強の料理少年だっぜィ!」
「味見してる時点でよく死にませんでしたよね」
「おいやめろ」


 ◆pixivキャプション劇場
 よう見とくんやでライムゥ! これが浪速の商人の生き様やぁ!!【花形美剣】

 久しぶりにセイバーJを見ると、たまぁに花ちゃんの声がリゼロのロズワール様に聞こえます。
 まあ声優同じですしね。だぁよぉ? とか語尾が伸びてる時とか、特に。
ところでロズワール様の名前。L・メイザースとかついてると、アディリシアさん思い出しません?
 で、アディリシアさんといえばクリスマス回で穂波さんと向き合ってる時の構えが龍虎にちなんでリョウ・サカザキとロバート・ガルシアのポーズで細かいなオイ! とツッコンだ記憶があるわけでして、つまりなにが言いたいかというと

  覇王翔吼拳を使わざるをえない!

 おかしいな、花形の話をしていたはずなのに。
 あ、花形といえばおったるくんだよね。
 セイバーJの主人公、間宮小樽をおったるくんと呼ぶのは知ってる人ならよく覚えておられると思います。
 ……ダンまちの猛者オッタルの名前を見た時、異常に“くん”を付けて呼びたくなったのって僕だけですかね。

  プログラムされた生き方に流されない君が好き。

 ラノベに詳しいゆきのんだったら、材木座の小説って必要以上にダメ出しするんじゃないかな。
 そうは思っても、似たようなことを直々に言われたら、僕だったらきっとしばらく折れます。そんなお話。

 ◆あとがき
 congratulations……! congratulations……!
 おめでとう……! あけましておめでとう……!


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奉仕していると言えるかはわからない部活

 第五依頼、川崎さんの弟とやらから。

 川崎……川崎。しかもバイト。髪型はポニーらしい。まさか、だよなぁ?

 

「バイトかぁ……お金は大事だよなぁ」

「そーなんすけど、姉ちゃん無理してるんじゃないかって……あのさ、比企谷さん。比企谷さんの知り合いって美人揃いだね……って指輪!? 既婚者!? って、アクセですよね、そっすよね、ははっ、焦ったー……!」

「え? うん。婚約ならしてるよ?」

「まじすか誰っすかどこぞのパパ!? こんな美人さんをひっかけるとか!」

「帰れぇえっ!!」

「ヒィイごめんなさい!」

 

 中間試験一週間とちょっと前。善良なる高校生男児たる者、ファミレスに寄って勉強する、なんてことはなく、俺は自宅で勉強するつもりだった。

 しかし結衣と雪乃に誘われ、途中で隼人まで合流したこともあり、学校帰りにファミレスに。

 それがそもそもの始まりだったわけだが……ファミレスってこともあって周囲はうるさいし気が散るしで、座ってドリンクバー頼んで準備万端、となった途端に耳にイヤホンつけた雪乃を止めた俺たちは悪くない。むしろまちがっていない。

 なんか最近、雪乃の目が腐りそうで怖いです。うるさいけどさ、周り。外の音を消したい気持ち、わかるけど。

 ほら、店に来ると泣く子供って絶対居るだろ? 例に漏れず今日も居るんだよ。しかも何故かすぐ隣のグループ席に。

 ああっ、早くも目を伏せ耐える雪乃のコメカミがバルバルと躍動を……!

 おっ……奥さん!? おくさーーーん! こういう時は外か化粧室に連れていって、泣き止ませるかなにかしてくださーい!? 無視して談笑とかなにやってんのいやマジで! 面倒見る気がないなら連れてこないで!? それはそれでムカツくだろうけど、俺はそうして育てられましたが!? ほら、隼人も「子供が可哀相だ」って拳握り締めてるから! ね!?

 

「はーくん、出ましょう。ドリンクバーは残念だけれど、これは許容できる騒音のレベルを超えているわ。母親への不快指数も含めて」

「そだな。けど何処に行く?」

「はいっ《バッ》」

「はい結衣」

「はーくん・ごーほーむ!《どーーーん!》」

『………』

 

 俺の家に行きましょうと言いたいらしかった。直接“お前帰れよ……”とか、よりにもよって結衣に言われたと思って泣きそうになったよ。ソッと肩を叩いてくれる隼人のやさしさが沁みる。

 しかし誤解だとわかればじゃあ帰ろうと、店から出ようとしたところで小町と密会する小僧を発見。

 頭の頂にある比企谷レーダーは伊達ではない。

 で、せっかくなので席を移動したわけだ。こっちは静かで実にいい。あと貴様は誰だ。

 

「───ン、コホッ」

 

 あ。雪乃が定型文を頭の中に作った。

 わかりやすい咳払いは“喋るから邪魔しないでほしい”って合図だ。何故って? 途切れたり邪魔されると、どもったり、言うつもりで用意した言葉とかが霧散するからだ。コミュ障ナメんな。

 材木座の時は、“ひと目で、尋常でない中二病と見抜いたよ”状態だったからいけたらしい。ああ言えばこう返すことが見抜きやすかったんだそうな。まあそうでなくとも、結構ガトリングトークで一方的な感想だった気がするし。

 え? テニス部の連中? あれこそ自分を正当化したい若者の典型だから、なにを言っても返ってくるのはお決まりの文句、って想像しやすい。どの会話も定型文で済ませられるくらいだろう。

 

「川崎くん、といったかしら。小町さんとはどういった関係で? 住まわせてもらっているとはいえ、小町さんは妹も同然。そんな彼女と密会をするとは、よほどの事情があるのでしょう?」

「え、えーその……実は、相談があって……」

「関係は? とまず訊いたのよ。答えなさい」

「ひぃ!? あ、あの……ククククラスメイトっす!」

「雪乃さんもお兄ちゃんも睨むのやめてくださいってば。だいじょーぶですって、小町、大志くんのことどうとも思ってないですからっ。友達ですね。霊長類ヒト科オトモダチ」

「《ぐさぁっ!》トゥハッ……」

 

 なんか外国人が無理にグハッてうめいたような声が聞こえ、川崎が蹲った。隼人が合掌、「強く生きろ……」とこぼした。強くても痛ぇよ。

 まあ、ともあれだ。

 T氏(たいし)の姉が不良になった、とかそういう話らしかった。不良ねぇ。じゃあ同じクラスの川崎沙希は、前と同じ格好をしてるし、不良って感じはない。

 ともかく話を聞いてみれば、どうやら夜に外に出ている=不良って考えをしていたらしく、“それただ夜からのバイトをしてるだけじゃね?”ってツッコミが入った。

 もし相手があの川崎なら、前にそれっぽいことを言ってた。辻褄は合う、と思う。

 で、元の会話に戻るわけで。

 結衣の相手がどこぞのパパとか喧嘩売っとんのかこの野郎。

 

「婚約って比企谷先輩とだったんすか……。それなら先に言ってくださいよ、学生結婚とか想像の上すぎて、思いつかなかったっす」

「普通、ここまでいちゃいちゃしていれば、気づきそうなものよ」

「……それもそっすね。ちょっと余裕なかったっす」

 

 ほっとけ、たまのお出かけでもデートって思わなきゃ、そんな時間さえねぇんだよ。

 隣の結衣の肩を抱き寄せながらつくづく思う。

 男の子よ、恥ずかしくても想いは伝えよう。“一度言ったからいいや”は絶対にやっちゃいけないことだ!

 “付き合い長いし、言わなくてももうわかってるだろ”にも、ドアホウめと言って差し上げますわ!

 ふと感謝したくなった時、“いきなりどうしたの?”とポカンとされようが、想いは伝えるのです。

 あ、ただし余計なことは言わんでよろしい。感謝と好意とねぎらいを。嫌味は一切いりません。

 それはさておき。

 小さな話題も解決したところで、いよいよ核心へGOってことになったんだが……まあ、バイトってことは金だよな。

 学生が急に金を欲する理由ってなんだろうか。

 まずそこから意見を出し合って、なにより弟である川崎の話を中心に、答えを絞ってゆく。

 で、結局は。

 

「えと……無理っすよ。最近姉ちゃん帰ってくるの遅いし、風呂入ってすぐ寝ちゃうし」

「まじか。じゃあアレか、学校で言うしかないのか」

「提案しておいてなんだけれど、面識が特にない相手に、急に“スカラシップって知ってるか?”などと言われたら、相当警戒されるでしょうね」

 

 どこで知ったかは知らんが、雪乃がスカラシップの案をくれた。

 そもそも姉とやらがあの川崎なら、通帳と履歴書を持ちながら溜め息を吐いていたあの日に、自分と弟の分の学費がどうのと言っていたから、少しでもその助けになればってやつだ。

 しかし人間、急な甘い話には警戒するものである。いきなり“なんとかなるよー!”とか言われたら、当然警戒するだろう。

 

「ん……でもさ、結局は弟さんの依頼だったんだし、ある程度はしょうがないよね」

「それな。まじそれ。で、問題は誰が言うか、なんだが」

「私は嫌よ」

「即答なんだ!? ゆきのん、もうちょっと話すこととか前向きに考えようよ……」

「嫌よ。私は将来、専業主婦になるんだもの、そこに会話スキルなんて必要じゃないわ」

「……はーくん……」

「え、えー……? これ俺が悪いの? ……っつか隼人、笑いすぎだ」

 

 空港で専業主婦になれって言ったの、俺だけど、まさかだろ。子供心に引き離されないための言葉が、まさか幼馴染の夢になっていたなんて。

 ……普通こういう流れだと、歌手とかアイドル目指すってパターンなのに、なんだよ専業主婦って。夢も希望もありゃしない。

 

「俺じゃなくて結衣はどうだ? 俺よりよっぽど元気に突っ込める気がするんだが」

「ふえっ……むむ無理、じゃないかなぁ……。前に話しかけようとしたら、睨まれちゃったし……」

「睨まれた? 何故かしら」

「あ、ううん、ただ単に話しかけるなってポーズだったみたい。話すより勉強させろ、みたいな」

「学生然とした在り方ね」

「ん……なぁ、八幡はどうなんだ?」

「なんの接点もないのになんで俺なんだよ。お前でいいだろ、隼人」

「弟さんが妹さんと一緒の学校。接点、あるじゃないか」

「俺は断然隼人を推すが」

「そうね。あなたなら人と話し慣れているでしょう?」

「そだね! やっくんならいけるかも!」

「いけるかも……か。ゆーちゃん、やるのが八幡なら、どう思う?」

「絶対できる!《クワッ!》」

「ははっ……いけるかも、とはすごい差だ。……だ、そうだけど?」

 

 隼人が結衣を煽り、結衣は絶対の自信を持ってそう答えた。

 いや、信頼してくれるのは嬉しいんですけどね? 俺だってそうそう高いコミュ力とか持ってるわけじゃねーのよ?

 俺がお前ら意外とどんだけ付き合いあったと思ってんの。ほぼないよ? だって四六時中一緒だったし。

 

 ……あ。ちなみに本人確認のためにケータイで撮った姉の写真を見せてもらったが、普通に川崎沙希だった。

 

……。

 

 それは、翌日の11時頃……学校でのことでした。

 

「川崎!」

 

 重役出勤をしてきた川崎。訪れた休み時間に、教室から出ようとするその後ろ姿へと声をかけ、

 

「キミは───スカラシップを知っているか!?」

 

 ド直球で答えを提示した。回りくどいのとかめんどいじゃん? ほら、早く話とか終わらせたかったし。

 

「スカラ……?」

 

 そして訊ね返される俺氏。

 やべぇ想定外だ。一年の頃と違って互いに時間もなく、話もろくすっぽ出来てなかった俺達だから、挨拶返してすぐに去ってしまうのでは、とか思ってたのに。

 で、スカラシップのことは個人で勝手に調べるとか思ってたのに……!

 

「あ、いやそのっ、スカラシップってのはな? あー……それを説明するにはまず、塾の構成などから説明しなければいけないわけでして……!」

 

 スカラシップについては雪乃が教えてくれた。どこで知ったのかはわからんが。

 つっかえながらもなんとか教え切ってみれば、川崎はこくこく頷いて、メモに走り書きを残して感謝をくれた。迷いが晴れたような、いい笑顔だ。感謝も素直に出たものだろう。

 ……が、ここでハタと正気に戻る。

 

「ちょっと待った。なんで比企谷が弟のこと知ってるの? 話はしたけど、会わせたことはないでしょ」

「イッ……妹から、妹のクラスメイトの姉が不良になった、って話がありまして……」

「不良って……そりゃ、前に言ってた年齢をごまかしたバイト、始めちゃったけどさ。不良っぽくした方が年齢とかバレにくいかなーって、バイト先のホテルの近くで髪型とか変えて、頑張ってこう、目つきとか変えてさ。……まあ、それはわかった。けど、比企谷にそれを解決する理由はないでしょ?」

「兄とはな、川崎。可愛い妹の頼みなら、どんな願いでも可能な限り叶えてやる神龍的存在なんだよ。川崎だって、弟の学費のためなんだから、気持ちはわかる。へとへとになるまで働いたわけでもないから、あくまで気持ちだけな」

「……格好つかないね……はぁ。気遣い、ありがと。正直もう危なくてさ。へとへとになっちゃうし、家族とは険悪になりそうになるし、なんとかしたいのに疲れてるから明るくも振る舞えないし……いっそほんとの不良になっちゃって、理解されなくてもあたしだけが頑張ってればいいかなって…………うん。ありがと、たすかった」

「そういうのは解決してから言ってくれ。ぬか喜びとか切なすぎるから」

「はは……ん。でも、人の学力、あまりナメないでよね。伊達に頑張ってるわけじゃないから」

「そっか」

 

 溜め息ひとつ、川崎は去っていった───直後にチャイムが鳴って戻ってきた。

 うん……話長かったよね……。なんかごめん。

 ともあれ後日、川崎は深夜バイトをやめて普通のバイトに戻っていた。

 のちにきちんとスカラシップも取ることになり、その時は随分と気を許した顔で“ありがとう”を言ってくれた。面と向かって言われるのは恥ずかしいもんだ。

 え? 中間試験? 余裕だったってさ。笑顔でVサイン見せつけられたよ。

 俺は無難なところ。もちろん結衣も。つーか雪乃。お前国際教養科いきなさい。

 

……。

 

 職場見学を騒がしく過ごし、現在東京わんにゃんショー。

 

「はーくんはーくん犬! 犬!」

「はーくん、猫よ。はしゃぐでもなくのんびりと、いっそねそべりながら愛でましょう」

「俺、オウム見たいんd」

『あとで!』

「押忍……」

 

 結衣が犬を、雪乃が猫を愛でまくり、俺は一人、女性の買い物に付き合わされた荷物持ちの男の気分でその場に立っていた。

 毎年のことながら……これ、俺が居なくてもよかったんじゃ? とか思わなくもない。

 それが、こんな夢を見ている俺の場合でもまだ続いているんだから……まあ、笑えないってことはないものの、ちょっと切ない。

 楽しんでるんだからいいんだけどな、ほんと。

 ともあれ、そこに小町を足した騒がしさはそれはもう……男って辛いとか言いたくなるほどだった。

 一人が恋人じゃなきゃ、本気で“なんで俺ここに居るんだろ”とか思ってたことだろう。

 いやべつに、幼馴染って名目でも全然いいんだけどな。結衣が居なけりゃ、恋人も居たかどうか知らんし。

 え? 川崎? ……いや、なんとなく似てるって想像出来るだけ、俺と同じく家族を優先させそうだし、付き合っても長続きしなかったんじゃねぇかなぁって。主に俺がフラレる方向で。自虐がどうとかそういうんじゃなくて、なんつーかこう……頭がまだ子供なんだ。

 幼馴染のリーダー気取って騒いでるだけって言っちまえば、それだけのこと。

 だから、誰と付き合ってもこうだったんじゃないのかねと、そう思うのだ。

 ……大人、目指さないとなぁ。

 まあそれはそれとして。

 

「ハッピーバースデー! 結衣ー!」

『ハッピーバースデェーーーイ!!』

 

 ぱぱんっ、ぱんっぱんっ、とクラッカーが鳴った。

 東京わんにゃんショーから二日後の結衣の誕生日に、ここ、比企谷家で執り行われた誕生日会は、実に賑やか。

 幼馴染が集まっての、俺と雪乃が二人で作───ろうとして、自分のだからってのけ者にされるのってヤダ! と言った結衣が混ざって結局三人で作った特製ケーキを食べ、祝い、燥ぐ一日。

 

「ケーキっていいよねー、なんかさ、特別って感じがして」

「だな。スペシャルって感じがするよな」

「どちらにしろ特別であると言いたいのね……けど、ええ、わかるわ」

「よかったのかな、俺まで……」

「隼人はこういう時、気ぃ使いすぎだ《さくさくさく……ほれ、ケーキ》」

「えっと……お兄ちゃん? 小町、もうそんなに大きくケーキ切り分けなくても……」

「気にすんな。俺には結衣がくれたクッキーがある」

「自分の誕生日に好きな人にクッキー焼いたの!? 結衣さんとお兄ちゃんって、ほんとなんでもいいから好きって言える口実探してるバカップルだよね……」

「うっせ、いーじゃねぇか。仲が睦まじいって、それだけで幸福なことだぞ。むしろ祝福してくれ」

「祝福……───らぶらぶですな」

「わかるかね」

 

 兄妹、ヘンテコな会話をしてウェーイと手を叩き合わせた。

 妹が羨ましいと感じたいつかも遠く、兄に申し訳なかったと自覚したいつかももう遠い。

 

「はい、から揚げの追加ねー。雪乃ちゃん、ちゃんと食べてるー?」

「姉さん、そこはゆーちゃんに言うべきでしょう。今日の主役は彼女よ」

「やーやー、もう言ったからいーのいーの。けど、こうしてると妹が二人出来たみたいで、お姉ちゃん幸せ。むしろママ大好き」

「本当の母さんが泣くわよ」

「それはそれで見てみたいでしょ?」

「……確かに」

「あっはははは、あぁ楽し。私はあれだねー、世界の楽しみ方なんてものをわかってなかった。ずっと雪ノ下に生きてたんじゃ、こんな世界なんて知れるわけないもん。猫をおっかけて道に迷った雪乃ちゃんにかんぱーい!」

「ちょっ……やめて、姉さん……!」

「かんぱーい!」

「ゆーちゃん!?」

「かんぱーーい!」

「はーくんまで……!」

 

 けどまあ実際、ああいうことがなければ出会うこともなかったのかもしれない。

 出会うことがあったとして、こんな関係になれたかどうか。

 

「……俺はなにに感謝するべきなんだろうな。雪乃ちゃんへのイジメを感謝するわけにはいかないし」

「結局出会いは猫だから、猫をおっかけて道に迷った雪乃にでいいだろ」

「そっか。じゃあ、かんぱいっ!」

「……はぁ。もう勝手にやっていなさい……」

「おお許しが出た! おめでとう雪乃!」

「おめでとうゆきのん!」

「おめでとうは違うでしょう!?」

 

 日々コレ平穏。俺達は、心からこんな関係を楽しんでいた。

 

……。

 

 7月。

 7日といえば陽乃さんの誕生日。

 前日からめっちゃくちゃそわそわしていた陽乃さんは、まるで子供のようだった。

 親の知り合いにおめでとうと淡々と言われ続ける集まりよりも、子供っぽくても誰かと騒げる誕生日が夢だったんだと。

 そんなことをママさんから聞くに至り、そりゃもう騒がなければでしょう。ということで激しく騒いだ。

 もちろんもう、一度や二度目の誕生日ではないが、それでも毎年楽しみにしている陽乃さんだ、今年も嬉しすぎてえびす顔になるくらい、喜ばせよう。

 

「リアル2コマ劇場~」

「さっさーのーはー───コットン100《ズビシィ》」

「さらサーティね」

「え───なんなのそれ!? え!? お姉ちゃんちょっと意味わからない!」

 

 1コマ目で短冊いじりながら“さっさーのーはー”まで歌い、振り向きざまにサムズアップでコットン100。すかさず相手ががサラサーティねとツッコむ。うん、言われたとおり、意味はない。わからなくて当然だ。

 いや、べつに演目としてやったとかじゃない。たまにある誰も喋らない空白を有効利用しているだけだ。

 

「でも、なんていうか……落ち着いたっすよね、陽乃さん?」

「ん~? んふふー、そりゃーね。人の裏を掻くとか先手を取るとか探り合いをするだとか、こっちじゃ無駄でしかなくて。だってみ~んな素直な感情ぶつけてくれるんだもん、身構えてるのが馬鹿馬鹿しくなっちゃって」

「あー……陽乃さん、ママさん大好きっすもんね」

「うん大好き。私、ママのためならなんでもするわよ」

「あの……陽乃さん? ママのこと、取らないでくださいね?」

「あーもー、結衣ったら可愛いなー! どう!? どうだね比企谷くん! これ私のかわいー妹二号! かわいーでしょー!」

「違います、俺の恋人です。これ扱いしないでください」

「むっ……なぁにー? 比企谷くん。この私とやろうっての?」

「やらいでか、っすよ。……ベット! 俺は掛け金として、雪乃の専業主婦の夢を賭ける!」

「はーくん、全力で叩き潰すわよ」

「おう! 雪乃が居れば百人力…………あの、雪乃さん? なんで俺のこと睨んで構えてるんでせう」

「叩き潰すわよ?」

「え? ……え? なに? 俺に言ったの? 力を合わせて陽乃さんを全力で叩き潰すって意味じゃなくて」

「なぜ私がそんな面倒なことをしなければならないのかしら。そもそも理由が───」

「ゆきのん助けて!」

「任せなさい全力で叩き潰すわ」

「お前ほんと結衣にはやさしいな!?」

「気の所為でしょう? 同じ程度にはあなたを愛しているわよ。幼馴染の域は永久に出ないでしょうけれど、ね。ふふっ」

「あーそりゃあんがとさん」

「ええ。いつまでも友達でいましょう? 幼馴染という称号は、切っても切れないものだから度外視するとして」

「友達なのに専業主婦志望って、もうわけわからん」

「べつに、家に居たって出来る仕事はあるわ。……ああそういえば、中途半端になっている依頼がひとつ残っていたわね。それを煮詰めてみるのもいいかもしれないわ」

 

 中途半端? なんのこっちゃ。

 首を傾げつつ、こうして俺達のやかましい七夕は過ぎて行った。

 さすがに喧嘩はまずいので、やった勝負事はゲームだ。

 ……陽乃さん、この人ほんとなんでもアリな。まさかゲームで負けるとは思わなかった。

 

……。

 

 7月も後半になれば夏休みも目前……の前に、何故か柔道部が奉仕部に来訪。

 OBの先輩さんをなんとかしてくれという依頼を受け、柔道で勝負するハメに。

 っつーかなんで相手の土俵で戦わなきゃならんのか。

 いやまあやれっつーなら頑張るが。

 日々、陽乃さんに、笑いながら投げ技掛けられてきた俺達の本気、見せてやろう……!

 ここで安らかに眠るのは貴様らじゃーーーっ!!

 

  ドカバキギャーーーーッ!!

 

 ……というわけで負けた。

 にわか仕込みじゃそりゃそうなる。

 しかし平塚先生に用があったとかで学校に来てた陽乃さんが参戦、先輩さんを瞬殺した。強いよあの人……強すぎるよ……! 雪ノ下建設ってただの建設業じゃないの……? なんで娘をあんなミス・パーフェクトにしてんのほんともう……!

 なんかいろいろ先が不安になるようなことを聞かされたけど、聞き流した。

 八つ当たりとかほんとアレな、勘弁だ。

 

……。

 

 夏休みに入ると、日々は絶好のデート日和になったりした。

 自由に出来るお金を使って遊びに行ったり、金は使わず遊びに行ったり、サブレの散歩したりサブレ用のリードとか首輪とか見繕ってみたり。

 騒がしい日々の中、ようやく恋人らしいことが出来ている気がする。

 体力作りは今も続けていて、朝練とばかりにランニングをしているテニス部と時々擦れ違う。……戸塚くんはまだ可愛いままだった。あれがいつか筒井あかねくんのようになるのかも、と考えるととても怖い。

 

  俺の誕生日は“静かに”がお約束。

 

 8月8日になると、俺と結衣と雪乃と隼人だけで軽いパーティー。

 自作のお菓子や飲み物を持ち寄って、おめでとーとやるだけ。実にいい。

 毎年恒例、茶封筒を受け取って、それを貯金して懐を温める。

 あとはあれな。曜日を決めてのバイトとか。

 

「最近のコンビニって寒いよな……夏場バイトしてると、外に出ると死にそうになる」

「だよねー……あ、でもママがスーパーのパートをやってた時とか、それよりはマシだって言ってたよ?」

「なにそのスーパー。店全体が冷凍庫だったりしたの?」

「よく知らないけど、窓はいっつも結露が出来てたって。元気に入ってきた半袖の女の子が、数分後にはカタカタ震えてたくらいだ~って聞いたよ?」

「やだ、なにそれ怖い」

「商品の保存環境としてはとても良いのでしょうけれど、そこで働くのだけは勘弁願いたいものね」

「同感……」

 

 幼馴染としても相変わらず。

 恋人同士なのだからと気を利かせることも多いが、基本的に結衣が雪乃を連れ出したがり、俺もそれに乗る。

 突然小説を書き出したりした時はどうしたのかと思ったが、それが中途半端な依頼、とやらのことらしい。

 

「財津のことか?」

「ええ、そう。財津……でよかったかしら」

「えとー……ごめん、あたしもよく覚えてないや。で、そのざいづ? がどしたの?」

「小説を読んで感想を、という依頼を受けたでしょう? また持ってくると言って、何度か持ってこられて。何度も来るようならいっそ、新人賞に出すあたりまで付き合ってみたらどうかと思ったのよ。……ああ、言っておくけれど、付き合うというのはそういう方向ではないわよ」

「そりゃわかってる。むしろ雪乃。お前の場合、あいつ見てると瞳が疼くだろ」

「うぐぅっ! ~~……やめっ……やめてちょうだいぃい……!! やめてぇえ……!!《かぁああ……!!》」

 

 黒歴史は誰にだってある。

 たとえば雪乃のラーニングとか、中学時代を知る者にしてみれば、結構有名だ。

 折本とかめっちゃ笑ってたし。でも成績は優秀だったから、ぐぅの音も出なかったわけだが。

 人のベッドの上でばたんばたんと悶える幼馴染に、落ち着きなさいとデシンと手刀。

 「死にたい……」と真っ赤な顔で言う雪乃は、自力で復活するまで待つことにした。

 しかし専業主婦態勢で小説家か……まあ、アリかもしれない。

 





 /アテにならない次回予告


   「ローーーレーーーーンス!!」



「すごいねゆきのん! なんか実感こもってる!」



  「《ぞぶしゃあ!!》……カハッ……!」



                        でんわ、でろ




        「大丈夫、ただの青大将だよ」




          「全身青タイツの兄貴か。槍とか使いそうですね」




     『…………おかん』




「否定された瞬間に、“いや”だの“でも”だのを反射的に使うのはやめなさい」




    「比企谷。今度きみの家でカレーを作る時、家庭訪問───」




            「勇気、出してみよ?」




次回、夢と現実の僕らの距離/第七話:『ゆきのん死す!』

 デュエルスタンバイ!

Q:マジですか

A:うそです

第七話:『学校外の仕事は部活じゃねーだろ』

 ちなみに最寄りの“ふじや”は本当に結露だらけで、真夏日でもくしゃみが出まくるほど寒いぞ!
 子供が震えていたのは実話です。


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学校外の仕事は部活じゃねーだろ

 夏休みってこともあり、自由な足をそのまま動かし図書館へ行くと、そこで待ち合わせをしていた財津くんとともに今後の方針を決める。

 小説家になりたいと言いつつも、儲かる方に流されそうになる財津くんに雪乃のコメカミがビキッと音を立てたが、そこはまあ実に欲望に忠実だって話。

 声優と結婚したいとかぬかすなら、まずそのメタボボディをなんとかしなさいとツッコまれ、彼は撃沈した。

 

「まずあなたは、お金を得るために物を書く、という意識を持ちなさい。趣味だけを押し付けたものを売ろうとすれば、それこそ叩かれ続けることさえ覚悟もすること。自分の作品をただ読んでもらいたい、あくまで趣味だというのなら、その時こそ読者に反抗しなさい」

「ぶひっ……!? い、いやしかし我の世界を理解できるのは───」

「押し付けるのではなく、理解してもらうところから始めなさいと言っているのよ。我が儘が許されるのは無料で振るえる腕で作るものだけ。高級料理店で少し焦げてしまってと言って出して、誰が納得するというの?」

「い、いや……しかし」

「否定された瞬間に、“いや”だの“でも”だのを反射的に使うのはやめなさい。あなたの世界なのだから、他人が完全に理解することは不可能なのよ。それを前提に、少しずつ理解してもらえるように書く。そこからでなくては、とても読めたものではないわ」

「《ぐっさぁ!》……ケフッ……!」

 

 クリティカルヒット! 財津くんが胸を押さえて過呼吸状態になった!

 

「すごいねゆきのん! なんか実感こもってる!」

「《ぞぶしゃあ!!》……カハッ……!」

「あ」

 

 痛恨の一撃! 雪乃が胸を押さえて崩れ落ちてゆく!

 って結衣、そのまま言ったんじゃ、雪乃がかつては同類だったってバレるだろ……!

 

「あ、あー、まあ読書好きだから、お互い語り合ったもんなぁ!」

 

 わざと少し大きな声で言うと、結衣も気づいたのか無言で何度も頭を下げた。

 

「もはっ、もはははは……! 酷評には慣れている……! 我はこの程度で夢をあきらめたりなど……!」

「その夢が声優と結婚したい、とかじゃなければなぁ……」

「ゆっ……夢は夢であろう!?」

『しーーーっ……!』

「はぽっ……し、しつれい……!」

 

 図書館での小説談義は進み、ともかくどうしても外せないものを残しつつ、見せ、そして魅せたいものを描き、かつ読みやすく理解しやすいように纏める。

 そんなことを何日か続けると、頭の中でまとまるものでもあったのか、財津くんは勢いよく小説を書くようになった。

 良いものが書けそうだと言っていた彼だが、やたらと俺達幼馴染のことを聞いてきたのが気になったが……なんだろな、今度は中二ラブコメものでも書くのだろうか。

 

……。

 

 ある日、家の中、平塚先生から電話が来た。

 丁度トイレに行ってる時だったので出られなかったんだが、直後にメールが来る。

 ……。

 なんか、ひどく丁寧で、びっしり書かれている文字に、おおさすが国語教師……! とか思ってしまった。現代国語の集大成だとか言うつもりはないが、ひどく丁寧、かつ綺麗だ。読みやすい。

 現国は結構好きな俺が、“待ってればもっと来るかな”とか悪戯心を沸かせてしまうのを、平塚先生以外に誰が責められよう。

 そうしてしばらく綺麗な文字列が送られてくるたび、熱心に最初から最後まで読んでいたんだが……最後のメールにて、その一番最後。

 

  でんわ、でろ

 

 うん、かなり後悔した。あの人、彼氏とか出来てもこんなことしてんのかな。

 そりゃ彼氏逃げるわ。

 こういう行動を“なんて一途で俺のことが好きなんだ!”と思える相手、見つけてください。

 

……。

 

 呼ばれて赴きゃサポーター。故障した膝とか腕を護ってくれそうである。膝サポーターズっていい名前だよね。

 それはそれとしてだが、困ったことに奉仕部強制合宿緊急依頼“小学生の林間学校をサポートせよ!”の任務が無理矢理組まれていた。なにこれ。

 

「先生、奉仕部は先生の都合のいいボランティア集団ではありません」

「そう言ってくれるな……」

 

 何故こんなことに……と溜め息を吐く雪乃。ごもっとも。

 小学生ちっさいー、かわいー、と状況を楽しんでいる結衣。落ち着きなさい。

 点数欲しさに集った隼人グループ、苦笑い。

 そして小町、遊ぶ気満々。

 ……おい、どうすんだよこれ、サポートしたがってる奴なんて一人も居ないんだが?

 

「八幡……きみも内申点欲しさに?」

「お前の場合は付き合いでだろ、今さら内申点心配するタマじゃねぇだろうし。……奉仕部は強制参加だとよ。ほれ、これ見てみろ、呪いのメールだ」

「呪いの? ………………なんだ、別に普通のヒィッ!?」

 

 ズズーっとメール本文をスクロールしてやると、一番最後に“でんわ、でろ”の文字。

 大変恐ろしかったようで、あの隼人が顔を引きつらせている。

 なんにせよ、始まってしまったものは仕方ない。

 妙にやる気を出す雪乃に急かされつつ、結衣を促して、早速作業に取り掛かった。

 居るよね、こういう時にばかりやたらと張り切るヤツ。

 え? 誰かって? ……我ら幼馴染である。

 

「へー……これが予定表かー……あ、ご飯はカレー!? キャンプでカレー!?」

「キャンプでカレー……!? ひ、平塚先生っ……! 何故、事前にこういったサポートである、と教えてくれなかったのでしょうか……! スパイスすら用意出来ていない、なのにカレーなど……!」

「いや、そこなのか? そこでいいのか? ……まあなんだ、たまにはバーモント的なカレーもいいものだぞ?」

「比企谷家のカレーは家庭的であり、かつスパイスが絶妙なカレーです。あれのあとでは、最初から味の決まっているカレーなんて……!」

「……。比企谷。今度きみの家でカレーを作る時、家庭訪問───」

「要りません間に合ってます」

 

 平塚先生が望むままのボランティアにいきなり組み込まれるとか、ないわーまじないわー。

 部活対抗交流戦があるわけでもないのに……いやむしろ俺達の他に、奉仕部的な場所があるわけでもないのに。

 ボランティア~とか聞いて、ちょっぴり張り切っちゃったのかなぁ。見栄張っちゃったのかなぁ。“任せてくださいっ!”とか。ポルナレフが殴られそうだ。アヴドゥルに。

 

(けどなぁ)

 

 この年頃の子供って、絶対にアレがあるだろうから少々不安なんだが───…………って早速あったよ予想通りだよ! それに気づいた雪乃の表情が一瞬にして無表情になったよ!

 ……無事には終わらないんだろうなぁ、このボランティア。

 

……。

 

 で。

 

「ドーモ初めまして、ショーガク・ボーイ=サン、ショーガク・ガール=サン。ニンジャヒキガヤーです」

『ドーモ初めまして、ニンジャヒキガヤー=サン。ショーガク・スチューデントです』

 

 子供たちへの自己紹介から始まるアイサツも終え、いよいよもって死ぬがよい。じゃなくて、いよいよもってサポートボランティアは事務的にこなされていった。

 深入りすればそれだけ面倒になるって誰もが解っていることだ、好き好んで事務的以上の関係を作りたいやつなんて居ない。……居ないんだが、そういう馬鹿は何処にでも居るものなのだ。主に俺を含む幼馴染とか。

 そういうことが出来るようなヤツでもなけりゃ、子供だったくせに小遣い出し合って、イジメ撲滅のために他校に乗り込んだりしないわな。

 そんなわけで子供たちが道を歩き、チェックポイントを探す、というオリエンテーリングがあったわけだが……その途中。

 

「……八幡。あのグループのことなんだが」

「わかってる。小学生だもんなー……あると思ったよ」

「その言い方だと、逆に中学高校ではないと言いたいって聞こえるな」

「中学高校にもなってイジメするなんて、思考がお子ちゃまなだけだろ。誰かを蹴落とすことでしか優位になれないって、無意識に自覚してるんだ。徒党を組まなきゃ人を追い詰めることもできない、追い詰めたことで生じる責任を“みんな”に押し付けることでしか逃げられない。ほれ、子供だろ」

「……それは、怖いな。本当に無自覚だから。俺も……あのままだったら、泣いている人の手も笑っている人の手も無理矢理掴んで、笑うことで誤魔化すしか出来なかったかもしれない。……それこそ、“みんな”で状況の責任を散らして、なかったことにする、みたいに」

「お前がそれやってたら、俺達三人のうちの誰も、幼馴染なんてやってないだろ」

「手厳しいな……けど、ああ。気持ちはわかるよ」

 

 森の小道を子供たちとともに歩き、そんな話をする。

 後方では結衣と雪乃が隼人グループと話しており、その中の……あー、おー、なんて言ったか、コングナデシコ? モンキー越前? が二人揃って結衣の隣に行こうとして雪乃に睨まれ、めげずに声をかけようとしたら隼人が振り返り、「言っておいたよな?」とにっこり。

 途端、二人は軽く両手を挙げて降参のポーズを取りつつ、グループの女子、三浦優美子と海老名姫菜の横に戻った。

 

「すまない、悪いやつらじゃないんだが」

「言っておいたって、なに言ったんだ?」

「幼馴染だし彼氏も居るから、ちょっかいだすのはやめてくれ、かな」

「で、近づけばお前が睨んで注意する、か。なるほど、効果的だ」

「ていうかな、二人が近づくのに気づいた時点で、きみがもっと怒るかと思ったよ、俺は」

「さすがに交友関係まで口出ししてたらキモいだろ……」

「本音は?」

「独占したい」

「……素直に言ったほうが喜ぶと思うけどな、ゆーちゃんなら。むしろ隣を歩いていないことに驚いたよ」

「子供をサポートするボランティアなのに、いちゃついてたら平塚先生に殴られるだろが」

「……なるほど」

 

 得心いった、といった風情で苦笑いをこぼす幼馴染は、「それでも並んで歩くかはきみが決められるだろう?」とこぼしてくる。

 あーそうだよ、くっだらない見栄みたいなもんが浮かんできて、躊躇しただけだよ。

 恋人の隣に居たいからって、あっち行ったりこっち行ったりする恋人の後ろをついてまわる自分を想像して、ちょっと、いやかなり情けなく思っただけだ。だけ、って言うには、実際想像してみればどれほどアレなのかは想像に容易いと思うが。

 

「隼人もさ、想像してみろ。お前だって雪乃に、見ず知らずの相手に告白されるのが面倒だから、って恋人のフリさせられてるだろ。そんな状況なのに、恋人のフリしなくちゃいけないからって隣に居ようとする自分。あいつが動くたびに金魚のフンみたいにうろちょろついていく自分。……どうだ?」

「…………すまん」

 

 肩を落とし、酷く納得できたって顔で肩を叩いてきた。

 だよな、そうなるよなぁ。

 

「………」

 

 雪乃は、誰とも付き合っていない。

 男子との付き合いなんてわからないし、興味もない、と言っている。

 かつてのイジメが原因で、そういった関係を作ることに嫌気がさしているようで、俺か隼人以外の男が近寄るのも嫌っている有様だ。

 だってのに中学高校とラヴレターやら呼び出しやらがあった。うんざりもするだろう。そこで隼人が提案。俺を恋人もどきにしないか、と。

 雪乃はそれに対し、あなたのメリットがない、と言ったのだが……そう言われることも織り込み済みだったのだろう。おどけた調子で、“俺にも告白が来なくなる”と言ってみせた。

 雪乃はポカンとしていたが、笑ってこれを了承。仮面恋人が完成し、しかしあくまで幼馴染の距離で仲良くやっている。

 雪ノ下雪乃が男子と一緒に居るってだけで、今までフラレた人にしてみれば納得が出来るわけで、じゃあ二人は恋人なのかと勝手に受け入れるわけだ。

 ……おかげで、雪乃と三浦優美子との仲は、あまりよろしくないが。

 一応、三浦優美子はその関係を知っていて、じゃああーしでもいいじゃん! と言ったのだが……ほら、あれな。雪乃にも隼人にもメリットが生まれる結果を出したいなら、二人が恋人のフリをするのが一番なのだ。

 “じゃああーしの気持ちはどうなるっての!”と言われたが、うん、知らん。全てを解決したいわけでもなければ、俺は他人よりも幼馴染を優先する。誰だってそーする。俺もそーする。ただしそれは“みんな”の意志ではなく、間違いようもないくらいに自分で選んだものだ。

 大体、たとえば雪乃が“今は誰とも付き合う気がない”って言って、顔だけで判断して近寄ってくるラヴレター軍団が納得すると思うのか。

 と言ってみれば、何故か海老名さんが“そう! それ! それだよ比企谷くん!”と妙に熱い思いをぶつけてきた。

 ……なんでだろね、この眼鏡っこさんに比企谷くんって言われると、妙に違和感。気の所為か。

 

「ところであいつの名前なんだっけ。コングナデシコ?」

「大和だ」

「あっちがモンキー越前……」

「大岡だ」

「………………惜しいな」

「大和撫子と大岡越前って言いたいのか!? 惜しくないだろ! 惜しっ………………いや、惜しいのか?」

 

 ともあれだ。

 そういったこともあり、気づけば妙な関わり合いが、俺達と隼人グループには出来ていたのだ。

 

「そっ……そういえば、比企谷と由比ヶ浜さんってその……つ、付き合───」

「大岡。左手の薬指。あれ、本物だからな」

「まじなのか隼人くん……。知りたくなかった……アクセだって思い込みたかった……」

「……なら、雪ノ下さんと隼人くんが付き合っている、という噂も本当か? 言うほど一緒に居るところを見ないが……」

「大和。子供の前でそういう話はやめてくれ」

「……だな。すまん」

 

 隼人のグループもいろいろあるんだな。

 別の一人は、そいつはそいつで海老名さんに話しかけまくってるし。

 ……うん、華麗にスルーされてるけど。受け流しスキルハンパないわー、違和感ないように流してるのがまたすごいわー。

 

「いっや小学生マジ若いわー! 俺ら高校生とかー、もうおっさんじゃねー!?」

「ないな」

「ないわね」

「ねぇだろ」

「ないよね」

「ねぇっしょ」

「ないない」

「いや、それはないでしょ」

「……ないな」

「それはない」

「うん……なんかごめん……わるかったわぁ……」

 

 隼人、雪乃、俺、結衣、三浦、海老名、小町、大岡、大和に丁寧に“ない”と言われ、戸部は肩を落としていた。

 途中、子供が蛇を発見したーとかで騒いでいたが、蛇も人間に構っている暇などなかったのだろう。俺と隼人が近づくと、ゴシャーと独特な移動方法で去っていった。

 「大丈夫、ただの青大将だよ」と隼人が子供たちに笑顔を振りまく瞬間、俺は「青大将? 全身青タイツの兄貴? 槍とか使えそうですね」と呟きつつ、その輝きの影に隠れるようにして結衣たちのもとへと逃走。

 隼人は見事に子供女子集団に捕まり、俺は平然と結衣のもとへ。

 隼人が「あ、おいっ!」と、ずるいぞって言葉を顔に張り付けたように言ったが……知らん。

 隼人は犠牲になったのだ……俺の平穏……その大きすぎる平和の犠牲にな……。

 

「───はーくん」

「《きゅっ》……おう、わかってる」

「どこにでも居るものね、やっぱり。気の所為であってほしかったのだけれど」

 

 先ほど隼人と確認した通り、やはり一人、グループの輪から距離を取っている……いや、取らされている子供を発見。

 隼人もそれは確認したらしく、何処か冷めた目を見せて……すぐに笑ってみせる。

 ……ああ、怒ってるな、あれ。

 

「さて、どうするかね」

「助ける、っていうのとはちょっと違うもんね……。なんとかしてあげたいけど、いらないお節介なんかすると、余計こじれるパターンだよね、これ」

「私に任せてちょうだい。いい考えがあるの」

「大丈夫か?」

「ええ。実体験だから」

 

 くすっ……という余所行きの笑顔ではなくニコリと笑い、雪乃は輪から外れた少女に静かに近寄っていった。

 そして対話すること数分。話しかけられるたびに俯きながらプイプイと顔を逸らす少女……その子の手をむんずと掴み、戻ってきた。

 

「確保したわ」

「ちょっ……なにすんの……! 離して……!」

「あの。ユキノ=サン? 嫌がってんですけど?」

「大丈夫よ、問題ないわ」

 

 え、えー……そうなの? 明らかにそっぽ向いて迷惑そうにしてるんですけど?

 あとその言葉は問題だらけだからちっとも安心出来ませんが?

 ……けどまあ、無視するわけにもいかないわけだ。行くか。

 

……。

 

 それから。

 チェックポイントを探す傍ら、隼人は昔話をした。

 イジメっ子が自分の所為で家族ごと不幸になるお話。

 過去にイジメた相手が自分より出世して、その会社で働きたかったけど復讐の所為で入れなかったーとか。

 イジメられた人の家族がイジメっ子の親の上司で、それが原因で仕事をやめさせられ、家族ごと不幸になったとか。

 自分がしたことを棚にあげて謝れなかった所為で、しなくてもいい喧嘩をしたまま時は過ぎ、会う人会う人に心が狭いと言われ、嫌われていったとか。

 泣いている人をほったらかしにして、笑っている人と手を繋いだ所為で、大切な人に嫌われるところだったとか。

 それはもう罪悪感をざくざく突き刺すようなことを、丁寧に丁寧に。

 話の途中で“でもでもだって、それって”と言う小学生たちに、それでも何度も丁寧に。

 イジメてたヤツがイジメられるパターンの話まで用意して、なんだかそれがクリティカルヒットしたようで、輪の中の少女ではなく、輪から外れていた少女が駆け出し、視線をうろうろさせていた輪の少女たちに思い切り頭を下げ、

 

「───ごめんなさいっ!!」

 

 と、叫んだ。

 当然、少女たち困惑。

 リーダー格っぽいやつが「は、はぁ? なに言って───」と口を開きかけた時、他の子供も叫ぶように謝罪を始め、「は!? ちょ、ちょっと!」とリーダー格が困惑している間に仲直りが完了。

 一人ぽかんと立っているリーダー格はあっと言う間にぼっちになり、「なにそれ!」とか「さっきまでそいつの悪口言ってたのに!」とか叫んでる。

 それを聞いて息を飲む子も居たが、ぼっちだった少女は「同じこと、前はこっちもしてたんだから、それはおあいこにしよ……?」と提案。子供らの罪悪感は軽減され、ぱぁっと笑顔を弾かせるが、もちろん納得がいかないのはリーダー格。

 

「ね、ねぇ……もうやめよ? こんなことしててもさ、もう……いい加減つらかったし……さ」

「はぁ!? あんただって乗り気だったじゃない!」

「だって……そうしなきゃ次、狙われるって思ったから……」

「そ、そうだよ。ていうか、怒鳴らないでよ……仲良くしようよ、ね?」

「るっさい! あんたたちが薄情者だってのはよーくわかったわよ! あんたら覚えておきなさいよ!? 絶対、後悔させて───!」

「はい、そこまで」

 

 涙が滲み始めていたリーダー格、少女Aを、結衣が後ろから抱きしめた。

 少女Aはそりゃあもう驚いていたが、結衣は落ち着かせる声調でゆっくりと語りかける。

 

「急に友達が離れていくかも、って思う時の気持ち……わかるよ? でもさ、それで、その時の感情だけで突き放したら、絶対に後悔するんだ。……泣きそうになるくらい不安になっても、怖くても、勢いだけで叫んじゃだめだよ……」

「だ、だって……だって」

「ん……怖いよね。今まで仲良くしてた子が急に敵になるのって。次は自分かも、とか……そう思っちゃうんだ。でもさ、それも……どっかでやめる勇気を誰かが持たなきゃずっと終わらない。勇気を持った所為で自分だけが弾かれる、なんてあるかもしれないけどさ。……勇気、出してみよ? 手を伸ばしてくれる人が居るなら、それを叩かないで、繋いでみよ?」

「………」

「ね。きみは、どうしたい?」

 

 訊ねる。

 こうしなさいって、大人のように押し付けるのではなく。

 こうしたほうがいいって、適当に考えを押し付けるのでもなく。

 その人が本当はどうしたいのか。それを聞いて、背を押せるよう。

 こんな状況でだって嘘は言えるし、プライドを盾に跳ねのけるのだって簡単だ。

 けど。子供ってのは、半端な大人よりも知っているもんだ。

 輪から外れることがどれだけ怖いのか。

 したこともされたこともある子供なら余計だ。

 もちろんそれだけが理由だと言いたいわけじゃない。

 が───手は、伸ばされたから。

 

「……留美ちゃん、仲間外れにして……ごめん。秘密だって言われたのに……バラしてごめん。また……遊んでくれる?」

「……うん。もう、こういうの……なしにしよう、ね……」

「うん……ていうか、これだと次の標的、こっちになるし……」

「大丈夫。しないから」

「…………っ……ごめんね……ごめん……!」

 

 イジメることで浸れる優越感が罪悪感に変わる時、その量は子供には重すぎるのかもしれない。

 が、まああれだ。自業自得だ。仲直りできるだけよかったって思わなきゃ、正直やってられんだろ。

 

「子供って怖いわー……俺、小学ん時とかたまぁにハブられたこととかあったけどぉ、女子とかってあんなこと思っちゃったりしてたわけね……っべーわぁ……」

「ていうか物凄いスピード解決だったけど、え? これどう反応したらいいんだろ……え? え?」

「海老名、いーから落ち着けし。べつに適当でいーっしょ? それよか隼人ー? 早くチェックポイント行って、終わらせない?」

「うーわー、優美子ったらドライだ……」

「……べつにこんくらい普通っしょ。あーしらのガキの頃だって、あんくらいあったし」

「……もしかして、イジメてた側?」

「あ? ……逆だっつの。くっだらないこと提案してきたヤツ叱って、黙らせた」

『…………おかん』

「るっさい!!」

 

 ……こうして。

 俺達の林間サポートは始まったのだった。

 え? 終わったみたいな流れ? 始まったんだよ。いやマジで。

 現に、泣きながらの謝り合いを終えた子供たちを促して、移動も再開した。

 山を歩き、チェックポイントを経てゴールへたどり着けば終了。

 そんな中で、恋に恋する乙女や男もまた、イケメンや好きな相手に声をかけたりするわけだ。

 え? イケメンって誰かって? 俺じゃないのは確かである。

 俺、ただの元気で幼馴染が大事なだけの男だし。

 気が利いたこととか言うの、無理よ? そんなもん、真にイケてるメンズ代表、葉山隼人に任せてしまえ。

 

「ね、隼人隼人、あーし意外と子供超好きなんだよねー。子供って超可愛くない?」

「優美子。意外となのか超なのかどっちなんだ」

「え゙っ……い、いや、あーしとか、そういう感じ、意外じゃない? そ、それともあーし、子供超好きそうに見える……とか?」

「子供好き、じゃなく、優美子の場合は世話好きだろうな」

『あー』

「ちょっ……あんたら黙れ!」

 

 全員が深く納得してしまった。

 だってさ、ちょっとしか話してなくてもわかってしまうくらい、オカンなんですもの。





 /アテにならない次回予告


「ローーーレーーーーンス!!」




 「思わずウキョロキョキョーン、フギャッフギャッとか言いたくなるな」




     いっ……嫌ー! 比企谷くん嫌だー!




  「仕方がないでしょう? 人を好きになった経験がないんだもの」




「殴られるし軽蔑されるし、平塚先生に血祭りにあげられる」




   「麦芽ゼリーとかみそピー最強な。よくぞ千葉に生まれけり」




      「ちょ、はーくん!? それ言っていいことなの!?」




     「ええ。私、どうでもいい人相手に甘える趣味はないもの」




次回、夢と現実の僕らの距離/第八話:『奉仕部強制合宿』

 今井は叫んだ!!

「待ってくれーーーーっ!!」


◆pixivキャプション劇場

 フレッシュミート!!【挨拶】

 テイルズオブファンタジアのあのフレッシュミートさんはなにがしたかったんでしょうね。
 落ちたソーサラーリングを取りに行ったら、いきなりですもんね。
 リメイクPS版だけでしたっけ? PSP版は覚えてません。スーファミ版ではなかった筈。
 スーファミ版のチェスター、最強でしたよね。
 技が無い代わりに、武器さえ強ければクレスの技なんぞよりてっとり早く大ダメージ与えられましたし。

 モーリア坑道最奥の奥義書が、SFCとPSとで違ってたのはちょっと寂しかった。
 奥義っ! 襲爪っ! 雷っ斬破!の言い方が好きだったなぁ……懐かしきSFC版。
 レンジシステムは鬼畜だったと思うの。セミオートしかなかったのは本当に辛かった。
 でもグレムリンレアーの「ヘアー!」って声は大好きでした。PS版で無くなってたのは本気でショックでした。カメレオンは使う機会少なかったのが悲しい。

「マスコット人形……? これはっ……~~……僕か……っ!!」

 ドラマCDのクレスのこの声、たまらなく辛い。アミィなんで死んでしまったん……? 妹守りながらの冒険でもよかったじゃない。
 あ、でも小説でクレスと結婚するやつがあったのは、正直救いでした。

 物語は続く。
 これからまだまだ、たくさんの辛いことがあるだろう。
 迷いの森で途方に暮れて、魔法使いに呪いをかけられて、伝説の剣が真っ二つに折れて。
 でも……そうさ。物語はいつもこうやって終わるんだ。

  それからずっと、みんな幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。

 ……うん。悪くない。
 どうだい? 悪くないだろう? アミィ───

 ドラマCDステキでした。忍者日記も合わせて。
 いやほんと、俺ガイルと関係ありませんね。
 ただの雑談みたいなものなので、読まなくても全然平気ですからね。
 ではでは、愛の営みの始まり始まり~♪(注:愛の営みはありません)


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奉仕部強制合宿

 さて。

 現在なにをしているのか、といえば、料理の準備だったりする。

 しかもカレーだ。

 キャンプでカレー……かの紅羽高校の番長さんが憧れ、ついには葉っぱ人間に邪魔され、食えなかった伝説の食事。

 

「思わずウキョロキョキョーン、フギャッフギャッとか言いたくなるな」

「うんうん、キャンプでカレーって憧れるよねー♪」

「……とりあえず谷川(サル)と葉っぱ人間は居ないから、安心して作りましょう」

 

 キャンプでカレーとはいうが、外で作って外で食う、というにはあまりに設備が整いすぎてはいるのだが。

 眠る場所だってコテージだし。

 そんなわけで、ワンボックスカーのコンテナからブツを下ろす作業をしている。

 誰よりも早く突撃して、コンテナをゴソゴソしているのは結衣だ。

 

「んっと。お弁当にドリンク……あと梨。あれ? カレーは? ニンジンも玉ねぎもじゃがいももないけど……ひ、平塚先生ー?」

「安心しろ由比ヶ浜、それとは別のコンテナに入っているとも。さ、下ろしてくれ男子ども。梨も人数分剥くことになるから、楽とは言えないぞ」

「あーし料理パース」

「あ、俺も料理とか無理だわー」

 

 爪の手入れをするフリをする三浦と、頭の後ろで手を組んで暢気に言う戸部は、実に言いたいことはとりあえず言ってみる派な人達だった。

 それでメシはよこせというのだから、ある意味で剛の者である。

 もちろんそれを簡単に許す俺達じゃない。提案はする。けど、乗るかは相手次第。ただし文句を言うなら食わせない。

 

「優美子……それでよく子供が好きだって言えたな……」

「……っていうのは冗談っつーかっ……! えっと……! りょ、料理くらいできないとでしょ今時の女子としては! ……ね、ねぇ? ゆい……がはまさん、だっけ?」

「んえ? あ、うん。そだよねー。あたしも昔っからママに花嫁修業だーって鍛えこまれたから、料理なら自信あるよ?」

「……まじで?」

「? まじだけど」

 

 おう。結衣は料理が上手いし美味いぞ。俺の味覚用に的確に作られる品々は、俺の胃袋を掌握して離さない。

 俺の好みを判断するスパイとして、小町が深く関係していたのは、疑う必要もなくわかりきった事実であろう。

 

「あ、あー……ちなみに比企谷くんはぁ、料理とかできちゃったりしちゃう系?」

「そりゃ出来るだろ。今時の男子たる者、来たる一人暮らしのために炊事洗濯掃除くらいはこなせるべきだ」

「えー……恋人居るのに作れるって、なんか意味なくね? やっぱ恋人の手料理には憧れるっつぅかさぁ」

「ばっかお前、料理出来た方が一緒のキッチンで二人で料理、とか出来るだろうが。それにもしその恋人が病気になった時、誰が看病するんだよ。誰が支えてやるんだよ。お前、大事な人が病気になった時、知り合い引っ張ってきてそいつに看病させんの? もしそいつが男だったら、俺は出来ないからとか言ってあーんとかさせたり背中拭かせたりすんの?」

「俺目ぇ覚めたわぁ比企谷くぅん! やっべテンションすっげぇアゲアゲしまくりんぐでしょおこれってばさぁ! やっべ言う通りだわヤバすぎるわー! 大事な人が弱ってる時も助けられないなんて、助け合うことを誓った甲斐とか全然ないもんなー! べっ……っべー! 比企谷くんっべー! べーわー!」

「………」

 

 べー。

 沖縄の方言で、“嫌だ”を意味する。

 関係ないんだろうが、知っているとなんだか笑える。

 

  例:いっ……嫌ー! 比企谷くん嫌だー! 嫌だわー!

 

 おっそろしくヘンテコな言葉が完成した。俺嫌われまくりじゃねぇか。

 まあそんな愉快な脳内変換は脇にそっと置くとして「ぷふっ! ……~~……」……ああ、うん。雪乃、お前も知ってたのね、この方言。

 

「しっかし……」

 

 子供に交じって料理とか、なんつーかアレね。すげーアレだわ。うん。アレ。

 

「でもさ、実際カレーにローリエって合うのかなぁ」

「ゆーちゃんのお母さんは入れていたわね。あれはあれでいいと思うけれど」

「俺的にはアレな。最後に隠し味として、ニンニクすりおろして入れるのとか超好き」

「あっ! あれ美味しいよねー! はーくんカレー、あたしも大好き!」

「…………《ポッ》」

「べつにはーくんを大好きと言ったわけではないでしょう? まあ、好きなのでしょうけれど。……私は小町さんのカレーの方が好きだわ」

「なんか照れますねぇそんなこと言われると。小町は雪乃さんのカレーも好きですよ」

「俺は結衣のカレーだな」

「いやなに言ってんのお兄ちゃん。結衣さんの場合、お兄ちゃんのためだけにって料理を身に着けたんだから、お兄ちゃんが美味しく感じるのは当たり前に決まってんでしょーが」

「それ言ったら俺だって結衣専用だっつの。基本がそれで、他の奴らの要望があれば、そっからアレンジ加えるだけだからな」

「うん。はーくんの料理はあたしの自慢で、」

「結衣の料理は俺の自慢だ」

「あーはいはい、さっさと結婚しちゃってくださいこのバカップル」

 

 最近、妹の小町ちゃんがとっても辛辣。

 もしや俺が結衣に取られちゃうとか気にして、嫉妬とか…………いやねーわ。

 あるかもだけど、口にしたら言葉でボコボコにされるわ。そうなったらもう八幡泣いちゃう。

 そうして家カレー談義などをして、梨を剥くのも手伝って───って、三浦ほんと料理ダメなのな……梨ひとつ剥くのに、見ているだけな方が精神削られるってすげぇよ。

 あ、見かねて隼人が行った。うん、まじ正解。ていうか三浦、さっきじゃがいも剥いてなかったっけ? なにやらグラマラスなじゃがいも作り出して得意げな顔していた気がするんだが。

 ボンッ、キュッ、ボンッ! を表したかのような、器用なじゃがいもだったじゃないの。懐かしいなぁ、昔は結衣も俺も同じ道を通ったっけ。

 芽を取ろうと躍起になって、その部分だけをピーラー横の尖った部分で抉ればいいのに、刃の部分でシャーコシャーコ切りまくるもんだから、芽が取れた頃にはTHE・グラマラス。

 あの時は陽乃さんがめっちゃ笑ってたな。“8”って数字が似合うくらいのグラマラスだった所為で、剥いたじゃがいもに八幡って名づけて笑ってた。姉妹揃って笑いのツボがわからん。

 

「………」

 

 昔、か。

 昔といえば……

 

「………」

 

 一応は野外にある調理場の天井を見上げたのち、視線を下ろして幼馴染たちを見て……考える。

 結衣は、俺のどういうところを好きになってくれたんだろうな。

 雪乃と楽しそうにしている結衣は、俺の視線に気づくとやわらかな笑みをこぼし、軽く手を振ってくる。

 俺までやさしい気持ちになるのに、周囲の目があるってだけで“男として”って格好つけた意識が心を閉じ込めようとする。こういう自分はあまり好きじゃない。

 昔っから結衣の隣を……幼馴染の隣を、と願っていた俺は、子供の頃もそうしたように、女子を意識し始めてから男子が女子とつるむとヒューヒュー言い出すやつらが嫌いだった。

 女と一緒に居るとかダッセーとか言われようが、その頃の女子がやたらと女の子っぽい趣味を押し付けた会話をしていたとしても、俺は好きな相手と一緒に居ることを望んで、むしろ当時の女子の趣味だろうが知ることから始めたさ。

 なので、喉の奥からせり上がってくるくだらない男のプライドなんて、幼馴染や恋人に笑顔を向ける理由の前にはゴミ同然。

 もちろん捨てられないものはあるが、それはそんなくだらないものとは違うわけで。

 

「………」

 

 ニカッと笑顔で返す。手も振る。

 こんな行動を馬鹿みてぇとか言うやつらは、小学の頃なんかには腐るほど居た。

 お蔭で幼馴染以外に気楽に付き合えるようなやつらは居なかったが、それでいいって思える。

 俺は、俺の恋人や幼馴染を大事に思える気持ちが大好きだ。

 男としての見栄を張るために女子を傷つける行為とかは、逆に大嫌い。

 もっとも、女子なら誰でもいいってわけじゃない。

 

「……あ」

 

 女子なら、なんて部分で、失礼にも戸塚くんを思い出してしまった。

 彼女、もとい彼はこのサポートには来ていない模様。

 ……恐らく、今もテニス部で“熱くなれよぉお!”って頑張っているのだろう。

 今頃筋肉ゴリモリ頭の中までパワーでいっぱい、なんてことになっていなければいいが。

 

「まあ、なんにせよ」

 

 ざっと周囲を見渡し、楽しそうにする子供たちを見て、苦笑にも似た笑みをこぼす。

 

「楽しそうじゃねぇの」

 

 サポートは上手くいったって言えるんかね。

 今度こそ苦笑にも似た、どころじゃなく苦笑を浮かべ、ルーを溶かしたカレーをおたまでぐるぐる回した。

 回しながら、「梨おわったよー!」と元気にぴょこぴょこ寄ってくる恋人を迎え、千葉県民らしい会話とかして。

 

「麦芽ゼリーとかみそピー最強な。よくぞ千葉に生まれけり」

「来た途端にいきなりそんなこと言われるとは、さすがに思わなかったかな……」

 

 そりゃそうだった。

 

……。

 

 で。

 

「っつーかぁ、隼人くんてば子供の扱い上手すぎじゃねー!? 俺とか超驚いたわぁ!」

「いや、あれは昔いろいろあったからで。それにみんなもよくやれてたじゃないか」

「それな」

「確かに」

「っつーかさっきの料理もー、ローリエってなに? ゲッケイジュ? お酒? って感じだったわー!」

「そういえばあったな、月桂冠っていうやつ」

「それな!」

「確かに!」

 

 カレーも食べ終わったあたりの隼人グループの会話なんだが……ああその、なんというか。あれが友達同士の会話、でいいのだろうか。

 俺には幼馴染は居ても、友達というのは居ない。

 ぼっちではないが特別親しい相手も居ない。

 うーむ、勉強になるのかならんのか。

 

「今日とか早速一人ハブられてそーな子供とか居たし、ああいうの見てると気まずいっつーかさぁ。俺だめだわー、イジメだけはだめだわー」

「……だな。俺も、きっかけがなければずっと…………いつか後悔していたんだろうな」

「? そ、それな?」

「? たしかに……?」

 

 会話は終わったのだろうか。

 いそいそ食器を片づける俺と結衣と雪乃は、楽し気に語る隼人グループの声をBGMに、さっさとそれらを終了させた。

 

「じゃ、コテージ行くか?」

「うんっ、いこいこ!」

「そうね」

 

 コテージの分け方は単純。男女別。

 ……だったのだが、結衣と雪乃が断固として反対。

 奉仕部同士とその他にしてくださいと言う始末で、平塚先生に“きみ……まさか”とか、なにかを疑われる。まさかってなに? ねぇちょっとなに?

 しかしきちんと話はついたようで、男女分かれてで落着。そりゃそうだ。

 今まで欠かさず人のベッドに三人一緒だったこともあり、そりゃあ名残惜しいものもあるものだが……ああ、やめて、去り際にそんな、涙溜めたふくれっ面とかやだ可愛い。

 

  なんて思ってた瞬間が、俺にもありました。

 

 現在。風呂にも入り、あとは寝るだけって状況の中、妙に目が冴えている俺ひとり。

 はい、定番の一言いってみましょう。

 

(眠れねぇ……!!)

 

 はいここテストに出るよー。でねぇよ。

 布団や枕が変わると眠れない、とかあるよね。俺もあるよ。今がそう。わあいダッセー。泣いていいですか? いいよね? 八幡頑張ったよね?

 

(………)

 

 コテージの外はとっくに真っ暗。

 町の灯りから離れた場所では星空がキレーイとかよく言うが、まあわからんでもないけど今はとにかく寝たかった。

 何故って、隣に結衣と雪乃が居なきゃ眠れないって、二人と分かれる前の自分を思うと、顔からヨガインフェルノってレベルじゃないからだ。やっだ恥っず! ダッサーイ! とか謎のギャルが脳内で騒ぐくらいに恥ずかしい。

 男のプライド云々ではなく、人として今は眠りたかった。

 しかしどれだけ寝返り打とうが眠れないし、隣の布団で眠るのは隼人と戸部なわけで。

 

「………」

 

 外の空気でも吸ってこよう。

 もしくは寝不足一歩手前まで起きてて、それから寝るとか。

 

……。

 

 夏の夜ってのは、なんというか……どこか寂しい。

 夏ってのが騒がしいイメージがあるからだろうか、ひとたび喧噪から離れると、妙に心がざわつくことがある。

 が、俺が今求めているのはそんな寂しさとかではなく、眠気でしかないわけだが。

 どうしたもんかね、もう。

 

「ペンライトでもあれば、小説くらい読めたんだろうけど」

 

 溜め息ひとつ、コテージから降りて木立の傍までを歩く。

 木の下ってなんか涼しいイメージあるよな。もう夜だから、木陰とか考える必要ないのに。

 イメージって大事。そして強い。

 そんなわけで木の幹によっこいせーと座ってみると、すぐ傍にちょこんとなにかが座る気配。

 誰!? ドライアド!? フランス語ではドリアードなアレ!?

 と、右隣を見たら天使が居た。

 

「はーくん、眠れないの?」

 

 結衣である。今風呂から上がったのか、どこかほこっとしている気がする。

 気になって手を伸ばしてみると、近づく手に嫌がる様子もなく自分から寄ってきて、頭を触らせてくれる。

 うーわ、髪サラッサラ。男と女の違いってほんとなんなんだろうね。

 

「んゅ……はーくん、どしたの?」

「いや、風呂上りかどうか確かめたかっただけだ。すまん」

「ううん、はーくんに触られるの、嫌いじゃないから」

 

 にこーと笑って、こてりと右肩に頭を預けてくる。

 やめなさいそういう言い方。ドキームとハートが跳ねちゃったじゃないの。

 ほんとこいつは妙なところで無防備っつーか……いや、それが俺相手の時だけってのは、こいつ自身に言われてるからいいんですけどね? 疑うつもりもないのに雪乃にも小町にも太鼓判押されたし。

 

「で、お前はどうした? なんでこんなところに?」

「眠れなかったから。お風呂遅かったんだけどね、出たらみんな寝てて。あたしとゆきのんも寝ようとしたんだけど……その、ほら、あれなんだ。……なんか、落ち着かないってゆーか」

「私たち、どれほどお互いに安心しているのかしらね」

「言いつついきなり現れるなよ……普通に来い普通に」

 

 気配とかって本気で殺せるもんなの? アイエエエエとか叫びそうになっちゃったじゃねぇか。

 すとんと隣に座った雪乃は、逆隣に座る結衣のように俺の左肩にぽすりと頭を預けてくる。

 

「ああ、けれど安心してちょうだい、私は本当にあなたに恋というものを求めていないし、ゆーちゃんとあなたが一緒に居る光景がとても好きなだけなのよ。言ってしまえば、はーくん以外では認めたくない。ゆーちゃんとはーくんの相手は、はーくんとゆーちゃん以外では認められそうにないわ」

 

 やべぇわかる。

 俺も結衣が“好き”っていう相手は、俺か雪乃じゃないと嫌だっていう結構な独占欲的なものを持っている。

 そして、それはたぶん……結衣の方が相当に強い。こいつは、なんというか自分が大事だ~って思ったものは、他の誰かに好きになってもらいたくないってタイプだ。それはもちろん嫉妬もあるんだが、なにより好きって気持ちが争いの種になるのがとても嫌なのだ。あたしの方が好き、いいや私の方が、とかそういうのをしたくない、ってタイプ。

 だから、俺達はこの距離が一番なのだ。

 

「んー……えと、それは心配してないんだけどさ。ゆきのんは誰かが好き~っていうのはないの?」

「好き、という相手は居ないわ。傍に居ても平気という人ははーくんくらいだけれど、恋人同士になりたいかといえばそうじゃないのよ。安心を得られる場所を好きとは言えるけれど、じゃあそこに恋をするかといえば、そうではないでしょう?」

「まあ、そうな。俺とお前は親友あたりが丁度いい」

「ふふっ……ええ、そういうことよ。けれど、まあ。これからもそうだという保証はどこにもないのだから、ゆーちゃん。きちんとはーくんを繋ぎとめておいてね」

「おい、俺が惚れること前提なのかよ」

「仕方がないでしょう? 人を好きになった経験がないんだもの。未経験の知識を振りかざす趣味はないわ」

 

 そりゃそうだ。けど、こいつの場合は多少の知識を得てしまえば、空白部分を理屈で繋げてなんとかしてしまいそうだから困る。

 で、理屈で埋めた部分を論破されそうになっても、さらにそれ以上の理屈で捻じ伏せてしまいそうだ。

 ……相手が結衣の場合のみ、大ポカやらかして逆に丸め込まれそうだが。

 ほんと、こいつは結衣にめちゃくちゃ弱い。

 

「こうしてると、中学の頃の修学旅行、思い出すな」

「あー、あったねー、同じこと」

「結局三人とも眠れずに、翌日は眠いままで過ごしたんだったわね」

「バス移動の時、俺の隣の男子と変わってもらったりしてな」

 

 中井出くんは今頃なにをしているのだろうか。

 ノリ良く席を譲ってくれて、しかも結衣は俺の足の間に、雪乃は俺の隣にと提案した彼は、そのあと勝手に席を変えたことで先生に怒られていた。堂々と“ワハハハハ俺の差し金だー!”って言って、怒られる要素を独り占めにしていたっけ。

 のちに結衣や雪乃のことを狙っていたらしい奴らに捕まって、ドカバキギャーーーッてボコられもしていたっけ。うん、元気な人だった。それでいて、なおかつ誰かも好かれていたっていうんだから不思議だ。

 

「ん、あっ、蚊だ」

「大丈夫か?」

「うん。そろそろ戻ろっか」

「そうね。それじゃあ行くわよはーくん」

「ん、行こう、はーくん」

「《がっし》おう、ちょっと待とうか二人とも」

 

 がっしと両手を掴まれ、立ち上がらされる。

 そして女子連中が眠るコテージへと歩みを進めた二人に、心から素直な言葉を贈った。やめれ。

 

「そんなことしたら三浦に殺されるだろうが……!」

「けれど私たちが男子のコテージへ行くのは問題があるでしょう?」

「お前ほんと、俺に対してはものすんげー我が儘な」

「ええ。私、どうでもいい人相手に甘える趣味はないもの」

「趣味で甘えるなよ……」

「あーでも、なんかわかるなーそれ。あたしもさ? 陽乃さんがママに甘えてる分、なんかしっかりしなくちゃーって。ママには甘えない代わりに、はーくんとゆきのんに甘えてる感じ、なのかな」

「姉さんの場合、私以上に甘えられる人が居なかったから。その反動が今に来ているのでしょうね」

「まあ、予想は出来たよなー……って、だから引っ張るな引っ張るな、冗談抜きで三浦に殺される。いや、殺されるは現実的に言い過ぎだとしても、殴られるし軽蔑されるし、平塚先生に血祭りにあげられる」

「………」

「………」

「そこで黙るなよ……。言っておいて、俺もマジでありえそうだって思っちゃっただろうが……」

 

 なにより子供と触れ合う場所でそんな問題が起きたら、俺が社会的に死ぬ。

 

「仕方がないわね、眠くなるまで散歩でもしましょう」

「あっ、平塚先生が居るコテージに行くってのはどうかなっ!」

「無理ね。はーくんが嫉妬でボコボコにされてしまうわ」

「おいやめろ」

 

 結婚したいが口癖になりつつある人を、撲殺超人みたく言うんじゃありません。気持ち、わかるけど。

 ……結局、眠くなるまで時間を潰すことで決定した。

 時間つぶしの内容はといえば、男子連中が寝る前に話した好きな人の話とか。

 そんなものを、コテージの前の段差に腰掛けながら話すわけだ。

 

「戸部は海老名さんが好きらしい」

「ちょ、はーくん!? それ言っていいことなの!?」

「べつに言い触らしたりするわけでもないのだから、いいでしょう?」

「まあ、あれな。言った時点で昼の子供……留美だっけか、みたいになるだけだろ」

「怖いってば! う、うー……そりゃさ、言わないけどさ」

「大和と大岡が結衣狙いで《ぎゅうううう……!》……こ、婚約済みだから諦めさせた、大丈夫、安心してくれ、頼む」

「~~……」

「……その。ちゃんと、俺も大好きだし、渡すつもりは微塵もないって言っておいたから。な?」

「《ぱあっ……!》う、うんっ! うん、はーくんっ!」

「…………おう」

 

 言って、胸に抱き着いたままな結衣の頭を撫でる。

 気持ちは言わなきゃ届かない。とはいえ、気持ちを伝えるのはなかなか難しい。

 ただ諦めてもらった、だけではだめなのだ。婚約したから、でもだめ。

 自分が本当に好きだから、相手に入る余地を与えない、ときちんと示さなければ。これ、ママさんとお袋の知恵。

 好きなら好きと何度でも伝えろ。料理がおいしいって感じたならきちんと言うこと。それはもう二人から何度も言われた。

 大抵の男というものは“好きなのは当然”みたいに構え、それを忘れるから嫌われるのだという。

 そこにあって当然だなんて考えてはいけないんだそうだ。

 だって、お互い考えて行動出来る存在なのだから、構ってくれない存在よりも、構ってくれるなにかに心惹かれるのは当然なのだ。

 なので、愛でた。

 抱き締め、頭を撫でて、その耳もとで自分の気持ちを伝え続ける。

 俺の恥ずかしさや男としてのなんたら……そういった沸いて出てくる理屈なんぞ、好きという気持ち以外の全てがどうでもいいと考えられるくらいに。

 そんなことをしばらく続けていると、暗がりでもわかるほどに顔を真っ赤にさせた結衣が、くたりと力を抜いて身を預けてくる。

 俺もとっくに力を抜いて、やさしくやさしく頭と背を撫でていたが…………わあ、この娘ったら寝ちゃってる。

 

「お、おい雪乃、結衣が…………あ」

 

 結衣に構いっきりで、背を向けていた俺のその背に、さっきから体重がかけられていたのは感じていた。

 が、首だけ動かしてみれば、その背に体を預け切った雪乃さんの黒髪。

 そして、呆然としていると聞こえてくる規則正しい呼吸。

 …………まじか、寝てやがる。

 背に背を預けて寝るとか、どこぞの認め合ったライバルですか? いやそんなん知らんけど。

 おい、おいどうすんのこれ。身動きとれないじゃないか。

 え? ちょ、これ俺がなんとかするしかないの?

 こいつらが蚊に襲われるとか冗談じゃねぇし…………ええいもう!

 

  根性。

 

 まずは雪乃を背負い、結衣を強引に横抱きに。

 普段から適度に鍛えておいてよかったー、とかそんなレベルを越えた重みがくる。女性を抱き上げて軽いとか言う物語の主人公ってほんとバケモノな! これ軽いとか、人間一人の重量ナメとんのか!

 でも歩く。雪乃が落ちないように前かがみに、結衣が落ちないように慎重に。

 そうしてどすんどすんと歩いた先で、タバコを吸うために外に出たらしい平塚先生を発見。事情を話して「そういうことなら」と先生が触れた途端、パッチィイと開かれる二人の瞳。

 

「……ああ、その、すまんな比企谷。きみの言っていたこと、すべてが理解出来た。どれだけ他人に対して警戒しているんだ、この二人は」

 

 おまけに「きみへの気の許し方も尋常じゃないな」、と笑われた。そりゃ笑うしかないわ、こんなもん。

 そうして先生はコテージへ入れてくれて、他の女性教員にはいろいろツッコまれたが、過去の家庭環境の問題だというとあっさり受け入れてくれた。

 コテージの隅っこを宛がわれ、そこに布団を敷いて三人で川の字。

 あんだけ眠れなかったくせに、そうするとあっさりやってくる睡魔に、俺も相当アレだと溜め息をこぼした。

 





 /アテにならない次回予告


              「ローーーレーーーーンス!!」




「大事なファーストキスを、相手が覚えていなくてもいいの?」




    「っべー! 比企谷くんめっちゃご飯がススムくんじゃねー!?」




   「いくぞバルバス!」



             「レェエエドンンン!!」



   「イヤーーーッ!!」



             「グワーーーッ!!」

 「イヤーーーッ!!」


        「グワーーーッ!!」


「イヤーーーッ!!」


               「グワーーーッ!!」




「うそっ!? ……ぐるぐる回るからミキサーかと思ってた……!」




       「一応男が居るんだから、そういう言い方やめなさい」




   「何度も確認したもん。ばか。はーくんのばか」




               「グワーーーッ!!」






            すごい漢だ。






次回、夢と現実の僕らの距離/第九話:『素晴らしい汗を掻こう』

 かっみがったキ~メて~生き~ていきましょ~う♪
 人生~、た~のしーむだ~けた~のしんだらっ!
 はいっ! ごっきげっんよう!
 ギャツビ~ギャッツビ~ギャッツビ~ギャッツビ~♪

 はいここで一言。

「こいつの骨踊りが好きなんだ」

   by.サガフロンティア/ネルソンの酒場の人


◆pixivキャプション劇場

 アストラルを発端の地とするエダール流片手剣術【早口言葉】

 スターオーシャンはファンタジアの次にハマったゲームかと思われます。
 チェスターと違って、ドーンは後半参戦しませんが。
 当時は結城比呂さんが頑張ってたイメージ。
 「バーングラウンド!」とか「黒竜天雷破!」とか「ウェーブッ! ライダァーーッ!」とか。太公望師叔とかもそうでしたね。アニメはシリアス一直線より漫画通りに進んでほしかったなぁと。アンニュイ学園とかやっても……よかったんじゃよ?
 まあでも一番はやっぱり……

「リューーーナイトッ! ゼファァアーーーーッ!!」

 だと思うの、私。

 それにしてもスレイヤーズNEXTでアルフレッドやってて、餓狼伝説でアルフレッドやってるって、なにかアルフレッドに縁でもあったんでしょうかね。
 あ、ロミオの青い空ではアルフレドが一番好きです。声はもう関係ないけど。

 さてスターオーシャン。
 特定のキャラを仲間にすると、別のキャラが仲間にならないというなかなか意地悪な仕様。
 シウスとアシュレイ一緒に使いたかったのに。
 シウスの、仲間が倒れた時の声と怒りが重なった時が好きでした。
 「後は任せろブッ殺す!!」って感じで。
 戦闘中に奥義閃く時も、おっしゃあああって感じでよかったです。ただその奥義の数の少なさがね……。
 皇竜奥義も少なすぎて悲しかったので。ていうかどの天雷破もあんまりエフェクト変わらないじゃん!
 え? アシュレイ? 紅蓮剣連打してれば大抵の敵には勝てましたよ。
 でも一番好きなのはロニキスさん。詠唱速度とことん短くしてエクスプロード撃たせるのが好きでした。
 大ダメージのくせしてエフェクト短いからサクサク進む進む。

 ドーンの勝利ポーズでどこぞの尻尾の生えたメタル忍者を思い出したのは僕だけですかね。

 Don't mindデジタル職人気質、明日もよお! 日本晴れ~♪

 ◆あとがき
 なんだか今、ジョジョ4部のOP3が自分の中でスルメソング。
 最初聴いた時は「なんだこれ……」だった筈なんですけどね、何故か自分の中で相当好きな歌になりました。
 amazonでデジタルミュージックで購入。OP1と一緒に聴きまくってます。
 ……でもOP2ってなんでか印象に残らないんですよね……不思議。


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素晴らしい汗を掻こう!

 翌日。

 

「……起きないね」

「起きないわね」

 

 どんだけ安心したのか、二人に囲まれたまま眠る俺は、揺すっても声をかけても起きなかったらしい。

 そんな中、女性教員さんたちも面白がっていろいろやったらしいのだが、なんの効果もなし。

 ここで平塚先生がお姫さまのくちづけで起きるかもなぁ、なんて言い出したのがそもそも。

 教師として不純異性交遊が~、とかいう以前に女性であり人間なのだ。

 後押しをしないだけ、まだ教員としての立場が勝っていたのかもしれない。

 しかし結衣がその気になってしまい、口を近づけ……

 

「やめなさいゆーちゃん。大事なファーストキスを、相手が覚えていなくてもいいの?」

「やだっ!」

 

 一瞬で離れた。そして瞬時に覚醒する俺。

 

「どうした結衣! なにがあった!?」

『………』

「………」

 

 結衣の“やだっ!”という言葉に素直に反応してしまったらしい。

 拍子を置いて爆笑の渦に巻き込まれるこのコテージは、俺を困惑の海に叩き落とすことに特化していた。

 

……。

 

 ……。

 

「その……はーくん、いい加減機嫌を直してちょうだい……。わ、私はむしろ、止めようとしたのであって……」

「いや、だから怒ってないって。ただ、心配から起きた途端に笑われる人の気持ちを考えろって言ってんだ。考えてくれたら、もう怒る理由なんてねぇんだよ」

「……ごめんなさい」

「だからやめなさいっつの。……その。俺だってな、寝てる間にそういうことされたら後悔するだろうから」

「だよね……うん、やめといて正解だった。ありがと、ゆきのん」

 

 朝からなんつぅ話をしてんでしょうね。

 ともあれコテージから出ると顔を洗ったり歯を磨いたり、朝の身だしなみを整えて、それから朝食となる。

 白米、味噌汁、焼き魚、サラダ、オムレツ、納豆、味海苔、香の物、デザートのオレンジ。

 ……やろうと思えば一品一品おかずに出来るから困る。

 子供の頃って味噌汁が美味いとそれだけでご飯一杯いけたよね。いや、今もだけどさ。

 焼き魚だけでも一杯いけるし、オムレツでもいける、納豆でも、味海苔でも。

 香の物なんて、たまにある食事処のめっちゃ美味しいお新香とかだったら、余裕で一杯いけるだろう。

 よくぞ日本に産まれけり。ご飯が美味いって、いいことだ。

 

「っべー! 比企谷くんめっちゃご飯がススムくんじゃねー!?」

「八幡、よく噛んで食べないともったいないぞ」

「隼人だって相当早く食ってるだろが」

 

 俺も隼人も朝はしっかり食う方だ。

 空腹で動いた方がミトコンドリア先生は活性するんだが、朝は食べないとどうにもやる気が出ない。

 おまけに俺も隼人も体を鍛えているから、朝のエネルギー、大事。そんな隼人へ、やんちゃで大喰らいな子供へ語り掛けるように、小町が声をかけた。

 その横で、結衣がハッとして目を輝かせたり。

 

「隼人さんもよく食べますよねー。あ、おかわりはどうですか?」

「すまない、頼んでいいかい?」

「あっ……は、はーくんっ、はーくんはっ? おかわりっ」

「おう結衣、頼む」

「うんっ、まっかせて!」

 

 結衣が超ご機嫌。

 小町が隼人の分のおかわりをよそうと、なんでか三浦が「あぁああ……!」と切ない声を出して、そのあとに俺の分をよそってくれた結衣が、「はいっ、はーくんっ」と渡してくれる。

 

「………」

 

 なんか、でぇ~んでぇ~んげでってぇ~~~~ん、でぇ~んででっげってぇ~~~ん♪とかジャイアンのBGMが鳴りそうな山盛り具合だった。

 ……食えと? いや食うけど。

 

「ありがとうな、結衣。でも次よそう時はもうちょい少な目で頼む」

「もうちょい少な目……んっ、覚えた! まかせてはーくん!」

「ああ。ありがとうな」

 

 結衣は注意されたことは、細かなことでも覚えようとしてくれる。

 俺のことだと特に。

 代わりに、言わないのに後になってあーでもないこーでもないっていうのは好かない。何故って、先に言ってくれてたなら失敗を減らせたのに、という……まあようするに、俺に対してしてくれることを、出来るだけ完璧にこなしたいという欲求なのだ。

 想われ過ぎててやばい。嬉しいって意味で。

 

「あ、お、俺もおかわり───」

「自分でよそりなさい《ギロリ》」

「《ビビクゥ!》ヒィ!?」

 

 そして結衣を見ながら茶碗を差し出した大岡、撃沈。

 さらに隼人が「諦めろって言っただろう」と釘を刺す。さらに刺す。刺しまくる。

 大岡はその余波をくらった大和と一緒に朝からしょんぼりしつつ、俺はそれを無視して結衣と一緒にご飯を食べた。

 ウマい! カツ丼! ……カツ無いけど。

 やっぱ納豆最強ね。

 ねぇ知ってる? 納豆って混ぜまくって糸出した方が美味しいのよ?

 で、糸をいっぱい出してから醤油を差すのさ。糸が旨味成分の素らしいので、まずはこれをたっぷり出すこと。

 市販の納豆には納豆のたれがついているが、それにプラスして出汁の入っためんつゆをちょいと入れると、い~い味になったりする。

 薬味として、長ネギ、かつお節などをいれると風味もよくなる。

 食感よりも風味優先にするなら、長ネギは薄く切って微塵切りに、かつお節少々。多少の歯ごたえが欲しい時は揚げ玉を入れるのも案外アリだ。これが微量に入れためんつゆがよくなじむ。

 なお。

 炊きたてのアツアツのご飯で納豆を食うなど言語道断である。

 糸が切れる。熱で切れる。あれでは納豆の味わいが殺されてしまう。

 まあそういった納豆のほうが好きって人はもちろん居るのだろうが、俺的にはない。

 炊きたてのご飯よりも、数十分置いて蒸らしたご飯のほうが美味いと思うのだ。

 

  さて、次にオムレツだが。

 

 ───うん、なんというかお手本みたいなオムレツだ。

 オムレツというのはひどく好みが分かれる食べ物だろう。

 焼き加減、中のトロトロさ、外側は多少は焼き目があるべきだ、などいろいろ。

 ダドリー・プリーチャーの教えを知る者としては、ミルクを入れるのは素人のやることだが、好みであれば仕方がない。

 卵は二つ、下味はきちんとつけて、かき混ぜすぎないのもコツ。

 ボウルかなんかに卵を二つ割り落とし、ニラを刻んだもの、長ネギ、オホーツクを細かく切ったものなどを入れ、出汁入りのめんつゆを好みの量と、みりんを少々。

 フライパンは油を少々。斜めにしてみて、そこに多少油が多めに溜まるくらいがいい。

 熱しておいたフライパンに卵を流し入れ、手早くかき混ぜながら丸めてゆき、あとは恒例のトントン。上手く丸まり、形が整ったら皿に盛りつけ完成だ。

 あつあつ半熟なのと、デロリと卵がこぼれる半熟は明らかに違うから、焼く時間は何回かやって勘で覚えよう。

 ……まあ、頭の中でどんだけ考えようが、目の前にあるオムレツはプレーンオムレツなわけだが。

 

(うん、ウマイ)

 

 味海苔っていいよな。なんというか、子供っぽい味っていうのかな。

 市販のものを買うと、大抵1、2枚残るんだよな。

 そしてこの香の物は正解だった。

 朝食の主役級のおかずだらけの中で、すごく爽やかな味を出している。

 目立ち過ぎず、けれどどのおかずの後に食べても実に穏やかだ。

 

(ああ……終わってしまった)

 

 ゴローちゃんのように大事に大事に食べ、やがてそれも終わると後片付け。

 それも俺達幼馴染組がさっさと済ませると、平塚先生より本日の予定を言い渡される。

 小学生は一日自由行動。夜には肝試しとキャンプファイヤーだそうだ。

 俺達にはその準備をしてもらいたいのだと。それが終わったら君達も自由にしてよし、とのこと。

 

「じゃあ、そうな。さっさと終わらせて───」

「うん」

「ええ」

『涼もう』

 

 そうと決まれば早かった。

 

『うぃーきゃーーーん! ドゥーイッ!!』

 

 宣誓をしてエイオーと張り切ると、すぐに行動開始。

 隼人が手伝おうとしてくれたが、三浦を始めとするグループ連中に捕まり、身動きが取れない様子。むしろ別行動で、肝試し側の準備をするからと、ずるずると連れていかれてしまった。

 だが心配無用、俺達には出来る。なんというかこう、ノリ良くいくなら“どーんとやったるでーい!”って感じでWe can do it!

 

「おぉおりゃぁあああああっ!! せいっ!《カンッ!》」

「はいっ!《サッ》」

「せいっ!《ザコッ!》」

「はいっ!《サッ!》」

「せいっ!《カァンッ!》」

「はいっ!《サッ!》」

 

 広場に着いてからは早かった。

 まずは蒔き割り。割って、小町が次の薪を立てて、割って、をリズム良く繰り返す。

 その息の合った千葉の兄妹タッグパワーに、結衣が羨ましそうな顔して人差し指を口に当ててこちらをじーーーっと見ていた。作業しなさい。

 

「いやー、こういう時こそ兄妹のパワーが問われる感じするよね。小町的にとってもポイント高い」

「そだなー。決めておいたわけでもねーのにリズムがわかる時とかな」

「合いの手とかてきとーにつけてみる? あんまヘンなのは小町、さすがに勘弁だけど」

「合いの手……ふむ。んじゃあ無難なところで───よいしょおっ!《ザコンッ!》」

「どっこいしょおっ《サッ》」

 

 割ってみれば、次が置かれる。

 

「はいっ!《スコンッ》」

「ほいっ!《サッ》」

「オイサー!《カコンッ》」

「トリャサー!《サッ》」

「チェストー!《ゾゴォッ!》」

「はタンスのこと~♪《サッ》」

「たーまやー!《ザコッ》」

「かーぎやー!《サッ》」

「カイヤ!《ゴスンッ!》」

「カイヤ!《サッ》」

「ツー!《スコンッ!》」

「カー!《サッ》」

「いくぞバルバス!《ざこんっ》」

「レェエエドンンン!!《サッ》」

「………《すこんっ》」

「………《さっ》」

「イヤーーーッ!!《カコォンッ!》」

「グワーーーッ!!《サッ!》」

「イヤーーーッ!!《ッコォンッ!》」

「グワーーーッ!!《サッ!》」

「イヤーーーッ!!《ザコォッ!》」

「グワーーーッ!!《サッ!》」

「イヤーーーッ!!《スコォンッ!》」

「グワーーーッ!!《サッ!》」

 

 途中から特に思いつかなくなって、ついニンジャっぽくなった。

 ドーモ、ユイガハマ・ユイ=サン。ニンジャヒキガヤーです。

 で、割り終わったら運んで、井の字に組み立ててゆく。

 

「総武高校も端がハミ出てりゃ、こんな形だったんかね」

「ロのままでいいよぅ」

 

 なにげなく言った言葉を結衣に拾われた。忘れてください。

 そんな結衣はフォークダンス用に白線を引いてるようで、雪乃の指示に合わせて綺麗な円を描いている。

 

「ね、はーくん、フォークダンスって、なんでフォークダンスっていうんだっけ」

「ん……そうな。ここでいうフォークダンスのフォークってのは、ナイフとセットのあのフォークじゃなくて、こう……folkって書く。人々とかみんなって意味のな。まあ簡単にいえばさ、みんなでやるダンス、みたいな意味なんだよ。ただしフォークダンス、って繋げていうなら、民俗的な舞踊って言葉が近いらしい。この場合、こう……民族でも民俗でもどっちでもいいっぽいな。どちらにしろ深い意味はないぞ」

「へー……! そうなんだ! じゃあオクラホマミキサーは?」

「“フォークダンスってオクラホマミキサーのことだよね?”と言うヤツも居るが、さっき言った通りフォークダンスはみんなで踊れる踊りを大雑把に言ったものだ。じゃんけんだったらグーチョキパー合わせてジャンケンだって言ってるようなものな? よく使うのがグーなら、フォークダンスの中のグーはオクラホマミキサーだ。つまりこれが一番知られているダンスな。ミキサーってのは外国で、男女が交互にペアを換えながらするダンスのこと……だった筈だ」

「うそっ!? ……ぐるぐる回るからミキサーかと思ってた……!」

 

 気持ちはわかる。物凄く。

 しかし懐かしいな。

 小学の頃にやった時、俺と結衣と雪乃だけで同じところ延々とぐるぐる回って、先生に怒られたなぁ。

 で、他の男子といざ手を繋ぐって時になると、結衣が泣くし男子はいじけるしで。

 結局は俺と結衣と雪乃でぐるぐる回ってた。それこそベントラーベントラー言いそうだったよ。

 三人で手を繋いで、それっぽい姿勢でぐぅるぐる、だったから。

 

「っと、おわったー! ねね、はーくんはーくんっ」

「次にお前は───」

『一緒に水遊びでもしよっ!?』

「───と言う」

「……はっ!?」

 

 水遊び出来ることは平塚先生から既に伝えられている。

 水着だってしっかりと装備しているのだ。俺が冒険者ならステータス画面にEとかついてるね。

 ……関係ないけど、言葉をピッタリ予想されたのが嬉しかったのか、結衣が腕に抱き着いてきてはーくんはーくんと上機嫌である。

 普通言い当てられると悔しがるもんじゃないかね。いや、俺も結衣になら嬉しいかもだが。

 

「おし、んじゃあ行くか。……っつっても、平塚先生が言ってた川遊びができる場所ってのは何処だろうな」

「あちら側よ。涼しい場所を探している時に見つけたの」

「おおう……」

「さすがゆきのん……」

 

 猫って涼しい場所を探すのが上手っていうよね。なにこの娘、猫なの? 猫か。

 なんか妙に納得してしまった。ほら、結衣も俺と目を合わせるなり、コクリと頷いている。

 

「お前ら水着は?」

「えとー……えへへぇ。汗掻くだろうなーって思ったから、そのまま……」

「ええ、私も。案の定、迷惑な暑さで、下着でなくてよかったと思っていたところよ」

「一応男が居るんだから、そういう言い方やめなさい」

 

 さっさと終わった準備に息を吐きながら、いざいざと川を目指して歩く。

 大した手伝いもしてないのに、こういう時だけしっかりとついてくる小町のなんと図々しいことよ。

 

「……ところでだな」

「うん、なに? はーくん」

「水着を下に着てるのはいいんだが……着替えは?」

「こっ……コテージに戻ってから着替えるってば! 誰が来るかもわかんないところで着替えるわけないじゃん! はーくんのばか! えっち!」

「おまっ……こっちは心配してだなっ……!」

「いやいやお兄ちゃん、今のはないわー。いくらなんでもそれはないわー。せめてなにも言わず、川から上がったら服をかけてあげるくらいのやさしさがないと、それじゃ全然だめだよー?」

「やーかーまーしい。んなことくらい最初からするつもりだったわ。じゃなくて、きちんとコテージにもそういうものがあるのかって訊きたかったんだよ。昨日今日の二日分しかなかったとしたら、水浴びのあとの分とか考えてねぇかもって思うだろうが」

「あ、なるほど。で……どうですか結衣さん、雪乃さん」

「だだだから持ってきてるってば! ~……好きな人とのちっちゃな旅行みたいなので、そんなミスとかするわけないじゃん……。何度も確認したもん。ばか。はーくんのばか」

 

 ひどい言われようだった。

 雪乃にも文句を言ってほしいのか、雪乃を巻き込むようなことを言い出すが、そこはさすがは元お嬢様。「十分じゃないかしら」とあっさりとした返事で返すと、少し眠そうに“くぁ……”と欠伸をもらした。ああすまん、そこはお嬢様じゃなかった。

 

「ほーらっ、味方がつくれなかったからっていじけんなって。そもそも俺は最初から心配しかしてねぇし、いつだってお前の味方だから」

「うー…………うん、ごめん」

「俺も、ごめん。もうちょっと言い方とか考えればよかった」

 

 謝り合って、手を繋いで、笑い合って仲直り。

 子供の頃から俺達の関係はこんなもんだ。

 最初に手を繋いだ時は緊張したもんだ。

 ずうっと仲が良い人間関係なんてそりゃあもちろん無理だし、俺達も当然のように喧嘩をした。

 雪乃と会う前からしょっちゅうだ。なにより壁だったのが、男と女ってことだったわけだし。

 でもまあ、そんな男女の壁を知らないままに喧嘩をしようが、仲直りの仕方は一緒だったのだ。

 謝って、自分の悪いところを認め合って、自分がされたら確かに嫌だってわかり合って、握手。

 そうして理解を深めていく中で、結衣は…………ああ、そっか、そうなのかもしれないな。

 俺も、そういうのに惹かれたんだろう、きっと。

 わかってくれて、許してくれて、笑ってくれる誰かが居るって、素晴らしいことだ。

 俺はそうして結衣に惹かれていったし、結衣もきっと……そうやって。

 

「えへー……♪」

 

 俺の右手をぎゅうっと握って、子供の頃から見せてくれる人懐こい顔で笑ってくれる。

 仲直りの時だけに見せてくれる、俺の好きな笑顔だ。

 

(…………)

 

 やさしい女は……嫌いじゃない。

 けど、誰でもいいってわけじゃなくて、それは近しい人だからこそ受け入れたいって思う気持ちだ。

 誰でもよかったのならきっと、俺は今頃いろんな上辺だけのやさしい人に告白しまくり、その悉くを失敗し、世界を嫌っていただろう。

 最初に出会えたやさしい女の子が、結衣でよかった。

 

「……出会いってわからないよなー……」

「はーくん、あなたまさか、噂の出会い系とかいうものに手を───!?」

「だっ……だめだめはーくん! そんなのやだ! やだよぅ!」

「だーーーっ! しねぇから! おかしな心配すんな! 結衣って恋人が居るのに、なんでそんなもんに手を出さなきゃならん!」

「いえ……だって。なにか思いつめたような表情をしていたから……」

「俺はなにか、思いつめた顔して出会いがどーのと言ったら、それに手ぇ出さにゃならんのか」

 

 やだ、八幡怖い。

 そもそもそんなもんに興味なぞ微塵もないわ。

 俺は今が好きだし、変わっていくんだとしても前提ってものを大事にしたい。

 だから、余計なものに手を伸ばして今しか感じられないものを食いつぶす気なんて、これっぽっちもないのだ。

 

「ほれ、川見えてきたからヘンテコな話題は───」

「ウェミだァーーーッ!!」

「川だっての! って、あ、あー…………もう……」

 

 川が見えた途端にハイテンションな小町が、きゃっほーうと駆けだしていった。

 そのくせ、川の前に辿り着くと水の冷たさの確認、準備運動などをして、冷たさに慣れるところから始めた。

 うーん律儀だ。

 いや、やっておいたほうがいいのは確かなんだが。

 

「ところで小町は考えたのです。こういう場合って、運動するよりもロングブレスやって、インナーマッスルとアウターマッスル刺激したほうが早いんじゃないかなーって」

「あー……まあ理屈はわかるが、関節とか筋肉ほぐす意味も含めて、悪いことは言わないから準備運動しとけ」

「べつに潜るわけじゃないのに?」

「軽くでいいから」

 

 服を着たまま準備運動を済ませると、今度こそ服を脱いで水着になる妹。

 そのまま、なんつーかこう、よくわからんポーズみたいなのを見せてくるので、俺も服を脱いで水着になると、マッスルポージングなどをしてみた。サイドトライセップス!《ムキーン!》

 

「………ぷっ」

「……ぷはっ!」

 

 で、遠慮することなく笑う。

 千葉の兄妹は今日も仲が良い。いいことだ。

 そんな俺達へとバシャーリと水がかけられ、振り向いてみれば……水着の天使。

 鮮やかなブルー、スカートのついたビキニタイプの水着と、それを身に着けても美しいと断言できる、整ったプロポーション。

 冷たさに慣れるために体に水でも掛けたのか、川に反射する光が肌についた水滴を照らし、曲線となる部分を白く輝かせ、出るところは出て引き締まるところは引き締まった肢体を一層に強調させた。

 さらに水を掬おうと、前かがみになると同時に強調される谷間に顔が灼熱し、そんな顔を水が強襲する。

 楽しそうな笑顔が、ぽたぽたと前髪から落ちる水滴の先にあって、ああ、なんというか。幸せ。出会えたことに、好きになれたことに心の底から感謝した。誰に感謝すればいいのか知らんけど。

 あとその前かがみポーズは、先ほど小町もやっていたわけだが……うんすまん、レベルが違った。

 背後の小町も「これが圧倒的な戦闘能力の差というものか……!」って言ってる。

 

「見事に見蕩れているわね、はーくん」

「お、おう……得体の知れないなにかに、あいつと出会えたことを感謝してたところだ。好きになってよかった。よくわからんのだが、急になにかに感謝したくなってさ」

「……そうね。私も、あなたたちに会えたことを、見えないなにかに感謝しているわ。もし、なんて言っても仕方のないことだとはわかっているのだけれど」

「………」

「………というかこちらを見なさい。どこまで恋人に釘づけなのあなたは」

「いや、俺に見られたってべつに嬉しくねぇだろ……」

「ゆーちゃんには感想を聞いたわ。あとはあなたじゃない」

「お、おう……まあ、そうな《バシャー!》グワーーーッ!!」

 

 雪乃に急かされて振り向いた途端、顔の横を水に襲われた。

 思わず顔を庇うようにして背を盾に構えると、ハッと気づいて顔をあげる。

 そこに、白い肌の女の子。

 

「……なんつーか、それこそ雪の化身って感じだな」

「まあ、肌が白いのは認めるわ。それとも、雪の結晶を拡大してみればこんな面積だ、とでも言いたいのかしら」

「人の一言から無理に意味を拾わんでいい。怖いよ。逆に怖い」

「ふふっ……ええ、冗談よ」

 

 パレオ付きの水着なんて、どうやって服の下に仕舞い込んだのちょっと。

 え? 別に持ってきてた? あ、そういえばバッグ持ってたっけ。用意いいのねほんと。いや、そりゃあ準備中はバッグなんてそこらに置いておけばいいだけの話だが。

 つまり俺達の準備が足りなかっただけか。

 

「それでその。どうかしら。雪の化身とは聞いたけれど、肝心の水着の感想がまだよ?」

「白ってのがいいな。似合ってる。俺の中のイメージにぴったりだ。《バシャー!》グワーーーッ!!」

 

 雪乃を褒めたらミニマムタイダルウェイヴが俺を襲った。

 慌てて振り向こうとすると腕を引っ張られ、振り向かされ……俺の腕をぎゅうっと抱き締めて片方の頬をぷくーと膨らませてジト目で見上げてくる恋人さんが。

 

「ゆーちゃん、水着の感想の一番目を取られたからってそう怒らないでちょうだい」

「ち、ちがうもん! えとえとっ、これはただえっととにかくあのそのっ」

「結衣、似合ってる。先に言ってやれなくてごめんな。綺麗だって思ってたらそのまま見蕩れちまってたんだ。あー……だからその、水もかけられっぱなしだったっつーか」

「ふわっ……………………えへー……♪《にこー♪》」

 

 ふくれっ面は滅んだ。短い膨張時間であった。

 そしてものすげー上機嫌で腕に抱き着くもんだから、ビキニという布があるとはいえ、素肌というか胸がモニムニと腕に当たっているわけでして。

 しかも水滴がついているからその感触が腕に吸い付くみたいにムニュピタと……!

 

「………」

「?」

 

 見下ろしてみると、邪気のない純粋な、人をまったく疑ってない、信頼しきった無防備な顔で見つめられてしまった。

 こいつ今、胸がどうとかって意識、確実にない。

 指摘したら真っ赤になるだろうし……うん、そういうヨコシマなアレは置いておいて、愛でようか。

 お返しにぎゅーっと抱き締めたら、「ひゃわー!」と悲鳴を上げて真っ赤になってあわあわ言い出した。

 ……いやなんなのお前。自分で肌押し付けるのは良くて、半裸な俺に抱き締められるのはアウトなの? 基準がいまいちわからんのだが。まあどの道、そう簡単に離す気はない。恋人が可愛いです。幸せ。

 しかし半裸とか考えると、どこぞの忍んでない半裸頭巾の師範を思い出すな。すごい漢だ。

 ……うん、雪乃の前では言えないことだ。

 




 /アテにならない次回予告



            「ローーーレーーーンス!!」



  「マッスルウォッシャー!!」



               「うおおおおおマリーーーン!!」



      『バスターバリエーション・パート5ーーーっ!!』



           「わふっ!?《ボッ!》…………はーくんのばか」



  「大岡が佐藤はるおくん、大和が鈴木ジンコツくんだな」



            「召喚士は通す……」


 
   「ガードも通す……」



         『キマリは通さない!』



     「え? っきゃあああっ!? 白い手がぁっ!!」



        「ああいうの……本物、っていうのかな」




次回、夢と現実の僕らの距離/第十話:『それが本物でありますように』

「緑谷少年がムキムキになるぞ!」
「それはもういいですってばオールマイト! ……あの、ところでオールマイト?」
「うん? なんだい緑谷少年」
「ヒロアカでは敵のことを、“敵”と書いて“ヴィラン”って読みますよね? 発音的にはビラン」
「そうだね。名づけの時点で敵としてひとくくりだ……寂しいものさ」
「じゃあ、キマリに対して特別厳しかったりするんでしょうか!」
「ごめん緑谷少年、きみが何を言ってるのかまるでわからない」



 召喚士は通す。


   ガードも通す。


     キマリは通さない!!

              by,ビラン



「こぉのこじつけオタクめぇっ!! そういうの、嫌いじゃないよ!?」
「嫌いじゃないんですか!?」
「あ、本物って言葉は比企谷少年の“本物が欲しい”発言でよく知られているが、原作ではこの時点で既に出ているから気をつけようね!」
「この時の由比ヶ浜さんの“でもさ、本物だと、いいよね”ってなんかいいですよね!」
「青春だなっ! では行こうか!」
「ハイッ! 更に向こうへぇっ!」
『Plus・Ultra!!』

 ◆pixivキャプション劇場

 *中学生日記

 比企谷家、八幡の部屋。そこに、一人の男と二人の女の子が居た。
 ……結衣と雪乃なわけだが。
 今日も今日とて、自分用に用意されている部屋には戻らず、俺の部屋で過ごすらしい。
 ベッドも机も使いたい放題だ。

「なんかさ、最近過去に存在した人とかをキャラクターにするの、増えたよね」
「そうね。けど、悪くないのではないかしら。架空のものでも人物でも、そういったものが栄える世界観というのは悪くないものよ。ふふっ……ところで私は武器の中ではストームブリンガーが実にお気に入りなのだけれど───」
「ハイデルンだな」
「違うわはーくん」

 うん知ってる。
 話し始めると長いから逸らしただけだ。
 なんで発現しちゃったかなぁ……中二病。

「けど、そうだな。過去の人が現代で絵とかで格好良かったり可愛かったりで描かれると、浮世絵みたいなタッチで描かれた人物像も吹き飛ぶよな」
「ふっ……そうね。あそこはアレクサンダー大王が駆け抜けたとか、ここでは宮本武蔵が、とか。とても、とても瞳が疼くわ……!」
「お、おう。……けど、そういうのが身近にあっても現実味っていうのか? そういうのってあんまりないよな」
「あ、うん。それわかるかも。名前は知ってても、なにをやったのか~とか詳しくしらないし、伝記が残っててもほんとかどうかもわかんないしね」
「信じればそれが真実よ。それに、架空の人物だろうと祀っている場所もあるでしょう? 信じること。それを体現しているようで、とても素晴らしいじゃない」
「架空の人物で……祀られてる? ……○○タン、ハァハァとかそういう方向じゃねぇよな?」
「違うわよ、そういう方向のものではないわ。ある意味で神聖味はあるのかもしれないけれど。あくまで人によっては」
「んー……ごめんねゆきのん、あたしわかんないや」
「すまん、俺もわからん」

 架空の人物で祀られてる? 誰?
 言ってしまえば、過去の有名人だって伝記が残っていようが、過去の人が捏造したって可能性がゼロなわけじゃないんだから、誰が本当はどんなやつなのか、なんてのはわかりっこない。
 そんな中、雪乃はフッと自信を込めた笑みを浮かべ、言ったのだ。

「居るじゃない。忍として己を高めながらもまるで忍ばず、忍び袴と頭巾だけという、いわゆる半裸頭巾のみで戦う忍が」
「……。待て雪乃。それが某師範のことを言っているのはよーくわかるが、彼を祀る場所なんて本当に───」
「あるじゃない。その名の通り、彼のためだけにあるような場所が。その場所の名前こそ───」
「ど、どこなの? ゆきのん」
「───不忍池(しのばずいけ)よ!《ドヤァアアアアアア!!》」
「………」
「………」

……。

 ……その日、俺と結衣の腹筋は崩壊し。まともに呼吸できるようになるまで、長い時間がかかった。
 このことを彼女は漆黒の歴史として脳の奥底に刻み込んでしまい、彼女の前で“すごい漢だ”と口にすると、顔を真っ赤にして襲い掛かってくる。
 ちなみに攻撃を躱すと泣かれる。理不尽である。
 そんな、中学時代の思い出。


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それが本物でありますように

 しばらくそうして水遊びを楽しみ、上流の方で平塚先生を発見したあたりで水遊び終了。

 結衣に俺の服を着せてやると、「わ……ぶかぶかだぁ……えへへ」なんて言ってテレテレしてた。やだ可愛い。

 

「それではあなたの服が濡れるわよ?」

「べつにいーだろ、今日はもう着ないだろうし」

「そう?」

「お前はどうする? タオルくらいならあるけど」

「べつにいいわ。水をかぶったわけではないもの。このままコテージに戻るのでも構わないし、自分の服を着るのでも───」

 

 と、雪乃が言いかけた時、奥側の茂みをかき分けてやってくる男子数名女子数名。隼人グループである。

 

「……はーくん、タオルを借りるわ」

「へ? あ、おう、いいけど」

 

 雪乃は男子数名に背を向けるとタオルで足を拭き、素早く肌を隠すように服を着た。すごい速さである。よもや彼女……ニンジャなのでは?

 

「おー! ほら川とかめっちゃ見つかったじゃーーーん!? 水着もあるしぃ、いっちょ涼んでかねー!? って、おー比企谷くんじゃーん! そっちもう準備終わった系ー!?」

 

 なんだよ終わった系って。終わってるよ。系じゃなくきちんと終わってるっつの。

 

「うおっ……平塚先生すげぇっ……!」

「うおぉっ……女教師の水着姿とか……! 眼福……!」

「きも。ないわあんたら。これだから男ってさぁ」

「そう……そうだよね優美子っ! やっぱり男子は男子の汗の伝う裸身に目を奪われるべきだよねっ!」

「へ? いやそーじゃねーし。てかちょ、海老名? まず落ち着いて状況ってものを───」

 

 水着の平塚先生に見蕩れ、鼻の下を盛大に伸ばした大岡と大和に、隼人が額に手を当てながら俯き、溜め息を吐く。

 

「いんやぁけどこうなっちゃったらもう、全員でいっそ水着になって涼んじゃうみたいな? 凉を感じちゃう? しちゃう系? しまくりんぐ的なアレ? みたいな?」

「戸部、うざい」

「……ハイ」

 

 そんな会話の中、結衣と雪乃は俺の背に隠れっぱなしである。

 小町は平塚先生の隣の、少し深い川で遊んでいる。

 

「は、はーくん、はーくん、もう行コ……?」

「そうね。やっくんには悪いけれど、他の男子に見せていい肌は持ち合わせていないわ。というかあからさまに変態的な目を向けられると不愉快極まりないわ」

 

 そうな。さっきから大岡と大和の視線が鬱陶しい。明らかに結衣と雪乃目当てである。戸部は海老名さんに釘づけ。水着を着てるわけでもないのに、誰と話しながらでもちらちら視線が行ってるし……いや、ほんと好きなんだな。

 叶うといいな、ああいうの。

 

……。

 

 しかしながら他の人が来た途端に逃げ帰る、というのも印象が悪いもんだ。

 そこらへんは三浦あたりに説明すれば“あんなんしょーがねっしょ”とかあっさり納得しそうだが、それでもだ。

 なにより隼人の友人だ、邪険にはしたくない。

 そういった態度を逆手にとるような行動に出た時こそ、付き合いを考えるべきだと思うぞ、とでも助言しよう。

 余計なお世話だとは思うが。

 と、いうわけで。

 

「マッスルウォッシャー!!」

「《バッシャア!》ぶわっ!? こっ……いきなりはないだろ八幡!!」

 

 二人をきちんと着替えさせるため、コテージに戻ってからもう一度川へ来た俺は、隼人と遊んでいた。

 川の水を両手で掬い、独特の形で勢いよく合わせることで水鉄砲を完成させる。

 キャシャリン流マッスルウォッシャーである。

 

「おー! 比企谷くんとか結構はしゃげる系ー!? 俺も混ぜて俺もー!」

「隼人!」

「ああ!」

「秘剣!」

「ナイアガラスマッシュ!!」

 

 まず俺が、戸部に向かって両手で掬った水をぶっかける!

 怯んだ戸部へ、隼人が小町から借りた二丁水拳銃で戸部を撃つ!!

 

「ぶわぁっぷ! ちょ、二人掛かりとか卑怯だべー! 待っ、ちょっ! おわーーーっ!!《だっぼぉーーーんっ!!》」

 

 で、体を捩じった拍子に足を滑らせて、戸部……全身着水。

 こうなった男は実際強い。

 おお、見よ! 戸部は子供のような無邪気な笑みを見せ、果敢に向かってくるではないか!

 次の瞬間には躓いて倒れる様などは、恐らく我らを油断させる巧妙なジツ。油断ならない。

 俺は油断なく、隼人が持っていた二丁のうち一丁を受け取ると、起き上がったその顔に水鉄砲の遅すぎる連射を浴びせたのだ。

 

「うおおおおおマリーーーン!!」

「それがFF7のバレットの真似だってわかるやつがどれほど居るかな……」

「少なくとも隼人はわかってるだろ!」

「ガトリングなんて気の利いたものはないけどな」

 

 というわけで撃つ。

 もちろん水鉄砲ってわかってれば無視して突撃もできるってもんで、終いにゃ飛びかかってきた戸部に捕まって、隼人ともどもダブルSTO状態で着水。

 どの季節だろうと冷たいと感じる川の温度に、隼人と一緒に「おぎゃあああ!!」と白面の御方様のような悲鳴を上げて飛び起きた。

 

「ッツアーーーッ!! つめたっ! おぉおおおぁああ……!!」

「~~っ……これは確かに……! ていうか、八幡は雪乃ちゃんたちと遊んでたんじゃないのか……!?」

「沈んだりはしてないんだよ……! おぉお……!」

 

 しかし、だからこそ楽しくなる。

 今度は隼人と一緒に突撃して戸部を掴んで、

 

『ノーザンライトボムゥッ!!』

「おわーーーっ!?」

 

 ゾヴァァッシャアア!! と水しぶきをあげつつ、一緒に川に沈んだ。

 そうして遊んでいるとふと視線を感じて振り向く……と、川岸に俺の服を着込んだ結衣と雪乃。

 コテージで休んでるって言ってたのに、ホワイ?

 

「……すかさず大岡と大和の目が向こうに向かうのが、なんか腹立つ」

「仕方ないよ、二人とも綺麗で可愛いんだ。独り占め、っていうのは無理だろ、あれは」

「あー……ごめんなー、比企谷くん。ほんと、悪いやつらじゃないんだけどさー。なんつーの? やっぱ水辺に居る女の子ってほら、目ぇ移るべ?」

「二人が来るまで平塚先生に釘づけだったのにな」

「あぁけどマジな話、ちゃんと由比ヶ浜さんと雪ノ下さんのことは、俺と隼人くんとで話通してあっからさ。比企谷くんもあんま、そういう目で見てやんないでほしいんだわぁ」

「ん……悪い。わかってるんだけどさ」

「いや、そこは俺も気持ちわかっからさー。自分の大事な人にニヤニヤ近寄られたら、そりゃいい気しないべ。俺も二人が海老名さんに近寄ったらかなりキちゃうしさぁ」

「具体的には?」

「……沈めたい」

『行きすぎだ!!』

「っははははっ! そうそう、大声で楽しむべ! じゃなきゃもったいねーでしょお! せっかくこんな場所まで来てんだしさぁ、友達同士だから出来ること、夏の思い出にしなきゃでしょお!」

「じゃあキン肉マンごっこしようぜー。お前ビッグザ武道な」

「へ? あ、ちょ、あれ!? 比企谷くん!? ちょ《がしぃっ!》」

『バスターバリエーション・パート5ーーーっ!!』

「お、おわーーーっ!!」

 

 そしてまた、デカい水飛沫が上がった。

 

……。

 

 散々暴れ回ったあと、結衣に呼ばれて川岸へ。

 大き目の岩に腰掛け、足の先でぺしぺしと川の水を蹴っていた結衣は、俺が近づくと「えへー」と笑った。

 その隣で読書していた雪乃は、俺が辿り着くやパタムと本を閉じて俺を見る。

 

「なんかさ、離れたところからさ、こう、大好きな人が目を合わせながら来てくれる時間って……いいね。好きだなぁって……えへへぇ」

「顔が勝手にニヤケるから逸らしたい時もあるんだけどな」

 

 言うわりに、逸らしたことなどないわけだが。

 それを知っているからか、結衣も雪乃もわかってますって顔で笑ってる。

 

「あなたのことだから、すぐこちらに来ると思っていたのだけれど」

「隼人も大事な幼馴染だからな。気にならなかったって言ったら大嘘つきになるわけだが」

「ええ。物凄く見ていたわね。さっさと来ればいいのにと何度思ったことか。ゆーちゃんなんて、あなたが見るたびに笑顔になって、主の帰りを待つ犬のようにそわそわしていたのに」

「だからゆきのんなんで言っちゃうの!? 言わなくてもいいよね!? それ言わなくてもいいよねぇ!?」

「まあ、言わなくてもな、見えてたから」

「わふっ!?《ボッ!》…………はーくんのばか」

「いや、俺も来ようとは思ったんだけどな。大岡と大和の視線とか気になってたし。でもほら、三浦と海老名さんがガードしてくれただろ? あれなら大丈夫そうかなってな」

「はーくん。ゆーちゃんの場合、そうとわかっていてもあなたに来てほしかったのよ」

「だからなんで言うのーーーっ!? てかなんでわかるの!? もーーーっ!!」

「あら。伊達や酔狂で幼馴染と親友とを名乗っているわけではないのよ? ゆーちゃんとはーくんのことなら、大体のことがわかるわ」

「う~~……」

 

 悔しそうに、けれどわかってくれるのは嬉しいのか、複雑そうな顔をする結衣を前に、雪乃は大変に気分がよさそうだ。

 ほら、こう、なんというのか。悔しかったらあなたも私のことをなにかひとつ、言ってごらんなさい? って言いたげな───

 

「う、うー! うー! ~~……ゆきのんの不忍池!!」

「それは関係がないでしょう!?」

 

 余裕ぶっていた顔が一瞬にして羞恥に塗れ、涙目になるわ引け腰になるわ、どんだけ暗黒歴史なのさ。

 

「あーほれほれ、もう十分涼んだから戻らない? ここで喧嘩されたらお兄ちゃん風邪引いちゃうわ」

「あっ、そうだっ、えと、タオル……は、ないし、服……も、あたしが着てるし……」

「いーって、サンダルだしこのままコテージ戻るから」

「あ、じゃあ上着だけでもっ《ぬぎがしぃっ!》」

「やめなさいっつの!」

 

 脱ごうとした結衣の腕を掴んで止める。

 やめれ! 今勢いに任せておへそとか見えちゃってたから! っつかその下どうなってんの!? まだ水着のまま!? それとも…………ああもう帰る! マジ帰る!

 

「あなたが心配しているようなことはないけれど……ええ、まあ、賛成だわ。あなたが風邪を引くかも、という仮定だけでこの慌てぶりだもの。くしゃみのひとつでもしようものなら、本当に脱ぎかねないし」

「……さすがにそれはないだろ、って胸張って言えねぇ……」

 

 歩いた一歩目から、こっちはまだ濡れてるってのに腕に抱き着いてくるんですもの。ああちくしょう可愛い。濡れてなければ抱き締めてたよちくしょう。

 

……。

 

 肝試し。

 肝を試すと書くが、こういうので実際に試されるのは度胸であって、胸試しと書いてもいいんじゃないかなと考えた過去がある。

 その時、お互いにちっこかったもんだから、特に考えもせずに言って、結衣に真面目に聞かれた。“はーくんはむねがおっきなほうがすきなの?”と。

 “度胸”とは“胸の度合い”を差すものだと勝手に解釈したらしい結衣は、そのほかにもいろいろと勘違いしたらしい。

 ただまあ、言わせてもらえるのならばですが、ハイ。

 おっきなの、いいと思います。

 結衣だからこそ、とは付け加えたいが。

 さて、話は戻って肝試しだが……借りた衣装がたわけたものしかなかったので、貸してくれたらしい存在に突き返すことが決定した。

 趣味丸出しじゃねぇか、翌日から社会的に生きていけるのか、提供者。

 平塚先生に聞いてみれば、小学校の教師が用意したものらしいじゃないか。どう見ても女子高生のコスプレ見たさに急遽用意しましたってヤツじゃねーか。この小悪魔衣装とか誰が着るの? 結衣に着せる気なら刺し違えてでも潰しますぞ?

 

「まあ、安心するように。なんとなく顔合わせをした時に、ろくなものは用意しないと踏んでいた。こちらに別に用意したものがあるから、それで頼む」

「平塚先生プレゼンツ……ん? なんだこれ、人体模型の……着ぐるみ?」

「ぶっは! 人体模型なりきりセットなんてスゲくねー!?」

「それな」

「確かに」

 

 言いながらいつまで小悪魔衣装チラ見してんのそこの二人。それ見たあと結衣見るのやめろ。いい加減にしないと怒るぞ、後ろの隼人が。

 俺? 俺は大丈夫だ、既に怒ってる。

 

「フランケンシュタインの怪物……頭のボルトは基本なんだな」

「うっわ、なにこれキッショ、ありえなくね? 骨だけの着ぐるみ? ないわ」

 

 隼人と三浦が適当に衣装を見る中、三浦が人体模型と骨格標本衣装を大和と大岡に投げ渡す。

 二人は「え……?」と困惑の表情で三浦を見るが、三浦は溜め息とともに二人を睨んだ。

 

「あんたらね、昨日からあからさますぎ。女ってのは男が考える以上に視線に敏感なんだっつの。あんまじろじろ見てっと切るよ?」

「い、いや俺はただ、由比ヶ浜さんが着てる服ってその……なぁ?」

「そっ……そうそう、なんかアレ……男モノじゃないか? とか」

「ああ、俺の服だ」

『比企谷のっ!?』

「大岡、大和……この二人は諦めろって、もう何度も言ったよな……?」

「い、いやぁ、だってな、隼人くんっ……!」

「れれれ恋愛は自由であって……!」

「婚約者狙うのが自由だったら、世の中犯罪だらけだろ。なにお前、将来結婚した愛する奥さん寝取られて、“相手の自由だからな”で納得できんの?」

『………………』

 

 あ、ツッコんでみたら呆然。

 いそいそと着ぐるみを着だした二人は、しばらくすると平塚先生に名前をつけられた。

 

「大岡が佐藤はるおくん、大和が鈴木ジンコツくんだな」

「どこのじゃんくしょんですかそれ」

『さよなら……大きな母性……』

『俺……人骨として強く生きるよ……』

「キショい」

『…………《ずぅううん……》』

 

 骨格標本と人体模型が、三浦の一言で落ち込みだした。容赦ねぇなおい。ただ、まぁその。本能的にっつーのか、やっぱ性格オカンなんだろうな。

 女の子が困ってるのをほっとけないっつーのか。あのまま知らん顔する方法だってあっただろうに。

 こう……なに? ストーカーとかあったら率先して組織募って潰すみたいなタイプっつーのか。

 

『あ……そういやさ、相模のグループの……』

『いや……あいつ戸部のことが好きって話、聞いたことが……』

『………』

『………』

『俺とお前とでなにが違うってんだぁああっ!!』

「おぉわっ!? 怖っ!? っべ! っべー! 怖っ! っべー!」

『なんで俺らには春がっ! ちっくしょぉおおお!!』

「いやぁちょーちょーちょぉ待て待て待てってさぁちょっとぉ! 話が見えねぇっつのぉーっ!!」

 

 実録! 骨格標本と人体模型が人を襲う光景を見た!

 ……その見出し通りのことが、現実で起きました。着ぐるみだけど。録画もしてないけど。

 のちに鈴木ジンコツくんと佐藤はるおくんは結衣に『ジロジロ見てすんませんっした……』と真心込めて謝るに至り、結衣はこれを受け取る。

 二人は『気持ちを受け取ってもらえるっていいな……!』とそれはそれは喜んでいたが、のちに『でも結局フラレてんだよな……』と盛大に落ち込んだ。

 

……。

 

 さて、キモさが……もとい、肝が試される夜が来た。

 作戦会議中はあえてツッコまなかったんだが、とっくに水着は脱いだ筈なのに、いつまで俺の服を着ているのだろうか、この恋人さんは。

 

「でもよかったのかなー……あたしたちだけ演出班なんて」

「彼らがそうさせてくれというのだから、いいでしょう」

「それに結構面白いぞこれ。大量のドライアイスから出る冷気を団扇で仰いで、冷気と濃霧を演出する簡単なお仕事です、だ」

「水を入れるタイミングが重要ね……ふふっ」

「あ、ゆきのん笑った」

「それはね。だって、楽しいでしょう? 高校生にもなって、寄ってたかって子供を怖がらせようというのだから。しかもそのために協力することが……ド、ドライアイス……! ぷふくくっ……!」

「相変わらずお前のツボって謎だよな……」

「あはは、まあまあ。そういうはーくんだって楽しそうだよ?」

「おう、お前もな」

 

 ドライアイスと一緒に蚊取り線香焚いてるのは秘密である。

 虫よけスプレーも付けたし、あとは小学生たちの来訪を待つばかりなんだが……

 

「……、はーくん、来たわ」

「よしきたっ」

「お水、投入~」

 

 たっぷりのドライアイスに、デュオンデュオンとペットボトルに入れた川の水を入れてゆく。

 するとモシャアアアと溢れるように出てゆく霧レベルの水と氷たち。

 ドライアイスの煙って、霧とかの分類よりも水と氷なんだってな、すげぇよな。

 そんな感心は横に置き、団扇でぱたぱたと茂みの下から凍てつく風を届ける。

 俺と結衣と雪乃は子供がするようなニヤリとした悪い笑みを浮かべ、小さく宣誓。

 

「召喚士は通す……」

「ガードも通す……」

『キマリは通さない!』

 

 俺、結衣、三人同時の順に言って、重ねた手をエイオーと天に掲げる。天といっても、鬱蒼とした木々の天井しかないわけだが。

 さあ、張り切ってドライアイスを扇ごう。

 

「《びくっ!》なっ……なんか急に寒くなった……!?」

「そっ……そんなことあるわけないでしょ……!? ききき気の所為よっ、気の所為っ……」

 

 ターゲットは……おお、鶴見留美が居たあの班か。

 どうやらきちんと仲良くやれているようで、みんなで手を繋いでいる。

 すっかり暗さに慣れた目ならばこそのこの観察眼、素晴らしい。

 あー、でもあのツンツンさんはまーだちょっと意地っ張りしてる部分があるかもだな。

 んじゃあいつの足元に冷風と霧を届けるように~……っと。

 

「ひぃっ!? ななななにこれ! ほんとに寒く……! 足になにか……きゃああっ!?」

「え? っきゃあああっ!? 白い手がぁっ!!」

 

 へ? 白い……いやいやいや、ただ勢いよく仰いだら、少女の足にぶつかって二つに分かれただけだぞ? そりゃ、ちょっと温度の関係で肌にまとわりつくように動いているように見えるかもだが。

 

「ちょ、ちょっとここおかしくない!? なんで急にこんなに霧が……!」

「やっ……こ、怖いっ……!」

 

 少女たち、思わず身を縮こまらせ、手を離してしまう。

 一度手が離れてしまうと、人ってのは自由だよな。

 相次ぐ恐怖が余裕を持たせようとせず、気づけば少女達は距離を開き、バラバラになってしまった。

 ただしツンツンさんだけは恐怖で体が動かないようで、ドライアイススポットで未だに震えていた。

 ツンツンさんは待って、離れないでと言っていたが、他の子らも軽くパニックだ。冷静じゃ無い所為で声も届かないし、少しずつ離れてしまっている。

 が、留美だけはそこに居て、

 

「大丈夫……落ち着いて。絶対、置いてったりしないから……!」

「……留美ちゃん……!」

 

 恐怖に立ち向かい、喉を何度もごくりと鳴らしながらもツンツンさんの隣に居た。

 でも、と続けるツンツンさんが見下ろす先には、相変わらずモシャアアと溢れるドライアイスの霧。

 留美はそれを手で払うも、新しい煙めいた霧が留美の腕にもまとわりつき、これにはさすがに小さな悲鳴が漏れた。

 しかし逃げない。

 ……俺は今、美しい友情が試される場面に立っているのかもしれない。諸悪の根源が俺であり、タネがドライアイスなんだけど。

 

「動ける……? 肩貸すから、先進もう……?」

「で、でも、足……」

「引きずってでも連れていくから……!」

「留美ちゃっ…………~~~っ……あ、ありがと……! ごめんね……!」

 

 寒さと恐怖で体が固まってるのは留美も同じだろうに。

 ゆっくりと進む二人に美しさを感じながら、しかし驚かすのが役目なので手抜きはしない。

 ここでほっといたほうがハッピーエンドなのかもしれんが、追撃にこそ強いお子であってほしいという親心というか。親じゃねぇけど。

 イジメってものを見てきたからこそ、こういう状況にこそ打ち勝てる心を持ってほしいと思うのだ。

 

(では)

 

 乾電池で動くスピーカーを各地にセットしてある。

 その大元にパチリとスイッチを入れて、ホイッスルボイスな音声を流す。

 暗い場所での、地の底から這ってくるような低い声もいいが、白い霧には甲高い声だと思うの、俺。

 いろいろな場所から聞こえる悲鳴のような声に、留美は肩を弾かせて悲鳴をあげるが、それでもツンツンさんを置いて逃げようとはしない。

 怖くて動けないだけかもしれんけど、ぎゅうっと抱き合って、けれどじりじりと進んでいった。

 

「………」

「………」

「………」

 

 やがて留美グループが去っていくのを見届けると、俺達は“眩しいものを見た……”といった感じで溜め息を吐いた。

 良い映画とか見届けると、なんかこうなる時がある。あんな感じ。奇妙な脱力感というか、心地よい疲れというか。

 

「ちゃんと仲直り、出来てたな」

「うん……よかった」

「上辺だけだったのかどうか、少し気になっていたのよね……」

「ああいうの……本物、っていうのかな」

「お互いの腹の内を散々曝してきて、それでも手ぇ繋げるんなら……そうなんじゃねぇか?」

「そか。……そっか。……そうだと、いいよね……えへへ」

 

 あのまま仲良しでやっていけたらいい。

 友達だから、信用したからこそ自分の秘密を話したのに、翌日には言い触らされるなんてこと、よくあることだ。

 俺も結衣も雪乃もとっくに経験済みだし、だからこそ自分達以外には深い関係を築こうとしない。

 隼人もそれを知っているからこそ、みんな仲良く、なんてものを押し付けようとしない。

 

「成長出来ていないのは、私たちの方……なのかしらね」

「だからって、人との関係は無理矢理作るもんじゃねぇだろ」

「だよね。無理に作ろうとして、一緒に居られなくなるの……嫌だし。それにさ? 新しい関係とか作ったら、絶対に……はーくんとゆきのんのこと悪く言う人とも会うと思うんだ。……あたし、それで後悔したくないから」

「そうね。深く賛成するわ」

「俺も」

 

 踏み込んでくるやつの大半は、三人の内の誰か一人と仲良くなりたいだけであり、そうなると他の二人が邪魔だから、悪口を捏造して離れさせようとする醜い連中ばかりだった。

 一度でもそれを聞けば、もうそいつらとは仲良くできない。

 距離を取れば、今度はそいつらは俺達の悪口を周囲にばら撒きニヤニヤと笑った。

 イジメなんてのはどこにでもあるし、しなくていい悪口をばらまく行為なんて、無害そうなやつほど平気でする。

 だから、俺達はお互いを大事にするし、離れようとも思わない。

 依存に近いだろうか、と考えたこともあったものの……三人一緒の方が動きやすいし知識も回るしで、俺達としては問題視なんかは全然していないわけで。

 

「あ、次の班来たよっ」

「よし、ドライアイス追加」

「この輪のような霧を上手く飛ばせないものかしらね……」

 

 ドライアイスを水に入れると、輪みたいな霧が飛ぶ時、あるよな。

 ああこれこれ。これを子供たちの前に飛ばしたいらしい。

 当然途中で消えるわけだが。

 ……そうして、ドライアスと水が尽きるまで、やってくる子供らを脅かしまくったのだった。

 




 /アテにならない次回予告



     「ローーーレーーーンス!!」



            「ふふっ……フラレてしまったわね」



「キミ、ドラムを想像したまえ。シンバルだ、シンバルを叩きたまえ」



   「ッシャス! 友達からお願いします!!」



 「ペシャメルソースよ、はーくん」



                   「お、おのれ妖怪!」



         さ、さー……サンサーラナーガさん?




     「……はぁ。どうしてこうなってしまったのかしら」





次回、夢と現実の僕らの距離/第十一話:『それを青春って呼んだ日』

 熊は叫びました。

「この物語はフィクションであり夢であり夢であーーーる!」

 狐は目を閉じ目を開けて歩きました。

「いや、フィクションの時点でいろいろとアレだろそれ。あとなに? 夢でドリーム? そーいや天使のゆびきりを初めて聴いた時、YOU MAY DREAMが夢ドリームって聞こえたなぁ」
「ゆぅ~~~めドリィ~~~ム?」
「キモい」
「ちょっと歌ってみただけであろう!?」

 今日もその千葉には猫の鳴き声が響いておりました。


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それを青春って呼んだ日

 肝試しは好評だった。あくまで俺達側で言えば。

 子供たちは怯え、奥の方に出た霧と悲鳴は本物だと言う子たちで溢れていた。

 平塚先生になにをやったんだ君たちは……と呆れられるほどに。

 いえ、どうせあとで捨てるであろう保存用ドライアイスを有効利用しただけです。

 そういった子供に紛れて、なにやら肩を落とす教師が居たから、腹でも壊してしまえと呪いをかけておいた。人の恋人と幼馴染なんつーもん着せようとしてんだ。下痢になってしまえ。

 

「じゃ、あとはキャンプファイヤーですか」

「そういうことだな。さて、それ自体はもう向こうの教師連中がやってくれている。あとは自由時間でいいだろう。楽しみたまえ。一緒に踊るもよし、眺めるもよしだ」

「ほーん……?」

 

 あ、じゃあひとつ。

 昔っから気になってたことをやってみよう。

 

「それではお嬢様。一曲踊っていただけますか?」

「大人をからかうな、悪ガキめ」

 

 くつくつと笑って、平塚先生は歩いていってしまった。

 普通よりちょっとおかしな子供時代を送った身としては、あぶれて先生と踊る、なんて経験もしてみたいと思ったことがあった。

 そもそも結衣たちが傍に居たから、そんなことも起こらなかったが。

 

「ふふっ……フラレてしまったわね」

「大人の人と踊ってみたいって、子供の頃言ってたもんね。……ね、はーくん。今のあたしは……あの頃よりも大人かな?」

「……フラレて可哀相な男の子を拾ってくださいますか? ステキなレディ」

「キザなポーズが似合わないわね」

「ほっとけ」

 

 たはっと笑い合って、キザなポーズのまま結衣を見る。

 結衣は、俺の服(風呂上がりに別の着替えを取られた。解せぬ。でも可愛い)を着て、「これじゃあスカートをちょんと抓む、お姫様みたいなポーズ、できないね」と笑った。

 けれど、差し出した俺の手をやさしく掴んでくれた。

 

「はい、よろこんで」

 

 そうして、三人で笑う。

 大きく燃え盛り出したキャンプファイヤーの火を眺め、それじゃあと……もう詳しく覚えてもいないうろ覚えなステップで。

 

「足、踏んじゃったらごめんね」

「キミ、ドラムを想像したまえ。シンバルだ、シンバルを叩きたまえ」

「今ドラムとか関係ないよね!?」

 

 言いながら踊って、曲調が変わると片手を離し、傍に来ていた雪乃の手を取って踊り出す。

 

「割と覚えてるもんだな」

「うんっ、三人でわけのわかんないダンス、作ったよねー」

「そうね。たしか次は……ここで、お互い引っ張り合って、ぐるっと回って……」

「おぉおおお離すなよ離すなよ!?」

「こわっ! 昔よく平気でこんなんできたねあたしたち!」

「ふふふふふっ……けれど……ええ、楽しいわ。……とても」

 

 ぐるぐる回る。動きは自由だし、こうしなきゃいけないってものはないのに、片手に伝わる挙動が、次はこう動くんだっていうものを教えてくれる気がして、その通りに動けば転ぶこともない。

 昔から、なんというか自由だったなと。そのくせ、お互いのことは何気にわかるのだから、本当に自由だ。

 子供たちもわいわいと楽しそうにやっている。

 しかし、高校生にもなってこんだけ燥いでるのは俺達くらいだろう。

 視線を巡らせてみれば、そこまで張り切ってるやつらも───

 

「え、海老名さんっ! そのっ……おぉお俺と踊ってくんねーかなっ!」

 

 居たァアーーーッ!?

 いっ……行ったぁーーーっ! 戸部が行ったぁあーーーっ!!

 

「ごめんねとべっち、そういうのだめなんだ、私」

 

 そしてダメだった……!! なんという痛恨……!!

 

「そ、そっか……でもさ、俺、ハンパな気持ちで声かけたんじゃないっつーかさ! ……だから、その……す、好きでいて、いいかな! 海老名さんがそういう目で見れなかったとしても、友達としてでもいーからさ! 一歩ずつ始めさせてくんねーかなっ!」

「とべっち……」

 

 やだ……! 知らぬ間にドラマが始まってた……!

 俺と結衣と雪乃、踊りながらも固唾を飲む。

 

「……えっとさ。誰に言われても、誰が来ても、答えは変わらないし気持ちも変わらないと思う。言うよりもきっと辛いよ? ……私も、とべっちも。それでもそうしたいって思う?」

「腐っててもバッチシオッケーっしょぉ! それ含めた海老名さんだから気になったんだからさぁ! 重要でしょおこれぇ!」

「…………そっか。じゃあ───」

 

 海老名さんが手を伸ばす。

 戸部は戸惑うが、手をごしごしと服で拭うと、

 

「ッシャス! 友達からお願いします!!」

 

 そう言って、差し出された手を握ったのだった。綺麗にお辞儀して。

 これには海老名さんも笑うしかなく、そんな笑い声が届いたのか、顔をあげた戸部も笑っていた。

 

「……不覚にもねるとんを思い出してしまった」

「いや、そんなこと言うために戻ってこないでくださいよ」

 

 平塚先生が戻ってきた。

 その目は、何処か……遥か遠くを見つめているように悲しげだった。

 

……。

 

 合宿という名の奉仕部強制奉仕活動も終わり、暇な時間を作ってはバイトしまくり、休もうと決めた日には三人一緒にベッドの上でぐでーっと伸びていた頃。

 気分転換がしたいっ、と結衣が言い出したのをきっかけに、んじゃあ映画でも行きましょう、ということになった。気まぐれなのだ。だが、それがいい。

 そうして外に出て移動するその途中、なんか英語の塾とか見かけた。

 そういや川崎さん家の沙希さんは上手くやれているだろうか。まあ、奉仕部なんてのは変則的一期一会、会った時は仕事だからとご意見伺いをするが、終わってしまえば関係も終わるのだろう。

 というわけで……映画館近くまでやってきてからというもの、視界の隅でうろちょろと蠢くオープンフィンガーグローブを付けた太いのは幻覚だ。やだなにあれ怖い! 太いのに割と素早いし!

 

「映画を見に来たはいいけど、情報くらい調べておくんだったな……見たいものとかあるか?」

「えっと、そだねー……あっ、あたしこの“家族の絆”っての見たいかも!」

「私はこの“幼馴染の、近くて遠い”が気になるわ。愛や恋ではなく、幼馴染としての距離を描いたもの、というのがいいわね」

「じゃあ間をとって、この“Dogs&Cats3”で」

『却下』

 

 却下された。

 犬と猫が戦うものは、俺達の間では鬼門だったりする。

 どっちも犬が好きだったり猫が好きだったりするから仕方ない。

 結衣はサブレを溺愛して、雪乃はカマクラを溺愛している。

 二人がお互いのペットのどこが可愛いのかを語り始めたら、本当に夜が明けるから笑えない。

 

「まあ、とりあえず幼馴染としては押さえておきたくはあるこれを見るか」

「うん。あたしもそれは気になってたから」

「家族の絆も気にはなるのだけれど、私の場合は姉があれで親があれだから……ごめんなさい、ゆーちゃん」

「いいよいいよ、見よ?」

 

 そんなわけで幼馴染物語を三枚。

 コーラとポップコーンも手に入れて、席に座ればあとはのんびりだ。

 

……。

 

 映画が終わるといい時間になってたんで昼食タイム。

 ポップコーンも一つ買って三人で分けたから、地味に腹が減っている。

 ちょっと食ったら逆に腹が活性化した、みたいな状況だ。結合崩壊を確認! アラガミが活性化します! すまん嘘だ。

 

「うーん……サイゼの主役ってさ、やっぱりドリンクバーになるのかな」

「駄弁る場合はそうだろうな。だがミラドリは譲りがたい」

「そのお店の顔って、やっぱりあるもんね」

「ドリンクバーの主役って、なんだかんだメロンソーダな気がするよな。ドリンクバー頼んだら、なんというか飲まなきゃいけない気がする」

「それは言いすぎだと思うけれど」

「ミラドリもさ、どのへんがミラノ風なんだかわからないところってあるよね。ミラドリ~って書かれてるからミラノ風って信じてるけど……ドリアの違いってよくわかんない」

「とりあえずバターライスかなんかの上にホワイトソース乗っけてチーズ乗っけて焼けばいいんじゃねぇの?」

「ペシャメルソースよ、はーくん」

 

 真面目にツッコまれた。べつに今ここで作ってるわけじゃないんだから、ホワイトでもペシャメルでもどっちでもいいんだが。

 ペシャメルソースに譲れないなにかでも抱いているのだろうか。

 

「それでさ、これからどうしよっか。カラオケとかいく? それとも服とか見る? ラノベの新刊はまだだし……」

 

 自分の趣味を出しながらも、きちんとラノベなども忘れないところは流石である。

 いいお嫁さんになれるよ。むしろしたいです。

 

「歌う、という気分ではないわね……。映画があれだったから」

「あー……カラオケ中に仲がこじれちゃったもんね。じゃあ服は?」

「そうね。見て回るのもいいわね。はーくんはなにか、行きたい場所のリクエストはあるのかしら」

「寝具とかどうだ? 新しい枕が欲しいとか言ってただろ」

「あっ、そうだった! それ行こうっ!」

「案外忘れてしまうものね……ありがとう、はーくん。枕は三人お揃いにしましょう」

「おいやめろ。男のベッドにハート形の枕が三つとか想像しちまったじゃねぇか」

「タオルケットとかも欲しいよねー。まだ八月だし、暑さ長引くとか言ってたから」

 

 物心ついた頃から、既に諦めが入っている三人で寝る日々。

 完全に諦めたのはいつだったか……と思い返すと、お互いの両親からの贈り物として、デカいベッドが進呈されてからだと思う。

 あ、ダメだわ、もうこうなったらどうしようもねーわ、突っ返してどうにかなる問題じゃねーわ、と諦めが入ってしまったのだ。

 それからはもう普通に寝てる。抗えないものには無理に抗わない。これ、人間の知恵。実際、二人と一緒の方が安眠出来る体質にとっくになってしまっているのだ、ほんとどうしようもねぇ。

 

「あ、でも男一人と女二人で寝具とか」

「じゃあ行こっかはーくんっ」

「ええ行きましょう。……あなたから誘ったのだから、やめようなんて言わないわよね?」

「……言うだけならタダじゃないか?」

「ええ。言うだけなら。当然却下させてもらいます」

「うん、わかってた。八幡わかってた。……結衣、別に嫌がったりしないからそんな顔すんなって。ほれ、行こう」

 

 諦めたのならもっと諦めよう。

 押してだめなら諦めろ、とまでは言わんから、自分以外と付き合う場合は諦めを織り込むのは大事だと覚えておこう。

 べつに、嫌な空気を作ってまで拒みたい理由なんて、大抵の意見の中には存在していないのだから。断る前にまず考えてみような。これ、平和に生きるための小さなコツ。

 

……。

 

 合宿が終わってからは、まあいろいろあった。

 たとえばバイトはもちろん、勉強も終わらせたし、デートもした。

 小町が遊びに行くと言って出て行ってしまった時は、三人並んで食事を作ってみたり、刺激欲しさに行ったことのない店に行ってみたり。

 そうしてたまたま出た先で教会の鐘の音を聞き、頬を染めて俺の手を握ってくる恋人が可愛くて抱き締めたり、その隣で雪乃が「あ、平塚先生……」とこぼしたあたりで、つい目を向けた綺麗な蒼空の下にある教会、その鳩が飛び立つ世界から、真っ黒な混沌の塊がズドドドドと走ってくるのだからたまらない。

 思わずヒィイとか叫びそうになった俺を誰が責められよう。

 え? それからどうしたって? ……結衣を庇った。「お、おのれ妖怪!」とか言ったら腹殴られた。すげぇこの人容赦ねぇ。

 あとはまあ、あれだ。服屋に直行、少しラフな感じの服を買って早速着た先生とともに、ラーメンを食いに行くハメに。

 服を買いに行った間がよかったのか、ラーメン屋にはスムーズに入れた。普段なら行列があって、ウヒャアメンドーイとかなりそうなものだが……まあ、べつに嫌いじゃないけどね、行列。

 俺だけならいいけど、結衣や雪乃を待たせるのが嫌なだけだ。

 

  ラーメンは美味かった。

 

 やっぱりとんこつならストレートで細麺だなと語る女性ってどうなのだろう。モテるの? モテてたらこんなところでラーメンすすってないか? ……だな。

 粉落としってどうなんだろうな。噛んでる最中にモッチャモッチャならない? いや、ハリガネもあんま変わらんかもだけどさ。

 そんな調子で好き嫌いも語ったりした。平塚先生、トマト嫌いだってよ。

 あとはキュウリ談義とか。

 漬物は美味いのに、なんでかそれ以外だと無駄に自己主張するくせに栄養価はない。ほぼ水である。なんなのあれ。

 ああでもキンキンに冷えた水に入れておいて、カリョッと食らうあの新鮮な味は好きだな。おう、単体ならいいんだよ、ほんと。

 ポテサラとかサンドイッチにしゃしゃり出るあの図々しさはダメだ。

 

「あー……そういうのわかるかも。あたしもチャーハンに入ってるグリーンピースとか嫌いだし。あ、や、グリーンピース自体はいいんだけどさ、チャーハンに入ってるとさ、ほら……」

「わかる。わかるぞー由比ヶ浜。別に嫌いじゃないのに、好物の中に入ってるだけで味を邪魔するのとかあるよなぁキュウリとかキュウリとか」

「平塚先生、どれだけキュウリが嫌いなんですか……」

「いや、お前だってマカロニサラダに干しぶどう入ると渋い顔するだろ」

「マカロニサラダはあれで完成しているのに、みかんと干しぶどうを入れる意味が見いだせないのよ……」

「ふむ。パン屋でもやたらと干しぶどうを推す場所があったな……」

「先生やめて。それ以上、いけない」

「マカロニサラダは意見が分かれるよねー。うちのママはみかんとリンゴ入れてたし」

「お前はやたらと桃入れたがったけどな……」

「姉さんはやたらと鳥のささみを入れたがったわね……」

「小町は魚肉ソーセージだったな」

 

 食事も談義も終えると、どうせなら、と平塚先生を連れて遊び回った。

 最初は戸惑っていた先生だったが、雪乃が「ここは学校ではありませんよ」と言うとあっさり吹っ切れた。

 いや、パワフルね、この人。

 散々振り回された。まあ、こちらも体力には自信があるから、最後まで付き合ったが。

 そうした一日が過ぎてからは、またバイトしたり遊んだり、部屋でごろごろしたり。

 寝転がって小説を読んでいる俺の腹に雪乃が組んだ両足をぽすんと乗せてきて、結衣は結衣で俺の腕枕ですいよすいよと眠っている。

 人の腹の上に足のっけるとか、なにお前プッチ神父なの? ……あれは違うか。

 

「……。怒らないのね」

「どこまで自分が許されるのか、試したい気持ちはわかるしな。俺自身も、はしたないとか言って怒るような自分が想像できない」

「そう? ゆーちゃん相手ならしそうだけれど」

「やかまし。いーから足はやめとけ。結衣が怒るぞ」

「そうね。頭にしておくわ」

 

 寝転がったままで体を回転させて、ぽすんと頭を置いてくる。

 

「……はーくん、呼吸をしないでちょうだい。頭が揺れるわ」

「それは怒る」

「《ぺしっ》いたっ。……ふふっ、ええ、ふふふ……ツッコミをされてしまったわね、ふふふ」

 

 雪乃もたまに、構ってオーラ全開でぐいぐい来る時がある。

 その時は決まって、いつもより悪戯のケが多いのだが……叱ったり怒ったり注意したり軽く叩いたりすると、こうして嬉しそうにくすくす笑うのだ。

 気まぐれっていうかなんていうか。ほんと猫である。

 

「……お。今年の夏まつり、そろそろだったか」

「そうね。今年はどうするのかしら」

「人込みは苦手だし、屋台で食いたいもん食ったら遠くから見る、くらいでいいだろ。隼人……ってよりは葉山の家が場所取ってるかもだけど、それに任せるのもな」

「それを言うなら雪ノ下もね。まあそのあたりはきっと姉さん側へ行くわね」

 

 もしくは母親様がなんとかするか、か。

 どちらにしろ遭遇しないほうがよさそうだ。特に陽乃さん。捕まったら単独行動とか封殺されそう。主に道連れって方向で。

 

「………」

「よく寝ているわね。そんなに気持ちのいいものなのかしら、腕枕、というのは」

「お揃いの枕買わせておいて、人の腕を枕にするとかないわー……」

「けれど、可愛いから許す、でしょう?」

「恥ずかしいのでやめてください死んでしまいます」

 

 ふざけながら、雪乃が結衣とは反対側へと移動する。

 そして、仰向けで小説を持ちながら読んでいる俺の二の腕へ、結衣のように頭を置こうとして……ってちょっと待ちなさいっ、それやられると小説伸びきっちゃうでしょ! ゴムとかじゃないんだぞこれ! ゴムゴムの小説とか無理だから!

 そんな訴えも虚しく、雪乃は俺の右腕に治まった。

 

「……べつにこんなの、いつもの寝方で枕を使ってるかいないかの違いだろ? ほれ、わかったら退いて───」

「……すぅ…………すぅ……」

「………」

「……くぅ……すぅ……」

「………」

「…………すぅ……」

「…………マジか」

 

 寝てた。

 はい、腕の麻痺は確定なようです。

 仕方ないので俺も寝ることにした。

 まあどうせ腕が痺れてすぐに起きることになるんだろうが。

 

 ……三人とも翌日までぐっすりだった。マジか。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 夏祭り。

 今年も三人で繰り出した。小町は陽乃さんと行動なので、傍には居ない。

 焼きそば食ったりリンゴ飴食ったりかき氷で舌を変色させたり射的やったり水風船釣りしたり金魚すくいをやってみたり、それはもう堪能した。

 射的ではのび太くんばりの射撃術を披露して、結衣と雪乃にそれぞれ犬と猫のぬいぐるみをプレゼントして、顔で笑って内心で安堵しまくった。取れてよかった……! 神様ありがとう心臓潰れるかと思った……! 恋人や幼馴染の期待に応えるのってマジ大変な……!

 

「ワタアメってなんでか毎年食べたくなるよね。味、ただの砂糖なのに」

「情緒のじょの字も元も子もないわね」

「おまけに風情もねぇよ」

「えぇっ!? あたしへんなこと言った!?」

 

 祭りに来てるのに、その場の出し物に文句言ってたら始まらないって話だ。

 まあそんな情緒は人の気分次第でどうとでもなる。なるが、まあ、風情はねぇよな。

 しかしあれね。

 結衣はこういう祭りにくると、いっつも顔が綻ぶ。

 で、左手薬指の指輪を撫でると、えへー、と笑うのだ。

 

「けどまあ……」

「? どったのはーくん」

「今さら猫を返せと言われても返さないわよ?《キッ!》」

「言わねぇから睨むなよ……ただその、まあ、あれな。あー……その、なに? …………浴衣も、纏めた髪も、似合ってる。きっ…………綺麗だ」

「あ…………もー、はーく~ん……♪」

「ようやく言ったわね。家を出てからここまで、ずうっとそわそわしていて、いつ言うつもりなのかと待ってみれば……まったく、仕方のない幼馴染ね」

「いや、俺だって言わなくても伝わる、なんて思っちゃいないぞ? これでもどう言えば伝わりやすいかとか考えてたんだ。回りくどいのは却下したし、じゃあつまりあとは俺の心の準備と勇気の問題だって。……てか、結衣の浴衣ってころころ変わってるイメージあるよな」

「ぁぅ…………! あ、の……えと…………! 胸が……さ? あぅうう……!《かぁああ……!!》」

「あ、や、その………………すまん」

「……そう。へえ、そう。まあ、いいのではないかしら。私は姉さんによく似合うと何度も言われているわけだし。身長に合わせる以外に買い替えることもないのだから、ええ、それは悪くないことよね」

「お前の場合、陽乃さんがあれだし、まだこれからなんじゃねぇの?」

「適度な大きさがあればそれでいいというのに……なにが足りないのかしら」

「俺に訊くな」

 

 72がどうしてこうなった、とは言わない。

 気にしてはいるくせに、男の俺にも堂々と話して聞かせるあたり、本当に俺のことは幼馴染としてしか意識してないことがわかる。今さら確認するまでもねぇんだけど。

 

「あっれー? 由比ヶ浜さんじゃーん!?」

 

 と、そんな時。

 人ごみに紛れて、どっかで見たような顔を発見。

 なんつったっけ。さ、さー……サンサーラナーガさん? あ、いや違う、サガット=サウスさんだ! タイガーアッパーカットとか出来そうだなおい。そしてどう見ても日本人です。

 じゃあ、ええと……相楽? 左之助か! だから違う。

 さが、までは覚えてるんだ。さが、さが……魔界塔士Saga? 関係ねぇよ。

 さが……み? ああ、さがみだ相模! 相撲って読み間違えて一度雪乃に笑われたことがあったな、そういえば。サガミとスモウはよく似ている。気を付けよう。

 

「…………誰?」

「ひっど!?」

 

 そして結衣には顔すら覚えられていなかった。アワレ!

 

「相模! 相模南! クラスメイトの名前と顔くらい覚えてらんないの!? ……あぁ~、無理かぁ。由比ヶ浜さんっていっつも比企谷くんといちゃいちゃしてるもんねぇ~?」

「まあな。羨ましいかこの野郎」

「このやっ……!? ちょっ……あたし、比企谷くんに嫌われるようなこと、したっけ……?」

「ハナっから喧嘩腰で相手ナメてる言い方で近づいてきて、嫌われないとでも思ってんのかお前。名前も顔も覚えてなかったのは覚える必要もないほど関わり合いがなかったからで、いちゃいちゃしようがお前にゃ関係がないだろ。ほれ、なんか言われる筋合いとかあるか?」

「っ……! ちょ」

「まあ言葉での攻撃は、言われた分は返したか。んじゃこれはお詫びだ。名前、憶えてやれてなくて悪い」

「へっ!? あ……え」

 

 散々言って、怒鳴りそうになったところで持ちきれない食べ物をどさりと渡してやる。

 どうせ隣に居る二人と一緒に回ってたんだろうし、タダで食えるならスペシャルサンクスだろう。

 余計なところで敵を作る理由はないし、これでチャラに出来れば十分だ。

 

「悪かった。俺達は俺達で自由にやるから、そっちも楽しんでくれ。じゃあな」

「え、あ、ちょっ───」

 

 言うだけ言って、空いた手で結衣の背中を押した。

 その後ろを雪乃がてくてくとついてきて、わたあめ……とぽしょりと呟いた。買ってあげるから我慢なさい。

 

「うー……」

「納得出来ないことなんていろいろあるだろうけど、こういうのは仕切ったもん勝ちなんだよ、結衣。ほれ、また買うから食いたいもん片っ端から行こう」

「りんご飴」

「ブレねぇなおい」

 

 このあとめちゃくちゃりんご飴食った。

 

……。

 

 夏休みも終わり。

 学校が始まると、日々はまた少し忙しくなる。

 やり残したことはそうなかったから、心残りもなく素直に学業復帰は為され、そこから数日で文実に向けた準備が始まる。

 なにを張り切ったのか文実長には相模が立候補し、成長したいとか言い出した。

 おお、成長ね。まずその人を見下した態度を改めるところから始めてみようか。

 え? 無理? お前それ嫌な方向にしか成長できねぇよ。

 

「で?」

「え……で、って」

「いや、成長目指しておいてなんで人に物事頼んでんのって」

「だっ……だってここ、生徒のお願いとか聞いてくれるんでしょ!?」

「奉仕部はなんでも屋じゃねぇよ。平塚先生に部活内容聞いて、それでも同じこと言えるならもう一度来い」

「~~~……!!」

 

 顔を真っ赤にしたサガット=サンは部室を出ていき、二度と奉仕部の引き戸を叩くことはなかった。

 

「いよいよここも、ただの便利屋と思われてきているわね」

「平塚先生が相談事とくればこっちに回すからだよ……」

「あーでもどうしよっか。文実、うちのクラスからあと一人出さなきゃだよね?」

「戸部あたりが張り切ってたし、なんとかなるんじゃないか?」

「う、うーん……戸部くんと相模さんかぁ……だいじょぶかなぁ」

「成長したいって言ってんだから、任せりゃいいだろ。俺達は俺達に出来ることを、だ」

「ん、そだね。じゃあゆきのんっ、舞台がんばろー!」

「……はぁ。どうしてこうなってしまったのかしら」

 

 俺、結衣、雪乃は舞台演劇を任された。といっても、あくまで隼人と戸塚くんのホモォな舞台を彩る脇役としてだが。

 戸塚くん、部活を頑張ってるようで、今じゃ部長としての貫禄っぽいのも出てきているっぽい。

 その立ち向かう眼差しにトゥンクしちゃった女子や、一部男子も少なくないとか。おいちょっと男子、なにやってんの。

 




 /アテにならない次回予告



     「ロー………………ーーンス……!!」



  『まるで成長していない……』



              「なんか悲しくなるからやめろ」



     「剣豪将軍材木座義輝が! この一戦にて覇権を問う!!」



『ムッハァもうたまりません! 望んでいたH×Hが! 今まさに目の前で!』



    「……もう、いいかしら。腕を貸してちょうだい」



       もしもを語ったところで、現在はきっと変わらない。



次回、夢と現実の僕らの距離/第十二話:『猫の声が聞こえない』

 それは誰の夢だったんだろうな、と。

 最後に、少年は思ったそうな。

 ◆pixivキャプション劇場
 ラム酒はおあずけ~♪【ヤイサホー!!】

 ひぐらしのなく頃に解の一挙放送を見ながらした編集。
 さてさて、あと数話でこの物語も終わりになります。

 皆様は覚えておいでですか? このお話は、一話目のキャプションで言った通り奇妙なお話です。奇妙というか、不思議寄りなお話。
 腕がぴょんとなーるー、ではなくて、団地の猫が鳴き続ける楽しく賑やかなお話も、恐らく次でおしまい。
 長い長い夢のあとに、彼はどんな現実を歩くのやら。
 これはそんなお話です。

 凍傷の書く“猫”のお話はご存知? 結構。
 知っていてもいなくても難しく考えず、そういうものだって軽く見て、楽しめるところだけを楽しむ気楽さでGOですよ。
 謎解きとかそんな難しいことは考える必要はござんせん。気楽に気楽に。
 ていうか謎とか謎解き苦手ですし。
 むしろここはこれこれこういうことなんじゃー! って暴露するのが大好きです。

 さぁて今週のザサエさんはー?

  ついにセプテントリオンに突入し(略)

 式神の城、結構好きでした。
 でもギガウィング2も大好きでした。
 リフレクトレーザーがリフレクト姉さんに聞こえるところとか特に。


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猫の声が聞こえない

【*注:「結衣が言った“ゆきのんの不知池(しのばずいけ)!”についてなにがあったかは書かないの?」とツッコミがありましたが、たまに後書きでショート劇場があるので、閲覧設定で後書き表示をONにするとわかるかもです】

 

 

 文化祭の準備が本格的に始まった。

 相模は相当つっかえながらなんとか委員長を務めているらしいが、そのほぼが城廻先輩の助けあってのものらしい。

 だが、つっかえようが下は動く。

 良い文化祭を作ってくださいましね、とばかりに書割を作ったり、看板を作ったり暗幕を回収するために駆けたりと、なんともまあ文化祭の準備らしい日々が続いた。

 途中、よだれ垂らした海老名さんに真剣にホモォなお願いされたこともあったが、全力で拒否した。

 ていうか登場人物のほぼが男性で、その男キャラのほぼがホモとかってなんなのちょっと。

 来場してくれた子供とかに“ウホッ”なドラマを見せて、混乱させたいのか。

 関係ないが衣装係は川崎が請け負ったそうだ。

 

……。

 

 委員会で相模が城廻先輩に権限やらなにやら丸投げしようとした、という噂が流れ始めた。何事?

 平塚先生に説得されて、戻ったらしいのだが……うーむ。

 先生いわく、そもそも相模自身にやる気がないらしい。成長云々はその場の見栄や格好つけだったのだろう。

 わかってはいたが、他人の口から聞くとキッツイなこれ。

 未来への“こうなりたい”を知り合いの前で言ってしまうのは、早まった自爆と言えるだろう。本人にそれを叶えるだけの実力があれば話は別だが、多くの場合はそうじゃない。

 そもそも最初から奉仕部に寄りかかる気満々だったわけだし、そりゃあ無理ってもんだろう。

 ここでやめればいろんな人に迷惑がかかるし、口にした成長は歩を進めるどころか後退にしかならず、自分を苦しめる結果にしかならない。

 そういった説得で促したらしいんだが、こういう状況になってしまえば、そういう人の心なんてヤケクソ以外になにも浮かばないわけだ。なにを質問されても“じゃあそれで”としか言わなくなる。つつかれても同じ挙動しかしない起き上がり小法師状態だ。

 平塚先生には手伝うことは出来ないかと言われたが、今さら手伝ったって、それこそ“どうして今さら!”とか逆切れするだけだ。先生もそれがわかっていたのか、溜め息を吐くばかり。

 

  そんな相模だったんだが。

 

 ある日、隼人が様子を見に行って声をかけたら、なんかめっちゃやる気になったとか。

 やだ、超単純。

 仕方ないので平塚先生と城廻先輩から願われて、しばらく隼人が副委員長ポジを担うことになり……

 

「あの、先生? あえて、あえて一言言っていいっすか?」

「奇遇だな。私も言いたいことがあった」

「………《ふぅ……》」

「………《はぁ……》」

『まるで成長していない……』

 

 相模は相模だった。

 

……。

 

 やがて文化祭は始まり、俺達は実に充実した文化の祭りを堪能することが出来た。

 自分のクラスの出し物ではなく、他クラスの出し物に突撃する楽しみ。

 ここでもリンゴ飴を食べる結衣。どれだけ好きなのか。

 

「……八幡よ。相模といったか? 彼奴のこと、監視しておいた方がよいぞ。ああいった手合いは土壇場で逃げ出し、“可哀相なワタシを見つけて~”的な行動に出るものだ」

「財津くん……いつから人のこと名前で呼ぶようになった」

「もう何度も小説を読んでもらっているであろう!? ほ、ほら、ちょっと前は一次選考通ったって連絡もメールで送ったではないか! ……二次であっさり落ちたが。そんな我の厄介事を判別する目が疼いているのだ……! やつはしでかす! 監視を怠るでないぞ八幡よ!」

 

 メール。思った以上に奉仕部への依頼や相談事が多かったため、平塚先生が用意してくれたノーパソとメールを使ったものだ。

 そういえば最近は見てなかった。こんなんじゃいかん。

 

「そっか。じゃあちと知り合いにメールでも飛ばしておこう」

「え? スマホで? あの、我ともメール……」

「小説ご意見用に、ノーパソのアドレス教えてあるだろ」

「あれいっつも見られずにソッ閉じされてるとイケメンに教えられたことがあるのだが!?」

 

 ぬう隼人め、裏切りおったか……!

 まあ冗談だが。千葉県横断お悩み相談メールはいつでも誰かの相談をお待ちしております。読むかどうかは別として。

 しつこく訊いてくる財津くんを躱し、文化祭を回り、そんな調子で一日は過ぎ……二日目。

 順調に進んでいる筈の文化祭であったが、財津くんの言った通り最後の最後で相模が逃走。監視していた平塚先生の手でお縄につき、舞台上できちんと挨拶を済ませ、生徒から「少し失敗あったけどよく頑張ったー!」とか「楽しかったよー!」とか声援を送られ、逆に罪悪感に襲われて泣いてしまった。失敗続きでも逃げなければ、まだ胸を張れたろうに、とは平塚先生の言葉だ。

 そうして文化祭は終わりを告げ、少しもしない内に体育祭への準備が始まった。

 ……速ぇえよ。

 

「三浦さんから相模さんがウザいって相談メールが来てる……」

「まあ、あの落ち込みようはな。もういっそトラウマ克服として相模に任せていいんじゃないか?」

「心が折れないかしら。いえ、もう折れているのかもしれないわね」

「あ、平塚先生からも来てる。えーとなになに? ……生徒の一部から奉仕部へ苦情がきてる? 委員会に助けを求められても手伝わなかった、って……な、なにこれ!」

「あー……まあ、やるヤツ出てくるとは思ったけどな」

「ええ。きっと出てくると思っていたわ。でははーくん」

「おう雪乃」

『証明すればいいわけね』

 

 意見の一致をここに。

 とりあえずアレな、体育祭だろうがなんだろうが成功させてみせれば文句はないだろう。

 成功させた上で、成長したいと挙手したのはあいつだと堂々と言ってやろう。なんなら成長したいと言った翌日に奉仕部を頼る程度の成長率だったことも公言……は、性質が悪いな。

 まああれな。成功させるだけでいいだろ。関わること自体めんどいし、たぶんその対策も適当に考えてあるんだろうし。

 

……。

 

 そんなわけで体育祭実行委員立候補。

 どんな競技で盛り上がらせるかで意見が割れたが、体育祭ってのはようするに体を張った競い合いだ。最初から競い合うくらいが丁度いいだろう。

 使える人は先輩でも容赦なく手伝ってもらい、案を固めていった。

 

  案が固まれば準備開始。

 

 準備にかこつけていちいち結衣や雪乃に言い寄ってくる、サボり男子とか現場班とかとてもウザいです。ガーディアンとして立ってくれた平塚先生が「暇そうだなぁ」とコキャペキャ拳を鳴らしてくれると、すぐに作業に戻ってくれるだけマシなのかもだが。

 

「改めて、お前らモテるな」

「嬉しくない」

「嬉しくないわね」

「つーか結衣、正面にしゃがむな、いろいろ見える」

「ひうっ!? ぁ……~……は、ぁくん、に、なら……いいよ……?」

「ばっ……! お、おれに見えるってこちょはだにゃ!? ほほほ他のやつらにも見えるってことでぃぇっ……! だぁあもう! いーからジャージとか履け!」

「今舌打ちした男子ー。あとで職員室に来るように」

『すんませんっしたぁーーーっ!!』

 

 作業効率がUPした。

 ああもう本当に、金槌とかすっぽぬけそうだったわ。作業頑張りすぎて、金槌すっぽ抜けるところだったわ。

 

「大事な人が恋人だと、あなたも大変ね」

「恋人は普通、大事なものだろ」

「そう? あなたほど大事にしている人は、そう居ないと思うけれど。ねぇ? ゆーちゃん」

「えへへ……」

「最近独占欲とかすげぇんだよ……。他の男子が近づくだけでイラってくるっつーか」

「………《きゅんっ》」

「いやおい、なんでそこで目ぇ潤ませて頬染めるんだよ」

「はーくん。女の子というものはね、時には独占されたくなるものなのよ」

「まじか」

「あら。アイドルなんてまさしくその集まりでしょう? “自分こそが”を思う人が集まるからこそ競うようにお金を投資する。純粋に応援だけをする人は、果たして何人いるのかしら」

「なんか悲しくなるからやめろ」

 

 作業は続く。

 作業効率にかこつけて結衣のメアドを聞きに来る男子を捌きながら、作業は続く。

 といってもそれらを捌いているのは平塚先生であり、メアドの交換は生徒会役員が役員専用アドレスで担っている。

 え? 雪乃? メアド訊かれても「嫌よ」としか言わない。取り着く島も摺り合う袖もねぇよ。つまり多生の縁なぞないわけだ。よかった。

 

……。

 

 問題なく体育祭は始まった。

 種目に関しては財津くんと海老名さんの案が採用され、なかなか盛り上がっている。

 

「もははははは! 剣豪将軍材木座義輝が! この一戦にて覇権を問う!!」

 

 昨年、人気が残念だったコスプレースも考慮に含め、女子はどこぞの騎士王のコスプレで騎馬戦。男子はヒューハドソン校のラグビーなコスプレで、まるで重機関車のごとく敵地へと疾駆する。

 

「蹂躙せよぉおおおおおおっ!!」

『うおぉおおおおおおおおおおおおっ!!』

「AAAALaLaLaLaLaLaieeee!!」

 

 赤組、完全に王の軍勢である。

 進学校の割にノリの良い皆様が揃いも揃って気迫MAX、絶対の自信と気迫を以て敵地へと突撃した。

 

「突撃なんて無茶苦茶だ! 守りはどうするつもりだ!」

「笑止! 王たる道に後退の二文字はない!! 後退とは逃げの型! 我が覇道にあるのはただ制圧前進のみよ!!」

「くっ……誰か一人でも抜けるんだ! 抜ければ俺達の勝ちだ!」

「抜けられる前に勝負をつける───!」

「! 八幡! 君もか!」

「悪いが押さえ付けさせてもらうぜ隼人っ!」

 

 雪崩のようにただ突撃する赤の中、司令塔を見つけた俺は隼人にタックルをかます。

 離れた位置で鼻血を噴き出たようだが気にしない。きっと腐ってる。

 

「っ……サッカー部ほどじゃないにしろ、奉仕部の君がこんなに……!」

「走り込みはしてるからな……! 足腰には自信があるさ……!」

『ムッハァもうたまりません! 望んでいたH×Hが! 今まさに目の前で!』

「隼人早く負けてくれ!」

「馬鹿を言うな! 君こそ負けろ!」

 

 まるでライバル同士の戦いのような緊張感が、腐ったお方のお蔭で台無しであった。

 マイク握ってそんなこと実況してんじゃねぇですよ海老名さん。

 

「そぉれ押し込めうぬらぁ!!」

『おぉおおおおおおおっ!!』

「どわぁ無理だ無理無理! 前衛戻さないと耐えられなっ───お、ぅおわぁああっ!!」

 

 一人が押し込まれ、転倒。

 そうなれば崩れるのは早く、白組は雪崩に飲まれるように崩れて行った。

 ……が、崩れた場所が悪かった。相手が一気に倒れたため、棒までの距離に足の踏み場もないのだ。まさか白組を踏みつけていくわけにもいかず───

 

「よぉおし獲ったぁああーーーーっ!!」

 

 白組が赤組の棒に力強いタックルをぶちかまし───あっさりと、……赤組の勝利で終わった。

 

『男子種目、棒倒し! 勝者、赤組ぃーーーっ!!』

『なっ……なんだってぇーーーっ!?』

 

 ほんの僅かな差だった。

 先に倒れた端から駆けていた一人が、遠回りとはいえ棒にタックルをかまし、倒すだけでなく自分の体重も乗っけて最後まで倒し尽くしてくれたおかげで、白より早く倒れてくれた。

 

「はぽっ!? お…………うおぉおおーーーっ!!

『オォオオオオオオオオッ!!』

『イスカンダル! イスカンダル! イスカンダル! イスカンダル!!』

 

 完全にノリが王の軍勢であった。

 

……。

 

 その。なに? 棒倒しで勝ててもさ、騎馬戦……もとい、チバセンで負けてりゃ意味ないよね。

 これで雪乃が柔術マスターとかだったら千切っては投げとか出来たんだろうけど、生憎とこいつが習い事をしていたのは小さい頃だけだ。

 今は基礎体力があって頭が切れるくらいの、元お嬢様ってだけである。

 結衣とともにその余りある体力を用いて果敢に突っ込んだんだが、惜しいところで三浦に負けた。

 女王強いよ女王。

 

「ごめんねはーくん、頑張ってくれたのに」

「気にすんな。むしろ例年より盛り上がったって喜んでたじゃねぇか。三年なんて全員笑い合ってたぞ」

「そうだけど……」

「負けた理由の全部がチバセンに向かうわけじゃねぇよ。ましてや結衣の所為ってわけじゃあ断じてねぇ。だから、気にすんな」

「……ん。ありがと、はーくん」

「おう」

 

 体育祭は大変白熱し、大好評で終わった。

 気づけば奉仕部への悪口めいた評価も消えていて、どうやら誰かが動いてくれたらしく……人の噂もなんとやら。きっとぽやぽやしてめぐめぐしてそうな人が地道に動いてくれたんだろう。そもそもの信用がなければ、言葉を重ねても届かないものは届かない。それを喜んでおこう。

 

……。

 

 修学旅行ってわくわくするよな。

 高校では京都に行くらしい。今から楽しみである。眠れるかが一番の困ったちゃんな問題だ。

 雪乃とか隠すこともせずめっちゃわくわくしてて、名所巡り用にパンフや雑誌を集めたりしてた。

 旅行を潰すような依頼人もこなかったし、心をぴょんぴょんさせたまま、旅行は始まったのでした。

 

  そして帰還。

 

 これといったことはなかった。あったにはあったけど、恥ずかしいっつーか。

 京都は美しかったでいいだろ。

 特に灯籠が並んだ竹林の道はヤバかった。

 腕を絡めて歩いていた結衣が、ふとなにを思ったのか離れて、タトトッと数歩先まで小走りすると立ち止まり、笹の葉の間からこぼれる光を浴びながら深呼吸して……振り向いた。

 潤んだ瞳で、期待を込めた……なにかに憧れるような目で、真っ直ぐに俺を見て。

 答えを知っていたわけじゃない。

 目を見たから全てを察した、なんてことはなくて、でも───どうしてだろうか、きっと待っていると感じたのだ。

 そんな衝動に動かされるまま、抗いもせず……口にしていた。

 

「子供の頃から今まで、ずっとあなたのことを好きでいます。これからも、俺と一緒にいてください」

 

 結衣は、どうしてわかったの? とでも言いたげな驚いた顔のあと、潤ませた目からぽろぽろと涙をこぼし、それでも笑顔で「喜んで」と言ってくれた。

 短いを距離を走り、飛びついてきた体を受け止めても、嗚咽は止まらない。

 なにが彼女の琴線に触れたのかもわからないが……彼女が嬉しくて泣いていることくらいはわかったから。

 だからきっと。

 するなら今だ、と。

 

「……結衣」

「え……あ───!」

 

 顔を近づけた。それだけでわかってくれたのか、せっかく治まっていた涙を再びぽろぽろこぼし、けれど拒まず、俺達は初めて同士を相手の唇に捧げた。

 長く長く、初めてを大切にするように。

 やがて離れ、呼吸を乱し、互いの存在を強く抱き締め合っていると、結衣がぽしょぽしょと話しだした。

 

「“こんなところで、好きな人に告白されてみたい”、って……思ってたの……っ……~~……はーくん……!」

 

 そんな彼女に気づけてよかったと。いつもの軽口で台無しにしなくてよかったと、心から思った。

 

「結衣……初めて会った日に、ハッピーバースデーって歌ってくれたよな……。あの時から、ずっとお前に惹かれてた。……ありがとう。俺、お前には救われてばっかだった」

「はーくん……うん。あたしはさ、あたしの歌なんかで、泣きながらありがとうって言ってくれたのが嬉しくて……喜んでもらいたいなって思うようになって、それから、ずっと……」

「結衣……」

「はーくん……~……!」

 

 気持ちが抑えきれなくなって、もう一度強く強く抱き締めた。大切にしたいって気持ちと大好きって気持ちが溢れ出し過ぎて、いっそ苦しいくらい。

 壊したいわけじゃないから、傷つけないように、それでも籠ってしまう力がぎゅうっと彼女を抱き締めた。

 今はそんな力強さが嬉しのか、きゅう、と喉を鳴らした結衣は、きつく抱き締めれば抱き締めるほど、俺の首や頬をぺろぺろと慈しむように舐めてきた。

 ……何も言わず、空気読んで黙っててくれる幼馴染に、あんがとさん。

 黙っててくれるのはいいけど、その“ようやくなのね、まったく”っていう顔、やめてください。

 

 そういうこともあって、昼の内に訪れた竹林道で、より近づくことが出来た俺と結衣だったが、気恥ずかしさを味わいながらようやく離れた俺達に、「そういえばここ、夜はとてもいい景色になるそうよ?」なんて言い出す雪乃。

 俺と結衣は顔を見合わせて、照れ笑いしながら……またここに来ることにして、その時間までを恋人らしく過ごした。

 いつもより近い距離に、自分ってものをコントロールしきれずにポカをやらかし、けど顔を見合わせては笑った。ようするに幸せなのだ。目が合うだけで顔が緩む。

 雪乃はそんな俺達を見て、幸せそうに笑っている。

 「親しい人、大切な人が幸せそうなのだから、自分も嬉しいに決まっているでしょう?」と胸を張って言われた。

 時間を潰したあとは竹林に戻って、灯籠が灯った、木漏れ日が差す道とは違った景色に心奪われ、今度は俺から動き、肩を抱いて……足元からぼんやりと照らされる彼女にこそ心を奪われ、気づけば告白し、涙を浮かべた彼女に想いを受け止めてもらった。

 

「………」

 

 これらが修学旅行中に起こった主な出来事ではあるんだが……細かくいえば、平塚先生のおごりで結衣と雪乃と一緒にラーメン屋に行ったり、お土産コーナーで小町用のものを用意したり、あとは食べ歩きをしまくったことくらい……か? いや、雪乃の案内で名所を回ったか。基本すぎて忘れてた。

 

「………」

 

 思いふけるのをやめると、小さく息を吐く。

 既に三人とも風呂に入り、あとは寝るだけ、といったところ。

 いつも通り俺の部屋の俺のベッドの上で寝転がり、お揃いの枕を並べて寝る……はずなのだが、なんでか二人とも俺の腕を掴むと、テキパキとすごい漢だのポーズを取らせ、その二の腕にぽすんと自分の頭を乗せた。

 ……おおあなたひどい人、私に枕になれといいますか。

 

「ちょっ……待て待て待て、修学旅行の時は頑張っただろ……つーか今日は隣に居るんだから、べつに腕枕とか関係ないだろ……!」

「あるわよ。安眠度がまるで違うのだもの」

「いや……それ俺には関係が」

「すぅ……すぅ……」

「……なんでこいつはいつもこんな早く眠れるかな……」

「安心できるからでしょう? 無防備でも構わないと思えると、人って案外脱力出来るものなのよ」

 

 そりゃ羨ましい。俺もそんな聖域が欲し───……あるな、とっくに。

 

「……な、雪乃。いつまでこんなこと出来るのかって……思わないか?」

「いつまででも出来るでしょう? その気になれば」

「その気になればな。けど、お前に好きな相手とかが出来たらそうも言ってられないだろ」

「はーくん? それはその時に考えるべきことよ。今考えたって答えなんて出るわけがないわ」

「まあ、そりゃそうだ」

「それよりも……くぁ…………んんぅ……もう、いいかしら。腕を貸してちょうだい」

「枕の意味ねぇな、ほんと……」

 

 言ってるうちに、すぅすぅと聞こえる寝息。

 人の腕を枕にすると、そんなに眠りやすいもんかね。

 やってみたくてもしてくれる人がそもそも居ないか。

 ……今度結衣に頼んでみるか? いやいや、結衣の腕が痺れるのとか勘弁だ。

 

「………」

 

 腕を枕に、穏やかな顔で眠る、恋人であり幼馴染であり婚約者を見つめる。

 腕を曲げて、指先でさらさらと頭を撫でるが、さすがに体勢が悪い。抱きしめたいのに両腕が塞がってて無理だ。

 仕方ないので、顔を近づけて、その耳元でささやく。

 

「……結衣。好きだ」

 

 ぽしょりと。

 すると、ふるるっ……と体を震わせた彼女が、俺の寝間着をぎうーと握ってきて、胸にぐりぐりと頭をこすり付けてくる。

 やだ可愛い、俺の恋人超可愛い。

 

(……いつまでも、か)

 

 いつまでもとは思えても、状況がどんどんとそれを難しくさせていくのだろう。

 結衣と結婚して、たとえば子供が出来て、雪乃お姉ちゃんはどんな関係なのー、とか訊かれたら、専業主婦よ、とでも応えるのだろうか。……半端なウソよりよっぽど言いそうだなおい。

 溜め息ひとつ、もう片方の手で雪乃の頭も撫でてみる。

 するとこちらはフンッとばかりに、不機嫌そうな顔で手から逃れる。そのくせ片手は服を掴んだままで、もう片方では爪研ぎの真似なのか、ざしーざしーと俺の肋骨部分をひっかいてくる。爪じゃないのが救いだ。肋骨いたい。

 

(寝るか)

 

 こうして俺の学園生活は、程よい波とともに流れていくわけだが……これから出会う人も出会ってきた人も、出会い方一つでどんだけ変わったんだろうかを考えると、案外面白いものだった。

 子供の頃にああいった出会いがなかったなら、俺はきっと……

 

「……やめよ」

 

 目を閉じる前、いつものように砂時計を目にしてから呼吸を整えた。

 すぐにすとんと夢の中へ意識が落ちる。

 

  もしもを語ったところで、現在はきっと変わらない。

 

 もしもはとても眩しいが、それが悩みや現実を助けてくれることはひどく少ない。

 絶望だけはしたくないから、せめてそんなもしもから、自分が救われるもしもを探す。

 大体が失敗で終わって、勘違いで終わって、仲が良かったと勝手に勘違いしていた相手に馬鹿にされ、終わるのだろう。

 子供の頃にそういう経験をすると、期待するのをやめるか、それでも期待するかに分かれるんだと思う。

 俺は早くからやさしい人に出会えたからよかったが、そうでなかったらを考えると今でも怖い。

 

  そんなことを考えたからだろうか。

 

 俺が見た夢の中の俺はひどく捻くれていて、何度も結衣を悲しませたり泣かせたりした。

 そりゃしょうがない、と思いながらも呆れる姿や、この馬鹿野郎と怒鳴ってしまいそうになるほどの行動を前に、本気で自殺でもして行動の全てを止めてくれようかとか考えてしまった。自分なのに。

 

(………)

 

 目が覚めたら結衣にやさしくしよう。

 厳しくしたつもりなんてないけど、やさしくしよう。

 夢の中の自分が、面倒だからとか人間関係がアレだからとか言ったり思ったりしてやらなかったことを、出来るだけやっていこう。

 夢の中のこの娘の頑張りが、少しでも同じ人の笑顔に繋がるように。

 夢の中の俺は随分と面倒な性格なのに、それでも離れない理由を考えれば、がんばれ、としか言えない。

 好きでいてくれてありがとう。

 傍から、というか同じ視点で見ていても、“なにやってるんだ”って怒鳴りたくなるくらいに情けない男だけど。好きになってくれてありがとう。

 心からそう想い、やがて、より深い夢の中へと埋没してゆく。

 いろいろな想いに触れられる夢だった。

 “擦れ違って仲直りして”なんて、実に青春ってものだろう。

 

  強いな、って思った。

 

 でも、そんな強さも俺が軽く言えるような気持ちから出される強さじゃない。

 やさしさだって、人の辛さを知っているからこそ出せるもの。

 アホと一言で切って捨てるのは楽で。けど……それじゃあこの結衣のなにもかもをわかってやれやしない。

 だから強い。

 そうすることで向けられる辛さも身を切るような思いを知ってもなお、“わからない”で捨てて背を向けるんじゃなく、知ろうと手を伸ばす強さがある。

 だからか、自分を敵にして、他の多数に手を繋がせるやり方しか出来ない、そんな夢の中の自分を、ひどく弱いと感じた。

 自分が出来ないことを出来る、ってのは尊敬に値するものだろう。

 けどこれは───……いや。

 言っても届かないのだろう。

 なにを言っても、夢の中とはいえ自分なのに届かないのだ。

 自分の世界を第一に、自分の理屈を第一に。

 そのくせ、自分の中にあるルールも理屈もろくに守れていない。

 たった一人で問題を解決し、たった一人で多数を敵に回しても余裕に振る舞う。

 並べた理屈だけを見れば格好いいのだろう。

 が、傍に行こうとする人を泣かせてまでやることじゃない。

 そうしていろいろな関係を崩して壊して、結局は多くの人に相談して、言葉をかけられ救われるんじゃ、“誰かに教えてもらわないと自分の世界を見いだせない”でいるのと、きっとなにも変わらないのだ。

 




/次回予告


 物語がありました。

 それはとても楽しげなお話でした。

 小さな縄張りに猫が一匹。

 そこに狼が狐を連れてきて、犬がお話を持ってきます。

 考え方も行動もバラバラな猫と狐と犬は縄張りで過ごし、やってくる動物のお話を聞くのです。

 熊がやってきたりうさぎがやってきたり、隼がやってきたり狼が面倒事に巻き込んできたり。

 狐は家族の狸と一緒に今までになかった経験を積んでいきます。

 元々バラバラな三匹だったから、様々な面で衝突してしまいます。

 けれど三匹だったからこそバランスが保てたことも事実で、いつしか少しずつ理解を深めていきました。

 知っていることが増えると、信頼も生まれてきます。

 そんな芽生え途中の小さなものを、壊してしまう瞬間がありました。



 猫と犬は狐の行動に呆然として、言葉を無くします。

 隼は振り返り、羊は諦めたように笑いました。

 猫が鳴きます。猫と犬は歩き、狐がうそぶく道から外れ、オウムは気持ちを新たに笑います。

 猫が鳴きます。猫は歩き、後悔を抱きながら過去を振り返りました。

 猫が鳴きます。狐は空を見上げ、夢を見せられている狐は、そんな狐を見下ろしました。

 ……猫が鳴きます。

 様々な動物が笑顔や安心を抱き、諦めない心や希望を、時には後悔や意味がわからない胸の痛みを抱く中、犬だけが、涙を流して泣いていました。

 ……猫が鳴きます。

 起きて見る夢も、眠って見る夢も、閉じた目も、開いた目も、もう覚めようとしていました。


  夢を見せるため、鳴き続けていた猫は、もう喉を嗄らしていたのです。





 ◆pixivキャプション劇場

 *部活内アンケート
 男女平等についてどう思われますか?

 *比企谷八幡の答え
 守られることはないだろう言葉だけのもの。ただまあその、あれですよ。平等だと守れないんで、べつになくてもいいんじゃないでしょうか。あ、いえ、べつに先生に自慢したいとかではなくて、むしろ平等だと先生は男側で

 *顧問のコメント
 喧嘩を売っているのですかあなたは。あとで校舎裏に来てください。


 *由比ヶ浜結衣の答え
 恋人同士ならありだと思う、かな。女の子ばっかがいい思いをするとかじゃなくて、えっと、つまり、あたしもはーくんにもっと、なにかしてあげたいなーとか。

 *顧問のコメント
 誰がいつ惚気ろと言いましたか。……あとで校舎裏に行くように。


 *雪ノ下雪乃の答え
 そうね。とりあえず戦場では確実に謳うべき言葉であり、色気で男性を誘惑しようとする女性の顔面には拳を進呈出来るくらい朝飯前であるべきね。当然男性だろうと対応は変えず、お顔自慢のナルシストなら鼻っ柱を折りなさい。どのような状況であっても男だから女だからを理由に対応を変える者が男女平等を語るなど笑止。男女平等パンチ? 素晴らしい名前だと思うわ。そんなに顔が大事なら戦場になど出てこないでちょうだい。戦場で女性を攻撃して「女だぞ」と問われれば、「見れば分かる」と返す以外、どう答えろというのよ。

 *顧問のコメント
 あなたにいったい何が起こったのですか


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永い永い現実の前に

 物語がありました。

 それはとても楽しげなお話です。

 独りぼっちの狐の周りに、少しずつですが動物が集まるお話。

 

 あるところに、やさしさに焦がれていた狐がおりました。

 大きくなる過程、狐は嘘を知り、やがて動物を嫌います。

 それからは狐の傍には狸だけ。

 けれどある日、狼が牙を見せながら狐を脅します。

 狐は仕方なく猫が居る小さな縄張りに身を置き、面倒がやってくるのを待つことになりました。

 

 それをきっかけに、狐の周りには少しずつですが動物が集まります。

 最初は犬がやってきました。

 犬は警戒するでもなく狐と猫に懐き、狼の許可を得て居つくようになりました。

 うさぎがやってきて、熊がやってきて、隼がやってきて。

 次々と動物がやってくる内に、気づけば動物と接することにそれほど嫌悪を抱かなくなっていました。

 

 それからも、狐は様々な動物と出会い、面倒事に巻き込まれます。

 なんだかんだと面倒事は解決出来て、気づけば縄張りに居ることが当たり前になる頃には、猫にも犬にもそれなりに心を許していたのかもしれません。

 こんなのも悪くない。

 そう思い始めた頃、動物たちは全員で旅に出ました。

 計画を立てて、仲間とともに。

 

 犬は羊を想うオウムの恋路を叶えようと張り切ります。

 猫も、直接ではありませんが手伝います。

 狐は手伝いません。

 そういった話で、自分が手伝っても良い結果は生まれないと思っていたからです。

 それでも犬は頑張ります。

 猫は犬らしいと微笑み、多少ですが手伝います。

 狐は眺めるだけです。

 

 ……やがて、旅行が終わります。

 お土産話に盛り上がる動物、お土産そのものを持つ動物、諦められないと張り切るオウムに、それを応援する動物。

 ひとまず安堵する隼に、表情も変えずに日常に戻ってゆく羊。

 狐のやり方では犬が傷つき、狐も救われないと気づいていた猫は、それを嫌いと口にしてその場を去って。

 狐は自分はまちがっていないと鼻を鳴らし。

 犬だけが、賑やかで楽しく、いい思い出になるはずの旅行で泣いていました。

 

 依頼なんて受けなければよかったのでしょうか。

 

  ちがう

 

 受けてしまったから泣くことになってしまったのでしょうか。

 

  オウムの依頼がなくても羊は来たんだ

 

 自業自得と笑いますか?

 

  傍観してりゃあよかったんだ

 

 ざまぁみろと笑いますか?

 

  自分なら出来るなんて自惚れて、出来ていたから止まれなかった

 

 彼女が憧れたシチュエーションを考えたことがありますか?

 

  やめろ

 

 夢の中の彼女は、屋上で幸せそうでしたね

 

  やめろ……

 

 自分のやり方は止められるとわかっていたから、土壇場で提案して、説明もしなかったのですね?

 

  やめろ……!

 

 早くに相談していれば、解決策が浮かんだとは思いませんか?

 

  っ……やめろ!

 

 あなたより頭の回る彼女と、あなたより空気の読める彼女と……なにより彼女たちとともに考えようと思えるあなたが居たのなら、別の結末があったと考えられませんか?

 

  やめろよ……やめてくれ……!

 

 自分一人で解消できれば。俺なら出来る。そんな考えは本当にありませんでしたか?

 

  やめ……っ……!

 

 ……ああ、本当に独り善がりだ。今も、自分が逃げることしか考えてない。

 

  ───、……

 

 自分が“あまり言いたくなかった”なんて理由で言葉にすることを躊躇して、“まあ、あなたに任せるわ”と言ってくれた、舌足らずで不器用な、ようやく生まれ始めた信頼を台無しにした。

 

  ……。

 

 楽なもんさ。土壇場で言って、時間がない状況を利用して黙って、相手から“任せる”って言わせたなら、もう言い訳出来る状況の完成だ。あとは“任せるって言ったくせに。なにもしなかったくせに一方的に嫌いと言ったのはあいつ”って言い訳をすればいい。なにもしなかったのに、最後の最後で余計なことをしたのは自分なのにな。

 

  ……。

 

 ……目、ちゃんと開いて、知っていけよ。もう間違うな。解消するななんて言わない。他をどれだけまちがったって構わない。

 

  え?

 

 ぼっちのくせに、自分がする行動で他人がどう影響を受けるか。それを考えないなんてぼっちの風上にも置けない愚の極みだろうが。

 

  なにを───

 

 幸せな夢は見れたな? 出会いが違えばあんなにまで幸せになれる。あんなにまで素直に笑える。

 

  ……、……おう

 

 これは夢であり、夢だ。誰かさんの“こうだったらよかったのに”を集めて、その人に近い人の夢も希望も集めて、都合のいいように作られた夢だ。

 

  ……おう

 

 目ぇ開けて抱く夢と、目ぇ閉じて見る夢。そのどっちもを合わせた先にアレがあった。たとえば……子供の頃からやさしい人が居たなら。自分のことを受け入れてくれる人が居たなら。自分を救ってくれる人が居たなら。あの時、幼馴染の少女を助けられたなら。もっと深い意識で小説を書けていたなら。頼りきりにならないで、テニスをもっと自分で頑張れたなら。挙げたらキリがない。

 

  それが……

 

 誰もが都合のいい夢を見たがる。これはその結果だよ。んで、俺はそんな想いの元が願ったとーりの姿をしている。俺の大切な人、傷つけっぱなしのお前を助けるなんて、俺は嫌だったんだ。

 

  ……俺だって、べつに好きでそうなったわけじゃ……

 

 はいはいもう条件反射で言い訳すんなよめんどっちい。……とにかく、見せられるものはもう見せたんだ。あとはお前がどう動くかだ。これでまた泣かすようなことしたら、お前ほんと夢の中で呪い殺すぞこの野郎。

 

  怖いよ、いや怖い

 

 失敗は活かすべきだ。別のお前はもうまちがっちまったから、今度はあんただ。……まちがった先で必ず幸せになれなんて言わないが、まちがわなければもっと早くに幸せになれた筈、とは言うぞ。絆は深まった? 馬鹿言え、まちがわなかった先でも深められる絆はあるだろ。

 

  いや、俺なんも言ってねぇだろ……

 

 いーから、もう目ぇ覚ませ。“あの時こうだったら”を見られる時間は終わったんだ。あんたは少なくとも、この世界にあった笑顔の分だけ頑張るべきだ。それが嫌なら泣かせた分だけ動けよ愚図野郎。

 

  やだ、この俺怖い。っつーかマジなんなのお前。外見俺なのに声高くてキモい。

 

 どこぞの猫っぽい女を真似して、芝居がかった声を出してただけだ。鳴いてないと夢が保てねぇんだよ。ああ、ん、ほれ。ローーーレーーーーンス!!

 

  俺の顔でやめろくださいいやマジで。

 

 ……いーからもう目覚めろよ。もうこの夢も保たない。俺自身は泣かせた分だけ後悔させたかっただけだけどな。なんかお前、まだ旅行する前みたいだし。猫の意識ってこういう時に不便なのか便利なのか。……どうせ消えるんだから、記憶も経験も全部お前にやる。だからもうまちがうなよ。……これでまだ人の気持ちも考えないなら、本気で怒るからな。

 

  …………

 

 ああ、あと……すまん。専業主夫は諦めてくれ。お前はその夢は叶えられない。他でもない、お前自身がその夢を捨てるから。

 

  ……いーよ。最初から叶うなんて思っちゃいないから。

 

 そか。んじゃ……良い現実を。立派な夢を抱いて、夢みたいな現実を歩いてくれ。

 

  お前は? どうなるんだ?

 

 あ? …………この状況でこっちの心配とか。車から犬を助けるのもそうか。お前ってほんっと…………あぁ心配すんな。お前が心配するようなことにはならねーよ。

 

  ……そか。

 

 おう。……じゃーな。

 

  おう。……じゃーな。

 

 ───……

 

 ……。

 

 ……ま。俺はお前の考えなんざこれっぽっちもわからんけど。さぁて、時間を忘れた猫の旅もこれにておしまいか。ちっとは恩返し出来たのかね、これで。

 

 猫は死期が迫ると姿を消す……かぁ。しまったなぁ、あいつに誤解くらい解いてもらえばよかった。

 

 苦手って思われたままで恩返しとか、報われねぇよなぁ……。

 

 あー……もうだめ、無理。喉動かねぇ。

 

 なんで俺、あいつの姿になんてなっちゃったかね。余計なことまでぶつぶつ喋ってキモいったらない

 

 あぁほら、最後。なんて言うかくらい選ぼう。おし、うん。

 

 …………。

 

 はぁ。

 

 やっはろー……、───

 

 ───……

 

 ……

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 目を開けると、涙が溢れた。

 静かに起きて、隣を確認したところで誰も居ない。

 “いつもの場所”を見たところで、大事だった砂時計さえそこにはなかった。

 

「……くっそ……なんつー夢だよ……」

 

 涙が止まらず、拭っても拭ってもこぼれ、情けなさを噛みしめた。

 高校生にもなって夢で泣くとか。

 

「………」

 

 時間を見れば、まだ随分と早い。

 とりあえずはベッドから降りて部屋を出て階下へ。

 洗面所で顔を洗うと、現状を思い出す。

 修学旅行前。

 戸部が依頼に来た。

 今日はその修学旅行当日で…………

 

「───!」

 

 何を馬鹿な、どうせ夢だ、と切り捨てるのは簡単だった。

 夢の中で見た夢をどう理解して現実の未来だと言えというのか。

 けど、胸騒ぎは本物で、こみ上げてくる気持ち悪さや、あの居心地の悪い奉仕部の空気だって本物なのだ。

 幸せな夢の他に、もう一つ存在する夢の内容。見たものが真実ならば、おそらくは俺に説教をくれた俺が持っていた記憶と経験とやら。

 

「……由比ヶ浜」

 

 泣いた。泣かせた。また俺がだ。

 女を泣かせる主人公とかカッコイー、ニクイねー、なんて気持ちは、悪いがこれっぽっちも沸き出さない。

 無理だ。無理だろ、あれ。

 客観的に見てしまったら、もう無理だった。

 告白されるならここがいいって場所で、自分から言わなくても告白された、嬉し涙の夢の話。

 そんな場所で、好きな人が友人に告白してしまった辛い夢の話。

 それでも関係を壊したくないからと、辛さを飲んで、身を軋ませるような苦しさを飲んで、これっきりにしようとした。

 

  それを効率云々でぶち壊しにして、泣かせたのが俺だ。

 

 無理だ、ああ無理だ。

 たとえただの夢だと断言出来ても、そんな未来はないって言えたとしても、可能性があるなら絶対に辿り着きたくなんてない。

 だから。

 

「っ───小町! 小町ぃいいっ!!」

 

 夢の中の俺がしなかったことを。“今”の過去の俺でもしたことを、やろう。

 人間関係に失敗する前の自分はまだ積極的だった。

 やさしさを勘違いして、そんな歴史を黒く塗りつぶす前の自分なら、自分から人に手を伸ばした。

 だったらそれも俺だって認めなくちゃ、相模に言った言葉も、その前に固めた気持ちも全部が全部嘘になる。

 相談しよう。どうすればいいか、俺の気持ちは二の次に───……ああいや、それじゃあダメなんだ、いい加減学べよちくしょう、我ながら面倒くさい性格してんなもう……!

 あんな夢を見たせいだぞちくしょう!

 俺は俺が好きだったのに! 今じゃこんな自分が大嫌いだよ!

 

 

───……。

 

 

……。

 

 心の整理もろくに出来ないまま始まった修学旅行中、由比ヶ浜がめっちゃ戸惑ってた。

 そりゃそうだろう、自分が言った言葉に捻くれたことも言わずに頷くし、座る場所ないなら隣座れ~とか言うしで、戸惑うなってのは無理だ。

 俺は正直助かってる。

 あんな夢の所為で、とか思っていたが、その夢のお蔭で言いたいことも言える。

 躊躇はもちろん生まれるが、前ほどじゃない。

 

「由比ヶ浜、戸部と海老名さんのことが気になるのはわかるけどよ、俺達も楽しまないともったいねぇだろ」

「あ、うんっ……え? ……い、いいのかな、楽しんで」

「いーだろ。それに……今朝電話で話した通りだと思う。海老名さんは……」

「……うん。今さらだけど、あたしもそう思う。で、でもさ、可能性はゼロじゃないよね? いい状況とかい~っぱい作ったら、もしかして姫菜もさっ!」

「ぼっちの経験からして、それは無理だ。戸部がどうしようもないくらい海老名さんが好きで、趣味の全部も受け止められて、海老名さんが求めているものをあげられるってんなら話はべつかもしれねぇけど、海老名さん自身にまず断る気しかねぇだろ」

 

 変わる気がないのだ。前の自分と同じように。だからわかる。

 彼女が“今を大事にしすぎる前”なら、それもなんとかなったのかもしれないが、人間関係を前に、このままがいいって思い始めた人間はテコでも動かない。

 だから……戸部はフラレるのだろう。

 

「あくまで俺の予想だが、確率は高い。受けちまったあとに気づいて悪い。同じグループのお前が一番辛いだろ」

「ヒッキー……」

「あ、あー……ほれ、いろいろ見て回るんだろ? 行こうぜ」

「……うんっ、楽しまなきゃだもんねっ! …………うん」

 

 由比ヶ浜は……やさしい奴だ。

 こんな状況で、予想とはいえそんな未来を口にされて、楽しむなんてことは無理だろう。けど、言わないことが罪だと理解したあの夢の結末は、正直見ていられない。

 だから言った。伝えた。あの依頼は最初から結果が決まっているんじゃないかと。

 張り切っていた由比ヶ浜は落ち込んでしまった。

 てっきりそんなことはないと言うのかと思ったが、自分でも想像出来てしまったんだろう。

 ……ああ、嫌になる。

 見た夢が現実になるんじゃないかって勝手に思って、それを押し付ける自分も。

 ただの夢だと鼻で笑って、結果そうなって、知っていたのに動かなかった自分を後悔で埋め尽くす自分も。

 

……。

 

 頭の中で夢のことを思い出しながら行動した。

 気味が悪いくらい同じように過ぎていく時間に、ますます気持ち悪くなっていく。

 それでもあんなことは起こらないのでは、なんて思っていられる自分はつくづく幸せだろう。

 “自分に限って”と笑い、後悔する物語を何度も見てきた。

 作り物の知識を手に、何を言っているのかと呆れるだけなら誰にでも出来る。

 重要なのは、得た知識からどういったものが危険なのかを、きちんと受け取れる自分であれること。

 ただ、夢の延長なんだろう。結衣……いや、由比ヶ浜の傍からは離れたくなくて、傍から見れば葉山グループと一緒に行動している、みたいな状況になっていた。

 由比ヶ浜も「ヒッキーが部活に積極的だ……珍しいね?」なんてきょとんとしていたが……「理由なら話したろうが」とぽしょると、慌てて「そ、そだよね!」と手をぱたぱた。

 

「………」

 

 近くに居たい。

 夢の中で、泣いてしまった彼女を見て以来、胸が苦しくて仕方ない。

 あんなに笑顔だったのに、俺が泣かせてしまった。

 動かなければいずれそうなってしまうのだと考えると、何もしないなんてことは出来そうになかったんだ。

 

「はぁ……よし」

 

 清水寺、仁王門で写真、その他いろいろ、写真撮影を任されたので撮った。

 ぐるりと回って音羽の滝に行けば、結衣が張り切って恋愛成就の滝へ柄杓を伸ばし、ちらちらと俺を見てからこくこくと飲んでいた。

 綻ぶ赤い顔と、その素直な行動が眩しい。

 夢とはいえ泣かせてしまった罪悪感は募るばかりだった。

 

……。

 

 一日目は、夢で見た通りほぼ寺めぐりだった。このままこうして旅館の土産物屋の前で待っていれば、平塚先生がラーメンを食いに出るところに遭遇するのだろう。

 せっかくだからと結……由比ヶ浜をメールで呼び出す。

 やがて、階段から降りて来た真っ赤な顔でそわそわおろおろしている由比ヶ浜が、「や、やっはろー……」と、緊張で震える声で言う。

 夢の中の結衣は言わなかったな、なんて……少し楽しくなって、珍しくも「やっはろー」と返した。

 

「ふえっ!? え、どしたのヒッキー! え、や、嬉しいけど……!」

 

 え? 嬉しいの? なにその喜びの呪文。やっはろーってハピルマとかそれっぽい効果があるの? いやそれだと混乱してるじゃねぇかよ。

 

「まあその、なに? 旅行だからちょっとテンション高いんだろ。キモいならもう言わねぇよ」

「そんなこと言ってないじゃん! もう、ほんとすぐにそうやってヒッキーは……」

 

 ぶちぶちこぼす由比ヶ浜は、そうしながらも俺の隣にやってきて、ちょこんとソファに座る。

 

「そ、そんで……さ? 急に呼び出すからびっくりしちゃったけど……えと、なんか用だったのかなーって…………」

「───」

 

 あ。やべぇ。これめっちゃ期待されてる。

 いや、目の腐った夢の中では結衣だけ置いてけぼりだったから、せめてって気持ちで呼んだだけだったんだ。

 だがしかし、考えてみれば修学旅行なんてよく聞く男女が張り切るイベントじゃねぇか。そうじゃなけりゃ戸部だって張り切ったりしなかったんだから。そんな中で男が女を呼んだらそりゃあ……なぁ?

 あ? UNO? しないで逃げてきましたが?

 ともかくここはあまりがっかりさせないようになにか……!

 

「そ、その、よ。こまっ…………小町用の土産とか、よ。選ぶの手伝ってもらえねぇか、って……」

「……、そだよね、ヒッキーだもんね。はぁ……」

 

 あ、ダメだわ。気になる相手と居るのに、妹とはいえ他の女の名前出したらその時点でアウトだったわ。こうなったらどうしようもねーわ。

 

「あと、その……よ。なんか俺、あんま役に立ててねぇし、頑張ってるお前に、なんかプレゼントさせてくれ」

「え───…………ヒ、ヒッキーが!? あたしに!?」

「……すまん嫌ならいいんだキモかったよな悪い」

「やっ、ちょ、違う違う違う! そういう意味じゃなくて! 欲しい欲しい! いるから! 超いるから!」

「お、お……おう」

 

 めっちゃ捲し立てられ、さらに引っ張られ、土産コーナーまで連れてこられた。やだ、すっごい行動力。

 ……元々俺がもっと前向きに受け止めてやれてりゃ、こいつもこんな……わくわくっつーか、どきどきした顔で過ごせてたんかね。

 ……言うまでもねぇだろ。

 出会いが違っただけで、あんなにも笑顔だったのがこいつだ。

 あいつの…………こいつの笑顔が、俺は好きだったんだから。

 

「小町ちゃんのお土産かー。なにがいいかなー……《……、……ちらちら》」

「? これか?」

「あっ、だ、ダメ! ……あ」

「…………んじゃ、これは由比ヶ浜用のプレゼントな」

「あぅぅう~~~……《ふしゅぅう……!!》」

 

 ちゃんと見てやれば、こんなにもいろんな顔を見せてくれる。

 もっともっと見ていてやれてたなら、もっと笑えていたんだろう。

 そうすることが出来たのに、しなかった自分が……腹立たしかった。

 

 そうして……お土産も決定し、しかし今買っても荷物になるだけだからと買うのは見送り、丁度その時、平塚先生と遭遇。

 今回はなにがどう動いたのか雪乃……いや、雪ノ下は土産コーナーまでは来ず、俺と由比ヶ浜だけで平塚先生とともにラーメンを食べに出た。

 

……。

 

 二日目、グループ行動。

 といっても律儀に守るやつはおらず、ある程度動けば各自が好き勝手に行動。集合時間させ合わせりゃいいだろ作戦だ。

 由比ヶ浜もそのつもりだったのか合流し、早速楽しみつつも戸部のサポートを続けた。

 

「えへへぇ……昨日のラーメン、美味しかったね《ぽしょり》」

「だな。もしまた来ることがあったら、チェックが必要だ。別の味とか食べてみてぇし」

「あ、そうだよね。でも、うーん……いつ行けるかなぁ」

「いつでもいいんじゃねぇの? 暇で金あったら声かけるけど」

「えぇっ!? …………ぁ………………ほんと?」

「おう。お前の時間が合えばだけど」

「ふゎ…………う、うん……うん、ヒッキーに合わせるから……ぜったいぜったい合わせるから、……や、約束。いい……?」

「? おお、約束な」

 

 指切りげんまん。

 きっちり小指を絡ませ上下に振るうと、結衣はなにか大切なものを見つめるように、上下に揺れる指と指を見つめていた。

 で、ここまでして、夢の気持ちのままに結衣……由比ヶ浜に接していたことに気づく。

 ……今さら訂正もなにもないもんだ。

 嬉しそうなんだ、結衣が。由比ヶ浜が。俺はそれが嬉しい。

 だから……おう、それでいい。

 

「パセラのことは戻ってからでいいか? 別の何かで返すとは言ったけど───」

「…………《ぽー……》」

「結衣……がはま?」

「あ、やっ……なななんでもないからっ! うんっ! ……~~……恋愛成就……効いたのかな……えへへ……。修学旅行、ここでよかったぁ……」

 

 ほにゃりと柔らかい笑みをこぼす由比ヶ浜。

 隠しているつもりだろうが、そんな笑顔を見てしまったら、心もあたたかくなるもんだろう。

 抱き締めて頭を撫でたくなるが、今それをやれば変態だ。

 出会いが違った夢の中の俺が、今は心底羨ましい。可愛いな、ちくしょう。

 

……。

 

 雪ノ下に名所マップを貰って、さらなるサポートの時間は続く。

 もちろんサポートだけじゃなく、由比ヶ浜を楽しませることも忘れない。

 せっかくの旅行なのだ、それがフラレること前提の告白劇のサポートで終わってしまうのは寂しすぎるだろう。

 笑っていてほしい。楽しんでほしい。

 自分の中の罪悪感から逃れたいとか、そんなことはとっくに忘れていた。

 自分が起こした行動で、こいつが笑ってくれることがこんなにも嬉しい。

 つまり、だから、ようするに、俺はとっくにこいつに───

 

……。

 

 三日目。

 昨夜も相談と称して結衣を呼び出し、話をした。

 サポートのことなんて二の次になりそうなくらい、結衣との会話が温かいが……それはだめだ。結衣も戸部も“そうなってほしい未来”を諦めてなんかいない。

 知ってるから諦める、なんてのは簡単だが、そんな理由で手放せば、こいつはきっと泣いてしまうのだろう。

 考え、積み重ね、成功するように確率をあげる。

 ただ、サポートだけを考えるのはやっぱりあんまりだと思うから、自分達も楽しむべきだは何度も伝えた。

 結衣も、何度も頷いてくれた。

 頷きながら、どこか期待を込めた目で……俺を見た。

 

「………」

 

 そう、だよな。

 応援だけで、サポートだけで、それを眺めるだけで終わりにする理由、ないよな。

 夢の中の俺は、そんな青春に自分って登場人物を捩じ込むことで、自分も舞台に立っているのだと陶酔していたのだろう。

 けど、傍から見ればあんなもんは土壇場で応援するべき人を裏切って、寝取りにも近い方法で告白した最低野郎だ。

 格好良くなんてねぇし、無様だし、人を泣かせるわ傷つけるわ。

 やり方なんて他にあっただろう。なんで告白なんて方法を取った。

 あの場に葉山が居たんなら、なんとかするって言葉を信じてやればよかったんだ。

 いや、もっと言えば───……

 

「…………ぁ」

 

 もっと言えば。信じるだけでよかったのだ。

 そんなことにさえ気づけなかった。友達が居ないぼっちってのはこれだから。

 けど、お前はそうじゃねぇだろ、葉山……。

 

「よし……やること、決まった」

 

 無様に、自分に自信もないくせにお姫様を横取りする脇役じゃない。

 どうせ青春ってものを味わう舞台に立ちたいなら、主役になってみせやがれ、だ。

 

「三日目の今日……だったよな。よし…………よし、よ、よし……」

 

 緊張はしても、胸は高鳴っていた。

 まるで以前、好きって気持ちを好いていたあの日のように。

 決定的に違うのは、気持ちが固まっていくこの充実感だろうか。

 夢を思い出せば思い出すほど、心が強く固まってゆく。それが嬉しい。

 

「……~♪」

 

 完全自由な今日という日。

 となりを歩き、鼻歌を歌う結衣に届くよう、素直な気持ちを伝えよう。

 男は大事な時だけ詩人になれ。詩人で届かないなら熱血な。

 ただ、誤魔化すのだけはアウトだ。伝えたいなら、きちんと、自分の口で、だ。

 夢の中の俺みたいな馬鹿はやらない。

 たとえ海老名さんが念を押してきたところで、俺はそれを受け取らないだろう。

 今が大事なら、周囲なんて巻き込まずに二人で解決すりゃよかったのだ。

 そういうふうに動かなかった分だけ、人に言葉を届ける権利なんて潰れるって、海老名さんならわかってただろうに。

 ……いや、暗い過去がどれだけあろうが、完全なぼっちを経験していなければわからないことも……あるのかもしれないな。

 

……。

 

 そうして歩き、やがて……辿り着いた場所で、夢と同じ景色を見た。

 灯籠が灯らずとも明るい場所。

 竹の並ぶ景色。

 笹の葉の隙間からこぼれる陽の光と……それに照らされ、目を潤ませる少女。

 なにを想像しているのか頬を染め、目を閉じて……ほぅ、と熱い吐息をこぼした。

 

「……由比ヶ浜」

「《びくぅっ!!》ひゃわぁっ!? やっ、なっ……ななななに!? いきなり声とかかけるとか! ほんとヒッキーって───」

「……お前が好きだ。俺と付き合ってほしい───」

「でり、か……し……、…………ぇ……───?」

 

 振り向けばきっと、“ここがいいよ! ……告られるなら”って言ったであろうその姿に、想いを届けた。

 この気持ちが夢の中の俺の延長でも構わない。

 困ったことに、そう思えるほど、こいつを見ていると想いが溢れてくる。

 笑顔にしたい、幸せにしたいと。

 だから、自分の恥ずかしさなんてものはそのへんに捨てられるし、真っ直ぐに言葉を届けられる。

 

「……、……~~……あっ…………あ、ご、ごめんねっ、今ちょっと叫んじゃった所為で聞こえ───あやぁああやややうそ聞こえたよ!? 冗談だとか言わないでね!? ってかもうだめ! あたし聞いたから! 聞いた! から………………っ………ぇと……~……うそ……」

 

 慌てて言葉を繋げようとする由比ヶ浜を前に、真っ直ぐ立ち、目を見開いて呆然と固まっている雪ノ下には、心の中でいきなりすまんと謝りながら。

 

「由比ヶ浜結衣さん。俺は、あなたのことが好きです。俺と付き合ってください」

 

 きちんと届くように、想いを告げた。

 思っているほどきっと冷静じゃないし、言葉だってつっかえつっかえだったかもしれない。

 けど、告白されるならここがいい、なんて言える場所での告白を、まさか照れ隠しで聞き流したりハッキリと受け止められなかった、なんてひどい話はないだろう。

 だからこそきちんと届けて、返事を待った。

 

「……~~……!」

 

 由比ヶ浜は俺の目を真っ直ぐに見つめ続けたあと、潤ませていた目から涙をこぼし、口を隠すように力の入らない両手を持ち上げ、やがて……泣きながら、何度も何度も頷いてくれた。

 葛藤はあったんだと思う。

 俺からいきなり“戸部はフラレるのが確定しているかも”、みたいな電話を受けて、なのに自分は告白されて、なんて。依頼者はフラレるかもなのに、自分はそれを受け入れていいのか、と。

 言ってしまえば、それは自分の幸せを放棄する理由には繋がらない。

 フるのも状況を治めるのも、海老名さんと葉山の事情だ。告白するのだって戸部の事情。

 俺達はあくまで、戸部が告白しやすい状況を作るだけだ。

 その中で、自分は幸せになっちゃいけないなんて言われたら、それはもちろんふざけんなって返すだろう。

 涙をこぼし、雪ノ下に抱き締められ、わんわん泣く人を愛しいと思える。

 自分ってものを客観的に見ることが出来て、ようやく俺も自分を固められそうだから。

 謳歌してみよう。青春ってものを。

 依頼は達成させる。

 告白のサポートな。成功が達成条件じゃねぇから。そこんとこ、間違えないように。

 

  ……。

 

 あーその。今はそれより喜んでいいか? いいよな。

 恋人が出来ました。

 …………ヒィイイイヤアアッホォオオオオオオオッ!!

 

 ……。

 喜びも束の間、「喜び以外の涙を流させたら殺すわよ」って言われた。怖い、怖いよ。部長怖い。




 /アテにならない次回予告


     「だって、とべっちが告白したいのはグループじゃないよ?」


 「えっ……そんなっ、俺まだ告白もしてねぇのに!」


    「───! 海老名、あんた───!」


   「いやお前……まだわかんねぇの? ぼっちな俺でもわかるのに」


「ただ……言葉がまったく届かなかったのかといえば、そうではないのでしょうね」


  「一年半もあれば十分なんじゃないかしら」


     「夜な夜な由比ヶ浜さんの名前を呼ぶ練習でも……!」


 「おいちょっと!? 雪ノ下!? どうすんのこれヤバイよこれ!」



次回、夢と現実の僕らの距離/第十四話:『友達の青春』




 ◆おさらいイメージアニマル
 狐=ヒッキー
 犬=ゆいゆい
 猫=ユキペディアさん
 兎=さいちゃん
 熊=中二
 狸=マッチ
 隼=イケメン八方美人
 羊=エビ
 虎=ジュビコ……もとい女王
 狼=結婚したい
 山猫=川なんとかさん
 ライオン=はるのん
 オウム=座右の銘が“ウェーイwwwwwwww”な人
 イタチ=いろはす

 ◆pixivキャプション劇場

 *とある部室でのやりとり

「あ、ところでさー、昨日晩ご飯がうどんだったんだけどさ、さぬきうどんって美味しいよねー」
「あー……そだなー。ところで由比ヶ浜、日本には三大うどんってのがあって、一つはその讃岐うどんだが、他はなんだか知ってるか?」
「え? 三大うどん? さぬき……」
「あぁ悪いな、ハードル高すぎたか。気にすんな」
「し、しってるし! ちょっとド忘れしただけだから! ねっ!? ゆきのんっ! ねっ!?」
「そうね、由比ヶ浜さん。あなたがどう答えるのか、楽しみだわ」
「ゆきのん!? ……えぅっ……え、えと……あっ、きしめん!」
「由比ヶ浜さん……」
「違った!? や、やー! ってのは冗談でー! えっと…………! さぬき……さ、さぬ……、……? さ? さ……左? ……あ。うぬきうどん!!《どーーーん!》」
「いやないから。うぬき、ないから。むしろ讃岐は漢字の時点でそうじゃねぇよ」
「由比ヶ浜さん……」
「うわーーーん! 美味しければいーじゃん! 大体なんで美味しかったって話から問題が出てくんの!? キモい! ヒッキーキモい!」
「問題出したらキモいなら、教師全員キモいだろーが」
「そうね、たしかに得意げに問題を口にする比企谷くんの顔は、ニヤリと引きつり気持ちが悪かったわね」
「おいやめろ。自分の知識から問題が出せるかもって、ちょっぴりわくわくしちゃったぼっちを傷つける権利なんて誰にもないだろーが」
「美味しかったうどんの思い出を、問題で台無しにする権利だってないじゃん……じゃあヒッキー? 他にどんなうどんがあるのか言ってみてよ」
「あー……そうな。《カリカリ……》……ほれ」
「? い……イナバ? イナバうどん?」
「いなにわ、と読むのよ、由比ヶ浜さん」
「……ヒッキーのばか……。言ってって言ったのに……」
「……なんか悪い」


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友達の青春

 -_-/由比ヶ浜結衣

 

 ぽー……って、ちょっとふわふわしてたと思う。

 ゆきのんの前でわんわん泣いて、嬉し涙が止まんなくて、あたしも好きって伝えたいのに胸がいっぱいで。

 自分から行けるように頑張って、ひっどいこと言われたりして傷ついたこともあったけど、どうしてこの人なのかなぁって自分の気持ちを確かめ直したこともあったけど。

 もう、だめだ。

 告白されるならここがいいなぁ……って。けど、そんな自分のとびっきりに立つ人はあたしじゃないって言い聞かせて、ここがいい、って言うために振り返った瞬間。

 

「………《ぽー……》」

 

 ……顔が熱い。夢見てるみたい。夢じゃないよね? ……うん、いたい。

 胸も、さっきからうるさいくらいドキドキしてる。

 夕飯食べるために戻った旅館は、出る前とあまり変わらず賑やかだ。そりゃそうだよね、そこに居る人は変わんないんだもん。

 変わったのはあたしだ。

 想いが叶って、まさか、って思ったけど……ヒッキーから言ってもらえて。

 それも、ここで告白してもらえたらなって心が弾んだ瞬間、そのとびっきりの場所で。

 

  嬉しかった。

 

 言われた言葉の意味がゆっくりと胸に染み込む時間が、幸せで幸せでたまらなかった。

 信じられないって疑いが湧くよりも早く、幸せに満たされたんだ。

 うそ、なんて言葉が漏れたところで、そんな言葉をあたし自身が信じてなかった。

 言ってくれたから。

 その言葉に、真っ直ぐにあたしを見つめる目に、嘘なんてなかったから。

 嬉しかった。

 幸せだ。

 まさか泣いちゃうなんて思ってもみなかった。

 あんなにわんわん泣くなんて、どれくらいぶりだったっけ。

 思い返してみても、記憶はあの竹林ばかりを映し出す。

 腰に力が入らない。

 嬉しいと腰砕けになるとか、ほんとだったんだ。

 

「結衣ー? ちょっと、結衣ー?」

 

 優美子がなんか言ってる。でもごめん、今は誰とも話したくない。

 幸せすぎて、幸せで、ずっとこんな気持ちに溺れていたい。

 だって、相手がヒッキーだ。

 実は嘘だ、とか、本気で嘘をついてみました、とか言ってあたしを泣かすかもしんない。

 嘘だ、ほんとはそんなことなんてこれっぽっちも考えてない。

 ただ幸福すぎて、少し悪い考えを混ぜないと、すぐにそれが消えちゃいそうで怖いんだ。

 

「ちょ、結衣? あんた顔真っ赤じゃん。熱でも出た? うわ、目もこんな潤んじゃって……風邪? 結衣? ……海老名、どしたんこれ」

「さあ。雪ノ下さんとヒキタニくんと出てからなんかあったんじゃないかな」

「そ。海老名……は、知らないか」

「うん。戻ってからその調子だった」

「ふーん」

 

 ま、いいけど。そう言って、優美子は部屋を出た。

 部屋にはあたしと姫菜だけ。

 そう考えると顔の熱は少しだけ下がって、冷静になれた。

 

「……姫菜」

「んー? なになに? 優美子が居たら話しづらいことだった? ハッ!? もしかしてヒキタニくんと隼人くんがっ……!」

「……真面目な話。いいかな」

「…………ん。いいよ」

 

 無表情を無理矢理笑わせた、みたいな顔で、姫菜は笑った。

 笑って、正面じゃなくてあたしの隣に座る。

 

「それで、話って?」

「依頼のこと。ヒッキーに、聞いた」

「そっか。ヒキタニくんは言わないって思ってたんだけどな」

「それ言うなら姫菜もだよ。どうしてグループの中だけで解決しよう、って思わなかったか訊いていい?」

「今のグループが好きだから、じゃ、だめかな」

「ダメだよ。……それは、だめだ。だって、とべっちが告白したいのはグループじゃないよ?」

「……うん」

「あたしもさ、グループ内で恋愛なんてすごいな、なんて安請け合いしちゃったけどさ。……すっごく後悔しちゃってるけどさ。……あのね、姫菜。あたしね、さっき……ヒッキーに告白された」

「え……ヒキタニくんが?」

「うん。……嬉しかった。嬉しくて泣いちゃうなんて、思わなかった。嬉しくて嬉しくて、幸せで。……この想いはあたしから行かなきゃ、絶対だめなんだろうなって思ってたのに……ヒッキーから来てくれて」

「………」

「……姫菜はさ。グループが、とか言うけど……最初からフるって決めてて、断るって決めててこうやって一緒に行動してさ。……とべっちの気持ち、考えたこと……ある?」

「……、」

「“好き”ってすごいんだ。泣いちゃうくらい嬉しくて、言葉に詰まるくらい必死で、一緒に居ると顔が綻ぶくらい楽しくてさ。でも……さ、今の姫菜ととべっちを見てるの……辛いかな。一緒に笑った瞬間とか嬉しいって思った喜びとか、そういう気持ち全部、最初からフるための計画みたいで。決まってるならさ、どうして言ってあげないの? とべっち、もしフられても諦められないって言ってるって、ヒッキーが言ってた。そういう期待も勇気も全部、全部…………」

「ユイ……」

「……姫菜が大事なグループってさ、どんななのかな……。あたし、わかんないや……」

 

 息を飲む音がした。

 隣に座る姫菜は俯いてて、きっといろんなことを考えてるんだと思う。

 あたしも同じだ。

 ここでこうして、自分の思ってることばっかり押し付けてよかったのかな、空気を読んで黙って見守っておけばよかったのかなって。

 でも……今のこの空気は違うって思ったから。

 留美ちゃんの時と同じだ。

 友達だって思ったコだから話した秘密をその友達に言い触らされて、笑われたいつかと同じ空気。

 最初からなにかが決まってるみたいな、あの嫌な重さ。

 それが嫌で、耐えられなくて。

 関係が壊れるかもって心が震えたけど、でも、きっと、踏み込まなきゃ後悔するって思ったから。

 

「……とべっちに……」

「……姫菜?」

「とべっちに限ったことじゃないんだ。誰に言われてもさ、誰に告白されても……受ける気なんてないの。腐ってるから……っていうのは理由にならないかな。ごめんね。でも……私にだって事情はあって、受けられなくても告白してくるのはとべっちの事情。だよね?」

「うん」

「本気になれないのに“はいわかりました”って言って受けたら、それこそとべっちに失礼だよね。だから───」

「……ううん、それはそうだけど、それ……違う」

「ユイ?」

「姫菜、それまちがってるよ。告白するのはとべっちなんだよ? 断るにしても受けるにしても、とべっちがいっぱい想いを込めて告白するんだ。……姫菜はさ、それを“誰が来ても同じ言葉”で返すの? あたしも、さ、そういうの、言われたことあるけどさ。言わせないようにって……遮っちゃったこともあったけどさ。告白されるってわかってて、言葉だけ用意して、想いをぶつけられればそれを投げ渡して、って……姫菜はそれでいいの?」

「言ってることめちゃくちゃだよ」

「わかってる……わかってるよ。でも、違うって思う。どうでもいい人が何人もくるならわかるよ。中身なんて見ないで、外見だけでとりあえず告ろう、なんて人なんて知んない」

「……うん」

「姫菜が嫌ならフるのは当たり前だし、仕方ないなって思って友達から、ってするのもいいなって思う。でも、今のままがいいから今は無理、って……そんな断り方、あんまりだよ」

「どうして? だって───」

「姫菜はとべっちが嫌い? 好き? 嫌いじゃない? 好きでもない? どういうところが断る理由? どんなところがないなぁって思う?」

「……それは」

「……近くに居て、グループで、好きも嫌いもわからない。……そうだね、姫菜はフるって決めてる。でもさ、そこに姫菜自身がとべっちに感じるフる理由って……あるの?」

「!! っ……あ……」

「諦めないって言ってた。諦められないって。ちゃんとした理由も言わず、ただダメだからダメって言われて、諦められなくて。……それさ、辛いよ? すっごく辛い。どうすれば気にかけてもらえるかわからないんだ。どう近づいていいかわかんなくて、それでも諦めらんなくてさ。頑張るんだけど……空回りばっかでさ……あはは」

「ユイ……」

 

 ツンとした鼻をぐすって鳴らして、横じゃなく真っ直ぐに姫菜に向き直る。

 ちゃんと伝えるんだ。そうして欲しいって。あたしの我が儘だけど、想いを伝えたい気持ち、わかるから。

 

「お願い、姫菜。頷いてっていうんじゃないんだ。嫌ならフっちゃうべきだし、それは姫菜の気持ち次第だってわかってる。でも……ちゃんと、とべっちの気持ち、考えてあげてほしいんだ。依頼になんかしなくても、断ることだって出来たのに……そうしなかった分、さ……。時間が空いちゃって、期待を持っちゃった分くらい……とべっちの気持ちに向き合ってほしいな」

「………」

 

 姫菜はなにも言わなかった。

 なにも言わないで、ただ……訪れるだろう時間を待ってた。

 

 

 

 

-_-/比企谷八幡

 

 舞台に竹林は選ばれなかった。

 「ここはあなたと由比ヶ浜さんの舞台よ。そこを選ぶなんて、別の意味で由比ヶ浜さんを泣かせる気? そう、あなた自殺志願者だったのね」とマジの目で言った雪ノ下が怖かったので、急遽別の場所を探すことになった。

 舞台は竹林ほどじゃないが、竹林道と同じくパンフにも載ってるような綺麗な場所だ。

 そこに俺、結衣、雪ノ下、戸部に葉山に大和に大岡、そして女王様。……あれ? ホワイ!? アイエエエエ!? 女王!? 女王ナンデ!?

 

「えと、それがさ、姫菜が急に……」

「海老名さんが?」

 

 なんでも、旅館で海老名さんと話し合っていたら三浦が戻ってきて、そんな三浦に海老名さんから“一緒に来てくれ”と頼んだそうな。

 で……俺と結……由比ヶ浜は、既に雪ノ下に依頼のことを話し、三人で解決策を……とは思ったものの、そもそもサポートが目的だったわけだから、戸部がこれでいけると判断して、告白しようと決意した時点で達成はしていると言える。

 ただ、そんな戸部へも覚悟の程を問うた。雪ノ下が。どこまで受け取れたかはわからんけど。

 海老名さんに告白することで生まれる、グループへのデメリット。

 諦めないのは勝手だが、グループを大事にする彼らの気持ちも考えなさいと。

 そこに、俺も由比ヶ浜も付け足した言葉があって、それは───まあ、青臭いなにかだ。

 葉山も海老名さんも、グループをグループとして見過ぎだって……そんなところだ。

 それを土壇場でもわかろうとしないようなら、青春劇場の登場人物としてでなく、脇役としてちょいと背中をつついてやるつもりだ。押す気はまったくない。

 

「しっ。来たわ」

「あ……姫菜」

 

 海老名さんが来た。

 隠れちゃいるが、ようするに海老名さんはここに俺達が居ることを知っているってことか。

 そんな状態でどうするんだ? 三浦は……三浦とは、ここに来る前にコンビニで軽い悶着はあったものの、概ね夢の通りだ。結衣に告白して付き合うことになったって言ったら本気で驚いていたが。

 ああ、ちなみに泣かしたら泣かすと言われた。あんたらどんだけ結衣のこと大事なの。俺もだけどさ。

 

「あの……あのさっ、海老名さんっ、俺、俺……さ」

「待って、とべっち」

「へ? あ、え? 海老名さん?」

「ごめん。用意してくれた言葉とか気持ち、いっぱいあるかもしれないけど、ちょっとだけ時間、ちょうだい」

「え、えー……あ、うん、まあ……はい」

 

 弱っ!? そこで頷いちゃうのかよ!

 いきなり主導権握られるってパターンはまずいぞ……? 頭弱い子は説明口調に弱いから、言葉巧みに誘導されて、気づけば“わかってくれた?”“ハイ”の流れで断られることもある。ソースは俺。……俺なのかよ。

 

「まずは……ごめんなさい。謝らせて」

「えっ……そんなっ、俺まだ告白もしてねぇのに!」

「ううん、そういう意味じゃなくて。とべっちが告白してくるってことは、知ってたから」

「……え……ま、マジで? 俺そんなあからさまだった? バレバレすぎた系?」

「あからさま、っていうのは……あったかもね。ふふっ……でも、違うんだ。告白されるって知ってて、私は……それを最初から断るつもりだった」

「……、え……?」

 

 戸部が、呆然とした顔で葉山を見る。

 その顔は次第に驚愕に染まっていくが、

 

「奉仕部は関係ないよ。そうしようとしたのは私で、理由も……今のグループが好きだからって理由」

「えっグループ? なんっ……え? べっ、べつに付き合ってもフられても、グループでいればよくね?」

「言葉で言うのは簡単でも、それってすごく難しいよ。それを知ってたから、そうするつもりだったんだ。私も、隼人くんも……優美子も」

「……は? え? ちょっ……」

 

 結衣が「姫菜!?」と驚きの声を漏らすが、それを雪ノ下が抑える。

 

「隼人くんはきっと、とべっちに諦めるように言ったんだよね。優美子は……隼人くんがなんとかするからそれを信じるだけ。大岡くんと大和くんはそもそも知らなかったと思う。それで……ユイは、そうってわかっててもとべっちを応援した」

 

 三浦が結衣を見る。結衣は素直に頷いた。

 今がいい、と唱える葉山と三浦と海老名さんにとっては、余計なことだったんだろう。

 

「ね、優美子。そこに居るよね? ちゃんと来てる?」

「……ん」

「うん。一つさ、聞かせてほしいんだ」

「なに?」

「うん。率直に訊くけどさ。……今のままがいいって、それってずっと続けていける? 隼人くんのことが好きな気持ち、卒業まで持っていける? それとも溢れ出したらその時点で“今のまま”なんて捨てちゃうのかな」

「───! 海老名、あんた───!」

「私さ、考えたよ。言われて当然だった。とべっちの気持ちとか考えないで、誰が来たって同じ言葉を用意して、断るだけ。それで元の日常に戻っていつも通り過ごしましょう、って……無理だよね。構わずほうっておいてほしい、なんて願ったって、とっくに無理だったんだ。みんながみんな嘘ついて、だましだましで付き合って。でも……そこにあった笑顔まで嘘だった、なんて……それだけは認めたくなかった」

「う、うん……」

 

 戸部は、すぐにでもフられるんじゃないかと怯え、返事も自信のないものになっていた。

 近づこうとした三浦が葉山に腕を掴まれ、葉山は黙って海老名さんの言葉を待っている。

 

「でも、だからって親しいって思う人の告白に、ハイって返すのは違うよね。そういう意味では、本当に私は誰に言われたって断る」

「《びくっ》……~~……」

 

 戸部は肩を弾かせ、顔を青くさせてゆく。

 期待と不安に満ちた、ここまでの道中の顔なんて見る影もない。

 

「戸部翔くん」

「っ! は、はいっ!」

「私さ、結構ひどいこと、平気で言えるよ?」

「ぁ……で、出来ればお手柔らかにお願いしたいところな、そういうの……!! 特に今は……! で、でもおっけ! そういうところも含めて、もっと好きになってけるべ!」

「感情よりも計算とか、打算的なことで行動すると思う」

「あン……えっと、俺の場合そのー……なんっつーのかな。そういうところで決めてるわけじゃねぇっつーか……ま、まあだいじょぶ! バッチリっしょ!」

「腐ってるし」

「それはオッケ。そんな海老名さんをまるっと好きになったから問題ナッシングってやつ!」

「それだけ言われても友達以上に全然みえないの。それでも?」

「んーじゃあもっと俺のこと知ってもらえるよう努力すっから! 俺チャラく見えっけど一途よ!? マジで! っつーか別のことに気をかけるとかそんな器用なことできねーっつーかぁ、……自分! 不器用っすから!」

「ふふっ……じゃあ───」

「あ、ああっ! じゃあ───」

「……とべっちの言葉を、聞かせてください。私が事務みたいに聞くだけじゃなくて、とべっちの言葉で。……なにも動かないようなら、きっと知り合いのままのほうが……お互いに幸せだと思うから」

「───! そんなっ……あ、いやっ! おっし任せといてちょーだいよぉ! 言葉ねー……! 言葉ー……! あ、あれ? 緊張と驚きで、なに言おうとしてたか忘れちまった……?」

 

 これは海老名さんの狙いだろう。

 結衣も頷いて、“これだからいいんだ”ってわかってる。

 用意した言葉では、海老名さんは動かない。

 それを言わせないためにまずは期待を持たせ、質問を投げ、それが終われば付き合える、みたいな流れを作った。

 あとはそれらをあっさり壊して、自分の言葉で、と告げてやればいい。

 特に制限時間なんて設けられていないのに、言葉を待たれるという状況だけで、妙に急かされる気持ちになる。

 戸部が純粋であればあるほど、それは効果的だ。

 

「んぁ、えっと……あのっ……! お、俺っ……」

 

 戸部の視線が泳ぐ。心の準備はしてきた。それは俺も知っている。

 けど、必要なかったんだな、と安心したところにそれらを全部破壊され、さあ自分を見せてみろ、なんて言われたって出せるわけがない。

 おそらく今、戸部はとても心細い位置に立っている。

 サポートされ、応援され、一人じゃないんだって挑んだのに、気づけば一人でラスボスを前にしているような心境だ。

 しかも“いい言葉”で納得させなきゃフられる、なんて、言われてもいない強迫観念に襲われている。

 心細いだろう。その気持ちが、手に取るようにわかる。

 結衣もそれがわかるからか、俺の服をぎゅうって握ったまま、唇を噛んでいた。

 過去に裏切られた経験があるなら、誰でもわかる。

 信じていたものを言い触らされて、裏切られたと気づいたあの孤独感は、本当につらいのだ。

 だから届かない。

 たとえ今ここで、葉山が言葉を投げようとも、戸部は怒るか殴るだろう。

 ここで言葉を投げていいのは“みんなの味方”でも“ただのグループ”でもない。

 

「お、俺っ……俺……えっと……俺っ……!」

 

 不安と恐怖で涙が浮かぶ。それを、誰が情けないと言えるだろう。

 こういう状況では気持ちを知る者は胸を痛め、なにも知らないイジメ好きだけが笑えるのだ。

 なのに誰も何も言わない。

 戸部の告白するべき舞台だから? 戸部が主人公の場面だから?

 そうだな、そうかもしれない。

 けど、馬鹿め、と言ってやろう。

 

「……葉山。なんも言ってやんねぇのかよ」

「……何度も言った。無理だったんだ。だから諦めろって───」

「いやお前……まだわかんねぇの? ぼっちな俺でもわかるのに」

「え……?」

「隼人くん、それってさ───」

 

 葉山を睨んだ俺と結衣が言葉を届けようとした時、その横から飛び出す影があった。

 その影は叫び、声を荒げ、けど……きちんと、言葉を届けた。

 

「戸部ぇええっ!! 頑張れぇええええっ!!」

「男だろっ! ばっちり決めろぉおおっ!!」

 

 大岡と大和だ。

 拳を思い切り握り締め、一気にガラガラ声になるくらいの声量で、臆病って言えるくらい不安に満ちた背中に向けて。

 その声に本気でびっくりして、ビックゥウウと跳ねた戸部は、けれど相当戸惑ったのちに、笑った。

 そんな姿に二人も笑って返し、馬鹿にするような言葉を重ね、それでも応援を続けた。

 

「二人とも、なにを……」

「お前さ。傍にみんなは居ても、友達なんて一人も居なかったんだろうな」

「なっ……! なんで、いきなりそんなことを」

「最初から違和感があったんだよ。俺でもおかしいって思うことだ。そりゃな、無難をひた歩くぼっちならそっちを当然選ぶんだけどな。……ひとつ訊くけどお前、たとえばサッカー部の部員が一生懸命練習してたとして、まず一言目が“諦めろ”なの?」

「───!! それは……」

「……ね、隼人くん。友達なら、さ……。リスクとか無茶とか、そういう面倒なのがあるってわかっててもさ、その友達が必死で叶えようとしてるものの前でくらい、背中を押してあげるものじゃないかな。最初から決まってたことにみんなを巻き込んで…………あ、奉仕部はあたしが受けちゃったからだけどさ。……二人の問題をみんなの問題にして、言われなきゃきっと最後まで気づかなかったことに、あたしもとべっちも張り切って……さ。……隼人くんは、そんなグループの今の、なにを守りたかったの?」

「…………っ……」

 

 視線の先では大岡と大和が叫んでいる。

 職場体験の一件から、恐らくは葉山よりもこの三人の方がよっぽど友達と呼べる仲だったんだろう。

 けど、葉山は違う。

 常に“みんなの葉山くん”であったために、一人は見ずにみんなしか見れていなかった。

 

「~~~っ……戸部ぇえええっ!!」

「───!」

 

 でも。

 今ここで、そいつは叫んだ。

 涙を散らし、罪悪感を噛みしめて。

 冷静でニコニコしてて、何でも解決なんでもござれのイケメンはそこにはおらず、ただ一人の友人として。

 

「戸部っ……俺っ……! ごめんっ……俺は……!」

「…………」

 

 用意された言葉はない。

 “すまない”ではなく“ごめん”と言ったそいつの純粋な謝罪とその涙に、戸部はぽかんとしたあとに……やたらと人懐こい笑みを見せ、サムズアップした。

 勇気もらったって顔をして、海老名さんに向き直って……

 

「海老名姫菜さん! お、俺っ……俺は、あなたのことが、好きですっ! ずっと、好きでしたっ! お、俺と付き合ってください!」

 

 やがて、つっかえながらの告白。

 よせばいいのに“最初はちょっといいな程度でした”とか“清楚な感じとかよくね? とか思ってた”とか言い出して、いっそ止めてやりたくもなったが───……まあ、無理だわな。

 大岡と大和は声援を送りっぱなしで、葉山も吹っ切れたのか青春物語の友人Aばりに叫んでる。Aくんが誰かなんて俺にはわからんが。なんか居そうな熱血友人。そんな感じ。

 そんな応援があっちゃ、割って入るなんて無理だ。

 むしろ俺も結衣も応援した。応援なんて嫌いだったが、今の戸部は応援したかった。あとで恥ずかしさを抱くことになろうが、気分が乗る、というのはそういうものなんだから仕方ない。

 もう、戸惑っているのは三浦だけだった。

 そんな三浦でさえ、雪ノ下にそっとなにかを囁かれると、キッと雪ノ下を睨んだのちに叫んだ。

 それは戸部への激励ではなくて……葉山の目の前へと歩き、真っ直ぐに届ける……海老名さんの質問への答えだった。

 葉山への告白。

 大きな声で届けられた言葉に、海老名さんはふわりと笑顔を見せて……顔を和らげ、戸部へと手を伸ばした。

 

「俺マジで海老名さんのこと好きでっ……! …………え?」

「あの、ね……とべっち。気持ちはわかったから、細かすぎる告白とかされすぎると、さすがに照れるっていうか。……私さ、本当に面倒だって自覚してるよ? その上で我が儘押し付けていいなら……友達からで、いいかな」

「え? え? ……友っ……おゎよっしゃぁああああっ!!」

 

 戸惑いと喜びが一緒に来たらしい。オワヨッシャーってなんだろうな。わからんが、まあ。ここは拳を握る場面だろ。だよな?

 ……海老名姫菜という人間は自分が“ひどく面倒だ”と思わない限り、身内は大切にするタイプだと思う。

 もちろん自身の中にルールはあって、踏み込み過ぎる相手には壁を作り、それを無理に越そうとすれば“じゃあ、もういいや”と関係を捨てられる。

 常に一歩引いた位置から全体を見渡し、それとなく立ち位置を換えてみては、それが崩れないようにバランスを保つ。

 集団の中にあってもぼっちのようなヤツ、居るよな。

 振り返ってみればあいつが居たからあの時……とか思えるような、その時は居ても居なくても同じなのに、思い返せば重要なやつ。

 そういう立ち位置に居る人だ。

 頼まれたわけでもなくバランサーになる人は案外居る。

 結衣なんて特にだろう。

 だが、海老名さんの場合は……

 

「更新、ね」

「……わかったか?」

「ええ。現状の更新をしただけであって、深い心変りがあったわけではないわ。グループの皆が一歩を踏み出したから、それに合わせて自分を更新しただけ」

「……ゆきのん、それって“今が好き”の“今”を、新しい今に変えただけってこと……?」

「そういうことよ。ただ……言葉がまったく届かなかったのかといえば、そうではないのでしょうね。真っ赤なのは紛れもない事実なのだし」

「まあ、そうな。どうなっていくかは、これからの戸部の頑張り次第だろ。現状は“友達で居ましょ”ってやつだ。戸部もそれはわかってるっぽい。……後悔するのか驚くのか。あんだけ真っ直ぐ気持ちをぶつけるヤツが相手じゃ、更新した“今”がどんだけ保ってくれるか」

「一年半もあれば十分なんじゃないかしら。どこぞの捻くれ者も、あっさりと落とされたようだし」

「おいやめろ」

 

 あっさりとか言うな。正直、あんな長ったらしい夢を見なけりゃ俺はこの場でこいつを泣かせていたんだから。

 ああでも、そっか。そうだな。依頼は終わったんだから、これでなにに遠慮することもなく、恋人関係ってものを───……と、結衣を見ると、きょとんとした顔。

 しかしすぐに「あ、そっか」と頷くと、これからのことに想いを馳せ……灼熱した。

 

「もう依頼は達成したんだから…………遠慮、しなく、て……も……はぅ《ボッ!》」

「へ? お、おい結衣? がはま? おい?」

「あなた、明らかに呼び慣れた口調で名前で呼んでおいて、思い出したように付け足すのはやめなさい。……というか、呼び慣れている……? 比企谷くん、あなたまさか、由比ヶ浜さんと付き合うことを妄想し、夜な夜な由比ヶ浜さんの名前を呼ぶ練習でも……!」

「してねぇから!! お前の中の俺、どんだけキモいんだよ! っつーかこいつの前で冗談でもそういうこと言ったら───!」

「ヒッキー……練習…………な、名前…………ゆいって…………ふゎあ《かぁあああああ!!》」

「おぅわ赤っ!? おいちょっと!? 雪ノ下!? どうすんのこれヤバイよこれ!」

 

 どうすんのコレお前の所為だよコレェェェェ!! とどこぞの髭が茶色なサンタクロースの真似をしたくなるのを抑えつつ、現状に混乱した。

 けれど、まあ。偽の告白で結衣が泣く、なんてこともなく。

 葉山グループも纏まりを見せ、喜ぶ戸部を大岡と大和がヘッドロック等でとっつかまえて騒ぎ、喜び、燥いでいる。

 三浦は海老名さんのもとへと歩き、なにかを話し合い、女王ゲンコツが海老名さんを襲った。葉山とは上手くいったのか、そうでないのか。それはわからないが……それは、俺が気にしてもしょうがないこと……なんだろうか。

 幼馴染やってた自分が、“気になるから行け”なんてせっついているところもあるんだが……いや、いいだろ。

 最初から、依頼だけの関係だ、これ以上は無理に関わる必要もない。

 そうやって、修学旅行の夜は過ぎて行った。

 ああ、遅れた所為で風呂には入れなかったよ。三浦にめっちゃ文句言われた。俺だけの所為じゃないのに。

 




 /アテにならない次回予告


     「八幡はもっと自分に素直に行動したほうがいいと思うよ?」


「あ、やー……うん。いろはちゃん? この流れだとさ、副会長……優美子が取りにくると思うよ?」


     「そもそもあれ、わたし悪くないじゃないですかー!」


                     「えへー……♪」


「きょっ……今日! 今日行こう! だいじょぶ! めっちゃ空いてる!」


   「砂時計!? なんで!?」



           ふぁいとー! おー!



次回、夢と現実の僕らの距離/最終話:『そして、長く続く夢を抱く』


 やさしさ~のす~べ~て~に~♪ 気づける~、わけ~じゃぁなく~♪
 あの日の~、ほほ~え~みの意味が、今は~、わかるよ~♪

 夢へのrunner、大好きです。

 さてさて次回でラストです。
 お疲れ様を言うのは早いですが、お疲れさまでした。
 むしろお付き合いいただきありがとうございます。
 ではではもう少々ですがお付き合いください。


 ◆pixivキャプション劇場

 *牛乳に相談だ!

「牛乳さん! 俺っ……どうすりゃ海老名さんと仲良くなれっかな!」
『とりあえず僕をお飲みよ! 話はそれからさ』
「の、飲めばいーん!? んっ……っぐっ……くふっ……~……はぁっ! これでおーけーね!?」
『グブブブブひっかかったなマヌケがァーーーッ! 貴様の体を内側から侵しつくしてくれるわーーーっ!』
「だ、騙したんか!? う、げっ、げぇええっ!」
『無駄、無駄無駄無駄無無駄ァー!! これから貴様の腸内環境を良くして健康にして、意欲が向かう方向の修正もして、海老名嬢好みの男に変えてくれる……!!』
「やっ……やめろぉおおおおっ!!」

……。

 その後彼は立派な理解ある腐男子となり、海老名さんの良き理解者兼友達から始め、永い年月の末に恋仲となったという。

  ~f i n~


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そして、長く続く夢を抱く

 修学旅行後、奉仕部には戸部からの感謝と、グループからの謝罪があった。

 一緒に結衣も謝っていたのは、勝手に燥いで依頼を受けたことへの謝罪だったらしい。

 ここで女王からの独断命令が下り、結衣が葉山グループから外されることになったんだが……理由を訊いたら、なんというかああそりゃそうだって理由だった。

 

「あーしらのグループに居たんじゃ、ヒキオと満足に付き合えねっしょ」

 

 それに結衣も頷きを返して、結衣はグループを抜けたわけだ。

 え? そんで今どうしているかって?

 ……俺と結衣、戸塚ってグループを結成、楽しくやってるよ。

 

「えっとさ、八幡」

「おう、なんだ戸塚」

「最近の由比ヶ浜さんさ」

「おう」

「距離…………遠くない?」

「…………おう」

 

 変わったことといえばひとつ。

 結衣が、遠い。

 嫌われているわけじゃなく、呼べば来るし話しかければ返事もする。

 でも、遠い。

 “こうなってしまった原因は恋愛成就にある”、というのは雪ノ下の推測。

 今までは俺が逃げていたから追いかけるだけで良かったのが、気づけばデレデレな俺に迫られ、追うことしか考えていなかった結衣にしてみれば、不意打ちもいいところ。

 お蔭で真っ赤っかだし突然のデレに心が対処できずに硬直したり、というわけだ。

 ああ、あとヒッキー呼びをやめたっぽい。

 八幡、と呼ぼうと努力して、呼んでしまえば真っ赤になって固まってしまい、停止してしまう。

 

「結衣? 結衣ー?」

「~~……《もじもじ》」

「ゆーいー?」

「~~……《かぁああもじもじ……》」

 

 呼ばれて尻尾は振りまくるのに、もじもじうろうろして、なかなか寄ってこない犬って……居るよな。

 なんかそんなビジョンが見えた。

 

「自分から行くんじゃなかったのかー? おーいー? ……やだ可愛い、戸塚、結衣が可愛い」

「あはは……八幡、ほんと変わったね。あ、でも……そっか、自分から……か。ねぇ八幡? もしかしたらさ、由比ヶ浜さんは行く必要が無くなっちゃったから、どうしたらいいかわからないんじゃないかな」

「行く必要って……あー……」

 

 まじか。じゃあこれからは俺から行くべきなのか? ……べきだな。

 椅子から立ち上がって近づこうとすると、顔をボムと赤らめ、すぐに距離を取ろうとする。

 すぐに距離を詰めて抱き締めると、ひゃう、と鳴いてからは大人しい。

 今度は逃げるどころか、ぎゅーっと抱き締めてきた。

 距離が無くなれば、素直に甘えてきてくれるんだが。

 

(………甘える、か)

 

 あの修学旅行の一件から、傍から見ても……海老名さんは一歩を踏み出した、ように見える。

 悩むようには見えないだとか、悩んでも誰かに打ち明けるようには見えないだとか、そんな先入観はあの修学旅行の一件で吹き飛び、誰かが思うよりもよっぽど、本当は誰かに頼りたいんだろうなってのは感じた。

 そういう部分は主に三浦が、オカン力を発揮して受け止めているわけだが……結局はそういうことなのだろう。空気は読まない。合わせるだけの器用さがあっただけで、ひどく危なげだったバランスが、あの一件で一気に崩れた。

 弱さは笑顔で隠し、無くすくらいなら自分から離れるタイプだとは思っていたが、そこに戸部って楔が刺さった。

 裏も表もなく、いい意味で馬鹿である戸部は、純粋に人の心に入っていける珍しいタイプだろう。

 チャラい野郎なんて内心ではなに考えているかわからないもんだが、そういう意味では戸部は本当に、いい意味で馬鹿だった。

 “今のグループ”を更新したことで崩れたものはいろいろあれど、まあその……なに? よかったんじゃねぇの? いい方向に崩れたと思うよ? いやマジで。

 嫌味無しで、葉山とかいい顔で笑うようになったし、なにより“みんなの葉山”をやめた。戸部や大岡、大和と深く付き合うようになり、急に仲良くなったことで彼女の腐りが加速したのもまた事実だが……おう、いいと思うぞ?

 本人も気づいてないのかもしれないが、笑みが自然になってきてる。

 雪ノ下さんの強化外骨格も疑える俺の目から見ても、笑みにこう……なんつーのか……あー……温かさ? が、乗っかってきたと思う。

 今ならどこで写真撮っても表情が同じ~とかもないんじゃねぇの?

 いや、今までの顔とか知らんけど、なんとなく。

 

「八幡はさ、教室でも堂々とするようになったよね。前まではずーっとイヤホンつけて眠ってたのに」

「あー……なんて言えばいいんだかな……。こう、ほら……あれだ。自分の気持ちを…………あぁ、おう。自分の気持ちを押し込めてまでよ、カーストなんてものに従ってる意味がわからなくなった」

 

 最初から底辺だトップだ言っていたのは俺だけだ。

 そりゃ、そういう上下を感じていたのが俺だけとは言わない。

 体育祭の準備中に、三浦の名前を出された所為で踏み込めなかった男子なんて、その典型だろう。

 が、結局はそれだけの理由だ。

 嫌われるのには慣れているなら、嫉妬くらいリア充税として甘んじて受ければいい。

 敵を作ってブツブツ言われるようになることと、結衣が隣に居られることを天秤にかけるなら、迷わず後者を選ぶ。だって嫌われ者って部分は、文化祭でやらかしたことを考えれば今さら変わらんし。

 それを結衣にどれだけ言おうが、現状の距離が多少遠くても、離れるということはしないだろうから。

 以前なら結衣まで嫌われるから、とかぶつくさ自分理論を振りかざしたんだろうが、周囲がどんだけ何を言おうが、自分の好きを信じている人も居るって……夢の中で納得しちまったからなぁ。

 

「戸塚はやめといたほうがいいって思うか?」

「ううん。前から思ってたけど、八幡はもっと自分に素直に行動したほうがいいと思うよ? 僕も、そっちの方が嬉しい、かな」

「……そか」

 

 訊いておいて、とっくに心は決まっていた。

 周囲が認めないなら認めるまでバカップル状態だろうがなんだろうが、見せつけてやればいい。言っとくがお前らあれよ? ぼっちが本気で人を好きになると、凄いものですよ?

 

「……戸塚は」

「え? なに? 八幡」

「戸塚は……やられたらやり返すって言葉、好きか?」

「うん。嬉しいことだったらね」

 

 無邪気な笑顔で頷かれた。

 まあ、そうな。そういうもんだと思う。

 

「うし、じゃあ俺も結衣に仕返しするな?《ぎゅう……っ》……いや、そんな、泣きそうな顔で見上げてくるほど心配が必要なことはしねぇよ」

「じゃあ……?」

 

 ちょっとな、と耳に口をよせて、ぽしょり。

 “自分から行く”ってのを、好きなだけ仕返しさせてもらう、と。

 

「都合ついたらいつでも言ってくれな。パセラはまず絶対行くとして、あ、見たい映画とかあるか? 行きたい場所があったら───」

 

 と。いっそ小町に対する過保護モードそのものといった接し方をしてみれば、結衣は顔を真っ赤にした。

 やがて静かにゆっくりと、俺の胸にぽふんと顔を預けてくると……ふにゃあ、とそのまま脱力してしまう。

 ……苦労ってのは報われるべきだ。

 そう思うから、俺は「ありがとな」と言葉で届けて、やさしく彼女を抱き締めた。

 え? クラスからの視線? もう吹っ切れたよ。ヤケとは違うが、本気を出したぼっちってのは実際スゴイ。なにせ今までがぼっちだったから、相手側もどう接していいのかわからんのだ。孤独はお好き? 結構。ではますます身を護れますよ。余裕のぼっちだ。経験が違いますよ。

 もちろん理由はぼっちってだけじゃないんだが。ほら、あれだ。幼馴染だった夢のお蔭で、近くに居ることの方が当然、みたく感じてるところがある。

 あの夢の続きは恐らくもう見れないが、どうか幸せになってほしい。

 どうしてあんな夢を見たのかも、予知夢みたいなものを見たのかも全部が全部謎のままだが、夢っていうのはそういうものだろう。

 ほら。俺、べつに専門医じゃないし?

 猫が夢を見せてくれましたー、とか言ったって誰も信じねぇって。だから、あれは謎のまま、でいいのだ。

 ただまあ。

 これでも幼馴染をしたわけですから? こいつの好みとか全部把握していたりします。

 

(これからどうなるかか)

 

 修学旅行のあとのことなんてわからん。いや、厳密に言えば水族園までのことは知ってる。というより見せられた。が、もう今立っている場所は、あの夢の世界とは違うのだ。これから起こることなんて、さっぱりだ。

 それが普通なんだから当然だが、こいつを泣かせてしまうことは避けられたのだから、ひとまずはそれでいい。

 ……しかし、あれ。ほんとあれ。俺も緩くなりましたわねぇ奥さん。誰だよ奥さん。

 夢の中で17年分近く経験を重ねたとはいえ、性格とか一夜にして変貌しすぎたんじゃないかしら。旅行前に小町に相談した時、“突然なに言い出してるんだろうこの兄は”って顔で心配されたし。

 いや、うん。わかるよ? 急に身近な人が変わるのは不安なことだ。おうわかってる。でも地味に傷ついた。いいんだけど。ほんといいんだけど。

 

「ひっきー……?」

 

 赤い顔の結衣が、ためらいがちに見上げてくると、顔が一気に緩む。

 慌てて引き締めるが、見つめている結衣からしてみればバレバレだろう。

 やっ……やめろー! これ以上ぼっちの仮面を壊さないでくれー、とか手遅れな抵抗をしてみるも、結衣はあははっと笑って、また頭を胸に預けてくる。

 喉からヘンな声が出た。ぼっちだった俺が、ま~だ“いやいやありえないから”とか抵抗しているが、「……大好き」とぽしょられただけで昇天した。ナムサン。

 しかしこの八幡とて結衣の弱点や喜ぶことを知り尽くした猛者よ。

 なのでどう接されるのが弱いのかを反復して記憶するつもりで、抱き締めたままに頭を撫でたり頬に触れたり、今までならば絶対にやらなかったことをしてみた。

 

「───……きゅう」

「おわーーーっ!?」

 

 ……彼女は気絶した。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 それからの話をしよう。

 やっぱりというべきか、二度とあの夢の続きを見ることはなかった。

 どうしてか幸せだったあの夢を崩してしまったことに、奇妙な罪悪感を覚えたりもしたが……いやほら、俺が目覚めなきゃずっと幸せだったわけだろ? それはもう吹っ切れたからいいんだけど。まあその、すまん、とだけは言いたい。

 経緯はどうあれ、現実の俺と結衣は出来る限りを一緒に過ごし、デートもしたし勉強もした。

 夢の内容がそのまま頭の中に記憶されていて、体力はやっぱりつけないとだが、勉強には相当自信があった。夢、すげぇ。

 そんな、円満な恋人らしい日常に心がヒャッホイしていた俺だが、もちろんヒャッホイだけしているわけにもいかなかった。修学旅行明けから、早速依頼が来ていたりしたのだ。

 あれな。ほら、一言で言うなら女って怖いよ。みたいな案件。

 一色いろはという後輩が来襲した。

 勝手に生徒会長に推薦されて迷惑しているが、どうせなら相手が悪かったね、仕方ないね、って感じで終わりたいらしい。

 

「………はぁ」

 

 雪ノ下がものすごーく面倒臭そうな顔をしていたのは印象的だった。

 まあ、修学旅行が明けてから、ほぼいきなりだ。つーか平塚先生、こういうのも奉仕部がやるべきことなの? 八幡わかんない。

 ともあれ依頼となれば受け……るしかなかった。連れてきた平塚先生自身が俺達に任せる気満々だったからどうしようもない。

 

「ようするに最強の対抗馬が居れば済むわけだが……」

「それなら俺がそこに納まるよ」

「へ?」

 

 どうしたものかと頭を悩ませていると、開けっ放しにされた奉仕部の引き戸をノックするイケメン。

 葉山隼人がそこに居て、「ははは葉山先輩!?」なんて、一色がたいへんおどろきました。

 

「葉山くん? これは奉仕部へ出された案件で───」

「いや、ごめん。その奉仕部に、また依頼をするつもりで来たんだ。……俺を生徒会長にするのを、手伝ってほしい」

「えっ……は、葉山先輩が生徒会長……あ、じゃあわたし、副会長します!」

『オイ』

 

 変わり身の早かった一色に、俺と平塚先生のツッコミが入った。

 起こった話はそんなところから。

 どうやら葉山は本気らしく、サッカーもやめてきたとか。戸部もやめて、グループ全員で青春しようぜっ☆みたいな感じで決意したらしい。

 

「随分と思い切ったことをしたな。顧問には止められたんじゃないか?」

「はは、ええ、それはもう。でも……決めたことです。今まで受け身だった分、もっと無茶なことに踏み出してみたくなったんです。今までの自分を見つめ直すきっかけがあって、振り返ってみたら……なにもないことに気づいて。そしたら、戸部が“そんじゃあ今から思いっきり青春しちゃえばいいじゃないのさぁ!”って言ってくれたんです。……そうしたら、体に電流が走ったみたいな……はは、なんかじっとしていられなくなって」

「……そうかね。大事な青春だ、止める理由もたった今なくなった。謳歌したまえ、葉山少年」

「はいっ!」

 

 青春ってスゲーのな。

 目の前で眩しいものをイケメンに見せつけられた気分だ。ユウジョウ!!

 

「というわけで……一色さん。悩む必要もなく、最強の対抗馬が出来たわけだけれど」

「はいっ」

「あ、やー……うん。いろはちゃん? この流れだとさ、副会長……優美子が取りにくると思うよ?」

「え゙っ……」

「んで、そうなれば戸部も海老名さんもなにかの役に収まるだろうし、大岡も大和も来るだろうな。……あー、その。よ、よかったな? 相手にもならずに終われると……思うぞ?」

「………」

 

 その後。

 対抗馬らしい対抗馬もなく、葉山グループは生徒会役員に治まった。

 一色を生徒会長に推薦した女子は、嫌味を言うでもなく、むしろ同情するかのように「あ、相手が葉山先輩と三浦先輩じゃしょうがないって……その……うん……なんかごめん」って謝ることさえしたらしく、一色が下りることを決意しても、むしろ温かく迎えてくれたらしい。

 

  で、現在。

 

「だいたいですねー! そもそもあれ、わたし悪くないじゃないですかー! そりゃあ波風立たないように収められたらなー、とは思ってましたよ!? でも虚しいっていうか、あれってあんまりじゃないですかー!」

 

 なんでか、一色は奉仕部に入り浸っていた。

 いやほんと、なんでだよ。

 不安は取り除かれたんだから、新しく出来た友人とやらと遊んでなさいよ。

 

「葉山先輩、本当にサッカー部やめちゃうし……わたしもやめようとしたらやっぱり葉山目当てだったのかーなんて陰口言われるし……もう最悪ですよ……。私がなにしたっていうんですかー……」

 

 それな、ほんとそれ。

 なにもしてないのに迷惑ばかりがやってくること、あるよな。

 ぼっちだとよくわかるわ。

 自分をよく思ってない級友に推薦されて、迷惑しながらも波風立たずになんとか……とか思ってたら最強の対抗馬。

 気になる相手だから副会長にでもなれば……と思ったら女王降臨。

 他の役員枠は他のメンバーで埋まって、いまさらそこに適当な役で入ってもひとりだけ一年で肩身が狭い思いをするだけ。ていうか女王怖い。

 で、辞退すれば、勝手に推薦した女子に憐れまれる始末って。

 俺だったら泣くわ。やだ、いろはす強い子。

 しかしさすがに不憫に思ったのか、雪ノ下もわりとやさしく接している。

 

「はぁあ……紅茶おいしいです雪ノ下先輩……」

「そう」

 

 紅茶ごちそうするくらいだが。

 いやお前、これやさしい方よ? お菓子付きなんて特にだよ。

 しかしここに、他の女子に雪ノ下と親しくされるとちょっぴり不機嫌、由比ヶ浜さんがおる。

 一色が楽しげに雪ノ下に話しかけると、うー、と唸る。

 相模の件で聞いたけど、お前どんだけ雪ノ下のこと好きなの。八幡ちょっと妬いちゃいそう。

 気を紛らわせるつもりで頭を撫でたり、服を抓んでる手をほどいて引き寄せ、腕を組んでみたりして。

 しばらくそうして、傍から見るといちゃついているようにしか見えないやりとりをしていると、

 

「えへー……♪」

 

 上機嫌で腕に抱き着くガハマさん、完成。

 一色が「部室でいちゃつかないでくださいよー……」とどん引きし、雪ノ下は溜め息を吐く。そうすると二人の会話も中断されるわけで、結衣ごきげん。

 不思議なもので、この奇妙な嫉妬は俺と雪ノ下が誰かと会話していると現れるらしく、たとえば三浦が誰かと親しくしていようと沸いてこないっぽい。

 そう思うと、なんだかきちんと俺自身を思ってくれてるんだなー、とかぼっち特有の喜びが湧いてきて、嬉しいっちゃ嬉しいんだが、それも押し込める。

 勘違いだ、などといまさら言うつもりはないが、ぼっち特有って考え方はいい加減封印していこうと思うのだ。

 夢の中の幼馴染な俺たちほどはっちゃけろ、と言わないし言えるわけもないが、あんな関係には正直憧れた。

 

  だから……まあ。

  今はこうして、真っ赤になる相手の傍まで歩いて、何度だって手を差し出そう。

 

 夢の中だろうと、ぼっちだった俺を救ってくれたのはこいつで。

 この現実でも、こいつが来てくれてから変わったことがたくさんあった。

 その感謝の分と、俺がとっくにこいつのことが好きだからって理由の分だけ、呆れるくらいに俺から行こう。

 実の妹さえ、時々気持ち悪いと言えるほどの過保護と構いテクで、これからも。

 案外早くに“そんな構ってくれなくていーから! ヒッキーキモい!”とか言い出すかもなーなんて、小さく笑いながら───

 

「な、結衣。ちょっと手、出してくれ」

「? いーけど……なに?」

「…………」

 

 出された手に、手を重ねた。

 ただそれだけ。……それだけが、酷く悲しい。

 

  ふぁいとー! おー!

 

 もうきっと、二人には届かない合言葉を口の中で唱えて、目を閉じた。

 泣きそうになった。ほんと、情けない。

 それでも、首を傾げる結衣を促して、俺達の日常は続いていく。

 夢の中で夢を見る、なんて奇妙な体験はもう、きっと起こらない。

 けれど、もしもう一度見ることがあったなら……せめてそれは、幸福な未来であってほしい。

 俺達じゃあ、もう築けない関係の先を、幸せって結果で埋めてほしい。

 結衣を泣かせた俺の未来も、きっとこいつが頑張ってなんとかしちまうんだろうから、諦めずに信じてみやがれ。

 ……代わりに、こっちの未来は任せとけ。

 

「結衣」

「う、うん? なに? ヒッキー」

「絶対、幸せになろうな」

「……………」

「………」

「……ホエッ!? えっ!? それって───《ボッ!》……ひゃああああ……!!」

 

 物語は続く。

 青春ってものを過ぎてもまだ、青春のあとには後日談が付き物だ。

 それはとっても長いお話でもあり……必ずしも幸せってわけじゃあないのだろう。

 

「なぁ、結衣。俺の家から結構離れた場所にな、雑貨屋があるんだ」

「ふえっ、はひゃ……!? ざ、雑貨屋……? あ、えと、……うん、たぶんそこ、知ってるかも……」

「そこに、ちょっと買い物にでも行くか。都合のいい日、あるか?」

「きょっ……今日! 今日行こう! だいじょぶ! めっちゃ空いてる!」

「……近ければ積極的で、離れれば恥ずかしいってなんなんだよ可愛いなちくしょう」

「うん、う、うん、だいじょぶ、だいじょぶー……はー、ふー……うん。そ、そんでさ? なに買うの? そこじゃなきゃだめな理由とか、あるの?」

「おー。ちょっと、欲しかった砂時計があるかもしれんから」

「砂時計!? なんで!?」

 

 でも……まあ、そだな。

 ちゃんとそうなりたい想いがあって、そうなりたくない可能性を知っていて、幸せな関係を知っているんなら。

 

 ……頑張れるだろ、いくらでも。

 

 

  ああ、幸せになろう。絶対に。

 

  理想から離れた現実に泣こうが泣かされようが、いつか絶対に、大事な人と一緒に。

 

 

 

 

 

 

  ───あの時こうだったら。

 

 

 きっと誰もが、いつだって思うことだ。

 

 そうであったなら、自分はきっとこうだったと。

 

 あの時こう出来ていたなら、自分は絶対にこんな自分じゃなかったと。

 

 けれどそれが叶うことは絶対になくて、仕方ないから今の自分を受け入れる。

 

 

  でも、そんな中で……気づく時があって、気づく人が居る。

 

 

 “こんな自分”の中にも嫌いになれない部分もあって、もし生まれ変わるんだとしても、マシだと思える部分は残しておきたいと思うのだ。

 

 自分の全てが嫌い、という人は見たことがない。

 

 口では好きなだけ自分を嫌えても、じゃあ死んでと言われて自分を殺せる人は滅多に居ない。

 

 なりたい自分になれるなら、そもそもこんな自分になっていない。

 

 それでも、そんな自分が好きだという考えが、少なくとも俺にはあったのだ。

 

 なりたい自分があるのなら、本気でそんな自分になりたいなら、恥も外聞も全部捨てて、ひたすらそんな自分を目指せばいい。

 

 そうして目指すことが出来ないのなら、そんなもんは自分の努力不足なだけなのだから。

 

 

  ああ、そうだな。……いつか、たとえば、って思った。

 

 

 夢を見たんだ。夢の中で、夢を見た。

 

 誰がどんな後悔を背負って、どんな“あの時こうだったら”を願った結果なのかはわからない。

 

 何処の誰がそれを受け止め、誰の夢を叶えた結果があの夢だったのかも知らない。

 

 でも。俺達は笑っていて、幼馴染たちも笑っていて、夢の世界でも夢の夢の中ででも、あの日───あいつだけが、竹林で泣いていた。

 

 きっかけがあって、思ってしまうことがあって、もしそれを叶えてくれるなにかが居たなら。

 

 別の俺がやっちまった夢の世界のように、まだ修学旅行前の俺が居る平行世界にも似たような夢を見せる猫が居るなんて……そんなこともあるのかね。

 

 

 

 

 

 遠い遠いいつかの日。

 

 寝て起きて、また眠り。今日も夢を見て、目覚めれば夢のために努力する。

 

 目が覚めて、目の前に人の顔をつんつんつつく好きな人の顔があって、勝手に顔が緩んだ遠い未来。

 

 ただ……ふと。

 

 もう覚えてもいない夢の内容の中で、小さく……喉を嗄らしたような、猫の鳴き声を聞いた気がした。

 

 娘が笑う。

 

 夢の中に、目が腐った猫が居たと。

 

 どんな夢見せてんのか知らんけど、ほどほどにな、なんて呟いて……今日もまた、夢のために歩き出す。

 

 

 

 

 仕事が終わった夜。

 

 大きなベッドで妻と娘と寝転がる中、娘が夢のことを自慢するように語った。

 

 それは、四人の幼馴染が眩しい青春を過ごし、幸せになったあたたかな夢だったそうだ。

 




 じゃかじゃんっ! クロマティ……!
 はい、そんなわけで最終回です。
 皆さまお疲れさまでしたー!

 花騎士やりながら俺ガイル原作を読んで、ホフゥと溜め息を吐いている麺類です。
 いやこの花騎士、マウスオート連打ツールがあると楽で楽で。あ、どうでもいいですね。
 えー……次回予告やキャプションで燥ぎすぎた所為で、特に言うことが残ってません。

 えーとそのー……どこにでもあるような普通なお話でしたよね? んああ仰らないで。

 長引かせてだるんだるんになるのもアレなので、さっくり終わらせます。
 あれですね、うだうだ言うのはもーやめだ! ってアレです。

  この小説は、楽しい時は大事だと思う奇妙、凍傷と。

 ごらんのスポンサーの提供で……他に提供者なんて居るわけがないので、よくあるアンドユーとか書きたい気分です。
 ネタを拾ってくれた皆さま、感想をくださった皆様、ありがとうございましたー!




-おまけ-

 とある少女が見た夢の続き(夢と現実の僕らの距離のネタ)


「おーい雪乃ちゃーん、結衣にはーちゃーん」

「あら姉さん、なにかしら。今ロミオの青い空がとても良いところなのだけれど」

「うんうんそーでしょー! 静ちゃんに借りた甲斐があったねー! じゃなくて。ちょっと高校でめんどい課題が出てきちゃってさ」

「めんどい課題……? 陽乃さん、それってなんですか?」

「もー、結衣ってばいい加減、私のことお姉ちゃんって呼んでくれてもいいのに」

「マ、ママは渡しませんからね!?」

「じゃあはーちゃん取った!」

「もっとダメ!!」

「あの、陽乃さん? 課題ってどんなんですか? 俺達に用があるって……」

「そうそうそれなんだけどさ、聞いてよはーちゃん。静ちゃん……ああ、担任が平塚静って女の先生なんだけどね? その人がさー、家族に好きな物を訊いてきて、家庭科で作るなんていうめんどいのを出してきたわけなのよ」

「そうね。私はストームブリンガーが」

「はいストップ雪乃ちゃん、好きって、そういう方向のじゃないから」

「魔法なら融合魔法が好きね。光と闇が合わさって最強に見えるものとか」

「雪乃、それ魔法っていうかブロントさんとグラットンソードだから」

「えっと、陽乃さん? つまりゆきのんに好きな料理を聞いて、それを作るってことですか?」

「違う違う、言ったでしょ? 家族の好きなものって。べつに一人って言われてないし、私にとっては雪乃ちゃんも結衣もはーちゃんも家族だから。まあ? 一番好きなのはママだけどね~♪」

「だからママはあげませんてば!」

「まーまー、それよりさ、ほら。好きな物好きな物。はい雪乃ちゃん」

「FF5ではとある場所の骨からゾンビメイルが───」

「だから好物の話だって言ってんでしょーが! いつからそんなコになっちゃったのもー! ……あー、じゃあ結衣から。はい」

「ふえっ!? え、えと…………はーくんが作ったカレー……かな」

「どうやって作れっての! はーちゃんが作らなきゃ意味ないじゃない! ~~……次、はーちゃん」

「なんかヤケになってません?」

「誰の所為よ!」

「少なくとも俺の所為じゃないですよ!」

「言っとくけど、結衣が作った料理とか言ったらグーで殴るから」

「俺にだけ厳しすぎません? まあいいですけど……そうですね、チャーハンとか普通に好きです」

「おっ、普通の答え。しかもチャーハンなんて、男の子だね~♪」

「性別関係ないでしょが。で? 雪乃ー? お前の好きな物は?」

「ここで一発お姉ちゃんが好き~、とかボケてくれたらお姉ちゃん的にポイント高いんだけどなぁ」

「どこのシスコンですか」

「んー? 違う違う、私のはファミリーに向けての愛情だから、ファミコンファミコン」

「ゲーム機しか思い出しませんね……俺もシスコンではありますが」

「じゃあほら、雪乃ちゃん? 雪乃ちゃんはなにコンかなー?」

「……ネクロノミコンとか、どうかしら───!?《クワッ》」

「………」

「………」

「とりあえずお菓子で本みたいなのでも作るよ」

「……そっすね。それがいいと思います」

「え? あ、あの、姉さん? はーくん? 今のは○○コンとネクロノミコンをかけた高度な……あの、えっと……ゆ、ゆーちゃん!? ゆーちゃんならわかって───え? 居ない……?」

「結衣ならさっき、そこのベランダから自分の部屋に走ってったぞ」

「んふふ、“ママー! 炒飯の作り方教えてー!”だって。かわいいわよねー♪」

「………」

「………」

「………」

「と、ところで今のは」

『言わなくていいから』



───……。



……。


「……ってことがあったなぁ」

「あったねー。てゆーか、あたしがママのところに行ったあと、そんなことがあったんだ」

「そうそう、あの頃の雪乃ちゃんってばほんと……ぷふっ! くふふふふ……!」

「あのー……お兄ちゃん? 結衣さんに陽乃さん? ……雪乃さん、悶絶してますんでそのへんで……」

「嫌ぁあああ……!! 忘れてちょうだい、忘れさせてぇええ……!!」

「まあ雪乃ちゃんは断続的につつくとして。今ならどう? 好きなものとか」

「あー……そうですね。あれです。夜が明ける空の色?」

「あ。じゃああたし、懐かしいフランス映画!」

「~……それなら私は、濃いめのミルクティーが……」

「じゃあ小町は喫茶店のナポリタン!」

「……これ、私はクッキーの罐のぷちぷちって言わなきゃだめ? ていうか静ちゃん怒りそう」

「わかった時点であれですって。俺達はまあ、親父やお袋、パパさんママさんが持ってるCDとかも聴くから、たまたまでしたけど」

「うん、それ言うなら私もだし」

「ちなみに雪乃は前にヘビメタに手を出して大後悔しました」

「はーくん!?《がーーーん!!》ななななぜそれを姉さんに言うの!?」

「いや、だって俺のCDラックに毎度押し付けられてたら、仕返しもしたくなるだろ。何度返しても置いていくし」

「あーうん、あの頃のゆきのん、周囲から外れたものを聞けば覚醒出来るって言ってたよね」

「あー、ありましたねー。そういえば雪乃さん、覚醒って……できたんでしたっけ?」

「《ぐさっ》……っ……い、いえ、かくっ……覚醒、というのは……ね? 小町さん……!《カタカタカタカタ……!》」

「小町ちゃん? かくせーってのは難しいらしくて、それを乗り越えた者じゃなくちゃラーニング……だっけ? を使えないんだよ?」

「《ゾブシャア!!》ウヴォァ!! …………《ぽてり》」

「ばっ……結衣……! 雪乃の前でラーニングはっ……!」

「え? あっ!」

「ゆ、雪乃? 雪乃ー? ベッドは一人で占領するなって言ってるだろー? ゆ…………おい、どーすんのアレ。布団にくるまってしくしく泣き始めたぞ……?」

「ゆ、ゆきのんごめんね!? だいじょぶ! かくせーできるよきっと! あたしも手伝うから! ほらっ、前に作ってたえーとぐりもあ? あれがあればなんとかなるよ!」

「《ザゾゾスザスゾスゾブシャシャシャア!!》…………───」

「……あれ? ゆきのん? あれ? ……はーくん、ゆきのん動かなくなっちゃった……」

「トドメ刺してやるなよ……」

「じゃあ雪乃ちゃんも動かなくなっちゃったことだし、晩御飯はラザニアでいい?」

「通しでいくなら彼女のラザニアですね。結衣、頼んでいいか?」

「え? ラザニア? ……あ、そっか。うん、わかった」

「たまには親が持ってる音楽を聴くのもいいもんですよねー。お父さんも喜ぶし。あ、これ小町的にポイント高い」

「三人の卒業の時に、静ちゃんでも呼んで“一番偉い人へ”でも歌ってあげれば? きっと喜ぶよ?」

「逆に殴られませんかね」

「うん、実は殴られた」

「ダメじゃないっすか!」


 ちゃんちゃん。


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IFものとか
ぬるま湯のIF


  ───俺がその人と出会ったのは、本当に偶然だった。

 

 人生ろくなもんじゃねぇ、なんて、高校生男子は大体考えるもんだと思う。

 俺ももちろんその中の一人で、家がまあどっちかっつーと裕福ってこと以外は、マシなものなんぞ特になかったと言える。

 雪ノ下っつー建設会社で運転手やってるのが家族の一人。

 兄姉は真面目で頭も良くて、末弟の俺だけが出来そこない。

 不良だなんだって、家族の恥だとまで言われ、じゃあ真面目になりますって頷くヤツなんざ見たことがねぇ。

 そんな俺だから、当然ガラの悪い連中ともぶつかるわけだ。

 一丁前にツッパって、周囲を威嚇してばっかだった。

 しかし、そんな俺にだってポリシーはある。

 弱い者イジメはぜってぇしねぇ。

 男女平等で殴りもするが、弱い者は守るもんだって思ってる。

 

  だから、そんな出会いの引き金になったことだって、俺のポリシーとは関係ないところから来たものだった。

 

 不良やってるからって、それだけの理由で絡まれることなんざ案外ある。

 あいつが気に入らないんだ、やっちゃってよ! とか言い出す馬鹿は案外居る。

 当然、降りかかる火の粉は払うよな? まあ、俺の場合はその前に逃げられるなら逃げる。当たり前だろ? ツッパってるからって痛い思いをしてぇわけじゃねぇ。

 しかし囲まれちまったんじゃあ話は別だ。

 

「タイマンも出来ねぇのかよ……無様だなアンタら」

「るっせぇよ。勝ちゃいンだよ勝ちゃァよォ」

 

 逃げ出した先で囲まれた。

 アホみたいな話だが、相手が俺のことをよーく調べてる証拠だ。

 誰が企んだのかは知らねぇが、どうであれ“強さ”を示したんならそいつが強者だ。殴るに値する。そいつ自身が弱かろうが、金で雇ったんであろうが、なんであれ強さは強さ。OK、首謀者は女だろうがぜってぇブン殴る。

 その前にここをどう切り抜けるかか。まいったね、どうも。

 

「冥途の土産に首謀者、教えてくんねぇ?」

「やだね。前にそれを教えた所為で、退院直後に闇討ちされたヤツが居るらしいからな」

「なんだよそいつ、俺のファン? それともストーカー?」

「なんとでも言っとけ。どうせここで、復讐ってのも考えられなくなるくれぇ恐怖ってのを叩きこまれるんだからよ」

「あーそーかい。んじゃあ……冥途の土産は俺が選ぶわ」

 

 道連れを決定する。

 恐怖を刻み込まれるってんなら、相手にだってその覚悟はあるよなぁ?

 

「てめぇらぁっ! やっちまえぇっ!!」

『ウォオオオオオオオオオッ!!!』

「だーれーにーしーよーうーかー───なっとおっ!!」

「《ゴチャアッ!》うぶぅっ!?」

 

 一番最初に殴りかかってきた男の顔面に拳を埋める。

 鼻血と涙を散らしながら倒れようとするそいつを追って走り、追撃としてサッカーボールキック。

 がぽぉん、なんて音が鳴って、後頭部から倒れる筈だったそいつは横倒れに崩れ落ちた。

 

「て、てめぇ!」

 

 欲しいのは冥途の土産だ、出来る限りの数では断じてない。

 なので、倒れたそいつ“だけ”をいつまでも殴りまくり蹴りまくり。

 やがて、集団の力によって殴り倒され、情けないくらいボッコボコにされた。

 

「お、おいやべぇぞ! 気ぃ失っちまってる!」

「誰かそいつ病院連れてけ! ~~……やってくれたな都築ィ!!」

 

 腹を殴られながら、呼ばれた苗字に「ンだコラァ!!」と返し、次の土産を殴り飛ばす。

 ま、当然ながら長続きなんざ無理ってもんだ。

 やっぱりボコボコにされて、しかし噛みつき、そのたびにボッコボコにされ、地面に転がった。

 

「はっ……はぁ、はぁっ……! ムカツく野郎だ……! 腰抜けの逃走野郎じゃなかったのかよ、オイ!」

「い、いえ! こいつはほんと、誰相手でもまずは逃げるとかで……!」

「チッ……無駄な戦いはしねぇってか。よっぽど場慣れしてるってことじゃねぇかよ、クソが……! けどまぁ……」

 

 ドフッ、と。

 倒れた俺の腹に、ボス格の野郎の蹴りが埋まった。

 ~……遠慮ねぇな、くそ……! 俺もだけど……!

 

「無様だなぁ、ええオイ? 都築くぅん?」

「はぁ、はぁ……! るっせぇ……! 顔近づけんな、口臭ぇんだよ……!」

「そういうお前は鉄臭ぇよ。血ぃ流しすぎてんじゃねぇの? ぎゃははははは!!」

「っ……!」

 

 言う通り、額が割れてる。

 出血ばっかひどくて、しかも中々止まらない。

 手当でもしてぇところだが……あぁくそ、不良だからなんだってんだよ、俺は静かに暮らしてぇだけなんだ。

 俺は元々降りかかる火の粉しか払ってこなかったっつーのに、てめぇらがほっとかなかったからこうしたんじゃねぇか。

 体も鍛えた。威嚇の仕方も覚えた。なのにこれ以上俺になにを求めるってんだよ。

 俺に構わないってんなら喧嘩だってやめてやるさ。けどな、いっつも襲い掛かってくるのはてめぇらからだろうが。

 

「オラ、なんか言い残すこたぁあるか?」

「あー……そうだなぁ……。おめぇら、正義は好きか?」

「大好きだ。勝者は常に正義だからな」

「あぁそうかい。俺は大嫌いだよ。天国に昇れ、そんで二度と戻ってくんな」

「はぁ? なんだそりゃ、地獄に落ちろの逆とでも言いてぇのか? ぎゃっははははははこいつ馬鹿だ!」

 

 笑いながら、顔面を蹴られた。

 ジンジンと断続的に走る痛みに、涙が滲む。

 っつぅう……! こんの野郎……! 傷塞がったら覚えてやがれ……!?

 

「んじゃ、これからお前の指、一本一本ゆ~~っくりと折っていくからな」

「───!? っは!? てめっ……なにを───!」

「復讐なんてしたいとも思わねぇくらいの恐怖、ゆっくりと覚えてもらうぜ?」

「……!!」

 

 小指を握られた。

 ぞわりと寒気が走り、途端にみしみしと、ゆっくりとした圧力が加えられてゆく。

 思い切り力を込めて抗うが、どずんと腕を踏みにじられ、その衝撃で力が散る。腕を圧迫されると、手への力が抜けるアレだ。

 

「ふっ……ざけんな! 勝手に人の平穏ブチ壊しといて、人の指を折るだ!? 俺はただ降りかかる火の粉を───!」

 

 必死に抵抗しても、圧力は増すばかり。

 やがて小指が、曲がる限界以上をミシリと描こうとした瞬間。

 

「おぉおおおまわりさぁあああああんっ!! こっち! こっちですよぉおおおおおっ!!」

 

 そんなバカでかい声が、路地裏先の広場に響いた。

 

「警察って……おいやべぇぞ!?」

「お、俺行くからな!? 捕まるとか冗談じゃねぇ!」

 

 集められただけの雑魚がさっさと逃げてゆく。

 が、俺を押さえつけたままのそいつは、ニヤニヤ笑うだけで逃げようともしない。

 

「~~……んだよ……! てめぇは逃げねぇのか……!?」

「おまわりさーんなんて叫びを聞いて逃げるかよ。そういうのは大体がその場限りの声だけだ。ザコどもはさっさと逃げたけどな、俺はそういうの、怖かねぇんだ。……見ろよホレ、叫ばれても、居るのは女二人だけだぜ? おまわりさんはどこかなー?」

 

 みしり、みしりみしり。

 指が悲鳴を上げる。

 やばい、痛い、寒気がひどくなり、望んでもないのに喉が悲鳴を上げようとする。

 

「しっかし情けねぇなぁ都築さんよォ!? 女に、しかも典型的なおまわりさーんなんて言葉に助けられそうになるとかよぉ! しかもお巡りさんなんて来やしねぇ! 結局よぉ!? はみ出した馬鹿なんざ、だぁれも助けてなんかくれ───」

「秘技! “甘い反抗期”(ガムシロ・レジスタンス)!!」

「《マチュー!》ギャアーーーーーッ!!」

「……へ?」

 

 突然だった。

 すぐ近くに人の気配がして、顔を上げてみれば……俺を押さえつけていた男が、顔面を両手で覆って俺から飛びのいた。

 

「目が……! くっそ誰だてめぇ! ……っつーかなんだこりゃあ! 水……じゃねぇ! ぬめぬめして……くそっ! 取れねぇ!!」

「グフフハハハハハカカカカッカッカッカッカ……!! 我が誰とは面白い……! ……名前を聞くならまず自分から。そんなルールも知らんのか、このたわけが」

「あぁ!? 女ぁ!? 女が俺に攻撃……っ!? てめぇ誰だ! ザコの分際で俺に歯向かうんじゃねぇよ!」

「……歯向かってはいない。ただ急にガムシロップを発射したくなっただけ。そこにあなたが立っていた。偶然としては出来過ぎている……そんな出会いはそこはかとなくジャスティス」

「くっそがぁ! 恥ずかしくねぇのか都築ィ! 女に助けられるなんてよぉおお!!」

「いや……べつに俺、平穏だったらなんでもいいし。それよかよぉ、小指折られそうになった仕返しをしてぇんだが……」

 

 小指の具合を確かめる……が、握りこもうとすると激痛。

 あぁ、こりゃ無茶出来ねぇな。

 どうしたもんか……と思ったら、サイドテールのジャスティス言ってた女が、スカートのポケットから……何故か結束バンドを取り出した。

 それをもう一人の黒髪ロングの女に分けて渡して、

 

『秘技───』

 

 がむしゃらに拳を振るう男を背中からトンと押し、倒れたところへ腕を極め足を極め、呆れる素早さで結束バンドを通すと、キチチチチと最後までを結束した。

 

『───“ガイアの夜明け”(レンジャーズダウン)……!』

 

 その在り方はまるで、本部以蔵にベルトで拘束されたガイアのようだった。

 

「なっこらっ! てめぇらなにしやがった! このっ! こっ……!? う、動けねぇ……!?」

「お前は強かったよ……」

「でも、間違った強さだった……」

「ふざっけんなほどけコラァ!! 女が男を見下しやがって! 後悔することになるぞコラ!!」

『………』

 

 騒ぐ男を、立ち上がってから静かに見下ろす二人。

 俺はといえば…………ちょっと状況についていけない。

 目を封じたとはいえ、男をあの速さで封殺とか何者だよこいつら……。

 

「聞けば、復讐すら考えられなくなる恐怖を、とか言ってたねぇキミ」

「あぁそうだよ! 俺ァしぶといぜぇ……!? 言っておくがよぉ、声、覚えたからなぁ!? 似たような声したやつ、片っ端から攫ってよぉ……人前歩けなくなるくらい───」

「ギルティ。姉様、姉様、この男、女の敵」

「ギルティ。丁度こんなところに買い出ししたマヨネーズが」

「まあ姉様、それはとてもジャスティス」

「フフフハハハハハ……! 時にそこな男よ! ……カラスって肉よりマヨネーズとか、脂身が好物だ~って話、知ってるかなー?」

「へ? 俺? いや……知らんけど」

「そーかそーか、いかんぞいかんぞ勉強不足だ! で、そんなカラスさん大好きなマヨネーズを、この身動き取れない男にた~~っぷりかけるわけですよ。主に素肌が露出しているところに」

「《マヂューヂュヂュッ! ニュルルルル……!》お、おいっ! なにしやがんだ! おいっ! おっ…………おい? カラス? 素肌? ……は、はっ!? おい、冗談だろ!? おいっ!!」

「……鳥葬を知ってる? 知らないなら身を以て知るといい。運が良ければ結束バンドも千切れるかもしれない。偶然を信じる心、実にジャスティス」

「わはは、だーいじょうぶだよー? キミは女に負けるんじゃあない、カラスに負けるのさ! よかったねー、女には負けないよ!」

「ふっ、ふふっふふふざけんなっ! おいっ! 外せっ! 外せよコラ!」

「だめだ」

 

 無慈悲だった。

 悲しみを背負った北斗神拳伝承者のような顔をして、黒髪ロングはあっさりと吐き捨てた。

 そして100円ショップの買い物袋から洗濯バサミとボールペンを取り出すと、サイドテールの眠たそうな女に頷いて見せて、そいつが手で吹矢のように軽く握った両手を口につけ、しゃがれたような声でカラスの鳴き声を真似すると、底意地悪い声で言ったのだ。

 

「さ、言ってる傍からカラス様の到着じゃー! ……では、やすらかに眠りたまえ」

 

 言いながら、脱いだブレザーをばさばさと揺らすと、その直後に洗濯バサミで男の手の皮を挟んだり、ボールペンでゾスゾスとつついたりと、芸の細かいことをやり始める。

 当然目の見えない男にとっては恐怖以外のなにものでもないわけで。

 

「ヒ、ヒィイイイ!! いやだ! やめろぉお!! 死にたくねぇええっ!!」

 

 半狂乱。っつーかもう狂乱。

 洗濯バサミの数が増えて、ボールペンで刺したり洗濯バサミをブチーンと引っ張って取ったりと、追い詰める作業は続き───

 

「ぎゃああああああああっ!! ママーーーーーーンッ!!」

 

 男はやがて、悲鳴をあげたのちに……気絶した。

 いや……つーかママーンって。

 あ、あー……小便垂らして泡吹いちゃってるよ……。

 こりゃこいつ、もうここらへん歩けねぇな……。

 

『成敗!!《どーーーん!》』

 

 で、女たちは女たちで勝利のポーズ取ってるし。

 はぁ、なんか滅茶苦茶だなこいつら。

 

「やあやあ少年、危ないところだったね! 我らが通りかからねばいったいどうなっていたことやら!」

「どうなってたって……ま、指折られて入院ってとこじゃねぇの? 退院したら復讐するってだけで」

「おお、状況分析出来てるね、結構結構」

「男は多少ひねくれてるくらいが丁度いい。……ん、かなりジャスティス」

「つーかお前ら、俺のこと怖くねぇの?」

「へ? なんで?」

「誰であろうと人は人。外見で判断するのはとても失礼。人は中身で勝負。それは我が血に流れる誇り高き血統を重んじる、譲ることの出来ないジャスティス」

 

 血統って…………なにこいつら、もしかしていいとこのご令嬢とか?

 ここいらだと雪ノ下とかか?

 

「……お前らもしかして、雪ノ下とかいうところの娘かなんかか?」

 

 だとしたら目障りだ。

 ウチが都築だと知りゃ、鬱陶しい態度でくるかもし───

 

「No、違う。比企谷。そして由比ヶ浜」

「その通り! 我らが身に流れるは恋とともに生きる血統、由比ヶ浜ぞ! そして家族を何よりも愛する血統、比企谷!」

「……聞いたこともねぇんだが」

「広めてるわけじゃないしねー。おっと、早く帰らないとパパに怒られる」

「買い物が遅い、ではなく、美鳩たちを案じての怒り。とても暖かいジャスティス」

「結局怒られるなら普通に戻らねばでしょ! ではな少年! 気をつけたまえよ!」

Addio(さようなら)

 

 急いでいるのか、二人はさっさと行こうとしてしまう。

 ちょ、待て待て! 俺は不良だが、きちんとお礼もしねぇままで逃げられるとか、そんなの許さねぇぞ!

 

「ちょ、待て! おい!」

「礼ならばいらぬ!」

「無駄に男らしいなおい! じゃなくて! なっ……名前くらい聞かせろ! 知らねぇやつに助けられるとか、格好悪ぃだろうが!」

「格好悪くてなにが悪い!《どーーーん!》」

「……!!」

 

 格好悪くて…………なにが…………!

 あ、やべ……胸に来た。そうだ、俺はいつから格好なんてものに拘って───

 

「じゃ、さいなら!《ダッ!》」

「ってちょっと待てそれただてめぇがさっさと帰りてぇだけだろ!! 俺の感動返せてめぇええっ!!」

 

 台無しだよこの野郎!

 ともかくなにか言ってやりたくて、久しぶりに“相手の顔”を見た。

 他人なんてどうせ、なんて思い、深く関わらないためにも、すぐ忘れるためにもまともに顔も見なかった俺が、久しぶりに。

 そこには───

 

「ごめんよ少年! わたしたちは悪であるが故に己の心を貫かねばならんのだー!」

「何人たりとも、美鳩たちの悪を挫くことは出来ない……! それは一部を除いて譲ることの出来ない貴きジャスティス……!」

「───……」

 

 そこには。天使が居た。

 髪型と輪郭しか認識していなかったことを後悔するくらいの美人。美人っつーか、可愛いっつーか……その二つが幼さを残しつつも混ざりあってるっつーか……。

 

「…………」

 

 呆然。

 かける言葉も忘れ、俺は立ち尽くし、やがてぺたんとその場へ尻もちをついてしまう。

 顔、あちぃ。

 なんだこれ、心臓がうるせぇ。

 でも……なのに、嫌な気分じゃなくて。

 

「………」

 

 ひきがや、とか言ってたっけ。

 ゆいがはま、とも。

 つまり親の苗字がそれで、サイドテールの女が自分のことをみはと、だとか言ってて…………。

 

「……また会いてぇ」

 

 会って、なんでもいい、話したい。

 熱でも出たみてぇに頭がぼーっとして、二人のことしか考えられなくなる。

 ……ここらへんに住んでるんだろうか。

 あんなに天使なら、知らねぇやつは居ねぇよな……? あ、俺知らなかった。

 いや、だったら訊きゃあいい。

 んでもって、んでもって───…………

 

「お、おぉおおし!! なんかやる気出て来たぜぇええっ!!」

 

 黒髪だったよな! おし! 髪元に戻すぞ! 外見から入った不良もおさらばだ!

 おぉおやべぇ! 今めっちゃくちゃ気分いいぜ! 今までこんなのなかったぜ!

 ガッツポーズを取って、この出会いに感謝した。

 女なのに男に立ち向かえる胆力も気に入った! 少ない材料で相手を負かすところも実にいい!

 人によっちゃあ小賢しいだの言うんだろうが、限定された手段で勝とうとするのは小賢しいってんじゃなくて努力って言うんだ!

 いいじゃねぇか! 最高じゃねぇか!

 っしゃあまずは情報収集だ! 誰かに聞いて、まずは───

 

「……って、あのブレザー、総武のだったよな」

 

 残念ながら高校は同じじゃねぇらしい。

 親にはそこを受けろって言われてたが、親の体裁のために受験とかアホかってんだ。

 だが総武とはなにかと係わりのある海浜に、俺は通っている。

 これはなにかの運命ってやつじゃねぇのかね。

 

「っし、会ってきちんと礼と、あと自己紹介と、名前も聞かなきゃだな……!」

 

 やることはいっぱいだが、難しいことを考える必要はねぇ。

 真っ直ぐ言ってキッチリ礼を尽くせばいいだけのことだ。

 不良ではあるが、物事ってのは弁えているつもりだ。

 憧れの人物は8823先輩な。

 

「んじゃ定番としてダチにでも訊いてみて───…………」

 

 …………。

 

「…………ダチ居ねぇ」

 

 前途多難だった。

 

───……。

 

……。

 

 その日からあの二人を探す日々は続いた。

 見知らぬ男や女に声を掛け、知らねぇかとメンチきってみたり───いや切っちゃダメだろ! なんですぐにこんなことに気づかねぇんだよ!

 もう散々切っちまった所為で妙な噂流れてるよ! 誰も近づいてこねぇよ!

 あと染髪剤買うの忘れてたから、不良に目ぇつけられるって状況しか作れてねぇよ!

 と、とにかく黒に戻してからだ! なにやってんだよ俺ゃあ!

 

……。

 

 で、黒に染めた。

 黒髪も懐かしいなオイ……あぁ、あと眉間に皺寄せんのも直さねぇと。

 さってとー……今日も探すかね。

 

……。

 

 情報のじょの字も手に入らねぇ。

 なんだこりゃどうなってんだ?

 

……。

 

 めんどっちかったから総武高校で待ち伏せた。

 校門前で待ってりゃ出てくるだろ。

 

「………」

 

 ……。

 

「………」

 

 ……

 

「………」

 

 …………ア゙ー……ア゙ー……。

 

「…………こねぇ……」

 

 来なかった。

 

「あ、お、おいそこのあんた!」

「ん? なんだね。というか大人に向かってあんたとは、口の利き方がなってないな」

「ンなこたどうでもいいんだっ! ここによ、その……ひきがや、とかゆいがはまって苗字の女子、居るだろっ!?」

「───……ああ、居るな。それがどうかしたのかね」

「会わせろ! その二人に用があンだよ!」

「口の利き方がなってない、と言ったがな。それが人にものを頼む態度か?」

「なんで関係のねぇあんたにンなこと教える必要があンだ《ヂパァンッ!》───……よ…………」

「教師だからだ。……次は当てるぞ、小僧」

「~~っ……!!」

 

 は、速っ……!? 今、頬っ…………見えなっ…………え……!?

 ヂョリッて……パァンって……お、音速拳でも使ってんのかこいつ……!

 

「い、や……~~……そいつらに、恩があるんだよ……! 囲まれてボコられてた時、助けてもらって……! だから……!」

「ん……ああ、そういえば似たようなことを以前言っていたな」

「───! マジかよ! マジで知ってんのか!? 会わせてくれ! 頼む!」

「無理だな。彼女らの親に、私が恨まれる。それに礼なら言われたと聞いたぞ? 君は何を願っている」

「だからっ……きっちり礼がしてぇんだよ! そのあとは───……あんたに言っても仕方ねぇかもだが、惚れた!! 初恋だ! 当たって砕けてぇ! だから、頼む!」

「………」

「………」

「……いや、待て。まっ……ぷふっ! くっ……くふふはははは……! な、なんだ君……! 不良のくせに、女子に救われ、しかも惚れた……!? ぶふっ! くっふふふふふ……ふふふははははは!!」

「ぐっ……ああそうだよ悪ぃかよ! 惚れ方なんざそれぞれだろうが!」

「いやいや実に結構だ! すまないな、笑ったりして。だが生憎と素性の知れん男を女子に会わせるわけにはいかない」

都築槻侍(つづきつきじ)、17歳! 7月2日産まれのO型だ! これでいいか!?」

「……君な、君が親だとして、娘を探してよく解らん男が別の学校まで来た、なんて聞いて、紹介するかね」

「…………しねぇな」

「それに頷けるなら話は早いな、諦めろ」

「ちっくしょぉお! じゃあもう偶然会うこと願うしかねぇじゃねぇか!」

「すまないな。彼女らの親は私の元教え子なんだ。そんな子たちを大して知りもしない男と会わせ、危険な目に遭わせたと合っては合わせる顔がない」

「……いや、あんたは正しいことをしてる。間違ってねぇ。悪かったなせんせ───へ?」

 

 あいつらの親が元教え子? え? 娘? え?

 

「…………あんたいったい何歳だァアーーーーッ!?」

 

 マジかよ信じらんねぇ! どう見たって20台で通用する若さだぞ!?

 波紋使い!? 荒木先生なのかよ!

 

  直後、拳は振るわれた。

  ……今度は外しちゃくれなかった。

 

───……。

 

……。

 

 それから、周辺を徘徊する日々が続いた。

 偶然を装って出会うしかもう手が残されていなかったからだ。

 時には走り回って時には歩いて、ひきがやって表札やゆいがはまって表札を探して。

 が、ものの見事に見つかりゃしねぇ。

 おいおい、ほんとにここらへんの住民なのかよ……あの制服自体がフェイクだったって可能性はねぇのか……?

 

「かっはぁ…………! あー、もう嫌だ、走りたくねぇ……!」

 

 そしてとある日、もういい加減探すのも疲れたある夕方の頃。

 たまにはいいかって気分で偶然入った、喫茶店。

 ぬるま湯、なんてヘンテコな名前は、以前からちっとばかし気にはなっていたが、結局は入らなかった店だった。

 そんな喫茶店で───

 

「───……いらっしゃいませ」

 

 ふわりと振り向き、言葉をくれる天使と再会した。

 

「えっ、あ、が、ががっ……!?」

 

 当然不意打ちもいいところ。

 顔が灼熱して声も上手く出てくれなくて、促されるままに案内されて、メニューと水をもらった。

 つーか気づかれてねぇ!? ……あ、そういや髪戻したんだった、そりゃそうそう気づかねぇよな。

 人はまず色で判断するところがあるってなにかに書いてあった気がするし。

 よ、よーし、ならまずは落ち着こうなー俺。

 ほ、ほ、ほれ、水とか飲んで……よ?

 

「…………《んぐっ、ごくっ……》」

「パパー! ブルマいっちょー!」

「ブブォオオファアッ!?《ゴプシャア!!》」

 

 吐き出した。咄嗟に手で押さえはしたが、びしょ濡れである。

 つーか……ブ、ブルマ!? 天使がブルマって……!

 

「てめぇ材木座いい加減にしろ! 出禁にするぞ!?」

「いいではないか八幡! 我とお主の仲であろう!? というか今回我は別にブルマをお願いしたりはしておらんぞ!?」

「Si,ザイモクザン先生はカプチーノを頼んだ。今のは絆が悪い」

「ギルティ」

「わわわちょっとたんまパパちょっとしたジョークジョギャーーーーーッ!!」

 

 天使が! 天使がアイアンクロ……へ!? ザイモクザン先生!? あのラノベの!? おわぁわわ俺超絶大ファンなんだが!?

 ああいやいや落ち着け俺! まずは───…………

 

「………」

 

 ……ザイモクザン先生の小説のあとがきには、編集さんのことがよく書いてある。

 曰く、天使。絶対的な美貌を持つ天使。その二つ名こそ“銀色の生きる可愛い”。

 い、今……今、ザイモクザン先生の前に座っている、あのめちゃくちゃ可愛い長い銀髪の人って……!

 

「…………」

 

 ああそうか、ここヴァルハラだったんだ。

 知らなかった……世界はこんなにも美しかったんだ。

 

「……ハッ!?」

 

 だ、だめだだめだ! 俺にはもう心に決めた天使が居る!

 俺は───

 

「………」

 

 俺は…………

 

「………?」

 

 あれ? 俺、どっちに惚れたんだっけか。

 ロングの元気っ子? サイドテールの眠そうな子?

 

「ま、まあいい、とにかくまずは注文でもして、来てくれた方と話を───」

 

 そんなわけで注文。

 店員に声をかけて、来てくれるのを待って……やがて来てくれた方に───

 

「いらっしゃいませーっ、ご注文は?」

 

 ほうに…………

 

「………」

 

 えらい美人がそこに居た。

 笑顔がめっちゃ綺麗で、人懐っこそうな雰囲気があって、なんつーのか、この人がここに来た途端、空気が一気に軽くなったっつーか。

 やわらかいっつーのか、ええぇと…………胸でけ《ギンッ!!》ヒィッ!?

 

「……あの。そういうの、困る、かな……」

「え、あ、いやすすすすんませんっ! 悪気はなかったっす!」

 

 つい見てしまった胸元を両腕で隠し、顔を赤くするでもなく困った顔をするその人に対して、ひどい罪悪感。

 ああこれ、もう心に決めた人が居る人の反応だ。しかも、その人以外になんて絶対に嫌だってタイプの。

 そして、先ほど天使にパパと言われていた男が何故か眼鏡を外し……なんかめっちゃ濁った眼でこっち睨んでるーーーっ!? な、ななぁあなななんだあの目! あれが人間の出来る目か!? あんなの初めて見るぞおい!

 だっ……だめだ、勝てねぇ……! 完全に体がブルっちまってやがる……!

 なんて怯えている内に美人さんはその男のところへ行ってしまい、その男に護られるように抱き締められていた。

 

「………」

 

 大変信じられないことだが、あのお方が天使の父親らしい。……マジか。

 くそっ、ビビるな! 俺の興味は天使たちだけだって思い知らせてやればいい!

 

「だ、大丈夫っす! 俺が興味あるのは娘さんたちだけっすから!」

 

 胸を張って言える! ……言った途端、いろいろなところからガタッて音が鳴って、幾つもの視線を感じた。え? なにこれ。

 中でも強烈なのは、一人の和服? 着物? っぽいものを着た、どこぞのお嬢様の母親って感じの人で……

 

「───」

 

 あ、だめ。

 目、合わせたら体が動かなくなった。

 なんだこのプレッシャー……! いやそれよりも……! あの目は、数々の修羅場なんぞもうとっくに熟知してるって目だ……!

 な、なにモンなんだこの人は……!

 

「フーーー……ッ……あなた、まさか美鳩さん狙いでこの店に……?」

「み、はと……そ、そうだ! ひきがやだかゆいがはまだか知らねぇけど、みはとって名前だけは憶えて───」

「喝ァアーーーッ!!」

「《ビビクゥッ!》ひぃいっ!?」

「言うにことをかいて、美鳩さんを呼び捨てっ……!? 母親である結衣さんの胸を舐め回すように凝視するだけに飽き足らず……この痴れ者が!!」

「いやちょっ……舐め回sえぇええええええええっ!? 母っ……母親ァアアーーーーッ!?」

 

 うそだろ全然見えねぇ! いや美人だっつーか可愛い人だとは思ったけど……っ……母!? うそだろぉおおおっ!?

 ていうかその母親さん、旦那さんとめっちゃらぶらぶしてらっしゃるんですが!? 目に毒すぎるだろ! あ、でも可愛い……ヒィ殺気が増した!

 

「ちょっ、待っ……話を聞いてくれ! 俺はただ礼が言いたくて! すすす数日前に不良どもに囲まれてたのを助けてもらって、その礼をっ!」

 

 覚えてるよな!? とばかりに元気っ子の方を見る。

 あの母親さんよりも、カウンターで紅茶淹れてる綺麗な人が母親って言われた方が納得できる子の方。

 

「───その話なら、確かに聞いたことね……そうなの? 絆さん」

「騙されるな鉄郎! そいつは機械の体を餌にお前を───!」

「……良い度胸、と褒めてさしあげましょう。よもやこの私を騙そうなどと。消え去る覚悟が出来ていると判断していいのかしら……オホホホホ」

 

 怖ァアアーーーーーッ!?

 待って!? ちょっと待って!? あなたこそが騙されないで!? つーか鉄郎って誰!?

 あばぁあばばばば体が震えてきた……っつーかオイ! なんで誰もあの夫婦のイチャラブ止めねぇの!?

 キキキッキキキスとかしちゃってますけど!? え!? これ普通のことなの!?(ぬるま湯では日常です)

 なんかこの店やべぇ! でも初恋! 俺の初恋! 実らせてやりてぇ!

 これっきりだなんて嫌だぞ俺は! だから───!

 

「そのっ……都築槻侍! 17歳! 娘さんに惚れました! 俺にチャンスをください!!」

『愛している人が居るから絶対に無理』

「《ゴドッ……ドシャア~~……》」

 

 速攻で断られた。他ならぬ天使たちに。

 膝から崩れ落ち、やがて体が床に倒れるまで、時間なんて必要なかった。

 

───……。

 

……。

 

 人生ってのはろくなもんじゃない。

 改めて思う。マジで。

 しかしながら彩が全くないのかといったらそういうわけでもなく。

 俺に、行きつけの喫茶店が出来た。

 あぁあと、久しぶりに家族と会話した。

 なんかえっらい真っ青な顔して、“比企谷様、由比ヶ浜様の娘様だけはおやめなさい……!”と真っ直ぐに。

 もちろん言われたからって誰がはいそーですかって納得するかって話だよな。

 バイトして、金が出来ると、喫茶店。

 奇妙な5・7・5みたいな言葉が出来たが、まあそれが自分のルーチンっつーの? 日々の行動みたくなっていた。

 とりあえず来る度に違うものを頼んでみている。

 なにが一番美味いかなと。

 飲んで見て解ったが、ここのコーヒーめちゃくちゃ美味ぇ。あ、マイフェイバリッドは角砂糖二つにガムシロップ。入れる時にガムシロレジスタンスとか呟いてるのは内緒な。

 紅茶もよく解らんけど安心する味だし、ケーキとかすげぇ。特にティラミス。

 軽食もやべぇし、好物のクラブサンドとかほっぺた落ちる。

 あ、胸を見ちまったことは、謝罪したら許してくれた。天使だらけだよここ。

 マスターも「ま、結衣は天使だからな」って一応許してくれた。ただし次はない。濁って腐った目で睨まれて言われたら、俺も頷くしかなかった。上には上が居る。

 そして悟った。ザイモクザン先生が出した喫茶店の話の元って、ぜってぇここだって。

 眼鏡取ったら解放される邪眼とか、まんまあのマスターじゃねぇかよ。

 

「《もぐ……》ふぅうぉおおおおおおおっ!!」

 

 そして現在、注文するものも大分進み、チャレンジ系のものに挑戦。

 ……したんだが、努力と根性だけじゃどうにもならないものがあると知った。

 甘っ! 甘すぎる! 歯とか今すぐ抜け落ちそうなくらい甘い! つーかほっぺた痛ぇ! 甘いの食べるとじゅわーってなる、あれの数十倍のなにかが頬を襲う……!!

 

「ファイト! ファイトねジョー・ヤブーキ!」

「じゃぶじゃぶすとれーと……! わんつーわんつー……!」

 

 バスターワッフル、と呼ばれるソレと、MAXコーヒーのセット。

 これを完食することが条件なんだが、未だに成功者たった一人のモンスターセット。

 ひとたびザクリと口にすれば、体験したことのない甘さが自身を襲う。

 タイムを計るために天使(双子だそうだ)が両側についてくれているんだが、幸せと甘さで頭がどうにかなっちまいそうだ。

 だが侮ってもらっては困る。

 こう見えても俺はMAXコーヒーが大好きだ。

 どれだけ甘いかろうが、これで流し込んじまえば───!

 

「《ぐびりズキィーーーン!!》ギィイイヤァアアアーーーーーーーッ!!」

 

 甘っ……甘ァアーーーーーーッ!!

 違う違うこれぜってぇMAXコーヒーじゃねぇ! 俺の知ってるマッカンと違っ……ギャアア頬痛ぇえええっ!!

 だだだだが天使の前だ! 無様は見せられねぇ!

 ようは我慢だ! 我慢して噛んで、飲みこんじまえばよぉおお……!!

 

「《ざくっ! さくさくズキィーーーン!!》ぎぃいやぁあああああっ!!」

 

 ののの飲み物! 飲み物を《ぐびりズキィーーーン!》ギャアーーーーーッ!!

 ああだめ、これやばい、地獄が見える。なんか脳がやばい方向に傾きかけてる気がする。死ぬ。甘さで死ぬ。

 水……普通の水が飲みたい……!

 甘いものがこんなに怖いものだなんて知らなかった……!

 怖いものをこんだけ奨めてくるなら、俺は、俺はもういっそ…………!

 

「……《ピッ》ん、タイムアップ……」

 

 ───最後にお茶が怖い。

 

   ×   ×   ×

 

 ……人生なんてろくなもんじゃねぇ。

 人のつながりなんてものがどこにあるのかも解ったもんじゃねぇし、顔が広いっていうのは本当に厄介なものだとやはり考える。

 だから、もう一度言おう。

 俺がその人と会ったのは偶然だったんだ。

 以前はたまたま居なかったってだけで、今回は普通にそこに居た。

 バスターに敗北して大金を支払って出て行った日から数日後。

 その日までも何度も足しげく通っていた俺の前に、その人は居た。

 同じ苗字で、けれど俺とは出来が違う人。

 和服? っぽいのを着た綺麗な人に付き従っていたその人は、俺がよく知る人だった。

 当たり前だ、身内なんだから。

 そして、付き従うってこたぁこの人が雪ノ下だってこと。

 そんな人に大事にされている“ひきがやきずな”や“ひきがやみはと”が、俺の手の届く人ではないってことにも気づかされた。

 

「………」

 

 いっそ、探しても見つけられなければよかったのに。

 そうすりゃいつか諦めもついて、不良のまま、俺は……。

 

  これで諦めるのかよ

 

 心が悪態をつく。

 仕方ない。

 都築の家に産まれたモンにしてみりゃ、その関係者に手をだすのはご法度もいいところ。

 親兄弟、その全てが世話になってる。ヘタすりゃ全員露頭に迷う。

 好きじゃないし、顔を合わせりゃ出来そこないだの恥だの言われる俺だが、だからって一族が不幸になってほしいなんて考えない。

 口ではどうとでも言えるが、実際にそうなれば本当に、最悪死ぬかもしれない。

 だから俺は───

 

───……。

 

……。

 

 人生なんてものはろくでもないものだと思う。

 が、しかし、なんであれ出来ることはあるのだと、いつか気づけた。

 ふさわしい人になろう、なんて考えがあったわけではない。

 ただ、出来そこないと見捨てられたまま、見限られたまま、自分の価値を底辺に置いたまま、そんな自分を諦めたくはなかったのだ。

 

  ただひたすらに努力した。

 

 その過程、喫茶店に寄ることはなかった。

 今さらだ、だのなんだのと家族に馬鹿にされようが、ひたすらに学び、走り、努力した。

 不良に絡まれたって反撃はせず、ボコボコにされながらも帰宅し、勉強した。

 

  最初に姉が声をかけてくれた。

 

 勉強を見てくれるようになって、成績が上がって、テストでいい点取れたら、ガラにもなく泣いて喜ぶ俺が居た。

 

  次に次兄。

 

 出来そこないは努力はしない。人の目を気にして筆を取る者は二流。己のために拳を振りかざす者は三流。だが、守りたいなにかのために筆を、拳を構える者は、家族と言える。

 そう言って、都築としての振る舞い方を教えてくれた。

 随分とスパルタだったが、それでもよかった。

 不良に殴られるほうが痛かった。

 喧嘩慣れなんて、こんな時にしか役に立たない。

 

  そして長男。

 

 挫けるようならそれこそ鼻で笑うつもりだったが。

 そう言った彼は、俺の努力を認めてくれた。

 次から次へとあれやれこれやれって加減ってものを知ってくれと思ったが、むしろそれくらいが丁度よかったんだろうな。

 がむしゃらになれたら、自分を振り返ることもなかった。

 

  やがて───

 

 大学を卒業した。

 都築の名に相応しい場所、とやらをきちんと修め、あとに待つのは頭の固そうな務め先。

 そこまでしてようやく自分に自信を持てた俺は、のんびりと歩いて、とある喫茶店の扉を開けた。

 ……家族に話してみれば、相も変わらずあの家族には手を出すなと釘を刺した。

 それでもいいのだろう。

 俺はただ、いつかのお礼をきちんと届けたいだけなのだから。

 その過程で想いを打ち明けようとも、きっと叶うことはない。

 ただ、俺は頑張ることが出来たのだと。

 知ったつもりで、諦めていた世界を知る努力が出来たのだと。

 そんな努力を、彼女たちに感謝し、届けたかった。

 誰かとの出会いで人は変わることが出来る。

 いつか、もう一度会いに行った高校で、やたら格好いい女教師に教わったことがある。

 それは、とある事故から始まった、三人の青春のお話だった。

 誰かとの出会いで変わった人達が、そこに集って幸せを形にした。

 ぬるま湯、なんて名前のそこが、彼ら彼女らの青春のカタチなのだと。

 

  からんからん

 

 あの日に聴いたベルが鳴る。

 中に入ると、いつかの従業員の服ではなく、ベストを着たサイドテールの彼女が居た。

 眠たげに見えるのに、あの日とは違って人懐こそうな穏やかな笑顔で迎えてくれる。

 カウンターには紅茶の葉が開く様を見守る元気っ子が居て、楽し気に鼻歌なんぞを。

 同い年だったらしい彼女たちは既に大学を修め、この喫茶店を継ぎ、仕事に汗水を流す日々だと聞いた。

 親は裏方に専念して、よほど忙しくなければ姿もあまり見ない。

 バイトが何人か居るようで、忙しい風情のままぱたぱたと走り回っている。

 明らかにバイトするには早いだろって子まで走り回っているが……なるほど、案外彼女らの子供なのかもしれない。

 

「………」

 

 穏やかな気分だった。

 ああ、これで完全に吹っ切れた、と。

 小さな店員さんに席まで案内されて、メニューを見ては水を飲む。

 小さな店員さんは注文を待っているのか、メモとボールペンを片手ずつに、そわそわしている。

 

「可愛い店員さん。家の手伝いかな?」

「違います。社会勉強です」

「そっか、偉いな。……俺は都築槻侍。店員さんは?」

「葉山翆といいます。あの、ご注文はお決まりですか?」

「───」

 

 葉山。

 あの葉山グループの。

 本当に、ただの喫茶店に見えて、とんでもない繋がりのある場所だよ、ここは。

 

「そうだね……カプチーノとティラミスを頼めるかな」

「ケーキセット、カプチーノとティラミスですね? 以上でよろしいですか?」

「ああ。よろしくね」

「はい。それでは出来上がるまで少々お待ちください。───おねーちゃーん! カプチーノとティラミスー!」

 

 元気に注文を伝える少女は楽しそうだ。

 それに返事をするサイドテールの彼女も。

 思わず笑ってしまい、それを誤魔化すみたいに水を飲み干す───と、いつの間にそこに居たのか、さっきの……翆ちゃんと同じくらいの背格好の少女が、背伸びしながらグラスに水を注いで渡してくれた。

 

「あ、ああ……ありがとう。俺は都築槻侍。キミは?」

「なんでしょうか初対面で店員の名前を訊くだなんて頭が腐っているのかしらもしやナンパですかやめてください気持ちが悪いですごめんなさい」

「………」

「けれど名乗られて名乗らないのは無礼にも程があるのでお応えするわ。比企谷和香(のどか)といいます。平和な香り、という意味だそうよ」

「そ、そっか…………うん? 比企谷、というと……キミはあの姉妹のどちらかの子供だったりするのかい?」

「あなた本当に失礼ね。私は姉さん達の妹であって子供ではないわ。私の両親はこの喫茶店のマスターとその妻よ」

「───」

 

 おい、おいマジか、どんだけ歳離れてんだよおい。

 少なくとも16~18くらいは離れてるだろおい! ああいやいや心を乱すな槻侍、冷静であれ。都築の一族は狼狽えない。

 

「まあ、ゆっくりしていきなさい。ここは平和を愛する者のお店だから。争いをしないというのであれば、誰であろうと迎え入れるの。……ようこそ、喫茶ぬるま湯へ。歓迎するわ」

「………………ああ。ありがとう、可愛い店員さん」

 

 どこか背伸びした笑顔を見せて、可愛い店員さんはてこてこと歩いていった。

 その先で、葉山の娘となにやら言葉を交わしては、なにやら賑やかに騒いでいる。というか葉山の娘が一方的に突っ込んでは、言い負かされて涙目になっている。

 しかしすぐに仲直りをすると、サイドテールの彼女と楽し気にコーヒーやトレーなどの用意を始めた。

 

「………」

 

 平和の香りか。

 ……うん、なるほど。悪くない。

 突っ張っていたかつての頃を思い浮かべながら、店に満ちた平和の香りに目を閉じる。

 そうしているといつかに戻れる気がして。

 けれど、声をかけられ目を開ければ、見える景色は変わらない。

 

「はいはーい、カプチーノとティラミスお待ちっ!」

 

 持ってきてくれたのは元気っ子。

 素早くトントントンっとケーキ用のフォークやカプチーノ用の長スプーンなどが一緒に置かれ、その手際の良さに感心。

 元気なのは変わらないようだけど、やっぱり変わってる。

 そりゃそうだ、もう随分経つ。

 十と数回程度しか来れなかった俺だ、覚えてもらえているわけもない。

 少しだけしんみりしながら、俺は───

 

「ほいほい角砂糖2つにガムシロレジスタンス、っと」

「え───」

「あ、悪いけどママの胸をガン見するのは、もう絶対にさせないからね?」

「………………ぁ」

 

 元気になーんちゃってー! と笑う彼女は、あの頃の笑顔のままここに居た。

 カプチーノを頼めば、いつも同じ量を入れていた俺。

 彼女の母の胸をじっと見つめてしまったいつか。

 呆れることに、って言えるのに…………俺は。なんだってこんな、覚えられ方をされてるってのに…………泣きそうなくらい嬉しくて───……!

 

「ま、ゆっくりしちぇけ! 我らぬるま湯の使徒は逃げも隠れもせーーーん! 記念日には休むがなー! わーっはははははは!!」

「………」

 

 なんだよこれ、反則だろおい……。

 なんでこんな、不意打ちみたいなこと……。

 

「あ、ちなみに貴様を覚えていたのは貴様が都築だったからであるからして妙な期待は必要なぁーーーい! まあ、もう吹っ切れてますって顔してるからさ、この際だからズバッとね」

「……もう、結婚はしましたか?」

「おおぅ……敬語? 丁寧語? みたいなこと言われると調子が狂うなぁ。まあそうだね、“同棲”はしてるね、うっふっふ」

「そっか。幸せそうで安心した」

「そーでしょうともそーでしょうとも! なにせまた妹も出来て、そのお友達も居て! 毎日が超充実!」

「Si、実に愉快に過ごしている。翆はとても勉強熱心。コーヒー、教え甲斐がある」

「スィー、お姉ちゃん。あーし……けふんっ、私はとても勉強熱心だし」

「翆、また“し”が出てる」

「あぅ……ママの所為だ……」

「No,親の悪口はよくない。ひどいことをされた時だけは言うべき」

「う、うん。スィー、お姉ちゃん」

 

 葉山の娘はサイドテールの子にコーヒーを習っているらしい。

 和香ちゃんは紅茶を。ただ、可愛い上に綺麗な子になるだろうって解るのに、なんというか……男の弱いところ? 女に甘い部分を見透かしてるっていうのか、そんな部分があるような気がする。

 ずうっと内側まで調べるような視線を向けられていた。

 ……将来、男とか手玉に取りそうな気がする。

 でも惚れたら一途そう。

 冷静に人を見る目と、男を操るのが上手そうってのと、なのに人を愛せば一直線っぽい雰囲気というのか。

 なにやらいろいろと混ざっている気がしてならない。

 どういう育てられ方をしたのやら。

 

「……? なにをじろじろと見ているのかしら馬脚さま。まさか己の本能を遠慮もせずに表し始めたとでも言うつもり?」

「お客と馬脚をかけるのはやめてくれ。べつになにも隠したりはしていない」

 

 ていうかなんてことを言うのだ、このロリっ娘は。

 

「ただ、楽しそうで安心したんだ。ちょっとの間だったけど、青春ってものを感じられた。だから変わることが出来た。……ありがとう。今日はそのお礼を言いに来たんだ」

「おう受け取った! だからな~んの憂いもなく次を目指したまへよ! 青年よ! タイキックを抱け!」

「タイキック!? なんで!?」

「おっと違った。まあなんとなく伝わったと思うけど、大志をいだけとか言いたかったわけですよ絆的には。わたし達はそんな人達の姿を、ここでこうして見守るのが役目なのさ」

「…………」

 

 そっか、と返してティラミスをつつき、カプチーノを飲む。

 いつかを鮮明に思い出させる、とても懐かしい味だった。

 

「………」

 

 ようやく、自分の中で凍てついて動かなかった歯車が動き出す。

 さあ、歩き出そうか。

 もうあの頃の自分にはさよならだ。馬鹿みたいに一途でいられればいいけれど、生憎と家族にはもう期待されている。

 叶わない恋を追ったりは出来ないんだ。

 だから……

 

「……ごちそうさまでした」

 

 手早く食べて、この幸せを忘れないようにと、“最後”に喫茶店を見渡した。

 それからゆっくりと会計を済ませ、迎えてくれた四人に感謝を投げ……頭を下げる。

 人生っていうものはろくなものじゃない。

 けど、きっかけをくれた人が居たから。

 知ることの意味を、努力の価値を手にすることが出来たから。

 もう、ここには来ないだろうと今は決めておく。

 いつかまたきっかけが欲しくなったら───その時は、また俺のきっかけになってほしい。

 

  笑いながら、からんからんと扉を開き、やがてろくでもない人生を送ることの出来る世界へと歩み出した。

 

 さて、まずはなにをしてやろうか。

 恋愛結婚は……無理っぽそうか?

 いや、知るところからでも構わない。

 政略結婚だろうがなんだろうが、相手を知るところから始めてみよう。

 そして、また恋ってものを知ることが出来たなら───臨終の時まで、アホみたいに一途でいてみようと。

 ……そう、思うのだ。

 




 *キャラ紹介っぽいアレ

 ◆都築槻侍───つづきつきじ
 不良。元は兄たちに憧れた努力家だったが、常に兄たちに比べられ、目つきが悪いために学校では絡まれ、鬱憤溜まった末に爆発。
 早々に自分を諦め、しかし自分から暴力をふるったりはしない、基本は逃げの不良。不良連中に囲まれ、ボコられていたところを双子に助けられ、惚れる。
 のちに親が選んだ女性と結婚することになるが、相手を随分と大切にし、相手にその気は無くても生涯愛し続けた。

 ◆葉山翆───はやまみどり
 葉っぱで山、ならばミドリ。単純な名づけである。
 いつか隼人くんがヒッキーに言った通り、ぬるま湯にコーヒーを習いに来た。
 美鳩をお姉ちゃんと呼んで慕っている。
 時々自分をあーしと言ったり、語尾に“し”がついたりする。
 縦ロールはポリシー。

 ◆比企谷和香───ひきがやのどか
 ゆきのんといろはすが宣言した通り、二人に育てられる。
 お蔭で、口調はゆきのん仕草もゆきのん、躍らす手腕はいろはさん。
 でも想い始めると一途。
 ツーサイドアップがお気に入り。

 ◆永遠のアラサー───ジ・オールマイティ
 そうぶこーこーの生き字引。
 次期校長でもいいんじゃないかな! とか言われている。全校生徒に慕われ、教師からの信頼も厚く、でも格好良すぎて惚れてくれる男が居ない。
 なんか見た目が変わらないからハイデイライトウォーカーだとか波紋使いだとか言われている。もちろん尊敬を込めて。
 傍で、わざと結婚がどうとか言うとスマッシュされる。



 即興で思いついたものをガーっと書いてみました。
 別に都築もとい続きとかはありませんし、ここだけの物語。
 約二万文字近くですが、なんとも自己満足できました。



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大切が消えたいつか。大切に出会えたいつか。

 /お題:こもれびさんと“結衣が居なかったらそもそもラブコメってタイトルが成り立たないよね、ラブコメしてるの結衣だけだもの”と話し合った末に二人していろいろ書いてみたこもれびさんの【彼女のいない世界で……】の別次元なお話。ラブコメなのに、ラブで踏み込む人……あんまり居ないと思うんだ。

 

 

 

 他人を大事にする。

 やろうと思っても簡単に出来るものじゃないよね。

 出来るとしたら、相手は誰かな。

 それを考えてみると、頭に浮かぶのは彼の姿ばっかりだった。

 ばっかりっていうか、彼だけっていうか。

 自分の中の何かが、自分がそうしたいって思ったわけでもないのに爆発する瞬間を、あたしは知ってる。

 我慢できないくらいに怒ったりだとか、我慢できないくらいに悲しくて泣いちゃう時だってそうだ。

 でもそれ以上に、あたしはまず、この“人に惹かれる”っていうものこそが爆発して、きっとそれに夢中だった。

 

  たとえば入学式の日に、大切な家族を命懸けで助けてくれるとか。

 

 人は時間をかけて誰かを好きになるんだろうなーって思ってた。うん、思ってた。

 だって出会ったばっかの人をいきなり好きになるとか、無理だ。

 相手のことも知らないのに、好きです付き合ってくださいとか、ほんと無理。

 中学で何回か言われたことのある言葉には、結構うんざりしてるんだ。

 だって、ろくに話してないのに呼び出されて、俺と付き合え~って。

 

  ……そうじゃないよ。

 

 人を好きになるって、もっと大事なものだよ。

 見た目がいいからーとか、みんながやってダメで、残ってるの俺くらいだろ、とかそんな遊び半分でやっていいことじゃない。

 少なくともあたしは、人を好きになるって……もっと綺麗なものだって思ってた。

 少女漫画を読んだからとか、ドラマでやってたからとか、そんな理由だけじゃない。

 あたし自身の憧れだってもちろんあったんだと思う。綺麗なものであってほしい、って。

 友達同士だったのに、同じ男の子を好きになった所為で喧嘩別れしちゃうとか、そんなものは作り物の仲だけであってほしい。

 

  あたしはどうだろう。

 

 目の前で、見知らぬ人がサブレを庇ってくれた。

 すごい音が鳴って、男の子が倒れて、男の人が車から降りて、電話をかけて。

 サブレがきゅうきゅう鳴きながら男の子のほっぺたを舐めて、それで、それで、あたしは…………───あたしは。

 

  ただ、呆然としていた。

 

 なにも出来ない無力感だとかそんなのを噛みしめてたわけじゃないんだ。

 思い返しても薄情だなって思う。そもそもまだ、この頃のヒッキーに対して、あたしはなんの情も抱けてなかったんだ、はくじょー……薄情、だよね? って言われたって、仕方ない。

 でも、少しずつ状況が解ってくると、ありがとうとごめんなさいばっかりが沸き出したんだ。

 着てる制服が同じ学校のものだったとか、じゃあこの人はそんな大事な日にとか。

 思うことはきっといっぱいあった。

 後悔ばっかりが頭の中にこびりつくみたいに。

 でも。

 でもだ。

 

  お見舞いにも行く勇気が出なくて、時間だけが過ぎた。

 

 考えるのは彼のことばっかり。

 ありがとうもごめんなさいも言えなくて、お見舞いにもいけない。

 足元でサブレがひゃんひゃんって鳴くたびに、頭の中で彼にありがとうって言った。

 何度も、何度も。

 それは彼が入院中も、退院したあともずっと続いて、きっとあたしの中じゃあヒッキーはすっごい美化されてて。

 あたしはそんな彼に、恋をした。

 思えば馬鹿だなぁって思うんだけどね。ほら、性格アレだしすっごい捻くれてるし、ヒッキーだし。

 なのに……彼を知れば知るほど、幻滅するところもあったのに、好きの方が大きかったんだ。

 だってしょうがない。

 結局はやさしいし、言ってくれる言葉に遠慮はないけど、だからって人を傷つけたいわけじゃない。空気を読んで当たり障りのないことを、なんて手段もとらないし、彼自身は否定するけど、“誰かのため”に動ける人だ。……その手段が問題なんだけど。

 職場見学の時とか誕生日の時は、もうほんっと、すっごくアレだったっけ。

 なんでああいう言い方しか出来ないかなぁ。ほんとヒッキーってアレだ。

 もっと簡単に考えればいいのに。

 

  ……うん。

 

 簡単に。

 そう出来たら、とっても楽だったんだろうなって。

 職場見学の時も、あたしが気を使ってた~なんて思われず、もっと近づけてたんじゃないかなって。

 もっと早くに打ち明けて……ううん、すぐにお見舞いに行けてたら、あたしたちの関係ってどうだったのかな。

 たまに、そんなことを思うんだ。

 一年間、話しかけることが出来なくて。それでも気にはしてたから、他の男子とは違ってあたしの中にぴょんって入ってきた、特別な人。

 怒られるか注意されるのは当たり前なのに、それを届けるのが怖くて、踏み出せなくて。

 そういうことがきっかけで、せっかく新しい場所に来てこれから始められたのに、中学の時みたくいろんな人から突き放されたらどうしよう、って。

 

  話題についていくのは難しい。

 

 みんないっつもころころ話を変えて、それに追いつこうとするのに、知らないことばっかが話題になる。

 したくないって思ってるのに、わかりもしない話題に「そうだよねー」って頷く自分が大嫌いだ。

 知らない人ばっかりなここでなら、きっと……って。

 だから言えない。

 言って、もし“あいつの所為で三週間も”とかいろんな人に知られちゃったらって。

 自業自得なのはわかってるんだ。

 あたしが悪いってわかってる。

 でも、したくてしたんじゃないことを、あたしだって誰かにわかってほしかった。

 目標を決めて、別のものに向ける時間の全部を勉強に向けて。

 それが認められて、やっと“自分”が前に進めた気がして。

 

  ……がんばったんだ、ほんとうに。

 

  ……うれしかったんだ、ほんとうに。

 

 “助けてくれてありがとう”だって、本当の気持ちなのに。

 ……どうしてあたしは踏み出せなかったんだろう。

 踏み出してたら、職場見学で泣くこともなかったのかなって、やっぱり考えちゃうんだ。

 時間をかけたから想いが胸に固まった。

 時間をかけたから、その付き合いが同情と罪悪感からくるものだって誤解された。

 

  そうじゃないよ

 

    そうじゃないのに

 

 彼はいつだって、状況は読んでも人の心を知ろうとしない。

 歩んでも歩み寄っても理屈だけで片付けられて、その度に突き放されて。

 ……振り返ると泣いてばっかだ、あたし。

 

  好きな人が傷つくのを見て平気な人なんて、居るわけないのにね。

 

   好きな人が自分の友達に告白するのを見て平気な人なんて、居るわけないのにね。

 

 なんでいろんなことがわかるのに、そんなことがわからないんだろう。

 わかってもらいたいから歩み寄るのに突き放されて。

 知る努力さえしてもらえなくて、傷つけられて、泣いて。

 それでも、言っちゃったから。

 自分から行くって、自分でこうするんだって決めたから。

 だから傷ついても傷つけられても行くんだ。

 怖いものが待ってたって、嫌われたって構わないって、そう心に誓って。

 

  守りたいものがあった

 

 好きな場所。好きな関係。

 それを守るためなら、誤解されたっていい、擦れ違ったってあとでいっぱい泣く覚悟をして、“そう言ってくれる”と信じた大好きな人を信じて、踏み込んだいつか。

 観覧車が回り終わる頃には、静かな時間と三人分の依頼だけが残されて。

 

  ずっとずうっと好きでした

 

 踏み込んじゃえば、まちがっちゃえば全部終わるんだって怯えてた。

 中学の頃に見てた景色は、きっとそんな危なっかしいもので。

 

  欲しいって思えるなにかをようやく見つけた

 

 新しい環境を目指した先で、事故がその喜びとかなんもかも、全部台無しにした気がして。

 

  最初はきっと罪悪感だけで

 

 それがきっかけで踏み込める関係があるってことを知って。

 

  元気に尻尾を振る姿に安堵を続けてたら ありがとうが浮かんできて

 

 上手くいかないことばっかで、泣いて、傷ついて、仲直りとかじゃなく、解消ばっかして。

 

  ありがとうを言いたくて ごめんなさいを言いたくて

 

 遠慮のない姿に憧れて、流されない自分を目指すようになって。

 

  言えなくて もっともっと想うようになって

 

 自分の周りも変わっていって、大事なものが増えていって。

 

  見つめるようになって 探すようになって でも言えなくて

 

 増えるたび、守りたいものも増えていって。

 

  やっと知り合って 最低な言葉を言われて 売り言葉に買い言葉

 

 大事なものが二つぼっちだったら、眺める世界はきっともっと単純だったと思うんだ。

 

  知るたびに 踏み込むたびに 小さな部室がとても大切な世界になっていった

 

 大切なものは、自分から歩み寄らないとすぐに離れちゃうものだって知った。

 

  自分から行かなきゃ中学の頃の二の舞だから

 

 壊さないように、崩れないように。

 

  知る努力がこんなにもわくわくすることだなんて初めて知って

 

 淹れてくれた紅茶が美味しくて、嬉しくて。

 

  踏み込めば踏み込むだけ彼もあたしを知ってくれて

 

 強引だったかもだけど親友になれたって思えて。

 

  少しずつ少しずつ

 

 ちょっとずつちょっとずつ。

 

  あたしは───

 

 あたしは───

 

  ……知る努力をしてきたからこそ。

 

 諦めなきゃいけないものもあるのかもしれないって、知っちゃったんだ。

 

 ……。

 きっと彼は。

 そう思った雪の降った日のこと。

 全部を見なかったことにして、ふわふわで安定しない関係を続けていくのはきっと楽だ。

 でも大事だからこそ踏み込まなきゃいけないって、二人にこそ教えてもらったから。

 “わからない”で終わらせたらダメなんだ。

 答え合わせをしなくちゃいけないんだ。

 なにを本物って呼べばいいのかなんて、あたしたちにもわからない。

 部室で、空中廊下で、ゆきのんがわからないって言ったみたいに、やっぱりあたしにだってわからない。

 ただ、この関係の中でわかっていることもちゃんとある。

 それは本物だとかそういうのとは違くて。

 でも、あたしにとっては大切なこと。

 ───恋だけが青春じゃない。

 ───楽しむことだけが思い出になるんじゃない。

 いつか大人になった時、“あんなのはもう出来やしない”って言えるようなくすぐったい思い出の全部が青春になるんだー、なんて、パパが言ってたのを思い出す。

 

  ……あたしは恋をした。

 

 罪悪感から始まって、ありがとうに繋がって。

 探して、見つめて、同じクラスになれて嬉しくて、でも言えなくて。

 ずっとずうっと温めて、想って、気づけば頭の中はその人のことばかりになっていて。

 一目惚れなんかじゃないんだと思う。

 知る努力から始めて、知るたびに一人で居ようとする人だって知った。

 どうやって声とかかけたらいいかわかんなくて、見つめてたら優美子に注意されたのだって覚えてる。

 

  あたしは恋をした。

 

 とても大事になった人。

 たぶん、いろんな約束とかあっても……誘われたらすっごく嬉しくて全部キャンセルして頷きたくなるくらい、好きな人。

 実際そんなことあったら、約束のほうとかをやっぱり優先するかもだけど。や、やー……約束とか守らないと、嫌われちゃうかもだしさ。ね?

 

  あたしは……恋を……

 

 ……。

 恋をしてさ。

 とってもとってもドキドキして、わくわくして。

 相手の言葉ひとつで馬鹿みたいに浮かれてさ、そんな世界を眩しい楽しいって思ってた分だけ───たとえば、その想いの全てが叶わないものだって知ったら、どうする?

 毎日がとっても楽しいんだ。

 いつものなんでもない道とかをさ、手を繋いで歩いてみたい。

 休みの日には渋るその人を連れ出して、デートとかしちゃってさ。

 恥ずかしいけど腕とか組んで、ふたりでくっだらないこと言って、笑うんだ。

 でもさ。

 いつか、そんな幸せが、夢だったって気づくんだ。

 隣にはその人が居なくて。

 その人は、いつからかいろんなものに怯えながら歩いてたあたしの親友の隣に居て。

 あたしはそんな二人のやりとりを、扉一枚って壁の外で、ただ聞いてるだけなんだ。

 頑張って、知ってもらおうとして、知る努力もして。

 なのに、気づくとなにも残ってない。

 夢の中のあたしは、どこでまちがっちゃったのかなって……誰も来ない奉仕部の部室で、紅茶を淹れる練習なんてしててさ。

 やってみるんだけど上手くいかなくて。

 上手くいったら帰ってきてくるかなぁなんて、いつまでも夢見てて。

 結局……美味しく淹れられないまま、茶葉が無くなっちゃって。

 

  ねぇ。それは、恋?

 

 そこには来なくなった二人に訊いてみたかった言葉。

 呟いたら、いつから居たのか陽乃さんが笑った。

 

  恋をしてたのはガハマちゃんだけだよ。ずっと、ずーーーっと。だってさ、他の人がしてたのはただの傷の舐め合いでしょ? 比企谷くんのも雪乃ちゃんのも、ガハマちゃんにとってはただただ残酷でしかないものだったかな。

 

 一目惚れなんてないんだと。

 好きになるのに時間をかけて、強く長く想うからこそその想いは温かかいんだと。

 

  欲しかったんだ。ぜんぶ、全部。本物も、親友も、恋人も……友達も。

 

 なのに世界はそんなことも許してくれない。

 いつからこんなに難しくなっちゃったのかな。

 ただ───たださ。

 あたしたちは、ただ……。

 

───……。

 

……。

 

「…………ぃっ! 結衣っ!」

「っ! …………、ぁ……」

 

 揺すられて、起こされた。

 目を開けると、目に映る全部は滲んでて。

 眠りながら泣いてたんだって……嫌でも気づいた。

 

(……ヤな夢見ちゃったな……)

 

 涙を拭うと、起こしてくれた人を見る。

 ママだ。それはそうだ、自分の部屋に知らない人が入り込んできたらキモい。てゆーか怖い。

 だからって知ってたら誰でもいいわけじゃなくて。

 ……うん。隼人くんでも大岡くんでも大和くんでもキモいし怖い。

 

(ヒッキーなら…………ぁぅ)

 

 想像してみて、そりゃ、最初は驚くんだけど…………追い出さず、居てもらいたい気持ちのほうが勝っちゃった。

 ママにありがとうを言いながら、深呼吸。

 心配させちゃった。ごめんなさい。

 

「………」

 

 もう一度、目を拭う。

 だいじょぶ、不安に思うことなんてない。

 あたしはちゃんと───決めたから。

 

「あ、ママ。今日あたし、ちょっと出掛けるね」

「遊びにいくの? あまり遅くならないように帰ってくるのよ?」

「だいじょぶだってば。あんまり遅くなるようなら、ゆきのんが送ってくれるって言ってたから」

 

 …………決めたのに。

 

「ゆき……のん? あらなに? また新しい友達が出来たの? 結衣も大人になったわねー♪」

「もー、なに言ってんのママ。ゆきのんだってば。ヒッキーも居るし」

「……? ごめんね結衣。ママ、そのゆきのんっていう子と……ひっきー? くん? っていう子も知らないわ。初めて聞いたわよー?」

「…………え?」

 

 ……何かが、ゆっくりと世界を変えていった。

 

「もしかして犬のお友達? 犬っていえば、大変だったわねー、入学式の朝。結衣がサブレ逃がしちゃって、捕まえるのに時間かかっちゃって。結局結衣ったらあんなに速く起きたのに遅刻しちゃってねー」

「………マ…………マ……? …………え……?」

 

 掠れるような声だけが出た。

 慌ててケータイを調べてみると、昨日ゆきのんとヒッキーに送った、大事な話があるからってメール。

 文章は残ってるのに、宛先だけが文字化けしてて、送ってもどこにも届いたりはしなかった。

 ……ママがあたしを心配する声が、ずっと遠くに聞こえて。

 あたしは、静かにその場で気を失った。

 

 

  やっとここからだって思ったのに。

 

  大事にしようって思ったのに。

 

  あたしが大好きだった眩しかった世界は、頑張って踏み込んだ分だけを削り取ったみたいに、無くなってしまっていた。

 

 

 

──────────────────────────────────

 

 

 

 ───過程は吹き飛んだ。

 

 こもれびさんのところのイケボーン様がいろいろやったために次元がああなって、けれどなんとかなった。

 

 そんな過程があった。あったの。とにかく。

 

 

 

──────────────────────────────────

 

 

 

-_-/ヒッキー

 

 奉仕部部室。

 放課後の、学校行事が今こそ終わるって時、目の前の女の体が光に包まれていった。

 

「あ……の……ゆ、雪乃さん、八幡くん、あの、あ、あり、がと……~~……ありがとうっ! 二人が居たから、あたし、あたし……!」

「いいのよ、結衣さん。あなたにとってのこれが夢だとしても、あちらで強く生きなさい。睡眠学習という言葉もあることだし。……下を向いている暇は、ないわよ」

「だな。向こうでもまあそのほら、あれだ。もっと踏み込んでいけ。んーで、誰かの手を引っ張れるお前になれ。じゃねぇと調子狂うわ。ああ、あくまで俺のためな、俺のため」

「……ふっ……ふふっ……あははははっ……」

「おう、その調子。お前は笑ってりゃいいさ。そのほうが“らしい”」

「うん。……ありがとう、八幡くん。この世界のあたしが、なんで八幡くんのこと好きになったのか……解った気がする」

「お世辞あんがとさん。俺よりいいヤツなんざ、お前が知らねぇだけで両手じゃ足らんほど居るだろ」

「……八幡くんは、馬鹿だなぁ」

「なっ……いやおい、お前にだけは言われたく───」

「じゃあねっ、お人よしさんっ! あたしさ、探してみようって思うんだ! 総武には居なかったけど! でもきっと他のところには居るかもだから! それで、それで───あたしも恋してみる! だから、だから……向こうで、またね!」

 

 ……胸の前でぱたぱたと手を振る。

 こっちの由比ヶ浜もよくやる仕草をして、笑顔のまま……空気を読むことばかりに必死だったからつけたあだ名の、エアガハマは消えた。

 

「…………行ってしまったわね」

「おう。……なんだったんだろうなぁ、今回の」

「解明されていない“未知”というものが、たまたま目の前で起こった。それだけの話でしょう? 深く考えたところで答えなどでないのだから、とりあえずは納得しておけばいいのよ」

「……だな。それよりも、こっちの由比ヶ浜が何処に」

 

 呟いた途端、エアガハマが消えた中空に散っていた光が、どうしてか天井付近に集ってゆく。

 そしてその光が渦を作るように回転すると───俺は、確かな予感とともに駆け、椅子を踏み台に長机に駆けのぼると、光から落下したなにかへ向けて、飛びついていた。

 

「えっ? わっ、───きゃああああああああっ!?」

 

 どういった状態で向こう?で消え、こっちに飛んだのかは知らんが、いきなり落下はそりゃ叫ぶ。

 だから俺は飛びついた体勢のままに由比ヶ浜をしっかりとお姫様抱っこの状態で抱き留めr

 

「やだぁあああああっ!! ひっきぃいいいいいいいっ!!」

 

 急な落下→高いところからの落下→死

 そんな連想でもしたんだろうか。

 落下する由比ヶ浜は何故か俺の名前を絶叫。その絶叫のさなかに俺が空中で抱き留めたことにも気づかず、耳がキーンとするほど絶叫。涙を散らしながら、やがて俺がどずんっと床に着地して…………全ては終わった。

 OH強烈。足、めっちゃ痺れてる。

 だがいい、ここに居る。居てくれている。

 足のシビレなんて忘れてしまうほどに、こいつに会いたかった。

 雪ノ下もふらふらとこちらへ近寄り、由比ヶ浜の顔を覗き込むと、言葉らしい言葉ではないなにかを口を震わせながら呟き、やがてその震える口を震える手で覆うと、涙をこぼし始めた。

 

「~~……由比ヶ浜っ……!」

「やだ……やだよぅ……目開けたらきっと、あたし死んじゃってて……! 戻れるっておもったのに……こんなのってないよ……!」

「おい。おーい? ガハマさーん? ガハマー?」

「ひっく……うっく……」

「………」

「うえぇええん……!」

「……結衣《ぽしょり》」

「《びくり》ふえっ!? ……え…………ひ、っき……?」

 

 おい。ちょっと? 名前でいいのかよ。それでほんといいのかよ。いや無視されるよかいいけどさ。

 

「ヒッキー……ヒッキー、ヒッキー……! ヒほやぁわわヒッキー!?」

 

 掌から零れ落ちてしまった大切なものを慈しむように、結衣は泣いて俺の名前を連呼……したんだが、途中でいろいろな事情に気づいたようで絶叫。

 直後に雪ノ下に抱き付かれ泣きつかれ、おろおろしたまま動きを封じられた。

 俺もまた我慢出来ず、お姫様抱っこの状態のまま抱き寄せるようにして、安心から勝手にこぼれる涙を拭うこともせず───にいたら、その涙を由比ヶ浜に舐められた。

 

「ゆ、い……がはま……?」

「……えへへ、やっと会えた。ぐすっ……~~………あたしの大好きな……っ……二人だぁあ……っ!」

「~……結衣!」

「ゆい、がはまさん……! 由比ヶ浜さん、由比ヶ浜さん……!」

「《ギュギィイイギギギ》いたぁああたたたたたちょ、ゆきのん、ヒッキー、締めすぎっ、くるし、い……を過ぎて痛い痛い痛いぃいいっ!!」

 

 ……と。

 こんな感じで、ある日に起こった不思議な出来事は幕を閉じた。

 どうしてこんなことが起こったのか、結局は解らないままだが……こんなことでさえわからないままじゃだめなんだっていうなら、まあ、そうな。雪ノ下の言う通りってことでいいんだろう。

 ……二度とごめんだけどな。

 だから、これもきっとその場の勢い。

 勢いだろうと、ちっとでも考えてなけりゃ言えないんだろうが。

 

「結衣……ずっと、俺の傍に居てほしい……! もう、居なくならないでくれ……!」

「由比ヶ浜さん……! ずっと……ずっと傍に……!」

「ヒッキー……ゆきのん………………うん。ずっと、ずっと一緒───あれ? ずっと…………ふえぇっ!? ひひひひっきー!?」

 

 世界には物語が腐るほどある。

 冒険だってただの序章だ、物語は序章が終わってようやく“これから”に入る。

 だから……な、おう。

 どう続くんだとしても、胸に刻んで忘れなけりゃいい。

 どんな未来だろうとお互いを離さず、大切に生きていこう。

 その結末を、どう振り返ろうがおとぎ話みたいな言葉で締めくくれるように。

 

 それからずっと、みんなしあわせにくらしましたとさ。

 めでたしめでたし。




◆補足的ななにか

 エアガハマさんがぼっち寄りで、趣味が絵本だったとかそんなお話。
 おしまいはいつも、めでたしめでたし。

 過程とか超キングクリムゾンです。
 考えるのも楽しそうですが、やっぱり突端と終端をしっかりしておけばそこまで曲がらないかなぁと。

 ◆エアガハマさん
 雪乃と八幡が総武に居ない世界のガハマさん。
 空気を読むくらいしか取り柄がない上、その空気読みも思ったより上手く出来ていない。
 少々子供っぽく、絵本や童話に憧れ、王子様とか居たらなって思ってた。
 元の世界に戻ってからは雪乃さんと八幡くんを探してみた。
 雪ノ下建設を辿れば雪乃発見、八幡は総武ではなく海浜に居た。
 それから勇気を出して、友達になって遊び、やがて恋になるまでがそっちの世界の青春ラブコメ。

 ◆由比ヶ浜さん
 元の世界の由比ヶ浜結衣。
 奉仕部の無い世界でエアガハマさんの位置に降り立ち、エアガハマワールドを宥めてゆく。
 元の世界に戻ったエアガハマさんは、なにより自分に話しかけてくる“友人?”の数に驚いたそうな。
 のちに全部を手に入れ、幸せに暮らしましたとさ。
 めでたしめでたし。

 ◆イケボーン←犯人
 フェルズさん。こもれびさんのところのダンまちクロスに登場するイケてるカルボーン、略してイケボーンな賢者様。
 のちのちとんでもない事実が発覚すると思われるが、果たして原作のダンまちもそうなるのか否か……!


◆小さなやり取りとか妄想とか

 エアガハマさんは別次元に飛ばされ、おどおどびくびくしているところをヒッキーに助けられて、面倒臭がりながらも世話を焼いてくれるところに心を許して、子犬のように懐いたといったところ。

「あ、ぁぅ……あの、あの……」
(なんか今日のこいつほっとけねぇ)

 あーしさんを始めとするグループに心配されるも、こんなにやさしい筈がない、裏があるんだともごもご(エアガハマさん世界では取り巻きAとしてしか見てもらえてなかった)しているところに、約束があるんだわと嘘をついてエアガハマさんを連れ出すヒッキー。
 あーしさん、約束があることを言い出しづらかっただけかと納得。
 ……その裏で、ヒッキー、このガハマさんがいつものガハマさんではないことに気づく。
 確信はなかったものの、隠れて話を聞いていた材木座のラノベ知識でとりあえず別次元ガハマさんであることを納得。つーかなんで居るのお前。やだストーカー? 「そんな言い方はないであろう!?」

 そうして放課後になるまでは、休み時間のたびにヒッキーの席へ来るエアガハマさん。懐かれた。でも可愛い。
 戸惑いつつも、さすがに怯えるガハマさんをほうってはおけず、甘やかしてしまい、完全に懐かれた。そして可愛い。
 放課後になって奉仕部に行く頃にはとっくに“由比ヶ浜さんがヒキタニとデキてる”という噂がTBの口から漏れ、ゆきのんでさえ知るところになって~……おった~……そうじゃあ……。
 このガハマさん、ぼっちの思想がよく解り、ヒッキーと打ち解けるのも無駄に速かったらしい。
 なのでヒッキーとゆきのんと、無駄に馴染んで共感できて、けれどやっぱり微妙にコミュ症で、踏み込んでもらえないゆきのんとしましては結構会話が難しかったそうな。
 そんな、お話。

 これまた即興。
 即興だから練ったものなどなにもなし。


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きっとそこに、かつての居心地の良さは無い

 /お題:こもれびさんの“結衣の居ない俺ガイル”にて、八幡らしくない、といった意見が多かったので、じゃああれだ、急に周囲が“自分だけが覚えている人”を忘れた場合、なにもせずさっさと忘れるのが吉なのか、必死にならずに諦めるのが“らしい”のかどうか、書き出してみようと書いてみたSS

 

 

 ある日、日常は変わった。

 安易な変化などとは呼べないその事態に息を飲み、混乱したいつか。

 なにかしらの強制力は働いていたのか、奉仕部はあるくせに、そこに雪ノ下が居なかった。

 奉仕部部長は俺。

 副部長として由比ヶ浜がそこに居て、出会いはやはりサブレを助けたことによるもの。

 しかしその車を運転していた者が雪ノ下の関係者ではなく、ただの酔っ払いだったという始末。

 どうなってるんだ、と一時は取り乱したものの、結局は……俺にはどうすることも出来ないのだと悟った。

 そもそも忘れたとかではなく、最初から居ないことになっている相手をどう思い出させろというのか。

 写真もなければメールもない。

 そりゃそうだ、俺と雪ノ下は写真を撮るほど親しくもねぇし、アドレス交換などしていなかったのだから。

 

「ヒッキー?」

「ん、いや。なんでもねーよ」

 

 無駄なことはしない。無駄でしかないことはしない。

 それでいいだろ? 俺らしくってそういうことだ。

 流れに逆らったところで、ここでは覚えていることが異常なのだ。

 夢でも見たのだと諦めて、忘れてしまえばいい。

 丁度よかったじゃねーか。これで罵倒してくるやつもいない。雪ノ下って存在が無いから、その姉も居ない。

 事あるごとにちょっかいかけてきたあの姉は居ないのだ。のんびりと、俺らしくやっていけばいい。

 

  ただ───

 

 覚えていられている内は、醜かろうが無様だろうが、覚えているべきだと思うのだ。

 忘れられるのは悲しいことだ。

 この世界には最初から居なかったのだとどれだけ言われようが、覚えている人のことを知らないと断言して捨てる薄情さは俺にはない。

 いずれ、この部長って位置に自分が定着しきった時、忘れてしまうのだとしても。

 ここには、猫が好きな女の子が確かに居たのだと……それを覚えておくことくらい、いいんじゃねぇか?

 

「あ、ノック。誰かな。依頼かなぁ」

「おう、追い返しちまえ」

「だめだったら! あと勝手な行動禁止だかんね!? テニスの時のあの土下座、あたしほんと悲しかったんだから!」

「へいへい……べつにいーだろ、俺の土下座のひとつやふたつ。減るもんじゃなし」

「減るの! ……減るんだよ、すっごく。もうあんなことしないで。お願い、ヒッキー」

「…………ゼンショシマス」

「ヒッキー!」

「わかった、わるかった」

 

 日常は続いてゆく。

 本当の部長が欠けた、長机が広く感じる部室の物語が。

 やってきた依頼っぽくもない依頼をこなして、溜め息を吐いて、小説を読む行動に戻る。

 高校生活を振り返って、がきっかけで放り込まれ、部長にされたこの部活。

 最初の依頼者が素直に俺にってクッキーを渡してきて、同時に部員になったこの日常。

 力不足でテニス勝負で土下座した俺を見て、力になれなくてごめんねって泣いてしまった由比ヶ浜。

 結局、なにかが欠ければ、奉仕部ってものの在り方なんて簡単に変わってしまうのだ。

 どれを取れば正解だったのかなんて、誰にもわかりやしない。

 部長をやってみて痛感したのだ。

 俺の解決方法じゃあ解消は出来ても人のためになんてなりはしない。

 由比ヶ浜と案を出し合って、悩んで、平塚先生に助言をもらって、小町に相談して、由比ヶ浜と纏めて、ようやく正解に辿り着ける程度の器用さで、誰かに奉仕しようなんて思い上がりもいいところだ。

 

「でもさ、がんばろ? そりゃ出来ないことのほうが多いけどさ。……嬉しいじゃん? あたしたちの助言とか行動で、笑ってくれる人が居るかもしれないんだ。それってすっごいことだよっ?」

 

 ……それでも。

 足りない消えたものを追い縋ることが俺らしくないのなら、消えてしまったなにかを早々に忘れ、あるものだけで答えを出していくしかないのだろう。

 諦めも敗北もお手のもの。

 それこそが俺、なんて消えた人を覚えているくせに言い続けられる俺であれというのなら。

 ……俺はそんな薄情なヤツでよかったんだと、目をどんどんと腐らせていこう。

 あぁほれ、小さな悪の前に大きな悪をぶらさげて、問題自体を無かったことにする~、なんて面倒なこともする必要はないわけだ。薄情でいいんならな。

 

「ヒッキー? …………また、ゆきのしたさん、のこと考えてた?」

「ん……まあ」

「そっか。居たのに忘れられちゃうなんて、怖いよね。あたしは“ゆきのん”って呼んでて、仲が良かったんだよね?」

「ああ」

「……なんか、羨ましいな、そのあたし。あ、や、やーほら、あたしさ、こういう性格だから、こう……心から話せる友達~っていうの、居なかったから。……ゆきのん、ゆきのんかぁ」

「………」

「……思い出したいなぁ」

「───!」

「そんでさ? あたしのこともあだ名とかで呼んでもらって、家に遊びに行ったりとか泊まっちゃったりとかしちゃってさ。きっと楽しいんだろうな……」

「……そだな。遊びに行ったこともあったし、泊まったこともあったぞ」

「そうなんだ!? それってもう、なんかっ……し、親友って感じじゃん!? あ、あー……いいなぁあたし! いいなぁ……!」

 

 由比ヶ浜は、俺しか知らない言葉を真っ直ぐに信じてくれた。

 ここには居ない雪ノ下の存在を信じて、どんな人物だったのかを訊いてきたり。

 

「………」

 

 探してくれてるぞ、部長さん。

 見つかってやれよ。

 溜め息とともにそんな呟きをこぼして、立ち上がる。

 完全下校時刻を知らせるチャイムが鳴ると、由比ヶ浜も立ち上がって「……いこっか」と言った。

 

「ね、ヒッキー。ヒッキーってさ、“ゆきのん”、のこと……その、えと、好き……だったりしたの?」

「お前は馬鹿なのか。日々顔を合わせりゃ罵倒、言葉を交わせば罵倒、提案すれば罵倒の相手をどうやって好きになれってんだ」

「思った以上にゆきのんひどい!? え、で、でも部長さんだったんだよね!? もしかして、ヒッキーがひどいことしちゃったとか!?」

「……始まりが、俺とお前と雪ノ下だったんだ。車を運転してたのが雪ノ下んところの運転手。雪ノ下はその車に乗ってた。俺は轢かれて、サブレは助かって、お前は驚いて、雪ノ下は乗ってただけ。そういう感じだ」

「そうなんだ!? すっごい出会い方だったんだね……。でも、なんかいいなぁ。そんな三人で部活しちゃってたんだよね?」

「おう。主に俺が罵倒される部活だった」

「だからヒッキーゆきのんになにしたの!?」

「目が腐ってただけだ。他にはなんにもねぇよ」

「…………。かっこいいのに《ぽしょり》」

 

 由比ヶ浜の呟きをしっかり耳にしつつ、廊下に出て由比ヶ浜を促した。

 鍵を閉めて、鍵を返して、あとは帰るだけ。

 こんな生活にもいずれ慣れるんだろう。もしかしたら明日にでもころっと忘れているのかもしれない。

 鍵を平塚先生に返却して昇降口まで来ると、なんでか下駄箱に背を預けながら片足をぷらぷらさせている由比ヶ浜を発見。俺を見ると、「あっ」と口を開いてぱたぱたと近寄ってくる。

 

「帰ろっか」

「いや……なんで居るのお前。べつに一緒じゃなくてもいいだろ」

「クッキー。ただのお礼じゃないって……言ったよね?」

「………」

 

 本当に、つくづく。

 慣れようとしているのに慣れさせてくれない日常だ。

 でも……どうしてだろうな。

 こいつがゆきのんゆきのん言ってくれている間は、少なくとも忘れない気がした。

 だから……まあ。

 もし現れるなら、覚えているうちにしてくれな。

 俺から探すのはもうやめるよ。

 居ない相手にこう言うのもなんだけど───元気でな。悪くねぇ、って……少なくとも思えてはいた。あんがとな。

 

「ねぇヒッキー? 歩きながらさ、ゆきのんのこと、教えて?」

「やだよめんどい」

「だって思い出すかもしんないじゃん! そのゆきのんが帰ってきた時、なにも知らないとかあたし親友失格だよ!? あ、あたしがもしその立場だったら泣いちゃうと思うから……だから」

「…………お前、ほんとへんなヤツな」

「見ず知らずの女の子のペットを命懸けで助ける人に、そんなこと言われたくないってば」

「…………それもそうだな」

「ん、そだ」

 

 下校する。

 学校以外での接点なんてそれほどなかったあの日から、自ら遠ざかるように。

 それでも知ろうとしてくれる人が居るだけ、忘れようとする自分の中の罪悪感が薄れた気がした。

 唯一知っているだろうに、忘れることを選択する放棄。

 あいつが知ったらどんな反応をするんだろう。

 ……今さらだ。

 もうあの部室に、黒髪の猫っぽい女の子は来ないのだから。

 




 こののち、結局はガハマさんにゆきのんのことを訊かれまくり、話して聞かせるうちに忘れることも出来なくなり、会いたいと願う気持ちが奇跡を……! とか。
 きっとゆきのんったら永遠の世界に飲み込まれそうになっていたのよ。


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寄せ集めのお話

/彼の趣味と、子育て日記/クロスボッチャー候補:僕のヒーローアカデミア

 

 

 ◆比企谷八幡/個性:ぼっち

 孤独であればあるほど強くなるぞ!

 

 

 

 気づけば知らない場所に居た。

 

「……まただよ」

 

 SAO生還者である自分の口から、勝手にと言えるほどに自然に、呟きが漏れた。思えばこれで三度目である。

 一度目はSAO、二度目はALO。

 ALOは自分が経験した世界とは違うSAOのあとの話で、気づいたらいきなり空の上からの落下。

 落ちた先には馬鹿デカい鳥かごがあって、勢いがノリ過ぎていたために鳥かごの隙間から中へと入ってしまい、そこで出会ったアスナとやらと会話して、そこでも「まただよ」とこぼした。

 その後、なにやら怒り狂ったオベイロンとかいうエ~クスカ~リバー……もとい、妖精王デッカード……もとい、妖精王が来て、重力魔法とか使ってきたけど普通に歩いて顔面にナックル。

 拍子に籠の外へ吹ッ飛んで母なる大地へと落下していった。しばらくすると妖精王オベイロンが討伐されましたってアナウンスが流れたが、とりあえず、おそらくは居るであろう由比ヶ浜探しをすることに。

 アスナさんとやらに頼まれてログアウト制限がどーのをいじくる必要があると知って、大樹の中を散策、人外のスタッフが居たので肉体言語で説得、なにやら300人も居たらしいSAOの頃から帰還できなかった人達は生還を果たし……俺はその後、由比ヶ浜を探すために世界中を駆け回った。

 結局はまたしてもピンチな状況で助けるに至り、それはそれはもう溜め息を吐いた。

 

「……はぁ」

 

 今回もどこかに居るのだろう。

 絶対に見つけ出してなんとかする。

 何故だか毎度ピンチな時に遭遇するから、想像するだけでソワソワする。

 毎度のことながらSAOのステータスはそのままだし、ALOで強制的に決められた種族判定のお蔭で回復魔法も覚えた。

 開始早々回復魔法とか使える種族ってありがたいよね。その代わり攻撃がダメとかは鉄板だけど、俺の場合は身体能力の時点でレベル4800のバケモンだからなぁ……。

 とまぁそんなわけで、ヒーローが普通に溢れかえっているこの世界で、俺は趣味でヒーローをするハゲマントさんが如く、辻ヒーローもどきをしているわけだ。

 個性? 使ってねぇよ。使うまでもなくぼっちだし。無断で個性を使うのが違反なら、ただの身体能力での行動は違反じゃねぇわけだし。

 ただ、顔バレすると生きていくのが面倒になるので、顔は隠している。

 

「うあーん! いたいよー! ママー!」

「あぁへいへい、スー・フィッラ・ヘイル・アウストル……」

「《パアアア……!》……、あれ……? いたくない……」

「ほれ、もう大丈夫だ。立てるか?」

「うん! ありがとー、おにいちゃん!」

「………」

 

 やだ、小町に会いたい……!

 っつーかなんで毎度俺なんだよ、由比ヶ浜もだけど、ちょっとはこっちの迷惑ってものも考えろっての。

 こちとら救助隊の仕事で忙しいってのに……ああ、うん。なんでこんな世界に来てまで、同じようなことしてるんでしょうね俺。

 働きたくないでござるとか言ってた時代が懐かしい。

 

「ほれ、ママとやらのところに戻れ」

「………」

「おい?」

「……ママとパパね、いないの」

「───」

 

 とっても嫌な予感がしました。

 

「気づいたら知らない場所にいて……いろんなこと、わかんなくて」

「うおおう地雷だった……! まさか個性使った誘拐か……!? あ、あー……そか。で、今は? 警察に行ったか、養ってくれる人とか、居るんだろ?」

「《ふるふる》……昨日、車が突っ込んできて…………もう、だれもいなくて……」

(ギャーーーアーーーーッ!!)

 

 特大の地雷であった。

 なにやってんの俺ェェェェ! ここは深く訊かずにポリスまで届けてあげるところでしょォォォォ!?

 

「そ、そか……んじゃ、その……あれだ。名前は? お兄ちゃんが警察まで連れ───」

「ゆいがはまゆい」

「───……て、って……や………………」

 

 神よ……。

 

 

 ───それは、趣味でヒーロー、というよりは救助をしていた青年が、まだ小さな知人を引き取り、ともに暮らし、強く生きてゆく家族の物語である。

 少女はそんな彼の背中に憧れヒーローを目指し、“個性:空気を読む”を操り、エアロマスターとして育ってゆく英雄譚。

 やがて元の世界に戻った彼女は、その力で多くの人々を救い、偶然出会った養父の面影を持つ男性と恋に落ち、幸せになったそうな。

 

 ……ちなみに、そんな養父との暮らしといえば。

 

「パパー! パパまた一番だって! オールマイトと同じ!」

「おう」

「えへへへへへぇ~……パパかっこい~……♪」

「お、おう」

「あたしね、おっきくなったらパパのお嫁さんになる! ヒーローになって、パパのお手伝いするの!」

(~~……結衣! 結衣ーーーっ!? 助けてぇええ!! 子供のお前ってなんでこんなに可愛いの!? 兵器!? 俺専用の兵器かなんかですか!? もちろんお前も可愛いけど! でもっ! でもなんか可愛いのベクトルが違うっつーか!)

「ん~……でもパパ、なんでいっつもテレビのしゅざい? 断るの?」

「ちやほやされたくて人を救出してるわけじゃねぇから、いいんだよ、これで」

「そっかー!」

「おう。それに、緊急時とはいえ無断で人の家に入るとかもしちゃってるから、褒められることばっかじゃねぇんだ。この間も子供の叫び声とか聞いて、知らないお宅に駆けこんだら、顔に熱湯浴びた子供が居てな。すぐに治したからよかったけど、下手したら一生痕が残ってたな」

 

 不法侵入で通報されなくてよかったわ。

 あとでなんでかエンデヴァーさんがヒゲ燃やしながらツンデレ風になにか言ってきたけど、なにがなにやら要領を得なかった。

 

「そういえばさ、パパのヒーローこすちゅーむって全然傷つかないよね」

「あー、コートオブミッドナイトな。これ傷つけられたらすごいもんですよ?」

「そうなんだー!」

「そうなのだー!」

 

 子供と暮らしていると、ノリが子供に引っ張られたりするよね。

 でも幸せです、俺。

 俺、絶対に結衣を立派に育ててみせるよ……!

 

「んじゃ、今日も頑張りますか」

「うんっ! えと、んっと、」

「更に向こうへ?」

「うん! さらにむこーへ!」

『PlusUltra!!』

 

 ……のちに、元の世界に戻った時。

 彼はこの世の終わりとでも言うかのように号泣したのだという。

 

 

 

 

 

 

 

 /とある少女が見た夢の続き(夢と現実の僕らの距離のネタ話)

 

「おーい雪乃ちゃーん、結衣にはーちゃーん」

「あら姉さん、なにかしら。今ロミオの青い空がとても良いところなのだけれど」

「うんうんそーでしょー! 静ちゃんに借りた甲斐があったねー! じゃなくて。ちょっと高校でめんどい課題が出てきちゃってさ」

「めんどい課題……? 陽乃さん、それってなんですか?」

「もー、結衣ってばいい加減、私のことお姉ちゃんって呼んでくれてもいいのに」

「マ、ママは渡しませんからね!?」

「じゃあはーちゃん取った!」

「もっとダメ!!」

「あの、陽乃さん? 課題ってどんなんですか? 俺達に用があるって……」

「そうそうそれなんだけどさ、聞いてよはーちゃん。静ちゃん……ああ、担任が平塚静って女の先生なんだけどね? その人がさー、家族に好きな物を訊いてきて、家庭科で作るなんていうめんどいのを出してきたわけなのよ」

「そうね。私はストームブリンガーが」

「はいストップ雪乃ちゃん、好きって、そういう方向のじゃないから」

「魔法なら融合魔法が好きね。光と闇が合わさって最強に見えるものとか」

「雪乃、それ魔法っていうかブロントさんとグラットンソードだから」

「えっと、陽乃さん? つまりゆきのんに好きな料理を聞いて、それを作るってことですか?」

「違う違う、言ったでしょ? 家族の好きなものって。べつに一人って言われてないし、私にとっては雪乃ちゃんも結衣もはーちゃんも家族だから。まあ? 一番好きなのはママだけどね~♪」

「だからママはあげませんてば!」

「まーまー、それよりさ、ほら。好きな物好きな物。はい雪乃ちゃん」

「FF5ではとある場所の骨からゾンビメイルが───」

「だから好物の話だって言ってんでしょーが! いつからそんなコになっちゃったのもー! ……あー、じゃあ結衣から。はい」

「ふえっ!? え、えと…………はーくんが作ったカレー……かな」

「どうやって作れっての! はーちゃんが作らなきゃ意味ないじゃない! ~~……次、はーちゃん」

「なんかヤケになってません?」

「誰の所為よ!」

「少なくとも俺の所為じゃないですよ!」

「言っとくけど、結衣が作った料理とか言ったらグーで殴るから」

「俺にだけ厳しすぎません? まあいいですけど……そうですね、チャーハンとか普通に好きです」

「おっ、普通の答え。しかもチャーハンなんて、男の子だね~♪」

「性別関係ないでしょが。で? 雪乃ー? お前の好きな物は?」

「ここで一発お姉ちゃんが好き~、とかボケてくれたらお姉ちゃん的にポイント高いんだけどなぁ」

「どこのシスコンですか」

「んー? 違う違う、私のはファミリーに向けての愛情だから、ファミコンファミコン」

「ゲーム機しか思い出しませんね……俺もシスコンではありますが」

「じゃあほら、雪乃ちゃん? 雪乃ちゃんはなにコンかなー?」

「……ネクロノミコンとか、どうかしら───!?《クワッ》」

「………」

「………」

「とりあえずお菓子で本みたいなのでも作るよ」

「……そっすね。それがいいと思います」

「え? あ、あの、姉さん? はーくん? 今のは○○コンとネクロノミコンをかけた高度な……あの、えっと……ゆ、ゆーちゃん!? ゆーちゃんならわかって───え? 居ない……?」

「結衣ならさっき、そこのベランダから自分の部屋に走ってったぞ」

「んふふ、“ママー! 炒飯の作り方教えてー!”だって。かわいいわよねー♪」

「………」

「………」

「………」

「と、ところで今のは」

『言わなくていいから』

 

 

───……。

 

 

……。

 

「……ってことがあったなぁ」

「あったねー。てゆーか、あたしがママのところに行ったあと、そんなことがあったんだ」

「そうそう、あの頃の雪乃ちゃんってばほんと……ぷふっ! くふふふふ……!」

「あのー……お兄ちゃん? 結衣さんに陽乃さん? ……雪乃さん、悶絶してますんでそのへんで……」

「嫌ぁあああ……!! 忘れてちょうだい、忘れさせてぇええ……!!」

「まあ雪乃ちゃんは断続的につつくとして。今ならどう? 好きなものとか」

「あー……そうですね。あれです。夜が明ける空の色?」

「あ。じゃああたし、懐かしいフランス映画!」

「~……それなら私は、濃いめのミルクティーが……」

「じゃあ小町は喫茶店のナポリタン!」

「……これ、私はクッキーの罐のぷちぷちって言わなきゃだめ? ていうか静ちゃん怒りそう」

「わかった時点であれですって。俺達はまあ、親父やお袋、パパさんママさんが持ってるCDとかも聴くから、たまたまでしたけど」

「うん、それ言うなら私もだし」

「ちなみに雪乃は前にヘビメタに手を出して大後悔しました」

「はーくん!?《がーーーん!!》ななななぜそれを姉さんに言うの!?」

「いや、だって俺のCDラックに毎度押し付けられてたら、仕返しもしたくなるだろ。何度返しても置いていくし」

「あーうん、あの頃のゆきのん、周囲から外れたものを聞けば覚醒出来るって言ってたよね」

「あー、ありましたねー。そういえば雪乃さん、覚醒って……できたんでしたっけ?」

「《ぐさっ》……っ……い、いえ、かくっ……覚醒、というのは……ね? 小町さん……!《カタカタカタカタ……!》」

「小町ちゃん? かくせーってのは難しいらしくて、それを乗り越えた者じゃなくちゃラーニング……だっけ? を使えないんだよ?」

「《ゾブシャア!!》ウヴォァ!! …………《ぽてり》」

「ばっ……結衣……! 雪乃の前でラーニングはっ……!」

「え? あっ!」

「ゆ、雪乃? 雪乃ー? ベッドは一人で占領するなって言ってるだろー? ゆ…………おい、どーすんのアレ。布団にくるまってしくしく泣き始めたぞ……?」

「ゆ、ゆきのんごめんね!? だいじょぶ! かくせーできるよきっと! あたしも手伝うから! ほらっ、前に作ってたえーとぐりもあ? あれがあればなんとかなるよ!」

「《ザゾゾスザスゾスゾブシャシャシャア!!》…………───」

「……あれ? ゆきのん? あれ? ……はーくん、ゆきのん動かなくなっちゃった……」

「トドメ刺してやるなよ……」

「じゃあ雪乃ちゃんも動かなくなっちゃったことだし、晩御飯はラザニアでいい?」

「通しでいくなら彼女のラザニアですね。結衣、頼んでいいか?」

「え? ラザニア? ……あ、そっか。うん、わかった」

「たまには親が持ってる音楽を聴くのもいいもんですよねー。お父さんも喜ぶし。あ、これ小町的にポイント高い」

「三人の卒業の時に、静ちゃんでも呼んで“一番偉い人へ”でも歌ってあげれば? きっと喜ぶよ?」

「逆に殴られませんかね」

「うん、実は殴られた」

「ダメじゃないっすか!」

 

 ちゃんちゃん。

 



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少女たちが踏み出した一歩のこと①

 ぴちゃり、ぴちゃりと暗い世界に水音が響く。

 動かす舌は濡れた指を舐め、再び大きなソレへと伸ばされる舌は、またぴちゃりぴちゃりと音を鳴らす。

 今、この時をどれだけ待ちわびただろう。

 胸は興奮でおかしなくらい高鳴っている。

 こくり、と鳴らす喉は妙に息苦しく、暗くて見えないだろうが、顔はきっと真っ赤だ。

 比企谷絆、今こそ願望を叶える時。

 いざ、大きく口をあけて───

 

「……な~にやっとんのだお前は」

「ほきゃあ!?《びびくぅっ!!》」

 

 パッ、パパッと蛍光灯が光を放つ。

 どうやら電気をつけられたらしく、見ればパパが呆れた目で私を見ていた。

 

「うわやややや違いますこれは違うんです! ただ暑かったから冷たいなにかが欲しいなぁと!」

「……チューベット?」

 

 そう、チューベット。

 冷凍庫で凍らせることをCMでもオススメしていたアレだ。

 冷えて固まるまでが地味に長いことから、わたしはこの時を今か今かと待ち続け、気づけば夜に……!

 

「また懐かしいものを……つか、これ今普通に売ってるもんなの? アニメ・ドラゴンボールZがフリーザ編やってるあたりでCMしてた筈なんだが(たった一人の最終決戦を録画したビデオテープに嫌というほどチューベットのCMが。あとサラスパも。今日は~、サラダの日~♪)」

「類似品らしいです。2009年にチューベットの生産は終了してます」

「マジか……あ、いや、それはそれとしてだ。なんだって電気もつけずに妖怪アカナメまがいなことしてたんだよお前は」

「だから冷たいものが欲しかったんですってば。美酒を熟成させるが如く、冷凍庫で凍るのを待つアイスというのはわくわくするものじゃないですかー。待ってたら夜になってしまったので、誰かを起こしてしまうのもアレですし。大体最近の異常気象が悪いんですよ。なんですか、もう12月だっていうのにこの温度。なんとかしてくださいよー、せんぱ~いぃ~」

「一色の真似はやめなさい」

「比企谷くん。なんとかしてちょうだい」

「雪ノ下の真似もやめい」

 

 そんなわけなので奉仕部の冷凍庫に忍び寄って、ワチャリと開けて物色していたわけで。冷蔵庫等を開けた時のあの音、独特ですよね。

 夜の奉仕部の長机の上のクッションには、我が家のペット・ヒキタニくんがよく眠っているから、そこは気をつかってひっそりと。まあ気づかれましたけど。

 

「というわけで他の人には内緒です。さあパパ、一本受け取ってください。これは賄賂です。食べた時点で協力関係が結ばれます」

「いらん」

「即答!? 馬鹿な……! パパともあろう者が、チューベットの良さがわからんとは……!」

「もうとっくに歯ぁ磨いたんだよ……アイスのためにまた磨くのなんてめんどいだろが」

「あ、納得。んもうパパったら、実はチューベットが好きでしょうがないんですね?」

「いや、べつに磨いてなくてもいらん」

「なんでですか!? いいじゃないですかチューベット! ほら! 最近の類似品じゃあ、先端に妙な丸い突起があって、そこに紐とか結べば……ヌンチャク!《ドーーーン!!》」

「………」

 

 うわぁ……“なにをしたいんだこいつは”って顔で見られてる……!

 なにをやりたいか? うん、ノリで楽しみたい。あとチューベットは良きアイスである。

 

「青い空の下でー!《ピュフォンピュフォン!》」

「中華一番のヌンチャク包丁野郎の真似をするのはやめなさい」

「《ガドォ!》おぴょっ!? ~~~……くおお……!!」

 

 そして振り回し損ねて後頭部に激突。ヌンチャクあるあるであった。

 まあでもさ、包丁でヌンチャクって、普通にバランスどうなってるんだって感じだよね。

 だって包丁ってどうしても、刀背に重心いくから、振り回したところで殴ることは出来ても切れないと思うんだよね。

 そこでこの絆は考える。

 包丁の刀身よりも、刃の部分を重くすればいいんじゃないかな!

 ほら、刃の部分だけ鋼にするのってよくあるし!

 

「フン《コキャス》」

 

 チューベットの両端を片手ずつで掴んで、振り降ろすのと同時に膝蹴りをかます。

 見事に折れた片方をちゅぱちゅぱと味わい、片方をパパへ。

 

「いや、いらんと───」

「溢れるから! 早く!」

「え、あ、おう───あ」

 

 ひょいと咄嗟に受け取ったパパ。そして、途端に溢れ出す煮汁……ではなくチューベット汁。

 さらに咄嗟に、口をつけてしまった刹那、パパは共犯者となった。

 

「ともに、ゆきましょう……?」

「………」

「《ごすごすごすごす》いたっ! いった! いたい! パパやめて! 陣内流鉄菱で頭殴るのはやめて! 加減されてても地味に痛い!」

「大丈夫だ、これ、グラップラー刃牙時代に紐斬り鎬さんがやってた一本拳だから」

「答えは確かに違うのに痛みはまったく同じじゃ意味がないよ!?」

「言うほど痛くしてねぇだろ。ごすごす鳴ってはいるが、こっちの指も痛くねぇし」

「パパに殴られてるって事実が痛いんだよぅ!」

 

 ああでもパパから強く抱き締められてる(ヘッドロックである)と考えると、少し嬉しいと感じてしまうあたり、わたしもいろいろアレですね、はい。

 こうしていればパパを独り占めできるわけでして、たまには悪さをするのも悪くないです。いえ、べつに悪さと呼べるほど悪いことをした覚えはありません。夜中にチューベット食べただけですし。

 ……共犯者を作ったのはアレですけど。

 

「つか、お前は大丈夫なのか? 手。べたべたしたりは───」

「フフフ、ぬかりなし。見てくださいこのゴム手袋を。べたつかぬよう、きっちり装着済みで《ごすごすごす》いたたたた愛が痛い!」

「お前のそういうところ、ほんと俺の娘だな……。自分だけはちゃっかりしてるっつーか……いや、その場合は小町的ではあるのか?」

「総じて比企谷の血だよ!《どーーーん!》」

「あーはいはい、もう食い終わったんならゴム手袋もきちんと捨てるか洗うかしとけ」

「うん。……ねぇパパ? ゴム手袋に限らずさ、手袋系をつける時と外す時って、なんか格好よくしたくならない?」

「いやそういうのいいから。寝かせて? 俺の中にまだ眠気が残ってる内に」

「《スッ》……宇宙天地與我力量、降伏群魔迎来曙光……! 我が左手に封じられし鬼よ! 今こそその力を───示せぇ!《クワッ!》」

 

 言いつつゴム手袋を取りにかかる。

 けど取れない。ゴム手袋あるあるである。

 これってちょっとでも内部に水分入ると、途端に取れなくなるよね。

 

「………」

「え、あ、やーその……ちょっとしたお茶目というか。ほら、やりたくなりますよね? パパならやりたくなりますよね? 平塚先生が見せてくれたぬ~べ~が思いのほか面白かったのでつい───《グッ》あ、あのっ!? なんでコメカミに拳をセットするんでしょうか!? あのせめて片方にまかりませんか!? 絆、オラオラじゃないほうが好きだなぁ! ……ちょっ、今こそ示して!? 無抵抗なままウメボシなんてやだー! 鬼の手じゃないのはわかってるからせめて外れて! しめっ……示してぇえええっ!!《ゴリゴリゴリゴリ》ギャーーーーッ!!」

 

 ナムサン。

 その夜、わたしは眠気が飛んだらしいパパの拳に包まれながら絶叫した。

 こういう時、どうせなら腕に包まれたいものだね、うん。

 

 

───……。

 

 

 翌日。

 今朝も早よから店内の掃除である。終了時にかるーく掃除はするものの、やっぱり客が入る前の朝にきっちりやった方が見栄えがいいのだ。

 仕込み等はパパやママたちがしてくれているから、わたしや美鳩は掃除に回される。

 美鳩は眠そうな半眼で黙々と窓拭きをしていて、それが終われば卓の砂糖などの補充をする予定。それはわたしもだけど。

 湿気が出る日ってヤだよねー、砂糖とか固まっちゃうしさ。

 雨が降った翌日なんて特にだ。昨日が暑かった所為で妙にじとっとしてるし。

 

「FUUUUM……」

 

 MORIMOTO風に息を漏らして、床のモップ掛けを中断する。

 なんかこう、彩が足りないというか。

 あ、店内じゃなくて状況にね?

 歌でも一曲ろうじてみせようか。なんて考えるも、こんな時に歌う歌が思い浮かばない。

 

「どうせなら突拍子もないものがいいんだけど……グムムー……」

 

 キン肉チックに唸っても解決はしない。うん、そりゃそうだ。

 こう、朝から活力が湧いてくるような歌とかないかな?

 

「好きです川崎ヴァ~ンプのっまっち~♪」

 

 川崎市民に怒られそうだからやめよう。

 でもヴァンプ将軍大好き。

 不思議と声真似とかしたくなるよね。え? ならない? むう、わたしだけだろうか。

 

「あ、レッドさぁん」

「……?」

 

 美鳩に眠そうな顔で見られてしまった。済まぬ、掃除を続行してくれぃ。

 などと脳内で反省しつつ、モップ掛け再開。

 

「~……♪」

「ハッ!?」

 

 その時、窓拭きをしている美鳩から、聞き覚えのあるメロディーが……!

 わたしに電流は走らなかったけど、なんらかの信号が脳から痺れを促した。

 唐突になに言いやがるんだこの小娘と思うかもだが、“ザイモクザン先生って、いろいろ考えずにとりあえず良曲とかだと誰にでも訊かせたがるから、たまに困りもの”だ。

 しかしこの比企谷絆、どんな経験も知識として蓄えんとする意欲がある。

 聴かされたのがたとえギャルゲーとかエロゲーの歌だろうと、良い曲は良い曲なのだ。悪いのはそういった配慮もなく聴かせたザイモクザン先生であって曲じゃあない。

 出所を知って、ドン引きしていた雪乃ママといろはママはたいへんよろしい。

 え? わたしと美鳩? はっはっは、曲に罪無し! 大体、ギャルゲーだろうとエロゲーだろうと、そこに愛があるのならいいじゃないですか。

 愛が無いのとか無理矢理はさすがにドン引きというか有り得ませんけど。

 素人が作った歌だろうと良い歌ならばお金を払いたいって思う。

 本職さんだろうとヘンテコな曲だったらお金を払いたくない。この絆はそういった人間であるのです。

 ほら、よくあるじゃあないですか。一曲をたまたま聴いて、体が痺れるくらいに良い曲だったからファンになって、過去に出したCDとか揃えてみたのに良曲はほんのちょっと~とか。

 それと同じです。良い曲ならば人も仕事も関係ない。

 というわけで。

 

「美鳩~」

「?」

 

 眠そうな半眼がこちらへと向けられる。

 嫌がるでも面倒臭がるでもなく、普通にてくてく歩いてくる美鳩にわたしも近寄って、話を始めた。

 

「…………替え歌?」

「そう、それなのだよワンタンくん」

「No、ワトソン」

「まーまー。替え歌じゃなくてもさ、鼻歌やらなにやらで朝からやる気が出るような、ちょっぴりおかしい歌とかないかな」

「モッコスキッス」

「なんでよりにもよってそれかな!! やる気でないよ! ちっともでないよ!」

「人に訊くなら、まず自分の思いつくものを挙げるべき。絆は少し我が儘」

「む。確かにこれはよろしくない。えーっとじゃあ……ターちゃんのOPを振りつけ有りで?」

「出来るものが最初のポージングしかない」

「………」

 

 その通りだった。

 

「ならあのえーっと、動画サイトにあった“すーぱーあふぇくしょん”とか」

「あれは実に不思議。OPでアニメキャラがきちんと踊っているのに、振りつけ動画にはてんで反映されていない」

「ザイモクザン先生が怒ってたやつだね。リスペクトが足りぃいいいん! って」

「Da.それに振りつけも覚えてない」

「……却下だね。じゃあアレだ、声を合わせてココロビーダマでも歌う?」

「…………やる気、出る?」

「言わないで……。言ってからちょっと“出るかなぁ”って思ったから」

「キミだけの~、やる気スイッチ~♪」

「おおやる気スイッチ。わたしたちのやる気スイッチといえばパパだけど、その前にもうちょっと考えよう。なにかこう、今すぐ! って思いを前に出した歌とかない?」

「い~ますぐお~~~んどりゃ~~~っ♪」

「進研ゼミに謝れ」

「……? 聞いたままを歌ってみただけ」

「正しくはボンボヤージュだから。今すぐよい旅を、って。たぶんそんなところ」

「なるほど納得。今すぐおんどりゃあって、進研ゼミはなにがしたいのかずっとずうっと謎だった……」

「うん……この絆も我が双子の妹の感性が時々謎だよ……」

 

 でもたしかに聞こえるかも。

 実を言えばわたしも、歌詞を探して知ったクチだし。そこで知らなければ、耳で聞いた通りに認識していたと思う。

 日本人として産まれたなら、言葉を聞いてイメージするのはまず日本語。

 そこから考えるに……ああうん、おんどりゃあかもやっぱり。

 

「やっぱり埒が明かないし、パパにでもちょっかい出してみましょうか。さすれば道が拓けるかも……!」

 

 そうと決まればレッツハバナーウ!

 奉仕部側へと走って、途中で雪乃ママに走るなと怒られ、その先でパパに「いーから仕事しろ」と言われて戻ってきた。

 

「40秒で支度が出来てしまった……」

「40秒で二人に怒られることの出来る絆がおかしい」

「まあまあ、ヒントは得た。大丈夫だよ美鳩、これからわたしも頑張っていくから。というわけで歌おう友よ!」

「? なんの歌?」

「……みずいろ、って知ってる?」

「知ってる。ザイモクザン先生厳選音楽CDに入ってた。きっと気になるあの子にプレゼントしたら、校内放送で流されて黒歴史になるレベル」

「パパが実際経験してるらしいからね。渡されても困るだろうけど、その人、ちゃんと聴いてみたのかなぁ。ちっとも良曲がなかったんなら考え物だけど、なにも校内放送で曝すことはなかったと思うんだよね」

「ジャッジメント。どうせ○○○だからやってもいい、は理由にならない」

「だね。じゃあ歌いますか」

「? みずいろ?」

「ううん、替え歌。まじょいろ」

「…………この美鳩をして、嫌な予感しかしない……!」

「しっ……失礼な!」

 

 そんなわけで、適当に考えた歌詞を美鳩に伝えた。

 ……嫌な予感通りだった、と言われたけど歌うことに異論はなさそうだ。

 

……。

 

 で。

 

「っし、豆はこれでよし、と。茶葉の方は城廻先輩がやってくれてるからいいとして……絆ー? 美鳩ー? 掃除の方は───」

 

 あらかたの準備が終わったらしいパパがこちらへとやってくるのと同時に、わたしと美鳩はモップをマイクに見立てるようにして歌った。

 いや、狙ったわけじゃなくて偶然だったんだけどね。だが構わん! 気まずそうに口を閉ざすくらいなら、最初からやりません! 真っ直ぐGO!

 

「脳が~震~える~♪」

「指が~砕~ける~♪」

『染まるこ~~のそ~ら~まじょ~い~ろ~♪』

「今も~今~でも~♪」

「黒~く~、あ~か~く~♪」

 

 間奏部分は口でズンチャカ。

 なかなかうまく出来ているのではなかろうか。

 

「あまお~~~と~~~……♪ 赤い~、あ~~~め~~~♪」

「濡れて~は~…………♪ 嗤った~~……♪」

「けんの~う~~♪ 無数~に~伸ばし~た手~♪」

「気づか~ぬ~よう~♪」

「見られぬ~よ~ぅ♪」

『ぎゅ~う~~っとつ~~ぶ~し~た~~♪』

「脳が~震~える~♪」

「勤勉なあ~いに~♪」

「丸まり~、飛翔~し~た距~離~も~♪」

「怠惰~せぬ~よう~♪」

「報わ~れる~よう~♪」

『ずっと~~~♪』

「名乗れ~ばか~しぐ~♪」

「ムキ歯~と笑~顔♪」

「求めた~、愛~の~旅~路~も~♪」

「魔女に~弾~かれ~♪ 淡~く~消~え~た~~~~♪」

 

 テーン、と最後まで歌いきってキメポーズを取ると、パパが“うわぁ……”と拍手をくれた。うん、当然パチ……パチ……って感じで。

 そしてわたしと美鳩は、きちんと聞いてくれていたパパに仕事しろとツッコまれた。

 

「つか、なんでみずいろなんだよ……」

「歌詞に“震える”とかついてたら思い出さずにおられようか! いやない! ……反語」

「はいはい、キザーロフはいいから。あんまり俺に仕事しろとか言わせないでくれ頼むから。過去の自分にやいばのブーメラン投げてるみたいで突き刺さる」

「おお、おとさんも説教するの嫌いなんだってやつだねっ!」

「いんや、純粋に自分が恥ずかしいだけだ」

「お、押忍」

「さすがパパ……妙なところでブレない……」

「俺が言わんでも、あとで雪ノ下あたりがチェックするだろうから、二度手間になりたくなかったら、あー……その、なんだ。頑張れ、な?」

「おお……! パパったらぶっきらぼう……!」

「二度手間はするのもさせるのも嫌だし申し訳ない。そもそも絆、掃除しながら歌えるもの探しだったはずなのに、どうしてこうなった……?」

「うぐっ……や、やーそれはほら、ちょっとした気分というかー……ネッ♪《べしべしべしべし》いたいいたい! しっぺいたい! やめて美鳩ー!」

「クラスに一人はしっぺが上手いヤツとかデコピンが上手いヤツ、居たよなー……。そんなやつらの騒ぎをチラチラ目に入れてたかつての自分が蘇る気分だわ……軽く死にたい」

「まーまーパパ、暗い話は無し! あれ? ところでママは?」

「もう来るだろ」

「……また顔が真っ赤になるようなこと、してたとか?」

「やかましい」

 

 図星っぽかった。プイスと横向いちゃったし。

 さてさて、どおれ今日も頑張るとするか~~~~~~~~っ!!

 

 

───……。

 

 

 時は加速して夜。

 見知った顔が客として来て……ああいや、予約があったらしくて貸し切り状態らしい。今教えてもらった。

 

「明日のあたしはもぉっとずーっとー! じーしんを持ぉって歩ぅーきぃーたいっ!!」

 

 現在、簡易カラオケマッスィーンを出してきて、みんなでわいわい飲んで歌ってな状況。

 今はママが万能文化猫娘歌ってる。こう言うのも言葉として合ってるのかは知らないけど、うん、元気な歌だ。ママによく似合ってる。

 歌い終われば誰々にリクエストー、とか言って、歌い終わった人が次の人を指名したりとか。

 

「えとー……じゃあ次、優美子で“素直でいたい”」

「え゙っ……ちょ、結衣? せめて最近の歌にしない?」

「やーほら、葉山くんサッカー部だったし、じゅーすてぃんぐ? しながらとか」

「由比ヶ浜さん、リフティングよ。馬上試合をしてどうするの」

「あぅ……」

 

 エネルギー全開しそうな感じだ。でもそっか、ジュースティングってそういう意味だったんだ。スラッシャーな名前だけじゃなかったんだ。

 

「つかあーし、そんな歌知らね……こほん、知らないんだけど」

「フフッ、任せるがいい三浦。CDと歌詞カードならここにある」

「平塚先生、なんでンなもん持ってんの……」

 

 というわけでやった。優美子ママの前に別の人が一人歌って、その間に優美子ママは歌を試聴、歌詞を覚えて歌ってみせた。

 しっかりと隣でリーフマウンテンさんがリフティングやってた。

 ボール? むふふ、この絆にぬかりはありません、こんなこともあろうかと用意しておきました。サッカーボールではありませんけど。

 

「おー! やっべーわ隼人くん! まだまだ現役でいけんじゃねー!?」

「それな!」

「確かに!」

「おっし歌い切った! んじゃ次、平塚先生ではじめてのチュウ」

「《ゾブシャア!!》ぐわああああああっ!!」

「ゆっ、優美子! いくら仕返しとはいえそれやりすぎだから!」

「つーかー! それやったらお葬式ムードみたくなるからやめんべ!? な!?」

「戸部っ! それトドメ……!」

「へ? トドメってなに隼人く……あ」

「…………《コーーーン……》」

 

 ちらりと見れば、平塚先生が椅子に座りながら真っ白に燃え尽きていた。

 ブツブツなにか呟いていて、耳を近づけてみれば「どうせ私は……」とか「ファーストキスの話題ですら葬式ムード……」とかって……うわあああ……!!

 こうなると流石に黙っていない女性陣。筆頭として腰に手を当てぷんぷんなめぐりっしゅさんが、戸部さんにお叱りの言葉を届けた。

 

「戸部くん!? 女性にそういうこと言っちゃだめでしょー!? 罰として戸部くんが歌うこと!」

「お、俺ェ……!? いんやぁ、っちゅーかそれさぁ、あんま罰になってなくね? 城廻先輩」

「歌が罰になるようなの選ぶから! ……えーと…………あのー、はるさんはるさん、罰になりそうな歌ってありますかね」

 

 いきなりはるのんに投げっぱなした! すごいや、さっすが天下のめぐりんさんだ!

 

「んー……よくわかんないけど、とりあえずキューティーハニーあたりでいいんじゃない?」

「ちょ、マジかー!? ないわぁ、マジないわぁ!」

「あ、ちょっといじられて嬉しいって感じだ」

「おし、ナイス密告海老名。つーわけで戸部、別のな」

「いやちょっ……厳選する必要なくね!? ハ、ハニーでいいってばさぁ!」

「というわけで傷つけられた恨みを、静ちゃん、どどんと」

「…………おっぱいがいっぱい」

『───戸部……いいやつだったのに』

「いやぁああああああああああっ!?」

 

 その夜。

 戸部さんは大人の階段を段飛ばし上り、踏み外して転げ落ちた。

 

……。

 

 さて。

 しくしく泣いている戸部さんが、海老名さんに慰められている状況の中でも歌や騒ぎは続いている。

 よもやしっかり全てを歌い切るとは……さすがノリだけは良いとされる戸部さん。むしろノリだけで基本なんでもこなしていると言っても過言じゃない。

 そんな彼も、おっぱいがいっぱいを熱唱して途中で泣いちゃった。

 何故って、海老名さんがずーっと冷たい笑顔で見続けるもんだから。泣いたけど歌い切った。お見事。

 まあ途中でパパとリーフマウンテンさん見てグ腐グ腐って笑ってたらから、嫌った~とかではないんだろう。

 ただもうちょっと言動には気を付けようねって、そういう笑顔だったんじゃないかな、うん。

 それからはわたしや美鳩にも歌の指定は飛んだ。

 わたしは無難な歌を指定されて、ちょっぴり“ぬう、もう少し面白い歌がよかった”と残念がりつつ、ママとパパに“決意の朝に”を歌ってもらった。

 なにやら思うところがあったのか、二人とも真っ赤になりながら歌ってた。うん、一度二人にこそ歌ってもらいたかったのだ。

 歌い終わったあと拍手が鳴る中、ドヤ顔コロンビアやってたら「青春時代を抉られたようで恥ずかしかったわ! 公開処刑か!」とか言われてコメカミぐりぐりされた。フフフ、この絆に悔いは無し。痛みはありましたが。

 で、最後は全員でなにか歌おうってことになって、平塚先生がGreat Daysを指定。一度歌を聴いたのちに全員で歌いました。

 

『そーれーはー果てーしーなーーい!』

「《ドヤァアアアアアン!!》」

『きーーずーーなーーー!』

 

 絆、って部分でドヤ顔コロンビアやったら、パパに歌いながらアイアンクローされました。い、いいじゃないですかそれくらい! ほらほら、美鳩も「次は鳩にちなんだ歌が……!」とか言ってますし! え? そういう問題じゃない?

 

「じゃあ、今回の親睦会はここまでだな」

 

 ともあれ。

 平塚先生が締めて、本日の営業も終わり。

 といっても、途中からは予約者である知人の集まりでしかなかったんだけど。

 後片付けを始める者、いそいそと帰る者、それぞれに分かれれば行動も早い。

 ぬるま湯組が残って、他の人はお帰りだ。

 海老名さんとか手伝おうとしてくれたけど、知人だろうと親睦会だろうとお客はお客。この比企谷絆、客に手伝わせるほど衰えてはおらぬ! なので断った。

 

「じゃあ、ごめんねユイ。また来るから」

「うん、じゃあねー姫菜ー!」

 

 海老名さんと一緒に戸部さんも帰って、ザイモクザン先生と戸塚さんが帰って、リーフマウンテンさんと三浦さんが帰るとえーと……誰だっけ。やばい、本気で思い出せない。二人。えーとあの二人……お、おー……大、なんたら。なんだったっけ。あー、ンー、その、なんだ、えー…………だめだ、考えるのやめよう。や、言っとくけどこれカーズ様リスペクトだから。薄情とかじゃあないんだからね?

 そうして作業に戻ると、片付けを終えてから“成敗!”とばかりに決めポーズを取る。

 

「決めポーズって、なんかジョジョ立ちがよく似合うよね」

 

 ひとり呟いて別のところの手伝いへ向かう。

 と、丁度片付け終えたらしい美鳩と合流、パパの場所の手伝いに向かっては終わらせ、次へと向かった。

 

『成敗!!《どーーーん!》』

 

 そして終われば決めポーズ。

 これにはパパもノってくれて、まじょいろの時とは大違いだった。

 わたしと美鳩とパパの親娘で、柱の男のポーズを真似ていたのは気にしちゃいけない。

 どうせキメポーズをとるなら、三人で出来るものをやりたいと思うのは、当然のことなんだから。

 平塚先生あたりなら、勝利のポーズ、決めっ、じゃないのか、とか言いそうだけど、残念ながらそうじゃない。

 まあ、ノリが良ければなんだっていいのはあるかもだけど。

 

「さて、じゃああとは───」

「勉強してお風呂入ってホットミルク飲んでご就寝」

「ソレダ」

 

 美鳩と言い合い、パパを促し、パパの手を二人で引っぱり勉強会。

 この比企谷絆、伊達や酔狂で生徒会長に選ばれそうになったわけじゃあない! 勉強も料理も運動も得意! でも店があるから生徒会なんざやってられん。それだけである!

 や、いろはママもやってたらしいから、興味はあったんだけどね。

 お店があるんだもの、仕方ないじゃないの。

 

 



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少女たちが踏み出した一歩のこと②

 そんなわけで。

 自室に戻って勉強道具を持ってくると、お店の客席じゃあなく、中の奉仕部で勉強会。

 パパはママのところに行ってしまったが、これはもう慣れたものだ。

 懐かしいなあウフフ、パパやママにこの絆は出来るおなごなのだと自慢したくて、雪乃ママに必死で教わったあの日……!

 ……あの時パパやママに頼らず頭脳を鍛えてしまったがために、二人には俺やあたしが居なくても頑張れる子、みたいな認識をされた時は大ショックだった。

 そして言われた。はるのんに。「親は子に一度でも安心を覚えるとそれを基準にするから、甘えられる内、弱い内は素直に弱い姿を見せておきなさい」って。

 逆に雪乃ママは強くありなさいって言ってくる。誤解ではなくしてしまえばいいのだと。そこらへんがほら、感性とかの違いってやつだと思うのだ。人って簡単じゃないね。世知辛い。

 そしてこの絆が取った行動は、自分のしたいようにする、であった。

 だって褒めてほしくて頑張ったのだ、あの娘は大丈夫だ、なんて思われたかったわけじゃない。なので言った。褒めてくださいと。

 両親はきょとんとしたあとに、互いを見て苦笑すると……「反省だな」「反省、だね」と笑って、二人同時にわたしの頭をわっしゃかわっしゃか撫でてきた。

 良き思い出でごぜぇやす。絆は成長しやした。

 

「んん……疑問。勉強好きな人は、なにがきっかけで勉強が好きになる……?」

 

 ふと、美鳩がそんなことを訊いてくる。

 ハテ。何故? 何がきっかけ?

 

「とりあえず両親に褒められることから、この絆の一歩は始まったと言えましょう」

「Si.それは正面に同じく。褒められて伸びるタイプだったから、褒められるためになんにでも手を出した。誰に動機が不十分と言われようと、その在り方こそが比企谷的にわりとジャスティス」

 

 普通なら器用貧乏で終わりそうな動機だろうけど、無駄に適度にこなせる比企谷の血と、思ったら一直線の由比ヶ浜の血に、そうそう挫折の文字は浮かばない。

 想えばこそそれが力となり根気となり行動力となるのです。

 

「でも絆は、昔はパパのことが嫌いだった」

「うぬ、なかなか言ってくれおるわこの妹め。確かにこの絆、かつては父が嫌いであったこともあったという、名乗ることを許されぬ一人の修羅であったわ。しかし想いを知ったからこそ立てられる意思や誓い、というものもあるということだよ妹クン」

「……絆は───誰かと付き合ったり、とかはしない? んん……あの言い寄ってくる男とか」

「可能性はないんだろうけどね、うん。今のところはてんで。この絆……恋愛結婚とやらがしたいでおじゃる!」

「美鳩は父との愛という禁断を踏みしめてみたい。もちろん無理だとは理解しているから、恋が出来るなら普通に無難な恋でもしてみたいもの。しかし現段階では父への愛こそが原動力。実にジャスティス。言える内に言っておくなら今こそ不変。未来においてはいつかは変わるんであろう気持ちを、きっと親離れという」

「好きになっちゃったなら仕方ないよねー。まあ、いつかほんとに現実を知った時に諦めよう。うん。相手が悪かった。でも気持ちって簡単じゃないから」

「……二人して嫁き遅れとかしそう。でも、べつにそれが怖いって思いはない。この店に、骨と皮まで埋めたい。絆はどう?」

「わっはっはー、こりゃまた愉快なことを。べつにこの比企谷絆、独り身だろうと一向に構わん」

「Si.この身は夢に捧げた。そこに伴侶が現れるか否かなんて、今はどうでもいい」

「そりゃね、パパとママみたいな関係には憧れるけど、だからって絶対結婚したいかって言ったら……ねぇ?」

「あとでどれだけ後悔しようが、そういうものだといつかは受け入れられる。そうなったら仕事一筋、姉妹でこの喫茶店を盛り上げてゆく所存」

「……じゃあもし、えと。わたしと美鳩、二人のうち一方だけ結婚、なんてことになったらどうする?」

「どうするもなにも」

 

 訊ねてみれば、美鳩はきょとんとしたあとにこほんと咳払い。

 わたしも、自分の質問で自分が思ったことを素直に口にした。

 

『祝福しつつ、とりあえず一方を追い出す』

 

 ハモった。けど、同じ意見でなによりである。

 

「結婚したならここは場違いだしね。子供が産まれても世話出来る人が居ないしさ」

「Yah.過去において、ママのんやおばあちゃんがそうしてくれたのは、ここがパパとママの店だから。娘である私たちにはそれが関係ない」

「やはは、さすがに“曾孫の面倒もヨロシク!”とは言えないしね。ていうか…………子供? この絆に……子供? ……想像できないや」

「ん、同じく。でもきっと、想ったら一直線の子に成長する。それが由比ヶ浜の血であり比企谷の血」

「ウムス」

 

 話をしつつ、姉妹で勉強を続ける。

 想ったら一直線といえば、パパとママは今頃なにをやっているやら。

 ……らぶらぶちゅっちゅしてるか。くぅ、羨ましい。

 

「しっかし最近の気温はどうなっているのやら。朝は寒くて昼は妙にあったかかったり」

「ん……。で、夜はまた寒い」

 

 ちらりと見れば、机の上に置かれた電気あんかの上で丸まっているヒキタニくん。

 こたつで丸くなる、どころじゃない。宅のヒキタニくんは寒いのが嫌いなのだ。

 そのくせ、人の部屋の布団にやってくる、なんてことはない。あくまで奉仕部の机の上が、この子の定位置だった。

 背中をもみもみすると、閉じていた目を開いて見つめてくる。

 けど、すぐにフスーと息を吐くと目を閉じて、また眠りについてしまった。

 ……一日のほぼをここで過ごしてるけど、退屈じゃないのかなぁ。

 たまに、ママが“専業主夫になったヒッキーってこんな感じなのかな……”なんて言うと、その日のパパが張り切る。めっちゃ張り切る。

 昔はどうだったかは知らないけど、今は間違い無く働き者のパパだから、ママもごめんねって謝るんだけど、しばらく拗ねてたりするのはほんとパパっていうか。うん。

 

「よし、勉強終わりっと」

「Da.これからどうする? お風呂? それともお風呂?」

「お風呂しか選択肢ないじゃん……まあお風呂だけどね」

 

 お風呂の擬音、かぽーんって、よく考えると怖いよね。

 ほらほら、漫画とかだとさ、一人でお風呂入ってる時でも擬音といえばカポーンなわけですよ。

 あれって桶がどこかにぶつかって鳴る音なのだよ? 一人で湯船に浸かってるのにな~んでかぽーんとか鳴っちゃうかな。

 ……わからない時はノストラダムスの所為にしとけってキバヤシさんが言ってた。うん。

 

……。

 

 そんなわけでお風呂、完了。

 思いっきりあったまってからしっかり体を拭いて、きちんと寝間着に着替えて。

 しっかり拭いても汗は出るし、その汗は温かいままだから湯気に変わってモシャアアアと空気に消えていくけど、なんかこういうのってこう……

 

「ククク……この絆の闘気も猛っておるわ……!」

「魂の、叫び……!」

 

 一緒にお風呂から上がった美鳩も付き合ってくれるこの気安さ、大切です。

 やー、無駄な行動とかって無駄ではあっても、その無駄を楽しめるかが重要だと思うのですよ絆的には。

 何が言いたいかっていうと娯楽最強。

 

「さぁて、ホットミルクを用意してー、ストレッチもきちっとしたら、吉良吉彰のように穏やかに眠るとしようか」

「Si」

 

 振り返ってみると、日々というのは案外早々代わり映えなんてしないものだ。

 仕事は、そりゃあ違うことばかりが起こるけど、することはそう変わらない。

 それに飽きたかっていったらそうでもなくて……そう考えると、自分は本当にこの仕事が好きなのだと実感できる。

 仕事を継ぐにせよ別の未来に惹かれるにせよ、楽しめている内は思い切りだ。

 恋も仕事も。

 初恋は眩しくてわくわくして、した途端に失恋してた。

 だからきっと実感なんて一生湧かなくて、パパとママの仲を基準に抱いたまま、これは違うあれは違うといろいろな恋のかたちを否定していくんだろう。

 歩く先のかたちがどんなものなのかはハッキリとはわからないのに、そういうのがなんとなくわかるっていうか……うん、ちょっと難しい。

 頭が良くてもわからないことはたくさんだ。それは経験して失敗して、積み重ねていくしかないんだと思う。

 

「失恋かぁ……次なんてあるのかね」

「それは……わからない。でも、今すぐわかる必要はないと思う」

「……そだね。わかった時は、精々パパに嫉妬してもらおっか」

「人を見る目がある“家族”が多すぎるから、きっと紹介した時点で止めてくれる」

「おお、そういった意味ではいろいろ安心なわけか。その時にわたしたちが反発するか頷けるかだろうけどね。ていうかたぶん美鳩が誰かと付き合ったら、ママのんが即座に相手の調査を始めると思う」

「Nn……Hai ragione(もっともだ).ママのんなら絶対する」

 

 あの人、自由だから。

 昔はそうでもなかったらしいけど、わたしたちにすればあれがママのんだし。

 きっと相手の過去や性格なんかを散々調査してからダメ出しするのだ。

 あれ? 想像の時点でダメ出ししかないや。まあ、ダメ出ししかしないんだろうけど。

 でもママのんが認められる相手って相当少ないと思う。

 美鳩は苦労しそうだね。わたしは………………うん。やっぱり、まだわかんないや。

 

「じゃ、明日もよろしくだ、マイシスター」

「明日も良い恋をしよう。噛みしめて、自覚して。受け入れられたら、また笑顔で」

「おうともさ。ていうか一緒に寝よう」

「Si.妙案。今日は寒い」

「こういうのも人肌恋しいっていうのかな」

「断じて、それは、違う」

「いや、そこまで噛み砕くみたいに言わんでも……《すりっ》ほわうっ!? ……おおうヒキタニくん? どうしたどうした、キミが奉仕部から移動するとは珍しい」

 

 なんでかヒキタニくんまでやってきて、わたしの足に頭をこすりつけてきた。びっくりした。

 けれど一緒に寝るというのならどんとこいだ。

 姉妹とヒキタニくんとでヌクヌクと眠るとしよう。

 

「猫型ゆたんぽさん、来日」

「来日はちょっと違うんじゃない?」

 

 美鳩にツッコミつつ、いつも通りのわたしで自室へ。

 …………失恋は、とっくにしている。

 それはわかってるし、それを毎日自分達に言い聞かせている。

 自覚が追いつかないから何度でもぶつかって、パパにへいへいと苦笑されるたび、少しずつ少しずつ受け入れている。きっと、受け入れられている。

 いつかそれが大きな“失恋”って形になったら、泣くんだろうな、きっと。

 痛みがわからなくちゃ離れられないから、わかるまではきっとこのまま。

 わかってからは───…………どうなるんだろうね。

 

(……わかった時は、大泣きだね)

 

 なんとなくだけどわかるんだ。今が大切ってことは、それを失うってことだ。

 でも、そんな涙はパパにもママにも見せる気はない。

 ひとりか、もしくは美鳩と泣いて……翌日にはいつもの自分でやっはろー。

 多少の変化に気づけても、きっと周りはなにも言わない。言わないでくれることが一番なんだ。

 そう思える自分が、今はちょっと……悲しい。

 いっそ反発出来たらなーって思うのに、両親が好きすぎるのだ、わたしは。

 こんな想像をしてしまった時点で、もしママが失恋していたら、きっとその想像の通りのことをしていたんだろうなって思っちゃって、もうだめだった。

 

(……明日もがんばろう)

 

 小さく沸いた気力を大きく膨らませて、翌日を思いながら寝た。

 明日も元気だ。

 元気でいられる内に、せいぜい思いっきり今を謳歌しよう。

 失恋が心に追いついたら、その時はその時だ。

 自分の知るたくさんの女性は、もうそれを受け入れて歩いている。

 わたしもそうなるのか、必死になって理想以上を探すのかはわからない。

 でも、いつか心が落ち着いた時には……傍に居てくれる誰かに寄りかかるのも、いいのかもしれない。

 ……え? それって誰かって? やだなぁ美鳩に決まってるじゃないかね。

 よし元気出た。

 明日も頑張ろう! おー!

 …………ちなみにわたしに女色のケはないのであしからず。パパラブ。

 

「気持ちが落ち込んだ時は、暗い気持ちを何かにぶつけるのがいいのだとか」

「んん……一応の発散にはなる……?」

「そうそう。なので暗い時こそなにか奇妙なことを書いてみるとかどうだろう」

「……チョ☆チョニッシーナマッソコぶれッシュ☆エスボ☆グリバンバーベーコンさん」

「ポエムを書く趣味はないなぁ」

「………」

「…………ていうか普通にポエムって言おうよ」

「わかるほうがどうかしてる」

 

 わかるものはしょうがないじゃないか。わかっちゃうんだから。

 さて、馬鹿なことやってないで寝よう。うん寝よう。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 からんからん、と。

 今日もぬるま湯の扉が開かれた。

 開店直後だというのにやってきたその人は、今日も笑顔でセットメニューを頼む。

 隣には、もう妻となった三浦氏。うーぬ、仲の良いことよ。

 想い続けて念願叶って、というのは、見ていてこう……感無量? おめでとうを素直に届けたい。

 とか思ってたら、リーフマウンテンさんに心配されてしまった。

 いやーははは、今日はちょっと夢見が悪くて。

 ほんと…………悪くて。

 涙を流しながら起きた時、隣の美鳩も泣いていて。

 わたしたちは、部屋が防音なのをいいことに、抱き締め合ってわんわん泣いた。

 なんであんな夢を見たのかはわからない。

 でも……本気で目指した恋の終着点は、どうやったってラブコメなんかじゃ終わらないんだろう。

 それがわかっちゃって、わたしと美鳩は朝っぱらからママとパパに心配された。

 やー……目が真っ赤なんだから仕方ないよねー。

 

「美鳩ちゃん?」

「……えと。いまさらですけど、おめでとうございます」

「へ? え、あ、ああ、うん。ありがとう、美鳩ちゃん」

「あんがと」

 

 葉山夫妻におめでとうを届ける。

 特に、三浦……もとい、葉山夫人。ミセスジュビコ、もとい優美子さんに。

 ……報われる恋っていうのは、とても……とても嬉しいものだ。

 想い続けて、その全てが無駄に終わった時、あんなにも苦しいことを夢で知ってしまった。

 泣いたのは……ママだった。

 由比ヶ浜結衣。

 スキー合宿。

 どういう経緯でそこに行ったのかはわからない。

 ただそこへ行って、合宿して、雪乃ママが……ママにパパのことが好きって告白して。

 ママは、文句を言うことも怒ることもせず、雪乃ママを抱き締めて……応援した。

 雪乃ママは合宿のあと、パパに告白して受け入れられて。

 ママは……ママは、泣いたんだ。

 合宿の時にはもう、パパの気持ちがどこに向いているか知っていたから、雪乃ママの背中を押した。

 ……やさしいっていうんじゃないんだ。ほんと、違う。

 諦められない気持ちなんて誰にでもあって、でも……壊したくないって思ったら、笑うしかないじゃないか。

 だから笑った。ママは、笑った。

 でも……家ではおばあちゃんに抱き着いて、大声で泣いたんだ。

 あとは、歩くだけの日々だ。

 辛い事全部飲み込んで、友達を応援して。

 日常を壊さないために、好きだった人の前でも自然に振る舞って。

 

「絆ちゃん?」

「………」

 

 失恋の痛みは知った。

 夢でだけど、あんなに辛い想いはこの先、絶対に味わうことなんてないんだろう。

 だから……。

 

「歩け、って……ことなのかなぁ」

「?」

 

 呟きは空気に消えた。それでいいんだと思う。

 報われない恋を追って、その果てに辿り着いて泣く前に、あんなにも苦しい現実を夢で見た。

 ママ……ママは───……よかった、笑ってる。パパの傍で、笑ってる。

 

「葉山さん」

「え? あ……な、なにかな?」

「失恋をしたとしても、人はファザコンでいられると思いますか?」

「───……もしかして、比企谷となにかあった?」

「質問を質問で返すのはNGですよ」

「……そっか。じゃあ…………そうだね。いられると思うよ。それは恋じゃなくて家族愛だから」

「……そうですか」

 

 なら、よかった。

 人の言葉の全てを受け取って納得したいわけじゃない。

 ただ、このからっぽになりそうだった心に、誰かの声が届いてほしかった。

 そうですね。

 わたしはパパが好きです。

 でも……もうそれは家族愛なんでしょう。

 ママの夢を通して、わたしは大失恋をしたんですから。

 ママは雪乃ママを頑張れって応援して、一人ぼっちで泣いた。

 わたしと美鳩が応援するのはママで……わたしたちの恋は最初から叶うことはなかった。

 それだけのことです。

 葉山夫妻にお辞儀をして戻った。

 カウンター奥で待っていた美鳩と視線を交わして、傍まで行って……額をくっつけて、目を閉じた。

 失恋が怖かったんじゃない。

 関係が壊れるのが怖かった。

 好きだって気持ちが無駄になるのはもっと怖い。

 わたしたちは家族だからまだよくて。

 でも、あの夢の中のママは……

 

「~~~っ……ママ!」

「《びくぅっ!》うひゃあっ!? え、ちょ、な、なに? 急に大声あげたらびっくりするでしょ? …………って、絆? 美鳩? ……ど、どうしたの? なんで泣いてるの?」

 

 丁度軽食を作って持ってきたママに、叫ぶように声をかけた。

 とっても驚いてたのに、怒るどころか心配してくれて、立ち止まるやパパがその手から軽食を受け取って、ママはわたしたちのところへ。

 ……なにを言えばいいのかわからない。

 若い頃のママがあんなに泣く光景を見て、幸せなママになんて言えばいいのか。

 なのに涙が止まらない。

 なにかを伝えたいのに上手く言葉に出来なくて、届けたい言葉を口に出せない子供のように……わたしも、美鳩も、ママに抱き着いて泣いた。

 

「わっ……、…………ごめんね。ママ、どうしてふたりが泣いてるのかわかんないけど……。言いたくなってからでいいからさ、今は泣けるだけ泣こ?」

 

 わたしと美鳩。片腕ずつで抱き締めてくれて、客席に一度頭を下げると、奉仕部の方へ促してくれた。

 そこでわたしと美鳩は止まらない涙を止める気にもならず、涙が枯れるまで泣き続けた。

 ……わたしたちが失恋したわけじゃない。

 けど、きっといつかはこんな感情に辿り着いてたんだと思う。

 だから泣いた。

 ママは……嫌がるでもなく、むしろようやく手を焼かせてくれるって感じで微笑んで……温かく、受け止めてくれた。

 

 

───……。

 

……。

 

 世の中には不思議なことが起こるものだなぁってしみじみ思う。

 結局あの夢を見てから、心を揺るがすみたいなパパへの愛はゆっくりゆっくり落ち着いていって、しばらく経った今では、家族としての愛があるだけとなった。

 ただ、その家族愛が深いから、今までとそう態度は変わらない。

 

  だっていうのに、とある日。

 

 ママにはそれがわかったみたいで、夢の中で雪乃ママにやったようにわたしの頭を胸に抱き締めて、「ごめんね」って言ってきた。

 謝るのと一緒に、どうして泣いたのかもわかっちゃったんだろうね。

 誰も居ない二人きりの奉仕部で、しばらくそうしてから深く呼吸をすると、ママは言った。

 

「あたしはね、いろんなものをヒッキーや絆や美鳩にあげたいって思ってる。それはたぶん、幸せ~とか喜び~とかそれだけじゃなくってさ。悲しみでも辛さでも、いつか振り返っても、あんなことがあったなぁって懐かしめるようなものをあげたいんだ」

「……辛いことなのに?」

「うん。楽しいだけじゃきっとだめなんだ。喜びしか知らない人はね、喜びでしか人を理解できないから。だからいろんな経験をして、いろんなことで誰かをわかってあげられる人になってほしいって思うんだ。絶対にそれになれっていうんじゃ、もちろんないけどさ」

「うん……」

「悲しかったら泣ける人がいい。辛かったら辛いよって言ってくれていい。でもね、我慢して我慢して……それを大切な人に最悪のかたちでぶつけちゃうような人には、ならないでほしいんだ」

「っ……その人が居るから、大切なものを諦めなきゃいけなくなっても……?」

「……、……うん。そだ。大切だったら、飲み込んじゃうんだ。そしてね? 大切なものの目から外れた時に、思い切り泣けばいいよ。その時は、ママが一緒に泣いてあげるから。ママが原因だって絆がどれだけ怒っても、ママは絆のママで、あたしから絆の敵になることなんて絶対にないんだから」

「ママ……」

「あたしは……さ。高校生だった頃にね? きっと自分は泣いちゃうんだろな~って思ってた時があったんだ。きっとあたしの想いは叶わなくて、ヒッキーは……」

「………」

 

 振り返るだけでも悲しそうな顔をする。

 そんなにも強い想いがあって、それでも……

 

「あたしさ、馬鹿だから……その時はね、ヒッキーがゆきのんを選んだら……ううん、ゆきのんがあたしに気持ちを伝えてくれたら、応援するつもりだったんだ。でもね、きっとゆきのんは言わないから。気持ちを押し込めて、口にはしないから」

「うん……」

「全部が欲しいって……言ったんだ。誰かが踏み出すことで壊れちゃうような関係がそこにはあって、あたしもゆきのんもヒッキーも……踏み出せばどうなるかを知ってて」

「うん」

「気づかないままっていうのは無理だと思ったから。それはただの気づかないフリだって知ってたから。ぎくしゃくしたまま、お互いが隠したまま歩くような偽物じゃ、嫌だったから。……彼が、泣きながら本物が欲しいって言ってくれたから」

 

 だから踏み出せたんだと。

 ママはわたしの頭を撫でながら、ゆっくりと聞かせてくれる。

 

「大切な人が大切な人と一緒になる。それって文字だけで見ればとっても素敵だよね。……でもさ、その大切な人はどっちもあたしの好きな人で、好きだから取られたくないのに、好きだから幸せになってほしくて、好きだからあたしを見てほしくて。……あはは。あの頃、何回同じこと考えて泣いたかわかんないや」

「ママ……」

「それでもさ。……好きなんだ。好きだから、仕方ないって……そうやって飲み込んで、飲み込み切れなくて、口にしてさ、そして……言ってくれたら、抱き締めて応援するつもりだった」

「───っ」

 

 途端、ママの泣き顔が浮かんだ。

 夢の中で見た、おばあちゃんに抱き着きながらわんわん泣くママの姿。

 ……言って聞かせるほど軽いお話じゃなくて。

 笑って話せるほど楽しいお話でもない。

 ただの、犬を助けてもらった女の子の恋のお話。

 

「大切だから、黙ったままでなんていさせられなくてさ。自分をずるい人にしてでも守ろうって思えるものを見つけてさ。それが好きで、大切で、失いたくないって思えたら……向き合って、選ばなきゃいけないんだ。だからね、絆。泣きたい時に泣いて、笑いたい時に笑って……大切なものを大切だって言える人になってほしいな。空気を読んで黙るんじゃなくて、教えてもらった一歩を、真っ直ぐにぶつけてくれたカッコよさを、ちゃんと返せるような自分でいてほしいな」

「ママ……ここでかっこよさって……」

「……あたしには大事なことだったんだ。うん。……一番最初に、親友に教えてもらったものだから」

「かっこよさが?」

「うん。厳しさとか怖さとかキツさとか、言いたいことなんてきっといっぱいあったんだ。でもね、そんなものを吹き飛ばすくらい、あたしにはかっこいいって思えたことがあったの。だからあたしにとって、それが一番最初で……最高の贈り物だった」

「雪乃ママも───」

「ん?」

「雪乃ママも、ママには教えてもらうことばっかりだったって……救われてばかりだったって言ってた」

「あはは、そだねー……。あたしたちはお互い、助けられてばっかりだったから。いろいろなものが足りなくて、足りないから補い合って。……高校生の時に全部を完璧にー、なんて、無理に決まってるのにね。でも……あの時は、それだけあの瞬間が自分の“今”だって思えてたんだと思うから。だからね、足掻いてもがき苦しんで、散々悩んで……そうして辿り着いたここが、こんなにも大切だって思えるんだ」

「雪乃ママといろはママに我慢をさせることになっても……?」

「絆~? 仲良しだけが親友じゃないんだよ? 喧嘩だってしたし、泣いたり泣かせたりもしたよ? 謝ることだけはしなかったけど」

「え……なんで……?」

「好きになっちゃったんだもん、仕方ないよ。似てる誰かじゃダメで、ヒッキーだから好きになって、親友だから喧嘩した。思ってること打ち明けて、叫んで叫ばれて。最後には抱き締め合ってわんわん泣いて。それでもね、嫌いになんてなれないんだ。好きで、大切で。そりゃそうだよね、じゃなきゃそんな関係を守るために、泣くことになっても自分は応援しよう、なんてこと、思えるわけないよ」

「………」

 

 雪乃ママは気持ちを隠して、ママは……隠すことはしなかった。

 口にこそ出さなくても、アピールは散々していたって……いつか雪乃ママが話してくれた。

 気づかないフリをしていたのはパパで、もっと早くに受け止めるなり向き合うなりしてくれていたら、と……ママは溜め息混じりに言った。

 それに関しては雪乃ママもいろはママも言っていたらしくて、そうであれば人の恋人を好きになるようなことなどなかったろうに、とこぼしていたとか。

 うん、これはパパが悪い。

 思ったことを呟いてみると、ママはくすくすと笑う。

 

「あはは、絆は女の子だねー。……あのね? そうじゃないんだよ? 言える勇気があれば、相手がどれだけ横を向こうとしたって伝えることは出来た筈なんだから」

「……それは、そうだけど」

「あたしはもっと自分から行くべきだったんだ。関係を壊したくないって思っても、相手を親友だと本気で思ってるなら、遠慮なんて逆に失礼だ。だからそれに関してはあたしも怒った。めっちゃ怒った」

「……それってつい最近?」

「絆と美鳩の妊娠祝いをしてもらって、少し経ってからだったかな。なんかゆきのんもいろはちゃんも急によそよそしくなっちゃって。だから───」

「踏み込んだ?」

「……うん、そんなとこ。何度も何度も踏み込んで、そのたびに想いをぶつけ合ってね? 喧嘩もしたけど……うん、もう大丈夫だから」

 

 えへー、って感じでにっこりと笑うママ。

 そんなママを見上げるわたしを見つめて、うん、なんて改めて頭を撫でてくれる。

 

「元気でた?」

「え? あ……、……うん。ありがと、ママ」

「気にしないの。ママは絆たちのママなんだから。ていうかたまには頼ってくれなきゃ、ママが寂しいの。……ねー? 美鳩ー?」

「《びくっ》……ママ、気づいてた……?」

「って美鳩!? き、貴様いつからそこに!?」

 

 ママが後ろを見ながら美鳩の名前を口にすると、なんと奉仕部通路側から美鳩が……!

 ば、馬鹿な……この絆が彼奴の気配に気づけんとは……!

 

「いつからと言われれば、絆がわんわん泣き始めてから。先を越された気分。でもママが絆に言った言葉が全部、美鳩にも届けたい言葉だったって気づいてたから、余計な横やりはしなかった」

 

 言われて見てみれば、美鳩の目は真っ赤で……泣いた痕も。

 ……不覚だ。泣いてる妹に気づけないとは。

 

「絆? それでいいんだってば。なんにでも気づけるなんて無理だし、泣かせないなんてやっぱり無理だ。だからこそ、泣いちゃった人の気持ちに手を伸ばせる人になってほしいって思うの。絶対に手を伸ばさなきゃいけないんじゃなくて、言葉が無くても傍に居てくれるやさしさだけでもいい。その時は意地悪だって思えても、気持ちが落ち着いてからやさしさだったって気づけるようなずるさでもいいんだ。ちゃんと、心と向き合える人になってほしいって思う」

「………うん」

「……Si」

「うん。じゃあ……美鳩、おいで」

「……! ~~……ママ……!」

 

 ママが手を広げ、言うや、ぶわっと涙を溢れさせた美鳩が突撃してくる。

 抱き着いてきた美鳩をわたしもママも抱き締めて、感情のままに弱音を吐いた。

 そんな時に思うのだ。

 やっぱりわたしたちは、まだまだ子供で……成長したってきっと、親にしてみれば子供は子供って言葉は本当なんだなって。

 早く大人になりたいって思ったことは何度だってある。

 お店を盛り上げるために~とか、パパの隣に立つために~とか、思い返してみればほんといろいろ。

 でも今は……ゆっくりと時間が流れてくれたなら、その中でもっともっとたくさんのことを学んで成長したいって思った。




ゲーム・俺ガイル続のゆきのんルート……ゆきのんを抱き締めて、応援出来るガハマさんを……その。なんて言えばいいんだろ……うん。
“……すげぇ……”って……思いました。


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少女たちが踏み出した一歩のこと③

 ……夢の中で誰かを通して大失恋をする、なんていう経験をしてから随分経った。

 あれから不思議とヒキタニくんがゆたんぽになってくれることはなく、抱き上げて持っていこうものなら激しく抵抗する。なにが不服なのか……解せぬ。

 けれど身の振り方も大分安定してくると、家族を愛しながらも失恋の痛みを癒していく日々にも慣れていった。

 やー……最初は大変だったさ。

 パパのこと見てると涙が出てきて、ふとした瞬間に泣きたくなる。

 それでも人間ってやつぁ~順応できる生き物でねぇ、今回ばっかりはね、あたしゃあそれがちょっぴり悲しかったよ。なんて老婆風に語ってみる。

 しばらくは恋なんていいかなぁって……いやいや、素晴らしい体験だったけどね。“恋なんて”って言えちゃうくらいには大ダメージだったわけですよ。

 なにせただの失恋じゃなくて、ママの大号泣付きです。

 あんな悲しい声がママの口から、なんてさ。……ほんと、親不孝なんて絶対にするもんじゃないって思える。

 ママを泣かせるなら喜びの涙。これ、我ら姉妹の鉄の掟。

 

「はー、結構買ったねぇ」

「まさか材料の買い出しで余計なものまで買っていい許可が出るとは……」

「やっぱりいろいろ心配されてるのかなぁ」

「Si.それは絶対。ここ最近のパパのおろおろ具合は凄まじい」

「……そだね。っと、おお?」

 

 ある日の買い出しの途中。

 途中って言ったってその帰り道だったんだけど、近道として通った道の途中。

 建物に囲まれた公園みたいな広場で、一人の男が大勢の男に囲まれておりました。

 あらやだ喧嘩? やめて? ここらで喧嘩なんて。

 ここらへんは平和が売りだって勝手に思い込んでいた絆の理想が、自分勝手に幻滅に変わってしまうじゃあないですか。

 

「どうしよっか。定番の“ポリスさんこっち”でも使う?」

「証拠としてまず激写《パシャリ》……すかさず静ママンに送信。位置も提供して……《ぴろりんっ♪》Si、すぐに向かうって」

「救出劇としてはちょ~っと情けないけど、まあか弱い女の子ですけぇのう」

「大丈夫、問題ない」

「そだね。冒険冒険。じゃあいきますかぁっ!」

 

 そうして、一歩。

 我らのシマで喧嘩たぁいい度胸じゃワリャアって気分で、まずはポリスさんたっけてー! と絶叫。

 びくぅと肩を弾かせた男どもが一気に散り散りに逃げ出すも、ボスっぽい男は相変わらず一人の男の腕を踏み、なんと指を折ろうとしていたので美鳩と二人で突貫。

 坂本流“甘い反抗期”(ガムシロ・レジスタンス)から始まる無力化行動を実行、まずは視界をガムシロップで封印したら、もがく相手を地面に倒してから結束バンドを使って封印した。

 あとはまあ、相手の想像力に任せた恐怖という名の恐怖……いやそれ恐怖でしかないから。でも恐怖を植え付け思い知らせることで、気絶へと導いた。

 まさかママーンとか叫んで失禁するとは思わなんだ。

 

『成敗!《どーーーん!》』

 

 美鳩と二人、勝利のポーズを決める中、ふと見た少年……指を折られそうになってた同年代っぽい男が、なんか顔赤くしてボーゼンとこっちを見ていることに気づいた。

 これは……あれだろうか。いわゆるメンチきられてるってやつだろうか。

 ここで“オウコラテメェなにガンくれてんだオゥ?”とか言ったら超絶マズイよね。うん。見知った人相手になら笑いで済ませるけど、初対面の人相手にソレはまずい。

 くぅ、しかしノりたい、ふざけたい……! こんな切ない想い……!

 とか思ってたら、静ママン参上。

 タバコなぞとっくにやめた彼女はシガレットチョコを銜えながら参上。

 どこぞのケンシロウのように拳をコロキキキと鳴らしながら、救ったばかりの少年に教師がしていいはずもないほどの眼光で“睨みつける”を発動!

 赤かった少年が青く竦みあがった! こうかはばつぐんだ!

 

「平塚先生、その人、助けた人」

「なに? そうなのか。ということは、そこで泡噴いてる男が首謀者か」

「Si」

「ではこの男については出る埃が無くなるまで叩くとしようか。陽乃傘下の会社にもガラの悪い連中関連で苦情が届いている。こいつがそれ関連の頭だったら、実にやりやすいんだがな」

「世の中そんなにうまくはいきませんよ、ビッグマム」

「ビッグマムはやめろ。歳が離れていようが、君たちの親とは書類上では姉なんだからな」

「というか、本当に静ママンは外見年齢が変わらない。……波紋使いでもここまでは難しいと思う」

「充実した日々と、努力の結果だな。君達も肌にハリを出したいのなら、適度な筋力トレーニングはすることだ」

 

 それだけの問題じゃない気もするんだけどね。

 さてさてともかく一件落着。

 これで大手を振ってぬるま湯に帰れるというものさ。

 っていうか遅くなるとパパに心配されるね。

 心配してもらいたい欲求があるけど、わざとそれをするのは本意じゃないので却下。

 家族を愛するこの絆は、無用な心配などはさせぬと決めているのです。

 

「………」

 

 愛……愛かぁ。

 パパ以降、やっぱり心が弾むような感情は湧かないな。

 それは美鳩も同じようで、結局はまだ、家族愛となってからもパパをつついては笑ってる。

 恋愛感情は……正直、まだ引きずってる。

 それでもまぁ、あの時ほどじゃあきっとない。

 そこに居るべきはママなんだって……強く思うことで、それもいつしか当たり前のものだって受け入れていけるのだろう。

 人間ってめんどいなぁ。

 

……。

 

 ……で。

 

「なんでキミは人ん家までくっついてきたのかな」

「男として礼を返したいって散々言っただろうが! 無視してズカズカ歩いていくとかどうなってんのお前らの良識! 俺泣きそうになったぞマジで!」

 

 喫茶ぬるま湯にて、恋心を振り返りつつも歩いて帰っていたら、なんか後ろからくっついてきていたらしい同年代っぽい不良少年クン。

 あ、名前は都築槻侍というらしい。都築、というのでもしやと思い、

 

「都築……ふむ。家族に雪ノ下関連の運転手とか居る?」

「───……な、なんで知ってんだよ」

「や、このぬるま湯の建設、営業、そして我ら姉妹の誕生から成長までに深く関わってくれたのがママのん、つまり雪ノ下の社長夫人様だから」

「───」

 

 あ。びしりって固まった。

 

「おっ……お前、名前……なんだっけ?」

「おっとっとぉ、お客さぁん……ここは喫茶店だぜ? なんにも注文しないで情報を聞き出そうなんて、ムシが良すぎやしないかい?」

「どこの酒場のマスターだよお前は! ~~っ……じゃ、じゃあこのバスターとかなんとかいうのだ! いいだろそれで!」

「ようがす。食い切ったならどんな情報をもくれてやろうじゃあないか。食えなかったら帰れ!」

「ひっで!? 用意もされねぇうちからここまで言われたの初めてだぞオイ! 悪だくみしてるヤツだって普通は食い途中に言うだろうが!」

「No.慈悲深い。自分で呼び出しておいて、ロボット兵器に乗らないなら帰れって我が子に言うゲンドウさんより数倍マシ」

「うむ。そしてそんな寂しい心境の子供に容赦なく行動することを促すミサトさんたら鬼畜」

「ちょっと待てなんの話だ」

「理解なさい! 男の子でしょう!」

「無茶すぎるわ! どんな無茶振りだよ! 性別云々の次元を軽く超越してるだろ!」

「んむ。それがわからんお方も居るって話。わたしゃあの第一話で心の底からシンジくんに同情したよ。というわけでパパー! こちらバスターMAXセットチャレンジャー!」

 

 パパに向けてサムズアップ。

 くるりと振り返ってのそれはしかし、パパの鋭い眼光によって迎えられた。

 パパったら目がワイルド! おおうなんか大絶賛腐ってやがる! ハッ!? もしやわたしが男とお話なんぞに洒落込んでたから?

 んもうそういうことはあと数年早くわたしの恋が灼熱していた時に面と向かって伝えて下さいよそうじゃないと今のわたしには逆にもったいないですごめんなさい。

 というわけで、不良少年との会話は未来のバリスタ・美鳩に任せよう。

 わたしはわたしで準備を、と。

 

「……けど、その。あの人が父親、って……マジか? すげぇ眼光で俺のこと睨んできてっけど……」

「Siマジ。ちなみにあそこで、久しぶりの腐った目のパパにぽぽーと頬を赤らめているのがママ」

「マッ!? ……姉、とかじゃねぇのか……! すげぇ、どうなってんだよこの喫茶店の従業員……! あ、あれか! 13で出産したとか!」

「……美鳩がバリスタだからといって、必ず客の言葉を拾うなどと思わないほうが賢明。下世話な話は武力を以て制する」

「っ……と、悪ぃ……! どう育とうが産まれようが、他人の勝手だよな、マジ悪かった……!」

「ん、きちんと謝れるのはとても良いこと。ではお客様、料理が届くまで、不肖、この比企谷美鳩が話し相手を務めさせていただきます」

「美鳩ー、一色からちょっと手伝ってくれコールが来てるぞー」

「───話し相手を務めると言ったな。あれは嘘だ」

「うぉおおおいぃ!?」

 

 言うや美鳩は、龍の球の物語ならばギャオッとか鳴りそうな勢いで素っ飛んでいってしまった。

 そういえば最近、バスター作りを教えてもらってるとか言ってたっけ。

 ちらりと見れば、振り回されっぱなしの不良くんがカウンターに肘をついて頭を抱えていた。

 おうおう、悩めよ悩めだ青少年。原因が我らであろうと、きっとそれは新鮮味に関しては一級品に違いない。

 

「はっはっは、ウチは自由だからねー、まあ“ぱぱどおる”でもかじって待っていたまへ」

「……ままどおるじゃねぇのかよ」

「ままどおるじゃないね」

 

 ささ、と差し出すは小さなお菓子。

 いろはママと案を出し合って完成させた、ささやかなお菓子だ。

 ままどおるとは似ても似つかぬその捻じれた姿と、黒と黄が混ざった色。

 捻くれ具合とマッカン色のコラボレーションが織りなす、シヴみと甘みが絶妙なお菓子である。

 

「《さくり》ぉぁっ……!《さくっ、さくさく……!》なんだこれ、ンまいな……!」

「ほほう、その味がわかるとは。さては貴公、マッカン好きだな?」

「なんだよその貴公っての……まあ、好きだけど。ってか自分は話さないのに俺の情報ばっか聞き出してんじゃねぇよ! 不公平だろが! そのっ……な、なんか聞かせろ!」

「女である《どーーーん!!》」

「見ればわかるんだが!?」

 

 そんなやりとりをしつつ、バスターセットの完成を待った。

 おうおう、からかい甲斐のあるオノコじゃて、からかっていた頃のリーフマウンテンさんくらい元気だ。

 てゆゥか目が合うと顔を赤らめて視線逸らすんだけど……ははははァ~~~ん? こやつめ、危険なところを救われて、世に言う伝説の吊り橋効果ってやつに陥ってしまったんだなァ~~~ッ?

 

「…………」

 

 いやいやないない、この比企谷絆、いきなり呼び出されて告白されたことはあれど、こげなウヴな反応なんぞ見たことも無し。

 ふぅ、危なかった……! わたしがプロの呼び出され告白ウーメンじゃなければ勘違いして大恥掻いてたところだよ……!

 そうそう、こんな反応なんてないない。これきっとあれだから。わたしがきっと変な顔して応対してたから、それを見て笑いをこらえたとかそんなもんだよきっと。

 

「誰がヘン顔だコノヤロー!!」

「いきなりなんだよ!?」

 

 おっといけない落ち着こう。

 淑女たれとは言わんけど、看板娘としては礼節くらいはね。

 

「いらっしゃいませイカ野郎!」

「……礼節がどうとかぶつくさ呟いといて、まさかそう来るとは思わなかったわ」

「まあまあ。お詫びに菓子でも食いなされ。えっと……生憎と自分用のチョコしかないけど、食べる?」

「へ? チョ、チョコっ───要る! くれ!」

「おおうなんか食い付きいいね。まあいいや、元気なのはいいことだ。はい」

 

 言って、チョコを渡す。

 と、なんでかまーた顔を赤くする少年。

 

「誰の顔が恥ずかしいくらいおかしいんだ言ってみれコノヤロー!!」

「だからなんの話だよ!!」

 

 よーしわかった、この不良は失礼なヤツだ。

 でもお客はお客なので、お客から失礼無礼を働かん限りは追い出すことはしない。

 と、そうこうしているうちに美鳩がバスターを、パパがMAXを用意してくれた。

 そしてそれがカウンターに座る少年の前にコチャリと置かれると、わたしはストップウォッチを用意。

 

「お覚悟、よろしいか?」

「……へ? なにこれ、タイムアタックとか出来んの?」

「そのとーり! 現在までのクリア回数たったの一回! 普通に食べることも出来るけど、その場合はべつに時間も計らないし特典もなし。あ、完食を示すため、食い終わったらガッツポーズを取ることね? 前に飲み込みはしたんだけど、ストップウォッチ止めようとしたら吐き出しちゃった人が居てね、ガッツポーズまでキメなきゃだめってことになったんだ」

「うわーお……へへっ、んーじゃあ俺が勝者二人目になってやンよ。言っとっけど俺、そんじょそこらのヘタレたぁワケが違ェよ?」

「へらず口を……ならばその口! バスターを以て黙らせてくれよう!」

「なんでいきなりバトル漫画風になってんだよ! 普通にやらせろ頼むから!」

「ノリ悪いなぁ不良クン。まあいいや、ほいじゃあいくよー?」

「あ、待った。その……よ。これ成功したら、俺に、その、あの、よ? ななな名前……教えてくれねぇか? そそそそんで俺のことは名前で呼んでくれるとか……」

「お前には出来ないかもしれない《キリッ》」

「自信満々なのか不安なのかどっちなんだよその言葉!」

 

 失礼な。今は昔のダブルハードという漫画の名言だぞぅ?

 

「とにかく! 俺が願うのはそれだ! いいな!? いいよな!?」

「じゃあ貴様が負けたら料金二倍ね」

「鬼ひでぇ!? い、やっ……ちょっ……高校生にこの料金の二倍っておまっ……!」

「ではスタートー《カチッ》」

「うおぉおおおおてめぇえええええええっ!!」

 

 さあ不良クン! 叫びつつバスターワッフルを手に、豪快にいったーーーっ!!

 

「《サクずきぃーーーん!!》ほんぎゃああああああああああっ!!!!」

 

 そして一口目で悶絶した。

 

「おわぁあああごごごあがああああっ!! あごっ! いてっ! うわがぁああああっ!!」

「食うなら早くしろ。でなければ帰れ!」

「改めて言うなよちくしょう!! ああもう食ったらぁあっ!! うおぉおおおおおっ!!《ざくざくざくざくズキィーーーン!!》ギャアアアアアアア!!!!」

 

 豪快に食う! しかし悶絶! 咄嗟に飲み物に手を出すも、ぐびりと飲んだ途端にやはり悶絶。

 うん、ほんと唯一の成功者であるゴロちゃんは猛者である。

 

「こ、根性だ……! 今まで根性がありゃなんだって出来たんだ……! ののののの飲み込んじまえばどうってこと……ぐっ、ん、んぐっ………………うぉぼばうべぶべべぇ!!(訳:喉がうけつけねぇ!!)」

「ちく、たく、ちく、たく、ちく、たく……」

「ウェヴァブバァアアーーーーーッ!!(訳:急かすなァアーーーーッ!!)」

 

 彼は食った。

 あまりの甘さに怖気というか寒気にでも襲われたのか、頭を掻きむしるように震え出し、しかしそれでもなお。

 だがしかし、明らかに食べる速度は落ちてゆき、やがてごとりとカウンターに倒れた。

 

「お前は強かったよ」

「しかし間違った強さだった……」

 

 そして、今日も挑戦者が敗れ去った。

 わたしと美鳩はタシーンとハイタッチをして、出入り口の阿門と吽門になった。

 説明せねばなるまい! 阿門と吽門とは、門を守護する阿吽の存在であり、まあようするに食い逃げをする輩の逃げ道を塞ぐ修羅のことである!

 

「まだ……まだだ……あ、ぐ……! んぐっ……ぐっ……!」

「なに!? 貴様まだ意識が!?」

「必死こいて……挑戦してるやつを……貴様呼ばわりとか、やめろ……!」

 

 ぬう! 言われてみればまだ時間は残っている! ギヴアップも聞いていないとくれば、挑戦権は残ってるということ……!

 

「ふふっ……やられたよ少年。貴様の根性は本物だ。だが食えなければ同じことよー! ほらジョー! 食えー! 食うんだジョー!!」

「ふんぎんがぁああーーーーーっ!!《ガヴォオッ!! ぐびぐびぐびぐびっ!!》」

「なっ……なにィイィイーーーッ!?」

「……!? 食べた……!? 信じられない……!」

 

 不良クン、口に無理矢理ワッフルを押し込め、ろくに噛まずにMAXで流し込むの図! ていうか美鳩! そういう発言はやめなさい! ちゃんとゴロちゃんという前例があるんだから!

 と、それはそれとして、流し込む不良クン。

 しかしやはり強烈な甘さに悶絶! 体をビビクビクビクビクンビクンと痙攣させ、しかし勝利のポーズを今───!

 

「……、」

 

 今…………?

 

「……、…………~~~~……」

 

 あ。これやばい。

 なんか鷹村さんと戦ったブライアン・ホークみたいに顔が震えて、みるみる頬が膨らんでいく!

 ス、スタンディングダウンだ! カウント! カウントを───ハッ!?

 

「───ん、ぐももぉおおっ!!《ごっ……くんっ!!》うぉっしゃあーーーい!!」

『食ったぁああーーーーーーっ!!』

 

 お、おお! おおおお!!

 食った! 食いおったわあのバスターを!! あ、でもやっぱり震えてる!

 けれどしっかりと制限時間に完食、吐き出す様子もなく勝利のポーズまで決めたからにはあんたが勝者!

 わたしと美鳩はすかさずサングラスをスチャーンとかけて、顔色を悪くさせながら拍手を贈った。

 

congratulations(コングラッチュレーション)!」

congratulations(コングラッチュレーション)!」

「おめでとう…………!」

「おめでとう…………!」

「おめでとう…………!」

『完食おめでとう…………!』

 

 完食はしたけどダメージは大きかったようで、カウンター傍に蹲る不良クンの傍らに立ち、パチパチと拍手を贈った。

 するとパパまでやってきて、パパも来ればママも、ママがくれば雪乃ママも来て、パパが呼んだのかいろはママまで驚きの顔で慌てて駆けこんできて……

 

congratulations(コングラッチュレーション)!」

congratulations(コングラッチュレーション)!」

「おめでとう…………!」

「おめでとう…………!」

「おめでとう…………!」

『完食おめでとう…………!』

 

 拍手はやがて大きなものへと到った。

 不良少年は目尻に涙を溜めながらサムズアップをしてみせ、謙遜するでもなくその偉業への賛美を受け取ったのだった。

 

 

───……。

 

 

 で。拍手も終わって従業員一同が定位置に戻った現在。

 

「いや強いキミはレスラーだ」

「誰がレスラーだよ!」

「はっはっは、いやいやぁ、パパがその昔、淫夢語を習得していたということをザイモクザン先生経由で知ってしまってね? なのでこちらはレスリング語でもと」

「……そのパパがorzして大ダメージ受けてるが」

「話題になってたから使ってみたら元ネタがホモビデオとか、痛恨だよね」

「しかもそれを妻と娘に知られる大打撃。まさに痛恨」

「うんまさに。えーとところで、あー……つくしクン、だっけ? 大儀である! キミの勝ちだ!」

「槻侍だ! つ・き・じ! 都築槻侍!」

「おおそっか、では盟約に従い、今日からキミのことを名前で呼ぼう。や、本当におめでとう、まさかこの目で完食を見ることが出来るとは思わなかった」

「へ、へへっ? おぉお~~おぉおお俺にかかればここここんなのどってことねぇし?」

「見るからに気持ちワルそうだから無理しない」

「お、押忍」

 

 おお、結構素直だ。

 そんなわけで、食後。

 ようやく落ち着いてきたらしい槻侍クンを前に、素直におめでとうを届けている。

 

「ところで写真撮りたいんだけど、いい?」

「へっ!? しゃっ……しゃしゃ!? ンやっ……どっ……どうしてもっつーんならっ……いいけどっ、よっ!? なななななんだよ待ち受けにでもすんのかよまだそういうの気が早ェエエんじゃねぇの……!?」

「なにを言っとるんだこの男は……」

「そこで心底呆れたって顔すんのマジやめて!? 俺が不良でもそうじゃなくても泣きたくなるから!」

「ほらほらあそこ。あそこにね、バスター完食者の写真を飾ることになってるの。その写真をって」

「あ…………そ、そっか。なんだ……あ、いや、それまた今度でいいか?」

「ホ? いいならいいで、今の方が手間にならないよ? なんだね少年、一丁前にカッチョつけたいってかゴハハハハ」

「お前はもう少し女らしい笑い方しような!? そ、そーじゃなけどそうっつーか……! あ、あー……ほらその、あれだ。不良から足洗おうかな、っつーか……髪、黒に戻そうと思って、よ? だからどうせ残すなら、黒のほうが……その」

「おお! その意気や良し!」

「Si……! 人は自然体がステキ……! 髪を染めるなどビッチの証……!」

「……なぁ。なんか向こうでパパとやらが胸押さえてうずくまってるんだが」

「こればっかりはいくらパパでも退けない」

「うんうん、呆れるくらいに一途なママに対してビッチはね……」

「……パパとやらがママとやらに謝りまくってるんだが」

「大丈夫! ほっとけばその内にいちゃつくから!」

「たくましいなおい……」

 

 そしてちらりと見れば、既に抱き締め合ってる二人。

 うん、良き愛である。

 ……うん、うん。胸も前ほど締め付けられるようなことはない。

 人間って残酷だなぁ。いっそずっと悲しんでいられたらーとか思うのに、そんなことは絶対にないのだ。

 それこそ病的にまでその感情が達しない限り、いずれは涙も止まってしまう。

 ただ、やっぱりと言うのか、突然涙が溢れるようなことはある。

 そんな時はヒキタニくんを抱き締めて、気を紛らわす。

 ヒキタニくんが居ない場合は美鳩である。

 あれからというもの、ヒキタニくんてばどうしてかわたしたち姉妹にやさしいからね。ただし一緒に寝ようとは絶対にしないけど。

 

「うーん、でも……あれだねぇ。この絆がよもや、おのこを名前で呼ぶ日が来ようとは……」

「? 前にリーフマウンテン様を名前で呼んでたって聞いた。“っべー”ってつけて」

「意識的な問題っていうのかね。まあいいけどさ。喜べ少年! 貴様はこの比企谷絆が初めて名前で呼んだボーイである! たぶん!」

「たぶんなのかよ! で、でも……まあその、おう。じゃあ俺もその、名前で呼んで……いいか?」

「フン断る」

「そこは素直に頷こうな!? そういう約束だったろーがよ!」

「わたしの名前を教えて、貴様を名前で呼ぶだけの約束だったよね? お? なんなら録音してた音声聞かせたろか? ン?」

「オォオオオオオオこいつほんっといい性格してんなぁもう!! わかったよ! だったら親しくなってから呼ぶ! それでいいだろ!?」

「お前には出来ないかもしれない《キリッ》」

「だから改めて言うなっつの!!」

 

 こんなのもきっと、出会いや縁ってもののひとつなんだろね。

 今はこやつをつついて、心を癒していこうか。

 うん、性格悪いねわたし。

 しかしまた会うかもわからないし、そもそももう一度来るかもわからない。

 人と人との縁なんて、会いたいって思ってもなかなか思い通りにはいかないものだしね。

 

「比企谷絆。よろしく、槻侍クン」

「比企谷美鳩。ナイスな根性は認められるべきジャスティス。よく頑張った」

「比企谷八幡。こいつらの父親だ」

「うおっ!?《びくっ》」

「えと、比企谷結衣。ヒッ……、この人の……つ、つつつ……妻……《かぁああ……!》」

「……今時これほど連れ添って、妻発言で照れる女性も珍しい。ママはほんと稀少で、パパのことが好きすぎ」

「み、美鳩がわかってないだけなの! そういうのは! ~~……改まってこの人の妻です、とか……やってみると結構恥ずかしいんだからね? もう……」

「その割には幸せですって感じで顔がニヤケっぱなしなこの人がママです」

 

 紹介するたび驚かれるが、ママは本当に若い。

 ママのママもまだまだ若い。

 由比ヶ浜の血は実に不思議でございます。

 槻侍クンも「マジで姉じゃないのか……!」って驚いてるし。

 

「《たしたしたし……》あー、陽乃さんですか? ええ、はい、絆が不良を助けたらしくて、はい、ええ。今、絆の名前を聞いて自分を名前で呼ばせることを条件にバスターをクリアしまして」

「……なぁ。パパとやらが誰かに報告してるっぽいんだが」

「ああ、はるのんだよ? ほら、都築さんが運転手を務めて送り迎えとかやってる人のうちの一人」

「うおぉおおおおおおおいぃい!? それヤバいやつじゃねぇか! 俺、家族からはひでぇ言われ様してんだぞ!?」

「コココ……ならば人として一皮むけてみせれ? 努力がわからん人じゃないんだし、持たれてる不満とかとことんまで払拭しちゃえばよろしい」

「簡単に言ってくれんなよ!」

「そりゃキミ、人が変わるなんて安易な変化を指すもんじゃないんだから、簡単なわけがないじゃん」

「ん、ぐ……」

「Si.安易じゃないから認められる努力と達成感がある。美鳩は早くにそれに踏み出して、外国でバリスタの修行をした」

「───、ちょっと待て。そういや前に、家族が話してた言葉の中に、バリスタだとか、あと、あー……ずびりっぱ……? がどうとか───」

「んん、それは美鳩。ズビリッパはコーヒーを使った奥義の名前」

「んなぁああっ!? じゃあ父親恋しさに二年くらいでコーヒーの修行を修めた知り合いの娘って!」

「……!《ドヤァアアアアア……!!》」

 

 おお! 美鳩がコロンビアポーズ!

 どうです? よいドヤ顔でしょう? 余裕の顔だ! 得てきた経験が違いますよ!

 ……うん、ほんと、その経験は凄いと本気で思う。

 そういった意味で、わたしも冒険をしてみたほうがいいのかもしれない。

 ただしばらくは……恋とか愛は勘弁だ。

 そういうのは、気づいた時にはもうしてた、くらいの自然さでしていきたい。

 

「ねぇ美鳩」

「ん……なに? 絆」

 

 ぽしょる。

 ちょいちょいと手招きして。

 

「愛だ恋だの話だけど……遠距離で溜めてた分、って意味では……美鳩の方が辛かったりする?」

「それもある。でも、一緒に居た分だけって意味では、絆の方が辛いって考え方もある」

「……どっちもどっちなんだろね、わたしたち」

「それは当然。姉妹で、双子だから」

「そっか」

「ん、そだ」

 

 ママみたいな返事で、わたしと美鳩はパパとママがそうするみたいに額と額を当てて、溜め息を吐いた。

 急にそんなことをしたわたしたちに、槻侍クンは首を傾げてたけど、カウンター越しに仁王立ちするパパを前に、質問責めにされてあわあわしてた。

 周りはほんと、騒がしい。

 特に注文もなく暇だったのか、一色工房も軽く片づけてきたいろはママもやってきて、いつものメンバーでわいわいがやがや。

 わたしと美鳩はそれを眺めて、眩しいなぁ、なんて……思うのだ。

 前までだったら無遠慮にあの中に突貫した自分も、今では落ち着いたものだ。

 恋ってすごい原動力になるんだなぁと、ようやく自覚したわたしです。

 そんなわたしたちを、雪乃ママといろはママが見つめて、やさしい顔を見せたあと、苦笑みたいな笑顔を見せてくれる。

 気持ちがわかる人にしか出来ないような、そんな笑顔だった。

 わかっても、だめでも、それでも……わたしたちは全部を選び、日常に手を伸ばしたのだから。

 憎しみもなく、祝福が浮かび、一緒に居たいって思えるなら、無い憎しみを無理矢理浮かばせて“ママさえ居なければ”なんて叫ぶ必要もないのだ。

 きっと、あの二人が同じように飲み込んだなにかがそこにある。

 友達だから、先輩だからだけが理由じゃなく、嫌悪も浮かばず祝福したいって思えたなら…………そっか。それだけのことなんだ。

 

「……、……」

 

 思ったことがあったから、口だけ動かしてみた。

 すると二人はきょとんとしたあと、“大きなお世話”と口を動かした。……その表情は、憑き物なんてとっくの昔に砕け散った、眩しい笑顔だった。

 

  じゃあ。

 

 わたしも、新しい一歩を踏み出していこうか。

 ひょいと美鳩を見ると、美鳩も眠たそうな目じゃなくて、ちゃんと目を開いて笑っていた。

 初恋は終わった。実らないのは、大体が憧れと勘違いするから。

 それでもその時に抱いた気持ちは本物で、わたしたちは確かに恋をして、失恋した。

 じゃあ次だ次だと言えるほどの元気も振り絞れなくて、っていうかあんな大号泣級の失恋のあとに“はい次ね”は絶対に無理だししたくない。

 なので、カウンターに座る男が我ら姉妹を、たとえば勘違いではなくもしかして、なんてパターンであっても、今はまだ無理だ。

 この先どうなるかは知らんけれど。

 なので、まあ。

 

「よし」

「……ん」

 

 はるのんが都築さんに車をかっ飛ばしてもらってやってきて、一緒にママのんまできて、場は混沌と混乱の渦中に。

 けど、わたしと美鳩は顔を見合わせたまま笑った。

 

 ───さて、まずはなにをしてやろうか。

 

 恋愛結婚は……今のままじゃちょっと無理。

 けどまあ、知るところからでもいいんだろう。知る努力、大事だし。

 だからこの不良クンが優良になるっていうなら、知るところから始めてみよう。や、こやつとそういう関係になるのかはまた別の話だけど……うん。

 そして、また恋ってものを知ることが出来たなら───そだね。

 今度こそ、臨終の時まで、馬鹿みたいに一途でいてみようと。

 ……そう、思うのだ。

 

 




 一応IFものということで、ぬるま湯側じゃなくこちらに置きました。
 実は元々クリスマス用に……と書き始めましたが、メ~ルィ~クリスマースとかいう状況に合ってないのでやめました。なので完全新作。

 叶わない恋って見ていて辛いです。
 そしてゲーム・俺ガイル続の結衣以外のルートをやるのにどれほど苦労したか……! いえ、他キャラが嫌いとか全然ないんですよ? むしろ好きなキャラばかりです。苦手キャラは居るけど、嫌いとまではいきません。

 プレイするたびに手が止まって、少し進めてはまた今度、みたいなこと繰り返してました。
 他キャラルートだとどうなるんだろうなって不安でしたが、まさかの一切描写なしとは。
 いえ、その方が重いって思われなくていいかもですが、想像するだけでこう、胸の中にモヤモヤがギャアアアアなわけですよ。
 でもね、ほんとね、笑顔でゆきのん抱き締めて頑張ってとか……うう、ガハマさん、ガハマさんよぅ……!

 あ、でもあーしさんがねばって隼人クンと結婚したENDはほんとよっしゃあああでした。
 結衣に限らず、一途に相手を想ってるコの願いが叶う瞬間とかって大好きです。
 ……既に相手に想い人が居て、相思相愛の場合は……なんか悲しい。

 以下雑談。
 買い物連れてってくれーと言われたから車出した。帰る頃には4時間が軽く吹き飛んでいた。キングクリムゾンだとかそういうのとは断じて違う恐怖の片鱗を味わいました。休日が……!

 あ、GreatDaysをAmazonで買ってからGreat Days Units Ver.なるものが限定的に配信されていることを知りました。
 仕方ないのでいろいろ登録して買いましたさ! くそう、この歌をこんなに好きになるとは思いませんでした。
 これ、気の許せるジョジョ好きの友人たちと大勢で好き勝手に合唱とかしたら相当気持ちいいと思うんですよね。
 仗助たちと一緒に、死んだ重ちーたちも指差してるOPのあのシーン、ほんと好きです。


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2018年七夕即興ぬるま湯SS

 お題/あ、今日七夕だ。なんか書こう───そんなお題。(注:本作品は七夕にて某メッセでその場で適当に書かれた即興SSです)


 七夕。

 7月7日を意味し、知る中では雪ノ下さんの誕生日である。

 

「さっさーのーはーさーらさらー!」

「……軒端を揺らす」

「揺れるのは笹の葉だシスター! ていうか軒端がさらさら揺れたら怖いでしょーが!」

「大丈夫。某ペットな彼女のEDでも家がうにょうにょ動いていた」

「ええいOPEDのある意味なんでも許される表現が仇となった……!」

 

 で、七夕だから竹もらってきたんだが、ていうか問答無用で都筑さんが運んできたんだが、ほんとあの人休みとか大丈夫かしら。

 人知れずドシャアと倒れて病院送りにされてそうなイメージ。

 そして……おおう、都筑さんが居ないと誰も移動できなさそうなイメージまである雪ノ下家よ、大丈夫か本当。

 

「でもさでもさー、ねぇパパ? ある程度の大きさの竹ってさ? こう両手で持って、フレーフレー桃ーとか言いたくならない?」

「ならんわ。なるわけないでしょちょっと、もうちょい問いかける年齢層とか考えなさい」

「平塚先生は無言でサムズアップをくれたよ?」

「あの人もある意味いろんな年代フォローしてるからなぁ……」

 

 ……現状と言えば、ぬるま湯メンバーで七夕を祝おうぜッ☆ という状況。

 家族でひらすらに穏やかに、なんて不可能である我らがぬるま湯勢は、今回も今回とて先手を打たれ、こうして竹を届けられてしまったわけで。

 

「はー……こう、軒下でお茶をすするって……やってみると落ち着きますよねー……。あ、先輩? ここでじじくさいとかばばくさいとか言うの、偏見もいいところですからね? 落ち着く状況に年齢なんて関係ないんです。そういうの、よくないと思いますよ?」

「なんで真っ先に俺に言うんだよ。言わないから。お兄さんそんな余計なこと言わないから」

「はいママ質問!」

「え? あ、あたし?」

 

 竹をどかんと設置、バランスを取り、しっかり固定していた俺の横。

 いつもあなたの隣に寄り添う最愛、ガハマさんが、娘からの挙手に恐怖した。

 あー、解るわー、子供からの質問って答えられないと無力感とかすごいもんなー。

 まあ、今さらなわけだが。

 

「では質問です。ねぇママ? 七夕って、なんで曇りの確率がこんなに高いの?」

「あー……そだよねー。今年なんかは梅雨はもう明けた筈なのに、狙ったみたいに曇りになるんだもん。意地悪だよね」

「まあ雲の上ではしっかりと天の川が出来てるから、俺達の残念っぷりは横に捨て置いても二人は普通に会ってるんだけどな」

「うーわー、出ましたよ先輩節。こういうのってわたしたちが見えてるかどうかが重要だっていうのに、この先輩ときたら雲の上は変わらないとか星は普通にそこにあるとか」

「いやだって実際そーだろ。俺達が勝手に今年は会えないねー、なんて残念がってる上で、やつらは再会してキャッキャウフフしてるって思ってやらなきゃ、一年に一回が台無しになるとかひどすぎない?」

「その理屈は解りますけど、その先輩の言い方がなんか嫌です」

「ようするにわざわざ口に出して言うほどのことでもない、ということよ」

「……さいで」

 

 一色の隣で静かに茶を飲んでいた雪ノ下が、補足するように言う。

 いや、でもさ、誰かが言ってやらなきゃ残念だったねとしか思われないなんて嫌じゃない?

 

「あ……口に出して言うほどのことでもない、で思い出しましたけど。ねぇママ? そういえばそもそも、どうして織姫と彦星って七夕にしか会えないんでしたっけ」

「ふえっ!? え、えぁえ……えとー……ほ、ほら、あのー……」

 

 その時、その場に居た全員が思いました。

 ああ……こりゃ知らないな、と。

 

「由比ヶ浜さん、大丈夫よ。あなたがもし比企谷くんと結婚したとして、親が怒るような状況を想定してみればいいの」

「ゆきのん……ん、ぁ───あっ!? ややや違うよ!? 知らないとかじゃなくてド忘れしただけっていうか! とにかくほらっ! えとー……うん。一緒に居るのが幸せすぎて、働かなくなっちゃったー…………だよね? とか? ……だよね!?」

「先輩どうしましょう、結衣先輩の脳内がまんま織姫ですよ? 二人とももしわたしたちが居なかったら、ずうっと働かなかったんじゃ───」

「おいやめろ、なんか今素直にそれ受け取りそうになったじゃねぇか」

「ええ、そう。その通りで、織姫と彦星は互いが好きすぎて、その……」

「いちゃつくのに忙しすぎて、働かなくなったんだとさ。んで、親が激怒して一年に一回しか会わせん! それ以外はずっと働いてろ! ってことになったんだとか」

「休暇が年に一度だけって、随分ブラックだねパパ」

「だろ? 俺だったら結衣連れて駆け落ちしてるわ」

「その前に、そんなことをする度胸がないでしょう、あなたには」

「お前それ言ったら話とか続かないだろが……」

「へえ? 意外ね。話を続けようとする気持ちが、あなたの中に存在するだなんて」

「はいちょっと待とうね雪ノ下。俺何処で何を学んできたと思ってんの? バリスタよ? コミュ障克服する勢いでめっちゃ頑張って会話の勉強とか練習して、バリスタとして認められたからここに居るんだぞ?」

「それが一番信じられないんですよねー……あ、もしかしてはるさん先輩が一緒だったのを良いことに、山吹色の菓子を握らせたとか───」

「一色。お前、今度の結衣の新作お菓子毒見キャンペーン、味見係な」

「えぇえええええっ!?」

「…………えへー……♪」

 

 短冊を用意しながらのんびりと。

 こんな話をしているのに、隣の結衣は幸せそうだ。

 度胸がどうのの前に、駆け落ちを選んでくれたのが嬉しかったそうな。

 え? ええ、もちろん味見係り云々のと気は耳を塞いだり抱き締めたりして誤魔化しましたとも。

 

「いえいえ結衣先輩? そこはきちんと一緒に働いてですね」

「んー……でもさ、一日しか休みがなくて、それ以外はずうっと監視されて仕事してるんだよね? あたしだったらやだな、そんな場所。いろはちゃんは?」

「えっ!? ここでわたしに振りますか!? いやっ……そりゃ、わたしもそんな場所はごめんですけど」

「Sì、働かなかったからと罰にするにしても、やりすぎと断言できるまである。まずは働かないなら離婚させるぞと脅すべきだった。とても短気。まったく短気」

 

 織姫のパパりんがとてもひどいヤツ扱いされ、しかも頷かれている中、家の前に車が留まった。

 店側ではなく、裏手の自宅側だ。

 

「はぁ、やぁっと終わったー! あ、ひゃっはろーみんなー!」

 

 はるねぇである。

 面倒な仕事でもあったのか、その鬱憤を晴らすようにヴァタームと叩きつけられたドアが少々不憫。そして運転手の都筑さん、マジお疲れ様です。

 

「? なんか話してたりした? 弟くんが随分とげんなりしてるけど」

「ああいえ、その、なんつーか。織姫と彦星が一緒に居られない理由のことを話してたんですけどね」

「ああ、あれ? あれは二人が悪いよね? もっと自分が立っている位置を把握して、上手く立ち回るべきだった。引き裂かれるまで注意が無かったとも思えないし、自業自得。それに、何年経っても許されるお話が追加されないってことはだよ? 人の誕生の日にいったいどれだけ爛れた逢瀬を繰り広げてるのかって話にならないかな」

 

 おおう、とってもシビア。解るけど。解るけどシビア。

 専業主婦志望とか抱き続けないでよかったわ。俺この道歩けて心底ホッとしてる。

 しっかし伝承にある物語の男ってろくな存在が居ないな。

 彦星も働き者だったのに堕落したし、男どもならまず知っているであろうスサノオも、いたずらで馬と女性を殺してしまうようなクズだったし、その他にも……あ、だめ、誰々のようになりたいとか、物語の人物を思って考えちゃいけない。ほんとメ。メーなの。

 

「はるのんはるのん、もしはるのんが織姫だったら、彦星とどう付き合った?」

「まずは観察。どういう人かを調べて、とりあえずつついて、からかって、本性むき出しにさせて、いろいろ知ってから離れるかな」

「No……! 付き合う以前の問題だった……!」

「ではここは王道、ママに訊いてみよっか。ママママ、ママが織姫だったらどうする?」

「え? えとー……織姫やめてヒッキーに会いに行く……けど……?」

 

 ……その時、その場に居た誰もが思った。

 “ええいこの恋人馬鹿はっ……!!”と。ええもちろん、この比企谷八幡めも思いました。直後にはるねぇに「顔真っ赤にしてしかめっ面しても、バレバレだよー?」なんてつつかれたけど。

 ほっ……ほっといてくださいっ!? 今ほんとほっといてください!?

 

「いえ、由比ヶ浜さん、そうではないわ。この場合、彦星が比企谷くんであるとして考えてちょうだい」

「パパに大嫌いって言って、家出る」

((((パパさぁああーーーん!!))))

「ぃぇっ……そ、そうではなくてっ……! この場合、働かなかった二人が悪いのだとして、その場合のあなたは……」

「ががが頑張ってください雪乃ママ……!」

「Sì……! このままではおじいちゃんがあまりに不憫……!」

「……んっと。二人は結婚してさ、大好きな人と一緒になれたんだよね。それからの生活なんて二人の自己責任の問題だし……大丈夫だよ、ゆきのん。あたし、八幡が不幸になるような生き方なんて、絶対にしないから」

「………」

 

 雪ノ下、ええいそうではないのというのに……! という言葉を、口をぱくぱくさせたまま言葉に出来ないの巻。

 まあ、そうな。そんな眩しい笑顔で真っ直ぐに言われたら、どんな言葉も野暮に思えてくるよな……。

 でもまあ、気持ちが解っちゃうから困ったもんで。

 横からはるねぇに「ほらほら」ってつつかれたら、言わずにはいられないってもんで。

 

「求めた答えとは違っていても、まあ、いいんじゃねーの? 俺だってそうなったらこいつを不幸にしようだなんて思わないし、なんなら新婚ラブラブの時間を仕事仕事で潰させないでくださいってお客に土下座してでも時間を取るまである」

「うわー……先輩だったらほんとやりそうですね。まあやろうとした時点で結衣先輩と雪ノ下先輩に止められてそうですけど。あ、もちろんわたしも止めますよ? そこに居たらですけど」

「いちいち一言多いよお前……」

「まあまあ、オチがついたと書いて落着ってことでいいじゃないですか。あ、はるさん先輩、既にきーちゃんみーちゃんと一緒にケーキ用意しちゃってるんで、このまま誕生日会やっちゃいましょう! 今すぐこのぽやぽやした空気を吹き飛ばすつもりで!」

「人の誕生日を空気破壊に利用するなんて、強くなったねー後輩ちゃん。まあいいや、ほらほら弟くんー? もてなしてもてなして」

「へいへい……」

 

 いつものことだと溜め息を吐きながら、相手からじゃなく……俺から、結衣の服をくいと引いて、一緒行くぞと促した。

 結衣は、「あっ……」なんて驚いていたが、まあその、ようするにあれだ。

 働いてりゃあ、一緒に居ようが文句ないんでしょ? そのパパさんたら。

 だったら精々思い切り働きつつ、思い切り一緒に居てやろうじゃないの。

 

「はぁ……。半端な話題では二人に場を利用されるだけだと、何故わからないのかしら……」

「? 雪乃ママ、どういうこと?」

「美鳩さん、コーヒーのブラックを用意してちょうだい。答えはすぐに解るから」

「?」

 

 そういうことよと返して、雪ノ下はお茶の底にたまった濃い部分までもを飲み干して、立ち上がったのだった。

 え? その後のブラックコーヒー? なんだか異様にみんなが飲みたがったらしいよ?

 



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七夕即興SSのそのレスポンス

お題/七夕だ、なんか書こう⇒書いたらラディカルさんからメッセが!⇒もし二人が本当に織姫彦星だったら、七夕がどうなるのか⇒実際に、書いてみた



◆前回の続き。

 

 もしもこんな彼ら(ガハマさんとヒッキー)が本当に彦星や織姫だったら。

 

1:聞くのも口にするのも躊躇われるくらい甘々な働き者夫婦のお話

 

2:マジで駆け落ちしてどっかでひっそり暮らしているらしい愛の逃避行の代名詞

 

3:大嫌いと言われたパパがショックで寝込んだ、父親の愛情を深く掘り下げた親と娘の想いのお話

 

4:目が腐った彦星がアレコアレ捻くれた理屈をこねて父親を説得する、働きたくないでござる症候群を持つ者どものバイブル

 

5:一時は離れ離れになったけど、仲間や友人と、そしてなにより自身らの成長のお陰で認められ、今はそのみんなと楽しげに暮らしている穏やかな世界のお話

 

 Q:どんな感じになるんでしょうね?

 

 A:書けばいいじゃない

 

 A-A:OhYes

 

 あ、地の文無しで、発言だけで進行していきます。

 たまぁに書きたくなりますよね、この書き方。

 なお内容は前回と同じくぬるま湯世界でお届けします。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

◆1の場合:一年に一度くらい離れてゆっくり休みなさい! と親に怒られた日。いわゆる夫婦ではなく個人の休日扱いな日。

 

「七夕……ようやくこの日が来てくれたわね……」

「長かったですねー……もう今日まで何度、あんな糖度の高すぎる関係を見せ付けられたことか……」

「さ、というわけで由比ヶ浜さん、比企谷くん、申し訳ないのだけれど、今日は───」

「夫婦休日の日かー……じゃ、じゃあえとー……恋人ならいいってこと……だよね? ね、ねぇヒッキー、今日は……さ」

「お、おう……夫婦はお休みで、その……こ、恋人として……な」

「チクショォメェエエエッ!!」

「雪ノ下先輩落ち着いてください!!」

 

*補足/良い夫婦休日の日。あまりのラブラブっぷりに、見かねた親が働くのも甘い夫婦生活の禁止! 一端実家に戻ってきて休みなさいと言った伝説。

しかし夫婦らしさを休ませた織姫と彦星は恋人の頃の心を思い出す勢いでラヴラヴしだし、余計に甘くなったとか。

 あ、ゆきのんの総統閣下は台本通りという方向で。

 

   ×   ×   ×

 

◆2の場合:駆け落ちした二人の伝説。上手く逃げられたかによって、伝えられるお話も変わってくるのでしょう。

 

「たでーもー」

「あ、おかえりヒッキー。どうだった?」

「ああ、やっぱりここらじゃ俺達の話は出てないらしい。しばらくはここで生活できそうだ」

「そっかー、よかったー。あ、じゃあおめでとうパーティーしよっか」

「いや、そんなことをする余裕は───」

「えへー……いいからいいから、ほら、こっち座って?」

「お、おい……? ぉ……」

「…………えっとね、贅沢なこととか……お金のかかる食事もいいんだ。質素でもさ、近くてあったかいのがいい。あたしね? 半端な覚悟でヒッキーと家を出たわけじゃないよ? それまでのものを失くしてでも、“これがいい”って思えたから……そう思えたから、今ここに居るんだ」

「結衣……」

「いつかは見つかって、連れ戻されちゃうんだとしてもさ、そんなあたしたちがただ周りに“馬鹿なことをしていただけ”だなんて思われないでさ? いっつも笑顔だったって思われるようなこと、していこ? それが見得でしかなくたって、嘘だってさ……あたしはきっと、そんなんでよかったって思えるから」

「………見得でも嘘でもなんでもねーよ。俺だってこれでいい、これがいいって思えたからここに居るんだ。言いたいヤツには言わせとけ。それが覆るくらい、幸せにしてやるし幸せになるまである」

「……ヒッキー……」

「…………コフッ」

「え、あ、わー! ちょ、先輩に結衣先輩! 雪ノ下先輩がブラックコーヒー噴出して倒れました!」

「ふえっ!? わー! ゆきのーん!!」

「……てか材木座、なんなのこのシナリオ。演じるにしても、もうちょいなんとかならねーの?」

「いや……普段からそれくらいしているであろう? ていうか我もいきなり知り合いの幼稚園で劇を手伝うことに、とか言われて駆り出されて、とっても困ってるのだが……」

「うそつけ。電話一本で“えっ……我の力が必要? す、すぐ向かうでありますっ!?”って素っ飛んできただろーが」

「“我の書いたシナリオでどうしても劇がやりたい”って脳内変換されたのだ……」

「お、おう、そか」

 

*補足:とうとう最後まで見つけることが出来なかった二人の伝説。

親のイメージでそこらが変わり、実は見つけていたけど、質素でも幸せそうにしていた二人を見て、親が折れた伝説と、結局は見つけられなかった伝説とで、地域とかで意見や伝承が分かれてそうなイメージ。

 

   ×   ×   ×

 

◆3の場合:パパが痛恨の一撃を受けて寝込んだ伝説。父親は本当は二人に立派に生きて欲しいだけだったが、なんか二人が愛の戦士になっちゃって、ラヴにしか目がいってない。

 

「というわけで、だ。由比ヶ浜、比企谷。これは君たちのために言っていることでだな……ていうかなんで私が父親役なんだ……! 結婚も出来ていないのに親で、しかも父方など……!」

「ふぁいとです平塚先生! この絆、深く応援しておりますぞー!」

「ん、ふぁいと、ふぁいとヨ、ミス・シズーカ」

「ぐっ……! ミセスって呼ばれてみたい……!」

「てか普段から……俺達が学生の頃から、男らしいあり方で人生相談とかしてきてたんですから今さらでしょ」

「比企谷、あとで軒端で揺らしてやるから裏に来い」

「人を笹の葉にしようとせんでください。つかどんなことになるの? え? 俺さらさら?」

「パパがさらさら……さらさら? ハッ!? 快感、シャンプー体験!?」

「……ひ、平塚先生……。さすがにパパ相手にそんな嬢なことなんて、この美鳩ですらドン引き……! の、のんじゃすてぃす……!」

「どこで覚えたんだねそんな知識! 今すぐ忘れなさい! 由比ヶ浜も! 涙目になって比企谷の前に立ち塞がらない! 両手広げて盾になりながら、涙目で首を横に振るうとかやめっ……やめてくれ本当に!」

「……愛情が、深く、掘り下げられているわね。さ、次へいきましょう」

「あのー……雪ノ下先輩? なんかヤケになってません?」

 

*補足:愛を求め戦った勇者の伝説。もとい、親の心子知らずな日。

織姫と彦星よりむしろ親を祝う日。

夫婦になった二人が、親に感謝する日。

 

   ×   ×   ×

 

◆4の場合:屁理屈こねて長い月日をかけて、相手の親を説得する比企谷ックデカルチャー。

 

「つまるところ、そういうことであるからして、俺と結衣が責められるのはお門違いってことが証明されるわけだ」

「だがそれはあくまで、君たちの視点での言葉でしかないだろう。なにも死ぬほど働けなんて言ってるわけじゃないんだ、受け取れる部分は受け取ってくれと言っている」

「いや、だから受け取ってるでしょ。そんなん無理だって」

「……俺は君が嫌いだ。君はいつだってそうやって、自分を───!」

「今回ばっかりは自己犠牲のつもりは一切ねぇよ」

「夫婦として責められる謂れではなく、君個人として、なんて意見、受け入れられるわけがないだろう! 大体俺は夫婦としての関係についてを言っているのであって、君個人に言っておくことなんて───!」

「ヒッキー! 怒るよ!?」

「うおっ!? え、えー……? いや結衣? これ劇の───」

「……劇なんだから、目、腐らせるまで考えちゃだめ。ほら、こっち」

「え、えゃおいみんなの前dふぐっ!? ん、んむっ、ちょまっ……ゆむっ……結衣っ……!」

「……最近、ブラックコーヒーの淹れ方を覚えようという意欲があとからあとから湧いてくるの。ふふっ……とてもよ?」

「いえあの雪ノ下先輩? そんな儚げだけど少し励まされちゃう、みたいな眼差しでいわれても……」

「最近、親のキスにも動揺しなくなってきた絆です」

「ん。あれはキスというよりは、パパの腐眼対策。ワクチンの投与なのだと思えば、こうして間近で見ても……へ、へいき、へっちゃら……!」

「きーちゃーん? みーちゃーん? 顔真っ赤だよー?」

 

*補足:喋ってる途中で、彼にもう死んだ魚の目はさせないと誓っていた結衣さん、激怒。

 つまりは状況に乗りすぎて、ヒッキーの目がいつかのようになってしまったために

 

   ×   ×   ×

 

◆5の場合:───

 

「大体なんなんですかこのシナリオはー! この中から最良を選んでくれとか、無茶もいいところですよ! 園児が糖尿病になりますよ!」

「ゴラムラゴラムゥ! 言ってくれるではないかナチュラルミネラルウォーター!! 此度の出来事に関して、我は文句を言われる筋合いなど皆無である! そもそも我は変則的な七夕シナリオをと言われただけであり、締め切りやばいのに必要とされちゃったから調子に乗って書いちゃった♪ とかそのようなことは《ペケラペケラペケラー♪》しひぃいっ!? ととと戸塚氏!?」

「スマホ鳴ってるぞ。出てやらんの? 戸塚だろ?」

「…………いえあの。実は我、締め切りやばいのにほんとろくに書けてなくて」

「今書いてるの、立花の幻影だったっけか」

「うむ! 自分で言うのもなんだがかなり人気が出ていて、この前など熱烈なファンレターが真っ黒なケーキとともに届けられたのだ! こ、これっ……プロポーズとちゃうん!? 期待していいのとちゃうん!?」

「落ち着け。どうせあれだろ、オチが実は相手はケーキ作りが好きな男の子とかで」

「いや、女子高生らしいのだ。どこまで自己アピールしたいのかは知らんが写真まで同封で、ケーキを持ちながらスタイリッシュなポーズで映っていた胡桃沢=サタニキア=マクドウェルという名の───」

「おいやめろ」

「ていうか、先輩? かわいい後輩がナチュラルミネラルウォーター扱いされたんですよ? もっと言うこととかないんですか?」

「それならまず戸部にでも言おうな。あといろはす呼びを許してたお前も悪い」

「だからあれは戸部先輩が勝手に呼んでたんですってばー!」

「……苦労してるな、比企谷」

「いやその、なんだ。お前も急に呼び出されて迷惑だっただろ。なんか、すまん」

「君が俺に謝るなんてな。……いや、この言い方も意地が悪いか」

「あの八幡!? 我ほんとヤバくて! 是非ともネタとかあったら提供してもらえたら───」

「まあ、そだな。締め切りヤバいのに喜んでこの企画に参加したのはお前の意志だが、シナリオを書いてくれたのはいろいろ参考になった。おーい、ちょっといいかー? これから材木座が提供する小説を読むファンのために、いろいろと案を出していこうと思うんだが」

「それ別に“我のため”で区切ってもよくない!? なんであくまで我ファンのためって言い切るの!?」

「いーから。ほれ。読者からの生の案とか、参考にするチャンスだろ」

「立花の幻影! もっちろん読んでおりますとも! 主人公の立花と、その影が織り成す中二ファンタジー! あ、結構うちのクラスの男子からも人気高いですよ?」

「Sì。最近、腕に包帯を巻く者、巻ききれずにミサンガに逃げる人、いろいろと増えてる」

「は、はぽっ……! フムフハハハハハ! そうであろうそうであろうなぁ! なにせ我の渾身の───」

「読んでいないわ」

「読んでません」

「その……りっか? の……すまない、聞くのも初めてだ」

「一応かつての学生の出したものとして買ってはいるが、全て理解出来る内容かと言われたらな……」

「げぶおぁはぁああああっ!?」

「おい……大丈夫か材木座。今のは横で聞いてた俺でさえ、胸が痛くなるくらいの直球だったが……」

「い、いや……いいのだ。少しでも理解してくれている者が居るのなら、その者のために書くことこそ誉よ……! あ、ち、ちなみに八幡? 八幡は───」

「あのな、言い回しがいちいちくどいから、いい加減もうちょい読みやすい書き方に変えろ。あの説明の仕方じゃ、読んでる途中で説明前の出来事忘れるわ」

「八幡……っ!! なんのかんの言いつつ読んでくれるとは、やはり貴様は我が相棒!」

「あーへいへい、いいからほれ、案出し合うんだろ」

「うむ! では───さあいざ参られぃ! 貴様らの口から放たれる呪詛……その全てを受け止め、糧としてくれる!(アドバイスくれたら全て書き留めて小説のネタにします)」

「そうね。ではいちいち前振りが長いわ」

「ぐぶぉぁはああぁああああっ!?」

「おい……だから雪ノ下の真似して言うのとかやめて差し上げろ。さっき雪ノ下、読んでないって言ってただろが……。作者は対して読んでもいないのに酷評言われるのが一番理不尽で辛いんだよ……」

「とりあえず一番最初がひどかったらあとは楽かと、という善意でありますパパ!」

「善意で人は胸を押さえて絶叫しねーよ……もっとやさしい善意でやってくれ」

「ではパパ」

「はい美鳩」

「是非美鳩もママのように、誰にもツッコまれずに抱き締められてなでなでされたい」

「……お前ね、ほんと誰もツッコまなかったのになんで言うかね」

「5の場合のシナリオが、そういったものだから仕方が無いでしょう。この場合、私たちがここに居るというだけで、それは果たされているのだから」

「シナリオ5になった途端、先輩が腕を広げて結衣先輩が飛び込んで、それからずーっとこれですからねー」

「ではパパ、今の気持ちをどーぞっ!」

「あ? あ、あー……俺か? あー……えぇっと、だな。これからもいろいろ迷惑かけると思うが、力、貸してくれると助かる。今までも、これからも、その……あれだ。……あ、あり……ありがとう。マジで感謝してる」

「? あのー……先輩? それ、なんでわたしたちのこと見て言うんですか? 結衣先輩宛てですよね? それ」

「いやなんでそーなんの……ちゃんとお前らに向けて言ったろーが」

「……驚いたわ。あなた、きちんと礼が言えたのね……」

「お前の中で俺ってどんだけ失礼な人間なの? 言うよ、言うに決まってんでしょちょっと」

「ふ……ふっふ、ふふふ……っ……そうかそうか感謝かっ! 君が感謝かっ! はははははっ! ああっ、受け取ろう! ……成長したな、比企谷」

「ちょ、いっつ! 平塚先生っ、背中っ! その背中叩きとかっすよ! そういうところがいちいち男っぽいっつーか……!」

「歯を食い縛れ比企谷。君は今私を敵に回した」

「すごい理不尽っすね」

「じゃ、まあこんな感じでいつも通りって感じでどうでしょう、ザイモクザン先生」

「ネタらしいネタとか提供されていないのであるが!?」

「No、この場合のネタというのはいつも通りがもっとも大事。つまりこの5の場合の締めくくりは───」

 

*補足:今日もぬるま湯は平和です。




 はい、そんなこんなな即興SSでした。
 なんだか気づけばお気に入り900まで到達したようで……ありがとうございます。
 とか書いている内に、お気に入り解除されてて900以下になっていたりしてねっ! あははははあるある! な気分でソワソワしながら書いてます。
 大丈夫、一時でもそんな数に人が、少しだけでも興味を持ってくれた……それこそが勝利なんだ……それでいいジョルノ……それで。
 閲覧、ありがとうございましたー!


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プロトガハマさん【習作】
そして、比企谷八幡は無意識に正しくあろうとする①


 注意:……八結です。冒頭、八幡がとある事情で結衣を遠ざけてますが、どう足掻いても八結です。
 え? 言われんでもわかってる? ソ、ソーリー。
 では通常の注意事項をどうぞ。

 *どうしようかなぁ……いやほんと、どうしようかなぁ……と悩みつつ、結局UP。
 こちら、俺ガイルキャラを掴むために一番最初に書き始めて……ええはい、強気の愛を、の前に書き始めたものになります。
 そこから今まで、ぼちぼちと書き足してきたものですね。
 ところどころで雑なのは見逃してくださいまし(^^;

 【!注意!】ヒッキーの両親、ガハパパが結構ひどいです。
 “夢と現実の僕らの距離”の比企谷父の行動が、より一層、みたいな状態です。
 普通は八幡のことを基本放置で、誕生日にはケーキ代込みで一万くれる、ぼっちにとってみればありがたい父ですが。
 反原作を書きたいわけではありませんが、一応アンチ、と書いておきます。
 いえ、最初にちょいと出るくらいで、あとは登場さえしないのですが。
 原作大好きですし、苦手なキャラは居ても嫌いなキャラなどおりません。
 ただ、そのキャラらしからぬ行動を積極的にすることがアンチということなので、いきすぎた行動はしているとは思います。なのでアンチを。

  これはタグにアンチ・ヘイトをつけるべきレベルだ! と思いましたらばご報告を。
  ヒッキーがしそうにない行動、と言ってしまえば、今まで書いたSSのほぼがアンチ・ヘイトになってしまうんですが。

 それ以外は、ヒッキーの口調がトゲトゲしているかもというくらいで、いつも通りのノリだとは思います。
 習作として、このキャラはこう、このキャラは……と原作をめくりながら書いたので、妙にお堅いところもつたないところもあるかもですが(^^;
 「あれ!? こういう場合ってどうするんだ!?」って状況になると、想像で書くしかないんですよね……なので、これ違くね? と思っても「ホッホッホ、まだまだ未熟よのう」と笑って読んでやってください。

 プロトタイプなので、今まで書いたものと似たネタがあります。
 カベ・ドゥーンとか。
 エロォスな18禁も書きましたが……UPするかはその時の気分で。
 エロス初心者が書いたエロスなんて、きっとギャグよ! くらいの気持ちで書いたので、正直めっちゃ恥ずかしいです。

 ……そして、結構前に書いただけあって、その頃にSSでよく見たメガネをかける八幡なので、それが嫌いな人にも向かないかもです。


 なにかのプロローグのように、サンタクロース云々から語れるほど、暢気な生活を送ってはこれなかった。

 たまたまつけたTVから流れる主人公らしい男の声は、実に平凡なものだった。

 俺もそうであれたなら、なんて考えたもんだ。今はそうでもない。

 

 ところで、幼馴染ってものの定理について、皆様はどうお考えであろうか。

 幼馴染。幼い頃に馴染みのある者ののことを言う。

 ガキの頃からいろいろなものに絶望して、ただ一つを除いた様々を省いたエリートぼっちな俺から言わせてもらえば、幼馴染、なんてものは面倒事のひとつに過ぎない。

 それが男ならまだしも、女なら余計だ。……いや、男である場合でもイケメンだったら切ない。超切ない。馬鹿でスケベな友人だったらまだいいが、それがサワヤカ笑顔がよく似合う、いわゆる“良い人”であった場合は俺が裏世界でひっそりと幕を閉じるまである。俺の人生が閉じちゃうのかよ。調子に乗ってもいないのに。

 

 しかしながら人生ってのはそんなものだ。そしてこんな話し方をしたからには“言いたいこと”ってのは“そういうこと”であり、幼馴染は女でしかも相当に整った顔立ちをしていた。

 しかもスタイルまでいいし人当たりも悪くない。空気を読むことを優先するため、いつも返答が後手に回ることさえ除けば相当に人気のある人物と言えるだろう。人によっては風見鶏とも八方美人とも取れ、嫌われる要素にもなる。

 ん? 俺? そーだな。俺は───ああ、いや。その、アレだ。

 語るなら、まず随分とガキの頃から話す必要がある。

 俺とそいつは幼馴染で、困ったことに産まれた病院も同じであれば、家も隣同士。

 俺はそいつと二ヶ月程度の差で産まれ、歳も近けりゃ家も近く、親も仲が良いってんで赤子の頃から交流があった。

 今思えばその頃だけが唯一、人への暖かみを覚えた日々だと言えるな。

 今じゃエリートぼっちな俺が、まだまだぬるい性格だった頃の…………ぶっちゃけちまえば、人を信じていた頃の話だ。

 

 しかしながらそれを大切にするつもりはない。以前は確かにあったそれも、今では心の奥に隠れちまった。だがそれはそれでいいのだろう。“本当”や“大切”なんて怖いものでしかない。

 無くなったらそれまでだし、取り返しがつかないものほど恐ろしいものなどそうそうないだろう。

 かけがえのないもの、なんてものには手を出さないのが一番なのだ。

 人との関係など───容易く切れて、誰も傷つかないくらいの軽いものこそが一番だ。

 俺はそう考えて生きている。

 だからこそ、ずっと自分の奥底でこじらせている何かを、今も表に出さずに育んでいるのだろう。

 

  ×  ×  ×

 

 さて、そんな話題に出た幼馴染だが。

 初顔合わせは、お互い大した意識もない頃だと教えてもらった。

 誰にって? 幼馴染の母親にだよ。エリートぼっちである俺に、んなこと教えてくれる親が居るもんですか。居ないのかよ。居ないんだよ。

 まあいい、覚えてもいない頃のことなんて話しても無駄だろう。話を幼稚園時代あたりまで飛ばそうか。

 この頃の俺は、まあ自分で言うのもなんだがまだ社交的だったと言えるだろう。

 目も腐ってなかったし、なにより自分から他人に話しかけていたほどだ。しかもどもらず。なんて勇者だ、この頃の俺。社交要素ありすぎで表彰されたいくらいだ。

 問題は相手がそれを受け入れるか否かだ。

 当時はまだ、幼馴染……由比ヶ浜結衣と仲が良かった俺は、ガキの頃からなにかと“自分ではなく自分の周りを立てようとする”ために人気があったあいつの幼馴染ってだけで、随分と無駄な嫉妬をされていた。

 言ってしまえばあいつと仲が良かった、または幼馴染であったことで、俺が得をしたことなど一度としてない。……ママさんが居たことは、まあ得ではあったのかもだが、それも“鶏と卵”的なことなのだ。彼女が居なけりゃそうならなかった、とかな。極論ではあるが。

 完全に無関係であれば子供の純粋な嫌がらせを受けることもなかったかもしれなければ、なにより自分の居場所がなくなることもなかった。ああいや、これに関しては由比ヶ浜を恨んじゃいない。本当だ。自業自得でしかないし、むしろいっそありがとうと言ってもいいから一人にしてほしいまである。……現在を作ったのは自分ではあったのだし、突き放したのも俺だ。

 

 まあ俺の自由がどうあれ、問題であったのは由比ヶ浜───ではあるが、苗字が同じその父親だった。

 物心ついた頃から俺を睨むようになり、娘に近づくなだの俺以上に結衣と仲良くなんて許さんだのと言うようになってきた。

 そう言われても由比ヶ浜には関係なく、嫌でもアイツが俺のもとへ来れば、彼は嫉妬した。まあ、それはいい。最悪遊びに来た由比ヶ浜は妹に押し付ければ良かったのだから。

 問題であったのは……妹と妹の親の存在だった。ん? ああ、俺の親でもあるが、相手はそう思って接してないだろあれ。俺も今じゃ他人への感情程度しか持っていない。

 

 俺は自分で言うのもなんだが、容姿……というよりは顔だな。顔だが、大分整っている自信がある。目は腐っているが、べつに産まれた頃からこんなDHA豊富な目をしていたわけではない。一応産まれつきだとは周囲に言ってはいるが、産まれ付き腐ってりゃその時点で殺されてんじゃねーの? あんな親だし。だが、あえて言おう。俺は悪くない。社会が悪い。まあ、目に関してのみはな。ぼっちなのは望んでなったことだ、誰も悪くはない。

 そんなエリート直前、プロぼっちたる俺、比企谷八幡には妹が居る。

 比企谷小町。俺と同じく頭にアホ毛の生えた、八重歯が眩しい妹様だ。

 ここでただのぼっちは“何故いきなり妹の話をするのか?”などと面倒臭そうに思考することだろう。口にしない。ぼっちは無駄を口にはせず、思考で暖めるものだ。

 だからその思考に解を届けよう。俺は幼馴染とも妹とも仲が良いなんてこともない。いや、そんな問答を通り越して“興味ない”まである。

 なに? ぼっちを名乗っているのに幼馴染や妹と仲がいいとでも思った? んなわけないだろ、エリートなめんな。今の俺ならぼっち星で王子様になって、口だけでぼっちぼっち言ってるやつを最下級ぼっちと言えるほどにぼっちだ。

 現に、花京院くんが交流の証として喩えに出した俺のアドレス帳にはアマゾンさんしか存在しないし存在させない。引かれながらも交換した“ただの”クラスメイトのアドレスは全て、メーラーデーモンさんという紳士が返信をくれる魔法のアドレスだったよ。

 もう一度言おう。俺は妹にも幼馴染にも関心を向けない。幼馴染には罪悪感はあっても、興味は向けない。

 俺という存在は親にとって、小町が産まれた時点で“無視していいもの”に成り下がったようだし、だからといって由比ヶ浜と親しくなれば相手の父親が黙っていない。

 ならばとガキの頃に作ろうとした学校での友人関係は、由比ヶ浜と幼馴染で多少仲が良かったというだけで崩壊。それでも俺がアホみたいに唯一を信じて突っ走った結果、親友だと思っていた相手に裏切られ、執拗なイジメで人が怖くなり、心のどこかで信じていた親にまで裏切られ、目を濁らせ、腐らせ、気づけば人と話すことに躊躇を覚え、どもっちまうガキの完成だ。

 家に居ればほっとかれ、小町が俺に懐けば親は嫉妬し、だからと小町を突き放せば泣かれて親父に殴られ、由比ヶ浜が来れば親父さんが嫉妬し、突き放せば由比ヶ浜が泣いて親父さんが激怒。学校にいけばぼっちでイジメは続き、幸いだったと思った別クラスになった由比ヶ浜が遊びに来れば、その日はイジメ決定。そんな息苦しい世界をガキの頃から経験し続ければ、早い内から世界の在り方に諦めを向けるってもんだろう?

 

 目が腐ってる? どの口が言う。そういう俺に完成させたのはお前たちだろうが。

 そんな言葉も口には出さない。ぼっちはただ黙して語るのみだ。

 けど、解るよな? そんなエリート目前プロぼっちなガキが、周りに頼らず生きようとすれば、一人で頑張るしかないわけだ。

 突き放せば泣かれて殴られ怒られ、迎え入れれば嫉妬され愚痴をこぼされる。俺にとっての妹と幼馴染との関係なんてそんなもんだ。そう言い聞かせて足場を固めるしかなかった。幼馴染には悪いが、突き放すしかなかった。

 だからぼっちはぼっちに与えられるべき最高のギフトを最大限に活用し、成長を目指した。

 ……あ? ギフトってなんだって? そんなのアレだ、アレに決まってるだろ。リア充どもが仲間一人一人に対して割かなきゃならんもの。───時間だ。

 俺はぼっちに与えられるそのギフトの全てを自分のために使用して、自身の成長を願った。

 べつに難しいことじゃない。ほうっておかれたから、“一人でしなきゃいけないこと”の全てを自分で出来るように頑張っただけだ。

 誰に聞かせようが難しいことだと言うことでも、必要に迫られりゃやらないわけにはいかない。ぼっちである場合、そうしなきゃいけなくなる時期が来る機会が、他人よりも相当に早かった。それだけだ。

 

 小町が受け取る小遣いよりも遥かに少ないそれを遣り繰り、勉強からジョギングランニング、体を適度に鍛えることも始め、年齢が足りてなくても稼げる新聞配達を始め、誰に陰口を叩かれようとも“独り”の努力を怠らなかった。

 “みんながやる努力”と“俺がする努力”は言葉の時点で違うそうだ。俺がやれば指差されて笑われることでも、他の誰かがやればそれは感動話になる。そうした指差されの日々さえ越えて、ただ自分のためを続けた。

 もちろん、妹様や幼馴染様のご機嫌を損ねることなく、親のご機嫌を損ねることもなく、“都合の良い子”であることも努力した。内心ではいつも反吐が出ていたがな。……あ? いや、他人に対してじゃなく、そんな自分に対してまで嘘つかなきゃなんねぇ自分にだよ。

 ぼっちの努力をしているのは俺だ。そんな俺が俺に嘘をつかなきゃいけないんだ、それが一番辛かった。ママさんには頭が上がらない。

 

 小学中学と、二人には俺に関わるなと言ってあった。

 小学では低学年時代に由比ヶ浜が俺に無駄に近づいてきたために、地獄の幕開け。

 イジメに遭えば妹が“イジメに合ってるヒキガエルの妹”なんて言われて泣かされることもあって、泣けば親父が俺に怒る。こちらの事情は一切聞かずに一方的にだ。……事情? 娘のために怒る父親に、俺の意見なんて届くもんか。そんなもん、とっくの昔に諦めている。呼び出された親と、帰路を歩む放課後。俺の目には男親の広くカッコイイ背中など映らず、ただそこには小町の味方だけが存在していた。あの日を、俺は一生忘れないだろう。

 俺の中では、“親は俺の言葉なんて一切聞かないもの”として認識が固定されていたもんだよ。そしてそれは、今でも変わらない。これからもだろうな。家でも学校でもそんな調子だ、休める場所なんてありゃしない。

 だから変わる必要があったんだ。なんでも独りで出来るエリートぼっちに。

 誰かに頼ってなにになる? 信じたところで裏切られるだけだ。だったら最初から独りで出来る自分であればいい。

 ……そうして、人との係わり合いに疲ればかりが先行するこの世界を……俺は、見限った。

 

 後悔があるとすれば一つだけ。

 いろいろな物事を社会や自分の所為にして諦めたことは数あれど……幼馴染との関係だけは───そいつは悪くなかったというのに、全てを世界や社会の所為にしたままに離れてしまったこと。

 妹のことでさえ、妹の自業自得だときっぱり言えたのに。

 

 

  ×  ×  ×

 

 

 両親が仕事で家を留守にし続ける家で、糧を用意するのは兄の仕事だった。

 妹は手伝うと言ったが断固拒否した。洗剤や水で手が荒れれば、包丁で指を切れば、怒られるのは俺なのだ。

 だから炊事洗濯掃除、全て俺が受け入れ、必要になれば弁当だって作った。

 多くもない小遣いを切り崩して買った料理の本は、今でも俺の宝物だ。

 小町が勝手に読んで汚されて、初めて激怒した日にも、親父に怒られようが殴られようがその日だけは絶対に引かなかった。

 ……が、所詮はガキの虚勢だ、親は怒鳴って無理矢理謝らせてそれで勝手に満足した。その時に俺が流した涙を、怒られたから、殴られたから泣いたもんだと思っているやつには、きっと永遠に俺の気持ちなんて解る筈もない。だから、アレは親という名の他人でしかなかった。

 その出来事は、その日より前の放課後の帰路を思い出させる。思えばあの日からだ。大嫌いが無関心になったのは。こんなに痛いなら関心も期待も持たなければいいと、心が折れた。

 

 それからは嘘だらけの日々。

 波風を立てない程度に振る舞って、本心を隠した日々を生き、それでも独りの努力を忘れない。

 それを続けたのは、それだけは嘘ではないからと信じたからだろう。

 高校になればなにかが変わると信じて、嘘と欺瞞だらけの中学時代にさよならを。

 自転車で通える距離の進学校、総武高校という場所を受験。

 由比ヶ浜から離れ、努力して磨いてきた自分をその新しい場所で解放してやろうとわくわくしていた。

 ……由比ヶ浜もそこを受験して、受かっていたとも知らず。

 周囲が何にどれだけ喜ぼうが知ったことじゃなかった。何に対して喜んでいようがどうでもよかった。

 俺は俺で、ようやく解放されると……報われると、そう思っていたのに。

 

 ある朝のことだ。

 心機一転、新しい場所での自分の未来にガラにもなくわくわくしながら、随分と早くに家を出た。

 まだ早朝。

 朝独特の空気に包まれながら自転車を漕いで、濁りきっていたであろう目を久しぶりに期待に輝かせて、通学路を進んでいた。

 今でも時々思うことがある。どうしてあの時間に出てしまったのか。

 結論から言えば、そうすることで守られた命は確かにあった。人は嫌いでも動物に罪はない。むしろ人がどうであろうともそいつは守りたかったから───通学路の途中。サブレという名の犬のペットの散歩をしていた彼女の手からリードが離れ、サブレが道路に飛び出してしまった時点で、全てはまちがっていたのだろう。

 飛び出し、助け、轢かれ、足を骨折。

 心機一転になる筈だった朝は……友達を作るために必要となるであろう期間は、骨折のために入院、という形で……終わってしまったのだ。

 

 入院生活の大半は勉強と読書に使った。

 初日からこんなくだらないミスをする生徒を心配して見舞いにきてくれた教師が居て、なんかあまりの格好良さに危うく惚れそうだった。女の人なのにすっごく格好いいんだ。おかしいね。あと見舞いにきてタバコ吸おうとせんでください。

 

「あ、の……はーくん」

「別にお前のためにやったわけじゃねーよ。いいからもう来る度に謝んな」

「でも……」

「ああそれから。お前も総武だったんだってな。平塚先生に聞いた。驚いたよ。頑張ったんだな。おめでとう」

「あ、う、うん……」

「入学したばっかじゃ友達とかグループとか作ってる時期だろ? 俺のことはいいから友達作りに励めよ。あの中学から総武に来たやつなんざゼロだろ? ああいや、三浦が居たか? ……とにかく、せっかくの関係リセット、友達ゼロのこの時期に俺の見舞いなんざしてる場合じゃねーだろ」

「……はーくん……」

「もし俺に対して罪悪感みたいなのを抱いてるからここに来てるなら、そんなのはやめろ。そんなものはいらないし、感謝される謂れはないし、巻き込まれた運転手以外に怒られる謂れもねーよ」

「……ざいあ……っ…………あるよっ、それはっ……あるに決まってるよっ! だ、だってあたしがあの時、リードを離さなきゃっ……!」

「サブレを助けたのは偶然だし、べつにお前のペットだからってわけじゃない。たまたまそこを通ったのが関係のリセットの先を考えて浮かれた馬鹿で、巻き込まれたのが車に乗った運転手だ」

「……はーくん、いつもそうだよね。そうやって、きっぱり……。あ、はは……あたし、そういうの自分には出来なくて、ちょっと苦手で、でも……」

 

 そうだろうな。中途半端に優しいやつこそ、断言なんて言葉とは無縁だ。

 

「でも……でもさ。させてよ……心配。踏み込ませてよ……! いつもそうやって自分は大丈夫って……! なんで避けるの!? 仲良くしようよ! そうしなきゃいけない理由なんてあるの!?」

「当たり前だ。俺は独りでいい。自分でなんでも出来なきゃ、誰が俺を安心させるんだ。ぼっち生活に不安なんて邪魔でしかない。誰かを心配してる所為で眠れないだの不安だだの、そんな感情は邪魔なだけだ。だからさ、由比ヶ浜。もう心配する必要なんてないんだ。俺は独りで生きていけるんだ。ずっとそのための準備をしてきた」

「っ……な、なんでいっつもそんな……っ……昔はもっと引っ張ってくれて……! ……ゆ、結衣って呼んでくれてっ……」

「……。別に、そんなのこのくらいの歳になりゃ男子だったら一度は通る道だろ」

「じゃあ小町ちゃんはっ……!? 小町ちゃんも心配させてもらえないってさっき───」

「“ゴミ”の心配なんか、あいつがする必要ないだろ。普段からごみぃちゃん言ってるんだ、なにを今さら」

「っ……!」

 

 そうだ、べつにいつもと変わらない。

 学校に行ってもぼっち、家に居てもぼっち。

 やることと言ったら勉強と家事と運動くらい。友達に割く時間なんぞないから、それらに全力で振り分けられる。

 つまり、自分の時間を作るという能力において、ぼっちに勝るものなどあらず。

 アニメの世界に憧れたこともあったな。特撮の主人公の強さに夢を見た時期も確かにあった。

 けど、そんなものは、いつかの語り上手な主人公が言っていた通りの結果だ。

 宇宙人や未来人や幽霊や妖怪や超能力者や悪の組織や、それらと戦うアニメ的特撮的漫画的ヒーロー達、果てはサンタクロースだって信じられない。

 うちのサンタは小町専用だし、別に今さらそれについてを言うつもりもない。孤独で結構。せいぜい愛情を注いでやってくれ。あと俺に近づくことを禁ずる、とか家でルール作ってくれ。俺は一切逆らわないどころか、諸手を挙げて喜んでみせるから。

 “たった一言”を言えない関係に、興味なんて抱けない。それでいい。

 

「………」

「………」

 

 訪れる沈黙。“だからどうした”だ。

 ぼっちは空気によく溶け込む。むしろぼっちこそ空気。どれほどの重苦しい空気にも溶け込んで、ステルスモードで認識されないまである。

 “比企谷? いたっけ”なんて普通に首を傾げられて終わる。ぼっちへの認識なんてそんなもんだろうが。

 だがだ。ぼっちは自分がされた仕打ちを決して忘れない。絶対に許さないノートはいつだってお前らの名前が書かれる時を今か今かと待っている。

 まあ、ともあれだ。

 今さらなにがどうなったところで心は動かない。たとえ視線の先の幼馴染がぽろぽろと涙をこぼしても、こいつと小町の涙=親や親父さんの激怒なのだ。そんなのにいちいち動揺していたら、俺は人として壊れて……いや、壊れてるんだろうな、とっくに。

 心は動かない? 随分と嘘をつくのに手馴れてきたもんだ。そんな自分が気持ち悪くて仕方が無い。

 こいつがなにをした? 妹と違って、俺をゴミ扱いしたわけでもない。ただ純粋に俺と遊びたかっただけで、勝手に騒いだのはいつも周囲だった筈だ。

 でも───…………ああ、でもだ。もう泣く必要もなくなるだろ。お前はそれを待つだけでいい。悪かった。それを言ってやれないことだけ、本当にすまん。

 

「“罰ゲーム”おつかれさん。泣くほど嫌ならもう俺に近づかないでくれ。お前と小町のお見舞いイベントも、次に親父と親父さんが来て、それでおしまいだ」

「ぐしゅっ……っ……え……? それ、どういう……」

「“小町”もお前も、いい親を持ったよな。羨ましいよ」

「え……? え……?」

 

 困惑する由比ヶ浜だが、その姿に突き放すように「もう帰れ」と言ってやる。

 拒絶したのが俺ならそれでいい。相手は巻き込まれただけだ。ワケも解らず突き放され、受け取り方次第では悪意を向けられたと取れる。

 そうなれば悪いのは俺だけ。さっさと認めて怒られて呆れられて、ぼっちになる。

 あとはこの高校生活の間に自分を完成させればいい。

 全治まで約一ヶ月。

 その間にぼっちである自分を完成させて、誰にも干渉しないしさせない自分を確立させればいい。

 

「…………」

 

 由比ヶ浜にはもう目を向けず、本を開いて集中した。

 しばらくすると看護師が検診に来て、それに入れ替わるように由比ヶ浜が退室する。

 俺は長く息を吐きながらいつも通りの検診を受け……来るであろう二人の大人を思い、はっと鼻で笑った。

 



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そして、比企谷八幡は無意識に正しくあろうとする②

 お前はなにが気に入らないんだ。

 そいつらはそう言った。

 責めてしかいない語調で、ねちねちと“どうして泣かせた”だの言う姿が鬱陶しくて仕方ない。

 “妹を守るべき兄が妹を泣かせるな”、という雑音を放つ口が気持ち悪くて仕方ない。

 

「じゃあもう俺に一切近づくなってルールでも作ってくださいよ。俺はもう独りで構いませんから」

 

 完全に腐っているであろう目で二人を見つめ、へらりと笑った。

 返ってきた言葉は「言っても聞かない」だった。

 じゃあそんなもんは自業自得だ。俺にどうこう言ったところで何も変わらない。

 そう言ったところで、この二人は聞く耳を持たない。だから言うのだ。ひどく当たり前のことを。

 

「大人なら、人に出来ることを命令してくださいよ。むしろもう来るなって言いましたから、これで二度と来なくなるんじゃないですか? よかったですね、自分の評価は下げずにコトが上手く運んで。娘さん方、今頃俺の悪口しか言ってませんよ」

「娘、方……? 八幡、お前」

「仕事帰りに会う必要もない、会いたくもないゴミと会うのも面倒でしょう? 世間体があるからって来ていただかなくても結構ですよ。娘さん方のことだけ考えて生きてください。じゃあ、娘さんをお大事に。……見舞いとか必要ないんで、もう来ないでくださいね」

「───!《ゾクッ》」

 

 笑顔で言ってみせると、親父は息を飲んだ。

 親父さん……由比ヶ浜の父親も顔を青ざめさせて数歩後退り……やがて、なにも言い残さずに病室から出て行った。

 

「……ほら。これで誰も傷つかない世界の出来上がりだ」

 

 以降、由比ヶ浜や小町がこの病室を訪れることはなかった。ああ、これでいい。これがいい。

 足が治ったら早速バイトでも探そう。人間関係に苦労しようが、金は必要だ。

 もっと成績を上げて、もっと親の目から離れられる完璧な自分を創って行く。“こいつは見ていなくても大丈夫だ”と認識されるまで自分を高め、やがて親の目からもフェードアウト。そこに俺の理想がある。

 

「ああ、嫌になる」

 

 嘘の自分が自分になっていく。

 いつだったかつけた仮面が取れなくなって、独りの自分が完成してゆく。

 けど、それも間違いなく自分であり、強制されたものではなく自分で選んだ道なのだから、きっと後悔なんてものはしてはいけない。する必要もない。

 俺に関してはそれでいい。幼馴染の涙を流す姿が頭に浮かんで、それだけをただ後悔する。それだけでいい。

 

「………」

 

 ずっと昔、嘘が嫌いなガキが居た。

 世界は“本当”に溢れていて、教えられるもの全てが輝かしい宝物だった筈だった。

 いつしかガキは嘘を教えられ、それを信じ、笑われ、傷つくことで虚構を知った。

 愚直なまでに欺瞞を信じ、道化のように笑われて、それでも信じることは美しいものだと……信じることを信じ、やがて裏切られた。

 残ったものはなんだ? 腐った目をした独りの捻くれたガキだけだ。

 もう一度言おう。腐った目が気持ち悪い? どの口が言う。人を信じ続けた結果がこれなのに、どうして俺が笑われる側に立っているのだろう。

 いくら自問自答を続けたって解は出ない。

 無難な言葉で諦めればいいのに、俺はいつまでもその問いに答えを当て嵌めなかった。

 いつかなにかしらの美しさがそれを埋めることを願っている、なんて美談を求めているんじゃない。

 この世界には汚いものばかりが溢れているって知っているし、そんな中で自分にとっての正しさを必死にもがいて掴み取らなきゃいけない世界だって、もっとガキの頃に気づいていた。

 それでも俺は───

 

「俺は……」

 

 誰に欺瞞だ傲慢だと指を指されようと笑われようと、自分の全てを投げ打ってでも貫きたいなにか───それを、いつだって求めていた。

 それをなんと呼べばいいのか。

 俺は、それの名前を……まだ知らないでいる。

 

   ×   ×   ×

 

 エリートぼっちの朝は早い。

 退院してからの日々はそうする前と大して変わらず、変わったことといえば……愛用していた自転車が、青春を楽しむ愚かなリア充どもの代わりに爆発し、砕け散ったくらいと言える。

 まあべつに歩くことは嫌いじゃない。むしろ早くに家を出ることが出来る状況に感謝するまである。

 家に俺の居場所なんぞは大してないのだ。両親が社畜してなけりゃ、それこそ部屋に居る以外に逃げ道などありはしなかったに違いない。

 ダイニングで食事を取ることはおろか、こうしてキッチンで料理をすることすらなかった筈だ。

 そんな社畜根性丸出しの両親の所為で、一度幸福に包まれていた筈の妹が家出をしたことがあるのだが……ああ、なんともメンタルの弱いこと。なに? ガッコ終わって家に戻ったら家族が居ない程度で家出しちゃうの? こちとら家族全員集まっている状態で帰ってもぼっちだっつの。

 溜め息を吐きながら妹を探したのは俺だ。両親はそのこと自体を知らん。あんなに愛しているのに、娘の涙の意味も知らずに俺を殴りやがった。やっぱ他人は他人の気持ちなぞ解るわけもない。

 妹はしゃくりあげながら“ちあう、ちあうの”と言っていたが、どうやらそれを脅されたと受け取ったらしい親父はやはり怒る。ああはい、俺の事情なんぞ聞くつもりもないことくらい知ってるから、さっさと殴って終わらせろよ。勉強したいんだよこちとら。

 

 まあ、そんな覚悟で挑んだ総武高も、合格してみれば幼馴染がついてきているとくる。

 実に迂闊だったな。ここなら受ける筈がないとか、信じて疑わなかった。悔しいがこれはぼっちがもたらした情報収集能力の欠落の結果と言える。もっと周囲に耳を傾けるべきだった。

 

 ともかくだ。

 三週間の遅れを以って教室に入った自分へ向けられる視線は、当然の如く“誰あいつ?”だった。

 突然の転入生の登場に驚くどころじゃない。むしろ“なんで居るの?”と皆の目が語っていた。“みんな”は“みんな”だ。大人が使う“みんな待ってるよ”の“みんな”ではない。

 しかしそんな視線も、特に目立つ行動をしなければ続くものでもない。

 幸いにして席が最後尾で隅っこということもあり、日を追うごとに俺へ向けられる視線も少なくなり、ひと月を越える頃には完全に無くなっていった。それは存在感の消滅に近いほどであり、俺の席がある列だけ、毎度俺の席までプリントが来ないほどだった。いや言っとくけど泣いてないから。後ろから回収してくれって言うから立ち上がろうとしたら、俺の前の席の佐藤くんがガタッと立ち上がって回収を始めて、びっくりして変な声が出たことなんてちっとも気にしてない。

 

  ……ごほん。そう、ともかくだ。

 

 そうして確実にぼっちとしての完成を目指し、自分を薄めていくことに成功した。

 気づけば俺に話しかけるような馬鹿は居なくなり、俺はついにエリートぼっちへとクラスチェンジを「ひ、比企谷くんっ!」───……おーい、比企谷くーん、呼ばれてるぞー。返事してやれよー。誰だよ比企谷。無視とかひでぇな───俺だった。肩叩かれたし、俺だよね?

 

「……あ?」

 

 会話に巻き込まれた時はひどく面倒そうに振り向きましょう。

 そして心底興味ない&これからも係わり合いたくないと感じる声で迎えてあげれば、これであなたもぼっちです。ソースは俺。

 ……と、振り向いて見た先に───えらい美人がそこに居た。

 キョンくん、俺……ハルヒのことを別にえらい美人とは感じなかったけど、今はその言葉だけを信じられるよ。美人は居た。女神は居たんだ。

 

「あ、あの……比企谷くん、で合ってるよね? あの、僕、戸塚彩加っていうんだけど───」

 

 教室の中なのにジャージを着た、銀髪の……綺麗というより可愛い系の女神。

 思わず腐った目を見開かせ、まじまじと見つめてしまったが───動揺するな、比企谷八幡。これはお決まりの罰ゲームだ。俺に話しかける女なんて居るわけがない。居たとして、それは罰ゲームの結果であり、勝手に話しかけておいて泣いて戻るまである。なんで話しかけられた俺が戸惑って、しかも泣かれて悪者にされなきゃなんねーんだ。涙は女の武器って言うけど、あれどう考えても“矛盾”でしょ。盾と矛を兼ね備えてるよ。

 そんな思考にまで到ったら、自然と目が周囲を見渡した。

 隠れてクスクス笑っているやつは……居ないな。代わりに心配そうに見ている女子を発見。はい罰ゲーム確定。一気に心が冷えていくのを感じた。なんで信じようだなんて思った。目か? 目だな。今まで見てきた中で、二番目くらいに純粋に見えたから。悪意がなかったから、疑うより先に信じようとしてしまった。……そんな勝手な信頼、裏切られるに決まっているのに。

 

「ああ、罰ゲームおつかれさん。話しかけるだけでよかったんだろ? もう戻っていいぞ」

「え? あ、あの、罰ゲームってなんの───」

「ああそれともドッキリのほうだったか? どっちにしても俺に話しかける理由にゃならんだろ。もうさ、ほっといてくれないか」

「───……それって」

「いーよ、こっちはもう慣れっこだ。嘘の告白してとっとと戻って“お友達”に泣きつくのもいいし、話しかけたから比企谷菌が伝染るーとか言って笑ってくれてもいい。……だから、もう関わらないでくれ。そういうの、迷惑だ」

「───!」

 

 言った途端だった。戸塚が───ああ、ぼっちは名前を覚えるのは得意なんだよ。聞き直すのとか恥ずかしいし面倒だからな。ただし文字がどれなのかまでは知らん。覚える気もない。だから他人が俺の苗字を見て“ヒキタニ”と言ったところで責めもしないし訂正もしない。わざわざそんなことのために人と話すほど、ぼっちは他人にやさしくないのだ。───で、だ。その戸塚が悲しそうな顔をしたあと、急に俺の手を両手で掴んできやがった。

 え? なに!? まさかの女神からの接触!? やだ八幡どきどきしちゃう! いや落ち着け、クールになれ、騙されるな。こんな行為はどうせ俺を騙すための───

 

「比企谷くん! ぼ、僕とっ……友達になってくださいっ!!」

「───…………は?」

 

 ぽかんと開口。ズバッと解決はしてくれない。

 え? なに? それが罰ゲームの内容なの? ああそういうことですかそうですか。

 

「はっ、なんだ? それで俺がハイって言うと周りのやつらがプークスクスって笑って、お前なんかと友達になるヤツ、居るわけねーだろって全員で笑いものにするのか?」

「ち、違うよ! 僕は本当に───」

「あ、そう。だとしたら余計にだ。……“同情で友達に”なんてものはお断りだ。そんなものは、いらない」

 

 そう。そんなものはいらない。

 ぼっちたち孤独者にとって、長年こじらせ暖めた“友情像”ってものはとても純粋なものだ。

 友人だと思った存在は無条件で信じたくなるし、自分はそいつを裏切らない存在でいたいと思う。“友達”に向ける信頼の量がそもそも違うのだ。

 信じたなら、心から信じ続けたいと思う。だから、友達って言葉を軽々しく使う存在が許せない。

 だから……そんな、相手を信じることも知ろうとすることもせず、遊びのために友達になろうだなんて軽々と言える存在は……嫌いだし、いらないと言える。

 俺はいっそ睨むくらいに戸塚の目を見て敵意を露にする。

 戸塚はそんな俺を前に、一瞬息を飲むが……ふわりとやさしい笑顔を浮かべると、一度頷いた。

 

「…………───うん。そっか。じゃあ───」

 

 頷いて───

 

「ああ、そういうことだ。もう俺に構わ───」

「僕と友達になってください」

 

 今度は真っ直ぐ、嘘の一切もない綺麗な瞳で、そう言った。

 当然こっちに走るのは困惑ばかりだ。なに言ってんだこいつ、人の話聞いてたのか、と……まあ、思いつく限りの困惑に繋がる言葉を頭が占めていたな。落ち着けよ俺、ぼっちはうろたえても心で冷静であれだ。……落ち着け。落ち着いてください。

 

「いや……なに? お前俺の話聞いてた? 家で比企谷くんの言うことは無視しましょうとか教えられてんの? なにその俺限定に厳しい規律。泣いちゃうよ? 俺」

「ふふっ……うん、安心して? そんな家訓はないし、ちゃんと比企谷くんの言葉は聞いてたよ? だから同情とかなしにして、友達になってくれないかな」

「やだよ。お前みたいな可愛いヤツと一緒に居たら悪目立ちするだろ。むしろいつか俺がお前のやさしさを勘違いしてお前に惚れて、告白して振られるまである」

「こ、告白!? や、やめてよ……僕、男の子だよ……?」

「───」

「?」

 

 いつか、ある男はニーチェった。違った。ニーチェは言った。神は死んだと。でも天使は居た。それだけの話だったらしい。現人神って呼び名、あるよな。神がそれなら天使はなんて呼べばいいんだろか。大天使トツカエル? ……だな。

 いや、だから落ち着けよ俺。動揺するな。俺はエリートだろ? 状況に踊らされるな。表面で驚こうが、内面では常に冷静であれ。次に喋ることを常に先に用意して、冷静に対処しろ。

 ぼっちはその場のノリで話すことなどしない。相手の一言、相手の態度、言動や行動パターンから次の言葉を常に予測して、次はこうくるだろうと、返事のパターンを構築、さらにはそれらの会話を長引かせずに殺す言葉を用意する。

 話を広げる必要性なぞぼっちにはない。だから冷静に───れ、冷静に……!

 お、男な、男。ははっ、男…………まじかよ。

 

「いやいやいやっ……おまっ、男っ……え? …………マジ?」

「う、うん…………その。証拠、見る……?」

 

 頬をスッと赤らませ、小さくふるりと震えた戸塚の手が、戸塚のジャージの下へと伸びる。

 証拠? 証拠って……いやいや想像するな、天使は穢れてはいけません。他の駄天使もとい堕天使がどうなろうと構わん、だが俺なんぞにこんな純粋な目を向ける天使を穢すなど有り得な───ああ、なんかもう冷静な自分が心のどこにも居てくれない。残念だ、ああ残念だよ俺のぼっち性よ。

 こういう場合……心にどうしても余裕が持てない場合は、小さくていい、妥協点をひとつ作ってやる。

 そうすれば焦りも解消、“仕方ない”の免罪符が出現して、冷静に考えられる俺が浮上する。

 だから言おう。もう……いいんじゃないかな、“性別:戸塚”で───と。免罪符を作成。

 馬鹿とテストが入り乱れる召喚獣物語でも、性別:秀吉とかあるし、それでいいのだと頭に理解させる。

 ああ、その問題はそれでいい。横にずらしておけば、解決するか捨てるかはあとでいくらでも出来る。

 心を一旦落ち着かせられればあとは楽だ。“けど、じゃあ、だからなんだ?”って話になる。

 俺はこの一年で真のエリートぼっちとして完成する予定だ。それをこんなところで潰されるわけには───

 

「ダメ……かな?《ウルッ……》」

「結婚しよう(結婚しよ)」

「えぇっ!?」

 

 涙目の上目遣い一発でこの有様だよ。なにこれ反則でしょ。自分が作り上げてきた壁が、大型巨人のタックルもびっくりな速度で破壊されちゃったよ。

 仮面には自信があったのになにこれ。チ、チートや! こんなんチートやチーターや!

 

「あ、いや、すまん冗談だ」

「だ、だよね。もう、急に変なこと言うからびっくりしたよ……」

「す、すまん」

「ふふっ……でも、なんだかいいね。男の子同士ならではの冗談って感じで。今まで僕にそんな冗談言ってくれる友達、居なかったから……《ニコッ》」

「毎朝俺のために味噌汁を作ってくれ」

「ふえぅっ!? も、もももう! なに言ってるの比企谷くん! あんまりからかうと怒るよ!?」

「……すまん」

 

 いやほんとごめんなさいこの口が、この口が勝手に……! なに? なんなのこの衝動。

 心のときめきが消えてくれない。もしかして……これが恋? ……え? 俺の初恋の相手、戸塚? 性別:戸塚とか言った矢先に惚れちゃったの? ……まあ、初恋の相手はきちんと居るけどな。大丈夫、冷静だよ。

 でもアレだよな、うん。周りのやつら見る目ないよね。俺が最初から戸塚の友達だったら、もうその存在を守るために勇者になる覚悟だ。そして魔王と戦って世界を救って告白して振られる。……やっぱり振られるのかよ。

 

「……ん。なぁ戸塚。戸塚はなんで急に俺に話しかけてきたんだ? ぼっちに同情してってのは、まあ置いておくとしてもだ」

「う、うん……同情っていうのは、正直に言っちゃうとちょっとはあったかもしれないね。ごめん」

「い、いや…………うん。正直に言ってくれると助かる。俺も割り切れるからな」

「でも、今は本当に友達になりたいって思ってるよ? 比企谷くんと話してると楽しいし」

「───!」

 

 楽しいし……楽しいし……たの……たの……!

 

(……天使だ…………天使は……居た…………居たんだ……)

 

 俺との会話を楽しいと。

 ぼっちで卑屈で捻じ曲がっていて、いつも相手の揚げ足を取るようなものの言い方しか出来なかった俺との会話が……。

 

「───」

 

 いつか……ああ。いつか───僕はなんのために産まれてきたんだろうって悩んだことがあった。

 次に産まれてきた妹を守るため? 違う。妹は俺なんかが居なくても親たちが守ってくれる。

 世界に溢れるリア充どもの笑いのタネになるため? ……違う。そんなもののために人生を捨てようと思えるほど、自分は他人に対して自分を安売りした覚えはない。

 じゃあ何故だ? …………この天使と友達になるた───

 

「あ、えと、話しかけた理由だったよね。ほら、この間の体育でやったテニス、覚えてるかな」

「え? お、おう」

 

 危ねぇ。無意識に跪いて傅き、手を取って誓いのキスをして悲鳴を上げられてクラス全員に吊るし上げされるところだった……!

 

「ずっと壁打ちしてたけど、フォームが凄く綺麗で……」

「───」

 

 ジャージ。テニス上手。声をかける。

 ああ、なんだ、また勘違いするところだった。最近の“勘違いぼっちキラー”は天使まで派遣するのかよ。

 ようするに戸塚が興味を抱いたのは俺ではなく、俺が持つテニススキルだったわけだ。

 ……そりゃそーだ。そうでもなけりゃ、こんな大天使が俺なんかに声をかけるわけがない。

 

「あっ、待って待って、誤解だよっ! テニス部に勧誘したいとかそういうのじゃなくてっ! ただ純粋に綺麗だったなって! ……それが、話のきっかけになればって思っただけなんだ……気分を悪くさせたなら謝るから……そんな目、しないでほしい、な……」

「───《きゅん》」

 

 え? やだなに今の音。恋に落ちる音がしたの? メルトなの?

 つか、何も言ってないのに察しちゃったの? どれだけ人のこと見てるの? え? もしかして……こいつ俺に惚れてんじゃね? ───…………うおおおお違う! 落ち着け! もうその勘違いは卒業したろうが!

 ぼっちは同じ間違いは犯さない。俺を好きになるやつなんて居ない。ラブレターを受けようが告白されようが、直後にゲラゲラ笑う悪意たちに囲まれて泣くだけだ。

 受けるつもりもなかったのに、断るために指定された場所に行っただけで笑われた過去に誓って、あんなものは二度と信じない。

 それに……信じないっていうなら、それは自分以外の全てと誓った筈だ。

 ママさんと平塚先生はまだいい。あの人たちは大人の中で珍しいくらい信じられる人達だ。

 故に俺は、他の人など信じな───

 

「…………《じっ……》」

(信じない、信じな───)

「…………《じぃい……っ》」

「……《ポッ》」

 

 天使は例外でもいいかなっ! 人類を超越したなにかだしっ!

 あと上目遣いのトツカエル可愛い! とつかわいい! 濁った心が浄化されていくようだ……! 俺が15年もの間熟成させ、この一年できっと完成するであろうエリートぼっちへの心が洗われてゆく……!

 

「───」

 

 でも。

 そんな天使であろうと、きっと“そういう時”が来てしまえば、自分はきっと切り捨てるのだろう

 そんな未来があっさり見えて、急激に俺の心は凍てついた。

 どんなに大切に思っても、いつかきっと“じゃあ、もういいや”と心が冷える時が来る。

 ぼっちにとって、切り捨てることは恐怖じゃない。何故なら戻るだけだからだ。あ、俺捨てられる側だった。……捨てられてもなかった。だって友達居ないもん。

 

「戸塚。友達の件だけどな」

「う、うん。なってくれる……かな《ち、ちらっ?》」

「まずは友達からお願いします」

「ほ、ほんとっ!? ……え? 友達から? 友達のあとになにになるのかな」

「───ハッ!?」

 

 あ、ありのまま……今起こった(略)気づけば友達からお願いしますとお願いしていた!

 な、なにを言ってるのか《略》味わったぜ……!

 断るつもりだったのに、いったい何故……!?

 

「………」

 

 もう……いいんじゃないかな。相手、天使だし。人を信じるのはやめた俺だけど、天使くらいは信じていいんじゃないかな。カテゴリ:天使。断じて、カテゴリ:友達ではない。

 そんでさ、天使にさえ裏切られるようなら、もうなにも望むものはないじゃないか。

 むしろ天使に裏切られてこそ、エリートを越えた超ぼっち人神とかになれるんじゃね? 2とか3とか4とかあっさり超越して、なんかもう神になれるよ。

 OKメリットしかない。喜んで。

 こうして俺は傅いて、そっと手に取った天使の手の甲にそっと口付けをするのだった。……心の中で。



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しかし、由比ヶ浜結衣は空気なぞに負けたりはしない

 ◆前書き
 重要なのは原作を見ながら文字打ちペーストするのではなく、どうすれば自分っぽく俺ガイルを書けるか、なんてことを考えながら書いておりました。もとい打ち込んでおりました。
 原作そのままなら原作があるので要りませんしね。
 じゃけんども原作っぽさを残したまま自分っぽく、というのはなかなか難しく、いきすぎればアンチヘイトですし、同じすぎてもよろしくない。再構成ものだと余計ですよね。
 なので……難しく考えることなく、まずは思いつくまま書いてみよう、と書きました。
 そもそもキャラを掴むために書き始めたものですし、チラシの裏気分で好き勝手やっていくちょー! って感じで。
 うん……自由すぎたと思います。
 そして、どうせ書き溜まったんだからとUPするとなると、そりゃあもう恥ずかしいわけですよ。だって、“キャラを掴み切れていないところ”とか満載なわけじゃないですか。
 そんな意味も込めてのタイトルの【習作】です。


 戸塚とよく行動をするようになってから、既に一週間が経っていた。

 

「八幡!」

 

 日にして7日。俺は既に名前で呼ばれるほど気安い関係となっていた。

 

「クククッ……ついに見つけたぞ八幡。ここが貴様の聖域たる場か。───なるほど、時折に吹くこの風……ただの風ではないな……?」

 

 ……材木座と。

 いや言っとくけど相手が勝手に呼び捨てにしてるだけだからね?

 俺、戸塚にしか許可出してないからね? その現場にたまたまこいつが居合わせただけだから。

 

「お前なんでここ居んの? 天使の舞いが穢れるから消滅してくんない?」

「ぶひっ!? いやちょっ……やめて? 真顔で消滅とかほんと傷つくから」

 

 現在は昼。

 ぼっちとして既に独りで校舎を歩きまわった俺は、これぞというぼっちに最適な場所───そう、いわゆるベストプレイスを手に入れていた。それがここ、テニスコートが見える、小さな人影のない校舎の一角。

 だったのだが、のんびりぼっちメシを楽しんでいると、後ろから暑苦しい男参上。名を材木座義輝。自分を剣豪将軍と言って譲らない……まあいわゆる中二病患者だ。

 戸塚と友達になって以降、体育でよくある“ペアを組んで”地獄から解放されていた俺なのだが、ある日に戸塚が他の男の誘いを断り切れず、あぶれてしまう事件が発生。

 なので今まで通り調子が悪いので壁打ちしてますと体育教師に告げて、いざぼっち壁打ちだと移動しようとしたところ、コレと引き合わされた。

 「ククク……よもや我以外に自ら孤独を選び、己の壁と向かい合わんとする選ばれし者が居るとは……!」などとのたまう、太い顔に眼鏡を無理矢理くっつけたような中二さんがそこに居た。

 直後に教師に「なんだそのグローブは!」と怒られ、「ひゃ、ひゃいっ!」と急に素に戻って自前であろう指貫きグローブを外していた。……オープンフィンガーグローブ……中学までの俺だったら、ちょっと惹かれてたかも。ちょっとだけ。ま、惹かれただけで、どっぷり浸かるほどの興味を持てる状況じゃなかったが。

 ……と、まあ。ともかくそんなたった一回の邂逅から、こいつはやたらと俺の傍に居たがったわけで。

 

「もははははは! 選ばれし者の傍には選ばれし者が集うもの……! ともにゆこうぞ比企谷八幡! 邪眼を備えた貴様とこの剣豪将軍が組めば、世に蔓延るリア充などには負けはせん!」

「アホか。選ばれるやつがぼっちなわけないだろが。選ばれないからぼっちなんだよ」

「ゴラムゴラムっ! ゴラッ……ごラァっほほげっほごほっ! ……それは言わない約束であろう、相棒よ……泣くよ? 我、泣くよ?」

 

 咳払いのつもりなのか、ゴラムゴラム言って咽る巨体。なにがやりたいんだこいつは。

 まあ、それもどうでもいい。

 

「メシ食うなら静かにしてくれ。教室でも居場所が無くて、ようやっと見つけたベストプレイスまで潰されたんじゃ、心が休まらん」

「……ふむ」

 

 材木座が顎に曲げた指を当てて俯く。

 丁度その時、ザア……ッ……と風が吹き、次いで向きを変えた風が吹く。

 

「……お前もぼっちなら解るだろ? 邪魔されたくねーんだ」

「うむ。たしかにこれは、正直たまらん」

 

 臨海部に位置するこの学校は、お昼を境に風向きが変わる。

 朝方は海から吹き抜ける風が、昼の今頃になると、まるで元の位置に帰るかのように陸側から海へと戻ってゆく。

 この瞬間を肌で感じる時間が、俺はたまらなく好ましいと思っている。

 ……ま、その日の天候にもよりますが。

 

「やれやれまったく。風にも帰る場所があるというのに、我らときたら……」

「おいやめろ、さりげなく自虐に俺を混ぜるんじゃねぇ、泣いちゃうだろが」

 

 俺にだって帰る場所くらいある。何処って? …………ほら、その。アレだ。戸塚の隣とか。

 ……やめよう、視界が滲んできた。

 

「しかし我と貴様が肩を並べるようになってから、はや一月か───」

「盛るんじゃねーよ。まだ五日も経ってねーだろ」

「戸塚氏とはどうなのだ? こうして聖棍ラケンティウスを振るう姿を見守るだけの関係か?」

「普通にラケットって言え。……まあ、知り合いとしてぼちぼちやってんじゃねーの? そもそも友達も知り合いも居たことねーから基準とか知らねぇし」

 

 居たのは幼馴染だけな。カテゴリ:幼馴染。

 カテゴリ:妹は居ない。待っては居るのだろうが、興味は向けない。

 

「ほぷん? 友ではないのか。まあそれを言えば我も友など居たためしもないが……なにせ我は孤高の狼───友を作り、ぼっちを卒業した貴様とは一線を画す存在! そう、つまり我こそが真の孤高者となり───」

「あ、八幡ー!」

「おう戸塚、おつかれ」

「はぽんっ!?」

 

 なにやら材木座が騒いでいたが、どうでもいいからどうでもいい。それより練習を終えた戸塚がタオルで汗を拭きながら近づいてきて、上気した顔のままに八幡……八幡って……!

 

「くぅっ……これが大天使の放つ輝きっ……! 存在だけでここまでの物理的な力を放つとはっ……! さては貴様も選ばれし者っ……!? なんにせよ男の娘とか現実に存在することが証明されたでござるww 我感激ww コポォ」

「? よく解らないけど───八幡のお友達なのかな。こんにちは、僕、戸塚彩加っていいます。八幡と友達なら、よかったら僕とも友達になってください《にこっ》」

「───《パパァー》」

 

 大天使スマイルの輝きが、材木座を照らした。

 材木座はそんな輝きを前にボーッと硬直したあと、差し出された手にハッと気づき、指抜きグローブを外してぐっしょりの手汗を一生懸命服で拭ってから、その手を取った。

 

「おい孤高の狼」

「───ぶひ? …………ハァアーーーーーッ!?《ガーーーン!!》」

 

 うわ、本気の絶叫だ。まじかよ。こいつグローブ外しから握手までの一連の行動、全部無意識でやってやがった。

 しかもorz状態になってヘコみ出したし。

 

「馬鹿な……っ! 他の誰であろうが知らぬが、この我が友情などという不確かなものの前に屈するとは……!」

「……いつから、相手が人であると認識していた?」

「───! なん……だと……!?」

 

 落ち込む材木座に、低い声で言ってやる。

 と、案の定あっさりとノってきた。まあ、気持ちは解る。こんな言葉遊び、ネタを知ってるヤツ相手じゃないと一生言えないもんな。

 

「お前は戸塚をなんだと思ってるんだ。天使だぞ? 天使に俺達のぼっち常識が通用するわけねぇだろうが」

「ハッ───……い、言われてみれば……!」

「も、もう! 八幡!? また天使とか言って! 僕は男だってば!」

「お、おう悪い。でもな、戸塚。天使にだって男は居るんだぞ? それになにより戸塚は戸塚だからな……(性別的に)」

「あ、ところで戸塚氏? 戸塚氏は八幡のことを八幡と呼んでいるのに、八幡には戸塚と呼ばせておるの?」

「え? あ、えと……僕は名前でもいいって言ったんだけど……」

「材木座……俺なんかに名前を呼ばれて、戸塚の天使性が腐ったらどうするんだ」

「八幡……貴様、まっこと従者の鑑よな……!」

「は、八幡は従者なんかじゃないよ! 僕の友達だよ! ……ねぇ八幡? 僕だって怒るんだよ? 僕の友達のこと、“俺なんか”なんて言うなら、本気で怒るよ?」

 

 あ、やばい。怒った戸塚も見てみたい。じゃなくて。

 

「ぐ……す、すまん。けど、俺なんかってのは見逃してくれ……。今さら自分に自信なんざ持てやしない。持てたとして、それを自慢するような自分になんて絶対になりたくない」

 

 ただし自分の失敗談は除く。自虐ネタは人を遠ざけるのに丁度いい。ぼっちには必須スキルだ。……べ、べつに好かれようとして、ネタのつもりで話してみたらドン引きされて失敗した過去があるとかじゃないヨ? ほんとだヨ?

 

「……ねぇ。八幡はどうして、そんなに自分を隠すの?」

「隠してなんかいないだろ。むしろ出しすぎなくらいだ。俺が自分を隠すとしたら、断り切れない状況の中で集団行動を強制された時、何も言わない目立たないを貫かんとした時くらいだ」

「うむ。我らぼっちは常に他人を思い、和を乱さぬように、集団の中で孤独を魁る。知ってる話題が出たからとウキウキ声で話に乗ろうものなら一瞬で絶対零度の空間の出来上がりだ……我はこれを孤高凍結空間───アブソリュートフリィイザぁーーーっ! と呼んでいるゥウウ!!」

「うるさい暑苦しい。あとうるさい」

「あれ? 今うるさい二回言った? ねぇ二回言った? 我の聞き違い? ねぇ」

「八幡……」

「悪いな戸塚。材木座はどうか知らないが、俺はもう自分の完成を目指してんだわ。今さら愛されたいとも思わないし、愛されてそれが純粋な愛だとしても、俺はそれを……もう真っ直ぐには受け止められない。疑わないと自分を保っていられないんだよ」

「然り然り然り! 友達という言葉に一喜する心は確かに残っているが、だからといって愚直に信じられるほど優しい世界を見続けたわけではない! ……ていうかそんなやさしい世界だったら我、もうとっくに声優さんと婚約してるし」

「いや、いきなりなに言ってんのお前」

 

 いきなり声優とか何事? あ、そういやこいつ、小説書いてるんだっけ。ライトなノベルのアレ。

 

「人生楽しからずや。これからどう転ぶかなど闇の中で煮詰めた暗黒の中から光を探すようなもの。だが我は諦めぬ! あ、でももっといい仕事とかあったらそっちに転かも」

「だからお前、いちいち切り替え速いっつの。ようするになんなのお前。何が言いたいの」

「大人になりたくないでござる!」

「ああアレな。子供でいた~いずっとトイザらスキ~ッズ♪」

「うむ! 大好きなおもちゃに囲まれて~♪」

『大人になんてなりたくな~~~い♪ 僕らはトイザらスキッズ♪』

 

 ……悲しい歌だった。いろんなやつらが思うことだろうさ。

 

「最初はアレな。早く大人になりたいって思うのな」

「然り。しかしなってみればなにも変わらぬ。無力な雛鳥が体だけ大きくしただけよ。これでは意味などなぁああい!!」

「大人ってめんどいよなー……」

 

 まあ、大人になれば逃げられるっつーなら、さっさとあの家から出るために大人の条件が欲しくはある。

 

「大人かぁ……八幡はさ、どんな自分の完成を目指してるの?」

「あ? そりゃお前、ぼっちのだろ。なんでも自分で出来て、人に頼らず独りで生きていられる存在だ。事故って三週間も休んだお陰でグループなんてものには入らなかったし、スクールカーストなんてものの目から見ても最底辺だろ。いっそ話しかけたらそいつまで底辺に見られる。そんなヤツにわざわざ話しかけるお人好しなんざ───……」

「…………」

「…………居た、んだよな。ああそうだな、それが一番の誤算だったんだろうさ」

 

 幼馴染の由比ヶ浜結衣は、あの容姿に空気を読むのに長けた性格だ。別クラスでとっくに最上位カーストに君臨していることだろう。

 加えて、捻くれた俺の問答にも付いてこようとしたプラチナメンタルだ。多少の陰険な言葉なんかでは揺れないに違いない。なにそれ無敵じゃねーか。ま、そうであればあるだけ、俺とは係わり合いにならないってこった。良かったじゃねーか、予想に反して俺の生活は安泰視出来るかもしれない。

 

「八幡にはさ……八幡を見てくれる人は居なかったの……?」

「居るわけないだろ。見たとしても見下した目以外の何物でもなかったな。妹にゴミ呼ばわりされるようなお兄ちゃんだぞ? まともであるわけがないだろ」

「い、妹さんじゃなくてもさ……誰か……」

「居ない。最初は仲が良かった幼馴染だって、そいつの親が娘には近づくなって言って暴言の嵐。どころか、実の親にさえ妹に近づくなと言われてる始末だ。その妹が慕ってくれてるならまだしも、ごみぃちゃん呼ばわりだ。救えないだろ、そんなの」

「はぽん? それは我々の業界ではご褒美───」

「いやそっちのほのぼのとした方向性一切ねーから。無情なリアル話だから」

「ぬぐっ……! 千葉の兄妹は仲が良いというのは都市伝説であったというのかっ……!」

「そりゃそうだろ。現実なんてクソゲーって名セリフを知らないのかよ」

「同意と言いたいところだが、生憎と落とし神には物申したいことが多々あってな。現実はクソゲー……確かに名言ではあろうな……。だが現実が無ければゲームは生まれぬ! そしてクソゲーの中にも輝きがあることを忘れ、遊び尽くしもせん内から投げ出す者の何が神!! クソゲー……現実をゲームとして認めているというのに遊び尽くさぬのであれば、それはもはやゲーマーにあらず! そうであろう相棒よ!」

「材木座…………で、それ、誰のパクリ?」

「ふはははは! 生憎だが我の名言録である! ……え? もしかして我、ちゃんとイイこと言えてた? 格好よかった?」

「……お前、たまにマジで割りといいこと言うよな」

「ふっ……クフフハハハ! なにせ我であるからな!」

「で、お前ってなに、神にーさまに物申せるほど現実味わい尽くしたの?」

「げふぅうううっ!!?」

 

 何気ない質問に、目の前の巨体は謎の汁を吐き出してどちゃりと崩れ落ちた。

 しかも胸を押さえながら、びくんびくんと痙攣している。

 

「……そっか。八幡にはちゃんと、見てくれる人は居たんだね」

「へ? いや……戸塚? 俺の話───」

「居たんでしょ? 幼馴染さん」

「だから、親が───」

「その親の人がどれだけ言おうと、幼馴染さんには関係ないよね?」

「………」

 

 言われるまでもない。現実から目を背け、親父さんを言い訳に逃げていたのは俺だ。

 あいつを悪く思うことで、俺の意識にあいつが嫌いだと思い込ませ、距離を置いた。

 ……そうしないと、俺なんかと一緒に居る所為であいつまでイジメられると思ったから。

 そういった意味では親父さんはいい隠れ蓑だった。……怒られたのも、娘はやらんと言われたのも事実だが。

 普通に考えて有り得んでしょ。なんであいつ……由比ヶ───結衣が、俺のものになるだなんてことを考えられるんだ、あの人は。

 などと思考の中を腐らせていると、眼鏡を光らせた材木座が起き上がり、会話に混ぜて欲しそうにこちらを見た。

 

「けぷこんけぷこんっ! ……むう。いかん、いかんぞ八幡。我らぼっちは友情を暖め、仲良しになることなぞせぬが、それでも一本の信念を支柱にしているからこそ立っていられる。次に繋がる厚意なんぞには距離を置き、しかし己をしっかり意識し認識する者にはきょどりながらも対応する。波風立てぬぼっちライフはぼっちとしてのパッシブスキルであろう」

「いちいちゲームで喩えんなよ……戸塚が首傾げてるだろ(……可愛い)」

「あ、ううん、僕には解らなくても、今は八幡が解ればいいことだから。……それで、八幡?」

「《ガリ……》……ああ、解ってる。独りで出来ることは独りでって、磨いてきた自分だ。その過程で間違ったことは俺の責任だし───」

 

 それに。

 泣かせたくなかったから距離を取った筈なのに、俺が泣かせてどうする。

 間違った俺が言うのもなんだが───それでもだ。

 

「ねぇ八幡。八幡の様子からして、今はきっとあまりいい仲じゃないのかもしれないけど……もし仲直り出来たら、僕にも紹介してくれるかなっ」

「紹介か……」

 

 思い出したことが後悔として溢れ出る。が、なんとか飲み込んで表に出さないように話を続けた。

 

「……て言っても、案外知ってるかもだが。由比ヶ浜結衣って名前なんだが」

「───え? 由比ヶ浜さん?」

 

 エ? ……いや……え? なに? なんかいきなり空気が沈んだんだけど? 重くなったっつーか。

 え? もしかしてなにかしらの修羅場みたいな感じなのん?

 

「あ……そっか、それで……。あのね、八幡。僕ね、由比ヶ浜さんに相談を受けてたんだ」

「相談?」

「ふむ! 察するに、幼馴染と喧嘩をしたから取り持って欲しい的なものであろう! ……人との仲ってほんとちっさいことで崩れるからね……いや、ほんと……」

「勢いよく言っておいていきなり素に戻るなよ……キャラ作りしたいなら最後まで続けろよ、うざいけど」

「八幡!? 最後のうざい、いらないよね!? 我うざくないよね!?」

 

 材木座の叫びはどうあれ、相談というのはやはりというべきか、俺との話らしい。

 ……そりゃそうだ。あいつが総武高であると病室で知ってからの俺と、その前の俺とは明らかに対応が違った。

 高校では別れると思ってた俺は、多少なりとも壁を薄くしていたのだ。そこにきて、急にあの態度だ……不安に思わないわけがない。

 だが、それを女友達に相談するのも難しい。なにせ相手は捻くれた、目を腐らせた幼馴染だ。

 普通の感性を持った女だったら“目が腐ってて面倒くさい男”って認識を得た途端、“付き合う意味あるの? 捨てりゃいいじゃん”で終わらせるだろう。

 だからこその戸塚だったのだ。

 戸塚なら相手が誰だろうと親身に聞いてくれるだろうし、信じられないことに俺達と同姓ではあるのだ。認識の中では性別:戸塚だが。

 

「───ね、八幡」

「ぉあ?」

 

 思考を広げていると、どこかくすりと笑うような感じに戸塚が語りかけてくる。

 その表情は、どこまでもやさしい。

 

  “やさしい女は嫌いだ”

 

 そんな、自分の中で戒めた言葉が飛び出そうになるのを抑えた。

 いつからかそんな感情は女相手どころじゃなくなっていたのを自覚している。

 やさしさの全てが怖かった。

 信じたあとに、信じきっていたところに訪れる裏切りほど怖いものはない。

 だから俺は親父が嫌いだ。

 子供からの信頼を切り捨てて、その愛情の全てを小町へ向けた。

 取り残された俺と信頼はどこへ行けばよかったのか。

 誰かにすがりたくて、助けて欲しくて、たったひとつの何気ない、軽いやさしさだけでもいいから欲しくて、伸ばした手は……お前に娘はやらんという拒絶によって、届く前に捨てられた。

 違う。欲しかったのは結衣じゃない。ただ俺は、やさしさが欲しかったのに。同年代のものじゃない、大人からの安心出来るやさしさが欲しかっただけなのに。

 

  “じゃあ、もういいや”

 

 孤独になるのは簡単だ。舞台は親父と親父さんが用意してくれた。

 だから選んで、独りになって、自分のことは自分でしてきた。

 俺の中で解が出ていることなど、きっとこれくらいのことで───

 

「この相談。僕は受けるべきかな。それとも、八幡が受けるべきかな」

「───」

 

 ───小さく、吐き捨てるように笑う。

 そして言う。頭を掻きながら。

 拒絶の言葉ではなく、任せてくれといった意味を込めて。

 

「俺が受けるよ。生憎と答えはずぅっと前から出てるらしい。俺がただただ引き伸ばしにしていただけなんだろうしな《がりがり》」

「えへへ、そっか。残念だなぁ、友情のキューピッドになれると思ったのに」

「……いいや、戸塚。キューピッドってのは天使の仕事だが、お前にキューピッドは向かない」

「え? そ、そうかな。相談に乗ることくらい、僕にも……」

「キューピッドってのはな、残酷じゃなきゃ勤まらないんだよ。誰かを応援するってことは、誰かを切り捨てるってことだ。友達と、友達の友達をくっつけるのは難しい」

「……そっか。じゃあ僕が由比ヶ浜さんと友達になれば、八幡はキューピッドだね」

「悪いな。いくら戸塚でも、男にあいつを紹介するのは二度とやらんって決めてるんだ」

「え?」

「ぶひっ!?」

 

 たはっと笑って歩き出す。さて、とりあえず携帯であいつを呼び出して……まあ、登録なんざしてなくても番号は覚えてる。なんならメールのアドレスだって完璧に記憶しているまである。

 なんだおい、無関心どころじゃねーじゃねぇか。仕方ないでしょ、ママさんがしつこく見せてきたんだから。見せられたのかよ。見せられたんだよ。見せられなくても覚えてたけどな。……どんだけ気にしてんだよ俺。

 あーそうですよ、好きの反対は無関心? あいつ相手にそりゃ無理だ。あいつは忘れてるかもしれないが、俺にとっては“子供のノリ”だろうと、ママさんの前で婚約した相手だからだ。

 

(まあ)

 

 弱み、握られてるもんなぁ。

 弱みと思わなきゃ弱みでもなんでもないものでも、あれはあの人が持っている。

 黒歴史……とは、今さら言えないものだ。

 

(婚姻届ね)

 

 ママさん、なんであんなもん持ってたんだろ。アレ本物だよな? なに? ゼクシィの付録にでもついてたの? ゼクシィ買ってたの? 平塚先生の机にこれ見よがしに置いてあって、はみ出していたそれが婚姻届であると知った時の衝撃は凄かったな……もう、誰か貰ってあげて。あと先生、その結婚したいアピール、男相手だと普通に引きますからね? 逆効果ですからね? お互い本気で好き合ってる相手ならまだしも、いきなり見せられたらコロリと結婚どころか引いて距離を取るまである。

 とまあそんなわけで……その時まで俺はその緑色の紙が婚姻届である、なんて知りもしなかった。知らないまま、子供の頃の俺と結衣で、緑色のソレに名前をそれぞれ自分たちで書いたのだ。で、それはママさんが管理している。だからママさんは俺のことを息子のように扱ってくれて、だから俺もあの人と平塚先生なら警戒しない。

 そして俺は───……内側に入れた相手には基本、やさしいのだ。内側の人物、居ないけど。え? ママさんと平塚先生? ……ギリギリ内側じゃねーよ。線引きくらいしっかりしてあるわ。

 

「……すぅ……はぁ」

 

 結衣の感情に親父さんの言動が関係しないって確信が欲しかった俺にとって、戸塚や材木座からの背中押しは、正直ありがたかった。

 ……これで、俺も遠慮なく動ける。

 

(さて、結衣の番号はっと《ピポパポプポポペ》)

『《prブツッ》はーくん!?』

「いや速いよ。あと速い。なにお前、携帯持って待ってたの? エスパー?」

『あ、えと……えへへぇ……で、電話かけようかどうしようか悩んでて……そしたらさ、はーくんが……』

「……そか」

『うん……』

「…………」

『………』

「なぁ結衣」

『ふえっ!? ゆ、ゆい!?』

「ああ解った悪かった由比ヶ浜名前で呼んですまんキモかったよなごめんなさい」

『わ、悪くなんかないよ! むしろどんどん呼んでほしいっていうか、はーくん専用で呼んでほしいまであるよ!』

「照れ隠しに人の口調真似るのやめなさい」

『だ、だってはーくんが!』

「……用件を言う。その……あー、あれだ。……病院では、その……悪かった。せっかく見舞いに来てくれたのに。それから、今までのことも。空気悪かったよな。すまん」

『……! ……はーくん……!』

「いや、なんでそこで感激したような声出すんだよ。相当嫌なやつだっただろ、俺」

『だ、だってママが言った通りになったし……。はーくんは悪いことをしたって本気で思ったら、ちゃんと謝る子よーって……』

「ぐっは……!?」

 

 あの人どこまで人のこと読んでらっしゃるの!? なに!? スタンド使いなの!? 俺の周囲にNONONONOとか出ちゃってるの!? ……NOしかねぇのかよ!

 

「……とにかく。あ、いや、とにかくって言い方はよくねぇな……その。悪かった。すまん」

『ううん、あたしの方こそ、サブレを助けてくれてありがとう』

「いや……だから。あれはべつにお前やサブレだから助けたわけじゃ───」

『うん、解ってるよ。はーくんは誰が危険になっても飛び出しちゃうほどやさしいんだ。あたし、もう解っちゃったから』

「いや待てそれは誤解だとはっきり言う。俺は自分が一番可愛いから、誰が危険な目に遭おうが知ったことじゃ───」

『じゃああたしだから助けてくれたんだ?』

「…………お前結構汚ぇのな」

『なっ! き、汚くないし! 綺麗だし! はーくんキモい! まじキモい!』

「キモいとか言うなこの馬鹿。つーか明らかに使い慣れてない覚えたての言葉を言いましたって反応やめろ、死ぬほど似合わない」

『え? そ、そっかな。なんか周りがよく使ってるから、言ったほうがいいのかなって』

「お前……コレでお前が髪の毛染めてチャラチャラしだしたら俺泣くぞ? むしろ絶交する。そして親父さんが自殺する」

『そんなになんだ!?』

「……まあ、ほら、あれだよ。お前がしっかり決めて、そうしたいから染めるなら別に構わねーよ。ただ周りがそうだからそれに合わせるって理由なら、この電話を最後に二度と電話もかけないしメールも飛ばさない。返信の全てをメーラーデーモンさんに頼むことになる」

『え? あ、そだ……そうだよ……。はーくん、あたしの番号もアドレスも消してたのに、今どうして……?』

「あ? なんで消したこと知ってんのお前」

『ふえっ? それはだって、小町ちゃんが───あ』

「………」

 

 我が家にスパイが居た。

 しかもあろうことか、ぼっちの兄に内緒で兄の携帯電話を盗み見ていたのだ……!

 

「なぁ……やっぱり俺、お前のことを信じるの、やめていい?」

『え、や、やだ! ダメ! ごめんなさい謝るから! でも、だって! 小町ちゃんが泣いて相談してきて、はーくんの携帯から消されてたって聞いて! それで……あ、あたしも泣いちゃって……』

「………」

 

 なに、そんなことで泣くの? 俺なんて登録してもらってもその後別れて5秒あたりで消されてた自信あるぞ? なんかこっちちらちら見ながらこそこそいじってたから間違い無く消してたよあれ。泣くならそんな事実に泣きなさいよ。消すくらいなら登録するなよ。だからやさしい女なんて嫌いなんだ。……あれ? 最初から全然やさしくなかった。

 

「……べつに。消したところで覚えてただけの話だろ。あんま深く考えんな」

『え? 覚えて…………そ、そうなんだ。そうなん、だ……えへへ……───うん………………ねぇ、はーくん……。その……電話してきてくれたってことは……さ。結衣、って……呼んでくれたってことは……さ。いいのかな……。あたし、またはーくんのところ行っても……いいのかな』

「いやよくはねぇだろ」

『えぇええ!? なんで!?』

「うるさい叫ぶな耳が痛い。……あのな、お前、カースト最上位。俺、最下位。そんなお前が」

『そんなのどうだっていいよ!』

「いや、俺が構───」

『そんなのの所為で一緒に居たい人と一緒に居られないなら、そんなのはーくんの嫌いな“嘘”の生活じゃん! そんな、ぎ、ぎー……』

「欺瞞?」

『そう! ぎまん! そんなものより、あたしはっ……!』

「結衣?」

『あ、あたしは……! はーくんとの本物が欲しい!』

「───!」

 

 本物。結衣はそう言った。

 その言葉が、どうしてか……病室で呆然と考え、求めた答えに……届いた気がした。

 嘘だらけの世界、嘘だらけの自分……仮面をつけて粋がっていた自分。全部にせもの。

 じゃあ俺が求めた“本当”が溢れる世界とはなんだったのか。

 何故、俺はソレの名前を欲しがったのか。

 

「お前、それがどういうことだか───」

『うん! 昔みたいに嘘なんて全部なくして、もっともっとはーくんのこと知って、一緒にいろんなことして、それで、それで……!』

「……───ちょっと待て。今後ろで声がし───アノ、ユイガハマサン? ソコ、ドコデセウカ」

『結衣! ちゃんと名前で呼んで!』

「ソ、ソウジャナクテ、ソコ……」

『うー……きょ、教室だよ?』

「───《サアッ……》」

 

 ア、コレオワタ。オ、オカシイナー、呼び出していろいろ言う筈だったのに、なんかもういろいろ終わっちゃったー。

 

『あ、大丈夫だよはーくん! 昨日、小町ちゃんと一緒にパパとおじさんを問い詰めて、はーくんがあたしたちに冷たくなった理由、全部聞いたから!』

「いやいやお前なにやってんの!? むしろなんでそんなことすることになったの!?」

『え? ママがね、そろそろはーくんが、えと……破裂しちゃいそー……だから? とか言ってきて』

「………」

 

 隠せていたつもりだった。

 いつも通りの自分で、ただそのまま腐っていって、それでも自分で出来ることは自分でやってきたつもりだったのに。

 ……所詮ガキの背伸びだったってことか。まだまだ大人にゃ敵わない。

 

『ママすごい怒ってたよ? あんなに怒ったママ、初めてかも。パパが震えて謝って、隣でサブレが震えながら伏せしてた』

「サブレ完全にとばっちりじゃねーか……やさしくしてやれよ……」

『あたしが怒ったんじゃないし! あたしサブレにすっごく優しいし!』

「ああそうだな。やさしすぎて序列が下回ってて、ナメられてるしな」

『はーくんキモい!』

「反論の全てを“キモい”にするな。ぼっちはそういうのを間に受けるって言ってんだろが。そんなに嫌いなら前以上に距離取るだけだぞ」

「うぅっ……それは、嫌いなんかじゃないけど……っ……だったらまずはーくんが優しくしてよ! いっつもいっつも、最初にあたしのこと馬鹿にしてるのはーくんじゃん!」

「解った悪かっただから教室で叫ぶなお願いやめて」

『ぶー……!』

 

 なにその唸り声。魔人なの? ブウなの? 俺をキャンディにしてもマッ缶の味しかしねぇよ? ……やだ、なにそれすごい美味しそう。

 ともあれ頬を膨らませている姿が簡単に想像出来るあたり、なんというか子供の頃から精神が成長してないんじゃないかと心配になる。なのに今、俺の今後のぼっちライフの命運を握っているのがこの魔人ブウだというのだから、世界って不思議ッ☆ ……いや語尾に☆つけてきゃぴるんやってる場合じゃねーよ。あとキモい。我ながらキモいよ。

 

「……最後の抵抗を試みる。……結衣。俺と仲良くなってヘンな噂されるより、カースト上位のキープを選ぶよな?」

『……ね、はーくん』

「あ? なんだよ」

『……えへへぇ。───はーくん?』

「だから……なんだよ」

『あのね? ───女の子の想い、ナメすぎ』

「──────や、やめろ結衣! やめてお願い! やめっ───」

『み、みんな聞いてっ! あたしはっ───すぅっ───比企谷八幡くんのことがっ! 大好きですっっ!! かーすととかいうものの所為で好きな人の傍に居られないなら、あたしはそんなのいらない! そんなのよりも、好きな人との本物を選びます!!』

「」

 

 心の中で、だぁああーーーっ!! 終わったぁああーーーっ!! と叫んだ。むしろ叫んだつもりが、言葉にならなかった。

 

 

 その日。俺は伝説となった。

 

 




「ハッハッハァ、ヘイボブ!」
「なんだいマイコー!」
「まーたシリーズものが始まったわけだが、今度のはいったい何文字あるんだい!?」
「おっほっほ~、それが聞いてくれよマイコー! これの前にUPしたのが30万3千字のガハマティックアフターズ(17歳の俺達へ)だったわけだが、それの感想で次は何万文字書くんですか? とか言われてしまってね!」
「おいおいまさかマジに書いたのかい!? っていってもどうせ30万4千字くらいなんだろう!?」
「40万」
「アホか!!」

 そんなわけでゆづたまさん、今回のシリーズで総合150万文字は越えると思いますです。
 果たしてこのシリーズが楽しめるかどうか……うん、謎ですね。
 ただあくまでガハマさんとヒッキーが好き合っていく物語しか書かないので、そこはご安心を。
 次回へ~、続く。
 早ければ今日の夜にでも。


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つまり、比企谷八幡は王子様には憧れない①

 

 わしわしわしわし……

 

「んんぅ~……はーくん……はーくぅん……えへへ~……♪」

「お前……お前、ほんっと……お前……」

「はーくんさっきからそればっか。きもい」

「だからやめろ。キモいとか言うな。お前あれだぞ? ぼっちは基本、人は疑ってかかるけど、言われた罵倒は真実としてしか受け取らないんだからな? お前どんだけ俺のこと嫌いなんだって、相手がお前じゃなけりゃ本気でそう思ってひっそりと傍から消えてなくなるレベル」

「うえぇっ!? ご、ごめんねはーくん! もう言わない! 言わないから! 居なくなっちゃやだよぅ!」

「う……だから近い、あと近い───……はぁ」

 

 ところ戻ってベストプレイス。特別棟一階の保健室の横、購買の斜め後ろなんて妙に詳しく説明せんでもいいここは、テニスコートを眺めるには絶好の位置といえる。

 衝撃の昼休みも終わり、現在授業中……にも関わらず、俺と結衣は授業をサボった上でここに居た。緑の網に囲まれたテニスコートがよく見える、石造りの段差に腰掛けて見る世界は、授業中ってこともあり随分と静かだ。基本、ここに居るのは昼休みの時間なため、その静けさがひどく目立った。……が、嫌いじゃないな、こういうの。

 結衣は俺の腰に抱き付くようにして、腿をクッション代わりにするかのようにのびのびわんこ状態。そんな彼女の頭を、実に……どれくらいぶりか解らないほど久しく、わしわしと撫でている俺がいる。

 

「それにしても、どうすんだよこれ……。もう俺教室戻れねぇじゃねぇか……。クラス違うとはいえ、もう取り返しつかねぇぞ……? 今まで築き上げてきたぼっちとしてのエリート街道、消滅しちゃったよ……」

「えへへぇ、じゃああたしがずぅっと一緒に居てあげるね?」

「あ、結構です」

「即答だ!?《がーーーん!》な、なんで!? だって───、…………」

「~~~……《がりがり》」

「あ……えへへへへへぇええ~~……はーくん照れてる~……♪」

「ばっかお前っ、ててて照れてなんかねぇじょ!?」

「……噛んだ?」

「うっせばかうっせ! うっせ!」

「~~♪」

「…………くっそ……《がりがり》」

 

 調子が狂う。昔っから犬っぽいヤツだとは思っていたが、まさか呼び出して、座って話すかって提案して座った途端に抱きつかれるとは思わなかった。

 しかも匂い嗅がれて、頭ぐりぐりこすりつけられて、頭撫でてって言ってくるし。なに? 犬ヶ浜さんなのお前。

 そうして悪態をつき、頭をがりがり掻きながらも、突き放すことも引き剥がすことも出来ないヘタレでございます。

 イヤベツに腿に弾むぽゆんぽゆんした温かい弾力が蝶サイコーとか言いたいわけではないわけでして、ふえぇやばいいい匂いがするよぉおとかそんなことが言いたいわけでもなくて……!

 

「ね、はーくん。はーくんはさ……あたしと小町ちゃんが嫌な思いをするかもしれないから……あたしたちと距離を取ったんだよね?」

「は? べつにそんなんじゃねーし」

「はーくん。嘘はいらないよ?」

「ぐっ……! だったらどうだって───あ、そ、そうだ、そのだな、いい加減その“はーくん”てのやめない? いつまでもガキじゃないんだから」

「え~~~……?」

「なんでそこまで嫌そうなんだよ……」

 

 そんなに重要? はーくんそんなにいい名前?

 と思ったら、次の瞬間には案外ノリ気であだ名を考え始める。

 聞けば同じクラスに葉山隼人とかいう、苗字にも名前にも“は”がつくイケメンが居るのだそうだ。ああそりゃ、はーくん呼ばわりめっちゃ目立つわ。むしろ変えてください。

 

「じゃあ……えと……んー……ヒッキー!」

「なにお前、俺に引きこもって欲しいの? 引きこもり谷くんとかあだ名つけたいの?」

「そ、そうじゃないし!」

「“し”とかつけないの」

「うっ……でも周りの人とか使ってて」

「その“周りが使うからあたしも使う”をやめろって言ってんだろ……。そんで咎められたら周囲の所為にして心を楽にするのか? 先達者として言っておくが虚しいし情けなくなるからやめとけ」

「既に情けなさ味わったんだ!? ……でも、そっか。えへへ……はーく───ヒッキーのそういうところ、変わんないね。あたしが間違ったら違うってはっきり言ってくれて。他のみんなが言うみたいな“そういうんじゃなくってさー”っていうのとは……うん、違う……やっぱり、違うんだなぁって」

「……べつに、似たようなもんだろそんなの。ていうか、え? ヒッキー続くの? 俺ヒッキーなの?」

「だって自分の殻に引き篭もって、あたしや小町ちゃんの話、全然聞いてくれなかったし」

「《ぐさ》」

 

 ヒッキーでした。ごめんなさい。これに関してはなにも言えん。勝手に距離を取ったの、俺だし。

 

「それで、だけど……えと。似てるか似てないかって話だったよね、うん。……えと、似てないよ。ヒッキーはちゃんと言ってくれて、何が違ってどう違うのかも教えてくれる。でも……他のみんなは否定したいだけ。答えなんて持ってないし、ただ話題として否定するだけだから……」

「………」

 

 言って、しゅんと疲れたような笑みをこぼした。

 腰に抱きついたまま、犬のように俺を見上げるその顔は……不安に揺れていて。

 溜め息ひとつ、頭を撫で、髪を撫で、頬を撫でて顎を撫でると、結衣は心地良さそうに目を細め、やがて閉じた。

 

「……難しいこと考えんの苦手なくせに、なんで空気を読むことに敏感になっちまうんだよ……。いっそ馬鹿だったら楽だったろーによ」

「……それだけじゃ振り向いてくれない人が居たからだもん。ばか。ほんとヒッキーキモい」

「だからやめろ。言うならやさしい言葉にしろ。そしたら勘違いして告白して振られるから」

「振られちゃうんだ!? ……って、え? 告白? 誰が? 誰に? ………………え?」

 

 困惑した顔が俺を見上げ、途端に赤くなり、瞳が潤んだ。瞬間、俺はやっちまったと後悔する。

 

「~~~っ……いい、考えるな、忘れろっ。今お前はなにも聞かなかった。いいな?」

「……………あたしと小町ちゃん、ヒッキーのわがままの所為で随分疲れちゃったんだよね」

「ぐっ……な、なんで、今それを言うのかな……!?」

「ね、ヒッキー。ありがとね。あたし、またこうしてヒッキーと話せるだけで、すごく幸せ。嬉しい。楽しい。一緒に居られて、こんなに笑顔になれるよ?」

「う、ぐ、あ……!《カアアア……!!》しょ、そりゃ、錯覚かなんかで……」

「でもね、やっぱり傷ついたし、ヒッキーと一緒に居た所為でひどいこと言われるどころか、ヒッキーにひどいこと言われたし……」

「ぐ、ぐ、う……!《ぐさぐさぐさ……!》」

「だからね、ヒッキー。やさしい言葉のおかえし、ちょうだい? 勘違いするようなやさしい言葉言うから、おかえし、ちょうだい?」

「な、なに言って───」

 

 言葉を返す前に、結衣が俺から離れて、きちんと立って向かい合う。

 そして胸に手を当てて深呼吸をすると……染めた頬と潤んだ目のまま、まっすぐに俺を見て……言った。

 

「また、あたしの隣に居てくれて、ありがとう。あたしは……また明日も隣に居たいです。その次も、次の日も。ずっとずっと、隣を歩きたいな~……って」

 

 え? なにそれ告白? どころかプロポーズ? ずっと一緒に居たいアピールですか?

 なんて思ってしまったら、勘違いするなって意識よりも先に、黒歴史の方が面をあげた。

 

  こいつ、俺のこと好きじゃね?

 

 おいやめろと押さえつけにかかるも、こんな顔、こんな声、こんな目で言われてしまっては、自分を抑えられなかった。

 おい、勘違いすんな。さっきこいつが教室で、クラスメイトの前で大好きとか言ったのだって、どうせはーくんってことで葉山ってイケメンのことだと捉えられてるんだ。こいつはやさしいから俺にじゃれついているだけだ。そんな勘違いを間に受けて告白でもしてみろ、俺は今度こそ、子供の頃から俺の傍に居ようとしてくれたこいつを突き放すことに───! ってちょっと待て、こいつ電話の向こうではーくんじゃなく、比企谷八幡って……だー! やっぱ終わってる!

 

「ずっ……ずっと俺の傍に居て、笑っててくれっ!」

 

 気づけば告白。立ち上がり、真っ直ぐに相手を見て。

 ……頭の中真っ白だ。そのくせ、頭ん中じゃ“ああ……終わったな”……なんてひどく冷静に分析している俺が居た。

 冷静になれ。冷静になって、状況を一度整理してみろ。よかったじゃねーか。これが罰である限り、俺はここであっさり振られて、そこでようやく関係をリセットできる。

 そうすりゃ今は無理でも、いつかはやり直せるわけで───

 

「───……っ……はいっ……喜んで……!」

 

 アイエエエエエエエ!!? ガハマ!? ガハマナンデ!?

 ───組み立てていた予測が全てぶっ壊れた。予測の前提が最初っから間違っていたのだ、仕方ない。

 涙までこぼして、そんな笑顔で言われたらなんて続ければいいんだよ! むしろいいのかお前は、こんなんで! 勢いや言わされた言葉でそんな、涙まで流して───!

 こいつ、俺のこと……───~~……ほんとに、好きなんじゃねぇか……くそ。

 

「~~~……」

 

 顔がちりちりと熱い。鼓動はさっきからばくんばくんとやかましく、そのくせ頭の中だけは結構冷静。さすが俺。

 いかなる時でも冷静になれる自分を備えるのが、正しきぼっちというものだ。

 そんなぼっちが考えること。それは───

 

(───勘違いしたぼっちは無敵だ)

 

 きっかけが勘違いして告白して振られる、という自爆。

 なら、勘違いを受け取られた俺は勘違いを武器に出来るというご都合理論。

 だが俺は“そう出来る言い訳”という名の武器を捨て、自分の意思で向き合った。

 男ってのは単純だ。

 女にやさしくされれば舞い上がるし誤解もするし、それが続けばこいつ俺が好きなんじゃ? と勘違いをする。

 その勘違いが実は本当だった男こそ真に無敵であり、その舞い上がった勢いのままに女性を大事に出来る。だがだ。そんなものは勘違いが成功に繋がっただけで、きっと……結衣の言う本物じゃない。

 なにせ一歩目からが勘違いなのだ。最初から間違っていることを続けたところで、必ずどこかで綻びが出る。だから俺は───

 

「……」

「《グイッ》わわっ……ヒッキー……?」

 

 結衣の両肩を掴んで、しっかりと向き合う。

 そして名前を呼んで───

 

「ひゅ、ひゅい」

「───」

「………」

 

 噛んだ。

 うっわなにこれマジ死にたいんですけどなにやってんのちょっと馬鹿なの死ぬのむしろ殺して馬ッ鹿ほんと馬ッ鹿!

 

「ゆ、結衣」

「え? あ、噛んだんだ」

 

 名前噛んだって認識されてなかったよなにやり直してまで恥の上乗せしてんの死ねよもうほんと死ねよ死んでください殺してぇええっ!!

 

「あー……えっと、だな……」

「う、うん……?」

「今の告白、なかったことにしてくれ」

「えっ……!? ふえっ……《じわっ……》」

「いや待て泣くな! 言葉通りの意味だが、お前が思っているのとは違う……はず……」

「……? ……?《ぐすっ》」

 

 やばい。なにがやばいって、やばいからやばい。

 早く言ってやらないとこいつ、絶対に誤解して涙流しながらえへへって笑って人の話も聞かずに逃げ出す。これ絶対。ソースは過去の経験。

 覚悟を決めろ。つーか、もっとよく考えろ。俺相手にここまで近づいてくれて、ママさん公認な上に好意を抱いてくれるヤツが居るか? 居ないだろ。むしろ今後絶対現れないし、現れたとして、親に断固拒否されて別れさせられるまである。

 いや、そんな打算を捨ててもだ。俺自身、こいつをどう思っているか?

 ……あほか、そんなの、昔ママさんに書かされたアレが婚姻届だったって気づいた頃から固まってたことだろうが。それどころか、惚れたのなんてもっと前だ。気づかないフリして無関心ぶる必要も、もうないのだ。

 だったらどうするよ。ほら、もう涙がこぼれてる。さっさといけ、こののろま。

 

「なあ結衣。昔、ママさんの前で二人で書いたもの、覚えてるか?」

「え? う、うん……ぐすっ……あの、なんか緑の紙だよね……?」

「あれな、婚姻届だ」

「───………………えぇええええええっ!!?」

「それを知ってもらった上で言うぞ。結衣───いや、由比ヶ浜結衣さん。俺と一緒に、あれを“本物”にしてください」

「ぇえええっ…………ふえっ?」

 

 真っ直ぐ向き合って、心からの言葉を届ける。

 即座に視線を逸らしたい衝動に駆られ、ちりちりと顔が熱いってか痛いと感じるのだが、さすがにここで視線を外すのはヘタレすぎ───あ、ウソ、ヘタレでいいです外していいですか?

 己へのソワソワとした問答を繰り返していると、じっと見ていた筈なのに相手の反応に一瞬気づけなかった。余裕のない男はこれだから……と軽く後悔したくなったが、気づけたとして、俺に出来ることがあったかどうか。

 さて、そんな底辺男の覚悟がどうあれ、“相手が好きで恋人になる”のと“相手が好きで一生を委ねる”のとは違う。結衣が教室でしたのは恋人宣言というよりも大好き宣言だけであり、俺が頷いたところで恋人になるだけ。

 逆に、俺がしたのは好きですどころか一生傍に居てくれって言葉と、婚姻届を本物にしてくれという、婚約宣言だ。つまりプロポーズ。そんな重いものを学生の、しかも18にもなっていない状態で受け入れる人が居るだろうか。

 

「え、え………………ひ、うっ……?《ぽろぽろぽろ》」

「え……お、おい結衣?」

 

 ……目的としては泣き止ませようとしたのに、小粒どころか大粒の涙がこぼれたでござる。震え、視線は俺の目を見たまま、首を小さく左右に振るようにして少しだけ後退る幼馴染の姿がそこにあった。

 え? ……え? なに? そんなに嫌だったとか? あ、あれか。自分で言った本物って言葉を俺に使われてショックだったとか。大丈夫だ、誤解はないぞ結衣。エリートにはなれなかったがこのプロぼっち免許を持った俺にしてみれば、お前が泣いた理由なんて───ほんとにそうか?

 はっきり言うがぼっち側での俺は天下無敵、負けることなら俺が最強。だが、じゃあぼっちでは経験できない事柄ではどうだ? ……雑魚もいいところだ、集団行動とか息を潜めて迷惑にならない心配りが出来る程度。むしろそれしか出来ない。

 で、相手はぼっちか? 泣いている結衣はぼっちだったか? 違う。天下のスクールカーストの、いわゆるトップカーストにも君臨出来るやつだ。そんな彼女をぼっち側で測って結論を出していいのか? いやよくねーだろ。むしろ俺と一緒にされればクラスの女子が泣くレベル。

 じゃあこの答えはいけない。だから考えろ。ぼっちとは正反対。暗い方向ではなく明るい方向で泣く理由ってのはなんだ? ああ、あれ? 伝説の嬉し泣きってやつ? ハハ、ワロ───え?

 

(………)

 

 やべぇ……答え、出た。さすが学年3位。レベル5で電撃撃てちゃう。手違いでレベル6の扉を開けちゃうまであるくらい。やっぱいつの世も新世界の扉を開くのは正規のやり方よりも斜め上だよな。つまりいつでも斜めな俺は悪くない。

 いや、でもほんとにそれが答えでいいのか? ぼっちな俺がそっち側の答えを安易に選んで───

 

「うっ……ひっく……ひっ……ひっき……うえぇえええ……!!」

「───……」

 

 アホか。こんな純粋な涙を前に、悩んでんじゃねぇよ。勘違いだの罰ゲームだの、保身に回るのはもうやめだ。それでいいだろ?

 あーあー、残念だったなぁ未来の俺よ。どうやら“俺”は完成出来ないらしい。……俺も残念だよ、正直、何事にも動じないニヒルな自分にゃ憧れた。どんな美形や困難が来ようがそっけなく返し、解決することの出来る自分。社交性は無くてもそれ以外は完璧にこなせる自分にゃ憧れた。

 でも、所詮憧れは憧れだ、結衣の口から聞いて、俺が思い描いた本物には届かない。

 

「~……どうせ言わなきゃ届かねぇだろうから、この際だから言うがな……その。……最初の告白を無かったことにしたのはさ。脅されて言ったのがお前とのきっかけになるのが嫌だったからだよ。言ったじゃねーかお前、本物が欲しいって。なのにあんな、勘違いからこぼれたような薄っぺらい告白で始めようとすんな。……お前の夢、お嫁さんだったろーが。ちっこい頃からいっつもこっちちらちら見て。そんな大事な一歩目を勘違いで受け入れるんじゃねぇよ……」

「ひっく……えぅっ…………ひっき……っ……! ひっきぃいい……! おぼ、おぼえてて……っ……えぐっ…………ふわぁあああん……!」

「~~……《がりがりがり》……くっそ、なんでお前はそう……」

 

 なにかあればいっつも人のところ来てはーくんはーくんって。ガキの頃からこっちが何度勘違いしたと思ってんだ。

 あーそーだよ、親父さんの所為で告白するまでいかなかったけどな。あー恥ずかし。じゃあなに? 親父さん居なかったらとっくに相思相愛の時間過ごせてたの? まじかよ親父さん……本気で恨むぞ? 彼女が居たならいちいちラブレターとかで動揺する必要もなかったんだぞ俺……。

 

「あー、その、なんだ。迷惑じゃなければ、末永くよろしく頼む。むしろ迷惑なら今すぐ断ってくれ、振られるくせにうだうだ語ってたとか恥以外のなにものでもねぇだ《ギュッ!》ろっ……と……」

「~~~……!《ウルウル……!》」

「……わぁった、逃げないから、そんな潤んだ目で見上げてくるな……あと手痛い、指折れそうなくらい必死に掴まんでも逃げねぇから落ち着け……」

 

 手を掴まれた。ギウウミキミキと。痛い。あと痛い。

 しかも何故か少しずつ掴む範囲が広くなって、握られていた手から手首、腕、と捕まれ抱きしめられ、腕にぽゆんぽゆんした柔らかい感触が……! ───いやべつにやましい気持ちとかねーし? 腕が谷間さまにすっぽり納まっていて結衣の体温でとろけちゃいそうとか危ないこととか考えてねーし?

 

「………」

 

 溜め息ひとつ、ベストプレイスに存在する階段にゆっくり腰掛けると、腕に抱き付いていた結衣が、再び俺の腰に抱き付いてきた。そんな彼女の頭を撫で、綺麗な髪の毛を梳くようにやさしく触れていると、またしても犬っぽく上機嫌にとろける結衣さん。

 俺はといえば……結衣がとろけている内にママさんに連絡を入れて、18になったらいつかの約束を本物にさせてもらいますとだけ届けた。もちろん言うだけ言って通話終了。

 直後にひっきりなしにメール着信と電話が……! 電話に出るのは気恥ずかしかったからメールを見てみれば、

 

 FROM ママ 13:21

 TITLE あらあら

 やっと決心がついたのね? ママ、いっつも今日こそはって待ってたのよ?

 じゃあ早速今からでも、ママのことママって呼んでいいのよ?

 

 ……。

 無言でメール画面を閉じた。

 

「? ひっきぃ、誰から……?」

「そのだらしない顔やめなさい。めっちゃ撫でたくなるから。……お前のかーちゃんから」

「《なでなで》ママ? ……えへへぇ」

「いやべつに挨拶に行く段取りとかじゃねぇからそのだらしのない顔やめなさい。甘やかしたくなるだろーが」

「《かいぐりかいぐり》んむゅ……ひっきぃ……ひっきぃい~……♪」

 

 俺は悪くない。言いながら、とっくに撫でたり甘やかしたりしてるこの手が悪い。悪いの俺じゃねーか。いや、右手が恋人なんて迷言もあることだし、もうそろそろ別個体として考えていんじゃね? 指にだってそれぞれ名前があるんだし。そう、今結衣を撫でてるのは俺じゃなくて親指や人差し指や中指や───……まじか俺、別固体として考えたら指の野郎を砕きたくなってきた。でも痛いからやらない。

 ていうかなにこの可愛い生物。人のこと呼びながらこんなに無防備に甘えてくるって、それだけで心開けちゃうよ俺。エリートどころかプロのぼっちが浄化されていく。……あくまでこいつの前だけで。

 昔っから妙に犬っぽいところあったからな、こいつ。……撫でなくなってからはいい加減治ったと思ったのに、ちっともだ。……べ、別に安心してなんか……ないんだからねっ!?

 

「ん……ママ、なんて?」

「ん……あ、や……べつに、なんでもいーだろ……」

「だめ。だってママ、ヒッキーのことお気に入りだし。前からなんかある度にヒッキー連れてこいって。……あたし、やだよ? ヒッキーがあたしのお父さんになるの」

「ぶっは!? ばば馬っ鹿お前! なんでそんな話になるんだよ!」

「だって……ヒッキー昔っからママにはすごい心開いてる感じだったし……キモい! 思い出すだけでキモい! ヒッキーマジキモイ!」

「お前……婚約さえ覚悟してる相手にキモいはやめろよ……本気で傷つくだろが……」

「うー……!」

「《ぎゅうう……!》……わーった、解ったから……。ていうかお前何気に独占欲強いよな……今に始まったことじゃないけど」

「え? そうかな……ふつーだよふつー」

「普通ねぇ……んじゃ訊くが、俺が女子と仲良くしてたらお前、どう思う?」

「え? ヒッキーに女子の知り合い居るの?」

「《ぐさ》……いねぇよ。居るわけねぇだろなに言ってんの?《ぐすっ》」

「え? え? なんで泣いてんの!? あたし言いすぎた!? ご、ごめんねヒッキー! もうキモいって言わないから!」

 

 わー、ぼっちなことは全然気にかけられてないやー……もはや当然のこととして認識されているまである。

 そりゃ自分からそうなろうとしたんだからいいんだけど。全然いいんだけど。

 よし、いいならスルーな。真面目に考えると泣きたくなりそうだから。

 

 



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つまり、比企谷八幡は王子様には憧れない②

 こほんと咳払い、独占欲チェックの続きだ。

 

「じゃあ……もし、仮に女子の知り合いが居て、仲良くしてたら?」

「え? あたしも友達になるよ?」

「ウマが合わないから俺とだけでいいって言ったら?」

「頑張って友達になる!」

「いや、合わないこと前提で話させろよ……」

「ぜんてー?」

「首傾げるなよ可愛いだろ……お前とは仲良くなれないって条件がある話ってことだよ」

「い、意味くらい知ってるし! えと、じゃあ……ヒッキー連れて帰る」

「話し合ってる途中だっての」

「だってヒッキーが人と好んで話すなんて有り得ないもん。きっとその人、ヒッキーのこと騙そうとしてるんじゃないかな……って。その、そういうの何度も見てきたし……やめてって言っても、“なんで庇うんだよ、もしかして好きなのか”とか言ってきて……」

「いや、そりゃ好んで話そうとはしないけど……えー……? 有り得ないまで言っちゃうのー……?」

 

 すいません相談させてください、婚約者(仮)に泣かされそうなんですが……とか、ヤッホゥ知恵袋先生で相談したら解決してくれるかしら……。

 そもそも仲良さそうにって言ってんだろが……まあいい、結衣だし。

 

「はぁ。で、お前はそれに“べつに好きじゃないし!”とか返したんだろ?」

「ううん。陰湿なことしか出来ない上に、人の気持ちを盾に話の流れを自分に持っていこうとする人なんかよりよっぽど好きだって言った。……えと、ところどころ、噛み噛みだったけど……」

「なにやってんのお前」

 

 わりとマジな声が出た。え? やだこの娘、すっごくアグレッシヴ。

 

「あー……そういや一度、じゃないか。何度か顔真っ赤にして涙目の男が、俺のこと罵倒しまくってたりしたな。“由比ヶ浜さんがー! 由比ヶ浜さんがー! なんでお前なんかにぃい! ヴォォオェアアア!”って。なにかっつーとお前の苗字を出してた」

「なにその、ぼ、ぼーえあー? って」

「俺が知るかよ……そうやって叫んでたんだよ、いやほんと」

「庇ってない?」

「なんで俺がそいつを庇う必要があるんだよ。ねぇよ。むしろ知り合いとも思われたくねぇよ。なんか会見とか開いたら号泣しそうじゃねぇか」

「……うん。そか。うん……なら、いいかな」

 

 いいのかよ。……いや、俺もべつにいいけど。頭に“どうでも”がつくけど。

 

「ヒッキー。ほんとに……もう自分を悪者にするとか、やめてね」

 

 あ、そこに繋がるわけね。べつに自己犠牲のつもりは……ああ、犠牲とは言ってねぇなこいつ。ちゃんと考えて話を振ってやがる。

 

「善処はする。状況によっては仕方ない時だってあるだろ」

「ダメ。絶対やめて。じゃないと、えとその、あ、あたしにも考えとかあるし」

「ほーん? 例えば?」

「え? 例えば?」

「……すまん、“例えば”ってのは───」

「意味くらい知ってるし! 馬鹿にしすぎだから! ……だ、だから、ね? たとえば……そ、そだ!」

 

 おい。目の前で“そだ”とか言っちゃったよ。今思いついちゃったよこの子。

 

「今度はあたしが自分を犠牲に───」

「やめろ」

「え? あ、でも」

「や・め・ろ」

「……う、うん」

「………」

「……………あのさ。ヒッキー」

「なんだよ」

「……どんな気分だった、かな。その……自分のためとか自惚れじゃなくても、大切な人が自分を犠牲にするかもしれないとか思ったら。……あたしは、やだったよ。すっごくすっごく、やだった」

「………」

 

 自分を犠牲にした、なんて意識はなかった。が、周囲がどう思うかを念頭に置いたことなんてない。

 何故なら俺の物語は俺という個人だけで完結しているもんだと思っていたからだ。

 なのに実際はどうだ。こうして自分を思っている人が居て、恐らくはずっと、この胸糞悪い感情を抱きながらも、ずっと好きでいてくれたのだ。

 ほんと、どんな気分だ? 好きな人が悪意の集中砲火を受けているってのに、本人に関わるなと言われる気分は。

 

「………」

「《なで……なでなで》んぅ……」

 

 黙ってしまった俺を見上げる結衣の頭を、無言のままに撫でる。

 恐らくは、こんなもんじゃなかったのだ。ずっと好きでいてくれた人が、そいつが目に見える悪意の中に立たされているのに、関わることさえ禁じられている気分の悪さは。

 それでも俺はその過去に後悔を向けない。

 お陰で“俺”になったのなら文句はない。だが俺に後悔は向けなくても、結衣にそんな思いをさせてしまったことには後悔を向けよう。

 ただしその分はこれからのことに向ける。お釣りがくるくらい甘やかしてやろう、なんて。アホなことを考えた。

 

「……その、なんだ。…………喧嘩しても、仲直りできる程度の喧嘩しかしないようにしような」

「……へへっ、えへへっ……ふふーん♪ 伊達にヒッキーのこと十年以上見てないよ? 浮気と暴力以外なら、あたし絶対頑張れるしっ」

「んなもん頑張るな。不満は口にしろ。俺は人の流れにゃ敏感なつもりだが、たぶんそれはマイナスの方向でだ。だから、……だ、から……だな。アレ、アレだ…………アレってなんだよ……、……ちょっと待て、整理する《くいっ》……へ? お、おう?」

「……やだ、かな。あのね、ヒッキー? 整えた言葉じゃなくてさ、つっかえてもいいから、浮かんだこと全部、言ってほしいな。あたしね、ヒッキーのこと好きだよ? ほんとに、ほんとに好き。ヒッキーがさ、頭の中で整えないとつっかえちゃうことも、人と話すのは苦手だから、そうしなきゃ流れを作れないことも知ってる」

「……だったら」

「うん。でもね、だから。……そんなヒッキーが好きなんだ。だから……作っちゃ、やだよ」

「───……」

 

 ばっ───…………ば……、……ばか、おま…………。

 言葉を用意しようとして、やめた。

 自分にとって唱えやすい方向へ持って行くための流れも、もう作る必要がなくなった。

 あくまでこいつの前だけでだが、望まれちゃ仕方ない。

 

「お前の中の俺、どんだけ美化されてんだよ……」

「ずっとずっと王子様、かな。ヒッキーはね、あたしが危ない時に、絶対に見ていてくれる人だから」

「DHAが豊富そうな目の王子様って……お前、俺がカボチャパンツ履いてる姿想像してみろよ」

「ヒッキーの王子様像古い! キモい!」

「俺はキモくねぇ。キモいのはお前の中の王子さまだ」

「そ、そんなことないんじゃないかなぁ。だってあたしの中の王子様はヒッキーで、ほら、あれだし。……ヒッキーのままだし」

「……は? …………は?」

「だ、だからぁ! あたしの中のヒッキーはヒッキーなの! かぼちゃのぱんつなんて履いてないし、白馬なんかにも乗ってないし!」

「な、ばっ……」

 

 えー……? そんなのもし俺の親が王様とかだったら、即座に警察に「城でゾンビが徘徊してます」とか言っちゃうレベルじゃない?

 

「……あ、あのね、あたしさ、ヒッキーほどじゃないけど……女の子からハブられたこととかあったしさ。現実だって知ってるよ? 人って思ってるほどやさしくないし、自分が大事だから自分のためならすぐに……なんてのかな……絆、っていうの? 簡単に捨てちゃうし」

「………」

「見てて辛いことがあってもさ、みんな笑ってるんだ。でね、笑うことが当然の空気が出来てきて、それに合わせないと狙われる。あ、あたしさ、ほら、ばかだからさ、いっかいそういうのに飛び込んじゃったことがあって。……気づいたらハブられてて、イジメられて」

 

 あったな、んなこと。

 あぁ覚えてる。悪いのはいつでも“みんな”だ。そんなもんに付き合うのが当然って決まっちまっている常識だ。

 人はその、見えない“みんな”と歩くことで、いつだって守られてる。はみ出すのはいつも、その“みんな”を信じないやつで、そのルールに従えない存在だ。

 

「……ヒッキー、覚えてるよね」

「さあな」

「ううん、覚えてるよ。ヒッキー、嘘つく時には癖があるから」

「……まじか」

「うん。……覚えてるよね?」

「~~……何度も言うが、あれはべつに───」

「小学の時も、中学の時も、何度も助けてくれた。その度に距離が出来て、避けられちゃって、病院でぐらいしか話せなくなっちゃって……」

「必要最低限は話しただろ。親父と親父さんが勘ぐらない程度には」

「……あんなの話した内に入らないし」

「いーや話したね。俺の中3の平均会話量の数倍は話した。ちなみに一年まるごと計算な」

「…………ひっきぃ……《じわ……》」

「ぅぁっ……ま、待て、お前を責めてるとかそういうのは断じてない、つかそーゆー話じゃなかったろ。べつにぼっちな俺がどれだけ痛かろうが、嫌われ者は嫌われ者だって話だろ」

 

 泣く幼馴染には勝てない? 違う、女の涙は兵器だ。こぼすだけで近くに居た男が吊るし上げをくらう。

 なにあれ、ただ席替えで隣に座っただけで、なんで泣くんだよ。

 ほんと女ってアレな。アレすぎてこっちが泣ける。悲劇のヒロイン気取り? 寒いわ。怒る時にハンカチの端っこ噛んでキーとか言う練習してから出直してこい。

 

「……そうだとしてもだよ。助けてくれたのはヒッキーで、白馬に乗った王子様なんかじゃなかった」

「…………《ガリガリ》」

「だからさ……白馬なんて要らないんだ。普通の女の子が……“みんな”が憧れる王子様みたいな格好もいらない。そんな人を待つのなんかヤだし、それまであたしになにかしてくれたわけでもないのに、王子様ってだけでそんな人を好きになるもの絶対に嫌だって思う」

「……お、おう」

「思うから……あたしはね、ヒッキーがいい。ヒッキーでいい、じゃないよ? ヒッキーじゃなきゃヤなんだ」

「ぅ…………はぁ。お前、ほんと変わった趣味してんのな。白馬の王子様選んでりゃ、お前を助けたのは白馬に跨った王子様で、まちがっても自転車に乗った目の腐った男じゃなかったろうに」

「あたしは白馬のほうがヤだな。……あのね、ヒッキー。あたしね、ヒッキーがあたしを助けてくれるたびにね、そのたんびに……ヒッキーのこと好きになったよ? 小学校でも中学校でも。だから、近づけないのがすごく辛かった」

「だ、だから俺はべちゅに、たしゅけたつもりゅは」

 

 やだ噛みまくり! だから想定外のこと言いまくって、用意してる言葉を潰すのやめて!? これでも一生懸命頑張って用意してるんだから!

 予定通りにいかないと、ぼっちってすぐに噛むんだからやめて!?

 お前がいくら噛んでもいいからまっすぐな言葉がいいって言ってくれたところで、シリアス空間くらいシャッキリ喋りたいんだよこっちは!

 

「サブレが轢かれそうになった時、助けてくれたのは白馬に乗った王子様なんかじゃなかったよ。自転車に乗った、捻くれてるけどすっごくやさしい……あたしの好きな人だった」

「あ、の、だかりゃ、おれっ……」

「だからね? あたしの中には好きな王子様なんていないんだ。もし居ても、それはそのままヒッキーだから」

「あ、ぅ……」

「だ、だから……ヒッキーもさ、作らないでほしいな、って。整えた言葉じゃなくて、ヒッキーの言葉で」

「……言った途端にキモいとか言うんだろーが」

「い、言わないってば! ばか! ……こんな時に茶化すとか、ほんと信じらんないっ! ……自虐の時だけ噛まずにすらすら喋るし」

「当たり前だ。お前あれだぞ? ぼっちが常にどんだけ自分を評価してると思ってんだ。会話の輪に入るためとかそんな贅沢は目指さずとも、せめて熱は冷まさないようにと笑いネタとか考えてるっつーの。……ただそれが“ぼっちあるある”すぎてリア充には解んねーだけだし? べべべつに“それあるわー!”とか言われたかったわけじゃねーし?」

「……言われたかったんだ」

「ばっかちげーし! そんなんじゃねーし!」

「“し”とかつけないの」

「えー? お前が言うのそれ」

「ヒッキーが言い出したんじゃん。……それで?」

「あ?」

「……さっきの話っ! ほら、整えようとしたじゃん!」

「あー……お前がアホなこと言い出すから、話逸らしてんのかと思ってた」

「アホっていうなし!」

「“し”とかつけないの」

「ヒッキー!!」

「あー、わーった、わーったから」

 

 ほんと犬ね、こいつ。でも犬ってやつは……広く言えば動物ってやつは“可愛い”と思ったらもうだめだ。

 盲目的とまでは言わないが、ダメな部分まで可愛く見えてしまう。

 つかね、こいつほんとなに考えてんだろ。俺が言うのもなんだが、俺に惚れたままで十年以上って、そうとうメンタル強くないと無理だろ。

 俺だったらあっさり捨ててるよ? だって面倒だろ、俺の相手。自覚出来るし。

 協調性ないし、話振っても長引かせる気が最初からないし、むしろ終わらせる方向を自然と意識している所為で、意識し直しながら会話をしなければ一回の返事で会話が終わるまである。

 ……やっぱめんどいだろ、俺。俺は俺のこと好きだが、周囲は絶対に違う。

 対する由比ヶ浜結衣って女は、可愛いしスタイルもいいし、明るいし元気だし性格も良ければ空気も読める。ちとアホの子な部分もあるが、んーなもんは見る人によっちゃあただのステイタスだ。

 多くの男子がアプローチをしてきた。お陰で起きた面倒ごとだって相当あった。あったかもしれないじゃない、あった。実際俺のところに叫びにきたヤツ居たし。罵倒しながら泣いてウヒーハハハハーンとか叫んでたけど、なんだったんだろなほんと。

 

「……んなもん頑張るなって話だったよな。浮気と暴力以外なら耐えてみせるって」

「うん」

 

 話をきちんと戻したことが嬉しかったのか、一層に抱き付いてくる。

 そんな結衣の頭を、頬を撫でる。

 

「我慢するより、相談してくれ。こじらせた“ぼっち”ってのは基本的にわがままだ。……まあ、けど、考え方が固定されかかってるだけで、解らないわけじゃない。むしろ相手に我慢されてたら無力を感じて、それをこじらせて悩みすぎて自閉症になる」

「それヒッキーこそ相談しなきゃだよ!?」

「プロぼっちナメんな。他のぼっちと比べて俺はそんなもんに負けたりしねぇよ」

「じゃあ関係ないじゃん!」

「あ? なにが」

「だ、だから! 今してるの、あたしとヒッキーの話だし……他の人の話なんて、関係ないじゃん」

「………」

「………」

「……いや、つか。お前ほんとそれでいいの? 相手俺だよ?」

「言ってるじゃん。浮気と暴力以外なら我慢できるって。あ、でもひとつ追加」

「いきなり我が儘じゃねぇかよ」

「ま、まだヒッキー頷いてないからセーフだよせーふ! ……えと、ヒッキーが自己犠牲であたしを幸せにするとかいったら、泣くからね」

「なんで俺が犠牲になんだよ。嫌だよ。むしろ俺が幸せになりたいっての」

「うん。それはあたしが絶対にするからっ!《ぺかー!》」

「………」

「……あれ? なんで無言なの!?」

 

 ……イヤ。べべべつに嬉しかったとかじゃ……嬉しいよちくしょう。

 あーもーいーだろこの話題。またクイズとかそっちの方に戻ろう。

 そもそも俺、例えばの話とかしてたんだから。

 なんかもう独占欲チェックとかするまでもなく、独占されてる気分なんですが。

 

「んじゃ話戻すぞ。むしろ戻させて」

「……? なんか話してたっけ」

「独占欲の話だ」

「あ、まだ続いてたんだ」

「勝手に切るなよ……小学の頃の帰り前に先生の提案でクイズ大会した時、俺の出題の時だけ静かになったのを思い出すだろが……」

「どんな問題だったの?」

「千葉に対する愛を問題として出しただけだ。全員解らなかったがな。じゃ、独占欲チェックな」

「《なでり》うん」

 

 ちょっとめんどそうだったけど、頭を撫でてやるとあっさり上機嫌。

 元気なやつだ。

 今の笑顔を真正面から見たら、果たしてどれほどの男性が告白をするのか。少なくとも俺は……まあほら、あれだから、あれなんだよ。

 

「じゃ、いくぞ。ん…………そうだな。役員とかの仕事で、何故か俺が手伝わされるハメになって、お前が一人で帰ることになっ───」

「あたしも手伝う!」

「いや帰れよ……帰ること前提で話をさせろよ……」

「え? あ、ぜ、ぜんてーね! ぜんてー! うん! じゃあ……あれ? あたしとヒッキー、一緒に帰れるの?」

「……《ぽりぽり》……そ、そりゃ、こういう関係になったんだから一人で帰すわけねーだろ《ぷいっ》」

「ヒッキー……!《ぱああっ……》あ、えと……ふふつかものですが……《かぁあ……》」

「いやこれそーゆー話じゃねぇから……あと不束者な。ていうかなにお前、隙あれば話逸らしたい病なの?」

「え? あっ……わ、忘れたわけじゃないよ? ぜんてーの話だよね! うん!」

「ああ。で、どーすんだ?」

「? 役員の前にヒッキーはあたしと帰る約束してたんだよね? じゃあ一緒に帰るだけだよ?」

「……どうしてもやっておかなきゃいけない役員の仕事なんだが?」

「ヒッキー? お仕事はやっておかずに残しておくから大変になるんだってママがパパに言ってたよ?」

「役員にだって急な仕事くらいあんだろ……そっちの方向で頼む」

「じゃああたしも手伝うよ!」

「いや……だから……緊急で、俺だけ必要になったとかなんだよ。そういう方向で頼む」

「むー……じゃあ終わるまで待ってる」

「今日中には帰れない上に、相手の家に泊まるって話になったら?」

「……ヒッキー」

「お、おう? どうした?」

「………」

「《きゅっ》お……結衣?」

 

 寂しそうな顔で俺を見上げ、何故か袖の端を掴んできた。

 なにを言うでもなく、ヒッキー、とだけ言って。

 やだ、なにこの罪悪感。信じてくれてる妻のすぐ傍で不倫まがいのことやっちゃって気まずいみたいなこの空気。

 

「……やだな……やだよ、そういうの……」

「あくまで仮定の話だろ。お前、ドラマとか見てるとヒロインとかに感情移入しすぎて泣くタイプ?」

「……ひっきぃ……あ、相手の人……女の人じゃ……ない、よね……?」

「おいちょっと待て、仮定の相手に嫉妬でもしてんのかお前は。じゃあなに? 仮に女だったら───」

「~~~……!!《じわぁああ……!》」

「まま待てっ、泣くなっ、なんか解らんが社会が悪かったっ!」

 

 俺は悪くねぇ! いやこればっかりはほんと俺悪くないよな? ファブレくんだってきっと認めてくれる。

 敢えて悪い点を出すとするなら、……こいつに独占欲の話を出す時点でいろいろ悪かった。

 だがだ。どうせならその先を知ってみたい気もする。これ以降、訊こうにも訊けない雰囲気になるだろうから。

 

「……それでも聞かせてくれ。相手が女子だったらお前、どーすんの?」

「───……、……」

「《ぎゅうっ……》……おい」

「……えへへ……ヒッキーを信じる、かな……」

「袖思いっきり掴んで、それかよ……」

「だって、ヒッキーが“手伝いに行く”って言ってるなら……そうだって信じなきゃ、あたし嫌な子じゃん……───ううん、きっともう嫌な子なんだよね……ヒッキーの言う通りだよ。喩えの話なのに、あたし嫉妬してるし……不安だし」

「………」

「《わしわし》んゆっ……ヒッキー……?」

 

 訊くんじゃなかった。なんですかこのカウンター。嫉妬されて嬉しいとかクズじゃないですかやだー。

 思わず熱くて仕方ない顔を逸らしながら、結衣の頭をわしわしと撫でてしまう。

 質問が悪かったな。ああ、つまり“俺は悪かった”のだ。大事な人を自分関連で泣かせたなら、そりゃそいつが悪い。

 

「そーだな、じゃあ俺はそいつに、結衣も連れていけないなら手伝わないって言ってやる」

「ふえ……? でもそれじゃぜんてーが」

「いーんだよ……どうしても手伝わせたい状況で、他の助力を拒む方がどうかしてんだ。いいだろそれで」

「……ヒッキー……!《ぱああ……!》」

「~……そろそろ授業終わるだろうし、行くぞ。それともあれか、このまま帰《だきっ!》ひゃいっ!?」

「えへへぇ、ヒッキ~……♪」

「い、いきなりだきゅっ……抱きつかないでくれまひゅ……? ぼっちの心は繊細なんだぞ……? 急に話しかけられると反応出来なくて変な声が出たりとかだな……」

「《なでなで》えへへぇ」

 

 それでも撫でる。ああ顔熱い。地球温暖化とか滅びろよ、このままじゃ俺の顔だけ噴火して死んじゃうだろ……? OK解った意味解らん。……なにも解ってなかったよ。

 

「んー……《すりすり……》……あ、ねぇヒッキー? なんできょどったりするの? “ぼっちだから”、って理由なの?」

「ばっかお前、ぼっちってのは基本、誰とも関わらずに頭ばっか回転させてんだよ。だから頭の回転は早くても、対人スキルとか0なんだ」

「えっと……?」

「ようするにだ。頭の中で組み立てた会話のバリエーションで対応することは出来ても、予想外のこととかにゃ滅法弱い。めっちゃキョドる。“はい”って言おうものなら“ひゃい”になるな。だから考える。一般人が考えうる最悪なんてもののその先の最悪の部分までな。最善? なにそれ美味しいの? ぼっちってのは基本がネガティブ思考だから基本の思考回路からしてまちがってんだよ。だから“普通”から考えりゃまったく斜めな答えを簡単に出せて、難しい問題も難しい方向からしか考えねぇから、面倒な段階を超越した部分から思考できる。お前たちが考える不安なんてものは、俺達ぼっちが何年も前に到達してんだ。むしろ日常茶飯事レベルに不安すぎて草生えるまである」

「ヒッキーキモい……」

「訊いといてそりゃねぇだろ……。あとお前さっきからヒッキーとキモいしか言ってねぇから。なにお前、ヒッキー村のキモイさんなの? ファインディングなニモさんだってまだマシな名前だろ」

「ふぁいてぃんぐ仁王?」

「仁王像めっちゃ強そうだなおい。ちげーから」

 

 いや、強いのか。強いよね? 知らんけど。テニスとかめっちゃ強そう。テニスする仁王像とか何者だよ。

 

「………」

「《なでなで》わぷっ……ん……ヒッキー? さっきからなんだかよく撫でられてる気がするんだけど……あっ、嫌とかそーゆーんじゃなくて、なんでかなーって、えへへ」

「べっ……べつに、なんでもねーよ。そりゃ丁度いい場所に頭がありゃ、男なら撫でるだろ。妹が兄をゴミ扱いせずにもっと大事に出来てたら、そらもうシスコンになってアホ毛が強靭になるまで撫でてただろうな。行き場が無かったやさしさを捨ててしまうくらいなら全て妹に向けていただろうな。俺脳内では気になる相手の頭とか撫でる妄想とかよくしてたし。現実は非情だけどなー。つまり相手が誰だろうと頭を撫でたらキモがられて泣かれていつの間にか全女子が敵に回ってる」

「回ってるんだ!?」

 

 人が人の頭を撫でることに意味はあるか? そりゃ相手が子供とかだったらよく出来ました~だのかわいいだの理由はあるんだろうさ。

 んじゃあ15歳の少年が15歳の少女の頭を撫でる理由はなんだ?

 ……、そ、そりゃお前、アレだよ。アレがアレで、宇宙の法則がアレだから? ほら、そんなんだからこう? 撫でんじゃねーの? 知らんけど。

 ……正直自分にもよく解んねーんだよ。悪かったな。

 まああれなんじゃない? ラノベとかの設定でよくあるだろ。やさぐれてた敵キャラとかがさ、なんか唯一真っ直ぐに向かい合ってくれた相手に心を許して味方になるみたいな。なにそれどこのツンデレさん? ……俺だよ。仲間になる際にスミスとか名前ついてそうだ。やったね、外国では親しまれてる名前だよ! 目が腐ってるってだけの理由でドラクエ5とかで仲間になる腐ったスミスさんを連想したやつ。砕け散れ。

 

「……まあなんだ。よーするにゲームとかの中だけの話じゃなかったってわけだろ……」

「げーむ? なんでいきなりゲーム?」

「うるせ。今俺はココナッツな気分なんだよ。線の内側に入ってきたなら覚悟しやがれキモいさん」

「キモい言うなし! 女の子にキモいとかヒッキーまじ最低!」

「いやお前が言うなよ」

 

 コヨーテって家族にゃやさしーらしい。俺に家族って居る? ああ、養ってくれる他人様が居るな。家族度ってものが世界にあるなら、両親よりもママさんのほうがよっぽど家族だと俺は思ってるよ。

 あ? 妹? ああ、好かれてるようでなによりじゃねーの。俺は嫌われてるけどな。

 親に好かれてて、嫌われてる兄はゴミ扱いですよ。最ッ高の妹じゃねーか。好きになる要素、どこにあんの? それでも我慢して妹を守るのが兄の務めだってんなら、俺は兄には産まれたくなかったよ、死神代行さん。

 

「………」

「《わしわし、なでなで》ひゃうっ!? ちょ、ヒッキー、くすぐったい!」

 

 そんな兄失格、家族失格野郎でも、一人だけ内側でもいいって思えるヤツに出会いました。出会っちゃったよ。既に出会っちゃっててとっくの昔に好きでしたまである。

 出会っちゃったなら仕方ないよな。心底信じて心底守ってみよう。まあいつかウザがられてまた独りに戻るんだろうね。なにせ俺だし。

 ただまあ、ほら、なんだ、アレだよ、ほら。

 ……大事すぎてやばいです。

 かつて俺は戸塚を天使と言ったな。そう認識して一週間。材木座も混ざっていろいろあったが、そんな一週間の間に感じていた心地良さよりもヤバイ。

 驚きだ。自分より大事にしたいなんて思う人が出来ることなんて、ほんとにあるんだな。優先順位が完全に変わっちゃったよ。特に俺の中では俺が最強だと思っていたのに。時々戸塚になったけど。

 

「しょ、ひゅっ……ごへんっ! あ、あー……結衣?」

「また噛んだ?」

「ツッコむなよそこを……。その、な。親父さんのことで面倒が起こるのは目に見えてるわけだが……」

「パパが嫌がったら親子の縁切る」

「さすがに泣くと思うが、同情の気持ちがちっとも沸かないのも我ながらすごいな……あ、いや、そうじゃなくてだな。ほら……お前は喜んでくれたみたいだけど、俺はこういうヤツだから……ま、まだ返事ももらってねぇし……あーその。あれだ。いろいろ───」

「…………ぶー」

「あの、結衣さん? なんでそこで頬膨らませるのん?」

「……ヒッキーのばか。あたし、プロポーズされて断った男の人に抱き付いたままでいられるほど、ひどい女の子じゃないよ……?」

「あーそうなー。返事もくれない女だけどな」

「ヒッキーキモい!」

「おい! もうキモい言わないんじゃなかったのかよ!」

「言っとくけどあたしの方がヒッキーのことずっとずぅっと好きだし! そうじゃなきゃヒッキーみたいな捻くれ者とずっと一緒に居たいとか思うわけないじゃん!」

「そこまで言うかよおい…………はぁ、アホか。俺なんかすっげぇガキの頃、お前に手ぇ握られてにっこりされて高台に連れられていった時点で誤解して惚れてたわ」

「うわっ……それ覚えてる……」

「人の初恋をうわっ……とか言って引くなよ……お前ほんとアレな……」

「アレってなんだし!」

 

 なんでか顔を真っ赤にしてわたわた慌てる結衣。それでも腕を離さないもんだから主張の強い柔らかさが……ら、らめぇ! それ以上は八幡の八幡が起立しちゃうぅう!!

 などとアホな脳内騒動を起こしていると、結衣が急にしゅんと俯いてしまった。



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ようするに、二人は同じ日から相思相愛だった

 訪れる沈黙。

 困った、だからどうしたって言えない。これはちょっと気まずい側の空気だ。

 ……まあ、ぼっちを極めんとした俺にしてみれば、堪えられない空気ではないが……相手はそうじゃねーだろ。ほれ、なにか言うんだ。……なにそれ俺からなの? レベル高くね?

 真面目な話だからって離れてくれたのはありがたいが、この種の沈黙は……なんかちょっと苦手だ。なんだこれ。

 

「………」

「…………な、なんだよ」

「だって……あのあと、あたしが段差で足滑らせて、頭から落っこちそうになって……」

「……そっちのことも覚えてたのかよ。忘れたほうが気も楽だろうに」

「お、覚えてるよ! そりゃ、だって…………だって……あれが、あたしの初恋だし……」

「う、お………そ、そか……」

「うん……」

「………《ぽりぽり》」

「…………《かぁあ……》」

 

 ガキの頃。そこで遊んじゃいけませんって注意されていた高い段差の傍で、結衣が足を滑らせて、頭から真っ逆さまに落下したことがある。当然、そんなことが実際起これば最悪死ぬわな。

 で、当時まだ純粋に自分を省みず弱きを助けるヒーローに憧れていた俺は……ああもちろんそれは嘘だが、それっぽい理由なんて並べなくても助ける理由はそこにあったんだ。手を握られてにっこり笑顔。あ? 理由? それだけだよ。惚れた女は守るもんだ。たとえ始まりが誤解だろーとな。

 結局俺は大怪我。意地でも守った結衣の体重をプラスして地面に落下した俺は、頭を打ったりはしなかったけど足を骨折。思えばなにこの骨折率。こいつ救うと足折る呪いでもあるの? 当時は俺もやんちゃなガキだったが、膝に矢を、どころか骨折してしまってな……。で、完成したのがぼっちだ。

 危ない場所で遊ぶんじゃないとアレほど言ったでしょォォォォとお決まりの大人の説教を前に、俺が無理矢理連れていったってことで問題解消。骨折した子供に強く説教なんざ出来ないだろうと理解した上での解決方法だった。あ、もちろん母親様からは容赦ナシのゲンコツが降ってきました。普段から大して顔合わせもないんだから、ああいう時くらい心配してくれたっていいじゃないの。やさぐれるなってほうが無理だろ。

 

「あれから、だよね。ヒッキーがあたしに近づくなって言ったの」

「小町にもな」

「……入院してた時に、パパからなにか言われたの?」

「べつに。教師に吐いた嘘がそのまま親父さんに伝わっただけだろ。お前みたいな危険なヤツと結衣は遊ばせんってか? 実際丁度良かったんだよ。クラスの連中の目も俺を敵としてしか見てなかったし。お前が近づけば俺への嫉妬もあったが、逆に俺だけが悪いって状況が完成していれば、お前は“こんなヤツと幼馴染で可哀想なヤツ”って同情されるだろうからな」

「……うん。なんかおかしなくらいみんながやさしい頃があって……」

「よかったじゃねーか。ま、中学もそんな理由だ。小学が同じやつは中学も大体同じだからな。……ママさんには落下事故の骨折の時点で全部バレてて、散々っぱら頭撫でられたが」

「なにそれ! 初耳だし! ずるい! ママずるい!」

「そんだけ信頼度が違ったってだけだろ……母親に嫉妬すんなよ……ってこらっ、だだだから抱きつくなっ……!」

 

 話の途中で腕に抱きつかれて狼狽える、少し前まではエリートぼっちを気取っていた男……俺である。恥ずかしながら、誰かの胸の中で泣いたのもママさんが初めてだったりします、俺である。

 黒歴史だあんなの……初恋の相手の母親の胸で泣くって、想像してみてくださいよ。なんかもうヘンな汁を吐き散らかして死にたいくらい恥ずかしいだろ。

 でも……ガキの強がりを見抜いてくれた上で、やさしく包んでくれた。正直、ママさんには頭が上がらない。なにかしら頼まれれば無条件で頷けるほどに信頼している。

 まあ、それも───

 

「《なでなでなで》だ、だからなに!? なんで急に頭撫でるの!?」

 

 強引に線を乗り越えてきたこいつほどじゃないんだから、なんか複雑。

 ああくそ、頭の撫で心地がいいなちくしょう。気安く頭を触られて嫌じゃないのん? こうすりゃ離れると思ったのに全然じゃないですか。

 ならば遠慮無く撫でよう。…………髪、サラッサラだなおい……どうなってんのこれ。

 

「うー……こ、こんなんじゃ騙されないんだからね……?」

 

 言う割りに顔が緩みまくっていた。しかも腕に頬をすりすり擦りつけながら上目遣いで言ってくる。なにこれ可愛い。そして説得力がまるでねぇ。説得力スカウターとかあったらたったの5でゴミ扱いだよ。

 

「で、話を戻すが」

「ほえ? なんの話だっけ」

「親父さんの相手が苦労するって話だ。苦労しようが俺はそうなりたいって……あー、その、思ってるっつーか」

 

 自分で話を戻しておいて滅茶苦茶恥ずかしい。

 だが確認しないことには進めないわけで。

 

「その……嫌ならよ、押し退けたりしてくれな。人の反応には敏感なつもりだが、舞い上がってる時まで反応を探っていられる自信がない」

「……な、なにそれ。あたし、相手がヒッキーなら……その、べべべつに、……なんでも……」

 

 え? いいの? またキモいとか言われて距離とられてそれを丁度別の女子に目撃されて陰口叩かれまくるまで想像してたのに。あだ名とかつけられて。ファインディングキモイとか。……やべぇ泣ける。人のキモさを見つけ出すあだ名として最強すぎる。

 しかし確認が取れたのならと体を動かそうとした時、フヒッと妙な声が喉から漏れた。……うおおう、我ながら今のはキモい。

 ほれ見ろ、結衣だって引いて…………なかった。なんだかおかしそうに笑ってる。

 …………あー、なんだろ。まずいな、ほんと。まずくてやばい。やめろよ、そんな顔すんな。いっそ引いてくれたらまだ自分を制御できるっつーのに。

 くそっ、負けることに関しちゃ最強とか自負してたけど、惚れたら負けってのを味わうなんて思わなかった。“好きだー!”とか心の中で何回も叫んでるよ。恥ずかしいから叫ばないけど。

 そんな満たされた心のまま、ぎこちなく結衣の体を抱き締めた。すぽりと腕に納まるその小ささに、心臓が高鳴る。

 うわ、なにこれちっちゃ。女の子っつーより人間って意識の方が高かったから、背丈以外は別に変わらないだろとか思ってた俺が滅びていく。

 肩幅の差ってほんとにあんのな……。あと、背丈以外はとか言ったけど背丈の差もすごい。

 普段からこんなに人と密着する機会なんてなかったから気づけなかった。

 そっか……こいつ、こんなにちっちゃかったのか。

 こんな小さな体で、俺のわがままに散々付き合わせて……不安もあったし怖い思いもしただろうに───……あ、だめだわこれ。胸がきゅんきゅんしよる。なにこれ恋? ……恋だった。もはや愛と断言できるまである。

 

「……ひとつ、お前に謝ってなかったことがあったよな」

「んぅ……? なに?」

「中学の時。男紹介しただろ」

「あ…………あれ、もうやめてね……? 目の前が真っ暗になって、泣いちゃうくらい悲しかったんだからね……?」

「……すまん。俺が幼馴染だって知って、それだけでしつこく何度も紹介しろってうるさかったんだ。紹介すりゃ満足だって言うからそれだけでよかったと思ったんだけどな」

「久しぶりにヒッキーから声かけられて、放課後に屋上にって……行ってみたら知らない男の子が居て、ヒッキーに紹介されたって…………ぅ……っ……」

「え、えー……? 思い出して泣くくらい嫌だったの……?」

「あ、あの中学で、放課後の屋上に女の子呼び出すのって“告白の合図”っていうくらい有名だったんだよ!? あ、あたし、すっごくどきどきして、子供の頃からの夢が叶うって、すごく幸せだったのに……!」

「ごめんなさい。いやもうなんかもうほんとごめんなさい」

 

 好きな女の夢ぶちこわして笑ってられるほど外道じゃございません。

 むしろそんな期待を込めた瞬間に自分以外を向かわせたことへの罪悪感がひどい。

 

「いやほんと……ひどいついでに訊くけど。お前どうして俺なんか好きでいられたの? お前にとっての俺ってキモいしひでぇしキモいしキモいんだろ?」

「キモい言いすぎだから!」

「全部お前から受けた正当な評価だろ」

「あたしの方が最低だった!? ……う、うぅうう~~……そういうヒッキーは、どうしてあたしのこと好きでいてくれたの……? 勘違いだったんじゃないの……?」

「ばっかお前、勘違いぼっちは告白してフラれるまで勘違いしてるもんなんだよ。相手が彼氏とか作らなけりゃ、そりゃもうひょっとして俺のことが好きだからじゃね? とかアホなこと考えて生きてんだ。そんで“やさしいだけの女子”に声をかけられて勘違いして、それがただの“ぼっちな男子に声かけるあたしやさしい♪”なクズビッチであることを理解して、少しずつぼっちとして成長していくんだよ」

「うわあ……なんかあまり嬉しくない理由だー……、……あれ? でもヒッキー、あたしに告白なんてしてないよね? なんで?」

「したとして、親父さんに潰されるだけだろ。ぼっちは負けるのは得意だが、べつに理由もなく負けたいわけじゃねぇんだよ」

「ふーん……よく解んない」

「おー、いーんだよそれで」

 

 わざわざ理由なんて言えるかよ。惚れたままの方が行動しやすいとか、アホでしょそれ。ま、そこらへんのことは“自分で無関心のつもりでやってたら惚れたままでした☆”なんて手痛い黒歴史級のオチが待っていたわけだが」

 

「ふええっ!? ヒッキー!?」

「あ? ……なんだよ」

「な、なにって……その、あの……ほ、惚れたままのほうが、なにをしやすかったの……?」

「……へ? あ……なに? お前エスパー? コトゥーラさんなの? やだ怖い、覗くのは真鍋くんのエロスだけにしてくれよ……」

「エスパーってゆーか、あの……口に出てたし……」

「………」

「…………《かぁああ……くしくし》」

 

 まじでか。口を半開きにしたまま硬直。

 目の前でお団子状態で結わっている髪をくしくしといじる結衣は、さっきよりも真っ赤である。真っ赤っていいよね。“ん”を足すだけでマッカンになる。ああでも今MAXコーヒー飲むと糖尿病になりそ。セルフで糖分いっぱい摂取できた気分だからもうこの空気なんとかしてラブコメの神様。

 

「そ、そっか……そっか……えへへ。ほんとに好きなままで居てくれたんだ……。も、もう……ヒッキーのばか……あたし、断らなかったよ……? そしたら、うんと子供の頃から恋人同士だったのに……」

「あーそーな。奇しくも同じ日に惚れた同士、告白もその日にしてたらモノスゲーベストカップルの誕生だったんだろうさ。ただしそれじゃあ“俺”は出来上がらなかった。……べつに後悔してねーんだよ。どんな“ああだったら”があろうが、俺は過去を後悔しない。全部あっての俺だからな《ドヤァアア……!!》」

「……あたしは、それでもしてほしかったな……。それでね? もっとヒッキーと一緒に居て、いろんなことを二人でやって、二人で笑うの。……ヒッキーはなんでも独りでって、いろんなこと出来ちゃうけどさ……」

「《ギュッ》……おう」

「《ギュッ》……うん。それでも……二人で頑張ることだって、出来たと思うんだ……。独りのほうが意見のぶつかり合いもなくて、思う通りに出来たとしても……あたしは、一緒になって、なにかをしたかったなー……って」

「………」

 

 ベストプレイスで二人、再びぎゅっと抱き締め合う。

 二人で、なんて考えたこともない。俺はリア充や大人が使う“みんな”が嫌いだ。誰だよみんなって。ぼっちの目には見えない不思議色の誰かか? 四色型色覚持ってなきゃ見えない誰かなのかよ。いっそ怖いよ。あと怖い。

 ぼっちは独りを好み、グループに混ぜようとするニヤケ顔の“良い人”を嫌う。みんなと一緒の方が楽しいよ? だから誰だよみんなって。お前の後ろで迷惑そうな顔でこっちを見てるやつらのこと? よく見ろよそいつらのこと。お前が振り向いた途端に笑顔じゃねーか。お前現実見えてる? もっと周りを見ろよ。なに? それで引き合わせたらお前は別の場所行くのかよ。最後まで付き合えないやさしさほど迷惑なものはないって、そんなことさえ知らない馬鹿がやさしさなんて持つな。そんなものはやさしさじゃない、ただの迷惑行為だ。“厚意”と“厚かましい意志”を吐き違えるな。

 

 ……なのになんで結衣に言われただけで納得しそうになってるんだよ俺。

 

 ねぇ知ってる? 天使ってやさしそうに見えるけど、恋のキューピッドよろしく、自分が気に入ったヤツ同士を互いの意志を無視してくっつける外道なんだよ? 豆しばも頷く外道知識だね。

 そしてヒッキー知ってるよ? “良い人”が僕と“みんな”を引き合わせて去ったあと、ドヤ顔して“俺ってやさしぃいい!”とか思ってるって。結論を言おう。やさしさってのは状況に応じた方向性を用いらなければ毒にしかならない。そんなことを知らない“良い人”はただの道化である。

 己の武器の限りを知らず、やさしければいいとだけ思っている者どもよ。……砕け散れ。

 そう思える俺だから言うのだ。

 

「一緒にね。理想的だな。だが理想は理想だ。“俺”はその頃は“俺”じゃなかったし、度重なる嫉妬に心を折っていただろーさ。ぼっちレベル1のガキに、人一人を守る力を持てってのは、ちと荷が重過ぎるだろ」

「あたしと小町ちゃん、二人も守ってたくせに?」

「一緒に居て堪えるのとぼっちで堪えるのとでは違うんだよ。孤独ってのは強さの一種だ。無くすものがない強さをなめんな。世界に名を轟かすヒーローがこぞってダメージを受ける瞬間を知ってるか? みんな守るものを庇ってやがるんだよ。つまりぼっちこそ最強。誰かを庇って勝機を逃す馬鹿を、俺は英雄だなんて呼ばねーよ」

「じゃあヒッキーは英雄だね。誰かを庇って負けることばっか選んでるし」

「あ? なに言ってんの? 英雄になれるのは主人公であって、日陰者のモブじゃねーよ。俺が物語の登場人物なら、部屋の隅で姑息なことばっか考えてて、敵襲に戸惑ってる内に爆発に巻き込まれて一番に死んでるね」

「そんな一番に死んじゃうんだ!? え、えー……でもヒッキーなら実は生きてましたーとか言って、裏でいろいろ動いてそう……」

「あー、実はスパイで敵の情報探ってましたーとか言って、なんか実は生きてましたって出てくるアレね……はいはいアレアレ。で、一番最初の壁になって戦いの最中に謎の溢れ出す勇気のパワーでパワーアップした英雄に一番に殺されるのね」

「なんかまた一番に死んだ!? ち、違うよ、ほら、……ていうかなんで全部戦うことになってんの!? もっと平和に行こうよ、ほらっ」

 

 むしろなんで物語方面で話を続けることになってるのか。

 やっぱりこいつ、昔から頭のネジずれててほっとけない。その所為か? その所為か。ほっとけないならしゃーない。

 つか、いつの間にか好きなままでいてくれた理由とか流れてない? 訊き直すの恥ずかしいからいーけど。

 

「俺が登場する時点で殺伐としたものになるって想像くらいつくだろ。なに? 青春ラブコメに俺みたいなの出せって? そんなもん、どうせ美少女が邂逅一番に俺をゾンビ扱いして終わるだろ。……最初からラブもないしコメディもないぞ? 物語として完結してるじゃねーか、どうすんだよおい」

「じゃ、じゃあヒロインを、ほらえと……あ、あたしにしてみるとか……」

「タイトルは“キモい男子とアホの女子”か。……誰が見るんだよそんな物語」

「ア、アホじゃないし! あたしだってこの高校ちゃんと合格出来たんだからね!? 馬鹿にしすぎだから!」

「それが一番解んねぇ……結衣のだけ問題間違えたんじゃねぇかって疑問に思うレベルだぞ」

「どーゆー意味だ!?」

「まんまだろ」

「? ごはん?」

「その“まんま”じゃねぇよ……何歳だよお前」

 

 などとアホな会話を続けていると、キンコンという音。

 話してる内に5限が終わった。

 

「……戻るか」

「なんか、いっぱい喋っちゃったね」

「それもしょーもない内容でな……」

「いいじゃん。今まではそれもさせてくれなかったんだし~ぃ」

「語尾を延ばすな、アホっぽく見える」

「比率だよーだ」

「………」

「?」

「あー……ああ、うん。皮肉のことか」

「? ……、……!?《ボッ!!》ヒッキーキモい! キ、キモい! あとキモい! キモッ……~~~うー! うー!!」

「だから照れ隠しと誤魔化しで人をキモいとか言うなよ……《でしんでしんっ》あと叩くな、痛い、地味に痛い」

 

 なにこれ、初めてやられたけど漫画とかの擬音間違ってるでしょ。女子からぽかぽか胸を叩かれるとかちょっと憧れてたけど、これもうポカポカじゃないよ。あっはっはっは、こいつぅとか言えないって。

 なのに可愛くて仕方ない。どうなってんの俺の目。腐りを通り越して壊れた?

 ……まあでも、その……なに? こんなアホの子、疑って見るほうがおかしいまである……よな。こんなアホなやりとりを小一時間も続けていたからだろうか、頭が随分と柔らかくなっていることを自覚しつつ、俺は結衣を連れて教室への道を歩いた。

 教室違うから、途中で別れるのは当然だけどな。

 

  ×  ×  ×

 

 それからの日々は、随分と賑やかだった。

 あの日、教室に戻ってステルスで居ようとすれば、とっくに広まっていた噂のことを訊かれ、話したこともねーのに馴れ馴れしいなこの野郎と思いつつ適当に返事。

 もちろん結衣のことに関しては嘘は一切ない。

 

「お前あいつとどういう関係なんだよ……恋人か!?」

「恋人じゃねーな(婚約者だし。まぁまだ書類だしてねーけど)」

「んじゃフったのかよ。由比ヶ浜さん大告白したって聞いたぞてめぇ」

「初めての会話でてめぇとかなんなのお前。会話する気ないなら話しかけてくんなよ」

「あぁ!? いいから答えろよ! どうせ一緒に居るのだって幼馴染だーとかだろこら!」

「あーそうなー、幼馴染だなー。実際そうだし」

「へっ、だろうよ。じゃなきゃお前みたいなヤツと由比ヶ浜さんが一緒に居るわけねぇし」

「解決してよかったな。んじゃもう戻れよ」

「うるせぇ。あ、おい、俺に由比ヶ浜さん紹介し」

「礼儀を知ってから出直せ」

「あぁ!? 目立たねぇ日陰野郎が誰に向かって口を───」

「あー、せんせー、進学校で不良にからまれたんですけど助けてくださーいぃ」

「ホアァッ!? ……ゲッ! 国語の平塚っ……!」

「ほおう? 貴様に苗字を呼び捨てにされるほど、私たちは親しかったかな?」

「あぁ、ちなみにさっきの会話録音しといたから。ねえどんな気分? 今どんな気分?」

「て、てんめっ……! 消せ! 今すぐ消せよ! 消せってんだよ!」

「《バゴォッ!》ぶっ! ……はぁ、お疲れさん。教師の前で暴力とか、最高な、お前」

「えっ……あ───」

「ちなみに録音も嘘だ。だから言ったろ、会話する気ないなら話しかけんなって」

「て、てめ……!《がしっ》ひぃっ!?」

「そこまでだ。生徒指導室まで来てもらうぞ」

「ま、待てよ! 全部そいつが仕組んだことでっ……そうだろみんな!」

「みんなって誰だよ。上から目線で馬鹿にしてきて、都合悪けりゃ怒鳴る。教室中も嫌な空気だ。お前、こんなことしたかったのか?」

「く、くそっ……くそ! なんでてめぇみたいな日陰ぼっち野郎に、俺がっ……! 離せよ! こいつぶん殴って……!」

「比企谷。こいつの話ではどうにもお前が悪いようだが?」

「あー、走り書きですけどこのノートに会話を簡単に書いてありますんで、誰かに確認とってください。あ、この場じゃないほうがいいですよ。そこの暴れん坊が、今みたいにそいつの所為で俺は~って暴れるんで」

「……いいだろう、これは預かってお───お、おいっ!」

「な、なにが確認だ! こんなもの! こんなものっ!!《ビリビリビリ!》」

「ちなみにそれ、別のノートな。はい先生、こっちが本物です。あと人の所有物勝手に破いた責任くらいとってくれな。で、お前名前なんだっけ」

「~~~~~っ!!」

 

 先生が最初のノートを受け取ろうとした瞬間、男はノートを手にびりびりに破いたわけだが……まあ、嫌がらせの大半をやられりゃ、ダミーくらいは用意する。お陰で国語用ノートがおじゃんなわけだが……だ、誰か貸してくれないかしら。無理だな。俺ぼっちだし。

 そんな心配を余所に話を進めていると、そういえば相手の名前すら知らないことを思い出した。しょうがないよね、休んでたんだもの。なので正直に名前を訊いてみたら、思いっきり殴られた。

 いや、純粋に訊ねただけだったんだが……会話の流れを読もうとしなかった、これは失敗だ。

 

 男は進学校だったら頭でっかちのもやししかいねーだろうと、頑張って入ってきた目立ちたがりの馬鹿だったらしい。いや、進学校ってそういう意味じゃないからね? ただ有名大学に進む人が多いってだけで、スポーツとか普通にするヤツも居るし、頭がいい奴は運動出来ないとか喧嘩は無理とかそんなことねーから。

 そんなわけで、男は平塚先生に連行されたあと、すっかり勢いを無くし、どんどんと肩身を狭くして、やがて目立たなくなっていった。

 同時に俺と結衣のこともただの幼馴染ってことで解決しそうになったんだが───放課後になるや結衣が教室に突撃を仕掛けてきて、恋する、というかもう愛する主人を見つけた犬のように抱き付いてすりすりしてきた時点で、教室内での俺の立ち位置はいろいろと決まってしまった。

 

 もちろん最初は事情があるっぽく振る舞い、目立つ自分からは逃げようとした。ああしたさ。だって俺だもの。

 しかしその度に抱きつかれ、甘えられ、それこそ甘い声で出た「ひっきぃい……♪」なんてものを耳にし、振り向いてみれば、腐った目をした男に抱き付いて幸せそうなとろける笑顔の女の子。そんなものを見れば、誰でも状況を察するってもんだ。

 俺の言い訳は開始から5秒と保たずに死んだ。

 爆発しろとか砕け散れとか、初めて言われた。リア充どもが言われるべき言葉を、まさかの俺が言われる日がきた…………来て、しまったのだ。

 噂は瞬く間に真実として知れ渡り、最初は「どうやってオトしたんだよあの由比ヶ浜さんを!」と殺到していた質問が、「ゾンビでも出来る最強ナンパ術ってなんだ!? 教えてくれ!」なんて曲解まで生まれた時は、さすがに開いた口が塞がらなかった。

 誰情報で何処情報だよそれ。発生源教えろ。そしたらそいつを堂々と噂の仕返しで封殺するから。今の俺なら“仏の顔を三度まで”を実行出来るほど、穏やかさを捨てられる。そいつに対して、あくまで噂で。

 ブロントさんの言葉は不思議だね、奇妙な勇気をぼっちにくれる。

 

 噂が真実となって幾日。

 一人の女が我がクラスまでやってきて、「ヒッキーっての、どれ?」なんて失礼な物言いで俺を探した。

 訊ねられた男子が「ああ、そこの」なんて言って俺を指差すものだから、俺はその時“底野さん”と化した。やだ、カースト底辺を欲しいままにしちゃいそうな名前。いるかもしれない底野さんに早くあやまっテ! 謝りなさいよッッ!! ……なんで女って叫び始めると命令口調が強くなんだろな。

 「ふーん……? あんたが。……はんっ」……で、そいつは俺を見るだけ見たら出ていった。

 その直後に「お前なにやったんだよ! 相模さんとまで知り合いなのか!?」なんて言ってきた佐藤くんのお陰で、ヤツの名前が解ったわけだが……なに? なんなのきみ。ぼっちに平然と話しかけるとかやめて? こんなこともなきゃ話しかけもしないくせに、正直迷惑だわ。そのくせ用紙回収の時は俺無視して立ち上がるじゃない。

 

 ……その放課後、何故か頬を膨らませた結衣と遭遇。今では当然のことになった“一緒に帰宅”を普通にして帰路を歩むのだが……フグの真似なんですかね。やだやめて、ほっぺた突きたくなっちゃう。

 

「なに、どしたのお前。ついに俺と居ることに不快感を───」

「それはないったら! なんで今か今かって感じで毎日訊いてくるし!」

「最近のお前がつまらなそ~~~にしてるからだろが。つまらない=一緒に居る俺の所為ってのは当然の方程式だ。式がそのまま答えになっているなんて親切だろ。ぼっちは結論を迷ったりはしないからな。なにせ独りだから他人に答えを求めない。他人に混ざっても気づけば集団の輪から孤立して、輪の空気を乱さないやさしさまで搭載だ。俺ってやっさしー、ぼっちの鑑だろ」

「………」

「《きゅむ》……ゴメンナサイ」

 

 だから泣きそうな顔で袖引っ張って上目遣いはやめて。じ、自虐ネタってそんなにつまらない? 頭の中ではドッカンドッカンウケてるんだけどな。おかしいな。

 だってリア充どもにとって、相手の不幸なんて笑いのタネなんだろ? イジメるやつは決まって笑ってる。苦労しているヤツが報われれば舌打ちをして、足引っ掛けては笑ってるじゃねーか。

 なのに自虐ネタで笑わないっておかしくね? ああ、なるほど。ようするに目の前で起こらなきゃ楽しくもないわけか。そりゃそうだ、苦悶の表情が見たいのに、ウケを狙って話されて嬉しいわけがない。いやー、清々しいほどのクズっぷりだわー」

 

「《がばっ! ぎゅううっ!!》うひゃうっ!? え? お? オアア!?」

「~~~~~っ……あっ……あたしがっ……今度はあたしがヒッキーを守るからっ!」

「え? なに? いきなりなんのこと?」

 

 いきなり背中に腕を回され抱きつかれ、しかも思いっきり抱き締められた。

 口からこぼれる言葉の全てが困惑として広がって、試しにぱしぱしとタップをしてみても降参は認められない。……突然のプロレスルールではないらしい。そりゃそうだ。俺も相当混乱している。

 

「…………また、声に出てた」

「……まじか」

「あたし、ヒッキーにそんな風に思われるくらいなら、りあじゅーとかいうのじゃなくてもいいよ……。あたし、そんな人の不幸で笑うような人になりたくない……。そ、それにね、もう決めたしっ! ヒッキーはね、あたしが幸せにするって!」

「……今さらイジメに屈するようなやわいメンタル持ってねぇよ。もし今のお前との関係の所為でイジメが始まるようなら、お前は俺に───」

「関わるなって言ったら怒るよ?」

「いや……けどな、お前」

「結・衣!」

「……結衣サン」

「さんはいらないから!」

「なんなのお前、人のことははーくんからヒッキーに変えたくせに、自分だけこだわるの? なに? 俺がユッイーとか呼んだら満足なの? ……自分で言っててなんだけど滅茶苦茶呼びづらいなこのあだ名」

「…………《ぽぽぽぽぽ……》」

「いやお前も……こんなんで頬染めるなよ目ぇ潤ませるなよ。ユッイーでときめけるなんてこっちが驚きだよ。ケースとして希少すぎだから。あれなの? ガハマさん希少種なの?」

「だ、だってヒッキーがあだ名で呼んでくれて……。なぁんか……近くなったのかなぁ~って思ったら……えへへぇ」

「~~~……《がしがしがし》」

 

 もうなんなのこの娘。いちいち可愛いったらない。

 今までと仕草なんて同じなはずなのに、なんでいちいち可愛いって感じるんだよ俺。

 これがほんとの好きって気持ちなのん? 恋って怖いのんなぁ。思わず頭をがしがしと掻いてしまう。将来ハゲそう。ハゲねーけど。

 

「で、どうすんの? 離れるの? ユッイーが巻き込まれるくらいなら俺は進んで距離を取るまである」

「ユッイー言うなし! 結衣でいいってば! ……うわっ、ほんと呼びづらい……」

「え~……? さっきまで喜んでたくせに呼ばれるのは嫌なの……?」

「いーじゃん。ほら、とにかくこんな話は無し! ……あたしがヒッキーの傍を離れるなんて、絶対にないんだから。婚姻届だって金庫とか買っちゃって、ママに預かっててもらうし。ほ、ほらっ、これで離婚もできないし」

「……うおー、そーかー……。ちなみになぁガハマさん。婚姻届は出さなきゃ夫婦として認められないし、夫婦にならなきゃ離婚なんて出来ないんですよ?」

「うえっ……!? あ、そ、そんなの知ってるし! 出したままにするから! ね!?」

「いや、金庫から出さなきゃって意味じゃねーよ。それだけだったら偽造されて、イケメンが重婚罪で捕まるだろが」

「………………《ぷしゅー》あ、そ、それならっ……」

「いーからまずは落ち着こうな。それ以上恥の上塗りするんじゃありません。ヒッキー、婚約者として恥ずかしいから」

「…………《こくこく》」

 

 真っ赤なままに首肯した。OKこれでいい。

 それでだ。

 

「んで? 結局なんで頬を膨らませてたんだよ。俺関連でいろいろ言われたのは間違いないんだろ?」

「なんでそうなんの……? ……そうだけど」

 

 あ、そうなんだ。誰? 誰なの結衣にこんな顔させたのは。噂流してじわじわ追い詰めてあげるから仰いなさい! ……広めるための友達がいねぇけどな。いいよそこはなんとかするから。

 

「え、っと……さがみんが」

「さがみん!? ……なにそいつ、引っこ抜かれるとあなただけについていく腰ギンチャク的ななにかなの?」

 

 引っこ抜か~れて~、あなただけに~ついて~ゆく~って。あ、それピクミンだわ。

 

「違くて……えっと。相模南っていう、同じクラスの子なんだけど」

「ほーん? で、そいつが結衣の大告白を目敏く耳にしてて、───相模?」

 

 そういえば佐藤くんがあの時の女のことを相模とかなんとか。

 ああなるほど、いろいろやりそうな見下した目だったな。なるほど。

 

「よし、それは解った。さがみんってやつの顔も思い出せた」

「知り合いだったの!? え? うそ、ヒッキーに女の子の知り合い……!?」

「本気で驚くとこそこなのかよ……じゃなくて、今日のことな。相模ってやつがうちの教室まで“ヒッキー”を探しにきて、俺を見て鼻で笑って去っていったって、それだけのことだ」

「…………」

「……結衣?」

「……ヒッキー。あたし、やっぱりひどい子だ。さがみんのこと友達だと思ってたのに、もう許せないんだ……」

「悪ふざけでもないのに、友達相手に見下した態度に出るやつのどこが友達だ。よーするにあれだ。友達だって思ってたのはお前だけだってパターンだろ。世の中にゃ呆れるほどあることのひとつだ」

「ヒッキーも、そんなことされたこと、あるの?」

「友達がまず居ねぇよ。どころか、友達になりましょうなんて手紙をもらってノコノコと校舎裏いったら、囲まれて笑い者にされたこともある。逃げ出すことも出来ず、延々と飽きるまで笑われるのな。ほれ、日陰者以外の感性なんざこんなもんだろ。他人の青春の失敗は全部笑いのタネだ。いつだったか泣きながら思ったね。17歳になったらそれをネタに替え歌作って“青春17www(ワロス)”とか全力で歌ってやるとか」

 

 ボサボサ頭~、コミュ障で~、上手に話も出来なくて~♪

 人生の中身の妄想と~、意味不な自信だけあって~♪(アグリアグリ~)

 やがて気になる人に出会って、勇気を出して告ったら~♪

 キモがられ引かれたその後に~♪ 言い触らされてて泣いた~♪

 笑い話にされたまま、ミジメの日々は続いて、濁ってしまった目とともに、信じることをやめましょう。

 ……そんな感じのな。ひでぇ縮図だ。

 こんなもんを実際実行するやつらが居るんだから、そいつらにとっての俺らの青春なんて、それこそコメディだ。俺達は笑えない。あいつらは笑う。そんな歌が、頭の中で完成した。

 

「んで、どうすんの。さがみんに下克上? 言っておくが、やめてって言ったところでそいつは付け上がるだけだぞ? ……つか、俺はそいつが、お前に対してなにをしたのかも知らないんだが。俺を見下した目で見て鼻で笑ったりはしたが、それだけだしな」

「……目の前で、“あんなのが大好きなんだ、せっかく可愛いのに趣味は酷いんだね”って……笑われた」

 

 まあ、目が腐ってますもの。パッと見の印象は、そりゃあひどいもんだろうよ。

 じゃなきゃゾンビ谷くんとかひでぇあだ名つかねぇよ。生きてる人間に対して、あれはねーだろ。

 

「そーかい。んじゃあ精々そいつに嫌われるか」

「え……どうするの? あ、言っとくけどヒッキーが泥かぶるみたいなの、絶対やんないかんね?」

「なんで俺があんなやつのために泥かぶんだよ……やだよ面倒くせぇ。俺はただあいつに嫌われるだけだ。ようするにあいつは俺の外見だけ見て鼻で笑ったわけだろ? だったら精々中身で勝負して、笑い返してやればいい」

「あ、そっか。中身……───外見…………」

「? 結衣?《きゅむっ》あ、おいっ」

 

 急に手を握るとかやめて!? ヒッキー勘違いしちゃう!

 

「ヒッキー! 服見に行コ!」

「あぁ? なんで。やだよ。俺このあと家でゴロゴロする予定があってだな。そのあとバイトが」

「ヒッキーは外見だっていいしっ! 目が腐ってるだけだって教えてあげればいいんだよっ! あたしナイスアイデア!」

「いやおまっ……! 目が腐ってるだけって……! ……なんかもうこのまんまでよくない? そして家に帰して? ベッドで泣くから」

「だめ!」

「……わ~ったよ……」

 

 バイトに間に合う時間までを条件に、制服のままに行動は開始された。

 ……まあ、金は持ってるからいいんだけどな。




 *プロトネタ
 青春17wwwの替え歌アイデアは初期の頃からありました。
 17歳の俺達へ、の主題みたいになる前は完全なる自虐ネタ。
 暗いままにしなくてよかったーと今では思っております。

 追記:書く場所間違えて、編集中の次の話の後書きにこれ書いちゃいました(^^;
 修正修正。


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そういった事情で、比企谷八幡は由比ヶ浜結衣を大事にする

 そんなこんなで服を買いに遠出。

 制服のままって大丈夫なのん? とかちょっぴりそわそわしつつ、結衣に引っ張られるままに歩いてゆく。

 制服のまま買い物なんて俺したことねーよ。あるとしても食材買いにスーパーに寄るくらいだ。い、いいのか? こんな大きな場所に制服とかできて、いいのか? 解らん。そんなことに誘ってくれるやつも居ないし。

 ああ、無駄にそわそわして落ち着かない。

 

「ぷふっ、ヒッキー、拾われて怯えてる子犬みたい……!」

「うるせ……いいからさっさと終わらせない? 俺このあとアレがアレだし」

「うん、じゃあ───」

「って、ちょっと待て。俺別に相模に服を見せる予定なんてないぞ? べつにいーだろ服は」

「だめ」

「いやだめって。べつに無理して出費する必要なんてないだろ」

「だって……あたしが見たいし」

「そうか。じゃあこれからどうする? 帰るか? それとも帰る?」

「帰る気満々だ!? あたしが見たいって言ってるのに!」

「いいだろもうそこらのユニクロ先生のやつで。相模を黙らせたいなら、もっと服以外のものを、だろ」

「うー……じゃあ、えっと……髪飾り、とか? あ、眼鏡屋さんがある! あそこ行こ!」

「……女ってなんで買い物になるとあんな元気なの……? オラにちょっとでもそれ分けてくんない……?」

 

 そしたら元気になりすぎて燥いでキモがられて泣きながら帰ってゴロゴロするから。やだ、すごく自然に帰れるよこの作戦。でも泣くのかよ。

 溜め息ひとつ、結衣に引っ張られて眼鏡コーナーへ。

 

「えへへぇ……《スチャッ》……どう!? 頭よさそうに見える!?」

「あー、なんかもうその言動の時点で馬鹿っぽい。眼鏡かけりゃあ知的に見えるとか、全国の目が悪い子に失礼だろ」

 

 暁美ほむらちゃんとかマジ可哀想。おさげで眼鏡っ娘だからって真面目そうって決め付けられて、入院してたんだから勉強する時間くらいあっただろとか言われたりして。じゃあなに? お前らなら勉強したの? ……あ、俺してたわ。

 

「結論を言おう。馬鹿にしか見えん。むしろ馬鹿。すっごく馬鹿」

「なんかすっごいまっすぐに馬鹿って言われた!? うう……そんなヘンかなぁ……」

「……《がりがり……》いや……まあ、なんつーの? 似合ってないこともないっつーか……ほら、アレだよアレ………………こっち」

「え? こっち? ……《スチャッ》……あ、の……どう、かな……」

「…………~~……!!」

「《わしゃしゃしゃしゃ!》わぷぷぷぷっ!? えっ!? やだっ! ちょ、ヒッキー!?」

 

 戸惑いがちに、両手で眼鏡をかけた姿に思わず見惚れた。

 で、照れ隠しに頭をわしゃわしゃ。ああ、なんという子供……このぼっちのエリートを目指した俺が、こんなことで自分を見失うとは……いや似合いすぎでしょ、可愛いすぎでしょ、なんなのこの反則度。眼鏡、恐るべし」

 

「お、恐るべしじゃないし! うぅ~……せっかく綺麗に纏めたのに、髪ぐしゃぐしゃ……」

「へ? ………」

 

 俺、この考えが口に出るの、なんとかしないといつかなにか大変なことをやらかしそう……。

 

「で、でも……自分を見失うほど、見蕩れてくれたってことで……えへへ、いいのかな」

「う、ぐ…………あ、いや、それより俺の眼鏡探しに来たんだろっ? さっさと探して帰るぞっ」

「……えへへへへ」

「なんなのお前……答えはぐらかされたのになんでそんな嬉しそうなの? はぐらかしておいてなんだけど」

「だって、ヒッキーって言い当てられた時ほど必死に話を逸らそうとするから。ね、似合ってた? 似合ってた?」

「ぐっ……うぜぇ……」

「うざっ!? うざくないし! もう! ヒッキーのばか!」

 

 「……もう、なんで素直に“似合ってる”が言えないかな……!」とぶつぶつ言いながら、結衣は試着用の眼鏡を見ては呟き、見てはほへーと珍しがっていた。

 そして超軽量の謳い文句で飾られた眼鏡を見つけると、手にとって……首を傾げた。「超軽量…………超……?」……どうやら超軽量の文字に納得がいかないらしい。

 

「もうとにかく適当でいーだろ。外見がそれっぽく見えりゃーいいんだろ?」

「おかしいよね。ヒッキー、そのままでも全然かっこいいのに。きっとさがみんの見る目がないんだよね」

「ばっ!? な、なにっ………………お、おう……その、あ……あんがとよ」

「え……あ、うん………………うん」

 

 見る人が見ればただのバカップルだなと、客観的に見た自分たちを評価する。

 顔を赤くしつつも眼鏡を手にとってはかけてみて、その度に結衣に見せるんだが……その表情は苦笑が滲んでばかりだ。やっぱりこんなもん似合うわけねぇって。眼鏡をかけて似合うのはイケメンリア充だけだろ。

 

「なぁ結衣ー、イケメンってどういう意味だか知ってるかー?」

「え? 顔がイケてる人のことでしょ?」

「違う。イケてるメンズって意味だ。別に顔がイケてなくても性格がよけりゃ良しとか、そういった意味でもあるんだよ」

「へー! そうなんだー! んー……ヒッキーは?」

「言っておくが俺は目を除けば基本ハイスペックだぞ。顔立ちも悪くないし、友達が居ないから遊びに誘えばバイトの時間以外は常にフリー。日頃から体を鍛えているからまあまあ頼りになるし、日々特殊な歩法でスタミナ増加も続けている。勉強だって出来るほうだ。実力テスト学年3位は伊達じゃない」

 

 ……ま、目立たないようにって吉良吉影やってっから、3位は本当の実力じゃねーけど。

 病院のベッドで平塚先生が持ってきたテスト用紙で受けた実力テスト……あれは正直辛かった。カンニングしないためにと付きっ切りだったからね。もう生きた心地しなかったね。

 それでも3位だ。やれば出来る子。つまりハイスペック。

 

「えっと……? つまりヒッキーは、なんかよく解んない自信で満ち溢れてるってこと……かな」

「おい、べつに解んなくはねーだろ。ようするに俺はお得物件ってことだ。奥さんになる人とか超お得。さっさとあの家出たいからそのためなら死ぬ気で働くし、本来だったら親や兄弟、友達や恋人に向ける筈だった愛情友情親愛兄弟愛、その全てを愛する人へ向けられる。親しい人なんざ居ないから浮気の心配もなければ、基本心を許した相手にしか関心向けねーから嫁さん超愛されまくりな。どうよ、最高だろ」

「うーん……でも仕事とか面倒くさくなって途中でやめたりとか───」

「あほ。俺は責任からは負わされる前に逃げるが、負ってからは確実に解決か解消を目指すわ。んでもって、愛する妻を幸せにするって決めたなら、幸せにするまで諦めたりしねーよ。俺はな、あんな親たちに養われるのはもう嫌なんだよ。だからどっかの誰かが望むみてぇな専業主夫とか冗談じゃねーし、知っての通り線引きして内側に入れたヤツ以外は心底信用しない。今んとこ内側に居るのはお前だけだし、望むなら俺が過去から暖めてた全ての感情、くれてやるっての」

「え? 全ての感情って?」

「あ? だから……その、ほら、アレだよ。ないがしろにされなけりゃ親に向けていたかった感情とか、ゴミなんて呼ばれなけりゃ愛せたんじゃねーかっていうシスコンにも近い兄妹への感情とか、なってくれたなら一緒にとことん青春したかった友情の行方とか、隣を歩いてくれるならそれだけでも幸せだっただろう恋人への思いとか、全部。……俺はぼっちとしてエリートになる寸前だったんだ。こんな半端な感情、時間と一緒に捨てちまえば、さっさとエリートぼっちになれたのに」

「それを捨てちゃえば……ヒッキーはぼっちエリートになってたの?」

「あとはお前に告白してフラれてりゃな」

「あはは、じゃあ絶対無理だね。あたし、絶対に断らなかったよ? むしろ泣いちゃうくらい嬉しいまであるし」

「……ほんと、なんで俺なんかを好きでいられたんだか」

「きっとね、ヒッキーが好きでいてくれたからだよ。そりゃ、中学の時は本当に悲しかったけど……ぷふっ! ヒッキー今の眼鏡、似合わなすぎっ!」

「お前容赦ねーな……俺も鏡で見てこりゃねーわって思ったけどよ」

 

 これなら鼻眼鏡のほうがよっぽど似合ってるだろ。

 そう思いつつ置いたのは、漫画とかの教育ママがつけているような三角眼鏡だ。なんでこんなもん置いてあるんだよ。話しながらだからつい取っちゃったじゃねーか。なんなの? 大地が俺にザーマスおばさんになれって囁いてるの? センスなさすぎでしょガイアさん。

 

「んじゃこれとかどーよ。……まん丸眼鏡なんてあんのな、つけといてなんだが、驚きだ」

「ヒッキー、のび太くんみたいだね」

「綾取りは別にいいとして、3秒就寝スキルは本気で欲しいな。……まあ、悪かったよ、ほんと。中学のことは忘れてくれとは言わないから、俺に出来ることなら適当に言ってくれ。出来るだけ叶える」

「えと……べつにもういいんだけどな……。ん……あ、じゃあね、えへへ」

「なんだよ微笑むなよ可愛いだろ」

「うぅ……なんかヒッキー、どんどん口が緩くなってきてない……? ちょっとおかしくなってない……?」

「べつに望まねーなら今すぐやめる。あとはしっかり封印すればいつもの俺だ。そこからはなんにも変わらん」

「望む? ……あ、さっきの感情の」

「ま、あんま難しく考える必要はねぇんじゃねーの? 俺みたいなぼっちのなにかに対する感情なんて、そう大きいもんじゃねぇだろ。いらないって思ったら拒絶すりゃ済むことだ」

「拒絶なんてしないし! …………えと、じゃあ……よろしくお願いします《ぺこり》」

 

 なんでそこで綺麗なお辞儀? や、でも…………そか。いいのか。

 …………そっか。

 

「…………《ぽりぽり》」

「……? ヒッキー?」

 

 なんだろな。何気なく言っただけのつもりだったのに───……自分の愛情が認められた気がして、心底心が跳ね上がった。

 こんな感情、もう沸き上がらないと思ってたのに。

 

 ……いつか。休む暇なく頑張ってる母に、頑張ってって言いたかった。

 ……いつか。まだ給料日におもちゃを買ってくれていた父に、もっと笑顔を向けたかった。

 ……いつか。自分の後ろをついてくる可愛い妹を、もっと甘やかしてやりたかった。

 ……いつか。友達になりたくて伸ばした手が、温かさに包まれることを望んだ。

 ……いつか。物語の中にある大親友って存在に憧れて、拒絶されては涙した。

 ……いつか。隣を歩いてくれる人に憧れても、自分と関われば不幸になることを理解して、人から離れた。

 ……いつか。意味もなく急に涙が溢れて、止め方が解らなくて泣き続けたところをママさんに見つかった。

 ……いつか。頑張れば報われるなんて言葉を鼻で笑いながら、それでも俺は、きっと───

 

 愛して、いいのだろうか。

 愛しても、許されるのだろうか。

 踏み込めば拒絶されて、そこに居るだけで隠されて笑われて貶されて、離れれば指差されて笑われて、無心でいれば忘れられて。

 母さんごめんなさい。あなたのお金で買った教材が破かれました。

 父さんごめんなさい。あなたが買ってくれた靴が焼却炉で燃やされました。

 小町、ごめん。不甲斐ない兄の所為で馬鹿にされていた時、俺はなにも出来なかった。

 ママさんごめんなさい。俺はあなたの娘を、守るどころか傷つけてばかりです。

 親父さんごめんなさい。俺はあなたの娘に何度も辛い思いをさせてきました。

 そして…………そして。

 

「………」

 

 何気なく取った、黒縁眼鏡をつけてみる。

 なんとも地味な印象を抱いたけど、つけてみると妙にしっくりときた。

 そんな印象を……地味って印象を自分に抱いたまま、気持ちで動く自然のままに、頬を緩ませ笑ってみた。そして、そのままで言った。

 

「……信じて……いいか? 俺はこの通り、自覚出来るくらいに捻くれてるけど……。…………お前を、結衣を……信じていいか……?」

 

 たぶん、格好もつかないし綺麗でもない、ひどい顔の苦笑めいた笑みだったと思う。

 言ってしまえば情けない顔、と言われても仕方のないものだろう。

 それなのに……いや、それでも。結衣はふるりと体を震わせて、顔を真っ赤に、目を潤ませると……やがて、ふわりと緊張を解くように微笑んで……「……はーくん……」と言った。

 次の瞬間にはトッと床を蹴って、小さな体が俺の胸に飛び込んできた。

 戸惑いながらも体は自然と彼女の背へと手を伸ばし、受け止めていた。

 

「お、おい、危ないだろ。眼鏡落ちたら買わなきゃ───」

「───うん。信じて欲しいな……。遠慮も躊躇もいらないから……あたし、ヒッキーが信じていられるあたしで居るから。ずぅっと居るから。だから……───」

「……───あ……」

「あたしが、ヒッキーの“ひとりぼっち”をもらっちゃうね? だから……えへへぇ、もう絶対、独りじゃないよ?」

「───…………」

 

 “ばっかお前、独りってのは俺のアイデンティティでありステータスだ”

 “あげられるようなもんじゃねーよ、ぼっちなめんな”

 “え? なにそれ、もらったらお前がぼっちになんの? 俺がママさんに殺されるじゃねーか、やだ怖い”

 いろいろな言葉が頭の中に浮かぶのに、どれも声には出ない。

 いつの間にか体は震えていて、声を発しようとする口はカチカチと歯をぶつけて音を鳴らし。

 なにに恐怖をしているのかも解らないけど……腕の中のぬくもりが、まっすぐに笑顔をくれたから───

 

  ああ……

 

 俺は……

 

  そっか、俺は───

 

 俺は……ただ……

 

 

 

 遠い遠い、ずうっと過去。

 伸ばせば届くと信じた手を、振り払われた日があった。

 教えられた“本当”が嘘だと知って、それでもその嘘が眩しいものだったから伸ばし続けた。

 信じた“本当”があった筈だった。

 眩しいそれこそが、いつだって本当であってほしいと願っていた。

 それでも嘘は嘘でしかなくて、そいつは涙した。

 伸ばし続け、求め続けた所為で、いつしか嘘はそいつがついたことになっていた。

 馬鹿にされて嘘つき呼ばわりされて、教科書を破かれて靴を焼かれて。

 それでも信じたい眩しさがあって…………そんな眩しさをずうっと眺めていたら、目は濁ってしまっていた。

 気づけば信じたかったものなんて見えなくなって、眩しさもどこにもなくて。

 間違えても信じて、辛くても頑張って、痛くて苦しくて、それでも望んで手を伸ばして。

 無様でも泣いても傷ついても、それでも手にしたかったそれを、なんと呼べばよかったのか。

 

  ああ……

 

 腐った目からこぼれた涙を、“みんな”は汚いと罵った。

 俯き歩く姿を見つけては蹴り、比企谷菌が伝染ったと笑った。

 “みんな”は比企谷菌から逃げて、比企谷菌にバリアは効きませんと笑った。

 

  ……なんで比企谷菌だったんだろう。八幡菌なら、きっと自分が泣くだけで済んだのに。

 

 苦しいな。ああ……苦しいな、辛いな。誰かに言ったら助けてくれるかな。

 

  ……痛かったら痛いと言っていいと、誰かが言ってくれた。

 

 その人のことを信じたかったから、囲まれ、笑われていた時に言った。

 

  ……助けなんてなかった。あったのはさらなる笑いと逃げ道のない現状だけ。

 

 なら、こんなのはきっと痛みなんかじゃなかったんだ。

 信じたいからそう思い込んだ。こんなものは痛さじゃない。痛さじゃないから堪えられる。

 誰にも頼るな。痛くないなら堪えられる。堪えられるから……涙なんて、こぼれるなよ。

 

  辛いなぁ……

 

 日々の仕打ちを日常と受け入れてしまえば我慢できることを、そいつは覚えた。

 弱きを助ける正義のヒーローに憧れた日なんて遠い彼方。

 正義で人は救えない。正義はちっぽけな弱者なんて救わない。

 幼心にそんな事実を理解して、そんな時、そいつは幼馴染と妹が、自分と幼馴染な所為で、自分の妹な所為で、嫌な思いをしていることを知った。

 正義で人は救えない。だったらどうすればいいのか、そいつは考えて……そして、悪を選んだ。

 悪は独りでいい。痛みなんて感じないんだから、痛くないヤツだけが痛い思いをしていれば……自分以外の“正義”は笑ってくれるのだと信じた。

 

  ……苦しいなぁ……

 

 悪は孤高でカッコイイ。

 意志を曲げないし、正義と違ってうじうじ悩まず悪を貫く。

 結局いつも負けるけれど、そんな悪の真っ直ぐさは嫌いじゃなかった。

 悪のほうがよっぽど真っ直ぐだったから、それでもいいって思えた。思ったまま……ひとりぼっちで画面を見つめ、やられる悪に、泣いていた。

 

  誰か……

 

 悪はどれだけ頑張っても正義に負けた。

 悪は悪だから悪いって理由だけで、やられ続けた。

 そうしなきゃいけない理由も、きちんとあったのに。

 それでも悪が居なきゃ正義は勝てず、悪がやられなきゃ正義は笑わない。

 平和って……なんなのかな。

 平和なんて、あるのかな。

 そいつはそう口にして、腐った目のままなにも感じない悪の時間を過ごした。

 

  ……たすけ───

 

 親はなにも言わなかった。気づきもしないんだ、当たり前だ。

 それでも家に居れば平和で、それこそなにも言われなかったから平気だと思っていた。

 ある時……日々のイジメ、嫌なことの重なり、体調の悪さ、全てが最悪な時に、それは起こった。

 それでもいつものように妹と自分の弁当を作って、貼り付けた仮面のような自分のままに妹を送り出そうとした時。

 

“……結衣お姉ちゃんから聞いた。お兄ちゃん、学校でも結衣お姉ちゃんと口も聞いてないんだってね。なんで?”

 

 返す言葉は決まっていた。「お前には関係ない」だ。

 突き放していればそれでいいと思った。悪なんだからそうであるべきだと。

 それでも、そこには守りたいものがあった筈で……いつかは報われるものだと、それでも信じていたものがあった筈なのに───

 

“なにそれ。関係あるから言ってるんだよ? なにしたいのか知らないけど勝手に突き放して関係ないとかって、あんまりだよ”

 

 そんなことは解ってる。解ってるから、もうやめてくれ。独りでいいんだ。独りだから我慢出来るんだ。他人からの言葉なんて、どれだけ重ねたってもう痛くない。我慢出来るから。

 

 だから……。

 

“こんなんじゃお兄ちゃんもそこらのゴミみたいなイジメっこと同じだよ……! ねぇ……!”

 

 だから……! 身内の言葉で、俺を否定なんかしないでくれ……! それをされたら、もう───

 

“なんとか言ってよ! このごみいちゃん!”

 

  ───…………じゃあ、もういいや。

 

 心が折れた。なんだこれ、もうほんとうに、何を求めていたのか解らない。

 守りたかったものってなんだ? 俺は何に手を伸ばしていたんだっけ。解らない。

 解らないならもう……。

 思い出せないならもう……。

 こんなに苦しいだけなら………………もう、独りぼっちで構わない。

 独りになるのなんて簡単だ。全部切り捨てていけばいい。

 

  もう、助けなんていらない。最後に涙をこぼして、それで終わりだ。

 

 頭の中に幼馴染の姿が浮かんだ。悲しそうな顔で、じぃっと俺を見ていた。

 勝手に勘違いして勝手に惚れて、それでも告白をしていない幼馴染。

 きっともう、二度とそんな機会が訪れることなんてないんだろうって思いながら……ただ静かに、孤独の先を目指した。

 

  それなのに。

 

 それでも。

 いつもなにかを探して、何かを求めていた。

 見えないなにかをずうっと探し、触れられないそれを足掻いてもがいて探し続けて。

 名前さえ知らないそれがなんなのか。

 求めたそれはなんだったのか。

 ガキだった自分がどれほど歩いて今の自分に到っても、結局解らなかったものが、今。

 

  ああ、そっか。俺は───という言葉とともに、目の前に浮かんだ。

 

 俺は───

 

「俺は……」

 

 信じたかった“本当”の先……ただ、そうであってほしいと願ったそれ。

 嘘じゃないと信じたかった。本当であったなら、一緒の誰かとそれを探し、きっと笑い合えていた。

 求めたものを分かち合い、きっと……笑顔のままで居られたのだろう。

 それでも、もうそれを“みんな”で欲しいとは思えない。思わないではなく、思えない。もう、それが当然であるという位置にまで来てしまった。

 だから俺は、せめて……隣を歩く人の“本物”を叶えてあげたい。

 こんな俺との“本物”を、欲しいと言ってくれた人が居る。

 だから……もう、悪はやめだ。今までありがとう。変わらない自分を目指すのは、やめにするよ。

 悪が自分であったなら、悪以外は救えると信じていた。痛いのは慣れているから、自分以外が救われればいいと。

 けど、それだって大多数のために悪になったことなど一度もない。

 俺は結局、最終的には一度も自分を疑わなかった彼女のために───……

 

 

  ×  ×  ×

 

 

 ……さて。決意を新たに眼鏡屋を出た……のはいいんだが。

 なに? なんなの? さっきからやたらと視線を感じる。そんなに似合わなかったのかこの眼鏡。

 ……それにしては、腕に抱き付いてるガハマさんが超上機嫌。超ハッピーにかけて、蝶・パッピーとか言いそう。言わないか。言わないな。

 初恋こじらせた初々しい恋に恋して夢にまで見ているまである思春期女子高生みたいなうっとり顔をしてらっしゃるよ……なにこれ天使? ……いや俺も大概だ。受け入れてもらってから、信じてほしいなって言われた時から、もういろいろやばい。

 なんかもう、あれなんだ。なんかあれ。アレだよ。なんか。その。アレなんだ。

 仕草のひとつひとつに惚れちゃって、やばい。よくあるだろ、知らない一面を見るたび好きになるって。あんなのウッソでぇとか言ってた自分を殴りたいとか思った矢先に死んで行く。しっかりしろ“ウッソでぇ”! お前は俺が殺すんだ! 勝手に死ぬなんて許さんぞ! しかし無情にも死んでゆく。

 いやもうほんとやばい。惚れすぎてやばい。あと気づけば頭撫でたり頬撫でたり、甘やかしまくったりしてる。認識の基本が天使でさえある。可愛い。あと可愛い。目に入れても痛くない。妹じゃなかったら結婚して幸せな家庭を築くまでもある。……妹じゃなかった! ……あれ? 俺ほんと、シスコンの才能とかあったんじゃない? 愛が溢れだして仕方ないんだが。いや、小町へのじゃなくて結衣への。

 

「と、ところで結衣? この眼鏡なんだが……ほんと良かったのか? 眼鏡って安くねーだろ」

「えっへへぇ、いいのいいの! 普通の眼鏡に比べたらそこまでじゃないし、これだけは絶対にあたしが買ってあげたかったんだ~!」

「しょほっ……そ、そうなのかっ……」

「うん。って、あれ? なんで今噛んだの?」

「いやべべべつに照れてねへよっ!? しょっ……そういうお前はさっきから顔が真っ赤なままだが? ───ハッ!? もしかして風邪か!? きゅきゅきゅ救急車ァァァァ! 救急車を呼べェェェェ!!」

「ふふぇえっへ!? 違う違うよっ!? 熱なんてないからっ! これはただ嬉しかっただけだからっ!」

「ほ、本当か? 平気なのか?」

「あははっ、もうヒッキー、いきなり必死すぎだし」

「いやだってお前…………お前…………───」

 

 顔が熱いでござる。

 意識してしまってはもう遅いってくらい、困ったことに大事すぎる。

 なにこの娘、天使すぎでしょ。なんだ天使すぎって。可愛すぎ? ああ可愛い。それはまあ当然なんだが、なにより驚きなのが俺の中にこんな感情があったって事実で。

 大丈夫か俺。これってもし自分を思い続けてくれてた人が小町だったら、超シスコンになってたんじゃないの? やだキモい。いくらなんでも妹相手にこれはないだろ。あっははー…………いや、どうなんだ? 世界のジェームズ・シスコティさん達の気持ちとしては、こんなちょっと考える程度のシスコン度では測れないのかもしれない。

 材木座も言ってただろう、千葉の兄妹はそういうものだ的に。

 その代表として高坂兄妹が挙げられる。お互いシスコンブラコンでありながら過去の出来事が原因で喧嘩状態になり、しかし互いにシスコンブラコンを貫き、ついにはおっとり腹パン幼馴染の正論を乗り越え、シスコンブラコンの先の愛へと───! ……あ、これダメな例だ。シスコンブラコン越えちゃったらもうシスコンティ関係ないよ。

 ならば千葉は関係ないが、長谷川兄妹を挙げてみよう。

 登場人物からしてやたらとそわそわするものがあるこの友達が少ないお話だが、可愛い妹が居て、黒髪ロングのS女が居て、頭が残念で胸の大きな美人が居て、女の子みたいな男の子みたいな女の子が居て、BL好きな腐ってらっしゃる女が居て───あれ、なんだろう。想像する自分の未来が怖くなった。考えるのをやめよう。

 

「…………《そわそわ》」

「? ヒッキー?」

 

 落ち着かない。あぁ愛でたい、愛したい。究極的には結婚したい。行き過ぎだ落ち着け。

 あぁでも戸塚って天使に会った時でも結婚したいとか思ってたよな俺。だめだ落ち着けない。結婚しようとか口に出さないだけよく我慢してるよ俺。

 なんなの? 本当に全ての感情、結衣に向かっちゃってるの? あ、憎しみとかそういうのはてんでない。むしろ天使の前では全自動で浄化されるまである。

 まあそれは当然だからいいんだが……あれ? 俺って今まで結衣とどうやって接してきたっけ? 呼び方は結衣でいいんだよな。それとも天使? 大天使? ……ユイエルか! ウリエル的な! それともガハマエル? ……そしたらママさんもそうなるな。いやいやこんなこと真面目に考えるな。傍に婚約者が居るんだ、常にそちらに意識を置け。

 よく言うだろ、デート中とかに他の女性とかのことを考えるのはNGだって。

 ……まさか俺がこんなことを考える日が来るとは。

 

「あ~……その。アレだ。うれしいって、なにがだ?」

「あ……うん。だってほら、ヒッキー、久しぶりに本音ぶつけてくれた気がしたから」

「……信じていいかって、あれか?」

「うん。さっきのあの時ね、ヒッキーの目……あの頃のはーくんみたいだった。真っ直ぐできらきらしてて」

「……ああ、だから」

 

 だからあの時、はーくんって言ったのか。

 正直、あの頃の自分には……信じても裏切られ続けたっていうトラウマがある。

 しかしだ。それも、信じる相手が結衣だけなら……きっと、今度こそ自分は、信じたかった“本当”の先───“本物”を見つけられるのだろうから。

 トラウマにも、悪にも、もう“さようなら”って手を振れる。それらがあったからこその俺だ、それは否定しない。

 でも、なにかを克服するにはそれを受け入れ、時には見えない位置に立つことも必要だから。もう、それらを盾に自分を確立するのはやめにする。

 全部揃って俺。それでいい。まちがっていない。だから今は、頑張って歩いてきた悪とトラウマに休んでいてもらおう。

 いつかそれが必要になった時は……また、よろしく。

 そうして受け入れて、笑った。

 

「あ……」

「あん?」

 

 そんな瞬間を丁度結衣に見られて、なんかいきなり顔をガッと掴まれた。

 

「な、なんだ? やっぱ眼鏡、似合わんかったか? だったら今すぐ返却して───」

「そ、そうじゃなくて! ……その眼鏡をつけた時もだったけど、ヒッキー……目が腐ってない」

「なに言ってんのお前。眼鏡くらいで人がそんな変わるわけねーだろ。変わるとしたら結衣くらいだな。ああ、あの眼鏡は実に結衣に合ってた。むしろ俺がプレゼントしたかったくらいだ」

「だ、だからいいよあんな高いのっ! それよりもほらっ! ヒッキー!」

 

 結衣がケータイを開いて見せてくる。待機状態だとミラーになるそれで見た俺の目は、実にいつも通りだ。

 

「おう。いつも通りの俺だな」

「えっ!? あれっ!? ちょっとヒッキーこっち見て!」

「な、なんだよ」

「……ヒッキーうそばっか! ちゃんと腐ってないし!」

 

 そう言ってもう一度ケータイミラーを見せてくる。もうなんなのこの娘。見せながら頬を膨らませないで? 可愛いから。

 そうしてもう一度覗く目は、やはりいつも通り。

 そんな俺の目を結衣も覗くわけだが、「あれぇ!?」なんて驚いている。

 

「なんで!? ヒッキー目が腐ってる!」

「……お前俺のことそんなに泣かせたいの? 今なら泣くぞ? お前相手なら本気で泣くぞ?」

「うわわごめんってば! だってヒッキーの目が! ……あれぇえ……!?」

 

 ケータイミラーを出してまでのひどい悪戯に軽く胸を抉られつつ、「おっかしーなー」とか言ってる結衣の姿をちらちら見る。

 おお可愛い。今日も俺の結衣、可愛い。…………そして自分の思考に驚きつつ引きつつ頭を抱えつつ、なんかもう完全に自分の中で天使になってしまった結衣の隣を、弾む胸のままに歩くのだった。

 

「しょっ……それでなんだけどな、結衣」

「あ、うん。なに?」

「俺、やっぱ離れたほうがよくないか? なんかさっきからいろんなやつにじろじろ見られてるだろ……俺はもう慣れてるから気にしねーけど、結衣にそういう思いをさせるのは俺の本意じゃない」

「……あれって、べつにそういう方向の視線じゃないと思うんだけどなぁ」

「? 結衣?」

「えへへぇ、なんでもないよ。ほら、お腹空いたからどっか寄ってこっ?」

「だから俺このあとバイトだっての」

「……ダメ?」

「よしバイト休むわ《キリッ》」

「うえぇっふぇっ!? ややや休むまでしなくていいよっ! ちょっと一緒にお茶出来ればいいのっ!」

「そ、そうか?」

 

 っべー……優先順位が確実におかしくなっていることを自覚したわー……。

 っべーわ、これべーわ、マジっべーわ~……。




 俺ガイルSS初心者にありがちで、あとになって見てみて恥ずかしいこと~。

 ……結衣の語尾のほぼが“し”で終わる。
 編集中、“し”が多用されている場面を見るたびに「あー恥ずかし! 恥ずかしいぃいい!!」と悶絶しております。
 うん、実はSSでよく知られてるほど“し”は使ってないんですよね。
 でも直しません。これはこれでいいんだと思います。


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こうして、あざとい中学生は目が腐った高校生と出会う

 

 で。

 

「あ、それでだけど、何処がいいかな。このあたりだと───」

「サイゼだな。サイゼだろ。サイゼって言ったじゃん。はい、サイゼってことで」

「サイゼ? いいけど、女の子とのデートにサイゼとか、あんまり行かないほうがいいよ? なんていうかこう、あれ? ポイント低いみたいな」

「なんでだよ。サイゼ最高だろ。高校生の聖地だろ。わざわざ背伸びして洒落た店に行くより、堅苦しくないあの空気、最高じゃないの」

「そうかもしんないけど……」

「……あー、その。……背伸びすんのはもうちょい後な。見栄張って浪費する男にはなりたくねーんだよ」

「あ…………ひっきぃ……!」

 

 ぎゅむと腕に抱きつかれた。さっきより近い。強い。あったかい。あといい匂い。柔らかい。

 そんなわけで赤い顔でそっぽ向きつつ、サイゼへ入った。で、案内するために応対してくれたバイトっぽい娘が、俺を見て硬直。え? なに? なんでそんなあわあわしてんの? ……ああ、目が腐ってるからですね、解ります。だからそんな、赤い顔でちらちら見ながら案内すんのやめてください。

 で、案内されるままに座って、メニューも見ずに注文。

 

「早っ! メニュー見ないで決まってるんだ!?」

「おう。サイゼならメニュー全部覚えてるな。注文も大体安定してる。ただすまん、失敗した。ぼっち生活が長かった所為で、案内されてすぐに注文するのが癖になってた」

「あ、いいよいいよっ、あたしも大体決まってるし! えーとえーと……ヒッキーと同じので!」

「決まってねぇじゃねぇかよ……あ、すんません、さっき言ったの二つずつ───って、お前これが晩飯でいいの? 俺バイトだから構わんのだが」

「うん、もうママには連絡入れてあるから」

「そか。んじゃ、それでお願いします」

 

 注文をすればひと心地。……よくやった俺、噛まなかった。まあやっぱりする注文は大体安定してるし、慣れは大事だな。サイゼリアンでよかったー。

 やっぱサイゼだよ。サイゼだろ。ミラドリ……ミラノ風ドリアは欠かせないだろ? あとは学生のオトモ、ドリンクバー。

 辛味チキンもいいし───いやべつにピザとか頼まねーし? あんな他の誰かが大勢で頼んでシェアしてウェイウェイ言ってるようなものなんか興味ねーし? ミラドリ最強だし? って、とりあえずドリンク取りに行こう。

 

「ドリンク取ってくる。結衣はなにがいい?」

「あ、一緒にいくよ。……今のヒッキー、近くに居ないと不安だし」

「あ? なにがだよ。……おい、俺もしかしてドリンクも取りにいけない初めてのおつかい状態に見られてる? 言っとくけどお前アレだぞ、俺ほどのぼっちサイゼリアンにもなれば、一緒に来た相手に気を使うくらい熟練の技だっての。……頭ん中で」

「熟練の技が想像以上に寂しすぎだ!? そ、そういうんじゃないから、ほら、行コ? ヒッキー」

「お、おう……」

 

 立ち上がり、背を押してくる結衣と一緒にドリンクバーへ。

 ……つか、ほんと今日はやけに視線を感じる。ぼっちな俺としては正直嫌な気分だ。

 なんなの? そんなにこの眼鏡が似合わないってか? 結衣が買ってくれたものにイチャモンつけるとはいい度胸だ。来いよサイゼリアン。チキンなんて捨ててかかってこい! ヤロォオオブクラッシャァアアアアアア!!

 なんて考えてたらドリンクバーの前。女子高生がきゃぴきゃぴ言いながらドリンクをミックスして笑っている。

 あー、楽しそうでいいねー。俺もよくやってるよー。独りで。こっちとこっちを合わせるとどんな味になるんだろうねー、キャッハァソレアルー、やってみよー、とかな。……やべぇ死にたい。

 モシャアと発せられたぼっちオーラを感じたのか、女子高生二人が振り向く。最初は急かすんじゃねーよみたいな視線だったのに、一瞬でボッと真っ赤に。そして「あすすすすみませっ……」と言ってそそくさと逃げてゆく。

 

「…………《ドヤアアアア……!!》」

 

 そうだろう、思わず逃げたくなるほど結衣は可愛いからな。天使だからな。

 いやべつに俺の顔見てキモいから逃げたわけじゃないよね? 顔を赤くして涙滲ませるほどキモかったとか、そんなんじゃないよね?

 ……で、隣の結衣さんはなんでドヤ顔なんですかね。なんか“どう? これで解った?”みたいな顔してるし。胸張ってまで俺がキモいって証明したかったの? 泣くよ? あと胸張るのやめてください目のやりどころに困ってしまいます。

 とりあえず何故か無性にメロンソーダが欲しくなったのでメロンソーダを注ぎつつ、軽く飲んで脳内で“このわざとらしいメロン味!”を再現した。……なんかちょっぴり満たされた。いや、べつにドヤ顔で張られた胸がメロンだったからとかそんなんじゃないよ? ほんとだよ?

 ともあれ、席に戻れば案外どうでもいいような雑談に花を咲かせる。運ばれてきたドリアを口にしつつやはりサイゼだなと再確認。美味くて安い。高校生の求める理に叶ったもの。即ちリーズナブル。言うことないでしょ。

 

「………」

 

 しかしこの視線はなんとかならんものか。

 結衣が可愛いのは解るよ? おう、見つめるだけでは止まらず、思わず愛でたくなるまである。

 だが、どうにもこの視線は俺の方にも来ているようだ。

 ヒッキー知ってるよ? “みんな”がヒッキーのことを嫌いだってこと。

 だからこれは、お前じゃ結衣に釣り合わないと視線で訴えているのだ。うるせ、解ってるよ、んなことは。仕方ないでしょ本気で好きなんだから。あ? それでも不釣合い? 黙れ小僧! 貴様に結衣が幸せに出来るか! 俺はする。出来る出来ないじゃない、してみせるんだ。義務だとかそんなんじゃなく、自分の中にある芯でもって、必ず幸せにしてみせ───」

 

「…………なんだよ。そんな真っ赤になって」

「も、もう! ヒッキー! ヒッキー!!」

「な、なんだよっ……って、まさか」

 

 ああ……またですか。また口に出てましたか。どこらへんから? 黙れ小僧は勘弁してください。

 とか思ってたら拍手の嵐。次いで、「おめでとさーん!」とか「熱いねこのー!」とか野次が飛んでくる。

 「いいなぁあ……! 私もあんなイケメンにあんなこと真っ直ぐ言われたーい!」とか聞こえてきたが、あれだな、今のはリア充流のギャグだろう。俺達日陰者の青春がウケどころなヤツらのことだ、彼らに取り憑いている笑いの神様は相当捻くれているに違いない。きっとなんでもかんでも「ウケる」とか言うのだ。

 

「な、なななんでそんなことこんなとこで言うの!? そんなこと言ってくれるなら、見栄でもお洒落な場所がよかったのにぃいっ! もうちょっと女の子の気持ちとか考えてよぅっ!」

「ちょ、ちょっと待て。言うつもりは、というか言ってるつもりはなかったからノーカンだろこれ……」

「そんなの知んない! ヒッキーのばか! キモい! まじキモい!」

「解ったすまんもう言わない……《ずぅうううん……》」

「うわわ普通に傷ついた!? ヒッキーごめん! ごめんったら!」

 

 そんな愛の告白劇場は、聖地サイゼリアにて大喝采の内に終わった。

 やだ、なにこれ、もう恥ずかしくてここ来れない。

 結衣も同じだったようで、顔を真っ赤にして食事を終え、店を出るまで終始無言だった。

 

「あー……その。悪かった、な。さっき」

「あ、ううん……言ってくれた言葉自体は、本当に……嬉しかったから」

「う……すまん。今度はちっとでも洒落た店のこと、勉強しとく……。悪いな、ほんと……ぼっちじゃなけりゃ、伝手で知れた店くらいあったかもしれねーのに…………。はは……なんだプロのぼっちって。結局なんにも出来ねーじゃねぇか」

「ヒッキー……、───っ!」

「《ぐいっ!》おわっ!? ゆ───」

「ち、違うっ! そうじゃないよっ!」

「へ……? 結衣……?」

 

 急に腕を引っ張られ、困惑した俺の目の前に結衣の顔。

 ずれた眼鏡を直すのも忘れて、ぼうっとその顔を見つめた。

 

「あのね、ヒッキーだけが頑張ったってダメなんだよ……? あたしも頑張って、ヒッキーも頑張って……それで、二人で頑張ったことで励まし合うの。もう独りじゃないんだよ……? 頼ってよ、頼らせてよ……なんにも出来ないなんてことない……あたしがヒッキーを幸せにするから、ヒッキーはあたしを幸せにして。それは絶対に、ヒッキーにしか……ううん、ヒッキーじゃないと……嫌なんだ」

「…………結衣……」

「独りじゃやだよ……一緒がいい。二人がいいな…………ね? ヒッキー」

「………」

「……《ふわり》あ……ヒッキー」

 

 自然と、やさしく抱き締めていた。

 なんだろう、この……胸の奥から静かに湧き出してくる気持ち。

 さっきまでとは違う、焦りもないし慌てもしない、けれど強く確かな気持ち。

 いとおしい。大切で大切でたまらない。

 そんな人のために、自分に出来ることが少ないことが、たまらなく悔しい。

 成長したいと思う。変わりたいと思った。

 だから───…………だから、ええっと。

 

「……とりあえず、このサイゼにはしばらく来れないな」

「う……うん、だね……あはは」

 

 温かい気持ちのままに、軽い冗談を言って笑う。

 気持ちは固まった。慌しかった少年独自の愛だの恋だのも鳴りを潜めた。代わりに、酷く落ち着いた、けれど深く温かい感情が体を包んでいる。

 顔を見合わせれば、きっとキスをしてしまう。なんだか結衣もそれを望んでいるようにも感じたけれど───サイゼ前ではいくらなんでも結衣が可哀想だ。

 

「……今度、高校生でも手が伸ばせる、お洒落な店でも探しとくわ……」

「……あたし、べつにその……ここでも、嫌って……言わないよ?」

「《ぽりぽり……》見栄張りたい時くらい、張らせてくれ」

「……えへへ、うんっ、待ってるっ」

 

 それからは手を繋ぎ、腕を組んで帰った。

 手を繋ぐか腕を組むか、どっちか一つにできないのかと言ってしまう。そのくせ振り払おうともしないで、恋人繋ぎで絡まった指は、むしろ俺が決して離そうとしない。結衣は仕方ないなぁって感じで笑っていて、俺はそっぽを向いて。……しゃーないでしょ、恥ずかしいんだから。

 ……なんだろな。尻に敷かれる未来しか見えないな。やっぱこれ、惚れた弱みだろ。

 

  ×  ×  ×

 

 本屋でのバイトを始め、整理したり運んだり在庫確認したりレジ打ったり。

 昔から少々計算は苦手だったが、それも随分と克服出来た。やはりぼっちは素晴らしい。努力すれば、協力しなきゃ出来ないこと以外は大体出来る。

 けどそれだけじゃあ結衣は幸せに出来ないから、もっと学ぶべきはあるのだ。

 ま、今はそれより仕事仕事。任される前の責任からは全力で逃げる俺だが、金を貰っている以上は全力で責務を全うする。

 

「………」

 

 しかし、なんだ。さっきから女の客が多い気がするのは気の所為か? 気の所為だな。きっとそういう雑誌が出たってだけだろ。

 

(ラノベか。しかも青い背表紙。ほう、君はガガガを嗜むのか。なかなかいい趣味をしている)

 

 レジを打ち、カバーをかけるかを訊いて、お決まりの台詞で対応して終了。

 

(しっかしファッションね……伊達眼鏡もアクセサリだってんだから、世の中よく解らん。目が悪い人のために作られた筈なのに、そうでもない人が度の入っていないものをつける……なんか、あんまいい気分じゃねぇよな)

 

 まあ結衣にもらったものだからつけとくけど。

 ああ、早く結衣に会いたい。ああいやいや仕事はきちんとする。これは曲げない。責任は果たすべきだからな。負う前なら全力で逃げるが。

 

「らっしゃっせー」

「ぷふっ……!」

 

 コンビニみたいな対応をしたら、本をレジに持ってきた女が笑った。

 女性雑誌だな。なんつーか、お洒落系の。

 

「あのー、ちょっと探してる本があるんですけどー」

「お……はあ、なんでしょう」

「えっとー、○○って本なんですけどー」

「ああ、あれだったらそこの女性雑誌コーナーの───」

「えー? 解んないですよぉ。案内してくれませんかー?」

「………」

 

 うぜぇ。なにこの馴れ馴れしい生き物。

 普通、人って店員とかには遠慮がちに話しかけるもんじゃないか? あれ? 俺だけ? やべぇな、ぼっちってば人にやさしすぎだってばよ。やさしすぎて団体行動だと空気になって迷惑かけないまである。

 まあどちらにせよアレだなアレ。レジ係りが動くわけにもいかんし。

 

(あっちで暇そうにしてる長澤くんにでも───《ちらり》)

「───!《ギラッ!》あのー、今すぐ見たいのであなたに案内してもらっていいですかー?」

「あ? やだょ───ごほごほんっ、……あー……見ての通りレジの仕事中ですんで」

「えー? いいじゃないですかーちょっとだけですからー」

「やです あー、おーい長澤く───」

「なんでですかぁー! ちょっとくらいいじゃないですかぁー!」

「いやなんでって……なんなのお客様。べつに本見たいだけなら長澤くんでいいでしょ。なに、長澤くん嫌いなの? 彼ああ見えて長澤くんだよ? 頑張り屋さんって噂だよ? 苗字しか知んねーけど」

「聞いた言葉思い出してもほんと苗字しか知らないじゃないですか……もうとにかくあなたでお願いしますよー」

「やだよ。人を選ぶお客様なんて本屋に相応しくねーだろ。もう客じゃねぇよそれ。せめてそのあざとさ無くしてから声かけろ」

「あざっ……な、なに言ってんですかー、これが素ですよー」

「……生憎だな。他のやつは騙せても俺ゃ騙されん。つか、男をからかいたいならもっと空気読めるようになってから出直せ。どーすんの、この店の空気。完全にみんな固まってるじゃねーの」

「え、え───あー……えと」

「はい、つーわけで540円になりまーす。あざっしたー、またっしくださっせー」

「…………《ぽかーん……》」

 

 なんなんだろうな、今日は。視線をずっと感じるし、やけに突っかかられるし。

 帰りに店の外の自販機ででもなんか買ってくか。マッカンあればいいのに、ないんだよなーここ。

 そのくせ、いろはすだけは無駄に充実してるし。いろはす、いろはすねぇ……。もっと甘いのが飲みたいな……。いろはす-MAXコーヒー味-とかないのかね。ないか。そりゃないわ。透明色でマッカンの味とか出せたらもう尊敬しちゃう。

 

「はぁ……いろはす~……」

「!!《びくっ!》ふえっ……!?」

「あ?」

 

 いろはすに込めた思いを溜め息とともに出したら、さっきの女がびくりと肩を震わせ、顔を赤くしながら俺を見た。

 え? なに? やっぱり目ぇ腐っててキモい? や、そりゃいろはすに思いを込めたくせに、溜め息交じりだったから“いろはす~”じゃなくて“いろは《スー》~”って感じに、“す”が息が抜けるみたいに聞こえたかもしれんが……いや、これ俺の脳内事情しらなきゃ別にヘンに思うことでもねーだろ。

 なに? じゃあなんなのこの娘。

 

「ななななんですかなんでいきなり人の名前呼んでんですかむしろなんで知ってるんですかストーカーですかいくら顔がよくたってそれは無理です出直してきてくださいごめんなさい」

「いや……いきなりなに? なんでいろはす言っただけでストーカー扱いされて振られてんの俺」

「え、だ、だっていきなり人の名前っ……いろはって言ったじゃないですか!」

「あ? いろはすだろ、俺が言ったの。ほれ、外の自販機にある」

「なっ……あ、……ふああ……!?《かあぁあああ……!!》」

 

 いろはね。あら、いい名前じゃねーの。兄妹が居たら“ほへと”とか“にほへ”とかそういう名前だったりするのかしら。

 ……っと、一応ママさんに言われてることは守らんと。

 

「八幡だ」

「ふえっ……?」

「名前。八幡だ。一方的に聞こうが知ろうが、名前を知ったら名乗り返せって教えられてんだよ。よろしくしなくていいから受け取っとけ。比企谷八幡だ」

「あ……はい……その。一色いろはです……」

「……ほんとにそういう名前なのな。まあいいけど」

「まあいいけど!? ひ、人の名前聞いといてまあいいけどってなんですかー!」

「あーはいはい、どこ中か知らんけど制服のまま騒ぐんじゃねーよ。あとな、罰ゲームとかなら余所でやれ。それともあざとさで男が釣れるかとかで遊んでんのか?」

「ひぇうっ……!? な、なんのことで……」

「あーそーかい。しらばっくれるのはべつにいーけどな。外でお友達が待ってるぞ」

「うあっ……!」

「それともなに。お前がイジメられてる方?」

「……そんなんじゃないです《プイッ》」

「あ、そう」

「……はぁ。なんていうか、顔がいいだけで中身最悪ですねー、あなた」

「明らかに作ってる話し方とキャラ、そんでもって外でこっちを笑いながら見てる女ども。こちとらそんなもんもう何度も経験してんだよ。だから言ってやる。罰ゲームお疲れさん。騙されて馬鹿にされて傷つくヤツの気分も、ちったぁ味わってみろ」

「…………えっ!? もしかしてその顔でイジメとか遭ってたんですかっ!?」

「その顔ってどの顔だよ……」

 

 なんなのみんな。そんなにひどい顔してる? 俺これでも結構顔立ちは整ってると思ってたんだが……。

 ああ、まあ、目が台無しにしてるって散々言われたからもう期待しねぇけど。

 つまりそんな俺を受け入れてくれた結衣はマジ天使。

 

「へぇええ……イケメンでもイジメとか受けるもんなんですねー……あ、まあ可愛すぎてイジメられるってのも女子の間ではありますけどねー」

「おい。つうかいつまで居るのお前。会計済んだなら帰ってくれませんかね……」

「いやー、それがなんだか急になにかを買いたい気分になったかもしれなくてー。ほらほら、お客さんかもしれませんよー?」

「……うぜぇ」

「うざっ……!? ちょ、こんな可愛いお客さん相手にうざいってなんですかー! あ、もしかして俺もう散々モテたから女なんてめんどくせえアピールですかうわぁさすがにそんなもの目の前で見せられたら常識的に引きます無理ですごめんなさい」

「いや……だからさ。なんで勝手に勘違いして人振ってんのお前……今までの人生、モテたことなんて一度もねーよ」

「またまたぁー、だったらこんなに可愛い子がこんなに構ってほしそうにしてるのに、うざいなんて言うわけないじゃないですかー」

「……誰も信用してねぇからだよ。もういいだろ、迷惑だ、帰ってくれ」

「………」

「………」

 

 きっぱりと言ってやると、女は黙った。黙ったのに、出ていこうとしない。

 

「……なんだよ」

「……あ…………あ、の……。え、と……」

 

 ぽそぽそと呟いて、ケータイを取り出す。

 そしてさっきまでの態度とはまるで違う様相で、「アドレス……教えてくれませんか」と言ってきた。もちろん教える理由はない……ないのだが。

 

「あの……イジメとかじゃ、ほんとにないんです。罰ゲームといえばそうなのかもしれませんけど……その。あなたのことが気になっている子が居て……」

「そうか。悪いが婚約済みだ、他を当たってくれ」

「こんやっ……!? えぇえええっ!? ななな何歳ですか!? え!? 1コ上くらいじゃないですか!?」

「今年の8月で16になる15だようるさい静かにしろ」

「え……15で働いていーんでしたっけ……」

「15になってから最初の3月31日を過ぎればいいんだよ。あといちいち上目遣いとか媚びる姿勢取るな鬱陶しい」

「うわー……わたし、男子に鬱陶しいとか言われたの初めてです……」

「あーそりゃよかったなー。ありあしたー」

「まだお客ですってばー!」

「うるさい。あとうるさい。店内ではお静かにという名ゼリフを知らないのかよ」

「いえあの……ほんとお願いします……アドレス聞かないと、いろいろやばいっていうか……とにかくやばいんですよぅ」

「そうか」

「は、はい」

「………」

「………」

「……………」

「…………?」

「…………」

「なんで教えてくれないんですかー!」

「いや知らねぇよ。つか、なんで教えてもらえるって思ったわけ? 俺ちゃんと返事したでしょ、“そうか”って。いつ教えるって言ったの? ねぇいつ? 八幡わかんない」

「うわー……この人いろいろ最悪です……」

「そうだな。これは今までお前に切り捨てられてきた純情な男たちの痛みだと思え。たとえばあそこで結局呼ばれなかった長、長…………長なんとかさんの分だ」

「わたしでも思い出せるのにどれだけ薄情なんですか……」

「いいんだよ……ぼっちに職場仲間とかいらねーよ。居たって時間が奪われるだけだろーが」

 

 前の席の佐藤くんとか、同じバイトである長……くんとか。なんだったっけ本気で。

 はぁ……それにしても帰らねぇなこいつ……。どうしてくれようか。

 …………。……ほーん?

 

「帰らねぇの?」

「アドレス、教えてください」

「脅されてるのか?」

「いや……その。なんていうかほら、アレです」

「あー解ったもういい、それ誤魔化したい時のアレだ。ようするにあそこに居るアレどもは友達じゃないわけだ」

「……い、いやーほら、わたしこんなに可愛いじゃないですかー。だから男子たちにモテちゃいましてー。……別に、好きでもない男子を振ったら、その男子のこと好きだったコが…………あはは、よくある話ですよね、ほんと。よくありすぎて、ドラマか~って笑っちゃいました。……ほんと……なんでこんな……」

「おいちょっと待て。振った恨みのくせになんで俺のことが気になるって話になるんだよ」

「……そのコとは別の子なんです。それくらい解ってくださいよ……」

「集団行動なんてろくなことに繋がらねーな……やっぱぼっち最強だろ。お前もそんなやつらとつるんでないで孤高のぼっちでも目指せばいいじゃねぇか」

「いやですよー……だって、なんか負けたみたいじゃないですかー……」

「負けて何が悪い」

「え───」

 

 最近の若い子ったら負けることがそんなに怖いのかね。

 負けは別に悪いことじゃねぇだろ。誰に迷惑かけるでもない、自分の人生上で好き勝手に負けることのなにが悪い。

 むしろ負けることで状況がさっさと解消されるなら、何故それを選ばない。

 普段から面倒ごとが嫌いだとかウェイウェイ言ってるくせに、どうしてわざわざ面倒事に潰されたままで居るのか。プライドってやつか? ……やつだろうなぁ。

 負けちまえば楽なのに、それを捨てられないから負けず勝てずを続けている。

 ぼっちは負けることが常だから関係ないけどな。ルーズを常に胸の中に。ルーザーって名前だけならカッコイイだろ。意味なんて知らなきゃ解んねぇんだから。うんそれ当然のことだった。てへり☆ ……すまんキモかった。

 

「つまりだ。負けることに恥もなにもねーんだよ。勝ち負けなんて双方が勝手にそう思うだけのことだろうが。負けたら負けたまま足元掬って勝てばいい。孤独の強さは集団の安心に包まれて誤解しているお山の大将には一生解らん。強いつもりで居てあっさり負けたら、そいつはその地位を無くして逆に馬鹿にされるだけだ。強いと思い込んで踏ん反り返って努力もしない馬鹿なんて、何度負けようがいつかは勝てばいいんだよ。無くすものはないこっちに比べて、相手は全部無くす。最高の好条件での戦いじゃねーの。これ以上なにを望むよ」

「……捻くれた性格してますね」

「───……おう。羨ましいか」

「……ちょっと、かもです」

「まじかよ……」

 

 捻くれた性格してますね、と言われた時。“正しくあろうとした自分なんて、ガキの頃に常識に潰されたよ”と……そう、口が滑りそうになった。

 ……結衣って理解者が出来て、浮かれてんだろうな。

 ここに結衣は居ない。余計なことは言うな。傍に結衣が居ない時は、正しくぼっちであれ。

 

「あ、ところであなたはどこの高校なんですかー?」

「あ? 総武高校……いや忘れろ、知らなくていい」

「総武! 奇遇ですねー、わたしそこ狙ってるんですよー!」

「口数減らして静かになってから受験するんだぞ……お前なら出来る」

「ほんっと容赦の一切もなく失礼ですね……あ、でも、ってことはですよー? あなたはわたしの先輩になるかもしれないってことですよね?」

「残念だったな、一色……まあ、また再来年があるさ」

「なんで来年落ちてること前提なんですかー!」

「いやいいよ、くるなよ……むしろなんで総武なんだよ……」

「……あいつらが来られないからに決まってんじゃないですか」

「おう。なかなかの澱んだぼっちアイだ。お前、女の友達も男の友達も居なさそうだもんな」

「なななに言ってんですかやだなー先輩、わたしにだって友達の一人や二人……」

「あざとい性格は同姓に嫌われやすいし、特定の男子が友達だと他のやつらもわらわら来て鬱陶しい。利用する男子は居たとしても、そりゃ友達とは言わねぇわな。結論を言おう。お前は友達というカテゴリでは間違いようのないくらいにぼっちだ」

「………《ぷくー》」

 

 返事の代わりに、あざとさのない感じのままに頬を膨らませてそっぽを向いた。

 

「普通の表情もできんじゃねーか。総武ではそれでいけよ」

「なに言ってんですか頬を膨らませたまま生活しろってんですか頭大丈夫ですかごめんなさい」

「お前ほんと初対面? 遠慮なさすぎじゃない? まあお陰で俺も修羅になれるってもんだが」

「や、やさしいせんぱいでお願いします……」

「生憎だが俺の感情の大半は、───…………」

「? 先輩?」

「…………後輩なんてカテゴリ、考えたこともなかった」

 

 先輩も後輩も考えてなかった。それに向けるべき感情も、希望も期待もなにもかもだ。

 つまりその部分では結衣への感情が外れる。あれ? 後輩相手ってどうすりゃいいんだ? やだ八幡こんなの初めて。や、やさしくしてね……ってそうじゃねぇよ。漫画で得た知識とかよく解らん。いずれそっち側のことも勉強しなきゃなんだろうが……え? マジで? いや、俺エロォスとかの内容、よく───って、今考えることじゃねぇよこれ。

 

「……ま、いいわ。気の向くままに行動すりゃいいだろ。んじゃ…………ほれ、アドレス」

「え……いいんですか?」

「ああ。いつでも暇してるからメールしてやってくれって、そいつに言ってやれ」

「…………《むすー……》」

「なんだよ」

「いえ……なんか心を許しそうになった自分が恥ずかしいっていうか。結局アレですよねー、男なんて女子からメールが貰えれば、誰でもいいんですよねー」

「は? やだよそんなの。なんで知りもしないやつからメール貰って喜ばなきゃなんねーんだよ」

「え? だってこれ……………………あの。これ、“誰の”メアドですか?」

「剣豪将軍のだ。おっかしーなー、俺アドレス教えてくれって言われただけで、誰のとは聞いてないんだがなぁ」

「───…………あ、あー、そういえばわたしも、“あの人よくないー? ちょっといろはー、アドレス聞いてきてよー”って言われただけで、誰のとは言われてませんしねー」

「…………へっ」

「……へへっ」

 

 にひっと笑い合い、アドレスの件はそれで解決。

 俺はようやっと会計に来てくれた男性客を迎え、一色にはシッシッと手を振った。

 対する一色は男の後ろでべーっと舌を出したあとにパタパタと外へ。迎えた女子中学生どもがきゃぴきゃぴ騒いでいるが、そのさなかに、ニヤアアと悪い顔で笑った一色を、俺は見逃さなかった。

 ああ、ありゃあ立派なぼっちになる。もしくは今よりも計算高いあざといさんになる。

 ……と、まあ。本日そんな出会いがありましたとさ。

 もう二度と会うこともないだろうがな。



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こういうことから、比企谷八幡は押しに弱いと推測される

 

 

  ……なんて思ってたんだが。

 

 その夜。

 

「《ヴー、ヴー》……んお?」

 

 勉強をしているところにメールが届いた。……そろそろ着信音とか考えてみるかな。やかましいのだと勉強中に集中できなくなるからつけなかったけど。

 さて、何処からのメール……って、アマゾンさんだな。だってそれ以外知らないし。結衣の以外は。と開いてみれば、知らないアドレス。

 スパム先生だな。いつもお疲れ様です……───って、え? なに? なにこれ。

 

 FROM いろは 22:22

 TITLE せ~んぱいっ♪

 届いてますかー? いろはちゃんです。

 そういえば目的である先輩のアドレス聞いてなかったなぁって思って、せっかくなので剣豪将軍さんに聞いちゃいましたっ☆

 

 おいジェネラル。おい。ちょっとなにしてんの将軍様。信じらんない! なんて人! 人のアドレス勝手に教えるなんて! あ、俺も教えてた。

 いやでもこのアドレス、材木座が勝手に教えてきたやつだしな。

 “わ、わわわ我は一度でいいから赤外線通信とやらをやってみたいのだ!”とか必死な顔で言うから……い、いやべつに? 俺もやってみたかったとかそんなんじゃねーし? だから阻止したよ。あ? アドレス? 独特だったから覚えちまっただけだよ。だってまんまなんだもん。人のこと言えねぇから材木座にも覚えられたんだろうけどな。

 

「……うむ」

 

 ここはアレだな。早急に返信準備をして、差出人の名前をメーラーデーモンさんにして、と。

 はい送信。

 

「《ヴー!》うおっ!? ……速いなおい」

 

 FROM いろは 22:26

 TITLE re:re:ちょっとふざけないでくださいよ

 いくらなんでもそれでの返信はどうかと思います。書店で中学生を脅してたって通報しますよ?

 

 FROM 八幡 22:29

 TITLE やめろばか あとre:くらい消せ

 脅したどころかこっちが喧嘩売られたわ

 よく大して知りもしない男にメールとか送れるな

 最近の中学生って勇気あるな 無謀なだけか アドレス曝しとか気をつけろよ

 

 FROM いろは 22:32

 TITLE 先輩だって句読点くらいつけてくださいよ。

 心配してくれてるんですか? 面倒くさがりっぽいのにやさしいんですねもしかして婚約者が居るくせに女たらしなんですかすいませんさすがに無理ですごめんなさい。

 

 FROM 八幡 22:35

 TITLE ばっかお前

 俺はいつだって婚約者一筋だっての 句読点は婚約者相手以外につけないくらい特別な

 あとお前ほんと無防備すぎるから簡単にメールとか出すな

 それともあれか? 罰ゲームの延長か?

 

 FROM いろは 22:39

 TITLE ありがとです

 心配しなくてもこれ、捨てアドだから平気です。

 曝されても文字通り捨てちゃうんで。

 

 FROM 八幡 22:39

 TITLE あそ

 あ、そ。

 

 短く打ってはい終了。心配とかいらんかったわ、無用だったわ。そわそわして損した。

 こういう時は結衣にメールだな。いやべつに婚約者云々言われたからドキリとしたとかじゃないよ? 八幡とっても一途だし。でもヒッキー知ってるよ? 男の一途さはどうあれ、相手は怒る時は怒るって。

 なので後々の誤解に繋がりそうなことは早々に報告、潰すに限る。

 さっきからケータイがヴーヴー言ってるけど知りません。

 つか、文章打ってる最中に届くな、鬱陶しい。ちゃんと句読点打ってあげたでしょ満足しなさい。それともなに? 一分かからず返信してやったのが気に入らなかったの? ないわぁ、マジないわぁ。

 

 FROM 八幡 22:45

 TITLE 婚約者様に相談です

 本日、僕のバイト先に一人の中学生がやってきました。

 頻りにメールアドレスを教えてくれと言ってきたので知り合いのものを教えたら、その知り合い経由でメールが届きました。

 それからメールが何度も届いていて困っています。

 しかも相手がぼっちっぽいので気持ちはなんとなく解るような。着拒するべきでしょうか。

 

 ……なんかものすげぇ堅苦しいメールになった。やだ困る、平塚先生みたい。

 なんであの人、メールだと堅苦しいんだろうとか思ってたら、自分がなっちゃったよ。

 

 FROM ☆★ゆい★☆ 22:50

 TITLE notitle

 頻←(´・ω・`)?

 

 FROM 八幡 22:52

 TITLE おい

 そんなんで5分も悩んでんじゃねーよ。

 しきりだよしきり。しきりになんたらかんたら~ってあるだろが。

 だが考えるのは悪くない。脳に刺激を与えるのはいいことだ。頭がよくなる。頑張れ。

 

 FROM ☆★ゆい★☆ 22:52

 TITLE re:1

 そうなんだ! (`・ω・´)!

 じゃあじゃあ頭とかたたいてたら天才になれるね! .+:。(´ω`*)゚.+:。

 来月とかヒッキーより頭よくなってたらどうしよ! (ノω`)プププ

 

 FROM 八幡 22:54

 TITLE あー

 その言動がもう馬鹿っぽいから背伸びすんな。

 勉強、解らないところがあったら教えてやるから。

 つかそのメールを一分かからず打てるくせに、どうして頻りで5分悩むんだよ。

 

 FROM ☆★ゆい★☆ 22:55

 TITLE re:2

 もう敷居のことはいーから!それよかアドレスきいてきた人って誰!?ヒッキーのアドレス知ってる友達とかいたの!?勉強教えて!(`・ω・)ノ☆・゚::゚ヨロシク♪

 

 FROM 八幡 22:55

 TITLE re:re2

 頻りな

 

 FROM ☆★ゆい★☆ 22:56

 TITLE ヒッキー!ヾ(*`Д´*)ノ

 答えになってないし! あとなんかヒッキー怒ってる?(´・ω・`)?

 顔文字使ってくれないと解んないよ。

 

 FROM 八幡 22:57

 TITLE (# ゚益゚)

 別に怒ってないぞ。

 

 FROM ☆★ゆい★☆ 22:58

 TITLE 明らかに怒ってるよね!?Σ(゚д゚lll)

 ごめんね、なんか怒るようなこと書いちゃったなら謝るから

 あ、でも、アドレスきいてきた人も気になるっていうか。女の子なのかな。(´・ω・`)

 

 FROM 八幡 23:00

 TITLE べつにほんとに怒ってない

 すまん、悪ふざけがすぎた。怒ってないから安心してくれ。

 アドレス訊いてきた相手は女だ。ただしぼっち中学生が友人(笑)に脅されてやったようなもんなんだそうだ。

 だから材木座のアドレス教えてやった。そしたら材木座経由でアドレス聞いてきたやつからメールが来た。だから相談したんだ。

 

 FROM ☆★ゆい★☆ 23:02

 TITLE よかった(*´ω`* )

 怒ってなくてよかったー! もうびっくりさせないでよヒッキーのばか! (○`ε´○)プンプン!! 

 中学生かぁ……いじめなのかな。心配だね。そんなに知りたいなら自分でいけばいいのにね。(-゛-;)

 でもその子も勇気あるよね。別人のアドレスなのにその人にヒッキーのこときくなんて。Σ(・ω・ノ)ノ

 ところで材木座ってなに?(´・ω・`)? 新しいシアター?(´・ω・`)?

 

 FROM 八幡 23:03

 TITLE その顔文字は流行らないし流行らせない。

 男子の知り合いだ。友達ではない。むしろ友達なんて居ない。結衣が居ればいい。

 

 FROM ☆★ゆい★☆ 23:05

 TITLE ヒッキー! もうヒッキー! もう!!

 ママにうしろからメール見られて恥ずかしかったし!なんで急にそんなこと言うの!

 しかも出てってくんないし!にこにこしながら孫はまだかしらーとか言ってるしー!ヒッキーのばか!

 

 ……あ。顔文字無くなった。

 今大絶賛からかわれてるんだろうな……気づけば30分以上やってるし、そろそろ終わりに───《ヴィー》いや寝なさいよ。もう良い子は寝る時間だよ? これで材木座だったらもう笑うけど。

 

 FROM ☆★ゆい★☆ 23:06

 TITLE notitle

 でも大好き。

 

「……っ……ぅ……ぁ……《カァアア……!!》」

 

 なんの気無しに開いたメールには、俺の思考を停止させるには十分な短い文字が書かれていた。

 顔文字がないと解んない? いや十分でしょこれ……ときめきまくりですよ……。不覚だ、まさか結衣相手に文字でときめかされるとは……。

 

「……負けるのは得意だが、なんか癪だ」

 

 相手が幼馴染で好きな女だからだろうか。

 珍しくも対抗心のようなものが湧いてきて、気づけばやめるつもりだったケータイに齧りついていた。

 んー……そろそろスマホに変えようかしらん? なんて思いながらも文章完成。

 やられたら倍返し。いつやる? 今でしょ。

 というわけで。

 

 FROM 八幡 23:08

 TITLE おう、あんがとさん。

 だが俺は愛してる。

 

 ……。窓から見える隣の家が、突然賑やかになりました。

 あーくそ、顔が緩む。勉強の続きでもするか。

 

「やっぱ数学は苦手だな……出来ないわけじゃないが」

 

 難しくとも続ける。生憎と勉強以外に誇れるところがあまりない。

 ぼっちは想像の中で自分を高く設定しがちだが、プロぼっちはきっちり線引きをする。

 出来ないことは出来ないと認め、その上で一人で出来るように努力する。

 やれば出来るし、なんて言い訳はしないのだ。したとして、全力でそれを実行、口から出任せを真実にしてみせる。

 コツさえ掴めばいけるところはいけるんだが……ん、んんー。

 

  <モーチガウッタラ!

  <アラー、イイジャナイ。ママ、ヒッキークンノコドモナライマスグホシイワー

  <ナンデママガウムミタイナイイカタニナッテンノ!?

 

 やだ怖い。お隣さんのBGMがご近所にダダ漏れだわ。

 こりゃ落ち着くまでは勉強とか無理だ。苦笑しつつ机から離れ、ベッドに腰掛ける。と、カラカラと窓の開く音。ちらりと見れば、ベランダを乗り越えてこちらへやってくる真っ赤なお顔の幼馴染。

 

「ヒッキー! もう、ヒッキー!」

「おう」

「おうじゃないし! なな、なんっ……! ……なんで……なんでこういうことメールですんのかな……。言われたこともないのに……ずるいよ……《かぁああ……》」

 

 え? ずるいとかそういう問題なのん?

 幼馴染から婚約者(予定)になってからは、基本鍵は開けっ放しな俺の部屋と結衣の部屋の窓。

 そこから無遠慮に入ってきた結衣は、実に真っ赤である。あとパジャマ可愛い。可愛い。

 

「いや……だってほら、アレだし……その、よ。……面と向かってとか恥ずかしいだろ……」

「でも……言ってくれたら……嬉しい、な……」

「《きゅっ……》うぐっ……」

 

 つつっと寄ってきて、隣に座って袖を引っ張られた。

 俯き、けれどちらちらこちらを横目に見る顔は真っ赤。やだ可愛い。

 

「お、おうすまん……。と、ところでだな、結衣」

「う、うん……なに?」

「……その枕…………なに?」

「───…………《かぁあああああ!!》」

「あ、いや、今の反応で解った。どうせママさんにいろいろ反論してて、逃げ道塞がれたとかだろ」

「だ、だってママが!」

「解ってる、なにも言うな、解りすぎるまである」

 

 あの人に言葉で勝つのは無理だ。結衣だけ。いや、俺も割りと……勝てないか。親父さんは絶対無理だ。

 そして窓の外を見てみれば、結衣の部屋の窓の鍵を笑顔でパチンと閉め、俺に手を振るママさんの姿が。

 ……あの人ほんとなんでもありな。娘のこととか大事じゃないのかしらん? ……信用されてるってことかね。それともさきほどの大音量BGM様やメールであったように、孫が……いやゲフッ! ゲフフン!

 それは無理だ、法律的にもいろいろと。結衣のことは心底大事だが、だからといって果たせない責任を負うつもりはない。

 負うつもりはないが……法律で許される段階になったら、あっさり負けそうで怖い。

 

「……閉められたみたいだし、泊まってくか?」

「ふえっ!? あ……、……ぅん…………《ふしゅぅう……!》」

 

 どこまで赤くなるのこの子。漫画とかだったら湯気出てるレベル。いや俺も顔めっちゃ熱いけど。

 いや、べつにね? これが初めてなわけじゃないし? めっちゃ子供な頃とかよく一緒に寝てたし?

 ……ええはい、大きくなってからは初めてです。めっちゃ照れる。とか思ってたらぴとりと寄り添ってきて、こてりと肩に頭を預けてくる。近い近いいい匂い近い可愛い! あ、これ風呂上りダーとか冷静に思ってる場合じゃない、やばい、なにがやばいってやばいがやばい。八幡もうわけ解んない。

 

「……ちょっとびっくりした、かも。あたし、追い返されると思ってたから」

「ママさんとの口論から逃げてきたんだろ? じゃあ家には入れてもらえないだろ、あの人の性格から考えて」

「う……それは、そうかも」

「それに……まあその。あれだよ。俺だって一緒に居たくないわけじゃねぇこともねぇこともなきにしもあらずっつーか……」

「えへへぇ……素直に一緒に居たいって言ってくれたら、いつでも居るよ……?」

「ぐっ……!」

 

 やだ……! 他のやつがやれば絶対あざといって斬って捨てられそうなのに、この子ったらめっちゃ天然……! ふえぇ……、この子、人の弱いところをどんどん天然のままつついてくるよぉ……!

 

「あ、あーその……サブレ、元気か?」

「…………えへへへへへぇえ、ヒッキー照れてる~♪」

「ばっ……てててって照れてにぇーし……」

 

 また噛んだ。死にたい。

 ああもう笑うな、その口塞ぐぞこのやろ…………───ミスった。結衣の唇が気になって仕方なくなった。だってしょうがないじゃない、僕だって健康で優良な目が腐ってるだけの男子高校生ですもの!

 

「………」

「《なでなで》ふあ……?」

 

 頭を撫でて誤魔化すことにした。こてりと肩にもたれ掛かったままの結衣の頭を撫で───ぐっはめっちゃ髪さらさら! しまった風呂上りだったこれは巧妙な罠だ! 余計にドキドキして落ち着かねぇ!

 ああいやいやこれアレだよ? とろけさせたくて撫でたとかじゃねぇから。精神安定のためにとりあえずやっただけであって、言っとくけどアレだから。俺がもしシスコンとかだったら常時発動していた108のお兄ちゃんスキルの一つだから。……明らかに煩悩から来てるじゃねーかそれ。しかも兄っつーか、結衣のほうが二ヶ月早産まれだしな! ……締まらねぇなおい。

 もういいだろ108じゃなくて100あたりで。48の喜ばせ技と52の落ち着かせ技とかあるんだよ。で、師匠は腰ミノのみの頭から突起物が伸びた浅黒い裸族。しかも名前にプリンスとかついてる王子だ。……あれ? なんか死にたくなってきた。

 

「んん……《すりすり》」

「ひゃいっ!?」

 

 頭を撫でていると、結衣が俺の肩に顔をすりすり擦り合わせてきた。やだ可愛い。さっきから可愛いしか言ってないよ俺。でも可愛い。

 ……お団子解くと、結構長……くなる筈なのに、なんであまり変わらないの。なにこれイリュージョン? 常に周囲を騙し続けるイリュージョンとか最強すぎでしょ。

 

「………」

「《さらさら……》ふ……ぁん……」

 

 髪のことを考えていたからか、撫でる手もいつの間にか手櫛のように髪をさらりと梳かし、いつしか結衣もその手に自分の頭を預けるようにして目を閉じていた。やだ可愛い。だから可愛いしか言ってねぇよ俺。語彙増やしなさいよ俺の脳内。…………可愛い。やっぱ可愛いんじゃねぇか。ていうか可愛いから可愛いって言ってなにが悪いの? いいじゃない可愛いんだから。

 

「んじゃ、これからどうする? 寝るか? それとも寝る?」

「寝る気満々だ!? え、えー、もっとお話とかしようよ、せっかく同じ部屋なんだし」

「その前に布団用意するから待ってろ。なんなら俺、リビングのソファで寝るから」

「えっ……?」

「いやなんでそこで不安そうな顔すんだよ……間違いを起こすつもりは一切ないが、親父さんのこと考えりゃ当たり前だろ」

「パパならママが黙らせるから、思う存分一緒に寝ていいのよ~? ってママが」

「あの。おたくら口論してたのよね? なんでそんな妙な協力体制にあんの? 八幡わかんない」

「い、いーじゃんっ! とにかく一緒に! ね!?」

「やだよ。ただでさえ最近は親父さんに睨まれてるんだ。誤解増やしたらそれこそ実力行使とかに出て、引越して離れ離れとかに───」

「……ひっきぃ……ほんとに、だめ……?」

「よし寝ようめっちゃ寝ようむしろ今すぐ寝たいもう眠たい」

「《がばっ!》ひゃんっ!? あ…………ひっきー……」

 

 結論を言おう。天使のおねだりには勝てなかった。

 言うや否や結衣を抱き締め、ベッドに腰掛ける膝の裏と肩を抱えるようにして横抱きに。立ち上がると、ベッドへと振り向いた。

 その間、結衣は俺を見上げ、安心しきったやわらかな笑みのまま、体の力を抜いていた。

 足で掛け布団をどかして結衣を寝かせると、電気を消して俺も寝転がる。そして掛け布団を被れば……結衣が腕に抱き着いてきた。ダッ……ダイナマッ───げふん。あ、あの、結衣さん? やーらかすぎません? なして下着つけとらんとや? え? そーゆーもんなん? 寝る時は外すもんなん? 女の子っていろいろと忙しいのんなー。……タスケテ顔がめちゃくちゃ熱い眠れる気がしない助けて。

 

「え、えへ……えへへへぇ……」

「な、なんだよ」

「んーん、幸せだなぁ、って……」

「………」

「たまにね、考えるんだ。ちっちゃい頃に好きになって、好きでいたいって思っててさ。でも……人って変わっちゃうじゃん? そしたらさ、好きって気持ちもいつか無くなっちゃって……別の人を好きになってさ」

「おう……」

「もしさ、変わっても好きでいられて、相手の人も自分を好きでいてくれて、そんな想いが叶ったらって……そんなこと、考えてた」

「……おう」

「でもね、叶っちゃった。ヒッキーが叶えてくれた。嬉しくて嬉しくて……中学の時のアレは泣いちゃうくらい苦しかったけど…………あたし、好きなままでいられてよかった。今、すっごく幸せだ、えへへ」

「……俺は罪悪感でいっぱいだけどな」

「ほんとに?」

「ああ」

「ちゃんと条件つきで許したのに?」

 

 ───“ヒッキーの独りぼっち、もらっちゃうね?”

 

「…………あんなんじゃ足りないだろ……」

「じゃあ……えと、もうちょっとあたしのお願い、聞いてくれるかな」

「なんでも言ってくれ。叶えられることなら意地でも叶えるから」

「ほんとに?」

「おう」

「ぜったい?」

「俺は嘘はつくが責任が伴うことでは嘘はつかん」

「……じゃあ……うん。絶対叶えてね?」

「おう任せろ。別れろとかでも叶えるぞ」

「それはあたしが泣くよ!?」

「俺も絶対号泣するな。出来れば別ので頼む」

 

 いっそ首吊る? いや、その時こそ天使に振られたことで、エリートぼっちが完成するのだろう。

 多分もう、本当になにも、誰も信じなくなるだろうが。

 だからやめてね、別れるとかほんとやめてね。

 

「じゃあ……ヒッキー。こっち向いて」

「ん? それが願いでいいのか?」

「これは別。でね、えっと……」

「? おう」

「……さっきさ、あたしの唇、見てたよね?」

「《ドッ!》う……ぇん……? な、なんのこ───」

「女の子って視線に敏感だから、そーゆーの解るんだよ? 好きな人のだと、特に」

 

 まじかよ。じゃあ俺もう迂闊に結衣のこと見れないじゃん。

 あー、どうりで俺がちらりと見るたび、にっこり笑った笑顔と目を合わせることになるわけだ。

 そりゃ勝てんわ。

 

「……そか。で、なんだ?」

「えと……えとね。えっと……えとえと……ヒッキー」

「な、なんだよ」

「………………キス、してほしいな……」

「───………………ォァ?」

 

 いや。

 いやいやいや。

 待て、なんておっしゃったのん?

 キス? あああの魚の! え? キスをする? え───

 

「……どう捌けばいいんだ?」

「え、え? さばく? あ、てほどき、みたいなのかな……あたしもそういうのの作法とかよくわかんないんだけど……え? 作法とかあるのかな」

「あるだろ。骨抜きとかちゃんとしなきゃだし」

「あ……ほ、骨抜きになら、もうされちゃってる、かな……えへへ」

「まじか」

 

 もしかしてママさんが既に処理してあるとか? つか、そのキスを俺にどうしろと? 仕込んであるから朝一で天ぷらにでもしろと?

 ───いや、そうじゃねーよ。

 アホな会話でこれ以上残念さを増やしている場合じゃない。

 女の子からの、キスを求める言葉。

 きっと勇気が要ったに違いない。つか、俺からでは死ねる。恥ずか死ぬ。

 そんな勇気を勘違いで終わらせるな。勘違いの苦しさをよく知るぼっちが、そんなものを大切だと認識できた相手に味わわせるなど、ぼっちの風上にも置けん。そして、ここで“お洒落な店じゃなくていいのか?”なんて訊くのも野暮だ。サイゼ前じゃないからって何処でもいいってわけでもない。

 ……でも難度高すぎじゃないですか? バトルポカリ片手にムドーに挑むようなもんじゃないですかやだー。

 

「…………《うるうる……》」

「………」

 

 結衣は、目を潤ませた赤い顔のまま、じっと俺を見つめている。

 こんな人を裏切れない。

 だから……立て、走れ、ちっぽけな勇気だろうと勇気は勇気だ。

 発言するわけでもない。大勢の中で言葉を発する以上に必要な勇気など、ぼっちにとっては無縁のものだ───!

 

「……《ギシッ》」

「あ……ひっきぃ……」

 

 体勢を変えて、寝転がりながら向き合う。

 頭を撫で、髪を梳かし、頬を撫で……うっとりと細められる瞳を見つめたまま、やがて顔を近づけて……くちづけを。

 途端、胸の中に溢れる幸福感。まずい、なんだこれ、こんなもん知らない。

 ぼっちはおおよそ、想像し得るものは全て想像で済ませ、訪れる不幸などに備えて生きている。だから多少のことでは折れないし、リア充がいきなり不幸な目に合って登校拒否をしたところで、メンタル弱いな程度にしか思わない。

 それらのマイナスな感情が息抜きとして吐ける場所があれば、より一層しぶとく生きていられる。まあ基本幸福ではないのだが。

 そんなぼっちは、それこそ幸せというものを知らない。独りで居るのは当然であり幸福ではない。独りで本を読みニヤリと笑うことだって、楽しみではあるが幸福ではないだろう。

 イメージトレーニングは常に万全。想像を絶する苦しみ以外には、耐えてみせましょぼっちソウルだ。

 だが。想像したこともないことには、当然弱い。弱すぎる。

 想いを告げ、告げられ、受け入れてもらっただけでも十分だと満足している心に、それ以上の幸せはかえって毒だ。そんな風にも思っていた。

 だというのに、これは───

 

「……っ……は…………ぁ……ぅぁぁ……! ど、どうしよ、どうしよひっき……あ、あたし、胸の奥が、きゅううって……きゅううって……!《ぽろぽろ……》わはっ!? あ、あれ? なんで涙が出るの? え? え?」

「……なに、泣いてんだよ、ばか……《ぼろぼろぼろ》」

「……ぇ……? ひっきぃも……泣いて……?」

「な、泣いて、ねぇし……」

 

 過ぎた幸福は身を滅ぼす。けどそれって、身の程ってものを知らないからだ。

 その点ぼっちは知っている。知りすぎて笑えるくらいまである。

 だから……まちがえても、身を滅ぼす前に立ち直れる。

 ───この経験は、裏切らない。

 いーじゃねぇか、幸せならよ。

 

 

 

 

             おめでとさん

 

 

 

 

 ……心のどこかで、自分が自分に呟くような感覚。

 思わずハッとして、涙が滲んだ目のままに結衣を見た。

 結衣は丁度涙を拭っていて、目が合うこともなかったが…………そんな彼女の頭を胸に抱き、胸の奥にある多幸感の鼓動を届かせるように、押し付けた。頭も撫でた。髪も梳いた。

 幸せだって叫びたい。でもご近所迷惑だし、明日からのママさんからの質問とか超怖いから抑える。

 

「んっ……ひっきー、ちょっと苦しい、かな……」

「っ! わ、悪いっ」

「あ、やっ、痛いとかじゃないから、いい、んだけど……」

 

 バッと離して元の位置まで戻すと、パッと合う視線。

 真っ赤な顔同士で目をちょっと見開いて。

 やがて、何を言うでもなく近づいて、もう一度。もう一度……何度でも。

 つん、と唇をつつかれる感触に驚いて、おそるおそる伸ばした舌が舌をつつき、やがて絡む。

 頭の奥が痺れるほどの幸福を感じ、それでもと求めてくる姿がいとおしくてたまらない。

 顔だけ近づいていた距離も既に密着し、抱き合っていた。

 頭に浮かぶ“離れたくない”が心を占め、体を占め、それが正しいことだと認識させてくると、やがて本能が動き出す───が、これをぼっちスキルで殺す。今こそ身の程を知りなさいぼっち。今はまだ、その時ではありません。

 18禁は18歳になってからね。これ大事。

 しっかりと言い聞かせたあと、唇を離し、とろんとしている結衣の額にこつんと自分の額を当てた。

 ああ、大切だ。愛しい。大事にしたい。

 いろいろな感情が湧き出してくる。およそ一人に向ける容量じゃねーだろってくらいの愛情が。

 けど仕方ない。なにせ当方ぼっちにござる。いつかはどこかへ向ける筈だった感情の全てを彼女に向ければこうなってしまう。

 正直な話をすれば行き着くとこまで行きたいのは、まあある。が、それでも信念は揺るがない。

 これはいくら恩人であるママさんがどう言おうと絶対に曲げないまである。

 

「……好きだ」

「うん……あたしも」

「愛してる」

「えへへ……あたしも《ぐすっ》」

「泣くなよ……泣き虫だな、結衣は」

「ヒッキーだって涙滲んでるし……」

「ばっかこれは…………これは…………くそ、幸せだな……!」

「うん……、うん……! ありがと、ヒッキー……あたし、ほんと幸せだ……」

「俺、も……その、……あんがとよ。正直俺、こんな感情とは無縁のままで、ぼっちのままで死ぬと思ってたから…………ありがとな。ほんと……ありがとう」

「っ……ぐすっ……うん……」

「……自分から責任を負いたい、なんて思ったの……初めてなんだ。これからも……捨てられない限り、絶対に幸せにする。約束させてくれ」

「捨てたりしないってばもー……あ、でも自分を犠牲にして、は……やだよ?」

「ぐっ……善処する」

「だめ。約束」

「……ハイ」

「……あははっ……」

「………」

「………」

「………」

「《なでなで》んんぅ…………ん…………ね、ひっきー」

「んー……?」

「……幸せ、だね……」

「…………おう」

「……あたしね、嬉しくても涙が出るのは知ってたの。うん、むしろいろんなこと、ヒッキーに教えてもらったかな。……悲しい時の涙の冷たさとかも」

「やめて、それ以上言ったら辛くて死んじゃう」

「えへへ、うん。……でね、でもね、幸せの涙って……初めてだった。嬉しいのが幸せなのかもって思ってたけど、あんなのがあるなんて知らなかった。……全部ヒッキーが教えてくれた」

「……俺もまさか、お前に泣かされるとは思わなかったよ」

「…………うん。かわいかった」

「忘れなさい今すぐ」

「やー……♪」

 

 笑いながら、じゃれるように胸に飛び込み、ぐりぐりと額を押し付けてくる。あら可愛い。

 流れるように自然に頭を撫でてしまうのだが、なんかもうあまり恥ずかしさや照れはない…………とか言えれば照れないに違いないと思ったけど無理です恥ずかしい顔熱いあと可愛いいい匂いやわらかい。

 

「それで、えっと……あの、ヒッキー」

「んー……?」

「ヒッキーはさ、その……うん。たぶん、これから先のことは……その。18歳にならないと、しようとしない……よね?」

「だな。相手が大切ならそりゃもちろんだろ」

「だ、だよねー。うん、ヒッキーならそう言うって思ってた……うん……」

「……なに。ママさんにまたなにか吹き込まれたか?」

「うぅ……ママが育てるから、ばんばん産んでいいのよーって……《かぁあ……!》」

「……ぅ……ぐ……!《かぁあ……!》」

 

 なんなのあのママさん……! 母親ならもうちょっと娘の今とか考えてあげて!? 考えた上でそれならそれはそれで凄いけど!

 

「15、6で親になるとか考えたこともねぇよ……」

「でも女の子は16歳で結婚できるんだよね?」

「結婚と出産は別だろ……」

「でもでも、結婚すればせいじんじょせーとして数えられて、えと……そういう行為もしていい、んだって……」

「いや……なんでそんなん調べてんのお前……。へーとか言っちゃうトリビアだけど正直ちょっと引いちゃってるんですけど……」

「し、調べたわけじゃないし! だってママが!」

「またママさんかよ……あの人どれだけ俺とお前くっつけたいの……。どの道俺が18になるまで結婚はできねぇよ。それまでお前も成人にはなれねぇし、むしろ悶着があれば成人式迎えるまで無理なんじゃないか?」

「うー……だよねー……」

 

 え? なんで残念そうなの? そういう18な行為がしたいの?

 やめろ、そういう思わせぶりな態度がどれほどの男子を泣かせているか知っているのか。

 ……まあぼっちにしてみれば、そういう“みんな”がどうだろうとどうでもいいけどな。

 

「んじゃ、寝るか」

「寝ちゃうんだ!? え、えー……? まだこう、その、いちゃいちゃ? したいよ……?」

「俺を甘く見るな。俺のほうがめっちゃいちゃいちゃしたいわ。正直に言えばその先までいきたいほどだ」

「えええっ!?《ボッ!》」

 

 うむ。これでいい。こういうことを正直に話しておいたほうが、相手は落ち着きを得るというものだ。

 牽制にもなりますし? 必要以上にスキンシップも取らなくなって、俺の理性が焼ききれる心配もなくなると、一石二鳥の作戦というわけですよ。

 

「あ、ぅ……えと……あ、あはっ……《てれてれ……》……あ、あの……ヒッキーがどうしてもっていうなら……あたし、いいよ……?」

 

 よくないから。いやよくないからね? あなたママさんに毒されてるから。あと照れるな可愛い結婚したい。

 

「……ぬ、ぐっ……きっ……キスまでな。キしゅまで」

 

 噛んだ死にたい。なんだよもうこいつ俺を惚れ殺したいの? だが侮るなかれ、多少の本能などぼっちの悲しみのトラウマを思い出せば一撃でダウンだ。

 思い出せ……数々の勘違いから始まるトラウマの数々を《ピタリ》よし冷静だ。早すぎて泣きたい。

 トラウマありすぎて冷静になるの早すぎるよ俺……。

 

「……いくじなし《ぼそっ》」

 

 だからっ……!! 意気地がどうとかの問題じゃないんだよ……っ!!

 ひ、人がどれだけ心を抉って答えを出したとっ……!

 なのに今のいくじなしって言葉でトキメいてる俺ってなんかいろいろ最悪な。仕方ないでしょ、言われてみたかったんだから。

 

「じゃあ寝よう」

「まま待って待って、まだ寝ちゃやだっ」

「えー……? もう話すことないだろ……」

「あるしっ、いっぱいあるしっ! あ、あーのー……ほら、あれとかっ……ねっ?」

「あー、あれなー。あれはあれだからあれなんだ。よかったなーあれで。んじゃおやすみ」

「寝ちゃやだったらー!」

「《ゆさゆさ》うおおこら揺らすなただでさえダブルベッドとかじゃないんだから、暴れると落ちるっての……!」

「だって……」

「う……じゃあ、あれだ。なんか話題くれ。そしたら返事くらいはする」

「ヒッキーのそれって“あ、そう”で終わるの目に見えてるじゃん!」

「悪かったな……長いぼっち生活の所為で、“会話は終わらせるもの”って染み付いてんだよ……」

 

 何故ならぼっちにとって、時間のすべては自分のものだから。

 でもこういう例外が出来た時ってとっても戸惑いますねどうしましょ。



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当然の如く、由比ヶ浜結衣は彼氏から愛されている①

 

 

「うー……話題、話題……」

 

 今話題を求めて思考を回転させている彼女は総武高に通うごく一般的な女の子。

 強いて違うところをあげるとすれば、料理が下手で運動も苦手で頭が悪いってとこかナ───名前は由比ヶ浜結衣。

 そんなわけで今、大絶賛話題を探しているところのようなのだが。

 ……ってなにやらせんの。“うー”のあとに言葉二つつけるからつい頭の中に浮かんじゃったじゃないの。

 なに? “やらないか”とか言ったら睡眠をさせてくれるの? 無理だろうね。ああ無理だ。

 

「……あ、眼鏡はっ!?」

 

 で、考えてこれである。まあいいんだが。

 

「外して磨いて緩衝剤織り込んで心の神棚に綺麗にしまって、きっちり拝んで崇め奉った。奉納ではない。神にすらあれを渡すつもりはない。つまり俺は新世界の神よりもぼっちの神になりたい」

「なんか家宝レベルだ!? だ、大事にしてくれてるのは嬉しいけど、大げさじゃないかな……あはは……」

「うるせ、ちゃんとしたプレゼントなんて初めてなんだから粗末に扱えるかよ」

「あ、うん……そだね……。ヒッキー、自分のものは自分で……だもんね」

「伊達にガキの頃から新聞配達やってねーよ。自転車壊れてからは走りになったから、ちと厳しいが」

「あ…………」

「ごめんは無しな。俺の中でもう完結してんだから、混ぜっ返さなくていい。まあなに? 俺サブレ大好きだし? カマクラ愛してるし? 動物最高な。無邪気にじゃれついてくる動物ってなんでああも癒しかね。……友達いねぇからだよ文句あっか。つまりアレだ、亡くせば消える命よりも、治る足の一本で救えたとか最高すぎるだろ」

「うん………………ね、ヒッキー」

「ん? どした?」

「あの……あたしも、さ。新聞配達、手伝ってもいい……かな」

「お前はまず運動不足の解消からだな。ちょっと走ったらすぐバテるだろ」

「あう……」

 

 こいつは昔から運動が苦手だ。腕立てだってろくに出来ないし、走ればすぐにゼーハーだ。

 あの、やめてくださいね? 無理に一緒に来て胸がいたーいとか言うの。それに対して俺、どんなフォロー入れればいいの。

 

「じゃあ体力作るために───」

「一緒にジョギングするか? 最初一週間あたりは地獄になるかもしれんが」

「え……どして?」

「慣れない内は筋肉痛と関節痛がダブルで襲ってくる。普段走ったりだのの運動をしてないやつは余計にな」

「が、がんばるしっ」

「そか。じゃあ明日からな」

「ウエッ!? もう? あ、ほらー……次の休みとかからー……」

「甘ぇよ。甘すぎる。“あとで”が好きな奴にゃあ継続なんて無理だ無理」

「そんなことないしっ! あたしこれで結構、えと、ガッツ? あるしっ! もしかしたらヒッキーのことなんてその一週間で追い抜いちゃうかもしれないよっ!?」

「おーそりゃすげぇな」

「声がすっごい棒読みだっ!? ね、ねぇえ~~ヒッキィ~……いいでしょ~?」

「や、やめなさいこら……なんかその声で言われると甘えられてるみたいでむず痒いでしょ……」

「これするとパパはイチコロだってママが」

「よし絶対頷かん諦めろ」

「あれ? え、ちょ……ヒッキー、ヒッキー………………うー」

 

 体勢を変えて背中を向けたら、背中に張り付いて、こしこしと額をこすりつけてくる。

 しかし無理だ、あの親父さんと同じと思われるのは俺だって嫌だ。

 むしろあの親父さんに結衣があの甘えた声を出す瞬間を思い浮かべてしまったら、もうだめだ。

 

「あの……ヒッキー……? なんか怒ってる……?」

「怒ってねーよ」

「うそだよ……だってヒッキー、怒ると人の目全然見なくなるもん……。ぶっきらぼうとかそーゆーんじゃなくて、目を合わす価値もない、みたいになるもん……」

「………」

「なにが悪かったのかな……ご、ごめんね、あたし馬鹿だから解んなくて…………えへへ、だめだなぁ……空気を読むだけが取柄なのに……」

「~~……」

 

 むかついた。自分に。幸せにするって言った矢先に悲しそうな声出させてんじゃねぇよ、くそ。

 大体なんだこの対応は。ガキかっての。プロぼっちが聞いて呆れるわ。

 なに? 今までイジケて人を困らせたことなかったからってそれを結衣相手に───…………グオアッ……!? ちょ、え? まてまてまて、え? ……わお。

 

「《ぐるガバッ!》」

「《ぎゅむっ》ひゃあっ!? あ、え……ひっきー……?」

 

 振り向いてすぐに抱き締めた。

 なんでって恥ずかしすぎてどうにかなりそうだったから。

 いや……いやいや、有り得ないでしょ……なにやってんの俺。

 え……まじか。えぇええ……!?

 や、そりゃ親だの兄妹だの恋人だのに向ける感情を結衣に~とか言ったよ?

 でもさ、こりゃないだろ……え、なに? イジケて困らせて気を引こうとしたの? ……それ、思いっきり結衣に甘えてるってことじゃねぇですか。小学生かよ!

 ~~~ぐぁあああああ……!! 死にたい……! 死にたい死にたいシニターーーイ!!

 なにやってんの俺! 何を考えてあんな無様っ……ぐっは! グッハァ!! プロのぼっち(笑)! プロのぼっち(笑)……! 精神は大人(笑)! ら、らめぇやめてぇ! 八幡のライフはもうマイナス点よ!

 俺もしかしてずうっと誰かに甘えたかったの!? ワ、ワワワロ……だめだ笑えねぇよ恥ずか死ぬよ!

 

「あ、あのえと、どうしたのかなヒッキー……ね、ねぇ……ヒッキー……?」

「ぐぉおあああ……!! はっず……! 恥ずか死ぬ……!」

「え?」

「ぐっ……いや、それより……」

 

 胸に掻き抱いた結衣を解放して、目を合わせて謝る。勝手にいじけてすまんと。

 そしていじけた理由も大変恥ずかしいが暴露して、自分が結衣に甘えてしまったことも謝った。……ら。

 

「……!《ふるるっ……》」

 

 震えた、と思う。次の瞬間には目を潤ませて、やさしい笑顔のままで俺の頭を自分の胸に抱いた。───て、ちょっ! ダイナマッ……じゃなくて!

 

「お、おい、結衣っ……《ぎゅっ》むぶっ!?」

「ヒッキー……ひっきぃ……! ひっきぃいい……! もう、もうもうもう……!!」

「むぐもごっ……!?」

 

 そのバストは豊満であった。苦しい息できない、なんてことはないが、頭の中が熱の所為でどうにかなりそうです。

 俺がそんな状態だとは知りもしないだろう結衣は、掻き抱いた俺の頭をさらに抱き締めたり、撫でてきたり、胸から解放したと思えば顔中にキスを落としてくる。あ、ちなみに逃げようとすると「むー!」とか怒って顔を強引に押さえつけられる。いや……なんなのちょっと。もう顔面爆発しそうなくらい熱いから堪忍してくれませんか。

 

「だ、大丈夫だかんねっ? パパ相手にあんなこと言わないし、言ったこともないからっ!」

「いや……自分で嫉妬しといてあれだけど、相手の父親に嫉妬とかいろいろアホみたいだろ……」

「えへ、えへへ……えへへへへへぇ……♪ いいのっ、いいんだよっ。ヒッキーが嫉妬してくれたってことが嬉しいんだから……えへへへへぇ~……」

「ちょっと結衣さんだらしない顔やめなさい、顔が緩みきってますよ」

「《キッ!》だ、だらしなくなんかっ───《へにょり》……えへへへぇ……」

 

 あ、だめだこれ。

 俺がしっかりしないと、ほんと。

 そーだよなー、嫉妬とかいかんでしょ。結衣は所有物とかじゃないんだから、独占欲とか…………ブーメランかよおい。

 これでよく結衣に独占欲がどーとか言えたな俺……。

 でも大事なのは確かだし、イジケたり甘えたりするほど好きだということも確認できた。

 それは……よかった、と……い、言っていいのか……!? ほんとにこの恥ずかしさを塗り潰せるほどの価値が……ああやばい死にたいいっそ殺して……! ヘタなトラウマよりよっぽどキツイ……!

 親に甘えられなかったからって婚約者に甘えるって……! イジケるって……! ぐうぉおあああ……! 何故俺はあんな恥ずかしいことを……! 死にたいぃいい! 死にたいよぉお!! 馬鹿じゃねーの!? 馬ッ鹿じゃねーのっ!? バーカバーカッ!!

 

「ヒッキー! 暴れないの!」

「はい……」

 

 そして暴れてぴしゃりと叱られる。俺もう泣いていいと思う。泣いていいよ。泣けよもう。

 

「…………んへへ♪ えへへへへぇ……♪」

「……なんだよ」

「だって……んー……なーんかね、ほんと……ヒッキーからは貰いっぱなしだな~って」

「……貰うって。なにもあげてねぇだろ……それともなに? お前俺の恥ずかしい日々の記憶を脳内コレクションとして保管してんの?」

「し、してないしてないっ、そんなのしないから!」

「“そんなの”……《ずぅうううん……》」

「ああもういちいち傷つかないでよっ! ……あのね? ただね? 思っただけなんだよ?」

「思った……?」

「ん、そ。……ほら、ヒッキー言ってたじゃん? いろいろなものに向かう筈だった感情、あたしに向けてくれるって。そんなの割り切れたりしないんじゃないかなーって思ってたのに、ヒッキー出来ちゃうんだもん。甘えてくれたし、嫉妬もしてくれて……イジケた姿も見せてくれて。全部知らないヒッキーで、たぶん……それはおじさんもおばさんも、小町ちゃんだって知らない姿で……」

「そーだなー。あいつらべつに俺に対して関心ねぇし」

「あ……えと、そういうこと言いたいんじゃなかったんだけどな…………うん……なんでこうなっちゃったんだろうね。あのさ、ヒッキーも解ってるよね……? おじさんとおばさんが、暮らしのために頑張ってること」

「当たり前だろ。んーなのガキの頃の新聞配達の初給料日に痛いほど解ったわ。けどな。その、なに? “だからなんだ”って気持ちの方が強いわけよ」

 

 ぽむ、と結衣の頭に手を置いて、目を見つめながら語る。きっと、いつもより腐っているであろう目のままで。

 

「養ってもらってる内は俺はなんにも文句は言えない。だから言わないし関わろうともしない。疲れてる時の頑張ったねほど鬱陶しいものはねぇって知ってるからな。そうだな、二人とも頑張ってる。養ってくれてる。じゃあ俺が二人に返せるものってなんだ? 小町が産まれた時点で俺のことを気にかけることもなくなった二人だ、それならそれで、俺への対応なんざ完結してるだろ。一歳の俺になにがどう認識できたかとかじゃねぇんだよ。対応は実際、俺と小町じゃ全然違う。物思いついた頃からその対応が続いてりゃ、自分は小町が産まれた時点で、なんて考えるのが当然だろ? ……じゃあ結論だ。あの二人は俺になんも求めちゃいない。“迷惑かけない立派な子供”で居てくれりゃあ文句もないわけだ。俺も困らないし二人も困らない。ほれ、その先の未来は眩しいくらいに大団円だろ」

「ヒッキー……」

「今さらそっちに向ける感情なんてないんだよ。俺にとっての親との関係なんて、学校で配られた書類を握り潰す程度の関係だ。授業参観のお知らせから始まって、親に渡してくださいって書類の悉くを握り潰してきた。その時についたあだ名が孤独参観だったな。親が来てねぇからって先生がまた気を使うんだ。やたら俺を指したりな。そのやさしさがどんだけ人の心を抉るかとか考えないあたり、学校教師は残酷だな。ぼっち経験者がやったほうが人気出るんじゃねーの? 学校教師」

 

 ま、指された先から正解しまくってやった。それしか取柄が無かったからな。

 

「……悪い、ヘンな空気になったな」

「ううん、吐き出してくれたほうが嬉しい、かな。あたし、まだまだヒッキーのこと知らないし」

「うぉ……そ、そか」

「うん。そうだ。だからね、ヒッキー。あたし、遠慮しないよ? 知りたいことは知りたいって思うし、解りたいことはもっと解りたい。だからね、黙ったままで自分で解消とか、しないでね。イジケるのでも甘えてくれるのでもいいから、あたし……もっと分かち合いたいよ」

「……う……ま、あ……その。なんだ。二人一緒、って……約束したしな」

「……! ヒッキー……!」

「んじゃ寝るか」

「唐突に振り出しに戻った!? ちょ、ヒッキー、ヒッキ~……!」

「もういいだろ……話題、もうなくなったし……話題のヤツも疲れてるんだ、休ませてやろうぜ……」

「それただヒッキーが寝たいだけだし! 話題ならもひとつあるから、それ終わったら! ね!?」

「……わーったよ……。で、なんの話? 睡眠について? 早寝早起きのメリットについて? やだ、早く寝ないとお肌荒れちゃう」

「ヒッキー」

「はい……」

 

 そしてまた黙る。もうほんと泣いていんじゃないかな俺。

 

「えっとね……ヒッキーのメールの話なんだけどね」

 

 そんなふうにして落ち込んでいると、ひょいと結衣が俺のケータイを手に取る。

 べつに見られて困るものはなかったからそのままでいた。

 ……。……。……、……? 話はないんだろうか。寝ていい? いいよね?

 

「……ヒッキー」

「ん? どしたー」

「話、一番最初に戻すよ?」

「? おう?」

「このいろはちゃん? っていう人、かわいかった?」

「───」

 

 ああ……うん。これ、アカンやつや……。

 

  ×  ×  ×

 

 朝の自室。目覚めるや起き上がり、ぐうっと伸びをして溜め息。

 結局、一色のことを説明し終えるまでに随分と時間をくってしまった。お陰で少々眠い。

 

「………」

 

 隣には、すいよすいよと寝息を立てる天使。

 やばい、寝顔やばい、可愛い。

 惹き寄せられるように頭に手を伸ばすと撫で、「んゃぅ……」とむにゃむにゃ言う姿に……幸福を感じた。

 え? 安い幸福? なに言ってんの、俺の隣に女が居るって事実自体が高すぎる幸福じゃねぇの。しかも好いてくれてるなんて、奇跡以外のなにものでもないんじゃない?

 なのでこれは安くはない。

 むしろ条件が揃わなければ手に入りすらもしない幸福であると断言する。

 だってあの親父さんが居て、結衣が同じ部屋で寝るなんて、普通許してもらえないだろ。どんだけ条件厳しいの。

 しかし俺は鬼になろう。この幸せそうに寝ている婚約者を起こし、一緒に走らなければならんのだ。

 いやべつに? 一色のことでしつこくいろいろ訊かれて眠気が飛んで? 寝るのが遅くなったことを恨んでるとかそホんなことなハいよ? 

 そんなわけで寝ている彼女に悪戯を。

 断言しておくが、18歳以下なのであげなことそげなことはしない。しないったらしない。……絶対しないんだからねっ!?《ポッ》

 

 

───……。

 

……。

 

 <《ベチィッ!》イタァッハァーーーッ!!?

 

……。

 

───……。

 

 

 しゅうううう……

 

「う~……なにもデコピンしなくてもいいじゃん……」

「ほーん? じゃあ他にどんな起こし方があるっての」

「それはー……ほら、恋人同士どころか婚約者なんだし……なななんてのかな、ほら…………お目覚めのぉ……キス、とか……?」

「キャラじゃねぇしいきなりハードル高すぎでしょ……。もっとこうさ、負からない? デコピンとか頭突きとか拳骨とか」

「なんか狙いが頭に限定してる!? や、やめてよ! そんなことされなくても起きるよぉ!」

「いやあれだよ。お前メールしただろ。頭叩けば俺より賢くなるって」

「あれはもういいからぁ! うぅうっ……ヒッキーのばか、いじわる、いくじなし……」

「おい、意気地なしは関係ねぇだろ」

「じゃあキスして?」

「すまん俺意気地なしだったわ」

「折れるの早っ!?」

「ばっかお前、ぼっちなんて常に負けてんだから、ここで負けることなんて想定出来んだろ」

「そこは負けちゃだめだよね!? 勝とうよ!」

 

 無茶言ってくれますねこの婚約者様。あの、一応もう外ですよ? 着替えて、新聞配達に行く気満々ですよ?

 そんな空の下でキスをしろって? ……絶対に誰かに見られるからやるわけにはいかない。誰が見るって、お隣の窓の、不自然にたわんだあのカーテンの端っことかからママさんが……ね?

 



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当然の如く、由比ヶ浜結衣は彼氏から愛されている②

 

 まずは一息。そして、軽く伸びをしてから仕切り直し。

 

「んじゃ、まずは準備運動からな」

「ふえ? すぐ走らないでいいの?」

「足を伸ばすのはほんと大切だから覚えとけ。第二の心臓って言葉、ほんと馬鹿になんねぇから。“なんか体がだるくて動きづらいなー”って時、試しに足の筋とかわき腹とかを伸ばすストレッチを時間かけてやってみろ。案外疲れが一気に取れる場合があるから」

「へー! そうなんだ!」

「おう。……ま、原因がどれかは知らねぇけど」

「あはは、まー……あたしたち、お医者さんとか研究員じゃないしねー……あ、ヒッキー眼鏡は?」

「落とすと死にたくなるから運動の時はつけねぇよ。ほれ、柔軟始めるぞ」

「はーい」

 

 柔軟開始。───終了。

 

「ヒッキーヒッキーもう走る?《わくわく》走るの? 走っちゃうっ?《トテトテうろうろ》」

「散歩を待つ犬かよお前は……最初は早歩きからだ。体が慣れてきたらスロージョギングな」

「すろー……?」

「スロージョギング。言葉通りゆっくりしたジョギングだ。足を上げる筋肉だけを使う分、余計な体力を使わずに運動が出来る。慣れると結構早く走っても、スタミナは持続するぞ」

「へええ……あたしにも出来そう!」

「出来るっつか、やってもらうんだけどな。ほれ、いくぞ」

「うん! あ……ね、ヒッキー、手……繋いでも、いい?」

「だめ」

「即答だ!? え、えー? なんでー?」

「朝っぱらからご近所の噂になりたくねぇんだよ……察しろばか」

「ばっ!? 馬鹿ってなんだし!」

「ほれ行くぞ。歩き方を覚えるところからな《スタスタ》」

「え? あ、うん《トテテ……》」

 

 歩き始めると、結衣がトテトテとついてくる。さながら、犬のようだ。で、実際の犬はといえば、朝早くに起きてジャージに着替える姿=散歩と思ったらしく、ひゃんひゃんと元気に吼えていた……のだが、置いていかれる事実にひゃうーんと悲しい遠吠えをしていた。

 

「んっと、こう?」

「上半身を無理に動かす必要はないんだけどな。ダイエット効果とか狙うんだったら、上半身も動かしたほうがいい」

「そうなんだ。よっ、ほっ《ゆさっ、ゆさっ》」

「───」

「? ヒッキー?《ゆさっ、ゆさっ》」

「上半身動かすのはやめよう。じゃなければ俺は、道ゆく男どもの目にレーザーポインターを当てつつ歩かにゃならん」

「え、あ、う、うん……? よくわかんないけど、ヒッキーのゆーとーりにする……」

 

 ……。

 

「よし、挨拶も済んだし、新聞も受け取った。まずは流れを知ってもらうぞ? バイト始めるかどうかはそれからでいいだろ」

「むー……平気なのに」

「あーそうなー。平気かどうかは走ってみた翌日に言ってくれ。んじゃいくぞー」

「うん。……ゆっくりジョギングするんだよね?」

「ああ。ただし爪先だけでだ。体は少しだけ前傾。背筋は伸ばす。足はあくまで持ち上げるだけ。地面を蹴っちゃいけない」

「え? え、と……こう、かな」

「腕も振らなくていい。前に出す足の距離ももっと狭くていい。……おう、そうだ、歩くよりちょっと速い程度でいい。足も大げさに持ち上げるんじゃなくて、落ちたボールとかが勝手に跳ねるイメージだ。足が地面についたら、その反動と一緒に足も持ち上がる、って感じだな」

「へー……これが運動になるの?」

「ふつーに歩くよりよっぽどな。そのくせ疲れない。最高だ」

「ふーん……」

 

 ……。

 

「あはは、な~んか楽しいねー! 喋りながらジョギングなんて、なんかちょっと自分で嬉しいかも! ほら、こう、新しい自分が目覚めるーみたいな!」

「走りながら喋るなんて、すぐにぜーぜー言うイメージばっかだからな。おし、ここらへん終了。次いくぞー」

「うんっ!」

 

 ……。

 

「ほっほっほっほっ……あ、ねぇヒッキー? ほっほ……これってさ、呼吸とかはどうしたらいいのかな。ほっほっ……ほら、はぁっ……走ってる時ってさっ、呼吸も大事~って言うじゃん? なんだっけ? ひっひっふ~?」

「いやそれ違うから……あー、吸って吸って吸って吐く、が一般的だな。鼻で吸って口で吐くだ。口だけだと酸素吸収量が少ないらしい」

「そうかなー、一気に吸えて……ほっほっほっ……酸素いっぱい吸えてる気がするけどなー……ほっほっ」

「俺もそう思うんだけどな。ま、いろんな知識が無料で得られる時代だ、そういった方向での知識ゼロな俺達が想像する“ああじゃないか”よりも、そういった専門家が開示してくれる“こうですよ”を信じたほうが、まだマシってもんだろ」

「あ、それ解るかも! ママも“試すぜガッテン!”とか見てると、なんでも鵜呑みしちゃうし! 前はなにで見たのか知んないけど、……っほっほ、……はふ、……カレーにへんな葉っぱが入ってたよ!」

「息弾んでくると、不思議と声デカくなるよな。ちなみにそれ、たぶんローリエだ」

「ゴリエ? ティッシュ?」

「ゴリエでもティッシュでもない」

「……あ、ナプキ───うわわなんでもないっ!」

「それも違う。ローリエってのは月桂樹の葉のことだ。花王さんは関係ないからやめてさしあげろ。あと結衣、この話題はちゃんと覚えておけ。カレーに葉っぱが入ってたよーとか、ママさん恥ずかしいだろうから」

「う、うん……ごめん……《カァア……!》」

「ちなみに月桂樹を編んだもの……草冠のことを月桂冠って呼ぶ」

「お酒?」

「草冠だっつっとろーが……」

「え? 漢字の?」

「………」

「え? え?」

「……前に話題になった外国のファンタジー映画で、精霊役の女性が頭に草の飾り物つけてただろ」

「あ、それなら知ってる! なんかあーゆーのってよく見るよね! えと、エルフだっけ? なんかその種族がつけてるいめーじ!」

「そう。あれが月桂冠だ」

「そうなんだ!? じゃあカレーに入ってたのはあれの葉っぱ? なんかいー匂いしたけど」

「そだな。あれがローリエで、月桂冠はローレルリングっていう」

「リング? 指輪?」

「そのまま輪って意味でいいぞ……」

「んっ……わかった。……はふっ、はふー……ねぇヒッキー、なんか疲れてる?」

「いろいろな意味でな……」

「そうなんだ! やっぱりあたしの方が運動の才能あるのかも!」

「そーだなー……そうだったらいいなー……」

「ふーふーん♪ ……あっ、たしかに鼻呼吸のほうが楽かも!」

 

 ……。

 

「ね、ねぇヒッキー? ふっふっ……あたし出発から……ふっふっ……一回も休まず、こんなにっ……走ってるよ! はへっ、はへっ……やっぱりあたしっ……運動神経っ……いいんじゃないかなっ……ふぅ、ふぅっ……」

「そう感じることが重要なんだよ。ま、距離が長ければ長いほど、足にも負担は掛かってるから……終わったら柔軟は必須な」

「えへへぇ、なんかあたし、運動好きになれそうかもっ……ふっふっ……すっすっすっはぁ~……えへへえ、吸って吸って吸って吐いて~♪」

(可愛いなくそ……)

「んぇ? なんか言った?」

「……結衣。こういう時に“な、なんでもないよっ!?”とか言われて誤魔化されるのと、真っ直ぐに言われるの、どっちがいい?」

「うん。とりあえず女の子の声真似がキモい」

「おいそこはツッコむな。大体返事をキモいの三文字で終わらせるとか、普通に考えると失礼とか思わねぇのかよ」

「それは、そうかもだけど。べつにヘンな声で言う必要なかったじゃん? ……ふっふっ……じゃあヒッキー、あたしが色っぽそーな声? でヒッキーに……えと、“ねぇん……構ってくれなきゃ他の男のとこ、行っちゃうわよぉん?”とか言ったら」

「きも」

「二文字だ!?」

「お前やめろ……まじやめろ……ほんとやめろ……やめて、お願い……ほんと……」

「え、え……えー……? そ、そんなやだった……? ってなんで泣いてるの!? そんなやだったの!?」

「ごめん……すまん……本気で言うなら別れてくれ……やめて……まじやめて……」

「い、言わないから! もう絶対言わないからぁ!」

「……なぁ結衣。世の中にはな……言っていいことと悪いことがあってな……?」

「なんか普通に説教始まった!? ご、ごめんってば! てゆーかなんであたし謝ってるの!? 解んないよぉ!」

「じゃあお前、俺が女なんてちょろい、食うために居るんだとか言ったらどう思う」

「……《ぽろぽろぽろ》」

「泣くほど嫌か!?」

「あ、あれ……? やだなぁ、泣くつもりなんて、なかったのにっ……ご、ごめんねひっきぃ……あたし、めんどくさい女の子だよね……っ……」

「……あのな。俺もお前に言われた時、そんな風なこと連想したの。色っぽいとかやめろ。俺はお前のままがいい。真っ直ぐでいてくれ」

「……ぐすっ……うん…………あたしもひっきぃがいい……ひっきぃのままがいい……」

「結衣……」

「ひっきぃ……」

「ママー、あのおにーちゃんとおねーちゃん、はしりながらないてるー!」

「シッ! 見ちゃいけません!」

「…………」

「………」

「……恥ずかしいのは元からだしな。結衣」

「ひゃ、ひゃいっ!?」

「……好きだ」

「はう《ポッ》……う、うん。あたしも……えへへ、うんっ! あたしもっ! そだねっ、恥ずかしいのなんて元からだもんねっ!」

 

 ……。

 

「はい終了、お疲れさん」

「終わった~……♪ うわわ、なんか足がヘンっ!」

「止まると足が棒みたいになってるだろ。やってる最中は気づかないもんだよ。あ、っと……結衣、風呂行く前にちょっと部屋寄ってけ」

「? なに? ……すぅ~はぁ~……すぅ~はぁ~……なんか止まってからの方が疲れるね……」

「足が棒になってる感覚の所為で、体が疲れを認識したんだろ。ほれ、いーから来い」

「うん」

 

 配達が終わり、長く息を吐いてからは俺の部屋へ。

 そこで自分で作ったドリンクといくつかのタブレットを飲んでもらい、運動後の柔軟を念入りに。

 

「あうぅうう~~~……! 足伸ばすの、きもちい~~……♪」

「なんつーか、予想通り体硬いなお前」

「なっ! 硬くないし! 柔らかいし! ほらっ!《ぷにぷに》」

「肌じゃなくて体だっつーの……ほら、後ろから少し押すから、無理がない程度に伸ばせ」

「うん。あ、ゆっくりね? ゆっくりだかんね? 痛いのやだよ?」

「……お前、他のやつにそういうこと言うなよ?」

「? なんで? まあうん、解った」

「はぁ……」

 

 柔軟も終わると、結衣を由比ヶ浜家の風呂へ送り出し、俺も自宅の風呂へ。

 お互いさっぱりしたあとに準備や食事をして、学校へ。

 

「ヒッキーこんな朝早くに出てたんだ……」

「ああ。まあ、なんてーの? 家に居たくないからな」

「そっか」

「おう」

 

 家のことになると、深くは訊いてこない。

 だから俺も軽く返して、隣を歩く。

 

「また自転車買ったりはしないの?」

「そだなー……どうしようか迷ってはいる。通学は別に徒歩でも構わんけど、他の用事の時……まあ急いでる時とかな。そういう時にはやっぱあった方が楽ではあるんだよな」

「自転車かぁ……ヒッキーが買ったら、あたしも買おうかな」

「あ? なんで」

「だって、それなら一緒に行けるじゃん? 禁止されてなかったら、後ろに乗せてもらうんだけど」

「お前それ、運動が好きになれるかもとか言ったあとに言うか……?」

「そ、そーゆーんじゃないし! もう! ちょっとは解ってよばかっ!」

「いやべべべべつに解んねぇわけじゃなくてですね……? ほらその、あれじゃん? はぐらかさないと会話が続かねーっていうか……一応途切れないように頑張ってるんですがね……」

「むー……解ってくれたほうが嬉しい。でも気ぃ使ってくれるのも嬉しい……もう。ほんと、ヒッキーってばか」

「少なくともお前よりゃ頭はいーよ」

「だからそーゆーんじゃないしっ! 馬鹿にしすぎだからぁ!」

「へいへい……」

 

 ぽかぽか殴られる。痛い。でも顔が緩みすぎてて反応出来ない。

 もうほんと、なんでこういちいち可愛いのこの子ったら。八幡いろいろ辛い。主にニヤケそうなこの顔が辛い。

 

「あ、そだ。ヒッキー、お昼どうするの?」

「びょふっ……」

「びょふ?」

「…………ベストプレイスでぼっちメシだよ。こんな時に言わせんなよ噛むから」

「あー……じゃさ、じゃあさじゃあさぁ、あたしもそこ、行っていい?」

「なんでだよ。《ぱああ……!》お前、クラスの友達とかは」

「わー、ヒッキーなんでだよとか言いながら顔がすっごい嬉しそう」

「ばっ! やっ……ウレシイデス」

「……えへへっ、えへへへへぇ」

「お前なんなの? 昨日もそんな風にニヤニヤしてただろ。そういや途中で俺がヘンな話しちまった所為で流れるみたいになっちまったけど」

「あぁあれ? うん、こう、なんてーの? たださ、ヒッキー……前よりもずっと、あたしにいろいろ見せてくれるようになったなーって。昨日は言いそびれちゃったけど、いろんな人が知らないヒッキーを自分だけが知ってるって、嬉しいな~って」

「………《…………カァ》」

 

 やだなにこれ、また惚れちゃった。知らない一面を知るたびに好きになる……おい俺、知らない一面多すぎでしょ……そして結衣に対してチョロすぎ。

 ただ名誉のために言わせてもらおう。チョロいと言われるほど簡単に人を好きになることのなにが悪い。その人の在り方に惹かれ、純粋に心トキメくことは、チョロいなんて言葉で吐き捨てていいほどつまらないものじゃあ断じてない。つまり俺ピュアめっちゃピュア。

 

「あー……もう学校だ。話しながらだと早いね」

「ソダナ……《カァアア……!》」

「ヒッキー?」

「や、ちょ……顔見るな。やめれ、やめて」

 

 なんて娘。この子悪魔だわ! あ、天使だった。

 そんな風にして顔を覗き込もうとする結衣から逃れ、靴を履き替えれば教室へ。

 別れる前に「眼鏡」と言われたので、渋々ながらにつける。つけるより宝物として置いておきたいんだけどな。仕方ない。

 そうして別々の教室へと入ると、賑やかだった喧噪が一度ぴたりと止まる。

 

(……やっぱ似合ってねぇんじゃねぇの? この眼鏡)

 

 似合う似合わないに関わらず、結衣がくれたものだから大切にするけどさ。

 まあいい。今日も今日とてステルスヒッキーを発動させて、息を潜めていよう。なんならそのまま眠ってしまう手もある。

 自分の机に鞄を置いて、少し開けると音楽プレイヤーからイヤホンを伸ばし、耳につけて再生。鞄を机の横に引っ掛けて、あとは突っ伏して眠るだけ……あ、眼鏡どうしよ。

 

 <エ? アレダレ?

 <アソコノセキ、ダレダッケ

 <アアホラ、アノ…ライライダニサン?

 <キンニクサンガコムラガエルナ…

 <ナニソノ ウスイホンガアツクナル ミタイナイイカタ

 <エットホラ…ヒキタニクンジャン?

 <アー、ニュウガクシキニジコッタ!

 

 ……うぜぇ。

 なんだ急に騒ぎ出した>>有象無象 あもりにヒソヒソがすぎると俺の胃がストレスでマッハなんだが?

 そんなに眼鏡つけるのが意外かね……ほっとけ、どうせ似合わねぇよ。

 

……。

 

 そうして昼。

 動物園のパンダにでもなったみたいな視線地獄にうんざりして向かったベストプレイスには、ものの見事に人の気配がない。

 ほっこりと笑みを浮かべながら座ると、早速買ってきたパンの封印を解く。お供にはマッカン。最高。ついじっくりと、どこぞのゴローさんのように、ねっとりとしてそれでいてさっぱりとした食に対する独自のうんちくを垂れたくなるが、まあそれはまた今度で。

 

「………」

 

 で。一緒にって言った結衣さんはいつ来るんですかね。

 食べていい? 食べていいのん? だめ? だめですね。

 

「《ヴィー》お、メール」

 

 結衣か? まさか来れなくなったメール? やっぱり友達と食べるからぁ、とかだったらどうしよ。……正しくぼっちであるだけだな。大丈夫、人生が苦くてもマッカンがあれば生きていける。

 どこのどなたか存じませんが、ソウルドリンクをありがとう。

 と、カレーに感謝するCMのように感謝をしていると、目に映るのは“捕まって動けない”の文字。

 俺はパンとマッカンをその場に置いて、普段使わない全力を以って駆け出した。

 

  で。

 

 ズッパァーーン!

 

「結衣っ!」

 

 結衣の教室まで来ると、その引き戸を一気に開けた。

 ぼっちは慎ましいとかそういうのはこの際置いておく。大切なものがピンチな時、あなたは手段を選びますか? ……おう、ハイ、そうですね。俺は選びません。

 

「あ、ヒッキー……」

 

 開けた途端にザワッ……とどよめいた教室の中で、文字通り女子に囲まれてあたふたしている結衣を発見。

 その周囲の女子が俺をみて“きゃあ”なんて騒ぎだすが……あーすんませんね、DHA豊富そうな目ぇしてて。ゾンビにでも遭遇した気分ですか? キモいならそれでいいから結衣から離れてくれません? それ俺のだから。俺の婚約者だから。俺の大事な人だから。……だめだもう独占欲云々じゃ結衣になにも言えねぇ……! 大好きなご主人を奪われて嫉妬する犬みたいな気分だよちくせう。

 

「なにあれ噂ほんとだったんだ! 地味な男子が彼って聞いてたのに!」

 

 へーへー地味で悪ぅござんした。

 

「じ、地味なんかじゃないし! ……ヒッキー、かっこいいもん……」

 

 いやあなたも馬鹿正直に返事してないでこっちきなさい。俺今、針の筵だから。

 なに? ここで恋愛ドラマとか少女マンガよろしく、近づいて手を取って一緒に逃げればいいのん? レベル高ぇなおい。

 

「たはー! のろけいただきました! この幸せもんがぁ! あーでもわかるなー、こりゃ確かにかっこいい!」

 

 女のきゃぴきゃぴ騒ぎの9割は信じるなと、僕は中学で学びました。

 ブサイクな彼を作った女に、別の女が“お似合いじゃーん?”とか言うのと同じな。

 “友達の彼がカッコイイ=そうね格好いいわねあなたの中では”……つまりそーゆーこったろ?

 

「どうやって知り合ったの? ねぇねぇ」

「お、幼馴染だから」

「うそ! リアル幼馴染!? ほんとに居るんだ!!」

 

 うーわー、視線がうざってぇ……。ねぇ、これどうしたらいいの? 考えたんだけど下手に動いて印象悪くすれば、結衣が今の俺みたいに針の筵になるのよね?

 くっ……卑怯な! 人質を取るとは……!

 

「てか、メール送ってから来るまでめっちゃ速かったよね!」

「うわーいいなぁ、私も彼からこんなに大切に思われた~い!」

「あははぁ……それはちょっと無理じゃないかな……ヒッキー特殊だし」

「え? ゆっち、今なんて?」

「あ、ううんっ!? なななんでもないよっ!? あはっ、あははははっ」

 

 ほほう。ゆっち……そんなあだ名もあるのか。

 ユッイーより数百倍マシだわ……! やだ、私のあだ名センス少なすぎ……!?

 

「あーその。しょっ……そいつ、これから俺と昼飯なんで、解放してもらっていい……スカ」

 

 グッハァ! 最後までキメなさいよなに最後の最後で低姿勢になってんのバッカじゃないのバッかじゃないの!?

 

「あ、はいどうぞどうぞ! ゆっちごめんね~! 時間とらせちゃって!」

「あ、ううんっ、あたしはべつに……」

「むふふんっ……ところでさぁユイ? ユイの彼、明らかに総受けって顔して───」

「え? ソーウケ? なに?」

 

 ちょっとやめてください宅の天使になに教え込もうとしてんのそこの眼鏡。あ、俺も眼鏡だった。

 ともかくずれた人垣から結衣を引っ張り出して、そのまま手を繋いで廊下へ。途端にキャーとか楽しそうっつか嬉しそうっつか、なにやら賑やかな悲鳴があがって、つい教室内を見てしまう。

 その時、なんか驚愕顔のまま俺を見て、動かなくなっている……あー、なんだ? ああそうそう、さがみんを発見した。なにあいつ、顔面神経痛にでもなったのん? ほら、お友達が肩揺すってるよ? 反応してあげようよ。つかなんで俺見てんの? やっぱ俺なんぞが結衣の婚約者で何様のつもりじゃーって感じなのん?

 まあべつに俺がどう思われようと構わん。結衣に危害が無いなら、ってとこに絶対条件を敷くけどな。

 んじゃ行くかと歩き、やがていつものベストプレイスへ。

 ……さすがベストプレイス、置いていったパンとマッカンがどうにかなることもなく、そのままの状態で置かれている。

 盗まれてたらどうしましょとか実は思ってたりした。もちろん走ってる最中はそんなこと全然気にしなかった。結衣の方が大事だった。ただそれだけだ。ほんと優先順位、狂ったよな……。



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即ち、由比ヶ浜結衣は純粋で真っ直ぐな、主大好きの犬系女子である

 

 こほんと咳払いひとつ。

 ともあれメシである。

 

「お前は弁当?」

「あ、うん。一応ヒッキーのもあるんだけど」

「……《ごくり》……それは、人類が口にしていいものか?」

「急に真顔になんないでよ! ひどすぎだし! てかあたしに作る時間がなかったの、ヒッキーが一番知ってるでしょ!?」

「あ……ぅぁ……ん、ま、まあ……そうだった……な」

「え……あ、うん…………急に照れないでよ、ばか……」

「無茶言うなよ……」

 

 ママさんが作ったらしい弁当を受け取り、そういえばママさん弁当久しぶり……と密かにわくわく。

 というのも、俺は親に弁当を作ってもらったことがない。

 なので弁当で言えばお袋の味は完全にママさん。むしろ家の食事も俺が作ってたから、俺の中の母親像はママさんのみと言えるまである。

 なもんだから純粋にわくわくしながら、冷静に“わくわくすんなよキモいな”とツッコミつつ、弁当を開ける。……と、蓋の裏にメモっぽいのがくっついているのを発見。かなりしっとりしてるけど、メモだ。

 

「?」

 

 結衣が自分の分の弁当に視線を向けている内にぺらりと見てみる。

 と。

 

  “子供は男の子と女の子、一人ずつがいいわぁ~。これでいっぱい精をつけてね~♪”

 

 …………。

 母親像が……。俺の母親像が……!

 でも弁当は素直に美味しかった。更新されかかった母親像が復活した。

 

「《カシュッ》……《ごくごく》」

「あ……あたし飲み物なかった」

「ん、飲むか?」

「いいの?」

「むしろ俺がいいのか? なんつーか、俺以外に好んでマッカン買ってるヤツを見たことがない」

 

 不思議だね。こんなに甘く、心にやさしいのに。

 

「あたしは結構慣れたけどね~♪ んくっ……んっ…………はぁ、えへへぇ、甘い~」

「その甘さがいいんだよ。世の中苦いことばっかだからな」

「でも言うほど甘すぎるってものじゃないよね」

「ほんとそれな。なんで甘い甘い言って飲もうとしないんだか」

「でもおべんとには合わなくない?」

「米にはちと合わんかもだな。パンには最高のお供なんだよ。金が無い時とか特に最強な。節約のために百なんぼの5枚入り角食パン買って、マッカンと一緒に食ったもんだ……」

「MAXコーヒーとパンが大体同じ値段なのに買うんだ……」

「本気で節約する時はパンと水だけどな」

 

 言いつつ手を合わせてごちそうさまを。

 洗って返そうと思ったら、“そう言うだろうからそのまま持ってきてね~”とママさんに言われてると言われ、あの人の先読みの強さを改めて実感。いや……なんつーか。随分と見てもらってたんだなって。やばい、ちょっと照れる。

 

「ん? なあ、お前って」

「むー……なーんかヒッキー、“お前”って言うの増えてない?」

「んぐ……ゆ、結衣」

「うん。えへへぇ」

「……結衣って、マッカン好きだったか?」

「あー……えとー……頑張った」

「頑張ったって、なにを」

「カロリーとか見て、うわーとか思ったけど……ヒッキー、美味しそうに飲んでたから。す、好きな人が飲んでる好きなものとか飲んでたら、気持ち、解るかなーって……」

「───」

 

 顔を赤くして、ほにゃりと照れ笑い。立てた膝の上で指と指をこねこねして恥ずかしそうにしている姿に、また惚れた。

 “気持ちが解るかな”。結衣はそう言った。

 それは多分……俺が結衣からも距離を取っていた頃からのことで…………う、うぁ、あ……!

 

(顔、熱ぃ……!)

 

 本当にずっと好きでいてくれた上に、捻くれ者で素直じゃない俺の気持ちを解ってくれようとしていたのだと思ったら、もう……なんかもう、こう……抱き締めて、強く抱き締めて、頭撫でたり抱きしめ直したりなんだり、とにかく無茶苦茶にしたい衝動が湧き上がる。やばい、ほんと好きすぎてやばい。

 

「……? ヒッキー?」

「~~~……」

「《ぐいがばっ!》ひゃうっ!? ひ、ひっきー?」

 

 我慢出来ませんした。てへっ☆ ……落ち着け俺、キモい。

 結衣を引っ張り、左肩に顔を埋めるように右手は後頭部に。左腕は背中に回して、湧き上がりすぎる衝動を抑えてゆく。……これでも抑えてるほうなんだよ。俺が本気出したらすごいよ? 散々愛でまくったあとに正気に戻って頭抱えてもだえ苦しむレベル。……俺が苦しむのかよ。

 結衣の腕が背中に回されて、口からなんか結衣が出したみたいな声が出た。自分から抱き締めといてなんなの俺。ひゃうとか俺が言ったってキモいだけだからね?

 

「………」

「《なでなで》………」

 

 特に交わす言葉はない。

 抱き締め、頭を撫で、この距離を幸福に感じる。

 結衣は俺の肩に顎を乗せるようにして、力を抜いていた。

 そんな、信頼しきっている脱力が、心に温かく染みこんでくる。

 ああ……俺、こいつのことが好きだ。

 俺がこんな感情を抱く日が来るなんて、思ってもみなかった。

 よしんば奇跡的に好きになってくれる誰かが居たとして、こんな感情は抱かなかったに違いない。

 自分の全てを懸けてでも幸せにしたい、大切にしたいなんて……そう思える人が存在するなんて、思わなかった。

 

(……結衣の言ってたこと、結構魅力的だったよな……)

 

 気にしたことがなかったわけがない。

 ガキの頃、それこそ惚れて惚れられたその日に告白していれば、その頃から両思いだった自分たち。

 俺がぼっちとしての精神を身につける前に、そんな関係の相手が居てくれたなら、俺は目も腐らせずに素直な自分のままで居られたのだろうか。

 まあ、そっちの道を歩いたとして、その俺がどれだけ世界の荒波に抗えたかは知らんけど。

 大体? ぼっち精神を手に入れなかった俺なんて生きていけんの? すぐに心折れていろいろ諦めちゃうんじゃない? 結衣とお前は釣り合わないとか言われたらあっさり別れるとか……あー、しそうだな。根性なさそうだ。メンタル弱そうだし。

 だめだな、ノーぼっちノーライフ。やはりまちがっていても、俺はぼっちであるべきだったのだろう。過去があるから今の俺だ。これからのことはこれからの俺が頑張りゃいいことだし? べつに気にすることでもねぇよ。

 

「結局、ぼっち最強な」

「え? いきなりどしたの?」

「なんでもない」

 

 ぼっちの経験がない自分を想像してみて、状況に流されっぱなしのもやしな自分が思い浮かんだ。

 顔立ちは整っていて目も腐ってない。が、主体性のかけらもない、空気ばかりを読もうとする風見鶏。そのくせその空気読みも上手くいかず、空回ってばかりの情けない男だ。

 俺は一人でなんでもやろうとしたから今の自分になれた。じゃあ一人でなんでもしようとしなかった自分が到る場所はなんだ? ……やべぇ想像したくない、あまりにも情けなすぎる。

 

(IFはIFだな。現在万歳)

 

 大体重要なのって生きている今であって、そりゃあ予想出来る未来のために準備をするのはいいことだけど、今を見失ってりゃ意味ねぇだろ。つまり現在万歳。

 ちなみに過去は振り返らない。トラウマしかないからな。

 んで、未来に懸ける情熱といえば……そりゃお前、アレだよ。ガラじゃねぇけどほら……け、結婚生活……とか? 金溜めまくって家買って、そこに結衣を迎え入れて……フヒッ《ビクゥッ!》うおっ!?

 

「………」

「ん……ヒッキー?」

 

 丁度フヒッと笑みがこぼれた時、特別棟入り口にあるガラス戸に映った自分が見えて、思わずびっくりしてしまった。

 いや……気持ち悪すぎでしょ、俺……。思わずキモすぎとか言わずに、気持ち悪すぎと丁寧に言ってしまった。

 やっぱ眼鏡程度じゃなにも変わらんて。きっと相模も、途中で俺のキモい笑みとか見て固まってただけなんじゃないか? さっきのあの時点で、ニヤつくようなことがあったかは忘れたけど。

 

「……あんま気にすんなよ」

「え? なにを?」

「俺のこと。教室でいろいろ訊かれてたんだろ? 噂がどうとか言ってたしな……」

「あー……うん」

「こんな目が腐ってて性根も腐ってるヤツが相手だって耳にすりゃ、そりゃ噂にもなるだろうしな」

「え?」

「悪いな、それでも俺はぼっちとして生きた日々を今さら悔やむことは───」

「ちょ、ちょっと待ってヒッキー! 待って待って!」

「あ? お、おう?」

 

 え、なに? なんなの? 俺なんかやらかした?

 結衣が人の言葉遮ってまで何かを言おうとするなんて珍しい。思わず“待て”をされた犬みたいにぴたりと停止してしまった。

 

「ねぇヒッキー? ヒッキーは噂とか聞いてる?」

「噂? ああ、影の薄いヒキタニくんが入学式に事故って筋肉さんがこむら返ったって話なら聞いた」

「なんか聞いたこともない噂が来た!?」

 

 びっくりしたらしい結衣が俺の腕から離れてまで目を見開いている。あ、離れた距離がちょっぴり寂し……いや寂しくねぇし。寂しくねぇから、自分から離れておいてしゅんとするんじゃありません。

 物欲しそうにこっちを見るのもやめなさい、あなたから離れたんでしょうが。

 いや、言っとくけどもうこっちからとかしないから。場の勢いもなしに抱き締めるとか、それこそ難度高すぎでしょ。《くいっ……きゅむ》……大体、結衣はいつも本能的に、というか感情に任せて動きすぎなんだ《なでなで……》……これを機に、少しは“一旦考えてから行動する癖”をつけたほうが───《さらりさらり……》。

 

「んんぅ……」

「《ビビクゥッ!》うおおうっ!?」

 

 え……え!? なに!? なにこれ! なんかいつの間にか結衣が俺の腕の中に……! しかもなんか頭撫でたり手櫛したりしてるよ俺!

 なにが……いったいなにが!?

 馬鹿な……まさかとは思うが、このぼっちとして鍛え上げられてきた比企谷八幡が、無意識に女性を求め、抱き締め、いとおしそうに女性の頭を撫でていた、とでも……いうのだろうか。

 言わなけりゃこんな状況になってませんねごめんなさい。

 

「………」

「…………《なでなで》」

「………」

「…………《なでなで》……、……」

「…………《すりっ》ひゃい!?」

「《びくっ!》……、…………」

「………」

「……《なでなで》」

「……《すり……すりすり》」

「…………」

「…………」

 

 無言で頭を撫でたり、急にすりすりされて変な声だしたり、その声に驚いたり。

 なんというか……もしかして、これって……ラヴコメチックな状況だったりする?

 

「ん、と……ね、ヒッキー……教室でしてた話ってね、そんな悪いことじゃないんだよ?」

「…………」

「ヒッキー、結衣はやさしいなとか思ってる? 言っとくけど嘘とかじゃないからね?」

「じゃなけりゃどんな噂だったってんだ。いい噂だけだったら、わざわざ相模が俺のところに来て鼻で笑う必要もなかっただろ」

「ヒッキー、聞いて」

「……おう」

 

 聞いてと言われれば聞く。思春期の男女ってのは自分の意見ばっかりを押し付けたがるもんだ。

 だからどちらかが相手に知ってほしい言葉が出たら、“聞いて”と言うことにしている。

 

「さがみんが来たのって昨日なんでしょ? あそこに居たみんながしてたのは今日の噂だよ。だから、ヒッキーが心配するような噂なんてなかったの」

「………」

「その噂も、ヒッキーがイメチェンしてかっこよくなったって噂だったし、嫌な噂なんて全然なかったの。動けないってメール飛ばしちゃったあたしが悪かったのかもだけど、それは信じて欲しいな……」

「結衣は信じる。が、噂は知らん。言うだけならどうとでも言えるだろ。ほれ、“結衣の前だから”。“結衣が俺にメールを飛ばしたから”。吐ける言い訳なんて、探せばいくらでもあるだろ」

「捻くれてるなぁ」

「大体、眼鏡かける程度で人の印象がそんな変わるかよ。眼鏡かけるだけでバレないご都合主義なんて現実世界にゃないんだよ。同じ髪型、同じ背丈や声なのに、魔法少女の正体がバレない原理ってほんと謎な。アレって結局ウケ狙ってるのか?」

「え? うーん……アニメのことは知んないけど……ってそうじゃなくて! とにかく! いい噂だからそんな尖んなくていいの! むしろあたし、ヒッキーがみんなに認められたみたいで嬉しかったし!」

「えー……? やだよめんどい。よしんばそんなことが本当に起こってたとしても、それで人から話しかけられるくらいなら人から逃げるよ俺……。それとな、俺の交友を増やすためにアレコレやろうとか考えてるなら、そんなものはやめろ。俺の世界は今のこの時点で完結していると言っていい。余計な視線なんて増やしたくもないし、結衣に割く時間を減らす予定もねぇよ」

「うぅ……なんか複雑……嬉しいけど素直に喜べないよそれ……」

 

 なにか企ててたのかよ。ほんとやめてよねそんなの。

 親切の押し売りで“面倒だ”を顔面に貼り付けたヤツに話振られるのって、ほんと面倒だから。

 大体なんだよ“話かけてやった”みたいなあの態度。望んでねぇっての。むしろぼっちは一人の時間LOVEだからほうっておいてほしいわ。

 

「……けどさ、えと。じゃあ、今はあたしに時間割いてくれてる……のかな」

「むしろ自分の時間と結衣との時間しかスケジュールにないまである」

「あはは、あるのかないのか解んないよ、それ」

 

 言うわりに嬉しそうに笑うのだ、なんつーか、ちょっとずるい。

 まあ、結衣との時間が無ければ今まで通りと変わらん俺なのだ、なんの問題もない。これから先、誰とどうなるかなんてものは解らないが、きっと友達も増えないし人との係わり合いもそうそうない。

 それでいいのだ。変わる必要があるのなら変わる。変わらない自分を目指したいつかは、ある程度自分を強くはしてくれたが、それだけじゃ目指せない場所があるのだ。

 だから今はこれでいい。

 大切にしたものをとことんまで大切にして、青春ってものを謳歌してみよう。

 婚約者も出来ましたし、やることも沢山だ。しかしぼっちはその沢山へ、自分が持てるすべての時間を注ぎ込めるのだ。最強じゃねぇのそれ。

 問題点があるとすれば、結衣が“ねぇちょっと聞いたー? 結衣ってばぼっちでキモい男と付き合ってるらしいよ~”とか言われることだ。ぼっちの何が悪いと言ってやりたいが、この世界ではどうしてかぼっちは劣等種として見られがちだ。気にしなければいいなんて俺の至言ではあるものの、結衣はそうはいかない。

 俺がぼっちな所為で結衣が馬鹿にされるのなら、俺もいつかは他人に時間を割くことを覚えなければいけないのだろう。

 

「………」

「《なでなでなでなで》んんーーー……!」

 

 まあ今は全力で結衣を愛でるだけだが。

 頭を撫でていると、顎をくすぐられた猫のように少し顔を持ち上げ、目を閉じうっとりとする結衣。あら可愛い。

 犬でも頭頂部をやさしく掻いたりすると、こうなる時がある。ソースはサブレ。……似たもの主従だなおい。

 サブレは車から守った時から、やたらと俺に懐いている。ひゃんひゃん鳴きながら尻尾振りまくりだし、俺に近づいてくるとまず最初に必ず腹を見せる。服従しすぎでしょ。でも結衣は威嚇する。近づくとウーって唸るし、抱き上げようとするともう暴れる暴れる。やっぱり序列とかいろいろとまちがってるんじゃないのん?

 思いつつも見つめた結衣の表情は、とろりととろけていた。可愛いというよりは、あー……その、なに? 言っちまうなら……エロい。

 そんな結衣が、俺の腕の中でもぞもぞと動いて「ひっきぃい……」と訴えかけてくる。

 

「お、おう……なんだ……?」

「ん……」

「───」

 

 腕の中で顔を真っ赤にした結衣が、俺を軽く見上げ、目を閉じる。

 途端、心の中のぼっちな僕がアイエエエエと絶叫。ガハマ!? ガハマナンデ!?

 

「お、おい……ここ、学校……」

「んっ」

「待てって、状況ってものをだな」

「んっ!」

 

 “んっ”、じゃなくて……あのな、よーく考えろ? こんな場面をもし某国語教師様に見られたら、俺がファーストブリットくらって正座で説教されて、結婚したいって泣かれるハメに……あれれー? おかしいなー。俺しか痛い目見てないぞぉー? 俺なんにも悪くないのにおっかしいなぁー。

 

「ぃやっ……ほら………な?《おろおろ……》」

「………っ」

「《くいっ》っ!?《びくぅっ!》」

 

 そわそわして周囲に人が居ないかを確認していると、シビレを切らしたのか結衣が俺の服を軽く引っ張って催促をしてくる。そして滅茶苦茶驚く俺。

 そりゃ、俺だってしたくないわけじゃなくてだな。しかしこういうのはきちんとその、なに? 公私混同……じゃないな、その、そう、学業が本分な学生といたしましては、不純ではないにしろ異性交遊の一端を校内でするわけにはいかないと思う次第でありまして。

 つまり何が言いたいかと言いますと……恥ずかしい。

 結衣ってこんな、ぐいぐい来るやつだったっけ? もっとこう、後ろをくっついてくる犬みたいなイメージで……そりゃ、人って変わるもんだし、俺も変わろうとしたから今の俺が居るわけだが……あれだな、おうあれだ。……変わった“女”って怖い。でも可愛い。

 

「………」

 

 右よし左よし───結局するのかよって言葉が胸に現れるも、仕方ないだろで片付ける。

 女からこんなアピールしてもらうなんて……恥ずかしい思いをさせてしまったに違いない。いや、そういうことよく知んねぇけど、漫画とかだとそういうことらしいから。

 だから、と。肩にそっと手を置いて、ぴくりと震える彼女にゆっくりと───近づく前に薄目の視線だけで周囲確認。

 すると少し離れた柱に隠れながらこちらを見る……一瞬だったが、間違い無く相模……を発見。

 ……わざわざ見に来てたのか───ってまさか結衣もこれに気づいて?

 

「………」

 

 しょりゃっ……そりゃ、外見がどーので俺への印象を変えようと頑張ってくりぇた結衣だし?

 出来りゅだけ願いは聞いてあぎゅたいっちゅうきゃ、デデデでモそれで人前でキシュッ……キスっていうのはレベル高いっていいましゅか難度高いって言いますか完成度高けーなおいって言いますか。完成度関係なかったよおい。てーか頭の中でも噛みまくりな、俺。

 でも、どうなんだ? 視線ばっか向けられてひそひそ噂されてる俺だぞ? そんな俺が相模の前でキスして、余計に結衣にヘンな噂が流れたりはしないのか? 進学校ってだけあって、目立つようなイジメはもちろんない。せいぜいで腫れ物には触らない、近寄らない、むしろ存在すら認識しない程度くらいのものしかないが、それだって人の意識次第でどうとでも変わる。

 俺は今さらそんなもの程度で折れたりしないし、その程度で済むならむしろ無視し続けてほしいまである。

 ……が、空気を読むことに長けている結衣に、その空気は辛い筈だ。俺は堪えられる。結衣はどうか解らない。さて、そんな状況に辿り着いたなら、起こす行動はどうなる? もちろん───

 

「…………《じとー》」

「ゥォッ……!?」

 

 気づけば、目の前で結衣が頬を膨らませたジト目で睨んでいた。

 ナンデ!? とは言わない。雰囲気的に流れを読んだのか、はたまた……いや、その。

 いえ違うんですよ? 約束させられたのに自己犠牲に走ろうとしたとかそーゆーんじゃなくてですね? や、当方もそういうやり方以外を考えてはみたのですが、所詮ぼっちに出来る最善最速解決方法なんて痛みになれたぼっちがそれらを全部掻き集めて終わらせる以外はないっつーか……。

 

「…………《じとー》」

 

 あの……。

 

「…………《じーーーとーーー……》」

 

 その……。

 

「……《ぷくー》」

 

 ……ゴメンナサイ。

 言葉に出さずに謝りつつも、そんな苦労さえ一緒に乗り越えようとしてくれる在り方に、正直感動した。相手が結衣以外だったら、それでも信じず否定に走っていただろうそれも、素直に受け取れた。

 だから、両肩に置いた手に力を軽く込めて、もはや躊躇もなく、顔を近づけた。

 すると結衣のふくれていた顔がふわっと綻び赤くなり、再び目は閉ざされた。

 ……やがて、触れる口と口。その途端に結衣が腕に力を込め、一層に俺に抱き付いてくる。口の密着部分は増えて、しかしそれもすぐに離れる。

 目を開けてみればとろりととろけた表情。あ、こらアカン。

 

「ま、待て《んちゅっ》むぶっ!?」

「ヒッキー……ひっきぃ、ひっきぃいい……んっ、んむっ……」

 

 ユイガハマ=サンが熱暴走を起こしました。システム、犬モードに移行します。いやそこは通常モードに移行しましょ? とか思っている内に降ってくるキスの雨。主人に飛びつき甘える犬のように、頬は舐めるわ唇は舐めるわ前傾になって遠慮なく近づいてくるわ、衝動を抑えるつもりもなくキスしてくるわ。

 危なかった。俺にプロぼっち経験がなかったらもう一発でオチて、襲ってるよ。勘違いどころじゃなくて、学校だってのに我慢もせずにあげなことそげなこと。

 しかしお生憎様だ。今の俺は三大欲求なんぞよりも結衣を守るために動く。

 視界の隅、赤くなってあわあわしていた相模がケータイを取り出し構えたのを見た瞬間、結衣を強引に離し───離っ……は、離れてちょっと結衣さん! さすがに写真撮られたりしたら言い逃れ出来ないから!

 

「~~っ……ふっ!」

「《ぐいっ》! や、やー! ヒッキー! ひっきぃい!!」

 

 それでも強引に離すと、つぅっ、と伸びる唾液の橋と、切なそうな、というかもう十分切ない声を出して、結衣の体が離れる。

 俺が押し退けた分だけ伸ばされた結衣の手が空回り、しかし押す肩からは手を離さず、わざと俯くように顔を下げ、眼鏡の隙間から睨むように“落ち着きなさい”と目で語る。

 すると、はっとして顔の赤を爆発させ、すとんと座って……ふしゅううう……と俯く。おお赤い赤い。

 こうなれば、ただのベストプレイスの石段に腰掛ける男女だ。

 ……あーよかったー……! ケータイのカメラの起動って無駄に時間かかるから、それがなかったらもう撮られちゃってたんじゃねぇの……!?

 

(はぁ……)

 

 さて。先日、一色からのメールについて話し合うことになったところまで、一度話を戻すが。

 言った通り、めっちゃ質問された。中々眠らせてくれないほどにされた。

 嫉妬っていうのもあったんだろうが、不安もあったのだろう。俺にしてみれば、俺なんぞが女からメールを貰えること自体が奇跡だってのに、なにをそんなに不安がるのか。

 メールから広がる愛がある。あー、あるんだろうねー、まちがっても俺にはないけどなー。

 ということを事細かに説明したんだが、潤ませた目と膨れた頬でじーっと睨む婚約者が居たわけですよ。だから折れた。ああ折れたね。いっそ最初っから折れていたまである。

 だから素直に訊くことにしたんだ。どうしたら納得するんだって。

 そしたら要求されたのがキスだったわけだ。ええはい俺もしたかったから躊躇は無しでした。だって見ている人も邪魔する人もおりませんしおいどんも男ですけぇ。誰だよ。

 で、そのキスでその……なんつーの? 嫉妬とか不安とかがなんらかの感情と一緒に爆発でもしたんかね。さっきみたく犬モードに移行して、舐めたり舌でつついたりキスしたりすりすりしたり、それこそ尻尾があったら思い切り振り続けてるくらいの愛が執行された。

 

  あまりの豹変に固まっていた俺氏、顔を蹂躙されるの巻。

 

 しかし、結衣が俺の体に跨ってきた時点で再起動。再びキスをされ、舌が触れた時点で押し退けたら……さっきみたいに「やっ、やー! やぁーーーっ! ヒッキー!」って泣きそうな顔で言われて、なんかもう押し退け切れませんでした。引き剥がすために伸ばしていた手を緩めてみれば、必死になって抱き付いてきてキスをされて、足まで絡めてきて離すものかと口内を蹂躙された。どうやら心の高揚が治まるまで抱き締めてキスしてあげないと、落ち着けないらしい。引き剥がす時もこう……なんつーの? 布団の上で子猫を持ち上げようとしたら、布団に爪立ててる所為でなかなか持ち上げられない時みたいなしぶとさもあったし。つまり中々離れない。

 あ、いや……断じて、誓って言うが、18歳未満お断りまでは行っていない。

 でもね、正直ね、あの泣いてる子供が親から無理矢理引き剥がされたみたいな、あんな顔で名前を呼ばれたらさ……逆らえねぇよ。無理だろあれ。自立型全自動最終兵器かなにかですか?

 あんなことがありゃ、すぐに眠れるわけがないでしょ。

 なのに結衣は泣きつかれた子供みたいにさっさと寝るし。なんなの? 俺の睡眠時間奪っておいてあっさり寝るなんて。文字通り奪っちゃったの? 返しなさいよ私の眠気。いやもう夜まで寝るつもりはないけどね?

 

(……結論)

 

 この子、どんだけ俺のこと好きなの。

 ここまで全力で好かれてちゃ、疑う方がアホで馬鹿で間抜けだろ。

 あぁほら、浮気でもしようものならこう、包丁とか出てくるレベル…………でもないか。

 むしろあれだな。浮気したら……いやするつもりなんててんでねぇけど、ほら、こう……涙をいっぱいこぼしながら無理矢理笑顔作って、“えへへ……だ、だめな……っ……お嫁さん、で……ひっく……ごめんね……っ……”って───ァアアアアアア罪悪感ひどい! なにこれひどい! 想像するんじゃなかった! ひどい!

 浮気をしたわけでもないのに想像だけで頭抱えて後悔するレベルじゃねぇか! 死にたい辛い懺悔したい!

 だがこのぼっち経験者は立ち向かいましょう。

 どれだけの葛藤があろうが、なによりも相手の幸福を優先させる。

 

「………」

「っ!?《びくっ》」

 

 座ったままじろりと後ろへ振り向いてみれば、丁度相模が持ったケータイのレンズ越しに目が合う。……まあただそっちを見ただけであり、目が合ったかは解らん。ただつまり、相模はカメラを起動し構えていた。

 進学校とはいえ、いや……進学校だからこそ、不純異性交遊がどーたらとか面倒なことが起こりやすい。

 人気の無いところでの男女の付き合い=いかがわしいこと、なんて誰でも考えそうなことだ。

 だから写真なんていうものは残させない。ただ相手が気に入らない、自分より先に幸せになるのが気に入らない、なんてゲスな考えを肯定してやるわけにはいかない。

 相手は一時の優越感のために誰かの青春をぶち壊す。そのあとのことなんてちっとも考えずだ。

 もちろんそれは、青春をぶち壊されたやつらが時と場所を弁えておけばよかったってだけの話だろう。

 だが果たして、弁えた場所でそういった行為をしていたとして、相手はそれを写真に撮り、曝さずにいられたか?

 ───答えは否だ。

 つまりそこに社会常識としての正義などなく、自分勝手な悪があっただけのこと。

 俺もよくリア充爆発しろなんて思っていたもんだが、途中からそれもおめでとさんに変わった。

 隣に誰かが居たからではない。本当に祝うつもりだって微塵にもありゃしない。

 だが、そいつらとて苦労してその青春を手に入れた筈なのだ。そんな苦労を、見ていなかったからといって頭から否定して、あまつさえ爆発しろなんて吐き捨てていいとは思えなくなった。それだけのことだ。

 

「………」

「~~~……ふんっ!」

 

 お前も目を覚ませ。人の足引っ張ってる暇があるなら、その止まってる足で先に進め。

 そんな思いを込めて睨んでいたら、相模は鼻を鳴らすように吐き捨て、踵を返して去って行った。

 その声に結衣も振り向いて───

 

「え……───え? うひぃえぇええっ!? さがみん!? 居たの!? えっ、えっ!? あたっ、あたしっ……!?」

「へ?」

 

 おい。……おい。───いやおい、結衣さん? 由比ヶ浜さん? アータ全部解っててやってたわけじゃ?

 ア、アー……そうだったねー、アータにそんな計算高いこととか出来るわけなかったねー。いろいろな感動を返しなさいよこのやろう。

 

「はぁ……」

 

 溜め息。のちに苦笑。とりあえずどうしてくれようこの残念感。

 ……あれだな。顔を羞恥で真っ赤にした婚約者をつつきまくることで、解消でもしようか。

 あと校内での犬化禁止。これ絶対ね。



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言ってしまえば、三人寄れば姦しい(一人は男でヒロイン系ぼっち)

 

 

 

 さて、そんなこんなで学校も終わり───

 

「…………《にこー》」

「…………」

 

 バイト、なわけだが。なに? なんでここ居んのこのワンちゃんたら。しかも俺と同じ店のエプロンつけて。

 

「ああ比企谷くん、紹介するね。この子、新しく働いてもらうことになった由比ヶ浜結衣さん」

 

 アイエッ……アイエェエエエッ!!? ガハマ!? ガハマナンデ!?

 いやほんとなにやってんの!? 店長もなに採用しちゃってるの!? むしろいつの間に面接とかしたの!?

 

「いやぁ、丁度長澤くんがやめるところにこの子が入ってくれてね。元気もいいし、急募ってことで採用しちゃったんだ」

 

 え? なに? 長澤くんやめちゃったの? なにが気に入らなかったの? もしかしてあの時名前呼んでもらえなかったことに拗ねちゃったの? どんだけメンタル弱いの、いや嘘だけど。

 

「他のバイトくんたちにはもう紹介は済ませたから、比企谷くん、いろいろと教えてあげてね」

「え……あ、……っす」

 

 思わず軽くお辞儀して受け入れてしまう。やめて、その“人付き合いが苦手なあの子にいいことしてあげたぞぉぅ”みたいな顔。

 相手が結衣じゃなかったら今すぐ店辞めてるところだよ。

 などと口に出せる筈もなく、店長は行ってしまった。

 

「……ナニヤッテンノ、オマエ」

「わーはー……すっごい棒読みだー……。や、やーほらー、あたしもそろそろお金欲しいかなーとか思ってたし、前のバイト辞めちゃったからー……ね?」

「……正直に言え。じゃないとキス禁止」

「うわはぁんやめてよぉ! だだだってひとりにすると不安だったんだもん!」

「なに言ってんのお前……他のモッテモテリア充ならいざ知らず、俺がそんな、お前以外に言い寄られるとかあるわけねぇだろ。よしんばあったとして、そいつがどんだけ可愛かろうが美人だろうが、なびく以前に信じるかよ」

「うわー……なんか恋人としては安心出来る言葉な筈なのに、いろいろ最低だー……。ヒッキー、たまには人を信じなきゃだめだよ……?」

 

 おい、たまにでいいのかよ。

 

「あー……まあ話はまたあとでな。今は仕事すっぞ」

「あ、うん。お願いしますねー、せ~んぱいっ♪」

「……お前、ごほんっ。結衣、まさか一色の先輩って言葉にうずうずしたからとか、そんな理由で入ったわけじゃないよな?《じろり》」

「…………《ひょい》」

「おい、そこで目を逸らすなよ」

 

 なんとも不安だらけな婚約者様だった。

 大体なにをそんな不安に思うことがあるのか。

 そりゃな、顔立ちは整ってはいる。ナルシストになりたいわけじゃないが、悪くはないとは思っている。

 だが、目がすべてを駄目にしている自覚なんざ、とうの昔にしている。

 それが理由で人のほぼは離れていったし、俺がぼっちであった過去こそがその証明になっている。

 今さら何がどうなろうがその過去が変わるわけでもない。変わらないなら俺も変わらない。

 現在の歩き方でこれからがどう変わるのかは正直わからんが、ぼっちとして生きて、そこから得た知識も経験もまちがいなく俺を作り上げたものだ。

 そんな俺が結衣以外に好かれる? ないだろ。ないよな。ないわな。ほらないだろう。

 まあ、そういうわけだ。こいつの心配なんて本当に空回りするためだけにある。

 それがなんで解らないかね。こいつめ。

 

「《つんつんつん》ひゃっ、えっ? な、なにっ? やめてよヒッキー、なんでつつくのっ?」

 

 やかましい。信じてる相手に浮気を疑われるとか、どんだけショックだと思ってんだ。

 こちとらお前以外に心底信じてるヤツなんて居ないってのに。

 

「………」

 

 それともあれか。まだアピールが足らんのだろうか。

 これでもかなりぐいぐい行ってるつもりなんだが……鈍感系主人公相手に頑張るヒロインが神に見えるね。尊敬するわ。

 つかこれ、俺の立ち位置完全に主人公の気を引こうとするヒロインじゃねーかよ。普通逆なんじゃないのん?

 ……いや、いやいやいや。俺がヒロインとか、カッコをつけて真ん中に笑を置くね。こんな捻くれたやつがヒロインの物語なんて、誰が見るんだよ。

 そうそう、大体俺がやってることなんてヒロインとは真逆もいいとこだろ。

 ほら、家族のメシ作ったり妹の弁当作ったり、洗濯掃除もして学校には真面目に行って、頭も良ければ苦手な数学にも挑んで、婚約者最優先でそいつにしか見せない表情をいっぱい持ってて、解らないことは丁寧に教えたり一緒に頑張ったりして、お願いされても嫌そうにしながらも結局やってあげたりとか、何かに誘われればドキドキして………………あれ? …………あれ?

 

(…………うわっ、私のヒロイン力、高すぎ?)

 

 想像以上にヒロインしてた。やだ困る。

 

「ほれ、とりあえず整理からな。こっちが今日入荷した分。在庫確認もしたりするが、それは基本終了間際だ。大体はレジ打ちな」

「あれ? そうなの? あたしてっきり本の整理とか新しい本を入れるとか、あのーなんだっけ? よくあるじゃん、かわいい文字で書かれた紙。あれとか作るんだと思ってた」

「POPな。まあ時間が取れたら作る程度だ。ここはまあそこまで大きくもないからいろいろ時間を回せるけど、それでも基本はレジ打ちだ。……結衣、お前、いくら成績が悪くてもレジ打ちとかはできるよな?」

「ちょっ、ヒッキー馬鹿にしすぎだし! あたしこれでもレストランとかカフェでもバイトしてたことあるんだからっ!」

「いや……そういうのやってんならもうちょい続けろよ……バイト始められるようになってからまだそう経ってねぇだろ……ある意味この短期間で二つも経験あるとか、逆に驚きだわ」

「……だってお客さんがさ? やらしー目で見てくるし」

「やめて正解だなよくやめたやめてなかったら俺がやめさせてたところだなにやってんだお前もっと自分を大切にしろよ」

「なんかあたしより必死だ!?」

「ん、ごほっ! ……ま、まあなに? とにかく説明していくから、解らんことあったら訊いてくれ。絶対に独断で動くな。いいか、訊くんだぞ」

「ヒッキー、さすがに心配しすぎだから……」

 

 いやべつにほら、あれだよ、確認もせずこうすればいいとか強引にやられて仕事が増えるのが面倒だとかそーゆーんじゃないぞ? いやほんと。

 ともあれ仕事だ。結衣には傍についていてもらい、なにをどうすればいいのかを説明しながら行動。結衣は仕事というカテゴリならきっちりと要領よく出来るらしく、そこのところはある意味で俺よりも才能がある。これがどうして勉強になった途端にああなるのか。

 まあいい。そこんところも合わせての結衣だ。過去があっての俺と同様、あれだからいい。

 とはいえあんまりにも成績がよろしくないと、大学で確実に離れるしな……なんとか底上げを図ろう。

 なんて企てていると、あるニタニタした二人組みの男性客の声が、耳に届いた。

 

「…………なぁなぁ、あの娘、見ねぇ顔じゃね?」

「あン? ……うおっ、超ストライク……! 胸でっけぇ~~……! お、俺声かけてみようかな……!」

「え、じゃあ店終わるまで待つ? 待っちゃう?」

「フッヒッヒ……! 待っちゃいますか……!」

「───《ビキッ》」

 

 あらやだ、八幡ちょっと脳内でなにかが割れた音がしちゃった。

 落ち着くためにちょっとだけ大きな声を出してみようか。まあ書店だから声はよく通るんだけど。

 

「結衣、今日も泊まってくか?」

「え? いいのっ?」

「ああいいぞ。昨日と同じで一緒の布団でも構わんし、なんだったら結衣が満足するまでキスしてくれてもいい」

「あ…………《ほわぁ……》……う、うん……ひっきぃ……」

 

 やあ、ついうっかり大きな声が出ちゃった。てへっ☆

 俺の言葉に柔らかく微笑む結衣の頭を撫でると、目を細めて頭を押し付けてくる。おお犬だ。

 

「……そりゃ、あんな可愛い子、普通ほっとかねぇよな……」

「いいなぁあの眼鏡男……俺もあんな彼女欲しいわ……」

 

 ……とぼとぼと男二人が去ってゆく。よしそれでいい。誰であろうと結衣は渡さん。代わりに素敵な国語教師を紹介しましょうか? ……いや、ないわ。あの人には幸せになってもらいたい。

 

「……ありがとね、ヒッキー」

「おー……? なにがだ?」

「さっきの人たち。……ほら、昨日言ったよね、女の子って視線に敏感だって。……ああいうのがあるから働きづらくってさ……だから嬉しかった。ありがとね、ヒッキー」

「……まあ、気にすんな、ってのは無理か。俺が気に入らなかっただけだから、感謝とかは別にいらんぞ」

「それでも、だよ、ヒッキー」

「…………《ぽりぽり》……おう」

 

 感謝を受け取らないといつまでも続きそうな気がしたから、受け取ることにした。

 するとにこーと笑って、すすっと傍に寄ってくるとせんぱいせんぱい言ってくる。ちょ、やめろ、集中できないでしょうが。

 

「……っと、客だ。ほら結衣、シャキっとしろ」

「わわ、うんっ」

 

 しゃきっとする。こう、背筋を伸ばすみたいに。……しかし入ってきた客を見て、俺は盛大にため息。

 

「あ、せんぱーいっ♪」

 

 手をふりふりしつつこちらへ来る女。

 名を、一色いろはといった。

 

「お前なに昨日の今日でここ来てんの……? 連続で発売するもんでもあったの……? なら今日来てまとめ買いしろよ……」

「えー? だってほらぁ、よくあるじゃないですかー。昨日探しても無かったものが翌日には入荷してたーって感じのー」

「ねぇよ帰れ」

「なんでですかー! せっかくこんな可愛い後輩が買い物に来たんですから、もうちょっと持てなしてくださいよー!」

「ああじゃあ今飲み物淹れるわ。水道水でいいか?」

「それこそそこはいろはすにしましょう!?」

「やだよ。なんで俺がお前のために5円以上金出さなきゃなんねーの」

「わたし5円チョコと同等の扱いですか……」

「今ではマッ缶も500mlペットボトルで88円の時代だからな。つかお前5円チョコなんて知ってんの?」

「バレンタインに配布する義理チョコで悩んでる時に見つけました」

「お前……せめてそこはチロルだろ……」

「払う金額くらい考えてくださいよー……義理の代金だけできっと、本命があったとしてもその金額越えてますよー……?」

「まあ、そりゃそうだ」

「それだけ配っても、結局はほら、こうしてぼっちなわけですし。割りに合いませんよね、ほんと……」

「ぼっちであることを認めたか……成長したな、一色」

「はいっ、げぼっ……友達なんて高校で作ればいーんですからっ」

「きみさ、今ナチュラルに下僕とか言いかけなかった? ねぇ、言ったよね? 下僕って言おうとしたよね? ねぇ」

「やだなぁ気の所為ですよー、き・の・せ・いっ♪《パチッ♪》」

「あーはいはいあざといあざとい」

「だからこれは素だって言ってるじゃないですかー!」

 

 来て早々に元気な一色……を前に、結衣は困惑。

 そりゃそうだ、いきなりやってきて、客だと思ってたら急に俺に話しかけてくるんだ。不思議に思っても仕方ない。

 

「ね、ねぇ……ヒッキー……? この子……」

「んお? ああ、こいつが例のアレだ」

「え、あの先輩? 誰ですかこの人。ていうか例のアレよばわりとか普通にありえないです人のことどんな風に話したんですかありえないですごめんなさい」

「振っても構わんがせめて話を聞いてからにしろっての馬鹿」

「あ、あー! この子があのいろはちゃん!」

「? あの先輩、この人は?」

「昨日言った婚約者だ」

「え───…………へぇ~~~~っ!! あれ嘘じゃなかったんですかぁ!」

「ばっかお前なんで俺が仮にも客に対して嘘をつく必要があんだよ。責任事で嘘はつかねーよ。逆に普段ならすべての言動が嘘である可能があるまであ───」

「あ、どうもです~、一色いろはといいます~♪ 先輩には危ないところを助けていただいて~」

「いや聞けよ。つかべつにそんな出会いじゃなかったろうが」

「先輩うっさいです。今わたしこのフィアンセさんと話してるんです邪魔しないでくださいうっさいです」

「なんで今うっさい二回言ったんだよ。大事だったの? 強調するほど大事なことだったの?」

「ヒッキー? ちょっと静かにしてて」

「………」

 

 なんて可哀想な僕。

 べつにいーけどな。んじゃ、まあ仕事でもしてますか。積もる話があるかどうかは置いといて、女の話ってのは長いもんだと相場が決まってるからな。

 長澤くんが居なくなった分、ちぃっとばっかり張り切ってみるかね。

 ……うへぇーーーぇぇえ……ガラじゃねぇ……。

 

……。

 

 本屋あるあるだが、こういう店ってのは客が来ない時はとんと来ない。

 お陰で結衣と一色が大盛り上がりだ。俺なんていくつかPOP作っちゃったし。

 つか、店長なにやってんですかね……いいの? この場に居なくていいの? そこまで大きくないとはいえ、店がもう貸切状態の雑談室みたいになっちゃってるよ?

 

(お……これの新刊、今日発売だったのか。帰りに買っていこう)

 

 軽く掃除をしてると、集めているラノベの新刊を発見。しかしもっとこう、みんなに手にとってもらいたいもんだ。

 せっかく面白いんだから、多くの人に知ってもらいたい。

 ……勝手に専用スペースとか作ったら怒られるかしら。……デカいPOPで“今イチオシの熱いラノベ!”とか書いちゃおうかしらん?

 怒られる未来しか浮かばないな、やめよう。

 

(お、客)

 

 店に入って、目当てのものだけ取って、すぐ会計に来る客。

 いいね、八幡そういうの嫌いじゃないよ。

 

「あざっしたー」

 

 レジを打って送り出す。さて、んじゃあ次は───

 

……。

 

 バイトの時間も終わり、結衣と一緒に帰り支度をすると店の外へ。

 そこへ、待っていた一色が合流して歩き出す。

 

「本屋さんのバイトって案外楽だったねー」

「そりゃお前はず~っと一色と話してただけだからな」

「え? でもお客こなかったじゃん」

「来たよ。お前どんだけ話に夢中になってたの? 俺なんかもうめっちゃレジ打ちとか整理してたし」

「あはは、ヒッキーうそばっかり!」

「いえあのー……結衣先輩? 先輩の言うとおり、お客さん結構来てましたけど……」

「え、うそ」

「バイト始めて翌日でクビになんなきゃいいけどな」

「ヒッキーどうして教えてくれなかったの!?」

「俺はお前のかーちゃんかよ……お前のそれ、朝寝坊して勝手に親の所為にする子供じゃねーか」

「あう……だって……」

 

 ていうかなに? いつの間に結衣先輩とか呼ばれる仲になったの? むしろなんで自然と一色と一緒に帰る流れになってるの?

 物凄い順応能力だな、俺には一生かかっても会得出来ないものだろう。

 頑張れば出来るのかもしれないが、そもそもその気がないから無理。ぼっち万歳。理解者なんて一人居ればそれでいい。

 

「ところでせんぱ~い?」

「呼んでるぞ先輩」

「え? あたし?」

「なに言ってるんですかー、先輩っていったら先輩ですよぉ」

「呼ばれてるぞ先輩」

「え、え? ヒッキーのことだよね?」

「ばっかお前、俺なんかが人に先輩とか言われるほど人望あるわけないだろうが」

「じゃあ……ぼっち先輩」

「…………なんだよ」

「うわ、そっちでは返事するんですかちょっと引きます……」

 

 言葉通り距離を取られた。まあ無視して進んだが。

 

「なぁんで置いていくんですかー!」

 

 しかし回り込まれた。

 

「いやいいだろもう……俺の中じゃ一色、お前って自然の王者なんだよ……そこらに置いていってもなんの心配もないレベルのな。だからもう森へ帰れ。俺達は家に帰るから」

「ひどいですよせんぱぁい、こんな可愛い子を捕まえて自然の王者だなんてー《うるりっ……》」

「やめろあざとい服掴むな」

「…………あの、結衣先輩? この人どうやってオトしたんですか? 難攻不落どころか傾きもしないなんて、ちょっと女の子として自信なくしちゃいそうなんですけど……」

「うーん……疑わずに信じること、かなぁ。ヒッキーはね、ちゃんと見てるといろいろと解るところがあるんだよ? 難しそうに見えて、結構単純なんだし」

「おい、誰が単純だ。お前にだけは言われたくねぇよ」

「話しかければちゃんと返事してくれるし。あ、ねぇヒッキー、あとで相談があるんだけど」

「内容にも寄るが……まあ、聞くだけならタダだしな。勉強終わってからな」

「ほら、面倒だ~とは思ってもなんだかんだで付き合ってくれるし。……ね、ヒッキー、キスしていい?」

「フォァッ!? いやばばばなに言ってんのお前ここここんな天下の往来でするわけねーだろばばばばっかじゃねーのばっかじゃねーの」

「こういう話にはすぐに真っ赤になるし」

「……うわー、ほんとですねー。なんだ、深読みなんかしないで、素直にそのままを見ればよかったんですねー。それこそ“単純”に」

「ぐっ……は、はんっ、そういうお前もかなり解りやすいけどな。あざとさになびかなかったら、どれだけ容姿がよかろうと惑わされたりもしねぇし」

 

 そうだ、一度冷静になっちまえば、いつだって冷静な自分を思い出せる。

 大丈夫、俺が結衣以外の相手に動揺するなんてある筈がない。

 …………。逆に言えば結衣以外と交流がねぇよ俺……。

 戸塚とも、結衣と一緒に昼を過ごしたり帰るようになってからは……え? 材木座? 知らない子ですね。

 

「あー、そういうこと言っちゃうんですか。だったら今すぐドキッとさせちゃうんですからね」

「ウワー、どきっとしちゃっター」

「まだ何もやってないんだから茶化さないでください」

「へいへい……」

「どきっと…………ヒッキー、あたしもやってみていい?」

「おいやめろ、必要ない。お前が料理を作る姿を想像しただけで、俺は常にドキドキできるから」

「なんか全然嬉しくない側のドキドキだ!? ヒッキーひどい! それ酷すぎだからぁ!」

「え……あの、せんぱい? 結衣先輩、料理とかダメなんですか……?」

 

 地味にショックを受けている結衣をよそに、こそっと一色が訊ねてくる。

 ダメ? ダメっつーか……。

 

「そうだな、一色。真剣にレシピ通りにクッキーを作ろうとして、何故かジョイフル本田で売られてるような木炭が完成するのをどう思う?」

「結衣先輩ごめんなさい……《ぺこり》」

「なんでか真剣に謝られてるし! ヒッキーのばか! いろはちゃんにヘンなこと教えこまないでよ!」

「なぁ結衣…………。そろそろ……そろそろさ……。味見くらい……してみるべきだと思うんだ…………」

「え? で、でもさー、えと、ほらー、作ったものは一番に食べてもらいたいなーって思うし……ね? ヒッキー」

 

 親父や親父さん、妹とは、波風立てないように……あくまでパッと見、普通のように過ごしてきた。事故るまでの間は特にだけどな。事故ってからはそりゃあ家事はしたが、関わろうとはしなかったから相手側の気持ちなんて知らん。

 だが、まあそれ故にこいつが作る料理の腕前とかは多少は知っている……ほうだとは思う。だがあれはない。どうしてクッキーのレシピで木炭が出来るんだよ。もうそれレシピっていうか錬金とか秘術の類なんじゃねーの?

 

「まあ、直せないわけじゃないんだけどな」

「え……ほんと!? ほんとヒッキー!」

「ああ、ほんとだ。なんならこれからうちで晩飯でも作るか? どうせ途中のスーパーで材料買ってかにゃならんし。あ、一色、卵買うから手伝ってくれねぇか、お一人様1パックまでなんだよ」

「うわぁ……先輩主夫してますね……」

「自分で出来ることは自分でって決めてるからな。だが卵の数はどうしようもない。あとその“うわぁ”は常に安値と戦っている主婦のみなさんを敵に回す発言と知れ。スーパーの中とかで迂闊に呟くとほんと針の筵になるからな。ソースは俺」

「ヒッキー自分でやっちゃったんだ!?」

「あの時はまじで生きてる心地がしなかったわ……あとタイムセールが始まった時のおばさまとかな。今すぐラグビー部でレギュラー入り果たせるほどのタックル力あるから」

 

 何気なく近づいて巻き込まれて、床に倒れた時は本気で殺されると思った。いくらぼっちでも、存在感がなくても、倒れた人間を踏むおばさまは居ねぇだろとかタカを括った自分に腹が立つほど怖かった。

 専業主夫になりたい男に届けてやりたい言葉があるが、楽なイメージだけ思い浮かべてナメてるとほんと死ぬ。アレやばい。

 

「ま、アレだよ。どんな仕事だろうと楽なイメージだけで近づくと後悔するってやつな。相応に面倒なことも起こるから、ほんと性質悪ぃ。一色ももし結婚とかするなら、ちゃんと身の丈に合った目標持ってる男を選べ。ほんと、これ重要だから。“夢を追ってる男ってステキ!”とか、その夢ごと自分が潰れる覚悟くらい持たないと絶対続かねぇし、なにより若い自分を無駄に殺すことになるからな」

 

 青春大事。超大事。長年付き合って別れることになったやつが“青春を返せ”って言う理由ってそれだわ。時間を無駄にしたってやつな。

 

「そうですねー、でも同年代なんて今こそをその青春で埋めていってる人じゃないですかー。逆に自立出来ている人がすごいんですよ。それに《チャラララララー》わっ!?」

 

 話している最中、一色の鞄から音楽。恐らくケータイだろう。

 案の定そうだったらしく、鞄の横ポケットから随分と可愛らしいケータイを取ると、カチカチと操作したのち……たはーと溜め息。

 そして苦笑混じりの顔でこちらを見ると、

 

「あ、あのー……卵を買うのは別に構わないんですけど、その料理……わたしも混ぜてもらっていいでしょうか……。両親が帰ってこれないらしくて……」

 

 と、言ったのだった。

 おまけに、さっきの“ドキっとさせる宣言”も狙っているのか、ちょこっとウル目で上目遣い。俺の服を小さくきゅっと摘んでの、小動物のような訴えかけがそこにはあった。

 

「あ? やだよ」

「ひどくないですか!?」

 

 が、甘ぇよ。小説とかだと場面転換してキッチンに場面が移ってるような場所だったろうが、断る時は断るぞ俺は。

 

「ちょ、お願いしますよー。うちの近く、最近変質者が出て、しかもまだ捕まってないんです……そんなところでわたしに一人で一夜を過ごせっていうんですかー?」

「知り合ったばっかの中学生を家に連れ込むほうがリスク高ぇよ。はい論破。帰れ」

「うわぁ……無駄に説得力あるから性質悪すぎですよ先輩……あ、じゃあ結衣先輩は───」

「そういう理由なら仕方ないし、いいよ、いろはちゃん」

「ほんとですかっ、ありがとうです結衣先輩っ! どっかの顔だけの人とは大違いでポイント高いです!」

「ほーん? んじゃ結衣、今日は自分の部屋でゆっくり休んでくれな」

「え?」

「え?」

「あ? なに」

 

 きょとんと停止した結衣を一色がきょとんと見つめ、結衣は俺を見て停止したまま。

 やだ、なにこのトライアングル。まあ俺は無視して歩いてるけど。

 

「え、ヒッキー、“今日も泊まっていい”ってさっき……ま、満足するまで……その、アレしてもいいって……」

「しょうがねぇだろ、自分頼って家に来るやつほったらかしにして俺のところに来るのか?」

「それは、だけど……あ、だ、だったらほらっ、三人でヒッキーの部屋に」

「お前な、んじゃあ訊くが、もし自分の部屋に、彼氏……まあ俺だが、俺以外の男が一緒に泊まることになって、安心して夜明かせるか?」

「や、やだ!」

「おー、そういうことだよ。んじゃ買い物いくわ《グイッ!》ゲェッフ!?」

 

 スーパーが見えてきたから一足お先と歩いたら、思い切り襟を引っ張られた。こういう時の女子ってなんでこんな力強いんだよ。……あ、そもそもこんなのやられたの初めてだった。

 振り向けば悲しそうな、それでいて主人に構いまくってほしそうな犬っぽいガハマさん。

 

「げほっ……おい、もういいだろ……」

「じゃ、じゃああたしの部屋、いろはちゃんに貸すとか!」

「親父さんが絶叫するからやめろ。仕事終わらせてやっと帰ってきたら愛する娘が寝てて、額におやすみのちゅーでもかましてやるかとやってみたら知らない中学生でしたとか、もう逮捕レベルだろ」

「それはわたしが嫌ですよ先輩!」

「それか親父さんが扉開けたら一色が着替えてて通報されるとかな。自宅なのに通報されるとかさすがの俺でも同情するわ」

「う、うー、うー……! ヒッキーキモい! まじキモい! なんでさっきから否定的なことばっかなの!?」

「人を泊めるっつぅリスクってのを少しは考えろって言ってんだよ」

「あ、じゃあこうしましょう先輩。わたしが先輩の部屋を使って、先輩が結衣先輩と同じお部屋で……」

「やだよ他人に部屋を貸すとか」

「翌日、布団にいい匂いが残ってるかもですよー?」

「……あ、結構です。どうしてもっつーなら今日の買い物でファブリーズ買って、結衣が親父さんにやってるみたいに存在していた場所に振り掛けるぞマジで」

「結衣先輩ひどいです!」

「ええっ!? あたしが悪いんだ!?」

 

 しょーもない話をしながら買い物をした。

 途中、突然のタイムセールコールとともに巨漢とも取れるおばさまたちの疾駆に一色が巻き込まれ、泣いたのはまあ別の話にしといたほうがいいだろう。



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確認するまでもなく、由比ヶ浜結衣の頭は残念である

 

 

 結局何故か結衣に押し切られるかたちで、一色が我が家のキッチンへと来てしまった。

 いや……なんでお前が許しちゃってるの? 俺なんか、もし誰かの家に連れていかれでもしたら、気色悪くて“逃げ出す”しか選択肢が無くなるぞ?

 まぁ卵の礼もあるから、一色がひとつ言うことを聞くってことで納得したが。

 ……? いや、いやらしいことでも考えてんですかとか言われたが、きっぱり貴様なんぞに興味はないって言ってやったって。

 

「まったくほんとひどい先輩ですよねー。わたしの価値って卵ひとパック以下ですかー?」

「いつまで同じこと言ってんだよお前……あと無理に頬膨らませるなよ。変な声になってるしあざといっての」

「……結衣先輩───あなたが神か」

「ふえぇっ!? いきなりなにっ!?」

「どーすればあの先輩が人を好きになったりするんですか! あまつさえ婚約って! どれだけ大切に思われてんですか!」

「そだなー……俺にとって一色が卵1パックだとしたら、結衣は俺の“頑張る理由”だな」

「その喩えほんと冗談でもやめてくださいなんですか卵1パックって“そうなんですかー”って納得しかけたじゃないですかひどいです」

「………《ごそり》」

「無言でファブリーズ構えないでください! なんでほんとに買ってるんですか泣きますよ!?」

 

 会って二日の中学生を家に泊めるとか正気かよ……。

 この場合、もう“会って”っつーか“遭って”じゃねぇかよ。モンスターと遭遇したみたいな気分だよ。

 

「ていうか先輩、眼鏡取るとすごいですね……目が腐ってるっていうか。一瞬誰か解りませんでしたよ」

「お前ほんと遠慮ないな……ま、料理の油とかで汚すのは嫌なんでな。つか、眼鏡つけるかどうかでそんな人が変わってたまるかよ。もう聞き飽きたよそれ」

「……あの、結衣先輩? これ本人気づいてないんですか?」

「うん……何度も言ってるんだけどね……。あの目のことで今まで散々言われてきたから、自分はそういうものだって信じ切っちゃってるみたいで……」

「……振り向かせるの、苦労したでしょう、確実に」

「小学校の頃が初恋で、そのままず~っとかな。振り向いてくれたのが……つい最近」

「なんかもうほんと凄いですね結衣先輩。そうですよねー、それほど粘ってようやくオトせる相手ですよねー」

 

 ……なんなのキミタチ、人のことオトすだのオトさないだの。断片的にしか聞こえなかったけど、もしかして料理で俺を気絶させようとか考えてるのん?

 

「それでヒッキー、まずなに作るの?《オジャー》」

「お前はまずエプロンをつけて袖をまくろうな。手を洗うのはそれからだ」

「え? あ、やーほら、やっぱり外から戻ったら手を洗わなきゃだしー……」

「さっき洗わせただろうが。ほれ、とりあえず後ろ向け。《バサッ、シュッ、キュッ》エプロンおっけ。ほら腕出せ」

「え、う、うん……あっ、ヒッキー、自分で出来るったらっ《くるくるくる》あ、あー……うぅ」

「ほれ、袖もOKだ」

「~~…………《かぁあ……》」

「あの……結衣先輩? これって天然ですか? ただ普通に自然の流れでやってることなんですか? どんだけ結衣先輩には気を使ってるんですか先輩」

「あ? なに言ってんのお前」

「だって、手が濡れてるからってエプロンつけてあげたり、袖まくってあげたりとか……」

「?」

 

 言われて、結衣を見る。濡れた手のままポーっと赤くなっていて、視線だけは俺をずうっと追っている。

 ……自然とやってたな、俺。まああれだ、これもまたもしかしたらのお兄ちゃんスキルかなんかだろ。つか俺、妹に幻想持ちすぎな。小町もこんな兄なら迷惑だろ。

 まあ、迷惑以前にろくな会話もないけどな。俺も会話を望んでないし。話かけられれば返す程度だ。一色と同じな。

 

「べつにいつもと変わらんだろ」

「まじですか……結衣先輩愛されすぎてますね……」

「も、もうヒッキー! 恥ずかしいじゃん!」

「ならまあそう思う前に準備くらいはしような。ほれ、始めるぞ」

「……なんかヒッキー、あしらい方がママみたい……」

 

 うるせ。

 ともあれ料理。結衣に料理をやらせる=地獄の宴なわけだが、そもそも“レシピを渡してはいガンバ♪”だからいけないのだ。

 こういうタイプはまず“余計なことをさせないこと”を第一に、レシピ通りに行動する方法を逐一教えてやればいい。

 つまりは一から十を教える。一を教えて十を知るとか無理だから。ほんと無理だから。

 

「んじゃ、まずは目玉焼きからな」

「馬鹿にしすぎだから! それくらい出来るってば!」

「ほーん? ほ~~~ん? じゃ、やってみてくれ」

 

 言ってみれば、ふふーんと胸を張って卵を手にする結衣と……なぜか心配そうに俺を見る一色。

 

「あの……まさかとは思いますけど、目玉焼きすら……」

「ところで一色。最近のフライパンってこびりつき防止に油を引かなくてもいいやつって結構あるんだが、知ってるか?」

「あ、はい。これでもお菓子作りとか結構好きですし、料理も多少は…………あの、せんぱい……」

「……なんだよ」

「あそこで、フライパンを親の仇のように熱して煙を吐き出させてるの、調理工程としてはどのへんなんでしょうか……」

「木炭練成段階としてはまだまだ序盤だな……」

「あ……油入れました……さらに熱してます……」

「ああ……そだな……。出てるな……煙めっちゃ出てるな……」

「……ようやく卵が入りました……あ、蓋しましたね……」

「大方、フタをしたほうが中まで綺麗に火が通るとか、なにかで……あくまでなにかで見たか聞いたかしたんだろ」

「…………最大火力のまま……ですね……」

「だな……」

「あの……なんか得意げに胸張ってこっち見てドヤ顔なんですけど……やばいです、早くも見ていられませんわたし……。恋する乙女の調理を眺めてて、こんなにもいたたまれないものを感じるの、初めてです……」

「ほんとそれな……」

 

 それからしばらくして、調理が終わった。

 目の前のテーブルには、一つの皿が置かれている。

 皿の上には…………黒い物体。

 

「………」

「………」

「……ジョイフル本田の木炭だ……」

「《ぐさぁっ!》ふぐぅっ!?」

「いや、これはカーボンだろ」

「《ざくざくっ!》はぐぅうっ!!」

 

 一色と俺の素直な感想がゲイ・ボルク! 結衣は心にキッツいダメージを負った!

 

「解ったか、一色……。こいつに料理を任せるということがどれだけ危険か」

「あの段階でドヤ顔でしたから、もうどうやっても気の所為だとも言えませんよ……。むしろそんなことを言った人が居たら、この木炭を夕食にしてあげるべきです……」

「いろはちゃんひどい!!《がーーーん!》」

「いえ……これがひどかったら犠牲になったフラインパンさんが報われませんよ……」

「どうせ古くなったものとはいえ、見事にダメになったな……。あのな、結衣。今じゃ中火弱火が基本で、強火とかは滅多に使わないんだよ……。火力が強いとフライパンのテフロンがダメになる」

「あ、で、でもでもほらっ、あ~のあのっ、ねっ? チャーハンとかは強火がいいって聞くよっ?」

「本格的中華なチャーハン作るには、家庭用ガスコンロじゃそもそも火力が足りねぇんだよ。家庭用コンロならじっくり作るパラパラチャーハンのほうがまだオススメな。結論出たらほれ、仕切り直しだ。用意するものはフライパン、油少々、卵に少量の水、こんだけ」

「じゃあフライパン熱するね!《シュゴォーーーッ!!》」

「結衣、綺麗に出来たらご褒美あげるからまずは話を聞こうな」

「《カチッ》うん」

「物凄い速さで火を止めましたね……」

 

 基本がやんちゃな犬なら、それを犬なりの方法で誘導する。

 まあ、ひどい結果には…………ひどすぎる結果にはならない……といいな。

 

「結衣。火力は?」

「えと、中火か弱火が基本っ」

「おう。じゃあそれ以上は上げない。いいな?」

「うん」

「おし、今から作るのはなんだ?」

「え? チャーハン?」

「目玉焼きだ」

「あ、し、知ってるし!」

「どうしましょう先輩、早くも不安になってきました……」

「味見は任せた」

「わたしがですか!? い、いやで───」

「ちなみにそれが宿泊条件な。ひとつ言うことを聞いてもらうぞ」

「───…………ゆひっ……結衣、先輩……。あの、おねがっ……ひっく…………お願い、しまっ……ひっく…………どうか、どうか生きていられるっ……たべものをっ…………~~~……ふぇええええん……!」

「なんか泣かれちゃったんだけど!? え!? あたしの料理そんなにひどい!?」

 

 いいからお前は集中しとけ。それが一色の生命線になるから。

 

「んじゃ、まずは手本な。火力、中火。油、少々」

「う、うん。うん……」

「多少あったまってきたら、高い位置じゃなく低い位置で卵を割る。高いと落ちた時に崩れるし、油が跳ねる」

「ふんふん……っ」

「中火のまま少し置いて、外側が白くなってきたら水少々を入れてすかさず蓋をする。水の量は……そうだな、卵の周りに素早く一周してかける程度の量でいい。水を入れる時も低い位置でな」

「うん」

「あとは火力を少し落として、蒸すみたいにする。熱で蒸発する水が、卵の上のほうも熱してくれるから綺麗に仕上がる」

「へぇ~!」

「ま、あとはお好みだ。半熟が好きなら早目に開けちゃっていいし、黄身も硬いほうがいいなら弱火のままじっくりだ」

「そっか……うん」

「で、なにより重要なことをお前に伝授しよう」

「伝授? な、なんかかっこいいね!」

「おう。で、調理において大事なこと。1、“材料や皿は先に用意しておくこと”。スクランブルエッグとかふわとろオムレツとかほんっとこれな。“あ、皿忘れてたー、用意してー”とかやってる内にふわとろも半熟も死ぬから」

「う、うん、そだねー……《そわそわ》」

「んで2、“レシピにないものは絶対に用意しないこと”。うちにはこれがないからアレで代用~とかほんとアホの極みだから。素人の代用ほど味を破壊するものはねぇから、レシピは護れ。材料が用意出来ねぇならそもそもその段階で手を出すな。そういうことは様々な材料の味と組み合わせの変化を経験した熟練の台所の主様がやりなさい。OK?」

「う……うぅう……」

「3、“自分の中にあるこうしたほうが美味しくなるは絶対に信用しないこと”。これ好きだから入れようとか、好きな相手がこれが好きだから、入れれば絶対ポイント高いとか、人間の味覚処理能力を破壊する行為は絶対にやめろ。そこまでしたからには味見はしろ。一番に食べてほしいとかやめなさい。中毒起こしたら恋どころか人間関係終わるから。以上の三つだ」

「あぅ……《おろおろ》」

「……? なんでそこで盛大に動揺してんだよ……。って、まさか全部仕出かしたことがあるとか……言わないよな?」

「…………《ソッ》」

「だからそこで目を逸らすなよ……。見ろ、一色なんて声を殺して泣き始めたじゃねーか」

「うわはぁあぁん! なんかごめんねいろはちゃん! でもこれあたしも傷ついていいと思うなぁ!」

 

 目玉焼きひとつでここまで動揺できるほうがどうかしてんだよ……。

 ともあれ、調理開始だ。

 まずはひとつひとつ指示をしながらの調理。

 

「ほら、まずは───」

「うん、火力は~、中火……《カチチチチシュボッ》。油は~……少々」

「おう」

「えと、それで、温まったら卵をー……高い位置から低い位置に叩き付けるみたいに落とすんだっけ?」

「おいやめろ。一色が耳を塞いで蹲ったから」

「ふえ? あ、ち、違ったっけ?」

「低い位置で割って入れるんだ。……油が跳ねないためと?」

「え!? あ、んと……黄身とかが崩れないため、だっけ」

「よし」

「《なでなで》あ……えへへぇ」

 

 卵投入。少しの油の上に落としたそれが、油を広げるようにしてフライパンの上へ。

 

「あれ? なんかジューってならない……火力弱いかな《シュゴォオオーーーーッ!!》」

「結衣? 中火でな?」

「わひゃっ!? あ、そ、そだったそだったー……」

 

 ……耳を塞いでしゃがみ込んだ一色の体が震えだした。

 

「えっと、周りが少し白くなってきたら、高い位置から水をたっぷり───」

「水は低い位置で、少量を卵の周囲一周程度でいい」

「あぅ……えと、こうかな。あっとと、ふたっ、蓋っ《がぽしっ》」

「よし。あとは?」

「…………強火?《シュゴォオオーーーーッ!!》」

「強火から離れろ」

「わ、解ってるし! たしか弱火でじっくり蒸す……だったよね」

 

 おい。解ってるならなんで“たしか”とか出てくるんだよ。

 最近の若者が“たぶん確実に”とか言うのと同じだぞそれ。たぶんなのか確実なのかどっちだよ。

 

「おし。一色、お前、目玉焼きは半熟と固め、どっちが好きだ?」

「……食べられるものが大好きです……」

「……おいどうすんだよ。一色がなんか遭難者がいつか到る答えに辿り着いちゃったじゃねぇか。ミステリ小説とかだったら“この短時間でなにがあったんだ”とか真剣に悩むところだぞこれ」

「ヒッキーひどい! 今回のは上手くできたもん! むしろこんなに飲み込みがいいなんて、あたしやっぱり料理の才能あるのかも!」

「寝言は寝てから言ってください」

「いろはちゃんひどっ!? うう……でもこれも、ヒッキーに教えてもらいながらだし……」

 

 ともあれ完成。

 皿にちょこんと乗せられたそれを、一色が見下ろし……すぅう……と涙を流した。

 

「あ、あれー……? 綺麗に出来たのに、なんだろこの罪悪感……」

「食べられるものを作るって大事だろ。じゃ、次は結衣一人でやってみてくれ」

「え? それよりご褒美は?《わくわく》」

「一人で出来たらな」

「むー……ま、まあもう完璧だし! 見ててねヒッキー、こっちのより綺麗に───」

「おいやめろ、そっちより綺麗にとかは考えなくていい、作り方を完璧になぞれ。な? ほんと、まじで頼む、お願い」

「なんでそんな爆発物取り扱うみたいにおそるおそる言うの!? 言われなくてもちゃんとやるし!」

 

 そうして……料理は始まった。

 ……始まったのだった。

 

 

───……。

 

……。

 

 <エット、フライパンヲネッシテ、アブライレテー《ボチャア》

 <ショウリョウゥウウ!! ショウリョウノモジドコイッタァアア!! アトカリョク! カリョクモ!

 <エ!? ゼ、ゼンゼンショウリョウダシ!! イイカラマカセテッタラヒッキー!!

 <ユイセンパイ! ケムリ! ケムリデテマス!!

 <ウヒャハァ!? タタタタマゴ!! タマゴイレテ、エト、サマサナイト! ア、ミズ! コレデ!

 <バババカ! ソンナリョウノアブラニ、ミズナンカイレタラ《ジュバッシャア!!》グワーーーーーッ!! メガァアーー!! メガーーーッ!!

 <セ、センパーーーイ!!

 <ゴゴゴゴメンネヒッキー!! コレツカッテ! ヌレタオル!

 <ユイセンパイ! ソレゾウキンジャナイデスカ! ソレヨリヒ! ヒ、トメテクダサイ!!

 <エッ、デ、デモマダカタマッテナイカモ

 <コンダケケムリダサセテナニイッテンデスカ!? トニカクトメルカ、ヨワビニシテクダサイ!!

 <ウ、ウン《ガツッ》アッ

 <《ガシャーン》イヤーーーッ!? ワタシノメダマヤキガーーーッ!!

 <ダ、ダイジョーブ! イマヤイテルノアゲルカラ!! ネ!?

 <…ウッ…ヒック…ウアァアアン…オトーサン、オカーサァアアン…

 <ナンカホンキデナイチャッタ!? ヒ、ヒッキードウシヨ! ヒッキー! ウワーーーン!

 

……。

 

───……。

 

 ……ガハマ先生のお料理地獄。

 結果は…………言うまでもなく散々であった。

 今では眼鏡もかけて、普通に料理を食べているところだが……ああ、嫌な事件だったな。

 

「俺……目玉焼きって世界一簡単な料理だと思ってたけど……違うんだな……」

「ぐすっ……美味しいです……っ……せんぱいの料理、すごく……うえぇええん美味しいよぉお……!」

「解ったから食いながら泣くなよ……」

 

 結局料理は俺が作った。ダイニングテーブルで囲む食卓、俺の隣にはしょんぼりした結衣が居て、正面には一色。

 飯テロっていう言葉、あったよな。深夜に美味そうなメシを食う番組とかやってると食いたくなるアレ。でもなぁ……これって別の意味での飯テロだよな……。食事で敵の戦力を破壊するとかおっそろしいわ。

 

「うぅ……ごめんねいろはちゃん……」

「いえ……わたしも結衣先輩の力を、まだまだ侮っていました……」

「侮ってたほうが評価が高いってすげぇな……」

「ヒッキーうっさいし!」

 

 でも事実だ。ほんと、それを覆すくらいの頑張りをこの目で見てみたい。

 

「こんなに綺麗だし、話も面白いしいろんな話題持ってるし、なによりこう、場をつなぐみたいなのがすっごく上手くて空気が読める人なのに……まさか料理がだめだなんて……」

「馬鹿言え一色、結衣は炊事洗濯掃除、およそ女子力といわれるもの全てが戦闘力たったの5のゴミだぞ」

「い、いいもん! その分ヒッキーが上手いんだから!」

 

 エ? ……アイエッ!? ゆ、結衣? それはつまり───ああいや危ねぇ、俺じゃなかったら今頃プロポーズと勘違いして一色に盛大にからかわれているところだ。

 

「結衣先輩、それって先輩はわたしの夫アピールですか?」

「え? あ、へぁうっ!?《ボッ!》あ、これはその違くてっ! あたっ、あたしそんなつもりじゃっ……」

 

 ほれみろ、やっぱ勘違いじゃねぇか。いや解ってたよ? 解ってたし。

 

「先輩~、愛されてますね~♪ こういうのって、夫側からしたらどうなんですか~?」

「基本、結衣の言葉くらいは信じるつもりだから、そんなつもりはないとか言われれば普通に傷つくな」

「えっ……ち、ちがっ……違うよヒッキー!? あたしちゃんとヒッキーのこと好きだから! ちゃんと結婚したいって思ってるし、いっつも信じてくれてること、ほんといっつもありがとうって思ってるから!」

「……まあ、つまりこういうこったよ、一色。男側からしてみれば、きちんと言ってくれた方が嬉しいわけだ」

「めんどくさいですね《きっぱり》」

「え? なに? 女は違うの? 俺は言ってくれた方が解りやすくて嬉しいんだが……まじか」

 

 じゃあアピールしまくりって逆効果だったのか。

 まあ所詮俺のアピールだし、精一杯やっても目立たない程度だったから気にするほどでもないに違いない。……違いないよね?

 あ、そうかそうだったー、言われて解りやすかったことなんて、悪口以外に特に思い浮かばねぇやー! ……今日こそ俺、泣いていいと思うな。

 

「うーん……そんなことないと思うな。女の子も、言ってくれなきゃ解らないことっていっぱいあるし」

「えー? だって男子なんてみぃんな、可愛い子とくればニヤついて近づいてくるばっかじゃないですかー。解りやすすぎますよー、嫌な意味で。結衣先輩だってそういう経験ありますよねー?」

「え……えと、確かにそれはあったけど……《ちらり》……えへへ、今はヒッキーが追っ払ってくれるから」

「あの、砂糖吐きたくなるんで目の前でのろけとか勘弁してくれませんか」

「いや一色、お前も自分から話題振っておいて、うげぇって顔はやめときなさい。お前今、お前に憧れただろう男子には見せられない顔になってるから」

「えー? そんなことないですよぅ《きゃるーん》」

「………ウゲェ」

「ちょっ、先輩こそ本人を前にうげぇって顔しないでくださっ───今口でも言いましたよね!? どんだけ嫌がってんですかー!」

 

 ガタタッとテーブルに両手をついてまで身を乗り出し、びしーと指差してくる一色に、とりあえず水をぐびりと飲んで落ち着いたのちに言ってやる。

 

「あーすんません俺作り物とか仮面とかほんと苦手だしどれだけ隠してても解っちゃうんで無理ですごめんなさい」

「真似しないでくださいよ! そ、それにわたしはちゃぁんと素ですっ、誰に幻滅されようと、わたしはわたしなんですから、勝手に理想を押し付けて騙されるほうが悪いんですっ」

「ほーん? まあ、確かにそれはあるな。お前にニヤケて近寄るなんてどんだけ外面に騙されてんだって話な」

「うっさいです先輩。大体なんで先輩はわたしに悪態ついてばっかなんですかー。わたしこれでも、他の男子には見せない笑顔とか先輩には見せちゃったりしてるんですよー?」

 

 悪態? そりゃちょっと違うんだが。

 まあ確かに“結衣以外のその他”よりは、近い位置には立ってるんだろう。

 後輩なんてカテゴリを計算に入れなかった自分の落ち度だ。壁を作るより先に、ある程度の接近を許してしまった。

 

「もうね、その“実はわたしは”アピールが胡散臭いわ。“あなたにだけ”とかそんな特別視なんて求めてねぇから、いっそ無視してくれません? そしたらファブリーズ使わなくて済むし」

「いい加減にそれ手が届く位置から外してくださいよ!」

「え? やだよ。ある日家に帰ったら、部屋から婚約者以外の匂いがしたとか怖いじゃねぇか……ファブリーズ最強でしょ。一説じゃ除霊にも使えるらしいぞ」

「ヒッキーそれほんと!? うわやば……パパの守護霊とか成仏しちゃってないかな……!」

「………」

「………」

「え? あれ? ヒッキー? いろはちゃん? なんで無言なの?」

 

 相変わらず、婚約者はアホである。そして、あまり疑うことを知らない。大丈夫かしらこの婚約者。将来的に詐欺とかに遭いそうで、八幡今から震えが止まらない。

 そんな俺と結衣を見て後輩カテゴリの一色はどこか楽しそうに苦笑している。それは嫌な感じのものではなく、それこそ一色が言うように、他の男子には見せない顔、というものなのだろう。会って二日の中学生。の割りに、案外するりと俺と結衣の傍に歩み寄ってきた後輩カテゴリの女。

 俺と結衣に対して嫌なものを向けないその態度に、俺はそこまでの警戒は向けていないのだと思う。言ってしまえば周囲のように“釣り合わない”だの“別れろ”だのという視線を向けてこないだけでも、俺の中での一色の評価は高いのかもしれない。

 だからその、なに? 別に拒絶したりはしないし、話しかけられれば返事はする。馬鹿話にも付き合うし、愚痴を聞くくらいならするが───それだけだ。それ以上は求めないし、線の内側に入ってほしいとも思わない。

 O・ワイルド氏は男女間に友情はないと言ったが、過程をスッ飛ばさなけりゃきっちり友情はある、というのが俺の考えだ。その友情が俺の妄想でしかないという点では、そりゃもちろんいくらでも否定してくれて構わないが、生憎とぼっちの友情への理想はアホみたいに高いのだ。その上で言おう。男女で友情があってもいいと思う。本当に友達になれるのなら、だが。そもそも友達居ないから知らんけど。

 と、無言なままに思考を回転させていると、きょとんとしている結衣を余所に、一色が話しかけてくる。

 

「はー……せんぱい、てんねんってすごいんですね……」

「え? てんねん? いろはちゃん、なんのこと?」

「いや俺南アルプスの天然水よりはいろはすの方が身近で好きだぞ」

「なんでいきなりここでお水の話になるんですかもしかして一週回って不倫しようとか考えてるんですか死にたくないのでごめんなさい」

「天然繋がりで思い出しただけだっつの。大体一色、俺とお前はあだ名で呼び合うほどの仲でもねぇだろうが」

「まあそうですけどねー」

「?」

 

 言ってみればけろりと答える。結衣は話自体が解っていない。まあ、それでいい。

 ただ俺は、今の会話で思うのだ。“ああ、やっぱこいつ重くないわ”と。ぼっちの気持ちというものを、これで案外解っている。

 解ってなかったら、ここでズケズケと仲のことをどうだかと言ってくるのだ。ぼっちとしてはこれが正解。これで正解。きっと波紋の修行の先生も“よし! BOCCHI それでいいっ! それがBEST!”と言ってくれるくらいの太鼓判。

 人の関係とは重くなく、適度に尊重し合って、ここぞという時は助ける。それくらいでいいのだ。それが、ぼっちが求める“友達”の在り方だ。

 とっても我が儘で自己中心的な友達像。けれど、こちらも決して裏切ったりはしない。そんな理想を、いつだって秘めている。

 ちなみにいろはすはりんご味が好きだな。すっきりしてて実にいい。甘さがもっと欲しいところだが。結論を言えばマッカン最強。

 ほんと、いろはすマッカン味とか出してくれないかしら。無理ですか。

 

「よし、んじゃあメシも終わったことだし───」

「ヒッキー、なにして遊ぶっ?」

「先輩、部屋見せてもらっていいですかっ?」

「……勉強するからダメ」

「え~……? 遊んでからでいーじゃん! ね、ヒッキー、ヒッキ~~ぃい!」

「あーはいはい。んじゃあ今右手にティッシュを丸めたものを握った。左手は空だ。ほれ、ティッシュはどこにある?」

「え? 右だよね?」

「あー残念そこのティッシュ箱の中だよハイ終わり。じゃ勉強すっぞ」

「ヒッキー!?《がーーーん!》」

「なんだよ……べつに俺、丸めたものは何処にある? なんて訊いてねぇだろうが」

「そ、そーだけどなんかずるくない!? てか今の遊びだったの!? もっと解りやすいのにしようよ!」

「なに言ってんだよめっちゃ解りやすいだろが……あと先に結衣の話聞いたから、次一色な。部屋ならそこ出て左の突き当たりだ」

「え、いいんですかっ!?」

「ああ、これっきりにしてくれよ?」

「だいじょぶです! 任せてくださいっ!」

 

 格好よく敬礼をした一色が、るんるん気分でダイニングを出て左へ駆ける。そして突き当たりの個室をヴァーンと開ける音がすると、

 

「トイレじゃないですかー!!」

 

 あざとさを忘れたぷんぷん丸が戻ってきた。

 え? なに? おこ? おこなの?

 

「いやなに言ってんのお前。部屋見せてくださいって言うから個室見せたんじゃねぇの。誰のとは聞いてねぇけど最強のプライベートルームだろうが。ほれ、八幡嘘つかない」

「部屋っ……へ……うわぁ確かに言いましたけど……! うわぁ、うわぁあ……!」

 

 そんなところで揚げ足取る人、ほんとに居るなんてドン引きです……! と言うかのような顔で引きまくりの後輩がそこに居た。

 

「そ、そうじゃなくて先輩のお部屋をですね……!」

「これっきりにしてくれよって言って、承知したよなお前。任せてくれって言ったあの時の笑顔……ガラにもなく信じてる俺を裏切らないでくれな?《ニヤリ》」

「うわー外道ですよこの人。清々しいほどに外道です。そういう外道は眼鏡外してからやってくださいよ。目の腐り方も相まって腐れ外道って遠慮なく呼べそうですから」

「うっせほっとけ」

「あ、じゃあじゃあヒッキー、あたしは“これっきり”って言われてないからいーよね?」

「おう。んじゃあ俺が出すお題に答えるゲームをしよう。最初は簡単なやつからな。はい第一問~」

「ふふーん、遊びでならヒッキーにだって勝てるよっ!」

「いえきっと先輩のことだからものすごーっく捻くれた問題を出しますよ」

「あ、そうかも。ヒッキーずるいし」

「あのねきみたち、俺の話聞いてるの? 最初簡単なのからって言ったよね? あーまあいいや、んじゃあ第一問。俺達が日常的に食べる卵は、いわゆるなんの卵でしょう」

「そんなの鶏に決まってるじゃん! ヒッキー馬鹿にしすぎ!」

「おー正解。じゃあさくさく行こうな。第二問、ステーキは肉である。ではお刺身は?」

「魚!」

「肉だよ。第三問」

「ぇええええ!? 間違っても次に行くの早くない!?」

「さくさく行くって言っただろーが……一色も答えが出たら言っていいからな」

「なんか正解出来る気がしないんですけど……混ざらないのもつまりませんしね。受けて立ちます」

「ヒッキー!? ヒッキー! お肉って牛とか豚の分類じゃん! お刺身はお魚でしょ!?」

「お前は魚肉ソーセージをどういったものだと考えて食べてんだよ……」

「え? ぎょに…………あっ!」

 

 早くも結論を言おう。由比ヶ浜結衣は馬鹿である。

 

「一色、俺はさっき、結衣は炊事洗濯掃除が出来ないと言ったよな?」

「え? あ、はい、聞きましたけど」

「おう。ちなみに勉強も出来ん」

「あー……」

「いろちゃんなんでそこで妙に納得しちゃうの!?」

「あ、いえー…………学習能力の段階で」

「《ぐさ》…………」

 

 中学生の言葉に、なにも言い返せない婚約者が居た。

 さすがにいたたまれない……なんてことはない。だってそんなこと、料理の時点で散々味わったし。

 ほら、一色もどこか遠い目で結衣のこと見てる。

 

「ほれ、次いくぞ。次はな───」

 

……。

 

 カリカリカリ……

 

「25問目。次の式を展開せよ。(x-5)^2」

「よ、余裕だし! え、えとえと」

「一色は解るよな?」

「はい。これ、高校でもやるんですね」

「!? え!? 中学の問題!? うそ!」

「高校では基本として最初に復習する程度だな。じゃ、一色」

「はい。x^2-10x+25ですね」

「ほい正解。結衣は?」

「と、解けてる……ョ?」

「よし、じゃあ口で言ってみてくれ」

「ウッ…………えーと……え、えっくすにじょー……まいなす……あれ? ひく、だっけ? まあいいや、えと、じゅ、じゅーえっくす? たす、……二乗だからごごにじゅーごで……25!」

「よし。じゃあ次な」

「いろはちゃんっ、次、負けないからねっ!《むふーん!》」

「…………(途中からゲームじゃなくて勉強になってるって、気づいてないんですかね……)」

「26問目。係数と次数問題。ここに書いたものの係数と次数を答えよ」

 

 -5x^2y

 9yx

 2xb^3 [x]

 

「あっ、これは得意かも! えっと、1が係数-5で次数が3、2が係数9で次数が2、3が係数2b^3で次数が1!」

「おお正解」

「だよね! 正解だよね! やったよいろはちゃん! ヒッキーに勝っ……あれ? …………ヒッキー! これ遊びじゃなくて勉強じゃん!!」

「そーだなー、やっぱ勉強って行き詰ったら基本問題を解くに限るよなー」

「ヒッキー!!!」

「わーたわーた、で、なにして遊ぶん? 読書ごっこ? それとも就寝ごっこ?」

「それ本読んで寝てるだけだし! もう騙されないんだかんね!?」

「いや……正直俺も26問まで騙せるとは思わなかった」

「わたしも途中からどこまで続くのか楽しみではありました」

「いろはちゃん!?《がーーーん!》」

 

 適当に反復練習し終えたあと、結衣にバレたから勉強はお終い。

 それからは結衣のリクエストに応えるように話をしたり遊んだり。つか、結衣が自分の部屋から適当なお遊びグッズを持ってきたため、案外遊べた。

 ほら、俺そういうの持ってないし。え? なんで、って? ぼっちだからに決まってんだろ訊くなよおい……。



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ご覧の通り、二人は互いを好きすぎて幸福である

 今回ねっとりチッス描写がありますが、べつにびくんびくんしててもエロいわけじゃないからR18はございません。
 ほ、ほんとエロくなんかないんだからねっ!?
 後の回で微妙な説明とかありますけど、先に書いておきましょね。
 この場合自己催眠にも近いのですが、幸福だと深く信じれば幸福感を得られるっていうアレな感じ。
 つまり幸福の頂に到達したというだけで、エ、エロイわけじゃ……ないのよ?
 ほら、ジョジョのディアヴォロが永遠の絶頂に居たかったみたいなそんなアレ。……うん、なんか台無しだコレ。
 つまりは幸せなだけなので……オッケイ!
 あ、でもなんかKENZENじゃなさそうだったらツッコんでくださいましね。


 

 

 ……さて、ひとつ屋根の下、リビングにてゲームを広げて床に座り込んでいる人影みっつ。

 ルーレットをカラカラ回してコマを進めているのは……俺だった。

 

「6……と。お、“学校の後輩に告白されて恋人になる”」

「ヒッキー!?」

「いやおい、これゲームだから。現実とは関係ないフィクションだから」

「そうですよー結衣先輩。……3ですね。とんとんとんっと……“目つきの悪い先輩とデートする”」

「ヒッキー!!」

「だから俺関係ないっしょ……」

「ふ、ふーん! べつにいいし! あたしだっていい目だして……あ、6! えへへぇ、いちにーさんしー……“落し物を拾って交番に届ける”? 一割もらって10万円……う、うー」

「なにお前。タダで10万もらってなんでそんな不服そうなの」

「だってあたしばっかりお金とかのことばっかだし……」

「いいじゃねぇかよ楽そうで。こっちなんてさっきから女運悪すぎで……つーかなんでこれこんなに男女に関するマスばっかなの? モテない男の血の涙で作られでもしたの? ……3、と。“後輩生徒会長に連日振り回されて幼馴染をほったらかしにする”……所持金マイナス……おいおい」

「ヒッキー!!」

「だから関係ねぇって。てかなんなんだよこのハイスペック後輩……生徒会長? 俺一応、今高校二年の枠内を進んでる筈なんだが……?」

「つまり一年なのに生徒会長なんでしょうねー、すごいですよねー。にー、さん、よん……“先輩の陰謀で生徒会長にされる”。……うわー、なんですかこれ先輩の所為で生徒会長ですよ。あ、先のコマに“原因である先輩を扱き使う名目で一緒の時間を満喫”とかありますね」

「ヒッキー!!」

「お前さっきからヒッキーしか言ってないからね? なんで微妙に内容繋がってんだよこれ……全然関係ねぇマスなのに」

 

 人生ゲームをやってみた。一定数のコマ毎に小学1年~小学6年、中学1年~3年、高校1~3年、社会人などに分けられており、6ばっか出すととんでもない速さで老けてゆく怖いゲームだ。平塚先生とやったら吐血しそう。

 しかしアレだね実にアレ。ゲームだってのに人生ってつくだけで、もう苦いことだらけでマッカン飲みたくなった。やっぱキッツイわ。人生キッツイわ。

 あと結衣が感情移入しすぎてて怖い。

 

「このままゴールなんてやだよ……おねがいだから、お金以外のマス……───3。いち、にー……あ」

「お……? “稼いだ財産の全てを捨てて、好きな男と駆け落ち”?」

「ひっきぃっ……!《ぱああっ……!》」

「え? なんで嬉しそうなの? 最下位ほぼ確定じゃねーか」

「ヒッキー!!」

「なんで怒んだよ」

「知んない! ばか! どんかん! キモい! まじキモい! あと、あとえっと! へ、変態! キモい!」

 

 なんでか知らんがキモい言われまくった。え、えー……? 俺なんかおかしなこと言った……?

 むしろ俺、腸煮えくり返りそうなんですが……?

 

「せんぱ~い……今のはよくないですよぅ。女の子にはですね? 時としてお金よりも大事なものがあるものなんですよ?」

「当たり前だろ、俺だって相手が結衣なら結衣を選ぶ。けどゲーム内の主人公が好きな相手なんて知らん。むしろそいつと結衣が駆け落ちするってんなら相手を呪い殺すまである《がばしー!》うぉおあっ!?」

「ひっきー! ひっきぃ、ひっきぃいいっ!!」

「ななななんなんだよおいっ! さっきからおかし《んちゅー!》んぶむむむ!? ぷはっ! ばばばかやめろ! 一色居るんだぞ!? 犬はまずい落ち着けハウス!!《ちゅっちゅっぺろぺろはむはむ》ひゃぅうん!? やっ、ちょっ、ほんとやめっ! 耳はやめろ!」

 

 何が琴線に触れたのか、犬モードが発動。俺の顔を胸に抱いて、振り回すように体ごと動いたのち、俺を押し倒しながら俺の口や頬や額にキスを落とし、時に舐め、耳を唇でハムハムしてきたり───らめぇ! 八幡、耳は弱いのぉ!

 思わず一色に救いを求めるが、一色さん顔を真っ赤にして思考停止中。あわあわと震えたまま、多分声も聞こえてない。

 あ……これあれですよね……。強引に引き剥がしたらまた“やー!”とか言うあの……。

 で、その声に正しく反応して正気に戻った一色に、なんというか彼女をペットとして調教しているゲス……そう認定されたかのような目で睨まれたりして……あれ? なんか死にたくなってきた。死なないけど。

 仕方ないので嫌がられるのを承知で引き剥がしにかか───ろうとしたのだが、それを察知したのか、結衣が俺の体に超密着して、手が入る隙間を殺しにかかった。

 ちょ、ちょ! 近い近い近い! 呼吸が首筋にかかってくすぐったい! 柔らかい! あといい匂い!

 

「───」

 

 だが心は冷静だ。うそだが。

 結衣……お前は頑張って密着したつもりでも、限界というものは必ず存在する。

 お前はな……胸が大きすぎたんだ。だからどれだけ埋めようとしても、潰せない隙間は確かに存在するのだ。

 

「《グイッ》!! やっ《ちゅっ》───ふわぁっ……!?」

 

 引き剥がせば泣くのは予想がついた。だから不意打ちでキスをすると、その表情が悲しみから困惑、一気に幸福へととろけ、押し退けるように起き上がってみれば、へたりと腰を落とし、動かなくなる結衣。

 俺はといえば、ひと仕事を終えたように額の汗、もとい顔中の汗や舐められた跡をぬぐい、深い溜め息。

 

「……一色」

「《びくっ!》ふわいっ!?」

「今……お前はなにも見なかった。いいな?」

「は、はい……ていうか、覚えてると毒にしかなりませんよあんなの……今どんだけ居心地悪いと思ってるんですかー……」

「それはその……すまん」

「てゆーかですよ? 私てっきり結衣先輩は奥手っていうか、あまりぐいぐい行くタイプじゃないと思ってました。信じて待っているタイプっていうんですか? ですけど……結構突撃タイプだったんですね……一言で言うと肉食系?」

 

 言いつつ、ちらりと結衣を見る一色。……対する結衣は、唇に手を軽く当てて、潤んだ目と真っ赤な顔のままに俯き、ちらちらと恥ずかしそうに俺のことを見ていた。

 

「初々しいんだか肉食系なんだかどっちなんですかもう……」

「すまん解らん、俺の方こそが訊きたい」

 

 しかしこうなってしまってはゲームどころではないので終了。既にいい時間だったので、二人に先に風呂に入ってもらい、俺はその間にママさんに相談。いろいろ茶化されたが、まあ報告とかもいろいろあったからそれはいい。

 話すことも終わって家に戻れば、リビングに広がりっぱなしのゲームを片付けて……風呂上り用の飲み物を用意しておく。そうこうしている内に二人が上がってきた。嗅ぎ親しんだシャンプーの香り。こういう時はなんかちょっと気恥ずかしいのは、きっと俺だけじゃないだろう。

 リビングに来た結衣と一色を迎え、ドリンクを渡す中、一色がわなわなしながら俺に言った。

 

「せんぱい……しってましたか……? おっぱいって、うくんですよ……? こう、めろんが……こう……《わなわな……》」

「それを俺に聞かせてどうしてほしいんだよお前は……」

「だだだって! よくあるじゃないですかー! 天は二物をうんたらーって! なんですかあれ反則ですよ! だってあれだけで二物じゃないですかー!」

 

 逃避したくなるほどのナニカを目の当たりにしたのだろう。

 目の前の自称後輩はひどく取り乱し、一方は「ヒッキーのドリンクおいしーねー」とにっこり笑顔。

 だが俺はそんな後輩の両肩にポムと手を置き、言ってやるのだ。

 

「だが馬鹿だ」

「ア、ハイ。なんか取り乱してごめんなさいでした」

 

 解決した。

 あと肩に置いた手はさっさとどかした。だ、だって誤解されると困るし……!《ポッ》

 ぼっち時のクセでアホな反応を一人で楽しんでいると、一色の着ているものが見覚えのあるものであることに気づいた。

 

「ところでそれ、結衣のパジャマか?」

「はい。なんていうかいい匂いがしますね。それにこのゆったり感が少し安心します。……ええ……胸部分の超ゆったり感とか、腰はぴったりなのにお尻がゆったりとか……なんですかこれスタイル良すぎですよ信じらんないですやっぱり二物が……二物がぁあ……!」

「いや、そんな個人専用ジャストフィット型高性能パジャマなんて存在しねーから。あんまそういうとこに触れてやってくれるなよ。あいつ、結構気にしてるから」

「なにがですかっ! スタイルがいいからですかっ!?」

「男にゲスい目で見られるからだ」

「あ───……そ、そう……ですね。私もそれは経験ありますから……」

「一時期、胸が大きい=エロい女って話をし出した馬鹿が居てな。当時クラスん中でその……なに? 胸が一番デカかったあいつは、エロ女とか言われてな。無駄に空気読めるから、雰囲気壊さないように馬鹿っぽく振る舞ったりして」

「……結衣先輩…………あの、それでどうなったんですか?」

「あ? んーなの一日経たずに潰したわ。結果として、そこには悪人が一人だけ。結衣は逆にクラスの人気者だ」

「へー……なんだ、先輩はちゃぁんと、馬鹿なことを言い出した犯人のこと、知ってたんですね」

「……………」

「《ぽんぽんっ》わひゃっ!? ななななにすんですか女の子の頭に気安く触るとか漫画やアニメの見すぎなんじゃないですかごめんなさい無理です!」

「あー知ってるよ。他人に頭を触られるのってほんと頭に来るよな文字通り。……ま、あれだ。人間頭に来ると、正常な判断が出来なくなるもんだ。そこを突いて、ありもしない悪の印象を植えつけて矛先を変えるのも楽なくらいな」

「なんですかぁ、それぇ……」

「なんでもねーよ。ほれ、結衣もやってるから、さっさと髪乾かしてこい」

「はーい。ていうか洗面所にドライヤーくらい置いといてくださいよー」

「うるせ、贅沢言うな」

「ほんと、結衣先輩とじゃ態度が全然違うんですからもう……」

「当たり前だ。結衣は天使だからな、存在の時点で愛を捧げるのは当然だろ」

「うわぁ……」

「おいだからその“うわぁ”はやめろ」

 

 ファゴーとドライヤーをつけている結衣のもとへ、ぱたぱたと歩いてゆく一色を見送り、溜め息。

 ま、あれだ。平和を味わっているヤツなんて、悪の姿を知る必要などないのだ。

 大きな悪が居て、正義にこてんぱんにされたとしても、そんな戦いに気づかなければ……世界ってのはいつだって平和なのだから。

 結果として靴が燃えたり教科書が破かれたりしたが、後悔なんてねーよ。

 ガキに出来る精一杯をやった。それだけだ。本人がそれでいいって思ってるんだ。

 ようするにな、一色。俺はその噂を流した敵の存在なんて、どーでもいいんだよ。一人だけ必死になって俺を罵ってたヤツが居て、その理由を辿れば簡単に解りそうなものでも、そんなものはどうでもいい。悪としての話が広まれば広まるだけ、発覚すればそいつがボコられるだけだ。だから二度と言い出せない。口に出せない。

 悪は一人。つまりそいつがずっと悪ならば、自分は悪くない。黙っていれば、正義にさえなれるのだと、状況と場の空気だけで全員にその恐怖を植えつけた。

 そうして多少の流れを作ってやれば……ほら、簡単だろ? 誰も傷つかないやさしい世界の完成だ。

 

「……《ガリッ……》」

 

 布団でも用意するか。あぁだるい。

 頭をひと掻き、とぼとぼと歩いた。

 耳にはドライヤーの音が残っている。

 それはクラス中が敵に回り、罵声が一気に耳に届いたいつかの残響と、なんだか似ていた。

 

  ×  ×  ×

 

 ───翌日。

 あ? 夜? べつになんもねぇよ? あるわけないでしょ。信頼ってのは積み重ねるもんだから、婚前に過ち犯して破棄みたいなアホはやらかさない。

 むしろ結衣は部屋に戻したし、一色だって結衣の部屋で寝た。俺は一人静かに自室で寝たとも。寝たからもう熟睡してれば朝だ。暗いけど朝だって絶対。時計が2時15分の草木も眠るウシミツ・アワーを指しているが、朝なんだよ。そして今がこんなに暗くても、翌日って言ったら翌日だ。現に0時過ぎてるしネ? いやネじゃねぇよ。

 

「ん……?」

 

 耳がなにかの音を拾う。これの所為で起きたのかと自覚しながら発生源を追うと、どうやら窓側のご様子。視線を向けてみれば、月明かりに照らされたベランダに人影が───!! ……やべぇやべぇ、なななにこれ俺じゃなかったら悲鳴あげてるレベ───いやべつにびびびびびびってねへよ? ほんと、いやまじで。

 もちろんカーテンも閉めてあったからシルエットしか見えなかったわけだが、一色ではなく結衣だなってのは、まあ、すぐ解った。

 そもそも一色には俺の部屋に来る理由が無いから当たり前なんだが。

 しかしここでわざわざ電気をつけて、起きましたよアピールをするのもあれだ。なので月明かりのみの世界で静かに窓の傍までを歩くと、コンコンとノックを返した。

 すると返ってくるノック。それを返す。返す。返す。

 繰り返していると、猫みたいにカリカリと窓を掻き始めた。なんかもう俺じゃなければ可愛さのあまりもだえてたな。いや悶えてたよ俺。

 降参してカーテンを少し開いてみれば、そこに少し涙目の結衣が居た。やべぇからかいすぎた。

 だが俺は紳士だ。紳士は睡眠の大切さをよーく知っている。そしてぼっちならなおさら、睡眠の大切さは知ってるもんだ。

 だから他の人の睡眠の邪魔など絶対にしない。故に声を出したりなどしないのだ。

 

「(ど・う・し・た)」

 

 故に口パクである。なんなら窓に息かけて、そこに文字書くのでもいいが、逆になった文字を、消えるまでにこいつが読めるかどうかが不安だ。……さすがにそこまで馬鹿じゃないとか言われそうだな。

 俺の思考がどうあれ、ともあれ訊いてみたわけだが───結衣は月明かりに照らされながら視線をうろちょろとさせ、胸の前で指をこねこねしながら顔を赤らめている。

 ……え? なに? 用がないなら寝たいんだが。

 しかし俺の睡眠欲とは裏腹に、俺の眠気なんてものは……月の下の結衣を見た瞬間からとっくに飛んでいってしまっていたわけで。

 あー、まあその、けど開けるのはまずいだろ? 結衣が鍵を指差して開けてアピールしてる。え? なんで今日は鍵かけてるのかって? だって一色が居るのに開けっ放しって怖いじゃない。いやべつに殺されるとかそういうんじゃなくて。それ以前に寝る前くらいは戸締りくらいしますよ? ……え? してるよね? 結衣さん? ちょっと結衣さん?

 まあそれは置いておくとして、開けるにしてもだな……この窓、スーっと開くタイプじゃなくて、カラカラ鳴るタイプなんだもの。眠れる人々の邪魔をする気持ちなどぼっちにはありません。

 しかしまあアレですよ。天使にウル目&上目遣いされたら抗えねぇだろ。開けたね、速攻開けたね。鍵はだけど。窓はもちろんそーっと動かしたよ。なんだよ、仕方ないだろ、相手天使だもの。

 

「ひっきー……」

 

 開いてしまえば声も届く。

 ぽしょりと呟かれたのに確かに届いた言葉は、俺の耳に残っていたあの残響も、心の中に浮かびあがりそうだったあの気色の悪い感情も、吹き飛ばしてくれる。

 

「……どした? こんな夜中に」

「あ、うん……いろはちゃんが寝るまで、長かったから……えと、それで、ね? ほら……な~んか忘れてないかなーって……」

「あん?」

 

 忘れる? いや、べつになんも忘れてねーですよ?

 

「ほ、ほら、恋人同士がー……さ、眠る前に~……ね?」

「…………」

「…………ひっきぃ……」

 

 頭に浮かぶのは“おやすみのキス”という言葉。浮かぶなよ恥ずかしい。

 お前それずるいっしょ……寂しそうに寝巻きをきゅっと摘んでくるとか、ずるいっしょ。

 だから……まあ、抗えるわけもないわけで。

 しかしながらここだと真正面すぎて、もし一色が起き出したりでもしたらあっさり見つかるわけだ。

 なので結衣を部屋に招くと静かに窓を閉めた。……鍵は閉めない。がっついてるとか思われたらキモいじゃねぇか。……自分でキモい言っちゃったよ。

 だってのにこっちの慎重さなぞどこ吹く風。ワンちゃんは既に俺の布団に潜り込んでいて、すっかりご機嫌でいやがりました。ちょっと返して、それアタシのダーリンよ? 夜のお供って言ったら布団以上のものなんてないわよ! 返しなさいよ! 返して! 大体アータ「ひっきぃ……」え? なに? ……結衣が布団をめくって、空いたそこをぽむぽむと叩いた。

 はいありました、ただの布団よりも眩い場所が。ダーリンごめん、うち、結衣の隣が好きだっちゃ。

 

「…………、」

 

 溜め息なんぞを吐く振りをして布団へ。

 寝転がればすぐさま腕に抱き付いてきて、俺もその頭を、髪を撫でた。

 相変わらずもっともっとと上機嫌に頭を押し付けてくる姿に、どこまで気を許してるんだかと一色の姿を思い出す。そだなー、ほんと他人に頭触られるのって嫌な筈なのになー。

 ……もしかしたらぼっち特有の嫌悪感だったりするのかしらん?

 

「ひっきぃ……ね、ひっきぃぃ……」

「………」

「《ぽむぽむ》ん……」

 

 一応、約束は約束なわけで。

 男を追い払うためとはいえ、したからには責任はあるし……そもそもその、あれだ。俺自身、したくないわけではないわけで。

 頭を撫でていた手に力をクンと込めると、瞬間、結衣の目に期待と歓喜が浮かぶ。

 自然と目を閉じる仕草も、もう慣れたものだ。いや慣れるの早すぎでしょ、そりゃ回数だけならアホなくらいしてるけど。

 そうは言っても距離は詰めれば無くなるもの。口と口がくっつくと、つい顔がニヤケてしまい、少し離れる。

 しかしこのお犬様はそれが不服だったようで、離れた分をあっという間に詰めるとキスをして、あっさりとその先まで突撃してきた。

 戸惑っている内に口内に侵入してきた舌を、やれやれとつついてやると、ソレまでもが探し続けていた半身を見つけたかのように、執拗に絡み付いてくる。

 

(いや、ほら、なんつーか……好きなだけ、とか言っちまったし)

 

 抵抗はしない。どころか迎え入れ、覆いかぶさってきた体を撫で、宥めるように後頭部を撫でてやるまでする。

 だがだ。断じてR18へは走らん。絶対にだ。

 たとえ八幡の八幡がハイボルテージを漲らせようとも、それは絶対にしない。

 大事に思えばこそだ。これ絶対。たとえ欲求不満がたたりすぎて、いつしか藤巻十三と同じ道を辿ろうとも、そこに悲しみはあっても後悔など抱いてはいけないのだ───!

 

……。

 

「んちゅ……んっ……はぷっ……はぁっ……んっ……」

 

……。

 

「ひっきぃ、ひっきぃい……! んっ……んくっ……ちゅるっ……」

 

……。

 

「ん、んーんー……んぷっ……は、はっ……はっ……」

 

……。

 

「ちゅぷっ……ちゅぅう……ちるちる……」

 

……。

 

「はっ、はっ……んー……! んー……! はぷっ……ひっ、ひっき、ひっきぃ……!」

 

……。

 

 八幡、言いました。“好きなだけ”、言いました。確かに言ったアルヨ。イッタネ。イタヨー! イチャタアルヨー! ……いつまで続くのこれ!

 やべぇ生殺しって言葉侮ってた! 世の男性諸君よ、堪える者よ、あなた方は偉大だ!

 

「ん、んっく……んっ……んー! んー!!」

 

 唇をくっつけ、舌がより絡むようにと密着部分を深くし、結衣は自分の舌を俺の舌にぞるぞるとこすりつけてくる。その度にぞくぞくと、頭の後ろの……いや、もっと内側だろうか。説明しづらい部分に、ぴりりという奇妙ななにかが走る。

 それが興奮と息遣いによって加速され、今まで決して噛み合っていなかった自分の中の何かが、少しずつ歯車を合わせ始めるのを感じる。

 これは、なにかが危険だと体が訴えている。

 いや、俺だってそりゃ、チッスの知識くらいはあるよ? 口をつけるのが口づけでキスで、舌を絡めるのがディープで……え? その先があったりするの?

 エ、エロスはしませんよ? 大体そっちの知識とかアレがアレだしほら、ね?

 なのに、結衣は逆にそれを求めるように体を密着させ、俺を押さえつけ、口と舌を合わせてくる。

 二人の口周りはとっくにべたべた。しかしそれを汚いと感じることもなく、俺は受け入れ、結衣は与えもして、求めもした。

 時に俺から絡ませれば、体は歓喜に震え、切ない声とともに、もう近づけないと解っているのにさらにさらにと体を押し付けてくる。

 その体を抱き締め、頭を引き寄せ口を塞いでやれば、喜びを訴えるかのように一層に舌を絡ませてくる。

 

「───」

「───」

 

 ぞろり、と自分の中で……恐らく結衣の中でも、何かが近づいてくるのを感じている。

 それはきっと危険なもの。麻薬めいた、かなり危険な何かだ。

 自分たちの中の何かを壊しかねないそれを、しかし気にしてしまった以上はもうどうしようもない。

 歯車が噛み合う。

 と同時に、脊髄を一つずつ確認して昇ってくるような、寒気にも似たなにかを確かに感じた。

 

「……ひっきぃいい……っ……!」

 

 嗚咽混じりの声で、結衣が俺を呼ぶ。

 俺も彼女の名前を呟いて、その右頬に手を滑らせ、やがて口を近づけた。

 震える何かはすぐそこまで来ていて。

 やがて、口が繋がり、舌が繋がり───ぞる、と舌のざらつき同士がこすれた時、それは津波となって俺達を襲った。

 

「───!! 、───ッ───ア……!!」

「…………!!」

 

 体全体が硬直。息も詰まり、全身に信じられないくらいの力と……おそらく、快感、というものが走る。

 体が痺れ、筋肉が限界を迎えたかのように勝手に力を抜くと、残るのは強烈な痺れと……強烈な快感と、強烈な愛しさ。

 呂律の回らない口と声とで互いを呼び、上手く動かせない手足で相手を求め、ただ抱き締め、どうしてなのか涙した。

 

  ……溶けてゆく。

 

 感じたのはそんななにか。

 そんな筈はないのに、ただ、どうしても他人として感じていた壁が“溶けて”“解けた”ような、妙ななにかを感じたのだ。

 それに安心して、目の見えない赤子が光を求めるように───力なく動き、吐息を伝い、キスをした。

 途端、広がる安心感。

 そして再びどくんと強烈な何かが走り、俺と結衣は互いの舌を噛まないようにするだけで精一杯なくらい、その強烈ななにかの津波に耐え……頭の中で───思考とかそういうのではなく、本当に頭の中に電流めいたなにかが走ったかのように体が跳ね、痺れ、力が走りすぎ、ガクガクと震え、急にその力が抜けて、けれどその入った渾身の分だけ体はがくがくと震え、口も震えているためかカチカチと歯と歯が小刻みにぶつかり、弱々しい吐息のままに涙を零す。

 知らない。こんなもの、自分たちは知らない。快感と呼べるものでは、きっとない。

 けれどそれは確かに嬉しいものの筈なのに、知らないからこそ体が震え、歯もかちかちと鳴るのだ。

 ただし心を支配するのは恐怖などというものでは一切なく───……それは恐らく、一般的には幸福感、と呼ばれているものに違いなかった。

 体に力など入らない。なのに体は、脳は、即ち比企谷八幡は心からの幸福を噛み締めており、結衣もまた俺の上で、その満たされた幸福故に涙を流していた。

 

  ガキの頃に目を濁らせながら思ったことがある。

 

 人なんて信じたって無駄だと。

 友情だの愛情だのなんて嘘っぱちで、目に見えない何かを信じたところで、裏切られて泣くだけだと。

 “本当”なんてものはない。世界にあるのは“嘘”ばかりで、人は“嘘を信じて本当のために動く人”を笑うものなのだと知った。

 本物なんてあるのかと。求めたものは確かにあっても、それは俺にだけは掴めないものなんじゃないかって、いつだって疑っていた。

 平等なんてものを初めて謳った人を、俺は許しもするし恨んでないともいくらだって言える。ただ、どんなことがあろうとも絶対に信頼などはしないのだろう。

 

  今、自分の中にあるものは、とても大きな幸福と、信頼だ。

 

 こいつは絶対に裏切らない。俺も、絶対に裏切らない。

 だから、アホみたいに信じてみるのもいいじゃないかと、心と体が受け入れ切っていた。

 俺と結衣の体になにが起こったのかなんて知りもしないけど、信じられるものがあるのなら、それでいい。

 今後、結衣だけを信じて生きて行く、なんてことは絶対に不可能だって解ってる。

 そこに一人二人を足した程度で、大事な人を守っていけるほど、世界は人にやさしくない。それも解ってる。

 変わる必要があるなら、変わっていかなければいけない。

 せめて、この、自然と涙を流せるほどに大切な相手を、守れるくらいに。

 

「……ゆい……」

「……はーくん……」

 

 無意識にだろう、呼び方がはーくんに戻っていた。

 けど、今はそれが嬉しいって思えるあたり、なんつーか……自分で思っている以上に、かなり、相当、単純なのね、俺。

 

「………」

「………」

 

 どちらともなく顔を近づけ、二度、三度とキスをする。

 チカチカする震えは未だに続き、けれどあの強烈ななにかはもう来ない。

 それを残念に思うとか、良かったと思うかも気にすることもなく、ただただ離れたくないという気持ちを胸に、キスをした。

 やがて多幸感に包まれながら、キスの最中に眠りにつく。

 何時に寝たのかも解らないが、バイト用の早朝目覚ましが鳴った頃には、不思議と疲れも取れていた。



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やはり比企谷八幡は、自分を信じる者しか信じない

 で、早朝。

 リビングにて朝食用ドリンクを振る舞っていたわけだが。

 

「ひっきぃ……足いたい……」

 

 予想通り、足に来たらしい。むしろ昨日、夜になる前から少々ぎしりとしていたらしいが、寝れば治ると本気で思っていたらしい。

 結論を言えば、治るどころか足は痛かったようだ。

 

「悪いな。風呂に入る時、マッサージしろって言っておくべきだった」

「あ、ううんっ、ヒッキーはぜんぜん悪くないよっ! む、むしろ夜のは……その……うれし、かったから……」

「う、あ……お、おう……」

 

 断じて言おう。R18への扉は開けてない。キスだけだ。本当だ。

 けれどそれ以上の何かを二人で感じたのは事実だ。

 

「あの、二人だけの世界とかやめてくださいよ……ただでさえなんだか居心地悪いのに」

 

 半眼でこちらを睨んでくるのは一式だ。いや一色だ。

 どうせならってことで、まだすいよすいよと寝ていたのを結衣に言って起こしてきてもらった。

 

「大体こんな朝早くからなんなんですかー……私、夜とやらになにがあったのかよりも眠いですよぅ、せんぱーい……」

「ぼっちのための成長スキルその1だ」

「なんですか?《キリッ》」

 

 ……こいつ、やっぱぼっちの才能あるんでない? ……いや、むしろイジメを受けている自分、カッコワルイだな。

 

「逃げ足を磨く。スタミナを磨く。力をつける。特に逃げ足の速さとスタミナは大事だ」

「えー? 逃げるのって格好悪くないですかー……?」

「あ? なに言ってんのお前。めっちゃ格好いいわ。待てコラって追ってくるやつらを置いてけぼりにして走り抜ける自分を想像してみろ。相手にとっての勝利条件がお前を捕まえることなら、お前にとっての勝利条件は逃げることだろが。相手が疲れたあとに振り向いて、余裕の顔で笑ってやれ」

「やります《キリッ》」

 

 あれ? この娘ったら案外チョロい? いや純粋なだけだから。つまり俺もこいつもめっちゃピュア。

 

「よし結衣、ちょっと足見せてみろ」

「え? あ、うん…………え?」

 

 椅子に座っている結衣の前に跪いて、軽く立てた片膝に結衣の足を乗せるようにする。

 そしてアキレス腱から脹脛までを親指と人差し指で揉んでゆき、その後に爪先を伸ばして、戻して、指を上に向かせて、を軽く繰り返して、最後に足の指で拳を作るようにギュウウっと畳み、パッと開かせを繰り返してみる。それが終わったらもう片方だ。

 

「どうだ?」

「あ、うん……なんかちょっとあったかくなってきた」

「少し歩いてたらすぐに痛みにも慣れてくるから、今日はジョギングじゃなくて早歩きだ。明日平気そうならまたジョギング」

「うん」

「一色もそれでいいか?」

「え? でも私はジョギングなんですか?」

「ジョギングではあるんだけどな、やるのはスロージョギングだ」

「あ~、あれですかー……」

「あれ? いろはちゃんやったことあるの?」

「……結衣先輩と同じ道を辿って、一日で……」

「あー……そ、そっか……あたしもヒッキーが居なかったら、もうやめてたかも……あはは」

「欠点としては、前傾姿勢でやる所為で足の幅が無意識に広がりがちになるんだ。お陰で歩くよりも痛烈な体重が爪先にかかって、普段使わない部分に一気に負担がかかる。慣れればどうってことなくなるんだけどな。それこそ、走るみたいな幅で大きく足を広げて走っても、息は乱れるけど足は大して疲れない。あ、もちろんつま先でな? 地面を蹴ったら普通に疲れるから」

「うーん……同じ“走る”って方法なのに、それだけでそんなに違うなんて……なんか、不思議」

「それ言ったらお前、夜のあれなんてどう説明つけるんだ……よ…………《かぁああ……!》」

「え? あ───あー…………《かぁああああ……!!》」

 

 疑問をそのまま口にして後悔した。ああ顔熱ぃ。

 

「そ、そだね、そだねー……えへへ……で、でもあの、原因は解らなくても……ね?」

「う……まあ、アレ、だったけどよ……」

「………」

「………」

「…………《かぁあっ……》」

「…………《てれてれ……》」

「あーもう鬱陶しいです行くならいきましょうよー……」

「お、おう悪い」

「そ、そうだね、いこっか。ヒッキー、時間はだいじょぶ?」

「おう。早歩きならスロージョギングより余裕だ」

 

 話しながら準備をして、いざ外へ。

 小町はまだ寝てるだろうから鍵を閉め、いざ……まずは準備運動からか。

 

「じゃ、行きますか」

「一色、準備運動が先だ」

「えー? 大丈夫ですってー」

「お前なぁ、そんなんだから三日坊主どころか一日淑女やるんだよ」

「なんかヤですねその名前! ……はーぁ……解りましたよぅ、やりますよー……」

 

 決まってしまえばえっちらおっちら。

 足を伸ばす運動を基本に、体をほぐしていった。

 

「でもあれですよねー。一日淑女って、飽きが早い面倒くさがりなお嬢様とかが似合いそうです」

「お嬢様か……んん、だとしてもなんつーか、なんだかんだ運動神経もよさそうだし、一日ってのが逆に合わなそうだな」

「そっかなぁ……あ、じゃあ体力の無いお嬢様とかどうかなっ!」

「むしろそれって居るのか? なんつーのかな。お嬢様って親にいろいろ習わされて、体力とかもありそうじゃないか?」

「あー……そっかぁ。でもさ、案外さ、なんでも少しやっただけで完璧にこなせちゃって、体力がつく前にやめた所為で、なんでも出来るけど体力が無い所為で続かない~なんてお嬢様ってのが、もしかしたら居るかもしれないじゃん」

「そりゃ見てみたいな」

「見てみたいですね」

 

 居たとしたらどんなやつだろう。体力はないけどなんでもこなせて偉そうで成績優秀で……体育以外の成績がパーフェクト超人? 見てみたい。

 見たこともない存在に適当な言葉を投げながら、準備運動を済ませる。

 それからはよたよた歩く結衣を気遣っての早歩きが始まった。

 

「う、うー……びっこ引く歩き方ってなんかかっこわるい……」

「あ、じゃあこんなのはどうですか結衣先輩っ、腕を大きく連続で振るうことで、足へかかる体重を外へ逃がすとか!」

「漫画であるあるな理論だな」

「え? こうかな……ほっ、はっ!《ぶるんっぶるんっ》」

「……ゴメンナサイ……っ……」

「なんで泣きそうな声で謝るの!?」

「結衣。上半身を振るうのはダメだ。男どもの目が潰れることになるし、一色が泣く」

「あれ? なんかあたしが悪いみたいになってる? あたしなんかした? ねぇヒッキー。ヒッキー?」

 

 ニブツがニブツが言ってる一色の肩をポムと叩き、疑問符を浮かべる結衣とともに新聞屋を目指した。

 

……。

 

 早歩きで移動して、新聞を受け取る頃には、結衣は足にある違和感に大体慣れていた。

 平気そうかと訊ねればドヤ顔で胸を張る。

 

「ヒッキー、やっぱあたし運動の才能あるってば!」

「そーなのかー」

「なにそのすっごい棒な返事! 真面目に聞いてってばヒッキー!」

「んじゃ結衣、スクワットしてみような。いいか? こう、爪先より前に膝が出ないように腰を屈めるんだ」

「こう? んんっ……」

「ああ、手は前に突き出したほうがバランスは取れるな」

「あ、それ私も知ってますよ先輩。こうですよね」

 

 一色がスクワットをすると、結衣はそれを見てホヘーと妙に感心しているようだった。

 

「あぁ一色、見た目は合ってるけどそうじゃない。勢いじゃなくてな、全部筋肉でやるんだ」

「え?」

「全部……筋肉、ですか?」

「そ」

 

 言って、見本を見せる。

 まずは尻の筋肉に力を込めるイメージでゆっくり腰を落としてゆく。当然膝は爪先より前に出ない。

 手は胸の前で合わせてあり、それを内側に押し込むように力を込めることで、胸筋にも刺激を。

 

「こうやってケツの筋肉と腿の筋肉だけでゆっくり下に。膝とケツの高さが同じくらいになったなと思ったら、今度は尻と腿の筋肉に力を込めたまま腹筋をイメージして力を込めて起き上がる。この時も反動とか勢いを利用するのはNG。あくまで筋肉だけでだ。ほれ、これを15回。全部出来たらご褒美&運動の才能アリと認めよう」

「15回でしょ? 楽勝じゃんっ!」

「あ、あの結衣先輩? それ───」

「ほらいろはちゃんも一緒に!」

「うあぁあ……」

「ま、なんだ。お前も出来たら、何かジュースでも奢ってやるよ」

「先輩、報酬がそれって、やっすいですよ……もっと目立つ甲斐性とかないんですか?」

「じゃあ一色が成功したら昼飯も奢ってやる。結衣に」

「私全然得しないじゃないですかー!」

「うるせ、奢られて当然とかもっと高いものとか贅沢言うやつなんざ敵だ。あとなに? 甲斐性? 俺に頼りがいがあるように見えんのかお前」

「少なくとも結衣先輩にはその塊として見えてるんじゃないですか? 私としても、同じクラスの人達よりはよっぽど話しやすいですよ、先輩は」

「えー……?」

「なんで嫌そうな顔するんですかー!」

「だってお前、友達が居ないとか言いながら入り浸りそうなんだもん……」

「真正面からほんと容赦ない人ですねこの人……」

 

 ほっとけ、これでも“他人”への対応の中じゃマシな方だ。

 なんて言ってる内に、腰に衝撃。見下ろせば、情けなくも足をガクガクと震わせた結衣が、俺の腰に抱き付いて涙目になって俺を見上げていた。

 

「おい、まだ十回もいってねーでしょ……」

「た、倒れてないからノーカンだよね……!? あたし頑張るからっ、あと8回頑張るからっ……!」

「人に寄りかかって足を休めた時点で失格だっつの。それより行くぞ、新聞を待っている者たちのためにも……!」

「やぁあ~~~……! ごほーび、ごほーびいぃい……!!《ずりずりずり……!》」

「ちょっ、やめろばかっ、ジャージがずり落ちるっての……!」

 

 俺からのご褒美になにをそんなに期待したのか、抱きつかれたまま歩く俺の後ろからずりずりと引きずる音。だが既に試合終了となっているのだから知ったこっちゃない。

 俺は天使にはやさしいが、堕天使にするつもりなどないのだ。だからこうして《スッ》心を鬼にして《抱きっ》一歩一歩を歩む所存でありまして《横抱きィーーーン!!》。

 

「あのー、なにをいきなり凛々しい顔してお姫様だっことかやってんですか」

「あ? なに言ってウォアッ!!?」

「ひ、ひっきぃ……? え、えと、えと、うれしーけど、いきなりとかちょっと恥ずかしい、かな……! あ、ほんと嫌とかそんなんじゃないくてっ……そのっ……えとー……! むしろやっぱ嬉しいってゆーかっ……あぅ、あぁぅぅう……!」

「………」

 

 まじかようそだろ? いったいどうなってやがる。

 信じられるかボブ……あ? なにがって、まずは聞けよ。俺はよ、天使に対して心を鬼にして、愛しいってのに突き放したんだ。いや、突き放したつもりだったんだよ。聞けって! 違う! ノロケとかじゃねぇんだよボブ! 信じらんねぇかもしれねぇが、俺はよ、気づいたら……俺はよっ! 天使を横抱きにして立ってやがったんだ! おかしいだろおい! 違う! だからノロケじゃねぇよ! だからってマボロシ見たわけでもねぇ! 落ち着けボブ!」

 

「落ち着くのは先輩だと思いますよ……」

「《ビビクゥッ!》ひゃいっ!?」

 

 え!? 俺声に出てた!? やだ死にたい! 助けてボブ!

 

「いや……その……な? アレだよアレ……いい加減焦った時にポルナレフるのはやめようって思っただけなんだ……。外人風に説明することで心の平穏を、だな……」

「知りませんよ、誰ですかボブって」

「ほんと誰だよ……」

 

 でも歩く。

 歩いて、一色の視線を浴びすぎたので、結衣を下ろした。

 

……。

 

 新聞配達は滞りなく終了。そのまま家に帰って、散歩がてらに一色を駅まで送り、自分たちは自宅へ。

 それから昨日と同じことを済ませて、そのまま学校へ。

 

「いろはちゃん間に合ったかな」

「大丈夫だろ。まだまだ時間も早かったしな。あーあとこれ、弁当だ。昼に食え」

「ほえ? ……ふえっ!? いいの!? てゆーかどういうハゼの吹き荒し!?」

「風の吹き回しな。怖ぇよハゼ。なにやったんだよハゼさん」

「えっ!? あ、う、し、知ってるし! ただちょっと間違えただけじゃん! で!? そのカゼノフキ・マワシさんがどしたの!?」

「………」

 

 ほんとこいつ、どうやって総武に合格したんだろ……。ママさんからは、ただひたすら頑張ったとしか聞いてないが。

 そもそもそれを言い出したのはお前なんだがな。

 

「ちょっと!? なんで溜め息吐くし! ……もしかして、なんか馬鹿にしてない?」

「なんでもねーよ。弁当のことだけどな、今のお前に合った栄養っての考えて、俺が作った。ママさんには昨日、結衣と一色が風呂に入ってる内に連絡してあったからな、今日弁当無かったろ」

「あ……そういえば、おべんともらってない」

「お前、それ普通だったら弁当忘れてるからな?」

「感じ悪いなぁ、大丈夫だもん! いつもはママが教えてくれるし!」

「おい」

 

 それ、教えてもらってる時点で普通に忘れてるからね? しかも日常化してるみたいなことを胸張っていってんじゃありません。婚約者が恥ずかしくて泣いちゃうでしょ。

 

「…………でもね、ありがと。ほんと、ヒッキーにはもらってばっかだなぁ」

「お返しとかいらんからな。むしろ俺だってもらってばっかだ」

「……あたし、ヒッキーになにもあげてないじゃん」

「もらってんだよ。ぼっちには眩しすぎるもん、いっぱい。人並み以上の幸せなんてもんもらっちまったら、意地でも幸せにしたくなるだろうが」

「ふえっ……!? ……ひ、ひっきぃ……?」

「……《がりがりがり……》……あー、だから、なんだ? そのつまり……《ふいっ》……そーゆーこったよ。言わせんな恥ずかしい」

「《かぁあ……》そ、そーゆーこと、って…………《ちらちら……》その、言ってくんなきゃ……解んないし……《こねこね》」

 

 赤くなった顔で、こねこねしている指と俺とを交互に見ながら、彼女はそう言った。

 あ、きみそういうこと言っちゃう? 言っちゃうのん?

 

「だから。その。…………~~ちょっとこっち」

「《ぐいっ》わひゃうっ!?」

 

 こねこねしていた手……ではなく手首を掴んで、壁の傍に結衣の体を逃がす。道路の真ん中じゃ、何気なく外を見たお家の方々とかに見られるかもしれない。それは恥ずかしい。

 だからちょっと焦りも混ざった勢いのままに結衣を壁側に逃がしたんだが……ちと焦りすぎたらしい。結衣の背中がトンと壁に当たってしまい、こっちもそれに動揺すると同時にバランスを崩し、結衣ごと壁に激突───する寸前、咄嗟に壁に手をついて事無きを得る。

 事無き、どころか危うく結衣の顔に掌底ぶちかますところだった。伸ばした手が、結衣の顔のすぐ横にツッパリ入れる勢いで、ダンッと当たってしまったのだ。

 結果として勢いに持っていかれた体重ごと壁に預けるかたちで、右手は結衣の左耳の傍の壁につき、顔は結衣の右耳の傍という超至近距離状態。

 あっぶな……! 落ち着けよ俺、どんなに焦っても、結衣に怪我をさせるなんてことだけはあっちゃならない。

 ほら見ろ、さっきまで可愛い顔でもじもじしてた顔が、今はこんなに恐怖に…………あれれ? 染まってないよ? どころか目をすっごい潤ませた期待と不安を混ぜたみたいな顔で、「はわわわわわ壁ドンだ……!」とか言ってる。

 え? なに? カベ・ドゥーン? 魔王様がカツ丼に対して言いそうな名前ですね。

 そんな結衣が、真っ赤な顔のままにふるるっと震え、おそるおそる持ち上げた両手で、俺の制服の胸元をきゅっと握ってくる。───その時、気づいた。

 結衣の顔の横……現蜜に言えば後ろの壁だが、そこに妙な虫が。

 教えてしまえば盛大に驚いて暴れることが予想される。ここはあれだろう。静かに、ただ騒ぐなって意味で───

 

「動くなよ、結衣《ぽしょり》」

「《びくんっ!》ひゃうんっ」

 

 ぽしょりと結衣の耳元で囁くように、しかし聞き取れなかったら困るので、小声ではあるものの言葉としてハッキリ言ってやると、ぴくんと肩を震わせ、なぜか「は、はい……」と委ねきったみたいな、安心した声を出す結衣さん。え? なに? なんなのこれ。

 まあとりあえず結衣が気づかないように虫はデコピンで吹き飛ばす。やったら硬かったから、たぶん死んではいないだろう。デコピンしたこっちが痛いレベルなんだが……なにあれ。

 

(あ)

 

 で、気づく。目の前に、結衣の耳。

 

「───」

 

 そういや犬モードの時、ハムハムされた恨みがあった。

 たまには天使に下克上ってのもいいのではなかろうか。

 人がやめてって言ってんのに聞いてくれないヤツには、正当な反撃だと思うのだが。

 

「……《そろり》」

「《ぴくんっ……》ひ、ひっきぃ……? あの、息が《はむっ》ひゃぅううんっ!!?」

 

 はむりと、耳を唇で挟んでやった。

 するとよっぽどびっくりしたのか、悲鳴にも似た声を出す結衣。

 ……俺はさらにこれから、耳を銜えられたままぺろぺろと舐められたりしたな。

 すまん結衣、これも仕返ししたいだけなんだ。やられたらぞわぞわと気持ち悪いということ、思う存分味わわせてくれよう、ぞ。

 そんなわけで舐めた。甘噛みした。キスをした。息を吹きかけた。

 面白いくらいに体がびくびくと震えるものだから、教え込めばもうしないだろうと続けた。

 続けて続けて、涙を浮かべたままカベ・ドゥーンの所為で逃げられない結衣の耳を執拗にイジメ続け、やりすぎると、というか鞭ばかりがすぎるとあとが怖かったので、本気で泣きそうになるとキスをして、安心したところでまた耳を攻撃。

 そんなことを続けていたら、突如としてがくがくの結衣からの反撃のディープキスが繰り出された。

 深く深く、口全体で俺の口を完全に塞ぐみたいに密着したそれと、同じようにかたかた震えていたとは思えないほどに力強い腕で抱き締められた俺の体。

 途端、俺の口内に結衣の絶叫が響いた。といってもそれは声にならない声のようなもので、いつか幸福が爆発したあの夜の悲鳴にも似たものだった。

 現に結衣の体は突っ張り、がたがたと震え、しばらくするとそれも治まるが、結衣は涙をこぼしたままにずうっと俺にキスをしていた。

 

  ……で。

 

「ばか、きもい、ばか、ばか、ばか、きもい」

「………」

 

 結局は通学路を歩んでいるわけだが、もう凄い。なにが凄いって、結衣の語彙が。

 相当ご立腹……なんだろうが、“きもい”と“ばか”しか言ってない。

 その上、腹を立てているんだろうに俺の右腕に腕を絡め、ほぼ密着状態で登校中。なにこれ怒ってるんじゃないの? 手は恋人繋ぎでしかも超密着状態。ばかとか言いながら体を摺り寄せてくるし、さっきから頬も腕にこすり付けっぱなしだ。なんかマーキングされてる気分。

 時々ふるりと震えながらも腕から離れず、見上げる表情は切なそう。犬モードを無理矢理押さえ込んでいるような、甘えようとする自分を押さえ込んでいるような。

 ちなみに振りほどこうとすると、絶望を貼り付けたような寂しそうな顔で見上げてくるので、フリホドク、デキナイ。なんなの? キモいんじゃないの? いやキモいけどさ。道端で女子高生を壁に押し付けて耳を執拗に責める男。……ほら、キモい。やべぇほんとキモい。今さらながらダメージがデカい。

 

「…………《じっ……》」

 

 ていうかね。

 

「ばか……ばかばか、ばか……」

 

 うん。なんか、違うかも。

 

「……《じっ……》…………《すりすり……ぎゅうっ……》」

 

 ばかとかきもいとか言いながら、手はぎゅーっと恋人繋ぎのまま握ってくるし、その上の腕は結衣の腕と絡まったまま。肩付近は寄り添うように預けられた顔があって、そんな状態で歩いているわけだが、気づくと顔をじいっと見られている。

 なに? なんかへんなのついてる? 顔を手で撫でてみてもなにもない。どころか余計に結衣の機嫌が悪くなった。

 ほむ。顔になにかついているとかの話ではないと。つまり俺の目を見てなにかを訴えかけているわけだ。そしてそれを、俺自身に気づいてもらった上で言ってほしい、的な。

 大丈夫だ、俺も日々女性についてを学んでいる。知恵袋先生とかで。ケータイやスマホは悩める少年の宝具であるな。部屋でトイレでリビングで、好きな時に答えを得られる。面と向かって相談出来ないことでも、きちんと答えてくれる人が居る。……そもそも相談出来る相手がいないんだが。え? 戸塚? 天使にこんなこと訊けるかよ。

 というわけで知恵袋先生にベストアンサーがあった過去の相談話があって、それを参考にいろいろと調べたさ。

 つまりこの状況における“男性”の立場とは。

 

(嫌われているわけではないが、気づいてくれなきゃ嫌いになるかもってパターン、だと思う)

 

 では気づこう。なにかを見落としているのだきっと。

 それはなにか。……そもそも俺はどうして結衣を壁に───ア。

 

(結局俺、そういうことだよとか言って明確な答えを口にしないままだった)

 

 それなのにいきなり壁に押し付けてイジメに走ってしまった。そりゃ、印象も悪くなるし拗ねもする。ばかって言いたくもなるし……おおキモいな、こりゃ確かにキモい。

 じゃあどうするか?

 

「結衣」

「!」

 

 声をかけると、ぱあっと明るくなる表情───が、ハッとなると頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。あら可愛い。

 そんな結衣の頬に、掴まれていない左手で頬を包み、軽くこちらを向かせるのだが、イヤイヤとばかりに首を振ってそれからも逃げる。

 

「話の続きだけど」

「!《ばっ!》」

 

 一言であっさりと向き直った。目が、目がものすごい期待を孕んでおります。

 ふええ……これ言う言葉間違えたら絶対に嫌われる流れだよぉぉ……! いやマジで。

 

「その……だな。すまん、照れ隠しにしたって回りくどいこと、しすぎた」

「……そ、そうだよ……。それに、こんな、外でだなんて」

 

 おい、それってば室内だったら……ゲッフゲフ! ……今はそれは置いておこう。

 

「でもな、俺には本当に結衣だけだから。幸せにしたいって思える相手はお前だけだから。だから……その。こんな風に思えるようになった自分を、感謝したいんだ。……だから、アレだ、ほら……その」

「…………うん」

「……いっつも、幸せだ。そんな幸せってもんをたくさんくれて、よ……その…………あ、あんがと、って……そう言いたかったんだ」

「…………」

「お前だけがもらいっぱなし、なんてことはないんだよ。むしろ俺の方がなにかしてやれないかって不安ばっかだ。昔っからお前、可愛かったからな。幼馴染ってことでいつも比較にだされて笑われてた俺だ。きざったらしいイケメン野郎がわざわざ俺に釘を刺しにきたり、勘違いした馬鹿が俺にお前を紹介しろとか言ってきたり。……もやもやするなにかなんて、振られる前に捨てちまえば楽になれるって思ったこともあったのに」

「……はーくん……」

「俺の所為で結衣が笑われるのが嫌だった。好きな人は守るものだってママさんに教えてもらった時、俺にでも出来ることだって言われた時、本当に嬉しかった。“それ”のためなら、自分は悪になれるって」

 

 好きな食べ物と嫌いな食べ物があったとする。

 俺はその食べ物が嫌いで、隣のそいつはそれが好き。

 俺は好き嫌いをするななんて大人の言葉よりも、“それ”を美味しく食べられる人が、それを美味しく食べるべきだと思う。

 だから俺は食べない。それをそいつに譲って、俺はそいつの嫌いな、俺が別に好きでもなければ嫌いでもないなにかを食べる。

 そいつは笑顔で、俺はなにも感じない。

 ただそれを糧に、次もなにも感じずに食べるのだろう。

 わざわざ嫌いなものを嫌いなやつが食べる必要はない。

 だから───痛さが苦手なやつが痛い思いをするくらいなら、痛みに慣れたヤツが悪になって、周囲が正義として笑っていればいいと。

 ……きっと、いや絶対に、ママさんは俺に、そんな守り方を望んだわけじゃなかった筈だ。

 でも、言われた時にはもう、そんな解決方法しか思い浮かばなくなっていたから。

 すぐに助けたいのなら、代わりが居なければ世界はやさしさを差し出してはくれないって知っていたから。

 

「幸せなんて、言葉だけのものだって思ってた。喜びは知ってる。痛みは……知りすぎてる。俺以外の全員は弱者のもがく姿が大好きで、そんなヤツを見下ろしては笑う存在で。……人なんて信じるだけ無駄だって知ってた。笑うやつらが、大人たちが口々に言う“みんな”はいつだって正しくて、その下でもがく“ぼっち”には絶対に手を差し伸べない」

「………」

「学ぶことが多い時は楽しかった。全部が全部“本当”に溢れてたんだ。大人も嘘はつかなかったし、周囲だって覚えたてのことをただ自慢するように喋るだけだった」

 

 でも、いつしかそこに、子供が考えた嘘が混じった。

 

「そこに嘘が混ざってから、世界なんて綺麗なものじゃないって知った。いいヤツだと思ってたやつが簡単に人を馬鹿にして笑うやつに成り下がって、それでも信じたくて、“本当”の先を求めて……」

 

 通学路でなにを語りだしているのか。

 そんな言葉を、冷静な自分が語る。

 なのにこの口は黙らない。泣く子供が延々と同じことを繰り返すみたいに、そこに嗚咽が混ざってもそれを飲み込み、話し続けた。

 どうしてだろう。

 そう考えて、ただ単純な解を答えとして出した。

 ……ガキが言葉を語る時の理由なんて、いつだって決まっている。

 ずっと昔からそんな話さえ誰にも聞いてもらえなかった孤独な腐った目のガキは、ずっと誰かに話を聞いてほしかったのだ。

 笑顔で語る自慢話も、怒った顔で口にする誰かの悪口も、聞いてくれる人は居なかった。

 ママさんの前では我慢出来る自分でいたかったなんて、くだらない理由で我慢をして、壊れ、泣いたこともあった。

 けれど、結局は全てを話さなかった。

 その時に話すべきことだけを語り、それ以外は一切。

 

「……なぁ、結衣」

「……うん。はーくん」

 

 だから言う。泣き言を並べたりした。普段からの不満も随分とぶちまけてきた。

 気づけば普段からでもなんでも言っている自分が居て、自虐ではなくべつの不満を口に出来る相手が居ることにひどく安心しながら。

 

「信じていてくれて、ありがとう」

 

 嘘つきが嫌いだったガキが居た。……居た筈だった。

 でも本当は、信じた先でその人が嘘つきになってしまうのが嫌なだけだった。

 その人にはやさしいままで居てほしかった。

 嘘つき、なんて存在じゃなく、笑って遊べる誰かで居て欲しかっただけなのに。

 嘘つきになってしまったその人はすぐに黒くなっていき、いつしか人を傷つけるばかりになってしまった。

 初めましては幸せだった。

 笑顔で居られた日々を思えば、たまらなく嬉しかった筈なのに。

 気づけば周りは黒ばかりで、独りだけ腐った色のガキは、いつだって独りで悪だった。

 

「嘘をつかないってしんどいよな。いっそ傷つけたままだったら、人との関係なんて楽なのに」

 

 正義は悪には厳しいもんだ。

 幼い頃、親父は笑いながら、俺を胡坐の上に乗せながら、特撮ヒーローを見て笑っていた。

 まだ俺の居場所が親父の膝の上だった頃の話。

 ふと気づけばその場所には妹が居て、家にも外にも俺の居場所は無くなって。

 いいお兄ちゃんでいれば、また一緒に笑ってくれるだろうかと思って頑張っても、妹が懐くたびに親父は俺を嫌っていった。

 だから妹を突き放せば妹は泣いて、親父は俺を叱り、時に殴った。

 なにが正しいかなんて、基準自体がない世界を、いつか憧れた親にこそ振るわれた。

 正義になれば嫉妬され、悪になれば殴られて。中立に立てばはっきりしないと怒られる。

 そんな嘘だらけの世界でいったいなにを信じて、なにに体重を預ければ……また、素直に笑っていられたのだろう。

 “誰になにを言われてももうそれでいい”と、腐った目で見つめた道の先にここがあった。

 歩いて歩いて、嫌われ続けて、トラウマだっていっぱい出来て。

 そうして辿り着いた先に、確かに……救いはあったのだろう。

 

「でも俺は……嘘をつくななんて言えない。自分を騙すななんて言えない。思うとおりに笑って泣いて、怒ってくれる人がいい」

「……はーく───」

「幸せにしたいんだ。幸せになってほしい。それは俺の本心で、でも……俺に出来ることなんて、絶対に“みんな”よりも少なくて……よ。だから……───だから」

 

 “みんな”に見下されても、ママさんに呆れた目で見下ろされる日が来てしまうとしても。俺はきっと同じことを願うだろう。

 

「結衣が幸せになれるなら、俺じゃなくても《がぢぃっ!》んぐっ───!?」

 

 唐突に。口に痛みと、鈍い鉄の味が広がった。

 目の前には泣いた結衣の顔。

 キスされたんだって思った直後、思い切り“ばか!”と怒られた。

 

「そんなの絶対やだ! 言ったじゃん! ヒッキーはあたしが幸せにするって! あたしだってヒッキー以外に幸せにされるなんて絶対やだ! 全部ヒッキーがいい! 楽しいことだってつまらないことだって、嬉しいことだって悲しいことだって、全部全部ヒッキーがくれるから大事に出来るんだ! 他の人からのそんなものなんて要らない! だからっ…………───だから……俺じゃなくても、なんて……言っちゃやだよ……っ……」

「………」

 

 幸せをありがとう。

 楽しいって、嬉しいな。

 それをくれたきみにありがとう。

 言いたかったことは、伝えたかったことは、きっとそれだけ。

 でも、捻くれてしまった自分にとってはそんなことを言うのでさえ困難で、気づけば涙をこぼす幼馴染がそこに居た。

 

「ゆ……い……」

「……うん」

「俺は……俺は、お前になにかを……」

「うん……いっぱいもらってるよ……?」

「……つまらないこととか、悲しいことばっかりじゃ……ないか……? 解んねぇんだ……───俺には、俺の言葉で笑ってくれた人が……喜んでくれるような人が、居なかったから……」

「居るよぉ、ここに……えへへっ……あたしが、ずっと居るよっ?」

「……信じていいかって言ったのに……俺、たぶんまだ疑ってるんだよ……。いつだってなにか行動しようとする時、“みんな”が邪魔をするんだよ……。お前の常識はおかしい、お前はそんなことも知らないのかって」

「ヒッキーが知らなかったら、あたしなんてもっと知らないもん。だいじょーぶ。馬鹿でもさ、一緒なら解んないとこ、埋めてけるよ。あたしは勉強とかできないけど、ヒッキーは出来る。ヒッキーはそういう感情的な部分に苦手なとこがあるけど、あたしはだいじょーぶ。ほら、二人ならだいじょぶだよ」

「……けどよ、お前は」

「一番最初にヒッキーの言う“みんな”に、あたしは言ったよ? 人の想い、ナメすぎだって。あたしはヒッキーが大好きだって。すっごく恥ずかしかったけどね? そんだけ好きだってこと、受け止めてほしいな」

「………」

 

 そっと、結衣の両手が伸びて、俺の両頬に触れる。

 まっすぐに向かされた視線の先には、俺を見上げる結衣。ちょっと傷ついてしまった唇が痛々しい。

 

「またひとつ、ヒッキーのこと知れたね」

「……な、なに言って」

「信じるって難しいけどさ、傷つくことばっかだけどさ。たぶんね、それはやめちゃいけないことなんだよ。どんだけ傷ついても、どんだけ泣いちゃってもさ。……人よりいっぱい信じていっぱい傷ついたヒッキーがどれだけやさしいか、あたしは知ってるから。それが間違いだなんて、絶対に言わないよ? うん、ヒッキーがんばった! すっごいすっごい頑張った! でも……けど、けどさ」

 

 ぽつり、と。涙がこぼれた。

 それは俺のものだったのか、結衣のものだったのか。そう思う前に、結衣の口が、もう一度俺の口を塞いだ。

 その時に頬も触れ合い、どちらの頬にも涙が触れてしまい、それこそどちらのものかも解らなくなってしまったのに───

 

「……自分から傷ついちゃ、やだよ……」

 

 ───……その言葉で、それが自分の涙だと解った。

 



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そうこうして、結局やっはろーは生まれる

 ……いつか。嘘が嫌いなガキが居た。

 本当が大好きで、正しいことを学ぶとよくやったと褒めてくれる、大きな手が大好きだった。

 けれど、ガキは嘘を知り欺瞞を知り、それでも信じ続けて、いつしか嘘つき呼ばわりをされるようになった。

 仲が良かった、親友だと思っていたやつまで、ついには俺をうそつきと呼び、離れていった。

 翌日には靴が隠された。犯人は、信じていた親友で、発覚すれば彼はガキを口汚く罵倒した。

 間に入っていた教師は彼を叱りながらも、ガキにも“それは○○○くんも悪かったわね”と言った。

 

  ───ちがう ちがうよ おれはなにも───

 

 なにを言っても聞いてくれない。大人は話を終わらせたがって、どれだけ正しいことを言っても聞いてくれない。

 問題が起こるたびに“またお前か”を顔に貼り付けて、いつしか何が起こってもそのガキが疑われるようになった。

 それでも本当を信じていたかったガキは愚直なまでに本当を信じて、なにが起きても正しいことを口にした。

 

  ある日、教室の窓が割られた。

 

 “みんな”は口々に俺を笑い、こいつがやったと歌うように叫び、なにかを言おうとするたびに遮られ、笑われた。

 こんなことは間違っていると。

 信じてほしい一心で涙を滲ませながら訴えかけた時でさえ、大人の顔には“またお前か”しかなかった。

 そうして、ついには親が呼び出された。

 

  大丈夫だ、それなら大丈夫。だって、だって父さんは───

 

 教師は今までの出来事や学校でのガキの行動を、親に告げた。

 ガキは父親を信じて真っ直ぐ前を向いて。

 そして、父親は───……自分を信じて疑わなかったガキの頭を掴み、無理矢理下げさせ、謝ったのだ。

 

  ───……だ、って。だって…………小町の味方、だから。

 

 世界は腐った。濁っていた目は灰色しか映さなくなり、世界は軋んだ。

 こまちのみかたに連れられて帰る家路はひどく惨めで。

 ぽつり、と落ちた水滴に、雨かなぁと見上げた空は眩しくて。

 仕方のないガキに言い聞かせるように、あんなことはもうするなと言う、こまちのみかたが悲しくて。

 隣を歩かなくなったガキに気づきもせず、歩み帰ってゆく父だったこまちのみかたの背中を見て、ガキは……声もなく泣いた。

 

  ち、がう、ちがう、ちがっ……ちっ……いたく、いた……あ、あ……!

 

 そんなものは痛みじゃないと。

 こんなものは痛みなんかじゃないと我慢出来ていたガキが、初めて痛みを知って、泣いた日だった。

 

  ……。

 

 この世界は腐っている。

 世界は嘘で溢れていて、本当の先にあるものなんてきっと偽もの。

 翌日から、学校での時間は灰色。

 ただ勉強をして、ただいじめられ、ただ無視され、ただ帰る。

 鞄はいつもぱんぱんで、靴はいつもビニールに入って。机の中はゴミだらけで、下駄箱の中はカエルの死骸置き場だった。

 比企谷からヒキガエル。ヒキガエルからカエル。水をかけられることが多くなって、水浸しのままにゲコゲコ鳴いてみろよと笑われた。

 でも、もう痛くない。痛くないから我慢できる。

 これが当然なんだ。本当なんて信じるんじゃなかった。親なんて信じるんじゃなかった。俺に親なんて居ない。あれはこまちのみかただ。

 憧れた背中なんてなかった。生き方を教えてくれる大きな背中もない。頭を撫でてくれた大きな手は、ガキに……俺に言うことを聞かせるためのまやかしでしかなかったんだから。

 撫でてくれた手が温かかった。

 でも、その手はもう、ガキの頭を無理矢理下げさせる手でしかなくなってしまった。

 馬鹿なガキは、そんな温かさにさえ裏切られた。

 でもさ、ほら。簡単なんだ。痛くないんだから、それでいい。

 口に出せばいいんだ。笑ってしまえばいい。

 ちっぽけなことだ。口にしてみれば単純すぎる、それだけのこと。

 

  信じた者が救われなかった。ただ、それだけのこと。

 

 誰も信じなくなって、誰も拒絶するようになって、それでも暮らしのために嘘にまみれて。

 嘘だらけの世界で妹の言葉に返事をして、灰色の世界で心配する幼馴染に近づきすぎない言葉を投げて。親だと思っていたこまちのみかたには、なんの色も映さない。

 いちいち近寄ってきてはぐちぐちとなにかを言うゆいのみかたには無難な言葉を。

 そして……そして。

 最初からいつまでも、接し方を変えないママさんには、小さな感謝を送っていた。

 

  ……。

 

 辛いと思わなくなっただけのガキは、それでもただ生きていく。

 自分が居ないほうが平和なんじゃないかと思ったことなど数え切れない。

 そんなことを思っていると、きまってママさんが現れた。

 頭を撫でて、なにを知っているというのか、ハチくんが居てくれて嬉しいわと言ってくれた。

 そのたび、そんなものは嘘だと言い聞かせる日々。

 自分のことは自分でと頑張り、人から隠れることを学び、望まれれば妹や幼馴染と無難な付き合いをして、それだけでこまちのみかたとゆいのみかたに睨まれる日々。

 夜に吐くことが多くなって、ごはんがたべられなくなって、がっこうでもきゅうしょくをのこしてしまって、たべるまでかえさないとつかまってしまって。むりやりつめこんで、できるならなんでさいしょからたべないんだとおこられて、いえにもどって、はいて。

 せかいにはてきしかいない。

 それが、いつかしんじた“ほんとう”なんだってこころがおもってしまったとき───おおごえをあげて、ないてしまった。

 

 どれだけ泣いていたか解らない。

 気づくと温かいなにかに包まれていて、それがママさんであることに気づいた。

 一度弱さを見せたガキは、本当にもろい。

 焦らずにただ、ガキを落ち着かせよるよう抱きながら撫でてくれていたママさんに、ガキはぽつぽつと弱音を吐いた。

 今思えば完全に悪手だ。あのママさんに弱みを少しでもこぼした時点で、いろいろ吐き出させられることなど、今の俺なら解りきっている。

 それでも……そこで“いろいろ”を吐き出させてくれたからこそ、今の俺があるのだろう。

 “いろいろ”は吐き出しても“全部”は吐き出さなかった俺を、笑顔のまま受け入れてくれた。

 ほんと、ママさんには頭があがらない。

 そしてたぶん───こいつにも。

 

  それからは、ママさんは俺の味方だった。

 

 ガキの言うことを信じてくれた上で、間違っていると思った部分はきちんと説教。

 ちょっと拗ねてしまったそいつに、笑いながら接してくれた。

 その笑顔が“またお前か”を貼り付けたものじゃなかっただけで、そいつは救われたんだと思う。

 ただそれでも、線の内側に入ってきたりはしなかった。

 ママさんいわく、“ハチくんには厳しいかもしれないけど、あんなのでも結衣のパパなのよ”、だそうだ。その言葉も、今なら解る。

 

 いろいろあった世界で、それでもガキは生きていた。

 いろんなことが重なった出来事の中、そんな中でも胸が大きな女はエロいって噂を潰したり、集中する罵声を鼻で笑ってみせたり。

 痛みにも慣れたし、孤独にも慣れた。乗り越えた人間ってのはなんであれ強いもんだ。つまりぼっち最強。望んでその場に立って、表面では邪険にしながら、幼馴染が傷つかないようにって頑張った。

 

 ママさんは完全には俺の味方じゃない。だから線の内側に居ないのも当然だった。

 入れてしまえば、いずれはなあなあなままにこまちのみかたもゆいのみかたも、ママさんの味方だからという理由で許してしまうからだと……いつか教えてくれた。それは確かにそうなんだろうなって思ったから、俺も頷いた。

 だから線の内側には結衣しか居ない。

 そんな彼女は今も、そして昔も、こうして……頬に触れ、言ってくれたのだ。

 自分から傷ついちゃ、やだよ……と。

 ようするに胸が大きな女=エロ女事件のことがバレた。その時に言われたのがそれだった。

 その時は泣きもしなかったんだけどな。

 

  ……エリート目指さなくなってから、感受性豊かになったんじゃねーの?

 

 不貞腐れたガキが、俺に向かって言ってくる。

 そうかもな。

 でも困ったことに、大変遺憾ではあるのだが、悪い気分じゃねぇんだ、これが。

 やだなにこれ、もしかして洗脳? ガハマ親子が僕を洗脳しようとしてるのん?

 ……まあ、プロぼっちであるハチくんに、そんなものは通用しませんがね。

 

   ×   ×   ×

 

 でもまあ泣かされたことに変わりはないわけですが。

 

「……なんか、前にもあったね、こんなこと」

 

 随分と長く考え事に没頭している内、結衣もそうだったのか、ひどくやさしい顔でそう言った。

 

「……ばっかおまえ、あの時はべつに、泣いてなんかねーよ」

「えー? でもヒッキー、不貞腐れてたし、そっぽ向いてたし。泣く寸前だったんじゃない?」

「信用できないヤツと目を合わせなかっただけだ、自惚れんなばか」

「久しぶりにひどいこと言われたぁ!? ひ、ひどい! ヒッキーひどい!」

 

 もはやしっとりとした空気もない。でも……それでいい。俺とこいつの間に、悲しいばっかりの感情なんて、もういらない。

 そのための線引きだった筈なんだ。

 だから……内側に入ってきた誰かは、俺のやり方で、俺が全力で───幸せにするって決めていたのだから。

 

「結衣」

「え? あ」

 

 結衣と同じように、結衣の両頬も包み込む。

 ちと、いや正直めっちゃくちゃ恥ずかしいし? 今すぐ視線そらして逃げ出したいし? 顔がじりじり熱いわけですが? いえまあ幸せにしたいって思っているのならここで逃げるのはあまりにも阿呆と言えるわけでして?

 だだだからつまりあれだよあれ。ほらその……なに? あー……

 

「う……その……よ。ぜ、絶対に……幸せにすっから……さ。その……俺のことばっかじゃなくてだな、その、あれだ。……お、お前のことも……教えてほしい」

「……ひっきぃ……」

「ほ、ほらっ、あれだろっ? 俺、ほら……自分のこと以外はなんでも適当にやってきたから……さ。自分のこと以外なんにも知らねぇし人付き合いも苦手だしで、自分で言うのもなんだけど……正直ろくな人間じゃねぇと思ってる。言うだけならどんだけでも自画自賛出来るけど、これ、そういうのじゃねぇと思うし、さ。……知りたいって言ってくれたろ? ……知らないのは俺も一緒なんだ。だから……、───」

 

 そこまで言うと、クンと顔が引かれる。

 目の前に、結衣の顔。咄嗟に目を閉じると、口と口が繋がった。

 ちょん、ちょんと啄ばむようなそれのあと、目の前にはにっこり笑顔。

 

「うん、一緒にがんばろ?」

 

 そして、そう言ってくれる幼馴染。

 空気が読める彼女は、いったいどんな経験の先にそれを身につけたのか。

 自惚れていいのなら、もしかしたらどこぞのひとりぼっちの周囲の空気をなんとかするため、だったのではないか。

 “そんな馬鹿な”を考えるだけでも、たまらなく湧き出してくるのは幸福感。

 幸せにしてやりたいのに、されてばっかりだ。こんなんじゃそう言いたくなるに決まってる。

 

「あ、じゃあさ、まずは二人できょーよー? きょーゆー? できるなにかを作ろうよ。パパとかおじさんには真似させない、あたしたちだけのなにか」

「ほーん? たとえば?」

「え? えーと、そだなぁ、たとえば……あ。挨拶とかどうかな! あたしとヒッキー専用! みたいに!」

「俺が馬鹿って言ったら結衣がキモいって言うのか」

「想像以上にひどいのきた!? や、やだよそんなの! なんでそうなんの!?」

「そう思うならほんとキモいって言うのやめろな……。じゃあ他のにすっか」

「うんうん絶対それがいい……!」

 

 かつてないほど熱心に頷かれた気がする。まあ、正直アレはない。

 

「うーん、挨拶っていったらなにかな」

「おはようとかだろ」

「それだと朝だけじゃん。もっとさ、いつでも使えるのがよくない?」

「いつでも、ねぇ。まあとりあえず歩きながらにするか。遅刻する」

「あ、そだね。えへへ、また話し込んじゃったね」

「……悪い」

「ヒッキーは悪くない。ね?」

「…………おう。その、あ、ありがと……な」

「~~~…………う、うん」

 

 俺は素直に礼を言うのが恥ずかしくて。

 結衣はたぶん、俺の素直な礼が珍しくて、動揺した。

 それでも歩く足は少々急ぎ足。通学路でなにやってんだかな、ほんと。

 …………あれ? もしかしてこれが青春か? ……わお、青春してんじゃん俺。

 

「あ、でさ、挨拶なんだけど」

「え? あ、おう」

「うん。やっぱ日本人らしくヤッホーとかのがいいかな」

「………」

「?」

「結衣……」

「え? なに?」

「ヤッホーはドイツ語だ」

「うそ!?」

 

 なんということでしょう、彼女は大変驚きました。

 

「だ、だってやまびことかって日本のお話じゃん!? ほ、ほら、やまびこ~って妖怪が居るって! それでやまびこって言ったらやっほーじゃん! 日本だよ!」

「いや、正しくはJOHOOの訛りみたいなもんでな。神様の名前からきてるって話もあるが、とりあえず日本じゃない。ちなみに山に向かって叫べば何処でも山彦は返ってくるから、べつに日本独自の話ってわけでもないぞ」

「うそ……そだったんだ……なんかショックだー……!」

「なんかすまん、余計な茶々入れたみたいで」

「あ、ううんっ、それはいいって! あたしもよく知らずに合言葉みたいなのにするとこだったし! じゃああれだ! やっほーがだめならハロー!」

「明らかに外国語じゃねぇかよおい……」

「ふふーん甘いよヒッキー! それとさっきのヤッホーをくっつけることで、全く新しい挨拶を作っちゃえば、それが合い言葉ー! ……でさ、えと。や、やっはろー、とか、どうかな」

「あほくさい」

「正面からアホ言われた!? え、えー? いーじゃん、ほら、やっはろー! って! ほらヒッキーも!」

「や───」

「うんうん! や!?」

「ヤロォオオぶっ殺してやぁああある!!」

「それ違うやつだよ!! しかもなんでそんな無駄に発音上手いの!?」

「……独りで物真似やって笑ってたんだよ……ぼっちにそういうこと訊くなよ……」

「え、ご、ごめ───って違うよ!? 傷つくくらいなら素直にやっはろー言お!?」

「やだよ恥ずかしい」

「なんかもう恥ずかしさの基準が解んないよ! ……ねぇヒッキー、ひっきぃい~~……」

 

 こ、こら、やめなさい、服引っ張って甘えた声出さないの。

 やめて? ほんとやめて? 八幡、さっきのシリアスも忘れて無条件で頷きたくなっちゃ───

 

「……あたしとの合い言葉……そんなに、ヤかな……」

「よしやろうなにその挨拶すげぇ斬新じゃん」

「えぇええっ!? え、なんでいきなり? どうしたの?」

「おうやめてほしいなら今すぐやめるわじゃあ急ごう《スタスタがしぃ!》HA☆NA☆SE!!」

「待って待ってやだやだ! 言って!? 言ってほしいよぅっ! ねぇ、ヒッキー!」

「おまっ……だったら、頼むから勢いのまま言わせてくれよ……改められるとめっちゃくちゃ恥ずかしいぞこれ……」

「そしたら絶対次から言わないじゃん」

「解っててやったなら相当策士だぞお前……」

「? べつに歌とか作ってないよ?」

「…………やっぱアホ」

「アホってなんだし!」

「あーはいはいやっはろー、これでいいだろはい終わり」

 

 ぷんすか怒る結衣を適当になだめ、隙を見て言ってみる。

 

「あぁああ待ってずるいずるいー! ちゃんと言ってよヒッキー!」

「《ずるずる》だ、だから歩いてんのに抱き付いて引きとめんのやめろっての……!」

「うー! うー! ひ、ひっきー? えと……やっはろー!」

「おはようさん」

「ヒッキー!!」

「挨拶って大事なー。ほれ、ぽぽぽぽ~ん」

「ハイタッチしたいわけじゃないってばぁ! …………ぽーん」

 

 言いつつも、両手でハイタッチしてくる天使可愛い。

 

「魔法の言葉にやっはろーなんて入ってたら、こんにちワンが混乱するだろうが。べつにそんな合言葉みたいなのなんてなくても、その、なんだ」

「……ひっきぃ……?」

「いややめて、涙目で上目遣いやめて、わかった、やるよやるから」

「う、うん! じゃあっ……やっはろー!」

「お、猫だ。かーいーなー」

「ヒッキー!!」

「い、いや、わざとじゃねぇよ? ほんとほんと」

「次はぜったいだかんね!? じゃないと怒るよ!? ……こほん、じゃあ、」

「やっはろー」

「ヒッキー!!」

「なんで怒んだよ!」

 

 本日快晴。

 いい風も吹いている。

 で、こんなアホなことをしていたら見事に遅刻した。

 

  ×  ×  ×

 

 ヴィー

 

「おん?」

 

 昼。

 今日も今日とてベストプレイスにて食事中。

 結衣は友達と食べるらしく、既に渡してある弁当を元気につついている頃だろう。

 俺も自分の弁当をつついていたわけだが、そんな結衣からメールが届いた。

 

 FROM ☆★ゆい★☆ 12:10

 TITLE やっはろー!

 ヒッキーおべんとありがとね! いただきまーす!.+:。(´ω`*)゚.+:。

 

「………《カチカチカチカチ》」

 

 返信のためにケータイをいじくる。うーむ、やっぱりそろそろスマホ買おうかしらん?

 でも基本料金とか高いっつーしな……どうしよ。

 

 FROM 八幡 12:12

 TITLE JOHHALLO

 落ち着いて食べるんだぞ。

 

 FROM ☆★ゆい★☆ 12:14

 TITLE だいじょぶ

 ヒッキーの愛があれば何でも美味しいよ

 

「……、───はぁ」

 

 FROM 八幡 12:15

 TITLE おい

 誰か知らんが友達ならさっさとケータイ返してやれ

 

 FROM ☆★ゆい★☆ 12:16

 TITLE すごっ!?

 なんで解ったの!? あ、私ゆいゆいの友達で足立でっす。

 

「…………返信はいらんだろ」

 

 ケータイを返せと言った。しかし返してない。

 よろしい、ならば返信はなしだ。

 おお、今日も玉子焼きが甘い。いい味出してる。

 

 FROM ☆★ゆい★☆ 12:18

 TITLE ヒッキー!ヾ(*`Д´*)ノ

 玉子焼きがじんちを越えた甘さだよ!? なにこれ!ヾ(*`Д´*)ノ

 

 FROM 八幡 12:20

 TITLE おかえり

 あと人知な

 

 これでよし。

 さて、のんびりと昼食を堪能しよう。

 今日も戸塚がテニスをしている。いい景色。

 

 FROM ☆★ゆい★☆ 12:24

 TITLE あ、ヒッキー

 今日ちょっと寄りたいとこあるんだ。一緒に来てもらっていいかな(;人;) オ・ネ・ガ・イ

 

 む。寄りたいところ? バイト前にってことだよな。サイゼか? ……い、いや、まだ行く勇気はないな。違うだろう。

 まあいい、別に用事はないし………………つかそもそも、あいつに頼まれたら断れる気がしねぇ。

 

 FROM 八幡 12:25

 TITLE あいよ、りょーかい

 ちなみに何処だ? まさかサイゼじゃないよな。

 

 FROM ☆★ゆい★☆ 12:27

 TITLE まだムリ!(*>ω<*)

 サイゼはぜったいだめ! まだムリだし!

 じゃなくて、えと、ほーしぶ? ってのが学校のどっかにあるんだって。(“▽”*)

 なんかオネガイ叶えてくれるんだって! すごいよね! だからちょっと行ってみたいなって。いい?(´ω`*)

 

 FROM 八幡 12:28

 TITLE おう

 べつにいーぞ。ほーしぶってのは奉仕部のことか? それなら平塚先生に一度聞かされたことがあるわ。

 願いを叶えるんじゃなくて、どうすればいいかを教えてくれるっつーか。あれだ、腹を空かせたヤツに魚を与えるんじゃなくて、魚の釣り方を教える的なアレだ。

 

 FROM ☆★ゆい★☆ 12:29

 TITLE (´・ω・`)?

 おなか空いてるなら魚あげたほうが早くない?

 

 FROM 八幡 12:30

 TITLE あほ

 そしたらそれ以降もそいつは魚の釣り方がわからないだろうが。

 ずっと魚を貰い続ける気か。お前に喩えると、料理の仕方が解らず腹を空かせてるのと同じだ。

 木炭でも練成して食う気かお前は。

 

 FROM ☆★ゆい★☆ 12:30

 TITLE notitle

 (:_;)

 

 FROM 八幡 12:31

 TITLE すまん泣くな悪かった

 奉仕部でもデートでもなんでも付き合うから泣くな。

 

 FROM ☆★ゆい★☆ 12:33

 TITLE よし言質取った

 ふはははは! 残念だったなヒッキーくん! 私だ! 足立だ! きみの発言は結衣のデータに完全に記憶されている!

 存分にゆっちを楽しませてもらおう! なんかこの娘いざって時に奥手っぽいし。

 

「…………《イラッ》」

 

 FROM 八幡 12:34

 TITLE notitle

 そ こ う ご く な

 

「ふぅ《パタン》」

 

 ケータイを閉じて昼食続行。

 これで相手はその場に俺が現れると緊張し、メールどころではない筈だ。

 あ? 行かないのかって? やだよめんどい。なんで結衣以外のことでそんな、労力使わにゃならん。

 

「ん、今日も美味かった。さすが俺。俺にごっそさん」

 

 カシュリとプルタブを開けてマッカンを飲む。この時こそ至福……ではないな。

 至福だったらたぶん、結衣と一緒に痺れたあの感覚が襲ってくるんだろうし。

 

「………」

 

 なんなんだろうな、あれ。ちと気になったので、それっぽいことを検索ワードにかけて調べてみた。

 

「…………ほーん?」

 

 よく解らん。解らんが、解らんなりに解ったっつーか。

 

「集中力による自己、または他方催眠」

 

 ようするにあれだ。なにかしらに集中しすぎることで自身に暗示をかけて、それを当然のこととして受け取った際、自意識では到底辿り着けないなにかに至る、と。

 催眠実験とかでよくあるよな。実際どうか知らんけど、相手のことを好きになる~って催眠かけたら初対面相手に目を潤ませて動揺しまくってた女、とか。

 つまり俺と結衣は互いに幸せだと感じ、互いに集中し、それが頂点に達したためにああなった、と? なるほど、そりゃ性的絶頂では断じてない。催眠で“あなたは幸福の絶頂に到ります”と命じられたようなものだ。

 だからといって鵜呑みにすることはないけど。

 俺は結衣だけ居ればいいし、結衣は俺に幸せにしてもらいたい。相手を思いすぎているからこそ辿り着けるなにかはあるわけで……うーむ。

 

「いきすぎると依存になるか」

 

 幼馴染になに言ってらっしゃるって感じだが、べつに隣同士だから必ず会わなきゃいけないわけでもない。

 幼馴染だからって仲が良いわけでもなければ、以前のように突き放すことだっていくらでも出来るわけだ。だが言おう。依存のなにが悪い。すべての依存が悪いっつーなら日々の癒しを趣味に向けている人なんて悪の塊になっちまう。

 人間関係にのみ依存の言葉を口にするなら、青春時代の友人関係なんざ全部依存だ。

 そして生憎俺にはそんなことが出来る相手が結衣以外居なかった。……居なかった。ここ大事。それも、つい最近になって戸塚や材木座にいろいろ気づかされるまで、認識しようとも近づこうともしなかった。

 いいじゃねぇの、初めての交友関係。依存でなにが悪い。むしろ男子高校生が恋人に夢中になるとかひっじょーに一般的じゃねぇか。

 俺には友達も恋人も居なかった。その分、そんな憧れやらなにやらが、今ようやく目覚めてるところなんだろう。

 ぼっち故に散々とこじらせた感情だ、思う存分ぶつけるつもりではあるし、それ以上に幸せにしたいと思う。そんなきっかけが自己催眠的なものでも、与えているのが俺って存在なら俺は嬉しい。

 だってそれ、好きな相手に好きって言われて喜ぶのと、なにが違うんだよ。それが大きくなっただけの話だろ。

 催眠、なんて言葉がつくから不安になる。怪しんでしまう。妙なことは調べるべきじゃないな。

 結論を出そう。それがたとえ依存であっても、俺は互いを成長させることの出来る依存を選ぶ。依存は現状維持しか出来ないと誰かが断言するのなら、そんなものは間違いだって言ってやる。

 

「ふぅ」

 

 マッカンを飲み終え、弁当を片付けてから歩く。空き缶は缶専用ゴミ箱へ。

 そんで教室に帰る途中、ヴィーとケータイが鳴ったので開いてみれば、

 

 FROM ☆★ゆい★☆ 12:48

 TITLE まだ動いちゃだめ?(´・ω・`)

 もうお昼終わるから、友達の席返さないといけないんだけど(´・ω・`)

 あとデートいきたい! どこがいーかな!(*>ω<*)

 

「………」

 

 今日も、宅の婚約者様はアホである。アホなのに可愛い。

 

 FROM 八幡 12:49

 TITLE 存分に動いてくれ。

 二択。

 1:時間かけて外に出て視線を気にしながらデート

 2:時間も視線も気にせず存分に家デート

 

 FROM ☆★ゆい★☆ 12:49

 TITLE 2!(*>ω<*)

 バイト終わったらすぐだかんね! いっぱいくっついてもいいんだよね!? でも今度は外にも行こうね!(“▽”*)

 

 結局両方じゃねぇかよおい……。

 あと結衣さん? あなたいっつも必要以上にくっついてますからね?

 腕組む時も絡めたあとに恋人繋ぎまでしてくるし。

 ……え? あれ以上があるの? え?



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なるべくして、その部屋に紅茶の香りが漂い始める①

漂うどころか紅茶すらまだ登場してないよ!

プロトからのネタ=まだ一年だから氷の女王に至ってない弱いゆきのん

60回隠されるのと焼かれるの、どっちがマシなんだろ……。探せば見つかるものと、戻ってこないもの……そして金のかかるもの。うん、アレだ。

今回の内容は相当強引だから気をつけてくださいまし。
この回、すっ飛ばそうか修正しようか結構迷いましたけどこのままGOでいきますね。


 そんなこんなで放課後。

 平塚先生から奉仕部の部室の場所を聞き、こうして特別棟まで来ているわけだが。

 特別棟の四階、東側に位置するひっそりとした雰囲気のここに、それはあった。

 とはいっても奉仕部だとか書いてあるわけでもなく、見上げてみれば───年組が書かれてあるべきプレートにはなにも書かれておらず、教室からはなんの音もない。

 

「ほんとにここなのか?」

「うーん、平塚先生はここだって言ってたけど……」

 

 言われたからにはここなのだろう。

 居なかったら居なかったでそれでもいい。とりあえずはとノックをしてみると、中からは「どうぞ」の声。

 まあ、なんだ。一応人を迎え入れる気のあるなにかであることは確からしい。

 

「………」

「………」

 

 頷き合って、戸を開け中へ。

 入ってみれば、なんとも殺風景……とは違うか。飾る気もない空間と、奥……教室で言えば後方に押し込められた机や椅子の山。

 窓は開けられており、時折流れ込む風がカーテンをひらりと揺らしている。

 教室前方に置かれているのは机と椅子の一つずつであり、言ってしまえば教卓すらない。

 机は窓際に置かれ、ちょこんと鞄が乗せられている。

 そして、窓から少し離れた位置に置かれた椅子に───そいつは居た。

 

「───……」

 

 さあ、と吹く風に長く黒い髪が揺らされる。

 それを左手で掬い、耳の後ろに流すようにしながら、そいつは俺と結衣に視線を向けた。

 ……おっと、入っておいてなにも無しは失礼だ。俺はぼっちではあるが無礼者とは違う。

 

「失礼します」

「え? あ、失礼しまーす」

 

 言ってみれば、黒髪の女はふぅと息を吐いて目の鋭さを少し緩めた。

 ……おう、実はちょっと鋭かった。あれな、警戒する猫みたいな。

 

「由比ヶ浜結衣さんと、比企谷八幡くんね」

「えっ?」

 

 えっ、なに? なんで名前知ってんの? やだストーカー? ……いや、別に俺だったら絶対言われる言葉とか連想したわけじゃねぇよ? ぼ、ぼっちだからってなんでも自分に置き換えてみることに長けているとか、そ、そんなんじゃないんだからね?

 

「すごい、あたしたちのこと知ってるんだっ」

「全校生徒の顔と名前を知っているわけではないけれど。同じ一年の人くらいは」

 

 おいおい……同じ一年って、ひと学年何組あると思ってんの?

 国際教養科も合わせりゃ結構な数なんですけど? え? それ全部覚えてんの?

 俺なんて同じクラスでも戸塚と佐藤くんくらいしか知らないんですけど。むしろ佐藤くんもあんな性格じゃなけりゃあ名前も覚えなかったまである。

 

「───」

 

 ただまあ、なんてーの? パッと見た時から感じたものはあった。

 それは……同属共有感覚にも似たアレ。スタンド使いがスタンド使いと引かれ合うみたいなアレだ。

 人の顔と名前を覚える? この短期間で、ひと学年とはいえ自分のクラスだけでなく他のクラスまで?

 さて問題だ。新一年生が眩い青春の第一歩を踏み出したって時に、んーなことに時間を使うのはどんな人種でしょう。この中から選べ。

 

1:人間大好き友達百人計画実行者

 

2:よぅし、チェックだチェックゥとか言って女どころか男の情報も追っている早乙女的な誰か

 

3:己のためだけに全時間を自由に使える最強人種

 

 結論:3である。またの名をぼっち

 

 なるほど、他人が入ってきた時点で目を鋭くさせて警戒するわけだ。

 

「それで、どういったご用件かしら」

「あの、ここってえーと、お魚に餌をあげるところなんだよね?」

「…………少し待ってもらえるかしら。どうしてそんな話が広まっているのか、そしてあなたはそれを聞いてここになにをしに来たのか、是非とも教えてほしいのだけれど」

「あれ!? 違ったっけ!? ヒッキー違うって!」

「………《じろり》」

「おい待て、俺が言ったみたいに睨むんじゃねぇ。誤解だ。あのな、メール開いてもういっぺんよーく見てみろ。なんならそのメールをそいつに見せてくれたっていい、俺は無実だ」

「えっと《カタカタ……》あ、えっと。魚を与えるんじゃなくて、魚の釣り方を教える場所、って書いてあった」

「おうそれだ」

「……釣り部?」

「奉仕部だっつってんだろうが」

 

 思わずツッコムと、黒髪がこほんと咳払いをした。肩が微妙に震えているが、笑いでもしたのか?

 

「それで、結局どういった用件なのかしら」

「あ、はい。えっと、料理が上手くなりたいです!」

「お前はこの部活を潰す気か」

「いきなりひどくない!?」

「あ、あー、すまん、知っての通り比企谷八幡だが、こいつの調理の腕は壊滅的だ。傍について一から十まで教えて、手本も見せて、逐一こうやれと教えても目玉焼きがジョイフル本田の木炭になるレベルだ。無茶で無謀な依頼をしかけた、すまん、忘れてくれ」

「ヒッキーが社交的になるほど危機感持ってる!? え、ちょ、えー!?」

「……わざわざの忠告をありがとう。それとごめんなさい、一方的に名前を知っているというのにこちらは名乗っていなかったわね。雪ノ下雪乃よ」

 

 雪ノ下……ああ、こいつが雪ノ下雪乃か。学力テスト学年1位の。

 

「お前があの学年1位か」

「そういうあなたは“全教科で同じ点”の学年3位、比企谷くんね」

「……なんで知ってんだよ」

「平塚先生が教えてくれたわ。わざと順位をいじくって適当な場所に治まっているおかしな男子が居ると」

 

 あの先生人のプライベートとかなに勝手に話題のタネにしてんだ。

 おいおい、信頼度は割りとあったのに、今のでがくんと下がったぞ? と目を腐らせていたら、雪ノ下がぽかんとした顔でこちらを見ていた。

 

「……へえ、そう。本当にあなたなのね」

「あ? なんだそりゃ」

「カマをかけただけよ。教師が生徒の情報をべらべらと喋る筈がないでしょう? 2位の男子はそんなことはしないということは知っているし、むしろそんな面倒なことをするにしても多少は勉強が出来なければしない。かといって自分を下に見せるほど腐ってもいないでしょう。というわけで3位。そして3位には比企谷というあなたの名前。だからかまをかけたの」

 

 ……先生ごめんなさい、ぼっちともあろう者が、初対面の相手の言うことを信じちゃったよ。

 危ない危ない、いくら相手があれっぽいからって、早くもぬるま湯直行はよろしくない。

 よろしくないから仕返しでもしてやろう。

 

「……なるほど、俺も似たような理論はすぐに並べられたよ。んで、仕返しに訊くが───お前、友達居ないだろ」

「……まず、どこからどこまでが友達と呼べるのか、定義してもらっていいかしら」

 

 ほむ。それを俺に訊くか。エリートには到らなかったが、プロではあった俺に。

 

「えー? 友達ってさー、こう、喋って笑い合って一緒になんかして、それでいーんじゃない?」

「はいアウト。んーなもん知り合いでしかない」

「ええそうね、由比ヶ浜さん、それは知り合いでしかないわ」

「えぇっ!? そうなの!?」

 

 ずっぱり切って落とすと、雪ノ下まですまし顔で乗ってきた。

 そう。そんなものは友達ではない、知り合いだ。

 友という言葉をぼっちの前で軽々しく使うとは、言語道断。

 

「大体クラスメイトとかおかしいだろ。なに級友って。クラスが同じになったからって友って括られるなんて冗談じゃねーっつの」

「まったく同じ意見だわ。様々な日本語と英語があるけれど、あれほど不愉快な変換はないわね」

「え、えー……? そんなヤかなぁ」

「んじゃ何。お前クラスメイトだったら脂ギッシュで中二な男子と握手出来んの?」

「うぇえ!? やだっ! きもい!」

「はっ、ほれみろ。お前の言う級友の文字の中の“友”の大きさなんざそんなもんだ」

「由比ヶ浜さん、あなたのそれは“良いもの”にしか目を向けていない者が見る視界のものでしかないわ。もっと広い視野を持ちなさい」

 

 あとすまん材木座、お前の知らんところでお前がきもい言われた。

 

「いいか結衣。友達の定義ってのはな。べつに強い絆で結ばれてなくたっていい。隣に居て重くなくて、気安くて、そのくせここぞって時には笑顔で助けてくれるような、そんなもんなんだ」

「ええそうね。裏切られるまで裏切らない、いっそ馬鹿のように真っ直ぐに相手を信じ、それを裏切ることのない関係。そういったものの先を友と。そう呼んでいいのではないかしら」

「ほんとそれな。なんでも言い合えるとか最高」

「気負うこともなく付き合えるのは当然のことでしょう? 友達なのだから」

「多少の喧嘩なんざ仲直り出来て」

「つまらないことでも共有出来て」

『一緒に居ても重くない存在』

「…………」

「………」

「う、うわー……綺麗に声、重なったね…………え? もしかして打ち合わせとかしてたの? びっくりしたー」

 

 俺と雪ノ下は、驚愕のままに顔を見合わせた。

 雪ノ下はぼっちだ。それは間違い無い。

 が、まさか同じ友達像を抱いていたとは思わなかった。

 だが───だがだ。ということは。

 

「雪ノ下。その道は正しい。けどな、プロでやめとけ」

「───! ……もしやとは思ったけれど。あなたも同じ口?」

「お前とは方向性が違うだろうけどな」

「あら。違わないのではないかしら。私は可愛さが原因。あなたも容姿が原因だったのでしょう?」

「……いやなに言ってんのお前。確かに俺は、自分で言うのもなんだがまあ整った方だとは思うが、この目が全部を台無しにしてるっつの。道を歩けばゾンビだの化物だの。お化け屋敷なんざノーメイクでゾンビ役と間違われるっつの」

「……? い、え……なにを言っているのか解らないわ。それはどういった意味かしら」

「あ? そのまんまの───」

「あー! ちょっとたんまたんまー!」

「お……」

「……?」

 

 容姿についての話になった時、とんでもない違和感。

 しかしそこで問い詰めようとすると、結衣が割って入ってきた。

 え? なに? なんなわけ? 俺なんかやらかした? 急に話を止められると、俺がなにかやっちゃったんじゃとか思うじゃない、ぼっちの話を折るとか鬼畜の所業ですよ?

 

「雪ノ下さん! ヒッキーのことどう見える!?」

「ひっきー、というのが彼のことなら、まあ整った容姿をしているのではないかしら」

「どうヒッキー! どう!?」

「あ? なに? 打ち合わせでもしてたの?」

「なんでここまで来て信じないかなぁ!! じゃあもういいよヒッキー! 眼鏡取って!」

「……なんなんだよお前……」

「いーからっ! ……あ、雪ノ下さん。たぶんびっくりすると思うけど、そうじゃなきゃこんな性格にはなってないから……あんまおかしなこととか言わないでね」

「あの、だからなにを───ひっ!?」

 

 すっと眼鏡を取り、雪ノ下を見ると───彼女は息を飲んだ。

 そして肩を弾かせ顔を強張らせる姿は、ああなるほど、よく見た光景だ。

 え……じゃあなに? この眼鏡、まじで目の腐りを抑制する効果があったの?

 

「……どう? ヒッキー。……これで信じた?」

「……OKわかった、眼鏡すげーな。で、雪ノ下。話の続きだが───」

「ええ……そう、そうね。納得がいったわ。それと、謝らせて頂戴。よく知りもしないで、人の顔を見て悲鳴をあげるなんて、失礼にもほどがあるわ」

「もう散々されてるから気にすんな。むしろ普通の反応だ」

「それでも……ごめんなさい」

「……おう、受け取った。で、話の続きだが」

「そうね。私に友達なんて居ないわ。あなたもでしょう?」

「おう。強いて言うなら天使と知り合いの中二病が居るくらいだ」

「……そう」

 

 俺に信じてもらえてドヤ顔の結衣と、どこか自嘲気味な笑みを浮かべる雪ノ下。

 そんな二人を前に、溜め息を吐く俺。

 どくんと鼓動が高鳴る。気持ちの悪いざわつきが、心臓から這い上がってくるのを感じた。

 ……今、俺はなにをしようとしてる? ぼっちが、ぼっちに深く関わろうとしているのか?

 

  ───おい、踏み込むんじゃねぇよ。ぼっちだから親近感? 冗談じゃない、そんなのは、それこそぼっちだからこそしちゃいけない。

 

 ぼっちに馴れ合いなんて必要ない。

 ぼっちに必要なものは、それは情熱思想理念頭脳気品優雅さ勤勉さなんぞではなく、自己の世界のみだ。確かに近しい者が居ることは嬉しい。誰かに話しかけられたら無意味に鼓動が弾むなんてよくあることだ。普段はイラつく相手にフレンドリーに話しかけられて、ちょっと調子が狂うなんてプラスに考えてしまうことだってある。ま、次の瞬間には嫌なヤツは嫌なヤツって認識するんだが。

 つまりだ。こんなところでぼっちに深入りしたところで相手は迷惑だし、俺だって結衣に割く時間が減るだけだ。

 

  ……でも。

 

「……方向性だの言ったけどな。結局行き着く先は一つだと思うから言っておく。……孤独なやつに、世界は変えられねぇよ。孤独者に変えられるのは、自分の世界だけだ」

「───!!」

 

 言った。言ってしまった。途端、目の前の少女は迷子になった子供のような悲しい顔をするのだが、すぐにそれを“ぼっち”で隠した。

 

「な、なにを言っているのかしら? あなたに私の何が───」

「それを言っていいのは知ってもらう努力をしたヤツだけだ」

「っ……、……そうね、卑怯だったわ。けれど、それではなに? あなたは私のことを知る努力をしたとでも言うつもり? 断っておくけれど、私の気を引くためとか、私に取り入るつもりでそんなこ」

「結衣にしか興味がないからお前に女性としての興味なんざ微塵もねーよ自惚れんな馬鹿」

「なっ……!? みじっ……!? ばっ……!?」

 

 真正面から一刀両断。ああそうだな、その容姿だ、言った通りさぞかしおモテになられて、嫉妬もされたんだろう。

 なに? もしかして彼女持ちの男からもアピールされたりもしたのん? だが残念だ、俺には通用せん。俺が求めるものは結衣と、そこに付属されたおまけのような幸せだけだ。

 

「どーだよ、真正面から自分の常識を破壊された気分は。怖いだろ、世界を変えるってのは。お前が言ってんのはその驚愕の、人口分を倍にするくらいのもんだぞ」

「……あなたは、それをしようとしたことがあるとでもいうの?」

「おー、あるぞ。まずは自分の周りから変えようとした。変えようとして、級友サマに潰された。なんでもかんでも俺が悪いってことにされて、親呼び出されて、親なら信じてくれると思ったら親にまで裏切られたよ」

「……それは、親があなたののちのことを思ってではなくて?」

「信じてるガキの頭を掴んで無理矢理謝らせてか? 絶望に突き落とされたガキに、面倒なことはするなって言うことがのちのガキのためになるってか。……ハッ、眩しい教育すぎて泣けてくるな《ぐいっ》おっと?」

「……ヒッキー今のほんと?」

 

 ……あ。しまったつい口が滑った。こいつが居ることを忘れていたわけじゃないのに、同志ぼっちを説得するのについ力が……。

 

「…………本当だ。白状しちまえば、そこで本気で泣いて、親を信じなくなった。あいつらは俺の親じゃなくて、ただの小町の味方だ。だからあいつらにとって、俺は息子じゃなくて小町の兄でしかねーんだよ。お前の親父さんは、当然“結衣の味方”だ。俺は基本、お前のママさんとお前しか信用しちゃいないし、するつもりもない」

「……小町ちゃんも、ずっとだめなのかな」

「興味が無い」

「っ……で、でも、ずっと謝りたいって」

「へー。謝りたいねぇ。……なぁ雪ノ下。お前、世間一般じゃあ謝罪の最高峰、“土下座”ってものをどう思ってる?」

「ああ、あの最低最悪の最終兵器ね。当然、する人ほど最低だと思っているわ」

「え……ちょ、ヒッキー? まさか……小町ちゃんに土下座しろとか……言わないよね?」

「ふざけんな、してたら許すどころか一生許さねぇよ」

「ええそうね。あんなものは謝罪とは認められないわ。むしろ謝罪だと思っている人ほど疑うわね」

「え、な、なんで? だって」

 

 結衣は解らないらしい。だが、孤独な者は知っている。あんなものは残酷なものだと。

 

「なぁ結衣。たとえばクラスの人気者がぼっちをいじめて、一時的に悪者になったとする」

「ヒ、ヒッキー? いきなりなに……?」

「いいから聞け。……その人気者はさ、それはもうひどいことをぼっちにしたんだ。ぼっちのHくんは、さわやかな人気者に対して、ひっどいぼろぼろな姿だったそうだ。少ない小遣いを溜めて買った新品の上履きもぼろぼろ。親に買ってもらった服だってぼろぼろだ。水浸しだし、明らかにその人気者くんが悪いわな」

「………うん」

「さすがにシャレにならない空気がその場にはあった。いっつもHくんに“またお前が問題を起こしたのか”って目を向けていた先生も、これはさすがにって目で人気者くんを見てたな。で、そこでその人気者くんが取った行動。……なんだと思う?」

「……え、と……ど、土下座?」

「ああそうだ。そいつはクラス中の視線が集まる中で、ぼろぼろのHくんに土下座してみせたんだよ。そりゃもうクラス中が大パニックな。みんな口々にそこまですることないよとか言い出して、Hくんが呆然としている内に、次第にもういいだろとか許してやれよとか言い出す。終いにゃ呆然としていたHくんが許さないだけで悪者にされ始めて、立場はあっと言う間に逆転だ。許せ許せコールの中、怪我もないそのまんまの綺麗な土下座くんは、許してもらえない可哀想な人。またも買ったり買ってもらったりした靴や服がぼろぼろなHくんは、綺麗な土下座くんを許さない悪い人。最終的に泣いたのはどっちだと思う?」

「…………ひっきぃ……」

「そいつは許した。許して、泣いた。なに泣いてんだとか気持ち悪いとか言われながら、ぼろぼろのままで家に帰って、バレないように服も靴も捨てて、全部買い換えた。次の日に、中々許さなかったってだけでイジメに遭うって知りながらな。……ほれ、これのどこが謝罪だ? あんなもんは使う人の人種で武器や惨めな盾にしかなりゃしねぇよ。間違っても謝罪に使うもんじゃねぇ。されて喜ぶヤツはただのイカレた馬鹿だけだろうさ」

「っ……ずっと前、ごみ捨て場で……っ……ひ、ひっきぃが……泣いてたのって───《わしゃわしゃわしゃ》ひゃぷぅっ!?」

「…………見てんじゃねぇよ、ばか」

「~~~…………!!」

「《ぎゅうっ!》おわっ……!? …………おい」

 

 抱き付かれた。抱き付かれて……泣かれた。

 泣かせたかったわけじゃないんだが……え、ええと、今のHくんの話だよ? べつに俺って言ったわけじゃ───……言ったようなもんですね、はい。

 

「ま、そんなわけだよ。で、なに? 許さなかったら俺が悪人なの? 親から睨まれんの? お兄ちゃんだから許してやれとかアホなこと言われた先で許さなきゃならんの? そんな先が解りきったもんが謝罪なもんかよ。大体なに? 兄妹が仲がいいとか都市伝説だろ。フィクションでしか有り得ねぇよ」

「まったくその通りね。けれど……比企谷くん? あなた随分と惨めな青春を送ってきたのね」

「面と向かって遠慮ねぇなおい……」

「あら。惨めではないと? 取り繕った言葉を所望なら、いくらでも嘘で固めた言葉を届けるけれど」

「……いや、いらん。そんなもんはいらん。やめてくれ」

「遠慮はいらないわよ? そのための言葉ならいくらでも用意できるから」

「いらんっつーの。……で、依頼人の一人が泣いちまったわけだが」

「急に来て急に人生を語られて急に泣かれる身にもなってほしいわね」

「それについてはすまん」

「それはべつに気にしていないわ」

「おい、なら言うなよ」

「それは、と言ったのよ。来てくれたことには感謝しているわ。貴重なお話を聞けたから。……ねぇ? プロぼっちさん」

「…………そうかよ。ちっとは人生経験の教訓になったか?」

「そうね……」

 

 雪ノ下は顎に折り曲げた指を当て、思考を回転させる。

 まあ、人生経験どころじゃないだろうが、それでも経験は経験だ。雪ノ下にとって役立つかは別としても。

 

「聞かせて頂戴。……私は靴を六十回隠されたわ」

「そか。俺は焼却炉行きで燃やされたわ。回数重ねるなんて過程もなく燃やされたな」

「可愛かった所為で男子の視線を集め、女子から一方的に嫌われたし」

「無実の罪を着せられて男女問わずにぼっこぼこだったな。机はゴミ箱、下駄箱はカエルの墓場だった。学校行けば周囲が敵、家に帰れば妹の世話で、泣かせば親に殴られた」

「し、次第に誰からも距離を取られて……」

「比企谷菌とか言われてわざわざ蹴ってきて、そのくせ“比企谷菌が伝染ったー”って、他のやつに触ったり触られたりして、バリアーとかして比企谷菌にバリアはききませーんとか笑われたな。黙って堪えてたらなんとか言えよとか言われてドッカドカ蹴られてな」

「机に、落書き……」

「比企谷って苗字からヒキガエルってあだ名をつけられて、終いにゃカエル呼ばわりだ。カエルに机はいりませんって彫刻刀で掘られて、笑いながらバケツで水ぶっかけられたな。給食の牛乳ぶっかけられたこともあった。ご丁寧に新品の服の時にな。家帰って洗う時がまた惨めでな」

「………」

「……ぼっち自慢はここまでにしないか? 結衣が泣きすぎてつらい」

「……そうね、ごめんなさい」

 

 一言言って、俺達は長い長い息を吐いた。

 やがて雪ノ下は、俺達が来る前から読んでいたらしい何かしらの文庫本に目を落とし、俺は結衣を慰めにかかる。

 

「……私、自分の世界しか知らなかったのね……」

「ん? ああ、ぼっちの固有世界な。パーソナルスペースを持つことは別に悪いことじゃねぇだろ。ぼっちのそれはめっちゃくちゃ狭いもんだけどな」

 

 言いながら撫でる。めっちゃ撫でる。撫でてる間も泣きながらぐりぐり頭を胸に擦り付けてくる。可愛い。結衣可愛い。

 でも言うのは恥ずかしいから言わない。言ってほしいと言われてるけど、人の前では言えないだろ。

 

「大体、ぼっちなんてもんは自己分析と周囲の分析に長けることしかできないだろ。友達に使う時間がないから思う存分自分を高められるし、それこそひと学年中の名前と顔を一致させることも出来る。けど、それだけだ」

「……驚いたわ。あれだけの情報でそこまで解っていたの?」

「エリート目指したプロをなめんな。ガキの頃から親を頼らず、新聞配達で稼いだ俺だ。人がこぼす僅かから情報を掻き集めるのなんざわけねぇよ」

「貧乏だったのかしら」

「お前ほんと容赦ねーな。ちげーよ、言ったろ、親も敵だったんだよ。親は基本、妹にしかよくしなかった。だから俺は、自分のことは自分でやる必要があったんだ。ガキの頃から新聞配達やって稼いで、今も本屋のバイトと一緒に続けてるぞ?」

「……………」

「あん?」

 

 こくり、と息を飲む音がした。

 ぽしょりと呟く声に、聞き取れないので結衣を抱きしめたままに近づくと、その声は耳に届く。

 

「ひとつ……ひとつ、聞かせて頂戴。……そんなあなたでも、世界を変えることは───」

「言ったろーが。一人で変えられるのは自分の世界だけだ。お前がこれからどんだけ偉くなろうが、立場を利用して変えようと指示したものは、絶対にお前が想像していた世界とは違う。自分以外が介入する時点で、そんな理想には絶対に届かない。じゃあ、なんて自分でどれだけ頑張ろうが、変えられるのはせいぜいで独り。ほれ、そうなれば自分以外のなにを変えられる?」

「……変えられるわ。影響力というものがあれば───」

「その変えたい人を変えるのにどんだけ時間がかかると思ってる? えら~い人だってたった一つの発言だけで人の意識を変えられる力なんて持ってねぇぞ? 世界を変えるってのは喧嘩してるガキに仲直りしなさいって言うなんて話じゃない。核兵器で狙い合うのをやめなさいってレベルでもねぇよ。もっと単純だ。元気一杯に明日を夢見るコゾーに今すぐ死ねっていうのを常識にするってレベルだ」

「それは極論だわ。なんでも大げさに言えばいいというわけでは───」

「最初にデカいこと言って縮小させて了承させるのは、えら~い人の常套手段だろ。んじゃ妥協だ。死ねと言わなくていい。猫を可愛がるのをやめましょう」

「《ガタッ!》異議を申し立てるわ! そんな世界は滅びなさい!」

「お前どんだけ猫好きなの」

 

 鞄に猫型のアクセサリがあったから突っ込んでみたが、まさかほんとに猫好きだったとは。

 ツッコんでみればみるみる赤くなる顔に、あ、こいつ結構メンタル弱めかもと溜め息を吐いた。

 

「ほれ、で? お前が変えたい世界の先に、今のお前みたいに賛同しないやつがどんだけ居ると思ってんの」

「くっ、卑怯だわ……!」

「え? 卑怯なの? やだマジ?」

「…………あなた、結局なにが言いたいの? 私の願うことを地盤から崩しておいて、まさか暇潰しとは言わないでしょうね……?」

「あ? なにって…………忠告?」

「忠告? 私も随分と甘く見られたものね。わざわざ他人に教えられなければならないことを残すほど、習い忘れがあるわけではないわ。一度その眼鏡の奥の腐った目をなんとかしてから出直してきたらどうかしら」

「教えられることね。……きっとお前、目が腐るほどに腐った世界を見てないんだな」

「《びくっ……》な……なにを」

 

 再び溜め息。だってそうだろ、ぼっちではあるが、随分とまあ綺麗な目をしてらっしゃる。

 どこぞの部分かで相当恵まれていたんでしょーよ。何処って、知らんけど。

 

「文字で、言葉で知ることだけが世界じゃないなんて、ぼっちなら知り尽くしてるだろうが。そーだな、俺の目は腐ってる。夜にコンビニ行って、暗がりで擦れ違うだけで悲鳴あげられる程度にはな。……出直して治るくらい簡単に世界が変えられるなら、そもそも目を腐らせたりなんかしねーよ。解ってるだろ、それくらい」

「……あなたの世界はあなたで完結しているのね。私は───」

「違う、か。じゃ、手っ取り早い問答解決方法を提示する」

「……あなた、つくづく人の言葉を遮るわね。自己主張の強い男だと言われない?」

「ばっかお前、俺ほど物静かで人畜無害なやつなんて居ねぇよ。集団行動の時なんざ気配けして輪を乱さないようにしまくりだっての。……経験、あんだろ、そんなの」

「……甚だ遺憾ではあるけれど、あるわね」

 

 あるのかよ。いやあるか。そりゃあるわ。だってぼっちだもの。

 

「いいでしょう、あなたの提示する解決法とやらを聞くわ。このままじゃいつまで経っても平行線だもの」

「おー。お前の問答も俺の問答も、ここまでの長ったらしいあーだこーだも一発解決。出来るもんならやってみろな提示だ。まあまずムリだ、最初から諦めとけ」

「《ぴくり》……言ってくれるわね。自慢するわけではないけれど、学年1位は伊達ではないわよ」

「ほーん? じゃあ罰ゲームでも用意しとく? なんでも言うことを聞くとか。あ、言っとくがいかがわしいこととかは絶対に却下だ。俺は結衣にしか興味がないし誤解されるなんざ死んでもごめんだ」

「……言い寄る男は腐るほど居たけれど、ここまで拒絶する男は初めてね……《ヒククッ……!》」

 

 おい、顔がものすごーく引き攣ってますよ1位さん。

 まあいい、んじゃあ小さな世界をつつく言葉を届けよう。

 ハタと気づくと、多分虚しい、きっと一人か二人しか実行しないそれを。

 

「んじゃーいくぞー」

「ええ、かかってくるがいいわ」

 

 そんな、むんと構えんでもいいことを言うんだが。なに? 椅子に座りながら骨法の構えでもしたいのん?

 ……ふざける雰囲気じゃないか。真面目にいこう。

 どよどよと濁っているであろう目を眼鏡で隠し、息を吸ってから咳払い。そうして、言った。

 

「…………俺を、救ってみせてくれよ」

「───……」

 

 一言。それだけで、雪ノ下は喉を詰まらせたように肩を震わせ、停止した。

 



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なるべくして、その部屋に紅茶の香りが漂い始める②

 プレビュー押すつもりが、間違えて新規投稿押しちゃった……!
 なのでこちら、分割したものになります。


 “腐った目”と彼女は言った。“俺の世界は俺で完結している”と彼女は言った。

 その言葉と認識の分だけ、彼女は自分を否定しなければならない。何故なら、彼女の言うように俺が俺で完結しているのなら、今のままの彼女の理論じゃ俺はどうやっても救えないからだ。そして、救ってくれと言っている人ひとりを救えないやつが、どうして人ごと世界を変えられるのか。

 そうして、真っ直ぐに、自信に溢れていた視線に怯えが混ざり、不安が混ざり、やがて俺の目から下方へと下がって───

 

「逸らしたら夢が終わるが。いいのか? それで」

「……っ……なにを、あなたは……! あ、あなたが、勝手に───! 人がようやく持てた夢を! 立ち向かい方を! あなたが!」

「んじゃあ切り捨てりゃいい。見たくない世界の腐りなんて捨てて、見たいもんだけ見て救いたいもんだけ救ってろ。それが世界ってもんだろ。臭いものには蓋をして、出る杭は打つ。世界を変えるって言ったよな。人ごと変えたところで、そんなもんがいつまで続くと思ってんだ。変えた先で似たような世界が始まるだけってなんで解らない」

「わ、私は……私はっ、そんな世界だから変えたいと! そんな世界が嫌だから! 同じ思いをしたのに何故解らないの!?」

「わかんねーよ。だって俺、お前じゃないもん。同じ思いをした? ざけんな、だったらなんでお前の目は綺麗なんだ。汚いもん見て、汚さを知って、世界に絶望してもその綺麗さなら本気で尊敬するわ。あーちなみに大人はここで、“世界にはもっとひどい場所が”~とか“ひどいことが”~とか言うけどな。生憎俺の世界は俺で完結している。他のどこどこの誰だれが~なんて関係ねーよ。俺の話をしてんのになんでどこぞの誰かの話をされるんだってな」

「………」

 

 いや、ここ笑うとこなんだが。えー……? やっぱ自虐ネタってだめなの……?

 材木座あたりなら“それそれ、その通りでござるプークスクス”なんだが。

 

「はぁ。で、救える? 救えない?」

「………………、…………解らない」

「おん?」

「解らないわ。だって、私はまだあなたのこと、なにも知らないもの」

「……そりゃ、問題の先送りってことでいいのか?」

「いいえ。私の負けでいいわ。悔しいけれど、知る努力をしてみたところであなたが悲惨なぼっちということしか拾えなかったのだもの」

「おい、べつに悲惨はわざわざ付けなくてもいーだろ」

「自分の惨めさをわざわざ言い触らすところに悲しみを覚えた。ほら、足せば立派な悲惨だわ」

「このやろう……」

 

 べつにいいけど、結衣が睨むからやめなさい。

 なんかこの娘、今番犬モードっぽいから。俺の敵に噛み付きそうだから。

 

「……それで?」

「あん?」

「自分で言ったことも忘れたの? 鳥と違って三歩すら歩いていないのだから、その程度の記憶力は人並みに持っていてほしいのだけれど。まさか自虐したようにゾンビ並みの脳しかないとは言わないわよね? ゾンビ谷くん」

「確認の仕方が雑なのが悪いんだよ。罰ゲームの話に移行するならちゃんとそう言え、伝えてませんで下さん」

「……《ビキッ》」

「……《ビキビキ》」

「……では改めて訊くわ。私になにをしてほしいのかしら。なんでもいいけれど、いかがわ───」

「それは絶対にない自惚れんなアホ」

「あ、アホは余計じゃないかしら……!?」

「あー、自惚れてはいたのか。はいはいそりゃごめんなさいよっと」

「~~~~……《ぷるぷるぷる……!!》」

 

 ……なんつーかアレな。こいつ、感情的になってくるとめっちゃ弱い。

 余裕な雰囲気だとなんでも出来るんだろうけど、なんつーの? メンタルがめっちゃ弱い。

 挑発されるとヨロコンデーとばかりに乗ってくるタイプ。勝負事に向かんわ。現に今負けた上に、どんどんとドツボにハマってるし。

 

「んじゃ、オネガイな」

「え、ええ……ぐすっ……なんでも言えばいいじゃない」

「なんでちょっと泣いてんだよ」

 

 まあ、気持ちは解るが。

 

「あなた、よくもそんなことが言えるわね……。人の決心を破壊した上にひどいことまで散々言って。その上命令? 人をなんだと思っているの? 子供の頃から続いたイジメでも、ここまでのものはなかったわ」

「そりゃ、なんだかんだでお前が負けを認めてなかったからだろ」

「───……え」

「んで、今ようやっと負けを認めた。だから悔しいんだろーさ。イジメに遭っても心が折れなきゃ負けてねぇって、いろんなぼっちが潜在的に思ってるもんだ。大抵のヤツは“自分が苛められてる”って認めたくないから、そんな内側には目を向けもしねぇけどな。認めたヤツは総じて強く、認めないやつはいつまで経っても弱い。心と向き合ってないんだ、当たり前だよな」

「……負け……わ、私……」

「ただ、悲惨なのがひどい心の折れ方をした時だ。もう、なんつーの? 世界から自分を消すことばっか考えるから。ソースは俺」

「……どうして」

「だって、そうすりゃ世界は変わるじゃねぇか。いじめは無くなる。俺で完結してる世界も終わる。これ以上の世界改革がどこにあるよ」

「でも、そこには自分が居ないわ《ぺしっ》いたっ……?」

 

 アホなことを言い出した雪ノ下の額に、軽く平手。

 自分がそこに居ること前提で、なんて……なにこのぼっち、温室育ちさん?

 

「……傷つけられたことがあるなら、きちんと覚えとけ、ばかやろ。自分が傷つくことを頷けねぇやつが、他人を巻き込んで世界を変えるなんてほざくんじゃねぇよ。他人の世界を変えるのに、自分の世界を傷つかせないなんて馬鹿な話があるかよ」

「あ…………」

 

 言われて、気づいたのか。静かに叩かれた場所へと手を伸ばし、そこに触れると、彼女は瞳に涙を溜めてくしゃりと表情を崩しアイエエエーーーーッ!!!? ボッチ!? ボッチナンデ!?

 馬鹿な……俺ともあろうプロぼっちが、相手のぼっちの量を見誤っていたとでも……!?

 けど、事実は事実だ。

 世界だけを変えたいなら選ぶ手段なんて必要ない。自分を犠牲にしてでも成し遂げれば、そのあとに自分なんぞ数に数える必要だってない。

 ただそこに自分をどうしても入れたいというのなら。……そんなものはただの我が儘だ。耳障りのいい理屈を並べて自分を助けたいだけの自己満足だ。

 

「う、あ、あー……だからだな、その。つまりそういうことで……」

「……っ……っく……うぅう……!」

 

 なんてことを馬鹿正直に伝えたら泣き出してしまった! まじかよ学年1位泣かせちまった!

 つーかなにやってんの俺ほんとなにやってんの!? 付き添いで来てぼっちと出会って話が弾んだら論破して泣かしてって! それは違うよ! じゃねぇよこれが違うよ!

 どうすんのこれどう落とし前つけんの!?

 

「……お前もこの一年、じっくりぼっちやってりゃ……頑固なエリートになってたのかもな」

「……っ……、ひぐっ……!」

「俺の考えだって余裕で返せる言葉くらい、あっさり用意出来たのかもしれんし」

「……ぐすっ……たられば、なんて……興味ないわ……。あるのは事実だけだもの……」

「……だな。悪い、無駄なこと言った」

「………」

「………」

「…………それで?」

「……はぁ。だからな、それじゃ解りにくいっての」

「あなたの理解力が足りていないだけじゃないかしら《じとり》」

「睨んでるんだろうが涙目だから迫力ないぞ」

「……あなたいつか覚えていなさい……? やられたままで黙っているほど、私は弱くはないのだから……」

「んじゃお願い言うな」

「……………」

「拗ねるなよ」

「拗ねていないわ《プイッ》」

 

 てか、なんでしょうねこいつ。泣き出したらもんのすごい変化球とでも言えばいいのか、滅茶苦茶子供っぽくなった。

 ジト目で睨んでくるし、そのくせ駄々っ子みたいな屁理屈こねるし。

 

「……お願いだけどな」

「……ええ」

「…………まあその、あれだ。俺がこんなことを言うのは、っつーか結衣と一色以外でこんだけ話すのも珍しいんだが、それよりも珍しいことをするぞ」

「あなたの日々の生態なんて知らないわよ」

 

 ……この女、泣いてもいちいち鋭利な女である。

 なんでこうぐさぐさくるかね。泣かせたからですね、ごめんなさい。

 いやー、女の涙って武器だわー。涙目で言われるとダメージでかいわー。

 

「いちいち突っ込むんじゃありません。……ぼっちのよしみ、一度は捨てた希望のかけら。……俺と“理想の友達”になってくれ、雪ノ下」

「………」

「だめか?」

「……あなた、それは本気で言っているの? さっきも言ったけれど、その……私の、“私たち”の理想は───」

 

 私たちの。それはつまり、“ぼっち”のだ。

 孤独な者が理想とする友達像とは、とても神秘的なものだ。

 なにせ裏切らないし一緒にいてめっちゃ楽しいのにやすらぐし重くないし。

 そんなものは絶対に居ないって知っていても、願わずにはいられない、永遠のぼっちの幻想。

 だがだ。……そんな幻想でも、幻想を知っている同士なら……辿り着けないわけじゃないと、いつまでも希望を抱いているのも確かなのだ。

 だから伸ばさずにはいられない。願わずにはいられない。

 そんな誰かが居たら、俺は、私たちは、どれだけ───と。

 

「まあ、簡単なもんじゃないわな。けど、その理想を知ってるってだけで、誰より近いんじゃねぇの?」

「………」

「………」

「……───ょく」

「ん?」

「……知る努力、から……始めても、いい、なら…………その」

「…………おう」

「…………ええ」

 

 俯かせていた顔を軽く持ち上げ、互いに上目遣いっぽく目を見て、肩を震わせた。

 こぼれた笑いは第一歩。そんでもって、もう威嚇する必要はないぞとばかりに結衣の頭をぽんぽんと叩く。

 

「そ、それで比企谷くん。その……友達とは、まずなにをすればいいのかしら……」

「……そうだな。いきなり理想を求めるのはキツいだろうし……ま、安心しろ。俺はお前が裏切らん限りは裏切らん」

「あら。私から先に敗北を選ぶと本気で思っているのかしら? その安い挑発、乗ってあげるわ」

「おうそーかい。んじゃあいつまでもダチってやつだな」

「ええそうね。あなたが私に友情以上に欲情し」

「それはない《きっぱり》」

「そうだよないよ絶対ないよ! ヒ、ヒッキーはあたしんだからね!?」

「いやお前……ようやく喋った言葉がそれってどうなの」

「だってなんか真面目なお話してるし! 喋ろうとしたらヒッキーが胸に押し付けるし!」

 

 こっちはこっちで泣きそうな顔でピャーと叫んでくる。構ってもらえなかった犬のようだ。

 なのでおーよしよしと頭を撫でてると、誤魔化されないんだからねと言いつつうっとり状態。可愛い。

 

「あー、その。なんだ。ほんと欲情とかはないから安心しろ。で、友達がなにをするかって話だが……健闘を認め合ったやつらってのはまず握手をするらしい、ぞ? 俺もよく知らんけど」

「握手……」

「……べつに比企谷菌とか伝染るんじゃないかしら~とか言ってもいいぞ?」

「冗談でしょう? あなたにそんな菌はないわ。なんでも言い合える仲を目指すのだとしても、いじめをする下衆どもと同じレベルに降りるつもりはないわよ」

「……そか」

「……ええ」

「むー……ねぇねぇヒッキー、なんで急に友達になんて思ったの? 急にいっぱい喋り出すし。いろはちゃんの時も驚いたけど……なんか仲良くなるために何年も頑張ってたあたし、馬鹿みたいじゃん……」

「《ぐさっ》ぅぐっ……! そ、それについては……すまん、としか……。け、けどな、誓って言うが、一番大切なのは結衣だ。というか、お前とこういう仲になってなけりゃ、そもそも人と関わろうともしなかったわけでだな……」

「……あたしの所為?」

「お前の“お陰”だ」

「………《きゅん》」

「…………結衣?」

 

 俺を見る拗ねた顔が、一瞬にして恋する乙女になった。え、なにこれすごい嫌な予感。

 嫌というか、いいことではあるのに状況的にはなんというか……あれ、なにこれ。

 

「…………《じー……》」

「……? な、なにかしら、由比ヶ浜さん」

「……ね、ヒッキー。キスして?」

 

 まずじーっと雪ノ下を見て、俺を見てからにっこり笑顔で爆弾投下。おいちょっと待て。待ってください。

 

「お前は浮気を疑うどこぞのヤンデレさんか」

「ち、違うし! なぁんかちょっと急にキスしたくなっただけだし!」

「……はぁ。べつにそんな慌てんでも、俺は結衣以外を好きにはならねぇよ」

「う、うー、だっ……だって、だって、それは解ってるよ? 解ってるんだけど、ごめんねヒッキー、あのね、迷惑っ……迷惑かけてるって、解ってるんだ……。でも、でもね? やっぱりね、不安で《ちゅっ》ふあっ……!?」

 

 そわそわと不安を打ち明けてくれた結衣に、その途中でキスをした。

 すると一時停止ののちにぽむんと真っ赤になって、「あ、え、えぅ……?」とカタカタ震え出したので、抱き締めた。抱き締めて、思う存分撫で回した。

 ……5秒後、俺にギウウと抱き付いた上機嫌のガハマエルが光臨した。

 いや5秒って。……5秒だったんだ、仕方ないだろ。

 

「悪いな、雪ノ下。こいつたまにこんな風になるから気にしないでくれ」

「ええ、問題ないわ。可愛い彼女じゃない、大切にしてあげて」

「当たり前だ。一生かけて大切にする」

「今すぐ結婚して守り抜くみたいな力強さね……」

「そりゃそうだろ、婚約者だし」

「───…………家の事情かなにかかしら」

「まあ、ある意味ではそんなところだ」

 

 ママさん絡みだから、家の事情ではあるよな、うん。

 

「お互い苦労するわね」

「お互い? ……お前も居るのか? 婚約者。まあ俺は結衣のこと好きだが。めっちゃ愛してるが。今すぐ結婚したいまであるが」

「すごい愛情ね……婚約者ならいないわ。ただ家が特殊という意味では、苦労はあるわ」

「特殊……金持ちとかか。金持ちって言えば、俺とぶつかっちまった高級車の持ち主、面倒事とかなかったかね」

「……ぶつかった? 高級車?」

「あん? …………ああ、実は俺な、犬助ける時に車にぶつかって、一ヶ月近く入院して───……っておい、どうした雪ノ下。顔真っ青だぞ」

「あ…………い、いえ……なんで───も………………───」

 

 ? いや、なんでも? なんでもないって? それを言うにはちと説得力が欠けすぎだ。もうね、明らかにおかしい。通行人にいきなり声かけられて“ひゃい”とか奇声をあげる俺並みにおかしい。基準が俺なのかよ。俺なんだよ。だってぼっちだから他に喩え知らないもん!

 なんて脳内漫才はさておき、雪ノ下は“どうして、なんで、よりにもよって”と呟いて、かたかたと震えていた。

 震える手を口に持っていき、じわりと涙まで浮かべ。……え? まじでどうした?

 

「お、おい、雪ノ下?」

「……比企谷……くん。友人とは……誠実である……べきよね……?」

「いやルールなんて邪魔なだけだろ。好きな感じでいいぞ?」

「───……人の悩みを一蹴するの、やめてくれないかしら」

「なんかやらかしたか? それとも……ああ、あれか。実はあの高級車にお前が乗ってたとか」

「! え……ヒッキー、それほんと?」

「っ! な、ど、どうして……」

「……そうなのか。じゃ、あれだな。面倒起こして悪かった」

 

 言って、頭を下げる。すぐに結衣も俺の隣に並んで、頭を下げた。

 

「え、ま、待って頂戴! なぜあなたたちが頭を下げるの!? 頭を下げるのは───」

「いや、こっちだろ。リードやら首輪やらの管理怠ったの結衣だし、いきなり飛び出したのはサブレと俺だし、むしろお前、乗ってただけで運転してたわけじゃねぇだろ」

「そ、そうだよ! いきなりで驚いたけど、そっか、雪ノ下さんだったんだ……あ、あの! あの時は、サブレが……ううん、あたしの不注意で……ごめんなさいっ!」

「…………法律上、どうあれ加害者はこちらなのよ。あなたたちが謝ることじゃ───」

「世界。変えたかったくせに法律にはこだわるのな」

「ひぐっ!? い、え、これは、その……」

 

 じと目で睨んでみれば、激しく動揺の雪ノ下。……ああなんつーかほんと、こいつ弱ってる時につつくとめっちゃ弱い。

 

「け、けれど、それでも。友達だからと許すのは間違っていると思うわ。あ、あなたがどうあれ、私の友情理想像は、もっと───」

「……そか。解った。じゃあお前が悪い。そんで、俺は許す。結衣はどーするよ」

「うんっ、あたしも許すっ!」

「……あなたたちは……」

 

 あ、溜め息吐きおったわこんにゃろ。

 

「もう過ぎたことだろ? 個室なんて立派なもん用意してもらったし、独りで勉強に集中できて万々歳だったね」

「……あたしは寂しかったけど」

「どうせ同じクラスじゃないだろが」

「同じクラスでも突き放してたくせに」

「おいやめろ、それはもう言わないでくれ」

「……? ずっと恋人だったわけではないの?」

「それがさぁ聞いてよ雪ノ下さ~ん! ヒッキーったらさぁー!」

「その、もう一度確認するけれど。ヒッキーというのは比企谷くんのことでいいのかしら」

「うん。ヒッキーはヒッキーだよ?」

 

 それもうヒッキーでしかないよね。俺の名前どこいったの……。

 溜め息を吐きつつ、長い間ここに居るにも関わらず腰も落ち着けていないことを思い出して、奥から椅子を引っ張ってきて座った。もちろん結衣のも持ってきた。

 ちょっと雪ノ下寄りの位置に置いて、俺は対面側の離れた位置に。

 ……するとわざわざ俺の隣まで持ってきて、置いて、座ると、「えへへへぇ」とにっこりスマイル。

 

「おい、雪ノ下と話すんじゃなかったのかよ」

 

 言いつつガタリと椅子をずらして移動する。……と、結衣がわざわざ椅子を近づけて座り直し、再び「えへへへへぇ」と笑顔。

 

「……バイト終わってからじゃダメなのか?」

「えー? これくらい恋人ならふつーじゃん?」

 

 じゃんじゃねぇよ。普通なの? 知らんけど。

 ちなみにバイト云々の話は、デートとくっつくことの話だ。……や、やっぱり依存とかなんとかしたほうがいいのかしらん……。

 

「なんか知らんが上機嫌みたいだから話を進めるか。雪ノ下」

「なにかしら」

「……ケ、ケータイの番号、教えてくれ」

「!! …………そ、そうね。友達だものね。当然よね。ええ」

「…………《そわそわ》」

「…………《そわそわ》」

「…………むー」

 

 ケータイを取り出し、ちらちらと互いを見るぼっちども。

 いつもならケータイを投げ渡す俺も、さすがに“理想”相手にそれはしない。

 何故? 何故なら、俺も材木座と同じだからだ。“友達”とは赤外線通信とやらをしてみたかった。偽りなき本音である。

 

「せきゅっ……せ、赤外線ってどうやってやるんだろうな。悪い、俺やったことなくて解らん」

「え、ええ、しょっ……そうね、私もやったことがないから……その」

 

 ぽちぽちとそれらしい項目を弄くってみるも、赤外線っていう文字は見つけられてもどうすればいいかが解らない。

 しかし四苦八苦してなんとか操作完了し、通信完了。

 互いのアドレス帳に、互いのアドレスが載った。

 

『…………!!《ぱああっ……!!》』

 

 その喜びをどう唱えよう。

 自分が認めた相手としか絶対に赤外線なんぞするもんかを貫き通してきたぼっち二人が、ついにそれを手に入れた瞬間だ。

 ガラにもなく何度もアドレスを確認して、名前を見て、なんだか顔が緩んでしまう。

 試しにメールを送ってみれば、きちんと雪ノ下のケータイがメロディーを鳴らした。

 あたふたしながらそれを確認した雪ノ下は……初めておもちゃを買ってもらった子供のようにきらきらとした瞳でそれを見下ろしていた。

 

「ぶー……ヒッキー、なんて送ったの?」

「まあ、なんだ。これからよろしくってな《ヴィー》っと」

 

 ふてくされた結衣を余所に、こちらのケータイも鳴る。ちらりと見れば、雪ノ下がちらちらとこちらを見ている。

 開いたメールには、簡素に“こちらもよろしくお願いするわ、比企谷くん”とあった。……が、改行マークが続いていたのでスクロールしてみると、

 

  “あだ名や呼び方を変えたほうが、より友達らしいかしら”

 

 と書いてあった。

 さすが遠慮がない。だが、それでいい。

 重くなけりゃあどこまででも迷惑をかけよう。どこまでも突っ込んでいこう。

 そこらへんの線引きを感じ取れるからこそ長年もぼっちをしていられるのだ。

 

「…………《カチカチカチ……》【んじゃ、ユキ、とか?】」

「…………《カチカチカチ……》【随分と気安いわね。まあ構わないけれど。私はハチと呼ぼうかしら】」

「おいやめろ、なんか犬みたいだろうが」

「あら。由比ヶ浜さんを守る存在という意味では、とてもよく似合っていると思うのだけれど」

「もー! 二人とも目の前に居んのになんでメール打ってんのー!?」

「ばっかお前、初めて出来た友達とのメールだぞ。存分にやりてぇだろうが」

「当たり前じゃない由比ヶ浜さん。今まで誰一人到達出来なかった理想へ、今こそ辿り着けたというのなら、存分にそれを味わうのはもはや孤独者としての責務よ」

「常に群れはしない」

「けれど、絆は守る。それが、友達というものよ」

「なんか通じ合ってる感じでやだよぅ! ヒ、ヒッキー! あたしともメールしよ!? ねっ!?」

 

 ぐいぐいと横から服が引っ張られる。

 いや、メールしよってアータ、最近やたらとしてるじゃないですか。

 

「今まで友達が居なかった分、試してみたい友達の在り方とかいっぱいあるんだよな」

「ええ、解るわ。知り合い程度では到底辿り着けない高み……その頂を目指しましょう。偉人を下したいわけではないけれど、O・ワイルド氏のあの言葉だけには異を唱えたいのよ」

「やっぱな。そうだよな。ぼっちにとってあの言葉はちょっと違うよな」

「ええ、あなたもだと思っていたわ。確かに男女といえばそういうものなのかもしれないけれど、その過程にあるものさえ否定されるのは非常に癪なのよ」

「だよなぁ」

「う、うー、うー! ヒッキー、ヒッキー!」

「いや……べつに無視とかしてるわけじゃないから。あーもうほらおいでおいで《がばー!》グワーーーッ!!」

 

 冗談で犬にするみたいに両手を広げておいでって言ったら、なんと遠慮なく抱き付いてきた。ならばこちらも是非も無い。や、仕方ないとかそういう意味じゃなくて、遠慮はせんって感じで。

 抱きつかれるまま抱き締めて、愛でたり愛でたり愛でまくったり。

 何度でも言えるが、本当に雪ノ下にはそういった感情はないのだ。ただただ友情を感じるのみ。大体俺は既に婚約しているつもりだし、浮気なんてするつもりも一切ない。

 そんなことをどれだけ説いてみたところで、結衣の不安は無くならないらしい。

 

「まいった。まさか結衣がここまで嫉妬深いだなんてな……」

「……じゃああたしが他の男子と」

「おいやめろ」

「早っ!? ……ほ、ほらー! ヒッキーだって嫌なんじゃん!《にこー!》」

「由比ヶ浜さん、顔が盛大に緩んでいるわ、落ち着きなさい」

「あぅ……」

 

 怒っているつもりだったんだろうが、もうめっちゃ顔緩みまくってる。指摘されれば自覚があったのか、ふしゅうと落ち込むガハマさん。

 そんな姿にふと思いついて、かねてからやってみたかった……あー、芸? を、やってみた。

 

「そうよ由比ヶ浜さん。大体私が嫉妬だなんて、そんなことあるわけがないじゃない」

 

 喉を軽く調整して、明らかに男とは思えない声を出す。久しぶりだったから不安だったが、上手くいった! 俺やった! やったよ、ぼっちとして生きてきた輝かしき日々たち!

 

「……ハチ? それは私の真似かしら。ひどく不愉快だから今すぐやめてもらえる?」

「すごっ! ヒッキーなに今の! 声高い! 女の子みたい! ……って、あれ? 今ハチって……え?」

 

 うぐっ……いきなり口調を真似られた雪ノ下の反応は当然として、ゆ、結衣? そんなストレートにすごいとか言われると頬が緩むからやめて? いやもっと褒めて? 地味に頑張ったから認められるとかなり嬉しい。

 ……まあ、こんな感情も結衣限定だろうが。……だって、他のやつに喜ばれたってなぁ。

 だから目の前で目をきらっきら輝かせている結衣から視線を外し、頬を掻きつつぽしょりと言う。いやもう、ほんとこの娘ったらまっすぐすぎるから、たまにどころか結構恥ずかしい。

 

「い、いや、一時期メラニー法ってやつが流行って、友達と馬鹿話とかした時に披露できればなーとか思って……頑張った結果っつーか」

「え、あ……そ、そう……友達との話のために……《テレテレ》」

「ヒッキーキモい!!」

「おい、すごいんじゃなかったのかよ」

「う、うー! だってだって!」

 

 ───スマホにはイヌリンガル、というものがあるらしい。

 なんでも犬の鳴き声でその時の感情というか、言葉が解るとか。

 でもせっかくの機能も、犬が鳴かなきゃ意味ないよね。大人しい犬飼ってる人には必要なさすぎ。

 

「………」

「ひっきぃ……」

 

 寂しそうに呟くこのお犬様にイヌリンガルを使ったら、もう絶対に“構って!”としか出ないだろう。

 しかしそれで十分なのです。何故なら彼女もまた、特別な存在だからです。そもそもほうっておかねーし。

 椅子の上で胡坐を掻き、その上にとすんと結衣を乗せる。おう、これでも体は鍛えてるから、ゴツくはなくても力はある。女横抱きにして“軽いナ”とか言うリア充なんて知らんが、力を込めて持ち上げるくらいできる。

 そうして「え? え?」と困惑している結衣をそのまま後ろから抱き締めると、俺自身も背もたれにぐだりと背を預け、手では結衣を抱き締めたまま頭を撫でたりする。

 

「………ヒ、ヒッ…………」

「…………」

「………《もぞもぞ》」

「………」

「…………」

 

 なにか言おうとしたのだろうけど言わず、代わりにもぞもぞと座りやすい位置を確認すると、力を抜いて体を預けてくる。

 左手を掴まれて結衣の腹へと持っていかれ、同じく掴まれた右手は頭の上に。

 恐らくムフーとドヤ顔しているであろう結衣を思い浮かべつつ、ご所望ならば腹と頭を撫でてやった。

 

「とろけきっているわね……見ているこちらが赤面するわ」

「いろいろこじれてたからな。その反動だろ」

「あ、そうなんだよ雪ノ下さん! あのね、あたしうんと小さい頃からヒッキーのこと好きだったのにね!? ヒッキーも好きだったくせしてね!?」

「おいやめろ」

「ふーんだ! やめないし! それでね、ヒッキーったらね!」

「………」

 

 それから俺への結衣の想いが赤裸々に語られた。

 結衣自身は子供の頃からの不満をぶちまけているつもりなんだろうが、なんかもうノロケみたいにしか聞こえない。相手である俺でさえそうなのだ……語られている雪ノ下は返事に困る勢いで聞いているに違いない。

 ……ほら、顔を赤くしながら視線を彷徨わせてるし。

 

「あ、の……由比ヶ浜さん……? あなたがハチのことをとても好きなのはよく伝わったわ。伝わったから、別の話題を───」

「え? 別の? あ、じゃあヒッキーが」

「いえ、そうではなくて」

「え? じゃあヒッキーの」

「………」

「あ、あれ? なんか不満だったりしたかな。じゃあね、ヒッキーがね」

「……ハチ。あなた、どれだけ彼女に好かれているの……」

「言うな……確認しすぎてて恥ずかしいったらない……!《かぁああ……!!》」

 

 なんなの? この娘ったら俺の話題しかないの?

 もっと他に、女子力(笑)とかの話とかないの? なんか最近黒髪が地味だなぁとか呟いていることとか。

 ……いや、やめてね? 俺黒髪とか大好きだよ? お前が茶髪ウェーブになったりとか、胸元結構はだけたチャラっとした女子に変貌したら、俺泣くよ?

 ただでさえ高校に入ってから、誰の影響なのか口調とか崩れてきたし。

 

「そ、それ! ハチっての! なんかずるい!」

「あら。ずるいとは聞き捨てならないわ、由比ヶ浜さん。なにをもってずるいなどと言うのかしら」

「だって、こいびっ……こ、婚約者のあたしだってヒッキーなのに! 苗字なのに! は、ハチって!」

「……最初に訊いておきたいのだけれど。あなた、その呼び方をした時に、ハチに嫌がられなかったの? 言ってはなんだけれど、ヒッキーというのは孤独者相手でなくとも蔑称以外のなにものでもないわよ」

「え、ぅ……だ、だってヒッキーだったし……」

「ハチ、あなた引き篭もっていたりでもしたの?」

「待て。俺は自分に引き篭もっていただけであって、たとえどんな目に遭おうが皆勤賞を逃したことはねぇ。プロぼっちの名にかけて、それだけは譲れん」

「ええ、信じるわ。私たちは“孤独”の名に偽りを貼り付けたりはしないもの」

 

 ふっと笑んで、こくりと頷く姿が実に凛々しい。

 しかしそれを見て余計に怒るガハマが一人。結衣だった。そりゃ結衣だ。ガハマだもの。

 

「な、なんか解んないけど、その“解り合ってる”って雰囲気がヤなの! なんで!? あたしいっぱい我慢して、いっぱい頑張ったよ!? なのになんで雪ノ下さんはヒッキーのほうから歩み寄ってもらえるの!?」

「そりゃ、お前が我慢して頑張ったからだろ」

 

 落ち着け落ち着けーと撫でる。暴れるけど、ぎゅっと抱き締めて。昔の俺が見たらさぞかし敵意を剥き出しにすることだろう。人を信じるなよ、なんてな。

 

「俺の夢が叶ったのも、こうして人と話せるのも、全部お前が俺を信用してくれたからだ。てかな、お前ほんとに俺と、今の雪ノ下とやってるようなことしたいの? 俺の感情の全部をお前にって言ったけど、これな、いくら理想がつくとはいえ、どこまでいっても友達だぞ?」

「だ、だって……だって」

「そういうのをお前に向けなかった理由くらい察してくれないと、俺の顔面の熱がいつまで経っても取れないんだが……」

「ふえ? さっする? ……どゆ意味?」

「…………はぁ。由比ヶ浜さん。そこの目の腐った私の友人は、あなたとは友達でなど居たくないと言っているのよ。たとえフリだろうと、理想だろうと、あなたとは友達でいたくないと」

「ヒッキーひどい! あたしのこと嫌いなの!?」

「アホの娘かお前は!! そんな返しがくるとは思わなかったわ!」

「だって! だって友達でいたくないって! あたしって友達以下……? ひどいよひっきー……」

「………」

「…………ああ、うん……アホの娘ですまん……雪ノ下」

 

 埒も無し。

 抱き寄せた後ろ姿のうなじにキスを落とし、驚いて振り向いたところへ口にキス。

 あー……恥っず……! なんで友人の前でいきなりこんなことせにゃならん……!

 

「由比ヶ浜さん……さすがにそれはハチ……比企谷くんに同情するわよ……? 比企谷くんが言いたいのは、友達以上……つまり、恋人でいたいから、婚約者でいたいから、フリでも友達に向ける感情なんて持っていたくないということよ」

 

 状況を読んでか、雪ノ下が呼び方を比企谷くんに戻した。いやほんと、アホですまん。

 

「で、でも友達以下って」

「言ってねぇよ。だ、だから……だな。俺はお前とずっと友達なんて嫌だし、そりゃ理想の友達は理想がついてるだけあって、眩しい存在だぞ? でも友達は友達だし、友達とその、結婚、とかはねーだろ……俺はちゃんと、好きなやつと結婚したい。……そーいうこったよ、へんな受け取り方すんなよ、その度にこんな説明させる気か?」

「………………えっと」

「おう」

「…………えと《かぁぁ……》」

「おう」

「……え、……《じわ……》」

「……おう」

「《ぽろぽろぽろ》……ひっきぃ……」

「なっ……泣くな、泣かないでくれ、お前に泣かれると、その、弱い」

「……ごめんね、めんどくさいよね、あたし……でもね、すきなの、ひっきぃのこと、好きで、好きで、好きだから……」

「……俺は愛してる」

「うん……ごめんね、えへへ……ひっきぃ、ちゃんと言ってくれたのに……」

「仲睦まじいのね。見ているこちらが砂糖を吐いてしまいそう……」

「今は茶化さんでくれ」

「………」

「《ぎゅっ……》うぷっ!? お、おい、結衣っ」

 

 話の途中で雪ノ下がツッコむや、結衣が体勢を変えて俺の顔を胸に抱いてくる。まるで、“これ、あたしのだもん!”と言わんばかりだ。

 

「…………ふふっ《ドヤァーーーン!!》」

 

 で、雪ノ下は雪ノ下で、友人として最大のアシストをした! とばかりにドヤ顔である。

 ……あぁそうね、一度ニヒルに恋のアシストとかしてみてーよね。俺も憧れたわ。恋仲の友人なんざ居なかったけどな。どころか友達居なかったよ。

 あーそこ、ドヤ顔のあとに小さく握り拳作ってガッツポーズとかやめなさい。自分の成功した現場を客観的に見てるみたいでなんか恥かしい。

 ぼっち故、独りでニヤケたりしてる時の俺ってあんななんだろうなぁとか思っちゃう! やめて!



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なるべくして、その部屋に紅茶の香りが漂い始める③

えー、何度も申しますが、いえほんと言い訳でいいのですが、慣れるために書いたものですゆえ、いきなり状況だの心境だのの変化や雑なところは、見逃したり目を瞑ったり隠したり急に誰かにソッと後ろから“だ~れだ?”をされたりサミングされたり太陽拳されたりフェイスフラッシュされたり毒霧噴かれたりアイマスクをつけられて両手を後ろで縛られて麩菓子を食べさせられたりとかあの爆発の中で平気なところと壁抜けするところと天井に大穴空ける馬鹿力と空飛ぶところに納得しかける寛大な心でお進みください。



 で。

 散々騒いでおいて、まーだ奉仕部に居座っている俺達なのだが。

 

「それで結局、由比ヶ浜さんはなにがほしいのかしら」

「えっ……欲しいって……?」

「比企谷くんの言葉だけでは安心が得られないのでしょう? 私から友達をやめるのは私が彼を裏切ることになるから、もう二度と彼に負けるつもりのない私にとって、それは死にも等しいこと。絶対に譲らないわ」

「う……うん。それは……解ってるんだけど」

「そんなに心配ならば心も体も繋がってしまえばいいのではないかしら」

「ほぇ……? ……? ……!? うぇええっふぇ!? ななななに言い出すのかな雪ノ下さん!」

「初々しいわね。やっぱりヴァージ───」

「わーわーわー! ちょ、なに言ってんの雪ノ下さん! そゆこと口にしちゃだめ! だだだ大体、あたしはヒッキーが! ひ、ひっきぃが……《ちらり》」

 

 おい、そこで不安げに俺を見るな。やめて? なんか雪ノ下がヘンな目で俺を見てるから。

 

「……そう。可哀想に。その歳でED───」

「おいほんとやめろ」

「なにをかしら、エド谷くん」

「コナンくんの苗字みたいに言われてもそれ、EDだって丸解りだからね? 俺は比企谷だ、ヒキガヤ。EDでもエドガヤでもねぇよ」

 

 あとあんま嬉しそうにすんな。好き勝手言い合える関係って最高だってのは、ぼっち界の友人同士じゃ当然レベルだけど、今はあんまニヤつくと結衣が拗ねる。

 ……てかね、実は俺、そういう知識……無いんだ。とは言えない。

 いや、だってどうせぼっちだと思ってたし、結婚なんてしないと思ってたし、性知識なんてあったって無駄じゃん? 中学の保健体育とか一切気にしてなかったわ……。そりゃな、藤巻十三とかの知識はほんの少しあるよ? ほんと、ほんの少し。でもそれだけじゃな……。

 女体の神秘に興味がないわけじゃない。むしろ今じゃ結衣のこととかめっちゃ気になるし。けど、それが性的興奮なのかはいまいち解らん。

 ……だからええと、こういう時は……漫画とかで得た知識と言い回しを盾に、切り抜けよう。

 

「あ、あー……“べつにそういうことをしたくないわけじゃねぇよ……お、俺だって健全な男子高校生ですし?” ……つかなに言わせてんの誘導尋問上手いなお前!」

「べつになにもしていないわ。今のはただの自爆でしょう?」

「ヒッキー……あ、あたし、ヒッキーがいいなら、いいよ……?」

 

 それはもう聞いた。聞いたからやめて? 八幡、そゆことは二人きりの時がいいナ。

 つかほんとなにこの四面楚歌! 自分以外に二人しか居ないのに逃げ道が塞がれてる! 壁が! 見えない壁が二人分を担っているよぅ! ぼっちテニス時に友達だった壁が、まさか僕を裏切るなんてっ……! いや冗談だ、いつもありがとう、壁。愛してる。

 

「せ……っ……責任、取れる年齢になるまではっ……や、やらない」

「ヘタれ谷くんと呼んでいいかしら」

「むしろ立派と褒めろよ学年1位。人がどんだけ日々を我慢して過ごして───あ」

「……え?」

「語るに落ちたわね。いえ、ごめんなさい? 最初から地に足をついたあなただったわね」

「底辺って聞こえるからやめろ」

「…………《じー…………》」

「うぁ……」

 

 あとお前も。こんな至近距離でじーっと見てくるんじゃありません。

 な、なんでそんな期待を込めたっつーか嬉しそうな目、してんだよ。

 お前今あれだよ? 欲情した目で見られてたって言われたようなもんだよ?

 

「ヒッキー……我慢してたの?」

「う……や、そりゃ……だってお前、無防備に抱き付いてくるし、人懐っこいし……お前ほんとやめろよ? あんなの、俺じゃなかったら勘違いして襲い掛かってるぞ」

「……あたし、ヒッキーにしかやらないよ?」

「…………」

 

 解ってる。八幡ちょっと意地悪言った。

 

「ヒッキー以外なんて嫌だし、ケー番だって男子のなんてヒッキー以外入れてないし、名前だって……どんだけ頼まれても、苗字で呼んでもらってるし……」

「比企谷くんあなた、恋人にここまでされても意識しないなんて、本当に平気なのかしら」

「マジトーンで心配するな。泣けてくる。あと俺はEDじゃねぇ」

「けれどその、男子というのは……その。毎夜毎夜ひとりで慰めると、クラスの子が話していたのを聞いたわ。あ、あなたも───」

「ばばばっか! ばっかじゃねーの!? んなのやったこともな───あ」

「………」

「………」

「…………《かぁああ……》……いや、その……あの……頼む、忘れて……今のほんと忘れて……」

 

 女性がヴァージン発言ぶちかました時の恥かしさってこんな感じなのでしょうか。

 当方、知識としては知っていても、そんなものをやっている余裕なぞ無かったので孤独な慰めさえ未経験であったりします。

 だ、だってさ? ほら、やっちゃうと他への意欲が無くなるとかどっかで聞いた気がしてさ? 集中力もなくなるとか聞いたこともあったしさ? だから……その。

 それに胸の大きな子の写真とか見ると思い出しちゃうし、なんかそれを汚すようで嫌だったっつーか……乙女かよ。……しまった無駄にヒロイン力高かったの思い出した。もう忘れたかったのに。

 

「…………《ぽー……》」

 

 そして待て。待ちなさいそこのガハマ。

 なんでお前は人の未経験発言聞いて、ときめいた表情してやがんの。

 

「な、なんだろ……うう、ちょっとあたしキモいかも……。ヒッキーの未経験発言聞いたら、なんか……その、初めての女の子にヘンな願望持ってる男子の気持ち、ちょっと解っちゃったっていうか……」

「ユッイーキモい! まじキモい!」

「ユッイー言うなし! き、キモくないし! だってヒッキーにだけだもん! しょーがないじゃん! なんか嬉しかったんだもん! ……だ、誰にも見向きもしなかったんだな、とか思ったら……その…………なんか、胸がきゅううって……だから……~~~……」

「…………《きゅん》」

 

 やだ可愛い。天使か? 天使だった。

 

「由比ヶ浜さん、安心していいわ。客観的に見たあなたたちの関係を遠慮なく口に出すのなら、間違いようも無く世間一般で言うバカップルよ。それも、部活中の部室に入ってきていちゃつくほどのね。というか向かい合って抱き合って座るとか、見ていてむず痒いからやめてほしいのだけれど」

「あぅう……!《かぁああ……!》」

 

 ア、ハイ。そこらへんはほんとすんません。部室に突撃して急に人生語って友達になっていちゃついてって、ここに来てからどんだけ密度の濃い青春送ってんですかって話しだ。

 ……でもね、この娘がね、上からどいてくれないの。格好こそだいしゅきホールドとは違って、あーその、なに? 今や不可能な自転車二人乗りの時に一部の女子がする……こう、横座り? みたいな感じで座ってるけどさ。ああ、もちろん俺も胡坐やめたよ。やめさせられたよ。

 で、正面向き合ってからはそらもうすりすり地獄ですわ。ほんとマーキング。これ絶対マーキング。

 だって必死になって体ごしごし擦り付けてくるんですもん。ぼっちとしての経験がなければ、既に人前だというのに八幡の八幡が大変なことになっているところだった。

 え? それだけですごい? ……プロボッチャーである八幡さんが、こんなところで醜態をさらすわけがないじゃないですか。

 ……ソロプレイ未経験発言で、既に曝してましたごめんなさい。

 

「けれど由比ヶ浜さん、責任云々については、むしろ立派と認めるべきよ。昨今の同年代なんて、やれこの歳でヴァージンは恥ずかしいだのなんだのと。捨てたいからとゆきずりの男に体を許すことこそ恥ずかしいと、何故理解できないのかしら」

「あ、あぅう……あの、雪ノ下さん……結構恥ずかしいこと言ってない……?」

「言うべきを控えることなんかしないわ。私、暴言も失言も吐くけれど、虚言だけは吐かないの《ドヤァ》」

「べつに俺相手なら吐いてもいいんじゃないか? 堅苦しいだろ、そんなの」

「───……それもそうね」

「ドヤ顔台無しだ!? え、えー? いいの? なんかその、ぽりしー? とかあったんじゃないの?」

「あら。べつに発言を取り消したわけではないわ。虚言は吐かなくても自身の理論を論破されることはあると理解できたのだから、私は変わらず自分で居続けるのだし、ポリシーを曲げることはしないわ。そうするのは友達相手の時だけと考えれば……そうね、ずいぶんと気が楽になるものね、知らなかったわ」

「……ヒッキーはあげないからね?」

「いらないわ。由比ヶ浜さん? 私だって怒るのよ? 私はあくまで彼に友達としていてほしいだけよ。それを愛だの恋だので汚されるのはたまらなく不愉快よ」

「あ、う、うん………………ね、ヒッキー。なんかすごいね、雪ノ下さん」

「ん? なにが」

 

 雪ノ下にぎろりと睨まれて、ちょっと怯む結衣だったが、どうしてかその目には好ましいものを見る光があった。

 

「うん。なんか……ヒッキーに似てるのかなって。ほら、ちゃんと言いたいことは言ってくれるし、間違いは間違いだって言ってくれる。……だからヒッキーも、友達になりたいって思ったのかな」

「あー……まあ、なに? 雪ノ下の歯に布着せぬ在り方は嫌いじゃないな。隠し事や秘密のことばっかでひそひそとしか喋れないやつらより、すんげぇありがてぇわ」

「あなた、マゾなのかしら。結構ひどいことを言っている気がするのだけれど」

「そんなのはお互い様だ。俺もお前の夢には随分と勝手を言わせてもらったしな。大体、だからこそ遠慮無用で言い合える相手になれるって思ったんじゃねぇか」

「……そうね。相応の心の強さがなければ、そもそも孤独者同士が解り合うなど不可能だもの」

「え? そうなの? ヒッキーって話してくれるようになるまでマジヒッキーだったけど、ぼっち同士なら平気とかじゃないの?」

「だから喩えでヒッキー言うのやめろ」

「でもほんと話さなかったじゃん。中学の時なんて、近づくだけで睨んだし……。…………それも、あたしのため、だったんだよね?」

「ち、ちげーし《ぷいっ》」

「………~」

 

 あの、にやにやしないでくれます? 人の膝の上でにやにやって、ほんとやめて? 恥ずかしいから。

 一緒に帰って噂されると恥ずかしいってレベルじゃないからね? なんならこんな特別棟の隅っこで、女膝の上に乗っけて女と話してるとかって、そりゃもう相手が相手なら学級裁判もので───それは違うよ! 八幡、なにもやってないもん!

 

「……んで、まあ。あれだよ。ぼっちってのは自分の世界を大事にするもんだ。パーソナルスペースっての? 他人が近づいていい距離ってのを正しく理解している。時に、そうと決めてある距離を詰められようと、瞬時にそのスペースを自分の内側まで引っ込めて、頑なに相手を拒絶するまである。ぼっちは逃げない。だが、それは心を開くことにイコールしねぇんだ。んで、ぼっちにはそれぞれ、ぼっちになった理由が存在する。その理由ごとに、パーソナルスペースの形も違うんだよ。だから、ぼっちだからぼっちと解り合えるなんて、んなことは滅多にない。多少は解ったつもりでも、単純な部分で違うから解り合うなんて無理だ」

「ええ。下心満載で近寄る男だろうと話を聞くだけ聞くわ。返事は当然拒絶だけれど。彼らは他人の世界を知ろうとしないのだから、拒絶なんて当然だということに何故気づかないのかしら」

「だな。素人ぼっちは人が近づくだけでそそくさ逃げるけどな」

「他人に対して無関心にもなれないなんて、心が他人に甘えている証拠よ」

「そうそう。知ってる話題が出た時にそわそわするとか」

「パンさ───ど、動物の話題が出た時にちらちらと見てしまうとか」

「あー、あったな。孤独なくせにまだ他人に希望を抱いていた頃とかな……」

「ええそうね……共通の話題があれば、まだ輪に加われると思っていた頃があったわね……」

「…………」

「………」

『…………《どんより……》』

「なんで急に空気どんよりしてんの!? さっきまでニヤニヤしてたじゃん!」

「おま……そういうことぼっちに言うなよ……」

「由比ヶ浜さん……あなたなかなか人の奥底に刃を突き立てるのが上手ね……」

「うぇえ!? なんかあたしが悪いみたいになってる!? え、えー……? なんで……?」

 

 言ってしまえば誰も悪くない。社会と“みんな”が悪いんだ。

 いつだって俺達ぼっちは居もしない“みんな”の所為で、地面ばかりを見てきた。

 だからこんな時くらい“みんな”には恨み言を言わないと割りに合わんだろ。

 いやほんと、誰だよみんなって。

 

「つーわけだよ、結衣。ぼっちにもいろいろあるんだ。リア充にしてみりゃぼっちなんてみんな同じに映るんだろうが、それぞれ理由があんの。だからあらゆる可能性を凝縮してプロぼっちとして立った俺くらいじゃなけりゃ、様々なぼっちを見て分析するとかなかなか難しい《ドヤァ》」

「あなたのは特殊すぎるだけよ。目を腐らせるほど人に絶望して、なお婚約者が居るだなんて、異常とは思わないの?」

「おう。だから俺は全力で結衣を幸せにするって決めてるんだよ。それだけは譲れん。譲ろうとしたら泣かれたからな、ありゃもう無理だ」

「あなた最低ね。ここまで好かれていて、譲ろうとしただなんて」

「言うな、あれはもう黒歴史だ。何度黒歴史作れば気が済むんだって何度も何度も自問自答して、それでも身の程ってもんを知った上で幸せになってほしいって思ったら、言っちまってたんだよ」

 

 言ってからどんだけ後悔したと思ってんの。泣かれた以上に俺も辛かったわ。

 

「……そういうことらしいわ、由比ヶ浜さん。あなたの心配がどうあれ、彼はあなたを幸せにする気しかないそうよ」

「…………ひっきぃ……」

「むしろ比企谷くん? 訊いておきたいのだけれど……目を腐らせるほど人に絶望したというのに、何故人に手を伸ばそうと思えたのかしら。あなたは由比ヶ浜さんのお陰と言うけれど、それだけではないのでしょう?」

 

 ぼっち的過大評価を受けている気がするが、それはほんとにそれだけだぞ。

 だって、そうでもなけりゃ戸塚と材木座との関係も、あのままずるずると腐っていくだけだったろうし。

 意識から外したつもりでも、ずっと信じてくれる人が居るってのは嬉しいもんだ。

 つまり、俺はこいつの根気に負けたのだ。負けることでは俺が一番とは言っても、当然負けちゃいけないものだってある。一生に関わることとかな。

 でも俺は負けて、こうして婚約者も得たのだ。ほら、最高の敗北じゃねーの。負けてよかった」

 

「だっ……! だ、だかっ……だからっ…………ヒッキーってもう、ほんと……うー!」

「あ? なに急に変な声出してんのお前」

「おかしな声を出したのはあなたよ、比企谷くん。突然もごもごし出したと思えば、急に敗北宣言? 戸塚、さん? くん? と、ざい、ざい……なんとかという人との関係がなんなのかは知らないけれど、いくら孤独者のエリートになりかけた経験があるからといって、独りで惚気るのはいい趣味とは言えないわね」

「───」

 

 また口に出ちゃってたみたいです。やだもう死にたい。

 

「……あ、そ、そろそろバイトだな、結衣、もう出るぞ」

「ふえっ? あ、そ、そっか、バイトだったね、うん。…………あ、そのあとデートだかんね?」

「へいへい……」

「もっと嬉しそうにしてよ! な、なんでそんなめんどくさそうなの!?」

「ばっかお前、今の俺の心の中をそのまま表に出したら、お前絶対キモいって言うだろーが」

「あら。遠慮することはないわ比企谷くん。存分にその痴態をさらして楽しませて頂戴」

「お前容赦ねぇな……あー、まああれだ。呼び方は任せるよ。俺はなんて呼べばいいのかも任せる」

「苗字はあまり好きではないわ。出来れば名前でお願い」

「あいよ。んじゃあ……雪乃かユキでいくわ。……その」

「───…………ええ、比企谷くん。……ええと」

「………」

「………」

『…………ま、また明日』

 

 ───……言ってから、むず痒くなって笑う。

 ああ、友達だ。思い描いていた友達だ。

 そんななんでもないことが、孤独だった頃の自分の記憶にくすぐったい。

 

「ヒッキー! ニヤケすぎだから!」

「わーった、悪かったって。家帰ったら存分に甘やかすからそんな拗ねんな」

「っっす!? すねっ、拗ねてなんかないしっ! ないしっ!! なんかヒッキー、扱いが手馴れた感じでまじむかつく! きもい!」

「キモさは関係ねーだろが……」

 

 ぎゃあぎゃあ騒ぎながら戸を開け、廊下へ。

 散々騒いで引っ掻き回して、ハタと息を吐いた時、そこが元々随分と静かだったことを思い出した。

 

「…………」

「………」

「……静か、だね」

「……おう」

 

 言って、結衣はちらりと戸を見る。

 奉仕部、ともなんとも書かれていない教室からは、もうなんの音も聞こえない。

 騒いでいたのは俺達であり、雪ノ下はこのまま、部活とやらが終わるまでここで静かに待っているのだろう。

 

「………んじゃ、いくか」

「あ、ちょっと待ってヒッキー。…………うん、よし」

 

 歩きだそうとした俺に待ったをかけ、ケータイを取り出した結衣が真面目な顔で頷き、再び戸を開け中へと入ってゆく。

 俺は……“また明日”を言ったこともあってちょいと気まずいので、離れた位置まで歩くことにした。

 

……。

 

 で。

 結衣が奉仕部から出てきて、俺を探してキョロキョロり。

 見つけるや、ちょっと頬を膨らませてとたたっと走ってきた。

 

「なんで先に行くし」

「行ってねぇよ、待ってたろうが」

「むぅ……まあいいや、行コ?」

「おう」

 

 ぎゅっと腕に抱き付いてきた結衣とともに歩き出す。

 相変わらず手は恋人繋ぎ、腕は絡め……───あの、ガハマ=サン? なして腕、胸の谷間に埋めっとや?

 あ、歩きづらいっしょ? 歩きにくいっしょー? っべー、べーわー、これあれだわー、恋仲の上級者がやるアレだわー。

 以前たまたま擦れ違った、頭にカチューシャっぽいのつけた金髪っぽい男子の口調を真似て、努めて冷静になろうとしたが無理だった。流れるように結果が出た。そう、ダメだった。

 

「ゆ、ゆぐっ……ゆ、結衣……? おまっ、なにっ……」

「……あたし、安心なんか出来てないからね? 他のことでならいくらでも空気読んだり、譲ったり我慢したりするよ? でも、ヒッキーのことなら……我慢なんてしない。その場の空気なんかより大事なもの、あたしは……譲ったりなんかしないんだ。だから……」

「《ぎゅうう……っ》おわわやらけっ……あ、いやっ、おいっ、ここ学校でっ……!」

「あ、あのね? 女子の中じゃねっ……? 高2にもなって処……モニョモニョ……なのは恥ずかしいんだ、って……? だから、だからね……? 高1のうちに…………ねぇ、ひっきぃ………………だめ、かな」

「だめ《どーーーん!!》」

「…………~~《じわぁああ……!!》」

「ななな泣くなっ、泣くな泣かないでくれっ、だだだだっておま、おまま、だって、そんな周りがそうだからなんて理由で、大事なお前をそんな、キズモノにするとかできるかよっ」

「じゃあ……あたしのお願いだったら、いい……の……?」

「だめ《どォーーーん!!》」

「…………~~~……嫌い……? あたしのこと……ヤなんだ……《ぽろぽろぽろぽろ……》」

「うわっ、やっ、だってお前っ、いくら本人同士がいいって思ったって、信じて預けてくれる親の問題とかもあるだろがっ……!」

「…………《ごそごそ》……はい」

 

 結衣がケータイを取り出し、いじくって、見せてきた。

 どうやらメールタイトルだけのやり取りらしく、本文にはとくになにも書かれていないようで、スクロールすれば話が大体解るといったものだった。

 

 TITLE 今日ヒッキーの部屋泊まるから晩ご飯いいやヾ(〃^∇^)ノ

 

  TITLE はいはい。じゃあお泊まりセット用意しておくわね

 

 TITLE うん。あとこれから本屋でバイトだから。そのあとヒッキーとデート!(ノ´▽`)ノ

 

  TITLE はいはい解ってるわよ。あ、それとだけど、結衣? あなたもう、今夜ヒッキーくんのこと襲っちゃいなさい

 

 TITLE なにいってんのママ!!Σ(゚д゚;)

 

  TITLE だってここ何日か泊まってるのに進展ないんでしょ? そろそろステップアップしないと、次が見えてこないわよ~?

 

 TITLE 15でなんてありえないから!∑ヾ( ̄0 ̄;

 

  TITLE そんなことないわよ? 最近じゃ初体験は中学の時に、なんてよく聞くし

 

 TITLE え、ほんと!?Σ(・ω・ノ)ノ!

 

  TITLE そうよ? だから結衣だって体験しちゃってもべつにいいのよ?

 

 TITLE でも、ヒッキーが18になってからだって(゚ー゚;)

 

  TITLE 我慢してるって教えてくれたんでしょ? もうひと押しよ♪ あ、でもゴムはつけちゃだめよ?

 

 TITLE うちの母親が最低だ!?Σ(゚д゚;) 娘にたいしてそれってありえなくない!? てかするし! 避妊しないとまずいじゃん!( ̄△ ̄;)

 

  TITLE あらいいの~? それだと、結衣の初体験の相手はヒッキーくん……ううん、ハチくんじゃなくてゴムってことになるけど~

 

 TITLE やだ! え? なんで? だってヒッキーがつけて、それでヾ(≧□≦*)ノ

 

  TITLE ハチくんに被せられたゴムで初体験するのよ、それはゴム棒で破られるのと変わらないわよ?

 

 TITLE 気持ち悪い! やだ! そんなのやだ!

 

  TITLE だからゴムなんて無粋なものはいらないの。身も心もハチくんのものになりたいなら、ね?

 

 TITLE うん! ぜったいしない!(≧□≦*)

 

  TITLE べつに子供が出来たって構わないから。むしろ早く孫……こほん。うふふ、じゃあいい報告を待ってるわー♪

 

 

 …………やべぇどうしよう。恐ろしいものを見せられてしまった。

 結衣はこれを俺に見せて、どうしたいのだろうか。

 

「ヒッキー……?」

「《びくぅっ!!》ひゃいっ!?」

「……解った? 泊まっていいって書いてあるでしょ?」

「お、おう……え?」

 

 どころか、とんでもないことまで書いてらっしゃいますが? え? そこはスルーなの?

 俺、信用問題の話してたよね? あれ?

 

「あ、お泊まりから先は見ちゃだめだかんね!? あ、やっ、べべべつに何が書いてあるってわけでもないんだけど! ないんだけど!」

(見てはいけないものだったぁああーーーーーーっ!!)

 

 やっちまった! 読んじゃいけなかったとですか!? 心の中がギャーと叫びたがっているんだ! 叫んでいいですか!?

 ばっちり読んでしまいましたが……え? 俺これどうすりゃいいの? つかなにやってんの!? こんな、ちょっとスクロールすりゃ見える位置にこんな重大なやり取り置いておくなよ!!

 どこんどこんと心臓がやっかましい状態のまま、ほれとケータイを返す。

 結衣はそれを受け取って、ページを戻そうとして画面を見て───びしり、と。固まった。

 

「………………《じわり》…………み…………見た…………?」

「…………すまん。不可抗力だが、見た」

 

 顔をそれはもう真っ赤にして、じわりと涙を浮かべながら俺を見上げる結衣。

 そんな姿に不誠実は行えない。正直に言ってみると、ぽろぽろ涙がこぼれて───いややめて泣かないで!? 俺ほんとお前の涙に弱いから! ななななんなら泣かないでいてくれるならなんでも言うことを聞くまである!

 

「先に言っとくが、嫌いにならないから安心しろ」

「ふえっ……!? な、なんで言うこと解ったの……?」

「知っての通り、ぼっちは“見ること知ること”に長けている。これまでの結衣の性格と、俺だったら言いそうなことを照合して出たのが今の結論だ。そして俺が結衣を嫌いになるなんて、よっぽどのことが無い限りは絶対にない」

「え……よ、よっぽどって……?」

「自分から望んで他の男に抱かれるとか……NTRとか滅びろよ、なんだよあれムナクソ悪ぃ……」

「あたしだってそんなのヤだよ! ヒッキーじゃなきゃヤだ!」

「お、おう……」

 

 そんな真正面から言われると、八幡どうしたらいいか解らなくなっちゃう。

 それってあれなの? つまりその、そういうことなの? いやいやありえないから。15でとかありえないから。

 でも昔はそんな歳でもう結婚してたりしたのんなー。昔の人すごいわぁ、まじすごいわぁ。

 ……俺達が昔の人だったら、今はもうしていたのかしら。

 いや、あ、うん……興味ないわけじゃねぇんだよ、ほんと。

 結果としてそうなったとしても、どんな苦労を背負おうが意地でも責任だって取るし、一緒に歩きたい。

 だから……こいつが、本当に嫌なんじゃなけりゃ…………って、落ち着け、うん。落ち着け。

 

「あー…………安心しろ、とか言っていいのか知らんけど、よ《ぽりぽり》」

「え、う、うん……」

「……俺も、その。そういうの、全部がお前が最初がいいっつーか。あ、いや、最初っつーか……そもそも相手がお前じゃなきゃ吐き気がするっつーか。…………そーゆーことだから」

「…………《きゅぅううん……!》……ひっきぃい……!!」

「あ、学校で抱きつくの無しな」

「《びたぁっ!》ぇぅっ……!? な、なんで……? だめ……?《うるるぅ》」

 

 だからやめなさい涙目で上目遣いとか卑怯だから。くっそ反則でしょ天使なくせにこんなコンボとか。

 しかし俺は今日で学んだ。結衣の依存っぷりの半端なさを。

 これ、ちょっとヤバいでしょ。このままじゃ結衣、俺が居ないと本気でダメになったりしない?

 ……それについて、ちょっとママさんに相談してみるか。

 溜め息ひとつ、結衣を促してバイトへ向かった。

 あ? 結衣をどうしたって? ……体に抱きつくのは我慢したけど、結局腕に抱きつきっぱなしでしたよ。バイトの時はさすがに離れてくれたが。

 



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困ったことに、ガハママはラスボスであり味方である①

 バイトも普通に終わり、さすがにそう何度もこない一色に安堵しつつ、家デート。

 の前にママさんに相談した。もちろん結衣には俺の部屋に行ってもらって。

 すると、「依存だろうとなんだろうと愛は愛よ~?」とにっこり笑われてしまった。

 そうなんだが。それはそうなんだが。

 お互いの覚悟が決まっているなら、あとは意志の問題なわけだし。

 

「大体、依存で困ること、ある?」

「成長出来ませんよ、たぶん。現状維持ばっかになると思います」

「だったらそこは、結衣をきちんと信じて話し合うべきなんじゃない? これは依存だから距離を置こう、じゃ女の子は傷ついちゃうわよー?」

「……な、なるほど」

「い~い? ハチくん。結衣は本当にあなたの味方よ? ママみたいに中途半端じゃない、あなたの。だからね? 離れようだなんて思っちゃダメ。離してお互い成長しようなんて、少なくとも結衣には絶対にムリだから」

「いや、そんなことないでしょ。結衣はあれで結構───」

「う~ん、残念だけど、うちの結衣は“ハチくんのため”が前提にないと頑張れないのよ。それこそ距離を取りなさいなんて言ったら、泣いちゃってそれどころじゃないわよー?」

「………」

 

 想像してみた。……ものすごい鮮明度だった。

 それだけリアリティがあった。ああこりゃだめだ。

 

「けど、じゃあどうしたら」

「うふふっ……ご褒美をぶらさげるのよ。高校入試の時も、高校の入学式あたりなら、気分も晴れやかでハチくんと仲直りできるかもって言ったら、結衣ったら本当に頑張ってね~」

「…………」

 

 感動。言葉にあらわせないほど、心が“ありがとう”で震えた。

 本当に、俺と仲直りしたい一心で頑張ったんだ。

 う……やばい、寝る間も惜しんで勉強とかしてる結衣を想像したら、涙が……。

 

「でもあの娘、勉強始めるとすぐ寝ちゃってね」

 

 おい。そこは惜しみなさいよ。微塵も惜しんでねぇよ寝る間。感動返せよちくしょう。

 

「でもねぇ、起きたあとの集中力はすごかったのよー? ずうっと助けてもらってたんだから、なんて言って、今まで見向きもしなかったこと、頑張って覚えて」

「……それについてなんですけど。結衣には俺のこと、話したりは」

「ハチくんとの約束は破らないわよ? あの娘、自分で全部調べたみたい。ハチくんがずうっと結衣のこと守っててくれたことも、辛い思いをしたことも。でも、たぶんだけど、ハチくん自身から聞いてないから我慢出来ているだけよ? それが事実だったって本当に知っちゃったら、あの娘泣いちゃうと思うわ」

「…………すんません。今日、もう泣かせました」

「───……そう。じゃあ、もう全部話したの?」

「いえ全部は。ただ……昔っからどんだけ俺のこと見ててくれたのかは……解ったつもりっす」

「そうねー。ずっと小さい頃、ハチくんが結衣を庇って足折っちゃって以来、あの娘ったらず~~っとハチくんのこと追っかけてたから。もうすごいのよ? 毎日の話の中で、ハチくんが出なかったことなんてなかったくらい」

「や、そりゃ言いすぎですって」

「ふふっ……それがね、そうでもないのよ」

「……まじすか」

 

 なにやってんのちょっと。やめて? 毎日俺の痴態を親に報告とかやめて?

 

「ハチくん。あの娘のこと、お願いね。べつに絶対結婚しろだなんて言わないけど、出来ればママもハチくんがいいわ。あの娘の夢だし、ママはハチくんのことは本当の子供みたいに思ってるから~」

「…………っす。その。俺も、ママさんのことは母親以上に母親って思ってるっす」

「…………べつにね、あのコ───ハチくんのお母さんも、ハチくんが嫌いなわけじゃ───」

「好きでもないでしょう?《にこり》」

「……ね、ハチくん。ハチくんはね、一度お母さんとも小町ちゃんとも話し合うべきだと思うわ。ああ、あの腐れ男親はいいのよー? ハチくん泣かせる馬鹿どもなんて無視してれば」

「…………べつに、おれは」

「ハチくん、知ってる? 前にハチくんが入院して、うちの旦那とハチくんのお父さん、お見舞いに行ったでしょう?」

「お前はなにがしたいんだって言われましたよ。関わらないでくれって突っぱねました」

「うん、聞いたわ。二人して真っ青な顔で帰ってきてね? それでママたちに言うのよ? あ、たまに四人で集まって家族会議とかするんだけどね? その時に、“何年かぶりに八幡の目を見て、怯えてしまった”とか言うのよもう。それ聞いてね、ハチくんのお母さん、キレちゃったみたいで。あの男親にビンタかましてたわ」

 

 ……。べつに、だからどうだと。

 今さらビンタがどうとかで母親にありがとうでも言えと? 冗談じゃない。

 

「ハチくんにしてみればなにを今さらかもしれないけど、少なくともお母さんはハチくんと向き合おうって頑張ってるのよ?」

「興味ありません。働いて、養ってもらった分を稼いで返して、それで縁切りだって本気で目指してます」

「……ハチくん……どうしても、許せない?」

「……ママさん。……許すだとかそういう話じゃなくて、興味がない、と言ったんです。養ってくれた他人としか見れません。感謝はあっても、家族の情なんて微塵もないんです。むしろ追い出してくれたって恨みごとのひとつも吐きません。“当然だ”って言って笑えます」

 

 ただ、妹だけは……決めていたことがあるから、それさえあればって。

 実際、あの頃の俺が取っていた行動や態度は褒められたものじゃなかった。

 いろいろな辛さが重なっていたとはいえ、もっと取れた態度があったんじゃないかって。

 ……っつっても、これも結衣とこういう仲になれたから、受け入れられるようになったんだろうが。

 

「謝る、って言ってもかしら」

「……たとえば。周囲に相談して計画された“上からの謝罪”や、逃げ道を塞いでから頷かせる謝罪に意味と価値はありますか? 俺はそれを、クラス中の前でする土下座ほど価値のないものだと思ってます。大人が作る謝罪の場なんて、勝手に謝られて、こっちが逃げ出せばこっちが悪者だ。頷かなければこっちが悪者。受け入れるしかないなら、そんな限定された謝罪の場になんて意味はありません」

「…………そう」

 

 ママさんはそう言って、俺の頭をさらりと撫で、寂しそうに笑った。

 

「ママ、今日も振られちゃったわ……。いつか、夫たちを抜いた家族で話し合えればいいんだけど」

「話せばいいじゃないですか。きっと楽しいですよ」

「《ズキン》…………もう、自分は家族に入ってないって、自然に言えるほど、なのね」

「え? あ……そうですね。気づきませんでした。でも実際そうですし。今さら戻ったって、“ごっこ”以上にはならないって理解できてますから」

 

 そうだ。そんな欺瞞は要らない。

 だから、これでいい。家族なんて呼び名で繋げてるだけの、家族って名前の他人。俺はそんな存在たちからも、いつかはてんで気に掛けてもらえもしない存在を目指そう。

 そいつらは結衣だけを知っていればいい。俺のことなど忘れて、幸せに埋没すればいい。俺を意識しても、どうせ次第に悪口しか言わなくなる。そのほうが楽だからだ。気に掛けて、過去に悔やむよりも、そいつの悪いところを無理矢理つくって悪し様に扱うほうが楽だから。

 

  人間なんてそんなもんだ。

 

 そう理解したことなんてずっと昔なのに……それでももがいた手をそっと握ってくれた人が居た。

 ……俺は、これほど腐っても、目の前で悲しそうにしている人と、その娘だけは……きっと、嫌いになりきれない。

 

「じゃ……行きます。あ、それと……、……」

「なぁに? ハチくん」

「結衣にも言いました。言って、怒られましたけど。……もし、俺が結衣に相応しくないとか、もっといい相手が居るって思ったら……切り離してください。俺もあいつも、盲目的になってるところ、あると思います。客観的に見れなくなったら、たぶんなんでもかんでも許し合ってダメになっていくだけです。きっと終わります。だから───」

「大丈夫よ、ハチくんなら」

「っ、い、や……っ、こればっかりは聞いてくださいっ、俺は───!」

「大丈夫。……結衣のことを思って、そこまで言ってくれてるんだもの。そりゃ、甘やかしてばっかりだとダメになりそうだけどね、ママの子だし。でもね、ハチくんなら大丈夫。……好きな子のために傷ついて、涙だって流せるハチくんだから、任せられるの」

「え……あ」

 

 ママさんがにっこり笑って、俺の頬に触れる。

 と、湿った感触。

 そこで、ママさんは頬に触れたのではなく、涙を拭ってくれたのだと理解した。

 

「別れたくなんてないんでしょ?」

「………《こくり》」

「自分が幸せにしたいんでしょ?」

「………《こくり》」

「だったら、ハチくんは迷わないわよ。ママも心配してないわ。……ああ、パパのことならママがなんとかするから。反対したら離婚してでも結衣の幸せを優先するし」

「それは悪いです」

 

 女ってこわい。

 でも、なんだか笑えた。

 

「独りのために、家族を崩壊させんでください。あいつに、親が離婚しちゃったなんて、苦笑いさせたらいくらママさんだって許しません。……あ、相手のことが本当に嫌いになったなら、むしろ応援しますが」

「あらー、そしたらハチくんがもらってくれる?」

「結衣以外とは嫌です。むしろ結衣にも“俺が親になるなんて嫌だ”って言われてるんで」

「…………ぷふっ、くふっ……ぷふふふふっ……そ、そう、そうなの~……!」

「大体、趣味悪いですよ。ママさんだったら、たとえ別れてももっといい相手が見つけられます」

「そうねー……ハチくんとか」

「だから趣味悪いですって」

「んふふ~? そぉんなこと言っていいの? ハチくんは結衣の趣味が悪いっていうのー?」

「……初恋をあんな形でしてなけりゃ、見向きもされてませんよ。俺のはたぶん、運がよかっただけです」

 

 それを自覚している。だから、こんな巡り合いなんて、もしも以外はありえない。

 自覚。自分を覚えると書くそれを正しく理解していれば、わざわざ苛められてばかりのぼっちを好きになるヤツなんざ居やしない。

 

「……そうかしら。それでもきっと、たとえこうやって家が隣同士じゃなくても、結衣はハチくんと出会って、好きになったと思うわよ?」

「……たとえばどんな出会いですか。目が腐ってて印象に残ったから、ついキモいとか口に出て認識するくらいですか」

「入学式にサブレを助けて、とか」

「俺が突き放して終わりですね。つか、結衣なら中学時代に彼氏出来てるでしょ。見向きもしませんよ」

「たまたま部活でばったり! とか」

「こんな俺を入れる部活なんてあるなら、俺こそ聞いてみたいです」

 

 悪いが三日経たずに部長御自らやめてくれと言われる自信がある。そもそも入部すら出来ないまである。あと結局それ、中学時代に彼氏出来てるパターンっす。

 

「じゃあ、中学時代に通学路の曲がり角で衝突してとか」

「キモがられて終わりですね。ファブリーズかけられますよきっと」

「委員会かなにかで一緒になって、知り合って好きになる~とか」

「手渡したプリントを指先でつまんで嫌がる姿がありありと浮かんできますね」

「た、体育のあとに二人で片づけをしてる時に───」

「定番で閉じ込められたら泣き出してキモがりますね」

「日直───」

「泣きますね」

「隣の席───」

「泣きますね」

「…………ママ、ハチくんの今までのクラスメイトちゃんの住所、知りたくなったんだけど。アルバムとか持ってる?」

「燃やしました」

「え……でも、たしか結衣が無理矢理書いた寄せ書きが───」

「ぐっ……《かぁあ……!》……き、切り取って保存してあります……!」

「あらあら~~~~……!!」

 

 うわっ、めっちゃ嬉しそう! くっそなんでいきなりこんな……! こんなのぜったいおかしいよ! 俺の黒歴史の話をしてたんじゃないの!? 違った、俺と結衣のIFな出会いの話をしてたんじゃないの!?

 あと住所知ってどうする気だったのん? ……いや、知ったらよくないことが起きそうだから───

 

  >そっとしておこう。

 

「もう、ハチくんの良いところを知れば、きっと誰だって好きになってくれるわよー。知る機会があって、理解できれば、きぃっとハチくんは好かれるわよ。……あ、でも男子には嫌われそうかもしれないわね、嫉妬とかで」

「いや、それこそありえないでしょ」

 

 俺に嫉妬とか底辺すぎて泣けるレベルだ。

 ……まあ、戸塚と知り合ってて結衣が婚約者って時点で、確かに嫉妬できるレベルではあるが。

 どっちも天使。ただし一人は彼女で婚約者。これが幸せじゃないならそう言った相手の目に伯方の塩を握り締めた拳で浄化パンチをしてやるところだ。お払いとか受けた塩でと言ってやりたいが、用意するの面倒そうだからパス。幸せの解らんヤツ相手に俺がそこまでするなんて働き者すぎて怖いわ。まあ働き者だが。

 

「んもう、ハチくんは自分のこと知らなすぎよ? ハチくんは本当に魅力的なんだから」

「いやいや、ないでしょ。なにを根拠にそんな」

「結衣が毎日幸せそうだからよ?」

 

 文句ある? とまでは言わないまでも、その言葉に諸手を上げて降参しかけた。

 

「ママがあと15歳若かったら、絶対ほうっておかないんだから」

「……ですね。俺も、そうであったら、もう告白して振られてますよ」

 

 てかあなた今何歳ですか。15歳と言わず、今だって結衣の姉だって紹介しても通用しますよ絶対。

 そんなママさんは、ぶーと唇を尖らせて「振ったりなんかしないわよー」なんて言っている。

 相変わらずやさしい人だ。

 

「……まあ、確かに俺は……初恋は結衣でしたけど、憧れはママさんだったし」

「あら、嬉しいわ~♪ でもそういうのは全部、結衣に向けてあげてね?」

「っす」

 

 言われるまでもないとばかりにドヤ顔で答えてみた。……ママさんは笑っている。

 まあつまり、こうして躱されるわけだ。告白なんてしてみろ、トラウマが完成するだけだろ。

 だってのに何故かママさんはそわそわし出して、我慢しきれないとばかり俺に提案をしてきた。

 

「ねぇハチくん? 一度でいいから、ママに告白してみない?」

「やです《きっぱり》」

「その方が、憧れもなにもかも、結衣に向けられると思うんだけどー……」

「やります《きっぱり》」

 

 俺の中で、ママさんの言葉は結構重い。比重って意味でな。他の有象無象よりも優先させるべきものの重みがある。

 だから、多少無茶なお願いでもこう……なに? 聞いてあげたくなっちゃうのだ。

 トラウマ上等。相手がママさんなら振られたって誇れる。こんな人を好きになってよかったと。

 ……つか、なんであんな人と結婚したんだこの人。俺の主観しかないが、もっといい人居たでしょーに。

 でもしゃーない。ほんと、結衣にはいい親父さんなんだろう。ファブリーズされてるけど。

 

「───」

 

 すぅはぁと深呼吸。

 そして、今までの過去の全てをここに掻き集める。

 憧れだった。胸に抱いた“ありがとう”なんて、星の数に喩えるのもめんどいくらい。

 感謝ならそれ以上。ごめんなさいもたくさん。

 その思いや想い、感謝や謝罪、嬉しかった楽しかったを全部集めて、俺は───

 

「───由比ヶ浜さん。あなたが好きです。俺と付き合ってください」

 

 ───心を込めた、絶対に振られる告白を、口にした。

 結果はもちろんNOだろう。NO……なんだろうが、それまでの過程がえらく長い。

 しばらくコチーンと固まって、みるみる赤くなって、あたふたしだして、胸を押さえてちょっぴり涙目になったりして、すぅはぁと深呼吸を何度もして、ちらちらこちらを見ては視線を逸らして、なんだか悶えていたけれど。……そんなキモかったか、俺の告白。まあそりゃそうだ、夫が居るのに娘と同じ年齢の、目が腐った男に告白されりゃあキモいだろう。

 これがイケメンリア充が告白でもしようものなら、あらあら~なんて頬を染めて穏やかに振るんだろうが、困ったことに俺、お断りの返事もらってない。つまり返事ももらえない級のキモさだったと受け取れる。と思ったらNOを頂いた。ものすごーく言いづらそうにして、ようやく振り絞ったような言葉だったのは、ママさんなりの配慮だったんだろう。

 

「これは……そりゃあ、毎日とろっとろの顔で帰ってくるわけね……ずるいわぁ、結衣ったら……」

「? ママさん?」

「ああううん、なんでもないわよ? それでどう? 憧れも、全部結衣に向けられそうかしらー」

「……っす」

「じゃあ、向けた分、ママのことはもう嫌い?」

「さすがの俺でもそれはありませんよ。もう線の内側だったら天使レベルです」

「あらあら、それならよかったわ、ハチくんに嫌われたらママ泣いちゃう」

「大げさですよ、それは」

 

 泣くのは俺の方なんで安心してください。

 内側ではなくても、もう十分に裏切られたら泣くほどに信頼しているのだから。あれ? それってもう内側じゃね?

 

「じゃ、今度こそ行きます」

「結衣のこと、幸せにしてあげてね?」

「どこに送り出されてんですか俺は」

 

 ただ家に戻るだけなんですが?

 由比ヶ浜家から出て外へ。んで、大して歩かず隣の我が家へ。

 ……なんかもうただいまって言葉にも違和感を覚えるあたり、ここってもう俺自身が我が家って思ってないんじゃね? まあいい。自然と出ないものを今さら口に出すのも憚られる。

 昔は早く大人になりたいだなんて思ってた。金稼いで一人で暮らして、って。

 遠くの高校を選んで独り暮らし、なんてのにも憧れたが、それでは今より親の脛を齧ることになる。そんなのは許されない。

 だからここで、地力を高めることにした。

 そうして始まった高校生活は……天使と出会ったり幼馴染が天使であったことに気づいたり、友達が出来たり…………え? 中二病? 知らない子ですね。

 なんにせよ。中学よりは明らかに静かな世界になったと思う。

 進学校ってこともあって、行動的なイジメなんかもないし、そもそも俺を知っている相手なんて結衣くらいだった。

 他に俺を知っているやつが居れば、そいつからの情報でイジメられていた過去が広まり、中学の頃にこじらせた“愉快”を実行する馬鹿も居たんだろうが───大変ありがたいことに、そんな馬鹿は総武高校にはいなかった。

 なにかのきっかけで誰かが知ることになって、そこからイジメに発展しても、そんなものはもう今さらだ。

 幸福を求めると決めたなら、もう我慢はしない。全力で、そいつに反撃をしよう。……姑息な手で。



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困ったことに、ガハママはラスボスであり味方である②

「結衣、待たせ───おい」

 

 階段を上がり、部屋のドアを開けてみると、俺の布団でくーすーと寝ている婚約者を発見。どんな包まり方をしたのか、布団から出ている太腿がなんというか…………ああ、うん。なんというか。

 

「布団に潜るなら靴下くらい脱げ、あほ」

 

 ツッコむところそこかよと自分で思いながら鞄を置いて、ベッドにきしりと腰を下ろす。

 手には文庫本。

 読み途中だったそれをぺらりと開き、のんびりとやさしい時間に身を委ねた。

 え? 起こさないのかって? 家デートって約束で、一緒に居るんだから文句ないっしょ。

 無論、手は出さん。いくらいろいろ知ったからって、いくらその、本番を望まれているからって、そんな……

 

「ん、んぅ……ひっきぃ……ムニャ……」

 

 そんな……くっ、目が、目が勝手にふとももに! だから無防備だって言ってんでしょなにやってんの幼馴染!

 これ俺じゃなかったら絶対襲ってるか、ケータイ片手にスカートめくって写真とか……よし表に出ろ。盗撮を目論むその頭蓋、一片たりとも残しはせん!

 

「………」

 

 …………。

 

「…………《チ、チラッ?》」

 

 盗撮じゃなければいいのん?《ぽろり》

 ───待てやめろ、なにぽろりと心の奥底に眠る危ないナニカをこぼしてんだ俺。

 いいかい、清い僕。今からこの手を伸ばし、毛布を手に取り、足を隠してあげるんだ。

 それで、目は文庫に戻せる。簡単だ。

 間違ってもつまみ上げるものを間違えて、彼女のスカートとか持ち上げたらいけないよ?

 だ、だいじょぶですよ? 俺べつにパパパパンツとかに興味ないし? ああああんなのただの布だし?

 

「…………だから。無防備だって言ってるだろ」

「……ヒッキーだからだよ」

「《びくっ》……おきっ……こほん、起きてたのか」

「なんか視線感じたなーって思って……んん、ごめんね、ヒッキーの布団借りちゃった」

「それはいいから靴下脱げ。制服だって、目には見えないけど花粉とかついてるもんなんだぞ?」

「ふえっ!? え、え? ひひひひっきぃ……? それって、服も脱げってこ───」

「ことじゃねぇよ落ち着けばか」

「《ぺしり》ひゃうっ」

 

 軽く額を叩き、溜め息。

 つーかもじもじしながらなんで服脱ごうとしたんだよ、怖いよ。

 

「洗濯物、他にあるか? 風呂あとで入るなら、部屋着には着替えとけよ」

「あ、うん……ってヒッキーすごい主夫っぽい……」

「アホか、主夫ってのはもっとどっしり構えてるもんだろが。俺のは面倒を先にやっちまおうって、それだけの行動だ」

「え? …………え? ちょっと待ってヒッキー、靴下受け取ってるけど、え? ヒッキーが洗うの?」

「? そら洗うだろ」

「!? ぃいいいい!! いいっ! 返して! あたしが洗うし!」

「数回しか履いてない靴下が雑巾になるからやめろ」

「洗濯機回すだけでそんなんならないし!」

「なにぶつくさ言ってのか知らんが、布ごときで恥ずかしいもなにもあるかよ。落ち着けって何回言わせんだ」

「じゃあヒッキーはあたしがヒッキーのパンツとか洗っても平気なの!?」

「ん……お前ならいいな。将来的にはそうなったり───も………………ぐ、ああ……!《かぁああ……!!》」

「あ、あうううう……!! ひっきぃ、最近隙だらけすぎ……!!」

「う、うっせ! 知らん! ……つかなにやってんの俺、まさか今から新婚気取りですかまだちょっと無理ですごめんなさい……!」

「だからっ! ……ぜんぶ声に出てるってばぁ……!《かぁああ……!》」

「え? いやいやなに言って…………え? マジ?」

「………《こくり》」

「………」

 

 なんかもう俺、なんか……もう…………死んでいいんじゃないかな。

 恥ずかしさで人が死ねたなら、最近だけで何回死んでるか解ったもんじゃない。

 

「……でも、えへへ。ヒッキー、ちゃんと将来のこととか考えてくれてるんだ……」

「なに言ってんだ当たり前だろ。結婚前提じゃなきゃ女と付き合えるかよ。貴重な青春時代を俺なんかに使うってんなら、俺の全てを以って相手を幸せにするまである」

「責任だから?」

「? 好きだからじゃないのか? 好きじゃなきゃそもそも付き合わないだろ」

「ふえっ───!?」

「あ? …………あ……」

 

 アーーーーッ!!

 

「……なぁ……グスッ……俺……今日はもう喋るの……グスッ……やめていいかな……」

「あ、ううんっ、ヒ、ヒッキーほら、今日お友達出来て浮かれちゃったし! それの所為だって絶対! だから喋ってほしいなっ! てか泣くほどなの!?」

「ばっかおまっ……ばっ…………ごめん馬鹿は俺だ……!」

「謝って泣き崩れた!? ヒッキー!? ヒッキー!!」

 

 なにこれもう信じられない、アホみたい、やだもう。

 

「だ、大丈夫だからっ、ねっ? あたしはどんなヒッキーでも大好きだよ!?」

「やめろぉおお……! 落ち込んだ男を軽々しく慰めるなよぅ……惚れちゃうだろうが勘違いしちゃうだろうがぁ~……!」

「いいから! 惚れていいよ! いっぱい惚れてよ! でも勘違いしちゃやだ! あたしヒッキーのこと、本当に好きだからね!?」

 

 突然腕を頭の後ろに回され、抱きしめられた。え? 目の前? ……こう、二つの……丘? 山? 男の理性をてっとり早く破壊する、一色言うところのニブツが、俺を包んで離さない。

 

「……好きだから、将来のこと考えてくれてるんだよね? 嬉しい……あたし、本当に嬉しいよ。嬉しい以上の言葉がないのがむず痒いくらい……えへへ」

「俺は恥ずかしくて死にそうですが」

「ヒッキーが死んだらあたしも死ぬよ?」

「重ぇえよ」

「あはは、うん、うそ。たぶん頑張っても死ねないよ。怖いもん。でも、生きることのほうが怖くなったら……きっと、そんなことも簡単に出来るようになっちゃうんだよね」

「…………」

 

 さら、さらりと頭が撫でられる。

 俺を抱き締めたまま、やさしく、やさしく。

 

「ありがと、ヒッキー。……頑張ってくれて、ほんとにありがと。お陰であたし、無傷だよ? “ひどいいじめ”に遭わなかったし、傷もつけられなかった」

「べつに、俺は」

「でも、守られてばっかって……あはは、前に話したよね、王子様の話。白馬じゃなくてもいいし、守ってくれたら嬉しいなって思ったこともあったけど……やられてみると、ちょっと違うんだ。寂しいんだ。ほ、ほら、あたし……ヒッキーに自分で傷ついちゃやだって言ったよね? ……それと同じでさ? んと……傷つくのも乗り越えるのも、一緒がいいな。それが出来ないことだっていっぱいあるって解ってるけどさ。それでも……あたしも、ヒッキーのためになにかしたいな、って……」

「……惚れた女は守るもんだ。忘れたフリをしても、自分がどんだけ傷ついてもそうしたいって思うような“惚れ方”だったってこったろ。気にすんな。見返りがほしくてやったわけじゃねぇけど、もうとんでもない見返り……もらってるからよ」

「? それって?」

「いや……そこは普通、流れ的に察しろよ……もしくは流せよ……」

「?」

「え、えー……? まじ? ほんと解んないの……?」

「だってあたし、ヒッキーになにも返せてないし……」

 

 マジかー……恋する乙女のくせしてこんなところで鈍感なのかよ。

 え、だって俺ほんとに初恋で、手を繋いだのも腕を組んだのもハグもキスも一緒に風呂入ったのも一緒に寝たのもおはよー言い合ったのもこいつが初めてですよ? 親とか抜かせば。

 なんなら好きになって告白して受け入れられたのも結衣が初めて。言わされたって部分もあったけど、言いなおしたからノーカンな。……いや、こうなると脅されて告白したのもこいつが最初ってことになるのか。

 最初だらけじゃねーか、まじかよやべぇな。

 ファーストキスどころかファースト貰いすぎだしあげすぎだ。これでもらってないとか、嘘になるだろ?

 

「あのな。俺、初恋実ってるの」

「? うん」

「初恋どころか結婚相手もな。言っちまえば手を繋いだ女もお前が一番だし、腕組んだのも一緒に寝たのもお前が一番最初。……ファーストキスどころじゃねぇだろ。責任なんてもん無視したとしても、ここまで貰っといて、相手を幸せにしようともしない男ってあれだろ、クズだろ」

「んー……ひどいな、とは思うけどさ。ほら、女の子から勝手にやっちゃった場合とかも考えたら、それでクズはちょっと違うんじゃないかなーって思う、かな」

「………」

 

 ……ほんとこいつ天使な。

 こんなん言われたら、もう大抵のヤツがコロリと骨抜きにされるだろ。

 思わず結衣の背中に腕を回して、抱き返してしまった。

 

「ゃんっ!? ヒ、ヒッキー……? 急にはちょっとびっくりするから……その」

「わ、悪い……」

 

 え? なに? え? ゃん? 女の子ってほんとに“やんっ”とか言うの? 都市伝説かと思ってた! もしくは天使のみが出せる、アレか。アンヘルヴォイスとかか。いや八幡へんなこと言った。中二じゃないよ? ほんとだよ? 辛さを紛らわすために自分作りに励んだとかそんなことないから。

 どっちかっていうと俺、CMの豆しばの豆の豆知識に“ほほう……”と頷いてたタイプだから。

 ねぇ知ってる? 幼い頃にぼっちを味わうと、自然と自分の中に冷静な自分が生まれちゃって、“みんな”が燥いでる場所でもタガを外して燥げないんだよ? ノリが悪いとか言う“みんな”たちはそいつのことをなんにも知らない。知ったかぶるなよほんと。泣くぞ。

 

「………」

「………《ずりっ、……ぎゅー》」

 

 結衣が抱き締める位置を頭から胸に変えて、俺の胸に幸せ笑顔ですりすりしてきた。甘えたくなったってことで……いいんだろうか。

 なので思い切り甘やかすって約束もあったから、じっくりと甘やかした。

 抱き合って、すりすりと互いの匂いを交換するようにくっつき、やがて心が安心に満ちてくると、見つめ合ってキスをする。

 最初はつつくように。次第に密着する時間と箇所を増やして、次に舌だけでつつき合い、唇と舌を密着させる。

 結衣は俺の胸元をぎゅっと握って、ふるふると震えている。俺はそんな結衣の後頭部にそっと手を回して、ただひたすらに、壊さないように丁寧に“好き”を降らしてゆく。

 この間、結衣は硬直したように緊張して、震えたままだが……頭を撫で、背中を撫で、額に額をこつんと当てると、「…………ふぁああっ……」……と力が抜ける。いや、たまたまこうなっただけだから、実際はただ普通に込めすぎてた力を抜いただけなんだろーが。

 そして今度は結衣が攻勢、まあようするに甘えてくる。頭を抱えるようにキスをしてきて、ベッドに倒れ込み、犬モード。その流れだと思った。

 ……のだが、今日はいつもと違った。

 

「ん……ぷあっ…………ね、ひっきぃ……」

「ん……どした……?」

「えっと……さ。ひっきぃは、さ」

「おう……?」

「…………」

「…………」

 

 顔を真っ赤にしたまま俺の顔の横に手をついて、真っ直ぐに見下ろしてくる。

 なにかを必死で伝えようと、引き結んだ唇が震える。反射的に手を伸ばしたくなる……が、それは今はやってはいけない気がした。やってしまったら、戻れなくなってしまうような───

 

「ヒ、ヒッキーはさっ……!」

「結衣、ちょっと待」

「責任問題にならなきゃ、いいんだよねっ!?」

「…………ホエ?」

 

 責任問題? ならなきゃいいって……え? なにが?

 

「そ、その、18になればちゃんと責任取るってことだから、そういうことは18までしないんだよね!?」

「え、あ、お、おう……? そ、そう、だな? ……そうだな。さすがにこの歳で子供とかはな。いくら親が認めたって周囲が黙ってないだろ」

「あたしはべつに……ヒッキーが今まで我慢してきてくれた時間を考えれば、周りが離れていくくらい、平気だよ?」

「やめろ、恋愛感情だけを武器にそんな橋を渡るんじゃねぇよ。お前は集団の怖さをてんで解ってない。今が良ければ後悔はないなんて、絶対にないからやめろ」

「……、……うん、解った。それは解ったよ」

「………」

 

 それは、か。まだなにかあるのか?

 結衣も隠す気はないのか、「それで?」と促すと、一度息を飲んだあとに……言った。

 

「……本番、しなきゃいいんだよね?」

 

 と。

 一瞬、じゃない。秒針が幾度も音を刻むほど、呼吸を忘れた。

 目の前には決意と覚悟を目に宿した、愛しい人。

 目を逸らそうにも頭の横は両方とも、結衣に塞がれていた。

 

「ばっ、そういう意味じゃっ……! 18禁って意味をもっとまともにだなっ!」

「……じゃあどういう意味? 18になったらすぐにでもってこと?」

「っぐ……───ったく、いいか、18禁ってのはな、バイトと同じで18になっても初めの4月を過ぎるまではダメなんだよ。つまり18でも高校生じゃダメってことだ」

 

 つまりエロゲとかは全て大学物語ってことだな。たぶん!

 いやー、やけに高校行事が多いから騙されやすいけど、みぃんな大学物語だから気をつけようなー? だって法律で18でも高校生はダメって決まってるんだもの。つまり俺達は卒業するまでダメ。たぶん!

 とか熱心に話していると、なにやらこの場に合わない愉快な音楽。どうやら結衣のケータイの着メロらしい。慌ててケータイを開いて確認する結衣だが、その表情が恥ずかしさから呆然に変わったあと、フォバッと赤く染まり、次いで俺とケータイとを交互に何度も見て……なんでかじわりと涙を浮かべた。

 

「ねぇヒッキー! …………あ、えと。えとー…………あぁっ! ……《ムスッ》18禁のてーぎは? どこまでか言ってみてよ、ヒッキー」

「それ男に訊くのかよ……! しかも彼氏、いや婚約者に……! てかなに? 今無理矢理ムスっとしなかった? なんかあったん?」

「なななんでもにゃいよっ!? とにかく答えてったら! …………そりゃさ、バイトはさ、お金もらうし、法律は大切だけどさ……。15になった初めての4月から、っていうのも、決まってるなら仕方ないよ? じゃあヒッキー、あたしたちのその先のことも、そう決まってるからダメってこと?」

「当たり前だろ……俺はそんな、無責任なことはしたくない」

「決まってるから? 責任は取らなくていいって言われたら?」

「怒るぞおい。お前とのことで責任取らずになんてするわけねぇだろ」

「あ………………う、うん……ありがと、ひっきぃ」

「いやおい、なんで説教して感謝されてんだよ俺」

「うん。それはさ、やっぱさ。……ヒッキーはちゃんと、捻くれてるけどまっすぐだから」

 

 なんだそりゃ。捻くれてるけど真っ直ぐ……え? 捻くれてるのに? 螺旋でも描いてるの? 俺の根性。

 

「間違ったことは違うって言ってくれるなって。ただ否定したいからする人とは違うなぁって」

「ばっかお前、俺ほどのぼっちともなれば、自分の発言には超気を使うっての。ほら、なに? 俺の発言の所為で場の空気が白けるんじゃないかとか思えば、どんだけその場に相応しい正論があろうが息を潜めて身を殺して気配まで消してそっと離れるまである」

「ところでさ、ヒッキー」

「いや聞けよ」

 

 スルーですか、そうですか…………んむ?

 ところで、って言って結衣が手に持ったままのなにか……っつーかケータイ。え? ケータイがどうしたの?

 

「ヒッキーはさ、否定したいからする人とは違うよね?」

「当たり前だ。結衣には特にだな」

「発言には超気を使うんだよね?」

「プロぼっちとしては初期も初期のスキルと言える」

「じゃあこれ、よーく読んでね?」

「あん?」

 

 …………。男女が性行為をする年齢に関して?

 

 Q:男女の性行為は何歳から可能ですか?

 

  A1:13~18からとし、18歳以上は全く問題無し。

 

 ……まあそりゃそうだよな、なんてったって18禁だも───の?

 あれ? なんか不穏な文字が。13~18? ……13!? 中学ですが!? いや下手すりゃ小学校高学年なんてことも……!? ああいや、以前見た速見表じゃ、13は中学だった。……やっぱ中学かよ。

 

  A2:相手が16であり高校生の場合、保護者から認められているor婚姻関係にあるのならば問題なし。

 

 16もOK!? 婚姻関係って……あ、や、だだ大丈夫だ、問題ない。だって僕たち口で言ってるだけで、まだ届けも出してな───

 

  A3:13~では、男女が互いに愛し合い、保護者の許可が出ているのであれば…………問題無し!?

 

「」

 

 ハハ…………エ?

 

「」

 

 イヤアノ…………エッ!!?

 

「…………これ、まじ?」

「ま~じっ♪《ほわぁっ……》」

 

 婚約者、今日の中でとても綺麗な笑顔で答えるの巻。

 あらやだトキメキドキュン。でも心内は捕喰される側のような冷たい感覚。

 え? ……え!? じゃあなに!? 18禁ってなんなの!? 八幡解んない!

 

「あ、それとね、ママが別のURLも送ってくれたんだけどね? ヒッキーの言ってる18禁ってね、ほら、その、えっちな本とか映像? それを見るとか買うのに適した年齢のことで、えっと、こういう恋人同士のえっちとはね? 全っ然関係ないんだって」

「───OH……」

 

 いや、うん。なんとなくね? なんとなく……違うじゃないかなぁって……思ってたよ……。

 で、でもね、良い子のみんな! 18になっても高校卒業するまで……えっちなのはいけないと思いますっ!

 え? 中卒で既に仕事してた場合? ……誕生日迎えたらもうウッハウハじゃね? 知らんけど。それより今は目の前の状況をなんとかしたい。

 

「ひっきぃ……♪」

「《さわっ……》ひゃうっ!? い、いやっ、やめろっ……なんつーかもうそういう雰囲気ぶち壊したろ……!? 今はなんつーかほらアレだよアレ……! ノリツッコミ空間っつーか……!《ヴィー》うぉおあっ!? ……メ、メールかよ……って、ほ、ほら! な!? 邪魔とかすぐ入るし今日はほらっ!」

 

 取り繕うようにケータイを開いて内容を確認。

 

  TITLE 乗って突っ込むなんて、ハチくんたら大胆ね~♪

 

 どどどどどど何処だぁあああああっ!! ママさんあんた何処で見てるぅううううっ!!

 焦ってあたふた部屋を見渡してみたら、フツーに結衣が電話してた。オイ。

 

「はい、ヒッキー」

「え? はいって……も、もしもし?」

『あら~、ハチくん? 元気そうでいいわね~♪』

「いきなりなんすか……ってかさっきのメールはいったい……」

 

 メール飛ばしながら電話なんて出来るの? ……ああ、普通に家の電話とケータイ使ってるのか。……器用だなおい。むしろこんな状況を想定してわざわざ二つ使うママさんが怖い。

 え? もしや他の目的があったりする? どんな?

 

『うんそうねー、結衣が保護者の許可が欲しいっていうから、今正式に許可を出したところなのよー』

「いやいやいやなに考えてんですかっ! あなたの大切な娘でしょーが! だっ、だいたいこんなのはっ……い、いや、こんな時だけ名前を使うのは卑怯だ……それはしたくないっ……!」

『……やっぱりハチくんは誠実ね。べつにパパの名前を出しても良かったのよ?』

「それはやりません。俺は結衣に対してだけは誠実でありたいんす。他でどんだけ汚れたって構わないけど、それだけは譲れない」

『……そう。じゃあ、合格♪』

 

 ……受話器の奥で、スパーンという音が聞こえた。と同時に、なんかも一つ隔てた先から聞こえる絶叫も。

 

『パパに条件を出したのよ。結衣とハチくんの関係を認める上で、ハチくんがパパの名前やお父さんの名前を盾に逃げようとするなら絶対に認めないって。でもハチくん、予想通りに誠実でいてくれたから』

「…………あの。それってつまり」

『ハチくん! ママのこと、ママって呼んでいいのよっ!? ていうか呼んでっ! ねっ!?』

「………」

 

 そういうことらしかった。アホ……いや、アホ。なにやってんの結衣パパさん。なんでそんな条件で頷いちゃってんの。

 もっと他に抵抗出来たでしょうが。それとも俺がそんな、人の名前を盾に逃げるようなヤツだとでも………思われてたんでしょうね。

 

『あ、ハチくん? たぶん誤解してるだろうから言うけどね~? パパはね、自分の名前を出してでも18まで結衣には手を出さないに違いないって思ってたから乗ったのよ~?』

「見事に期待を裏切ったわけですね」

『も~! なんでハチくんはそういう受け取り方するの~! ……い~い、ハチくん。こうやってちゃんと外堀も埋めて、絶対に祝福される結婚式にしてあげるから。……ハチくんも、ちゃんと幸せになるのよ?』

「…………っす」

『よろしい。それじゃあハチくん、一度結衣に戻ってくるように言ってくれる? その間、ハチくんはお風呂に入ること。結衣も準備させるから、結衣のことよろしくね? あ、あと明日と明後日、連休だったわよね~? 結衣、返さなくていいからたっぷりと愛を確かめ合うのよ~? ……むしろシないと家に入れません。ママ本気だから』

「ちょっ!? ママさん!? ママッ《ブツッ》あっ……ぁ~~~っ……! なんであの人はいつもこうっ……!」

 

 ディスプレイが真っ暗になった結衣のケータイをてしんと額に当て、長い長い溜め息。

 やられた、っつーか……ああもう、なにやってんのほんと、あの人は……!

 



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困ったことに、ガハママはラスボスであり味方である③

 ひどく疲れた様相で沈黙する俺に首を傾げつつ、結衣が動く。

 ケータイがひょいと抜き取られ、つい視線を前に移せば、きゅっと握った手を胸に当て、どこか不安げな結衣が。

 

「えと……ヒッキー。ママ、なんて……?」

「……家に戻ってこいとよ」

「えっ……!? ママ、なんで……なんで……《じわ……!》」

「ま、待て、泣くなっ、言い方が悪かった! いちど、一度だ。一度戻ってくるようにって言ったんだ! 準備させるから、って……。で、俺にはその間に風呂に入ってろって……」

「え……あ、う…………《ぷしゅううう……!!》」

「…………あと、明日と明後日…………いや、これは直々に言うよな、絶対。とにかく、今は帰れ。お互い冷静じゃないだろ」

「……ひっきぃ」

 

 少し落ち着こうってことで、軽く突き放すような棘が口調に含まれてしまった。

 それを敏感に感じ取ったのか、結衣が俺の上に跨ったまま、胸元の……既に皺が出来てしまっている制服をぎゅっと握ってきた。

 

「……嫌ったりしないっての。安心して行ってこい。……つか、ここまでされて逃げるとか、男としてだめだろ……いや、お前やママさんを理由にするわけじゃないからな? 俺は俺の考えで、きちんと…………───……だから、泣くなよ」

「だって……ヒッキー、逃げ道塞ぐのとか、“みんな”でする追い詰めとか、嫌だよね……? 嫌いだよね……? こんなことになってから気づいて、でもやめてって言えなくて……。嫌われちゃうんじゃないかって…………ひっく……」

「……俺も、すまん。その、俺だって不安だったんだよ。お前みたいな可愛いやつが俺の彼女とか婚約者とか。明日にでもお前ともっと深く上手く付き合える、相応しいやつが出てきて……ママさんの信頼もお前からの愛情も、全部持っていっちまうんじゃないかって……。どんだけお前が否定してくれても、不安でしょうがなかったんだ」

「ひっきぃ……」

「だから……全然期待してなかったって言えば、その……嘘になる。でもよ、ほら……アレだろ? 知る努力から始めて、知ろうとして、それでも上手く解ってやれなくて、だからって肉体関係に逃げてるみたいで……それじゃあお前にもママさんにも顔向けなんて出来ねぇんじゃねぇかって……《ちゅっ》んむっ!?」

 

 どよどよと後悔を口にしていくその過程。

 濁りを吐き出す口が結衣の口で塞がれた。

 頬に添えられた手はやさしい。

 拒まないから、振りほどきたかったらそうして……と、結衣に言われているようだった。

 

「……あたしたち、同じだね。どんだけ好きでも、やっぱり不安になっちゃって……。あ、あのね、ひっき……はーくん。あたしね、はーくんが好き。子供の頃から、今まで、ずぅっと好き。だからね、えっとね……《かぁあ……》……疑わないで、あたしの全部……受け取ってもらえたら、嬉しい……な」

「…………後悔、しないか?」

「うーん……したら、そこからもっと好きになるよ?」

「おい、そんな返事予想してねぇよ……もっとテンプレでいこうぜ……?」

「えへへへぇ……今さら嫌いになんてなれないし。はーくんが幸せにしてくれるなら……あたしはもう、それを信じるだけで、ずっと幸せでいられるから」

「……~~……おまっ…………《じわ……》……お前……」

 

 ……ああ。

 俺、こいつのこと好きだ。

 大切にしたい。

 幸せにしたい。

 好きでいたい。

 愛していたい。

 いつまでも、いつまでも。

 笑っている顔を見ていたい。

 喜びの涙を見ていたい。

 一緒に微笑んでいられる今を───……生きていたい。

 

「結衣」

「……うん」

「家を出ることとか自分のことばっかで……こういうの、ほんと勉強してない俺だけど……正直、気の利いたこととかも言えない、いや、言えてないんだろうけど。……俺で、いいか? あ、いや……違う。その、あ、あー……自惚れじゃなくていいなら……───もう、裏切られるのは嫌なんだ。面倒な男だと思う。でも……こんな俺でよかったら、受け止めてくれ」

「……───~~~……!《きゅぅううん……!》……はーくん……」

 

 静かに近づき、キスをされた。

 それはまるで、俺が怯えないようにするような、とてもやさしいキスだった。

 立場逆じゃね? なんて言わない。怯えていたのは……実際、俺のほうだったんだと思うから。

 やさしさには裏がある、信用なんてするだけ無駄───そんな解をいくつも抱かなければ、この世界はそんなものだって割り切らなければ、明日が来ることさえ怖い世界だった。

 自分で背負ったくせに、背負いきれずに涙して、それでも自分を守るために太く長い大きな線を作って。

 でも……答えなんて、ずうっと傍にあったんだ。

 彼女は線の内側に“ずぅっと居た”。俺が気づこうとしなかっただけで、傷つけたくないから押し退けていただけで、ずっと俺を見て、俺を信じてくれていた。

 理解なんてしてくれなくてもいい。

 ただ疑わず、信じていてくれることが、どれほど嬉しいものか。

 だから俺は……世界になんか認められなくてもいい。

 ただ、目の前の人が自分を信じてくれるなら……。

 ただ、目の前の人が自分を認めてくれるなら……。

 

 

  もうちょっとだけ。

 

  もう少しだけ……この灰色の世界にも、色をつけていける気がした。

 

 

「…………はーくん……目が……」

「……結衣?」

「───…………ううん、なんでもない。……頑張っていこうね、あたしたち」

「……うん。……あ、いや…………お、おう」

 

 ズレた眼鏡を直しながら咳払いをした。

 どうしてか出た、うん、なんてガキみたいな返事。

 初恋をこじらせた子供な俺が出たりでもしたのか、それとも……相手が天使すぎて、ついこちらもピュアな俺が出ちゃったとか。

 よ、よし、雰囲気に流され続ける、よくない。

 ちょっと調子取り戻していこう。じゃないと……大切にしすぎてなにも出来そうにない。

 

「じゃああの……行ってくる……ね?」

「……おう」

 

 きしり、と。結衣がベッドから降りて、窓へと歩いてゆく。

 俺も立ち上がって、タンスから着替えを取り出して……ちらりと窓を見ると、こちらを見て顔を真っ赤にして口をたわんだ糸状みたいにさせた結衣と、目が合った。

 

「ぇゃっ!? やややっ!? みみみ見てないヨっ!? ワタシ、ちっとも見てないデース!!」

 

 おい。それ帰国子女でアラガミっぽい名前のお姉様だからやめろ。

 

「………」

「………」

 

 しかしまあ、意識してしまうと相当恥ずかしいっつーか。

 ママさん、これむしろさっきの流れのままいたしてしまった方が、俺達の精神的にやさしかった気がするのですが……?

 そうは言いつつも、やがて互いに恥ずかしさを盛大に含んだ照れ笑いを浮かべたのち、歩きだした。

 結衣は自分の部屋へ。俺は……風呂へ。

 沸かしてはいないから、シャワーだけになるが…………ヘンな匂いとかしたら嫌だし、念入りに洗おう。結衣にへんな風に思われたら死ねるし。う、うん、恥ずかしくないようにな。

 

「………」

 

 うわっ……私の女子力、高すぎ?

 でも洗った。洗いまくった。かつてない程洗ったね。ああ洗ったさ。

 

……。

 

 風呂から上がると水分補給をして、歯も磨いて準備OK。

 部屋に戻ると……結衣はまだ居なかった。まあ、女だもんな、とか思ってしまうあたり、なんかもうアレだった。アレったらアレだ。

 

「ん……」

 

 で、ふと。机に紙袋が置かれていることに気づいて、風呂入る前は無かったよな……と中身を覗いてみる。

 

「? 手紙と……なんですかねこれ……ま、まーべ……? …………」

 

 知識としては知っていたアレがあった。なんでこんなもんあるんだよ。準備って、どこまで世話焼いてんですかママさん。

 

「これ栄養ドリンクか? “ハチくん用”とか書いてある」

 

 瓶に入ったそれを片手に、底のほうからシゲシゲと見てみるが、よく解らん。

 一緒にあった手紙を読んでみると、やっぱり栄養ドリンクだった。

 むしろラベルには“リポビトゥンDay!”とか書いてある。ファイトフルブラストで有名なあのドリンクだ。一発じゃないのかよ。なにフルブラストって。

 

「………」

 

 …………。一応飲もうかな? 怪しいけど、喉乾いたし。

 おかしいね、下で水飲んできたはずなのに、やけに喉が渇くんだ。緊張してるの? そりゃするわ。

 じゃあパキッと開けて…………おい。なんで開封済みなのこれ。ファイト一発どころか怪しさ大爆発だよ。なんか怪しいもんとか混ざってない? ほんと大丈夫?

 

「……《スンッ……》……匂いはべつに、リポビトゥンだな……そこにちょっとスポルトップ混ぜたような……あ、もしかして普通にそうなのかな?」

 

 ママさんのことだ、俺がスポルトップが好きなことを知っていて、飲みやすいように混ぜてくれたってこともあるかもしれない。

 ありがとうママさん、いただきます。

 

「んっ《グビッグビッ───》───ぷはっ! ……んぶっふ!?」

 

 一気に飲み干して───熱ッ!? てか辛い!? いやよく冷えてる筈なのになんか喉通ると熱い! なんだこれ!

 えっ!? もしかしてアルコールか!? いや、そんな匂いはしないし……え、えぇ……? とりあえず味はリポビトゥンでもスポルトップでもなかったけど……なんだこれ。

 あ、あれ? 胃の……いや、食道? 喉から胸、腹のあたりまで熱がすごい……なにこれ、ほんと、なんぞこれ。

 だめだ、なにかで流したい、こんなの気持ち悪い、なにか、なにか───あ。

 

「な、なんだ、ポッカリスウェットも一緒にあるじゃないか……あ、胃薬」

 

 粉タイプの胃薬があった。普段全然使わないけど、薬局で見た覚えがある気がする。胃薬だよな。なんか縞模様っぽいあれ。

 まあいい、とにかく胃薬だというのなら、この不快感も消えるだろう。

 粉を口にゾザーと入れ、用意されてあった二つのグラスのうち一つにポッカリスウェット(だと思う、ただ白く濁った冷たい水っぽいなにか)を注ぎ、口の中の粉と一緒に喉の奥に流し込む。

 すると、どこかやさしい感触が喉を通り、胃にまでやさしさを届けてくれた。

 

「……薬ってすげぇな……。こんな一瞬で効いちゃうもんなのか……」

 

 喉の熱さが流れていった。嬉しくて、2Lサイズのそれを注ぎ、余計に飲んでゆく。

 ……結構美味しい。でもなんかポッカリとは違う味な気が。……さっきのドリンクの所為で味覚がバカになってるのかも。

 

「………」

 

 そういえば。

 準備とまで言ったからには、アレはあるだろうか。

 アレだ、アレ。こう、八幡の八幡が被るべき、届かざる軟性の護剣っつーか。

 

「………」

 

 ねぇし。

 解ってたけどさ。解ってたけどさぁ!

 

「いやでも、まずいよな」

 

 マン・ゴーシュがないのがじゃないよ? いやまずいけどさ。

 そもそも俺、ほんとにそっちの知識、うといんだ。

 辛うじて小説やら漫画やらで知ったものはあっても、本番とか……なぁ?

 え? 男女の営み? 男女が布団に潜って寝たら鳥がチュンチュンだろ? ってレベル。そこまでひどかないか。

 とにかく最初は滅茶苦茶痛いとか聞く。なので、ケータイで出来るだけ勉強しておこう。あと一緒に入ってた、まーべなんたらのことも使用方法とか調べておこう。

 

「ええっと……? 初めての時は……」

 

 ……。

 

「うえっ!? 血が出る!? まじかよ!」

 

 ……。

 

「キズモノとか言葉だけで覚えてたけど、俺が結衣に血を流させる……!? お、俺、自分を許せるのか……!? いやでも他人に任せること考えたら、俺そいつ呪い殺すぞ」

 

 ……。

 

「痛くないようにするにはどうしたら……!」

 

 ……。

 

「ゼン、ギ……前戯? を、よくすること? ふむふむ……!」

 

 ……。

 

「前戯とは愛情を持って、女性に男性を受け入れる準備をさせてあげること……そ、そうなのか」

 

 ……。

 

「えっと、なんだ? つまりリラックスさせながら、じっくりと気持ちよくさせてやることが大事、なのか?」

 

 ……。

 

「……一番いいのは、相手にどこがいいのか訊きながら───……え? ……え? 正気なのこれ書いた人。バカなの? 死ぬの? いや、むしろ訊く時点で俺が死にそうなんだが?」

 

 ……。

 

「以上で初級を……初級!?」

 

 ……。

 

「か、体を重ねることは、積み重ねでもあって……」

 

 ……。

 

「けけっ……けい、経験を積み重ねることで、感度を……」

 

 ……。

 

「……G……? え、モンハン……? Gすぽ……?《……どよどよどよ……》」

 

 ……。

 

「上級……最高の…………気持ちいい…………ぽ、ぽりねしあん……? ポルチ……? OH……」

 

 ……。

 

 コーーーーン……。

 

「なんか穢れてしまった気がする…………」

 

 なんか結衣を中心に色づいた世界がまた、どよどよと灰色に戻った気さえする。

 ああ、もういい、経験からの知識も大事だが、俺は俺しか知らない結衣を愛していくんだ。

 そこに他人を愛した技術を混ぜるのは、なんか違う。たとえその方が結衣が安心するとしても、なんか違うと思うのだ。

 むしろ俺達はあの奇妙な、痺れるような多幸感に包まれるくらいの愛し方のほうが合っているすらある。

 ……時間はある。ゆっくりと互いを知って、互いだけの知識で到るところに到ろう。

 そう思ってケータイをパタンと閉じた時、丁度……コンコン、と窓がノックされた。

 ハッと目を向ければ、赤い顔で、視線を彷徨わせながら枕を持った……結衣が。

 

  パジャマ可愛いな。

 

   お団子じゃないんだな。

 

  風呂、上がったばっかりなのか。綺麗だ。

 

 いろいろな言葉が浮かんでくる。

 俺は慌ててしまいそうな自分をなんとか押し込めて、努めて普通に窓に歩み、鍵がかかっているわけでもないその窓を、自分の手で……開けた。

 それは自分が招き入れる、受け入れるという行動。

 勝手に入ってきたのを仕方なく受け入れるのではなく、自分から迎え入れるというこの行動が、その後の行為を連想させるようで……二人して顔を一層に赤くして、俯いてしまった。

 

(ぐっ……なにこれ気まずい……なにか話題───あ)

 

 ちらりと視界に留まる、紙袋先生。

 校務仮面ありがとうとワケの解らんことを心の中で叫びつつ、結衣に「ののぉのの喉乾いたろ!?」と自然な言葉で差し入れする。いやすっげぇ自然だったね。声裏返ってたけど自然だったよ。あくまで今の状況での俺ではってレベルで。

 やだ、俺のデフォルト、キモすぎ。

 

「あ……ありがと……《ほぅっ……》」

 

 結衣もどう行動していいか解らなかったんだろう。ひどくホッとした表情で紙袋を受け取ると、俺は代わりに手を伸ばし、枕を受け取った。

 ……なんかYESとか大きなプリントがついたピンクの枕だった。あら変わった趣味。でもなんか肯定的でいいんじゃないの? なんでも否定から入る俺とは正反対で、実に結衣っぽい。

 ところで俺が受け取った時、嬉しそうな声で「あっ……!」って言われたのは……なんだったんだろうか。なにかがYESなのん? …………おい。この状況でYESって。おい。

 

「え、えへへ、ありがと、もらうねヒッキー」

 

 結衣は場の空気を無理矢理読むようにして、ママさんに“まずは飲むように”と言われていたのだろうか、入っていた錠剤やらドリンクやらポッカリもどきを元気にごくごくと飲んだ。

 やっぱりドリンクは喉に熱かったのか、「なにこれ!?」とか言ってたけど……飲んだ。

 喉の違和感を気にしながらベッドの傍にポッカリもどきとグラスを置くのを眺めつつ、やがてその視線がベッドに移り、顔が朱に染まるのを見た。

 再び落ち着きなく泳ぐ視線にいい加減苦笑が漏れた時、突如として鳴る俺のケータイ。結衣が「ひゃわああんっ!?」って悲鳴をあげるほどに唐突だった。俺もびびった。

 

「こんな時に、誰だよ……」

 

 ケータイを開き、メール画面を見てみれば……“ママさん”の文字。

 ああやっぱり。

 どうしよう、無視しようかしら。いや無理だ、ママさんを無視だなんて俺には出来ない。

 

「………」

「?」

 

 嫌な予感の消えないままに、結衣をちらりと見てからメールを開く。

 と、予想通りとはいかない、そこまでするかが待っていた。

 

 【今からパパとハチくんのご両親、それから小町ちゃんを連れて旅行に行ってくるわね~♪

  全員に有休取らせたし、小町ちゃんも連休だから丁度良かったわ~♪

  あ、それじゃあハチくん、結衣のことよろしくね?

  家は完全に鍵閉めちゃったから、追い返しても結衣は帰れないからね?

  それと今の結衣、下着とかつけてないから、終わったらハチくんのYシャツを貸すなりしてあげてね。

  いっそ連休中、ずうっとベッドでにゃんにゃんしててもいいのよ?

  

                ───ママより。

 

  ◆追伸

  一応ピルは用意したけど、後遺症とか怖いなら使わないほうがいいわね。むしろ孫……あ、こほん。

  それとゴムは使っちゃだめよ? 純情なハチくんがまさか持ち歩いてるなんてことはないと思うけど。

  だめよ。絶対だめ。大事な娘の純潔をゴムなんかで引き裂いたら、ママ本気で怒るからね?

 

  最後に、心ばかりの贈り物として、もりもり頑張れるようになる栄養剤とドリンクを用意しました。

  机の下にもポッカリを何本か用意したから、熱い夜の途中にでも水分補給するのよ?

  ドリンクはちょっと美味しくないかもしれないけど、少ししたら落ち着くから我慢よ?

  大丈夫よ、一緒にあるラベルのないポッカリみたいな飲み物と一緒に飲まなきゃ、それほど効果は《パタム》】

 

 ……閉じた。全部見ちゃいけない気がした。下の方に孫がどーたら書いてあった気がするけど気の所為だ。

 だ、だだだ大丈夫だ、問題ない。一緒に飲んじゃだめだなんて、そんな、ねぇ?

 ……やべぇ飲んじゃったよどうしよう。

 

「………」

「ヒッキー……?」

 

 ……結衣もガバガバ飲んじゃってたよ……な。どうしよう。

 急に黙り込んだ俺を見て、不安そうにしている結衣を真っ直ぐに見る。

 不安にさせちゃだめだろ、俺。幸せにしたいなら、こんな俺でも歩み寄らなきゃ。

 

「……結衣」

「う、うん……ヒッキー……えと、その……よ、よろしく……ね?」

「お、おう……おう。こちゅ、こち、らこそ……よろしく」

 

 ちらりちらりと互いにちら見して、やがて見つめ合い、近づいて、抱き締め合って……キスをして、ベッドへ。

 いつものようにといえばいつものように、けれど心の奥底ではひとつの階段を昇る決意をしたまま……幼馴染ではなく、恋人としての連休が……始まったのだった。




 習作を書いている途中、R18にも挑戦してみようかしらと衝動が傾いた結果。
 過去に一度だけオリジナル小説にて挑戦したことがありましたが、自分のエロス執筆の稚拙さに断念しました。
 なので挑戦という意味では二度目のエロス。
 当然ながらR18なのでここには置けません。
 URLは

  https://novel.syosetu.org/109889/

 となりますが、正直めっちゃ恥ずかしいので読み飛ばしていただいて結構です。
 むしろ読み飛ばしてくれたらありがとうございますな気分というかなんというかそのー。
 はっ……恥ずかしィイイイーーーーッ!!


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つまるところ彼は、彼女になら変えられたい

 タタンタタン、と一定のリズムで鳴る音を聞いて連想するのはなんだろうか。

 ものによってはガタンゴトン、だったりもするが、現在の俺の場合は電車である。

 最近あまりいい噂を聞かない電車だが、事件や事故はなににだって存在するのだから、うだうだ言ったところで瞬間移動が出来るわけでもなければ、そもそも気を探知できるわけでもない。だから移動手段があるならば使うのが人間である。

 ほんとヤードラット星人ステキな。サイヤ人でもスカウター頼りだったのに、彼らって気の探知が出来たってことだろ?

 それ言ったらあの世とこの世の境なんぞ無視して界王様の気を探れる悟空さもどうかしてるんだが。

 ……話を戻そう。

 溺れるくらいに愛し合った翌日、日曜。

 本日は大変珍しいことに、俺からの提案で外へ出かけていた。

 

「でもほんと珍しいよね、ヒッキーが出掛けようって誘ってくるなんて。あ、あたしは……その。デートに誘ってもらえて、嬉しいけど」

「あー……その。なに? ちょっとしたほら、アレだ……意識改革ってやつ? あとデー……じゃねぇよ」

「いしきかいかく?」

 

 金も下ろした。心の準備も万端。

 で、なにをするかというと、自分を変える第一歩……ってやつ?

 

「結衣。ひとつ頼まれてくれ」

「え……なに? ほんと珍しいよね、ヒッキーがそんなこと言うなんて。どしたの……? 具合悪かったりする……?」

「生憎身体は疲労と筋肉痛以外健康そのものだよ。すんませんね、具合悪くなくて」

「べ、べつに悪くなれなんて言ってないし!」

 

 やさしさには慣れたつもりではあっても、人の言葉の裏を読もうとする癖はどうにも消えない。

 つい言ってしまった皮肉も、たぶん相手が結衣じゃなければ、ぐだぐだとした愚痴争いのきっかけにしかならんのだろうなぁなどとは考えていた。

 人間、いつまでも捻くれたままではいられない。なんとかしなければと思い立ったからこそこうして出かけたわけだし、捻くれた自分の所為で、俺はともかく結衣やママさんや……小町にも、迷惑がかかるのはごめんだ。

 

「はぁ、ほんとヒッキーってヒッキーだよね。切っ掛けがあれば変わるかなとか、ちょっとは思ってたのに」

「俺が俺らしくあって何が悪い」

「悪いとは言わな───あ……うーん……」

 

 え? ちょっと結衣さん? そこで考えるの? 考えちゃうの?

 いえべつにもうお前になら変えてもらいたいとか思っちゃったから、なんつーかまっすぐ認めるのは癪ではありますが、それでも言葉の途中で考え始められると大分ショックといいますか。

 

「……変わったからデートに誘ってくれたのかな」

「デデッデデデートじゃにぇえし!」

「ヒッキーキモい……」

「お前ほんとやめろ」

 

 ベッドの上では解り合えていたような俺達も、少し不思議が加わると一気にいつも通りだ。

 やはり人間の思考なんて、どんだけ近しい相手でも解らんものなのだろう。解った気になって、解ったつもりで、調子に乗って砕け散る。実に人間だ。

 しかしながら、それが実に人間然としているのであれば、こんなに読み易いものはないと、俺は考える。

 人間なんて常に優れたなにかに嫉妬して、自分がそうであればと願う者ばかりだろう。

 たとえば入れ替わり、なんて事態が本当に有り得たとする。

 みなさまはまずどんな存在と入れ替わることを想像するだろうか。女子からモテモテのイケメンリア充? 運動大好き青春ダッシュ野郎? それとも金持ちでキザなあんちくしょうだろうか。どんな人物だろうと誰かに対する憧れはあるのだろう。

 だが待て若人よ。踏みとどまることをオススメする。気づけないわけではないだろう。どんな人物に入れ替わるとしても、入れ替わったところでものの考え方自体が違うのだから、いずれ評価までもが入れ替わることを。

 つまり自分を愛せない者にその後の立場を受け入れられる準備など出来ているはずもなく、入れ替わった先でもまた世界を恨むことになるのだ。

 故に。うら若き者どもよ。ぼっちになろう。

 人々が平等にぼっちであれば争いなんぞは……起こるな。ぼっちにも当然種類がある。豊富だなぼっち。人としては独りで完結してるくせに。

 一匹狼の不良も、世間一般ではぼっちと言えばぼっちなのだろう。

 だが一匹狼を気取りながらも、人にちょっかいを出さずにはいられないなど。ハッ、不良ではあってもぼっちには程遠い。

 人の来ない場所を好むのはいい。近寄るなオーラを出すのも実にいい。だが目が合ったから、ひそひそ話をされたから程度で我慢が決壊して人のもとへと歩み寄るその姿……実に人恋しいお犬さま。一匹狼には程遠い、孤高(笑)の存在だ。

 結論を言おう。

 孤高など───

 

「ね、ヒッキー」

「…………」

「ちょ、なんで声かけただけで嫌そうな顔すんの!?」

「いや……今頭の中がいいとこだったんだよ」

「? なにそれ……いいからさ、ヒッキー。何処向かってるのかそろそろ教えてよ」

「……おう」

 

 結論。孤高よ、正しく孤高たれ。自分から他人に近づくなど、ぼっちの風下行きがお似合いである。……長々と語ってこれで完結ってどうなの?

 

「いやほら、あれな。俺は変わらない自分ってのを常に自分の中に固定しているつもりではあるだろ? 変わろうとはしているが、なかなか上手くはいかんし」

「つもりなんだ……」

「うるさい黙れそこには触れてやるな何気にショックだからやめて」

「ヒッキーってやっぱ結構解りやすいよね。すぐ目、逸らすし。知ってる? ヒッキーって本当に言いたい時の場合は、絶対に目、逸らさないんだよ?」

「生憎だが俺はきちんと相手を選んでそうしている。誰が相手だろうが嘘はつくし視線も逸らす。そうしたほうが扱いやすいヤツとかマジでそれな」

「そだねー、えへへぇ」

「なんでうれしそうなのきみ……」

 

 逸らしていた目を結衣に戻して軽く咳払い。

 それよりも、そろそろ目的の駅へ着く頃だ。

 目的も話さずに、誘われるがままについてきてくれた結衣には感謝だが、そろそろ言っておかないとだ。

 

「あ、あー……さっきも言ったが……その。頼まれてほしいことがあるんだよ。誘ってここまで来ておいて、目的も話さなかったのはちと卑怯だったが」

「外……教えなかった……電車で移動……?」

「考えてもろくなことにならなそうだから、その連想ゲームみたいなのやめて?」

「ヒ、ヒッキーあたしになにする気!?」

「ほれみろやっぱりソッチ側に傾くじゃねぇか。なにもしねぇよ、するわけねぇだろ、むしろ隣を歩いてるのに変質者扱いされるまである」

「そんなことないってば、もう……じゃ、じゃあさ、ほら、えとー……う、腕組んでればさ、ほら。そんなことも思われないんじゃん?」

「じゃんって言われても知らん。つか、家を出る前から今まで、腕を組むどころか手も絡めて肩にまで頭預けっぱなしでどうしろっての。それといかがわしいこととかするつもりはないから安心しろ。お前が想定している不安や絶望とかそういったもの全部の可能性はゼロだと思え」

「不安……絶望ぜろ……? ……、……《ポッ》」

 

 おい。……おい。そこでなんで左手軽く持ち上げて、揃えた指から薬指だけ軽く孤立させるみたいにするの? 薬指さん小指と中指に嫌われてるのん? ………………他人の薬指に親近感覚えるとか大丈夫か俺。

 

「ぐだぐだになる前に言っとくわ……。結衣」

「《びくぅ!》はひゃいっ!」

「………」

「…………《かぁああ……!!》」

 

 自分の反応に驚いたのか、少し停止……のちに発熱開始。赤い。可愛い。赤くて可愛い。

 

「その。……服、選んでくれ」

「え?」

 

 ……まあとりあえず。

 俺はその時の、“それって普通、女の子が言うことじゃ……”って顔は、忘れない。

 成長ってものは、それが嫉妬の域まで至らない限り、様々な人が祝福してくれるものだと理解している。

 底辺である俺にしてみれば、たとえほんの僅かな成功だろうと嫉妬され、“あいつなにチョーシこいてんの?”とか影で言われるわけだが……それでも成長とは本来喜び祝福されるべきものである。ものであるのだが。

 ……俺、なに自分のヒロイン力、上げにいってんですかね……。ああそうだな、女の子が男の子に言う言葉だよな……もうそれでいいよ……。どうせ俺、ヒロイン力とかめっちゃ高いし……。

 

……。

 

 辿り着いた駅から歩き、来たこともない大型デパートへ入る。

 わざわざこんなところに来たことにも当然理由はある。

 だって……知ってる人に本気の服買ってるところとか見られたら、“あいつ最近チョーシん乗ってンよねー”とか勘違いされるし。あ、俺のこと知ってるやつがそもそも居ないか。しまった金の無駄した。わざわざ遠出なんてするんじゃなかった。

 あ、いや、しかし結衣は別か。俺のことを知らなくても結衣のことは知っているだろう。天使だし。結衣の傍をうろつくゾンビとか、そういうくらいの知名度ならあるかもしれないしな、俺。

 

「ほらヒッキーはやくはやくっ♪」

「だわっととっ、おい、引っ張るなよっ、っと……! べつに服屋は逃げたりしねーだろ……」

「へへー、残念でしたー。時間が来れば閉まっちゃうのは、女の子にとっては逃げられるのと同じなんですー」

「まじかよ」

 

 いや、しかしタイムセールに出遅れた時も、あと一歩のところで……って時は“取り逃した……!”って思いはするな。なるほど、確かに逃げられている。知らんかった、世界はこんなにも逃亡者で溢れていたのか。

 

「しっかしなんだろね、新聞配達ン時は調子に乗ってへとへとだったお前が、デ……出掛けるって聞いたらこれですよ」

「だっ!? …………だ、だって。ずっと誘われたかったし……。ただ一緒に出掛けて、一緒に帰るのとは違うし……」

「え? 同じだろ。え? 同じじゃないの?」

 

 俺の言葉に、俺の手を引いてぱたぱたと駆けていた足が止まり、振り向き、不安げな顔で真っ直ぐ見つめてくる。

 

「お、おい……?」

「ヒッ……ヒッキー……これ、デートだよね? デートって……ちゃんと受け止めていいんだよね? 勘違いじゃやだよ……? 誘ってもらえて、浮かれちゃったのあたしだけとか……そんなこと、ないよね……?」

「っぐ……」

 

 誘った。確かに誘った。

 “変わらない自分”を変えてもらいたくて、結衣の隣に居ても迷惑にならない程度の自分ではありたいと思って、溜めてきた金を切り崩してもいいと自分を許す理由を得て、こうして誘った。

 デートじゃないと何度も言うのは簡単だ。一緒に出掛けたことなんて、まあまあある方だろう。……数えられる程度だが。

 

「べ、べつにこの間も出掛けただろ……」

「うん……出掛けた……。眼鏡見たし、サイゼで一緒にご飯食べてさ。でも……違うよね。違うんだ。さがみんを見返すとかそういう理由じゃなくてさ。ただ、ただあたしとさ、ヒッキーがさ……楽しみたいから出掛けたならさ……。……勘違いじゃ、ない……よね?」

「………」

 

 デート。認めるのはとっても簡単。俺の捻くれた部分をゴキャリと折って頷かせりゃいい。

 だがそんなもんじゃ俺は、頷きはしても認めてはいない。それじゃダメなのだ。

 結衣もそれを知っているからこそ、俺の答えを求めている。

 うーわー、俺ものっそい面倒臭い男。俺が女だったら絶対キモい言って近寄らんわ。…………あれ? 俺結構結衣にキモいって……おい結衣。おい。

 

「べべべべつにそんなん確認しなくたって」

「……ヒッキーはさ。服、選んでくれるなら誰でもよかった、のかな」

「それはない絶対にない殺されかけたってそれはないと言えるまである」

「じゃあ……服を選べれば、あたしとの関係ってどうでもよかったのかな……」

「それこそないマジありえないユッイーキモいまである」

「それはなくていいよ!? ……ん……じゃあ、じゃあさ、恋人と出掛けるならさ、それってデートじゃないの?」

「ぐっ……か、買い物───」

「腕組んでも?」

「か、関節技キメられてる男かもしれないだろ……ほら、ジョイントフェチ的な」

「………」

「………」

「……ヒッキーのば───」

「待て」

「───……《むすっ》」

 

 頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。

 ヒッキーのばか、という言葉を途中で遮ったことには意味はあるにはある。きっと言われると思ったからだし、それを言ったら完全に心が諦めに向かうだろう。

 そう、ぼっちに限らず、諦めてしまえば“それ”への興味は一気に下がる。

 ならば俺がするべきことは、結衣にこれはデートだと言ってやること……なんだが、この喉が、長年屁理屈を口走りまくっていたこの声帯が、デートなんぞリア充のするものだとばかりに認めようとさせてくれない。惚れ直したとかは言えるくせに、とんだヘタレである。

 どうする、時間はない。むすっと拗ねてしまった結衣をどうにかして気持ちよく買い物に向かわせるには───

 

「───」

 

 まじか。やらなきゃだめ? ほんとだめ? 恋人繋ぎよりもレベル高いんですけど。腕組まれるより砂吐きそうなんですけど。

 否。泣かせるくらいなら、こんな顔をさせるくらいなら俺は喜んで敗北を選ぼう。

 そう、これは敗北だ。ぼっちとして恥じることのない立派な敗北。

 なにもリア充っぽいから勝者なんて定理はないのだ。“でゅぶふふふww 自由時間を女の子に奪われて可哀想でござるなぁww その点我は今からアニメ見て特撮見て有意義な時間を過ごすでござるww リア充乙ww コポォ”とか皮肉たっぷりの言葉を想像してみなさいよ、なんかもうべつに怖くなくなってきただろ。

 

「…………《するっ》」

「え───ぁ……ぅ《じわぁ》」

 

 無言で、繋がっていた手を振り払う。

 すると、結衣が驚きと絶望を混ぜたような顔のあと、みるみる涙を溜めて───ぽろり、とこぼす前に、隣へ歩き、その肩を抱いて引き寄せた。

 

「ひゃあっ!? え、あ、え……?」

 

 密着する体。グイ、と引き寄せた勢いで、俺の胸にとすんと身を預けた結衣は……相変わらず、小さく感じる。

 ほれ、小ささを確認したならいけ。勢いでいろいろ言っちまえ。泣かすのはNGな。だからいけっ!

 

「ぐっ……あ、あの……な。み、認めるのが難しいってだけで……俺だって、お前以外とか嫌だし……だな。つ、つつつつまり、その、アレだよアレ……。……いいんじゃねーの? そういうことで……」

「…………」

「あの。今こそ空気読んでくれると嬉しいっつーか……」

「……解んない……。解んないよ、そんなの……《ぐしっ》」

 

 涙がこぼれる。それを咄嗟に常備しているハンカチで拭って、それを渡してやり、人に見られないように抱き締めてやる。

 

「…………ヒッキー」

「お、おう?」

「……なんかすごい手馴れた感じにされたけど、誰かにしたことあるの……?」

「あるわけねーだろなに言ってんのお前」

「こんな時なのに真顔で言われた!?」

「涙は人に弱みを見せるからな。だから涙は人に見せるな。……見せるなら俺に見せろ」

「ヒッキーが泣かせたんじゃん……」

「……悪かった。何度も言おうとはしてみたんだが……喉に詰まって出てきやしねぇ」

「……え? じゃあ……」

「だからよ……えと、なに? だだだ男女がこんなとこ来て、肩抱いて歩いてりゃ……よ。女はどうかは知んねぇけど、男は間違いなく、そいつのことが好きで、デ、デデ、デ……で、かけ、る、ことも……意識してんじゃねーの……?」

「……デート」

「いや、だから」

「デート。……ヒッキーから、ちゃんと言ってほしいな」

「デ……、デ……」

「うん」

 

 あの、やめて? 涙拭いて? 潤むどころか涙目で、期待を込めて見上げられるってすげぇ破壊力だから。

 つかママさん、あなたこれ狙ってました? 男物の服を着て、胸を窮屈そうにさせた恋人を胸に抱いて、そんな娘が人を期待を込めた目で見上げてくるって、なにこのシチュエーション。

 ……あえて言おう。ノーパンノーブラであると。

 もちろん服を買いにきたのは、結衣のそれらを買う名目もあったわけだが。だってノーパンノーブラで、俺のYシャツだけ着せて過ごさせるとか俺死んじゃう。じゃあ俺だけで女性ものの下着とか買ってこいって? やめてください死んでしまいます。

 

「で、ええと」

「それ違う。もっかい。はっきり」

「お前鬼かなにか?」

「えへへぇ、ヒッキーのお嫁さん」

「───(結婚しよ)」

 

 心がきゅんとした。くそ、反則だろこの天使。

 キスとかしたくなるだろうがキスするぞよしキモいな落ち着け俺よし落ち着いた。この間わずか二秒。

 

「…………デート・ア・ライブ」

「アライブいらないよ!?」

「デ……デントラニー・シットパイカー」

「なにそれ!? え……なにそれ!? デッ……なにそれ!?」

 

 すげぇなおい。なにそれ3回言われたぞ、シットパイカー。

 

「デ、デ……ザート」

「それも違うってば! あ、でも近くにハニトーが美味しいお店あるんだ。買い物のあと、いこっか」

「よし行こうすぐ行こう今すぐ行きたいまである」

「買い物の後ね? その前にデート」

「………」

「ヒッキー……だめ?」

 

 おのれこの恋人、俺が袖を摘まれたり上目遣いされたり潤んだ目して頼めばなんでもやってやる男だとでも思ってんじゃないですかね。

 一度しか言わないからよーく聞───あれちょっと待って? なんで言う方向に意識飛んでんのん?

 

「……結衣」

「《がしっ》ひゃっ……ヒッキー?」

 

 しかし言うと決めたら腹をくくる。

 さあ敗北しよう、敗北は得意だ。諦めることなら俺に任せろ、なにせぼっちは最強人類。

 結衣の両肩を掴んでまっすぐに見つめ───あ、だめ。キスしたいとか思ってたら我慢出来なかった。

 

「《ちゅっ》……!? は、ふひゃっ!? ヒ、ヒッキー!?」

「ひゅいっ! ……げふんっ! ……ゆ……ゆゆ結衣、好きゅ、す、“好き”! ……だっ。俺も、お前と出掛ける全てをデッ……デデでぇっ……~~っ……“デート”!、って……意識したい」

 

 噛みまくり、言い直しまくり、叫ぶように勢いをつけなきゃ言えもしない言葉だらけ。

 それでも……結衣は真っ直ぐに俺を見ていてくれて、それだけでも勇気付けられた。

 ああ、うん。もうほんとだめ。俺こいつのこと好きだわ。

 

「───…………《かぁあああっ!!》……ぁ、……ぅ……ぁぅ………………うん……うん、あたしも……!」

 

 言ってしばらく、結衣の顔が一気に赤くなる……が、それで黙るのではなく、涙を浮かべながらも頷いてくれた。

 なんか……最近俺ら、青春してばっかな。泣いてばっか。仕方ないっちゃ仕方ないのだが。

 何故ってほれ、幸福を与え合える所為か、なんというか涙腺もろいのね、幸福側で。

 嬉し泣きっての? あれがよく出るようになった。それこそ仕方ないでしょ嬉しいんだから。好きな相手にしてほしいことをしてもらえるって、どんだけ幸せか思い切り深く考えたことある? マジで幸せですからね? 少なくとも俺は。

 

「ひっきぃ……」

「結衣……」

 

 そうして二人、少し顔を傾けキスをする。

 ちゅ、ちゅ、と啄ばむようなキスから、やがて深く舌を絡ませたものへ───

 

「うわすっげ……! 俺マジもんの青春ラブコメ見ちゃったよ……!」

「ちょっとやめなさいよ……! はぁ、いーなーあの娘。私のカレシなんてこれだもんなー」

「写メるべョ! いンや~朝っぱらからいーもん見ちまったカンジ? あれちょ、スマホどこだっけ」

「やめなさいっつってんでしょ! 女の嬉し涙を彼氏以外が持ってていいと思ってんの!?」

「ちょ、こんなの遊び半分っしょ~!」

「うっさい黙れ」

「う、うす。…………っべーわ……」

 

 ───……発展したのち、すぐに顔を真っ赤にして離れた。

 

「ほらあんたの所為で! 死ねこのばか!」

「ちょ、悪かったって~! あ、カレシくんごめんね~!? 俺らに構わずラブっちゃうといいっしょー!」

「だからそういう軽いのやめてってんでしょ!? ……はぁ、ほんと別れよっかな……」

「ごめんなさい許してください」

 

 離れたけど、手は離さない。結衣も……俺も。

 大変悔しいことに、離れたくないって本気で思ってしまっている。

 ぼっちだった俺が、随分とまあ人恋しくなったもんだなと……呆れはしても誇れもするのだから、人間、なにが転機になるかなんて解らないもんだ。

 

「……い、いぃい……いこ、っか……ひっきー……」

「お、おう……行く、か……。ゆい……」

 

 人差し指と中指の先が、軽く絡んでいる程度のそれ。

 それが、ちらり、ちらりと互いをチラ見して、むず痒いのが湧き上がる度に接触部分を増やし、絡んでゆく。

 やがて手が完全に絡まる頃にはいつも通りに“えへへぇ”と笑う結衣が腕まで組んでいて、俺の肩に頭を預けながらとろけた顔で微笑んでいた。

 そして俺の腕でむにゅりと潰れるノーブラの破壊力。ちょっと奥さん、バレないために二重に服を着させてもこの破壊力ですよ? なにこれすごい。女の子って存在だけで神秘だわ。

 

「まず服屋、行くぞ。お前優先な。拒否は認めない」

「う、うん……あ、でもヒッキー……」

「俺への視線の集中砲火なんぞ、お前が受ける羞恥に比べりゃ安いもんだ。それよりも今のお前が男どもに見られることが嫌で嫌で仕方ない。だから頼む」

「……~~~~……」

「《ぎゅううう!》お、おいどした?」

 

 突然顔を真っ赤にした結衣が、声にならない高い声……声? をあげて、俺の腕を固定してぐりぐりぐり~~~っと顔をこすり付けてきた。

 

「なんで、ほんと、なんで……~~~……ずっこい、ほんとずっこいヒッキー……!」

「ずっこい? 何弁?」

「い、言ってみただけ……って、別にそんなの今ツッコまなくてもいーじゃん! ほんとヒッキーって、ほんと……! デートが言えないくせして、なんで……!」

「よく解らんが、とにかく行くぞ。民の視線が痛い」

「う、うん………………民?」

 

 偉い人は人々を民草と言いました。つまり俺らは民。べつに俺が偉いわけではないが。

 “顔で腕ぐりぐり”をやめない結衣をそのまま引きずるように、電光マップで服屋の位置を確認、エスカレーターで階上へ移動して、服屋を目指した。

 



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つくづく、人と人との縁は不思議である①

はい! ミ・マドモワゼル!
喫茶ぬるま湯アフターの外国のオカマオネエはこやつが原型。うるさくてうるさい。


 ───俺への視線の集中砲火なんぞ安いもんだ。そう言ったな? あれは嘘だ。

 

「失敗した……」

「お客様?」

「えひゃいっ!? えなぁあなななんでしゅか!?」

「ぷふっ……! いえあの、お困りでしたら、彼女さんを待っている間はこちらへ……」

「~~~……」

 

 笑われた上に気を使われてしまった。もうやだ死にたい。

 さて男性諸君。我らが友よ。あなたは恋人と服を買いに行く時、何処に行く? 当然服屋だろうが、彼女に足りないものはなんだっただろうか。

 ……ああそうだよ、今俺はランジェリーショップに居るよ。

 服屋、という名前に見切りと勇気を貼り付けてやってきたはいいが、服屋に着くなり結衣が「ヒ、ヒッキー……そっちじゃないし……」って袖を引っ張った。

 え? 服屋だろ? え? と首を傾げる俺を引っ張って、やってきたのが……このピンク色が眩しいソロ男子禁制の女の園である。あー眩しい、ピンクってこんなに眩しかったっけ。

 いや解ってるよ? こんなのただの布だって。素材になにが使われていようが布は布だよ。

 俺が装着中のトランクス王子だって似たような素材で出来てるよきっと。嘘です! 全て嘘です! いやほんとだって。

 

「ぃゃ……つ、ツレがここで待っててって言ったんで……」

「そうですか。なにかお困りになりましたら気軽にどうぞ」

「へゃ、ひゃい」

 

 最後の返事でまた笑われてしまい、もう恥ずかしいやら死にたいやら。店員さんは笑顔……ええ、エイギョウ=スマイルではない本当の、彼女自身の笑顔で去っていったよ。不思議だね、こう喩えると笑顔を知らないあの娘に笑顔を取り戻させた、みたいに聞こえるのに、笑われたの俺なんだよ……。

 しかしほんとね、ハッキリ言うよ。ラノベのラッキースケベとかアホだろって思う。なにあれ。更衣室で恋人とキャッキャウフフとかあれ無理だからね? いや恥ずかしいとかじゃなくて、店員さん、結構更衣室とか凝視してるからね? 入る人の確認、きっちりしてるからね? 結論を言おう、あんなスケベは起こらない。するつもりもないが。

 恥ずかしさを紛らわすためにフィクションに無駄なツッコミを入れる自分が余計に恥ずかしい死にたい。そもそも俺はフィクションくらい自由であるべきだと思っている。じゃないと救いがないだろ。

 マッカンを愛する者よ、やさしく、甘くあれ。想像の世界はやさしく静かで、時に熱く残酷で、そして甘く自由でなければならない。

 想像まで固定されたらぼっちは日々の癒しになにを選べばいいのか。

 

「ヒ、ヒッキー、ちゃんとそこに居るよね?」

「居るぞー」

「うん……よかった」

 

 なにが、とは言わない。お前は夜トイレに行けなくて、トイレの中でオトモの確認をするレディーですか? とも言わない。

 正直俺だって同じことするよ。だってここまで下着無しだったんですよ? それで置いていかれることとか想像したらどうですか。試着は出来ても、買うまでは履いたままではいられないんだ、その状況でオトモの存在は神にも等しい。つまり近くに居ないと泣いちゃう。

 

「で、決まったか?」

「決まったけど……試着してから、また元に戻るのって……すっごくスースーして……うぅうう……」

 

 だよな。下着、大事だよな。

 夜の風呂上り、下着は着けずにパジャマだけの方が睡眠には向いているっていうからやってみたが、アレの心細さってすごいからな……。

 まあ実際、初めての夜の結衣がそうだったわけだが。

 ……事故の時のパジャマを初体験の時に装着させるとか、ママさんなに考えてんですか。

 お陰で多少ひっかかってた小骨程度のとっかかりも全部砕けちゃいましたよ……。

 

「だいじょぶかー……?」

「うん……買って、トイレでつければいいし……。そ、それに服、ヒッキーの匂いが……えへへ」

「おいやめろ、匂い嗅ぐな。お前こんなことのために一度俺に着させたのか。警察呼んで俺が捕まるぞ」

「警察!? やめっ───捕まるのヒッキーなんだ!?」

 

 いや普通そうだろ。ランジェリーショップで男が通報して、来てみれば試着室から出てこない女性と、その試着室の前に居る眼鏡で目の腐りを誤魔化したゾンビさん。捕まるだろ。捕まるよな? ……捕まるのかよ。

 どよどよと世界から色を消しながらぶつぶつ言ってると、結衣がカシャアと試着室のカーテンを開けて出てきた。で、出てくるなりに俺の顔を手で挟み、じーっと目を覗き込んでくる。……あら、世界に色が戻ってきた。

 

「ぅゎは~……! 解ってるけど、なんかこれ恥ずい……!」

「結衣?」

「あ、ううんっ、なんでもないなんでもっ……!」

 

 ……うむ。なんか知らんが俺、結衣見てるだけで世界に色を取り戻せるっぽいな。むしろ結衣以外に目を向けると腐り続けるまである。

 あれ? 俺本気で結衣が居ないとダメじゃね? 依存してんの俺だけじゃね? っべー、まじっべーわー………………べー。

 精々、捨てられないように愛していこう。それでダメならきっとダメだ。俺はたぶん、これ以上の愛なんて人には向けられない。それを結衣に拒絶されたなら、その時は素直に諦めよう。

 だから、いい加減……喉まで出掛かった言葉を飲み込む癖は、やめにしようや。……な、俺。

 

「……結衣」

「わひゃっ!? あ、ううううんっ!? なななにかな、ヒッキー……!」

 

 声を掛けて、頬に当てられた手を取って、自分から腕を絡めて手を絡める。

 ふえ……? なんて声が漏れたが、それを相手の頭を優しく撫でることで誤魔化して、一言を。

 

「改めて、俺とデートしてくれ」

「───……? ………………? ……? ───!? ~~~~!?」

 

 結論から言おう。怒られた。場所くらい考えようね、俺。ああピンクって眩しいなちくしょう。店員さん爆笑じゃねぇかよ。

 

   ×   ×   ×

 

 で、道具欄の下着に竜の冒険よろしくEをつけ、ついでに服屋で新しい服をEした結衣を連れ、いよいよ俺の服選び。

 ……実際に道具欄なんてないし、Eなんてつけようがないから気にすんな。そういやあのEってなんなんだろうな。EQUIPのE? だろうな。意味は“装備”だし。

 

「ひっきぃ……よかったの……? ほ、ほんとによかったのかな、服とか買ってもらっちゃって……」

「おう気にすんな。節制出来る底辺の男子ってのは、無駄遣いなんざしないもんなんだよ。ガキの頃からの貯金男子の貯蓄、甘く見んな」

 

 お陰で服だってパッとしねぇけど。いいじゃんユニクロ先生。無地のシャツとか大好きです。

 でも千葉愛に溢れるシャツはもっと好きです。

 どこのどなたか存じませんが、マッカンを千葉にありがとう。

 

「で、メンズショップに来たわけだが……よし解らん。結衣、任せた」

「うぇえ!? いきなり丸投げだ!? ヒッキー、自分のことなんだからちょっとは考えようよー……」

「あほか、俺が今さらお前以外の視線なんざ気にするか。あ、羞恥心的なあれは別勘定で。男にランジェリーショップとか無理だわ。なにか大切なものがゴリゴリ削られていったわ」

「まだ言ってるし……えと、じゃあとりあえず上から見ていこっか」

「おう」

 

 そして始まるファッションショウ。

 結衣は「これいーかも!」と思ったものを片っ端から掻き集めて、俺を更衣室に突っ込むや「はやくはやくー♪」と急かしてくる。うるさいやめろ、こんなアホみたいな値段の服なんざ着るどころか触るのも初めてなんだよ。うっかりしたら破けちゃうだろうが!

 

「………なんだこれ。え? どうやって前止めんの? ボタンは? え?」

「ヒッキー、一番上のやつ、腕通すだけのやつだかんね?」

「まじか。……なにこの頼りなさ。うわたっか! そのくせこの値段かよ……! なにこれ、服屋やれば億万長者じゃね……?」

 

 八幡服飾目指す! うそです。

 

「着た?」

「着たっつーか、腕は通したな」

「見せて見せて! 開けていい!?」

「いや俺べつに見世物じゃねぇし。マネキンに着せたほうがまだ見栄えするだろ。というわけで断る《カシャアッ!》キャーーーッ! なにするばい!」

「ヒッキーキモい」

「勝手に開けといてひどくない? ねぇ、ひどくない?」

 

 しかししっかりと俺に正面を向くように立たせて、少し離れて「むふーん!」とドヤ顔で品定めみたいなことをする結衣は、なんつーか……じゃんけん外道奥義であるピストルの形にした手を顎に当て、とても嬉しそうだ。

 

「ヒッキーヒッキー! 次これ! これ着てっ!」

「え、いやおい、俺」

「ほらこれ脱いで! ほらほら!」

「なんかテンションおかしくなってない? ねぇ、ちょっと?」

 

 着ていた服を脱がされ、また突っ込まれる。

 仕方ないのでパパッと着ると、カシャアと開けて無駄に迫力をつけたファッションポーズを取る。まあなんだ。いわゆるJOJO立ちである。

 

「《ゴゴゴゴゴゴゴゴ……!》」

「ヒッキーキモい」

「」

 

 言葉もない。泣いていいよね俺。

 ともあれそれからもファンションショウは続き、げんなりする俺を余所に結衣はどんどんとツヤツヤになっていき、結衣が特に気に入った服を何着か買って終了。

 

「んー……次、どっか行くか? 正直なにがどうファッションになるのかとかさっぱりだ」

 

 早速トイレで着替えてきた俺に、結衣は緩みっぱなしの顔のまま、えへへぇえへへぇと俺の腕を抱きながら歩いてる。

 

「あ、そだね。あとは……髪型とかかな。ヒッキーあんま気にしてないけど、ちゃんと整えないとちょっと不潔に見えるよ?」

「まじでか」

 

 ヒッキー知らなかったよ。まさか不潔とまで言われるなんて。

 

「んじゃあ……なに? 床屋?」

「美容室」

「お、おう……そうなのか。……ん? 理容室じゃないのか?」

「理容室はカット専門みたいなとこかな。今じゃそうでもないけど。美容室は容姿を整えるとこって感じ」

「理容が男で美容が女ってイメージだったな……知らんかった」

「えへへー、こっちではあたしの方が知ってるね。あ、でも予約無しだとキツいかなぁ」

「予約制なのかよ……すげぇな美容室」

「そりゃそうだよ。この街だけでも女の子が何人居て、美容室が何件しかないと思ってんの」

「なるほど、すげぇ説得力だ……」

 

 そして早速行きたくない。なにそれつまり女性の戦場じゃないですかやだー。

 

「ん、待て。散髪とか美容ってことは、なんだ? もしかして眼鏡取るのか」

「あ、そだね、うん」

「……キモがられて入店禁止とかにならない?」

「さ、さすがに大丈夫だと思うけど……」

 

 だって俺だぞ? 未だどよどよしてると幼馴染で恋人で婚約者の人にキモいとか言われるんだぞ?

 そんな愛に餓えたゾンビを受け入れる美容室なんて───

 

「トレビア~~~ン!」

「………」

「………」

 

 なんだろう。なんか聞こえた。でもなんでだろう。振り向きたくない。

 

「なにやらお困りのご様子! おめめのことで心配ごと?」

 

 無視したい。したいけど、サッと視線だけで周りを見ても、俺ら以外はとっくに居ない。いや最初から居なかったんだが。

 

「だったらあちしにお任せ! 心配ゴムヨー、あちしは怪しい者じゃ~あ~りません! ───あちし、後光寺浩二。ごこうじオネエでもこうじオネエでも好きに呼んでくれていいわよ」

 

 ぎぎぎ、と振り向いてみると、そこにすらりとした細身……っぽく見える、細マッチョなオネエが居た。

 顔、めっちゃ美形。髪、ショート。体、細いけどしっかりしてる。足、内股。なんかブルー将軍の髪がちょっと長くなったバージョンな人がボンジュールボンジュール言いながらクネクネ動いてる。

 

「お、お呼びだぞ、結衣」

「うぇええっふぇぇっ!? いぃいいいやいやいや今確実にヒッキーに言ってたよね!?」

「結衣、愛してる」

「なんであえて今言うの!? 怖いよ!?」

 

 などとわたわたしていると、くねくねが近寄ってきた。あ、やばい、これ“ワカラナイホウガイイ”とか言っておかしくなるパターンだ。

 

「ンマーーーアアステキ! なんて綺麗な腐った目!」

「おい。腐ってんのか綺麗なのかどっちだよ……」

「綺麗に腐ってんのよぅ! ここまで育てるの苦労したでしょ~っ!? かく言うあちしも昔は……ね《ヴァチーム》」

「いえウィンクとかノーサンキューですし僕アレがアレなのでそろそろ失礼を」

「美容室探してるんでしょん? だったらあちしのところに来なさいな。これでも腕に自信があるのよん」

「いえ結構ですなんか尻がむずむずするんで」

「なによ! あちしのことが怖いっていうの!? オネエなめんじゃないわよ!」

 

 なめてないしなめたくもねぇです。つかなんでオネエって“なによ!”って叫ぶんだろうか。

 

「いいから来なさいな、ほらそこのお嬢ちゃんも。べつに取って食ったりゃしないわよ。あちし、嫁さんも子供も居るし」

『えぇええええええっ!!? ウッソォオオオオオッ!!?』

「なによ! 失礼なガキどもね!!」

 

 二人して本日最大級に驚いた。とんだクロマティ高校である。

 

……。

 

 連れ攫われた場所は、ずいぶんとまあ綺麗で大きな美容室だった。どうやら休みの日だったらしく、随分と静かだ。

 それよかこの店を見てから結衣があわあわしだしたんだが……なに? やばい店なのん? ヤクゥザ的な? はたまた尻を守らなきゃいけない的な……? え? まじで?

 

「はい、ようこそあちしの店へ───ってアータ露骨に尻ガードしてんじゃないわよ! 確かに好みだしその目とか見てたらゾクゾクしちゃうけど、べつに襲ったりとかしねぇわよ!」

「う、うす」

「あ、あの、あのあのあの、ここ、ここって……」

「あら。そっちのお嬢ちゃんはウチのこと知ってるみたいね。嬉しいワ。そう、こここそがあちしの店! その名も───!」

 

 細マッチョオネエがなんか叫んでる内に。俺は結衣にここがどんな場所なのかを聞いた。

 聞いて、たまげた。なんでもここらじゃ超有名、予約も随分先まで埋まっているというとんでもない美容室なんだとか。

 

「ちょっと聞きなさいよアータぁ! あちしが説明してんのに恋人に訊くとかどういうこと!?」

「いや、やかましかったもんで」

「あら。その隠さない態度、嫌いじゃないわ。それで、今日はそっちのダーリンを美しくすればいいのよね?」

「俺のハニーは結衣だけなんでダーリンとかやめてください」

「ひっきぃ……!《ほわぁあ……!》」

「なによ! 人の店ん中でいちゃついて! けどいいわ、アータら実にバカップルよ。最近の男女なんて別れること前提の遊びみたいなのばっかで、心に来ないのよね。だからあちしは実際に会って、気に入った子の予約じゃないと受けないの。適当に散歩してて、出会った瞬間ビビっときたのなんてアータ、久しぶりで滅多にないことなのよ?」

「……《ソッ》」

「だから尻ガードすんじゃないわよ!!」

 

 それから、オネエさんの美容授業が始まった。

 正直道具とかの説明とか手順とかなにからなにまで素人な俺は、曖昧に頷くことしか出来ず、必死にメモを取る結衣に任せっきり状態だった。

 

「へぇえ……意識改革ねぇん……? ということはアータ、この嬢ちゃんのために変わろうって思ったのねん?」

「……俺は変わろうとしても変われなかったから、結衣になら変えられてもいいって思えたから……それだけっすよ」

「ヒッキー……」

「いいわね、愛ね! こんな真っ直ぐな愛ってば久しぶり! 捗るワ! ちょっと嬢ちゃん、手順とか必要なものちゃんと全部メモっときなさいよ? あちしが技術見せるなんて普通はありえないんだから」

「え、は、はいっ」

「い~い? このコはアータに変えて欲しいって願ってるの。アータに、自分の容姿の全部を委ねたいって、本気で思ってるのよ? その思いをきちんと受け止めて、アータが磨いていくの。それからアータ」

「う、うす」

「アータはこの嬢ちゃんを磨いていきなさい。この娘、原石もいいところよ。こんな真っ直ぐ相手を見る子なんて、ほんと滅多に居ないんだから。ったく最近の若いやつらは技術で綺麗になることばっかで、乙女心で綺麗になることを知らねぇ……! その点、この娘は満点! アータ、随分前から想われてるわネ! あ、それは嬢ちゃんもネ! でなきゃこんな、自分を犠牲にし続けたみたいな腐った目になる筈ないもの!」

「う、うす……《かああああ……!》」

「ひっきぃ……《かぁああ……!》」

「やべぇなにこの二人ほんッとステキ……! ああんもう嬢ちゃんもこっち座んなさい! いーから! メモなんてあちしがあとで書くから!」

「え、え!? ひゃあっ!?」

「んんん~~~~んんん!! いい手触りネ! 痛んでない髪なんて久しぶり! 普段からよっぽど気にかけてなきゃこうはいかないワ! 好かれたくて努力した証拠! ヘタに脱色するとかアホよアホ! 頑張ったわネ、アータ!」

「え、あ、あぅ、あぅう……!!《チラチラ……かぁあああああ……!!》」

 

 結衣が俺を何度もチラ見して、顔を益々赤くさせる。やめて、自分のために結衣が頑張ってたとか考えると俺も赤くなるから、やめて。

 

「アータも近頃のズボラな男みたく、ヘアシャンプーぎっとりつけて洗ってるわけじゃないみたいね。薄めて使ってるわね?」

「あ、うす」

 

 貧乏性なもんで。自分の分は自分でって考えればそりゃそうなる。

 

「頭皮は洗いすぎると皮脂を過剰分泌させちゃって、髪も毛根も弱ってっちゃうからね。そうなると毛がほそーくなっていって、ちゃんとそこに毛があるのにハゲに見えてくるの。いい? シャンプーは多少薄いくらいか、一日・二日くらいシャンプー使わず、熱すぎないお湯で丹念にもみ洗いするくらいで丁度いいのよ」

「まじすか」

「あとシャンプーのつけすぎは……ハゲるわよ」

「心から気をつけるっす」

 

 なんでだろう。このオネエに勝てる気がしないのは当然として、言われたことがすとんと胸に落ちてくる。何故? まずは疑ってかかるのが常のぼっちマイスターな俺が。

 ……あ、そっか。この人、自分も腐った目がとか言ってた。受け取りやすいんだ、なんか波長を合わせてくれてるっつーか。

 まあだからってなんでも鵜呑みはしないが。

 

「前の方、ちょっと切るわよ」

「結衣、好み頼む」

「ふえっ!? あたしっ!?」

「あらそうだったわね。嬢ちゃん? 髪型はどんなんがいい? あちしに任せんだったらそりゃもう大胆に行っちゃわよ?」

「……あんまり変わり過ぎないのがいいです」

「あら。あらあらあら。嬉しいこと言ってくれるじゃないのぉ。よっしゃ任せときんさい、あまり変えすぎず、けれど眼鏡も持ち味も活かせるダーリンにしてあげるワ!」

「助けてくれハニー、この人鼻息荒い」

「なによ! 気にしてんだから言うんじゃないわよ!!」

 

 そんなわけでシャキショキパッツンワシャワシャファゴーリ。

 髪を整える程度に切られて、顔にいろんなものぺたぺた塗られて、今までやったこともやられたこともないことも散々とされ───結構な時間が経った頃。

 

「はいいいわよー? 椅子から降りて、自分の目で見てみて?」

 

 途中からずうっと目を閉じているように言われ、今ようやく終わったらしいそれののち、椅子から降りて目を開ける。───と、目の前にサワヤカな眼鏡男子が居た。突然の出現に体がびくりと跳ね上がり、拍子に眼鏡がずれたんだが……相手も同じ眼鏡をしている。

 おいおいお前誰の許可得てその眼鏡つけてんの? それ俺の大切な人が買ってくれた俺の至宝よ?

 なんて眼鏡を少しずらして、腐った目で睨みつけると、相手も同じポーズ。

 

「………」

 

 はは。いやいや。…………え?

 まさかそんなアッハッハ。…………え?

 

「は~い嬢ちゃんもいいわよ~? うぅん、さっすがあちし! まだまだ腕は死んじゃいないわネ! 最近はイ~イカップルが居ないから心が弾まなかったけれど、いい刺激になったわァ」

「んんっ……んあ~~っ……!」

 

 隣の椅子で、ぐうっと伸びをする天使が居た。

 あ、やばい。伸びをする仕草めっちゃ可愛い。いや、綺麗。可愛くて綺麗。なにこれ、ハイブリッドすぎる。

 

「ゆ、結衣?」

「え? ヒッキ───……ゎぁあああ~~~~っ……!!」

 

 呼んでみれば振り向き、俺を見て……きゃらぁんと目を輝かせた。正直に言えば髪型の名前とか知らんから、これがなにカットなのかも知らん俺だが、どうやら好評らしい。

 

「すごいすごい! ヒッキー別人過ぎ! でもちゃんと解るっ! あははっ、ヒッキーだ!」

「おいやめろ、なんか物凄ぇ勢いで引き篭もりって言われてるみたいだから」

「ぇゃあやや違う違うよ!? そんなつもりじゃないし! …………えへへぇ~~~♪」

「……その。結衣。えっとだな。思ったこと、そのまま言うな。可愛くて綺麗だ。すまん、見蕩れてた」

「う、うんっ! うんっ! ヒッキーも格好いいよ! すっごい格好いい!」

「ンでしょぉお~~~ゥン? なにせあちしが本気を出したんだから、当然よネ。ああそれと嬢ちゃん? これ、手順と必要なものネ。安くてそこそこイイの書いておいたから、切らさないように頑張んのよ。アータがしっかり磨いてやんなさい」

「は、はいっ!」

 

 コサッ、と取り出したメモを、細マッチョ氏が結衣に手渡そうとする───のを、割って入って受け取った。失礼だろうがごめんなさい、やっぱ無理。

 

「や、ちょ、ヒッキー!? し、失礼だし───」

「だっははははは! いいわぁ! いいわよダーリン! 男はそのくらい嫉妬深くなきゃいけないわ! ただし理解の無い嫉妬は見苦しいだけだから気をつけるのヨ?」

「……っす」

「おう、素直なコは好きよ? それじゃあお値段なんだけど。ンー……こんなんかかるけど、払える?」

「えっとー……? ───!? すっご!? え!? ヒ、ヒッキー……!?」

「あー、俺が纏めて払うんで」

「マアアア男らしい! 女々しい野郎なんてここでお前も出せよとか言い出すのに……“粋ネ”! “粋”ッッ!! じゃあちょっと。ダーリンに嬢ちゃん? メアドとケー番教えなさい。そしたら割引したげる」

「……《ソッ》」

「……《ソソッ》」

「二人してダーリンの尻ガードしてんじゃないわよ!! そーじゃなくて、プライベートでもお友達になりましょっつってんのよ! 最近ほんとつまらない男女ばっかでもううんざり! ってとこだったのよ。なんか面白い話があったらメールでもなんでもくれればいいから、それで割引。悪い話じゃないでしょん? あ、なんならファンデとかいろいろ、安く提供してあげてもいいわよ?」

「あの……嬉しいんですけど、なんでそこまで……?」

「芸術家にとって、やる気が起きないことほど死活問題ってのはないのよ。そしてあちしは美容の真髄を求めているっていうよりは芸術を求めてるの。だから大体の仕事は弟子にやらせてるし、あちしは考え事してば~~っかり。そんな日々に飽きてたところにアータたちよ! あちしもう幸せだったんだから!」

 

 くねくねを前に、結衣がおろおろと怯える。

 突然年上に友達になろう、なんて不安を抱くには十分な条件だ。

 それは俺も───…………あれ? ちょっと待て? ……うん?



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つくづく、人と人との縁は不思議である②

 ……じっくりと考えてみて一言。

 やべぇ。オネエ枠なんて用意してなかった……!!

 一色に引き続き、どうしてあんな喋っていたのか、その理由が解った……!

 

「……んじゃ、その。オネエ枠っつーことで」

「あら素直じゃない。それに枠ってことは…………なるほど、そういうぼっちなのね? ますます気に入ったわアータ。線引きで割り切れる男の子、嫌いじゃないし。ちなみにあちしはカマぼっちだったわネ。女より女を目指した男。それがあちし」

「う、うす」

「尊敬する人はスカロンさんね。ゼロの使い魔っていうラノベに出てくるんだけど、見ず知らずの男女を事情も聞かずに抱き寄せるあの包容力……惚れたわ。あ、ところでアータ、名前は?」

「比企谷八幡。……結衣はどうする?」

「あ、あたしも。由比ヶ浜結衣です」

「あら~、結衣ちゃ」

「おい《ギロリ》」

「あらやだ、あらやぁだぁ! しっかり恋人してるじゃなぁ~~いぃ!」

「あの。あたし、ヒッキー以外には名前で呼ばれたくなくて……ごめんなさい」

「いーわよいーわよぉ! それでこそってカンジじゃない! こっちこそごめんなさいね、ガハマちゃん? でいいかしら」

「あ、はい」

 

 え? いいの? 俺もそれならそりゃあ安心だけど。

 

「あちしもブルー将軍に似てる所為でいろいろあったけど、ブルー将軍呼ばわりしなきゃ無茶しない性格だから。そ・れ・と、あちしのことはオネエでも後光寺でも浩二でも、好きに呼びなさい。あちしたちは協力体制にあるんだから」

「じゃあオネエで」

「オネエで、いいですか?」

「ヤバイわノリがメッチャ素直! こんなの久しぶり! あ、じゃあ友達価格でこんなもんでどうよ」

 

 電卓がカタタッと叩かれ、値段がンバッと表示される。

 幾分下がったが、さすがにいい値段───と思ったら、結衣が次々に化粧品やらなにやらを持たされていた。

 ……え? なんか高そうなのばっかなんですが? よく知らんけど。女のああいうのって高いもんってイメージだからちょっと……。

 

「これだけお付けしてこのお値段よー! んふふふふ! 一度やってみたかったのよこれ! 夢のジャパネェットGOKOU~~ッ!! Fuu~~ッ!!」

 

 やめてくださいいろいろまずいです。

 

「あの。なんかヤケッパチになったとかそんなんじゃないっすよね?」

「なぁああに言ってんのぉおお! むしろやる気に満ち溢れて困っちゃうくらいだわよ! あ、でもきちんとレポート頂戴? それ試供品ってゆーか、こう、アレよアレ。モニター? 試用品みたいなもんだから。あちしの美容のコンセプトは“恋する男女の成長”なのよ。だから、ダーリンやガハマちゃんに会えたのはほんとにね、ラッキーなの。渡したそれらはほんとに使ってもらっちゃって構わないから、一週間毎にレポートをくれる? 世間は人の感情、好いた惚れたなんて肌や成長に関係ないなんて言うけれど、あちしは人の感情ってものを信じてるのよ。だから、ね?」

「オネエさん……は、はいっ! 頑張りますっ! ね、ヒッキー!」

「お、おう。……おう」

 

 たぶん、この人のぼっち属性は真っ直ぐすぎた“愛への信頼”。愛だ恋だ、人の感情を信じすぎてウザがられて孤独になったタイプだ。

 となると、奥さんはそんな愛を信じてくれた人、ってことだろう。

 そんなことを考えていると、オネエ氏が俺の目を見て、どこか自虐と懐かしさを混ぜたような顔で苦笑する。

 

「お互い、いい人に巡り合えたわね。……大切にしなさいよ? 一生モノよ、ほんと」

「……うす。こいつを幸せにすることだけは、他の誰にも譲るつもりはねっす」

「ヒッキー!? え、な、なに言ってんのいきなり! キモい! ヒッキーマジキモいし!」

「ぷっははははは……!! ほんと可愛いわねぇ~~……! あちしにもこんな時代があったわぁ~……!」

「ヒッキー!?《がーーーん!》」

「おい待てやめろ。俺はべつにオネエになるつもりはねぇよ気持ち悪ぃ」

「なによ! オネエが気持ち悪いっていうの!? ナメんじゃないわよ!」

 

 目指してみればなかなか遠い場所。

 たまたま立ち寄った場所で、不思議な出会いがあった。

 ……そしてまさかのオネエ枠が埋まった瞬間であった。どうすんのこれ。

 男の娘枠に戸塚、中二枠に材木座。友達枠に雪乃に……母親枠にママさん、教師枠に平塚先生。そして、幼馴染、恋人、婚約者枠に結衣。

 それ以外の全ても結衣に捧げ、父親だの妹だのの枠は、黒く塗り潰されたままだ。

 これからどうなっていくのか、なんてのは知らんが、まあ……楽しけりゃいい。面倒ごともなく、こいつと二人で、枠に歩みこんだ他の人達とともに。

 

(……妹枠、ね)

 

 ふと頭の中に思い浮かべ、ずっと昔から決めていることを思い出してみる。

 それをされたことはまだ一度だってない。ないから、現在もこんな関係が続いている。

 計算され計画された謝罪に価値はなく、許されるまで相手を逃がさない謝罪もまた、謝罪とは言わない。

 残された方法なんてひどく単純である筈なのに───妹は、小町は一人で踏み出すことをしなかった。

 これ以上関係が悪化するのを恐れているのか。それとも今の方がいいからなのか。

 どちらにせよ、俺は───

 

「なぁオネエさん。悪いことをした時ってどうします?」

「そりゃ謝るでしょ」

「ですよねぇ」

 

 ニヤッと笑って、オネエさんも笑う。

 答えはとても簡単だ。悪いことをした。悪いと本当に思ったなら計算も打算も、相手の移動を塞ぐ意味もない。ただ謝ればいいのだ。

 それすら嫌だと言われたなら、俺からしてやれることはなんにもない。それすら出来ないやつには興味もない。興味がないから教えないし、教えたから謝られるのは違う。

 俺はずっと前から、“お兄ちゃんごめんなさい”が耳に届くのを待っているのに。

 

「んじゃ、行くか」

「うん。あ、オネエさん、今日は本当にありがとうございましたっ」

「試用は任せてくだっせい。請け負ったからにはきちんと努めますんで」

「期待してるわよ。あ、それとひとつ下世話なお話があるんだけど」

「ほえ? なんですか?」

 

 ほえってなんだよ。返事? 可愛いなちくしょう。

 

「アータたちがもし、アンアンギシギシやってる関係なんだとしたら、言っておくわ。本番するのは多くて一週間にいっぺんにしときなさい。それ以外の日はじゃれ合う程度でね。特に男の子はホルモンバランスにいろいろ影響出ちゃうから、たっぷり間を空けること。行ってもせいぜいキスくらいに留めときなさい。いーわね?」

「っす」

「え!? ……え、えー……? ひっきぃ……」

「いや、言われなくてもそうするつもりだったからね? やめて? 買ったばっかの服引っ張らないで?」

「性的じゃなければ、抱き合ってキスくらいならたぶん平気よ。それで我慢しなさい、ガハマちゃん」

「うぅう……はい……」

「あぁ、解るわぁガハマちゃん。女の子って男より性欲強いからねぇ、我慢するとか大変でしょう?」

「うひゃわぁああっ!? いぃいいいきなりなに言い出すんですかゴコーコさん! 性欲強いとかっ! 信じらんないし、まじありえないですっ!」

「あら。ゴコーコさんってあちし? あだ名なんて久しぶりだわぁ」

「ひゃあっ!? ごめんなさいっ、ついっ……!」

 

 いーのよおぅ、なんて返事をするオネエさんを前に、性欲強いとかどうやって知ったんだ……? とか、俺は男性として当然の疑問を抱いていた。

 ……賑やかになったよな、ほんと。

 

……。

 

 美容院を出てからは実に……デートだった。荷物をコインロッカーに預けてからは余計に。

 腕を組んでくだらない話題を語り合い、小腹が空けば言っていた店でハニトー……ハニートーストとやらを食べて、いや、うん、なかなか美味かったんじゃねぇの? 結衣がクリーム部分ばっか食わなけりゃ。

 ハニトーってことでパセラにしない? と言われれば素直に乗り、歌ったり食べたり。

 

「ヒッキー、あーん《んちゅっ》ぷあうっ!? ヒ、ヒッキー! 違う!」

「あ? キスじゃねぇの? じゃあなに」

「あーんって言ったじゃん! なななんでキスになんの!?」

「あーんって…………お前、こんな店の中で恥ずかしくねぇの?」

「ヒッキーに言われたくないし! えっ……ほんと言われたくないよ!? ななななんっ…………や、そりゃ、いやじゃ……ないけど……あう、あぅうう……!!」

 

 あーんか……高等テクニックだな。

 ハニトーを切り分けるのはいい。男の俺の口のサイズならこれでもいけるだろう。だが結衣の口に合う大きさに切り分ける……なんか地味に切りづらいよね、ハニトー。

 

「ほれ、その……あ、あーん」

「ふえっ!? あ、あぁー……うぅう……あーん……んっ、むっ……んくんく……はぁ、えへへぇ~……♪ じゃあヒッキーお返しね? はい、あ~ん《ぱこっ》もごっ!? …………んくんく……ヒッキー違う!」

「いや、あーんって言っただろ……」

「次はあたしの番! ……はい、ヒッキー、あーん」

「………」

「ヒッキー?」

「い、や……じじ自分で食えるし? だからそんな必要は《がぼしっ!》ほぶむっ!?」

 

 突っ込まれた。口内に広がるハニーな風味と、いい感じに焼けているトーストのサクサク感が、なんというか素敵だ。

 

「おいしい?」

「あ、お、おー……まぁ、悪くねぇんじゃねぇの……?」

「ヒッキーキョドりすぎ」

「ぐうっ……! ……慣れるまで、待ってくれ。……っと、結衣、頬にクリームが───」

「え? あ───…………《ちら? ちらちら……?》……え、と。ヒ、ヒッキー、取ってもらっていい? あ、ほらー、あたしんとこ今拭くものがないし、手にもちょっとクリームついちゃって、えとー……にじさいがい? が起こるかも《はむ、ちゅっ》ひゃあっ!?」

 

 結衣の口の傍についていたクリームを舐め取る。キ、キスの延長。キスの延長だから、恥ずかしいことじゃない。受け入れるんだ比企谷八幡……!

 ああ甘いなくそ、なんだこれ甘い。マッカンより甘いんじゃないかこのクリーム。

 

「……ありがと」

「お、おう」

 

 結衣が何かを言って、俺がお、おうと返す。パターンみたいなものが出来つつあった。よろしくない。

 同じことを繰り返すことは楽でいいが、それではただの作業であり義務である。俺は結衣との関係にそんなものは望んでいない。なのでどうすればいいのかを考えてみるのだが、生憎そんなものが思い浮かぶほど人との接点はなかった。接点つーか、人付き合いの経験な。だめじゃん。

 困った時は知っている人に意見を仰ぐ。それがいいらしい。なので。

 

「どうすればいいと思う?」

「それをあたしに訊いちゃうんだ!?」

 

 相談したら驚かれてしまった。そりゃそうだ。

 だが知って欲しいし言わせてほしい。自分の知らないところでアレコレ相談があって、いきなり結果だけをズバーンと出されて“さあ喜べ”とか言われたってワケが解らんのが普通だ。サプライズ誕生日会とかそれなほんとそれマジそれそれ超あるそれしかないまである。当日までそっけなくする? 寂しさを蓄積させて一気にドカン? ただの嫌がらせで実行者の自己満足じゃねぇかよ。

 喜ぶ人は普通に喜ぶんだろうが、少なくとも俺は引く。いやまじで引く。引きまくる。

 そりゃな、そういうものは過程を楽しむものだとどこかで聞いた覚えがある。準備をする者は準備を楽しみ、サプライズされる者は急によそよそしくなった友達に不安を覚えるばかり。で、いきなり俺らもう楽しんだから結果受け取れよさあ喜べ! って。そんで盛り上がらなけりゃされた方が悪い空気になるだろ? なに? 無理して笑って「わ、わー、ありがとー」とか言えっての? 拷問じゃねぇか。泣いていんじゃね?

 なので報告連絡相談のほうれんそう云々は大事と言われているが、案外言い出したやつこそ守れてなかったりするから気をつけよう。

 報告はしなきゃ意味ないし、連絡は待ってるだけじゃ仕方ない、相談は一方的な意見を押し付けてはい終了では纏まらないし、そもそもそれは相談とは言わない。オチ的には、自己中心的な人物のほうれんそうほど迷惑なものはないという話だ。

 

「解らんことは解らんって言うことにした。見栄張っても出来ること限られてるしな」

 

 分際を知ること、とっても大事。

 

「ほへぇ~……なんか、やっぱり変わったのかなぁヒッキー。前までだったら絶対、他人に頼ったりなんかしなかったのに」

「視界が広くなりゃ見えてくるものもあるだろ」

 

 むしろ自分がなにに手を伸ばせばいいのか、が見えてきたと言っていい。

 なんでもかんでもに手を伸ばして傷つく時期はやがて終わる。

 そのあとに残ったものにこそ手を伸ばし続け、散々と傷ついて、最後に残ったそれがあれば……自分はきっと、傷ついても生きていける、といいな、とは思っている。

 

(本物、ね)

 

 やっぱり解らん。

 小さく呟いて、残りの行き当たりばったりなデートプランを楽しんだ。開き直れば、案外二人で考えながらのデートも楽しいもんだ。

 行く場所を決めて、決めたなら絶対に行ってみる、とかな。今まで行ったこともなかった、または行く気自体がなかった場所にも行ってみて、意外にも想像していた場所とは違うなんてことは結構あった。

 そうした調子で散々遊んで散々楽しんで、ロッカーに荷物を取りに戻って、家路を歩む。

 今日あったことを振り返り、ただなんでもない話をするのが楽しい。

 時折、こんなに幸せでいいのだろうかと考える時がある。

 “それは本当に幸せか?”と自問。

 “ああ、これは間違いなく幸せで、俺は楽しんでいるよ”と自答。

 “妹は輪に入れないで、他人は入れるくせに?”と自問。

 “最低限の当然もしてくれない人を受け入れるのは、謝罪を受け入れるのとは違うだろ”と自答。

 よかったじゃねぇか、今頃家族と楽しく旅行中だろ?

 普通だったら友人同士の旅行にお邪魔がつくような状況なんだろうが、妹は両親に愛されている。

 だったら構われっぱなしだろう。なにも心配はいらない。

 今頃楽しそうに燥いでるだろうさ。…………友達も誰も居ない、大人たちの世界に挟まれながら。

 

「ヒッキー?」

「ん……あ、悪い」

 

 話ながらの帰宅途中。ふと気づけば会話は途切れ、俺は軽く俯きながら歩いていた。

 「どうかしたの?」と聞いてくる結衣に、どうしたものかと軽く悩んでから、結局は相談することにした。こいつは小町寄りだから、なによりもまず決着が着く方を優先させる───と思っていたのだが。

 

「そっか……そういうことだったんだ。ん、解ったよヒッキー。それは確かに、きちんと言わなきゃいけないことだし。……あたしとしては小町ちゃんに教えたげたいけど……それじゃだめなんだよね?」

「───」

 

 意外にも、結衣はなにも言わずに頷いてくれた。

 それどころか事情を知った上で笑ってくれて、「小町ちゃんが謝ってきたら、仲直りパーティーしようね!」と張り切っていた。

 あの、解ってる? 自主的に謝ってこなきゃ意味ないんだからね? 教えるのはアウトだからね?

 

「でもそれって、ヒッキーの嫌いな“あれはあいつが自分で気づかなきゃ意味がない”と同じじゃない?」

「同じは同じでも常識範囲内でだろ……恋愛事で鈍感な主人公のそれとはレベルが違いすぎる」

「あぁそだねー……」

「たぶんだけどな、あいつは俺に対して言った言葉を、自分が悪かったなんて微塵も思ってないんだと思う。俺が結衣と距離を取っていたから悪い、つまり俺はごみぃちゃんである、ってな」

「え? んー……それはないかなぁ。言ったじゃん、小町ちゃん、謝りたがってるって。そしたらヒッキー、土下座の話始めたし」

「あれは謝り方にもよるって話だったんだけどな。どの道、協力者が傍に居る内は謝罪なんて受け取れねぇよ。誰々が謝れっていうから謝った、誰々に怒られたから謝るね、なんてのは謝罪とすら呼べない」

「うーん……」

「結衣?」

「あ、ううん、なんでも」

 

 胸の前でパタパタと手を振って、なんでもないアピール。

 次いで、ぽしょりと「それでもヒッキーは許しちゃうと思うな」なんて言っていた。

 ……聞こえてますからね、結衣さん。ぼっちの聴覚をなめたらいけない。ぼっちとは人の悪口を敏感に拾うことに関してはそれこそプロ。なので大きな声よりも、小声になるほどよっぽど耳に届くのだ。なにそれ怖い。でも事実だし。

 

「んじゃ、戻ったらどうする? 読書? 勉強?」

「休みの日くらい勉強から離れようよ! ほら、もっと遊ぶとか、い、いちゃいちゃする……とか」

「隣り合って勉強するだけでも十分にいちゃいちゃだよ……レベル高けーよ……」

「あ、じゃあ勉強は勉強でもファッションの勉強しよ!」

「えー……? いいだろもう、今日は……。オネエの匠が光ってるんだし……」

「だめ。ヒッキーのそれってずるずるとやらなくなる絶頂だから」

「ぜっ…………あー……ぜ、前兆のことか?」

 

 やらなくなる絶頂ってなんだよ。なんか怖ぇよ。

 ともあれ、ゆったりと歩きながら家へと帰った。手と腕を組ながら。道ゆくおばさまにムホホホホって微笑ましく笑われたけど、気にしたら負けだろう。

 ……あ? 勉強? ……ああ、やったよ。普通に学校の勉強とファッションの勉強な。

 “ファッションの道の第一歩は他人の目を意識すること”ってなんだよ……こちとら日々を目立たないように生息してきたから、そんな世界知らないよ……。

 



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足早に、日々というものは過ぎてゆく①

 充実した日々は過ごせていると思う。

 戸塚と知り合うことがきっかけで心の整理に目を向け、結衣と恋人同士、婚約者となり、流れる時に身を委ねる日々。

 もちろん関係は順調。

 結衣と一緒に話し合い、どうせならと奉仕部に入部。

 なんか知らんけど雪乃の顔が緩む日々が増えた気がする。

 

「ゆきのーん!」

「《がばしー!》……由比ヶ浜さん、暑いわ。離れてくれるかしら」

 

 気づけば雪乃を警戒していた結衣も、雪乃のことをあだ名で呼ぶような仲になっており、抱きつかれて迷惑そうな言葉を発する割りに、雪乃はむず痒そうでいて、嫌とは絶対に言わなかった。

 ん? おう、嫉妬ならしたぞ。結衣が取られた……って泣きそうになったね。だが耐えたよ。ぼっちのメンタルは強靭なのだ。大丈夫、あれは女子特有のスキンシップだ、あれに嫉妬していては、また結衣にキモいとか言われ「ひ、比企谷くん。そう睨まないでほしいのだけれど……」……間に合わなかったよ。

 仕方ないでしょ気になるっつーか……気になるんだよ。悪いかよ。

 ほ、ほらあれだ、甘えた───い、いや甘えたいとかじゃねーし!? でででもいやまあそのなんつーか……!

 ……猫な気分なんだよ構ってほしいんだよなんか知らんけど顔をじっと見つめてキスしまくりたい気分なんだよ悪かったな。

 

「ヒッキー……女子にまで嫉妬とかキモい……」

「……《ピッprrrr……》……あ、戸塚? 今日暇? 急に用事が無くなったから語り明かそうぜ……」

「うわわごめんごめんってばヒッキー! 部活終わったらあたしとデート! でーとぉっ!!」

「うるせぇ男同士に嫉妬すんな」

「ヒッキーさいちゃんの性別は戸塚だって言ってたじゃん! やめてよぉ! 謝るからぁ!」

「……はぁ。静かな部活だったのに……」

「雪乃ー、それ緩みっぱなしの顔で言う言葉じゃねぇぞー……」

「!?」

 

 けどまあ日々平穏。

 腐った目に映る空にも必ず星は降るらしい。あんだけくだらなかった世界も、随分とまあ輝いてくれたもんだ。

 ……あ、それと奉仕部だが───

 

「え、えと。私、葉山くんが好きで───だ、だから告白する手伝いとか……してくれると」

「わぁあっ、恋愛相談だよゆきのん! これは受けるしかないね!」

「受けるなら俺は絶対手伝わねーぞー」

「な!? なんでさヒッキー!」

「奉仕部活動内容ひとーつ。奉仕部たる者、魚を与えるのではなく捕り方を教えるべ~し。……んで? その捕り方を恋愛に喩えると、俺達はなにすりゃいいんだよ」

「なにってほら……応援? とか?」

「由比ヶ浜さん、告白の仕方なんて誰でも知っている。それと応援は違うわ。こと恋愛において、私たち奉仕部が出来ることなどなにもないのよ」

「え、えー? でもさ、ほら」

「手伝ったとして、なに? 失敗すりゃ俺達の所為? 成功すりゃ努力の賜物? あのな、結衣。思春期少年少女特有の時期として、人様の恋愛事や好いた惚れたに興味津々なのは解る。けどな、恋愛事に関する……いや、いっそ人の一生に関わるようなことへの応援なんてもんは、するもんじゃない」

「えー……? ゆ、ゆきのんは? ゆきのんはどうするの?」

「私も比企谷くんに賛成だわ。そもそも相手が悪いわね。葉山隼人……親同士が知り合いなのだけれど、悪いことは言わないわ、彼は諦めなさい」

「な、なんでよ! 私、本当に好きで───!」

「“本当に好き”? 彼の顔が? 誰にでもやさしいところが? 一応の幼馴染である私から言わせてもらえるのなら、彼はただの現状維持しか出来ない、世界の汚さに目を瞑る八方美人よ。そのやさしさはあなたのためだけにあるわけではないわ」

「っ……! なにあんた! まさか自分が葉山くんと付き合ってるとでも───!」

「冗談でもそんなことを言うのはやめてもらえるかしら。むしろ逆で嫌ってさえいるわ」

「……!」

「そうね、目を覚ますきっかけをあげましょう。一度冷静になって、あなたのその目で葉山隼人という人物を見ていてみなさい。冷静に、しっかりと」

「なによ、それ……」

「あーいや、あながちその方法は呆れるもんでもねぇよ。いいから見ててみろ。俺もたまに見かけるが、それだけでも頷けるもんがあるから」

「あー、そだねー……。あれだよね。葉山君、女子と話し終えた時、たまにため息とか吐いてる時あるし」

「なっ……!? う、うそ! 葉山君がそんな!」

「疑る前にその目で見極めろ、と言っているの。いい? 冷静な目で見るのよ? 熱に浮かされた目やそんなわけがないなんて目で見れば、見なければいけないものも見えなくなる」

「…………」

「そーだな。んじゃお前、サッカーしてる時の葉山と、女子と話してる時の葉山、きちんと見比べてみろ。見えるもんがあるから」

「なによあんた、きもっ……」

「……結衣、今日部屋来るの禁止な」

「なんで!? え!? あたし関係ないよ!?」

「関係ないとこでキモいとか言うのどんだけ傷つくか、たまには考えてくれほんと……」

「ヒッキーひどいぃいっ!!」

「はぁ……」

 

 ───まあ、こんな感じで。

 平塚先生に相談した生徒がここを知り、その生徒が友達に話したりすることで広まったりで、たまに厄介な依頼が来たりもするが……まあなに? 概ね順調? って言えるのかねこれ。

 まあいい、難しく考えることもなく、緊迫した事態以外は順調と呼んでも問題はないだろう。

 ちなみに依頼人が来るまでは勉強をしている。結衣もご褒美で釣ることに成功し、今では結構勉強には前向きな方だ。

 で、友達である雪乃はというと。

 

「───《ちーーーん……》」

「ゆきのーーーーん!!?」

「体力なさすぎだろおい……」

 

 体力が無かった。

 たまたま新聞配達の話が出て、自分で稼いで生活する、という部分に密かな憧れを抱いていたらしい雪乃は、それに参加してみたいと熱く語る。そわそわしながらめっちゃ早口で様々な屁理屈を並べること並べること。

 で、朝に俺の家に集合。都築さんとやらが運転する車から降りて、ジャージ姿のお嬢・爆誕。さすがにジャージを着て家の前まで来るわけにもいかず、場所を覚える意味も込めて、今回は送ってもらったのだとか。

 そんなわけで朝のお決まりの挨拶をしつつ、準備運動から始めて───……準備運動の段階で結構ハアハアいってた。で、いざ早歩き⇒スロージョギングをやってみれば、しばらくして崩れ落ちて動かなくなる雪乃がいた。

 まさか。まさか会いたい、むしろ見てみたいと思っていた一日淑女が友達だったとは! 聞けば体力がない理由はまさになんでもすぐに覚え、身に着いてしまうから続かず、体力がつく前にやめてしまうからなのだとか。

 しかしながら負けず嫌いらしい彼女は立ち上がり、体力をつけることを決意。

 どうしても動けない時以外はきちんと毎日新聞配達に参加し、順調にミトコンドリア先生を体内に精製していった。

 

「30秒小走りをして、一分歩いて呼吸を整える……こんなものでいいのかしら……」

「疑うよりも実践だ。ほれ、走るぞ」

「はぁっ、解ったわ……っ」

「ゆきのん、ほら早く早くっ」

「ちょっ……引っ張らないで頂戴由比ヶ浜さんっ、わ、私には私のペースがっ……は、はっ! はぁっ! はぁっ……!!」

「慣れてきたら30秒を1分に変えるぞー」

「あと食事制限もだって。お腹いっぱいだと健康になれないってヘンだよね、ね、ゆきのん」

「はっ、はっ、はぁっ! はぁー! はぁー!」

「ゆきのん呼吸がやばいよ!?」

 

 最初の頃こそゼエゼエハアハア。しかし順応力、適応力は相当なものだったのだろう。何日かするとスロージョギングもなんのその。小走りに走る姿もサマになってきて、さらに時間が経てば、結衣と談笑しながらスロージョギングが出来るくらいにまでなっていた。

 休むことなく新聞を配り終えた時の彼女の自然にこぼれた笑顔は、俺と結衣の心のフォルダにしっかり焼きついている。

 

「ねぇ八幡。最近八幡、すっごく格好よくなったよね」

「おう戸塚……そ、そうか?」

「うむ! なにが貴様をそうまで変えた……? 女か! やはり女か! 羨ましくなんかないんだからねっ!?」

「材木座うるさい。今俺が戸塚と話してるだろうが」

「へぽっほ!? は、はちまーーん! そんな聞き分けのない子供に親が吐き捨てるみたいに!」

「でもなんかすごいよ! 最近じゃ八幡と由比ヶ浜さんの噂をよく聞くし!」

「だよなー……結衣のやつどんどん綺麗になっていってな……正直耐えるのも大変で」

「はぽん? 耐える? なにをデアルカ?」

「ナンデモナイゾ?」

 

 一週間にいっぺん程度、のアレはまだ続いている。

 土曜の夜に結ばれようってことにして、それ以外はひたすら自分を磨いて互いを誘惑するみたいな日々だ。

 俺も……あー、なに? 男の場合でも化粧っつーのかねこれ。ともかくそれを覚えさせられ、どうすれば俺なんぞが見映えよくなるのかも勉強。

 月曜から土曜にかけて、一日毎に呆れるくらい可愛く美しく綺麗になっていく結衣に、手を出さないでいるのは本当に地獄だ。日々、ゴリゴリと忍耐力を削られていっている。

 で、土曜の夜になれば互いに溺れるように求め合い、愛し合う。土曜まではキス以上は禁止であるからして、金曜あたりの結衣の色っぽさは尋常ではない。

 この“キスまでは大丈夫”ってのが案外クセモノだったのだ。何故って、俺達はキスだけでも性的絶頂は迎えられないまでも、幸福の絶頂は迎えられるのだ。

 結衣はそれを求め、当然俺もそれを求めてしまった。求めてしまえば、次の一歩を求めてしまうのは解りきっているのに。

 だが耐えたね。結衣が求めてこようとしてもひらりと躱して。

 そしてひたすら幸福を味わわせた。求められても躱し、きっちり土曜日の夜だけと決めて。俺も相当我慢して、歯を食いしばって、伸びそうな、というか伸ばした手を無理矢理止めて、耐えた。

 そしたらもう……金曜はすごかった。学校で男子の視線を独り占めに出来るほど色っぽい。俺の嫉妬もすごい。

 

「おいおい……なんか今日の由比ヶ浜さん、めっちゃエロくね……!?」

「目なんか潤んじゃってさ……! たまに息も荒いっぽいし……! あ、やべ、なんかイケナい気持ちに……!」

「けどなんつーかこう、なにかを探してるっぽい仕草っつーか。なんだろなあれ」

「なにがだよ───あ、彼氏登場。っかー、いいよなーヒキタニくん。あんなカワ───う、ぉおお、お……!? やべっ……なにあれ……!」

「え? なにあれ。あれっていわゆる……アレ? 恋に溺れる乙女の顔ってやつ? ……~~~やっべ……! すっげぇの見ちゃった……!」

「……つーことはなに? 既に由比ヶ浜さんはアノヤローに仕込まれて……?」

「ちげぇだろ。由比ヶ浜さんは穢れねぇよ。きっとあれは恋する心が愛する人に会えたから、正当な反応をだな」

「なんにせよ……アレだな」

「ああ……」

『いいもん見れた……そしてヒキタニ爆発しろ』

 

 金曜の結衣は女性として外見が磨かれ、内面も幸福とともに刺激され、美しく仕上がっている。

 それが土曜になってしまうとさらにワンランク上がるというのだからすごい。

 俺? ……男なんて磨きようがねぇだろ。結局は素材なんじゃねーの? ほら、俺底辺だし。

 

「な、なんかさ。ヒキタニ、最近変わったよね……」

「う、うん……なんていうのかな、余裕が出来たっていうか……?」

「他の男子みたいにがっつくこととかないよねー……」

「特にさ、ほら……」

「うん……」

「そうそう」

『目がヤバい』

「なにあの“ひとつしか見えてない”って真っ直ぐすぎる目……!」

「純粋っていうのかな、綺麗すぎてやばいよね……!」

「休み明けからいきなり変わって驚いたけど、日に日に格好良くなってるっていうか……!」

「わ、私、声かけてみよっかな」

「ばかっ、やめときなって……! 彼女居るって話でしょ……!?」

「あ、あー……由比ヶ浜さんかー……。すごいよね、あのコ……」

「そうそう、あっちも日に日に可愛いっていうか綺麗っていうか、競うみたいに磨かれていってさ。私でもドキっとするよ、あの雰囲気」

「あ、私廊下で目が合って、告白しそうになった……」

「いやなにやってんのアンタ」

「アホな男子が何人か告白したらしいけど、あっさり撃沈したらしいよ?」

「そりゃするでしょ……いやー、でもヒキタニも変わりすぎっしょ。退院してガッコ来た時なんか“うわ、なにあれ”って感じの男だったのに」

「原石くんだったかー……もったいないことしたー」

「原石くん? なにそれ」

「磨けば光る男のこと。女でも可。ただ、元からのイケメンな男子よりも、人の黒いものを知ってる分……こう、好きになってもらえたらめっちゃ大事にしてもらえるらしーよ?」

「あちゃー……そりゃ確かに原石くんだ」

「ちやほやされたイケメンなんて、言葉通りのイケてるメンズでしかないもんね。やさしくてもどこかで見下されてそうで嫌だわ」

「あー、それあるわ」

「あははははは!」

「………」

「………」

「………」

『……カレシほしー……』

 

 噂は噂で適当に聞き流すに限る。

 俺の噂なんてどうせろくなもんじゃない。結衣の噂は……きっといいものだろう。俺関連じゃなければ。

 ともあれ今のところは平穏。

 じっくり過ぎていく日々に平和を感じつつ、6月18日になれば雪乃の家にお呼ばれして結衣の誕生日を祝い───

 

「おめでとう、由比ヶ浜さん。ケーキを作ったの、よかったら食べてもらえるかしら」

「これゆきのんが作ったの!? すごーい!」

「ほれ、これやる」

「え? ヒッキー……これなに?」

「紙袋だよ。見りゃ解んだろ」

「それは見れば解るよ! 馬鹿にしすぎ! ……じゃなくてさ、紙袋の中のこと。なに? こんなに……」

「いやほら…………ほら。あれよ。その……。じゅ、十何年分の……ほら、渡せなかったプレゼント? とか……よ」

「え……」

「いや、これでも毎年用意したんだ。お前が欲しがってるものとか見たり調べたりして。……って待て雪乃、これは断じてストーカー行為じゃねぇ」

「なにを言っているのかしら追跡谷くん。私がそんな下衆な認識をするとでも?」

「既に苗字間違ってんだろーが。あと比企谷をあだ名の対象にするのはやめとけ。俺だけならまだしも、一応俺以外にも比企谷が居る」

「あら、それは確かにそうね。あなたがどれだけ救いようのない引き篭もりさんでも、苗字に罪はないもの」

「ゆ、結衣、助けてくれ。友人が俺に引きこもりのレッテルを貼り付けたがってるんだ。ゆ───」

「…………」

「……結衣?」

「由比ヶ浜さん? …………はぁ。比企谷くん。いえ、ハチ」

「なんだよユキ」

「あなた、何故今までプレゼントを渡さなかったの? ……孤独者として正しくあろうとした結果?」

「……結衣の親父さんにな、最初の日に潰された。当時、愛だ恋だも知らん時だよ。友達、でもないか。隣同士、馴染みって意味で……用意したもんがあった。女の子にあげるもんじゃない、たまたま拾った綺麗な石だったよ」

「……どうなったの?」

「結衣に渡す前に親父さんに見つかった。何の用だって言われてプレゼントだって見せたら……“俺がそれより大きなものをプレゼントをするから、そんなものはいらん”だとさ」

「大人げないわね」

「次の年も次の年も止められて、ようやく渡せたのは初恋のあとの一回だけ。足折ってガッコ休んでる時、見舞いに来てくれた日一日にだけだ。当然ろくなもんもないし、渡せるものなんてなにも無いわな」

「それでも渡したのね?」

「ま、普通のガキだったら絶対渡さないようなもんだったが」

「いやな予感がするのだけれど。あなたいったい、なにを……?」

「……見舞いに持ってこられたリンゴ」

「…………はぁ」

「おいやめろ、俺もあれはねぇだろって今でも後悔してんだから。退院してからすぐに別のプレゼント用意したわ。……結局、邪魔されて渡せなかたけどな」

「……そう」

「ところで結衣が固まって動かないんだが」

「そっとしておいてあげなさい。あなたたち、同じ日に初恋を体験したのでしょう? だというのに誕生日プレゼントが今までゼロ。あなたならどう思う?」

「あー……解った、痛感してる。不安になるな。でも泣かせるつもりはなかったんだが……!? お、おおおい、俺確かにセンスとかそういうのは無い気がしないではなかったが、そこまで嫌か……!?」

「嬉し涙よ。いちいち取り乱さないで頂戴」

「……お前ほんと容赦ねぇよな」

「信頼しているからでしょう?《にこり》」

「……おう」

 

 何年も溜まったプレゼントを渡した。

 あの日に拾った綺麗な石から、今日までの十数年分。

 それを年ごとに俺に並べさせて、その数だけ一回一回プレゼントをさせられて、その度に感謝された。

 めちゃくちゃ恥ずかしくて逃げ出したくなったが、ユキが許してくれませんでした。なんなのこいつ、俺の思考とか読めちゃうの?

 あ、でも順番間違えて、綺麗な石が後回しになった時はユキも随分と驚いていた。……驚いていた。めっちゃ驚いてる。今も。え? なに?

 

「ま、待って。待ちなさいハチ。そ、それ、それって……」

「? なんだよ。綺麗な石だろ?」

「ヒ、ヒッキー……それって……」

「綺麗な石だろ?」

「石は石でも宝石よ! あ、あなた、これを何処で……!?」

「あー、それがな、公園の奥の妙なくぼみの傍でさ、やたらいろんなものが不自然に詰まれてた場所があってよ。んなもん前日まで無かった筈だってどかしてみたら、一番下にこれがあった」

「───……」

「う、うわー……ゆきのん、これってもしかしてなにかの事件とか……」

「ちょ、ちょっと……待っていてもらえるかしら……あ、由比ヶ浜さん、この宝石の写真を取りたいのだけれど、やり方を……」

「え? うん、まっかせてゆきのん!《むふーん!》」

 

 言って、ユキはどこかへ電話した。

 電話して、しばらくして一緒に帰ることになって、なんか知らん内に妙な店に連れ込まれ、そこで盛大なガハマさんおめでとうパーティーが開催された。開催者は……なんとユキの両親。

 いやなんでだよ! こんなの絶対おかしいよ!



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足早に、日々というものは過ぎてゆく②

 なにがなんだか……と呆然としていると、ユキの両親から挨拶されて、姉とやらにまで絡まれて、もうなにがなにやら。

 説明されて“そうなのかー”だったが、とどのつまりこの宝石は何年も前に雪ノ下家から盗まれた宝石らしく、着物を着た綺麗な人───ユキの母親らしい人は、渡した宝石を本当の宝物のように胸に抱き、目には涙を浮かべていた。

 ……諦めずにずうっと探し求めていたのだそうだ。俺なんかとは違い、離れたものは諦める、なんてこともなく。

 こんな人も居るんだな。俺には無理かもしれない。

 

「まずはありがとうございました、比企谷……八幡さん」

「えと。感謝される覚えがないんですけど、こんなことになってるのはあの石……ごほん、宝石が原因っすよね」

「ええ。あれは十数年前に盗まれた、主人との結婚記念の宝石で……ずっと、ずうっと探しておりました。盗難された日から、今日まで」

「え……じゃあ俺、逮捕っすか」

「とんでもない! 世界に無二のものとはいえ、宝石商に売りに出されれば通報されるものとはいえ、それをせずに金で取引する者が居ないわけではありません。売りにだされれば、それこそ二度と戻らなかったでしょう」

「は、はあ……」

「雪ノ下は受けた恩は忘れません。なにかして欲しいことはありますか? 出来ることならば可能な限りを尽くしましょう」

「………」

「比企谷さん? なんでも構わないのですよ?」

 

 話し合いの場を設けられ、俺と雪ノ下の母親と二人だけで向かい合っていた。

 場所は……そのまま店の中の、どっかの個室。

 そんな中、俺は……雪ノ下の親であるこの人に、あることを訊いてみた。

 一度、親という存在に……ママさん以外に訊いてみたかったことを。

 

「あ、じゃあ……まずは聞かせてください。その……えっと……。……親にとって、家族って……息子とか娘って、大事なものっすか?」

「? それはもちろんです」

「子供の幸せを祈っていますか?」

「それも当然」

「そっすか……」

 

 一瞬沸いたのは……安堵だった。

 少なくとも、雪ノ下は親に好かれてるんだなって思えたから。

 ただ、少し気になったことがあったから、それを願いとして唱えておく。

 

「じゃあ、願いっす。……その幸せが押し付けにならないよう、子供の気持ちをきちんと聞いた上で、もう一度、もっと幸せを願ってやってください」

「…………」

「あの。娘さん……ユキの姉の……陽乃さんっていいましたっけ。……ちゃんと顔を見て、目を見ての会話、出来てますか?」

「出来ていますけれど。それが、なにか?」

「……だったらそれが当然の世界なんすか。ほんと、この世界って腐ってますね。……子供が強化外骨格みたいな外面を貼り付けたままにしなきゃいけない世界に、その人の幸せなんてあるんすか?」

「───! …………解ったのですか、あれが。先ほどの挨拶だけで」

「とんでもない金持ちなのは解ります。でも、親の夢や野望を子供に押し付けて、人生潰すのは幸福じゃないと思うっす。それがあの人にとってそうならべつにそれでもいいっすけど。もし話してみて、違うなら───」

「それを、やめろと?」

「政略結婚とか、あったりしたらあんまりじゃないすか。……俺の幼馴染の夢、知ってます? ……お嫁さん、なんすよ。女の子の夢ってそういうもんなんじゃないすか? その、俺はそういう、その、金がアホみたいに動く世界のことなんてまるで解りません。俺が言ってることでその世界にどれほど影響が出るかなんて、それこそ想像もつかねっす。でも……十分なんじゃないすか? まだ十分じゃないんすか? 企業して成功して金が集まって、着物で堂々と歩けるくらい懐が豊かになっても、それ以上を求める理由ってなんすか? 娘の笑顔を仮面で覆ってまで続ける理由って、そこにあるんすかね」

「………」

「………」

 

 余計なお世話だっていうのも知っているし、言ったところで多くの大人は頷きはしないっていうのも知っている。

 そもそも自分がやりたかったことが成功しているってのに他人の横やりに頷いてみせ、その勢いを殺して見せる人なんて滅多に居やしないだろう。

 それこそよっぽどのお人好しか、言われたことに感じるものがあった人以外は。

 

「…………そう、ね。それに答える前に、ひとつ謝らせてちょうだい。……ごめんなさい。あなたのこと、調べさせてもらったわ」

「うわ……いえまあ、金持ちなら出来るっすよね。実に平々凡々な人生だったでしょう?」

「ひどい人生ね。社会に出れば一番先に潰されるくらい。とても生きていけないでしょう」

「ひどいっすね」

「けれど、そこにあった信念を、私は好みます。私は、それを尊く思う。多の中にあって、個のまま耐え抜くことが出来た意志を、私は称えたい。そう思うわ。……そうね。もう、十分すぎるほど、稼ぐことは出来たのでしょうね。そしてそれは、家族の輪と和を崩してまで……目指したいものではなかった筈。……ねぇ、比企谷さん? あなたはこの世界をどう思う? 正直に答えてちょうだい」

「どうしようもないもの、だと思っています」

「変えたいとは思わない?」

「変えたところで戻ります。だから、変わるべきは世界なんかじゃないでしょ」

「…………ふっ、うふふっ……くっ、ぷふっ、ふふふふふっ……! あははははははは!!」

「えっ……あの、雪ノ下さん?」

「は、はっ、ひっひ……! あ、あなた、随分と濁った目で、純粋に言えるのね……! ───ふふふっ、くっ、ふふっ…………はぁ、はぁ…………は~~~……───ええ、いいでしょう、久しぶりに楽しい時と有意義な時を過ごせたわ。運営方針の問題上、すぐに規模の縮小や削減は出来ないでしょうけれど……もう、権利を譲って平和に過ごすのもいいのかもしれない」

「え……本気ですか? いやそれめっちゃプレッシャーなんすけど……!」

「私はそもそも、家族を愛しているわ。目先のことで時間を取れずにいたけれど、夫も娘も愛している。それは今も昔のずうっと変わらないわ」

「いやー……娘さんたちはきっとあなたのこと怖がってますよ」

「なんですって!?《がーーーん!!》」

 

 そして一瞬で凛々しく見えた女性像がぶっ壊れた。

 あ、この人結構格好よさそうに見えて残念な部分とかあるタイプだ。

 言ってしまえば……その。さすがユキの母親? って感じ。

 

「な、なななななハにを馬鹿な……! わわわ私はこれでも母として完璧に……!」

「仕事人としてでしょう、どうせ。うちの親も同じこと言ってましたよ。調べたなら知ってるでしょ、うちのこと」

「………………」

「………」

「……その」

「はい」

「比企谷さん……そ、その。私と娘達との仲を取り持ってくれないかしら! お、お礼ならばどのようにでも!」

「とりあえずその金にものを言わせるスタンスをなんとかするところから始めましょーね……ああ、とにもかくにも嫌われたくないなら、政略結婚とかは絶対無しで」

「そんなことはさせないわ。娘達には私が選んだ相応しい男性を───」

「娘達が選んでないならそれ政略結婚と変わりませんよ。恨まれます」

「えぇっ!?《がーーーん!》そんな……! わ、私は娘達のことを思って……! だ、大体、陽乃には同じレベルの男性などよりも、こう、黙って支えるタイプの男が合うと思うの……! 男の見栄ばかりを前に出す相手ではなく、ただやさしく支えるような……解るでしょう!?」

「いえ、俺その、陽乃さん? のこと、強化外骨格以外は特に知りませんので」

「そ、そんな……!」

 

 そんなこんなで話は続いた。話してみると案外おかしな人で、なんというか……仕事に真っ直ぐすぎるだけの、我が儘お嬢だったことが判明。

 ただししっかりと娘達のことは愛しているようであり、その愛し方が曲がっていただけだった。

 ほーん? そうかそうか、人であるか。人であるなら相談者をミスったな馬鹿め。俺は苦手な人種は多々あれど、相手が同じ土俵に降り立ってくれるのなら絶対に負けん。

 さあ、社長でも母でもなく、ただの人として話し合おう───!

 ……と意気込んだ結果。え、えー……なんか泣いちゃったんですけど……?

 人としてじっくり、企業としての人の黒さではなく家族や友人間などの人間関係の黒さを話し、じっくりと説明したり説教したりした。……筈だったんだが。まさか泣かれるとは。

 まあ、なに? その日から雪ノ下家は随分と大人しくなったそうで、俺ももうなにがなにやら。

 ともあれ雪ノ下母に何故か気に入られ、何故か姉……陽乃さんにも気に入られ、ちょくちょくと家や部室に特攻をかけられている。

 

「ひゃっはろー! 比企谷くん!」

「なんで居るんですか帰ってください」

「あ、そんなこと言っちゃうんだ。せぇっかくお姉さんが遊びに来てあげたのになー♪」

「学校に突撃してくるなんて、噂になったらどうしてくれんですかってか近い近い近い! なんで腕に抱き付いてくるんですか離れてください穢れます!」

「そうよ姉さん。ここは部活をするところであって、遊びにくる場所ではないわ。あと離れなさい」

「そうですよ陽乃さん! ヒッキーから離れてください!」

 

 どこをどう気に入ったのかは解らない。

 ただ望まない結婚が解消されたから喜んでいるのか、べつのなにかがあったからなのか。

 ともあれどれだけ抱き着かれようがグイイと押して返して、素直に逃げ、離れ、逆に結衣に抱き着いた。…………で、やってから気づいた。俺、キザ転校生にモーションかけられて幼馴染のもとへ逃げるヒロインみたいじゃん。……だからなにをまたヒロイン力高めてんの俺ェェェェ……!

 

「んふふー♪ ねぇ雪乃ちゃん。雪乃ちゃんの昔の夢って白馬の王子様に助けられることだったよね?」

「なっ……い、いきなりなにを言い出すのかしらこの姉は。それは確かに私の夢は、子供の、子供の頃の夢はそうだったこともなきにしもあらずで、まあ既に覚えていないようなものではあるのだけれど万歩譲ってそうだとして、姉さんはいったいなにが言いたいと───」

「ねーぇえ、ガハマちゃん? ……比企谷くんのこと、私にちょーだい?」

「なっ……!? あ、あげません! 絶対に嫌です!」

「条件つけても?」

「絶対に嫌です!」

「いい男紹介するよっ! って言っても?」

「はるっ、陽乃さんがっ……その人と付き合えばいいじゃないですか……!」

「え? やだ。好きでもないし気に入ってもないし。あ、元許婚だったんだけどね? 母さんが政略結婚なんてものはしなくていいし、会社のことなんて考えなくていい、好きなように生きなさいって言ったから、縁切っちゃった♪」

「……母さんが、どうして、突然そんな」

「んー? 雪乃ちゃん知らないの? 比企谷くんが説得してくれたからだよ?」

「ハチが?《ンバッ!!》」

「《プイッ》」

 

 ユキに見られ、即座にそっぽを向く。結衣と腕と手を絡めながら。

 ああ、今なんかとっても現実逃避したい。

 ていうか結衣可愛い。人が居なけりゃキスしたいレベル。

 なんかまた甘え───ゲフン。構ってほしいっつーか猫な気分っつーか。

 一度奥底に沈んで無理矢理引き摺り出された感情だけど、今……めちゃくちゃキスしまくりたい。

 い、いや、しないよ? しませんけどね?

 

「……ハチ。こちらを見なさい。私の目を見なさい」

「いや、べつにおかしなこととかした覚えはねぇし、説得したわけでもねぇよ。そっちの家庭の事情なんて知らなかったし、ただ陽乃さんの仮面を見てたら結衣と会う前の自分を思い出したから、っつーか」

「すごいよねーこの子。一回会って挨拶しただけで、私の仮面のこと気づいちゃったんだよ?」

「よかったっすねー、解決したなら帰りませんか。俺結衣以外に抱き疲れると吐き気を催すんで、あんま近寄らないでください」

「ほんとかなー? うりうり~♪ ぎゅってしちゃえ!」

「《ぎゅっ!》…………ウヴエェッ」

「え? やだほんとに!?《バッ》」

「はいごくろーさん、もう近づかないでくださいね」

「───……うわー、やるねぇキミ。“本物”まで演技にしちゃうんだ」

「そうしなきゃ生きていけない世界だったからですよ」

「ふーん、そっかそっか。……うん、やっぱり気に入ったよキミ。ねぇ、本気で私の物にならない? あ、別に彼氏とかそういうんじゃなくてさ。私ね、いちいち男女で見ようとする相手じゃなくて相棒が欲しいの。あ、頭がキレる子限定ね? で、人の黒いところ知ってて、相手の次の手が読めるような子がいい。キミみたいな」

「……なんですかそれ。仕事の紹介かなんかですか?」

「ん。そう。別に雪ノ下グループの仕事を引き継ぎたいとかそういうのじゃないんだよね。ただ私は私がやりたいことのために、その相棒としてキミが欲しい。あ、恋人はそのままガハマちゃんでいいんだ。むしろ恋とかされても面倒だと思うし、本気で好きな相手が別のところに居るほうがなにかと都合がいいしね」

「待ちなさい姉さん。そんな、姉さんの都合で───」

「もちろん給料は弾むよ? あ、なんだったら雪乃ちゃんもガハマちゃんも一緒にやらない? 今さらつまんないの入れて空気悪くしたくないし」

 

 とくん、と胸が高鳴る。

 それは、つまり……仕事の内容にもよるだろうが、あの家から───

 

「それは、高校卒業後ですか?」

「大学は出てもらいたいかな。むしろ大学に通いながらだね。高校一年でこんな話をするなんてすごいけど、まあ嘘じゃないよ?」

「住み込みなら是非」

「ヒッキー早っ!? え、で、でも小町ちゃんが……」

「もう、随分待ったよ。いーだろもう。一度離れたほうが気持ちの整理もつくかもしれない」

「でも、でもさ、家に帰っても独りぼっちって……」

「寂しいならママさんに会いに行くだろ。それに、なにも今すぐってわけじゃ───」

「今すぐでもいいよ? ここの近くにマンション所有してるから、そこを貸したげよう!」

「是非」

 

 もはや迷う必要無し。

 場所もなんとなく想像がつく。だったらそこを拠点にして───

 

「ちょ、ちょっとヒッキー、そんな……」

「ちなみに超防音完備! 窓もマジックミラー式ガラスで外からは見られない! どんだけやかましくしても隣にも上にも横にも迷惑にならないよー?」

「是非っ!」

「由比ヶ浜さん!?」

 

 そこを拠点にして、結衣ともども新たに出発を……!

 

「だ、だって最近、ママが聞き耳立ててる所為で……アレが……コレだし……《かぁああ……!》」

「あはははは! 乙女だねぇガハマちゃん! じゃあ交渉成立だね! 雪乃ちゃんはどうする? どうせ独り暮らしも正式に許可が下りたんだし、こっちまで来て同じマンションに住んじゃわない?」

「う……けど、私は……」

 

 迷う我が友をほうってはおけない。

 むしろどう見てもノりたいって顔をしているので、軽くパスをあげてみれば───

 

「そうなるといつでも小説の貸し借りとかが出来るな。話したい時にはメールじゃなくても───」

「仕方ないわね姉さん。癪だけれど、とても癪だけれど、その提案を呑むわ。ええ癪だけれど」

「素直じゃないなぁ雪乃ちゃん」

 

 あっさりとパスを受け取ってくれた。

 まあ、言ったことに嘘はないんだけどな。実際、いろいろ助かるだろうし。

 

「あ、えと……陽乃さん。ちなみに家賃は……? あんまり高いのはちょっとつらいかなーって」

「とりあえずは出世払いってことでいーよ? ただし他の就職は出来ないって思っておいて。あと勉強はきちんとすること。何度か課題を出すから、それをクリアすることは絶対条件で」

「べ、べんきょ……うう、だいじょぶ、だいじょぶ……! 最近けっこー解るようになってきたし……!」

「おう、解らないところは俺とユキとでみっちり教えてやるから」

「由比ヶ浜さん、諦めずに頑張りましょう」

「ヒッキー……ゆきのん……!《じぃいいん……!》」

「あと料理も出来るようになってもらうから」

「終わった……」

「儚い夢だったわね……」

「ヒッキー!? ゆきのん!?《がーーーん!!》」

 

 卒業と同時に就職先が決まった。そして、家を出ることも決定。なにも言わないわけにもいかないので両親には一応言ってみた。親父は即答でOKだった。お袋はしばらく沈黙してから、溜め息を吐いて了承。小町は泣いて、部屋に閉じこもってしまった。

 話にもならないんじゃ仕方ない。

 俺は大して多くもない私物を纏め、ママさんに挨拶してから出発を───ということになり、自宅前。

 

「そう、小町ちゃんのことは上手くはいかなかったけど……いつか気持ちの整理がついたら、きちんと受け止めてあげてね」

「っす。それは、もちろんです」

「でもそっかー、ハチくん出て行っちゃうかぁ。ママ、寂しくなるわー……」

「なに言ってんですか。結衣だって居るし、小町だって俺には話しかけなくてもママさんには───」

「あら? なに言ってるの? 結衣もそっちのマンションに住むのよ? 雪ノ下グループの若い子が来て、きっちり手続きしていったから間違いないわよー?」

「…………エ?」

「荷物ももう運んでもらったし、次はハチくんの荷物を受け取りに来るからって言ってたわよー?」

「えっ……ま、まじですか」

 

 遊びにくるか、泊まりに来るくらいのことしか想像してなかった。確かに家賃のこととか訊いてたけどさ。

 ……まあ、結論から言うとマジだった。

 結衣の私物や俺の私物は全てマンションに送られて、俺と結衣も当然そこへ。

 総武高校とは本当に目と鼻の先くらいの位置にそれはあって、徒歩で5分もかからない便利さ。

 ……まあ、ただし新聞配達の難度は上がったが。

 

「信じらんねぇ……まさかこの歳で家以外の場所に部屋を持つことになるなんて……」

「ヒッキー! やっはろー! 荷解き終わったー?」

「あ、ああ結衣か。やっは……言わなきゃだめか?」

「だめ」

「まじか……あ、ところで結衣お前、これから大丈夫か?」

「んえ? 大丈夫って、なにが?」

「いや、これから掃除も洗濯も全部自分でやることになるんだが」

「あ」

「……あー、なるほど、だから料理も出来るように、とか言ってたのか陽乃さん」

「あ、あたしヒッキーと同じ部屋に住む!」

「そしたら俺がお前の下着を洗うことになるんだが」

「ななななななに言ってんの!? ヒッキーのえっち!」

「えー……? これ俺が悪いの……?」

「あぅう、でもそっかー……ヒッキーと一緒にってなると、それが問題で……あ、あ、じゃあ洗濯はあたしがするから!」

「買ったばっかのオシャレ衣服が一夜にして全滅……とかありそうだな」

「だ、大丈夫だってば! そんなの洗濯機に服入れて、洗剤入れて回せばいいんでしょ!? 出来るし!」

「結衣……洗濯物の中にはな、普通に洗っちゃいけないものもあってだな……」

「え!? そうなの!?」

「……ま、ひとつずつ身につけていこうな。まだ高校一年だ。就職先も決まっちまったし、鍛えながらのんびり行こう」

「ヒッキー……うん。あ、それはそれとしてヒッキー、やっはろー!」

「……やらなきゃだめか」

「だめだったら!」

「まじか……あ、ところで」

「ヒッキー!」

 

 まあ、なんだ。引越しはあっさり終わった。“雪ノ下”すげぇ。

 雪ノ下の力もち♪ とか言ったら怒られるだろうか。……ゴミを見る目で見られるだけだな。自重しよう。



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足早に、日々というものは過ぎてゆく③

 そうして、高い位置の端っこからに俺、結衣、雪乃の順に部屋を頂き、住むようになってしばらく。

 たとえばユキと俺によるお料理教室風景。

 

「由比ヶ浜さん、そうではないと何度言ったら……!」

「結衣、そこで桃はいらない。むしろ桃使う場面一切ない。ほんと無い。マジ無いから」

「で、でもなんかほら、桃入れるとおいしそうっていうか……」

「頼むからやめてくれ……! キッチン掃除したばっかなんだよ……!」

「なんで? ヒッキーこの前掃除してたじゃん」

「油に水ぶちまけて地獄絵図作ったの、もう忘れたのか……ていうかなんで俺の部屋でやるんだよ毎回……」

「当たり前でしょう、汚されたらたまらないもの」

「やーほら、結局ヒッキーに食べてもらうしー……ねぇ?」

「………」

「てゆーか桃入れたくらいで掃除することになんてなんないって! ヒッキーってば心配しすぎ!」

「由比ヶ浜さん? そもそもオムレツに桃は入れないのよ」

 

 昔、女の子の手料理に憧れてたことがあった。昔な、うーんと昔。

 なのに現実は非情である。俺に彼女が出来ること自体が奇跡ではあるのだが、世界よ。どうしてこんなオチを齎した。

 

 たとえば、慣れてきた新聞配達風景。

 

「はふーいっ! 今日も新聞配達おわったねー! 走るのも随分楽になっちゃったなー、えへへー♪」

「ていうかだ。お前いっつも元気なのになんで運動ダメだったんだよ」

「体力と運動しんけーって必ずしもいこーるしないと思うんだ、あたし!《どーーーん!》」

「ようするに筋肉がなかったということでしょう? けれど、そうね。私も体力がなかっただけで、運動神経はよかったもの。必ずしもイコールしているわけではないでしょう?」

「ユキの場合は最近になってようやくだけどな。ほれ、いつもの。飲んどけ」

「ありがとう、ハチ」

「うーん……やっぱいーなぁ、そのユキとハチ~って。あたしもはーくん以外でなにかあればよかったのに」

「こだわらずにあなたもハチと呼べばいいのよ。恥ずかしいことではないわ」

「そ、そうかな。えとー……ハ、ハチ…………くん」

「ママさんじゃねぇか」

「うー、だっていざとなると恥ずかしいっていうか……あ、じゃあ思い切って八幡って! ………………~~~~……《かぁあああ……!!》ななななしなし! 今のなし!」

「見事な自爆ね。べつにいつかは呼ぶことになるのだから、慣れてしまえばいいじゃない」

「い、いつかはって! ゆきのんなに言い出してるの!?」

「……由比ヶ浜さん。あなたまさか、結婚してもハチのことをその、ひ、ひっきー、と呼ぶつもりなのかしら。あなたが嫁ぐのか彼が婿入りするのかは知らないけれど、どちらにしろ家族との関係性から言って、ヒッキー呼ばわりはいい顔をされないと思うわ」

「あぅ……う、うーん、それはあたしも解ってるんだけどー……あ、あのね? 思いのほか、ヒッキーがしっくりきちゃったってゆーか……」

「まあ、そうね。いかにもヒッキーって顔をしたヒッキーだものね、ハチは」

「なんなのお前ら。いちいち人のことdisらなきゃ会話も出来ないの? 俺最近になって何回やめろって言ったと思ってんの。あとなんで人のあだ名が孤独を愛するグルメなゴロちゃんみたいな喩えで語られてんだよ、なんか無理矢理にでも食事に関連付けされそうだからやめろ」

「あ、そういえばお腹空いたかも! 今日は誰が当番だっけ!」

「いやお前だろ」

「由比ヶ浜さんね」

「うぇぅ……? え、えと……ひっきーのりょうり、たべたいカナ……なんて」

「いや存分に作れ。ほれ作れ。お残しは許さないがな」

「はぁ。随分と単純な方法で改善に向かったものよね、調理問題も。そうよね、味見をしていなかったのなら、共同生活の中で食べざるをえない状況を作ればよかったのよ。というわけで由比ヶ浜さん? 諦めて作りなさい。今日の当番はあなたなのだから」

「うえぇえええん! 美味しいごはんが食べたいよー!!」

 

 ある日、とうとう結衣が自分の料理と向き合った。まあ、不味いな。

 料理の才能があるかも! がものの見事に崩れ去ってからの彼女は、それはもう俺かユキの食事を欲した。が、俺達は無情にも突き放した。だってそうしないと改善しないし。

 しかしその甲斐もあって、料理も少しずつ改善されていった。本当に、本当によかった。

 

 たとえば、勉強風景。

 

「よし、じゃあ次な。前回の応用問題だ。一度立ち向かってみてくれ」

「う、うん。よゆーだしっ!」

「相変わらず由比ヶ浜さんには甘いわね。順序を変えただけの、昨日と全く同じ問題じゃない」

「一歩ずつだって言ったろーが。結衣は投げ出しやすくはあるが、見てるヤツが居ればきちんと最後までやれるヤツでもある。ほらなに、あれだ。期待に応えたいやつなんだよ。頼ることが多いけど、本当は頼られたいんだ。だから、“どうせ出来ないだろう”って目には絶対に応えられない。だから、信じるのは俺達からだ」

「言われるまでもないわよ。同じ解はとっくに出しているもの」

「あ、解った! これこーでしょ! どう!? どうヒッキー!」

「あー……残念だが……」

「え!? 違った!? うそっ!」

「───褒めなきゃならんな」

「ふえ? ……? ………………───、! ヒ、ヒッキー! もうヒッキー! 合ってるならちゃんと最初から褒めてよ! ばか! ほんとキモい!」

「ええ気持ち悪いわね。人の笑顔に水を差すのがそんなに好きなのかしら、S谷くん」

「谷しか合ってねぇよ。ただの教訓だから気にすんな。人間、浮かれてる時が一番挫けやすいからなー……言うまでもなくソースは俺」

「その心配なら要らないでしょう? 期待に応えようとする由比ヶ浜さんの集中力は相当なものよ。それを正しく誘導してあげれば間違えることなんてないもの。それとも導く側がまちがえるつもりでもあるのかしら? 手引き谷くん?」

「やめろ、べつに手ぇ引っ張ったりなんかしねぇよ俺は。……“持ってる”やつはなんでも“持ってる”もんだ。それを正しく引き出せてるってだけだろ」

「ええ、あなたを含めてね」

「…………そりゃどーも」

「努力も無しに得られるものなんて、少しも眩しくなどないものよ。あなたはそんなものを求めて目を腐らせたとでも?」

「隣が暗けりゃその隣はさぞ眩しいことだろうよ。そーゆーこった。ほれ結衣、次だ」

「その前にヒッキー……ご褒美」

「………」

「私のことは気にせずどうぞ? もはや見飽きるほど見ているのだから」

「飽きるの早ぇえよ。んーなんだから体力つく前にスポーツやめるハメになるんだろうが」

「っぐ……! そ、それとこれとは別の話───」

「ヒッキー、ねぇ、ねぇ」

「あーはいはい、今独りのお嬢を言い負かせたんだからちょっとは余韻にひたらせなさい……」

「《なでなで》んふふー……♪ ひっきぃいい~~……♪」

 

 勉強もそこそこ。ママさんの言う通り、ご褒美を餌にされた結衣の集中力は凄まじく、しかもそれが楽しいこととして認識されると、覚えるのが異様に速い。

 疑ってはいたが、なるほど。総武高校に受かるわけだ。

 ただし集中が切れて、別のことに夢中になると、どこからか綻びていったりする。綻びが過ぎるとほどけ、砕け、忘れられてゆき、やがてアホの子爆誕。それだけは阻止するため、雪乃と確認を取り、定期的に勉強会は開こうってことになった。

 と、そうこうしている内に定期テスト開始、終了。そして結果発表。それぞれ順位を部室で報せ合うことになる。

 

「……定期テスト、学年二位か。まあぼちぼちだな」

「よくもまあそんなことが言えるわね。何故残りの点を取りにいかなかったのかしら」

「え? 目立ちたくないし。だが男として結衣の彼氏として、男での一位には一度くらいなっておかなきゃだろ」

「あなた、本当に由比ヶ浜さんにはだだ甘ね」

「お前に言われたかねーよ」

「私がいつ由比ヶ浜さんに甘くしたと?」

「抱き締められても拒絶しねーだろ」

「ふひゅっ!? あ、あれはっ………………~……あ、あれ、は………………その………………認めるわ」

「おう、そうしとけ」

「《ガラァッ!》やっはろー! ヒッキー! ゆきのん! ほら見て見て! あたしの順位真ん中あたりまで上がったよ!」

「むしろ私とハチが教えて真ん中辺りとはどういうことなの……」

「結衣はいっぺんにってのは無理なんだよ。地道に一歩一歩だ」

「それよりヒッキー! ひっきーひっきぃ! ご褒美!」

「《だきっ》……おう。なんで俺の方があすなろ抱きされてんでしょうね……普通逆じゃね? 相変わらずヒロイン力高けーな俺……」

「由比ヶ浜さん、ご褒美、というのは?」

「えへへぇ、ヒッキーがひとつお願いを聞いてくれるんだって!」

「勉強苦手なヤツに勉強させるにはエサをチラつかせるのが一番だからな。無理な願いは無理と言う方向で。んでなんだ? 勉強か? 学習か? それとも宿題か?」

「勉強はもういいったら! え、えとー……えとね? 前みたいに膝に乗っかりながらー……えへへぇ、き、キスがしたいなー……なんて」

「───由比ヶ浜さん。奉仕部の部室はそういうことをするためにあるのではないのだけれど」

「ハチ。今すぐその声真似をやめなさい」

「なんか無駄に似てるからやめてよ! そ、その……メラミンほー?」

「水だけで汚れが落ちそうな名前だな。メラニーな」

「……仕返しに低い声で真似を出来ないかしら……ん、んんっ! こほっ、…………あ、あー、あー。……アレ、アレな。アレ。アレしかないまである……ん、んんっ」

「あはははははは!! あははははは! うんうん似てる! ヒッキーっぽい! ぽいまである!」

「おいやめろ。人の数少ない個性を笑うんじゃねぇよ」

「あなたがやり始めたんでしょう」

「ほらヒッキーそこ座って。ほら、ほらほら」

「や、やめろ近い近いっ、ただでさえお前最近可愛すぎるってのにっ……!」

「《トゥンク》ふえ……? えっ……へ? あ、えと、ば、ばかっ! ひっきーのばか! 急にななななに言ってんの!? ヒッキーだってなんか慣れてきちゃって自然になってきて、緊張とか取れた所為で自然体でかっこよくてえーとえーと……!」

「ばばばっかおまえ! 俺がそんな、かっこいいとかあるわけねぇだろ! 今はお前が可愛いって話をだなっ!」

「ばかはヒッキーでしょ!? あれから結構経って、どんだけヒッキーが女子に見られてるか知ってんの!?」

「フッ 女子に見られるとか言ってる時点で結衣の言葉は証言にならないことが証明されたな 俺が女子に見られることなんてあるわけがないからな あったとしてそれは侮蔑の視線だろうな 俺ステルスして影薄くとか平気でできるから」

「……空気が甘ったるいわ……。苦い紅茶でも用意した方がいいかしら」

「Max紅茶って出来ないか? 練乳とかどっぷり入った紅茶」

「出来るわけがないでしょう。大体今は苦い紅茶の話をしているのだけれど? とうとう神経から伝って耳まで腐ったのかしらこの伊達メ谷君は」

「おい伊達眼鏡は罵倒文句じゃねぇだろ」

「それよりさー! いい点取れたしさー! ぱーっと打ち上げみたいなのしない!?」

「しないから」

「しないわよ」

「───…………」

「………」

「…………」

「…………ほっ…………ほんとにしないのっ!?」

「だからしないって。やっても被害者の会みたいな空気になるだけだし」

「あなたの場合、いつもそうよね。張り切りはするのだけれどいつもおかしな方向に曲がって…………も、木炭が……!」

「今回はもう作ったりしないからぁっ! ていうか普通にひどいよゆきのん! 帰りになんか買って帰ればいいじゃん!」

「近くにコンビニとかないから、帰りにっつーかもう買い出しなんだよな、そうなると」

「それだけが不便よね、あのマンション」

「購買でなんか買って帰るとかっ!」

「結衣。八幡いっつも言ってるでしょ。無駄遣いは敵です。ただでさえ定期的にオネエのとこ行って、結構金使ってんだから」

「定期的っていっても一ヶ月に一回も行ってないじゃん……。て、てすたー? として報告するくらいで、行ってもやってもらうわけでもないし」

「大体卒業後に就職が決まってるっつったって。それまでは俺達で遣り繰りしなきゃなんねーだろ。給料がいくらかも解らん以上、どの道贅沢は敵だ。故に菓子は自宅で作る」

「そうね。いい加減、余った粉などを消化してしまいたかったところだし」

「え? ……はれ? …………───結局打ち上げするんじゃん! それなら最初からそう言ってよぉっ!」

「い、いえ違うのよこれは。私は普通に、ただ小麦粉などを処分してしまいたくて」

「お好み焼きの粉があった筈だからそれも焼くか。具とか適当に考えておいてくれ。あ、桃はいらん」

「じゃあ桃缶っ───なんで!?」

 

 これも青春。

 関係は良好と言えるだろう。

 その関係の良好さ、というのか……あー、なんて言えばいいのか。

 どうにも不思議なグループが出来そうな感じではある。

 そんな空気を、どう受け取っていいやら、戸惑うばかりだ。

 

「おーぅい八幡よぉーーーぅぃ! 久方ぶりにともに帰路を歩もうぞ! そして我とともにこの世の真理についてを語り合おうではないかっ!」

「帰るまででいいのか? ならいいぞ」

「えっ……八幡がデレた? ……と、戸塚氏! 戸塚氏ーーーっ!! 八幡が! 八幡がーーーっ!!」

「うるせぇよ。戸塚はテニス部だろ」

「おおそうであったな。では八幡よ、今朝の───」

「おう、じゃあな材木座」

「うむ! ではなはちまはちまーーーん!!? ななななにを言っているのだ!? 帰るまで我と熱い談義を───!」

「ああ、だからほれ。ここ」

「…………」

「…………」

「マジで?」

「おうマジで」

「……わ、我、ちょっと寄っていって……いい?《もじもじ……》」

「え? やだよ。誤解されたくないしキモいしキモい」

「なにが誤解だというのだはちまーーーん! 我と貴様はともに教師が下した地獄を歩んだ仲ではないかぁーーーっ!!」

「身に覚えがない上にこれから勉強会だから無理だ。悪ぃな」

「で、では奉仕部に依頼しよう! 我の小説を読んでくれ! 魚を寄越せとは言わぬ……感想を! 入賞までの釣り方、もとい頑張る力を我にくれ!」

「ッチィくそ……無駄に方針を理解してやがる……。わぁったよ、ただし部長様が頷けばだ。小説は? 今手元にあるのか?」

「もちろんだ! この剣豪将軍材木座義輝! 己にあるべきものを手放すことなどなぁああい!!」

「うるさいあとうるさい。……茶くらい出すから、上がってけよ」

「あらやだほんとデレた? 八幡がデレた?」

「うっせ」

 

 ある日、材木座に捕まった。

 まあ、たまにはいいだろって話ながら帰る。が、まあ目と鼻の先だ。

 寄っていくとか言う材木座を案内し、俺の部屋の前へ。

 

「しかしそうか、斯様な建物に貴様が住んでいたとはな……! やはりここから学園を監視し、来たる天の声を聞き逃すまいと待機していたのだな!」

「ちげーよ…………ほれ、ここだ《カチャカチャ……》……あん? 鍵、開いて……《ガチャッ》……散らかってはいねーけど、あまり荒したりは───」

「あ、ヒッキーおかえりー! え、えと。クッキーにします? クッキーにします? それとも……ク・ッ・キー?《にこーん♪》」

「とりあえず木炭貰うわ。ほれ材木座あーん」

「《がぼしっ!》はぽおんっ!? ……? ……!? …………!!!!《ガクガクガクガクガタタタタタばたーーーん!!》」

「おし。あとは茶でも口に突っ込んでおきゃ約束は果たされるだろ。んじゃあ小説はさっさと読んでと……」

「え? はれ? ヒッキーが人連れてきた!? えーと……あっ! ───だだだだ誰なのこの人! ちょっとあたしの知らない間にどういうこと!?《キラキラ……!》」

「あーそうな。それな。言ってみたい言葉ってあるよな。ほれもう一声」

「こ、この泥棒猫っ!《ドヤァアーーーーン! …………ぱあああっ!!》」

「うわーすげぇうれしそー……」

「で、で、ヒッキー、これなに?」

「あーほれ、いつかメールで送っただろ。材木座だ」

「? …………あー! あのシアター!」

「……一応人間だからな? つかお前、なに勝手に人の部屋に入ってんの。鍵は」

「え? 開いてたよ? ヒッキー鍵閉めなかったでしょ」

「んなわけねーでしょ、こう見えてもワテクシ、戸締りにはうるさくてよ? あと結衣、鍵が開いてる場合は不用意に入るな。強盗が鍵を開けて中に潜んでる場合もある」

「えっ……!?」

 

 驚愕は当然だが、本当に気をつけよう。

 俺、お前が強盗とかに襲われたらそいつのこと本気で八つ裂きにするよ?

 

「まあ鍵かけたのに勝手に開いてるって意味では予想はつくけど。陽乃さーん? かくれんぼ続ける気ならバルサン焚きますよー」

「《ニョキリ》それはひどいんじゃないかなぁお姉さんに対して」

「うひゃあああ!? ひえあっ!? わひゃっ!? はははは陽乃さん!? ほんとに居たの!?」

「ひゃっはろーガハマちゃん! 居たも居た居た、比企谷くんが出てってからすぐにずーっと居たまであるよー?」

「…………《マシュー! マシュッl! マシュー!》」

「……あの。比企谷くん? さ、流石に無言でファブリーズは……お姉ちゃん滅法傷ついちゃうかなーって……」

「知らない間に知らない女の香りが部屋からとかホラーじゃないですか」

「そんなこと言ってぇ! ほんとは嬉しかったりするんでしょー?」

「…………《マシュー!》」

「だから無言はやめてってば!」

 

 買っててよかったファブリーズ。

 一色と卵買った時に買ったものだが、まさか本当に別の女性の香り対策に使う日がくるとは。

 

「……うひゃぁあ……ここまで誘惑されないコ、初めてかも……! あはっ、でもま、それでこそよねー? あ、そうそう比企谷くん。今度母さんが比企谷くんを連れて来いって───」

「…………ウゲェエエ」

「きみってほんと正直だね……まあほら、悪いようにはしないから。私もさ、ほら、面倒なことから解放してくれた恩義くらいは感じてるしね、騙すことはしないよ? これほんと。なんならどんな質問でも今なら答えちゃうよ?」

「ほーん? じゃあひとつ。今やりたいことはなんですか?」

「今まで出来なかった分、思う存分遊ぶことかな。えへへ、えへへへへへ~~~っ♪ まずはさ、ほら、ディスティニーランドとか行ってみたり、やらなきゃいけなかった授業とかバックレちゃってみたり、えーとあとはそう、正反対のこととかやってみるのも面白いかもねー♪」

「いきなり自由になってやることが見つからないって正直に言っていんじゃないすかね」

「───……ねぇ比企谷くん。私、カンのいいガキは嫌いだよ?」

「そーですか。俺もせっかく自由になれたのに、仮面を剥がし切れない人とか超苦手ですね」

「………」

「………」

「じゃあ……その仮面の名残、比企谷くんが剥がしてくれる……?」

「…………《すっ》」

「ちょっと待って今ファブリーズ関係ないよねなんで構えるのかなやめて待ってちょっと《べしっ》はたっ!? ……え…………で、こ……ぴん……?」

「はい。仮面なんて簡単に剥がれるでしょう? ……まずは反抗期からでいいんじゃないすかね。いっぱい甘えていっぱい困らせてやればいいじゃないっすか。……俺には出来なかったことです。間に合うなら……是非」

「………そっか。でも比企谷くん、出来なかった~なんていうけど、今も元気ならいつでも───」

「間に合いませんよ。俺はもう、“諦めました”から」

「───…………そっか」

「ヒッキー……」

「それを引っ掻き回すのは余計なこと?」

「余計ではないんじゃないですかね。世間的には。ただ俺個人では……無駄ですかね。今あるカテゴリだけで十分だって思ってますんで」

「カテゴリね……割り切った生き方ってやつかぁ。ん、嫌いじゃないかな、そういうの。好きでもないけど」

「でしょーね」

 

 言って、溜め息を吐き合う。

 世の中腐ってるって解ってる顔だ。ほんと、お互いどうしようもない。

 

「なんならもういっそ、そういうグループとか作っちゃえばいいじゃない。隼人───こほん。そういう人を中心に置いたグループ、クラスにも一つや二つ、あるでしょ?」

「あ! それいいかも! そしたらヒッキーが中心で~、あたしとゆきのんとさいちゃんと~♪ ……ヒッキー、これなんだっけ」

「だから材木座だっての……あーもういいよシアターで」

「あぁうんシアターね。……うちのクラスにもさがみんのグループとかあるけど、誘われても嬉しくないんだ。聞こえた話も、周りのことを悪く言うだけみたいだったし」

「なにそれすっげぇ暗そう。元気に話してんのに笑いのタネが他人の不幸って、どんだけ世の中嫌ってんだよ。俺でもまだ普通の話するぞ。クラスに友達いねぇけど」

「さいちゃん居るじゃん!」

「いや戸塚は天使だしな。戸塚相手に世の黒い部分を吐き出すほど黒くねぇよ」

「グループねぇ……ふーん。ねぇ比企谷くん、やっぱりグループ作っちゃえば? 自分が傍に居て嫌だと感じない人だけで。あ、ただし優秀であること前提ね? なにかしらで支え合うことが出来なきゃ、ただの馴れ合いにしかならないし」

「……マスターマインドっすか」

「お、知ってるね? そうそう、どうしようもない連中を集めても仕方ないし、仲が良いってだけで集まったって無駄。不仲の原因は排除して目標のために走れる人を集めるの。いいと思わない?」

「俺が一番に切り捨てられそうじゃないっすか」

「それはないでしょ? だってここに居るの、みんな比企谷くんが中心だから集まった子でしょ? ガハマちゃんは言うに及ばず、最近顔が緩みっぱなしの雪乃ちゃんも、まあ私も。そこで痙攣してるオデブちゃんは知らないけど」

「あ、そういえばヒッキー、このシアターってなにしに来たの?」

「奉仕部に依頼だと」

 

 マスターマインドね。みかんに喩え、腐った果実は排除して瑞々しいものを傍に置き、ともに目標に向かって突き進む集まり。

 俺達は何を目指せばいいのやら、ってところに意識が向くが、まあそれは陽乃さんが決めるのだろう。

 一応雇われるってかたちになる俺達は、その雇い主の言葉に耳を傾けることを受け入れなければならない。

 どうのこうの言ったところで始まらないか、と心の向きをごきりと変えた。



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ゆっくりと、彼の周りには人が集まってゆく

 で。散々騒いだ陽乃さんが帰り、代わりにユキがやってきた現在。

 

「マスターマインド? ……姉さんが言ったの?」

「うん! なんかヒッキーを中心に集めてみたら~? って! それでさゆきのん。ますたーまいんど? ってなに?」

「……姉さんが説明しなかったのかしら」

「したけど理解が追いつかなかったんだろー」

 

 マンションの奥側、俺の部屋にて。

 人が集まりわいわい騒ぐ中、俺はキッチンから少し声を大きくして飲み物の種類を訊いていた。こ、こんなの滅多にないし、ほら、あれだよ。最大限に気とか使いながら……「の、飲み物マッカンでいーかー?」とか。

 

「いいわけがないでしょう。紅茶をお願い」

「あたしはいーよー!」

「コッペパンを要求する!」

「ねぇよ。いつ来たんだよお前」

「さっきから居たであろう!?」

 

 そしてあっさり却下された。いいじゃないのマッカン。結衣は解ってる。

 あと材木座、いつ来たマジで。え? さっきから居た? 八幡知らない。

 

「さて、比企谷くんが飲み物を用意している内に、依頼内容を……の前に、あなた、なんといったかしら。ざい、材……?」

「ゆきのん、シアターだよ」

「訊ねられれば名乗らねばなるまい! 我の名は材木座義輝! 剣豪将軍の称号をこの身に刻む───」

「いやうるせぇよ。なんでお前わざわざこっち来て名乗ってんの。名乗る相手間違えてるだろ」

「は、はちまーーーん! 我には無理だ! 美女二人の傍で待機など無理なのだぁああ!!」

「いーから座っとけ。……ほれ、紅茶にマッカンに醤油な」

「はちまーーん!?」

「ありがとう比企谷くん《シュバッ!》」

「ありがとヒッキー!《シュババッ!》」

「…………」

「ほれ醤油。よかったなー、残り物には福があるそうだぞ」

「醤油は飲み物ではないであろう!? そうだと言って八幡!!」

 

 残り物=醤油をズイと差し出され、材木座はごくりと喉を鳴らした。差し出してるの俺だけど。

 

「いや、今日は結衣がクッキー焼いてくれたから、案外合うかもだぞ。ほれ、形はダメでも綺麗な焼き上がりのクッキー《スッ》」

「……《サクッ》……腕をあげたわね、由比ヶ浜さん」

「で、こっちが少し焦げてはいるが悪くはない色のクッキー《スッ》」

「《ザクッ》……うん! ちょっぴり焦げちゃったけど、我ながらおいしーかも!」

「そしてジョイフル本田の木炭と遜色なきダークマター《ズチャア》」

「……………」

「美少女の手作りだぞ?」

「いやあの八幡? 手作りでも、木炭とダークマターは食べ物ではない……よね? 我、なんにも間違えたこと、言ってないよね?」

「案外醤油かければイケるかもしれねーだろ。遠慮すんな。で? 依頼のことだが」

 

 いろんな意味で感想欲しい。マジで。

 これを醤油付きで食べた人、なんて思うんだろう。

 と、本音と冗談を混ぜつつ、別に作っておいたクッキーと飲み物を渡す。

 材木座は「やめて相棒、いくら我が黒を闇とか言うのが好きなレベルの存在だとしても、ダークマターを格好いいと思っていても、害になりそうなのとか食べられないから」と言って、しっかりとクッキーを受け取った。……その際、ダークマターを一つ頂戴していたのは、言葉の通り格好いいと思ったからなのだろうか。

 

「お、おお! うむ! 依頼のことであるが……平塚教諭に奨められたのだが、この……我の小説を見て、感想を聞かせてほしい」

「ほーーーん? で、これ完結してんの?」

「いや、していない」

「おい。完結してねぇもん見せるなよ。新人賞だのなんだのの募集は完結してること前提だろうが」

「い、いや、だがな。我の頭の中に存在する世界は、こんな量では語り尽くせぬもので……!」

「《ペラ……ペラ……》始まりからして主人公の紹介が長すぎてうんざりね。これ、いつになったら話が始まるのかしら」

「ゆきのんちょっと見せて? ……、……? ……? ねぇゆきのん。この漢字、読み方合ってるの?」

「悠久閃光斬……エターナルライトニングスラッシャー……? あ、の、比企谷くん、これはいったい……」

「おい。他は百歩譲るとして、このライトニング要素はいったいどこから来てるんだよ」

「い、稲光や雷光、稲妻などはっ、ささ避けられぬほど、はやっ、速いものでごじゃ、ろう? つつつつまりそこらへんからの応用であり……」

「それ普通にフラッシュでもいいだろーが……つかほんと主人公の説明長いな。原稿用紙何枚分だよ……ヘタすりゃ主人公の紹介だけで一巻分あるんじゃねぇのこれ」

「フフッ、甘いぞ八幡! 味方になるキャラの設定も合わせれば、その程度では終わらん!!」

「……あー、あるなーそういうの。設定作りばっか捗って、肝心の内容がスッカスカなのな。で、いざ書いてみると作っておいた設定が邪魔で話が進まないとかな。つかおい、このキャラの能力、主人公と被ってんじゃねーか。こいつ要らないだろ」

「そ、そやつは努力して強くなり、その能力だけは主人公を超えるというキャラで……」

「じゃあこのヒロインの癒しの能力は。主人公に負けてるじゃねーか」

「うぐっ……そやつの癒しはのちに出てくる悪魔の毒を唯一癒せる能力で……」

「じゃあこいつのどんな状態異状も治せるってチート能力は。ヒロインいらねーだろ」

「あ、悪魔の能力にだけは通用せんのだ……!」

「…………」

「………」

 

 微妙な空気、流れる。

 俺はソッと原稿用紙を置き、よく使われた言葉を今まさに届けた。

 

「悪いことは言わん。書き直して出直して来い」

「はちまーーーん!? それはないであろう! せめて! せめてしっかりと読んで感想を!」

「感想か。そうだな。主人公強いアピールがうざい」

「《ぐさぁ!》ぐはぁっ!?」

「読み仮名がふざけているわね。あなた、よくこれで総武高校に入学出来たわね」

「い、いや、その読み方は少年漫画ではお決まりで───」

「お決まりをなぞるだけで満足なら、他人の評価など必要ないでしょう? あなたの言うお決まりへの評価なら、お決まりである以上、そこかしこに転がっているわ。それを見て悦に入ればいい。あなたが求めているのはあなたの作品への評価なのではなくて?」

「うぐおっ…………は、八幡。この嬢、容赦ないんですけど……我もう泣きそう……」

「間違ったことは言ってねぇだろ。で? 評価欲しいの? 要らないの?」

「……う、うむ。欲しい。欲しいからこそ我は───!」

「漢字ばっかで疲れるね、これ」

「《ズォブシャア!!》ぶひぃいいいいいっ!!!」

「あれ?」

「おい……せっかくセルフで立ち直ろうとしてたのに、鋭い刃ぶっ刺すなよ……」

「えー? でもだってこれ、見てみてよヒッキー……」

「ええ。漢字に出来るところは全て漢字にしよう、こんな文字を使えて自分は頭がいい。みたいなアピールが心底うざったらしいわよ」

 

 見て見てとばかりに差し出され……る、どころか横に並んで一緒に見ようとばかりに広げられる。

 ふわりと漂う恋人の香り……プライスレス。

 

「ほ、ほーん……? …………うわっ」

「八幡!?」

 

 危うく結衣に手が伸びそうなところを強く意識して止めて、一応の依頼ということで原稿用紙にしっかりと意識を向けて……いや、なにこれ、見てて眠くなる助けて。

 

「いやこれお前……やりすぎでしょ……。結衣じゃなくても文句出るわ……読み手の読みやすさってのも考えろよ……」

「し、しかしだな。この物語としての書き方から見れば、間違ってはいないであろう!? そうだと言ってくれ八幡!」

「少なくともこれを見てその道に憧れるヤツはいねぇよ。まず最初に結衣と同じ反応を取るのが普通だ」

「《ぐさぁ!》ぶはぁあっ!!?」

「あとこの主人公、設定で産まれ付き邪眼の持ち主とか書いてあるのに初っ端から“最初は普通の目だった”とか書いてあるんだが」

「《ぐさぁ!》げふぅううっ!!?」

「ええ、言いたいことは大体似たようなことだけれど、これが一番重要ね。言っていいかしら、材、ざい……大木斬君?」

「違うよゆきのん、シアターだよ」

「どっちも違うから。で? どーすんの材木座」

「うぐふぅう……! は、はぁ、はぁっ……! よもや言葉だけでここまで我を傷つけるとは……! さすが我が最強にして最大のライバ」

「雪乃、頼む」

「はちまーーーん!?」

 

 ユキはザラキの構え!

 ざいもくざはまだ構えてすらいない!

 

「そう、では言うけれど。壊滅的につまらないわ。時間の無駄ね。見るのも苦痛。紙の無駄と言って許されるレベル」

「《ゾザザゾゾドドシャザシュゾシュゾバシャア!!》ぐわぁあああああああああああっ!!!」

「ディアベルはぁーーーん!! み、見える! 無数の言葉の刃が材木座に突き刺さりまくる光景が……!」

「ねぇヒッキー……このヒロインなんか急に脱ぎだしたよ? これが普通なの?」

「材木座の趣味だ」

「キモい!」

「《トチュンッ》………………《どさっ》」

 

 ユイの攻撃!

 クリティカルヒット! ざいもくざはたおれてしまった!

 

「……ほれみろ、やっぱどんな言葉を重ねられるより、真っ直ぐにキモい言われる方が鋭利だろうが……一撃だぞおい」

「…………ねぇ比企谷くん。ざ、ざい……なんとかくんは置いておくとして、マスターマインドのことだけれど」

「ん? ああ、そんな話もあったな。言いだしっぺの人、電話くるなりどっか言っちまったけど」

「私たちはその、ひとつの目標を三人で解決しようとする、という集まりよね? これはマスターマインドとして成り立つのではないかしら」

「……え? なに? そっちの方向で固める気なのお前。べつにそんな意識高めなくたっていいだろ……できることをやる、程度で」

「いえその……マスターマインドは団結と意志力、統率力がものをいうもの、でしょう? ……わ、私達なら……その」

「……言いたいことは解った。まあそうな、俺も考えなかったわけじゃない。だがその前に、俺達には土台が足りてないだろ」

「土台?」

「まぁアレだ、信頼は足りてるよな。俺は結衣のことを無条件で信じてるし、雪乃のことは親友として疑ってない」

「ええそうね。私もあなたを信用し、信頼しているわ。特に友達として認め合ったことと、あの母と姉を変えてみせたことから」

「そうだな。変えた覚えねぇけど。けど雪乃、お前にとっての結衣はどうだ?」

 

 言われて恥ずかしいこともなんとか飲み込み、言葉を返す。

 しかしそれでもユキは感謝の類を飛ばしてくるから、こちらもなにか返す言葉を……と思案していると、納得せざるをえない喩えを投げられた。

 

「友達よ……いいえ、そうね。……あなたにとっての戸塚くん、といえば通じるかしら」

「それなホントそれマジそれそれ超あるそれしかないまであるOK十分だ信じたもう信じただよなそうだよなそれしかないまであるよな」

 

 これ無理だわ、納得しないとか無理だわ。むしろ結衣を例えにだされたら無条件で頷いてたレベル。

 

「比企谷くん、鼻息を荒くして近寄らないでもらえるかしら。うっかり指が110番を押してしまいそうだわ」

「やめろ。しっかり構えておいてうっかりもなにもねぇだろ。……それはともかく、どうすんだ、この依頼。依頼者が気絶しちまったわけだが」

「感想をくれという依頼は完了したでしょう? これ以上はやりようがないわね。それとも全てを読んでから感想を述べるのかしら」

「いやすまん、これ正直読んでて楽しくなるイメージがてんで沸かん。べつに俺TUEEE系が嫌いなわけじゃないが、現段階では見るのが辛すぎる」

「“てにをは”以前の問題ね……なぜわざわざ回りくどい説明をするのかしら。“~~であろう、否、それは───”と書く文章が多すぎて頭が痛いわ」

「完全なる中二病だな。で、なに。俺達よりにもよってマスターマインドを組んだ最初の依頼として、材木座に“身体斬り裂く辛辣の言葉”を吐かなきゃいけないの? ……なんか言い回しがそれっぽくて嫌だな」

「ルビを振るならば! トラウマティックキリングワードヴォオオオイスッ!! ───だな!《シャキーン!》もしくはぁああ……!」

「いきなり起きるな叫ぶなポーズ取るな静かにしろやかましいうっさい」

「あ、すいません」

「それより材木座、改善点が欲しいならいくらでもやるが、どうする? 夢を追うなら続けるべきだが」

「う、うむ……やはり我は小説で旗を掲げ、いずれは小説界の剣豪将軍と呼ばれたい! そしてアニメ化を踏破して───声優と結婚したい」

「ちなみに大手出版社の編集者ともなると、年収とかは一千万にも届くらしい」

「よし我編集者になる」

「清々しいほどに自分の夢に対して下衆な男ね」

「《ゾブシャア!》ぶひいぃっ!!?」

「材木座。自分に素直になるのはとても大切なことだ。だがな。ハッキリ言って俺達は編集者という職業には向いていない」

「な、なぜだ? なろうと思えば───」

「だって俺ら、明らかな他人相手に気を使って話せるほどコミュ力ねぇだろ」

「物凄い説得力であった……!」

「それで納得してしまえるのね……ところで比企谷くん。あなたさっきからなにをしているの?」

「あん? ああ、結衣が小説読みながら寝オチしたから膝枕だ」

「いやに静かだと思ったら……」

「……むにゃ……ひっきぃ……♪」

「…………~~」

 

 こうなると膝の上の恋人が眩しすぎてたまらない。

 俺、この娘のこと絶対守ってみせる。大好き愛してる。

 

「《なでなで》……ひぅぅん……ひっきぃいい……♪」

「……なんか我、夢のお嫁声優さんよりも身近な恋人に心打たれたい気分……」

「んじゃ、まずは痩せような。お前、痩せれば相当いい男だぞ」

「ほ、本当か八幡! わ、我も八幡の恋人のような美少女が恋人になったり───!」

「選り好んでる時点で上手くいきっこねぇよ」

「え? そうなの? じゃあ我、多少アレでも真剣に好きになってくれる相手がいいな。むしろヤンデレだろうと我だけを愛してくれるのであればぁあ……! 飛び込んでこーーーい!」

「あああるな。一度はあるよな。ヤンデレだろうと一途に愛してくれるならって思うこと。だが材木座よ。いずれ気づくだろうがまずは聞け。ヤンデレのそれは愛や恋では断じてない。ただの所有欲だ」

「………………ですよねー」

「だよなぁ……」

 

 二人して溜め息を吐いた。まあ、こんな日常。

 つくづくマスターマインドから離れつつあるが、雪乃が居て、忘れない限りは自然消滅する、などということはないだろう。

 

「比企谷くん」

「あいよ。マスターマインドな。正直な話をするなら、俺はべつにお悩み解決にそれほど意識を配ってない。つか、生徒の悩みを生徒に解決させるってなんなの? 元は平塚先生を当てにした相談なんだろ?」

「それでも解決できないのは、負けたみたいで嫌じゃない」

「負ける負けないの問題じゃないと思うんだが……まあ解った。ようするに陽乃さんは、俺達を互いで高め合いながら目標を達成して、なお成長し続ける化物軍団に仕立て上げたいわけだ」

「一応私たち、互いの能力で補い合えていると思うの。基本能力は高いのだから、やりたいようにすればいい。行き過ぎた行動に移らないように互いが抑制して、空気が悪くなれば由比ヶ浜さんがそれを解消。私たちは彼女に教えることで確認も出来て、彼女も成長して、次の段階へ行ける。足りないものがあるとしたら───」

「人脈だな」

「まさにそれね。まあいざとなればそこは姉さんに頼ることになるのだろうけれど……」

「あの人どうなんだ? 人脈とか」

「恐ろしくあるわね。ただ、グループの安定と縮小を視野に納め始めた今、ついてくる人がどれほど居るか、という話になるのでしょうけれど」

「まあ、人脈はおいおいだな。俺達で増やせる未来が全然見えないのが問題なんだが」

「そうね。やろうと思えばやれないこともないのでしょうね。ただそんな急造の人脈を信じろというのは少々……いえ、かなり不安ではあるわね」

「あー同感。なんか面白そうだから参加するわーとか言うやつに限って、ちょっと大きなことが起こると無言で離れるのな。それならまだ“ここまで来たら旅は道連れだっしょお!”とか言って元気に突っ込む馬鹿の方が信じられるわ」

「ちなみに我、ゲーセン仲間という形でなら、人脈はまあまあ……」

「ただの遊び仲間が大きな問題を前に協力してくれるわけねーだろ……」

「そうね。それこそ“あなたとは遊びだったのよ”と言われて終わるだけね」

「はぽおっ!? ぐふっ……文字通り遊びの関係だから何も言い返せぬ……!」

「まあ、だから人脈は置くとしてだ。互いを高めるって案は賛成だ。なにより学力が必要になるなら、雪乃の学力と冷静さはありがたい」

「教え方の上手さならあなたの方が上でしょう? 私はどうにも“理解している”側だから、“相手がなぜそれを理解出来ないのか”が解らないのよ」

「居るよなーそういう奴。ま、何事も向き不向きってことだろ。マスターマインドの基本は能力がそれぞれ違うことに意味があるんだろうし、同じ能力ばっか嵩張っててもしょうがねぇだろ」

「うむ! みんな違ってみんないい、というやつだな! ……みんなって誰だろうな、八幡よ」

「その言葉のあとにそれはやめろ。しかしそうか。マスターマインド、ね……」

「あら。姉さんに言われた通り、グループでも作ってみる気になったの? とうとう本格的に孤独者から卒業する気かしら」

「集団の中にあろうとぼっちはぼっちだろ。本質なんて変わらねぇよ。いや、変わるからぼっちになって、そこからさらに変わったわけだが……まあなに? グループがどうとかじゃなく、自分の傍に居ても嫌がらない人、ってのを……探してみるのもいいかなってな」

「八幡、貴様───」

「───敵か味方か割り切れてる方が今後の対応もしやすいしな」

「はぁ……実にあなたらしい考え方ね」

「それでこそ我が相棒よ」

 

 溜め息を吐かれたり、眼鏡を怪しく輝かせてサムズアップされたりしながら、その日……じゃないな。翌日あたりから行動は始まった。

 

   ×   ×   ×

 

 目標に向かい邁進出来る人探しをぼちぼち開始した日。

 といってもグループに入らないかーなんて誘って入る奴など居るわけもなく。

 

「八幡のグループっ? 入るよっ! 僕で良ければ一緒に居させてほしいなっ!」

 

 居るわけもなく───

 

「グループって、まだ中学のわたしをそんなに誘いたかったんですかー? 先輩ってほんと、見た目の割りにアレですよねー。けど解りましたっ、一色いろは、他ならぬ先輩の頼みとあらば、いつでも遊びに行っていい権利を条件にグループ入りをしますっ♪ あ、交通費とか馬鹿になんないので負担してくれると惚れちゃうかもですよ? ……義理人情に」

 

 居るわけも───

 

「いやなんで我のこと部屋で誘わなかったの? 我あの時すぐ近くに居たよね? ねぇ? ていうか我が一番最後ってどういうこと!? なんで誘わなかったの!? 八幡!? は、はちまーーーん!」

 

 居…………

 

……。

 

 ……で。

 

「それで? 思いつく限りに声をかけてみた結果がこれ、ということかしら?」

「へ~~……八幡の家ってこんな近くにあったんだね~……!」

「せんぱ~い、お茶がないですよお茶~、お客様に対して失礼じゃないですかー?」

「いい男になるための第一歩! 腹筋なんぞより第二の心臓を動かせ! 熱く燃えろぉおおっ! ヒィンズゥウウウッ!! スクワットゥォオオオゥ!! はっ! ぽんっ! はっ! ぽんっ! はっ……はっ……はっぽっ……! ぽほっ……!」

 

 俺の部屋に、戸塚、一色、材木座がやってきた。

 誘ったら頷かれて、呼んだら来ちゃったよ……。どうなってんの、特に一色。

 まさかほんとに頷くとは、来てくれるとは思わなかった。

 ……俺、自分で思っているよりも、人とそういうもの、築けてるって……思っていいんだろうか。

 

「よく来たな戸塚っ!《ぱああっ……!》」

 

 ああ、いや、まあその。

 

「……ほれ一色、水道水だ。《コトリ》」

 

 そういう態度を表情とか態度にだしていくのは、まだまだ苦手だから無理だが。

 

「……材木座ー、汗が飛び散ってるからあとでその床掃除しておいてくれなー」

 

 うん無理、こんな対応しかできない。今は。……今は。

 

「先輩……人によって対応ひどすぎです……。ていうかあのー、これってなんの集まりなんですか? そもそも先輩ってこんなにお友達が居たんですか?」

「いや、友達は雪乃だけだ。戸塚は天使。材木座は知り合いだ」

「なんかいろいろ割り切ってますね……あ、えっと。初めてまして、一色いろはです。先輩には困っていたところを助けてもらった縁がありまして」

「一色さん、ね? 初めまして、雪ノ下雪乃です」

「あ、僕は戸塚彩加っていいます。先輩ってことは……中学生の頃の八幡の後輩さんなのかな」

「いや、ガッコは別だ。本当にたまたま会ったってだけなんだよ。先輩って呼んでるのはこいつの気まぐれだ」

「フフフ、我こそが剣ご───」

「気まぐれってなんですかー! わたしが他人を敬うなんて、珍しいことなんですよー?」

「いやあの、我は……」

 

 材木座がタイミングを逃しまくる中、玄関側から扉が開く音。

 この遠慮ない入り方は結衣だろう。

 

「《ぱたたたっ……》やっはろー! ってうわっ! なんかいっぱい居るっ!」

 

 やっぱりだった。ああ、世界が色づく。言わないけど。

 ていうかほんと俺アレな。パブロフっつーか……結衣が来ただけで胸が高鳴って、すぐにでも抱き締めたくなるっつーか……ああもどかしい。

 

「こんにちは、由比ヶ浜さん」

「お前な、一応他人の家なんだから、チャイムくらい鳴らせ」

「え? なんで? 他人じゃないよ? だってあたしヒッキーのお嫁さ───うわっひゃあああっ!? ななななんでもないなんでもないっ! う、うん! する! するね!? もうチャイムとか超する!」

「あの……我……」

 

 一応の注意をしときながら、結衣の嫁宣言にドキームと心を弾ませ、顔がニヤケないように超努力する。

 え? 材木座? あ、材木座のこと気にしたらニヤケが抑えられた。ありがとう材木座。ユキに気づかれたらまたいろいろつつかれそうだから……って、なんで俺のこと見ながら溜め息吐いてんの、ユキ。

 

「せんぱーい、このふっくらした方の眼鏡さんは誰ですか?」

「ぶるぁあああっ!! よぉ~~くぞ訊いてくれたァ! わァ~れこそはァ、剣豪将軍ンンッ、ざ」

「ああ、あの時の将軍さんでしたか。先輩のアドレス教えてくれてありがとうございました」

「はぽん? …………おおあの時のメールの者であったか! なんという縁であろうか、これはいわゆる運命的な邂逅、即ち───」

「だから。なんでお前は俺を見ながら喋ってるんだよ……一色はあっちだぞ」

「でゃっ……だから無理だと言っておるでごじゃろう!? わわわ我にはあんな美女の相手など! というか八幡貴様っ、なぜ貴様の周りにはこんなに美女が!? 許せぬ! 許せぬぞぉおおっ!! こうなったら貴様を不幸にしてその分を我の幸福に!」

「シアターうっさい」

「あっ……すいません……」

「結衣先輩、容赦ないですね……実際うるさかったけど」

「俺を幸せにするのは自分だって言ってたのに、不幸にするとか言われりゃな……相手が結衣だったら俺だって怒るわ」

 

 うん。怒る。

 そしてそう思われただけでそわそわしてしょうがない俺。

 ……なんかもう俺相当ヤバくないですか? 今周りに人が居なかったらもう、結衣のこと抱き締めて頭撫でて背中撫でてぎゅーってしてそれでそれで……いや落ち着け、マジ落ち着け俺、キモい。

 お、おかしい、自分が保っていられない。大事すぎる。ヤバい。そしてやっぱキモい。

 

「あ、あはは……あ、それでさ八幡。結局は僕たちはなにをすればいいのかな」

「お、おう戸塚、今から説明するな。……と言ったはいいが……まあその……一色の言葉を拾うとだな。この集まりは目標が出来たら全力で協力してそれを解決しようって集まりだ。仲良しこよしをするのもいいが、それが依存……お互いの意志とかを潰す結果になって、現状維持だけを選ばないための、あー……その、なに? 成長? の、ための集まりってやつだな」

「あ、せんぱーい、そういうことでしたら、わたしちょっと勉強で行き詰ってましてー」

「へいへい……まあやることの基本は勉強だな。あとは自分の苦手なものを克服するため、とかそういうのだ」

「えっと……僕、テニスをもっと上手く出来るようになりたいんだけど」

「よしやろうすぐやろう大丈夫だ俺がしっかり教えてやる」

「ヒッキーキモい……」

「すいません……」

「あら、自覚があったのね」

「ほっとけ……」

 

 結衣への感情を少し別に向けないと今やばいのよほんと。

 それで結衣自身にキモい言われてりゃ世話ないけど。

 

  ───そんなこんなで、奇妙なグループ結成が決定。

 

 ただの仲良しグループではなく互いが高め合うことを目的としたものにするため、それぞれが様々に挑戦した。

 中でも戸塚を混ぜた早朝新聞配達は目が冴え血沸き肉踊るような高揚を感じ、とても……とても最高だった。

 これには材木座も参加し、食事制限から無駄な運動を削いだものの実践、じっくりとした筋力作りも合わせ、地道な成長への戦いが続いた。

 




 理由のない1評価や、理由はあってもどうしようもない1評価ってやっぱりヘコみますね……orz
 ええい割り切れ割り切れ。

 お願いなのですが、他作品と比べて評価を落とすのだけは本当に勘弁してくださいね。あらすじにも書きましたけど、ヒッキーとガハマさんが好き合っていくだけのお話ですからね?
 「俺が好きなキャラとくっついてない、アウト」って評価下げられて、僕にどうしろと……!

 いえ、ポジティブにいきましょうね。
 書きたいものを書いているだけなんだから、低評価も当然。
 よし、真っ直ぐGOです。

 えー、この物語はキャラに慣れるために書いたものです。
 ですので、物語自体は中途半端な部分で終わっていたりしています。
 プロトが一番好きだと言ってくださった方には申し訳ありませんが、その後の話は今のところ書く予定がありません。
 では、あと数話ですがお付き合いください。


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日々の中、彼ら彼女らの絆は深まってゆく

 夏休みである。

 俺達は特に申し合わせたわけでもなく俺の部屋へ集うようになり、互い互いに出来ることを提示、出来そうなことを覚えていき、身につけることに勤しんだ。

 なぜこんなに部屋に集まることが出来るのか。それは、集めた者の大半が、特定の友達が居ないことに理由がある。やっぱぼっちは最高だ。自分のために存分に時間を使える。

 

「なんだか楽しいね、こうしてみんなで走るのって。その上テニスにまで付き合ってもらっちゃって、ごめんね八幡」

「気にするな戸塚。俺が好きでやってることだ《キリリィッ》」

「フハハッ! ハァーーーハッハッハッハ!! 見よ八幡ンンッ!! 我はもう! この距離を走りっぱなしでも、息は荒れても疲れなくなったぞぉおおおっ!!」

「あーそりゃよかったなー。てかお前の体どうなってんの? なんでそんなヌルヌルの汗がゴポゴポ出てくんの? おかしなものとか食ってない?」

「でも実際、体力ついたって感じがしますよねー。走って歩いての繰り返しだから、そこまで疲れるって感じもしませんし」

「好きなものを腹一杯、っていうのができないのがツライとこだな。朝は起きて一時間以内に軽く食事、晩飯も5時前までに済ませて、昼飯はしっかり。朝は軽くだから腹は減るくせに体力だけはつく。なんなんだろうな人間って。ほんと不思議だ」

「追い詰められなければ本領を発揮できない、ということでしょう? 不思議ではあるけれど……体力がつく、というのはこれで案外、世界が変わって見えるものね……こんなことも知らないで世界を人ごと変えるなんて、私も馬鹿なことを言っていたものだわ」

「自分の知らないものをやりまくってりゃ、自分が見る世界なんてその内変わるもんだろ。ほれ、ポッカリ飲んどけ。結衣~、あんま飛ばしすぎるな~」

「あ、ヒッキー、あたしもあたしも!」

「生憎とよくシェイクされたスポルトップしかないんだが……他のドリンクはこいつが飲み尽くした」

「ゴッ……ゴラムゴラムッ! やはり出した分の水分は補給せねば! ポッカリとアクアリエスのちゃんぽんが胃の中で元気に吸収され、汗となって───溢れでよるわ!!」

「ほら結衣、そこで買ってきたから」

「あ、うん。お金出すよ」

「あれ? 我またも無視?」

 

 普通にやかましい材木座をスルーして、結衣にひたすら愛情を向ける。

 ああやばい、最近の俺ほんとアレ。寝ても冷めてもこいつのことばっか。やばい。

 

「ああ、その、気にすんな。それよか部屋戻ってストレッチだ。体が温まってる内がいい」

「え、でも」

「……こんくらいおごらせろ、ばか」

「《なでなで》あ…………うん、えへへ」

「我すっげぇ空気……そして我も彼女が欲しくなってきた……ええなぁ八幡……ええなぁ」

「八幡、よく笑うようになったよね」

「うむ! それは我も思っていたところだ。苦労の先に幸福があるのだとするならば、確かに爆発しろとは言いにくくなってきた。つまりあれであるな。幸福に包まれながら老衰で死ねと」

「あはは、“死ね”は余計かな……あ、材木座くん、ストレッチ手伝ってもらってもいいかな」

「我に任せておけぇい! なにせ我は! ストレッチの達人!」

「なに言ってんですか剣豪さん、いっつもはぽんへぽん言いながら苦しそうにやってるのに」

「ぶひっ!? ……い、いや、ああいうのは積み重ねが大事であるからして……《もじもじ》」

「なんで先輩のほう向きながら喋ってるんですか……戸塚せんぱーい、わたしとやりませんかー?」

「やめて!? 我の最後の良心を取り上げないで!?」

「喧嘩はだめだよ。仲良く。ね?《ニコッ》」

『───天使だ……』

「えっ!? み、みんななに言ってるの!? やめてよ、僕は天使なんかじゃ……!」

 

 俺が結衣に集中してる中、戸塚たちは戸塚たちでいろいろあったようで、随分と賑やかだ。

 ていうかなんでか材木座が俺を見ながら喋ってばかり。やめて、なんかちょっと怖い。

 

「先輩やばいですよなんなんですかほんと先輩どうやってこんな人と出会えたんですか想像できないですよごめんなさい」

「え? なんで俺会話のついででごめんなさいされてんの? いやべつにいいけど……いやまあ、アレな。戸塚から声かけてくれた。むしろ戸塚が踏み込んでくれなきゃ、今でもぼっちだったんじゃねぇの? つまり戸塚は天使だ」

「あなたの場合、どうのこうの言いながらも由比ヶ浜さんに押し切られていた気がするのだけれど」

「あ、あはは……それはないかなー。あの頃のヒッキー、ほんとひどかったし……」

「……由比ヶ浜さんがそう言えるほどだったというの……?」

「あー……雪ノ下先輩、いっつも結衣先輩に押し切られるままだから、そういう固定した印象、あるかもですよね。そういうわたしも、なんだか驚きですし」

「そうだね。僕も声をかけた時、罰ゲームと間違えられちゃったし」

「なん……だと……!? 戸塚氏相手でもブレんとは……見上げたぼっち力だ八幡! 我など戸塚氏の前では一撃だったのに……」

「あの……やめて? 人の過去を会話のタネにするの、ほんとやめて? それよりさっさとストレッチしない? 体冷えると、この時期でも風邪引くぞ」

 

 ああほら、結衣の体も少し冷えてきた。

 だ、抱き締めて温め───いや落ち着け、まじ落ち着け。

 あれ? ほんと俺ヤバくない? 考え方がほんとやばくない?

 

「そうね。それは遠慮したいわ。……それに、この調子で続けていれば、体力で姉さんに……」

「体力ついてきたら筋トレも混ぜていくから、ジョギングで使い果たさないように上手く配分してくれな」

「誰にものを言っているのだ八幡よ! 我は今からでも一向に構わんッッ!」

「ほーそーかー。……他のみんなはどうだ?」

「あたしもいけるよ?」

「僕も平気だよ。疲れよりも楽しいんだ。いいよね、こういうの。僕、今までそういう友達が居なかったから……」

「そうですねー、戸塚先輩の場合、なんていうか女の子よりも女の子っぽいですから、声をかけるのも難しいかもです。男子は嫌でも意識しちゃうでしょうし、女子はやっぱり男子ではあるから意識しちゃうでしょうし」

「うん……だから八幡が一緒に居てくれるようになって、毎日が楽しいんだっ《ぱああ……!》」

『……天使……!』

 

 満場一致でとつかわいい。

 結衣から意識を外そうと努力した先に天使が居ました。

 

「だっ……だから違うったら……! もう、やめてよみんな……! 僕だって怒るんだよ……!?」

「わ、悪い悪い……んじゃ、とりあえず部屋に戻ってから考えるか。一色はどうだ? 体力のほう」

「わたしも全然やれます。それに走り終わってからのストレッチはよくやってるんですから、筋トレもその延長ってことで」

「そか。雪乃はどうだ?」

「え、と……私は……少し休憩を───」

「あ、ところでヒッキー、その筋トレすると、なにがどうなるの?」

「ん……そうだな。男とかは体の形がよくなるし、女は……ほらその、あれだよ。体の形がよくなるのは当然だけど、えほんっ! ごほんっ! あー……その。バ、バスト? や、ヒップ? とかの土台作りとか……」

「すぐに始めましょう《シャキーン!》」

「ゆきのん!?」

「いえべつに(略)そういうことを言って(略)つまり私はべつに胸(略)つまり私は(略)そう言うのならまずはその定義(略)」

「長いよゆきんのん!」

 

 ……ともあれ、意識改革は続いている。

 勉強を楽しいものと認識させるところから始めて、夏休みをフルに使うつもりで全力で楽しみ高める日々。

 集まって運動して勉強して料理を教えて息抜きして勉強して出掛けたり遊んだり。

 つくづく他にこれといった友達が居ないからか、ほぼ全ての日に俺の部屋に集う者達は、当然のことながら付き合いがよかった。

 人脈はないがその分深いというか。

 

 ……そんな人たちと行く花火大会も、随分と盛り上がった。

 邪魔があったりもしたが。

 

「フフフハハハハハ! たぁーーーまやぁーーーーーっ!! ヴォルカニックシャインバァアアアストォオオゥッ!!」

「珍しいですよねー、先輩が祭りとかに誘うなんて」

「いや……俺、結衣だけを誘った筈なんだがな……」

「私は姉さんからあなたが誘っていると聞いたのだけれど」

「八幡の行くところ我はあり! 安心するんじゃハチナレフ……おぬしは一人ではない!」

「いえこの場合剣豪さんが独りですよね」

「《ざくぅ!》げぶおぉう!?」

「あ、僕も陽乃さんから連絡が来たよ? 八幡も行くっていうから来たんだけど……デートだったんだよね、ごめんね」

「いやそれは陽乃さんが悪い戸塚は悪くない諸悪の根源は陽乃さんであると断言できるまである」

「いつもながら姉さんがごめんなさい……」

「気にすんな。結衣もなんだかんだで喜んでるし」

「……あなたも。由比ヶ浜さんを優先するあまり、自分の意見を殺さないようにしなさいね」

「……おう」

 

 言われてるし。だ、だよなー……最近俺ほんと結衣のこと優先しすぎてて……。

 お互いを高めていかなきゃいけないのに、いや、確かに俺も結衣のためを意識するといろいろ捗ってヤバいんだけど。

 

「それで、その由比ヶ浜さんは?」

「買い食いに走ったぞ? 祭りの日にまで制限はしないって言ったら走ってった」

「そう。あなたは一緒に行かなくてもいいの?」

「いや、べつにいいんじゃないか? そんな、子供じゃないんだし───」

「この人の群れの中、今の由比ヶ浜さんの傍に居ないのはとても危険だと思うのだけれど。その、ナンパ、というのかしら」

「用事思い出したちょっとトイレ行ってくる《ギャオッ!!》」

 

 子供じゃない以前の問題だった。

 あんまりにもべったりな自分をなんとかしようって思うばかりの日々に、少し目的の食い違いを見た。これはいけない。

 

「……物凄い速さで走っていきましたねー……この人ごみの中を」

「フフンム! ぼっち度が極限まで高まれば、人の動きなど手に取るように解るもの! 我とてもっと痩せれば、あの動きに達することが……!」

「そうだよね。人と上手く付き合えないと、相手がどう動くかーとか気になっちゃったりするんだよね……」

「戸塚くんにも解るのね、その……そういうものが」

「うん。僕も八幡と会うまでは、えっと、なんていうのかな。腫れ物に触れるみたいな接し方をされてたから」

「……どこに居ようと、誰であろうとなってしまう者はなってしまうのね、孤独者というものは」

「まあ、目が濁るほどに世界を諦めてはいませんけどねー」

「そうね。その分だけ理解もあるということを、比企谷くんも知ってくれればいいのだけれど」

「先輩の性格だと難しいでしょうねー……」

「でしょうね」

「もはははは! 然り然り実に然り!」

「解ってもらえないなら何度だって届けるよ。八幡は友達だから」

「うわー……雪ノ下先輩、戸塚先輩が眩しいです。なんですかこの人、天使ですか、天使なんですか」

「だ、だから違うってば!」

「天使云々は置いておいて、そろそろ行きましょう。集団で居るからといって、安全というわけでもないのだから」

 

 しかしまあアレだ。日々ってやつは実に平凡。ただし、そこに余計なものが混ざらなければの話。

 ぼっちにとっての平凡とは孤独であることと、解り合ったぼっち同士が傍に居る時くらいだろう。

 だからつまり、賑やかなところに現れる名物が出てこなければ、その日はきっと笑顔だけで埋めていられたのではないかと……そう思うのだ。いや、暗く言ってみたけど、べつになにかあったわけじゃないからね? ちょっと材木座とか俺自身、自分の立ち位置ってものを再確認させられたっつーか。まあ、大半はあとで聞いた話になるんだが。

 

「おっほ! かわいこちゃんみーーーっけ! ねぇねぇ、俺らと一緒に歩かなぁい? あ、俺らってのは他にツレが居てさー、用事が済めば来ると思うからっ、ねっ!?」

「…………はぁ」

「なんて絵に描いたようなナンパ男……あの、雪ノ下先輩、これってスルー可能ですか?」

「無理でしょうね」

「ねーねー、ぼそぼそ話してないでさぁ~、俺達と、なぁ~?」

「絶対に嫌よ」

「死んでもごめんです」

「ごめんなさい、僕ひとりで来てるわけじゃないから」

「けぷこんけぷこん! どうしてもというならゲームバトルくらいならば付き合ってやらんでもない!」

「あ? うっせーよデブ、お前とは話してねぇ」

「あらそう。彼は私たちのグループの一人なの。一緒に行動すること前提で動いているのに一人を除外させようというのなら、話に付き合う理由もないわね」

「えっ、ちょっ……だっていらねっしょー! 君たちみたいなかわいこちゃんが、な~んだってデブ一人と一緒に歩いてんのさ~! きっとほら、なんかの罰ゲームかなんかなんだろ? もしくは幼馴染とかっ? あっはっはぁ、だとしても付き合う相手は選んだ方が───」

「………」

「ざ、材木座くん……」

「いや、戸塚氏……なにも言ってくれるな、構わぬ。正論を上げてみれば、確かにその通りではある。八幡という繋がりがなければ、我は今も一人で行動をしていたのだろう。そうでなくとも八幡以外と通じる話の少ない我だ。この中で浮いてしまっているのは、自覚している」

「お? んだよ立場っての弁えて───」

「だがだ。何故自覚しているからといって、貴様の言葉に従わねばならぬ。生憎だが我には我の信じ方というものがある。どれだけキモいと言われようと、どれだけうるさいと言われようと、我はそれをこのグループから“否定されたこと”など一度たりともないわ! ならば自分らしくを貫くことの何が悪か!!」

 

 聞こえたのはそんな声。

 思わず笑ってしまうような、そりゃそうだって頷けて、最終的には笑顔がニヤッとしたものに変わってしまう勢いが、その言葉にはあった。

 

「うっわキメェ! なにこいついきなり必死になっちゃってんのー!? キんメェキメェ! キ《ポム》あん? んだよ」

「あーすんませーん、ここに粘着性チャラ男が居るって通報されたんですけど、誰のことか知りませんかね」

「あぁ!? 知るかよンなこと! こっちは忙し───」

「あーそーすかー、忙しいんならいいんすよ。んじゃお前らー行くぞー」

「そうね。忙しいなら仕方ないわ。私たちも用などないことだし。というか戻るのが遅いわよ遅刻谷くん。お陰で移動しようにも出来なかったじゃない」

「ゆきのん大丈夫だった!?」

「《抱きー!》……たった今大丈夫ではなくなったわね。離れてちょうだい」

「もー、せんぱーい、おっそーいぃですよぉ~!!」

「結衣がナンパされ───ト、トイレが混んでたんだよ。悪かったな」

「八幡、ナンパの方は大丈夫だったの?」

「い、いや戸塚、トイレが……」

「八幡?」

「…………だ、大丈夫だ、問題ない。殴られたりして眼鏡が壊れたら嫌だから、眼鏡取ったらその途端に悲鳴上げて逃げてった」

 

 多少は色をつけても、やっぱり世界って灰色寄りだわ。とほほ。

 

「おっ……おい待てよ! なに勝手にどっか行こうとしてんだよ!」

 

 しかしまあ、アレだ。こうして話しながら去ろうとしたところで、ナンパ師が逃がすわけがないわけで。

 ナンパが目的なら、ナンパが失敗した時点で去ってくれたらいいのに。

 釣りをする人は針とエサは垂らしても、しつこく粘着したりはしないんだぞーぅ?

 

「あぁ、こいつら俺のツレなんで、どう動こうが勝手なのは当然だし、あんたにいきなり制限される覚えこそ無いな」

「ツレだぁ? んじゃあ話は早ぇえ、カワイコちゃんたちとは俺が相手してやっから、男はとっとと消え失せな」

「……ええと。なにお前ら、ナンパOKでもしたの? 俺今物凄くどん引きなんですけど……え? なに? 付き合うの? 付き合っちゃうの?」

「するわけがないでしょう、どん引き谷くん。そこの男が勝手に言い出して騒いでいるだけよ」

「さいてーですよねー。目的がナンパなら、断られた時点でどうして引き下がれないんですかね」

「あの……構わないでください。僕たちは僕たちで楽しんでるから。それに材木座くんに言ったこと、ちゃんと謝ってください」

「いや、戸塚……氏。俺……げほんっ! いや、我は───」

「あー、そりゃしょうがないだろ材木座。きっとこのお方、アレですよ。ナンパにしか必死になれないナンパの貴公子かなんかなんですよ。俺達とは住む次元が違うお方なんだな、きっと」

「あぁっ!? ンだテメェ!」

「うわー、きめー、なにこいついきなり必死になって叫んじゃってんのー? きめーきめー」

「んがっ!? てっ……んめぇええええっ!!」

 

 男、真っ赤になるの巻。

 いやほんと、失敗したらそのまま別のところに行ってほしいわ……。

 っつーかこういう祭りに来るのなんて大体が彼氏彼女持ちだろうに、なにに期待を込めてナンパをするんだろう。

 解らん。

 

「もははははは! キモイな! 確かにキモイわ! お陰でせっかくの祭り気分が台無しであるわ!」

「あのー、綿菓子あげるんで去ってくれない? ナンパなら別のとこでどーぞっつーことで」

「ちょ、ヒッキー! それあたしの!」

「チッ、おい、調子に乗ってんじゃねぇぞてめぇ! なんならてめぇをこうして黙らせてからっ───!」

「汚い手で触れようとしないでもらえるかしら」

「へ?」

 

 ナンパ男が俺へ手を伸ばした……と思えば、そこへ雪乃が割って入り、手に軽く手を添えたと思えば、

 

「《ブォアッ!!》うぇあっ!?《ズドォッシャア!!》げがぁっ!?」

 

 男は回転、ドグシャアと地面に叩きつけられ、動かなくなった。

 

「うわー……こんなところで男投げるか普通……つーかお前なに? 合気道? ヤワラ? とかでも習ってんの?」

「まあそこそこに。それに仕方がないでしょう? 先に拳を振り上げたのはこの男なのだから」

「たまたま間に割って入って?」

「ええそうね。あのままにしていたら、私の友達が殴られることになると思ったから。ええ、もちろんざ、ざ……なんとかくんの言う通り、それ以前に祭りの気分を台無しにされたという苛立ちはあったわ」

「……あの雪乃サン? ナンパ師サン、動かなくなったんですけど」

「静かになっていいことじゃない」

「……それもそーだな。んじゃ行くかー」

「あ、先輩っ、綿菓子ちょっとくださいっ」

「いろはちゃん! それあたしの!」

「《もしゅもしゅ》ん……久しぶりに食べると、美味しいものね」

「ゆきのん!? あたしのだってばそれ!」

「女子たちのメンタルが強すぎて怖い」

「ナンパの恐怖より食い気でござる……おおこわい」

「ん……おう」

「ぬ? ……うむ」

 

 人と人の絆が壊れる瞬間ってのは、独りの弱さに原因がある。誰かがそう言った。

 それは外部からの突然の悪意であったり、内部から漏れた本心であったり、きっかけは様々だ。

 信じていた人物が陰口を叩いていた事実を自分の耳で知ってしまい、人に絶望して輪から離れる。よくある話だ。

 で、信じられていた人物は周りがそうしていて、言わされただけだった、なんて。だがあとでそんなことを聞かされても、きっとそいつはもう信じていた相手を信じられない。“初めてだからこそ輝けるものがある”。一度手放してしまったものにはそんな輝きはないのだから。

 なにがいけなかったのだろうと考えれば、周囲に合わせて信頼を裏切った、信じられていたそいつが悪いのだろう。陰口を催促する周囲よりも、信じてくれている独りを信じるべきだった。

 結局、そいつは親友になれたであろうそいつを失うのだろう。馬鹿な話だ。

 裏切られるまで裏切らない。一見信頼に満ち溢れた言葉だが、そこに安心などない。言葉通り、裏切られたら裏切るのだ。その事実は、覆らない。

 

「……見事な啖呵だったな。おつかれさん」

「……うむ。まあなんだ。お主らが本当はどう思っていようと、我は───」

「いや、べつにいーんじゃねぇか? 俺だって実際はどう思われてるかなんて解らんし。だったら自分はこう思われてるって決めて、自分が思うように動いたほうが重くないだろ」

「そうだよ材木座くん。気にすることないよ。僕達、友達でしょ?」

「───《きゅん》……戸塚氏……」

「───《きゅん》……戸塚ぁ……」

「なぁ八幡よ。……我は───俺は迷惑ではないだろうか。今まで自分の信念を、好きなものを偽らず貫いてきたつもりだ。それを恥じ入ることなど絶対にない。だが……困ったことに、俺はこの連中に、自分の信念と同等の価値を抱き始めてしまっている。受け入れてもらえないのであれば、大事にしていた信念でさえも手放していいとさえ───」

「やめろ馬鹿。んなことしたらお前がお前じゃなくなるだろが」

「八幡……」

「それが正しいか、合ってるかなんて解んねーけどよ。……俺達だから、受け入れて貰えてるんじゃねぇの? だってのにその自分を捨てちまったら、夢も繋がりも全部自分で捨てちまうことになるだろが。そうでなくても、せめて自分だけは貫こうぜ。……俺はたぶん、それで崩れたならきちんと諦められると思うから」

「…………うむ。そうだな。そうであるな。己を貫いた先で、この温かさが消えるのであれば……それは、己に誇りを持てたことに相違ない。それで消えてしまう程度のものならば、それこそその程度だったのだろう。……だが、俺は諦めたりはしないぞ」

「……そりゃな、俺もだ。おかしなもんだよなぁ、つい数ヶ月前までエリートぼっちになる筈だったってのに」

「───ゴラムゴラムッ! だがそれでも、我と貴様だけは必ず出会っていたであろうよ! ……なにせあぶれて組んでの邂逅であったのだからな……うん……」

「おいやめろ……ほんとやめろ」

「あはは……いろいろあったよね。でも僕もきっと、八幡に声をかけたよ。テニスだけがきっかけじゃない。僕は八幡が八幡だから気になって、声をかけようと思ったんだから」

「戸塚……」

「それでね、八幡との繋がりで材木座くんとも友達になるんだ。そしてこうやって三人で歩いてさ。きっと、どんなことがあっても、そうだったんだって思うんだ」

「…………ああ、そうだな。そうだと……いいな」

「もう、そうなんだってば、八幡っ」

「こんな場面でも素直になれんとは……我が相棒は実に捻くれた存在だな」

「うるさいよお前は。……ほれ、結衣たちが呼んでる。さっさといこーぜ」

「うん!」

「うむ!」

 

 小さな青春を撒き散らして、男三人、歩を進める。

 あ、男二人と性別戸塚一人だった。

 その先に待つ人に心を奪われっぱなしの俺だが。

 そんな人や、自分の周りに集まってくれた人たちだが……正直、もったいないって思うことばっかだ。

 ありがたい。

 

「せんぱーい、おそいです、遅いですよー!」

「へいへい。べつに急がんでも雪ノ下母と陽乃さんが有料スペース取ってあるんだろ?」

「父も居るわよ」

「なぁ雪乃。俺帰っていい?」

「ふふっ……だめよ。どんなことがあろうと、あなただけは連れてくるようにと言われているの。ええ、代わりに私は逃げてもいいそうよ?」

「友人を生贄にする気かお前は。俺のライフポイントがゴリゴリ削られるだけだろそれ。なにお前、デビルズサンクチュアリかなんかなの?」

「せんぱい、それ結局先輩のライフを生贄にして先輩が召喚されてるだけです」

「おい。人をデビルズトークン扱いするのやめろ。大体なんだって俺なんかに会いたがってんだ」

「母を泣かせた相手を一目見たいそうよ? それと“雪ノ下”の経営方針を曲げてみせた男として興味があるとか」

「下手を打たなくても死にません? それ」

「逃げた時点で死ねるわね」

「ヒ、ヒッキー! 一緒に逃げよ!?」

「待て待てっ、それ二人とも死ぬからね? 俺、お前を置いて死ぬくらいならどんだけ辛かろうが生きる道を選ぶからね?」

「へうっ!? あ、ぅぇぅ……!? な、なななに言ってんのヒッキー……ヒッ…………ひっきぃ」

 

 丸くなったもんだなって思う。

 いや、丸くされたんだろうな、丹念にキュキュッと。

 こいつの傍は心地いいから、自分がひどく安心してばかりなことを思い出す。

 

「はいはい、祭りの中でいちゃいちゃしないでくださいよー」

「……お前が居てくれると脱線しなくて助かるわ」

「なんですかそれ口説いてるんですか祭りの中の雰囲気がいいからってナンパのあとでとかやめてくださいどん引きですよやっぱり無理ですごめんなさい」

「……お前さ、なんでそんな流れるみたいに人のこと振れんの?」

「そ、そうだよいろはちゃん! それにヒッキー、べつに告白なんてしてないし!」

「否。今の言葉───聞き方によっては脱線しないためにもずっと傍に居て欲しいとも聞こえるのではあるまいか!」

「え? でもそれって、ずうっとあたしたちの関係が続いてるってことだよね?」

「はぽん?」

「あ、そうだねっ! だって、脱線するってことは、僕たちが傍に居るってことだもん!」

「偉いわ由比ヶ浜さん。よくそこに気づいたわ。ええほんと……よく……」

「えへへー……ってゆきのん!? なんかちょっとひどいこと言ってない!?」

 

 今こうしている全員も、いつかは離れていくのだろう。

 そんないつかを思えば寂しさを抱いてしまう。

 弱くなったもんだ。ぼっちとしての自分なら、まずこんなことは思ったりはしなかった。

 このグループの誰であろうと、なにかしらの人質に取られれば、俺は動けなくなるだろう。

 強いヒーローが必ず痛手を負う瞬間。それはやはり、大切なものを守っている時ばかりなのだから。

 だから集団は人を弱くする。

 集団で居れば数の暴力で勝てはするが、じゃあ個人の力はどうだ? 数があれば強いって思い続けて、結局は“数”に依存する。

 そんなものは強さじゃない。

 解ってはいるが、じゃあ、結衣以外が人質にされたとして、俺はどこまで動けるのか。

 それを考えて、悲しくなった。

 

「あ、待ってたよー比企谷くーん! ほら早く早くー!」

「……ウゲェ」

「比企谷く~ん? こんな美人なお姉さんに声かけられて、その顔はひどいんじゃないかな~?」

「あの、陽乃さん。なんでわざわざ途中から俺一人で来させたんですか。いや久しぶりにぼっちの世界を味わえて、大分高揚してますけど。黒い方に」

「妙にブレないよね、比企谷くん。一人で来させたのはもちろん、独りで両親に会ってもらうためかな。グループじゃなくて独りで」

「顔見せ終了したんで帰っていいですか?」

「だめだよ? ほらほら、両親なら向こうで待ってるから行った行った」

「いやです。きっとアレ両親に見える誰かですよ。だって俺には遥か昔にお亡くなりになった誰かが俺に手招きしているように見えますし。この有料スペースの区切りの線から先がサンズ・リバーなんじゃないですか?」

「それだと私死んでるよ? ほらほらさっさとこっち来て。じゃないと、比企谷くんだけマンションの家賃、採っちゃうよ、なんて脅しにかかるよ?」

「そっすか。じゃあ出ていきます。今までの家賃は出世払いでお願いしますね、絶対に、返しますんで」

「利子、高いよ?」

「んじゃ学校やめて働きに出ますね。血反吐吐くほど働きますよ。大丈夫です、我慢のレベルは今でもエリートぼっち級ですから」

「……はぁ、解った、お姉さんの負け。冗談なのに、そんな本気の目で言うことないでしょー?」

「はぁ。本気ですから本気の目なんじゃないすか……?」

「大体、うちの両親に顔見せする度胸と学校やめる度胸を天秤にかけて、学校やめる選択肢を選べるって普通じゃなさすぎるよ?」

「べつに俺にとってはこれが普通ですよ?」

「随分捻れた普通だね。それは比企谷くんが背負ってもべつに構わないことかもだけど、ガハマちゃんが割りを食うだけでしょ?」

「今すぐ会ってきます家賃の件は忘れてくださいくだらないこと考えて久しぶりにネガティブになってました」

「うん、そうそう。眼鏡越しでも解るくらいに澱んだ目してたら、誰だって気づくよ」

「……眼鏡外してったほうがいいっすかね」

「そうだね。お母さん、比企谷くんの目、好きみたいだし」

 

 雪乃の両親との邂逅。

 特にどんな重要な話をした、なんてこともなく、再び人として話し、男親の方に「キミは人が見えているのに、感情を見ようとしないんだな」と言われた。

 女親の方には「いつでも何かを諦める準備をしているのですね」と言われた。

 そんなものは当たり前だ。だから全てをカテゴリで割り切ろうとしている。

 人が見えているのに感情は見えない。当たり前だ。そういう人種としてしか区切っていないから、その人物の個々の感情なんて見えているわけがない。こういうタイプはこう動く、という観察眼で得た知識でしか人を見ていないからだ。

 何かを諦める準備が出来ているのは当たり前だ。その方が自分にとって楽だからだ。

 ぼっちなのだから、自分のためにどれだけ動いても友達の迷惑にも恋人の迷惑にもならない。

 じゃあ、今の自分は……どうなんだろうかな。

 そう考えてみて、俺は───

 

「……信じても、いいか?  ……ぃゃ……信じ、させて……ほしい」

 

 どーん、と。有料スペースの最も花火が見やすい場所に立ち、俺の視界の中に全員の後ろ姿が映る中で、そう呟いた。

 きっと誰にも届かない、ちっぽけな、ぼっちの勇気。

 手を伸ばすことを諦めたいつかよりも体ばっかりが成長した、後ろ向きな自分の勇気。

 こんな時にまでちっぽけで小声だから、誰に届くこともなく───

 

「………」

 

 きゅっ、と。左手が握られた。視線を動かせば結衣。

 何も言わずににっこりと笑い、それから促すように前を見る。

 釣られて視線を前に向ければ、

 

「は、八幡! いまのもう一回言ってもらっていいかな! あ、ううん言わなくてもいいよ! 信じてほしい! 僕も信じてるから!」

「なんですか急にデレちゃったりしたんですかいろいろ言いたいこともあるんですけどこの状況では無理ですのであとで言わせていただきますねお願いしますっ!」

「もはははは! 既に言っておいたであろう八幡よ! 我には我の信じ方があると! 既に貴様は我の相棒! 相棒を信じずして、なにが相棒か!」

「信じるもなにも。あなたとはそういう関係でしょう? それとも、あなたにとっては裏切らないだけの関係だったのかしら」

「いいねぇ比企谷くん! 今のはさすがのお姉さんも胸にきちゃったよ? 比企谷くんはアレだね、その内無意識に人を虜にする悪い男の子になるね!」

「なに言ってんですか頭大丈夫っすか近所の病院紹介しましょっか?」

「そこは普通“いい病院”を紹介しない?」

「あーそりゃすんません、そこしか知らないもんで……っつーかなんで聞こえてんだよ……。お前らもうちょい花火さんのこと気にかけてやれよ……ここだけの命なんだから……」

「八幡っ」

「う、と、戸塚? なんだ?」

「えっと……ね? その……彩加って……名前で呼んでくれない……かな」

「《きゅんっ》…………彩加」

「あ……《ぱああっ……!》うんっ、八幡っ!」

「さ、彩加」

「八幡っ」

「彩加……」

「八幡……」

「はちまーーーん! 我も! 我も義輝と呼ぶのだ! なに気にするな! 我と貴様の仲であろう!」

「さ、彩加……」

「はっ……八幡……」

「あれ? 八幡? ちょ、八幡? はちっ……はちまーーーん!?」

「あ、じゃあじゃあせんぱーい? わたしのことももちろん、いろはって呼んでくれますよねー?」

「いや……だっておい、女を名前呼びするのって結構大事なことだろ。恋人とか友達用に取っておけよ。ぼっち経験者からの助言は大事にしろ」

「いやですよ。先輩がいいです。はい、呼んでください。わたしにとっては先輩はきっちり特別な存在ですから。あ、好きとかそういうのじゃなくてですよ? ぼっち先輩として、結構気に入ってますから。というわけではい! どうぞ!」

「モテモテだねー、比企谷くん。あ、ちなみに私も陽乃でいいよ? さん付け無しで。ていうかそのガハマちゃん抱きながら話すの、やめない?」

「いえ下衆な視線が後方から飛んで来てたもんで」

「ガハマちゃんが嫉妬しないようにじゃなくて?」

「嫉妬されて嬉しい気持ちはありますが、嫉妬って疲れますからね。まあそういう意図とは別ものなんで、あまりそういうことは言わんでください。……それと《ちらっ、ちらちら》」

「うむ!」

「んふふー? なぁ~んですかー? せ~んぱいっ♪」

「……義輝」

「《きゅんっ》あふんっ……」

「……いろは」

「《どきっ》はう……!」

「あー……その、だな。アレ……げふんっ、アレ……くそ、アレじゃなくてだな。つまりその……なに? あー……しょう、じき……ああ、正直。……正直、ガラじゃないって思ってはいる。今でもそうだ。自分がグループに入ったりとか、今でも混乱してる部分はある。そういう場所でどう生きていけばいいのかも……やっぱり俺には解らねぇよ。解ろうともしなかった。だから……いろいろ訊いていいか? なんでそんなことをって思うこともたくさん訊くと思うし、鬱陶しい時もあると思う。それでも、いいか? 頼っても……いいか?」

「いいに決まってるよ、ヒッキー。今まで嫌な思いばっかしてきたんだもん。これからは、うーんと幸せにならなきゃ。あ、って、て、ていうかっ! あのえっと、その、やー、えと、あのねっ、だからっ……あ、あたしがっ! あたしが絶対に幸せにするからっ!」

「結衣先輩、なんか立場が逆に見えます。先輩ほんとヒロインですね。何回攻略されてんですか」

「おいやめろ。自覚してる部分とかあるんだから、周囲までそれを認めるんじゃねぇよ」

 

 ───視線の先には、広がる世界があった。

 ……なんだ、変えられるんじゃん、世界。

 こんだけ広いのに、もっとちっぽけなものかと思った。

 でもきっと、それでもここに居る人数分の視界程度でしかない世界。

 俺は、その世界を……愛せるだろうか。それとも、狎れ合いにしてしまい、潰してしまうのだろうか。

 それは、嫌だな。ああ、嫌だ。だから───俺は変わらない。変わらないまま、変えられていこう。自分がなりたくない自分にだけは、絶対にならないように。




楽しい時間は大体自分達とは別の原因で潰されるという典型。
ええなぁ、こんな青春送りたかった。


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こうして彼は、彼を形成した過去への興味を無くす

暗いお話。
“みんな”はいつだって自由ですってお話。
まあその。一部に実体験あり。ほんとうんざりします。


 夏祭りから少しした、ある日。

 サキショキとハサミが鳴る。

 目を閉じながら聞くそれに、恐怖は感じない。

 

「へぇ~~~ンえ? それで、感謝を口にしようとしたら? 自然に笑えずにキモいって言われたって?」

「……っす」

「あんらぁ~、そりゃ周りがひどいわよ~、そういう雰囲気は周囲が察してあげなきゃねぇ~? あ、ところでダーリン? アータ笑う時はどんな感じで笑うの?」

 

 夏休み中盤の祭りが過ぎて、夏休みも残すところ僅かなとある日。結衣が家族に呼ばれたために、オネエのところへ俺だけで遠出をした日に、相談をした。

 俺の笑顔は、自分で言うのもなんだがキモい。特別棟の窓ガラスに映る自分で確認したから間違いない。キモい。

 ニヒルだとかクールだとかそんな風に思っていた自分の笑みへの自身など、とうに粉々だ。

 だからこそ、かつては目を腐らせていたらしいオネエに相談した。

 こんなことを相談するにあたって、隣に結衣が居なかったのは丁度よかったのかもしれない。いやほら、恥ずかしいし。

 

「どうって……ほら、アレですよ。本とか読んでたら、フッと笑うじゃないっすか。アレが俺の場合、ニチャァみたいな気持ち悪さがあるみたいで」

「あんらぁ~……そりゃアレね。無意識に冷静な自分を作ろうとしていて、その上で笑うから気持ち悪い笑みになるのよ。心のどっかで引っかかるものとか、なぁい? 自分はクールだーとか思って無表情貫いたりとか」

「うぐぉっ…………あ、あるっす」

 

 的確に当てられた。いや、だって、ぼっちって大体そんなもんでしょ? え? 違うの?

 

「それだわぁ~……それしかないわぁ~……。いーい? ダーリン。経験者から言わせてもらうなら、そういう時に冷静な自分を作っちゃだめよ。いい? 笑いたい時は笑っていいって、しっかり自覚なさい。笑えるって思った時に、少しでもいいから冷静な自分を殺す努力をするの。あちしはそうやって、それを治せたわ」

「冷静な自分を殺す……んん、《ニヤリ》……《ニタァ》……《ニヘラ》……むずいっすね」

 

 目の前にある大きな鏡で、自分の笑顔を確認。……キモかった。

 

「仕方ないわよ。そういう時はね、日頃の感謝を届けたい人を頭に思い浮かべて、その上で冷静な自分とかニヒルな自分を殺すのよ。きちんと、心で、しっかりと感謝してみなさいな。きっと出来るわ」

「うす」

「あらいいお返事。はい終わったわよ、今日もいい男ね、ダーリン」

 

 椅子から降りるとパムスと背中を叩かれる。痛くもない、丁度いいボディタッチ、というか。

 なんていうか、他人のこと解ってんのな、とか思ってしまう。

 

「っす。あ、それで今日は」

「解ってるわよ、嬢ちゃんの分もダーリンが買ってくんでしょ? けど残念だったわねぇ……せっかく遠出するって名目でデート出来る日だったのに、嬢ちゃんが家の用事だなんて」

 

 そう。今日は結衣が隣に居ない。居ないので一人でオネエのところへ来た。どんな用事かは知らんけど、家族に呼ばれたらしい。

 大方親父さんが“会いたいよォオオ! HEEEYY!”とか泣いたんだろう。

 

「まあ用事が済み次第、会う予定っすけどね」

「あらそう、いいわねぇ~……あ、それじゃ、これいつものね。……けどダーリン、最近ほんとヤバくなってきたわね。もう乙女心がキュンキュンしちゃう。髪とか染めたら、そっち系が好きなコなんてイチコロなんじゃないの?」

「ハゲたくないんで髪に負荷はかけませんよ」

「ええあちしも髪を傷める行為はオススメしないけど。父親がハゲてるとか?」

「いえ、父親の遺伝子とか信用してないんで、これは俺の問題っす」

「……ま、文句言えるのも孝行できるのも、生きてる内だから。思い残しはないようにしとくのよ、ダーリン」

「そういうのも全然ないほど興味ないんで、大丈夫っすよ」

「あら。清々しいほど嘘の無い顔。アータ親父さんになにされればそんな顔出来るのよ」

「勝手に信じて勝手に裏切られただけですよ。……じゃ、これ代金です」

「そう。まあ、割り切れてるならいいわ。あちしもいろいろあったしね。んじゃ、嬢ちゃんによろしくね」

「うす」

 

 そうして、途中で結衣とグループへの土産を買いつつ帰路へ。

 帰りの電車に乗りながら、窓に映る自分の顔を見つつ、笑顔の練習をしたりしたのはまちがっていない。

 眼鏡は……取っておこう。じゃないと自分の笑顔じゃない気もする。

 

「笑顔……笑顔ね。感謝の心を忘れずに、か。忘れられるわけねっすよ、オネエ……。……よし、こう……《ニ、ニヤッ?》うおキモッ! ……自分で引いちまったよ……《ずぅうう……ん……》」

「……ほらー、……あの人……」

「やだー……クスクス」

「…………《どよ……》」

 

 ……人は、相変わらず嫌いだ。

 どんなにやさしい人達に囲まれていても、どれだけ人に慣れたかもと思っても……どれほどスムーズに人と話せるようになったかなと思っても。

 知りたい、知って安心したい。そうでなければ構わないでほしい。そんな両極端しか存在せず、信じれば裏切られるという心の中の沼は、ずうっと濁ったままにそこにある。

 親にさえ裏切られたという過去は、本当に……本当に、自分にとっての酷すぎるダメージをくれたのだろう。

 じゃあどうしてあいつらを信じよう、なんて思ったのか。

 今度裏切られれば、きっと立ち直れない。そう思えるほど、大事な人達に出会えた。

 たった数ヶ月だとしても、そう思える人と出会えた。

 

「でもさー……ほらー……」

「えー? だってさー……クスクス」

 

 人の笑い声が嬉しいと言う人が居る。周囲が笑顔だと嬉しいそうだ。幸せ者だな。

 ずっと前から俺の耳には、笑い声の全てが嘲笑にしか聞こえなかった。

 少し離れた位置でこちらを見てはクスクス笑う女性の声も、世界から色を奪う結果にしか繋がらない。

 ……なぁ。俺は……俺達は、あなたたちに何をしたのだろうか。

 小学中学と、自分なりに普通に生きて、それでも起こるイジメが、どれほど人の心を抉るのか、知っているのだろうか。

 “人によっては一生を壊しかねないこと”をされる覚えも謂れもなかった筈だ。自分なりに普通に生きてきて、どうしてそれでそんなことが起きてしまったのか。

 どれだけひどいことをしても相手の土下座で覆されて、一層にひどい目に遭って、自分の味方であると勝手に思い込んでいた親には無理矢理頭を下げさせられて。

 ……ああ、俺の一生は変わったよ。あんたらが変えた。なぁ、人を見て笑って、楽しいか? 楽しいよな、楽しくなけりゃ笑うはずがない。

 そうやって人を指差して笑って、そいつが追い込まれすぎて自殺したら、周りにやさしい子だったのにとか言うお前らだ。いつか成長して、町中での偶然の出会いや奇跡的に行くことになった同窓会があったとして、大人になってからようやく、初めて自分のやったことの重大さに気づいても、さらりと謝ることで流そうとするだろう。

 いや、謝ることさえしないんだろうな。話しかけてやるだけで十分だ、みたいな軽い気持ちで、“あの時いろいろあったよな”程度で人の青春を切り捨てるのだ。お前らにとっての他人の青春の価値なんてそんなもんだ。

 そんなやつらが人を好きになって、相手に向けて“一生大事にする”とか誓うんだそうだ。他人の人生を簡単に踏みにじれる人間がだ。

 ああ。実に。世の中は腐ってやがる。

 

「………」

 

 望んでなった部分はあった。

 それでもその前からイジメはあったし、自分なら耐えられると自ら進んだ道でもあった。

 そこで世界の汚さを知った。

 弱者がそこに居るならば、遠慮も躊躇もなく人を潰しにかかるのが“みんな”だと知った。

 親であろうとそんなものは変わらない。家族よりも他人を信じて頭を掴んで謝らせる。それが親だと認識している。そして、そんな親は親だった。過去形であり、ただの小町の味方だ。

 もっと早くに気づくべきだったんだ。親だって人間だ。人間であるならばいくらでも汚くなれる。

 そして、小町が産まれた時点で俺にはやさしくなどなかったのだから───……裏切られる前に、気づくべきだったんだ。

 

「……ひでぇ顔」

 

 改めて笑ってみる。

 ……口元を引き攣らせた、顔だけは整っている腐った目をした馬鹿が、そこに居た。

 結衣に会いたいな。ああでも、最近の俺、べったりしすぎだしな……少し耐えてみよう。

 

「………」

 

 その日は久しぶりに誰とも会わず、時間を潰した。

 立ち読みをしたり本を探したり。そうしていると自然と心が落ち着いていくのに、ふと笑い声が聞こえると、自分が笑われているような錯覚を覚え、喉が鳴った。

 ……人は、嫌いだ。ありもしない事実を糧に、人を陥れて一生を台無しにする。

 しかも相手は笑っているのだ。なんだそれはと言いたい。

 望んでなった部分はいい、自業自得だ。その点で自分に降りかかる火の粉くらい、諦められる。

 だがそんな、反応をしなくなった相手を前に、弄くる理由を作ってまで潰しにかかるのはあまりにも勝手だ。

 してもいない告白をしたことにされ、フラレたことにされ、学校中に言い触らされる。呆然とした幼馴染の顔を今でも思い出せる。

 違うと言ったら笑ってくれたあの頃を覚えている。それでも涙を流させてしまった後悔を……今でも許せず食い縛っている。

 

(……お、新刊)

 

 ……落ち着こう。今は過ぎたことなんてどうでもいい。

 あの頃があっての俺だとはいえ、それを糧に強い自分を構築できたならそれでいい。

 ほら、落ち着いて小説の内容でも思い浮かべてみなさいよ。心が洗われるようじゃないの。

 

 

 

 ───

 

「あれ? ひょっとして比企谷?」

 

 だから。声を掛けられて、一瞬にして色を無くしたこの世界を、俺はどう呼べばいいのか。

 

「うわ、やっぱ比企谷だっ、相変わらず特徴的な目してるから一発だった、ウケる」

 

 折本かおり。

 俺が告白したことにされた相手であり、面白かったから、ウケるからという理由で訊かれようが否定しなかった中学時代の同級生。

 あとになって広まりすぎて、慌てて否定したところで全ては遅く。

 すべては誤解のまま広まり、俺はしてもいない告白をしてフラれたことを無理矢理事実にされ……結衣は泣いたのだ。

 

「え? なんでこんなとこ居んの? もしかして家が近くとか? それとも高校が近く? てゆーか随分印象変わったねー、目は相変わらず腐ってるけど、ぷふふっ」

「……───」

 

 話すことなどなにもない。

 一切の反応を殺して、俺は静かにその場を離れた。

 

「あ、え? ちょ、無視とかちょっとひどくなーい? ウケないんですけどー?」

 

 だったら、人を指差して笑うことがひどくないのか。随分とめでたい頭だ。

 集団で囲んで笑いものにすることはひどくないのか。随分と自分にやさしい思想だ。

 

「おーいー? 比企谷ー? 比企谷くーん? …………《とたたっ》ちょっとさ。話あるから付き合ってよ」

「《ぐい》っ! 触るなっ!!」

「ひっ!?《びくっ!》」

 

 服を引っ張られた瞬間、敵対心がカンストした。

 腕を振り払って振り向き、灰色の世界で目の前に立つ、ドス黒くて仕方の無い人影を睨む。

 

「……どのツラ下げて声かけてきてんだよ……話? あ? 話だ? お前と───“みんな”どもと話すことなんざこっちにはねぇんだよ」

「え、えぇ? ちょっと、えぇ? な、なにいきなりキレてんの? ワケわか───」

「解らないか? ああそうだろうな、解らないんだろうな。人の中学時代を散々笑いものにして壊しておいて、それでも平然と声をかけるわ話があるだの言ってくるわ。……なぁ折本。お前に子供が出来たらさ、俺が中学でされたことと同じことして笑っていいか? そしたらウケるよな? ウケるだろ? ウケなきゃおかしいよな? そうじゃなけりゃここで平然と声なんかかけられねぇだろ」

「……な…………なに、言って……」

「理解する努力も、人の痛みをわかろうともしないで笑ってりゃそれで満足だろ。理解がおいつかなきゃワケわかんないんだけどって指差して笑ってりゃいいんだろ? ……なぁ折本? 俺さ、高校でもぼっちだったよ。人が信用出来なくなった。お前はそんな俺をまだ“ウケる”って言って笑えるんだろ? 聞かせてくれよ。なぁ。……俺、人生を壊されかねないほどのことをされるほど、お前ら“みんな”になにかしたか? たとえば俺が本当にお前に告白して、それをお前がフったってんなら自業自得だ。見る目がなかった。そんでお前が言い触らすにしたって、それこそ人を見る目がなかったんだろうよ」

「比企谷……ちょっと、やめてよ」

「ああそうかいじゃあ話は終わりだ。よかったなー、言えばやめてくれる奴が相手で。んで? 俺が中学の時、俺は何度同じこと言って、笑われながら無視されたっけか」

「………」

「……これっきりにしてくれ。もう二度と声なんかかけるな。視界に入られるのでさえ虫唾が走る。ああそれと。人をいじめた過去に後悔する日が奇跡的に来たとして、絶対に謝罪なんか受け取らないから近づかないでくれな。あんだけウケてたんだ、さぞかし幸せな中学時代だったんだろうからな」

「だ、だからぁ、話ってのはさ……ほら、こっち海浜高校じゃん? 上がってから仲良かったやつがイジメに遭って、不登校になっちゃって……だから、さ、その子が、比企谷のこと後悔してて、もし会えたら連絡頂戴って───」

「………」

「ひ、比企谷?」

 

 すぅ、と心が凍てつくのを感じた。

 ああ、これはあれか。こいつらがただ楽になりたいだけの謝罪なわけか。

 知ってるぞ。ああ知ってるとも。あの土下座が、あの大きな手が頭を無理矢理下げさせる感触が、今でも忘れずに残っている。

 

「俺はさ。どんだけひどいことをされようが皆勤賞を取ったよ。休んだのは足を骨折した時だけだった。それがなんだ? ちょっとイジメられりゃ不登校? ふざけろ、そんなやつの話を聞く理由がどこにあるんだよ」

「……なにそれ。人が苦しんでるのにそんな言い方───」

「目が腐ってて俺だって解ってウケたんだったな、折本。どうだった? まだヒキガエルみたいか? 死んだ魚みたいな目だよな。言われて傷ついてないとでも思ってたのか? 苦しくもなんともなかったって? で? なに? 誰がどう苦しんでるって?」

「ぅ……」

「……お前らはいいよな。どんだけ酷いことをしようが、謝れば全部チャラに出来るんだろ? にっこり笑ってごめーんって言って、無理矢理相手に頷かせれば心が晴れるわけだ。そんで? なに。お前らさ、謝られる側の立場に立って考えたことあんの? 土下座されて呆然として、周囲から許せ許せ強要されて泣きながら許して、そんなもんが謝罪だとでも本気で思ってんのか?」

「ちょ、待ってよ。そんな全部私だけでやったわけじゃ」

「お前らは、いいよな。そうやって集団でやったことを盾に出来る。……なぁ、折本さ。言いたいことも言えたし、もういいか? ようやく本気で、お前らから完全に興味を無くせそうだ。いいよ、許すよ、もうどうでもよくなった。これでいいか? ……いいよな。……ほれ、笑顔でそのお友達とやらに比企谷許すってよーって伝えてやれよ。興味も名前もなんもかんも、全部忘れるから。会ってもさ、もう……知人であることすら忘れてくれ」

「……だ、だから待ってっての! 直接言わなきゃ、あの子の謝罪になんないじゃ───」

「あー……知らん。興味がない。つか、えー……? なんで俺が行かなきゃなんねーの……いいだろもう、許した。俺許したよー? 超許した。ほら、俺これからアレがアレだから」

「っ……な、なにそれ……え? わけわかんないんだけど……え? な、なんでそんな急に、そこまで態度変えられんの……? さっきまで怒ってたのに……」

「いや、だから。興味ないって」

 

 怒りだって興味の内だ。けど、興味がなくなればそんなものだってどうでもよくなる。

 なのでもういいだろとばかりに歩き出す。

 

「待ってって言ってんでしょ!」

 

 しかし回り込まれた。

 

「なんだよ……俺帰ってからアレがアレだから忙しいんだよ……」

「とにかく! 会ってもらうから!」

「えー……? 会ってなにするってんだよ……」

「だから! 謝罪!」

「ごめんなさい。じゃあな《ぐいぃっ!》うわっ」

「比企谷がじゃなくて!」

「あー……よし許す。じゃあな《ぐいぃっ!》だから触るなって!」

「うっさい! とにかく行くよ!」

「…………」

 

 ───

 

 

「と、まあ。こんな感じの内容の小説である」

 

 イジメられぼっちの青春小説だ。その新刊が、今この手に。

 ……あ? 俺の話じゃなかったのかって? あーそうな、告白捏造もされたし結衣も泣いたよ。

 だが、ここに折本は居ないし、なんなら中学のやつらには怒りもなければ興味もない。どうでもいいんだよ、既に。

 

  というわけで。

 

 買った小説をサイゼで読んでいると、荒々しかった心も随分と落ち着いた。

 ミラドリ最強。ドリンクバーのいかにもなジャンク風味が心を落ち着かせてくれる。

 でも僕にはやっぱりMAXコーヒー。ちくしょう、なんでここら、マッカンがある自販機がねぇんだよ。何個も探しちゃったじゃねぇか。結局なかったけど。

 

「あれ? ひょっとして比企谷?」

 

 おーい、比企谷くーん、呼ばれてるよー?

 ……俺じゃないよ? だって俺、住居から遠く離れた場所で人に呼ばれるほと有名じゃないし。

 

「やっぱ比企谷だ! 一人でサイゼとかウケる!」

「………」

 

 あ、ドリンクなくなったな。

 こういうとこ来ると、どうしてメロンソーダ飲みたくなるんだろ。

 雪乃のお陰でもうこういうところの紅茶は受け付けなくなっちゃったしなぁ。

 よし、今度は炭酸水のみでいってみよう。

 

「あれ? ちょっと? おーい比企谷ー?」

 

 炭酸水を注いで戻ってくる。

 見事に透明だ。

 それをンゴッフンゴッフと一気飲みして、喉が炭酸に刺激されるのも構わず飲み干して、ゲエエッフとゲップをする。

 おお気持ちいい。でも一気飲みするなら、注いだその場でもよかったかも。まあいい。

 

「ぶはっ! 女の前でなにそのゲップ……! ていうかさぁ、無視しないでよ」

 

 んー……あと他になにか頼むか? 今日は部屋に誰も来ないだろうから食事は自由でOKだ。

 たまにはこういう金の使い方もいいだろう。

 

「ねぇ……あの、比企谷、だよね?」

 

 …………。むう、小説を読み終わってしまった。

 悪くないラストだった。そして地味に最終巻だったらしい。

 こんなことなら家でじっくり読めばよかったな。もったいない。

 よし、することもなくなったし帰るか。

 

「ちょ、ちょっと! 人の話───!」

 

 会計を済ませて外に出た。

 オリモト=サンは立とうとしたが、すかさずやってきた店員さんに持て成されて停止。

 その隙にさっさと歩いた。会計を済ませて歩いた。

 いやー、やっぱ興味ないわ。話そうって気にもならないくらい興味ない。

 どんだけ声かけられても本に集中出来るって、すごいね。

 んじゃ帰ろうか。

 

「ちょっと待てっての!」

 

 が、ダメ。肩を掴まれ、無理矢理振り向かされた。

 おいおい……店員さん無視しちゃだめでしょ……。これなにも言わずに来たなら、接客態度の問題~とか言って店員さんが怒られるんだから。ソースは俺。

 

「……? あの、どなたですか?」

「はぁ!? え……あ、えと……ひ、比企谷、でしょ?」

「はぁ……たしかに俺は比企谷ですが」

「ほ、ほぉらぁやっぱり! なんで知らないフリとかすんのかなぁ~! あははっ! わけわかんないけどウケる!」

「……? あの、もう行っていいですか? あと……いきなり知人のフリとかして絡むの、やめてください。迷惑です」

「え……? な、なに言って───ほら私だって! 折本! 折本かおり! 中学で一緒だったでしょー!? ちょっと~、ここで知らない顔とかされたら、私ただの痛い子じゃん~!」

「……中学に知り合いなんて居ませんよ。俺、クラスどころか学年からイジメられてましたし。考えてもみてくださいよ、人間不信になるほど痛い目に遭わせておいて、そんな同級生に話しかけるような馬鹿が何処に居るんですか。正気を疑いますよ」

「…………」

「離してくださいよ。俺の知人に、イジメた相手に笑顔で話しかけるような人は居ないし要りませんから」

 

 歩き出す。

 手は、あっさり離れた。

 ……さて、帰りますか。

 ああ、あの角曲がったら眼鏡つけるのも忘れないでおこう。



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その部屋に、スリッパの音は綺麗に高鳴る

 そして自宅……マンションに帰ってきた。

 鍵は……わあ、かかってない。

 玄関にある靴を確認して、中へと歩いて一声。

 

「陽乃さん、不法侵入は勘弁してくださいって言ってるでしょう……」

「いやー、だって別荘みたいなもんだし。比企谷くんも年上美人さんが迎えてくれて嬉しいでしょ?」

「生憎と二ヶ月上のお姉さんが居るんで間に合ってます」

「そっか。ざんねん」

 

 ちっとも残念そうじゃない顔でニコーと笑う年上美人さん。

 さて、いったい何しに来たというのだろうか。

 

「それで用件はなんです? 遊びに来たなら雪乃の部屋へどうぞ」

「雪乃ちゃん構ってくれないから。だからこっちに来たの」

「はぁ……そうですか。別にヘンに絡んでこないならそこらへんでのんびりしててください」

「んー……それもいいんだけどね。今日はちょっとビジネス的なお話も持ってきたんだよね。……ねぇ比企谷くん。お金、足りてる?」

「足りませんね。なにかいいバイトでも紹介してくれるんですか?」

「うん。とーってもお金になるバイト。そのための下準備として、勉強をいっぱいしてもらうけど……どう?」

「土日が潰れない程度なら」

「それは比企谷くんの頭次第かな~? で、どう?」

 

 にこりと怪しい笑顔を見せる陽乃さん。

 ……どうしたものか。金は……できるだけ欲しい。今のバイトじゃ、正直足りないと思っている。

 やるにしても結衣に相談したいところだけど……この人、地味に結論を急ぎたがるからなぁ。好き勝手に疑問投げておいて答え合わせしたがるし。もうなんなの? クイズの女王様かなんかなのん?

 で、結局どうするかというと。

 

「───やります」

「───ヨシッ」

「へ? いやあの、陽乃さん? 今なんか小さくガッツポーズとりませんでした? あとなんかヨシとか」

「したよ? うんした。じゃあ早速いい? 勉強始めよう。ほらほら座って」

 

 え? いやあの、え? なに? なになになに近い近い近い!!

 

「あ、あの? 勉強っていったいなにを。あと近いです離れてください」

「事業に必要なアレコレ。あー大丈夫大丈夫、漫画の話だけどどこぞのニセモノのコイのために奮闘する一条くんも全然出来たことだし」

「リアルとフィクションを混ぜないでくださいよ……」

「じゃあやめる?」

「……金になるならやります」

「うん♪ 素直なコは好きだよ?」

「あなたとは付き合えません結衣が居るんで絶対に無理ですごめんなさい」

「告白したわけじゃないのにフラれた!? い、いい度胸してるねぇ比企谷くん……! この私を振るなんて……!」

「そんなことより仕事の話、しましょうよ。あと顔が盛大にニヤケてますよ」

「あ、バレた?」

 

 言葉遊びもそこそこに、仕事の話が始まった。

 いや、始まったもなにも、随分とまああっさりと終わったんだが。

 ようするに勉強して私の秘書になってほしい、的な話だった。

 そんなわけで勉強開始。え? 今日から? と問われたが、ぼっちは基本暇なのだから当然受ける。

 

「けど、雪ノ下建設って縮小するんですよね? これは陽乃さん自身の仕事の話ですか?」

「うん。縮小っていったって、規模自体は変わらないよ? しなきゃいけないことを信用出来る人に任せるってだけで。まあその先で任された人が失敗しようが、こっちには関係ないって状況はもう作ってあるんだけどね」

「怖いよ。あと怖い」

「まあ、今さらだけど家族っていうのを堪能させてもらってるよ。今さら素直に甘えられないんだけどね。あーあ、もっと早くに比企谷くんがウチの呪いを破壊してくれてたらなぁ」

「ガキになに望んでんですか。どうせ出しゃばったって潰されるのがオチですよ」

「あの母さんを少しでも変えてみせただけでも凄いことなんだってば。……あ、じゃあこれ読んでね」

「へいへい」

「あ、あともひとつ言ってなかったことがあった」

 

 言ってなかったこと? またなにかいやなことだろうか。

 出来ればご遠慮したい。むしろ今すぐ逃げ出したいまである───

 

「比企谷くんと雪乃ちゃんとガハマちゃん、奉仕部の三人にスマホ用意したから、今度からはそれ使ってね。あ、料金とかはこっち持ちだから気にしないでねー?」

「……なんなんすかその至れり尽くせり」

「比企谷くんが今回の件を了承してくれたら渡そうかなって。……正直言うとね、散々家のためにって苦労して、躾られて、今さら自由を手に入れて、なんてことしてくれたんだーって思うところもあるんだよね。人間の感情ってさ、ほら、思うほど素直じゃないから」

「仕事をやろうとしたら明日から来なくていいって言われたみたいな状況ですね」

「あははっ、いい喩えかも。……うん。だからね? 秘書にして散々扱き使ってやろうかなーって。雪乃ちゃんも、ガハマちゃんも。よかったね、一緒の仕事が出来るよ?」

「金がもらえるならやりますよ。まぁ、まずは努力からですけど」

 

 渡された教本のようなものをじっくり読んでは最初に戻り、じっくり読んでは最初に戻り。

 それを繰り返して、頭の中でちゃんぽん。記憶しやすいように纏めてから次へ移る。

 そうして一つ一つ潰していってみれば、気づけば結構な時間。用事が終わったら会う予定の結衣は、まだ来ない。そわそわする。会いたい。

 しかしそうこうしていても腹は減るもので、そろそろ晩御飯の用意でも~……と思ったところでピンポーンとチャイムが鳴って、出てみればガハマさん。

 

「えへへ、来ちゃった♪」

 

 第一声を聞いて、ああ、言ってみたかっただけだろうなぁと思いつつ、可愛いので抱き締めた。

 抱き締めてから、そんな自分に驚いた。いきなり抱きつきとかレベル高い。

 

「わわわっ……ヒッキー? どうしたの?」

「いや……まあうん。ちょっと嫌なことがあっただけだ」

 

 会いたかった。べったりすぎだからちょっと我慢しようとか思ったけど、ああダメだ。抱き締めずにはいられない。

 待ち焦がれたものが自分からやってきました。しかも照れ笑いしながら“来ちゃった”とか言ってくれます。あなたならどうしますか?

 

  A:ハグするキスする愛してる

 

 バッバッと右見て左見て、誰も居ないことを確認。よろしい、ならばキスだ。

 

「比企谷くん? 誰だったの?」

「…………ウゲェ」

 

 後ろに魔王が居た。ちょっと、邪魔しないでくださいよ。

 

「え? 陽乃さん? ……なんでヒッキーの部屋に」

「あー……その。それについて結衣に話があるんだが。あぁ、雪乃にも関係あることなんだが……」

「え───えと、そのー……。そ、それってさ、ヒッキー。泣いちゃうようなことじゃ……ない、よね?」

「え? ………………あ、待て、待て待て、俺が好きで結衣を泣かせるわけないだろっ! 仕事の話だ仕事のっ! 断じて雪乃に恋したとか陽乃さんに恋したとか無いから! ……つか、俺が結衣以外に好きになってもらえるわけねぇだろ……自分で言っててあれだけど。むしろ俺の場合結衣に愛想尽かされる以外、別れる選択肢なんてないまである」

「あ、愛想尽かしたりなんかしないよ!? ヒッキーはあたしが幸せにして、あたしはヒッキーに……その、幸せにしてもらうんだから……」

「結衣……」

「ヒッキー……」

 

 見つめ合う。

 やがて自然と惹かれ合って引かれ合って、唇を……

 

「おーい、お姉さん置いてけぼりにして玄関先でキスとか、やめてねー?」

「───……」

「………」

 

 知らなかったか? 魔王からは逃げられない。

 じゃあ戦おう。

 コマンドどうする?

 

1:たたかう(キス)

 

2:じゅもん(愛を囁く)

 

3:ぼうぎょ(結衣を胸に抱く)

 

4:どうぐ(空気を読まずにお土産を渡す)

 

5:にげる(扉を閉めて結衣と外へ出掛ける)

 

 結論:1

 

「《ちゅっ》んむっ!?」

「えっ? え? えと……えっ!? えーーーっ!? やめてって言ったのにしちゃうの!? しちゃうんだ!」

「ぷあっ……ひ、ひっき、やめっ……《ちゅるっ》んぅっ……は、はるのさんがみてるっ……はずかしっ……《ちゅっ》んんっ……《れじゅっ……》ん、あむっ……」

 

 唇を合わせ、舌を伸ばし、唾液を分け合い、舌を吸う。

 絡ませた舌同士がぞるぞると擦れ合う度に頭の中が痺れて、ぞくぞくとした何かが身体に満ちてゆく。

 そうして軽く堪能したところでキスをやめて、ぽーっとした顔で俺を見つめる結衣の頭を撫でる。

 既に警戒なんて微塵もせず、心を許しきった子犬のような無邪気さで、こてりと首を傾げ、“どうしたの? どうしたの?”と目で訊ねてくるガハマさんが可愛い。

 堪えられず、いつかのように額に頬に瞼に鼻に、耳に顎に首に鎖骨にキスを降らし、好きすぎて、構ってほしくて、どうしようもなくなってくる。

 しかし頭が熱でいっぱいになってしまう前に、なんとか停止。

 どうしたの、どころじゃなく、ぽーっと見つめてくる結衣を見つめ───なんかそのまま見詰め合ってたらすぐにでもキスをしてきそうだったので、陽乃さんに向き直りつつ結衣を促し、部屋の中へ。

 その間も俺を見つめ、手は俺の服を握ったまま離さず、促さなくても靴を脱いだりはするものの、じーっと見つめられ続けて……なんというか実に子犬チック。犬語を訳す機械とかがあれば、“構って!”とか“構って!”とか“構って!”しか出なさそう。構って一択じゃねぇか。

 でもそんな結衣が好きです。あ、感謝と笑顔。今なら出来そうな気がする。えぇと、感謝感謝…………日々を感謝しすぎてて、具体的な感謝なんてねぇよ。どうすんだよこれ。

 ああ、じゃあニヒルな自分を殺せばいいのか。

 よし、気取るな、俺はニヒルなんかじゃない、ただの凡人。普通でいい。そして感謝を。結衣ありがとう、大好きだ、愛してる。キミに会えてよかった、死ぬまでハッピーで居たい。

 むしろ、今がハッピー超ハッピー……よし。

 

「ゆ、結衣」

「ひっきー……?」

 

 テーブルを挟んだ先に陽乃さんが座って、俺も座って結衣も座ったところで、結衣を見つめて声をかける。

 え、笑顔、笑顔ー……───いや、意識しすぎる必要はないか。

 自分が思っていることを心から、キザったらしさもニヒルさも混ぜず、ただ純粋に届けよう。

 感謝がいつも胸にあるのなら、邪魔な飾りを全部脱ぎ捨てて。

 目の前に映る人が結衣だけなら、この世界はいくらでも色をつけてくれるから。

 

「───……いつもありがとう。お前が好きだ。愛してる」

 

 ───……そして、顔は勝手に、けれど自然に動いてくれた。

 たぶん、笑顔で居られている。それを前に、結衣がどんな反応をするかでキモいかキモいかが決まるんだが……おい、キモいしかねぇじゃねぇか。

 

「………ふあ……」

 

 正面でそんな顔を見ている結衣は、ふるりと身体を震わせたあと、先ほどよりもよっぽど赤い顔と潤んだ目で俺を見つめていた。

 そんな彼女がひどく自然な動きで俺に近づいて、気づいた頃には唇を奪われていた。

 

「うぉっ……ちょ、結衣っ……!?《ちゅっ》んぷっ、ぷあっ、結《ちゅっ、ちゅっ》い、んむぁっ《ちゅるっ》ゆぷっ、ゆっ《れるっ》~~~~っ!」

 

 普段の結衣からは考えられないくらい、犬モードでもこうはいかないだろってくらい、深く深くキスをしてくる。犬モードの時のように離れたくないからとかそんな様子もなく、ただひたすらに愛しいから口づけをと。

 

「え、ちょっ……だからさ、二人とも……私も居るんだけど……」

 

 陽乃さん困惑。つか、むしろ助けてください。

 喋れないし動けない。なのに身体は結衣を受け入れたがっていて、受け止めたがっていて、背中は撫でるし頭も撫でる。

 やがて頭の中がどうしようもないくらいに痺れてきて、なんかもうこのままでもいいかなーって……結衣に全部委ねてしまってもいいかなーって……心がこう、この人になら奪われてもいいかなーって。

 そうなると俺も遠慮はせず、また構って欲しい自分が出てきて、結衣にちゅ、ちゅっとキスを落とし、落とされてゆく。

 互いが互いに交互にいろいろなところに一回ずつキスをして、キスをするたびに近づいていくような錯覚に襲われて……やがて、頭も心も溶かされてゆく。

 結衣に、好きな人に溶かされ───っていやちょっと待て、なんで深いところまでヒロインやってんの俺。え? 俺、潜在意識までヒロインなの? そうは思ってみても既に抵抗する力が抜けてきていて、気力を振り絞って手を開き、結衣を押しのけようとしたんだが……その開いた手に指を絡められ、きゅっと握られてしまう。

 すると力が抜けてしまい、とうとうキスに押し切られるままに後方へと倒れて───

 

「ちょ、ちょおっと待ったぁああっ!!」

 

 ───陽乃さんからストップが入った。

 

……。

 

 こほん。

 まず聞こえたのはそんな咳払い。

 テーブルを挟んだ対面側の陽乃さんと、クッションの上で正座する俺と結衣。

 

「あのね。べつに恋人同士なんだから、そういうことするのがいけないとはお姉さん言わない。うん言わない。でもね、けどね、人前でやるのはどうかと思うの。私これでも仕事の話を持ってきたクライアントだよ? なのにあれはどうかなぁって。ていうか比企谷くん? なんで座るなり好きだ愛してるとか言い出したの?」

「えー……べつに言う必要性とかないでしょ……」

「仕事の話、なかったことにする?」

「おのれクライアント。…………あーほら……アレですよ。夏祭り、あったでしょう? あれの最後に上手く笑えなくてキモいって言われたのを地味に引きずってましてね……。で、今日相談した人に笑顔の秘訣を教えてもらったんで、実践したら押し倒されました」

「ヒ、ヒッキー! 押し倒っ……なんて……!」

 

 いや事実だろ。事実だよな? 抵抗できなかった俺もどうかと思うけど。

 べ、べつに“やさしくしてね?”なんて思ってなかったんだからねっ!? …………いやほんと……思ってなかったらよかったんだけどな……。思い出しただけで恥ずか死ぬ。

 

「ちなみに真っ先に気持ち悪い言ったのは陽乃さんです」

「うぐっ……」

「しかも爆笑しながら」

「うぅう……」

「まあそんなわけなんで、仕事の話に戻りましょーよ」

「お仕事? ヒッキー、なにかするの?」

「あー……まあなー……」

 

 気の無い返事をするも、頭の中は賑やかだ。お前との将来のためにーとか、とろける夢を描いている。落ち着け俺。落ち着いて。ほんと、いやマジで。

 どんだけ人恋しかったんだよってくらい、結衣に甘えてるよ俺。困った。自覚しちまってんだから余計に性質が悪い。大好き、結衣大好き、構って、構って、って子供の自分が自分の中ではしゃいでるみたい。

 

「じゃあガハマちゃんにもこれ渡しとくねー。……っと、このメンツで雪乃ちゃんも呼んであげないと、あとで拗ねちゃいそうだから……っと」

 

 陽乃さんがタタタッとスマホで何かを操作。するとピンポーンとなるチャイム。

 誰だよ……と思いつつ出てみれば、そこにおわすは雪乃さん。

 

「……お前、なにやってんの」

「………」

 

 無言でケータイを見せてきた。そこには───

 

 『ひゃっはろー♪ 今私はガハマちゃんと一緒に比企谷くんの部屋にいまーす♪ 呼ばれてなくてざまぁみろー♪

  お土産をもってこーい♪ 良いお土産を持ってこぉ~い♪ byはるのん』

 

「……耳掃除がない中途半端さに、逆に腹が立つな……ほれ上がれ、結衣も来てるから」

「ええ。存分に上がらせてもらうわ」

 

 存分ってなんだよ。

 そう思っている間に雪乃はテキパキと行動。

 上がって、靴を揃えて、ゴシャーと廊下の先へ行ってしまった。早い。あと何故かスリッパ持ってた。何事?

 ともあれ、これでようやく仕事の話が出来そうだ。っつっても、まずは勉強なんだが。

 

<《スパコーーーン!!!》イッタァアアーーーーーッ!!?

 

 ……ああ、お土産ってそういう。

 スリッパで叩かれたであろう陽乃さんの悲鳴を耳に、ナイスお土産と笑っておいた。

 



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こうして彼は、それをかけがえのないものと認識する

 夏休みも終わり、始業式が終わって、一週間ほどかけて学校がある生活に慣れてゆく。

 とはいってもやることは基本変わらず、結衣と運動して結衣と勉強して結衣と登校して結衣と結衣と結衣と───

 

「……俺、結衣が居ないとダメかもしれん……」

「椅子に座るなり頭を抱え込まないでほしいのだけれど、惚れ谷くん」

 

 奉仕部部室。その、長机の端と端を定位置とした俺とユキの距離は結構ある。

 椅子に座るなり机に突っ伏し頭を抱える姿に、当然の遠距離ツッコミが入った。

 

「ちょっと? それほんとやめて? 結衣の知り合い? 友達? にやたらと人の男性交友関係を訊いてくるヤツが居るんだよ。なんか掘れ谷とか聞こえるからやめてくれ」

「……? 男性交友があるからといって、何故惚れ谷がいけないのかしら……」

「よし雪乃。お前はそのままピュアに育ってくれ」

 

 自分に穢れを感じる瞬間って、ちょっと悲しいよな……。

 

「そういえば比企谷くん。文化祭実行委員の話がそろそろ出る頃だと思うのだけれど、そちらのクラスはどうだったのかしら」

「ああ、そういやそんなの出てたなー……。興味ないから話半分だったわ」

「そういうものは寝ているか話を聞いていない人が指名されるものよ。フリだけだろうと、シャキッとしておきなさい」

「それはめんどいな。よし、断固として指名されんように気をつけるわ……結局今日だけじゃ決まらなかったしなー……あーあ、面倒くさい」

「《がらぁっ!》やっはろー! あ、ヒッキー居た!」

「結衣っ……!《ぱああっ……!》」

「変わり身が早いわね……あなた、どれだけ由比ヶ浜さんのことが好きなのよ」

 

 どれほどって……世界のなによりも?

 いや、言ったりはしないけど。

 

「まあ、それはいいだろ。それより結衣、どうした? 俺を探したりしてたのか?」

「あ、うん。聞いてよヒッキー、あたし文実押し付けられちゃって」

「そうか実は俺もだ《どーーーん!》」

「落ち着きなさいハチ」

「お、おう」

「え? ヒッキーも? え……わぁっ……!《ぱああっ……》そうなんだっ!」

「アア……笑顔マブシイ……」

「はぁ……あなた、時々致命的に馬鹿ね」

「うるせーやい……」

「仕方ないわね、私も出るわ。あなたたち二人をほうっておいたら、文化祭がピンク色に染まりそうだもの」

「そーかい。そりゃ助かるよ。んじゃ俺も、いろいろ根回しするか……担任に言えばどうせ一発だろ。むしろ別の誰かがそのポジに入ったら、結衣に馴れ馴れしく───……すまん、雪乃、俺、やらなきゃいけないことが出来た《キリッ》」

「そう。あまり興奮しすぎて、担任の先生に引かれないようにしなさい」

「どんだけキモいんだよ俺は……んじゃ行ってくる」

「また後でね、ゆきのん」

「ええ───ちょっと待ちなさい由比ヶ浜さん。あなたまで何処に行こうというの」

「え? ヒッキーが出るんだからあたしも出るよ?」

「………」

「?」

 

 婚約者の依存度がハンパじゃねぇですママさん。どうしましょ。

 でも困ったことに、一緒に居ると勉強速度とか半端じゃないんだよな……なんなのこの娘。天使か。

 

「はぁ……あなた、本当にハチのことが好きなのね」

「えへへぇ、うん、大好き」

「うぐぉおお……!《かぁああ……!》」

「……こういうときは…………ああ。───ハチ、あなたの婚約者でしょう、はやくなんとかしなさい」

「なんとかって……どうしろってんだ。え? 愛でていいのか? 俺もうかつて溜め息を吐きながら眺めたことのあるバカップルになりつつある自分が、辛くて悲しいくせに眩しいものに見え始めてきてるんだが……」

「やめなさい、そこは行ってはいけない場所よ」

「だ、だよな。おう、バカップルのアレはな、ないよな…………うん……」

 

 人目を憚らずどこでだろうとイチャイチャ。結衣と、そんな関係。

 それをバカップルと呼ぶのなら…………あれ? 最高じゃね?

 

……。

 

 文実にはあっさりなれた。担任に話を通したら一発だったよ。

 文化祭実行委員長等を決める会議もあったんだが、それは二年がやることになっているらしく、今回は先輩である城廻めぐりという人が請け負った。

 なんつーか、ものすごい独特なパーソナルスペースをお持ちのお方だったよ。ありゃ癒される。“みんな”は。俺は無理だ。

 それからとんとん拍子で話は進んで、早くも9月中旬。

 

「ねぇヒッキー、今日からだっけ。正式に陽乃さんが仕事を用意するのって」

「ああ。ものによっては土日も潰れるらしいから、しっかりやらねぇとな……」

「え…………ひっきぃ?《うるり》」

「はいはい落ち着け。仕事だろうと一緒にやりゃ問題ねぇよ。そりゃ、アレは出来ないだろうけどな」

「…………」

「《ツイッ……》……」

 

 その、寂しそうに服の袖掴んでくるのやめてください、俺それに弱いんです。

 あと上目遣いもやめてくれ。つか俺の弱点ほんと結衣すぎて困るまである。

 

「結衣。頑張ってなんとかなるなら頑張りゃいい。そもそもそれが仕事で金を貰うなら、頑張らないのは嘘だ。対価を貰うならな」

「…………うん」

「……おし」

「あたし、がんばるからね?」

「俺だって頑張るわ」

「文実も仕事もがんばって、ヒッキーとの時間作るんだっ……!」

「……意欲の元はアレだけど、まあ……」

 

 やる気になってるのに水を差す必要なんかないわな。

 ……さて。俺も頑張りますか。動機はやっぱり不純かもだけどな。

 しゃーないだろ、他人に邪魔された所為で一緒に居られませんとか腹立つじゃねぇか。

 

 

───……。

 

……。

 

 文化祭の準備は呆れるほどスムーズにいった。

 陽乃さんが有志として参加してくれて、粗の目立つところはポヤポヤしていてもそこはしっかり先輩さん。城廻先輩がきっちりと管理、監視して、全体の遅れのチェックも完璧に進んだ。

 なによりサボろうとした上級生たちの目から見て、自分たちの時間を作るためにひたすらに仕事をする俺達が居る手前、体裁の悪さを考えてサボらんかったってのが大きい気もする。

 そうして超が付くほど順調に進み、準備もあっさり終了。

 仕事もなくなったので実行委員のほぼが自分のクラスに戻り、クラスの準備を手伝う方向に。

 俺達はといえば……クラスの出し物云々もそうだが、暇さえあれば勉強勉強勉強。

 覚えるだけでいいものとは違い、状況判断がものを言うものの場合、カーボン記憶なんざ充てにならん。事件は記憶の中で起こるんじゃないんだから、記憶だけよくたって現実には届かない。

 それでもやることは筆記なわけだが。

 

「陽乃さんの秘書って、いったいなにすりゃいいんだか……」

「そういえばヒッキー、どうして陽乃さんのこと陽乃さんって呼ぶの? 雪ノ下さんでもいいと思うのに」

「言わなきゃ家賃払えってんだからしゃーないだろ。俺の認識ひとつで家賃がどうにかなるなら、安いもんだ」

 

 とりあえずどこぞの一条さん家のらっくんのような仕事が出来りゃいいわけだ。

 記憶に関しては、まあ書類系統なら問題はない。書類に不備がなけりゃな。うん。

 

……。

 

 結論を言おう。土日、潰れた。

 もちろん週に一度の愛し合う時間も潰れたため、結衣の寂しがり方がハンパじゃない。

 週に一度の楽しみどころか、最近じゃ満足にゆったりと愛し合うキスさえ出来ない状態が続いている。

 正直俺も結構キテる。

 別に肉体で結ばれたいわけじゃないのだが、幸福の絶頂さえやってない所為で幸福度が足りない。世界から色がどよどよと落ちていっている。

 

「比企谷く~ん♪ そろそろ出る時間だけど、忘れ物とかない?」

「陽乃さん恨みますよ……あんな状態の結衣を置いていくなんて、心配で心配で……」

「たまにはいいでしょ。依存しすぎちゃ成長の妨げになるし」

「俺と結衣の場合は逆なんですけどね……はぁ。まあいいっす、さっさと終わらせましょ……」

「うん。じゃあスケジュールの確認からお願い」

「へいへい……えー…………細かっ!? スケジュールびっしりじゃないっすか!」

「そりゃそうだよ、やりたいことやろうってんならこれくらいわねー。さ、ほら、どうするの? 次次」

「ぐっ……車で移動! すぐにです!」

「はいよろしい。都築、よろしくね」

「かしこまりました、お嬢様」

 

 運転手さんがぺこりとお辞儀。俺は例に倣って車のドアを開けると、陽乃さんが中に入るのを確認したあと、自分も中へ入った。いや、普通は違うんだけど陽乃さんがこうしろってうるさいんだ。

 俺、普通なら都築さんの隣に座るんだけどなぁ……。

 

……。

 

 ガガッ、ゴリゴリゴリガガーッ! サラサラサラ……ッタァーーーンッ!!

 

「はい次! 次早く!」

 

 文化祭の準備も大詰め。その頃になると、さすがにやることも再び到来し、雑務関連がごっちゃりな昨今は俺も大忙しだ。

 いや、べつに二年の実行委員に委ねりゃいいんだろうが、この人なにをどうすりゃいいかも未だ解ってないんだ。ただ目立ちたかっただけなんだろうな、この人。

 なので書類を受け取るとパパッと処理。それが済むと結衣の仕事も手伝って、終了すれば手を繋いで逃走した。

 日頃鍛えた足腰で廊下を駆け階段を駆け上り、屋上に出ると───誰の視線もないことを確認してから抱き合った。

 もうだめ! もう限界!

 抱き合い、擦り付け合い、互いの匂いを分かち合ったあとには浅いキスから深いキス。

 仕事仕事で全然時間無し! 眠気よりも結衣であると二人で会おうものなら魔王がどこからか現れ、“そんな元気があるなら勉強続けよっかー♪”とか言い出して……おのれ雇い主っ……! 雇い主だから強く出れねぇ……!

 なのでこうして陽乃さんが来ない日には、二人で互いの存在を確かめ合って、夢中になってキスをした。

 そうすることで彩りを取り戻す俺の世界が、心にやさしい。

 それはいい。いや、あんまよくないけど、それはいい。

 問題はこちらだ。ガハマさん。日に日に……やつれてはいないんだが、元気がなくなっていっている。

 朝も会うし、文実でも奉仕部でも会うんだが、元気がない。

 いやまあ、文実も奉仕部も、時間なんて有って無いようなもんだが。

 だって最近、奉仕部に居られる時間なんて3分くらいだもの。

 陽乃さんとこの取引先の女性が俺をいたく気に入ったとかで、秘書なら俺を連れてこいとかほざいているらしい。勘弁してくれ。

 

「ひっきぃ……ひっきぃい……!」

 

 寂しいらしい結衣は、胸にぐりぐりと顔をこすりつけて、腕は背中にぎううと回し、離れる気配は全然ない。

 ……え? 俺? もちろんこちらもぎううと抱き締めてますが? だって寂しいし。口には出さないけど。

 

「結衣……結衣……!」

「ひっきぃ……!」

 

 キスをする。深く、深く。

 幸福を分け合いたくて、何度も何度も。

 けれど思うようにいかない日々のためか、互いの幸福もそう多くは無く。

 分け与え、高めるにも時間が足らず。

 やがて雪乃からのタイムアップのメールが届き、スマホが音楽を奏でた。

 

「………」

「…………ひっきぃ……」

 

 人が増えれば守りたいものも増える。

 それに合わせて、きっと場所も増えていくのだろう。

 だが、あえて言おうか。

 だからどうした。

 

「結衣」

「え……な、なに? ヒッキー」

「全力で慣れるぞ。自分の時間は、自分で作る。もしくは───……、……グループのやつらに助けてもらう」

「でもヒッキー、それってますたーまいんど? とは関係ないんじゃないかな」

「……なぁ結衣。俺はな、あいつらとの関係が……ただのマスターマインドってだけのものに成り下がってんなら……そんなものはいらないって思う」

「……ヒッキー……?」

「陽乃さんの仕事の手伝いは、そりゃ金にはなるが……それが理由でこっちの関係が壊れるのは違うだろ」

 

 歩きながら言う。

 屋上をあとにして、階段を降りて、教室へ向かって。

 

「大人になって、そういう場所に居なきゃいけなくなるんだとしても、今居るここはまだガキだ。んじゃあなにが出来るんだって話になると、正直俺もよく解らん」

「うん……」

「ただまあ、その、あれだ。……成長出来る機会がこれだってんなら、お前と一緒に出来るだけ成長はしたいって思う。なにも別々にとは言わない。まだまだいろんな物事が怖くて幸福にすがりついてるって自覚もあるしな」

「………」

 

 服を掴んでくる結衣の手を握り、感謝を思い浮かべながら……なんとか笑う。

 綺麗に笑えたか不安だ。

 

「ようするに、もっと高校生らしくてもいいんじゃねぇの? ってこった。あいつらとの関係も、仕事のことも、中途半端にはしたくない。だから、幼いうちに覚えられるものは覚えようって、そういうこと。仕事のことも、人間関係のことに関しても、だ。……いや、まだよく解らんな。じゃあこうしよう。成長出来たら互いに褒美を出す」

「え? 褒美?」

 

 ……相変わらずご褒美って言葉に弱いのな。いや気持ち解るけど。

 例外として俺は結衣とこういう関係になるまでは、褒美の有り難味とは無関係だった。だから結衣にはいろいろな面で感謝してる。

 けどまあそろそろまずい。躍起にはなれるがヤケクソになるのとは違う。

 成長して、得るものは得とかないと、時間を潰すだけで俺の青春も結衣の青春も終わってしまう。

 大変驚いたことに、結衣は本当に俺に関わることだと成長が早い。ママさんたら娘のことよく見てる。

 だったら、だからこそそれらを上手く利用して成長できれば、と。俺は結衣を、結衣は俺を利用して、だ。

 

「……と。褒美ってのはそういうことで」

「ヒッキー……うん。……はーーーー…………すぅーーー…………うん。ヒッキーがそう言ってくれるなら」

「このままじゃ覚えられたものの数だけ願いを叶えるって約束も果たせないからな」

「あ、そうだよヒッキー! 言っとくけど忙しいは理由にならないんだからね!?」

「おう、それはいつか男が我が子に言う言葉だろうから、今の内に慣れとくわ。んじゃ───」

「うん、じゃあ」

 

 ニッと笑って頷いた。

 さあ、成長の時間だ。体が若い内に、精々無茶な青春をしよう。

 文実集会の部屋の戸を開け、中へと入る。

 “傍に居なきゃダメ”ではなくて、“傍に居てくれると強くなれる”ように成長しよう

 かけがえのない存在ってのは無くした時が怖いだろう。

 それでもそんな人と高みを目指して、それらが自分を強くしてくれるなら、“みんな”なんぞにゃ負けない自分を作りたい。

 今のままじゃダメになる。忙しさを理由に、作ったばかりのグループが崩壊して、逆にグループだったって言葉が重荷になるような未来、誰も望んでいない。

 それに気づけたのが今でよかったって心底思う。

 実際に忙しいのは確かだ。けど、会えないわけじゃなかったのだから、時間はまだまだ作れる。

 あとは───個人次第だ。楽しくいこう。



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騒がしく、彼と彼女の世界はあたたかくなってゆく①

 そうして始まった文実の追い込みは───忙しいのに、実に楽しい。

 

「っべー、べーわー! ちょ、こっち誰か手伝ってくんなーい?」

「おう、どうすりゃいい」

「お? おーおー、きみ噂のヒキタニくん? っべーわー、近くで見るとマジイケメンだわー!」

「いやおい、そういうのいいからどうすりゃいいのかをだな」

「あっととそうだったわぁ。発注ミスしちゃったみたいで材料が足りないみたいなんだわ~……参るわぁ、これマジ参るわー……これここらへんには無いらしくとか言われちゃってさぁ、そりゃ困るってもんだべ?」

「……ちょっと待っててくれ。《たしたしたし……prrrブッ》───雪乃か? 今すぐ用意してもらいたいものがあるんだが」

「ちょ、なんか手際がドラマとかみたいじゃね!? ヒキタニくん、もしかして敏腕マネージャーかんなかだったりするん!? っべーわー!」

「マネージャーっつか、……いや、おう。まあ似たようなもんか。んで、今すぐ学年ごとに余ったものがあるか確認取るらしいから、あー《ヴィー》おう。……おう、おう。そか。よし、2-Fで余りがあるらしいから、そこ行って文実の名前出して受け取ってくれ。……比企谷だって言えば通じる筈だ」

「おー! すんげー手際よくね!? っべーわー、さっすがヒキタニくんだわマジ冴えてるわぁ!」

「いやおい……比企谷だっつの……」

 

 忙しさのあまり、結衣と一緒の時間を作れないあまり、焦っていた頃とは見方が変わった。

 

「はちまーん! そっちはどう!?」

「おう戸塚! 黒幕が足りてないそうだから使ってない学年に借りに行くところだ!」

「あ、じゃあ僕も手伝うよ! あはは、なんか楽しいよね! 青春って感じで!」

「中学ん時はめんどくせぇだけだったのにな」

「え? そうなの? それだけ八幡が高校に入ってから変わったってことかな」

「う……まあ、よ。そこにゃあ、こうして話しかけてくれる戸塚も居なかったし……な。あー……そ、の……ありがとな、戸塚」

「えっ…………は、八幡……《かぁあ……》」

「忙しいの終わったら……あ~……ぜ、全員で……打ち上げでも、する、か?」

「うんっ! きっとみんな喜ぶと思うよ!」

「そ、そか。だといいな……」

「もう、八幡はそういうところで自信がなさすぎだよ。青春するのに誰かの許可なんて必要ないって、平塚先生も言ってたじゃない。遠慮することなんてないんだよ、八幡」

「……だな。そうだな。じゃ、じゃあ戸塚。俺と───」

「はっちまぁああーーーん!! 文実としての貴様に頼みがあるぅう!!」

「あ、すんません。文化祭実行委員会会則に材木座の願いは聞かないというのがありまして」

「八幡!? そんな限定的な会則があるわけないであろう!? は、八幡!? はちまーーーん!!」

「あははっ……あはははははっ!」

(あ……笑顔。あー……なんてーの? ……アレだな。守りたい、この笑顔)

 

 忙しくて散り散りになり始めていたグループに積極的に会いに行き、文実だからと手伝ったりもして、案外それが楽しみながらやれている。

 

「ちょ、緊急! 誰か裁縫得意な人居ない!? 衣装の数にミスがあったみたいで!」

「………《ぴくっ》」

「お、おねがーい! これ間に合わないとほんとヤバくて!」

「…………《そわ、そわそわ》」

「川崎さんっ、裁縫とか得意だったりするっ!?」

「うえっ!? え……ゆ、由比ヶ浜、だっけ? え、なに、いきなり」

「あ、やー……裁縫の話が出てから、なんかそわそわしてたから、もしかしたら~って」

「へ? そ、そわそわって……あんたよくそんなの気づけたね……」

「うん。そういうのに敏感じゃないと、心配することも出来ない人と一緒だったからねー。えへへぇ」

「…………あ、ええっと。まあ、いいよ。裁縫、得意ってほどでもないけど誰も居ないよりはマシでしょ」

「そっか! おーい! ねぇねぇー! 川崎さんが手伝ってくれるってー!」

「おー! そりゃありがたい! じゃあ軽く自己紹介してからすぐに作業に! 足立でっす!」

「あー……川崎沙希」

「サキサキだね!」

「その呼び方やめて」

 

 グループ、ということになっているメンバーも楽しんでいられているようで、疲れていてもマンションに寄っていき、疲れ果てた時は泊まっていくことが多くなった。

 そうなると衣類などの持ち込みも増えてくるが、それが修学旅行みたいで面白いかも、というのは戸塚の意見だ。守りたい、この笑顔。

 

「比企谷くーん、今日の書類」

「そこに纏めてあります」

「ドレス───」

「相手が好きな色のを用意してあります」

「昼の───」

「それは移動しながら。朝食は雪乃が作った軽食があるんで、それを車で食べながらになりますから」

「……なんかいきなり化けられてつまんなーい。もっと疲れたり慌てたりした比企谷くんが見たかったのにー」

「生憎ぼっちにゃなにもなくとも時間があるんで。それから今日の相手は以前に会ったことのある人で、陽乃さんの腰周りとかじろじろ見てたんで、そこにアクセントをつけましょう」

「はぁ……気持ち悪いなぁ。早くこういうのをしなくてもいいところまで行きたいや。みぃんな比企谷くんみたいだったら、こっちも楽なのになー」

「……晩は雪乃の部屋で食事です。予定詰めてるんで急ぎますよ」

「え? それ私も参加していいの?」

「雪乃の希望です」

「……そっか。……そっかぁ。んへへへぇ、雪乃ちゃんってば甘えんぼさんだなぁ~」

「とっくに自分を追ってない可愛い妹なんだから、もっとスキンシップしたらどうっすか」

「まだもうちょっと。大体、それ言ったら比企谷くんもでしょ。妹さん泣いてるんじゃない?」

「………」

「ま、なんでもかんでもきっかけを作るか作らないかだし。いつ来るか解らない余所からくる偶然のきっかけなんて、待つだけ無駄だよ?」

「……まあ。機会があったら」

「相変わらず素直じゃないね、比企谷くんは。ガハマちゃんの時は自分から作ってでも行くくせに」

「やかましいです。……そういうのとは、ちょっと変わってきてんですから待ってください」

 

 一日ってのは短いようで、意識してみりゃ結構長い。

 そりゃ、集中していれば過ぎるのはあっという間ってのもあるわけだが、ただ考え事をしているだけなら案外長いもんだ。

 そんな中で考えることは、まあ結構ある。最近じゃ特にだ。

 

「ヒッキー!」

「っと、おう、どうした?」

「ちょっと相談があって……ゆきのん、居る?」

「雪乃はJ組の方いってるだろ。ここにゃ居ないぞ」

「そっか……えっとね、衣装作りが結構ヤバげで、ここでやってたんじゃ間に合わないんだって。場所提供してあげたいんだけど……ヒッキーの部屋、平気?」

「ちょっと待て。なんで俺の部屋で決定してんの。衣装作りって、担当は女子か? だったらお前の部屋のほうがいーだろ」

「あ、えと、だってほら。ヒッキーの部屋、余計な私物とかないからやりやすいかなーって……」

「あー……そうな。お前の部屋、散らかってるわけじゃないのにいろいろ小物があるからな……」

「……だめ、かな」

「相手の特徴は? きゃぴきゃぴしたやかましいヤツなら断固拒否する」

「え? えーーーっと……物静かでー……」

「おう(ふむ)」

「裁縫が得意でー……」

「おう(ふむふむ)」

「可愛いってより綺麗な感じでー……」

「ほーん……?(図書室が似合う感じ……か?)」

「無駄なこととか言わないで、テキカクなシジとか出せる感じ?」

「……なるほど。んー……まあ、よし。ガッコ終わったら好きに使ってくれ。物の位置とか無駄に変わってなけりゃ気になりもしねぇから」

「やたっ! ありがとヒッキー!」

「……(可愛い)」

 

 ぴょんぴょん跳ねる結衣を抱き締めて、めっちゃ頭撫でた。

 ここ最近足りなかった結衣分もチャージしたことだし、ガッコ終わってからも頑張りますかね……。今日は雪乃も手伝うことになってるし、陽乃さんも落ち着くだろ。

 

 

───……。

 

……。

 

 ……そうして。日々は怒涛のごとく過ぎてゆき───

 

「っべー!」

「言ってないで手ぇ動かせ。あと何語だよそれ」

「さ、最近戸部くんとヒキタニくんがやたらと急接近してて……ももももしかしてこれはめくるめくとべはちの……キキキッキキキマしたわーーーッ!《ぶしゅうっ!》」

「ちょ、あんたなにしてんのっ、急に鼻血なんか出したりしてっ……ほらこれ、さっさと拭けし」

「もあ? あ、あー、ありあとー……ふがふが」

「っし、あとの仕上げは家でだな。運ぶものとか平気か?」

「うん、そこはちゃんと決まってるし許可ももらってるからっ」

「よしっ」

 

 それに伴って起こることもまああったりしたが、それもまあ準備期間の楽しみってものだと苦笑し。

 

「ひゃっはろーっ♪ ってうわっ、なんかいっぱい居るっ」

「あ、えと、やっはろーです……」

「陽乃さん? 今日は休みでしょ、なにしに来たんですか」

「あ、比企谷くんひゃっはろー。って、一応私管理人みたいなもんなんだから、そんな邪険にしないでよー」

「どうせまたろくでもないこと持ち込みにきたのでしょう? 今は本当に手が離せないから、邪魔だけはしないで姉さん」

「雪乃ちゃんまで! お姉ちゃん寂しくて泣いちゃ───あれ? あっちの子、見ない子だね。誰?」

「泣くのはもういいんですか……ああ、川、川……なんつったか」

「八幡、川崎さんだよ」

「そ、そうか。つーわけで戸塚が言うように川崎です。どこからどう見ても図書室の似合う清楚な女性じゃありません。本当にありがとうございました」

「ふーん、川崎さん、ね。比企谷くんがグループ以外を入れるなんて珍しいね。友達百人計画でも始めたの?」

「あるわけねーでしょなに言ってんですか」

「先輩は、川崎先輩と二人きりにして、結衣先輩になにかあったら~とか思って監視してるだけですよねー?」

「ばっ! おまっ!」

「へー……?《ニヤニヤ》」

「一色。お前の今日の晩飯、結衣の手料理な」

「ひぃっ!? ごごごごめんなさいせんぱいそれだけは許してください無理ですごめんなさい無理なんですっ!!」

「いろはちゃんひどい!?」

 

 そこに、なんだかぼっちな雰囲気を持つ女子が転がってきたりして、話は少しずつ……複雑ではなく、単純な方向へと向かっていった。

 

「丁度あと一人欲しかったんだよねー、このグループに。ねぇ比企谷くん、あの川なんとかさん、引き込めない?」

「あ? いやですよ。自分でなんとかしてください」

「そんなこと言わないで~♪ ちょっと調べたんだけど、成績もいいし家庭的だし家族思い、ただし家はちょっとお金に困ってるって子みたいだしさ~」

「妙に生々しい話を耳元でしないでくださいよ……あと近い、近い近い近いっ」

「あの子入れてくれたら、結構役割分担が完成するんだよねー。めぐりが入ってくれれば楽なんだけど、いろはちゃんはともかく、急に上級生とか入れたくないでしょ?」

「そりゃ、まあそうですね」

「だから同級生。一応全員知ってるみたいだし……ああ、いろはちゃんは知らないっぽいけど」

「はぽん? いや、我も知らんのだが……」

「材木座……………………居たのか」

「ひどくないっ!?」

「どの道、俺からは動きませんよ。金に困ってんならこっちこいとか、貧乏ぼっちだったら絶対にやられたくない誘われ方ですよ」

「え? 合理的なのに」

「だとしてもですよ。言ったでしょ、同情だのなんだのからのやさしさなら、そんなもんはいりません」

「自分はお金で頷いたくせに~? うりうり」

「《ぐりぐり》……自分で経験してるから言ってんでしょーが。材木座ー、とりあえずこの人に抱き付いて、その滲み出る汗を存分にくっつけてくれないか」

「お主は我の汗をなんだと……こ、これでも結構痩せたんだからねっ!?」

「ひゃっ!? 退くっ、どくからっ!」

「えー……それはそれで傷つく我……だがめげない我カッコイイ」

 

 川崎、といえば、小町の友人にもそういう苗字の男子が居るらしい。

 そうかーとしか返してなかったが、まさかそれが“やってくる機会”になるとは思ってもみなかった。

 

 

───……。

 

……。

 

 

「……比企谷さん、ちょっと相談にのってもらいたいことがあるんだけど、いいかな」

「え……あ、あー……川崎くん」

「ほら、前にお兄さんのことでいろいろ言ってたから、なにかのきっかけになればって」

「お兄ちゃん……うん。最近会ってないんだよね……家を出てっちゃったっていうか」

「比企谷さん家も!? お、俺の姉ちゃんもなんか最近帰ってこなくて……電話来ても心配するなって、そればっかで……」

「……どこの家もそうなのかもね」

「文化祭の準備だって言っても、なんか周りがうるさくないっていうか。準備してるなら、周りはもっとガヤガヤしてるもんじゃないのかなってさ。電話に出ても静かなんだ。いや、人の声は聞こえるんだけどさ。なんかこう……ひっきー、とかなんとか」

「───!」

「なんか手がかりがあったら───」

「居る場所解った! ちょっと待ってて!」

「え? ちょ、比企谷さん?」

「えーなに? 小町ちょっと忙しいんだけど───あ、結衣お姉ちゃん!? 今どこ!? 小町もう我慢の限界! 文化祭の賑やかさと一緒にとか言われても、小町的にこんなぶちぶちしてるの我慢出来ないです! お兄ちゃん居ますよね!? あとついでに川崎くんのお姉ちゃんも! はい! はい! そのサキサキです!」

「え、さ、さきさき? ……あー……姉ちゃんか。川崎沙希だから。なるほど」

「待てません。え? ですから待てません。…………ま・て・ま・せ・ん!! お兄ちゃんと代わってください。大体結衣お姉ちゃんばっかずるいじゃないですか、小町だってお兄ちゃんに昔みたいに存分に甘えたりですね……!」

「……ブラコン?」

「はいそこうっさい。川崎くんだってどうせシスコンでしょーが。大体ですね、言った言葉はそりゃたしかにごめんなさいでしたよ。いろいろ鬱憤溜まってて、ごみぃちゃん言っちゃってものすごーく後悔した小町ですよ。でも実際あの時のお兄ちゃんは結衣お姉ちゃんに当り散らしてるようなところもありましたし、それに悪態ついちゃうくらいいいじゃないですか。タイミングの問題? 知りませんよそんなん読めません。小町もごめんなさいでしたけど、あの頃のお兄ちゃんには小町たちにもごめんなさいしてほしいくらいです。……でしょー!? そうですよねー! え? あ、え? お兄ちゃん来た? え、あ、ままま待ってください心の準備が───」

「………」

「おにっ……おに、ちゃ……あのっ……あの……」

「………」

「…………うん。…………うん、うん……」

「………」

「…………やだ。直接会って言いたい」

「………」

「そ、それはお兄ちゃんが謝ることじゃっ…………だって、小町もお父さんとかお母さんのこと、聞いたし……」

「………」

「…………わかった。じゃあ……」

「……お兄さん、なんだって?」

「……会ってくれるって。川崎くんも連れてこいって」

「あ……やっぱり一緒に居るのか」

「あーあとね、なんか“はっぽんはっぽん”言ってる人が、身代金として雪見大福を所望するって」

「地味だけど無駄に高い!?」

 

 

……。

 

───……。

 

 

 やはり。きっかけ、なんてものはどこに転がっているのか、なにが引き金になるのかなんて、解らないものである。

 よく晴れた休日に、そいつらはやってきた。



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騒がしく、彼と彼女の世界はあたたかくなってゆく②

 ───チャイムが鳴り、マンションの自室の扉が開く音が聞こえると、覚悟していたくせに、嫌な気分が喉元まで登ってくる。

 

「お、おじゃまします……」

「おじゃっ、お邪魔するっす!」

 

 緊張していると、耳が拾っただけでもわかるくらいの硬い声。

 妹と、恐らくは川崎の弟のもの。

 やがてふたりが結衣に連れられて部屋まで入ってくると、忘れるよう努めていた“比企谷家”の匂いがこの部屋に入ってきたみたいで、少しだけ頭痛がした。

 ……が、それも興味から消してゆく。

 

「………」

 

 きょろきょろとなにかを探しているらしい妹の瞳は、ひどく怯えた様相だ。

 が、それも今は興味から外す。自分が勝手に決めた条件が果たされるならそれでいい。

 果たされたとして、こいつの中に嘘があるのならそれでいい。

 俺はただそれを見極めて、受け入れるか否かを決めるだけだ。

 …………ていうかおい。ちょっと? なんでそんなキョロキョロしてんの。え? もしかしてアレ? 俺、認識されてない?

 

(えっと……お兄ちゃんはどこに───あ、うわー……なにあの人、格好良い……)

 

 とかなんとか思ってたら見られた。めっちゃ見られた。見られてる。

 ……おい。なんでちょっと顔赤いんだよ。

 

(あっちのお団子頭の人、綺麗だな……なのに童顔で可愛いって……居るもんなんだな、ほんとに綺麗な女の人って)

 

 そしてそこのえーと……なんかレベルEのラファティくんに似てるからラファティくん。人の大事な人のこと、赤らんだ顔して見てんやおへん。捻り潰しますえ?

 

「小町ちゃんいらっしゃいっ、好きなとこ座ってねっ」

「あなたがハチの妹さん……初めまして、雪ノ下雪乃です」

「あ、えと、どうも、です。比企谷小町っていいます……」

「僕は戸塚彩加。よろしくね、えーと……小町ちゃん、でいいかな」

「あ、はい、構いません。よろしくです」

「はっぽォーーん! そして我こそが剣豪将軍材木座義輝であーーーるゥ!!」

「……どもです」

「あれ? 我だけ反応薄くない?」

「いきなり暑苦しいまでに叫ばれればそうなる決まってるじゃないですかー。……あ、わたしは一色いろは。ここに居る人たちとは1コ下なんだ。よろしくね、小町ちゃん」

「……。はい、よろしくです」

「うわ……観察されちゃいましたよ。兄妹揃ってどこまで人を見る目持ってんですかー、もう」

 

 案内も済んで、各々が適当な位置に座ったり戻ったりすると、自己紹介が始まって、それも終わる。

 そうなるといよいよ妹のそわそわも最大値となり、ソファに座ったそいつが膝の上で拳をぎゅっと握った時、第一声はなにで来るかと身構えた。

 

「あの。それで……お兄ちゃんはどこに───」

 

 ───やっぱり認識されてねぇよおい!

 

「え? ヒッキーならそこに居るじゃん」

「え? そこって───」

 

 そこにと言われてるのに探されてる俺。

 ねぇちょっと? これ間接的に喧嘩売られてる? 交渉不成立どころか下剋上叩きつけられてる?

 ……と、やさぐれた存在ならば瞬時に思うのだろうが、俺の中の棘は隆起もしていない。むしろまあこんなもんだろうってあっさり受け入れた。

 

「大志───!? あんたなんでこんなところにっ!」

「姉ちゃんこそっ! こんなところでなにやってんだよ!」

 

 と、そんな時に川……川咲? さんが口論を始めそうになったので、それ以上いけない、と声をかけるよりもまず“こんなところ”扱いにツッコむことにした。

 

「おい、人の部屋をこんなところ扱いするんじゃねぇよ」

「えぇっ!? その声っ……お兄ちゃん!?」

 

 そして予想通り、外見では兄として認められていなかったらしい俺。

 なにも驚きのあまり、ソファから立ち上がってまで叫ぶことないじゃない。

 

「……俺が俺じゃなかったら誰だってんだよ」

「え、あ、だ、だって……《かぁあああ……!!》」

「ほれ、いーから座れ。……話、あるんだろ?」

「…………う、うん」

 

 結論。前までの俺、どれほど存在の薄い格好だったの。

 つか、なにこの子。なんで人のこと見て顔朱くしてんの? おこ? おこなの?

 そんな阿呆な考えを余所に話は始まり……大した混乱もなく、落着となる。

 決めてたことだからな、こんなもんだろ。

 

「えと……まずは、ごめんなさいお兄ちゃんっ!! あの時、不良みたいだとかごみぃちゃんだとか言って!」

「おし許す。一色~、菓子出来てるなら持ってきてくれー」

「軽っ!? お兄ちゃん、かっる!?」

「べつにずっと決めてたことだしなー、お前が謝ってきたら許すって。それがなんでこんな長引くかね……なに? お前の両親、謝罪の仕方も教えてくれんかったの?」

「え? ほら、小町基本いい娘だったから、“悪いことをしたらごめんなさいでしょ?”とかそんなんなかったかなー……」

「ほーん? まあいいけど。……あー、その、なんだ。……こっちも、今まで悪かったな。あっさりしたもんだが、いろいろ考えた結果だ。兄妹ってのはこんなもんで、千葉の兄妹ならなおさららしいからな」

「……千葉の兄妹……《しゅん》」

 

 言ってみると、“俺と小町”だからではなく、兄妹だから許された、というものだと受け取られたらしく、しょんぼりする。

 べつにそんな、俺とお前の間に、気にするほどのなにかがあるわけでもないだろうに。

 

「ああそれからな。べつに言われたから許したわけじゃねぇから気にすんな。そういう謝罪や受け入れなんてのは俺が気持ち悪いし受け入れない」

「うわー、この兄相変わらず勝手だー。……ほんと、相変わらず……おにいちゃんは……《じわ……》」

「…………」

 

 涙を滲ませる妹を前に、座らずに立たせていた足を動かして歩み寄り、随分ぶりに妹の頭へと手を伸ばした。

 

「……ほれ」

「《なでなでわしわし》んっ…………~~……ごめんねお兄ちゃん、ごめんね……ごめんなさい……っ! 小町も……お父さんとお母さんも……《ぽろぽろ》」

「……。おう。ちなみにここで両親の話題はNGな。あと、手先が器用なら川、川ー……川なんとかさんの方を手伝ってやってくれ」

「お兄ちゃん……さすがに泣きついてる妹にそれは、小町的にポイント低い……」

「なんだよそのポイント。知らんけど、生憎と俺は結衣専用だ。頭を撫でるくらいならいいが、胸は貸してやらん」

「……結衣お姉ちゃんばっかずるい」

「お前もごみぃちゃん扱いがなけりゃあな」

 

 あの頃の俺が本末転倒な阿呆をやっていた自覚はあるにしても、ゴミ呼ばわりが無ければまだ興味の範疇にあったままだったんじゃないかしら。

 自分側だと思っていた存在からの罵倒ほど、心を傷つけるものなんてないんだから。

 ただ、まあ。両親に恵まれたこいつにしてみれば、親と敵対、なんて考え自体がおかしいし、俺がどんだけ内側に溜めていようが、こいつにしてみればなにも話てくれずに辛さを抱え込んだ馬鹿な男にしか見えなかったんだろうし。

 ……だからってゴミ呼ばわりしていいかって言やぁ断じて否。

 失言であったことなんて冷静になればわかるだろうし、わかるからこそ今のこいつもしょんぼりしているんだろう。

 

「……。それは小町的に大絶賛大後悔中だから言わないだげて」

 

 ほれやっぱり。つかそれ、自分で言っちゃう?

 

「ところでそのー……えっとさーお兄ちゃん。ちょっとだけ、ちょっとだけ気になったんだけど……うん。どうしたんだろうなーって。その格好」

「? ああこれか。結衣の好みに全部合わせたらこうなった」

「化けましたよねー先輩。最初から眼鏡だけでも素質はあるかもーとか思ってましたけど。あ、これお菓子です。先輩にはマッカン」

「っと、悪い。まあ、結衣以外にどう言われようとどうでもいいけどな」

「グループの間でくらいは素直に喜びましょうよ~、せんぱぁ~いぃ」

「あーはいはい甘えた声絞り出すなよ相っ変わらずあざといなお前。そういうことは気になる男子にやりやがれ。居るだろどっかに」

「はーあー……ほんと、もっと早くに先輩と出会えてたらですよねー……。結衣先輩、綺麗なのに可愛いし、お馬鹿だけど気を使えるし、体も綺麗で心も綺麗で、お、おおおお風呂ではメロンがスイカに進化しつつありますし……!《ガタガタガタ……!》」

「人の妹の前でやめろ、阿呆」

「恋すると胸が大きくなるってほんとですかっ!? 答えてくださいせんぱいっ!」

「いや知らんから」

「だとしたら、結衣先輩のあの大きさも納得ですよねー……。子供の頃からだったんですよね? そりゃ大きく成長しますよねー……」

「だからやめろ、妹の前でそういう話、すんじゃねーって……」

 

 話は本当に、実にあっさりと解決した。

 小町自身も相当に驚いたようで、しかし許されたのならとじりじりと俺のパーソナルスペースを確認しつつ、近づき、やがて甘えるようになってきた。

 ……まあ、それが過ぎると結衣に引き剥がされていたが。

 

「だからお姉ちゃんばっかずるいですってば! いーじゃないですか小町がもんもんとしてる時に存分に甘えたんでしょお姉ちゃんは!」

「ずっ!? ずずずるくないよ!? あたしだって今すんごい我慢してるし!」

「大体なんですかあの格好! 兄を勝手にあんなに改造して! あ、危うく小町の初恋の相手が……っ……そのっ……! こ、心が弱ってなきゃ、小町ともあろう者があんな風になるわけないのです! だからお姉ちゃんはしばらく遠慮して、お兄ちゃんの相手は小町がですね!」

「!? だ、だめだよそんな兄妹でなんて!」

「いーえ兄妹だからこそ───…………え?」

「え? …………───あっ! え、えと、えとー、今のは、ね?」

「…………あの。結衣お姉様? …………えっと、それはそのー……つまり? 兄とはそういう関係……まで?《かぁあ……カアアア……ぐぼんっ!!》」

「うひゃあっ!? 小町ちゃん顔赤っ!」

「兄が……兄がそんな……! やっぱりあの日の不自然な旅行の時ですか……おかしいと思ったんですよ急に旅行なんて……それが、こんなことに繋がってるなんて……!」

「ヒ、ヒッキー! 小町ちゃんがなんかおかしいよ!」

「こっちはこっちで川なんとかさんの問題点とかいろいろあるんだけどな……あぁまあなに? 解決したからいいけど。んで、どした小町。なにか悩み事か?」

「お兄ちゃん! ……お姉ちゃんと“そういう関係”になったっていうのは、本当?」

「……お前…………妹相手になに言ってんの……」

「あ、あたしじゃないよ!? なんか会話の流れで気づかれたってゆーか!」

「……はぁ……。妹に自分の経験話をするとか、どんだけレベル高いんだよ俺……」

 

 弟と口論を始めた川、川……カワウソ? ともかく川なんとかさんを宥めようと話し合った結果、二年になったら深夜のバイトも始めたいって話に発展。

 姉が弟の大志とやらとギャーギャー喧嘩するハメになり、ようするに金がありゃいいんだろ、静かにしてくれってことで…………結局勧誘するハメに。陽乃さんに連絡して、スマホ渡してちょっと会話してあっさり採用だった。

 どうやら川なんとかさんもぼっちとしてのレベルは高かったらしく、ほぼ毎日でもここには来れるということで条件もクリア。グループにまた一人、仲間が加わった。

 仲間に加わったなら距離を置く必要もなしと、川なんとかさん改め、川崎をきちんと認識して、受け入れていった。

 積もる話もそりゃあある。

 けど、それをしながらだろうとやらなきゃいけないことはあるわけで、早速グループで行動開始。

 なによりもまず文化祭成功を目指し、川崎の衣装制作を手伝ったり、全員集まっての勉強会も進めたり。

 

「うわー……なにこれ……お兄ちゃんたち、最近じゃいっつもこんなのやってるんだ……」

「お、俺、邪魔じゃないっすか?」

「来場者方面からも意見が欲しい。正直一色の意見だけじゃ偏っちまうから」

「うーわ先輩ひどいです、人に訊くだけ訊いておいて、用が済めばポイですか」

「つーかな、むしろお前がいいのかよ。中学三年の時点でもう就職先が決まるとか」

「はぁ……まあ、いいんじゃないですか? これといった明確な目標があるわけでもありませんしね。むしろあの“雪ノ下”にスカウトされるとかレベル高いってやつですよ? ……その分勉強が大変ですけど。あのー、せんぱーいー、ここ教えてくださいー」

「お前マジで考える努力とかしようね? 開いたばっかの教本でなんで俺に質問飛ばしてくんの」

「いいじゃないですかー、二人でやれば効率もあがりますし。ほらほら、たまにしてくれるみたいに妹扱いみたいなのでもいいですからー」

「《ムッ》……ね、ねぇお兄ちゃん、小町もちょっと、宿題でわからないことが───」

「───」

「───」

 

 そして何故か睨み合う一色と小町───なんてことはなく、小町がズズイと前に出た途端に一色は引き下がり、逆にトンと小町を俺のほうへと押した。

 

「おい、一色っ?」

「兄妹なんですからそんなギクシャクとかやめてくださいよ。二人はさっさときちんと深く、謝り合って許し合ってをしちゃってください。はるさん先輩も言ってたじゃないですかー、マスターマインドの中で、妙な引っ掛かりは足を引っ張ることにしかならないって」

「……え? なに? こいつらも入れんの? 勝手にいろいろやると、そのはるさん先輩にこそ怒られるぞお前……」

「ひうっ!? あ、あー……そそそそこまで考えてませんでした……! いえでも同じ部屋に居てギクシャクとかほんと気になっちゃいますんで、入れるにせよなんにせよ、仲直りはきちんとお願いします」

「………」

「……お兄ちゃん」

 

 ……まあ、そうだな。

 溜め息ひとつ、皆が集まる部屋から小町だけを連れ出して、そこで……まあその、久しぶりに、随分とまあ好き勝手に話し合った。

 あの時の俺がどうだとか、それでもゴミは言い過ぎだバーローとか。

 そうして不満だのなんだのをぶちまけた先で、アホみたいに笑えてる今があるなら…………まあ、なんだ。仲直りっていうもん、出来たんじゃねぇのかね。良く知らんけど。

 

 そうやって、少しずつ関係を強化しつつ、日々は過ぎる。

 一応陽乃さんに訊いてみると、二人の参加は当然のごとく却下。

 今そういう、どうしても誰かが気にかけてしまう年下を加えると、ただの仲良し集団でしかなくなってしまうとのこと。まあ、わかる。

 特に仲直りしたばかりっていうのは、努めようにも気にかかってしまうもんだろう。

 なによりこちらに来過ぎて、小町の両親がこちらに突撃してきたりでもしたら目も当てられない。なので却下。

 結衣は残念そうにしていたものの、仕方ないよねと言ってくれ、このままのメンバーで続行。

 騒がしいまま、忙しいままに日々は過ぎ───……そして、文化祭がやってくる。

 

 

   ×  ×  ×

 

 

 案ずるより産むが易しってあるよな。

 準備は大変だけどやっちまえばどうってことなかったよ! 的な、な。

 今現在がそれなんだろうよ。文実も、文化祭が始まっちまえばやることなんざ早々ない。

 そもそもトラブルが起きてもすぐ対処できるようにって各学年、各クラスに混乱対処マニュアルを配ったからな。なにが起こってもよっぽどのことじゃない限り、文実の手ぇ煩わせるんじゃねぇよって意味で。

 だっておかしいでしょ、あんだけ頑張ってあれこれ対処しといて、始まってからも面倒ごとはこっちに押し付けて“みんな”は楽しむとか。

 これアレな。人って文字は人と人とが支え合ってるってアレな。

 ……これ、来年の文化祭スローガンとかに提案してみようかしら。

 

  人。よく見たら片方楽してる文化祭。

 

 最高じゃないの。実行委員と準備する人、どっちが楽しいかっつったら準備だろうよ。なのに準備のあとも楽しむより処理を回されるとか、これほんと支え合ってんの?

 ぶちぶちとこぼしても、既に文化祭の真っ最中。

 ご来場いただき鬱陶しいんでお帰りください、とか放送で言えたら最高です。言わんけど。

 などと心の中で騒がしさをぶち壊しにする冴えたやり方とか無駄に考えていると、俺の声をかけてくる者ひとり。……妹であった。

 

「あー、ちょっとそこの暇そうな格好いいお兄ちゃーん! 文化祭案内してくれませんかー?」

「おい、はっきりお兄ちゃんとか言っといて暇そうとか言うんじゃねぇよ。忙しいっつの、めっちゃ忙しいから」

 

 仲直りをしてからというもの、小町からの接触は増えた。増えたというか、十倍以上になった。そもそもがゼロに近かったんだから、まあ当然かもだが。

 

「忙しいって、立ってるだけじゃないの?」

「お前は何を言っとるんだ……」

 

 外からの来場者を歓迎って意味ではまあ、なんつーの? それを迎えることに楽しみがあるんだろうが、んーなもん実行委員にしてみりゃそれほどでもない。

 子供が来ればトラブルは起きるし、迷子が出れば走らにゃならん。

 あとアレな。店に連れてこられると絶対泣く子供。なんなのアレ。同じノリで文化祭で泣かれるとほんと辛いんですけど。

 

「いいから好きなとこ回ってこい。つか、ラファ……大志は? 一緒じゃねぇの?」

「あー、大志くんだったら姉ちゃんのクラスが気になるからーとか言って分かれたけど」

「ほーん……なんだあいつ、お前に気があんのかと思ってたのに」

「いやいやそりゃないよお兄ちゃん。大志くん、結衣お姉ちゃんにドッキンコしちゃったみたいだし」

「よしあの害虫潰そう」

「うーわー躊躇なく害虫言っちゃったよこの兄。お兄ちゃんさ、どんだけ結衣お姉ちゃんのこと好きなの」

「世界でなによりも。あいつにフラれたら世界なんてどうでもいいまである」

「一途すぎてたまにキモいよお兄ちゃん」

「うーるーせぇ、っての。人が人を好きになるのは当然のことで、俺は結衣が好きで大事で愛してるんだよ。胸張って言えるわ」

「むう……やっぱりお姉ちゃんばっかずるいなー……でもここまで言ってもらえたら彼女としては嬉しいんだろうね」

「最近自分が怖いんだよ……気づけば結衣に感謝ばっかりしてるし、好きだのありがとうだの嬉しいだの、ことある毎に言ってるし……」

「うわー……あ、でもお兄ちゃん? それはいいことだから絶対にやめちゃだめだからね?」

「そうか……? 何度も言われると鬱陶しくないか……?」

「お姉ちゃんからしてみれば、全然そんなことないと思うな。小町もきっと嬉しいし」

「そんなもんなのか……」

 

 俺じゃ鬱陶しいとか先に思ってだめだろうな……。

 あ、でも結衣に言われると弱いかもしれ…………ん、……って。

 ああもう、ほんと気づけば結衣のことばっかりじゃねぇかよ……もうやだ、人を好きになるって怖い。そして恥ずかしい。

 

「んで、なにか見たいものとかないのか?」

「あ、お兄ちゃんの教室行ってみたいかも」

「そか。けどあれだよな。文化祭っていうけど、どこらへんに文化があるのか地味に謎だよな」

「それ言っちゃったらどこの文化祭も盛り上がらないってば……」

 

 それもそうだった。

 ともあれ、そうして久方ぶりに兄妹でのひと時を過ごした。

 途中で用事を頼まれたりもしたが、そこはグループ仲間がサポートしてくれたりして。

 まさかそういうことをしてくれるとは思っていなかったから、ぽかんと呆然、そののちに感謝が溢れてきた。

 ……弱くなったな、と感じる自分とは逆に、そんな自分も悪くないと思える自分も居た。そんなもんでいいのかもしれないって……思い始めてきている。

 うん。いいな、こういうの。中学までじゃ考えられなかった世界だ。

 このままこの気持ちに埋没してしまっていいのだろうかと考えて、それもいいと考えてしまう自分も居て、力を抜きたくなる。

 親との和解とかは考えない。両親の娘の、都合のいい兄のままでいようって、本当にそれでいいって思っている。

 どうでもいいのだ、本当に、あの親については。

 だから今は、手を伸ばせばちゃんと掴めるこの世界を……俺は。

 

「なぁ、小町」

「んー? なに? お兄ちゃん」

「……兄ちゃんな、恋をしたんだ」

「へ? どしたのお兄ちゃん、今さら」

「ガキの頃から大事で、相手はそうじゃねぇんだろうなって思いながら……それでも」

「お、お兄ちゃん? えと」

「好きになってよかったって、そう思えるんだ」

「…………うん」

 

 小さな頃から、ろくな会話が出来なかった。

 だから兄妹らしい話を、って思ったって、ろくな話も浮かばない。

 出してみた言葉もきっと受け取りづらかっただろうに、小町はすぐに解ってくれて、頷いてくれた。

 

「よかった」

「小町?」

「お兄ちゃん、幸せそうだから」

「……おう」

 

 兄妹なのになにも知らなかった。

 偉そうに知ったかぶり出来る部分もなくて、それでも……兄妹なのだから。

 

「お兄ちゃん。小町はなにも出来なかったけど……もっともっと、幸せになってね。で、結衣お姉ちゃんのことも幸せにしてね」

「おう。兄ちゃんに任せとけ」

「うんっ、任せたっ」

 

 手を繋ぎ、八重歯を見せながらニパッと笑った。

 ……こんな笑顔が可愛いことさえ知らなかったんだな、なんてアホなことを考えながら歩く。

 

「はぁ……でも、結衣お姉ちゃんがお兄ちゃんのことを好きじゃなかったら、今頃どうなってたんだろ……考えると怖いかも」

「結衣に感謝だな。いや、感謝ならいつでもしてるが。むしろ愛しているまである」

「妹の前で堂々とノロケるとかやめてよ……まあ、なんにせよだよお兄ちゃん」

「ん……おう、そだな」

 

 兄妹なのに、これからよろしく、なんて言って。

 やがて、まあ、ようやく。

 俺達は、素直に笑い合えたのだった。

 

「んじゃとりあえず結衣に会いに行くか」

「いやいやなんでそーなるの。小町お兄ちゃんの教室の出し物見たいんだってば」

「そうか。俺は結衣が見たい」

「あの……お兄ちゃんほんと大丈夫? 小町、小町が知ってるお兄ちゃんと今のお兄ちゃんのギャップに、ちょっとくらくらしてるんだけど」

「俺も自覚はしてるんだけどな……心を許すってやばいな、ほんと。犬が自分の腹を見せてもいいって行為の意味が解るっつーか」

「いやお兄ちゃんそれ服従してるからね!? お兄ちゃんほんと大丈夫!?」

「大丈夫だ。そういう意味で言うなら、俺達はたぶん、お互いに服従してるっぽい」

 

 ほれ、と促すと離れたところに結衣。

 手を振って、それから全力で走ってきて飛びついてきた。

 

「うわー……見るの、初めてってわけでもないのに……未だに慣れない、このお兄ちゃんの綺麗な目……」

 

 飛びつき、抱き着いてきた瞬間にキスをしてすぐに離す。

 さすがにこんなイベントの最中に堂々とラブラブチュッチュしてたら捕まる。それはよろしくない。

 なので、衝突や事故を装ってキスしたりハグしたり……なんかもうそれを受け入れている俺がもうダメだ。

 でもそうまで出来るほど好きすぎてやばい。心許しすぎてやばい。信じすぎてやばい。

 ママさんがいつか言ってくれた、結衣は本当に俺の味方だって、あの言葉が心の奥に染み込みすぎてて、なんかもう大事。大好き。愛してる。

 

「身近な人がバカップルになるって、すっごく微妙な心境……でも……はぁ。なんでかなぁ、仕方ないとかじゃなくて、応援したくなるのは」

 

 なにやらぶつぶつ言っている小町をよそに、見つめあって名前を呼び合って幸せオーラ放ちまくりの俺達。

 早速他の実行委員に、というか丁度やってきたユキにツッコまれ、シャキっとする。

 

「心配になって様子を見にきてみれば、あなたたちはまったく……」

「……面目ない」

「……あ、で、でも手、繋ぐくらいは~……」

「由比ヶ浜さん?《にこり》」

「う、うー、でも、でも、ゆきのん、ゆきの~ん……」

「あ、なんかもう力関係がよーく解りました。とりあえず頑張ってください、雪乃さん」

「むしろここはあなたが頑張りなさい、比企谷……は、ややこしいわね。小町、さん?」

「小町がですか……いえ、確かに今までの距離をなんとかするには……」

「結衣……」

「ヒッキー……」

「って無理ですって隙あらばいちゃいちゃしてますよこの二人! どうしろっていうんですか!」

「そこからまずは考えなさい。踏み出したかったのなら、まず踏み出す努力から」

「踏み出す努力……勇気……そう、ですよね。お兄ちゃんは倍以上努力も辛さもやってきたし味わってきたんですから。これくらい、小町が───」

「んっ……」

「ちゅっ……」

「無理ですだめです人前でちゅーしちゃってますよ助けてください雪乃さん!」

「はぁ……あぁ、もう……!」

 

 世界はしゃーない。そう思っていた景色に色がついてくると、自分の周りもやがて変わっていった。

 一人ずつそれぞれの色を持つ人が手を伸ばし、伸ばした数だけ別の色が生まれて、灰色の世界を変えてゆく。

 たぶん、俺は変わらない。

 変わらないまま変えられてゆき、きっと、そんな自分に胸を張れるいつかに辿り着ける。

 それが幸福であるかなんて解りもしないのに……今は、どうしてかそんな漠然としたなにかを楽しみにしている自分が居る。

 少しは自分で動けと笑われそうだけど……動いた結果で傷ついてきたのだから、今はまだ、動く世界の中でゆっくりと休ませてほしい。

 そうして、変えられた世界の中で、いつか望んだあたたかい世界が微笑んでくれたら。

 その時は、また……傷つくことも怖がらず、傍に居る誰かに手を伸ばし、その眩しさを知っていこう。

 ひとりぼっちばかりが集まった、狭くても綺麗な色の、賑やかな世界で。

 



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やがて辿り着く、眩しさの中で、彼は

 ……随分と長い間を振り返っていた気がする。

 溜め息ひとつ、磨いていたグラスを置いて、最初は堅苦しいと感じていたベストを直し、自分が立つ場所を眺める。

 

「───」

 

 自分の青春が到着したのは喫茶店。

 長い長ぁい秘書生活を生き、陽乃さんが満足するまで事業を手伝い、やってみたかった仕事が軌道に乗って、ある程度稼げれば部下に任せて別の仕事に、を繰り返す陽乃さんについていく日々は……うん、地獄だったな。

 起ち上げられたブランド、HARUNOは本当に大きな規模に広がったよ。

 万屋って言ってもいいくらいになんでも揃ってた。

 集まったメンバーの得意なこと、好きなことを前面に押し出した果てを目指してみて、成功すればもうけもんって感じで突っ走ったり相当な無茶もしたのに、どうしてか……振り返ってみれば笑えるんだから、不思議なものだ。

 

「……ふむ」

 

 メンバーのそれぞれが、やがて一つ一つの夢へと到り、手を振ったいつか。

 全員の夢が叶うと、陽乃さんは“もう飽きた”とでもいうかのように、部下に仕事を譲ってのんびり生活を満喫し始めた。

 

 ユキは猫専門動物病院を開き、それとは別に猫の絵本などを描いたりして、猫好きの方々に大変人気のある医師として活躍している。

 

 材木座はしっかりと夢を叶え、ラノベ作家に。長期連載していた作品がアニメ化決定したとかで、つい先日“これは夢であろう!? 夢じゃないなら殴って!?”とか言ってきたからとりあえずデコピンかましたら、大変喜んでいたので変態と言ったら怒られた。

 

 戸塚は……材木座を手伝うかたちで編集者になった。誰かの夢を応援するのが自分に合っているって、グループの集まりの中で気づいたらしく、その当時から人の応援に精をだしていた。

 

 一色は、得意であった菓子作りを極め、今では菓子店舗を幾つか連ねるお菓子クイーンだ。経営のノウハウも陽乃さんに教わった上、お店自体もHARUNOブランド傘下だから、案外自由にやらせてもらっているらしい。

 

 川崎と小町は一緒に服飾の世界へ。これまたHARUNOブランドで服を出していて、それが中々人気とくるんだから、世の中ってどうなるのかなんてわからんもんだ。

 大志はそんな姉と小町を、自身の妹の京華とともに支え、手伝うこともよくあるらしい。

 

 で、俺は。

 秘書時代に接待として飲まざるをえなかった、お茶や紅茶、特にコーヒーで鍛えた技術を武器に、喫茶店を構える。

 人の黒さを秘書として一層見るに至り、目は余計に腐ったが……なんか逆にそれが客を呼んでいるらしい。腐った瞳の店長、とかな。

 稼いだ金で一括払い出来ちゃったこの二階建ての店は、今日も静かにのんびり営業。

 従業員はやたらと元気だが、まあそんなもんだろう。

 

「ん~~~っ、よく寝た~~~っ……あ、比企谷くん、コーヒー一杯ちょうだい? LOWで」

「社長、とっくに昼ですが?」

「あっはっは、社長なんて役職は捨てたなぁ。誰のことかなー?」

 

 現在昼。

 二階から降りてきた陽乃さんがカウンターに座って、コーヒーを注文してくる。

 溜め息ひとつ、身だしなみはきっちりの、出掛ける格好の陽乃さんにコーヒーを淹れて、予定を訊いてみた。

 

「うん、今日はちょっと静ちゃんとね。だから私目当ての客が来ても居ないって言っちゃっていいから」

「自由ですね」

「そりゃあね、やってみたいことは粗方やったし、面倒事は仕事がしたいってコに任せちゃったし。あとは一緒に居て楽で楽しい人と遊んでた方が、人生が輝くでしょ?」

「恋愛とかは?」

「あー、もういい、たくさん。ああいう仕事してると、人とかほんと信じられなくなるから。人と関わる仕事してて何が嫌になるかって、信用問題で簡単に掌返す人間の汚さでしょ。だからもーいい。それとも比企谷くん、不倫してみる?」

「寝言は寝てから言ってください」

「あっはははは、ん、実によろしい。……ん…………はぁ。ごちそうさま、さすがに私の好みの温度、わかってるね~♪」

「どんだけ秘書してどんだけ振り回されてどんだけ我が儘放題に付き合わされたと思ってんですか」

「とりあえず私が楽しみ尽くすまでは思いっきりやらせてもらったよ? 実際のところ、飽きたから終わりっていうんじゃなくて、必要なお金は稼げた~って思ったからやめただけだしね」

 

 この人ほんととんでもねぇ。

 それに付き合って秘書続けた俺も相当アレだが。

 

「じゃ、そろそろ時間だから。奥さんによろしく」

「昨日も会ってるでしょーが」

「会ったら会ったでラブラブイチャイチャが始まるから、こーいうのは間接的で十分でしょ? じゃ」

「車出しますか?」

「比企谷くん~? 私をどこまで自堕落にさせるつもり~? 今は我が儘王女がなんでも自分で~ってところなんだから、気持ちよく送り出しなさいって」

「ん……そっすか。じゃ───……いってらっしゃい」

「あ…………うん。いってきます」

 

 どこの家でもやっているようなやりとり。

 けど、陽乃さんは一瞬きょとんとしたあと、嬉しそうな顔でいってきますを言った。 

 金持ちの家がどんな感じで回ってるのかなんて知らないし知りたいとも思わんけど。

 もしかして、言われたのなんて初めてだったんだろうか、なんて考えて……小さく息を吐いた。

 

「さて」

 

 静かではあるが、客がゼロなわけでもない。

 基本を妻と娘二人で回しているこの喫茶店は、バイトはそりゃあ居るが、学校の時間は常に大忙しみたいなもんだ。

 客が少なくても、捌く人が居なけりゃ忙しくもなる。

 ……まあ、平塚先生が陽乃さんと外に出られると言ったとおり、今日は学校は休みなわけだが。

 

「いらっしゃいませ。こちら、メニューに───」

「ああごめん、もう決まってるから。エスプレッソとクラブサンドのセットを」

「…………《むー》」

 

 バイトの一人、葉山翆がぷくりと頬を膨らませつつも注文を取り、届けられた注文を耳に、翆を宥めつつ苦笑しながらエスプレッソを淹れる。

 クラブサンドを作ってくれる妻と笑い合い、トレーと食器を並べる娘にサムズアップ。

 

「ドントマインド! 気にするな少女よ!」

「同い年でしょーが」

 

 娘……絆もニカーと笑いつつ、翆の肩に手を置いてサムズアップ。

 もう片方の肩にも美鳩に手を置かれ、ドンマイ、と静かに言われた。

 葉山翆。

 高校時代の二年の時に知り合うことになった、葉山グループのイケメンリア充の娘。

 雪ノ下グループに関わる中で、知ってはいたけど知り合いではなかったそいつとは、二年の時に随分とぶつかった。

 陽乃さんとよく一緒に居ることについてを随分と突っ込まれたけど、まあ仕事の話だから無意味に話すことなど出来るはずもなく。

 そうして突っかかられている内にお互いを知って、現在では娘のバイト先に選ばれるくらいには知り合えた。カテゴリは……一応、ライバル的ななにかだ。

 一人称があーしという女王と結婚、お互い近い時期に子供を授かり、同級生だったりもする。

 ユキが笑顔で過ごしているのを見て、陽乃さんが自然に楽しく燥ぐ姿を見て、なにをどう受け取ったのかは知らんけど、高校三年のいつか、二人で飲んでいた時に“救われた。君のおかげだ”なんて言われた。

 あーしさんと付き合い始めたのはその直後だった気がする。

 ……あ、ちなみに飲んでたのはマッカンとブラックコーヒーだ。アルコールではない。

 

 ……で。ここまで振り返れば改まって確認するまでもないのだが。

 由比ヶ浜結衣は、苦手だった運動も料理も勉強も見事に習得。ご褒美を前に出された彼女は実に強く、隣を歩いてくれた。

 そんな彼女の現在は二児の母にして俺の奥さんであるわけで。

 秘書時代でも現在でも……いや。ずうっと昔から俺を支えてくれる、本当に“有り難い”大事な人だ。

 言った通り、グループだった全員が好きなものや夢を叶え、現在はその道の先に立っている。

 当然結衣も───

 

「結局、全員の夢や好きなことの先が叶ったわけだけどな。誰が一番苦労したのやら」

「えとー……あたしか八幡?」

「それはなにか、俺がそんなに手強かったってことか」

「うん。それはそうかも」

「……自覚があるだけに否定できないな……」

「でもさ、八幡だけが、あたしだけがっていうんじゃないんだよね、たぶん。いろんなことが重なって、手を伸ばしてくれる人が居てさ? 出会えた人が居たから……こんなに早く、立派な喫茶店が建てられたんだから」

「そもそも結衣の親父さんが俺のことを邪険に扱ってなけりゃ、あの宝石も見つからなかったってことで……まあ、物凄く嫌な巡り合わせだな」

「あ、そっか……八幡があの宝石を見つけてなかったら、あたしたちってHARUNOブランドで働いてなかったかもなんだもんね」

「なかったかもというか、無理だったな。そもそもユキとの接点が持てなかった」

「あー……そだねー」

 

 苦笑をこぼしながら、今でも変わらず俺の隣に居てくれる彼女は、俺の心の支えだ。それをあの頃のように弱くなったな、などと受け取るかどうかで、自分の歩んできた道の重さが変わるというのも面白い。

 もちろん俺は弱さとしてじゃなく、喜びや幸福としてそれを受け入れる。

 ひっどい過去があった。

 人を信じて人に裏切られ、人から離れようとした場所で出会った人が居て、築けた関係があって。

 なにに感謝するべきなのかを考えて、仲直りをしたいってだけで同じ高校を目指して頑張ってくれたこいつに、俺は───

 

「おおっ……お父さんがキスしたい目になったよ美鳩……!」

「うん、きっとここで熱烈にするんだろうね。ぶっちゅぶっちゅ」

「うわー……うちンところの父さん母さんだって子供の前ではやらないってのに。相変わらず旦那さんと奥さんって愛し合ってんね」

「ンもちろんさァ☆ なにせ、宅のラヴ夫婦は些細なことで互いに惚れ続けているツワモノさんだからね。いやでも、この忙しい喫茶店運営しながらさ? わたしたちを育て上げた努力と根性と腹筋には、この絆さんも脱帽ですよ」

「そうだね。この妹の美鳩さんも素直に脱帽です」

「あんたらは同じポーズで頷くな。ただでさえ双子すぎてどっちがどっちだかわかんないんだから」

「なーにをおっしゃる翆サン。わたしが絆で」

「わたしが美鳩でしょ?」

「……あんたらもっと、特徴とか出さない? 一人称変えてみるとか、髪型変えるとか」

「どっちもサイドテールじゃん。右に結わうは絆の証!《バッ!》」

「左に結わうは美鳩の証!《ババッ!》」

『二人揃ってヒキガヤー!《どーーーん!》』

「あーはいはい、仕事戻るわよアホども。あーしも付き合ったげるから」

「この程度でげんなりするとは修行が足りん証拠よなぁ」

「精進が足りん! 出直せィ!!」

『ぬわっはっはっはっは!!』

「いーから仕事しろっつーの!」

 

 双子が翆に怒られ、しかし元気に燥ぎ回る。

 どちらか一方が物静かな性格、なんてこともなく、双子は実に双子であった。

 髪型も同じで顔も性格もほぼ一緒。一方で翆は葉山には似ず、あーしさんによく似ている。性格は……まあ、女王ではない。ぼやく様がとっても一色に似ているのは、こいつが菓子作りが好きで一色に憧れているから……だけでは説明つかないよなぁ。

 

「旦那さぁん……娘のことなんだからもっとツッコんでくださいよー……」

 

 と、そんな翆が疲れた顔で救済を求めてくるが、すまない、オチが読めてるから無理だ。

 

「言ったところで、その場では聞いてもすぐに忘れるだろ」

「あはは、そだねー。そこのところは自由すぎて困っちゃうかも」

「おっとそれはいけない。この絆、母を困らせるつもりは毛頭無し」

「もちろんお父さんのこともだけどね。じゃ、しょーがない、やりますか、絆」

「そだねー、美鳩」

 

 比企谷絆と比企谷美鳩。

 一卵性の双子であり、趣味はお互いの物真似とくる。

 結衣に似た可愛い娘なんだが、これがまたどっちも同じことをするものだから判断が難しい。

 ……まあ、直感でどっちがどっちだかがわかって、外したこともないのだが。

 

「あ、ところでお父さん、今日は夜に予約があるんだっけ?」

「ああ、学生の頃の知り合いが予約取ってる」

「へー……HARUNO関連?」

「おう、そんなところだ」

「よっし、じゃあ色紙用意しとかないと」

「友人にでも材木座のサイン、ねだられたか?」

「熱烈ファンらしくてさ。アニメ化が決まって大喜びで、学校でもやかましかったよ」

「ほーん……美鳩はそういうのはないのか?」

「ザイモクザン先生のサインなら、昔にいっぱい押し付けられたから。一応、埃がかぶらない程度には綺麗にしながら飾ってるけど」

 

 おお、そりゃああいつも喜ぶだろうな。

 

「わたしはいろはさんと会えるのが楽しみかな。あのお菓子界のカリスマとじっくりお菓子談義が出来るとか、わたしは恵まれてるよね」

 

 むふんと胸を張って、恵まれてますアピールをするのは絆だ。

 しっかし……未だに先輩先輩言って突っかかってくるあいつがカリスマね……まあ、仕事とプライベートは別ってやつか。実際、仕事では失敗は許しませんって感じなのに、仕事が終われば束縛から解き放たれた自由人って勢いだからなぁあいつ。

 

「サインって意味ではえっと……SAKIさんのサインも欲しがってる人とか結構……や、あーしもだけど」

「そうなんだ。翆ちゃんもねだられたりした?」

「あ、いえ、あーしはべつにそれほどでもないっていうか」

「ミドリーニョは学校では遠巻きされてるからね。友達がわたしたちしか居ない」

「頼んでもいないのにあいつらが勝手に誤解してるだけだし、そもそもミドリーニョ言うな」

「両親が綺麗で、しかも雪ノ下の顧問弁護士をやってるあの葉山の子、なんてことで、みんなから距離を置かれてるんだよね。わたしと絆はまあ、肩書なんかで人を選ばないからズカズカ入っていくけどね」

「それ以前に幼馴染で友達だからね、余計なちょっかいどんとこい!」

「……あんさ。ウチの親も言ってたけど、HARUNOブランドの社長の秘書をずっと続けてたってだけで、そこらの社員や弁護士よりよっぽどすごいって。そこんとこどうなん? 絆」

「わっはっは、我が儘な人だからねぇ、プレジデント・はるのんは。いきなりやってきては今日泊めてーとか言って、HARUNOブランドの人ン家に突撃しては、空き部屋で寝ていくみたいだし。昨日はウチだったわけだけど」

 

 陽乃さんは基本、自由である。

 ふらふらと動き回っては、急に来て泊めてーと。

 その前は川崎のところだったらしく、小町から“陽乃さんが来たー!”って連絡があったくらいだ。

 金は持っている。腐るほど。しかしながらわざわざ使うつもりもないのか、肩の荷を下ろすような場所は作らず、飛んでは羽を休める渡り鳥みたいな人だ。

 

「前置きは置いといて、うん。ウチのお父さんはスゴイよ? 感情論とか苦手だけど」

「そうそう、人が考えてることとかはよく拾ってくれるのに、感情論とかになると妙なところでヘッポコだったりするね」

「友達は少々だったりするけど……限定的で、なんでか力を持った人の知り合いが多いとことか不思議で」

「人数は多くない分、深いところで解り合ってる友人が居る、みたいな感じ?」

 

 ……ていうかさ。なんでこの子ら人の話とか楽し気にしてるんだろうね。

 いいから仕事して? ほらほら、誰か来たみたいだから───

 

「《カランカラン……》こんにちは、お邪魔するわね」

「あっ───ゆきのーーーん!」

 

 ……ユキだった。

 いや、ユキどころかその後ろにはHARUNOブランドの仲間連中がぞろぞろと。

 

「もははははは! 久しいなぁ相棒! 今宵も貴様の目は腐っておるかぁ!」

「開口一番叫ぶなやかましい。今宵どころかまだ昼だろうが」

「あふん、相変わらず我には厳しい……いやまあ、その飾らない在り方が今は嬉しいものだが」

「ん? ……なんだお前、また太った?」

「むぐっ……うむ。実は痩せた上に稼ぎが増え続けた結果、財産ばかりを狙うおなごに迫られるようになり、軽く人間不信でござる……。今となってはこの集まりが我の数少ない癒しという有様……」

「お前も苦労してんのな……」

「HARUNOの名の下に集いし者に、苦労せぬ者などおらんだろう」

「まあ、そりゃそーだ」

 

 他のやつらが絆と美鳩と翆に挨拶する中、わき目もふらずに俺のところに来た材木座、どんよりの発言であった。

 「リア充って、モテてウハウハってだけじゃなかったのね……」とかマジトーンで言うの、やめれ。

 

「つーかお前ら、よく毎度毎度休みが合わせられるよな」

「あはは、八幡? 休みは合わせるものじゃなくて、取るものだよ」

「……彩加も随分逞しくなったな」

「編集って思ってたより大変だからね……人との関係で悩んでた八幡の気持ち、本当によくわかるんだ……」

「彩加の場合、人との関係で悩んでたって意味では、俺と出会う前でも変わらないだろ」

「うん、それでもだよ」

「はーあー、わたしもはるさん社長みたいに、お店を任せてのんびり出来るようになりたいです……。先輩、いい方法とかありませんかー?」

「そういうのはユキに訊け」

「あら。あなたを頼った相手をいきなり人に任せるなんて、随分と薄情に成長したものね」

「一応客が居るんだから、あんまり絡まんでくれって合図だよ、拾ってくれ頼むから」

『わかっててやった』

「お前ら帰れ」

 

 気心が知れるってのは、案外悪くない。

 悪くないが、相手も結構遠慮しないから、妙なところで……まあその、毒気ってのを抜かれるっていうか。

 悪いことじゃないよな。ああほれ、つまりは悪くない。

 ともあれ全員が思い思いの場所に座るのを見届け、客が帰れば店じまい。

 娘たちに店の前の看板を“open”から“closed”に変えてもらい、貸し切り状態にした。

 ……いやまあ、実のところ、金は全然余裕あるし、無理してやらんでもいいくらいには稼がせてもらってる。

 が、まあ……こういう時もあるし、結衣と一緒になにかをしたいって思いもあったのだ。

 むしろ子供の頃から働いてた所為で、働いてないと落ち着かない。働き過ぎの弊害ってやつだな、おう、全部ウチの両親と陽乃さんが悪い。

 

「………」

 

 仲間と呼べる人達にコーヒーを求められ、慣れた手つきで心を込めて淹れてゆく。

 ミルを回す時は、なんとも静かにものを考えるものだ。

 思い返すのは過去ばかり。

 目まで腐らせたいつかののちに出会えた、たくさんのありがとうの記憶だ。

 仲間の喧噪が店内に響く中、それに紛れ込ませるように「ありがとう」を呟く。

 それは予想通り誰にも拾われず、けれどそれでよかったから俺は笑って……唯一拾ってくれた妻に笑顔を向けられて、自分の笑顔に照れと恥ずかしさが混ざるのを実感しながら。

 今日もまた、見えないなにかに感謝した。

 

  まちがっていても、辿り着けるなにかがある。

 

 ずっと昔に求めたなにかに、人を信じたために目を腐らせた馬鹿な男が名前をつけよう。

 陳腐だろうし格好いいわけでも心惹かれるものでもない。

 中二をこじらせれば逆の名前の方にこそ心惹かれるのだろうそれを、それでも俺は。

 

「こういうのを……本物っていうのかな」

 

 ……自信たっぷり言えない自分を情けなく思う。

 自分がそう思いたいだけなんじゃないかって、まだ強く言えない。

 そんな俺に、彼女は寄り添いながら言ってくれる。

 

「うん……誰が違うって言ってもさ、あたしは……それがいいな。本物だったらいいね、じゃなくてさ、これが……本物がいい」

「…………ああ」

 

 寄り添ってくれる彼女の肩を抱いて、しっかりと引き寄せる。

 途端に冷やかされるのに、邪魔をするなとも冷やかしはやめろとも言わず、この顔は勝手に笑顔になる。

 目はきっと治らない。

 疑うことが根元に染みついてしまった今、全てを信じて輝きだけを見つめる、なんてことは不可能だ。

 それでも、それでいいのだと。

 眼鏡でも隠せないほどに黒いものを見てきたとしても、新しい関係をどれだけ築き上げても離れていく人は居て、それでも最後まで残ったものこそが答えだというのなら。

 ……俺は。

 到れた今この時の光景こそを───

 

 

 

 ……なぁ、結衣

 

  ……ん。なに? 八幡

 

 ……出会ってくれて、ありがとう

 

  ……、…………うんっ

 

 

 

 ───独りぼっちで、人を信じてばかりだった馬鹿な子供が居た。

 世界は今よりも広く、楽しいことに満ちていて。

 知ることが楽しくて、知ったことを口にするのが楽しくて、眩しい世界を元気に走り回ったガキの記憶。

 

 いつからかそこに、信じていたヤツからの嘘が混ざって、それでも信じたいから信じて、傷ついて。

 それが裏切りだったと気づいた時には自分の周りは嘘だらけで、眩しかった世界は灰色の世界になっていた。

 やがて信じることをやめて、人が自分にくれるものは嘘でしかないと決めつけて、見る世界から色を消して歩む日々。

 あんなにも信じることが、駆けることが楽しかった世界は、歩くことが、疑うことが当然の世界に成り下がった。

 

 それでも……心の奥底では信じていたものがあって、探していたものがあって。

 そんななにかが今さらって言えるくらい今さらに、目の前にあることに気づいた時。

 俺はもう一度、あの眩しかった頃の世界を───本物と呼べる場所を、信じていける気がした。

 

  もう、駆けるには歳を取りすぎたか?

 

 浮かんだ自問に、馬鹿言えと自答する。

 独りじゃ走れないなら手を伸ばすさ。

 笑いながら、眩しさと一緒に走っていく。

 

 眩しいのはもう、場所だけじゃあなくなったんだから。

 




お疲れさまでした、これにて終了です。
いやー……続きは書かないとか言っておいてこれですよもう。
はい、というわけでこのお話は追記分です。
pixivで以前書いた“ごちゃ混ぜた結果”の流れのようなものですね。
っと、仕事の時間なので積もる話はブン投げてこれにて!
読んでくれた方に、ほんの少しのほっこりがあらんことを。


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やはりこの素晴らしい青春ラブコメ世界はまちがって祝福されている。
神秘の世界コノスバード


 嗚呼麗しきもっさり。
 お久しぶりです凍傷です。
 仕事だ用事だアーソレソレと時間を作れずぐったりでした。
 さて今回は、そんな日々を癒すためにも、仕事をしながらモヤモヤと溜めていた頭の中のアレコレをババンと書いてしまおうかと。
 というわけで。

 お題/安定のこもれびさん

 ある日、あろえさんにステキな絵を頂きました。
 凍傷は感激のあまり「ほうわー!」と叫び、丁度家族に見られて微妙なハート。大丈夫、きっともう忘れられてる。それでも緩む頬は抑えられない……ありがとうあろえさん!
 そんなお話もあり、ある日こもれびさんが仰った。
 二人ともあろえさんから素敵な絵を頂いて、これはなにか書かねば……と。

  ならば書くしかあるまいて!

 そんなノリだけで突っ込みます。楽しいか否かの保証は一切なしです。
 あ、今までのアロエ物語とお話はリンクしております故、ご了承くだされ。
 この素晴らしい世界に二次作を! ともリンクしているので、見ていない場合はそちらもどうぞ。

 この小説は俺ガイル×このすばのクロスで、ところによりアロエちゃんです。
 このすば原作7巻の内容のネタバレを含みますのでこちらも注意を。

 ところであなたにとって、異世界転移系といえばなんですか?
 凍傷は神秘の世界エルハザードです。
 禁酒禁煙でパワーアップとか、今にして思えば“先生にしてみれば”すごい等価交換的な能力でした。
 今ではデメリット無しで異能力が貰えるのがデフォルトと来ますから、先生も大変だったなぁ。

 関係ないけど最近、“異世界居酒屋のぶ”のゲーアノートさんの影響でタバスコナポリタンが好きになりました。前までタバスコ嫌いだったのに。
 なので、すき屋でチーズ牛丼頼んだ時も、アホみたいにタバスコ振ります。
 そのくせ生トマトは昔から大の苦手。いえね、食わず嫌いじゃなくてですね、子供の頃から現在に至るまで、食べると吐くんですよ、冗談でもなんでもなく。

「え? トマトが苦手? あっはっはっは! トマトなんてピーマンすら克服した俺の敵じゃないさー! そりゃあ食べるさー! 食べまくる俺さー!」

 で、実際食べたら吐きました。
 一時期苦手なもの克服期間がありまして、周囲に健康マニアとか呼ばれていた頃の話なんですが、昔苦手だったものや食わず嫌いだったものにとことん手を出してみよう!って頑張ったんですけどね。あえて言いましょう。トマトはラスボス以上の裏ボスであると。なんかもう僕の中でラギュ・オ・ラギュラって感じです。
 割と食べられるものが多かった中で、トマトだけは駄目でした。
 ……関係ない話で千文字使うなって話ですね。
 ではでは始めましょう! このすばっ!
 アニメ企画楽しみさー!


 たとえばだのもしもだの、たらればの話なんてのは人生には付き物である。文字を変えて、“憑きモノ”と言ってもいいくらいには、人生には付き纏うものだ。

 たとえばあの時ああだったら。ああ、そうな、もちろん俺にも経験がある。

 あの時ああだったら、こんな腐った目とか精神とか、してなかったんじゃねぇの? なんて、そんなことはしょっちゅう思うわけだ。

 しかしながら思うだけで、口にしたところで叶わないのも付き物なわけで。

 それらを上手く混ぜ合わせたそれを、人は日常と呼んでしまうわけだ。

 さて、そんな日常だが。

 たとえばそこに……早速たとえばを使うわけだが、たとえばそこに、俺達が常識として見るものの外から、別の何かと言える力が働いたならば、そこに常識を破壊する条件は整ったりする。

 そこをつつくのがラノベ要素であり、人がもしこうなら、こうだったらを具現した物語ってものだろう。

 さて本日、そんな要素がいつの間にか整っていた現状を憂い、筆を手にした俺なのだが。

 

  ……なにこれ。

 

 

     1

 

 石造りの街を馬車がゆく。

 おー、本物の馬車とか間近で見るの初めてだわー、などという、現状把握を脇にそっと放置した感想を胸に、少し途方に暮れる。

 

「……ふえ?」

 

 俺の他に、同じくその場に立っていた顔見知りが、なんとも間の抜けた声を漏らした。

 その隣に居る、同じく顔見知りの黒髪女性はひとり、自分の頬などを抓ったりしている。

 

「え? あれ? ……えとー……あ、あたし、たしか……あ、ヒッキー!」

「……現状把握より俺を確認するのが先とかなんなの」

 

 はいヒッキーです、とでも返せばいいんだろうか。

 いや、それよりも現状把握だろ。人のこと言えた状況じゃないが、優先はしよう。

 

「由比ヶ浜、雪ノ下、この景色に見覚えは?」

「ないわね」

「ない、けど……ヒッキーは?」

「おー、残念ながら同じくだ。ていうか見たことない服とか、ないわーって感じの鎧とか着てるやつも居るし、明らかに日本じゃねぇだろ」

「日本じゃない、って……ねぇヒッキー? あの人達普通に日本語喋ってるよ? てかさ、学校の帰り道だったのに日本じゃないとか、あるわけないじゃん?」

 

 おいちょっと? その“なに言ってんの?”って目、やめて? っつーか由比ヶ浜に冷静に諭されるって、なんだかすごく悲しくなってくるんだが。

 いやさ、わかるよ? 耳に届くのは確かに日本語だよ。ならここは日本だーって思い込みたくもなるわ。

 しかしまあアレだな。ラノベ脳で単純に考えるなら、これは異世界転移ってやつと見てまあ間違いない。

 この場合、なんらかの繋がりがあって飛ばされるのが例なわけだが……ほら、あれな? 勇者召喚然り、媒体召喚然り。

 ガッコのクラスごと召喚、なんてものはそのクラスに居る勇者脳なイケメンを召喚する際、クラスごとってのが大体だ。

 媒体召喚はまあほれ、タイプでムーンでフェイトな英霊召喚的なアレだろう。

 じゃあ、アレな。……この場合、俺達はどうして召喚されたんだろうな。

 等々を考えている最中も、雪ノ下は目をぐるぐると渦状に回しながら、こんな状況をなんとか把握しようと一生懸命だ。

 ラノベとかWEB小説とか読んでないと、こういう状況って受け取りづらいだろうからな。……読んでいた俺でも、現実として受け取るのが難しい有様だ。カッチリした小説しか読まないような真面目な人間にしてみりゃ、この状況は説明がつかんのだろう。

 

「あー……その、アレだ。……由比ヶ浜」

「? なに?」

「お前はその、ここ……どんなとこだと思ってる?」

「えーと……あっ、ほら、アレじゃないかなっ? 映画村~とか、時代劇とか撮影する時に使う場所! じゃなかったらえとー……こ、こみけ? とかがこんな感じなんじゃないかな。よく知んないけど」

 

 そっかー、知らない人のイメージだと、ここってコミケとかのコスプレブースに見えるのかー。

 ……マジか。

 

「雪ノ下は?」

「……夢、ではないのよね」

「こうまでリアルだとさすがにな」

 

 着の身着のまま、バッグも鞄も持っている制服姿で転移とか、なんという厄介なことを。

 確かに正装っぽく見えるだろうが、どうせなら部屋着とか欲しかったわー。

 口に軽く握った手を当てつつ、ぶつぶつ考え事を始めた雪ノ下をそのままに、まずはどうしようかと悩み始めた。

 こういうもののテンプレっつったらー……冒険者ギルドか。

 当てもないし、探すしかないよな。

 

 

 

     2

 

 とまあ、いろいろと話し合った結果、先立つものもなければ宿もない現状。

 結局、例に沿って冒険者ギルドを探すこととなり、現在はその冒険者ギルドだ。マジであった。

 で、そのギルド……なんだが。

 

「なるほど、それで路銀に困り果てていたと。ええわかります、わかりますとも。自分はやれば出来る天才なのだと思っていたというのに、いざ里の外へと出てみれば『思ってたのと違う』と口にしたくなる気持ち……!」

 

 ヘンなのに捕まった。

 ギルドに来て、冒険者になろうとしたら金が無くて途方に暮れていた時、これからのことで3人で相談、由比ヶ浜と軽い言い合いになり、ついぽろっと“ゆいゆい”と呼んだ途端だ。

 このちっこい赤いのが現れて、盛大に名乗られ、こうして何故か一緒の席に座られ、話されまくっている。

 

「しかしご安心を。こうして出会えたのも何かの縁。母であるゆいゆいと同じ名のあなたとの邂逅もまた、引力による出会いと言えるのでしょう。さ、これを」

 

 しかもその幼女、金っぽいものを渡してきた。

 え? やだ、え? なんか知らんが犯罪臭が漂ってきたんだが。

 おいやめろ雪ノ下、勝手に誤解して勝手に気持ちの悪いものを見る目で俺を見るな。

 110番通報しても通じないから、そのスマホ仕舞いなさい。

 

「ふふっ、礼には及びませんよ。この邂逅は定められたもの。縁を紡ぐことで、いつか困った時に頼ろうだなんてそんなことは」

「おいちょっと待て今なんつった」

「えと、うん、ありがとう、めぐみんちゃん。今はごめんだけど、お金、絶対に返すからっ」

「めぐみんです。呼び捨てで構いませんよ」

「あ、そか。あだ名にちゃんっていうのもヘンかもだしね」

「いえ、めぐみんです。これが本名ですが」

「!?」

「え───あ、そ、そっかー……あはは」

「おい。私の名前に対して何か言いたいことがあるなら聞こうじゃないか」

「それ、キラキラネームかなんかか?」

 

 雪ノ下が驚愕し、由比ヶ浜が顔を引きつらせてなんとか笑ってみせるが、それが気に食わなかったらしい。マジか、親にそんな名前をつけられてしっかりと胸を張れるって、もしや子供の頃からいろいろ仕込まれてるのか?

 それが当然ってレベルまで、おかしいとも思わず辿り着けるなんて、滅多なことじゃ無理だ。

 ん……しかしめぐみん。めぐみんか。……漢字の場合どう書くんだろう。あれか? 愛しさが眠ると書いて愛眠(めぐみん)とか。

 

「キラ……というのはわかりませんが、これが我が魂の名です。私からしてみれば、他の人の名前のほうがおかしいですよ」

「そうか? 八幡とか、わりとあるだろ。いいかどうかは別として」

 

 あー、ほら、アレな。“PON!とキマイラ”とか。

 自分の名前がおかしいって思ったら、まず他に同じ名前の人が居ないかとか調べるよな? 調べたよ。調べたんだよ、俺。

 そしたらまあまあ居たよ。……フィクションの中ばっかだったけど。

 

(この名前を知った中で、カッコイイだの羨ましいだなんて言ったヤツは居なかったけどな)

 

 いや、俺あれほどひでぇ性格してねぇとは思うよ? 捻くれてるとは思うけど守銭奴じゃねぇし、むしろ他人のためにお金が使える立派なシスコン兄貴よ? 他人っつーか身内じゃねーかとかそんな言葉は知らん。

 っつーかそれ言ったら俺の知ってるやつとかおかしな名前多いだろ。

 苗字と名前で読み方が並んでるヤツ多いし。葉山とか雪ノ下とか由比ヶ浜とか。

 

「いえ、大変偉大そうで格好いい名前だと思いますが」

「え? マジで?」

 

 やだ、格好いいとか初めて言われた……! しかもこの娘ったらマジで言ってくれてる!

 あざとい生徒会長がからかうために言うような言葉じゃなくて、本気と書いてマジだこの娘。

 ていうかこいつ、結構いいヤツなんじゃない? 困っている人を見かけちゃったら、なんだかんだ文句言いながら最後まで面倒見ちゃうような、仲間を見捨てきれないタイプなんじゃないのコレ。

 

「………」

 

 で。なんでこの隣のお団子は、俺が格好いいとか言われた途端に頬を膨らませてますかね。

 

「まあとりあえず、登録をしてきてはどうでしょうか。能力が優れていれば三千エリスなどすぐに稼げますし、なんならこの私が手伝いを───!」

「ん、まあ、そうな。んじゃ行くか。そのー……登録?」

「あ、うん。じゃあちょっと行ってくるね、えとー……め、めぐめぐ?」

「めぐみんです。私の、名前に、含むところがあるのなら、今、ここで、聞こうじゃないか」

 

 しっかりくっきり区切りつつもジリリと迫るちびっこに、由比ヶ浜、同じくジリリと引く。引きつつ、雪ノ下の腕に抱き着いて「ちょっ……由比ヶ浜さん、近い……というより巻き込まないでちょうだい……!」雪ノ下に、静かに勘弁してくださいオーラを放たれていた。

 さすがの雪ノ下も、中二的なノリは材木座で十分らしい。

 

「あ、あはは……あのね? 名前に文句があるとかじゃなくてさ、うー……その……」

「……。いえ、私も少々大人げなかったです。ではどうぞ登録を、ゆいゆい」

「あの、めぐみんちゃん? あたしね? 由比ヶ浜───」

「ふふっ、ええ、わかっていますよゆいゆい。ユイガハマとは世を忍ぶ仮の名。ついポロっとハチマンが口に出してしまったゆいゆい、その名こそがあなたの魂の名前」

「すっごい誤解だ!? ちちちちがうよめぐみんちゃん!? あたしはね!?」

「……ハッ!? 裏の名前というのも格好いいんじゃないでしょうか……! くっ、しかし名乗り上げは紅魔族の……」

 

 ぶつぶつ言うめぐみんをそのままに、さっさと登録を済ませに受付へ。俺が動くと、由比ヶ浜も雪ノ下もついてきた。

 美人のおねーさんのところに冒険者たちが並んでいたが、べつにそこでなきゃいけないわけでもない。

 これがスーパー等のレジ待ちであるならば、専業主夫を目指したかつての目利きからしてもきちんと選ぶところだが、べつにおねーさんがベテランで、空いてる男性職員が新人ってわけでもないだろ。

 誰かを待たせている時は効率よく。これ、人間の知恵。

 ちなみに、すぐに戻りたくない時は、フツーに長蛇の列にレッツゴー。これ、ぼっちの知恵。

 

  そんなわけで、登録をしたのだが。

 

 俺氏、盗賊に向いていると言われるの章。途端、雪ノ下、顔を背けて呼吸困難になるほど静かに爆笑。

 警戒だの気配察知だの気配遮断とか潜伏とか、教わったわけでもないのにスキル欄に入ってた。やだもう恥ずかしい。ジョブに属してなくてもスキル習得済みとかなんなの? かといって48のぼっちスキルと52のひねくれスキルがスキル欄にあるわけでもない。

 まあそれは置いておこう。置いておかないと話が進まないんだよ、言わせんな恥ずかしい。

 というわけでアレな。ファンタジーに来ておいて、魔法を使わないとかねぇだろ。ねぇよな? はい、ないってことで。

 そんなわけで、苦労することになろうが冒険者一択。器用貧乏になると言われたが、それでも魔法は譲れん。

 ウィザードにもなれるそうだが、使える能力や魔法が相当偏るらしい。こんなところで国語が強く数学に弱い弊害が……!

 さて、そんなわけで最弱職と言われている冒険者になろうとしたわけだが……盗賊の他に、魔力が強いのでアークプリーストをオススメされた。そこはアークウィザードじゃねぇの? いや知力より精神力が高い自覚はあるけどさ。魔力って精神力依存なの? 男なら誰だって、一度は自分が主人公の世界を思い描くと思うが、回復職の主人公って……。いや、なれる方が珍しいとか言われちゃったから、ついポンと飛び込んじゃったけど。聖職者の道。

 ああ、まあいい。で、雪ノ下と由比ヶ浜は?

 

「………」

 

 由比ヶ浜は、受付さんに知力が絶望的に低いと言われ、ヘコんでいた。めっちゃヘコんでいた。

 運も低め、筋力なども低い、器用度は高く、生命力と敏捷性は無駄に高い。

 そういやこいつ、腕立てもろくに出来ないほど運動音痴だったっけ。

 勉強できないヤツって、普通体力馬鹿とかそういうパターンがあるだろうに、どこまで期待を裏切らないポンコツさんなのやら。

 結局冒険者にしかなれず、しょんぼりしていた。

 ぽしょりと「魔法使いたかったのに……」とか言っているあたり、やっぱ女子って魔法少女に憧れる時期とかあったりするのかしらん?

 雪ノ下は……筋力、低し。生命力、低し。知力、めっちゃ高い。魔力、低し。器用度、めっちゃ高い。敏捷性、高し。幸運、低し。

 ……なんでこんな極端なのこの娘たちったら。人のこと言えねぇけど。

 

「アークウィザード一択、と言われてしまったわ……」

「うー……いいなぁゆきのん。あたしなんて冒険者なのに」

「俺なんて男なのにアークプリーストだぞおい……」

 

 守護(まも)られ系ぼっちとかないでしょ。楽して暮らしたいとは常々思っていたが、ヒモになるつもりはないのだ。相手からもらうだけってのは絶対によくない。

 つか、こういう回復職って王道だとヒロインの役割だろうに。

 え? 俺もしかして、立ち位置的にはお姫様? ……やだ、かつてないショック……! でも否定できない……!

 

「しかも聖職者っぽいのに盗賊スキルを常備ってなんなのもう」

「あら。実にあなたらしいスキルじゃない。気配に敏感で影が薄くて無駄に器用。あなたという存在が、この世界では盗賊扱いと呼べると言っても過言ではないのではないかしら」

「おいやめろ。……マジやめろ」

 

 比企谷八幡と書いて“とうぞく”とか冗談じゃない。

 そういうのはダンジョンで出会いを求める物語だけにして? 猛者と書いておうじゃとか。

 しかしここで意外な事実。

 なんと由比ヶ浜、ステータスはめちゃくちゃ低い割に、スキルポイントだけは呆れるほどに存在していた。

 こうなれば、スキルの覚え方を受付さんに訊いて、せめてスキルで固めていくしかないだろうと軽く勉強させてもらったのち、めぐみんの待つ席へ。

 

「終わりましたか。どうでした? ソードマスターなどの上級職ならば嬉しいのですが」

「あぁそりゃ残念。アークプリーストとアークウィザードと冒険者だよ」

「……どこかで聞いたようなメンバーですね。クルセイダーが居れば完璧じゃないですか」

 

 冒険者っていっても、スキルポイントだけがぶっ飛んでいるけどな。

 ちなみに俺の初期スキルポイントはというと、8だった。なに8って。名は体を表すとかこんな時にだけ欲しくなかったわ。ないわー、マジないわー。

 戸部の真似なんぞしつつ、早速8程度で覚えられる回復魔法はないかと訊いてみると、初級魔法、補助魔法しか奨められないとキッパリ言われた。

 ……まあ、俺TSUEEEEなんてのは小説の中だけだ。

 自分が選ばれし主人公だー、なんて状況などそうそう起こる筈もない。

 ……などとは思ってみても、地味に落胆が強かったらしく、テーブルに肘をついて落ち込む俺。回復魔法じゃなくて攻撃魔法ぶっぱなしてみたかったわー。

 なんだよ、リアルがろくなもんじゃねぇんだから、幻想でくらい持ち上げてくれたっていーじゃない。なにこれイジメ? 異世界だろうと比企谷くんには厳しくしましょうとかみんなで決め事でもしてんの?

 

「んっ、よしっ……じゃあ、こーしんっ!」

 

 さめざめと泣きそうな状況の中、由比ヶ浜が冒険者カードをいじってなにかを修得しているのが視界の隅に見えた。

 宴会芸でも修得したんだろうか。俺としてはアレだな、理解力スキルとかがあるなら是非修得しろと奨めたい。

 なんだったら勉強的なスキルとかどうだろう。受付の人によれば、剣術スキルを取得すれば、経験がないのに剣の扱い方が理解できるっていうじゃない。

 なにそれずるい。が、そう思うからこそ、由比ヶ浜もそういった“補うスキル”を取得したんじゃないかと思ったのだ。

 ていうかさっきから雪ノ下の私に構わないでちょうだいオーラがすごい。ぼっちの俺より我関せずモードだよ。

 

「おおぉおっ……! 疑うこともなく、迷わず修得してくれるとはっ……! ゆいゆい、これは奇跡の邂逅と言えます! そうですよ、それだけスキルポイントがあって、何故躊躇する必要がありますかっ! さあ同士よ! 同志にして同士ゆいゆいよ! ともにっ……ともに爆裂道を歩もうじゃないですかっ!!」

「え? う、うん? ばく、れつ?」

「おっとそうでした、まだ詠唱を教えていませんでしたね! 大丈夫です! 私は一言一句違えることなく覚えていますとも! あ、その前にこちらの……そう! この詠唱短縮と爆裂系魔法威力増強を取得しましょう! はい……はい! では早速詠唱を!」

「や、やー! ちょっと待ってめぐみんちゃんっ! よくわかんないから待って! ちょっ……ヒッキー! ヒッキー!?」

「はいヒッキーです」

「あ、あのさ? めぐみんちゃんに───」

「めぐみんと呼び捨ててください同志ゆいゆい!」

「どっ……!? えっとヒッキー、これは違くてっ……えと、えとね? なんか覚え方を教えてもらって、めぐみんちゃんがこーまぞく? ずいーちの魔法使いっていうから、魔法教えてもらったんだけどねっ? そしたらめぐみんちゃんの様子が急にかわって……!」

「由比ヶ浜、ちょっと冒険者カード見せてみろ」

「え? う、うん、はい」

 

 心配そうな顔で出される冒険者カード。

 何故か文字が読める俺だが、そのカードには……取得済みスキルとして爆裂魔法『エクスプロージョン』があり、他のポイントは全て詠唱短縮と爆裂系魔法威力増強に振られていた。

 爆裂魔法の修得に必要なポイントの高さにも呆れたが、それを修得してなお余っていた由比ヶ浜のポイントにも驚愕。

 しかしその全ても爆裂魔法のために振られており……ようするに爆裂魔法極振り状態で、このカードは満たされていた。

 ……アレだろうか。爆裂魔法ってのはそんなに使えるものなんだろうか。

 こうまで自信満々に奨めてくるってことは、期待していいんだろうが……しかし他の魔法やスキルを一切無視で奨めるほど、いいものなんだろうか。

 ちらりと見た由比ヶ浜は、代わりに俺の冒険者カードを見てにこにこしている。

 やがて雪ノ下と見せ合いっこをして───ってやめて? それあなたのじゃなくて俺のカードだから、見せ合いなんかしてもしょうがないでしょ?

 ほらみろ、雪ノ下がスキル項目見て、また笑ってるじゃねぇか。

 盗賊系聖職者ってなんだよ、もうわけわからん。

 で、確認し終えた雪ノ下が何故かめぐみんにまでカードを渡してしまい、

 

「……ハチマン。アクシズ教に入るのだけはやめてくださいね?」

「いきなり言われてもわけがわからんのだが」

 

 そんなしみじみ言われなくても、盗賊系聖職者が入れるような教団なんてあってたまるか。……ないよな? え? あるの?




 あとで本編にて説明はありますが、あえてここで。
 タイトルがエルハザードっぽいこともあり、この三人には異世界転移における異能力があります。
 異能力というよりは転移特典みたいなものですが。

 ヒッキー=PTのHPMPをブースト(最初からHPMPが多い)
 ゆきのん=PTのスキル習得ポイント半分(部活メンバーのみ)
 ガハマさん=スキルポイント寄贈(自分のみ)
 アロエ=???

 といった感じ。
 ヒッキーの特典は、レベルが上がってもHPMPはそのままで、その最大値に見合ったレベルになるまで一切の変動無し。
 ゆきのんの特典は奉仕部メンバーのみ、スキルを習得するためのポイントが半分になったりする。
 ガハマさんのは最初からスキルポイントのみたくさんある。
 なんて甘々設定です。

  閲覧設定で前書き後書きをOFFにしている人には伝わらない設定ですね!

 さて、件のあろえさんから頂いた絵ですが、もうほんと心からありがとうございますです。
 
【挿絵表示】

 それしか言う言葉が見つからないとジョニィっちゃうくらいに感激です。
 そもそもこのお話を書こうとしたきっかけがこれですからね。
 書こうかどうしようか悩んでいた時に数行のやりとりをこもれびさんが書いたのが、僕にスタートを切らせた原因ですけど。
 ガハマさんもそうですが、左上のアロエちゃんのシルエットもステキ。
 ではまた次回で。


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カエルを狩るモノたち

 異世界もので“異次元騎士カズマ”というものがあるらしい。
 まるで佐藤和真の冒険譚を記した伝記のようにも見えるが、そもそもカズマさんは冒険者であって騎士ではない。
 なお聖戦記KAZUMAというものもあるが、そもそも聖戦なんて繰り広げていないので関係はない。

 異世界モノ……思い出すのはNG騎士ラムネ&40。
 アニメで放送した当時、名前の由来とかまるっきりわからんかった。正直今でもよくわかってませんです。
 守護騎士の数とか破壊戦士の数とか四天王の数とかいろいろ足すとアラ不思議って話もありますが、当時はそんなこと気にせず視てました。
 俺は今っ! 猛烈にぃっ! 熱血してるゥー!!
 このお話は、そんな熱血とは程遠い残念な物語である。

 なおタイトルの由来はエルフを狩るモノたち。
 オオカミ(チョーさん)の回とガリーライスの名前は多分きっと忘れない。
 サブタイトルは大体、異世界転移や異世界から転移系の作品のタイトルをもじったものになります。
 このすば原作と似たようなアレです。


     3

 

 早速と言うべき状況。

 めぐみんのオススメで、3日以内にジャイアントトード5匹を討伐、というものを受けて、街の外へ。

 

「ねぇねぇゆきのん、トードってなんだっけ」

「カエルを英訳したものよ」

「? あれ? カエルってフロッグじゃなかったっけ?」

「フロッグは小型のもの、トードは中型から大型のものを指すの。ジャイアントトード、ということは、よほど大きいカエルということでしょうけれど……想像がつかないわね」

 

 ファンタジー。ジャイアント……巨大なカエルときた。ジャイアントフロッグじゃないことから、恐らくはハンパじゃない大きさだ。

 なにせギルドの受付の説明で、家畜を丸飲みするとか教わったし。何それ怖い。

 けどまあ初心者が最初に受けるものだとか聞いたし、受付の確認も取れた。めぐみんが初っ端から難題をけしかけたって線もない。

 だったら名前の割には楽に討伐出来るものなんだろう。

 セオリーだのテンプレだのの薬草採りは、街の周囲が平和だから問題なく採取できるために必要じゃないそうな。出来ることなら薬草採取で、大金持ちになるまでちまちまやっていきたかったわー……。

 

「………」

 

 で、街の外に出てきたわけだが。

 

「うわーはー……! すっごい眺めだねー……! なんかさなんかさっ、ピクニックとかしたくなるよねっ!」

「……Windows」

「ぷふっ!」

 

 由比ヶ浜が起伏のある平原を眺めて言う中、俺がぽしょりと呟いた言葉が雪ノ下の笑いのツボを刺激したらしい。まあね、キミノーパソとかよく見てるし。

 たまには画像とか変えてみるのもいいかもよ? ていうか起伏があるのに平原とはこれ如何に。高原? それも違うしなぁ。

 

「ではみなさんっ! ここからは既に戦場……! 一瞬の油断が命取りになる場所であると覚悟を決めてください!」

 

 下段ガードを固めていれば隙が無さそうだな。しかし、油断って言ってもな。モンスターらしきものもべつに見えな───

 

「………」

 

 ……ん? あ、うん? あれ? 目、目ぇ腐ったかな。あ、それ元からだ。目ぇ疲れてるのかな。

 なんか起伏の一部だと思ってた場所が蠢いて、なにやら跳ねてこっちに来るんだが。

 え? ちょ、ちょっと? いやちょ……冗談でしょ? 冗談だよな? じょっ……、……マジか。

 

「ねぇねぇゆきのんっ、ヒッキー! 今度おべんととか作ってさ、ここに───」

「───、……っ……」

 

 にっこにこ笑顔で景色をべた褒めしつつ、雪ノ下にピクニックについてを語る由比ヶ浜。

 その視線の先の雪ノ下は、息を飲み、息を詰まらせ、驚愕を顔に貼りつけていた。や、それはたぶん俺もだ。

 

「? ゆきのん? ヒッキー?」

「空気読めとは言わんから……むしろ今はその明るさに救われてるとこ、あるからな……由比ヶ浜。その……な? ちょっと……後ろ、見てみれ? な?」

 

 驚愕と恐怖、現実逃避したい心に前を向かせるのに必死で、言葉がヘンになるのは仕方がない。

 そのくせ、由比ヶ浜にそう促しつつ、俺は静かに耳を塞いだ。

 

「後ろ? 後ろ───って…………、……───ひ、くっ」

 

 息を飲んだ。直後、爆発。

 絶叫、泣き声、悲鳴、なんかいろいろ混ざってそうな、言葉に出来ない声が放たれ、次いで雪ノ下に抱き着いてそれはもう喚くガハマさん。

 ……あ、なんか冷静になれた。自分より動揺する人が居ると落ち着けるってほんとなのね。

 謝謝! 謝謝ガハマ先生!

 

「あー……で、だ。めぐみん。俺達はあのー……あぁ、なんだ。うん。あれ、倒さなきゃならんのだよな?」

「そうです」

「5匹?」

「そうです」

「……3日で?」

「そうです」

「一ヶ月にまからない?」

「だめです」

 

 締め切りの先延ばしを願う作家でも、そうは伸ばさんだろうことを言ってみた。当然無駄である。

 

「ち、ちなみに弱点、または耐性のあるものとかはあるか?」

「魔法全般に弱いですね。鎧など、消化できないものを着込んでいれば襲ってこないと言われています。物理……打撃攻撃はほぼ無効化するので、打撃は無駄です。切断ならばいけると思いますが」

 

 俺氏、早くも戦力外通告。

 いや、俺も雪ノ下も、気のいいプリーストさんやアークウィザードさんに補助、支援魔法、回復魔法、中級魔法とかを教わったりはしたよ? 中級魔法を教えてくれた女の子がかなりどもりまくって、なんでかめぐみんにからかわれまくってたけど、ともかく教えてもらった。

 冒険者なら余計にかかるコストも、アークプリーストだと8でも大体覚えられたよ。

 でもさ、剣もないのに打撃無効って、《筋力増強(パワード)》使った拳くらいじゃどうにもならんわ。

 仕方も無しに、パニック中な由比ヶ浜の名前を呼んで落ち着かせ……落ち着……おち……落ち着けっての!

 騒ぐでもないが慌てまくってはいた由比ヶ浜の両肩を掴んで、俺の方への向き直らせる。

 バッ、と振り向く顔が正面に。勢いとともに溜まっていた涙が散って、潤んだ瞳が俺を見つめた。

 

「………」

「……ひっきぃ……?」

 

 で、なんて言えばいいんでしょうか。

 いや、俺この場で一番の雑魚じゃないですか。そんな奴が“お前が頼りだ、喚いてないで戦え!”とか言えと? やだちょっと俺そこまでクズになりたくないんですけど?

 俺はこう見えても専業主夫志望だ。たとえば、この島、この部族の戦闘をいくら妻の仕事と喩え挙げたとしても、自分が何も出来ない時点で、全てを任せてなにもしないとかは断じて有り得ない。ヒモではない、専業主夫を望む俺なのだから。

 なので………………言える言葉が見つからない……っ……!

 と、言葉に困りつつ、由比ヶ浜が何かを期待するような目で俺を見上げてきている状況の中。

 

「『ブレード・オブ・ウィンド』!」

 

 雪ノ下が、発動させた中級魔法を操って、こちらへ向かってきていた一匹を仕留めてみせた。

 

「うおっ……なにあれ、すっげ……! 言葉として、状況としては受け入れてたつもりでも、本物を見るとやっぱ違うもんだな……!」

 

 魔法、スゴイ。

 風の刃がカエルを斬り裂く光景を見て、素直に拳を握り、見蕩れた。

 するとどうしてだか由比ヶ浜が俺と雪ノ下とを交互に見ると、雪ノ下の隣に立って、スカートのポケットから一枚の紙を取り出した。

 ……そうだ、倒せることがわかれば、それだけでも心強い。

 ならば次はあたしだとばかりに、由比ヶ浜は紙に書かれた文字を読み始めた。

 

「んと、えとー……黒より黒く、闇より深きしっこくにー……!」

 

 ちなみに、あれはカンペである。詠唱を教えられても覚えられなかったんだから仕方ない。

 由比ヶ浜がちらちらと手元の紙を見るたびに、めぐみんが「もっと自信を持って! 自分の中に渦巻くものを解放するような気持ちで!」とアドヴァイスを送っていたりする。

 

「ばんしょーひとしくかいじんにきし、しんえんよりきたれ!! ───ひゃっ!? えっ、わっ、な、なんか体の中がヘンだよ!? 熱いのが爆発するみたいなっ……! ヒ、ヒッキー!」

「いやちょっ、こっち見んな! 暴発したらどうすんだよ! あっちだあっち! ちゃんと敵を指さして、相手にぶつける気持ちで───なんだったらアレだ! めぐみんが言ってたみたく、自分の中のなかなか表に出せないモンを叫ぶみたいに解放しちまえ!」

「表に出せない───……っ……!? ば、ばかっ! ヒッキーのばかっ! しんじらんない! もっと状況とかムードとか考えてよ!!」

「えー……? なんでここで俺が怒られてんの? つか、なんでムード?」

「うー……! でも……うんっ、よしっ! それじゃあ───『エクスプロージョン』!!」

 

 なにかを心に決めたらしい由比ヶ浜がジャイアントトードを指さし、魔法名を叫ぶ。

 すると由比ヶ浜の周りに集まっていた赤い輝きが空中に集ってゆき、やがて何段もの大小様々な魔法陣を作ると───その真下に光線を落とし、それが地面に激突するや“ちゅごどがぁああん!!”と巨大な爆発をうぉおおおあぁあああっ!?

 

「お見事ですゆいゆい! この、身を焦がすような熱と振動、そして破壊力……! 懐かしいものです、きっと最初の頃の私を見る周囲の目も、こんな感じだったに違いありません。肥えてしまった私の目では、この爆裂では高得点はあげられませんが……それでも! ナイス爆裂!」

 

 一歩前へ出て、その突風、その熱を身に浴びていためぐみんだったが、なにやら解説をしてから振り向きざまにサムズアップ。

 え? いいの? そう言っときゃいいの?

 しかしなるほど、こりゃあオススメするわけだ、破壊力抜群すぎる。

 これがあればよっぽどの敵でもそうそう負けたりは───

 

「……きゅう」

 

 ───しないだろうと思った矢先に、由比ヶ浜が倒れた。

 瞬間、あー、これあれだわー、と理解した。

 どうせあれだろ? 一日一発が限度ですとか、消費MPが高すぎて、ヘタすると生命力とかも削ってる~とか。

 

「いえ、放っても平気な人物を少なくとも二人は知っています。ゆいゆいはまだまだ魔力量が足りないということでしょう。……ついでに私も。───つまり爆裂道とは生易しいものではなく、しかし登り甲斐のある険しい山と言えるのです!」

「おい、今なんつった? 途中、小声で、しかも早口でなんか言ったよな? なんつったの? ねぇ」

「いえ別に。というわけでいよいよ真打登場です! 先に立つ者として、ここは最強最大のお手本というものをお見せしなければ! さあ、見るのですゆいゆい! これが、これこそが我らが歩む爆裂の、まだまだその過程でしかない究極です!」

 

 よっぽど魅せたかったのか、話の途中からめぐみんの目から赤い光が───夜のバイクのテールランプのように漏れ、いっそモンハンのナルガクルガさんが怒った時のように光の残像を残しつつ輝くと、めぐみんは既に詠唱を終えていたそれをいざ、マジックワンドを突きだした状態で───! ……あ。

 

「お、おいめぐみん! 後ろ! 後ろ見ろ後ろ!」

「ハチマン! いいところで邪魔をしないでください! 私は今! ここで! 爆裂道の先輩として、最大限に格好良くキメなければきゃぷぅっ!?」

「うおぉぁあああああああっ!?」

 

 先ほどの由比ヶ浜の爆裂魔法の音に驚いたのだろう。

 地中からもりもりと出てきたジャイアントトードが、マントをはためかせながらやかましく口上を披露していためぐみんにロックオン。

 いざ、と構えた彼女を後ろから、さらには頭から、一気にがぼりと膝あたりまで喰らった。

 

「ちょっ、ばっ……おぉおおお前が食われてどうすんだ!? おいちょっとマジどうすんだよ!」

 

 かつてない衝撃。そりゃそうだ。人が喰われる瞬間なんて見たことがない。

 進撃の巨人がどうとか以前に、漫画でもなんでもなく実際に目の前で人が喰われる瞬間とか、ほんと冗談じゃない。

 だから思わず女子に助けを求めようとしてしまう自分は、この場合仕方ないよな? だって俺、アークプリーストで、有効な攻撃系能力が対アンデッド系しかないんだもの。

 ……そこ。マジお姫様とか言わない。

 

「ゆ、ゆきっ雪ノ下っ、魔法でうおぉおおおおおいぃ!?」

 

 サブタイ:振り向けばそこに。

 MPを使い果たした由比ヶ浜を助け起こそうとしたのか、おぶろうとしたのか。由比ヶ浜を背に乗せたまま、自分まで倒れてぐったりしている雪ノ下が居た。ご丁寧にぜえぜえ言ってる。力を使い果たしたらしい。なんか静かだと思ったらなにやってんの!? ねぇちょっとほんともうなにやってんの!? 俺が言えた義理じゃないけど! 現時点で自分が姫様すぎて、なんの役にも立てない未来が描けて仕方ない俺だけど!

 

「……、……」

 

 ごくりと喉が鳴る。状況は最悪……しかしだ。やれることがないわけじゃない。

 まずは───

 

「《筋力増強(パワード)》! こ、のっ……ぉおおおっ! っ……うおぉおおおっ!」

 

 自分に筋力増強支援魔法をかけて、めぐみんが飲み込まれる前に足を掴み、引きずり出すと、そのまま逃走。

 途中で雪ノ下も由比ヶ浜も回収すると、雑だだのどうのと文句を言われようが逃げ出した。

 跳ねつつ追ってくるカエルから、泣き叫ぶのを必死で我慢しながら逃げ出した。泣き叫びません。だって男の子だもの! ……でも逃げるくらいは許してくれ。男だって人間なんです。涙だって笑って見逃してくれ、男だって泣きたい時に泣きたいもんなんだよ。

 途中で魔法効果が切れて、ぜえぜえ言いながらアクセルの門へと戻ってきた俺達。街に入れば大丈夫と、どこぞのRPGのような感覚で逃げ帰ったわけだが……これ、モンスターを引き連れてきただけの迷惑野郎じゃないだろうか。ヘタしたら街の人に恨まれない?

 

「はっはっは、随分と手古摺っているようだな。だが、死なずに戻ってきたのは満点だ。生きていればどうにかなる。また挑戦しなさい。───ふっ!!」

 

 ぞざんっ、と。そんな俺の考えなんて軽くぶち壊し、追ってきたジャイアントトードを斬り裂き、倒してくれた衛兵さん……マジ格好いいっす。パネェっす。どこぞの紅魔族さんとは大違いっす。もう一生ついていくっす。嘘っす。働きたくないっす。

 

……。

 

 そんなわけでギルドのテーブルに座って一息つき、早速反省会めいたものを始めたわけだが。

 あ? 由比ヶ浜? ちゃんと隣に座らせてるよ。負ぶりながら座れるわけないでしょ。可能かもしれんけど俺にそれを試す勇気はない。

 

「おい、ベテラン魔術師……。あれいったいどうなってんの……」

「ちょっとした油断です。まったく、口上途中の者を攻撃するなど、存在として不出来もいいところですよ」

「詠唱終わってたんだったらすぐ撃てたよな? なんでわざわざべらべらくっちゃべってたんだよ。そこんとこきちんと説明してもらうぞベテラン」

「ふっ……なにをわかりきったことを。……格! 好! いい! から! ですっ!!」

 

 よし行くか。

 立ち上がり、ヌベチャアとカエルの汁で濡れたマントを翻し、片手を胸に当てて元気よく叫ぶめぐみんをほったらかして歩きだす。

 特に感情らしいものも乗せない表情のまま、状態を持ち直した雪ノ下とともに、再び俺が由比ヶ浜をおぶるかたちでその場をあとに───しようとして捕まった。

 

「あぁああ待ってください! 今、カズマが居なくてすることもなく、暇なのです! カズマが国の姫様とやらに連れられて以降、アクアは豪遊するしダクネスは難しい顔をして出ていくし! わ、私だけでなにをしていろというのですか! どうしろというのですか!」

「知らん。どっかその辺でレッツ爆裂しててくださいむしろ服引っ張らないでください通報しますよごめんなさい」

 

 あと誰。カズマって誰。

 わからんけど、こいつの仲間ってことはきっと苦労してんだろうなぁって予想はつけられた。

 ちょっ……いいから手、離しません? 制服がカエル汁で汚れるからやめろ。なんで先に風呂行けって言ったのに行かないの! 行ってくれたら俺達もさっさと逃げられたのに! ……あ、それがわかってるからか。自分ってものがわかってんのねこの幼女。……わかってんなら改善してくれ、いやマジで。あ、それ俺もだわ。人のこと言えた義理じゃないわ。

 

「何を言うのですか。私とて爆裂魔法を放てば倒れてしまうのです。そうなったらいったい誰が私を街まで連れ帰るというのですか!」

「───」

 

 口を一文字に引き結び、振り向いてめぐみんの腕をきゅっと掴む。こう、由比ヶ浜の足を肘部分で抱え込むようにして伸ばして。密着度が増したけど気にしないでください。息遣いがうなじに当たったりとか弾力やばいとかいやいやそんなことは。

 で、腕の……こう、ここな。握力に関係する部位をきゅっと圧迫して、制服を掴んでいた手が緩むや逃走。

 しかし今度はおぶっている由比ヶ浜のリュックを掴んでくる始末で……ええい離せっ! 今さらだがもっと早くに気づくべきだった! こんな始まりの地点で気安く声をかけてくる相手なんて、面倒ごとを持ってくるやつって決まっていたはずだったのに……!

 

「はぁ……その。めぐみんさんと言ったかしら」

「はい、めぐみんですが」

 

 リュックから制服、制服から由比ヶ浜の体、と掴む場所を近づけてきためぐみんへと、振り向きながら頭を押さえつけることで近づけなくするんだが……ちょっとやだなにこの娘、無駄に力が強いんですけど?

 

「魔法を教えてくれてありがとう。私は別の人に教えてもらったけれど、あなたにはスキル習得は慎重に、という言葉を強く強く学ばせてもらったわ」

「いえいえ礼には及びませんよ。同志が増えてくれたのです。この出会いは私にとってもとても素晴らしい邂逅であったと言えます」

 

 皮肉たっぷりの雪ノ下の言葉を華麗にスルー。

 むしろ爆裂魔法という素晴らしい魔法を覚えられて、感謝されるということ=最高の賛辞と受け取っているっぽいこのちびっこはしかし、話す姿勢はとったものの、由比ヶ浜から離れない。

 どんだけ同志探してたんだこの娘。

 そんな幼女の顔面を右手で押し退け、引き剥がそうとしているわけだが……あ、だめ、なんか腕力で幼女に負けそう。なにそれ辛い。泣ける。

 しかしその手が不意に滑ったのか、その服が由比ヶ浜のリュックのチャックに引っかかり、一気にジャッと開けてしまう。

 あ、まずい。女子の鞄等を勝手に開けるとか、社会的に死ぬ。俺が。だから中身なんて絶対に見ない。見たら死ぬ。俺が。

 ゆ、ユキノシタ=サン? これ不可抗力だからね? 悪いのこの幼女だから。

 ……ん? しかし待て? そういえば俺達はそもそも、奉仕部に───

 

『……あろえ?』

 

 ───……後ろを見ず、リュックから全力で顔を背けてぎゅーっと目を瞑ってた俺の耳に、そんな声が届いたのは……そんな疑問を抱いた直後だった。

 そう、リュックにはアロエが入っていた。

 由比ヶ浜の、ではなく、俺が自室から連れてきたアロエである。

 小町のタイダルウェイブ事件から大分経つとはいえ、どうにも対人恐怖症(俺は除く)になりつつあったアロエの話題になり、平塚先生に一度奉仕部に連れてきてくれと頼まれたのだ。

 連れてきてくれと言った理由が……いや、平塚先生本人は必死に否定していたが、自分で育てていたアロエ達が出す話題が、婚約だの結婚だのに偏り過ぎていたからでは断じてない、らしいが。それ、答え言ってるようなもんだからね? 俺達がどんだけ気まずい空気を味わったと思ってんの。

 で、授業が終わり、奉仕部の活動が終われば帰るだけとなり、帰ろうとしたら───由比ヶ浜がアロエのことで話があると言い出し、雪ノ下もそれに頷き。まあようするに“アロエとの良好な関係の築き方に”ついてを教わりたかったらしく、「いろいろ教えてもらう代わりにあたしが連れてくよ!」とアロエをリュックに入れたのがそもそも。

 さて、思考を現在に戻すが、今の状況はそんなアロエを見ためぐみんの反応とは如何に、って状況だった。

 こんな世界だ、まさかモンスターだーとか言い出すんじゃ、と警戒したのだが、

 

「驚きです……他にも居たのですか」

 

 と、随分とあっさり受け入れていたようだった。

 ぎゅっと瞑っていた目を開き、振り向いてみれば、確かにアロエがいた。

 リュックが開けば目の前に他人さん。そんな状況に、アロエ自身は『ぴゃぁあああ……!』と悲鳴をあげてキョロキョロしだして、俺を見つけるやビワーと泣き出した。

 仕方ないので由比ヶ浜を下ろして雪ノ下に任せ……あれ? おいちょっと? 由比ヶ浜さん? 降りっ……ちょ、降りなさい! むしろ離せ! 普段キモイとか言ってんのに、体がダルい時だけ下ろすなとか調子いいこと言うつもりか! ……あ、俺も言ってみたいかも。

 言ったら言ったで小町あたりに蹴落とされそうだが。

 

「……、他にも、とは……めぐみんさん? まさかあなた、見覚えが……?」

「ええ、よく知っていますよ。屋敷の庭に居ますし。……ふわぁあ……! こちらも可愛いです……! な、撫でてもいいですか? いいですよね? 撫でますよ?」

「あー……それはアレか? 他人の空似的なアレじゃなく、水だの栄養だのをきちんといろいろ要求してくる系のアレか?」

「比企谷くん、アレかアレかとうるさいわ。解決したい疑問があるのなら、きちんとわかりやすい形で口にしなさい」

「この状況でどう冷静でいろってのお前……」

 

 異世界転移ってだけでも心のキャパにどっしり来てるんですけど? さらにはこの、女子を負ぶっているって状況。やっぱり息がうなじに当たる~とか、柔らかさがアレだとか弾力が───ん、ごほん。

 ともかくだ。

 由比ヶ浜の足を深く抱え直し、掌を上に向けた状態にして、雪ノ下に頼んでそこにアロエの植木鉢を置いてもらう。

 ……おう、重い。片手でアロエ在宅の植木鉢はさすがに重いわ。

 仕方ないので筋力増強魔法を静かに唱え、段落を。

 

「うし、そんじゃーな。まぁ、また会う事も……ないな。うんない。なさすぎてあきれ果てるまである」

「待ってください何をいきなり会話を終わらせに入ってるんですか」

「いや、終わっただろ。終わったよな? もう話すことなんてないだろ」

「アロエに関して話すことがあるでしょう! 何故あなた方がそれを持っているのかとか! ハッキリと言います。カズマはアロエと言っていましたが、私はこんな土から生える少女を見るのは初めてです。安楽少女というモンスターは知っていますが、それだけです。ここは一度、皆で考えるべきではありませんか? それが終わったらゆいゆいと爆裂魔法についてを昼夜問わずに語り明かそうと───」

 

 どう考えても後半だけが望みです本当にありがとうございました。

 うっすらと微笑みを浮かべ、愛想笑いをしつつ会釈をすることで静かにその場を去る準備をする。そしてそのまま静かに退場を───というところで雪ノ下に捕まった。

 

「待ちなさい比企谷くん。その……もしかしたらこの世界こそが、この子の故郷、ということは考えられないかしら」

「……はぁ。お前こそ冷静に考えましょうねぇ雪ノ下。そこの幼女が“他にも居たのですか”と言った。普通に考えて、一般的な存在じゃないのはわかり切ったことだろ。それ言い出したら、ららぽ前でアロエを売り出してたヤツが何者なのかが余計に気になるわ」

「彼女がたまたま知らなかっただけ、という可能性もあるでしょう」

「いえ。紅魔族は里である程度の勉強をしますが、学ぶモンスターの中にアロエのような存在はありませんでしたよ。別の存在としてなら知っていますが。というか彼女はモンスターという分類ではなくアロエです。カズマの魔物を感知するスキルにも一切ひっかかりませんし」

「魔物感知……そう。その───敵意がないから、という理由は有り得ないかしら」

「む。それを言われると断言はできませんね」

 

 そうして、やいのやいのと始まる問答。

 目の前に存在する現実としてでなく、知識として受け止めるや、それを判断材料として利用できる雪ノ下、マジパネェッすとか言いたい状況。

 

「うぅ……ひっきー……お水飲みたい……」

「いーからお前はまず下りない?」

「…………ゃだ」

 

 ぽしょられた。

 降りたくないらしい。まあその、別に俺はいいんだが。ほら、筋力増強してるから、視線以外はそれほど苦じゃないし。

 ただまあその、あー……いやげふんげふん。

 大変暴力的な弾力が背中にとか、そんなことは全然。女ってなんでこんな、いい匂いするんでしょうね。もう八幡わかんない。

 

「ともかくカズマが戻るまでは暇なので、私が冒険というものを教えてあげましょう。ええ、どうぞ大船に乗ったつもりで。こう見えても魔王軍の幹部連中と幾度も渡り合ってきたベテラン冒険者ですからっ!」

「「「───……」」」

「おい。そこで半眼になって黙る理由を聞かせてもらおうか」

 

 魔王軍幹部相手に立ち回れるくせに、カエルに食われるって何事だよ。初級冒険者が受ける依頼じゃなかったのかよ。レベル高すぎんだろあのクエスト。

 あー……はぁ、どちらにせよまずは地盤固めが必要だよな。

 依頼のこともあるし、レベルってものもあるらしいから初級脱却くらいはしておくべきだろう。

 

「ところで分類として知ってるアロエって、この世界じゃどんなのなんだ?」

「悪魔等が用いる、お尻からアロエが生える呪いですね」

「すまん訊くんじゃなかったわ」

 

 そんなわけで俺達は、めぐみんの案内のもと、この街での生き方というものを教わることになった。

 

 

 

 ───そう、それは快晴に恵まれたうららかな午後。

 

「『エクスプロージョン』ッ!!」

 

 それは、簡単な依頼を終えたあとの、外の様子を見るため歩いた昼下がり。

 

「───ロージョン』ッ!!」

 

 それは、天気雨の降るある日の静かな平原。

 

「───ジョン』!!」

 

 それは、トレインした蟻っころから逃げ出したのちの朝。

 

「ン゙』ッ!!」

 

 そのどれもが敵をおびき寄せ、集めてからの一撃であり、なるほど、確かに効率はとても、とてぇもよかった。

 ……ああ、よかったな。由比ヶ浜にだけ。

 当然現実に、仲間だからパーティーだからって理由で、経験値が振り分けられるーなんてことがある筈もなく。冒険者って理由でものすげぇ速さでレベルアップを果たしていく由比ヶ浜をよそに、俺と雪ノ下の伸びはイマイチだった。

 

「『エクスプロージョン』……!?」

 

 てか、由比ヶ浜の……冒険者のレベルアップ、めっちゃ速い。20レベルなんてあっという間だったわ。今もなお上がってる。

 

「『エックスップローォジョォン』!!」

 

 つーかだよ? 俺達そもそも、めぐみんからエクスプロージョンしか教わってねぇよ。冒険というものを教えてあげますとか言っておいて、エクスプロージョンしかやってねぇ。

 そのめぐみんも途中から、王都に行くことになったとかで餞別置いて居なくなったし。が……まあ、俺達も案外上手くやれているほう……なんだろうか。よくわからん。

 

「『えくす……ぷろぉじょん……?』」

 

 宿は借りられてるから問題ないんじゃねぇの? いや、俺はアレだよ? 節約のために馬小屋だから。女子二人は宿だけどな。ほら、最近物騒だし。いや一般論の話であって、こっちの世界の一般論なんて知らんけど。

 ……つか由比ヶ浜、言い方で威力とか変わらんと思うから、毎回発音変えるのやめなさい。

 

「『えくすぷろーじょん』……」

 

 え? めぐみんがそれも重要だって言ってた? 込める想いも必要だから、それは自分で探してくださいって? ……普通でいいから切なげに爆裂魔法放つのやめなさい。

 

「『エクスプロージョン』ッ!!」

 

 ん、それでいいから。……あ、一応カエル討伐はきちんと終わらせたから。近寄らせずに、地面に注意して魔法でかかれば案外楽勝ってことがわかった───矢先に食われて、自分が何かに食われるという恐怖を刻み込まれた。ああ、こりゃトラウマになるわ。




 書きたいものが多いのに時間がない……よくあることですよね。
 そんな時は設定だけがやたらと捗って、いざ書いてみると『思ってたのと違う……』ってなったりします。
 しかし書かないのもムズムズするのでとりあえず書いてみると、なんかやっぱり違うわけで。
 しかし重要なのは書き手がまず楽しむことらしいので、楽しんで書くことだけは忘れません。失敗することなんてよくあることですし。

 関係ないけど川柳少女、面白いです。
 ではここで1川柳。

  ポイ捨ては シンリンカムイが 許さない

 ヒロアカのコミックスを持ってる人ならまず知ってるアレですね。
 ところでヒロアカ二期を見てて、今さらフルカウルのアレでそういえばーと思い返すことがありました。
 常に全身にワン・フォー・オールを、って、つまり第一話でオールマイトが言ってたマッスルフォーム理論、プールで常に腹筋 力み続けてる人のアレだったんですね。
 妙に「そーゆーことかァアア!!」と納得出来ました。
 オールマイトも同じ道を辿ってたんだなぁって無駄にわかる一幕。
 単行本第一巻第一話を読み返してニヤニヤしてしまった……!
 グラントリノはトシノリは最初から出来たと言っていましたけど、要するにオールマイトにとってのフルカウルがマッスルフォームってことなのではと。そう思ったら無駄にワクワクしてしまって! ぼかぁ! ぼかーもう!!


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ゼロの使い悪魔

 フハハハハ! ただそこに居座って使いっ走りのように働く悪魔さん!
 敷金礼金一切無しともっぱらの噂! 報酬ゼロで地獄の公爵が雇えるポンコツ店主は実に幸運と言えるであろう!
 まあ余計なものを仕入れた際にはバニル式殺人光線が放たれるわけだが。

 ところで給料どころか店の家賃さえ危ない状況下で働くことを、果たしてバイトと呼ぶのだろうか。いや、店を潰さないためにも我輩が他所の店でバイトをしなくてはならない状態はバイトとは呼べぬであろう。
 約束があるとはいえ、我輩がバイトとして働く先には夢がある。
 その素晴らしき果てにてスカを喰らわせ、幸福から絶望に叩き落とされる瞬間にこそ……我輩は滅びたい。

 ああ、ちなみに今回、我輩は大して活躍はせん。
 原作6~7巻の流れが地味に混ざるので、知らぬ者は流れで読むか、または書店へ急ぐが吉である! 見通す悪魔、バニルさんがお報せしよう。電子書籍等ならば時に安値で売られる場合がある故、そういった時にこそまとめ買いをして楽しむのだ! フハハハハ、安いぞ!
 電子書籍には時におまけの話も混ざる故、そんな機会があったなら是非! ……といった風に話を混ぜてみるのが、あからさまマーケティングというものである。

 そんな小話。


     4

 

 ある日のこと。

 そういやアクセルの街のことを詳しく知らんかったという理由で、三人揃って街の散策をしていた時。三人揃ってっつっても、一人はとっくに爆裂魔法ブッパなした後だから、俺の背中でぐったりなのだが。

 

「おっとそこな目が腐った少年よ。暇であるなら是非冷やかしていくがよい。つまりはいらっしゃいである」

「初対面でなんて言い草だ」

 

 とある魔道具店の前で掃き掃除をしていた仮面の男に、店を見ていけと誘われた。

 仮面なのに表情に応じて目尻が釣り上がったり下がったりと……なんなん? あれも魔法具の一種なん?

 

「察しの通り、まあ似たようなものである。さあさまずはずずいと中へ入るがよい、己の家事スキルでは似たようなものなのに、専業主夫とヒモは違うと言い切りたい少年よ」

「ちょっと待てなんでそんなこと知ってんだ」

「フハハ、人生とはそういうものだからである。楽して生きたいと願い、苦を背負い生きたいと願う者と寄り添えればいとめでたし。そこより産まれる新たな命も、また環境故に良い悪感情を抱くことであろう」

「………」

 

 胡散臭い。この街には胡散臭い存在しか居ないんだろうか。

 そう考えるとギルドの受付の人とかめっちゃ親切ね。初対面なのに「目が腐ってますね」とか普通に言うけど。

 アロエの影響で元に戻ってたはずなのに、なんでかこの世界に来ると同時に戻ってたんだからしゃーない。

 

「ね、ねぇねぇヒッキー、糸目がどうとか言ってるけど、なんのこと?」

「勉強頑張れだと」

「へー……って、なんであたし初対面の人に応援されてるの!?」

「いと・めでたし、よ。由比ヶ浜さん。話の中で、利害が一致している人同士が連れ添えてよかった、ということを例えているのよ」

「へー……! って違うじゃんヒッキー!」

「あーはいはいすんませんねー」

「ヒッキー!」

 

 だから勉強がんばんなさいって言ってんだよ。

 ともあれだ。べつにスルーしてもいいんだが、こういうところにこそ掘り出し物があるのがファンタジーの常。

 ガンコ一徹な親父鍛冶師は良いものを打ってくれたり、家宝的な武器を持っていたり。あれってなんで主人公が扱う武器ばっかりか、訪れたキャラ専用武器ばっかりなんだろな。たまにはお連れの魔術師とかヒーラーが使う武器とかを置いてなさいよ。

 

「今この店の商品を買えば、昼に蠢き夜に囁くバニルさん人形を漏れなくプレゼント! まあ商品はちと値が張るが、一見の価値はあると思うぞ?」

「ねぇゆきのん、これってあれだよね? 新聞の勧誘とかのさ、特典つけるから契約しろって。や、やめとこ? べつのところに───」

「おっと待つのだ、そこな受付に知性の欠片もないと断言された恋する巨乳少女。なにも我輩は買えと言っているのではなく、中に入って見ていけと───」

「わー! わー! わー!! ななななに言ってんの恋するとかなに言ってんの信じらんない! ───てかなんで知ってるの!?」

「落ち着きなさい由比ヶ浜さん。その態度は今まさに恋をしていると言っているようなものよ」

「はきゅっ!? ……~……」

 

 うわー、顔真っ赤。自分の肩越しに真っ赤な女子を見るとか、どんな経験なのこれ。つか、やめて? 俺なにも言ってないでしょ? なんで涙溜めながら頬膨らませて、俺のこと睨んでくんの。

 あと雪ノ下、そこはせめて知性のこともフォローしたげて? この睨み、地味にそこも影響してるっぽいから。

 

「家計のために勧誘を警戒するその在り方は実に見事。良きお嫁さんとやらになるであろう。なんならこの全てを見通すバニルさんが、その将来を見てやっても良いが───まあいいからまずは商品を見るのだ。気に入り、もし買うというのであれば、少女よ。……攻略法をそっと囁くことも出来るのだが?」

「えっ……こ、攻略? それって、あの、えとー…………恋の?」

「ふふん、然り」

「───! は、入ろっ!? 入ろゆきのんっ! ほらヒッキーも!」

「お前なに囁かれたの」

「なんもささやかれてないってば! う、うん、だいじょぶ。ちょっぴり聞いてみたいだけで、そういうその、攻略は、自分でやんなきゃだし」

「?」

 

 首を傾げつつも、まあ中には入るつもりだったから歩く。

 中に入ってみれば、少々狭いかなと思うそこに、びっしりと商品が並んでいた。

 カウンターには色白すぎる女性。学生単位で年齢を喩えるなら大学生くらいか? 若いなおい、お手伝いなのか?

 

「い、いらっしゃいませっ、どうぞ見ていってくださいっ」

 

 お手伝いさん確定。どうも手伝ってます感が滲み出ている。

 仮に店主だとしても、普段からよっぽど客が来てないんじゃないかって思える態度だ。

 ……うむ。そして由比ヶ浜や雪ノ下さんに勝るあの双丘。見事である。

 男でごめんなさい。

 ごめんなさいだけど、心なし、由比ヶ浜の密着度が増した気がした。

 

「………」

 

 そんな事実から目を逸らしつつ、しかし意識は背中に集中させつつ……いや、げふん。ともあれ商品を見ていく。

 説明書きがきちんとあるが、衝撃で爆発するポーションとか空気に触れると爆発するポーションとか胃液と混ざると爆発するポーショ……爆発系しかねぇのかよここのポーション。

 ちょっとやめて? ポーションって俺の中じゃ回復とかそっちの意味合いの方が多いんだから。これ以上破壊力側に傾かせないで? 自分の中のファンタジーの常識が朽ち果てちゃう。

 

「あっ、そのポーションはおすすめですよっ? 投げて容器が割れると爆発するポーションでして」

 

 しかもオススメされちゃったよ。

 自信ありげに微笑まれてるよ。胸の前で合掌された手が傾けられて、なんか笑顔と相まって可愛いよちくしょう。そういう問題じゃないな。すまんかった。

 

「い、いや、もっとこう、効果が長持ちするとか、永続するようなものは……」

「そんな都合のいいものがあるわけがないでしょう。比企谷くん、自分の都合を押し付けて、お店の人を困らせるのは───」

「あ、でしたらこれなんてどうでしょう。飲むと胸が大きく───」

「───!! あのっ!」

「ひゃあっ!? え、え? あの……これに興味がおありですか? ですけど───」

「……、くっ……その。あ、あのっ───いえっ、その。興味があるわけではなく、けれどその……詳しく」

「えっ? え、えっ……えぇえ……っ?」

 

 ちょっと? おいちょっとー? 雪ノ下? 雪ノ下ー?

 抑えて、そこは抑えてー? 自分の都合の押し付けすぎて、お店の人がたじたじになってるから、抑えたげてー?

 

「あの、女性の方にはあまりおすすめしませんよ? 胸が大きく隆起して、力が向上するポーションですから」

「由比ヶ浜さん、爆裂魔法の準備を」

「やめてください!?」

 

 教訓。人の話は最後まで聞きましょう。

 

……。

 

 爆裂騒動の中、いや、ブッパしたわけじゃなく、抱き着かれてまで止めに入られた由比ヶ浜が驚いて、ぎゃあぎゃあ騒いだのちのこと。

 ぽろりと聞き捨てならない言葉が……結局店主だったらしいこのリッチーさんからこぼれたわけで。そう、リッチー。なんかモンスターだったらしいのよね、この店主さん。しかも元人間ときたもんだ。

 

「そう……。その若さで大変でしたね」

「えっ?」

「うん……でも大丈夫だと思います! 生きてるんだからいいことありますっ!」

「えっ」

「そうね。目が腐っていて、日陰に潜むように蠢き、将来の夢が専業主夫な、精神からしてゾンビのような人間でも生きているのだから」

「あ……」

 

 おい。なんでそこだけ“えっ”じゃないの。なんで俺の方を見て“ああ……”って納得顔しちゃってんの。

 納得しちゃったの? 俺の部分だけ納得しちゃったのちょっと?

 

「由比ヶ浜、爆裂魔法の準備を」

「だからやめてくださいぃ!! さっきも言いましたけど、私はリッチーですが別に悪いことをしているわけではっ!」

「黒より黒き、闇より深き漆黒に───」

「なんで素直に詠唱始めてるんですか!? ややややめてくださいぃいいい!!」

「わきゃあっ!? つめたっ! やっ、ちょっ! だだだ抱き着かないでー!! ヒ、ヒッキー! ヒッキー!!」

「おわっ……人の背中で暴れるなっ、ちょっ、重っ!」

「なっ!? おぉおお重くないし! ヒッキー女の子に重いとかほんっとでりかしーない!」

「デリカシー以前にお前に縋りついてる店主さんなんとかしろいえしてくださいマジきついから!」

「……はぁ」

 

 騒動をクッションに、どうせMP足りないから撃てもしないのに詠唱した由比ヶ浜が背から下りて、店主さんが用意してくれた椅子と丸テーブルにちょこんと座る。

 用意された紅茶をスズ……と飲んでは、由比ヶ浜が「あ、おいしっ……!」と表情を明るくし、雪ノ下は「淹れ方が違うのかしら……それとも茶葉自体が……?」と考察に忙しそうだ。

 あ? 俺? ……椅子、二つしかなかったんだよ。察してくれ。

 

「一応分類としてはアンデット側、つまりモンスター側な存在が店主って。つまり外のあのおかしな仮面の男も?」

「はい。私はリッチー……アンデッドの王と呼ばれるリッチーで、外のバニルさんは地獄の公爵さんです。大悪魔さんですよ?」

「…………マジすか……。え……? まっ……マジですか……?」

「比企谷くん……モンスターでさえ仕事をしているというのに、あなたという人間は……」

「やめて? お願いやめて雪ノ下。同じこと考えてたから将来設計が涙なしで語れない」

「むつかしい顔するくらいなら、働けばいいじゃん」

「ぐっ……」

 

 ほっとけ。なりたい自分になりなさいと、過去の超大作な物語における先人は散々語ってきたんだよ。で、俺は専業主夫になりたい。隙の無い人生プランな筈だったんだよ。

 こうして、死してなお、アンデッドに堕ちてなおお店を構えて働く人が居るとか知らなければ。

 なんなのちょっと、アンデッドとはいえ王様がきちんと働いてて、悪魔とはいえ公爵様が掃き掃除なんてものをやりながら集客熱心とか。

 ……やだ死にたい。軽く死にたい。

 しかも今、戦闘においても俺、ほぼヒモだよ。支援魔法を使ってはいるけど、べつになくてもやれることでもあるし。

 俺も雪ノ下もなんでかMP……魔力量はいっぱいあるから随分と撃てるけど、由比ヶ浜は……、……ん? そういやそもそも、爆裂魔法の消費MPっていくつくらいなんだ? レベル1で撃てるほど安くはないよな?

 ……あ。なんか少し見えてきた。俺達に異世界転移の特典があったとしたなら、それは多分……。

 じゃあそのー……あれか? 全員魔道士系でよかったといえばよかったのか? ……いいってことにしとこう。じゃなきゃ悲しすぎる。一人冒険者だけど。

 つか、由比ヶ浜の場合はあのポイントだけでも十分だろ。俺もあれくらい欲しかったわ。

 

「それでその、私がリッチーだということは……」

「あー……いや、好んで面倒事に首を突っ込む趣味は持ってないっすし、勝手に上がり込んで、枯れ尾花通報とか後味悪いにもほどがあるでしょ」

「かれおばなつーほー?」

「化け物の正体見たり枯れ尾花、と言いたいのよ。幽霊の、で広く知られている言葉だけれど、正しくはこちらね。ようするにたまたま寄った場所で必死に働く女性が居て、たまたまその人の正体が化け物だったからといって、人に教えて手柄にするつもりはない、と彼は言っているのよ」

「ほえー……そ、そっか。うん、そっか」

 

 やーだー、またわかってないわよあの子ったらー。

 わかってないのにとりあえず頷いとくのはやめときなさいって、普段から雪ノ下にあれだけ言われてんのにー。

 つか、ユキペディアさんパネェっす。人の考えてることにまで対応してるんですかそれ。

 

「代わりと言ってはなんですが、商品をお安く……は、勝手にするとバニルさんに怒られちゃいますので……ええっと……あ、そうだ。もしあなた方の中に冒険者の方がいらっしゃるなら、リッチースキルなんて覚えてみませんか?」

「リッチースキル?」

 

 返しつつ、冒険者である由比ヶ浜を見る。

 ……きょとんとしてる。めっちゃきょとんとしてる。

 

「はい。ドレインタッチやゾンビ化とか……あ、アンデッド支配というものも───」

 

 おい待て。あんた何か。その選択肢の中でドレインタッチ以外覚えさせる気あんのか。

 思わずツッコみそうになったが大丈夫、ぼっちは前に出過ぎない。

 考えてみればアンデッド支配もいいかもしれんし。ほら、支配下に置いておいて、無抵抗のまま倒して経験値に……ん?

 

「あ? なに、どったの」

「ふえっ!? あ、や、やー……なんでも?」

「ええ。アンデッド支配では、腐り切って死んだ目をした人物も支配下に置けるのかとか、そんな失礼なことは考えていないわ」

「ゆゆゆゆきのんっ! しーっ! しーっ!」

 

 目だけでアンデッド認定とか、生者に対して失礼以外のなにものでもねぇよ。

 いっぺんカエルの前で置き去りにして食わせたろか。

 ……あ、その場合、真っ先に食われるのは戦闘能力のない俺でした。

 

「ドレインタッチってのはあれっすか。体力を奪うとか」

「それもそうですが、魔力を吸い取ったり渡したりもできます」

「ほーん……あれ? じゃあそれ覚えれば、由比ヶ浜が爆裂魔法撃っても問題ないわけか」

「え? な、なんで?」

「撃ったあと、歩ける程度まで魔力吸い取りゃ問題ねーだろ。俺でも雪ノ下からでもいいし、なんだったら適当な魔物捕まえといて使うってのもありだろ」

「………」

「……はぁ」

 

 結論から言うと、由比ヶ浜はドレインタッチを修得した。

 ……が、なんか知らんけどむすっとして、拗ね始めた。

 雪ノ下には溜め息を吐かれたが……え? いい案だったろ。なんで溜め息吐かれてんの俺。

 

……。

 

 結局なにも買わず、スキルだけを教えてもらった俺達。

 外に出ると、大悪魔様が箒を左手に、握った右手の人差し指第二間接と親指の腹を顎に当てるという、いかにもな姿勢で俺達を迎えてくれた。気取ったイケメン連中の思考にフケるポーズってのは、なんだってこのポーズが定番かしているのか。

 

「ふむ。冷やかしていけとは確かに言ったが実際に冷やかしをされるとは。いや、金を持っていないのかと言っているわけではないがな。ないがな? だが、ポンコツ店主と知り合い、スキルを教えてもらうという形で絆を深めたのであれば、足を運ぶ機会も増えるであろう。その時は貴様らの好むものでも仕入れておいてやろう。目の前で売り切れになるよう匠に列整理をしてな。フハハハハハ!」

「地味な嫌がらせはやめろ」

「時に恋する乳女よ」

「そ、その呼び方やめて!?」

「物は買わなかったようだが、関係を繋ぐ役割を果たしてくれたことにこのバニル、感謝を届けよう。なのでそれに見合ったお返しはするべきと判断し、貴様に攻略法をそっと囁こうと思うのだが」

「ふえっ!? あ、えと、やー……でもですね、その……こういうのって自分でやんなきゃ、だと思うし……」

「実は聞きたくて仕方がないのにもごもごと時間を稼ぎ、我輩が自主的に言い出すのを待っている乳女よ。貴様の意見は聞いていないので我輩はこのまま喋るとしよう。いやなに、聴くも聞かぬも貴様次第である、勝手にするがよい。否定する(てい)を見せつつ結局は聞く恋する女よ」

「───……!」

 

 ……その後。

 由比ヶ浜はバニルに“(こい)の獲り方”を教えてもらい、なんかポカンとしていた。

 え? 鯉の攻略方法なんて聞いてなにしたかったのお前。

 この世界って秋刀魚(サンマ)が畑で獲れて、バナナが川で採れるんだから、あんま無茶な生き物を攻略しようなんて───いや、ちょ、待っ! なんで怒ってんだよ! 俺もうお前より筋力低いんだから暴力とかやめろ! やめっ……やめてください! マジで惨めになるからやめて!

 

「淡い恋への戸惑いと期待からの困惑と落胆……やり場のないこの悪感情、大変に美味である」

 

 

……。

 

 

 そんなこんなあって、俺達は今日も今日とて駆け出しの街アクセルを中心に、せっせとクエストを受注して戦っている。

 

「~……やっぱり恥ずかしいよぅ……! な、なんでこれ、こんな短いの……?」

 

 そんな中にあって、圧倒的破壊力を持つ由比ヶ浜の存在は、ここぞという時に非常にありがたいものであって……無傷で倒すことを基本の作戦とした俺達の中で、回復職な俺はとことん役に立てていなかったりする。

 緊急用魔力ポットとでも呼んでくれ。爆裂魔法を放った由比ヶ浜を負ぶって逃走or魔力を吸われることくらいでしか、今のところ役に立ててねぇし。

 いや、そりゃな、《筋力増加(パワード)》を使ったり《幸運値上昇(ブレッシング)》を使ったり、敵を集めるために《敵対心集中(フォルスファイア)》を使ったりで、せこせことはやっているが……と、まあそれはいい。

 

「いーから。そっちの方が魔法威力上がるんだからしゃーないだろ。餞別ってもんはきちんと使わないと、そのー……ほれ、あれだ。もったいないしな」

 

 そんな由比ヶ浜だが、現在はめぐみんが紅魔の里とやらで友人に貰ったらしい服を装備している。

 里帰りをした際に貰ったらしいのだが、なんの意地悪なのか数着ある服の中、明らかに自分のサイズに合わない服があったんだとか。

 それを同志のよしみでもらった由比ヶ浜。

 鑑定してみれば、どの部位の装備も魔力向上、魔法威力向上と、素晴らしい付加効果があったのだ。

 これは着なければもったいない……と、なったのだが。

 言ったとおり、現在の由比ヶ浜はめぐみん装備に身を包んでいる。

 黒マントに黒いローブ、黒いブーツに杖を持ち、トンガリ帽子まで被った、典型的な魔法使い……ではなく。

 黒マントに赤いローブ、黒いブーツに杖を持ち、トンガリ帽子まで被った、典型的な魔法使いの由比ヶ浜だった。

 腰には大きなアクセサリ型のベルトをひっかけ、首にはちっこいベルトのようなチョーカー。

 手は指貫きグローブに包まれており、それだけで材木座あたりが心トキメキそうな格好だ。

 ……い、いや。俺別にトキメいてないし? これただの不整脈だから。……そっちのがやべぇよ。

 

「うぅ……」

 

 で、そんな服なんだが。

 うん、短い。下着が見えるほどではないのだが、こう……うん。短い。

 事細かに説明させんな、短いんだよとにかく。

 総武高校のスカートもなかなかのもんだったが、それよりちょいと短いってだけで、年頃のお嬢さんというものは恥ずかしいらしい。

 まあ、わかる。一定のラインってのがあるよな、そういうの。

 ここまでなら平気だけど、それ以上だと落ち着かないとか。

 真っ赤な顔の由比ヶ浜は、しかし深呼吸を繰り返すと、きちんと立ってマントを翻した。

 ファンタジーにマント。冒険の世界に来たのなら、たとえそんなセオリーを知らずとも装備したいものの一つだろう。

 めぐみんのお下がりの杖を軽く振り回して、格好よくヴィスィーとポーズをキメている。

 ……まあ、爆裂魔法しか撃てんのだが。

 そんな由比ヶ浜はスカート部分……ローブでもスカートっていうのかね、こういうの。ともかくスカートの部分をお尻側にちょいと引っ張ると、恥ずかしそうな、困ったような顔をしたのちに深呼吸。んっ、と一人でガッツポーズを取り、雪ノ下へと突貫した。

 もう恥ずかしさはそこまで気にしないことにしたらしい。

 

「ゆきのんゆきのんっ、敵っ! 敵と戦おっ!?」

「落ち着きなさい由比ヶ浜さん。最初からあなたが張り切っていたら、あなたが真っ先に動けなくなるでしょう」

「だいじょぶ! ドレインタッチ覚えたから!」

 

 ちなみにだが、雪ノ下は落ち着いた魔導士っぽい格好をしている。男の魔法使いが身に着けていそうな、黒を基準としたズボン型の服だ。

 中級魔法程度が使えて、知力も高ければ案外戦えるってもんで、ジャイアントトードの依頼だけでも結構金が溜まるのだ。

 なので溜めた金で装備品を購入、俺と雪ノ下はこの世界の装備にきちんと身を包んだ上で、この場に立っている。

 この場───ジャイアントトードがぴょんこぴょんこと跳ねる、アクセルの傍の平原である。

 え? 俺? 俺は白と青を基準にしたヒーラーローブだよ。どうせ似合ってない。自覚出来るほど浮いている。

 でもしょうがないでしょプリーストなんだもの。それもアーク。

 男としてはさ? 前衛じゃなくてもどうしても戦士の服に手が伸びそうになるのは仕方ないよな?

 買ったところで持ち腐れになるのはわかってたよ。買わなかったよ。買えるわけないだろ。結局アークプリーストなんだから。

 

「さて……アロエ、なにか見えるか?」

『はいですよ。こちらに気づいたジャイアントトードが、跳ねずにじりじり近づいてきてるです』

 

 ちなみに、アロエもきちんと登録出来た。

 しかもアーチャー。髪の毛っぽいソレであるアロエの尖ったところから、矢にも似た棘を採取できる。それはアロエの意思次第で治癒の矢にもなり攻撃の矢にもなり、かなり優秀だ。

 千里眼などのスキルも持っているし、弓の威力、命中率向上の集中や鷲の目(イーグルアイ)といった、狩人必須のスキルも取得済み。

 棘の矢も、刺さればHPを回復するわけではなく状態異常の回復が出来て、逆に敵さんに刺して麻痺毒等を蓄積させることも可能。

 健康と万能と迷信が花言葉なだけはある。やだ強い。俺より役に立ってるんじゃないのこれ。

 

『いくですよぉ……! 先手必勝……よーく狙って~……【狙撃】(シュートヒム)!』

 

 じりじりと近づいてきているカエルに向けて、アロエが右手をピストルの形にして構え、もっさりと動かした果肉と言う名の髪から一斉に棘を射出。

 肉眼ではろくに見えもしないのに、当たると大ダメージなそれがジャイアントトードの目を潰すと、それを合図にするように雪ノ下が魔法を発射。

 ジャイアントトードは、怯んだために防御なんて意識も持てないままに魔法で切り裂かれ、絶命。

 こんな戦い方をしているが、不思議なことにアロエの棘はあっさりとまた生えて、すぐに使えるようになる。

 この世界に順応したのだろうか……ほんと不思議。

 ただ雪ノ下の初級魔法、クリエイトアースで作った砂を植木鉢の土に混ぜて、クリエイトウォーターで作った水をあげてただけなのに。

 ……それもう“だけ”って言わねぇよ。順応っつーか適応するための材料にしかなっていない気がする。

 え? 初級魔法? ああ、雪ノ下が「無いと不便でしょう?」ってあっさり覚えたよ。便利だけどさ。確かに便利だけどさぁ。

 

(まあ、アレな。シュートヒムっていっても、あれって“彼を撃ちます”って意味だから、あのカエルが雄だったかどうかなんてわからんのだが)

 

 ねぇ知ってる? カエルって基本は体外受精だから、交尾はしないんだよ?

 重なるように抱き合ってるのって包接って行為なだけで、交尾じゃないんだって。

 

『もちろん知っているのですよ。アロエは知識を蓄えることを趣味としますです。我々アロエは時に他のアロエと交信して、様々な知識を得るのです。その中に、とてもためになるものがありました。今ではそれが我々アロエの基礎と呼べる行動のひとつであり、“おかし”と呼べる生き様です』

「おかし?」

 

 シュートヒムからカエルの性別までを語ってみせると、アロエはむふんと胸を張って説明を始める。

 交信なんて出来るのかよ。え? 出来るの? マジで?

 なにそれ、もしかしてアロエネットワークとかいうの? ひと房のアロエと他のアロエが電子ネットワーク的ななにかを共有してて、最後に生まれたアロエは「……と、アロエはアロエは思ってみたりするのですよぅ!」とか言い出すの?

 

『よいですか比企谷さん! 篠山さん家のアロエが、そこで生きることで得た準則! “お”しまぬ努力! “か”かさず制作! “し”っかり勉強! それこそが我々アロエの正しい歩み方と言えるのです!』

 

 いや誰。篠山さん誰。

 ていうかこいつも、俺相手なら元気に応対できるのになぁ。

 他の誰かとなると、どうしてああも怯えるのか。……言うまでもなく我が妹のタイダルウェイブ事件の所為ですねごめんなさい。

 あとその準則を考えるに、世界に散らばる全アロエに篠山さんのことが知れ渡ってることになるから、やめたげなさい。

 

「ちなみにこの世界に居るアロエと交信は出来るのか?」

『出来ますね。少し前にしてみたのですが、妙な壁のようなものを感じて、少々邪魔をされている気分です』

「………」

 

 その交信に巻き込まれでもしたんだろうか、俺達は。

 たとえばこっちに居たアロエが俺達のことを知っていて、こっちにこ~いとかそんな電波を───……毒されすぎだな。いくらファンタジーだからって出来ることと出来ないことがあるだろ。



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アロエフォルテッシモ

タイトル元は渚フォルテッシモ。

今回は短いです。いやほんと時間取れなくて……!
なお、こちらの作品にはこもれびさんとこのアロエさんが出ますので、細かい事情とかはちらっと見るとわかるかもです。
◆ダンジョンに潜ったら、アロエちゃんがいました。1、2
https://novel.syosetu.org/75527/74.html
https://novel.syosetu.org/75527/77.html


     5

 

  翌日。

 

 ほんとに出来ちゃってたよ。どうしよ。

 これ、元の世界で誰かが招いてくれなきゃ帰れないんじゃないの?

 召喚でもいいんでしてください! お願いします!

 

「「「………」」」

 

 さて、なんでそんな情けない言葉を頭の中で叫んでいるのかというと、とある屋敷の庭で、アロエを発見したのがそもそも。

 俺達を見るなり大層喜んだらしいやたらともっさりしたアロエは、なんでも別世界から飛んできたらしい。しかもその世界には俺達奉仕部が居て、しっかり顔見知りなんだとか……平行世界かよ、なにそれすげぇ。

 あと普通に地面から足を抜いてとことこ門まで歩いてきた時は、そりゃあもうたまげた。俺の手に納まっているアロエに「え? お前歩けるの?」と訊ねたら、『スカートの下は根っこになっているので無理なのですよ!?』と、彼女までもが大層驚いてらっしゃった。なにこれ。

 もうなんでもありだなアロエさん。どっから来たの一体。どんな世界なん? って、元の俺達の世界と変わらない───

 

『はい。神が存在して、恩恵(ファルナ)という加護が存在する世界から』

 

 ダンまちじゃねーかよ! おいちょっとなにやってんの平行世界の俺!

 しかもハーレムとか! 由比ヶ浜と雪ノ下を囲ってるとか!

 さらに呪文が使える!? ドラクエ!?

 オルテガが無事だったとかそういうのはグッジョブだけど、なんで又聞きするオルテガの情報がドラゴンボールの悟空さなんだよ!

 

「ヒ、ヒッキーが……」

「その、私たち、と……?」

 

 おい……おいもうほんとどうすんのこの空気……!

 今この状況を日記に書くとしたら、現状を把握。そして終わった。現在只今暴走中。とか書きたくなる。

 だって無茶だろ。俺だぞ? 俺なのに二人を囲うとか。

 ああ、あれな? 平行世界の俺、よっぽどイケメンなのな? だって俺だよ? 自分でもしょーもないと自覚出来ちゃう、自分で自覚とか意味が重なってる考え方とか普通に出来ちゃう俺だよ?

 それが女性二人と付き合うとか。恋人にするとか。アロエとはいえ責任を取ってもらいたいようなことをしちゃうとか。

 いずれそっちの俺、滅ぼされちゃうんじゃないかしら。いやモンスターとかじゃなく、嫉妬に狂った男たちに。

 俺滅んだ。やべえ、滅んだよ、滅んじゃったよ! って感じになっちゃうんじゃないの?

 一色も小町も一緒に居て止めらんなかったの!? え? 情報の限りじゃもう一人いたらしい? 教師? ……黒髪ロングでおっぱいおっきい先生? ……平塚先生!?

 

「……ボクハコノアオイチキュウガダイスキデシタ」

「ヒッキー!? ヒッ……ちょ、なんで首吊ろうとしてんの!?」

「生活能力のない俺が二人を食わせていくとかないでしょ……ないよな? ないだろ……ない……ねーわー……」

「自分の言葉で傷ついてる!? だ、だからってこっちのヒッキーが気負うことないじゃん! その、それはさ? そのー……へーこーせかい? のヒッキーなんだし」

「いや……お前だって嫌だろ、違う世界とはいえ、俺となんて」

「えっ……ぁ……、ぇと……」

 

 ……え? な、なんでそこで顔を赤く染めなさるの?

 違うだろそこは。そこは空気読んでさ、だよねーとかなんとか、無難な言葉をさ。

 や、やめろよ。なんか意識しちまうだろうが。

 あ、それともあれか。少し意識させたところで、シュパッとどーん! って感じでブチ殺しにくるのか。

 由比ヶ浜……おそろしい子ッッ……!!

 ……雪ノ下はまあ予想出来るから。想像よりひどいことにはならないだろ。

 ていうかね、この氷の女王様をどうやって落としたの、平行世界の俺よ。

 意見に穴があったら罵倒されて、目が腐ってたら罵倒されて、案を出せば訂正付きで罵倒されて、判断が遅ければ罵倒されて、判断が早くても訂正付きで罵倒されて……たまに感心されたと思ったら感心に罵倒が付属されていて、照れたら罵倒されて、夢を語れば罵倒されて───あの。罵倒しかされてないんですけど。ねぇ、ほんとどうやって攻略したの? マジに知りたい。マジに。俺が攻略したいからとかじゃなく、普通に、真剣に、好奇心として知ってみたい。

 え? この、基本猫と由比ヶ浜にしかやさしくない雪ノ下が、俺に向けて甘えてきたりすんの?

 甘え───……あま…………罵倒してくる顔しか想像できねぇよ。

 どんだけ罵倒されてんの俺。もはや“今は貴方を知っている”って笑顔さえ霞んでらっしゃるんですけど。

 

『でもでも、嘘はないのですよぅ? ほんとの本当に、ご主人様は二人と恋人さんだったのですよぅ』

「ああそうだな……お前の居た世界ではそうだったんだろうな……。だがな、もっさりさん。遠き者は耳に聞け、近き者は目にも見よだ。───雪ノ下、俺と友」

「いやよ」

「───……食い気味に、友達でさえ断られるほどなんだよ……。ないだろ……? な? ないだろ……?」

 

 泣きません。泣いてません。男の子ですもの!

 先人に感謝しよう。青春の汗って言葉を考えた人、最強。リスペクトしちゃう。

 

「それで、アロエは神に育ててもらったりしてたのか?」

『いえ、違うのですよぅ。私はダンジョンの43階層で、マンドラゴラに紛れながら棲息していたのですよぅ』

「───」

「ま、まん、どら? ねぇねぇゆきのん、まんどら、ってなに?」

「マンドラゴラ……地面から引き抜くと、人を死に至らしめる悲鳴を上げると言う、人型の植物よ」

「しっ!? し、ししし死んじゃうって……!?」

 

 いや……いや待て。驚くところはそこじゃない。

 今なんて言った? よっ……43階層? あの世界で、43階層で、自生して生き続けた?

 

『では改めて自己紹介を。───我が名はアロエ! ツルボラン亜科随一の魔法の使い手にして、爆裂道を歩みし者!!』

 

 思えばこちらのアロエとは明らかに着ている服が違うアロエは、マントを翻して眼帯に軽く手を添えるような格好でヴィスィーとポーズを決めた。

 

「あ、そ、そか。それでそのー……アロエ? お前は向こうで、何か二つ名的なものは───」

『よくわからないのですけれど、一部で猛者(おうじゃ)と囁かれていたのですよぅ』

(───やだ、オッタル級!?)

 

 その時、俺は小さく……嫌われるようなことをしたら殺されるのだろうという、妙な確信を得たのだった。

 ソロで43階層とか、それくらい普通なのかもしれんね。

 ああうん、考えるの、もうよそう。

 ああ戸塚、戸塚よ。今すぐキミに会いたい。誰か俺を癒してくれ。なんかさっきからストレスの連続で胃のアレがアレでマッハだ。

 正しくは“俺の寿命がストレスでマッハ”な。

 

「………」

『? 比企谷さん?』

 

 俺、自分のとこのアロエのこと、大事に育てるよ。

 立派なアロエに育てるんだ。

 とりあえずポーズをキメてまで自己紹介してくれたアロエに対し、俺も過去に封印した疼きを解放。

 もはや恥もなにもない。この場において、この世界において、おかしいのは吹っ切れる勇気もない阿呆だ。

 そうすることで生きていけるのなら。元気に歩いていけるのなら。俺はいくらだって闇に呑まれよう。

 そう───必ず生きて、小町や戸塚ともう一度会うために!!

 ……理由? それだけですがなにか?

 あ、あー……あとその、あれだ。ほら、あれな? こいつらも無事に帰してやんなきゃならんし。いや、わかってるよ? 現段階では俺の方が生かして帰してもらう側だって。

 だがしかし、それでも男ってヤツには立たなきゃならん時があるのよ。あっちゃうのよ。悲しいけど。

 

 そんで、普段から本気を出さないヤローなんてのはな、知り合いの目がない場所でこそ全力を出すもんなんだ。

 リアルがどんだけ息苦しかろうが、目を腐らせるような場所だろうが、そこに居て欲しいって誰かが願うならよ、立ってなきゃダメだろうがよ。

 いやべつに俺が居ない間に大志の野郎が小町にちょっかい出さないかとか、そういうことが心配だから帰りたいとかじゃないし?

 帰る方法を調べるついでに、この世界でも多少の奉仕を見せたっていいんじゃねぇの? って……そう思っちゃっただけだからね? 言っとくけど。

 

(待ってりゃ勝手に依頼がきて、達成すりゃ奉仕になるとか最高じゃないの。ぼっちにやさしいシステムだ。わざわざコミュる必要がないとかもうほんとステキ)

 

 そんでボランティアではなくお金がもらえちゃうんだから、やる気だって多少は出るってもんだ。

 

「ところでアロエ。お前は爆裂魔法が使えるのか?」

『いえ、まだポイント不足で覚えられないのですよぅ。ちなみにそちらのアロエはどのような職業を? やはりマイクロブックを常備するアロエとしましては、ウィザード系統と予測しますが』

「いやお前拳ひとつで壁とか破壊出来そうじゃ───」

『? なんです?』

「イエベツニ」

 

 少なくとも43階層をソロで生き延びる実力……! 迂闊な言葉は機嫌を損ねかねない……! ここは落ち着け比企谷八幡……我を殺すんだ。

 無欲でいれば冷静な……そう、常に冷静な自分で挑めるのだから……!

 

「ち、ちなみにお前のステータスってどんな感じだったんだ?」

『知力が飛び抜けていたそうですよぅ? 私は読めなかったので、読んでもらったのですが……他の数値が“もじばけ”? というものになっていたそうですよぅ』

 

 ……なんか“た5”とか書いてありそう。つまり見たくない。

 ちなみに“た5”は255って意味な。その数字の前に“SSS”とかついちゃってるのかしらん?

 ……彼女の爆裂魔法で世界が滅ぶのが先か、勇者が魔王を倒すのが先か。

 いつの間にやら究極の二択が完成した気がした。

 どうかそのままポイント不足で過ごしていただきたい。国滅んだやべぇどころじゃない気がするからほんとマジで。

 

「で、どうすんのお前。なんか自立出来てるっぽいけど、クエストとかは───」

『実は先日、たまたま出会った悪魔さんに占ってもらったんですが、この家のご主人にお金が必要になることが起こるらしく、ならばとお金を稼ぐところだったのですよぅ』

「………」

「比企谷くん……植物でさえ働こうとしているというのに……」

「言われると思ったわ……。思ってたからその憐れみを含んだ目つき、マジやめない? ていうか現時点でめっちゃ働いてるでしょーが。依頼とかめっちゃ真面目にこなしてるよ俺」

 

 ソロでやれって言うならこれからは(うす)とでも呼んでくれ。変わらずぼっちで頑張っていくから。

 じゃあアレか。元の世界に戻ってからが心配ってか。

 心配ご無用。

 ここまでくりゃ、いくら怠惰なる八幡さんでもいい加減立ち上がるってもんだ。

 だってアレだぞ? 現時点で、ヒモの息苦しさとか、戦い終わって傷ついた仲間を癒すだけとか、男としてものすげぇ心苦しいぞ? 雪ノ下や由比ヶ浜よりステータスで劣る俺だ、二人に“回復職だから”って庇われて、そんで戦いが終わっても相手が傷ついてなけりゃお疲れさんしか言えない。……え? やだなに? 専業主夫って案外息苦しいんじゃねぇのこれ。状況的には明らかに違うけど、こうして戦闘(仕事)を終えて戻ってきた女性(仲間)を口でしか迎えられない俺に、家事スキル小6程度の俺に、いったい日本でなにが出来るというのか。

 ……そりゃな、こうなりゃ専業主夫とか誰かに養ってもらいたいとかアホなこと言ってられなくなるわ。

 相手が心の底から望んでくれたら多少は考えるかもだが、それでも出来れば何かをしたい。家事スキル磨けばいいだけって、そういう単純な話じゃないのよこれ。同じ状況になってみりゃわかる。たぶん。だから必死にならなきゃってちょっぴり思っちゃったわけで。

 ただ、周囲からの“なにマジになっちゃってんのお前”って視線には耐えられそうもない。

 あれは理由なく人を傷つけるからなー、本当の本気で嫌いだなー。好きなヤツなんて居るのかね。

 

  まあいい。

 

 帰り方がわからないこの現状、少なくともこの世界で無意味に敵は作らず、永住に重きを置いた身の振り方をするべきだ。

 間違っても悪評を広げるような行為はしちゃならない。

 俺だけならいいが、この二人だけでも───、……いや、自己犠牲みたいな馬鹿な真似は、二度とするつもりはない。

 女を泣かせるような行為は、よっぽど状況が切羽詰まらなけりゃ二度としない。

 ……おう。人の気持ちは、考えないといけないからな。

 代わりに俺の気持ちも考えてくれ、なんてせこいことも言わないから、無事に帰らせてくれ。

 そんなことを考えながら、俺は眼帯アロエの方に、彼女にしか聞こえないように、そっと「あとで必要な金額、詳しく」と囁いた。

 

「ところでその……アロエさん? 私たちが元の世界に帰るために、出来ることはあるかしら」

『空間が歪んだ時に、別の世界のアロエと交信すればいいのですよぅ? 出来たら私が押し出して届けられると思うのです』

「えと、それがあたしたちの世界に繋がってる可能性とかは……」

『限りなく低いのです。なにか目印といいますか、わかりやすいものがあればいいのですけどー……』

「……目印って言われたってな」

 

 困った。このままじゃ、平行世界の俺のようにドラクエの世界だのなんだのと飛ばされてしまう可能性だってある。

 俺は、俺達の世界に帰りたいのだ。どこでもいいわけじゃない。

 

「困ったわね……世界規模で考えても、私たちの世界でのみ、といえるものなんて……」

「う、うん……そんなの───……あれ?」

「由比ヶ浜さん?」

「由比ヶ浜?」

「ねぇゆきのん、ヒッキー。もしかしてなんだけど……あたしたちの世界だけだったりしないかな。平塚先生がたくさんアロエを買った世界って」

「あ……」

 

 暗かった心の闇に、明かりが差し込む瞬間ってのを久しぶりに体感した気分だった。

 こんなのは、そうだ。あっさりしたものだったとはいえ、川なんとかさんに逃げ出した相模の行方を訊いた時以来で───

 

「それだ! 愛してるぜ由比ヶ浜!!」

「ぇ───、ふ、……ぇ……、えっ……!?」

 

 見えた光に、人は弱いものなのだ。

 ついあの時のノリと流れでなにかを口走ったとしても、それは仕方のないことなんだと思います。

 俺はとにかく、この二人を無事に元の世界に戻し、俺もまた小町や戸塚のもとへ帰ることで頭がいっぱいだったのだ。

 そんな、表面上は冷静でも内面は必死な状況で、光明ともとれる考えを語られてみなさいよ。愛してるをぽろっと言っちゃう感動くらい、抱けるってもんだろ。

 そうして、突如バトンのように手渡された光明を曇らせまいと、アロエとアロエさん(猛者)にたくさんあるアロエの反応を探していてほしいと頼み、これからのことを相談し合った。

 一人、顔を真っ赤、というよりは桜色に火照らせ、ぽてりと腰を抜かしてふるふると震える由比ヶ浜に気づかないまま。

 慌てて支える雪ノ下がなにかを言っていたが、あー、うー、いやその、だな。

 ……必死だったんだよ、マジで。いろいろと耳に入らないほどに。



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はたらく引き籠りぼっちさま!

 佐藤和真は引き籠りである。
 比企谷八幡はぼっちである。
 しかし互いに出会い、互いを知ることで過去を振り返り、アルダープにならないための努力をしようとか考えるようになった。
 なんかそんなお話。
 べつにエンテ・イスラの魔王さまは出てこない。
 アニメ第一話のエンテ・イスラ言語、好きだなぁ。
 働いているように見えないのは、冒険者の仕事がクエストだからです。
 え? エクスプロージョン撃ってるだけ? 爆裂道を歩む者の仕事とは爆裂魔法を撃つことにあります。仕事であり夢であり愛なのです。撃つだけじゃ報酬はないけどね。

 あ、言うまでもなくタイトル元は“はたらく魔王さま!”


     6

 

 最近、由比ヶ浜がおかしい。

 今までも時たま赤い顔してあわあわすることがあったが、最近のこいつは赤いわけじゃなく、ただこう、そのー……なんだ。おう、赤いってんじゃないんだ。さ、さー……桜色?

 恥ずかしいだとか慌てるだとかそういうのじゃなくて、自分の中に生まれた熱を、上手く鼓動と合わせているっつーのか。

 どこかに落ち着きと温かさを抱いたような……余裕、ってのかね。妙な静けさを持っていた。

 話しかけてみれば実にいつも通りと言えるんだが、慌てるようなことが減った気がする。

 こう、なんつの? なにかを信じて寄り添う、みたいな、渦巻いていた何かが納得に向かって、そんな納得に寄り添っていたい様相というのか……例える言葉が見つからない。

 

「『エクスプロージョン』!!」

 

 で、なんか爆裂魔法の威力が上がった。

 

「ロージョン』ッ!!」

 

 撃つたびに瞳を潤ませて、俺を見る表情に暖かな笑みが増えた気がして。

 

「ジョン』!!」

 

 ドレインタッチを覚えたってのに、なんでか俺に負ぶってほしいと頼んできたりして。

 

「ン゙』ッ!!」

 

 そんな、おぶるのなんてめんどいから嫌だ、などと断ることも出来るだろうことを引き受けてしまう俺でも……さすがに考えることもあるわけで。

 かつて、アロエ談義から始まった由比ヶ浜との距離感も、形容しがたい感情も、まあ、いろいろだ。

 自分の中に渦巻く、普段なら外に出しにくい感情を放ってる、と。つい最近、俺が提案した通りの方法で魔法行使をしているらしい由比ヶ浜に聞いた。

 そんな魔法を唱えながら、潤んだ目で、頬を染めたまま俺を見つめて、それから撃つとか……そりゃ、考えることも増えるだろ。

 

「はぁ……」

 

 そうした日々がしばらく続いた───ある、雪ノ下も魔法を撃ち尽くし、由比ヶ浜も爆裂魔法を撃ち終えて、宿まで二人を送り届けたようと街を歩いた日のこと。

 普通ならそれから、アロエを片手にキールダンジョンという場所に向かうのだが……宿へ向かう途中、めぐみんと同じ装備をしていて、しかも負ぶるという行動に目をつけた一人の男が居た。

 名を佐藤和真というらしく、擦れ違い際、俺では見えない由比ヶ浜の顔を見るや、「リア充がっ……!!」と血の涙さえ流せそうな囁きを残していった。

 その時はリア充がと言われただけだったので、時に気にせず通り過ぎるだけだったんだが。

 

「理不尽だろこれ。なんでそっちみたく俺の方も胸が大きくてスタイルのいい同年代じゃなかったんだよ」

「……いや、知らんし」

 

 そんな男とまた出会った。

 街の一角。いつも通り独りでレベリングにでも出ようと、宿をあとにしたところで。

 声を掛けられ、話している内にお互いの故郷を予測し、そうして事情を聞くに……いや勝手に語られたんだけど、日本で死亡して異世界転生、というのを実際にやった人だそうな。なにそれすげぇ。……あ、俺も異世界転移ならしてたわ。

 というか、スタイルの問題に胸の話も込みじゃないの? なんで胸とスタイル分けたのちょっと。大事だけど。大事かもしれんけど。

 自分以外が由比ヶ浜の容姿のことを口にするのが気に入らないとか、俺も相当アレだ、独占欲が強いというか嫉妬心が強いというか。そのくせ、自分から由比ヶ浜にどうこうするわけでもない。

 嫌になるな、こういうことを振り返ってみると。

 まあ、ともかく。纏めると、こいつがめぐみんが言っていたカズマであり、由比ヶ浜がめぐみんと同じ格好をしていたからこそ、余計に目を惹いたのだとか。

 王女だかに連れられて王都に居たらしいが……用事は済んだんかね。ってことはめぐみんも戻ってきてるのか。

 

「で、なに。お前もレベリング?」

「いや。俺はこう見えても魔王軍幹部連中と渡り合ってきた男。そろそろ大金が転がってくるし、これからは自由に生きるんだ」

「ほーん……? まあ、大事だよな、安寧も。俺も夢は専業主夫だったし」

「それを他人に言える勇気が凄いわ。まあけど、メイド雇って自由気ままにってのもいいよなー。義妹も出来たし、これからは余裕を持った大人な俺で───」

「……一応、同郷のよしみとして言っておくとだな。体が動く内に、やれることはやっといたほうがいいぞ? って───同郷だよな? 日本だよな?」

 

 もっさりアロエが居た、平行世界の俺の例もある。なのでもう一度訊ねる。

 どっかのドラクエ世界とかダンまち世界出身とかじゃないよな?

 もう平行世界の俺だけで十分だぞ、そういうの。

 

「それなら確認しただろ? じゃなきゃ転生がどうのなんて言わないって。こっちも日本人だよ。で、あれだろ? その目の腐りようから見るに、引きこもりだったとかだろ? いやぁ、実は俺も───」

「いや、普通にガッコには行ってたよ。成績だって悪くなかった。ただちょっとアレな。ぼっちだっただけだ」

「それも言っちゃうのかよ!? え!? 堂々と自分はぼっちだったって認められるぼっちってどうなんだ!?」

「あー……ほれ、アレだよ。俺は望んでぼっちになってたし、むしろ空気と同化して、そこに居るのに居ないとさえ認識されるレベルのエリートだった」

「認識されてんのに認識されてないってなんだよ。怖ぇよ」

 

 あ、そういえば意味が被ってた。いや、反していたのかこの場合。

 

「まあ、いろいろあるだろ、ぼっちの種類にも。たとえば将来を約束し合ってた幼馴染が、不良のワルっぽさに惹かれていつの間にか自分から離れた場所に居て、誰も信じられなくなったからーとか」

「おい。なんで人の過去とか知ってんだ。そこんとこ詳しく」

「え? マジ? そんな過去経験したの? いや、俺ただ例を挙げてみただけなんだけど」

「え?」

「え……」

「………」

「………」

 

 それから、佐藤和真は語った。

 結婚しようと約束した幼馴染が不良とバイクでニケツしてたことや、それが原因で引き籠ったこと。

 貫徹明けにゲーム買いに行った先で、トラクターをトラックと間違え、女の子を突き飛ばして助けたつもりが怪我をさせただけに終わり、自分は迫るトラクターを前にショック死。

 小便さえ漏らした状態で死んで、駆け付けた親にも死にざまを笑われたのだと。

 で、この世界に転生することになって、特典を選ぶことになったんだが……いろいろあって腹が立って、女神を選んだんだがこの女神がとにかくポンコツ。

 浪費癖がある所為で金は溜まらないし、バイトをすればそいつの所為でクビになるしで相当苦労したらしい。

 

(やだ……! 感動話よりもよっぽど泣けるんですけど、なにこれ……!)

 

 死んでまで苦労の連続とかないわー、マジないわー。

 と思いつつも、自分も奉仕を強要され続け、いつしかそれが当然として望まれていくのでは……と考えると、ただただ切なくなった。

 

「幼馴染だけどよ」

「ん?」

「なにも訊かずに距離を置く前に、せめてなにか、心境の変化だけでも訊いてもよかったんじゃねーの?」

「………」

「ほれ、よくある不良に弱みを握られて、とかあったかもだろ」

「いや、普通にフェイドアウトされてた感あったし、ないだろ」

「……そか」

「……おう」

 

 夢も希望もありゃしない。

 幼馴染に夢を見ると痛い目に遭うってほんとなのんなー。

 

「人ってほら、好きでいられる期間って3年~4年とか言うだろ? 幼馴染と将来の約束をしても果たされない理由って、大体そこにあると思うんだよ俺……。だから俺が悪いんじゃなくて、悪いのはあの不良野郎と、そんな相手にホイホイついてった幼馴染だ」

「おぉ……そうな」

「ていうか比企谷、お前はどうなんだよ。あんな美人二人も連れて」

「部活仲間だよ。つか、真面目に訊くぞ? こんな目をしてるヤツがほんとに好かれると思うか?」

「……不良にNTRされてる身からすれば、そんな一ヶ所のマイナスなんざ信じられるか」

 

 実感籠りすぎてて怖いからやめて? 声にものすごいドス入ってるから。

 

「んじゃあ夢が専業主夫だ」

「う……」

「ぼっち至上主義だし」

「ぐっ」

「基本働きたくない」

「………」

「家事のレベルは小学レベルで、しかもそれはあの二人も知ってる」

「……理屈じゃなく惚れてくれる相手っているんだな」

「へ?」

 

 いやおい、話聞いてた? 俺、自分の悪い点しか挙げてないんだが?

 

「なぁ比企谷。お前がおぶってためぐみんの服着た子。出会いのきっかけとかってあったのか?」

「あ? あー……轢かれそうになったあいつのペットを助けて、代わりに俺が轢かれて、入学式から一ヶ月、ガッコに行けなかったのがきっかけだ」

「マジでやったのかよ! てめぇそれは失敗してショック死した俺への当てつけか!?」

「う、おっ……い、いや、知らん、つか近いやめろ」

「リア充め……! それで上手い事やったってわけか……!」

「……? なんだよ上手い事って。言っとくが入学式から三週間もガッコに行けなかったぼっちに居場所なんざなかったぞ? 中学までぼっちを貫き、やさしくされれば気があるんじゃね? とか調子に乗って告白して玉砕、しかもそれを言い触らされて人間不信になるし、やさしい女は嫌いになるし。高校デビューで新しい自分で行こうと思えば事故で、居場所もなければ友達作りも失敗だ」

「……なんかごめん」

「いや、いーよ」

「けどあれだろどうせ。そのペットを助けてもらった子が見舞いに来たりとかしたんだろ」

「誰も来ませんでしたがなにか?」

「来なかったのかよ!? えっ……来なっ……えぇ……? えー……!?」

「退院するまで誰もこなくて、家の方に一度来たらしいが、詫びのために置いてった菓子は妹に全部食われてた」

「……あれっ……おかしいなっ……! 涙が……涙が止まらない……!」

「その後、とある教師に強制的に入らされた部活で、その女と再会を果たしたんだが、出会いがしらにヒッキーって呼ばれるし目が合えばキモいって言われるし」

「お前その子になにしたんだよ……恩があるならそんなこと言わないだろ普通」

「ビッチって言った」

「てめぇくだばれ腐れ外道がぁああーっ!!」

「うおっ!? な、ちょっ……! 仕方ないだろっ、明らかな日陰者な俺にしてみれば、髪染めて制服着崩して、チャラチャラしてりゃあギャルでビッチって印象を抱くだろ!」

「お前の方が事情をまず聞けこの馬鹿! お前よくそれで人に幼馴染の心境がどうとか言えたな! ねーわ! 相手の事情を大して知りもせず雌犬呼ばわりとかねーわ!!」

 

 そんな調子でしばらく取っ組み合いをした。

 話せば話すほどお互いの反省点や客観的な意見が胸に刺さり、言わずにはいられないことばかりだったのだ。

 ただ共通する点があるとすれば、妹とは尊いものだということ。

 あと反省点。ちっとは一緒に居る女の子の立場になってみよう、ってことで。

 

「……考えてみれば俺もアクアにクソビッチって言ってた……ひどいブーメランだ死にたい……」

「いや……俺も……。あいつが空気読もうと必死になってたのは今ならわかるし、周りに合わせようと頑張った結果だったってのも知ってるんだよ……。それをビッチって……。よりにもよって声をかけてありがとうを言いたかった相手にビッチって言われるって……」

「………」

「………」

 

 自分達のやらかしたことに、二人で頭を抱えた。

 そりゃな、かけられた迷惑も苦労もあった。だが前提としての問題で、軽口だろうが言って許されることや許されないこともある。

 女性に対するビッチは明らかに蔑称だ。誰が相手でも受け入れて子供を産む雌犬、と言っているようなものだ。

 世の中にそういう格好の人はそう呼ぶ、みたいな流れがあったとしても、意味も知らずに“どうせそんな感じだろ”って方向で口にするのは確実に悪手だ。なにせ、そこに込められる意味ってのは受け取る側がどう受け取るかだからだ。

 漫画とかで知って、言いたくなる言葉とかってあるよなー。こういう場面で言ったってことは、それっぽい意味なのかな? なんて誤解して、サノバビーッチとか言っちゃうとか。

 たまにあれを“ガッデム”的な意味で覚えてる人居るけど、あれって雌犬の子って意味だからな? お前の母ちゃんデベソどころじゃないからな? 殴られても文句言えないからな?

 ともかくそういう、状況や軽いノリで言ってしまう前に踏みとどまることは出来ることは多い筈なのだ。俺はリア充側の人間じゃない。話題欲しさに人の悪口ベラベラ言い合ってギャハハと笑い合うやつらとは違う、エリートぼっち。

 ……なので、多数が当然としてやることを嫌っていたくせに、見た目で相手をビッチと呼ぶとかそういうことだけはやっちまう自分に呆れる。

 そういうことを佐藤と言い合って、激しく反省。

 

「そ、そだな。これからは……ちょっとやさしくしてやろう」

「上から目線が自然と出てるぞ佐藤。お前さ、一度相手の立場になって考えてみない? んで、お前が相手にしてきたことを自分がやられてるって考えてみろ」

「んなこと言ったって。俺がアクアの立場で、俺にやられたことっていったら……」

 

 考え込む。

 その間、俺はアロエの頭をやさしく撫でて、心を癒していく。

 

「まず……あれだな。仕事してたらなかなか特典を決めない俺が居て、お菓子食って待ってるんだけど慎重に慎重にって言うばっかりで決断しない。俺のあとにも迎えなきゃいけない魂があって、仕事は滞るばっかりで、言い過ぎとはいえ煽るように文句を言ったら特典にされて、この世界に……」

「おう」

「ギルドに行くって俺に提案されて、行ってみれば金がなくて、自分の後輩の信徒にお金を恵んでもらった上に女神を騙るなって言われて同情までされて……」

「お、おう」

「自分なりにバイトで張り切ってみたら、集客は出来たけどモノが消えた所為で役立たずだの疫病神だの言われてバイトクビになって……」

「………」

「俺から言い出したことに散々付き合わされて、文句言いながらでも手伝ってくれて……」

「………」

「あ、あれ? 回復魔法も考えてみりゃ規格外の効果だし、何回死んでも生き返らせてくれるし、浪費癖は確かにあるけどなんだかんだ付き合ってくれて……」

「なぁ。言っていいか? 本音言っていいか? ───お前ふざけんなよ!?」

「い、いやっすんませんっ! これは認識の違いというか齟齬があったといいますか……っ!」

「なにが特典間違えただ駄女神だクソビッチだ! お前が今こうして生きてる時点で、殺されても生き返ってる時点で、幹部連中を倒してきたって評価されて胸張ってる時点で、その女神が特典じゃなけりゃ有り得ない今だろうが!! お前なに? あれなの? なにもしなくても蘇れるの? 回復も出来るし浄化も出来るの? 補助魔法で助けたり出来るの?」

「いやっ! 怖いっ! マジで目ぇ怖いから! 勘弁してください気づきもしなかったんです!」

「~……あぁ、いや、悪い、すまん。……けどな、浪費癖があるならお前がちゃんと見ててやりゃいいじゃねぇの。お前が、相手が望んでもいないのに、無理矢理、引きずり込んだ世界だろ」

「耳が強烈に痛い……!」

「買い物には一緒に出掛けてやりゃいいだろ。欲しいって言ったもの、たまの休日には買ってやるのもいい。買って、お前がプレゼントしてやりゃいい。だめだって最初から投げ出してりゃ、そりゃあ相手だって自由にするしかなくなるだろが」

「うわー……だよなぁ……。考えもしなかった……。だって買い物に付き合うとかめんどいし」

 

 ほんと正直だなこいつ。わかるけど。俺も小町以外とは正直めんどいと思うし。

 話せば話す度に自分の嫌な部分に気づいて、ショックを受けて、しかし胸に強烈に刺さりながらも受け入れていく。

 それは違う、間違ってるって言うのは簡単だ。自分が絶対正しいマンで居ればいい。

 しかし俺達は失敗から学べる系ぼっちと引きこもりだ。

 

「女神だから、特典だからって……俺、アクアの意思とか完全に無視してたんだな。特典をくれて、転生させてくれて、最初にやたらと下手に出てくるのがセオリーだから、いつの間にか“仕方ないから転生してやる”って気持ちが当たり前になってた……」

「俺も……近くに居てくれてるヤツのこととか、ちっとも考えてなかったわ……。ぼっちが普通だとかそんなことはどうだっていいんだよな……まず別にやらなきゃいけないこととかあったわ……。それさえしないで相手の行動に文句ばっかって……うわー、ないわー、これほんとないわー……」

「………」

「………」

「「はぁ……」」

 

 二人して深い深いため息を吐いて、“明日と言わず今から本気出す”を実行。

 まずは金策。誰かの浪費癖を直そうとしているヤツが、自分で浪費してりゃ世話ない。

 なので手に入る金は銀行に預けるってんでそれを手伝い、俺は俺で佐藤と一緒にキールダンジョンへ潜り、レベリング。アンデッド討伐目的で。

 まだ戦闘だのを渋っていた佐藤だったが、「せっかく出来た義妹に、いつか堕落した格好悪い自分を見せることになるけど、お前それでいいの?」と言ったらやたらと張り切りだした。

 お兄ちゃんとは妹には格好いい自分を見せたいものなのだ、仕方ない。

 

「なぁ比企谷ー」

「おー、どしたー」

「“同郷のよしみ”の話だけどさー。動ける内にやれることをやっとかないと、たとえばどうなるんだー?」

「あー……金だけは無駄に持ってる中年おやじが、金にモノを言わせてやりたい放題する光景を想像してみりゃいいんじゃねぇの? ちなみに屋敷にこもって運動もしなかったから盛大にデブな」

「───俺、本気出すわ」

 

 そうして、「このままじゃ 俺の未来が アルダープ」とか妙な川柳(せんりゅう)っぽいことを言い出した佐藤と一緒に、キールダンジョンで地道なレベリングをして、多少上がれば別の場所へを繰り返し、その日だけでも随分とレベルが上がった。

 金も稼げてレベルも上がる。格好いい自分も磨いていける。

 冒険者とはまさに、良い男になるためにうってつけの職業だった。

 そんな日々が続けば、俺の中からもいい加減、働きたくないでござる精神も薄れるってものであり───

 

……。

 

「「『エクスプロージョン』ッ!! ……あふんっ」」

 

 佐藤がめぐみんを、俺が由比ヶ浜を連れて、一日一爆裂をする日々もその分だけ続いた。

 雪ノ下は佐藤のところのアクアって女神と一緒に、ドラゴンの卵(どう見ても鶏卵です)とアロエの世話をしている。

 

「しっかし、さすがにすごいな、めぐみんの爆裂魔法は」

「ふふっ……もちろんですよハチマン。他のことならまだしも、爆裂魔法に関してだけは誰にも負けたくありません。それにそもそも、紅魔族は基本からして知力が高いので、基礎ステータスでもそうそう負けはしないのです」

 

 「というか紅魔族でもないのに、それに匹敵する知力を持つゆきのんが異常なのです」と続けるめぐみん。まあ、そうな。聞く限り、紅魔族ってのは学校ってシステムの上で知力を磨き、産まれ持った知力のブーストを殺さず活かして成長させているっぽい。

 雪ノ下の場合は産まれた家が家で、事情が事情だ。ブースト云々はなくても、そういう家に産まれたのだからと教えられ、身に着けようとする機会が他より多かった。言ってしまえばそれだけだ。体力はないけど。

 

「うー……あたしももっと勉強とかしとけばよかった……」

「勉強ってだけなら別に今からでも問題ねぇだろ。むしろこの世界のことを学ぼうとすればするだけ、頭の回転も早まるんじゃねぇの?」

「え……そ、そっかな。じゃあ、えとー……ヒッキー? 手伝って……くれる?」

「あ? や───」

 

 やだよ、と言おうとして停止。

 隣を歩く、めぐみんを背負った佐藤が、目を半眼に、口を一文字に引き絞り、じとーと見てくるのだ。

 そ、そうだったな、やさしくな、やさしく。理解の幅を広げ、受け入れる心を持つんだ。

 俺達はもう、義務教育で甘え癖がついた、日本に生きたもやしっ子じゃあないのだ。

 大人になるんだ。包容力のある男に。

 

「あ、あー……そだな。言い出したっぺのなんとやらー……だな。わかった、行くか、買い物。勉強するための道具とか揃えんといかんし」

「ほんとっ!?」

 

 おーおー、爆裂魔法撃ってぐったりなくせに、随分とまあ嬉しそうに。

 やっぱり女ってのはどの世界に辿り着こうと、買い物が好きなもんなのかね。佐藤もさぞかし…………あ? なに。なんなのそのサイン。……めぐみんまでなにやってんのん?

 なに? ブイサイン? ……を? 斬る? え? ちょっとやだこの娘ったらロリっぽい顔と体躯しといて、こちらの二人をSATSUGAIせよとか言ってきなさ───「おい。そこでドン引きして後退(あとずさ)った理由を聞かせてもらおうじゃないか」……違ったらしい。

 じゃあなんなの。え? なにか斬るんだろ?

 2を斬る? 煮切る………………ぉぉぅ。あのロリっ子、眠たそうな顔してカニバリ「おい。だからそこでどん引きしている理由を聞こうじゃないか」違ったらしい。じゃあなんだよ。むしろなんなの。

 べつにいいでしょこっちのことなんて。つか、佐藤もさ、なにやってんの? そんな、指を揃えて広げた掌に、同じく揃えた指先を当てるみたいなポーズ。

 この世の全ての食材に感謝を込めたい……わけじゃないよな。わかったからそこで頬を膨らませるみたいに口を一文字にしてジト目すんのやめろ。なに、お前らその顔好きなの?

 

「……? ───あ」

 

 いや、あれはサインか? ああやって作る文字かなんか……しかも俺だけに伝えようってことなら日本の文字───漢字だろう。つまりあれは───!

 “入”れて、煮切る───! ……結局煮切るんじゃねぇかよ。おいどうなってんのもう。人をからかいたいなら他所でやってくれ。

 

「だからどん引くんじゃねぇえーっ!! お前普段頭キレんのになんでこんな簡単なのがわかんないんだよ! お前馬鹿かぁっ!!」

「あ? なに。ほかにあんの? ていうかな、声にも出さないでポーズだけでわかってもらおうとかなんなのお前ら。周囲がんーなことばっかやってっから、ぼっちがぼっちらしく在るしかなくなってくるんだろうが」

「もう一つあるだろが! 入れるじゃなくて! 逆だよ逆! はい! アレとアレとが支え合って出来る漢字!」

「お前なんで人の文化祭準備期間の黒歴史知ってんだよ」

「うぉおいぃ!? どっ……どんだけ自分傷つけながら生きてんだよお前! 何気なく言った言葉が黒歴史を軽く抉るとかないわ! もうやめて!? 俺に日本語を使わせてくれよ! このままじゃ気を使って、普通の会話も出来ないだろうが!」

「知ったつもりになってゼスチャー押し付ける相手に、なんでこっちばっかり譲るような行為をしなくちゃなんないの。やだよ」

「……お前ほんとよくその応対の仕方で高校二年までガッコ行けたな……」

「ほっとけ。ぼっちにも生き方ってもんがあるんだよ」

 

 入れるの逆。つまり人か。2で人。二人? 二人、で……斬る。

 ふたり……きり?

 …………あーあーあーあ、そゆことー。なるほどなー。そっかー。

 ていうか負ぶりながらゼスチャーとか大変でしょ? いいよ口で伝えてくれたら。俺そういうの慣れてるから。むしろランクで言ったらS級の自負があるまである。いや、この場合は“あった”なのかね。

 

「……で、なんで納得できたーって顔のあとにまたどん引いてるのか説明してくれるか、同郷」

「いや……だってあれでしょお前。俺をぼっちと見込んで、買い物には雪ノ下と由比ヶ浜の二人で行けって言ってんだろ? なんなのお前、静かに俺のライフポイント削っていかなきゃ気が済まないの?」

「違うわぁ!!」

「ちがわい!!」

「おぉおおーおおぉおお前いい加減にしろよ!? 鈍感とかそれ以前にどうすりゃそこまで自分を基準から外すものの考え方が出来るんだよ! うちの女神様に爪の垢煎じて飲ませたいくらいだわ!」

「あー、いいよ気にすんな。伊達に妹にごみぃちゃん言われてねぇから。休日に自宅に籠るのはお手のものだ。いいんじゃねぇの? 女同士の方が行きやすいだろうし」

「し、信じられませんよカズマ……! ここまで言われて、まず自分を“二人”の枠から除外する男性なんて初めて見ましたよ……! これがカズマだったらなにがなんでも自分を捻じり込んで、お供に好みの女性を巻き込んでぐへへって顔をするというのに……!」

「おいやめろよ! なんでそこで俺の性癖とか語っちゃうんだよ! 言わなくていいことだったろそれ!」

 

 ぼっちが我先に輪に入りたがるとか、あるわけないでしょ。

 引きこもり経験があるのに、ぼっちのノウハウも知らないのか……ああいや、ぼっちと引きこもりは違うわな。

 ぼっちはぼっち。引き籠りには、少なくとも追い出されるまでは心配してくれる家族がいるって方向でいい。

 ……どちらにしても家族は居たか。この甘えん坊め、恥を知れ、自称エリート。

 などと軽く自己嫌悪をしていると、由比ヶ浜が力の入らない体でぎうーと俺の首に腕を回していることに気づいた。

 

「なに、どったのお前」

「……べつに、なんでもないし」

「いやいやそうじゃないってそっちの人……! そういう男ってのはさ、そのー……比企谷。お前相当めんどい性格してんのな」

「……、おー、聞き飽きた言葉だな」

「呆れてうんざり顔で、鼻から溜め息吐くほど自覚してんなら、ちっとは直そうとか思ってやれよ! そっちの娘がほんと不憫だわ! リア充がどうとか以前に初めて応援したくなったよ! あ、キールのあれは生き様に憧れたんで別勘定で」

「いや、知らんけど」

 

 しかし女を負ぶったまま会話をし続けるのもあれなんで、佐藤を促して歩き出す。

 その間、佐藤とめぐみんは由比ヶ浜に、対俺用の話術とやらを伝授しているわけだが……あの、二人とも? おたくらが話しかけてるその娘、俺が負ぶってるんですが? 聞こえちゃってるんですが?

 ……由比ヶ浜、とりあえず疑うことなく言われた通りに話しかけるのやめない? 返さないとこれ、俺が悪いみたいになるじゃないの。だから嫌なんだよこういう状況。

 

「……ぁぃ……てるって……ったくせに……」

「?」

 

 そんな由比ヶ浜だが、耳元なのに聞き取れないくらいの小さな声で、なんぞかをぽしょった。

 あい……愛? なんのこっちゃ。

 

 

 由比ヶ浜とめぐみんを宿と屋敷に届けると、俺と佐藤はアロエを手にレベリング開始。

 佐藤のところのクルセイダーが来たがっていたらしいが却下だ。

 こういう場合は男だけのほうが動きやすいっていうのがある。

 むしろ佐藤から、そのクルセイダーの性癖は聞いているのであの……ほんと、勘弁してください。俺そういうのナマで見たくないです。どう対応しろっての。どう適応しろっての。

 

「《スティール》!!」

「よしっ! 《ハレルヤスマッシュ》!!」

 

 そんなわけでアンデッドバトルである。

 バニルの……まああの店主だが、あいつのお蔭でモンスターの大多数がダンジョンから離れて久しいらしく、前に籠った時にはあまり遭遇出来なかった。

 しかし夜ともなればどっかからかはもぞもぞと出てくるわけで、そんなアンデッドを千切っては投げ千切っては投げ。……ごめんなさい嘘です。佐藤がスケルトンから剣を奪ったタイミングに合わせて、俺が浄化魔法や回復魔法を込めた拳で相手を殴り、昇天させるっていうのが主なレベリング方法だ。

 日本に産まれ、様々な漫画ゲームラノベ知識で得た武器を活かし、俺達はそれはもう効率よく討伐が出来ている。

 

「『クリエイトウォーター』!!」

 

 手から水を出す魔法。それに提案して、軽く小枝を持つように指を握り、ホースの先を押しつぶすイメージで魔法を発動させると、普通に放つものよりも勢いよく水が射出され、ゾンビの顔面を襲った。

 朽ちた皮がずり落ち、洗い流されたところでハレルヤスマッシュで破壊。

 近づいたことで襲い掛かってきた他のアンデッドを、

 

『《狙撃》!!』

 

 アロエが適格に打ち抜き、頭蓋を破壊。経験値に変えてみせる。

 あとで佐藤が「いやいや狙撃の発音はな、もっとシヴく、腹の底から鼻にかけてを抜けるようにこう……《狙撃(ソゲキ)》ッ……! って」などとアロエに説明していたが、全力で拒否されて少しヘコんでいた。

 しかしながらその顔はすぐに笑顔に変わり、ぐうっと伸びをすると、明るい声で語り掛けてくる。

 

「いや~……! 前の今日で言っちゃうのもなんだけど、あの三人が居ないだけでこうも動きやすいなんてなぁ! そーだよ! 俺だってやれば出来るんだ! 最弱職なめんなファンタジー!」

「狙撃スキルも持ってたんだな。しかも命中率必中ってくらいじゃねぇの。どうなってんのお前」

「俺、他のステータスはアレだったけど、幸運値だけは高いんだよ。狙撃スキルはさ、ほら。わかるだろ?」

「あぁ、なるほどな」

「いやぁそれにしても、お前がどこぞのイケメンみたいに飛び抜けた能力持ちとかじゃなくて安心したよ。女二人連れて、イケメンで、能力も特典も飛び抜けてる、とかだったらあの、なんつったか。……魔剣持ちだからマツルギか。あいつみたいだったらと思うとなぁ」

「え? なに、そんなヤツ居たの?」

「ああ。魔剣持ちで最初から能力値が高くて、人生勝ち組、みたいな金髪ヤローだ」

「………」

 

 頭に浮かんだのは葉山だった。

 

「女にやたらやさしくて、好かれてて、他人事なのにこっちの事情にまで首突っ込んできて、正義を押し付けてくるっつーか」

 

 ……葉山だな。

 

「あそこまでテンプレな流れをやられるとは思わなかったよ。自分が勝ったら特典であるアクアをよこせとか言ってくるんだぞ?」

 

 ……葉山でもそれはないな。

 

「で、俺が勝ったから、当然こっちも特典を選ぶだろ? そしたら相手側の仲間が卑怯者卑怯者言ってきてさぁ。最弱職の男一人を相手に、ソードマスターが魔剣持ったまま挑んでくるほうがよっぽど卑怯だろうに」

 

 ああうん、ないわ。葉山だったら相手に戦闘形式選ばせて、相手が納得する条件まで自分が合わせて、その上で勝ってみせる。

 想像するのも腹立たしいが、そこまでやってこそ、出来てこその“みんなの葉山”なのだ。

 天敵は“人間関係の修羅場”な。それ以外だったら最強なんじゃないのかね、あいつ。

 忌々しいけど。ほんと忌々しいけど。

 

「ちなみに俺は、ギルドの受付に初っ端から盗賊奨められたぞ。男として前衛に憧れを抱いてたのに、いきなり盗賊奨められた俺の気持ち、わかる? 潜伏スキルとか敵感知スキルに強い適正があるのでどうぞ、とか。異世界に来て、受付にまでぼっち認定されるとは思わなかったわ」

「かける言葉が見つからない……!」

「普通さ、こういうの転移特典とかあるもんだろ。ほらあのー……なに? 転生とか転移もののセオリー的な意味で。ファンタジー世界に来たら魔法は撃ってみたいよな? 知力には、偏りはあっても多少の自信はあったんだよ。なのに盗賊だと。他はプリーストだと。雪ノ下はアークウィザードとして優秀で、ポイントが足りなかったから中級魔法だが、それでも威力が普通じゃない。由比ヶ浜はステータスが低くて冒険者にしかなれなかったが、その分ポイントがアホなくらいあったらしい」

「訊いてなかったけど冒険者なのかよ! あ、そういやドレインタッチがどうのって……」

「おう。で、冒険者なのに爆裂魔法覚えて、まだポイントが余るくらいにポイント持ってたんだ。俺なんて8だよ? 特典らしい特典なんて一切ありゃしない」

 

 まあ、初心者ブーストってのが特典らしいってのは、仮面の店員バニルさんと話し合って理解はできたんだが。

 ちなみにHPMPがブーストされるだけで、変動はない。レベルアップしても数値はそのままで、レベルに見合った数値として世界に認識された時点でようやく変動が起こる。

 だから俺達は、いくらレベルが上がろうが……あぁほれ、あれな。現在のMPが100として、レベルが10上がろうと100のまま。20レベルあたりの冒険者の平均MPが100ですよってところまで来たら、ようやく21レベルからMPなどに変動があるって特典らしい。

 こうなるとレベルの上げ甲斐があんまないんだよな。いや、最初からHPMP高いのはほんとありがたいけどさ、カエルに食われたら一撃だもの、笑えない。

 

「そりゃ、アクアを特典として、って聞けば文句を言いたくもなるかー……なんかほんと悪いな」

「あー、いーよ。ただ、ほら、あれだ。俺が言うのもなんだけど、当たり前にあるものに感謝すんのを忘れたら、その時点で人間的に終わるから、それは忘れんなって話だ。仲間だからそうするのは当たり前だ、とかじゃなくて、慣れちまったから言いづらいことでも、口に出してみりゃいい。大変忌々しいことに、当然のことなのに忘れちまうんだよ、俺達は。……言わなきゃ伝わらないなんて、当たり前なのにな」

「実感、籠ってるんだな」

「伊達に長年ぼっちやってねぇよ。お前も引き籠る前に告白でもして、盛大にフラレてりゃあいろいろ吹っ切れてたんじゃねぇの?」

「それ、最近よく思ってるよ。予測だけで離れて、ビッチ呼ばわりは勝手だったって」

 

 先に立つ後悔があればね、ほんと。

 お互い溜め息をこぼし、夜空の下で軽くごつんと拳を合わせた。



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これはぼっちですか? いいえ、目だけゾンビです

 ぼっちと引きこもりも目的があれば動ける。
 それは食事のためであったり便意に襲われたり、目的のためならば働きたくないでござる星人も動けるのだ。
 ではこの世界で彼らが動ける理由はなんだろう。
 ……自分で稼がないと食っていけないからですねわかってました。
 あと別にぼっちの全てが働きたくないでござる星人なのではなく、ただ人と関わり合いたくないぼっちが大半で、関わり合いたちぼっちも大体面倒な性格であると自覚、自負していたりする。
 なので一緒に働くと迷惑なんじゃと思いがち。
 ゆんゆんはそこで一歩引いてしまうタイプで、ヒッキーは状況に応じて動くタイプ。でも基本関わり合いたくないし働きたくないでござる。
 ……ダメ人間じゃないか。

 タイトルの元ネタはこれはゾンビですか?
 転移、召喚モノっていっぱいありますよねほんと。
 異世界から転移してきたものも合わせれば、それはもう。


 ……結論から言おう。

 

「比企谷八幡さん……。ようこそ死後の世界へ。私は、あなたに新たな道を案内する女神、エリス。この世界でのあなたの人生は終わったのです」

 

 どうしてこうなった。

 むしろやっぱりこうなった。

 

「あぁ、その……えぇと……」

 

 とりあえずアレだな、こんな神殿っぽい場所で女性と二人きりとか、ぼっちにしてみりゃ生き地獄。死んでるけど。

 無駄に意識しちゃうし、意識しちゃう自分が恥ずかしいから気を逸らしたいのに意識しちゃうし、こういう人ってこっちが黙ってても気を使って話しかけてくるから安心できないっつーか。

 ようするに“やさしい女の子”なわけだ。

 勘弁してくれ、やさしさは毒だ。

 俺は相手がどれだけ綺麗だろうが可愛かろうが、苦手意識があれば距離を保てるぼっちの鑑。

 心を凍てつかせて、調子に乗れば後で待つのは虚しさだけだと戒めれば、どんな女性の慈しみに満ちた笑みだろうがスルー出来る。

 女神様がいろいろ話しかけてくるのを華麗にスルーする中、俺はといえば……死ぬきっかけになったあの瞬間のことを思い返していた。

 

 

 

     7

 

 レベルも安定して上がり、金策も上手く回って金が入っていったある日のこと。

 

「おーい比企谷ー!」

 

 なんでか佐藤が馬小屋まで来て、俺を名指しで呼んだのだ。

 藁に寝転がり、毛布だけ被っていた俺のもとへ来たそいつが言うには、仲間のクルセイダーの提案でヒュドラを倒しに行くからそれに付き合ってくれないか、とのお誘いなのだそうな。

 いや、来る場所間違えてない? 確かに最近、超がつくほど順調にレベルアップしてるけどさ、ボスっぽい相手とはまだ早いんじゃない? 強大な敵との実戦経験が少ないのに、いきなりレイドボスとか勘弁だ。

 そりゃな、雪ノ下が上級魔法を覚えてからは、苦労ってものが晴れ渡るくらいに討伐が楽になって、クエスト完了率も上がって、資金も潤った。そして俺の活躍がソワソワするほど消えた。ギルドに行くたびに、役立たずのヒモ野郎とか思われてるんじゃ、って見られてるわけじゃないのに視線が気になるっつーか。

 まあその、それさえ気にしなけりゃ安定ってこういうことを言うのんなー……とか、のんのんとした平和を味わってる気分になれるよ? なれる。……なるよ。

 ていうか上級魔法とかってもっと必要なポイント高いかと思ってた。レベル20あたりであっさり覚えられるとは。

 ……と、思ったのも束の間、ギルドのお姉さんに“上級魔法!?”と驚かれたので、ああまあその、なんだ。たぶんっつーか絶対にこれ、チート込みの状態だと気づいたのだ。

 

(……パーティー内のスキル習得必要ポイント半分、とかね、誰にも言えないでしょこんなの)

 

 通常、爆裂魔法なら50、上級魔法なら30必要なんだそうな。

 他の魔法にしたってそうだ。そもそも8程度で様々を覚えられること自体がおかしかった。

 ギルドのお姉さんにスキルの必要ポイントを雪ノ下経由で訊ねてみれば、やっぱり必要ポイントが半分になっているっぽかった。雪ノ下も驚いていたが、口にはしなかったから助かった。驚きながら口を滑らせそうだった由比ヶ浜は、予想がついてたから俺が抑えてたし。やめて? そういう悪目立ちって些細なところからくるんだから。

 しかしそういう状況を予測し、未然に防ぎ、回避することこそぼっちスキルの真価。

 けどだ。そもそも俺達のそのー……転移特典? ってHPMPブーストじゃねぇの? と先日バニルを訊ねてみれば、あんにゃろ律儀に俺の特典スキルしか覗いてねぇでやんの。

 安くない報酬を払って見通してもらってみれば、いろいろとわかったことがあった。

 まず最初に、転移特典は冒険者カードには記載されないのと、神だの女神だのに近しい者ならば、特典スキルを覗くことが出来る。佐藤のところの女神様は、わざわざそんな面倒なことはしないから安心だ。が、バニルは違ったわけで。

 そもそもの誤解として、俺達全員の特典がHPMPブーストだったわけではなく、俺の転移特典スキルがPTのHPMPをブーストというものであり、雪ノ下が“スキル習得ポイント半分”、由比ヶ浜が“所有ポイント寄贈”というものだった。なるほど、確かに状況的には頷ける。由比ヶ浜のだけ個人スキルだったのが悔やまれるが。ちなみに寄贈といっても由比ヶ浜から誰かに渡せるわけではなく、“キミには最初っからポイントを贈っておくよ?”という、まあ神だか誰だかから既に贈られたもの、という意味での寄贈だ。

 

「はぁ……」

 

 で、問題のアロエなんだが。

 アロエはなー……いや、俺達のところのアロエは普通だったよ? 問題なのがもっさりさんの方でさ。

 転移特典が“強制転移”的なものだったんだよね。

 それを知らずにいたアロエをバニルが発見、これは珍しい生き物だとばかりに見通してみれば、とんでもない異能力持ち。

 勝手に覗いたお詫びと、未来への楽しみへのささやかな礼として佐藤の今後についてを軽く見通したことをアロエに伝え、俺達はそんなアロエに召喚されたようなものってわけで。

 

 

 ───ようするにだ。

 

 今回の騒動のそもそもの発端は……平行世界の俺達に会いたいと願った、アロエが引き起こしたものだったということなんだよ!

 

 ΩΩ Ω<ナ、ナンダッテー!?

 

 

 ───などと脳内でアホなことやってないで、本題に入ろう。

 

 ともかく俺達もレベルが上がった。金も順調に稼げている。

 だのに何故俺が馬小屋なのかといえば……誰にも邪魔されず自由な空間だからだ、としか言えない。

 宿でも同じだろう、と言う人も居るだろうが、この世界の宿って壁薄いんだよ。誰かが騒げば聞こえるし、子供が泣けばやかましいわけだ。

 その点、馬小屋はそこに住まう者たちが暗黙の了解で静かに寝る。最高じゃないの。手元に小説がないのが難点ではあるが、それでも十分だ。

 なので、大衆浴場で汗を流した俺が向かう先は、馬小屋なのだ。もちろん雪ノ下や由比ヶ浜を宿に届けてからだが。

 佐藤の提案で俺もバニルに商品の案を売って、金ももらったから、ほんと金は十分にあるんだけどね。

 その手があったかって佐藤が唸る商品の権利を売ったわけだが、こればっかりはぼっちだからこそ売れるもの、という方向だから、お前じゃ気づけん。

 さて、そんな、未だにぼっちであることを受け入れ、むしろ誇っていた俺なのだが……先日、仲間が出来た。

 

「……で、なにやってんのお前」

 

 説明を終えて、息を吐いていた佐藤が、半眼でこちらを見つつ言った。

 何故って、だるそうに起きて、毛布をめくった俺の隣には、一人の女の子が眠っていたからだ。

 

「眠ってて、起きたところだな」

「そうじゃなくて。ゆんゆんとなにやってたのお前」

「……誤解がないように正直に答えるが、たまたまギルドで商品の案についてを考え込んでたんだけどな、じ~っと見てくる気配があって、目を向けてみたらこいつが居た。で、噛みまくりの緊張しまくりのまま名乗られたかと思ったら、パーティーに誘われてな。あんまり噛むもんだから、もしやぼっちではと思ってカマかけしたらぼっちだった。で、ぼっちについて語り明かしたら……」

「明かしたら? なんだよ」

「……師匠って呼ばれて懐かれた」

「っ……」

「おいやめろよ……泣くなよ……おい、泣くなよマジで。やめろ……やめろよ!」

 

 ともあれだ。仲間募集してるんだったらパーティー入るか? って言ったらそれはもう大層驚いておった。

 なので今日、宿に向かって二人に話を通すつもりだったわけだ。

 一緒に寝てたことに意味はない。ぼっち談義に夢中になって、それに付き合ってたら眠くなったから寝ただけだ。ほんと、それだけ。俺が女に手をだすとか、あるわけないでしょ。男は狼だとか、リスクってもんを正しく理解しているぼっちがそこに踏み込むわけがない。

 で、ゆんゆん。紅魔族で、またしてもウィザード系なわけだが、選り好み出来るパーティーじゃないから仕方ない。

 ようはアレだ。近づかれる前に魔法で倒せば済むことだ。魔法使いの射程距離なめんなってことで、後衛しか居ないパーティーが改めて組まれたのだった。あ、いや、あいつらがなんて言うかは知らんけど。

 由比ヶ浜あたりがどう出るかだよな、結局。自分以外の女が雪ノ下と仲良くすると嫉妬するあいつだから、めぐみんが雪ノ下をゆきのんって呼ぶと頬を膨らませるし、今回も……ああ、そういや雪ノ下に中級魔法教えてくれたのってゆんゆんだったか。なんか見覚えがあると思った。

 

 

-_-/ざっとした回想

 

 あれはそう。俺がプリーストさんから補助魔法やらを教わり、雪ノ下が誰かから中級魔法を教わった時のこと。まあようするに、ジャイアントトード討伐に行く前のギルド内の出来事だな。

 

「ゆきのんは中級魔法を覚えたのですか。どうせなら辛抱強く溜めて、爆裂魔法を憶えればよかったのに」

「めぐみんまだそんなこと言ってるの!? 他の人まで巻き込んだらだめでしょ!?」

「フッ……巻き込むなど人聞きの悪い。見るのですゆんゆん! 一切疑うことなく、爆裂道を歩んでくれた同士が既に私には居るのです!」

「えぇええええっ!? ば、ばかぁっ! なんてことしてるのよめぐみん! 人の人生をぶち壊しにして楽しいの!?」

「ぶちっ……!? ぶち壊しとは言ってくれますね! あなたには爆裂魔法の素晴らしさというものが───」

「おーい、なんか騒いでるとこ悪いんだが、初心者にオススメのクエストってなにがいいんだー?」

「おおハチマン! 丁度いいところに!」

「そういう出だしって大体ろくなことがないから、とりあえず質問に答えてくれな」

「むうっ……そうですね。一般的にはジャイアントトードが初心者向けと言われています。一般的には」

「……なにその強調された一般的。なにか裏でもあるのかよちょっと」

「む……いえ、問題ないでしょう。ゆきのんが中級魔法を覚えましたし、問題もなく楽に討伐出来ると思いますよ」

「ほーん……? そか。けどまあ気になるから一応ついてきてくれな」

「……。えっ……?」

「手伝ってくれるんだろ? あーほら、さっき……“なんならこの私が手伝いを───”って言ってたし」

「い、いえその。我が爆裂魔法はあの頃より成長を果たし、もはやジャイアントトードごときに放つものでは───」

「初心者に向かって、なんならこの私が手伝いを、って言ったよな? 初心者が受ける依頼を手伝う気でいたんだよな? どうなのちょっと、ベテランさん」

「……い、いいですよやりますよやってやろうじゃないですか! その目に焼き付けるがいいのです! 我が最大最強の魔法の素晴らしさというものを!」

「い、いいの!? めぐみん! そんな安請け合いしていいの!? だってめぐみん、再会した時だって食べられ───」

「ゆんゆんは黙っていてください! 大体なんですか喋るたびにたゆんたゆんと視界の横で揺らして! あれですか! 当てつけですか鬱陶しい!」

「痛い! ちょっとやめて! 胸叩かないで!」

 

 ……俺はその時、おっぱいに往復ビンタをする人を初めて見た。

 

 

 

-_-/現在

 

(で、なんだかんだパーティーにぼっちが追加されたわけだが)

 

 あっさりだった。

 で、連携の確認も出来ない内から、いきなりヒュドラ退治ときたもんだ。

 奉仕部とアロエにゆんゆんを加えたパーティーと、佐藤率いる魔王軍幹部キラー隊にもっさりさんを足した俺達が道をゆく。

 ……佐藤は随分とこっちを羨ましいだのと言うが、そっちだって随分とまあ美人さん揃いなことで。

 改めて見ると、人のことをどうこう言えたもんじゃねぇだろこれ。

 

「改めて、挨拶をさせてくれ。私はダクネス。クルセイダーを生業としているエリス教徒だ」

「うん、よろしくね、ららてぃん」

「らっ!? らっ……ららてぃん、とは……わ、私のことか!?」

「? うん。本名は佐藤くんから聞いてるから。だからららてぃん」

「~……!!」

「どわっ! ちょ、やめろ! なんで急に首絞めてきてるんだよお前は! いーだろべつに、今さらお前の本名知らないやつなんて、アクセルには───あ、でも佐藤くんって懐かしい響き……! って、やめろってこら! やめっ……やめてください!」

 

 とりあえず会話の一つ一つで騒ぎを起こさんと気が済まんのかね、あっちのパーティーは。

 佐藤の首を絞めにいってる……あぁえっと、クルセイダーの、ダクネスとかいったっけ? 本名があるらしいが、ららてぃんって由比ヶ浜のネーミングから想像出来る名前の候補がない。……あ? 佐藤が話してる時に俺は聞かなかったのかって? 好んで大勢に混ざる趣味はないのよ、ぼっちには。囁き声には敏感だけど、丁度その時は聞こえなかったんだ、しょうがない。“年上のクルセイダーが居るけど、親し気にララ○○○○って呼んでやってくれ”って言ってたのを聞いたくらいだ。

 名前の部分がしっかり聞き取れなかった。

 ……ララ、ララね。そのままララってことはないだろうから、ララなんとかさんなんだろうが……と考えている少し横で、ヴァサァとマントが大きく揺れた。ああ、めぐみんが自己紹介始めたのか。うん知ってた。

 

「そして私がめぐみん! 紅魔族随一の魔法の使い手にして、爆裂魔法を操る者!!」

『我が名はアロエ! ツルボラン亜科随一の多肉植物にして、爆裂道を学びし者!』

 

 めぐみんに続き、アロエが名乗る。

 信じられるか……? こんなちっさな動植物が、俺達を召喚したんだぞ……?

 特典って怖いわ……マジ怖い。

 

「で、私がアクア。そう、アクシズ教徒が崇めるご神体、あの女神アクアよ! さあ、私を崇めなさいかわいい我が信徒たちよ!」

「あ、うち仏教なんで」

「仏教なんて今時流行らないわ、悪いことは言わないからアクシズ教に入信しなさい」

「流行り廃りで選ぶワケないでしょ……あー、ども。一応アークプリーストやってる比企谷八幡っす」

「雪ノ下雪乃です。その、アークウィザードをしています」

 

 女神様の紹介を軽く流し、軽いまま自己紹介。

 続いて雪ノ下が軽く会釈しながら名乗り、ひとりめぐみんと同じ服装の由比ヶ浜が、マントの端をぎゅうっと握りしめながら久しぶりに顔を真っ赤にしておろおろしていた。

 

「え、えと、えと……!」

「ゆいゆい! さあゆいゆい!」

「う、うー、うー……!!」

 

 ……これ、もしかしなくてもあれだわ。わかっちゃったわ俺。

 紅魔族式挨拶をするかしないかの葛藤だわ。

 その横で、ゆんゆんがめっちゃそわそわしながら由比ヶ浜をチラチラ見てるし、間違いないわ。由比ヶ浜がやってくれるなら、って感じで待ってるアレなアレだわアレ絶対。

 一応ゆんゆんが、紅魔族式挨拶を恥ずかしがっていることは本人から聞いているので、由比ヶ浜が勇気を示してくれたなら、って期待してるんだろーな。

 

「どうしたのですゆいゆい! 気を! 気を惹けなくてよいのですか!?」

「───! わ、わわわ我が名はゆいゆい!! 奉仕部随一の空気の読み手にして、冒険者でありながら爆裂道を歩みし者!!」

 

 とうとう覚悟を決めたのか、ヴィスィーとポーズをキメて叫ぶ由比ヶ……ゆいゆい。

 そのキメポーズが、いつかのやんちゃな自分が好きだったポーズに似ていたため、古の咎が俺の心をゲイボルク。

 軽く……もとい、どん引いた。

 

「ゆ、由比ヶ浜……?」

「由比ヶ浜……さん……? あなた……急になにを……」

「あれぇ!? すっごいどん引きだ!? めぐみん!? ねぇめぐみん!? 話が違うよ!? はなっ……こ、こんな恥ずかしい思いしたのに……!」

「───! こ、こんな……紅魔族じゃないのに、こんなふうに名乗ってくれる人がいるパーティーなら、私の名前のこともおかしいって思わないんじゃ……! わ、我が名はゆんゆん! 紅魔族族長の娘にして、いずれ族長の座を継ぎし者! あ、あのっ、ゆいゆいさんっ! わ、私と───! あ、あの……あの? あれぇ!? 聞こえてない!?」

 

 ゆいゆいがめぐみんに詰め寄り、めぐみんが堂々と「そこで恥ずかしがるからいけないのです! もっと堂々と!」と言ってそそのかしたり、ゆんゆんがゆいゆいに期待を込めた眼差しで近寄ったり。

 律儀にもう一度、今度は心から格好いいポーズ(俺の過去の咎)を取った由比ヶ浜を前に、俺が超どん引いたり。

 そんな中、名乗る者が居なくなったこの二つのパーティーの中、ハッとなって狼狽えるアロエが一人……ん? 一人? って、それはもういい。

 

『あわわわわわ、わたっ、わがっ、え、えっと……!』

「……知ってるだろうけど、こいつはアロエな。そっちの普通に歩けるアロエと違って、根を下ろしてるから歩けないけど、気にしないでやってくれ」

 

 と、自己紹介を終えたのだが。

 なんでか由比ヶ浜が「わあああああー!」って叫びつつ、めぐみんの頬を引っ張り始めた。え? なに? なにかの気を引きたかったの? なんかそれっぽいこと言ってたけど。

 いや、ちゃんと引いたよ? どん引いたじゃないの。え? 引く意味が違う?

 

「あ、あのっ! あの、あのぉっ! ……あ、わ、私、ゆんゆんっていいます! ゆいゆいって名前……めぐみんのお母さんと同じなんて、もしかして紅魔族だったり……!?」

「ふえっ!? ややや違う違う! あたしはその、ゆきのんやヒッキーとおんなじ日本人だから、そのー……こーまぞく? っていうのとは違うよ!?」

 

 言いながら、めぐみんの頬から手を離し、胸の前でぱたぱたと手を振る由比ヶ浜。

 解放されためぐみんは、頬を両手でさすりながらも雪ノ下へと微笑みかけた。

 

「ゆきのん……思えばあなたも素晴らしい名前でしたね。ハチマンといいゆいゆいといい、他のアクセルの冒険者にはない良い名です。紅魔族ではないとのことでしたが、あなた方とは良い関係を築いていけそうです」

「あの……めぐみんさん? 私の名前は───」

「いえいいのです! ……裏の名、というものでしょう? わかっていますよフフフ」

「待ちなさい、わかっていないわ。訂正っ……訂正をっ……!」

「……ハッ!? まさかゆきのんという名さえ真名を隠す偽名だというのですか!? いえ、ですが私がそれを聞くわけにはいきません。ゆきのん、どうか口を噤んでください」

「誤解だと言っているのよっ! ~……こほん。話を聞いてちょうだい、めぐみんさん」

 

 ……おい。なんでそこでこっち見んのめぐみん。

 べつに俺に“聞いてあげるべきなのですか?”とか視線送らなくていいから。べつにリーダーとかそんなんじゃないし。

 雪ノ下も、なんでか俺をじいっと見てくるし。なんかもうこれヒュドラ倒しに行くって空気じゃないでしょ。

 しかしどうにも、同じ目で雪ノ下に見つめられた経験がある俺としては、俺なんぞに助けを求めるような、この目をさせたままっていうのは納得できるものではなく。

 

「……こいつの真名は“ゆきゆき”だ。耳に通したら忘れてやってくれ」

「比企谷くん!?」

 

 しっかり者の母親とはぐれた子供が、ダメ親父に状況的とはいえ頼ってしまうような状況のさなか、敢えてその手を振りほどいてゆくスタイル。

 知りなさい、我こそがぼっち。頼られたなら、自分の良し悪しでしか状況の解消なんぞ出来ません。

 

「───……、……ぉ……ぉおお……! なんということでしょう、裏に隠し、偽名に隠した真名を教えてくれるとは……! ええ、呼びません、呼びませんとも! そう、私たちは忘れたのです! そうですね、ゆんゆんっ!」

「う、うんっ! 絶対に口外しないし、そもそも忘れたわ! そっか……そっか! 裏の名前って方法があったんだわ……! わ、私もそうやって、本名を隠して……!」

「なにを言っているのですかゆんゆん! 紅魔族たる者が己の魂の名を隠すなど! ───そういうわけですから安心してくださいゆきのん! 思えばあなたは出会った頃から振る舞いが上品でした……おそらくやんごとなき場所のご令嬢。いえ、今の言葉もなかったことに。ええ、私はあなたの真名など忘れたのでぇすからっ!」

 

 胸に手を当て、大げさな振る舞いでズヴァっと言葉を連ねるめぐみん。

 その勢いに呑まれたかのようになにも言えない雪ノ下は、しばらくおろおろわたわたと胸の前で手を彷徨わせ……やがて、溜め息とともにその両手と頭をがくりと下げた。

 

「い、いやあの……めぐみん? 私もだな、その……やんごとなきー……その……」

「? なにそわそわしてるのダクネス。お風呂上りのダクネスがやってくるのを待ってるカズマみたいで気持ち悪いわよ?」

「なぁっ!?」

「ばばバッカなに言ってんだお前! し、してねぇし!? そわそわなんてしてねぇし!!」

「ところで師匠! それって安楽少女じゃないんですか? あ、あの、触らせてもらっても……!」

『ぴう!? あ、あぁあああああろ、あろろ、あろろろろろろ……!!』

「……怯えてるから、そっとな。あとその興奮しすぎて光り輝く瞳、なんとかしてやんなさい。お前そんな目ぇばっかしてるから、近づくと逃げられてたんじゃねぇの?」

「……ハッ!?」

 

 周囲がとってもやかましかった。

 なぁ、その……俺達これからヒュドラと戦うんだよな? くーろんずひゅどら、とか言ったっけ? ……危機感なさすぎじゃない? 大丈夫なのかこれ。



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交流討伐ヒュドラスト

 甲竜伝説ヴィルガスト。クソゲーとして過去にプレイした記憶あり。
 でも一応、異世界転移ものなのよこれ……。漫画だか小説だかどれだかは忘れましたが。
 どこらへんに甲竜の伝説があったのかがまるで謎。
 淡々と進む内容、敵の攻撃力とこちらの回復力が割に合わない伝説なら残しているかと思います。
 元々はガシャポン作品だったらしいです。記憶に全然残ってない……。
 “ガシャポン”って登録商標だったんですね……僕が子供の頃はガチャガチャって言ってましたよ。ちなみに“ガチャ”はタカラトミーが登録しているそうです。

 記憶にある鎧のヒーローっぽいなにかって言ったら、個人的にはエスパークスですね。文房具店の顔みたいなものでした。

 あ、別にタイトルはヒュドラがストを起こす的なものじゃないのでご安心ください。語呂合わせです。最初のコノスバードと似たようなものです。
 考えてみればこのすば原作小説も、パロったサブタイトルなんですよね。
 こっちは転移もの、召喚もの、転生ものでタイトル揃えたいナーとか思ってやってましたけど、これ案外難しいですね。
 じゃあもう『ヒュドラさん働かない』でいいかな……。
 ではでは、お気楽に読んでやってくだせぇ、詳しい攻防などは原作小説をオススメするのデス。
 安いよっ! ……いえ、通常価格ですが。


 盛大に騒ぎながら、俺達はヒュドラが棲むという湖までやってきた。

 大きな、それはもう大きな湖を前に、斧でも投げ捨てたら精霊とか出てこないかしら、なんてメルヘンを考える。ファンタジーで泉や湖っていったら、とりあえず妖精か精霊かエルフが居そうな気がするのはラノベ脳? いや、ラノベに限った事じゃないでしょ。

 さて、問題のヒュドラ討伐作戦だが。なんでも湖の水を浄化していけば、それを嫌がったヒュドラが水底から出てくるので、そこを爆裂魔法で討伐! といった流れらしい。

 ヒュドラは目覚める周期が決まっていて、そろそろ目覚めて暴れるから、その前にこちらから出向いてボコっちゃいましょう作戦。ひどい名前だ。

 自然に目を覚ますより、奇襲をかけたほうがいいだろうって話なんだろうが……いきなり叩き起こされたら誰だって機嫌が悪くなるもんだって、どうして誰もツッコまなかったのか。

 

  青い女神様が湖に触れて、浄化を開始してしばらく。

 

 おんどりゃなにしくさっとんのじゃとばかりに水を吹き飛ばして現れたヒュドラは……それはもう見るからに機嫌が悪そうだった。

 だが機嫌がどうこうよりもまず、することがあった。あったのだ。

 

「でっ……で、かっ……!?」

 

 絶叫したかった。が、本能がそれを止めた。やかましく叫べば、真っ先に狙われそうって俺の本能が叫んだっぽい。でも絶叫したい。でっけぇええええって叫びたい。心が叫びたがってるんだ! ……叫ばなくていいから黙っててください。ていうかこのサイズが納まる湖の深さってなんなの?

 ───ちなみに。

 千葉県は印旛沼(いんばぬま)は、浅くて有名な湖沼(こしょう)の一つとして知られ、その水深は2m弱と云われている。まあ湖沼といっても沼側なので浅さは仕方ない。あ、湖側では世界一深い所ともなると、水深が1700m以上とも云われており、それ湖でいいの? とかツッコミたくなる深さだそうな。

 ……さすがにこの湖もそこまで深くはないだろ。ないよな? ……ないって方向でひとつ。

 よ、よし、とりあえず確認な、確認。

 俺達はあいつに爆裂魔法と上級魔法をブッパなして、ダメだったら逃走。

 なんかいけそうなら戦闘継続。継続しても駄目そうだったら逃げる。敵の行動パターンとかを出来る限り調べて、次に活かすつもりで。

 

「ばひゅっ……爆裂魔法撃ってへぇっ! だだだダメだったら逃げる作戦だったよにゃ!?」

「おおっぉおおおおう! ひけっ……いけそうならいく方向で! ってわけで頼むぜ二人とみょほぉっ!」

 

 悲鳴にも似た声で噛みまくりながら確認をすると、佐藤も悲鳴みたいな声で返事をして、めぐみんと由比ヶ浜を頼った。お、おい? おいちょっと!? お前魔王軍幹部キラーじゃなかったの!? なにその恐怖に彩られた声! もしかしてこのヒュドラって魔王軍幹部よりやばい感じなの!? なにそれ聞いてない!

 しかし俺の恐怖や疑問はさておき、「「『エクスプロージョン』!!」」───二人が放った爆裂魔法が、クーロンズヒュドラの数ある頭部に直撃。

 轟音と爆風を巻き起こしながらキノコ雲を作るその威力に、どうしてか“日本が核を持たない理由”という言葉が浮かんだ。

 SUMOUとかNINJAがこの場に居たなら、TORIKUMIだけで圧倒出来たり、「イヤーッ!」「グワーッ!」だけで終わったりしたんだろうか。

 しかし現実は甘くないわけで。こう油断していると、大体が再度襲ってくる。なので極力フラグになるような言葉は───

 

「やったわねカズマ! あっさり倒せすぎちゃって拍子抜けもいいとこよねっ!」

「だからなんだってお前はそう、人の安堵をフラグでぶち壊すのが好きなんだ!!」

 

 ダメだった。女神がそう言った途端、身体のみを残し、煙を立ち昇らせて動かなくなっていたヒュドラの体から、消し飛んだはずの首が再生。

 ピッコロさんの腕のように「ずあっ!」って感じで生えてきて、それはもう……キモかった。

 ……なんで俺、キモいって言葉でヒュドラと共感を得てんでしょうね。由比ヶ浜の所為だ。

 しかしその再生だってそこまで速いわけじゃなく、一本一本メキメキゴボゴボと再生していた。

 ここで連続して爆裂魔法が撃てれば違ったんだろうが……あ、これ力が一歩及ばずで無限ループにハマるタイプの敵?

 今じゃ、パワーをメテオに、とか言ってMPでも捧げられたらよかったんだが、掻き集めているうちに再生も終わってしまう。

 

「「『ライト・オブ・セイバー』!!」」

 

 首を再生して、暴れ始めたヒュドラの首を、雪ノ下とゆんゆんが殺いでゆく。

 ヒュドラが脆いのか魔法が強すぎるのか、二人の上級魔法ならヒュドラの首も飛ばせるようだった。

 が、それも何度も連発出来るわけじゃない。

 そう、ようするに……決め手が足りなかった。

 

「ン《狙撃(ソゲキ)》ッ───くそっ、狙撃くらいじゃどうにもなんねぇ! おいアクア! やっぱりお前の魔力を───」

「嫌よ! 私の神聖な魔力を分け与えるのはあれっきりって言ったでしょ!? 嫌! 絶対嫌! 私の魔力は今、ゼル帝を立派なドラゴンの王にするためだけにあるんだから!」

「ぉおおおお前はぁっ! この非常時に我が儘言うなよ! ……あああまた再生しちまった! おいこれほんとどう倒せばいいんだよ!」

「……普通だったら王国の騎士らと共闘して倒すんだったか? なんだって王国のやつらは来れないって話になったんだよ」

 

 又聞きした、のではなく道中の会話が耳に入っただけの情報を、自分で確認するように言う。

 と、丁度隣で剣を構えていたクルセイダーのお姉さんが、その言葉を拾ってくれる。

 独り言を拾われたみたいで恥ずかしい。や、普通に独り言だったか。

 

「いや、もちろん準備は万全に整えようとは思ったのだがっ……」

「……イヤ、実ハ王国ニ、大変実力ノアル盗賊ガ出タトカデ、実力アル騎士達ハ、ミィンナソノ対処ニ……」

 

 クルセイダーのお姉さんにじとりとねめつけられた途端、汗を噴き出し、カタカタと顔を逸らしながら言う佐藤。

 ……こいつ、王都でなにかやらかしたんじゃないだろうな。

 そういや詳しいこと聞いていなかったが、仲間からの迷惑で苦労がどうとか心労がどうとか以前に、お前だって結構やらかしてるんじゃないの? ねぇ? ちょっと?

 いや、話を戻そう。

 そもそもこのクーロンズヒュドラは、王都でも実力を認められた者達が対応し、倒すような、ゲームではレイドボスと言っていい巨大モンスターだった。

 それをなんでかこの、鎧に身を包んだクルセイダーさんがやたらと倒したがったらしい。それに付き合うかたちで俺達はここに居る。

 

「……、あ、あの、ゆいゆいさん、ゆいゆいさんっ」

「へっ!? あ、えとー……ゆんゆんちゃん? あの、あたしね? ゆいゆいじゃ───」

「あのヒュドラ、もしかして……あのっ、もしかしてですけどっ! なにいきなり意見とか出してんのとか思わないでほしいんですけどっ、」

「言わないし思わないよ!? どどどどうしてそんなことになるの!?」

 

 のちに彼女は言った。この時の彼女は、出会った頃の俺よりも卑屈だったと。

 ……それ、本人の前では言ってやるなよ? てか、なんでそれを俺に言う必要があったんだ。

 

「あの……あのヒュドラ、首の再生中は動けないんじゃないかと思うんですけど……」

「え? …………あ、ほんとだ」

「魔力吸収に集中してたから気づかなかったけど、確かに動いてない……よな? よし、じゃあ───」

「逃げるのよね!? 逃げるのよねカズマさん! じゃあ全力で逃げるわよ! 私にはゼル帝っていう、私の帰りを待つドラゴンの卵が───」

「逃げんな! 動けないならあいつから魔力を奪えばいいんだよ! ダクネス! 念のためデコイ頼む!」

「ああ、任せておけ! ───《デコイ》!!」

 

 デコイ……敵対心を自分に集中させ、囮になるそのままの名前のスキル。

 防御力が高くなければ大した意味もないだろうが、あのクルセイダーさんは問題ない。

 なんでもあのバニルが作った人形爆弾の爆発を、こう……直撃でくらっても、平然としていたそうだから。

 ……バニルって元魔王軍幹部って佐藤に聞いたんだけど。そんな存在のお手製の爆弾で無傷とか、もう普通じゃない。

 

「『ライト・オブ・セイバー』! っ……キリがないわね……!」

 

 上級魔法で首は斬れる。数ある首の一本ずつだが、斬れないことはないのだ。

 なので雪ノ下にもゆんゆんにも頑張ってもらい、俺は応援。

 アロエが狙撃、もっさりさんがダンスマカブヘアーもびっくりの髪の毛であるアロエの葉部分を固めた拳で戦う中、応援。

 しかも口に出しての応援は苦手なので、実質なにも言わずにそわそわするだけの俺。

 しょうがないでしょ、支援魔法でいたずらに魔力消費するわけにはいかないんだから。

 せめてめぐみんと由比ヶ浜の二人が、自力で動けるくらいまで吸っても平気な量くらいはキープしておかないと、いざという時に逃げられないんだよ!

 

「ねぇねぇハチマン。あなたはなにもしないの?」

「魔力温存してんだよ……ほっといてくれ。つか、お前もなにもしないのかよ」

「ふふん、私はし~っかりとパワードもブレッシングも使ってるもの! ま、私が居れば負けはないわね。あなたたちとは魔力量の絶対値がそもそも違うんだから。ほらほら、感謝してくれていいのよ? むしろ崇めて……ううん、アクシズ教に入信したらどうかしら!」

「お前からドレインタッチするのがOKなら考えんでもない」

「え? ほんと? って、それ絶対に入信しない言い回しじゃない! なんてことなの……!? 女神様のやさしさにつけこんで、私の神聖な魔力だけを盗ろうだなんて……! 鬼! 悪魔! その腐った目は伊達じゃないってことなのね!?」

 

 なんでだろう。こいつにだけは言われたくない。

 しかしこう……アロエも狙撃で、もっさりさんもダクネスと一緒に囮として活躍する中、俺は由比ヶ浜を背負ってヒュドラに近づき、ドレインタッチの手伝いをするくらいしか出来ないわけで。

 総攻撃の最中はまだいいんだ。みんなの意識がヒュドラに向いてるもの。

 でも再生が始まった途端に意識がバラけて、俺をちらりと見る視線が増えてきたりして……。

 あのね? 俺だってね? 好きでなにもやらないわけじゃないのよ? むしろ今めっちゃ働きたいわ。誰か助けて。

 

「うぅ……ごめんねヒッキー……」

「お前っ……ひと段落ついたら絶対っ……運動とかして体鍛えろっ……!」

 

 後のことも考えて、筋力増強の支援魔法は使わずに走る。

 しかしそんなことを続けていれば疲れるってもので、首切って吸い取って~を続けていればいい加減バテる。

 それはもちろん相手も同じで、パターンってものを学べば取る行動も変わってくるのだ。

 再生中だってのに体だけで暴れ出したり、尾撃で弾いてきたり。

 尾撃はクルセイダーのお姉さんが尻尾を受け止めてくれたお陰て助かったが、次の瞬間にはろくに形も整っていない首が一本生えてきて、それが巨大な鞭のように振り下ろされた。

 

「由比ヶ浜っ!」

「え? きゃっ───」

 

 あとは黄金パターン。黄金とか言いたくねぇけど、鉄板だとなんか寂しいじゃないの。

 危機から女を逃がして自分は逃げられない。よくお話の中である状況だ。

 咄嗟とはいえよく動いたなぁ俺───とか考えてる暇があったら避ける!! 当たるまで暢気に立ったままとかアホか!

 

「うぉおあぁっ!? ほあゎあっ!?」

 

 ジョリィと頭を掠り、形がまともじゃない首の一つは地面に叩きつけられ、砕け、飛び散った。

 あんなのまともに喰らったらこっちも潰れる……! 背筋が凍りつきそうなのを根性で耐えて、先に逃がした尻もちをついている由比ヶ浜を横抱きに抱え直し、息を切らしてさらに走る。

 

「ヒ、ヒッキー! ヒッキー!? 大丈夫!? ね、大丈夫!? あ、頭から血がっ……!」

「だいっ、だいじょうぶだからっ……! 掠っただけだから腕の中で動くなっ……! くっはっ……! はぁっ……!」

 

 もういいんじゃないかな。パワードくらいいいんじゃないかな。

 ダメだったら逃げるって話だったんだし、もう俺、頑張ったよね?

 大丈夫、ゴールをしたいんじゃないんだ。そんなことは言わないから、ちょっと休憩にしません? だめですか、ですよね。

 いや、でもここで動けなくなったんじゃ話にならない。なのでパワードだけは使った。

 

「~っ……はぁっ……! よしっ……由比ヶ浜、爆裂魔法はっ……はぁ、まだ撃てそうにないか……!?」

「んと、あと少し……だけど、ヒッキー……」

「うっし、少しならそれでいい。俺から吸っとけ。……っはぁっ……! 雪ノ下! もう一発いくから、魔法で牽制───をおぉおおおおっ!?」

 

 サブタイ:振り向けばそこに。

 どうやら自ら潰れ、飛び散ったヒュドラの肉片が身体にベチャアとくっついたらしく、雪ノ下、気絶。ヒュドラの血と肉と骨の欠片を体にひっつけた状態で真っ青になって仰向けで気絶しており、女神様につんつんと頬をつつかれて───やめなさいちょっと! 宅の部長様は遊び道具じゃありませんことよ!?

 いちいちシリアスが長引かないような世界の流れに、いい加減いろいろとツッコミたくなったが、だったら今はゆんゆんに頑張ってもらうしかない。

 問題は気絶した雪ノ下だが、只今現在俺の両手は由比ヶ浜で埋まっている。運ぼうにも無理ってもんだ。ジャイアントトードの時には由比ヶ浜と雪ノ下とめぐみんを抱えて走ったが、あんなもんは火事場の馬鹿力以外の何物でもない。慌てつつも冷静に考えられる今じゃ、どうやったって持ち上げるとか無理だ。

 ならば……佐藤曰く。かつて、冒険者登録の際には様々な職業になれると受付に言わしめたらしい女神様の筋力を以って、雪ノ下を背負ってもらって走る走る走る!

 

「なんで女神たる私が誰かを背負って走らなきゃなんないのよーっ!!」

「仕方ないでしょ人手が足りてねぇんだから……! あのまま寝かせてたら確実に殺される……!」

 

 由比ヶ浜には詠唱を続けてもらい、どうやらあちらも溜まったらしいめぐみんや佐藤と頷き合い、アロエが《ツイスターアロー》で尻尾の先端を攻撃、怯んだところにゆんゆんが『インフェルノ』を放ち、ヒュドラの首の切断面を焼いて塞ぐ。

 ドレインタッチしながら詠唱とか、器用になりましたね由比ヶ浜さん。お兄さん嬉しい。あ、俺の方が産まれたの後だった。

 じゃあアレか。もうちょいしっかりしてくれませんかね姉上。おう、こんなところだろ。

 

「いきますよゆいゆい!」

「うん! いこうめぐみん!」

「「『エクスプロージョン』ッ!!」」

 

 爆裂魔法を同時に放って、接触する爆発とその異なる熱量で相手を焼き千切るという、恐ろしい発想。

 最初の一発目は首を狙えば、ってばらけて撃ったためにそうでもなかったが、これは本当に殺す気でいっていた。

 首と言わずに体を灼熱の光が貫き、そこから溢れるように爆発する、大地を抉り焦がす熱の半球。

 それが二つ同時に、異なる方向に渦巻くように相手を捻じって焼き千切り、さらに巨大な爆発を起こし、その熱を爆風とともに空へと届けた。

 

「………」

 

 俺も佐藤もあんぐり。

 口を開けっぱなしで閉じられないってやつで、改めてその破壊力の高さを知った。

 興奮し、思わず「すげぇなっ!」と腕の中の由比ヶ浜を見下ろしてみれば、よっぽど気合いを入れて撃ったのか、由比ヶ浜は……いや、めぐみんも完全に気絶してしまったらしい。

 

「………」

「………」

「いや、もうさすがにフラグとかないだろうから、比企谷、勝鬨(かちどき)頼む」

「いやいや、こういうのは日陰のぼっちに頼むもんじゃねぇだろ……いけ、やれ佐藤。いーから。幸運値が高いお前なら絶対に討伐で終われるから」

「いやいやいやここは比企谷が───」

「え? なになにっ? 言っていいの? 言っちゃうわよ? それなら私が言っちゃうわよ? よっ、勝利の花鳥風───」

「「お前はやめろ!! マジやめろ! やめてお願い! やめてください!!」」

「なんでよー!!」

 

 土が焦げて爆風や熱とともに空へと持ちあがり、散ってゆく様を眺める。

 あんなのはアニメとかの世界のものだと思ってたのに、実際に見ると……こう、下半身のあそことかがひゅって引く。

 しかしまあ、佐藤の言う通りだろう。

 あんなもんに挟まれて焼き焦がされて、生きてたら怖いわ。

 なので俺もようやく緊張を解いて、長い長い溜め息を吐いた。

 

「ねぇねぇカズマさんカズマさんっ、賞金いくらくらいかしらねっ! 帰ったらパーっとやりましょ!? ぱーっと!」

「だからお前はそういうこと言うなって言ってるのに!!」

「え? か、勝ったとか終わったとかべつに言ってないじゃない! こんなのノーカンよノーカ」

 

 言葉の途中だった。

 爆炎の中で何かが蠢き、朽ち果てるさなか、なにかがひゅんと……しなった。

 それがなんなのかを考えるより先に、俺は背中の由比ヶ浜をダクネスが居る方へ、現時点でのステータスが許される全力で放り投げて───潰れた。

 最後に、焼き焦げた蛇の頭骨のようなものを見た気がする。

 最後っぺならイタチだけにしてほしいわ……。蛇とかないわ……ないわー……。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 

 ……で、こうなったと。

 なんというか……締まらない最後だったな。

 

「落ち着……い、ていますね……。普通ならみなさん、取り乱したりするのですが……」

 

 銀髪の女神……エリスっつったか……が、語り掛けてくる。

 声だけで心が落ち着くようだ。すげぇ、女神すげぇ。でも八幡アイで眺める戸塚の輝きほどじゃない。

 八幡アイは凄いんだぞ、俺の依怙贔屓(えこひいき)だけでいくらでも輝いていくから。

 

「いえまあ、不測の事態には慣れてるつもりなんで。死んだならそれまでだって、案外思ってたっすからね」

「そ、そうですか……」

 

 潰された時に、特に痛みを感じる暇も無かったのが救いかね。

 

「あー……その。俺が死んでからどうなったかとか、わかります?」

「はい。ヒュドラはあれが正真正銘最後の攻撃だったようで、力尽きました。湖周辺の修復作業が必要ではありますが、あとは……お連れのお二人が気絶していて、アロエさんが動転しているという状況でして……」

「……二人の気絶は俺の所為じゃないっす」

「気にするところ、そこなんですか!?」

 

 気質がぼっちで、しかも女連れとくれば、そこは気にかけとかなきゃなんです。

 でも……そか。死んだか。

 佐藤の話じゃ、あの女神様が蘇生魔法を使えるらしいが……別PTの誰かにそれを願うのは自分勝手が過ぎるってものだろう。

 由比ヶ浜や雪ノ下が無事でよかった……とはいえ、帰してやれなかったことが罪悪感として胸に残る。

 こんなことになって、異世界事情には少しは詳しいって意味じゃ、多少でも頼りに出来る相手が居たほうがよかっただろうに。

 すまん、わるい、ごめんなさい。

 特に由比ヶ浜には悪いことをしちまった。

 こんなことなら……もっと真っ直ぐに、話とか聞いてやるんだったな……。

 聞こえないフリも気づかないフリもない、いっそ自分で自惚れを笑い飛ばせるくらいに向き合ってみたら……あいつはもっと、泣かずに済んだんじゃ───……いや、それこそ今さらか。

 “俺”はこれで終わるわけだけど、もし生まれ変われるなら……今度は、捻くれることのない、真っ直ぐに生きられるような……そんな自分に。

 …………いや。あんまり黙って、目の前の女神様を困らせるのも悪いよな。

 死んで消えてしまえば、どうせこの記憶も残らないんだろう。

 あとは目の前の女神様に任せて、俺は……

 

「あの、ところで比企谷八幡さん。あなたは佐藤和真さん一行とはどういったご関係で───」

 

 ふと。おそるおそる、その目の前の女神様が訊ねてきた。

 どういったご関係? どういったって……知り合い?

 なんてことを首を傾げつつ考えていると、ふとどこからかこの神殿めいた場所に響く声。

 

《ちょっとハチマンー? 聞こえてるー? ねぇ、ねーえー? こんなところであっさり殺されたら、同じアークプリーストとして私が恥ずかしいんですけどー? ほらほら、『リザレクション』かけたげたから、私に盛大に感謝しながら蘇りなさい? ……あ、エリス? エリスー? どうせ聞いてるんでしょ? さっさと門を開きなさいよー》

 

 ……え? ……いや、え? マジで?

 し、知り合いの命を文字通り救ってくれるとか、マジ女神じゃないですかやだー! いややだじゃねぇよありがとう! 居たんだ……女神様は居たんだ! ありがとうマジありがとう! これでまた───戸塚に会える! あ、うそです、照れ隠ししたいだけです。

 あ、あれー? 俺さっきまでなに考えてたっけー? もし生まれ変われるならとか……ぐぉおあああ! はっ……恥ずかしいぃいいいいィィィーッ!! 死にたい死にたい死にたいよぉおお! あ、嘘です生きたいです!

 

「はぁ……やっぱりこうなっちゃうんだ……。まったく、アクア先輩は本当にもう……あ、こほん」

 

 あら。今のって素の口調なん? やだかわいい。真っ赤になって咳払いとか、和む。

 

「アクア先輩が居る時点でこうなるんじゃないか、とは思いましたけど……おめでとうございます、比企谷八幡さん。あなたはまだまだ、生きて今を楽しめますよ」

「あ、……っす」

 

 気恥ずかしくなって、こくこくと頷く。

 女神エリスは穏やかに笑って、けれど、と付け足した。

 口に人差し指を持っていって、注意をするかのように。

 

「一度死んでしまったからこそ……どうか、悔いのない人生を謳歌してください。出来れば傷ついて倒れて、なんて死に方じゃなくて……世界は素晴らしいものだったと微笑みながら、その生の全てを使い切った上で……また会えればと思います」

「……、───」

 

 あ、やばい。なんかグッときた。

 俺、他人にここまで言われたことないよ。

 初めてこんなことを言ってくれる人が異世界の、しかも女神様ってどういうことなの……。俺の人生っつか、周囲の人々、全然やさしくない。

 

「リザレクションで蘇れるのは、天界規定で一度きりと定められています。アクア先輩が居るから、佐藤和真さんという前例があるからと、死んでもいいだなんて……絶対に思わないでくださいね。死は……それだけで悲しいのですから」

「……はい」

 

 それは、知っている。猫……カマクラの前には犬を飼っていたのだ、知っている。

 恥ずかしさのあまりに死にたいよとどれだけ叫ぼうが、本当に死んでやるわけにはいかないのだ。

 それに……一度自分の生を振り返って、後悔ってものがぶわっと浮かび上がってきたからこそ、それと向き合って解消……いや、解決するまでは、死んでやるわけにはいかなくなった。

 

「では、比企谷八幡さん」

 

 指をパチンと鳴らして、門とやらを出現させる女神様。

 俺はそんな彼女に、気の済むまで頭を下げ、感謝してから立ち上がった。

 本当に、ありがたい。

 お蔭でやりたいこと、やり残したことを確認出来たし、目を腐らせるくらいくだらないと思っていた世界のことも、違った目線で見ながら歩いていけそうだった。

 だから俺は両手を軽く握って、手首同士をくっつけるポーズを取ったのちにエリス様にペコリとお辞儀をして、

 

「……お世話になりました」

「ここは刑務所じゃありません! ~……もうっ!」

 

 笑顔で送り出そうとしてくれた女神様に冗談を言ってみる。

 女神とはいえ、こんな静かな部屋に一人とか、ぼっちでもない限り辛いだろうから。

 元気にツッコんでくれた女神様は頬をぽりぽりと掻きながら、やっぱり笑顔で見送ってくれた。

 そうして俺は、その白い門を押し開けて……自分の体へと、戻ったのだった。

 

───……。

 

……。

 

 しんみりとした想いを胸に目覚めた俺が最初に見たものは、どう言い表したらいいのかがまるでわからない、言葉にすれば「この空気どうしよう……」にも似た、残念な状況だった。え? やだなにこの空気。ボス倒して万歳って状況じゃないの?

 てか女神エリス曰く、人が蘇るのが当然すぎるパーティーらしいので、俺が蘇ったところで誰も騒ぎはしない。

 ていうかこれアレだろ、蘇らせたとはいえ、自分たちが誘ったクエストで仲間を殺しちゃいました、てへっ☆って部分を、気絶してる二人が起きた時、どう説明したもんかで悩んでるんだろ。

 あー、いいから。話さなくていいから。ここだけの話ってことにしよう。いーだろ、それで。

 ……おい、そこで「いいのっ!? あなた話がわかるわね!」って明るい笑顔を振りまくなよ。隠蔽が成功した犯罪者を目の前にしてる気分でものすごーく居心地悪いから。

 

「……はぁ」

 

 ……素晴らしいな、この世界。入信してもいいってくらいに感謝した女神様が犯罪者の顔してるわ。マジ素晴らしい。世界はな、うん。

 いやー……雪ノ下も由比ヶ浜も気絶しててよかったわー、うん……よかったわー……。さすがに知り合い、同じ部の部員が目の前で潰れる様とか見たくないだろうし。

 カエルに食われる瞬間を見るだけでも、あのおぞましい寒気が浮かんでくるほどだ、トラウマになるわ。

 アロエだけが泣きついて心配してくれてたことに、ただただ感動した。

 俺、ほんとこの子のこと立派に育てるよ。もう、なにも怖くない。

 ていうかこいつら人の死に慣れ過ぎてて、あえて言うならそれが怖いよ! どんだけ死んでんの佐藤!

 

……。

 

 で。

 

「どうですか見ましたかあの破壊力を! 口ほどにもありませんよ! 聞いていたよりも巨大で驚きましたが、所詮我らの敵ではありませんでしたね!」

 

 ヒュドラの焦げた身体が崩れ落ち、いざ結果をって頃には、めぐみんが声高々に自慢をしていた。佐藤に負ぶさりながら。……ではなく、普通に立ちながら。

 あれだけ爆裂魔法を撃ったあとなのに、平然と立っている。

 それにはきちんとした理由があり───

 

「しっかし驚いたなぁ。こっちのアロエの魔力が無尽蔵に近いくらいあったなんて」

 

 そう。佐藤が言った通り、佐藤の屋敷に生えていたアロエは43階層の土壌で成長したことも手伝って、なんか知らんけど異様に魔力があった。

 俺が死んだ瞬間、やはり油断は命取りだと佐藤がもう一度、爆裂魔法用に魔力を掻き集め始めたんだが、アロエの魔力が吸っても吸ってもあまり減らない。

 首を傾げつつもドレインタッチを続けても、アロエは平然とするばかり。

 そうして結局めぐみんの魔力が満たされても、アロエは平然としていたらしく……ああ、うん。俺と佐藤は片手で顔を覆って俯き震えた。俺達の苦労ってなんだったんだろうな……もうやだこの世界。こんなんばっかじゃねぇか。

 

 事細かに説明すれば、佐藤は真っ先に女神に魔力を吸わせろと言ったそうな。

 しかし女神は頑なにこれを拒否。

 仕方ないので他の場所から……と、メンバーの片っ端から集めるように吸い出し始めたんだが、吸ってみればアラびっくり。アロエの魔力量が異常だったのだ。あ、もっさりの方な?

 そうとわかれば吸い過ぎない程度にと吸わせてもらい、めぐみんとゆんゆんの魔力を回復、ヒュドラの動きに警戒していたのだが……崩れ落ちて終わった。

 そんな騒動が、実際こうして終わったのだ。やるせない気持ちは、最初からアロエの魔力量を知っていれば……という、ただそれだけのものだ。

 終わったことは仕方ない。仕方ないんだけどね、うんほんと。やりきれないのが人間の感情ってやつなのよ。人間ってめんどい。

 

「けど、マジか……時間をかけて倒すレイドボスを、よもやの一日討伐とか」

 

 そうして状況を確認していると、一人ぶつぶつと呟きつつ停止していた女神がハッと肩を弾かせ、声を張り上げた。

 

「そうよねっ、やれちゃったのよね! やっぱり私たちってすごいじゃない! ヒュドラよヒュドラ! しかもあの大きさの! 私たちってばもう、王国騎士団なんてものともしないほど強いんじゃないかしら! あ、カズマさんカズマさん? 取り分とかどうなるの? 私、あんたが勝手に飲んだってアルカンレティアで暴露した、高級シュワシュワの代わりが欲しいんですけど。あ、シュワシュワとシャワシャワを合わせて飲んでみるって贅沢も出来るわよね! そうと決まれば早く帰りましょ! 寄り道なんてせずに早く帰りましょ!」

「金はちょっと事情があってな。比企谷とも話したんだけど、ひとまず貯金で考えさせてくれないか?」

「は? え……ちょっと待ってカズマさん。あなたなに言ってるの? ねぇなに言ってんの? 馬鹿なの? この辛く苦しい戦いの余韻に泥を塗るようなこと、なんで言うの!? ていうか私もう大金が入ると思ってお金借りちゃったんですけど! ただでさえゼル帝のために使ったお金が、今じゃ借金プラス状態なんですけど!? どうするの!? ねぇどうしてくれるの!?」

「知るかぁっ!! お前金使う時は今度から相談してくれって! あれだけ話してくれって言っといただろうが!!」

「なに言ってるのよ! お金は自分の好きな時に好きなだけ使うから自分のお金って言えるのよ!? 許可がなきゃ使えないお金になんの価値があるのよ! 馬鹿なの!? ねぇほんと馬鹿なの!?」

 

 ……ああ、うん。すまない佐藤くん。

 俺はどうやら君を誤解していたらしい。

 やさしく言ったところで受け取らない相手なんて、山ほど居るものなぁ……。

 だがな、言葉はやはり選ぶべきだと思うのだよ。

 だからどうか、女性に対して通用してしまう蔑称ではなく、個人へ向けられる言葉を選んでほしい。

 

「てんめぇこのクソ駄女神がぁあーっ!!」

 

 よし! 佐藤っ、それでいいっ! それがBEST(ベスト)

 譲歩と我慢は違うのだ。同じ条件で生きているのに、何故自分だけが我慢する必要があるのか。

 男女の差別など知らん。冒険者の世界にあるのは弱肉強食。それだけだ。

 おお、ショッギョムッジョ。

 

「ゆいゆい! ゆいゆい! 先ほどの爆裂魔法の二人掛けに名前をつけてみるのはどうでしょう! 同時に、同じ場所に放つあの高揚感、私とゆいゆいの爆裂魔法の陣が連なり、そこを閃光が奔り爆発する快感……! これはセリフも考えなければなりませんね! そうです、以前カズマが一人で魔法を使う真似ごとをしていたのですが、その中の詠唱になかなか良いものが」

「だからやめろよ! ていうかなんでそんなの知ってんだよ! 見てんなよ! スルーしろよそこは!」

「たしかこう……我らが呼び掛けに応えよ! 開け、異空の───」

 

 もうやめて! 聞いてる俺まで恥ずかしくなって、ライフがゴリゴリ削られていくから! 佐藤のライフなんてもう0よ!

 ……ちなみに、デュアル・ザ・サンと名付けられた合体爆裂魔法がその後使われたかどうかは……まあその、気にすんな。



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キミはぼっちじゃない!(ただしコミュ障ではある)

タイトルは、キミはぼっちじゃない! より。
言うほどコミュ障じゃないよね、ヒッキー。
タイトルを最新話と交換しました。
あっちの方とこちら、もともと一話だったものを分割したもので、タイトルの意味はどちらかというと次話にあるので。


     8

 

 後日、賞金は支払われた。

 なんと十億エリス。魔王軍幹部討伐で貰えるのが大体3憶エリスらしいので、3倍以上である。

 それを持って佐藤の屋敷に集まり、まずはパーティー毎で分けて5億エリス。それをそれぞれのパーティー間で山分け。

 と、普通ならなるのだが、今回は貯金だ。理由は……まあ、いろいろある。アロエから聞いた必要金額とか、まあほんと、いろいろ。アロエからはこのパーティー内でなにかがあって、金が必要になるくらいしか聞いていないため、具体的なことまではわからない。が、必要なことなので躊躇はしない。

 こちらのパーティの金に関しては、俺が稼ぐ分には好きにして構わないと、雪ノ下や由比ヶ浜からは許可を得ている。一緒に相談した筈のゆんゆんが、「え? わ、私にも相談してくれるんですかっ!?」とか驚いてたけど、まあともかく許可は得ている。

 

「いいか佐藤、売れるものは売れる時に全部売る。知識ってのは金の成る大樹だ。人の発想はそれだけで金になる。たとえば俺が人生論を本にして出版したとして、買う人は居ると思うか?」

「居ないと思う」

「居るよ。少なくともゆんゆんは買う。出版のための費用とじゃ釣り合わないが、買う人は居るんだ。で、俺達がするのは出版か? 違うよな。権利を売るんだ。必要な元手はなにもない。知識だけだ」

「お、おう」

「たとえばダイエットに効果のあるものだったらご婦人方に大好評。軽い運動で筋肉の発達に効果的なら、お前がたまに言ってる腹筋が割れているとかいうご令嬢とやらも───うぐぉあっ!? ちょ、なにっ……なんで首を絞めっ……くっ、ぐるぜいだーざっ……!!」

 

 なんか知らんがクルセイダーさんに首を絞められた。もしやご令嬢となにか関係が? そういや由比ヶ浜にららてぃんとか言われてたが……いや、ないだろ。佐藤にからかわれてぶっ殺してやるとか叫んだり、敵の大群に恍惚とした表情で突っ走るような女だぞ? ないよ。

 そんなことを考えつつ、金策はやめない。あ、一応クルセイダーさんからは逃げた。殺される。あの人、握力とか絶対に花山さんレベルだよ。

 

 でだ。金っていうのは運が巡っているうちに集めるもんだ。

 一気に手に入れたら、次は欲張らず、ちまちまと稼ぐのがいい。

 博打ってものには流れがある。

 流れは、その方向を間違わなければ身を任せるだけでいい。

 けど、間違えれば一気に無くすものだ。失くすものだ。やがて亡くなる。それが博打に身を費やす者の定め。

 新聞配達してて、パチンコ屋の二階にある部屋に新聞届けてみたら、そこが実はモニタルームになってて、ルーレット管理とかしてるの見ちゃいましたー、って場所では絶対に博打はしちゃいけない。

 初めてパチンコやったのになんかいっぱい勝てた! って喜んだキミ、次回からそこで搾取が始まるから、儲けたら二度と行っちゃいけない。

 つまりはそのー……金儲けは“出来る限り”にしておけってことだ。

 自分の範疇を越えたものに、大丈夫なんとかなるで踏み出せばほぼ破滅する。

 なので、自分が納得してそうしようと思った知識は売って構わない。相手がその知識で納得して買い取るのだ、そこに不正など存在せず、手に入れた金は正当なものだ。

 そんなこんなな理屈や理由を以って───現在。

 

「で、我輩のもとへと来たわけか。実に結構! 即断即決大いに結構! その潔さに免じて、そして足労せずに済んだことに免じて、なによりあのなんちゃって女神と顔を合わせることがなかったことに免じて! ……決して損をさせぬ商談を、始めようではないか」

 

 俺と佐藤の二人はニヤリと笑うバニルと、紅茶を用意してくれたウィズさんに迎えられ、魔道具店の店内にて、俺達の商談は始まった。

 ていうか訊いてもいないのに、バニルが今回のヒュドラ騒動とクルセイダーさんの様子がおかしいことを語ってくれた。

 どうやら佐藤が気にしていたらしく、俺が知っていいのかわからんことまでペラペラと教えてくれる地獄公爵先生。

 その内容っていうのが、あ、あー……なに? だすてぃねす家? の借金がどうのの話らしく、他人事ながら聞いている内に胸糞が悪くなる。貴族あるあるのお話だ。

 俺よりもこっちの世界が長い佐藤なんかは、怒り任せにテーブルをゴガンと殴り……激痛にのたうち回ってるところにヒールをかける俺。

 お前さ、もうちょい格好よく出来ない? いや、俺お前のそういう人間くさいところ、とってもいいと思うけど。

 

「しかしそこな目の腐った男よ。何故急に金を集めようと思った? こちらの下心満載のくせに、いざとなれば手を出せぬ男から事情を聞いたわけでもあるまいに」

「自立するアロエ」

「うむ理解した。なるほど、他人の不幸を知り、動けるとはまた随分とお節介焼きな人間だ」

「しゃーないだろ、そういう部活やってんだよ。困ってる人全員助けたいわけじゃねぇけど、知り合ったヤツがそんなんだと、その、なに? ……寝覚めが悪いんだよ。あとわかってると思うけど、それだけじゃねぇから」

「フハハハハハ! いいぞ少年! 偽りなき言葉で最初から話す人間など久方ぶりである! そして経験上、黒歴史を思い返さずにはいられない貴様のその悪感情、実に甘露! あの、“もう悪魔が友達でもいいや”と魔法陣さえ描いてしまう紅魔の娘よりなお深い過去を抱き、だというのにこの状況を前に立てるのも見事の一言。絶望の悪感情は好みではないのでな、立ち上がる人の子よ、絶望ではなく羞恥に打ち震えてくれたまえ」

「ちょっと? なんなのお前。ぼっちに寄生して人生送った方が幸せに生きられんじゃないの?」

「生憎だがそれだけでは地獄の公爵は満足できんのだ。むしろ我輩が望む、極上の悪感情を味わいながら滅びられるのであれば、場所なぞまあどこでも構わん」

「……。スルーで。で、だ。こうしてお前さんに売った知識や案で稼いだ金と、今回のヒュドラ討伐の賞金で、借金である二十億エリスと、余分の金が集まったわけだけど。悪魔さん悪魔さん? 見通す悪魔が首を突っ込んで契約話を出してきたなら、とことんまでやってくれないと困るんだが」

「む? ……フフン、なるほど。安心するのだ、目程に心は腐っておらぬがべつにそこまで整っているわけでもない顔立ちの男よ。その問題に関しては我輩も、迎えにいかねばならん相手が───おおっとこれはまたしても美味なる悪感情。貴様いったいどれほどの黒歴史を抱いているのだ? その顔で自分の顔は悪くないとでも公言したことがあるような羞恥ではないか」

「やめて!? やめてください!」

「フハハハハ、事実であったか! フハハ、フハハハハハハハ!!」

 

 痛恨! かつて雪ノ下に言った言葉が、今まさに俺の心を突き刺す!

 自分で言うのもなんだが顔は整ってる方だ……整ってるほうだ……ほうだ……ホウ……フォーウ!

 やばい死にたい恥ずかしい! もうやだおうちかえりゅー!!

 

「おっと、大変美味だが待つのだ少年。確かに我輩、想定している未来に血沸き肉躍るような期待を持っているわけだが、それもまた貴様らがきちんと動かねば話にならん。動いてもらわねば我輩も少々面倒でな。探し人が解放されるまでは迂闊に行動することも出来ん。なので、見通す悪魔、バニルさんが断言しよう。貴様らは感情の赴くままに動くのだ。今しか出来ない青春とラブコメを、思う存分謳歌するがよい」

「やりたいこと……ねぇ」

「……んじゃ、アレな。大衆の面前でえーとその、もるどふ?」

「アルダープな、比企谷」

「そうそれ。そいつに、“きっちり二十億エリス、払えるものなら払ってみせろ”とでも言わせりゃいい。で、その上で突き付けてやりゃあ文句は言えない。んだけど……な。すまん、ちょっといいか?」

「? なんだよ」

 

 計画を纏める内に、どうしても引っかかる事柄が出てくる。

 佐藤も気になっているだろうに、どうしてかそこに目を向けようとしない。

 もしやなにかある? 異世界ならではの事象っつーか、マインドコントロール的な何かが。

 

「いや、皆まで言うな、賢しい腐れ目の男よ。この場に必要だったのは貴様のような、自分が混ざっているにも関わらず、場を客観的に見ることの出来る存在だ。それが気になり、我輩に訊ねようとしたのなら、我輩もまた悪魔の契約の名の下に答えよう。悪い噂しかなさそうなのに、地位を剥奪されない領主が存在としておかしいと言いたいのだろう? 然り、貴様らの仲間である鎧娘や、その他の者は皆、とある悪魔の影響で記憶をぼかされている」

「……マジか。それってどういうレベルでだ?」

「見当はついているのにわざわざ訊くのは人の癖であるな。だがそれは怠惰だ。言いたいことは口に出せ。見当違いのことを口にしようが、我輩の食事になるだけであるからな! フハハハハハ!!」

「お前ほんといい性格してるな。……えっとな、比企谷。アルダープ関連でおかしなことと言えば、裁判の時にもあったんだ。裁判長や検察官が、やけにアルダープの意見だけに協力的だった。あれじゃ裁判の意味がない。大衆の面前で、領主があんなことをすりゃ問題にしかならないのに、それが問題にもならずに通ったままなんだ。おかしいだろ、あれ。ダクネスがなんとかしたにしたって、それがアルダープのマイナスになってないんだ」

 

 言って、佐藤はその時の裁判とやらの状況を語ってくれた。

 聞けば聞くほどなんだそりゃだ。明らかにおかしいのに、裁判官も検察官も罰せられるわけでもなく、領主の権力行使も問題になっていないとくる。

 

「今話を聞いただけでも、そのアルダープってヤツの不利益になることがぼかされすぎだ。で、こういう状況だとアレだろ。お前の探し人? 悪魔? ってのが、アルダープと一緒に居たりするんだろ? で、アルダープはそいつと契約してるから、そんな最低な噂が流れる領主なのに、今も平然としていられる」

「ふむふむなるほど、随分とまあ人の黒いところに思考が回るらしい。人の黒さそのものをその身で味わわなければ出し切れぬ思考だな。フハハ、エリートぼっちというのも伊達ではないな。そんな性格だから友も出来なかったであろう腐り目の男よ」

「うっせ、一言余計だ」

 

 ていうか発言の度に古傷えぐるのやめて。ほんとやめて。

 

「あぁあとほら、あれだ。他になんか、簡単に収める方法とかねーの? 領主様がぼかしてるものを明るくさせちゃって、一気に潰すとか」

「ふむ。生憎だがその豚、おぉっと豚に失礼か。領主が頼っている悪魔がな、その領主を丹念に仕込んでいる最中なのだ。あと少しで極上の悪感情が完成するのだが、その“あと少し”が鎧娘との結婚で整いそうなのだ」

「おいふざけんな! お前の食事のためにダクネスを───」

「急くな、お得意さんな少年よ。この店の発展の貢献をしてくれた貴様だ、後のことはともかく、今はひとまず貴様の望みは果たすつもりである。そして生憎と、我輩はそういった方向の絶望の悪感情は好みではないのでな、どうせならば達成と落胆の差で食事をさせてほしい」

 

 独白で舞台を整える演出家って、なんでも思い通りに運ぼうとするからやりづらい時、あるよな。

 いっそ望まない方向に動いてくれようかって思うのに、それをすれば良い方向に進まないのがわかりきっているからやってられない。

 その上、それを見越して交渉をしてくるのだ、こういう輩は。

 しかもそういう輩は、俺達人間がそれがベストと思う、さらに上をいける人外の能力を武器に交渉してくるのだ。

 自分が描いていたさらに上の“最善”があるなら、飛びつきたくなるだろう。だからこそ、悪魔ってのは交渉を好み、対価を求める。困ったもんだ。

 

「悪魔との契約は絶対、ってのがよくある話だよな」

「当然である。だが貴様ら人間は随分とまあ舌が回るし悪知恵も働く。その身は働かぬというのに、頭だけは重労働とはいやはや全く、実に愉快な生き物である」

「まあそうな。屁理屈こねて、責任から逃げたがるのが人間ってやつだと俺も思うわ。けどな、ぼっちは逃げねぇよ。自分のことは自分で決着をつける。この場合、俺がやりたいからここに立って交渉してるっつーことで。ほら、あれだ。……わかんでしょ悪魔さん」

「ふむ。その考えは連れの二人を傷つけることになるが、……おっとこれまた珍味なる悪感情。どう扱ってよいものか、本人でさえ持て余しているというのか」

「交渉材料、支払いは案か金かでいーんだろ? 聞きたいのはそういうことじゃないんだよ」

「で、あるな。……では、仲間とはいえ、咄嗟に熱い言葉を放って恥ずかしがっているお得意さんよ、貴様にひとつ提案をしよう」

「お前いちいち人の恥ずかしさを抉らないと気が済まないのかよ! おぉおお思ってないし!? べつにダクネスのためにふざけんなとか言ったわけじゃねぇし!?」

 

 あぁ、やっぱ恥ずかしかったのね。

 あぁうんわかるよ? それ恥ずかしいよね、一時の感情で叫んじゃったりすると、後がこう、ね?

 

「結婚式は始まるまで待ってしまえ。そして、途中で乗り込んで花嫁を奪うがよい」

「おまっ……!? 考えなかったわけじゃないけど、それを本気でやれってのか!?」

「あの領主からは、公衆の面前で言質を取る必要がある。それも、悪魔の力でもぼかし切れんほどにな。生憎だが悪魔がした契約を、我輩が勝手に崩すわけにもいかんのだ。あの領主と我輩の知り合いとの契約が切れるのならば、我輩もそれはもう嬉々として全てを打ち明かし、盛大に楽しむこと請け合いなのだが」

「あー……魔法とか契約のことは深いところまでは知らんけど。契約破壊の魔法とかないの? 魔道具店でしょここ」

「そのようなものがあるのであれば我輩が真っ先に───」

「ありますよ?」

「「「───……はっ!?」」」

 

 話し込み、男三人でうんうん唸っているところへ、軽い調子で美人なリッチーさんが声を届けてくれた。

 え? 今……なんと? あるって言った? あるって言ったの? 今。

 

「ウィズ? 今、なんて……」

「ええ、ですから、ありますよ? 契約破壊の魔道具。紅魔の里から仕入れたもので……はい、これなんですけど」

 

 ウィズさんが戸棚の奥からゴソリと取り出したものは、妙な文字が書かれた……あの、なに? ス、スクロールっつーのかね。ともかく、書状のように象られた生き物の皮っぽいものだった。

 

「すごいんですよこれは! この皮紙に契約者の血液をつけるだけで、その人が支払うべき全てを強制的に支払わせて、契約を一気に破壊できるという、それはもう素晴らしい道具なんです!」

「……待て、ポンコツ店主よ。それを買う金はいったいどこから───」

「え? あ、はい、地下に纏めてあったお金から。大丈夫ですよバニルさん! これは絶対に売れ───、あの。な、なんでまた殺人光線のポーズを取るんですか!? だだだ大丈夫ですよ!? これは本当にすごいものでっ……!」

「ちょ、ちょっと待ったバニル! 待ってくれって! ものによっては使えるかもしれないから! なんだったら買うかもだから!」

「へい毎度! フハハハハ、買うのであれば我輩も文句はない! 時に店主、これはいかほどなるか? 悪魔との契約を人間の都合で強制的に切るのであれば、相当な額になると思うが───いや、しかし強制的に対価を支払わせるというのであれば、厄介なこと極まりない……うむ? いや、むしろどうのこうのと言い訳を口に逃げ出す人間相手ならば、我輩ら悪魔の方こそが欲する道具……ふむ?」

「は、はい。一つ200万エリスに───」

「よし買った」

「速いな!? お、おい比企谷? もうちょっと考えてからでも───」

「そっちの悪魔が値段を吊り上げる前の方がいい。悪魔が得する商品で、なにより今の俺達が欲してる魔道具だぞ? 値切りだのなんだのを口にするより、最初の値段で買うんだ。悪魔相手に欲を出すとろくなことにならない。悪魔との契約は絶対だ。疑うよりも、その“確実な部分”を究極的に信じろ」

「ほう! ほうほうフハハハハハ! 貴様は悪魔との交渉というものがよくわかっているのだな! んん? 腐っているその目は伊達ではないということか! 先に言った通り、即断即決大いに結構! 悩み、悪魔に時間を与えるなど、交渉手段としては愚策にして下策。まあそれは悪魔から見た人間も大して変わらんのだがな」

 

 まあ、そうでしょうよ。人間は時間があれば、あらん限りの抜け道と言い訳を用意する存在だ。

 交渉するっていうなら、相手の性格ってものをよく考えて決めなければならない。なにせ、長引かせることで逃げ道を塞いで追い詰める者も居れば、精神的に参り、悩みから解放されたい余りにどんな要求でも呑んでしまう輩だっているのだ。

 交渉ってのはそういうのきちんと見極めなきゃね。だから、観察眼を持つぼっちこそが泥をかぶるのが一番。……なんだが、それをすると怒るのがこっちには居るから、それはもうしない。泥を被るんじゃなく、解決策を探さにゃならんのよ。

 解消策なら見つけやすいのにね。

 

「で、問題はその領主ってのの血をどう取るか、なんだけどな」

「今の状況であの領主の傍に近づくことは不可能であろうな。なにせ(きた)る結婚式のため、警備も厳重にしているだろうし、その上で式の日取りを急かしているに違いない」

「んじゃ、あれか。式を取り仕切るやつらの中に紛れ込んで、どうやってでも血を採取する。佐藤、お前はどうだ?」

「顔が知られてるから厳しいな……潜伏スキル使って紛れ込むことは出来ても、血液採取って状況になればさ、ほら……領主を傷つけた罪人って罪状が簡単に作られちまうだろ」

 

 潜伏しながら攻撃はやっぱり無理か。

 じゃあ結局のところ、顔が知られてない俺がってことになるな。

 ……ところで結婚するのってララなんとかさん? それとも佐藤がふざけんなって庇ったクルセイダーさん?

 アロエからは金が必要になるってことしか聞いてなかったし、こっちも打算的な意味での協力だから、根掘り葉掘り訊ける雰囲気じゃないし。

 あれ? ララなんとかさんがクルセイダーさんなのか? だよな、ららてぃんってあだ名がつけられたんだから、そうだ。でも結婚するのはお嬢様とかなんとか……あれ?

 

「潜入するにしても、見つかってもすぐにはバレないような格好がいいな。どっかで服でも借りるか」

「比企谷、お前さ、こういう状況に妙に慣れてないか?」

「や、だから。ガッコでな、そういう巻き込まれ系の部活やってたんだよ。それだけだ。断れば黙ってない先生が居て、居留守使おうとしても黙ってない先生が居て、相談されるたびに生徒任せの先生が居たって、それだけの話だろ」

「なにしに学校来てんだよその先生!」

 

 おうもっと言ってやれ、言ってやってくれ、マジで。

 

「けど、部活か……。他の二人も、なんだよな? 大丈夫なのか? お前だけで」

「……、黙ったままで行動して、よかった試しがなかったりするんだよなぁ……。ああほらアレだ、ぼっちってのは存在が薄いから、自分にヘイトを集めて喧嘩してる相手同士を結託させて仲を取り持つ、なんて行動で無理矢理案件の解決……ああいや違うか、解消とかしてきたわけよ。で、ほら、その、アレだ。佐藤的にどう思う? そういう部活仲間」

「なめんな」

「……やっぱそうなるか」

「お前さ、先生にどうこう言われようが、本気で嫌だって思ったら部活なんてやらないタイプの人間だろ。なのに続けるってことは、きちんと自分の居場所、見つけてるってことじゃんか。居場所、自分で壊すような真似はやめろよ。お前が俺に言ったんだろうが。俺にとっての幼馴染がそれなら、お前の場合はその仲間たちだろ」

「うわあ……やだ恥ずかしい……! 青春しってるーゥ……!」

「うるっさいなわかってるよ! 恥ずかしいんだから素直に頷いとけよ! お前ほんといい性格してんな!」

 

 はい、相談決定。雪ノ下と由比ヶ浜に話を通して、こうなりゃ仲間外れは絶対に無しってことで、アロエにもゆんゆんにも相談させてもらうか。

 あいつらなら、ぼっち理論や引きこもり理論の外側の意見も聞かせてくれるだろ。

 

「プランは完成したかな? 腐眼のヒモ男よ」

「ヒモじゃなくて専業主夫だっての。あとその夢、この世界じゃ投げっぱなすから忘れてくれ」

「結局のところ、どうやって潜入するかが問題だよな。警備を強めてるなら、警備する連中もお互いの顔くらい覚えてるだろうし」

「そこんところはうちの連中と話し合ってから決めるわ。とりあえずあんま考えすぎてもアレがアレだし、今日は解散ってことでいいか?」

「アレってなんだよ……そういうところ、つくづく現代日本って感じするわ」

「同方向の考え方でしか案を出せねぇってところだよ。こういうのはアレ……あー、少し時間置いた方がのびのび考えられるから」

「明日から本気出す系の考え方だろそれ……」

「……そうでもねーよ。もうとっくに本気だ」

 

 だから他人の力を借りるんだ。

 ぼっちじゃダメだから他人を頼る。それは、ぼっちからしてみりゃ全力以上の力を求めることだ。

 で、そうするからには絶対に解決させる。解消じゃ済まさない。

 決意を胸に店を出て、部活仲間の二人が泊まっている宿を目指した。

 佐藤も屋敷に戻るつもりなのか一緒に店をあとにして───

 

「……? 屋敷、こっちだっけか」

「いや、俺のパーティーのことで迷惑かけてるんだ。説得とかあるなら手伝わせてくれ」

「……お前、案外面倒見いいのな。年下のくせに」

「うるっせ、年下だとかなんだとか、この世界の生活方面じゃ俺の方が先輩だっての。……面倒見がいいっつったって、主に巻き込まれて、後処理を押し付けられてばっかだけどな。“しょうがねぇ”だろ。仲間なんだから」

「そだな」

 

 ぬぼーっとした顔で空を眺めながら、相槌を打って……それから顔を引き締めた。

 で、まずは確認。結婚するってのはお前んとこのクルセイダーさんでいいんだよな?

 

「そこからかよ! どんな話として聞いてたんだよさっきまで!」

 

 それな、ほんとそれ。ツッコまれたが、大事なことなので。

 そういう話し合いをしながら、今ではゆんゆんも泊まっている宿へと到着。

 部屋の前まで歩いて、ノックして、声かけて、許可を得てから中に入る。三人部屋だ、豪華なこって。

 ……あ? なに。急に入ってラッキースケベとかないからね? 着替え中に入っちゃうとか、ほんとそんなのないから。

 おう、だから、佐藤が入ろうとしたのを即座に止めた。

 幸運値が高いといろいろ不安なんだよ。どっちの運に転ぶかわからん。

 覗けてラッキーか、覗けなかったから制裁がなくてラッキーか。

 不安なら止めるのが正解だ。そしてきっとこいつは、一時の制裁よりも女体の神秘を選ぶ。なんかそんな気がする。なので全力阻止。

 ……まあそんなわけで。

 

「雪ノ下、由比ヶ浜、ゆんゆん、アロエ。……力、貸してくれ」

 

 入るなり頭を下げ、そう言った。

 まずは誠意だ。協力を得たいならそいつを以って、下手な回りくどい問答をするよりも欲しいものを口にする。

 

「佐藤のパーティーのクルセイダーが、本音じゃしたくもない結婚をさせられそうになってるそうだ。そいつをぶち壊してやりたい」

「うんっ! やろうっ!」

 

 一も無く由比ヶ浜が賛成してくれた。……え? 考える時間とかなくていいの? 俺が言うのもなんだけど。

 

「好きでもない人と結婚なんて、絶っっっ対! 有り得ないっ!! そんなの壊さなきゃだめ! やだ!」

「いや、やだってお前……あ、あー……雪ノ下?」

「そうね。いろいろと事情があるのね? でなければ、あなたが率先して動くはずがないもの」

「……そうな。打算的な話がないわけじゃねぇよ。俺たちが帰れるか帰れないか。それは佐藤んところのアロエにかかってる。恩を売っておこうって、それだけだよ。金をいくら積んだところで、帰ることが確定するわけでもないしな。だったら、使い道は……ほら、その……あれだよ。そういうこった、つまり」

「……ヒッキー。えと、それってさ」

「由比ヶ浜さん。その男は“そういう男”よ」

「ゆきのん……えへへー、だよねー♪」

 

 ……? なんで笑ってんの。そういう男って言われ方して、なんで“しょうがないなぁ”って顔で微笑まれてんの俺。

 あ、あー、まあ今はいい。

 

「でだ。佐藤んとこのパーティーの中の一人が、領主が契約してる悪魔の所為で、結婚を受け入れるように操られてるって言ったら……信じるか?」

「……。つまり、無意識の内に思考の基準をすり替えられて、自分で了承していると彼女自信も疑っていないということ?」

 

 いや、察し良すぎでしょ部長さん。どんだけスーパーコンピューターチックな頭してんの。

 

「ああ。最近知り合った悪魔から聞いた話だ。……信用できるんだよな? 佐藤」

「おう。胡散臭いやつではあるけど、契約の上では絶対に信用していいと思う。対価はもう支払ったんだから、賭けなきゃ進めないだろ」

「……まあ、っつーわけで。ゆんゆん、ちっと領主に喧嘩売ることになるんだけど、いいか? あ、そろそろ口調は師弟間っぽいのを抜いて、友達感覚でしてくれると助かるんだが」

「ともっ───は、はい! えっと、じゃあ……違いま……ち、違うわよ、ハチマンさっ……! さ、さささ……ハチマン! だってそれって、先に喧嘩を売ってきたのは領主様のほうじゃない! 紅魔族は売られた喧嘩は絶対買うの! それに……好きでもない人と結婚なんて、絶対に……絶対に許せないわ!!」

 

 口調を弟子チックから普通にしようと頑張ってくれたゆんゆんが、噛みまくりつつ怯えつつ、しかし最後にはきっぱりと言った。

 おう、そうな。結婚は大事だよな。“離婚してぇ”って日々思うような相手とだけは絶対に勘弁だわ。

 

「その。アロエも、いいか?」

『任せてほしいのです。なんでしたら相手の意識の外から狙撃することだって……!』

「やさしいままのキミでいてくださいお願いします」

 

 知り合いの女性が強いコばっかだから、マジにお願いします。

 ほんと戸塚って女神な。どこぞの駄女神なんて目じゃないよ?

 

「雪ノ下も……いいか?」

 

 訊ねる。さっきから考え事でもしているのか、一点を見つめながら黙っていた雪ノ下。

 そんな彼女は考えるために下ろしていた視線を持ち上げ、真っ直ぐに俺を見て言った。

 

「……わかったわ。詳しい話を聞かせてちょうだい」

「あっ……ゆきのんっ! 手伝ってくれるのっ!?」

「いえ、その……勘違いしないでほしいのだけれど、これはあくまで領主としての立場への粛清と、権力による暴力を正してやりたいだけで……! だ、だから、由比ヶ浜さんっ……! 近いと何度も言って……!」

「ゆきのんっ! ゆきのーん!」

 

 がばーっと抱き締められ、顔を赤くしながらおろおろする雪ノ下。

 そして、それを見てえびす顔で頷く佐藤。

 

「ンム。美しい女性同士の絡み……いいなぁ」

 

 なんか睫毛長くして凛々しい声で言っているが、気にしないでおこう。

 つか、その二人を見てそういう顔されると、なんか腹立つからやめない?



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この家に女神様もしくはぼっち様はいらっしゃいませんか?!

 *事情あってタイトルと前書きの変更。きちんと最新話です。

 今でも思う、この“?!”って配置的に合っているのだろうか。
 あ、タイトル元は“この家に勇者様もしくは救世主さまはいらっしゃいませんか?!”です。ラノベはタイトルが長い。
 四文字で終わるか異様に長いかが、いつからか定番になった気がしますよね。
 ということで何か一つ、内容がわかりやすくて四文字じゃない簡潔なタイトルとかを考えてみる。
 四文字っぽさだったら、ラノベとか関係なしに、らきすたとかけいおんとかばくおんとか適当に思い浮かんできます。正しくは“☆”とか“!”とかが入るから四文字じゃなかったりしますが。
 ばくおんってタイトルで表紙がめぐみんだったら、絶対に違う方の爆音を想像しますよね。タイトル詐欺じゃねーかとか……いや、間違ってませんけど。
 バイクに乗って走るわけでもなし、ただ爆裂魔法を放つお話。
 走るって意味で、そういえば迷い猫オーバーランっていうのがありました。
 ラン……ランか。よくOPで走るアニメは~とか言いますし、ここは四文字にランを足した素敵なタイトルを。

  アルデバラン

 なんかダメだと思った。
 しかし敢えて内容を考える。
 一応転移、召喚、転生系のタイトルからSS名を考えているので、ここはそういった方向で。
 アルデバランは牡牛座の一部のことなので、主人公はこう……

 ───ある日、召喚されたらミノタウロスだった!
 俺、奔谷央士(はしりやおうし)は極々普通の高校生……やったんやけど、ある日突然異世界に召喚されて、気づいたらミノタウロスだった! あ、やったんやけどは様式美なので気にしないでください。
 どうやら勇者召喚ってやつで召喚されたらしいんだけど、お姫様が召喚を失敗したらしい。
 なのにお姫様は引きつった顔で目に涙を溜めながら「お待ちしておりました勇者様」とか言って無理矢理勇者にしようとしてくるし、執事たちも無駄に空気を読んで勇者勇者言ってくるし。
 でも元の世界に戻るには生贄として魔王の肝臓を捧げないといけないらしく……え? 肝!? なんで臓物で、しかもピンポイントで肝臓なの!?
 てか俺なにを生贄に召喚されたの!? え? それは召喚してから払うつもりだった? なんでもいい? え、ちょ、なに脱ぎ始めてんのこの姫様! 泣きながらとかやめて!? 被害者なのに犯罪者見る目で執事が睨んでるから!
 わかったから! どうせそうしなきゃ帰れないならやってやるから!
 ……じゃ、お願い。立派な斧をくれ。ミノタウロスっていったら、やっぱり斧だろ。え? ない? ここは医療術の国!? なんでミノタウロス召喚してんだよアホか!!

  ……これは、ミノタウロスになった少年が、医療の国で唯一戦闘向きだった歩法を学び、駆けて走ってぶちかます物語。
  必殺技? 走ってタックルしかありませんが、何か?

 ……僕が読みたいわそんなSS。
 奔谷→はしりや→走り屋=僅かながらの“ラン”要素
 央士→おうし→牡牛=牛要素
 つまりアルデバラン。
 そしてすまない、わかりやすいタイトルとか言っておいて、アルデバランってタイトルで、表紙がミノタウロスが走ってる絵じゃ、どんな内容かまるでわからない。

 そんなおかしな内容を実際に書いてみたモノがこれである。
 https://novel.syosetu.org/130528/1.html
 俺ガイル等とはまるで関係ありません。


 雪ノ下達との相談を終え、宿を出た。

 結局のところ全員手伝ってくれることにはなったんだが、問題点はやはりどう潜入するかだ。

 潜伏スキルを使えば、見つかった場合に言い訳が効かない。明らかに不法侵入だからだ。

 ならば変装を推したいところだが、というか由比ヶ浜もそれを推したんだが、やはり相手が一人一人の顔を知っていた場合、あっさり捕まってしまう。

 じゃあどうするか、で詰まったわけで。

 

「上手くいかないもんだな」

「そうだなー……こんな時、相手の方からこっちを迎えてくれる~とか馬鹿なことしてくれればいいのに」

「そりゃねぇだろ……悪政働いてる奴が今まで捕まらず、尻尾も掴ませずに領主やってんだぞ? 今さら自分で迎え入れるなんてこと、よっぽどの馬鹿でもない限りやらかさんでしょ」

「だよなぁ……はぁ」

 

 出る溜め息は尽きない。

 こんな時に頼りになったりならなかったりする、小町や戸塚、平塚先生は居ない。きちんと俺達で、解決しなくちゃならないんだ。

 そうだ、安心をくれる相手は居ない。

 行き詰った時に、“あいつの案だったから”なんて逃げ道も許されない。

 だからこそ、やり遂げるのはみんなで。取れる責任は各々で。

 ……いいじゃないの、自分で取れる責任で動けるなんて、ぼっちの独壇場だ。

 俺と佐藤は、最初こそ困った顔をして溜め息を吐いていたが、やがてフッと笑い合い、最後にニタリと笑ってみせた。

 

「んじゃ、見せてやろうか」

「おお、世間一般じゃあ日陰者だのなんだのと後ろ指差される……」

「ぼっちの───」

「引き篭もりの───」

「「自分のために使える時間を誰よりも許された、俺達の力ってのを」」

 

 案が無いなら作ればいい。理由がないなら無理矢理作る。

 出来ないことは投げ出す。代わりに、出来ることは意地でもこなす。

 日本の一般常識じゃあ案が出せない? だったらこっちの世界の常識を軸に、その軸を捻じ曲げてでも捻じり込んでやればいい。

 屁理屈だろうと言い訳だろうとなんでもこいだ。

 こちとら、悪魔でさえ契約に難儀する屁理屈種族の中でも、エリートに属する屁理屈王子どもだ。

 今に、あっさりと侵入、潜伏する方法を───

 

「おおっ、見つけましたぞ! ヒキガヤハチマン殿!」

「……んあ?」

「へ?」

 

 ───今日から本気出すモードで、珍しく猫背もシャッキリ伸ばしていた俺に、駆け寄ってくる一人の男性。

 なにやら慌てているらしく、ずっと探していたのか、その息は切れていた。……え? なに? もしかしてなにかやらかした? ……おい。おい佐藤。少しずつ逃げんな。さっきまでの意思的一体感とかどこ行ったの。

 こっそり逃げようとする佐藤にドン引きする中、その人物は息を整えると、よさげな身なりをシャキッと正し、真っ直ぐに俺の目を見て言った。

 

「実は、領主アルダープ殿と、私が仕えるダスティネス家のご令嬢との結婚式を取りまとめる者として、この街に二人しか居ないアークプリースト殿のお力を借りたく、貴方を探していたのです……!」

「「…………」」

 

 えー……。

 いやあの…………えー……?

 ああうん……はい。なんか潜入、出来ちゃいそうです。

 え? あっちの世界の常識? 知らんよ今さら。

 こっちの世界の常識の軸? 俺そんな話したっけ?

 いや、これ言っておくけど計算通りだからね? なんの問題もないから。

 いやー、アークプリーストでよかったわー。世の中なにがどう転ぶかとかわかんないわー。

 これもあれかね。佐藤の幸運度によるラッキーってやつなのかね。

 あ、ところで自分、そろそろ沈む夕日に向かって全力疾走していいですか?

 え? 顔が赤い? なに言ってんの、これはアレだよ、夕日の所為だよ言わせんな恥ずか……はっ……恥ずかしいぃいいいいーっ!!

 やだもう! もう……もうっ……もうやーだー! ほんっとこの世界って! この世界ってやつは!! これだからっ……あぁああああ!!

 

「佐藤! めぐみん連れて外行くぞ! 今めっちゃくちゃ爆裂魔法が見たい!」

「あぁ同感だ! 魔力なら任せとけ! そこら中から無理矢理にでも掻き集めてやる! むしろアロエ連れていこう! ていうか由比ヶ浜さんも連れていこうぜ! その方がめぐみんも張り切るし!」

「この空気で今すぐあそこに戻れとか勘弁してください」

「……ごめん」

 

 案を出し合って決まらなくて、外に出て格好つけてたら決まりましたとか俺に説明しろと? 雪ノ下がまた腹筋鍛えることになるわ。

 大体どうやって外に連れ出せっての。恥ずかしい思いをしたから憂さ晴らしに付き合えとか? あぁもうなんかどうでもいい、とにかくなにかを爆発させたい。

 だから走る。宿に向かって。佐藤は漢の顔でサムズアップして見送ってくれた。

 執事っぽい人は戸惑っていたが、そこは佐藤が口八丁で宥めつつ。

 

「由比ヶ浜ぁっ!」

「うひゃあっ!? え、え……なに?」

 

 ドタバタ音で身構えていたらしい雪ノ下とゆんゆん。その中の由比ヶ浜は、俺らしからぬ声で名前を呼ばれて、大層驚いていた。

 だが知らん。羞恥の前では人は等しく平等であると思う。ただしドMは除く。

 

「一緒に来てくれ! お前が必要なんだ!」

「ひぅ」

 

 面倒な言い回しはしない。急ぎの用事で必要なことは“簡潔さと伝えようとする意志”だ。わかりやすい言葉、というのが抜けている気がするが、わかるよな? わかるでしょ。むしろ相手が俺ってだけで妙な方向で誤解するヤツなんて居るはずもない。

 なので桜色に頬を染めた由比ヶ浜が、ふわっと笑みを浮かべ、とたたっと立ち上がる動作のままに駆け寄ってきてくれたことに感謝。

 差し伸べていた手に手が重ねられると、俺はそれを握って駆けだした。

 停止していた雪ノ下とゆんゆんが肩を弾かせ何かを言おうとしたが、その頃には扉を閉ざし、駆けだしていた。

 すまん、この羞恥の宴に余計な人は居ちゃならんのだ……!

 そうして、宿の前で待っていた佐藤と合流するや、「えっ」と戸惑う由比ヶ浜をそのまま連れて、駆けてゆく。

 あの、夕日に向かって───!

 

「「青春のぉっ……バァッカヤロォオオオオオォォォォッ!!」」

「ヒキガヤ殿!? 手伝いの件はっ……ヒキガヤ殿!? ヒキガヤ殿ー!!」

 

 俺達は走った。

 走って走って、この顔の赤さを、ただの走り疲れの所為にしたかった。

 大急ぎで佐藤の屋敷へ行って、俺と由比ヶ浜は玄関で待ち、佐藤が戸惑うめぐみんとアロエを連れ出して……それからまた走る。

 待っている間に由比ヶ浜にいろいろ訊ねられたが、今はなにも言わないでくれって言ったら、やさしい笑顔で「しょうがないなぁ」って言われた。

 なにこいつやさしい。久しぶりに、人の優しさが普通に胸に染みた。

 疑ることもなく、怪しむこともなく、そのやさしさが胸に来た。

 しかし、だからといって羞恥が納まってくれるわけでもなく。

 俺達はいつもの爆裂スポットに辿り着くや、盛大に花火をした。

 ……爆裂魔法? ああ、撃ったよ。フォルスファイアでモンスター掻き集めて、アロエから魔力を吸い取って、めぐみんに移してどっかーん。

 最高だったね。俺も佐藤も恥ずかしさをかなぐり捨てるように、

 

「「ウゥッヒャァッホォォーイィイ!!」」

 

 とか普段じゃ叫ばないような声を上げて喜んだね。

 めぐみんも由比ヶ浜も、俺達がそこまでノリノリで喜ぶもんだから、大変嬉しかったようで。

 

「……なんかヤなことでもあったのかな」

「ふふ……ゆいゆい、男が恥も外聞も捨てて叫ぶ時は、何も言わずに支えてやるのが良い女の務めというものらしいですよ。まあ言ったのが金に目が眩んで、娘をしきりに男と同じ部屋で寝かせようとした我が母なので、信じていいものかは悩みますが」

「あ、あはは……うん。でも……そだね。じゃああたしもっ───『エクスプロージョン』!! ……あふぅ」

「おお……上達してきましたね、ゆいゆい。私もうかうかしていられません。ただやはり知性に難ありなところが、爆裂具合に残念さを彩っていますね」

「あぅう……いつまで経っても慣れないなー……このきょ、きょー……きょだつ、かん? あ、えと……やー、それはそのー……うん。ヒッキーと勉強してるから、これから……かな。えへへ……」

「そうですか」

「ん、そだ」

「……ゆいゆいは、嬉しそうに人のことを語るのですね」

「……そっかな、自分じゃわかんないや。でもさ、めぐみんだって……佐藤くんのこと話す時はさ、悪口ばっかのくせに楽しそうだよ?」

「うきゅっ!? ……ば、ばかな。わわわ我ともあろう者がそんな、痴態をさらすようなことなど……! 大体、それを言うのならゆいゆいこそどうなのですっ! ハチマンに気があるかと思いきや、ゆきのんや、その、ゆんゆんにまで抱き着いたりすりすりしたり……! ハッ!? ままままままさか紅魔の里に伝わる古書にあったとされる、伝説の両刀使いというやつだとでも……!?」

「よくわかんないけど絶対違うよ!?」

 

 爆裂の余韻を一心に感じ終え、倒れつつ騒いでいたっぽい二人の傍に、いつもニコニコあなたの隣に歩み寄る多肉植物、アロエさん。

 きちんと断ってから、佐藤も由比ヶ浜もドレインタッチを開始。

 普通に動けるくらいにまで回復すると、音を聞いて集まってきたモンスターの軍から早速逃走を開始した。

 走るのはだるいって言う二人を、それぞれ俺と佐藤が負ぶり、アロエは……普通に走ってた。速ぇ! すげぇ速ぇえ!

 

  あぁうん、で、だ。大体予想はついてるだろうが。

 

 この後バニルを問い詰めたら、「実に美味なる悪感情であった」と感謝された。

 存分に青春するがよいって、つまりはそういうことだったらしい。ちなみに青春せずに一人で解決しようとして、宿に寄らなかったならあの執事さんには会えなかったそうな。

 見通してたんなら言ってよもう……! 八幡、そういうのが一番困る……!

 

 

 

     9

 

 それは、よく晴れたとある日のことだった。

 

「うっでっをー、組~んだ~、ひっしょっちっのー、さ~ん~ぽで~♪」

 

 ダスティネス家から司祭風の衣装を贈呈され、それを着ている俺と、いつもの青が基準の服の上から立派な礼服を装着している女神アクアとで、式場にやってきていた。

 実際、今日という日が来るまでいろいろめんどかったぞ?

 クルセイダーさんが屋敷に来なくなったってんで、佐藤が迎えに行ったり……あ、迎えにってのは、家に忍び込んでまでしてのことだったそうだ。その際、ベッドに押し倒してしまい、クルセイダーさんに一緒に大人になってしまうかとまで言われたらしい。マッ! クルセイダーさんたら大胆! ……まあ佐藤のやつがヘタレて大人の階段は昇らなかったそうだが。

 なので「ヘタレめ」と言ってみたら、顔を真っ赤にして涙目で、「うるせぇよ! おぉお俺だってなぁあ!」と叫ばれた。

 なんにせよ説得は不発に終わり、クルセイダーさんは来なかった。なので結局俺達でぶち壊してやりましょうってことになったわけで。

 まあなー……操られてる……ってのも違うんだが、意思をぼかされてるんじゃあ、祝福なんてしてやれねぇわな。

 

「? ねぇねぇハチマン? なんで急に歌い出してるの? 馬鹿なの?」

「おいちょっと? いきなり馬鹿扱いしないでくれる? いろいろ気を紛らわしてないとやってられねぇってだけだから」

「ふぅん……? ねぇ、それよりもこの後この式ぶち壊すんでしょ? もう今からぶち壊して、ゼル帝のところに戻ってもいいかしら。きっとそろそろ産まれると思うの。ほら、目を開けた先に母親が居ないなんて、不安でしょ?」

「女神が祝福する相手をほったらかして、おうち帰るとかマジやめろ」

 

 司祭らしい手筈手順その他諸々は既に聞いて、練習もした。

 今さら間違えることもないからそれは大丈夫なんだが、困った。この女神様、ほんと頭に駄が付くわ。ぼっちで目が死んだ俺が太鼓判押せるほど、いろいろヤバイ。

 アクセルの街じゃ、めぐみんが頭のおかしいアークウィザードとか呼ばれているが、頭のおかしいアークプリーストといえば絶対にこいつで、頭のおかしいクルセイダーはダクネス一択だろう。

 ……あれ? 佐藤のパーティ、頭のおかしいヤツしか居ない。

 これは相当、あいつの苦労が………………いや、あいつも大概だったわ。

 あ、ゼル帝ってのはアレな。アクアが大事にしている鶏卵の中身の名前。命名アクアだ。

 正式名称:キングスフォード・ゼルトマン。あだ名をゼル帝。すげぇ名前だ。

 

 ちなみにキングスフォードってのは人物名でもあり、自動車会社フォード・モーターの……“自動車の育ての親”と云われているヘンリー・フォードの義理の兄弟の名である。ヘンリー・フォードの工場で出た木材廃棄物から木炭を作ってみせたのが、そこらへんで検索してみりゃBBQ木炭などがヒットすることに繋がる。

 たとえばグーグル先生でキングスフォードで検索すると、結果の上位にキングスフォード印のバーベキュー用炭が上がったりするのだ。なに? そのひよこ、鶏に育て上げてBBQで食うの? キングスフォードさんの名前も、E.G.キングスフォードって、なんかEGGっぽい名前だし。

 

 さらにちなみに、ゼルトマンはドイツで有名な食器会社を創業した人の名前な。

 ……おい、マジで食う気じゃないよな?

 この世界の住人、どうなってんのもう。

 めぐみんの話じゃ、悪魔にもすげぇ名前のヤツが居たらしいし。

 なんなの悪魔の名前がアーネスとホーストって。繋げて読んだらK-1王者じゃねぇか。

 

「……はぁ」

 

 この世界について調べると、ほんと転生者がいろいろやらかしてんだなぁってのがよ~くわかる。

 わかるから、詳しくは調べない。だって罪悪感すごいんだもの。特に佐藤が教えてくれた機動要塞デストロイヤーの制作責任者。

 そりゃな、俺もその場に居たら“なめんな”って叫んでたわ。

 

「ねぇハチマン。私、もうただ立ってるの疲れたんですけど。椅子も無いから座れないし、退屈で疲れたんですけど」

「それを俺に言ってどうしてほしいの……」

「敬謙なるアクシズ教徒よ……聞きなさい。今すぐ───」

「仏教だっつってんでしょうが。そうじゃなくても入信する気もねぇよ」

「なんでよー!! そんな死んだ目をしてるんだから、アンデッドみたいに私に救いを求めるべきでしょー!?」

 

 ほっときなさい。こんな現象に巻き込まれず、あのままアロエとまったり生活送ってりゃ、俺だって直ってきてた目をまた腐らせることもなかったんだよ。

 大体なんなのお前。初対面の時なんか、随分と余裕な表情で迎えてくれたってのに。

 

 

 

 

-_-/ささやかな回想

 

 それは、クルセイダーさんがヒュドラ討伐を提案し、俺達奉仕部パーティーと佐藤のパーティーとが軽く顔合わせをした時にまで遡るわけだが。

 まずあいつな、俺の目を見てクワッと目を見開いたのよ。なんでか右手にゴファーと炎みたいな光を纏わせて。で、ズカズカ近づいてきたんだが、一定以上近づくと、それもフシュウと消えた。

 で、取り繕うみたいにキョロキョロしたり誤魔化したりし始めたわけで。

 

「随分と大人しいもんだな。比企谷と会ったら、問答無用で浄化魔法とかぶっ放すと思ってたのに」

「ふふん、ねぇカズマ? あなた私を誰だと思ってるの? 女神よ? 女神なのよ私。目がどれだけ腐ってようが、アンデッド臭がしないならそんなことするわけないじゃない」

「そういうもんか」

「そうそう、そういうもんなのよ」

 

 つまり近づくまで人かアンデッドか判断つかなかったから、とりあえず殴ろうと寄ってきたと。やだ怖いこの人。

 

「ところでそこの目が腐ってるあなた? 今ならその目を浄化してあげられるけど、高級シュワシュワ一本でどうかしら。この美しき女神アクア様の浄化が、今ならシュワシュワ一本で───」

「おい佐藤。この失礼で無礼で馬鹿っぽい青いの何? もしかしてドラえもん?」

「宴会芸の神様だ」

「ちぃいっがうわよクソニート! 女神だって言ってんでしょーがぁっ!」

「あー……あれな。“美しい魔闘家鈴木”的な美的センス持ちの。んじゃアレか、呼ぶ時は美しいとかつけて呼ばなきゃだめなのか」

「いいじゃない! あなた気に入ったわ! そのマトーカスズキってのはよくわからないけど! ねぇねぇカズマ! この人パーティーに入れてみたらどうかしら! ねぇ、あなたもいいわよね!?」

「勘弁してくれ美しいたかり女神アクア様」

「誰がたかり女神よ誰が! 違うんですけど! “美しい”つければなんでもいいわけじゃないんですけどー!?」

「……羽衣が美しいアクア様?」

「美しいの羽衣だけになってるじゃない! ね、ねぇわかるでしょ? 美しいのは私。ね? ほら、私は誰?」

「宴会芸の神様」

「わああああー!!」

「うおぉっ!? ちょばっ、やめろアクア! なんだってお前もダクネスも、すぐに人の首締めてくるんだよ!」

 

 と、まあ、全員が合流するまではそんなことがあったわけで。

 

 

 

 

-_-/現在

 

 と。今ではそんな女神様と、肩を並べて司祭様の真似事だ。

 あー……世の中ってわからーん……。

 

「それよりほれ、そろそろアルなんとかが来る頃だろ。どうにかして血を手に入れなきゃならんのだから、あんまだらけたところ見せないでくれよ。追い出されたらそもそも計画どころじゃねぇから」

「ふふん、まあ任せておきなさいな。なにせ女神よ? 私、女神なんだから。この世界に、私以上に祝福を与えるに相応しい存在なんて居るわけないわ。つまり追い出すなんてありえないの。わかった? わかったら椅子を持ってきて。どこからでもいいから、女神に相応しい椅子を早く持ってきて!」

「………」

 

 ……何日も何日も。これの我が儘と付き合ってきたわけか、佐藤は。

 なるほど、あの態度も頷ける。

 そこまで深く知り合ったわけでもない俺に対してもこの態度。

 二度目も言おう。なるほど、あの態度も頷ける。さすがに気の毒になってきた頃、出入り口方面から聞こえるドヤドヤとした声や音。アルなんとかが来たっぽいな。

 

「っと、来たみたいだぞ。あー、残念だったなー、今取りに行こうとしてたのになー」

「女神の祝福が得られる場で結婚式を開けるだけでもありがたいんだから、ちょっとくらい待たせてればいいのよ。だから椅子! 持ってきて! 早く椅子! 持ってきて!」

「………」

 

 男女平等云々以前に大切な疑問を、口にせずに思おう。

 ……こいつ、ほんとに女神なの? 魔女だって言われた方がまだ頷けるんだけど。

 

「……はぁ」

 

 アクア(もう呼び捨てでいいだろ)の我が儘はさておき、むしろ捨て置き、式の準備は滞りなく進んでいった。

 途中、肥えた中年男性が「ララティーナァア!!」とか叫んで新婦の準備室に特攻しようとしていたが、ダスティネス家の執事っぽい人に止められ、鼻息荒く捨て台詞を吐きながら戻っていった。

 あれがアルなんとかか。想像以上に暑苦しく見苦しいデヴだった。

 太くて鬱陶しい存在は材木座で慣れていたつもりだったが、あれは別の意味で鬱陶しいっていうか……醜い。

 俺の未来がアルダープか。佐藤が言ってた言葉の意味がわかりそうなものだ。

 

「しかし血……血か。どう流させたものかね」

「? 殴ればいいんじゃないの? 私は嫌だけど」

「俺だって嫌だわ」

 

 理由。触りたくないでござる。

 つか、女神が思いつく採血方法第一位が殴打ってどうなの? なんでこの女神、こんなに暴力的なのよ佐藤くん。

 

「ハチマンはどうなのよ。なにか案とかないの?」

「あー……そだな」

 

 じゃあアレな。おぉっと手が滑ったー、とか言って、ここにある小さなエリス像で鼻っ柱を殴りつけるとか。

 ……と、言ってみたら、

 

「……素晴らしい案だわ」

 

 女神がきゃらんきゃらんと輝く瞳でノってきた。

 

「それよハチマン! やるわよ全力で! なんて素晴らしい案なのかしら! 特に“エリスの像で殴る”っていうのが素晴らしいわ!」

「おいやめろ。お前それ絶対に、状況的に不利になったら“ハチマンがやれって言いました”とか言うつもりだろ」

「女神の名にかけてそんなことしないわよ! それにようは血が取れればいいんだから、鼻血でもなんでも流させればこんなところに用はないわ! つまり殴って、騒ごうとしたら気絶させて、血を採って逃げればいいのよ!」

「逃げること前提で作戦立てんな、やめろ、マジやめろ。ってか女神が人間相手に逃げるとかまずいだろ体裁的に。あと頭の中が完全に犯罪者予備軍だからね女神様。なんでそんな危険なことポンポン思いつくの。怖いよマジで。……マジ怖い」

「安心するのです敬虔なる我が愛しい信徒……やったのはエリスです。全てはこんなところで小さな像になっているエリスが悪いんです」

「……俺、仮にこの世界で入信するとしても、絶対にエリス教に入信するわ」

「なんでよぉおおー!!」

 

 このお家騒動の一連の付き合いでわかったこと。

 ……この女神、ほんとやべぇ。




男塾で……ラーマ・ヨガ、というものがあります。
所変わって、とあるラーメン屋にはラー油・マヨという味のから揚げがあります。
注文して確認する際、「ラーメンがおひとつ、ラーマヨがおひとつ」と言うのですが、その度にラーマ・ヨガを思い出してしまい、一人クスクスしてる自分。
焚っ! とか言ったら気が晴れるだろうか。


  よし無理だ。


花騎士で☆5のおっぱいもといカウスリップさん目当てでガチャ33連。見事に爆死。
同じ☆5のコマクサさん、☆6のパンツ……もとい、ミスミさんなら来たんですけどね……。
33連中22連が銀鉢どまりとか勘弁してください……!!


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異世界奉仕部迷走記

 タイトル元は異世界家族漂流記。
 次回で終わりで候。
 関係ないけど、えべそいべそいって名前、語呂がよくていいと思うの。
 ほ、ほらっ! なんかめだかボックスの江迎怒江(えむかえむかえ)を彷彿とさせる名前というか!


     9

 

 やがて式が始まった。

 佐藤らの手伝いを影ながらする中───いや、影ながらってのは、表立って仲良くしているところをアルなんとかに知られたらまずいからだが、ともかくそんな中、俺の仲間ということで準備を手伝っていた雪ノ下も由比ヶ浜もゆんゆんも、今はスタッフとして祭壇の傍らで待機している。主な参加理由は“参列者が騒ぎ出した時用に”と、手伝いの許可はきっちりもらってあるのだ。アークプリーストの仲間なら、と信頼を得てはいる。もしアクシズ教徒だったら一にも二にも却下されていたらしい。何それ怖い。

 で、俺はといえば……実力で勝るアークプリーストであるアクアの傍で補佐役として立ち、式の流れを見守っていた。こいつの場合、アクシズ教徒ではなくアクシズっつーかアクアその人だから、アクシズ教徒ではないときっぱり言ったし。

 

「ララティーナ……ララティーナ……!」

 

 で。俺達の前では、あとは新婦の到着を待つだけの肥えたおっさんが、実際にこうして待っているんだが……いろいろやばい。

 ふぶるしゅー、ぶふるしゅーって息も荒いし目も血走ってるし、いい歳したおっさんがどんだけララティーナに恋してたの。

 ああほら見てみなさいよ、雪ノ下も由比ヶ浜もゆんゆんも、軽くどころか思いっきりどん引いてるじゃないの。

 その三人もそれぞれ持ち場は違うけど、式を見守りながら、すぐ動けるようには準備してある。表向きは参列者が暴れ出したりした時用だが、その実はアルなんとかの部下を制圧するために入ってもらった。

 式用の、体形に合わせたカッチリした服装だから、動くのにも申し分ない。ただその分、由比ヶ浜とゆんゆんのお胸がげっふごふ!

 ……あ、由比ヶ浜と目が合った。胸の前で小さく手を振られた。やめなさい、怒られちゃうから。ゆんゆんも、必死に友達伝達アピールとかいいから! それぼっちとしてはとっても恥ずかしいから! 友達できたから嬉しいのわかるけど、あとで思い出して恥ずかしくなるタイプの行動だからそれ! やめて! 友達出来たらいつかやろうとか思ってた過去を抉るのやめて!

 

 と、俺が場の空気を紛らわすためにいろいろと考えていると急に、参列した人達が歓声をあげた。

 釣られて視線が集まる場所へと目を向ければ……なるほど、これは確かに目を惹く。

 ウェディングドレスに身を包んだダクネスが、アルなんとかを通せんぼした執事さんに連れられ、ゆっくりと歩いてくるのだ。

 その姿の綺麗なこと。

 雪ノ下も由比ヶ浜もゆんゆんも頬を染めてそれを見つめる。……が、急にその顔が曇った。

 だよな……これで、ダクネスが幸せそうに笑ってりゃあ邪魔なんてせずに見送ったのかもしれんけど。

 あぁ、うん、やっぱねーわ。

 

(女性の憧れの場で、あんな顔を女にさせちゃダメだろ)

 

 やがてダクネスが誓いの祭壇の前に立つと、アクアが咳払いしてから……面倒くさそうに語り始める。

 

「汝ー、ダスティネス・フォード・ララティーナはー。この熊と豚を足したみたいなおじさんと結婚してー、神である私の定めじゃないものに従ってー、流されるままに夫婦になろうとしていますねー」

「えっ……?」

 

 新婦が、聖職者様の声に驚き俯かせていた顔を上げる。

 誓いの祭壇であるそこでは、彼女が見知っているであろう女神様が、つまらなそうな顔で言葉を連ねていた。

 なにをしているんだ、とでも叫びそうなクルセイダーさん……ああもうダクネスでいいか。偽名だっていうし。ダクネスを、アクアは軽く手を挙げて黙らせ、続ける。

 

「言いたいことはいろいろあるけど───ねぇダクネス? ダスティネス・フォード・ララティーナ。今だけ。今だけは……女神エリスの名に誓って口を開きなさい。……あなたはこの結婚を祝福されたいのですか?」

「っ……そ、れは……」

「女神の傍だとね、見通す悪魔も先がぼやけて見えにくいらしいわよ? だったら他の悪魔の能力もそうなるのかなって。で、どう? 私の傍で、自分の好きなように言葉を出せそう?」

「ぇ……、ぁ……」

 

 事情を詳しく話してあるわけじゃない。どの道借金がどうので、彼女は嫁がなければいけないっていう脅迫観念に襲われていた。いや、襲われるっつーか、自然とそう思わされていたっつーか。

 しかしバニルの言う女神の傍では見通す力が云々ってのは事実らしい。なので、こんな作戦を考えたのだ。本人が嫁ぎたくないって言ってくれた方が、俺も佐藤も、他の連中も動きやすいからだ。

 ……なんでその作戦を、立案者ほったらかしでそこの女神様がドヤ顔で説明してんのかは知らんが。

 

「だ、誰だ貴様は! おい! 私はこんな女を呼んだ覚えはないぞ! つまみだせ!」

 

 つまらなそうな顔から一転、友人にでも語り掛けるような気安さで言葉を連ねるアクアだが、近くに居れば気づく者も居る。

 アルダープはダクネスの隣で誓いの言葉がさっさと終わるのを待っていたが、予定にない問答が増えるや鼻息荒く、アクアに向けて罵声を浴びせる。

 

「……! アクア! だめだ、今すぐ逃げ───」

「いいから答えて! 私が後輩の名前に誓ってまで言えって言ってるんだから、早く答えて!」

「し、しかし、こうしなくては父が……!」

 

 あちゃー、やっぱそう来たかー。来るとは思ってたけど、そう来たかー。

 ダスティネス家の家長さんが倒れたーってのは佐藤から聞いてたけど、それもやっぱり悪魔的な力なんじゃないのん?

 ここに来るよりまず、そっちの方なんとかしときゃよかったか。だって悪魔の力でしょ? 性格はともかく、この女神なら絶対に治せるだろうし。

 ……それを踏まえた上で、それを交渉材料に使わせてもらおう。

 

「……横から口を出して悪ぃけど。お前さ、父親に自分の力不足を嘆かせながら嫁にいきたいの? 今回のことで一番泣くの、誰だと思ってんの」

「!? お前は、ヒキガヤ……!? っ……お前まで、なぜこんな……!」

「あー……打算とついで? 悪ぃね、やさしい理由じゃなくて」

 

 一応アルなんとかに気づかれないように小声で話したのに、ダクネスの反応で俺も関係者だってバレたっぽい。なんてことしてくれてんのちょっと、静かに暮らしたい俺の計画が丸つぶれじゃないですかー。

 ああほれ見てみなさいよ、あんな顔を真っ赤にしてるよ?

 顔面全体で“怒ってます”って顔をして、「貧乏人風情がぁあ!」って叫んでるよ。

 ……あとは佐藤に任せるか。俺が関係者だってバレたなら、もうしゃーない。

 早速、俺の後ろの祭壇にスキルで潜伏していた佐藤が、アルなんとかへの挑発を開始した。なにせあの言葉を言わさなきゃならん。

 言わせたら金を払って、あとは佐藤とダクネスが逃げ切るまでをなんとかすりゃあいい。けど問題なのがやっぱりそれなのな、言わせることなのよ。

 この、祝われるべき場で、大衆の面前で、金を持ってくれば、と言わさなきゃ───

 

「このっ! 関係ない貴様はすっこんでろ! お前の大好きなララティーナはな! このワシに、貴様のような貧乏人が一生掛かっても払いきれない、膨大な負債があるのだ! そんなにこの女が欲しいなら、まずはこの女を買う代金を用意してこい貧乏人がっ! お前にそれが出来るのならなっ!」

 

 ……言っちゃったよ。

 おい。佐藤もアクアも、あまりの展開の早さにポカンとしてるだろうが。

 お前今まで悪事を働いて、尻尾も掴ませなかったのになんなの? マジで悪魔が居ないとなんにも出来ないやつだったの?

 一人この場でおろおろしているダクネスさんが、ほんと気の毒でならない。ごめんなさい、なんかもうほんとごめんなさい。

 しかしながらだ。言ったからには訂正は効かないし聞かない。あんなバカデカい声で言い切ったんだ、既に観衆の皆さまの耳にも届いている。見栄のために呼んだのか、身なりの良さそうなお方まで来てるじゃないですか。

 そんな状況を確認したからには、俺達も全員でニィッと笑ってしまうってもんだ。

 騒ぎを聞いて、ダクネスを届けてから下がっていた執事……ハーゲンさんも、慌てて駆け付けてきた……ところに、素早く話を通す。余計な前置きはせず、きちんとした聞き取りやすい声でだ。ど、どもるなよ? ここでどもるとややこしいからな? 俺。

 

  で、そうしてみれば……彼はフッと笑った。

 

 話の通し方? ……“お宅のお嬢様、二十億で買わせていただきます”だ。しっかりと佐藤を指さして、あちらの方がと言って。

 そしたらね、おう、笑ったのよこの執事さん。ダクネスを迎えに行った時に、どんなことをしたのか知らんけどね、結構佐藤のことを気に入ってるっぽい。

 じゃ、準備完了だ。合図を送れば佐藤が袋を持ちだし、それを豚……やっぱ豚に失礼か。領主様の前に突きだした。

 

「んじゃ、二十億エリスだ。買わせてもらうぜ豚野郎!!」

 

 佐藤は二十億エリス入りの頑丈な袋を、領主様に向けて投げた。

 最初、佐藤は“あいつの足元にでもバラ撒いてやる”と言っていたが、それじゃあいろいろ理由をつけて無効にしてくるかもしれない。

 だから、パスをする。アルダープに向けて、ほれ、と言った感じで投げるのだ。

 受け取ったら商談成立。そしてアルダープは……受け取った。二十億エリスと言われれば、落とす馬鹿なんて滅多に居ないだろう。

 受け取った衝撃で口紐が緩めば、その中には輝くエリス魔銀貨。一枚百万エリスの、普通に冒険者やってたんじゃ、滅多にお目にかかれない代物だ。そんなものが、ぎっしり。

 そして受け取ったからには佐藤はダクネスの手を引き、走り出す。

 

「なっ……エリス魔銀貨!? にじゅっ……馬鹿な、二十億!? 一枚百万のっ……こんなっ……! い、いや、ララティーナが……ワシのララっ……に、二十億っ……!」

 

 受け取り、それが手の中に納まってしまえば欲は抑えきれない。

 涎が垂れているのにも気づかず、しかしダクネスへの執念がそれを中断させるが、やはり視線は銀貨へ落ちる。

 ……こんにゃろ、いいから諦めろっつーのに。

 

「おお、それは良い。では領主アルダープ殿。誓いの祭壇にてあなたが先ほど仰った言葉です。よもやこの場で婚儀をしようとした貴方が、自らが言い出した言葉を撤回などしますまい? きっちり二十億エリス。商談、成立ですな」

 

 なので、これですよ。焦る男に、自分が用意した誓いの場での罵倒文句を拾い、来場している者達にも届いた言葉を言質に問う。

 脅迫じゃないよ? 言い出したのこいつだし。

 そうと判断されないためにも、あくまで平静を装って司祭を演じるのだ。

 口調は荒げるな。私情のようなものは悟らせず、相手のみを潰せ。今必要なのは、そういう酷薄な自分を最後まで演じ切る自分のみだ。

 

「あ、あ……? に、二十……ああっ、いやっ、待てっ! ララティーナを! ワシのララティーナを!」

「ではここに誓いの血判を。この日のためにこちらで用意した誓いの書です。これに己の血を捧げれば、貴方の願いは神の前で果たされましょう。同時に、貴方もまた誓いの一部となるのです」

「ええいうるさい! どちらもだ! 金も! ララティーナも! 全てワシの───!」

「ではこの婚儀はなかったことに。ここに、エリス様の名の下、あなたが出した入籍の書類も預からせていただいております。これは燃やしてしまっても?」

「なっ!? ふざけるなよ貴様! ワシの決定だぞ! 領主であるワシに逆らえばどうなるか───!」

「ほう。神の名の下に祝福をと言うから足労したというのに。自分で言い出したことも守らずあれも欲しいこれも欲しい。あー、参列頂いた皆さま、申し訳ありませんがこの婚儀は破棄扱いというかたちで───」

「く、お……! 貴様、貴様貴様貴様ぁっ! なんの権限があってこのワシに……!!」

 

 衆人の前で自分の卑しさを露呈された悔しさからか、アルダープが掴みかかってきた。

 が、その手にブスリと刺さる小さな矢。

 

「ぐぉがぁあああっ!? な、なんだ!? 手が! ワシの手がぁああっ!!」

 

 撃ったのは当然、離れた位置でこちらを見守るアロエである。……である、んだろうけど……え? ちょっと待って? てかどっから撃ったの? え? マジでわからない。え? 何処!?

 しかしその血はありがたい。こうなったら手ぇ引っ掴んででも押させて……!

 

「ぐっ……いいか! こんな交渉は決裂だ! 二十億ではない、そもそもの総額は二十三億だ! 払えるか!? 貴様らに払えるのか!」

「ふむ? それは既にサトウカズマ殿のパーティーが返済したと聞きましたが?」

「これだから冒険者風情の聖職者は……! 利子という言葉を知らんのか!? 返済まで待っていてやったのは誰だと思っている! 二十三億だ! 出してみろ! 今この場で!」

「ではプラスで三億」

 

 ごねる太っちょの前に、エリス魔銀貨を追加でゴチャリ。

 

「へ?」

「ではこれにて商談を成立致します。証人はご来場頂いている全ての参列者方です。エリス様の御名の下、アルダープ殿とダスティネス・フォード・ララティーナ殿の結婚は破棄と致します」

「「「「ウォオオオオオオオオオォォォォーッ!!」」」」

 

 宣言とともに、面白半分で参列したらしい冒険者らが歓喜の声を上げ、恐らくはアルダープが呼んだであろう身なりの良い貴族っぽい連中は、フンと鼻を鳴らしてニタニタと笑っていた。

 ……まあ、気に食わん存在なのは誰もが認めるところだ、呼ばれたって、どうせ来たくもなかった体裁を気にする連中だけだろう。

 で、このアルダープだが。……目の前で起きた現実に、驚き放心するお前の顔はお笑いだったぜ、とパラガスをしてやりたいところだが───おいちょっとなにやってんの佐藤、さっさと逃げろ! もう逃げていいんだってば!

 なんでそこでそんなにもたついて……は!? お、おい? ちょっと待て!? ここでめぐみん登場とか聞いてないんだけど!? やだ困る! しかもなんであいつ爆裂魔法準備してんの!?

 おいちょっと待て冗談抜きで待ってくれ! 貴族連中が居る中で脅迫とかはマズいんだ! んーなことしなくても、もうちょい押せばちゃんと契約がだな───!

 

「おい雪ノ下! ゆんゆん! 佐藤のところに行って伝言頼む! 今あれをここに撃たれたら、また別の借金で結局同じことを繰り返す! 俺達が言うより佐藤からめぐみんに言わせてくれ!」

「~……つくづく簡単には終わらせてくれないのね……!」

「な、なにやってるのよめぐみん! 私に考えがありますって、そういうことだったの!? 絶対に阻止してみせるからってあれだけ言ったのに! 言ったのに! ばかー!」

 

 こちらへ危害が及ぶようなら、と構えていた雪ノ下とゆんゆんへ救援要請。

 すぐに駆けてくれたことに感謝し、あとは───

 

「由比ヶ浜! 会場に落とされる前に相殺は出来そうか!?」

「や、やってみる! でも威力じゃ絶対に負けちゃう───」

「それでもいい! その……あー……、~……頼りに、させてくれ」

「ぁ……~───うんっ! 任せて、ヒッキー!!」

 

 由比ヶ浜がカッチリとした服装のままに、護身用として持っていた杖を構えて詠唱を開始する。

 次いで事情を受け取った佐藤が叫んだ。……何故かダクネスをお姫様抱っこした状態で。おいなにやってんのちょっと。なんでお姫様抱っこ? 問題でも起きたん? ……あ、この期に及んでダクネスがごねたとか?

 

「めぐみぃいいーん!! 壊したらまた借金で難癖つけられる! 撃つなら別の場所だー!!」

「!? そ、そんなことを今さら言われましても! もう留めておくのも限界で───!」

「ていうか佐藤ォーッ!! お前、仲間に説明とかしてなかったのかよぉおーっ!! 人にはいろいろ───」

「手伝ってもらったらどうなるか想像してみりゃ言えるわけねぇだろうがー!!」

「言っ……ぁ、ぉ……おう」

 

 うぅわぁーすっげぇ説得力! 一発で理解しちゃったよ俺! こんなわかりやすい答え、八幡初めて!

 だよなー、いろいろ頼むくらいなら、いっそ屋敷でじっとしといてくださいって言いたくもなるよな! 現にやってきたと思ったらエクスプロージョンだし!

 

「おい。言わなかった事実に私が関係しているのなら、どういった意味なのか今ここで説明してもら───あ」

「あ、ってなんだおい! ていうかどういう意図があって、入るなり詠唱が終了してる状態で溜め込んでるんだよ! 確かにお前に計画を話さなかった俺も悪いけど! あっ、ばっ……諦めんなよ! 諦めんなそこで! だめだめだめ! だめ───アァアアーッ!!」

 

 結局発射された。

 しかもこの式場で。

 あ、だめ、これヘタしたら俺達も───!

 

「『エクスプロージョン』ッ!!」

 

 ───と、吹き飛ぶ覚悟をしていると、耳に届く声。

 振り向けば由比ヶ浜が杖を構えており、下に落ちる爆裂魔法ではなく、落ちてくる前のめぐみんの爆裂魔法を狙って放たれたそれは、空中で大爆発を起こした。

 さすがにめぐみんの魔力には負けたのか、結構な衝撃波が式場を揺るがしたものの、式場が吹き飛ぶなんてことはなく……その場には、ぼてりと倒れるめぐみんと由比ヶ浜の姿があった。

 

「ちょっ───くっそ!」

 

 咄嗟に走り、飛び散る石礫(いしつぶて)や多少壊れた瓦礫などから、倒れる由比ヶ浜を庇う。……体が勝手に動くって、ほんとにあるから困るよな。爆風で吹き飛ぶものは様々で、それらが突風と一緒になって飛んでくるため、自分の背を盾にしながら由比ヶ浜を庇い、背に石がぶつかろうが指に瓦礫の欠片がぶち当たろうが盾になる。

 咄嗟の行動に文句を言えるのは庇われた誰かと、庇っちまった人間だけだ。その場合、庇った相手が犬ならば文句は聞きたくないでござる。思えばこいつと知り合うきっかけも……体が勝手に動いて、こいつの飼い犬であるサブレを助けたことからだっけか。

 

(思えば随分と長い付き合いになる)

 

 ……あ? 短い? いやいやなに言ってんの、知り合いが少ない俺にしてみりゃ十分長いよ? 相手から接触してくるだけで十分濃いから濃厚だから。……あーあー、庇われといてそんな顔すんなっつの。庇い甲斐がないじゃないの。べつに迷惑だなんて思ってねぇから。勝手に体が動いたんだから、本能的ななにかだったってことでしょ。

 ……本能的に守りたかったんかね。わからん。わからんけど、倒れながら“ごめんなさい”を表情で表したような顔で見上げられると、なんか俺が悪いことしてるみたい。やっぱ同じ相手に二度庇われるとかって苦しいもんなん? ほら、ダンまちのベルくんも嫌がってたし。……顔はごめんなさいなのに、色は赤いんだからどうしろと、って感じではあるが。

 気恥ずかしくなってそっぽを向くと、そこに丁度居る豚……って、だから豚に失礼だ。あー……例えが見つからん。もうモット伯でいいかな。金で女を買おうだなんて、もうほんとジュール・ド・モットって感じだし……んん? ───そこでハタと気づき、爆風が治まるや羊皮紙を手にアルダープのもとへと走る。

 そして手を引っ掴む───ことはせず、たらりとその手を伝う、アロエがつけてくれた傷から出る血に押し付けた。

 

「なっ!? 貴様、なにをっ!」

「ほい、これで誓いは果たされます。きっちり二十三億。お納めください。そしてこれを以って、神・エリスの名の下に、ダスティネス・フォード・ララティーナとあなたは無関係となります」

「な、なにを馬鹿な……、ば……馬鹿な馬鹿な馬鹿な! そんな馬鹿な! なにが誓いだ! ララティーナはワシのものだ!」

「いいえ、ララティーナ嬢は佐藤氏に買われました。既にあなたのものではありません。支払うべきを支払ったのなら、あなたが彼にどうこう言う権利も、何かをしていい権利もありません。それをすれば、今度こそあなたは罪人となるでしょう。もちろん、あなたが望んでいなかったのなら勝手に押し付けた私も罪人です。しかしあなたは二十三億エリスを手放さないし、私が責任を詰められる結果にも至っていない。つまり───」

「ふんっ、なにが罪人だ! そんなものはすぐにでも覆して───!」

 

 ……おっさんが喋れたのはそこまでだった。

 おっさんが立ってた場のすぐ後ろに闇の渦が現れて、おっさんを吸い込んでしまったからだ。

 こんなことが起こるとは思っていなかった俺だって、口を開いたまま硬直してしまっていた。

 こんなことが出来るのは……!

 

「……いや、誰だよ」

 

 途方に暮れた。や、強制転移魔法が使える相手とか知らんし。アロエ……じゃないだろうし? じゃあ誰? ……だから知らんし。

 まあそのー……ほら、あれだ。今までのいろいろなことを支払わなきゃならなくなったんじゃねえの? だからそいつの前に転移させられたとか、それともバニルがそうしたとか。

 ……え? じゃあ……これで終わり?

 

「いっつ! ……? おおう」

 

 緊張がほどけたからか、体に痛みが走る。

 見てみれば、体のあちこちに切り傷がある上に、もらった司祭服も結構傷がついてしまった。

 こ、こういうのはこっちの世界でもいろいろな手当とか出たりするんだろうか。ほら、お金的な意味で。こ、これはほら、爆裂魔法から式場を守るために仕方なく……とか言ったって、もう佐藤らのパーティーとはいろいろと通じ合ってることもバレてるだろうから、下手すれば共犯者扱いじゃないのこれ。

 うわぁどうしよう。俺もさっき追加した金で、もうかなり金が少ないんだが。

 いや……まあいい今は傷だ……あぁほれ、ヒールヒール。

 

「っし、と……あとは───おーい由比ヶ浜ー? だいじょぶかー」

「あ、あたしよりヒッキーでしょ!? だいじょぶ!? 怪我とかしてない!?」

「………」

 

 ほんと、自分より誰かを優先できるとかすごいわ。

 やさしさってのは一種の才能なのかね。や、俺が庇ったのはやさしさとかそういう方向のじゃねぇから。本能的に動いたんなら、そこに打算的な何かとか、余計な思考は一切ねぇよ。

 だから、俺の行動はやさしさとかでは喩えられたもんじゃない。

 やさしいってのは人をきちんと気遣えるやつに言うべき言葉で……。

 

(……はぁ、いや)

 

 溜め息一つ、思考を打ち切って指に残った血を適当に司祭服で拭う。

 由比ヶ浜には「癒したから気にすんな」と返して、いつものように由比ヶ浜を負ぶろうとした時、それは耳に届いた。

 

「ガタガタガタガタ、いい加減にしろよコラッ! もうお前に拒否権はねーんだよ! これ以上口答えするんじゃねー! もう領主のおっさんからお前を買ったんだよ!」

 

 それは、佐藤の咆哮だった。相手を威嚇するための声。

 言葉としては成り立っているのに、とりあえず相手に言うことを聞いてもらうための行為でしかなかった。

 内容はといえば……もうお前は俺の所有物だとか、散々酷使してやるとか、俺がはたいた金の分を身体で払ってもらうとか。

 ひっどい内容なのに、最後に変態だとか、わかったら返事をしろとか叫ばれると……ダクネスは真っ赤で、とろけきった顔で「ふぁ、ふぁいっ!」と元気よく返事をした。

 ……あんだけぶつぶつごねてたのに。

 やだもうドMの本懐みたいなのを見せられちゃった気分……!

 俺、こんな綺麗な、“おとぎばなしみたい……!”じゃない、正真正銘ファンタジー結婚式場では、いくら相手が醜い豚でも綺麗な世界が待ってるって、きっと何処かで期待していた。……のに。

 ドMを見てしまった……! 見ちゃったよドM……! もうほんとやだこの世界……!

 

「……綺麗なものが見たい……」

「ヒ、ヒッキー……」

 

 だから、つい口からこぼれた言葉も仕方ない。由比ヶ浜だって、苦笑混じりだけど同意も混ざった声だったし。

 しかし、俺と由比ヶ浜、直後に超赤面。

 聞こえたのはアクアの声だったんだが、改めて佐藤が言った言葉にツッコミをしつつ、つついていた。で、改めて事実を確認させられると、確かにスゴイ状況なわけで。

 聞いた話じゃそもそも、アクアが原因で津波は起きて城壁などが壊れ、総額二十三億エリスの借金を抱えることに。しかしさらにそのそもそもは、佐藤がアクアを軽んじて、駄女神だのさっさとしろだのと言い方を考えずに促した所為だ。その場に居たわけじゃないが、話を聞いただけでもわかるってもんだ。佐藤が悪い。明らかに。

 出来た借金はすごいものだったが、アクアだけが悪いわけじゃねぇよそれ。しかも所有物ってお前。ついこの間、紅魔の里とやらでめぐみんと同じ部屋でいろいろ囁き合ったりして、手を出しそうになってたとか、ケダモノになりかけてたとか由比ヶ浜経由で聞いたんですが?

 それってあれだろ、アクアの言う通り、めぐみんの耳に入ったら爆裂魔法叩き込まれるよマジで。

 え? でも……え? あれ? ダクネスさん、恍惚とした表情してらっしゃるんですけど? これ逆にダクネスさんたらめぐみんの説得に走ったりしない?

 アルダープ相手じゃあんな顔しなかったってのに。これっていろいろ決まってるんじゃないのかね。

 

「人って見かけに寄らねぇのな……いや、この場合は外見問題じゃないのか」

 

 佐藤は、男の俺から見ても外見は整っている。

 目が腐っているわけじゃない。ただ、内側がクズでカスでゲスなだけ。

 しかしやる時はやる男だってんだから、なるほど、付き合いが長くなれば惚れるヤツの一人や二人は出てくるのだろう。……潜在的にMなお方なら、それはもう簡単にお落ちになられるのではないだろうか。

 

「見かけによらない人なら、あたしも知ってるよ?」

「あー……そうな。俺も何人か心当たりがあるわ」

 

 物静かで綺麗な人だと思ったら、毒舌でキッツい奉仕部部長とか。

 ギャルでビッチかと思ったら、周囲に合わせただけの結果であって、初心で恥ずかしがり屋なクラスメイトとか。

 か弱く頼りにならなそうなのに、いざ物事を決めたらとっても強いテニス部の天使とかな。

 ……まあ、口には出さんけど。

 特に、男性にとっても好かれそうなのに、未だに結婚出来ないとある先生のこととかは。ほんと、なんで結婚出来ないかね。

 と。もはや当然のような流れで由比ヶ浜を負ぶり直す中で、いろいろ考えながらも移動を開始しようとしたんだが。

 

「「ほえ?」」

 

 ばさり、と。負ぶさった由比ヶ浜から、なにかを被せられた。

 なにやら白い、透明の布っぽいもの。

 しかしどうやらしっかりとした作りらしく、柔らかく薄いのに、頑丈そうなソレ。

 なんだこれと思いつつ、人に被せておいて、なんでお前まで“ほえ?”とか言ってんの? と疑問にも思ったがまあいい。ともかく雪ノ下やゆんゆん、アロエと合流を───と歩き出したら、消えた雇い主を思い、混乱しているアルダープの部下たちを説得して回り、引いてもらいながらも向こうからも駆けてきた雪ノ下と目が合い、その肩が急に跳ね上がったことに首を傾げた。

 

「ひっ……比企谷、くん? 由比ヶ浜さん……?」

「……? なんだよ」

「わあっ……すごい綺麗ねゆいゆいっ! も、もももしかして、二人もここで式を挙げる予定だったのっ!?」

「「え?」

 

 言われて、違和感。

 おそるおそる、自分の首の下に回された由比ヶ浜の腕を見ると、白。

 かっちりとした部下スーツがあるはずのそこに、何故か白があった。




凄い為に漢は鳴く

検索すると作業妨害BGMと出会えます。
でもリズムがたまらなく好きなんです。


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この素晴らしい世界に祝福を。

 タイトル元はこの素晴らしい世界に祝福を! 言うまでもありませんねウフフ。
 最後が“祝福を!”じゃなくて“祝福を。”なところに無駄なクロス要素を配合。
 ではではこれにて閉幕。

 しかしグルメ系漫画って増えましたよね。
 異世界系グルメもなかなか。
 異世界食堂も結構好きなので、アニメ化ウレシイヤッター!!
 でもクッキー・アソートの回は、なんというか使い回しと停止画が多かったような……。
 うーん、そういうの気にしないように見ようと思ってるのに、どうしてもきになってしまう。
 ともあれ次回も楽しみさー! 楽しみすぎる俺さー!
 のぶのアニメ化もとても楽しみです。
 タイショー! トリアエズナマ! あとワカドリノカラアゲ!

 異世界関係ないけど、ヤムチャ転生最終話よかった。
 相手があの二人じゃあねぇ……仕方ないね。


 白。薄い透明の布。しかも高価そうとくれば、なんとなく予想はつきそうなものだが、まず“何故?”が出てくるので、焦るよりも妙に冷静になった。……由比ヶ浜はそうはならなかったらしいが。

 

「え? わひゃ!? ななななにこれ! ヒ、ヒッキー!?」

「なんでそこで真っ先に俺を疑うんだよ……ただ負ぶった俺が、どうやってお前の格好変えられんの。……てか、お前も普通気づかない? 自分の服装が変わったとか」

「それはあなたにも言えることでしょう。ヴェールを頭からかぶっているような状態で、よくも気にせず歩けたものね」

「いろいろあって疲れてんだよ……些細なことだって思えば、いろいろなことを無視できるくらいにはな……」

 

 とりあえず由比ヶ浜に軽くドレインタッチをしてもらい、立てるくらいに回復したら降りてもらった。

 そうして改めて向き直ってみれば……ダクネスが着ていたウェディングドレスに勝るとも劣らぬ作りの、白いウェディングドレスに身を包んだ由比ヶ浜が。

 向き直って、見つめてみて気づいたが、髪の色も黒に戻っており、お団子ではない髪がヴェールの下にあって、じぃっと見つめられていることに気づいた由比ヶ浜はしかし、特になにかを言うでもなく恥ずかしそうに顔を逸らした。

 顔が赤くなる音ってほんとすんのな。歌の中だけかと思った。つまり顔がめっちゃ熱い。つーか、雪ノ下に指摘されて気づいた。俺も白のタキシード着てるよ。何事?

 

「……すまん、正直状況についていけない。なんだよこれ」

「あ、あたしに訊かれても、わわわわかんないよ……」

 

 だよな、と呟いて、せめてこの混乱した思考を少しでも落ち着かせようと、今となってはただの紙切れとなったアルダープとダクネスの婚姻届けを見た。

 すると……なんということでしょう、そこにある筈のアルダープとダクネスの名前が、この世界の文字で俺と由比ヶ浜のフルネームになっていたのです。

 ……はい、せぇの。

 なぁにこれぇ。

 

「? ヒッキー? ……え? ヒ、ヒッキー……? これって……」

「……比企谷くん。あなた……」

「師しょっ……ハ、ハチマンッ、これってもしかして!」

「い、いやっ! これはっ……」

「フハハハハハハ! シュパっと飛び出てどーんと落着! それについては我輩が説明しよう!」

「おぉあっ!?」

「うひゃあああっ!?」

 

 由比ヶ浜にどこか潤んだ目で見つめられ、いや待て、べつに俺がいじくったわけじゃ……とか言おうとしたら、突如として頭上で紙吹雪が炸裂。スタッと降りてきたバニルが、弧に曲がった仮面の目元と同じくらい明るい声を出した。

 ……佐藤の方の騒ぎといい、こちらといい、なんとも落ち着きのない式場である。

 こんな状況じゃなければ、ただひたすらに幸せを誓う祭壇だった筈なのに。

 

「おっと、まずは礼を言うぞ腐眼の男よ。貴様のお蔭で無事に領主の契約は剥がれ、我が友が受け取るべき最高の対価も支払われた。我輩も、領主から受け取れるものはたんまり受け取ったが故、それを手伝ってくれた貴様や、あちらで女どもにもみくちゃにされているお得意さんには、悪魔としての最大限の礼節を持ち、感謝する」

「お、おう。受け取る。で、早速なんだがこの状況、なんなの?」

「なんなの、とは。これが貴様の支払うべき対価ということだろう? 貴様がアルダープに押し付けた制約破壊と対価の羊皮紙には、貴様の血も染み込んでいた。その時点で我輩との契約も切れているわけだが、まあこれは事故であるとわかっているため続行。ここまではいいな?」

「あー……まあ、今の状況になる要因の中で、考えなかったわけじゃないからいいけど」

 

 やっぱりあの血判状の所為だったか。

 血が出てた時点で嫌な予感はしてたんだ。

 けど、俺が支払うべき対価ってなに?

 

「そしてこの見通す悪魔のバニルさんが貴様の過去を覗き見るに……くほっ! な、なんという甘美なる悪感情の祭典……!! 我輩、貴様の過去を覗き見ただけで、もうここで滅ぼされてもよいと満足してしまうほどの悪感情に満たされている……!」

「やめて? 今すぐやめてください」

 

 真顔で、真っ直ぐに、直接的な言葉でお願いした。

 しかし却下された。

 もうやめて! 一瞬なのに俺のライフはマイナス点よ!

 雪ノ下とか由比ヶ浜が物凄く声を掛けづらい顔してるからマジやめて!?

 ……あとゆんゆん、その好奇心旺盛のきらっきら笑顔で俺見るの、やめて?

 

「ふぅむふむふむ! なるほど、わかったぞ、自分の責任からは逃げぬ腐眼の男よ。貴様がそこな巨乳少女に支払うべき対価は確かに存在している」

「え……まじか。つか、それって由比ヶ浜がウェディングドレスを着ることにまで関係あんの?」

「あるな。貴様が犬を助け、代わりに轢かれ、ぼっちで過ごし、再会がしらにビッチと呼び、しかし手伝い、助け、なんだかんだと願いを叶え、和を繋いだこと。そしてなにより、薄々気づきながらも踏み込まずもやもやさせ、かと思えば“愛してるぜ”などと恋する少女に」

「わーっ! わぁああーっ!! だだだだからなに言ってんの!? しっししし信じらんない! ヒッキーのばか! キモい!」

「いや、俺関係ねぇだろ……あ、いや」

 

 関係あったわ。

 言われてみれば突き刺さる言葉が幾つもある。

 言われた通り、薄々と気づいていたものがあって、それはこの世界で余計に膨れ上がって、なのに自分からは踏み込まず、過去を思ってはどうせ勘違いだと距離を取っていた。

 その距離感を由比ヶ浜も受け入れて、線には踏み込まないようにしてくれていたんだろうに、俺の愛してる発言だ。

 思えばそれから由比ヶ浜は変わったって感じて、ドレインタッチが出来るのに俺に負ぶってと言い、爆裂魔法を撃つ時には俺をちらちら見たり。

 

「ストレートに訊いてしまえば、貴様の内なる心はわかり切っているが故にどうしたものかと我輩も思案。正直普段ならばここぞとばかりにつつきまくるバニルさんであるが、貴様の過去だけで満足してしまった。しばらくは、この満たされる悪感情の後味を穢されたくはないゆえに、つつくのはよそう。そこで少年よ」

「お、おう……なんだ?」

 

 仮面の目元にへにょりと綺麗な弧を描かせた悪魔が、顔を近づけて耳元で囁く。

 

「そこな巨乳少女は生涯貴様を愛し続けると、この見通す悪魔、地獄の公爵のバニルさんが断言し、約束しよう。どんな誘惑にも耐え、むしろ興味が向かず、貴様に関する誘惑にのみとても弱く、尽くすお嫁さんというやつだな。そして貴様もまた浮気などしないし出来ぬ男であるとも。というわけで、貴様の幸福から下りる羞恥の感情などをデザートに頂きたいのだが?」

「……。それってどういう───」

「フハハハハ……! 今さらとぼけようとも通じぬ通じぬ無駄である……! 爆裂魔法に付き合ったり負ぶったりと、貴様が巨乳少女を意識しまくりなのは既知の事実である……!」

「おまっ……!?」

 

 普通なら高らかに笑いそうな部分まで小声でひそひそと笑う悪魔さん。おお鬱陶しい。

 しかし図星すぎて、否定すら出来ない自分が居た。

 いや、だってさ、そりゃそうなるだろ。

 こいつ、俺のことが好きなんじゃね? とか薄々思ってても、どうせ勘違いだろで止めてきていた感情。

 しかし日に日に俺を見る時間が増えて、最近じゃあ真っ赤になって慌てるでもなく、うっすら桜色に頬を染めたまま、俺を見ていたこいつだ。

 気心だって知れているし、俺だって嫌いなわけではなく、むしろ───アロエの話が切っ掛けで近くなっていた距離が、この世界に来て一気に縮まった気分だったのだ。

 散々泣かせたし嫌な気分もさせちまった。もし犬を庇ったあの頃から始まった感情ってものがあって、それらが再会の頃からずっと今まで続いているってんなら、俺は俺自身、自ら、こいつに対して払いたい責任が山ほどある。

 夏祭りの日から逸らし続けてきた目も、修学旅行で作ってしまった溝も、小町が菓子を食うだけ食って忘れちまったためにきっかけを消された所為で、直接謝る機会もなく一年も罪悪感を抱いていただろうこいつだ。

 意識するなって方が無理で無茶ってもんだろう。

 最近では雪ノ下もそれに気づいてか、少し楽し気に距離を置くことだってあったくらいだ。

 

「悪魔との契約もつい先ほど破棄され、しかし確かに我輩に対する対価も支払われた。十分すぎる悪感情、大感謝である。なので代金の方は割引にさせてもらおう。その金を以って今この場で、このバニルさんが貴様らに祝福を与えようではないか! ……ちなみに言っておくが、あそこでお得意さんと騒いでいる女神なんぞの祝福よりも、最大級に幸福になれることも約束するが?」

「………」

「ひ、ひっきぃ……?」

「いや、ちょっと待て。喉につっかえたもん、全部出さなきゃ対価にゃならんっぽい」

「む? ……ほう、フハハハハ! 律儀であるなぁ少年! いやいやなるほど、こんなデザートもたまには甘露!」

 

 好き勝手に言われる中、頭を掻きつつ由比ヶ浜を見る。

 格安のレンタル品とは次元の違う、綺麗な純白のウェディングドレスに身を包み、頭にはヴェール、顔には薄化粧の、実に見事な“純白の女の子”の想像図がそこにある。

 俺はそんな由比ヶ浜を真っ直ぐに見て高鳴る鼓動と、あふれ出てくる今までの意識し出した日々や、それ以前の何気ない日々に呼吸が弾み、恥ずかしさから即座に目を逸らし、しかしその先で雪ノ下とゆんゆんに睨まれ、視線を戻した。

 ……その度、バニルが「ほう! ほう!」とか言って美味しそうに悶えるもんだから、あぁあもう……! 対価以上にいろいろ支払ってる気がするから、そのほうほう言うのをやめなさい!

 わかってるよ、とっくにこっちだって意識しまくりだった。

 勘違いじゃないことなんて、たぶんわかってたから本能的に守ろうだなんて行動が出来たんじゃないか? いいよ、そういうことにしとけ、じゃないと、この期に及んでひねくれたことを言い出しそうだ。

 だから───……だから。

 

「……由比ヶ浜結衣さん」

「ひゃ……う、うん、はい……」

「~……、……す、好きです。俺とその、あ、あー……その……! つっ……付き合って、ください……!」

「───、あ……」

 

 そう。

 結婚がどうのとか、生涯がどうのとか。

 そんなものはまだ先のことだ。

 それよりも、今はまずしなくちゃいけないことがあった。

 こいつがずっと好きでいてくれたなら、まずは恋を成就させなきゃ対価じゃない。

 頭の中にするべきことが浮かぶ度、喉になにかが詰まったような錯覚を覚えるのを、俺は少しずつ受け入れてった。

 告白をした。次に、手を握り、引き寄せ、大変恥ずかしいがそれを飲み込み、ヴェールを上げてプロポーズをして。

 涙をこぼす目の前の女の子にのみ、周囲に聞こえないように確認をしてから、さらに溢れる涙を拭うこともせず頷いてくれたことに、心から安堵と歓喜を振り絞り。

 そうして……誓いの祭壇で生涯を誓い、深いキスをして、結婚。

 終始うざったい悪魔に向かって誓いを口にしながら、しかしまあ……どうしてなんだろうか。納まるところに納まった、なんて思ってしまい、苦笑してから普通に笑った。

 気づけばアルダープとダクネスのために集まっていた参列者たちも祝福してくれて、それに気づいた佐藤たちまで祝いの言葉を投げてくれた。

 

「その……悪ぃな。恋人らしいこととかすっ飛ばして、いきなり結婚とか……」

「ぐすっ……う、ううん、それたぶん、あたしの所為だから。あたしがさ、えと……こんなところで結婚式できたらな、とか考えちゃってたからだと思うから……」

「う……そ、そか。その……考えてた相手って……」

「……気になる?」

「ここで焦らしとか、ねぇだろおい……」

「えへへ……えへへへへ……♪ えへー……♪」

 

 由比ヶ浜は幸せそうに微笑んで、俺の腕に自分の腕を絡めてくる。

 抱き着いてくるわけでもなく、ただ静かに寄り添って。

 ……そだな。恋人らしいことをしてこなかったんなら、今からやっていけばいいのだ。

 そうして少しずつ、こいつが望んだ青臭い春を喜びで埋めていこう。

 あー……俺恥ずかしいこと言ってる。ものすんげー恥ずかしいこと。

 でも、……そだな。悪い気分じゃない。

 中二病をこじらせ積み重ねた恥ずかしさなんて笑い飛ばせるくらい……今はその恥ずかしさが心地よかった。

 

「ねぇねぇカズマさん。こうなったらもう、カズマさんもここで挙式しちゃったらどうかしら。……私だったら! そこの! ヘンテコ仮面よりも! 素晴らしい祝福を与えられるわよ……? だって私! 女神だし!」

「ほほう? 言ってくれるではないかなんちゃって女神よ。見るがいい、そこな幸福に溢れた夫婦を。我輩の取り仕切った悪魔式婚儀だからこそ、こうも上手くいったのだと断言しよう! ……でなければそもそも、この腐り目の君が踏み出さなかった故な」

「おいちょっと? それ今言わなくてよかったよね? ねぇちょっと? 言わなくてよかったよね?」

「フハハハハ! というわけでだ名前だけ女神よ! 所詮貴様では祝福は出来ても懐を温めることなど出来まい! 次第に心も体も凍てつき涙し、破局するのが目に見えておるわ!」

「なぁんですってぇ!? ちょっとカズマ! ダクネス! やるわよ結婚式! 大丈夫よ任せなさい! 悪いようにはしないから!」

「お前がそう言って悪くなかったためしがあるかぁっ! おいマジやめろよ!? 駄女神の祝福とか、今後一生貧乏で暮らすことになりそうじゃねぇか!」

「い、いやっ……私はむしろ、それでも……!」

「ももももも悶えてんじゃねぇ変態クルセイダー! めぐみんっ、魔力分けるからなんか言ってやってくれ! このままじゃ───」

「ふっ……生憎ですね、ダぁクネぇス……! 私とて貧乏生活には慣れた存在……! 今さらその程度で、同じ部屋、同じ布団で寝たこの我を差し置くことなど───」

「ちょぉおっ!? お前はなにを言ってんだー! いや間違ってないけど。これ以上話をややこしくするんじゃねぇーっ!!」

 

 佐藤から魔力を分けられ、立ち上がるや独特の構えを取り、宣戦布告のめぐみん。

 ああうん、こういうラノベチックな状況って、マジであるのな。

 溜め息ひとつ、俺の腕に腕を添えるようにしながら、やさしい顔で笑っている隣を見る。

 

「……帰るか」

「うん。……あ、えと。……どっちに?」

「花嫁を馬小屋に連れ込む趣味はねぇよ……宿に決まってんでしょ」

「あ、あはは……そだよね。でもさ、えっと。これってどうしたら戻るんだろ」

「案外脱ごうとしたら元に戻るとか、そんなんじゃねぇの?」

「あ、そか。脱ぐ───、……ひゃぅうっ……!?」

「い、いやっ……脱ぐってのはそういう意味じゃなくてだなっ……!」

「はぁ……由比ヶ浜さん、比企谷くん。いいから一度戻るわよ。それと、夫婦の会話は二人きりの時だけにしてちょうだい」

「えぇっ!? も、戻っちゃうの!? ハチマン、ゆいゆいっ、あの、伝説の“ブーケン・トゥース”は!? “らいすめてお”ー! とかも……!」

「……とりあえず、佐藤が言ってたことが事実だったってのはよーくわかった」

 

 紅魔族ってほんと、妙に日本知識にかぶれたところがあるとか聞いたけど、マジなのな。ところどころツッコミどころ満載だけど。なにブーケン・トゥースって。ブーケトス? あとは……ライスシャワー、だよな? 米のメテオとか怖いわ。

 まあ紅魔族って、そもそもが日本人転生者が原因で誕生した種族らしいからなぁ。

 ほんと、生きてる内に出会えたなら、一発くらい殴ってやりたかったわ。デストロイヤー製作者。

 

「さてと。宿には一旦戻るとして、ダクネスの親父さんもなんとかしてやらんとな」

「え……なんとか出来るの?」

「俺でダメならアクアだろ。女神ならそのくらい───」

「うー……ねぇヒッ……は、八幡。えっとさ、その……結婚したんだからさ、あたしのことも……」

「……、お前ね、人がせっかく世間話から入って、さりげなーく呼ぼうとしてたのに、そこで催促する?」

「ふえっ!? あ───、……あぅうう……!」

「~……その、よ。呼び方。そのまま八幡でいいからな。……ゆ、結衣」

「……、……ぅん」

 

 ぽしょりと恥ずかしげに返事をして、由比ヶ浜……もとい、結衣が、抱き着いていた腕に顔を埋めてきた。

 俺はそんな彼女の頭をわしわしと撫で───ることはせず、妙に温かくなった心とともに、やさしくやさしく撫でていった。

 今まで面倒とか苦労とか迷惑とかをかけた詫びも込めるつもりで。

 

 

 

     10

 

 新婚生活が始まった。

 婚姻の書物は無事に届けられ、俺と由比ヶ浜……っとと、結衣は夫婦になり、ダスティネス家から謝礼として贈られたお金で正式に家を買い、そこに住んでいる。その金ってのがアルダープに支払った金であり、そもそも契約破棄の羊皮紙のお蔭で汚職だのなんだのの汚いところが明るみになったため、アルダープの財産は全て差し押さえられ、辿り着くべき場所に辿り着いたわけで。

 で、この家だが、雪ノ下もゆんゆんも一緒に住んでおり、食事などは一緒で、穏やかな団欒の日々を続けている。

 ……のだが。

 最近、アロエの様子がおかしい。

 

「アロエ~? 水は───」

『いらないのです』

「散歩とか……」

『いいのです』

 

 なんだかそっけない。

 そっけなくされると構いたくなる人のサガか、気になってしょうがない。

 しかし踏み込もうとすると、

 

『もっと奥さんのことを気にするのですよ!』

 

 と叱られる始末。

 世界初! アロエに叱られる男!

 ……あ、訂正された。世界初は篠山さんらしいです。なんか……お疲れ様です、篠山さん。

 しかし一度話し始めると、様々なうんちくやら知識を話し始め、聞いているだけで時間が飛ぶ飛ぶ。

 なのに、ここしばらくは外にも出なければクエストもしない。

 少しずつ痩せてきている気さえするのに、頑なに食事も水も拒否し続けた。

 

「……、もしかすると」

「ゆきのん? なにか知ってるの?」

「ま、まさか寂しさのあまり、食べ物が喉を通らないとか!?」

「いいえ、その……ゆんゆんさん? それはないから安心してちょうだい。恐らくだけれど……」

「だけれど……?」

「……、ふふっ、いいえ。悪い事にはならない筈だから、見守ってあげてちょうだい。きっと彼女なりの、お祝いのつもりなのでしょうから」

「「「……?」」」

 

 雪ノ下の言葉に、首を傾げるしかなかった俺達。

 しかしそんな日々が長いこと続き、そろそろ本気でヤバいんじゃって時。

 アロエから雪ノ下の部屋に行かせてほしいと願われ、しばらく経ったある日のこと。

 雪ノ下に呼ばれ、結衣と一緒に雪ノ下の部屋へ訪れると、遅ればせながら……と、アロエに祝福の言葉を贈られた。

 

『ふふふ……! この世界には液体肥料がなかったので苦労しましたが……見てください比企谷さん! 由比ヶ浜さん!』

 

 陽の当たる窓の傍に置かれた植木鉢に立つ少女。

 アロエの髪であるアロエ部分から、綺麗な花が咲いていた。

 

『正直ちょっと目眩がしますけど、急な結婚にお祝いの品も渡せないアロエではいけないと思いまして……。受け取ってください、健康と万能、そして信頼の花言葉のアロエの花です』

 

 ぴしっ、と両手を肩と同じ高さの横へと広げ、そう言うアロエ。

 そういえば様子がおかしかったのは結婚式の後からであり、あー……つまり、その。

 

「由比ヶ浜さん。アロエという植物は、花を咲かせるまでに長い断水期間が必要になるの。切れた多肉植物が水を断つと根を伸ばして水を求めるように、根を下ろした状態で健康を保ち、且つ必要な温度、必要な環境を経て、花を咲かせる。言うほど楽ではないけれど、その過程があってこそのこの花なのよ」

「ゆきのん……あ、だからあの時、見守ってって」

「ええ。その後にアロエと相談して、私の部屋に来てもらったのよ。贈りたい相手に開花の過程を眺められるのは恥ずかしいでしょうから」

「アロエ……お前」

『いえべつに、ただ気まぐれ心が働いただけといいますか。比企谷さんは命の恩人ですから、せめて出来ることくらいはやらないと、アロエとしても立つ瀬がないといいますか……』

 

 植物にツンデレされるって世界初じゃないかしら。

 しかし気持ちは嬉しかったから、こちらこそとばかりにお礼の言葉と、あと水をあげた。

 ちなみに花を咲かせるのに最適な温度作りは、主に雪ノ下の初級魔法が生きたらしい。

 便利だな、初級魔法。

 

「わああ……! こんな花、見たことない……! アロエさんってすごいのね!」

『むふふー、アロエですからっ』

 

 胸を張りつつ、ゆんゆんから少し逃れるように体を逸らすアロエさん。

 ……いい加減ゆんゆんにも慣れてやんなさい。

 さて、ありがたく花を愛でさせてもらい、お返しにとばかりに水をあげると、こくこくと飲むアロエ。

 げっそりしていた体にハリが出て、不純物でも取り除いたかのように瑞々しくなった。

 

『あ、ところで比企谷さん。元の世界……もとい、国のことなんですけど、どうします? 結婚して、家まで買っちゃったわけですけど』

「それなんだよなぁ……」

「うん。ママとかサブレのことも気になるし、帰りたいとは思うんだけど……」

 

 言いつつ、チラチラと俺を見る結衣。

 いや、その。別に心配せんでも、元の世界に戻ったからって、他人の目ぇ気にして今さら他人のフリしてくれとか頼まんから安心してほしいんだが。

 

「つか、今こっちから向こうに帰ったら、時間とかどうなってるんかね。経過してない、とかだったらありがたいんだが」

「帰る時間を指定出来たら、とてもありがたいのだけれどね……」

「それな。ほんとそれ」

 

 とほー、と溜め息を吐いていると、ゆんゆんがおそるおそる訊いてくる。

 

「あの……みんな、帰っちゃうの?」

「あー……いやー……まあな、正直3日以内にカエルを倒すだけで、10万単位を稼げるなんて夢みたいな場所だけどな。俺達にもほら、あのー……あれだ。帰る国ってのがあるんだよ」

 

 家出したとか思われて、帰る国はあっても帰る家がなかったら泣ける。

 大丈夫だよな? ちょっと考えてみただけだけど、もう帰ってこなくていい的な締め出され方とかしてないよな?

 ああ、ただし日本に戻ると能力等は全部なくなるらしい。あっちじゃ既に廃れた幻想だ、そりゃ仕方ない。

 

「あら比企谷くん。あなた、戦闘中は特になにも出来ないじゃない」

「筋力増加とかで支援してるだろーが」

「ていうかさ、えっと。ちゃんと帰れるのかな。アロエちゃんはどう? 元の世界の大勢のアロエと、通信、できたりする?」

『まだ反応がないのです。反応を捉えるまでは無理ですかね……』

「そか。んじゃ、それはまあどうしようもないことだって割り切って、反応を捉えられるまでは普通に暮らせばいいんじゃねぇの?」

「そう……ね。言う通り、どうしようもないもの。でも……そうね。二人の子供が産まれる前には、帰りたいものね」

「ばっ!?」

「ひゃうっ……!」

 

 俺と結衣、赤面。

 い、いや、一線は越えてないぞ? 確かに結婚はしたけど、まだ恋人気分を味わっているところなんだ。

 そういうことはだな、ほれ、あれだ。もっとお互いを知り合って、この人ならって思えた時にだな……。

 ……まあ、視線が合えばキスしたり、今まで言いたくても言えなかった言葉を言いまくって、今まで言われてみたかった言葉を言われまくって、互いに好きになりまくって、もうヤバいくらいだが。

 

「………」

 

 そしてまたちらちら見て、見られる。赤い顔で、潤んだ瞳で。

 期待してないわけじゃないぞ? お、おう、俺だって男ですし?

 けど、だからこそだ。大切だって思うからこそ段階ってものは必要なんだと思うのだ。

 その段階がいつ段飛ばしで踏破されるかなんざ、誰にもわからんわけだが。

 まだまだいろいろと問題点もある現在。

 俺達はしばらく、この世界で───

 

「おぉおおおーい! 比企谷ー! 面倒が起きた! 手伝ってくれー!!」

 

 ───……この世界で、周囲の困難を解消、もしくは解決しながら生きていくのだろう。

 いつになるかはわからんけど、いつか帰る日が来るまでは……まあ、なんだ。そうやって順応しながら生きていくしかなさそうだ。

 ああちなみに、ダクネスの親父さんはアクアの力であっさり治った。俺も提案、助力をしてくれたってことで感謝されて、なんとなくだけどダスティネス家と付き合いが続いている。主にお互いの苦労話とか、ダクネスと佐藤の関係とかを話す間柄ではあるのだが、なんか気に入られたっぽい。

 

 

 満開状態のアロエを持ち、全員で宿を出て、来ていた佐藤とともに屋敷へ向かった。

 そこで、一羽のヒヨコを巡って女神と地獄の公爵が喧嘩をしているのを止めるのが今回の依頼らしい。

 この場合、奉仕部でいう“魚の釣り方”ってどうなるんだろうな、雪ノ下よ。

 存在の時点で嫌悪し合う二人を前に、俺達は早くも出る溜め息を隠せなかった。

 しかし幸福ではあるわけで。

 俺は、この手の中の、にこっと笑いつつ胸を張っているアロエに感謝の言葉を囁くように口にした。

 

(開花をすると、周囲の人を幸せにする、ね……やさしい転移能力だこと)

 

 ちなみに幸福中だと獲得経験値や金運が上昇します。なんてことは野暮だ、言わないでおこう。

 そうして自身の内側から溢れる幸福と、アロエからもたらされる幸福を噛みしめながら、今日もまた面倒事へと歩を進める。

 

「やっと来たわねハチマン! ───祭りよ! エリスの祭りがあるなら、アクア祭りがないのはおかしいじゃない! というわけだから手伝って! この前の結婚式では花を持たせてあげたんだから、早く手伝って!」

「おい、それただ佐藤のヤツが誓いの祭壇から逃げたから解散になっただけの話じゃねぇか」

 

 ヒヨコのことはいいのか、と訊くより先に、地獄の公爵様に懐きまくっているヒヨコが目に映った。……あ、これ擦り込み完了してるアレだわ。取り返しつかないわ。

 見れば、アクアの目に涙が溜まってるし。あ、こぼれた。なるほど、現実逃避したいわけね。どんだけ言ってもヒヨコはバニルを親だと思ってて、アクアが手を伸ばせば威嚇とともにゾスゥとその手を啄ばまれている。そして再び泣く女神様。

 やべぇ不憫だ……! かつてないほど不憫だ……! あんだけ誕生を楽しみにしてたってのに……!

 

「~っ……み、見つめる女二人を前に、逃げ出したヘタレヒキニートなんて知らないわよ! あそこできちんとどっちかと誓い合ってれば、こんな面倒なことになってなかったのにこのヘタレ! だから! もういいから祭り! 手伝って!」

「ヘヘヘヘタレじゃねぇし!? ってかああいう状況じゃあ一度冷静になる必要がだなぁ!」

「……なぁ、雪ノ下、ゆんゆん。俺、もうこいつらキャッチ&リリースしたいんだが。魚の釣り方を教える云々じゃなくて、釣ったことが間違いになるとかないわ……」

「よかったじゃない。ゾンビみたいな目という理由で、随分と女神様になつかれているようだし」

「そ、そうよハチマン! 相手から来てくれるなんて、とっても嬉しいことじゃない! あの、だからその、わ、私でよかったらいつでも手伝うから! 友達だもの!」

「そゆこと口に出して言わない」

 

 溜め息ひとつ、なにも言わずに横に立ってくれている妻を見る。

 目が合うと、えへーと微笑んでくれる。

 こちらの行動を疑いもしていないその笑顔に、俺もまた溜め息を吐いて、頷くのだ。

 

「へいへい……ご奉仕しますよ、今日も」

「頑張ろうね、八幡っ」

 

 おう頑張る。めっちゃ頑張る。妻に言われちゃ頑張らない理由はない。

 こじらせぼっちなんて、結局は自分を理解して愛してくれる相手が欲しいだけなのだ。

 そして俺には、もうそんな人が居る。

 ならどうする? 頑張るでしょう。

 もはやヒッキーと呼ばなくなった相手と自然と手を繋ぎ、佐藤と一緒になって話を煮詰め───おいちょっと、なに睨んでんの。お前だってあの時キッチリ選んでりゃ、結婚とか出来たでしょ。

 

「う、うるせー! こっちにだっていろいろと心の準備とか……!」

「人に向かって所有物とか言える鬼畜のカズマさんが、今さら心の準備とか」

「やめて!? 唯一の男の理解者にそれ言われるとダメージがすごいから!!」

 

 マツルギとやらじゃあ話にならないらしい。文字通り、話にならんのだとか。

 ていうかバニルは? 喧嘩してたんじゃないの? え? 脱皮して帰ってった? やだ、あそこにあるの、悪魔の皮なの? もう俺この世界に来てから様々な物の元の知識とかどうでもよく思えてきたわ。脱皮って。ははは、脱皮って。

 しみじみ言う俺に、佐藤が同意し───しかしそんな佐藤が、急に凛々しく、睫毛を長くした顔になる。

 あー……嫌な予感。やだなー、今すぐ帰りたい。

 

「……ところでお二人さん。新婚ということはその、しょしょしょ初夜などはどのように……?」

「結衣」

「ん」

「わかったごめん悪かったから屋敷内で爆裂魔法はやめてくれぇえ!!」

 

 ……同郷であり、俺の唯一の男性理解者はこんな感じである。

 不公平じゃないかこれ。

 しかし一応、この世界では先輩であるわけで。

 まあ、いい感じに馴染んでいくしかないんだろうな。

 困ったことに、幸福ではあるわけだから。

 恋人が出来て妻が出来て、友達も出来ました。

 その友達、今「パーティーを組めて、問題解決のために一緒に悩んで行動出来るなんて……! やったわねゆんゆんっ! 友達が増えたわっ!」とか喜びまくって───おいやめろ。

 

「……はぁ」

 

 いちいち行動にオチが付くような世界で、今日もまた奉仕部は誰かの役に立っている。

 主に、周りに巻き込まれる形で。

 そんな世界でも、厄介事が尽きない初心冒険者の集う街でも、今日もそこに笑顔が生まれる。

 ぼっちも笑えてる世界なら、そうそう悪くない場所なんだろうな。

 それじゃ、元の世界に帰るまでは……どうか、この素晴らしい世界に祝福を。

 

 

 

           /了




 これにて、やはりこの素晴らしい青春ラブコメ世界はまちがって祝福されている。は終わりで候。
 総合180話……随分とまあ話を書いたもので。
 文字にして約200万。
 読む人が大変そうな文字数ですな……。

 なんにせよ、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
 俺ガイル最新12巻は、9月20日発売!
 延期にならない限りはきっと大丈夫!

 ではでは、突発でまたガハマさんを書きたくなった時にまた会いましょう!
 チェリオ~♪


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アロエさん、日本行事しようよ。

あろえさんの謹賀新年アロエちゃんを見た時から、時間が空けば書きたかったお話。
というわけで、ちょっぴり続きっぽいシリーズモノ。
タイトルは『女騎士さん、ジャスコ行こうよ』より。


 謹賀新年。

 謹んで新年をお祝い申し上げることを意味する。

 まあ新年がどうとか言ったところで、この世界でそんなものが通用するのかって言ったら甚だ疑問ではあるのだが。

 

「こっちの世界に、日本で言う正月元旦って概念はあるんだろうか」

『あろえ?』

 

 日本の電波から離れて久しい今日この頃。

 スマホの充電が切れても久しい日々からしばらく、簡易カレンダーを作っては日を数えてきたわけだが、つい先日、バニルの、もといウィズ魔法道具店にとあるアーティファクトが入荷した。

 その名もソーラーパネル充電器───って日本製じゃねぇか!

 入荷っていうか拾いものだろこれ!

 というのも、佐藤らが紅魔族の里に行った際、長く封印されていたとある部屋へと入ったそうなのだが、そこでゲームガールなどの携帯ゲームを発見。

 それらをどうするかを里で話し合い、使い道が無いものは売ってしまおうってことになったらしく、その一部をめぐみんの親父さんがウィズに売りに出したらしいのだ。

 で、ウィズはそれを爛々とした目で購入。帰宅後、バニルの殺人光線にて黒コゲになっていた。

 ともかくこんな使用方法もわからんものでは売り物にならんと、バニルは俺や佐藤を呼んで、価値あるものなら買ってはくれまいかと相談してきたわけで。

 

「久々にスマホに電源が入ったと思えば、予想以上に日にちが経ってたな」

『そうなのですか?』

「ああ」

 

 家の窓の傍。

 日光浴をするアロエの横で寝転がりながら、話し相手になってもらっている俺。

 今日も平和である。ゴロゴロ最高。もっと言うなら日光浴最高。

 

「まあ、いくら一日経過するたびに印をつけていったって、いちいち何月が何日まである~とか覚えてないよな」

 

 なので、何日かズレがあったわけで。

 一応雪ノ下の誕生日も盛大に祝ったのだが、地味にズレていた。

 むしろあけましておめでとうとかろくに言えなかったよ。だってその時、ある依頼を受けててそれどころじゃなかったし。

 ていうか未だに帰る目処が立ってないんだけど、どうすんのほんと。

 小町とかめっちゃ心配してないかな。あと戸塚とか戸塚とか。

 え? 親? いや、むしろ気づいてないとか有り得そうなんですけど。え? 八幡? うちにそんなの居たっけとか親父がこぼしてそう。で、お袋と小町にめっちゃ怒られるのな。

 ……やめよう、虚しくなってきた。

 

『比企谷さん比企谷さん』

「ん? どしたーアロエ」

『元旦を迎えたならあれをしなきゃですよ! こう、お着物を着て、きっちりと正座して三つ指をついて!』

「いや、お前足は根になってるって」

『……正座は諦めるのです』

 

 口に出して早々に諦めることが出来てしまったらしい。

 しかしどうやらこのアロエ、改めてきちんと新年のご挨拶をしたいらしい。

 人間より植物(?)の方が行事に積極的って……いい世の中になりましたね奥さん。ファンタジーだけど。あと誰だよ奥さん。……結衣か。

 

「着物ったって、どうすんの。お前のサイズに合う着物なんてないだろ」

『はぐぅっ!?』

 

 あ。やってしまった。完璧なまでのクリティカル。

 少し考えればわかることを、わざわざ相手に訊ねるように自覚させるとかぼっちの風上にも置けない所業。

 こんな小さな植物(?)にショックを与え、目をうるうるさせてしまうなんて、俺、ヒキガヤ・オブ・ボッチの未来はどうなってしまうのだろう。

 などと冥界三姉妹の長女をやってないで。しないから。肘なんて確定しないから。

 

「まあ、なんとかするか。こっちに来てからしばらく、日本の行事を忘れっぱなしってのもアレがアレだし」

『あっ……は、はいですよっ! アレがアレなんだから仕方ないのです!』

 

 で、ノって見れば、ぱあっと花咲くアロエスマイル。りゅうおうの弟子にも匹敵する笑顔である。尊い。

 さて、とは言ったものの、いくらぼっちで広く浅くを得意とするみんなの八幡さんでも、いきなりミニチュアオヴ着物を作れと言われても無理である。そもそもそんな道具も持っていない。

 ていうかソーイングセットがあればどうにでもできるとか、そういう次元の話じゃない気もするし。

 じゃあどうするか? ……ここは嫁を得ることで広まった交友関係を駆使してみましょーか。

 たとえばめぐみん。実家は相当な貧乏だと佐藤から聞いたことがあるので、案外裁縫とかが得意かもしれない。半端に金持ってると、破けても買えばいいとかそういう方向で解決しちゃうからね、まったくこれだから最近の若者は。え? 俺? 買いますが? 最近の若者だもの。

 で、めぐみんに頼む方向の話……だが、着物を作ってくれとか言ったって通じる筈も無い。そこは説明すればいけなくもないかもだが、絶対にアレンジする。中二病入る。それはダメだろう。

 ではダクネス。お嬢様であり、地味にいろいろ出来たりする彼女だ。頼めばやってくれるだろうが……どうしてだろう、なんでかいい予感がしない。見返りなんて求められないとは思うんだが、ここぞという時にSとかM的な意味合いで何かを要求されてしまいそうな気がする。

 ではアクアは却下。考えるまでもなかった。まさに流れるように却下の方向。無駄な才能があるにはあるが、なにせあのアクアだ。……あの、アクアだ。あの女神様に頼みごととか借りを作るとか、あってはならない。

 ならば着物、というものにも多少の知識はあるであろう佐藤は?

 ……どうしてだろうな、エロスに走って肝心な完成には至らない気がするのは。

 じゃあ…………じゃあ?

 …………全滅じゃねぇかよ。おいどうなってるのちょっと、交友関係が残念すぎて泣きたくなるんですけど。

 あ、いや、バニルとかはどうだろう。

 確かバニルさん人形とか作ってたよな? ……って、あれ原材料は土くれだよ。

 それとも土くれで着物を作ってくれって頼んでみるか? ……無駄な出費になりそうだな、やめとこう。

 

「んー……」

『比企谷さん?』

 

 誰か居ないもんか、誰か。

 こう、無駄に多才で手先が器用で頼まれたら喜んでやっちゃうような、どこか損をするタイプなのに居てくれてありがとうっていう───と、考えているところでノック。

 

「は、ハチマンっ、お昼できたから降りてきてって!」

 

 次いで、扉の向こうから聞こえてくるのはゆんゆんの声。

 っと、もうそんな時間か。なんだかんだでアロエと話し込んでいたようだ。

 それじゃあ───……ん?

 

「───」

「わひゃっ……!? あ、えと、お昼……」

 

 ……ふむ。

 扉を開けて、まじまじとゆんゆんを見る。

 無駄に多才で手先が器用で頼まれたら喜んでやっちゃう…………ああっ!

 

「ゆんゆん……お前を友達と見込んで頼みがある」

「ともっ……───な、なんでも言って!? 大丈夫よ任せといて! 絶対に後悔なんてさせないから!」

 

 言った途端、目から残像の残る紅き輝きを放ちながら、声高らかに詰め寄る紅魔族がおった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 それから、雪ノ下とゆんゆんとでアロエの着物作りが始まった。

 

「なるほど、それで。ええいいわよ、時折にでもそういうことをしないと、日本のことを忘れてしまいそうだもの。あなたにしてはいい考えなのではないかしら」

 

 ほっときなさい、いちいち一言余計だっての。

 “皮肉を混ぜずに作業なんてできません村”の住民ですかあなたは。

 

「でもそっかー……ゆきのんの誕生日、しっかり祝えたと思えたのにズレちゃってたんだ……ごめんねゆきのん」

「いいのよ、由比ヶ浜さん。祝おうとした、という意志と、実際に祝われたという事実こそが嬉しいのだもの」

 

 日本で言うダイニング的な場所に集まって、四人と……いや五人でわいわい。

 五人というのは言うまでもなく、俺、結衣、雪ノ下、ゆんゆん、アロエである。

 雪ノ下がアロエの採寸を測り、デザインを描き、パターンを引き、そこからはゆんゆんとの共同作業でボディへ宛がっての仮縫いやらのアレコレが───って速いなこの二人。

 そりゃ人間サイズじゃないから、作業自体はそこまで大掛かりじゃないだろうけど、だからってそんなテキパキ出来るもんなの? もしかしてぬいぐるみとか作る趣味がおありで? それを話題に誰かときっかけが作れれば、とか練習しまくったとか……ああ、うん。雪ノ下はどうか知らんけど、ゆんゆんあたりは妙に納得できてしまった。

 ……え? 結衣? ……少し手伝ったら椅子に座らせられて、「比企谷くんと話していてちょうだい」って別の仕事を頼まれてたよ。……仕事なのかよそれ。

 

「できたー!」

「早っ!?」

「すっごーい! すごいすごい! ゆきのんもゆんゆんもすごいよ! ってか服ってこんな簡単に出来ちゃうんだ! すごい!」

 

 いやよく見て見なさいよ二人の顔。相当疲れたって顔してるよ。とっても集中してたってことだろ。

 ……ちなみに。裁縫に関する道具も、紅魔の里の提供でお送りします。

 さ、そんなわけでいよいよアロエに着つけて───

 

「………」

「………」

「……ヒッキー?」

「へ? ……あ、お、おう」

 

 そうでした、俺が居たんじゃアロエが着替えられない。

 ていうかアロエが俯きがちにちらちらとこちらを見てくるからなにかと思ったら、そういうことか。真っ赤な顔してどしたの、とか言いそうになってたよ。言ったら恥以外得られなかったよ。あるとしたら侮蔑の眼差しだけだったよ。主に雪ノ下からの。

 

……。

 

 ダイニングっぽい部屋を出て、少し一息。

 この家には佐藤の屋敷のような大きな暖炉はなく、生活の知恵で暖を取る。

 主に雪ノ下とゆんゆんの魔力で、だが。

 その方法というのが、白熱暖房という、今適当につけた暖の取り方だ。

 白熱電球が案外熱いことは皆様ご存知かと思う。

 まあ難しい理屈は特に無く、フィラメントを用意して真空状態にして~とかそういうのでもない。

 熱に強い丸い容器を用意して、中に燃え続ける炎魔法を固定する。それだけ。

 魔法効果が持続する魔法球ですよっ、とウィズにオススメされた。

 “これさえあれば魔法効果がとても長く持続するんですよ!”と熱を込めて、それはもう。……でも、魔法が持続するのってこの球体の中だけなのよね。つまり熱くするか寒くするか、灯りを点す以外の役割なんてほぼない。攻撃に使えるわけでもないし、爆裂魔法を封入するなんて不可能だ。てかめぐみんがやってみたら、魔法球が当然のごとく堪えられずに破裂&爆裂。溶けたガラス片を火山の噴火が如く周囲に撒き散らし、大惨事となった。

 バニルがさすがに役に立たないからと安値で売ってくれるくらい、他に使い道がなかった。あのバニルさんがだよ? 相当だよこれ。

 え? ウィズ? 例に漏れず殺人光線だったよ。懲りるって言葉を知らんのかしら、あの人。なんて俺が言ったら、小町に“お兄ちゃんがそれ言うの?”とか言われそう。

 と、振り返りはこのくらいにしておいてと。

 

「日本が恋しくなった時の、ありがとう電子書籍」

 

 外に出るのさえ面倒になった時、本を手にするのもめんどくなった時、あなたの傍にはスマホがあります。まあ漫画とか読む時は正直、タブレットのほうがいい。あれはいいものだ。

 

「読み途中だった漫画、あったんだよな」

 

 DLさえしてあればいつでもどこでも。

 直前で更新通知とか来てなくてよかったわ。こっちじゃどう足掻いても更新できないし。

 さて、じゃあ続きを───…………来てたよ、更新。

 しかも微妙に更新されてて、読み込めなくて読めないパターンだよ。

 

「まじか……残酷すぎでしょ、電子書籍システム……」

 

 SDカード内にどれだけ無事な漫画たちがあるのやら。

 待ってる間に調べてみようか。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 …………。

 

「…………」

「ヒッキー?」

「ぇぁああぉわぅ!?」

 

 夢中になって読んでたら、結衣に声をかけられた。

 そしたら喉が超自然的“驚きの声”をあげた。

 人間、ほんとに驚くとわけのわからん高い声、出るよね。

 言わせてもらうならこういうのは本能であるからして、べべべつに俺が特殊だとか、ひと際ヘンな声だとか、キッパリ言っちゃうとキモいとかそんなことは……いいよもう、キモいよ、自分で思い返しても驚き過ぎてて恥ずかしいよ。

 いいじゃないですか、素直な自分で行きましょうよ。なんの恥ずかしいこともありません。ほらワテクシ聖職者ですし、誰かさんの結婚式も取り持った程の司祭モドキさんですし、なにかこう……自分に説いてみせてもいいんじゃないでしょうか。

 ならば、さあハチマン、聞きなさい。そして受け入れるのです。

 そうですよ、なにも難しいことはありません。

 かつては己のルールで全てを軽くこなしてきたプロボッチャーの八幡さんが、今さらこんな事態程度で迷う必要があるわけがないじゃないですか。

 つまりはそう、こう考えればいいのです。

 

  八幡、あなたは愛する妻に情けない声を聞かれただけ。

 

  そう、可愛い嫁さんに声を掛けられただけで悲鳴をあげただけなのです。

 

 ほら、こうして考えを変えるだけで…………やだ死にたい。死にたくなってきた。

 恥ずかしいとかそういうのではなく、なんかこう……死にたい。

 

「………」

 

 けど恥を掻くことなんて割りと慣れていたから気にしない方向で行く。

 大丈夫、熟練のぼっちは傷つけられるのには慣れっこです。

 首を傾げる結衣を促して、いざダイニングもどき……もうダイニングでいいか。へ歩を進める。

 さりげなく動画記録機能も立ち上げて、と。

 

「あ、ハチマン! 見て見てっ!」

 

 ダイニングに入ると、まずはゆんゆんが興奮気味に軽く身を弾ませながら声をかけてくる。赤いお目々が爛々に輝き、大きなお胸はたゆんたゆんと弾んでいる。やめて、目に毒っていうか目のやり場に困るから。

 だが促されたなら見ないわけにも……いや弾むおっぱいではなくてですね? 指差された先の話で。……やめて雪ノ下、そんな目で見ないで。

 

「ぉ……」

 

 ───と。

 ごっちゃりとした思考が、テーブルの上にちょこんと存在する植木鉢を見ることで吹き飛んだ。

 そこには綺麗な着物とお飾りをその身につけた、アロエの姿。

 言っていた通り、三つ指ではないが指を植木鉢の縁に置き、ぱっと見れば姿勢が綺麗な正座をするような格好で、俺を見つめながら軽く頭を下げる。

 そして言うのだ。

 

『あけまして、おめでとうございます、ですよ』

 

 と。

 ……………………やだ可愛い。

 あ、やばい、ずっと昔、無邪気だった八重歯の可愛い妹が親に着物を着せられ、こんな風にして挨拶をしていた光景を思い出した。

 ていうかそれよりも着物がゴージャス。何枚重ねてるのちょっと! これ振袖どころか五衣唐衣裳じゃないの! どんだけ懲りたかったの二人とも!

 などと頭の中は賑やかだが、現実の俺は目の前の光景に声も出せずに停止中。

 小さな犬の編みぐるみがあるので戌年なのかと思い出したり、松ぼっくりを見てゆるキャンを思い出したりと、それはもう忙しいのに……声が出ない。

 たぶん今、絶賛感動中。

 寄り添い育てた娘が綺麗になった瞬間を見届けた親の気持ちって、きっとこんなん。

 あの、ちょっとやめて? 人の顔見てくすくす笑わないで雪ノ下。してやったりって顔はなんかずるい。今この瞬間だととってもずるい。

 ゆんゆんも胸張らないで? 頑張ったんだからっ、と言いたい気持ちもわかるから。いや可愛いよほんと、アロエ自身も綺麗に可愛くなっちゃって、え? 化粧とかどうやってるの?

 

「ほら、ヒッキー」

「え、あ、ああ……」

 

 頭の中が大混乱の中、やさしい表情で結衣が袖を引いてくれる。

 たぶん、俺の頭の中とか見透かされてる。その上でのこの表情。ちくしょうサンクス。

何語だ。

 

「あけっ……あ、あけましておめでとう、アロエ。今年もよろしくな」

「ぷふっ……!」

 

 はいそこ笑わない。噛んで悪かったよ。

 

『はいなのですよぅ!』

 

 しかし、そんなぐったりさんな心も、軽くガッツポーズを取って、いかにも今年も頑張りますって表情をされると、捻くれで有名だった八幡さんも心動かされずにはいられない。

 

「いやしっかし……これどうやったん? 蹴鞠を彷彿とさせる髪飾りとか、おみくじを思い出す飾りとか、虎の尾を思い出させる葉とか幸福のナンテンみたいな飾りとか……え? これ全部自作?」

「ふふふっ……別にそう難しいものではないわ。工夫することはもちろんだけれど、ゆんゆんさんがいろいろと手伝ってくれたから」

「と、友達に頼まれたならこれくらい当然だもの! 上手くできたよね……? ちゃ、ちゃんと出来てるわよねっ、うんっ」

 

 いやほんと、手先が器用で羨ましいこと。

 で、そんな中で役に立てなかった嫁さんひとり。

 

「や、やー、えと……うう……! だ、だってゆきのんが手伝わせてくれなくてっ!」

「あなたはもう少し……いえ、もっと、いえ……とてもとても練習してからでないと……その」

「う、うわーん! ゆきのんひどいー!!」

「だ、大丈夫よゆいゆい! 私がつきっきりで教えるから! ままま任せてっ、友達だもの!!」

「ゆんゆん……う、うんっ! あたし頑張るからっ! ねっ、ヒッキー! ねっ!」

「いや……なんでそこで俺に同意求めんの」

「だ、だいじょぶ! ほらっ、子供が産まれた時とか、その頃にはばっちり作れちゃったりしてると思うから!」

「───」

 

 思考、停止。

 嫁さんに子供の話とかされると、こんなにも心弾むというか、嬉しいものなんですね。

 ……え? ど、どしたのアロエ、こっそり服引っ張られると驚くっつーか……。

 

『……ふぁいとっ、ですよっ、比企谷さんっ』

「………」

 

 うん、ヒッキー頑張る。なにって、いろいろ。

 ああもうなんかもうだめ、この子可愛い。

 他人に怯えてるのに俺にだけは懐いてるとことか余計に甘やかしたくなる。

 そんなアロエが、『今度は書初めをしましょう!』などと言い出して───

 

「さすがに半紙と墨汁がないわね」

「え? そこ真面目に返すとこなの?」

 

 真面目に考える雪ノ下に軽いツッコミを入れつつ、比企谷家の日常は今日も───

 

「ゆいゆい! ゆいゆいは居ますかぁーっ!!」

 

 ……また騒がしくなりそうです。

 また来たよあの爆裂娘。あの日からほぼ毎日じゃないのちょっと。

 と、かるーくスルーしつつ、なんでかスマホに搭載されていた“習字アプリ”を起動して、アロエに渡す甘やかし親父の鑑っぽい八幡さん。

 ほっときなさい、今俺とってもアロエを甘やかしたい気分なの。

 ほら見てみなさいよ、自分の体ほどにも、とまではいかないが、大きな画面に一生懸命手を伸ばして文字を書くアロエを。心が顕れるようじゃないの。

 

『完成です!』

 

 そうしてゆんゆんがめぐみんを迎えている隙に書かれた文字は『おかし』であった。

 ……弛まぬ努力をどうぞ。あとなんか……頑張ってください篠山さん。

 

「まったくなんなのですかまるで足止めをするように! あれですか、通せんぼをしつつ左右に動き、その邪魔な実りを揺らしたかったのですか見せ付けたかったのですか!」

「いたっ! 痛い! やめてよ胸叩かないで!」

 

 そして、書き終えた辺りでとうとうここに辿り着くめぐみん。

 おお、さんきゅなゆんゆん。足止めしてくれなきゃ、書初めどころじゃ「ふわぁああああっ!?」……なかったもんなぁ。

 

「どどどどうしたというのです何事ですかアロエがアロエがふわぁああああ!! ななな撫でてもいいですかいいですよね構いませんよね!」

『ぴぁああああああ……!!』

 

 ダイニングに辿り着いためぐみんが色鮮やかな着物に身を包んだアロエを発見した途端、ゆんゆんの胸を叩くのもそこそこに物凄い速度でテーブルまで接近。

 バイクのテールランプが如く残像を残す瞳の輝きが、その興奮度を物語っていた。

 アロエ、もちろん対人恐怖症を発症。俺に両手を掲げるようにしてヘルプミー状態であった。綺麗に着飾った娘に涙ながらに助けてってゼスチャーされて助けないなんて有り得ません。よって救助。

 

「あっ! なにをするのですハチマン! もっと、もっと近くで見せてください!」

「嫌がってるからだめ。つーかお邪魔しますくらいないの? お前」

「お邪魔しますさあ見せてください!」

「め、めぐみんちゃん、ほら、えとー……ば、爆裂魔法の話、しよ? アロエちゃん怯えちゃってるから」

「うぐぅっ!? あのっ……ゆ、ゆいゆいから誘ってくれるのは大変嬉しいのですが……魅力的な提案なのですが……! あ、ああっ……あぁあ……!」

 

 結衣に腕を引かれ、ずるずると離れていくめぐみん。

 そんな彼女は子から引き離される親のようにアロエに向けて手を伸ばし、しかしその手がゆんゆんに握られ、さらに引っ張られていった。

 

「ショック療法は向かないとわかり切っているのだから、こちらは任せなさい比企谷くん」

「お、おう」

 

 それに追従するように歩いていく雪ノ下は、ぽしょりと「どう止めたものかしら」と溜め息をこぼしていた。まあ……興味の向くものには猪並みの猪突を見せるのが紅魔族っぽいからなぁ。

 

「まあ、とにかくあれだ。今日はお前が主役ってことで、元旦やら正月らしいことでも重ねるか」

『でも奥さんをないがしろにしたらダメですよ?』

「そら当然」

 

 ずびしと指を差してまでの注意、痛み入る。

 というわけで、元旦といえば───「比企谷ぁっ! かくまってくれぇっ!」……考えさせなさいよちょっと。

 人ン家の窓を勝手に開けて侵入してきた佐藤は、息も荒くテーブルの下に隠れようとして───……アロエを見て、ほろりと涙した。

 

「そっ……そうだよ、俺はこんなささやかな、けれど日本を思い出すような光景が欲しかっただけなのに……!」

 

 なにがあったんだよ。来て早々泣くほど、なにが起こったのよ。

 

「いやアクアがそういえば新年の挨拶とか元旦名物とか全然やってなかったわねーとか言い出して何を思ったのか餅つきを用意してとか言ってどこぞの職人にそれっぽいもの作らせてその金が俺のポケットマネーでツケにするとか言ってたみたいで丁度そんな金がなかった俺が追われることになってそんなことをまだ知らなかった俺は久しぶりの日本行事に目を輝かせながら餅をつこうとしたらもち米なんぞないことに気づいて気がついたら使い道のない臼と要らんツケと金を求めて俺を追うイカツイおっさんどもにキャッキャウフフと波打ち際を駆けるバカップルを再現したかのような涙が止まらない状況に」

 

 長いよ。あと長い。一息でどんだけ喋るの。

 あとハイライト。人ン家に勝手に侵入しといて死んだ目すんのやめてくれない?

 そんな俺と佐藤の悲しみをよそに、俺の手に植木鉢ごと治まっているアロエが、佐藤に向けて縁に手をつき、綺麗なお辞儀と挨拶をした。

 

『佐藤さん、あけましておめでとうございますですよ。今年もよろしくお願いしますです』

「ぁ…………~……おめでっ……おめでとう……! 挨拶が……邪気のない何気ない行事がこんなにやさしいものだったなんて……! 帰りたい……あの頃に帰りたい……!」

 

 あの……どうすんのこれ。泣いちゃったんですけど。割とマジ泣きなんですけど。

 そしてやっぱり今年もこいつは仲間の所為で苦労するんだろうな。

 

「あ、ところでその着物、どうしたんだ? あの機織り職人の人に作ってもらったのか?」

「『あっ』」

 

 縫い物に強い人、そういえば居たわ。ポチョムキン四世さんだっけか。

 ああいや、もう完成しちゃってるんだから今さらか。それよりも借金の額をだな。

 

「この服は雪ノ下とゆんゆんが作ってくれたもんだよ。で、佐藤。借金っていくらなんだ?」

「作ったってこれをかよ……ああえっと、10万エリス」

「高ぇよ」

 

 なにそれ高い! どんな高級素材で臼作って貰えばそんな値段するんだよ! 相場なんか知らんけど!

 いくら以前に二十三億エリスなんていう大金を動かしたとしても、この世界で暮らしてみりゃあそれが普通に高いことくらいわかるわ!

 

「比企谷……同郷のよしみで───」

「俺、既にお前のところの駄女神に5万貸してるんだが」

「あんのクソ女神ぃいいいいっ!!」

 

 叫ぶ佐藤も見慣れたもんだ。ほんと、この世界ってやさしくない。てか、女神がクズである。

 

「ぐっ……それでも、無茶を承知で頼む……! 俺もう、誰かに追われながら生活するとか嫌だよ……!」

「この前、女風呂覗いたとかで追われてなかったか?」

「───」

 

 だからその口一文字やめろって。

 

「ていうかな、幸せに平凡に暮らす夫婦から金借りるとか、良心が痛んだりしないのお前」

「うるせー!! 良心なんかどんだけ持ってたところで、あのパーティーで足しになるもんかよ!!」

 

 ものすげぇ説得力だった。そうだよなー、“神”がついてる存在がアレなんだもんなー。

 神が率先してツケや借金するとか、ほんともうどうなってんのこいつのパーティー。

 俺だってなー! 俺だってなー! って泣きながら叫ぶ佐藤を見てると、逆にこっちが辛いくらいだ。

 

『佐藤さん、だったら働いて稼ぐのですよぅ! なにかというと借りるという癖をつけてしまっては、本当の意味で立ち直ることなど出来ないのです!』

 

 と、そこへズビシと佐藤を指差しながら言うアロエ。……俺にひっしとしがみつきながら、差す指はぷるぷる震えている。

 

「借り癖か……。確かによくないよなー……じゃああれだ、なにかを売って金にするとか」

『そ、そうですよ、きっとなにか掘り出し物が───』

「魔力無限大の喋るアロエとかバニルに高値で売れるんじゃないかな」

『比企谷さんこの人クズです人間のクズですよぅ!!』

「まあ、町を歩けばクズマの噂はよく聞くしな」

「ちょっと待てその話詳しく」

「いーからお前は働いてこいって。とりあえずアクアに貸した分にプラスして5万、これで10万ってことで。それを待っててもらう契約金みたいなものにして、あと5万は働いて返せばいいだろ」

「おっ……おぉおおおっ! 恩に着るよ比企谷~! なんだかんだで助けてくれるからお前って嫌いになれないんだよなー!」

「よしアロエ、次助けてとか言ってきたら無視するぞ」

『合点ですよぅ!』

「あ、ごめん今の無しすいません口が滑っただけなんです誤解です勘弁してください」

 

 結局そうして、今日もまた騒がしい日々。

 この後とりあえずの借金をダクネスが肩代わりしたとかで、ますます働かなきゃいけなくなった佐藤は、諸悪の根源・女神アクアを引きずり、ギルドへ。危険な敵相手でも知ったことかと突撃し、ダクネスを盾にしつつも爆裂魔法で粉砕、アクアに回復させるという方法でさっくりと稼いできた。

 

「くっ……肩代わりをした相手を盾に、容赦なく爆裂魔法とは……! はぁ、はぁ……! た、たまら───ごほん! ひどいやつだ……!」

 

 おいちょっと? 今この人たまらんとか言おうとしてたよ? つか今さら誤魔化しても本性知ってるから。意味ないからそれ。

 

「まったくなんで私が……。あのねぇカズマ? 私にも用事ってものがあるんですけど?」

「今の俺達に金稼ぐ以外の用事があるかよ! つかなんで当事者であるお前が一番関係ないって顔してんだよふざけんな!」

「だから仕事のことで用事があったんだってば! ふふん、言っておくけどすっごい仕事なんだから。まさに私にしか出来ないってくらいのねっ! ……なんか薬の実験に付き合うだけでお金いっぱい貰えるっていうの」

「怪しさマックスすぎるわぁ!!」

「ふふん、馬鹿ねぇカズマったら。私が誰かを忘れたの? 女神よ? 私、女神なんだから。人間が作った薬なんかで影響が出るわけないじゃない」

「毎夜人様が作った酒を飲んでは道端で吐いてるゲロ女神がなに言ってんだ」

「わぁああああ!! 今カズマ本気で言った! 真顔で! 真顔で言ったー!!」

 

 いや……いいからさ。いちいち人ン家に集まって報告するの、やめない?

 あとそこの女神、御託はいいから金返しなさい。

 

「とりあえずアレな。……餅つきも羽根突きも、楽しめる程度で代用していくか。もち米はなくとも、代用品くらいあるだろ」

『ではまず餅つきから始めるのですよぅ!』

「ていうかその体で羽根突きとか普通に出来るの?」

『……! ~……!』

「いやすまんマジすまん泣くな泣かないでごめんなさい!」

 

 新年明けましておめでとうございます。

 そんな一言でおごそかに終わってくれるほど、今の俺の周囲は静ではなかった。そりゃそうだ、こいつらうるさいもの。

 そんな納得が場を支配した、とある新年のお話。



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短編的ななにか……?
ある、どこかで曲った高校物語


 俺物語を久しぶりに見たら、なんか書きたくなった短編的ななにか。
そのくせ続くらしい。
 あ、葉山が幼馴染なため、その影響が各地に出ておりますが、大した物語性は望めません。
 純粋に、あ、なんか書いてみたいと思ったものをそのまま書いてみた、傍迷惑なSSです。
 今回は珍しく、誰√、などのお話ではなく、俺ガイルで俺物語をするとどうなるか、的な実験SSです。
 八結ではなく、むしろ誰ルートでもございませんので、お気をつけのほどを。


 ───俺の名は比企谷八幡。高二だ。

 容姿は普通。顔面偏差値も普通の、まあ何処にでも居るような、高二と言える。

 かつて───そう、たとえば数年前の中学二年の頃に、少々精神をこじらせて、“自分は自分で言うのもなんだが結構格好いい”だのと脳内にてお花畑を満開にさせたこともあったが、今では落ち着いている。

 自分は普通。

 その考えに迷いはない。ないったらない。気づくのが遅すぎたくらいだ。

 

「八幡、帰ろう」

 

 で。今目の前で、俺に笑顔を向けるこいつの名は……葉山隼人。

 こいつこそまさに、俺が唱えられるであろう格好いい男ってやつで、俺はその隣に立っている。

 立っているって言葉は少し変かもだが…………なんで俺とこいつが友達なんてものをやっているのか、俺自身から見ても……結構謎だ。

 

「んで。どうだったんだ? 告白」

「断った。好きじゃないし」

「あっさりしてんな……」

「そうかな」

「そうだよ」

 

 なんでもないような日常会話の中で、今日もこいつは告白女子を振ったのだという。

 こんな会話が日常会話になってしまうほど、葉山隼人という幼馴染はモテた。

 そんな男と幼馴染をやっている俺はといえば……対照的にと言っていいほどモテたりはしなかった。

 隣にこいつが居るから? いいや違うだろう。ていうかいちいち他人の所為にしなきゃ前も向けない男が、人に心から好かれるわけがない。

 こいつに対する嫉妬の心は最初から持ってはいない。

 何故ってまあ……友達だからだ。

 むしろこいつを好きになるなら見る眼があるな、くらいは思える。

 ただしオプション目的、ファッション感覚で自分のものになれとかほざく連中は別だ。

 

「お前自身、好きなやつとかいねーの?」

「居ない。ていうか目的が俺自身じゃないとか、興味なんて沸かないだろ」

「きっぱり言うのな」

「そう?」

「そう」

「そっか」

「おう」

 

 隼人の親は弁護士をしている。

 俺達が生まれる以前から友人関係にあった俺の両親と、仕事の都合で再会したらしく、意気投合。

 仕事の都合で家を空けがちな葉山の両親は、俺の両親に隼人を預けてはてんやわんやだった。

 で、そうなれば当然、俺達が一緒になる機会は増えるってもんで。

 俺達はまるで兄弟のように育ち、だからといって喧嘩をするでもなく、まあ普通に育ってきた。

 モテるこいつのことが妙に誇らしいのは、その人間性を知っているからだ。

 まあ、こいつ他のヤツの前ではあんまり笑わんようなのだが。

 

「家帰ったらどうする?」

「ん。宿題終わらせて勉強して、遊ぶ。いつも通りだろ」

「そか。ってーか、いいのか? 俺のこと気にしないで彼女でも作ったらどうなんだ?」

「いいよ。心惹かれる相手が居るわけでもないし、話聞いててもつまらないし」

「お前の笑顔が見てみたぁ~いとか言ってる女子が聞いたら、泣きそうだな」

「笑えないのに笑う理由なんてないだろ」

「そか」

「ああ」

「………」

「………」

「そういやな」

「うん」

「昨日の夕方、小町に頼まれて卵と牛乳買いに行ったんだ」

「うん」

「途中で迷子になってる子供を見つけて、あ、これやべぇって思ったんだけどな」

「うん」

「道の真ん中だから迷子センターがあるわけでもない。だから近くの警察まで届けようとしたらな」

「うん」

「人攫いと思われたらしくて、通報された。警察の方からこっちに来たわ」

「ぶふっふ! ……~……あっはははははははは!!」

 

 おお、笑った。

 いやほんと、笑顔を見たことないとか、普段どんな会話で盛り上げようとしてんの、ガッコの女子ってのは。

 俺との会話だとよく笑うんだけどな、こいつ。

 

「あっは、は、はー、はー、……ふぅ」

「落ち着いたか?」

「───……あっはははははははは!! あっは! あははははは!」

「人の顔見て笑うなよおい……」

「ご、ごめっ……ぷぶぅっふふ! ぷくふふふはは……!」

 

 自分で言うのもなんだが、俺の目はおかしい。

 そうしたかったわけでもないのに死んだ魚のような目で、人生にはまだまだ綺麗なものがあるんじゃぞと、妙に達観した気分で自分に言い聞かせようが、輝いたりなどしなかった。

 何が足りなくて、そんな人生どうでもいいですみたいな目になったのか。

 なにか。心を満たすような出来事でもあれば、変わるのかね。

 そんな俺の友人に、葉山隼人。ほんと、どうしてこうも違う二人が友人関係なんだか、ほんと、わからん。

 

「ん……そういや今回の女子も、同じ中学のやつだったっけ」

「ん? んー……そうだな」

「振った理由は?」

「……嫌いだから?」

「いやなんでそこで疑問系? 俺の方が疑問系だわ」

「それって言葉として合ってる系?」

「それこそ疑問系」

「………」

「………」

 

 くだらないことを言い合って、小さく笑う。

 笑える部分がなくても、どこか面白いものなのだ、こいつとなら。

 ともかくまあ、親の都合で引っ越すかも、なんてことになったこいつが、珍しくもそれを渋った結果、俺の家の隣に住むことになったのが、中学の頃。

 売りに出された家を即金でPONと買えるとか、なんなのお宅の両親。顧問弁護士ってそんな儲かるの?

 ま、ともかくそんな調子で、俺とこいつとは随分と長い間一緒に馬鹿をやっている。

 小学ならではのトラブルもお互いで庇い合っては乗り越えて、くだらないやっかみからトラブルもお互いで乗り越えて。

 まあ、それを考えれば……こんなに気安い幼馴染な友人など、そう居ないわけだ。

 

「今日ウチ来るか?」

「断っても小町ちゃんが凸るだろ」

「だな」

 

 妹の小町は隼人をもう一人の兄として見ている。

 不思議と、他の女子のように好きになったりとかはないようだ。

 なんでだろうな、と隼人に訊いてみれば、「お兄ちゃんのことが心配でそれどころじゃないんだろ」と淡々と言われた。どういうこっちゃ。

 

「八幡、今日あれだったろ。どうする? 歩いていくか? 電車か?」

「あー……早起きしたからって、用事頼まれてんのに歩くもんじゃないな。まあいい運動にはなったけど。って、丁度バス来てるし、あれでいんじゃね?」

「適当だな」

「電車嫌いなんだよ……この目の所為で、女の近くに行くと真っ先に疑われるし」

「~……」

「我慢すんな」

「ぷっはははははは! あっはははははは!」

 

 隼人は、ほんと俺の前だとよく笑う。

 聞いた話じゃ両親の前でも笑わないそうなんだが。

 

「あっ! 乗ります乗りますーっ!」

 

 バスに乗り込むと、いざ扉が閉まって───というところで、同じ高校の女子が乗り込んできた。

 結構走ったようで、俯いたまま肩で息をしている。

 女子、ということもあり、またいろいろと誤解されるのもなんなので、少し距離を取ることにした。

 むしろ女性の視線から逃れるかのように、隼人を盾にする。

 ビッグシールドガードナー! 守備表示で召喚!!

 

「……なに普通に人のこと盾にしてんの」

「お前もうちょっと肉食わない? 細い所為でビッグシールドガードナー、守備表示で召喚! とか脳内で宣言しても、名前負けしちゃうだろ」

「誰とデュエルしてるんだよ……」

 

 中学の頃にはサッカーをしていた隼人だが、高校では入らなかった。

 女に言い寄られない方法を考えていた俺と隼人に、俺が“美形でサッカーって、絵に描いたようなモテ高校生って感じでしょーが”と小町にツッコまれた結果だ。

 そんなにモテたくないのか、隼人。

 

(にしても……)

 

 涼しい顔で流れる景色を眺めている隼人。そんな涼しい顔に少し嫌悪が混ざる。

 はて? と気になった次の瞬間には、隼人が顎で促すように「なぁ、あれ」と呟く。

 あれ? と首を動かし、隼人の体の先のほうにあるものを見てみれば、

 

「なぁ、いいだろ? どうせそんな大人しそうなナリして、本心では遊んでみたいとか思ってるんだろうしさぁ」

「や、やめてください、あたし、べつに───」

 

 あ、これ悪質なナンパだ。

 そう理解した時には、頭の中は“許せん!!”でいっぱいだった。

 べつに正義がどうとかじゃない。人には人の、やりたいことしたいことが沢山あるだろう。それを頭から否定する気はない。

 だが、嫌だと言っているのに、やめてほしいと願っているのにそれを無視する行為は好きじゃない。

 こんな目になってしまった俺が抱く、唯一の信念だ。

 なので、「あっ、ちょっ」と隼人が止めようとする中、俺はのっしのっしとバスの中だってのに大股で歩き、女生徒に向けてウヘヘと伸ばされかけた手を、手首を掴むことで止め、捻り上げた。

 

「いっでいででででで!? な、なんだてめぇは!」

「次のバス停で降りろ! この最低野郎が!」

 

 男比企谷八幡。曲ったことが大嫌いなどとは申しません。

 ただ、嫌だと言っている相手に自分の感情を押し付けすぎる相手が大嫌いです。

 ……好きでこんな目になったわけでもないのに、やめてくれって言ってるのに、馬鹿にしたり陰口叩くヤツとかな。

 などと、まるでボルボロスやハプルポッカが蒸気を噴射するかのように、鼻息荒く“ゆ゛る゛さ゛ん゛!!”状態だった俺の視線に、怯えた男が視線を逸らす中。

 顔を俯かせていた女生徒が、涙目で俺を見上げて……お礼を言った。「ありがとう」と。

 

「───」

 

 その目が俺の目を見る。

 ああしまった、怯えていた相手を余計に怯えさせてしまう───なんて思っていたのに、その目はちっとも逸らされず、余計に怯える、なんてこともなく。

 ただ、最初は気づいてなかっただけなのか、次第に驚きに変わり───

 

「ひ、比企谷くんっ!?」

 

 ───やがてそれは、ひとつの答えへと辿り着いたのだった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 由比ヶ浜結衣。

 俺と隼人の、共通して知る数少ない女……だな、うん。

 高校入学の時、高校こそ素晴らしい青春ライフを送るぞぅ! と妙にテンションが高かった俺は、朝っぱらから隼人を叩き起こし、用意をさせ、まだ早すぎるくらいの時間からキャッホウ気分で学校を目指していた。

 当然まだ眠たかったらしい隼人からは、無言の圧力。

 しかし友よ。隼人よ。高校はいいぞ。

 だっていろんな漫画やアニメやゲームの舞台といえば高校だ。

 高校といえば青春なんだ。絶対に何かが起こるに違いない。

 そんな期待ばかりが本当に胸を占めていた。

 絶対に、今までにない何かが起こる。そう信じて疑わなかった。

 結果として───

 

「ぇ、あっ! だめ! サブレ!!」

 

 犬の散歩をしていた女の手で引かれていたリード。その首輪との接触部分がイカレていたらしく、犬が手綱を放れて道路へ。

 俺と隼人は浮かれた意識をあっさり切り替え、走り、行動に出ていた。

 俺は間に合えとばかりに全力でアスファルトを蹴り、迫る車から犬を救い───

 隼人は、必死に追いつき飛び出そうとした女の子を押さえて。

 俺は、そんな世界をスローモーションで眺め……ただ、静かに。

 “ああ……こんな時、女性を庇えるヤツこそがモテるのかな”なんて、阿呆なことを考えながら、黒い車にゴシャアと撥ねられた。

 で、まあ、足を骨折、めでたく入院、新入生同士で友達を作りましょう! 作戦など成功するわけもなく、俺は一ヶ月も経過してから初めて校門を潜ることに成功。

 当然友達が出来るわけもなく、結局はこうして隼人とつるんでいるわけで。

 

「あ、あの時は本当にありがとう」

 

 現在、あの時の犬の飼い主が目の前に居る。

 バスから降りた今、ナンパ男は今頃、バスの中でプークス状態だろう。

 降りようとしてたけどさせんかった。針の筵を味わっとけ。

 デャァハハハアァン!? アイツぅ、女に強引に迫っといて失敗しとぅあんだっとぅぇ~! まぁ~ずぃ~!? うぁ~りえぬぇぇ~~~いっ! とか笑われるといい。

 ……いや、まじアレ辛いからね。何が辛いって、女性がああいうことを平気で笑い話にする現実が一番きっつい。男として、真剣に言いましょう。…………つらい。

 

「謝罪と感謝なら前にたくさんもらっただろ。まあ、小町に背中押されて病室に入ってきた時は何事かと思ったけど」

「あ、や、やー……あの時はそのえっと、勇気が出せなくて、病室前には行ったのに……こ、骨折なんて聞いたら……しかも同じ高校で、同じ入学式に出る筈だったって知ったら、余計に合わせる顔がなかったっていうか……」

「いや、ああいうのって一度渡せばそれで済むんじゃねぇの? 病室に何度も来たり、家にまで来た時は何事かと思った」

「ぇあぁあののののあれはそのえっとこここ小町ちゃんがっ! あ、えとそれだけじゃもちろんないんだけど、あたしがたた“ずるかった”っていうか、それでもこんなの初めてだったから……!」

 

 お、おう。すまん、なにが言いたいのかまるでわからん。

 しかし八幡動じません。

 女性で、しかも俺と接点を持ちたい=隼人狙いってのは、もう何年も続く俺の宿命と取れるほど。

 俺に近づく女性は隼人狙い。ここ、テストに出ます。

 なので俺もまあ。

 スローモーションの中、泣きそうな顔で必死に犬を心配していた彼女に胸を打たれたいつかを、忘れるべきなんだろう。

 至近距離で隼人を見ようが、隼人に押さえられようが、“ちょっとそこどいて! サブレ助けられない!”とばかりにペットのサブレを心配した彼女、由比ヶ浜結衣。

 いい子だ。そんなスローモーションが衝撃とともに吹き飛び、運転手と、その後部座席に座っていた黒髪の女が驚愕を顔に貼り付けていたいつかを懐かしんだ。

 

「………」

 

 目の前でわたわたされると、案外こっちは冷静になれる。

 謝罪も受け取ったし感謝も受け取った。

 あの時の、俺を跳ねた車に乗っていた黒髪の女の子が、同じく謝罪に来た時は驚いたが……いやね? なんでも隼人の親が顧問弁護士を勤めてるのが、あの黒髪少女……雪ノ下雪乃の親のところらしいのだ。

 つまり彼女ってば雪ノ下建設の令嬢さん。

 そんなことを知って、あ、これやべぇと頭を下げようとする令嬢殿を必死で止めたいつか。

 今では時々話し合ったり、メールで多少のやりとりをする程度の仲ではある。

 驚いたことに、彼女ったら“ぼっち”らしいのだ。

 俺は隼人が居るからまだいいが、それでも学校にそれほど友人が居るわけでもない。

 ほら、あれな。わたしの友達とあなたは友達ってやつ。

 隼人は友人多いけど、俺はそうでもない。

 同級生に目の前の女子が居ようと、後輩に葉山目当ての女子が居ようと、まあ……俺達の関係は変わらない。

 

「な、なんかあたし、助けられてばっかりだね。あはは」

「自分がやられて嫌なことは、自分が悪になろうと止めるのが俺の信条だ」

「それに付き合って振り回されるのも、案外楽しいしな」

「べつにいいって言ってんのに」

「目の前で見て見ぬフリをしろって? それが許せないから突っ込んでいく友人は、俺の数少ない自慢なんだけど?」

「おいやめろ。そういうのは好きな異性にでも言ってろよ……」

「居ないからやめとく」

 

 あっけらかんと言う友人に、自然と笑みがこぼれる。

 たはっ、って感じで笑い、それもそうだと頷いた。

 こういう友人が居なかったら、俺ってば真性のぼっちやってたんじゃないだろうか。

 いやね? そりゃさ? 過去に嫌ぁ~なことはあったよ? 隼人関連でつらいことがあったのも事実だ。

 けどね、やっぱ違うんだわ。

 隼人が俺になにかをしてきたわけじゃないんだ。

 こいつはただ、俺と遊んでただけ。勝手に周囲が不釣合いだなんだと騒いだだけだ。

 俺が憎まれ役になることで、こいつが人気者になれるならと、一度馬鹿なことをしたことがある。

 その時にこいつは初めて泣いて怒号し、俺を殴った。

 そして、ガッコの教室で、全員が見ている前で、「俺が八幡と友達で居たいから一緒に居るんだ! 文句あるか!」と絶叫。俺の迷い、完全に粉微塵に消えた。

 ……俺は、自分がやられて嫌なことをされるのは嫌いだ。

 だから、嫌いでもないのに無視をする、そいつのためになると思ってやりたくもないことをするのはもうやめた。

 そいつのために、やりたいことをやれる男になろう。そう思えた。

 で、今の関係に到るわけだが……やっぱり謎なのだ。

 なんでこんな関係になれたんだろうなぁと。

 

「………」

「いい娘だね、彼女」

 

 そうして、手を振り別れる由比ヶ浜に手を振り返し見送ると、隣の隼人がどこかすっきりした顔で言う。

 おう今なっつった? え? 今ハンサムって言った? いやそれ違う。

 

「どっ…………どうした、隼人。お前まさか風邪でも引いて……!?」

「正常だから。ていうか、動揺しすぎだろ……」

「だってお前が女子を褒めるなんて」

「おかしいか? 俺、ちゃんと人を見ているつもりだけどな」

「いやでも、お前誰でもなんでも振りまくってただろ。ほれ、たとえば相模さんとか」

「影でお前の悪口言ってたな」

「塚宮さんとか」

「なんでお前が俺と一緒に居るのよキモいとか言ってたな」

「藤田さんとか」

「隣を歩く資格ないとか気づかないのかなとか言ってたな」

「……お前どんだけ俺のこと好きなの」

「友人貶されて、貶すヤツと一緒になれなんて、お前は言うか?」

「断って当然だな」

「だと思った」

 

 理由は他にもあったんだと思う。

 けど、こいつはそういった様々を置いてでも、まず鼻につくものを排除した。まあ、当然だ。

 俺だってこいつの悪口を言うヤツに好きって言われても、俺は嫌いだと返事が出来る。

 試しに付き合うなんて選択よりもまず、こいつのことへの誤解を撤回させることに躍起になるだろう。

 その結果、相手が俺よりもこいつを好きになったとしても、俺は胸を張って、それ見たことかと言ってやるのだ。

 それでいいのかって? いや、だって相手が好きだって言ってきてるだけで、俺が好きかはまた別でしょーよ。

 なので俺が好きな人がこいつを好きになったら、泣いて祝福してやる。でも羨ましいとはハッキリ口にして。

 

「たとえばさ」

 

 そうして二人きりになって、少し急ぎ足で行く道すがら。

 隼人はなんでもなさそうに、口を開いた。

 

「誰かの期待を断れなくて、その通りになるようにって動いてさ」

「おう」

「その結果、輪ばっかりが大きくなって、“みんな”の期待には応えられなくなった時、お前だったらどうする?」

「“みんな”は切り捨てるな。これでいいって選んだ結果で、それでも傍に居てくれるヤツと一緒に居たい。あ、そうすることでのメリットとかをまず考えるヤツはちょっと勘弁かもだが」

「その場合は?」

「離れていくかもしれない大切なヤツと話してみるよ。どうしてもダメだってんなら泣いて別れる。……腹割ってもわかり合えないのって、なんか……悲しいもんな」

「……そっか。自分を折ればそいつとわかり合えるんだとしたら?」

「それをして、そいつは喜んでくれるのか?」

「いや、泣くと思う」

「じゃ、だめだ。それは頷けない」

「八幡ってさ」

「おう」

「馬鹿だよな。あと友達居ない」

「うっせ、ほっとけ」

 

 言いながら歩いて、用事を済ませる。

 用事っていっても、買い物袋をぶらさげているのが現状なわけだが。

 

「なんだよ時間限定セールって……奥方様のことだけじゃなくて、買い物班の学生のことも考えろよな……」

「言えてるな」

 

 急いでいたのは、本日時間限定のセールに間に合わせるためだ。

 苦戦したが、イケメンヒーローアマイマスクのような隼人に奥方様が目を持って行かれたことが勝敗の分かれとなった。

 あの人たち、セールの時は奥様というかむしろもうブルファンゴだからね。

 気ぃ抜いてるとBUCHI-KAMASHIでぶっ飛ばされるから。

 

「けど、今回のこれ、ちと量多くないか?」

「小町ちゃんのことだから、計算違いってことはないだろうけど……」

 

 ちなみに本日7月7日。

 世に言う七夕というものだ。

 それでか? ……いや、それで、って言うにはちと量が多い。

 俺だろ? 小町だろ? 隼人だろ?

 ……いや、まあ、別に今日全部食う必要はないんだが。

 

「帰ればわかるか」

「だな。あ、それはそうとモンハンのことだけど」

「隣同士でワールド協力プレイって、なんつーか、不思議だよな」

「昔なんて肩並べてマリカとかしてたのにな」

「だよな」

 

 協力プレイをする時に、肩を並べなくなったのはいつだっただろう。

 RPGをやる時も、横からそこはそうじゃないとか言ってぶちぶちと意見交換をした。

 アクションゲームともなれば、二人して敵キャラの行動パターンを分析、翌日には目に隈を作って先生に怒られたもんだ。

 

「……そういえば、小町ちゃん、今日紹介したい人が居る、とか言ってたっけ」

「え? なにそれ知らない。お兄ちゃん知らない」

「そういう反応するってわかってたからだろ。大丈夫、女の人だって言ってたから」

「言い方からして年上か」

「反応するとこそこなのな」

「いや……出来れば身内からチャコフスキーは勘弁っつーか」

「普通に百合って言えよ、そこは」

 

 高校生らしいくっだらない、恐ろしくくっだらないやり取りをして、のんびりと帰った。

 そこで待っていたものが、本日が誕生日だという雪ノ下建設のご令嬢(姉)だとも知らずに。

 




構想ばかりが浮かぶけど、文にするのは難しい。
ウーヌヌ、SSってやつはやっぱり楽しいけど大変でござんす。

関係ないけど久しぶりにテイルズウィーバーやってます。
三次精霊の魂が未だに一個も集まらない。
ソロで精霊王ハードはいろいろ限界があると思うの。
ノクターンなのにアバター装着後の外見が明らかに女性であるが、むしろいいと思います。


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笑顔がステキなおねーさん

 ───俺の名は比企谷八幡。高二だ。

 唐突だが、俺は結構いろいろなことが出来たりする。

 掃除洗濯炊事に───さすが育児は知らないが、大体のことは出来たりする。

 もちろん最初からできたわけじゃない。

 ある人との出会いがきっかけであり、今もそれを続けているのだ。

 その切っ掛けを話すなら、思い出さなければならない人が居るのだが───

 

「あ、ハチくん。やっほ」

 

 隼人と一緒に比企谷家へと帰ってきた俺を前に、軽く手を挙げ、その手をひらひら揺らしながら言う女性を発見。

 ……件の、切っ掛けその人だったりした。

 

「姉さん? 帰って来てたのか」

「うん。やらなきゃいけないこととか大分片付いたしね、単位の方も問題ないし、大型連休(物理)のつもりで」

「堂々とそういうこと出来るの、たぶん姉さんくらいだぞ」

 

 知り合ってから随分経つが、この人以上に“綺麗”って言葉が似合う女性はなかなか居ないだろう。

 少し前にはよく聞いた、眉目秀麗、才色兼備を地で行く人で、努力だって怠らない。

 いつもにこにこ笑顔で、いわゆるミス・パーフェクトってやつだ。

 しかしながら、そんな彼女だって最初から完璧だったわけじゃない。

 

「小町とはもう?」

「きちんと連絡つけたし、お土産も渡したよー? 今はむしろそのお土産と格闘してる感じかな。それよりハチくん、また背ぇ伸びた?」

「そりゃ伸びるだろ。成長期だから」

「そっかそっかー……あ、もうわたしより微妙に高いんじゃない? 生意気だなぁ」

 

 言って、姉さん───陽乃さんがずずいと近づいて背比べをしてくる。

 目の前に立って、自分の頭の高さと俺の高さとを手測りで調べようというのだ───って近い近い近い!

 前から思ってたけど、この人警戒心とかないのか? それとも人が焦るのを見て楽しんで───るんだろうな。なにせ姉さんだ。

 

「八幡、この人は?」

 

 溜め息がこぼれる状況に、しかしながら相変わらず綺麗である人を前にドキドキしていた俺の後ろから、少々きょとんとした感じの声。

 ……あ、そういや隼人はこの人と会うの初めてだったっけ?

 ほらほら人前ですよー、とばかりに、にこにこ笑顔で背比べをしようとする姉さんの肩を掴んで少しばかり離すと、ぶー、と口を尖らせながらも即座に切り替え。

 目を閉じ軽く息を吸うと、余所行きの姉さんが完成した。

 

「初めましてになるかな? ハチくん───比企谷八幡くんの姉貴分の陽乃です」

 

 完璧で落ち着いていて、さらには自分を綺麗に見せる角度、位置を完璧に把握した挨拶は相変わらず流石の一言だ。

 一方の隼人も、これまた負けずに綺麗な所作で挨拶を返し、なんでか「ふふふ」「あはは」と小さく笑みを浮かべて見詰め合っている。

 お、おう、どした?

 

「ふーん? へー……? ってことは、キミがハチくんが言ってたお隣さんの大事な友達クンか」

「そういう貴方は、たまたま出合った“習い事お姉さん”?」

「うん、間違ってないよ? その習い事の関係で、この比企谷家とも仲良くなれたんだし」

「………」

「………」

 

 じぃっ……と、二人して薄ら笑いのような表情で見詰め合っている。

 お、おう、本当にどうした? なにか探り合わなきゃいけないような人じゃないぞ? 二人とも。

 

「あ、お兄ちゃんお帰り。買い物行ってきてくれた?」

「ほれ。今日やけに多いと思ったら、姉さんの分だったか」

「そうそう。あれ? 言ってなかったっけ?」

「言ってねぇしメールにも書いてねぇよ。きちんと伝えてくれりゃあ、好物のデザートくらい買ってきたのに」

「え? 小町の?」

「姉さんのだ、ばか」

 

 おどけて言う妹に近づいて、その額にデゴシと軽くチョップする。

 もちろん痛くもないから、小町は「えっへへー」なんて笑っていた。

 

「それで姉さん、しばらくこっちに居るのか?」

「あ、うん。そうそう、確かめたいこともあって、こうして足を運んだの。睨み合ってる場合じゃなかった」

「………」

 

 え? 睨み合ってたの? 隼人の方もただならぬ雰囲気だったのも確かだが……や、こいつの場合、俺に声かけてくる女子相手だとまずこんな感じだから、いい加減慣れてしまっていた。

 

「都築から聞いたんだけど、ハチくん、私の妹とただならぬ関係になったんだって?」

「誰情報で何処情報ですかそれ。あ、都築さんか。妹が何処の誰か知りませんけど誤解───ん?」

 

 都築さん? ……妹? ───エ?

 

「あの。そういや俺、姉さんの苗字、ずーっと知らなかったけど。親父の知り合いってことで、遠い親戚の人か誰かだろうとか思って、あえて訊かなかったけど───」

「うん。わざと言わなかったかな。改めまして、雪ノ下陽乃です。よろしくねー? ハチくんっ♪」

「───」

「───」

「───」

 

 俺、小町、絶句。

 子供の頃から慣れ親しんでいたお姉さんが、実は大企業の娘さんの姉でした。

 やだちょっと狭い、世界狭い。

 

「悪い、八幡。さっきから置き去りにされっぱなしなんだけど、つまり……どういうことだ?」

「あー……すまん、俺も整理が追いつかなくてな」

「えぇと……つまり陽乃さんは、あの雪ノ下建設のご令嬢さんってやつで、習い事してたのもその関係で……?」

「そうそう、小町ちゃんは察しがいいなー♪ うん、で、雪乃ちゃんが何処の誰かの所為で事故に巻き込まれた、とか言うからね? 時間取れたら絶っっ対に文句言いに言ってやる、って思ってたら、まさかそれがハチくんとはねー? 世界、狭いね」

「お、押忍」

 

 事故ったのは確かだ。

 急に飛び出して、関係もなかったのにある日突然、人を撥ねる感触を覚えさせてしまったのも俺である。

 なんか……すんません。ほんとすんません。

 

「それでハチくん、この子誰? 名前は言われてた気がするんだけど、どーも思い出せなくて」

「葉山隼人。隣に住んでる、俺の友達だ」

「……どうも。葉山隼人です」

「へー、そっかそっか。さっきも言ったけど、雪ノ下陽乃よ。ハチくんとはまあ、キミの知らない方向での幼馴染ってことになるのかな?」

「葉山隼人。八幡とは大親友をやってます。……産まれた時からほぼ一緒です」

「へー? そうなんだー。まあほぼ一緒の割には、私とは会わなかったみたいだけどねー?」

「だな。今日まで会わなかったのが不思議なくらいだ」

「………」

「………」

 

 で、だからなんで二人とも、探り合うように見つめ合ってるの。

 え? もしかして恋? それはもしや恋という名の探り合いでござるか衛宮!? ……誰だ衛宮。

 まあ、わかる。二人とも美人で格好いいからなぁ。

 俺みたいな腐り目の男とはわけが違う。マア羨ましい。

 

「ほらほら二人とも、こんなところで見詰め合ってないで中入ってくださいって。あ、お兄ちゃん、買ったもの冷蔵庫入れといて」

「ちょっとは手伝うとか仰ってよ小町ちゃん……」

 

 言いつつも、抵抗するわけでもなくそのまま冷蔵庫へ。

 兄とは強き生き物です。妹の前では特に。

 それが虚勢でもいいから、なんか格好悪いところは見せたくなくなるもんなの。マアめんどい生き物だこと。

 そうしてリビングまでくると、冷蔵保存が必要なものはテキパキ収納。

 自分が持っていた分と隼人のも合わせると、あっという間に冷蔵庫がパンパンになった。

 ……やっぱ多くね? まあいいけど。

 冷蔵庫を閉じつつ、視線をソファに移せば、既にそこに座っている姉さん。

 座り方も綺麗だし、いつ用意したのかわからない茶を飲む姿も様になっている。

 苦労したもんなぁあれ。あ、ちなみに俺も中々のものですよ?

 知り合った切っ掛けが原因で、一通りのサホーは身についております。

 

「ね、ハチくん。高校はどう?」

「無難な切り出しっすね。まあ、普通。目のお陰で人から距離は取られてるけど、問題はないな」

「そっかそっか。あ、女子に言い寄られたりとかしてないよね? なにせハチくんだし、その目だし」

「ちょっと? 俺だからと目に関する要因を区別するのやめて? 目以外で特に苦労してることなんてないんだからねっ?」

 

 などと軽くツンデレ怒りをしつつ。俺は俺で隼人にジュースをご馳走する。

 そんな俺と姉さんを見て、隼人は一言。

 「……まあ、八幡だしな」と。え? 俺が俺だとなにか不都合? やだちょっと八幡そういうの気になっちゃうからやめて?

 

「で、小町。紹介したい人ってのは───」

「え? うん。隼人さんに、紹介、って意味。いまさらお兄ちゃんに陽乃さんのこと紹介してもしょーがないでしょ」

「そうだけど、もうちょい言い方に気を使ってあげて? お兄ちゃんちょっと寂しい」

 

 ある意味でとんでもない紹介にはなったが。

 まさかなー、姉さんが雪ノ下の人間だったとは。

 いやそもそも、そういったやんごとなきお方でもなければ、習い事云々で出会ったりはしないか。

 ああ、これは確認しなかった俺が悪い。

 

「で、どうどう? お姉さんが大会社の令嬢だーって聞いて、ハチくんの感想たるや?」

「いや、企業と知り合いになった覚えはないし、俺にとって姉さんは姉さんだな」

「───……~……そっかそっか。……そっかー……んふー……♪」

 

 綺麗な姿勢でお茶を飲んでた姉さんが、急にへにょりと表情を崩し、途端に所作も崩れ、へにょへにょになっていく。

 それを見た隼人が「……ああ、なるほど」と妙に頷いて、やっぱり俺を見て言うのだ。「まあ、八幡だしな」と。

 俺が俺だとなにかあるのだろうか。

 謎だ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 ───俺と姉さんとの出会いは、結構小さい頃まで遡る。

 隼人とそこそこ遊び、しかし遊べない日もあって、手持ち無沙汰だったある日のことだ。

 

「………」

「………」

 

 いつも遊びに行く公園で、ブランコに寂しそうに俯いて座る女を発見した。

 当然というか、彼女が陽乃さん、ようするに姉さんだった。

 

「なにやってんだねーちゃん。ブランコ占領してんのにつまらなそうとか、それブランコ好きの人に対するぼーとくだぞ」

「……うるさいな、ほっといてよ」

 

 にべもない。ちょっと? にべさんに失礼でしょ? 浮き袋の粘着性から語ってやるから耳貸しなさい。

 しかし隼人も居ないので暇だった俺は、今日はブランコ気分だったことも手伝って、この辛気臭いねーちゃんに付き合うことにしたのだ。

 

「ほーん……? 当たり前みたくやってた習い事を馬鹿にされて? 遊ぶ時間もない自分が馬鹿みたいに思えた?」

「……ん」

「馬鹿だなぁ」

「なっ……!? なにそれ……! 私がどれだけ───」

「だったら習い事を全力で楽しめばいーじゃん。馬鹿にしてきたそいつに、習い事してるからここまで出来るんですが、なにか? って余裕で笑うんだ。お前の知らない楽しみがここにはあるんだぞーって。やったことないヤツなんかにわかるもんか。それはねーちゃんだけが独占できる楽しみ方だろ?」

「やったこともないくせに……! どれだけ面倒でつまんないか、知りもしないくせに……!」

「だったら俺もやる。どーせ暇だし」

「いいよ! どうせすぐに音を上げるに決まってるんだから!」

「っへへー、じゃあ勝負だな。負けねーからな、ねーちゃん」

 

 と、まあ。切っ掛けはそんな感じだったと思う。

 のちに、マジで姉さんの紹介で、姉さんの隣で習い事をすることになり、いやー……それはもうひっでぇ状況だった。

 もちろん失敗しまくりに叱られまくり。

 隣で姉さんがドヤ顔するもんだから、負けてられっかって張り合ったよ。

 そしたら姉さんも負けるもんかって張り合って、張り合って、張り合って……気づいたら二人して、本当にガキみたく大声あげて笑ってた。

 それを見ていた姉さんの母親っぽい人が、めっちゃ驚いた顔してて。

 親のこと訊かれて、隠すことでもないからと口にして……少し過ぎてから、親父殿から「おまっ……なにやってんのちょっとォォォォ!!」と妙なツッコミが入った。

 ようするにあれって、姉さんがあの“雪ノ下”の娘だから、誰と知り合って、誰と張り合って無礼を働いていたかわかってんのか、って意味だったんだろうなぁ。

 あ、ちなみに姉さんからは、“今さら態度を改めたら本気で怒るから♪”と笑顔で言われた。

 

  ……と、いうわけで。

 

「……お前って、そういうところあるよな……」

「? そういうって?」

「無自覚にとんでもない人と関わってるとか、そういうところ」

「そうか?」

 

 現在。

 リビングのソファにて座る、俺と姉さん、隼人と小町。

 ……あれ? 普通はこういう時、男と男、女と女で横に座ったりしない?

 なんで俺、隼人と向き合って座ってるんでしょう。

 

「どう? ほらほら食べてみて? お茶によく合うお菓子選んだの」

「食うから菓子を突き出してこない。サホーどこ行ったのサホー」

「いーからいーから。ほら口開けて?」

「食うからってそういう意味じゃなくて。普通に自分で食えるから。てか近い近い」

 

 で、横からはモノスゲー勢いで構いまくってくる姉さん。

 ものを食べる時は誰にも邪魔されず自由で、って名ゼリフを知らないのか。

 しかし喋ろうとした瞬間に、かぽりと口に突っ込まれた菓子はとても美味く、しかもこれが市販品ではないとくるのだからまいる。

 

(……ねぇ、小町ちゃん)

(はいなんでしょう隼人さん)

(あの……陽乃さん? って、八幡のこと好きでしょ)

(わかりやすすぎますよね。あれでも普段は必死になって隠してるし、実際お兄ちゃんに意識を持っていかれすぎてなきゃ、まるっきりわからないくらい態度には出ないんですけどね)

(俺も、最初はまるでわからなかった。八幡の人の良さに乗じる感じの人だったらどうしようかって見てたけど……あれ、無理だな。悪巧みを考えてたのに、いつの間にか取り込まれてる悪役みたいだ)

(言いえて妙な例えです)

 

 対面に座る二人が、微笑ましいものを見る目でこちらを見て、ぽしょぽしょとなんぞかを語る中、こちらでは姉さんが執拗に俺に構ってきて───あの、ちょ、やめて!? 俺普通に食えるから! 前に食べさせ方にもサホーとかあるのかなとか、だとしたらねーちゃんは落第だなとか言ったことなら謝るから!

 

「あの、姉さん? 前に食べさせ方の作法とかでちょっとからかったのなら謝るから、普通に食べさせてくれない?」

「え? ………………、……ぉぉ。───だめだめ、ちゃ~んと私が納得するまで付き合ってもらうから。ほらほら口開けて~?」

 

 あれ? あれちょっと? 今この人、小声で“おお”とか言ったよ? 違うの? え? 違うの? じゃあなんで食べさせようとするのちょっとやめてやだやめて!?

 

「なんにせよ、微笑ましい光景です。まさかあの兄が……」

「そりゃそうなるでしょ。……八幡、格好いいし」

「……ですね。内面の格好よさは抜群です。なにせこの小町の自慢の兄ですから。目は腐ってますけど」

「腐ってるね。それで離れる人にはわからない良さだ」

「ですよね」

「まあ、その良さをわかるって人で言えば、もう一人心当たりがあるけど」

 

 ビタリ。

 そんな音が似合うくらい、突如として姉さんが止まった。

 止まって……笑顔のままで、ゴギリギギギギ……とサビたおもちゃのように、隼人を見た。

 あれ? なんか意識逸れた?

 

「いただきま《がぼっ》ふぐっ!?」

 

 姉さんの動きが止まったのをいいことに、自分で食べようとした矢先に口に菓子を突っ込まれた。

 どういう反応速度してんのかしら、この人。

 




 ◆原作との大まかな違いと、ぼちぼち同じところとか
 隼人くんが幼馴染
 隼人くんがゆきのんと同じ学校に通っていなかったため、ゆきのんに対する女子からのやっかみがほぼなかった
 ゆきのん、いじめに遭わず、私物を隠されたこともない
 でも雪ノ下建設の名前が邪魔をして距離を取られて、結局ぼっちチック
 ゆきのん、姉の真似をすることはなく、ぼっちを受け入れていく
 はるのん、幼い(ピュアな)頃に習い事が嫌で家出。随分と離れた町で、目が腐った少年と出会うのコト
 いろいろあって、そこまで腹黒くないはるのんが完成……?
 ゆきのん、どうせぼっちだし車通学を受け入れる⇒入学早々、人を車で撥ねる感触を覚える
 ガハマさん、リードが壊れててペットが車道へ⇒入学当日早々、自分の所為で人が車に撥ねられる罪悪感を抱くことに
 ガハマさん、病院に謝罪と感謝をしに来訪。小町に見つかって、しっかりと八幡へ届ける
 ゆきのん、ぼっちながら勇気を振り絞って病室へ来訪。噛みまくりながら謝罪を届けるが、悪いのはこちらだとヒッキー譲らない。法律ではそうなっていないのよとどれだけ説いても頷かない相手に、ぼっち特有の“会話が終わらないわ……! どうすれば……!”と別の方向へ思考がズレる。常識よりも会話終了を求めるのはぼっちの天命
 ガハマさん、高校デビューはせずに黒髪サイドテールのまま。気分でたまにお団子になる
 ヒッキーと小町に、苗字が謎のおねーさんが居る
 ガハマさん、助けてくれた人に憧れて、料理や運動などを始めてみるも、一年経って料理はひどいままらしい。運動は結構できるようになるも、憧れが大きくなればなるほど、なんだかこの一年、とても胸が痛かったとか。なにがとは言わないが大きい
 ゆきのん、習い事が厳しくなかった所為か、原作ほどなんでもできるわけじゃない。頑張ればいろいろできるが、下手をすると原作よりも体力がない。原作ヒッキー風に本気を出すと案外出来るけど、なんでも出来るわけじゃない。あと体力続かない。
 ガハマさん、謝りに行ったきっかけで知り合った小町とこまめに連絡を取って、小町のお兄ちゃん情報を聞いてはぽやぽやしている。好きになってもらいたくて恋に勉強にダイエットにと、いろいろ頑張っているらしい
 ただし本人の前では、気持ちが昂ぶりすぎて言葉噛みまくりで、かつ、学校ではどこのグループにも属していないため、案外ぼっちっぽい上に上手く喋れなかったりする
 隼人くん、イケメンリア充っぽく見えるも、八幡以外に友達は居ない、というか作らない。なんだい、基本みんなぼっちじゃないか
 ジュビコ……三浦さん、高校にて隼人くんに惹かれるも、声をかけても当の本人が八幡八幡ばかりでとってもモヤモヤ。眼鏡をかけた誰かさんに突如肩を掴まれ、「三浦さん……BLに興味がおありで?」と言われたことがある。あ、今はその人と友人関係なんだって。BLは関係ないけど
 葉山グループ、隼人くんが頷かなかったためにグループ化はしておらず、男子三人無関心。ただし戸部くんは今でも隼人くんに声をかけては、軽い返事でスルーされている。がんばれとべっち
 戸塚さん、いつヒッキーに声をかけようかとドキドキしている
 材木座、たまたま見つけたベストプレイスにて、天使と出会う
 材木座、天使が男の娘だったでござる
 材木座、ダメ元で小説の推敲添削をお願いしたら、頷いてもらえた
 材木座、なんか結構いい方向に小説が進んでいるらしい
 材木座、中二が浄化されそうになったり踏みとどまったり大変らしい
 奉仕部───世界を変えようとする気持ちがゆきのんに無いため、存在しない
 平塚先生、生徒からのヘルプを聞いては漢らしい助言で救っているらしい。最初からこんなセンセが見たかったナ……

 適当に書いたものなので、のちに変更あるやもです。


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横抱きって言うと早いらしい

 ───俺は比企谷八幡。高二だ。

 七月七日という、織姫と彦星が一年に一度だけ会うことが出来るらしい日に、姉貴分の雪ノ下陽乃さんが来訪、ささやかだがパーティーをしているところだ。

 

「ていうか姉さん、今日誕生日だったんだな」

「言ってなかったっけ?」

「初耳だ」

 

 さっきの錆びたおもちゃムーブはなんだったのか、現在の姉さんは「まあ後でいいや」とチキンを食べている。

 俺もようやく自分で食べられるということで、コカコーラ・オメガZEROをごふごふと飲んでみる。

 飲んだ人の話だと、コカコーラの中でかなりコカコーラしている味らしいが……?

 

「それでえーと、マトくんだっけ?」

「葉山隼人です」

「陽乃さんたら、普通は頭の文字取るでしょーに」

「なんか雪乃ちゃんみたいでずるいなーって。雪乃ちゃんはゆきゆきなのに、私なんて“ゆきはる”だよ? なんか男の人っぽい感じでしょ?」

「その流れだと隼人さんはハヤハヤ……なるほど、妹さんと方向性は似てますね」

「でしょー? というわけでハチくん」

「やだ」

「私に似合うニックネーム、つけなくていいよ? え? つけてくれるの? わー、なんか悪いなー」

「うーわひどいこの姉貴分ひどい」

「人の話は最後まで聞かないからでしょ? ほらほら、きっかけがあればつけやすいのが男の子。きっかけがなければうじうじ進まないのが男の子なんだから、ズバっとつけてみるっ!」

 

 ひどい無茶振りである。

 気に入らなかったら嫌がらせとか来そうだわー、もう帰りたいわー…………ここ俺ん家だったわー。

 

「あ、あー……その。妹さん、が“ゆきゆき”なら……」

 

 余るのは“雪ノ下”の“のした”。

 そこに姉さんの名前を足すと……“ノした陽乃”。

 なんか姉さんをブチノメした、みたいなあだ名になった。

 

「あ。安直にはるのん、とかはだめだよ? 気に入らなかったら私の言うこと軽く叶えてもらうからね?」

 

 うわぁいこの姉ったら鬼っ畜~ゥ♪

 ……やべぇどうしよう。

 安直はだめ、度肝を抜くような、誰もが考えないようなかつてない斬新なあだ名……!

 しかし名は体を表すという名ゼリフもあれば、仏の顔を三度まで、という恐ろしい言葉もある。

 何度もミスって失敗しないよう、ここは一度で正解を引いてみせるのだ……!

 ……そうだな、そもそも名前からしてアレだ。

 姉さんは“下”に納まる器じゃない。

 なので、苗字ながらも……“雪ノ下”は違う。

 けれど向上心もあって、上を向いて歩ける人。

 ならば───!

 

(……力強さと向上心の権化として、“ブチノメ下 陽乃”、というのはどうだろうか。略して、可愛らしくこう、“ブチのんっ♪”とか呼んでみたら───)

 

 顔面ボコボコにされて横たわる俺の姿を幻視した。

 だめだなんか現実になりそうめっちゃなりそう。

 

「パスで」

「じゃあ小町ちゃん」

「パス通るんですか!? なんのゲームですかこれ! え、ええー……と……パスです」

「………」

「………」

「えっ? 俺っ?」

「頼む隼人……! 俺を助けると思って……!」

「あ、そこのマトくんが言ったとしても、ハチくんからはきちんと聞き出すから」

「俺に対してだけ厳しくないか……?」

「じゃあ、どの道言わされるなら俺もパスで」

「隼人ー!?」

 

 隼人、まさかの裏切り。

 いやこれ裏切りとかじゃなくて、どの道浮かばないなら一緒だ作戦だ。

 このままパスを繋げまくるのもありだが、既に姉さんがにっこり笑顔で拳をコロキキキと鳴らしていた。あ、これアカン。

 

「で? ほらほらハチくん? なにか似合ってそうなあだ名は??」

「……、んあー……じゃあ……」

「………」

「………」

「………」

「………」

「姉さん」

「え? なに?」

「姉さん、あだ名つけづらい」

 

 思いつかなかった。ので、素直な気持ちを隠すことなく届けてみた。

 ……にっこり笑って罰ゲーム一直線だった。

 

「残念だなー、傷ついちゃったなー。これはしっかりと私のお願い聞いてもらわないとなー」

「じゃあ逆に訊くけど、俺にあだ名つけるとしたら? ハチくん以外で」

「え? ヤワちゃんとか?」

八幡(やわた)からか……そういうのがOKなら、俺なら姉さんの“陽乃”から取って、“(みなみ)”さんとかミナちゃんとかになるだろ」

「なんだ、言えるじゃない。そうそう、そういうのでいいんだよ?」

 

 まじか。じゃあ罰ゲームは無しに───

 

「でももうお姉さん傷ついちゃったから、罰ゲームは受けてもらうけど」

 

 姉さんは実に姉さんであった。

 むう。まあ、きっかけはどうあれ傷つけたっていうなら……。

 

「わかった。嫌悪しない程度なら受け入れるから、言ってみてくれ」

「そんな難しいことじゃないから平気平気、そう身構えることないってば。私のことを名前で呼ぶだけ。簡単でしょ?」

「…………!!」

 

 十分に恥ずかしかった。

 普通そういうものは、好きな相手にこそ取っておくものではないだろうか。

 好き合った人同士がこう、親愛を込めて互いを……なぁ?

 まあ俺には一生縁の無いことだろうが、そんな大事だと思えるものを姉さんが、よりにもよって俺なんぞに。

 考えてもみろ、見かければ男のほぼが振り返る姉さん。

 おおっ……と目で追ってみれば、何故か隣に存在する腐り目の男……!!

 そんなモテとは縁遠い男が、姉さんを幸せに出来たかもしれない男の前で姉さんを名前で呼ぶ。チャラチャラとしたナンパはどうかと思うが、出会うきっかけはそれぞれだ。

 ……しかし隣に俺が居る、というだけで、幸せに繋がる切っ掛けとか、裸足で駆け出しそうなんだが。

 それはもうサザエさんなど目じゃないくらいに。

 ダメだろおいそれ愉快でも陽気でもなんでもねぇよ助けてサザエさん。

 

「本人が許すって言ってるんだからさ、身構えずに……むぅ、そんなに嫌? お姉さん一層傷ついちゃったかなー?」

「………」

「はぁ。わかった、ハチくん困らせるなんて本意でもなんでもないし、じゃあ一回でいいから呼んでみて? ゲームの延長、私に言わされた~ってことで」

「───お、おう」

 

 いいのだろうか。

 いや、だからこそいいのか?

 もうこれっきりでいいっぽいし、隼人と小町以外、誰に聞かれるわけでもない。

 だったら───と、姉さんとともに習った所作として、猫背ではなくシャンと立ち、顔も真っ直ぐ顎を引いて、いざ───!

 

「───陽乃」

 

 真っ直ぐに届けた。

 ……まだ見ぬ、姉さんを幸せにする誰かよ、すまん。

 名前の呼び捨てを、よりにもよって腐り目の俺なんぞが───!!

 などと心の中で葛藤していると、姉さんからのリアクションがなにもないことに気づいた。

 はて、と言い終えてから俯かせていた視線を持ち上げてみれば───

 

「……わあ。ねぇ隼人さん、これ……」

「……うん。立ったまま気絶してるな」

 

 姉さんが、驚きの表情のまま気絶していた。

 ほら見ろやっぱりだめだったじゃないか。

 習い事の先生にも、あなたは目の力が尋常じゃないから、目に力を込めて人を真っ直ぐに見ない方がいいかもしれない、とか言ってたし!

 

「お兄ちゃん、小町、名前で呼ぶってそういう意味じゃないってツッコミたいところだけど、なんか今とってもグッジョブな気分だからもうそれでいいや」

「お、おう?」

 

 なんかわからんけど……え? いいの? 悪いの?

 

「いや、祝われる人自身が気絶なんて、最悪の誕生日だろ」

「別の方向で幸せそうだからいいんじゃない?」

「よくわからんけど気絶したってことは、意識を保っているのも嫌だったってことだろ。だったら姉さんが喜ぶ方向での誕生日会リベンジを何度でも───!」

「お兄ちゃん、陽乃さんが嬉死(うれし)ぬからやめて。ほんとやめて」

 

 え? 死ぬの? 俺に祝われ続けると? そ、そうなのか……!? と、いらん部分だけ拾って落ち込んでいると、隼人が「ぷふっ……! ~っ……くっふ……!」と笑い出す。

 ああ、あれは思い出し笑いの時の笑い方だ。

 なにを思い出して……ってアレか。

 

「隼人さん、何かまた兄がやらかしたんですか?」

「小町ちゃーん? ちょっとー? だから俺がやらかした前提で話を始めるのやめない?」

 

 小学の頃、隼人目当てで俺ごと隼人を呼んだ柴田さん家にて、俺達を玄関で迎えてくれた妹ちゃんが俺を見て“キェエアァアアア!! ゾンビー!!”って叫んで気絶したことがある。

 あれは当時、しこたま驚いたなぁ……隼人なんて柴田さんの誕生日そっちのけで笑ってるし。いや、実際隼人が笑わなきゃ、あの状況がただただ悲惨な状況でしかなくなってただろうから……。

 柴田さんも俺に、俺の所為で妹が気絶した、なんて言う必要もなくなっただろうし。

 以降は隼人も他人の誕生日会への誘いを断る文句を見つけたみたいで、誰にも付き合わずに平凡に過ごしている。

 俺のことはいいからって言ったって聞きやしない。

 人の友人をゾンビ呼ばわりして勝手に気絶するところになんて、行きたくもない、らしいのだが……いやお前笑ってたからね? あれ嘘笑いとかじゃなく割りと本気で笑ってたろ。

 

「お兄ちゃん……小町はハッピーバースデー言いに行って、目力で妹を気絶させる兄を持った覚えはありません」

「“めぢから”言うのやめろ。なんか妙に特別な力みたいに聞こえて悲しくなる」

「あ、ところで陽乃さんどうしよっか。小町としては噛み締めたまま気絶させてあげときたいんだけど」

「……ソファに寝転がらせときゃいいだろ。なんかへにょへにょ勝手に脱力してきたし。てか起きてる? 姉さん? 姉さーん? ……だめだなこれ」

 

 仕方なく、腰が抜けたみたいにぺたんとソファに座った姉さんを、そのままゆっくりと横にさせた。

 すると小町がそっと傍に寄り添って、どこか悲しみを帯びたような目で「お前は強かったよ。でも間違った強さだった……!」とか言って、そっと姉さんの目を閉ざさせた。

 ……ふむ。

 

「……素朴な疑問なんだが」

「え? なに、どったのお兄ちゃん」

「いや、今みたいに気絶した人が、もしドライアイだったら……目とか乾いたりしないんかな」

「うわー、どうでもいいことなのに、聞いちゃうと確かに妙に気になる質問。お兄ちゃん、ほんとそういうのだよ? 素朴だーって思ってても、相手にとってはそうじゃないことなんて、よくあることなんだから。あ、それで答えだけど、一応気絶って部類には入ってるんだから、目の乾きとかも気にならないでファイナルアンサーってことで、小町はいいと思うよ」

「言いつつ答えるのな……。まあ、そうな。どうでもいいか。確かめようがないし」

「仮にも気絶した人の前でする会話がそれって……」

 

 いや、案外こんなもんじゃない?

 隼人、お前も一度、クラスメイトの妹に存在だけで気絶されてみるといい。

 なんか気絶って言葉自体、妙に身近に感じられてくるから。

 ……普通そんなこと起こらないか。起こらないよなぁ。

 

   ×   ×   ×

 

 飛翔祭なんてなかったんや……。

 いや、ごほん、なんでもない。

 さて。

 結局あれから姉さんが起きることはなく、主役気絶中のまま誕生日会は終了した。

 俺と隼人は普通にモンハンやって、小町は自室を片付けるとかでごそごそ。

 そのままソファで夜を明かさせるわけにもってことで、片付けられた小町の部屋へと姉さんを運ぶことに。

 何故か熱烈にお姫様抱っこでの運搬を要求する小町に、おだてられた豚の如く“お兄ちゃんにまっかせなさーい!”しちゃった俺は、リビングから二階の小町の部屋まで姉さんを運ぶことに。……お姫様抱っこで。

 とくにトラブルもなく運べたと思うのだが……あれ? あのちょっと? 小町ちゃん? 今なんでスマホ操作してたの?  見間違えじゃなければ俺に向けてたよね? あれ? ねぇ? ちょっと? カメラ? カメラなの? 腐り目の男がお姫様抱っこで美女を運んでいた件とかで動画投稿でもする気?

 やだちょっとやめて? そんなことされた八幡生きていけ───え? 姉さんからかうために撮っただけ? お、おう、そうなの? けど小町ちゃん? ほんとカメラを無断で向けるとか、相手にとってはストレスだからやめようね?

 腐り目でからかわれた兄との約束だよ?

 

「あ……うん。ごめんねお兄ちゃん。小町ちょっと無神経だった」

「おし。謝れるならそれでいーよ。勝手に撮られてなにがひどいかって、開き直るのがほんと性質悪いからな」

「うん、ごめん。反省します」

「…………おう。あんがとな」

「ここでお礼はヘンじゃない?」

「いーんだよ、適当に受け取っとけ」

「ん……うん。はぁ、ほんと、これで目が腐ってなければきっとモテただろうになぁ宅の兄は」

「あほ。目が平気でもどうせ別の部分がアレで、結局はキモがられる方向へまっしぐらだったっつの」

 

 なにせ俺だ。

 俺が普通で、周囲に普通に受け入れられるとか想像がつかん。

 それに、べつに今さらだしな。

 隼人が友人で、小町が居て、ガッコに知り合いが全く居ないわけでもない。

 ……いいんじゃないだろうか。むしろ悪くないだろ。

 悪いほうに考えるから悪くなるんだ、と平塚先生もお悩み相談室で言ってくれたしな。

 いい人だ! あの人はいい人だ! 初対面で目ぇ逸らさない人とかなかなか居ないからな。

 それだけでいい人認定は、さすがに精神的にちょろいだろうか。

 まあいい、俺はそれで一向に構わない。

 

  ……と、まあそんな感じで。

 

 てーれーれーれーれってってー♪ と朝を迎えたわけだが。

 本日は朝っぱらから良い香りがしておりました。

 階段を下りてリビングまでまっしぐらしてみれば、なんとキッチンで姉さんが料理を作っているじゃないか。

 

「姉さん。もう起きてたんだな」

「あ、ハチくんおはよ。そうそうハチくん、ちょっと聞きたいんだけどさ」

「お、おう。どした?」

 

 気絶させてしまった手前、ずずいと改めるように話しかけられると緊張する。

 気持ちをぶつけるっていうのは難しいもんだ。

 ただ漠然とぶつけるだけじゃあいけないのだと、何度小町に教わったことか。

 結論を言うと、俺に恋愛は向いていないらしい。

 

「私さ、昨日の記憶が随分吹き飛んでるんだけど……料理にお酒とか入ってなかったよね? あ、べつに私がお酒に弱いとかそういう意味はまるでないんだけど」

「いや、姉さん以外未成年なのにお酒はまずいだろ」

「だよねー。おっかしいなぁ、眠る前の記憶っていうか……私いつ寝たっけ? なんだかすっごく快眠したっていうか、とんでもなく幸せな夢を見てたような……」

「寝た(?)のは誕生日会の途中だな」

「うわ、それほんと? 不覚だわ……ごめんね、せっかく祝ってくれてたのに」

「いや、問題ないぞ。きっと疲れてたんだろうし。俺は気にしない。姉さんも気にするな。これで解決だ」

(……にしたってでしょ。小町ちゃんの部屋で寝てたってことは、祝ってくれてるにも関わらず退席して、勝手に寝ちゃったってことだし……。うわー……自己嫌悪……)

(……俺が無断で抱きかかえて運んだ、なんて言わない方がいいだろうか。昔から習い事のライバルとして、“対等なんだから”とかで敬語を禁止させられたが、そんな俺に気絶してるところを抱えられた、なんて知りたくないだろうし)

 

 よし、それはあとできっちり小町にも話しておくとして───と、考えていた矢先に、リビングの出入り口からそっとこちらを覗く小町を発見した。

 姉さんもその視線に気づき、振り向けば……途端に姉さんを手招きする小町ちゃん。

 え? なに? どったの? お兄ちゃん抜きで秘密のお話とかやめてほしいんですけど?

 そんな心配も知ったことかと普通に俺抜きで話し始める二人。

 やがて姉さんが声にならない悲鳴をあげたと思うや、小町を抱えてぴうと階段を駆け上っていってしまった。

 

「……どうでもいいけど、早くメシ食べないと遅刻するぞ、小町ー……」

 

 言ったところで既に誰もいなかった。

 仕方なく、作りかけの料理を見下ろしては、“ああなるほど、あれか”と頷き、料理の続きへと取り掛かった。

 伊達に同じ修行はしておりません。姉さんが作ろうと思ったものなんて、よほどアレンジされてなければ作れます。

 そんなわけで料理を作る傍ら、基本一人暮らしの隼人を電話で呼んでは一緒に朝食を。

 え? 姉さん? 小町? 知らん。呼んでも降りてこなかったから、きっと忙しいんだろう。

 かーさん知りませんからね! なんで起こしてくれなかったのーとか呼んでくれなかったのーとか、そんなの聞きませんし効きませんからねっ!

 きっちりそういい届けると、身支度を済ませた玄関先でパタムと扉を閉ざし、隼人とともに歩き出した。

 なんか小町の声でお兄ちゃんたすけてぇええとか聞こえた気がしたけど気の所為だ。

 そこまで悲壮感なかったし、どうせ撮った動画でからかったりしたんだろう。

 知りません。ていうか巻き込まないでくださいお願いします。

 

「ほんと、朝から賑やかだよな、ここは」

「なんだったら隼人も一緒に住めばいいのに」

「やめとくよ。リビングに行った時の誰も居ない寂しさには、まだ慣れないけど……俺の家はあそこだから。用意してくれたのに使わないのは、親不孝だろ」

「そうか……。気が変わったらいつでも言ってくれな。基本親とかも帰ってくるの遅いし、今まだ寝てるだろうし、増えたって気づかないばかりか、お前なら歓迎されると思うけどな」

「それでもだよ。“誰かが帰った時に、誰も居ない家”にはしたくないんだ」

「…………そか。んじゃあ、あれだ」

「うん?」

「モンハンならいつでも誘ってくれ」

「………………ぷふっ……!」

「おいちょっと? 今のどこに笑える要素あったの。思い返せば“あれ? これ美談じゃね?”とか思えるくらいの雰囲気だったろ今の」

「だってお前、ドヤ顔で親指立ててるのに誘い文句がモンハンって……っ!」

「ほっとけ、いいだろゲーム。青春っぽくて」

 

 そんな他愛もない……他愛もないか? まあいいや、他愛もない会話をして、学校への道をのんびりと歩いた。

 今日は買い物の予定もないし、帰りものんびり歩けばいいだろう。

 

「なぁ隼人」

「ん?」

「姉さんへの誕生日プレゼント、一日遅れだけど渡したいって思うんだが……なにがいいと思う?」

「……今下手に渡すと式場が見えてきそうだから、まず時間を作るところから始めたほうがいいんじゃない?」

「…………今日の隼人はなんか重いな。あ、いや重いってのは言葉がって意味で」

 

 式場か……きっと葬儀場のことだろう。ヘタなプレゼントは自身を破滅すると、そう言いたいのだろう……え? 違う?

 しかしなにやら念を押されたので、時間を置くことにした。

 オトメゴコロとは複雑らしい。

 さすが隼人だな、モテるだけのことはある……!

 ……え? 声をかけられようと告白されようと、付き合ってなきゃみんな同じ? 

 

「そういうもんか?」

「そういうもんだよ。あのな、いくらモテたって、付き合ってみなきゃあ相手がなにが好きか、どういった場所を好むのかもわからないだろ。そういうことだよ」

「頭いいなお前!」

「八幡は、女性関連になると途端に思考を放棄してるように見えるけどな」

「おう。考えたら負けかなって思ってるぞ。この目の所為で、好かれるってことはそもそも有り得ないからな。むしろそろそろ異性として認識しなくて済むところまで近づきつつある」

「止めなきゃ俺が殺されそうだからやめろ。考え直してくれ。ほんと頼む。やめてくれ」

「お、おう……! どどどどうした隼人……!?」

 

 両手でガッと肩を掴まれてまで、本気の目で語られてしまった。な、なにごと?

 まあ、わかった、努力してみよう。女性の気持ちを考えるか。難度高ェエなおい。

 俺はそういった、こう……相手の気持ちになって考える? というのが苦手だそうなんだが。小町によく言われるし。

 それを克服しろと言われても……どうしたものだろう。

 溜め息を一気に吐き出し、切り替えたら普通に歩いた。

 話題は再び他愛ないものへ。

 

「そんなわけで隼人は彼女作らないのか?」

「作らないって」

 

 即答であった。

 むしろ“じゃあ、そういうお前はどうなのさ”、と逆に質問されて、無駄にテンションをあげてみて、これくらいの気持ちですとばかりに言ってみる。

 

「欲しいぞォオ!」

 

 こう、声が野太くなるように。

 しかし、やってみれば二人の間に悲しい風が吹いただけ。

 狙った笑いは外しやすい。

 僕らはこうして、それを知ってゆくのだやだもう死にたい。

 

「お前の場合、まずは“自分がモテるわけがない”って固定して考えてるところをなんとかしなきゃだな」

「いや、そもそもモテないだろ。むしろ会話まで持っていく前に叫ばれて逃げられるまである」

「陽乃さんは?」

「姉さんは美人だからな、俺なんぞ眼中にないだろう。そもそも俺を弟みたいにしか思ってないフシがあるだろアレ。昨日の妙な構いっぷりを考えればわかりそうなもんだろ?」

「………」

 

 お、おう、どした? 俯いて顔に手ぇ当てて。

 

「いや、だからそれどういう意味? 八幡ちょっと、いや大分わかんない」

「…………俺。とりあえずお前の幸せは願ってるからな。誰とくっつこうがいい仲になろうが、お前を応援する」

「そもそも相手が居ないけどな」

「お前はわかりやすいよな。やさしくて、いけそうだったら誰でもいいんだろ」

「いや、そこまでハードル高くないぞ」

「えっ……えちょ、えっ……? これでもハードル高いの? え?」

「そもそも“いけそうだったら”ってのが有り得ないんだからしょうがないだろ」

「…………」

「………」

「……ぷっは! あっははははははは!!」

 

 笑われた。解せぬ。

 しかしまあ、こういった自分の特徴と何年も付き合って、自分ってものを客観的に見れるようになれば、自然とそうなっていくもんだと思う。

 ポジティブに行こうとするたび、きまってよくないことばっかが起きるのと同じように、俺もまた、そのたびにひっどい状況にばかり出くわすわけだ。

 気になってた子が俺の悪口を言ったりだとか、男子のやっかみが隼人に向いたりしていた時とか。

 そういうのがきまって、相手から話し掛けてきてくれた、隼人狙いの女子だったり、俺を利用して隼人をこらしめよう、なんて思ってた男子だったりしたわけだ。

 つまり……そうして本性を知らなきゃ、友達、なんて関係を穢す結果になっていたわけで。

 世の中はやさしくない。

 だが、だからこそだ。やられて嫌なことはしない。やられて嬉しいことが出来るように生きよう。目が腐ってるなら、身体は腐らない行動を。ただそれだけだ。

 そのたびに親友だと思ってる幼馴染が笑ってくれるなら、俺の行動にはまだまだ意味があるのだ。それでいい。それがいい。



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小判に見立てて硬貨を噛んだ人、結構居ると思うの

 俺は比企谷八幡。高二だ。

 今日も今日とて飽きもせず学校へと通い、日々の研鑽に努める若き学生である。

 ……言い回しに深い意味などないが、たまにあるだろ、難しい言葉を言ってみると、少しだけほっこりした気分になること。

 大人の語彙力って本を買って、語彙を増やそうとした結果、“あれ? これ相手が受け入れられなきゃただの理解力を読者に求めまくってる面倒臭ぇ小説じゃね?”と気づいてしまった時とか……関係ないか。

 難しい本読んでるわけでもないんだから、ラノベに小難しい言葉並べたってしょうがないだろう、と誰かさんが言ってた。人よ、ライトに行こう。軽くていいじゃない、重い話はインド人のように右に置く感じで。あれはハンドルか。

 

「ひ、ひきがやくんっ!」

「んお?」

 

 今日も勉学に勤しみ、真面目な態度で昼までの授業を終えた俺は、レコーディング、つまり音入れ(おトイレ)を済ませ、廊下を歩いていたわけだが。

 その途中で声をかけられ、振り返れば……見知った顔。

 

「由比ヶ浜さんか。えと、なんか用?」

 

 小町や隼人や姉さん以外の女! 喉よ、引き攣ってくれるな! と力が篭もる喉を必死にリラックスさせつつ、なんでもない風に訊いてみた。

 肩までの黒髪を横で小さく結わっている彼女は、なにやら弁当箱が包まれているであろう中身ありのハンケチーフと、その他に大きめの紙袋を持っていた。

 昼。弁当箱。謎の紙袋。俺に声をかける。俺と仲良くしたい=隼人と仲良くしたい。───イコール?

 

(目当ては隼人か。任せておけ……!)

 

 やさしい笑顔でサムズアップ(心の中の自分で)をして、人を誘うなどハードル高ぇ……! と内心ドッコンドッコン怯えつつも、由比ヶ浜さんを誘ってみた。

 すると彼女はとても嬉しい顔をして───「あ、もちろん隼人も連れて行くから、なんの問題も───」───……次の瞬間には、“あ、あはは、そうだよねー……”って言葉が似合いそうな苦笑を漏らし、軽く俯いた。

 大丈夫だ青春を望みし少女よ。少なくともここ一年で由比ヶ浜さんが悪い人じゃないってことは、よーくわかっているつもりだ。

 加えて隼人もいい娘だと言ったほどの相手……!

 ……目を逸らすことなく、腐り目の俺へとありがとうを届けてくれた彼女に、想うところがないわけじゃないが……ていうかむしろこうして対面しているだけで、鼓動がやかましかったりするが、そんなものは無視しよう。

 あいつが俺の幸せを願ってくれているように、俺もあいつの幸せを───お、おう? メール? 誰だ、こんな昼間っから俺にメールなんぞ……

 

  ◆少し話したいのだけれど、お時間平気かしら

 

 ……差出人がブチのんもとい姉さんの妹さんだった。

 話か……ハッ!? これは、俺が妹さんを、隼人が由比ヶ浜さんを、というカタチで超自然的に2ペアが作れるのでは……?

 待っていろ隼人……! 今俺が、未来のために出来ることを───!!

 

……。

 

 そして気づけば俺一人と女子二人だった。この人数で静かに話せる場所、を探していたら、テニスコートがよく見える位置に、良い風が服場所が。

 そんなわけで俺と由比ヶ浜さんと雪ノ下さん(妹)とともに、そこに座っているわけだが……しょうがないよな、隼人にも用事ってものがあるし。

 ていうか由比ヶ浜さんの名前が出た途端に、隼人がキッパリ“いや、俺は遠慮しておく”っていわれた気がするんだが。

 え? なに? なにか気まずい出来事でもあったりしたの?

 

「えっと……」

「お、おう」

「その……」

「お、おう」

「………」

「………」

「………」

(((きっ……気まずい……!!)))

 

 かたや、リードが原因で事故を起こしてしまった人。

 かたや、ただ車に乗っていただけなのに、法律的には悪いことになっている人。

 かたや、車に撥ねられた人。

 こんな三人でどうやって話を進めろと……!?

 もし俺達三人の違う世界線があるとするなら、知らないフリから始まる武活劇がいいナ……これ始まる前からいろいろと難度高いです。

 

「その……わ、悪い、な? 隼人のヤツ、用事で来られないみたいで……」

「えっ? あ、ううんっ? それは問題ないんだけど……」

 

 え? そうなの? 隼人目的じゃないの? それとも別に、間接的な目的でも……?

 と考えていたら、由比ヶ浜さんが紙袋を膝に乗せ、中からなにかを取り出した。

 

「ヘぁああああのあの、あのっ……! ばばバスで助けてもらったお礼とかしたくて、あのっ……迷惑かもだけど、お菓子を作ってきたので、たべてくりゃっ……くだ、さいっ!」

 

 どもったり噛んだりを繰り返し、時間をかけて語ってくれた由比ヶ浜さん。

 しかし今、なんと? 悪質ナンパから救ったお礼、ときたか。

 なるほど、それは確かに隼人は今回関係なかったかもだ。

 しかしそのお礼に俺へとなにかを持ってきてくれるとは……なるほど、いい娘だな、隼人。

 

「………」

「………」

 

 そして、人も寄り付かなさそうなこの位置の、石段に並んで腰掛ける俺たちの中。

 よかったらと、少し離れた位置に座っていた雪ノ下(妹)さんにまで、お菓子らしいものを渡す彼女。

 「えっ……え、ええ……」と、少々ビクリと肩を弾かせていた雪ノ下(妹)も、聞こえるか聞こえないかくらいの声量で返し、お菓子を受け取る。

 いやー……雪ノ下(妹)さん? もうちょっとメールでのやり取りのようにキパキパといろいろ言ってくれてもいいんだぞ?

 

「えと……一応頑張って作ってみました。ざ、ざー……ザッハルテルト、です」

 

 ───何気なく渡されたお菓子が手作りだったらしい。

 心が“マジで!?”と叫びたがっているのを必死で押さえて、けれど視線はお菓子に釘付けである。

 ザッハルテルト……! 聞いたこともないお菓子だが、もしや世に言う普通ならば存在すらしない、オリジナル創作お菓子とやらなのか……!?

 などと割と本気でドキドキしていると、横から「ザッハトルテ、ではないのかしら」と冷静なツッコミ。

 由比ヶ浜さんは「うひゃあごめんなさい! ざざザざっはとルテ、だった!」と大忙しだ。

 そしてなんか名前の言い方がとても不安になる。

 あの……大丈夫なの? さっきまであんなにも輝いていた女子の手焼きザッハルテルトが、謎の暗黒物質に書き換えられたのだが……。

 ……いや、最初から疑ってかかるのは俺の悪い癖だ。

 よく見れば、由比ヶ浜さんの手には絆創膏がいくつか貼られている。きっと苦労して作ってきてくれたのだ、食べなければ罰が当たるってもんだろう。お菓子作りでどうすりゃ絆創膏が必要な傷がつくのか知らんけど。

 どこか誇らしいっぽい気分を抱いたまま、ザッハトルテが入った小さなラップ包装のソレを開いてみた。

 すると…………

 

「………」

「………」

 

 すると………………あの。なんすかこれ。

 

「……これが……ザッハルテルト……!」

 

 おい。……おい、由比ヶ浜さん? ちょっと由比ヶ浜さん?

 さっき注意してくれたばっかの雪ノ下(妹)さんが、あまりの黒さに“新種のお菓子:ザッハルテルト”で受け入れちゃったんですけど?

 え? ザッハトルテ、なんだよね? 俺ザッハトルテがどういうものなのか、詳しくは知らんけど。

 

「……黒いな」

「えっ……ええ、黒いわね」

「ちなみにザッハトルテってどんなお菓子なんだ?」

「おしゅっ……こほん。……オーストリアのザッハーというホテルで売られているお菓子(トルテ)よ」

「………」

「………」

 

 目を合わせず、どうにも噛んだりどもったりするこの姿勢。

 これ、ぼっち症候群じゃなかろうか。

 ていうか訊きたいのはそういうことじゃなくて。

 

「いや……外見的な話で頼む。これはその、ザッハトルテなのか、ザッハルテルトというまったく新しいお菓子なのか」

「ざざざざっはとるて! ザッハトルテで合ってるから比企谷くんっ!」

 

 改めて訊ねてみると、なんと由比ヶ浜さんがきちんと答えてくれた。

 菓子についての無知を笑うでもない……こういう時、男子ってのは弱いな。もっと知識を深めて、きちんと受け止めてやれるくらいにならんと。

 ……うん。で、なんでそこで由比ヶ浜さんを見て、信じたくない事実に直面した、みたいな絶望顔をしてらっしゃるの雪ノ下(妹)さん。長いからゆきゆき、もしくはゆきのんでいいか。心の中で。

 

「そ、……~……そう……。ザッハトルテ……ザッハトルテなのね……」

 

 ギザギザの包装紙に包まれた、小さなまぁるい、黒いお菓子。

 ほぼ一口、多くて三口で確実に食べ切れるであろうそれを、おもむろに口に放り込んでみる。

 そして、ほぼ同時に同じ行為をしていたゆきのんとともに、ゴキィと噛んで───はいちょっと待っておかしい効果音おかしい。

 なにこの、幼い日にテレビで見た“ニセ小判の見分け方”を真似て、500円硬貨を噛んでみた時に感じたのと酷似した感触。

 

「…………これが……ザッハルテルト……!」

 

 ほらー、ゆきのんたらまた認識改めちゃったじゃない。

 むしろ俺も、これやっぱりザッハルテルトじゃね? とか疑っちゃってるし。

 

「………」

 

 おもむろにスマホを取り出し、ザッハトルテで検索検索。

 すると、カタチはまぁ似ているが、光沢がなんかおかしいお菓子が画像として表示された。

 チョコレートケーキっぽいものなのか、ザッハトルテ。

 で、手元にあるこのザッハルテルトをご覧ください。

 まるでリバーシで黒面を担えそうなくらいの真っ黒な輝きがここにあります。

 

「……あの、由比ヶ浜さん、だったかしら」

「ふえっ、あ、はいっ!」

「その。味見はっ……味見は、その……した、のかしら」

「え、う、うん。あまり上手にできなかったから、中でも一番よさそうなのを持ってきたんだけど……」

「……その上手さの基準は、なにで決めたのかしら」

「かたっ……かたち、かな……」

「………」

「………」

 

 ゆきのん、紙袋に残っているザッハルテルトを由比ヶ浜さんに渡すの巻。

 既に察しがついているのか、申し訳なさそうな、泣きそうな顔で包装紙を剥がし───彼女は、世界で三番目くらいにザッハルテルトを口に放り込んだ。

 ゴキィってすげぇ音が鳴った。

 …………この後泣きながら、めちゃくちゃ謝られた。

 

……。

 

 その日から、と言っていいのやら違うのやら。

 暇な時間を、暇な日を見つけては、俺とゆきのんとガハマさんは人気のない場所に集まっては、お菓子の品評会を開催したりしていた。

 女子に“上手くなりたいんです”と頼まれては、断れないでしょ。

 そうして上達した腕で隼人を幸せにしてやってくれ。

 

「由比ヶ浜さん」

「ひゃ、ひゃいっ」

「あなたに伝えることは一にも二にもまず一つよ。……レシピ通りに作ってくださいお願いします」

「お願いされちゃった!? え、えぇっ!? そんなにひどいですか!?」

「由比ヶ浜さん、口を開けなさい。その言葉は人に、カタチがいいからというだけでザッハルテルトを齧らせたあなたが言っていい言葉ではないわ」

「ザッハルテルトのことはもう忘れてくださいってばー!」

 

 不思議な関係ではあるものの、お互いそこまで人と接するのが得意ではないため、敬語が抜けない。時折抜ける場合もあるものの、拍子を置くと元に戻ったり。

 しかし、お菓子を通じて少しずつ距離は縮まり、なんならとたまにお料理教室を開いたりしてみれば、

 

「これはこう、何度もこねて…………こね、て……こ、こ……は、はー! はー!」

「え、え? 雪ノ下さん!? ど、どうしよう比企谷くん! 雪ノ下さんの呼吸が、聞いたことがないくらい荒いよ!?」

「えー……生地こねるだけで死にそうになるくらい疲れるってなんなの……?」

 

 まあ、ちゃんと手伝ったが。

 お菓子製作会場には調理室を借りたため、あまり汚すわけにもいかない。

 女子なのに女子力がないとか、もうどうしろと。

 

「ん、ぐ、ぅう……! かたちは普通なのに、喉が……! 口の水分が、吸い取られて……!」

「うう、どうして……? ちゃんとレシピ通りに作ったのに……」

「そういう場合、材料間違えてる場合が多いから、見直してみるといいぞ」

「え、あ、そ、そうなんだ。そっかそっか……ありがと、ひき…………比企谷くん」

「おう」

 

 返事をしつつ、一応作られたものは一通り口には放る。

 ほぼまずい。美味しいものは一切なかった。これはひどい。

 これは本当に喉が渇く。ので。

 

「なにか飲み物買ってくるけど、なにがいい?」

「MAXコーヒーをお願いするわ」

「ふえっ!? あ、えとー……ひ、比企谷くんの、おすすめで」

「りょーかい」

 

 MAXコーヒーに、俺任せ。

 MAXコーヒーに、俺任せ。

 MAXコーヒーに……エッ?

 

「……最近の女子の趣向はわからん」

 

 MAXコーヒーを我先にと頼むほど好きな女性、なんて居るんだな……。

 まあそれがいいと言っているのに他を買うのは時間と金と信頼の無駄だ。

 なので注文通りに買って、と。

 

「マッカンOK、あとは……」

 

 自販機の前で思考する。

 ガハマさんたらなにが好きなんだろう。

 お任せ、とくると中々悩む。ここで俺の、女子に対する思いやりというか、こう、その……なに? 貢献の期待値? みたいなのが試されるんじゃなかろうか。

 と言っても俺、女子が好きそうなものとか知らんし。

 あ、桃とかどう? とりあえず桃っぽい飲料とか好きそうなイメージない?

 だったらこの、ピチクパーチク・モモーで……いや待て、よく思い出すんだ比企谷八幡。

 彼女はほら、アレだぞ? 俺に任せると言ったんだぞ?

 だったら女子目線じゃなくて俺目線で買っていかなきゃ失礼ってものじゃないか?

 ……となると……これ、だな。

 ピッと押してゴシャー。

 目的のものも買えたし、あとは自分の分を買って戻った。

 

「由比ヶ浜さん……いいから聞いてちょうだい。基本……基本なのよ。なによりもまず、レシピ通りに作ること……たったそれだけなのよ……! こうすれば美味しくなるかも、なんて言葉は向こう十年は忘れてちょうだい……!」

「雪ノ下さんひどい!?」

 

 戻ってみると、悲しい現実がそこにあった。

 どうやらやはり、材料を間違えていたようだ。

 ……まずは材料の名前から覚えたほうがいいのかしら。

 長いなぁ、完成への道のり。

 

「お疲れさん。ほれ、飲み物」

「~……はぁあ……! ありがとう、比企谷くん。いただくわ」

「あ、あの……あたしは、どっちを……?」

 

 俺が持っていたのはマッカンとヤシノミサイダーと、男のカフェオレ。

 普通でいったらヤシノミサイダーを渡すんだろうが、俺は違う。

 ほれ、と男のカフェオレを渡す。

 “女の子に男のカフェオレってー!”とか、小さなぷんすかから始まるささやかなる笑いを……と思ってのことだったんだが、

 

「わあ……えへへ、比企谷くんがあたしに選んでくれた…………えへー……♪」

 

 男のカフェオレを手に、嬉しそうに微笑む女の子を初めて見た。

 そんで、真っ直ぐに、俺の目を見ながら、逸らしもせずに笑顔のまま、ありがとう、なんて言ってくるもんだから、モテるわけがないコーティングを施され、跳ねることなど滅多にないと勝手に思い込んでいた鼓動が、ひと際、大きく───

 

  カシュッ、ガッ、グッ、グイッ、ゴッコッコッコ……カァン!!

 

「ぷはっ……!」

 

 そんなトキメキ時空を余所に、男らしくマッカンを一気飲みする黒髪ロング美少女さん。

 ……鼓動は正常に戻っていた。

 

「いやお前……一気飲みって」

「世界には苦いことばかりなのだから、飲むものくらいは甘くあるべきよ。ええ、本当に……どこのどなたか存じませんが、マッカンをありがとう……!」

「………」

 

 いや、うん。思いついたのが誰かは知らんけどさ。

 キミ、なんでそんな、一歩間違えれば俺みたく死んだ目になりそうな道とか歩いてんのちょっと。

 

「あっ、そうだお金っ」

「ん、ああ、いいよ。試食っつったって、もう何度も菓子とかもらってるし」

「だめっ! あたしそういうの、なんかほら、気持ち悪いから、ちゃんと払わせてっ!」

「や、けど」

「えっと、えとー……はいっ!」

「お、おう」

 

 金を押し付けられてしまった。

 どうやら本気の本気で、男のカフェオレで納得したらしい。

 同じく、当然とばかりにマッカン代を差し出すゆきのんの顔には、先ほどまでのぐったりした表情など一切なく、輝いていた。

 おお、たくましい。

 

「で、でもさ? こういうふうにさ、三人で何度も集まって、同じことして、同じもの食べて、飲んだりしてるとさ、な、な、なんか……ととと、っとと……友達、みたいだよ……ね?」

「いえそれはないわね」

「え? 男女の友達でもこういうことってするもんなのか? すまんまるでわからん」

「みんな友達のてーぎがおかしいよぅ!」

 

 言うとおり、みんななのだろう。

 だって女友達なんて出来たことないし。

 そもそもこれは試食と言う名の隼人への道なのでは?

 まあ、こうして努力の過程を見てしまっている限りは、応援したくなるってもんだが。

 

(青春、かぁ)

 

 どうなるのかね。報われてほしいもんだが。

 隼人も彼女も。

 



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まあ、そんな物語

そして唐突に終わる。続きません。


 俺は比企谷八幡。高二だ。

 本日、珍しくも朝の占いを見て、少々善行というものに目覚めてしまった、そう、いうなればエンジェル八幡。

 ラッキーアイテムは落し物。

 それを持ち主に届けると、いいことが起こるとか。

 

「いやぁああああああああああっ!!」

「あ、にょっ……あにょ、あのっ! おとしっ、落し物っ……ちょ、聞いて……!」

 

 今朝もはよから通学。学生ってほんと無意識に従順な部分があると思うね。

 そんな感じで己の歩む道を妙に悟った気持ちで歩いていると、目の前で落し物をするおねーさんを見つけた。

 さらに珍しくも、一緒に歩いていた隼人よりも先に気づき、拾ってしまったことも手伝って、持ち主に声をかけたんだが……「落としましたよ(オトシュマシュタョ)⇒「え? なにキャアアアアア!?」といった感じで、振り向いて目を見られた途端に、おねーさんが逃げ出したわけで。

 見失ったら交番行きで、落としたことにさえ気づかなければいつしか破棄されるであろう、この落し物を思えば……朝から走ることくらいどうってことなと思えたのだ。

 そしたらアレですよ、悲鳴あげて逃げ出し始めるし。

 おかしい……人懐こい笑みを浮かべつつ、声をかけた筈なんだが。

 てかこの人足速くね!? 俺これでも結構自信あったのに、子供抱えながらこの速度って!

 

  で。

 

 なんとか止まってもらって、事情を説明したら……なんとか理解してもらえて、お礼を言われた。隼人が。

 ちなみに逃げ出した理由は、“振り向いてみたら、恐ろしい顔で口角を持ち上げるゾンビが居たように見えて……!”だそうだ。

 ゾンビは落としましたよなんて声かけたりしないと思うんですが。

 

「なんか、森のくまさんって童謡思い出した」

「ああ、あったな、そんなの。花咲く森の道で出会った熊が、なんでかお逃げなさいってフリーザ様調に言ったのに、逃げた途端に追ってくるあれな」

「フリーザ様調かは知らないけど、そう、それ」

「あれは……イヤリング落としたのが先なんかな。落としたから追っ手きたんかな」

「花咲く森の道を歩いてたら出くわしたんだから、追ってきたっていうのは違うと思うよ」

「……おお、そりゃそうか。んじゃ、すたこらした時にイヤリング落としたのか」

「お嬢さんはお礼に歌うわけだけど……、……ぷっふ……! 歌っていうか、悲鳴だったな……くっふふふふ……!」

「まあ、イヤリング落としっぱなしにするよりはいーだろ」

「……お前って、そういうヤツだよな」

「自分ってものがよく見えてるだけだっての。どんだけ比喩表現ひでぇんだって言われようが、俺だって振り向いてみたら目の前にゾンビ、なんて、悲鳴あげて逃げると思う」

「やられてみて、ムカついたりしないのか? こうして笑えるようにはなったけど、これでも俺、最初は結構むかついたけど」

「そうなのか?」

「仕方ないだろ、お前が平然として気にしてないんだから。俺が怒ったってしょうがない。もう慣れたし、そういうもんだってわかれば、気安くていいくらいだ」

「そうか。けどまあ、むかつくないかって言われりゃあ……まあ、最初のうちはなー……」

「やっぱり気にした?」

「そりゃな。けど、一生をともにする自分の特徴を生涯嫌い続けても疲れるだけだし、これも自分だって認めたほうが楽しく生きられるだろ」

「………」

「隼人?」

「いや。……お前のそういうところ、わかる前に離れるヤツはもったいないことしてるなって」

「そうか?」

「そうだよ」

 

 超自然的に、そうなるしかなかったってだけな気もするが。

 それも、隼人に言わせれば“ひねくれていろんなものを拒絶することだって出来ただろ”ってことらしい。なるほど。

 

……。

 

 体育祭が迫っている。

 誰がどの競技に出るのかを決める中、俺は特に率先して動くわけでもなかったため、面倒そうなのを押し付けられるカタチで決定した。

 そういう場合、得てして同じく率先して動かなかった者がパートナーになるわけだが……。

 

「………」

 

 はっきり言おう。世の中には、不思議な巡り会わせってものがあるものだが、気づかなければそのまま気づけないものもある。

 

「いや……俺、お前がクラスメイトだったなんて初耳なんだけど」

「ええ、そうでしょうね。極力気配は殺していたし、落ち合う場合もわざわざ人気のないところを選んでのメール通達だったわけだし」

 

 ステルス性高けーなオイ。

 黒板に“雪ノ下”の苗字が書かれた時、なにかの見間違いかと思ったのに。

 普通に同じクラスだって認識していたガハマさんでさえ、「雪ノ下さん!? え、えー……!?」と驚いていたほどだ。

 

「意外だ。お前、国際教養科とかそっちの方に居そうなイメージなのに」

「何故わざわざ目立つような場所に行く必要があるのかしら。学力というものは、自分の中に蓄えて、必要な時に引き出せればそれでいいのよ。場所は問題ではないわ」

「………」

「………」

「で、リレーなんだが」

「お腹が痛いから永久欠番で結構よ」

「お前どんだけ働きたくないでござる症候群なの……。お前に体力がないのはわかってるから、とにかく体力増強から始めるぞ」

「意外ね。あなた、そんな熱血漢だったかしら」

「……お前の姉さんに、同じ習い事で並んで立つ俺が……から始まる様々な大変ありがたいお言葉がメールで届いてるが、読むか?」

「ごめんなさい……心からごめんなさい、家の姉が……」

 

 俺と姉が知り合いでライバルだ、ということは、ゆきのん宅に泊まりにいった姉さんからは聞いているそうだ。

 姉さんと日々を同じ場所で過ごすとは、なかなか大変そうだが……まあ、本気を出せば掃除洗濯炊事に育児、なんでも出来そうだから問題はないか。やる気が出れば、だが。

 

「んじゃ、放課後グラウンドで練習な」

「だめよ。午後10時からオンで待ち合わせがあるの。付き合えないわ」

「今日は休め。てか午後10時で待ち合わせなのに、断るなよ……。あと何時間あると思ってんだ」

「準備というものがあるでしょう?」

「それこそ準備に何時間かけるつもりだ。ほれ、とにかく行くぞ。体力作りからだ」

 

 促すと、心底面倒そうな顔ではぁあああ……と溜め息を吐かれた。

 やだもうこの娘ったら背筋ピーンで顎も引いてて、姿勢がとってもステキなのになんでこんなにやる気が滅んでるの?

 疑問を素直にぶつけてみると、彼女はふふっ……と小さく笑って言った。

 

「ふふっ……種明かしをしましょう。……体力がないからよ」

 

 もったいぶっといてえらい普通だった。

 

……。

 

 結論から言うと、雪ノ下雪乃の足は速かった。

 あんなに面倒臭そうにしていたというのに、いざやると決めたら速いのなんの。

 思わず心からスゴイと賞賛を送りたくなり、声をかけようとした途端、彼女はぽてりと倒れ、動かなくなった。

 ゆっ……ゆきのーーーん!?

 

「ふふっ……だから言ったでしょう? 体力がない、と」

「いやそれお前よく嘲笑混じりの顔で言えるな」

 

  現在、グラウンドの木陰の下。

  ぜひぜひとゾナハ病のような呼吸を繰り返す雪ノ下を、珍しくもクラスメイトにお願いされ、こうして看病もとい介抱しているのだが……

 

「というわけだから、今からでも代理の人を───」

「あほ。もうみんな自分の行動の始末に追われてるだろ」

「由比ヶ浜さんなら喜んでやると思うのだけれど」

「別種目で固めてた筈だから無理だな」

「………」

「………」

 

 吐かれた溜め息は長かった。

 

  そうして、特訓の日々が始まった。

 

 足は速い。ぶっちゃけ、瞬間的な加速ならそこいらのヤツらよりもよっぽどだ。

 しかし悲しいかな、体力が絶望的だ。

 放課後のグラウンドにて、走ってもらっているのだが、これはひどい。

 

「俺も姉さんと張り合わなけりゃこうはなってなかっただろうけど、それでもいろいろとアレだなお前……」

「そういった認識で結構よ、比企谷くん。というわけでこれから私はアレがアレだから帰らせてもらうわ」

「木陰でぐったり倒れながら、ドヤ顔で言う言葉じゃねぇだろそれ……」

 

 ちょっと走ってもらっただけなのにこの有様……いったいどうしたら……!

 

「大体体育祭で優勝を得られたとしても、だからどうしたということにしかならないでしょう。あと一歩が足りなかったときたら、クラス全員で失敗した子を見るのが現実。最初から決まっていることがあるのなら、頑張りどころを決めることなんて本人次第でいいと思うのだけれど」

「…………雪ノ下?」

「言っておくけれど、いじめなんてなかったわ。ただ、努力を努力と認められず、かといって周囲に不満を口にする勇気がなかった。それだけのことよ」

「そか。んじゃあ始めるか。休憩終わりだ」

「…………え?」

 

 文句を口にすることが出来なかったのは、周囲が大会社を恐れてのことだろう。

 じゃあ努力が努力と認められない、ってのは?

 ……周囲がそいつをきちんと見ていなかったからだ。

 そういうのはダメだろう。どっちの認識も間違ってるかもしれないが、出来ることもあった筈だ。

 

「はぁ……。何を言っても無駄なようね」

「俺にしてみりゃ、お前の家がどうでも、姉がどうでも関係ねーからな。いろいろ考えすぎなんじゃねーの? 周囲も、お前自身も」

「……? どういう意味かしら」

「だってお前、ようするに家が金持ちで姉がミス・パーフェクトなだけで、お前自身は体力のないぼっちだろ」

「───言ってくれるわね。いいでしょう、安い挑発に乗ってあげるわ。あなたはまだまだ知らないだけよ。私という人間を───!」

「───!!」

 

 ゆきのんの腐りそうで腐らない、ちょっぴりひねくれてそうな目が、クワッと見開かれる。

 今、正に彼女が本気に───!

 

  こ~~~ん…………

 

 オチがついた時、アニメなどの効果音としてありそうな音が、脳内で響いていた。

 ああうん、まだまだ知らなかったわ。と、荒く息を吐き、動けなくなっているゆきのんを見下ろした。

 こいつマジで体力やばい。

 

「じゃあやっぱりまず体力作りからな」

「……み、見てっ……いなかった、の、かし、ら……! わわ、わたっわた、しは……は、はー、はー……!」

「見てた。走ってる姿から、嫌ってほど“こんな筈じゃなかったのに”って後悔が飛んで来る走りだな」

「……、……」

「認められなくても努力はしたってことたろ? 自分が知ってんならいーじゃねぇの。見返す相手なんて作らんでいいし時間の無駄だ。んーなことする暇あったら自分作りに励みなさい」

「自分、作り……?」

「来年にでも全員ごぼう抜きするくらい、体力とか何かをいろいろとそのー……つけりゃあいいんじゃないですかね。相手も納得自分も納得万々歳。なんだったら自分の分の距離を走れる分だけ確保出来りゃあ上出来だろ」

「………」

 

 思うに、こいつは結構負けず嫌いだと思う。

 言ったからには努力だってしたんだろう。それが努力と認められなかっただけで。

 ようするに見てもらえなかったのだ。気づいてもらえなかったのだ。

 たとえばよくあるイジメグループの族長(オサ)の親が、雪ノ下建設で働いているとしましょう。

 で、自分の娘が社長の娘と同じクラスであることを知ってて、我が子に“あの娘、パパが働いている会社の社長の娘だから、気をつけてな……! 失礼なことしたら、家族崩壊するかもだから……!”とか言ってたとしよう。

 当然イジメなんぞ起こらんだろうし、起こったとしても蹴散らしそうだし……いや。遠目で見られるだけなんだろうな。

 社長令嬢になんかなったことないからわかる筈もないが、たまに……夢に見る。隼人が幼馴染じゃない、友人でもない俺の生き方を。

 そんな夢の中で鏡を見るたび、目が腐ってないだけ、こいつはそんな俺よりもマシな生き方をしてこれたのかもしれないし、逆にどんなことが起こっても、世界をきちんとそのままの目で見る覚悟があったのかもしれない。

 いつも何かに怯えているくせに、それを表に出そうとしないために必死だった、夢の中の俺とは大違いだ。

 

  だがまあそれはそれとして特訓だ。

 

 走り方、腕の振り方、着地のし方からなにからみっちり教えこんでいく。

 休憩が入るたびに「無理よ」「無駄よ」「わからないのかしら、このたわけが」とか……おいちょっと待て今師範混ざらなかった? え? 結構ゲームとか詳しかったりするのん?

 

「お、そうだ。家に使ってないサプリとかあったから、明日はそれ持ってくるな。ちょっと前に話題になったミドリムシのアレだ」

「………」

 

 「無駄だ、と……わからないのかしら」と。そう、静かに言われた。

 まあ、そうな。やってみりゃわかる。見せてやりゃあいい。

 努力ってやつを、こうしてぐったりになるまでどんだけ走ったのか、この人目につくグラウンドで……!

 

「…………」

 

 呼吸の安定を待ってから、ゆきのんの特訓は再開された。

 しかし本人既にやる気がないのかどうなのか、走り方はバラバラで、明らかにやる気が「あんまりにも遅いって判断したらザッハルテルトな」すまん見間違えだ、やる気ものすごかったわ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 そうして、走って走って……体育祭の日はやってきた。

 むしろもう終わった。

 全員が頑張って、全員がしっかりと全力は出せた。

 瞬間的な加速が凄まじいこいつは、しっかりと全力を出したし……ていうか呆れる速度で俺のところまで走り抜けて、俺にバトン渡した途端に体力が尽きたし。

 走りながら、話したこともないやつらに介抱されて、笑顔のままに褒められているっぽい雪ノ下は、ぐったりしながらでもどこか嬉しそう……でもないな。結構鬱陶しそうだ。ブレないな、ぼっち。

 順位を言ってしまえば、優勝なんて出来なかったわけだが、頑張った結果だ、何も言うまいだ。てかまあ、俺も順位とかどうでもいいし。姉さんがうだうだ言わん程度が取れれば。

 

「………」

「で、これからも体力作りは───」

「続けないわ」

「ですよねー」

 

 やはり彼女はブレなかった。

 なんでもやりたいことがあるので、それどころではないらしい。体育祭ということで協力はしたが、それ以外では時間を潰す理由はないと。

 

「そういやオンでやりたいことがあるとか……なにお前、ゲームでもやってんの? ゲームっていえば、俺も隼人もモンハンワールドやってて、ハヤハチっていえば結構有名かもってくらいには……」

「…………」

 

 絶句してた。

 ……てか、フレンドでした。アイルーにベタ惚れプレイヤーで有名な、ユキという名の。

 ほんとヤになるなにこれ狭い世界狭い。

 姉さんに引き続き、どうしてこう雪ノ下の名に連なる者とは奇妙な縁があるのか。

 ……べつに雪ノ下に限ったことじゃございませんでした。

 そんなことを、アイルーについてをもはや“誰ですかあなた”と言えるレベルで熱く語る体力の無い知人を前に、遠い目をしながら考えていた。

 




 西城さん、告白してフラレる、というところを考えるといろはすが浮かんだものの、体力云々とか考えたり、学年考えてみたら、ゆきのんでも……? と。
 なにより姉を真似ないゆきのんが国際教養科にはいかないルートと勝手に考えた結果です。
 そして誰ともくっついてないルートなので、この後に様々な日々を過ごしたのちに一気に修羅場に……なるのだろうか。

 はい、というわけで軽い気持ちで書いてみた俺物ガイル、これにて終了。
 俺ガイルで俺物語をしたらどうなるか、という題材だったのに、役割がないとキャラブレまくりで大変なことになる、というのがよーくわかりました。

 いや、でも久しぶりに見ても俺物語はいい物語だ……。
 主人公が男らしいって、それだけで様々に期待してしまいます。
 告白されて、迷うでもなく謝って、“彼女が居るから”ではなく「そうじゃないんだ! ……大和が好きなんだ……!」ってあの言葉を最初に聞いた時、なんというか……じぃんと……こう、しびれるっていうんですかね。告白少女がフラレてるってのに感動してんじゃないよとか、自分でもツッコみたいんですけどね、そんな感じになってしまいまして。
 みんないいキャラすぎて辛い。全員幸せになってほしい。そんな物語。
 おすすめです。


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逸らし続けた先の『次』
振り返った高校生活


 ずっと変わらず、いつまでもそのままで、なんてものがいつまでも輝いたままでいられることはひどく少ない。

 ずっと友達でいようねっ、なんて無理な話だし、なんなら俺は友達なぞいないから話にすらならない。

 だがそんな、ぼっちな俺でも変わらないもの、変わるものはあるのだ。

 ただしそれは、変えなきゃいけないものや、変わらないのではなく受け取り方を変えただけ、というものが大半を占めていた。

 

「あ、ヒッキー! やっはろー!」

「おう」

 

 俺と由比ヶ浜の関係なんてその最たるものだ。

 いつまでも変わらず、なんてものが有り得ない、その代表例とも言える。

 された挨拶にぶっきらぼうに応えて、なにを話すでもなくそのまま擦れ違う。

 相手が何かを話したがっていようと、一方に話す気が無いのならそんなものは成立しない。

 俺も由比ヶ浜も自分の教室へと歩き、それで話す言葉もなにもなく終わる。

 高校3年。

 俺達は、とっくにバラバラだった。

 

   ×   ×   ×

 

 想いを向け続けて、その想いが報われることなく、逸らされた視線が逸らされたままだったら、果たしてそれをされた人間はどれだけそれに耐えられるだろう。

 どれだけ、そちらを向き続けていられるだろう。

 答えは簡単。その想いが続く限りだ。

 つまり途切れてしまえばそこで終わり。

 強制入部から始まったお節介活動は、二年の終わり、ひとつの依頼を受けたことで崩壊した。

 なにが出来たわけでもない。

 ただ、生徒の限界ってのがそこにあっただけだ。

 たまたま解決解消できた今までが運が良かっただけで、真剣に悩み、相談した生徒が依頼への失敗を周囲に語った。それだけの話。

 言ってしまえばそもそもが不自然な部活だったのだ。

 生徒は教師に相談しに行った。ああいう場に相談しに行くのは、案外勇気が要ることだ。コミュ症なら猶更な。

 普段から職員室に行き慣れている者や、教師相手に萎縮しない相手は度外視するが、基本は行き辛く、相談しようと踏み出すこと自体が楽じゃない。

 だというのに相談してみれば生徒三人を紹介された。

 その時点で“先生になら相談出来るかも”は裏切られたわけだ。

 紹介してくれたのに相談しないわけにもいかない。多少の失望はあろうと、この人が紹介してくれたのならと、そこでも勇気を出して口にしたのだろう。

 結果として、今まで面識もなかった三人に、自分の秘密を語らなければならなくなる。

 一人に語れば十人以上に伝わると想像が出来るようなこのご時勢、それだけでも相当に覚悟が要った筈だ。

 だというのに結果は失敗。

 教師を信頼して相談しに来た生徒は、普通ならば秘密を言う必要もなかった三人に打ち明けることまでして、それを語られやしないかという恐怖しか得ることができなかった。

 

「………」

 

 自分の席で溜め息を吐いた。

 今日も今日とてぼっちな俺は、なにをするでもなく奉仕部なんていう場所に入らなければそうなっていたであろう高校生活を、今さら満喫している。

 友達もなく知り合いもいないこのクラスで、女子に話しかけられることもなく、男子に話しかけられることもなく。

 言ってしまうなら状況は底辺に位置する。

 今までの解消の仕方の問題で、友達や知り合いは居なくても敵なら居るって状況。

 ただし相手も自分に関わり合いたくはないのか、近づくこともないが。

 奉仕部が無くなってからの日々は、まあ、平和的ではなかったと言える。

 俺と由比ヶ浜と雪ノ下が顔を会わせる機会は極端どころか一気に滅んだし、それを途切れさせないためにとケータイを手にしては、俺と雪ノ下に「部活はなくなっちゃったけど放課後に集まろう!」と誘い続けていた由比ヶ浜も、今では時折廊下で擦れ違う程度だ。

 材木座は部活という名目で小説を見せに来ることもなくなり、戸塚も3年になってからやることが増えたんだろう、俺に会いに来る機会も減りに減り、今ではめっきりだ。

 高校二年のあの時期が特殊なだけだったと言えばそれまでの話の、なんでもない……ただ何処にでもあるような高校の青春の話。

 

……。

 

 高校3年ともなると、さすがに遊んでばかりじゃいられなくなる。

 二年で得た経験をもとに、いつまでも同じじゃいられないと躍起になっては、数分後には“明日から本気出す”な自分が形成されるが、そんな自分がすぐに破壊され、また頑張ろうとする自分になった。

 何故かといえば……去年そこにあった筈の、思い出せば恥ずかしい、だが確かにそこにあった青春から逃げたかったからなのだろう。

 他人にご高説語れるほどの人間性などなかったくせに、たまたま歯車が噛み合ったからって自分の体験からなる予想を口にしては、解決解消出来ていた部活動。

 振り返ってみればひどい話だ。

 相談者が望んだ結果は、誰か一人が矢面に立って、その場が落ち着く、なんて周囲の汚い部分を目の当たりにするような世界じゃなかった筈なのに。

 

「……はぁ」

 

 考える時間が増えれば、結論に至る人だって増えてくる。

 あの時のあれってつまりそういうことだったんじゃない? えー? だってあの比企谷だよ? なんて言葉が聞こえ始めてくると、解決ではなく解消でその後を迎えた幾人かに遠目から見られることがあった。

 その目が言っている気がした。

 他にやり方があったんじゃないか、と。

 そんなことはない、あれがぼっちに出来る最善だった、なんて言わない。

 何故って、俺は既にあの時点でまちがっていたからだ。

 ぼっちだったなら確かに俺だけの判断で行動してよかった。

 だが部としての行動を語るなら、それは確実にアウト。やっていい行動じゃない。

 俺に任せてくれって言うなら、取る行動も手段もなんもかもを相談した上で口にする言葉だろう。

 それをしなかったツケが今さら解消の結果に現れて、友人を無くして一人で居る誰かを遠目に眺めた。

 

「………」

 

 平塚先生だって相談の全てをこちらに持ってきていたわけじゃない。

 一生徒が請け負うには重すぎる話は、きちんと自分で相談に乗った筈だ。

 だがそんな相談の重い軽いなんて、ちょっと話を聞いただけで全てを理解出来るわけでもないのだから、失敗だってそりゃああるのだろう。

 実際、話を聞いて“生徒に解決出来る域を超えている”と判断して、二人にやめとけ、受けるなと告げたこともあった。

 相手が欲するのが魚の捕り方ではない相談なんて、どうしろっていうんだ。

 そうした先に失敗があって、泣きながらの罵声を耳にし、やがて廃部に到る。

 それでも時間は待ってくれない。

 過去が潰れたなら今出来ることを探すしかないし、いっそ現状の周囲の声が聞こえなくなるくらい、なにかに埋没するしか取れる行動がなかった。

 

 逸らした視線は、いずれ前へ戻さなければならない。

 そんなことを思っていた自分は、何処へ行ってしまったんだろう。

 

   ×   ×   ×

 

 FROM ☆★ゆい★☆

 TITLE notitle

 ねぇゆきのん。あたしたちさ、このままでいるしかないのかな。

 なんかさ、全然だめなんだ。

 ゆきのんはさ、あなたらしくって言ってくれたけど、あたしらしくじゃ見向きもしてくれない。

 もう、高三だね。

 ずっと見ないフリされてさ、頑張ってあたしからって思っても空回りばっかでさ。

 もし、おんなじ大学いってもこのままだったら、あたし、それまでの自分に納得できるのかなって……最近かんがえるようになったんだ。

 勉強する人が増えて、やけっぱちみたく女子誘う男子が増えてさ、なんか……告白されることが増えてもさ。

 あたし、今のままでいいのかな。

 このままで、いいのかな

 

 

 FROM 雪ノ下雪乃

 TITLE 好きにしたらいいと思うわ

 自分の人生なのだから、好きに生きなさい。

 姉に憧れるでも反発するでも、世界を変えるでもない、あなたがしたいと思うことを、出来る内に。

 

 

 FROM ☆★ゆい★☆

 TITLE notitle

 だめだったらさ、これまでのこと、全部無駄になっちゃうのかな

 

 

 FROM 雪ノ下雪乃

 TITLE そうね

 恋愛なんてそういうものなのではないかしら。

 それを活かして次はそうならないように努めることしか出来ないでしょう。

 

 

 FROM ☆★ゆい★☆

 TITLE notitle

 ゆきのん……

 

 

 FROM 雪ノ下雪乃

 TITLE だから

 奉仕部のことは忘れなさい。

 人には現状で出来る限界と、想像の範疇を超えた悩みというものがあった。それだけのことよ。

 そして、言われてしまえば拒否出来ない人も居て、“この三人に相談しなさい”と教師に言われれば拒否できない人も居た。

 私たちはその人の要望には応えられなかった。それだけなのだから。

 

 

 FROM ☆★ゆい★☆

 TITLE notitle

 でもさ、部活がなくなっても、会うことはできるよね?

 すれちがってばっかだけど、会ってさ、また前みたいに話し合ったり相談したりとかさ

 

 

 FROM 雪ノ下雪乃

 TITLE notitle

 ……忘れなさい。忘れて、現状で繋がりを広げなさい。

 あの日にすがったところで、それ以上の広がりは先にはないわ。

 メールもここまでにしてちょうだい。

 これから家の用事があるから。

 

 

 FROM ☆★ゆい★☆

 TITLE notitle

 そしたらさ、前よりもっと楽しくなってさ、それd|

 

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 FROM ☆★ゆい★☆

 TITLE notitle

 そしたらさ、前よりもっと楽しくなってさ、それd|

 

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 FROM ☆★ゆい★☆

 TITLE notitle

 そしたらさ、前よりもっと楽しく|

 

 

 FROM ☆★ゆい★☆

 TITLE notitle

 たのし|

 

 

 FROM ☆★ゆい★☆

 TITLE notitle

 たのしかったじかん

 

  編集中のメール

 

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  ⇒破棄する

 

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   ×   ×   ×

 

 

 なにも変わらないままの日々が続いていく。

 周囲は俺に関わろうとせず、俺もまた、周囲に関わらない。

 人は急には変われないというが、それは変わる状況に立っていないからだろう。

 人には変わらなきゃならん場面ってのが何度か訪れるもんで、多くの場合はそれに気づかず、またはあとで気づいて見送るばかり。

 あの時ああしていたらと思う時こそそれであり、多少タイミングを逃したと自覚している時でも、その自覚出来た瞬間を逃さなければ立ち上がることが出来たのだ。

 だから、人よ。時が来たなら迷うべからず。

 そして俺にはそんな瞬間はもう二度と訪れないだろう。

 高二に全てを見送って、俺はなにもしなかった。

 いずれ、平塚先生の言うとおり、あの二人にもそういう瞬間が来るのだ。

 今だよ、と言ってくれた平塚先生の言葉も受け取らず、結局目を逸らし続けた俺は、どこに落着することもなく、これからもそういった瞬間から目を背け、後悔し続けていくのだ。

 

「───」

 

 今立ち上がれば出来ることがあったとする。

 今走り出せば間に合うなにかがあったとする。

 今気まぐれにメールをすれば、喜ぶ誰かが居たとしたら、それは───

 

「………」

 

 ぽち、ぽち、と。

 暇な休み時間にメールを打つ。

 こんなもんはただの気まぐれだ。

 送る必要もなければ、いっそ書くだけで満足したっていい。

 逸らし続けているものをちらりと見たところで、相手に無駄な期待を持たせるだけなのだから。

 だがだ。実際俺はどうなんだろう。

 平塚先生の言う通り、あいつらがそういった瞬間を迎え、その隣に居るのが───

 

「おえ」

 

 気色の悪いものが喉までせりあがって来た時、拍子に送信を押してしまった。

 そういうことでいい。

 こういうものは確認の文字が出るもんじゃないか、なんてツッコミなんて、“取り消そうと思ったら、普段からメールなんて飛ばす相手がいないから、取り消しの位置間違えちゃった、てへっ☆”ってことでいいのだ。

 ただ、いつまでも自分からを続けるあいつを、無視し続けることに罪悪感を覚えていたのもある。

 知っていながら、気づいていながら視線を逸らすことは無視である。

 んーなことはぼっちであれば誰だろうと知っていることだ。

 そう知りながらも逸らしてきたなら、それは立派な無視行為である。

 あれ? これ普通に最低じゃね?

 

「あー……」

 

 送ったメールも小町に関することに、あいつに対する俺の心配を混ぜたもの。

 いや、小町があいつに用があるのは本当だ。

 ただ、それで俺からメール飛ばすのって変じゃね? とは思うわけで。

 なのでしきりに小町が、と強調したメールを飛ばしてみたのだが。

 

「……?」

 

 珍しいこと、あのメール好きのガハマさんがちっともメールを返してこない。

 何事か、と思いつつ、それでも何度も送る気にはならなかったから、そのままでいた。

 ……ただ、俺はひとつ勘違いをしていたのだ。そうなるわけがないを前提に置きすぎていた。

 俺や海老名さんという特殊な人物が、人からの過剰接触に対し“じゃあ、もういいや”とあっさりと縁を切ろう、断とうと思えるのと同じく、どれだけ“みんな一緒に”を信条に持とうと、その周囲こそが自分の行動に見向きもしなければ、人は誰だっていつか“じゃあ、もういいや”を使えるのだ。

 それを前提として置かず、知らずに……自分から行く、に甘えすぎていたのだと思う。

 

……。

 

 いつからか、やっはろーを聞かなくなった。

 廊下で会っても気まずそうに顔を逸らすだけ。

 声をかけられることもなければ、視線が合うこともない。

 メールが届くこともなければ、とうとう送ったメールがデーモンさんによる返信で戻ってくることになった。

 

「………」

 

 その動揺といったら、どう表せば人に届くのか。

 親しかった? それなりに付き合いがあった相手からのこの対応は、かつてないほど俺の胸を抉った。

 だが同時に自業自得だ、当たり前のことだとも納得していた。

 どれだけ頑張っても見てももらえない相手に、いつまでも自分の時間を潰していられる人間は多くない。

 それを一途じゃないなんて馬鹿にするヤツも居るが、じゃあ一途でいれば報われるのか? 違うだろう。

 それは正しい判断な筈だ。

 これからが大事なやつらが、過去に囚われて足踏みしたってしょうがない。

 だから……まあ。

 こんな動揺も後悔も、あの時ああしていたらも、いずれ時間が潰してくれるのだろう。

 

   ×   ×   ×

 

 春が過ぎた。

 なにも変わらない日々が続く。

 ただ通い、ただ勉強し、ただ帰る日々。

 小町が結衣さんのアドレスがどうのと言っていたが、変えた上に聞いてないからと告げて、それで終わり。

 周囲にもゆっくりと変化が浸透していくと、やがてそれが当然になって、自分もそれに流されていくのだ。

 世界ってのはそういうもんだ。

 そういうふうに、できている。

 

……。

 

 夏が過ぎた。

 図書館で涼みながらの勉強ばっかが記憶に残ってる。

 二人との縁が切れたからといって、小町が俺を嫌うようなこともなく、「ま、お兄ちゃんだもんね」なんて言って、それで完結した。

 慰めているつもりなのか、やたらと一緒に行動したがったが、まあようは勉強教えてなんだそうだ。

 一緒に川なんとかさんの弟のー……川崎大志か。がついてきたが、別に怒る理由も特にない。

 小町と大志がどこか無力を噛み締めるように俺を見ていたが、長いことは気にせず、勉強を続けた。

 

……。

 

 繋がりがなくなった関係はもろいもんだと思う。

 集まる理由もなくなり、メールする理由もなくなればこんなもんだ。

 いつまでも続くものなんてなく、その過程で得たものだって簡単に離れていく。

 高校三年間で得たものなど特になにもないことに気づくと、ただただ後悔ばかりが沸いてきた。

 何故って、捻くれ続けることよりも出来たことが確かにあったからだ。

 俺は結局、そういうのは俺みたいなぼっちの仕事だ、みたいに嫌な視線の集め方をしていたくせに、勘違いの方向を言い訳に踏み出さなかった。

 今だからこそ思う。“なんだそりゃ”って話。

 状況の中に巨悪を作って小さな悪を善に見せるだの、場の空気の流れを軽口で促して、自分に目を向けさせるだの。

 そんな視線を容易に受け止める覚悟があんなら、視線なんざ逸らさずに気持ちを受け止めることくらい出来ただろうに。

 自分で振り返ってみてもわけがわからない。いったい俺はなにをしたかったのか。

 そういう視線を向けさせることは出来ても、一時“は? 別に好きじゃないし、なに勘違いしてんの?”なんて言われることを恐れる? ……わからない。二年の俺はただのアホか馬鹿なのだろう。

 そして、それを取り戻すことも、視線を前に向けることももう出来はしない。

 何故って、向いた先にはもう、あの花火の日のあいつはどこにも居ないからだ。

 

 いずれ高校生活も終わる。

 振り返ってみてもなにもない。

 終わった先になにがあるのかを、俺はもう……高校入学の日のように、楽しみになんて出来なくなっていた。



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嘘も本物もあっての青春

 努力は報われるべきだ。

 報われない努力ほど虚しいものは無いし、努力が報われない物語ほど落胆を抱くものもなかなかない。

 その時点でざまぁみろと主人公を見下すのか、次頑張れば……と励ますのかで、それまでの主人公の性格がわかるってものだろう。あ、読者の心もか。

 

「……比企谷。この舐めた作文はなんだ」

「高校生活を振り返った結果ですね」

「………」

「………」

「……君は。成長したのかしていないのか」

「しましたよ。とりあえず物怖じはあまりしなくなりましたし、噛むこともなくなりました」

 

 高三も残り僅か。

 大学入試も余裕余裕なんてヤツは余裕そうに日々を暮らし、自信はあってもまだまだ勉強、ってヤツは図書館通いで日々を過ごしたりしている。

 授業があろうが予備校のワーク案内を広げるヤツもちらほら居たし、なんなら授業を聞かずに自分の勉強を一心不乱に続けるヤツも居た。

 俺も勉強組だ。組っつってもあくまでその枠ってだけで、ぼっちであることには代わりはない。

 そんなことを、他の誰も居ない空中廊下で話し合う。

 

「それよか平塚先生、平気っすか?」

「ああ、問題はないさ。相談しに来る生徒は極端に減ったが、あの生徒も自分で動かなかったくせに、他人に完全解決を求めるなんて、どうかしていたと言ってくれた。……情けないことだが、解決できなかったのは確かで、結果としてひとつの部が潰れたのも、問題を起こしておいてハイ異動、というわけにもいかなくなったのも確かだ。留任希望は出してはいたがね。……すまなかった、比企谷。あの部が残っていたなら、君は───」

「なんも変わりませんよ。結局俺がなにもしないで、見ない振りをしたまま、全部が終わってたっす」

「君が何もしなくても、彼女らが───」

「平塚先生。青春って言葉だけで輝けるほど、人の生活って眩しいもんじゃないでしょ。振り返ってみた生活から輝いてたもん探すほうが億劫な奴だって居ます」

「……。君は、そう思うかね」

「全部が全部ってわけじゃないって言わせたいなら、確かにそうです。けど───」

 

 けど、俺が何もしなくてもあの二人が、なんて願うのは、俺をあの部に入れた平塚先生の願いとは真逆なんだと思う。俺から動かないならなんの意味もない。

 それは、答えにはならないだろう。

 

「……あの二人にとっての君が、君にそうしたいと思えるだけの人間になっていたのなら、話は別だ。……別なんだよ、比企谷」

「………」

 

 言って、平塚先生は寂しそうに夕陽を眺めた。

 釣られて見る夕陽は、いつか見たものよりもずっと遠くに見えた。

 いまさらだ。なにかに気づけたところで、欲しいものも輝いていたであろうものも、手の届く位置にありはしない。

 無理に取りにいったところで、それはもうカタチを変えてしまっていて、やはりどうあっても綺麗に嵌まり合ったりなどはしないのだ。

 

「受験はどうにかなりそうか?」

「余裕、とは言いませんけどね。まあ、普通に合格は出来ると思います」

「そうかね」

 

 うす、と答えて、会話は終わった。

 そうかね、と言った平塚先生は、どこか楽しげだった。

 

   ×   ×   ×

 

 出願も済み、いよいよ勉強漬けになってくると、時折頭のリフレッシュをしたくなる。

 ここでハメを外しすぎて、勉強に戻りたくないでござる症候群に蝕まれるフレンズはたくさん居るので気をつけよう。すっごーいじゃ済まされないからね、いやマジで。

 勉強する場所を変えてみるのも気分転換になる。

 そんな理由でリビングで勉強していた時、ぽしょりと小町が漏らしたことがある。

 

「……ね、お兄ちゃん。家ってさ、こんな静かだったっけ」

 

 そうだったんじゃねーの? 変わりようがねーだろ、と返し、ストップウォッチ代わりのスマホに触れると、イヌリンガルのアプリアイコンが寂しそうにぽつんとそこにあった。

 ……そうだ、変わりようがない。結局は“こうなる”んだから。

 今は小町も遊びに出ていてここにはいない。

 後輩として元気に総武にやってきた妹に、部活をしている兄を見せてやれなかったのは、今でも小骨のようにしつこく刺さったままだった。

 

「………」

 

 なんの気なしにアプリを起動。

 省電力のために無効化されていたものが久しぶりに立ち上がり、自動アップデートを終了して最新版となって画面に映った。

 

「あー……わんわんわんわんわんっ!」

 

 少しの羞恥心を胸に、スマホへ向かって吼えてみた。

 結果は───…………

 

「…………はっ」

 

 笑っちまうような結果。

 それはない。そんなことはねーんだよ。

 俺はもう納得してるんだから。

 テーブルの椅子に座りながら、スマホをソファへと投げた。

 あんなものを見ないように。目に映らないように。

 電源も切られないまま投げられ、ソファで弾んだスマホは、寂しい、遊ぼう、帰りたい、と、ぼっちが吼えた結果を……やがて画面が消えるまで映し続けていた。

 

……。

 

 勉強漬けの日々を過ぎ、入試を迎え、やがて終了。

 合格発表までは多少あるが、まあそれも今まで通り適当に過ごしていればすぐにやってくる。

 溜め息ひとつ、雪が降る道をゆっくりと歩いた。

 知っている奴とは誰とも会わない。

 そりゃ当然か、相手が知っていても俺はほぼ知らない。

 しかも相手が知っている理由が、ほぼあっち方面の理由からだ。

 何が緩衝剤になったところで、一度出回った噂ってのは消えない。

 寒空の下、マフラーで口元を隠すようにしながら少し早めに歩いた。

 マフラーを深く巻いて、ニットを深く被って、死んだ眼で道を歩く猫背男……あれ? これ不審者じゃね?

 そんなことを考えながらコンビニに寄って、肉まんを買って食べながら帰る。

 もちろん妹の分も購入済みである。

 

「雪か……」

 

 こんな時期に雪とか、嫌でも思い出させてくれる。

 あの頃はほんと、いろいろあったわ。

 一年でこんなに変わるんだな、ってそりゃそうか。

 奉仕部に入ってからの一年であんなに変わったんだ、そりゃ変わる。

 環境も関係も。そして、やがて元に戻るのだ。

 必死に保とうとするやつの気も知らないで、どうせそんなもんだなんて、伸ばしてきた手から目を逸らしたままで。

 あいつは……いったいどんな気持ちだったんだろうな。

 突然無くなることが決定した居場所を前に、どれだけ必死だったんだろう。

 そんなことを今さら……本当に今さら思い返して、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 なにかを終えたのなら、人はなにかの分だけ成長する。

 それに気づけるか気づけないかでその幅は変わって……俺はきっと、気づけても逸らしてきた分だけ、その成長を妨げ続けていたのだと思う。

 静かに降り、音もなく積もっていく雪を眺めながら、ふと……なにかに強く、深く謝りたくなった。

 ごめん、すまん、悪かった。

 口にするのは簡単で…………でも。

 相手が居ない謝罪ほど、行き場のないものなんてないのだと、その“孤独”を胸に刻み込んだ。

 あるだなんて自惚れることもできない、きっと許されもしない、そんな“次”のために。

 

   ×   ×   ×

 

 そして……合格発表。

 2月中旬の寒い日のことだった。

 なんの感動もなく、自分の番号とうざったらしいほどに飾られた番号とを見比べていく。

 喜びを分かち合う誰かも居ない。

 ウェーイと叫び、手を叩き合う誰かも居ない。

 泣きながら抱き合う誰かも居ない。

 ただ無感情に、自分の番号と同じ番号を見つけ、ま、こんなもんだろう、なんて頷いた。

 さ、帰ろう。

 そんで、卒業までのんびり過ごす。

 一年前がやかましすぎただけなんだ。

 俺は結局、なにがどうなったって結局はこうして、なにもないまま出来ないままに日々を送る。

 いいだろ、それで。

 それで……いいだろ。

 

「、っと、……小町?」

 

 突如の電話。

 もはや俺に電話する相手なんて一人しか居ない時点で、表示される名前も確認せずに電話に出た。

 

「おう、どしたー?」

『っ……ヒッキー!!』

「へ? ……あ? 由比ヶ浜?」

『~……ひっき、あたしっ……ぐすっ……あ、あたしっ……!』

「ぃ、や……おい、どうした? なんで───」

 

 なんで今さら。

 ああいや、今はそんなことはどうでもいい。

 なんでこいつは泣いて───

 

『あたしっ……あたしね、頑張ったよ……? いっぱいいっぱい頑張って、いっぱいいっぱい努力した……! 出来ないこと、いっぱい出来るようになるため、って……自分に出来ること、きっと出来るって信じて……!』

「おい……?」

『~……っ……合格っ! ヒッキーと同じ大学、合格出来た! いっぱいいろんなこと出来たと思う時間、たくさんたくさん無くしちゃったけど……もうその時に出来たこと、もう出来なくなっちゃったけど……でも、合格出来たから……!』

「合格って……お前……」

「『ヒッキー!!』」

「え───」

 

 合否の結果で喜びの泣き声と悲しみの泣き声とが行き交う場所。

 そんな人ごみが、つい、と逸れた時。

 そこに、黒髪の少女が居た。

 目、いっぱいに涙を溜めて、でも、笑顔で俺を真っ直ぐに見る、お団子のない……かつての部活仲間が。

 

「お前……」

「結果、出せたんだ……。もうね、大丈夫かなって心配する必要なんてなくてさ……。あたしね、奉仕部がなくなるの、すっごくすごく嫌だった。なんとかしようって思ってても空回りばっかで、頑張っても頑張り方なんてわからなくて、訊いても決まったことなんだって言われるだけで」

「………」

「ゆきのんにね、奉仕部のことは忘れなさいって言われたんだ。あの日にすがったところで、広がりなんてないって。……言いたいこと、すごくいっぱいあった。でも、なにも出来ないあたしじゃ、ただごねてるだけってのも……わかっちゃったから。だから……だからね?」

「おう……」

「だから……楽しかった時間に、さよならしたんだ。一度全部忘れて、全部断って、結果を出せればって。きっとさ、総武高校の入試の時と同じくらい……ううん、それ以上に必死だった。でも……」

「………」

「でも、やっぱり不安でさ。ほんとにこれでいいのかな、これこそ無駄になっちゃうんじゃないかなって思ってたら……ヒッキーからメールが来た」

「メール? ……って…………」

 

 そうだ、最後に由比ヶ浜に送ったメール。

 返信はこなかったけど、いつかの日に気まぐれに送ったメール。

 ……そか。ちゃんと見てはもらえてたのか。

 

「自分だけで頑張んなきゃって決めたのに、他の人の言葉で覚悟決めちゃうなんて、って思ったんだけどさ。でも……嬉しかったから」

「……そか」

「ん、そだ」

 

 涙をこしこしとぬぐって、にこっと笑う。

 

「ね、ヒッキー」

「お、おう……どした?」

「あたしね、合格できたよ」

「お、おう……らしいな」

「うん。だから……」

「だから……?」

「これからの、ヒッキーやゆきのんの残りの高校生活、今日まで無くしちゃった分……あたしがもらっても、いいかな」

「へ?」

 

 え………………いや、いやいやいや。

 え? なんでそうなる? いや、確かに無くしちゃったけど、なんでお前に?

 

「今日までゆきのんともヒッキーともずうっと連絡もしなかったから、今日から卒業まで、ううん、卒業してももっと楽しむんだっ!」

「いやその理屈は───」

「ヒッキー。あたし、自分から行くっていったよね?」

「え……おい。お前、俺のことなんてどうでもいいとかそうなってたんじゃねーの?」

「? なんで?」

「いや……だってメール送っても受信拒否になってたし」

「あ。ぁゃ、やー……だから、えと。ヒッキー断ちとかゆきのん断ちしなきゃ、勉強とか手につかないって思って……」

「廊下で擦れ違った時とか、“やだちょっと知り合いと思われたら恥ずかしいからこっち見ないで”って顔で目ぇ逸らしてただろ」

「そんなこと思ってないよ!? た、ただ自分の目的のために無視してごめんって思ってただけだよ!?」

「え?」

 

 なにそれやーだー、八幡ったらうっかりさん☆ じゃねぇよちょっとやだもう恥ずか死にそうなんですけどアホですかアホでしたごめんなさい。

 

「と、とにかくそれで、勉強のこととか平塚先生に相談したり、願書のこととかも話して……」

「………」

 

 あの日。

 相談する生徒が極端に“減った”と言った平塚先生。居なかったわけじゃない。

 入試はなんとかなりそうと言ったら、笑った平塚先生。

 あらやだあのティーチャーったら全部知ってやがったよちくしょうめ。

 

「───」

 

 だったら。

 だったら、もう二度と戻れない、逸らした目を前へ向けても誰も居ないと思った先には───

 

「? どしたの? ヒッキー」

「───……」

 

 ないと思っていた“次”があった。

 ……なんか、知らん。知らんけど、ほんと知らんけど……涙がこぼれた。

 

「え? わひゃあ!? どどどどしたのヒッキー!? どこか痛───あ、嬉しかったんだ! うんっ、あたしもだっ! 合格おめでとっ、ヒッキー!!」

 

 そうじゃねぇよ馬鹿。

 そうじゃないのに、この喉は、声帯は、それを声には出してくれない。

 どう足掻いたってこの喉は、確信を得られなければ無謀には飛び込まない“臆病”で出来ていた。

 だから俺は……スマホを手に、あるアプリを起動すると、スマホを由比ヶ浜に押し付けて───そして、叫んだ。

 

「わんわんわんわんわんっ!! ゔー……わ゙んわんわんっ!!」

「え、え? ヒッキー? ひ…………、…………ぁ、ぅ……」

 

 急に吼えた俺にわけもわからずおろおろして、押し付けられたスマホの意味に困惑しながらそれを見た彼女が、真っ赤になって声をこぼした。

 そんな彼女はそんな咆哮結果を自分のケータイでパシャリと撮ると、結果をリセットしてから俺にスマホを押し付けた。

 

「お、おい?」

「わっ……わんわんわんわんわんっ!!」

「え……、なっ───!?」

 

 顔を真っ赤にして吼えた彼女。

 何事かと思いつつもスマホを見下ろせば、好き、大好き、遊ぼう、帰ろう、と……そんな結果が並んでいた。

 ンバッとスマホから視線を戻せば、涙目で真っ赤な顔の由比ヶ浜。

 これって本当か、なんて訊くまでもなくて───

 

「~……いっぱい……逸らしたままで、その……悪かった。お前さえよかったら……今さらでもよかったら……俺と、付き合って───」

「ヒッキーぃいいっ!!」

「どぉわっ!?」

 

 言い切る前に飛びつかれた。

 抱きついてきた彼女の頬は冷たくて、でも……流れる涙は温かくて。

 相手が自分が好きかを確信できなきゃ、罪悪感があっても告白できない俺は、ようやく……きちんと、まともに相手のことを好きでい続けられるらしい。

 

「ヒッキーヒッキー! ヒッキー! ~……ヒッキーッ!!」

「ちょっ、やめろっ……! こんな人がいっぱい居る場所でヒッキーヒッキーって……!」

 

 どんだけ人を引きこもり千葉代表にしたいの。お願いやめて?

 しかし泣いた子供にはどころか、泣いた、えー、あー、そのー……こ、こここ恋人には、早速勝てない比企谷です。

 弱い俺を許してくれ。

 

「いっぱいいっぱいデートしようねっ! 行きたかったところ、いっぱいあるんだよっ……!? やりたかったことも、あの時しかきっと出来なかったんだろうなって思ったことも……! だから、だからっ……!」

「………」

 

 もっと早くに前を向けていたなら、出来たことはきっともっとたくさんあった。

 今じゃ出来ないねー、なんて寂しそうに終わってしまったものを眺めさせることもなかったかもしれない。

 だが───だからこそ、今から出来ることならなんだってやろう。

 ……おうとも、俺はこいつに、逸らしてきた分だけを存分に仕返ししてやる腹積もりだ。

 

  ───そういうのは俺のようなぼっちの仕事だ、なんてやり方でヘイトを集めたことがある。

 

 ならこれからは、恋人の俺になら出来ることを、こいつのために全力で叶えていこう。

 恥ずかしさなんて飲み込んでやる。

 人は急に変われない? 人から逸れたぼっちなら、んな常識くらい破壊してこそ超一流。

 そうだ、もう思い知ったのだから。

 俺はもう、俺の出来る限りの全力で、まだ俺を見ていてくれたこいつを───

 

「? ヒッキー?」

「あ、いや……その。お、おお、そういや、雪ノ下とはどうなんだ? ゆきのん断ちがどうとか言ってたけど」

「あ、うん。ゆきのんからはね? 奉仕部のことは忘れて、現状で広げられるものを探しなさいって。でね、メールもここまでにしてちょうだいって言われたから、丁度いいのかも、って……楽しかった時間に一時的にばいばいして、それから……うん、頑張った」

「お、おう。偉いな、おう偉い」

「えへー……♪ って、なんか馬鹿にされてるっ!?」

「いや、本気ですげぇって思うわ。本当に…………ああ。ありがとう」

「わっ……うう、なんかヒッキーに素直に感謝されるってくすぐったいかも……」

「なんだそりゃ……。ああ、じゃああれか。雪ノ下は一応、お前が連絡を断って一人で頑張るってのは知ってるわけか」

「え? なんで?」

「え?」

「え?」

「………」

「………」

 

 あ。なんかやべぇ。

 俺はその時、確かにそう思ったのでした。

 

   ×   ×   ×

 

 その後の話をしようか。

 結局……まあその。

 雪ノ下は第一志望で失敗した。

 結衣からの連絡が途絶え、メールを送ればメーラーデーモンさん。電話も拒否とくれば、きっと雪ノ下の精神的ダメージは相当なものだったに違いない。

 そうして頭の中が真っ白のまま勉強と入試を迎え、やらかした。

 第一志望は真っ白のまま、しかし滑り止めで俺達と同じ場所を選んでいたことで、そこで一時的に頭脳が復活。

 パーフェクト回答をしてみせたが、のちの滑り止めでも見事に失敗。

 結局は俺達と同じ大学に進むことが確定し───

 

「大学いったらサークルとかどうする?」

「あっ、あたしテニスとかやってみたいかもっ」

「「却下」」

「なんでー!?」

 

 俺と雪ノ下は、随分とまあ結衣に対して過保護になっていた。

 そりゃな、あんだけー……まあ、言っちまうなら馴れ馴れしかったのに、急に接してこなくなると、気になって仕方が無くなる。

 その反動か、とにかくこいつに構ってないと落ち着かないのだ。

 あとテニスサークルとかマジ勘弁。

 

「うー……じゃああたしたちで作るとか?」

「奉仕部のことは忘れなさい」

「うん、同じの作りたいとかじゃなくてさ、八幡とゆきのんとお茶してさ、たまに誰かがお邪魔しにきたりする、そんなサークルとかがいいなって」

「ふふぅんむっ! 話は聞かせてもらったぞ、八幡よぉおおっ!!」

「あ、部員は間に合ってますんで」

「ぶひぃっ!? ま、まだなにも言ってないであろう!?」

「あははっ、お待たせっ、八幡っ」

「おうっ、戸塚っ! ……材木座も戸塚の送迎、お疲れさん」

「ひどくない!? 我に対してだけ扱いが雑くない!?」

 

 ───あの日。

 全部を無くして、全部が元通りになったと思っていた日々は、どこにもない。

 無くしたと思っていたものは、動かなかった俺が手を伸ばしもしなかっただけで、スマホでも公衆電話でもいい、連絡をすれば……簡単に繋がる位置に、あったんだ。

 それぞれが勉強に集中していて、それぞれがそれぞれに気を使って、誰にも連絡を取れなかっただけ。

 人との関係にばかり臆病だった俺達が、今はそんな“俺達”の中で笑っている。

 なんの冗談なのか偶然なのか、全員が全員同じ大学に合格して。

 

「平塚先生ももう来ると思うから、そしたらさっ」

「あ、結衣。小町が大志捕まえたと。姉も一緒らしいからちと待て」

「近くかな。じゃ、えとー……迎えに行っちゃおっか?」

「まあ、そうね。小町さんのメールによると、位置的に目的地周辺のようだし」

「うんっ! じゃあ行こうっ!」

「きゃっ!?」

「お、おいっ、結衣っ!?」

 

 結衣が、俺と雪ノ下の腕を取り、笑顔で駆け出した。

 瞬間、雪ノ下は仕方の無い、といった感じに微笑み、戸塚が天使の笑顔で微笑み、材木座が眼鏡を鈍く輝かせて笑い、駆け出した。

 そんな、いつからか嫌っていた筈の“みんな”の中で、俺は───

 

「あ、危ないわ、由比ヶ浜さんっ……!」

「もー! ゆきのんっ! いい加減名前でいいってば!」

「ぇ、あ……ゆ、ゆい、さん……?」

「……えへー……♪」

「あ、そうだよ八幡。僕たちもさ、そろそろ……」

「はぽっ……!? は、八幡が、我の真名を……!?」

「おいやめろ顔赤らめるな」

「ほらほら八幡っ」

「お、おう……彩加?」

「うんっ、八幡っ」

「~……うー……!」

「あの、いたいっ!? ちょっと結衣!? 結衣さん腕腕痛い痛いあ、でもちょっとやわらか痛い痛い痛い痛い痛い!」

「ヒッキーの馬鹿! あたしの時はなかなか呼んでくれなかったくせに!」

「いやっ! あの頃の俺はほんと本気で頑張ってだなっ……! てか呼び方元に戻ってるぞ!?」

「あ、あのー……はちまん? 我の名前は……」

「……はぁ。まったく、結局いつもこうなのだから───」

 

 ───俺は。

 まちがえたからこそ経験できた想いを胸に、逸らし続けていた目を真っ直ぐ前に向けながら。

 残りの高校生活を───確かに青春って呼べる輝きの中を、笑顔のままで歩けている。




「Q:このお話、結局ガハマさんばっかが頑張ってるような」
「A:原作読み返してみて思ったんだ……。八幡さん、ほんと動かないし、積極的じゃないのはまあ性格的にもちろんですが、ヤバイ状況になってから動くor誰かに言われてからしか動かないなどばかりで……。うん、ほら……結局どんな本物欲しかったんだアータ」

 それをつついてみたかったSS

 うん、つまりは……原作でもいつものことだと思うのデス


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彼ら彼女らの【未来について】
第二話 マシン(side:T)


 いきなり二話から。
 というわけで、まずはこもれびさん作【リミ・ライ】をどうぞ。

 ⇒第一話:オレガイル https://syosetu.org/novel/163060/60.html

 一応こちらもとある映画作品のクロスとなっております。


 あの日───由比ヶ浜が消滅した日からどれほど経っただろう。跡形も残らず、なんて、言ってしまえば最高に“綺麗な死に方”だと言うヤツも居る。

 悪気はないのはわかっている。信じたくないだけなのだ。

 だが、その“跡形も残らず”を、逆に見つけられていないだけなのではないかと思い、探す馬鹿も居る。

 そして、そういう馬鹿というのは得てして、失くしてから無くなったものの大切さに気づく馬鹿ばかりで……そんなことは自分が一番知っていると常日頃から考えていたくせに、やはり失くしてから気づく馬鹿こそが───俺だった。

 現実を受け止めきれず、由比ヶ浜を探す日々ばかりが続き、ふと誰かに腕を掴まれ止められた時、自分が時間を無駄にしていたことに気づいた。

 俺を止めたその誰かは小町であり、俺を見ては泣いていた。

 もう由比ヶ浜は居ないのだと。

 お願いだから受け止めてよと。

 俺に、そんな行動はやめてくれと唱え続けていた。

 ……その言葉に頷いたわけじゃない。

 ただ、他にやれることを探す気になった。     

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 元があるからフィクションは生まれる、なんて言った人が居た。

 誰だったかを思い出すつもりはない。

 その言葉を希望に、モヤのかかったフィクションに手を伸ばした。

 先なんてまるで見えない。

 まるでなにかに取り憑かれたように頭の中を理論と空想で埋め尽くし、足りないものを図書室や図書館で埋める日々。

 その合間にも、由比ヶ浜のことを忘れてしまった雪ノ下と“普段通り”の関係を続ける。

 戸塚や材木座、驚いたことに葉山にまで心配されたが、歩を止める気はなかった。

 

……。

 

 いつからか変人と呼ばれるようになった。

 急遽行くつもりだった大学を変更、必要な知識がありそうな場所へ合格、そこで見かけられるたびに言われる言葉。

 まるでそれしかないかのように研究に没頭、それ以外では金の捻出のためにバイト、生活の切り詰め、体が軟弱にならないための運動。

 なにを目指しているのかと教授に言われて、寝不足のためかつい口が緩んだ俺を前に、教授は笑った。

 以降、俺はその教授を信じなくなった。

 

……。

 

 たまに雪ノ下が会いに来る。

 大学も違うのに、よくやる。

 なんとなくいつかのノリでもしかして友達も居ないのか? なんて言ってしまったら、それが地雷だったと知った。

 やだもう……! この娘ったらあの頃からあまり成長できてない……───って、それは俺もか。

 

「あなたは今も馬鹿みたいな研究を?」

「ちょっと? カタチはどうあれ、人が夢中になっているものに対して馬鹿みたいはないんじゃない? 俺泣いちゃうよ?」

「そうね、ごめんなさい。けれど結果も先も見えていないのでしょう? その、一応……心配しているのだけれど」

「………」

 

 マジか。雪ノ下が素直に心配を口にするレベルでやばいのか、俺。

 一応身だしなみにも気をつけてるし、寝不足の方もまあ、時間が取れたら取れた分だけ寝ていて、最近は“死んだ魚のような目”から“ミスター・デッドアイ”って呼ばれてるんだが。いやそれもう死んでるからね? “ような”を超越しちゃってるから。

 

「……そう。冗談を受け止められる程度には落ち着けたのね」

「元から落ち着いてるよ。当時の周囲が言葉を選べなかったって、それだけのことだろ」

「……そう。その……由比ヶ浜……さん、の、ことは……まだ……?」

「おう」

 

 特にこれといって伝えられる成果はない。伝える必要があるかどうかもわからないからだ。

 ただいつか、由比ヶ浜マに許可を得て由比ヶ浜の部屋へと雪ノ下を連れていった時、奉仕部関連の写真を見て、思い出せないながらもこいつが涙を流したのを思えば、こいつらの関係はうすっぺらではなかったと確信は持てたし……完全に居なかったもの、として振る舞われるよりは、俺は冷静で居られたのだ。

 

「ところで雪ノ下」

「? なにかしら」

「お前、タイムマシンって知ってるか?」

「馬鹿にしているのかしら。フィクションとはいえ、それを知らない人は相当少ないでしょう」

「ああ、すまん、訊きたかったのは知識としてじゃなくてな。……現物だ」

「……? 現物、って……あなた、まさか」

「ああ、出来た。正直出来るとしか思ってなかったとはいえ、いや……思い込もうとしていただけではあったんだけどな」

「……。濁している部分があるわね。比企谷くん、それにはどういったリスクがあるのかを答えなさい。今すぐに」

「作れたことに対して疑問を抱かないんだな……ああいや、正直話が早くて助かるが。べつに濁したわけじゃねぇよ、言ったところで信じてくれるのかって部分が大半だ。ただ、わかってるよな?」

「ええ。作ったからには使うのでしょう? ただその、それは……」

「成功はする。確実にだ。ただ、懸念材料はそこじゃない」

 

 タイムマシンは出来た。ハッキリ言って偶然だし、けれどアホみたいな超常の話でもあれば、目指したのはそういう場所なのだからと納得出来ることでもあった。

 が、やはり懸念材料はどうしても存在する。それは、これを作ろうと思ったきっかけの作品……そう、言った通り、フィクションのことだった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 雪ノ下に大した説明もせず、実験は実行された。

 言ったところで受け入れられないとわかっていたからだが、べつに彼女が来た日にやる必要はなかったと言える。

 が、恐らく俺も心の中では“繋がり的ななにか”を求めていたのだろう。あるいは、彼女が居ればきっと、と思うなにかを。

 

「───……」

 

 そうして、疑いも持たずに実行されたそれは、俺をあの日の事故が起こる直前まで飛ばした。

 助かったのは、まだ迫る危機が少しでも遠くにあったこと。それに気づき、すぐに行動。

 二人を迫るトラックから強引に引っ張ることで回避させ、急に引っ張られて驚いている彼女らの後ろを、トラックが呆れる速度で走っていく。それを知ると、彼女らは息を飲んで……やがて轟音を立てたそれらを、黙って見つめていた。

 

「っ……あ、ッ……あり、が……ありがとう、ござい、ます……」

 

 いきなりなにを、離して、などととりあえずいきなり腕を掴まれた女性が叫ぶであろう言葉を、一通り耳にした俺だったが……危機であったことを知れば、届くのは感謝だった。

 が、まあ。こっちから言えるのも感謝だ。

 お前らが無事で、本当に───と、炎上するトラックから視線を戻した時のことだ。

 

  ……由比ヶ浜が、消えていた。

 

 未だ動揺が抜けていない雪ノ下は気づいていない。

 だが俺はそれを見て、嫌な予感が的中したことに……ただただ、泣きたくなった。

 

  タイムマシンという映画がある。

 

 事故で最愛の人を亡くした主人公が、過去に戻って彼女を助けるために研究し、ついにはタイムマシンを作り、過去に飛ぶ、というものだ。

 ただし世界は繋がっていて、過去に○○をしたから未来が○○した、なんてことにはならない、“やり直しの利かない世界”のお話。

 たとえば……ニュースで報じられたように、死者0名、行方不明者1名と……世間が由比ヶ浜結衣という少女を“そう認識した”から、俺は過去に戻ってその存在を救い、行方不明を報じたやつらと、探索を無駄だと言ったやつらに証明しようとした。彼女はここに居るのだと。

 

  だが、“彼女が行方不明にならなければタイムマシンは作られなかった”。

 

 そこにどうしても矛盾が発生する。

 だから世界は、由比ヶ浜を危機から救ったとしても、結果として俺がタイムマシンを作らなければいけない未来にしてしまう。

 助けたのに消えた……神隠しに近い状態が現在のそれで、今もいろいろ考えているであろうこの時代の俺が、タイムマシンを作るきっかけを作った、ということだ。

 そして、そうであるならば。

 雪ノ下も記憶を失わなければいけないわけで。

 

「!? 雪ノ下!」

「え、あ───」

 

 トラックの炎上、爆発とともに、なにかが飛んできた。

 咄嗟に動いたのに間に合わなくて、音に反応してそちらへ向いてしまった目の前の少女の額に、それが衝突する。

 

  ソレが、世界というものだ。

 

 過去に戻っても得られるものはない。

 世界はどうしようもなく繋がっていて……こんな機械が作れても───

 

「うわぁああああああああああっ!!」

 

 そこ居ない“俺”が知らない限り、ここに来た“俺”が、額から血を流し、倒れる少女を見てしまうことに、なんの不都合もないのだ。

 ただそれだけの装置。

 未来の俺が、どれだけ救おうと足掻こうと、結果だけが残るこの未来を俺は、抗えば抗うほど目の前で見ることになるのだ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 それでも、を信じた。

 可能性ってものを信じて、消える原因はなんなのかを知ろうとして、助けても消えて、忘れられて。

 どうあっても消えてしまう由比ヶ浜と、どうあっても頭に衝撃を受けて由比ヶ浜を忘れてしまう雪ノ下を、もう何度見ただろう。目の前で消える人、傷つく人を見ては心が叫び、泣き叫び、手が届いたところで救えもしない状況に、心が折れそうになった。

 それでも繰り返し、やがて考えることが辛くなり、涙も流しすぎたと……自分を振り返ることが出来るようになってきた頃。

 

『む? 過去を変えるやり方? いやあの八幡? 我今締め切りとかいろいろ───』

 

 すがる思いで電話をかけた先で、今尚中二病的な小説を書いている男が、泣き言を唱えた。

 落ち着かない気持ちで、すがっているのに早くしろよとばかりに尖ってしまう心を落ち着かせ───

 

『決まっていることは変えられぬのだ、八幡よ。ただし、本当に戻れるのだとしたら、単純に考えてみればよい。どんなSFを見たのかは知らんが、行方不明と記憶喪失……あれ? これ、かつての奉仕部の……?』

「材木座、すまん。そういう詮索無しで頼む」

『……。いつからかお主がおかしくなったと思ってしまったが。───作れたのか?』

「材木座」

『八幡、我……いや。俺は真面目に訊いているぞ。出来たのか、出来ていないのか』

「…………。……出来た。過去に戻れる。けど、戻れるだけだ、どれだけ助けても、守っても、次の瞬間には由比ヶ浜は消えていて、雪ノ下が頭に衝撃を受けて忘れちまう。どんなに頑張っても、どんなに叫んでも……助けられなくて。どれだけすがっても、どれだけ頼っても、真面目に聞いてくれる人も、もう……! ざぃっ……材木座っ……俺はっ……俺はよぅ……!」

『……───……そうか。ならば結論はひとつだ八幡よ! 中二先生と囁かれる我の、これは世界に対する挑戦である! いいか、まず───』

「───」

 

 材木座の口から語られる言葉に、ただただ耳を傾け続けた。実行はする。絶対にだ。だって、もう八方塞がりだった。

 教授には笑われた。周囲も変人呼ばわり。

 なにも言いはしなかったが、時々会いにくる平塚先生でさえ、背を押すのではなく諦めを提案してきた。

 なのにこいつは……!

 ああ、だからやってやる。どんなことだって、やってやるさ───!

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 そうして、やることは「はぁ!?」と思わず言ってしまうようなことで、けど……実に馬鹿な行動でも、希望は抱いてしまう行動だった。

 

「っ……」

 

 まず、過去に戻る。

 もう何度も見て、何度も失敗して、何度も泣いた光景に、心が“もう嫌だ、やめてくれ”と叫ぶ。

 だが諦められないから走り、腕を掴み、引き、まずはトラックの事故から二人を守り───

 

「え、な、な───《ごすんっ!》ふきゅんっ!?」

「ゆきのんっ!?」

 

 次に、助けた雪ノ下の額にマジ頭突きをかまし、痛がっているうちにトラックの破片が飛んでこない場所まで移動。

 次に───

 

「は、離してください! こんなことして───え? ひ、ヒッキー……?」

 

 俺の顔を見て驚く由比ヶ浜に、心からすまんと言って。

 俺は雪ノ下の腕だけを離し、その場でタイムマシンを使った。

 ……それが、材木座が口にした、未来の変え方、というものだった。

 

 

     ×   ×   ×

 

 

 受話器の先で、そいつはふざけるでもなく想像から外れたことを口にし続けた。

 研究や、本になら書かれていないような発想だが、以前のラノベやゲームに傾いていた俺の頭だったら、きっとひねくれつつも頷いていたであろうこと。

 

『いいか八幡。貴様がしてきた経験を聞くに、恐らく作ればいいのは単純な結果だけだ』

「単純な……結果?」

『うむ。過去の貴様がタイムマシンを作らなくては、と思うような過程はどうしても必要だ。そしてそれには、どうしても貴様が憎からず大事に思う者や物の消失が必要となるだろう』

「いや……待ってくれ、それは」

「もちろん、人が……すまぬが言わせてもらうぞ。もちろん人が一人死んだ程度で、人は自分の人生を台無しにするやもしれん行動にはなかなか出ない」

「───。~……すまん、続けてくれ」

「うむ」

 

 程度、と言われて腸が煮えくり返りそうになったが、それを抑える。

 だが実際はそうだろう。

 きっと親しい人もおらず、対して興味もなければ、俺だって誰かが消えた程度でこんなにも心を動かされなかった。

 ○○が死んだと聞いても、その時には泣いても、やがて受け入れるのだろう。

 だが今回は由比ヶ浜が消えて、雪ノ下が記憶を失った。消えたというのが不可解で、雪ノ下が忘れてしまった、というのが問題なのだ。それは譲れない。いずれ時間が解決するとはいえ、じゃあ時間で解決してやれないのかと唸っていたら、ここに辿り着いたのだから。

 

『だからな、八幡よ。“貴様が攫えばいい”』

「───え?」

『貴様は過去に戻れる。戻って、由比ヶ浜嬢と雪ノ下嬢を事故から救い、その上で雪ノ下嬢の頭に“強烈な一撃”を加え、由比ヶ浜嬢を攫い、“その場から消えればいい”』

「はぁっ!?」

『結局、由比ヶ浜嬢が消えるのを見たのは雪ノ下嬢のみで、その本人も記憶喪失。“どう消えたか”もわからないのであればな、八幡よ。そこに、過去に付け入る隙というものが生まれるのだ』

「付け入る……」

『研究と馬鹿正直な考察ばかりで幻想を忘れたか、八幡。このような搦め手は、貴様こその十八番だったろうに』

「…………俺は…………あいつらを、救い、たくて……」

『わかっている。貴様が我に相談するとなれば、相当行き詰ったからこそだろう? だが、あえて言おう。……よくぞ相談してくれた。辿り着いてくれた。諦めなかったからこそ伸ばせた手と思考である』

「~……悪い、すまん、ありがとう、~……すまんっ……」

『もははははは! なんのなんのナンジョルノ! 我と貴様の仲であろう! あ、でも……これで救えなかったらなんかごめん……』

「いや。そん時はまた連絡する。……一緒に考えてくれ。何度も、何度でも」

『うむ! その時は強力であるが故に協力しよう! 微力などと卑下はせぬぞ! 人を救うというのに微力を謳ってなんとする!』

「ははっ……ああ、頼む」

『うむうむ然り!! あ、ところで我の仕事のネタ提供も手伝ってくれr《ブツッ》』

「あ、やべ」

 

 話しているうちに、心があの頃へと戻っていくような気分だった。

 心の底から励まされた……そんな気さえした。

 雪ノ下が由比ヶ浜を忘れ、一番覚えていてほしい人から、まるで赤の他人、全く知らない人を語られる恐怖を知っている。

 でも……救うという言葉を疑わず、背中を押してくれる人はまだ居たのだ。

 

「………………ぁあ、ちくしょう……っ……」

 

 深く思う。

 ぼっちだどうだとどれだけ言おうと、俺はきっとあの高校で出会った人達にこそ恵まれたのだと。

 戸塚は出会う度に心配してくれた。平塚先生も、心配だからこその言葉だったのだろう。

 それを、応援してくれないだのと悪い方向に考えていたのは俺だけだ。

 だって、普通は戻れなくて当然なのだ。そんな幻想のために人生を燃やす……そんなかつての生徒を心配するなっていうのは、あの先生にしてみれば……ああ、確かに、無理なことだったんだ。

 ああ、そうか……俺、またつまんねぇ勘違いを……。

 すんません先生、今度ラーメンでも奢らせてください。

 

「~……よしっ」

 

 滲む視界を乱暴に拭うと、さあ、あとはやるだけだとタイムマシンを起動させるのだった。



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第三話 由比ヶ浜結衣は今を知り、受け入れる

 それからのことを話そうか。

 結果として、由比ヶ浜は隣に居る。

 由比ヶ浜は“あの瞬間に消えて”、雪ノ下は“頭に衝撃を受け”て、どうあれ目の前で起きたことを信じられなくて、“由比ヶ浜のことだけを忘れる”。

 で……で、なんだが。

 

「チャコフスキー……」

 

 目の前がゆりんゆりんです。

 連れてきた由比ヶ浜を見た途端、雪ノ下が号泣、抱き締めたまま離さなくなってしまった。

 

「あ、あのな、雪ノ下。ここまで実行しといてなんだけど、まだやらなきゃならんことがだな」

「ぐすっ……ふぐっ……う、うぅう……、……ええ、わかっ……ひっく……わかっているわ……」

 

 事情は説明した。

 由比ヶ浜にもわかりやすいように、簡単な図にしたりもして。

 で、だ。

 俺達がすることは、過去の俺達が知らない範囲で、由比ヶ浜を過去で暮らさせることだ。

 どうあれ俺が研究してタイムマシンを作った未来を作らなきゃ、最後の辻褄が完成しない。

 重要なのは俺が過去に行くためのタイムマシンを作るということ。あと、まあ。成長した俺達二人と居ても、こいつも居心地悪いだろうし───

 

「えっと……ごめんヒッキー、ゆきのん。それってさ? 過去に戻っても、あたしは二人に会えないってことなんだよね? ママにも会えないし、他の友達にも。ニュースとかであたしの顔を知った人が居たら、あたしだってバレた時点で無事が確認されて、ヒッキーがタイムマシン作らなくなる、とか」

「……比企谷くん」

「……、すまん。そこまで考えてなかった」

「少し思考を傾けすぎよ。目先の行動に目を移すと他を考えられなくなるのは、あなたのよくないところだわ」

「ぐっ……」

 

 まったくその通りだった。

 会うことは出来なくても、せめてその時代で、なんて思っていたらこのザマだ。

 

「ヒッキー今大学生なんだ」

 

 あれから少し身長も伸びた俺を、由比ヶ浜が興味深そうに下から上まで見まくってる。

 

「本当にね……タイムマシン、なんていうものをこの年月で作り上げてしまうなんて、どういう粘り強さをしているのか……」

「いや……年月は関係なかったっつーか、異次元的な骨が語りかけてきたっつーか」

「? ほね?」

「偶然の要素しかなかったって話だ。幻想空想を求めるあまり、ファンタジーに軽く首を突っ込みかけたってだけ」

 

 ようするに俺のはマシンなんてものじゃなく、そのどこぞの骨の助力あってのものってことだ。

 それでもこうして助けることが出来たなら───

 

「ね、ヒッキー、ゆきのん。あたしさ、この時代で暮らそうと思うんだ」

「え───」

「はぁ!? おまっ……本気か!? だって───」

「神隠しとか、えとー……あとはなんだっけ。りゅうぐうじょう? あ、ちがった、浦島太郎だ。それと似たようなもんだって思えばさ、ほら、パパとかママもおかえりーって言ってくれるんじゃないかなーって」

「いやでもお前……みんな成長しちゃってるんだぞ? いろんなものがあの頃とは違うし───」

「そんなの、あの頃に戻れてもみんなと一緒に過ごせないんじゃ同じじゃん。あたし、あの頃のー……せ、青春? ほど、楽しい思い出なんてないって断言できるもん。だから、あそこに居られない空白なんて、あたしはここで取り戻してやるんだ」

「………」

「………」

 

 やだ……この娘逞しい……!

 ああいや、でもまだ動揺しているだけってことも有り得るかもだし、数日様子を見るつもりで───

 

「……いいか? 雪ノ下」

「本人がそういうのだから、いいのではないかしら。ただし由比ヶ浜さん」

「は、はい」

「……まずはその“はい”、というのをやめてちょうだい。それと……両親には自分で」

「あ、うん。それはもちろん。じゃあ早速電話で───」

「待ちなさい。あなた、ここでいきなり電話をかけて、その、や、やっはろーするつもり?」

「え? だってさ、ほら。浦島太郎ならさ、急にこの世界にきて、なんも知んないで電話かけてみるほうがそれっぽいよね?」

「………」

「ゆきのん?」

「えっ? え、え───ぇえ、そう……そう、ね、ええ」

「………ぶふっ……!」

 

 時を経て、雪ノ下を言い負かすの図。

 あれだな、時の果てで友を負かす少女YUI。

 ……どうでもいいわ。

 

  さ、そんなわけで。

 

 由比ヶ浜にとってはほんの数時間程度? の、こっちにとっては何年もの時間をかけて、由比ヶ浜は普通に帰宅した。

 両親にはとんでもなく驚かれていたが、まあ実際行方不明時の容姿、格好のままだってんで納得する以外なく、ぼーっとしていたところを俺と雪ノ下が発見したって話になって、両親である二人にとんでもなく感謝された。

 これで、“行方不明の時から今まで、しっかり成長してました☆”な容姿だったら、確実に俺が監禁してたんですよ、なんて報告しにいくようなものである。雪ノ下が由比ヶ浜から両親に連絡するようにって言ったの、これのためだろうなぁ……だって俺、以前よりも目ぇ腐っちゃってるし。

 いや、確かにいろいろあったけどさ。嫌なこととか嫌なこととか。

 しかしどーにも小町が俺のアホみたいな努力を、それとなく由比ヶ浜マに話していたらしく、なんかめっちゃ好感触で……え? 時間超越者の扱いは腫れ物に触れるみたいなものだから周囲が信用ならない? その点、今日まで頑張ってくれた俺になら……ってちょっと待って?

 あの、なんばいいよっとか、いやそうじゃなくて。

 信じるんすか? いや、実際あの頃のままの由比ヶ浜が居るわけだが。

 今さら、行方不明になっていた娘が、当時の姿のまま現れました───で、そんな簡単に受け入れちゃっていいの?

 

「ヒッキーくん。もうあれから何年も経つけど……ちゃあんと理由も説明してくれたし、あの娘ったらあの日にママが持たせたもの、新品のまま持ってるんだもの。そりゃあね、疑う理由なんてなくなるものよ?」

「……。すいません。以前のママさんのこと思い出すと、どうしても……」

「……あの時は、ごめんなさいね。パパも、ママも……冷静でいられなかった。ヒッキーくんだってわけがわからなかっただろうに……」

 

 娘が、友人と出かけている時にいきなり行方不明になる。

 そんなもの、出かけた理由に対して当たりたくなるのは当然だ。

 実際に空白の数年は出来てしまって、今回はたまたま運がよかっただけで、下手すりゃもっともっと……それこそ一生と言えるくらい時間が掛かっていたかもしれない。

 平行世界の、自分自身がフィクションになった“俺達”や“骨”に感謝だ。

 

「あ……ところで由比ヶ浜……娘さんはこれから───」

「高校は中退、ってかたちになるわ。今さら通わせたって、周囲の目が気になっちゃうだろうし、あの娘にとっての高校生活は、ヒッキーくんとゆきのんちゃんが居てこその、あんな笑顔になれるものだったんだろうから」

「……、……」

 

 そう言ってくれる由比ヶ浜マに気の利いた言葉のひとつも返せず、俺は頷いて返すくらいしかできなかった。

 

「あ、じゃあこっちもところでなんだけどー……ヒッキーくん?」

「っ……な、なんすか」

 

 息が詰まるような、事故当時にその場に居られなかったっていう、“仕方の無い事実”が罪悪感として喉を絞め、嗚咽に変わろうとしていた時。

 ふと、ママさんが俺を見て、にこーっと笑う。

 

「これからの結衣のことを気に掛けてくれてありがとう。それでなんだけど───もし結衣が望むなら、ヒッキーくんが結衣の恋人とかになってくれると、ママとっても嬉しいんだけど」

「───エ?」

 

 罪悪感がヒャッハァーと裸足で全力疾走していってしまった。

 

「ほら、時間超越者への理解なんて好奇心ばっかりでしょ? 発見は絶望的だ、って探索さえ打ち切ってた娘が帰ってきて、報告しないわけにもいかないからってしてみれば、いろんな人がやってくると思うの。好奇心で」

「あ……」

 

 そうだ。発見できてはいめでたし、では終わらせてくれないのが世界だ。

 少しでも情報を寄越せと、ネタを求めて群がるやつらなんて何人でも居るだろう。

 それも時間超越者本人さまとくれば、超常現象そのものを求めてやまない研究者なんて、由比ヶ浜自身や、関わった人全員からの情報を醜いまでに欲する筈だ。

 ……それこそ、少しでもいいからと、事故現場の周囲に住む人に聞き込みをしまくった俺のように。

 

「だからね? なにも全部を受け止めてくれっていうんじゃなくて……せめてあの娘が“今”に慣れるまで、守ってあげてくれないかしら」

「………」

 

 ここであなたたち両親は守ってやらねぇんですか、なんて言うほどガキじゃない。

 自分たちが守れないところまでを、どうか守ってやってくれないか、と言っているだけだ。

 

「……っす。わかりました」

「ヒッキーくん……! じゃ、じゃあまずは結衣の私物を纏めて、ヒッキーくんの住んでる部屋に───」

「はいちょっと待ってください、なんすかそれ」

「なにって。結衣とヒッキーくんの同棲のために───」

「……。あのー、ええっと、その、なんです? ちょぉっと……待ってください? あー…………俺、いつ同棲を許可したんすか? てかそんな話しだったっけ」

「報告すれば、パパラッチとか……そういう関係のもの、いっぱいくると思うの。落ち着くまででもいいの、預かってあげてくれないかしら」

「いやそれ、それこそ雪ノ下に───」

「ゆきのんちゃん、たまたまこの町に来てるってだけで、今はべつの大学に通ってるんでしょ?」

「そう、っすけど……」

「お願い。まったく知らない町じゃなくて、面影がある場所で、知っている人と、この時代に慣れるまで、でいいの。無遠慮に話を聞かせてくれ、なんて踏み込んでくる人が来ないように、ここじゃないどこかの方がいいのよ……」

「………」

 

 そう言って見せるママさんの顔は、ひどく辛そうだった。

 ……考えてもみれば、捜索を依頼してそれで終了、なわけがなかったのだ。

 見つかったなら見つかったで、一言どうぞ、と言われるだろう。

 見つからなくても、“今の辛さは”とか、“捜索が打ち切られましたが、なにか一言”、なんて不躾なことを訊いてくるヤツも……居たのだろう。

 そんな人達でなく、俺達を信頼してくれているというのなら。

 

「……わかりました。絶対、なんて偉そうなことは言えないっすけど……出来る限りで守ってみせます。……あの、てか、話、娘さんには話、通してありますよね?」

「もちろんよぉっ、そのうっすい引き戸の裏で待ってるように言っといたもの」

「あ、そうだったんす───はぁああっ!?」

 

 前略・小町さん。

 ……女性っていくつになっても怖いです。

 



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第四話 知らない故郷と彼女の日々

 結局のところ、俺は……とっても不思議でどうしてこうなった、なんて言葉が特に似合いそうな現状の中、由比ヶ浜と同棲することになった。

 それとな~く誘導するように、“ほ、ほりゃっ、おみゃっ、お前も俺みたいなやつと、どっ……同棲とか嫌だりょっ!?”と、とても冷静な言葉運びで会話を進められた。

 しかし由比ヶ浜はそれを一刀両断。あっさり頷かれてしまい、小町や宅の両親を味方につけたく相談してみたところ、「なんで結衣さんの発見をおまけみたいに話すの!」と小町に怒られた挙句、しっかりと同棲許可を得てしまった。

 ちゃうねん。そこで顔を赤くしないでガハマさん。俺、不許可を貰いたくて電話したのよ?

 そうして俺は、俺の主張に“まったくだ!”と頷いてくれる人を探せば探すほど、由比ヶ浜の味方を作ってしまい……気づけば八方どころか十方を塞がれていた。なんなら360°オールレンジで塞がれているまである。

 そうなればいい加減諦めもついて、同棲くらいなら、相手が嫌がってないなら、まあ、いいんじゃねぇの……? くらいにまで落ち着いてくるってもんで。

 

「いいか? つまりこの考察が占める位置ってのは───」

「うん、うん」

 

 しかし当然、中退状態のままで良しってわけにもいかないので、暇な時間を見つけては由比ヶ浜に勉強を教える。

 何かに取り憑かれたように、勉強と研究の日々だったあの頃はきちんと役に立ったようで、いつの間にやらかつて苦手だったものが平然と解けるし説ける。

 由比ヶ浜も、なんでか俺が教えるとすいすい飲み込むように覚えていって、気づけば“ああなるほど”なんて、こいつが総武に受かった事実も納得出来ていた。

 ようするに不器用なのだろう。欲しいものが幾つかあっても、それら全部を器用に拾うことが出来ないくらい。

 高校に入るまで必死で勉強して、得られるものがあって、けれど次は高校生活での自分の居場所を確保しなければいけなくて、そのための努力と……つまり自分の望む高校生活と、どうやっても気にしてしまう“罪悪感”とに意識を割いてばかりで、勉強が追いつかなかったのだろう。

 そうしていつの間にか一年が過ぎていて、罪悪感は消えないまま、人間関係も微妙なままで、勉強も追いつかなくなっていて。

 それで…………それで。

 

(俺達が居ない高校生活か)

 

 そりゃ、輝かんわ。

 奉仕部での日々が当然に変わっていく頃、こいつはきっと自分で踏み出した一歩から広がる世界を心から楽しんでいた。

 なのにあんなことがあって、未来で急に浦島太郎状態になってしまい、過去に戻っても知人に会ってしまえば失敗に繋がり、繰り返すだけ、なんてことになれば、輝きも薄れるだろう。

 消えてしまった空白よりも、俺達が居る今。

 自分が居たい場所はここだと選んでくれたのは嬉しいが───……どうしても、罪悪感は消えてくれない。

 あの時、あの時代の俺が、二人をあのまま帰させなければ。

 そんな小骨は誰に許されても残ったままで……いつかの、出会うきっかけになったであろう俺が骨折した事故のことで、由比ヶ浜も雪ノ下も……いつかはこんな気分だったのかな、なんて……ただ静かに、考えていた。

 罪悪感って消えないよ、か。そりゃそうだ、こんなの消えてくれるわけがない。

 

「ねぇねぇヒッキー」

「ん? どした?」

「ほら……その。あたし最近ずぅっとこの部屋に閉じこもりっぱなしでしょ? そろそろあのー……そ、外に出ても、いいかなぁ、とか」

「………」

「やっ! やめてよお! その“なに言ってんだ頭大丈夫かこいつ”って顔やめてよお!」

「あのな、由比ヶ浜サン。お兄さんいつか言いましたね? お前今世界的にやばい人になってるって。フィクションじゃなく、マジモンのタイムトラベラーなんて、それ関連の研究者からしたら月に飛ぶより身近な宝石類だろうが」

「で、でも! あたしべつにそんな特別なこととか話せないよ? だってトラックが来て助けられて、気づけばここに居ましたしか言えないのに、研究なんて言われてもわかんないよ!」

「相手はそう受け取っちゃくれないんだよ。現に今だって、ミノーリ・モンティスさんが研究者さんと話し合ってるし」

「……? う、うん? みの……うん?」

 

 興味ないらしい。そりゃそうだ。

 自分の噂を推測で勝手に盛り上げられて、その所為で好きに動けないんじゃ興味も滅ぶ。

 

「でもさ、ずーっと部屋でごろごろしてさ? ヒッキーが居ないとすることないんだもん」

「いや宿題毎度出してんでしょーが。空白の分を埋めるんだろ?」

「あたしの高校生活、勉強だけじゃないよ!? も、もっとさ、ほら、あるじゃん! 友達と遊んだりさ? 依頼を受けて解決したりとか、す、すす、すー……好きな人と、でーと……したり、とか」

「生徒の異性交遊のために学校作ったんじゃないって、設立者が泣いちゃうからやめなさい」

「そればっかじゃないってば!」

 

 しょーがないでしょーが、もう高校生活終わっちゃってるんだから。

 そりゃな、俺達との学校生活、そんなに大事に思ってくれてたなんてって、八幡的にすごーくポイント高いよ? うん高い。

 けどな、現実問題……そう、マジでの現実問題、これからのことは楽観視など出来ない。

 外側はタイムトラベルとかすげー! で済ませるだろうが、張本人は学生時代を奪われた上に、知人は皆、自分の知らない時間を過ごしてきたのだ。“そこに自分が居ない時間”を。

 当然、自分の居場所はひどく狭い。

 例えるならそう……唯一の友達だったヤツが、学年上がるとともにクラスが変わり、気づけば相手は友達いっぱい、こっちはぼっち、なんて……ぼっちあるあるな世界に似ている。

 かつては友達だったやつらも、今では独自のコミュを構築しているし、かつての葉山グループはとっくにこの町には居ない。

 俺達だけなんだ、ようするに。

 確かにここに住んでいたのに、こいつにとっての“身近”って言葉ははもう俺達と両親くらいで、“俺達”に含まれる雪ノ下だって、同じ大学には通っていない。

 言葉を盾にするのなら、“この時代で生きていくって言ったのはお前だろ”なんてものを使えたりもするが、この比企谷八幡、自分がやられて嫌なことは、嫌な相手と駆け引きが必要な時以外はしません。

 

「………」

「………」

 

 だから、って……わけでもなかったんだろうが。

 ふと、しゅん……と、寂しそうにして俯くこいつを見て───情でも湧いたのか、どうなのか。

 はたまた、妹にそうするように、心が勝手にそっちを向いたのかもわからない。

 だが確実に少しずつ、知人を認識するのとは別の感情が動き始めていた。

 

……。

 

 だから提案をしたのだ。

 なにかを始めてみないか、と。やったことのないものに挑戦してみて、趣味の幅を増やすのだ。

 で、ガハマさんといえば。

 

「……ねぇヒッキー。それで真っ先に料理ってさ、あたしすごーく複雑なんだけど」

「じゃあ運動か? 勉強か? なんでもいいぞ」

「やっ……やー……そのあのえとえと……や、やったことのないものー……で、考えよ? ね?」

 

 苦手なもの、で考えるのはやめてほしいらしい。まあ、そりゃそうか。

 克服ってのは素晴らしいかもしれんけど、無理してやるほどかって言ったらそうでもないだろうし。

 じゃあどうするか? 料理だろう。どうせもうメシの時間だし。

 

「料理……なに作るの?」

「おう。まずはこの粉を使う」

「粉?」

 

 いっつも使う粉を取り出す。特になにも書いていない、プリントもされていない、別の袋からこちらに移した粉だ。

 

「うんうん、それで?」

「よし、んじゃあ粉を計量カップで……そう、それだ。それで擦り切り一杯、こっちのボウルに入れる」

「ボウルってこれだよね。擦り切りって……どうしよっか」

「そこにある箸使え。カップの口に平行に寝かせた箸で、余分な粉は袋に落とす」

「ふんふん……ん、出来たよヒッキー」

「おし。あとはこっちの水分と少しずつ混ぜてくれ」

「うん」

 

 言われた通り、テキパキとやってくれる。

 やり方さえわかれば間違えることはないのだろう。由比ヶ浜はぶちぶち言っていた割りに、楽しそうに料理の準備を続けている。

 

「? なんかすごい甘い匂い……。ね、ヒッキー。この、さっき混ぜた水分ってなに? コーヒーみたいな色してるね」

「? MAXコーヒーだが?」

「コーヒー入れたの!? え、えー……? 大丈夫なの? それって」

「大丈夫だ、問題ない」

 

 言いつつ頷いてやると、少しは戸惑っていたものの、「ん、わかった」と頷くと、鼻歌交じりに作業に戻った。

 さて。そうして溶き終えてトロトロになった粉を焼いていくわけだが……

 

「よっ、と……おお、綺麗な焼け目」

「わー! ……ってヒッキー! これ料理っていうかホットケーキじゃん!!」

「……? そりゃホットケーキ作るつもりだったんだから当たり前だろ?」

「ホットケーキってお菓子だよ! お菓子作りは料理とは言わないって、いろはちゃんとか言ってたよ!?」

「由比ヶ浜。お前にいい言葉を教えてやろう」

「えっ……う、うん」

「男の調理はみんな料理でみんな主食だ。そこにデザートは存在しない」

 

 なお、そこに男のパティシエ等が作るマジモンデザートなどは含まれません。

 男の料理と言って思い浮かべるもの全てが、男にとっては料理であり主食なのだ。

 

「大体な、これ食ってデザートが欲しいって思うか? これ一食で足りるなら、これは正しく料理で主食だ」

「んー……あたしもいろはちゃんからそう聞いただけだから、どっちが正しいかなんてわかんないけど」

「ならデザート作るか? これ食ってまだデザートが欲しいってんなら作るが」

「え? ってなんでこんな焼いてんの!?」

「そりゃお前、主食だからだろ。んじゃ食うか。食い終わって、デザートが欲しくなればこれはデザート扱いってことで」

「…………いろはちゃん、あたし頑張るね」

 

 そう……これは。

 小さなガッツポーズとともに、いざとホットケーキの山に立ち向かった、男の料理だろうとデザートはデザートだと唱えし、少女の戦いであ「うぷっ……も、もう無理……!」……戦いにならんかった。

 

……。

 

 同棲するからには、いろいろと決めることはやはりあって、意見が分かれてはギャースカ騒いだものだが、間を取ってみれば案外落ち着くもので。

 どちらにせよ時間の解決を望むものばかりなのは、いつだって同じである。

 そんな、小さな語り合いを開催したそれほどの大きさでもない透明テーブルを挟んで、俺と由比ヶ浜は対面して座っているわけだが。

 

「つまりさ、結局のところ、どういう条件でお前は消えたんだろうな」

「ふえ? ん、んー……そういえばそうだね」

 

 実際のところ、材木座の提案が無ければいつ辿り着けたかもわからない現在に、こうして立っているわけだが……俺が攫ったからあの頃の由比ヶ浜が消えた、という事実があっても、まず最初に“なぜ由比ヶ浜は消えたのか”は解消・解決には至らない。

 おそらくそれこそ、深いところまでを探っていない俺には理解の届かないものなのかもしれんし、方向性自体が違うのかもしれない。

 俺はタイムマシンを思い浮かべて、別の平行世界では別の作品をイメージ、タイムマシンの製造にとりかかったのかもしれない。

 もちろんその製作と、由比ヶ浜が消えた原因に関係はないのかもしれない。

 その場で起きた様々なことが、ただ偶然に由比ヶ浜をどこかへ飛ばしただけ、としか言えない。

 余計に首を突っ込んで、消える条件が明確化された所為で“今が消える”なんてことも有り得るから、詳しく知ろうだなんて思わないが。

 怖いわー、ほんと怖いわー、この世界。

 

「あたしはヒッキーに連れられてこの時代に来て……じゃあ、ただただ消えちゃったあたしは何処に行ったんだ、って話だよね?」

「ああ。けど、詳しく考察して、ヘタに答えなんか出すと、お前また消えるかもだからほどほどにな」

「怖いよ!? え、えー……!? あたし、これについて考えただけで消えるかもしれないの……!?」

「原因がわからんと、正直そうだとしか言いようがない」

「う、うー……原因がわかんないのに、知ろうとしたら消えるって、なんかおかしくない?」

「消える筈だった人を、こうして連れてこれた時点ですげぇけどな。思えば過去に俺達に、“大丈夫だ、由比ヶ浜は俺達が保護したから”なんて伝えたら、その時点で由比ヶ浜が消えた理由に矛盾が出るんだよな」

「? そうなの?」

「説明すると長いかもだからざっくり言うと、ほれ。最初、お前はそのー……なに? 雪ノ下をトラックから助けるために、突き飛ばしたわけだが……」

「? 違うよ? ヒッキーが急に現れて、あたしとゆきのんを助けてくれたんだよ?」

「………」

「………」

 

 あ、これやべぇ、と素直に自覚。

 話は続けないほうがいい、絶対にだ。

 由比ヶ浜も珍しくすぐその答えに到ったのか、対面して座っていた体を弾かせるようにして立つと、テーブルを回り込んでまで俺の服をちょんと……どころか、俺を腕に抱きついてきた。

 

「お、おい、由比ヶ浜……?」

「き、え……っ……消え、ないよね……!? あたし、消えちゃわないよね……!? それでいいからっ……嘘でもいいから、また知らない場所になんて、やだよ……!」

「………」

 

 わかっていたつもりでも、つもりはつもりだ。

 あの日まで“やさしい”と感じていた少女と、あの日まで“強い”と感じていた少女は、やさしくもなければ強くもなかったと知った日。

 こいつはやさしさなんかで助けたわけじゃなくて、あいつは強くなんかなかったからこそ記憶を失った。

 単身、急に未来で生活、なんて気楽に受け入れられるわけがないのだ。

 外に出たいと言ったのにだって、きっといろんな意味が込められていた。

 そう考えると、俺があの日に遡り、こいつをこの時代に連れて来たのは正しかったのか、そうでないのか。

 わかるはずもないが、無駄ではなかったことくらい、容易く頷ける。

 由比ヶ浜が自宅に電話して、なんでもない感じで様々が解決に向かった時、由比ヶ浜マは病院への入退院を繰り返していたところだった。

 出たのは丁度退院していたママさんで、その時の泣き方といったら、由比ヶ浜が「すぐ戻んなきゃ! ママが泣いてる! すっごい泣いてるの!」って、自分も泣きだすんじゃないかってくらい、混乱に近いほどの叫びだった。

 それでもその日、雪ノ下が車を出して、会いにいった先で、由比ヶ浜はママさんに抱き締められ、散々っぱら頭をなでられまくった。

 もちろん由比ヶ浜にしてみれば、そんな長い時間離れたわけでもなかったわけだが……やつれが見た目に現れたママさんを見れば、由比ヶ浜の心に浮かんだのは言いようのない罪悪感だった。

 自分がどうしたかったわけでもないのに消えて、その所為で親に心配をかけてしまって。

 泣かせてしまったからってなにが出来るわけでもない。だって、本当にただ急に消えてしまっただけなのだ。急に消えてごめんなさい、なんて本人にしてみれば“なんで”と言いたくなるようなことだ。

 けど、由比ヶ浜にとっては親を泣かせた、というのは思いのほかダメージがデカかったらしく、やがては由比ヶ浜も泣いてしまい、親娘そろってわんわん状態。

 俺はその直後にパパさんに捕まって、事情を吐かされた。

 

(…………はぁ)

 

 あの日を思うと、心配は当然だけど理不尽だーとは思わずにはいられない。

 過去に戻すと大変なことになるかもしれない、ということはもちろん説明して、頷いてはもらったんだが。

 まだなにか言いたそうだったパパさんの言葉はしかし、次の瞬間には沈黙へ向かわされた。

 なぜって、由比ヶ浜とママさんを見て軽くもらい泣きをしていた雪ノ下が、突如としてママさんに抱き締められ、言われたからだ。

 

  「……ゆきのんちゃん。娘を……結衣を思い出してくれて、ありがとう」

 

 と。

 直後に号泣、忘れてしまってごめんなさいと何度も謝る雪ノ下と、それだけ大事に思ってくれていたってことなんだからと、泣いている雪ノ下の背をやさしく撫でるママさん。

 パパさんは自分の妻のそんな姿を見て、ぶわっと涙。

 俺との会話どころではなくなってしまい、俺と由比ヶ浜とで顔を合わせて、「想われるってさ、ヒッキー。……こんな、幸せなんだね」という由比ヶ浜にの表情にドキリとさせられ、「お、おぉお、おう……」なんてヘンテコな返事をしていた。

 

「……大丈夫だ。消えたら、また俺がどこかに連れ出すよ。今の俺じゃなく、未来の俺かもしれんけど」

「あ…………う、うん」

 

 安心出来るように。子供の頃に小町にそうしたように、頭をなでた。

 で、撫でてから心が“やべェェェェ!!”と絶叫。

 この年頃の男子女子など、気安く他人に頭を触れられるのを嫌うものだ。

 お兄ちゃんスキルなんてこの瞬間にはいらなかったのに、ハワワワワなんてことを……!

 と、緊張しつつ、ゴギギギギと硬直してしまった腕を無理矢理離すと、べべべ別の話題をさりげなーく出して、今のを誤魔化そうと───

 

「ねぇ、ヒッキー」

「ひゃいっ!? お、おう、どした……? この冷静沈着で有名な八幡さんになんの用だ?」

「慌てまくりだよ!? れーせーちんちゃくって感じじゃ全然ないよ!?」

「いやお前これアレだから、アレがアレしてアレなだけだから」

 

 時間の経過とともに落ち着いた、と想っていたのは自分だけだったらしい、なんてよくあることですね。

 ただいま俺もそれを実感しているところです。世界が辛い、マッカン飲みたい。

 

「……しばらく聞いてて思ったんだけどさ。ヒッキーってもう、対人とか全然平気?」

「ん……まあ、そうな。周囲に変人呼ばわりされて、いい加減度胸はついたと思う。っつっても、誰に対しても取る態度が変わらないからって部分も相当手伝ってるとは思うが」

「そっか。前の……えと。高校の時に比べると、結構自分から話しかけてるなって」

「……その。やっぱり、高校生活とか普通に過ごしたかったか? あ、いや……そりゃそうだよな、悪い」

「ヒッキー、なっちゃったものは仕方ないんだよ。悲しむことしか出来ないならさ、めいっぱい悲しんで、それから楽しいことをいっぱい探すんだ。あたしもさ? 状況がわかんないなりに考えたよ? たくさんたくさん考えた。解決方法がどうとか、これをすればいいとか、そんなの全然浮かんでこなくってもさ……結局はね、飲み込むしかないんだ。飲み込んで、自分に訊いてみるの。“じゃあさ、ここではあたしに何が出来るの? あの頃だったら何が出来たの?”って」

「由比ヶ浜……それは」

「あはは……あのね? 変わんないんだ、なんにも。こっちに居てもあっちに居ても。それならって思った。あたしはゆきのんやヒッキーが居るほうがいいって。そりゃ……もう同い年じゃなくなっちゃったんだけどさ。でも大丈夫だよ、まだ大学生と高校生だもん。追いつく───ことは出来なくても、居るってわかってるのに会いに行っちゃだめな世界より、あたしはこっちがいいって……ね? だからだいじょぶだよヒッキー。あたしはさ、きちんと自分で選んだんだ。……ヒッキーの所為じゃない。だから、自分があたしを連れて来たから、なんて思っちゃやだよ」

「───……」

 

 “人を見る目”って言葉がある。

 俺は当時、斜に構えたものの見方をして、俺にはそれが備わっていると思い込んでいた。

 とんでもない。

 本当に人を見る目を語るなら、口に出してもいないのに俺のそんなことがわかっちまう、こいつにこそ言える言葉だろう。

 それとも───こいつは、“俺だから”そうやってわかることが出来たのか。

 ……一緒に住むようになって、いや……前から、気づかないフリをしていただけだ。

 自惚れじゃなければ、きっと───

 

「だからさ、ヒッキー」

「おう」

 

 次に来る言葉がどんなものでも、受け入れてみるのもいい……そんなことを静かに思った。

 心が隅々まで穏やかだ……こんなことは随分と久しぶりで、それこそ……ガキの頃、周囲から浮く前の世界はこんな気持ちで歩けていた筈なのにと、そう……思い出すことが出来て───

 

「あたしね? ここでまず、えと……いしょくじゅー? を固めてみたいって思うんだ! 料理とかお裁縫とか、掃除とか……あ、えとえと、せ、洗濯っ……も、頑張るし、ね? ~……そういうさ、その……生活に必要なこと、ちゃんと、しっかり、覚えてみようって……思うんだ」

「───」

 

 穏やかなる俺の日常は、ある圧倒的な存在によって激変した。

 隣に芝があるのなら、きっと気分の悪さから真っ青に違いない。

 幸せっぽい青い鳥? 気絶してるんじゃないかしら。もしくは、あくまで“っぽい”だけで、幸せなんかじゃないのよきっと。

 いや、提案はしたよ? したけどさ。

 ホットケーキ以降のこいつの活躍を思い出すと、俺の中の腹の虫が怒ってるわけでもないのに治まらない。いやほんと、怒ってるとかじゃなくてこう……シニタクナーイ! って。

 

「………」

「ヒッキー?」

 

 こてりと首を傾げ、どうしたの? と訊ねてくる彼女に、俺は……ただ精一杯の笑顔で、「頑張れ、手伝うから」と伝えることしか出来なかった。

 決意の表情で「ううんっ、あたしだけで頑張ってみるよ!」と言う彼女に、「いやマジで、手伝うから」「いやほんとお願いします手伝わせてください」「やめて!」と何度も悲鳴をあげる腹の虫に、俺はただ遠い目をして、彼女の背を押すことしか出来なかった。

 ……平塚先生マジごめん。

 無茶なことをする人の背を押してやるの、本当につらいわ……。



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第五話 必死になった理由たち

 悪夢だ。

 いや、一言で終わらせるのはさすがに俺もどうかと思うが……悪夢。

 ガハマさん、家事やってくれるってよ。

 え? 足が震えてる? いやこれアレだから。ハピファミダンスだからべつに震えてるとかそんなんじゃなからね?

 ……ああうん。結局ハピファミってなんだったんだろうなぁ。

 

  Q:ハピファミってなに?

  A:知らん。

 

 ともあれ家事開始。

 不安と不安と不安をごちゃ混ぜにしながら、今まで研究のためとはいえ好き勝手やってきたツケを払うかのごとく大学へ向かう俺を、由比ヶ浜は笑顔で見送ってくれた。

 ああもちろん部屋からは出ずにだ。誰が来ようと扉は開けないルールだ。だって、ここに住んでるって知られたら、知りたがり屋のお方達がうるさいし。

 “タイムトラベラー、未来に来た途端に同棲か!?”とか書かれてもさ、うざいだろ、実際。

 そんなわけで、たまに由比ヶ浜の様子を見に来る雪ノ下以外、ここに出入りする人といえばママさんくらいで、俺の平穏はまだ保たれていた。のだが。

 

  大学での用事を済ませ、戻ってきてみれば……部屋の中が見知らぬ場所だった。

 

 えー……なぁにこれぇー。え、えー……? あの、え? どうすりゃ数時間でここまで……?

 

「由比ヶ浜」

「は、はいっ」

「まずは基本を覚えろ。それと、“こうすれば絶対によくなる”は素人の迷信だ。それは熟練の主婦様方がそれまでの経験を活かして、ようやく成功するかしないかのギリギリのラインで生み出される偶然だ。素人は冒険しない。そんなことはオラリオの冒険者だって知っとるわ」

「おらりお……誰?」

 

 オラリオは人物じゃありません。

 ほれ、いーから最初から。

 つか、まず片付けから。

 

「うぅう……ヒッキー、あたしより片付け上手……」

「あのなぁ、どんだけ俺が一人暮らししてきてると思ってんの。お前のための研究を続けてきたとはいえ、小町たちに無駄な心配させないために、身の回りのことはきちんとしてたっつーの」

「…………そ、そか。うん、そっか」

 

 だから、なんでそこで───ああうん、そりゃいきなり“お前のために”とか言われりゃ照れるか。

 

「まあ、だからだな、あー……基本。基本から、な。ちゃんと教えるから覚えてけ」

「うんっ、一歩一歩だねっ」

 

 言いつつ、なんで人の服を軽く摘んでくるかね。

 やめなさい、えへー、って笑いながら見上げてくるんじゃありません。

 あのね、それ俺じゃなかったら完璧に惚れてるからね? なんだってこんな無防備なのこの娘ったら。

 頬をコリコリ掻きつつ、作業に戻る。

 あちこちを片付け、段々と見慣れた部屋に戻っていくカオスを見届けながら、ふと……小さな透明テーブルの上に広げられたまま置かれている雑誌に気づく。

 はて? なんだこの雑誌……って、あー……いつか一色が“缶詰状態じゃ息が詰まりますよ”って、無理矢理渡してきた雑誌じゃないか。

 菓子類の美味しい店だの、今時のなんちゃら~だのがいろいろ載っている、らしいもの。

 いや、よく知らんのよ。たまたま来た小町がちょいと読んでいったくらいで、あとは放置されてたし。

 それを恐らく、今あちらで片づけをしているミス・ガハマが読んで、開きっぱなしで忘れたと……ふむ? どんな記事を───

 

  これで完璧! 家デートの匠!

 

 ………………お、おう。

 え? うん? 同棲中のあなたは、家事を完璧にこなして、帰ってくる彼を温かく迎えてあげよう?

 帰る場所があると、彼はあなたへ深く心を許すようになり、たとえ外に出てたくさんのお金を浪費しなくても───

 

「………」

 

 この部屋が随分なカオスだった光景を思い出す。

 ……勘違いでもなければ、きっと必死だったんだろう。

 家デート云々を見ないようにしたとしても、自分に出来ることを探すため。

 きっかけなんてどうでもいい。なにか、自分に出来ることをと。

 過去でも未来でも、自分にできることなんて変わらないと、悲しげに言っていたこいつだ。

 思い返せばひどいもんだ。

 わけもわからず時間転移をして、戻ろうとしたってタイムマシンを作った事実がそれを許さず、“俺”が“俺”の前に現れていきなり“これこれこういうわけだからタイムマシンを作れ!”なんて言ったところで、当時の捻くれMAXコーヒーな俺が素直にそれを受け入れるわけがない。

 なんてこった、自分の性格で様々が破綻するとか真性のアホか俺。

 ともかく、そんな様々な理由の先で、こいつは……知っているのに知らない千葉で暮らすことになったわけで。

 

「……ん、ぁー……」

 

 少し、緊張。

 なにをするのか、はもう心に決めた。

 勘違いでもいいから、こいつの心を軽くするのは前提条件。

 んで、勘違いじゃなかったらハッピーエンドに絶対する。

 勘違いでもハッピーエンドまで持っていく。OKまるで問題ない。

 

「由比ヶ浜」

「んぁー? なに? どうし───ふやっは!? やばぁああばばばばななななんでその雑誌!? ちちち違うよ!? 家デートとかそういうのをしたいとか、そういうのじゃ───」

「勘違いじゃなかったら嬉しいってことで。もしお前に少しでもその気があるなら、俺の恋人になってくれ」

「な、く───て? ……え? あの───あ、聞こえてた! 聞こえてたからやっぱ無しとか無し! え、でも、あの……ゆきのんは?」

「へ?」

「え?」

「?」

「?」

 

 疑問符が跳んだ。そして飛んだ。飛翔した。やがて大空を自由に羽撃き、宇宙まで飛び、ブラックホールに飲まれて消滅した。

 

「由比ヶ浜、あのな。実はここ何年かで世界じゃいろいろあって、なんか近い内に少子化対策として、一夫多妻とかが認められるって話が出てるんだけどな」

「えぇっ!? そうなの!? へー……! ……あ、でさ? いっぷたさいってなんだっけ? 才能が一杯あるってことだっけ? いっぷ? どんな才能?」

 

 一人の夫が多才って意味じゃねぇよ。どんな夫だよそいつ。

 

「一人の夫と書いて“一夫”。多くの妻と書いて多妻。つまり、一人の男が何人も妻を娶っていいって法律が通されるかもって話だ」

「へー…………」

 

 あ、こいつわかってねぇ。

 へー、とか言いながら首傾げまくってるし。

 なのに「あれ?」から始まって、唸り始め、やがて「えぇえええっ!?」と絶叫。

 

「それって男の人とかいっぱいモテるってことじゃん!」

「そうじゃねぇよ馬鹿」

「ひどい!?」

 

 モテる法律とかどんなだよ。俺こそ知りたいわそんなの。

 

「とにかくだな。そういう話が動いちゃいるけど、好き好んで俺のところに来るヤツなんて居ないだろ」

「え……そ、そんなことないんじゃないかな。ほら、えとー……」

 

 言いつつ、とてとてと歩いてきて、きゅっと再び服を摘んでくる。

 耳まで赤い俯き顔が、やがて持ち上げられると……そこには目を潤ませた、期待を孕んだ顔があった。

 

「……いい、んだよね? じゃあ、その。遠慮とか、する必要……ないんだよね?」

「あの。俺が頼んでるんですけど? はい、俺の恋人になってください」

「なんか義務的だ!? も、もっとロマンチックな告白とかないの!? なんか冷静でやだよぅ!」

「研究研究研究で女ッけの一つもなかった俺に、どんなロマンチック求めてんのお前。大学通いのいい歳した、そろそろ卒業とはいえ、斜に構えた若造の告白なんざこんなもんだろが」

「うぅう……青春……」

「ぐっ……!」

 

 青春。空白の青春。

 それに、男からの告白というものが含まれているのなら、それを叶えてやるのが“絶対にこいつを救う”と研究に没頭した俺の務めであり、目標なわけで。

 ならば義務的ではなく、流れからでもなく……

 

「……あのな」

「うぅ……?」

「改めて、ってのはだな、その……めっちゃくちゃ恥ずかしいんだからな?」

「え……?」

「由比ヶ浜結衣さん」

「ふえっ、はっ、ひゃいっ!」

「~……」

 

 なんかもうじれったくて、きつく抱き締めて“いいから俺のものになってくれ”なんて言いそうになってしまう。

 大事に思ってなけりゃ、こっちだって自分の青春潰してタイムマシンを作ろうなんて思わないんだっつの! そこらへん空気読んでくれます!?

 

「もう、何処にも行かないで俺の傍に居てくれ。……もう、お前を失いたくないんだよ」

「…………ぁ……」

 

 目の前で人が消える、という光景を、何度も見た。

 雪ノ下が記憶喪失になるくらいのショックと光景を、何度もだ。

 もちろん頭部へのダメージもそれを手伝ったんだろうが、それも合わせてだ。

 雪ノ下の頭部に、爆発で吹き飛んだ破片が衝突、血が吹き出る、なんて光景だって何度見ただろう。

 それを見た由比ヶ浜が、普段じゃ出さないような絶望を込めたような悲鳴を上げ、消えていくのを何度見ただろう。

 もう、嫌なんだ。だから───俺はいつか振り返った。

 自分の人生ぶっ潰してまでする意味があるのか? と。

 心配する小町の声を置いて、楽しめる筈だった青春を捨てる価値は、そこにあるのかと。

 そこまで一生懸命になれる理由、ってのを探してみれば……なんのことはない。

 俺はただ、いつかの花火の日から見ないフリをしたままだった気持ちに、真っ直ぐに向き合う覚悟を決めただけだ。

 それが俺が無くしてから気づいたもので、もし助けられるのなら、“今度は俺から行くんだ”と決めていた決意。

 

「………」

「………」

 

 だから───

 

「………」

「……! ……!」

 

 あの。なんで潤んだ目をさらに潤ませて、はやく、はやくとばかりに何かを待ってるんでしょう。

 え? 今のじゃ足りんかった? え? 告白のつもりだったんですが?

 えー……青春の告白ってなに? なにが相応しい───あ。

 

  ふと、オラリオにお住まいの平行世界の比企谷くんを思い出す。

 

 次いで、オラリオといえば……と連鎖して思い出し、夢の中のベルくんがヘスティア様にした告白を思い出すに到り、あー……高校生で告白って言えば、そりゃなぁ、と妙に納得したのだった。

 つまりはこう……「ふえっ!? ひゃあっ!?」由比ヶ浜の傍に寄り、耳の傍まで口を近づけて“愛してるぜヘスティアァァ……!”と言えと。いやヘスティア言ったらたぶんこの娘ったら泣くわ。

 つまりは。

 

「……好きだ。愛してる。俺の隣に居てくれ───」

 

 してほしいこと、そうしていてほしいことを口にして、あとは、あとは───おお。

 神ヘスティアに曰く、こういう時には名前で呼ぶことと、敬称などはいらない……だっけ?

 

「───結衣」

「───、……」

 

 そんな思考に行き着いて、口にしたら、由比ヶ浜がへなりと膝から崩れ、ぺたんとカーペットの上に座り込んでしまった。

 慌てて屈み、目線を合わせて様子を見ると……赤い。赤いな、これ。すごい赤い。なんか単純な感想しか出せないくらい赤い。

 

「…………で」

「へ、や……? ひ、ひっき……?」

「あのー……遠慮する必要なんてないんだよねと言ってくれた由比ヶ浜さん? 俺、まだ返事をもらえていないのですが。あー、もしかして俺、フラれちゃ《がばーっ!》おぉわぁあああっ!?」

 

 フラれちゃったのかなー、なんて言葉が最後まで口にされることはなかった。

 急に抱きつかれ、屈んでいたこともありあっさりとバランスを崩した俺は、由比ヶ浜に押し倒されるかたちになり───目にいっぱいの涙を浮かべた笑顔の女の子に、そのまま告白をされ返されまくるという、逃げ場のない恥ずかしい状況を味わわされることとなり……なんというか、早速尻に敷かれる未来を垣間見た気がした。

 ……あ、ちなみにその日、ファーストキスを奪われました。

 

……。

 

 ……あ? そのあと? いや、そのあともなにも、特になんもないぞ?

 ほれ、あのー……ただやっぱり缶詰状態なのは辛いって話になって、変装してデートしようってことになったくらいで。

 でさ、ほれ、丁度その日に丁度いい場所があってな。

 まずは洋服店に行ってこいつのための服を用意して(運転は雪ノ下、服選びは小町に手伝ってもらった)、今はとある場所の前まで来ている。

 デートなのになんで雪ノ下も小町も居るんだって話なら聞かん。俺が逃げないように、というここまでの監視らしいから。

 ここからは本人同士でたっぷりデートを楽しんできてくれ、だとさ。

 そんな、「じゃあ帰りにどっか寄っていきましょうか雪乃さん!」とか言っていた小町を見送り……いや見送りさせなさいよ。なんで戻ってきてるのちょっと。

 

「結衣さん結衣さんっ!」

「うんっ、なになに小町ちゃんっ!」

「あれやりましょうあれ! えっとですね、合図したらこうやって、元気に……!」

「え? う、うん」

 

 なにをするつもりなのか、二人がこそこそと話し合い、楽しげに笑った。

 次の瞬間には結衣が小町の背後に並ぶようなかたちで、二人一斉に叫ぶ。

 

「東!」

「京!」

「「わんにゃんショォオオーーーーッ!!」」

 

 ……そう。今日は東京わんにゃんショーに来ております。

 ここなら何年かそこらじゃ変わらないだろうということで、思い出めぐりでもある。

 

「いや……なにそれ」

「っへへー、なんかしなくちゃいけないような気がして。まーまー気にしないのお兄ちゃん。それよか小町も雪乃さんも用事あるから行くけど、大丈夫?」

「おー、行け行け」

「うん。じゃあ結衣さん、お兄ちゃんのことお願いします」

「え? 俺なの? 普通逆じゃね?」

 

 男の言葉など右から左。

 こういうところはほんと溜まらんよなぁ……。

 しみじみ思う俺でした。



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第六話 心配の在り処

 予想はついていたが、まあ予想通りだった。

 

「ほらほらっ、ゆきのんゆきのーん!」

「ちょっ……待ってちょうだい由比ヶ浜さんっ……!」

 

 由比ヶ浜に手を引かれてぱたぱたと走っていく雪ノ下を、隣に立つ小町と見送る。

 一方の小町はといえば、「いいの?」なんて言って俺を見上げてくるわけだが。

 

「いーよ。ってーかあんま遠慮すんな。無理に二人きりにされてもほれ、こっちが戸惑う」

「とかなんとか言って、意識しだしたら二人きりだと間が持たないんでしょ。まったくほんとにお兄ちゃんってばお兄ちゃんなんだから」

「だからお兄ちゃんと八幡をダメな意識でひとくくりにするのやめなさい」

 

 思えば小町にも雪ノ下にも迷惑をかけた。

 雪ノ下は、あなたが必死だった理由もきちんと理解できないでいた分、むしろこちらが謝らせてほしいくらいだわ、なんて言っていたが、んなもん記憶がないんじゃどうしようもないでしょーよ。

 

「はー……でもほんと、見つかって……じゃないか。……連れてこれて、よかったね。あ、でも一応確認ね、お兄ちゃん。結衣さんって実際、お兄ちゃんが連れ攫ったから消えた、とかじゃないよね?」

「おう、それはない。なんたって実際見てきたからな。助けようとして何度も失敗して、どういった原因で消えるのかを調べたくて、なにもしないで見てた時がある」

「…………ごめん、お兄ちゃん」

「謝んなよ。俺だって飛び出したい気持ち殺しまくりながら、確認したことなんだ」

 

 由比ヶ浜が雪ノ下を突き飛ばして、その景色の中で由比ヶ浜は消えた。

 なにが原因だ、ってのはどうしてもわからなかったが、少なくとも俺が連れ攫ったから、という事実は一切なかった。

 そういったことをきちんと説明してやると、小町は「はー……なんか、お疲れさま、お兄ちゃん」と労ってくれた。

 

「でもこれから急に大変になるね。結衣さんの話じゃ、もうプロポーズしちゃったんでしょ? 恋人すっ飛ばして愛してるなんて、お兄ちゃんってばやる時はやるね~?」

 

 はっはっはっはっは、おいおい由比ヶ浜さ~ん? なぁんでもう宅の妹ちゃんがそんなこと知っちゃってるのかな~?

 デッドアイをギラリと開き、にこりと笑ってみせると、丁度こちらを見ていた由比ヶ浜がぴうと逃げ出した。……雪ノ下を引っ張ったまま。

 あ、なんか訴えてるけど無視されてる。あ、めっちゃ肩で息してる! やめたげて由比ヶ浜! その元部長さん死んじゃう!

 

「でも実際どうするの? バイトだけじゃ足りないでしょ、これからのこと」

「ああ、実はアテはあったりする。時間の旅の提供者に情報提供の許可は得てるから、タイムマシンの情報の一端を売ろうかと」

「……ねぇお兄ちゃん。それほんと大丈夫? 過去とか未来とか大変なことになったりしない?」

「基本的に過去も未来も変えられないんだとさ。変えたとして、それは俺達が居るこの時間とは一切関係がない。“過去を変えてやったんだから……!”って喜び勇んでこの時間に戻ってきても、前と変わらん今があるだけだ」

「じゃあたとえば、過去に戻った誰かがえっと……欲望のままに女の人を襲っちゃったーとかは?」

「過去に影響を与えすぎることをするとな、そいつ自身が異物と認識されて消される。居なかったことになる。つまりな、その相手に対してトラウマになるであおる可能性を予測された時点で、そいつは消える」

「…………お兄ちゃん、たしか雪乃さんに頭突きしたって……」

「どの道モノが飛んできて頭にぶつかるわけだからな、対して変わらんみたいだ」

「かなりグレーでしょそれ! 危ないことはやめてってばまったくこの兄はほんとにもー……!」

 

 まあ、ほんと危なかったのは確かだ。

 あの時は助けたい一心で、他のこととか考えてる余裕がなかったからなぁ……。

 一歩間違えれば俺も消えてたかもしれないとか、怖いわー……。

 

「あれ? じゃあ結果が似てるものだったら、それを別の誰かがなぞることが出来るってこと? ……じゃあ教われるのが確定してる人を、別の人が襲う、なんてことになったら」

「あのね小町ちゃん? お兄ちゃんそういう話はあまり深くツッコむべきじゃないと思うの。つーかな、情報提供はする。タイムマシンを譲るわけじゃない。OK?」

「あ…………うーわー、お兄ちゃんワルだねぇ」

「信じないヤツは無理矢理過去に連れてって、満足してもらうわ。なんだったら過去の犯罪やら事故やらの調査に役立てるのもいいかもしれんし」

「あ、それはほんといいかもね。ただそういう事件って一個や二個じゃないだろうし、家に帰る時間もなくなるかもだよ?」

「ここまでって時間は決めとくよ。仕事にかまけて恋人ほったらかしとか勘弁だ」

「へー……? へー、へー、へー? お兄ちゃんってそんな素直に自分の気持ち、口にする方じゃなかったのに」

「うっさいよほっときなさいもう。お兄ちゃんだって成長するんです」

 

 言いながらも見て回る。

 見ることの出来る動物はいつかとまるで変わらない。

 俺だって久しぶりに来るそこは、“必死”になっていたためにもう何年も来てなかった場所なのに……つい昨日のことのように、来ていた日々を思い出させてくれた。

 

「……悪かった。迷惑かけた」

「ん……どったのお兄ちゃん、そんな急に」

「言いたくなった。見てられなかったよな、実際周りには変人とか言われてたし」

「いいよそんなの。お兄ちゃんがヘンなのは昔からだし」

「あれ? ちょっと小町ちゃん? お兄ちゃん今とっても傷つくことを言われた気がしたんだけど」

「それでもそんな変人呼ばわりを、成果に変えることをこれからするんでしょ? じゃあいいじゃん。お兄ちゃんはちゃんと、やらなきゃいけないことをやってみせて、少なくとも小町や雪乃さんや、なにより結衣さんの両親を笑顔に出来たんだから」

「小町……」

「ほんと、相変わらずやり方はアレだけど、結果だけはちゃんと出しちゃうんだからなぁ、うちのお兄ちゃんは」

「おい。そのアレってなにちょっと。詳しく聞かせて小町ちゃん」

「んー? 自己犠牲の部分が大きいってこと」

「…………犠牲だなんて思ってないんだから、しゃーないだろ」

 

 その気持ちはいつだって変わらない。

 人が笑顔になるくらいの出来事を、犠牲の一言で片付けられてたまるか。

 出来ることがあったからやっただけだ。

 その出来ることをやらない人が多いだけだ。

 踏み込めば出来ることだったのに、踏み込まずに無難を選ぶ人ばかりだったってだけだろう。

 

「ほんとに? 誰だって過去に行けた? タイムマシンを作って?」

「───あ、無理だわ」

「でしょ」

 

 いや、そうじゃないのよ小町ちゃん。

 たぶん相手が骨な時点で、俺じゃなきゃ交渉は無理だったと思うの。

 てかあの次元まで繋ぐことなんて無理だっただろう。

 つまりは……はぁ、その、なんだ。…………俺じゃなきゃだめだったかも。

 けどこれだけは信じてほしい。そっちの方向を向くことくらいは、必死に研究することくらいは出来たと思うのだ。

 それをせずに“消えてしまって残念でしたね”なんて言って、やがて忘れてしまうのは……そんな関係はごめんだって思ったのだ。

 

「ほーれほれほれ」

『ひゃふ』

 

 犬スペースで犬を愛でながら、苦笑をもらす。

 隣で小町も別の犬と遊びながら、八重歯を見せつつけらけらと笑っていた。

 

「小町はさ」

「ん? なに、どったのお兄ちゃん」

「小町は……あるか? 後悔した場面とか、見てみたいあんな状況そんな状況とか」

「んー……ある、かな」

「ほーん……? たとえば?」

「お兄ちゃんがサブレちゃんを助けるところ」

「そか。俺はお前が由比ヶ浜からお詫びと一緒に貰った菓子を食ってるところを見たいわ。お前ね、あの時お前がきちんと俺に“あの時の女の人が謝罪に来て、菓子折り置いてったよ~”とかきちんと伝えてくれてりゃ、俺達の関係ってあそこまで複雑になってなかったんじゃねぇの?」

「うわー……今さらそれを出しますかお兄ちゃん。確かにあれは忘れていいことじゃなかったけど」

「それで“助けてもらって謝罪に行かなかったー”とか噂されたら、もう人とか信じられなくなるじゃないの。お前ほんとそういうところだよ? モノ食ってお前は満腹満足かもしれんけど」

「うん、美味しかった」

「………」

「……ごめん、さすがに冗談」

 

 でも美味しかったのね。

 

「けどさ、今お兄ちゃんって結衣さん結衣さんばっかだけど、雪乃さんのことは? 本人に真っ直ぐに“俺が居る”とか言ったんでしょ?」

「………」

 

 おーぃいい……だからなんで小町が知ってるの。

 ちょっと雪ノ下? 雪ノ下ー?

 

「実は病室の前で聞いてました。お見舞いに来たらお兄ちゃんも居るんだもん」

「一緒に来ればよかっただろ」

「二人きりで話したかったしね。で? 大丈夫だ、俺が居る、は? 今どうなってるの?」

「なんも変わらんだろ。あの頃は医者にも支えになってやってくれって言われてたし、雪ノ下さんからもだった。雪ノ下が由比ヶ浜のことを忘れてたって、あの人にはなんの不都合もないだろうに、俺に言ってきたんだ。それで無視するほど薄情じゃねぇよ、お前の兄ちゃんは」

「陽乃さんが? 意外……でもないのかな?」

「知らん。てかわんにゃんショー堪能しに来たのに、なんで話すことがこんなんばっかなの。もっと堪能するぞ堪能」

「ま、そーだよね。じゃ、お兄ちゃんは犬スペースの制覇よろしく! 小町は猫を制覇してくるから!」

「え? これ制覇とかそういう問題なの? 俺猫スペース行っちゃだめってこと? 小町ちゃん? おい小町ー!?」

 

 ……行ってしまった。

 まじか、猫スペース結構楽しみにしてたのに。

 

「…………だからヘンに気ぃ回すなって言ってんのに」

 

 頭を掻きつつ、雪ノ下とは分かれたのか一人で犬と戯れる恋人を発見。

 まずはどう切り出したもんかと話題を探しつつ、なんだか妙に緩む頬を隠すようにして、恋人のもとへと歩くのだった。

 過去も未来も見たことない場所のことなんてわからないこの世界。

 でも……まあ。わからんでも、知ろうとする努力は出来るわけで。

 ならその過程を楽しんで、やばいことにはそわそわして、そうしていろんなことの所為で躓いちまった青春を、今からでも取り戻せていけたなら……いつか、きちんと清算できるものも出てくるのだろう。

 それは、なくしてしまった時間って意味でも、逸らしっぱなしにしていた目や気持ちって意味でも。



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最終話 彼ら彼女らの【Re:未来】

 愛してる、なんて先に言ってしまうと、続く言葉が浮かばない。

 どこぞのビスケットなオリバさんも言っていたが、愛以上に表現できる好意は何故存在しないのか。

 愛がカンストじゃあ、それ以上なにを届けていいかわからん。

 そうなるともう落ちていくだけなんじゃね? やだもう辛い。

 大体だな、花のJK捕まえて愛してるとか……俺もう20過ぎだよ? そりゃまだギリで大学生だけどさ。

 

「なぁ、由比ヶ浜」

「…………」

「……、ゆ……結衣?」

「うん、なに? ヒッキー」

 

 犬スペースで犬を堪能している結衣・オヴ・ガハマさんは、柴犬を撫で撫でして───そのたびにべしりべしりと手を叩き落されていた。

 あー、居るわー、頭撫でるとその手を叩き落す犬、居るわー。

 そんなことをぼーっと思いつつ、なんかヤケに朝から無駄にテンション高かったこいつを思うのだが……はて。

 

「お前さ、よかったのか? いや、こんな未来に連れて来た俺が言うのもなんだけど、そりゃ、ほれ、高校時代にお前からのいろいろなもの、見ないフリとかしてた俺だけどさ」

「それってヒッキーでよかったのかってこと? んー……逆に訊くけどさ、ヒッキー。ヒッキーはどうして自分じゃダメって思うの?」

「そりゃ、だって。結局俺、罪悪感でしかお前の事探してなかった。口ではなんとでも言えるだろうけど、結局はそういうことだろ?」

 

 後味が悪いからだとか、悲しむヤツが居るだとか、理由だけならいくらでもつけられるんだ。

 俺はそこにある結衣の気持ちを……ようするに高校時代に俺のことが好きだったであろう結衣の気持ちを利用して、受け入れてもらったにすぎないんじゃないかと。

 そういうこと考えちまうと、ほら、だめだろ。俺でよかったのか、が……こんな俺じゃ無理だろに変わるわけだ。

 

「……ね、ヒッキー。あたしね? きっかけって、なんでもいいんだって……今ならそう思うんだよ」

「今なら……ってのは?」

「あたしだって罪悪感でヒッキーのこと見てた。そりゃさ、最初は小町ちゃんに菓子折り渡して、よろしく言っておいてくださいーって感じで別れてさ? でもやっぱり本人に謝らなきゃってどうしても思うし、でもそんな何度も行ったら鬱陶しいって思われるかもでしょ?」

「まあ、そうな」

 

 俺なら絶対にそう思ってたわ。むしろ出会ったその日に“あー、はい、でぃょ、ども、です。受け取ったんでそのー……もう来なくていっすよ”みたいな感じで。

 や、事故ってばっかだったらそこまで腐ってないだろうけど。

 じゃあまた来てくれるかもってわくわくして待つか? いや、ないだろ。どうせ勘違いするな勘違いするなって思い込んで、言わんくていいこと言って相手のこと傷つけて、小町に怒られるのがパターンだ。

 はっずいわぁああ……!! 中二病もだけど、高二病はっずいわぁああ……!!

 なにあの自分が背負えばなんでも解決、ヘイト俺に集めりゃ周りは勝手にハッピーエンド思考……!

 

「それでもさ、勇気出して会いに行ってさ、顔も見たくないって言われて追い出されるかも、なんて怖がりながらでも、会ってきちんと話すことくらい出来たはずなんだ」

「……そのための一歩が、あのクッキーだったってだけだろ。受け取ったし、恨んでもねーよ。まあ、不味かったけど」

「……うん。あたしにはそれが、ヒッキーのことをちゃんと知ろうとしたきっかけだったんだと思う。遠くから見てたんじゃわかんないことも、先に謝ってたら会うこともなかったかもしれない人のことも、全部あれがきっかけだったと思うから。ううん、思いたいんだ、あたしが」

「そんなもんか?」

「うん、そんなもん。最初は平塚先生に相談して、奉仕部を紹介されてさ? 生徒に生徒の悩み相談とかおかしな話だなーとか思ってもさ、あたしはあそこで出会えたから。周りに合わせてばっかだったあたしが、自分から“こうしたい!”って行動して出会えたものだから、大事にしたいだけなのかもだけど」

「なるほど、それなら“そんなもん”なのかもしれないな」

「そうだよ。きっかけがなんでもいいなら、決めるのはあたしなんだ。ヒッキーはどう? 罪悪感だけじゃ、踏み出せなさそう?」

「………」

 

 踏み出したかって言えば、とっくに踏み出せてはいるんだろう。

 ただ自分に自信がないのは相変わらずで、自分が持っていたもので何かを為す、なんてことが出来た日々なんて、もう置き去りにしてきてしまった。

 孤独を強さにしていた自分はいつの間にかそれを手放し、だからこそこいつの痕跡や雪ノ下が無くした記憶を求めたんだろうから。

 強さを手放したなら弱くなったのか? と訊かれれば、迷わず頷けるほどには、大事なものが増えてしまった。

 

「ね、ヒッキー。“きっかけの一歩”なんてさ、時間を飛び越えることなんかよりよっぽど簡単なんだと思うよ? 消えない罪悪感だって、人を見るためのきっかけだったんだもん。ヒッキーがタイムマシンまで作って助けてくれたみたいに、想ってくれる理由がそこにあるならさ、全部そこからだったんじゃないかな」

「……それは」

「ヒッキーは……その、えと。あたしとゆきのんを助けてくれた時、どう想ってくれたのかな。部活仲間を助けられてよかったのか、それとも───」

「知り合いだとか、部活仲間だとか……そんなんじゃなかったよ。お前らを助けられてよかった。それだけだった」

「………………ひゃう」

 

 正直な気持ちをぶつけてみれば、由比ヶ浜は声をなくしたあと、かああっと赤くなって、俯いた。

 

「でも、じゃあ、どうして? って……訊いていい? ヒッキーはどうして……ゆきのんじゃなくて、あたしを選んだの?」

「………」

「え? あ、ちょ、ヒッキ《でごしっ》はたっ!?」

「選んだだのなんだの、そういう言い方やめろ。何様だよ俺は」

「~……?」

 

 好きになったから好きになって、好きだから告白した、じゃだめなのかよ。

 なんだっていっつもいっつも、周りってのはそうやって人の気持ちを二の次に、あっちはどーだこっちはどうするだのって言い出すんだか。

 

「確かにな。罪悪感を覚えたのは、なにもお前にだけじゃなかったよ。さっきだってお前に“俺でよかったのか”なんて訊いちまったし、あの日、お前ら二人をすぐに帰すんじゃなかったって後悔だって、何度したかわからない。人の気持ちから目を逸らしたままでいる罪悪感や、いつか守ってと言われたのに守れなかった罪悪感。後悔なんて腐るほどだ」

「う、うん……でも、じゃあ……どうして?」

「雪ノ下には罪悪感があった。お前には、お前から向けられてた気持ちがあった。……その差なんじゃねぇの? 選ぶだとかそういうのじゃねぇんだよ。選択肢なんてものは、過去へ飛んで絶対にお前を見つけるって決めた時点で、決まってたんだろうから」

「でも、でもさ、それって結局選んだって意味じゃ」

「選んだんじゃねぇよ、決めたんだ。そうしたいって自分で決めて、自分の人生捧げるつもりで。他の道なんて思い浮かばなかったんだ、それは選んだとかじゃねぇし、その……ほら、あれだ。だから……」

「…………“だから”……?」

「~……お前に告白したのも。そういうことってこったろ」

「…………」

 

 ……言った途端、ふぇ、なんて可愛く小さな声が漏れて、件のJKがとてとてと近寄ってきて、きゅむと腕に抱きついてきた。

 俯いている所為で表情は見えないが、赤かった。耳とかアレな、真っ赤っか。

 なのに、どこか違和感を感じた。

 

「あ、あの……あの、ね? ヒッキー。ちゃんと受け取ったから、撤回とかなしなんだけどさ。その……あ、あたしってさ? ほら、ヒッキーがいうところの……ばか、なんだよね? だからさ、その、えと……さっきの言葉の意味、ちゃんと伝わるように言ってほしいな……」

「───」

 

 勉強好きな人は、難題に向かうと心が躍るんだとか聞いたことがある。

 俺はといえば、時間跳躍やらなにやらを調べる時、もっと楽ならいいのにとどれだけ思ったかわからない。

 さあ、そんな次元考察を唱えるよりも難しいお題を、この恋人さんたら要求してきなすった。

 お前そういうこと言う? 言っちゃうのん?

 いや、たしかにああいうところをぼかすのは、大変よろしくないことだってのは“これで解決! 恋人マニュアル!”を読んで知っていたつもりではあったんだが。

 

「……お前のために人生捧げさせろ。いっぱい幸せになれ。俺がしてやるから」

「…………!!」

 

 結衣が思わず顔をバッと上げるほどの驚き、そして感激がそこにあった。

 対して、俺の中ではやかましいほどのファンファーレ。

 何故って、今この状況での緊張の中で、よくぞ噛まずに言えましたパレードの真っ最中だからである。ほんと締まらないね、俺達……。

 そんな俺へと、顔は喜んでるくせに、なにかをぐっと飲むような感じで呼吸を整える結衣。

 やがて腕をするりと離すと、……笑った。どこか無理をした顔で。

 

「そ、そっかそっか! ヒッキー、あたしのこと幸せにしてくれるんだー!」

「……? 結衣?」

「でっ……でも、さっ! あた、あたしはもういっぱい、いっぱいいっぱい助けてもらっちゃったし、さ。これ以上は……あたしは……」

「おい、なに言って───」

「あたし、今の言葉で十分だからさ……! もう、いくらだって元気でいられるからさっ! ちゃんと、みんなが望むみたいな“あたしらしいあたし”で居るからっ、だから───!」

「………」

「やっぱりさ、ダメだよ……。今まで居なかったくせに、おんなじ時間を過ごしてもいないくせに、急に出て来て、幸せだけは貰う、とかさ……! あ、あたし、そんなの、~……あたし……!」

 

 違和感の理由はこれか。朝から無駄にテンションが高かったのも、距離が合ったのも、距離が詰まれば必要以上にくっついたのも、全部。

 なら、こっちも言いたいこと言わせてもらおう。

 

「……おー、そかそか。んじゃ、あれだ。別れよう」

「……!!」

 

 言った途端、一瞬にして表情が絶望へと変わり、しかしすぐに表情を戻すと、笑おうとして……、……成功した。笑ってみせた。

 

「で、きっかけは自分で決めていいんだったな。今ので罪悪感以外にもいろいろ湧いたわ。絶対にお前を俺の隣で幸せにする。笑わせまくる。泣くなら幸せの涙───って、こういうフレーズってもう安っぽく聞こえるから困るな」

「ひ、……ひっきぃ……?」

「いきなりプロポーズはなかったな。恋人から始めさせてくれ。てか始める。異論は聞かない」

「え、え? あ、の……ヒッキー? 怒ってる……?」

「怒らないと思ってたんならお前、人のこと甘く見すぎだ。あのな、そりゃお前が自分で望んで自分でここに飛んできたってんなら、急に現れてなんのつもりだって文句のひとつも出るだろ。けどなんだ? お前は原因不明の事故で消えたってだけで、この時代にだって俺が連れて来ただけだろが。なに、お前この時代じゃ幸せになっちゃだめなの?」

「そっ……そんなことないっ! あたしだって……」

「で。俺は、その幸せを俺がお前にあげられたらって思ってるんだが?」

「~……やめ、やめてよ……そんなこと言われたら、あたし……せっかく、いろいろ飲み込んで、行ってくれたら笑顔で見送ろう、って……。だってさ、普通……できないよ? あたしの記憶なんて消えてるのに、ゆきのんからしてみたらおかしなことを言い出して、周りからも変人呼ばわりされちゃってるヒッキーのこと、支えるなんてこと……そ、それってさ、つまりさ、それだけ───」

「だから譲るってか。…………」

 

 深呼吸をひとつ。

 そして、何を言われるのかと震えながら、怯えるように俺を見る結衣に向けて、

 

「……人の気持ち、もっと考えろよ」

 

 かつて自分が言われたことを伝えて、その頭頂にげんこつを落とした。

 ごすんっ、と。相当痛そうな音が鳴った。

 

「!? !?」

 

 もう混乱と涙の乱舞である。

 両手で頭を押さえながら、目は涙で濡れまくり、けれど頭の中は混乱でいっぱい。

 

「ガキが一丁前に悲劇のヒロイン気取りなんてしてんじゃねぇ馬鹿野郎。そんなのはな、青春じゃなくてただの後悔にしかならねぇ独りよがりだ。友達だから? 親友だから? 大事な人だから好きな人だろうと譲る? ふざけんなよお前、お前そんなことしたくて高校通ってたのか? それがお前の青春ってか。違うだろうが」

「ひっ、ひぅう……! でも、でも……!」

「考えることはそりゃあいっぱいあったんだろうさ。それこそ、自分の所為で俺の青春をタイムマシンのことで縛っちゃったとか、そんなところだろ。けどな、自分の所為でだの自分が居なければだの、自惚れんな馬鹿。俺は俺が決めて、俺がそうしたいからこうしてここに立ってんだ。目の前にお前が居るのだってその結果だし、告白したのだって考えが纏って、お前を幸せにしたいって思ったからだ。きっかけがどうのの考察はあんがとさん。でもな、お前が。よりにもよってお前が、人の気持ちを無視すんな」

「だって…………ゆきのんはずっとヒッキーと一緒に居て……。それなのに、急にこの時代に来たあたしが……」

「……。その結論とか雪ノ下の気持ちとかはまあとりあえず横に置いてだ。お前それで、親友に“ゆきのんは親友だから、ほんとは泣くほどヤだけどヒッキーあげるね”とか言われて、あいつが喜ぶとでも思ってんのか?」

「~……最初は、ヤかもしれないけど……」

「いつかは受け入れられるってか。あー……そうだなー、そうかもなー。ところで俺、そういうことを言う青春女子高生とかに一言言ってやりたかったんだけどな」

「あ、ぅ……な、なに……?」

「あ、どうもー、結衣に紹介されてあなたのもとへ来た元結衣の恋人のHですー。あなたが結衣の親友さんですかー、どうもー。……俺結衣が好きなんでお呼びじゃねぇからとっとと帰れ」

「───!? ───!?」

 

 おどけた調子で言葉を並べ、最後にきっぱり。

 あれほんっとわかんないんだよなー……いやさ、女同士キャッキャウフフで譲る譲らない言ってるのはいいよ? うんいい。

 でもさ、あれほんと、男の気持ちとかちぃいいいいっとも考えてないよね。

 女同士で譲り合ってユウジョウ! いいと思います。で、男はキミらのなに。女の皆様ってそういう時、○○くんはあなたたちの所有物じゃない! とか言ってくれたことあったっけ。

 モノ扱いするなー、とか言ってみてほしいわ。

 

「さて、結衣?」

「ひゃ、ひゃいぃ……!」

「お兄さんなー、こういう場面で選ぶだの譲るだのって、青春じゃないってきっぱり言いたい派なんだ。青春で人をモノ扱いとか冗談じゃねぇし、“俺こっちのが可愛いからこっち好きなるわー”とか、それこそふざけんなだろ。お前なに? それでも選ばれたい? 好きな相手にジロジロ見られて、“よしっ”とか手ぇ叩くのと一緒に言われて、“俺こいつに決めたわ”とか言われたい? ふ・ざ・け・ん・な・よ?」

「~……ひっきぃ……でも」

「青春恋愛大いに結構。けどな、んなもんは好きなやつと好きなやつがくっつきゃいいだけの話だ。いきなり大好きな相手に親友紹介されて、そいつを好きになれ? 恋人になれだ? 誰かのために人生捧げる相手にそれをやろうとする覚悟、しっかり持った上でやろうってんなら、抜かれるのが度肝だけで済むと思うなよ……!」

「でも……! だって……! ヒッキーにはわかんないよ! こうしてこの時代で生きていこうって決めて、頑張ろうって思っても、あたしにはなにもないんだ! 家に帰っても、おんなじなのはあたしの部屋だけだった! 掃除はされてるけど、何年もそのままでおかれたあたしの部屋があるだけで、ママもパパもやせ細っちゃってて! 街歩いたって変わっちゃったものばっかりで、あたしだけがそのままで……!」

「………」

「あたっ……あたしだって、みんなと一緒に……ゆきのんとヒッキーと一緒に、三人で卒業したかったよ! 会う機会が無くなっていっても頑張って時間作って、あの頃あんなことがあったねーって、なんでもないことで笑いたかった! あたしにはそんな思い出もないの! 急にここに来て、あたしが知らない時間ばっかりがあるだけだ! あたしだってやだよぅ! あたしだって幸せになりたい! でもなんもないんだよ!? 一緒に居ても迷惑になるってわかってる! 何度考えても生きることだけで足引っ張ったりするってわかってて、それでも一緒に居てなんて……言えるわけないじゃん!!」

「結衣……」

 

 涙をぼろぼろと流しながら、結衣は叫んだ。

 きっとこの時代に来てからたくさん悩んだであろうことを、今まで口にしなかったことを。

 

「元のあの頃に戻ったって、一緒に卒業出来ない……! 会うことだって出来ないし、手紙でさえ出せない……! 違うよ……あたし、こんな時間を歩きたくて頑張ったんじゃない……! あ、あたしっ……あたしはっ……!」

「───だったら」

 

 泣き顔を隠すこともせずに、俺を真っ直ぐ見て気持ちを吐露する結衣に、俺も本気で向かい合う。

 だったら、と口にし、しゃくりあげている彼女の目を真っ直ぐに見返して。

 

「だったら、ダメだとかあたしなんかじゃとか思う前に、我が儘になってみろ。全部、ぶつけてみろよ。お前の人生だ、言ったでしょーが、遠慮すんなって」

「~……でも……」

「ほんとに友情だとかを謳いたいならな、まずは全力でぶつかってけよ。お前ばっかが遠慮して一歩下がる関係のどこが親友なんだよ、友情なんだよ」

「だって……ゆきのん、絶対にわがままとか言わないから……だから」

「そのやり方は間違いだ、ばかもん」

「《ゴスゥ!》んきゅう!?」

 

 潤んだ瞳の恋人の額に、熱いキスではなく熱い頭突きを進呈。

 結衣さん、口を開けたまま涙流してガタガタ状態。

 いや、な、ほんとね、こいつはもっと我が儘になっていいと思う。

 もちろん自分の気持ちに対してであり、我が儘ってのはこいつが、自分のために俺に雪ノ下を好きになれとかそういう方向のものではなく。

 そんな結衣の頭にぽすんと手を置いて、拍子に肩をすくめ、目をぎゅうっと閉じ、口も閉じたこいつに、迷うことなくキスをする。

 途端に目を見開いて離れようとす───あれ、離れない。あ、ああまあいいや、離れようとする結衣を抱き寄せるつもりだったんだけど、離れないからそのまま抱き締めた。

 溜め息ひとつ、結衣の顔を自分の胸に埋めるように抱いて、その頭をぽんぽんとやさしく撫でてやる。

 

「“綺麗なもの”を理由に、自分の願望を諦めるのはやめろ。そういうのは他人から見れば綺麗であっても、本人にしてみりゃいい迷惑だ」

「ぐすっ……う、うん……」

「自分じゃなく誰々との方が相応しいからとか、んーなこと考えるのもやめろ。てかマジでそれを好きな相手にされる人の気持ち考えろ。俺も今、あの修学旅行のこと思い出して、まさに痛恨なり状態だから」

「うん……」

「改めて俺の恋人になってください」

「うん……───ふえっ!?」

 

 はい確認とりました。

 言質も十分です。

 やだもう愛してる。

 そうして、もはや離さぬとばかりにぎうーと抱き締めてやると、もぞり、もぞもぞと躊躇するように動いていた結衣がやがて……こちらに負けないようにするみたいに、ぎうーと抱き締めてきた。

 それを感じられたらね、もう……安心が心を支配して、安堵の溜め息とかめっちゃ出た。

 出た……途端、周囲からはパチパチと拍手が……え? なに? え? 拍手? なんでいきなり拍手?

 

「幸せにしたれよー!」

「やっべ俺ってば犬見に来たのにドラマ見ちゃったっつぅかぁ! これマジやばくねー!?」

「こんなのほんとにあるんだー! わー、すっごいの見ちゃったー!」

「ほっほ……ワシも若い頃はのぅ……」

「うーわー……ていうかなにやってんですかこんなところで青春らぶらぶ劇場とかありえないです常識ないですごめんなさい」

「くぅうう……! わ、私だって相手さえ居れば……相手さえ居ればー! ~……結婚したい……!」

 

 え、やだなにこれ! 気づけばいろんな人に囲まれてる!

 しかもその誰もが拍手したり感想述べてきたりと……! いや求めてないから! そんなの求めてないからやめて!? 思い返すと恥ずかしいことしか言ってないから!

 ───! あ、小町たすけて! なんか今とんでもないことに───AhHAHAHAa、ヘイシスター、そこでサムズアップは違うんじゃないか? いや助けてってちょっと! 雪ノ下も! 見てたんなら───あ、ぁ、あー……うん、まあ……そうな。

 親友だと思ってる相手の告白劇場とか、こっぱずかしくて見てらんないよね!

 いやぁ~ごめんごめん………………マジでごめん……。

 もし自分がやられたらとか思ったら、笑えないわ……。

 ほら、たとえばちょっと用事があって職員室とか行ってみたら、なんか凛々しい男のお方と平塚先生が……とか。あ、だめ、見てらんない。

 ゆっ……結衣? 結衣ー……!? 

 とにかく移動だ。こんなところに居たら、ずぅっとネタにされそうだ。

 ていうか知ってる声が聞こえた気がしたんだが……大丈夫だよな? 大丈夫か、俺もう知り合いとかほぼ居ないし。

 で、移動しようとしてるのに、ぎうーと抱きついたままぐすぐすと泣いちゃっている恋人さん。

 まあ! 結衣ったらいけない人! あのごめんなさい!? 怒ったり叱ったりして悪かったからとりあえず歩きません!?

 いやほら、こうまでしっかり抱き締められてると歩けないっつーか、なんか無意味にSUMOUになりそうな気がするしさ。

 

「~……とにかく。やりたいこと話したいこと知りたいこと、なんでもまず言ってみろって。俺が全部叶えてやるから。出来ないことはそりゃああるけど、努力する気概くらいはいい加減、身についてるから」

 

 人ごみを掻き分けるように歩き、頬を掻きつつ言ってみる。

 と、早速なにかあるのか、結衣は俺を見上げてきて───

 

「……18歳で結婚したい」

「おうわか───」

 

 そう、仰った。

 あとは“った”で約束される俺達の未来は、果たしてこれからどうなるのやら。

 いやあのー……ちょっと急ぎすぎじゃね? ほらさ、もうちょい恋人気分とか味わいつつ、お金溜める方向から、なんというかそのー……。

 

「……? ヒッキー、お金のアテはあるから大丈夫だって、小町ちゃんからメールきたよ……?」

「………」

 

 笑顔で小町にメールを送っておいた。

 オレサマ、オマエ、ブッ血KILL。

 すぐさま謝罪メールが来たけどほんといい加減にしなさいよ小町ちゃん。

 お兄ちゃんそんなお節介、本気でありがた迷惑だからね?

 

「それにさ……もう……えへへ、ヒッキー以外とか考えらんないや。だから、毎日が幸せじゃなくてもいいんだ。大笑いできなくてもいい。たださ、一緒の時間作って、小さなことで笑ってたいな。あたし、結構嫉妬深いよ? ゆきのんが誰か別のコと話してるのもヤなくらいだから、きっと旦那さんとかすっごく大事に思う。だからさ、ヒッキー」

「……、おう」

「……あたしの時間。もらってあげてください」

 

 そう言って、涙の残る顔で笑ってみせた。

 俺はそれに対して───

 

「いけっ! そこだにーちゃん! ぶっちゅぶっちゅ!」

「お前そこまで来てヘタレんなよ! 諦めんなよ……諦めんなお前!!」

「あんれー!? ヒキタニくんもわんにゃんショー来てたっぽい系ー!? いんやー久しぶりじゃねー! っつかうわっ、あれっ? っべー! 告白劇場の現場ってやつ!? こぉりゃ応援するっきゃねぇでしょー!」

「……とりあえずアレですね。知り合いに片っ端からLIME送っときましょうか、画像付きで」

「私だって……私だって出会いがあれば……!」

 

 ───対して……って、言わせなさいよちょっと!

 なんなのお前ら人の一成一代の勇気の見せどころに!

 ああいや、違う、な。違う。誰が居るからとかじゃない。

 俺が相手の気持ちを受け止めて、どう答えるかだ。

 それでいい。それでいいなら───

 

「おう。んじゃあ、お前には俺の時間の全部をやる。面倒くさい男だけど、よかったらよろしく頼む」

「ん、ほんとだね。めんどくさいとこばっかだ、あたしも、ヒッキーも」

「……だな」

「うん」

 

 だから、と。

 俺達はその面倒くさい性分を互いに支え合って、時に足を引っ張り合い、それでも支え合おう。

 同じ時間に生きているからこそ出来ることを、呆れるくらいに楽しみながら。

 

「じゃあ、まずはなにからだ?」

「ゆきのんに、せんせんふこくしてくる!」

「おう。……え? お、おう?」

「で、ゆきのんのこともすっごく好きだって言ってくる!」

「………」

 

 結婚前から女性に浮気しそうで怖いです。

 まあさすがに冗談だが、なんて思っていた俺のスマホにメール。

 見てみれば材木座で、内容は……俺と結衣とのやりとりが動画でアップロードされている、とのことで。

 

「…………」

 

 タイムマシン使おうかしら、なんて、早速これからの未来が怖くなった。

 ま、まあ使わないけどね。八幡強い子、挫けません。

 と、本当に走っていってしまった結衣を慌てて追いかける俺は、いろいろと問題も出てくるだろうことを想像してみているというのに、顔は勝手に緩んでいた。

 楽しかったんだと思う。困難や面倒ごとにぶつかる度に、いつかの高校生活を……奉仕部での活動を思い出したから。

 

「なんだ。結局俺だって───」

 

 あいつらともっと、青春がしたかったのだ。

 最初から罪悪感だけじゃなかった。

 そんな事実に純粋に笑いながら、駆け出した。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 わんにゃんショーに行った日から、しばらく経ったある日。

 いい加減、タイムトラベラーYUIの話も世間から薄れてきた頃のことだ。

 結局俺達は元のサヤ……と言っていいのか、恋人同士で同棲中、な関係に戻り、けれども前よりも近い位置で笑い合っている。

 仕事は……ほれ、前に言った通り、タイムマシンのことを発表して、過去に飛んでは事件などの解決に協力、なんて仕事をしている。

 もちろん匿名性は絶対に守ってもらい、俺が俺だとバレる危険や、結衣に危険が及ぶことがないように、というのを前提条件として。

 稼ぎは……正直ヤバイくらいもらってる。大丈夫かこれ。

 そんな心配を抱きながらの、日常の1コマにて───

 

「あ、ほんとだ、ニュースでやってる」

「んー? 結衣の噂のことかー?」

「ううん? じゃなくて。ほら、前に八幡が言ってたさ? 少子化対策の法律の改正の話」

「ああ、あれか」

 

 あれから大分マシになってきた、恋人の手料理を食べ終え、片付けくらいはさせてくれと俺が食器を片付ける中、テレビを見ていた結衣が興味深そうな声調で言う。

 え? なに? もしかして俺とは別に男が欲しいとか? やだやめて? 俺そいつのことキルしちゃいそう。

 

「ねぇ八幡」

「おー」

「この法律が通ったらさ」

「おー」

「ゆきのんとかいろはちゃん、ここに来るかな」

「……んあ? え……待て、なんでだ? マジでなんで?」

「んー……なんとなく、かな。女の勘」

「おーそかそか。んじゃあ男の勘な。ないわ」

「そっかな」

「来たところでなにをするっつーのよ。多妻でもいい、なんてやつならまず、葉山のところあたりにでもいくんじゃねぇの?」

「うーん……ないかなぁ。ほら、隼人くんとか確かに女子に人気あったけどさ? じゃあ、八幡から見て隼人くんてさ、一人一人を大事にしてくれそう?」

「………………ないな」

「うん。だよね」

 

 もしそうなら、高校時代にあんなことになってないわ。一人じゃなくみんなを、それも自分の居心地のいい場所のために、みんなを守るのではなく利用した、とも取れる行動だった。

 それを考えればなるほど、女の勘すげぇ。

 

「じゃあ尚の事、ここに来るヤツなんて居ないだろ」

 

 既に炬燵になった、元透明テーブルに足を突っ込み、その温さにはふぅと息を吐く。

 

「んー……ねぇ“ヒッキー”……? 自分にとって、ほんとに傍に居たいなって思う人って、しばらく近くに居るとね? 結構わかっちゃうもんなんだよー……?」

 

 薄く笑って、炬燵の上に寝かせた両腕に頬をうずめるようにして、結衣が俺を見る。

 俺はといえば、そんな相手に頬杖をついたまま軽く笑い、俺に限ってはないわと返す。

 

「じゃあ、ほんとに来たら?」

「おう、男の甲斐性ってものを見せたりましょう」

「わ、すごい自信……! あ、でもさ、それならその甲斐性の方向、あたしが決めていい?」

「? 方向ってのはよくわからんけど、まあ、こればっかりは自信があるからな」

「うん。じゃあ頑張ろうね、八幡」

「いや、頑張る必要ないでしょ。俺はこうのんびりまったり、お前とだな」

「えへー……♪ 前に言ったよね? あたし、ゆきのんに宣戦布告してくるって。八幡は結局そのあと訊いてこなかったけど、どうなったと思う?」

「……どうもこうも。って、おい、冗談だろ? ……まあ、冗談か。じゃなけりゃ、今までで雪ノ下が一度も顔を出さないとかおかしいだろうし」

「あたしね、独占欲は強いほうだと思うんだ。嫉妬だってするし、大事な人のことを一番知ってるのは自分がいいなって、そう思ってたりもするよ?」

「お、おう。そりゃどうもだが……え? それと雪ノ下と、どう繋がるんだ?」

「八幡、言ったよね。人の気持ち考えろって。だからね、あたしは宣戦布告しただけなんだ。あたしね、ヒッキーのことも好きだけど、ゆきのんのことも好き。……あっ、ヘンな意味じゃなくてね!? す、好きっていうのは、キキキキスしても平気なのはヒッキ……八幡だけだから!」

「~……」

 

 わかったから何度も言うのやめて……! お兄さん恥ずかしい……!

 

「……で。宣戦布告された雪ノ下は、どう返したんだ? 俺への皮肉たっぷりに、そんなことは有り得ないとか言ったんじゃないか?」

「んーん? あたしの次くらいには、比企谷くんのことが好きかもしれないわねって」

「───」

 

 びしりと固まった。

 はっは、はっ……は───笑えない! 笑ってくれ俺の表情筋! ここ笑わないとシャレにできない!

 

「あのね、八幡。ゆきのんもさ、あたしのこと忘れた時、そこに居ない誰かと、合わない辻褄とかを頑張ってくっつけようとしてたと思うんだ。ママがお見舞いに来れば苦しかっただろうし、八幡があたしのことを話せば、思い出せないことに苦しんでたかもしれない。……あたしたちってさ、罪悪感ばっかだね。そんなんでしか、相手を知ろうと思うきっかけが作れないんだ」

「結衣……」

「だからね? 八幡の中で結論がどうしても変わらないならそれでもいいし、変わるならそれでもいい。最初からきっかけに蓋して拒絶しないで、ゆっくりとでも知っていってみようよ」

「お前ね。綺麗なことで誤魔化そうとするのやめろって言ったでしょーが。それ結局俺に二股しろって言ってるんじゃねぇか」

「法律で許されちゃってるんだから、間違ったことじゃないでしょ?」

「んーなもん本当にやったら離婚者だらけの独身だらけになるわ」

「そうなの?」

「当たり前だ。理由はいろいろあるだろうけど、まず上手くいきっこねぇよ。そもそもそんなんやったら───」

 

 喋り途中に、チャイムが鳴った。

 ぺんぽーん、という音がやけに響いた気がする。

 ……ハテ、この背を伝う冷や汗は何事なるや?

 

「………」

 

 結衣も目をぱちくりさせてる。

 いや。いやいやまっさかぁ!

 やがてそんな感じで笑い合い、二人一緒に玄関まで行くと───そこに立ってらっしゃるのはキャリーバッグを手にする雪ノ下。

 

「………」

「…………いや……どしたのお前。いつもだったら勝手に入ってくるのに」

「お世話になる一歩目で、ずかずかと部屋に入れるほど図太くはないわよ」

「そんなもんか……? ってちょっと待て。世話になる? え? 誰が? 何処で?」

「私が、ここで、よ。少々ね、上に圧力をかけて改正を早めてもらってきたの。姉さんに借りを作ってしまったけれど……ふふっ、女としての勝負だと言われてしまっては、負けてあげるわけにはいかないもの」

 

 いやいやいやいやいやおかしい理屈おかしい!

 え? なにその隣の家に挨拶しに行きました、みたいに軽い改正要請!

 え!? 今日までちっとも来なかったのって、それをしに行ってたから!?

 ちょっ……総理ィィィィ!! 総理を呼べェェェェ!!

 ……あ、総理が落とされたから改正通ったのか。

 え? じゃあ……

 

「え……お前俺のこと好きなの?」

「さあ。知らないわ。ただ、他の男性を見るよりは、安心していられるとだけは言わせてもらうわね」

「おいちょっとー? 結衣ー? 結衣さーん? 俺、なに言ってるんだこの男はって顔で見られちゃったんですけどー?」

「えへへー、大丈夫だよ八幡。これがきっかけで、これからがあたしたちの一歩なんだから。ね、ゆきのん、八幡、あたしの知らないいろんな日のこと、出来事とかいっぱい教えて? あたしね、そういう日が来たらやりたかったこととか、いっぱいあるんだ。ゆきのんと八幡としたかったこと、いっぱいいっぱいあるんだよ。だからさ───」

「………」

 

 まあ、雪ノ下がこんな調子なら、これからのことなんて……いや。

 

「………」

 

 まあ、だよな。どんな理由にせよ、こうしてまた集まれたなら。

 タイムマシンにかまけて、輝かせる暇もなかったいつかの青春を……今さらだろうとなんだろうと、輝かせてみるのもいいのかもしれない。

 

 

 

 

  ねぇねぇゆきのん、八幡、まずなにしよっか! あ、ゆきのん歓迎会とか!

 

   あら。ではそうね、まずは比企谷くん。

 

 へ? お、おう、なんだ?

 

   明日の見えない女性に、俺が居る、なんて言い切った責任を取って頂戴。

 

 ぶっは!? げっほごほっ……! おっ……ぉおおお前さらっとなに言い出してんの!? い、いいぃいいいやあれはほら、あの時のお前はほうっておけなかったっていうか……!

 

  あ、じゃ、じゃあ八幡! 人のこと未来に攫った責任も取って!

 

 いや、それはちゃんと取るつもりだが。

 

  ひゃう……!!

 

   さて、これから積もる話もあるだろうから、お茶を淹れるわね。……さ、由比ヶ浜さん、まずはどうぞ。

 

  あ、う、うぅうううん……!! あ、ありがと、ゆきのん……。

 

   比企谷くん、飲みなさい。

 

 ……お前ほんといい性格してるな

 

   ふふふふふっ……ええ、好き好んで、自分から捻くれた男性との先を見てみているのよ。悪くないと思える関係と、手放したくないと思える関係を築くことが出来るのなら、それだけでも自分の世界は変わるのだろうから。こうして相手の家まで押しかけて、なにもせずに見ているだけではただのストーカ-でしょう? それともそんな関係の方が好みかしら。 

 

 ………。

 

  八幡?

 

   比企谷くん? …………あなたまさか

 

  はっ……ヒ、ヒッキー!?

 

 おいやめ───やめろっ、ただちっと、もしそうなら怖いかも、とか考えただけだからっ。

 

 

 

 

       了





◆あとがき

 えー、最後までお読みいただけたなら想像はつくかもですが、今回の個人的お題は“こもれびさんワールド”です。
 ある日突然、こもれびさんがSSをドーンとメッセにお書きあそばれたんですけど、内容が時間跳躍ものとくるでしょう?
 僕にとって時間跳躍とかそういう題材のものって結構馴染み深く、随分前に書いていたオリジナルの方ではそれこそ嫌になるほど書いていたもので、固定された意識とかがあったわけで、そのくせもうBTFなんて覚えてませんよこもれびさん! と心が叫びたがったりしていましたが。

 そんな僕でも覚えている映画といえばタイムマシンです。
 なにそれ、とググってみると、結構見つかるタイムマシンのお話ですが、原作を辿れば写真が白黒になるほど前のお話になります。
 といっても僕がお話したいものは2002年の映画であったりしますが。

 さてタイムマシン。
 独特の世界観があって、好みが結構分かれるのだそうですが、僕は好きなこの作品。
 当時の僕はスタートレックを知らず、作中に出てくる人口AI案内人のボックスがする挨拶、「長寿と繁栄を!」をこの作品のオリジナルだとか本気で思っていたものです。
 いや一番に話すのがそれってどうよとツッコみもありましょうが、そういう細かいところでも無駄に好きな作品ということで。
 時間が関わる作品には人それぞれの価値観といいますか、こだわりが出てきますよね。
 僕は……ほら、過去にたとえば誰かを助けたら、元の時間ではその人が生きている~という流れは書かない方です。
 なにかを為せば新しい時間軸が作り出されるだけで、自分の時間に戻れば変わらぬ世界が待っている、そんな世界ですね。
 なにかに影響されて、というものではなくて、むしろ影響されるのだとすればおそらく初めての時間跳躍作品、テイルズオブファンタジアに大いに影響されている気がするので。(あれは過去が未来に繋がるお話)

 はい、そんなわけで時間跳躍には無駄にこだわりみたいなものを持っているのですが、書きすぎると鬱陶しいですね、はい。
 ただ細かいところでの影響はそれぞれいろいろと受けているでしょうし、タイムマシンの影響だってもちろんです。
 過去になにをしたところで、既に何かをした、という事実が未来に存在してしまっている以上、それがなされた理由が作られなければいけない、という理由だけで平気で人が死ぬ世界。
 エマという主人公の恋人が、僕と僕の兄の夢(笑)を叶えてくれた作品でもあるので、妙にお気に入りです。

 ところで読んでくだすった皆様は、瀕死の人の生命力についてどう思いますか?
 様々な作品の中で、瀕死の人は大変長く語ってくださります。
 お前それ回復すれば余裕で復活できるだろってくらい喋ります。
 「む、無駄だ……もう間に合わん……!」とかそんな言葉を馬鹿正直に聞いてる暇があったらいいからテーピングだ!
 だってほら、フリーザ様のデスビームで心臓貫かれたナメック星編のベジータだって、仙豆があったら絶対生きてたと思いません? デンデか界王神がいれば余裕です。

 さて、そんな瀕死の人の伝説ですが、抱きかかえた時はまだ生きていたのに、特になにも言い残すことなく死んだお方が実は居たりします。
 そう、なにを隠そうそれがこのエマというタイムマシンのヒロイン。
 そして、瀕死の人がなにも言い残さずに死ぬ、というのが僕と兄が待ち望んでいた,人の生命力というものだったわけで。
 いやあとがきでなに語ってんでしょうね。

 で、ですね。そんな時間跳躍話をなんでか八結の集いなんて名前なのにウマ娘の話で盛り上がったりしている場所で、様々なやりとりがありまして、誕生日SSを先に見せてくれるなんて、なんという粋ッ……!!
 と妙に感謝したくなったため、急遽書いたのがこのSS。
 ちなみに最初の文字数は一万八千あたりでした。
 ええはい、ちなみにこの最終話だけで現在一万六千いってます。なにやってんでしょうねほんと。

 加筆しすぎじゃーと言えばそれまでですが、いえ、編集していて思ったんですよ。
 ただただくっついてラヴラヴしてたんじゃ、いつもの凍傷SSです。
 そりゃあ初期の頃は困難のあとにラヴラヴ、を目指していたつもりではありましたが、そんな困難ばっかの青春って辛いじゃないですか! といつしか困難の部分を軽くしてしまった自分ではございましたが。
 ギャルゲーを思い浮かべてください。いやよくもまあそんな男女が好き合った途端に重苦しい困難が待ち受けていること待ち受けていること……!
 ある日の僕は、そんな男女の困難に打ちひしがれておりまして、たまには……たまには困難もなく祝福されたっていいじゃない……! と思っていたところに水越さん家の眞子さんが登場いたした過去がありまして。
 あれ? 困難……あれ!? と驚いているうちにEDを迎えて、なんだか拍手を届けたい気分になったとです。

 だめだまた脱線した!
 で、コンセプトというか方向性というかともかくこもれびさんの世界を描くなら、ただの八結ではいけませんということになりまして。
 急遽書き足してみればほぼが新規ですよもう(笑)しかも遅れるし……orz
 そんなわけで、基本八結ではありますが、最後にはもはやこもれびさん伝統の八結雪……? な感じです。

 さてさて無駄に長くなってしまって申し訳ないです。
 こんなんだから纏めるのが苦手だとすぐに悟られるんですよまったく。
 ではでは今なら砂の上に車を止めて語り明かしたあの夏な25時なので、ギリギリセーフという感覚で投稿。
 ぬるいコーラしかなくても楽しければ僕は幸せです。
 ではでは、少しでも楽しんでいただけましたら。
 楽しめなかったら心の底からごめんなさい、覗いてみてくれてありがとうございました!

 来年があるなら今度こそは遅れないように……!

 えーとなにか〆にいい挨拶は……あ。
 長寿と繁栄を!



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