狼と少女の物語 (くらいさおら)
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第1話

 その日、彼は緊張の極致にあった。

 県庁にいくつかある会議室のひとつに、彼は同僚と二人で座っていた。

 

 隣の部屋ではプレゼンが行われている。

 彼のプレゼンは次。時間にしてあと15分後。

 ある公共施設の指定管理者選定のためのコンペだ。

 同僚に一言断り、彼はそそくさとトイレに立った。

 用を済ませ、鏡の前に立ち手櫛で髪を整える。

 

 あと5分。

 鏡に背を向け、歩き出した瞬間。

 鏡の表面が滴を落とされた水面のように、王冠型の盛り上がりを作り、彼を飲み込んだ。

 

 真っ暗な中、細いチューブの中をゆっくりと滑り降りるような感覚にとらわれていた彼は、しびれたような頭でコンペのことを考えていた。

 このプレゼンで、彼と彼の所属する会社の運命が決まってしまう。

 

 選定から漏れたら、彼の会社に未来は無い。

 近い将来、良くて会社更生法の申請。大胆なリストラ付き。プレゼンで下手を打った者がどうなるか、言うまでも無い。

 悪ければ倒産だろう。そしてこの可能性のほうが高い。

 

 この地方では、なまじ規模があるだけに彼の会社が倒れたら連鎖が起きる。

 

 いきなり消えちゃって、敵前逃亡だと思われているだろうな、と考えたとき、チューブの先に光が見え、人影がいくつか見えたと思った瞬間、彼の下からチューブの感覚が消えた。

 チューブから吐き出され、その人影の前に放り出されると思った彼は、受身の姿勢をとる。

 突然視界が真っ暗になり、垂直に落ち始める感覚に襲われ、彼の意識は消失した。

 

 

 石壁に囲まれた部屋の中で、壮年の男が肩を落とす。

 しばらくの間、身じろぎもできずにいた。

 

 同世代の男たちが二人、10代前半と思われる少女がひとり、その男を背後から見下ろしている。

 非難がましい視線と労わるような視線、落胆の視線が注がれる中、男はようやく立ち上がった。

 そして、少女に向かって片膝を突き、頭を垂れ、言葉を紡ぎ始める。

 

「王女様、申し訳ございません。わたくしの力では召喚の呪文は完成できぬ様子。いま少しのところで魔力が途切れたようでございます」

 落胆の視線を送る少女に男は続ける。

 

「しかし、影までは見えてございます。この場にこそ召喚はできませんでしたが、この世のどこかに落ちているはずでございます」

 王女と呼ばれた少女が答える前に、非難がましい視線を送る男から、嘲りと怒りの言葉が投げつけられる。

 

「さんざんに勇者召喚などと期待させておいて、このざまか、宮廷魔術師」

 さらに言い募ろうとする男を、労わるような視線の男が遮る。

 

「残念ではありますが、いまだ誰も完成させていない、いや、思いつきもしなかったことです。頭ごなしに貶めることはありますまい、騎士団長?」

 

「そうはおっしゃるが、宰相。今まで掛けた金と時間が虚しく消えたのですぞ。金はまた民から集めればすみますが、時間は取り戻せぬのです。次は捜索に金と時間をつぎ込むと? こうしている間にも……」

 

 騎士団長と呼ばれた男は宮廷魔術師と呼んだ男にさらに言い募ろうとするが、少女の言葉がそれを止めた。

 

「騎士団長、宰相、おやめなさい。騎士団長が言うとおり、今は時間がありません。失敗を責めているときではないのです。即刻勇者の捜索隊を。そして今後どうすれば良いのか、対応を考えましょう」

 

「はっ。申し訳ございません、王女様。捜索隊をすぐにでも」

 

「では、軍議の招集を、すぐ」

 騎士団長と宰相が答え、王女が頷き部屋を出る。

 

 宮廷魔術師から伝えられた情報を基に、捜索隊は国内はいうに及ばず、大陸全土に散った。

 が、勇者の消息は伝えられないまま、10年の歳月が流れた。

 

 

 彼には8歳以前の記憶が無かった。

 正確には8歳くらい、ということで、いつ生まれたのかが判らないため、外見からそう判断されていた。

 

 気付いたときには、小さな村の前に立っていた。

 名前も覚えていない。家族の顔も、言葉も解らない。

 不安という気持ちだけを抱えて、彼は立ち尽くしていた。

 幸いなことに、通りすがった三人家族に拾われた。

 

 両親は何事も無かったかのように通り過ぎようとしたが、彼より少し年上に見えた少女は、子供特有の正義感から彼を放ってはおけなかった。

 両親は、捨て置くように少女に言い渡し、強引に彼女の手を引いて家路についた。

 

 その理由は言わなくても解るだろう。

 生活が決して楽ではないこと、彼の素性がまったく解らない上、言葉すら解さないこと、他にもいろいろあるが、それが主な理由だった。

 

 しかし、と両親は思う。

 この時代、親の庇護下にあってすら人買いに攫われ、奴隷として売買される子供は後を絶たなかった。

 その家族が住む村でも借金や食料不足といった理由から売り払われた子供や、遊びに出たまま帰らなかった子供は、一人や二人ではない。

 

 そして彼は、それなりに整った顔立ちをしていた。

  このまま見捨てれば、彼を待つ運命は大して選択肢の多いものではない。

 誰にも省みられず餓死するか、森に迷い込み、そこに住む獣や魔物に跡形も無く喰い尽くされるか、奴隷として売られるか、だ。

 

 奴隷として売られた場合、過酷な労働に就けるならまだましだろう。

 男色の餌食にされ、飽きれば転売。幾年かのうちに正気を失い狂死するだけだ。

 言葉すら解さないのであれば、尚のこと生きていられる時間は少ないことは火を見るよりは明らかだ。

 

 まだ世間を知らない少女だが、このまま放っておけば彼が死んでしまうことはなんとなく解った。

 彼女の両親は、しょうがないことだとは理解できていたが、彼女に負い目は負わせたくないとも考えていた。

 

 ほんのちょっとした偶然で、少年は家族を得ることになった。

 両親はふたりを分け隔てなく愛し、姉弟として育てた。

 

 家族や村人から言葉や一般常識、その村に駐屯する騎士団から身を守る術を学び、10年過ごすうちに彼はどこにでもいる普通の少年として育っていた。

 

 背中に文字のような痣があることと、時折誰も思いもつかなかった方法で暮らしを良くする方法を言い出すこと、夜中に突然姿を消すことを除いて。



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第2話

 春がようやく来た街道は、汗ばむほどの陽気だった。

 

 二つの影が並んで進む脇を馬車が通り過ぎ、早足の旅人が追い抜く。

 片方の影はのんびりと歩き、もう片方はじゃれ付くようにまとわりつきながら歩いている。

 少年と少女というには少しばかり歳を取っているが、男性と女性というにはまだ若い。

 

「もうちょっと急ごうよ、ルティ」

 刃渡り30cmの短刀を腰に佩いた身長175cmほどの少年が、少女にまとわりつくように言い募る。

 服装は周囲の人から浮かない程度に一般的なデザインで、薄茶色に統一されていた。

 くすんだモスグリーンのマントとフードが一体型の外套を羽織り、フードは後ろに撥ねている。

 マッチョではないが、充分筋肉が発達した身体で俊敏さが窺えた。

 顔立ちはあどけなさが残るが、短く刈り込まれた灰色の髪と切れ長の目が精悍さを醸し出し、年上の女性からは可愛がられるタイプと言って差し支えないだろう。

 

「うっさいわね、アービィ。せっかくいい気持ちで歩いてんだから、あんたも少しのんびりしなさいよ。それから、まとわりつくな。犬」

 姉がやんちゃな弟を窘めるような口調で言う少女は、身長160cmほど。刃渡り70cmほどの一般的なブロードソードを背負い、スレンダーな体型を軽量タイプの革鎧で固めている。鎧の上から少年とおそろいの外套を羽織り、フードを撥ねている。

 年の割りにはしっかりした顔立ちで、芯の強さが窺い知れる。美人と言えるが肩まで伸ばした栗色の髪は、年相応の可愛らしさも引き立たせていた。

 

「犬って言うな、犬って」

 アービィと呼ばれた少年が、ふてくされるような口調で答える。

 ルティと呼ばれた少女が、うんざりしたように応じた。

 

「はい、はい、狼だもんね、アンタは」

 そのせいでここを歩いてるってことを忘れるんじゃないわよ、とルティが続ける。

 

「う~、反省してるってばさ。うっかりしてただけじゃん、これからは気をつけるよ」

 本気で済まなそうにしているアービィに、ルティは追い討ちを掛けた。

 

「反省って、何回目よっ。朝寝ぼけて出てきて、宿屋を阿鼻叫喚に叩き込んで。満月と新月の度にやらかしてるじゃないのっ」

 

「月に二回じゃないかっ」

 アービィが地雷を盛大に踏んだ。

 

「そんだけやってりゃ……充分すぎよっ」

 自主的な出入り禁止の村を幾つ作るつもり、と言いながらアービィの耳を引っ張る。

 

「やめて~、ルティっ。ごめんなさいっっ。伸びる……耳伸びるっ!!」

 

「だいたいね、二尋近い狼が食堂に出てきたら、誰だって驚くでしょうがっ!!」

 力いっぱいアービィの頭を叩きながらルティが怒鳴る。

 

「ちょっ、今ここで、それを大声で言う? 僕がやったことと大差ないんじゃ?」

 アービィの反撃にルティは口を押さえて辺りを見回し、人が聞いていないことを確認して少々残念な胸を撫で下ろす。

 

「ちょっと、うっかり、しただけじゃないの。あんたに言われたくないわ」

 

「撫で下ろしやすそうな胸でよかったね」

 再度、アービィは地雷に両足で飛び乗った。

 

「や~か~ま~し~い~っ」

 アービィの後頭部にルティの脚が飛び、アービィは道端に昏倒した。

 

「ちょっと休憩。休憩よ」

 

 

 ルティは伸びてるアービィを道端に蹴り転がし、側にある石に腰を下ろす。

 本当になんでこんなことになったのか、二人が育った村での出来事を思い返していた。

 

 アービィは拾われてから数年後、満月と新月の日の夜中になると姿を消すようになった。

 両親は昼間の仕事の疲れからぐっすりと眠っており気付くことは無かったが、ルティは何度か隣の部屋のドアが開く音に気付いていた。

 

 朝になるとアービイはベッドにいるのだが、そんな朝は戸口の前に何かしらの獲物が転がっていた。

 だいたいは兎であったり、鴨等の野鳥であったりだったが、年を追うごとに大型の獲物が増えていった。

 

 最初は気味悪がっていた両親だが、獲物が特に腐敗している様子もなく、暮らし向きも楽ではないため、そんな落し物を楽しみにしている風もあった。

 精霊の贈り物と教会の神父が言い出したことで、村人たちもたまに回ってくるお裾分けや、自分の家の戸口前の落し物を楽しみにしていた。

 

 ある夜、何かが投げ出される音に目を覚ましたルティが窓から家の前を見ると、巨大な狼がふたまわりほど小さな狼をくわえてきて、家の前に投げ出し森に帰っていくところだった。

 しばらく痙攣していた小さな狼は、小さく鳴いてから身を起こすと裏の井戸の方に歩いて行った。

 

 それを追ったルティが裏に回ると、そこでは擦り傷や切り傷を体中に作って顔を涙と鼻水でぐしょぐしょにしたアービィが水を浴びていた。

 月明かりの中、アービィが素っ裸であることより血まみれの姿に驚いたルティは、とっさに声だけは出してはいけないと判断すると部屋に取って返しシーツを抱えてきた。

 そのままアービィをシーツで包み、家に引きずり込む。

 

 両親に気付かれないように手当てを済ませ、部屋に叩き込んでドアを閉め、自分も部屋に入り朝を待った。

 翌朝、ルティがアービィの様子を見がてら起こしに行くと、アービィの傷は既に治っており、何事も無かったような一日が始まった。

 

 それ以降、獲物が転がっている回数は減り、狼が引きずられてくることが増えた。

 ルティの中で疑問が膨らみ、確信に変わった。

 ある満月の夜、ルティはアービィが出ていった後、井戸の前で待つことした。

 何があっても驚かない。何があっても受け入れる。そう決心して。

 

 数刻後、何かを引きずる音の後、よろぼうような足音がして、狼が姿を現した。

 驚いたように切れ長の目を見開き、ルティを見つめた狼はがっくりとうなだれ、背を向け歩き出した。

 

 

 アービィは人狼の子供だったのだ。

 

 魔獣を村に置いておく訳には行かないという常識と、姉弟として育った情がせめぎ合う。

 ルティの中で情が常識を秒殺した瞬間、ルティはアービィに飛びつき、抱きしめていた。

 しなやかな毛皮に顔を埋め、ルティは泣いていた。

 

 行かないでほしい。この秘密は二人で墓まで持っていこう。何も聞かないし、何も心配は要らないとルティは泣いてアービィを朝まで抱きしめていた。

 

 朝日が昇る前、世界が明るくなり始めるとゆっくりと獣化が解け、ルティがよく知るアービィの姿に戻り、ふたりとも涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を井戸の水で洗い、それぞれの部屋に帰った。

 そして、そのまま平穏な日々が続いていくはずだったし、そう信じていた。

 半年前までは。

 

 

 その日、騎士団の駐屯地は慌しい喧騒に包まれていた。

 

 隣村が野盗団と魔獣に襲われたという情報が入っていた。

 それぞれが別々の意思で村を襲うことは珍しくなかったが、生き残った人の話では、あきらかに野盗団は魔獣を従えていたという。

 

 力任せの野盗団や、迷い込んだ魔獣など、騎士団の敵ではない。

 しかし、魔獣を従えさせることができる野盗団となると、それなりの統率が取れ、魔術師の存在も疑われる。

 騎士団の人数は決して多くなく、それぞれに連携を取られては村への突入を防げないかもしれない。

 

 ならば取り得る作戦の選択肢は、多くない。

 王宮への増援依頼。とても間に合わない。

 敵拠点への先制攻撃。拠点は不明。

 敵を懐深く引きずり込み包囲殲滅。理想ではあるが如何せんこちらの数が少ない。

 

 村の入り口を固め、水際で撃退するしかない。

 村の周囲に垣を築き、村人の避難路はひとつ確保し、防衛の拠点を構築する。

 村の男手が陣の構築に駆りだされ、女手は後方で支援作業を行う。

 

 アービィもルティも、それぞれができる作業に汗を流していた。

 垣や陣の構築は野盗団の襲撃の前に完了し、村の士気は高まっていた。

 

 そして何事もないまま、隣村が襲われてから三ヶ月の時間が過ぎた。

 防備を固めた村を強襲することの愚を悟った野盗団は、村人の士気が下がるときを待っていた。

 

 村の近くまで斥候を出し、軽く挑発し、すぐ逃げる。

 村人たちの神経を、紙やすりで削るような行動を繰り返していた。

 

 深夜。

 そろそろ夜明けも近くなった頃。

 もっとも人々の集中力が薄くなる時間帯。

 風切音が垣を越えたと思った瞬間、見張りの騎士の首が掻き消えた。

 同時に村の入り口に炎の玉が炸裂し、不運な騎士を吹き飛ばす。

 退路のはずだった道からは手に剣やメイス、弓矢を携えた野盗が雪崩れ込む。

 

 村の中心に降り立った魔獣は、駐屯地を襲おうと走り出したとたん、何かにぶつかるように足を止めた。

 

 そこには2mを遥かに超えた狼が立ち塞がっていた。

 

 一瞬のにらみ合いの後、魔獣に飛び掛り、喉を噛み裂いた狼は、雪崩れ込む野盗の群れの中に飛び込むと、手近にいた男からその喉を噛み裂き始めた。

 野盗団に恐慌が起こり、村を蹂躙するはずだった戦いは、自分が生き残るための戦いへと変わった。

 剣が、メイスが、矢が狼に襲い掛かるが、毛皮は全てを弾き返し、片っ端から野盗を噛み殺していく。

 

 もとは人間だったとは思えない肉塊が転がり、狼以外動くものがいなくなった。

 村の入り口に跳んだ狼の姿を見た魔術師は、移転魔術でからくも脱出に成功。騎士団は数名の犠牲で村の防衛に成功した。

 

 村の入り口に仁王立ちになった狼は、気が抜けたのか振り向いた瞬間獣化を解いてしまった。

 あっけに取られる村人や騎士団とアービィが向かい合う。

 夜が明け、アービィとルティは村を出た。

 それが三ヶ月前、ふたりが18歳になってすぐのことだった。

 

 

「確かに、村にいて良いって村長も、騎士団も、神父様も言ってくれたんだけどね……」

 村の中だけの話であれば、それでもよかった。

 が、逃げた魔術師からどんな噂が出るか判らない。

 魔獣の住む村。そのような噂が流れては、村はやっていけない。

 

 他の村や町からの迫害、不売、不買。

 人的交流の拒絶、騎士団の引き上げ、いや騎士団による討伐。

 教会による悪魔指定、聖騎士団による討伐。

 数え切れない不利益が考えられる。

 

 アービィは、自分が殺されたことにして村を出た。

 放っておけなかったルティは、狼に殺されたことにして村を出た。

 両親は悲しんだが、村の利益を優先するべきというアービィとルティの言葉に、泣く泣く見送ってくれた。

 

 魔獣を育てたという罪は、娘を殺されたうえ、アービィが人狼であることに騎士団や教会すら気づかなかったということで不問。形だけの村八分を演じることで誤魔化すことにした。

 

 当面の二人の目標は、四つの国にそれぞれひとつずつある精霊神殿に赴き、全ての魔法を習得すること。

 人狼が人として暮らせる場所を探すことが最重要ではあるが、他人に旅の目的を聞かれたときは呪文の習得ということにしている。

 

 彼らの育ったフォーミット村があるインダミトの国には、水の精霊を祭る神殿がある。

 神殿はフォーミットから歩いて三十日ほどの距離にあるフュリアの町にあり、あと数日のところまできていた。

 村を出るときに両親や村人、騎士団からもらった餞別の路銀はとっくに尽き果て、彼らは途中から冒険者ギルドに登録し、カネを稼ぎながら旅を続けている。

 

 このため、途中で旅が停滞することもあり、三ヶ月も掛かってしまっている。

 水の神殿で精霊と契約後、地、火、風の神殿に行くことになるが、次はどこにするかは全くの白紙だ。

 

「いいかげん、起きなさいよ」

 ルティに蹴り飛ばされ、アービィは渋々身体を起こす。

 

「まったく、ルティは手が早いんだから」

 

「アンタがいけないんでしょ。何のために村を捨てたと思ってんのよ。途中途中で狼騒ぎ起こしてたら疑われるじゃない」

 あまりにももっともなルティの言葉にアービィは返す言葉も無くしょぼくれる。

 

「ま、いいわ。まだ誰かさんが獣化してるかなんて、誰もそんな発想は無いんだから」

 頼むから神殿の町で獣化だけはしないでよね、と念を押して、ふたりは歩き始めた。



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第3話

 フュリアの町に着いたふたりは、さっそく神殿に赴き、精霊との契約を済ませる。

 

 ルティは白呪文を、アービィは黒呪文を選んだ。

 人狼のアービィがなぜ精霊と契約できたかというと、精霊にはそもそも善悪の概念が無い。

 精霊を裏切らないという契約さえすれば、人であろうが魔物や悪魔であろうが、その魔法を使うことができるようになる。

 

 呪文は精神力を源とし、その消費度からレベル1から4に分類され、精霊との契約完了時に全ての呪文が意識下に埋め込まれる。

 呪文を使用するたびに、消費された精神力は強靭になり、高いレベルの呪文が使えるようになっていく。

 呪文に耐えうる精神力がついたとき、意識下から上位の呪文が浮かび上がり使用可能となる。

 筋肉に負荷をかけ、壊れた筋繊維が修復されると壊れる前より強靭になっているという、筋力トレーニングと同じような概念であり、当然成長には個人差が出てくる。

 

 各呪文レベルには、使用者の精神を保護するための使用制限があり、どのレベルも一日に使える回数は10回までとなっている。この回数は、初心者では3回であるが、精神力がつくに従い10回まで増えていく。

 充分な睡眠か、触媒と回復薬を併用することで、その時点における最大使用回数まで回復することができる。触媒なしでは、端数を切り捨てた最大回数の半分までが限度だ。

 

 現在、ルティが使用可能な呪文は、水の白魔法レベル1の体力を回復できる『回復』が一日に3回。アービィが使用可能な呪文は、水の黒魔法レベル1の水流を敵にぶつける『水流』が一日に3回だ。

 今後、他の精霊と契約すれば、使用可能な呪文のバリエーションは増えるが、各レベルの使用回数が増えるわけではない。

 バリエーションが増える代わりに、適材適所の使い方を考える必要があった。

 

 一度白呪文を選んだ者は、途中で黒呪文を習得することはできない。ごくごく一部の例外、桁外れの精神力を持つ者や、魔装品による補助が無ければ、一生を通して片方の属性しか習得できない。

 

 

 精霊との契約を済ませたふたりは、目抜き通りに戻り宿を探した。

 さすがに神殿の町の目抜き通りにある宿屋は、ふたりには贅沢すぎた。懐具合と相談しながらさんざん歩き回って、裏通りにある木賃宿を選んで荷物を置いた。豊富な資金があるわけではないので、安宿、相部屋が基本だ。

 

「さて、改めて言っておくけど。夜中に襲い掛かったら命は無いものと思ってね」

 ルティが言う。

 

「はい、はい、まだ死にたくないですからね~」

 荷物を片付けながら、気のない返事をするアービィ。

 彼はそこまで命知らずではない。

 

 実際、人の状態であれば普通に性交は可能なアービィだが、興奮状態では獣化しやすいため性交などもっての外だ。

 ルティもアービィが嫌いなわけではなく、如何に姉弟として育ったとはいえ血は繋がっていないし、男女としての意識もないわけではない。

 今までにも幾度かいい雰囲気になったことはあるのだが、後一歩、キス寸前で獣化してしまうアービィには気の無い振りをすることにしている。

 精神力が弱いんだから、バカ。『はい』は一回でいいの。

 

 呪文の習得は、アービィの精神力を育てることも目的のひとつであり、それは獣化の完全コントロールに繋がる。

 ひいてはふたりが安心して暮らしていける、ということにも繋がるのだ。

 

「とりあえず、なんか食べに行こうよ、ルティ」

 この腹減らしが、と吐き捨てるように言いながら、ルティはアービィと共に部屋を出た。

 人の気も知らないで、と口の中だけでルティは呟いた。

 

 

 宿から程近い酒場で腹を満たしたふたりは、ゆっくりとエールを傾けながら今後の予定について相談していた。

 

「とりあえず、回復呪文を先に修めたほうがいいと思うのよ。毒やらパラライズやら、呪いやらのね。だから火の神殿に行きたいと思うんだけど」

 

「僕は何でもいいんだけどさ、回復もいいけど、防御があったほうが良くない? 地の神殿行ってから火でもいいと思うんだ。補助の呪文は最後でいいかな。風の神殿は一番後だね」

 アービィはルティの意見を尊重するつもりだが、言われるがままになるのも癪なので、敢えて異を唱えてみる。

 

「そうね、その方がアンタが怪我しなくて済むかもね。そうしようか?」

 

「ど・ど・ど・ど・どうし、た、の……?」

 ルティが意見を曲げるなど、今まで数えるほどしかない。

 

「だって、どうせアンタは呪文なんか使わずに肉弾戦でしょ?」

 まぁ、そうだけどさ、と言いながらアービィはエールをあおり、でも、と言う。

 

「僕は傷つかないよ?」

 獣化した状態のアービィを傷つけられるのは、銀の武器だけだ。銀は武器にするには致命的に硬度が低いため実用性が無いうえ、貨幣や装飾品としての用途がほとんどであることから戦場に銀製の武器が出てくることはまずない。

 事実上アービィを傷つけることは不可能と言える。

 攻撃を受けた後、すぐに獣化を解くと人の身体には傷が残るが、獣化している時間が長ければ傷は残らず、初めてルティがアービィの正体を知ったときのように、人の姿であっても傷の治りは異常に早い。

 

「アンタ、町の喧嘩にまで獣化するつもり?」

 そんなことしたら、あっという間に通報され、騎士団が飛んでくる。

 騎士団程度に後れを取るとは思えないが、それはアービィひとりならと言うことだ。

 二人でいるときに獣化してしまったら、ルティは魔獣使いとして認識されてしまう。

 その際ルティを守りながら逃げ切れるかということや、ルティを捨てて逃げられるかと言われたら、それは無理だ。

 

 ルティひとりでは、騎士団を敵に回して生き残れるとは思えない。

 その後、魔獣使いとして全世界を敵に回した女の子が一人で生きていけるかと問われれば、それも無理だと言わざるを得ない。

 何よりも喧嘩をするような事態を招かないことが最優先ではあるが、この世界ではそうも言っていられない。獣化しなければアービィの皮膚は、普通の人よりちょっと丈夫、と言った程度でしかない。

 

「う~ん、でもさ、傷ついたとしても、僕は毒も麻痺も呪いもしばらくすれば中和できるし。やっぱり……ルティは中和なんて無理だもんね、そっち先だね」

 

「判れば、よろしい」

 ルティは自分の言ったとおりに方針が決まり、満足してエールをあおる。しばらくしてからってことは少しは効いちゃうって事でしょ、それが心配なのよ、バカ。

 

「じゃあ、方針も決まったことだし。路銀稼ぎにいきますか、オネーサマ」

 

「気持ち悪いわね、オトートギミ」

 

 

 勘定を済ませ、店員にギルドの場所を聞いて店を出る。

 商店のほとんどは既に閉まり、酒場と娼館くらいしか営業していない街の中で、ギルドの事務所はすぐに見つかった。

 依頼が貼ってある掲示板から自分たちに見合う仕事を探し、カウンターで手続きをする。

 

 請け負う仕事を指定し、名前を登録する。

 表示されている報酬の一割がギルドの仲介料で、これがギルドの収入となる。

 仲介料は先払いで、失敗しても払い戻しは無い。

 

 基本的に成功報酬で、必要経費は認められない。

 準備に資金が必要な仕事は、報酬の一部、または全額が先に支払われる。

 もちろん仕事が完遂できなければ、全額返金だ。死んでいなければ、の話だが。

 

 どんな仕事を請けても自己責任である。

 極端なことを言えば、今日登録したばかりの駆け出しが、ドラゴン討伐の仕事を一人で請けても良い。

 

 仕事を見極める目も重要であり、自分の実力を間違いなく把握することも重要だ。

 返り討ちに遭って死んだところで、何の保障もない死に損だからである。

 

 生きて戻ったところで、討伐の証拠品をギルドに提出できなければ失敗とみなされ、報酬の5倍の違約金を取られる。

 払わずに逃げたところで回状が大陸全土に回るため、二度と依頼を受けられなくなるか、結局は違約金を支払う羽目になるだけだ。

 

 

 この日ふたりが請けた仕事は、町から二日の行程にあるエクゼスの森にある泉に住み着いた大蛇の討伐だ。

 この泉は森に暮らす獣の憩いの場でもあり、旅人たちの重要な休息場所でもある。

 魔獣が住み着いて以来、森から獣が姿を消し、旅人や猟師が泉に近寄ることができず、交易や食料の調達に不都合が出ている。

 

 期限は特に切られておらず、今まで数組のパーティが逃げ帰ってきていることから、それなりに困難な仕事と言える。

 森の中であればアービィが獣化しても問題は無いだろうということから、この仕事を請けたのだ。

 

「明日、情報収集と物資の調達。夜のうちに町を出て途中は野営しよう」

 

「そうねー、宿代ももったいないし……金が無いとつらいわぁ」

 嘆くルティをアービィが宥める。

 

「まぁ、そう言わないで。今回の報酬は金貨1枚だよ。それだけあればしばらく保つって」

 

「そうね、仲介料を払っても銀貨90枚だし、なんとかなりそうね。帰ってきたら木賃宿ともおさらばよっ」

 

 大陸の四国家は共通の貨幣を用いている。

 銅貨100枚で銀貨1枚。銀貨100枚で金貨1枚の交換レートだ。

 金貨一枚あれば4人家族三か月楽に暮らせる。

 一泊二食付きの標準的な宿代が、銀貨1枚。 

 町で働く人の昼食代が銅貨5枚から10枚といったところだ。

 現代日本の感覚に直せば、大雑把に銅貨1枚が日本円で100円、銀貨1枚が10,000円、金貨は100万円といったところだ。

 

「じゃあ、前祝に、酒とつまみ買って行こうよ、ルティ」

 

「ちょっと良いお酒、買っちゃおうか」

 まだ開いていた商店で酒とつまみを仕入れたふたりは、いそいそと宿に戻っていった。

 

 案の定、翌日は昼過ぎまで二日酔いで動けなかったふたりは、夕方になるなり酒場で周囲の旅人たちを巻き込んで飲んだくれていた。

 情報収集という名目で。



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第4話

 ギルドから仕事を請け負ってから、三日が過ぎた。

 懲りないふたりは三日連続の二日酔いで、魔獣討伐への出発が遅れていた。

 

「ルティ、今日は飲んじゃだめだよ。いい加減物資を買い込まないと、お金が、ね」

 おずおずと言い出すアービィだが、ほぼ半々の量で飲み食いしているため、あまり偉そうなことはいえない。

 

「う~~、頭、痛い~。気持ち悪い~。お腹も痛い~。水~」

 ルティはシーツにくるまったまま、年頃の女の子とは思えない言動を繰り返すだけだ。

 

「僕だって、頭痛いし、気持ち悪いし……」

 ぶつくさ言いながらも水を差し出すアービィ。

 

「早く頂戴~」

 ベッドに身を起こし、アービィから受け取った一気に水をあおり、ルティは一息つく。

 

「やっぱりエールがいい~」

 一言、言うないやなシーツを被って丸くなり、動かなくなってしまった。

 

 

 アービィは、溜息をつきながら部屋を出て、携帯食料や水、回復薬、触媒等を買い込みに町へ出た。

 宿から歩いて10分ほどの目抜き通りには、さまざまな店が軒を連ねている。

 個人で営業している店は、それぞれ扱う品が生鮮食品であったり、保存食、武器防具、魔装品、日用雑貨と専門に分かれていた。

 武器や防具、魔装品は商店が扱っているものもあれば、職人や工房直営の店もある。

 どちらかといえば、商店にあるものは大量生産の規格品であり、直営店にあるものは高級品といえた。もちろんオーダーメイドの製品もある。

 然程明確ではないが店にも格があり、一般向け、プロ向け、貴族向けなどいろいろだ。

 

 この他、ギルドの店もあり、少々割高だが詳しいアドバイス付きなので、それを利用する駆け出しの冒険者は多い。

 割高な理由は、特定の仕入先を決めることはギルド御用達の看板ができてしまうため、生産者から直にではなく、町中の各商店から順番に仕入れているからだ。

 商品のクオリティは平均的だが、他の店で売っている商品についても性能差やメリット、デメリットを教えてくれる。

 営利が第一の目的ではないので、ぼったくられることもなく、交渉の必要が無いため安心して買い物ができるという利点も大きい。

 

 アービィは、往復六日分、探索に予備を含めて三日分、計九日分の携帯食料と、回復薬を十個、投擲にも使えるナイフを五本買い込んだ。

 食料は干し肉とパン、野菜の瓶詰めが一日分ずつひと包みになったレーションと呼ばれるもので、一日分が銅貨五十枚だ。質より量が優先され、腹さえ満たせれば良いというレベルで、味は期待できない。

 回復薬は、体力を回復できるもので、一個が銅貨十枚。ナイフは鋳造の大量生産品で、一本銅貨五十枚だ。

 店を出た後、買い忘れに気付き、慌てて店に戻る。

 

「すみませ~ん、ちょっと今買った荷物預かってもらえますか~?」

 会計カウンターのお姉さんに荷物を預かってもらう。万引きと間違えられないための処置だ。

 

「ひょっとして、呪文使えるようになったばかりかな? 回復セットの説明は要る?」

 カウンターのお姉さんに言われ、呪文の使用回数を回復する回復薬と触媒について説明を受け、回復セットを七個購入する。回復セットは、銅貨八十枚だ。

 

 アービィは基本的に武器を必要としないし、ルティに新しい武器を買うほど懐は暖かくない。

 ルティの防具は充実させたいところだが、当人が二日酔いで轟沈している状態では、何を買っていいのかも解らない。

 アービィは武器防具屋を素通りし、生鮮食品を扱う店で保存の利く野菜類を買った。

 その後、いくつかの店を回って酒を一瓶、安い干し肉を少量買い足し、宿に戻る。

 途中、ギルドに寄って、明日の早朝に討伐に向かうと告げた。

 

 別段、期限を切られている訳ではないので、討伐に行くと宣言する必要はまったく無い。

 だが、そうでもしないとルティが今夜も飲んだくれてしまいそうだし、そうなったら自分が巻き込まれるのは火を見るより明らかだからだった。

 

 

 まだ陽が高いうちに宿に戻ったアービィは、水浴びだけはしてきたらしいルティに酒瓶を渡す。

 

「さっさと飲んで、今日は寝ちゃおうよ。明日、夜が明けたら、すぐに出よう」

 テーブルに干し肉とピクルスを並べ、グラスを二つ置く。

 

「ちょっと宿代払って、水浴びしてくるから、ルティは先に飲んでていいよ」

 すぐに瓶の封を切ったルティを置いて、アービィは部屋を出た。

 

「すみませ~ん、宿代払っちゃいたいんですけど~」

 アービィはカウンターに声を掛け、女将さんが出てくるのを待つ。 

 アービィとしては、ルティに支払いを任せ、その間に水浴びに行っておきたかったのだが、動く気配の無いルティに頼むことを諦めていた。

 

「はいはい、あれ、これから出るのかい?」

 妙齢の女性がカウンターに立ち、アービィに問いかける。

 

「いやいや、明日夜明けに出るんで、先に払っちゃおうかと思いまして」

 この宿の看板娘でもある女将の一人娘に言いながら、懐から貨幣を取り出す。

 

「そうなんだ、ちょっと待ってね。一晩銅貨五十枚で、四日分だから、銀貨二枚ね」

 言われた枚数の銀貨をカウンターに並べて、アービィは世話になった礼を言う。

 

「明日は皆さんが起きる前に出ちゃいますから。お世話になりました」

 

「じゃあ、部屋はそのままでいいから。また戻ってくるんでしょ? 置いておく物があれば預かっとくよ」

 

「ありがとうございます。たいして荷物ないし、全部必要なものなんで、持って行きますよ」

 どこの宿屋でもやっているサービスだが、一応それに対しても礼を言う。

 

「そう、こっちは手間が掛からないだけだからいいけどね。じゃ、またのお越しをお待ちしてるわよ。気をつけてね」

 あと、これはサービスよ、お連れさんがいっぱいお酒買ってくれたからね、と言いながら娘が酒瓶をアービィに渡す。

 いつの間に、と思いながら酒瓶を受け取り、礼を言った後、アービィは水浴びに向かった。

 

 水浴びの後、部屋に戻ると、早々にルティは出来上がりかけていた。

 半分諦めの気持ちで椅子に腰掛け、アービィもグラスを取る。

 

「ルティ、明日は何が何でも行くからね」

 

「な~ん~で~。いいじゃ~ん、気分次第で~」

 既に呑んだくれる気満々のルティに、アービィは死刑宣告のような重々しさで言葉を投げつける。

 

「お金、もう無いからね。ルティだけ牢屋に泊まるの?」

 

 実は、まだお金はあると思っていたが、夜中にアービィが寝ている間にルティは財布からお金を抜き取り、それで宿から酒を買って飲んでいた。

 節約すればあと二、三日くらいは泊まれるはずだったが、きれいさっぱりルティが呑んでしまっていた。

 

 とりあえず、これまで収集した情報を整理する。

 泉に住み着いた大蛇は、全長が15mを超えている。太さも大人がふたりで抱えてもまだ足りないと言われているところから、尻尾の一撃はかなりのものだろう。

 確認されたわけではないが、なんらかの妖術も使うらしい。

 魔封じのアイテムを持っているわけではないので、妖術を使われる前に速攻で倒すしかない。

 

 できる限り早く到着し、それぞれの呪文回復に努め、体力精神力共に余裕のある状態で戦いを挑むしかないということに落ち着いた。

 そうと決まればさっさと呑んで、早く寝るだけだ。

 アービィは干し肉を齧ると、本格的に呑み始めた。

 まだ陽は高く、窓の外の町は賑やかだった。



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第5話

 朝靄の煙る中、フュリアの町の入り口に二つの影があった。

 多少ふらつく脚で歩き始めたアービィとルティは、エクゼスの森に向かう。

 

「だ~か~ら~、呑み過ぎなんだってば、ルティは~」

 

「やめて~、話しかけないで。頭がガンガンする~」

 荷物のほとんどを担ぐアービィがルティに文句を言うが、ルティは耳を塞いだまま歩いている。

 

 街道は早春の冷え込んだ空気が漂い、人影はほとんど無い。陽が昇れば王都に向かう街道へ出る人も増え、賑やかになるはずだ。

 元はと言えばエクゼスの森を通ったほうが王都には早道なのだが、森の中に大きな道を敷くことはできなかったため、主要街道は一度東に迂回する。

 土木工事の技術が発達していないこともあるが、森は重要な食料調達の場でもあり、切り開いてしまうことのデメリットが多いためである。

 

 フュリアの町を出た日の翌日の昼過ぎ、途中食事の間だけの休憩で、予定より一日早くエクゼスの森への道と街道との分岐点に着いた。

 調べた話では、ここから森に入り、二時間ほど進んだところに泉への細道があり、さらに一時間で泉に着くと言う。

 ルティが習得したばかりの呪文を使い、疲労を回復しながらの行程だったので、なんとか一日早く着くことができたのだった。

 ここでしっかりと睡眠を取り、ルティの呪文使用回数を回復する必要がある。

 先にアービィが仮眠を取り、その後ルティが熟睡できるようにアービィが夜通しの見張りに立つ。

 そして翌早朝にアービィが仮眠し、昼前には泉に着くように出立する予定だ。

 

 

 手早く野営の準備を完了させ、干し肉を焚き火で炙り、一切れ齧ったアービィは荷物を確認する。

 案の定見つかった酒瓶をしっかり抱え込み、ルティの抗議に耳を貸さず焚き火の側に転がった。

 しばらくしてアービィの寝息が聞こえ始め、ルティは酒瓶の奪取を諦めた。

 

 ルティはアービィの寝顔を見ながら、考え事に沈む。

 なぜ、この人狼はやさしいんだろう。それ以前に人の側に立っているんだろう。

 村を襲った野盗と魔獣の群れから村人を守った。人狼が人の味方をしたなどという話は、これまでルティは聞いたことが無い。

 

 そもそも人狼とは、魔獣の中でも最強の部類に入る。

 経験を積んだ人狼は、ドラゴンすら倒せると言う。

 それだけではない。人狼は最強というだけでなく、最凶最悪であるとも言われている。

 凶暴性、冷酷性、不死性、呪文への耐性、回復力、その膂力、つまり純粋な力と、どれを取っても「人」が抗える魔獣ではない。

 この少年のどこにそんな力が隠されているのか、不思議としか思えない。

 

 人里離れた山奥に住み、人との交流は持たず、人の前に姿を現すときには殺戮の嵐が吹き荒れる。

 ただ強いだけでなく、人としての知力も兼ね備えている。悪魔の化身とも呼ばれる所以だ。

 人化した際にもその性質は引き継がれ、人として町の生活に馴染むことは無い。

 町に住む人狼の目的は、エサを効率よく狩るためでしかない。

 

 このやさしい人狼も、村に来る前は人を喰らっていたのだろうか。

 村に来た理由は何なのだろう。あたしと逢って以来、まだ人を喰らっていないが、これからどうなるんだろう。

 もし、この人狼が、その本性を現したとき、あたしはどうすればいいのか。

 止めるのか。いや、止められるのか。

 それ以前に、まず、最初に喰われるのはあたしなんだろうか。逃げるのか。逃げられるのか。逃げていいのか。

 間違いなくあたしはアービィを愛している。

 愛する「ひと」がそうなってしまうとき、あたしはどうすればいいんだろう……。

 

 考えれば考えるほど、ルティの思考は混乱していく。

 普段、あれほど飲んだくれるのは、思考の放棄のためだ。

 ずっと、ずっと、一緒にいたい。あなたが人に追われるようなことになってほしくない。

 あたしはあなたを守れるほど武に優れていないし、智に長けてもいない。そんなに強くない。

 この旅は、あなたに強くなって獣化を自在に操れるようになって欲しいから、それだけじゃない。

 あたしが、あなたを守れるような強い人になりたい、から。

 

 陽が沈み、辺りが暗くなってもルティの思考は止まらない。

 ふと、見るとアービィの尻から背中に掛けて蠢くものがある。また尻尾が具現化したのね、ぼけ狼。

 そういえば、アービィの背中、右の肩甲骨辺りには不思議な痣があった。

 文字のような、記号のような。ただの痣じゃない気がする。あれは何なのだろう。

 

 村にいた頃、あなたはいろいろなことを思いついた。頭がいいだけだと思っていたけど。

 川から水を引き、家々に水道っていうものを作った。

 水浴びしかしなかった村に、お風呂ってものを作った。

 水車や風車なんて、おもちゃだと思っていたら、道具として使えることも教えてくれた。

 井戸から水を簡単に汲み上げられる道具も作ってくれた。

 食べたことも無いような料理やお菓子も作ってくれた。

 あれは人狼の知恵なの?

 

 ルティの思考がループに陥った頃、アービィが目を覚ました。

 

「ルティ、頼むから熟睡してね。呪文の使用回数が回復しないからね」

 

 

 珍しくルティは素直に寝た。

 考え疲れていた以上に身体も疲れていたのだろう。すぐに寝息が聞こえ始める。

 辺りの気配に気を配りながら、アービィはさっきまで見ていた夢を思い返す。

 

 記憶に無い街、人。

 その街は石造りの街だった。

 二人が育ったフォーミットの村にも、初めて来た大きな町であるフュリアの町でも見たことのない建築様式だった。

 見上げるような高い、四角い石造りの建物が隙間無く並び、窓には透明な板がはめ込まれている。

 

 道の両側には数え切れないほどの人が溢れ、中央には考えられないスピードで通り過ぎていく鉄の乗り物が整然とすれ違っていた。

 三つの目玉が違う色に光る化け物がウインクするたび、人や乗り物が歩き出し、走り出し、止まる。

 

 街の中には高い橋が川以外のところにも渡され、そこを鉄の乗り物や鉄の大蛇が走る。

 空を見上げれば、巨大な鉄の鳥が羽ばたくことなく、耳を劈くような音を立てて翔け抜ける。

 もちろん、一ヶ所に留まって見た光景ではない。

 その夢の中でアービィは、当然のように鉄の乗り物や、大蛇、鳥に乗っている。

 

 アービィは考え込んでしまった。

 記憶の中に無い光景。明らかに違う文明だとわかる。それも今住んでいる世界より、遥かに発達した文明だ。

 幾つかの道具や知識、食べ物で、今の世界で作れそうなものや実践できそうなことをやってみた。

 夢で見ただけのはずなのに、なぜか元々知っていることのようにできてしまう。

 

 鉄の乗り物や大蛇、鳥も、構造は解る。いや、知っていると言ったほうが良い。しかし、この世界では材料も、部品を加工する技術も、組み上げる技術も、運用する知識や技術も無いことも解る。

 いや、知っている。

 なぜ、知っているのか。

 アービィは夢を見るたびに考え込み、混乱していた。

 

 幼い姿の自分が、両親に慈しまれ育てられている。

 その姿は今の姿とはまったく違う。黒髪に黒い瞳だ。

 同じ年齢の子供たちが、集団で部屋に並んで座り、大人の言うことを聞いている。

 解散した後は、思い思いの遊びをしている。

 その中に自分の姿を見つけるが、やはり今の姿とは違う。

 しかし、それは自分だと思うのだ、いや、判るのだ。

 

 ひょっとしたら、自分はあそこにいたのかもしれない。

 いつか、あそこに帰ることになるのだろうか。

 懐かしい、暖かい場所。帰れるものなら帰ってみたい。あの世界、少なくともあの周りには、戦争も殺戮も無いことは雰囲気で判る。

 

 でもそれは嫌だ。

 愛する「ひと」と別れてまで、行きたくない。一緒にいたい。行くなら一緒に行きたい。

 もし、帰ることになったとき、自分はどうすればいいのだろう。

 忌み嫌われる人狼を、家族として迎えてくれた愛しい「ひと」。

 

 初めて人を喰らおうとして来た村の前で、やさしく微笑んで僕を連れて行ってくれた君。

 両親を説得して、姉として僕を守り、育ててくれた君。

 

 僕が大人の狼に鍛えられ、傷だらけで帰ってくると、何も言わずに手当てしてくれた君。

 君がいたから狼たちは、あの村を襲わなかったんだ。

 でも、僕はまだ、君に何の恩返しもしてないよ。

 

 東の空が白むまで、アービィは夢を思い出していた。

 口を開けて寝ているルティを揺り起こし、しばらく寝かせてもらうことにする。

 

 そして彼は夢を見た。

 見慣れぬ服を着た自分が鏡の前に立ち、後ろを向いた途端に鏡に飲み込まれる夢を。

 

 真っ暗な管の中を滑り落ち、出口が見えた瞬間に滑っていた管が消失し、落ちていく。

 気付くと狼の中に立ち尽くし、自分も狼になっている、つまり、それはこの世で最初にある記憶に繋がる夢だった。



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第6話

 仮眠を交代した時点で、すっかり熟睡したルティは呪文の使用回数が完全回復していた。

 さすがに八時間近く徹夜で見張りをしていたアービィは疲れたようで、横になるとすぐに寝息を立て始めた。

 また夢を見始めたアービィがうなされ始めると、ルティはアービィの頭を抱え、揃えた自分の膝の上に乗せてやる。

 

 アービィの髪を撫でながら、夜が明け切るのを待つ間、ルティは寝る前に考えていたことを再開しようとするが、やはりうまく纏まらない。

 考えることを放棄したルティは、アービィの寝顔を眺めながら、こんな時間がずっと続けばいいと思っていた。

 陽がまた昇り、アービィが起きる気配を感じたルティは、気恥ずかしさから慌てて膝を抜いた。

 

「ごぶっ」

 

「きゃあっ」

 悲鳴が交錯し、頭を抱えてのた打ち回るアービィを、慌てたルティが介抱する。

 

「優しくとは言わないからさぁ、もうちょっと柔らかく起こすとかしてよ」

 

「起こしても、起きなかったくせに」

 アービィはズキズキする頭を抱えルティに文句を言うが、理不尽な嘘で切り返された。

 所詮、言ったところでどうなるものでもないという諦めもあり、アービィはそそくさと野営の後片付けを済ませ、森へと歩き始めた。

 

 

 エクゼスの森に入り、泉への道を見つけた二人は、周囲を警戒しつつ泉の畔まで来た。

 獣の気配はまったく無く、ギルドで聞いた話を裏付ける。

 

「さて、どうやって大蛇を誘き出すかだけど。ルティ、何か良い手はある?」

 

「これだけ生き物の気配がないとエサもないはずだから、ここにいるだけで出てくるんじゃない?

 じゃ、あたしは隠れて見てるね」 

 アービィは、不承不承水辺に降り、水面に石を蹴り込む。まったく人を何だと思ってるんだ、あ、エサか……

 

 魚の気配も無い水面にV字の細波が起き、尖った方をこちらに向け、一直線に近寄ってくる。

 水面を割って姿を現したのは、予想したとおり優美な姿の大蛇だった。

 腰の短刀を抜き放ち、逆手に構えたアービィと大蛇が睨み合う。

 どちらにも隙が無いため、動くことができない。

 

 ふと、大蛇の全身から緊張が抜け、それにつられてアービィが構えを解こうとした瞬間、大蛇の姿が景色に溶け始めた。

 アービィは近くの大木を背にし、背後から襲われる危険性を消した後、周囲の気配を探る。

 

 大蛇が姿を消した辺りに濃厚な気配を感じると、アービィは水辺に近寄り短刀を構え直す。

 再び姿を現した大蛇は、さっきとはすっかり見た目が変わっていた。

 美しいとしか良い様のない裸の女性の上半身に、ちょうど臍の辺りから下に蛇の下半身が生えている。

 

「ラミア……」

 アービィは呟くと、ニヤリと笑みを浮かべる。

 ラミアは少年が浮かべた笑みを虚勢と取ったか、上半身を揺らし、人間には解らない言語で言葉を紡いだ。

 

「アービィっ!! 『誘惑』の妖術が来るわよっ!!」

 ラミアの意図を悟ったルティが木陰から飛び出し、ラミアに向かってナイフを投擲するが、距離がありすぎたためか、近くの水面に波紋を起こしただけだった。

 ルティを意に介さず『誘惑』の呪文を詠唱し、見ているだけのアービィを尻目に完成させる。

 アービィに向かって指を差し、動かないアービィに妖術が掛かったことを確信してから、ラミアはルティに向き直る。

 

「さて、久し振りの獲物ね。

 おいしそうな男の子と、食いでのありそうな小娘か。

 男の子は後の楽しみに取っといて、あなたから喰ってあげる」

 凄艶な笑みを浮かべ、静かにルティに近寄る。

 

「アービィ……」

 ルティはアービィを見たが、惚けたような顔でぼーっと突っ立っているだけだ。

 

 この時点でルティが使える呪文は、『回復』のみ。つまり、攻撃の手段は背負っている剣のみだ。

 実際問題としてルティは、それほど剣が得意なわけではない。

 村を出る際に、持ち出せる武器がそれしかなかった、と言うのが実情だ。

 

 それでも、ただ喰われるわけには行かない。アービィを守らなければ、という意識が、ルティに剣を握らせた。

 不安定な構えでラミアに剣を向け、一気に切り掛かるが、ラミアの動きは素早く、剣は空を切る。

 今度こそはと切り返すが、素手で軽く弾かれてしまう。

 

 じりじりと詰め寄られ、闘気を恐怖が上回った瞬間、ルティの腰が抜けた。

 へなへなと座り込んでしまったルティに、ラミアが尻尾を巻きつけようとしたその時。

 

 空の盥で岩を叩いたような軽い音が響いた。

 ラミアが頭を抱えて蹲る後ろで、ニヤニヤしたアービィが短刀の刃を横にして持ち立っていた。

 

「へ……?」

 ラミアとルティが、同時に間抜けな声を出す。

 

「なんで……平気なの?」

 再度、ハモるラミアとルティ。

 

「そいつは喰わせねぇ。それと、後のお楽しみって何なんだよ?」

 一瞬にして膨らませた闘気に、ラミアは人狼の影を見て全てを悟った。そりゃ、あんな化け物に妖術が効くわけないわ。

 たじろぎながらも逃げられるように構えたまま、虚勢を張りつつラミアは答える。

 

「女は追い返すことにしてるの。男は死ぬまで精を搾り取っていたわ」

 アービィはうんうんと首肯しながら聞く。

 

「つまり、だ。あんなことやこんなこととか……?」

 アービィの問いにラミアは具体的に言おうかとした瞬間、もうひとつの殺気を感じ、首肯するに留めた。

 

「ちょっと、話を聞け」

 ラミアの肩を抱え、ルティに聞こえないように、耳元でアービィが囁く。

 

「僕の想像が正しければだけど……。君は娼館に勤めたらいいと思うんだ。男の精は絞り放題でお金が貰えて、食べたいものも買い放だ――ぷべっ!!」

 皆まで言わせず、先ほどラミアを恐怖させた殺気の元がアービィを張り倒す。

 ほぼ同時に、ラミアの尻尾がアービィを打ち据える。

 

「なんてこと言うのよっ!!」

 三度ハモるラミアとルティ。

 

「だって~、無駄に殺生したくないし~。あんなこととか、こんなこととかできるなら人化できるんでしょ? だったら需要と供給の関係が成立するんだから、平和な解決策じゃないか~」

 再度アービィを張り倒すルティ。

 キャインキャインいいながら逃げるアービィ。

 逃げる機会を失って立ち尽くすラミアが、そこにいた。

 

「いや、ね、それも一度は考えたのよ、娼館。でも、見たところ、あれって、好みじゃない男まで相手にしなきゃいけないでしょ?」

 

「まあ、そうよね。じゃあ、王都あたりで高級娼婦を目指すなんていかがかしら?」

 呆れたルティが提案する。

 

「あれなら拒否権もあるみたいだもんね~」

 いつのまにか側に戻ってきたアービィが同調する。

 

「そうね、それも、ありか、な。最近、ここ、誰も来てくれないのよ。来ても蛇の姿見ただけで逃げちゃうし。河岸替える頃合いなのかもね」

 

「じゃあ、これで討伐完了ってことでいいのかな? 証拠はどうしましょうか、アービィ?」

 ラミアの答えに満足げなルティの問いに、アービィは考え込む。

 通常、討伐の証拠は身体の一部だ。

 ギルドは、この証拠品を魔装品やその材料として売却し、利益を上げている。

 仲介料程度では、旅から旅へと渡り歩き、住所が確定しない冒険者の人頭税までは賄い切れないからだ。

 

 

 この場合、口八丁で泉からラミアを追い出したわけだから、一応泉の状況復帰という目的は達せられた。

 今回は、魔獣の討伐は手段であって目的ではない。

 が、いくらギルドに魔獣がいなくなりました、と言ったところで証拠がなければどうしようもないのだ。

 

 ラミア自身がギルドに出向くなど、論外中の論外。町中がパニックになる。

 身体を切り取るのも論外だ。偽者を仕立て上げたり、偽物を作るのも、バレたら二人とも牢屋行きだ。

 さて、困ったね、とアービィは考え込んでしまった。

 

「このティアラじゃだめかな?」

 ラミアが髪に着けていたティアラを差し出す。

 

「これが無いと妖術が使えないのよ。

 鑑定士が見ればラミアの持ち物ってことくらいは判るはずよ」

 

「もう、妖術は使わない、ってこと?」

 驚いたルティが聞く。

 つまり、魔獣としては生きられない。妖術が使えないラミアはそれほど戦闘力が高くない。

 今後、どこかで人を襲えば、あっというまに討伐されてしまう。

 人化して、町に溶け込むしか生きる術は無いのだ。

 

「そう、妖術はいらないわ。

 魔獣全てが人に害をなそうと思っているわけじゃないもの」

 

 とりあえず、ラミアのティアラを討伐の証拠としてギルドに提出し、依頼を完了させることにして、フュリアの町に帰ることにした。

 ラミアは、王都に向かうつもりだが、女一人で旅させるのは危険じゃないかと言い出し、当面一緒に行動することになった。

 ルティは反対したが、危険なのはラミア自身ではなく、途中で襲った男のほうじゃないかとアービィに言われ、渋々承知した。

 あなたに言い寄りそうなのが一番嫌なのよ、気付け、ぼけ狼。

 

「ところで、名前は、ラミア?」

 

「そーねー、以前人化していたときには、ティアって名乗ってたわ」

 人化してたのかい、というルティの突っ込みを無視して、アービィは自己紹介をした。

 

「じゃ、よろしくね、ティア。僕はアービィで、こっちはルティね」

 

 

 フュリアの町に向かう途中の野営地で、酔い潰れたルティを寝かし、アービィとティアが不寝番の暇潰しに話している。

 これからのこと、人との係わり合い。心配の種は尽きないが、人化の経験が皆無ではないティアなら、なんとか暮らしていけるだろう。

 娼婦になれとは、あの場の咄嗟の思い付きでしかなく、アービィとしては自分のように人の間に溶け込んでほしい。

 狼の里で感じていた冷たさと、ルティと家族として過ごしていた時期に感じた温かさとの差から、ティアにもそんな温かさを感じ取ってほしいと思っていた。

 

 朝、二日酔いのルティが起き、野営地を引き払って三人が歩き出す。

 

「あたしね、決めたの」

 突然ティアが言い出した。

 

「王都に行くのも良いんだけど、あなた達に付いて行きたい」

 

「なんでよ~、あたしは、魔獣使いじゃないんだからっ!!」

 ルティが叫ぶ。

 

「いいじゃない、楽しそうだし」

 意に介さないアービィ。彼は純粋に楽しそうだとしか思っていない。

 ルティは解っているようね、あたしの狙い。じゃあ、宣戦布告でいいかしら。

 

「はっきりした態度じゃないと、奪っちゃうからね」

 ティアは、ルティを指差し、宣言した後、騒ぐルティを無視してアービィの首に抱きつき、唇を近づける。

 

 もう少しでお互いの唇が触れ合うというところで、ティアは目を閉じた。

 数瞬の後、ティアの唇に、明らかに唇とは違う冷たい感触が伝わる。

 目を開けたティアが見たものは、きょとんとした表情でお座りをしている、巨大な狼だった。



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第7話

 「ねぇ、あなたたちは、この後どうするの?」

 ティアに聞かれ、ルティは王都を経由し、火の神殿、地の神殿、風の神殿と巡るつもりだ、と今後の予定を話す。

 

「ふ~ん、その後は?」

 ルティは少し考え、本当の目的を話す。

 

「アービィが獣化をコントロールできるようにするのが目的なのよ。だから呪文を使うことで精神力を養ってほしいの。で、その後は安心して暮らせる町に落ち着きたいわね」

 

「じゃ、ルティはアービィと結婚するつもりなの?」

 

「け・け・け・けっ……こん? ちょ、いや……姉弟よ、あたしたちはっ!! そ・そ・そ……」

 一瞬で真っ赤になったルティは、必死に誤魔化そうとするが、ティアはからかってばかりだ。

 

 フュリアの町に戻り、討伐の証拠としてラミアのティアラをギルドに提出し、報酬を受け取って懐が暖かくなった三人は、少し贅沢な宿を取った。

 三人相部屋ではなく、アービィは一人、ルティとティアが同部屋になったため、ガールズトークが繰り広げられていた。

 

「じゃあ、あたしも一緒についていって、アービィと結婚しちゃうってのもありね」

 

「ラミアと人狼のハーフなど聞いたことは無いっ!! 却下っ!!」

 

「うるさい小姑だこと」

 エクゼスの森からフュリアの町まで来る間、二人の交わす会話からお互い惹かれあっていることは理解できていたが、はっきりと恋愛関係になっていない二人をからかうのが楽しくてしょうがない。

 なんだかんだ言って、うまくやっているルティとティアだが、いろいろと火種は絶えなかった。

 

 

 ティアは、化け物扱いしないでくれた二人に感謝しているが、楽しいことは楽しいのだ。

 魔獣として生きていた頃より、格段に楽しい。

 かつて人化していたこともあるので世事に困ることは無いが、人をエサとしてしか見ていなかったときと違い、ルティやアービィ以外の人との交流は新鮮だった。

 魔獣同士に連帯感など無いため、アービィを特別視することもないし、ギルドで討伐の仕事を請け負うことに抵抗も無い。

 

「ところでティア、聞きにくいんだけど……食べ物って普通に食べられるの?」

 ルティとしては、普通の『人』として付き合いたい。できれば『男の精』を搾り取ることはご遠慮願いたかった。

 もう少し年齢を重ね、その辺のことも解ってくれば、また話は違うのだろうが。

 

「う~ん、それは平気だし、それだけでも生きていられるけど……男の精は欲しいわね。そういう種族だし」

 

「サッキュバスとどう違うのよ?」

 今ひとつ違いが分からないルティ。

 

「あいつらはね、それしか能が無いのよ。あたしらとは違うわ。一緒にすんな。でも精は欲しいわ~」

 

「搾り取っちゃったら、相手は死んじゃうんじゃないの? そういうことなら遠慮してほしいっていうか、やめて欲しいんだけど……。そういえば、精を搾り取るって、どうやるの?」

 想像は付くが、一応確認してみる。

 

「あなたたちと変わらないわよ、することは」

 

「へ? 変わらないって?」

 

「えっちよ、えっち」

 また真っ赤になるルティ。

 

「じゃ・じゃ・じゃあ、ここでするってこと?」

 

「そうね、でもあたしは気にしないわよ」

 

「あたしが気にする~っ!!」

 冗談じゃない、見たくないわよ、と心の中で叫ぶルティ。

 結局部屋に男を引っ張り込むということなのだが、同じ部屋でして欲しくはないし、聞いていて気持ちのいい話でもない。

 

「死にはしないわよ、加減すれば。いままでは加減する必要も無かったから、死ぬまで搾り取っちゃったけどね。いいじゃない、お互い気持ちよくなって、あたしはお腹も膨れるんだから」

 

「別の宿に一部屋取ろうか?」

 これが普通の人相手であれば、ふしだらだとか非難のしようもあるが、種族固有の行動とあっては完全否定もできない。

 

「アービィと同部屋になればいいじゃない、あなたが。今までだってそうしてきたんでしょ?」

 

「まぁ、そうといえばそうだけど……」

 となりでそんなことはしてほしくない。

 

「じゃ、あたしがアービィと同部屋になって……」

 

「嫌だ断る駄目だ絶対駄目却下っ!!」 

 皆まで言わせず、真っ赤になって怒鳴り散らすルティ。

 真っ赤になったのは怒りだけではないと思う。

 

「そんなら、いいじゃないの、ルティとアービィが同じ部屋で。あたしはあたしでよろしくやるわよ。聞こえるようにしてあげようか? そしたらアービィも獣(ケダモノ)になってくれるかもよ?」

 またそこに戻り、炊きつけようとするティア。

 

「だから、あたしたちは姉弟なんだし……そういうこと……しようとすると……本物の獣になっちゃうし、あのぼけ狼は……」

 後半は心の中で呟くルティだった。

 隣の部屋には、なんとなく背筋が寒くなった狼がいた。

 

 

「ところで、本当に魔獣討伐に抵抗は無いの?」

 強引に話を切り替えるルティ。

 

「うん、全然ないわ。別の生き物だもの。あなたたちだって、魔獣じゃなくても危険な動物や盗賊とかなら討伐するでしょ? それと一緒よ」

 さらっと答えるティア。

 

「よかったわ。お金は湧いてくるわけじゃないし、さすがに面倒は見切れないもの」

 ルティの心配は、『精』のことと、魔獣討伐だったので、かなりほっとする。

 

「二、三日はゆっくり休むけど、すぐにギルドで仕事請けるからね。その前にティアの装備を揃えなきゃね」

 ティアは、ラミア本来の姿であればそれなりの攻撃力、防御力ともにあったのだが、ティアラを失った今、姿を変えることはできなくなっていた。

 

「うん、すごく楽しみなんだ、それ」

 

「代金は貸しといてあげるからね」

 

「ま、出世払いの催促なしでお願いするわ」

 返す気などまったくないという風でティアが答える。

 

 ティアラがないとラミアは妖術も使えなくなるため、水の神殿で精霊と契約し、白か黒どちらかの呪文を使えるようにしておきたい。

 呪文に頼らない力任せの戦い方でも充分通用する下地はあるのだが、呪文が使えたほうが便利ではある。

 ラミアのティアラは高価な魔装具として、市場に出回ることがあるので、もし見つけたら買っておきたいところだ。もっとも金貨二、三枚程度の値はするので、気軽に買える物ではないが。

 

「ティアってスタイルいいし、可愛いし、羨ましいわ……」

 ティアの胸元を見つつルティが呟く。

 改めて見れば、ティアは均整の取れたプロポーションのうえ、あどけなさを残した可愛い顔立ちをしている。

 肩より下まで伸ばした銀の髪は、白髪とは違う輝きを見せている。

 

「でしょ、この姿が一番成績良かったのよ」

 わざと胸を揺らせ、ティアが答えた。

 

「えっ? この姿がって、どういうこと?」

 

「うん、ラミアには本来顔ってないのよ、口だけしか。あとは好きに弄くれるの」

 まったくイメージが湧かない。顔が無い?

 

「じゃあ、もしティアラがあれば、全然違う顔に変えられるの?」

 

「そうよ~、鼻から上だけならいくらでも。ルティそっくりにだって、アービィそっくりにだってね。でも、口は変えられないから、誰かに成り代わることはできないわよ」

 アービィに成り代わってルティをおちょくることができないのが残念ね、と笑う。

 変わっていく瞬間を見てみたいと思うルティだった。

 

「じゃあ、明日は神殿に行って、そのあと武器防具屋巡りかな」

 

「そうね、じゃあ、そろそろ……」

 いい加減眠くなったティアが、寝ましょうか、と言おうとしたが。

 

「アービィ呼んで呑みに行こうか?」

 

 

 翌日、二日酔いというより酔っ払った状態で神殿に行き、不敬であると追い返された三人組がいたとか。



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第8話

 ルティとアービィが育ったフォーミット村は、大陸の南端にある。

 

 いびつなアラビア数字の8に似た形をした大陸は、狭い地峡により陸続きではあるが、南北に分かれていた。

 比較的温暖な気候の南の大陸には四つの国があり、それぞれが前述の地水火風の神殿を祀っている。

 

 東西南北にほぼ均等に大陸を分割した各国は、精霊が加護するかのように風土、産業に特色を持った。

 ルティたちの住む水の神殿を祀るインダミトは、南から北に向かってなだらかな傾斜を持つ国土で、幾筋もの河川が流れている。

 大河の中には他の三国を流域に納め大陸最北まで流れる大陸最大のグラース河もあり、水運を活かした商業や加工業が発達した。

 

 それなりの地下資源も持っているが、採掘に伴う国土の破壊や、鉱毒被害は無視できず、宝の持ち腐れになっている。

 中でも致命的なことは、鉱物資源のほとんどが、グラース河の支流に存在していることだ。

 もし、この地域で大規模な採掘事業を行えば、グラース河の流域に鉱毒による住民の健康被害だけではなく、一帯の第一次産業が壊滅し、二次被害は国の根幹をも揺るがしかねない。

 さらには、他国への被害もあるため、微妙なバランスの上に成り立っている南大陸の平和すらぶち壊しにしかねない。

 

 このためインダミト国では、他国の飲料水や農工に不可欠の『水』を握っているにもかかわらず、大陸内では少々立場の弱い交易を主とする商業国として生きるしかなかった。

 兵を集め、覇を唱えることも充分可能でありながら、戦乱の引き金を引いた国、と言われることによる不名誉を甘受したくないという、王の意向もあった。

 

 

 大陸の東に存在するビースマック国は、鉄鋼の国だ。

 

 峻険な山岳地帯が多く、人口はさほど多くないが、国そのものが要塞と化している。

 地の神殿を祀るこの国は、山岳地帯に降る雪に支えられた水資源や、そこに眠る地下資源も豊富だ。

 短く急流ばかりの川は、大陸の東に広がる海に注ぐものがほとんどで、採掘に伴う鉱毒被害や河川の氾濫が他国に影響を及ぼす心配がほとんど無い。

 

 が、平坦な地形が少なく、せっかくの資源を加工し製品として付加価値を付けるための場所を、それほど多くは持てなかった。

 もし、充分な平野がビースマック国にあるならば、南大陸の覇者となっただろう。

 

 しかし、他国の領土を侵食してまで国土を広げることに価値観を見い出すことのなかった歴代の王の意向もあり、他国へ資源を輸出し、見返りに製品を輸入することで、南大陸内での地位を確立していた。

 そこにはインダミト国同様、戦乱の引き金を引いた国という誹りを受けたくないという、王の意向もあった。

 

 

 西に位置するストラー国は、国土の大半が平野を占める、酪、農業を主とした国だ。

 穏やかな気候の下、優秀な生産技術で他国への食料供給により、南大陸内での地位を確立していた。

 人の食料のみならず、家畜家禽の餌料までを余裕を持って生産できる肥沃な国土を持っている。

 

 が、それはグラース河の恩恵によるもので、自国独りが孤立を守れるものではない。

 何れの国も、かつて南大陸に覇を唱えた帝國の末裔であると自認していたが、ストラーこそ正統なり、という誇りを持っている。

 それは他国の技術力や経済力に対し、尊大な態度でしか自らのプライドを守れないという劣等感の裏返しでしかなかったが。

 

 もちろん、食料を供給できるということは、何よりもの強みでもあるのだが、兵力でも他国を圧倒したいという欲求も、またあった。

 それ故、国力に不釣合いな兵を抱え、他国に比べ多くの国家予算が軍事に費やされている。

 それを感じ取っている各国は、ストラー国の重要性を認めているがために、煽てたり、下手に出たりで尊大な国王を手玉に取っていた。

 

 国王は、国の持つ力と自分の力が同等と思いこみ、他国に対する態度はあくまで尊大だった。

 特権意識の権化のような貴族や騎士階級が幅を利かせ、経済の要である庶民は虐げられている。

 風の神殿を祀るこの国は、様々な問題を孕んだまま、商人たちの懸命な努力で崩壊を免れていた。

 

 

 最も北にあるラシアスの国は、地峡を挟んで北の大陸と対峙している。

 

 起伏に富んだ国土は農業に適した地は少ないものの、海沿いには天然の良港を多数持ち、沿岸にはいくつもの好漁場が存在する。

 

 南の大陸の住民が蛮族と呼ぶ北の民は、ラシアスの国土だけではなく、温暖で暮らしやすい南大陸を狙っている。

 絶え間ない侵略に対し、南大陸の盾を自認するこの国は、大陸の防衛に多大な時間を取られ、産業も発達できずにいた。

 政情は安定しているが、それは敵があってこそだ。

 王を中心に民は纏まっているが、漁業以外の産業を育てる余裕がない。

 その漁業すら、遠洋漁業の技術が未発達のこの世界では、他国に比べてまだマシといった程度の規模でしかない。

 勢い、他国の製品を輸入することになり、それを以って蛮族に相対するが、自国には生産能力がほとんどない。蛮族の撃退に、手一杯の状態だ。

 当然一国で蛮族に対する軍事費をすべて捻出できるはずも無く、他国からの資金や物資の援助で辛うじて凌いでいる。

 金だけ出して血を流さない他国に対し不信感をもつラシアス国だが、国民の「大陸の盾」としてのプライドが、火を祀る国を崩壊の淵へと転落することを防いでいた。

 

 

 蛮族と呼ばれる北の民は、統率者となる王がいない。

 部族ごとに、欲求の赴くままに暮らしている。

 

 暗く、長く、家から出ることすら儘ならない冬。

 風は吹き荒れ、雪が叩きつける冬。

 人を養える土地は少なく、家に篭れば娯楽などセックス以外ほとんどない。

 子は増えるが、増えた子を食わせるには南方に進出するしかない。

 瞬きするかのような春から秋にかけて、あらゆる物を収奪しなければ次の冬は越せない。

 

 同じ北の民同士で繰り返される襲撃や収奪、殺戮の歴史は、彼らを最強の戦士に育てるための歴史でもあった。

 

 春から秋は、生まれた子を育て、長い冬ごもりに備えるための季節でしかない。

 彼らにとって、凍らない土地、河、海は、憧れ以外の何者でもない。

 地峡を通り抜け、温暖な大陸に移住することは、彼らの悲願でもあった。

 

 極北の地には、魔王の城があるともいわれ、季節を問わず集落を襲う魔獣もまた、彼らが南下する要因でもあった。

 

 南の大陸四国家では、北を征服し安全を確保するより、地峡を利用し、北の民の南下を防ぐ方が効率がよいと判断され、地峡にある要塞を築くことで対処している。

 

 

 娯楽をセックス以外に見いだせない彼らの地でも、近交劣化は経験的に知られていた。

 自らの生の痕跡を残すために、男も女もお互いを求め合う。その結果、数世代のうちに、集落は近親者ばかりになってしまう。

 打開するためには他の集落との交流しかないが、限られた生存の場を奪い合っていた彼らに平和的な交流などという発想はなかった。

 

 極めて希に友好的な血の交換もあったが、基本的には他の集落を襲い、子を産める女以外をは皆殺しにしてその集落を乗っ取る、の繰り返しだった。

 今現在で性成熟していない他部族の幼子を育てるなどという発想は皆無で、適齢期といわれる女以外は生かしておく余裕もなかった。

 

 ごく希に奴隷として南の大陸に幼児が売り払われることもあったが、殺されなかっただけマシと考えていいものか、判断に苦しむことでもあった。

 幼い頃から、家の中に限らず至る所でセックスを目の当たりにしていた民にとって、性的な禁忌もほとんどないうえ、羞恥心も薄いため、娼婦としての価値は高かった。

 北に住む民の特徴として、金髪碧眼であることも、異国情緒としての希少価値になっていた。

 そして、これが更に偏見と差別に拍車を掛けることになっていた。

 

 北と南の宗教も、偏見と差別を生み出す要因となっている。

 南の四国家は、それぞれの祀る精霊を信仰しているが、国家間に宗教上の対立は無い。

 

 唯一神マ・タヨーシが祝福した四大精霊という位置付けで、微妙な教義の解釈の違いはあるが、緩やかな一神教であるためか、互いに対立を生み出すほどではない。

 原理主義者は自らの奉信する精霊こそ、唯一絶対の神から祝福されし精霊と言い、他を排斥しようとするが、それはごく一部だけだ。

 

 対して北の民は、部族集落ごとに信仰する精霊や神が異なる多元的な多神教である。

 それぞれに対立は見られず、お互いを認め合うか無関心であり、マ・タヨーシすら数多の神の一柱として、信仰の対象になっている。

 

 しかし、南の四国家におけるマ教では、北の民が信仰する神は全て邪神か悪魔と位置付けられていた。

 長い歴史の中でマ・タヨーシを崇めるため、各地の民話を取り込み、都合良く解釈した結果ではあるが、自らに同化しない北の民を貶めるため、という意志も働いていた。

 

 マ教自体に他宗教排斥や教化の教義はないが、一部の為政者は北の脅威を必要以上に煽るため、原理主義者や純朴な信者を利用していた。

 

 さらに南の大陸で使用される呪文と、北の民が使用する呪文は異なる。

 四大精霊呪文のほとんどが現象を操るものであることに対し、北の民が使用する呪文は精神に作用するものが多い。

 系統立った研究はされていないが、どちらかと言えば悪魔や悪霊が操る妖術や、催眠術に近い。

 この点からも南の民は、北の民を魔獣同等に見做していた。

 

 同じ人同士、ましてや魔獣から逃れた民を、南の大陸国家が拒むとは思わず避難してきた北の民を待っていたものは、偏見と差別、そして迫害だった。

 

 

 この偏見や差別、迫害といったものは、南の大陸の北に行けば行くほど強くなる。

 ルティたちが育った南の地方では、お互い相容れない民、といった程度の認識で、移住や売られてきた北の民が石持て追われるほどではない。

 

 少々規模が大きな町には娼館があり、そこには数人の北の民がいた。

 貴族や騎士階級、大商人と呼ばれる家には使役される奴隷がおり、そのほとんどは北の民である。

 が、北の地方では、娼婦以外に南大陸で生きる術は無く、見かければ狩りの対象になる地方すらあった。

 

 魔獣の南大陸への直接侵攻を防ぐ盾として、北の民を支援するという発想は無く、両者の間には埋め難い深い溝が横たわっていた。



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第9話

 「あ~、酷い目に遭ったわ。神官様のお説教責め、石の床に正座付き。まだ、脚が痺れてるみたい……」

 宿のベッドに腰を下ろしたルティがぼやく。

 

「なんなの、あの拷問は……。初めてよ、あんなつらい目に遭ったのは。人間ってよくもまあ、あんなこと思い付くわね」

 ティアは文句を言いながら椅子に座っているが、上体をテーブルに投げ出している。

 

「しょうがないじゃないさ~。へべれけの状態で神殿に乱入したら、そりゃぁ叱られるって。確かに、ティアには拷問だよね。普段はとぐろ巻いてりゃいいのが、いきなり脚を折りたたむんだもんね」

 ルティに関しては達観したアービィが文句を言いつつ、ティアには同意する。

 

「で、僕はいつまで、ここで正座してればいいの?」

 

「あれほど言ったのに、また獣化したまま出て行こうとしたからでしょっ!!」

 ルティが怒鳴りつける。

 

「だから、大声で言っちゃダメだって。それに耳と尻尾だけだったじゃないか~」

 敵わぬまでも反論するアービィだが、ルティの勢いは止まらない。

 

「この世のどこに狼の耳と尻尾つけてうろつく馬鹿がいるのよ!?」

 

「でもさ~、あれ可愛かったわよ、ルティ。あのまま行ってたら、きっと女の子に大人気だったんじゃない?」

 ティアは余計な茶々を入れ、アービィを庇う振りをしてルティを煽る。

 

「そういう問題じゃないでしょっ!!」

 ただでさえ、年上のお姉様から可愛がられそうな顔立ちのアービィだ。

 『付け耳』『付け尻尾』なんかしてたら、いったいどうなることやら。ちゃんと動くし。あれは、あたしだけのものなんだから。

 

「だいたい、酔っ払ったまま出て行こうとするからじゃない」

 危うく口に出しそうになり、無理矢理話を戻そうとして、ルティは自爆した。

 

「ほ~、酒場からの帰り道で酒買った人は、どこのどなた様でしたっけ?」

 アービィが反撃する。

 

「あまつさえ、意識が飛びかけてたあたしの口に、無理矢理酒瓶突っ込んでくださったお姉様は、どちら様?」

 ティアが追撃する。

 

「え……いや……、あの…それは………てへっ」

 ルティは思わぬ反撃にしどろもどろになる。

 

「てへっ、じゃなぁいっ!! ティア、君も偉そうなこと言わない。そのまま一瓶飲んじゃって、すぐ追加を買いに飛び出しちゃったでしょ。ルティも止めに行くのかと思ったら、一緒に買いに行っちゃうし。女の子が肩組んでラッパ飲みしながら街中練り歩くって、どういうこと?」

 アービィがティアにも矛先を向ける。

 

「あれは……ほら……、だって……」

 まさかこっちまで来るとは思っていなかったティアは、初めて見るアービィの剣幕に涙目になっていた。

 

「二人とも、罰として、僕がいいって言うまで、そこで正座っ!!」

 

「ごめんなさぁ~い」

 

「ごめ゛ん゛な゛ざぁ~い」

 

 二人を放置し、部屋を出るため、アービィはすっくと立ち上がった。

 が、痺れ切った脚は完全に感覚が消え失せていたため、その場で前のめりに倒れ込む。

 テーブルに頭から突っ込んだアービィは、そのまま動かなくなった。

 

「ちょっと……あたしたち、アービィが目を覚ますまで、このまま?」

 逃げればいいのに、妙に素直な二人だった。

 

 

 インダミト王国の王都エーンベアでは、最近行方不明者が頻発していた。

 治安は大陸の中でも良い方だが、特定の裏通りに入ればこの限りではない。

 もともと貧民窟の人口など把握できるはずはなく、その辺りで多少の行方不明者が出たところで誰も気にも留めない。

 エーンベアに限ったことではなく、少々規模が大きな街では当たり前のことだ。

 しかし最近は、貧民窟の住民ばかりでなく、一般居住区の庶民、貴族や騎士階級からも行方不明者が頻発している。

 警備隊が捜索に当たっているが、行方不明者は増えるばかりだ。

 自分たちの家族や仕えるべき貴族にも行方不明者が出るに至り、王宮騎士団も傍観しているわけに行かず、重い腰を挙げた。

 大規模な人買い組織が煽りを食って幾つも潰されたが、彼らは今回に限っては無関係で、行方不明者の足取りは全く掴めず、その数もまた増えていた。

 

 夕暮れ時の喧騒が聞こえてくる王都の裏通りの一角で、二人の男が対峙していた。

 最初は、肩が当ったの当らないのと、ありがちな難癖から始まったが、今ではどうも雰囲気がおかしい。

 

 片やどこにでもいる破落戸のような、目つきの悪い男。

 もう片方は、フード付きのロングコートを纏った男。フードを目深に被っているため、その表情は判らない。

 

 破落戸が、肩が当たっただろうと因縁を付け、裏通りに引きずり込んだのだが、その通り、肩を当てたのはロングコートの男だった。

 破落戸は金を出せだの、身ぐるみ剥いでやろうかだの脅しているが、男は全く動じない。

 

「グダグダ抜かさず……早く獣化したらどうだ、人狼」

 低く男が言い放つ。

 一瞬の間があり、破落戸は目を見開いた後、男に向き直って身構える。

 

「なんだ……判ってやがるんじゃねぇか。なら、お望み通り……お前の脳を喰ってやろうか!!」

 そう言うなり顔だけが狼に変化し、男に飛びかかる。

 

「ふん、全身獣化もできねぇ屑め……」

 一気に間合いを詰めてくる人狼に動じることなく、男は吐き捨てた。

 人狼の振り上げた手が、男に向かって振り下ろされようとしたその刹那、コートを跳ね上げ、両の腰に佩いた短刀を抜き放つ。

 

 切っ先が下から人狼の鼻先を掠めたと思った瞬間、大上段に振りかざした両手の短刀が、人狼の頭に叩きつけられた。

 まるで豆腐を切るかのように、何の抵抗もなく振り下ろされた短刀は、人狼の身体を縦に三つに切り裂いていた。

 

「けっ、手応えもねぇ……もっと強ぇ奴がいるんだろう? 次はそいつを用意しとけ」

 

 

 切り裂かれた人狼が着ていた服をもとに、人化していたときの足取りが追われ、住処が突き止められた。

 そこからは多数の人骨が発見され、一部残った衣服から、それは頻発していた行方不明者のものと判明した。

 それから王都で、行方不明者が出ることは無くなった。

 

 

「酷い目に遭った……」

 三者三様に、この日二度目の同じセリフを言う。

 

 フュリアの街の夕暮れ時、アービィとルティ、ティアは、水の神殿で精霊との契約を無事に済ませてから、武器防具屋に向かっていた。

 ティアはかなり悩んだが、この先ラミアのティアラが取り戻せるか、新調できれば呪術を使えるようになるので、白魔法を選んでいた。

 

「さっきは驚いたわ。アービィったら、倒れた後、痙攣し始めちゃうんだもん。もう大丈夫?」

 心配そうにティアがアービィの顔を覗き込む。

 

「脅かさないでよね、本当、馬鹿なんだから」

 内心では心配でしょうがないのだが、表情には出さず、アービィの頭をぺしぺし叩きながらルティが言う。

 

「脚が痺れてただけじゃなく、貧血も起こしたんじゃないの? 格好つけていきなり立ち上がったりするからよ」

 あんまり心配させないでね、とルティは心の中で続ける。

 

「ごめん、ごめん…いやぁ、立ち上がって歩き出したと思ったんだけどさ~。気付いたらベッドにいるんだもん。びっくりしたよ」

 二人懸かりでベッドまで運ばれたアービィが、目を覚ましたときに最初にみたものは、涙目でおろおろしているふたりだった。

 まだ正座止めて良いっていってないけど、まぁいいか。珍しいもの見れちゃったし。

 

 

 アービィという、ある意味最強の前衛がいるため、ティアまでが無理して前に出る必要はない。

 むしろ後衛でルティと連携した方が、戦術の幅が広がる。

 ルティの武器は近接戦闘用のブロードソードなので、ティアは中遠距離支援用として弓矢を、護身用としてダガーを二振り購入した。

 

 防具は、動きやすさに重点を置きたいティアの意向で、軽量のチェーンメイルと革鎧にした。

 ついでにルティにもチェーンメイルを新調する。

 ルティのチェーンメイルは既製品でぴったり合うサイズのものがあったが、ティアのほうは多少手を加えないと入るものがなかった。

 主に胸とか、胸とか、胸とか。

 

「丈はちょうどだし、ウエストもいいんだけどね~」

 ちらりとルティを見てから、アービィに言う。

 

「ま、後数年してご覧なさい、垂れちゃって大変なんだからね」

 カチンときたルティが、聞こえよがしに呟く。

 

「あら、もう200年はこの体型維持してるのよ。ルティは垂れる心配皆無だもんねぇ~」

 気にも掛けないと言わんばかりに、平然と言い返すティア。

 

「それってずるくない? 何よ、心配皆無って!? まだ育つんだから!! それに…200年って何、いつまで生きる気よ!!?」

 ムキになって言い募るルティ。心の中では血の涙が流れている。

 

「まだ……ねぇ……ラミアは500~600年くらい生きるのよ。体型なんて変わらないし。アービィはどんなプロポーションが好み?」

 ふっ、と軽くため息をつき、肩を竦めてみせながらティアが答える。

 何気なくトドメを刺している。

 

「口が減らないわね、後天性年齢過多」

 アービィに話を振られ、答えを聞きたくないルティは矛先を自らへと変えさせようとする。

「口が悪い子ね、先天性胸部未発達症」

 鎧の上に羽織る外套を選びながら、にこやかに会話を続ける二人に、アービィは恐怖した。

 

 

 必要な物が一応揃い、一度宿に荷物を置きに戻る途中、アービィは二人と別れギルドに寄った。

 装備や所持品を揃えたことで、残金が心許なくなってきている。

 宿はあと二泊が限度だ。当座の日銭を稼がなくてはならない。

 

 ティアも、人間流の戦闘に慣れなければならないし、自分も呪文に慣れなければいけなかった。

 掲示板を眺めるが、手頃な討伐依頼がない。

 

 端から順に見ていくと、フュリアからエーンベアまで行く旅人の護衛の依頼があった。

 とりあえず明日にでも面接して決めたいとのことなので、先方に会いに行く約束を取り付けてもらう。

 明日の朝、再度ギルドに来てから先方の時間希望を教えてもらうことにして、アービィは宿に向かった。

 

 

 宿に戻り、食事に誘うため二人の部屋に行くと、ルティはベッドでシーツにくるまって座っていた。

 視線は虚空を彷徨い、ときどきぶつぶつと何事かを呟いている。

 

 テーブルを見ると、既に空になった酒瓶が一本転がっていた。

 その横では、勝ち誇った表情のティアが、優雅にグラスを傾けている。

 

 どうやら第二ラウンドがあり、ティアのKO勝ち、それも圧勝だったようだ。

 軽い目眩を覚えつつ、アービィはテーブルに着き、無言で空のグラスをティアに差し出した。

 

 

「ルティも聞いて。明日、護衛の依頼の面接に行くから。朝一番でギルドに行くよ。エーンベアまで行く護衛だからね。上手く行けば旅費が掛からずに行けるかもしれないよ。絶対寝坊とか、しちゃダメだからね。これ逃したら、ここに泊まるお金無いから」

 もそもそとシーツからルティが出てくる。

 

「え~、お高く泊まった貴族とかだったらやーよ。でしょ、ティア」

 目が腫れぼったくなっているところを見ると、本気で泣かされたらしい。

 

「背に腹は代えられないのよ。あ、ルティはどっちでも一緒?」

 追い打ちというか、今度こそトドメか。

 

「いいわ、今日は引いてあげる……今日の負けは明日の勝ちに繋がるのよ……

 何とでもお言いなさい……あは。……はは……ははは……うわあああああああんっ!!」



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第10話

 そして夜が明けた。

 三人は、眠い目を擦りながらギルドに向かう。

 

 一晩泣いたらすっきりしたのか、ルティとティアの間にギクシャクした雰囲気はない。

 アービィが心配するほど、二人は本気で喧嘩していたわけではない。

 ルティの自虐を含め、それなりに楽しんでいたらしい。おろおろするアービィの様子を楽しんでいた節もあるが。

 

 ギルドが開き、受付カウンターで面接の時間を聞くと、すぐに依頼主もこちらに来るという。

 ギルドのロビーで待っていると、歳の頃は十四、五歳くらいの少女と、執事だろうか五十絡みの紳士が入ってきた。

 ギルド職員の仲介で互いに挨拶を交わし、面接が始まる。

 

「さて、この度はわたくしどもの依頼にご応募いただき、ありがとうございます。わたくしは、ボルビデュス家の執事をしております、クリプトカリオン・イリタンス・ウーディニウムと申します。長い名前では呼び辛かろうと思いますので、わたくしのことはクリプトをお呼びください。こちらはボルビデュス伯爵家の次女、レイテリアス・ヒュデロッティ・ボルビデュス様でございます」

 こちらが若いにもかかわらず礼儀正しい、程よく気さくさも漂わせた紳士が自己紹介する。

 

「あ、ご丁寧にどうもありがとうございます。僕はアービィ・バルテリー、こちらがルティ・バルテリー。その横がティア・バリスネリアです」

 アービィも丁寧に自己紹介する。

 

「ほほう、ファミリーネームが同じということは、アービィ殿とルティ殿は、ご夫婦で?」

 

「はいっ」

「姉弟です」

 ルティが元気よく答え、皆まで言わせずアービィが被せる。

 ちょっと嬉しいアービィだが、恥ずかしさから即否定してしまった。

 ルティの視線がきつくなったことには、殺気と共に気付いていた。

 横ではティアが肩を震わせている。

 

「ご姉弟で冒険者ギルドに登録なさっているのですか。さて、ここからエーンベアまでの道中を護衛していただくわけですが、皆様がどれほどの実力をお持ちかも知らずに依頼するほど、わたくしどもは命知らずではございません。現在までで最強だった相手を教えていただけますか?」

 当然だ。特にギルドメンバーのクラスやレベルが決められているわけではない。

 相手の実力を測ることは、当たり前のことである。

 

「え~っと、そこのカウンターで確認してもらえれば分かることですが、つい先日、ラミアを討伐してきました」

 ティアが言った。ここでピンピンしてるけどね、とこれは声に出さずに呟く。

 クリプトがカウンターに目をやると、ギルドの職員が首肯しラミアのティアラを提示する。

 

「さようでございますか。この辺りの街道沿いであれば、せいぜいゴブリン、リザードマンくらいのものでしょうから、充分すぎるご実績ですな。いかがでございましょう、お嬢様。この方たちにお願いすることにしたいのですが」

 クリプトはレイテリアスに伺いを立てる。

 それまで黙って遣り取りを見ていた少女が口を開く。

 

「はい、わたくしは構いません。クリプトのお墨付きであれば心配することもないでしょう。わたくしも長い名前では呼びづらいでしょうから、レイとお呼びください。アービィさん、ルティさん、ティアさん、短い道中ですがよろしくお願いいたします」

 礼儀正しく挨拶し、頭を下げる。

 貴族が平民に頭を下げるなどという前代未聞の光景は、あまりの衝撃に固まるルティとティアの「ひゃい」という間抜けこの上ない返事により、レイテリアスが噴き出すことで終了した。

 

 報酬の交渉も簡単にまとまり、銀貨五十六枚ということで、アービィたちの取り分は銀貨五十枚と銅貨四十枚だ。取り分が銀貨50枚を切らないように調整してくれたのだろう。

 では、町の外に馬車を用意しますので、昼に町の門までお越しください、というクリプトの言葉に送り出され、アービィたちは宿を引き払うため引き返す。

 ギルドを出た彼らの背中に、食料等はすべてご用意いたしております、というクリプトの声が追いかけてきた。

 

「なんか、話が良すぎて怖いくらい。なんか裏がありそうね」

 

「ま、なんかあったらアービィが全部消し飛ばしちゃうでしょ」

 ルティの言葉にティアが頷きながら返す。

 

「僕は殺戮兵器かいっ」

 物騒なことを言いながら、しばらく世話になった宿を払い、荷物を担いで町の門で馬車を待つ。

 

「あ、あれじゃない?」

 二頭立ての馬車が彼らの前に止まる。

 

「では後ろに荷物を。よろしければ、ルティ殿とティア殿は中に、アービィ殿は御者台へどうぞ」

 それとも、ティア殿が御者台のほうがよろしいですかな、と控えめな笑みで付け加える。

 苦笑いと共に、結構です、と答え、アービィは御者台に座り、がっくりと肩を落とすルティ、笑いを噛み殺すティアとレイが馬車に乗り込む。

 

「では、出発致します」

 鞭をひと当てくれ、馬車はゆったりと走り出した。

 

 御者台ではクリプトとアービィが世間話を、馬車の中でも三人娘が楽しそうにお喋りをしていた。

 

「でね、舞踏会なんか堅苦しくて嫌だって言うのに、お父様に無理やり連れて行かれちゃって。男どもが群がってくるのを、かわしてお料理食べるのが大変だったわ~」

 薄い栗色の髪を揺らし、同色の瞳をくるくるさせて、楽しそうにレイが話す。

 まだ発育途上だが、しっかりと自己主張をしているプロポーションは、ルティに嫉妬を覚えさせていた。

 

「レイ様って、初対面では堅苦しい方かと思っていましたけど……私たちなんかにいいんですか、そんな砕けてしまって?」

 呆気に取られるルティが聞くが、そんなこと気にしなくていいのよ、堅苦しいのはお屋敷の中だけで充分、とレイは手をひらひらさせて答える。

 

「いいの、いいの。あなたたちも畏まらないで欲しいの。みんな、伯爵家ってことで、崇め奉っちゃって下さるけどね~、偉いのはお父様だし。私はどうせ、どこかに嫁ぐから伯爵を相続することもないからね」

 

「すごいわ~レイ、あたしの知ってる貴族は、平民が口をきくなんて絶対許さなかったわ。とんでもなく高飛車で、ふんぞり返ってたもの。レイが言うとおり、偉いのは親なのに、その威を借って威張っちゃうのが多いのよね~。中でも鼻持ちならないのが…アーガストルとセラストリアっていったかしら。兄妹なのかな。いつも一緒にいるみたいだけど、特に女の方ね酷いのは」

 ここぞとばかりにティアが言った。

 

「ティア、それは言いすぎじゃ……? それに、なんで知ってるのよ、そんなこと」

 ルティはヒヤヒヤしながら窘めつつ聞いた。え? 『エサ』探しの途中でいろいろ見たって?

 

「ごめんなさい、それ私の兄と妹……」

 済まなそうにレイが言った。

 やっちゃった、という顔のルティと、一瞬どうしよう、という顔になったが開き直るティア。

 

 

 御者台では、さすがに拙くない? という顔のアービィがクリプトの顔色を伺っている。

 

「良いのです、アービィ殿。貴族たる者、決して全てが高貴なわけではございません。わたくしが申し上げるのは不敬になるやも知れませぬが、民を慮れぬ者は貴族たる資格はないのです」

 はぁ、そんなものなんですか、とアービィは聞いた。まさか身内から批判が出るとは思わなかったからだ。

 

「はい、確かに貴族というものは、庶民から税金を取り立てることができます。しかし、それは決して己が欲望のためではございません。ましてや、贅沢、享楽といったものに費やしていいものではないのです。民を富ませ、領地を富ませ、民を、領地を、ひいては国を守るために使って然るべきものです。わたくしたちは、普段民からいただいた、いえ、お預かりした税金で生かされているのです。お坊ちゃまは、将来のために現在は子爵の爵位を賜り、領地経営を実地でお学びになっておられますが……ご主人様のように、民を想い税を決めるのではなく、他の家に負けたくないという一点のみを思って税を取り立てる。所詮子爵の領地が、公爵様やご主人様の領地と同じ税収を上げられるわけがない。広さ、質共に違うのですからな。お坊ちゃまは、それがお分かりになっていない。戦場での槍働きだけが、民を守るということではございません。戦を起こさないことこそ、重要でございます。それは服従するということでは、決してございませんが。一朝事あれば、この老骨とて剣を取ることに、ためらいはございません。が、そうならないように、政を行う。これこそが為政者として、貴族としての義務と、わたくしは心得ております。民が安心して暮らせる、戦の無い世の中、それを守れぬようであれば……。あれでは、いつか、反乱が起きまする」

 一気に言い切ったクリプトに感嘆の想いを抱くアービィだった。

 

 

「今、聞こえたでしょ、クリプトの演説」

 苦笑しながらレイは馬車の中で続ける。

 

「本当にその通りなのよ。私はこの家を出る身だから、私のために家のお金をあまり使って欲しくないの。 今回の旅は、精霊との契約のためっていうのが名目で、実際には世間を見知るためってことなんだけど、一応、私のお小遣いから出しているわ。もっとも、それだって父様を通して、民からお預かりしてるお金ってことなんだけどね」

 肩を竦めて見せるレイ。

 

「いいんじゃないのかなぁ、それくらい。それに見合うだけのことを、してくれているなら、ね」

 ルティが考えながら、言葉を選んだ。

 

 

 野営の際にもレイはレーションに文句をつけることなく、水で飲み込みにくいパンを流し込みながら言う。

 

「妹なんか甘やかされてるから、天幕付きの馬車に寝台車でしょ、それから料理人付よ。嫌になっちゃう」

 

「一番下ってそういうものよね。でも、あたしも見たことある貴族ってそういうのばかりだったから、あれで当たり前だって思ってたわ。今回の旅は、なんていうか、いろいろと勉強させられるわ」

 ルティは少し考え、続ける。

 

「でもさ、貴族様がぱーっとお金使わないと、そこに溜まっちゃってお金は動かないわよね? あと、他の家の人呼んだときに、みすぼらしい家だとか服、食事とかだとバカにされちゃわない?」

 面子や見栄というものが必要なことは、使う金額のレベルが違うだけでどこにでもある。 

 無駄に金を使うことはよくないが、多少の贅沢、面子や見栄がある程度は大切なことも解る。

 

「それはね、確かにあるわね。でも、普段の食事とか着る物にまでお金は掛けなくていいと思うのよ。お招きした方に不快な思いはさせられないわ。そのために普段は質素でもいいと思うし。あとね、家の造りや装飾品、衣服や食事にいくらお金を掛けても、お金が回るのはそこだけよ。もっとね、道の整備、橋を掛ける、農地の開拓とか、いろいろと使うべきところはあるわ。そのための増税なんて、絶対駄目よ。農地の開拓を民に押し付けて、上がりだけを、それも机の上の勘定で農地の広さだけで決めちゃった税なんて、無意味よ、無意味。ちゃんと自分たちがそこを見て、実際に鍬を振るうのはそこに住む民なんだけど、開墾して、そうじゃなければ、まだ何も作物が採れない土地に税を掛けることになっちゃう。そしたらどうなると思う? 税を払うために……今まで頑張って切り開いた土地や家を手放したり、身売りしたり……。兄様の領地ではそんなことも起きているらしいの」

 そこまで言って、レイはひと息ついた。

 そして、意を決したように続ける。

 

「私は勉強する。今は全収入の六対四で、四を私たちが税としていただいてるけど、もっと良い税の方法があるはずだわ。同じ税収になるにしても、もっとみんなに公平な税の方法があると思うの。関税のせいで物価が高くなるから、民が物を買えないなんておかしいわ。隣の領地に行けば半額で売ってるのよ。安い関税で安くたくさん売れれば、その売り上げからの税が増えるわ。全部が全部じゃないけど、それは関税の収入より多くなるはずだと思うのよ。品物によって税率を変えるべきだと思うわ、私は。これから私は世界を回ってみたい。税のことだけじゃなくて……完璧な方法はないにしても、どこかに絶対今より良い方法があるはずよ」

 力強く言い切ったレイを、感嘆の眼差しで見るルティとティアだった。

 この貴族の娘が女王になる国だったら、住みやすい国になるよね、きっと。

 ついでに、ティアの『エサ』にしちゃえば、そのバカ兄様。

 

 何か、良いヒントが頭の端を掠めた気がするアービィだった。夢で見たような気がするんだけどなぁ。



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第11話

 あの夢の中では、みんな平和そうだった。

 国や政に対して文句ばかり言ってたよな、子供すら。

 

 この大陸で、そんなことしたら……死罪なんだっけ?

 でも、あの夢のなかじゃ、誰もそれで死罪になんかなってなかったな……?

 

 王は……敬われて、でも政には口出ししてない。

 宰相が取り仕切ってたけど、ころころ交代してた。

 議会とかいったな、民が選んで、選ばれて集まった人が宰相を選んで……面倒くさそうだな。

 集めた税の使い方をみんなで相談している風景があったと思ったな。

 

 税は…直接のと間接のがあった、確か。

 四割は取られてなかったよなぁ……

 

 軍は……あった、よな?

 宰相が将軍で、あれ、騎士じゃないし、貴族でもないな。

 参謀は騎士だ。貴族は……あれ、貴族なんていないじゃん……?

 

 アービィはレイの話を聞きながら、時折見る『覚えている夢』を思い出していた。

 その中にレイに役立ちそうなヒントがありそうなのだが、うまく考えがまとめられずにいた。

 あまりにも多元的に、様々なことが絡み合っていたからだ。

 

 

 ふと、焦げ臭いような臭いを嗅いだ、気がした。

 ティアも反応しているが、言っていいのか判らず、視線で問いかけてくる。

 

 音もなくクリプトが立ち上がり、闇に向かって闘気を膨らませていた。

 その時点で、アービィには見えていた。

 多数のゴブリンが、殺気をはらんで野営地を遠巻きにしている。

 いくつか違った雰囲気の殺気は、おそらくリザードマンあたりだろう。

 ティアが泉を去ってから大して日数は経っていないが、早くもエクゼスの森には生き物が戻り始めたのだろう。

 それを狙った魔獣もまた、戻りつつあった。

 

 この小物感はコボルトにも共通するが、やつらが洞窟から出てくることはあっても、こんな平原にまで来ることは希だ。

 

 クリプトの闘気に押され、ゴブリンは突入の決心が付かないようだ。

 ここでもう一押ししてやれば、おそらく退くだろう。リザードマンは残るだろうなぁ、知性のかけらも無いから。

 

 レイとルティが不思議そうにクリプトを見上げた。

 アービィとティアが立ち上がり、三人はそれぞれ120°を担当するように、中心にレイとルティを囲んで背を向け合う。

 ルティも気配を察知するが、無理に囲みの輪に割り込もうとはせず、レイに寄り添う。

 

 アービィが一気に闘気を広げた。

 怯えた感情が伝わってくる。

 突っ込むか、逃げるか迷っているようだ。

 

 ティアは、魔獣だけが知っている人狼特有の闘気に、腰が抜けそうだった。

 人には単純に闘気としか伝わらないが、魔獣であれば種族特有の匂いというか、雰囲気を感じることができる。

 

 今ここで人狼に怯えることはないはずなのだが、種族の血に溶けた人狼への恐怖は押さえ難いものがある。

 アービィという個体に恐怖など持たないが、人狼に対する恐怖はティアの中に溶け込んでいた。

 あのとき、こんな闘気を浴びせられたら……泣いちゃったかなぁ?

 怖くて狂っちゃったかもね。抑えてくれてたんだね、アービィ?

 

 周囲の殺気が移動し、ティアの守る120°の範囲に収束した。

 ゴブリンはティアから発した恐怖感を、自分たちに拠るものと勘違いしたようだ。

 

 恐ろしいまでの闘気を発する二個体への恐怖より、囲みの中心にある雌の匂いがゴブリンたちの欲求を上回らせた。

 

 

 豚の鳴き声のような雄叫びを上げながら、ゴブリンの群が突っ込んでくる

 

 冷静に位置を変えたクリプトが、ティアの横に寄り添い、懐から鋼線を引き抜きゴブリンに投げかける。

 

 ティアはクリプトの意図を察し、鋼線が掴みきれなかったゴブリンの群れに突入し、ダガーを盛大に振る舞う。

 

 ティアがダガーの血糊を振り払うと同時に、クリプトが鋼線を手繰り寄せると、ゴブリンはチーズを切断するかのようにバラバラになった。

 崩れ落ちたゴブリンの身体から、噴水のように血が噴き上がる。

 

 ルティは目を見開いて、ティアとクリプトの殺戮の業を見ていた。

 血を嫌悪することはないが、二人の業は、もし自らに向いたらと思うと戦慄せざるを得ない。ティアって強いんだ。よく生きてられたわね、あたし……

 

 

 ゴブリンが片付いたとき、アービィは全く動いていない。

 違う方向からの殺気を嗅ぎ取っていた。

 そちらはまだ突入してくる気配は無かったが、クリプトが移動したことにより開いた穴を見逃さなかった。

 

 

 バタバタとした足音と、殺気が押し寄せる。

 今し方潰えたゴブリンと、連携を取っていたわけではない。明らかに別の意志だ。

 アービィは、押し寄せる殺気の群に対峙した。

 

 意識を集中し、獣化しないように闘気を操る。

 人狼が持つ純粋な『力』のみを全身に漲らせ、押し寄せる殺気、リザードマンの群に飛び込んだ。

 

 息を止め、最小限の動作で的確に短刀を翻し、弛緩と力の集中を繰り返す。

 業など一切持たないリザードマンを寸刻みにしたアービィは、自分たち以外に動くものがないことを確認し、短刀を腰に納めた。

 

 溜め込んだ息を吐き出す音の後、クリプトとレイによる賞賛の声と拍手が響いてきた。

 

 

 アービィが使う短刀は、普通のものとは違う。

 斬人斬馬の剛刀。イメージとしては肉厚の日本刀だ。

 この世界で剣とは、その重みを以て敵を叩き潰すという思想のもとに作られている。

 鍛造技術が発展途上の世界で、玉鋼の業を見いだすことは、まだ偶然に頼るしかない。

 

 アービィとルティが村を出るとき、友達がアービィに贈った短刀は、偶然からできた玉鋼に近いものだった。

 友はアービィの『力』の性質を正確に見抜き、この世界で一般的な剣では、刃を叩き潰すだけになることが解っていた。

 友は、父親の鍛冶場から一振りの刀を持ち出してアービィに渡し、これは叩きつけるんじゃない、引くようにして切れよ、と伝えた。

 

 友の父は、村八分を演じる義務があり、アービィに刀の特性を伝えることができなかった。

 友は、まだ子供であることを隠れ蓑に、村に駐屯する騎士団からもそう唆され、アービィへの使者となった。

 

 友の父は満足げに、だが演技を楽しむように息子を怒鳴りつけ、鉄拳制裁を加えた。

 友は父の拳を受けながら、親子は楽しそうに笑い、寂しそうに涙を堪えていた。

 

 

 アービィは刀を抜く度、友の言葉を思い出す。

 

 オレはルティが好きなんだ。

 頼む、守ってくれ、アービィ。

 オレはルティを守るだけの力はない。

 でも。アービィなら大丈夫だ。

 頼む、守ってくれ、アービィ。

 もし、ルティを傷つけたり、泣かしたりしたら、オレがお前を殺しに行ってやる。

 まぁ、返り討ちだろうけどな。

 

 笑って見送ってくれた友が流していた涙は、忘れない。ねぇ、僕はルティを守れてるかなぁ?

 

 

「お見事でございます、皆様」

 クリプトが賞賛の声をあげる。

 

「あたしは……何も……できなかった……よ?」

 三人の戦闘力に劣等感を感じたルティは、ちょっと拗ねたように言う。

 だが、全員が即答で否定した。

 

「そんなことはございません、ルティ殿がお嬢様に寄り添っていただけた。それがなければわたくしがそこに行きました。わたくしが働いた。それこそがルティ殿最大の功績の証拠でございます」

 久し振りに身体を動かせましたし、と嬉しそうに付け加える。

 

「ルティがレイに付くのが見えたから、あたしは走れた。ルティのお陰よ」

 

「あの……さ……、ルティがそこにいてくれたから、僕は安心して……征けたんだよ」

 そうかなぁ、と、しゅんとしているルティに、そうだよ、心強かったよ、とレイが取りなす。

 

「それでは、そろそろ寝ることにしますかな」

 クリプトの言葉で話題が変わり、不寝番の順番を決めて、それぞれは馬車に潜り込んだり、毛布にくるまる。

 最後になったルティに、最初に不寝番に立つクリプトが、功を焦らないことです、と声を掛けた。

 首肯したルティは馬車に入り、ティアと並んで毛布を被った。

 

「ねぇ、ティア。あたしって足手まといだったかなぁ?」

 ルティは、まだ拘っている。目に見える形で役立ちたいという気持ちが強い。

 

「いい、ルティ。剣を振り回して敵を殲滅するだけが、強いってことじゃないのよ。ルティは、しっかりバックアップできる態勢を保つのが、一番大事。全員が突っ込んじゃったらさ、誰がレイを、いえ、みんなを守るの? 剣を振り回しながらじゃ、呪文は使えないのよ。全体を見渡して、自分が何をするのが一番いいか、よく考えておくといいわ。自分の特性を良く考えて、ルティ」

 普段、口げんかばかりしているような気がするティアに、思わぬやさしい言葉を掛けられ、気持ちが落ち着いていくルティだった。

 

「でも……、強くなりたい……」



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第12話

 朝、馬車は走り出し、クリプトとアービィが御者台で、レイとルティ、ティアは馬車の中で、のんびりとしたひと時を過ごしていた。

 昨夜の野営地から王都エーンベアまでは、歩けば四日ほど掛かるが、馬車では後二日の行程だ。

 今夜は、エクゼスと王都の間にある小さな村、アールスタで一泊することになっている。

 

「今夜は~、お風呂~」

 レイからこの村には温泉があると聞き、アービィが村に風呂文化を伝えて以来すっかり風呂の虜になっていたルティは、それを楽しみにしている。

 

 

 真っ昼間から襲撃してくるような野盗や魔物はおらず、それぞれは流れる景色を眺めていた。

 夕暮れが迫る頃、アールスタの村に到着した一行は、程々の格式を持つ宿屋に並びの部屋を取った。

 アービィとクリプト、レイとルティ、ティアが同室になったが、ここでもクリプトがルティに、交代しましょうか、と一言付け加えることを忘れなかった。

 

 落ち着いた雰囲気の食堂で上品な食事を楽しんだ後、それぞれは宿自慢の大浴場に出向いた。

 ティアもエサ探しの旅をする最中に風呂に入った経験はあるが、過度に暑かったり寒かったりする環境が苦手な性質のためか、あまり長く入っていることはできない。

 それでも身体を適度に冷ましながら、場がしらけない程度に二人に付き合っていた。

 

 女性陣と男性陣が大浴場から同時に出てきて、入り口で行き合う。

 部屋に戻るまでの廊下で、反則よ、まだ十五じゃないの、これからまだ、という、虚ろな目をしたルティから漏れるうわ言のような呟きは、アービィとクリプトは聞かなかったことにした。

 

 

 部屋に戻ったあとアービィは、クリプトに疑問に思っていたことを聞く。

 なぜ、従者がクリプト一人なのか。

 高貴な家の、跡取りではないにしろ、娘が、従者一人連れただけでうろうろしていて大丈夫なのかということだ。

 

 いくらクリプトの戦闘力が人間離れしているとはいえ、数に頼んで押し寄せれば全てを防げるはずはない。

 人手を集めても、伯爵家の娘であれば身代金にしろ、売り払うにしろ、大概は元が取れる。

 

 外に出るなら、伯爵家の私兵に護衛させれば、ギルドに依頼するより圧倒的に安上がりではないか。

 それに、ギルドは仕事の仲介をするだけで、人物まで保障しているわけではない。

 今回アービィたちが護衛に付いたが、冒険者の中には荒っぽい者やならず者もたくさんいる。

 護衛が略奪者に早変わりしないとも限らないのだ。

 私兵であれば伯爵家に忠誠を誓っているのだから、まず安心して任せられるはずだ。

 クリプトは、少し考え答える。

 

「お嬢様は、様々な方とお話をしたいとのお考えです。限られた身内や、関わりを持つものだけでは、世界を知ることはできないとお考えのようです。傅かれるだけでは、思い上がり、尊大なだけの人間になってしまう。それはお嫌なのでしょう。ま、ストラーの貴族どもを見てしまっては、そう思うのも仕方ございませんが。もっとも、それを見て、貴族とはこうあるべきと勘違いなされている方も、多々いらっしゃるようですが」

 そう言いながら、クリプトの表情に苦いものが混じる。

 おそらく、大方の貴族や、レイの兄妹を思い浮かべたのだろう。

 常日頃、兄妹は、貴族らしく振舞えと言っては、人を顎で使い、レイにもそれを強要してくるのだ。

 

「そのような人間を見てしまって、これではいかんとお考えになったようです。それから様々な方とお話をすることによって、自らを省みられるというのも大きな理由ですな。護衛の者の人物ですが、それはわたくしにも、お嬢様にも、多少は人を見る目というものはございます。それでも、万一の場合は……」

 そこまで言って、クリプトはにやりと笑みを浮かべ、わたくしも居りますれば、と言いながら懐から鋼線を引き出す。

 背筋に冷たいものを感じながらも、じゃあ僕たちはクリプトさんやレイさんの御眼鏡に適ったんですね、とアービィは言った。

 にっこりと笑って首肯するクリプトと、柔軟な考え方を持つレイに対して、アービィは尊敬にも似た感慨を抱いていた。

 アービィの想いとは別にクリプトは、将来の手駒を探す目的もありますが、と声に出さず呟いた。

 

 村を出れば王都までは、ほぼ一日で到着できる。

 初めての王都に、期待感が膨らむアービィだった。

 朝食に降りてきたルティの目が腫れぼったいことは、とりあえず気にしないでおく。クリプトさんも見ないようにしてるもんなぁ…

 

 

 レイは、相変わらず気さくに給仕の少女に声をかけ、暮らし向きや村の景気、治安や不満等、庶民の声を聞こうとしている。

 それなりに質素で飾らない格好だが、布地の質の良さは見れば解るし、何よりも洗練されたレイの物腰で、貴族であることは一目瞭然だ。

 

 声を掛けられた少女は、緊張でガチガチになってしまい、最初は何か粗相でもあったのかと怯えていた。

 宿の主人は、さすがにガチガチになることはなかったが、次の給仕の募集を掛けることを考えざるを得なかった。

 

 この大陸で貴族を怒らせるなどということは、即、死に繋がる。

 下手をすればその場で手打ちのうえ、近親者にも何らかのとばっちりが出る。

 

 重罪者でもない限り一族郎党を根絶やしにすることはできないが、貴族の機嫌を損ねた平民の近親者が後々どのような目に遭わされるかは、想像に難くない。

 住んでいる場所を逃げ出して流民に身を落とすか、一生嫌がらせを続けられるか。年頃の女性であれば、淫らな代償を取り立てられることも多い。

 

「ごめんなさい、そんなつもりで声を掛けたわけじゃないの」

 済まなそうにレイが頭を下げる。

 ここでもルティとティアが示したものと同じ反応が見られ、全員が苦笑いする。

 

「レイってさ、それ見たくてしてるの? 貴女も気にしなくて大丈夫よ。この人は、そんな酷い人じゃないわ」

 ここまで一緒にいてレイの人となりを見て、個人や信頼する人を侮辱でもしない限り、耳の痛いことにも素直に耳を傾ける人物であると理解したルティが助け船をだす。

 

「バイアブランカ様のご威光で、この村は、みにゃ、安定した暮らしでごじゃいまちゅ」

 噛んだ。

 少女は顔を真っ赤にしている。

 そうね、直轄領だもんね、と言いながら、噛んだことは聞き流し、レイは考える。

 

 やはり、貴族然とした格好ではダメだ。

 自分からどんな話が流れるかを、この可愛らしい娘は怖れている。

 今ここで手打ちにしなくとも、あとで少女の痕跡すら残さず消すことは、バイアブランカ王家には簡単なことだ。

 

 もっとも、讒言など、バイアブランカ王が嫌う最たるものであるが、下級貴族や役人にまでそれが浸透しているわけではない。

 少女の怖れは、血肉に溶け込んだものだ。

 

 しかし、もし、少女の正直な意見をバイアブランカ王が聞いたなら、顔をしかめつつも喜ぶだろう。

 彼の賢王は、レイと理想と同じくしている。

 先王の意向で王家の子供たちは、幼児期を過ぎてから数年の間、下級貴族や騎士の家に放り出され、金銭的にも厳しい育ちをしてきた。

 もちろん、王家に対する敬意と礼儀も叩き込まれるが、それは王家の人間としてではなく、仕える身としての敬意と礼儀だ。

 その教育を通して、自らの立場を自覚させ、その敬意を受けるに足る人物となるべく、厳しく育てられてきた。

 特に王位継承権の高い者ほど、庶民に近い暮らしを経験させられた。

 税の意義を始めとして、国を成り立たせるために平民に忍従させていることを、肌で感じさせてきた。

 

 しかし、王家の意向とは別に、旧来の、貴族とは平民を従わせるべき、と考え続ける者も多い。

 中には強力なリーダーシップを以て、民をひとつに纏め良好な関係を維持するレヴァイストル・シンピナートゥス・ヴァン・ボルビデュス伯爵のような賢者もいるが、ほとんどは武力と権力にものを云わせ、領民を虐げる者ばかりだ。

 

 レイは兄に、妹に、愚者の誹りを受けて欲しくはない。

 が、彼らは父の溺愛の結果、鼻持ちならない貴族に育ってしまった。

 領民を愛し、家族を愛する父が、なぜそう育ててしまったのか、レイには理解できない。

 おそらくは、直轄領以外でインダミト一の税収を挙げ、領民と良好な信頼関係を結んでいるボルビデュス家の子息であるにも拘らず、経営する領地では苛烈な税の取り立てで、本家や他の諸侯領地に対抗しようとしている。

 

 これを恥と言わず、なんと言おうか。

 レイは、給仕の少女が言葉を噛んだ恥ずかしさから顔を赤くする以上に、恥ずかしいことだと思っていた。

 ビースマックの公爵家に嫁いだ姉様はどうお考えなのかしら……

 

 これ以上詮索しては、王宮のスパイと勘違いされてしまう。

 レイは後ろ髪を引かれながらも、給仕の少女を解放した。

 

 

 各自が旅装を整え、クリプトが手早く馬車を宿の玄関に回す。

 

「たまには……、ティア殿、御者台にお座りになりませぬか?馬の扱いを覚えておいて、損はございませぬぞ」

 腫れぼったい目でこの世の全てを恨むような表情だったルティの顔が、一気に晴れやかなものに変わる。

 いや、昨日と同じで結構です、言おうとしたアービィに、黙れ、と言わんばかりの全員の視線が突き刺さり、アービィは素直に馬車に潜り込んだ。

 

 

 馬車の中ではレイによる尋問が暫く続き、人狼であること以外を二人は話した。

 ティアはフュリアの街で知り合ったことにしている。

 

「悪いこと聞いちゃったわね、ごめんなさい……」

 レイがアービィに頭を下げた。

 

「じゃあ、アービィはご両親を探すために?」

 曖昧に頷く二人に、これ以上の詮索は配慮がないと判断したレイは話題を変える。

 

「その痣って見せてもらっても良いかしら?」

 レイは、昨夜のガールズトークの中で話題に出た、アービィの背中にあるという痣が気になっていた。

 これまで痣を見せた相手は、ルティと両親、川遊びをするような友達だけだった。アービィとしては、誰かに積極的に見せびらかすつもりはないし、恥と思っていないので痣がうあることは隠すつもりもない。人前で服を無闇に脱がない、というだけのことだ。

 実際、昨夜の風呂では、クリプトにも見られている。

 

 いいよ、と気軽に答え、アービィは上半身裸になり、背中を見せる。

 発達した筋肉の上に、見たことのない文字のような形の痣が浮いていた。

 

「へ~。なんか、痣じゃないみたいね……。まるで入れ墨のような……刻印のような……。痣にしては形がはっきりしすぎかも。なんか、知らない魔法で刻んだみたいね。ご両親に関わる手掛かりなのかもよ?」

 なんか昔見たことがあったような気がするわね、と心の中で考えるが、はっきりとは思い出せない。

 

 クリプトは、十年ほど前に見た『十代後半から二十代前半の身体のどこかに文字のような痣を持つ男』を探すお触書を思い出していた。

 しかし、馬車に揺られる背中に『文字のような痣を持つ男』は、どう見てもまだ十代だ。

 お触書の男とは、年代が合わない。

 まさか、な、と呟き、思考を馬車の操作に戻す。

 

 陽が傾く頃、王都の堅牢な城壁が視界に入ってきた。

 まだこの時間では、王都を出てくる旅人も多数いた。

 その中に、ロングコートを着込み、フードを目深に被った男がいた。

 

 馬車とすれ違った男は振り返り、馬車を見送る。

 しばらくその場に立っていたが、「狼に、蛇か」と呟き、今出てきたばかりの王都の門に向かって歩き出した。



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第13話

 王都エーンベアは、インダミトのほぼ中心に位置する。

 バイアブランカ王家が、まだ地方の小さな領主であった頃からの居住地だった。

 五百年前に大陸に覇を唱えた大帝国が崩壊した後、急速に力をつけ、周囲の領地を併呑し勢力を広げてきた。

 群雄割拠の時代を生き抜き、各地で同じように勢力をつけた三つの家門と覇を競い合った。

 が、五十年続いた戦乱の時代は人々を疲弊させ、戦力の均衡は戦への意欲を急速に萎ませていった。

 

 今から四百五十年前、大陸の東西南北に拠点を置く四つの家門は、幾度かの和平会議の後、大陸をほぼ均等に四分割し、それぞれに治めることとし、長い戦乱の時代が終わった。

 各国は、互いを侵攻する意志を持たないことを、もとは大陸の中心にあった精霊の神殿を、地水火風の四つに分祀し、各国に置くことで示している。

 

 もともとあった精霊神殿は、大陸全土で信仰されていた唯一神マ・タヨーシを祀る神殿に変えられた。

 マ教はストラーとして独立することになる地に本拠を持っていたが、一国に宗教的権威が傾くことを恐れた他の三国の意向により、遷都に応じた。時の教皇の平和を望む意志が、大きな混乱を抑えたといわれている。

 その結果、現在、マ教の神殿は、四ヶ国の国境が接する中心に位置し平和の象徴になっていた。

 そして、中立を維持するため、神殿を中心とした半径5kmのエリアは、どこの国にも属さない都市国家となっている。

 

 

 エーンベア城に近い貴族街の一角にある、ボルビデュス家上屋敷の前に停まった馬車から、五つの人影が降り立った。

 二人と三人に分かれた影は、それぞれに別れを惜しみ、互いに頭を下げてから二人は屋敷の中に、三人は城下町へと歩き始めた。

 

 今度領地に戻る際にも護衛をお願いしたいものです、というクリプトの言葉には、もしその時にこの街にいればお受けしますよ、とアービィが返答していた。

 

 

「さて、宿はどういたしましょうか、オネーサマガタ?」

 

「安くていいわよ。少し切り詰めておきましょう」

 

「食事に出歩くのは面倒だから、安くてもいいけど食堂完備がいいわね」

 

 

 宿を探しながら、三人は町の喧騒を楽しんでいた。

 様々な店や、露天商が並び、盛んに客を呼び込んでいる。

 

 屋台で串焼きを買い込んだ三人は、それを齧りながら大通りを歩く。 

 フォーミット村から出たことがなかったアービィは、フュリアの街の規模にも圧倒されていたが、さらに上回るエーンベア城下町の様子に、瞳を輝かせていた。

 ルティは両親に連れられ何度か来たことがあるが、何せ十年以上前の話だ。記憶はかなりあやふやになっている。それでも両親と楽しく歩き回った記憶を頼りに街を歩いていた。ティアもエサ探しの旅の途中でこの町に何度か立ち寄っていたので、主にティアがアービィを案内するように歩き回る。

 

 陽が沈む頃、ルティがアービィと出会う直前に来たとき、両親と泊まった宿の一室に、三人は荷物を置いた。

 一晩銅貨五十枚の安宿なので三部屋を確保し、それぞれは自由な時間を過ごす。

 

 

 食事の際にアービィが、明日からギルドで仕事を探そうと提案する。

 なにせ、比較的安全な旅だったこともあり、誰もが呪文のレベルはおろか、使用回数さえ増えていなかった。

 エーンベアをしばらく拠点にしたいので、護衛の仕事は請けず、討伐や街中での雑事を主として受けようと話し合った。

 

 馬車は確かに歩かなくても済むが、舗装された道ではないのでそれなりに揺れ、疲れが溜まる。

 慣れない馬車旅の疲れからか、三人は酒もそこそこに部屋に引き上げ、珍しく早くに寝てしまった。

 

 

 翌朝、三人はギルドに行き、魔獣討伐のリストを眺め、ああでもない、こうでもないと相談していた。

 親切な他のパーティが、三人が知らない魔獣の強さや、地理を教えてくれた。

 その情報を加味し、検討した結果、アールスタとエーンベアの間にある丘陵地帯に出没するリザードマンの群れを討伐することにした。

 

 リザードマン自体は大して強い魔獣ではないが、今回は数が多いため脅威となっているようだ。

 併せて、その群れの中にオーガがいるらしい。

 オーガは呪文や妖術を使うわけではないが、一般的な人間より身体がふた周りは大きい。

 巨体はそれだけで武器であり、正面から力で挑むことは自殺行為といえた。

 何故かは解らないが人間を嫌悪しているむきがあり、街の外で出会ったら躊躇いもなく襲い掛かってくる。

 完全駆除で銀貨二十枚、それ以外にリザードマン一体に付き銅貨十枚、オーガ一体に付き銀貨一枚が追加される。

 

 

 エーンベアとアールスタの間に広がるシェラフィ丘陵で、三人は討伐の後始末をしていた。

 

「ルティ~、なんか着るもの頂戴~」

 茂みの中からアービィがルティに声を掛ける。

 

 リザードマンを十体倒したとき、茂みから突然飛び出してきたオーガに一撃を喰らい、ティアが負傷した。

 周囲に人影がないことを確認してあったアービィが、咄嗟に獣化してオーガの追撃を止めた。

 たじろぐオーガの喉笛を噛み千切り、強引に戦闘を終わらせたが、人狼への恐怖からリザードマンは逃げ散り、全身から殺気を発散するアービィの完全獣化を初めて見たティアも恐怖のあまり気絶してしまった。

 アービィは充分追撃可能だったが、ルティがティアの治療にかかったことと、下手に走り回って人に見られることを怖れたため、この日の討伐はここまでになった。

 

「待ちなさい。ティアが気が付くまでは、放っておけないでしょうが」

 獣化した際は身体の大きさが変わってしまうため、着ていた物は裂けてしまう。

 従ってアービィは獣化を解いた今、全裸になっているため、繁みから出てくることができない。

 

 短刀も放り出されたままであり、文字通り丸腰だ。

 もっとも、今ここで襲撃されたところで獣化すれば良いだけなので、何も問題はない。寒いということを除けばだが。

 このため、最低限の着替えは持ち歩いているが、今は手の届くところにない。

 それでルティに持ってきてもらいたいところだが、ティアが完全に伸びているので手を離すわけにいかない。

 今暫く寒さに耐える必要がありそうだ。

 

「もうちょっと考えて戦いなさいよ。獣化が悪いとはいわないけどね、呪文も使っておかないとダメでしょうが」

 意識を取り戻したティアに一回、自身に一回『回復』を使用したルティが、アービィのバッグを投げてよこす。

 繁みの中で衣服を身に付けたアービィが枝を掻き分け出てきたところに、ティアが『回復』をかける。

 エーンベアに戻るまで、何があるか判らないので、呪文の余裕を残したまま、引き上げることにした。

 

 リザードマンの群は、まだ数十体は残っていそうだし、オーガも数匹いるらしい。

 これから暫くは、エーンベアとシェラフィ丘陵を往復することになりそうだ。

 

 街の入り口で呪文を使い切り、ギルドに行き報酬を受け取る。

 宿に戻った三人は、反省会と称して早速呑み始め、翌日への鋭気を養った。

 

 

 十日ほどシェラフィ丘陵に通った結果、リザードマンの討伐が完了した。

 成功報酬として手数料一割を抜いた銀貨十八枚、ボーナスとしてリザードマン八十三体分の銀貨八枚と銅貨三十枚、オーガ六体分の銀貨六枚、合計して銀貨三十二枚と銅貨三十枚を手に入れた。

 アービィは討伐二日目から、獣化することなく呪文中心の戦闘を心がけ、衣服の消費を抑えつつ、呪文のレベル上昇に勤めていた。

 ここまでの戦闘で、アービィとルティはレベル1の使用回数が四回に、ティアは五回使えるようになった。ティアは、ラミアがもともと持つ魔力のおかげか、成長が早い。

 まだ誰も、レベル2の呪文が使えるようにはなっていない。レベルの壁は厚いようだ。

 

 

「お久し振りでございます」

 新しい依頼を探すため、朝早くからギルドに来ていたアービィたちに、クリプトが声を掛けてきた。

 

「あれ、こんなところで珍しいですね。依頼か何かですか?」

 アービィの問いに、横に首を振りながら答える。

 

「いえ、本日はアービィ殿たちに用がありまして」

 

「名指しですか? 光栄なことなんですが、ギルドのロビーでそれは、さすがに」

 冒険者を指名しての依頼がないわけではないが、それでもギルドを通すのが筋だ。

 ギルドを通したくない場合は、冒険者の居場所を探し、そこへ出向いて依頼する。

 それを知らないクリプトではあるまいに、何故、とアービィは首をかしげた。

 

 実は、と前置きし、ギルドの職員に謝罪してからクリプトは話し始めた。

 

 大陸の四国家は、北の民の侵略に対し、ラシアス一国が兵を出し、他の三国家は資金や物資の援助に留めている。

 しかし、ここ数年は北の民の南下の圧力が強まり、ラシアスは国力を削り取られ、戦線の維持が難しくなってきていた。

 事ここに至り、「大陸の盾」は砕け散る前に、他国へ補強を依頼してきた。

 

 各国は、常備軍の派遣こそ渋ったものの、義勇軍の派遣には同意し、国民に対して応募を呼びかけた。

 それと共に、各諸侯には私兵の提供も呼びかけていたのだ。

 常備軍の増強は、国家間に無用な緊張を強いるものであるため、それぞれの牽制が義勇軍と諸侯軍の派遣への流れを作っていた。

 

 ボルビデュス家にも、当然兵の提供が求められているのだが、クリプトはこれを機にアービィたちを家臣に加えたいと考えていたのだ。

 フュリアからエーンベアまでの行程で目の当たりにしたアービィの戦闘力にクリプトが惚れ込み、アービィたちの人と成りを気に入っているレイの是非にとの希望もあった。

 当主ボルビデュス伯爵の許可を得たうえでアービィたちの行方を捜していたのだが、まったく見つからなかったため、ギルドにアービィたちの行方を聞きにきた、ということだった。

 

 ラシアスの状況と各国の判断だけを話し、もしよろしければ我が軍に加わりませんか、とクリプトは訊ねた。

 義勇軍では、配属がバラバラになるやも知れませぬが、我が軍であれば配慮ができますぞ、と続ける。

 

 確かに魅力的な話ではある。

 兵舎が用意され、食事も保障される。

 もちろん給金も、ある程度は期待できるだろう。

 

 しかし、彼らの目的は、まず何よりも四大神殿の巡礼だ。

 ラシアスまで行くのは予定通りだが、そこに縛り付けられてしまっては元も子もない。

 さらに北の民の侵攻が一段落するか、ラシアスの国力が回復した後、ボルビデュス領に縛られてしまうのも本末転倒だ。

 

 レイやクリプトならば、アービィとティアの正体如何に拘らず、旅のときと同じように付き合えるかもしれないが、領民や家臣、兄妹までそうだとの保証はない。

 レイやクリプトに、多大な迷惑を掛けることになるのも嫌だ。

 

 僅かの間にそこまで考えたアービィは、礼を失しないように気遣いながらクリプトに断りの返事をする。

 そして、ギルドを通しての期間限定の依頼としてなら受けますよ、と付け加えた。

 

「領地へはいつお帰りに? 準備とか、大変なんじゃないですか?」

 残念そうなクリプトに、ルティが別の話題を振る。

 

「今はご主人様の横でお手伝いすることが多いのです。領地には執事長も居りますので、そのあたりの手配は問題ありますまい。あと十日ほどしたら、ご主人様はレイ様をお連れして、ご子息アーガス様の領地を回り、ボルビデュス領にお戻りになります。その際の護衛は、引き受けていただけますかな?」

 これは断らせませんよ、と言外に含ませて答える。

 もちろん、今からギルドに依頼します、と付け加えることをクリプトは忘れなかった。

 

 ボルビデュス領は、インダミトの最北部にあり、四国家が国境を接する重要な地域だった。

 その後に火の神殿に行くためには通らなければならない場所でもあるため、ここまで旅費が掛からず行けるのは歓迎することである。

 この話は迷うことなく承諾した。

 

「では、またその日が決まりましたらギルドにお知らせいたします」

 しばらく世間話をした後、クリプトは他の用事を片付けに行くと、ギルトを出て行った。

 

「楽しみにしてますね」

 クリプトを見送り、それまでに切り良く片付けられそうな仕事を選ぶ。

 

 三人は、あの気持ちの良い主従を護衛しての旅を、心から楽しみにしていた。



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第14話

 「がっ……はっ……げぶっ……」

 人通りが途絶えた薄暗い裏通りの一角に、若い男の呻き声が響いた。

 ロングコートを纏い、フードを目深に被った男の足下にうずくまった若者が、苦悶の表情で胃液をまき散らしている。

 

「どうした、やり返さねぇのか……?」

 男が低い声で問いかけるが、若者はうずくまったままだ。

 

 

「いきなり……なん……で……?」

 アービィは、掠れた声で問いかけた。

 

「質問に質問で返すんじゃねぇ……」

 男は、ようやく上体を起こしたアービィの顔面に、膝を入れる。

 吹っ飛んだアービィの胸座を左手で掴んで引きずり起こし、腰から短刀を抜いた。

 

「獣化しろよ、人狼。俺には解るんだよ、お前等の獣臭がな」

 短刀をアービィの頬に当て、軽く引く。

 アービィの頬に一筋傷が入り、鮮血が滴り始めた。

 

「どうだい、お前等のために作った純銀の剣の味は?早く獣化してくれねぇか?早く、早く、早く、早くっ!!人の姿のままじゃ切り刻めねぇだろがぁっ!!」

 

 

 クリプトから護衛の依頼を受けた翌日、夕方から大通りに市が立つと聞いたアービィたち三人は、仕事を早めに切り上げ市を見にきていた。

 屋台で以前買ったことのある串焼きや果物を買い、齧りつつ歩きながらアクセサリーや小物を眺め、初めての市を楽しんでいた。

 が、普段から人混みになれていないせいか、アービィたちは人波のなかで翻弄されていた。

 アービィは、僅かの間にルティとティアの姿を見失っていた。

 

 その人混みの中でいきなり腕を引かれ、裏通りに引きずり込まれたアービィは、態勢を整える暇もなく顔面に拳を受けてしまった。

 そして、呆然とするアービィに、男が言い放った。

 

「死ねや、人狼今まで何人喰らいやがった?」

 

 

 ようやく体勢を立て直したアービィは、男の問いかけに棒立ちになり、胃の辺りに膝を入れられ、うずくまったまま胃液を吐き散らしてしていた。

 胸座を掴まれ、壁に押し付けられたアービィは、力なく男の目を見た。

 そこには信念と怒りを湛えた、しかし静かな、涼やかな双眸がある。

 

 ああ、このひとは正義だ。

 一点の曇りもなく、正しく、正義だ。

 正義に拠って立つひとだ。

 

 戦いの始めにあった戸惑いや、理不尽な暴力に対する怒りは消えてしまう。

 既にアービィに戦意はなく、どうやって戦いを避けるかしか頭にない。

 胸座を掴んでいる男の腕を取り、振り解こうとするが、自分の腕は痺れていて力が入らない。

 

「ちっ……情けねぇ屑め。そうまでして生きたいか……」

 男は短刀を鞘に戻し、胸座を掴んだ腕を放し、アービィの喉元を締め上げた。

 そして、右腕を振り上げると、アービィの顔に拳を、肘を撃ち下ろし始める。

 

「覚えとけよ……てめぇからは完全な狼の匂いが溢れまくってんだ……。これじゃぁ……つまらねぇだろ……。次は獣化して全力できやがれ……。そしたら……殺してやるよ」

 アービィは既に反応できない。

 咳き込み、呻き声を上げるだけで、男の腕を掴んだ手からは力が抜け始め、殴られるままになってしまっている。

 

 男の鉄拳の嵐は、左腕を掴んだアービィの両腕が、力なく垂れ下がるまで続いた。

 男が手を離すと、アービィはその場に崩れ落ち、ぴくりとも動かない。

 唾を吐き、男は去っていった。

 

 

 それから一時間ほどで、アービィは意識を取り戻した。

 殴られ蹴られして破れた皮膚は既に塞がり、打撲の腫れも引いている。

 暴行のダメージは、ほとんどない。

 人狼の回復力が発揮された結果だ。

 

 しかし、出血こそ止まったが、頬には一筋の傷がぱっくりと開いている。

 人狼の回復力を以てしても、純銀の武器で付けられた傷は治りが遅い。

 ルティたちに、なんて言えばいいか判らないまま、宿への道をアービィは歩き出した。

 

 

 アービィとはぐれたルティとティアは、暫くアービィを探していたが、あまりの人混みに途方にくれていた。

 この状態で二手に分かれて探しても、三人して迷子になるのと同じことだ。

 

 諦めた二人は、とりあえず楽しむことにして、市に並ぶ屋台を覗き始めた。

 一時間ほどして宿に戻ると、アービィも前後して戻ったようだ。

 ルティは文句のひとつも言ってやろうと、アービィの部屋のドアをたたく。

 

 いつもなら、元気良く返事をしながら飛び出してくるアービィが、黙ってドアを開けた。

 思い詰めたような顔には一筋の傷があり、何かがあったことを偲ばせていた。

 

 文句を言おうと口を開いたままで固まるルティの腕を、雰囲気を察したティアが引っ張る。

 心配そうにルティが、アービィの目を覗き込んだ。

 アービィの目は、初めてルティに人狼であることを知られた夜と同じ色を湛えていた。

 

 独りにさせておいて欲しい、とようやく口を開いたアービィに、何かを言おうとしたが、上手い言葉が見つからないルティは小さく頷くだけしかできない。

 見かねたティアが、おやすみ、ちゃんと寝るんだよ、ルティもね、と言いながらルティを部屋に押し込み、自分も部屋に帰る。

 三人が出逢ってから初めて、会話のない夜が過ぎていった。

 

 

「神父殿、今度は大物だ。楽しませてくれそうな狼と蛇だぜ」

 城下町の貧民街にあるマ教会の一室で、ロングコートの男と神父が対峙している。

 

「もう仕止めなさったか?」

 あまり派手にはしてくださるな、と神父は思うが、言って聞く相手ではないことは承知のうえで、付け加えずにはいられない。

 

「いや、今夜狼は捕まえたが、放してある。蛇は狼の後だ。オマケみてぇなもんだな」

 精々気を付けるさ、と気にもしていない。

 

「何故、捕まえなさったのに、殺らずにお放しになど!?」

 神父が色めき立つ。街に人狼がいることに我慢がならないようだ。

 

「つまらねぇからだよ。獣化してくれねぇんだ。張り合いがねぇだろ。なぁ、神父殿、仕事ってのはやりがいがあって楽しくやらなきゃいけねぇよな? ま。そういうこった」

 男は、まだ何か言いたそうな神父を残して部屋を出る。

 閉じていくドアの隙間から、あれは俺の獲物だ、神父殿たちは手を出さないでくれ、という男の声が聞こえてきた。

 

 

 アービィは、真っ暗な部屋の中で、身動ぎもせず闇を見つめていた。

 隠していた正体がバレた。

 明確な殺意を向けられた。

 

 あの状態から即獣化して相手を噛み裂くなど、アービィにしてみれば造作もないことだった。

 しかし、男の目を見た瞬間、闘気が失せてしまった。

 それと同時に相手の殺意が消えたことも、獣化できなかった理由だ。

 

 あの人の目は正義だった。

 あの人は何の疑問も持ってなかった。

 人狼を『討伐』する。その意志に溢れた力強い目だった。

 僕らが魔獣を討伐するのと、同じ。

 

 僕は居てはいけないの?

 穏やかに暮らしたいと人狼が思っちゃいけないの?

 人を喰らってなんかいないよ?

 人狼ってだけで……生きてちゃ……ダメなの?

 

 アービィの目から涙が止めどなく溢れる。こんな僕じゃルティを守れないよ。

 考えれば考えるほど、アービィは全てが解らなくなってきた。

 

 ドアが開いて室内に冷たい空気が流れ込む。ルティが部屋に入ってきた。鍵を掛け忘れていたらしい。

 見るとルティも泣いていたようだ。

 ベッドに並んで座り、アービィに向かって口を開く。

 

「ねぇ、アービィ……あたしには、あなたの辛さは解らない。なんて言ってあげればいいかも。今日何があったかは聞かないわ。聞いて欲しくないでしょ? それくらいは、解るよ。ねぇ、あなた泣いてたでしょ? あの夜以来じゃない? いつも我慢してたの?いいのよ、泣いても。あたしの前で、そんな我慢しないで」

 一瞬、躊躇った後言葉を続けた。

 

「お姉ちゃんは、それじゃ寂しいよ?」

 はっと目を見開いてルティを見る。

 ルティがこくんと頷き、揃えた膝を掌てぽんぽんと叩く。

 

 アービィは、ルティの膝に顔を埋め、声を殺して泣き続けた。



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第15話

 翌朝は、霧のような雨が降る、気だるい雰囲気の朝だった。

 今日一日の活動は制限され、鬱憤が溜まりそうかといえば、そうでもない。

 温かい雨が静かに降り注ぐ、休養を取れと言わんばかりに。

 

 食堂でティアは、笑顔こそないがすっきりとした表情のアービィと、どこか疲れたような、でも安心したような表情のルティと向き合っていた。

 気まずくはない沈黙の中で朝食を終えると、ルティは、ちょっと眠いから、と言って部屋に戻った。

 

 ティアはアービィを部屋に誘い、食後のお茶をゆっくり飲みながら、向き合ってアービィの言葉を待つ。

 さすがに人狼に関るであろう話は、他人の目のある食堂でするわけには行かない。

 やがて、アービィは、昨日ティアたちとはぐれてから朝までにあったことを、静かに語りだした。

 

 

「何て言うか……朝っぱらからお酒が欲しくなるような話題ね」

 ティアが溜息を吐き出しながら感想を述べる。

 話すことは全て話し尽くしたとばかりに、アービィは黙っている。

 

「ね、アービィ……あたしもね、ちょっと違うけど、似たようなことあったの。殺されかけるようなことは、なかったけどね。百年くらい前に、人化していた頃のことなんだけど。ちょっとした気の迷いだったのかなぁ、エサとして捕まえたはずなのに、ね。しばらく、一緒に住んでたのよ」

 

 

 この男の『精』なら、ずっと欲しい。いつまでもいて欲しい。

 普通なら搾り尽くして、一日で使い捨てるはずなのに。

 それがどうしたことか、もう何日も同じ宿にいる。

 

 いつの間にか、ティアは男に惚れていた。

 身勝手に、自らの欲望を吐き出しているだけの男ではなかった。

 精一杯慈しんでくれているのが、ティアに伝わっていた。

 行き擦りの男女であるはずなのに。

 

 男は商用の旅の途中だった。

 ティアは、男についていくことに決めた。

 

 男が住む村で、一緒に暮らし始めたティアは、ラミアであることを隠し、男の『精』を搾り尽くさないように気を使って生活していた。

 当然、他の男の『精』を欲することもなく、二人で穏やかに暮らしていたはずだった。

 

 ある日、男が所要で出かけていた際、神父がたまたま訪ねてきた。

 断る理由もないティアは、気軽に神父を家の中に招き、茶菓でもてなした。

 聖職者が淫らな真似をするはずもないという安心感が、ティアの警戒心を薄くさせていた。

 

 間違いなく、この神父は聖職者であり、自らを厳しく律することのできる人物だった。

 そう、男女の間違いを起こすような心配は、全くなかった。

 しかし、彼は悪魔祓いを志し、そのための努力も怠らないひとでもあった。

 

 男といる間は、決して着けることのなかったラミアのティアラ。

 たまには磨いておくかと思って、テーブルに置きっ放しになっていたのだった。

 

 急にそわそわし始めた神父が、その場を取り繕うように、用事を思い出した、と言って家を出たとき、ティアは全てが崩れ去ったことを理解した。

 

 入れ違いに戻ってきた男の前で、ティアはラミアのティアラを髪に飾り、獣化した。

 腰を抜かした男が後ずさり、壁に立てかけてあった護身用の剣に手を伸ばす。

 ようやく立ち上がった男は、剣を振りかざしたが、その剣はティアを掠めただけで床に突き刺さった。

 

 男は、逃げよう、とだけ言い、ティアの手を握った。

 

 嬉しかった。

 もう、ここで命尽き果てても悔やまないと、ティアは思った。

 

 しかし、思い直す。

 自分は、ここで姿を消して行方を晦ませることはできる。

 その後、人里を離れ、一人で暮らすことも可能だ。

 

 この男にそれを求めていいのだろうか。

 自分ひとりのために、この男の輝くかもしれない未来や、出会うはずのひととの縁を全て断ち切る権利は、あるのだろうか。

 

 もともと寿命が違うのだ。

 この男と永遠に別れなければならない日が来ることは、解っていたではないか。

 それが、今、来ただけのことだ。

 

「お願い。あなたは、ここにいて。化け物は、あなたを殺そうとして、そのまま逃げたって言っておいてね」

 ティアは、毅然とした態度で男に言った。

 男の返答を待たず、尻尾を男の首に巻きつけ、息を止めないようにして頚動脈を一気に絞めあげる。

 瞬時に意識を手放した男をそのままに、ティアは姿を消した。

 

 翌日、姿を変え、二人で暮らした家をティアは見に行った。

 未練と言っていいだろう。やはり、男のことが心配だったのだ。

 もし、男が悪魔憑きとして迫害されるようなことがあれば、どうしようと思っていた。

 ティアに男を助ける術はない。

 助けてしまえば、悪魔憑きどころか、悪魔そのものにされてしまうだろう。

 

 しかし、ティアは見に来ないではいられなかった。

 そして、ティアが見たものは、周囲をマ教の札を下げた注連縄で囲い、劫火に包まれる家を項垂れて見つめる男の姿だった。

 幸い、神父が男に励ます言葉を言い、村人たちも男に寄り添っていた。

 

 それから数ヶ月の間、ティアは姿を変えたり、消したりしながら男の様子を見守った。

 男が迫害されるようなことは無いと確信したティアは、未練を抱きつつも安堵して村を去った。

 

 

 ここまで話したティアは、なぜかエールを飲んでいた。

 ちょっと呂律が怪しくなり始めている。

 

「だ~か~らぁ~。あたしは後悔してないって言ったら嘘になるからさぁ~。アービィには後悔して欲しくないのよぉ~。あなたはぁ~、あたしと違ってぇ~、ルティを守れるだけの『力』があるからぁ~。自分の~、気持ちにさぁ~、素直にぃ~、ね」

 最後の「ね」だけは力強く言い切り、今日はこの天気だし、あたしも寝るね、とティアはベッドに潜り込んでしまう。

 アービィは自分の部屋に戻る途中、ふとルティの部屋の前で立ち止まった。

 ドアを叩こうとして、鍵が掛かっていないことに気付く。

 

 そっと部屋に入ると、ルティはベッドで気持ちよさそうに眠っていた。

 やはり、徹夜でアービィを膝枕していたため、寝不足なのだろう。

 

「自分の気持ちに素直に、か……」

 ティアの言葉を口の中で繰り返し、アービィは寝ているルティに顔を寄せる。

 今なら、このまま唇を重ねても、気付かないかな。

 

 そう思ったとき、ルティが寝返りを打つ。

 アービィの心臓が、破裂しそうな勢いで拍動を始めた。

 

 自分の感情に戸惑うアービィは、うっかり獣化してしまった。

 

 狼の体重がベッドに伝わり、ルティの頭が大きく沈む。

 急に落下するような感覚に、ルティが目を覚ました。

 

 ルティは目を開けるが、焦点が合わず、何度か目を擦る。

 しばらくして、ようやく世界が形を成し、ルティは目の前に何があるか把握した。

 ルティがそこに見たものは、照れくさそうに自分を見下ろす巨大な狼の顔だった。

 

 

 隣の部屋から聞こえてきた怒声と破壊音に、慌ててティアが部屋に飛び込んでくる。

 ティアの眼前に広がっていた光景は、鼻面を押さえ、ピスピス鼻を鳴らす巨大な狼と、手を腰に当て、轟然と立ちはだかる少女の姿だった。

 

 さっさとしちゃいなさいよ、と怒鳴る少女の声を、ティアは聞かなかったとことにする。

 足元には、枕元にあるはずの銀の燭台が、無残に変形して転がっていた。

 

 翌日、討伐の仕事に出て行く三人組のうち、少年の鼻梁には一筋の傷があった。

 そして、レイたちの護衛としてこの町を出る前日まで、平穏な日が続いていた。



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第16話

 明日は、レイたちを護衛して、この街を出る日だ。

 アービィたちは、クリプトと落ち合い、必要な物資の買出しに出ていた。

 携帯食料の他、次の村まで日持ちするような生鮮品も買い込む。

 その後、ボルビデュス家の上屋敷に行き、伯爵と顔合わせすることになっていた。

 

「緊張するわ」

 ルティが呟く。

 

「ルティ、地は出さないでね」

 ティアが茶々を入れ、アービィが同意する。

 

「失礼ね、こんな礼儀正しいレディを捕まえて、なんてことを言うのよ」

 クリプトが苦笑しながら、馬車に誘い、三人を屋敷に案内した。

 

 

 屋敷の入り口でレイに再会し、ひとしきりお喋りをした後、応接間へと案内された。

 白髪の混じり始めた薄い栗色の髪に、がっしりした体格の人物が、ほぼ同時に応接間に入ってくる。

 丁寧に借り揃えられた鼻の下の髭が、この人物に風格を与えていた。

 40代半ばだろうか、髪と同色の瞳から放たれる鋭い視線は、アービィたちの人となりを見極めようとしているかのようだ。

 

 三人は慌てて立ち上がり、多少ギクシャクしながら挨拶をした。

 完璧な作法でアービィたちに答礼すると、三人の前のソファーに腰を下ろした。

 

「ようこそ、いらした。私がインダミト国伯爵、レヴァイストル・シンピナートゥス・ヴァン・ボルビデュスだ。まぁ、腰を下ろされよ。レイから話は聞いている。実に頼もしい人物であるとな。長い旅になるが、その間よろしくお願いする」

 ここでも貴族が平民に頭を下げるという、実に反則な行動が見られたが、レイのおかげで免疫ができていた三人は平静を装って頭を下げる。

 

「既に、娘がやってしまったようだな?」

 それを見て、レヴァイストル伯爵は豪快に笑った。

 

 暫く世間話をするが、厳つい印象とは裏腹に、気さくな人物でもあるようだ。

 領民たちのことを想う気持ちが、言葉の端々から伺える。

 アービィは護衛の人選について、クリプトに聞いた疑問と同じことを伯爵に尋ねたが、それにはクリプトと同様の答えが返ってきた。

 

 翌日の出立の時間を打ち合わせ、屋敷を辞する。

 屋敷を出る際、追いかけてきたレイが三人を買い物に誘い、クリプトが馬車を用意する。

 

 アービィは女の子三人の買い物がどのような結果を招くか、ここまでの旅で思い知らされていた。

 ルティとティアの二人に付き合うだけで、討伐より疲れてしまう。

 街中の護衛は、クリプト一人でおつりが来るというものだ。

 適当な言い訳を付け、宿の前で降ろしてもらおうと、クリプトにアイコンタクトを送る。

 が、死なば諸共でございます、という視線しか帰ってこなかった。

 

 たっぷり半日買い物に付き合わされたアービィは、既に疲れ切っていた。

 馬車があるおかげで荷物持ちこそ免れたが、いつまでもアクセサリーや服を選ぶ三人をただ待つだけの時間は苦痛でしかない。

 それどころか、これはどうだ、あれはどうだ、とアービィの服まで選び始めた。

 着せ替え人形にされたアービィを、クリプトは微笑ましそうに眺めるだけで、一切助けはしてくれなかった。

 辛抱でございます。おふたりの今後のために。

 

 何がおふたりだ、と心の中で毒付くが、決して悪い気分ではない。

 それでも疲れることは疲れる。

 アービィは、自分の装いに対して興味がなく、実用本位のものしか選ばない。

 それでここまで来ていたし、片田舎のフォーミットでは、たいしたものがないというのも理由のひとつだった。

 

 そんなアービィに、レイがとんでもないことを言い出す。

 兄様の領地に寄るときには、歓迎のパーティもあるのよ、嫌だけど、と。

 護衛の分際で、そんなもの出られない、嫌なら断ろうよ、と言ったが、そうもいかないらしい。

 礼服一式を買い揃えられ、アービィは暗澹たる気分になっていた。

 もっとも、予期せずドレスを手に入れることができたルティとティアは狂喜していたが。

 これでアービィも少しはあたしを見直すかしら。

 

 明日は早いから、と、夕食後は軽く飲むだけで、それぞれの部屋に戻り、荷物を整える。

 アービィは、礼服一式を眺め、途方に暮れていた。

 そこへ、ドアをノックする者がいる。

 

 どうぞ、と答え、アービィはドアを開けに立つ。

 ルティやティアなら、ノックしつつも、無遠慮にドアを開けるだろう。どうすんだ、僕が脱いでたら。あ、殴られるだけか。ティアだと危ないかもね。

 

 ドアを開けると、そこには以前会ったロングコードを着た男が立っていた。

 身構えるアービィを押しのけ、テーブルに着き、酒瓶と干し肉を並べる。

 

「何をしている? 早く、来い」

 警戒しつつ、アービィがテーブルの反対側に着くと、男は苛立ちながら言葉を続ける。

 

「気が利かない奴だな。グラスぐらい出せ」

 

 

「人の姿をしている奴を切り刻む趣味は無ぇ。座れ」

 当面の害意がないことが解り、アービィは男と対面する。

 30歳になったくらいか。

 短く刈り込んだ銀髪に、黒い瞳。

 彫りの深い顔だ。

 双眸には強い意志が湛えられている。この前見た目と同じだ。

 

 

「なんで、この間、いきなり、あんなことを? えっと、……?」

 グラスを並べ、男が持ってきた酒を注ぎながら、アービィが問う。

 

「バードンだ。家名はあるが捨てた。孤児だからな。ラシアスのマ教孤児院で育った」

 聞かれもしないことを喋り始め、呆気に取られるアービィからグラスを引っ手繰り、バードンは続ける。

 

「俺の両親と姉、弟は人狼に食い殺されたんだ」

 返す言葉が無いアービィは、黙って続きを促す。そりゃぁ気の毒だったけど、そんなこと僕に言われたって困るよ。

 

「俺は、孤児院に放り込まれた。それからは在り来りのことだ。それを苦労だなんて言ったら他の連中に殴られちまう。だがな、俺は誓った。お前等人狼は、ただの一匹も生かしちゃおかねぇってな。俺の両親を殺した人狼は、たったの一匹だ。冷静に考えりゃぁ、他の人狼にとっちゃ八つ当たりだろうな」

 じゃあ、放っておいてよ、と心の中で想いつつ、アービィはグラスの酒を舐めた。

 

「俺は、孤児院で育った後、そのまま教会に入って、聖騎士団に入った。お前等を殺す業を鍛えるためだ」

 しかし、厳格な規律を持つ騎士団は、バードンの性には合わなかった。

 彼は騎士団からはみ出してしまうが、教会の悪魔祓い組織が彼を放ってはおかなかった。

 個人の戦闘技術を徹底的に叩き込み、正規の悪魔祓いとしてではなく、人の間に隠れ住む悪魔を暗殺する、独立した殺し屋に彼を作り上げた。

 

「俺は、俺みたいな子供を、これ以上出したく無ぇ。だから、親の仇以外の人狼だってぶち殺してぇんだ」

 僕は人を喰いたいなんて想ってない。言いがかりだ。

 喉まで出掛かった言葉を飲み込む。

 そんなことを言っても、この正義の人には口先だけの誤魔化しにしか聞こえないはずだ。

 

「それに、お前知ってるか? 中途半端にしか獣化できない人狼ってな、人と人狼の間にできた子供なんだぜ」

 聞きたくない。

 それがどういうことか、アービィには想像が付く。

 

 今までに、平和的に人狼と人が愛を交わしたなんて聞いたことが無い。

 どう考えても、人狼が人を無理矢理犯した結果だ。

 百歩譲って、人を騙した結果だ。

 愛の結晶と信じている者が獣化したときの、母親の気持ちは想像に余りある。

 愛を注ぎ、慈しみ育てた子供が、悪魔の化身だなんて。

 

 アービィが、ルティとの一線を越えられない理由でもある。

 

「親も不幸なら、そんな生まれ方をした子供も不幸だ。迫害され、呪われ、醜く歪み、人を呪う。呪われれば呪い返すだろ。それが次を生み出す。そんなもの断ち切らなきゃならねぇのは解るな?」

 人狼同士に連帯感など無い。

 アービィは頷く。もし、僕の前に人狼が立ちはだかって、ルティを傷つけようとしたら、躊躇い無く殺せるよ。

 

「俺は生きてる限り、一匹残らず狩り尽くしてやる。それだけの力は身に付けたつもりだ。てめぇも、手も足も出なかったようにな」

 出さなかっただけだけどね。もっとも人の姿じゃあなたには敵わないけど。

 アービィは心の中で呟く。

 

「弱い者を切り刻んでも面白くねぇ。強えぇ、人狼の溢れかえる自信を踏みにじってやらなきゃ、俺の気が済まねぇ。正々堂々と、小細工など弄さずな。だから、てめぇが人の姿である限りは、手を出さねぇでいてやるよ。だから、必ず、次は狼になれ」

 

「あなたと戦う意志はないよ。その必要を、僕は認めない」

 アービィは、これまでのことをバードンに話し、今後も一切人に仇成す気など無いと言った。

 ルティと二人、穏やかに暮らせる場所を探しているだけだと。

 もちろん、バードンが理解してくれるなどとは考えていないが、言わずにはいられない。

 

「へっ、そんな言い分聞いて、はいそうですか、なんで言ってたら、俺の商売はあがったりだ。そんなことで見逃すとでも思ってるのか?」

 視線が切り結び、もし二人の視線が熱を持つなら、周囲は燃え上がっていただろう。

 

「アービィ、いる? あ……お客さん? 失礼しました」

 突然ルティが入ってくるが、バードンの姿を見て背を向けた。

 

「あ、どうぞ、お気になさらず。もう、お暇しますので」

 アービィに相対していたときとは、別人にしか見えない柔和な顔が、ルティに振り向く。

 柔らかな物腰で挨拶したバードンは、アービィに一瞥をくれ、部屋を出て行った。

 

「誰?」

 バードンを見送ったルティが聞いた。

 

「うん、この前、町で知り合った人。見送りに来てくれたんだ」

 眠り損ねちゃったから一杯やろうよ、と、その場を取り繕う。

 納得できないルティにグラスを渡し、バードンが持ち込んだ酒を注ぐ。

 

 早く寝ないといけないんだけどな、と思いながら、アービィは礼服の話でルティの気を逸らしていた。



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第17話

 早朝、一行は二台の馬車に分譲し、エーンベアを出発した。

 一台目ではアービィとルティがレイを、二台目ではティアとクリプトがレヴァイストル伯爵を護衛する。

 もっとも、伯爵自体が戦力に数えて良いほどの武勇を誇るので、ティアは回復役に徹していても充分だ。

 それぞれの馬車には侍女が二名ずつ分乗し、身の回りの世話をする。

 

 休憩地でのテーブル設置や水汲みなどの力仕事は、アービィとクリプトの仕事だが、男手が二人とも同時に離れるわけには行かないので、アービィは雑事を引き受けるつもりでいる。

 野営時の不寝番も、基本的にはクリプトとアービィの仕事だが、深夜までと早朝はルティとティアが担当することになった。

 

 まず、北東に向かいバイアブランカ王家直轄領内のホルボーン村を目指す。ここまでは三日の行程だ。

 次いで北の山岳地帯を抜け二日の行程で東の商業都市ティムス、さらに北東へ進み二日でアーガストル・シンプレックス・ヴァン・ボルビデュス・ラガロシフォン子爵の居城があるラガロシフォンに到着する。

 ここに三日滞在した後、いよいよレヴァイストル伯爵領ボルビデュスに到着する14日間に亘る旅の予定だ。

 

 

 途中、小さな集落もあるが、伯爵が宿泊できるような格式の宿があるのは、ホルボーン、ティムス、ラガロシフォンしかない。

 行程に余裕を持って組むか無理をするなりの調整をすれば、小さな宿で宿泊することもできるのだが、伯爵は宿に無駄な気を使わせることは望まない。

 このため馬車の平均的な速度で走った場合、そのような村は通過するようにして、領地への往復は野営が何度か入るようになっていた。

 もちろん、通過してしまう村に対する気遣いも忘れず、食料等はそこから購入するようにしている。

 伯爵にとっては野営することも楽しく、相手に迷惑を掛けたくないからのことであって、宿の格式に不満を持つからではないのだ。

 

 宿に限らずこの世界では、庶民が行く施設、貴族が行く施設と格の違いと区別があり、下手に格が違う宿を利用すると、却って相手に迷惑が掛かってしまう。

 かつて伯爵がまだ若かった頃、何気なく小さな集落の宿に一晩泊まったことがあるが、宿の主人を始め使用人までが就寝時に宿の外の地べたに寝てしまったのだ。

 貴族と同じ屋根の下に寝るなど、不遜な身の程知らずの行いだ、と言うことだった。

 

 当時子爵だったレヴァイストルがいくら、気にしないから、と言っても、後々子爵様と同じ屋根の下に寝たという話がどこからか伝わり、役人から問答無用で罰を受けるか判ったものではないと、宿の人々はほうほうの態で逃げ出してしまった。

 

 またあるとき、道端にある茶屋に立ち寄り水を求めたときも、店員の少女は水の入ったその店で一番上等の器を盆に載せ、自らの頭より高く差し上げ運んできたものだった。

 高貴な方が口にするものが、庶民の頭より低いところにあるなどとは許されるものではない、ということである。

 

 すっかり辟易したレヴァイストルは、それ以来公的な移動の際には自領以外では野営を好むようになった。

 それなりの格の宿でも、投宿した際には町村の有力者が押しかけ、お機嫌伺や陳情にやってくるので、それはそれで面倒だとも思っているが。

 

 しかし、庶民にその態度を取らせることこそ貴族的振る舞いであると、態々そのような宿に泊まり、怯える庶民を酒の肴にする貴族も多い。ひどい場合に言い掛りをつけては金を払わずにいたり、娘を差し出させる者もいるとも聞き及んでいた。

 アーガストルにはいつも厳しく言ってはいるが、伝え聞く話にはあまりよい評判はなく、心配は募るばかりだ。

 

 

 出発した当日は、慣らしも兼ねているため、王都のほど近いグラース河の広大な河川敷で野営する。

 クリプトはもちろん、伯爵も手馴れた手つきで火を熾し、野外での食事を楽しんでいた。

 

 夜半、小規模なゴブリンの襲撃もあったが、これも伯爵が先頭に立ち撃退してしまった。

 護衛の必要なんか無いじゃないの、と思うアービィたちであった。

 それでもそれぞれが適切に呪文の修練に励むことができるので、旅の終わりにどれほどの上達があるか、楽しみになっていた。

 

 翌日の野営時には魔獣の襲撃もなく、行程の遅れを出すことなく、ホルボーンに到着した。

 ホルボーンの宿に入り、一頻り有力者の相手を済ませた後、一行は夕食までのゆったりした時間を過ごしている。

 クリプトが宿のロビーで寛いでいると、ルティが話しかけてきた。

 

 剣の指導をして欲しい。

 ルティの願いは、アービィを守ることができる武技も身に付けること。

 アービィの戦闘力そのものに心配は無いが、アービィ一人が全てと戦えるわけではない。

 ティアも充分な戦力だが、ルティは自分でアービィを守りたいと願っている。

 少しでもアービィの負担を減らしたい。上手く言葉にできないのですが、呪文での助力だけでは不安なのです。

 

 いきなり後ろから、偉い、と大声と共に大きな掌がルティの背中を叩いた。

 レヴァイストルが満面の笑みを湛えてルティを見下ろしていた。

 

 私が稽古を付けよう、という伯爵の言葉にルティは恐縮する。

 伯爵は大剣をよくする。

 愛剣は、ルティ同様の両刃のブロードソードだ。

 クリプトも剣を扱うが、レイピアを得意としていた。

 それであれば、同種の剣を使う者が稽古を付けるべきだ、というのが伯爵の意見である。

 

 ルティの返事も聞かず、部屋に取って返した伯爵は、愛剣を腰に佩きロビーに戻ってきた。

 こうなっては遠慮するわけにも行かず、ルティは剣を取りに戻る。

 宿の裏庭に出た伯爵とルティは、まず小手調べとばかりに立ち会った。

 

 殺す気で来なければ腕前が判らんからな、と言う伯爵に対し、ルティは全力でも敵いませんからと言い、全身に殺気を漲らせ飛び掛った。

 裂帛の気合と共に剣を振り下ろすルティだが、伯爵は軽く捌き続ける。

 十合ほどの打ち合いの後、伯爵はルティの剣を弾き飛ばした。

 

 肩で息をするルティに対し、伯爵は息も乱れていない。

 それは当然だろう。

 幼少の頃より、父や騎士たちから厳しく武芸を叩き込まれ、四十半ばになっても鍛錬を欠かさない伯爵と、あくまでも我流で剣を振り回すだけのルティでは、呼吸法、動作の効率、筋肉の使い方、全てが違う。

 

 一朝一夕に上達はしないがな、と伯爵は言い、剣の基本からルティに指導を始めた。

 構えから始まり、打ち込み、引き戻し、薙ぎ、払い、受けと一連の動作を細かく指導する。

 熱の入った指導は終わる気配を見せず、伯爵の方針で旅の途中は全員が同じ食卓を囲むことになっている食堂では、『おあずけ』を喰らった一行がスープの湯気が消えていくのを恨めしそうに見詰めていた。

 もっとも侍女たちは、この時とばかりに伯爵様と同じテーブルで食事を取るのは不敬ですと宿の主人が言ったことにして、他の食堂でさっさと食事を済ませていたが。

 

 

 翌朝、まだ陽が昇る前に、ルティの部屋のドアが激しく叩かれた。

 筋肉痛に悲鳴を上げるルティがやっとのことでドアを開けると、そこには満面の笑みを湛えた伯爵が、剣を携えて立っていた。

 さぁ、朝の鍛錬だ、と半泣きのルティを引き摺って裏庭に出る。

 

 昨夜同様、熱の入った鍛錬が終わると、伯爵は爽やかな笑顔で、ルティは半死半生で朝食の食卓に着いた。

 クリプトから話を聞いていたアービィが心配そうに、ティアとレイが笑いを噛み殺し朝の挨拶をする。

 クリプトは、伯爵が毎朝剣を振っていることは知っているので、平然と挨拶をしていた。

 もちろんクリプトも伯爵も、ルティから「アービィを守りたいから剣を習っている」という理由に関しては口止めされていた。

 アービィもなんとなく察してはいるが、ここは口出しすべきではないと言うことくらいに空気は読める。

 ティアは、明日からあたしも弓の練習をしようかな、と思っていた。

 

 

 ホルボーンを出ると山岳地帯に入り、馬車の速度は落ちる。

 途中小さな村で食料を買い足し、山道の開けた場所に野営地を定めた。

 

 行程上無理をした場所なので、既に陽は落ち、足元が危ない。

 火だけ熾し、簡単にレーションだけで食事を済ませ、早めに寝て翌朝早く出ることにした。

 

 夜間、花を積みに行くことは危険が伴うため、女性陣は水分を控えているので、かなり喉が渇くようだ。

 野営時は男性女性で馬車を分けるのだが、女性陣の馬車からは長い間話し声が聞こえてきた。

 

 寝付けない侍女の一人が窓の外を眺めていると、馬車から20m程離れたところに影があった。

 不寝番のクリプトがすぐ気付き、ルティとティアを起こすように侍女に伝える。

 気配を察知した伯爵とアービィが馬車から飛び出し、それぞれに剣を構える。

 

 焚き火の明かりの中に入ってきたのは、全長が3mほどの大熊だった。

 

 伯爵を背後に庇い、アービィが前に出る。

 下手に弓を射て手負いにすると厄介なので、ティアは馬車に待機していた。

 ルティも侍女たちの護衛に馬車に残り、アービィとクリプトが並び、背後に伯爵が控える。

 

 緊張のあまり獣化しそうだが、全身の力を抜き、とにかくリラックスする。

 焦げ臭い殺気が押し寄せてきた瞬間、アービィは跳躍し、熊の一撃を避ける。

 アービィを狙って振り下ろした腕にクリプトの鋼線が絡まり、目標を見失った熊の態勢を大きく崩した。

 ほぼ同時にアービィの跳躍に合わせて、水平に打ち出された伯爵の剣が熊の顔面を捉える。

 

 熊は片腕で顔を掻き毟り、もう片方の腕で大地を叩こうとするが、クリプトの鋼線が腕を切り落とした。

 大地を叩こうと振り上げた腕が消え、動きが鈍る熊の背中に、アービィと伯爵の剣が再度打ち下ろされる。

 

 ティアが呼び出され、残酷ですが、とクリプトに言われ、動く標的に弓を射る。

 15m程の距離から放った十本のうち、六本までが命中し、熊が再度暴れ始める。

 クリプトの鋼線が熊の首に巻き付き、クリプトが腕を振ると重い音を立てて熊の首が地面に転がった。

 

 翌朝、熊の死体を全て馬車に積み、ティムスに向け出発した。

 もちろん、黎明期から伯爵にしごかれて、ルティは死にそうな顔で馬車に揺られている。

 

 

 道中、リザードマンが襲ってくるが、ルティを前面に出し、適度に呪文で回復させながら撃滅する。

 たった二日であるが、ルティの動きには無駄がなくなり始めていた。

 ティアは内心焦りを覚えてしまい、夜にでも弓の修練をしようと心に決めていた。

 夕暮れが近付く頃、商都ティムスの城壁が遠くに見え始めた。

 

 

 ティムスの宿で、熊の処理を依頼した。

 熊は、肉はもちろん、胆嚢と掌は特に高く売れる。宿の主人が銀貨十五枚で売捌いてきてくれた。

 レヴァイストル伯爵は手数料として主人に銀貨五枚を渡し、残りをアービィに渡してくれた。

 三人は恐縮しつつも、臨時収入に大喜びする。

 ここでも有力者たちの挨拶があり、それを無難に捌いた後夕食となった。

 

「次はご子息の領地ですね」

 アービィが、何気なく確認する。

 

「うむ、寄らないわけには行かないのだがな。皆の前で恥を掻くことが無ければ良いのだが」

 

「ティア、ルティも、兄様には気をつけてね。たいした実力も無いくせに、手だけは早いんだから」

 ティアの胸を見ながら、レイが二人に言う。あたしは見もしないのっ!!?

 

 

「レイ様、僕たちは別に宿を取ったほうがいいんじゃないですか?」

 ルティとティアの心配もあるが、一介の冒険者が話に聞くような子爵の屋敷に泊まることで、何かしら余計な問題を起こさないかが心配だった。

 主に、ティアが何かやらかすのではという心配だったが。

 

「それがねぇ、どんな風の吹き回しか、城に泊まれって言ってるのよ。いつもは、絶対城には足を踏み入れさせないくせに。多分だけど、ルティとティアがいるからじゃないかなぁ」

 またティアの胸を見ながらレイが言った。またっ!? あたしは見ないのっ!?

 

 夕食後、怒りを何かにぶつけるかのように、いつもより激しく剣を振るルティの姿が見られたとか。

 

 

「ルティ、昨夜は太刀筋が乱れておったが、心に迷いでもあったか?」

 翌朝、鍛錬が終わったあと、伯爵がルティに声を掛ける。

 しっかりバレていたが、まさか自分のコンプレックスのせいだとは言えず、言葉を濁す。言えません、乳のせいだなんて。

 

「ま、だいたいは……解った……が……、剣を持つ……ときは、心を静める……ようにな」

 伯爵、笑いを堪えながら言わないでくださいっ!!

 朝食時、本気で泣きそうなルティがいた。

 

 ティムスからラガロシフォンまでは、余裕のある行程なので食後暫くゆっくりしてから出発することにした。

 出発までは自由時間となったため、アービィは街に出かけた。

 

 ふと思いつき、アクセサリーショップに行き、ルティとティアに髪飾りを買って帰った。

 ティアには、ティアラでなくてごめんね、と付け加える。

 アービィから髪飾りを受け取り、嬉しそうに髪に飾ったルティは、それからしばらく気味の悪い笑みを浮かべていた。

 

 

 翌日の昼前に、ラガロシフォン領入り口の村グラギリスに到着した。

 ここは通過だけだが、その分昼食用の食料を購入する。

 村での買い物を済ませ、通りを馬車で通過しているときから、レヴァイストル伯爵とレイの表情が曇ってきた。

 

「アービィ君、買い物を頼んでしまって済まなかったね。ここでは私やレイ、クリプトは顔を知られているのでな。伯爵家の馬車から降りてきたのだから、当家縁の者ということは判ってしまうが、それでも我々が行くよりは気を使わせずに済む。特に、この村ではな」

 それはそうだ。領主の父当人が買い物になどきたら、村中がパニックになる。

 せめて、使用人か、依頼を受けた者である必要はある。

 

「ところで、買い物をしていて、村人たちから何か感じ取ったかね?」

 アービィは食料を買った店の店主の態度を、思い返す。

 必要以上に謙った態度。五十に手が届こうかと言う男が、まだ二十歳にもなっていない少年にぺこぺこしていた。

 無理矢理貼り付けたような愛想笑い。頬の筋肉だけで作ったかのようで、決して目は笑っていなかった。

 店も慌てて片付けたような、雑然とした感じだ。

 それを伯爵に言った。

 

「そのとおりだよ。見たまえ。通りも一応はきれいだ。が、不必要に積み上げられた木箱や樽が、家々の壁を隠している。不自然な土の色も、慌てて埋め戻したのだろう。アーガスの差し金だろう。さっき買ってきた店は、品揃えはどうだったかね? 値段は? 品質は? 他にもすれ違う民の挨拶だ。少しでも早く、私たちの前を離れたいと言う気持ちが透けて見える」

 つまり、と伯爵は続ける。

 私は怖がられている。と。

 畏怖ではなく、怖がられているのだ。

 万が一、領主の父を怒らせるようなことがあれば、間違いなく死罪。

 

 アーガスは、領地の経営が上手くいっているように見せたいのだろう。

 小言を言われたくないのだ。

 

 改めて見てみれば、村は荒廃しているようにも見え、人々の目に生気がない。

 畑のあちこちには、大きな岩や切り株が放置されている。

 それなりに整備されている畑は、領主の直轄で小作農が管理しているのだろう。

 

 関税が高いとも言われている。

 ラガロシフォン領はボルビデュス領に内包されているから、ボルビデュス領の関税以外は掛からない、はずだ。

 直接他国から入る物流にのみ、ボルビデュス領と同額の関税をラガロシフォン領では徴収できる。

 どうやら、それにはボルビデュス領より高い関税を、さらにボルビデュス領から入ってくる物流にまで、関税を掛けているらしい。

 

 そういえば、さっき買った食料も、ずいぶんと高かった。

 ラガロシフォン城が近づくに従い、レヴァイストル伯爵の表情は、険しくなる一方だった。



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第18話

 レヴァイストル伯爵は、苦り切っていた。

 来る度に酷くなる息子の領地の様子。

 民は極貧に喘ぐが、息子は何の対策も練っていない。

 

 それどころか税を集めろとの号令ばかりで、何故税収が落ちているのかの原因を考えることもない。

 何も自ら鍬を振るえと言っているわけではない。

 土地から収穫が上がらない、店舗の売り上げが上がらないといった直接、間接の原因を探り、対策を練り、民を指導しなければならない。

 

 日々の暮らしに追われる民に、原因の追究や、対策といったことまで任しているのであれば、貴族など不要で害悪でしかない。何せ、生産性皆無の『職業』であるからだ。

 戦乱の時代であれば、領民を守るために剣を振るう『職業』という解釈もできた。

 しかし、現代における貴族とは領地を経営する『職業』だ。

 自らは職業、例えば商業や農林水産業、工業に携わることなく、徴税という特権の下に、領民の暮らしを守りながら、その税を給料として生活する『職業』であるといえる。

 もちろん、現代でも野盗や魔獣といった脅威から領民たちの安全を守るために、それぞれが養う軍を率い先頭に立って戦うことも重要な職責のひとつでもある。

 

 アーガストル子爵は、特権階級であるという一点にのみに立ち、領民の幸せや安全などは二の次だった。

 領民にとっては、貴族に傅き全てを投げ出して尽くすことこそ、無上の幸せであると信じていた。

 

 自分は、レヴァイストル・シンピナートゥス・ヴァン・ボルビデュス伯爵の子息である。

 父の威光に逆らい得る者は、精々がところ、王族や爵位が父より上の一部貴族だけだ。

 父の努力や、それに伴う信用といったものが作り上げた威光にぶら下がり、自らは努力する必要などなく、権力とは転がり込んでくるものだと思い込んでいる。

 当初は父を真似て善政を敷こうとしていた彼だが、ストラーの貴族や一部の思い違いをした貴族と付き合ううち、どこかが狂い始めた。

 

 領民が父に対し膝を折るのは、無理のない税と共に福祉という見返り、さらには安全の確保、公正な裁判といった、多大な努力があるからこそであって、彼のような無策無為な貴族に対し、本気で尊敬の念を抱く者など皆無である。

 それでも彼は、王族や貴族同士の付き合いを通して見てきた振る舞いのうち、平民に対して威厳を持って接するという点だけを、貴族らしさとして真似していた。

 

 

 ラガロシフォン城に馬車が到着し、レヴァイストル伯爵一行はアーガストル子爵の出迎えを受けた。

 護衛であるアービィたちは、もちろん貴族の出迎えを受けるような立場ではないが、父の到着とあっては子爵であろうと城門まで迎えにくるのは当たり前のことである。

 

 伯爵とレイは応接間に、クリプトとアービィたちは次の間に通される。

 扱いに差が出るのは当たり前のことなので、特に彼らに不満はない。

 不満があるとすれば、この後歓迎のパーティーなどに出なければならないことだ。

 もっとも、ルティは脳天気にドレスが着られることを喜んでいるが。

 

 子爵と伯爵に型どおりの挨拶を交わしている間、アービィたちはクリプトからいつくかの注意を受けていた。

 別に敬意など払う必要などございませんが、態度だけは作法に従っていただきたく存じます。

 妹君もおいでですが、こちらに対しても同様。

 やたらとご自分の権勢を誇示したがる方々でございますので、ご機嫌を損ねると余計不愉快なことになり兼ねませんのでな。

 

 どうやらクリプトも、この二人に対して敬意というものを抱いていないようだ。

 が、悲しいかな宮仕えの身、叩き込まれた作法と主人への限りない敬意が、出来の悪い子息の前での態度を嘲りに変えずに済ませていた。

 

 作法などとは無縁の生活を送ってきたアービィとルティは、クリプトによる即席のマナー教室の生徒となっていた。

 パーティーの際は、ぼんく……いえ、子爵様がお二人に不埒な真似をしないとも限りませぬゆえ、護衛というお立場をご利用なさり、できる限り伯爵様かレイ様のお側におられますよう、とティアをちらりと見てから、クリプトは言った。

 あぁ、クリプトさんまでっ!! またティアだけっ!? あたしはっ!?

 

 

 陽が沈む頃、ラガロシフォン城の広間を喧騒が埋めていた。

 伯爵の来訪とあって、近隣の村や城下の有力者たる騎士階級のものや、隣接する領地を持つ貴族たちも、パーティーに訪れている。

 

 無理矢理礼服を着せられたアービィは、なんともいえないこそばゆさを感じていたが、ルティやティア、レイは、感嘆の思いでアービィを見上げている。

 175cmのがっしりした偉丈夫。きちんと刈り揃えた髪を丁寧に整えられた涼やかな顔立ち。

 貴族の振る舞いを身に付けていないだけで、その点を除けばどこに出しても恥ずかしくない立ち姿だった。

 もっとも『その点』が一番問題じゃないか、とアービィもルティも思っていたが。

 

 パーティー会場に入り、所謂上流階級の者たちの中に放り込まれたアービィたちは、居た堪れないほどの居心地の悪さを感じていた。

 なぜ、このような場に平民どもが、と言う視線。

 または、ルティとティアを値踏みするような視線。

 何れにせよ、長くは居たくない場である。

 

 伯爵は、貴族の仕事ともいえる親善外交のための会話に忙しく、レイはさりげなく縁を求める男どもを当たり障りないように交わすのに忙しい。

 いつしか、三人は壁際に追いやられ、酔っ払わない程度に酒を飲んでいた。

 

 会場を出て行くタイミングを計っていると、アーガストル・ラガロシフォン子爵がグラスを片手に、三人に寄ってきた。

 クリプトに教わったように、当たり障りのない挨拶をする三人に、アーガストルは尊大な態度で答礼する。

 そして、言わずにおけばいいものを、恩着せがましく話し始める。

 

「ようそこ、我が領、我が城へ。いかがかな、パーティーは楽しんでおるかね?本来なら、君たちのような立場の者が、このような場に立てるものではないからな。父上の護衛ということで、特別に許可しておいた。精々、楽しんでいってくれたまえよ」

 伯爵と同色の髪と瞳。

 しかし、伯爵とは大きく違う弛んだ頬、二十を越えたばかりだというのに突き出しつつある腹、鋭さのない欲が澱んだ瞳。

 おそらく、領民の貧困など考えずに、美食飽食に励んだ結果であろう。

 そして、伯爵とは比べ物にならない貧弱な腕。

 おざなりの剣の稽古しかしていない。鍛錬を積んでいるとはお世辞にもいえない。

 アービィたちは、腹の底から湧き上がる不快感を必死の努力で隠し、頬に笑みを貼り付けていた。

 

「レディ、護衛の仕事は楽しいか?」

 ルティとティアをねっとりとした視線で眺めながら、アーガストル子爵は言った。

 アーガストルの問いに、言葉すらもったいないと思う二人は、短く肯定の返事をする。

 

 この若者と女は、姓が同じところを見ると片方とは姉弟か夫婦、片方が恋仲か。

 それを喰らい尽くされて、嫉妬の炎に焼かれる姿を見るのも、また一興。

 いくら抗いたくとも、貴族であるこの私に逆らう愚か者などいるはずはないな。

 自領内の痩せ細った鶏がらのような女どもとは、大違いだ。

 こちらの胸など、そうそうお目に掛かれるものでもない。

 あちらは多少劣るが、まぁ貧弱というわけでもない、とアーガストルはと腹の中で考える。

 

「そんな汚れ仕事より、どうだ、この城に入らぬか? 我が側室ともなれば、後々の伯爵側室ぞ。悪い話ではあるまい?」

 呆れ返って笑いしか出てこない二人に、よく考えておきたまえと言って、アーガストルはその場を離れた。

 七対三の割合でティアと胸を見比べられたルティは、心底嫌そうな顔でアーガストルの背中を見送った。

 

 ……ティア、やっちゃっていいわよ。思いっ切り搾り取っちゃいなさいよ。

 

 ……イヤ。選ぶ権利くらいはあると思うの。

 

 ルティはアービィもちょっとは怒ってくれてもいいのに、と思って振り向く。

 そこには、にこやかな表情で、分厚いオールドグラスを握り潰したアービィがいた。

 

 

 ようやく嵐が去ったと思うまもなく、今度は嫌味な態度の女の子から声を掛けられた。

 

「お姉様の護衛って、あなたたち?」

 相手は子供とはいえ貴族であるし、クライアントの娘であり、妹だ。

 最低限の礼を失わないように、三人は自己紹介し、挨拶をする

 

 こちらも伯爵やレイと同色の髪と瞳を持った、十二、三歳ほどの少女。

 長い髪を縦ロールに巻き、全体にゆるやかにウェーブが掛かっている。

 まだ成長途中の肢体は、レイを見れば将来が楽しみだ。

 ドレスの腰に手を当て、低い身長をものともせず軽く顎を上げ、斜めに見下ろすように立っている。

 セラストリア・アリーナ・ボルビデュスよ、と名乗り、やはり値踏みするような視線を送ってきた。

 

「もうね、退屈でしょうがないの。私の護衛に鞍替えしない? 北の大陸を征服しちゃいましょうよ。ったく、身の程知らずな、あの連中を返り討ちにして、ついでに我が領にしちゃいましょ。あんな連中、いなくなったら良いと思わない?」

 思わない。

 何を言い出すのかと、三人は呆気に取られる。

 どちらの大陸であっても、民は生きることに必死なのだ。

 南の大陸への侵攻を許せるわけではないが、三人とも北の民の気持ちくらいは、解っているつもりだった。

 大陸への侵攻、防衛のどちらに正義があるわけではない。

 何も撃退しないでも、平和的な解決策もあるんじゃないかとも、アービィたちは思っている。

 

「どうせ、私もどこかに嫁ぐ身よ。伯爵領は手に入らないの。だったら、何か大きな手柄でも立てて、王族辺りに嫁ぎたいじゃない? ストラーの王族なんかだったら、ここよりいい暮らしが出来ると思うの。手伝わせてあげるわ」

 逆らうの? 私は伯爵令嬢よ、と言い、さぁ、答えなさい、と迫ってくる。

 どうあしらうか、三人が頭を悩ませていると、レイが不穏な空気を察知して人垣を掻き分けてきた。

 

「セラス、無茶なこと言わないの。この方たちは、あたしとお父様が護衛にと依頼した方たちよ。あなたのおもちゃにするために連れてきたんじゃないの。だいたい、立場を利用して相手に答えを迫るなんて、脅迫よ」

 レイがセラスを窘めるが、父の溺愛を一身に受けた少女は、そんなことどこ吹く風だ。

 

「お姉様、私は名誉を与えようとしてるのよ。平民が貴族の役に立てるなんて、この上ない名誉じゃない。護衛みたいな地味~な仕事より、よっぽど嬉しいはずなの。決まってるわ、そんなこと」

 その態度は不遜すぎるわ、というレイに、お姉様こそ平民に甘い、そんなことでは嘗められるわ、というセラス。

 お互いに視線が火花を散らし、互いに、今夜は意見してあげる、と言って、睨み合いながらその場から離れていく。

 

 ごめんなさいね、楽しんでね、と三人に言うレイに、なんで貴族が平民に謝るのよ、と文句をつけるセラス。

 ざわめく会場の真ん中で、額に指を当て俯く伯爵の姿が見られた。

 

 

 夜も更け始め、広間からは少しずつ人が減り始める。そろそろお開きの時間だろうか。

 ……アービィ、他の女の子に目を奪われちゃって、あたしは目に入らないの?

 ……初めて着たドレス、似合わないかなぁ?

 

 

 パーティーは、クリプトの心配をよそに、とりあえずは無事に終わった。

 パーティーの後、伯爵と共に剣の鍛錬に励むルティの横で、クリプトから弓の手ほどきを受けるティア。

 ルティはここまでの旅の間、伯爵の指導でかなり剣の腕が上がっている。

 たった数日とはいえ、基礎から叩き込まれたことが効いているようだ。

 

 ティアも弓についてクリプトに相談したところ、適任の熟達者はいないが基礎くらいであれば、とクリプトが教官役を買って出てくれたのだ。

 こちらは魔獣補正のせいか、かなり上達が早い。

 ダガーについても手ほどきを受けているので、そちらも腕が上がりそうだ。

 

 

 深夜、城内に最低限の警備の兵だけを残し、皆が寝静まった頃、ティアの部屋に忍び込もうとする人影があった。

 もちろん、パーティーの際、ティアに目を付けていたアーガスだ。

 

 合鍵を用い、静かに。だが、鈍重な足音を立て、部屋に忍び込む。

 当然、ティアは気配で目を覚まし、待ち構えていた。

 あからさまに撃退してしまっては、後々面倒なことになりそうなので、あくまでも寝ぼけたことにする。

 

 アーガスがベッドに寄りかかり、ティアの髪に手を触れる。

 まだだ、ここで飛び起きては、目を覚ましたと思われてしまう。

 気持ち悪いが、もうちょっとの我慢だ。

 

 起きる気配がないと判断したアーガスが、ティアの唇に自分の唇を近づけた瞬間。

 

 石と石がぶつかり合うような音がした。

 

 ティアは、顎を引き、腹筋だけで上体を一気に起こしたのだ。

 力いっぱいの頭突き。

 アーガスは、言葉を発することなく気を失ってティアの上に崩れ落ちた。

 

 一呼吸入れ、大きく息を吸い込んで悲鳴を上げる。

 

 慌てて警備の兵とアービィ、ルティが部屋に飛び込み、伯爵、レイ、セラスが遅れて飛び込んでくる。

 

 ティアに覆いかぶさるように失神しているアーガスと、どうしていいか判らず困惑する兵を見て、レヴァイストル伯爵は再度額に指を当ててしまった。



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第19話

 一夜明け、レヴァイスル伯爵は、アービィたちを居室に呼んだ。

 部屋に入ると伯爵の他、レイとクリプトがいた。

 

「昨夜は息子が大変な失礼をしてしまった。成り代わり、謝罪する」

 と言って、丁寧に頭を下げる。

 最初から撃退するつもりでいたティアは、却って怪我でもさせてしまったのでは、と恐縮していた。

 

「気にしないで、ティア。頭かち割っちゃってもよかったのに。いい薬よ」

 さり気なく酷いことを言うレイ。

 

 ところで、と前置きし、伯爵は話し始める。

 

「もう手をこまねいている場合ではないと思う。この領地は限界だ。子爵領という名目はそのままに、レイに任せようかと思う。何れ、レイにはやってもらうつもりでいたのだ。それが少々早まったと思えばよい。息子は、当分の間、私の元に戻す。本来であれば、ここはアーガスの子供に継がせるはずだったが、まだそれは当分先の話だろうしな」

 それが良いとルティは思う。

 領民の姿や態度、村の活気等を見て、ここに住みたいと思う者はいないだろうと感じていた。

 領民が増えなければ税収も上がらず、この領地の価値は下がる一方だ。

 

 さりとて、このままレイが治めるにしても、地力が下がりきった今は他から援助するにしても難しいだろう。

 他の地方からの税収を、そのままばら撒くのでは反発を買うだけだ。

 伯爵が息子をある意味見限ったのも、朝食時に経済の改善について意見を交換した際、他地域からの税のばら撒きしか息子が考えていなかったからだ。

 

「それで、だが。庶民の視点から、この地の問題点、どうすればいいかの改善点を、思いつくままで構わないので、私たちに話してくれないかね?」

 とても難しい話だ。

 今日明日で領地の暮らしが劇的に良くなる特効薬などない。

 子爵がいなくなることによって領民が怯えなくなる、という環境改善の特効薬くらいだ。

 さらに、跡取りが事実上の謹慎という、不名誉極まりない噂が他の諸侯領地に流れるのも問題だ。

 伯爵は、敢えてその不名誉を被ろうとしてはいるが。

 

「実はだ、領地に帰ってから言うつもりだったのだが、レイに縁談が来ている」

 どう答えたものか、悩んでいると伯爵は言葉を続ける。

 

「どこのどなたです? 私には、まだ……」

 レイの驚愕の声が上がった。

 貴族の娘として、どこかに嫁ぐことは覚悟している。

 それが望まぬ相手であっても、だ。

 家を伸ばすため、政略結婚など貴族の間では当然のことだからだ。

 

「ランケオラータ殿だ。レイ。それでも、嫌かね?」

 ニヤリとして伯爵は言った。

 一瞬にして、レイの顔が朱に染まった。

 

 ランケオラータ・ロザエネルヴィス・ヴァン・ハイグロフィラ・アンガルーシー子爵。

 財務卿ハイグロフィラ公爵家の跡取りだ。

 領地を持たない王宮住みの新興公爵ではなく、インダミト王国勃興期からの由緒正しい公爵家のひとつである。

 

 血筋だけでレイが惚れるとは思えない。

 幼少時に王宮で会って以来、幾度か舞踏会や公式行事などで話す機会があり、密かに思いを寄せていた相手だ。

 どうやら、ランケオラータ子爵も、レイを憎からず思っていたらしい。

 

「私とて木石にあらず。娘の幸せは常に考えているさ。ハイグロフィラ公爵もな、財務卿としてのお立場からもお前の見識に期待しているそうだ。あちらは当家など比べるべくもない領地。今回のことは、領地経営の実地演習として最適ではないかね」

 縁談が決まったからといって、今日明日にもすぐお輿入れ、というわけではない。

 1年から2年の準備期間をおくのが普通だ。

 その間、1年ほどこの地を任せ、ラガロシフォン領の建て直しを兼ねて、領地経営について実地特訓をするつもりでいた。

 

「では、そのことも踏まえて、意見を聞かせてくれないかね?」

 そういって伯爵はアービィたちの言葉を待つ。

 ルティは考え込む。アービィも考え込んでしまった。

 ティアは、もとが魔獣であるせいもあって、わりと醒めた考えでいる。

 

「伯爵、あたしのような者が言うのは僭越かもしれませんが。今すぐ、特効薬になるような対策はないと思います」

 ティアが話し始めた。

 

「まず、アーガストル様を伯爵の下に置くのは、謹慎と思われるだけで良いことはないでしょう。見聞を広めるという名目で王都にお出しになり、伯爵のご信頼置ける方にお預けし、叩き直していただく方がよろしいかと思います。親元であれば甘えの気持ちが出るのは致し方ないこと。ここは、ひとつ、恥を忍んで他の方にお任せするべきではないでしょうか。もとより、謹慎の不名誉を甘受されることを、お覚悟しておられたご様子。それよりは、まだよろしいのではないでしょうか」

 伊達に長生きはしてないわね、さすが後天性年齢過多、とルティがティアだけに聞こえるように呟く。

 

 伯爵は黙って聞いている。

 視線を動かすことで、ティアに続きを促した。

 お黙り、先天性胸部未発達症、とルティにしか聞こえないように呟き、ティアは促されるままに続ける。

 

「その上で、レイ様のご婚約を発表し、この地をお任せする。慶事はそれだけで人の心を高揚させます。そこへ……」

 レイをちらりと見たあと、レイ様からの受け売りですがと断ってから続ける。

 

「関税の撤廃。特にボルビデュス領からの物流には二重関税になっていたと聞き及びます。これでは商店が儲けを出そうとしたら、とんでもない高額な単価になってしまいます。領内の特産品、これは原材料、加工品を問わずですが、これを脅かすものには、高額な関税でよろしいかと思いますが、それ以外の領内で生産できないものは、関税なしでも良いかと。関税の考え方を変えても良いのではないでしょうか。全ての品が、同率の関税である必要はございません。関税を貴族の収入と考えるのでなく、領内産業の保護とお考えいただければ、ご理解していただけると思います」

 伯爵は興味深そうに頷き、さっそく検討しよう、と言った。

 

「租税ですが、今この領地では、畑の広さから算出されています。ですが、ここに来るまで見てきた畑には、きちんと手入れされていたものと、岩や切り株が放置されたものとありました。この両方が同じ収穫を得られるとは思えません。調整が必要ではないのでしょうか。おそらく、ですが、整備されていた畑は子爵様がお持ちの土地で小作人に使わせているもの、放置されている方は庶民の持つ土地なのではないでしょうか」

 その通りだった。

 アーガスは、地味の良いところは権威を盾に民から安く奪い取り、高い小作料を取って貸し出していた。

 収穫が期待できないような土地は放置したまま、何の支援もしていないのだった。

 

 鍛冶屋がいても原料となる鉄が関税のため高価では、耕作の効率を上げる農機具を安く作るなど無理な話だった。

 道具を他領から求めようにも、同じく関税の壁が立ちはだかる。

 

 馬は子爵家の乗馬と馬車用に徴発され、牛を養う牧草を生産できる土地はなかった。

 人力で、さらに木製の手作りの農具で、岩と切り株に立ち向かっているのであれば、農地の開墾には多大な労力と時間が掛かるだけだ。

 

「牛馬、飼料にも関税を掛けず、さらにはレイ様が購入し、庶民に売るのです。ただ、他の土地から持ってくるのでは施しになってしまい、庶民のプライドが育ちません」

 ティアはそう締めくくった。

 伯爵とレイは感心して聞いていた。

 庶民に領地経営の知恵がここまであるとは思っていなかった。

 アービィとルティは、魔獣に対する認識を改めた。さすが後天性年齢過多ね。

 

 

「なるほど、関税をそのように考えるなど、今までにないことだ。場所によっては十倍税、二十倍税が当たり前だものな。これでは庶民が必要なものすら買うことはできぬ。そうすると、通行税や渡橋税なども考え直す必要があるな」

 伯爵はそう言って、腕を組んで考え込んだ。

 そこへ、アービィが何かを思い出したように話し始めた。

 

「租税は、穀物を作る者からは、その収穫物を徴税していますよね」

 伯爵は首肯する。

 

「思いつきなので、いろいろと問題も出るでしょうが、農民がその年に食べる量以外を全て領主様が買い上げ、そこから税の分を引く、といったやり方はいかがでしょうか。これであれば、商人に買い叩かれることもありませんし、保存の利く穀物であれば不作の年に放出して飢饉を防ぐこともできるのではないでしょうか」

 充分検討するに値する意見だな、伯爵は頷き、他にはどうかね、と続きを促す。

 

「道や橋、そういったものは作りっ放しでは駄目だと思います。適切な補修が必要です。そのために、通行税や渡橋税はなくす必要はないでしょう。ただ、貴族の収入にしかならないと思われては反発を招きますので、この年この目的の税の収入はいくらで、それを何にいくら使ったか、民に知らせればいいと思います」

 何も無税にしろとはアービィは思わない。

 レイが言っていたとおり、公共事業に必要な税は取ればよい。

 何事もバランスである。

 税が、そのまま貴族の豪奢な生活にだけ使われていることが、問題なのだ。

 ティアの話を聞き、夢で見た知識を少しずつ思い出していた。

 

「失礼ながら、昨晩のようなパーティーにお金をかけることは、一部の商人しか潤いません。レイ様から伺った話ではありますが。道や橋の補修、架け替えなどに、無職の者を使うことも良いのではないでしょうか。現在の人頭税は稼ぎのない者からも税を取ります。稼ぎのないものが払えるわけがない。いきおい流民が、犯罪に手を染めるものが増えます。この者たちを伯爵様やレイ様が行う事業でお使いになれば、仕事を与えることにもなり、税も見込めましょう。給金に税を上乗せした額で募集を行い、支払いの際に税を引いて渡すのです。もちろん、説明の上で、です。こうすれば税の取りっぱぐれもありません」

 アービィは無意識のうちに源泉徴収を思い浮かべていた。

 今まで伯爵領での土木工事は、私兵を使って行っていた。

 有事以外に生産性のない集団の有効活用である。

 これはこれで正しいのだが、固執する必要はないし、私兵と無職者を上手く組み合わせればいいのだ。

 

「税については、言いたいことはまだあるだろうが、この辺りにしよう。いろいろと検討すべきことが多いな。他には何かあるかね?」

 税についてだけでも、もっと多くの意見を聞きたいところだが、他のことも聞いてみたい。

 ルティはレイと話していたときに考えていたことを、纏まってはいないですが、と前置きして話し始めた。

 

「特産品の話が出ましたが、私たちはここの特産品を知りませんので、例えばの話で聞いてください。他の領地でも簡単に買える物は、それほど作る必要はないと思います。他で作れないものに力を入れる。農産物に限ったことではありません。原料を持ってきて、作ったものを他領に売ればいいのではないでしょうか」

 それは解っている。その作るものが解らないのだ

 

「パンは普通にありますよね? チーズとトマトは? あと、卵と砂糖はありますか? アービィ、あれ作ってよ」

 

 ルティに言われ、厨房を借ります、と言ってアービィが厨房に消えた。

 暫くしてアービィは、見たことのない、両面が焦茶色で中は黄色いスポンジケーキのような物を運んできた。

 

「どうぞ。名前は……何か閃きでカステラって言ってます。卵と砂糖をよく混ぜて、小麦粉を入れてまた混ぜます。型に入れてオーブンで焼けばできあがりです。小麦粉は粒が固いものから作られたものの方が上手くできます。混ぜ方や分量は料理人の皆さんに見ていただいたので、分かると思います。もうひとつあるんですけど、パン生地ができてから……お昼に出しますね。今は、とりあえずこれを食べてみてください」

 アービィに言われるまま、伯爵が一切れ摘み、口に入れる。

 ゆっくりと飲み込んだ後、無言でレイに食べるよう促した。

 

 レイは一切れ、恐る恐る口にする。

 しっとりとした歯触りに、適度な甘さ。

 たった一口で、レイはこの菓子の虜になっていた。

 

 ティアもまだ、ルティから聞いているだけで、アービィが作った菓子や料理は食べたことがない。

 レイの様子を見て、期待いっぱいの顔で一切れ摘み、口に入れる。

 

「アービィ、何で今まで作ってくれなかったの!? ルティも、何で今まで教えてくれなかったのよ~。こんなの食べたことないわっ!!」

ティアから抗議の声が上がった。

 ほぼ同時に、厨房と使用人の部屋からも、感嘆の声が上がっていた。

 

「砂糖はこの辺りでは作られてないようですが、フォーミットより南の島ではかなり作っています。そこからある程度まとめて運べば、料金も少しは安くできるでしょうし、あちらの農家と契約して伯爵領専用に作ってもらえるかも知れません」

 ルティが砂糖の入手に関しても提案する。

 

「砂糖は高価だが……これは優先して回す価値はありそうだな。どうかな、レイ?」

 

「独り占めできないのが残念ですが、ラガロシフォン領内の菓子職人に伝えましょう。作り方を言って回らなければいいんでしょう?」

 レイがいかにも残念そうな表情を作り、全面的に賛同する。

 

「あとひとつが楽しみだな」

 伯爵は、難問解決の糸口が見えたことが、嬉しそうだった。

 

 

「なんだね、これは!?」

 昼食時、伯爵の声が食堂に響いた。

 

 悪ノリしたアービィが、厨房から借りた調理服を着込んでサーブする。

 テーブル上には、直径30cm程の薄いパンのような物の上にトマトを煮詰めた物を塗り、チーズと干し肉、腸詰めや何種類かの野菜を乗せオーブンで焼き上げた物が幾つも並べられていた。

 放射状に均等に切り分けられた物を、直接手で持ち口に運ぶ。

 伯爵が唸り、レイは黙々と次々に口に押し込んでいく。

 

「乗ってる物が同じでも…んぐっ、生地が変わると……また……新鮮ね……」

 食べるか喋るかどちらかにしろ、はしたない、と伯爵がレイを窘める。

 

「乗っている物は、チーズと相性の良いものなら何でもいいです。海で採れるものも良く合いますよ。イカとか貝が最高です」

 満足げにアービィが説明した。

 ティアも、初めて食べる、何でいままで、と同じことを言っていた。

 

 パンと料理は別々に食べるのが、この世界の常識だった。

 精々皿に残ったソースを拭うくらいだ。

 生地に干し葡萄や木の実を練り込んでから焼くことはあっても、何かを乗せて一緒に焼くという発想はなかった。

 

「生地が薄い方は間食に、厚い方はそれだけで食事になるな。パンに肉、野菜も同時に摂れる。理想的だな。が、今ここにあるものは、私には少々くどい。何もこの通りに作らなくてもよいのだろう? 私には生地にトマト、チーズだけでも良いな」

 伯爵は改良点を含め、感想を述べる。

 

「他にも乗せるものは、領内のパン屋や食堂に基本の作り方だけを教えて、あとはそれぞれの店で特色を出してもらいましょう」

 レイは、アービィを料理人として雇いたいという誘惑と戦っていた。

 ただ教えるだけでは、それ以上の発展はないとレイは考えていた。

 ヒントを与え、職人のプライドに賭けてみよう。領民たちには、職業に誇りを持てるようになって欲しかった。

 

「ところで、この料理はなんて言うのかね?」

 伯爵の問いに、アービィは夢で見たことは話さずに答える。

 

「これも閃きなんですが、ピザっていいます。あと、試してみたんですけど、いちいち生地を練らなくても、普通のパンに同じように乗せて焼けば、多少食感は違いますけどできますよ」

 アービィは、山羊や水牛の乳からもチーズは作ることができ、それを使えばまた違った風味になることや、今でこそチーズは他領から買っているが、将来自領内で牧畜が発展すれば、さらに安価に作れることなどを説明した。

 肉に旨みがなく、使役以外使い道がないと考えられていた水牛も、その乳をチーズの原料とするならば立派な資源になる。他の領で水牛の乳からチーズを作っていないのであれば、これも立派な特産品だ。

 

 その他、水車を使った製粉方法、水道の敷設も提案する。

 午後のお茶の時間が近付き、満足した伯爵は、最後にひとつ我が儘を聞いてくれんかね、と言って会談を切り上げた。

 

 

 夕食時、アービィはまだ調理服を着ていた。

 食卓には、アービィが指揮して作ってもらった料理が、並んでいる。

 何れも夢の中で見たものだ。

 中には作っている夢を見たものもある。

 この世界にもフライパンや、炒める調理法も存在したが、中華料理のような豪快な炒め物という発想はなく、下拵えの範疇だった。

 

 厨房にあるもので、アービィが作ったものは五品。

 

 青菜と鶏肉の炒めもの。

 チキンステーキに青菜の茹でて添えるメニューは普通にあったが、一口大に刻んだ鶏肉と青菜を合わせて炒めるという発想はなかったらしい。

 

 芙蓉蟹。

 オムレツはあったが、何かを混ぜることはなかった。幸い近くの川では大きなカニが採れるらしい。

 片栗粉はなかったが、コーンスターチがあったので代用する。

 

 乾焼蝦仁。

 ケチャップは煮詰めたトマトで代用。エビも大きな種類しか使わないらしく、一口大にした。

 

 青椒肉絲。

 この世界でも竹は普通にあるので探し出すことはできた。たが、食材として認識されていなかったので、説得が面倒だった。

 ピーマンは普通にあった。

 

 卵炒飯。

 長ネギがなかったのでタマネギで代用。長ネギが流通する地方もあるらしいので、当地での栽培を提案した。

 

 アービィは今まで知らなかったが、この世界でも一部の地域では稲作が行われていた。

 ラガロシフォン領にも、小規模ではあるが稲作農家があったのだ。

 ただ、米を炊くと言う発想はなく、ピラフのように油で炒めて蒸し煮にし、サラダのように付け合わせに利用されていた。

 アービィは夢の記憶を手繰り、飯盒を使って米を炊いたことを思い出し、適当な鍋で炊いてみた。

 

 アービィが伯爵に頼まれたことは、できる限りの料理だった。

 それも庶民がすぐにできそうなもの、と言う注文付きで。

 

 醤油さえあれば、とアービィは夢の中でしか味わったことのない、しかしなぜか懐かしく、良く知っている調味料の不在に地団駄を踏む思いだった。

 それでも、伯爵を始め全員から賛辞をもらえたので、満足することした。

 夢の中ではもっといろいろな調味料があり、味付けも様々だった。

 醤油や味噌があれば、この世界の食事はもっとバラエティに富んだものになりそうだ。

 アービィは、知る限りの料理と調味料の作り方を、厨房の職人たちに教えていた。

 ラガロシフォンが世界有数の食の都として栄えるのは、さらに時代が下った別の物語となる。

 

 

 こうして、思わぬ収穫をボルビデュス家にもたらしたラガロシフォン滞在は、まもなく終わろうとしていた。伯爵にさあ剣の稽古だ、と声を掛けられたルティを除いて。



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第20話

 「クリプトさんっ!! 伯爵とレイ様をっ!!」

 アービィが叫んだ。

 

「お任せあれ!!」

 クリプトが鋼線を引き出し、伯爵は剣を構える。

 

 

「ルティ、ティア、来てっ!!」

 三人は無言で走り出した。

 

「速い……」

 キマイラは蛇の尻尾でセラスを巻き取り、信じられない速度で森の中を走っている。

 アービィたちも必死に追いかけるが、キマイラは樹木などないかのように駆け抜けていく。

 

 魔獣キマイラ。

 三つ首の狂獣。ライオンと山羊と蛇の頭を持ち、ライオンの四肢、山羊の胴、蛇の尾が合成された不可解な魔獣だ。

 北の大陸で初めて確認され、最近南大陸にも入り込んできたと報告されている。

 地峡要塞で食い止められなくなっているのか、ラシアスの国力の低下を象徴する事例である。

 

 

 森の中に突入しているため、既に伯爵たちから姿は見えない。

 セラスからは見えているかも知れないが、少し離れてしまえば樹木が遮ってくれる。

 アービィは今なら大丈夫だと判断した。

 

「ルティ、ティア、乗って!!」

 アービィは瞬時に獣化し、二人は背中にしがみついた。

 風を巻いて走り、一気にキマイラを追い詰める。

 

――追いついたらヤツを飛び越えるから、その前に飛び降りて追っかけて――

 アービィはキマイラが見えてきたときに、ルティたちに念話で話しかけた。

 二人から了解の返事が来たとき、キマイラのすぐ後まで追い付いていた。

 

――いくよっ!!――

 走る速度を落とした直後、二人の体重が背中から消えた。

 その瞬間、アービィはキマイラを飛び越え、前方に出て振り返る。

 

 キマイラは、蹈鞴を踏んで立ち止まり、ライオンの頭が低く不気味な唸りをあげた。

 巨狼と魔獣が対峙した。

 

 一瞬の間をおいて、巨狼がキマイラに走り寄る。

 山羊の頭の突きと蛇の頭の噛みつきは無視し、ライオンの喉笛に食らいつく。

 巨狼を引き剥がそうと、ライオンの腕を叩きつけ、掻き毟るが、巨狼の毛皮に阻まれ傷をつけることさえできない。

 巨狼が首を振りたくると、キマイラは僅かな抵抗しかできず、ライオンの頭は沈黙した。

 

 山羊の目に、恐怖の色が浮かぶ。

 返す刀で山羊の首を噛み裂いた巨狼は、間髪を入れず蛇の頭を噛み砕いた。

 力なく倒れた胴体が、痙攣し始めセラスを締め抱えていた蛇の尻尾が弛んでいく。

 

 ルティとティアが素早く尻尾を断ち切り、セラスを確保した。

 セラスは失神しており、巨狼の姿は見ていない。

 

 

――今のうちに獣化解くから、着るもの頂戴~――

 

 情けない念話にルティが巨狼の鼻先にバッグを差し出すと、それを銜えてそそくさと繁みに消えていく。

 

 ルティと巨狼が近付いたとき、セラスが起きる気配がした。

 ティアは、さりげなくセラスの身体を抱え直してからその頸に手刀を落とし、セラスを再度眠りの淵へと突き落としていた。

 

「いくらムカつくからって、頸折っちゃだめよ、ティア」

 

「優しいと言って欲しいなぁ……クライアント様の娘だもん、あんな怖いもの見せらんないでしょ」

 ティアは少しずつ慣れてきたのか、アービィの獣化を見ても、気絶も腰を抜かしたりもしなくなってはいた。

 背中に乗っているときは、振り落とされないようにすることで精一杯で、考える余裕もなかったし、今も危なかったが。

 

 

「また、迷惑を掛けてしまったな。娘を助け出してもらって、感謝する」

 野営地に戻ると、伯爵が深々と頭をさげてくる。

 アービィたちにしてみれば、護衛対象を危機に陥れたとして、契約解除されても仕方ない失態だと考えていた。

 

 しかし、伯爵にしてみれば、娘が護衛の言うことを聞かず招いた余計なトラブルだと考えている。

 散々、馬車や火から離れる際には護衛の誰かに声を掛けるように言われていたが、セラスは深夜こっそり馬車を抜け出したのだ。

 

 確かに年頃の娘が、例え繁みや岩を隔てたとしても、誰かに見守られながら用を足すなどは恥ずかしくて仕方ないのだろう。

 ましてや相手は気心知れた家人や使用人ではない。

 しかし、分からなくはないからといって、何をしても良いなどということはない。

 

 家の中や周囲を護衛に固められた領内の集落の中ではないのだ。

 明確な害意、殺意を持って向かってくる魔獣や野盗が相手なのだ。

 

 貴族の立場を以てすれば、この世の全てが自分の思い通りになると勘違いしている娘には、良い薬になったことだろう。

 もっとも、それは助かったから言えることではあるが。

 

 もし、あの場でキマイラが少女を攫うと言う行動に出なかったら、いきなり喰らうという行動に出ていたなら、そう考えると幸運を思わずにはいられなかった。……ん? 「攫う」?

 ルティとティアが、交互に『回復』をセラスに掛けている間、伯爵は深い思考の淵に沈んでいった。

 

 レイは顔面蒼白でアービィたちの帰りを待っていた。

 ティアに抱えられ、力なく腕を垂らしたセラスを見たときには、心臓が止まるかと思った。

 それでも生きていることを確認できたときには、安堵と共に思わず泣き出してしまった。

 仲違いしているようではあっても、やはり姉妹なのだ。

 

 レイは、このできの悪い妹を愛している。

 それ故にだろう、直して欲しいからこそ、口うるさくなってしまうのだ。

 それが却って父の溺愛を呼び込むという、逆効果になっていることにレイは気付いていなかったが。

 

 

「なぜ、もっと早く来ないの? あたしに何かあったらどうするつもりっ?お父様、こんな役立たず、早くお払い箱にしてっ!!」

 息を吹き返したセラスは、反省の色もなく護衛の三人を詰り始めた。

 さすがにレヴァイストル伯爵も、この物言いには腹を据えかねたようだ。

 

「お前は……自分が何をしでかしたかもわからず、そう言うのか。自力では何もできず、助けていただいた方に対し、そのようなことを言っていいと思うのかね? 一声掛けるだけの手間を惜しんで危機を招き、ここにいる全員に迷惑を掛けたという自覚はないのか?」

 それでも声を荒げることなく、諭すようにセラスに言う。

 

「迷惑だなんて……。確かにお父様、お姉様には迷惑を掛けたと思うわ、ごめんなさい。でも、平民どもになんで迷惑なんて掛かるのです? 私は伯爵令嬢です。平民どもが尽くすのは当たり前ではないですか、違いますか、お父様?」

 少し落ち着いたか、父に対しての言葉が丁寧になるが、あくまでも自分は悪くないと言う態度に終始する。

 まだ何か言おうとした伯爵に背を向け、馬車に乗り込みドアを閉める。

 そのまま毛布に包まって、レイが声を掛けても返事すらしない。

 

 おろおろする侍女たちにレイが、気にしなく大丈夫、さぁ、寝ましょう、と言ってその場を治めた。

 これ以上の襲撃はないと思われるが、念のためクリプトとティア、アービィとルティのチームで不寝番をすることになった。

 

 

 この日の朝、アーガスにボルビデュス領への異動を申し付けた伯爵一行は、ラガロシフォン城を出発していた。

 アーガスは納得しがたいという顔だったが、父の厳命とあっては逆らえず、城を明け渡す準備に追われているはずだ。

 

 セラスは、仲の悪いレイが来るラガロシフォンにいても美味しいことはないと判断し、ボルビデュス領に帰ることをさっさと決め、馬車に便乗してきたのだった。

 馬車の中でも我儘三昧で、平民と同じ場に居たくないと駄々を捏ねたため、面倒になったティアは御者台に移っていた。

 

 昼食のため立ち寄った川の畔の休憩地でも、やれ天幕がない、テーブルがみすぼらしい、平民の癖に同じところで食事をする気か、と散々であった。

 伯爵はこの末娘に甘いので、済まなそうではあるがアービィたちに少し席を外してもらえないかと言ってきた。

 

 さすがに残り物を喰えというほどのことはなく、食事は別の場所でほぼ同時に摂ることになった。

 テーブルは一組しか持って来ていないので、アービィたちは川原に座って食事することになっていたが。

 可哀相なのは侍女たちで、特段する必要もない給仕をさせられ、といっても後ろに立っているだけだったが、食事は後回しにされていた。

 

 

 そんな状態でまともに野営ができるのか、心配していた矢先の魔獣による襲撃だった。

 伯爵は、自分の教育の間違いを思い知らされたようで、かなり打ち沈んだ様子だ。

 

 アービイたちも腹に据えかねる部分が多いので、どう慰めていいかわからず、黙々と護衛の任をこなしていた。まだあと二泊もあるのね……

 

 

 翌朝の出発時、ティアがセラスに言った。

「ねぇ、セラストリア様。領民の皆さんが尊敬しているのは、間違いなく、お父様ですよね。いろいろと民のために頑張っていらっしゃる。だからだと思うんですよ。あなたは、民のために何かなさいましたか? それで、尊敬を得られるとお思いですか?民はあなたの奴隷じゃないし、税はあなたのお小遣いじゃないんですよ」

 セラスが顔を真っ赤にして何か言おうとしたときには、ティアは御者台に登ってしまっていた。

 追いかけようとしたセラスを伯爵が止め、馬車は走り出す。

 馬車の中でセラスがティアについて伯爵に散々文句を言うが、伯爵は既に聞いていない。

 

 

 日中は無事に行程をこなし、ボルビデュス領まであと一日という、最後の野営。

 セラスは、まだいかに自分が優れているか、アービィたちに力説していた。

 話半分以下で聞くにしても、そろそろ疲れが見え、全員の集中力も切れかけていた。

 

 そろそろ寝る、という時間になり、各自が寝床を設えているとき、クリプトから警戒の声が上がった。

 その時点でアービィは既に短刀を抜き、闇に向かって身構えている。

 

「いつもながら、お見事ですな」

 クリプトが賛辞を述べ、鋼線を引き出した。

 

 見上げるような熊が、闇の中から姿を現す。

 いつぞや倒して小遣い稼ぎになった熊と同種のものだ。

 

 今回もクリプトが鋼線で動きを止め、アービィが切り掛かり、ティアが弓で援護する。

 前回と違い、ルティの剣の腕が上がっているので、倒すことは難事ではない。

 

 前肢二本を切り落とそうとしたとき、後ろから女の子の叫び声が聞こえてきた。

 別の襲撃かと思い、慌ててアービィが振り向くと、剣を振りかざしたセラスが走り込んできた。

 手柄立てたいんだね~。

 

 意図を察知したアービィがセラスを通す。

 クリプトが鋼線を引き絞り、万が一にもセラスに攻撃がなされないように前肢を切断した。

 ティアは熊の目を狙い、弓を射掛ける。

 

 血飛沫が飛び散る中に突入したセラスは、思い切り剣を振り下ろした。

 熊は殴り倒そうとした腕がなくなった勢いで態勢を崩し、セラスの剣を真正面から受ける。

 

 非力ゆえか、熊の身体を切断するには至らず、肩口から腹部に掛けて深い裂傷を負わせるに留まった。

 反撃を恐れたアービィが、後ろから熊の首を一刀で切り落とした。

 

 重い音を立てて熊の首が落ち、切断面から血が噴き上がる。

 セラスが切った部分からは腸が零れ落ち、熊はそのまま前のめりに倒れ絶命した。

 

「あいかわらず、とんでもない切れ味ですね」

 アービィがクリプトに賛辞を送るが、クリプトはそれどころではないようだ。

 見ると、セラスが胃の内容物を吐き散らし、全てを吐き出してもまだ吐き気が止まらないようだった。

 うずくまり、下を向いてえずき、咳き込んでいる。

 

「どうしたの?」

 アービィが問いかけるが、胃液を吐く音で返された。

 

「刺激が強すぎましたかな」

 クリプトには判っていた。

 この少女は、敵を倒し、殺すことは、物語や人伝の話の中でしか見聞きしたことがないことを。

 

「いきなり、血まみれになって、腸を目の当たりにしてしまいましたからな。ご無理だったのでしょう。早めにお休みいただかないと、心が折れます」

 昨夜の汚名返上を試みたが、やはり命の遣り取りは重荷だったのだろう。

 

「セラストリア様、大丈夫ですか? 領地が魔獣や野盗に襲われたとき、先頭に立つのが貴族です。こんなことで吐いていては、お父様のように尊敬を得られるとお思いですか? 夢のまた夢ですよ」

 アービィは、セラスを気の毒だとは思ったが、考えていたことを思わず口にしてしまった。

 

「私が剣を振るうわけじゃない、私は兵に命令すればいいんだ、兵が私の命令どおり動けばいいんだからっ!」

 必死になって言い返すセラス。

 だが、その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。

 

「でもですね、兵が切った敵を見て吐いちゃってたら、どうなります? その間、命令がなくなっちゃいますよ。その隙に攻め込まれちゃって、まだ吐いてたら、ああなるのはセラストリア様じゃないのかなぁ?」

 アービィは、熊を指差して言った。

 セラスが熊に刻んだ傷口からは血が流れ、毛皮の下の黄色い脂肪層が覗いている。

 その下にはピンク色の肉が見え、間から腸が零れ落ちている。

 

「早く片付けてっ! そんな気持ち悪いものっ!」

 それをもう一度見て、また吐き気を催したセラスは叫んだ。

 

「あれ、セラストリア様は、肉をお食べになったことはないんですか? 臓物料理も? あれですよ、あれ。気持ち悪いなんていったら罰が当たります」

 セラスの叫びなどどこ吹く風と、アービィは平然と言い放つ。

 

「そこまででご勘弁を……」

 見かねたクリプトが慌てて割って入り、その場を取り繕った。

 

 

 クリプトがセラスを馬車に送っていく間、アービィとルティ、ティアは、熊の死体を運びやすいように分解し始めた。

 

「アービィ、よっぽど腹に据えかねてたのね? あそこまで言っちゃうなんて、珍しいわ」

 解体の手を休めることなく、ルティが言う。

 

「へ? 僕は、特になんとも思ってなかったけど。本当に大丈夫なのかなぁって。随分と勇ましいこと言ってたじゃない? このまま兵を率いることになったら、と思ったら、心配になっちゃったんだよ」

 

 天然、恐るべし。

 この場合、難詰するよりもキツイ攻撃だっただろう。

 プライドの高い人間は、心配や同情を何よりも嫌う。

 解っていてやるなら嫌味な奴とでもいえるが、アービィは純粋に心配していたようだ。

 

 到着まで、まだひと悶着ありそうね、とルティは思った。



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第21話

 セラスにとって、悪夢のような夜が明けた。

 読んだり聞いたりした物語には、書かれていないことばかりだった。

 当然のことだが、セラスが読むような子供向けの物語で、死体の詳細な描写を入れるものなど皆無だ。

 

 無敵の英雄が、敵を薙ぎ倒し、お姫様を救い出す。

 その中にも無数の死が描かれているが、絶対的な悪に描かれたキャラクターは、ただ倒れ伏す。

 敵役は、あくまでも憎らしく描かれ、そのような人物や魔獣に憐憫の情を抱く者など居はしない。

 

 英雄の慈悲を強調したい場面を除き、無惨に切り捨てられるだけだ。

 が、そこには血や、簡単な四肢の切断程度の描写こそあれ、ビジュアルに訴えるような、それこそ昨夜の熊のような腸がこぼれ落ちるような描写は、ない。

 

 

 セラスは、戦いとはもっと容易いもので、自分は格好良く美しく終わり、周囲からは感嘆や畏怖を込められた賛辞で飾られるものだと思っていた。

 それがどうだ。

 熊に一太刀浴びせることはできた。

 

 全てが自分の力ではなく、アービィたちが弱らせ、クリプトが前肢を切り落としていたからこそだ。

 だから、自分は無傷で済んだのだ。

 

 当然、あとはトドメだけという安心感も、トドメを刺す栄誉を得たいという打算があったことも否定できない。

 熊の状態を鑑みれば、残る脅威は牙だけだった。

 美しく、華麗に、造作もなく熊を一刀両断にしたはずだった。セラスの中では。

 

 それがどうしたことだ。

 太刀筋はいい加減でまぐれ当たりの袈裟懸け。

 

 当たったから良いようなものの、それでもトドメにはほど遠い。

 アービィが熊の首を落としてなければ、自分は噛み砕かれていたかも知れない。

 

 その後、目の当たりにした血飛沫と腸。

 あんなにグロテスクで吐き気を催すものが、この世にあったのか。

 あろうことか、アービィがそれを指さし、あれは食べ物だと言った。

 

 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。

 

 あれが美味しいわけがない。

 皿に乗ってくる料理になるはずがない。

 平民が喰らうものと、私の食べるものを一緒にするなっ!!

 

 

 セラスは、朝が来ても目が覚めなかった。

 起床はしている。

 が、全てが虚ろだった。

 食欲などきれいさっぱり消し飛んでいる。

 朝食は干し肉をかるく炙ったものとパンだが、肉を見た途端に熊の肉の断面を思い出してしまい、また吐き気がこみ上げてくる。

 

 

「やり過ぎだったんじゃないの? 肉見た途端顔色真っ青よ」

 青い顔をして座っているセラスを見て、ルティがアービィを肘でつついた。

「ん? ああ、やっぱり干し肉ばっかりじゃイヤになっちゃうよねぇ」

 ……ぼけ狼……

 

 

「セラストリア様、お食事がお気に召さないようなら、少しお体を動かしに行きませんか?」

 アービィは、目で伯爵に同意を求めながら、セラスに話しかけた。

 

「イヤよ。まだ寝ていたいだけなんだから……」

 

「そう言わずに行ってくるといい。食事は、また後でも構わないからな。あとは城に着くだけだ。そう時間も掛からん」

 伯爵はアービィの真意を悟ってか、あっさりと許可を出してしまった。

 急いで朝食を胃に納めたアービィは、嫌がるセラスの手を引き、野営地を離れる。

 

「イヤ、止めてよっ!! 平民が気安く触るなぁっ!!」

 セラスが必死に文句を言うが、アービィは全く気にせず引きずって行ってしまった。

 

「ティア~、弓借りるよ~」

 ティアの返事を聞き、御者台に置いてある弓矢を取り、森に消えていった。

 

 アービィの意図をようやく悟ったルティが、慌てて追いかける。

 ティアも立とうとしたが、税制の件でふと何かを思い付いた伯爵に引き留められていた。

 

 

 森に入って少し歩いたところには泉があり、渡りに少し遅れた鴨が数羽水辺を歩いていた。

 セラスに静かにしていて、と言ってアービィは弓に矢をつがえる。

 

 空気まで引き絞るような緊張感にセラスは息を呑み、ついアービィの指示に従ってしまった。

 アービィが息を止めて狙いを定め、矢を射る。

 弓を離れた矢は狙い違わず、一羽の鴨の腹を貫通した。

 他の鴨が飛び立った後、アービィは獲物を回収した。

 

 側の木の枝に頭を下にして鴨を吊し、頭を切り落として血抜きをし、羽をむしった。

 セラスは言葉もなく、青い顔で見ている。

 

「何トドメ刺してんのよっ!? いくらなんでも可哀相じゃない!! ただでさえ食事も取れないのよ!! 追い打ち掛けてどうすんの!?」

 そこへ到着したルティが、アービィに文句を付け始めた。

 

「まあまあ、大丈夫だよ。セラストリア様はお強いから。ちょうど良かった。あとひとつ採ってくるからさ、お湯沸かして持って行っててね~」

 ルティの追求を軽くかわし、またセラスの手を引き野営地へと戻る。

 鴨を適当に吊るしておき、今度は川の側まで来て全体を眺めた。

 

 グラースの支流で、東の海に注ぐ川らしい。

 水深は膝程度と浅いが、水量が多く流れは重い。

 何ヶ所かは浅い瀬になっており、岩が顔を覗かせている。

 

 アービィは瀬に入り、岩の下を片端から探り始めた。

 瞬く間に数匹のカジカを掴み出し、セラスのいる河原に放り投げてくる。

 

 皿に乗った調理済みの魚しか見たことがないセラスは、足下で跳ねるカジカを不思議なものを見るような目で見下ろしていた。

 鴨とは感覚が違うのか、先程のような嫌悪感はなく、好奇心に溢れる少女の目に戻っている。

 

「こんなもんあれば、充分かな。戻りますよ、セラストリア様」

 

 

 野営地に戻ったアービィは、カジカを捌き始める。

 セラスはまた血を見るのが怖いのか、その場を離れようとするが、伯爵に止められてしまった。

 

 アービィは手際よく処理している。

 鱗を剥き、頭を落として腸を引きずり出す。

 

「ほら、セラストリア様、昨日見た熊の腸のミニチュア」

 

「ひぃっ!」

 小さな悲鳴を上げるセラスに苦笑しつつ、アービィは腸から胃袋と肝臓だけ取り分け、桶に汲んできた水できれいに洗う。

 

 ルティはアービィが何を作ろうとしているかすぐに分かったので、火を熾し、鍋に湯を沸かし、岩を灼いていた。

 アービィは悪意でも荒療治としてでもなく、セラスが食事を摂れないのは、単に干し肉が口に合わないか厭きただけだと思っている。

 純粋に善意だけで動いてるからなぁ…止めても無駄だろうし、大好物だし。

 

 カジカの頭を半分に割り、ぶつ切りにした身と胃袋、肝臓と一緒に強めに塩を当てる。

 そして、お湯が沸くのを待ち、沸騰したお湯で霜を降った。

 この間にルティはタマネギとショウガをスライスしている。

 霜を降ったカジカを沸いた鍋に入れ、白ワインとショウガ、塩を入れ、再度沸騰したところでタマネギを放り込み、煮え立たないように火から遠ざける。

 

 

 アービィは、続いて鴨を捌く。

 手早く解体し、肉は部分に分け、ワインと塩に漬けた。

 レバーや砂肝は、水に晒して血抜きする。

 ティアは、料理の出来が担保だからね、とブツクサ言いつつも水汲みに川へ何度も行っていた。

 

 ササミの部分は別に取り分け、灼いた石に乗せ、軽く両面に焼き色を入れた。

 血抜きし塩を振ったレバーは、暫く火を通し、砂肝は竹を割いて串を作り、熾火にかざして塩焼きにする。

 

 焼き色を付けたササミは薄くスライスし、手持ちのショウガとニンニクを潰して刻んだものを添え、レモン汁に塩を溶いたものと合わせて出す。

 カジカの潮汁は、塩で味を整え、椀にとって出した。

 アービィは、醤油とワサビが存在しないこの世界、おろしがねを持ち合わせていないこの状況を呪った。

 この三つがあれは思い残すことはないのに~

 

 

 腸を見せつけられたセラスは、昨夜の記憶と生理的嫌悪感が沸き上がり、危うくまた吐くところだった。

 伯爵は、セラスの様子を感じ取り、肩に手を置き力を込める。

 肩から暖かみが全身に伝わるようだった。

 そして、いつの間にか側に来ていたレイに手を握られると、セラスは不思議と心が静まるのを感じていた。

 

「さぁ、それなりに上手くいったと思いますよ。みなさん、どうぞ」

 躊躇うセラスを伯爵が励まし、食べるように促す。

 

「イヤ……だって、さっきまで生きてたのよ、この鴨も魚も。可哀相じゃないのっ!!」

 

「セラストリア様。あなたがいつも召し上がっている肉や魚だって、そこに来るまでは生きていたんですよ。ただ、目の前で死んでないだけです。私たちは、生き物を食べないと生きていけないんです。他の命をいただいて生きているんです。可哀相なんて、ただの感傷。食べてください。でないと、この鴨も魚も無駄死になってしまいます。命は続くんです。たとえ死んでも、食べた人の、生き物の血肉になって続くんです」

 ルティがセラスを諭す。

 

「でも、可哀相なものは可哀相なのっ!! あたしは、こんな可哀相なものは食べられないわ。……これからは野菜だけ食べる……」

 まだ抵抗するセラスの言葉に、ティアがついに怒った。

 

「何甘ったれてるの!? 何が可哀相よ。今まで散々食い散らかしてきたくせに。今度は、野菜だけですって? なんて思い上がり、なんて偏見。野菜だって生きてるのにっ!! ものを言わないだけで、植物だって一所懸命生きてるのよっ!! 見て御覧なさい、一本の木で葉っぱが重なる? 自分の身体に、しっかり陽の光が当たるようにしてるの。だから森の植物は光を求めて、他の樹より上に行こうと競争してるのよ。何でだと思う? 生きてるからよっ!!」

 

「……」

 まさか叱られるなんて思っていなかったセラスは、目を見開き、ティアの言葉を聞いていた。

 助けを求めるように伯爵やクリプトに視線を送るが、返ってきたのは厳しい視線だった。

 

 まさか、誰も自分の味方をしてくれないなんて……

 お父様まで……

 

 

 さすがにティアの言葉に納得できる部分があったのか、黙ってササミのタタキに手を伸ばす。

 賛辞を述べては負けと思っているのか、黙って食べ続けるが、手が止まることはない。

 

 ついでカジカの潮汁に手を伸ばし、椀を覗くと、二つに割られたカジカと目が合ってしまった。

 声にならない悲鳴を上げ、椀を落としそうになり周りを見るが、それを責める視線はなかった。

 

「魚ってすごいですよね。例え全身そのままで出てきても、グロテスクに思わないのって魚くらいですからね~」

 のんびりとアービィが言う。

 確かに、豚や牛、鳥の丸焼きは、人によっては生理的嫌悪感が先に立つかも知れないが、魚の塩焼きにそれを抱く人は、まずいない。

 

「目玉の周りと、頬の肉が旨いんですよ。いつも動かし続けてるからかな、いい味なんです。あと、骨周りも旨いんで、食べにくかったら手で持って齧っちゃってくださいね」

 なんだかんだいって、アービィの言うとおりに食べるセラス。

 

 きれいに食べつくした後、セラスは何も言わず馬車に乗り込んでしまった。

 少しだけ穏やかな表情で。

 

 

「アービィは伯爵家の専属料理人になるべきよ。うん、給金も期待して良いわよ」

 馬車の中では、アービィを引き留めたいレイとの攻防が続いていた。

 

 あれから一言も喋らないセラスだが、アービィの作った料理を平らげた後、彼らを見る目には嘲りや見下しは含まれていない。

 態度を崩すことはなかったが、それは彼女の精一杯の抵抗だったのだろう。

 

 道の彼方にボルビデュスの城壁が見えてきた。

 護衛の旅が終わろうとしている。



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第22話

 カレイジャス・ヴィンテグティブ・インプラカブル・バイアブランカ王は、一枚の報告書を前に考え込んでいた。

 

 豪華だが、嫌味のない上品な調度品に囲まれた王の居室。

 今ここには王以外の者はいない。

 扉の外に衛兵が二名、影から王を警護する間者が天井裏に数名いるだけだ。

 

 レヴァイストル・シンピナートゥス・ヴァン・ボルビデュス伯爵より送られてきた、アーガストル子爵の異動願いに添えられた、文字のような記号のような痣を持つ少年についての報告書。

 

 王は、ラシアス王国の第一王女であり、現摂政ニムファ・ミクランサ・ミリオフィラム・ネツォフ・グランデュローサ王女から十年ほど前に送られてきた、一通の依頼書について思い出していた。

 十代後半から二十代前半の黒髪に黒い瞳、文字のような記号のような痣を身体のどこかに持つ男性を探している捜索隊の便宜を図って欲しい、そしてその内容で触書きを出して欲しいとの依頼書だ。

 

 当時ラシアス王国に放っていた間諜からの報告では、彼の国で勇者の召喚魔法を行使したというものがあった。

 おおかた、北の民への対抗策のうちのひとつであろうが、相手に王がいない以上、個人を召喚してもあまり意味がない。

 いくら武勇に優れた勇者であっても、大軍にひとりで対抗することはできないからだ。

 

 

 もちろん、ラシアスが公式にそれを認めることはないが、当然他の国でもこの情報は握っている。

 幾度かあった公式の表敬訪問時に、健在であったロベリア=グランデュローサ王に、オフレコで聞いたことはあったが、認めるはずもなかった。

 

 そして、レヴァイストル伯からの報告書。

 痣という点では合致しているが、年代が合わない。

 それに痣といっても報告書の文面だけでは、形まであっているかの確証は得られない。

 何かの手違いか、欺瞞か。

 

 北の大陸の奥地に魔王が降臨して北の民を圧迫し、それが南大陸への侵出を誘発しているのでは、という報告もある。

 降臨したのか、隠れていたものが顕在化したのかは判らないが、魔獣が活発化した時期とほぼ同じ頃だ。

 であれば、その魔王を倒すことで北の大地を安定させ、南への圧力を軽減させようという戦略ならまだわかる。

 

 ラシアスの勇者が魔王を退治し、大陸の平和を取り戻す。

 魔王に打ち勝った『勇者』を倒せるものは、おそらくこの世にはいないだろう。

 そして、その『勇者』という最終兵器を手にした国が、大陸の覇者に一番近い位置にあるのは自明の理だ。

 さらに、北の大地を安定させ、南大陸の平和を取り戻したという功績は、両大陸を制覇する上で何よりもの大義名分にできるだろう。

 

 

 ラシアスは今苦境に立っている。

 十五年前までは、他国からの好意的な援助だけで、北の脅威に立ち塞がっていた。

 十五年前、ラシアスでクーデターまがいの政変があり、一時的にとはいえ国は大きく揺れていた。

 数年で国内の混乱を収拾しきったロベリア王の手腕は見事であったが、これを期に健康の不安が増したという。

 その頃から北の奥地に魔王が降臨したという噂が、広まり始めていた。

 ちょうど勇者を召喚した、という時期に一致する。

 

 現在のラシアスは、前年に健康不安の増したロベリア王が国の象徴へとその立場を落とし、ニムファ第一王女が摂政として政治の実権を握っている。

 ここ数年はラシアスの勇者捜索隊が国に入ってくることはなくなっていたが、あの権力欲と征服欲の権化のようなニムファがこのままおとなしくしているとは思えない。

 当時十三歳の小娘が国を憂いた結果の行為であったとしても、現在は二十三歳になった一国の元首が弄ぶには強力過ぎる玩具と言わざるを得ない。

 

 どうやら十年の時を経て、どこにも勇者が現れたという報告がないということは、勇者の召喚は失敗したか、召喚されたとしても、勇者は今のところ自らの立場を理解することなく、覚醒することもなく、市井の人として暮らしているのだろう。

 そもそも報告書にあった若者が、そうだとの確証もない。

 

 

 カレイジャス王は、長い思考の後、宰相ウルバケウス公爵を呼び出した。

 王は黙してレヴァイストル伯からの報告書を、宰相に手渡した。

 

 宰相が読み終え、何も言わずに報告書を王に渡す。

 他言無用であると王は言い、報告書に火を付けた。

 

 

 夕刻、王は二通の命令書を用意していた。

 一通は、王直属の間諜部隊に対するもので、少年たちの素性調査と安全確保、他国の手に落ちそうな場合は身柄の確保と万が一の場合は殺害することが記されている。

 これは宰相を通すことなく、直属の部隊長に手渡される。

 万が一、他国の間諜が紛れ込んでいるとも限らないので、言葉は一切発することなかった。

 

 そして、もう一通、宰相に手渡された命令書は、レヴァイストル伯に少年についての詳細な報告と監視、そしてこれからの動向の詳細な報告、万が一の場合の確保を命じることが記されていた。

 無言で一読した宰相が蝋封し、王が指輪を蝋に押し当てる。

 

 王は、アービィたちが国外へ出ることを、止めるつもりはない。

 おそらく、まだ他国の間諜は、アービィたちの存在には気付いていないだろう。

 

 それを態々事を荒立ててまで、知らせてやる必要はない。

 間諜の監視をつけておけば充分であるし、他国へ行ってもそれは同じだ。

 それに、何者かに殺されるようなことであれば、『勇者』としての器がなかったということで、そこで終わりだ。

 

 『勇者』は扱いによっては、国を滅ぼす劇薬ともなりかねない。

 『勇者』を欲しがる他国の間諜と、無用の暗闘を行ってまで国家間の摩擦を起こす必要は認められない。

 『勇者』を以って大陸を統一したとしても、飼い慣らせる保証などないし、飼いこなせるとも思わない。

 いつ王国に牙を剥くかも分からない、そのような『危険物』を国内におく必要はない。

 

 ただでさえ、国の運営が難しくなったこの時期に、あまり多大な労力を裂いているわけにもいかなかった。

 ラシアスから依頼のあった義勇軍と諸侯軍の編成や、指揮官の任命。

 それに伴う予算の組み換えに伴う混乱の収拾と調整や、増税に伴う諸手続き。

 王とはいえ独裁者ではないので、何から何まで自分の好きにできるわけではないのだ。

 

 

 指揮官の人選は難航しているらしい。

 他薦自薦が入り乱れ、軍務卿ボナリエンス公爵へ面会を願うものが後を絶たず、軍の政務が滞ってしまっている。 

 指揮権をその手に握ろうとしている、一部子爵クラスの青年貴族を中心としたグループの突き上げが激しくなっていた。

 

 諸侯軍で勇名を馳せ、国内での勢力を伸ばすことを画策しているグループだ。

 派遣軍の指揮権を握り、さらには連合軍の指揮権を狙っている。

 あわよくば北の大地にまで攻め入り、その功績を元に帰還後の発言権を強めようとしていることは明白だ。

 他国との協調すら危うくしかねないグループだが、単に排除してしまっては諸侯軍が軍事力として成り立たなくなってしまうことも、軍務卿の胃に穴を開けようとしていた。

 

 単純に考えれば、派遣される諸侯の中で最高位のものが指揮権を持てばいい。

 しかし、公爵は、軍務卿である自分を含め国政の中枢を担っている。

 その者が義勇軍程度の重要性の低い任務で、国を離れるわけにはいかない。

 

 侯爵も、大臣ではないにせよ、国政の中で重要な地位を占めているため、同様に派遣するわけには行かない。

 レヴァイストル等の伯爵は、国にとって重要な地域の領主である者が多く、こちらも長期間領地を離れさせるわけには行かない。

 いきおい男爵か子爵となるが、この人選が問題だ。

 

 男爵のような下級貴族では、他国の指揮官と衝突があった際、なかなか強気には出られない。

 派遣軍のイニシアチブを最初から求めないというのであれば、それでもいいかもしれないが、国と王の面子がそれを許さない。

 ある程度他国に対し強く出られる人物であっても、公爵の軍は指揮に従わないことも考えられる。

 そこで親の権勢を後ろ盾にできる子爵が妥当、ということになる。

 

 ところが、公爵の子息たる子爵は、次期大臣として国政に携わっている。侯爵子息も同様。

 では、伯爵子息に人物がいるかというと、たとえ人物が優れていても、これもまた公爵の軍が指揮に従わないという危険性もあった。

 

 従って、五大公爵家のうち誰かが貧乏くじを引くことになり、それは他の大臣から目の仇にされているハイグロフィラ家になりそうだ。

 だが、あからさまな人事もできないため、ボナリエンス軍務卿としては、ハイグロフィラ財務卿から言い出すのを待っている状態だった。

 

 

 その財務卿ハイグロフィラ公爵からは、派遣軍は諸侯軍主体にして欲しいとの意見が上がっている。

 義勇軍は、国の常備軍ではないが、予算は国家予算から出すしかない。

 いくらかの寄付を募ることも可能だが、それだけで軍が動くほどの資金を集められるはずがない。

 

 平民が主体の義勇軍であるため、装備を個人負担にしてしまっては、碌なものは期待できない。

 よくて鋳造大量生産の剣、甲冑を所有している者など、ごく僅かだ。

 そんな軍を国外に出すことは、国のメンツに関る問題になってしまう

 

 さらには、給金も支払う必要があるだろう。

 国に差し迫った危機があると認識している者は少ない。

 兵のモチベーションは、給金によってあげるしかない。

 

 給金を餌に兵を募れば、食い詰めた者や犯罪者が紛れ込まないとも限らない。

 そのような者たちが、いく先々で略奪や諸々の犯罪行為に走らないとは限らないのだ。

 それこそ、国の面子どころか、国の威信、信用に傷を付けかねない。

 

 それでも義勇軍は出せません、では、他国への面子もあるので、他と同規模の軍を組織することは止むを得ない。

 そのために割く予算は膨大なものとなり、当然予算を切られる部門は常備軍だけにとどまらず、様々なインフラ関係にまで及び、今度はそれでは国の運営が成り立たない。

 一律のシーリングで決まるような単純な話ではないので、書類上の金の移動に彼の部下は疲弊しきっている。

 

 いきおい増税となるが、北の脅威が身近でない国民にはその必要性が認識され難く、国民の説得も押し付けられた財務卿は、自身の胃の耐久テストをさせられている錯覚にとらわれていた。

 また、自ら派遣軍は諸侯中心でと言い出した手前、子息ランケオラータ・アンガルーシー子爵が派遣軍指揮官に立候補することを求められている雰囲気だ。

 

 

 外務卿クリナム公爵は、他国の義勇軍の規模や、準備の進捗状況を探り、同時に協議させられている。

 何れの国も腹に一物を隠し持っており、でき得る限り自国の負担を減らしたい。

 当然といえば当然だが、自国負担を減らすというよりは、他国により多くの負担を負わせ、国力を削り取ってやろうというのが本心だ。

 

 外務卿は、胃に穴が開きそうな熾烈な外交戦を続けており、彼の部下には過労で倒れた者や暗殺されたと思われる者すら出ている。

 同時に他国に通じている者や、ハニートラップなどに引っ掛かり情報の漏洩を強いられている者もおり、その対策にも頭を悩ませている。

 

 

 内務卿アポノゲトン公爵も国内治安の維持や、他国の間諜の摘発のだけではなく、国内産業の育成保護などにも労力を割かれている。

 万が一、他国との戦争になってしまったり、北の大地に攻め込むことになっては、貿易立国のインダミトは、破滅しかない。

 現状では資源の採掘や、加工するための工業が発展していないのだ。

 周辺住民や流域諸国の反発を抑え、いかに一国内で総力戦を戦えるだけの産業を興すか、内務卿の手腕に懸かっている。

 

 財務卿からは、予算の組み換えが伝えられ、両者の部下たちは折衝を繰り返している。

 

 お互いの言い分は判るが、お互い譲れないところはあるのだ。

 ラシアスに破綻されては大陸防衛の負担が増えるだけなので、できる限り援助で済ませたい。

 この一点では意見を同じくしているが、両者の思想の違いや実情を絡めた意見の相違が、予算編成を困難なものにしていた。

 王はなんとか国をまとめる努力をしているが、視野狭窄の跳ね返りどもの独走をいつまで食い止めていられるか、心もとないものもあった。

 

 

 レヴァイストル伯爵による王への報告は、別にレヴァイストルがアービィを売ったというわけではない。

 臣下として、当然の行動である。

 

 アービィがどのような戦略的価値を持つかは、人探しのお触書からでは解らないが、お触書が出るほどの何らかの価値はあると解る。

 年代が違うという点を含め何かの意義はあるだろう、それを判断するのは王室だと考え、報告書を認めたに過ぎない。

 

 犯罪者であるならすぐにでも捕縛するのだが、情報を求めるだけで捕らえろとかの命令が入っているわけではなかったはずだ。

 今後、勝手に解釈し、捕らえるなり殺そうとする者が出るかもしれないが、他領に入ってしまっていてはレヴァイストルにはできることは少ない。

 保護するという選択肢もあったが、他国が絡んでいる以上領民を危険にあわせる可能性に手を出すわけにはいかない。

 

 

 個人的に好感をもった若者にレヴァイストルができることは、今現在を不自由なく過ごさせることしかない。

 一個人としての友情よりも領民の安全、封建制度下では王への忠誠が優先されるからだ。

 

 王が捕らえよといえば捕らえなければならないし、保護しろといえば保護しなければならないが、できることなら捕らえるということはしたくない。

 万が一、納得できない理由で命令が来てしまった場合、どうやって彼らを逃がすか考えておく必要はありそうだった。

 入れ違いで旅に出た、とでも言うしかないのだが。

 

 

 とりあえず、王宮から何らかの返答が来るまでは、アービィたちを確保していなければならない。

 ただ、ここにいろと言っても彼らには目的があり、数日の歓待以上に留めておく理由が見つからない。

 

 レイは料理人としてアービィを引き留めたいようだが、それは既に断られている。

 ならば、と伯爵はいろいろな討伐を、地元のギルドを通して依頼していた。

 これであればアービィたちに断る理由もなく、ラシアスにある火の神殿へ行くまでの旅費稼ぎとして、毎日のように依頼をこなしている。

 

 

 十日ほどして、早馬が王の命令書を携えて戻ってきた。

 王の命令は、報告義務はあるものの、レヴァイストルに裁量権を与えるものでもあった。

 

 王からの命令書が届いた翌日、アービィたちは伯爵を訪ねていた。

 伯爵領到着当初はボルビデュス城内にやっかいになっていたのだが、ギルドへ行ったり討伐に出たりには、何かと不自由が多く、三日前から城下に宿を取っていた。

 いつまでも伯爵領でやっかいになっているわけにもいかず、そろそろラシアスに向けて旅立つことを伝えに来たのだった。

 

「伯爵、大変お世話になりましたが、僕たちはそろそろお暇しようと思います」

 アービィが代表して切り出した。

 

「そうかね、いよいよか。君たちにはこちらの方が世話になった。護衛としてはもちろんのこと、ラガロシフォンのことや、セラスのことでな。いくら礼を言っても足りないくらいだ」

 

「いえ、伯爵。あたしに剣のご指導をいただいたり、クリプトさんにはティアが弓をご指導いただいたりと、こちらこそお礼の言いようもありません」

 ルティは、アービィを守れる力になれそうな自分に成長できた今回の旅に、心から感謝していた。

 

「実は、あたし、ある理由からお金を貯めなければならなかったんです。ここに滞在している間、仕事の斡旋までしていただいて、本当に助かりました。普通にギルドに通うだけでは、こんな良い仕事は取れなかったと思います。それに宿まで口利きをいただいてしまって、ありがとうございました」

 ティアはラミアのティアラを買うための貯金ができたことを、素直に喜んでいた。さすがに何を何のために買うかは、言えなかったが。

 

「いつ、出立するのかね?」

 伯爵は、王に報告するための情報収集を兼ねて訊ねた。

 

「討伐の仕事が明日完了しますので、二日ほど休養がてら物資を買い集め、四日後の朝、出立しようかと思っています」

 また二人が飲んだくれて寝坊しなければ、ですがとアービィは答えた。

 テーブルの下で力一杯アービィの足を踏みにじりながらルティとティアは首肯していた。

 

「そうか……では、ひとつ提案なんだがね。明日は宿にいてもらうとして、その後はまた城に来ないか?いや、実はもう一度君の料理を味わいたくてな。ウチの料理人たちにもな、覚えて欲しいのだよ。旅に必要な物は、その講習料代わりに私に用意させてくれ。そして最後の夜は、ささやかだがパーティーをやらせてはくれないかね?」

 思わぬ伯爵の提案を、アービィたちは恐縮しながらも、ありがたく受けることにした。

 

 

 討伐の仕事を全て終わらせ、ギルドから報酬をもらったアービィたちは、その足で酒場に繰り出した。

 

「ティア、昨日伯爵に言ってたお金を貯める理由って、やっぱりティアラのことでしょう?」

 ルティが訊ねる。

 

「そうよ、やっぱり、あれがないと、あたしはあたしじゃなくなっちゃいそうで……不安なのよ。お守りみたいなもんだから」

 ティアは眠そうな目で答えた。

 

「あると、いいね。あまり店に並ぶことないみたいだもんね。ごめんね、取り上げるようなことしちゃって」

 ルティは殊勝な顔で謝る。

 

「それはいいのよ。そのお陰でこんな楽しい旅に付き合えることになれたんだもん。感謝してるのよ、あたしは」

 ティアは心底嬉しげにルティの肩を叩きながら言う。

 突然、テーブルに頬杖をつき、半分寝ながら話を聞いていたアービィが、態勢を直して大きな声で喋り始めた。

 

「そうだよね~、やっばり、ラミ――あぴぃっ」

 慌ててティアがアービィの口を塞ぎ、ルティが空いた木皿で後頭部を痛打する。

 皆まで言わせず、テーブルに突っ伏して痙攣しているアービィを両側から抱え、店主に平謝りしながら支払いを済ませ、逃げるように宿に戻った。

 

 

 深夜の宿の廊下に、傍迷惑な罵声が響き渡る。

 翌朝、宿を引き払うときまで、廊下で正座させられるアービィの姿が見られたとか。

 ラガロシフォンでのパーティーで、ドレス姿について一言も言ってもらえなかったルティは、さり気なく根に持っていた。



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第23話

 宿を引き払ったアービィたちは、ボルビデュス城に用意された部屋に荷物を下ろした。

 なぜ、朝まで正座していたか、その前の記憶がおぼろげなアービィは、まだ呆然としている。

 さすがに公衆の面前でティアの正体に関る発言をしてしまっては正座もやむなしだが、必要以上にカリカリしているルティにはお仕置きの理由を聞けなかった。獣化した記憶は無いし……

 

 ティアにこっそりとルティが怒り狂っている理由を聞き出し、アービィは真っ青になって平謝りに謝る。

 一段落したところで、厨房の料理人たちがアービィに材料のことを聞きに来た。

 ようやく機嫌を直していたルティに頼んで、使用人を連れて買出しに出てもらう。

 

 アービィは、別の使用人を連れて、周辺の竹林に筍を掘りに行く。

 まだ初夏というには時期が早いので、筍も充分に見つかった。

 

 米を磨ぎ、磨ぎ汁で筍を煮出し灰汁を抜く。

 夢の中では一晩放置しないと食べられた物ではなかったが、この世界の筍はそこまで灰汁が強くないようだ。

 

 平行して小麦粉を練り、ドゥを二種類伸ばす。

 さすがにハンドトスまではできないので、厚さを変えるに留まるが、記憶を頼りにトスでの広げ方を実践し、料理人たちに後々の工夫を頼んでおいた。

 

 昼の賄はピザトーストを作り、買出しが遅くなったルティが食いっぱぐれ、盛大に文句を言われる羽目になる。

 ルティを宥めるため、デザートに出すはずだったカスタードプリンを作り、料理人たちの度肝を抜いておいた。

 

 アービィとルティが晩餐の準備に追われているとき、ティアはここぞとばかりに伯爵に連れて行かれてしまった。

 伯爵は、レイの参謀としてティアに残って欲しかった。

 ここで、ティアは貸し金業について新たな提案をしていた。

 ただの金貸しではない、低金利長期返済の起業支援の金融政策だ。

 

 これまで金貸しといえば、この世界に金利規制の法がないことをいいことに、高利貸しが横行していた。

 生活苦から借金に手を出し、首が回らなくなり自殺する者や、身売りする者が後を絶たない。

 また、アーガスのような領主が、地味の良い土地を巻き上げるために、無理な金利で金を貸し、その抵当に土地を奪い取るということもまた横行している。

 

 自業自得は放っておけばよいが、無茶な金利には歯止めをかける必要があるし、その規制で悪徳な業者が領地を出て行くことは歓迎できる。

 また、優れた発想を持つ者がいても資金がないせいで世に出られないのは、社会の損失だとティアは言う。

 

 あの見識は並大抵の者ではない。

 伯爵は、ティアのことをラガロシフォンの建て直しに、なんとしても必要な人材だと見ている。

 

 途中から妻のファティインディとレイも加わり、具体的な施政についての相談も行った。

 ファティインディは、勉強のためにとセラスも連れてきている。

 

 セラスは、あの一件以来ティアに懐いていた。

 正面から叱られて怖がっていたのだが、よほどのことを言わない限りあのときのような叱られ方はしないと分かったので、怖いもの見たさもあり周囲をちょろちょろしているうちに懐いてしまったようだ。

 もっとも、既に二度ほど使用人への態度と借り物の扱いについて、雷を落とされていたが。

 教育係としても残って欲しい。そう願わずにはいられない伯爵とファティインディであった。

 

 

 晩餐会は、貴族の家としては異例尽くしだった。

 料理人とサーブ担当は交代でだが、クリプトを含む執事たち、侍女、庭師までの使用人もテーブルに着く。

 当初はアービィが教えたレシピで調理されたものを、使用人まで含め全員がという話だったが、アービィたちがこれまでの感謝の印にということで、このようになったのだ。

 

 今夜も調理服を着込んだアービィは、料理方法や応用についての質問に答えている。

 侍女服を借りて着込んだティアとルティも、必要以上に張り切っていた。今日こそは可愛いって言ってくれないかなぁ……鈍感狼……

 

 宴のあと、厨房を片付けているとき、アービィがルティに近寄り耳元で何かを囁く。

 ティアは、ルティが一瞬で真っ赤になるのを、微笑ましく見ていた。

 それから寝るまでの間、ルティの足取りは地上10cm位に浮かれあがっていたらしい。

 

 

 翌日、アービィたちがボルビデュスを離れる前日、伯爵はアービィたちに詳しい予定を訊ねる。

 もちろん情報収集を兼ねてのことだ。

 

 アービィは、まず教都ベルテロイに向かい、それからは決まっていないが、ラシアスを縦断して火の神殿があるグラザナイへ行くと言った。

 せっかくだから、王都アルギールにも行ってみたいし、できるなら地峡要塞ウジェチ・スグタも見てみたいと思っていると予定になっていない予定を説明した。

 

 ベルテロイまでボルビデュス領からは馬車で三日ほどだ。

 これは伯爵所有の馬車で、クリプトに送らせるつもりでいる。

 ベルテロイからグラザナイまでは最短ルートでも馬車を使っても二週間、歩くだけだと一ヶ月は掛かるだろう。

 

 途中アルギールに寄ると、さらに一ヶ月。

 ウジェチ・スグタ要塞とグラザナイの往復にも一ヶ月は掛かるだろうと伯爵は言った。

 やはり、馬車を調達するか便乗できる護衛の仕事を見つける必要があるだろう、そう考えていると、伯爵からいい情報を教えられる。

 

 ラシアスは、起伏に富んだ地形のため、徒歩による移動は効率が悪い。

 軍を迅速に移動させるためにも、街道は整備されている。

 

 このインフラ整備に乗じて、駅馬車と呼ばれる交通機関が発達しているらしい。

 駅馬車を使えば、徒歩の倍以上の速さで移動できるという。

 

 実は、各駅にはギルドの支部があるため、足取りを掴みやすいという事情もあって、伯爵はできるなら駅馬車を使うといいと勧めてきた。

 もちろん、そのことは伏せてだが。

 

 

 今夜のパーティーだが、これも貴族が開催するパーティーとは思えない次第となっている。

 アービィたちへの感謝を込めて、という意味合いはもちろんのこと、領内の産業に役立つ情報が詰まっているのだ。

 ラガロシフォンに占有させる料理以外は、盛大に振る舞い、領内に広めたいという思惑があった。

 

 家庭料理と呼べる範疇の簡単にできる料理は、単調になりがちな街の食堂や宿の客寄せにも使えるだろうし、菓子は新しい産業を興せるとティアに言われたのだ。

 簡単にできる菓子とお茶を提供し、お喋りが楽しめる店舗をティアは提案していた。

 

 今現在、外で食べる場所は、酒場か食堂しかない。

 きちんとした食事か、酒しか選択肢がないのだ。

 酒場では酔漢が多く、女性や子供だけで安心して行ける飲食店がない。

 

 産業構造が未発達で、一日の労働時間が12時間を超え、まとまった休憩をとるという発想がない世界では、今までそのような喫茶店に相当する店は必要とされることはなかった。

 いや、不必要だったのではなく、発想がなかったのだ。

 

 どんな人でも12時間働き詰め、などということは不可能だ。

 昼食や適度な休憩は、意識せずともそれぞれが取っていた。

 

 それは、態々お茶請けなどを準備していて、それはそれで時間を取られるものだった。

 また、気が向いたときに適当に休憩時間を入れていたため、非効率的でもあった。

 

 その時間を狙った隙間産業というべきものは、これから充分に発展する可能性を秘めている。

 客の奪い合いという競争が起これば、それは様々な技術やサービスの革新を促すだろう。

 そこから出る税収で領内を整備し、関税や個々に掛かる税を下げることができれば、他領からの移民や物流を呼び込むことができるだろう。

 ラガロシフォンに独占させることも選択肢の一つとしてあったが、領内全体を盛り上げ、それを以ってラガロシフォンへ経済効果を波及させた方が収益が上がりそうだと伯爵は考えていた。

 

 

 日が傾き始め、ボルビデュス城の前庭には篝火が焚かれている。

 領主の家族、使用人、領民が入り乱れ、並べられた料理を堪能していた。

 

 さすがに今日は、アービィたちが主賓だ。

 再度、礼服を着せられ、ルティとティアはドレスを着飾っている。

 二人とも、アービィからプレゼントされた髪留めを着けていた。

 伯爵領の名物料理が並び、昨日のレシピを料理人たちが意地に賭けて改良を加えたものもある。

 

 日頃粗食に耐える下層階級の者たちは、ここぞとばかりに食べ物を腹に詰め込んでいた。

 この世にこんな旨い物があったのかと涙を流さんばかりの人々は、これが当たり前にその辺りに転がっている材料や、自らが作り出したり獲ってきた材料から作られていると知り仰天した。

 

 さらには、食べ物だと思ってもいなかった筍が、こんなに旨い物だと知り、また仰天する。

 唯々発想力の違い。日々の暮らしに追われて、心に余裕がないがためであった。

 聡い者たちが筍の調理方法を聞きだし、後に筍料理文化を広めていくことになる。

 

 伯爵やレイは、その現状を改めて認識し、まだまだ領民たちは幸せから程遠いところにいるのだと、愕然とする想いであった。

 セラスも考え方が改まってきたのか、領民たちに必要以上に尊大に振舞うことはなく、周囲を却って疑心暗鬼にさせてしまっていたが、領民たちの生の声を聞けたのはいい経験になっただろう。

 

 

 パーティーが始まって暫くした頃、アービィはルティを会場の端に連れて行った。

 

「あ、あ、あの……さ……髪留め、着けてくれて嬉しいな……。……ルティ、きれいだよっ」

 真っ赤になってそれだけをやっと言うと、アービィは照れ臭そうに走っていってしまった。

 しばらく顔を真っ赤にして、逆上せたようなしまりのない顔で気味の悪い笑みを浮かべ、小さく笑い声を漏らすルティがいた。もう、そこまでいったらキスくらいして見せてよ……

 ティアは、羨ましくも微笑ましく、しかしどこか寂しそうな顔で、二人を眺めていた。あたしにも言って欲しかった、な……

 

 

 アービィは、使用人の中に高位の水の呪文を使える者がいると知り、幾つかの実験をしてみた。

 近くの川で取れたマスに似た魚の腸を抜き、そこに『凍結』を掛けてみてもらった。

 案の定、いい具合に身は凍りつき、暫く放置しておくとちょうどいいルイベができたのだった。

 

 この世界でも、淡水魚は人体に入れば致死性の寄生虫を持っている。

 知識が浸透していない世界では、知らず食べたり、火の通りが甘い状態で食べたりして罹患し、命を落とす者が後を絶たなかった。

 

 当然、ある程度の知識層の間では、魚は生で食べてはいけないという常識がある。

 しかし、この方法を使えば、生であっても充分食用に耐えるようにできる。

 レモンと塩で味付けされたルイベは、革命とも呼べる料理だった。

 厳冬期にしか手に入らない、もしくは永久氷土や氷河から運ぶ財力のある者しか手に入れられない氷が、呪文により簡単に手に入り、何度か続けて使用することで長時間氷を維持することもできた。

 

 蓋ができる金属の薄い筒に牛乳と砂糖、そしてやはりこの世界でもあったバニラビーンズを入れ、氷の上で筒を回転させる。

 想像したとおり、筒の中にはアイスクリームができていた。

 

 

 まずは『凍結』を使った者が、精神力の代償としてアイスクリームを試食する。

 指に取り、口に入れた瞬間に、舌の上で溶けてなくなる食感に、鼻腔に抜ける香り。

 

 彼は思わず歓声を上げていた。

 それにつられ、周囲に人が集まってきた。

 

 アービィは、わざとレイとセラスを後回しにして、伯爵夫妻、使用人、そして領民たちに器を回す。

 あっという間になくなってしまったが、数人の術者が名乗り出て、追加を作り続けた。

 

 散々に勿体をつけて、レイに器を渡した。

 一口食べたレイは、伯爵令嬢の上品さをかなぐり捨て、黙々とアイスクリームを口に運ぶ。

 すぐ、これは売れると判断できたが、領民の多くが知ってしまった以上、ラガロシフォンの占有事業にすることは無理だとも悟っていた。

 何せ、ちょっとした発想の転換だけで、作り方はあまりにも簡単なのだ。

 

 残念さも手伝って、手元にあったアイスクリームを物凄い速さで食べつくしたレイは、お約束の頭痛に襲われていた。

 もちろん、その横には頭を抱えて蹲る、ルティ、ティア、セラスがいた。

 

 

 アービィは、ルイベには確証があったが、アイスクリームはほんの思い付きだった。

 レイは、この新しい味をラガロシフォンの独占にできなかったことを、恨めしく思っていた。

 

 バニラビーンズは、まだ生産量が少なく超が付く高級品であったので、これをラガロシフォンが占有することにしてプレミアを付け、他地域ではバニラなしにしようとアービィは提案し、やっとのことでレイの機嫌を直すことに成功した。

 もちろん、レイにそのような独占欲や独善性があるわけではなく、ラガロシフォンを立て直したいという意識の現われからだった。

 

 埋蔵資源のように限りがある資源と違い、再生産可能な資源は、需要が増えれば供給を絞り高利を貪る者が出る一方で、大量生産方法を開発し、多売により利益を上げようとする者が出るだろうと、ルティは考えていた。

 どちらにせよ、一気に採れるだけとって資源の原資を壊滅させるほどバカではない、持続可能な資源の有効利用方法が社会基盤を強くすると期待するルティだった。

 

 それでも、アイスクリームの味付けに他の果実を使うという発想は、いつのまにか領内全体に広まっていく。

 アービィがちょっとした思い付きで作ってみたアイスクリームは、新たな食文化をボルビデュス領にもたらすことになる。

 

 それだけではない。

 商品の生産、製造用の鉄器の製造や流通、原材料の輸入や製品の搬送に伴う輸送、販売と、ひとつの商品開発が様々な産業の振興に繋がっていく。

 

 攻撃にしか使わないものという常識を破ったこの方法は、呪文の使い方に革命を起こした。

 火の呪文の応用性は知られていたが、他の呪文にごく一部を除き応用性はないと考えられていたのだ。

 後に、黒魔法を使える者で、年齢から冒険者を引退した者や、荒事に性格が向かず知識として習得していた者に新たな雇用を創生し、中には事業を起こす者さえ出るようになる。

 

 

 夜が更けても人々は帰る気配はなく、ボルビデュス城は新たな時代の幕開けを祝うかのように、喧騒に包まれていた。



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第24話

 教都ベルテロイは、南大陸の中心に位置する都市国家だ。

 南大陸で信仰される唯一神マ・タヨーシを祀る神殿がその中心にあり、周囲は教皇や枢機卿の住居や各施設が点在する。

 

 

 第八十七代教皇フェウエルフェダル・タンゼンデを中心に、四人の枢機卿が補佐を勤め、大陸の安寧を祈願している。

 タンゼンデ教皇は、北の民を含め、唯一神マ・タヨーシの加護の元、争いのない平和な世の中を望んでいるが、四人の枢機卿はそれぞれの思惑を胸に秘めていた。

 

 両大陸の融和を望むカーナミン枢機卿は、他宗教の存在を消極的ではあるが容認しており、タンゼンデ教皇の信任が厚く、次期教皇と目されている。

 デナリー枢機卿は、北の民の教化を第一義に考えており、それはそれで幸せを思う心から出ているためか、熱心な布教に力を入れ、決して武力による教化を望んでいるわけではない。

 スキルウェテリー枢機卿は、唯一神マ・タヨーシの教えこそこの世の真理であり、従わぬ者は力で征服するべきと考えていた。

 他の宗教の存在を認めず、原理主義に近い思想で、次期教皇の座を狙っているといわれている。

 あの、バードンの上司でもある。

 ルビン枢機卿は、強烈な主義主張はなく、それぞれの考え方には中立を保っている。

 凡庸であることにも才能が必要であるかのように、枢機卿団内の意見が偏りがちになると、いつのまにか教皇の意志に沿うように調整する不思議な力量を持っていた。

 

 

 教都は、軍事的にも政治的にも四ヶ国から独立し、その防衛は各国からの派遣軍が担っている。

 神殿を中心にして東西南北に伸びる大通りは各国からの主要街道で、それぞれの街道を国の位置から時計回りにひとつずつずれた国の派遣軍が守りについていた。

 インダミト街道はビースマックが、ストラー街道はインダミトが、ラシアス街道はビースマックが、ビースマック街道はラシアスの軍がそれぞれにある関所に詰めている。

 

 各国からの派遣軍は、近衛の第二師団と規定され、指揮官としての駐在武官は王族と取り決められていた。

 何れかの国が教都を自国勢力としないための人質であり、融和のためでもある。

 

 インダミト王国からは、第二皇太子パシュース・アローマンシュ・インプラカブル・バイアブランカ。

 ビースマック王国からは、第三王子フィランサス・フルイタン・リシア・ブルグンデロット。

 ラシアス王国からは、第三王子ヘテランテラ・ハイドロトリケ・ネツォフ・グランデュローサ。

 ストラー王国からは、紅一点、第三王女アルテルナンテ・リラキナ・ミリオ・サウルルス。

 以上の四名が、派遣軍の指揮官として、外交官としてベルテロイに駐在している。

 

 駐在武官と枢機卿の互いが表立った支持を表明することはない。

 しかし、インダミトがルビン卿、ビースマックがカーナミン卿、ストラーがスキルウェテリー卿、ラシアスがデナリー卿を支持しているのは、公然の秘密だった。

 

 

 各国から伸びる街道は、大陸経済の大動脈となっており、様々なモノとカネが半径5kmの小さな都市国家に流れ込んでくる。

 ほしいモノがあればベルテロイに行け、と言われるほどの商都にもなっていた。

 それだけのモノとカネが流れ込めばそれに伴う利権も発生し、神殿を祀る都市とは思えない裏の世界も存在していた。

 

 歴代教皇は、形ばかりの取り締まりのみで半ば黙認していたが、現教皇の代になり少しずつ違法な、良心に反する取引は締め付けられて姿を潜めつつあった。

 改革を行えば、それによって失われる利権を持った者は反抗する。

 それぞれの利権団体から、枢機卿や司祭団への賄賂、抱きこみといった工作が続けられている。

 

 

 ボルビデュス城でのパーティーの翌日、朝靄の煙る中に馬車を見送る人影があった。

 レヴァイストル伯爵を始めとして、レイ、セラス、ファティインディや、家中の主だった者が馬車を見送る。

 

 クリプトが御者台に座り、馬車を操っていた。

 アービィとルティ、ティアは馬車に揺られている。

 出発に際しては、レイがまだティアを口説き、セラスはすっかり懐いてしまったのかティアの服の裾を握って離さなかった。

 

「ティア、残ってもいいのよ」

 ルティがからかったが、何か言うとセラスが泣き出しそうだったので、ティアは黙っていた。

 

「巡礼の後、ここへ落ち着いてはどうかね? 君たちなら、騎士の待遇で迎えるよ。ティアもそれまで待っていてくれるだろうし」

 アービィとルティには、伯爵から声が掛かっていた。

 さり気にティアを置いていかせようとしていたが。

 

 ボルビデュス領ならば、落ち着くにはいいかもしれない、と考えながらルティは涙の跡をそっと指でなぞっていた。

 アービィも内心ではここに骨を埋めてもいいのでは、と思っている。

 

 ティアは、魔獣を必要としてくれる人が居たことに、素直に驚いていた。

 エサ探しの旅の途中で見聞きした知識が、人の役に立つとは思ってもいなかったからだ。

 

 

 クリプトが戻れば、レイはラガロシフォンに向けて旅立つ。

 予想以上の困難が待っているだろうが、レイにとっては良い花嫁修業となるだろう。

 

 しかし、その成果はレイの個人的な評価だけではなく、ラガロシフォンの人々の暮らし、命に直結するものだ。

 失敗は許されない。上手くいかなかったからゴメンナサイでは、済まされないことだ。

 

 アーガスは王都エーンベアに異動し、伯爵旧知のパストリス侯爵に預けられる。

 ごく近い将来ラガロシフォンに戻らなければならないため、軍事的な見習いよりは財務を見習わせたほうが良いと考え、財務卿の部下であるパストリス侯に預けられることに決定していた。

 

 ボルビデュス家下屋敷に住み、暫くは伯爵家からの送金で過ごさねばならないが、パストリス侯の判断次第で宮中での仕事も任されるようになるという。

 そうなれば、給金で暮らすことも可能だろう。

 ティアが言ったとおり、親元で甘えたまま過ごすよりは、世間の目が厳しいエーンベアで修行させたほうが良いとレヴァイストル伯は考えたのだった。

 

 セラスは、当分は親元だが、数年後にはレイ同様縁談も来るだろう。

 それまでは、伯爵の仕事を見せ、時には名代に使い、世間を見せておこうと考えているようだ。

 

 

 三日の行程は特に問題もなく、魔獣の襲撃も彼らにはいい呪文の修練になっていた。

 ベルテロイに着く頃には、三人ともレベル1の呪文が八回使えるようになっていた。

 アービィはレベル2の黒魔法『凍結』を一回、ルティはレベル2の白魔法『治癒』が一回、ティアは二回使えるようになった。

 戦闘中に怪我を負っても、ある程度であればその場で直せるようになっていた。

 

 

 ベルテロイのインダミト街道関所に到着後、クリプトはここから帰ることになっている。

 ティアは弓矢の手ほどきをしてもらったクリプトに、父親にも似た感覚を抱いていた。

 もちろん魔獣に親子の関係があったわけではなく、世間一般で言う父親とはこういうものか、と言う感覚に過ぎないが。

 

 別れに際し、気付かないうちに涙が流れていたことにティアは驚き、自分の感情を抑えきれずに困惑していた。

 クリプトが手を振りながら遠ざかっていく。

 三人は、馬車が見えなくなるまで、ゲートの前で見送っていた。

 それはボルビデュス領を出るときの立場を、すっかり逆にしたかのようだった。

 

 

 関所はクリプトの口利きのおかげで、たいしたトラブルもなく簡単に通過できた。

 教都の中心に向かうにつれ人通りが多くなり、活気を感じるようになってくる。

 神殿を外から見物し、信仰心のかけらもないティアとアービィが神殿の庭園で待っている間、それなりの信仰心を持つルティは参拝に行った。

 

 ティアは、神と言う存在は感じたことはあるものの、他の宗教を認めないばかりかその神と崇める対象を悪魔扱いすると言う宗教に、胡散臭さを感じ取っている。

 誰が何を信じようと勝手だし、それを否定する気もない。

 それ故に、自らの教義のみを正しいとして、他を同化させようとしたり、否定することを理解できないのだ。

 

 魔獣にとってみれば、どうでもいいことでしかなかった。

 生きていく上で、信じられるのは自分の力だけ。

 力及ばなければ死ぬだけだと思っていた。

 

 死後についても、地獄というものがあるのならそこに行くのだろう、と漠然と思っている。

 そもそも自分自身、地獄から這い出てきたようなものだ。

 罰が当たるのなんのと、気にしながら生きていく必要はない。

 そのくせセラスには、偉そうに説教していたが。

 

 結局のところティアにとっては、大切に思う相手が嫌な思いをしないことが正しい行いだ、という程度のことだ。

 

「ね、アービィ、面倒ね、人って。こんなモノ作って、それに縋らないと生きていけないなんて」

 

 

 アービィは、面倒ね、に対する答えを持っていなかった。

 彼は、神という者が解らない。

 神が全てを創りし者であるならば、何故、自分のようなモノを創ったのだろう。

 必要なかったんじゃない? と問いかけてやりたい。

 人への試練と言うが、護るならいらないじゃん、と思う。

 

 異教徒だって、神自身が創ったんじゃないの? と聞きたい。

 最初から創らないか、なんで滅ぼさないの? と思う。

 

 結局アービィは、矛盾を感じているのだ。

 彼は、神や宗教に対して、まだ明確な考えは持てないでいた。

 確かに良い人ばかりなんだよなぁ、アービィは思っている。フォーミットにある教会の神父さんなんて、僕が人狼って知っても優しくしてくれたし。あんな人ばかりだといいんだけどな。

 

 ルティがなかなか出てこないので、庭園内を二人で散歩する。

 

「ね、アービィ、こうしてるとあたしたち恋人みたいに見えるかな?」

 盛大にアービィが咽返り、挙動不審になる。

 アービィは、それまでティアに感じていなかった距離が、気恥ずかしさから遠くなった気がした。

 

「慌てないでよ。ルティが帰ってくるまで、練習させてあげる。……それくらい、いいでしょ?」

 

「いや、あの……なんかドキドキしちゃって……獣化しちゃうよ……」

 

 それを抑えるための練習でしょ、と今度はティアが盛大に噴出す。

 どうやらからかっていたらしい。

 遠くに二人を探すルティが見えた。

 アービィは安堵して、ルティの方に駆け出した。どうやら助かった、か、な?

 ティアは残念なような、安堵したような複雑な表情を浮かべ、アービィを追う。いいじゃない、ちょっと、くらい……

 

 

 とりあえず懐は暖かいのだが、これからラシアス縦断が待っている。

 当然、移動には宿泊費以外にも馬車代が掛かる。

 うまく仕事があればいいが、見通しが立つまでは極力節約する必要があるだろう。

 

 街の中心からは少し離れた宿を取り、三人は荷物を置いて街に出た。

 食事は宿に併設された食堂で摂れるので、まずは酒だ。

 酒場に突入しようとしたルティとアービィをティアが引き止め引き摺っていく。

 

「まずは、ギルドでしょっ!!」

 さっきのドキドキがまだ止まらないのか、珍しくアービィから飲みに行こうとしていた。

 そして、その反動か、ティアが真面目になっている。

 二人は不承不承、ティアは仏頂面でギルドに向かい、依頼リストを眺める。

 各国の第二近衛師団が駐留しているだけあって、周囲には大して危険な魔獣は出ないようだ。

 

「ろくな仕事がないわねぇ。これじゃ宿代だけ稼ぐようなもんだわ。早めに次の街に行ったほうがいいかもね」

 溜息混じりにティアが言った。

 昨日、勢い込んでギルドに行ったはいいが、ろくな仕事が残っていなかった。

 改めて朝から来てみたのだが、一日でそうそう良い仕事が舞い込むはずもなかった。

 

「そうねぇ……ま、もう二、三日はいてもいいんじゃない?」

 ルティは、あまり真面目に依頼書を見ていない。

 何か別のことを考えているようだ。

 この時点でアービィは別行動している。

 ルティは、アービィがどうしているか、そればかりが気になっていた。

 

 ルティのやる気ない態度にやきもきしながら、ティアは日々を過ごしている。

 アービィは何を考えているか、朝、宿を出るとすぐ別行動になってしまう。

 ルティは、落ち着かない態度で、依頼書を適当にしか見ていない。

 

 いきおいティアが仕事を選ぶが、ルティはいい返事をしない。

 アービィにも合流後に相談するが、こちらも心ここにあらずと言った風情だ。

 三日目の朝、ギルトに行く気配も見せない二人に対し、ついにティアは暴発した。

 

「どうしたっていうのよっ!! いったい、二人とも……っ、どうして……仕事探そうとも……しないのよ? アービィはどっか行っちゃうし、ルティもそればっかり気にして……あたしが邪魔なのは……」

 分かってるのよ、の一言が、どうしても怖くて言えず、黙ってしまう。 

 感情が高ぶっているのか、その後は言葉にならず、えぐえぐと泣き出してしまった。

 

 アービィは困ったな、という顔をしているが、そのまま立ち尽くすだけだ。

 ルティは宥めようとするが、ティアは相手にせず部屋に閉じこもってしまった。

 部屋の前で溜息をついたルティは、アービィと連れ立って宿を出て行った。

 

 

 ティアは悲しかった。

 仲間だと思っていた二人が、何か隠している。

 まさか、ここでティアを置いて消えてしまうことはないと信じたかったが、あまりにも二人の行動は不自然だ。

 ギルドはひとつしかないから別に依頼を受けているはずはない。

 

 自分から消えてしまおうかとも思ったが、ここまでの旅の記憶はティアにその勇気を持たせなかった。

 ティアは怖かった。

 自分が必要とされていないんじゃないか、邪魔じゃないのだろうか、と。

 二人の気配がドアの外から消えたことが分かると、ティアは酒瓶を取り出した。

 

 

 夕方、二人が宿に戻ると、ティアはまだ部屋にいるようだ。

 ノックしてみるが返事はない。

 ドアを押してみると、鍵が掛かっていない。

 中に入った二人が見たものは、ベッドに膝を抱えて座り、すすり泣きしているティアの悲しそうな姿だった。

 

 

 まず、アービィが、ティアの前に土下座した。

 続いてルティも。

 ティアは、いよいよ別れを切り出されるのかと覚悟した。

 

 おずおずとアービィが何かの包みを差し出した。

 受け取りたくはないが、つい受け取ってしまう。どうせ、当座の生活費でしょ、手切れ金ね、手切れ金……

 

 頭を上げたルティが、ごめんなさいと言い、開けてみて、と続けた。

 ティアが恐る恐る包みを開けると、その中から眩く輝くラミアのティアラが出てきた。

 

 

 言葉が出ない。

 口をぱくぱくさせ、ティアはティアラと二人の顔を見比べた。

 

「実はね、伯爵からここはいろんな商品が集まるところだって聞いていたんだ。で、着いてからすぐ、ルティが神殿近くの店で見つけたんだよ。 でもさ、本物かどうかなんて、僕たちは鑑定士じゃないから分からないでしょ。お店の人が信頼できる人なのか、いろいろお喋りしてみたり、周囲の店の人に聞いてみたりしててさ」

 アービィが心底済まなそうに言った。

 

「で、その間二人で消えるのも変じゃない? あたしはティアと一緒にいることにして、アービィが聞き込みって言うのかな、それしてて。今日、確信が持てたんで、買いに行って来たのよ。なんだかんだいって、あたしたちのせいでティアのティアラを失くさせることになっちゃったじゃない? いくら、ティアがいいよって言ってくれても、ね」

 ごめんなさい、てへっ、とルティが続けた。

 

 ラミアのティアラは、普通の人間が持っていても安っぽい造りで、輝きはほとんどない。

 それが、ラミアが身に着けていたり、ラミアの手の届く範囲にあれば、ラミアの妖気に反応して自らが光を発しているのではと思うほどの輝きを見せる。

 以前ティアの正体がばれたときも、そのせいだったのだ。

 

「驚かしてやろうって思ってたんだけど、却って悪いことしちゃったね。ごめんなさい」

 

「……てへっ、じゃないわよ……ばか……」

 ティアは涙が止まらなくなり、左右に首を振るだけで、その後は言葉を出すことができなくなってしまった。

 

「でね、しばらくは仕事漬けになっちゃうけど、いいかな?」

 ルティが言う。

 

 晴れやかな笑顔で、ティアは頷いた。



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第25話

 「アービィ、起きて。ねぇ……起きてってば……」

 朝、まだ薄暗いうちからアービィは揺り起こされた。

 

「……!!」

 寝ぼけているのか、ルティがダブって見える。

 焦点が合わないにしては、二つの像の距離が離れすぎだ。

 

 けらけら笑うルティと、口元を押さえて笑うルティ。

 目を擦ってよく見る……見る……胸元を……

 

「こっちがルティ~――ぷぎゃぺっ!!」

 少々残念な胸元の方を指さした瞬間に、目から火花が飛び散った。

 

 

「それにしても、聞いてはいたけどさ……すごいね。ティア」

 変身を解いたティアに、正座させられているアービィが言った。

 

 ラミアのティアラを手に入れたティアは、妖術を使う能力と獣化の能力を取り戻していた。

 昨夜、ティアはルティに、その変身能力を見せていた。

 

 レイやセラス、ファティインディやボルビデュス家の使用人たち、果ては宿の女将まで、見たことのある人に片端から変身していた。

 さすがに口元だけは変えられないので、顔全体を見ると違和感が大きい。

 だが、口元さえ隠してしまえば、本当に見分けがつかない。

 声と体型も変えられないので、化けきることは無理だが。

 

「本当の顔って、口元だけなんでしょ? いつもの顔のモデルとかって、いるの?」

 ルティが訊ねる。

 

「本当の顔は、こうよ。モデルはいないの。なんかいろいろ作ってるうちにこれに落ち着いたって言うか、ね」

 いきなり目と鼻を消し、口だけにする。

 

「!!」

 聞いてはいても、やはり驚いてしまう。

 すぐに元に戻し、大笑いするティア。

 朝っぱらから、他の部屋には大迷惑だ。

 

 

 ティアラを渡した翌日から、以前とは打って変わって仕事を真面目に探すアービィだった。

 護衛の仕事があればいいのだが、駅馬車が発達しているラシアスでは、あまり護衛の需要がないらしい。

 ラシアスの国軍が、訓練を兼ねて駅馬車の護衛についているためだ。

 ほとんどの駅馬車路線が国営の交通機関であるため、国の威信に賭けてこれを護衛している。

 民間路線もあるが、こちらも同じように護衛していた。

 駅馬車路線は、物流、人的交流の大動脈だ。

 

 路線の維持には膨大な予算を必要とするため、全てを国が賄うには無理がある。

 ある程度税を優遇することで、民間資本の呼び込みをしていた。

 しかし、道路だけ用意して後は任せた、というわけにも行かず、安全性に差が出ては民間路線の占有率が下がる。

 そうなれば国庫の負担が増えるばかりなので、多少の無理は承知で両者を平等に護衛しているのだった。

 

 一部の高級貴族がチャーター便を利用することはあるが、ほとんどの貴族と平民は一般路線を利用している。

 貴族と平民が同じ馬車に乗り合わせ移動しているためか、両者の距離は他の三国に比べ親しいといえる。

 

 実は、この両者の距離感が、国難に対し一丸となれる国民性を育てたと言えるし、国難が両者の距離を縮めているともいえるだろう。

 最近では北の民の圧力が増し、護衛に割ける人数も減ってしまっている。

 だが、駅馬車の便数を減らす代わりに、一度に運行する台数を増やして輸送能力は確保した上で、護衛に必要な人員を三分の二まで削減することに成功している。

 訓練を積んでいない兵は戦場で役に立たない、と考える高級将校の意向も大きく影響していた。

 

 

 ベルテロイでの仕事探しを早々に諦め、アービィたちはベルテロイから半日の行程の、ラシアスの玄関口の町フロローに移動することにした。

 フロローの町の中心には駅馬車のターミナルがあり、人々の活気に賑わっていた。

 駅馬車は、どこの町へ行くにも朝出発する。

 以前は、昼出発の便もあったのだが、現在は中止されていた。

 

 窓口で値段を尋ねると、グラザナイまでは一人銀貨一枚だと言われた。

 翌日発のチケットを三人分購入し、ギルドの場所を聞く。

 

 ギルドに着いて三人は依頼リストを眺めるが、これといって効率の良い仕事が見つからない。

 仕方なく宿を取り、翌日の出発に備え早く寝ることにした。

 

 宿で仕入れたラシアスに関する情報の中で、ルティを喜ばせたものは温泉に関することだった。

 ビースマックほど峻険な山岳地帯はないが、ラシアス全体にいくつかの山脈が走っている。

 造山活動が活発な地域のせいか、国全体に火山が多く、温泉が点在していた。

 

 駅馬車の駅の多くが、この温泉地に設置されているのだ。

 それは過酷な仕事に就く御者や護衛の保養にもなり、温泉目的の客も呼べるという戦略でそうされているのだが、普通に移動する客にとっても良い息抜きになっている。

 

 駅馬車は、出発すると昼食休憩までは走りっぱなしになり、昼食を駅で摂ったらまた夕方到着する次の駅まで止まらない。

 もちろん、用を足す場合は随時停車するが、一日中馬車に揺られ続けることは、かなりの疲労を伴う。

 

 まだサスペンションなどというものは発明されておらず、木の板に薄いクッションを敷くのが精々だ。

 ほとんど身動きもできず、一日揺られた身体に、温泉の疲労回復効果は何よりもありがたいだろう。

 

 早朝、馬車はフロローの駅を出発し、グラザナイを目指し走り出した。

 グラザナイまでの道のりは、二十八駅あり、十四泊の行程だ。

 直線距離だけで見れば、ふつうに歩いて十日程の行程に見えるが、途中に山脈が走り、高低差が大きいうえに、ゆるやかな遠回りを余儀なくされる。

 水の確保の点からも川筋を辿らねばならず、長期間の行程にならざるを得ない。

 

 

 馬車の中には、老若男女様々な人が乗っている。

 巡礼者が最も多いが、路線を乗り継ぎや、王都を飛ばして先を急ぐ商人など、目的も様々だ。

 

 穏やかな目つき、敏い目つき、暗い目つき、鋭い目つきと、人柄も多様だ。

 不思議な連帯感が、日常生活ではまず親しくならないであろう性格の者同士に、親近感を抱かせていた。

 私生活では荒事を生業としている雰囲気を纏った者であっても、多数の兵士に囲まれている馬車の中で狼藉を働く気になるわけもなく、気怠い雰囲気の中に身を委ねている。

 

 馬車に同乗した何人かとは、すぐに親しくなり、何泊かする内には全員と言葉を交わすようになっていた。

 それでも長い間同じ狭い空間、同じ宿に泊まっている内、話す内容がなくなってしまったことは仕方がない。

 

 馬車の中は沈黙が支配し、駅ごとに交代する御者は最初のうちこそ雰囲気を変えようと努力するが、それでもすぐに誰も話さなくなってしまう。

 御者にとってみれば、それはいつものことなので別に気にすることではないし、雰囲気が重いわけでもない。

 珍しい光景や美しい風景に行き合えば、御者に限らず誰彼なく気付いた者が皆に教え、それについて知識のある者が語ってみたりと、それなりに楽しんでいる。

 

 アービィとルティは、長い付き合いの内にお互いの沈黙との付き合い方も身に付けていた。

 なにしろ相手がいればそれで満足なのだ。

 一日何も話さずいても、何の不満もない。

 当初ティアは喧嘩でもしたのかと心配したが、二人にとっては当たり前のことだと気付き、不思議な感覚にとらわれていた。

 それでも今は沈黙が人間関係の潤滑油になるということに、馬車の旅の途中で理解できた。

 

 

 平均的な駅がある集落は、駅の設置に伴って維持整備のために必要なものを集めた結果できあがった所が多い。

 駅を中心に宿や商店が設置され、厩舎や馬車の整備施設、駐車場、駐屯する兵のための兵舎や、いくつかおきに設置された大きな駅であれば慰安施設が並ぶ。

 兵士用の施設であっても、機密事項に関わる場所でなければ、一般客の利用も可能だ。

 

 何れのほとんどが国営であり、営利を目的としないため、安価に利用することができる。

 もちろん、アービィには慰安所への接近禁止令が、ルティより厳しく申し渡されていた。言うまでもなく彼に行く気はないし、彼女も心配などしていないが。

 

 

 馬車の中での会話はなくとも、一日の終わりに宿の浴場や酒場で行き合えば、その日の出来事や見た光景などについての会話が行われる。

 火山が生み出す温泉が売りの駅馬車であるから、宿の作りに比べ浴場が立派である。

 アービィたちも凝り固まった筋肉を解すため、温泉を楽しみにしていた。

 

 十泊目の宿の浴場で、穏やかな目つきの締まった身体を持つ男がアービィに話しかけてきたことがあった。

 アービィは、以前レイに話したように、巡礼に合わせて両親と故郷を探している、といったことを話した。

 

 男はレイと同じように、痣が手掛かりになるやもしれぬ、と言った。

 その際の男の視線が鋭くなったことは、背を向けていたアービィが気付くはずもなかった。

 

 翌朝、アービィたちが乗る馬車が駅を出発する前に、アルギールに向けて早馬が走り去っていた。

 そしてフロローに到着する前日、宿の裏の用水路で、酒の匂いをたっぷり纏った男の死体が発見された。

 駐屯する軍医の検視により、酒によって用水路に落ちた挙句の溺死と判断され、近くの無縁墓地に葬られた。

 グラナザイまでの間にあったトラブルはこの死亡事故だけで、この世界においては比較的穏やかな旅だった。

 

 

 老境の始めに足を踏み入れた男が三人と、うら若い気品漂う女性が一人、ラシアス王宮の一室に集まっていた。

 

「ヘルフェリー、もう十年の月日が無為に流れています。そろそろ、見切り時ではないのですか? いつまでも、希望的観測だけで民の税や軍を割くわけには行かなくなっているのです」

 白髪の男の一人に女性が問う。

 

「ニムファ様、未だ勇者をこの手にできぬことは、この宮廷魔術師の責任にございます。いい加減我が騎士団も、成果の宛てのない憲兵の真似事を続けるにも限界がございます。そろそろ、この男に責任を取らせるべきかと」

 その問いにはヘルフェリーと呼ばれた男とは別の、栗色の髪をした男が、彼を指さして問いで返す。

 

「騎士団長殿、それはつまり、摂政殿下に責任があるとおっしゃりたいか?」

 摂政ニムファ・ミクランサ・ミリオフィラム・ネツォフ・グランデュローサ第一王女が答える前に、もう一人の白髪混じりの男が口を挟む。

 騎士団長と呼ばれた男は、慌てて首を横に振る。

 

「コリンボーサ宰相殿、滅相もない。摂政殿下になんの責任がございましょうか。ただ、私は騎士団にも限界がございますと申し上げたいだけで……」

 言い争いになろうとしたとき、ニムファが口を開いた。

 

「いいえ、私の責任でもあります。しかし、この国難を救い、ラシアスを南大陸一の地位に引き上げるためには……いえ、南大陸を統一し、かつての大帝国の後を継ぐためには、必要不可欠なのです。もう少し、捜索を続けましょう。これは国是として行っていただきます」

 一度は自ら見切り時と言ったにも拘らず、勇者を求める心は揺れ動いていた。

 

「このドーントレッド、宮廷魔術師の名に賭けて、命に代えましても、勇者を見つけ出しましょう。つきましては、暫くのお暇をいただきたいと存じます」

 最高権力者の一言に、逆らえる者はいない。

 王女の期待を一身に受け、膨大な国家予算をつぎ込んで敢行した勇者召喚の責任者、宮廷魔術師ヘルフェリー・ラトナギリ・は、決意を述べた。

 彼は、この十年の間、針の筵に座るような毎日を過ごしてきた。

 

 北の大地の奥深く、北の民すら住まない秘境に、世界を滅ぼす大魔王が降臨したとの神託を受けた当時十歳の王女に相談された。

 彼は、北の大地で使われている呪文を研究し、異世界より勇者を召喚するための方法を探求し、三年の月日の後に、勇者召喚の呪法を敢行したのだった。

 

 が、異世界とこの世界をつなぐ闇の道の中が開き、その中に勇者と思しき男の影が見えた瞬間、闇の道は閉ざされ、男の影は消滅した。

 しかし、王宮の魔術の間の床に刻み込んだ魔法陣の中心には、男がいた国の略称と思われる文字のような記号が浮き上がり、それから発した光は確かに男を捕らえていた。

 

 闇の道が消えた後も記号からの光は衰えず、天井の板にはその記号が焼き付けられていた。

 記号からの光は、木材を焼くほどの熱エネルギーを発していたのだ。

 

 このことから、男の身体のどこかに同じ文字が焼印として残っているはずと考えた彼は、闇の中に垣間見えた男の特徴、つまり黒髪に黒い瞳をした十代後半から二十代前半の男を捜すように、王女に縋りついた。

 各国に回された依頼書には、文字という確信がなかったため、天井に焼き付けられた記号を模写した絵が添付されていた。

 その絵は、漢字の「日」という文字とよく似ていた。

 彼は自室に戻り、身の回りの世話をする小姓を一人伴った後、いずこへともなく姿を消した。

 

 

 ドーンレッドが決死の思いで旅立ちを決意した日の前日、宰相マクランド・シアメンス・コリンボーサは二通の報告書に目を通していた。

 一通は各地に散らしていた間諜からの報告書。

 もう一通は、グラザナイから一日の行程にある名もない馬車駅に駐屯する軍医が書いた、その間諜の死亡診断書だった。

 

 間諜からの報告書には、「日」の刻印のある男を発見した、との報告があった。

 しかし、年代は十代後半、髪と瞳の色は灰色と記されていた。

 軍医からの死亡診断書には、酒に酔った上で用水路に落ちての溺死、という表向きの報告と、頚骨を折られての即死で肺から水は検出されず、という宰相向けの報告が記されている。

 

 刻印の確認が遅くなったのは構わない。狙っていたわけではないからだ。

 早馬が王宮に到着し、折り返しの指示は馬車に追いつかないため、グラザナイでその男の確保を命ずる予定であった。

 その命令が届く前、ギリギリのところで間諜は消された。

 男の風貌は、十代後半、灰色の髪と瞳というだけで、これに該当する人物は掃いて捨てるほどいる。

 

 当人が消したのか、それともどこかの国が気付き、男を確保するために消したのかは不明だ。

 しかし、この男を手中にしておけば、摂政への忠誠心をアピールし、国内で自らの立場を強くするにはいい道具になるだろう。

 他の二人を出し抜き、権力を一身に集めるには欠かせない道具だ。

 

 いかに王家の血筋とはいえ、彼から見れば二十三歳の王女など、まだ小娘でしかない。

 せいぜい権力の後ろ盾になってもらい、思い通りにやらせてもらおう。

 

 彼は、再度グラザナイにいる間諜への男の確保、他国の間諜の排除を記した命令書を書き始めた。

 うっかり手荒な真似をされて敵に回しても後が面倒なので、限りなく紳士的に、と付け加えた。

 

 

 騎士団長クレナルト・エキナ・ラルンクルスは、焦燥感にさいなまれていた。

 無能が服を着て歩いているような軍務卿カルダミ・アラグアイア・ディテイプリスと、摂政殿下に振り回された毎日。

 権力欲だけで生きているような軍務卿は、ラシアス国軍を私兵のように扱い、気分次第で命令を出していた。

 

 先代の軍務卿、エキノドルス・ホレマニー・ディテイプリス卿は、息子と違い有能で、クレナルトは人に仕える喜びを感じるほどだった。

 貴族政治の欠点である世襲制の弊害が、見事な形で具現化した現在では、クレナルトは摂政から直接命令を受けるようになっている。

 

 誰がどう見ても理屈に合わない命令の連発で、ウジェチ・スグタ要塞を壊滅の危機に陥れたカルダミ軍務卿は、責任を現地で戦死した歴戦の勇将リルバーシー・サンタレッデに押し付け保身を図った。

 しかし、サンタレッデ共々討ち死にしたと思われていた副将の帰還により、彼の保身は崩れ、現在は名前だけの軍務卿として、蟄居させられていた。

 

 このため、軍の実権は騎士団長のクレナルトに集中し、彼はウジェチ・スグタ要塞の建て直しに全力を挙げていた。

 今回の他国への兵力供出の依頼は、この建て直しの一環として行われたものであった。

 

 現在指揮官不在の要塞に、新たに指揮官も送り込まねばならない。

 もしサンタレッデ将軍が存命ならば、彼は侯爵でもあったので、他国からどのような現場指揮官が来ても問題はなかっただろう。

 国政の中枢を担う公爵や侯爵が出てくるはずはなく、精々子爵程度なはずだからだ。

 

 しかし、サンタレッデ侯爵亡き今、これに代わる将軍は騎士階級にしかおらず、誰が行っても連合軍の指揮権は他国に移ってしまう。

 伯爵クラスまでは、そうそう持ち場を離れるわけも行かず、子爵クラスを出すか、誰か現場を放り出させてまで行かせるか、その人選が難航している。

 

 ディテイプリス卿の息子、カラディリア子爵が、この指揮官の座を狙っているとの噂もある。

 祖父に似ていない父親にさらに輪をかけた無能者。

 権力欲だけに目が眩んだ俗物。

 ろくな噂を聞かないこの人物は、父親の失脚を自らの好機と捉え、その先にある軍務卿の座までも狙っていた。

 

 もう間もなく各国から派遣軍が来てしまうので、この仕事は愁眉の急だ。

 今にも北の民が攻め込んでくるかもしれないのだ。彼は、焦っていた。

 

 その最中に、摂政殿下は、まだ勇者などと夢を見ておられる。

 現実に『力』を有する彼には、勇者などという幻想に国運を賭けるほどの夢想主義者ではなかった。

 この機会に目を覚ましていただきたい。

 彼はそう願わずに入られなかった。

 

 

 グラナザイに入ったアービィたちは、火の神殿で精霊と契約し、それぞれがレベル1の火の黒魔法『火球』とレベル2の『大炎』、レベル1の火の白魔法『解毒』とレベル2の『解痺』が使用可能になった。

 ギルトに入り仕事を探すが、産業はほぼ商業のみで軍が経済まで握っている国では、討伐や護衛の効率のいい仕事は見つからない。

 

「これはウジェチ・スグタ要塞や、アルギールにいっても同じかなぁ?」

 やたらと甲冑が目立つ町の酒場で、アービィは二人に愚痴をこぼす。

 

「そうねぇ…、この国の用事も済んだし、ビースマックに行こうか?」

 ルティが同意した。

 

「ギルドにある仕事って、義勇軍の募集ばっかりで、他にあるかと思うと諸侯軍だもん」

 ティアも首肯する。

 

「とりあえずさ、明日もう一度見て、それで何もなかったら、ビースマックに行こうか。で、大回りでアルギールを通っていくか、ベルテロイに戻ってビースマック街道を通っていくか、なんだけどさ、どっちがいい?」

 アービィは、今のこの国に見切りを付けた。

 北の民の脅威が大きいこの地に、安住の地が見つかるとも思えない。

 

 連合軍の遠征の成果を見てから、もう一度この国に来ても遅くはないと思う。

 ティアにとっても、それは同じようなことなので、早々に出立することに同意した。

 

 答えが出ないまま馬車のターミナルに行くと、アルギール周りでビースマックの国境までは、銀貨二枚らしい。

 散々悩んで、アルギール周りで行くことにする。

 もしかしたら、途中で生活費の足しになるような仕事が、あるかもしれないからだ。

 

 翌朝、馬車に乗り込むと、フロローから一緒だった商人と、まだ同行することになった。

 

「おや、奇遇ですね、またよろしくお願いしますよ」

 物腰も柔らかく挨拶する商人。

 話すようになったのは、グラナザイ到着寸前だったので、名前を聞きそびれていた。

 なぜか宿も同じだったのだが、いつも忙しそうに荷物の整理をしていたため、声を掛ける機会も少なかった。

 

「ええ、こちらこそ、よろしくお願いします。そういえば、お名前も伺ってませんでしたよね? あたしは、ルティ。こっちがアービィで、こちらがティアです」

 フルネームを言うと、またティアにからかわれそうなので、やめておく。

 

「ご丁寧にありがとうございます。私はハイスティとお呼びください。しかし、この国は商売のやりづらいところですな。なかなか日用品や装飾品が売れない。王都へ行けば、少しはましかと思いましてな、こうしているわけです」

 こちらも名乗り、以前よりは話しやすい雰囲気になってきた。

 

 長い道中だ、楽しいほうがいいですよ、とハイスティが言い、馬車の旅がまた始まろうとしていた。



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第26話

 「ねぇ、ルティ、なんでさぁ、ハイスティさんに自己紹介したとき、フルネームじゃなかったの?」

 アルギールへの道中で泊まった宿の一室で、ティアが訊ねた。

 

「だってさぁ、たいがいご夫婦って聞いてくれるのに……きゃはっ。アービィがすぐ姉弟って言っちゃうでしょ? そのときのティアの視線が痛いのよ……」

 それにアービィとティアが恋人みたいに見えちゃうじゃない、と心の中で叫ぶ。

 

「きゃはっ、じゃないわよ……。アービィはまるっきり、その気ないわけじゃないんでしょ?」

 呆れたような、小莫迦にしたような視線をルティに投げかけ、ティアがさらに訊ねる。

 

「そう思うんだけどねぇ……姉弟として育ったのも事実だしね。照れくさがってるだけなんだと思いたいのよ、あたしとしては」

 キスまでは行きそうなのに、アービィの獣化に何度も阻まれている。

 

「一回やっちゃえば、あとは平気だとおもうよ、あたしは」

 ティアの言葉にルティは、その一回がたどり着けないの、と呟いた。

 

 

「ねぇ、ティア。ラミアの妖術って、どんなのがあるの?」

 突然話題を変えたルティに、首を傾げつつ律儀にティアが答える

 

「う~んと、ね、幾つかあるわ。まずは見てもらった『変身』と、相手を籠絡っていうのかな、虜っていうのか、要はヤりたい気分にさせちゃう『誘惑』。それから強制的に寝かせちゃう『催眠』でしょ。あとは、何回でもヤれちゃう『持続』かな」

 聞いているうちに、ルティの顔が赤くなってくる。

 ルティも年頃の娘なりに、性への興味はあるし、村の同性の友達からも情報は入ってきた。

 近い年でも結婚している友達もいたので、知り合いの生々しい話を聞く機会も何度もあった。

 

 その度にアービィとは、どこまでいっているのか聞かれるのが定番だった。

 周りもいつも顔を真っ赤にして逃げるルティが面白くて、多少誇張して話していたが、概ねルティの性に関する認識は間違ってはいない。

 

「じゃあさ、『催眠』掛けてから『誘惑』って重ねられる?」

 

「どうしたの、ルティ? そんなこと聞いて……?まぁ、場合によっては『催眠』が効き過ぎちゃって、『誘惑』の効果が先に切れちゃうこともあるけど、できるわよ。『催眠』の掛かりが浅いと……却って『誘惑』が掛かりやすいみたいね」

 ルティの意図を悟ったか、できる範囲で望む答えを返す。

 

「そう……じゃあ、『催眠』でうとうとさせてから『誘惑』掛けて……でふつうに起こせば『誘惑』の効果だけが……あんなこととか……こんな……」

 

「ちょっ……ルティ、目が据わって……何考え……? へんな笑い声漏れてるしっ!!」

 まずい、あんまり期待持たせちゃいけない。あ、妄想の世界にいっちゃってる……

 

「その上でさ、『持続』なんか使っちゃったら……きゃっ」

 引き戻さないと……

 

「ルティ、ルティっ!! 帰っておいでっ 涎……涎拭いてっ!!」

 ティアの言葉に、我に帰る。

 

「はっ……あの……聞かなかったことに……して、ね? ……。……。……でも……あたしにも『持続』を……」

 妄想と願望が入り交じり、ルティは混乱しきっている。

 

「ルティ~! どうしちゃったの~!?」

 

「はっ!? ……ぎゃぁぁぁっ!! 忘れてっ! なんでもないわっ!! 今のあたしは、あたしじゃない~!!」

 部屋の外では、酒瓶を抱えたアービィが固まっていた。

 

「あのね、盛り上がってるところで申し訳ないんだけど……あたしの妖術くらいじゃ、アービィには効かないよ?そもそもあの狼に効く精神妖術なんかないって」

 額をテーブルに打ち付けるほど、一気に落ち込むルティにティアは大笑いした。可愛い子ね、こっちに『誘惑』かけちゃいたいくらいだわ。

 

 

 アルギールまでは、天候が崩れやすい道程のため、7~10日の行程だ。

 四日ほどは順調だったが、昨日からの雨で地盤が弛み、今日は昼に止まった駅でそのまま足止めになっている。

 

 今頃はこの駅とひとつ先の駅から駐屯部隊の工兵が派遣され、雨の中危険な補強工事を行っているはずだ。

 馬車の客にできることは当然なく、それぞれが温泉や酒、睡眠と思い思いのときを過ごしている。

 明日からは崩れかけた場所を通ることも増え、余計な緊張を強いられるのであるなら、今のうちに休んでおこうというのが、皆の考えだった。

 

 宿は銅貨15枚と安いし、足止めに対する補償も含め三食付きになっている。

 幸い温泉を併設していたので、入浴も無料だ。

 

 アービィは、食事の合間に浴場へ行っていた。

 なにか血が騒ぐというか、入り浸りたくなるなにかがあるのだ。

 

 この日三度目の入浴時、まだ陽は高い時間だが、どんよりと曇った空が気だるい気分にさせてくれる。

 ゆったりと湯船に浸かっていると、湯気の向こうに入ってくる人影が見えた。

 

「ハイスティさん?」

 

「ああ、アービィさんでしたか。ご一緒させてもらいますよ……」

 身体を流し、湯船に浸かる。

 

 平均的身長に、平均以上の腹周りを持つこの商人は、穏やかな性格だが、目つきは時折鋭いものに変化することがある。

 太っているように見える身体だが、こうしてみると脂肪の下には、鍛え込まれた筋肉の鎧が隠されているのが分かる。

 

 アービィは、この大陸を股に掛ける商人から、世界情勢を聞くのが楽しかった。

 インダミトにも長くいたらしく、ラガロシフォンのことも耳にしていたようだ。

 商売の良い機会がありそうだから注意しています、と言われ、アーガスが居なくなったという情報は、既に得ているようだ。

 

 アービィは、ふと、背中の痣について話してみた。

 なにか知っているのでは、と思ったのだ。

 もちろん、真相までを期待したわけではなく、噂話にでも聞いたことがないかと思ってのことだった。

 しかし、この世界を渡り歩く男でも、残念ながら寡聞にして聞きませんな、との答えだった。

 

 行く先々で気にしてみましょう、とのことだが、それをどうやって報せてくれるんだろう、とアービィは不思議に思った。

 そんな気持ちを知ってか知らずか、ハイスティは、いずれ何か大きな手掛かりが向こうから寄ってきますよ、と慰めるように言って、お先にと上がっていった。

 

 

 脱衣所で身体を冷ましていると、後から出てきた男が、痣のことを聞いてくる。

 珍しいですね、と声を掛けてきた男には、あまり詳しくは話さなかった。

 フロローから一緒だった男に詳しく話したら、後日事故に遭い亡くっていたので、なんとなくはばかられるものがあったからだ。

 

 何かご存知のことでも、と訊ねてはみたが、興味本意で申し訳ないと返されただけだった。

 まだ脱衣所にいたハイスティが、足止めについて話し始め、話題を変えた。

 彼もそのことは知っているので、さり気なく話題をずらしてくれたのだろう。

 

 それから三人は天候への愚痴や八つ当たりとしか取れないようなことを話ながら、浴場をあとにした。

 ハイスティは二人を慰安施設に誘うが、アービィはまだ命が惜しいと言って笑われ、もう一人の男は家族連れですのでと言って断り、それぞれに分かれていった。

 

 

 その頃女湯ではルティたちが、同世代の娘とその母親の二人連れに、アービィをネタにからかわれていた。

 ルティから、アービィの両親のことや痣のことを聞いたときには、母親の方が涙ぐみ、アンタがしっかり支えてやりなさいよ、奥さん、と言われ、ルティはのぼせて倒れるんじゃないかとティアが心配するほど、浮かれていた。

 

 翌日、天候も回復し、馬車は走り出す。

 アービィたちは、ハイスティとの雑談に興じている。

 昨日痣のことを聞いてきた男は、妻とルティたちと同世代の娘を連れており、行き合った時には男性同士、女性同士はそれぞれに目礼し合っていた。

 

 

 アービィたちがグラナザイに到着した頃、インダミト王国エーンベア城では、出征式が行われていた。

 ラシアスに仇成し、大陸を脅かす、不逞の北の民を討ち鎮めるため、大陸を縦断する勇士たちを見送る式だ。

 

 義勇軍約五千に諸侯軍約一万五千の大軍を指揮する財務卿ハイグロフィラ公爵子息ランケオラータ・アンガルーシー子爵に、指揮杖がバイアブランカ王より手渡される。

 四カ国の基本戦略は、大陸の防衛である。

 インダミト派遣軍は要塞に展開し、多国籍軍を形成。

 緊密な連携を以て、侵攻を試みる北の民撃退の任に当たる。

 現地での総指揮はラシアスの将に譲るが、各国軍への直接の指揮権は、それぞれの各国指揮官が保持している。

 派遣軍に向け、出陣の演説を行うランケオラータを、アーガストル・ラガロシフォン子爵は、兵列の中から暗い目で眺めていた。

 

 アーガスは、エーンベア到着後十日ほどは、おとなしくパストリス侯爵に付き従っていた。

 パストリス侯は厳しくも丁寧に旧友の息子を指導していたが、父以外に厳しくされたことのないアーガスには、虐めとしか感じられなかった。

 

 アーガスは、財務を修める気などさらさらなく、自分は優れた将であり、この度の戦で功を挙げ、父の鼻を開かしてやるものと決めていた。

 パストリス侯爵の元で政務に励む振りをして、軍の有力者への付け届けを繰り返し、一部隊を預けられ一端の指揮官になることに成功した。

 

 本来であれば、あの演説は自分がしていたはずなのに、なぜ父は自分を推薦しなかったのだろう、父の目は曇ったのかと考えている。

 現地に着けば、妹婿など顎でこき使ってやろう。

 旧知のストラー貴族たちと共に、貴族の振る舞いとはどんなものか、教育してやる。

 自分にはその力量がある。アーガスは信じて疑わなかった。

 各国でも様々な思惑を秘め、派遣軍は要塞を目指し進軍を開始した。

 

 

 アルギールは、要塞から南にベルテロイまで国内を最短で結ぶ縦貫街道から、東に外れた位置にある。

 これは、北の民の侵攻が直接王都を脅かさないためで、かなり不便であるがやむを得ない措置だ。

 

 フロローから一旦北東に走るラシアス街道は、緩やかに大きくS字を描いていた。

 フロローからアルギールを経由し、グラザナイへと達したあとは西に大きく進んでまた東に戻り要塞へと到達する。

 国内にはたいした産業はなく、対外貿易は完全な赤字であるが、北の民の脅威を防ぐ「盾」代として、各国の援助や長期の借款という形で穴埋めがなされていた。

 

 王都も各国から輸入された商品が溢れかえるが、ラシアスならでは、というものがあまり作り出せなかった。

 農産品は各国同様に特定の偏りを見せ、他国より水産品は多いものの、加工品や工業製品に特色がない。

 

 それでも庶民の暮らしに不自由があるわけではないので、大きな問題ではない。

 今のところ町は平穏で、庶民の生活には活気があった。

 

 

 アービィたちがアルギールに到着する頃、各国の派遣軍はベルテロイを通過し、フロローからグラザナイを目指す途中だった。

 グラザナイで火の神殿に戦勝祈願の礼拝をすると共に、摂政ニムファ第一王女御前にて観兵式を行い、要塞へと進軍する予定だ。

 

 アービィたちと入れ違いにアルギールを出立したニムファは、ドーントレッドがどこへ行ったのか、宛てがあっての行動なのかが、気になっていた。

 権力闘争や権謀術数渦巻く王宮内で、彼女が唯一心を開ける臣下であった。

 騎士団長ラルンクルスは、実直で誠実な男であり、信頼感も抜群ではあるが、考え方が堅すぎる。

 あまりにも全てに正攻法で当たるため、敵も多いし、謀にはまるで向いていない。

 

 宰相コリンボーサは、自分を権力の後ろ盾としか考えておらず、互いの利害が一致すれば心強い味方であるが、いつ裏切られるか分かったものではない。

 グラナザイに行く間、王都がドーントレット不在であることに、ニムファは言いようのない不安を覚えていた。

 

 

 アルギールに到着したアービィたちは、ターミナル近くの宿に荷を降ろした。

 ハイスティは、商品の売り込みに忙しいようで姿を見せない。

 アービィたちはギルドへ行き、仕事を探すことにした。

 さすがに路銀が心許なくなり、多少は妥協して仕事を探すことにした。

 まだ貯えに余裕はあるのだが、ビースマックまでの道中でなにがあるか分からないからだ。

 駅馬車のチケットは、乗り換え地点に限らず空きさえあれば、便を替えることは可能だった。

 

 彼らが見つけられた仕事は、貴族の屋敷の警護と、飲食店、物販店の売り子だった。

 アービィが警護へ、ルティとティアはそれぞれ飲食の売り子へと散った。

 

 下級貴族の屋敷の入り口で、日がな一日中立っているだけの暇な仕事だが、それでも銀貨一枚は魅力だ。

 アービィは、退屈と戦うことにした。

 

 ルティとティアは、町中にある食堂のウエイトレスに応募し、採用されていた。

 酒も扱う店だし、日中から飲むことは別段おかしくないこの世界では、多少なりとも腕に覚えのある女でないと、ウエイトレスは務まらない。

 

 やはり、給金は一日銀貨一枚。危険料込みなのだろう。

 店の制服に袖を通し、アービィが昼休みに来ないかな、と思うルティだった。

 ティアは、同じ店の露天店舗での軽食販売に就いていた。

 

 

 五日間、慣れない仕事で稼いだ金を、無駄遣いする気にならなかった三人は、珍しく宿の部屋で飲んでいた。

 話題はそれぞれの店に来た客の話で、馬車で一緒だった親子連れが、偶然にもルティとティアの両方の店に来たということだった。

 ハイスティも偶然同じ宿になっていたのだが、まだ営業回りをしているのか、姿を見ない。

 ビースマックに向けて出立するため、明日で仕事を切り上げようと決めた三人は、ハイスティに挨拶くらいできないものかと話していた。

 

 翌日、アービィとティアは仕事を終わることを雇い主に了承されたが、ルティはもう一日やって欲しいと懇願されていた。

 その日から戻ってくるはずだった女の子が、急病で伏せってしまったらしい。

 状況を理解できるだけに、ルティは断りきれず、横にいたティアも強いことは言えなかった。

 結局ティアがアービィに伝えに行き、ルティは仕事に残ることに、二人は宿で待機ということにする。

 

 

 ルティを送り出した後、やることがない二人は街に出てみることにした。

 二人並んで歩く町並みは平和で、北の脅威に面した国の王都とは思えない穏やかさだった。

 

 魔獣二匹が人化して、誰にも疑われることなく町中を歩く。

 アービィとティアには他の魔獣の気配が分かるということは、他の魔獣にも二人の気配は分かるということだ。

 だが、二人とも他の気配を感じることもなく、街を歩いている。

 完全に人に溶け込んでいた。

 

 無性に嬉しくなったアービィは、ティアと一緒に過ごせるこの時間が、とても大切なものに思えた。

 ティアが、練習してみる? と言って絡ませてきた腕を、照れることなく受け入れられたのは、そのせいだったかもしれない。

 

 そのまま二人が寄り添って歩いていると、背後に不穏な気配を感じた。

 気配の正体に気付いた二人が、壊れた玩具の人形のように振り向くと、そこには荷物を取り落とし、こちらを指さしながら涙ぐむルティが立ち尽くしている。

 その後暫らくは、取り乱すルティ、慰めるティア、どうしていいか解らずうろうろするアービィの姿が見られたとか。

 

 

 そしてその夜、宿の廊下では、正座させられているアービィとティアの姿が見られた。らしい。



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第27話

 修羅場の後、すっかり拗ねてしまったルティの機嫌を直すため、翌日丸一日中の買い物に付き合わされ、アービィは疲れ果てていた。

 その間、反省の意味を込めて、ティアは宿に謹慎という形でアービィとルティをくっつけ、のんびりと一日を過ごしている。

 アービィは、ルティが仲間外れにされたことに拗ねていると思いこんでいたので、話はさらにややこしくなっていた。

 ルティも、照れくささからはっきり言えなかったので、いつの間にかそういうことになってしまい、どちらもティアを苦笑させることになった。

 

 

 予定よりさらに一日遅れでビースマックへ向かう三人に、声を掛ける者がいた。

 

「おや、これは奇遇だ。二度ならず三度とは、何かしらの縁がありますかな?」

 ターミナルでハイスティが親しげに話しかけてくる。

 王都で合う機会はほとんどなかったが、偶然またビースマックへの行程を一緒に過ごすことになった。

 

 馬車の中では王都であったことを、互いに話す。

 ハイスティもあまり商売にならず、これ以上いたとしても小銭稼ぎにしかならないとみていた。

 滞在費と交通費を考えると利益にはならないので、この国を出ることにした、ということだった。

 

「あ、そうそう、治安も悪いですからな」

 ハイスティは、溜息をついた。

 あまりその実感はなかったアービィが聞き返すと、先日の馬車で一緒だった家族連れが、何者かに襲われ亡くなったということと、町外れで首のない死体が発見されたということを知らされた。

 

「なんで……? なんであんな……良い人たちが……っ?」

 ルティは自分を励ましてくれた気の良い母子を襲った悲劇にしばし呆然となり、悲しみに涙を堪えられなかった。

 

「これは……余計なことを言ってしまいましたかな。申し訳ない」

 心底済まなそうにハイスティが頭を下げる。

 

「いえ……ハイスティさんが……やったわけでも、悪いわけでもないんですから……頭を上げてください……」

 余程ショックだったのだろう、ルティの顔からは血の気が引き、呼吸も荒くなっていた。

 周りの客に断り、少し詰めてもらってルティを横にして寝かせる。

 

「ルティ、次の駅まで少しお休み」

 アービィはルティの手を握り、そっと髪を撫でた。

 この国に来て以来、痣のことを訊ねてきた人が二人死んだ。

 母子はアービィに直接聞いてきたわけではないから、巻き添えになったとも言える。

 

「あの話はあまりしない方が良さそうですね、見せないに越したことはないですな」

 ハイスティも同じことを考えたのか、暗い目になったアービィに耳打ちする。

 アービィも同じことを考えていたので、肯くしかなかった。僕は不幸を運んでるの?

 

 

 コリンボーサ宰相は、焦燥感に苛まれていた。

 短期間に、国内に放ってあった宰相直属の密偵が、既に八名消されている。

 どこかの国が「勇者」に気付き、腕利きを送り込んでいるようだ。

 

 灰色の髪と瞳の若者の情報は、グラザナイ以降途絶えたままだ。

 おそらく、消された密偵は近くにいたはずだから、若者は王都にいたのだろうが、コリンボーサまで情報が届いていない。

 

 彼が抱えている密偵のうち、腕利きのほとんどが北の大地に放たれている。

 国内に残った者は、少々腕の劣る者が多い。

 

 功を焦ったり、連絡が甘かったりと、不満は多いが、現状では致し方ない。

 それでも、家族を装わせて三人組で動かしていた密偵を消されたのは、痛い。

 

 それぞれが人に溶け込む技術に長けていた彼らだけでなく、彼らに付けていた腕利きの連絡係を纏めて始末されてしまった。

 若者の確保を任せていたチームが、きれいさっぱり消滅していた。

 怪しい人物の目星はついているが、彼らで手に負えないのであれば、北に潜らせた腕利きの密偵を呼び戻さなければならない。

 

 今、北からその者たちを抜くのは危険すぎる。

 コリンボーサは側に控える者に、連絡は密に、そして無理はせず些細なことでも連携を駆使し、正体を悟らせぬことを注意しろ、と命令するのが精一杯の対応だった。

 

 自らの膝元を荒らしてくれた礼は、後で利子を付けてたっぷりとしてくれよう。

 国同士の話になっても。な。

 

 

 アービィは、ハイスティから話を聞いて以来風呂を控えている。

 もちろん入浴はしているが、浴場に人の気配があれば控え、入浴中に人の気配を感じれば不自然にならないように早めにあがる。

 背中を見せないように気遣いながらの入浴は、却って気疲れを増すようになっていた。

 

 深夜、宿を抜け出し、人目を避けて山に分け入る。

 周囲を確認してから獣化し、風を巻いて山道を走る。

 なにも考えられなくなるまで、山中を走りたかった。

 

 僕は……不幸を運んでるの?

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ

 誰かを不幸になんかしたくないよ

 

 いくら走っても、思考はぐるぐる回るだけだ。

 ルティは、あれから沈んだままだ。

 ティアは、放っておくしかない、そうしてあげて、と言う。

 

 僕は……ルティを慰めることすらできない……

 このまま消えてしまいたかったが、ルティへの恋慕がそうさせなかった。

 

 僕は……ルティの側にいたいから……

 なんて自分勝手なんだ……

 

 ルティの為なんかじゃなく……

 自分の為じゃないか……

 

 獣化した彼の脚で、踏破できない山などない。

 悲しげな狼の遠吠えが、山に木霊した。

 

 

 ビースマックへの行程は順調だった。

 一度、崩れた道の補修に行き合い、一日の遅れはあったが、ほぼ予定通りに進んでいる。

 

 ルティは、数日鬱ぎ込んでいたが、今は元通りになっている。

 アービィは夜に走っているせいか、馬車の中ではうとうとしていることが多い。

 

 ルティもティアも、アービィが酒を飲まず、夜消えていることには気付いていたが、放っていた。

 二人とも、あの話を聞いて一番つらいのはアービィだと解っているからだ。

 

 ハイスティは、楽しく過ごせるはずの道中を暗いものにしてしまった罪悪感からか、三人とは距離を取っている。

 同情でも憐憫でもない視線でこちらを見るハイスティに、三人は多少の気不味さと、放っておいてくれることへの感謝の視線を送っていた。

 

 

 フロローを発った連合派遣軍は、大きな遅れもなくグラザナイまで到着していた。

 その内側には、かなり危険な問題をはらんでいるが、まだ表面化してはいない。

 

 派遣軍の中には、国という派閥とはまた別に、幾つかのグループができあがっていた。

 指揮権をラシアスが持つことに、良しとしないグループ。

 何れも良家の子息が多く、かさばるプライドと無駄な自信が、指揮権がないことに不満を抱かせていた。

 

 この戦で一旗上げてやろうともくろむグループ。

 地方貴族の子息や、男爵クラスの下級貴族が、さらに大きな領地や爵位を求め、派遣軍に参加していた。

 彼らは、今回の戦が防衛を主体としており、侵攻戦が計画されていないことに、大きな不満を抱いていた。

 悪いことに、指揮権を欲するグループの中にも防衛戦であることに不満を抱く者が多数いた。

 

 それぞれの中に幾つものグループがあり、やがてその細かいグループは離合集散を繰り返し、薄汚い陰謀と共に派閥と融合し、派遣軍の中で大きな勢力となっていった。

 ラシアスの危機をわが国の危機と同義だと考え、使命感に燃えた若い貴族や騎士たちは、そのグループがいくつかの勢力を形成する様を苦々しい思いで眺めていたが、数の力に押し負かされ、それ以上のことはできなかった。

 

 

 ランケオラータ子爵は、言いようのない不安と戦っている。

 自国軍中に戦乱を望むグループが存在することは当然掴んでいるし、その中心にアーガスがいることも解っていた。

 

 インダミト国軍の中でアーガスが行った工作に乗った愚か者のグループが、毎夜幕舎を訊ねてきては北の大地への侵攻を進言していた。

 今回の派遣の意義を説き、南の大陸には北を侵攻する意志がないこと、補給や戦線の維持の困難さを説き、その度に追い返している。

 

 しかし、アーガスがストラーの貴族たちに接近してからと言うもの、その進言攻勢がぱたりと止んでいた。

 あの名誉欲の権化が、自分の説得くらいで功を諦めるとは思えず、ストラーの侵攻勢力と結んで何かを企んでいることまでは想像に難くないが、その正体が掴めない。

 

 万が一、二ヶ国の軍から先走りをする者が多数出た場合、残る二国に合わす顔がないだけでなく、事態の収拾に残る兵を投入しなければならないかもしれないのだ。

 自軍相打つ事態だけはなんとしても防ぎたい。

 

 幕僚に命じ、アーガスやストラー貴族の周囲を探らせてはいるが他国の壁は厚く、その情報は上辺だけのものでしかなかった。

 もちろん、ストラー側でも探ってはいるのだろうが、態々自軍の恥を晒してくるほどあの国は融通の利く国ではない。

 ここはひとつ、自分が悪者になるべきか。

 彼には、まだ決断できずにいた。

 

 

 レヴァイストル伯爵は、二通の手紙を前に苦り切っている。

 一通はパストリス侯爵、もう一通は宰相ウルバケウス公爵からのものだった。

 パストリス侯爵からの手紙には、アーガスが派遣軍に参加したことと、彼の身を案ずる言葉、言外にぼんくらが消えてくれたことへの安堵を含めてだが、教育が不充分なまま手元から離れさせてしまったことへの詫びが記されている。

 

 そして、問題は宰相からの手紙だ。

 内容は、アーガスから提出された離縁状についての問い合わせだ。

 今のところ宰相がそれを止めているが、王にこの一件が知れてしまえば大ごとになってしまう。重臣の嫡男が離縁するなどという醜聞は、国の威信に関わる一大事だ。ボルビデュス領にとっても、大打撃になる可能性が高い。そして、離縁が成立してしまえばアーガスは貴族ではなくなり、指揮権どころか義勇軍の一兵士に成り下がってしまうのだ。宰相は、そのことを理解したうえでの離縁なのかと問い合わせていた。

 もちろん、レヴァイストルが認めればそれまでだが、本当にそれで良いのか、握りつぶすなら今だけだと、聞いていたのだった。

 

 彼にはアーガスの思考が読めていた。

 おそらく、馬鹿息子は派遣軍の中で戦功を挙げ、上位の爵位を得ることを目論んでいる。

 

 戦功を挙げ、より大きな領地を手に入れることで、自らを冷遇した父を見返そうとしているのだろう。

 どこで教育を違えたか、レヴァイストルは暗澹たる思いだった。

 

 アーガスに軍事の才はない。

 それ故に、パストリス侯に付けて財務を学ばせ、領地を堅実に経営させたかった。

 もちろん、財務の才とてあるとは思えないが、最低限必要なことだと思ってのことだ。

 

 それに、アーガスの持つ身体能力は、圧倒的に軍務に向いていない。

 剣の修練はさせたものの、自分に勝つ相手とは絶対に試合をやらない。

 

 そのせいか、すぐ相手が見つからなくなり、ひとりで修練する羽目になってしまった。

 幼少の頃より自分が一番でなければ、我慢ならない性格だったのだ。

 競う相手がいなければ、いつでも一番になれる。

 

 少しでも厳しい稽古を付ける師範も、すぐ解雇している。

 楽しかできない性格でもあった。

 

 そのアーガスが軍で戦功を挙げるなど、夢のまた夢であろう。

 軍師としての才は、身体能力とは関係ないのだろうが、アーガスに軍師が勤まるような知識教養はない。

 父は、その悲しい現実を知悉していた。

 レヴァイストル伯は、パストリス侯への詫び状を認めつつも、息子への対処を如何にすべきか頭を悩ませていた。

 

 

 夕刻、ビースマックの国境が近づき、馬車は最後の駅に停車する。

 ラシアスとビースマックの国境の町ソロノガルスクの中心にあるターミナルに降り立ったアービィたちは、その日は宿を取り、翌朝徒歩で町外れにある国境の関所に向かった。

 

 アービィは、表面上いつもの快活さを取り戻していたが、時折考え込んだような表情を見せることがある。

 できるだけ、痣のことに触れないようにしてはいるが、もしかしたら自分の出自に関ることで悪いことがあるのではないかと考え込ませてしまうのだ。

 

 ハイスティは馬車を降りるとすぐに、ここから先は、私の担当ではないので、と言って去って行った。

 数日はここに滞在し、商売の動向を探ってから越境するらしい。

 

「名残惜しいのですが、いつかまたお目に掛かることもあるでしょう、どうぞご無事で」

 在り来りの別れの言葉だったが、その前の商人の言葉に、ルティは何とはない不自然さを感じていた。担当?

 

 関所は両国を行き来する人々で、賑わっている。

 普段であれば、入出国審査などないに等しいと聞いていた。

 

 国内経済を国外の資源や商品に依存するラシアスで、関所の審査を必要以上に厳しくすることは、経済の首を絞めるようなものだ。

 余程の重犯罪者が逃亡したということでもなければ、ほとんどフリーパスといっていいだろう。

 

 ところがこの日は、余程のことが起きたのだろう。

 ラシアスから出る人の列は、なかなか前に進んでいない。

 

 列に並ぶ人々からは、不満の声が上がり、役人たちがそれを宥めている。

 いつもであれば、隣町に行くような気軽さで国境を越えることに慣れている人々は、役人に掴みかからんばかりの勢いで不満をぶちまけている。

 

 まさか、この程度で軍による鎮圧を依頼することもできず、宥め役を押し付けられた役人の受難は、当分終わりそうもない。

 何が原因なのか気になったティアが、並ぶ人々に声を掛け聞いて歩くが、犯罪者だの要人通過だのいろいろな説が飛び交っていた。

 

「ただね、ちょっと気になるのが、痣のある若者を探しているって話もあるのよ」

 

「ちょっとイヤね。アービィが何か言われるわね、それは。別に犯罪を犯してきたわけじゃないから、構わないんだけど……痣があるって判ったらどうする気かしら」

 ティアが聞きつけてきた話に、ルティが疑問を呈する。

 

「ここまで大掛かりに検問まがいなことしてるんだからねぇ。ひょっとしたら、王都に連行とかあるのかもね」

 ティアが言うと、アービィは悲しそうな顔になる。

 

「僕が何かしたって思われてるのかなぁ……」

 しょんぼりとしたアービィが呟く。

 もし、獣化していたら耳が伏せ、尻尾は垂れ下がっていたことだろう

 

「大丈夫よ、アービィ。あたしに任せて。これの使い道って、いろいろあるのよ」

 ティアは、荷物からティアラを取り出し、懐に忍ばせる。

 

 

 朝方から並び、太陽が真上を過ぎた頃、ようやくアービィたちの審査の順番が回ってきた。

 出国審査官は、今まで繰り返された退屈な質問を彼らに投げる。

 

 ティアは、その直前にティアラを着け、アービィとルティの陰に隠れるようにして、周りに聞こえないように小さく妖術の呪文を唱えている。

 審査官がいくつか質問をするうちにティアが前に出ると、審査官のティアを見る目が粘っこいものに変わる。

 豹変したといっていいかもしれない。

 

「通っていいですか?」

 

「まだ、質問は終わっていないが……」

 歯切れ悪く、審査官が言う。

 

「何も、問題はありません。通っていいですか?」

 ティアが審査官の額に指を伸ばし、そして再度言った。

 

「ええ……、どうぞ……なに……も……問題……は……ない……」

 アービィたちは、痣に付いて一言も質疑応答をせず、国境を通過した。

 

「ねぇ、なにやったの?」

 好奇心いっぱいの顔でルティがティアに聞く。

 

「今頃、あの審査官、あたしの裸でも思い浮かべてるんじゃない? 本当は、あのままおっぱじめちゃうための妖術なんだけどさ。ここでしちゃうわけにもいかないでしょ? それに選ぶ権利はあると思うの。で、最後に駄目押しでイメージを被せながら、ここを通してって言ってみたのよ」

 ティアは、既にティアラを外し、荷物の奥底にしまいこんでいた。

 審査官に気付かれないように『誘惑』を掛け、ティアの思い通りに誘導していたのだった。

 

「イメージって……ティアの裸?」

 

「ううん、してるところ」

 ティアの答えに、ルティが一瞬で真っ赤になった。

 

「こんなに上手くいくとは思わなかったわ」

 ティアはそう言って、笑う。男なんてこんなものよ。

 なんとなく、背筋が寒くなったアービィだった。

 

 ラシアスに大きな火種を残したまま、ビースマック最初の町エッシンフェルゲンを目指し、三人は歩き出した。



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第28話

 ビースマックに入り、最初の町エッシンフェルゲンに到着した一行は、宿を定めギルドの場所を聞いた。

 ラシアスでの旅は、ほとんど呪文を使う機会もなく終わってしまったので、ここではあまり贅沢は言わず、些細な仕事でも受けることにした。

 ギルドのドアをくぐり、依頼リストのある掲示板に目を走らせる。

 

「ルティ、これなんかどうかな?」

 アービィが一枚の依頼書を取り、二人の前に置いた。

 

 あれからアービィは、時折憂いのある表情こそ見せるものの、いつもの快活な若者に戻っていた。

 依頼書の内容は、エッシンフェルゲンの近くにある洞窟にひと月ほど前から住み着いた魔獣の討伐だった。

 

「なんでも請けようって無欲の勝利ね。いいんじゃない、これいきましょうよ」

 ルティはアービィの気が紛れるのならと、いつも以上に明るく振る舞っている。

 

 ティアに、彼を支えられるのはあなただけ、と言われたことも大いに影響している。

 そして、何者かに襲われ命を落としたという、気の良い母子連れにも言われたことだった。

 

 

 ティアは、今のところルティの明るさはいい方向に出ていると見ているが、いつルティに無理が出てくるかが心配だった。

 馬車の停車駅の宿に泊まった夜でさえ、ルティは剣の修練を休んでいない。

 ティアが見ても、その上達振りには目を見張るものがある。

 

 惜しむらくは、剣が彼女の体格と技術に合っていないことだ。

 ブロードソードは、相手を斬るよりは剣自体の重みを利用して叩き潰す武器だ。

 ルティの剣筋は、どちらかというと力で叩き潰すより、技とスピードで斬り裂く方が合っているように見える。

 

 レヴァイストル伯爵は、正統派のブロードソードの技術を指南したが、ルティは正しく基本を繰り返し鍛錬するうちに、自分に合った太刀筋を体得したようだ。

 それもアービィを支え守りたいという、彼女の強い意志の現れなのだろうと、ティアは思っていた。

 

 

 そんなことを考えつつ、ティアは差し出された依頼書に目を通し、そして絶句した。

 討伐対象として書かれた魔獣の種名は、ヒドラ。

 

 九つの頭を持つ蛇の化け物。

 真ん中の頭以外は、何度斬っても生え替わる不死の頭を持つ大蛇。

 その真ん中の頭は、剣では斬り裂けない硬度を持つ、不死に等しい。

 

 そして何より、ラミアの上位種。

 一対一であれば、どう頑張ってもティアに勝ち目はない。

 生理的に恐怖を感じてしまう相手だ。

 

「あの~、本気?」

 ティアがおずおずと言う。

 

「うん、本気」

 アービィはにっこり笑って肯く。

 退路を断つようにルティも肯いた。

 

 大きな仕事を請けるためには、手数料として元手も必要だった。

 まだ多少の余裕があるうちに、大きな元手を手にしたいという計算も働いている。

 

 しばらくテーブルに伏せていたティアが、決意したように勢いよく顔を上げた。

 よく見ると涙目になっている。

 

「わかったわ。やってあげようじゃないの。いつまでも狩られる対象でいるわけにはいかないものね。ラミ――ぅわん~っ――ぶはぁっ」

 ラミアの意地を見せてあげるわ、と叫びそうになったティアは、慌てた二人に口を塞がれ、目を白黒させていた。

 

 

 ヒドラが巣くった洞窟は、このエッシンフェルゲンの水源だった。

 この街の地下の岩盤が硬い上、水脈も深いため、町中には井戸が極端に少ない。

 さらに川は街より低い位置を流れるため、水を引くことは事実上不可能だった。

 

 洞窟の奥に湧き水があり、その泉から流れ出る水は一度地中に潜った後、大地に濾過された清浄な水となって、街の側の崖から再び地上に流れ出ている。

 流れ落ちる水を大きな器で受け、樋を使って街の各所に水道を引いているのは、技術の国の面目躍如といったところだろう。

 

 しかし、洞窟に住み着き、泉に暮らすヒドラの吐く毒に汚染された水は、大地の力を以てしても浄化しきれず、飲料水としては当然のこと、生活用水、農工業用水としても使用できなくなっていた。

 樋を外した貯水タンクからは、赤茶色に濁った水が溢れ、周囲の草木は枯れ果てていた。

 

 これまでに三組の手練れの冒険者が討伐に挑んだが、何れのチームも返り討ちに遭い五名の犠牲者を出し、生き残ったものの二度と剣を取れない身体にされた者は七名に上っていた。

 それゆえだろう、討伐の報酬は破格の金貨三枚だった。

 

 

 多少の無理をしてでも、この依頼を請けようとしたことには、当然理由がある。

 アービィもルティの太刀筋に関して、ティア同様のことを考えていた。

 

 現在ルティが使用している剣は、鋳造の大量生産品だ。

 そろそろ鍛造の、身に合った剣を持ってもいいだろう。

 

 どうせ買うならばできる限り良いものを、もし可能なら鍛冶屋にルティの体格、技術を見てもらってオーダーしたい。

 ビースマックであれば、それなりにいい剣を手に入れることは、他国より容易であろう。

 が、そのために金は惜しみたくないので、いくらでも稼いでおきたかったのだ。

 

「じゃ、今夜はさっさと飲んで、早く寝ようね。明日は夜明け前に出ようか」

 陽のあるうちから宿の一室で飲み始めた三人は、今後の予定を相談する。

 なんとなく、ティアの呑み方が自棄酒に近かったことに、アービィとルティは気付かない振りをすることにした。

 

 剣の新調に付いてルティにはまだ言っていないが、ラシアスでの生活で路銀がかなり危うくなっていることも事実だ。

 ちまちまとした依頼ばかりでは、宿代と飲食費だけに消えてしまう。

 

 土の神殿があるツェレンドルフへの旅費や、ルティの剣ばかりでなくティアの短刀やダガーも、新調したいし、アービィももう一本刀が欲しい。

 こうなると、街の周辺をうろうろしているゴブリンやリザードマン、コボルドといった小物ばかりでは、いつまでたっても必要な金が貯まらない。

 多少の危険があっても、大物狙いで行こうということになった。

 

 

 ビースマックは峻険な山が多く、人跡未踏の地域もまだ多い。 

 山から降りてくる強大な魔獣は人々の脅威となり、それがビースマック国民の職人気質と相俟って武器製造技術の発達を加速させた。

 

 他国に比べ領土の拡張や国力の伸展にそれほど意欲が見られないのは、魔獣の脅威が大きく影響している。

 くだらないプライドの張り合いや領土の奪い合いなど、魔獣から民を守ることに比べ些細なことでしかないと歴代の王は考えていた。

 

 中には自国の技術力を過信し、四ヶ国に均等に振り分けられた大陸をひとつに纏め、自国の指導の下優れた技術力を持って北に攻め入ろうと目論む貴族連中もいた。

 選民思想に染められた彼らは、自国の技術は世界一と思い上がり、一部の民をも巻き込んで政治勢力を拡大することに血道をあげている。

 

 しかし現実は、平地が少ないという国土の特色が、彼らの野望を満たすための人口という戦力を育てることを不可能にしていた。

 ビースマック王ラーゴグランテ・ウェンディロフ・リシア・ブルグンデロットや多くの貴族、民もその事実はよく理解しており、ラシアスを支えるため、農業国のストラーと連携を取り、武器防具や様々な工業製品の開発改良に励んでいる。

 

 

 陽が沈む頃にはさっさと酔い潰れた三人は、翌朝早くにエッシンフェルゲンを出た。

 昼頃には洞窟に到着し、レーションを胃に納めてからトーチに火を灯し、洞窟の中に進入する。

 曲りくねった洞窟だが、ほぼ一直線になっていて、泉まで迷うことはないと聞いていた。

 

「なんか、既視感があるんだけど、気のせいかな?」

 

「う~ん、ティアと初めて会ったとき、こんな感じで進んでたわね」

 

「じゃあさ、また口車で……」

 アービィが冗談を言うが、それを皆まで言わせずティアが叫ぶ。

 

「無理無理無理無理無理無理無理無理っ!! あんな最凶最悪の蛇、そんなの無理よっ!! あれは知性なんかないわっ!! 動くものなら何でも噛み付いてくるんだからっ!!」

 なんとなく震えているのは、気のせいではないはずだ。

 

 

 途中いくつかの側道はあるものの、全てに看板や注意書きがあり、迷うと危険な側道には入り込めないように丈夫な鉄の柵が打ち込まれている。

 奥に行くに従い瘴気が強くなるのを感じるが、ルティはともかく、狼と蛇の魔獣には何の影響もない。

 時折ルティに『回復』を掛けつつ二時間ほど進むと、赤茶色の濁り水を湛えた広い泉に行き着いた。

 

 ひとつの街の水源を賄うだけあって、そこから溢れ出す水量はかなり多い。

 が、かつては街の生活を支えた正常な水はそこになく、今は濁った水が流れ出ているだけだ。

 

 ヒドラは、その濁り水の中に、大きな背中を見せていた。

 アービィたちの気配を感じたか、ゆっくりと九本の鎌首をもたげ、三人を見下ろした。

 

 

 アービィたちは、打ち合わせどおりに行動を開始する。

 ティアは後ろに下がり、全員の持っていたトーチを岩で固定する。

 その後は『回復』、『治癒』、『解毒』に専念する。

 

 ルティは、切り落とせる首をひたすら切る。

 九本の首全ての攻撃を防げるとは思えないので、適宜呪文で回復する。

 

 アービィは、切り落とした首が生え替わらないように、切り口を『火球』で焼き払う。

 今のところレベル1の使用限界は8回なので、ミスさえしなければ足りるはずだ。

 それだけでなく、隙を見て中心の首への対処もしなければならない。

 できれば獣化せず片を付けたいが、場合によってはそうも言っていられないだろう。

 

 

 情というものを感じさせない、冷たい18の目が三人を射る。

 アービィが跳躍し、全ての首の注意を引き付け、ルティが端の首へと切り掛かる。

 

 アービィを追ってしまったために隙ができたのか、ルティは造作もなく二本の首を切り落とした。

 しかし、アービィはタイミングが合わず、『火球』を叩き込む前に新たな首が生えてしまった。

 

 着地したアービィは、呪文の詠唱こそ終わっていたが、タイミングを失い不発に終わる。

 火の玉が具現化しかけてしまったので、もう一度詠唱からやり直しだ。

 

 首の攻撃ばかりでなく、尾の攻撃も避けながら、詠唱を始める。

 ルティは当たるを幸い首を切り落とすが、アービィの呪文が間に合わない。

 想像以上の再生力だ。

 

 何度か首を切り落としたとき、ヒドラの注意がルティに向く。

 その隙を狙って、ようやく呪文の詠唱が完了したアービィが、切り口に向かって『火球』を叩き付けた。

 肉を焼くいい香りが漂い、その切り口から新たな首が生えることはなくなった。

 

 切り裂かれた痛みと、体全体に響く火傷の痛みにヒドラがのたうち、攻撃が止まる。

 さらにその隙を狙い、ルティが首を切り落とし、アービィが『火球』を打ち込んだ。

 

 六本までは順調に切り落とし、傷口を焼き払うが、ヒドラも死力を振り絞って暴れている。

 叩き付けられる首と尾の攻撃は防ぎきれず、前衛の二人に疲労と傷が蓄積された。

 ティアは、『回復』をルティに掛けるが、そろそろ追いつかなくなっている。

 

 それまで慎重に狙いを定めていたアービィの『火球』が、二度続けて的を外した。

 人外の戦闘力を持つアービィだが、精神力はまだ成長途中で、呪文のコントロールには不安がある。

 疲労の蓄積が集中力を乱し、ここへ来て呪文の失敗へと繋がってしまった。

 

 比較的優勢に進めていた戦闘が、切り札を失ったことによって一気に劣勢に傾く。

 まだ『大炎』が一回残っているが、これは中心の首の口の中に叩き込み、内側からヒドラを破壊する作戦のため、今使うわけには行かない。

 ティアが慌てて『回復』と『治癒』を掛け、アービィの集中力を取り戻すが、三本残った首は自由度が増したのか攻撃のスピードが上がり、受けるダメージが増加していく。

 

 状況を把握したティアは、ラミアのティアラを身に付け、アービィと初めて対峙したときのようにその姿を消した。

 予備のトーチから松脂を削り、鏃に布で松脂を巻きつける。

 

「アービィも切り落とす方に集中してっ!! あたしが、焼き払うわっ!!」

 トーチから火を移したティアが、二人に大声で指示を飛ばした。

 

 今までヒドラを倒すなど、不可能だと思っていた。

 傷口を焼き潰すなんて、発想すらしなかった。

 

 それでも身体に染み込んだ恐怖が、震えを呼び起こす。

 必死に精神を統一させ、ティアは二人が首を切り落とすタイミングを計っていた。

 

 

 ティアからの指示で呪文を放棄したアービィは、ルティと手分けして首を落とすことに専念する。

 人狼の持つ目が素早い動きを見切り、残る片方を切り落とす。

 そこへティアの火矢が命中し、再生可能な首の残すは一本、そして不死といわれる中心の首だ。

 

 しかし、その時点でルティは限界に来ていた。

 呪文は使い切り、自らの回復手段はない。

 ティアの呪文もあと『回復』または『解毒』が二回、『治癒』が一回。

 

 剣は刃が潰れ、既に肉を切り裂く用を成さなくなっていた。

 ヒドラの攻撃を防ぎ、殴り返すのが精一杯だ。

 

 硬度故か、動きの遅い中心の首は、攻撃という点では然程の脅威ではなかった。

 しかし、尾はまだ充分な戦闘力を残し、ルティに迫ってくる。

 

 アービィがルティと尾の間に割って入り、尾を弾いて攻撃を防ぐ。

 その隙を突かれ、残った再生可能の首がルティに噛み付き、大きなダメージを負わせてしまった。

 ルティは、もう立っているのがやっとの状態だ。

 

 ティアが『治癒』を掛けるが、一度では治療しきれない。

 アービィが首を殴り飛ばしてルティから引き剥がすが、意識が飛びかけたルティを尾が巻き取り、締め上げる。

 ルティの手から剣が落ち、力が抜け、意識が混濁し始める。

 

 アービィは、ルティにダメージを負わせた首を切り落とし、怒りに任せて『大炎』を叩き込んだ。

 怒りが疲労と未熟を上回り、詠唱のスピードを上げさせていた。

 

 枷が外れ、瞬時に獣化したアービィは、ヒドラの唯一残された中心の頭を両顎に捕らえる。

 アービィが顎に力を入れた瞬間、腹の底に響く岩を潰すような嫌な音が響き、ヒドラの尾から力が消失した。

 

 ティアがルティを救出し振り向くと、噛み砕いたヒドラの頭を吐き出した巨狼が、これでは足りないとばかりにヒドラの全身を噛み裂いている。

 

 全身をヒドラの返り血で真っ赤に染めた巨狼の目は狂気が支配し、頭を振りたくり、身体を跳ね上げ、ヒドラの死体を噛み裂き切り飛ばす。

 ティアはアービィを止めたかったが、狂気に染まった巨狼への恐怖が脚を竦ませていた。

 

「アービィ、止めて……もう……もう、いいわ……もう……いいのよぉっ!!」

 恐怖に引き攣れた涙声でティアが懇願するが、巨狼の凶行は止まらない。

 

 唐突に喉を大きく鳴らした巨狼の動きが止まり、切れ長の目から狂気が消えた。

 涙目で震えるティアに、念話が届く。

――ティア~、なんか着る物あるかなぁ?――

 

 

 アービィは、最後狂気に駆られヒドラを噛み裂いていたときに、ヒドラの毒をたっぷり含んだ血液を大量に飲み込んでしまい、あまりの不味さに正気を取り戻していた。

 ティアから受け取った野営用に持ち歩いている毛布を切り裂き、即席の服にしてとりあえずは身に纏う。

 

 ティアは意識を失っているルティに『回復』を掛けた時点で、呪文を使い切っている。

 ルティは、『回復』が効いたのか、穏やかな寝息を立てていた。

 

 いずれにせよ、このまま街に帰るのは危険だ。

 疲労困憊で呪文も切れている三人には、現時点ではゴブリンでさえ脅威になってしまう。

 当面の危機はなくなっているので、このままここに野営し、明日呪文が使用可能になったら傷を癒し、ヒドラの死体から討伐の証拠になる牙を抜いて、エッシンフェルゲンに戻ることにした。

 ヒドラがいなくなれば、泉は数ヶ月で元の清浄な水を溢れ返させるだろう。

 

 

 焚き火の側で、三人は眠ることにした。

 ティアも疲労の極致にあり、身を横たえるとすぐに寝息を立て始めた。

 アービィは、ヒドラの毒のせいで一晩中吐き気に悩まされている。

 

 それでも全員のコンビネーションが上がってきたことに、アービィは安堵の溜息をついていた。

 だが、怒りと狂気のコントロールができなかったことに、アービィは不安も感じ始めていた。



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第29話

 インダミト王バイアブランカは、一通の報告書に目を通していた。

 穏やかな瞳が文字を追い、満足そうに頷き、報告書を燃やす。

 

 ラシアスに潜らせた間諜からの報告書には、痣を持つ少年がラシアスに確保されることなく、ビースマックに出たことが記されている。

 ラシアスが無為に彼を出国させたのではなく、幾度か確保を狙っていたことと、それを実力で阻止したことも記されていた。

 

 これで彼の国の宰相か摂政と事を構えることになるかもしれないというのに、王の瞳は穏やかなままだ。

 現状でラシアスがインダミトに抗議や最後通牒などできるわけがないということを、王は良く解っている。

 もし、なんらかの抗議でもあれば、貿易や支援の停止や縮小に派遣軍の引き上げなど、いくらでも黙らせる手段を持っているからだ。

 

 しばらく机に向かってペンを走らせた王は、宰相を通さずに側に控える密偵に新たな指示書を手渡す。

 その内容は、ラシアスに潜った密偵に、ベルテロイにおいて少年の情報を集め、またラシアスに戻るようなら引き続き監視を続けろということだった。

 ベルテロイにいる商人が、何を探り歩いていても不自然ではないからな、と王は呟いた。

 

 

 昨日の戦闘で呪文を使い果たすほどに精神を削りきった三人は、それぞれに呪文の使用回数が思ったよりも増えていた。

 アービィとルティは、レベル1が10回に到達し、レベル2が3回に、ティアはレベル1が10回、レベル2が4回になった。

 

 この調子で経験を積めばレベル3もそう遠いことではないが、さすがに昨日のような戦闘を連日行うことは体力が持たない。

 できるだけ大きな仕事を優先はするが、連続ではなく軽めの仕事を挟んで請けることにした。

 

 エッシンフェルゲンに戻り、三人はギルドにヒドラの牙を提出して、報酬の金貨三枚を手に入れた。

 三人がギルドのドアを開けたとき、あまりに見窄らしい疲れ果てた様子から、ギルドの職員は失敗して帰ってきたものと思ったようだ。

 

 なにせルティもティアも衣服の彼方此方が破れ、アービィにいたっては、毛布を切り裂いたものを身に纏っていたのだ。

 誰がどう見ても、逃げ帰ってきた敗残の兵だ。

 失望と諦めの表情で対応に立ったギルド職員の前に、ヒドラの牙が差し出されたとき、彼は暫く呆然としてしまった。

 

 そしてその直後、歓喜が爆発した。

 このひと月、街を悩ませた凶獣の牙。

 

 これが意味することは、ひとつしかない。

 若い冒険者たちは、ヒドラの討伐に成功し、街を危機から救った。

 

 周りにいた冒険者たちに酒場に連行された彼らは、そこで手荒い歓待にあった。

 いつの間にか町長までが酒盛りの輪に加わっており、酒場は町長持ちの貸し切りとなっていた。

 

 さっさと宿に戻って寝ようと思っていたアービィたちは、状況の急展開に付いていけず、そのまま酒盛りに突入してしまい、浴びせられる酒と質問に四苦八苦していた。

 さすがにアービィは着替えさせてもらっていたが。

 

 ヒドラは、個体名ではなく種族名であり、倒したあの一個体だけというわけではない。

 そうそう何度もヒドラが水源の泉に巣くうことはないと考えられるが、アービィたちの戦術は、今後万が一のためにも学んでおく必要があった。

 

 ルティが戦闘の経過を事細かに説明すると、周囲からは感嘆の声が上がる。

 切り口を焼くなんてよく思い付きましたね、と言われたが、アービィにも直感としか説明ができなかった。

 夢の中で読んだ記憶が朧気にある物語をヒントにしたのだが、まさかそのような説明で納得してくれるとは思えなかった。噛み砕くなんてなかったけどね。

 

 結局その夜は、町長が解放してくれず、そのまま町長の屋敷に連れて行かれ、宴の第二ラウンドが始まった。

 入れ替わり立ち替わり人々が礼を言いに屋敷を訪れ、歓喜の酒宴はいつまでも終わる気配を見せなかった。

 

 翌朝、痛みが響きわたる頭を抱え、町長に良い武器屋の情報を聞く。

 ルティの剣が、使い物にならなくなっていた。

 おそらく、腕の良い研ぎ師に任せても、もう再起不能と思われるほどに刃は潰れ、刀身が歪んでいた。

 

 昨夜の歓待の礼を言って屋敷を辞するとき、町長はいかにも残念そうに送り出してくれた。

 町長は彼らを手放したくはなかった。

 

 ヒドラを倒せるような冒険者は、そうそういない。

 彼らがここに腰を落ち着けてくれるのであれば、街の安全を確保したも同然だった。

 

 もちろん、町としても異存はなく、住居も都合の良い空き家を改修して提供すると言いだした。

 三軒じゃなくて二軒が良いですよね、と言われ、ルティが浮かれまくっていたのはご愛敬だが。

 もし、彼らが望むならこの辺り一帯を治める辺境伯に、騎士として取り立てるよう進言するつもりもあった。

 

 町長は自分の影響下に彼らを置きたいのではなく、純粋に町の安全と彼らへの感謝から提案していた。

 しかし、昨夜の酒の席で聞いた彼らの話から、それを受けてもらえる可能性は皆無に等しいことも、また理解していた。

 それでも屋敷を出ていく彼らに、町長はもう一度聞かずにはいられなかった。

 

 

 アービィたちも、町長や町の人々の厚意は解っていた。

 それだけに無碍に断ることははばかられたのだが、アービィは獣化をコントロールできないうちは、一ヶ所に腰を据えるのは危険だと解っている。

 

 まさか、獣化を理由にはできないので、痣の件は言わずにいつもと同じことを話した。

 そういうことなら仕方ないですな、でもいつか気が向いたらここへお戻りになっていただきたいものです。

 心から町を案じ、三人を思いやる町長の言葉に心苦しさを感じつつ、屋敷を辞する三人だった。

 

 町長が紹介してくれた武器屋は、昨夜盛大に飲んだくれていた若い女性だった。

 目利きには自信があるから、好きなものを持って行けと言ってくれている。

 半ば自棄鉢であることに気付いたティアが聞いてみると、ヒドラ討伐はいい商売になっていたみたいだった。

 

 多数の冒険者がヒドラ討伐の名誉と報酬を求め、この街に集まってきていた。

 宿屋や武器防具屋は、そんな冒険者相手に活況を呈していたようだ。

 水不足の裏では、ささやかな好景気もあったが、街全体の苦境の中では喜ぶわけにもいかず、今その一部の好景気が去ったことを落ち込むわけにもいかなかった。

 

 彼女は親から受け継いだ店を大きくするために、問屋に頭を下げ、生産者に教えを請い、武芸の鍛錬も行っている。

 ひとえに客に合った武器を奨めるためであり、店を繁盛させるためであった。

 

 残念なことに、彼女は武芸の才が皆無であったため、自ら槍働きをする立場にはならなかったが、それでも他人の武芸の向き不向きを見極める目を養うことになった。

 幾つかの剣を手に取り、試し斬りをしたルティを見た彼女は、いかにも残念という表情をしていた。

 

 ルティは、未だ自分の剣技が良いものとは思っていない。

 武器屋主人の眼鏡に適わなかったのかと、落ち込みそうになった。

 

 彼女は、がっくりしているルティの剣技に驚愕している

 まだ荒削りだが、今後の鍛錬と良い「刀」があれば、この娘は化けると直感が言っていた。

 

 彼女が残念という顔をしたのは、ルティに見合う剣、もしくは刀が、在庫にないからだった。

 プロとして、客に合う剣を用意できなかった悔しさが、店で買ったら三割から四割は高くなるよと言わせ、直に鍛冶屋に行くべきだと利益度外視で奨める。

 

 そして、とりあえずこれでも使っておきな、と女主人が片刃のロングソードをルティに渡す。

 ちょいとばかりアンタにゃ長いから使いにくいかも知れない、だからお代は結構だよ、と彼女は笑った。

 

 

 マグシュテットという村に腕の良い鍛冶屋がいると言われた三人は、土の神殿に行く前にそちらに行くことにした。

 気に入った相手ならいろいろと相談に乗ってくれるが、気に入らなければいくら金を積もうが話もしないとの評判だという。

 

 エッシンフェルゲンからツェレンドルフに向かって、東に伸びるビースマック街道の中間地点から北上した山脈の中腹に、マグシュテットはある。

 神殿があるツェレンドルフへの行程からは外れるが、行く価値はありそうだ。

 

 途中は小さな集落があり、そこへ行くのに苦労はなさそうだ。

 ビースマック街道から往復4日間かかるが、それでも今後のことを考えるなら行っておくべきだろう。

 金貨三枚を、そっくり武器に変えるつもりの三人は、もうしばらくエッシンフェルゲンで仕事を探すことにした。

 

 

 再度ギルドのドアをくぐり、調整がてらの軽い仕事を請ける。

 ヒドラに冒険者が集中していたせいか、町の付近にオーガが出没していた。

 以前であればオーガは強敵であったが、ルティもティアも成長した今では、ゴブリンより少々手がかかる程度でしかない。

 

「あのヒドラって、誰かを喰ったのかしら。喰うためにあの泉に住み着いたのかな? 違うよね、住みやすい場所で暮らしたかった。それだけだよね?」

 新しい剣を担いで討伐に向かうルティが、ふと思いついたようにティアに聞く。

 

「そうね、あいつらは凶暴だけど人喰いじゃないわね。目の前にいれば喰うかもしれないけど、人を狙っているわけじゃないわ」

 

「そう考えると酷いことしたんだね、ヒドラにとっては。人間って我儘なんだね」

 

「違うわ、ルティ。生きているもの全てが、我儘なのよ。あのヒドラは自分が生き残るため、人間は多くの人が生き残るため戦うことになったのよ。あたしは、ヒドラは怖いし嫌いだけど、生きるのに必死なのは解るわ。人間が生きるのに必死なのも、ね。今回に限らず、我儘と我儘がぶつかり合って、たまたまそのときに強い方が勝っただけのことなの。人間だけが我儘ってわけじゃないのよ」

 ティアの言葉に何かが吹っ切れたルティは、新しい剣を振りかざし、オーガに突っ込んでいった。

 

 

 マグシュタットへの旅費に余裕ができたので、三人は町を出ることにした。

 町長を始め町の有力者は彼らを引き留めようとしていたが、この街に縁を感じたアービィは、またすぐ戻りますよ、と言ってマグシュテットへ向け旅立った。

 

 町の厚意で御者付きの馬車を仕立ててもらったので、行程は半分の日数で済みそうだった。

 御者は、経験を積んだ老齢に差し掛かろうとしている紳士で、ボルビデュス家の執事クリプトカリオンを思い出させた。

 

 

 適度に軽妙な話術と控え目な態度は、単調になりがちな行程を和ませるに充分だった。

 やがて、マグシュテットの村が見え、武器屋の女主人に聞いた鍛冶屋を探す。

 馬車には待ってもらって三人は、村人に鍛冶屋の場所を聞き、その仕事場を訪ねた。

 

 

 ドアをノックすると、若かりし頃はさぞやと思わせる、上品な老婆が対応に出た。

 

「こちらが、グロッソ・プテリスさんの工房と伺ってきたんですが」

 ルティか来訪の意を告げると、老婆は笑顔で彼らを迎え入れた。

 質素ながらも品の良い応接セットに案内され、茶菓でもてなされた。

 

「剣を求めてここを訪れる客は、全て信頼置ける武器屋の紹介なので、人物に間違いはないからね」

 老婆は笑顔でルティたちに対応している。

 そしてすぐに笑顔を消した。

 

「注文に応じるかどうかは別よ」

 

「では、どうすればいいのでしょうか?」

 焦燥感を抱いたルティが問う。

 

「簡単なことよ。試験を受けていただくわ」

 老婆、アルテナ・プテリスは答えた。

 

 

 アルテナは、若い頃はかなり名の知れた冒険者で、剣の達人と言われていた。

 南の大陸を渡り歩くうち、いつしか目的が良い剣を求めることにすり替わっていた。

 何軒もの鍛冶屋を訪ね、自分に合った剣を鍛えてもらったが、納得のいく剣にはなかなか出会えなかった。

 それはそうよ、一生モノだもの。どんな腕の良い鍛冶屋だって相性ってものがあるの。

 

 そして、この片田舎の村でグロッソに出会い、自分の剣技に合う業物と出会った。

 その後、旅の途中でできた刃毀れを、そのとき滞在していた村で研ぎに出そうとしたが、その研ぎ師には怖くて研げないと断られた。

 やむなくマグシュテットに戻り、グロッソに研いでもらうことを繰り返すうち、いつしか愛が芽生え、アルテナは冒険者を引退してこの村に腰を落ち着けたのだった。

 

 アルテナは裏庭に三人を案内し、これを切ってと言った。

 

 木の枝から吊り下げられた、糸で吊るされた一枚の紙。

 

 まずティアが挑戦するが、紙は切れることなく糸の結び目から千切れ飛んだ。

 次いでアービィが挑戦する。

 友の父が鍛えた短刀を抜き、脚の位置を決め真横に構える。

 息を止め、一気に振り抜くと、真っ二つに切断されたが紙は糸から千切れ落ちている。

 アルテナが紙を拾い、切断された部位を見た。

 

「最初の子は、まだ力に頼りすぎね。男の子は、かなりいい線いってるけど、やっぱり力が入りすぎてるみたい。糸から紙が飛んでは駄目なのよ。あと、切り口がくしゃくしゃになってるでしょ?余計な力が入ってると、こうなっちゃうの。次はあなたやってごらんなさい」

 アルフナの説明を聞いていたルティが、促されて新しい剣を構える。

 

 息を止め、一気に振り抜く。

 紙は糸から吊るされたまま、下半分がなくなっていた。

 

「上出来ね。まだ切り口が汚いけど、これから精進すれば、あなたは化けるわ。これならうちの人の剣を使ってもらえるわね」

 嬉しそうに言いながら、家の中に三人を連れて行く。

 

「うちの人はダガーやナイフは打てないの。もし紙を切れていたとしても注文は受けられないのよ」

 なんとなく落ち込むティアに、アルテナはフォローを入れていた。

 

 硬い物を切るより、やわらかいものを切るほうが、格段に難しい。

 たとえ切れたとしても形が崩れているのは、余計な力が入っているだけで潰しているに過ぎない。

 

 グロッソの鍛える剣は日本刀に近い剣で、潰すより切り裂くための剣だ。

 アービィが使っている剣が、図らずも同じ思想で鍛えられている。

 それ故にアービィは、特に「刀」の修練をしていないにもかかわらず、不完全ながら切断することができた。

 

 ティアは「刀」の概念がないため、叩きつけるように切るか突き刺すという動作が主だ。

 無意識にダガーを紙に叩きつけてしまったため、紙は糸から千切れ、ぐしゃぐしゃになってしまったのだ。

 

 

 工房に案内されたアービィたちは、グロッソと初めて対面する。

 いかにも好々爺然とした風貌と、その雰囲気のままの人柄。

 

 

 アルテナから試験に合格したことを聞き、アービィとルティの注文を聞く。

 しばしの沈黙の後、グロッソが申し訳なさそうに口を開いた。

 

「済まんが、注文の分を打つだけの鉄がないのじゃ」

 

 

 グロッソが言うには、叩き潰すための剣は鉄鉱石から作るが、グロッソの剣は砂鉄から鍛えている。

 玉鋼の製法と、ほぼ同じだ。

 

 一本分の材料ならある。

 が、全員の剣を鍛えるためには、圧倒的に足りなかった。

 

 良質な砂鉄が村の近くを流れる川原から取れるのだが、最近は魔獣が出没し、武芸は嗜み程度のグロッソや、引退して久しいアルテナの手に負えるものではない。

 一対一ならアルテナは滅多なことでは引けをとらないのだが、何せ出没する魔獣の数が多すぎる。

 

 砂鉄を採取する間のボディガードをしてくれるなら、喜んで打たせてもらおう。

 代金は、依頼料を差っ引いて、金貨2枚で充分じゃ。

 グロッソからの逆依頼だった。

 

 暫くの間、マグシュテットの村に宿を取り、彼らは川原に出るグロッソのボディガードに行くことになった。

 川原に多い魔獣は、ゴブリンとオーガ、そしてスライムだった。

 

 ゴブリンは言うに及ばず、オーガも既にたいした脅威ではなくなっているが、スライムはまた別だった。

 スライムは、思考能力のない単細胞生物で、エサとなる動物の匂いに引かれ寄ってくる。

 

 エサを体全体で包み込み、体表から分泌される溶解毒で動けなくし、そのまま溶かし吸収する。

 切り裂こうが突き刺そうが、ほとんどダメージはないどころか、下手な切り方をすれば分裂し増殖してしまうのが厄介だった。

 

 悪いことに、飛び散った破片にも毒を残しており、これが皮膚に付着すればそこから毒が入り肉まで爛れ、酷いときには骨まで溶けてしまう。

 そして、完全に殺すには、焼き払うか凍らせるか、または核を切るしかない。

 

 叩き潰すような剣技では、うまく核に当たって殺せても、飛び散った破片で被害を受けてしまう。

 きれいに、核ごと切り裂かなければならなかった。

 

 

 十日間、毎日川原に通いつめ、剣の修練を兼ねてスライムを狩る。

 敢えてアービィの呪文には頼らず、毒を受ければルティとティアが解毒する。

 核を切り、スライムが息絶えてから、アービィが消毒を兼ねて呪文で焼き払った。

 

「なぜ、そんな面倒をするのかの? 呪文で焼くか凍らすほうが安全じゃないかの?」

 

「こうすればですね、剣と呪文と両方の鍛錬になりますし」

 ティアは、紙を切れなかったことが余程悔しかったのか、スライムを毎日切り刻み、「切る」コツを掴もうとしている。

 

「感心じゃのう、楽に走らんとは、な。どれ、その心意気に免じて、そっちのお嬢さんが使える剣も考えてみようかの。本来なら、得意なものしかやらんが。不出来なものを出すわけにはいかんからの、あんたたちの心意気に感化されたようじゃ」

 ダガーやナイフではなく、アービィが使う短刀をさらに短くした小太刀のような剣を考えているらしい。

 

 これだけ集まれば充分じゃ。ひと月したらまた来てくれ。と言われ、一旦プテリス老夫妻に別れを告げた。

 マグシュテットからツェレンドルフへ移動し、土の神殿で精霊と契約し、その後暫くは討伐の仕事をしながら剣の出来上がりを待つことにした。

 

 グロッソの護衛依頼を受けた時点で、エッシンフェルゲン町長が付けてくれた馬車は帰してある。

 歩いてツェレンドルフまでは、十日間の行程だ。

 

 のんびり行こうか、そうアービィは言い、山を降り始めた。



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第30話

 ツェレンドルフへと向かう三人は、途中にある村や町でもヒドラ殺しの英雄として迎えられた。

 どの村や町でも対ヒドラの戦術を聞かれているだけでなく、必ずと言っていいほど、その周辺の魔獣討伐も依頼されていた。

 

 それだけなら剣や呪文の修練になるからまだいいのだが、討伐の後には村や町の有力者からの懐柔工作が待っていた。

 有力者としては、アービィという英雄を配下に入れ、他に対しての優位を確保できれば、発言力の強化に繋がる。

 

 美男美女が所構わずつきまとったり、若者を貴族並に扱おうとする大人たちに、アービィたちは辟易としていた。

 そして、ティアがつきまとう男連中をエサとして喰わないように、それを制止するのも面倒の元だった。

 逃げるようにして集落を後にすることばかりの三人は、ツェレンドルフまでの残りの行程を野営で過ごすと決意していた。

 

 

 既に季節は初夏を過ぎたと言っていい。

 山岳地帯にしては珍しく蒸し暑い寝苦しい夜だった。

 野営地をそっと離れたアービィは、近くの川原へ行き獣化する。

 

 そのまま川に入り、水浴びを始める。

 瀬を流れに逆らい這い蹲るようにして遡ったり、淵を犬掻きで泳いだり、水を堪能していた。

 

 しばらくすると、質量のあるものが淵に飛び込む音がした。

 何事かとそっと近寄ると、獣化したティアが水と戯れている。

 

「あら~、アービィも水浴び~?」

 ラミアは暑いの苦手だから~、と間延びしたようにティアが言う。

 

――ティアっ、な・な・な・な・んて格好でっ!!――

 狼の状態では声帯こそあれ、舌は人語を喋る造りではない。

 そのため、念話でコミュニケーションを取るのだが、あまりの状況につい唸り声まで出てしまっている。

 

「ん~? 別に~普通の格好よ~、ラミアの~」

 首を傾げ不思議そうに聞き返すティア。

 

 ラミアは、上半身は人間、臍の辺りから下は蛇だ。

 そして、『普通』なにも身に纏っていない。

 当たり前のことなので、ティアはこの状態に、羞恥心など欠片も持ち合わせていない。

 

 初めて出逢ったときと同じなのだが、あのときは戦闘の緊張感から、そのようなことを考える余裕は、アービィにはなかった。

 落ち着いた状況でいざ対面してしまうと、目のやり場に困るどころではない。

 

「あ~、もしかして~、これ~?」

 ティアがこれ見よがしに両方の胸の隆起を両の手で揺らし、アービィに見せつける。

 

――ティア、なに考えて……――

 狼狽えるアービィだが、目が釘付けになってしまう。

 それに自分で気が付き、次には目が泳ぎまくっている。

 

「でもさ~? やっぱりアービィは~、ルティの方が~、見たいんでしょ~?」

 面白くなったティアが、さらにからかう。

 

――そんなアービィに、素晴らしいお知らせですっ!!――

 急にティアが念話に切り替える。

 

――?――

 何となく不穏な気配をアービィは感じていた。

 

――間もなく……、ルティも水浴びにやってきま~す!!――

 

――!!――

 

 まずい。それはあまりにも拙すぎる。

 この状況は、盛大に誤解されかねない。

 いや、間違いなく豪快に誤解される。

 

――僕、野営地に戻ってるねっ!!――

 慌てて川から上がり、獣化を解いて服を着る。

 ルティに行き合わないようにと、繁みを潜って野営地に戻ろうとしたとき、すぐ側から声が聞こえた。

 

「あ~、ティア、獣化してちゃダメじゃない~!!」

 直後に響く柔らかいものが水に飛び込む音。

 

 

 アービィは、人狼とはいえ健全な『男』だ。

 脚が止まり、繁みの中からそっと覗く。

 

 

 月に照らされたルティの裸体は、息を飲むほどの美しさだった。

 

 剣技で鍛えられた、贅肉のないスレンダーだが、程良く脂肪層に包まれた柔らかな肢体。

 ルティ本人はコンプレックスを持っているが、形の良い胸の隆起。

 それを際立たせる腰の括れと、その下に続くふたつの隆起。

 

 前を見れば……

 無防備にティアと水を掛け合うルティの……

 

 心臓が早鐘を打ち、頭に血が上ったと感じた瞬間。

 

 

 繁みの木の枝をへし折る音が周囲に響いた。

 

 

 突然の音に、反射的に胸を隠してしゃがみ込んだルティと、開けっ広げなまま尻尾を振るティアが見たものは――

 

 

 いかにも、偶然だよっ!! と言いたげにそっぽを向きつつ、切れ長の目だけはこちらを見ながら、後足で首元を掻く巨狼だった。

 

 直後、羞恥と怒りに震えた少女の罵声が、闇を引き裂いた。

 

 

 翌朝、目を真っ赤にしたまま正座するアービィの横で、レーションを掻き込むルティは、憤懣やるかたない、といった状態だ。が?

 

 ――なんでティアがいるのよっ! そうじゃなければ……えへ……へへへへ………へへ……――

 

「ちょっと、ルティっ!! またどこ行ってるの!?」

 ティアの声に我に帰ったルティは、無意識に垂れた涎をそっと拭っていた。

 

 

 ギーセンハイムの町に着いたとき、三人は不穏な空気を察知した。

 今までのような、ついでの討伐を望む声ではなく、ヒドラに匹敵する脅威をようやく排除できるという、期待に満ち満ちた声。

 既に町に入る時点で下にも置かない待遇だった。

 宿は最上級の部屋が「二部屋」用意され、貴族の晩餐会に出てもおかしくない料理が並べられている。

 当初安宿を探しつつギルドへ行った三人を、半ば拉致するように連れ去った壮年の夫婦は、声を潜め困難な依頼を口にした。

 

 

 ギーセンハイムから半日の行程にある夫婦が所有する別荘に、見たものを石にする化け物が住み着いたのは、10年前のことだった。

 

「それを退治するのですか?」

 ルティの問いに、二人は首を横に振る。

 

「いえ、……いや、はい」

 言いよどむ妻を遮り夫が話し始めた。

 

「退治するのは屋敷に火を掛ければ容易いと思いますが、いえ、屋敷が惜しいのではなく、なぜ化け物がそこに住み着いたか、聞いて欲しいのです。その上で退治していただきたい。そして化け物の言葉を、一言一句違えずに私たちに伝えて欲しい。今はこれ以上のことは申せませんが、ヒドラ殺しのあなた方でなければ、お願いできないことなのです」

 まるで主人の鞭に脅える奴隷のように、床に頭を擦り付ける夫婦。

 ここへ案内され、初めて対面したときに見えた気品や優雅さは、一切見られなくなっていた。

 

 確かにギルドにはその依頼があったが、それは町長名義の依頼で、問答無用の討伐だった。

 なぜ、態々困難な依頼にすり替えるのか。

 裏があるのは間違いないが、夫婦の必死さには悪意を感じない。

 

「明日別荘に様子を見に行ってきます、その上でどうやるか考えますね」

 ルティがとりあえず、そう言ってその場を取り繕った。

 

 

 普通に考えればまるで納得できない依頼だが、あまりにも必死な夫婦に拝み倒された形の三人は、できるできないは別にして依頼を請けた。

 寝る前に作戦を打ち合わせるため、ツインベッドの部屋に集まった。

 打ち合わせという名の酒盛りが終わった後、自然に部屋を出ていったアービィの後ろ姿とティアを交互に見るルティの視線が殺気立っていたことは、ティアは気付かなかったことにしておきたかった。

 

 翌日、夫婦の別荘までやってきた三人は、人の半身が映り込むほどの鏡を持ってきていた。

 直に視線を合わせては危険なので、『透過』したティアがこれを持ち、アービィとルティがそれを見ながら屋敷内を進んでいく。

 突然少女の高笑いが屋敷に木霊した。

 

「なにやってんのよ。面白すぎ、あなたたち」

 ベールを被った、絶世の美少女と言って差し支えない、抜けるような白い肌と碧眼を持った、16、7歳くらいの少女がこちらを指さし笑い転げている。

 

「ごめんなさいね、笑ったりして。鏡を抱えてるのはラミアかしら?」

 

「何で解るの?」

 実体化したティアが聞く。

 

「この子たちがね。脅えちゃってるのよ」

 ベールを取ると、そこには髪の代わりに無数の毒蛇たちが、目を伏せるようにして震えていた。

 

「可愛い~!! 怖くないよ~」

 ティアがこれ以上ないほど、目尻を下げて蛇たちを宥める。

 

 

「戦う雰囲気じゃないわね。依頼にもあるから、少しお話しましょうか?」

 蛇が少々苦手なルティが、声を震わせながら言った。

 

 蛇とは謂え、魔獣の一部である以上、かなりの魔属性を持っている。

 その本能が、最初はティアに怖れを抱き、次いでティアの態度を見て完全に服従していた。

 

 アービィが来訪の理由を話し、壮年の夫婦がなぜ魔獣の言葉を聞きたがるのかを問うた。

 まず、敵意のないことを蛇の髪を持つ魔獣は言い、そして長い説明を始めた。

 

 

 石にしてやろうと思わなければ、ならないわよ。

 見たものすべて石にしちゃってたら、食事も取れないでしょ?

 安心してこっちを見て。

 

 私の名前はメデューサ。

 見ての通り、元は北の民よ。

 家名は無いわ。

 13のとき、無理矢理連れてこられて娼婦にさせられたの。

 

 あのお二人に退治を依頼されたの?

 いいの、私は気にしてないわ。

 

 あのお二人から娘さんを奪っちゃったのは、私の自業自得だからねぇ。

 実は、娘さんが私の恋人に横恋慕しちゃったのよ。

 

 彼は女に対して優しすぎるというか、分け隔てないというか、そのときの気持ちに正直でね。

 そんなところに私も、彼女も惹かれたんだけどねぇ。

 

 だけど、まだ彼女は当時15。

 恋の駆け引きを楽しむ余裕かなんかなかったのよ。

 私も16の小娘だったけどね。

 

 敵意剥き出しで私に突っかかってきた彼女に、私も敵意剥き出しだったからねぇ。

 結局、彼は私を選んでくれたんだけど、彼女から見れば私がかっさらっていたように見えたのかな。

 

 んで、よせばいいのに、私は彼女を散々罵倒して貶めて、馬鹿にしたわ。

 馬鹿は私だけど。

 そりゃぁ悔しかったでしょうよ、娼婦に、それも北の民に負けて馬鹿にされたんだもの。

 

 以前、私が彼に北の妖呪の話をしたことを、彼が彼女に話したことがあったらしいのよ。

 どこでどう調べたか、彼女が私にそのゴルーゴーンの妖呪を掛けてね、私はこうなったわけ。

 それで終われば良かったんだけど、彼女、実はすごくいい子だったのよね。

 

 私がこうなっちゃったの見て…まさか本当にそうなるとは思わなかったんじゃないかな……

 自殺しちゃった……の……

 遺書にはごめんなさいってあったわ。

 謝るのはこっち。自業自得なのにね。

 

 あのお二人は、化け物にされてすぐの頃から私をここに匿ってくれてるんだけど、やっぱり化け物の噂が広まっちゃってね。

 討伐に来た冒険者を何人か石にしちゃったの。

 

 『全解』の呪文で解石はできるんだけど、これが妖呪のいやらしいところでさ、私が解石しないとダメなのよ。

 私はもう元に戻れないの。

 妖呪を掛けた本人がいないからね。

 

 そう言えば、討伐じゃなくて退治って言ったって?

 多分、あの二人は退治したことにして、逃がそうとしてくれてるんだなぁ。

 

 彼?

 そこに立ってるわ。

 

 

 部屋の隅には、前屈みで両腕を突き出し、その両手は何かを握ろうとしているか、揉みしだこうとしているような指の形を取った、驚愕している表情を刻み込んだ男の石像があった。

 

 

 いきなり乳揉もうとしたのよ。

 びっくりして思わず睨んじゃったら……こう……ね……

 

 メデューサにつられ、ルティとティアは思わず額に指を当てた。

 アービィは、同じポーズを取る三人と、男の石像を困惑した視線で交互に見比べていた。

 

 

「作戦は全部変更するね」

 アービィが、ルティとティアに手短に指示を出す。

 

 ルティが絨毯やカーテン等の、燃え易い物を片付ける。

 ティアは、ラミアのティアラをメデューサに付けさせ、人化させる。

 

 ラミアのティアラは、それ自体に魔力があり、ラミア自身の魔力と共鳴して強力な妖術発動のトリガーになっている。

 他の蛇属性の魔獣であっても、装着すれば『変身』や『催眠』程度の低位のラミアの妖術を使えるようになる。

 人化した時点でティアラを外し、当面はそれで固定することにした。

 

 

 その間にアービィは猪を狩ってくる。

 肉は美味しくいただいた後、屋敷の一室で猪の頭を潰し、内蔵をぶちまけ『大炎』で焼き尽くす。

 屋敷の一部が焼けてしまうが、それはご勘弁願うことにした。

 

 

 メデューサを連れて戻ると無用の混乱を招きかねないので、一時的に隣村に匿った。

 北の民を連れた若い三人連れは、小さな村ではかなり目立ったが、北の民を奴隷として飼うことはさして珍しいことではなく、好奇の目で見られるに留まった。

 

 10年前に突然消えた隣町の娼婦のことなど覚えている者は皆無であり、当面はアービィたちが買った奴隷と言うことで押し通すことにした。

 

 一度ギーセンハイムに行き、夫婦を連れて村に戻る。

 互いに害意を持っていないことは明白だったので、宿屋の一室で三人を対面させることにした。

 メデューサと夫婦を残し、三人は部屋を出た。

 

「悲しいね、妖呪って」

 ルティがポツリと呟き、三人は黙りこくっていた。

 

 

 夫婦は、これ以上メデューサを匿っていると多くの冒険者を呼び込むことになり、その身の安全を確保できないことが不安だった。

 北の民への偏見がないということはないのだが、嫌悪しているわけではなかった。

 誘拐され、娼婦に堕とされたという境遇に、憐憫の情すら抱いていた。

 

 娘が命を絶つ原因となってはいるものの、それは娘の自業自得でメデューサに全てを被せようとは思えない。

 娘の仕出かした愚かな行為の償いを、どんな形でしていいか解らず、せめてもの思いで匿っていたということだった。

 

 メデューサは自らの愚かさが娘の命を絶つことになり、後を追うつもりでいたのだが、石化させてしまった冒険者と恋人を元に戻すまでは死ぬわけにいかないと思っていた。

 火の精霊と契約できれば、いつかは『全解』を使えるようになるのだが、そこまで蛇の髪のままで行くこともできない。

 ベールを被っていたとしても、どこで何が起こるかわからないのだ。

 

 両者がどうすればいいか解らないまま、無為に月日だけが過ぎていたところへ、アービィたちが来た。

 ヒドラ殺しの実力を持つ冒険者たちであれば、メデューサを無傷で、最悪殺すことなく、確保または逃すことができるのではと、藁にも縋る思いで依頼したということだった。

 

 ティアが貸したラミアのティアラの力で人の姿になることができたメデューサは、火の神殿へ行くと申し出た。

 そして呪文を習得し、石化を解いた後は娘の後を追うと言った。

 

 夫婦は、メデューサが火の神殿行きには諸手を挙げて賛成したが、死を選ぶことにだけは頑として同意しない。

 石化を解いた後は、治癒師として人々の役に立ってみるというのはどうか、と提案している。

 さらには、養女として家に迎えたい、とも。

 それぞれの主張が平行線を辿り、このままではいつまでも決着がつかないと思ったメデューサと夫婦は、三人を部屋に呼び込んだ。

 

「メデューサさんには、ご夫妻の言うことを聞いてほしいわ。娘さんを失った上、あなたまで失ってしまったら、ご夫妻の後悔はどれほどのことか。そこを良く考えてほしいのよ」

 ルティが、あたしが口を挟んでいいかは解りませんが、と言ってから話し出した。

 

「火の白魔法だけじゃなく、水の白魔法も覚えてさ、本格的な治癒師を目指してもいいんじゃない? あたしたちはこの後ストラーに行くつもりなんだけど、インダミトを通っていってもいいし、そのあとラシアス経由で、ストラーを目指すのもたいした遠回りじゃないわ。一緒に行かない? ラシアスからあなたはビースマックに戻ればいいし、ね?」

 ティアが続けた。

 

 10年の月日を独りで過ごしてきたメデューサには、仲間ができるということに何より心引かれるものがあった。

 夫婦の心遣いは嬉しかったが、北の民を養女にすることへの風当たりの強さや、いつまでも甘え続けるわけにはいかないと考えて死を選ぶつもりでいたが、ルティに諭され少し考え方が変わってきた。

 夫婦も、自分たちが後悔するから死を選ぶな、という言い方はあまりに自分勝手に思えたので、その言葉を言えなかったのだ。

 しばらく考えた後、ティアの提案に乗ることにした。

 

「お世話になります」

 床に降り、正座の姿勢を取ったメデューサは、夫婦とアービィたちに頭を下げた。



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第31話

 「メディさんって、随分と童顔っていうか、幼く見えるけど、確か26歳くらいですよね?」

 ルティが聞いた。

 

「うん、妖呪のせいで十年前から成長が止まってるのよ」

 

「ごめんなさい、悪いこと聞いちゃいましたね……」

 申し訳なさそうに謝るルティに、メデューサが手を振りながら答える。

 

「いいのよ~、それだけは感謝してるの。この状態での寿命がどれくらいかは知らないけど、見た目の歳取らないっていいわよ~。あとね、言葉は普通に喋ってほしいんだけどな~」

 楽天的な性格なのか、そのニ点に関してはあまり拘っていないようだ。

 

「じゃ、遠慮なく。16だっけ、止まったのは? まだ成長するんでしょ、それ。反則よ……」

 どうしてもある一点に拘るルティ。

 

「う~ん、もうあんまり変わらないと思うんだけど」

 そして残酷な一言がメディから投げつけられた。

 

「……そう……もう、変わらない……の……」

 

「でもね、子供生むと大きくなるって聞いたわよ」

 

「――!!」

 ルティが顔を上げた。

 金属同士をぶつける音が聞こえてきそうな視線が、所在無げに焚き火を眺める若者に叩きつけられる。

 

「ティアっ!! 今すぐ『誘惑』っ!!」

 

「効きません」

 

 

 ギーセンハイムの町を後にし、ツェレンドルフへの道中の野営地で、ガールズトークが繰り広げられている。

 アービィは、話に入れずにただ苦笑いと共に佇むだけだった。

 

 

 夫婦に別荘を焦がしたことを詫び、後処理の策を説明した三人は、メデューサを連れてツェレンドルフへ向かっている。

 潰した猪の頭や骨と内臓が炭化したものを、メデューサの残骸としてギルドに申請してもらい、討伐依頼を取り下げさせた。

 当面、これで町は平穏を取り戻すだろう。

 

 今の時点で事の真相は、夫婦とアービィたちだけが知っていればいい。

 メデューサの恋人には、石化を解いた後に説明すればいい。

 

 ラミアのティアラを以ってしても、低位の魔獣では自在な変身はできず、髪や瞳の色まで変えることはできなかった。

 南の大陸では、北の民への偏見が強いため、メデューサの立ち位置はアービィたちの従僕ということにした。

 奴隷では、性的な想像まで掻き立て兼ねず、余計なトラブルを引き起こしそうだったからだ。

 

 

 ツェレンドルフへは三泊の行程だ。

 当初、自分のせいで宿を取れないのかと心配していたメディだが、ビースマックに入ってからの三人の経緯を聞き納得した。

 

 初日は敬語交じりの硬い会話に終始していたが、二日目ともなるとかなり砕けてきていた。

 初夏を過ぎている時期に、焚き火を囲んでいては熱くて敵わない。

 

 四人が車座に座り、焚き火は照明代わりにメディが背負う位置にいる。

 ガールズトークに花が咲き、アービィは所在無げに脚を投げ出して座り、三人を眺めていた。

 

 

 背後の気配に気付いたアービィが立ち上がり、振り向きざまに腕を振るった。

 同時に焚き火に厚い布が投げかけられ、四人を照らしていた照明が、一瞬にして消滅する。

 

 背後から剣を振り下ろそうとした男の顔面に、左に避けたアービィがすれ違いざまに右の掌底を叩き込む。

 腕を振り抜いたとき、相手は糸の切れたマリオネットのように昏倒した。

 

 真っ暗になっても狼の目は、敵を捉えている。

 再度立ち上がって反転し、ティアを後から抱え込んだ男の側頭部を蹴り抜き、その勢いでルティの首に腕を回した男の顔面に拳を打ち込んだ。

 

 ティアは男が態勢を崩すと同時に身体を沈め、自分の頭越しに男の前頭葉よ砕け散れとばかりに蹴りを入れる。

 

 焚き火を覆った布をメディが取り去ると、新たな酸素を供給された熾火が、再び燃え上がった。

 炎に照らされた中にメディが見たものは、目を狂気に染め上げて男の喉を握りしめ、顔面に掌底を落とし続けるアービィと、半ば恐慌状態で泣きながらアービィを止めるティア、そして呆然と二人を見つめるルティだった。

 

 

 怒り狂っていた。

 明らかな悪意。唾棄すべき欲求。

 その対象にルティが選ばれた。

 

 今まで、人に対して殺意を抱いたことはなかった。

 町中でルティにちょっかいを掛けてきた男と諍いになり、本気で腹を立て叩きのめしたことはある。

 

 だが、追い払えれば充分で、二度と手を出してこなければいいと思っていた。

 しかし、今回の襲撃は明らかに違う。

 

 性奴隷狩りだ。

 アービィを殺し、ルティもティアもメディもこの場で陵辱した上で、売り飛ばすための襲撃だ。

 

 焚き火を消す手際といい、アービィのみに刃を向けたことといい、それを生業にしている者の動きだった。

 こんな奴らを生かしておきたくない。

 ルティ目当てに町でちょっかいを掛けてきた輩にさえ抱いたことがない殺意を、人に対する殺意をアービィは初めて持った。

 

 何よりこいつらは、ルティに触れた。

 ルティを、仲間を売ろうとした奴らを、二度と日の下に出してやるものか。

 アービィに残ったひと欠片の理性が、寸でのところで獣化を防いでいた。

 

 

 ヒドラの時と同じだと感じたティアは、必死にアービィにすがりついていた。

 殺させてはいけない。

 この人狼を人殺しにしてはいけない。

 

 もし、この男を殺させたら、人狼の本能が解放されてしまう。

 その直感が、ラミアに染み込んだ人狼への恐怖を抑えつけていた。

 

 泣きながらアービィを止めるティアの必死さに我に返ったルティとメディが、アービィの制止に加わる。

 徐々に冷静さを取り戻したアービィが、男の喉から手を離した。

 

 

 翌朝、縛った男たちを近くの村に駐屯する警備兵に任せ、アービィたちは簡単な事情聴取だけで開放された。

 警備兵の話では、娼婦を義勇軍に同行させるために多数徴発され、多くの娼館が人手不足に陥っているらしい。

 

 多数の健康な男が、いつ命の遣り取りがあるか解らない極限下で、数ヶ月の間女無しで過ごすことは難しい。

 精神的に追い込まれた男たちが、近隣の村で暴行など働くようになっては、義勇軍なのか侵略者なのか分からなくなってしまう。

 娼婦がいすぎて、困ることはない。

 

 

 人買いを根絶することは難しい。

 奴隷売買も同じだ。

 

 経済的な行き詰まりが原因の人身売買は、残された家族を助けるための最後の手段だ。

 そういった理由で売られている奴隷を安易に助けたところで、経済的な問題を解決していなければ、また別の人買いによる売買が繰り返されるだけだ。

 幼少時より奴隷と言う存在が当たり前にいるため、誰もその悪に疑問を持っていないということも問題だった。

 しかし、奴隷狩りで連れてこられる人々は、何の落ち度もない者が、理不尽な暴力によって無理矢理その立場に堕とされた者たちだ。

 

 一応は奴隷狩りによって集められた奴隷の売買は法令で禁じられているが、買う側が判るわけはなく、売る側が公表するはずもなく、売られる側が口にすれば折檻、最悪口封じが待っているだけだ。

 奴隷商人自ら狩りに出れば、元手も掛からない。

 アービィたちに返り討ちに遭ったような奴隷狩りを雇っても、質のいい商品を選んで集められるため利鞘が大きい。

 

 結局一つずつ潰していくしかないのだが、地下に潜った組織を潰しきることは難しい。

 それでも今回の一件で、かなり大きな組織を潰せそうだと、警備兵は明るく言っていた。

 

 

 ツェレンドルフに到着した一行は、その足で土の神殿へ行き、精霊と契約した。

 さすがに一泊くらいはベッドに寝たいと誰もが考えたため、この夜は宿を取ることにする。

 

 宿に付随する食堂でエールを傾けながら、今後の予定に付いて話し合った。

 まだ三人の剣はできていない。

 あと20日ほどはどこかに拠点を持って、討伐等でラシアスでの旅費も併せて稼ぐ必要がある。

 

 剣を受け取ったらベルテロイに戻り、そこからインダミトの水の神殿へ行き、その後レヴァイストル領に立ち寄ってから、ラシアスに向かい、火の神殿に行くことにする。

 メディはそれまでにビースマックへ戻るか、ストラーまで行くかを決めると言う。

 13年振りの自由を、メディは満喫していた。

 

 

 ベルテロイの酒場で、ハイスティはビースマックから来た商人に会っていた。

 少年がヒドラを討伐し、さらにはこの10年間近隣住人を悩ませていた化け物も退治したという噂を聞く。

 

 ふと、彼は近くの席にいる二人連れに、視線を引き止められた。

 黒のローブを纏った魔術師然とした二人連れ。

 

 片方は初老であることが伺え、もう片方は従者であろうか、まだかなり若い。

 二人ともフードを深く被り、その表情が伺えない。

 

 どこかで見たことがあると考えて、該当する者がラシアスを出たという噂を思い出し、それが事実であったと確信した。

 どれ、ちょっとご挨拶でもしておくか、お得意さまだしな。

 

 

 ラシアス宮廷魔術師ドーンレッドは焦っていた。

 召喚に失敗して行方不明になった男の行方は杳として知れないが、痣を持つ少年の報告をコリンボーサが握りつぶしていたことを知った。

 

 従者として連れて出た少女は、北の大陸出身の妖術使いで、殺人の業も身に付けた腕利きの暗殺者。

 正体は謎に包まれており、各国の間諜からは本当に存在するのかさえ解らないと言われている。

 

 ドーンレッドは自分だけの密偵として、彼女に幼少時よりあらゆる闇の業を仕込んできた。

 深い愛情を注ぎ込まれながらも、厳しく育てられた彼女は、ドーンレッドに対し祖父への思慕に似た感情を抱いている。

 

 彼女は、ドーンレッドとは暫く別行動をしており、コリンボーサの密偵が少年の確保に動いた時点から監視していた。

 そして、彼らがインダミトの腕利きに妨害され、失敗した時も手を貸さず全ての動向を探り続けた。

 

 その後、インダミトの密偵に張り付き、ベルテロイにドーンレッドを呼び寄せた。

 ドーンレッドは、自らの呪文の成功に自信は持っていたため、痣を持つ少年が召喚した男だとはまだ信じていない。

 

 それでも念のため、少年の確保をしておこうと考えた。

 コリンボーサも同じ目的で動いているようだが、奴は第一王女への忠誠心からではなく、自らの権勢のために動いている。

 摂政に対して孫にも似た想いを抱く魔術師は、召喚した男の力は権力や政争のためではなく、摂政のために使うべきと考えていた。

 

 他国の密偵に張り付いていれば、少年の元に連れて行ってくれるだろう。

 声を掛けてきた商人に柔和な笑顔を向け、ドーンレッドはそう考えていた。

 

 

 ウジェチ・スグタ要塞は、様々な思惑を秘め沈黙していた。

 地峡に聳え立つ白亜の要塞は、両大陸をつなぐ唯一の大きな街道を、その巨大な城門で塞いでいる。

 

 要塞の北側には広く深い濠が掘られ、橋は城門の中に引き込み式になっていて、城門が開かない限りその姿を現すことはない。

 かつて北の大地に攻め込んだときに開いたきりの城門は、永遠に開く予定のないその雄大な姿を濠に映すだけだった。

 

 しかし、今、城門の内側では、北の大地に向かって巨大な殺気が膨張しきっていた。

 インダミト王国子爵アーガス・ボルビデュスが先陣の位置にあり、騎兵と歩兵を合わせた五千の軍勢を率い、城門を開けさせようとしていた。

 総司令官ラシアス王国子爵カラディリア・ディテイプリスの黙認と、副司令官バコパ・リシマキアの猛反対を無視したままで。

 

 要塞総指揮官の人選は難航を極め、混乱と諦めの産物だった。

 総司令官の座をラシアスの貴族が占めることは、どの国も反対する気はなかった。

 

 宰相コリンボーサと騎士団長ラルンクルスの両者が、違う人選をしていた。

 両者の主張は平行線を辿り、最終的に閣議での多数決となったが、多数派工作をしたコリンボーサと閣僚の良識に期待したラルンクルスとでは、勝負はする前から決まっていた。

 

 コリンボーサは自分が安心して操りやすい無能者を、ラルンクルスは要塞を安心して任せられる歴戦の有能な指揮官を推していた。

 多数決の結果を見たラルンクルスは、国の将来に言い様のない不安を感じ、常日頃反目し合ってはいるものの、国を深く憂いていることについては疑いようのない魔術師を思い浮かべていた。

 

 総司令官の座に収まったカラディリア子爵は、その権力に酔っていた。

 副指令のバコパを冷遇し、自分におもねり擦り寄る者を側近に取り立てている。

 もちろん、袖の下を通る金属にも執着していた。

 

 アーガスは、言葉巧みに、この無能者に取り入っていた。

 口だけは威勢の良い戦略性の全くない大語壮言は耳に心地よく響き、北の民など鎧袖一触と嘲り慢心した作戦会議は思い込みだけで話が進んでいく。

 

 侵攻の意志は全くなかったが、敵拠点を叩き向後の憂いを絶つという、情報の裏づけも何もない戦略が決定された。

 心ある将は敵拠点などないことを熟知しており盛んに翻意を促すが、南の大陸だけの常識に囚われ、ゲリラ戦の経験など全くない貴族たちは、過去の戦物語から得た「戦訓」を頑なに信奉し、聞く耳を持たない。

 既に彼らの目には陣を組んだ連合軍が、蛮族の群れを蹴散らす光景しか見えていない。

 

 もとより、騎士階級の意見を聞くなど、考えもしない。

 騎士階級は所詮家臣であり、貴族たる主人の言うことを聞いているだけでよい、と考えていたのだ。

 ましてや騎士階級からの意見具申で方針を換えたとなれば、自らの間違いを認めることにもなり、かさばるプライドが許すわけもなかった。

 

 さらに、愛妾や高級娼婦のいない南大陸の北端など、決して長くいたい場所ではない。

 さっさと、短期決戦で華々しい戦果を挙げ、故郷に凱旋したいとしか考えていなかった。

 城門が引き上げられ、橋が濠に渡され、五千の軍勢が北に進んでいく。

 

 

 アービィたちはいろいろ考えた末、マグシュタットを拠点にして討伐の依頼をこなすことにした。

 スライムを倒すことはあまり金にはならないが、剣や呪文の修練にはもってこいだった。

 

「ねぇ、ちょっと話がおかしくない!?」

 ティアが叫ぶ。

 

「気にしちゃダメよ~!!」

 ルティが叫び返す。

 

「考える前に手を動かしてっ!!」

 アービィが叱咤する。

 

 なぜか、スライムの群れが大きくなっていた。

 その上、砂鉄が取れる川原や狩場になっていた比較的安全な森、農地を広げようとしていた草原にガーゴイルが出没するようになっていた。

 

 ガーゴイルは石像に魂を入れた擬似生命体だ。

 死への恐怖がないため、完全に破壊するまで動きを止めることはない。

 

 格闘技や剣技など武芸の心得のある者にはたいした脅威ではないが、一般の人々には少々手に余る相手だ。

 それが少ないとはいえ、数体うろついている。

 

 何かの意志が働いていることは間違いないが、今のところ村や集落の中に入り込むことはない。

 スライムもガーゴイルも人を見れば襲い掛かってくるのだが、両者が出会った場合は、ガーゴイルはスライムを殺すことを優先しているようだ。

 今のところ、村人たちはガーゴイルを役に立つものと認識し、できるだけ出会わないようにして、スライムの駆除に間接的に利用している。

 

 この日もガーゴイルの気配に注意しつつ、スライムを狩っていたが、いつの間にかガーゴイルが遠巻きにしていた。

 メディに身体の物理的防御力を上昇させる1レベルの土の呪文『防壁』を唱えさせ、あらかたスライムを狩りつくした三人がガーゴイルに突っかける。

 

 石造りのためか動きの鈍いガーゴイルは、三人の動きには付いてこられず、容易く打ち倒されていく。

 が、痛みも恐怖も感じない擬似生命体は、腕や頭を失っても怯むこともなく、脚を失っても腕で身体を支え飛び掛ってくる。

 

 ルティは斬るというよりは叩き潰すように剣を振るい、『透過』で姿を消したティアは『回復』や『治癒』で援護に回る。

 アービィは剣ではなく掌底で四肢を砕き、怯んだところに『大炎』と『凍結』を叩き込んで熱膨張を利用して、内側から石を破壊していた。

 

 三人の剣ができあがるまでの二十日間、彼らは一生分のガーゴイルを見た気分になっていた。



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第32話

 グロッソが鍛えた剣は、今まで見ていた剣とは全く違うものだった。

 今までの剣は、ツルギ。これはカタナだ。

 

 グロッソは、三人の体格や剣技の特性を見極めた上で、それぞれに合う剣を鍛えていた。

 片刃で僅かに反りのある刀身。

 刃紋が波打っている。

 鞘は刀身をしっかりと銜え込み、鯉口を切らねば抜けることはない。

 

 その剣を携えて、試し斬りのためスライムを討伐に行く。

 今まで使っていた剣も悪くはないが、切れ味が根本的に違う。

 

 スライムを斬っても、飛び散ることなく真っ二つになるだけだ。

 もちろん斬りどころが悪ければスライムが増えるだけなのだが、破片が飛び散ることがなくなった。

 討伐の合間にアルテナから剣の手ほどきを受けていたルティは、気の操り方の初歩を会得しかけていた。

 

 刀身の先から気を投げ出すように斬る。

 振り抜いたときに、刀身の形の刃が飛んでいくような感じだ。

 

 三人とも、何度も吊るされた紙を切る鍛錬を重ねている。

 アービィとティアはすぐに上達することはなかったが、アルテナから今後の努力である程度は上達できると言われていた。

 

 ルティは、今では紙を歪ませることなく、切断できるようになっていた。

 剣のおかげだと思っていたが、アルテナが言うには、どんな良い剣であっても太刀筋が狂えば紙は千切れるだけよ、と言われている。

 もうちょっと上達すれば、石だって鉄だって、刃を傷めることなく気で切り裂けるわ、とアルテナは嬉しそうに言った。

 

 プテリス夫妻に礼を言い、四人はベルテロイを目指して山を降りる。

 エッシンフェルゲンを通過し、ビースマック街道を討伐の仕事を請けながら、10日ほどでベルテロイに到着した。

 

 ベルテロイに入る頃、アービィはレベル1の『水流』、『火球』、相手の動きを止める『地縛』が10回、レベル2の『凍結』、『大炎』、指定した相手の力を倍加する『倍力』が6回になっている。

 ルティは剣重視の修練だったので、レベル1の『回復』、『解毒』、物理防御を上昇させる『防壁』が10回、レベル2の『治癒』、麻痺回復の『解痺』、呪文攻撃をある程度防げる『魔壁』が5回。

 ティアは習得した呪文はルティ同様で、レベル2が7回使用可能だった。

 

 

「お爺様、あの少年たちです」

 ドーンレッドに付き従う少女、リムノが教えた。

 

 ベルテロイにいるドーンレッドは、ハイスティと酒場にいた。

 他愛のない世間話と、ラシアス内での商売の見通し、ウジェチ・スグタ要塞から出撃した連合派遣軍の戦況など、機密に関らない範囲で互いに知る情報を交換していた。

 

 ハイスティはビースマックにいる仲間からアービィたちの情報は常時得ており、間もなくベルテロイに来るであろうことは掴んでいた。

 ドーンレッドはリムノを通してその情報を掠め取っており、このまま待っていれば彼らを捕捉できると睨んでいる。

 

 ここ何日か、偶然を装い酒場で会うように仕向けていたのは、お互い様だ。

 何れは始末しなければならないだろう。それもお互い様だった。

 そしてこの日、アービィたちがベルテロイに戻ってきた。

 

「捕らえますか、お爺様?」

 

「いや、事を荒立てては、彼らを敵に回すだけだよ、リムノ」

 祖父がやんちゃな孫娘に世事を諭すときの口調と視線だ。

 

「それでは逃がしてしまいますが? 連れの女を攫い、逆らえないようにすればよろしいか」

 

「そうすることは容易かろうな、リムノならば。が、彼には我が国に忠誠を誓ってもらわねばならんのだよ?もし、リムノがわしを盾に服従を誓わされたとして、それは本心からになるかな?」

 そう言われればそうだ。

 表面上の服従と、いつかは寝首を掻いてやろうという反逆心が同居するだけだ。

 

「考えが至りませんでした、お爺様。では、わたくしは他の密偵を排除する、ということでよろしいのですね?」

 リムノの言葉に、ドーンレッドは満足そうに頷く。

 

「正攻法で行こう。が、交渉が決裂したときは、守ってもらうぞ」

 ドーンレッドは付け加えた。

 

 

 ハイスティは、平静を装いつつ焦っていた。

 ドーンレッドがアービィたちを狙っていることは明白だ。

 召喚した張本人なのであろう。

 いよいよ自分の妨害に、黙って見ていられなくなったのだろう。

 

 さすがに一国の重要閣僚を排除と言う形で殺害などしたら、いくらなんでも国家間の表立った争いになる。

 それに彼に付き従う少女を排除するには、多少の危険も伴うだろう。

 数日前に彼は王宮に報告書を送り、王の判断を待っていた。

 しかし、その返事が来る前にドーンレッドはアービィに接触してしまう。

 

 一間諜の判断の域を超えた事態に、彼は困惑していた。

 とりあえず、アービィたちを拉致するようなら、ベルテロイを出るまでに実力で取り戻すだけだ。

 彼は覚悟を固めていた。

 

 

 高級な宿の一室で、初老の男性と若者たちが対峙していた。

 針で突付くだけで破裂しそうな空気が張り詰めている。

 

 今から十三年前、第一王女が魔王が降臨したと神託を受けたこと。

 三年の研究の結果、自分が勇者召喚の呪文を完成させたこと。

 そして十年前に勇者を召喚したこと。

 その勇者が行方不明になってしまったこと。

 勇者には『日』型の刻印があること。

 アービィの肩にある痣と、勇者にある刻印が同じである可能性が高いこと。

 

「そして、君のことを、我が国の騎士として取り立てようと思う。お三方とも、君にとっては大切な人なのであろう? 共に取り立て、見合う仕事を考えよう。どうかね、悪い話ではあるまい?」

 ドーンレッドからの長い、長い説明の後、沈黙が支配している。

 ドーンレッドは和やかな表情で若者たちを見ているが、目は笑っていない。

 アービィたちは、困惑の表情で固まっている。

 

 前夜、丁寧な招待状を受け取ったアービィたちは、この日の午後、一般的なお茶の時間に合わせてドーンレッドが投宿している宿の部屋に彼を訪ねていた。

 和やかな雰囲気で始まった会談は、彼の突然の説明から一気に冷たい空気を纏い始めた。

 

 天井裏ではリムノとハイスティが対峙している。

 こちらは和やかさなど最初からなく、ドーンレッドが予めリムノを止めていなければ、たちまち血の雨を降らせていただろう。

 

 一言も喋ることなく、視殺戦を繰り広げる二人の足元では、塑像のように固まったアービィたちがいた。

 まるで些細な口げんかから、メディが力を解放してしまったかのようだった。

 

 その力を解放しようとしているメディを目で止め、アービィは口を開こうとするが言葉は出てこない。

 いつしか、日は傾き、窓の外は茜色に染まっている。

 

「いきなり言われても、すぐ答えを出せるとは思わぬ。今夜は部屋を用意した。一晩、ゆっくり考えられよ。もし、承諾してもらえるなら、王都までお連れする」

 考え込んでいる四人に、ドーンレッドは言葉を掛けた。

 言外に断らせぬという意思を込め、ちらりと天井に目をやってから、笑顔でドーンレッドは言った。

 

「人払いはできている故、相談されることも自由だ。私がいては相談もできまい」

 そう言って彼は部屋を出た。

 

 ドーンレッドが出ていた後の応接間は、沈黙が支配している。

 四人が四人とも、混乱していた。

 

 ルティは、アービィの正体が魔獣であるどころか、この世界の者ではないということに衝撃を受けていた。

 それは、得体の知れないものへの恐怖故ではなかった。

 

 他の世界で生活していた人間が、こちらの都合で勝手に誘拐され、年齢が変わっただけでなく人外の化け物にされていたのだ。

 そのことに、心の底から怒りが湧く。

 こんな理不尽なことがあるだろうかと怒りを抑えるのに必死だった。

 

 ティアは、普通の人間が魔獣に堕とされたことが、腑に落ちなかった。

 おそらく、ドーンレッドは、人間を召喚したかったはずだった。

 アービィがいた世界にも人狼がいて、それを狙って召喚するとは考えられない。

 

 人間であれば、性格についての不安は少ない。

 桁外れの戦闘力を持つ人狼だが、アービィは例外中の例外であって、ほとんどは却って人に仇為すだけの結果に終わるだろう。

 この世界の常識に囚われている以上、態々人狼を狙うとは思えないのだ。

 

 なんらかの力、勇者が召喚されては都合の悪い者が、召喚呪文に干渉し、召喚された人物を弾き飛ばした上、人狼に変えたのだろう。

 なんという理不尽。なんという悲劇。

 ティアも、怒りに震えていた。

 

 メディは、既に何がなんだか、解らなくなっていた。

 とにかくアービィの戦闘力が並ではないこと、彼がとても重大な秘密を抱えていることくらいしかわからない。

 

「わたしは、何も言う資格はないと思うの。宿に戻ってるね」

 自分を襲った悲劇以上のことだとは、なんとなく解る。

 そこに口出しもできないことも。

 一抹の寂しさを抱えて、メディは宿へと帰っていった。

 

 

 おそらく、この四人の中でまだ冷静だったのはアービィだった。

 が、それも最初のうちだけで、自問自答するうちに混乱し始めていた。

 

 生まれてから村の前に来るまでの間の記憶は、ほとんど無い。

 確かに残る記憶は、ちょうど十年前からだった。

 

 勇者を召喚した、という時期と一致する。

 が、ドーンレッド召喚したという人物は、十代後半から二十代前半だという。

 今の自分と同じくらいなのだろう。

 年齢が合わない。そうだよ、僕じゃないよ、ね?

 

 でも、と思う。

 夢に出てくる知らない街や、知らない人。

 でも懐かしい街や人。

 

 あれが召喚される前の記憶なのだろうか。

 その世界でも人狼だったのだろうか。ああ、だめだ。もう解らない。僕は誰なの?

 

 

 どれほどの時間が流れただろうか、三人とも何も話せないまま時は過ぎ、窓の外は陽が沈んでいた。

 言葉を交わすこともなく、何かを言おうとして目を合わせる度、喉まで出掛かった言葉を飲み込んでしまった。

 ルティもアービィも自分を疑われることが怖かった。

 

 得体の知れないものと思っていると疑われるのが怖かった。

 得体の知れないものと思われるのが怖かった。

 ティアは自分の推測を言うのが怖かった。

 

 

 夕食の時間になったのか、侍女が部屋に入ってきて、何か召し上がりませんとお体に触ります、と言って、三人を促す。

 アービィは、侍女があまりに心配そうに言うので、これ以上心配を掛けたくないという一心で、二人を促し食堂に行くことにした。

 

 砂を噛むような食事を終え、それぞれは用意された部屋に案内された。

 アービィがドアを閉める直前、ルティは声を掛けようとしたが、その口からは何も言葉は出なかった。

 

 嫌味にならない程度の調度品が設えられた、上品な寝室。

 アービィはベッドに転がり、この一日のことを思い返していた。

 

 なんとなく不安に感じていたことの原因は、これだったのかと考えている。

 自分の出自がまったく解らなかったこと。

 この世界にない知識を持っていたこと。

 

 解らないこともいっぱいある。

 召喚されたとき、今くらいの年齢だったと言う。

 なぜ、若返っていたのか。

 なぜ、人狼になったのか。

 

 そう考えているうち、彼は眠りの淵へ落ちていった。

 

 

 ルティは眠れそうもないまま、ティアの部屋のドアを叩いた。

 承諾の回答があり、入室する。

 

 ティアは、涙でぐしゃぐしゃになったルティの顔を見て、静かに頷いた。

 ティアを見詰める目からまた涙が零れ落ち、何も言わずティアに縋りついたルティは、堰を切ったように泣き出してしまった。

 やがて、それは嗚咽に変わり、ティアはルティが落ち着くまで髪を撫で続けた。

 

「ねぇ、あんまりだよね、ひどすぎだよね? いきなり攫われて……一番苦しいのはアービィなのに、あたし……あたし……」

 異世界など、物語の中だけのことだと思っていた。

 アービィはあちらの世界で普通に暮らし、普通に恋愛もしていたに違いない。

 

 何の前触れもなく、この世界に連れてこられ、人の忌み嫌う人狼に変えられたのだ。

 その上、勇者などというものまで、押し付けられようとしている。

 そして、アービィをこの境遇に陥れたラシアスに怒りを覚えると同時に、それがなければ自分はアービィに出逢うことはなかった事実に気付き、自分の浅ましさが恐ろしくなってしまったのだ。

 

 もう一つ、ルティは気付いてしまったことがある。

 アービィにとっての幸せは、おそらく元の世界に戻ることに違いない。

 

 つまり……

 それ故に、アービィに声を掛ける勇気がなかった。

 

 自分の浅ましさが許せない。

 そう言って、ティアに縋りついたまま泣いた。

 

「ルティしかアービィを支えられないの、悔しいけどね。いつまでも泣いてちゃ駄目よ」 

 ティアはそう言って、ルティの髪を撫で続けていた。あたしじゃ駄目だもんね、解ってるわ、そんなこと。

 

 

 夢を見た。

——よう、俺——

 

「誰?」

 20代後半だろうか、この世界では見ない服を着た、黒髪に黒い瞳の男が声を掛けてくる。

 

——俺だよ、俺。もう、顔も思い出せないかい? 10年だもんなぁ——

 

「僕?」

 

——そう。召喚される前の俺だよ——

 

「やっぱり、勇者って、僕たちのことなんだ?」

 

——なんか、そうらしいなあ——

 

「そうらしいって、他人事みたいに」

 

——現実味がないんだよ。こんなこと、ファンタジー小説の中だけだと思ってたけどな——

 そう言って、その男は話し始めた。

 アービィには解らない単語もあったが、どうやら仕事の途中でこの世界に引きずり込まれ、意識をなくしたと思ったら狼になっていたそうだ。

 それからのことは、アービィの記憶と同じだった。

 

——俺がそのままこっちの世界に着いたら都合悪い奴が邪魔したんじゃねぇかな——

 

「それって、あの人が言ってた魔王かな?」

 

——そうかもな——

 

「ねぇ、ひとつ聞きたいんだけどさ、元の世界に帰りたい?」

 

——いや——

 

「どうして?」

 即答に対し、素直な疑問をアービィは問う。

 

——だってよ、もう10年行方不明なんだぜ? 会社にも迷惑掛けたまま消えちまってさ。どの面下げて帰れって言うんだよ——

 

「あっちにも好きな人とか、友達とかいたんじゃないの?」

 

——あー、思い出せないか? そんなのもいたけどさ。10年だよ、10年。戻ったとしてさ、どうやって説明すんだ? ありのままに話したら精神病棟行きだぜ。永遠に出られない、な——

 

「そう言われれば、そうだね」

 記憶が繋がり始め、言葉も理解できるようになってくる。

 ついでに失恋の痛い記憶も蘇り、失敗したと苦笑いする。

 

——まぁ、そんなのは言い訳でさ。もう帰る気ないよ。だって、俺はおまえだぜ? ルティ置いて帰れるか?——

 

「無理」

 アービィは即答した。一切の迷いも見せず。

 

——だろ?——

 

「うん、でも本当にそれでいいの?」

 

——俺はおまえだよ。おまえがルティと離れたくないってことは、俺がルティと離れたくないってことなんだよ——

 

「そうか~。あのさ、あなたが言ってることって、僕が考えてることなんでしょ?」

 

——そうだよ、俺が考えることはおまえが考えること。一緒だ——

 

「じゃあ、さっきから言ってる戻らなくてもいいってことはさ、自分への言い訳じゃないの?」

 本当に帰らなくていいのか、アービィには自信がなかった。

 

——そうだ。俺はおまえだからな——

 

「やっぱり、帰りたいんじゃないか」

 

——もし、な、もしもだ。俺とおまえの人格が分離できるもので、おまえの人格がこっちに残れるなら帰りたいさ——

 

「これから、その方法探してみようよ」

 

——さすが、俺。無駄に前向きだな——

 

「でしょ。ところでさ、勇者にならなきゃいけないのかな?」

 これが一番解らない。

 魔王なんて、姫様の神託とやらにしか出てきてないし、それこそ現実味がない。

 噂の域でしかないのだ。

 

——そうだなぁ、中坊のころには憧れたよな、勇者になって世界を救うとかにさ——

 

「今はどうなのさ?」

 

——どうでもいいことだ。大切人さえ守れれば、それでいい——

 

「ルティのこと?」

 

——よくお分かりで。なぁ、いいか?——

 そういって男は話し始める。

 

 もし、奴さんの口車に乗って騎士として取り立てられたとしよう。

 俺はまずは対北の民、対他国の兵器にされちまうな。

 

 で、本当に魔王とやらがいたとしたら、対魔王の兵器だ。

 多分、態々異世界から召喚したってことは、俺には魔王を倒せる力が備わっているってことだ。

 

 魔王を倒せる勇者に勝てる奴なんかいないよな。

 この世で最強の「兵器」ってことだ。

 

 この国の姫様は、その力が欲しいんだよ。

 確かに俺を召喚したときは、純粋に国のためって考えだったとは思うがな。

 

 それが10年歳を重ねるうちに、俺の力の意味が解ったんだ。

 この世界に国がひとつだけってんなら、それでも良かったかもしれん。

 

 ただな、姫様のご希望通り、魔王を倒しちゃって、他の国潰しちゃった後だよ。問題は。

 姫様をぶち殺して、俺が王になることを止められる奴は、いないよな。

 

 それじゃ、魔王とどこが違うんだ?

 そんな物騒な存在にはなりたくねぇな、俺は。

 

 どこか一国の所属になるのは危険。

 戦争の火種だ。勇者争奪のな。今もそうなりつつあるが。

 

 どこかに隠遁しても同じ。

 世界を脅かすかもしれない存在を、許しておけるわけがないだろ?

 

 結局、いちゃいけないんだよ、この世界に。

 そういう意味では、帰りてぇよな。

 

 そう言って、男は一息ついた。

 

「ルティを置いて?」

 アービィは聞いてみた。

 

——だから言ったろ、俺とおまえが分離できるなら、だよ。後ひとつ言えば、その時点でおまえが狼と分離ってのもな——

 

「あなたはルティを置いていけるの?」

 

——じゃあさ、おまえはルティを現代日本に連れて行けるか?——

 

「どうすればいいのかな?」

 言葉、風習、文明度、何から何まで違う世界に、いきなり放り込まれて平気なものか。

 それにルティの両親はまだ健在だ。ティアやメディ、レイや伯爵、離れ難い人々がいる。

 ルティにそれを選ばせるのは、酷過ぎるというものだろう。

 仮にルティが全てを捨てて日本へ行くと決意したとしても、戸籍等の誤魔化せないことが山積している。

 

 この世界と日本と、行き来できるならそれもいいかもしれない。

 そんな都合の良い話があるとは思えない。

 

——なぁ、俺はおまえなんだぜ?——

 

「そうだよねぇ。結局自分で考えなきゃいけないってこと?」

 

——そう。俺がこれから考えなきゃいけないこと——

 

「そうだね、僕が、だね」

 

——もう解ってると思うけどよ、俺はもう二度と出てこないぜ。昔の夢は見るだろうけど、俺の視点とおまえの視点は同じなんだからな——

 

「あなたは僕で、別人格のもう一人の僕じゃないってこと?」

 

——そういうこと。自問自答してるうちに思い出したんだよ、俺を——

 

「記憶を、だね」

 苦笑するアービィを尻目に、この世界でも日本人は若く見えるんだな、あの当時で25だったんだぜ、と呟きながら、その男は消えていった。

 

「僕は、もう三十五歳なの?」

 苦笑いしつつ問うが、答える声はもうなかった。

 

 

 アービィには解っていた。

 あれは自分だと。

 自問自答しているだけだったのだ。

 

 口調が違っていたのは、元の世界での素の口調だった。

 どっちが本物、とかいうことではなかった。

 

 なぜ、人狼になってしまったのかは置いておくとして、今後の課題ははっきりした。

 ともかく、当初の予定通り、呪文を極め、精神力をつけて獣化をコントロールすること。

 それが第一で良い。

 

 この世界を選んだのは、なによりも、ルティと離れたくないからだ。

 そして、二人で穏やかに暮らすには、獣化のコントロールが不可欠。

 

 もし、その魔王とやらが実在して、僕とルティの邪魔をするなら叩き潰す。

 人狼にしたことを後悔させてやれば良い。

 

 そのあとで僕とルティの前に立ち塞がる奴がいても、叩き潰す。

 戦いや世界制覇を望んでいるわけじゃない。

 

 とにかく一度、姫様には会ってみないといけないな。

 なんでこの世界に呼んだのかって。

 それで、言ってやろう。

 僕たちに構わないで、と。

 

 その前に、一度インダミトに行かないと。

 メディの用事も済ませたいし、伯爵やレイにも久し振りに会いたいしね。



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第33話

 「それじゃ、いってきます」

 ベルテロイからインダミト街道を南下し、フュリアを目指す馬車にアービィたち四人は、ドーンレッドに挨拶してから乗り込んだ。

 御者台にはリムノが乗り、手綱を握っている。

 

 突然勇者などという迷惑極まりない話をされ、アービィが異世界人という秘密まで打ち明けられた一夜が明けたとき、ルティはどう彼に接していいか分からなかった。

 どれほどの衝撃だっただろう、夜は眠れたのか、心の揺れはいかばかりか、心配は尽きなかった。

 ティアと二人で過ごした不安な夜、アービィを一人で過ごさせてしまった後悔が、ルティを苛んでいる。

 

 部屋のドアが叩かれ、意識をそちらに戻して返事をする。

 入ってきたのは、晴れやかな表情のアービィだった。

 

「ルティ、昨日はびっくりしちゃったよね~」

 あっさり言うアービィに拍子抜けしたルティは、安堵なのか心配の裏返しの腹立ち紛れなのか、何も言葉が出なかった。

 

 ラシアスに行くこと。

 でもその前にインダミトに行って、メディの用事を済ませ、ボルビデュス伯爵とレイに会いにも行くこと。

 それをルティに話す。

 

「じゃあ、アービィは、騎士になるの?」

 

「うん」

 ルティの問いに答えつつ、手はペンを取り、くしゃくしゃの紙の上を走らせる。

 

――ならないよ、姫様に文句言いに行くだけ。勇者なんて夢みたいな話、僕には無理――

 どこで何を聞かれているか、リムノの気配が濃厚すぎて、とても言葉にはできない。

 リムノ自身は完璧に気配を消しているつもりだったが、狼には通用しなかった。

 当人は気付いていないが。

 

「とりあえずさ、一度宿に戻ろう。メディが心配してるよ、きっと。ドーンレットさんに言ってくるね」

 アービィは軽く言い、ティアにも帰る用意してって言っておいてね、と言い残し部屋を出た。

 

 

「おはようございます。昨夜考えさせてもらいましたが、僕たちはラシアスに行きます。ただ、その前に水の神殿とボルビデュス領に行かせて下さい」

 逃げるつもりか、と訝しむドーンレッドにアービィは続ける。

 

「そちらの方にご同行願えれば問題ないのでは?」

 天井を指さされ、ドーンレッドは苦笑しながらリムノを呼び、同行を命じた。

 

 

 御者台に座るリムノは、金髪を風になびかせ、碧眼に困惑の色を漂わせていた。

 なぜ、この同年代の男は、自分の気配が分かったのか。

 おそらく、横に座る女の部屋に行っていたときも、気付かれていたのではないだろうか。

 

 リムノは今まで人に対して恐怖を抱いたことがない。

 半ば感情をなくしていることもあるが、人如きに恐怖を抱くような甘い修練を積んではいない。

 

 それが、初めて得体の知れない恐怖を感じている。

 異世界人だから? リムノは無理矢理そう結論付けようとしていた。

 

 

 小休止後、メディが御者台に上る。

 同じ北の民として、話をしてみたいと思ったのだ。

 

 間諜として人の間に潜り込む経験を積んだリムノと、娼婦として人との会話の技を磨いたメディ。

 ぎこちないながらも会話が成立し、リムノが少しずつ打ち解ける雰囲気が出てきた。

 メディに対しては、警戒心を持つ必要はないと判断したようだ。

 

 

 リムノは、アービィたちに困惑している。

 彼らは、北の民を同格の友人として連れていた。

 

 全く偏見というものを感じさせない。

 リムノに対しても、全くの同格として接していた。

 

 もちろん、完全に友好的になることはないが、それは彼女が北の民ということではなく、ラシアスの手の者だからだ。

 アービィは、ラシアスに行くとは言ったが、騎士になるとは言っていなかった。

 これは、どう好意的に解釈しても、ドーンレッドの言葉に心動かされたという見方はできない。

 

 リムノは、アービィの奪回を狙ってくるであろうインダミトの密偵に警戒したまま、アービィの心の内を探ろうとしていた。

 しかし、アービィの対応を見ているうち、偏見のない見方をされることに心地よさを感じるようになっていた。

 

 

 王都を通過しフュリアに到着した一行は、メディが精霊との契約を済ませるなり、来た道を戻り始めた。

 治癒師として生計を立てるには、治癒と状態異常解除の呪文が欠かせない。

 水と火の神殿詣は、メディの将来のため必要不可欠だ。

 

 再度王都を通過し、ボルビデュス領を目指す。

 ラガロシフォンに寄ってレイに挨拶しようと考えた彼らは、以前通った道を急いだ。

 

 

 ウジェチ・スグタ要塞は、沈黙に包まれていた。

 寂として声がない。

 会議の席というのに、誰も発言しようとしない。

 原因は単純だ。

 

 アーガス率いる派遣軍が壊滅したのだ。

 さらに救出のために急遽出撃したランケオラータ子爵率いる軍が、待ち伏せに遭い、これも壊滅。

 

 五千の兵力が意気揚々と要塞の門を出てから30日目、僅かに500の敗残兵が蹌踉いながら、五月雨のように帰還しただけだった。

 救援の軍の損害を含めれば、九割を超える未帰還率だ。

 

 これまで、北の民に将などいないと思われていた。

 今回のアーガスの出撃も、その前提に立っていた。

 

 集落を一つずつ踏み潰し、支配域を拡げていこうという戦術だった。

 しかし、襲撃した集落に人はいなかった。

 

 人がいないだけではない。

 食料から衣類、武器として利用できそうな物全てが持ち去られている。

 

 各国からの補給は、ウジェチ・スグタ要塞までは届いている。

 しかし、そこから先に補給部隊を出そうにも、その部隊に掛かる分の物資が足りない。

 要塞に残っている貴族が、自分たちの食料の量や質をそちらに回すはずはなかった。

 

 アーガスは、潰した集落から徴発するつもりでいた。

 が、戦略物資の欠片も残さず、北の民は見事に避難していた。

 建物こそ破壊していっていないが、焦土撤退作戦を行っている。

 

 補給を求める伝令のみ出し、障害がないことに気を良くしたアーガスは、北の大地深く侵攻していった。

 要塞からの距離が10日分の行程を進んだとき、食料の残りが心許なくなった彼らの前に、北の民の軍勢が姿を現した。

 

 いくつもの集落を襲ったが、そこで手に入れられるものは何もなく、無為な行進が続いていただけだったアーガスは、これで戦功を挙げることができると色めき立つ。

 しかし、貴族の彼は自分に充分な食料を割り当てていたが、騎士以下の軍勢には食料の食い延ばしを強制し、兵士に一日に必要なカロリーを確保する努力は払っていなかった。

 

 見通しの良い平原で対峙した両軍は、互いに陣を敷いて睨み合いに入る。

 3日間が経過したが、北の民から仕掛けることはなかった。

 威力偵察程度の小競り合いはあったが、北の民は派手に戦闘はするが、適当なところで退いていく。

 

 偵察部隊からの報告を、自軍の威光が蛮族を蹴散らしていると思い込んだアーガスは、要塞に戻るだけの食料があるうちに、一気に決着を着けることを決意した。

 南大陸の軍勢は、単純な方陣を形成し、北の軍勢と向き合った。

 

 北の軍勢は、両翼を広く取った、横長の陣だ。

 中央突破を狙う南の軍勢は、鬨の声と共に槍を構えて突っ込んでいく。

 

 北の陣の中央に激突した南の軍勢は、そこまでの勢いを利用して北の陣を押し込んでいる。

 北の軍勢は、南の陣を受け止めるが、少しずつ後退し始めた。

 

 嵩に掛かって攻める南の方陣は、北の陣をくの字に押していく。

 自然、北の陣の両翼が南の方陣を包み込みやすくなる。

 

 アーガスは自分の周りをボルビデュス伯軍で固め、先陣は義勇軍から抽出した功名心に飢えた民兵で構成していた。

 その民兵の中には、かつて軍役の経験を持ち、下士官教育を受けた者が少数ながら存在した。

 その経験が危険を察知したときには、もう手遅れだった。

 

 

 雪崩のように北の陣の両翼が襲い掛かり、一気に戦況をひっくり返された南の方陣は、瞬時に崩壊した。

 アーガスは、襲い掛かる北の民の鬨の声に戦意を喪失し、僅かに残る生存本能で最後の戦闘行動を試みる。

 

 彼が選択した行動は、逃走だった。

 いや、逃亡だったのだろう。

 

 救援を要請する早馬が走り、アーガスの周囲をボルビデュス譜代の騎士が守る。

 アーガスに対する忠誠心など欠片も持ち合わせていないが、レヴァイストルに対する忠誠心が、かろうじてアーガスを見捨てることを踏み止まらせていた。

 

 アーガスは、民兵に徹底抗戦を命じたが、国や貴族に殉じる義務感など皆無の兵が、自分を見捨てた将の命令など聞くはずもなかった。

 さしたる抵抗もせず捕虜になる者、自らのプライドに掛けて最後の抵抗を挑み惨殺される者が続出し、南大陸の先鋒軍は消滅した。

 

 かろうじて戦場を脱したアーガスだが、北の軍の追撃は止まらず、絶望的な撤退戦を行う羽目になった。

 ボルビデュス伯軍の精鋭が、決死の思いで北の軍に挑んでいく。

 

 北の軍は殿軍を受け止め、その隙に他の軍勢がアーガスの護衛との間を遮断する。

 確実に、一部隊ずつ挟撃して、敗走する軍勢を削り落としていった。

 

 早馬の伝令に驚愕したウジェチ・スグタ要塞に残る派遣軍首脳は、急遽援軍を組織する。

 自国貴族の先走りに責任を感じたランケオラータ子爵が、援軍を率い出撃した。

 しかし、その時点でアーガスは手駒を全て失い、追撃戦は既に落ち武者狩りの様相を呈していた。

 

 街道を外れ山中に逃れたアーガスは、たった一人でウジェチ・スグタ要塞を目指し歩き始めた。

 不甲斐ない軍勢を罵り、自らの望みを打ち砕いた北の民を呪う。

 

 突然目の前に現れた北の民に驚いたアーガスは、短い悲鳴を残して追っ手に背を向けた。

 まさか、一軍の将がこのような体たらくということはないと思った追っ手は、誰何することもなく一刀の元にその背を切り裂く。

 

 虚栄心と功名心に塗れ、自国の民や自領の精鋭を無為に失った貴族の息子は、北の大地でその短い生涯を終えた。

 戦場にいたにも拘らず、彼の身体には致命傷となった背中の刀傷以外、何一つ傷は無かったという。

 

 

 戦場に急行するランケオラータ子爵は、軍務の経験がなかった。

 武芸の修練こそすれ、父に付いて財務の仕事を補佐する毎日だった。

 

 地の利のない土地を進撃するというのに、斥候を出して進路の確認をすることをしなかった。

 逆に地の利がある北の民は、巧妙に軍勢を山中や森林に隠匿し、ランケオラータの軍勢が通り過ぎるのを待つ。

 そして、陣を組んでの通過が不可能な隘路に差し掛かったとき、隊列の前後から北の軍勢が襲い掛かった。

 

 抵抗も逃亡もできない状況で、最後の一兵まで戦う覚悟を固めたランケオラータ軍だが、北の軍勢は包囲したままで投降を呼びかけた。

 一部の将兵は投降することを良しとせず、剣を振りかざし無謀な突入を敢行するが、一瞬で北の軍勢に飲み込まれ、声を上げることなく死んでいく。

 また北の蛮族の手に掛かることを良しとしなかった将兵は、その場で剣を自らの身体に突き立てた。

 

 戦場の狂気に慣れていないランケオラータは、ここで心が折れ、投降を選んだ。

 わざと逃された早馬が走り、再度の衝撃がウジェチ・スグタ要塞に響いた。

 ウジェチ・スグタ要塞から各国に早馬が走り、派遣軍の悲劇は10日も掛からず、南大陸の住民全ての知るところとなった。

 

 

 街道を進むアービィたちを、早馬が追い抜いていった。

 その早馬に遅れること3日、アービィ一行はラガロシフォンに到着し、事の詳細を聞かされた。

 

 レイは、既にボルビデュス城に戻るため、ラガロシフォンを発っていた。

 今頃、焦燥感に実を焼かれる想いで、ボルビデュスへの道を辿っていることだろう。

 アービィたちも、急ぎボルビデュス城に向かうことにした。

 

 レヴァイストル伯爵は、深い懊悩に身を沈めている。

 アーガスの戦死は止むを得ない。

 情において忍びないものはあるが、戦場に出るものは殺される覚悟がなくてはならない。

 

 しかし、彼の残したツケの大きさは、ボルビデュス家を滅ぼすに充分なものだった。

 戦場での先走り、それによる軍への損害、ハイグロフィラ公爵とパストリス侯爵への背信、その他にも数え上げれば切りがない。

 下手をすれば、一族郎党皆殺しにされてもおかしくないほどだ。

 

 彼は、王都に出向きバイアブランカの前に剣を差し出すつもりだった。

 当のアーガス亡き今、この償いにつり合うものは、彼の命だけだろう。

 

 なんとしても、レイとセラスに累が及ばないようにしなければ、死んでも死に切れない。

 ファティインディは、既に夫に殉じる気で、長い髪をばっさりと切り落としていた。

 

 レイは、両親の覚悟を聞かされて、言葉もなく茫然自失となっている。

 いかに将来を嘱望された才女とはいえ、まだ15歳の少女だ。

 

 家族の不幸、不始末に併せ、婚約者が捕虜となっているのだ。

 泰然としていろというほうが酷である。

 

 セラスには衝撃が大きすぎると、まだ知らせていないようだが、家の中の雰囲気から何かを察している。

 賑やかだったボルビデュス城は、既に葬式のような沈鬱な雰囲気に包まれていた。

 

 

 城の入り口まで馬車は着ていたが、アービィたちは城内に取り次いでもらうことを躊躇っていた。

 友の苦境をこのまま見過ごしていいものか、それとも家の事情に力にもなれない者が口を挟んでいいものか。

 

 意を決して、門番に取次ぎを頼もうとしたとき、通用門が開き、レイが飛び出してくる。

 手を取り合い再会を喜ぶが、すぐにレイは沈んだ表情になってしまう。

 

 レヴァイストル伯も彼らを歓迎し、ささやかながら晩餐会が催された。

 さすがに大人であるレヴァイストル伯は、彼らの前では明るく振舞っていたが、時折見せる沈鬱な表情が彼の深い懊悩の一端を垣間見せている。

 その晩は、早々に休むことになり、アービィたちは用意された部屋に案内された。

 

 深夜、アービィの部屋に侍女が訪れ、伯爵がお越しになりたいそうですが構わないでしょうか? と言ってきた。

 アービィは、こちらから出向きます、と侍女に言い、服装を整え伯爵の居室に案内してもらう。

 

「夜遅くに済まないね」

 

「いえ、大丈夫です。伯爵こそ……」

 そこから先は言葉にできなかった。

 

「これを見てくれるかね?」

 伯爵は、三通の手紙を差し出した。

 

 よろしいのですか、と確認してからアービィは手紙に目を通す。

 一通はバイアブランカ王からのもので、形通りの悔やみの言葉と、既に離縁されているが故に一族に沙汰なしとの通達だった。

 次はパストリス侯からのもので、これも悔やみの言葉と、アーガスを引き止められなかったことへの詫び、そして跡取りを失ったボルビデュス家の将来を案じる言葉で締めくくられていた。

 最後はハイグロフィラ公からのもので、やはり悔やみの言葉から始まり、レイの婚約者が軍事の才がないばかりに裏切る結果になってしまったことへの詫びと、パストリス侯同様、ボルビデュス家を案じる言葉が綴られている。

 

 いずれもレヴァイストルを責める言葉は一言一句もない。

 配慮の行き届いた手紙だった。

 

「君に頼みがある。ランケオラータ殿を取り戻していただきたい。これしか、私にはこの恩義に報いる方法が、思いつかないのだ」

 軍を送り込むことは不可能だ。

 領地の守りを洗いざらい吐き出すことになり、領民の安全を保障できない。

 

 さらに、大規模な奪回戦を行っても勝算は乏しいだろう。

 その間に、ランケオラータを殺されてしまうかもしれない。

 

 ならば、確かな腕を持つ少数の冒険者を送り込んだほうが、可能性は高いと考えたのだ。

 しかし、この気持ちのいい、レイの友達を死地に送ることになる。

 伯爵は断って欲しいという、自分の希望に反した想いも抱いていた。

 

 

 アービィは息を呑んだ。

 貴族が、椅子から降り、床に頭を擦りつけ平民に懇願している。

 

 初対面のときは、悪戯心もあって頭を下げたのだろうが、今回は違う。

 レイのためにも、と続けるが、伯爵は床に頭をつけたままだ。

 

 アービィはランケオラータ子爵に面識はないが、レイの婚約者ということは、以前の会話から覚えていた。

 一体、何ができるというのか。

 アービィは考え込んでいる。

 レイのため、伯爵のため、何ができるか。

 

 忌み嫌われる人狼の力が人の役に立つならば、役立ててみよう。

 最初に頭を下げられたときに、行くつもりになっていたような気がする。

 

「伯爵、頭を上げてください。今から見ることは、誰にも言わないでいただけますか? 奥様にも、レイ様にも。例え、国王陛下であっても」

 

 約束する、と言った伯爵が、頭を上げるタイミングにあわせ、アービィは獣化した。

 巨狼が伯爵の前に立った。

 

――僕の本当の姿です――

 伯爵は驚愕のあまり言葉が出ない。

 

――この力が伯爵のお役に立てるのなら、僕は行きます――

 伯爵は、狼の言葉に頷いた。

 痣の意味はこれだったのか? と心の中で呟いている。

 

 普通だったら恐怖で腰を抜かしていただろう。

 気を失っているかもしれない。

 

 しかし、この巨狼からは恐怖感は微塵も感じられない。

 征くとして可ならざるはない魔獣だ。

 これほど心強い者はいないだろう。

 

――ただ、大変申し訳ないのですが……――

 伯爵は、どんな交換条件が来るのか身構える。

 領地を差し出せと言われても飲むつもりになっている。

 

――なんでもいいですから、着る物を貸していただけないでしょうか?――

 

 沈鬱だったボルビデュス城に、久し振りに主の笑い声が響いた。



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第34話

 「ルティ殿を呼んできてくれ。あ、お前は部屋に入るでないぞ」

 レヴァイストル伯爵は、部屋の外に控える侍女に命じた。

 

 

 眠い目を擦りながら、ルティは伯爵の部屋のドアを叩いた。

 入室を許可する声がしたので、失礼します、と言ってから、伯爵の部屋に入りドアを閉める。

 

「――!!」

 ルティは、何度も目を擦り、状況把握に努める。

 

「……そういうことだったのね……いえ、それは個人の自由だもの……認めなくちゃいけないのよね。……だから、あたしに……手を出さなかった……の?」

 ルティは、この世の全てが崩れ去ったというような表情で俯きながら、うわ言のように言葉を紡ぐ。

 ルティが見たものは、椅子に腰掛け悠然と葉巻を燻らす伯爵と、シーツに包まって向かい合うアービィだった。

 

「いや、何か盛大に誤解しているようだが」

 

「だから言ったじゃないですか、絶対誤解されるって。とりあえずさ、着替えがほしいんだけど」

 

「それでは、私が男色家だと、妻やレイに誤解されても良いと言うかね?」

 

 なんとなく状況を察したルティは、無言でアービィの部屋に行き、着替えを取って戻ってきた。レイも連れてきちゃおうかしら。

 

 

「で、説得力を増すために獣化したってこと? 莫迦じゃないの!? ちょっと見ないでって言って、脱いでからすればいいのに」

 しこたま叱られ、正座のまま説教されているアービィを、伯爵は微笑ましい目で見ている。

 

「まあ、ルティ、そのくらいにしてやってくれんかね。妻やレイにも言うなということだしな。しかし、レイには見せてやりたいものだな。あの気の強い娘が、どんな反応をするかは楽しみだが」

 潮時と見て伯爵はルティを宥めに掛かる。

 それまで人狼といえば恐怖の対象でしかなかったが、改めて見るとその毛皮は優美としか言いようがなく、この魔獣のどこに死を撒き散らす力が潜んでいるかと訝しむほどだった。

 

 

 翌日、アービィたちは、伯爵からの資金援助を得て、ラシアスに向かう。

 資金に関しては心配ない、その他にも必要なものがあれば早馬で知らせてくれたらいつでも送る、と伯爵から後方支援の申し出もあった。

 

 レイは、アービィの獣化以外のことを聞き、安堵と共に申し訳なさでいっぱいになっていた。

 死地に友人を送ることにした父に対し、怒りすら覚えていた。

 行かせないでほしい、ボルビデュスの不始末のせいで大切な友人たちを死なせたくない、と父に抗議した。

 当のアービィや、ルティ、ティアからも説得され、メディも地理に明るいから協力すると言い出したのだが、レイは首を縦に振らない。

 

「ならば、私も連れて行ってください。全部を、任せて……私だけ安全なところにいるなんて……」

 貴族としての振る舞いではありません、とレイは同行を申し出た。

 

 さすがにこれは同意できない。

 伯爵も許可できない。

 

「レイ様、あなたが行ってはいけません。その間ラガロシフォンはどうするのです? 領民を守ることが、貴族として一番大切なことではないのですか?」

 ルティが諭す。

 

「レイ様、足手まといです。僕たちが行くと決めたことですから、任せていただきたいのです。それに……人を殺すことになるかもしれません。ランケオラータ様も、それは望まないのではないですか?」

 それでも首を縦に振らないレイに、アービィが宣告した。

 レイは、はっきりと足手まといと言われ、憮然とだが頷くしかなかった。

 まだレイは、戦場はもちろん、野盗の征伐に出たこともない。

 

 魔獣や獣を殺した経験はあるが、まだ人間を手に掛けたことはない。

 いざというとき、一瞬の躊躇いで命を落すことになりかねない。

 

 ティアは、人を殺さなければならない可能性があること、それが最も心配な点だ。

 先日の奴隷狩りを撃退した際の、アービィの目を思い出していた。

 

 あの時は、今一歩のところで狂気に染まり切ることはなかった。

 もし、今回アービィが人を殺めるようなことがあったら、今度こそ人狼の本能が解放されてしまうのではないか。

 それが心配でならない。

 

 ティアは、その役は自分が負うと覚悟を固めている。

 ルティが悲しむようなことがあっては、ティアは悔やんでも悔やみきれない。

 

 メディは、一つの勝算を持っていた。

 北の大地は、多神教の世界だ。

 

 メディの生まれた集落は違うが、蛇を神と崇める集落も少なくない。

 そのような集落の人間にとっては、ティアの獣化は神の降臨と同義語だ。

 もし、ランケオラータがそのうちの一つに捕らえられているのであれば、ティアに神託を出させることで意外と簡単に解決するかもしれない。

 違ったとしても、そのような集落の協力が得られるかもしれない。

 無駄な血を流すことなく、帰ってこられるのではないかと思っていた。

 

 しかし、それを今、ここで言うことは、ティアを窮地に陥れるだけだ。

 なぜ、それなりに高位の魔獣が人に付き従っているのかは解らないが、態々この仲を引き裂く必要は認められなかった。

 この魔獣を従えさせるほどの冒険者であれば、今回のことは難事のうちには入らないのではないか。そう思える。

 

 

 ようやくのことでレイの説得に成功した一行は、リムノを伴いラシアスへ行くことにした。

 北の大陸に渡る前に、向後の憂いは絶っておきたい。

 ボルビデュス家の人々に見送られ、アービィたちは征く。

 

 リムノはだいたいの事情は掴んだが、それを報告するように命令はされていない。

 たまたま、行き会っただけのことだと思っている。

 

 確かにランケオラータ救出は、インダミトに恩を売る良い機会だろう。

 しかし、それを行うかどうか、判断するのはドーンレッドを含む国の中枢に位置する者たちだ。

 

 既にランケオラータが捕虜となっていることは、南の大陸では周知の事実。

 動くならとっくに動いているだろう。

 それこそ、アービィたちがウジェチ・スグタ要塞に着く前に。

 

 

 ウジェチ・スグタ要塞では、そのランケオラータ救出について、軍議が紛糾していた。

 何れの国も救出にいくべきだと、考えているのは同じだ。

 

 しかし、つい先日のアーガス部隊の壊滅劇が、将官の脳裏を占めていた。

 北の大地にもできる将がいる。

 一部の将官は自覚しているが、少なくともここにいる将官のほとんどより有能な将だ。

 

 ラシアスはインダミトに対する立場を少しでも回復したい。

 ディティプリス子爵の功名心が招いたともいえる、アーガスの独走。

 副指揮官リシマキアの制止を振り切ったのはアーガスとはいえ、唆した上に出撃を黙認したのはディティプリスだ。

 

 しかし、他国かに派遣軍を要請している状況では、ラシアス単独での救出作戦は不可能だった。

 派遣軍から抽出した軍勢の御輿に乗りたい。それがディティプリスの本心だった。

 

 インダミトは、中核となる軍勢と将を失った状況では、動くことはできない。

 ましてや他国への要請など論外だ。

 自力で取り返す。それが残された将兵の願いだが、これ以上の派兵は無理という現実に阻まれている。

 

 ビースマックは、ランケオラータ子爵の命が危険であるという認識はある。

 もちろん救出したほうが良いと考えているが、あまりにも馬鹿馬鹿しい理由で自国の兵を消耗したくない。

 

 ランケオラータ子爵は人物は立派だが、軍人としての才はない。

 そのような人物のため、大軍を動かす必要があるのか。

 いや、軍を動かしてもアーガスの二の舞だろう。

 救出作戦は、少数精鋭の隠密行動であるべきだ。

 

 職人気質からか、極めて現実的な見方をしている。

 しかし、ビースマックには、適任の人物はいなかった。

 

 ストラーは、相変わらず口だけは威勢が良い。

 派遣軍の精鋭を持ってすれば、蛮族など鎧袖一触。

 食料がなくとも精神力で耐えるべきだ。

 武器が届かなければ、腕がある。折れたならば足もある。手足を奪われても噛み付けば良い。

 

 しかし、それを行うのは平民の兵だ。

 自らは決して危険のある場所に近寄ろうとはしない。

 

 アーガスを唆したのはディティプリスだけの責任ではなく、その大半はストラーの貴族たちに拠るものだった。

 彼らは、またそれを行おうとしている。

 そして、凱旋するための名誉だけを望んでいるのだった。

 

 結局、各国の思惑が入り乱れ、軍議は決を採ることさえできずにいた。

 北の民は、身代金等を要求することもなく、不気味な沈黙を保っている。

 

 

「リムノは一緒に行ってくれないの?」

 ルティは諦めきれない様子で同じ問いを何度か繰り返している。

 

「私は、北の民よ。それが北の民に刃を向けられると思って? 集落同士の殺し合いはあるけど、南大陸に力を貸そうとは思わないわ」

 何度聞いてもリムノの答えは変わらない。

 

「南大陸の人に使われてて、北に潜入とかはしたことないの?」

 それまでは何も言わなかったアービィが疑問を呈する。

 ラシアスは対北に力を入れているはずだ。

 この優秀な密偵を使わないはずがない。

 

「ドーンレッド様は、そこは考えてくださってるわ。違う者が行くの。私は、対南の国家要員よ。南が荒れることは、北にとって望ましいもの」

 

「情報を教えてくれるくらいはいいでしょ?」

 ティアが言った。

 

「答えられる範囲でね。メディもいるんだから、私はあんまり役に立たないと思うわ」

 そんなことはないでしょ、と言ってティアは矢継ぎ早に質問を並べる。

 

 今回の戦は、明らかに組織立った戦闘が行われている。

 その将の目星。

 ウジェチ・スグタ要塞を通らずに北に渡る方法。

 蛇を神と崇めている部族の数と規模。

 ランケオラータだけではなく、捕虜はどこに捕らえているか、その候補地等。

 

 リムノは、特に隠すべき内容はなかったか、それに対して判る範囲でよ、と断った上で答えた。

 南の民は、北の民のことを蛮族と見下し、部族間の争いばかりで組織立った戦闘を行うことはできないと思い込んでいるが、一部は正しく、一部は間違いだ。

 実際には、いくつかの大きな集団に別れ、その中には部族を率いる族長たちによる議会があり、指導者が選出されている。

 今回は、特に優れた者が選出されたのだろう。

 

 ウジェチ・スグタ要塞は、地峡の街道を塞ぐように建設されているが、周囲の山岳地帯には地元民族しか知らないような間道が、それこそ血管のように張り巡らされている。

 この間道は、北と南の間にある極僅かの交易ルートとして活用されていた。

 

 全ての北と南の民が対立しているわけではなく、国境を接している辺りでは、昔から僅かではあるが交流が見られた。

 北の民の南大陸への移住は確かに悲願ではあるが、地峡に近づくにつれ山岳地帯は険しくなり、土地の生産力は極端に落ちる。

 

 このため、北大陸の中心部に近くは優勢な部族集団が占め、さらに北や地峡周辺には弱小部族が圧迫され押し付けられている。

 敵の敵は味方とばかりに、南大陸との交易で飢えを凌いでいる部族もあるのだ。

 

 南大陸では、北の民の作るものはエキゾチックな雰囲気を持った珍しいものとして、産地不詳のまま高値で取り引きされている。

 両者の利益が一致するなら、そこに殺し合いやいがみ合いは起きない。

 

 部族集団は、同じ神を崇める集落で形成されている。

 北の宗教は、他の神を排斥することはなく、互いを認め合っている。

 部族同士の諍いは、宗教によるものではなく、生存権の奪い合いでしかない。

 

 蛇を神と崇める部族は、中心部に多くいるが、決して多数派ではない。

 他にもあらゆる動物が神と崇められているが、狼や熊、虎やライオンといった猛獣を神とする部族が多い。

 

 捕虜が一人二人であれば、それは砂漠の中から特定の一粒の砂を探し出すようなものだ。

 しかし、2千人近い集団を捕らえておける場所は、そう多くない。

 

 候補はいくつかに絞れるだろうが、それは現地で情報を集めるしかないだろう。

 リムノは物心付く前に、南大陸に渡っている。

 地名等はほとんど分からないし、地図がない北の大陸では、自分が住んでいる周辺だけが世界の全てだった。

 

「結局、全部は行ってからかぁ~」

 メディがぼやくように言った。

 やはり、リムノの情報は、メディが知る以上のことではなかった。

 ここはやはり、ティアに頑張ってもらうしかないか、と独白する。

 

 ティアも図らずも同じことを考えている。

 自分が獣化することで、北の民を味方に付けられるのであれば、躊躇う必要はないだろう。

 

「ティア、もうすぐ寒い季節になるから、そこは気をつけてね」

 メディはラミアの身体を気遣っている。

 メディはアービィの正体を知らないし、ティアも教えるつもりはなかった。

 

 

 ドーンレッドは、アービィたちをインダミトに送り出してすぐに、ラシアスに戻っていた。

 ラシアスの王都アルギールに着くなり登城したドーンレッドは、ニムファに謁見を申し込む。

 

 通常であれば謁見の間で報告ということになるのだが、宰相コリンボーサに聞かれるのは都合が悪い。

 そのため、ニムファの私室で報告を行うことにした。

 

「摂政殿下、『痣』を持つ男を確保いたしました。現在、リムノの監視下で、こちらへ向かわせております」

 宮廷魔術師は、摂政に報告した。

 これで、国を憂いた若き指導者に安寧をもたらすことができる。

 

 彼は、「勇者」はあくまでも「魔王」に対抗するための人材だと思っている。

「魔王」が覚醒しては、南も北も、四国家もない。

 これに対しては世界を挙げて立ち向かわなければならない。

 彼は、そのための切り札だと考えていた。

 

「ご苦労様でした、ヘルフェリー。これで、勇者は私たちの手に戻ってきたわけですね。長かった……いよいよラシアスは……お下がりください。長旅でお疲れでしょう、今日はゆっくりとお休みになって。勇者が到着するのを待ちましょう」

 

 摂政が言葉にしなかった部分に言いようのない不安を抱え、宮廷魔術師は退出し居室に戻ろうとした。

 城の通路を歩く彼に、声を掛ける者がいる。

 

「宮廷魔術師殿、そのご様子では、勇者を見つけられたようですな?」

 声の方に視線を送ると、コリンボーサが忌々しげな視線を叩きつけてきていた。

 

「これは、宰相閣下。幸いにも、ベルテロイにて相見えることができましてな。これもマ・ターヨシ神のご加護と言うもの。現在、リムノがお連れいたしておるところ。数日後にはアルギールに到着されるでしょうな」

 

「さようか。大儀でしたな。これで……。今日はゆっくりされるがよかろう」

 心底、労わるような視線と共に、労いの言葉を送る。

 

 コリンボーサは考えている。

 宮廷魔術師は摂政の寵愛こそ受けているが、それだけだ。

 

 財力や、権力の基盤はそれほど大きくない。

 せいぜい、勇者を釣ったエサは、騎士階級程度だろう。

 

 おそらく、摂政に会わせれば、摂政が伯爵程度はすぐ与えようとするだろう。

 しかし、伯爵という爵位は、摂政の独断で与えられるほど、軽いものではない。

 

 閣議に諮らねばならず、それに反対意見を述べることは、反意と言われることはないだろう。

 その前に、宰相の権限で子爵を与えておけば、こちらに与することは確実だ。

 権威と財力しか人を惹きつけるものはないと信じる男は、最良の果実を我が物にするための策略を、柔和な笑顔の下に隠していた。

 

 

「私の役目はここまで。あなたたちって、不思議ね。ここまで私を偏見なしで付き合ってくれた人たちなんて、いなかったわ。仕事じゃなければ、楽しかったでしょうね」

 アルギール城の城門前で、馬車から降りたリムノが残念そうに言った。

 

 衛兵に取次ぎを頼み、リムノは去っていく。

 おそらく宮廷魔術師の下へ行くのだろう。

 

 アービィは、これから起こるであろう権力との戦いが、心底嫌だった。

 ドーンレッドは、アービィが騎士の地位に釣られていると、思い込んでいる。

 おそらく、彼を自分の手駒とするために、様々な誘惑を仕掛けてくるだろう。

 

 中には脅迫や、仲間を盾に取って膝下に敷くことを強制してくることもあるかもしれない。

 もし仲間を傷つけるようなことがあれば、彼はこの国に敵対する覚悟がある。

 なんであのひとは、召喚なんて面倒なことしたんだろう……

 

 

 ルティは、リムノやメディとの旅を通して、北の民も普通の人間であることを改めて知らされた。

 害意を持たずに付き合えば、友として互いを信じることは、難しいことではない。

 

 北も南もなく、偏見のない世の中になれば、あたしたちも安心できるようになるかなぁ……



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第35話

 城門の前で取り次ぎを待つ間、衛兵が彼らを見る目は、とても友好的とはいえないものだった。

 それはそうだ。

 ほとんど喧嘩を売りに来たようなものだ。

 

 衛兵にこちらの雰囲気が伝わっているのだろう。

 主に、近寄るもの全てに噛みつこうとする、狂犬のようなルティによって。

 

 やがて取り次ぎに走った衛兵が、この国の文官の制服を纏った若い男を連れてくる。

 その慇懃な態度の男に案内され、アービィたちは城内の一室に通された。

 

 

「なんて言って断るつもりなの?」

 何か穏便に事を納める秘策でもあるのかと、ルティはアービィに聞いた。

 

「ないよ。ただ、文句を言ってやりたいだけだよ。勝手に決めるなって」

 事も無げにアービィが答える。

 

 ルティの脳裏には、思い通りに事が運ばず怒り狂った姫に命じられて襲いかかる兵を片端から噛み裂く獣化したアービィの姿や、追っ手を逃れ人目を避けて二人で暮らすがすぐに見つかり手に手を取っての逃避行の場面が、走馬燈のように過ぎっていた。逃避行……きゃーっ。

 

 顔を真っ赤にして怒鳴ろうとしたルティをティアが押し留める。

 

「はいはい、大きな声出さない。どこで誰が何聞いてるか、分かったもんじゃないんだから」

 アービィにちらりと視線を投げてから、天井の一角を睨み据える。

 ティアが視線を投げたとき、アービィは既に天井に目を向けていた。

 

「そうだよ、ルティ。リムノ、降りてくれば? 堂々と聞けばいいよ」

 

 

 リムノは驚愕していた。

 完全に気配は殺していたはずなのに、一度ならず二度までも。

 

 今度はアービィだけでなく、ティアにも気付かれた。

 リムノは無言で下に降りた。

 

 

「僕たちの様子を窺って、靡きそうなら謁見、靡きそうもないなら懐柔しにくるつもりだった? 今夜にでも、君は僕に抱かれに来るんじゃない? 違う?」

 その通りだった。

 リムノはアービィの言葉に無言で肯く。

 

「悪いけど、僕は君を抱かない。そんな無駄なことはしないで。僕は文句を言いに来たんだ。勝手に連れてくるな。人の気も知らないで勝手に決めるなってね」

 ドーンレットから受けていた命令は、四人の動向や会話を探り、懐柔工作の必要性を確かめることだった。

 もし、懐柔工作が必要であれば、リムノをアービィ専属の女にする予定だった。

 

 リムノは密偵として、情報を得るためや、特定の人物をこちらに寝返らせるために、自らの身体を贄に供することに、躊躇いはない。

 そのために性の技も研いてきたし、容姿にも自信があった。

 

 今まで、男色家や年齢に関わる特殊性癖の持ち主以外で、籠絡できなかった男はいない。

 今回もそうするつもりだった。

 

「何考えてるのよ!! そんなことしたら許さないんだからぁっ!! リムノとは……リムノは……友達にもなれるような人だと思ってたのに……なんで……? なんで……あたしたちを…放っておいてくれないの?」

 リムノは、ルティの口から、いつ北の民に関わる罵倒を投げつけられるかと、思っていた。

 しかし、泣き出してしまっても、ルティからついにその言葉は聞かれなかった。

 

 

「リムノ、僕たちはどこか一つの国の道具にはならないよ。何をしてきても無駄だから。ドーンレッドさんに言ってきてよ。早く姫様に会わせろって」

 リムノはアービィの言葉に突き飛ばされ、ドアから部屋を出ていった。

 

 どんな方法で迫っても、彼は彼女に指一本触れることはない。

 この国に靡くことも、ない。

 それが判る。

 

 なぜかアービィの言葉は、素直に彼女の心に入ってきた。

 リムノは気付いていない。

 二人は連れ去られた元が北の大陸か異世界というだけの違いで、同じ境遇に置かれていることを。

 それ故に、リムノはアービィの言葉には、納得できてしまうのだ。

 

 リムノは思う。

 あの三人の南の住人は、一言半句たりとも北の民を貶め、蔑み、差別するようなことは言っていない。

 泣き崩れるほどの怒りに震えたルティですら、リムノを北の民だからと罵りはしなかった。

 

 初めて自分を人として接してくれた南の住人の前に、刃を持って立たなければならない極めて近い未来に、リムノは溜息を吐くばかりだった。

 リムノは、使役されるようになって以来初めて、ドーンレットに虚偽の報告をした。

 

 謁見は、翌日の朝の政務が一段落したらすぐ行うと、決定された。

 一刻も早くここを出たいアービィたちだが、この国の庶民たちにも生活がある。

 庶民の生活に必要な種々のことは、政務で決められている。

 

 政務の混乱は、庶民の生活の混乱に繋がる。

 間違いなく、謁見を先にすれば、その後の政務は大混乱だろう。

 

 この国の首脳部に恨みはあるが、それ以外の政務官や国民そのものに含むところはない。

 必要以上に迷惑を掛けることは、さすがに気が引けた。

 

 その夜、アービィの部屋のドアを叩く者がいた。

 城に到着した際に案内に立った、慇懃な態度の男だった。

 彼は宰相コリンボーサの配下の者で、アービィを執務室まで連れてくるよう命じられていた。

 

 アービィは、宰相の部屋へ案内された。

 城内の廊下を歩く間、彼の視線は好意的なものではなかった。

 嫉妬、値踏み、好からぬ企み。そんなものを内に秘めた視線。

 

 宰相はこの若者を自分より高い地位に取り立てようとしている。その嫉妬。

 こんなどこの馬の骨とも知れぬ者に、どのような能力があるのか。その値踏み。

 そして、どうやってこの若者の足を引っ張り、地に引き落としてやろうか。その好からぬ企み。

 宰相は、予想の遙か斜め上を行く待遇を、アービィに用意して待っていた。

 

 

「ようこそ、アルギール城へお越し下さった。ま、楽にされよ。私がこの国の宰相を努めるコリンボーサだ。明日は摂政殿下へのお目見えだが、どうかね、緊張はしていないかね?」

 アービィが言われるままに部屋に入ると、コリンボーサは満面の笑みで出迎えた。

 

「いえ、大丈夫です、閣下。しかし、僕のような下賎の者が、そのような方の御前に出て良いものなのでしょうか?」

 アービィは、コリンボーサの笑顔は、決して善意や好意からのものではないことを、入室した瞬間に見抜いていた。

 

 アービィを道具に、王女の歓心を買おうという企みが見て取れる。

 彼は自分に人望がないことを無意識に自覚していた。王女を後ろ盾にすることでしか手にすることのできない、権力への渇望だ。

 

「いや、あなたは充分その資格をお持ちだ。慎み深いところも、さすが勇者といったところかな」

 そこから暫くは、歯の浮くような褒め言葉をコリンボーサは並べ立てた。

 そして、これからが本題だと言うように、崩れた姿勢を直す。

 

「ドーンレッド殿があなたを見出し、その手の者がここまでご案内させていただいたようだが、ラシアスに仕官するに当たっての話などはされたかな?」

 要は懐柔か、とアービィは心の中だけで呟き、そういえば騎士に取り立てることも可能だと言われましたね、と隠すことなく答えた。

 

「なんと! それは誠か? ああ、なんという恥知らず。やはり、彼ではそれが精一杯か。いや、これは大変な失礼をしたようだ」

 彼には権限というものがありませんからな、と自らの権力を誇示しコリンボーサは続ける。

 

「いやしくも勇者殿を騎士などと、ふざけた振る舞い成り代わりお詫びする。私はあなたを子爵への叙爵を約束しよう。今後の働き如何では伯爵も夢ではなかろう」

 侯爵くらいくれてやってもよい、と彼は考えている。

 もちろん、まだアービィが本物の勇者であると確認できているわけではなく、侯爵はその後だ。

 もし、後日、本物が現れれば、子爵程度を取り潰すなど造作もないことだ。

 

「僕は、皆さんが仰るような、勇者などというような、大層な者ではありません。一介の冒険者です。そのような者に爵位など……鼎の軽重を問われるようなことは、なさらないほうが……」

 皆まで言わせずコリンボーサが言葉を被せる。

 

「いや、ご謙遜を。ヒドラ殺しに化け物退治の英雄と、勇名は轟いていますぞ」

 それから暫くは他愛のない話題に終始したが、明日の謁見をお楽しみに、という一言でコリンボーサとの対面は終了した。

 

 そこから部屋まで、再度案内についた男は、アービィの待遇は精々武官程度と思っていたのだろう、それがいきなり子爵様ときて、彼の機嫌を損ねないように細心の注意を払っていた。

 アービィは苦笑いしつつ、あなたが心配するようなことはしませんよ、お気になさらず、とドアを閉め、やっぱり謁見は政務の後で正解だなと考えていた。

 

 

 深夜、気配に目を覚ましたアービィは、部屋の照明を灯した。

 

「無駄なことはしないでって言ったはずだよ」

 天井に向かって言い放つ。

 音もなく降りてきたリムノは、湯浴み着のような紗一枚を纏っているだけだ。

 

「何しに来たの?」

 

「無駄かどうかは、私が決めるわ」

 照明のせいか、身体のラインがはっきり影になって見える。

 紗は、脱がすまでもなく、破ろうと思えば簡単に引き裂ける拵えになっている。

 

 この状態で自ら紗を引き裂き、大声でも出されたら、既成事実のできあがりだ。

 まず、間違いなく、明日の朝日は拝めない。

 生きたまま地獄とやらに放り込まれるだろう。ルティの手で。

 

 そのことは別にしても、リムノの行動は意味をなしていない。

 アービィは、リムノの仕事故、意義があるなら彼女が自らの決断で身体を開くことを、全否定するつもりはない。

 ベルテロイからここまで、一緒に旅をするなかで、朧気ながら彼女の仕事について、理解できる範囲で理解したつもりだった。

 

「君の仕事は理解してるつもりだよ、リムノ。でも、ルティが何で泣いたか分かるかい? 僕をどうこうってことじゃないと思うんだ。リムノには、自分を大事に――」

 

「綺麗事だけで生きていけるとでも思ってるの!? 私は……私はこうするしかないの!! ドーンレッド様の役に立つしか、生きる術がないのよ!!あなたが私を抱かなくても、命令があれば誰かに抱かれに行くわ。いまさら心配されたって……あなた方の自己満足よ!!」

 解ってる。

 確かに今更だ、とアービィは思ったが、言わずにはいられなかった。

 自己満足だとしても。

 

「少なくとも、僕たちはそう思ってる。大事にして欲しいんだ。ルティだって判ってるさ。そういう奴らがいるって解って欲しいんだ。それに僕が――」

 

「そういうこと、か。本当にあなたたちって、お目出度い人たちね。いいわ、引き下がってあげる。あそこにいる彼女を、これ以上泣かせたくないからね」

 ドアの方を見ると、目に涙を一杯に湛えたルティが、静かに立っていた。

 

「また、一緒に旅ができると……ね」

 リムノはそう言い残して部屋を出た。

 

 

「上出来よ、アービィ。お説教は勘弁して上げるわ」

 ルティは、涙が今にもこぼれそうになっているにも拘わらず、笑みを浮かべて言った。

 

「なんでだよ。リムノは何もしてないじゃないか」

 

「あたし以外の女と……二人で部屋にいたからよ」

 涙を拭いたルティが悔しそうに言う。

 

 明日は謁見ぎりぎりまで寝ていたいね、とルティは言って部屋を出る。

 ドアが閉まる寸前、どちらからともなく、一緒に、と言う言葉がこぼれた。

 一瞬だけドアの動きが止まったが、再びドアが開けられることはなかった。

 

 

 謁見の間は、異様な熱気と静けさに包まれていた。

 登城と毎日の王家への謁見が許されている貴族の内、現在王都に住まう者たち全てが集まっていた。

 摂政ニムファ第一王女が玉座に着き、宰相、内務卿、外務卿、財務卿等の主要閣僚が左右を固める。

 

 誰もが、10年前に異世界から召喚されたという勇者を、その目で確かめてやろうと固唾を飲んでいた。

 居並ぶ目は、値踏みや疑いの色に染まっている。

 

 10年間結果を出せず、少なくない国家予算を浪費した宮廷魔術師の窮余の一策、つまり替え玉か、どこかで噂を聞きつけた山師の成りすましか。

 大方の見方は、この二点だ。

 

 その他にも本物ではあろうが、果たして言うほどの能力をもっているのか見極めようとしている者、如何にして自分の派閥に取り込むか思案する者、興味だけで見ている者、極一部に召集だからと来て早く帰りたいと思っている者がいた。

 

 

 やがて定刻になり、一人の若者が謁見の間に召し出された。

 飛び抜けて長身ではないが、実用的な筋肉に包まれていると一目で判る体格の男。

 少し伸びた灰色の髪は、耳を半分ほど覆っているが、不潔さは微塵も感じられず、旅を日常とする冒険者の精悍さを醸し出している。

 切れ長の目元に髪と同色の瞳は、権力に対しても理不尽を感じれば戦うことを厭わないであろう強い意志を窺わせる。

 美丈夫と言って良い顔立ちには、僅かにあどけなさも感じられ、それが近寄りがたい雰囲気を和らげていた。

 摂政の前に進むと、片膝を着き、頭を垂れた。

 

 ニムファは、今までの長い年月を思っていた。

 漸く手に入れた勇者。

 ラシアスの救世主。

 

 ニムファはこの力を使い、南大陸はおろか北大陸までを統一し、後世の歴史家から『誰も成し遂げることができなかった両大陸の覇者』と書き記されることを夢想している。

 手始めに、召喚の建前にした魔王と呼んでいる北大陸の奥地に蟠踞する蛮族を討伐し、次第に南下しながら北の大陸を制覇する。

 南大陸の安全を保障したという実績と、勇者という兵器を背景に、南大陸の三ヶ国を従わせ、何れは滅ぼしニムファの帝国を築く第一歩を、今踏み出すのだ。

 

 

「顔をお見せください、勇者殿。」

 たっぷりと時間を掛け、勿体をつけてからニムファはアービィに声を掛けた。

 

 アービィは顔を上げ、ニムファを見た。

 美しい女性だが、折角の美貌が欲にまみれている。

 無惨、それがアービィの感想だった。

 普通に見れば飲み込まれそうな美貌とカリスマ性があるのだろうが、視線の持つ全てを従えさせたいという欲求が台無しにしていた。

 

「よくぞ、我が国へお戻りくださいました。私は10年の長きに渡り、勇者殿をお待ちしていました。さぁ、早くその証拠である紋章をお見せください」

 アービィは片肌を脱いで右の肩胛骨あたりが見えるように、ニムファに背を向ける。

 ドーンレッドが得意満面で、魔法陣から写し取った刻印と照合し、主要閣僚が順次確認する。

 

「間違いありません、勇者殿。さあ、これでラシアスは救われます。共に手を取り世界を。宰相からの上奏通り、子爵に叙しましょう。受けて、いただけますね?」

 アービィは、服を直し、威儀を正してニムファに向かい、口を開いた。

 

「お断りします」

 

 

 謁見の間にどよめきが広がった。

 まさか、叙爵を断る平民がいるとは、彼ら貴族の想像の埒外だった。

 無礼者、身の程知らず、傲岸不遜な輩といった罵声が飛び交う中、ニムファが片手を挙げ、騒ぎを鎮める。

 

「なぜ、です? 平民が騎士を超え子爵に叙せられるのです。どこの国でも、これほどの待遇は考えられません。何が不満かお聞かせ願えませんか?」

 さすが一国を率いるだけのことはある。

 慌てふためき怒りに身を任せる有象無象とは違い、声を荒げることも、言葉を崩すこともない。

 

「まず第一に、勝手に、断りもなく僕の生活を叩き壊して、何の謝罪もない。それで従えと言われて従う者がどこにおりましょう。第二。魔王とやらが世界を脅かしているなら、それを倒すのは良しとしましょう。ですが、なぜ、世界がではなく、ラシアスが救われたと仰るのですか? なぜ、『世界に平和を』ではなく、『世界を』なのですか?」

 アービィの問いの前半は、極当たり前のことだが、選民思想に凝り固まっている貴族や王族には理解しがたいものがあった。

 

「勇者殿が異世界で如何なる生活をしていたかは存じませんが、平民が叙爵されるなど、望外の名誉と思いますが?」

 さも心外だと言わんばかりにニムファは答えた。

 

「僕のいた世界では、貴族など、何の役にも立たない過去の遺物でしかありません。百年以上も昔にその役目を終え、今ではただの名誉称号で、特権など何もありません。そのようなものにされたからといって、僕は少しも嬉しくないっ!」

 謁見の間は水を打ったように静まりかえる。

 全ての価値観を全否定されたのだ。

 アービィは続けた。

 

「この世界では確かに名誉でしょう。それは否定しません。必要な統治方法であることも解ります。いきなり民主主義と言っても、愚衆政治になるのが落ちですから。貴族の世は、まだ数百年は続くでしょう。ですが、民を民と思わず、牛馬の如くこき使い、その命を蔑ろにすることが貴族の振る舞いというのであれば、僕はそんな人間ではありたくない!!」

 ニムファや貴族たちは圧倒され言葉もない。

 

「ラシアスが救われるのは、何からなのです? 世界をどうするのです? もし僕に力があって魔王を倒したら、次は何を? 僕はあなたの、世界征服のための道具にはなりません。僕は愛する人と穏やかに暮らしたいだけです。もし、魔王それを邪魔をするなら叩き潰しましょう。ラシアスに敵対する気は毛頭ありません。そして、もしラシアスが僕たちの前に刃を以て立ち塞がるなら、僕は戦うことを躊躇いません」

 しばしの静寂の後、謁見の間は再び怒号と罵声の嵐に包まれた。

 それでもアービィは、怯むことなく立ち続けている。

 やがてニムファが口を開いた。

 

「どうあっても、共に手を携えることはできないと仰るのですか、勇者殿」

 

「はい、僕を道具としてお使いになる、というのであれば。摂政殿下、数々の無礼、お許しください。………もう僕たちのことは放っておいていただけないでしょうか。それでは、これにて失礼いたします」

 完璧な動作で一礼し、ニムファを見つめる。

 

「そうですか……残念です。ですか、勇者殿、私はあなたを諦めたわけではありません。いつか、また…そう遠くない将来にお目に掛かれますことを。そして、あなたたちの旅が幸多からんことを。どうぞ、おさがりになって」

 

 

 周囲からの視線を気にも留めず、アービィは謁見の間から出て行こうとする。

 コリンボーサは呆気に取られつつも、ようやくのことでニムファに声を掛けた。

 

「よろしいのですか、摂政殿下?引き留めるなり、敵対されるくらいなら――」

 その一言は言わせないとばかりにニムファが言葉を被せる。

 

「諦めたわけではありません。これからも目を離さず、いつでも抱き込めるように……私の身体が必要なら……国を与えても……ですが、決して敵対するようなまねは――」

 ニムファが言い終わる前に、広間の出口で怒号が響く。

 

 敬愛する摂政殿下を侮辱されたと激昂した衛兵が、アービィにハルバードを向け、何事かを叫んでいる。

 ニムファは止めようとするが、既にハルバードは振り上げられ、打ち下ろし始まっていた。

 

 最高権力者の周囲を護衛する者は、軍事の才には乏しくても、個人の技量は最高位の者が選りすぐられている。

 いくら、アービィが勇者だといっても、丸腰で構えてもいない状態で、ハルバードの一撃に対処できるとは思えなかった。

 ニムファが己の無力さを呪った瞬間、アービィがハルバードを避け、片手を開いたまま天にかざしたように見えた。

 

 次の瞬間、衛兵は糸の切れたマリオネットのように、その場に崩れ落ちる。

 立ち上がろうとするが、その度に腰から崩れている。

 

 アービィはハルバードを避けながら、衛兵の顎の先端を掠めるように掌底を突き上げていた。

 狙い違わず衛兵の顎の先端を掠めた衝撃は、彼の脳を頭蓋の中で小刻みに揺さぶった。

 

 典型的な脳震盪の症状に襲われた衛兵は、完全に立つことができなくなっている。

 やっと立ち上がっても、次の瞬間は床が起きあがってくるような錯覚に囚われ、床に顔から突っ込み動かなくなった。

 

 

 アービィの動きと相俟って、妖術だと疑われたが、単純な物理と生理現象だ。

 ほとんどの者の目には、アービィの掌底が衛兵の顎を掠ったことが、見えなかっただけだ。

 

「この人、何番目?」

 横に立つもう一人の衛兵にアービィが訊ねる。

 

「順位を付けたことはないが、私を含め五本の指に入ることは間違いない」

 問いの意味を理解した衛兵が答える。

 

「そうなんだ~。あなたもやってみる?」

 既にアービィが臨戦態勢に入った状態から始めても、ハルバードを構える前にあの妖術紛いを受けるのが落ちだ。

 衛兵は、無言で首を横に振る。

 

 次いで白い手袋がひとつ、アービィに投げつけられる。

 意味することは、たったひとつ。決闘だ。

 

 アービィは、ニムファを見ることで許可を請う。

 ニムファは、無言で首肯する。

 勇者の戦闘能力を間近で見たい。

 

「よく逃げないな、無礼者よ。ひとつ、貴族に対する礼儀というものを教育してやろう」

 人垣を掻き分け出てきた偉丈夫が大音声で名乗りを挙げた。

 

「子爵ウェンディロフ・ラティフォン・ドン・テネサリムだ。これが最初で最後だろうからな。以後お見知りおきを、などとは言わん」

 言ってるじゃん……

 

「何番目?」

 アービィが気にも留めずに聞く。

 

「剣で私の右に出る者はない。いや、武芸でと訂正しよう。好きな得物を持ってくるが良い。謁見の間で光り物を振りかざすわけには参らぬ故、中庭に出るが良い」

 ここでアービィを殺せば、勇者に成り代わった上、ニムファの寵愛を一身に受けられるという打算がウェンディロフを突き動かしていた。

 

 ニムファが、必要以上に厳かに告げる。

 

「勇者アービィ・バルテリーと、子爵ウェンディロフ・ラティフォン・ドン・テネサリムの決闘を、摂政ニムファ・ミクランサ・ミリオフィラム・ネツォフ・グランデュローサの名において許可します。では、半刻後、案内を遣わしますので。勇者殿、ご準備を」



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第36話

 「あんた、一体、何考えてんのよぉっ!!」

 王宮の一室にルティの怒号と罵声が響いている。

 

「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ!! やぁめてぇ~」

 情けないアービィの声が、遅れて漏れ聞こえてくる。

 

 手持ちの剣を鞘に入れたまま床に並べ、その上に正座させられたまま、太腿を踏み躙られている。

 後ろでは、ティアとメディが額に指を当て俯いていた。

 

「そんなに怒らないでよ。姫様は、極めて……ぎゃん!! ……淑女的に送り出してく……れるって……言って……るってば」

 呻き混じりにアービィが言う。

 

「その結果が、決闘ですってぇ!? なんで、そんな、余計な、厄介を、背負い、こ、む、のっ!!」

 一言ずつ、踏みつける足に力を入れる。

 既にアービィは声も出なくなっていた。

 

「まあ、その辺で……メディ、止めるの手伝って」

 そろそろ頃合と感じたティアが、ルティを止めに掛かる。

 メディもそろそろ慣れてきたのか、笑いを噛み殺しながらルティを宥めた?

 

「昨夜、もうちょっとあの子が積極的だったら危なかった?」

 苦笑しながらアービィに聞く。

 

「火、に、……、ぶらっ、…、そ、そ、……、……、い、……ぇっ……」

 アービィの身体から力が抜け始めてきた。

 

 言葉も途切れ途切れだ。

 さすがにやりすぎと感じたか、ルティの力が、少しだけ、緩んだ。

 

「いや、もうさ、面倒だから、適当に負けちゃえばさ、勇者ってのも、諦めてくれないかな、と」

 アービィが、最高の解決策を思いついたとばかりに言う。

 

「ダメ。勝ちなさい」

 ルティが即却下する。

 あんたが負けるなんて許せるわけないじゃないの。

 

 

 やがて指定された時刻になり、迎えの遣いが来る。

 アービィは、すっかり元通りに回復し、自分の剣をルティに預けた。

 メディには、気付かないうちに『治癒』を掛けたことにしている。

 

「素手でやる気?」

 ティアが驚いたように聞いた。

 

「うん、そのほうが怪我も少ないし、負けたって気になるでしょ。剣持ってて丸腰に負けたなんて、恥ずかしくて言えないよ、家には。で、勝負が終わったドサクサで城を出ちゃおうね」

 あっさりと言って、アービィは中庭に向かった。

 

 

 中庭には、先程謁見の間にいた貴族たちの、ほとんど全てが集まっている。

 ウェンディロフ子爵は、軽甲冑を纏い、両刃のロングソードを腰に佩いていた。

 アービィより15cm以上の偉丈夫。

 体の厚みも、アービィ以上だ。

 

 アービィは普通の服装に手ぶら。

 どう見ても街中の喧嘩、といった風情で中庭に出てきた。

 

 10mの間隔を置いて、両者が対峙する。

 

「貴様、素手とは、この私を愚弄する気か?」

 

「いえ、とんでもない。僕はこれが一番得意なものですか」

 怒りを目に湛えたウェンディロフに、アービィは笑顔で掌を見せた。

 

 奴隷狩りの一件以来、アービィは獣化をある程度抑えつつ、狼の力を取り出すことができるようになっていた。

 獣化した状態を100とするならば、人間の状態で30~40の力を出すことができる。

 

 それでも普通の人間の数倍に当たる能力だ。

 当たり前の鍛錬しか積んでいない人間相手なら、充分おつりがくる。

 

 ニムファが決闘の開始を宣言した。

 

「どちらも、何があっても恨みごとはなしです。よろしいですね?」

 両者から承諾の返事があり、それが開始の合図だった。

 

 ウェンディロフが顔の右横に剣を構え、じりじりと間合いを詰めようとした瞬間。

 一気に間合いを詰めたアービィの掌底が、ウェンディロフの左こめかみを打ち抜いた。

 

 前に崩れ落ちるウェンディロフの顎を、下から打ち上げる掌底が捉え、一撃目ニ撃目とウェンディロフの脳を盛大に揺らす。

 上体を起こされたウェンディロフの首に、アービィの腕が巻き付いたと思った瞬間、ウェンディロフの体が宙を舞い、後頭部から地面に叩きつけられた。

 裏投げがきれいな弧を描いた後、背後に回り腕を固めつつ、頬骨に腕を擦りつけ、締め上げる。

 

「そろそろ、参ったかどうか、誰か聞いていただけませんか~」

 アービィが暢気な口調で周囲に言った。

 

 既にウェンディロフの意識はない。

 間違いなく、一撃目で勝負は着いていただろう。

 彼の記憶は開始の合図の後、剣を構えたところで途切れていた。

 

「聞くには及びません。その辺で許してあげてください」

 ニムファが、顔を青褪めさせて言った。

 

 アービィがウェンディロフを締め上げるまで、開始から10秒ほどしか掛かっていない。

 もし、アービィが剣を持っていたら、ウェンディロフの命は紙くずより簡単に飛び散っていたに違いない。

 中庭は静まり返り、誰も声を上げられるものはいなかった。

 

「これは……ぜひ、またラシアスにお戻りいただけますよう。あなたには……私を……国を差し上げても……」

 ようやく言葉を発したニムファに、アービィは笑顔だけ向けて中庭を出た。

 

 

 人ごみが引いた後の中庭に、二人の人影が残っている。

 コリンボーサとドーンレッドだ。

 

「とんだ失態だな、宮廷魔術師。十年がふいだ。例え、あのときに召喚に成功していても、同じ結果だったのではないかね?いや、捜索に掛かる費用や人的損害を考えると、まだマシだったのではないか。追って沙汰を申渡す故、暫く謹慎するがよかろう」

 コリンボーサはそれだけを言い残し、ニムファの後を追う。

 

 ドーンレッドは、返す言葉がない。

 悔しげに唇をかみ締め、両の手を強く握り締めている。

 あまりに強く噛みすぎたため、口の中に塩気のある鉄の味が広がった。

 やがて、ドーンレッドは無言でその場を去り、城内の居室に入った後、身辺の整理を始めた。

 

 

 ニムファの後を追いながら、コリンボーサは考えている。

 これで邪魔な者は、謹厳実直の塊のような騎士団長ラルンクルスだけだ。

 

 ニムファは、あの宮廷魔術師をもう一人の父のように慕っていたが、この一件で彼の排除は成功したといえるだろう。

 幸い、ウジェチ・スグタ要塞に放り込んだディティプリス子爵は、あの無能な父に輪をかけた底抜けの無能者だ。

 このままではウジェチ・スグタ要塞の主導権がビースマックか、ストラーに移ってしまいかねない。

 それを理由に摂政の信任厚い騎士団長を送り込めば、王都でニムファを操るのを止める者はいない。

 

 一気に自らの権勢を増大できるようにしてくれた勇者とやらには、感謝してやっても良いくらいだ。

 子爵くらいなら、このままくれておいてもいいかもしれん、とコリンボーサは卑近な笑みの下で考えていた。

 

 

 ようやく開放されたアービィたちは、荷物を担いでアルギール城を出ようとしていた。

 広い前庭を過ぎ、城門に掛かったとき、頭上に殺気が走る。

 

 次の瞬間、ルティの背後にリムノが降り立ち、右腕を後ろ手に極めながら、喉元にナイフを突き付け――

 既にそのときには、アービィが右側からリムノの喉元に、ティアが左側からリムノのこめかみにそれぞれの短刀と小太刀を突き付けていた。

 

 二本の切っ先が、リムノの皮膚に触れる寸前で静止している。

 リムノの左手は、ナイフを振りかざしたまま、動きを止められた。

 そればかりではなく、左手で剣を抜き放ったルティは、刀身を脇に抱え込むように後ろに向け、リムノの心臓の位置に切っ先を当てている。

 

 リムノが左手に握ったナイフに力を入れようとした瞬間、それぞれの切っ先が皮膚を切らない程度にめり込んでくる。

 ここでリムノは、ぴくりとも動くことができなくなってしまった。

 

 ルティを殺したいわけではない。

 アービィに服従を誓わせるため、喉にナイフを当て脅すだけのつもりだった。

 万が一にもルティを傷つけたら、ウェンディロフの惨劇以上の恐怖がリムノを蹂躙する。

 

 今、左腕を動かそうとしても、ルティの喉元にナイフが届く前に、気配だけでこめかみ、喉、心臓が貫かれるだけだ。

 アービィもティアも、昨日までの友人のような目ではない。

 心底凍りつくような冷たい目に、まるで狼と蛇のような目に変貌している。

 おそらく、ルティも。

 

 筋肉から力が抜け、ナイフが落ちる。

 同時に三本の剣が鞘に収められた。

 

 ドーンレッドの起死回生のため、独断でアービィの確保に走ったリムノだが、それは完全な失敗だった。

 ラシアスは、アービィたちを完全に敵に回してしまった。

 

 アービィたちが立ち去った後、リムノはその場に蹲り、長い間声を殺して泣いていた。

 やがて、リムノは立ち上がり、そのまま城から出ると、アービィたちの後を追い始めた。

 

 

「アービィ、ねぇ……アービィっ」

 さっきからメディが声を掛けるが、アービィは答えない。

 こんな彼は初めてだった。

 

「ねぇ、ティア、どうしちゃったのかしら? さっきから何度呼んでも、返事もしてくれないの……」

 

 アルギールの町外れにある安宿に併設された酒場で、四人は酒を飲んでいる。

 リムノの襲撃の後、すぐ駅馬車のチケットを取りに行ったが都合のよい便がなく、明日まで足止めされていた。

 

 アービィが機嫌悪いなど、そうそうない。

 落ち込んでいたりで話もしないことはティアも何度か見ているが、機嫌が悪くて返事もしないなど初めてのことだった。

 

 今まで幸いなことに、彼は手酷い裏切りに遭ったことがなかった。

 この世界で生きていくには致命的なことであるにもかかわらず、人に対してあまり疑いというものを持たないというのに、だ。

 

 それで少々酷い目に遭ったことが何度もあるのだが、アービィは相手の立場を好意的に解釈し続けていた。

 無理矢理の場合もあったが、ほとんどは自分の落ち度として片を付けてきた。

 

 そんな彼が怒っている。

 単純にルティに刃を向けたことだけに怒っていた。

 

 リムノの立場や思考は、充分理解している。

 あの状況で、リムノが取った行動は、根本的な部分を間違っているが、方法としては正しい。

 

 アービィを手元に留めるには、ルティが必要だ。

 そのためにルティを確保しようとしたに過ぎないのだが、その方法がアービィの怒りに火を点けてしまった。

 

 リムノに殺意がないことは、充分承知している。

 それ故に彼もリムノに対して、殺意は抱かなかった。

 だが、もしルティに髪の毛一筋分の傷でもつけたなら、彼はリムノに刃を突き立てることに躊躇はしなかっただろう。

 

 彼女がドーンレッドを守りたかった、ということも解る。

 おそらく、ドーンレッドは、今回のことで宮廷内での発言力が低下しているだろう。

 

 もしかしたら、失脚しているかもしれない。

 彼が元の地位を保つには、なんとしてもアービィが欲しかった筈だ。

 

 リムノが自分の生活のためにドーンレッドを守るとは思えず、純粋にドーンレッドの立場や命を案じてのことだろう。

 それも解るだけに、アービィは自分の感情を持て余していた。

 

 ルティも沈鬱な表情で、安酒を呷り続けている。

 既に明日の二日酔いが、約束されている量だ。

 

 ルティもリムノのしたことは、理解できていた。

 だが、友達にもなれると思っていた人に対して、剣を突きつけてしまったことに嫌悪感が沸き上がっている。

 

 いくら信頼したい人であっても、刃を向けられたなら刃で返すしかない。

 アービィと二人静かに暮らすことを乱すなら、その相手に刃を立てることを躊躇いはしないが、まさかリムノがとの思いが強い。

 

 ティアは、二人の感情がわかるだけに、今回は放っておくことにしている。

 何を言ったところで、自分で決着をつけなければ、いつまでも感情の中に蟠りを抱えたままになる。

 

 今後、リムノと再び見えたときに、蟠りを抱えたまま戦うことになったら、命を落すことになりかねない。

 おそらく、リムノはドーンレッドを想い、アービィの確保に動くことは想像に難くない。

 

 純粋な戦闘力でアービィを抑えることができないことは、リムノ程の腕の持ち主であれば判っている筈だ。

 そう遠くない将来、彼女と命の遣り取りをしなければならないことに、ティアは暗澹たる面持ちになってしまっていた。

 

「そうねぇ、アービィは、ちょっと照れてるのよ。よく殺さなかったと思うわ」

 ティアの答えにメディはなんとなく納得する。

 

 アービィは、おそらく照れていることに、自分では気付いていない。

 ヒドラと戦ったときも、奴隷狩りを叩きのめしたときも、ルティが危機に陥ったとき、彼の獣性が解放されている。

 ヒドラにしろ、奴隷狩りにしろ、ああまでしなくても何とかなっていた筈だ。あたしの入る隙なんて全然無いじゃない。

 

「放っておいてあげてね、メディ。二、三日もすれば、けろっとしてるから。さ、明日は宿で寝てることになるわ、きっと。こっちも飲んじゃいましょ」

 今のルティの状態で、明日馬車に乗ることは、周囲に迷惑しか掛からない。

 ならば、明日は宿で休眠状態だ。

 

 ランケオラータ救出のためにも、早く北の大陸に行くべきなのだが、今は荒んだ精神を落ち着けなければ、致命的な失敗を呼び込みそうだった。

 ティアも自分の感情を一時誤魔化すため、酒の力を借りることにした。

 

 

 

 ベルテロイにある派遣軍宿舎の一室は、今にも破裂しそうな険悪な雰囲気に包まれていた。

 ストラーの駐在武官アルテルナンテ=サウルルスの執務室に、首から上が灼熱した鉄球と化したような男が乗り込んでいる。

 

 ビースマックの駐在武官フィランサス=ブルグンデロットは、本国から送られてきた報告書に激怒していた。

 報告書を呼んだ勢いで、アルテルナンテの執務室に飛び込んできたのだ。

 

 本来であれば、駐在武官同士の公式な会談は、副官を通じ相手の予定を確認した上で面会の約束を取り付けるものなのだが、今の彼にそのような余裕は無かった。

 アルテルナンテはフィランサスの勢いに飲まれ、当初何が起こったのか理解できなかった。

 お互いの副官がなんとかその場を取り成し、やっと落ち着きを取り戻したフィランサスの発言は、その場の雰囲気を元に戻すだけではなく、南大陸を一気に戦乱の渦に叩き込みかねない内容だった。

 

 ビースマックからの報告書には、マグシュテット周辺でガーゴイルが確認され、その討伐に出向いた部隊が壊滅したことと、生き残りの証言からストラーの関与が疑われていることが記されていた。

 生き残りの兵は、破壊したガーゴイルの一部を持ち帰っていた。

 それは、ビースマックでは産出しない石材で、主にストラーの西部で建材や彫刻の材料として発掘されているものだった。

 

 財務卿は、ここ数年の貿易関係を洗いなおしたが、ストラーからの石材輸入はほとんど無い。

 ビースマックで充分必要量の石材は確保できるし、ストラーの石材は耐久性に難ありとビースマックの職人たちは判定していたので、輸入する理由も需要も少なかった。

 

 ごく一部に彫刻材としての需要もあるが、質素剛健を旨とする国民性から、精々小さな装飾に使われる程度で、ガーゴイルを作るほどの大きさのものは必要とされていない。

 つまり、このガーゴイルは国内ではなく、他国、おそらくはストラーで生産されたと見て間違いない、と報告書は締め括っていた。

 

「つまり、貴官は我が国が貴国に対し戦を仕掛けていると仰るわけですか?」

 ようやく事態を飲み込んだアルテルナンテが発言した。

 

「然様です。サウルルス殿。我が国としては、このガーゴイルの活動は、貴国のものと断じております。納得のいくご説明をいただかない限り、このままでは通商活動の停止、いや場合によっては国交の断絶もあり得ると考えます」

 副官の取り成しで、ようやく落ち着きを取り戻したフィランサスが言う。

 

 普段、執務時間以外での付き合いのある武官たちは、お互いを愛称で呼び、砕けた話し方をしているが、今は公式の場だ。

 呼び方も、話し方も、公式のそれになっている。

 

 フィランサスは、それにもどかしさを感じていた。

 より突っ込んだ話をするには、プライベートでのそれの方が早いと感じていた。

 

 アルテルナンテにしても同様だが、事が事だけにそうもいかない。

 対応を一つ間違えれば、この場で宣戦布告があってもおかしくない話だ。

 

「しかし、貴国の調査だけで我が国の仕業とお考えになるのは、早計ではないでしょうか。第三者の思惑で、貴国と我が国をいがみ合わせようとするものでは?第一、我が国が貴国と争って、何の利があると言うのでしょうか?」

 しかし、彼女の思考は別の方向も向いていた。

 

 確かに、伝統的に農業国のストラーと工業国のビースマックは、互いにないものを補い合って経済を発展させてきた。

 貿易の主な相手は互いであって、ラシアスやインダミトの割合は相対的に低い。

 

 両国が戦争状態にならなくとも、通商活動の停止だけで充分に国内が沈滞する。

 片方だけに利があるというわけではないのだ。

 

「しかしながら、サウルルス殿。その第三者とはいずこの者なのでしょうな?ラシアスやインダミトにその利があるとは思えませぬ。まさか、北の大陸の者と?」

 そう言いながらも、それは無いとフィランサスは考えている。

 ラシアスは国力の疲弊したこの時期に、戦乱は望んでいない。

 

 ニムファの野望が尽きることは無いだろうが、他国の戦力を国内に抱えた現状は、戦を仕掛けられる状態とはいえない。

 せめて自国の体力が回復し、ウジェチ・スグタ要塞を独力で維持できるようにならなければ、他国を侵略する前に本丸を落とされてしまう。

 

 インダミトのバイアブランカ王は、そもそも戦乱など望まない。

 四ヶ国のバランスが、南大陸の平和の要と考えている。

 商業国であるインダミトは、戦乱による経済活動の沈滞は自国の沈滞に繋がるだけに、却ってこの諍いを鎮める側に回るはずだ。

 

 北に至っては、組織的な戦争を仕掛けてくる発想すらないはずだ。

 防衛戦にこそ、今まで考えられもしなかった見事な組織的戦闘を見せたが、いくら弱体化しているとはいえウジェチ・スグタ要塞を簡単に抜けるとは思えない。

 

 仮に抜いたとしても、地峡という地形は大量の軍勢を一気に通すことはできない。

 従って、大陸内部に浸透される前に、出てくるところを片端から叩けば、それで済んでしまう。

 それは南大陸側から見ても同じことで、北への侵攻はやはり難しいのだ。

 

 長い沈黙がアルテルナンテの執務室を支配した。

 その中で、彼女は一つの認めたくない推論を、纏めつつあった。

 

 

 ストラーの王、つまり彼女の父は、プライドの高さだけが取柄の覇権欲のない男だった。

 ストラーこそ、大帝国の末裔というプライドは高いのだが、それをもって他国を従えようという欲望はない。

 

 だが、貴族の一部、特に王家傍流の公爵家や、その取り巻きの中には、そのプライドが肥大しすぎたため、他国はストラーの前に傅くべきと考える者が多い。

 特に彼らは、ビースマックを職人集団と見ており、ストラーとの対等な貿易相手というより、食料を恵んでやる代わりに技術力を提供させてやっていると、見下している。

 

 戦を起こすような度胸はないが、謀を好み、他を自らのために動かすことを好んでいる連中だ。

 他国の反王家勢力に手を貸し、王家の力を削ぎ、自らの影響力の強い一派に国を牛耳らせれば、自然ストラーの他国への影響力も上がってくる。

 

 他国を併呑するのではなく、国として存続させたままストラーの膝下に敷こうとしている。

 彼らは、ニムファとは別の形で、大陸を支配し、自らの欲求を満たそうとしていた。

 

 ビースマック王家は、もともと領土の拡張の意欲が薄い。

 ビースマックの貴族の中には、それを不満とする勢力が少数ながら存在していた。

 

 もし、その二つが結びついたとしたら。

 クーデター、その文字がアルテルナンテの脳裏に浮かんだ。

 

 フィランサスも、ほぼ同時に同じ結論に達していた。

 しかし、お互いにそれを口にすることはできない。

 他国への侮辱とも取れるからだ。

 

「本官は、本国に事の詳細を問い合わせます。貴官におかれましても、貴国のご様子を」

 フィランサスに言えることは、それが精一杯だった。

 

「承りました。ところでブルグンデロット殿、今日この後お時間は取れますか?」

 公式の場でこれ以上突っ込んだ話は無理と判断したアルテルナンテは、終業後の酒の席にフィランサスを誘う。

 お互いを愛称で呼べる席に移り、今後の対応を話し合うことにした。

 

「もちろん、可能です。せっかくですから、バイアブランカ殿とグランデュローサ殿もお呼びしませんか?」

 フィランサスは、インダミトとラシアスの駐在武官の名を挙げた。

 

「そうしますか。では、それは本官からお知らせすることにしましょう」

 アルテルナンテはそう言って、会談は終了、との意を示す。

 

 南大陸では、国家間の同盟や提携と言ったことは、大陸協定と呼ばれる申し合わせで固く禁じられている。

 微妙なバランスで保たれている国家間の力関係が、一気に崩壊するからだ。

 

 既に二国間だけの話ではなくなっていると、駐在武官であり王家の人間である二人は、そう考えた。



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第37話

 教都ベルテロイにあるマ教神殿のスキルウェテリー枢機卿の私室に、バードンは唐突に呼び出されていた。

 

「インダミトの愚か者が北の大陸に突出して、壊滅した話は聞いておるかね?」

 何事かと訝しむバードンに、スキルウェテリー卿が訊ねた。

 当然知っているだろう? という態度だ。

 

「はい。既に承知しております。あの莫迦共は救いがないですな」

 バードンは、心底呆れたように答える。

 

「インダミトのレヴァイストル伯が、ランケオラータ子爵を救出するために冒険者を雇ったのだよ。」

 スキルウェテリーは、情報を小出しにした。

 続けてランケオラータが、レヴァイストル伯爵の次女の婚約者であることを説明した。

 

「子爵を救出すれば、レヴァイストルに恩を売れる。そこでだ、お前に行ってもらいたい。いや、人狼狩りが忙しいというのは解るがな。お前以上の人物は、残念ながらいないのだよ」

 断ることは許さない、と視線に含ませて言う。

 

 インダミト王国の子爵を救出すれば、それだけでも彼の国はスキルウェテリーに頭が上がらなくなる。

 さらに国王の信頼も厚いレヴァイストルを手の内に引き込めれば、インダミトの立場を完全に自派に引きずりこめる。

 それはインダミトが支援している、全宗教との融和派であるカーナミン卿の力を削ぐことにもなる。

 

「断らせる気がないのに、よく仰る。分かりました。行きましょう」

 バードンは、半分あきらめの表情で答えた。

 

 聖騎士団から捨てられそうになった当時12歳のバードンを拾って、ここまで育ててくれたのはスキルウェテリーだ。

 荒れ放題だったバードンに常識から世事、人前に出て恥ずかしくない礼儀などの全てを叩き込んでくれた。

 

 

 スキルウェテリーも人生の約1/4はバードンと大差なかったため、他人事ではないという心情があった。

 彼はストラーの没落貴族の子として生まれたが、物心がつく前に孤児院前に捨てられていた。

 

 孤児院を出なければならない年齢に達した彼は、街で知り合った破落戸にいいように騙され、その使い走りのようなことをするようになっていった。

 たいした実入りもなく、それこそ使い捨てのような生活が続き、明日喰うパンの心配が頭から離れない毎日だった。

 

 綱渡りのような毎日は悪事との馴れ合いで、ある日寄付金が集まっているだろうと目星をつけていた教会に盗みに入る。

 たまたま来訪していた聖騎士団にあっけなく捕まったが、それが彼にとっての幸運だった。

 もし、普通に町人や官憲に捕まっていたならば、彼は牢屋に送られ、そこで栄養失調で死ぬか、さらに世間に対して憎しみを抱くようになっていただろう。

 

 捕縛され、問い詰められ、その日の食費と数日分の余裕が欲しかったと話した彼を、聖騎士団は盗みに入った教会に彼を預け、矯正することにしたのだ。

 当初は食事があるというだけで教会に居ついた彼だったが、何もせずに食事だけ恵んでもらうことは彼のプライドを傷つけた。

 

 しばらくすると彼は、神父たちの仕事を手伝うようになっていた。

 やはり使い走りのようなことばかりだったが、それでも人に必要とされるということは、彼にささやかな充実感をもたらす。

 

 元の仲間たちがちょっかいを掛けてくることがあったが、聖騎士団が彼らを捕縛したことでその心配もなくなる。

 聖騎士団にしてみれば、目をつけていた破落戸共を片付けただけに過ぎないが、図らずもスキルウェテリーにそのような者たちの末路を見せ付けることになった。

 

 神父たちはマ教の教えに従い、博愛と自己犠牲の精神を彼に叩き込み、彼もそれに良く応えた。

 彼は、長じるにつれ、自分もそうやって人を助けたいと思うようになる。

 

 神父として働くことができるようになってから、彼はマ教の教えはあまねく世界に広がるべきという考えを持つようになった。

 自分のような境遇の者が、まがりなりにも人様の役に立てるような人間に成長できたのは、マ教のお陰だと信じている。

 

 また、そのような教えを持つ宗教は、マ教だけだと彼には感じられた。

 特に北の民同士の殺し合いを聞くにつけ、彼らに対する感情は憐れみにも似たものになる。

 

 北の大地で信仰されている多神教に人々を救う力はないと感じた彼は、それらの宗教は邪教でありマ教こそ全大陸を救う唯一のものだと信じるに至った。

 人を救う力のない邪教は、排斥されるべきである。

 北の大地にもマ教の光が届くようになれば、北の民も幸せになれると彼は信じている。

 

 北の民を教化しようと考えるデナリー卿と考え方は近いといえるが、デナリー卿は異教徒に対して破折屈伏の姿勢を以って臨んでいる。

 教団内で彼は当初デナリー卿に付き従っていたが、次第に彼はそれを手ぬるいと感じるようになっていった。

 

 彼は、司教たちの中で考えを同じくする者を募り、枢機卿に選ばれた後はデナリー卿と袂を分かち、自らの信念に基づいて行動するようになった。

 教皇の座を欲するのも、権力を欲するのではなく、布教を推し進めるための力が欲しいが故だった。

 

 

 バードンが今を生きていられるのは、ひとえにスキルウェテリーのお蔭であった。

 いくら純粋な力がスキルウェテリーを超えたとはいえ、バードンは彼に逆らうことはできない。

 もし、あのまま騎士団を放り出されていたなら、人狼と大差ない人生になっていたはずだった。

 

 もちろん、スキルウェテリーがバードンを拾ったのは、彼のためだけではない。

 スキルウェテリーの所轄する悪魔祓い組織に、適していると判断されたことが大きな理由だ。

 

 普通であれば、聖騎士団をはみ出してしまえば、教会と縁が切れてそれまでだ。

 しかし、スキルウェテリーは彼の人狼への憎しみに目を付けた。

 荒事を担当させるため、ちょうどいい人物だったのだ。

 

 

 バードンは、インダミト内での人狼狩りを一時棚上げし、フロローからグラザナイを経由してウジェチ・スグタ要塞に向かい、さらに北の大陸へ渡ることにする。

 教団内で原理派は何かと風当たりが強いため、一応の名目はウジェチ・スグタ要塞の慰問ということになった。

 

「それでは、卿、行って参ります。必ずやご期待に応えましょう」

 内心の面倒くささは隠しつつ、バードンはベルテロイを後にした。

 

 

 ティアは、内心焦りを感じている。

 リムノの一件の後は疲れ切った心身を休める必要があったが、今アルギールからグラザナイに向かう馬車の速度は、彼女にとってもどかしくて仕方がない。

 

 ランケオラータ子爵が北の民の手に落ちた原因はアーガスの独走なのだが、その遠因を作ったのは自分自身だとティアは思っている。

 レヴァイストル伯爵は、当初アーガスを手元で再教育するつもりでいた。

 それをエーンベアに出すように進言したのは、他でもないティアだった。

 

 もし、あの時、自分がそのようなことを言わなければ、アーガスはラシアス派遣軍に身を投じることはなく、ランケオラータが北の民の手に落ちることもなかったはずだ。

 レヴァイストル伯の手元にいれば、伯爵は諸侯軍派遣の際にアーガスを将として送り出すとは思えない。

 

 ティアは、そのことについて恨み言一つ言わなかった伯爵に、合わせる顔がなかった。

 アービィもルティも、そのことについて、一言も言わない。

 

 ラガロシフォンでそのことを知らされたときは、身体から魂が抜けたかと思ったほどだ。

 ティアは、ランケオラータは自分の力を全て使って救い出すと、心に決めていた。

 

 ボルビデュス領を出てから、ティアの精神状態が不安定になっている。

 不機嫌というわけではないが、塞ぎこんでいることが多く、そうかと思えば必要以上に明るく振る舞ったりもしている。

 

 ティア自身、危険な状態だとなんとなく理解できているが、無理にでも明るくしていないと不安に心が押し潰されそうになる。

 そしてその後には、さらに重い不安感が襲い、また塞ぎこんでしまうという悪循環に陥っている。

 

 ティアの精神状態の波は、罪悪感や責任感から来ているのは解る。

 アービィとルティは、それがティアの心を潰してしまわないかが心配だった。

 

 

「もうすぐ、グラナザイか。これでメディは治癒師になる条件がそろうね」

 アービィがメディに話しかける。

 

 メディは、火の神殿で精霊と契約すれば、あとは修練を積むだけだ。

 北の民の呪文はそれほど持っていないので精神系の治癒は難しいが、怪我や状態異常であればほとんどの症状に対応できるようになるだろう。

 

 普通の生活を送っていたのでは呪文の修練の機会は少ないので、暫くは冒険者との二足の草鞋を履くのも良い。

 ビースマックは魔獣の生息数も多いので、治癒師としても冒険者としても需要はあるだろう。

 

 さらにあの国は職人気質の塊であることも手伝って、北の民への差別や偏見が比較的少ない地方でもある。

 北の民の奴隷は多いが、基本的に使用人としての需要であり、娼婦の需要はあっても性的な奴隷は少ないといわれている。

 

「アービィ、火の神殿行ったら、すぐ北へ行くんでしょ?」

 メディは、アービィにそう聞き返した。

 

「うん、冬になる前にけりを着けないと、半年近くは動けなくなっちゃうからね。それに、北の民も捕虜を生かしておく余裕はないと思うし。冬に備えて収穫を上げるためでしょ、きっと捕虜を取ったのは」

 アービィは自分の推測を交えて答える。

 

「もう解ってると思うけどさ、私も行くよ。北に」

 唐突にメディが宣言する。

 

 アービィたちも、なんとなくそのつもりでいたのだが、ここまで来てメディはビースマックに返したほうがいいのではないかと思い始めていた。

 命の保証がない。

 生きて帰れる保証がないのだ。

 

 もちろん、三人とも死に行く気はさらさらないが、北の大陸に足を踏み入れるのは初めてだった。

 どんなことがあるか、全く予想がつかない。

 

「うん、気持ちは嬉しいんだけど……」 

 そう言ってから、アービィは不安要素を説明した。

 

「ねぇ、北の民の女を一人でラシアスに放り出す気? そこからビースマックまで一人で帰れって言うの?」

 このために用意していた答えを、メディは即、返した。

 

 ラシアスは、常に北の民の圧迫を受けているせいなのだろう、北の民に対する偏見や差別は他の国に比べ物にならないくらい根強い。

 北の民の女性が、誰かの所有物であることを証明できない状態で歩き回るなど、自殺行為に等しい。

 攫われて奴隷商人や娼館に売り飛ばされるなどまだいい方で、強姦や殺人の被害者になることも珍しくない。

 

 ラミアのティアラで魔力を取り戻して帰ることは、論外だ。

 髪が蛇に変化するだけでなく、その蛇はそれぞれ自立して動く。

 隠し通せるわけもなく、再度討伐の対象になり、そのうえ北の民への偏見や差別をさらに深めるだけだ。

 

 そう考えると、北の大陸に一緒に行き、ランケオラータ救出後ビースマックに送るしかない。

 最初からその答えであったにも拘らず、再確認するまでに時間を要してしまったのは、やはり北の大陸の内情が全くわからないからだった。

 

「十三年ぶりの里帰りよ。いいじゃない、行っても」

 メディは、三人の気を紛らわすように行った。

 

 嘘だ。

 里はもう無い。

 

 他部族に襲撃され、一族郎党皆殺しになり、たまたま娼婦として売れそうなメディだけが生き残ったのだ。

 生まれ育った場所は、荒廃しきって原野に戻ったか、他部族が占拠しているかのどちらかだろう。

 

 近くまで行くことがあっても、悲しい記憶しか残っていない場所に、立ち寄るつもりはメディにはない。

 忘れてしまったことにして通り過ぎるつもりでいる。

 

「そうだね、やっぱりメディにも、一緒に行ってもらいましょうよ」

 ティアが言った。

 

 

 ティアは、内心でメディに手を合わせている。

 まったく予備知識が無い北の大陸に行くに当たって、メディの持つ知識は何よりの武器だ。

 

 当初、救出方法など見当もつかなかったが、メディから蛇や狼などを神として崇めている部族があると教えられ、自分が獣化すれば解決の糸口になると教えられていた。

 それ以外にも風習や、地理など、まだまだ教えてもらわなければいけないことは、山ほどある。

 

 特に禁忌。

 知らずにそれを犯した場合、協力的な部族だったとしても一瞬で敵に回しかねない。

 知らなかったで済まされることではないから、禁忌なのだ。

 

 商習慣も南と違うのであれば、要注意だろう。

 そもそも、今持っている貨幣が使えるのかどうかも怪しい。

 

 もし通貨が違っているなら、地峡近くで南と交易をしている部族を探し出し、ここで両替しておかなければ食料を買うことすらできなくなる。

 それ以前に南の住人にモノを売ることがあるのかすら、判ったものではない。

 

 メディがいれば、その辺りの懸案はある程度解決できるだろう。

 ティアが変化しても、瞳の色はともかく髪の色まで変えられないのだ。

 

 レヴァイストル伯爵への借りを返すために、ティアはメディを利用させてもらうつもりでいた。

 心底申し訳ない気持ちで一杯だが、この救出作戦を成功させるには、メディの力は絶対に必要だと、ティアは考えている。

 

 

 アルギールから、ほぼ10日の行程でグラザナイに到着した一行は、宿を押さえてからすぐに二手に別れた。

 ルティとティアは、ウジェチ・スグタ要塞行きの馬車の手配に走る。

 その間に、アービィがメディの護衛に付き、火の神殿で精霊と契約を済ませに行った。

 

 幸いなことに、翌朝の便にまだ席の余裕があったので、四人分のチケットを購入できた。

 あとは宿で待っていればいいだけなので、ルティとティアは並んで街を歩いていた。

 

「以前ここへ来たときには、要塞まで見物しに行くつもりだったのよね。それが今度は、さらに北、か。怖くない? ルティ?」

 暗い目をしたティアが聞いた。

 

「そうね、怖くないって言ったら嘘よね。……でも、ちょっとだけ期待もあるわ」

 ティアの暗い目が気になったルティは、暫く考えて言葉を選ぶ。

 

 今まで、三人は南の大陸から出たことがない。

 ここまでの旅は、同じような価値観や、人生観を共有できる人々の間を渡ってきているが、これからはそれが分からない土地へ行くことになる。

 

 

「メディとリムノが、初めて会話らしい会話をした北の民なのよ。自分の周囲には、あんまりいなかったから。フォーミットには、奴隷を持ってる人は少なかったし、娼館もなかったからね。その辺は不安材料かな。ティアも北へ行くのは初めてなんでしょう?」

 ルティが聞き返した。

 

 北の大陸についての情報が、南大陸では少なすぎる。

 北の民に関する情報は、ほとんどがメディのような娼婦の寝物語や、僅かな交易による一部の人からの伝え聞きでしかない。

 

 わざわざ危険を冒してまで、北を冒険する物好きは少なかった。

 所謂冒険者たちは、生計のために少しでも良い報酬を求めて旅をしているわけで、北へ渡っても仕事がないのであれば、行く価値がない土地だからだ。

 

 南から北へ行く人間は、使命感に燃えたマ教の神父か、南大陸に居られなくなった重犯罪者、あとは奴隷狩りくらいのものだろう。

 いずれも北の民にとっては、迷惑極まりない者たちばかりだ。

 これでは北の民が、南大陸の住人に敵意を持つのも仕方ないと考えられていた。

 

 

「あたしのせいなのよね、今回のことは。メディやあなたたちを巻き込んじゃって、本当に……ごめんなさい」

 ルティの問いに小さく頷き、暫く無言で歩いていたティアが、宿の玄関で突然歩みを止め、ルティに頭を下げた。

 普通に歩いていたルティは、ティアを外に残す形になってしまい、慌てて振り返った。

 

「何言ってるの? どうしちゃったのよ? ティアが悪いわけじゃないじゃない。気にすることじゃないわよ」

 ティアの顔を覗き込むと、涙が流れている。

 話は部屋で聞くわ、と言って、無理矢理ティアの手を引き、部屋に入る。

 

「あたしよ……あたしなのよっ! あたしが……伯爵に……いわなければ……アーガスは死ななかったろうし、ランケオラータが捕虜になることもなかったっ! ……なにより……何千人もの人たちが……殺されたり……捕虜になったり……」

 部屋に入るなり、抑えていたティアの感情が爆発した。

 

「あたしはラミアよ……人に害成す魔獣よ。……あなたたちのお陰で、人と暮らせるのかと思ったの。……でも……でも……あたしの言ったことで……何千人も……」

 ルティは何も言わずティアを抱きしめ、髪を撫でている。

 

「あたしは、人といちゃいけないんだよね。……判ってたんだ。でも、少しくらい夢を見させてもらっても、いいかと思ってた……でも……その夢から覚めたら……やっぱり……」

 声が震え、その後は言葉にならなかった。

 独り、一匹、一頭、一体という言葉が、頭の中をぐるぐる回っている。

 

「あなたは独りじゃないわ、ティア。絶対、独りじゃない。あたしたちがいるよ。あたしたちが死んだ後だって、あたしたちの子供たちが、そのまた子供たちが、一緒にいるよ」

 ルティは言い切った。

 この優しい蛇を、ラミアを放ってしまうなんて、できるはずがない。

 

 ルティの中で、ティアはアービィとは違った大切な場所を占めていた。

 自分の命が繋がっていく限り、共に長い時間を共有したい、大切な「人」になっていた。

 

「いても……いいの? あたしは一緒に……いて……いい……の?」

 不安そうなティアに、無言で肯くルティ。

 

 ティアは、嬉しさと同時に衝撃を受けていた。

 この少女は、魔獣との間に子を成すことに、躊躇いを全く感じていない。

 

 ただ、愛する相手が魔獣で、自分が人であるだけだ、と当たり前のことを、当たり前に受け入れている。

 その当たり前のことが、苦しくてたまらないのに。

 

 ティアが、苦しさを感じている部分は、そこだった。

 討伐する側とされる側。

 

 深い溝があるはずだった。

 それをこの少女は、軽々と超えていた。

 いや、される側に行ったのではない。

 

 溝を埋め、その中間にされる側を引き寄せ、救っていた。

 溝だった部分には、討伐する側もされる側もなくなっている。

 

「ね、ティア。いて欲しいの」

 

 

 その夜遅く、宿の一室でアービィとルティは、向き合っていた。

 メディは、精霊との契約が済んで安心したのか、早々と自室に戻りベッドに潜り込んでいる。

 

「ティアはようやく落ち着いたみたい。今は安心した顔で寝てるわ」

 ルティはそう言いながら、椅子に腰掛けた。

 

「よかった~。心配したよ、ティアが泣きはらした顔なんだもん。何があったかと思ったよ」

 向かい側でグラスを傾けながら、アービィが答えた。

 

 

 精霊との契約を済ませたメディとアービィが、ルティたちの待つ宿に戻ったときには、ティアは漸く落ち着きを取り戻していた。

 ティアは、泣きはらした目を心配したアービィに、気を利かせたのだろう、そのあと酒場で珍しく羽目を外した。

 

 飲み過ぎで二日酔いになることは多々あったが、ティアが酔い潰れたのは初めてだった。

 ルティは、ぐてんぐてんになって動けなくなったティアをアービィに抱えさせて部屋まで送り届け、アービィを叩き出してからティアを着替えさせて寝かしつけて来たところだった。

 

 

「ティアの不安ってさぁ、アービィは解るんだよね?」

 

「うん。だいたいね」

 言えない。

 自分も全く同じ不安を抱えているなどとは、絶対に自分からは言えない。

 

 以前ラシアスに初めて来たとき、自分の「痣」、召喚の刻印について、訊ねてきた人が二人死んだ。

 そのうえ、巻き添えで片方の家族二人、計四人が死んでいた。

 

 もちろんアービィが知らないだけで、四人ともラシアスの密偵だ。

 国家間の暗闘の中で、武運拙く途半ばで倒れただけに過ぎない。

 彼らには、その覚悟があり、アービィのことも、自らを直接殺した相手すらも恨むつもりはなかったはずだ。

 

 しかし、アービィにとってみれば、自分に関わったがために死んだ、いや間接的に殺してしまったのではないかと、苦しんでいる。

 おそらく、ティアもその先が怖いのだろう。

 

 今目の前にいる大切な人まで、死に追いやることが怖いのだ。

 それをルティに言うことは、アービィもティアもできなかった。

 

「同じような不安……ある?」

 ルティか椅子から立ち上がる

 

「うん……」

 傍に来たルティに、アービィは曖昧に肯く。

 

「怖いんでしょ? 独りになることが。大丈夫。あたしは、いつもここにいるよ」

 顔を覗き込まれた、と思った瞬間、ルティの唇がアービィの唇に重ねられた。

 

「ほら、大丈夫じゃない」

 顔を真っ赤にしながら、おやすみ、と言ってルティは部屋を出た。

 

 翌朝、いつまで経っても出てこないアービィを起こしに行ったルティが見たものは、幸せそうな顔で鼻を鳴らしながら、床で丸くなって眠る狼だった。

 

 

 昨夜に引き続き、顔を朱に染めたルティが、それでも幸せそうなアービィの耳を引っ張りながら、宿の食堂に降りてくる。

 その光景を見ながら、じんわりとした幸福感を覚えながら、ティアはあり得ない想像をしていた。

 この少女は、幸せをもたらす女神の化身ではないかと。

 

 ひょっとしたら、南の住人と北の民との架け橋くらい、簡単に作ってしまうのかもしれない。

 絶望的な観測しかできなくなってしまっていたティアの心が、少しだけ解れてきた。



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第38話

 北の大陸を目指す一行はグラザナイを馬車で発ち、七日目の夕方にウジェチ・スグタ要塞の後方支援基地リジェストの町に到着した。

 ウジェチ・スグタ要塞の兵士にとってリジェストの町は、ほとんど変化のない平坦な毎日からの、解放と享楽の空間だった。

 娼館が立ち並び、酒屋が軒を連ね、南の品を集めた商店が品揃えを競っている。

 

 もちろん南方から運んでくる商品に生鮮食料があるわけでなく、ラシアス国民にとって異国情緒をかき立てる民芸品がほとんどだった。

 それが今では派遣軍の、とりわけインダミトの兵にとっては、ふるさとへの郷愁を募らせる厄介なひと品であったり、ホームシックを癒す貴重な特効薬であったりもした。

 

 アービィとルティにとっても、フォーミット近くで作られた民芸品は、両親を思い出させ、しばし慕情をかき立てられることになっていた。

 ティアにしてみても、しばらくインダミトに居着いていたからか、懐かしさ混じりの視線で商店の軒先を眺めている。

 

 しかし、それの和やかな時間は、到着時の身体の強張りを解す際の、僅かな間だけのことだった。

 四人は到着した足で、地峡にある間道を踏破するための装備を揃えようと、ギルドの販売部で販売員にどれがいいか相談に行く。

 

「へっ? 今から、北の大地へ?あんたら、気は確かかね?」

 ギルドの販売部で販売員は、信じられないものを見るような視線を向けて素っ頓狂な声を上げた。

 

 さすがに日も落ち、かなり冷え込んできている。

 既に季節は晩秋と言っていい時期だ。

 いくらなんでも夜間に、山岳地帯の間道を踏破しようと言う莫迦はいない。

 

「いえ、今日は宿に泊まって、明日から装備とか携行品とか集めようと思ってるんです」

 まさか誤解されるとは思ってもいなかったアービィは、慌てたように弁解した。

 

「いや、夜に行くとは思っちゃいないさ。もう間道は雪に埋まって通れないってことだがね」

 

「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」

 一斉に驚きの声を上げる四人。

 

「そんなことも知らないところを見ると、あんたらインダミト辺りの人かい? いや、そんなことって馬鹿にしたわけじゃない。あんたらが住んでいた辺りじゃ、雪なんて降るかどうかだろ? この辺りは、人の背丈より深く積もるんだよ。南の人は知らなくて当たり前だけどな」

 態々大陸中を旅して回るなど、余程手広く商売をしている者か、優秀な冒険者くらいの者だ。

 ほとんどの一般人は生まれた地域から出ることは少ないし、商人や冒険者であっても一国から出るほどの者は、それほど多くない。

 

「それにしても、あんた北の民だろ? ああ、あんた、こっちで生まれたのかい?」

 メディが知らないとは思えず、勝手に販売員は納得してしまった。

 

「じゃあ、しょうがないな。いきなり飛び出して死なれちゃ、寝覚めが悪いから」

 そう言って、販売員は説明を始めた。

 

 南の大陸も、やはり北に行けば行くほど気候は厳しくなる。

 地峡を挟んだ両側はまだ比較的温暖だが、両大陸が接する地峡の一部には、両大陸の行き来を遮断するかのような高山地帯が横たわり、夏でも寒冷なうえ冬は長い間雪に閉ざされてしまう。

 

 安全な通行に適した低地をウジェチ・スグタ要塞が塞ぎ、北の民の南下を防いでいた。

 血管のように高山地帯を走る間道は、既にこの時期猛威を振るう雪に埋められ、ウジェチ・スグタ要塞を経由する以外両大陸を往来できる道はないと言って良い。

 

 アービィもルティも、最も気候が温暖な地域の生まれで、ほとんどその地域を出たことがない。

 ティアは寒いところが苦手なため、南大陸の南半分を主な行動範囲にしていた。

 そのせいで、北方の夏や秋が短い季節感というものを、話では聞いているが実感できていなかった。

 

 メディも北の大陸では比較的温暖な地域の生まれで、間道を通って南に売り飛ばされたのは夏だった。

 その後の十三年の月日が、とりわけ屋敷に匿われ外出することがなかった十年間が、故郷の四季の記憶を薄れさせ、感覚を狂わせていた。

 誰もが、まだ地峡を越えることは容易と考え、また大量の捕虜を使役するだけの収穫を見込める地域の本格的な冬は、もう少し先のことだと思っていた。

 

「間道が通れないことは分りましたが、ウジェチ・スグタ要塞を通ることはできないのですか?」

 ティアが縋るような目つきになっている。

 

「昔は、こっちから行くのはよかったんだがね。北の民の勢いが強くなってからは、神父様くらいだ。通してるのはね」

 割と楽天的にここまできたが、販売員の話を聞くにつけ、絶望的観測しかできなくなってきてしまった。

 

 まず、現時点でウジェチ・スグタ要塞を経由する以外の道がないこと。

 ウジェチ・スグタ要塞は通行の遮断が目的である以上、容易には通過の許可が下りないこと。

 アーガスの独走は思った以上に深刻な被害をもたらしたため、インダミトに対する風当たりが強くなり、ウジェチ・スグタ要塞内ではインダミトの人々は白い目で見られつつあること。

 そしてなにより、総指揮官ディティプリス子爵が全ての責任をアーガスとランケオラータに押し付け、救出作戦に消極的なため、アービィたちの通行許可を出す可能性は、限りなくゼロに近いこと。

 

 深く考えずとも、あっと言う間にこれだけ、北の大地への道を阻む事由が挙げられる。

 奇跡的に通行許可が下りるか、今現在通行可能な間道があったとしても、行ったが最後雪解けの頃までの数ヶ月は北の大地に足止めされてしまう。

 

 ランケオラータ以外にもいると思われる捕虜を抱えての逃避行が、どのような結果に終わるかは、誰の目にも明らかだった。

 焦りと見通しの甘さ、無知、そして己が無力さを思い知らされていた。

 

 

「なんで、そんなにぐちぐち言うのよっ!!」

 ティアがルティに文句をつけ始めた。

 安宿でアービィの部屋に四人が集まり、今後のことを話し合っていたとき、強固に北行きの主張を繰り返すティアを窘めたためだ。

 

「別にぐちぐち言ってるわけじゃないでしょ!? ここから先に行けない以上、一度レヴァイストル伯爵に連絡を取って、根本的なところから相談た方がいいって言ってるだけじゃない!!」

 言い方を変えて同じことを言っているため、かなり言い回しがくどくなっていた。

 自分の言うことを解ってもらえないと感じ始めていたルティは、ティアに対してくどい言い方になっていたうえ、アービィやメディに同意求めるときには愚痴っぽさまで加わっていた。

 

「要は何もせず帰るってことでしょ!? そんなことできると思ってんの!?帰れるわけないじゃない。高々、ちょっと雪が深いってだけのことじゃない!!」

 

「無理だよ、ティア。吹雪いたら、前も見えないって言うじゃないか。そんな中に飛び出したって、どうしようもないよ」

 アービィが何とか宥めようとする。

 

 アービィが人狼の力を解放すれば、雪など物の数ではない。

 狼は、元々豪雪地帯を踏破する力を持っている。

 

 しかし、人間やラミアが吹雪の中を彷徨うことは、自殺行為以外の何物でもない。

 ラミアは妖術を得た代わりとでもいうかのように、高温や低温への適応力を失っている。

 そこがまた、ティアの癇に障っていた。

 

「やってみなきゃ判らないでしょ!! やる前からできないって考えちゃうわけ!? なんか、良い方法があるかもしれないでしょ!?」

 納得しようとしないティア。

 ルティやアービィの言うことに対して納得できないのではなく、自分の理性に納得できない。

 

 ティアも、一度戻った方がいいことは理解している。

 リジェストで雪解けを待っているとしても、ここも雪に閉ざされてしまう以上、情報収集すら儘ならなくなってしまうのだ。

 

 それでもレヴァイストルやレイに対する罪悪感と、これ以上動きようのないことから来る焦燥感が、ボルビデュス領への帰還を認めがたいものにしていた。

 探せば道はあるはず。諦めなければ道は拓けるはず。

 

 精神力で物理法則を変えることは不可能だが、呪文のあるこの世界ではそれがある程度は可能だと信じられていた。

 確かに、周囲に積もった雪を炎の呪文で溶かしたり、風の呪文で吹き飛ばすことはできる。

 

 しかし、呪文の使用回数に限界があり、回復には一晩の睡眠が必要である以上、溶かしたり吹き飛ばし続けることは不可能で、回復中に雪に埋もれてしまう方が早い。

 天候まで操れる呪文は存在せず、神話上の神や悪魔でもなければ降雪を止めるなど不可能だ。

 

「二人とも諦めようって言ってるわけじゃないじゃない? 一度仕切り直ししようって言ってるだけでしょ? ティア、お願いだから落ち着いて、冷静に考えて、ね?」

 言い合いになったティアとアービィの間に、メディが割って入る。

 

「メディまで……二人の味方? いいわ。……三人で帰ればいいでしょ!!あたしは残って、北へ行く方法を見つけるの!!」

 そのまま自室に戻り、ベッドに潜り込んでしまう。

 

 さすがにティアも独りで行って、どうこうできるとまでは思っていない。

 思っていないだけに、自分の感情と理性の整合性が取れなくなっている。

 

 ティアの精神状態は、また不安定になってきていた。

 以前は塞ぎ込むか、必要以上に明るく振る舞うかだったのだが、今回は攻撃性が見られている。

 感情の起伏が激しく、付き合わされる方まで疲弊していた。

 

 ルティは宥める術を持たないどころか、同じ理由で苛立っているせいで、ティアと衝突する場面が見られるようになっていた。

 グラナザイでは予感のあったアービィとの甘い時間も、この状況では二人ともそのような気にならない。

 

 ティアが孤立し、メディが気を利かせてティアの様子を見に行き、アービィとルティ二人きりの状況になっても、二人とも混迷の表情を消すことができない。

 時間は無情に過ぎ、リジェストの町を雪が閉ざし始めていた。

 

 少なくとも次の春が来る百日程先まで、北の大地に行く術は失われている。

 メディは自分が役に立たないことに苛立ち、アービィも自分の感情を持て余していた。

 

 

 バードンは、アービィたちに遅れること十日程でリジェストを通過し、ウジェチ・スグタ要塞に到着した。

 慰問の名目があるため、ウジェチ・スグタ要塞では歓迎され、密かに苦手を自認する説法を押し付けられる毎日を過ごしていた。

 

 北の教化はマ教として不自然ではないため、北の中でも比較的温暖で雪はあっても行動可能な地域での布教活動を理由にしていれば、ウジェチ・スグタ要塞の通行は許可された。

 バードンは、説法などから逃げ出したいこともあり、布教および北の実状を知るためと称して通行許可証をもぎ取り、意気揚々とウジェチ・スグタ要塞を後にした。

 

 指呼の距離に怨敵がいたことを、バードンは気付かずに北の大陸に渡っていった。

 もし、リジェストにバードンが滞在することになっていたら、苛立っているアービィとの衝突があったら、血の雨が降っていたかもしれなかった。

 バードンがアービィたちに気付かなかったことは、それはきっと、お互いに幸運なことだったのだろう。

 

 

 北の大陸は、南から極北に向かって標高が低くなっている

 地峡に続く高地には、農耕に適した土地は少なく狩猟が主な産業となっており、主食となる穀物を含む農産物は、南大陸を含む周囲との交易に頼っている。

 

 高地を下りると広大な平野が広がるが、土地はやせており、南大陸のように大量の人間を養うことは不可能だった。

 その中でも比較的肥沃な土地は、有力な部族が占めており、数や武具の装備で劣る弱小な部族は、高地に押しやられている。

 

 

 平野を占拠している部族にしても、大陸中央域から温暖な土地を求めて押し寄せる、さらに多くの部族連合を押し返すことで精一杯であった。

 同じように中央域の部族連合も、極北の地から押し出してくる蛮族との戦いに明け暮れている。

 

 いずれも己の生存を賭け必死の攻防を続けているが、雪に閉ざされる冬を生き残ることが優先され、大まかな勢力圏は固定されていた。

 ある程度勢力圏を広げても、相手を押し切る前に冬が訪れ自然休戦になり、春に反抗の準備を整えた相手に押し戻されるということを繰り返している。

 

 結局相手の土地を奪っても、維持に係る人員が不足しているうえ、冬を越すための食料を含む戦略物資の供給が追い付かず、冬の間に奪った土地に取り付いた人員の生活を維持できないからだ。

 奪われた方も劣性を自覚した時点で土地の確保を放棄し、人員と戦略物資の維持に努め翌春の反抗に備えているため、奪回も容易だった。

 年中行事のような土地の奪い合いは、それでもより北に位置する部族の南下への渇望が、少しずつではあるが、全体の境界線を押し下げていた。

 

 南大陸の為政者は、地峡とウジェチ・スグタ要塞を以って、北の民の南下を食い止めるという戦略を持つものが多い。

 それでも中には、北の有力部族と結んで蛮族の南下を食い止め、ラシアスの負担を軽減し、ひいては各国の少なくない北対策費用を減らそうという戦略を持つ者もいる。

 バイアブランカ王家を筆頭とするこの勢力は、マ教内にあって南北融和派のカーナミン枢機卿を支援し、各方面に勢力を伸ばしていた。

 

 今回のアーガスの独走は、インダミトの立場をかなり危うくするものだったが、ランケオラータが北の捕虜になったことは、却って僥倖だったかもしれない。

 今回、戦術の教科書に載せたいような見事な戦を行ったのは、勢力圏から考えて平野の部族連合だとバイアブランカはにらんでいる。

 

 ランケオラータが無理な反抗をせず生存を第一に考え、北の有力部族の中でそれなりの立場の者と対話の機会を作れるなら、南北協調のきっかけになる可能性もなくはない。

 相手が中央域の強大な部族であれば、最大の問題となっている蛮族に直接対峙しているので言うことなしではあった。 しかし、敵地を経由して支援をするよりは、少しずつ侵食していくほうが楽だろうと、バイアブランカは思うことにした。

 

 財務に関わる仕事に就いていた彼は、国家予算における北対策費の占める割合の高さは充分承知している。

 政務の中枢に近い位置にいたため、財務卿である父を通じて内外軍務の各卿や、その部下たちとそれぞれの仕事について親しく話をする機会を得ていた。

 

 軍務の才には乏しくとも文官として政務の才に溢れ、将来を嘱望された彼は、その才を研く努力を怠っていない。

 さらに彼はバイアブランカ王に目を掛けられており、王の対北戦略もある程度理解していた。

 

 それもあってバイアブランカは、実際のところ、積極的な救出作戦の指示を出していない。

 もちろん、派遣軍内でのインダミトの立場を考慮している部分もあった。

 

 レヴァイストル伯が冒険者にランケオラータの救出を依頼したことも、スキルウェテリー卿が悪魔払いを救出に向かわせたことも、密偵を介して承知している。

 スキルウェテリーの考えることなど既にお見通しのバイアブランカは、悪魔払いが余計なことをしなければいいと考えていた。

 悪魔祓いにランケオラータの扱いをさり気なく気付かせ、彼にもそう悟らせるため、密偵を神父に化けさせて悪魔祓いの監視に付けるかとも、バイアブランカは考えている。

 

 冒険者たちはウジェチ・スグタ要塞の通行許可を取ることなど不可能だから、春までは動きようがなく、救出を諦めていないというポーズのためならば、それで充分だった。

 あとは、ランケオラータがなぜ彼を北に放置しているかを理解することに期待し、その役割を果たした彼を無事帰還させるために 冒険者たちを密偵に支援させる程度しかすることはない。

 一度『痣』を持つ少年の顔も見ておきたいものだと、バイアブランカは考えている。

 

 それにしても、と彼は思う。

 インダミトも無関係とは言えないビースマックの焦臭い噂は、ベルテロイ駐在の息子から知らされている。

 もちろん南大陸四国家のバランスが崩れるという由々しき事態なのだが、彼の国の王家傍流の公爵家には、レヴァイストル伯の長女が嫁いでいる。

 

 『痣』を持つ少年は、レヴァイストル伯と関係が深い。

 彼の存在が報告されてから、戦乱の兆しが絶えることがない。

 バイアブランカ王は、改めて『痣』を持つ少年に、興味を抱いていた。

 

 

 既に窓の外は暗い雪模様になっている。

 数日間、四人はアービィの部屋に集まっては、事後の対策を話し合っていた。

 

 毎回、帰還しようという話の流れになると、ティアが癇癪を起こして打ち切りになる、の繰り返しだ。

 そろそろ方針を決めないと、雪解けまでこの街に閉じ込められることになってしまう。

 

 そうなれば情報の収集はおろか、生活費にも事欠くようになる。

 いくらレヴァイストルが資金援助してくれるとはいえ、ここまで資金を運ぶ術がなくなってしまうのだ。

 

 討伐や、街の雑事と行った仕事がなくはないのだが、四人が普通に暮らしていけるほどの仕事はない。

 何よりも、食料が不足がちになる厳冬期に、住人と要塞の将兵以外の人間が街にいることは望ましくないと思われている。

 

「そろそろ街を出ないといけないと思うんだ。これ以上雪が深くなっちゃうと、どこへもいけなくなっちゃうよ。要塞と往復くらいしか、できなくなるみたいだね」

 アービィが、今日中に決断してくれという意味でティアを見た。

 

「どうしても、帰るのね? 帰らなきゃいけないのね?」

 諦めきれないという表情のティア。

 

 彼女は、レヴァイストルに、人に認められたことが嬉しかった。

 魔獣としてではなく、性の対象としての女としてでもなく、能力を持ったひとりの「人」として認められたことが、嬉しかった。

 

 なぜ、ここまで意固地になるのか、アーガスの件での罪悪感がそうさせていたと自分では思っていた。

 だが、ここで無為に帰っては、せっかく認めてもらえたことがふいになってしまうのでは、ということが怖かったことに、ようやく気付いた。

 

 宿からも、どうするのか早く決めてほしいと言われていた。

 長逗留するのであれば、冬を越せるだけの食料を調達しておかなければならない。

 

 宿としては、毎年収入のない時期に思わぬ収入源が転がり込むことになるのだが、食料は湧いてくるわけではないので、四人のひと冬分の食料を確保しなければならない。

 そのためには、雪の影響の少ない街に仕入れてこなければならず、あと10日もすれば雪で馬車すら走れなくなるため、今日明日がその期限と言われていた。

 

 ティアにも、今が限界だということは理解できた。

 自分の限界だということも。

 

「解った……。……ごめんなさい。あたし……」

 ティアが泣き崩れる。

 

 三人には解っていた。

 魔獣が人に認められるなど、今まで聞いたことがない。

 

 罪悪感、焦燥感、責任感、ただでさえ、負い目に感じていたところに、自分の存在価値まで否定されかねない事態に、ティアは冷静な判断力を失っていた。

 追い詰められ、現実から逃げようとしていたが、もう後に戻るしかないという現実を突きつけられ、ようやく冷静さを取り戻しつつある。

 

 三人は、まさかここでティアが折れてくるとは思っておらず、最後のバトルを覚悟していただけに呆気に取られていた。

 いいの? と言わんばかりの顔で、ルティが見詰めている。

 メディは、振り上げた拳の行き場をなくしたような顔で、困ったような笑いを浮かべていた。

 アービィも、やはり真意を確かめたいという顔になっている。

 

「でも、また戻ってくる。諦めたわけじゃないの。分ってくれるよね?」

 ようやく落ち着いたティアが顔を上げた。

 

 最後の問いは、三人への問いとレヴァイストルやレイに向けていた。

 そして捕虜や死者となってしまった数千人の人々にも。

 

「うん、諦めてない。絶対、またここに戻ってくるのよ」

 ルティも悔しかった。

 行けば何とかなると思って、たいして調べもせず、行き当たりばったりだった自分が悔しかった。

 

 もし、ここで退いてはランケオラータが殺されないまでも、衰弱死してしまうかもしれない。

 それでも、そこへ行く道が閉ざされているのであれば、今は彼の強運を信じるしかない。

 

 アービィはどこかほっとしたような顔で、馬車のチケットの手配に出て行った。

 メディは悔しそうな表情で、酒の用意を始めていた。

 

 アービィが戻ってきたとき、部屋の中は酒の匂いが充満し、既に出来上がったルティが床に崩れ落ちようとしていた。

 メディとティアは、アービィの姿を認めると獲物を見つけた肉食獣のような目になっている。

 とりあえず、逆らっては危険と判断したアービィは、諦観を漂わせつつ空のグラスを手に取った。

 

 

 ランケオラータは、愕然としていた。

 捕虜になったまでは、仕方がないと思う。

 

 自信に軍事の才がないことは、誰よりも当人が知り抜いていた。

 それでも北の蛮族に遅れをとるとまでは考えていなかったが、素人が軍人に戦で勝てるとは思い上がりも甚だしいと思い知らされた。

 

 彼が愕然としたのは自分の思い上がりではなく、北の大地の現状だった。

 捕虜の食事がまともではないのは分っていたが、ここまでとは思わなかった。

 

 割るためにはハンマーが必要かと思うような、堅いパン。

 味など期待するほうがどうかしていると思えるような、透明なスープ。

 そこに浮いている、南大陸では雑草に分類されているような、草。

 それが、一日に二回。朝晩に出るだけだ。

 

 当初、彼は捕虜故の待遇だと思っていたが、強制労働の際に将兵の食事を準備させられたときに見たものは、精々がところ草の量が捕虜より多い程度の内容だった。

 つまり、消費カロリーが日常生活より多い軍事行動の際にも、南の下層階級より粗末な物しか支給できないということで、そのまま北の民の貧しさを物語っていた。

 

 当然、このような食事では、戦場で傷つき体力を失った捕虜の命は、蝋燭の火より簡単に消えていった。

 戦闘に突入する前に捕虜になった、まだ比較的体力が残っている者も、日に日に衰弱していくのが分る。

 

 部下からは食事や待遇に関する不満を告げられていたが、勝者より待遇の良い捕虜がいるはずないと、彼は諦めるよう部下を説得するしかなかった。

 そんな彼を見て、部下の中にはランケオラータは北の民に尻尾を振っていると、陰口を叩く者もいた。

 

 彼は部下の陰口は仕方ないと考えている。

 自分に対して不満が向いているうちは、北の民に対してあからさまに逆らうことはしない。

 

 万が一、北の民に対して不満が爆発し、暴動でも起こそうものなら、今の状態では瞬時に皆殺しにされてしまうだろう。

 周囲の冷たい目に耐えながら、彼は黙々と強制労働に従事していた。

 

 その強制労働の内容も、彼に衝撃を与えていた。

 未開地の開墾だと思っていたものが、常用の農地だというのだ。

 

 まだ北の大地では焼き畑農業が主流で、大地は数回の焼畑でいとも簡単に地力を失っている。

 通常、放置された畑は十数年で地力を回復するが、使い続けられて消耗しきるか、そのまま放置されていることが多いため、農地に適した土地は減少する一方だと思われていた。

 

 彼らが従事させられた強制労働のほとんどは、南の基準では荒れ放題の畑からの収穫作業だった。

 引き抜くように指示された草を雑草だと思い粗末に扱って殴られた兵は、いきなり殴られたことによる理不尽さより、それが収穫物だという事実に呆然としていた。

 

 もちろん、彼らにとって野菜と認められるものが栽培されているまともな畑も少数ながら存在するが、収穫物を捕虜に盗まれないために、そちらの収穫に駆り出されることはなかった。

 穀類はそれなりに収穫量があるようだが、パンを焼く燃料のため無節操に森林を伐採した結果、春に鉄砲水が多発した経験から林業には消極的になっており、豊富な森林資源を抱えているにも拘らず、現在では却って林業が衰退している。

 

 この他に石炭の採掘に従事させられたこともあった。

 どうやら埋蔵量はかなりのものがあるが、道具が粗末であり、従事者の絶対数が不足しているため、生産量が上がらない。

 

 鉱物資源も良質な鉄があるにも関わらず、同様の理由から小規模な産業でしかない。

 その鉄は、部族間の戦のための武器防具に、優先して加工されている。

 そのため、農、工具に回される量は僅かな割合であり、それが生産量を低下させるという悪循環に陥っていた。

 

 小規模な部族内で全てが賄いきれるはずもなく、近隣の部族が連合体を作り、農林業、工業を分担しているが、部族間の力関係で弱小部族は各産業の過酷な過程を押し付けられていた。

 南大陸の常識では考えられないほど、遅れた社会基盤だった。

 

 比較的肥沃な大地を持つ南地方でこれならば、さらに北の地域はより過酷な環境なのだろう。

 ランケオラータには、北の民が南の土地に移りたがる理由が、十日も経たずに理解できてしまった。

 

 

 捕虜になって十数日目に、収穫が済んだ畑を見ながらランケオラータと部下が何気なく交わした会話が監督官の耳に留まり、彼等の運命は激変した。

 本当に何気なく、だった。

 

 収穫物の貧弱さに施肥に関することや、畑の効率の悪さから牛馬を使った開墾について、部下と改善策を話した、というより愚痴を言っただけだった。

 監督官は標準的な北の民であり、良くも悪くも北の大地の常識に囚われていた。

 ランケオラータを兵舎に連れ去った監督官は、処刑されると諦観した彼に、農業に関する改善策について、根掘り葉掘り聞き始めた。

 

 ランケオラータは、ハイグロフィラ領より独立したアンガルーシー領を経営している。

 当然財務だけではなく、農林業や工業の現場に立つことはないにせよ、生産量を上げるための施策を講じたり、指導を行ってきていた。

 

 彼は監督官に北大陸に応用できそうな施策や技術を提案し、彼の領地から義勇兵にきた者を使い、現状で可能な範囲を実践させた。

 もしかしたら、彼には北の民への優越感や、憐れみがあったのかも知れないが、監督官にしてみれば、今まで苦労してきたことにいとも簡単に解決策を示す若者の知識や経験は、失いがたいものに思えた。

 

 翌朝、捕虜たちが起こされると同じ時間に、監督官を乗せた早馬が一騎、平野を占める部族の長が住む集落目指し走り去った。



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第39話

 リジェストからグラザナイへ向かう馬車の中は、まるで通夜のようだった。

 誰もが言葉もなく、押し黙ったまま俯いている。

 

 辛うじて依頼できた早馬で、レヴァイストル伯爵に撤退を伝えたアービィたちは、伯爵からの返信を待たずにリジェストを離れた。

 おそらくグラザナイのギルドに、伯爵から指示の手紙が届いているだろう。

 

 宿で盛大に飲んだせいで、未だにぐらぐらする頭を抱え、四人とも半分眠っているようだった。

 昨日は、陽の高いうちから呑み始め、アービィが馬車のチケットを買いに行っている僅か数十分の間に、ルティがまず沈没。

 次いでティアとメディに、ルティとの進展状況を尋問されたアービィが、黙秘権行使とばかりに一時間と掛からず轟沈。

 

 その後、散々に愚痴りながら、まるで砂漠の遭難者に渡した水を呷るような勢いでグラスを空け続けたティアが、三十分後唐突に爆沈。

 最後に、ルティとティアをそれぞれのベッドに押し込んだメディが、アービィを放置したままあえなく自沈。

 この間僅か二時間、まだ日没前の惨劇だった。いや、醜態だった。

 

 幸い窒息死する者は出なかったが、眠り込んだ時間も早かったにも拘わらず、それぞれが目覚めたのは支度を済ませるにはあまりにも余裕のない時間ではあった。

 それでも酒の臭いを振りまきつつも、馬車に乗り遅れることはなかった。

 

 馬車の中でアービィは、いつ尋問が再開されるかに脅えている。

 最初に脱落したうえ、ベッドまでの記憶どころかいつ離脱したかさえ覚えていないルティは、メディの荷物持ちにされた理由をまるで理解していない。

 

 ティアはさすがに気が晴れたのか、それとも二日酔いで口を利く気力もないか、力なくうなだれ馬車の揺れに身を任せている。

 最後に力仕事を片付けたメディは、なぜ筋肉痛になっているか理解しておらず、少し身体を動かす度に小さく悲鳴を上げる始末だった。

 

 御者は四人の具合に気が気ではない。

 万が一、いや彼は十中八九覚悟しているが、馬車内で吐かれでもしたら、大変なことになる。

 

 掃除しようにも、洗おうにも水場は近くにないし、あっても凍り付いている可能性が高い。

 髪を整えることすらせず、おそらくは昨夜から着替えていないであろう若い四人が停車場に来た時点で、姿形と振り撒かれる酒の残り香から、御者は惨事を確信していた。

 

 まず間違いなく、最低一人は吐く。

 それは希望的観測で、全員がそうなるであろうことは、長い経験から彼は悟っている。

 

 それが馬車酔いか、二日酔いか、はたまたまだ酔っぱらっているからかは、彼には無意味なことだった。

 彼は、仕事納めが馬車の本来必要ない清掃になる未来を、呪っていた。

 

 

 その後、彼の危惧は一部予想通りに当たり、一部は幸いにも外れた。

 もっとも、外れてくれても、少しも嬉しくはなかったが。

 

 まず、口火を切ったのはティアだった。

 

「ごめんなさいっ!! 馬車止めてぇっ!!」

 

 口を抑え、止まり切らない馬車から飛び出す。

 道端に四つん這いになったかと思いきや、盛大な勢いで胃の内容物、いや内容液を吐き出した。

 

 暫く待ち、旅程を再開するが、その後は順番を決めたかのように、四人は馬車を止め、外に飛び出していった。

 御者は予定通りの行程を諦め、最初の馬車駅から、行程変更の早馬を先の駅に走らせていた。

 

 行きと違い雪に行動を阻まれるため、帰りの行程は十日の予定だったが、十二日目の夕方になって馬車はグラザナイに到着した。

 御者に丁重に謝り、礼を言ってから、四人は町の雑踏の中に消えていった。

 

 

 グラザナイに戻った四人は、宿に荷物を下ろした後にギルドへと向かい、レヴァイストル伯爵から手紙が届いてないか問い合わせた。

 職員から数通の手紙を受け取り、ロビーで読み始める。

 

 ルティが届いた順に目を通し、ティア、アービィ、メディの順に回覧されていく。

 誰もが無言で読み終え、視線がティアに集中した。

 

 手紙の内容は、四人を労い、次いで見通しの甘い状態でリジェストまで行かせてしまったことへの謝罪が記されていた。

 そして、王には報告していないこと、王からは救出の指示がないことへの疑問が続いた。

 

 最後に、雪解けを期し、再度北へ渡ることへの依頼で、一通目の手紙は締め括られていた。

 二通目以降は、マ教の神父がウジェチ・スグタ要塞を越えたことや、要塞でのインダミトの立場、冬を控えて要塞の人員を削減することなど、情報が入る度に認められた手紙だ。

 

 最後の手紙は、今からの四人の行動を決する内容となっていた。

 他国の密偵等に情報漏れがあってはならない故、至急ボルビデュス領まで来られたし、とだけ記されていた。

 

 

 既に時間も遅く、翌日の馬車の手配はできないので、宿に戻ることにした。

 途中、初めての酒場に入った四人は、心地よい喧噪に身を委ね、ゆったりとエールを楽しんでいた。

 

 グラザナイに戻る途中から、ティアは落ち着きを取り戻していた。

 ルティは、後退することでティアの精神が荒廃することを心配していたが、却って冷静に考えることができたせいか、今までのティアに戻っていた。

 

 

 冬は、既にグラザナイを覆っていた。

 アービィたちがリジェストへ発った頃は晩秋へと移行する時期だったが、今は雪が降る日も珍しくない。

 

 冬季になれば北の民の南下も治まるため、ウジェチ・スグタ要塞から一部の将兵が引き揚げてきている。

 彼等の口からは、アーガスの独走の挙げ句の顛末や、ランケオラータが虜囚となったこと、北の民が戦上手であることなどが広まっていた。

 

 ラシアスの人々は、北の民の驚異を差別や偏見に置き換え、見下すことで現実から目を逸らすことが常だった。

 当然、インダミトの不甲斐なさを罵ることで相対的に自国のプライドを満足させると共に、国内にいる北の民への風当たりも強くなっていた。

 

 わざわざ絡むために娼館へ行き、北の民の女性に侮蔑的な態度を取ったり、屈辱的な奉仕を求める者が続出し、従業員を守るために仲裁に入った経営者との間で諍いが起きる等のトラブルが多発していた。

 それ以外にも、所用で北の民の奴隷を連れて外出した者が何者かに襲撃されたり、北の民の酒場女が就業中にも拘わらず店から連れ出され強姦の被害に遭うなど、ラシアス国内に住むことを強制されている北の民の安全は、日に日に悪化している。

 

 さらには、主人と奴隷としては比較的良好な関係を築き上げていた両者の間にまで、その亀裂は及び始めており、以前ではあり得なかった虐待の嵐が吹き荒れることも頻発しているようだ。

 北の民への驚異もさることながら、あれほど完璧な防衛戦を行うには情報は不可欠であり、それは南大陸にいる北の民が流していると信じられてしまったからだった。

 もちろん、多少の情報漏れがあったにせよ、アーガスやランケオラータの軍が壊滅したのは、ひとえに将の器に拠るところが大きいのだが、南の住人にはそれは認めがたいことだった。

 

 このような空気の中、メディを連れた一行がトラブルに巻き込まれないはずはない。

 四人掛けの円形テーブルにアービィとルティ、メディが隣り合わせ、ティアがアービィの正面に座っていた。

 穏やかな気分でエールを飲んでいたアービィとルティ、メディの間に男たちが割り込んできた。

 

 そのアービィを挟むように割り込んだ男たちは、卑近な期待に満ちた笑いを浮かべていた。

 アービィには、彼等の考えることが手に取るように解る。

 

 四人が席に着いた当初の心地よい喧噪は、周囲がメディの髪と瞳に気付いた時点で、風が砂の表面の風紋を刻み直すかのように変わっていった。

 北の民であることを証明する金髪碧眼の少女が、呪術で肉体的成長が止まっていることはアービィたちしか知らないが、若い男女に連れられ酒場にいる。

 

 ウジェチ・スグタ要塞で長い禁欲生活を送った義勇兵や、北の民への驚異を改めて感じたラシアスの住民には、メディの立ち位置はこの上ない生贄に映ったのだろう。

 若い男さえ始末すれば、あとはオマケまで付いて思いのまま。

 短いながら武具を持ち歩く生活に慣れた男たちは、腰に佩いた刃の切れ味を己が力と思い違いをしていた。

 

「兄ちゃん、結構なご身分のようだが、分不相応って分かって欲しいな」

 

「まあ、俺たちがよ、貰ってやる方が彼女たちも幸せってもんだろ?」

 腰の剣をこれ見よがしにガチャガチャさせながら、男たちはアービィの肩に手を置く。

 

「北の女まで使って、三人でどんなお楽しみしてんだい?」

 

「俺たちに教えて欲しいんだけどな、お兄ちゃん以外に」

 

「お姉ちゃんも、こんなガキより俺たちの方がいいぜ?」

 アービィに対し、これ見よがしにルティの肩にも手を掛け、剣を鞘から半分まで抜き、顔の傍に刃を近付けた。

 

 娼婦として生きていたメディにとって、こんな男たちにでも、職業としてであれば身体を開くことに嫌悪はなかった。

 だが、今眼前にいる男たちには、金銭を介した最低限の契約を交わす意志がない。

 

 娼婦とは、この世界に於いても人類最古の職業であり、決してボランティアで行うものではなかった。

 ましてや、男の力ずくで行われてよいことでは、決してない。

 

 メディの目に明らかな侮蔑の色が浮かび、ルティとティアの目が怒りに染まった。

 が、次の瞬間、三人の目は、恐怖と脅えと周囲に救いを求める色に染め上げられることになる。

 

 その元凶であるアービィは、笑顔だけは絶やさず、しかし、その目は怒りと狂気を静かに湛えている。

 仲間を侮辱した行為。

 仲間を傷つけとする意志。

 そして何より。

 

 ルティを汚そうとした。

 

 

 何かが爆発したような殺気が、アービィを中心に広がり、武芸に心得のある者が、まず恐怖を感じた。

 次いで感覚の鋭い者、生来争いを嫌う者と、殺気を感じられる者たちに恐怖が伝染する。

 

 しかし、何よりも残念なことに、アービィに絡んだストラー出身の義勇兵は、その恐怖の意味するところを理解する能力はなかった。

 国が持つプライドを自らのものと思いこみ、他者は自らに跪くものと勘違いする傲慢さ。

 剣とは、自らの尊厳を守る最後の砦であることを理解できず、他者を自らの傲慢に従わせるための道具としてしか認識していない、罪なる無知。

 アービィが席を蹴ったとき、男たちは自らの思い通りにことが運んだと、内心狂喜していた。

 

 メディに向けた侮蔑は、南の常識からまだ理解できる範囲だった。

 何よりメディ本人が、事を荒立てたくないという意志を乗せた視線をアービィに送っていた。

 

 だが、ルティに対して剣を、刃を向けた時点で、アービィの自制心は空の彼方へ飛び去っていた。

 さすがに獣化だけはしてはいけないと、分かってはいたが。

 

 

 いきなり両側に座った男たちの顔面を鷲掴みにしたアービィは、そのまま店を出ていった。

 慌てたティアが、店主に勘定を頼む。

 もちろん、店を荒らした詫び代と、おそらくはまだ勘定を済ませていない、あの哀れな男たちの分を含めてだ。

 

 ルティは、メディを無理矢理引きずって店を出る。

 アービィを放っておいたら、あの男たちは、死ぬ。

 

 彼をそんなことのために、お尋ね者にするわけにはいかない。

 止められるのは、自分しかいないとルティは自覚している。

 

 また、あの状況でメディを店に置いたままには、できるはずもない。

 いや、この状況では悪意に、害意に、殺意に満ちた群衆が、襲って来かねない。

 

 迅速にこの場を離れる必要があった。

 そして何より、アービィを止めなければならない。

 

 

 ルティが店の裏路地でアービィに追い付いたとき、既に事は決していた。

 アービィに顔を掴まれた男たちは、痙攣し、正に死線をさまよっている。

 アービィの指がこめかみに食い込み、そこからは血が滴り落ちている。

 

 慌てたルティとメディがアービィに体当たりし、男たちから手を放させようとするが、アービィの指はがっちりと食い込んで離れる気配がない。

 既に聞こえていないだろうが、男たちの脳には頭蓋が軋む音が響いているはずだ。

 身体から力が抜けきった男を、両手にぶら下げたまま冷たい目で見下ろすアービィと、ルティが対峙した。

 

「アービィ、ダメ。もうダメ。それ以上は……」

 

 例えば、お互いに胸倉を掴み合ったまま店を出たなら、よくある町中での喧嘩だったろう。

 しかし、アービィの取った行動は、相手の顔面を潰さんばかりに掴み締め、まったく無抵抗になった者を店から引きずり出している。

 

 いくら男たちに非があるとはいえ、このままでは一方的な殺戮になりかねない。

 周囲はそう見た。

 

 ここまでなら、身の程知らずの死に損で、官憲がその場に居合わせでもしない限り、アービィを積極的に捕縛することはない。

 だが、店にいた客のアービィに対するやっかみと、メディに対する偏見、そしてあまりにも過剰すぎたアービィの殺気が、何人かの客を官憲への通報に走らせていた。

 

 一刻も早くこの場を離れる必要があった。

 ルティの言葉に我に帰ったアービィが地面に叩きつけた男たちに、ルティとメディが手早く『治癒』と『回復』の呪文を施し、傷を塞いだ。

 そして、官憲が到着する前には、四人はその場を離れていた。

 

 

 宿の一室で、アービィは考えている。

 明日、馬車でここを出るのは危険ではないだろうか。

 

 さっき通報された件で、駅に官憲が張っているかも知れないし、途中検問があるかもしれない。

 別に自分たちを守っただけで、相手に怪我を残したわけでもないので罪状はないはずだが、メディにどんな言い掛かりを付けられるか分かったものではない。

 

 できる限り早くボルビデュス領に入りたいところで、余計な厄介ごとにこれ以上巻き込まれている場合ではない。

 アービィは意を決し、それぞれの部屋のドアを叩いた。

 

 

 最初は大変だった。

 まず、メディが卒倒した。

 

 いきなり巨狼が現れるより、目の前で獣化したほうがマシかと思ったのだが、いくら呪術で化け物になっているとはいえ、メディの心は普通の人と変わりはなかった。

 人狼への恐怖は、北の大地でもそれを神と崇める一部の部族を除き、南大陸と同じだ。

 

 それがアービィだと判ってはいるが、幼少期より大人たちから言って聞かされ、最早血肉に溶け込んだといってもいい人狼への恐怖は、そう簡単に払拭できるものではなかった。

 メディはアービィの獣化を目の当たりにしたとき、ルティとティアを見比べ、笑い出したかと思った途端に、地面に崩れ落ちた。

 

 ようやく慣れたティアが、鼻をピスピス鳴らすアービィを宥め、メディを介抱する。

 ルティは苦笑いしながら、四人の荷物をひとまとめにしてアービィの背中に括り付けた。

 

 

 アービィは、馬車で町を出ることで余計な厄介ごとに巻き込まれる危険性を考慮し、フロロー行きの馬車より早い時間に町を出ることを提案していた。

 尚且つ、途中乗車をするにせよ、昨日のうちにグラザナイを出ている馬車に追い付いて、それに乗ろうとアービィが言い出した。

 

 空きがあるか保証がないとルティは反対したが、そのときはそのときと言ってアービィは譲らない。

 そこへメディが人間として当然過ぎる疑問を呈する。

 

「どうやって馬車に追い付くの? 夜を徹して歩いたところで、人間の脚が馬に勝てるはずがないじゃない?」

 

「うん、厄介ごとを招いたのは僕だから。ひとつお詫びの印に、ね」

 アービィは、空きのある馬車に追い付くまで、三人を乗せて走るつもりだった。

 

 狼の脚であれば、踏破できない山道はない。

 さすがに人目に付くと騒ぎを引き起こしかねないので獣道を行くことになるが、それでも馬車を曳く馬の巡航速度よりは早いだろう。

 それが彼の判断だった。

 

 雪がちらつく中、巨狼は三人を乗せ、山道を走りだした。

 必死にしがみつくメディの目が、どこか虚ろだったことは気のせいではなかっただろう。

 

 

 インダミト王国からベルテロイに駐在している第二皇太子パシュース=バイアブランカと、同様にラシアス王国から駐在する第三王子ヘテランテラ=グランデュローサは、困惑していた。

 ビースマックのフィランサスと、ストラーのアルテルナンテから知らされた、焦臭い話。

 

 当然、その日の酒席が終わるや否や、各自は本国に報せの馬を走らせている。

 だが、インダミトはともかく、他の本国の動きは、鈍い。

 パシュースは、ヘテランテラと二人で酒を酌み交わしながら、焦燥感に包まれていた。

 

「ヘッテ、大陸は割れると思うか?」

 幾杯目かの杯を干し、パシュースは問う。

 

「パシュー、俺に言わせる気か?」

 ヘテランテラは、質問に質問で返す。

 

「このままでは、間違いなく割れる。望むのは誰だ? お前の姉御か?」

 パシュースは、ヘテランテラにとって、最も耳の痛いことを平然と言い放つ。

 

「いや、あの馬鹿女は、まだ勇者などという夢を見ている。大陸を割るのではなく、併呑するつもりだ」

 あっさりと否定し、身内を貶めるヘテランテラ。

 

「では、どこだ? 影で糸を引くのは?」

 敢えて問うパシュース。

 

 幾度二人で飲んでいるだろう。

 当事者を入れるわけにはいかなかった。

 

 既に二人は、後処理を睨んだ話をしている。

 望むと望まざるとに拘わらず、多大な労力を求められる、二国間の後始末。

 貿易が沈滞すれば、事は二国間のことでは済まない。

 

 だからこそ、フィランサスもアルテルナンテも、この二人にリークしていた。

 その意味するところは、事後の援助。

 であれば、四人で話せばいいことだが、そのためには迷惑を掛けられる当事者同士の同意か、共通の見解が必要だった。

 

 生まれて以来国に篭もり、公式の表敬訪問以外に他国の人間との関わり合いを持たないほとんどの王族と異なり、ベルテロイ駐在の彼らは豊かな国際感覚を身に付けている。

 彼等が将来国政に関与することがあれば、ここで培った感覚や人脈が役立つはずだが、それができているのはインダミト一国だけだった。

 

 ラシアスにしろストラーにしろ、ビースマックにしろ、せっかくの国際感覚を身に付けた人材を、政に活かしているとはいえない。

 ほとんどがマ教や他国と戦乱の意志を持たないという証明というか、人質のようなものと、駐在する当人以外は考えていたからだ。

 

 特にストラーでは、他国から余計な入れ知恵をされてきた者といった扱いで、王の代替わりの後は自国に召還された後養子に出されるか、領地を持たない新興公爵に叙爵され、王宮で発言権のほとんどない政務審議官として一生を送るのが常だった。

 アルテルナンテのように王女であれば、叙爵されることもなく、政略結婚の駒とされるのが、王族に生まれた女の運命だった。

 

「余程上手く片付けないと、お前の姉御が動きかねん」

 パシュースは、イレギュラーを恐れている。

 

 既にクーデターの企みは、当事者以外の二カ国にリークされた時点で、失敗に終わることは決まっている。

 ただ、それがどのような形を狙ったクーデターなのかが判らなければ、どう潰すかの対処を決められない。

 

 ビースマックを占領するつもりなのか、属国化するつもりなのか。

 属国化といっても、王家を追放して新王朝を立てるのか、現在の王家を膝下に納めるのか、それとも貴族の切り崩しにより政治を壟断し、実質的な支配をもくろむのか。

 

 パシュースは、貴族の切り崩しだろうと睨んでいる。

 新王朝も、現王家に城下の盟を強要するのも、他の二国が承認しない。

 現王家も領土拡張の意志はないが、国や王権を侵されるのであれば、死に物狂いの抵抗を行うだろう。

 

 そもそもストラーの現王自体に覇権欲がないので、目に見える侵略行為を行う可能性はないと言い切って良い。

 つまり、動いているのは、ストラーのプライドが肥大化しすぎた貴族ども、王家傍流の公爵家を中心とした一派だ。

 

 その連中が、ビースマックの現王朝に不満を抱く貴族連を、焚きつけているのだろう。

 おそらく、宰相を始めとする主要閣僚を君側の佞臣とでも騒ぎ立て、ガーゴイル等を組み入れた軍を挙げて一気に政治を乗っ取るつもりなのだと、パシュースもヘテランテラも読んでいる。

 

 これであれば、潰すのは最も容易だ。

 それぞれの王にリークするだけで、当事者の首が飛び、一族郎党皆殺しにして禍根を断つだけで済む。

 

 だが、その後に問題がある。

 他国から嫁いだ正妻または側室を持つ家が幾つかあり、その女もクーデターに噛んでいるならともかく、全く蚊帳の外だった場合だ。

 

 間違いなく禍根を残す。

 当主に殉じさせて無罪の者まで殺せば、親元の国から何らかの報復があるだろう。

 

 かといって無罪放免にもできず、証拠不充分という名目でクーデターに噛んだ者を野に放つことは、さらに危険だ。

 国内の者同士であれば、疑わしきは罰するが押し通せるが、国同士となるとそうもいかないだろう。

 

 そして政の重要な位置を占めていた貴族たちがいなくなれば、当然国は混乱する。

 そうなったとき、大陸の覇権に目が眩んだニムファが、何をするか分かったものではない。

 

「俺は、ベルテロイへ来て目が覚めた。以前は姉貴と一緒に、大陸の制覇を夢見たさ。だが、一国が武力で制覇するには、この大陸は広すぎ、一国の武力だけで支配をするには人が足りなすぎる。あの馬鹿女にはそれが解っていないんだ」

 へテランテラは吐き捨てるように答えた。

 

 武力で制圧した地域や国が、征服者に対して心酔し臣下の誓いを交わすなど、まず期待できない。

 面従背復が関の山だ。

 

 当然反乱の危険がある地域の統治に、軍は欠かせない。

 南大陸の四ヶ国の人口は、それほど大きな差はないと考えられるが、一国が全てを武力で従わせるには、統治に当てる軍の規模が追いつかない。

 

 現在どの国も、常備軍があるとはいえ、それは国家間戦争を意識しての軍備ではない。

 治安維持を主目的とした軍であり、国境警備隊も他国の領土侵犯に備えるというよりも、越境する犯罪者を対面する国の国境警備隊と協力して未然に防ぎ、または捕らえるための、どちらかというと警察組織のようなものだ。

 

 その程度の規模装備で大陸全土を支配するなど、誰が見ても絵空事だと解る。

 自国の産業全てを犠牲にしたうえ、国民の青壮年男子全てを軍に入れても、治安維持すら不可能だ。

 

 ニムファには、それが理解できていない。

 勇者を欲するのも、その威光に縋るためだ。

 

 勇者の庇護者という名に、大陸全土がひれ伏すと考えている節がある。

 へテランテラには、最早それは滑稽にしか見えていない。

 

「そういえば、その勇者殿に逃げられたそうじゃないか? 子爵ごときで釣ろうとしたそうだが、随分とお安い勇者様だな。お前の姉御がよく諦めたもんだ」

 パシュースがヘテランテラに、さり気なく探りを入れる。

 

「見事に啖呵を切られて逃げられた。世界征服の手伝いは嫌だとさ。莫迦女が理解できるとは思えないがね」

 まだ追っかけてる見たいたぜ、最後は自分の身体でも差し出す気だろう、とヘテランテラが吐き捨てる。

 

「おいおい、王族ともあろう者が下品な物言いだな」

 ドアが開き、フィランサスが入ってくる。

 

 椅子を逆向きに回し、背もたれに顎を乗せるように跨る。

 人懐っこい笑顔を湛えたまま、無言で杯に手を伸ばす。

 

「人の杯に手を伸ばすのは、王族らしい振る舞いかしら? そのうえ、その態度。人の発言を下品だなんて、まず我が身を省みられてはいかがかしら」

 続いてアルテルナンテが入ってきた。

 こちらは、執務時間に見せる背筋の伸びた軍人然とした立ち居振る舞いを感じさせない、優雅と言うしかない動作で椅子に腰掛けた。

 

「まあまあ、ご両所、まずは駆けつけということで」

 パシュースが新しい杯を二人に渡し、強い蒸留酒を注いだ。

 

 乾杯の声とともに、杯を干す。

 アルテルナンテの顔が歪むが、三人は気にも留めずに新しい酒を注いだ。

 

「アルテの親父殿が勇者の噂を聞きつけたら、どうするもんかね?」

 パシュースが話を向ける。

 

「そうねぇ、どう考えても頭を下げて、臣下になってくれとは言わないでしょうね。男爵あたりで釣ろうとするんじゃない? ストラーの男爵は他国の公爵以上だ、とか何とか言って」

 心底うんざりという顔で、アルテルナンテが吐き捨てる。

 

 どうしても他国の人間と話していると、自国の情けなさを見せ付けられるような気がして、誰もが自国の話をする際には吐き捨てるような物言いになっていた。

 気を付けている筈なのだが、長い時間を共にしている甘えからか、口の聞き方に素の感情が出てしまうことが多くなっている。

 

 当然、外交に関することになれば、それなりに本心を隠して話すのではあるが、だいたいこの時間が来るとどちらからともなく本心を明かしてしまっていた。

 もちろん、本国もそのようなことは先刻承知で、建前で済むような懸案しか彼らに任せてはいない。

 

「俺の親父は、きっと、勇者殿に見合う剣を作ることができるのは、我が国だけとか言うんじゃね?」

 フィランサスの冗談に全員が笑みを浮かべた。

 

「うちの親父殿も興味を持ち始めたみたいたぜ。ただ、臣下に取り込む気はないようだ。冒険者をやってるらしいからな」

 パシュースは、他国を牽制するように言葉を選ぶ。

 

「今回のことに、彼らを投入するらしい。レヴァイストルの長女がビースマックに嫁いでるだろ? 彼らに連れ出させるみたいだぜ」

 フィランサスを見ながら、にやりと笑う。

 

「ああ、それは助かるな。あの家が潰されると国が立ちいかん。現当主には宰相も頭が上がらんし、跡取りはもっと切れる。ただ、次男がな、今回のことに噛んでいるらしい。あの家が欲しいみたいたぜ、分不相応ってものだがな」

 フィランサスが答える。

 

「できれば、次男以外全部をインダミトに連れ出してくれんかね? あと、目星はつけておくから、今回のことに噛んでいない女子供も」

 まるで子供の使いを頼むかのように、フィランサスはパシュースに頼んだ。

 

「そんなことしたら、うちの狸の思う壺だぞ? ビースマックがうちに牛耳られていいのか、フィー?」

 パシュースが驚いたように聞き返す。

 

「構うもんか。国が潰されるよりは余程いい。それに、アーガスの馬鹿踊りの貸しは、まだ取り立ててないんだぜ?」

 アルテルナンテを見ながら、フィランサスは嘆息混じりに答えた。

 

「申し訳ないわね、パシュー。うちからもお願いするわ。多分、うちは国内の後始末で手一杯よ。とてもビースマックの後始末まで手伝うなんて無理。本来なら、全てうちがするべきなんだけど……」

 アルテルナンテも同様に答える。

 

「ただ、二人とも、いいか、あと一年は誤魔化してくれ。アーガスがやらかした馬鹿踊りの後始末と、ランケオラータを何とかしなきゃいかん。ランケオラータが上手く立ち回れば、北の脅威はぐっと減る。そこでも狸は勇者殿を使うつもりらしい」

 既にスキルウェテリー配下の悪魔祓いが、レヴァイストルに恩を売るため北の大陸に潜入している。

 それを追うように、インダミトの密偵もカーナミン卿の協力で神父に化けさせ、ウジェチ・スグタ要塞を通っている頃だ。

 

 ランケオラータは、レヴァイストルの要請に応えた勇者に、救出されなければならない。

 王はそれに対し褒賞を与え、臣下として束縛することなく彼らを優遇し、次の依頼も長女を盾にレヴァイストルにさせるつもりだった。

 

 他国がアービィたちに関与しようとすれば、密偵を使ってこれを阻止し、インダミトは決して表に出ずに勇者を使役する。

 このためには、レヴァイストルにも気取られずにいなければならない。

 

 ランケオラータ救出と、レヴァイストルの長女ハーミストリアの救出は、勇者をインダミトに繋ぎ止めるためのちょうど良い理由になる。

 だが、さすがに同時進行は厳しいものがある。

 パシュースは、確実に一つずつ片付けるべきだと考えていた。

 

「じゃあ、うちは莫迦女を止める策を考えなきゃな」

 ヘテランテラが、さも余計なことをという風に呟く。

 

「そうしてくれ。その保障があれば、派手にやらせて国の大掃除にする。誰もが納得する名目がなきゃ、そうそう家は取り潰せないからな。だろ、アルテ?」

 フィランサスの問い掛けに無言で首肯してみせるアルテルナンテ。

 

 

 南大陸を四ヶ国が分割統治するシステムは、この450年それなりに機能してきた。

 しかし、もう古い統治システムだといっていい。

 

 人の移動や貿易が、一国の中だけで済んでいた時代なら、それでよかったかもしれない。

 しかし、全大陸規模での人やモノの移動が始まった現代では、統一した統治機構が必要となってきている。

 

 もちろん武力や経済力を背景とした一国支配では、早晩ほころびが出るだろう。

 四ヶ国の共同統治が望ましい。

 例えば、今現在行われているような、武官が顔を突き合わせ、それぞれの問題点を忌憚なく話し合えるような。

 

 パシュースは、この駐在武官制度を新しい統治システムの叩き台にしようと考えた、父王の意向の元に動いていた。

 大陸は、新たな時代のために痛みを伴う激動期を迎えようとしている。

 そして、当人たちの知らないところで、アービィたちは国家間の思惑に巻き込まれていた。



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第40話

 「アービィ~、お願いがあるんだけど~」

 不必要に甘ったるい声で、半分酔っ払ったメディが呼びかける。

 

「何?」

 こんな声で呼びかけられたのは、初めてだ。

 アービィは不思議そうな顔をしている。

 

「あれ、もう一回やって~。お・ね・が・い」

 

「ダメよ、メディ。誰かに見られたら、どうするつもり?」

 ルティが窘める。

 

「大丈夫よ~。宿のロビーでやるわけじゃないし~。いいじゃない、可愛いんだし~。この部屋の中だけ、ね?」

 食い下がるメディ。

 

「しょうがないなぁ……あんまり嬉しくないんだけど。可愛いって言われてもなぁ……」

 ぶつぶつ言いながら、アービィは半獣化する。

 

 ティアと水の神殿に初めて行こうとした際、酔っ払ったまま朝起きたときに気付かずやっていた、犬耳と尻尾のみの状態だ。

 メディにしてみれば「可愛い」は正義であり最大級の賛辞なのだが、男としてそれはどうよ、と思わざるを得ないアービィだった。

 

 獣化後、耳の後ろを弄くられ尻尾が左右に揺れると、メディの興奮が頂点に達した。

 

「すご~い!! ちゃんと連動してる~!!」

 アービィとしては無意識の動作なのだが、なにやら感動されていた。

 

 さすがに女性陣の真ん中で下着まで下ろすわけにはいかず、尻尾は背中に背負うような状態だ。

 ティアはその尻尾を握り締め、優美な毛皮の肌触りを楽しんでいる。

 ルティに救いを求める視線を送るが、返ってきたものは怒りを湛えつつ頬をひきつらせ、三人を睨みつける視線だった。だから言ったじゃない。

 

 

 獣化して、三人を乗せて山道を踏破し、馬車を追い越すというアービィの計画は、あえなく頓挫した。

 鐙もない状態で、乗馬の経験がない三人が長時間高速で駆ける狼に、乗り続けることは不可能だった。

 

 結局馬車よりはマシといった程度の速度、つまり早足で歩き、暫時休憩を挿みつつ野営で時間も稼いで、漸く先行する二台目を追い抜くことができた。

 その間、人狼の気配で魔獣を近寄らせないため、アービィは獣化したままでいたのだが、久々の長時間獣化は彼の無意識に抑えつけられていた本能を解放し、リフレッシュさせる効果があったようだ。

 

 やけに活き活きとした表情のアービィと、慣れない乗狼に疲れた果てた表情の三人との間に話し合いが持たれ、追い抜いた馬車を駅で待ち、翌朝から乗車することになった。

 幸いにもチケットが取れたことで、そのまま宿に泊まったとき改めて獣化して見せたところ、メディがいたくお気に召してしまったということだった。

 

 

「もう、いっそ、完全獣化しちゃいなさいよ」

 ルティが唆す。

 

「なんで~?」

 半分諦め気味のアービィが、やる気なさそうに返事した。

 

「獣化コントロールの訓練よ」

 冗談じゃない、あたしが触れる余地がないなんて言えるわけないでしょ。

 

「う~ん、理論が破綻しちゃってる気がするけど~?」

 ま、いいか、と呟き、三人に部屋から出るように頼む。

 

「え~、別にいいわよ、前もそうだったじゃない」

 メディが反論する。

 

 確かにメディの眼前で獣化した。

 もちろん、衣服は引きちぎれている。

 

 今回もそれではあまりにも勿体無いので、一回全部脱ぐつもりでいた。

 

「だって、服脱ぐし」

 

「いいじゃない、気にしないわよ」

 

「見慣れてるし、ねぇ、ティア」

 娼婦だったメディも、男の『精』を糧としていたティアも、男の裸に抵抗など微塵もない。

 

「あたしが気にするのっ!!」

 ルティがメディとティアの首根っこを引っ掴み、部屋から引きずり出て行く。

 独り取り残されたアービィは、服を脱いで丁寧に畳むと全身獣化させた。

 

――いいよ~――

 念話での許可を伝えると、三人が入ってくる。

 ルティは、入るなりアービィに仰向けになることを命じると、その腹に顔を埋めた。

 

 メディはワインの瓶を数本抜き始めた。

 ティアは、おそらくは食堂から借りてきたと思われる、直径が30cmはあろうかという大きなボウルを抱えている。

 ティアがボウルを床に置き、メディがワインをそれに注いでいる。

 

――なにしてんの?――

 聞かなくてもわかりそうな念話が、ティアに向けられる。

 

「その口じゃグラスから飲むの無理でしょ? 手も使えないしねぇ」

 アービィの念話にティアが答えた。

 

――なんか、すごくおちょくられてるような気がするんだけど?――

 獣化を解けば普通に飲めるのだ。なのに、なんで?

 

「今夜は、このままでいなさいよ~。毛皮に埋もれて寝る~」

 

――もう好きにして……――

 ルティに言われて完全に諦めたアービィは、どうとでもなれと、ワインを舌で掬い始めた。

 

「じゃ、あたしも~」

 ティアが荷物の中から、ラミアのティアラを引っ張り出してきた。

 服を脱いでティアラを髪に飾り、獣化する。

 

――ちょっ、ティア、なんて格好でっ!!――

 狼が顔を背けた。

 

「いいじゃない、普通の格好よ……。……って、寒っ!!」

 慌てて上半身に服を着るティア。

 窓の外は雪がちらついている。

 いくら暖炉がある室内とはいえ、ラミアの身体には予想以上に寒さが凍みたようだ。

 

「蛇の部分は寒いわね~」

 そう言いながら、狼の尻尾と自らの尻尾を絡ませてきた。

 明らかに酔っぱらっており、ルティをからかっている。

 

「寒いんなら、元に戻ればいいじゃないのよっ」

 ルティは尻尾を解き始めた。

 

「元にって、これが元よ~」

 ティアは負けずに尻尾を絡ませている。

 

 

 メディはこの光景を不思議な気持ちで眺めている。

 この少女は魔獣に対してまるで偏見を持っていない。

 

 人狼だけでなく、ラミアとも当たり前のように接している。

 自分にだって、そうだ。

 

 呪術によって姿を変えられているので、メディは自分を人間と自覚している。

 生まれながらにこの姿ではないため、魔獣とは定義し難いので、自虐を含め化け物と自称していた。

 

 しかし、端から見れば魔獣も化け物も大差ないだろう。

 この少女は、意志の疎通ができ、心が通じるものがあれば、人と魔獣が共存できることを証明している。

 

 意志や理性を持たない魔獣との共存は簡単とはいえないが、野生動物と同じように折り合いは付けられるはずだ。

 食欲の対象としてや悪意を持って近付いてくる魔獣には、それなりに対処する必要はあるが、本来この二種はそういった性質の魔獣であるはずだった。

 

 アービィやティアだけを見て、人狼もラミアも安全な魔獣だと判断できるわけではないが、全てが危険と言い切って良いというわけでもない。

 人間であれば全て安全かと言えば、当然違うだろう。

 

 悪意や害意、殺意を持って近付く者は少なくない。

 極一部の異常者を除き、食欲の対象ではないというだけで、これで魔獣とどう違うのか。

 他を陥れ、他人が苦しむ様を見て喜ぶような人間など、魔獣にすら劣るのではないか。

 

 結局は育った環境や、それぞれが持つ個性が重要であり、人種や種族が性質を決する最終要素ではないという事だ。

 楽しげにじゃれ合う三つの種族を見ながら、メディはそう考えていた。

 

 

――この飲み方って、すごく回るって言うか、効くね~――

 既に念話すら危なくなったアービィは、ボウルのワインを舐め尽くしていた。

 

 間違いなく、この飲み方というよりは、飲んだ量だろう。

 6リットルは入るであろうボウルに、なみなみと二杯飲んでいる。

 

 人間の身体であれば、とてもこの量を飲むことはできないが、なにせ3m近い巨狼である。

 どういう仕組みなのかはアービィにも理解できていないが、狼の状態だと酒にしろ食物にしろキャパシティが増大する。

 

 床に横になったアービィの背中に、尻尾を死守したティアが重なっている。

 いつの間にか、ルティはアービィの首の毛に埋もれるように、背中を預けて寝息を立てていた。

 

 動くに動けないアービィとティアに毛布を掛け、ルティに別の毛布を被せる。

 私もいいよね、と呟いてから、アービィの前肢と胸に背をもたれかけ、毛布を被った。

 

 

 その後の行程では、寝惚けたアービィやティアが獣化したまま外に出るような騒動もなく、馬車は無事夕刻にフロローへと到着した。

 ギルドにはレヴァイストル伯爵から手紙が届いており、ベルテロイの宿にクリプトとレイが待っていることが記されていた。

 

 今からフロローを発っても、ベルテロイに到着するのは深夜を過ぎる。

 一泊してから、昼前にベルテロイに着くように朝早くフロローを発つことにした。

 

 翌日の昼前、ベルテロイに到着した四人は、伯爵からの手紙に書かれていた高級な宿の前に立っていた。

 カウンターで来意を告げ、クリプトとレイの部屋を訊ねて、在室を確認してもらう。

 

 その間はロビーで待たせてもらうのだが、どうも場違いな気がして居心地が良くない。

 とはいっても、貴族の賓客であることが伝えられているからか、従業員の対応は至極丁寧なもので、それ自体に不快感を誘うものは一切なかった。

 

 北の民であるメディに対しても、慣れない場所に戸惑う姿に微笑ましいという視線を送るだけで、決して馬鹿にしたような素振りを見せることなく、完璧な作法で対応していた。

 さらに、このような場所を利用する客たちも、あからさまな差別の視線を送るような無作法者はおらず、それが却ってメディに気を使わせることになっていた。

 もっとも、この場違いな冒険者たちを邪険に扱って、インドミタ王国伯爵の不興を買うような馬鹿な真似をしたくないという意識が強かったことは、誰も否定しないだろう。

 

 やがて、慇懃にならない程度に丁寧な物腰の初老の従業員が四人の下に来て、クリプトもレイも不在であることと、待合のための部屋を用意したことを告げにきた。

 恐縮する四人を半ば無理矢理待合室に放り込み、決して優雅さをなくさないが、客が苛立たしさも感じない程度に手早く茶菓の支度を整えた。

 

 それではこれにて、ごゆるりとお寛ぎください。

 もし、ご希望がございましたら、そちらのベルをお使いいただければ、わたくしか担当の者が参ります。

 そう告げて従業員は、部屋を出る。

 

 次の瞬間、滝壺に巻き込まれた溺者が水面に顔を出した瞬間のような、大きな溜息が部屋を支配した。

 ある者はソファに腰を落し、ある者は足首まで沈むのではないかと思うほどの絨毯にへたり込む。

 

 伯爵の旅に同行した経験のある三人ですら、ここまでの格式の宿は初めてだ。

 やはり、自分たちには酒場が併設されているような安宿が性に合う、と改めて感じていた。

 

 到着する日が確定していなかったため、今日待ち合わせをしていたわけではないので、レイたちが戻ってくる時間も分らない。

 まさか、この状態で酒盛りを始めるわけにもいかず、無聊を囲っているとドアを叩く者がいる。

 

 ルティが返事をすると、先程の初老の従業員がドアを開け、レイの帰着を告げた。

 待ちきれないという表情で、後ろからレイが顔を覗かせる。

 

 ここではしゃぐわけには行かないのだろう、あくまで淑やかに挨拶をするとソファに腰を下ろした。

 ひと月ほど前は家族の不幸や、婚約者が北の民に捕らえられるなどの衝撃のせいか、顔に生気が全く感じられなかったが、さすがに立ち直りをみせている。

 

 アービィたちがボルビデュスに滞在してから約半年の時が過ぎ、その間にラガロシフォンを任されるようになっている。

 領地経営の全てを任されているわけではないにしろ、かなりの責任を負っているようだ。

 

 以前はあどけなさや可愛らしさが目立つ顔立ちだったが、今では引き締まった責任感に溢れた表情に変わっている。

 もちろん、顔の造りまでが変わるわけはないのだが、漂わせる雰囲気が一気に大人びていた。

 責任や立場が人を作るというが、ここまでとはアービィたちも思っていなかった。

 

 

「久し振りね、お元気でした? 今回のことは、本当にごめんなさい。莫迦兄貴の後始末なんか押し付けちゃったうえ、リジェストまで無駄足踏ませちゃって」

 レイから話し始め、それにルティが応える。

 

「いいのよ、レイ。あたしたちも見通しが甘かったわ。お役に立てなくて、こちらこそごめんなさい」

 クリプトとレイとだけであれば、砕けた話し方を求められているので、作法に気を使わない話し方になる。

 

「あれから、私はラガロシフォンに戻っていたんだけど、いろいろ調べてみたけど、なんか裏がありそうなの」

 

「どういうこと?」

 ティアが聞く。

 

「なんかね、インダミトはランケオラータ様の救出に、それほど積極的じゃないのよ。しばらく放置しておけって感じなの。うちの馬鹿兄貴がやらかしたことが大きすぎて影に隠れてはいるんだけど、ランケオラータ様も戦が下手というか、できない方だから、かなりの被害を出しちゃったのよね。で、罰としてじゃないんだろうけど、春までは動くなって。バイアブランカ陛下と宰相のウルバケウス様からは、心配要らないってお手紙を頂いちゃったんだけどね……」

 レイは納得できないという表情だ。

 

 財務卿の子息が、北の民に捕らえられたままでいいはずがない。

 それを気候の問題があるにせよ、放置しておけとは国の何らかの意志が働いているようだ。

 

 救出の方法なら、いくらでもあるはずだ。

 ウジェチ・スグタ要塞も、神父の通過は認めている。

 

 マ教のカーナミン枢機卿を支援しているのは公然の秘密なのだから、それに働きかけアービィたちを神父に化けさせるくらいのことは容易いだろう。

 伯爵クラスでは枢機卿にそこまでの依頼はできないが、王からの依頼となれば嫌とはいえまい。

 

 伯爵は王の信頼が厚い。

 捕らえられているのは財務卿子息だ。

 

 なのに、なぜ、王は動いていないのか。

 伯爵も王に依頼はしているはずだが、それに対して何の動きも見せていない。

 ハイグロフィラ財務卿も動いた形跡がない。

 

 外務卿は、ラシアスとの間で、アーガスの後始末に忙しい。

 もちろん、北の民に対しての外交チャンネルなどないのだから、公式に外務卿が動ける場面はないのであろう。

 

 軍務卿は、諸侯軍に対する補償や、新たな義勇軍の編成で忙しい。

 内務卿も、国内の引き締めで手一杯のようだ。

 

 義勇軍で戦死者の遺族や、捕虜になった者の家族への補償、負傷し護送されてきた者の治療や生活の保障等、それこそやることは馬に食わせるほどある。

 アーガスの独走が招いた結果である以上、ボルビデュス領を干乾しにしてでもボルビデュス家が補償するべきなのだろう。

 だが、重要な地域を統べる名門を潰すわけにはいかないという、国家の意思がそうさせていた。

 

 幸いにというべきか、己が栄達のみに目が向いていたアーガスの先走りにより、ボルビデュス家から離縁が認められていた。

 このため、国の責任のみで被害者への補償が行われることに反対する者は、表立ってはいなかった。

 財務卿としては、いくらかでもボルビデュス家から引き出したいという思惑はあったはずだ。

 だが、息子が娶る相手の実家を潰すような真似は、さすがにしたくないという複雑な立場でもあった。

 

 もちろん、バードンがスキルウェテリー枢機卿の命でランケオラータ救出に動いていることや、インダミトの密偵がそれを牽制し、ランケオラータと北の民の間にコネクションを作らせようとしていること、いざという場合には協力してランケオラータを脱出させるために動いていることは、ボルビデュス家には知らされていない。

 さすがに財務卿には知らされているが、彼がそれを公式の場に限らずどこであろうと発言することはない。

 

「食事の席では難しいこといいっこなしで、楽しんでね。こんなことだけで済むと思わないけど、ひと月分のお詫びはさせてもらうわ」

 そう言って、レイは一度席を立つ。

 部屋は用意してあるから案内させるわね、と言って部屋を出て行った。

 

 クリプトは、所要で今夜は戻らないらしい。

 明日、出立に合わせ馬車で宿に戻ってくるように、出先に知らせを走らせてあるそうだ。

 

 

 それぞれは部屋に案内されたが、あまりにも豪奢な造りで落ち着かない。

 いつの間にかアービィの部屋に全員が集まり、所在無げにお茶を啜っていた。

 

「ねぇ、宿って換えてもらえないかな?」

 メディがボソッと言った。

 

「僕も、なんかこう、お尻がこそばゆいと言うか……ねぇ?」

 アービィが同意する。

 

「これじゃあ、気軽にお酒も飲めないもんねぇ」

 ずれた同意をするルティ。

 

「我儘言わないの。たまにはいいんじゃない? 勉強よ、勉強。どこに出しても恥ずかしくないっていう言葉があるでしょ。いまのままじゃ、どこに出しても恥ずかしい、よ。伯爵の顔に泥塗るような真似はしないでね」

 ティアは、我儘を言ってレイに迷惑を掛けたくない一心で宥めに回る。

 

 

 暫くして食事に呼ばれ、食堂に下りる。

 食事中は、ランケオラータの件にはなるべく触れず、ラガロシフォン領の経営の話になった。

 

 アービィが作り方を教えてきたアイスクリームについては、まだ砂糖やバニラビーンズの単価を下げることができず高価な嗜好品のままだが、それでもいくつかの店が立ち始めたらしい。

 最初はボルビデュス家が100%出資の店を出し、そこで職人の教育を行って、それぞれが独立する方法を取ったそうだ。

 

 その後、独立した職人が弟子を取り、ラガロシフォン領内だけでなくボルビデュス領内にも出店し、当初の取り決め通り、ラガロシフォン領内だけがバニラを使用し、ボルビデュス領では果実を使うことになっている。

 もちろんラガロシフォン領内でも果実は使われており、少しずつではあるが国内に知られるようになってきた。

 

 アービィは、夢の中の記憶を手繰って、特許や登録商標について、簡単に説明しておく。

 アイスクリーム自体の製法は簡単なので、放っておけば各地に模倣商品が溢れかえり、ラガロシフォンの優位性は瞬時になくなってしまうからだ。

 

 王に上奏し、王の許可証がなければ作れない、名乗れない程度の規制とラガロシフォンへのパテント料、そして簡単な罰則だけでも充分なので、早めに手を打っておく必要があった。

 もちろん、アイスクリームを独占するだけが目的なのではなく、他の地域の商人や職人がそれぞれの地域の特色ある産業を守れるようにとの算段もあった。

 

 他にも宿や食堂が中華もどきの料理を領民の口に合うように改良したり、客層に合わせて単価を調整できるように材料を工夫したりと、いい方向に動いているようだ。

 領主が変わるだけで、領内の雰囲気がここまで変わるのかと驚く人が多いが、アーガスがあまりにもいい加減な領地経営をし過ぎたためのことだろう。

 

 当面レイがラガロシフォンを預かっているが、ランケオラータが無事帰還できたら数年後には嫁入りであり、その後はセラスが任されることになっている。

 当のセラスは、まだことの重大性を理解していないが、領地経営の勉強は早く始めておいて損はない。

 

 来年あたりに伯爵が懇意にしている貴族領に、短期の留学のような形で何ヶ所か回ることになっているが、当人は親元を離れ遊びに行けるものだと思い込んでいるらしい。

 ティアの説教が効いたのか、以前ほどの我儘は振りまいていないので、行った先で多大な迷惑を掛けることもないと判断されたのだろう。

 

「どこでそういう勉強したの、アービィは?」

 不思議そうにレイが聞いた。

 

 この時代には経営学や経済学の学校どころか、小中学校といった義務教育すらない。

 精々、家庭教師を雇う程度だが、それとて教員資格のようなものがあるわけではない。

 

 当然、一介の冒険者であるアービィが、そのような教育を受けてきたとは考えられず、レイの疑問は当然であった。

 かといって、夢で見ましたとも現代日本から来ましたとも言えず、各地を旅するうちに知ったことや考えたことです、と誤魔化すしかなかった。

 

「それにしても、あなたたちって、すごい人たちなのかもしれないわね。税のことだってそうだし、料理も。それに今回の、なんだっけ、特許? 登録商標? 誰も考え付かないわよ。模倣品にやられちゃうだけじゃなく、粗悪品に騙された人が増えたら信頼まで失っちゃうもんね。それから似たような名前も登録しておかないと、名前の使用権を高く売りつけられそう」

 頭の回転が速い人であれば、そこまではすぐ気付く。

 レイに知識を伝え、以後国政に関る目端の聞く大人が改良を加えていけば、それなりに整った法制が敷けるのではないかとアービィは考えている。

 

 この時代、特許や登録商標の考え方があるわけがなく、職人入魂の作であっても瞬く間に模倣粗悪品が溢れかえっていた。

 改良を加え、単価を下げることは悪いことではないが、商品の評判だけを使った偽物が横行し、本家が潰されてしまった例は枚挙に暇がない。

 

「将来の財務卿正室としては、まだまだ勉強不足ね。ねぇ、北の民ってどれくらい、人の数がいるんだろうね?」

 レイはメディに問いかける。

 

「どうでしょうか……。南大陸よりは少ないとは思うんですが、半分って程ではないとは思います」

 まだそれほど慣れ親しんでいないメディは、口の聞き方が庶民が貴族に対するものになっている。

 

「メディ、さんでしたっけ? もっと砕けちゃっていいのよ。さすがにお父様の前では私も気を使うけど、私とだったら気遣いは無用にして欲しいの。教えてもらう立場だしね」

 以前ルティたちに言ったことと同じようにメディに促す。

 

「じゃあ、できるだけ。それなりに数はいるけど、増えられないのよ。まず、食料が足りない。食料を増やそうにも、農業の技術が遅れてる。道具も部族間の戦ばかりで、武器に材料が使い尽くされちゃう、っていろいろね」

 メディは開き直ることにした。

 メディは未だに焼畑をやっている北の農法は、南に比べ格段に遅れていると思っている。

 これを指導改善できる人材を北の大地に呼び込むことができれば、飛躍的に農業は発達できるだろうと、レイと話すうちに考えていた。

 

「ってことは、モノを買ってくれる人が、まだたくさんいるってことね? これを取り込めたら、インダミトの経済って、すごいことにならないかな? どうやってラシアスを抜くかが問題ね。う~ん、一国で考えるんじゃなくて、大陸同士で考えたほうがいいか」

 随分と規模の大きなことを、レイは考えている。

 

「そうね、南に下りてくるのが私たち北の民の悲願だけど、それは暖かい土地に行きたいって希望だけじゃないしね。北の大地が便利になって住みやすくなれば、態々そこから動きたくないって考えちゃうかもね。理想的過ぎだけど」

 メディは、産業を興せない北の民の体質を思っている。

 今この瞬間を生きることに必死であり、先々への投資という発想がない。

 

 娼婦として南大陸の住人と接しているうちに、メディはそれを思い知らされていた。

 もし、今、南大陸が北の民を受け入れたとしても、商売の常識や、損して得を取るという商売の駆け引きなどができる者が少ない以上、ただの厄介者で終わってしまうだろう。

 

 それであれば、南大陸から商人や職人を呼び込み、北の大陸に南に負けないような産業を根付かせ、互いに交易することで共存する方法を考えたほうが前向きだ。

 南大陸と対等の関係を築けるようになってから、人の行き来があっても良い。

 

 もちろん北の民の文化を、南大陸の文化で塗り潰してしまおうということではない。

 互いに尊重しあい、良き隣人として共に文化を発展させることができないとは言い切れない。

 

 今すぐには無理だとしても、何世代も後の時代、あの三つの種族がじゃれ合っていたように、南大陸と北の民が共に手を取ることができる時代が来るかもしれない。

 メディはそんな夢を見始めていた。この聡明な貴族の娘であれば、それが可能な気がしてきた。

 

 ティアは自分の寿命が尽きる前に、それを見てみたいと思っていた。



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第41話

 「今回は、大変申し訳なかった」

 アービィたちの前で、レヴァイストル伯爵が頭を下げる。

 実際お互い様なのでアービィたちに含むところはないのだが、いざ目の前で頭を下げられてしまうと却って申し訳ない気分に囚われてしまう。

 

 ことさらティアは自分の進言でこの事態を招いてしまったと考えているだけに、まだ罵られた方が気分的に楽とも思えてしまう。

 どうやら伯爵もそこに気を使ったようで、謝罪は敢えてあっさりと済ませていた。

 

「こちらこそ、いえ、あたしがあんなことを伯爵に申し上げたばかりに……」

 前回会った際にはきちんと謝罪できなかったティアが、改めて頭を下げる。

 

「ティア、気にしないでくれたまえ。いずれは同じことになっていた。大陸内に戦争を起こさなかっただけ、まだましと考えよう」

 アーガスの話はもう終わり、と伯爵が話題を変える。

 

「今はジタバタしても始まらん。陛下も、天候や雪にはどうにも対処は無理とのご判断だ。つらいが、春までランケオラータ殿が命を長らえることを、祈るしかない」

 伯爵も、無理に行かせたところで死ぬだけと判っているような、自己満足の救出作戦を強行する気はない。

 

「マ教の神父様がウジェチ・スグタ要塞を通り、北の大地に渡っていると聞き及びます。僕たちも、例えば神父様の随行として、行くことはできませんか?」

 アービィは、今すぐの救出が無理でも、多少なりとも情報収集や、協力してくれそうな北の民を捜せないかと考えていた。

 

「残念だがな、独りで行くことに、彼らは価値を見出しているのだよ」

 マ教がこの世に誕生して以来、布教に護衛を伴わないことが、彼らの誇りだった。

 武力を背景とした布教では教化ではなく征服だと考え、神父は独りで行くものと厳しく規定されている。

 

 それはスキルウェテリー卿にしても同じ考えであり、布教と邪教の覆滅は別の次元と捉えていた。

 第一に布教を行い、妨害する邪教には断固武を以て対処するが、その膝下にある民衆に刃を向けることや、布教を担当する神父が武具を携えて行くことはない。

 もっとも、土着宗教が強固な信仰を集めている地域では、僧兵のすぐ後ろに神父が控えているという矛盾を、無理矢理飲み込んではいるのだが。

 

 

 つまり、アービィたち四人が神父の護衛として随行することや、アービィが神父に化けることは、事実上できないということだった。

 ルティたちをシスターに化けさせるには髪を剃る必要もあり、いくらなんでもこれを強要する気はない。

 

「現状においては、八方塞がりと言うわけだ。今日はこれくらいにして、休んでいただこう。晩餐会もできずに、済まなんだな。明日は昼過ぎまで休みたまえ。朝食が必要なら、遠慮なく家の者に声を掛けてもらえれば、すぐに用意させよう」

 伯爵は苦しい胸の内を明かしつつ、再会の会談を切り上げた。

 

 

 ベルテロイでレイとアービィたちが再会した日の朝、クリプトはインダミト駐在武官パシュース=バイアブランカ第二王子に呼び出されていた。

 王族が一貴族の執事を呼び出すことなど前代未聞だが、ことがことだけに因習などに囚われている場合ではない。

 

 本来であればレイがその役を担うべきなのだが、未だ15歳の少女に対し、無縁となっているとはいえ兄の不始末で肩身が狭くなっているところに、婚約者と実姉の危機、国家的な謀略を一気に押し被せるのは忍びないというパシュースの配慮で、クリプトが呼び出されていた。

 パシュースからの密命を受けたクリプトは、当然のことながら主人は承知の上かどうかを訊ねた。

 

 いかに第二王子とはいえ、他家の従者に主人を飛び越して命令して良いという道理はない。

 しかし、パシュースからレヴァイストルに対する命令であると言われ、ならばとクリプトは納得することにした。

 

 パシュースはクリプトの目の前で、彼にできる最上級の命令書、駐在武官としてではなく、インダミト王国第二王子としてのそれを書き上げ、蝋封してクリプトに手交した。

 何人たりとも宛名の人物以外に開封まかり成らぬとの言葉に、明朝ベルテロイを発ち、可及的速やかに宛名の人物に命令書を届けよと続けた。

 

 

 フロローにアービィたちが到着した時点で、パシュースは彼等の足取りを掴み、今回の救出作戦の不首尾を察知した。

 ならば、ランケオラータの命についてはスキルウェテリーが送りこんだ神父と、父王が送り込んだ密偵に任せておけばいい。

 

 春までの間、勇者殿にはストラーに行ってもらい、少々派手に動いていただく。

 彼の国の王はもちろんだが、今回のビースマッククーデターを企む一派が必ず接触してくるはずだ。

 

 おそらく、プライドの固まりのような王の誘いを蹴れば、王の一派は手を出すことはないだろうが、彼らを目の敵にするだろう。

 そして間違いなく、クーデター一派がその後に出てくる。

 

 奴らは勇者を目立つ兵器としては、使おうとはしないだろう。

 ラシアスのニムファが勇者の取り込みを目論み、しくじったことは、どの国でも国政に関わる一定の地位以上の者は承知している。

 

 あからさまな勇者取り込みは、大陸覇権に意欲有りと宣言するようなものだ。

 王族がそうするならば誰もが納得するだろうが、主権を持たない者がそうすることは、叛意有りと見られてしまうだけだ。

 

 陰険な覇権欲に塗れた奴らは、秘密裏に事を運び、無言の圧力として勇者を使うために接触してくるだろう。

 おそらくそれは、事が露見しても公爵家に類を及ぼさないように、その意を受けた中級貴族共だ。

 

 未だ全容がはっきりしないクーデター一派の洗い出しに、勇者殿には働いてもらう。

 その後のアルテルナンテの仕事がし易いように。

 

 聞けば勇者殿の望みは、安住の地らしい。

 それくらい、インダミトで用意してやろう。

 

 勇者殿に気付かれないように、四方をぐるりと手の者で囲い込み、他国が手出しできないようにするくらい造作もないことだ。

 重要なことは、勇者を臣下に引き入れることではなく、自国に勇者が住んでいるということに、ニムファを始めとした覇権欲に塗れた連中は気付いていない。

 

 商業国家であるインダミトにとって、戦など一時の経済刺激にしかならず、その後の後始末に掛かる膨大なカネやヒトの浪費は望むものではない。

 敗戦国を襲う莫大な戦時賠償金はインフレを呼び、国内に不満の荒らしを引き起こし、必ずや次の戦乱の火種になる。

 

 インダミトの繁栄は、大陸の安定あってこそだ。

 一国の経済を破綻させるほどの戦費や人的浪費を飲み込んでまで、戦による覇権は利のあるものではないとパシュースは考えている。

 

 まあ、勇者殿、末永く仲良くやっていこうじゃないか。

 クリプトを送り出したパシュースは、明るい顔の下に国家の意志を隠すように、笑みを浮かべていた。

 

 

 パシュースの元を辞したクリプトは、レイが滞在する宿に戻ると、すぐに行動を起こした。

 レイにパシュースからの命令について話した後、通常であれば二泊の行程を縮めるため、野営に必要な物資を集めに掛かる。

 携行食糧はいうに及ばず、今回は必要なしとして用意してこなかった携行の夜具や、宿泊可能な馬車を調達に回った。

 

 ボルビデュス領から乗ってきた馬車を下取りに出し、適切なサイズの中古馬車を購入し、レイが就寝できるベッドなどの設備を取り付ける。

 本来の主客であるアービィたちのベッドも必要なので、室内を区切り男女の別を付けられるようにも依頼した。

 

 翌朝までの納期なのでかなり無理を言ったが、物資調達の合間にはクリプト自ら作業を手伝ったため、深夜になって馬車は完成した。

 職人たちを休ませたあと、クリプトは寝る間を惜しんで物資の積み込みを続け、翌朝一番にレイたちを迎えに行ったのだった。

 

 ベルテロイからボルビデュスまでの行程は、以前に比べ魔獣の脅威が増大していた。

 日中は大差ないのだが、夜間は以前には見られなかった、凶悪な魔獣が出没するようになっていた。

 

 キマイラやマンティコア等が、単体でだが、襲ってくる。

 その分ゴブリンやコボルト、リザードマンのような雑魚は減ったが、却って危険度は上がっているようだった。

 

 ラシアスが駅馬車の護衛に力を入れることへのありがたみを、アービィたちは痛感していたが、暫く振りの戦闘は呪文の修練には役立ったようだ。

 アービィとクリプトが交代で見張りに立ったのだが、絶え間ない魔獣の襲撃のせいで、戦闘行為を行える五人はほとんど徹夜になってしまっていた。

 

 一泊の強行軍は、馬車の中での仮眠を含めても、レイ以外の睡眠時間が三時間にも満たないものだった。

 そして、ベルテロイを立った翌日の深夜、ようやくボルビデュス城に到着することができた。

 

 さすがにレヴァイストル伯爵は就寝済みと思っていたが、城門には篝火が焚かれ、伯爵自ら槍を携えて一行を待っていた。

 挨拶もそこそこに、伯爵は一行を食堂に案内した。

 

 そこには晩餐会と言うには質素だが、一般庶民の夜食と言うには豪勢すぎる料理が湯気を立てていた。

 六食を冷えたままのレーションで済ませ、身体の芯まで冷え切っていた一行には、何よりのもてなしだっただろう。

 

 充分に腹を満たし、伯爵の心遣いに満ち足りた気分にさせてもらった一行は、迷わず昼まで眠らせてもらうことにした。

 もっとも、剣の腕がどれほど上達したか、伯爵が手合わせを楽しみにしていたルティは、翌朝叩き起こされたうえでの二度寝になっていたが。

 

 

 レヴァイストルはルティと剣の鍛錬を済ませた後、クリプトのみを呼び出しパシュースからの命令書を開封した。

 そこには、以下のことが書かれている。

 

 一、アービィたちをストラーに派遣すること。理由は適宜考慮すること。

 一、北の大地の気候改善を期し、ランケオラータ救出に向かわせること。現在スキルウェテリー配下の者が潜入しているため、これに遅れを取らないこと。

 

 さらには、それを牽制するために密偵が神父に化けて潜入していることや、未だランケオラータの生死は不明だが、確定情報があるまでは生存を前提として行動することなど、事細かな指示が記されている。

 

「殿下はどこまでお話になられたかね?」

 伯爵はクリプトに確かめたい点があった。

 

「はい、ストラーへ行って欲しいという点が一つ。そして、春を待ってランケオラータ様の救出に行け、とだけでございます」

 クリプトは、命令書の内容は知らない。

 クリプトに言った以上のことが記されているということは、その部分は国家機密であり、言葉にした部分は他国にリークさせるためである。

 

 防諜に無神経なわけではないが、駐在武官の発言など例え町外れに穴を掘り、その中に囁いた後穴を埋めたところで、翌朝には他の駐在武官の耳に届いている。

 アービィたちをストラーに派遣することは、駐在武官全員の合意のうえと判断して良い。

 

 同様にランケオラータ救出に再度赴かせることもだが、クリプトに言ってない部分はどこまで漏れているから知らないが、他国には聞かれたくないことなのであろう。

 スキルウェテリーの手の者に後れを取るな、ということは、彼に恩を売られるなということで、言われずとも承知している。

 伯爵は一頻り肯くと命令書に火を点け、クリプトに燃え滓の始末は命ずることなく、下がらせていた。

 

 

 泥のように眠った後、さわやかというにはあまりにも高い陽の下で、アービィたちは朝食の分と一緒に昼食をとっていた。

 彼らの疲労を気遣ったのか、傍には侍女が一人控えるのみで、伯爵やレイは姿を見せない。

 

 ファティインディとセラス母子が連れ立って庭を散策しているが、こちらも挨拶を交わしただけで通り過ぎていった。

 穏やかな午後の日差しは、既に木枯らしの季節であるにも拘わらず、彼らを優しく照らしている。

 

 こんなに暖かい日は、いくら大陸の南半分に位置するボルビデュス領とはいえ、この時期としては珍しい。

 昼食が終わって食器が下げられても、彼らはそこから動かず、気だるい午後の日差しを楽しんでいた。

 

 彼らの食事中には大人しく通り過ぎていったセラスが、ファティインディの手を曳き戻ってきた。

 そこには先程まであった遠慮など欠片も残っておらず、ファティインディを苦笑させている。

 

「アービィ、またあれ作ってよっ!! 黄色い、ふわふわしたあれっ!! 他に新作はないの!?」

 すっかりカステラがお気に召していたようだが、微妙な作り方の癖が違うのか、厨房の料理人が作るカステラは、アービィのそれとは違うものになっていたらしい。

 

「ごめんなさいね。厨房の者が作るものも充分に美味しいんだけど、微妙に舌触りが違うのよ」

 ファティインディが言うには、アービィのものより食感が軽いらしい。

 スポンジケーキとして考えるなら、そちらの方ができは良いと言えるのだが、クリームを伴わないカステラとしては物足りないらしい。

 

 多分、下手くそさの怪我の功名なのだろうが、こればかりは言葉で説明の仕様がない。

 アービィは、新作のアイディアを夢の記憶から手繰りつつ、カステラ作りに取り掛かった。

 

 カステラを焼いている間、厨房を見せてもらったところ、小振りな豆が水に漬けられていた。

 フォーミットの村ではあまり見ないものだったが、なんとなく閃くものがある。

 

 料理人に聞くところによると、乾燥させたものを昨夜から水で戻しているらしく、今夜の賄いのシチューに入れるとのことだった。

 使い道も下拵えも同じなので、多分大丈夫だろうと踏んで、半分ほど分けてもらう。

 料理人もアービィのやることが楽しみなので、特に不満はない。

 

 パン生地の準備をしてもらう間に、豆を水から煮る

 時間が掛かる工程の間にカステラを持ってセラスたちのところへ戻り、新作は夕食時に発表と告げた。

 

 いますぐよこせ、と喚くセラスをティアとファティインディが締め上げている間に、厨房に退避する。

 幾つかの行程を経て、潰して漉した豆を砂糖で甘く仕上げ、漉し餡を作り上げた。

 

 料理人たちに味見をしてもらうが、砂糖が高価なため甘さ控え目にしたにも拘わらず、絶賛されてしまった。

 豆を甘く煮ると言う発想はこの世界にはなかったらしく、どこで思い付いたのか質問責めにあってしまったが、まさか日本でとも言えず適当に誤魔化すことにした。

 

 パン生地で餡子を包み、オーブンで焼き上げる。

 残った餡はお湯で溶き、白玉粉はさすがにないため小麦粉で白玉もどきを作って、白玉汁粉として、厨房の使用料代わりに料理人たちに振る舞った。

 

 夕食時、外見は何の変哲もないパンをかじった直後のみんなの反応に、アービィはなんとも言えない嬉しさを噛みしめていた。

 その後、料理人たちから汁粉の話を聞きつけたファティインディによって、翌日のお茶の時間に合わせ、再度餡子を大量生産する羽目になってしまった。

 

 

 夕食後、ルティはレイに、ティアはセラスに捕まっている。

 アービィとメディは、伯爵の居室で今後のことを話し合っていた。

 

 当面は北の大陸には、行くことができない。

 暫くここに滞在してもいいし、旅に出るのも構わない。

 伯爵はそう言って、どうやってストラー行きを依頼するか頭を悩ませていた。

 

 パシュースからの命令書には、ストラーへの派遣とだけ記されていた。

 おそらく目的はあるはずだが、記されていないところを見ると、伯爵には知らせたくないことなのだろう。

 

 かといって問い合わせたところで、答えが返ってくるはずもない。

 理由もなく行けとも言えず、どうしたものか思案に暮れていると、アービィから言い出した。

 

「春まで時間があるなら、ストラーの風の神殿に行きたいのですが」

 アービィは、最後に残った風の神殿に行き、全ての呪文の準備を整えてから、北の大陸へ渡るつもりだった。

 メディも、ここまできたら、全ての呪文を修めたいと考えていた。

 

 北の大陸では、精霊呪文の他にメディが掛けられたような妖術も使われている。

 風の呪文に直接妖術を封じるものはないが、少しでも戦いの幅は広げておいて損はない。

 

 メディにしてみても、精霊と契約すれば即全ての呪文が使えるわけではないのだから、修練のために魔獣との戦闘は不可欠だ。

 白魔法は日常生活の中だけでも習熟度を上げることは可能だが、戦闘の方が遙かに上達は早い。

 

 魔獣討伐自体が人の役に立つことであるならば、これを躊躇うことはない。

 風の白魔法は、治癒師に直接役立つものはないが、戦闘には役立つものばかりだ。

 

 従って、無為に百日近い日々を過ごすより、ストラーへ行くべきというのがアービィたちの結論だった。

 それをいつ伯爵に伝えるか、アービィたちも迷っていたのだ。

 

「そうかね。では、引き続きランケオラータ殿の救出の依頼はするとして、何かあってそれが遅れるようなことがあっては困る。そこで、だ」

 伯爵にしてみれば渡りに船だが、そのようなことはおくびにも出さずに提案する。

 

「風の神殿までは、ここからだと往復でほぼ百日だ。あちらからウジェチ・スグタ要塞まで直接行ったとしても、百日は掛かる。時間だけ見ればちょうどかも知れんが、途中何があるか解らん。馬車を提供しよう。扱いは、明日からクリプトに聞いてもらう。五日も練習すれば充分だろう」

 依頼の一部だから断ってくれるなよ、と安堵の表情で付け加えた。

 

 

 翌日から、クリプトによる馬扱いの特訓が始まり、旅を共にする馬の選定も同時に進められた。

 アービィの気配を察知すれば、まさか逆らうようなことはないと思われるが、逆に恐怖で動けなくなる方が心配された。

 

 クリプトに気付かれない程度に狼の気配を漂わせつつ、馬たちと顔合わせがてらの訓練を続けた。

 その結果、最も気性の激しい牝馬と、対照的な牡馬の二頭が候補に残り、なんとなく男独りに肩身の狭さを感じていたアービィの強固な意見で、牡馬を連れて行くことに決定した。

 

 出立の前夜、壮行会を兼ねた晩餐の後、伯爵はアービィを居室に訪ねた。

 

「特許や登録商標について、レイから君に教えてもらったと聞いたぞ。あの小娘にしては上出来すぎだと思っていたが、やはり、というところか」

 伯爵はレイから特許や登録商標について聞くなり、考えを纏めて王宛てに上奏文を送っていた。

 

 国内産業の保護育成に心を砕いていたバイアブランカ王は、直ちにこの案を検討するよう内務卿に命じていた。

 もちろん他国からの侵害があっては元も子もないので、四カ国が共同歩調を取るにはどうすべきか、外務卿とも意見交換するようにと付け加えた。

 

 同時に各国との間に根回しのため、パシュースに叩き台の案を送り、駐在武官同士でも検討するように命じている。

 さらに王家が富の独占をしては民が富まないと考えた王は、王権を持ってしても特許や商標は侵害してはならないとの条項をいれるようにと、内務卿に指示している。

 

 これにより、領内で開発された特許技術を、一部貴族が独占することを防ごうとしていた。

 無論、まだ叩き台故に穴だらけだが、それはこれから詰めていけばよい。

 

 そういった書簡が王から返され、発案者に会ってみたいと結ばれていた。

 伯爵は、アービィを王に会わせるつもりでいたが、その前に確かめておきたいことがあった。

 

「君の、以前聞いた税のことも、そうだが、料理や菓子、社会制度の知識は、召喚される前の、世界の知識かね?」

 伯爵は一言ずつ区切りながら、言いにくそうに訊ねた。

 

「……ご存知でしたか……」

 アービィは思わず息を飲み、やっと一言を絞り出した。

 

「ああ。ニムファ殿があそこまで派手にやったのだ。どの国でも、一定以上の地位の者は知っている。豊かな、文明が発達した世界のようだね」

 伯爵は答えた。

 

 アービィは、もし伯爵が臣下にと言うようなら、すぐさまここを辞し二度と戻らないつもりになっていた。

 また、王がそう言うのであれば、ラシアスと同じことだ。

 

「私は、君を臣下になどとは考えていない。もし、私がそう言って聞くくらいなら、ラシアスに留まっているだろう? 王は君の知識を欲しがるかも知れないがね。それでも我が王も、ラシアスでの一件はご存知故、君を留め置けるとはお考えにはならないだろう」

 伯爵はアービィの心配を打ち消すように、言葉を続けた。

 

「そう仰っていただけるなら、僕はありがたいです。僕は、勇者などという器ではありません。いつかお見せしたように……人でもありませんし。今望むことは、平穏に暮らしたい、唯それだけのことなんです」

 アービィは、自分が人の役に立つならばともかく、特定の欲望のための道具になるのは真っ平だ。

 

「私は、君がこの世界に呼ばれたことには、意味があると考えている。それが、私が君を留め置こうとは思わない理由だ。もし、単にニムファ殿の欲望、いや、あの時点では国を思う純粋な気持ちだったのだろうがね、それだけだったら、君は十年前の召喚失敗の際に消えうせていたはずだ。それが、何故、行方不明になったうえ、十年もの長い間覚醒しなかったのか。そして、その力。前の世界でも人狼だったわけではなかろう? 不思議に思わないかね?」

 アービィは伯爵の言葉を聴いているが、自分からは言葉が出てこない。

 

「おそらく、だ。君がこの世界に来ては困る者がいて、それが妨害したのだろう」

 そうだ。

 『俺』が言っていた。

 

「召喚されたとき、既に今の歳くらいだったのだろう? それを子供に戻し、且つ人狼に君の魂を封じ込めた」

 う~ん、もっと歳上だったんだけどな。

 

「子供であれば、この世界で庇護者なしで生き残るのは困難だ。もし、生き残っても、人狼が人のために動くなどとは考えまい」

 拾ってもらえたなぁ……

 

「その者はそう考えたのに、今君はここにいる。これは、もっと別の大きな意志が、君に何かを成せ、ということではないかね?」

 僕はそんな大層な者じゃないんですよ……

 

「その成すべきことが何かは、私には分らない。だが、それが私が君をここに留め置くべきではないと、考えた理由だ」

 伯爵はそう言って、アービィの言葉を待つ。

 

「僕がこの世界に来ることを邪魔した者、つまり魔王を倒す、とかそういうものなのかもしれないし、もっと別のことかもしれないですね」

 アービィはあり得ないと思いつつ、苦笑いしながら言った。

 

「君は、もっと世界を見てきて欲しい。その中で、自ずと成すべきことは見えてくる。それは、君だけに限らないことだ。この世に生を受けたもの全てが、それぞれに成すべきことがあるはずだ。それに気付けず人の道を外れる者も多いがね」

 伯爵はアービィを力付けるように言う。

 

「確実に、ひとつ判っていることがあります。僕は、ルティと二人で穏やかに暮らせる場所を探す。これだけは間違いがありません。他に何があろうと」

 アービィはそう答え、伯爵の目を見詰めた。

 

「成すべきことが済めば、それもいい。ボルビデュス領は、君たちを歓迎するぞ。もちろん、税を払ってくれるなら、だがね」

 伯爵はそう言って、豪快に笑った。

 

「伯爵、僕はあなたが、僕を欲望の道具に使わないと信じられる限り、協力できることは何でもします。北へ行けと仰るなら行きましょう」

 そう言ってアービィは、差し出された伯爵の右手を強く握った。

 

 そうだ、今まで僕は安住の地を探すと言っていたけど、逃げてばかりじゃないか。

 何を成せと言われているのかは分らないけど、それも探してみよう。

 

 それは、アービィが召喚されたことの意義について、初めて自ら向き合い、考えた瞬間だった。



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第42話

 「てぇことは、あなたさんはこないだの戦で、捕らえられた捕虜を取り返しに行きなさる、と仰るわけですな?」

 村人の問いにバードンは首を横に振った。

 

「いえ、私一人で何百人、いや何千人いるかも解らない、捕虜全てを取り返せるとは思っておりません。ただ、何れの者もマ教の教えを信ずる者。私が共にあることで心安らかになるのであれば、そう思い参ったわけでございます」

 バードンはウジェチ・スグタ要塞を出た後、地峡に続く高地にそれぞれが一日の行程内に点在する、南の住人と交流を持つ集落を渡り歩いていた。

 平野に住む部族に追いやられ、高地に点在する狭い居住可能な空間に、へばりつくように集落は点在している。

 

 南の通貨が両替せず使用できる最北端で、比較的南に対して好意的な感情を抱く部族が暮らしている。

 狩猟が主要産業で、それ以外にはほとんど何もないのは、高地の土地が農耕に向かないからだ。

 

 主食となる穀物は、ラシアスを通した南大陸や平地の部族の中でも友好的な部族との交易に頼っていた。

 高地の部族同士の関係には多少の好悪はあるものの概ね良好であることは、生活条件が似通っていることに加え、諍いをしている余裕がないということもあった。

 

 

「それで、捕虜たちはどの部族が押さえているか、ご存知のことがありましたら教えていただけますか?」

 バードンの普段の物腰は柔らかく、言葉遣いも丁寧だ。

 

 人狼に関わることになるといきなり豹変するが、スキルウェテリーに叩き込まれた礼儀作法と、生来の性格に拠るところが大きい。

 布教活動で異教徒の中に溶け込むためには、反感を買うことが少なくて得なスキルだった。

 

「そうですなぁ。……平野の部族であることは、間違いないんですがね……」

 村人は首を捻り考える。

 付き合いのある部族からは、そのような話を聞いていない。

 

「では、最近交易か活発になっているということはございませんか?」

 どれほどの人数が生き残っているかは分からないが、集落に済む人数が増えれば交易量が増すはずだ。

 

「そういえば、直接こことは付き合いはないんですがね、パーカホの村から木炭を買ったって話を聞いたことがありますね」

 村人は思い当たる節があるようだ。

 

「それは、どこにあるんですか?」

 これだ、と直感が告げる。

 

 高地一帯では、薪をあまり使えない。

 野生動物の住処となる森林を伐採しすぎては、自分の首を絞めるようなものだ。

 

 そのうえ、平野部に鉄砲水でも起こそうものなら、ただでさえ好意的に思われていないのだから、あっさりと攻め滅ぼされてしまう。

 かといって、平野部の森林から薪を運ぶには、労力時間とも掛かりすぎてしまう。

 

 このため、高地一帯では、乾燥した泥炭が一般的な燃料だった。

 高地を降りきった平野部の縁には、広大な湿地帯が広がっており、ここには無尽蔵とも言える泥炭が眠っている。

 

 狩猟と平行して、春から秋に掛けて泥炭堀が行われ、冬までに乾燥させた物を運んで使っている。

 大量の煤煙が出るため室内が煤けることや、煙逃しに屋根に穴が必要なことと、火力が低いことが欠点だった。

 

 低品質であっても木炭の方が火力が強いため、南大陸から持ち込む品に昔から数えられていたが、冬季には供給が止まってしまうため、贅沢品と考えられている。

 それが冬でも辛うじて交易が可能な北大陸で、入手できるようになることは大歓迎であった。

 

「平野に出てから北西に十日ばかりのあたりですよ。さすがに今から行くのは無理じゃないでしょうかねぇ。途中には私たちや、平野の部族が持ってる避難小屋くらいしかないんですよ」

 北に渡りひと月ほどで捕虜が囚われている集落の当たりはついたが、どうやらここで打ち止めのようだ。

 超人的な殺人技を持つバードンといえど、雪には勝てない。

 

 案内人もなしに、目印すら雪に埋もれた時期に未知の土地を踏破しようなど、ただの自殺だ。

 高地の人々は、雪原を踏破する技術を持ってはいるが、他人にかまっていられるほど甘い自然環境ではない。

 

 現状で取れる最善の手としては、高地の人々が交易に行く際に情報を集めてきてもらうくらいしかない。

 集落の周辺で雪との付き合い方を学び、状況が許せばパーカホまで行ってみようとバードンは考えていた。

 

 

 バードンが目を付けた木炭は、間違いなくランケオラータが関係しているものだった。

 平野部の部族も、燃料に泥炭と薪を使っており、良質な木炭は高地部族を通して極稀に南大陸産の物を手にするだけだった。

 

 集落の周辺には針葉樹を中心とした森林が広がっており、白炭や黒炭に適した広葉樹の数は少ない。

 当然多くの薪は針葉樹が原料であり、消炭は熾き火になることはあるが、燃料としては適したものではなかった。

 

 数が少ない広葉樹は燃料としては見向きもされず、数十年以上が経過し萌芽がしにくくなるものが多くなっている。

 ランケオラータは、広葉樹を適宜伐採して燃料として炭焼きを行うと共に、森の更新を促進するようにさせた。

 

 残念なことに、熟練の技術を要する炭焼き窯を作ることができる者がいなかったため、炭焼きは最も簡便な伏せ焼きで行った。

 それでも針葉樹から得られる炭や泥炭よりは、遥かに良質な燃料としての炭を作ることができた。

 

 同時に針葉樹からできる炭の断熱効果に着目し、家屋の床や壁に埋め込み燃料の消費を下げる工夫もしていた。

 また、南大陸で飲まれている大麦を原料とした蒸留酒の製造過程にある麦芽の乾燥に、泥炭を使ってみようというアイディアも生まれた。

 

 北の大陸で飲まれている蒸留酒に応用してみたところ、芳香が付くことが確認でき、もし南大陸との交易ができるならば主力商品となる可能性も出てきた。

 交易という点から見れば、北の大地は巨大な市場となる可能性を秘めている。

 

 北の大地の暮らしを良くしていくことができれば、北の民の南下への渇望を和らげつつ、緩やかな両者の交流が可能になるのではないか。

 南大陸で行き詰まりを感じている者にとっては、北の大陸は新天地となる可能性もある。

 農林業に限らず、いくつかの分野において北の民にとっての技術革新を伝えたランケオラータは、次第に捕虜というよりは重要な人物としてパーカホで遇されるようになっていた。

 

 

「それでは、準備はいいかね?」

 伯爵がアービィたちに声を掛けた。

 馬の扱いもクリプトから叩き込まれ、なんとか思い通りに動いてもらえるようになってきたので、実地訓練を兼ねて伯爵と共にエーンベアに行き、バイアブランカ王に謁見することになった。

 

 当初はボルビデュス領からベルテロイに戻り、そのままストラーの王都ストラストブールを目指すつもりだったが、伯爵に王の顔を立ててやってくれと拝み倒され、エーンベアに一度行くことになっていた。

 その後、エーンベアから再度ボルビデュス領に戻り、ベルテロイを経由してストラーへ向かう。

 

「はい、伯爵。じゃあ、頼むよ、ノタータス」

 アービィが馬に一声掛け、馬車はゆっくりと動き出した。

 伯爵が乗る馬車の後ろを、ノタータスが曳く馬車で追いかける。

 

 素直な性格だが、かなりヘタレでもあるノタータスを連れて行くことに、レイやセラスは反対していた。

 だが、危険を察知する能力は伯爵家の馬随一のものがあったため、伯爵とファティインディは賛成していた。

 ひとつ危惧するならば、魔獣と出会い頭になったときに、その場で失神するか暴走するかが分らないくらいだろう。

 

 いざとなればアービィがいるので旅程に不安はないのだが、ノタータスが足手纏いにならなければいいとレイは心配している。

 ノタータスと相性が良かったセラスは、単純に友達を連れて行かれることが嫌なようだった。

 

 以前はラガロシフォン経由のため十四日間に及ぶ行程だったが、ボルビデュスから直接王都への道は七日程度で到着できる。

 もちろん、途中宿を取る回数を減らし、野営で時間稼ぎすれば五日で行くことも可能だった。

 

 普通であれば七日の行程でいくのだが、今は時が時なのでできる限り短縮することにしている。

 それに、投宿すると宿が馬を預かるため、ノタータスと一緒に過ごす時間が増える野営のほうが、却って都合が良かった。

 

 ボルビデュスを出てから三日目の野営時、ノタータスの様子がおかしくなった。

 耳がせわしなく動き回り、目もどことなく泳いでいるかのようだ。

 ノタータスの耳が動き始めた直後に、アービィも不穏な気配に気付いた。

 

「ノタータスの方が早かったね」

 アービィの一言にティアが驚愕する。

 この馬は、人狼より気配を早く感じ取った。

 

 伯爵を囲むように陣を組むが、その伯爵自体が剣を振るいたがっているので始末に悪い。

 全員が剣や弓を構え、闇と対峙する。

 

 やがて、闇を割って姿を現したものは、八本脚のトカゲのようなゲイズハウンドだった。

 全長は獣化したアービィよりも大きい4mほどで、麻痺の効果を持つ毒が含まれている唾液を持つ凶獣だ。

 

 通常は八本脚で歩き回るが、戦闘時には後ろ三対の脚で身体を支え、最前肢の一対は敵を抱え込むことが可能だ。

 素早い動きと、水牛の首すら叩き折ることができる尾の一撃は、麻痺の能力と併せ脅威となる。

 

 極北の地にしかいないといわれていたが、この10年で徐々に分布を南下させている。

 しかし、分布に連続性が見られないため、何者かが南大陸に送り込んでいると見る向きもあった。

 

 クリプトのいるうえにノタータスがパニックを起こしかねないため獣化するわけにもいかず、剣と呪文で立ち向かわねばならない。

 もっとも、無闇に獣化していてはいつまでたっても呪文の習熟度も上がらないため、よほどのことがない限り獣化する意志はなかったが。

 

 アービィとルティが前衛に出て剣を構えるが、いつの間にか伯爵も愛剣を構え横に立っている。

 後衛でティアが弓を構え、メディは回復呪文をいつでも発現できるように詠唱を始めた。

 

 クリプトは、万が一のために馬たちに寄り添い、鋼線を引き出している。

 凶獣とアービィたちの間に張り詰める緊張が極限に達したとき、ゲイズハウンドが跳躍した。

 

 後肢と尾に溜めた力を一気に解放し、手近にいたルティに襲い掛かる。

 一瞬遅れて放ったティアの矢は闇を貫いただけで終わるが、二の矢はゲイズハウンドの着地位置を狙って放たれる。

 

 ルティは軽くステップバックで襲撃をかわし、ゲイズハウンドが態勢を整える前に一歩踏み込んで前肢に剣を叩き込む。 

 ほぼ同時にアービィと伯爵の剣がそれぞれ前肢と首を捉えるが、堅い皮膚に阻まれ深手を与えるには至らない。

 

 ティアの放った二の矢は狙い違わずゲイズハウンドの目を抉り、凶獣の叫びが闇を切り裂いた。

 当てずっぽうに振り回される尾がアービィを直撃するが、剣を盾にこれを防いだ。

 

 盾にした剣がゲイズハウンドの尾に食い込むが、切断するには至らず軽いダメージを与えるに留まる。

 しかし、強力な武器を封じる役には立ったようだ。

 ルティがこの隙に懐に潜り込み、起こした上体に剣を突き立てるが、浅く入るだけで突き通すことはできなかった。

 

 攻撃の直後にできる隙を突かれ、ゲイズハウンドの牙がルティを掠めた。

 反射的に飛び退るが、直後に身体に痺れが走り、動くこともままならなくなる。

 

 慌てたティアが『解痺』の呪文を唱えてルティの麻痺を解き、同時にメディが『回復』を掛けた。

 瞬時に麻痺が解けたルティは、地面を転がってゲイズハウンドの追撃を寸でのところで回避できた。

 

 片目を潰され距離感がつかめない凶獣に伯爵が走り寄り、その背に剣を叩き込むが、やはり鎧のような皮膚を割ることができない。

 アービィが距離を詰め、伯爵に向かって大きく開けられたゲイズハウンドの口の中に、直接『大炎』を発動させた。

 

 喉の奥に焼け爛れるような苦痛を感じた凶獣が、反射的に最後肢で立ち上がる。

 下腹が無防備にさらけ出されたときに、か細い記憶を手繰ったメディから、そこの皮膚は柔らかいことを知らされた前衛三人が突進した。

 

 ほぼ同時に三本の剣が凶獣の下腹に突き立てられ、それぞれが思い思いの方向に引き払われる。

 アービィは喉に向かい、ルティは左真横へ、伯爵が下に剣を払うと、凶獣の腹から内臓が零れ落ち、僅かな間をおいて凶獣が後ろに倒れこんだ。

 

 アービィが引き裂けた腹に『大炎』を叩き込むと、断末魔に暴れるゲイズハウンドの尾が伯爵に振るわれた。

 咄嗟に飛び出したクリプトの鋼線が尾に絡みつき、切断するには至らないが勢いを殺すことには成功する。

 

 喉元の鱗の隙間を突いてルティが剣を突き立てると、僅かに痙攣したゲイズハウンドはようやく動きを止めた。

 ふと見ると、ノタータスが立ったまま、失神していた。

 

 足元に広がる水溜りが、彼の恐怖を何よりも雄弁に物語っている。

 やれやれ、という表情のクリプトが絞った布で身体を拭いてやると、彼はようやく息を吹き返し、短く嘶いた。

 

 

 ゲイズハウンドの襲撃から二日後の朝、一行はエーンベアに到着し、バイアブランカ王との謁見に臨んだ。

 王都に詰める貴族たちの好奇の視線の中、謁見の間に進んだ一行は、王の前で片膝を付き頭を垂れた。

 

「よくぞ、参られた。噂は、聞き及んでおるぞ。楽にされよ、勇者殿。ボルビデュス伯共々、此度の働き誠にご苦労であった」

 アービィたちは、王の言葉に頭を上げる。

 バイアブランカは、穏やかな視線でアービィの涼やかな表情を眺めている。

 

「勿体無きお言葉、痛み入ってございます。先般上奏いたしました、特許や商標はこの者の知恵にござりますれば」

 伯爵は王に対し、再度深く頭を垂れた。

 

「うむ、良いことを教えてもらったと思っている。今後も、そなたの知恵を借りたいところだが……」

 そう言ってバイアブランカはアービィを見た。

 アービィが何かを言おうとするが、バイアブランカはそれを遮って言葉を続ける。

 

「そなたには、成すべきことがあるのであろう? それをこの国に留めようとは考えておらぬ故、安心するが良い。ただ、な。たまにはこの国に立ち寄って、そなたの知恵を貸して欲しい。それくらいはよかろう? 我が国は、そなたにいろいろとしてやれることは多いと思うが、いかがかな?」

 そう言ってバイアブランカは、わざと人の悪そうな表情を作り、笑みを浮かべた。

 

「陛下、お心遣い、ありがとうございます。そのように仰っていただけるのでしたら、できる限りお役に立ちたいと思います。ただ、いつも、というわけには参りませんが、そこはご容赦いただきたいと存じます」

 アービィはラシアスでの一件以来、権力者というものに不信感を抱いている。

 もし、ここで臣従の誘いがあれば、決然と断るつもりでいた。

 

 しかし、その一件は当然バイアブランカも承知しており、無理矢理縛り付けようとする愚を悟っていた。

 であれば、支援と引き換えに知恵だけもらえれば、それで今のところ収支は釣り合うと考えていた。

 

 最近、ビースマック製の品を騙った粗悪品が出回っており、この取り締まりに有効な手段を教えてもらったのだ。

 これだけでも充分支援するに値する。

 

 国内産業の保護に走るあまり、他国の権益を侵してばかりであるならば、国の威信に関る。

 ビースマックが粗悪品の件で事構える気になれば、商業国のインダミトはたちまち経済が麻痺してしまう。

 

 現在ベルテロイ駐在のパシュースを通し各国に根回しを行っているが、商品名の裏付けに例えば王の印などが必要になるとなれば少しはマシになるだろう。

 もちろん印の偽造や、そのための賄賂といった抜け道はあるので、方法を詰める必要はある。

 

「うむ、それで充分。大儀であった。下がってよいぞ」

 そう言ってバイアブランカは、玉座を立った。

 アービィは、呆気に取られていた。

 まさか、こんな簡単にことが済むとは思っていなかったからだ。

 

 伯爵から大丈夫だとは言われていたが、ひと悶着あると覚悟していただけに、王のあっさりとした行いに肩透かしを喰わされた感じだった。

 もっとも、この程度で済ますなら、呼び出すこともないんじゃない、と思ってしまっていたが。

 

「では、領に戻るとしようか」

 レヴァイストルは、王が自重したことに安堵の溜息を漏らしつつ、アービィたちに声を掛けた。

 伯爵自身、王がどう出るか読めていない部分もあったのだ。

 

 再度5日の行程でボルビデュス領に戻った夜、アービィは料理人たちの許可を貰って厨房を使っていた。

 作業台を前に、彼は夢の記憶を手繰っていた。

 

 先日作った餡子はすっかり定番となり、毎日作られているようだ。

 夜警の私兵たちの夜食用に、大き目のボウルに一杯作り置きがあった。

 

 料理人に断って、餡子を半分ほど使わせてもらうことにする。

 サツマイモに似た芋を細かく刻んで煮る間に、餡を水で延ばし練る。

 

 寒天があれば言うことなしだが、海から離れたこの地方では手に入らないので、代用のゼラチンをぬるま湯でふやかした。

 二等分したゼラチンと練り伸ばした餡を合わせ、よく混ぜてから四角いバットに入れておく。

 

 煮えた芋を滑らかになるまで潰し、弱火に掛けて水で延ばし砂糖と少量の塩で甘みを調整する。

 砂糖が溶けたところで火から下ろし、残りのゼラチンを混ぜ合わせ、こちらもバットに入れた。

 『凍結』で作り出した氷を入れた大き目の箱に両方のバットを箱に入れ、周りを毛布で包んで冷蔵庫代わりにして冷やしておいた。

 

 翌朝、朝食の後にアービィは、ルティを厨房に連れて行った。

 

「これさ、初めて作ってみたんだけど。確か、今日ってルティの誕生日だよね。本当だったら、デコレーションしたケーキなんかがいいんだろうけどさ、それは本職には勝てないから」

 冷やしておいた羊羹を切り、ルティに差し出した。

 

 フォーミットの村を出てからいつの間にか一年が過ぎ、二人は19歳になっていた。

 アービィは生まれた日が分らないので、便宜上ルティと同じ日にしている。

 

「……覚えていて、くれたんだ……?」

 ようやく、それだけ言葉にしたルティ。

 あまりにも慌しい日々の中で、自分ですら忘れていた。

 

「嬉しいよ、アービィ。ありがとう……あれ、なんか目から汗が……なんでだろう、ね」

 素直に嬉しかった。

 豪華にケーキを飾ったわけでもなければ、輝く宝石をプレゼントされたわけでもない。

 

 この世界では初めて見る菓子だが、決して派手な見かけではない。

 だが、それはアービィが一所懸命、王都から帰って休みもせず作ってくれたものだ。

 ルティには、この上もなく大切なものに思えていた。

 

「あと一日ずれてたら、野営地だもんね~。よかったよ、それだったら何もできなかったも――」

 脳天気にアービィが言ったが、ルティはその言葉が終わらないうちにアービィの胸に飛び込んでいた。

 

「えっ? あ? いや、ごめん、ケーキの方が良かった?」

 突然のルティの行動に、失敗したかと勘違いするアービィ。

 

「……違うよ……嬉しかったの……アービィが一所懸命作ってくれたんでしょ? どんなものでも、それが一番嬉しいんだよ」

 女の子にそこまで言わせるな、ぼけ狼。と、これはアービィに聞こえないように呟く。

 厨房を覗き込むティア、メディ、レイ、セラス、伯爵、ファティインディや使用人たち全員が、『ぼけ狼』を除く同じことを呟いていた。

 

「お父様、あのお菓子はいつ食べられるんですの?」

 

「そうだ、そこで一気に口づけをっ」

 茶々を入れようとしたセラスと伯爵がファティインディに締め上げられる光景は、落ち着きを取り戻したルティが、まずは一人で堪能した羊羹を全員に持っていくまで続いていた。



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第43話

 「ランキー、今度は何を作る気だい?」

 兵たちを指揮するランケオラータに、声を掛ける者がいた。

 

「ああ、ルムか。いや、水くらい、自由に飲ませて欲しいもんだと思ってね」

 彼を捕虜にすることになった、見事な集団戦の運用を見せた男に答える。

 

「楽しみにしているよ。上手くいったら、集落用にも作ってもらうからな」

 

「俺たちで試すのかい?」

 

「何のための捕虜だよ」

 険悪な雰囲気など微塵も感じられない、古くからの友同士のように言葉の応酬を交わす。

 

 北の大陸で人が生きていくうえでの障害は多いが、飲料水の確保も重大な問題だった。

 河川は多いが、そのほとんどがコーヒー牛乳のように濁った泥混じりの水か、泥炭層を染み通ったpHが異様に低い、所謂ブラックウオーターと呼ばれる焦げ茶色の強酸性水かのどちらかだった。

 

 当然そのまま飲めば腹を下し、即、命に関わってくる。

 泥水であれば浮遊するシルトの沈殿を待ち、その後に煮沸すれば飲用にできるが、pHについては緩衝材を用いなければどうしようもない。

 

 それでもシルトが沈みきるまでには、一月近い時間を要していた。

 そして、沈殿させた後にはシルトが舞い上がらないように、水の取り扱いには細心の注意を要している。

 

 さらに冬季には、これらの水は凍結してしまうため、雪を溶かすしか飲み水を確保する方法がない。

 秋には、雪が降るまでの飲料水を確保するため、水を各戸にある貯水槽に運ぶことも、捕虜たちの重要な仕事だった。

 

 雪を解かした水は、雪の核になった埃が大量に含まれるが、泥水よりは遙かにマシだ。

 冬は、水を造らなければならず、このために燃料の消費も増えてしまうが、比較的清浄な水を飲める唯一の季節だった。

 

 それでも一冬の間には、雪を溶かし続けた瓶の中にそれなりの埃が溜まっている。

 雪解け近い時期からは、埃を舞い上がらせないように、水を掬わなくてはならなかった。

 

 ランケオラータは、まず泥水を処理する方法から着手した。

 水漏れしないようにがっちりと組んだ木箱の中を8:2の二槽に分け、仕切板の最下部にはスリットを設ける。

 広い方にはスリットより少し高い深さに多孔板の簀の子を入れ、その上にはガーゼのような布を敷いた。

 

 良く洗った小指の先程度の小石を敷き詰め、その上に粒径1~3mm程度の小砂利を厚く敷いた。

 水を投入する際に小砂利が舞い上がらないように、想定した水面より少し上げた位置に多孔板を蓋のように固定する。

 

 濾過された水が溢れ出すように狭い方の上部に穴を開け、樋を水受け槽に流れるように設置した。

 濾過槽の底には穴を開け、濾材を通過して沈殿した泥を排出できるようにして、栓を打ち込んでおく。

 

 わざと泥を混ぜた水で試してみるが、大量に流し込んでも泥を含む濁った水が出ることはなかった。

 排砂孔も正常に機能したため、試作品は捕虜用として、各戸用の濾過槽を量産することにする。

 

 ブラックウオーターは農業用水に利用することが多く、そのため農地はすぐ酸土化していた。

 作物の傾向からブラックウオーターの水質を推測したランケオラータは、土壌改良に灰や炭を使うことから緩衝材として炭が使えるのではないかと推測する。

 

 そしてブラックウオーターを飲料水化するための濾過槽には、針葉樹炭を濾過槽に合わせて整形した物をはめ込んでみた。

 こちらは現在水を運ぶことができないため、春になったら試用することにした。

 

 もし、これが上手く運用できれば、肥沃な泥を含んだ水を農業用水に、pHを調整したブラックウオーターを飲料水に転用することができる。

 

「俺たちは、今まで食料の奪い合いしかしてこなかったから、何も知らないんだな。お前たちは、無から有を作り出す妖術使いみたいだよ」

 ルムはそう言って笑った。

 

「俺はその分戦には役に立たないからな。お前、ウチの領にニ、三年くらい来ないか? いろいろ教えてやるぜ」

 ランケオラータも笑う。

 彼は、既に帰郷後の北との交易を考え始めていた。

 

 

 ささやかな誕生祝いをプレゼントしたあと、アービィたちは慌ただしくストラーへの旅の準備を始めた。

 雪解けを期して地峡を越えるためには、遅くても五十日以内にストラーからボルビデュスに戻らなければならない。

 

 ストラーから直接ラシアスを抜け、地峡を目指すルートもあるが、そうするとノタータスを連れて行かなければならなくなる。

 地峡を越えた後の旅がどうなるか分からないので、ノタータスを連れて行くのは気が引けていた。

 

 南大陸より魔獣が多いと言われている北の大地では、ノタータスの鋭い索敵能力は魅力だが、生きて帰れる保証がないためボルビデュスに置いていくつもりだった。

 ベルテロイからは駅馬車もあるし、ストラーとの往復の間に少しでも乗馬に慣れる機会があれば、アービィが獣化すれば行程を縮めることも可能だという判断だった。

 

 

 伯爵たちに見送られてボルビデュスを発ち、ベルテロイからストラー街道に入る。

 ベルテロイから半日の行程で、ストラーの玄関口キャスシュヴェルに到着した。

 

 アービィはこの国に来るに当たって、密かに楽しみにしていたことがある。

 農業大国であり、酪農も盛んで、ラシアスほどではないが漁業も発展しているストラーは、他の三ヶ国に比べ食文化も発達していると聞いていた。

 

 ボルビデュスに滞在中、自分の料理や菓子が喜んでもらえたことで、ルティとどこかに腰を据えた後は、料理を生業としてみたいと漠然と考えていた。

 ティアやメディも一緒にいられたら最高だが、彼女たちには彼女たちなりの生き方がある。

 

 無理に引き留めることはできないが、食堂なり酒場なりの経営が上手くいけば、彼女たちの職も用意できるのではないか。

 アービィはそんな考えを、ルティだけには話してあった。

 

 ルティは、二人で腰を落ち着けた後のことは漠然としか考えていなかった。

 ティアは楽しそうだからついて行くと言って今まで一緒に旅をしてきたが、いつ離れていくかは彼女次第だ、と思っている。

 

 以前ティアの心が不安定になったときに、自分たちが死んだ後も子孫が一緒にいると言ったが、無理矢理引き留めておくことはティアの生き方を縛ることになるだけだと気付いていた。

 メディはギーセンハイムに石化した状態で恋人が待っているから、ランケオラータを救出したらそこへ帰るのだろう。

 

 彼女を養子に迎えてくれるという夫妻も、その帰りを待っているはずだ。

 それを無理矢理引き留めることは、やはりできないとルティは考えていた。

 

 

 アービィは、この国で将来に役立つことがあれば、積極的に学ぶつもりでいる。

 そのためにも、ラシアスであったような厄介ごとがなければいいと、切に願っていた。

 

 そんなアービィの願いは、キャスシュヴェルでの最初の夜に、あっさりと崩されてしまう。

 この辺り一帯を治めるオトファ・パラキープ・ニリピニ辺境伯が、彼らの到着を関所から知らされるや否や、屋敷に招待したいと宿に馬車を差し回してきた。

 

 顔も見せずに招待を断ったとあっては、いくらなんでも無礼が過ぎる。

 相手の面子を潰して後々敵に回しても面倒なので、とりあえず行ってみるしかなかった。

 

「私はさ、なんか面倒なことになりそうだから、宿に残ってるよ。どうも貴族って性に合わない人が多くて、ね。みんなボルビデュス伯みたいならいいんだけど」

 メディが別行動を申し出る。

 

 エーンベアで登城した際、バイアブランカ王や主要閣僚といったそれなりの人物であればどうということはなかったのだが、中級以下の貴族たちから向けられる好奇の目や、偏見、蔑みの視線は、やはり気持ちのいいものではなかった。

 今回招待してきた辺境伯もそうだと決めつけているわけではないが、どうしても後込みしてしまう。

 

 彼らを送り出した後、メディは一人ごちた。

 これじゃ私を偏見の目で見てる連中と変わらないわね……

 

 

「よくぞ、我が招待に応じてくれましたな、勇者殿。ま、ごゆるりとお寛ぎになられるがいい。じきに食事の支度も整いましょう」

 肥満体の男がアービィたちを出迎えた。

 

 しかし、その表情には焦燥感が漂っている。

 それさえなければ、領民にさぞ愛されるであろう、人の良さが伺える風貌だ。

 

 ここまで馬車の中から見た整った町の風景は、彼が善くこの町を治めている証だろう。

 それでも人々の表情は冴えない。

 

 それは決して重税に喘ぐような、長期に亘って苦しめられた表情ではなかった。

 信じていた取引先に突然裏切られ、心ならずも家屋敷を手放さなければならなくなった商人のような顔だ。

 

「そういえば、お連れの方は、もう一方いらしたはずだか?」

 三人を見渡し、腑に落ちないという顔でニリピニ辺境伯が聞いた。

 

「はい、少々体調が優れないといって、宿で休んでいます」

 よく調べている、とアービィは思いつつ、答える。

 

「さようか。お体にはお気をつけられよ、とお伝えいただきたい。この領内で偏見や差別の目で見るような不埒な者は、私が許しませんからな。ご安心いただきたいものです」

 なんとなく理由に気付いたニリピニ辺境伯は、それでもこの領以外のことは保証できませんが、と付け加えた。

 

「お心遣い、ありがとうございます。ところで、僕たちをここへ呼んだ理由を伺いたいのですが?」

 既に勇者殿と呼ばれることには、アービィは諦めていた。

 いちいち違いますと言っても相手は聞いてくれないし、面倒になってきていたのだった。

 

「実は、この街から南に一日の行程に古い塔があり、観光の名所にもなっています。この町はストラーの玄関口ということで、通行税や関税で潤っていますが、それだけでは他国から来る方々に恥ずかしくない町並みを整備するには足りません。そこで、その塔を物見の塔として整備していましてな」

 ニリピニ辺境伯は説明を始めた。

 

 アマニュークと呼ばれるその塔は、今から500年前の戦乱の時代にその場所にあった砦の一部で、ストラーとインダミトの境界を決める戦いの最前線だった。

 現在の国境から一日の行程にあるこの塔は、ストラーがインダミトの外圧を跳ね返した証として、ストラー国民の自尊心を満たす役割を果たしていた。

 

 ニリピニ辺境伯領は、代々ベルテロイから来る旅人や商人の通行税、物流に掛ける関税でストラー国内でも有数の税収を上げていたが、見栄も手伝ってかより良い町並みを作るため、常に税金を投入してインフラの整備に努めていた。

 おかげで民の暮らしも便利さでは何不自由ないレベルまで到達していたが、不必要とも思える町の工事のため、税の重さが徐々に暮らしを圧迫するようになってくる。

 

 民の不満が高まってきたと感じた当代領主のオトファは、アマニュークの砦を物見の塔として整備し、そこを観光名所にすることにより、税の負担を減らすことに成功していた。

 これにより、新たな雇用も創生することに成功し、民の不満もそらせたと思っていた矢先、この塔に困った問題が起きてしまった。

 

 元はといえば戦乱の跡地であり、多数の戦死者が出た場所だった。

 そこを慰霊もせずに、多くの人々が物珍しさでやってきては、塔に落書きをしたり、壁を破壊しそれを来訪の記念に持ち帰るようになってきた。

 

 冥界の死者たちが静かに眠るための慰霊碑が、そうとは知らずに壊されたときに破局が訪れた。

 慰霊碑が抑えていた冥界との通り道が開放され、過去の英霊の怒りと、それに触発された悪霊が噴出してしまったのだ。

 

 塔の中は英霊と悪霊の戦いの場となり、見物客が巻き添えを食って殺される事件が頻発する。

 当初は、惨殺死体が発見され、破落戸の仕業とされ犯人の捜索が行われた。

 

 しかし、一向に犯人が捕まらないまま被害者が増えていくに従い、塔の見物客は潮が引くように減ってしまった。

 事態を憂慮したニリピニ辺境伯は、私兵を投入し塔内の捜索を行ったが、その最中に私兵が悪霊に英霊と間違われ襲われたことで原因が判明した。

 

 スキルウェテリー卿の協力を仰いで悪霊払いを行ったが、英霊のみが除霊されてしまい、塔は完全に悪霊の巣窟と化してしまったのだった。

 悪霊の霊力が強く数も多いため、マ教が送り込む除霊師や悪魔祓いは、ことごとく敗退していた。

 

 このままでは、キャスシュヴェルの町そのものが廃れてしまうという危機感に、町全体が暗い雰囲気に包まれるようになってしまっていた。

 ギルドには常に討伐依頼を出しているのだが、当初返り討ちに遭うパーティが続出し、今では誰も依頼を受けようとしなくなっていた。

 

 そこへ、アービィたちが現れたというわけだ。

 ニリピニ辺境伯も、アービィたちを取り込みたいという意思はあったが、それは権力のためにではなく、ひとえに悪霊を討伐したいという意志の現れであった。

 

 長い説明と食事が終わり、辺境伯は深い溜息をついた。

 勇者殿たちは招待の馬車が差し向けられたとき、ラシアスでの一件を思い出し、断るかもしれないとニリピニ辺境伯は危惧していた。

 

 それが、とりあえず屋敷に招待するまでは成功している。

 あとは、如何にしてこの依頼を受けてもらえるかだが、彼には王を接待するときと同じ方法と、あとひとつくらいしか思いつかなかった。

 

 彼が取った方法は、山海の珍味を取り揃え、ストラー自慢の美酒を並べ、そこに多額の報奨金を併せて依頼するというものだった。

 それで断られたら、彼は切り札を切るつもりでいる。

 

 

 アービィたちは、しばらく難しい顔をして考え込んでいた。

 できれば厄介事は背負い込みたくない。正直そう思う。

 

 とは言ったものの、このまま逃げ出すのも癪に障るし、見捨てるのは寝覚めが悪い。

 しかし、魔獣や人相手であればぶん殴れば済むのだが、悪霊相手で物理攻撃が効くのかが不安だ。

 

 とりあえず、考えさせて欲しいと言ったが、ニリピニ辺境伯にしてみれば最後の望みの綱だったので、首を縦に振るまでは解放しようとしない雰囲気だった。

 熱意に負けたアービィがついに依頼を承諾すると、ニリピニ辺境伯はようやく肩の荷が下りたという表情を見せた。

 

 ニリピニ辺境伯は、夜も遅いからと盛んに泊まっていくことを勧めたが、連れの様子も心配ですので、と辞退して宿に戻る。

 メディは退屈だったのだろう、部屋で既に飲み始め、できあがりかけていた。

 

「で~、あたしが行かなくて~、よかったかなぁ~?」

 特に嫌味というわけではなく、心配そうにメディが聞く。

 

「そんなことなかったわ。宿の人も、別になんか言ったりしてきたわけじゃないでしょ?そういうことは嫌いみたいよ、ニリピニ辺境伯は」

 ティアが心配を解すように答えた。

 

「あ~、そ~なんだ~。じゃ~、却って悪いこと~、しちゃったぁ~?」

 メディはほっとしたような、しょんぼりとしたような感じだった。

 

「ところでさ、討伐の依頼を受けることになっちゃったんだけど、いいかな?」

 アービィが、申し訳なさそうに切り出した。

 

「い~んじゃな~い?ぱぁ~っと片付けて~、早く神殿行こ~よ~」

 その点に付いては、メディはあまり気にしていない。

 呪文の修練にいいんじゃない、くらいに考えているようだ。

 

「じゃあ、正式に受ける、ということで。それでね……」

 アービィが事のあらましを説明する。

 

「う~ん、それって、今持ってる武器じゃ~難しいかもね~。教会で~、法儀式したくらいじゃ~、悪霊に傷は付けられないかも~」

 メディが指摘する。

 おそらく、悪魔祓いが敗退した理由はそこだ。

 

 マ教の法儀式では、人の心を害そうとする悪魔に効力は発揮しても、悪霊は力の根源が違うからか、あまり効果がないらしい。

 対悪魔であれば、マ教の祝福法儀式はもちろんのこと、アービィにも傷を付けられるような銀製の武器でも対抗が可能だが、悪霊には銀製の武器は効果がない。

 

 低位の悪霊や、悪霊と化してから時間が経っていなければ、まだ現世への執着心が強いため除霊により悪霊を解放することができる。

 しかし、高位の悪霊や時間を経た悪霊は、現世に留まりたいという執着より、相手は何でも構わないので傷付けたい、殺したいという悪意が力の根源であるため、除霊という行為では悪霊を解放できないということらしい。

 もちろん、通常の武器では全く効力がなく、例え切断しても元に戻ってしまうようだ。

 

 今までは、南大陸にはそれほど強力な悪霊が出なかったことや、悪霊が出ても時間が経つ前に対処できていたために問題になることはなかった。

 それが今回は悪霊の仕業と判明するまでに時間が掛かり、マ教では手に負えないレベルまでになってしまっていた。

 

 では、どうするか。

 メディが言うには、霊力の問題なので武器に精霊の加護があれば、悪霊は倒せるということだ。

 北の大地では南大陸と違う精霊の加護により、より強い霊力で悪霊の霊体を破壊することで倒している。

 悪魔には神、悪霊には精霊、ということらしい。

 

 南大陸の精霊にもその力は充分にあるということなので、風の神殿で精霊と契約する際に、手持ちの武器に法儀式を施してもらえば何とかなるのでは、とメディは呂律の回らない口調で説明した。

 地水火風全ての精霊による祝福法儀式済みの武器であれば、ほとんど全ての悪霊を簡単に破壊できるが、今から地水火の神殿に行っている時間はない。

 

 とにかく、風の祝福だけでも得られれば、それでも対抗可能だという。

 であるならば、明日にでも神殿のあるクシュナックへ出発する必要があるだろう。

 

 方針さえ決まれば、いまできることはひとつしかない。

 アービィは、既にできあがっていたルティを尻目に、ティアとグラスを合わせた。

 

 

 翌朝、宿を経ったアービィたちはニリピニ辺境伯の屋敷へと行き、メディが昨夜の非礼を詫びたうえでクシュナックで精霊と契約すると同時に、武器に祝福法儀式を施して貰うと説明した。

 手の施しようもないと絶望しかけていたニリピニ辺境伯は、たった一晩で解決策を提示して見せたアービィたちを感嘆の想いで見上げている。

 

「では、ニリピニ辺境伯、行ってまいります。できるだけ早く戻りますので、それまではやれる範囲で対策をお願いします」

 アービィはノタータスに一声掛け、馬車を走り出させた。

 

 ニリピニ辺境伯は、彼らの馬車を見送った後、私兵の中から精鋭を集めクシュナックへと送り出した。

 もちろん、彼らの武器に祝福法儀式を施してもらうためだ。

 

 さらに、度胸試しなどでやってくる莫迦者共を締め出すために、残した私兵の一部をアマニュークへ派遣し、無用の立ち入りを禁じた。

 彼は、決して無能な領主ではなかった。

 他の三ヶ国と国境を接する重要な地域を治めるだけあって、中央の高慢な貴族たちとは一線を画す人物だ。

 

 領民を守るためであれば、どんな手段でも取る。

 事の善悪は別にして、もし昨夜アービィが断る素振りを見せたなら、自らの娘であるイヴリーの身体ですら差し出す気でいた。

 

 イヴリーも、貴族の家の娘だ。

 当然その覚悟はあった。

 

 だが、アービィがその前に引き受けたことで、それも杞憂に終わった。

 もっとも、イヴリーが申し出たところで、アービィは自身の命がルティによって危機に晒されるため、全力で辞退しただろが。

 

 イヴリーは、執務室に篭り、領民のためにあらゆる策を講じる父に、心酔に近い感情を持っている。

 自分も父の、そして領民の役に立ちたい。

 

 今朝、父がアービィたちと交わした会話を、彼女は知らない。

 イヴリーは大広間に飾ってあった、純銀製の剣を手に取った。



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第44話

 クシュナックへ向かう馬車の中で、メディは盛大に落ち込んでいる。

 蔑まれ、差別され、偏見の目で見られることに慣れてはいたが、やはり気持ちのいいものではないし、諦めているといっても怒りがないわけでもなかった。

 

 そういう目で見られたときは、怒りを露わにすることはなかったが、その程度のことしかできない奴め、という『蔑み』の目で見返していた。

 結局、同じことをやり返しているだけだった。

 

 差別する奴には、そういう奴だという扱いを、つまり差別していた。

 偏見の眼差しを向けてくる奴が多い階層に属する者には、そのような見方をされる前から、どうせアイツは私のことをこう見ていると決めつける、つまり偏見があった。

 

 昨日もそうだった。

 ニリピニ辺境伯の招待に対して、人となりを知る前から貴族だからと、自分のことをどう見ているかを決めつけて、偏見の目で見て、蔑み、差別していた。

 自分がやられて一番悲しいと思うことを、無意識にやりかえしていたのだった。

 

 ニリピニ辺境伯にも下心がなかったとは言えないが、それは領民のことを思えばこそのことだ。

 ラシアスでの一件を知らぬ立場でもあるまいに、それでも勇者を抱き込もうとしたという後ろ指を指されることを覚悟したうえでの行動であるにも拘わらずだ。

 

 見栄があったとはいえ、私財をなげうって町を発展させ、守ろうとしている人を、そんな目で見ていた。

 民から集めた税金と言ってしまえばそれまでだが、税は貴族の私財だ。

 それを自らの贅のみに費やすのではなく、町のために、見栄であっても結果的には民のために費やしているノブレス・オブリージュを地で行く人物だった。

 

 ここにいる中で、いや今まで会ったことのある人たちを含め、自分が一番賎しい。

 メディは自分を、そこまで追いつめてしまっていた。

 

 頬を涙が、一筋伝う。

 それは、今まで堪えていた何かの糸が、切れた瞬間だった。

 

 涙が止まらなくなり、しゃくりあげ始める。

 止めようと思っても、止まらない。

 それどころか、呼吸の幅は狭くなる一方だった。

 

 次第に声が漏れ始め、何時しかメディは号泣していた。

 アービィたちがメディの豹変に気付いて心配しているのは解るのだが、涙も声も止められなくなっている。

 馬車を曳くノタータスまで、何事かと後ろを振り返り、立ち止まってしまった。

 

 正に号泣だった。

 化け物にされたときでも、自分をこの姿に変えたことを悔いた恋敵が、自ら命を絶ったときでも、その両親と和解したときでも、こんなにも号泣はしていない。

 

 情けなかった。

 悔しかった。

 悲しかった。

 ネガティブな感情が、全て自分を指さして嘲笑しているようだった。

 

 アービィは、人狼が人からどう見られているか知っている。

 それ故に正体を隠している。

 灰色の髪も瞳も少ないとはいえ、差別や偏見の対象ではなかった。

 

 ティアは、ラミアが人からどう見られているか知っている。

 それ故に正体を隠している。

 銀の髪も、今変化している栗色の瞳も、髪の色こそ少ないとはいえ、差別や偏見の対象ではなかった。

 

 だが、メディは差別や偏見、蔑みの対象の目印である髪の色も、瞳の色も変えることはできない。

 ラミアのティアラの力のお陰で、蛇たちが温和しくしているだけだ。

 

 アービィにも、ティアにも、メディに軽々しく掛ける言葉はなかった。

 ただ、何も言わず見ているしかなかった。

 

 ルティにしてみれば、何を言っても傲慢にしかならない。

 差別も蔑まれることもなく、偏見を持たれることもない、極普通の立場。

 

 確かに貴族からは、平民ずれがと差別されることはある。

 どうせ平民、と偏見を持たれることもある。

 

 だから平民、と蔑まれることがある。

 だが、それは別世界の者がどこか遠くで言っていることであり、メディのように毎日指さされて言われることではなかった。

 

 誰もが言葉もなく、どうしていいか解らなかった。

 ただ、泣き崩れるメディの髪を、優しくそれぞれが撫でるしか、できることはなかった。

 

 

 その状況を、ただの一瞬で変えた者がいた。

 ノタータスは極度の緊張のあまり、以前ゲイズハウンドの襲撃を受けた時と同様、立ったまま失神していた。

 足下に水溜まりができる盛大な音が、再度彼の精神状態を雄弁に語っていた。

 

 「あ……」

 馬車が進んでいないことと、盛大な水音にメディが気付き、声を上げる。

 

 「え?」

 他の三人もそれに気付き、間抜けな声を上げた。

 

 慌てて馬車を飛び出し、アービィが渾身の力でノタータスが崩れ落ちないように、首の下に潜り込んでその身体を支えた。

 メディは白目を剥きかけた鼻面を、優しく撫でている。

 ルティとティアは、クリプトから教わった通り、絞った布でノタータスの身体を吹き始めていた。

 

 馬の身ながら、言語こそ解さないが、空気を読む能力ならば人を超えているノタータスは、優しくケアされていることに安心して目を開けた。

 だが、首の下から伝わった、アービィかうっかり解放した狼の気配に、彼の意識は再び深い闇の中へ沈んでいってしまった。

 

 

 「どーしよーかー?」

 直後に襲ってくるルティの折檻に怯えつつ、アービィはノタータスを抱えたまま、棒読みのように訊ねる。

 

 「気配を変えなさい」

 ルティはアービィを威しにかかる。

 

 「わかったよー」

 ルティの殺意が伝わったアービィは、今度は本気で棒読みになり、狼の気配を収める。

 ちょっと震えが入ったことは、御愛敬というものだろう。

 

 二人の芝居がかった雰囲気に小さく笑ったメディは、ようやく涙が止まったことに安堵していた。

 三人ともメディに泣いた訳など聞かず、ノタータスの復旧を待って馬車を走らせ始めた。

 

 

 クシュナックは、キャスシュヴェルから馬車で五日の距離だ。

 一日目に泊まった宿で近道がないか訊ねてみたが、途中かなりの危険を冒して間道を抜けても一日分しか稼げないと言われてしまった。

 

 街灯などないこの時代、夜を徹して走るなどできるはずもない。

 ノタータスの疲労も考えると、あまり無理もできないだろう。

 

 ゲイズハウンドに襲われたときのこと考えるに、間道を抜けるのは彼の精神のためにも止めた方がいい。

 アービィの獣化も、同じ理由から厳禁だ。

 

 結局、二日目以降は宿を取らず、日の出から日没まで走れるように野営することに決めた。

 宿に頼んで、翌日の朝食をレーション程度でいいので夜のうちに作ってもらい、宿泊費も夜のうちに清算することにした。

 

 翌朝は日の出前に起きだして、黎明のうちに宿を発ち、クシュナックまでの街道をひた走った。

 途中の集落でレーションと飼い葉を買い足し、水場を見つける毎にノタータスに休息を取らせつつ、道を急ぐ。

 

 幸い、街道沿いで魔獣の襲撃に遭うこともなく、四日目の昼過ぎにクシュナックに到着した。

 すぐに神殿に行き、それぞれは精霊と契約を済ませ、神官に祝福法儀式について相談する。

 

 祝福法儀式は一日掛かるため、明日にならなければできないこと、お布施が少々高くつくとのことだ。

 祝福法儀式は数人の神官が掛かりきりになるうえ、精神力をかなり削られてしまい、数日寝込むような事態になるため、その間の補償という形で、武器や防具一つに付き銀貨五枚のお布施を要求しているらしい。

 

 何があるか分からないので、手持ちの武器と防具全てに祝福法儀式を受けることにした。

 防具に関して神官と相談すると、例えばルティやティアのようにチェーンメイルと軽鎧を併用するなら、どちらか身体を覆うパーツが多い方だけ法儀式をすれば良く、アービィのようなブレストプレートと篭手となるならば各個にする必要があるとのことだ。

 

 それぞれが必要と思われた防具と、アービィの二振りの短刀、ルティの剣、ティアの弓矢と小太刀、メディの剣、そして汎用性の広い共用のダガーを神官に預ける。

 全ての分で金貨一枚を併せて渡す。

 

 メディの剣は、ルティがマグシュテットに行くまで使っていたものだ。

 幼い頃から身の回りに武具が当たり前にある環境で育ったメディは、剣であれば形になる程度に扱うことができた。

 

 翌日の夕方、祝福法儀礼済みの武器防具を神官から受け取る。

 見た目の変化は全くなく、預ける前と使い心地が変わったわけではない。

 

 それでも刀身が放つ光は、どことなく輝きを増したようにも感じられ、生まれ変わったような印象を受けた。

 その際に、ルティはひとつ気がかりなことを、神官に訊ねた。

 

「これで悪霊たちに、対抗できることは解りました。ただ、慰霊碑が壊されたままでは、今いる悪霊を倒しても次々に出てくるだけじゃないですか? どうすれば、それを止めることができますか?」

 未来永劫に渡って、自分たちが悪霊と戦い続けるわけにはいかない。

 慰霊碑がどれほど壊されているか解らないが、壊される前は封印の役割を果たしていたのだから、これに代わるものか修繕が必要だろう。

 

「そのことに付きましては、我々からも相談させていただこうと思っておりました」

 四人は神官の話を聞く。

 

 慰霊碑自体に悪霊を鎮める力を持たせるには、数カ月掛かりの祝福法儀式を施した石材が必要となる。

 金属や木材では長い年月の間に腐敗し、効力がはがれ落ちてしまう可能性が高いからだ。

 今回のようなことがあっても、簡単に悪霊が吹き出してしまわないように、アマニュークの砦自体に法儀式を施す必要があると、風の神官たちは考えていた。

 

 まず、高位の神官とアービィたちが砦に突入し、立ち塞がる悪霊たちを討ち鎮めながら壊された慰霊碑まで行き神官が仮の封印を施し、その間無防備になってしまう神官をアービィたちが護衛する。

 仮の封印が完了し、新たに悪霊が現出できない状況を作り出し、砦内をさまよう霊たちを滅し去る。

 その後、地水火の神殿からも神官を派遣し、砦全体の法儀式と新たな慰霊碑の法儀式を同時進行で行う。

 

 以後砦は立ち入り禁止にしていただきたいところですが、そうもいきますまい。

 そのためには、最低でもこれくらいの処置が必要です。

 明日までに、あなた方と同行する者を選んでおきます、と神官は締め括った。

 

 

 神殿を出ると外はすっかり陽も落ち、街は夕食を選ぶ家族連れや、一日の労働を終えひとときの憂さ晴らしのため酒場や娼館を探す者たち、それらを呼び込む商店の主や酒場女、娼婦たちの声が交錯している。

 四人は肩を並べ屋台を覗いたり、さまざまな商店を冷やかしながら、街の風景に溶け込んでいた。

 

 すれ違うどの表情も、不幸を感じさせるものは少なかった。

 それを眺めながら、案外と幸せって簡単なことなのかな、とアービィは考えていた。

 

 ルティの両親に拾われてすぐの頃、村の教会の神父から聞かされた昔話は、貧しかった人々が王族になったり、貴族になったり、ドラゴンを退治してたくさんの宝物を手に入れたりしたあと、「そして主人公は幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」いう話が多かった。

 間接的に幸せにとは、贅沢な暮らしができるようになることを示唆するものがほとんどだった。

 

 確かに村の暮らしは裕福ではなかったが、貧困に喘ぐということはなかった。

 昔話のような豪奢な暮らしを幸せというのなら、あの村は不幸だったのか。

 

 そんなことはないとアービィは思っている。

 ルティと一緒にいられる、それだけだって幸せだ。

 

 お金が全くなければ、それは確実に不幸だ。

 だが、豪奢な暮らしができるということだけが、幸せということなのだろうか。

 

 あるに越したことはないが、あれば良いというものではないだろう。

 もし、使い切れないほどの財産を手にしても、ルティがいなかったら少しも幸せを感じられないと思う。

 

 この街には差し迫った危機は、今のところない。

 もちろん、街を出れば魔獣がうろつき、野盗が獲物を狙っている。

 

 不幸にして命を落す者や財産を奪われる者もいるのだが、それでも街をゆく人々は幸せそうな表情を見せている。

 キャスシュヴェルの町にも、アマニュークの災いが起きるまでは、こんな顔が溢れていたのだろう。

 アービィは、将来のことと併せて、そんなことも漠然と考えていた。

 

 

 翌朝、神殿前で同行する神官と合流する。

 その神官はエンドラーズと名乗る、仏頂面で不機嫌さを振り撒く男だった。

 

 挨拶こそすれ、自分からは一言も話しかけてこない。

 馬車の中でも目を閉じたまま、腕を組んで座っているだけだ。

 

 途中水場を探しての食事の際も、持参したレーションを水で流し込むように胃に納めると、すぐに馬車に戻って目を閉じてしまう。

 場を持たせられなくなったアービィたちも、つられるように黙り込んでしまった。

 

 かと言って、行程を急ぐために休息が少ないことや、馬車の乗り心地、宿を取らないことについて抗議するわけでもない。

 聞いたことには最低限だが答えるし、嫌々という感じは漂うが拒絶する感じではない。

 

 どうやら極度の無口で、人付き合いが苦手なだけなのだろうと考えることにした。

 それが解ってしまえば、こちらからも最低限の干渉だけに留めたほうが、お互いの精神衛生上好ましいとアービィたちは判断した。

 

 息が詰まるような二日間と、密度の濃い空気が馬車の中を占拠しているような二日間を過ごし、キャスシュヴェルに到着した。

 その足でニリピニ辺境伯の屋敷へ行くと、あからさまに雰囲気がおかしくなっている。

 

 領主が迂闊な行動を取るべきではないと考えるニリピニ辺境伯は、執務室に篭って指示を出したり報告を受けたりしているが、今にも執務室を飛び出しかねない焦りを纏わり付けている。

 報告に訪れ、指示を受けて行動を起こす私兵たちは、辺境伯の焦りが乗り移ったかのように、屋敷を飛び出して行った。

 

 アービィたちの姿を認めると、僅かに落ち着きを取り戻した辺境伯は、侍女に茶の用意を命じ、アービィたちを執務室に招きいれた。

 再開の挨拶もそこそこに、アービィが神殿からの対処法を伝え、エンドラーズを紹介する。

 

 当面の対処法の説明が終わると、次は辺境伯が現状の説明に入った。

 アービィたちが不在の間に、かなり由々しき事態が発生してしまったとのことだ。

 

 辺境伯が私兵を派遣し、度胸試しに集まる莫迦者共を締め出しに掛かる直前に、町の破落戸の一団が砦をねぐら代わりにしようと入り込んでいた。

 観光客の足も遠退き、官憲も手出しできない危険域は、彼らにとって隠れ家にするには好都合に思えたのだろう。

 

 私兵が到着し、砦の周囲に警戒線を張っている間に中から悲鳴が上がり、二人の破落戸が飛び出してきた。

 中にまだ仲間が、と破落戸が怯えと狂乱の中で叫び、意を決した兵が突入した時点で更なる悲劇が起きてしまった。

 

 彼らが砦に侵入したのは、アービィたちがクシュナックに出立する前日のことだった。

 破落戸はいくつかのグループに別れ、砦の中を『探検』していた。

 

 最初に悪霊に襲われたグループ五人は、わずか数秒の間に全員が声を上げる間もなく殺された。

 以前は人目もあり、死体をすぐに回収できていたのだが、現在砦の中にいるのは破落戸だけで、それぞれは隠れているだけだと思っていた。

 

 その状態で数日が過ぎ、悪霊が取り付いた破落戸の死体はグールと化す。

 グールは肉体が腐敗し続けるが、内側は既に悪霊だ。

 

 腐敗が進み、肉体が維持できなくなると、再度悪霊として現世に留まる。

 グールに殺された者は、即グールと化し、更なる被害者を求めて彷徨い歩くのだ。

 

 悪いことにグールはある程度生者だったときの記憶を引き摺っているため、仲間だった破落戸が逃げようとするルートで待ち伏せるという悪虐な方法で自らの仲間を増やしていた。

 八日の間に最後の一グループ六人を残し、入り込んだ破落戸全てがグールと化し、辺境伯の私兵が砦を囲んだときに、そのうち逃げ切れた二人が飛び出してきたのだった。

 

 慌てて救出のため突入した私兵に、たった今グールに変化した四人と他のグールが襲いかかり、瞬く間にグールが増えていく。

 命辛々脱出した兵がなんとか砦の門を閉め、グールが外に出ることを防いだ。

 

 それまでは観光客や破落戸という獲物がいたため外に出ようとはしなかった悪霊だが、たった今逃した獲物を追うグールにつられ、共に砦から出ようとしていた。

 決死の思いで兵が門に閂を掛けて周り、今のところ外部への侵出は食い止めているが、いつそれが破られるか甚だ心許ない状況になっている。

 

 

 一刻を争う事態になっていると判断したエンドラーズは、明日を待たずに現地へ向かうと言った。

 馬車の中で見せていた無愛想、不機嫌といった雰囲気が一変し、心の底から楽しそうな生き生きとした表情になっている。

 

「さぁ、いきましょう!! 私のことはご心配なく。精霊の加護を受けた私に、悪霊如きが私に傷ひとつ付けられるものではありません」

 エンドラーズは持参した荷物から、聖水と仮封印用の法儀式済み銀箔、法儀式済み聖剣を引きずり出し、身体に括りつける。

 そんな嬉しそうにしなくても、という表情のアービィたちも手早く準備を整え、アマニュークへと出立していった。

 

 アマニュークへ向かう馬車の中では、別人かと思うほど饒舌になったエンドラーズが、作戦の詳細を説明する。

 詳細といっても、難しいことは何一つ言っていない。

 

 私兵が持つ武器に聖水を掛けて簡易の法儀式を済ませ、万が一外部に侵出した悪霊に対処できるようにしてから、門を一つだけ開けアービィたちが突入する。

 まずは、壊された慰霊碑を目指し、それに仮封印を施した後、心置きなく悪霊とグールを殲滅する。

 

「精霊が愛するこの世界を侵す者共を、私が許しておけるはずがございません。アマニュークを以って、奴らの墓標としてくれましょうぞ」

 うきうきとした口調でエンドラーズはそう説明した。

 

「楽し……そうですね、エンドラーズさん」

 ルティは圧倒されている。

 これから死地へ向かうというのに、まるで鴨射ちにでも行くような気楽さだ。

 

「当たり前ではございませんか。何憚ることなく、悪霊共を滅することができるのですぞ。これを愉しいと言わず、なんと申しましょうか。ここまでの道中、逸る心を抑えるのにどれほど苦労したことか」

 何のことはない、キャスシュヴェルまでの道中は不機嫌だったのではなく、無理矢理感情を抑えていただけだったのだ。

 

「でも、その楽しそうな雰囲気は、悪霊と戦えるだけ、というわけではなさそうですね?」

 メディが、何か気になるという感じで問いかけた。

 

「お分かりですか? マ教の無能共が失敗したのですぞ、これは痛快。だいたいき奴らは、どちらが先か良く考えて欲しい。精霊あってのマ教ということに、いつまでたっても気付かない無礼者共です」

 エンドラーズは、今度は吐き捨てるように言う。

 

 南大陸で精霊信仰の発生が先だったのか、マ教の成立が先だったのかは判然としていない。

 ただ、大陸の中心にあった精霊神殿が、現在ではマ教の聖地となっている。

 

 このことに反感を抱く精霊神殿の神官は、意外と少なくない。

 精霊神殿が元はといえば一つのものを、四つに分けられてしまっていることも、かれらの反発を招いている。

 

 当初は四国家の思惑でマ教を中心に置き、互いに反意無しということを証明するために四大精霊を各国に分祀したのだった。 

 そのせいでマ教は力を持ち、精霊神殿は求心力を失っていった。

 

 マ教は唯一神マ・タヨーシが精霊を祝福したと喧伝し、精霊神殿は四大精霊がマ・タヨーシを祝福していると主張している。

 互いに相手を滅するという発想はなく表面上は共存を謳っているが、南大陸における信仰の主導権争いは水面下で火花を散らしていた。

 

 そのマ教がしくじったのだ。

 エンドラーズは、それが痛快だった。

 その様を見て、なんとなく似ている人を知っていると、アービィは感じていた。

 

 日没までの僅かな時間ではあるが、エンドラーズの気迫が乗り移ったのか、ノタータスがいつになく張り切って道を行く。

 完全に日が落ち、これ以上の行軍は無理と思ったそのとき、エンドラーズが馬車を出て御者台に登る。

 

「では、ご覧頂きましょう。我が精霊呪文の奥義」

 エンドラーズは手短に呪文を唱える。

 

 アービィには、その呪文が火のレベル3『猛炎』であることが分った。

 それを何故ここで、と訝しんでいると、エンドラーズは火球を掌に作り出し、上空へ投げ上げた。

 

 馬車の前方数mに落下すると見られた火球は、地表に激突することなく、そのまま馬車の前方を照らす明かりとなり滞空している。

 得意げな顔で振り向くエンドラーズと、恐怖に引き攣った顔で振り向くノタータス。

 

「ええい、何を怖気づいておるのか、馬っ!! あの火球が貴様に近寄ることはない。案ずることなく進めっ!!」

 エンドラーズが叱咤すると、そちらのほうが怖いのか、ノタータスはおっかなびっくり歩き始める。

  

 しかし、いくら歩いても火球に近寄る気配はなく、火球は進行方向に一定の距離を保ったまま、馬車を先導するように中空を進んでいた。

 ようやく安全と悟ったか、ノタータスの歩みが普通に戻ったところで、エンドラーズは満足そうに馬車に戻った。

 

「あれって、何なんです?」

 アービィが呆気に取られたまま聞いた。

 

「あれは、『猛炎』を利用したものです。通常『猛炎』に限らず、他の呪文も効果が続く時間は長くありません。ですが、精霊との交信が可能な我々は、通常の呪文に精霊への祈りを加えることで、あのように効果を操ることもできるのです」

 もちろん、無限ではありませんし、人により持続時間もまちまちですが、と付け加える。

 

 天を飾る星の角度が変わる頃、エンドラーズの『猛炎』の効果が切れた。

 再度呪文を使うのかと思ったが、さすがにこれ以上進むことは無理と判断したようだ。

 

「そろそろ野営と致しましょう。焦って明日に疲れを残しても困りますし、あの利口な馬をこれ以上走らせるのも忍びない。幸い、効果が切れる前に水場もあったようですので、そこまで戻りましょう」

 そう言って、それほど効果が長続きしない『火球』を唱え、道を引き返す。

 

 川の傍に野営地を張り、エンドラーズはレーションを胃に流し込むとすぐに横になり、気が付くと寝息を立てている。

 嵐のような男の行動に、アービィたちは畏怖と呆れを感じていた。

 

 

 ほぼ同時刻、ニリピニ辺境伯の屋敷で蠢く影があった。

 イヴリーは、父に気取られないように広間に飾った純銀製の剣を取り、一日の移動に必要な食料や回復薬等の準備をしている。

 

 もし、悪霊討伐に行くといっても父が許すはずがなく、かと言って屋敷で指を銜えて見ているのは嫌だった。

 イヴリーは武芸一般を貴族の嗜みとして修めてはいる。

 

 だが、それは道場剣法であり、実戦に役立つかといえば首を傾げざるを得ないものであった。

 一本取ればそれで終わりの試合と、相手が倒れて動かなくなるまで斬撃を振るい続けなければ、自らが打ち倒されてしまう死合とでは、身体の使い方から体力の配分、心構えまでまるで別物だ。

 

 イヴリーはそのことに気付いていない。

 御前試合等で、それなりの成績を修めている彼女は、己の剣技が実戦に通用すると思い込んでいた。

 僅かな照明に照らされ、鈍い光を放つ純銀の刀身に、イヴリーは魅入られている。

 

 

 陽が昇り始める前の黎明に、アービィたちは起き出して馬車を走らせていた。

 まさに日に夜を継ぐといった勢いで道を急いだため、陽が昇り切って暫くするとアマニュークの砦が見えてくる。

 

「さぁ、いよいよです。悪霊共をたった今抜けてきた夜の世界へ還してやりましょうぞ」

 エンドラーズは、全身から闘気を発散させている。

 

「そうですね、じゃ、一丁おっぱじめますか」

 アービィが、獣化しないように気遣いつつ、今現在出せる闘気を全開にした。

 一瞬エンドラーズの表情が驚愕のそれに変わり、次いでこれ以上楽しみなことはないといものに変化した。

 

「人とは思えない闘気。いや、これは楽しみです」

 エンドラーズは、高らかに笑い出す。

 

 今から気を張る必要はないのだが、相手を安心させる効果があるかと思い、アービィは闘気を発散させた。

 目的を達した今は、一度気を収め、精神を落ち着かせている。

 

 ルティは紙を切る修練の息遣いを、思い出していた。

 実体を持たない悪霊相手に、通常の斬撃が通用するとは思えない。

 

 どれほど刀身に気を込めることができるか、それが生死の分れ目だと思っている。

 ルティは頭の中で霊体を切り裂き続けている。

 

 ティアは、エンドラーズが封印の法儀式に掛かり切りになる間、悪霊やグールを遠距離で仕留め近寄らせないことを考えている。

 そのため矢を多めに買い込んで法儀式を済ませていた。

 

 メディは、法儀式の間はエンドラーズから離れず、最後の盾になるつもりだった。

 呪文の回数が多くないので、回復や治療はルティやティアの方が良い。

 少しでも二人が回復や治癒に徹することができるように、悪霊の気を引くつもりでもいる。

 

 

 日の出と同時にニリピニ辺境伯の屋敷から、一騎の馬が駆け出した。

 馬上には、イヴリーが軽鎧に身を固め、純銀製の剣を二本佩いている。

 

 全力で駆け抜ければ、アマニュークまでは昼過ぎには到着できるだろう。

 彼女は、途中の集落で馬を徴発するつもりだった。

 

 一分でも、一秒でも早くアマニュークに辿り着けるように。



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第45話

 「それでは、皆様よろしいか? 突入致しますぞ」

 もう待てないといった風に、エンドラーズが宣言する。

 

「じゃ、行きましょう」

 眦を決したルティが応え、兵に合図を送る。

 

 おそらく数体の悪霊かグールが、門が開いた隙に飛び出してくるだろう。

 アービィたちは、それに構わず突入する。

 

 襲いかかってくれば迎撃するが、外を目指すなら兵たちが待ち構えているので、そちらに任せばよい。

 既に兵たちの武装は、聖水による簡易な法儀式済みだ。

 

 数回の戦闘であれば、充分に耐えうるだけのものはある。

 万が一のために聖水を別容器に取り分け、外部警備の指揮官に預けてある。

 

 簡易法儀式ではどうしても対処できないほど凶悪な霊体やグールの場合には、直接聖水を掛ければ一撃で倒すことはできなくても、かなり弱体化することができるはずだ。

 そのうえで近接戦闘に持ち込めば、後れをとるような事態は避けられるだろう。

 

 そのために聖水の容器は、わざと割れやすいものを使用し、離れていても投げつけられるようにしている。

 唯一の不安は、ついさっきまで仲間だった者がグールと化し襲ってきた際に、それを滅し去ることに躊躇いを感じてしまわないかだけだ。

 

 一度グールにされた者を、元の姿に戻す方法はない。

 『死者』に悪霊が取り付いている者に、火の白魔法『解呪』や『全解』では効果は得られないからだ。

 速やかに滅し去ることこそが、なによりも死者のためというものだろう。

 

 

 三、二、一の掛け声と共に、アービィたちが門の隙間に滑り込む。

 十数体の悪霊やグールが門の隙間に殺到するが、アービィの剣がカウンターでそれらを斬り、爆散させる。

 

 アービィを掻い潜った悪霊も、続いて襲ってくるルティとメディの剣やティアの小太刀、エンドラーズの剣が逃さない。

 僅かに二体の悪霊が門の外にすり抜けるが、外で待ち構えていた兵たちが殺到し、寸刻みにするかのように滅し去る。

 

 グールが抜け出さなかったことで、彼らの戦意に些かの曇りも見られなかったのは救いだった。

 アービィたちは後ろを振り返ることもなく門を閉めるように命じると、戦乱の巷へと身を投じていった。

 

 

「さて、ここからが本番ですな。お~、寄ってくる、寄ってくる。千客万来。自然の法理にまつろわぬ者共を、解放してくれましょう」

 エンドラーズは、日頃の枷を外していいことに歓喜の雄叫びを上げた。

 

 エンドラーズの剣は、宙を滑るように寄り付く悪霊や、首の筋肉が失せてしまったかのように歩みとともに首を揺らすグールを、まったく寄せ付けずに切り捨てる。

 横になぎ払われた悪霊は、剣の軌跡を境に分断され、上下の身体が宙に撒いた小麦粉のように爆散した。

 縦に斬り捨てられたグールの両体が、噴き零れる血飛沫とともに日乾しにされたようになり滅却される。

 

 やれやれといった表情のティアは、自らの悪意に苦しめられたうえ、無残なまでに滅される悪霊に同情してしまいそうだった。

 それでも現世への悪意を残すわけにも行かず、小太刀を振るいグールの身体を斬り潰していった。

 

 エンドラーズが先頭に立ち、次々にドアを開け部屋に突入する。

 アービィとティアが続き、ルティとメディはドアの前に残り背後を警戒する。

 

 室内に屯する悪霊を、エンドラーズとアービィ、そしてティアがはたきで埃を払うがごとくあっさりと殲滅し、廊下を滑るように寄ってくる悪霊は、ルティが斬り裂き、メディが叩き潰す。

 エンドラーズは悪霊やグールたちにとって二度目の死を振り撒いていた。

 

「ねぇねぇ、エンドラーズさん。慰霊碑の場所って、ひょっとして知らないんじゃないですか?」

 片端からドアを開け、悪霊を切り捨てることに集中していたが、いくら倒しても減る気配を見せない悪霊に不安になったアービィが問いかける。

 

「いかにもっ!!」

 いとも簡単に、力強い返答が返ってきた。

 

「……えっと、かな~り、無駄な行動?」

 額に指を添えつつ、ティアが搾り出すように呟く。

 

「そんなことは……ございま……せんっ!!」

 言い返すエンドラーズ。

 

「なんですか、今の微妙な間は!?」

 突っ込まずにはいられないティア。

 

「いや、早く行かなければとは思うのですが。分らないものは分らないのですよ」

 さぁ、探しましょう、とエンドラーズは開き直って答える。

 

 悪霊たちの群れを掻き分けるように、彼らは砦の中を進んだ。

 四角形に作った回廊に東門から突入し、北から西、そして南へと向かって進み、そろそろ一周する頃だが一向に慰霊碑のようなものが見つからない。

 

 三階建ての砦の四方の角に尖塔の崩れた後があり、そのうち一つを物見の塔として整備しなおしてある。

 残りの三つは戦史の遺物として、そのままの姿でそれ以上崩れないように補強が成されていた。

 

 塔に慰霊碑を作ったという話は聞いていないので、回廊のどこかだろうとアービィたちは考えていた。

 エンドラーズの自信満々の態度に、てっきり場所は知っているものだと思っていたのだ。

 

 ニリピニ伯も、エンドラーズが聞いてこないのは、慰霊碑の場所や砦の造りを知っていると思ったからで、特に説明は不要だと思ってしまっていた。

 ここへ来て、一行はすっかり手詰まりになっている。

 

 これから一階を調べ終わって、二階三階と上がっていくのはいかにも効率が悪い。

 かといって、当てずっぽうに開けて回り、見過ごしてしまってはさらに効率が悪い。

 

 仕方がない、といった風に、また一部屋ずつ開けて確かめ、悪霊たちに死を振る舞う。

 アービィは、一度撤収して周囲を固める兵たちに砦の造りを確認して再突入のほうがいいのでは、と考え始めていた。

 

 疲労はたいしたことはないが、いつの間にか昼を過ぎている。

 一度撤収することを言い出し、東門へと進み始めたとき、目的とする辺りで悲鳴が聞こえた。

 

 

 昼頃にアマニュークに辿り着いたイヴリーは、兵たちに門を開けるように命じた。

 しかし、兵たちはアービィたち以外を通すことはニリピニ伯により禁じられていたため、イヴリーの要求を聞いていいものか戸惑ってしまう。

 

 当たり前に考えれば、辺境伯の命令とその令嬢の要求では、どちらを優先するかは考えるまでもないが、普段から令嬢への忠誠心も培われている兵たちにとって、抗い難い要求であることも確かだ。

 それでも、令嬢への忠誠心より令嬢の身を案じる親心に近い感情が、門を開けることを拒ませていた。

 

 また、兵たちは、砦内に法儀式済みの武器なしで突入するなど、日頃人殺しの技を磨いている自分たちですら無謀な行為であることを挙げ、そこへイヴリー程度の技量の者が法儀式を施していない武器防具で入ることは自殺行為でしかないことを指摘して諌めている。

 それがイヴリーには気に入らない。

 

 イヴリーは、それなりに自分の技量に自信を持っているが、それが道場剣法であることに気付いてはいない。

 兵たちとの鍛錬でも、兵たちは道場のルールに則ってイヴリーと剣を合わせているに過ぎず、いざとなれば相手の喉笛に喰らい付くような隠された技術を見せることはない。

 

 ましてや雇い主の令嬢に怪我をさせるわけにも行かず、適度なところで降参するように申し合わせが成されている。

 ニリピニ伯も、娘を武人として育てたいという希望は持ち合わせておらず、最低限の武技と護身術が身に付けばよいという程度だったので、兵たちが娘との立会いに手を抜いていることには、ある意味感謝していた。

 

 縛り上げて屋敷に送り返す方法もあったが、これは指揮官が寸でのところで留まってしまった。

 結果的にはこれが一番良い対応策だったのだろうが、雇い主の令嬢への最後に残った礼儀がそうさせなかった。

 

 ついに指揮官は、イヴリーの熱意に負けた。

 イヴリーの父を想う心根に動かされた部分と、やはり目の前で命令されてしまっては逆らい切れない部分とがあった。

 

 最終的に兵たちは、中にいるアービィたちとエンドラーズに期待することにして、対応を丸投げしてしまった。

 兵のほとんどが剣を抜き払い、門に向かって構える間、指揮官は最後に残った聖水をイヴリーの剣に振り掛ける。

 

 指揮官に法儀式を施すことはできなかったが、多少でも聖水の効力が剣に宿ればアービィたちと合流するまでくらいは持つだろう、そう期待しての行動だった。

 そして、イヴリーを叱り飛ばして門から摘み出してくれることを期待しつつ、すり抜けてくる悪霊たちに備えつつ門を開けた。

 

 

 イヴリーは、勇躍門の中に踊り込み、群がる悪霊に剣を振るう。

 聖水の効果が悪霊を斬り裂き、まるで風船を割るかのように消滅させていった。

 

 あまりの呆気なさに、何が彼らを恐れさせたのかイヴリーは訝しむが、技量の差だと勝手に思い込む。

 だが、数十体の悪霊を斬り捨てた時点で、聖水の効力も切れていたことには、気付いていなかった。

 

 そこへ、グールが襲い掛かる。

 悪いことに、そのグールは私兵の犠牲者の一人で、イヴリーとも顔見知りだった。

 

 殺されて一日程度ではそれほど腐敗も進まず、生前の姿をほとんど残している。

 イヴリーは何故自分に刃を向けるか怒鳴りつけるが、生前の幽かな記憶より殺意と悪意が上回り、イヴリーに襲い掛かってきた。

 

 寸でのところでグールの一撃をかわしたイヴリーは、剣を横薙ぎに一閃させる。

 間違いなくグールの胸に刃が届いているが、斬り裂いたはずの部位は刃が通り抜けた瞬間に傷が塞がっていく。

 

 門から遠ざかるように走り、グールの攻撃を避けるが足が縺れ床に倒れこむ。

 床に仰向けに転がったイヴリーに、覆い被さるようにグールが圧し掛かり、喉に手が伸びてきた。

 イヴリーの表情が驚愕の形に固まり、喉から悲鳴が絞り出されたとき、グールの姿が消失した。

 

 

 アービィは、少女に圧し掛かるグールの脳天に、法儀式済みの短刀を投げつけた。

 狙い違わずグールの脳天に突き刺さった短刀は、そこまで飛翔した物理エネルギーを減じながら、そのままグールを刃の進行方向に押し潰した。

 

 呆気に取られ、茫然自失状態の少女をルティが引き起こし、門に向かって引き摺っていく。

 突然我に帰った少女はルティの腕を振り払い、傲然とした態度で文句を言い始めた。

 

 ルティは、この少女をニリピニ辺境伯の屋敷で見て、辺境伯令嬢であるイヴリーと知っていた。

 このままここにいても、殺されるだけだということも。

 

「何を……私もお父様のお手伝いをさせてくださいっ!! どこへ連れて行こうとなさるのですか!!」

 イヴリーは、ルティの手を振り払おうとする。

 

「決まってるじゃありませんか。あなたが殺される前に、門から連れ出します。ちょうど、私たちも外に用事がありますので」

 平然とルティが答えた。

 文句言う前に、何かいうことあるんじゃありませんか、お嬢様。

 そう顔に書いてある。

 

「私が殺される? 誰に? この私を誰が?」

 理解し難い、といった風情でイヴリーが言った。

 

「たった今、潰されたカエルみたいな格好で、声だけは可愛らしく悲鳴を上げていらしたのは、どこのどなた様?」

 急接近した悪霊を一刀両断しながら、ティアが畳み掛ける。

 

 後から際限なく湧き出てくる悪霊に、さすがに疲れが見え始めていた。

 やはり、ここは一度退き、慰霊碑の場所を確認してから出直さなければ、ジリ貧になるばかりだ。

 

「今のは知ってる顔だから驚いただけです。ですか――」

 なおも言い募ろうとするイヴリーが言い終わる前に、音もなく目の前に立ったアービィの平手打ちが気持ちのいい音を残してイヴリーの頬を捉えた。

 

 全員が言葉もなく悪霊と戦っている。

 アービィが手を出すとは思えなかったのだ。

 

――見た? モロよ。手加減なし……?――

 メディがルティに囁く。

 

――あれ、手加減はしてるわよ、ティアなんて剣の腹で力一杯よ……――

 ルティが答える

 

――あれは痛かったわ~、目から火花が出るって、初体験だったもの――

 ティアが注釈を入れる。

 

――アービィ殿も容赦がございませんな――

 エンドラーズは笑いを堪えている。

 

 ――手加減くらいはしてるよ~

 アービィが弁解した。

 

 もし本気だったら、首の骨が一発で折れているだろう。

 さすがにそれくらいはアービィも分って、脳震盪を起こさない程度に加減はしていた。

 

 イヴリーは頬を押さえたままで、黙って立ち尽くしている。

 いつの間にか、イヴリーとアービィを中心に、背中合わせの円陣になっていた。

 

 そのまま東門に向かってじりじりと進む。

 アービィは床に刺さった短刀を抜き、イヴリーに渡した。

 

「とりあえず、これで身を守るくらいはできますよね? とにかく一度外に出ます。慰霊碑の場所が分らなくちゃどうしようも――」

 

「知ってますわっ!! こちらですっ!!」

 アービィにみなまで言わせず、イヴリーは円陣を突き破り走り出した。

 

 取り残された一行は、付き合い切れんという表情になるが放っておくわけにもいかず、また有効な情報を持つなら利用するしかないと開き直り、イヴリーを追い始めた。

 イヴリーは一行が付いてくるのを見ると、僅かに自尊心が満たされたか満足げな表情を見せていた。

 

 東門の前に戻ったと思うと、門と反対側の大扉の前にイヴリーが立つ。

 息を整えたイヴリーが扉を指で差しながら、こちらです、と意思表示する。

 

「この中?」

 エンドラーズ以外の四人が、一斉にエンドラーズを見た。

 一番近いところじゃないですか。八つの瞳がそう責めている。

 

 入ってすぐ開けては見たが、奥が暗かったため、後回しにしようとエンドラーズがいきなり閉めてしまっていた。

 その後、三回同じようなことがあったのだった。

 

「いいじゃないですか、皆様方。ちょうど良い準備運動ですよ」

 笑いながらエンドラーズは、まったく悪びれることなく答えた。

 

「この扉の中は、回廊から中心に向かう廊下です。東西南北の回廊から伸びている廊下の交点になる部屋に慰霊碑があります」

 アービィの平手打ちで少しは焦りが抜けたのだろうか、イヴリーはさっきと別人のような落ち着いた表情になっている。

 

「では、少々体力回復と参りましょうか、皆様。おそらく、中は悪霊共の通り道。今まで以上の数が襲って参りましょう」

 エンドラーズが聖水で床に魔法陣を描く。

 

「この中にお入りください。悪霊やグールから姿が見えなくなります。皆様、回復薬と触媒はお持ちでしょうな?」

 中心に陣取ったエンドラーズが全員に訊ねた。

 

 魔法陣の中に入ると、外周には薄い曇りガラスがはめられたように外側が見える。

 悪霊やグールが側を通るが、全く気付かないようだった。

 時折、悪霊やグールが魔法陣の外周に触れると、弾かれたように数m跳ばされる。

 

 全員が『回復』を掛け合い、疲労を取り去る。

 触媒を用いて活性化させた回復薬で、呪文の使用回数を回復させ、しばしの休憩を取った。

 

 

「ところで、さっき私の顔に手を挙げたあなた。どういうおつもりかしら?」

 差し迫った危機を脱したからか、イヴリーがアービィに突っかかる。

 

「お尻ぺんぺんの方が良かったですか? 大人の扱いのつもりでしたが」

 アービィは微塵も悪いと思ってない。

 

 イヴリーは十九歳になっているので、この世界でも充分大人と認められる年齢だ。

 手入れの行き届いたしなやかな髪は、栗色と言うには少々色素が薄いが、それが光沢となり気品を醸し出している。

 その髪を後ろで一つに纏め、鎧の背へと流しているが、先程の戦闘で埃まみれだ。

 

 健康的に日焼けした肌は快活な性格を物語っているが、少々釣り気味の双眸は負けず嫌いな勝ち気さも表していた。

 瞳は南大陸では一般的な栗色で、その下に続く鼻と口はバランス良く整えられている。

 何不自由なく育てられたであろうが、その身体に無駄な贅肉は溜め込まれることはなく、そのせいではないだろうがルティには親近感を抱かせる体型を軽鎧に収めていた。

 

「……っ!! なんて、はしたないっ!! そんな、私を幼児扱いなさると!?」

 プライドを傷付けられたか、イヴリーはアービィに絡み続ける。

 

「これは失礼しました。幼児に。あなたはまだお分かりではないようですね。ここは命の遣り取りをしてるんです。道場のように、一本取れば相手が引き下がるところじゃありません」

 アービィが一気に切り捨てた。

 

「なによ、幼児に失礼ってっ!! お父様にちょっと目を掛けられてるからって、いい気になってるんじゃないわよっ!! だいたい、なんで討伐の命令を受けてるのに、クシュナックに行ったりしてんの!?」

 顔を真っ赤にしてイヴリーが怒鳴り散らす。

 あまりの言われように、身に染み付いているはずの嗜みすら吹き飛んでいた。

 

「あなたは僕たちと辺境伯様との話を、全部聞いていた訳じゃありませんね?」

 アービィは、イヴリーを落ち着かせようとする。

 ここで魔法陣を飛び出されたら、また余計な戦闘に巻き込まれてしまう。

 

 まず、討伐は命令ではなく、依頼によるものだということ。

 次いで悪霊を滅するには銀製の武器やマ教の法儀式ではなく、精霊による祝福法儀式が必要であること。

 

 永続的な法儀式の効力を得るには、神殿に行かなければならないこと。

 さらには、急にいなくなったイヴリーを、辺境伯が何よりも心配するであろうことを、アービィは懇々と説明した。

 

「そう……私は……役立たずなの? お父様の役に立ちたい、少しでも力になりたいって……そう思ってはいけないの!? ダメってことなの!?」

 イヴリーは自分の行動の迂闊さに気付いていたが、素直に認めるには中途半端に年齢を重ねていた。

 

 もっと幼ければ、親に叱られたときのように素直に聞けたかも知れないし、さらに年齢を重ねていれば、間違いを糺すことに抵抗を感じないように成長しているかもしれなかった。

 少女と青年の境にある時期特有のプライドが、彼女が本来持つはずの素直さを邪魔している。

 

「あなたは、本来辺境伯様のお側にあってお支えするのが、一番お役に立てるんです。でも、今は……」

 アービィは少しの間、どう言葉を続けるか迷った。

 このまま役立たずと説教を続けて外に放り出すか、プライドを粉微塵にするのではなく、多少は満たせるように案内をしてもらうという形で治めるかを迷っていた。

 

 一番簡単なのは、慰霊碑までの道も解ったし、イヴリーを砦から放り出して五人で進むことだろう。

 だが、もう言うなりになることはないだろうが、外を固める兵たちがイヴリーの八つ当たりで蒙るであろう気苦労を考えると、このまま手元に置いた方がマシかも知れない。

 

 自分たちは法義式済みの防具があるので悪霊から傷を受けることはないが、イヴリーはそうもいかない。

 聖水の余分はないので、エンドラーズによる簡易な法義式も無理だ。

 

「では、こう致しませんか?」

 アービィの迷いが解ったのか、エンドラーズが助け船を出す。

 

 今からイヴリーを外に放り出すと、警護の兵たちに多大なる迷惑だ、とはっきり言い放つ。

 そして、最後までご同行願います、と全員に宣言する。

 戦闘に口出しは認めません、大人しく我々の指示に従ってただきます、と言い渡す。

 

 不満げなイヴリーには目もくれず、アービィたちに向かい、慰霊碑までの作戦を提案した。

 さして広くない廊下を進むため、陣は基本的に単縦陣で最も戦闘力があるアービィとエンドラーズが先頭か殿を務める。

 

 次いでルティ、イヴリーと続くが、イヴリーの両側をティアとメディがエスコートする。

 悪霊の噴き出し口に近付くにつれ、霊力が高まるために壁抜けくらいして来るであろうことへの対策だ。

 

 ここまで進む間に悪霊たちの霊力を推し量っていたエンドラーズは、噴き出し口はさほど広くはなく、霊力の減衰が著しいことを感じていた。

 広い噴出口があれば、冥界から漏れ出る霊力に後押しされ、砦の外壁など物ともせずにすり抜けることができたはずだ。

 

 生物に対する攻撃力しか持たず、無生物を破壊することができない悪霊共には、冥界からの霊力の後押しがなければ、紙一枚の壁すら抜くことはできなかった。

 慰霊碑の間と回廊を隔てる大扉が、何らかの封印効果が付与されているのか、霊力を遮断する役割を果たしているようだ。

 だが、その大扉を抜ければ、噴出口まで冥界からの霊力を遮る物はない。

 

 慰霊碑の間までの廊下では、どこから悪霊が湧き出てくるか予測が付かないのだった。

 そのため、最後尾にも戦闘力が高い者を配置する必要があった。

 

 隊列の中間に攻撃を受けた際、先頭にいては振り向く分だけ対処が一呼吸遅れてしまうが、最後尾であれば踏み込むだけで済む。

 これだけなら誰でも務まりそうだが、同時にバックアタックにも備えていなければならないからだった。

 

「あなた、何者なのです? 風の神官風情で私に命令する気ですか?」

 言葉遣いや態度は礼儀正しいが、あまりにも一方的な物言いがイヴリーの癇に障ったのか、態度に棘がある。

 

「これは、これは……自己紹介がまだでございましたかな。私は、風の精霊神殿最高神祇官、エンドラーズと申します。精霊に全てを捧げております故、家名はございません」

 イヴリーが言うような、ただの神官風情が貴族に対して命令するなどとんでもないという論法に従うならば、最高神祇官に貴族風情が対等の物言いをするなど、さらに許されない不遜な振る舞いだ。

 最高神祇官に対等に物申すなど、王と上位の王位継承権者まで。

 公爵家当主ですら、対等な物言いは無礼といわれている。

 

 弾かれたようにイヴリーが後退り、片膝を突こうとするが、魔法陣から出そうになってしまい、エンドラーズに引き戻される。

 場を改めてイヴリーは片膝を突き、頭を深く垂れ、顔の前で両手の指を組み合わせ、礼拝の形を取る。

 生まれて以来、叩き込まれてきた最高神祇官への尊敬の念と、礼儀作法がそうさせていた。

 

 アービィたちは、今まで軽口を叩き合ってきた相手がとんでもない人物と判明し、目を白黒させたまま立ち尽くしてしまった。

 尊敬の念がないとか礼儀作法に疎いというわけではないが、場の展開に頭が着いていってない。

 

 それに 風の最高神祇官は齢七十に手が届くと聞いていた。

 眼前で超然とした佇まいを見せる男性は、どう見ても三十代半ばか四十に手が届くかといった容貌だ。

 

 精悍さを湛えた顔の造作は、決して厳しさだけに染め上げられてはおらず、深い優しさを湛えている。

 引き締まった身体には贅肉などひとかけらも認められず、近接戦闘に不可欠な筋肉への直接打撃を防ぐための適度な脂肪があるだけだ。

 

「え~っ!! エンドラーズさん……いえっ、エンドラーズ様って、そんな偉い方でした……のぉっ!?」

 ルティが叫ぶように聞いた。

 

「いやいや、そのような態度は不要ですぞ、イヴリー殿。あれ? 言ってませんでしたかな、ルティ殿?」

 初対面では、湧き上がる戦いへの期待感を抑ええるために、終始不機嫌に見える態度でほとんど言葉も発していない。

 その後は逸る気持ちが先走り、身の上の話などする機会は全くなかった。

 

 そういえばニリピニ辺境伯の屋敷でも、状況を把握をするなり飛び出してきてしまったので、知っているはずの辺境伯も何かを言う暇すら与えられていなかった。

 最高神祇官が人前に出ることは滅多にないため、イヴリーが知らないことも仕方のないことだった。

 

「聞いてませんっ!! それに風の最高神祇官様は、もっとお年を召した方だとばかり……」

 呆れ半分で、今までの態度を改めることを忘れたルティがさらに聞く。

 

「当年取って六十八の爺です。精霊のご加護で肉体の年齢は止まりましてな。代々最高神祇官は、何か超自然的なご加護を受けています。五感の何れかが超人的であったり、人心を読み取る力があったりと」

 私のような例は聞いたことがありませんが、と付け加えた。

 

「いえ、それはいいとしてですね……そのようなお立場の方御自ら、このような危険な場所にお越しになっていいのですか?」

 多少落ち着きを取り戻したアービィが訊ねた。

 

「出てくるまでは、大変でしたぞ。皆、年寄りの冷や水とまで申しましてな。解ってもらえるように、実力で出てきたまでです」

 そういえば、風の神殿を出るときに、前日に会った神官を含め、誰も見送りに来ていない。

 戦いの渦に身を投じる仲間なのに、と思っていたが、エンドラーズの態度から何となく曲解し、その件については聞くことができなかった。

 ということは、最高神祇官が不在のうえ、アービィたちの武器防具に祝福法義式を施した神官たちだけではなく、さらに数人の神官が不在となっているということは、風の神殿は機能不全に陥っている可能性があるということか。

 

「さっさと終わらせようね」

 僕が言いたかったのはそういうことじゃないんです、と呟きつつ、アービィが頭を抱えて言った。

 

 

 前述の隊形を組み、大扉を引き開け慰霊碑への廊下に滑り込む。

 すぐに人の気配を察知した悪霊が、音もなく接近してくる。

 

 正面から来る悪霊は、エンドラーズが片っ端から斬り捨てる。

 一瞬何かが爆発したように、煙のような粉塵が辺りにまき散らされるが、それに怯む者はいない。

 

 イヴリーにはアービィの剣を片方貸してあるので、最低限身を守ることはできるだろう。

 しかし、一対一の修練しか積んでいないうえ防具がないため、多数を相手にさせるのは無理と見て、両側のエスコートは不可欠だ。