I.S.F インフィニット・ストラトス×Fate (ボイス)
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外伝短編
幕間EX1 とある亡国機業員の交流風景


 はじめに、今回の話は、四季の歓喜さんの作品「IS学園潜入任務~リア充観察記録~」と「アイ潜IF外伝」とのコラボになります。
 互いのオリジナル亡国機業員メンバーだけが出ています。
 両作品のキャラを知っているとわかる内容です。知らない方にとっては、すみませんが、全くさっぱりな内容でしょう。
 本編の「I.S.F」「IS学園潜入任務~リア充観察記録~」「アイ潜IF外伝」各作品内の時間軸とは一切関係ありません。
 わたしサイドで言えば、Fate勢は全く一切出ておりません。
 四季の歓喜さんサイドで言うと、セイス氏が楯無嬢と一戦やらかすようなこともございません。

 ・ただ騒いでいるだけです。
 ・オチを求めても、それは酷ってものですよ?

 あくまでもおふざけ企画の話になります。
 だが、わたしは謝らない。


 煌びやかなネオンに彩られる繁華街。

 時刻は夜を迎えるが、人の波は途切れることがない。雑踏にまぎれたビルディング。

 人々の往来により、喧騒に包まれる中、ホークアイはビルを見上げていた。

 サングラス越しの双眸は、目印となる建造物の看板に。

 小洒落たデザインのバー。

「…………」

 手にした一枚の紙片へ視線を落とし、指定場所に間違いが無いことを確かめると、彼女は連れを伴い建物へと入っていった。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 フェニックスという言葉を、一度は聴いたことがあるだろう。

 ご多分にもれず、死ぬこともなく、永遠の時を生きるといわれる神話や伝説上での鳥である。

 日本では「不死鳥」や「火の鳥」などの呼び名が定着しており、東洋では「鳳凰」や「朱雀」になぞらえられている。

 さまざまな伝承でも多く語られている。死しても炎の中から再び蘇り現れる、と。

 キリスト教徒にとっては、この鳥を再生のシンボルとみなして教会の装飾に用いられたりもする。

 ヨーロッパで流布したグリモワールと呼ばれる魔術書によれば、悪魔学によりソロモン72柱の魔神の1柱とも記されている。

 閑話休題。

 なぜ、このような話に触れるのか?

 前置きが長くなるが、それは、この言葉に相応しい者たちがいるからだと言えよう。

 フェニックスの縁語は、「不死身」「再生」「永遠の生命」――

 自分の夢を追う男たち。

 人が持つ夢には様々なものがある。夢とは無数にあり、他者の夢と必ずしも同一となることはない。

 だが逆に『人』の『夢』と書いて『儚い』と読む。

 夢が叶う者もいれば、中には心半ばで夢が叶わず挫折してしまう者もいる。

 しかし――

 挫折することと、諦めることは違う。

 布仏本音の手によって、一部コレクションは確かに消失し、二度と己が手に戻ることはない。

 男たちが直面した状況は、例えどのようなことがあったとしても覆ることのない事実であり現実である。が、言い換えれば、今となっては、それは些細な顛末事でしかないだろう。

 恐怖、という「もの」は確実に存在した。だが、そんなことで諦める男たちではない。

 自分たちは曲がりなりにも「亡国機業」に携わる人間たちだ。恐怖に打ち克てずに、なにが秘密結社と呼べようか。

 男たちは何度でも蘇る。いや、この先、例え同様の困難に直面し、絶望しようとも、彼らの魂は燃え尽きることは決して無い。

 苦汁をなめようとも、泥水を啜ろうとも、己が信念、欲望のために。

 何度転ぼうとも、どん底に叩き落されようとも――

 その都度、立ち上がり、はい上がる。

 そう。

 つまりはどういうことかと言えば――彼らは懲りもせず、オークション大会を開いていたのであった。

「お前ら、盛り上がってるかああぁっ!?」

『おおおおおおおおぉぉぉっ』

 震撼、という言葉が当てはまるような男たちの声量。だが、実際は防音設備が完全に備わっているため外部に漏れることはない。

 表向きは何処にでもあるバー。亡国機業の息が掛かった建物の一室は異様な熱気に包まれていた。

「…………」

 無言のまま、セイスは呆れた表情のまま一同を見入る。この気力をもっと別のところへは向けられないのだろうか、と。

 次の商品がステージ上に掲げられ、スポットライトが当てられる。

「お馬鹿さんな皆さま方も、程よくいい感じに仕上がっていて大変愉快で滑稽です。司会のわたくしも嘲笑を浮かべざるをえません。さて、続いては……篠ノ之箒の風呂上り姿の秘蔵写真三枚セットで、開始価格は三千から」

「うっは我慢できねえっ! 一足飛びに二万だ俺はッ!」

 ファース党員アイゼンが財布を握り締め壇上へと駆ける。

 表示されると同時に群がる猛者たち。罵声と怒号を耳にしながら――

 つい先程落札した、ケーキを食し口の周りをチョコレートで汚しているラウラの写真を眼にしたひとりがぽつりと呟く。

「……この僅かに映ってる赤髪は誰だ?」

「あれ? お前のにも映ってんな。俺の写真にも映ってんぞ?」

 言って、別の男が差し出した写真は同じようにオークションで落札したシャルロットの写真。寝巻き姿でフォークに刺した果物を齧る一枚。だが、そこにも赤髪が映っていた。

 メインの被写体を邪魔する映り方ではない。隅にちょっと赤い髪が写されている。そこまで神経質になる程度ではないが。

 馬鹿騒ぎに興じる一同を見るともなしに眺めながら、隅の席でカクテルを口にするホークアイと、ジュースを飲むスノー。ピザを手にするサンシーカー。その横に座るルナはパフェを食べていた。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 人で賑う店内に眉を寄せながらも、ホークアイはひとりの店員を捕まえると、紙片を見せて訊ねていた。

 店員は怪訝そうな顔をしていたが、紙面に書かれた名前と相手の名前を確認すると、顔色を変えて場所へ案内していた。

 先までの喧騒も全く聴こえない地下への通路。恐縮しきった店員に声をかけるでもなく指定された一室へと通され――

 青い髪にサングラス、スーツ姿の女性、その後ろには連れと思しき白い髪の少女と、黒髪の子どもの姿。

 明らかに場違いな三人に対し、室内の男たちに緊張が走る。

 貸切となっていた一室に誰かが入ってくるなどありえない。更に言えば、今日この日、地下を利用するのは自分たちだけだった。

 居合わせる者たちも、誰が先かを争うように、自ずと身構えていた。

 懐に手を差し込んでいる者もいれば、腰に手を触れさせている者もいる。中には既に銃器を取り出している者まで。

 拳銃、ナイフに手をかける。

 だが――

 そんな空気に物怖じせず、ホークアイは、ずかずかと室内へと歩を進めていた。

 瞬間――

「停まれ」

 ごり、とホークアイの側頭部に銃口を押し付けているのは――ナイフのように鋭く、ぎらついた双眸のセイス。

 しかし、構わずに歩を進めようとするホークアイへ、さらに銃口がぐりと押し付けられていた。

「停まれと言ってる。次は無い」

「…………」

 ホークアイは無言のまま、視線だけを拳銃を握る相手へ向けていた。

 スノーはどうしていいかわからずにおろおろとし、サンシーカーも不思議そうにセイスを見上げるだけ。

 一触即発となる空気。

 それを制したのは――オランジュだった。

「ストップ。落ち着けよ、セイス」

「あん?」

 ステージから降りたオランジュは、セイスの銃を下げさせ、ついでホークアイに歩み寄ると、じっと相手を見据えていた。

 と――

Vivaldi(四季)

 オランジュが口にした言葉に――

Delight(歓喜)

 ホークアイは、間を置かずに返答していた。

 合言葉にオランジュは満足したように頷くと、懐から封筒を取り出していた。それを手渡す。

「悪いな、お嬢さん方、連れが失礼した。コイツは、俺らの中でも特に真面目な奴だからな、精神的にも物理的にも石頭……」

「おい?」

 不服めいた声を発するセイスだが、オランジュは相手にしていなかった。

 あくまでも、彼の視線はホークアイへと向けられている。

「もとい、堅物でね。とりあえずコレ渡すから、そっちも例のモノを出してくれない?」

「…………」

 特に返事をするでもなく、ホークアイは封筒を受け取るだけ。中身を確認せずに、今度は逆に彼女が手にしていたトランクをオランジュへと渡していた。

 そして、オランジュはそのまま――いつの間にかこちらに近寄っていたメテオラへとトランクを放り投げていた。

 ぞんざいな扱いではあるが、メテオラは難なく受け取ったトランクの中身を確認し――確かに、と呟くと、振り返って声を上げる。

「はいはい、皆さん、ご清聴。スコール派だからと言って、今日この御三方にいらぬちょっかいを出されませんように。フォレスト氏からのお墨付きです。出したら容赦しませんよー。主にティーガーさんが、実力行使でお話です」

 スコール派と聴き――唐突に誰かが声を上げていた。

「待て、コイツ、見たことあるぞ。確か――お前、スコール一派の『鷹の目』か!?」

 『鷹の目』、との言葉にざわりと周囲が騒がしくなる。

 スコールとは、自分たちが所属するフォレストと異なる派閥。同じ亡国機業に所属はしているが、進めるやり口、方針、信念は違う。いわば、味方でありながら敵でもある間柄だ。

「ホークアイってことは、ナリから見て、そっちのガキは……スリーマンセルの一角、サンシーカーか……」

「となると、こっちの白いヤツは、ディープスノーか」

「スコール派がなんの用だ?」

 どうしてそいつらがここにいる――?

 いくらメテオラからの口頭による説明、ならびにフォレスト、ティーガーの名を出されようとも、『フォレスト派』の男たちにとっては納得できぬものがある。

 譲れぬものは譲れない。納得できぬものは納得できない。

 故に。

 面倒くさそうに――至極面倒くさそうな表情で、メテオラは口を開いていた。

「別ルートで入手した品々、あなた方にとっては補給物資となりますよ」

 補給物資――

 その言葉に一部の人間は固唾を飲み込む。

「つまり、そいつぁ……?」

「新しいオークション品(弾丸)が補充されたってことですよ。ここまで説明されないとわかりませんか? 残念です。それではこの補給物資もなかったことに――」

『ようこそいらっしゃいましたっ! フォレスト一派として、本日は盛大に歓迎させていただきますっ!』

 平身低頭。

 突然の態度の豹変に、ホークアイはその表情を困惑に歪め、スノーはなにがなにやらわからず眼を白黒させ、サンシーカーは面白い人たちだねと笑っていた。

 居心地悪そうに、銃を抜いたセイスも頭を掻きながら「悪ィな」と一言漏らし、背を向けていた。だが、その眼はすぐさまオランジュへと向けられていた。

「つーか、知ってたんなら、先に言っといてくれよ……」

「すまんすまん、エムに口止めされてた」

 その言葉を聴いた瞬間、セイスは頭を抑えて口から呻きを漏らしていた。つまり彼女――マドカは、何も知らない自分がホークアイたちと接触すれば、確実に揉めると予想していたわけであり……

「……あんの野郎、タチの悪いドッキリを……」

「悪態を吐きつつも、そのエムちゃんの写真の為に仕事を頑張るセイス君でした、マル」

 オランジュが余計な一言を口走り、瞬時にセイスに殴られたが――フォレスト一派の連中にとってはいつもの光景であり、特に気にする者は、この場にひとりも居なかった。

「お嬢ちゃん、お菓子食べるか? 食いたいモンがあれば頼めるぞ」

「ホント?」

 バンビーノに手招きされ、サンシーカーはたかたかと駆けると、同じぐらいの年齢の少女――ルナが居る一角にちょこんと座り、渡されたメニューに眼を通す。慌てたスノーが、迷惑かけちゃダメだよと制止するが聴き入れられない。

 そうこうしていれば、スノーの分としても、何か勝手に注文がされる。

「子どもが食いそうなものを三人分」

 瞬時に遠慮するスノーではあるが、男たちは聴き入れていなかった。

 話には聴いていたが、これほどまでとは思わなかった、というのがホークアイの心情であろう。

 彼女がこのオークション会場に足を運んだことに、特に意味はない。

 メインはオークションではなく、交流、としてのものだった。

 フォレストからスコールへ持ちかけられた他愛もない話。同じ部下を持つ者同士、「部下同士の交流」をしてみないか、と。 

 スコールは特に断る理由もなく、「ウチの子たちにちょっかい出さなければ」との一言でオーケーを出していた。

 自分たちの知らないところで話はトントン拍子に事が進み、気がつけば、トランクと紙片を渡されていた。

「ホーク、サニとスノーを連れて出かけてらっしゃい。話は済んであるから。楽しんでらっしゃい」

 そう告げるスコールの表情は、なんと楽しそうなことか。

 トランクに詰められているのは、オークション品としか聴かされていなかったため、何が入っているかなどはわからない。

 思い出したかのように、ホークアイはスーツのポケットから小さな封書を取り出していた。それをメテオラへと渡す。

「おや、何か御用で?」

「スコールから」

「スコールさんから? 中身は何です?」

「知らない。あなたへ渡して、とだけ告げられている」

「ふむ」

 スコールから名指しで直々にとはなんだろうか、と小首を傾げながら受け取り、メテオラは中身をその場で確認する。

 中身は、執事姿の格好をした更識簪が映る写真。その数六枚。

 瞬間――

「思う存分呑んで食べていってくださいな」

 彼もまた頭を低く一礼していた。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 フリルのついたミニスカートのメイド服の箒――

 大正浪漫漂う矢絣柄の袴姿のシャルロットとセシリア――

 黒一色のナーススタイルのラウラ――

 チャイナドレスを纏う鈴――

 果ては、ほんのりと肌が紅く火照る風呂上がりの姿――

 五枚の写真とネガ、メモリーカードの三点セット。

 中には部分部分のみを鮮明に、それでいて雑音もこもらず、音割れもしていない抽出されたクリアーな音声データ。

 表示された品々に、大枚が飛び交い、その都度悲鳴と怒号すらも飛び交っていた。

 男たちは己の『夢』のために、軍資金を湯水の如く惜し気もなく使う。

 不意に――

「ヘイ、ホワイトフロイライン、さっきからあんまり食べていないようだが?」

「イェア、がっつり食わねぇーとデカくならねぇーぜ?」

「え? あ……いや……その……」

 もそもそと食べていたスノーへ、突然陽気な声がかけられる。

 驚き、顔を上げ――だが彼女は言葉を失い固まっていた。

 無理もない。

「ウェイト、ウェイト。オーケー、みなまで言うんじゃないさ、フロイライン」

 わかったわかったと両手で制し、男――ホースはニヒルな笑みを見せていた。きらりと光る歯がまぶしい。

 彼はそのまま、ビールが注がれたグラスを手に持って、横に立つディアーへと声をかけていた。

「ヘイ、ブラザー」

「どうした、ブラザー?」

 ホースの声音に対し、ディアーは眉を寄せておどけたように応えていた。

「どうやら、こちらのキュートなフロイラインは、恥ずかしがり屋さんのようだ」

「ファッツ!? おいおい、一体全体そりゃどういうこった? どうして恥ずかしがるってんだ?」

「まぁそう慌てなさんな。そんなにでかい声を出しまっちゃ、産まれたての仔猫が驚いて飛び上がるように、フロイラインもショックを受けちまうさ。とりあえず落ち着こうや。出なけりゃ話せるもんも話せねえ」

「おっと、こいつはすまねえな。俺たちは亡国機業であって、救命士じゃあないものな」

 言って、手にしたビールを煽る。ふうと息をつきディアー。

「で、聴こうじゃないか、ブラザー」

「ああ、説明するためには、ふたつニュースがある。グッドなニュースとバッドなニュースだ。どちらから聴きたい?」

 ホースの言葉に、そいつは素敵だと肩を竦める。

「なんてこったい。なら、まずは、グッドな方から聴こうか。何事も、いい話から聴くもんさ。そうすりゃ気持ちの整理もついて落ち着ける」

「オーケー、ブラザー。いい話ってのは他でもない。俺たちのようなナイスガイと相対しちまって、フロイラインは、ガチガチに固まって緊張しちまってんのさ。南極大陸の氷床のように」

「ヒューッ、そいつァ難儀だ。融かすには、ナパーム弾でも骨が折れるぜ」

 言って、ハッハッハッ――と陽気に笑い合うふたり。

 ちなみに、『ナパーム弾』とは、極めて高い温度――種類にもよるが、大まかに千度前後――によって、広範囲を燃焼し破壊する焼夷弾である。

 確かに緊張もするだろう。スノーにとっては生まれてはじめて直面するタイプだ。良い意味であろうとも、悪い意味であろうとも、どう接していいのかがわからない。

 だが、なによりも――

 実際は、がたいのよい黒人ふたりを前にして、スノーはただただ萎縮するだけ。

 考えてみてほしい。

 いくら、亡国機業がひとり、スコール派、スリーマンセルの一角、ディープスノーとて、戦場から離れれば、年相応の少女でしかない。それが眼の前に男性――しかもがっしりとした肉体、星型の黒いサングラス。片やアフロ、片やモヒカンともなれば、そのインパクトは強烈過ぎる。

 互いに「ブラザー」と口にする以上は、兄弟なのだろう。だが、どちらが兄で弟かなど判別することはできない。違いは、随分と自己主張が激しい個性的な髪型のみ。

 それよりも、これほどまでに見事な自意識過剰は、一体何処から来るのだろうか。

 困惑する彼女に気づきもせず、ディアーは続ける。

「じゃあ、次は、お待ちかねのバッドな話ってヤツを聴かせてもらおうか?」

「イェア。それはな、ブラザー……俺たちのような、クールでありながらホットなナイスガイに出会っちまったホワイトフロイラインのことさ。悪いが、俺たちには心に決めたヴィーナスが――」

「なに大前提で、告られてそれを断るシチュにしてんだ馬鹿兄弟」

 唐突に、ホースとディアーの背後からかけられた声音。

 疾風――まさに疾風。

 スノーの双眸が捉えていたのは、一陣の風。

 長い黒髪をなびかせ、スーツ姿の女性が脚を跳ね上げ一蹴する。瞬時に男たちふたりの延髄へ叩き込むと、文字通り『一撃』で昏倒させていた。

 床に叩きつけられてピクリとも動かないふたりの襟首を掴み、めんどうくさいと声を漏らした女性は引きずり去っていく。

 入れ違うように、のそりと現れた長身の男。スキンヘッドにサングラス姿の彼――ストーンは、スノーに対し軽く頭を下げていた。

「すまねぇな、迷惑をかけた」

「あ、いえ……そんなことありません。ビックリしましたけれど……面白いおふたりですね」

「……ホントすまん」

 口数少なく、再度詫びの言葉を告げると――

「ヘイ、ブラザー」

「なんだい、ブラザー?」

「俺はそうとう酒が回ったみたいだ。眼の前に居たはずのフロイラインが、愛しのマイシスターに見える」

「オゥ、そいつぁ妙だ。俺にも見える」

 あっさりと復活を遂げたホースとディアーの声に――間髪入れず、再度打撃の音が聴こえる。

 が――

 どうやら二撃目は各々防いだのだろう。

「それよりもエムたんの写真は何処だ?」

「エムたんの衣類は何処だ?」

「うるせぇ! お前らも、今は一応フォレスト派にも分類されてんだ! 品位を下げる発言すんじゃねえ! あげく、誰がテメェらに写真も衣類も渡すか!」

 響くセイスの怒号。

 しかし相変わらず、スノーたち、スコール派の三人以外の連中は気にも留めない。

「ヘイ、ナマ言ってるんじゃねぇぞ小僧!!」

「エムたんの為にも、今日と言う今日は、その低い学習能力に分を弁えさせてぶはぁ!?」

「学習能力うんぬんを、テメェらにだけは言われたくねえええぇぇぇ!!」

「ブラザー!?」

 しかし、幾らなんでも限度はある。無駄に騒ぐ一角に頭を痛め――ストーンは三度、スノーに対し「すまない」と口にすると彼もまた騒ぎの方へと向かっていった。

「…………」

 無言のまま、ステージへ視線を向けていたスノーだが――ゆっくりと顔が右へと向けられていた。

 視界に映るは、酒を口にするホークアイと、同じく酒を手にするアイゼン。

「アンタさ、趣味は?」

「狙撃」

「へぇ、なら……特技は?」

「クレー射撃」

「なるほど。そいつぁスゲェや」

 ホークアイの淡々とした返答にうんうんと頷いて――

 だが瞬時にアイゼンは声を荒げていた。

「おい、それ逆だろっ!?」

「?」

 アイゼンの指摘にホークアイは不思議そうに首を傾げる。

「ああ、ダメだコイツ……誰かー、水もってこい」

 ただの酔っ払いじゃねーかと悪態をつくアイゼンの声を掻き消すように、マイクを握るメテオラは口を開いていた。

「さー、じゃんじゃかいきましょう。次は――」

 言って、大型スクリーンに映し出される――苦悶の表情を浮かべるシャルロット

 瞬間――

 飲み物や食べ物を口にしていた面々は、ぶふぉっっ、と盛大に噴出していた。

 だばだばと口から零しながら――だが、眼はしっかりとモニターへと釘付けにされている。

 説明するかのようにメテオラがマイクを握り、口を開く。

「えー、今流れているのは、先日、IS学園に潜入した際に、シャルロット・デュノアとの交戦記録を映像として撮ったものです。ちなみに交戦者はそこに座るホークアイ女史」

 一同の視線が向けられる中、既に数杯のカクテルを口にして程よく頬に赤みが差し、サングラスに隠れた眼はとろんとしている。

 視線に気づき、無言のまま――Vサインを出すホークアイ。なんだかんだで普段は冷静沈着な彼女も、先から延々と酒を口にしていれば酔いもする。

 スノーはおどおどしながら飲み物を頼み、サンシーカーとルナは食べながら楽しそうにキャッキャウフフと話をしている。

 と――

「なん……だと……!?」

 血相変えて壇上に上がったのはオランジュだった。

「唐突すぎんだろうが!?」

 胸倉を掴み上げられるメテオラは――だが、不思議そうに首を傾げていた。

「お嫌でしたか?」

「馬鹿野郎、大好きに決まってんだろうが」

 亡国機業、シャルロッ党突撃隊長たるオランジュは、満面の笑みを浮かべていた。

 対してメテオラは、うんざりとした顔で相手を押しのけていた。

「はい、気持ち悪いんで、ちょっと離れてくださいね」

「さり気に酷いこと言ってね?」

「気のせいでしょう」

 ステージで言い合うふたりはさておき、シャルロットの映像は、逐一 ここぞというところは表情をアップに映されている。

 なんと言えばいいのだろうか。男の求める角度を余すことなく捉えている、とでもいうべきか。実に良いタイミングでアングルが切り替わるのだ。

 が――

 何の前触れもなく、そこで映像はぶつと途切れていた。

 打ち切られたことに男たちから「ああっ」と残念そうな声音が漏れる。

 ぶーぶーと非難がましく、もっと見せろとごねる連中を相手にせず、メテオラは淡々と告げていた。

「これ以上は御見せできません。欲しければ自力で手に入れてください。断っておきますが、映像のシャルロット嬢は脱ぎません。あくまでも、苦悶に歪む彼女の表情のみです。変な期待はしないように。手に入れてどうこうしようが知ったことじゃないんで、言わせんな恥ずかしい。ちなみに、複製データはありません。これ一点の原本限り。さー、あなたたち、欲しけりゃ殺しあって奪い取れーい」

 この言葉に俄然やる気を見せているのは、オランジュのみ――ではなかった。アイゼンといった他の党員たちもどこか乗り気だったりする。

 それは何故か。

 答えは至極簡単であり、情けないこと。

 映像に写るシャルロットの表情が悩ましげだったからだ。

 それは、シャルロッ党員ではない連中でさえ、心を動かされたといっても過言ではない。

 ブラックラビッ党、オルコッ党、セカン党、ファース党――

 己が唯一と崇拝する偶像を重複するなど言語道断。

 だが、心のどこか、隙間から囁かれるは悪魔の言葉。

「たまにはいいんじゃない?」

 誘惑に容易く打ち負けるとは、己が信念の脆さを意味する。万死に値するのは十分と言えよう。

 ――が。

 女神は囁く、この映像に打ち克ってこそ、真の愛党者。これは己が信念を試すべきための試練であると。

 まあ、簡単に言ってしまえば、なんだかんだと建前をでっち上げればどうとでもなる、ということなのだが。

 すべからく、男という生き物の「サガ」と言ったところか。

 気合も十分に男たちは戦線に乗り込んでいた。

「いよーっし、ならさっさとはじめんぞ!」

「おー、ノリがいいですね皆さま方。なら、開始金額は10万から――」

「いきなりハードル高ぇなオイっ!?」

「足元見やがって畜生ッ!!」

「誰か金貸してくれええぇぇ!!」

 メテオラの告げる金額に出だしで幾人かが挫かれる。

 阿鼻叫喚とした叫びの狂宴を耳にしながら、ホークアイはカクテルを喉に流し、スノーはコーラを飲み、サンシーカーはもぐもぐとハンバーガーを食べ、ルナはアイスクリームを口にしていた。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 臨時収入によって、いい感じに懐具合も温まったホークアイ。サンシーカー、スノーの三人は帰途につく。

 遅い時間であるはずが、人の波は途切れていない。

「はー、お腹いっぱい」

 ホークアイの手を握り、横を歩くサンシーカーは満足そうに呟いていた。

「サニ、退屈じゃなかった?」

「ううん。ルナとお友達になれたし、お話できたし。ちょっとお酒と煙草臭かったけれど」

 サンシーカーにとって、地下室での出来事は良くわからなかった。

 男たちは事ある度に騒ぎ、叫び、泣き、笑う。表情の変化にびっくりはしながらも、それでも楽しんでいる、ということは彼女でもなんとなく察しはついていた。

 同年代ぐらいの少女――ルナ、と名乗る子と仲良くなれたことが、彼女にとっての一番の収穫であろう。

 得意気になってルナが口にする内容も、サンシーカーにとっては良くわからないことばかりだった。ただひとつはっきりとしたことは、ルナという子は、すごく頭のいい子なのだろうと捉えていた。

 スノーはスノーで終始言葉少なく、びくびくしながら出された料理や飲み物を口にしていた。決して嫌がっている素振りもない。

「お土産もいっぱいもらったし、帰ってからスコールと一緒に食べようね。オータムも来ればよかったのに」

「…………」

 帰ってからまた食べる気なのかと呆れるスノーと笑うサンシーカー。なんだかんだとふたりとも楽しめていたことに対してホークアイは内心安堵し――

 ふと、表情を強張らせ、背後を振り返っていた。

「どうかした?」

「……いや、なんでもない……」

 声をかけてくるスノーにそう返答し、ホークアイは向き直る。

 今すれ違った鼻唄を口ずさむ少女は、どこかで見たような気がするのだが、それが思い出せない。

 しかし――

 狐を模したような髪留め、どこか眠たそうな表情、サイズに合わぬダルダルの袖をぶんぶか振り回している格好は、一目見て決して忘れることがない十分すぎるインパクトであるはずなのだが。

 やがて少女の姿は雑踏の中へと消えていく。

 単なる自分の気のせいかと思い直し、ホークアイはサンシーカーとスノーの手を取り、駅へと向かって歩いていった。




 四季の歓喜さんのオリキャラ亡国機業メンバーと絡ませたかっただけ。
 それだけに尽きます。
 って、か、絡んでねぇーっ。


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幕間EX2 生徒会室での喧騒

「49」の前に完全な外伝です。
本編に関係なく時系列は特にありません。原作で言うと七巻後ぐらいでしょうか。


「時代は『ゆるキャラ』だと思うの」

「…………」

 とある放課後――

 生徒会の事務も一段落し、休憩がてらのお茶を楽しんでいたところに楯無が口にした台詞。

 お茶請けとして用意されていたクッキーに手を伸ばしていた士郎は無言。相手の告げた内容が理解できていないわけではない。むしろ、この場で唐突に話題に出されるとは思いもしなかっただけに。

 ISのこと、学業のこと、プライベートなこと、会話で交わしていた事柄はさまざまであった。

 その一区切りとしてか、ところでと前置きした上で彼女の口から発せられたのが冒頭の台詞である。

「時代は、『ゆるキャラ』だと思うのよ」

「…………」

 再度同じ言葉を口にする彼女ではあるが、やはり士郎は特に反応を示すこともなく無言のまま。

 摘んだクッキーを口元へ運び――かきりと齧り彼。

 口の中に広がるアーモンドの旨み、ざくざくとした食感。

 アーモンドペーストを練り込んだクッキーを十分咀嚼し飲み込むと――ついで、ティーカップを手に取ると、注がれていた紅茶を口に含み喉を潤していた。

 ようやくして彼は口を開いていた。

「……お前は、何を言っているんだ?」

「時代は――」

「いや、それはもういいから」

 三度同じ台詞を口にしようとする楯無を手で制し士郎。

「そうじゃなくて、どういう意味で言ってるんだ?」

 話の脈絡も無く、突然『ゆるキャラ』のことを熱く語りはじめる楯無に対し、士郎としてはどのように接してよいのか困惑するのは当然のことであろう。

 フフン、と何故か勝ち誇った笑みを浮かべた彼女は続ける。

「『ゆるキャラ』ていうのはね、それなりに経済効果があるのよ」

「…………」

 その指摘は士郎とてわからなくはない。

 とある会社がマスコットキャラクターを設けたことによって、その年の売上は前年度を大きく上回る結果を示した例もある。

 『ゆるキャラ』とは、『ゆるいマスコットキャラクター』の名称を略したものである。

 国や都道府県はもとより、地方公共団体、公共機関、大企業がさまざまなキャラクターを起用している。

 多くの『ゆるキャラ』と呼ばれる存在は、ここ最近特にその数が増えていると士郎は感じていた。何気なくテレビを見ていれば、なにかしらのキャラクターが出ていることが多々ある。

 特にマスメディアに大きく取り上げられているのは、果物の梨をモチーフにしたといわれる『ゆるキャラ』である。

 トリッキーな動き、特徴のある口調、テンションが高くなると奇声を発するなど、一目見て『ヤバイ』というのが士郎の認識である。

 たまたま一緒に見ていたセイバーに至っては――

「……面妖な……物の怪の類でしょうか……?」

 よもや新手のサーヴァントですか、などと言わしめるほどに。

 とにかく、二匹目のドジョウを狙うかのように、とみに『ゆるキャラ』というものは数が多い。

 ISに関する企業メーカーの何社かは、こぞって自社のマスコットキャラクターとして着ぐるみを作成している。

 現に士郎も、シャルロットからデュノア社がプロモーションキャラクターとして登用する話が出ていると耳にしていた。

「恥ずかしい話なんだけれどさ……正直言って、デュノア社はちょっと低迷してるんだ。それで、ウチも参入するかもしれないらしくてさ」

 苦笑するシャルロットの顔を思い出していた士郎ではあるが――

「IS学園も、昨今の『ゆるキャラ』ブームの煽りを受けて立案してみようと思うのよ」

「…………」

 はっきりと言って、士郎は呆れるしかなかった。またコイツは余計なモノを取り入れるつもりか、と頭を痛ませ静かに嘆息する。

 そもそも、IS学園の『ゆるキャラ』という以上は学園をモチーフにしたキャラクターであるべきであろう。

 では、果たして該当するのはどのようなデザインであるというのか――?

「…………」

 思案顔となるのだが、まったく想像できない、というのが士郎の正直な心情である。

 と――

「士郎くん、どんなものか想像がつかないってところでしょう?」

「…………」

 顔に出ていたのだろう。さり気ない楯無の指摘に士郎は素直に頷いていた。

 満足そうに彼女は笑う。

「そうだろうと思って、実は既に案を用意してるのよ」

「…………」

 こういうことに関しての行動は迅速だなと彼は感じていた。

 ニコニコしながらノートパソコンを立ち上げる彼女。なんだかんだと楽しんでいるのが容易にわかる。

 強引かつマイペース、トラブルメーカーたる彼女の行動によって、余計な煽りを受けて振り回されるのは勘弁願いたいと思いはするのだが――

 嬉しそうに笑顔を見せられてしまっては、楯無が愉しんでいるのならば良いことではないのかとも士郎は思ってしまっていた。

 片や面倒事を阻止していながらも、片や面倒事を容認していたりする。両極性を受け入れている自分自身をなんだかなと捉えながら彼。

「これこれ。イメージとしては、こんな感じなんだけれど。プロモーションビデオを作ってみたの」

「どれどれ」

 ソファから腰を上げ、楯無が起動させたノートパソコンの画面を覗きこみ――

 先ほどの彼女に対する心象は、音を立てて崩れることとなる。

「名前は『たてなっしー』ていうんだけれど」

「…………」

「どうどう? 可愛くない?」

 賛同を求める楯無ではあるが――

「可愛くない」

 士郎は否定の意味での言葉を即答で告げていた。

「ウソ、可愛いでしょう?」

「……可愛くない」

「よく見てよ。ほらほら」

「何度見ても可愛くないって! そもそも、これ、パクリだろっ!?」

 声を荒げる士郎はもっともであった。なにしろ、彼が眼にしているディスプレイには、梨をモチーフにした人気『ゆるキャラ』に大変酷似したキャラクターが楯無に扮し、奇声を発し、跳んだりはねたりしている姿が映っているのだから。

「なにやってんだよ……なにパチモンなんか作ってんだよ」

 呆れ果てる士郎であるが、楯無はわかってないわねと洩らし、チッチッチッと舌を鳴らして指を振る。

「パクリじゃないわよ。イ・ン・ス・パ・イ・ア」

「コレは、どう見てもアウトだろうが!」

「わかってないわね。『たてなっしー』は、梨の妖精でもなんでもないのよ。たまたま発想の方向性が似ちゃっただけだし」

「何が似ちゃっただよ! 意図的に似せただけだろコレ! なに考えてんだよ!」

 士郎の指摘を――楯無は然も当然のように、華麗にスルーしていた。

「語尾が特徴で、『なっしー』て口癖なの。『たてなし汁ブシャー』とか――」

「だからソレがパクリだって言ってんだろ!? 丸パクリじゃないかよっ!」

「ノンノンノン。リ・ス・ペ・ク・ト」

「…………」

 一語一語敢えて強調してくる姿勢が、士郎を若干イラつかせていた。

「それに、パクリパクリって言うけれど、『たてなっしー』には、ちゃんとしたオリジナルの設定があるのよ」

「設定ねぇ……」

 何を言っても聴き入れない相手に、呆れ果てている士郎は期待もしていない。

 彼女が口にする設定というのも正直に言って、もはやこの時点で興味はあまりなかったりする。

「聴いて驚かないでよ……なんと! この『たてなっしー』には」

「妹がひとりいて、名前は『かんざっしー』なんですよ、とか言うんじゃないだろうな?」

「――――」

 意気揚々と言葉を紡ごうとしていた楯無の口は開かれたまま。人差し指さえ立てた恰好である。

 一度虚空に視線が動き、だが、すぐに士郎へと戻されていた。

「……士郎くん、どうしてわかったの? もしかして、あなたって、エスパー?」

「アホだろ。どう考えたって、簡単に予想がつくだろっ! それに、こんなのがもう一体存在するだなんて、あまりにもカオス過ぎるだろうがっ!?」

「簡単に予想がつくだなんて、それほどまでにおねーさんのことをわかってくれてるってことなのね」

 頬に手をあて、いやんと恥らう彼女。見入る士郎は半眼に近かったが。相手の頭の中は、あまりにもお花畑すぎる。

「……お前、この状況でよくそういう風に捉えられるよな。心底感心するよ」

「もう、褒めすぎよ?」

「誰も褒めてないし――て言うか、もう動画はいいから。何度も再生するな」

「オッケー。じゃ、早速着てみてくれる?」

「…………」

 無言となり、静寂が場を包む。

(……着る?) 

 何を言っているのか、士郎の思考は追いついていなかった。

 言葉の意味を理解できていない彼をそのままに、席を立った楯無は室内に置かれていた大きめのクローゼットへと歩み寄り、その戸口を開いていた。

「…………」

「さ、それじゃ着てみて」

 ずんぐりむっくりした姿容(しよう)。散々見せられていた『たてなっしー』の実物がそこに鎮座していた。

 士郎は無言のままであり唖然である。口さえぽかんと開かれていた。

 それもそのはずであろう。イメージだ何だと口にしていたものが、実際に眼の前に現存しているのだから。

 楯無は何故かふふんと勝ち誇った笑みを浮かべている。

「お前なぁ……」

 用意周到というか、なんというか……唯一はっきりとしていることは、士郎は、ただただ頭が痛かった。

「そこまで準備してるんなら、自分が着ればいいだろう?」

 至極全うな意見であろう。

 しかし――

 楯無は眼をぱちくりとさせ、不思議そうな顔をしていた。

「……なんでわたしがこんなの着るの? 着るわけないじゃない。士郎くん、アナタ、頭大丈夫?」

「お前が自分で振った話だろ」

 どうしてこちらの頭を心配されなくてはならないのか――?

 心配されるべきなのは、お前の頭の方だろうが――

 着なさい、嫌だよ、お前が着ればいいだろう、どうしてわたしがこんな恥ずかしい恰好にならなくちゃいけないの、などと言い合う始末。

 と、見切りをつけたのは士郎である。いつまでもこんなことに時間を割かれているわけにもいかぬ用事があるために。

「……まあ、なんだ……なんにせよ、用件はこれで終わりか? なら悪いけれどさ、俺、この後簪と約束事があるからさ」

 これで失礼するよと断りを入れて部屋を出ていこうとするのだが、瞬時加速(イグニッション・ブースト)並みに走り込んだ楯無は腕を伸ばし士郎の肩を掴んでいた。

「え? ごめんなさい。よく聴こえなかったわ。もう一度言ってくれる?」

「いや、だから……俺、この後に簪と約束事が……って、お前、なんて顔してるんだよ……」

 睨みつけるかのごとく、眼は吊り上げ、口元は引きつり、ギリと歯を食いしばる彼女。どうして憎悪に満ちた眼差しを向けられているのか士郎は皆目見当がつかなかった。

 心なしか、肩を掴んでいる指先にも力が篭っていた。

「簪ちゃんに何をする気っ……? わたしの眼が黒いうちは許さないわよ」

「はあ? お前、何言ってるんだよ……あのなぁ、落ち着けっての。ただアニメ見るだけだよ」

「……アニメ?」

「そ。アニメ」

 告げられた言葉に思わず訊き返していた彼女であるが、眉間をしかめて訝しむ表情は変わっていない。

「どこで?」

「……どこって、簪の部屋に決まってるだろ」

「いかがわしいことをする気ね!」

「なんでさ。もう時間だから、じゃあな」

 言って、これ以上相手にしてられないと悟る士郎は足早に離れようとするのだが――

 楯無の残るもう片方の手もまた伸ばされ、逃がすまいと肩を強く掴み留めていた。

「……おい……だから、俺約束があるんだっての」

 士郎の声を――相手は聴いていなかった。

「なら、わたしも一緒に行く」

「……なんでそうなるのさ」

 刹那――

 楯無は、それ見たことかといった『貌』をする。

「ほらごらんなさい! ボロが出たわよ。本音を洩らしたわね。いかがわしい事を考えていなければ、わたしが同席するのなんて問題ないハズでしょう」

 得意気になって指摘する彼女ではあるが、対照に士郎は完全に呆れ果てるだけだった。

「……阿呆か? 決めるのは簪本人だろうが」

「簪ちゃんに変な気を起こすつもりなんでしょう! 口にするのもおぞましく、いやらしいことをする気ね! 羨ましい!」

「だから、なんでさ」

「泣き叫んで嫌がる簪ちゃんに、見境なく理性を失った野獣の如く欲望のままに襲いかかるつもりね……イイ人ぶった皮をかぶっておきながら、その実、とんだ鬼畜魔だったとは思わなかったわ」

「ああ悪い。聴いた俺が馬鹿だった……言っても無駄だとは思うけれど、なんで俺が簪相手にそんなことをするんだよ? するわけないだろう? よく考えてみてくれよ」

 はあやれやれと息を漏らす士郎ではあるが――

 突如として、楯無の『貌』は真顔――むしろ能面に近い――となっていた。

「『簪相手』……? なに、その軽んじた言い方……この世界で一番大切なわたしの簪ちゃんに、まるで魅力がないとでも言うつもり?」

 紡がれる声音にすら冷ややかさが含まれている。

「わたしのって、お前……結局どう応えようとも、イラついたままだろうが。どうしろっていうんだよ」

 掴まれる肩をいい加減に離してくれと告げて彼。

 頬を膨らませ、恨みがましくむうと呻く楯無ではあるが……思いついたとばかりに脳裏には光明が差し込んでいた。

「ならここで見ればいいじゃないのよ。おっきなテレビもあるんだから」

 彼女の言うように、生徒会室にはオーディオビジュアル機材がそれなりに完備されており、テレビも相応のサイズが置かれている。

 とは言えど、それは楯無の勝手な言い分にしか他ならない。士郎は本気で眩暈を覚えていた。

「あのなぁ……簪の自室だって、落ち着いて見れるからに決まってるだろうが」

 簪の性格上、人の多いところは好きではない。結果、彼女が心置きなく落ち着ける場所など自然と決まってくる。

 だが、楯無は聴いてはいなかった。自分の要求が通らないとわかるや否や、再度口を開いていた。

「だいたいおかしいじゃない! なんで士郎くんは、簪ちゃんの誘いを受けてるのよ!」

 断ればいいじゃないと理不尽なことを口にする。

 妹を心配するあまり、ふたりきりにでもなって何か間違いが起こらないとも限らないとの彼女の指摘はわからなくもない。

 しかし――

「きちんとした手順を踏んで、お互い清い交際からはじめない限り、わたしは認めないわよ!? 簪ちゃんにタカるこの羽虫がっ!」

「……お前……簪のことになると、ホント見境ないよな……?」

 その情熱をもっと別のことにも活かせよと洩らす士郎ではあるが、やはり楯無は聴いてはいない。

「それぐらい心配してるってことよ。いやんもう、言わせんな恥ずかしい」

「……阿呆か?」

 このままでは状況は泥沼と化すだけだと悟る彼は、面倒だと感じながらも、きちんと説明し出していた。

「そもそもだ……たまたま簪の好きなアニメの話になって、熱く語るから、そこまで言うなら興味本位で観てみたいなって応えただけだよ」

 そうしたら、おススメを用意するから是非観ようと押し切られていた、と一連の流れを告げていた。

 話を聴き終えた楯無は――

「……ずるい」

「は?」

「ずるいずるい! ずるいずるいわ! わたしも簪ちゃんとイチャイチャしたい! ラブラブチュッチュッしたいっ!」

「ら、らぶら……? なんでそうなるんだよ。知らないよ」

 と――

 名案を思いついたとばかりに彼女の態度は唐突に豹変していた。

「ねぇ、士郎くぅん」

「断る」

 猫なで声で擦り寄って来る相手を邪険に扱い、彼は一言の元にばっさりと斬り捨てるだけ。

「まだ何も言ってないじゃない」

「だから断ったんだろ。お前がそんな変な声洩らしてるんだから」

「色っぽいでしょ?」

 うふん、と色目を使う楯無ではあるが、士郎は身体をぶるりと震わせていた。

「どこがだよ。びっくりするほどの悪寒で背筋が一気にぞわぞわしたぞ。どう見たって何かよからぬことを考えてるって証拠だろうが」

「あらやだ酷いわ! 根拠のない言いがかりよ! 人を見かけで判断するなんて最低よ! 精神的苦痛により、繊細すぎるわたしのピュアなガラスのハートは大変傷ついたわ!」

「…………」

「よって、士郎くんには謝罪と賠償を請求するわ! 誠意を持って対応してもらうためにも、あなたからわたしも混ぜてくれるように、簪ちゃんにお願いしてほしいなぁー」

「面倒くさいヤツだなぁ……お前は本当に……」

「ね、ね、イイでしょう? この通り、お願いだから」

 眼の前で両手を合わせ、拝み倒すかのように彼女。

 不本意なれど、頼まれればそれなりに助けてあげたいとしばし黙考していた士郎ではあるが――

 やがては、静かに首を振っていた。

「理由はどうあれ、俺を使って話を通すよりは、自分で話を通した方がいいと思うぞ」

「…………」

「それにだ。こればっかりは、簪本人の許可がないとやっぱりダメだと思う。俺が勝手に決めていいことじゃないと思うし」

「…………」

 だから直接話して許可をもらった方がいいと言って聴かせていた。

 一見して、士郎の言動は冷たい態度にとられるかもしれないが、それなりにフォローはするつもりではいる。

 大事なことは、他人を使わずに自分で伝えるべきだということである。その過程、結果で不足していた部分があるとすれば、そこは補助しようというのが彼の考えであった。

 が――

「だ……」

「……だ?」

 若干涙声となっている楯無は、視線をあらぬ方へと彷徨わせていた。

「だって……簪ちゃんたら、わたしのこと……まだ避けてるんだもん……」

「……そりゃまあ、ある意味避けられるようなことしてるからだろうけれど」

 スキンシップを計ろうとしているのはわかるのだが、楯無は些か間違えている節があった。

 姉妹仲良くなるのはいいことであろう。だが、何事にも手順、限度というものが存在する。今の簪は、昔と比べて楯無との間に壁は作らなくなっていた。とは言えども、完全にではない。

 わだかまりがなくなったとは言っても、気持ちの整理は当然必要である。少しずつ打ち解けていくのが合理的であるともいえる。

 にもかかわらず、楯無は時間があれば簪とベッタリしたいというのが心情であった。今の今まで冷え切った姉妹間に変化が生まれ、嬉しいということはわからなくもない。だが、先も述べたが程度というものはどうしても存在してしまう。

 簪とて、姉の楯無との仲を修復したくないなどとは思ってもいない。だが、簪の考えと楯無の考えが必ずしも一致するとは限らなかった。

 片や時間をかけてゆっくりと。片や時間をかけず速やかに。

 この隔たりが、簪の心情に戸惑いを生み出すかたちとなってしまっていた。具体的にどんなことを強要されるのかといえば、一緒にご飯食べましょう、一緒にお風呂に入りましょう、一緒に寝ましょう、などといった事案である。それも毎日――食事に関しては更に朝昼晩だが――であれば、簪とて思うことがあろう。プライベートの時間も何もなく、ほぼ拘束されるようなものなのだから。

 楯無は、もう少し妹の心情を理解してあげるべきなのであるが。

「…………」

 なんとなく察した士郎は簪のことも考えて距離を置いてみろと教えるのだが――

「ま、待って待って! お願いだから見捨てないでっ! 士郎くんに見捨てられたら、わたしはどうすればいいのっ!?」

 普段は飄々としているクセに、妹のこととなると一気に弱腰になる彼女。

 腰にしがみついて引きとめようとする楯無をずるずると引きずりながら、士郎はどうしたものかと溜め息を漏らしていた。

 と――

「……なにやってるの……? お姉ちゃん……」

 不意に割り込む第三者の声音。

 振り返って見れば――戸口に立っているのは、件の相手、簪であった。

「か、簪ちゃんっ!? まさか、おねーちゃんに会いに来てくれたのっ!?」

 陰っていた表情は一変し、花が咲いたかのように輝きを取り戻す。

 士郎の腰から手を離し――さり気なく邪魔だとばかりに彼を突き飛ばしてもいたのだが――膝の埃をパタパタと払いながら、足取り軽く楯無は簪へと歩み寄っていた。

 しかし――

 簪は一歩後ろに下がりながら返答する。

「……違う……用があるのは、衛宮くんだけ……本音から生徒会室に居るって聴いたから」

「あ、あら……そう?」

 士郎に用があったとの返答に、楯無は然もがっかりしたように肩を落としていた。しかし、それでも簪に会えたことは嬉しいのだろう。気丈を振舞う姿は、見ていてどこか痛々しかったりする。

 簪にとっては、恐らく、時間になっても来ない士郎を迎えに来たのだろう。約束を反故されたのかといった心配もなかったわけではないのだが。

「悪い簪、時間になったのに遅れてて」

「……ううん、別にいい……無理やり誘ったのは、わたしの方だから……衛宮くんにも、いろいろ都合があると思うし……」

「…………」

 そんなふたりのやり取りを見て、ひとり面白くなさそうな顔をするのは、何を隠そう楯無である。

 完全なアウェー。完全な疎外感を味合わされている。

(……何、このデートの待ち合わせに遅れてきたようなカップルじみた会話は……)

 恨み、辛み、妬み、嫉み――つい親指の爪をがじがじと齧っている彼女の姿を視界におさめている士郎は居心地が悪かった。

 以前学園祭時に、箒とセシリア、シャルロット、ラウラの四人から向けられた負の感情が織り交ざった眼差しと同じである。後で修復する手伝いはいくらでもするからと心で詫びながら。一方の簪は背を向けているため後ろの姉の姿に気づいてはいなかった。

「……ところで……」

 不意に、簪の視線が移動する。

「……()()()()……?」

 簪が指摘するアレとは、嫌でも眼につく『たてなっしー』である。

 クローゼットは開かれたままであり、例えるならば、その異形からは怪しい雰囲気が醸し出されているといえよう。

 だが、楯無にとっては簪が興味を持ったと誤った判断を下していた。

「あ、気になる? 気になっちゃった? 気になるわよねェ、簪ちゃん」

 士郎が止める間もなく、キタコレとばかりに妹の手を取り得意気になって説明する姉は至極嬉しそうに。

「…………」

 先ほど士郎に聴かせた内容を、今一度簪にも話す楯無ではあるが――やはり彼と同じように、好い反応は示していない。

 むしろ姉妹設定という『かんざっしー』の存在を出された途端に露骨に表情は嫌そうな顔へと変わっていたのだが。

 そこで士郎は割って入るように声をかけていた。

「だいたい、マスコット的なもので言うとするならば、IS学園に縁があるものを起用すればいいんじゃないかな?」

「例えば?」

 疑問を疑問で問いかけてくる楯無に、士郎はさらりと切り返していた。

「ここはIS学園だろう? 着眼点はそれこそISとかさ。何処にも属さない学園だけの専用機、この響きと存在とかなら広告塔としてもバッチリじゃないか。なにも『ゆるキャラ』にこだわる必要もないと思うし」

「…………」

 士郎の提案に、賛同の意を篭めて簪は無言のままこくこくと頷いている。そういう類は、彼女がもっとも好む趣向領域であるからだ。

 何よりも、IS学園だけの専用機、との言葉に胸は弾み、心は躍る。

 だというのに――

「却下。それじゃつまらないわ。メディアミックス展開としては、パンチが足りないわね」

「つまるつまらないの話か、コレ……それに、なんだそのメディアミックスって……グッズ戦略で言ってるつもりか?」

 士郎の指摘を――楯無は敢えて聴き流して『たてなっしー』へとスキップさながら寄っていた。

「相変わらず聴いてないし……ったく……でもまぁ、そういう意味でのことであれば、あとは……織斑先生かな?」

「……織斑先生?」

 何気なく呟かれた彼の言葉を聴き捉えた簪もまた問いかけていた。

「『ブリュンヒルデ』と呼ばれる先生を広告塔に……て、そういう類のことは、あの先生は嫌がりそうだからなぁ」

 頭を掻き士郎。

 そう言いながらも、つい想像してしまったのは、二頭身で小さく可愛い印象を表現する姿であった。

 終始胸の前で腕を組み、三白眼に、への字口といった仏頂面。織斑千冬の特徴を誇張し、イメージを十分掴んだデザインであろう。

 なんとなく簪も想像がついたのだろう。彼女も話に便乗していた。

「……織斑先生なだけに……『ちふゆっしー』とか?」

「『ちふゆっしー』かぁ」

 そこでふたりは無言となると、合わせたかのように虚空へと視線を向けていた。

『…………』

 どちらかと言えば、『たてなっしー』よりも『ちふゆっしー』の方がIS学園の『ゆるキャラ』として相応しいのではなかろうか、とまったく同じことを考えていた。

 そんなふたりの会話をまるっきり聴いていなかった楯無は、ブレることなく、ひとりマイペースを保持したままに。

「まあまあ、実際に動いてみれば可愛いことに気づくって。ね? 簪ちゃんも、動いているところ見てみたいわよね? ね?」

「……え? あ、え……? あ……うん……」

 勢いに圧され、簪は思わずそう応えてしまっていた。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「ほら、簪ちゃんも見てみたいって言うんだから着た着た」

 そう言って、半ば強引に無理やり着させられた士郎はもう既に怒りの感情すら湧かなかった。

 いざ実際着てみれば、思ったよりも重くなく、むしろ軽かった。視界も良好であり、着ぐるみ内でありながらも快適であり蒸すことも息苦しくもない。

 外装は特殊繊維で作られており、生半可な銃弾すら無力化する防弾性能を持ち、弾丸だけではなく対防刃にも優れているという。

「内側は対衝撃吸収仕様。指向性マイク完備、内部にあるセンサーの切り替えで暗視装置システムも起動するわよ。他にも、サーモグラフィといった各種探知システムに加えて、簡易ハイパーセンサーも積まれて充実してるし」

 得意気に説明する楯無ではあるが、士郎は呆れるしかない。全て着ぐるみには不要であるべき装備である。

「お前の頭の中では、一体全体何と戦っているのを想定されているんだ?」

「…………」

 対照に、簪は表情の変化もなければ声さえ出してはいない。だが、その内心はどこか少し興奮していたりする。いわゆる人間サイズのロボットという認識であるからだ。興味津々と言った眼差しで見入っていたりするのは秘密である。

 楯無による解説は続く。

「腰に下げられてる棒状のものがあるでしょう? そう、それ」

「これか?」

 言われるままに腰辺りに手を伸ばせば何か硬いものに触れていた。

 形状としてはどこかで見たようなデザインであった。それが何かとわかったのは、楯無がいつも手にする扇子である。

「これ、お前がいつも持ってる扇子だな? なるほど。こういった小物も共有してるってわけか」

 ひとり納得し、こくこくと頷いていた士郎こと『たてなっしー』ではあったが、楯無はニコリと微笑んでいた。

「ぶっぶー、残念でしたー。それはスタンロッドで」

「なんでさっ!? なんで武器なんて仕込んでるんだよ!? 明らかに不要だろコレはっ! どう考えても、ここは普通扇子だろっ!?」

 両手を挙げて――表現では振るだけであるが――ちまちまと動く姿を見て、簪は思わず可愛いと呟いていた。

 説明の途中であったのを遮られた楯無はパタパタと手を振り話を続ける。

「やーねぇ。護身用に決まってるじゃない。今の世の中なんて、ちょっと怖いことが平気で起こる時代よ? 何かあったからでは遅いの。用心に越したことはないじゃない」

「ま、まあ、ソレはわからなくはないけれど」

 言われてみればそれもそうかと納得する士郎ではあるが、ひとり簪だけは違っていた。

(……あれ? さっき……お姉ちゃんは、外装は防刃防弾仕様って言ってたんじゃ……)

 小首を傾げるそんな彼女の胸中の疑問はさておき、楯無の説明は続いていた。

「それに、スタンロッドなんて名前だけれど、ほんのちょっとだけビリッとするぐらいよ?」

「そ、そうなのか?」

「ええ。象さえ一撃で即昏倒させるシロモノ」

 ニコリと微笑を湛えながらVサインを決める楯無はなんと愉しそうなことか。

 だが――

 士郎にとっては十二分に声を荒げる内容であった。手にしていた物騒な棒状のものは投げ捨てられ、からんからんと乾いた音を立てて部屋の隅へと転がっていく。

「おいぃぃっ!? ビリッじゃないだろッ!? どう考えても、バリバリバリバリッて言う効果音が相応しくて、黒焦げになる姿しか思いつかないだろっ!?」

「何言ってるのよ士郎くん、わかってないわね。()()()()()()()()()()。それに、黒焦げなんて生ぬるいわ。むしろ消し炭」

「余計酷いぞっ! お前、自分で言ってることが無茶苦茶だってことにホントは自覚してるだろう!? それに、護身用の域を余裕で超えてるだろうが! なんで加害行為大前提なんだよ!」

()()()()

「言い方変えれば、なんでもかんでも許されて通ると思うなよ!?」

「本当はビームかレーザーを射出するように頼んでたのに……すっごく残念」

「口にしてる言葉と顔が一致してないんだよっ! お前はっ!」

「……士郎くん、さっきから声を張り上げてて疲れない?」

「なに不思議そうに言ってるんだよっ! お前が疲れさせるようなことを言ってるんだろうがっ!」

 両手をばたばたと振り上げ抗議する『たてなっしー』に、簪はてこてこと歩み寄っていた。

「……結構、可愛いかも……」

 言って、彼女は『たてなっしー』をさすさすと撫でていた。

「……可愛い……」

 デザインはともかく、それは中の士郎の動きに対しての意味である。

 それが――

 楯無は少しばかり気に入らなかった。ありていに言えば、簪の言葉にかけられた相手への嫉妬である。

 故に――

 『たてなっしー』の背後に回り込んだ楯無は無数の蹴りを叩き込んでいた。

「憎い、憎いわ! 簪ちゃんに撫でられているアナタが憎すぎるっ!」

「逆恨みじゃないかよっ!」

「違うわ。八つ当たりよっ!」

「どっちも酷いだろ!」

「そんなことはどうでもいいのよ! 早く脱いでっ! 脱ぎなさいっ! わたしも着る! わたしも着て、簪ちゃんに撫で撫でされたいっ!」

「お前さっきは着たくないって言ってただろうがっ! 動機がすっごく不純すぎるぞっ!」

 そう言われればそれもそうかとあっさりと引き下がっていた。

「それもそうね。よくよく考えてみれば、何も着なくたっていいんだわ。ささ、遠慮しないで簪ちゃん。思う存分、好きなだけ、おねーちゃんの頭を撫でてくれていいのよ。わたしはいつでもオッケーだから!」

 両手を広げて『さあ、わたしの胸に飛び込んできて』と思しきポーズをとる楯無ではあるが――

「……イヤ」

 そんなウェルカム状態の相手に対し、簪は酷く冷めた眼差しを向けるに留まっていた。

「んもう、そんなに遠慮しなくていいのよ」

「…………」

 一歩ほど後ろに下がる簪を見て、士郎は手で制していた。

「本気で嫌がってるぽいから、あんまり無理強いするのはよくないぞ?」

 が――

 瞬時に、楯無の行動は迅速であった。

 『たてなっしー』を着込めば撫でてもらえるという希望を捨て切ってはいないようだった。

「士郎くん、やっぱり早く脱いでっ! わたしも着る! わたしも着て、簪ちゃんにいっぱい撫で撫でされたいっ!」

「今脱いで着たとしても、中身がお前だと丸わかりな上で撫でられるかどうかは簪次第なんだぞっ!?」

「いいから早く脱げって言ってるでしょ!? さっさとしないと、ブチ殺すわよっ!?」

「殺害宣告っ!? 落ち着けってのっ!!」

「うるっさいわねっ! だいたい、動きが甘い! もっと機敏に動く!」

「お前っ――」

 がすがすと再び繰り返される打撃の嵐。視界不良となる士郎へ蹴りを叩きこんでいた。

「なにすんだよ! やめろよ!」

 着ぐるみ姿の士郎が反論する恰好というのも、シュールな光景であろう。

「喋り方もおかしいのよっ! まだ声音に照れが残ってる! 捨て去るのよ! 恥じらいなんてものは、かなぐり捨てなさい! 今の自分は、卑しいブタ以下だと思うのよっ!」

 散々な言われようである。

「お前っ、後で覚えてろよっ!」

「違うって言ってんのよ! その場合は『覚えてろっしー』よ!」

 言って――

 『たてなっしー』の臀部付近にミドルキックを叩き込む彼女。

 一際いい音が鳴り響く中、内部でどこか身体を打ちつけた士郎――もとい『たてなっしー』は呻きを洩らす。

「ホントに覚えてろよ……」

「最後のイントネーションは高くする!」

「覚えてろっしーっ!!」

 ここまで来れば『たてなっしー』も既に自棄になっていた。

 と――

 先から向けられ続けている簪の白い視線にようやく気がついたのか――耐えられなくなったとも言えるが――取り乱していた楯無はこほんとひとつ小さな咳払いをしていた。

「ところで……ねえ、簪ちゃん?」

「……なに?」

 少しばかり警戒し、そっと『たてなっしー』の背後に隠れる彼女。

「あのね……」

「…………」

 僅かに楯無が詰め寄れば、その分簪は『たてなっしー』を軸に離れるだけである。

 距離が縮まらないことを悟った楯無は歩を止めると、両手を合わせ、やんわりと語りかけていた。

「たてなっ……士郎くんから聴いたんだけれど、アニメ観るって言ってたんでしょう?」

「…………」

 一瞬、簪の視線は『たてなっしー』へと向けられる。だが、すぐに戻されていた。その顔は「それで?」と物語っている。

「それでね、その、ね、あのね……」

「…………」

 なかなか本題に入ることが出来ず、両手の指を合わせて意味も無く動かし彼女。

 だが、意を決したのか言葉を紡ぐ。

「お、おねーちゃんも、簪ちゃんと一緒に、み、観たいかなーって」

「イヤ」

 思考という名の間もなく、即答である。

「ええとね、簪ちゃん」

「イヤ」

「だからね」

「イヤ」

「あの……」

「イヤ」

「…………」

「イヤ」

「……士郎くぅん……」

 助け舟を求めるが如く、若干涙声となる楯無は士郎に協力を仰ぐ。

 ――が。

「こうまで拒否されてる以上は、あきらめるのもひとつの道なっしなー」

 指摘通りのイントネーションと口癖で『たてなっしー』は楯無の肩をぽんぽんと叩いていた。

「憎いッ!」

 怒声とともに、八つ当たりのハイキックが『たてなっしー』の顎付近へと叩き込まれていた。

 しかし――

 眼の前で繰り返される蛮行に――ついに簪もまた声を荒げることとなる。

「いい加減にしてお姉ちゃん! さっきからどうして衛宮くんをイジメるのっ!? どうして衛宮くんを蹴ったりするのっ!? どうして衛宮くんに暴力を振るうのっ!? 衛宮くんがなにをしたっていうのっ!?」

 顔を赤くし姉に怒り、大丈夫衛宮くんと心配気に声をかける簪に――

 逆に楯無の顔色は酷く悪かった。怒られたことによって血の気がない顔色は、蒼を跳躍して白である。

 取り繕うように彼女は弁明をはじめていた。

「ち、違う――違うのよっ、簪ちゃんっ! こ、これは決して暴力やイジメとかじゃなくて、い、一種のフレンドシップというか、コミュニケーションの延長というか一環というか、なんというか――」

「……嫌い」

「――え?」

 わちゃわちゃと言い訳じみた姉を黙らせるように、真っ直ぐに睨みつけ、ぼそりと呟かれた簪の声音。だが、楯無は聴き逃してはいなかった。

 否定の言葉。

 三文字による拒絶の単語。

「衛宮くんに乱暴するお姉ちゃんなんて、嫌い……大っ嫌い……」

「――――」

「……最っ低……」

 その言葉が決め手となる。

 ずがーん、との効果音が似合いそうなほどに、落雷にでもあったかのように楯無は直立不動。

 絶句――

「……き、嫌い……?」

 この世の終わりだとでも言わんばかりの顔で、ふらふらと数歩ほど後ろによろめくと――楯無はその場でがくりと膝を付いていた。

「簪ちゃんに、嫌われた……」

 両手さえも付き、頭を垂れて意気消沈となり彼女。

「……嫌われた……」

「…………」

「……簪ちゃんに、嫌われた……」

「…………」

「もう……もう、おしまいだわ……一生顔も見たくないって……一緒に居る部屋の空気も吸いたくないって……」

「……誰もそこまで言ってないなっしよ?」

 『たてなっしー』のツッコミにさえ反応することなく、楯無はなおもひとりブツブツと呟いている。

 だが――

「ふ、ふふふ……」

 唐突に、楯無の両肩がピクリと揺らぐ。

 身体を起こし、ふらりと立ち上がると――斜に構えたその顔には、光を失った瞳に加えて、ニイと口の端を吊り上げた笑みを張り付かせていた。

 そのまま――

「もう、わたしはおしまいなのよっ! こうなったら士郎くんを殺して、わたしも死ぬわっ!」

「なんでなっしーっ!?」

「どいて簪ちゃんっ! ()()()()()()()!!」

「だから……いい加減にしてって言ってるでしょ、お姉ちゃんっ!」

 簪に被害が及ばぬように身を張る『たてなっしー』と――

 『たてなっしー』を亡き者にしようと動く楯無と――

 楯無を引き剥がそうと奮闘する簪と――

 三者三様、ぎゃあぎゃあと生徒会室で騒ぎ喚いているのだった。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「何を騒いでいるんだ、あの馬鹿は……」

 生徒会室がうるさくて敵わないとの苦情が職員室へ投げ込まれたことに、千冬は頭を悩ませていた。

 馬鹿騒ぎ――主に奇声を張り上げているとの報告を耳にする。

 相手は生徒会長の楯無である。一般生徒が静かにするように注意したとしても、大人しく聴くはずもない。であれば、生徒たちとて一計を案ずる他ならなかった。

 こちらの意見が通らないのなら、こちらの意見を通らせる者を立てる、と。それが織斑千冬であった。

「全く……本当に余計な面倒事を増やしてくれる」

 ぶつくさと文句を洩らしながらも千冬は生徒会室前へとやって来ていた。

 報告通りに、廊下にまで響くのは室内からの騒ぎ声である。

 こうまで騒いでいることに、彼女は少々疑問を感じていた。御目付け役と化しているはずの、布仏虚は一緒ではないのか、と。

「更識、何を騒いでいる……」

 ノックもせずに、扉を開いた千冬ではあるが――

「げえっ!? ち、ちふゆっしーっ!?」

 生徒会室に現れた千冬に、真っ先に反応したのは『たてなっしー』であった。

「…………」

 千冬は無言となっていた。それはそうだろう。扉を開けば、室内には楯無じみた着ぐるみが居るのだから。その脇に更識姉妹が立っているのもどういう状況なのか計り知れぬが。

 しかしながら、発せられた声音――裏声であるが――に、千冬は瞬時に着ぐるみの中に誰が入っているのかを見破っていた。

「誰が『ちふゆっしい』だ? それよりも……おい、その気が狂ったとしか思えんふざけた着ぐるみの中に入っている馬鹿は……その声は、よもや衛宮か? お前は、何をやっているんだ……?」

「ち、ちがうなっしー! たてなっしーなっしーよ? 衛、衛宮なんて知らないなっしー!」

 懸命に違うとアピールする『たてなっしー』ではあるが、千冬は確信を持って続けている。

「……衛宮、なにを馬鹿なことをしている……?」

 さすがの彼女(千冬)も、まさか士郎が馬鹿(楯無)と一緒になって騒いでいるとは思っていなかった。

「たてなっしーなっしーっ! 違うなっしーっ! 嵌められたなっしーっ!」

「……その耳障りな喋り方と動きをやめろ」

「なっしー!」

 頭を抱えて前後左右に激しく動きを見せるさまは、気が狂ったかのようにしか見えないだろう。

「その動きをやめろと言っているのがわからんのか? 加えて、更識妹……お前も何をやっているんだ?」

 矛先が簪に向くや否や――

 人をイラつかせる動きを見せていた『たてなっしー』であったが、不意にぴたりと止まると、簪へ向けられている千冬の視線を遮るように割り込み片手を挙げていた。

「あ、違いますよ織斑先生。簪は全く関係ないですから。彼女は、たまたま生徒会室に用があって立ち寄っただけですよ」

 真声で応え、さり気なく簪を千冬の対象外から外そうとする『たてなっしー』ではあるのだが――

「……間違いなく衛宮だな……? その中にいるのは」

「――し、しまったなっしーっ!? 謀られたなっしーっ!?」

 さすがに――千冬のこめかみには、青筋が浮かび上がっていた。

「だから、その耳障りな喋りをやめろと言っているんだ」

「なっしーっ!?」

 無理やり脱がそうと詰め寄る千冬ではあるが、身をそらした『たてなっしー』は転がるように――実際転がりながらだが――窓際へと追い込まれていた。

 何故にこうまで避けるのかと言うと、千冬に捕まりでもすれば何をされるかわからないがために士郎は焦りを浮かべている。

 一方の千冬から見れば、あんな着ぐるみを身に纏っていながらも、機動性は予想以上であったことに内心驚いていたりする。

 しかし、状況は以前『たてなっしー』にとっては不利なまま。

「ま、まずいなっしーっ!?」

 窓を背にし、逃げられないと悟るやいなや――

 『たてなっしー』は、ヒャッハー、と奇声を洩らすと、盛大な音を立てて背後の窓ガラスをぶち破り屋外へと飛び出していた。

「馬鹿者っ!?」

「衛宮くんっ!?」

 落ちた――!?

 さすがに窓を破って逃げるとは思わなかった千冬と簪は、突然のことに理性が追いついていなかった。

 唖然とするのは一瞬であったが、慌ててふたりは壊れた窓枠へと駆け寄り階下へと身を乗り出していた。

 が――

 ふたりが眼の当たりにしたものは、今まさに地面に叩きつけられるが、バウンドすると何事もなかったかのように着地し、そのまま一目散に駆けていく『たてなっしー』の姿であった。

 耐衝撃性に優れているのは伊達ではない。結構な高さから落ちたというのに、『たてなっしー』に損壊部分は見受けられなかった。

 当然のことではあるが、正体不明の着ぐるみが空から降ってくれば、たまたまその場に居合わせていた生徒たちからは驚き悲鳴も上がる。

 どよめく騒ぎを耳に捉え、駆けつけた教師や警備員らは不審者を取り押さえにかかっていた。弁明の余地なく捕まり拘束されそうになるが――『たてなっしー』は恰好に見合わぬ動きにより、捕まってはなるものかと掻い潜っては逃げ出していく。

 追っ手を振り切り、一目散に逃走する姿は圧巻であろう。

「…………」

 耐性衝撃は伊達ではない。

 理由はどうあれ、大事がなくてよかったとホッとする千冬ではあるが――その鋭い双眸は、とある箇所へと向けられていた。

 その先とは――

「何処へ行くつもりだ……()()()()?」

「――っ」

 抜け足差し足忍び足とばかりに、そろりと逃げ出そうとしていた楯無に声をかけるのは無論千冬である。

「あの衛宮が、あんな奇行に走るのは、お前が原因だな?」

「…………」

「ああ、訊ねたのがそもそもの間違いだったな。アイツと、素行不良のお前を比べて、どちらに問題があるかなど一目瞭然だ。訊くまでもない話だったな?」

「あら酷い」

 くるりと向き直った楯無は、何事もなかったかのように、平然とした表情を浮かべていた。

「なんのことでしょう? わたしには皆目見当が付きませんが? 士郎くんもいろいろとお疲れのようで、ストレスが溜まっていたんじゃないでしょうか?」

「ほう。お前は関与していないとでも言うつもりか?」

 腕を組み、嘲笑が混ざる千冬の問いかけに――楯無はふうと一息ついていた。

「ええ。全くもって、身に覚えがございませんから」

 軽薄そうな表情を貌に貼り付け、のたまう阿呆ひとり。

 わたしは知らぬ存ぜぬを徹底的に決め込む算段であり、事の全ての責任は士郎へとなすり付ける気満々である。

 だが――

 千冬はとうに楯無を見ていなかった。彼女の視線は簪へと向けられている。

 それは、この場で唯一まともな相手からの返答を得るために。人づきあいの悪い根暗な妹の方が、根明なお調子者の姉よりも素直であるからだ。

 故に――

「更識妹、このくだらん馬鹿げた騒動の、諸悪の根源はどこのどいつだ?」

「お姉ちゃんです」

 千冬の問いかけに対し、ぴっと指差し、けろりと見事に首謀者の名を暴露する簪であった。

「簪ちゃああんッッ!?」

 あっさりと犯人を売る妹に、姉は叫びを上げるだけ。

 簪はぷいとそっぽを向き、無視を決め込んでいた。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 その日の夜――

 自室で士郎と何気なくテレビを見入っていたセイバーは、ふと思い出したことを口にしていた。

「そういえばシロウ、知っていますか? なんでも今日の放課後、この学園に、あの梨の妖精に大変酷似した者が現れたそうです」

「…………」

「その者は何かするでもなく、奇声を発しながら、取り押さえようとする教員たちを千切っては投げ千切っては投げ、学園から逃走したとのことです。幸い生徒や学園に被害は何もなかったと聴きますが、何が目的で忍び込んだというのでしょうか」

「…………」

「たまたまその場に居合わせた、多数の目撃者の証言によると、その者の姿はどことなくタテナシにも似ていたとも聴きます。おかしな話だ。なによりも、にわかには信じられないのですが……空から降ってきたというのです。このことに、シロウはどう思いますか?」

「…………」

 と、そこで――

 先から一切何も口を挟まない士郎を不思議に思い、セイバーは視線を向けていた。

 視界に映るのは、顔面を蒼白にした彼。その表情からは、酷い疲労が窺い知れる。

 これにはさすがのセイバーも驚いていた。

「ど、どうしましたか、シロウ!? 顔色が優れないようですが?」

「……大丈夫だよ、大丈夫だから……」

「何を馬鹿なことを……それほどまでに蒼い顔をしていながら問題ないなど、悪い冗談にもほど遠い」

 士郎が身に持つ魔術回路に何かしらの異常があり、それで体調を崩しているのではなかろうか?

 慌てるセイバーではあるが、やんわりと――それでいて蒼白い顔はそのままに士郎は告げていた。

「いや、ホントに大丈夫だから……悪いけど、そんなに心配しないでくれて大丈夫だから……今日はいろいろとあって、ちょっと疲れただけだからさ……」

「…………」

 何か言いたそうな表情を浮かべるセイバーではあるが――士郎がそう応える以上は強くは意見しなかった。

「……そう、ですか? わかりました。ですがシロウ……くれぐれも、無理はしないでいただきたい。よろしいですね?」

「ああ、ごめん。心配かけた。ぐっすり休めば大丈夫だと思うからさ……」

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ひとり胸中で呟く彼は、静かに吐息を漏らしていたのだった。



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I.S.F 本編
1


 時刻は深夜――

 日課の土蔵での魔術訓練を終えた衛宮士郎は身体を伸ばし、大きく息を吐いていた。

 季節は夏に入り掛けてはいるが、夜ともなると若干肌寒い。

 座り続けて痺れた脚に力を入れて立ち上がる。土蔵を出た士郎は、月明かりに浮かぶ母屋へ見るとも無しに視線を向けていた。

 灯りはない。現在、各部屋の同居人たちは皆眠りに就いているのだろう。

 士郎は今一度、集中して凝った身体をほぐす為、大きく伸びをする。

 朝食は何にしようかなと考えながら歩き出し――不意に声を掛けられていた。

「お疲れ様です、シロウ」

 見ればセイバーが立っていた。態々労いの言葉を掛ける為に起きていたのだろう。晩い時間なのに律儀だなと感じながら彼は言う。

「起きてたのか? 寝ててくれて良かったのに」

「ふふ、そろそろ頃合かなと思いましたし。何より、今宵は月が綺麗です。何の気は無しに見上げてしまい、ついついと気が付けば時間が過ぎていました」

「確かに」

 一言漏らし、士郎もまた天を見上げる。

 雲の無い星空にハッキリと浮かぶ月。澄み切った夜の空にこれほどの満月を眼にすれば、思わず見惚れてしまうのにも頷ける。

 無言のまま、しばしふたりで風流に月見と耽りもしたが、いつまでもこうしている訳にも行かなかった。朝になればいつも通りの日常が待っている。皆の朝食、昼の弁当の準備等、用意しなくてはならないものがある。

 それを察したのか、セイバーは口を開いていた。

「シロウ、もう晩い。ゆっくり休んでください」

「ああ、そうするよ。そうだセイバー、セイバーはお昼に何が食べたい?」

「何でも。シロウが作ってくれるものであれば、私は何でも構いません」

 士郎の作る御飯は何をもっても美味しいです、私の心を満たしてくれます、と彼女。

 その返答に士郎は軽く笑っていた。

「何でもいいってのが、結構難しいんだけれどな」

「む」

 他愛も無い会話を交わしながら母屋へ戻り――唐突に異変は生じていた。

 士郎の足元から光が奔る。

「っ――」

 刹那の出来事に反応する間も無く、士郎の身体が光の中に包まれる。

「シロウ!?」

 咄嗟に叫び、彼の腕を掴むべくセイバーもまた光の中へ手を突き入れ――

「なっ――」

 伸びた光はセイバーをもまた包み呑み込んでいた。

 時間にしてみれば、僅か数秒の出来事だろう。光がすうっと消えた後には、何事も無かったかのように、虫の鳴く声すらも一切しない夜のしじまだけが残っていた。

 

 

「シロウ、起きてください」

「…………」

 身体を揺すられていた士郎はゆっくりと眼を覚ましていった。

「あ、れ……」

 眼の前には心配そうに見つめていたセイバーの顔があったが、此方に気づいたのが解ると、その表情に笑みを浮かばせていた。

「良かった……無事で」

 安堵するセイバーに対し、ようやく士郎は先までの出来事を思い出していた。

 身体を起こし、彼は問う。

「此処は……」

「……解りません」

 見れば、自分たちのいる場所は見知らぬ土地だった。

 闇の中にぼんやりと浮かぶシルエット。それはまるでサッカースタジアムのグラウンドのような建物だった。

 何処だ此処――

 胸中で独りごちるが答えは出ない。明らかに、自分の知る冬木市や新都にはこんな建造物の見覚えは無い。ましてや、建築される話も聴いた事が無い。

「身体は大丈夫ですか?」

「ん? あ、ああ。なんとも無いよ。大丈夫だよセイバー、心配しないでくれ」

 言って、身体を見るが違和感は無い。それは外面内面ともにだ。

 それよりも、と士郎は再び周囲に視線を向けていた。

 広いグラウンド内で、彼の眼を一際大きく引いたのは、管制室のようなものが組み込まれている部分だった。

 空中に迫り出している部位。ぱっと見、まるで何かを飛びたたせるための装置のようにも思える。

 ぐるりと首を回してみれば、離れた場所には塔のような物も月明かりの中に見えていた。

 と――

「明かりが見えますね」

 セイバーの声につられてそちらを見れば、確かに、明かりが幾つも点る建物が見えた。

 何れにせよ、行動しなくてはどうする事もできない。

「行ってみよう」

「解りました。ですがシロウ、決して油断しないように……今、この状況が如何なるものか、私には皆目見当も付きません。全力を以ってあなたを護りますが、シロウも用心してください」

「ああ」

 こくりと頷き、ふたりは航空母艦のような物の方へと歩き出す。

 近づくにつれて、結構な大きさであることが窺い知れる。異様な存在感を醸し出す建造物に士郎はただただ見上げていた。

(何処かの飛行場か……にしてはデザインがどうにも妙だ……まるで、SF映画やロボットアニメに出てくるような造りだし……)

「シロウ、此方へ。此方から入れるようです」

 思考が中断され、士郎の意識は切り替わる。入れそうな場所を探していたセイバーの声に頷き、そちらへ駆けよっていた。

 隔壁のような部分にある扉を開けると、仄かな明かりが点る通路が奥へと続いている。

 無機物の空間。

 進もうとするシロウを制し、私が先行しますとセイバーが歩を進める。

 油断無く歩くセイバー、士郎もまた背後に警戒しながら続き――

 だだっ広い空間に辿り着いたふたりは息を呑んでいた。

「これは……」

「…………」

 僅かな明かりの中、ふたりの前に映るのは不恰好な形をした鎧武者だった。否、正確には鎧武者等ではない。

「なんだコレ、まるでロボット……?」

 自分で呟いた言葉とこの空間が繋がるかのように、此処はまるで格納庫のように思えた。

 陳列するのは異形の黒い物体。

「こちらにもありますね」

 セイバーが見つけた物は先の黒色とは違い、濃紺がかった色を帯びている。鋭角的なデザインをした――伸びる四枚翼がまさしくロボットのように見える。

「…………」

 自分たちは映画の特撮スタジオにでも迷い込んだのだろうか。

 士郎の脳裏には、昔、子供の頃にテレビで見たロボットアニメを思い出していた。似た様な物は全く無いが、イメージとしては正に瓜二つだ。

 何より剥きだしにされた配線や周囲の機材、コード等を見る限り、とても撮影に使われるようなセットには思えなかった。

 それは、機械やガラクタ弄りを得意とする士郎だからこそ解るものだろう。とは言え、彼が確信する事は無い。あくまでも気になる程度でしか見ていないからだ。

 何の気は無しに手を伸ばし、彼は黒色の物体に触れていた。

 ひんやりとした感触。紛れも無く、何かしらの金属で出来ているように思えた。決してプラスチックや発泡スチロールといった軽素材ではないのが判る。

「本当に何なんだ、コレ……」

 触れていた指先を一度離し、士郎は意識を集中する。

「――同調、開始」

 再度黒色の物体に彼は触れ――唐突に、ヴンと音を立て、それは起動した。

「何が――」

「シロウ!?」

 触れた手の平から伝わる違和感。頭の中に一方的に流れ込んで来る莫大な情報量に耐えられず、士郎は吐き気を覚えて数歩ほどよろめいていた。

 異変に気づき、士郎を遮るようにセイバーが前に出る。

 主を無理矢理引き剥がし、本来の姿へ変身しようとした刹那――

「――そこで何をしている」

 凛とした声音が空間に響いていた。



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2

 士郎とセイバーが驚き、視線を向けた先にはひとりの女性が立っていた。

 第一印象は綺麗な人だった。黒いスーツ、タイトスカートに身を包み、どこか近寄りがたい雰囲気を醸し出している。だがそれでいて十分な美しさを持つ女性。それが士郎が感じた印象だ。

 そんな彼とは違い、警戒するようセイバーは己のマスターを護るように立つ。

 対して、不審者を見る女の眼は鋭いものだ。

「セイバー……」

「シロウ、下がっていてください。魔術師ではないようですが、かなりの手練れです。それと、姿は見えませんが何人かの気配も感じます」

 囲まれています、と小声で会話を交わすふたりを気にせず、女は言う。

「貴様ら、此処で何をしている。いや、それ以前に何処から入った?」

「…………」

 セイバーは無言。隙を窺がうかのように、じりと爪先を滑らせるだけ。

 だが、その肩を落ち着きを取り戻した士郎が掴んでいた。

「待ってくれセイバー、あの人は魔術師じゃないんだろ? なら話を聞いてもらえるかもしれない」

「シロウ、正気ですか!?」

「正気も何も、勝手に入ったのは事実だろ?」

 それに、と声を漏らし――

「俺だって、誤魔化せるものは誤魔化したい。ただ、今の状況が俺たちには全く解らないんだ。この動いてるのが何なのか、此処が何処なのかも聞かないと……如何こう考えるのは後にしよう。解ってくれ、セイバー」

「……解りました。ですがシロウ、相手が魔術師ではないとしても我々に危害を加えないとは限りません。危険だと直感した場合には、あなたの身の安全を最優先にします。その際には……」

 武力行使も辞さないと眼で伝える。

「ああ、任せる」

 士郎が頷くのを見て、セイバーは警戒を緩めていた。

 

 

 ふたり組みの片方の警戒が解かれたのが雰囲気で解った。だが、女――織斑千冬は眼の前の相手に対し、警戒を弱める気は一切無かった。

 何処から入り、何故此処に居る――学園のセキュリティを掻い潜り此処まで侵入するなど在り得ない。

 疑問視するふたりの侵入者に対し、千冬は警戒を強めるだけだった。

 彼女がふたりに気づいたのも、侵入者を報せる警告音が鳴ったからだ。IS学園は日本にありながら何処の国にも属さない、また干渉もされない地でもある。ある意味独立国家とも呼べる学園には当然のように厳重な警備システムも施されている。

 にも拘らず、その幾重もあるセキュリティを掻い潜り、学園敷地内へ突如侵入者が現れれば驚きもする。

 何れにせよ警備システムを見直さねばならないのだが、それは後の話だ。今現在、最も優先すべき事柄は、眼の前の侵入者を捕縛することだ。

 と――

 片方の男が申し訳無さそうに手を挙げていた。

 

 

「あの……すみません。勝手に入って」

「…………」

「スタジオだとは思わなくて、すみません。あのロボットも、俺が勝手に触って動かしちゃって……」

 と、千冬の眉がぴくりと動く。今の男の発言に、僅かながらの違和感を感じていた。

「待て。動かした? 動かしただと? お前が?」

「え、ええ――」

 思わず応えた士郎の表情が強張ったものに変わる。

 眼の前の女性の手には拳銃が握られていた。

 それが玩具で無い事は、士郎も否応無しに気づいている。セイバーが動こうとするが、それを制するように彼は小さく首を振っていた。

 物言わぬ黒い凶器を向けたまま、千冬の視線は士郎へ向けられていたが、しばらくしてセイバーへと移し言葉を吐いていた。

「……お前ではないのか?」

「違います」

 素直に返答するセイバーに対し、千冬はしばし無言。その表情には何かを考えている素振りが窺がえた。

「あの、本当にすみません。そんなに大事な物とは知らずに……」

「…………」

 眉を寄せたまま、千冬は顎で士郎の後ろを示していた。銃口が向けられているのは変わらない。

「その後ろにあるものも、お前が動かしたと言うようにやってみろ」

「……解りました。触りますよ?」

 言われるまま、別の黒い異形の鎧の前まで歩いた士郎は先と同じように繰り返す。

「――同調、開始」

 集中したまま触れると同時――

「なに――」

 稼動するIS打鉄に眼を見開き、千冬は驚く事しか出来なかった。

(どういう事だ……本当に、一夏以外の男が起動させるだと……)

 展開する光景、それは、彼女をより一層警戒させる事になる。

「……篠ノ之束、この名前に覚えはあるか?」

「シノノノタバネ? いえ……」

 再度流れ込んできた情報に、やはり吐き気を覚えながらも、セイバーに支えられた士郎は小さく頭を振る。

「…………」

 嘘を吐いているようには見えない。相手の眼を見れば否応無しに解る。

 男の眼は偽っていない事を指し示していた。それは千冬にも理解できる。

 だが、有りえない――

 ISを男が起動できるなど有りえない事だ。しかし、その在りえない事が現実に眼の前で起きている。

 それでも千冬は事実を受け入れられず信じられなかった。

 空いた片手を挙げ指で何かのサインを出す。それと同時に、感じていた幾人かの気配が消えて離れた事にセイバーは気づいていた。

 銃口をゆっくりと下ろし、千冬は問う。

「何故、動かせる?」

「いや、何でって言われても……あの、こっちも訊いていいですか?」

「なんだ?」

 金属の塊を指し示し、彼は言う。

「これ、何なんですか?」

「……ISだろう。何をとぼける事がある?」

 くだらない事を言うなと眼で告げるが、相手は困惑したまま。

「その……『アイエス』て、何ですか?」

 話が噛み合わない。見れば心底困った表情を浮かべている。それが演技かどうかは言わずとも知れる。

 此処で話しても埒が明かない……そう判断した千冬は踵を返していた。

「場所を変えよう。こっちだ、付いて来い」

 顔を見合わせる士郎とセイバーだが、拒否権の無いふたりは、とりあえず後についていくしか方法はなかった。

 

 

 通された室内は簡素なものだった。テーブルと椅子のみがあるだけのもの。他には何もない。

 楽にしろ、と適当に座るように命じられ、ふたりは大人しく従う。ふたりが座ったのを見てから、千冬も椅子に腰掛けていた。

 と、遅れて扉が開き、ひとりの女性が入ってくる。

 眼鏡をかけ、童顔が特徴の小柄な女性――

「すみません。遅れました、織斑先生」

「構わない。今始めたところだ。山田先生、君も座れ」

 わかりました、と山田と呼ばれた女性も椅子に座る――が、その前に彼女の視線が士郎たちへ向けられた。

「あなたたちが報告にあったふたりですね。はじめまして。私は山田真耶と申します」

「あ……士郎です。衛宮士郎です」

「……セイバーと申します」

「衛宮君とセイバーさんですねー。よろしくお願いしますね」

 勢いのまま自己紹介をする相手に、正直、士郎とセイバーのふたりは面食らう。どうにも山田真耶と名乗った女性はこの状況をいまいち理解していないように見えた。

 案の定、織斑と呼ばれた女性も士郎と同じ事を考えていたのだろう。はあと溜息を漏らし、眉を寄せていた。

「山田先生、あなたはいまいち状況を飲み込んでいないのか?」

「そんな事ありませんよ。ですが、お互いお名前ぐらいは知っておかないといけないじゃないですか」

 ね、と屈託のない微笑みを士郎たちへ向ける真耶に対し、やはりふたりは返答に困っていた。

 大物なのか、はたまた何も考えていないのか……判断に苦しむところだ。

「あ、お菓子食べますか?」

「頂きます」

 前言撤回――

 緊張感の欠片も無い真耶に対し、士郎は両手で顔を覆っていた。

 何処から取り出したのか、チョコレートがかかったスティックタイプの菓子を仲良くセイバーと分け合っている。

「おふたりもどうですか?」

 勧められるが、士郎と千冬は当然のように遠慮する。

(……この状況って、あれ? 俺が考えている事の方がおかしいのか? 和気藹々とした雰囲気になる場じゃないよな……)

 もふもふ、ぽりぽり、とリスのように食す真耶とセイバーを極力視界に捉えない様にする士郎。同様に千冬も覚悟を決めて諦めたのだろう。どうにか脇を見ないようにしていた。

「……まあいい。それと、私は織斑千冬だ」

 律儀に名前を告げる彼女。この場に居る四人の内、三人が名前を述べた以上、面倒ではあるが自分も付き合うしかないのだろう。

 小さくひとつ咳払いをすると、千冬は表情を改め話を進める。

「今一度、話を聞かせてもらう。お前たちが、何故、あそこに居たかだ」

 千冬自身、篠ノ之束が何かしたのだろうと鑑みていた。だが、よくよく考えてみれば束にメリットは無いはずだ。

 ならば何故――?

(他人に必要以上に興味を示さないアイツが、別の第三者にちょっかいをかけるとは思えない。もしくはその逆で、興味を持った人間が現れたという事なのか……?)

 険しい顔をしてあれこれ思索にふけるが、答えは出ない。ならば、当事者に直接尋問するしかない。

「下手に誤魔化そうとはするなよ。それと先に言っておくが、抵抗するのならば構わんぞ」

 出来るのならな、と千冬の眼が物語る。

「…………」

 さて――

 士郎は本格的にどうしようかと考えていた。

 自分たちが此処で暴れて大立ち回りをする事に関しては、正直に言えばあまり抵抗がないのが本音である。

 サーヴァントのセイバーの力を持ってすれば、例え眼の前のふたりが相応の実力者だとしても赤子の手を捻るように容易く無力化出来るだろう。士郎自身も投影魔術で足掻く事が出来る。少なくとも人質になるような後れを取る事もない。

 だが、と士郎は心の中で頭を振る。答えは『ノー』だ。

 此処で一悶着起こしたところで、それは何の解決にもなりはしない。寧ろ余計な火種を残すだけだ。

 横目でセイバーを窺がえば、何を口にするともなく――お菓子は食べ終えたらしい――無言のまま、何れにせよ、士郎の判断、または相手の出方次第によって何時でも動けるように構えているのだろう。

 改めて彼は向き直る。

 眼の前の、織斑千冬と名乗った女性に関しては、セイバーが言うように武道に精通しているのだろう。それもかなりの強さを持っているのがなんとなくではあるが感じ取れた。全く似ていない筈なのだが、唐突に彼の脳裏で藤村大河と姿が重なる。

(スーツ姿の藤ねえなんて想像出来ないな……ましてや、この人みたいに、こんなにビシッとしてないしなぁ……)

 イメージが全然違うのに、何故思い浮かんだのかは解らない。なんとなくかなと自分自身に適当に言い聞かせ納得すると――士郎の視線は次に山田真耶へと向けられた。

 目線を向けられた事に真耶は一瞬恥ずかしそうに顔を伏せたが、照れたように微笑んで見せる。

「…………」

 やはり、いまいち此方の女性は良く解らない。今、自分の立場を把握しているのかがどう考えても怪しいものだ。

 思考を変える。

 拳銃を突きつけられる事になるとは思いもよらなかったが、逆に言えば、それほどまでに此処は何かしら重要な場所なのだろうと士郎なりに推測していた。

 下手をすれば物取りと捉えられても何らおかしくは無いし、問答無用に発砲されなくて良かったと今更ながらに安堵していた。

 横道に逸れたが、士郎は考えを纏め口を開いていた。

「……まずはじめに、抵抗はしません。ありのままに説明します。ただ……」

 そこまで言って、一度目を瞑り……やはりどう考えてもこう言うしかないよなと、自分自身に呆れながら腹を括る。

 なにせ、自分さえも、どうして此処に居るのかが未だに理解できていないのだから。

「ただ?」

 訊き返す真耶に――すみませんと返答し、士郎は言葉を紡ぎ出す。

 全てを話すしかないな――

「これから話す事は、突拍子も無いものです……信じてはもらえないと思います……だけど、それを踏まえた上で話をします」

「……言ってみろ」

 促す千冬に頷き、士郎は掻い摘んで事のあらましを話し始めていた。



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3

 自分たちの事、自分たちの居た所、此処に居た事――

 そして、魔術の事――

 話せるものは全て話し、説明できるものは全て説明した。

 当然、千冬と真耶の反応は眉を寄せた表情になる。それもそのはずだろう。『僕たちは別の世界から来ました。気が付いたら此処に居たんです』等と、頭の悪い絵空事のような与太話をされて、即座に信じる方がどうかしている。

 だが、彼女たちは話の腰を折る事もなく、黙って聴いていた。正直なところ、呆れていたのかもしれないが。

「シロウ、投影を。こうなってしまっては、話をするよりも実際に見てもらった方が早い」

「……そうだな」

 セイバーの言葉に僅かながらに躊躇した士郎ではあったが、頷くと彼は何も持たない両手を千冬と真耶へ向けて見せていた。

 見ていてください、と前置きし、士郎は意識を集中させる。

「――投影、開始」

 イメージするのは、彼が愛用する夫婦剣――

 刹那に、変化は生まれ出でる。

「っ――」

「わぁっ――」

 千冬が息を呑み、真耶は眼を輝かせた。同じ驚きなれど、反応は全く別のもの。眼の前で形成される剣を見てのものだ。

 士郎の空の掌に生まれる白と黒の双剣。その一対の剣をそれぞれ千冬と真耶へ手渡していた。

 手馴れたように受け取る千冬と、危なっかしく受け取る真耶。

 彼女たちの手に感じるずっしりとした重み。これが手品でない事が簡易にわかる。

「セイバー」

 士郎の言葉に頷き、セイバーが立ち上がる。

「チフユ、マヤ……見ていてください」

 言って、少女の姿が瞬時に変わる。甲冑を纏った姿――それはさながら中世の騎士のようだ。

 思わず立ち上がっていた真耶は、興味を惹かれた子供のように『わー、ひゃー』と言いながらぺたぺたと甲冑に手を触れさせていた。

「スゴイです……この手触り、本物ですよね」

「大道芸を見ている気分だ……」

 頬杖をつく千冬の呟きは的を得ている物言いだ。眼の前であれこれと信じがたい光景を見せられては口にしたくもなるだろう。

 今一度、千冬は確かに感じる質量に視線を落し口を開く。

「信じがたい事ではあるが、それが魔術とやらで、お前たちが別の世界から来た……というのか? 確かに、そう簡単に認められるものではないなコレは……口にする本人さえ信じられないからと言うのは尚更か」

「…………」

 手にしていた鉈を思わせる白い剣を士郎へ返すと、身を正した千冬は訊ねていた。

「それで、わけもわからず、知らずのうちに此処へ来ていた……というわけだな」

「はい」

「信じてもらえると思うか?」

「思いません」

 ニヤリと笑う千冬に、士郎も笑みを浮かべるしかない。

 座り直し、手にした黒い剣を指先でちょんちょんと触れている真耶を横目で見ながら――千冬は続けて言う。

「……お前たちの言い分はわかった。だがな、此方としては、素直にハイそうですかとは如何のだ」

 ぴくりと、セイバーが反応する。場合によっては斬りかかることもやむ無しと言わんばかりの雰囲気を醸し出す。それを諌めるように声をかける士郎。

 千冬もまた気配で気づいているのだろう。落ち着けと手で制していた。

「そう警戒するな、と言うのは此方の勝手だが……お前たちの話を此方は完全に信用する事は出来ない。ましてや、別の世界から来ました、などともなれば尚更な」

「……そりゃそうですよね」

「…………」

 参ったなぁと頭を掻く士郎に千冬の視線が向けられる。

 果たして彼は気づいていただろうか……彼女の双眸から警戒の色が消えている事に。

「……ちなみに、ひとつ訊くが……お前たち、此処を出た後は何処か宛てはあったのか?」

「いや、此処が何処だかわからない以上は……」

 恥ずかしい話だが、行く宛てなど何も無いとしか士郎は答えられなかった。

 ふむ、と顎に手を触れていた千冬だが、横に座る真耶となにやら話しはじめていた。

 二言三言ほど言葉を交わし、やはりそうだなと漏らした千冬は士郎たちへ向き直っていた。

「……ならば、しばらくは此処に居ろ。知ってしまった以上、放り出す気もな……それに別の問題もある。お前たちが産業スパイやテロリストではないとも言い切れんしな」

「……それはつまり、逆に言えばテロリストかもしれない人間を受け入れるって事ですか?」

 おかしな事を言う人だ、と苦笑を浮かべ士郎は首を傾げていた。

 千冬もまたニヤと口元を吊り上げる。

「そうだな。ただのテロリストかもしれんし、ISを動かせるただの男性操縦者と言う可能性もあるかもしれんしな」

 そう言うと、彼女は静かに息を吐いていた。

「冗談は置いておくとしてだ。成り行きとは言え、お前がISを動かせるのは事実だ。わたし個人、興味深いものもある」

「…………」

「聖人君子を気取るつもりはない。包み隠さずハッキリと言わせてもらうが、こちらとしても下心は当然ある」

「…………」

「ISを動かせるという以上、お前のデータを得たいというのが此方の正直な本音ではある。どうだ? 学生として、しばらく此処に通ってみては」

『…………』

 士郎とセイバーは互いに顔を見合わせるのみ。

 無理強いはしないと口にした千冬は続けていた。

「当然、お前たちの意志は尊重する。此処を出て行くのならば引き止めはせん。その場合でも、少なからず何かしらの便宜はするつもりだ」

 頷き真耶もまた口を開いていた。

「お話を聴く限り、おふたりとも宛てが無いんですよね? わたしとしては、このまま放っておくというのには些か心苦しいものがあります。おふたりが良ければ、此処に居た方がいいんじゃないかと思いますし……それに、戻る方法は、それからゆっくりと考えてもいいんじゃないかなと思うんです」

 千冬と真耶の言葉に士郎は顎に手を当て考えていた。

「…………」

「シロウ、どうしますか? わたしは、あなたの指示に従います」

「………そうだな」

 セイバーの言葉に対し、今一度士郎は考察していた。

 元の世界に戻るとしても、魔術的要因の類が関係していれば自分だけではどうする事もできない。

 いなくなった自分たちに気づいてくれた遠坂凛と間桐桜、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの三人が何とかしてくれるかもしれないが、それはあくまでも向こう側のアクションであって、此方からはどうする事も出来ない。

 なによりも、その間の衣食住は是が非でもなんとかしなくてはならない。

 正直に言えば、千冬と真耶、ふたりの申し出は非常にありがたかった。だが、それと同時に、ありがたい申し出でだと感じながらも、やはり士郎は受け入れる事が出来ないものがあった。 

「……正直に言って、その申し出は非常に嬉しいです」

「なら――」

 声音を弾ませる真耶ではあったが、それを士郎は遮っていた。

「ですが、俺は……俺たちは、あなた方に御礼をする事も、払えるお金も持ち合わせていないんです。だから……」

 あなた方に迷惑をかけるわけにはいきません、と言葉を吐いていた。

 刹那――

 こつんと士郎の頭を小突いていたのは真耶であった。驚いて視線を向けてみれば、彼女は頬を膨らませている。ぷんぷんと擬音さえ聴こえて来るかのように怒る姿のまま。

「なにを言ってるんですか! 子供がそんな事を気にしちゃいけません!」

「え? あ、え……? いや、でも……」

 この人でも怒る事は怒るんだなと思いながらも――見ず知らずの男女を受け入れる事がおかしいですよと告げる士郎に千冬は『ほう』と声を漏らす。

「では訊くが、お前たちは、どうにかしてやっていけるのか? 雨風を凌ぐには住む場所が大事だな。腹が減れば食べる物はどうするつもりだ? 四六時中一張羅で過ごすのか? 着る物も当たり前のように必要となるが?」

「…………」

 言葉も無い。

「殊勝な心がけではあるがな。お前の言い分も尤もだ。否定はせんさ。だがな、何も此方が全てを賄うとは言っていないぞ? 此方がお前を利用し、お前は此方を利用するだけだ」

「利害の一致……て事ですか」

「言い方は悪く聞こえるかもしれませんけれど、放っておけないのは事実です。あっ! 別にあなたを何処かに売り飛ばすとか引き渡すとかはないですよ!? あなたに危害を加える事もありませんし、させません! 此処は何処にも属しませんし何処からも干渉されませんから、身の安全は保障しますよ!」

 此方の言い方に何かしらの不安を抱いているのだろうと錯覚した真耶はぶんぶんと拳を振って『安心してください』と力説する。

 話の方向性がずれた女性ではあるが、此方を安心させようとしているのだろう。士郎にとっては好感が持てていた。

 それ故に、彼は訊ねていた。

「あの、どうしてここまで親切にしてくれるんですか? 極端に言えば見知らぬ無関係の人間ですよ? それこそ、もしかしたらテロリストかもしれないんですよ、俺たち」

 それに対し――

 千冬は『そんな事か』と一言吐く。

「これでも人を見る眼はあるつもりだがな。お前、嘘をつくのは得意な方ではないだろう? 話をしている時のお前の眼だがな、泳ぎもせず、真っ直ぐに此方を見入っていた。あれは嘘を付いている人間の眼ではないぞ? 作り話にしては穴があるのは確かだがな……私個人としては信用はしているつもりだ。それに――」

 と、手を振りながら――

「彼女――山田先生ほどではないが、本当に困った眼をした奴を放っておけない、教師の馬鹿で愚かな気まぐれな人間が此処に偶々ふたり居た……ただ、それだけだ」

「……御人好しなんですね」

「その御人好しに見える人間を信用も信頼も出来んとは思う……これ以上は何も言わん。決めるのはお前だ。好きにしろ」

「そうですね……」

 その言葉に――俯いていた顔を上げる。

 覚悟を決め、士郎は提案を受け入れる事にした。胸中では凛たちにも迷惑をかける事に詫びながら。

「わかりました。御迷惑をお掛けすると思いますが、よろしくお願いします」

 士郎の言葉に真耶はホッと安堵し、千冬は頷いていた。

「よし……早速だが、お前たちに説明しておく事がある」

 千冬はふたりに対し、逆にこの世界の事を話し始めていた。

 ISの事、この世界の事、此処がどういう場所か、女尊男卑の事、男性でISを動かせる事がこの世界でどれ程の意味を持つのかを詳しく説明する。

「先も述べたが、お前を二人目の男性適正者として学園に迎え入れる」

「はい」

「……そう畏まるな。難しすぎる事ではないが、此方から勧めた話とは言え、内密に出来るものではない。なにせ世界へ伝わる事柄だ。この世界において、お前への風当たりは、お前が考えているもの以上に違うものになる。奇異の眼で見られるが……もっとも、元の世界に戻れるまでの間だけだがな、我慢しろ」

「構いません。今の俺たちには他に方法が無い。例えその方法が、何かしら元の世界に戻る方法に結びつく事にでもなってくれさえすれば、此方としても助かりますし」

 その言葉に千冬は頷く。

「最低限は此方で尽力する。下手な手出しはさせんと約束する。その他の用意は此方でしておく。二、三確かめたい事があるのでそれを済ませてから今日は休め。部屋も此方で手配しておく」

「良かったです。これで万事解決ですね」

 ぱんと手を合わせ、ニコリと微笑む真耶を見て、士郎は指摘したい事は告げておこうと口を開いていた。

「えっと、真耶さん……俺が言うのもなんですけれど、人を疑う事も必要だと思いますよ?」

「大丈夫です。衛宮くんも、セイバーさんも、悪い人じゃありませんから」

「……どうして、そう思うんですか? そう振舞ってるだけかもしれませんよ?」

 つい意地悪い言い方で士郎は応えてしまっていた。彼も今の返答はなかったなと反省する。だが、当の真耶は格別気にした様子も見せずに『そうですね。強いて言えば』と前置きし――

「なんとなくです。それに、本当に悪い人はそんな事を口にしません。やっぱり衛宮くんはいい子ですね」

 悪い子じゃありませんよ、と付け足し、えへんと何故か胸を張る真耶に対し――セイバーは呆れ、千冬も観念したように視線を逸らす。

(根拠の無いその自信は、一体何処から来るんだ? この人は……)

 士郎もやはり苦笑を浮かべる事しかできなかった。

「ですがシロウ、良かったですね」

「ああ、とりあえずは、な」

 横からかけられたセイバーの言葉にこくりと頷き――

「ええ。これでご飯が食べれますね」

「…………」

 ものの見事にぶち壊しだ。

 笑顔のまま――士郎はさっと顔を逸らしていた。そんな態度の相手にセイバーは不思議そうな表情を浮かべていた。

「どうかしましたか、シロウ」

「あー、うん。自分に素直なのはセイバーのいいところだよな。うん。わかってるよ。わかってるさ。うん」

「シロウ、どうして此方を見ないのですか?」

「うん、ごめん。ええとな、少し放っておいてくれないかな……」

 でないと俺、別の意味で哀しくて泣きそうだから――

 ぼそりと呟く事だけが、今の彼にとっては精一杯だった。



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4

 窓から差し込む朝の陽射し――

 爽やかな風を受けながらも、色々あった昨夜のせいで眠りが浅い。

 寝足り無いなと思いながらも、意識をハッキリさせるべく、ぱしんと自分の両頬をひとつ打つ。

「まさか、こんな事になるなんてなぁ……」

 覚めた眼で、昨夜のうちに用意されていた真新しい制服――白を基調としたそれに袖を通しながら士郎はぼやく。

「確かに。まさかシロウと一緒に学校に通う事になるとは思いませんでした」

 セイバーも制服を身に纏い、胸元の青いリボンを結わえていた。鏡に映る自分を見ながら――おかしなところは無いか確認し、士郎へと向き直る。

「どうですか、シロウ。変なところはありませんか?」

「似合ってる。可愛いぞ、セイバー」

「――――」

 身嗜みの事を訊いたのに、容姿の事を言われるとは思わなかったのだろう。

 挙句、面と向かって言われた彼女は一気に顔を真っ赤にして俯いていた。

「そ、そんな事を不意に口にするとは……シ、シロウは卑怯です!」

「なんでさ」

「わ、私の事よりも……シ、シロウも似合っていますよ」

 白い制服を身に纏う士郎の姿はセイバーにとっては斬新だ。普段見慣れている姿とは違う一面を垣間見ているのだから。

 世辞でもなく、純粋にその格好は似合っていた。

「ありがとな」

 ははと笑う士郎に――むぅと少しばかり頬を膨らませるセイバー。

 一般で言うなれば、カップルのやり取りでしかない。もしくは惚気か。

 仲のいい恋人同士。

 ここにもし、遠坂凛と間桐桜が居合わせていたならば、彼女たちはこう告げる。

「なに惚気てんのアンタたち。馬鹿なの? 死ぬの?」

 随時舌打ちする「あかいあくま」はガンドを放ち――

「くすくすと笑ってゴーゴーですね。ええ、くうくうお腹が空きました」

 意味不明な言葉を漏らし、真っ黒になった桜は、それはそれは――えも言われぬ素晴らしい笑みを浮かべて襲い掛かっていた事だろう。

 閑話休題――

「さて、じゃあ……」

「行きましょうか」

 どちらともなく、準備が整ったふたりは部屋を後にしていた。

 

 

「席に着け、小娘ども。SHRを始めるぞ!」

 担任教師織斑千冬と、副担任山田真耶の両名が教室に現れると同時、わたわたと生徒たちは慌てて着席する。

 しんと静まり返る室内の生徒たちを見回し、千冬は言う。

「SHRを始める前に、転入生をふたり紹介する」

 ざわ――

 その一言に教室内が色めき、どよめき立つ。

「転入生?」

「ふたり?」

 一夏や箒、シャルロットたちも一様に驚いていた。

 がやがやと騒ぐ生徒たちに対し、千冬は出席簿で教卓を叩き一喝する。

「騒ぐな。静かにしろ。ふたりとも入れ」

 戸口に声をかけると同時、がらりと扉が開く。

 現れたふたりを見て、生徒たちは一斉に口を噤む。ある者は思わず席を立ち上がりかけ、またある者は眼を丸くする。各々の何かを言いたそうな表情ではあるが、皆我慢している具合だろう。

 教壇に立つふたりに千冬は言う。

「自己紹介をしろ」

 促され、はいと一言応え、男子生徒――衛宮士郎は口を開いていた。

「衛宮士郎です。えーと……趣味は、家事全般とガラクタ弄り……と言うか機械弄りか。大抵の物は直せますので、なにか困った事がある際には言ってくれれば。ISの事はわからないので、色々教えてくれると助かります」

「セイバーと申します。以後お見知りおきを」

 しんと静まる室内。

 生徒の視線を一身に浴び、照れくさそうな士郎とは対象に、セイバーは言葉少なめに。だが、凛とした声音は十分インパクトがある。

「本来、衛宮はお前らより二学年上の三年生だが、ISの基礎から学ぶために特例としてこのクラスの編入となる。聴いた通り、こいつはISの事を全く知らん。お前らの方がある意味先輩だ。色々教えてやれ。セイバーも同様だ。仲良くしろよ、お前ら」

 千冬の説明に続き、宜しくお願いしますとふたりは頭を下げていた。

 顔を上げ――ふと、士郎は中央最前列に座る生徒と眼が合っていた。話に聴いていた、このクラスで唯一の男子生徒、更には世界で初めてISを動かせた男性操縦者。織斑千冬の実弟で、確か名前は織斑一夏だったか。その名を前以って教えられていた士郎は何気なく思い出していた。

「あの……」

 沈黙の中、おずおずと手を挙げたのは、イギリス代表候補生のセシリア・オルコットだった。

「なんだ、オルコット」

「あの、織斑先生……そこのセイバーさんは女性という事でわかりますが……その……そちらの殿方は?」

 言って、彼女の視線の先は、当然、衛宮士郎へと向けられている。

 セシリアの指摘はクラス全員が思う事だ。

 視線を受ける士郎にしてみれば大変居心地が悪い。正確にはセイバーにも視線は向けられているが、やはり男という存在への好奇心が多数を占める。

 衛宮士郎――紛れも無く男性の彼が此処に居る意味がわからない。

 いや、誰もが予想はついてはいるのだろう。だが、それを確実たる証拠と成り得るかがわからぬ為、口にしていないだけだった。

 IS工学を習う為だけに編入するなどありえない。その類のものであれば、何もこのIS学園でなくても構わないのだから。

 ならば残る推測は唯ひとつ。

 しかし千冬は、つまらなそうに、だがハッキリと答え言う。

「衛宮はISを動かせる。それだけだ。なお、まだ公に発表はされていない事案の為、緘口令が敷かれている。他言した者は相応のペナルティを受ける事になる。最悪退学にもなりかねんのでな、注意しておけ」

 ざわり、と今度こそどよめきが上がる。

 いとも簡単に告げる内容は、本来息を呑むものだ。あの『ドイツの冷氷』ラウラでさえ驚いた顔をしている。

 ISは原則女性にしか扱えない。それが当たり前に通ってきた事だ。イレギュラーの織斑一夏の存在が世に出るまでは。

 男性で扱えるという事柄は世界を騒がせ、震撼させた大ニュースであった。それもその筈に、どのような規格外であろうとも、女尊男卑の今の社会に一石を投じるに事になりえたものだからだ。

 そこへ二人目のIS操縦者が現れたとなれば、全世界の国家を巻き込む大問題になる。にもかかわらず、担任教師の千冬はしれっと答えている。

 生徒たちから見ても、これがどれほど問題視になる事なのかぐらいは把握している。教員である彼女がわからないはずはないのだが――

「よかったな、織斑。同じ男同士だ。これで少しは楽になるだろう?」

「は、はあ……」

 いきなり話を振られ、返答に困る一夏はそう答える事しか出来なかった。

 確かに男が自分ひとりしかいなかったため、色々と肩身の狭い不自由な事が多かったが、突然過ぎる話についていけていないのが現状だった。

「なんだ、つまらんな。ああ、衛宮はれっきとした男だからな。変な期待はするな、安心しろ……まぁいい。他には何かあるか? なければ――」

 授業を始めるぞ、と適当に切り上げようとした刹那、それを公認の質問タイムと勘違いした生徒たちから歓声が上がる。

「きゃーっ!」

「セイバーさん!? きれーい、ちっちゃーい!」

「オルコットさんとデュノアさんとも違った綺麗な金髪ー」

「先輩の男の子! しかもちゃんとした二人目の男の子!」

「織斑君と違ってなんか可愛いわね」

「ちょっと大人びた先輩の男の子ってのもありよねー」

 堰を切ったかのように騒ぎ出す女子生徒たち。

 喧しいと額に手を添える千冬とは別に、士郎とセイバーは女生徒の勢いに気圧されていた。

 あまりにも元気過ぎるクラスに、つい士郎は、ここは美綴綾子と薪寺楓の二タイプしかいないのかと思わされていた程だ。

「……本当に女性しか居ませんね」

「ああ……」

「先程の『ちゃんとした二人目』とはどういう事でしょう?」

「わかんない」

 ぼそぼそと壇上で会話を交わす士郎とセイバーのふたりを見て、目敏くひとりの女生徒――谷本癒子が手を挙げる。

「何々? 衛宮君とセイバーさんは知り合いなの?」

「もしかして、恋人ですかー?」

 別の生徒も発した茶化すようなその言葉に――セイバーは『ええ』とたった一言、肯定する。

 瞬間、水面を打ったかのように再度静まる教室。

 手を挙げて騒いでいた生徒たちが言葉を失い、教師ふたりもぽかんとしている。士郎もまた無言。

 静寂が包む空間の中、セイバーは続ける。

「私は、シロウに全てを捧げました。私は如何なる敵をも討ち倒す剣として、この身も心も、シロウと共にあります」

 言葉を区切り、片手を自身の胸元に添えて――

「私は、シロウを愛している――」 

 恥ずかしさをおくびにも出さずに、セイバーは淡々と告げた。

 刹那――

『きゃあああああああああっっ――』

 先までとは桁が違う――一際高い黄色い歓声。女生徒たちの興奮は一気に加熱し爆発する。

「そ、相思相愛――!?」

「に、二学年違う男の人と付き合うだけで、こうも違うものなの!?」

「身も心も捧げたなんて、言ってみたーい!」

「あ、愛してるだなんて……きゃーっ!」

 異常な熱気の反応に、さすがのセイバーも僅かばかり困惑する。

 見れば副担任の真耶ですら赤めた頬を押さえながら身をくねらせていた。

「い、いけませんセイバーさんたら、恋愛は節度を持たなければ……学生の身でありながら、あ、愛してるだなんて……そんな、は、早すぎます! でも、素敵です……きゃーっ!」

「山田先生、落ち着いてください」

 身悶えし興奮する副担任に、千冬は額に手を添えたまま嘆息していた。

「む、本当の事を言ったのはマズかったでしょうか?」

「あー、まぁな……」

 こりゃ質問攻めが続くなと、気恥ずかしそうに考えながら頬を掻く士郎に対し、セイバーは小首を傾げていた。



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5

 士郎の存在は既に学園中に知れ渡っていた。

 二人目の男性操縦者というスクープを見逃す筈もなく、休み時間に入った途端、何処からともなく現れた新聞部の黛薫子に捕まり写真をせがまれ、一夏と士郎は必要以上に時間を取られていた。

 次の授業はIS実習の為、遅れるわけにも行かない。薫子の『もう一枚、もう一枚』と言う執拗な催促をなんとか切り上げ、逃げるようにその場を後にする。

 一夏に案内された男性用更衣室で、時間も押している中、ISスーツに着替え終えたふたりは改めて向き直っていた。

 手短に一夏と士郎は挨拶をする。

「改めて、俺は織斑一夏です」

「士郎だ。衛宮士郎。よろしくな、織斑」

「一夏でいいですよ。衛宮先輩」

「ああ、それなら俺の事も好きなように呼んでくれて構わない。本来の学年が上だとしても、一緒のクラスなんだ。先輩なんて堅苦しいのは要らないよ。俺も一夏って呼ぶからさ」

「解りまし――解った。じゃあ、士郎って呼んでいいか?」

「おう」

「よろしくな。ちゃんとした男が来てくれてよかったよ」

 差し出す右手を強く握り返すと、士郎は今も気になった言葉に眉を寄せていた。

「ああ、さっきもそんな事言ってたな。何なんだ? ちゃんとした二人目って?」

「あー。それはまぁ色々とな。追々話すよ、と――マズい! 今は急ごうぜ。遅れると千冬姉に何されるか解んないからな」

「厳しそうだもんな、あの先生」

「厳しそうじゃないぞ、厳しいんだよ」

 こっちだと一夏の声に従い、ふたりは廊下を駆け出していた。

 

 

 ISスーツ越しにとは言え、それなりに鍛えている身体が女子の眼を惹いていた。制服の時と同様に、刺さる視線は変わらない。肌を晒す格好であれば尚更だろう。逆に言えば、士郎にとって見れば他の女生徒への眼のやり場に困るのが現状だった。

 少なからず身体のラインを魅せるデザインのISスーツは、起伏のある肢体を映えるさせるものだ。一高校生の士郎にとっては居心地は決して宜しいものではない。ついでに言えば、セイバーのISスーツ姿さえまともに見ていなかった。

 女生徒の中には、それに気づいて態と士郎に寄って来きたりした者もいたのだが。

 そんな中、ほにゃっとした女生徒、布仏本音が士郎の身体をぽんぽんと触れる。

「エミヤんの身体って、がっしりしてるねー。うわあ筋肉もあるねー」

 女性に身体を触られる事に、士郎は特に抵抗は無いのだが、どうにもむず痒く気恥ずかしいものがある。

 そんな彼を気にもせず、本音はマイペースのまま触れていた。天然で和やかそうな性格から、どこか三枝由紀香を連想する。

「私は布仏本音だよー。よろしくねー、エミヤん」

 エミヤん――

 まさか此処で、蛍塚音子以外にそのあだ名で呼ばれるとは思わなかった士郎は一瞬無言になっていた。

 相手の反応に首を傾げていた本音は言う。

「んー? 『エミヤん』て呼ばれるの嫌だったー?」

「んあ? あー悪い。そんな事無いぞ。好きなように呼んでくれて構わない」

「わーい。じゃあエミヤんよろしくねー。アルるんもよろしくねー」

 横に立つセイバーにも本音はぶんぶんと手を振っていた。

「よろしくお願いしますね、ホンネ」

 ちなみにセイバーのあだ名は『アルるん』になっている。本音に名前を教えてと訊かれた際に、つい『アルトリア』と応えてしまい、それが定着していた。

「ホンネだけとの秘密ですよ?」

「うん、解ったー、アルるんと私だけの秘密だよー」

 そのままセイバーと本音は仲良く話をしている。聴こえてくる言葉の節々からは友好的な感じだった。特に本音の『友達ー』と言う大きい声が一際印象的だった。

 と――

「いつまで喋っている! さっさと並べ!」

 千冬の叱責に居合わせた生徒たちはすぐさま並び立っていた。

 本音も怒られまいと『ひゃー』と声を上げて駆けていく。

「エミヤん、アルるんー、また後でねー」

 去り際に手を振るのを忘れぬ本音の後に続くように、士郎とセイバーも遅れまいと並んでいた。

 生徒たちに視線を向け、千冬は言う。

「衛宮、セイバー、お前たちはIS実習は始めてだ。他の連中の動きを良く見ておけ」

「はい」

「解りました」

 頷くふたりに千冬もまた頷き返していた。

 

 

 士郎は昨夜の事を思い出す。

 適正能力を調べるためとして、士郎とセイバーはISを身に纏い、適正テストを行った。行ったのだが……

 サーヴァントとしての身体能力をフルに発揮したセイバーに、千冬と同席した真耶は言葉を失っていた。

 基本動作を教え、模擬戦として手合わせた彼女は、瞬く間に元日本代表候補生の真耶を完膚なきまでに圧倒していた。

 絶対にやりすぎるな――

 宝具は使うなよ――

 あんなに念を押したのにと頭を抱える士郎をよそに、初めて動かしたセイバーの適正能力は見紛う事無く「S」――

 これは元ブリュンヒルデの織斑千冬、また、世界に五人しかいない文字通り最強のヴァルキリーと同様のランクである。

 一瞬にして勝負が決した事。真耶自身も、何が起こったのか理解できなかったのが現状だった。

 一応フォローするならば、彼女は一切油断等していなかった。その真耶が相手に一撃も与える事も出来ずに一方的に斬り伏せられ敗北したのだから。

 試合開始の合図とともに、次の瞬間には地面に叩き伏せらているなど、如何様にして納得する事が出来るだろうか。

 ちなみに士郎のランクは「C」だった。下手に目立つ動きはせず、純粋にISを動かす己の力のみでの結果だ。当然、魔術による強化、投影等は使用していれば、セイバー同様に真耶を圧倒していただろう。

 余談ではあるが、何故この時、真耶を相手に手加減をしなかったのか士郎が問いただした際に、セイバーはこう答えていた。

 彼女曰く――

「勝負に手を抜く事など出来ません」

 相手に全身全霊、全力で応えるのが騎士ですからと、ISをその日初めて動かした騎士王は、見事な騎士道精神を貫いていた。

 挙句は――

「真剣勝負にシロウは私に手を抜けというのですか!? いくらあなたの頼みでもそれに従う事は出来ない! 騎士の誇りにかけて!」 

 いや、状況が状況なんだから空気を読んでくれと懇願するが、逆に怒られる程だ。

 なんでさ、と一言零す事しか出来なかったのは言うまでも無い。

 また別に、後にこの事で千冬と士郎はどちらともなく会話を交わしていた。無論、セイバーの適正ランクでの事である。公開するにしても躊躇するレベルであるからなのも言うまでも無い。

「……まぁ、なんだ。セイバーは実直で生真面目なヤツなんだな」

「違いますよ……あれは、融通が利かない頑固者で、ただの負けず嫌いなだけですよ」

「そうか……」

 言葉少なく応える千冬に、士郎はもう擁護する気も失せていた。

「その、すまなかったな……」

「いえ、此方の方こそ……」

 それ以上互いの会話はなかった。

 

 

「専用機持ちは前に出ろ」

 千冬の声に五人――篠ノ之箒、織斑一夏、シャルロット・デュノア、セシリア・オルコット、ラウラ・ボーデヴィッヒたちが前に出る。

 各々は指示のままISを展開していくと、色取り取りの機体がその場に次々と並んでいく。

「――専用機?」

 思わず呟いた士郎に対し、真横に居た女生徒が声をかけてきた。

「IS操縦者の中でも、選ばれた人にだけ与えられる機体。簡単に言えばエリートかな」

「ふうん……」

 見ればISを身に纏った副担任真耶の姿もある。そのまま六人は空へと飛翔していた。

 上空で三組に分かれた機体は千冬の指示のもとに、それぞれ模擬戦を開始する。

 アリーナ内を縦横無尽に疾る六機を眺めながら、士郎は女生徒へ問いかけていた。

「なら、一夏もすごいのか?」

 滑空し、白の機体は紅の機体と交戦する。互いに刀で打ち合い――切り結びながら視界から離れていく。

 織斑君押されてるね、と呟いた女生徒は疑問に応える。

「あー、織斑君はちょっと別かな。ISを初めて動かした男性として、データ収集も兼ねてるって言ってたし。特別といえば、衛宮君も貰えたりするかもね、専用機」

「へぇ……」

 士郎のいまいちな反応に女生徒は首を傾げていた。

「反応薄いね。専用機欲しくないの?」

「あー、いや……俺さ、ISの事良く解らないからさ……専用機とか言われてもピンと来ないんだよな。それならその専用機ってのをもっと造ればいいのにって思ってな。専用機ってのは、要はその名の通り『専用』なワケだろ? 例えば、ええと……」

 そこで相手に向き直り、士郎は眼の前の女生徒の名前を思い出していた。

 休み時間に告げられた……確か、相川清香だったか…… 

「相川の馴染んだ癖に合わせたものとか造ればいいのに」

「お、私の名前覚えててくれたんだ。あはは、それはしょうがないよ。ISは規定数しかないんだし」

「? どう言う事だ?」

 不思議そうに尋ねる士郎に対し――相川清香は呆れていた。

「衛宮君……本当に何も知らないの?」

「おう。ISが467機しかないんだっけか?」

 昨夜渡された電話帳ほどの厚みを持つ書籍に眼を通し、ある程度得た知識、情報の中から答えを出す。

 無論、一夜で全てを覚える事は出来ていない。

「違うよ。全世界にあるコア数が467個」

「……コアってものが無いとISは動かないのか? 電池みたいなモンか」

 電池と簡単に割り切る男子生徒に清香は笑う。

「ISを作った人は知ってるよね?」

「篠ノ之束て人か? 名前だけは何となくだけれど、深くは知らないぞ。そんなに有名な人なのか?」

「――――」

 絶句。正にその言葉しか当てはまらない。

「ISを此処まで知らないって言う方が、逆にスゴイんだけれど……」

「悪いな。全く知らないぞ、俺。良ければ教えてくれると助かる」

「何処から話そうか……えーと、じゃあまずISのコアというのは、篠ノ之束博士にしか作れないの」

「篠ノ之束……」

 昨夜千冬が口にした名前。それを小さく士郎は繰り返す。

「何で他の人は造らないんだ? 特許?」

「違う違う。造らないんじゃなくて、造れないの。コアの製造は完全なブラックボックスで、篠ノ之博士しか知らないし、なによりオープンにされていないの。それに、これが一番重要なんだけれど、博士は467個以上のコアを造ろとはしていないの」

「なんでさ?」

「さあ? それは博士じゃないと解らない事だし」

「…………」

 そういうものなのかと考える。

 だが、黒いIS――後で『打鉄』と教えられたが、あのISに触れた時の事を思い出す。トレースした限りでは、あれは――

 と――

 千冬の声で意識は中断される。

「終わったみたい」

 清香の声に釣られてそちらを見れば、模擬戦を終えた一夏たちがゆっくりと地表へと降りてきていた。

 その中の二機、士郎の眼は両肩に大砲を載せた黒い機体と、長い銃身を持つ蒼い機体へ向けられる。

「おっかないもんだな。使い方次第で兵器にもなるだろ、アレ……」

 思わず呟いた士郎の声を耳に捉えていた清香は笑いながら応えていた。

「あはは、衛宮君、それは考えすぎだよ。アラスカ条約もあるんだし、これはあくまでもスポーツとしてのものなんだから」

 スポーツ――

 その言葉に士郎は眉を寄せていた。

 清香が言うように、士郎も通称『アラスカ条約』のIS運用協定は読んでいる。渡された分厚い書籍の中で彼が一際眼を惹いた、そこに記されてい軍事利用禁止の一文。

 これが兵器ではないと――?

 冗談にも程遠い。これは兵器だ。否、兵器以外の何物でもない。軍事利用禁止とあるが、士郎にとってはそんなものは机上の空論にしか思えない。

 現に眼にする機体には、御大層な砲身を持っているではないか。これが兵器でなくて何なのか。

 殺傷能力の高い玩具とでも言うつもりだろうか?

 ひとつ誤れば容易く命を奪い、愚かな人間が扱えば気軽に殺戮が出来る兵器。容易に軍事転換できる事に変わりはない。

 どうにも危機意識に欠けているようにしか思えない。それとも考えすぎなのかなと、士郎はひとり無言のままISを見入っていた。

 隣で清香が口を開き何かを話していたが、彼の耳にその声は届いていなかった。



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6

「以上でホームルームを終わる。今日はこれまでだ」

「はい。いいですかー皆さん、放課後だからって道草食ってはいけませんよー」

 千冬と真耶の言葉に生徒たちから安堵の声が漏れていた。今日一日の授業を終えた今、放課後は生徒たちの自由時間となる。

 極端な言い方をすれば、拘束から開放されたという認識は、あながち間違ってもいない。

 がやがやとする喧騒。各々思い思いの時間を過ごそうと席を立とうとする生徒たちの中、思い出したように千冬は士郎に声をかけていた。

「ああ、待て衛宮……お前の部屋だがな、お前は織斑と同室になる」

 『え?』と声を漏らしたのは、名前を呼ばれた当人ふたり、士郎と一夏だ。

 聴き捕らえた言葉に興味を持ったのだろう、女生徒からひそひそと声が上がる。

 声すら上げていないが、当然のように箒とシャルロットもぴくりと反応しているのだが。

 そんな生徒たちとは違い、中には納得いかないとばかりに声を荒げていた者も居る――セシリアだ。

「な、何故に彼が一夏さんと同室なんですの!? 納得行きませんわっ!」

 この発言に対し、果たして何人の者が同意し、何人の物が異を唱えたか……

 少なからず、担任教師の織斑千冬は異を唱える側の人間だった。

「オルコット、お前は同性同士が同室になる事がおかしいと捉えるのか?」

 至極真っ当な理由である。

「い、いえ、そのような事はありませんが……」

「では、何が不服だ? お前には衛宮が男ではなく、女に見えるとでも言うのか? だから同室には反対だという事か?」

「ふ、不服なんてございませんわ!」

 思わず単純に一夏さんと相部屋なんてズルイですわズルイですわ、贔屓ですわと言えるわけでも無いですわ、と胸中で叫ぶセシリアだった。

 渋々と下がるイギリス代表候補生をそれ以上は相手にせず、千冬は士郎へ再度視線を向けていた。

「そう言うわけだ。いいな衛宮」

「はあ……それは構いませんけれど、一夏の意見も聞かないとマズいんじゃないですか?」

 言って、士郎の視線は教室内のもうひとりの男子生徒へ向けられる。勝手に決めていいものか、という意味でのものだ。

 それに対して、一夏は然して気もせずあっさりと応えていた。

「俺は全然構わないぞ。気にすんなよ、士郎。寧ろ男同士の方が俺は嬉しいし」

 一夏にしてみれば特に意識した発言ではないが、『男同士の方が俺は嬉しい』という言葉に幾人かの女子が反応したのは言うまでも無い。

 御多分に洩れず、箒、シャルロット、セシリアの三人も僅かばかり頬を膨らせていた。

(まったく……いくら男子が自分ひとりしか居なかったからとは言え、お、男の方がいいだなどと……はっ、まさか一夏の奴……しゅ、衆道の気があるというのかっっ!?)

(もうっ、い、一夏ったら……そりゃ僕の時は男装してたとは言え、同じ男だからって喜んでたけれど……いくら男の人がいいからってあんなに喜ばなくたっていいじゃないか……て? あれ? まさか一夏って、本当に実はそっちが……て、ふ、不潔だよ一夏っ!)

(一夏さんたら、確かに殿方はおひとりしかいらっしゃらなかったとは言え、あそこまで喜ぶ事もないですのに……て……ま、まさか……まさかーっ!? あ、あの喜び様は、まさか一夏さんは同性愛者でいらっしゃいますのっ!? あ――ありえませんわっ、ありえませんわぁぁぁっ!)

 三者三様、無言のまま、思考は各々都合よくぶっ飛び中である。

 更には、何故か一夏を誑かした元凶として、勝手な難癖を付けられている衛宮士郎の株は大暴落中だ。下降の一途を辿り、現在も目下驀進中である。

 あまつさえ、その三人の女子に士郎が睨まれている意味もわかるわけがない。とんだとばっちりだ。

(何で俺、あの三人に睨まれてんだろう……俺、なんかやったかなぁ……)

 専用機持ちの中で、唯一反応を示さないラウラに関しては、『教官が決めた事では仕方が無い』と諦めている。だが、朝の早い内に一夏のベッドに潜り込む事とは別なのだから構わないだろうと、勝手な解釈をしている一番の強か者は彼女だったりするのだが。

 それはさておき――

 三人に『よくも……』と怨念篭る双眸で睨まれている事に、やはり士郎自身は覚えがない為、理解出来るはずもない。

 例えるならば、必中必殺の呪いの槍、「刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)」も裸足で逃げ出すほどの射殺す視線を感じながらも、士郎はとりあえず一夏の件を了承していた。

「……わかった。でも先生、そうなるとセイバーはどうなるんですか?」

「問題ありません。私はシロウと同室で構いません」

 然も当然とばかりに答えるセイバーに、クラスからは『きゃーっ』と黄色い悲鳴が上がる。

 問題ありすぎである――

 馬鹿を言うなと千冬は一言漏らす。

「そういうわけにもいかん。お前たちふたりの関係を深くは追求せんが、此処は学園であり、お前たちは生徒だ。ルールには従え。淫行を黙認する訳にもいかんからな」

「い、淫行って……」

 思わず呟く士郎に対し、千冬は片眼を瞑って言う。

「年頃の男女が同室で間違いがあっては困るのでな。なぁ、篠ノ之? デュノア?」

『はひぃ――!?』

 不意に名前を呼ばれ、話を振られたふたりは素っ頓狂な声を上げて、こくこくと力なく首を縦に振っていた。

 何故に顔を赤くしているのだろうか、と疑問に思う士郎を見もせず、千冬はセイバーへ向き直る。

「と言う事だ。わかったな?」

「それは……」

 と、声を詰まらせ、頬を赤らめ俯きながら……だがセイバーはハッキリと告げる。

「シロウが私を求めるのならば、私はそれに応じるだけです……」

「はい、アウトーっ!」

 両腕をクロスさせ、爽やかな笑顔のままにバツ印を作る真耶。千冬も額に手を添えている。

「お前は人の話を聴いているのか? その耳は飾りか? 此処まで説明させておいて、一体何を聴いているんだお前は! まぁいい。今言ったように、衛宮との同室は認められん。例外中の例外ではあるが、部屋が用意されるまでは、セイバーは私の部屋で同室となる」

 ざわ――

「千冬さまとっ!?」

「う、羨ましいぃ……」

 別の意味で『きゃーっ!』と騒ぐ女生徒たちを、千冬は『喧しい』と一喝する。

「そう言うわけだ。いいな、ふたりとも」

 しんと静まる生徒たちの中、ただひとり、だらだらと汗を流すのは一夏だった。

 同室?

 誰が?

 千冬姉が?

 そんなのは無理に決まっている――

(家事全般スキルゼロの、あのだらしない千冬姉が誰かとルームシェア?)

 馬鹿な、と一夏は一笑する。

 炊事洗濯まるっきり駄目駄目で家ではぐうたらな、あのものぐさな姉の姿を他人の眼に見られるとなるのは、弟として大変恥ずかしいものがある。

 ゴミの分別すらまともに出来ない姉は、恥も外聞もなく、間違いなく醜態を曝すだけでしかない。

 何せ、燃えるゴミと燃えないゴミを混合した際の言葉が、彼にとっては今でも忘れられないものがある。

 千冬曰く――

「回収業者が本気を出せば、缶も瓶も、燃えないゴミも燃えるものだろう?」

 名言ならぬ迷言――

 不思議そうな顔、不思議そうに発した声を、一夏は永遠に忘れもしない。

 結果、姉の名誉を護るため、弟は挙手し進言していた。

 早まらないでくれ、千冬姉――

 自分で自分の首を絞めるのはヤメテくれ――

「織斑先生! 織斑先生よりも、俺は山田先生の方がイイと思います!」

「私ですか?」

「ほう、何故だ?」

 名前を挙げられ、ぱちくりとする真耶と、少しばかりムッとなる千冬。

 それを見て、一夏もまたきょとんとした顔をする。

「え? 言っていいの?」

 瞬間――

 一際いい音とともに、彼は出席簿で頭を殴られていた。

「織斑……お前、今、失礼な事を考えたな?」

「失礼も何も、俺は寧ろ千冬姉の名誉の為に……」

 再度の打撃。先よりも高い音が上がるのは言うまでもない。

「織斑先生と呼べと何度言わせる。それにだ。貴様に心配されるほど落ちぶれてなどおらん」

「お、おう……」

 何か言おうとしたが、三度出席簿アタックという名の指導を受けたくない一夏はそれ以上何も言わなかった。

「とにかく、部屋割りは以上だ。わかったな?」

 頷く士郎とセイバーのふたりではあったが……

 後に一夏が言わんとしていたものを、セイバーは身を持って思い知らされる事となる。

 

 

 寮長室――と、プレートに打たれた文字を見て、セイバーは感嘆する。

「チフユは教師の身でありながら生徒の寮も管理しているのですか」

「まあな。一年の寮だけではあるが、ガキどもの相手は疲れてな」

「いえ、立派です」

 鍵を開け、セイバーを招き入れる。

「入れ」

「失礼します」

 それが魔界への入り口の始まりだった。

 視界に飛び込む異形の空間――

「これは……」

 部屋に足を踏み入れた際に、セイバーはまず絶句するしかなかった。

 一言で表すならば「汚い」に尽きた。

 コンビニ弁当の空箱や空となった缶ビールの山。

 浸しっぱなしになっている食器。

 机に散乱している書類の山。

 脱ぎ散らかされ、皺になったスーツや果ては下着まで。

 ある意味、地獄絵図――

 部屋の燦々たる有様に、彼女は恐怖すら覚えていた。

(これではまるで凛のようではありませんか!?)

 脳裏に浮かぶ、専業主夫も見事と言わんばかりに家事全般をこなす赤い外套を羽織る弓兵のマスター、遠坂凛――

 居ない筈のアーチャーのマスターの姿が千冬に重なって見えていた。ついでに言えば、重なった凛は無駄に高笑い姿だったのは完全な余談である。

「すまないな。多少散らかっているが――」

 セイバーにとって、千冬の声などもはや聴こえていなかった。無理矢理聴かなくなったと言った方が合っているかもしれないが。

 今何と言った? 『多少』と言ったのか――馬鹿な! これは死活問題だっ!

「一夏も失礼な奴だ。私とて、片付けぐらい普通に出来ると言うのに……」

 やはり聴こえない。

 片付ける? 否、これは散らかすの間違いだろう――

「? 何をしている、セイバー……いつまでもそんなところに立っていないで、中に入れと――」

 不思議がる千冬の声を断ち切り、セイバーは踵を返す。

「シロウを呼びます」

 一言残し、そのまま彼女は部屋を出て行った。

 

 

「こんなもんかな」

 分別したゴミ袋の口を閉じ、士郎はふうと息を漏らす。

 一夏と士郎のふたりがかりにより、てきぱきと手際よく、それでいて「汚部屋」は見違えるほど見事に元の状態へと戻っていた。

 ついでとばかりにキッチン、水周りも綺麗にし、今に至る。

 一夏は今は此処には居ない。ゴミ出しの第一便として席を外していた。

 お茶を煎れた士郎は、千冬とセイバーへ差し出していた。

「その、すまんな、衛宮……まさかお前にまで片づけをさせるとは……」

「気にしないでください。ひとり知り合いに同じような奴が居ますから……小まめに分別はした方がいいかもしれないですね。なかなかそうは巧くいかないかもしれませんけれど」

 部屋でくつろぎ、一夏と話をしていたところを唐突に鬼の形相のセイバーが現れた。

 突然の事に対応に困った一夏と士郎に構わず、ずかずかと部屋に入ったセイバーに言葉なく士郎は腕を掴まれ廊下へと連れ出されていた。

 無言のまま腕を引かれる士郎だが、視界に映るセイバーがこれほど不機嫌なのは何時以来だろうか。食事に手を抜いた時かなと他愛もなく思い出していた。

 そのまま目的の部屋へ連れて来られ、士郎は状況を見て瞬時に理解する。

 何事かと後を追って来た一夏もまた、予想通りの惨状を眼の当たりにし、頭を抱えていたのは言うまでもない。

 日中は一夏を叱る千冬の姿を良く見ていたが、逆に一夏に叱られている千冬の姿は新鮮だった。

 年下の弟に、やれ、着た服と着てない服を一緒にするな、やれ、燃えるゴミと燃えないゴミを何で一緒にするんだ、と……

 その都度、千冬は子供のようにしゅんとし、項垂れていた。

「すまんな……確かに、ちょっとは片付いていない、ぐらいにしか思ってなくてな……面目ない」

 流石に女性物の下着は士郎が手をつけるわけにはいかなかった。それらは弟の一夏に全て任せていた。

 千冬にしてみれば、弟に下着を触られる事に恥ずかしさと抵抗はあるだろうが、状況が状況なだけに、今はそんな事も言っていられなかった。

 手洗い用の物は区分けし、それ以外の色落ちに関係ない物はまとめて洗濯機の中に放り込み、今はごうんごうんと音を立てて泡まみれになっている。

 士郎にしてみれば、久しぶりの掃除のし甲斐がある空間だった。

「セイバーもすまんな。迷惑をかけた」

「いえ、私の方こそ出過ぎたマネをしまして……すみません」

 双方気まずそうに、千冬とセイバーはお茶を啜る。

 ふたりに視線を向けていた士郎だが、大丈夫だろうと判断すると壁にかかる時計を見る。

「さてと……じゃ、俺は部屋に戻りますので」

 言って、口を結んだゴミ袋を手に持ち立ち上がる。

 それを見て、千冬は慌てて制していた。

「待て、それぐらいは私がするぞ」

「ついでですから……別に構わないですよ。代わりとは言っちゃ何ですが、セイバーの事、お願いしますね」

 尚も言いかける千冬を何とか逆に制し、そのまま部屋を後にした。

 厳しい一面しか見ない千冬にも苦手なものがあったのが士郎にとっては面白い発見だった。

(あんなにしっかりした人でも、藤ねえみたいなところもあるんだな……)

 人間、得手不得手が在るとはこの事か。

 無論こういう事に関して、士郎は誰彼へと口外する気などはない。ただ純粋にそう思うだけで、自身の心に留めておくだけだ。

 それ故に――

 笑みを浮かべて歩いていたからだろうか。

 それとも、自分はそれほどまでに浮かれていたのだろうか?

 唐突に声をかけられ、横を歩いていた少女に気がつかなかったのは。

「楽しそうね。そんなにいい事があったのかしら?」

「――――」

 ぴたりと歩が停まる。

 空気が凍る――

 静寂の中、視線が向いた先に――真横にはひとりの女生徒が立っていた。思わず眼についた制服の胸元に巻かれた黄色いリボンが相手を二年生だと物語る。

 気配を感じさせなかった水色の髪の少女は、人懐っこいような笑顔のまま。

 対照に、士郎の表情は険しくなる。その変化に自分自身も気づいている。

「怖いお顔。男の子がそんな顔しちゃ、女の子は寄って来ないわよ?」

「…………」

「私は更識楯無。あなたのお名前、おねーさんに教えてほしいなー?」

「……衛宮士郎」

「うんうん、士郎君ね。本音ちゃんが言ってたように、一夏君と違って可愛い子ね、あなた」

 面と向かって――更には初対面の人間に可愛いなどと言われても、士郎は眉を寄せるだけでしかない。なによりも、相手が口にした『本音ちゃん』とは、おそらく布仏本音の事だろう。

 警戒するように、一歩間合いを取る士郎に、楯無はぱたぱたと手を振っていた。

「そんなに警戒しないでほしいなぁ。おねーさん傷つくなぁ……ぐすん。ちょーっとお話したいだけなのに」

「話?」

 思わずオウム返しに呟いた言葉に彼女は頷く。

「セイバーさんのIS適正能力……あれは本当なのかしら? ついでに言えば、君もどうなのかなぁ? そこのところ、おねーさん気になるなぁ」

「――――」

 今度こそ、完全に士郎の表情は一変していた。鋭い眼つきで相手を射抜く。

 何故それを知っている――

 両手に持っていたゴミ袋を落とし、彼は自然と向き直っていた。

 千冬と真耶を疑うわけではないが、実際のところ、彼女たちはセイバーのデータを公表してはいない。何処かへも一切提出していない。にも拘らず、何故、眼の前の少女はそれを知っているのか――

 訝しむ士郎を気にも留めず、楯無は何処から取り出したのか、扇子を開き口元に当てていた。

 一層警戒させた事に彼女は僅かに首を傾げる。ありゃ、失敗したかなと一言呟き――

「怖いなぁ。そんなに睨まれちゃったら、怖くて怖くて、おねーさん泣いちゃいそう。でも――いい『貌』をするのね」

 でもね、と彼女は言葉を紡いでいた。

「そんなに簡単に表情には出さない方がいいわよ、衛宮士郎君? それだと、いかにも『僕は何かを隠しています』と言っているようなものだから。これは、おねーさんからの忠告ね」

「…………」

 忠告? 脅迫の間違いではないのだろうか?

 顎を引き、士郎は無言のまま。

 口元を覆っていた扇子を閉じ、楯無はニコリと笑う。これ以上、何を言っても彼は応えてくれないと判断したのだろう。

 事実、士郎は何も話す気はなかった。

「お話は終わり。会えて嬉しかったわ、士郎君。ああ、私の事は一夏君が知っているから、おねーさんに興味があったら訊いてみてね。生徒会室に来るのも歓迎するわ」

 言って、楯無は身を翻すと士郎に背を向け立ち去っていく。

 またね――

 去り際に彼女が残した言葉は、士郎の耳にいつまでも響いていた。



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7

 学園に滞在してから二週間が過ぎた――

 クラスにはそこそこ馴染む事が出来、同様にISの制御も徐々にではあるが慣れる事が出来ていた。

 千冬と真耶の助力もあり、士郎とセイバーはそれなりに学園生活を楽しめていた。

 だがそれは、本来の目的を除いた話でのものだ。

 魔術的概要、自分たちが此処に来た理由、また、元の世界に帰る手段は一向に思いつかず、方法は見つからないままでいた。

 色々と模索はしているが、士郎自身に出来るものなど僅な事しかない。無上にも時間だけが過ぎていく。

 僅か二週間、されど二週間――

 体調を整える事も重要なもの。千冬や真耶、セイバーにゆっくり休むように言われもした。それほどまでに無理をした士郎の顔には焦燥感が出ていたのだろう。彼自身全く意識はしていなかった。

 特に協力してくれている教師ふたりからみれば、魔術というものは当然解る筈もない。彼女たちが手助け出来るものといえば、言葉をかける事だけだった。

 焦る必要はない、焦っても、どうする事も出来ないんだ――

 無理はしちゃいけませんよ、不安と心配はあるでしょうけれど、少しずつ変えていきましょう――

 こんな事しか言えなくてすまない――

 ごめんなさい、こんな事しか言えなくて――

 確かに、親身になってくれるのはありがたい。千冬と真耶からすれば言葉だけしかかける事が出来ず、力になれずすまないと謝られもしたが、そんな事はない。言葉をかけてもらえることが何より励みになった。だが逆に、それは何時までも世話になるわけにも行かないというのが士郎の正直な本心でもあった。

 先立つものにはお金がある。政府公認の男性操縦者というものがまだ非公式ではあるが認められているため、表立ったものではないが援助がされている。生活分などはそこから工面してはいるが、考える事は色々と出てくる。

 ひとりで抱えるにも限界はやってくるものだった。

 サーヴァントは英霊の座に戻るという方法があるが、それはサーヴァントが倒れ伏した場合のみ。士郎にとっては別の話だ。

 日本とは言え、此処は自分の知る世界とは別の世界、見知らぬ世界へ放り込まれ、そこで生きて行くなど並大抵ではない。

 現にセイバーが傍に居てくれた事、並びに織斑千冬、山田真耶という理解者が居てくれた事が、今の衛宮士郎が此処に居られる現状であり、現実であった。

 この幸運がなければ、士郎は絶望し、早々に諦めさえもしていた事だろう。

 なんとかしなくてはならない。だが、その方法が自分にはない。

 どうする事も出来ないジレンマ、歯痒い無力さに、士郎は今宵幾度目かになる溜息をついていた。

 士郎の心情がそろそろ限界に近いのをセイバーも感じ取っていた。傍に居るだけに、日に日に焦燥しきる彼を見るのは忍びなかった。

 それと同時に、助けてあげたくても魔術絡みの事ではセイバー自身に方法がなく、無力な己が恨めしかった。

 その為か、ひとつの結論を彼女は口にする。

「シロウ」

「……ん?」

 ベッドに腰掛けたまま返事はするが、声音は疲れを含んだもの。

 セイバーは視線を向けたまま続けていた。

「考えたのですが、このままでもいいのではないでしょうか?」

「…………」

 このままとは?

 その意味を理解できず、士郎の視線がセイバーへ向けられる。

「このまま、この世界に留まるという事も」

「……それは……」

「確かに、元の世界に戻る方法はあるかもしれません。だが、それは今の私たちにはどうする事も出来ない」

「…………」

「シロウ……私は、アナタを見ているのが忍びない。同時に、あなたの力に何ひとつなれていない自分が情けない……本当にすまない……」

 頭を下げるセイバーに、士郎はやめてくれと一言零す。

「なんでさ。そんな事はない。セイバーが居てくれるから頑張れる。支えてくれるだけで本当に感謝している。そりゃ今は手がないかもしれないけれど、それでも元の世界に戻れるよう努力する。だからセイバー……」

 そこで言葉を区切り、士郎は愛する女性をまっすぐに見入る。

「ひとりで抱え込んでいた……ごめん。こんな不甲斐無い俺に、どうか力を貸してほしい」

「無論です。私はシロウの剣となり、如何なるものからアナタを護ると誓いました。例えどのような事があろうとも、私は、シロウ、アナタとともにあります。だからどうか、ひとりでは背負い込まないでください。及ばずながら、私が力になりますから」

「サンキュー、セイバー」

「…………」

 僅かではあるが、表情はいつもの士郎に戻ってくれた事がセイバーは嬉しかった。

 少しでも元気になってもらう為、暗い話を払拭するように彼女は話を続けていた。

「ISの方はどうですか、シロウ」

「相変わらずかな? 最初の頃よりは動かす事に抵抗は無くなったと思う。飛ぶ事も完全じゃないけれど、まず墜落しなくなったしな」

 士郎もISでの模擬戦を行っている。

 初心者故、扱いは拙いもの。訓練機の打鉄、ラファール・リヴァイヴはなんとか思うようには動かせる事は出来る。形だけは、ではあるが。

 試合は思うように行きはしない。近接戦闘のブレードに関しては戦えなくは無いが、銃器に関してはからっきしだ。何より初めて扱うのだから。

 間合いを離された途端に何も出来なくなる事が多々あった。

 訓練機同士での模擬戦は当然だが、男性操縦者と言う立場上からデータ取りとして専用機持ちとも模擬戦を幾度となく繰り返していた。

 結果から言えば、士郎は専用機持ちたちと戦って勝率はゼロ。真っ当な試合運びにすらなっていなかった。

 特にシャルロットとセシリア、ラウラに対しては手も足も出なかった。格好の的として撃ち落される。

 そんな中、士郎と模擬戦を終えたセシリアは、彼に対して気になる事が心に引っかかっていた。

 状況に応じて、瞬時に判断処理する能力に長けているのでは――?

 結果的に模擬戦はセシリアの圧勝だった。だが、彼女は『もしも』と考えていた。

 あくまでも士郎は初心者である。また、IS稼働時間が僅かであるのは揺ぎ無い事実だ。だが、そんな事は然したる問題では無いのではと捉えていた。

 そう思える節がある。実際戦闘中に数えるぐらいではあるが、こちらの反応を上回るような動きを見せかけていた事があった。それらも巧く次へと運べはしなかったのだが、その行動は、実力をつけていた場合ならば、また違う結果にも成りえていた。偶々だと言われればそれまでではあるが。

 何が言いたいかといえば、セシリアから見ての『衛宮士郎』という男は、基礎をしっかり熟知し補うところを補い、伸ばすところを伸ばしさえすれば、短期間でも如何様にも化ける人間であると彼女なりに評価していた。そんな事は絶対に在りえないと否定しないのもセシリアなりの印象でもある。

(もしや、衛宮さんはとんだ食わせ者……此処で言うならば、狸と言ったところでしょうか……いえ、考えすぎですわね)

 だが、セシリアと同様に箒もまたひとつ思う事があった。接近戦で幾度と士郎と鍔迫り合った際に、相手から何か異様なものを受けたのは事実だった。ブレードによる戦闘に関して、何処か場慣れしているような雰囲気が感じ取れたからだ。深くは考えず、気のせいかと箒は軽く流しはしたのだが。

 総合して専用機持ちたちは士郎を侮ってはいない。厳密に言えば、今現在は実力の差があるとは見ているが油断はしていないつもりだ。

 それは何故か――

 全ての戦闘時において、圧倒的差があるにも、例え絶対的に不利な状況であろうとも、士郎の眼には決して諦めが浮かんでいなかったからだ。

 追い詰められようとも――それはまるで起死回生を狙うかのような、僅かな綻び、小さな針の穴さえあれば、そこから一気に畳み掛け巻き返すような気概さえ宿した双眸。

 ISの動きが例え拙かろうとも、その眼を前にしては、専用機持ちたちは言葉にならない違和感を受けていた。相手は初心者であるというのは解っているが、それでも全力で叩き伏せなければ此方が気圧されるという一抹の不安さえ覚えもした。

 とは言え、気概だけで勝負を覆せるわけでもない事は確かだ。

 あくまでもそれはイメージからのもの。それに対して明確な根拠があるのかと問われれば、見合った答えを用意する事は出来ないだろう。思い過ごしと言えばその通りだ。

 何にせよ、衛宮士郎に対して各々思う事を感じ、意識はしているのだった。

 己の実力だけで扱う士郎の現状IS操作は以上のもの。では、もうひとりのIS操縦はどうなのかと言えば――

 別の意味で最悪だった。

 対する相手、その人間全てに負けていないのだから。それは専用機持ちたちも例外ではない。

 専用機待ち、挙句はふたり除いた各国代表候補生を、ぽっと出の転入生が圧倒している事……それは勿論ただ事ではない。

 ただえさえ面倒なところに、更に厄介な問題をひとつセイバーは持っていた。

 打鉄であろうとも、ラファール・リヴァイヴであろうとも、彼女はブレードしか使わない。そう、射撃武装を一切使わないのだ。

 事実、セイバーはブレード一本で尽く斬り伏せていた。文字通り『ブレード一本』でだ。

 一夏の白式、箒の紅椿、鈴の甲龍までは、まだ誤魔化しが効く。

 だが、シャルロットのラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ、セシリアのブルー・ティアーズ、ラウラのシュヴァルツェア・レーゲンすら斬り伏せている。

 何度も言うが、当然、ブレード一本でだ。挙句は真っ向勝負で、である。

 一方的なこの模擬戦結果に、士郎は蒼い顔のままなのは言うまでも無い。がたがたと肩まで震わせていたのを鷹月静寐に『衛宮君、落ち着いて』と抑えられ頬を張られたほどだ。

 先も述べたように、甲龍、最新型とはいえ第四世代ISの白式と紅椿に関しては、純粋な近接戦闘での実力の結果だとまだ言い訳が効きはするのだが――

 後者三機には通る道理が通らない。

 シャルロットが得意とする高速切替の銃弾の豪雨に掠りもせず、ミラージュ・デ・デザートも効きはしない。

 セシリアの操るB.I.Tも尽く薙ぎ払い、スターライトmk-Ⅲの砲撃すら躊躇せず斬り捨てる。

 ヴォーダン・オージェを発動させたラウラのAICさえ此方を認識させる暇を与えず圧倒する。

 とにかく、セイバーは剣戟もそうだが、銃撃に関しては被弾をしない。甲龍の空間を圧縮して弾丸とする視えない衝撃砲すら斬って見せたのだから。

 流石にこれに関しては鈴は激昂し叫んでいた。

「なんで当たんないのよっ!?」

 鈴の理解できない疑問は当然ではあるが、セイバーにとっては箒たちを容易く圧倒する身体能力、更にはサーヴァントスキルの直感の恩恵によって決して当たる事が無いのだから。

 長所に特化している事は決して悪い事ではない。寧ろ評価されるべきである。だが、何事にも限度と言うものが存在する。

 教師ふたりは見過ごすわけもなく、当たり前のように口を挟む。

 しかしながら、セイバーは融通が利かない堅物だ。自分の信念を決して曲げない。

 千冬の指摘に対しても――

「何をしているセイバー! ライフルの扱い方は教えた筈だろう!」

「必要ありません」

 真耶の指導に対しても――

「いいですかセイバーさん、此処は牽制する必要もあるんです。相手に不用意に近づかせない意味もあります。ラファールには拡張領域があって、多くの――」

「不要です」

 など……

 ああ言えばこう言う。

 とにかく彼女は剣に拘る。それは自分が騎士なのだからという誇りがあるからだ。

 例えどんなに間合いが離れようとも、例え相手が強靭な遠距離武装を纏おうとも、セイバーはそれらを掻い潜り相手を斬り倒す事だけに執着する。

 ブレード一本のみで。

 実際にそれをやってのけるのだから尚更始末が悪い。

 当然、そんな彼女の自論は通りはしない。実力は認めはするが、全く話を聴かないセイバーに業を煮やした千冬が指導の名のもとに鉄拳を見舞ったのは言うまでも無い。

 剣戟、銃撃には全く当たりもしなかったが、千冬の拳は簡単に標的を捉えていた。

 これには士郎も驚いていた。あのセイバーの頭を拳骨で殴れるなど思いもよらなかったからだ。

 叩かれたセイバーすら信じられないという顔をしていた。不意はつかれていない。油断すらしていない。それにも関わらず、だ。

「流石の私でも避けられませんでした。私の直感スキルでも見極められないとは……」

 『直感スキル』は、その名の通りに、つねに自身にとって最適な展開を「感じ取る」能力だ。セイバーにとっては、未来予知に近い第六感でさえ織斑千冬相手には役に立たなかった事になる。

「チフユには恐れ入ります。私はまだまだ未熟ですね、感服しました……」

「感服するのは勝手だが、銃も使え」

「それはお断りします」

 セイバーと千冬の問答は平行線のまま。

 そんな事があったにも拘らず、セイバーは相変わらず銃器を使用する事に関しては頑なに拒否はしたままなのだが。

 思い出して、再び頭が痛くなってきたのだろう。士郎は話題を変えていた。

「ISもそうだけれど……それよりも、やっぱり慣れないのは女生徒ばかりっていうのがなぁ」

 苦笑交じりに呟く士郎にセイバーは同意する。

「男がシロウとイチカと……後は用務員の方の三人だけですからね」

 轡木十蔵――

 IS学園の用務員で温厚そうな顔をした男性に士郎も幾度か会っている。

「肩身が狭いってのは、こういう事だなぁ……一夏の気持ちがすごく解るよ」

「おや、そうですか? 男性にとって、女性しかいない花園に放り込まれるのは、普通嬉しい事ではないのでしょうか?」

 セイバーにしてはおかしな事を口にすると士郎は聴き留めていた。

 彼女が意図して言葉にするとは思えない。

「なんでさ……誰から吹き込まれた?」

「吹き込まれたとは心外です。キヨカとユコから教わりました」

 キヨカとユコ――

 おそらく相川清香と谷本癒子の事だろう。士郎の脳裏にふたりがケタケタと悪巧みをする顔が浮かんでは消えていた。

 意地悪そうに言うセイバーに、士郎は勘弁してくれと手を振っていた。

「俺にとっては荷が重過ぎだよ……ランサーなら喜びそうだけどな」

「それを言うならば、キャスターもではないですか? 可愛いものが好きな彼女にしてみれば、この学園の生徒には十分多い。特にホンネなどは打ってつけでしょう」

 夜に寮内を着ぐるみのような格好で徘徊していた本音を始めて見た時は思わず吹き出していたものだ。

 聴けば、あの格好に似たような物で臨海学校では泳いだというのだから。

 本音とセイバーは相変わらず仲が良い。本音だけではなく、クラスでの交流は良好なもの。特に箒、セシリアと話している姿をよく眼にする。訊けば、箒とは剣、セシリアとは同じ出身国で意気投合していたらしい。イギリスの食文化ではふたり揃って沈んだ顔もしていたが。

 ともあれ、良き友人として、セイバーも楽しんでいるのだろう。

「違いない」

 言いながら、ランサーとキャスター、ふたりが此処に居れば、それはそれはさぞ楽しい事になるだろうと想像し――変化が起きた。

 士郎を軸に、突然光が溢れ出る。それはあの日あの時と同じように。

「シロウ!?」

「っ――」

 ふたりが身構える間も無く、閃光は一瞬だった。

 光が消え去った後に残っていたのは、士郎とセイバーが良く知る……今し方話をしていた――

「ランサーと……キャスター!?」

 唖然とするふたりだが、召還された二騎のサーヴァントも同様だ。

 視線が士郎へ向けられ――

「坊主!?」

「坊や!?」

 同時に口を開いていた。

「……なんでさ?」

 アロハシャツ姿のランサーと、私服姿のキャスターを前に、士郎は力無くそう呟いていた。




ブリュンヒルデが騎士王を叩いたのはふざけです。
無敵設定、チート能力付属しておりません。


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8

「坊主、何処行ってやがったんだ!? 遠坂の嬢ちゃんが捜してやがったぞ!」

「坊や、桜さんが捜していたわよ!? 一週間も何処に行ってたの!?」

 二騎のサーヴァントから激しい剣幕で捲くし立てられるが、士郎はキャスターの発した言葉を聴き逃していなかった。

「一週間? 一週間、俺たちは居なくなってた事になるのか……」

「士郎、どういう事でしょう?」

「……解らない」

 顔を見合わせる士郎とセイバー。それもその筈だ。つい今し方まで話題にしていた二騎のサーヴァントが突然現れ詰め寄られもすれば言葉も無くなる。

「坊や、あなたね……」

 変な言葉遊びをするほど此方は暇ではない。僅かな怒りを覚えるキャスターだが、どうにも合点がいかないランサーがそれを制す。

「まぁ待て魔女殿。坊主、どうにも話が噛み合わねェ。そこのセイバーと駆け落ちってわけでもなさそうだ。何があった? 解るように説明してみろ」

「あ、ああ……解った。でもその前にランサー、ひとつ頼みたい事があるんだ」

 部屋の扉の前に人払いのルーンを施してもらうと、ランサーとキャスターを前に士郎は床に座る。その彼の後ろにセイバーが就く。

 二騎も同じように床に座ると、ランサーに促されるまま、士郎は今までの事を話し出していた。

 まさかランサーたちにまで説明する破目になるとは思いながらも、ふたりの女性に助けてもらった事から、元の世界に戻る手立てが全く無かった事まで詳しく話していた。

「別の世界だと?」

「ああ」

 話を聴き終えたランサーに、士郎はこくりと頷いていた。

「どういうわけかは解らない。気づいたら此処に居たんだ」

「……どう思う? 魔女殿」

 顔を顰めたランサーが話を振るが、士郎の話を黙って聴いていたキャスターは口元に手を当て考える。

「荒唐無稽、とは言えないわね。私たちが此処へこうして現れたのも説明がつかない。見てみれば……」

 自分たちの座る床に手を触れ、キャスターの視線は室内へ向けられる。

「媒介もない。召喚儀式もされていない。坊やが意図的に私たちを呼んだ、という訳ではなさそうね」

「ああ。俺とセイバーはふたりの話をしてたんだ。そうしたら突然……」

「俺たちが現れた、てわけか」

 そうだ、と士郎は頷く。

「…………」

 無言のまま、キャスターはひとり考える。

 なにかしらの媒介を用いて召喚されたのかとも考えたが当ては外れている。

 士郎ならば、投影によって関連する物を複製する事が可能だ。キャスターならば「破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)」、ランサーならば「刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)」などを使っての召喚儀式を行ったともなれば少なからず辻褄は合うのだが。

「召喚魔術の事は良く分からんが、気軽に茶飲み話をしていただけで、片手間に召喚なんざ出来るもんかね、魔女殿? しかも本来のマスターと契約してるサーヴァントを再召喚てな芸当だ」

「ありえないわよ」

 即答するキャスターに、ランサーは『だよな』と相槌を打つ。

「坊主、同じ事をやってみろ。あのいけ好かねェ弓兵でもライダーでもいい。いいか、俺たちを呼んだ時と同じ事をだ」

「わ、解った」

 言われるまま、脳裏に目当ての人物を思い浮かぶ。が、何も変化は起こらなかった。

「意識的なもの? 深層心理に関係が……でもそれなら何故、坊やのところに私が……」

 ぶつぶつと呟くキャスターだが、やはり回答はでない。

 不意に、ランサーがある事に気づいていた。

「……俺と坊主は魔力パスが繋がっているようだな。魔女殿、アンタは?」

 言われ、キャスターも肝心な事に気づかされていた。その表情は信じられなという色を浮かべて。

「私も坊やと繋がっているわね」

「という事は?」

 疑問を口にする士郎の腕を取り、ランサーは無造作に袖を捲くっていた。

 案の定、少年の二の腕に浮かぶ――ふたつの令呪。それを見てキャスタはー『やはり』と溜息を漏らしている。

 士郎自身も己の腕に宿る令呪に驚いていた。

 袖を戻させ、ランサーの眼は『つまりはそういう事だ』と物語る。

「理由は解らねェが、今の俺らのマスターは、坊主、お前って事だ」

「不本意ではあるけれど、坊やに従うしかないようね」

「そういうこった。ヨロシクな、坊主」

 『前途多難ね』とため息をつくキャスターと、おそらくは何も考えていないのだろう。カカカと笑うランサー。

 だが士郎は、その言葉に喜び声を上げていた。

「ふたりはすごい心強いよ。サンキュー」

 素直な世辞を述べる少年に――キャスターもランサーも虚をつかれたように無言になる。が、それも一瞬の事。キャスターは再度嘆息し、ランサーはゲラゲラと笑う。

「な、なんだよ。俺は本当にそう思っただけなのに」

 さすがにムッとする士郎だが、ランサーは片手でそれを制していた。

「わーってるって。悪ィ。ただあまりにもな、坊主が素直すぎるんだよ。だからつい、な。なぁ? 魔女殿?」

「黙りなさい。わたしは低脳なあなたの様にそう簡単に割り切れはしないのよ。寧ろ巻き込まれたこの事態が甚だ迷惑なのよ。それに、後にも先にも私のマスターは宗一郎様だけよ」

 同意を求める視線をにべもなく払いキャスター。つれねぇなぁとランサーは肩を竦めていた。

「なっちまったモンはしょうがねーだろ? 魔女殿よ、そんなにつんけんすんなよ? 小皺が増えるぜ?」

「なんですって!?」

 青筋を浮かべたキャスターは悪鬼の如くギロリと睨みつける。対してランサーは気にもせずへらへら笑ったまま。

 そんなふたりのやり取りを見て、士郎は再度頭を下げていた。

「ごめんキャスター……今の俺には、どうしてもふたりの力が必要なんだ。虫がいい事を言っているのは解る。でもどうか、助けてほしい」

 この通りだ、と頭を下げる士郎に――キャスターは渋々と視線を投げ、一息漏らし言う。

「坊や、男がやたらと頭を下げるものではないわよ」

「…………」

「現界している私たちが、どういうわけか此処に呼ばれた。挙句、私たちの本来のラインは切れていて、何故かあなたと繋がっている。あなたは私たちのマスターなのよ。偉そうにしろとは言わないけれど、もう少し胸を張りなさい」

「それじゃあ――」

 顔を上げ、士郎の弾む声音にキャスターは頷く。

「ええ。束の間ではあるけれど、坊やに従うわ。キャスターの名にかけて」

「ありがとう! 魔術の事ならキャスターほど心強いものはないよ!」

 それを見て、ランサーはつまらなそうに口を尖らせていた。

「なんだよ、最初ッから手ェ貸すんならまどろっこしい事すんなよなぁ。あぁ? もしかして、照れてんのか? 魔女殿も存外可愛いところがある――」

「黙りなさい」

 どす――と鈍い音を立て、キャスターは槍兵の脇腹を殴りつけていた。

 キャスターの細腕とは言え、高速神言魔術による鋼鉄並みに強化した拳での一撃だ。案の定、ランサーは『ぐふ』と息を詰まらせ床に倒れ悶絶している。

 そんな相手を見もせずに――穢らわしいという眼だったが――ふんと鼻で一蹴すると、キャスターは何事も無かったかのように、こほんとひとつ咳払いする 

「それよりも坊や。とても大切な事をひとつ言っておくわ」

「む、なんだよ」

 真顔になるキャスターに対し、士郎もまた真剣になる。

 ついと魔女の指先が主を指し――背後へと向けられる。士郎もまた指先を追い振り返り、顔を強張らせていた。

 視界に映るのはセイバー。だが、その彼女の表情は酷く不機嫌になっていた。

 言葉無く慌てる士郎とは対照に、キャスターは淡々と続けていた。

「すごい心強い、などとはおいそれとは口にしない方がいいわよ坊や。それだとセイバーは、自分は無力で頼りないのだと思い込むわ」

「思い込むじゃなくて、現にもうそうなってんだろコリャ。坊主も結構酷いよなぁ」

 殴られた痛みから簡単に復活し、しれっと応えるランサーの声も士郎の耳には届いていない。

 膨れっ面のセイバーは、ぷいとそっぽを向いていた。

「私如きでは力足りず申し訳ありません」

「なんでさ――だ、誰もそんな事言ってないだろ!?」

「お役に立てず、すみませんねシロウ……私では頼りにならなくて」

「なんでさ!? 魔術絡みならキャスターがより詳しいからだって事で言っただけだろう! なんでそうなるのさ!」

 ぎゃいぎゃいと言い合うふたりに――ぱんぱんと手を叩きランサーが制す。

「ほれほれ、乳繰り合うのはイイがこっち見ろっての」

「誰が乳繰り合ってるんだよ!」

「誰が乳繰り合っているんですか!」

 がーっと吼える士郎とセイバー。だがランサーは『うるせェなぁ』と面倒くさそうに続けていた。

「ほれ、いいから聴けっての。セイバー、坊主がどういう意味で言ったのかぐらい、お前さんでも解んだろうが。コイツの言葉足らずなんてのは、今に始まった事じゃねぇーだろ? そんなにムキになんじゃねえよ。それに、一番頼りにされてんのは自分だってのが解んだろうが」

「む、それは……そうですが」

 言い淀むセイバーから次に視線を士郎へ向け――

「坊主もだ。俺らの事思って言ってくれてんのは解るがな、もうちっと言葉の意味は理解して言えっての。ま、そこが坊主らしいっちゃ坊主らしいんだがな」

「う、わ、解った……」

 素直にしゅんとなるふたりに対し、今度はキャスターが割って言う。

「戯れはいい? じゃ、何にせよ、これからの事を話し合いましょう。粗方の事は理解しているわ。その上で確認するけれど、坊やは、インフィニット・ストラトス? このISというのを動かせるのね?」

「ああ。女性にしか動かせないらしいけれど、俺には動かせた」

 頷くとキャスターの視線はセイバーへと移される。

「セイバー、あなたも動かせるの?」

「ええ。私の反応に完全な手足のようにとは行きませんが、私にも扱えます」

 ふむとそこでキャスターは顎に手を当てる。脳裏に流れ込んでいるこの世界の情報を理解し反芻しながら……確認する。

「坊や、魔術的なもの、魔力の類は感じたかしら?」

 触れた時の事を思い出し、士郎は頭を振っていた。

「いや、特には何も。触れた途端、知識というか情報みたいなのが一気に流れ込んできて、なんて言うんだろ……まったく知らないもののはずなのに、それを俺は知っているんだ。一方的に理解させられるって言えばいいのかな。うまく説明できないけれど」

 そう応え、今一度考える。

 トレースしたとは言え、解析は出来ていない。触れた途端に流れ込んで来た情報量。

 此方が知ろうとする意識を無理矢理押さえつけられ遮断されたかのような違和感。

 逆に、向こう側から此方の意思を無視したかのように強制的に送り込まれ、問答無用に理解させられたと言える。

 再三に渡り、士郎なりに解析しようと試みはしたのだが、巧くはいっていない。

 意識が集中しないのだ。

 士郎の身が持たないのが原因でもある。侵食されるかのような不快感。それが何なのかは士郎は解らない。

 解析に関して、こんな事は今までなかった。だが事実、ISに関しては明らかにおかしな点を拭えない。

 知れば知ろうとするほど、何か得体の知れ無いものが絡みつくような嫌な感じ。見えない蛇にでも巻きつかれるような嫌悪感。

 好奇心が無いわけではないが、それと同じように、得体の知れ無い説明できない『何か』に身体を蝕まれる事が受けつけなかった。

 意気地が無いと言われればそれまでだろう。実際、士郎は不可視のものを乗り越え、その先へ踏み込もうとはしていなかった。

 精神をより集中し、意識したとしても、奥深くまでは解析できないのではないかと彼は読んでいる。片鱗に触れたぐらいでしかないが、物体の構造を把握する事はできるが、そこまででしかない。内部――清香が言うように取り分け心臓部のコアとなると話は別だ。

 投影に関しても同じ事が言える。機械ともなれば、外見だけで中身は伴わない。所詮は器だけのがらんどうしか作れないだろう。

「……完全なイレギュラー……この世界の人間とは違う坊やの魔術回路がなにかしら関係しているのかもしれないわね。今の段階では何とも言えないわ。実際にそれを見てみないと……」

「セイバーが動かせるのは何でだろう?」

「それも今のところは不明ね。魔力が関係しているのかもしれないし、純粋に女性だからという事で動くのかもしれないわね」

 そこまで口にするとキャスターは士郎へ向き直っていた。

「坊や、あなたの事だから解っていないと思うから言っておくけれど、私たち三騎を使役するという事は、どういう事だか理解しているのかしら?」

「……サーヴァントが三人いるって事だろ?」

「やはり解っていないようね」

 やれやれと溜息をつきキャスターは説明する。

「いい、坊や? 本来あなたはセイバーと主従関係にあった。此処まではいいわね?」

「ああ」

「魔力パスは、坊やとセイバーの間で繋がっている。ラインね。じゃあ、此処に私とランサーが坊やと繋がったらどうなるかしら?」

「それは……あ!」

 そこまで説明されて、ようやく士郎は理解していた。

「魔力の供給は、俺を通した三分割って事か」

「ええ。下手をしたら極端な魔力供給不足にもなり得るわ。いい、坊や? 三騎を使役するという事は、逆に喜んでもいられない場合もあるという事を覚えておいてちょうだい。三騎と繋がっていると言う事は、当然坊やはその三騎に随時魔力を流していると言う事よ。自分の魔力回路の事、忘れているわけでは無いでしょう?」

「ああ……」

 キャスターが言いたい事は、今以上に士郎の身体に負担が掛かるかもしれないという点に関してだ。

 思い詰めたように唇を噛む士郎にキャスターは優しく笑う。

「脅すつもりは無いわ。言い方が悪かったわね。ごめんなさい。魔力供給に関しては、これも後ほど考えましょう。最善を尽くすわ」

「助かる」

「じゃあ、それ以外の事で、とりあえず私は何をすればいいかしら?」

「そうだな……まず、キャスターには暗示をかけてほしい。俺たちがこの学園で不利にならないように、浮かないようなレベルでのもので」

「……解ったわ。他は?」

「後は……」

 不意に、士郎の脳裏にはひとりの少女の名前が浮かぶ。

 更識楯無――

 あの日、職員寮の廊下で会って以来、お互いに接触は無い。一夏に訊いたところによれば、この学園の生徒会長であり、学園最強の生徒でもあるという。

 彼曰く、『人たらし』との事だ。他者を自分勝手に振り回し、随時自分のペースで引っ掻き回す。悪い人ではないんだけれど、とも告げられていた。

 話をしてくれた一夏には悪いが、彼は楯無を深くは見ていないなと思っていた。確かに付き合いは自分と比べれば一夏の方があるのだろうが、士郎にとって見れば、どうにも楯無には裏表の『貌』があるように思えてならない。当然、一夏は表の『貌』しか見ていないだろうとも踏んでいる。

 聖杯戦争で魔術師たちを眼にしてきた手前、そういった類のもので人を見てしまう。そんな思考に走っている自分に嫌気が差すが、士郎が感じ取ったイメージでは、楯無は、遠坂凛、カレン・オルテンシアに近い『面倒くさい』側の人間だ。

 特に、あの口振りは果たして何を知り、何を物語っているのか。

 千冬にも同じように楯無の事を訊いてみたが、求める答えは一夏と似たような物だった。

 逆に、士郎の表情に何かを感じた千冬から『何かあったのか?』と訪ねられたが、それに対して『何もありません』としか応えなかった。

 サーヴァントの事は誰にも口外していない。投影も、あのふたり以外には見せていない。

 あの部屋にはカメラの類は無かった筈だ。ならば――

「坊や!」

 強い口調の声音に意識が戻される。

 ぼんやりとしたまま、士郎の視線はキャスターへと向けられていた。

「ぼうっとしてどうしたの? 何か気になる事でもあるの?」

「あー、いや……」

 考えていた事を口に出しかけ――士郎はやめる。

 今はまだいい。脳内の片隅がちりとざわつくが、彼は『なんでもない』と返事をする。

 士郎の態度が明らかにおかしい事にキャスターは気づいてはいるが、敢えて彼女はそれ以上何も言わなかった。

「とりあえず、暗示は要所要所で掛けてほしい。それと、これも別で考えていたんだけれど、キャスターは表立って居てほしいいんだ」

「……どういう事?」

 意図が見えない士郎の言葉に、美貌のキャスターは眉を寄せていた。

「セイバーは今、生徒として此処に通ってるんだ。なら、キャスターも此処に居る限りは普通に過ごせばいいと思うんだ。教師とかいいんじゃないかと思ってさ」

「……人目につかなくても構わないわよ」

 霊体化していれば済むのだから、と簡単に士郎の案を斬り捨てる。

 だが、口にした少年はその返答が予想出来ていたのだろう。めげずに続ける。

「いや、それはそうなんだけれどさ。こんな言い方はおかしいけれど、せっかく此処に来たんだし、キャスターもキャスターで普通にすればいいんじゃないかと思ってさ」

「それで教師?」

 呆れてしまう。

 的を得ない。何故にこの少年は、こうまで無駄な事を好むのかが理解できない。

 どうにもこの子は物事を甘く捉え過ぎているとキャスターは考えていた。

 キャスター自身、正直に言えば士郎を助ける気などは元々無かった。では如何して此処にいるかとなれば、頼まれたからに他ならない。

 間桐桜に頭を下げられては、流石に無視も出来なかった。桜には思うところもあるし、何より桜の泣く姿など見たくは無いというのが、キャスターが動いた一番の理由でもある。

 簡単に言ってしまえば、『裏切りの魔女』などと不名誉な名で呼ばれるキャスター『メディア』は、ひとりの少女の無垢な願いに応えるために快く協力してくれた御人好しでしかないのだが。

 キャスターの心情も知りもせず、士郎は続けていた。

「ああ。キャスターなら、この世界の事も理解してると思う。何でも教えられそうだしさ。スーツとか着たら教師で十分通ると思うし。名前もキャスターじゃなくて、葛木メディアってしたら――」

「葛木メディア?」

 その言葉――

 不意に呟かれたその一言。

 今の今まで全く興味を持たず、視線さえ逸らし、戯言としてしか取り合わずに一応聴くだけ聴いていた士郎の言葉に、キャスターは真っ直ぐに相手を見ていた。

「あ、ごめん。俺のせいでキャスターはこっちに巻き込んじゃったし、葛木て名乗るのは、キャスターは葛木先生の奥さんだろ? だから、せめてという訳ではないんだけれど、束の間の離れ離れになっちゃったし、葛木先生の姓はそう名乗ったら繋がりを感じてもらえればとか思ったんだ。それに似合うんじゃないかと思っただけなんだ。ごめん。軽率だったかな」

「葛木メディア……」

 何度か呟き……ぐっと拳を握り、彼女はやおら立ち上がる。

「いい……いいわ坊や! いいわよ! 訂正するわ! 教師の案――受け入れるわ! 流石よ坊や!」

 まさか此処までキャスターが気に入るとは思わなかった士郎は、興奮する相手のその雰囲気に圧倒されていた。若干引いていたとも言えなくも無いが。

「えっと、お気に召したようで何よりだけれど、あれ? なんかこのやり取り何処かで見たような気がするぞ……何処かのショッピングモールで見たような……既視感?」

 汗を一筋垂らす士郎を完全に無視し、キャスターは爽やかな笑みを浮かべて両手を天に掲げていた。

 素顔のキャスターは文句の付けどころが無い美人だ。その類稀なるとも言える美貌で笑顔ともなれば、見る者にとっては女神とさえ見紛うものだろう。今の彼女は、それはまるで、神々から祝福されるのが当たり前のような神秘ささえ感じ取れた。この時ばかりは。

「ええ、ええ。任せなさい坊や! この葛木メディア、葛木メディアに全て任せなさい! 大切な事だから二回言ったわ! 坊やはこの私、葛木メディアが責任を持って元の世界に戻して見せるわ!」

「あ、ああ。頼りにしてるよ……葛木メディア先生……」

「今の私なら、バーサーカーだろうが英雄王だろうが、指先ひとつで倒せそうだわ!」

 『愛って偉大よ! ヒャッハー』とキャスターは狂喜乱舞する。

 多少目的がずれている事に頭を悩ませかけた士郎だが、今の今まで無言だったランサーが声をかけていた。

 士郎は知らなかっただろう。キャスターと話をしている間、ランサーがセイバーと小声でぼそぼそと話していた事に。

「なぁ、そのインフィニなんたらってのは俺でも動かせんのかな?」

「どうだろう……魔力が関係してるのなら、サーヴァントのセイバーで動いたんだから……案外ランサーも簡単に動かせるんじゃないかな?」

「ふむ……」 

 何かを考えるかのように、顎に手を当てたランサーの口元は歪み、ニヤリと笑みを浮かべていた。

 

 

 翌朝――

 何時も通りの朝の始まりと言えるSHR。その壇上に織斑千冬は立っている。

「静かにしろ小娘ども!」

 煩い生徒たちを黙らせるべく一喝する。

 見慣れた光景。

 ばし、と殴打する音が上がった。

 相変わらずだなと士郎は一瞥しただけで、それと解った。

 日常茶飯事と化した弟一夏の失言。次いでの姉兼教師千冬による制裁。

 一夏に対してご愁傷様と心で呟き、士郎は手にしていた本を読み続ける。千冬に見つかれば当然彼も指導ものではあるのだが、今日のIS実習こそ、ある程度は粘れるようにしないとと考えていた上での判断だった。少しでも自分の足しになるようにと理解しながら知識を吸収していく。

「その前に、喜べガキども! 本日付でもうひとり転入生が加わるぞ」

 唐突に上がった千冬の声音に驚き、生徒たちはざわめいていた。

「転入生?」

「また?」

「衛宮君とセイバーさんが入ったのにまた?」

 案の定、クラスの連中は騒ぎ出す。

 がやがやと喚く生徒たちを黙らせるように、千冬は手にしていた教科書で教壇を叩いていた。

「黙れと言っている」

 IS機動ルールブックに視線を落としていた士郎も喧騒に釣られて顔を上げていた。

「……転入生?」

「私たち以外にもいたのですね」

「そうみたいだな」

 隣の席に座るセイバーとぼそぼそと小声で話していると、壇上に立つ千冬は『入れ』と扉に声をかけていた。

 がらりと扉が開き――

 現れた人物を眼にし、真っ先に反応を示したのは士郎だった。手にしていた分厚い書籍をぼとりと床へ落とし――その表情が見る見るうちに蒼くなる。震える口が開くが、言葉は出ない。

 どうしてお前が其処に居る――

 蒼い髪。すらりとした長身。袖を捲くり、着崩した制服姿――の男性。

「自己紹介をしろ」

「あー、北欧から来た衛宮ランサーだ。趣味は槍と素潜り、あと釣りが得意だ。よろしくなー」

 教壇に立ち、気軽そうに片手を上げてひらひらとしているのは、見紛う事の無い、昨夜召喚された――『クランの猛犬』ランサーがそこに居た。

 驚くセイバーと、机に突っ伏し頭を抱える士郎。そんなふたりに気づきもせず、千冬は続けていた。

「ランサーは衛宮の実兄だそうだ。見て解るように、年齢はお前らよりも上ではあるが、ISを動かせる男性という事で、一から習うために特例の編入だ」

「つーことでよろしくな。あ、俺の事は気軽にランサーって呼んでくれよ」

「年上の男性!?」

「織斑君と衛宮君とも全く違うワイルド性!」

 『きゃーっ!』という歓声に包まれるランサーを尻目に、蒼い顔のまま、士郎はひとり海より深い溜息をついていた。



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幕間1 織斑姉弟

士郎とランサーたちが部屋で話をしていたその頃――
同じ時間帯に進んでいた、本筋とあまり関係ない、とあるふたりの話――


 自室に戻って来た一夏だが、その顔は浮かなかった。

 1025――

 プレートに打たれている部屋番号数字。間違いなく、自分に割り振られた寮部屋である。

 だが、その扉を前に彼は動こうとはしなかった。厳密には、部屋へ入ろうとはしなかった。

(なんだろ。まだ部屋に帰りたくない気分だ)

 夕食を終え、箒に食後の運動だと道場に付き合わされ、その後は鈴とセシリアに捕まり話をして今に至る。

 部屋でゆっくり寛ぎたいと、早々に切り上げ戻って来た筈なのだが、部屋を前にして彼はそんな事を考えていた。

 その感情、ランサーの施したルーンの影響などとは当然解るはずも無い。

 自分でも解らない感情に支配されている事にも気づかず、一夏は自然と頭を掻いていた。

 と――

「あれ、一夏?」

「シャル」

 ふらりと現れたシャルロットに声をかけられていた。

 扉の前に立ち尽くす一夏を見て、彼女は不思議そうに首を傾げる。

「どうしたの? ドアの前で」

「あー、いや、なんとなく。シャルは?」

「え? 僕? 僕は――」

 一夏とお喋りしたくて来たんだよ、とは言えなかった。顔を瞬時に紅くして『あわわ』と言葉を選び出す。

「えーと、さ、散歩! うん! 散歩だよ! 何もおかしくないよ!」

 ぶんぶんと手を振りシャルロットは取り繕う。

 何を言っているんだろうか自分は――

 素直に話をしたかったからと言ってしまえば良かったのにと、自分自身の情けなさに痛感する。

 だが、一夏は特に感じた事もなく、『そうか』と応え口を開いていた。

「あー、なら今暇か?」

「え?」

 予想外の返答にシャルロットは間の抜けた声を漏らしていた。

「今暇か、シャル? 暇だったら少し話さないか?」

「ぼ、僕と?」

「ああ、嫌だったらいいけど」

「嫌なわけないよ!」

 高い声を上げるシャルロットに、思わず一夏は気圧される。

「そ、そうか」

 『きゅぴーん』とシャルロットの眼が光る。そのまま彼女は一夏の腕をむんずと掴んでいた。

「う、うん! 話そう! 話そう! 今すぐ話そう! 早く早く! 一分一秒も時間が惜しいよ!」

「お、おい、そんなに引っ張るなっての」

「いいからいいから。そっかそっか、一夏は僕とお喋りしたいんだぁ」

「シャ、シャル?」

「早く、早く行こう!」

 一夏とは違い、シャルロットは気が気でない。

 こんなところを誰かに見られては都合が悪い。箒や鈴、セシリアたちに邪魔されたらせっかくのこの機会が台無しになる。

(皆には悪いけれど、こんなチャンスは滅多に無いし……そ、それに、一夏から誘ってくれたんだから、ぼ、僕は悪くないよね)

 他の人間に邪魔されない場所として、考えついたのは自室しかない。

 ラウラも居るが、そんな事は大した問題ではなかった。寧ろ、箒やセシリア、鈴に邪魔されるよりは、ラウラであれば気にもならない。

「えへへへ」 

 頬を緩ませながら、シャルロットは一夏の手を引き、自分の部屋へと急ぐのだった。

 

 

 同刻――

 今日一日の仕事を終えた千冬は自室に戻っていた。

 鍵を開け、室内に入る。しんと静まる暗闇の中、電気を点ける。

 同居人のセイバーの姿は無い。合鍵を渡してはいるのだが、どうやらまだ帰って来てはいないのだろう。

 それに対しては特に思う事もなく、脱いだスーツをハンガーにかけると、凝った肩をほぐしながら冷蔵庫から缶ビールを二本取り出す。

 床に腰を下ろし、缶ビールを開けると、ぐいと一気に流し込み――ふうと、そこでようやく一息つく。

 一本分が丸々空にからになった時、正にそれを見越したかのように千冬の携帯電話が鳴った。

 無難な電子音を奏でるそれを取り、表示された名前に眉を寄せる。

 篠ノ之束――

 ピッ――と千冬は電話に出ていた。

「…………」

「はろはろー、ちーちゃん」

 案の定の相手に彼女の眉はさらに寄る。

「やーやー久しーね、海以来だねー」

 暢気に語る相手とは違い、千冬は今すぐ電話を切りたかった。

 そのため、必要最低限の言葉だけ口にする。

「何の用だ?」

「あれあれ? 束さんの声が聴けたのに、随分と冷たくないかなー、ちーちゃん」

「黙れ。私は忙しい。下らん用事ならば切るぞ」

 脅しでなく本心から告げているのだが、相手は『つれないなー』と零すだけ。

「まーいいや、なら手っ取り早く言う事にするよー。そっちに二人目の男性操縦者が居るよね? あれ……何?」

「…………」

 やはり来たかと彼女は捉える。遅かれ早かれ、当然何れは束の耳にも入るとは思っていた。寧ろ今頃では遅すぎるとさえ思えるほどに。

 気楽に訊いては来るが、声音は冷たいものが含んでいる。

 故に、千冬は応えていた。

「何、と言われてもな。その通りでしかないが?」

「何処で見つけたの? ちーちゃんが見つけたの?」

「ああ、偶然な」

「……偶然ねぇ」

 そう偶然だ。偶然自分がISを動かした場に遭遇しただけなのだから。それ以上は解らない。

 千冬は何ら間違った事を口にしていない。事実なのだから。

 それと同時に、士郎と束が全く関係ない事がこれで解った。興味を持たない人間相手に対する態度が変わらないからだ。

「ならいいや。訊いておきたかったのは、こっちが本題。この二人目、バラバラにして調べちゃってもいいかなぁー?」

「…………」

 暢気な声とは裏腹に、口にする内容は物騒なものだ。

 ビールを飲もうとして――今手にしている缶は空だという事を忘れていた。

「お前は何を言っているんだ?」

 つとめて冷静になろうとする千冬ではあるが、当然束はそんな彼女の心情に気づくわけが無い。

「別におかしくないじゃん、ちーちゃん? いっくんは束さんにとって、箒ちゃんや、ちーちゃんと同じように大切な子だよ? 男でISを動かせる事に関して調べたくても調べられないけどさぁ」

 そこまで言って、電話の向こうで「あはは」と笑う。

「別の二人目なら関係ないじゃない。いっくんさえ居ればいいんだし。精々研究材料の部品として、ほんの少しは役に立つんじゃないかなーと束さんは思うんだよね」

「…………」

 寧ろ、天才の束さんの役に立たせて上げるんだから、光栄な事だよ、とさえ漏らす。

 一夏を傷つけるわけにはいかないが、士郎は傷つけても構わない。

 人間扱いしていない。ただのラットか何かとしか見ていない。

 部品ときたか――

 手にしていた缶を、彼女は思わず、ぐしゃりと握り潰していた。

「……お前がどう思おうが勝手だがな、そんな話を聴かされて、私が賛同すると思うのか?」

「えー? 『コレ』って、もう肉親いないんでしょ? だったら誰も困らないじゃーん」

「…………」

 確かに衛宮士郎の本来の家族と呼べる者が既に他界している話は、本人から聴いているので千冬は知っている。その情報は提出した書類に記載している。だからと言って、人体実験に適用される道理は無い。

 挙句は、衛宮士郎を『コレ』呼ばわりか、と千冬は胸中で嘆息する。此処にもしセイバーが居て、今の言葉を聴いていれば、彼女は烈火の如く怒り狂うだろう。

「……お前、何処まで知っている?」

「うっふっふ、束さんには不可能は無いんだよ」

 それが誉められた事だと思ったのだろう。視えはしないのに、電話口の向こうで無駄な胸を張っているのが容易に想像できる。

 的を得ない返答だ。だが、と千冬は口の端を吊り上げていた。

 束が口にしたその言葉に、思わず千冬は苦笑を漏らしていた。

 何故なら、束の知らない事を自分は知っているのだから。この天才さえ知らない事を、今自分が知っている事が優越感に浸れて堪らなかった。

 そんな千冬の雰囲気を電話越しに察したのだろう。束の声が聴こえてくる。

「むー? ちーちゃん何か束さんに隠してない?」

 こういう事に関しては鋭いな、と千冬は純粋に思う。だが、次いで思う事もある。

 誰が言うか馬鹿者――

 束の事だ、何れ如何なる情報からか知り得るだろう。故に、態々此方が教えてやる義理など無ければ話す気も無い。

「さあな? 何の事だか解らんのでな」

「…………」

 相手は無言。だが、何かぼそりと呟いていたのが解る。巧くは聴き取れなかったのだが。

「用件はそれだけか?」

「うん、まー今日のところはそんなトコかな。ちーちゃん、束さんばっかりじゃなくて、ちーちゃんからも掛けて来ていいんだよ。照れなくたっていいんだよ? 束さんは、ちーちゃんとの愛を――」

 問答無用で千冬は通話を切っていた。あまつさえ、電源まで落とし、適当にテーブルに放り投げていた。

「…………」

 無言のまま、二本目の缶ビールに手をつける。

(アイツがこのまま大人しくしているとは思えないが……)

 忘れるかのように、千冬はビールを喉に流し込んでいた。



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9

「ランサーさんて、衛宮君のお兄さんなんですか?」

「ああ。でも、全然似てねェだろ?」

「素潜りが得意なんですか?」

「あー、海はいいぜ。泳ぐのもいいが、さっき見た限りじゃ釣りにはいい場所があるな此処は」

「今度教えてくださーい!」

「ああ、構わねぇぞ。ただな、釣りは根気がいるぜ? 飽きっぽいかもしれんが、それは勘弁なー」

「きゃーっ!」

 休み時間にもなり、早速ランサーの席の周りには女子生徒が囲んでいた。クラスメイトはもとより、他組の生徒もまた噂を聞きつけ、廊下から教室内を覗いている。

 きゃいきゃいと黄色い声に囲まれる自称『兄』と名乗るランサーに対し、士郎は溜息を漏らし続けていた。

 シャルロットとラウラに『顔色が悪すぎる』と心配されたが、大丈夫だと丁重に断っていた。

「体調悪い? 保健室案内しようか?」

「……ありがとう。でも、いいから」

「大丈夫か? 顔色が優れていないぞ。衛生兵が必要か?」

「いや、大丈夫だから。ありがとう」

 怪訝な顔をするふたりではあったが、『無理しちゃ駄目だよ』と一言残し、シャルロットはラウラを連れて席を離れる。

「保健室って言えば、臨時の新しい先生が入ったんだって。ラウラ知ってた?」

「ほう」

 雑談しながら去るシャルロットたちを見もせずに、士郎は幾度目ともなる息を吐く。

 此方を心配してくれるのは大変ありがたいが、それよりも席を外してランサーが余計な事を更に仕出かしては眼も当てられない。

 セイバーは……正直当てには出来ない。いくら彼女でも、あのランサーを制御できるとは思えないからだ。ならば自分は完全に手綱を握れるのかと問われれば、否。

 だが、ある程度のものは事前に防げるやもしれない。そのためには、随時監視していないといけない。心労が絶えはしないが、これが他クラスでなくてよかったと、士郎は本心から安堵していた。

 別クラスまでは監視できない。当然、この男の事だ、好き勝手にやらかすに決まっている。

 耳を澄ませば、ランサーの口から出る声は、何故か士郎の話題になっていた。

「良く出来た弟でな。料理が得意なんだよ。なー、士郎?」

 此方に賛同を求めるように話を振られる。

 誰が弟だ――

 よくもまぁべらべらと嘘を貫けるものだと士郎は呆れたように感心していた。

 

 

「どういう事だよ」

「どういう事って、何がだよ」

 額に手を当て、眉を寄せて顰めた顔の士郎とは対照に、面倒くさそうにランサーは応えていた。

「手短に頼むぜ、坊主。俺なぁ、結構お嬢ちゃんたちと約束事が――」

「知るかよ! 何勝手に約束なんてしてんだよ! いいから――なんでランサーが学生なんだよ!? キャスターと同じように教員とかでもいいだろう!?」

「でかい声出すなよ坊主。誰かに聞かれたらどうすんだ?」

 昼休みになり、お昼御飯を一緒にと女子に囲まれていたランサーの腕を無理矢理掴んだ士郎は屋上へ連れて来ていた。

 ランサーの指摘にあるが、屋上に士郎たち以外に人影は無い。口にした本人も解ってて言っているのだが。

 今現在、屋上には士郎とセイバー、ランサーの三人のみ。

 昼休み――とりわけ今日は天気がいい。こんな日ともなれば、昼食を摂る生徒たちで賑わう筈だが、他人の姿は一切無い。

 ランサーの人払いのルーンのおかげだ。その為、面倒な話を他人に聴かれる心配も無く会話をする事が出来ていた。

 士郎の提案通りに、キャスターは『葛木メディア』として学園教員として赴任しているという暗示をかけている。

 彼女とすれ違う生徒たちは、暗示通り何の疑いも無く教員として接してくる。同じようにランサーも体育教師等で通せばいいのにと士郎は考えていた。

 ちなみにキャスターが決めた教員とは保健医らしい。何故に保健医を選んだのかは、キャスターの邪念がぷんぷんするが敢えて士郎は無視していた。

 そんな相手の考えを読んでいたのだろう。肩を竦めながらランサーは言う。

「馬っ鹿、坊主! 俺が教師なんて柄かぁ? 俺が何を教えられるってんだよ。ルーンと素潜りと槍は得意だが、そんな事を教えるようなトコか、ここは?」

「いやまぁ、それはそうなんだけれど……だから体育教師でも別に――」

 士郎の声を無視し、ランサーは続けて言う。

「となれば、止むを得ず、不本意ではあるが、同じように学生として振舞うしかねーだろうが。それに、クラスが違ったとして、お前に何かあったらどうすんだ? 万が一に、セイバーだけで対処できなかった時はどうすんだ?」

「むう……」

 正論なようでいて、だがどこか釈然としない部分を感じながら士郎は唸る。

 この男がそこまで思慮深く考えるわけがない。もっと短絡に決めて動く筈だ。故に士郎は口を開く。

「結局のところ、本音は?」

「楽しそうだから」

「やっぱりかよ!」

 びしと親指を立てるランサーに士郎は『ふざけんなよ、お前』と叫んでいた。

「いやー、吊り眼のねーちゃんに色々頼んでな」

 『吊り眼のねーちゃん』とはおそらく織斑千冬の事だろう。

 眼を見開き、士郎は声を限りに叫んでいた。

「お前ッ、本ッ当に何勝手な事してんだよッ!?」

「わはははは」

「笑ってんじゃねーぞ、お前ッ!」

「しかし、うまく行き過ぎてますね」

 ふたりの会話を聴きながら、士郎お手製の弁当を摘んでいたセイバーが口を開く。

 許可を得、厨房を借りて早朝に作る弁当は千冬と真耶にも毎日差し入れている。せめてものお礼として士郎が好きで勝手にしている事なのだが。最初は『気を使うな』と断っていた千冬たちではあったが、いざ実際に士郎の作った弁当を口にしたふたりは驚いていた。

 美味い――

 一夏の作る料理も美味いが、士郎の作る弁当は世辞も無く美味かった。何より、偏らない栄養バランスの取れたもの、また和洋中と作る種類も豊富なため、食べる楽しみさえ満足させられるほどのものだった。箸が止まらないとはこの事だと後に彼女たちは語る。

 真耶に至っては、今日は何でしょうか、と眼を輝かせて愉しみにしているほどだ。千冬も満更でもなかったりするのだが。

 話がずれるが、世間では見方によっては、それを『餌付け』というのだが、当の士郎も『餌付けしている』とは思っておらず、千冬も真耶も『餌付けされている』とは思っていない。

 今日に限っては、六人分を用意している。先に述べたセイバー、千冬、真耶の分は変わらず、士郎自身の分とキャスター、残りは眼の前のランサーの分だった。

 ぶつぶつと呟く士郎から渡された弁当を受け取りながら、ランサーも『そうだな』と応えていた。

「ああ、魔女殿の暗示だな。この学園の人間全ては魔女殿の暗示にかかっている。俺らの事を訝しむ奴はいない、がな……」

「? なにか?」

 何処か歯切れの悪いランサーに訊ねるセイバーだが、すぐに彼は『なんでもない』と答えていた。

「…………」

 首を傾げるセイバーに構わずランサーも弁当を摘む。

「坊主のメシは相変わらず美味いな」

「立って食うなよ」

 士郎の指摘など構わずに、箸を銜えながらランサーは眼を向ける。

「で、坊主、お前の方はどうなんだ? ちゃんとやってけてたのか?」

「まあ、それなりにかな」

「…………」

 無言のまま視線を向けていたが、セイバーを顎でしゃくりランサーは続ける。

「昨日は深く訊かなかったが、セイバーの事も話したのか?」

 その言葉が何の意味を指すのか、士郎は瞬時に理解する。

 セイバーの事……つまりはサーヴァントの事を話したのかとランサーは訊いている。

 頭を振り、士郎は返答していた。

「いや、話はしていないよ。セイバーの事も、サーヴァントの事も、それに聖杯戦争の事もな」

「賢明だな。余計なモンは極力話さない方がいい。知られてマズいものは知られない方がいいからな」

「ああ……」

 千冬と真耶に対しても士郎はこれらを話してはいない。信用も信頼も出来ないからという理由だけではない。今はまだ話せるタイミングではないからと避けていたものだ。出来るならば、話さないでおきたいと心の中に決めている。

「投影だけは見せた。状況が状況だったんで、手っ取り早いものもあったしさ」

 あれを見せたのか、と顎を擦りながらランサーは思案する。

 出来る事ならそれもやめていた方が良かったのになと槍兵は考えるが、済んでしまった事は仕方が無い。

 下手に取り繕う事もあるまい。

「……なら、その上で、今のところは坊主は普通に見られてるってワケか?」

「どうだろう。なにかしら怪しんでいるのは……もしかしたら、あるのかもしれないけれど……」

 ふたりの教師の顔を思い浮かべるが、確証はもてないと士郎は答える。

 もし今現在何かしらの監視をされていたとしても、ランサーがそれに気づかない筈も無い。人避けのルーンは未だその効果を発揮している。斥候を得意とする彼の能力は伊達ではない。

 それらを踏まえて、この少年が特に何もされていないのだろうと確信したランサーは口を開く。

「まあいい。いいか坊主、お前は普段通りに普通にしていろ。俺らは俺らで動くから気にするな。何かあったとしてもだ。お前は動くな。まずは俺たちが対処する」

「解った」

 こくりと頷く士郎にランサーも頷き返すと、険しかった表情を一気に緩ませていた。

「ま、坊主は今の生活を楽しんでろっての。しっかしまぁ、あのISてのは面白ェな。反応がサーヴァントの能力に追いつけてねーのがアレだが、飛ぶってのはなかなかだ」

「それに関しては同意です。空中を自在に翔れると言うのは気持ちがいい」

 しみじみとセイバーは頷いていた。

 あの後、部屋を出て行ったキャスターを追うようにランサーもまた『用事がある』と言って霊体化して出て行った。

 何処に用があるのかは深く追求しなかったが、『女性しか居ないんだから、覗きなんてするなよ』と釘は刺しておいたのだが、どうやらキャスターに頼んでISの作動をさせていたのだろう。そうでなければ今に至る辻褄が合わない。

 ランサーが言うには、やはり魔力が何かしら関与しているという。後で魔女殿に詳しく訊いてみろ、とも言われた事は心に留めておく。

 二騎のサーヴァントに関して、千冬と真耶のふたりには昨夜のうちに説明はしてはいる。無論、伏せるべき事柄は伏せた上でのもの。

 事情を聴いたふたりは内容に驚きはしたものの、次いで言葉をかけられたのは『良かったな』の一言だった。

 何にせよ、元の世界に戻る為の一歩は確実に踏んだのだから。ランサーが千冬に接触したのはその後なのだろう。

 改めて、後で教師ふたりに説明しないとな、と考えながら、士郎もまた昨日訊けなかった事を口にしていた。

「ところでさ、昨日は勢いのままで訊いてなかったけど、どういう事なんだ?」

 言いたい事は『何でランサーとキャスターのふたりが捜してくれてたんだ?』と問いかける。

 それに応えるべく、弁当を平らげたランサーは手にした箸で士郎を指し示していた。

「どーもこーもねーぞ。遠坂の嬢ちゃんに言われてよ、お前ら捜すのを手伝ってくれってな。俺の探索のルーンは、坊主の蔵と母屋っつーのか? あの家は……その間を行ったり来たりで反応が消えててな。そうこうしてたら魔女殿も間桐の嬢ちゃんにお願いされて捜索に来たんだろ。同じように反応を見つけたところで昨日の有様だ」

 強制的に此処に呼ばれたんだよと告げていた。挙句は坊主と魔力パスが繋がってやがるんだからな、と思い出しゲラゲラ笑う。

 しばしランサーに視線を向けていた士郎だったが、別の事を訊いていた。

「なあ、ランサー」

「あ?」

「桜たちは、どうしてた?」

 フェンスに寄りかかりながら訊ねる相手に――敢えて視線を逸らしたように空を見上げてランサーは気まずそうに頭を掻く。

「あー、それを訊くか坊主……心配してたに決まってんだろーが。特に間桐の嬢ちゃんは、黒かったな」

「……は?」

 聴き咎めた言葉の意味が解らず、思わず士郎は訊き返す。

 ランサーは視線だけを相手に落として続けていた。やはり気まずそうに。ついでに言えば、その頬には汗を垂らしてさえいた。

「黒かった。真っ黒だ。黒化だった。『セイバーさんと駆け落ちしたんですね、ウフフ』なんて笑ってたのはガチで怖ェぞ」

「なにそれ怖い」

「怖ェーんだよ。戻ったらお前……謝っとけよ坊主」

 俺も極力相手にしたくねーしと漏らし、刺されるかもしれないがなと告げるランサーの言葉に身震いしながら、士郎は話題を変えるべく、更に他の事を訊いていた。

「藤ねえは?」

「藤村のねーちゃんか? ある意味あっちが一番厄介だったな。士郎が居ない士郎が居ないって警察呼ぶほどに取り乱してたぞ。まー、そうはさせないように遠坂の嬢ちゃんが暗示掛けてなんとかしといたんだがな」

 こっちもこっちで大変だったらしいぞと告げておく。

「…………」

 膝で顔を隠すように項垂れる士郎を追い込むように、ランサーの口は動いていた。

「アーチャーの野郎は捨てて置けっつってたなぁ。笑ってやがった。邪魔者が消えて念願叶ったと喜んでやがったぞ。いい顔してやがったなぁ。これ幸いってのはこういう事を言うんだろうな。『いい機会だ、放っておけ凛。ああ、別にヤツを助けるなどとは、まさかまさか言わぬだろうな? 我が崇高なるマスターよ』てな」

「すげぇ想像つくからいいよ。それとその口真似やめろ。ちょっと似てるだけにムカつくから」

「まぁ、遠坂の嬢ちゃんに思きしぶん殴られてたけどな」

 士郎は苦笑を浮かべるしかない。

 脇に屈み、ガハハと笑うランサーはその肩を力強くバンバンと叩く。『痛いぞ』と漏らす声は無視したまま。

「なんにせよ、先も言ったがな、俺らに任せてお前は楽しめ。坊主の心配事も解るけどよ、魔術に関しては魔女殿がいるんだし、少なからず俺にも出来る事は協力してやるさ。だからよ、ンな湿気たツラしてんじゃねーぞ坊主。まぁ、ついでと言っちゃなんだが」

 ニヤと笑いランサーは言う。

「ただな、少しだけでいいんだ。ちっとは俺も愉しませてくれよ」

「…………」

 本音はソレで、此方がついでなんじゃないのか、と思わず士郎の口が言いかける――が、声は発していなかった。

 軽口は叩くが、槍兵の本性も実力も士郎は知っている。眼の前の男は、やる時には本気でやる男だ。

 解っている為だろう――士郎は、はあと溜息をついていた。

「羽目外しすぎるなよ? 頼りにしてるよ、ランサー」

「おう、任せとけや。まぁ、それはそれとしてだ」

 頬杖をつき、ランサーは呆れた視線をセイバーに向けていた。

「本当、ブレねーなぁ、お前は」

「何がですか?」

 ふたりのやり取りを聴きながら、セイバーはもっしゃもっしゃと弁当を口にしていた。



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10

 ある日の放課後、英語の教科書とノートを持った布仏本音はランサーの席に駆け寄っていた。

「ランランー、ここ教えてー」

 此処の英文が解らないのー、と呟く彼女に、『ランラン』とあだ名で呼ばれたランサーは指摘された箇所をすらすらと応えていた。

「おー、なるほどねー」

「わかったか、嬢ちゃん? ところで、それよりもどうだ? この後、俺とお茶でも」

「んー、それはイヤー」

「おっと、こいつは手厳しい。ケーキもつけるぞ?」

「あ、なら行くー」

 『わたし、チーズケーキとショートケーキがイイー』と、袖をぶんぶか振る本音に、居合わせた谷本癒子と鷹月静寐が慌てて割って入っていた。

「ちょっと、本音――イイの、それで!?」

「えー、何がー?」

 ケーキで釣られるんじゃないの、と怒られる本音ではあるが、彼女は『えー、何でー』と口を尖らせていた。何で駄目なの、とさえ反論している。

 『あのね……』と、言い聴かせる静寐と癒子だが、そこに当人のランサーは声をかけていた。

「なら、嬢ちゃんたち、ふたりもどうだ?」

「え? わ、わたしは、別に……」

「う、うん……ねぇ……」

 話を振られて、困惑したように眉を寄せる静寐と癒子は顔を見合わせていた。

 それを見て、笑みを浮かべたランサーは口を開く。

「おいおい、そんな顔すんなよ。美人が台無しだぞ、お嬢ちゃん。もとがイイってのに勿体ねェなぁ」

「び、美人て……」

「何だぁ? 謙遜すんなよ。嬢ちゃんたちみてーに、こんなに可愛くて美人ともなれば、男なんざ放っておかねーだろが。そのナリなら、声かけられんのなんて慣れたもんだろ? 逆に声かけねーヤツがいるとすんなら、ソイツは見る眼がねェわな」

『…………』

 男性に対する免疫が無いのか、癒子と静寐の顔は瞬時に紅くなっていた。

 美人、可愛いなどと直接面と向かって言われては、こそばゆく、別の意味で変な気分にもなってしまう。

「こ、声かけなんて……」

「そ、そんなナンパみたいなこと、し、してくる人も、い、いないし……」

「わー、ふたりとも顔真っ赤ー」

『う、うるさいわね!』

 本音にからかわれたふたりは直ぐに反論する。

 ランサーもニヤニヤと笑っている。それを見て、静寐と癒子は互いに目配せし、わざとらしくこほんと咳払いをする。

「……う、うん……いっ、行ってもいいかなぁ……」

「わ、わたしも……い、いいかなぁーって」

 少しぐらいはお茶に付き合っても別にいいかなと、気を良くしたふたりは賛同する。

 何分にも、この学園に男性など数えるしか居ない。普段接する事の出来ない異性とこうして簡単に話せる点に関しては、静寐と癒子も興味が無いわけではない。

 好奇心はそれなりにある。ランサーが醸し出す男らしさに自分たちでも知らずのうちに惹かれていたのかもしれないが。

 何れにせよ、二名陥落である。

 と、滑り込んできた相川清香も手を挙げて話に混ざる。

「はいはいはいっ! わたしも! わたしも行きたい! わたしもお茶する!」

「構わねーぞ」

 そんなやり取りを見ていたひとりの少女。

「アレが、三人目の男……ねぇ」

 一夏と箒、セシリア、士郎、セイバーたちが雑談する中、その輪に混ざっていながら物珍しそうに視線を向けていた凰鈴音は、つまらなそうにそう呟いていた。

 ランサーの存在を噂には聴いていたが、クラスが違う事もあり、鈴は中々垣間見る機会がなかった。

 こうしていざ眼の当たりにしてはみたが、彼女的に何か思う事があったのか、拍子抜けしたか、興味は無くなったように視線を逸らしていた。 

 聴いていた限りでは、カッコいい、野性的なところが素敵との声を耳にしていたのだが、実際に本人を前にして彼女なりに思う事は……正直なところ特に何も無かった。

 聞いて極楽見て地獄――と、そこまで酷くは行かないが、聴くと見るとでは違うものだと実感しはする。だが、だからと言ってカッコいいとは思わなかった。

「一夏の方が、断然イイじゃない……」

 何より彼女が口にした言葉は心から想っているもの。

 思わず小声でぼそりと呟いた台詞は誰にも聴こえていない――筈だ。

「話だけは聴いてたけれど、いざ実際見たとしても大した事は感じないんだけれど」

 ISの操縦がセイバー並みにすごいとも聴いてはいるが、見てはいない鈴は信用していない。どうせ大袈裟に騒いでいるだけだろうとしか捉えていなかった。

 期待外れと言わんばかりに手をぱたぱたと払いながら、そこまで言って視線を一夏へと移す。

「どーでもいいけど……男の適正者って、こんなに簡単にひょいひょい出てくるモンなの?」

「俺に言うなよ。知らねーよ」

 そんな話を俺に振るな、何で俺に聴くんだよと一夏は眉を寄せて突っぱねていた。

 実際、彼にそんな事を訊いても筋の通った返答などあるわけが無い。

 無茶な物言いを口にしている自覚はありながらも、役に立たないわねと理不尽な事を吐き、鈴は次に矛先を士郎へと向けていた。

「ねぇ……アレ、アンタの兄貴なんでしょ? その割には……全然似てないわよね、アンタたち。ホントに兄弟なの?」

「あ、うん……まあな」

 似てるわけが無いだろう――

 思わず叫びそうになるその言葉を何とか堪え、鈴の指摘に士郎は居心地悪そうにそう返答していた。

 数日も過ぎた頃には、ランサーはクラスに溶け込んでいた。

 もともと持ち合わせている端整な顔立ち。なにより同じ男性とは言え、圧倒的に一夏や士郎には持ち合わせていない滲み出るワイルド性が女生徒たちには受けが良かった。

 聴いた話では、他のクラスはもとより、二年生、三年生にまでファンがいるという。噂では教師陣の中にも熱を上げている者が居ると言うが、真偽の程は定かではない。

 だが、女生徒の中にはそんな態度が気に入らない者もいる。

 今もまた女生徒に囲まれるランサーを――何処か見下したような眼つきの箒は睨みつけるかの様に視線を向けていた。 

「あのチャラチャラした態度――どうにかならんのか? まったく持って気に入らん」

「わたくしも……どうにもあのような殿方は好きにはなれませんわ」

 タイプは違うが、自分の父親と姿を重ねてしまうセシリアの視線も何処か冷たいものが含んでいる。

 そんな彼女の事情など露知らず、セシリアも辛口だな、と一夏はひとりごちる。

 フンと鼻を鳴らし、箒を瞑り嘆息する。

「なにより、女に媚びる様な態度が気に入らん。あんな男に現を抜かす方もどうかと思うがな」

「俺の事をどうこう言うのは勝手だがなお嬢ちゃん、他の奴らは関係ねェだろ?」

 と――

 いつの間にか真横に立っていたランサーに一同が驚いていた。

 音も無く、気配も一切感じさせずに立たれもすれば驚きもする。

 だが、物怖じせず声をかけたのは鈴だった。

「アンタが三人目の男なのね」

「んあ? 見ない顔だな、嬢ちゃん」

「嬢ちゃ――? あたしは二組の凰鈴音。中国の代表候補生よ」

 中国の代表候補生ねぇ……と呟きながら、ランサーは鈴を不躾にじろじろ見入り――

 育つところは育ってねぇなとその眼は告げる。

 そのまま――

「俺はランサーだ。よろしくなー」

「にゃあぁぁぁっ!?」

 唐突に、彼のがっしりとした掌は、鈴の頭をわしゃわしゃと撫で付けていた。

 鈴は慌ててその手を振り払う。

「こ、この……なんなのコイツ!? ありえないんだけど――気安く触んなっ!」

「いやー悪ィ悪ィ。ついな」

 払われた手を気にもせず、へらへら笑うランサーに鈴は『ふしゅーっ』と警戒した猫のように威嚇じみた声を漏らす。

 再度、ランサーは鈴の頭に触れようとするが、触らせまいとその手を払う様に彼女は動き――

 ほんの一瞬、身体が重なったその刹那に、ランサーは鈴の耳元で本人だけに聴こえるようにぼそりと囁いていた。

 一夏の兄ちゃんの方が断然イイもんな――

「なっ!?」

 咄嗟の出来事に顔を真っ赤にした彼女ではあるが、当のランサーは既に離れていた。ニヤニヤした表情は変わらずに。

 何やってんだよと間に入り仲裁する士郎に対し、『本題はな』とランサーは手で遮っていた。

「さっきからそこの黒髪の嬢ちゃんが睨んでっからなぁ。こっちとしては、どーしても気になるワケよ」

 顎でしゃくられた事に箒の眉がぴくりと反応する。

 瞬時に士郎はランサーに対して余計な事をと睨みつけるが、既に遅い。

「ほう、チャラチャラした形の割には、見かけによらず、眼はイイようだな」

「そのお嬢ちゃんから見た、チャラチャラした男は、耳もイイつもりだぜ?」

「やめろって、箒」

 挑発する箒を窘める一夏だが、ランサーは気にするなと口にする。

「ま、気に触ったんなら謝っとくぜ。ただな――」

 言葉を切り――嘲りを含んだ眼で箒を見る。

「お前さんが見た目で俺を判断するように、俺から見たらお前さんの腕なんぞ、悪ィが大したようには思えてならねぇんだがよ」

「なに――」

 思わず詰め寄ろうとする箒をセイバーと一夏が割って入る。

 ふたりに阻まれている黒髪の少女に対し、片目を瞑り、じっと見入ったランサーの言葉は止まらない。

「どうにも直情的だな、お嬢ちゃん。見た感じ、剣を齧ってるようだが――この世界と同じだろ? 女尊男卑? 別に俺から見ればな、女が偉いなんて思っちゃいねぇし。かくいう男が偉いとも思ってねぇぞ。にも拘らず、世の中にゃ自分が『女』てなだけで、然も同然のように偉いと勘違いしてる馬鹿がいるだろ?」

「…………」

「自分の身の程も知らねェ阿呆がなぁ? それと同じように、見てくれの外見だけで物事決め付ける輩は総じて大した事がねぇからなぁ。無能な輩が虚勢を張る為の――案外飾りかも知れねぇなぁ、ソレは。イイとこ張りぼてってトコか?」

「おい――」

 何でお前はそう相手を煽る様な言葉しか選んで話さないんだ、と士郎が小声で叫ぶ。が、当たり前のようにランサーは相手にしない。

 徐々に感情がヒートアップする箒は当然のように食らいついていた。その肩は微かにではあるが、怒りに震えているのがわかる。

「ほう……貴様は、わたしの剣を張りぼてと言うのか? ならば、見てくれではないと、その身で思い知るか?」

「おいおい、まどろっこしい言い方はやめようぜ、お嬢ちゃん。はっきり言えよ。そのムカつく面が気に入らないってな」

「――おい、ランサー!」

 さすがに眼に余る態度に士郎は身体を割り込ませ、ランサーを引き離す。

「あ? なんだよ……今いいトコなんだから邪魔すんなよ。こっちだって怪我させねェように、ちゃんと手加減してやるっての。それで問題ねぇだろ?」

「ば――違うッ、そうじゃなくて」

 お前、何馬鹿な事を言っているんだ――

 この手の輩に『手加減』など禁句だ。恐る恐る背後を振り返って見れば、案の定、怒髪天をつくかのような形相の箒が映る。

「手加減など不要だ!」

「だそうだ。止めてくれるなよ、坊主。向こうのご指名だ」

 士郎にのみ聞こえる声音でランサーはぼそりと囁く。こんなに面白いのを邪魔するな、と余計な事まで口にしながら。

「待て待て箒、待てっての……お前もやめろって。何で喧嘩腰なんだよ」

「うるさい! お前は黙っていろ!」

 仲裁する一夏を煩わしそうに振り払い、セイバーの制止も振り切り箒はランサーへ詰め寄っていた。

 鈴もセシリアも、勝手に話が進んでいくため呆気に取られたまま何も出来ない。

 一触即発の空気の中、原因でもあるランサーはニヤニヤと笑うだけ。

「いいぜ。で、勝負事はどうする? 剣でも弓でも戦車でも――もっとも、こちとら得意とするのは槍ではあるんだが……同じ土俵に立てってんなら、従うだけだがよ?」

「フン、構わん。そちらの得意なもので構わない」

 その返答に――ランサーは心底意外だという顔をする。

「ほぅ、てっきり同じく剣を使えと言うのかと思ったぜ。そっちの方が、まだハンデが付いてお前さん勝てそうだもんな」

「……なに?」

「それよりも、自慢のISじゃなくていいのか? 確か『紅椿』とかいう専用機持ちだったよな? どっちかっていえばIS勝負での方がカッコつくぜ、お嬢ちゃん?」

「――――」

 その言葉が決め手となる。

 だからどうしてお前はそう挑発するんだ――叫ぶ士郎を無視し、怒りのまま箒はランサーに決闘を宣言していた。

 

 

 人目のつかない廊下の片隅に、ふたりの人影が立っていた。ひとりは教師、織斑千冬。もうひとりは、この学園最強の生徒、更識楯無である。

「更識……お前、衛宮に何をした」

「何もしていませんよ」

 士郎に話を振った際に見せた相手の顔。『何でもない』と応えたが、あの表情を見せられては何でもないわけが無い筈だ。

 心配事と釘を刺す手前もあり、千冬は楯無を捕まえ、話を訊くために場所を変えていた。

「……言い方が悪かったな。セイバーのデータを、何故、お前が知っている?」

 千冬なりに考えられる事は数点。さらに其処から絞られる物は限られる。確実に物証として存在するのは士郎とセイバーのIS適正能力を記したデータ。

 何かしらの媒体から、眼の前の少女はデータを取得したのだろう。とは言え、それは千冬なりの推測でしかない。逆に言えば確証は無い。

 だが、それは杞憂に終わる。

 『あらバレた?』と惚けた表情をする楯無に、今一度千冬は口を開いた。今度は多少温度が下がった声音でだ。

「何処から入手した?」

「織斑先生、申し訳ありませんが、それに関してはお答えできません。ですがご心配なく。わたし以外は誰も知り得ていませんから」

「笑えん冗談だ。お前がそれを言うか?」

 信用できない。

 小娘風情が、と千冬は視線で射抜く。

「わたしを出し抜けると思っているつもりか?」

「いえいえ、そんなこと思ってもいませんよ。ですが、いくら『世界最強』とされる織斑先生だとしても、全く予想外のことで足を掬われる事があるかもしれませんね?」

「…………」

 あくまでも例え話ですけれど、と開いた扇子を口元に当ててクツクツと笑みを作る相手に千冬は嘆息ひとつ。

「それは『生徒会長』としてか? それとも『更識楯無』としてか?」

「あら、それはきちんとした手順を踏んでいるのであれば、教えていただけると解釈してよろしいんでしょうか?」

「都合のイイ様に捉える馬鹿者になにを告げる必要がある? 今の貴様は、信用も信頼も一切出来ん」

「手厳しい御言葉で」

「お前特有の『面白そうだから』というくだらん気概を持ち合わせる輩にどう言えと?」

「あらら」

 辛辣な千冬の言葉に楯無は肩を竦めてみせていた。 

 だが、これは言質をとれたことになる

 何れにせよ『衛宮士郎』と『セイバー』の両名には何かがある。

 隠れてこそこそ動くよりは、表立って動いた方が都合もいい。

(そろそろ頃合かしら?)

 ぺろりと唇を舐めた楯無に目敏く気づいた千冬は眼つきを変えていた。

「……調子に乗るなよ、小娘」

「調子に乗るだなんて滅相もない。先生こそ、どうしてこの事を公表しないんですか?」

 本当に楯無はデータを完全に眼にしているのだろう。誤魔化せるとは思っていないが、千冬は説明する気も持ち合わせていなかった。適当に話を切り上げ終わらせたいと考えるのみ。

「提出は既にしている。問題は特に無い」

「そうですよね。改竄したデータでしたら問題なんかなにもないですものね。衛宮士郎くんに関しても。ついでに言えば、彼のお兄さんである、ランサーさんも……でしょうね?」

「ちっ――」

 本当に面倒くさい。

 一発殴り飛ばして、この会話を切り上げようかと本気で千冬は考えていた。 

「まさかお前も、衛宮のヤツを人体実験にでもしたらいいとか考える口か?」

 その問いかけに――楯無は口元を歪ませる。だが、その眼は笑ってはいなかった。

「まさか。そんなこと微塵も思っていませんよ。例え腐ったとしても人として。そんな外道な考えは持ち合わせてはいないつもりですけれど」

「…………」

「まあ、確かに……細胞組織をひとつひとつ、よりよく詳しく丁寧に調べもすれば、男性でもISを操れる原因が何かしらは解明できるのかもしれませんけれど。研究所にとっては、新たな発見があるかもしれませんしね」

 其処まで言うと、彼女は扇子を閉じていた。

 その貌は、真顔となる。

「ですが、虫唾が走りますのでわたしは賛同なんか出来ませんし、するつもりもありません。それと、興味深いのは別のところです。『お前も』と言うことは、織斑先生は何方かになにか言われたんでしょうか?」

「…………」

 その問いかけには応えず、千冬は自身が心から思う事を口にしていた。

「生徒を護るのも、教師の役目だ」

「何から護るんですか?」

「……うるさいガキだ」

 逐一口を挟んでくる相手を千冬は煩わしく感じていた。同様に、余計な事を口にした自分自身にすら歯噛みを覚えるほどに。

 と――

 なにやら廊下が騒がしいことに気づくふたり。人の気配が溢れはじめ、千冬は小さく舌打ちする。

「話は以上だ」

 楯無にそう告げると、千冬は足早にその場を離れようとしていた。

 だが――

「?」

 生徒たちの喧騒に僅かな違和感を覚えた千冬の歩は直ぐに止まることとなる。

 ついで、たまたま横を駆け足で過ぎ去ろうとする受け持つクラスの生徒のひとりである谷本癒子を捕まえると、廊下を走るなと注意した上で問い質していた。

「何の騒ぎだ、コレは」

「えっと……篠ノ之さんと、ランサーさんが決闘するとかで……これから体育館ではじまるそうです」

 決闘という単語に耳聡く反応するのは楯無である。千冬も生徒の口から告げられた内容に虚を衝かれていた。

「……決闘だと? どういうことだ?」

「わ、わたしに言われても、わかりません……」

 睨みつけるかのごとく言い寄る相手に癒子は困惑するだけでしかない。

「…………」

 無言のまま眉を寄せた千冬は、楯無と顔を見合わることしかできなかった。



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11

「……箒、そんなに熱くなるなよ」

「熱くなどなっていない」

「落ち着けって! そりゃまぁ、俺もアイツの言い方はどうかと思うけれど――だからって」

「うるさい! わたしは冷静だ!」

 煩わしい一夏に対し、箒は語気を荒げ、一喝し黙らせていた。

「…………」

 明らかに機嫌がよろしくない幼馴染に、どのように対処するのが最善の策であるかと困惑する一夏はただただ眉を寄せたまま。

 それでもかける言葉を選ぼうとしている一夏から、箒はさっと視線を逸らしていた。

 彼に当り散らすなど筋違いであるということは箒とて理解している。だが、いくら頭では理解しているつもりでも、それ以上に今の彼女の心は『怒り』の感情に支配されている。

 憤怒――

(わたしの剣が、張りぼてだと……?)

 自惚れているわけではないが、これでも箒は己の腕に相応の自信を持ち合わせている。それを――大した事のない、虚勢、張りぼて等と面と向って言われてしまっては、不問にするというような寛容な心を持ち合わせてはいなかった。

 故に、彼女自身、知らずのうちに不用意に力が篭っている。傍から見ても、それはハッキリと解りえるほどのものだった。

(箒のヤツ、だから肩に無駄な力が入りすぎてるってのに……)

 幼馴染だからという事と、自分も剣道をしていたから解る。それに気づいている一夏は、どう接していいか解らずに、声をかけるにかけ辛い状況に頭を悩ませていた。

 が――

 一夏の代わりに声をかけたのはセイバーだった。

「……ホウキ」

 箒の耳に彼女の声は届いているはずだった。しかしながら、黒髪の少女は此方へ向き直るわけでも、視線を寄こすことさえもしなかった。

 反応を示さない相手に対して――構わずに、セイバーは言葉を続けていた。

「ホウキ、肩に無駄な力が入りすぎています。もっとリラックスしてください。それでは、出せる力も、思うように出すことが出来ずに難しくなってしまいます」

「…………」

「イチカも、そのことを伝えたかったのです。今のあなたを心配していますよ?」

「…………」

 変わらず箒は無言のまま。聴いているのかいないのか、彼女はそのまま中央に進み――正座をする。

「大丈夫かな箒のヤツ……」

 自分が口にして言いたかった事を代弁してもらえたのは嬉しいが、変に力が入ったままでは邪念により思うように身体は動かなくなる。普段から頭に血が上りやすい箒の性格を知っているだけに、一夏は気が気でならなかった。

 心配そうに呟く彼に、セイバーは『心配いりませんよ』と声をかけていた。

「大丈夫ですよ。ホウキは落ち着いています」

「そ、そうかな?」

「ええ」

 セイバーにそう言われても一夏の不安は拭えない。だが、指し示すのを見て、ようやく気づく。

 箒は正座したまま静かに眼を瞑ったまま。自身の精神を集中させるかの様に。

 冷静になろうとしている――

 瞑想する姿を見て、それ以上一夏は何も言わなかった。彼もまた腰を下ろして見守るしかない。

「まるで、あの時のわたくしと一夏さんのようですわね」

 ぼそりと呟くセシリア。一夏もまた、返事はしなかったが、同じ事を思い出していた。

 クラス代表者を決める際に争った口論。決闘を宣言し、次いでのISでの勝負。

 セシリアにしてみれば、正に自分は――用いるものは違えど――今箒が行おうとしている事をあの時にしたのだと痛感していた。

 なんとも言えない空気を纏う一夏とセシリアではあるが、それを払うかのように鈴は笑いながら場を和ませていた。

「ま、どーせ箒が勝つでしょ。アイツ、なんだかんだで剣道強いんだし。衛宮の兄貴には悪いけど、箒相手じゃ運がなかったと諦めるしかないんじゃないの?」

「……まぁ、そうだね」

 何処か気まずそうにシャルロットも同意していた。

 シャルロットも箒の剣道での強さは知っている。複雑な表情を浮かべるセシリアも箒が勝つだろうとは思っているのだが。

「…………」 

 だがひとり、一夏の横にちょこんと座るラウラだけは違っていた。彼女は無言のまま、箒に視線を向けるだけ。

 見入る表情には何か不安なものを浮かべながら……

 相手が現れるまでの時間、ただ静かに箒は瞑想を続けていた。

 

 

「ランサー、お前……どういうつもりだよ」

「つもりって?」

「勝負の事だよ! なんで篠ノ之に喧嘩なんてふっかけてんだよ!」

「なんでって言われりゃ、そりゃオマエ決まってんだろ………あー、アレだ、なんとなく?」

 口煩い士郎の言葉に、ランサーは特に考えていなかったようにそう応えていた。

 それが本心から言っているのかどうかは解らなかったが、士郎はただただ呆れるしかない。

「なんとなくなんかで問題起こすなよ! なに考えてんだよ本当に――おい、お前ホントに手加減しろよ!?」

「さっきから一々うるせえぞ坊主。わーってるっての。適当にやりゃいいんだろ?」

「本当にわかってるのかよ……」

「しつこい男は嫌われるぜ?」

「誰のせいだと思ってるんだ!」

 怒鳴りながらも士郎はランサーに布に包まれた長物を渡していた。長さは二メートル程度といったところであろう。

「あ? なんだコレ?」

 素直に受け取るランサーではあるが、対して士郎はひとつ溜息を漏らしていた。

「投影だよ。さすがに槍は拙いだろ? 相手を怪我させないように考えて棍を造った。だけど、こんな物でも、お前にとっては使い方次第で篠ノ之に怪我させるのなんて簡単なんだから――おい、本当にわかってるんだろうな!?」

「へーへー、わーってますって、マスターさまさま」

「ったく……」

 気楽に応える槍兵のサーヴァントに、やはり士郎は不安を覚え息を吐くことしかできなかった。 

 本当に、最近の自分は溜息ばかりついているな、と士郎は自分自身に呆れながら歩を進め――その脚は不意に止まっていた。

「…………」

 無言のまま視線を向ける先――

 視界に映る少女を見て、瞬前まで疲れた顔をしていた士郎の表情には緊張が浮かぶ。

 背後のマスターの異変を感じ、ランサーも立ち止まり振り返っていた。

「……坊主? どうした」

 先まで此方に文句を言っていた士郎だが、ランサーに返答もせず一点を見たまま微動だにしない。

 明らかに尋常ではない雰囲気をランサーは感じ取っていた。

 そのまま彼も士郎が見入る方へ視線を向けていた。

 ひとりの少女が立っている。水色の髪をした、何処か悪戯っぽい顔をした少女。

「…………」

 ランサーの視線が少女から士郎ヘ向けられる。こちらに気づく事も無く、士郎は相手を見入ったまま。

 主から再度少女へランサーは視線を戻していた。

 と――少女、楯無は口を開いていた。

「こんにちは、衛宮士郎くん。また会ったわね。君が会いに来てくれないから、おねーさんの方からこうして会いに来ちゃったわ」

「……どうも」

 気楽に声をかけてくる彼女とは違い、士郎は言葉少なめに淡々としたものだった。

 明らかに警戒の反応を示す相手の姿に楯無は『寂しいなぁ』と一言呟くと、視線はランサーへと向けられていた。

「あなたが、衛宮ランサーさん……衛宮士郎くんのお兄さんね?」

「あ?」

 不意にかけられた声音。眼の前の少女は、ランサーの脳裏には該当する人物が当て嵌まらない。その為、横に立つ士郎へ僅かに身体を屈ませ耳打ちしていた。

「誰だ? この嬢ちゃん」

「……更識楯無さん。この学園の生徒会長だよ」

「ふーん」

 士郎の告げる言葉に、ランサーは然して興味も示さずそう応えていた。

 生徒会長ということは、この学園に在籍する生徒たちの中で一番偉いヤツかという程度の括りでしかない。

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「……で? その生徒会長さんが何用だ?」

「士郎くんの『お兄さん』て、噂に聴いていたので一度ご挨拶しておこうと思って。訓練機とはいえ『打鉄』を動かすのがすごくて、かなりの腕前とも耳にしました。それに、ご自身もお強いんですってね」

 敢えて含みを混ぜたその物言いに対して――何か思う事があるのか――蔑んだ笑みを浮かべながらランサーは応えていた。

「嬢ちゃん、何をこそこそ嗅ぎ回ってるのかは知らねェが、言いたい事があるならハッキリ言った方がいいぜ?」

 どうにもいまいち相手の思惑が掴めないランサーはただそれだけを告げる。

 そんな問いかけに、楯無も肩を竦めながら応じてみせていた。

「ええ、ではせっかくですのでお言葉に甘えて。とは言っても、今日は衛宮士郎くんに用があって。というワケで、おねーさんと、ちょっと付き合ってほしーなー」

「坊主……」

 小声で呟くランサーではあるが、その口調には『どうする?』と意味合いが含まれている。

 だが、士郎は頭を振っていた。

「ランサー、お前は道場に行ってくれ。篠ノ之が待ってるんだから。彼女が言うように、用があるってのが俺みたいだし」

「…………」

 こっちはこっちで任せてくれと無言で伝える。

 士郎と楯無へ交互に視線を向けていたランサーだが――

「あいよ。ならそうするわ」

 踵を返すと、そのままひとり剣道場へと歩いていく。

 と――

「ランサー」

 そちらを見もせずに、士郎は一言声をかけていた。ランサーは返答するでも立ち止まることもない。

 士郎の言葉が何を意味しているのかは理解していた。絶対にやりすぎないでくれよ――と。

「…………」

 故に、わざわざ返事はしなかった。

 立ち去るランサーを尻目に、相対するふたりは無言だった。だが、表情は対照的だった。片方は険しく気難しい『貌』であり、片方は陽気さを滲ませ微笑を浮かべた『貌』である。

「うーん、相変わらず怖いお顔。そんな顔されちゃったら、おねーさん、とーっても困っちゃうなー」

「……用件はなんでしょうか?」

 相手のペースに乗せられるわけにはいかぬと平静を装う士郎ではあるのだが、楯無は変わらずに気楽なままだった。

「うん、それなんだけれど」

 言って、彼女は胸元から取り出した扇子で口元を多い――

「おねーさんとお茶しない? デートしましょう」

「……は?」

 予想外の言葉に――

 思わず眉を寄せた士郎は、自身でもはっきりとわかるほどに間の抜けた声音でそう訊き返していた。

 

 

「さー入って入って、遠慮しないで」

「はあ……」

 楯無に手を引かれるままに連れて来られた場所は、IS学園の生徒会室だった。

 重厚な開き戸を通され、眼の前に広がる部屋。自分が知る穂群原学園の生徒会室とはまた違う空間を物珍しく眺めていれば、椅子を勧められて座るように促されていた。

「ねー、士郎くん。緑茶と紅茶、どっちがイイ?」

「え? あー、じゃあ緑茶の方で」

「緑茶ね。はいどうぞ。粗茶ですが」

 言って、ことりとテーブルに置かれ差し出されたのはスチール缶の緑茶飲料である。

「…………」

 きちんとしたものを期待していたわけではないのだが、何と言うものぐさだろうと思わず士郎は考えてしまう。

 ついでに言ってしまえば、この飲料缶は、先ほどここに来るまでの道すがりにあった自動販売機から楯無が購入していた二本のうちの一本であった。案の定、彼女はもう片方の紅茶の缶を開け、口にしていた。

 無言のままにじっと見入る士郎の視線に気づいたのか、楯無の口元はにんまりとほころびる。

「なになに? おねーさんに見とれちゃった?」

「違います」

 きっぱりと、その一言だけは告げておく。下手に話の矛先を握られても困るのだけでしかない。

「むー、士郎くんたら、そんなに照れることないのよ? おねーさんの魅力に見とれちゃったなら見とれちゃったって、素直に口にしても別に恥ずかしいことでもなんでもない――」

「もう一度言いますが、違いますし、照れていません」

 その自意識過剰はどこから出てくるのか……士郎は頭が痛かった。

 対する楯無はといえば、ノリが悪い相手の反応に哀しそうに眼元を覆っていた。

「そんな真顔で応えなくても……おねーさんは心が痛いわ……メソメソ……」

「……用がないのであれば帰っていいですか? 失礼します」

 言って、がたりと席を立つ士郎に、慌てて楯無は『待って待って』と引きとめ懇願する。

 正直、こんなところで呑気に『お茶』などしている場合ではないのだが。

 気が気でないは、ランサーと箒のことであるからだ。

 ランサーを信用信頼していないわけではないが、箒を相手にどれほど手加減をしてくれているかが不安でならない。

 相手はただの人間なのだというのは当然理解しているとは思うのだが、士郎にとってみれば、心配なものは心配だった。

 それを見透かされたのか、楯無は口を開いていた。

「箒ちゃんの事が心配?」

「……まあ、それなりに」

「ふうん。それなりに、かぁ……」

「…………」

「その口ぶりだと、まるで箒ちゃんが負けるのが当たり前、ていう感じに取れるんだけれど? こう言ってはなんだけれど、あなたのお兄さんが負けるとは思わないのかしら?」

「…………」

 小首を傾げて訊ねる相手に――だが、士郎は無言を貫くのみ。

 どうにもこの少女の前では、余計な事をつい口にしてしまいそうになる。何よりも、相手は此方が零した言葉を逐一拾うから手に負えない。

(……やっぱり、調子が狂うな……)

 楯無が纏う独自な雰囲気から苦手意識を感じ取っている士郎は、手っ取り早く此処から出るために口を開いていた。

「それで? 用件はなんですか?」

「あら、話変えられた。んー、まぁ色々とお話したいことがあってね……どうしても訊いておきたいことがあるの」

「……なんでしょうか?」

「ISでのセイバーさんの動き、あれは傍から見ても、物凄いことだと思うけれど? 士郎くん、あなたから見てどう思う?」

 口元で両手を組みながら訊ねる楯無。

 予想出来得ていた部分指摘。やはりそういうことかと士郎は内心で納得していた。

 その件に関しては士郎も概ね同意する。明らかにセイバーはやりすぎている。頑固者のせいでこういう事態になっているのだから。

 だが、その問答に返す言葉も考えて用意している。そのために、その『答え』を彼は告げるだけだった。

「人間、誰にだって向き不向きがあるでしょう? それと同じことじゃないですか? セイバーは、たまたまISを動かす事に関して凄かった。それだけだと思いますけれど?」

 現にそうなのだから。

「ま、そう言われればそうなんだけれど」

「それに、ISに対するセイバーの操縦を、俺に訊かれても困るんですけれど」

「うー」

 そういう返答を期待したわけではないのだろう。『つまんなーい』と楯無は頬を膨らませている。

 机に突っ伏しごろごろとする彼女を前に、士郎は『この人は本当に生徒会長なのだろうか?』と眉を寄せる。何と言うか、変なところは妙に子供っぽい。

 そう思っていると、彼女は不意に顔だけ起こし、士郎へ視線を向けてきていた。

「ねぇ、もうひとつ訊きたいことがあるんだけれど、いいかしら?」

「なんでしょう?」

「おねーさんの事、そんなに警戒しないでほしーなー。別に取って食べたりしないわよ?」

「いや、正直言って、あなたが何考えているのかわからないし……警戒するのは当然でしょう?」

 思わず士郎は本当の事を言ってしまう。

 そもそも、何よりも――

「俺、あなたの事よく知りませんから」

「この学園の生徒会長よ?」

「いや、そうじゃなくて……生徒会長だっていうのは知ってますよ。一夏から聴いたし……そうではなくて、俺自身が、あなたの事を知らないって意味ですよ」

「じゃ、おねーさんの事、いろいろ教えてあげるから。趣味や特技、好きな食べ物、スリーサイズに、今なら特別に性感帯まで。その代わりに、士郎くんの事、おねーさんにいろいろと教えてほしーなー」

 楯無は瞳をキラキラと輝かせ『教えて教えて』と訴えかける。

 対する士郎はニコリと微笑み――

「お断りします」

 言って席を立っていた。

 まさか楯無も此処で断りを入れられるとは思わなかったのだろう。突然の事に信じられないという顔をする。

「え? おかしいでしょう? 普通この雰囲気だったら、お互い分かり合うシーンでしょう? 何が不満なの? 脱げばいいの? 脱げばいいの? おねーさん裸になればいいの? 裸体になって、士郎くんに抱きつけばいいの? ならとりあえず、今すぐ脱ぐからちょっと待って――」

「あははは、とりあえず、裸から離れましょうね」

 制服に手をかけ、本当に脱ごうと暴走する相手に、士郎は極めて冷めた声音とともに、ただただ力のない笑顔のまま。

(ああ、駄目だ……この手のタイプは、カレンと同じだ……)

 面倒臭さ、厄介さは士郎が知る少女、カレン・オルテンシアと同じかそれ以上であろう。どちらにせよ、此方の話が通じていない手合いであると割り切っていた。

 何処か悟ったかのように――諦める。

 七面倒くさい。

 本当にそそくさと出て行こうとする相手に――楯無は回りこみ、冗談きついわよ、と士郎の頬を扇子でぷにぷにと突付く。

 士郎にとって見れば本気だったのだが。

「ちょーっと待って、そりゃ初対面がアレだったのは、全面的におねーさんに非があるのは認めるけれど、ホントのホントに他意はないのよ。今日は、ただ純粋に、おねーさんは士郎くんとお話したいだけ」

「…………」

 『他意はない』『今日は』という言葉が引っかかるが、無言のまま士郎は視線を向けていた。

 楯無はうんうんと首を振る。

「そりゃ訊きたいこととか他にももっとあるわよ? 無いって言えば嘘になるけれど。でもね、これでも分別は持ってるつもりよ? 言いたくないことに関しては無理には訊かないし。あ、訊いてほしいってことならガンガン訊くけれど?」

 正直に言えば、士郎は楯無を信用も信頼もすることが出来ていない。何を考えているのかがわからず、意図が掴めないからだ。嘘も方便、が適用されないとも限らない。

 こんな会話を交わしていることすら意味があるとは思えなった。

 じっと相手の顔を見入るのだが――

「もう、そんなにマジマジと見つめられちゃったら、おねーさん胸がドキドキしちゃう。照れるわよ」

 キャッ、と可愛らしい声を上げて両手で頬を押さえる楯無だった。

「……はぁ……」

 本当に話を聴かない人だと士郎は溜息を漏らしていた。

 このままズルズルと進んでも、この少女の行動は変わらないままだろう。

 ならばどうするか。

 考えあぐねた結果……実質、士郎が折れた形になるのだが。

「……わかりましたよ。とりあえず、話をしたいっていうのはなんですか?」

 話を聴いてもらえるとわかるや否や、楯無は士郎を椅子に座り直させる。そのまま彼女も対面に座っていた。

 何と言うか、忙しい人だなぁと士郎は胸中で呟いていた。

「で、何の話をするんですか?」

 だが、士郎の口調が少々気に入らなかったのだろう。『駄目ね』と一言漏らしていた。

 意味が解らず、疑問符を浮かべる士郎に楯無は扇子を突きつけて口を開く。

「その喋り方よ。もっとフランクに行きましょう。良く良く考えてみれば、あなたは本来三年生なんだから……実質、わたしより先輩でしょう? 敬語じゃなくて、普通にしましょう」

「普通ったって……」

「わたしのことは、あなたの好きなように呼んでもらって構わないから。逆に、こちらはあなたのことを衛宮先輩て呼ぶことにするから。まずは、それから」

「はぁ……」

 相手の提案に、しかし士郎は気のない返事を洩らすのみである。

「む? 反応鈍いなぁ」

「……わかったよ、更識……これでいいか?」

「うん、上出来。じゃ、改めて……よろしくお願いしますね、衛宮先輩」

「ならさ、俺からも言わせてもらうけれど、先輩はいらないよ。それこそ、そっちの好きなように呼んでくれて構わないし」

 相手のその言葉に、楯無の表情に変化が生じる。

「……いいの?」

「ああ」

「じゃあ、士郎くんて呼んでもいい?」

「構わないよ。言ったろ? 好きに呼んでくれてイイって。一夏にも同じこと言ったし」

「ふふ、なら本当に改めまして。よろしくね、衛宮士郎くん」

「……よろしく」

 当然のように差し出してくる彼女の右手を――士郎は、若干照れくさそうに握り返していた。

 うんうんと頷きながら――楯無はニコリと笑う。

「で、早速なんだけれど、士郎くん……あなた、生徒会に入らない?」

「は?」

 本当に、話の脈絡の無さに呆れた士郎は、二回目ともなる間の抜けた声を漏らしていた。



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12

 時間は多少遡る――

 先ほどの水色の髪の少女を思い出し、ランサーは内心で苦笑していた。

 何処か、カレン・オルテンシアと同じものを感じていた。あの類はクセがありすぎる。

(あの小娘……ありゃ明らかに何かあるな。でなけりゃ、ああまで露骨にはしねぇーだろ)

 そうこう考えているうちに、脚は目当ての剣道場についていた。

 きょろきょろと入り口を探しそちらへ向かう。

(まあ、あっちは坊主に任せるとして、俺は俺で、ちいとばかし愉しませて貰うとするかねぇ……にしても、そんなに見世物でもねーと思うんだがなぁ)

 ランサーの視線は、それなりの数の生徒たちに向けられていた。

 何処から聴きつけてきたのか、他に何もする事が無く余程暇なのかと、居合わせる見物人に半ば呆れながら歩を進める。

 幾人かの女生徒が声をかけてくるが、それらに対してランサーは適当に返答するだけ。

「ほぅ、結構広いもんだな」

 室内を見て、素直な感想を述べていた。 

 現れたランサーを見て、立ち上がったセイバーが歩み寄っていた。居るはずのもうひとりの姿が見えない事に彼女は訊ねる。

「ランサー、シロウは?」

「あ? 坊主はちっと野暮用で席外してんぞ。こっちには来ねェーみてェだ」

「? そうですか」

 制服を脱いだランサーは、小首を傾げているセイバーへと渡す。

 ISスーツを着ているとは言え、引き締まった身体、筋肉、が露になる。

 居合わせる女生徒からは『きゃあ』と黄色い歓声が上がっていた。

「ランサー、シロウが言っていますように、決してホウキには――」

「解ってるって。お前も坊主の心配性がうつってんなぁ。やり過ぎねぇよ」

 解った解ったと手を振るランサーではあるが、ふと彼は思いついた事を口にする。

「お前さんも人の事言えねぇよな? 坊主にISでの事言われてるの知ってるぜ。手ェ抜かねェらしいじゃねーか」

「なっ――」

 その指摘にセイバーは顔を紅潮させる。

「ち、違います! あれは……互いに同じ土俵に立つ以上、相手に全力を持って向かうのが騎士として――」

「あー。つまりは、騎士王様は、『それはそれこれはこれ』て言いてぇのか?」

 変に長くなりそうだと感じたランサーは、無理矢理話の腰を折る。途端、セイバーは咆哮。

「ランサーっ!」

「あー、はいはい。わーかりましたよ。でもな、坊主の言いたい事も、ちったあ解れよ? お前さんの事だから、節度はあるつもりだろうがな、腐っても俺らはサーヴァントなんだぜ? 俺らがやり過ぎてないと思えても、坊主や周りの連中から見れば行き過ぎてるとも捉れかねん。お前が俺に言う事と、坊主がお前に言う事は違うか?」

 ランサーの指摘に、むうと釈然としない顔のセイバーではあるが、こくりと素直に頷いていた。

「ぜ、善処はします……失言でしたね。ホウキは私の大切な友人です。どうか、お手柔らかに……」

「あいよ」

 適当に応えるランサーに頷き、制服を抱えたセイバーは一夏たちの方へと戻っていった。

「セイバー、士郎は?」

「用事があって此方には来ないそうですよ」

「? そうか」

 セイバーにそう答えると、一夏の視線はランサーに向けられていた。彼の眼は、ランサーが肩に担いだ長物を捉えている。おそらく、あれがあの男が得意とする得物なのだろう、と。

 そうこうしているうちに、箒もまた立ち上がっていた。

 裸足に袴姿の出で立ち。先に用意を済ませた黒髪の少女を見つけると、ランサーは頭から足の爪先まで不躾に視線を投げて言う。

「防具は要らないのか?」

「不要だ。そちらこそ付けはしないのか? 言っておくが、手加減はせんぞ」

「あ、そう。なら俺もいいや」

 軽口を叩き、ランサーは手にした長物を包む布を解く。現れたのは棍。

「……長いな」

 見た感じの率直な意見を一夏は口にしていた。それと同時に、あんな長い物で箒とやるのかと胸中ひとりごちる。

 と――

「一夏」

 隣に座るラウラがぼそりと呟く。

「なんだ? ラウラ」

 思わずそう訊き返し、彼の視線は銀髪の少女へと向けられる。

 声をかけた当のラウラは相手を見もせずに――再び口を開き言葉を吐いていた。

「アイツ、強いぞ」

「へ?」

 少々間の抜けた声を出す一夏を無視し、ラウラは睨むようにランサーを見入っていた。

 

 

 棍を肩に担ぎながら、ランサーは箒に声をかけていた。

「勝負は? 一本取ればそれで終わりか?」

「どちらかが降参するまでだ。異論はあるか?」

「いんや、解りやすくて手っ取り早いぜ。得物は取り落としても負けじゃねえんだろ?」

「無論だ」

「なるほどな」

 そう応えると、ランサーは周囲に視線を巡らせ――目当ての人物を見つけ声をかけていた。

「おーい、吊り眼のねーちゃん」

「――!?」

 ランサーがそう呼ぶ相手は、千冬だった。

 『吊り眼のねーちゃん』――

 まさか、織斑千冬にそんな軽口を叩くとは思わなかったのだろう。箒もそうだが、生徒たちからは、何と言う怖いもの知らずだと言うような眼で見られている。

 騒ぎを聴きつけ、道場に足を運んでいた千冬自身も、まさかそのような言葉で呼ばれるとは思っていなかった。

 怒りを感じる前に、驚きと呆れの方が強い。顔を顰めながらも、律儀に千冬は歩み寄っていた。

「……何の用だ?」

「合図してくれや」

 気楽に告げる男。

 そんな事で態々呼んだのかと千冬は睨み嘆息するが、ランサーは相手の心情など察するはずも無い。

「織斑先生、私からもお願いします」

 頷く箒からも声がかけられる。

 ランサーの視線に促され、千冬は面倒くさそうに髪を掻きあげると、やれやれと溜息を漏らしていた。その顔には『どうなっても知らん。勝手にしろ』と物語る。

「……両者、準備はいいか?」

「ええ……」

「いつでも」

 淡々と応えるふたりに頷き、千冬は高らかに叫んでいた。

「始め!」

 その言葉に箒は静かに竹刀を構える。

 ランサーもまた、間合いを取りながら気だるそうに棍を振り、二度三度と旋廻させる。

 と――

 空気が変わる。 

 ひゅんひゅんと掌で遊ばせ振るうランサーはぴたりと止まり、静かに構える。

 先までの飄々とした態度は瞬時に消え――さながら、獣のような鋭い眼光。

「――っ」

 ぞくりと寒気を感じた箒だが、彼女は構えを崩さない。

 一夏たちがいる場所へ動き、試合を見入る千冬も同様だった。

(なんだ? 先までの男と全く感じが違う――)

 例えるならば、丸腰のまま獰猛な肉食獣の前に放り投げられ、相対させられたかのような何ともいえない馬鹿馬鹿しいイメージを千冬は感じていた。

 正眼に構えたまま、箒は動かない。否、動けなかった。

 自分が馬鹿にしていた相手を今一度見改める。

 型とは言いがたく、それでいて無造作に構えているように見えて隙がない。流派などは知らない箒だが、恐らくは我流なのだろうと推測する。

(これは――)

 迂闊に踏み込めば瞬く間に此方が打撃を受ける。緊張に押しつぶされそうになりながらも、箒は爪先を床にじりと滑らせ、何とか間合いを測ろうとする。

 時間にしてどれ程だろうか。

 一夏と鈴、セシリアたちは見入ったまま。千冬とセイバーもまた静かにふたりの勝負を見つめていた。 

「なんだよ? こねェのか?」

「…………」 

 ランサーの軽口に箒は応えない。相手の思惑に乗らぬよう自分に言い聞かせ、なんとか様子を伺う。

 と――

「んじゃ、こっちから行くぜ」

 言って――

 不意に、ランサーの持つ切っ先がくいと動く。刹那に疾る。

「っ――」

 狙い違わず、襲うは喉。

 咄嗟に伸びた先端を刀身で払い箒。だが、ランサーの動きは止まらない。

 不意をついたとは言え、初手を防がれるのは解っていたのだろう。追撃するように二度、三度と棍が疾る。

 首元、心臓、眉間と明らかに急所を狙い迫る切っ先を――だが箒は払い、かわし、それを防いでいた。

「はは、やるねェ嬢ちゃん」

「このっ――」

 打突の猛攻を凌ぐ彼女ではあるが――

 だが、こと長物に関しては箒は失念している。

「しっ――」

 ランサーの口から漏れる息吹とともに疾る棍の穂先を、瞬時に身を捻りよけていた。

 が――

「馬鹿者が」

「いけません」

 千冬、セイバーが同時に声を零していた。刹那に、状況は一変する。

 かわした棍の軌道が跳ねる。ランサーの手首で切り替えした柄が真横から――力任せに箒の脇腹へ叩き込まれていた。

 息を吐き出し、箒の身体が床へと崩れる。

 棍の攻撃は点だけではなく、線がある。それを彼女は身を持って知る事となった。

「…………」

 一夏は唖然としていた。箒は決して弱くはない。だが、現実には、今まさにその彼女が眼の前で床に叩き伏せられていた。

 それは、セシリアと鈴、シャルロットも同様だった。一夏ほどではないが、箒の実力はわかっていたつもりだ。そのため、軽口を叩くランサーを箒が叩きのめして簡単に終わるだろうと高を括っていたのだが、予想を超えている光景に眼を疑っていた。

 唯一、相手の力量を見定めていたウラウだけは表情に変化は無い。

「さて――」

 ぶんと棍を振り、肩に担ぎランサーは言う。

「どうする? 続けるか?」

「当然だ。たかが一撃受けただけで、私が負けを認めると思ったか?」

 取り落とした竹刀を握り、箒は立ち上がる。だが、脇腹の痛みは軽いものではない。回りの連中に気づかれはしないとはいえ、手加減したランサーの打撃を生身の人間が受けていたのだ。痛覚は尋常ではない。

 箒自身が言うように、たかが一撃、されど一撃。

 熱を持つ脇腹に僅かに触れながら――箒は竹刀を構えていた。

 

 

 箒の足取りは重かった。

 先までの機敏さは最早ない。

 ランサーの繰り出す打突は的確に――相手の腹、肩を狙い、脚を払う。 

 対する少女の動きには無駄があり、振るう竹刀は大振りになっていた。

 かわし避け様に――真下から振り上げた棍が竹刀を払い、返しの振り下ろしが箒の肩に打ち落とされた。

 呻き、膝を付いた箒の掌から落ちた竹刀が床に転がる。

 静寂の中、這い蹲ったまま箒は竹刀を取り、荒い息のままふらふらした足取りで立ち上がっていた。

 最初の方は、偶々よ、と笑っていた鈴も徐々に口数は少なくなり、今は無言のままただ黙って見入るだけ。セシリアは口元を覆い見るに堪えないという顔をしていた。シャルロットも険しい表情をしている。

 変わらないのは無言のままのラウラのみ。

 果たして、試合と呼べるような形も無い、一方的な展開を見て、生徒たちは何を思うのか。中には箒が痛々しい打撃を受ける度に小さく悲鳴を漏らす者さえ居る。 

 箒とて、ただ闇雲にやられているわけではない。

 彼女なりに相手の動きを読んだ上で竹刀を振るうのだが、その尽くは容易く打ち払われ、受け流され、かわされるだけ。全く当たらない。

 逆に、無造作に構えるランサーの棍。読めない軌道から疾る打突に身を襲われるだけだった。

 両手で打ち込んでくる箒の竹刀を、ランサーは片手で握る棍で軽く受け止め、払い、切り返す。

 幾度目かになる突きを受け、箒は床に両膝を付いていた。痛みに胸を押さえ、立ち上がる事が出来ない。だが、彼女は竹刀を取り落とさず、杖代わりに身を起こす。

 それを見て、流石に一夏は我慢がならなかった。

「もういいだろ――やめろよ!」

 声を荒げる一夏に――だが、ランサーはつまらなそうに一瞥しただけ。立ち上がっていた箒へ視線を戻していた。

 荒い息のまま、直情的に走り竹刀を振るう箒の腹を打ち、息を詰まらせ蹲るその背に返す棍を容赦なく振り落とす。

「あの野郎っ――」

 ぎしりと歯を軋らせ、一夏は立ち上がっていた。

 その腰をラウラの手が掴んでいた。

「一夏、なにをする気だ?」

「やめさせるに決まってんだろ」

「待て――一夏! やめろ!」

 留めようとするラウラを振りほどき、進もうとする一夏をまた別の者――実姉の千冬が肩を掴んでいた。

「待て、織斑。なにをする気だ」

「千冬姉までそんな事を言ってんのかよ……やめさせるに決まってんだろうが!」

 織斑先生と呼べ、といつもの指導は下さずに、彼女は言う。

「……馬鹿かお前は」

「馬鹿って――千冬姉!」

 睨みつけてくる愚弟を、だが千冬は呆れたように視線を向けるだけ。

「聴けば、些細な事であれ、今回の騒動は篠ノ之からが始まりのようだな。ランサーにも問題はあるだろうが、理由、経緯はどうであれ、お前はふたりの真剣勝負を邪魔する気か?」

「そんな事言ったって、あれはどう見てもやりすぎだろう!?」

「くだらんな」

「なにが」

 食ってかかる一夏ではあるが、ギロリと睨む千冬の視線に身体を強ばらせていた。

 眼力で射抜きながら、彼女は言う。

「だからお前はガキなんだ。織斑、お前は今、どれ程自分が甘い考えを口にしたのかが解っているのか? なら訊くがな? 真剣勝負のISの国際試合で、篠ノ之が、オルコットが、凰が、デュノアが、ボーデヴィッヒが、他国の者と戦って、今のように力量差があって圧倒的に押されていたとしたら、お前は逐一割って入るのか?」

「……それとコレとは違うだろう!?」

「何が違う? 何も違わんさ」

「っ……」

「私闘であろうが、国際試合であろうが、互いに納得した上での真剣勝負だろう? それを、どうしてお前に邪魔する権利がある? 篠ノ之がお前に助けを求めたか? 篠ノ之が相手の力量を見誤った……違うか?」

 事実、箒は見た目だけでランサーを侮っていた。

 千冬の言い分は尤もだ。箒の性格上、こと勝負事においては正々堂々としている。それが真剣勝負ともなれば尚更だ。力量差があろうとも、彼女はそう簡単に逃げるような人間ではない。

 それを解っている。一夏も解っているのだが――納得が出来なかった。

 行動は一瞬。彼は掴まれていた肩を振り払っていた。

 まさか抵抗するとは思わなかったのだろう。虚をつかれた千冬は声を上げていた。

「一夏ッ――此処まで言って解らないのか、お前は――」

 だが――

 進もうとする一夏の前に回り込んだ者がいた。セイバーだ。

 遮るように彼女は立つ。

「いけませんイチカ。ホウキの意志を穢してはいけません。それは侮辱です」

「そんなこと言ってられるか! あれはただの弱い者虐めだ!」

「イチカ、確かにホウキとランサーの実力差は圧倒的でしょう。ですが、ホウキ自身がそれに気づいていないと思いますか? あの場に立つ彼女が気がつかないはずが無い。確かに、此処まで来ては彼女の意地もあるでしょう。ですが、これはホウキが望んだ事です。我々が助けに入る事を彼女は決して良しとはしません。それでも、あなたはホウキの意志を穢してまで助けますか?」

「…………」

 言いたい事は解ってはいるが――一夏は無造作に伸ばした腕でセイバーの肩を掴み押し退けようとする。

 だが、少女の身体は動きはしない。

「我々がすべき事は、見届ける事です。違いますか?」

「く――」

「もし、それでもあなたがホウキを助けるというのならば、私は彼女の剣士としての志を護る為にあなたを止めます。それとも、ホウキにさっさと負けを認めろと、イチカ、あなたはそう告げられますか?」

「…………」

 素直に負けを認めて楽になれ、などと一夏は口にする事は出来なかった。

 真っ直ぐに見据えるセイバーの視線に耐えられず、彼は顔を背けるしかなかった。

 

 

 視界の隅で、一夏が何かを騒いでいるのが解った。

 何かを口にしているようだが、彼女の耳には聴こえていない。寧ろ、何を騒いでいるんだアイツは、とそんな風に捉えていた。

(まったく、こんなところでも騒がしいヤツだ)

 荒い息の中だというのに、箒はぼんやりとそんな事を考えていた。

 呼吸を自制するが、追いつかない。

 手足も酷く重い。至るところから熱を帯び、鈍い痛みをその身に感じていた。

 指先が震えて竹刀を巧く握れなかったが、そんな事には気にもせず、正眼に構え、箒は相手を探していた。

 視線を彷徨わせ――棍を握るランサーを見つける。それはまるで、此方が見つけるのを待っていたかのように。

 相手もまた、無造作に握っていた棍を構える。

 乱れた呼吸のまま――だが箒は言葉を吐いていた。

「すまない。私はあなたを見くびっていた」

「…………」

「勝てないのは重々承知だが、最後だけは、本気で闘ってくれないだろうか」

「…………」

「覚悟を決めて、私は今此処に居る。手加減は不要だ」

 そこまで言って、箒は自嘲気味に笑みを浮かべる。

 此処まで力量差があるのは十二分に感じ取れるが、それでも相手は本気を出していないのではと考えていた。そうでもなければ、こうまで長引かせるわけが無い。ランサーが自分を変にいたぶっているつもりがないのも解る。ならば手加減してのものだろうと箒なりの都合のいい勝手な解釈だ。

 格好をつけるわけではないが、相手にそれだけを伝えたかった。

「いや、私では全力を出すには値しない相手だろうが、我侭に付き合ってほしい。どうか、本気で頼む……」

「……いいだろう。嬢ちゃんの心意気、確かに受け取った。嬢ちゃんが望むなら、俺もそれなりに応えよう」

「すまない。それと、感謝する……」

 一礼すると、箒は眼を閉じ、ゆっくりと息を吐く。

「篠ノ之箒、参る」 

「来な」

 眼を開き、箒は床を蹴りつけ間合いを詰める。

 息吹とともに打ち込まれる竹刀をランサーは柄で弾く。

 だがそれは解りきっていた事、衝撃をそのまま――ぐるんと反転し、真横から払う剣閃。が、それもまたランサーは難なく防ぎ止めていた。

 と――攻守は一転。

 息も付かせぬランサーの連撃。それらを――しかし捌き、箒はかろうじて後退する。

 柄を打ち、軌道を何とか逸らせれば、と思案し――

 自分でも知らずのうちに、険しい表情の箒は笑みを浮かべていた。

(勝てないと諦めていたのに、今、私は勝とうとしたな……)

 高揚する彼女ではあったが、六合目までが限界となる。

 棍の戻りの動きに合わせて、だんと踏み込み、ランサーの胴を薙ぐ――が、剣先は届いていなかった。

 否――

 衝撃を腕に受け、箒の手から竹刀が消える。視認する間も無く、質量が消え空手となった彼女は解らなかっただろう。

 ランサーの棍が疾り、竹刀を宙へ跳ね飛ばしていた。

 愛用する竹刀をぼんやりと眺めながら――

(ああ、これは勝てるわけがないな)

 他人事のようにぼんやりと考えた箒のこめかみを、とんと何かが掠め過ぎ去る。刹那、彼女の意識はそこで途切れていた。

 床に崩れ落ちかける箒の身体を直前に抱き抑えると、ランサーは駆け寄る一夏へそのまま渡す。

「軽い脳震盪だ。ゆっくり寝かせてやんな」

 無言のまま、だが決して納得がいかない一夏はランサーを睨み付ける。

 できる事ならば、今すぐこの場で殴り飛ばしたい気分に駆り立てられていた。

 だが、それを押し込め、彼は一言だけを口にする。

「俺……お前が嫌いだ」

「そうかぁ? 俺はお前の事気に入ってんだがなぁ」

「…………」

 今一度睨みつけると、一夏は箒を抱え上げ、そのまま道場を出て行った。

「手厳しいねぇ」

 頭を掻きながら、振り向きもせずにランサーは、そうぼそりと呟いていた。

 

 

 ベッドに寝ていた箒はゆっくりと眼を覚ます。

 視界に映る赤焼けた天井。外から射し込む夕陽を感じながら、彼女はぼんやりと虚空を眺めたまま。

 しばらくして、自分は負けたのだなと感慨深げに改めていた。

 悔しさが無いわけではない。だが、その心情に陰りは無い。寧ろ表情は晴々としたものだった。

(全く手も足も出なかった……まだまだ私は未熟と言うことか……)

 自身の弱さを感じながら、箒は瞼を閉じ嘆息する。

 と――

「気が付いたか、篠ノ之」

「千冬さ……織斑先生」

 かけられた声音に少々驚いた箒は、現れた相手へ視線を向ける。

 椅子に腰掛け千冬は続けていた。

「今は教師の事は忘れて楽にしろ。此処にはお前と私しか居ない」

 千冬が言うように、保健室にはふたりしか居なかった。保健医たるキャスターは気を利かせて部屋から姿を消している。

「はい……千冬さん、私は……」

「見事なまでにやられたな。一方的だった」

「お恥ずかしい限りです」

「さっきまで一夏が居たんだがな……席を外させた。お前を運んでから、ずっと此処にいてな。心配していたぞ」

「一夏が……」

「衛宮もな、お前に伝えておいてくれとな。『ランサーのせいで、ごめん』だとさ」

「……そうですか」

 言葉少なく応えると、箒は天井を見つめていた。

「千冬さん……」

「なんだ?」

「あの人は……ランサーさんは強いです……とても」

「……だろうな。私もそう思うよ」

 とても試合と呼べるものではなかった先の一方的な展開。千冬はそれを思い返していた。

 眼の当たりにした、一挙手一投足、それらを踏まえた上で、ランサーがただの成人男性ではない事は一目瞭然だった。かなりの腕前、それこそ手練だろう。その一言に尽きる。

 更に言えば、恐らくは最後に見せた動きもランサー自身の全力では無いだろうと千冬は読んでいる。 

 首を動かし、箒は思考する千冬へ視線を向けていた。

「千冬さんは、あの人に勝てますか?」

「……どうだろうな」

 にべもなく千冬は応えていた。ただ、何手先を予想したとしても、彼女の脳裏では、あの男には勝てない様な気がしてならなかった。

「実際に相手をしたお前は解る筈だ。アイツは……実力が違いすぎる」

「……はい」

 頷く箒を見ながら、千冬は胸中で『次元自体が違うのかもな』とも呟いていた。

「私も、お前同様に何も出来ずに一方的に終わるかもな」

「…………」

「さてと」

 そこまで話すと、千冬は椅子から立ち上がっていた。

 ベッドに横たわる箒を見ながら言葉をかける。

「お前はもう少し休んでいろ。他の奴らには、私から伝えておく」

「すみません」

「ああ、それと……次にランサーと顔を会わせても喧嘩なんてはするなよ?」

「……しませんよ」

「ふふ……」

 ではな、と千冬は戸口へ向かう。がらりと扉を開き、部屋を出ようとするその背に箒は声をかけていた。

「千冬さん」

「……なんだ?」

 振り向かずに千冬は返答。

 担任の背に向かって、箒は自身の疑問を口にする。

「私は、強くなれますか?」

「なれるさ。お前が求める強さにも寄るがな。その答えの意味を理解していれば、自ずとな」

「…………」

「精々悩めよ、小娘」

 言って、千冬は今度こそ部屋を後にした。

 

 

 夕暮れの廊下を歩いていた千冬は、士郎とセイバーのふたりを見つけていた。

「ふたりとも何をしている」

「織斑先生」

「チフユ、ホウキは?」

 ふたりもまた此方に気づくと駆け寄っていた。

 セイバーの声にあるように、箒が気になって此処に居たのだろうと千冬は捉える。

「篠ノ之なら、今し方に眼を覚ましたところだ」

「そうですか」

 それを聴きいて士郎はホッとする。セイバーからの聴きづてで状況はある程度把握してはいたが、保健室に運ばれたともなれば色々と考えていたからだ。

 仮にも保健医として振舞うキャスターも居るのだから、酷い事にはならないだろうとも心の中では思ってはいたのだが。

 安心しろと声をかけてくる千冬は、そのまま続けてふたりに言う。

「篠ノ之の事を思うなら、出来れば、今はそっとしておいてやれ」

「……はい」

 頷く士郎から視線をセイバーへと移し――

「で、当のランサーのヤツはどうした?」

「解りません。何処かに出て行ったまま、まだ戻ってはいませんね」

 セイバーが口にしたように、箒との試合後、ランサーはふらりと何処かへ出て行った。

 行き先はセイバーも士郎も知りはしない。現に今もまだ帰ってきてはいない。

 余談ではあるが、剣道場でセイバーが一夏に発していた口上は、箒と試合中のランサーの耳にはしっかりと届いていた。

 その上で、試合後にランサーは『意味合いは解るが、お前が言うな』とセイバーにしっかりと釘を刺していたりする。

 当のセイバーは『ガーン』とショックを受けたような顔をしていたのだが。

 そうか、と一言漏らし、セイバーを真っ直ぐ見据え千冬は言葉を続けていた。

「一部始終を見ていたが、ランサーのヤツ、あれが本気では無いだろう?」

「それは……」

 流石にセイバーは言いよどむ。士郎はその場を見ていないのでなんとも言えない。

 唯一見ていた彼女はどう応えるべきか逡巡する。だが、千冬は呆れたように口を開いていた。

「隠すな。何も責めているわけでは無い。自惚れでは無いが、私なりに見て感じただけのものだ。ランサーに関してはな。なんとなくだが、立ち振る舞い、足の運び、それらを見て……何と言うのだろうか、桁というのか……レベルが違うのを感じる。セイバー、お前にもな」

「……すみません」

「いいさ。それに無理には訊かん」

 頭を下げるセイバーに千冬は笑ってそう応える。と、彼女の視線は士郎へと向けられていた。

「それと……衛宮、前の話だがな、更識がお前に何かちょっかいをかけているな?」

「ああ、まあ……」

「ハッキリ言っておく。相手にするな。アレは疲れるだけだぞ」

「……教師が言う台詞ですか? ソレ……」

 苦笑する士郎に対し、千冬は面倒くさそうに鼻を鳴らす。

「知るか。害にしかならんぞアレは。終始付き纏われてみろ。鬱陶しい事この上ない」

「まぁ……否定は出来ませんけれど……」

 何処か哀れんだような物言い、やりきれないとした表情を浮かべる相手に、目敏く千冬は訊ねていた。

「何かされたか?」

「あー、いや、特には。ただ生徒会に入らないか、と」

「あいつは……」

 言って千冬は額に手を添えていた。疲れた表情のまま、士郎を見る。

「返事をしたのか?」

「いえ、今は保留です」

「もう一度言うが、極力相手にするな。疲れるだけだ。ただでさえ更識で面倒なところに、そこに加えて――」

 そこまで言いかけ、千冬は口を噤んでいた。

 相手の態度に士郎は首を傾げていた。セイバーもまた不思議そうに視線を向ける。

「? 織斑先生?」

「いや、すまん。とにかく、あの馬鹿者は相手にするな。いいな」

 言って、じゃあなと士郎とセイバーの脇を通り過ぎる。

(束の事はまだ言えんな。余計な心配をかけさせるわけにも行くまい……)

 背後の士郎たちの声を聴きながら、千冬はそう胸中でひとりごちていた。

 

 

 陽も沈み、周囲には夜の帳が下りはじめる。

 学園近くの港湾、その防波堤に、ランサーはひとり腰を下ろしていた。その手には一本の釣り竿が握られている。

「釣れてるかしら?」

「まぁ、ぼちぼちてなトコか? 意外とな」

 音も無く、背後からかけられた声に、ランサーは振り返りもせずそう答える。

 缶コーヒーを片手に一口啜り――

「何の用だ?」

「用って言うか、あなたともお話したくって」

 少女の声音に何処か楽しさを含んだものを感じるが、対照に、ランサーはひとつ欠伸をする。

「生憎と、俺は今喋る気分じゃねーんでな」

「…………」

 手元に動きを感じ、引き上げる。

 釣り上げた魚から針を外し、ランサーはバケツへ放っていた。

「それに言ったハズだぞ? こそこそ嗅ぎ回るのは感心しねーってな」

「あら? 面と向かってなら、粗捜しをしてもいいのかしら?」

「別にかまわねーぞ。アイツに迷惑かけねーんならな」

 『アイツ』と示す言葉が誰の事なのかは少女は瞬時に理解する。だが、返答は無い。

 竿を振り、ランサーは続ける。

「警告はしたぞ小娘。テメエの遊びに付き合うほど俺は暇じゃない」

「…………」

 消える気配を背に感じながらも、ランサーはやはり振り返りはしなかった。



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幕間2 衛宮士郎のとある休日

赤毛ブラウニーのとあるふざけた一日――
基本、『幕間』で括られている話は、本編と比べて関係ない話、ふざけていたりします。


 キャスターとランサーが現れ、面倒事は多々あったが、おおむね平和といえば平和な日常が続いていた。

 なによりも、士郎の表情から焦燥というものが消失していた。

 これは、三騎のサーヴァントという頼れる存在のおかげだ。

 落ち着きを取り戻した士郎は、自身でも気づいていなかった磨耗していた心には余裕が出来ていた。

 

 

 AM 5:14――

 早朝から、日課としていた投影魔術の鍛錬を彼は行っていた。

 頻繁に行えなかった分、その遅れを取り戻すかのように、黙々とただ数をこなしていく。

 強化も一通りこなし、得意の複製へ移行する。

 四対目の夫婦剣「干将・莫耶」を複製したところで、彼はふと思いついていた。

 頭の中にイメージしたものを生み出していく。

 士郎の手に生まれるのは、機械的なデザインをした太刀――白式を専用機とする一夏の近接特化ブレード、雪片弐型。

 構築が終わりかけ――

(よし……)

 胸中で安堵した刹那、硝子が砕けるようにそれは容易く霧散する。

 しばし無言ではあったが、結果に士郎は頬を指で掻いていた。

「……やっぱり駄目か。巧く行かないな……打鉄の方からやってみるか……」

 仕方がないと気を取り直した彼は、鉄色の片刃のブレードを脳内にイメージしていた。

 

 

 AM 9:00――

 こんこん、とノックの音に気がついた士郎は、がちゃりと扉を開けていた。

 戸口には見慣れた私服姿――白いブラウスに群青のスカート――のセイバーが立っていた。

「シロウ、シャルロットたちに遊びに誘われたのですが、よかったら一緒に行きませんか?」

 見れば後ろに立つ面子は、箒とセシリア、鈴にシャルロット、ラウラが居る。

 逡巡は一瞬。

 だが、せっかくの誘いではあるが、士郎は丁重に断っていた。

 何故なら、女性陣の中にひとり男が居るというのも悪い気がしてしまう。向こうも此方に気を使うだろうと考えていた。

 此処に一夏が居れば、まだ少しは別の考えもあったりするのだが、当の一夏は此処には居ない。何でも週末に一度実家に帰って片付けたい事があるからと言って、昨夜から出かけて帰っていない。外泊届けは出しているのだろう。

 それに何よりも、折角の機会なのだから、女の子同士で楽しんでおいでと送り出す。

 少しばかり名残惜しそうな顔をしたセイバーだが、笑顔のまま『行ってきます』と口にして出て行った。

 その際、代わりに士郎はシャルロットを呼び止めると、彼女の手に幾枚かの紙幣を握らせる。

 握らされたその紙幣の額に彼女は驚いていた。眉を寄せたシャルロットではあるが、士郎は小さく頭を振り告げる。

「食事の時にわかるから。此処から使ってくれ。皆の分も此処から頼む」

 士郎の口にした本当の意味が解らなかったシャルロットだが、それ以上は何も言わず、お金を受け取り皆の後へついて行った。

 手を振る士郎は天を仰ぐ。

 願わくば、皆、無事に帰ってきますように。

 否――

 お願いしますから、どうか引かないでいただけますように――と。

 

 

 AM 9:26――

 空は快晴。

 学園内の生徒の姿は、やはり少ない。

 せっかくの週末ともなり、皆思い思いに遊びに出かけているのだろう。

 朝も早くから、ランサーもアロハシャツ姿のまま、手には釣り竿とバケツを持ち、近くの埠頭へと向かったのを知っている。その際に、手にしていたその一式は、一体何処から調達してきたのだと思わされるが敢えて口にはしなかった。

「絶好の釣り日和だ」

 高らかにランサーはそう宣言していた。

 何でも近くにイイ釣り場があるらしいとの事。

 よくはわからなかったが、いってらっしゃいと送り出していた。片手を挙げるその後姿に『ナンパなんてするなよ』と一声かけるのは忘れない。

 特にぶらつく当てもなく、士郎は散歩に出かけていた。

 朝の爽やかな空気が清々しい。

 グラウンドには何処かの部活の生徒だろうか幾人かが走っていた。

 見るともなしに眺めていると、向こうも此方に気がついたのだろう。手を振ってくる。

 学園での男性操縦者ともなればやはり珍しいものはある。

 士郎は気恥ずかしさを覚えながら、手を振り返していた。

 『きゃー!』という声が聞こえるが、士郎はやはり居心地が悪かった。

(落ち着かないな……)

 物珍しく見られる視線を気にしながらも、士郎はぐるりと周囲を見渡し――片隅の花壇の手入れをする用務員、轡木十蔵の姿を見つけていた。自然とそちらの方へ士郎は近づく。

 見れば、やはり十蔵は草むしりをしていた。

 十蔵も此方に気づくと、穏やかそうな顔に首に巻いたタオルで汗を拭いながら声をかけてきた。

「おはよう、衛宮君」

「おはようございます、轡木さん。草むしりですか?」

「ああ。気になってね。つい――ね」

 顔に浮かぶ皺を歪ませニコリと笑う。

 じっと周囲を見回していた士郎は向き直り――口を開く。

「迷惑でなければ、俺も手伝っていいですか?」

「え?」

 初老の男性は、きょとんとした顔でそう答えていた。

 

 

 PM 12:11――

 手伝いを終えた士郎は、用務員室でお茶を飲み、十蔵と話をしていた。

「せっかくの休日なのにすまなかったね」

「いえ、自分が好きでした事ですから」

 淡々と答え、士郎はお茶を啜る。

 純粋な感情を口にし、自分は仕事を手伝っただけだ。お礼を言われのは何かこそばゆい。

「衛宮君のおかげで思ったより早く終われたよ。いやいや本当に助かったよ。ありがとう」

「いえ、また何かあったら言ってください。俺でよければ手伝いますから」

「その時はお願いするよ。ところで衛宮君、此処には慣れたかな?」

「ええ」

「それは良かった」

 頷き、十蔵は微笑んでいた。

 

 

 PM 12:30――

 茶飲み話もそこそこに十蔵と別れ、散歩もそれなりに切り上げ、寮へ戻ってきた士郎は廊下をひとりで歩いていた。

 と――

 一室の前で、狐の着ぐるみのような格好の布仏本音が困ったよう立っているのに気がついた。

 既にその姿も士郎には見慣れた光景だ。

「布仏、どうかしたのか?」

「あー、エミヤん」

 本音もまた此方に気づき、手を挙げる。

 見れば、ドライバー工具を持つ相川清香と谷本癒子も居た事に士郎は気づいていた。

 ぶんぶんと袖を振りながら本音は言う。

「実はねー。エアコンが壊れちゃってどうしようかって話していたところー」

「それは大変だな。ゆうべも暑かったしな。夜にエアコン無しじゃキツイかもな」

「そうなのー」

 どうしよう、と困る顔をする本音。

 ふむと顎を触っていた士郎は何気に口を開いていた。

「よかったら俺見ようか?」

「直せるの?」

「程度にも寄るけれど、大体は直せるぞ俺」

 士郎の言葉に、本音は清香と癒子のふたりに視線を向けていた。

「どうしようー?」

「直る直らないは別で、一応見てもうおうか」

「土日に入って業者も休みだしね」

「そだねー」

 ふたりの返答に頷き、本音はぶんぶんと袖を振り士郎を部屋に招き入れる。

「じゃ入ってー」

「おう。お邪魔するぞ」

 許可を得たとはいえ、女性の部屋に入るのは何となく気が引ける。

 変に周りを見ないように意識しながら、本音の後についていく。

「これなんだよねー」

 ぴょんぴょんと飛び跳ね、目当ての家電機を指し示す。

 彼女の言うクーラーは、運転ランプがちかちかと点滅しているだけ。本音から借りたリモコンをかちかちと押して色々動作確認してみるが変化は無い。

 無反応――

「ふむ」

 椅子を借り、エアコンのカバーを外すと、機械部品に指先を直に触れさせる。

(――同調、開始)

 触れた箇所から構造を読み取り解析していく。自分の知る基本構造とはあまり変わらない。

 詳しく視ていき、部品の違和感と電気系統に反応が無い事に士郎は気づく。

(コレなら何とかなるかな――)

 室外機の方でなくて良かったなと考えながら――後でそちらも確認するが――士郎は声をかけていた。

「あー、この程度なら直せるぞ。ちょっと時間かかるけどな」

「へえー」

「じゃ、とりあえず取り外して後で持ってくるよ」

「え? いいよー、ここでやっても」

 驚いたように首を傾げる本音だが、士郎は断りを入れる。

「なんでさ。フィルターとかも掃除するし、此処だと汚れるから」

「でもー」

「いいから。なるべく早く直して持ってくるよ」

 部屋に持って帰って作業するという。でもそれでは、汚れる事に変わりは無いと思うのに。そう考える本音に構わず士郎の手は動く。

 そうこうしている内に、清香から借りたドライバー片手にどんどん作業が進んでいく。

 あちらこちらをばらしはじめ、あれよあれよと容易になし、手際よく壁から本体を外していた。

「うー、なんかごめんね」

 申し訳無さそうに言う本音。見れば士郎の服は既に汚れている。

 だが、当然士郎はそんな事は全く気にしない。

「なんでさ。困ってるなら放っとかないぞ、俺」

 言って、彼は外した本体を抱えて部屋を出て行った。

 『じゃ、また後でな』と一言残して立ち去って行く。

「衛宮君、ちょっとカッコいいね」

「うんー」

「なんか、出来る男の子って感じかな」

 士郎の後ろ姿を見て、三人はそう呟いていた。

 

 

 PM 1:09――

 整備科から必要と思える電機器具を借りる為に、彼は足を運んでいた。

 第二整備室――

 普段足を運ぶ事の無い別棟をふらふら歩いていた士郎は、とあるひとりの少女に出会っていた。

 一機のISの横で、少女は空中投影ディスプレイに視線を向けながら、素早くキーボードを叩いていた。

 見るとも無しに視線を向けていた士郎だが、少女もまた此方に気が付いていた。

「…………」

 見入っていたとはいえ、立ち去るにも気が引けた士郎はそちらへと歩み寄っていた。

 水色の髪、眼鏡をかけた少女は無言のまま。だが、何処か迷惑そうな表情を浮かべている。

「あー、ごめんな。勝手に見てて。俺は衛宮士郎」

「……知ってる。お兄さんもISが動かせるんでしょう?」

 静かな声音で少女は告げる。

 お兄さん、との言葉に士郎の表情には陰りが浮かぶ。

「えーと、ちなみに訊くけれど、アイツに何か変な事された?」

「…………」

 ふるふると少女は頭を振る。

「……何もされて無い」

「ああ、それは良かった。もし、あの馬鹿に何かされたら言ってくれな」

「……変な人……」

 そう呟くと、少女は作業へと戻る。

 苦笑を浮かべながら、士郎は視線をISへと向けていた。

「これ、君の?」

「……うん、打鉄弐式」

 少女は士郎を見ず、淡々と応える。手元のキーボードを叩く作業は怠らない。

「ニシキ? それに打鉄て、訓練機だよな?」

「……打鉄の発展形……」

「へえ……」

 良く良く見れば、訓練機と違い、外見が違っている。スカートのようなものも装備されており、腕の部分も通常の打鉄と比べればスマートに見える。本来の肩にあるシールドも無い。

 ぱっと見は、どことなくではあるが、一夏の白式に似ているような気がした。

 打鉄と名前が付く割には、訓練機とは全く別物に見える。

 じっと見入る士郎の横顔を、少女もまた何気なく視線を向けていた。

 と――

「カッコいいな」

「……え?」

 思わず呟いた士郎の声を少女は聴き逃さなかった。

「なんて言うかな……うん。カッコいいと思う。俺も巧く説明出来るわけじゃないけれどさ、ほら、量産機とかさ、数が多いものでも、自分なりに独自に考えた設定でいろんな武器つけたり、色変えたりするだろ? そんな感じで『これは俺だけのもの』ていうイメージがさ。そういうのは、なんとなくだけど俺もわかる気がするんだよなぁ。あー、何を伝えたいのかってのが難しいか……女の子の考えとは違うかな……こういうの男だけかなぁ」

 おかしな事を言ったかなと士郎は頭を掻いていた。

 彼とて、そういう類に詳しいわけではない。だが、口にしたように、なんとなくではあるが、量産機などのものが自分だけの特殊装備や専用カラーなどに考える楽しみはわかるつもりだ。

 士郎自身は、『打鉄弐式』は訓練機の『打鉄』を独自に武装だけをいじったものなのだと捉えていた。

 だが、当の少女はふるふると首を振っていた。

「……ううん、そんな事ない。わかる。それに……うれしい。カッコいいって言ってくれて……」

 そこで士郎は本来の目的を思い出していた。

 目当ての工具を借りて作業に戻らなければならない。

「ごめんな、邪魔して」

「……ううん」

 少女に手短に別れを告げ、士郎は足早にその場を去る。

 そういえば、先の子の名前を聴いていなかったなと思い出したのは第二整備室を後にしてからだった。

 脳裏では、何処か見覚えがある子に似ているような気がしたが、それが誰かはわからなかった。

 

 

 PM 2:23――

 午前中の汗にまみれた服も着替え、二時間もしないうちに、士郎はエアコンの本体を持って再び本音の部屋に訪れていた。

 破損した部分は投影で補充している。フィルターも内部も外せる物はとにかく外し、全てを綺麗に掃除したのは言うまでも無い。

 外した時と同様に、取り付け直すのも簡単にこなしていく。

 エアコンと室外機をつなぐパイプも接続し、電源を入れて動作を確認する。

 問題なく動いたのを見て士郎は安堵の息を漏らしていた。

「ありがとー、エミヤん」

 にこりと微笑む本音に軽く応え――そこで朝から何も食べていない事に気づく。

 食堂にでも行こうかなと考えたところ、『じゃ、私も行くー』と本音が声を上げていた。

 断る理由もなく、士郎は本音と連れ立って食堂へと向かった。

 食堂は閑散としていた。

 とりわけ昼時は過ぎ、土曜という事もあり、生徒たちの姿は疎らだ。

 談笑している生徒たちの邪魔のならないところに陣取り、士郎と本音は食事をする。

 他愛も無い話を終え、食堂から出て部屋に戻ろうとしたふたりだが、そこで事件は起こった。

 

 

 PM 3:47――

「じゃーねー」

「おう」

 長話に花を咲かせたふたりは食堂で別れる。鼻唄交じりにスキップしながら去る本音を見送り、士郎は、さてこの後どうしようかと思案しながら歩を進め……キャスターに会っていた。

「あら坊や」

「キャスター」

 紫のスーツに白衣姿。保健医として赴任の名目で学園に居るキャスターがそこに立つ。

「どうしたの坊や? セイバーと一緒に出かけたんじゃなかったの?」

「あー、誘われたけれど、俺は遠慮してさ。女の子同士の仲邪魔するのも悪いと思って。俺は留守番」

「何が留守番よ」

 士郎の返答にキャスターは苦笑する。

「はは、キャスターは?」

「私はちょっと小腹が空いたから」

 言って、食堂を顎で示す。

「ああ、此処ってすごいよな。寮の食堂なのに種類が豊富だしさ」

「まぁ、桜さんや坊やには劣るとは思うけれど」

「そうか? 俺なんてまだまだだぞ? 中華料理なんて遠坂に勝てないし」

 それは嫌味かしら、とキャスターは睨みつける。

「何を言ってるのやら。坊やは自信を持ちなさいな。あなたが謙遜したら、桜さんは一体何処まで料理の腕を頑張らないといけないのかしらね」

 と――言葉なくキャスターが固まる。

「? キャスター?」

 一点集中したまま、彼女はじいっと見つめていた。

 士郎も気になり、振り返ると――視線の先にはスキップしながらの狐の着ぐるみ、本音の後姿が映る。

 こちらの視線に気がついたのか、ぴたりと停まった本音が振り返り、ぶんぶんと袖を振っていた。

 士郎も釣られて手を振り返す。

「なんだ。布仏を見てたのか」

「ノホトケ?」

「ああ、布仏本音。俺と同じクラスの子だよ」

 言って、何気なくキャスターに視線を向けた士郎は――眼を見張る。

 見入ったまま、尋常では無い表情のキャスター。熱に浮かされたかのような心此処に在らずといった風貌。

 はっきり言って――異様だ。

 不意に脳裏にセイバーの言葉が思い浮かぶ。

『可愛いものが好きな彼女にしてみれば、この学園の生徒には十分多い。特にホンネなどは打ってつけでしょう』

 眼の前のキャスターを一瞥する。

 いやいや、そんな馬鹿な。

 眼を瞑り頭を振る。今一度キャスターに視線を向け―― 

 『ズギュゥゥゥン』――という擬音が見えるように当て嵌まるかのようにキャスターは直立不動のままだった。

 どう考えても、キャスターのセンサーは布仏本音を完全ロックしている。

「うわあ、ガチだこれ」

 厄介なモン見つけちまったなと士郎は顔を顰めていた。

 と――

「天使が居るわ」

「はぁ?」

 ぼそりと呟くキャスターを無視したかったが、それも適わぬ事に士郎は諦めていた。

 ならば、少なくとも被害を最小限に食い止めなければならない。

 不在のセイバーもランサーも当てには出来ない以上、自分が何とかせねばならない。

「何、何なのあの天使は。これほどまでに、私の心を掻き乱すのは何なの?」

「いや、お前がホントに何なんだよ」

「何あの可愛い小動物……坊や、此処はヴァルハラかしら!?」

「あー、少なくとも、出来ることなら、俺は今、キャスターを三途の川に流したい気分だよ」

 つい、自分は物騒な事を口にしているな、と感じる士郎ではあるが、キャスターは構わずに口を開いていた。

「今すぐ襲いたい気分だわ」

「頼むから自重しようぜ」

「拉致るしか無いわよね……」

「なんでさ!? おい馬鹿やめろ」

「興奮するわ」

「鼻血を拭け!」

「うえへへへへ」

「涎も拭け……もうなんて言うか全てがアウトだぞお前! 食事しに来たんだろ! いいから大人しく飯を食ってろ!」

「どうでもいいわよそんなの。それに、何を言っているの坊や、今の私はお腹なんて空いてないわ」

 変なこと言わないでちょうだい、とさえ言われる。

「なんでさ!? おい!? 小腹空いたって言ってたろうが!」

 其処まで指摘した途端、不意にキャスターは士郎へと向き直っていた。だらしなかった表情は一変。いつもの美貌だ。

「それに、ほら、言うじゃない」

「何がだ」

「ひと目会ったその日から、恋の花咲くこともある」

「聴けよ! 話の脈絡全然関係ないぞ! それに、お前のは完全にアウトだ!」

 真面目な顔すりゃ許されると思うなよと告げる。

「大丈夫大丈夫、ちょっとだけちょっとだけ。天井の染みを数えていれば終わるわよ」

「どう考えても女性が口にする台詞じゃないだろソレ! ついでに言えば、なにをする気だお前は!?」

 士郎の指摘に真顔のまま彼女は小首を傾げていた。

 面倒くさそうに……

「えー? 着せ替えごっこ?」

「何で疑問系なんだよ!?」

「ヤバイわ坊や坊や、私、今すぐあの子押し倒したい!」

 両手をぶんぶんと振り、子供のように眼を輝かせ――だが口にしている内容と表情が一致していない。

「お前、馬鹿な事ヌかしてんじゃねーぞコラ!」

「ヤバイ、私ワクワクしてきたわ」

「させねーぞコラ! さっきから会話が成り立ってねーんだし」

 じりと間合いを取り、キャスターに対し威嚇する。

 だが彼女もまた嘲笑うかのように、白衣を無駄にばさりと翻し身構える。

「おほほほほほ、無駄よ坊や! 何人たりとも私の邪魔はさせないわよ!」

 言うや否や、キャスターは駆け出していた。その顔は獲物を狙う狩人のように。

 ヒール姿だというのに、音も無く――とにかく速い。

「あー、ヤベェなこいつ、タガが外れまくってるし」

 こうなれば手段など選んでいられない。他の生徒に見られる事に躊躇はするが、そんなものは後で眼の前の「馬鹿」(キャスター)に暗示を掛けさせてやり過ごすしかない。

「ああくそ、めんどくせェヤツだなホントに」

 魔術で自身の脚を強化し、士郎も廊下を駆けていた。

 そのまま――

 投影にて掌に生み出した弓に矢を番い、一気に射る。その数五射。

 が―― 

 それらは容易く掻き消える。

「ちっ、流石に足止めはムリかッ」

「私の淫靡な欲望は止まりはしないわ!」

「オーケー、本性出しやがったな。お前は討つぞ此処で」

 なんとしても足止めするべく連射する。だが、あたりはしない。

 そうこうしているうちに、キャスターは本音に追いついていた。

 そのまま――

「お持ち帰りィィ――」

 ランサーもライダーも驚くほどの機動力。

 スライディングしながら――滑り込むように本音をゲットし、そのまま瞬く間に小脇に抱え、駆け出していた。

 当の本音は何が起こっているのか理解していないだろう。

 奇声を上げた保健医に背後から飛び掛かられ、小脇に抱えられているぐらいの認識だ。

 いつもほわんほわんしている彼女だが、この時ばかりはきょろきょろと周囲に視線を張り巡らせている。

「え? え?」

 状況を飲み込めていない少女を攫い、歓喜して魔女は疾る――

「だからさせねーって言ってんだろうが!」

 滑り込み、斜め後ろに追いつき走る士郎が叫んでいた。

「んー? エミヤん?」

 抱えられた姿のまま、ほにゃっとした表情は変わらずに袖を振る本音に思わず士郎も手を振りかけ――バスバスバスと進路を遮るように矢を放つ。

 だがキャスターは、本音を抱えているにも拘らず、ひらりひらりとかわして見せる。 

「流石ね坊や――でもお生憎さま。有象無象の区別なく、私の欲望は許しはしないわ!」

「意味わかんねぇよ! ワケのわかんねェ事ヌかしてんじゃねーぞっ!」

 壁を蹴りつけ、回り込み、空中で身を捻ると――進路退路を塞ぐように、射る、射る、射る――

「おー、スゴイスゴイ」

 眼の前で繰り広げられる展開に袖をぶんぶか振りながら本音。

 だが、それら全てはキャスターの手によって掻き消されていた。

 舌打ちする士郎。直ぐに次の矢を番えるが――

 高速神言により、キャスターは己の脚力を強化し加速する。

 くだらない事に魔術を使うな、と叫ぶ士郎の声は当然無視。

 当然、幾人かの生徒とはすれ違うが、誰も振り返りはしなかった。

 出会い頭、行き交う生徒に、キャスターが片っ端から暗示をかけまくっているのだろう。

 事実、弓を構えて駆ける士郎が、山田真耶と偶々廊下ですれ違った際にも『衛宮君、廊下は走っちゃダメですよ』程度しか言われなかった。

「おほほほ、無駄よ坊や。ほらほらどうしたの? そんな事ではアーチャーや英雄王にも劣るわよ?」

「うるせぇな」

 あんな奴らと一緒にするな――

 胸中で叫び、士郎はとにかく追いかけ、走りながらその背に矢を放っていた。

 結果は先と同じ。霧散するだけだ。

「おほほほほ」

「おいこら! お前ほんとに布仏を何処に連れて行く気だ!」

 高らかに笑い走る魔女の後を士郎は全力で追いかけて行った。

 

 

 PM 8:16――

「…………」

 無言のまま、士郎は天井に視線を投げかけていた。

 ぼうっとしたまま。椅子に座ったまま身動ぎひとつしない。

 彼の耳に聴こえてくるのはふたりの声。

「ほら、これなんてどう?」

「かわいいー。これも葛木先生の手作りなのー?」

「ええ、そうよ」

「すごい、すごーい」

 そちらに視線を向ける事もなく、士郎はただただ視線を一点に集中していた。

 ぼうっとしながら……士郎はセイバーたちの事を考えていた。

(あー、今何時かなぁ)

 視線だけが周囲を彷徨い……時計を見つける。

 時刻は午後の8時を刻んでいた。

(もう帰ってきてるよなぁ)

 皆と遊びに行って、どうだったのかなと考える。

 楽しんできたのかなぁ――

 食事はどうだったのかなぁ――

 セイバーは食べるからなぁ――

 皆、引いたかなぁ――

「…………」

 悲しくなったのでそれ以上考えるのはやめる。

 無理矢理別の事を考えよう。

 此処は保健室のはずだ。

 では、士郎が力無く向けた視線の先にドンと存在感を示すクローゼットはなんだろうか?

 今一度考える。

「…………」

 次いで視線を再度向ける。

 やはりクローゼットだ。どう見ても、冷蔵庫には見えなかった。

(頭が痛い……)

 壁に埋め込まれたように其処に在るクローゼット。

 何度も言うが、此処は保健室である。言うなれば、怪我をした生徒を治療する場、体調が悪く優れない生徒が身体を休める場所だ。決して衣類を収納する場ではない。

「いいわよ本音さん! いいわよ!」

 パシャパシャカシャカシャと聴こえるフラッシュ音とシャッター音。

 三度、士郎は考える。

 此処は保健室のはずだ。いいや、保健室だ。保健室であるべきだ。

 では何故に、ストロボ撮影できる機材が此処にあるのだろうか。保健室には写真用バックスクリーンも当然不要だ。

 幾らどんなに頑張って贔屓目に見ても、一切合切、治療には関係ないものだ。

(アイツは一体何を考えてんだ……)

 士郎が胸中で叫ぶように、キャスターはその思惑通り。

 本音を攫ったあの後、彼女はそのまま保健室に連れ込んでいた。

 そのまま彼女は、本音に自慢の服を着せ替え、写真をとり続けている。

 キャスターの趣味を完全に忘れていた。柳桐寺でのセイバーに着せ替えていた事を思い出す。あれと同じ状態だ、と。

(失念していた……)

 本音も嫌がっていないのが、なおさら士郎の頭の痛いところだろう。逆に時間が過ぎるのも忘れるぐらいに楽しみ喜んでいる。

 尤も、本音自身が楽しんでいるのを邪魔するわけにはいかない。

 食堂に行く時間さえ惜しいのか、ゼリー飲料とブロック型の携帯食、お茶で喉を潤い、チョコレートやビスケットといった菓子類を手軽な食事として済ませている。何処から用意していたんだという疑問は口にする気もならなかった。

 保健室とは、もはや名ばかりの私物化である。

「これなんてどう?」

「うっわー、きれーい。着てもいいの? 葛木先生!」

「ええ、ええ、勿論よ。寧ろ是非着てほしいわ!」

 きゃっきゃと喜ぶ本音。

 背後で聴こえる和気藹々とした声でのやり取り。

 だが士郎は全く反応出来ずにいた。

「やっぱり! 似合うわ本音さん! 素敵よ! 綺麗よ! 可愛いわ!」

「えへへー、そうー?」

 と――

 しゃっとカーテンが開かれ、純白のウエディングドレスを纏った本音が現れる。

 髪をアップにし、唇には淡いルージュ。目元にも引き立つシャドウ。映えるように首もとには輝くネックレス。

 一言で言えば、「至極可愛らしい」――

「どうどう? エミヤん?」

「んあ?」

 椅子に座り燃え尽きたかのような士郎にキャスターの叱責が飛ぶ。

「ちょっと坊や! せっかく本音さんが着ているのよ! 感想ぐらい言いなさいな!」

「あー?」

 着替えたその都度に見せられ、逐一感想を求められる。

 延々と――約五時間近くも付き合わされている士郎は既に限界だった。男の意見も必要だという事でだ。

(俺は一体何をやっているんだろうか?)

 キャスターお手製のオリジナルの服から始まり、フリルのついたゴシックロリータ風の服や、定番のメイド服やナース、果ては穂群原学園の女子生徒の制服まであった。

 多種多様な、色取り取りの衣類。服、服、服……尽きる事の無いその数。

 適当に「いいんじゃないかな」と軽く言ったところ、キャスターにそれはそれは怒られた。呪うわよ、と冗談にも思えない事を口にされては真面目に応えなければならない。

 ええと、と口にしながら本音が身に纏う白のドレスを見入る。

 既にキャスター手作りの領域が、ウエディングドレスにまで突入している事には考える気にすらならなかった。

 士郎の眼に光は無い。だが、観察し、意見を述べないと怒られる。

 故に、適当な事、中途半端な事は口に出来ない。

 眼にしたもの、見たものから、士郎自身の感想を紡ぎ出す。

 士郎にじっと見つめられて、本音自身は顔を紅めて恥ずかしがっていたりするのだが。

「髪をアップにしてるのはポイントだと思う。可愛いと思うぞ。普段の布仏とはまた違うイメージだよ。可愛いと思うぞ。それと、白が映えてすごく綺麗だけれど、布仏にはオレンジとか明るい色も合うと思うな。可愛いと思うぞ」

 士郎らしからぬ、何処か壊れた機械じみた返答だ。

「は、恥ずかしいよ、エミヤん」

 照れる様にもじもじする本音の横で、顎に手を置くキャスターはうんうんと頷いていた。

「なるほど。流石は坊やね。オレンジとは盲点だったわ。確かに白も捨てがたいけれど、明るい色は引き立つわね。となると」

 がさがさとクローゼットを漁り、目当ての服を探し出す。

「これなんてどうかしら?」

「わーっ、こっちもきれーい」

「じゃ、こっちも着てみましょうか?」

「うん、着るー」

「その前に写真をとってからね」

 しゃっとカーテンが閉じられ、布一枚隔てた向こうでは『キャッキャウフフ』と楽しそうな声。直ぐにパシャパシャカシャリカシャリと機械音が鳴る。

「…………」

 今しばらく続く披露会――彼にとっては『疲労会』だろう――に付き合わされる士郎は言葉も無く、椅子に寄りかかったまま力無い瞳で天井を眺めていた。

(寝たい……)

 今一番の率直な欲求を、士郎は胸中でそう呟いていた。 

 

 

 PM 10:57――

「喧しいっ! 一体何時まで騒いでいるんだお前たちは!?」

 保健室に現れた織斑千冬に見つかり―― 

 士郎、本音、キャスターの三人は廊下に連れ出され、正座をさせられていた。

 その際に、死んだ顔をした士郎は千冬に対し『え? 俺も怒られるんですか?』と力無い声で反論していたと言う。

 キャスターに至っては、暗示をかける暇さえなく、挙句は『暗示が、暗示が効かない……』とぼそぼそ呟いていた。

 

 

 PM 11:32――

 寮部屋1025号室に、千冬に蹴り戻され、士郎は強制就寝させられていた。

 

 

 結果、今日この日、布仏本音はひとりの女性と『友達』になっていた。

 それと――

 次の日に、シャルロットたちがセイバーの食べっぷりに震えた感想を漏らしていたのだが、それはそれは本当にどうでもいい事だった。



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13

 四機のISが、放課後の第二アリーナ内を駆け巡っていた。

 二対二の模擬戦――

 とある二機は空を翔け、とある二機は地を駆ける。

 地上を疾るは黒と濃紺。ラウラが駆るシュヴァルツェア・レーゲンと、士郎が駆るラファール・リヴァイヴだ。

「どうした? ただ逃げ回るだけか?」

 砲弾が飛び交い、爆煙を切り裂き飛び出すのは士郎。纏うラファール・リヴァイヴはところどころが既に損傷している。

 言ってくれる――

 士郎は苦笑を浮かべながら、粉塵が巻きおこる中をとにかく駆け抜ける。その左右には着弾し爆風がおこっていた。

 ハイパーセンサーで互いに姿を捕らえながら――

 重く、鈍いリボルバーの回転音が鳴り、レールカノンに次弾が装填されたのが、喧しく鳴り響く警告表示で知らされる。照準も此方に合わせているだろう。

 だが、先に動いたのは士郎。展開したアサルトライフルで黒い機体に狙いを定める。

「足留めのつもりか? そんなもので私のシュヴァルツェア・レーゲンは止められんぞ」

 たかがライフル如きで、とラウラの眼は笑う。

 言われなくてもわかっている。

 それに、何も必殺を狙うわけではない。

 ハイパーセンサーから此方をロックされた警告音が鳴り――瞬時に士郎は撃ち放つ。

 銃声は三回。

 シュヴァルツェア・レーゲンの肩のレールカノンに着弾し――それで、士郎の目的は終わる。

 ラファール・リヴァイヴを狙った砲弾は軌道が逸れ、あらぬ方へと落下する。

 結果は成功したが、本来狙った箇所には当たらなかった。弓と違い銃はやはり思うようにはいかないなと士郎は胸中でひとりごちていた。

 射撃に関しては真耶の指導のおかげで標的になんとか当てられるようになってはいたが、一朝一夕で銃の技術が向上するわけもない。

 なによりその手に銃を握っても、弓で矢を射る感覚を強く意識してしまう。

「こいつ――」

 僅かに砲身をずらし、砲撃をやり過ごされた事にラウラは驚く。早々容易く狙って出来る事ではない。しかも、IS乗りの時間が浅い相手ならなおさらだ。

 と――当の士郎は既にラファール・リヴァイヴを疾らせていた。

 停まるわけには行かない。射撃に関しては、士郎は無駄とわかりつつもライフルで牽制しながら間合いを取っていた。

 シュヴァルツェア・レーゲンに搭載されている、アクティブ・イナーシャル・キャンセラー、通称AIC。慣性停止能力。それを彼は一番危惧していた。実弾兵器さえほぼ無効化する事が出来、任意に相手の動きを止められるという技能。士郎から見れば、そんなふざけた特殊兵装に捕まるわけにはいかなかった。

 オープンチャネルからラウラの声が流れる。

「驚かせる。最初の頃と比べて持つようにはなったな。特にこそこそ逃げ回るのは巧いようだ。感心するぞ」

「そりゃどうも」

 黒の機体からの皮肉な賛辞。対して士郎は素直に礼を述べながらも駆け抜ける。

 何度も繰り返しもすれば、相手の兵装の特徴もわかる。わかってはいても反撃に転じる事はできていないのだが。

 とはいえ――

 確かに、逃げ回っていてもどうにもならない。此方に決定打となる遠距離武装は無い。

(やってみるか――)

 胸中で小さく呟き、覚悟を決める。

 着弾し、巻きおこる粉塵を掻い潜り、アサルトライフルで射撃したまま士郎はシュヴァルツェア・レーゲンに向かって機体を疾らせる。

 今の今まで逃げに徹していた相手が唐突に攻めに回った事にラウラは眉を寄せていた。

 ハイパーセンサーで確認する士郎の眼、何度も見た、諦めの色が一切ない双眸。

(無策ではない、ということか――だが)

 向かってくるならば迎え撃つだけ。猪突であろうがなかろうが、停止結界で動きを捕縛してしまえばいい。

 先から此方に撃ってくる弾丸は当たりもしない。下手な射撃だと彼女は嘲笑う。

 僅かに動くラウラの左腕。士郎はそれを見逃さない。

 AICの拘束にも対処するため、射撃を怠らず、転進し、急停止と急加速を織り交ぜ――とにかく彼はラウラの意識を撹乱させる。

 射撃武器で牽制しながら――左手には量子変換した近接ブレードを握る。

「ちっ――」

 ルーキーのクセにと、誰に教えられたのかは知らないが面倒な技量を覚えた相手にラウラは舌打ちする。

 間合いを詰めてくる士郎に、AICでの対処を諦め、瞬時にワイヤーブレードを展開する。

 刹那――

 その変化を見極めたラファール・リヴァイヴは懐に潜り込むため、一気に加速する。

 性能では圧倒的に専用機に劣る訓練機ではあるが、牽制を混ぜ込みながらであれば射程範囲に潜り込むには難しくは無い。無論犠牲を考慮した上で、ただで済むとは思っていない。

 射撃していたライフルを――まだ弾数が残っているそれを何の迷いもなくラウラ目掛けて投擲していた。

「――!」

 唐突の行動に、AICを展開するか切り払うか一瞬逡巡するラウラだが――僅かに遅い。ライフルを弾いた横合いから士郎は力任せにブレードで斬りかかっていた。

 斬撃――

 二撃叩き込むと同時、機体の体重を乗せた蹴りまで叩き込む。

 踏鞴を踏み、体勢を立て直すラウラだが、士郎の姿はそこには無い。

 彼の駆るラファール・リヴァイヴは、ラウラが眼帯で覆う左真横へと滑り込んでいた。

 AICの束縛から逃げるようにちょこまかと動く士郎に対し、ラウラは当然歯噛みする。

 集中させる暇を与えず、士郎は踏み込む。それに対し、ラウラの両手首に装着したパーツからプラズマ刃が展開された。

「調子に乗るな――ルーキー!」

 プラズマ手刀で迎撃するラウラ。

 士郎は量子変換したもう一本のブレードを右手に展開させる。そのまま――二刀で黒の機体に斬りかかる。

「ちっ――」

 ラウラもまた展開したプラズマ刃で迫る刃を斬り払う。

 士郎の繰り出す剣戟は、片手で握っているにも関わらず、受ける衝撃にラウラは違和感を覚えていた。

(なんだコイツ――接近戦に慣れているというのか!)

 右手のプラズマ刃を物理シールドで容易く弾き、左手のプラズマ刃を握るブレードで難なくいなす。

 少々予想外の相手の力量に眉を寄せるラウラではあるが、それも一瞬の事。ワイヤーブレードを駆使し、目標を無力化するべく襲いかかる。

 八つに増えた刃を――接近戦を繰り広げながらも冷静に見極め士郎は防ぎ斬り払っていた。

 士郎の一番の目的は、ラウラにAICを展開をさせないことだ。

 こちらを認識させる暇を与えず、一気に接近戦で勝負をかけるしかない。そのために彼は腕の軌道を誤魔化すために。ブレードでの線と点を混ぜて攻める。次いでとばかりに脚技による蹴りまで混ぜもする。さらにはレールカノンがあるため間合いを離されるわけにもいかない。

 だが、ラウラとてAICを封じられたからといって格闘戦が劣るわけではない。

 事実、彼女はAICの展開を考えていない。両手のプラズマ刃とワイヤーブレードで事足りるからだ。

 士郎の繰り出すブレードをラウラはプラズマ手刀で斬り払い――逆にラウラの操るワイヤーブレードを士郎はブレードで捌ききる。

 しかし、どう見ても攻撃の手数が多いのはラウラだ。

 士郎は両手に持つ二本のブレードのみ。対するラウラは両手のプラズマ刃に加え六つのワイヤーブレードがある。

 四枚の物理シールドがあるとはいえ、捌ききれない、斬り払えない攻撃を士郎はその身に受け始める。同時に、シールドエネルギーの残量も減り始めた。

 が――

 無理無謀を承知の上で、士郎はラウラに喰らいついていた。

 

 

 上空を翔けるは橙と黒。シャルロットのラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡとセイバーの打鉄だ。

 一合、二合、三合と斬り結び――互いは間合いを取り空中で停止する。

 ハイパーセンサーで眼下の交戦状態を確認しながら、近接ブレード、ブレッド・スライサーを構えたシャルロットはふうと一息漏らし言う。

「いいの? 助けに行かなくて? 言っちゃなんだけれど、士郎じゃラウラには勝てないよ?」

 士郎を馬鹿にするつもりは無いが、所詮は訓練機のラファール・リヴァイヴだ。専用機のシュヴァルツェア・レーゲンでは分が悪い。

 だが、セイバーは小さく頭を振るだけ。

「不要です。私はシロウを信じている」

 言って――

「シャルロットこそいいのですか? ラウラを助けに行かなくても――言っておきますが、シロウを甘く見ないほうがいい。油断をしていると思わぬ怪我を負いますよ?」

 ブレードを両手で握り、打鉄を纏うセイバーは身構える。

 それは安い挑発だ。

 しかし、シャルロットは逆に口元に笑みを浮かべていた。

「随分と彼を買っているんだね。でも、それこそ愚問だよ。君が士郎を信じているように、僕もラウラを信じている。なにより――」  

 ブレードが消え、『高速切替』――シャルロットの手にはアサルトカノンとマシンガンが握られる。

「仮にも僕らは代表候補生だよ。慢心は無いけれど、油断もしないよ! それに、流石に負けっぱなしじゃ気がすまないんだ。今日こそは勝つよ。ラウラのフォローは必要ないだろうけれど、敢えて言うなら君を倒してからだよセイバー!」

「いきます」

 ブレードを構え、セイバーは翔ける。

 『高速切替』により、ばら撒かれる銃弾を斬り捨て、物理シールドで弾き直進する。

 セイバーの近接ブレードを――シャルロットもまた自身の持つ近接ブレードに切り替え受け止める。

 ぶつかり合い、鈍い金属音が上がり火花が散る。

 セイバーの動きは、さながら『蝶のように舞い、蜂のように刺す』攻勢。

 しかし、シャルロットは相手が蜂は蜂でも可愛い蜜蜂程度なら良かったのにと苦笑する。

 一撃必殺――

(さながら、猛毒を持つスズメ蜂だね――)

 斬り払った腕とは逆の手にはアサルトライフルが呼び出されている。シャルロットは迷わず撃ち放つ。

 その距離を、セイバーは身を捻り銃弾をかわしていた。

 瞬時に間合いを離したシャルロットの両手にはマシンガンが握られている。

 こちらに向かい翔けるセイバーに、そのまま銃弾の豪雨を浴びせていた

 だが――

 なにより場は空中。弾丸を避けるには、四方八方至るところへ逃げられる。

 雨の銃弾をかわして見せるや否や、瞬時にシャルロットヘ打って出る。

「はあっ――!」

 気合一閃――

 『高速切替』さえ掻い潜り、瞬時に真横から斬りつけられる。

 歯噛みしながらシャルロットはブレードで受け流し――斬り合っているところへ不意をつく近接射撃に切り替える。

 が、刹那にセイバーは斬り払いと物理シールドで弾いていた。

 ミラージュ・デ・デザートすら容易に防ぐ相手にシャルロットは呻いていた。

 まるで此方の攻撃リズムを把握しているかのようにいなされる。

 此方の攻撃は面白いぐらいに当たらないのに、向こうの攻撃はものの見事に当ててくる。

 当事者のシャルロットにとっては、一体これはなんなのさと笑いたくもなっていた。

 何せ、ブレード一本とは言え、終始気が抜けない。油断をすれば、あっという間に墜とされるのだから。

 だがそれは、逆に言えばシャルロット自身も、セイバーを相手に感覚が研ぎ澄まされている事になるのだが、本人は気づいてはいない。セイバーとの戦闘は己自身を少なからず成長させている。

 それはさておき――

 シャルロット自身が得意とする戦闘スタイルは崩せない。

「これなら!」

 思わず熱くなり、彼女は斬り合っていたところに『高速切替』で近接射撃を行っていた。

 が、打鉄は瞬く間にシャルロットの背後へと回り込んでいる。

「――っ」

 ハイパーセンサーの警告音に舌打ちし、背後からの一閃を左のシールド腕部で受け止める。殺せない衝撃を身に受けながら、そのまま、シャルロットの右手に呼び出していたレイン・オブ・サタディを撃ち放つ。

 だが――

 至近距離から叩き込んだ六連射も当たらなかった。セイバーは素早く間合いを離していた。

 ショットガンの連射すら掠りもしないことに彼女は呆れるしかない。

「少しぐらいは食らってくれてもバチは当たらないんだけれどね!」

 叫ぶシャルロット。セイバーは一気に間合いを詰めるため加速する。

 射撃武器で牽制するが、標的を捕らえる事は出来ない。

 容易に掻い潜り、間合いへ入られ――身を捻り振り込まれた一撃を、シャルロットは盾で受け止める。

「くっ――」

 パワーが違いすぎる。

 似たような体躯、相手は訓練機の打鉄なのに、どうして此処まで一撃が重いのか。

 それでも彼女はなんとか流して間合いを離そうとするのだが、セイバーがそれを許さない。相手は二撃目の体勢に入っていた。

 逃げられない――

 顔を顰めながらシャルロットはブレードでセイバーの剣戟を受け止めていた。鈍い衝撃が腕に伝わる。

 やはり重すぎる。

 セイバーが繰り出す一撃一撃は酷く重すぎる。受け止めきれず、シャルロットのバランスは徐々に崩されていった。

 二撃、三撃と受けてはいるが、衝撃に身が持たない。間合いを離して逃げるしかない。

 本当に、一体何処にそんな力があるのかと驚かされながら――

 僅かな隙、反応が遅れたその一瞬をセイバーは見逃さなかった。

 一際高い金属音とともに、ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡのシールドエネルギーと装甲が抉られる。

「まずい――」

 更なるダメージを受けまいと盾をかざし剣戟を受け止める。瞬間、死角から構えていたアサルトライフルで打鉄を撃つが、その弾丸は断たれていた。

「全く! 本当にやっかいだね!」

 シャルロットは逃げるように急後退し上昇する。その際に銃弾の雨を撒くのは忘れない。

 懐に潜り込まれるのはまずい。間合いを取らなければ――

 打鉄に射撃しながら無理やり距離を取る。だが、セイバーは逃がさない。

 振り向きざまにマシンガンを放つが、それらは物理シールドで弾かれ、またはブレードで尽く払われる。

 距離を選ばない戦いを得意とするシャルロットではあるが、これほどまでに、自分が得意とする戦域を潰されるとは思わなかった。

 と――

 紫電一閃。

 真横に追いついたセイバーはシャルロットの左腕に一刀を叩き込んでいた。

 その斬撃はシールド腕部を断ち、裏側に隠していたグレー・スケールまで半ばから切断していた。

 盾の装甲ごと使えなくなった唯一の切り札を彼女は咄嗟に外し捨てる。

 瞬時に機体を立て直し、ブレードとアサルトライフルで迎え撃とうとするが――

 それよりも速く、僅かに隙を見せた合間に、シャルロットは更なる二撃をその身に受けていた。

 シールド残量ゼロ。此処にシャルロットの負けが確定する。

 そのまま――シャルロットに振り返らず、セイバーは眼下のラウラに向かって翔け出していた。

 

 

「やっぱり強いわねセイバーは。衛宮は相手が悪いわよ。ラウラ相手じゃ勝負になんないでしょ」

「残念な結果ではあったがな。動きはまだまだ無駄があるように見えるが、接近戦はマシになったように思える。射撃に関してはどうにも苦手のようだな」

 観客席で模擬戦を見入る鈴と箒。

 会話を交わす視線の先では、シュヴァルツェア・レーゲンと打鉄が斬り合っている。 

 ただひとり浮かない顔をしているのはセシリアだ。

 彼女の視線は箒たちとは違い、二機のISを捉えてはいなかった。離れた場所で、シールド残量ゼロになり活動不能となった、膝をついたラファール・リヴァイブに向けられていた。

「あたしも近接戦闘でセイバーぐらいに動ければなぁ」

「ああ。参考になる部分はある。あの思い切りは見習うべきでもあるな」

「……それ以前に、ああまで動ければ、だけどね」

 違いないと笑う箒に、やれやれと肩を竦める鈴だったが――不意に、先から無言のセシリアに視線を向けていた。

「セシリア、どうかしたの?」

 その言葉にセシリアはハッとする。箒もどうかしたかと視線を向けていた。

 ふたりの視線に手を振りながら彼女は言う。

「いえ、なんでもありませんわ。私も、セイバーさんは相変わらずだなと思って」

 直ぐに視線を逸らし、セシリアは何事も無かったかのように振舞っていた。

 

 

 ピットに戻り、汗にまみれた顔をタオルで拭いながら、腰を下ろしていた士郎は先ほどの模擬戦を思い出していた。

 結果から見れば、二対二の模擬戦は勝ちはしたが、個人的には惨敗だった。

 ラウラ相手に決定的な攻めも出来なかった。

 ISに関しては、まだまだ問題はあるなと士郎は胸中で呟いていた。

 と――

 スライドドアが音を立てて開く。視線を向けた先にはセシリアが立っていた。

「衛宮さん、おつかれさまでした」

 言って、彼女はスポーツドリンクを差し出してきた。

 素直に礼を述べ、受け取る士郎は口にする。

「少々気になる事がありますの。よろしいかしら?」

「なんだろ?」

 渇いた喉を潤わせ、士郎は相手に視線を向けて訊き返していた。

 セシリアはひとつ頷くと口を開いていた。

「衛宮さん、あなたは何故、ライフルを使いませんの?」

「…………」

 ぴくりと士郎の眉が動いていた。

 セシリアは相手の反応に気づいた事もなく続けて言う。

「先ほどのラウラさんを相手に模擬戦をされていた際に、あなたにとっては、いくらでも撃つタイミングはありましてよ? いえ、確かに撃ってはいますけれど、それもタイミングが何処かおかしいですわ。態と、狙いを逸らすかのように撃たれてません?」

「……見てるもんなんだな」

 正直に、士郎はセシリアの洞察力に感心していた。

「こう見えても私、射撃は得意でしてよ?」

 ご存知ありませんでしたか、と敢えて彼女はおどけた言葉を口にする。

 得意というレベルじゃないだろう、専門分野じゃないかと士郎は言いかけたがやめておいた。

「衛宮さん、確かにあなたは少しずつではありますが上達はしてますわよ。先の近接戦闘は粗削りではありますけれど、ラウラさんを相手に私からは見事としか言えませんわ。ですが、射撃出来るタイミングに関しては、些か妙でしたわ」

「…………」

「何か思うところがありますの? 私でよければ相談に乗りますけれど」

 セシリアが言うように、士郎のライフル射撃は少々思うところがある。それは、狙う箇所をあくまでも牽制、または、相手の武装へのみ。つまりは人体部分へは狙っていなかった。

 大した事ではない。

 士郎にしてみれば、それは大した事ではないのだが、彼は自分だけの考えではなく、他人の意見も聴いてみたかったものがあった。

 それ故に、セシリアに問いかけていた。

「……ちょっと俺の話に付き合ってもらっていいかな? あまりいい話じゃないと思うんだけれどさ」

「なんでしょう」

 一度言葉を切ると、士郎は息を吐き、セシリアに向き直っていた。

 相手の眼を見据え、そのまま続ける。

「なあ、オルコット……お前はさ、怖くはないのかな?」

「どういう意味ですの?」

 士郎の言葉にセシリアは眉を寄せていた。

 思案するように視線を一度下げ、士郎は再度相手の顔を見る。

「人に向かって銃を撃つ事だよ。怖くはないのかなって」

「怖く?」

 彼は一体何を言っているのだろうか――?

 セシリアは士郎の言葉を理解できていなかった。

「お待ちになって、衛宮さん。まさか、あなた、そんな事を気にして……撃てないと言うんですの?」

「おかしいかな?」

「おかしいもなにも、当然でしてよ?」

 呆れてしまう。どれ程深刻な顔をするのかと思えば、そんな事を口にする相手にセシリアの衛宮士郎に対するイメージが変わっていた。悪い言い方をすれば、臆病者と捉えてしまう。

「俺はさ、おかしいとは思わないんだよ」

 だが、士郎の表情は変わらない。

 対して、セシリアの表情には呆れが浮かぶ。

「……ISには絶対防御があるんですのよ?」

 だからそんな心配事など杞憂でしかない。何故にそんな事を気にするのかが、セシリアにはわからなかった。

 絶対防御――

 全てのISに必ず備わっている、操縦者を死なせないように防ぐ能力。

 言い方を変えれば、操縦者の身の安全が保障されるこの能力のせいで、ISと言う兵器の危険性を把握していないのではないかと士郎は捉えている。

 事実、クラスの幾人かはISをひとつのファッションと捉えている者が居る。

 言い方を悪くすれば、人を容易く殺める事が出来るこの玩具に、どうにも生命の危険性を考えずにそれこそゲームや遊び感覚といった中途半端なイメージで接しているように思えてならなかった。

 それは、聖杯戦争を潜り抜けた士郎にしてみれば、生命のやり取りがあまりにも軽すぎるように感じたからだ。

 さらに言えば、ISの絶対防御もシールドエネルギーも万能ではないと思っている。

 何故にこんなものを信じて、自分は絶対に死なないと思えるのかが解らなかった。

 そのため、士郎は首を振っていた。

「そこなんだよ。何でみんなはそう思うんだ?」

「なにがですの?」

「なにかさ、中途半端な気持ちでいるような気がしてさ。自分は死なない。絶対防御があるからって」

「…………」

「……考えないのか? その絶対防御が発動しなかったら、て」

「――!」

「オルコットのISの武装はスゴイと思う。でも逆に、そのスゴイ武装がさ、もし相手を傷つけたとしても耐えられるのか? 殺してしまっても耐えられるのか?」

「私は……」

 そんな事は考えていない。そんな事はあるわけがないと信じているのだから。

「俺は怖いぞ、引き金引くのは。今日の模擬戦だって。近接でのブレードとかも同じ事は言えると思う。絶対防御がなければと考えるよ。でも、それと比べると――俺の勝手ではあるけれど、銃に関しては一目置くんだ。それに正直なところ、俺個人はISは信用していない」

「それはあなたの勝手な推測でしょう!?」

「勝手かもしれない。でもさ、ならその勝手な話で進めるけれど、これは違う例えだけれど、何かの拍子で、銃弾がもし街へ直撃したらどうするのさ」

「そ、そんなことはありえませんわ」

 そんなことはありえない――

 果たして、彼女はなにを思ってその言葉を口にしたのか。

 咄嗟に口にはしたもの、セシリアの脳裏は臨海学校での福音事件を瞬時に思い出していた。

 あの軍用ISが、あの時あのまま封鎖空域を容易く抜け、暴れまわったとしたら?

 あれほどの高スペック、ならびに搭載武装で市街地で暴れまわれば、それこそ士郎が言うように被害は甚大だったろう。

(あれは……)

 思わず胸中で自分自身に言い聴かせようとして――言葉を失う。『あれは』とは、一体自分に何と言おうとしているのか。

 当然士郎は福音事件を知りはしない。

「それに、此処と違って、一般の人はISなんて当然持ってない。セシリアの言う絶対防御は無いんだぞ?」

「それは――」

「オルコットからしてみれば、くだらない事かと思うかもしれない。でも、俺はそういうことを考えるんだ。スポーツといってるけど、コレはただの兵器にしか見えない。簡単に人を殺せる兵器だよコレは」

「……だから、ライフルを扱うには抵抗があると?」

「ああ。話はズレたけれど。銃に関してはそうだ」

「…………」

 揚げ足を取ろうとしたわけではないが、どこか矛盾しているような気がする……セシリアはそう感じていた。

 根本的なところ、眼の前の彼は、何故ISに乗っているのだろうか? 高説ぶったことを口にする割には、何のために乗っているのかがわからない。

「それに、悪いけれどさ、オルコットはISに覚悟を持って乗ってはいないだろう?」

 その言葉にセシリアは瞬時に反応する。

「馬鹿にしないでいただけます? 覚悟ならありましてよ! オルコット家頭首として、イギリス代表候補生の誇りとして――」

「違うよ」

 セシリアの言葉を遮り、士郎は首を振る。

「プライドじゃない。命をかけては乗って無いだろう?」

「命?」

「ああ。深くは言えないけれど、俺はさ、命をかけた事がある。それこそ生死をかけたものだよ……」

「なんですの? 自分は命をかけたものを知っているから、私たちには乗る資格がないと仰りますの?」

「なんでさ……そうは言ってないだろう? こんな兵器に乗る以上は、命をかける事まで考えていくのは別におかしなことじゃないぞ。これはただの玩具じゃないんだから。俺はただ、乗る以上は命の事も考えたらいいんじゃないのか、て言いたいだけだよ」

 士郎の言葉に、セシリアの双眸には冷たい色が含まれる。

「……怖気づいて、引き金もろくに引けないあなたに言われたくはありませんわ。それに、その言い方ですと、自分はまるで人を殺す事にはわかっていると仰ってるように感じますけれど?」

「そうだな。自惚れではないつもりだけれど、少なくとも、俺はオルコットよりは覚悟は持っているよ」

「…………」

「俺から見れば、オルコットだけじゃない。一夏も篠ノ之もデュノアもそうだ。凰て子もだな。布仏も相川も谷本も……鷹月も、そこまで深く命の事までは考えてないように思える。ボーデヴィッヒだけは別かもしれないけれど」

 とは言え、ラウラに関しては本当の生命のやり取りに直面しても平気でいられるだろうかと考えていたが。

「プライドだけじゃない。遊び気分で乗るのは違うと思うんだ」

「……遊び? 遊びだと仰いますの?」

 士郎が口にしたその言葉は、セシリアの逆鱗に触れるに十分だった。

 何も知りもし無いくせに、自分が一体何のために過ごし、ここまでやってきたのかも解りもしないくせに――

 苦労に苦労を重ね、血の滲むような努力を積み重ねてきたものを、『遊び』と呼ばれた事が酷く腹立たしい。

 その一言で済ませた相手が憎く、許せなかった。

「衛宮さん、私、あなたを軽蔑致しますわ……」

「お前らよりはわかってるつもりだよ――」

「何をわかってますの!? ISの事を何も知りもしないくせに、偉そうに仰らないで頂きたいですわ!」 

 と――

 互いに声を荒げていた事に気づき、お互い視線を逸らしていた。

 なにを話してるんだ俺は――

 彼女と口論するつもりはなかった。自己嫌悪を覚え、眼を瞑り、息を吐きながら士郎は頭を下げ、謝罪の言葉を口にする。

「ごめん、こんな話をして。オルコットを侮辱するつもりはない。気に障ったのなら謝る。本当にごめん……軽率だった」

「ええ。不愉快ですわ。お話など聴かなかった方が良かったですわ」

「……ごめん。ただこれだけは覚えててほしい。絶対防御に関しては、そういう事を考えている奴もいるって事をさ」

 視線を向けようとはせずに、セシリアは吐き捨てるように口を開く。

「ご立派ですわよ。教鞭を取られた方が宜しいのではなくて? そこで好きなだけ自論を展開された方が宜しくてよ? 別の意味で絶賛される事、間違いないでしょうけれど」

 怒りが収まらないセシリアはそれだけを告げて去っていった。

「…………」

 音を立てて開くスライドドアへ士郎は無言のまま視線を向けていた。

(銃の話なのに、何で俺はISの事まで口にしてたんだろ……本当に余計な事を言ったな俺は……)

 気まずそうに士郎は頭を掻いていたが――やがて彼も重い腰を上げ、ピットを後にする。

 誰も居なくなった空間。

 だが、ふうと誰かが溜息を漏らす音が響いていた。

「参ったわね……流石に気楽に声をかけられる雰囲気じゃなかったわ」

 一体何時からそこに居たのか、楯無は複雑な表情を浮かべてそう呟いていた。



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14

「ラ、ランサー……さん、良かったら……その……私たちとお昼を一緒にしないか?」

「?」

 昼休みに入るなり、背後から声をかけられたランサーは首越しに振り返っていた。

 黒髪の少女――勇気を振り絞った少女然とした箒がそこに居る。

 上目遣いで、どこか此方の様子をうかがっている。おどおどとした態度は、とても先日啖呵を切った同一人物とは思えなかった。

「…………」

 ランサーの視線は、少女からその後ろへと動いていた。

 箒から少し離れた後ろに立っている一夏は、此方に目線を合わせようとはしなかった。

 それに気づき――ランサーは口の端を吊り上げていた。笑みを浮かべながら、少女へ視線を戻し彼は言う。

「いや、せっかくのお誘いのところ悪ィがな、俺は遠慮しとくぜ」

「そ、そうか……い、いや、いいんだ。無理に誘って申しわけない」

 その返答に、どこかしゅんとし、箒は肩を落としていた。

「悪いな。先約があってな。また次にでも誘ってくれや。そん時は是非ご一緒させてもらうぜ。それと、さん付けはいらねーぞ、ランサーでいいぜ、篠ノ之の嬢ちゃん」

「……わ、わかった!」

 かけられた言葉に、落ち込んでいたと思ったら瞬時に顔を輝かせる。わかりやすい相手の反応にランサーは苦笑していた。

(わかりやすい。不器用な嬢ちゃんだ)

 と――

 弁当を持った士郎がふたりの合間に割って入る。

「ふたりともごめん、話の途中邪魔するぞ。ランサー、これ」

「お、悪いな」

「あと、悪いんだけれどこれ葛木先生に届けてくれ」

 ふたつの包みを受け取り――

 箒の手前、口にしている葛木の名に、ランサーはあいよと答え頷いていた。

「いつもご苦労なこった」

「労ってくれるのなら、ランサーが代わりに作ってくれていいんだぞ?」

「お前の得意の持ち場を奪う気は、俺にはねーよ」

「言ってろ」

 さっさと行けと手で払うと、ランサーはケラケラ笑い離れていく。そのまま本音を呼びかけ歩み寄る。

「布仏の嬢ちゃん、どうだ俺と飯でも」

「いいよー、あ、ランラン今日もお弁当なんだねー、ランランのお弁当美味しいから私好きー」

 本音の口から紡がれた言葉から察するに、ランサーの弁当にたかる気満々である。

「じゃー、食堂行こうー」

「ああ、その前に届け物な。ちょいと保健室に寄るぞ」

「保健室ー?」

 見ればランサーの手に持つ弁当の包みはふたつ。その答えを瞬時に理解した本音は両袖を頭上に掲げていた。

「なら葛木先生も誘ってー、行こー!」

「……魔女殿も誘うだと?」

 ランサーの頭には想像の欠片すらないその提案。

 喜んでいる本音を誘った手前、無下には出来ず、考えもしなかった展開にクランの猛犬は頭を抱えていた。

 教室を出て行くふたりを見て、何をやってるんだかと胸中で言葉を漏らした士郎は向き直る。

「悪いな、篠ノ之、邪魔して」

「何、気にするな。私は全然気にしないぞ」

 どこか機嫌がいい箒は去っていく。首を傾げる士郎だったが、入れ違うかのように視界に映る一夏の機嫌はどこか悪かった。

「一夏?」

 此方の視線に気づいたのか、一夏の表情は緩和していた。彼は口を開き言う。

「士郎、俺たちも食おうぜ」

 同時――

 脇をそそくさと通り、ひとり教室を出ようとするセシリアの手をセイバーが掴んでいた。

「セシリア、我々も行きましょう」

『え?』

 思わずふたりが声を漏らす。ふたりとは、当然、士郎とセシリアだ。

 士郎にしてみれば、渡す物をセイバーに渡し、自分は何処かひとりで食べようとしていた。

 セシリアもまた、ひとりで何処かで食べようとしか考えていなかった。

 そうこうしていると、鈴も捕まえセイバーは箒と一緒に教室を出ようとしている。断ろうとした時には一夏はラウラとシャルロットも誘い廊下へと出ていた。

 こちらが同意していると思われている。

『…………』

 無言のまま、教室に残される士郎とセシリア。

 ここで誰かに声をかけられれば、口実としてそちらに付いて行けもするのだが、何もない。

 クラスの連中も、士郎とセシリアも一夏たちと一緒にお昼を取るのだろうと都合よくそう解釈しているのだから。

 此方から声をかけるのも何か不自然に感じられるかもしれない、とふたりは勝手に思い込んでいた。

 昨日の今日ともなれば、互いは意識してしまう。だからと言って、無視し合っているという事はなかった。

 朝から互いに一言も無いというわけはなく、会話は交わしている。必要最低限のものにはなるのだが。

「……俺たちも行こうか」

「……そうですわね」

 気まずい――

(セイバーさん、今日この日ほど、あなたを恨む事はございませんわよ)

 セシリアは内心でセイバーに恨み節をぶつけ――

(一夏、悪いけれど俺は今お前を恨むぞ)

 暢気に友人たちと会話をしている一夏に士郎は睨み――

 ギクシャクした空気のまま、ふたりもついていくしかなかった。

 さて――

 世の中とは無情である。人間、運が無い時は、つくづく運が無くなるものだ。

 不運が続き、不幸に見舞われる。

 気まずい――

 今、まさにその状況を――士郎とセシリアは同じ言葉を再度胸中で呟いていた。

『…………』 

 隣同士でちょこんと座っているのだから――

 空は澄みきった青い空。だが士郎とセシリアの心はどんよりとした曇り空である。

 その席になる経緯では出遅れた事もあったのだが、思わず全員わかっていて、敢えて嵌められているのかと在らぬ疑いさえ持っていたりするのだが。

 馬鹿な考えは置いておき、周囲は無論、和やかだ。

 楽しそうに談笑してる連中を尻目に、ふたりは気づかれないように息を吐いていた。

 自然を装い、セイバーに『何か飲み物でも買ってくるよ』と言って席を外そうとしたが、無理だった。

 これをどうぞと士郎の分として差し出されたお茶のペットボトルに、何で今日に限って用意がいいんだよと思わず叫びかけていた。

「…………」

 胸中で溜息ひとつ。

 腐っても仕方が無い。自分もこれ以上セシリアといざこざを悪化させるつもりは毛頭無い。出来る事なら仲は修繕したいと考えている。

 セシリアにとっても、士郎に対して思うところはそのままだ。決して彼を許したわけではない。だがそうは言っても彼女こそ士郎との仲を今以上に悪くする気は無い。面と向かって悪態をつくつもりもない。

 結局のところ――

 ふたりは互いに思うところはあれど、士郎とセシリアは極々自然に振舞っていた。

 用意していた昼食をセシリアは取り出す。

 士郎も弁当を取り出しながら、何気に一夏へ視線を向けていた。

 教室で見た表情は欠片もなく、極々普通のいつもの一夏だ。

 果て、先ほどの表情はなんだったのかと考えるが、態々聞くのも気が引けたので口にしていない。

「士郎もかなり食べるんだね……」

「ん?」

 かけられた声に顔を向ければ、シャルロットが少々驚いた表情を浮かべて此方を見ていた。

 彼女の目線の先に気づき、士郎は軽く苦笑を浮かべる。

 彼が手にしていた包みは結構な大きさと高さがある。鈴もまたその量を見て声を出す。

「アンタも昼にそんなに食べんの?」

「なんでさ。こっちは違うよ。これは皆の分だよ」

「皆の?」

 訊き返す箒に頷くと、みっつあるタッパー容器のうち、手元に通常サイズを残し、残りのふたつを中央に置き、蓋を開ける。

 エビフライ、ハンバーグ、玉子焼き、から揚げ、金平牛蒡、ホウレン草の胡麻和え等々……中には一口サイズのおにぎりまであった。

 色とりどりのおかずが並ぶ。

「つい……作りすぎた。気がついたらこうなってた」

「作りすぎたってアンタ……」

 限度があるでしょう――

 思わず見入る鈴はぽつりと呟く。だが士郎は実際に作りすぎてしまったので他には何も言えなかった。

 正直に言えば、つい、どころではない。ちょっとしたピクニックに家族ぐるみで出かけた際に持ち合うぐらいの量が広がっている。

 何故こうなったかと言えば、早朝に調理していた際に昨日のピットでの事を考えていたからに他ならない。いつもの人数分の弁当は作り終えていたのに、気がつけば余計なものまでこしらえていたのだから。無駄に出来上がった量に士郎は朝から頭を悩ませていた。

 ついでに言えば、これでも量は減らした方だ。厨房を使わせてくれているおば様方に御裾分けしてもいたりする。無論、味の方は好評を頂いているのは言うまでもない。

「美味しそうだな」

 じっと見入るラウラに士郎は遠慮しないで食べてくれと告げていた。

「いいのか?」

 眼を輝かせる相手に士郎は軽く頷く。

「構わないぞ。残すのも勿体無いから是非食べてほしい」

 そういう事ならと、箒も鈴もシャルロットも各々箸とフォークを伸ばしていた。

「これはすごいな」

「美味しそう」

 素直な賛辞を口にする。

「勝手に摘まんでくれ。皆で食べた方が楽しいしな」

「シロウ、私も頂きます」

 当然のように箸を伸ばすセイバーに、だが士郎は手で制していた。

「なんでさ。セイバー、お前は自分のがあるだろう」

「こ、このハンバーグはわたしのお弁当には入っていません!」

「……二切れだけだぞ」

 ズルイですと口を尖らせるセイバーにやれやれと息を漏らし、許可していた。

 自分が作るから揚げとはまた違う風味に箒は舌を巻く。

「美味いな……」

「そうでしょう。士郎の作る御飯はすばらしい」

 何故か、自分が作ったわけでも無いのに、ふふんとセイバーは胸を張る。

「このハンバーグも美味いぞ」

「ああ、ほら。ラウラ、口についてるよ」

 はむはむとほうばるラウラの口元をシャルロットはハンカチで拭う。

「美味いな。俺も作るけど、士郎のは確かに美味いぞこれ」

 もぐもぐと口を動かす一夏は、どういう風に作るんだと訊ねていた。それに対してこれはと士郎は応えている。

 料理の話に花を咲かせる男子ふたりに、箒と鈴、シャルロットの三人は、どこか女性として負けたと肩を落としていた。

 と――

 先からひとり口をつけていなかったセシリアに、鈴は言う。

「セシリアも貰ったら? アンタ食べてないじゃない。悔しいけど、衛宮のは本当に美味しいわよ」

 アンタも女として、私たちと同じ悔しさを味わいなさい、とさえ漏らす。

「え?」

 セシリアは小さく呟き、士郎の指は僅かにぴくりと動く。

 互いの逡巡は刹那、それを悟られないように先に動いたのは士郎だった。

「よかったら、オルコットも食べてくれ。口に合うかどうかは勘弁な」

「……そうですわね、せっかくですから頂きますわ」

 玉子焼きを一切れ摘まみ、口へと運び――咀嚼し、広がる風味に確かに彼女は頷いていた。

「美味しいですわ」

「それは良かった」

「……おにぎりも頂きますわね」

 傍から見れば、極々普通だ。なにもおかしなところはない。

 だが――

 言葉を交わしたふたりを見て、もぐもぐと、から揚げをほうばる鈴は言う。

「なにアンタたち、喧嘩でもしてんの?」

『――!?』

 ハッキリと告げる鈴に対し、士郎とセシリアは同時に胸中で叫んでいた

(何で凰は、的確な事を言い当てるんだ――!?)

(何で鈴さんは、的確な事を言い当てますの――!?)

「?」

 鈴は二人に対し小首を傾げている。特にこれといったものがあって口にしたわけではない。意味も無く、見たものから何気に素直に口にしただけでしかないのだが。

 今この場において、その指摘にふたりは焦る。更には、どう反論するかを考えあぐねる士郎とセシリアよりも遥かに速く反応したのは箒とセイバーだった。

 箒は先日自身がランサーといざこざを起こした事を思い出してのもの。

 セイバーは、自分の主が誰かと仲違いをしている事に驚いてのものだ。

「セシリア、衛宮と喧嘩してるのか?」

「シロウ、セシリアとなにかあったのですか? あ、鈴! 待って頂きたい。そのエビフライは私が狙っていたものです」

「ふふん、早い者勝ちよ!」

「待てってふたりとも。こっちにもあるんだから……なんでそれを狙ってんだよ! 大きさ同じだろ!?」

 一夏の仲裁を無視し、鈴とセイバーは食事に戻るが、箒は此方に顔を向けたまま。

 やはり、余計なところに飛び火した――

 士郎とセシリアは同時に胸中で叫んでいた。

 『はい、喧嘩というか、気に入らないものがあったんです』などとこの場で言えるわけが無い。

 故に口を開いたのは士郎だ。

「……喧嘩ってほどじゃないけれど、意見の食い違いかな。俺の考えを押し付けただけ、それでちょっとな」

 それを聴き、そうなのかと箒は視線をセシリアに向ける。

 もぐもぐと口を動かすセイバーも視線だけは士郎へと向けている。

 セシリアも士郎の言葉に胸中で『助かりましてよ』と礼を述べ頷いていた。

「ええ、少々思うところがありまして」

「…………」

 しばらくふたりに視線を向けていた箒だが、そうかと答え言葉を続ける。

「理由は訊かんが、見た限りではそう深いものでもないような気がする。なんにせよ、仲違いは早期に修復できるものはした方がいいぞ」

 現に自分がそうだったのだからと箒は告げる。

「……そうだな」

「……そうですわね」

 弁当を摘まみながら談笑する連中の声を耳にしながら――

 顔を会わせはしなかったが、心から純粋に、ふたりはそう呟いていた。

 

 

 放課後になり、士郎は保健室へ脚を運ばせていた。

 保健室に来るたびに、士郎が見る限りではキャスターは仕事はしていない。

 お菓子片手に本音と話をしているか、お手製の服の裁縫をしているか、趣味の模型作りをしている姿の三種類しか見ていない。

 キャスターの模型作りの腕前は一部生徒には好評だった。つい数日前には、とある女子生徒に作ってほしいと頼まれたロボットアニメの模型まで組み立てていた。細部まで見事に処理し、色合いも一から作って彩色したのだとキャスターは口にしていた。この淡いグラデーションを出すには結構コツがあるのよと、ご丁寧に説明されたが、士郎には良く解らない内容だった。

 ちなみに、依頼したその生徒は出来栄えに大変喜んでいたという。

「何にせよ、保健医の仕事しろよ」

 士郎の指摘にキャスターは反論する。

 彼女曰く、日頃――日中はきちんと仕事をしているらしい。

 生徒が何事もなく怪我や体調を崩さなければ、それはいいことではないのか、そう言われれば反論は出来ない。怪我人病人が頻繁に担ぎ込まれれば、それは確かに問題でもある。

 キャスターは他科目の指導も難なくこなす。とある教師が病欠した時に代理として彼女が教壇に立つ事があった。その教科に思い入れも親しみもあったわけではない。単に、教科書に載っている内容通りの事を教えればいいのだろうと、その程度にしか捉えていなかった。

「良ければ、私が教えましょうか?」

 職員室で、偶々耳に入った話にキャスターはそう応えていた。

 暇だったから、というのが一番の理由でもある。

 二、三、言葉を交わし、教材を受け取ると、紫のスーツの上に白衣姿のままのキャスターは、指定のクラスへと向かったのだった。

 正直に言えば、職員室で話をした教師は不安であっただろう。何せ得意とする分野が違うのだから。

 だが事実、キャスターの教え方は巧かった。

 策略の才に秀で、元々奸計が得意なためか、解りやすく例えを混ぜての授業は概ね好評だったらしい。

 その噂を聴き、以降、特に支障が舞い限りは、彼女が教壇に立つ姿はちょくちょく見られる事があった。

 受けが良く、評判がいいとの話も聴く。

 とは言え、怪我人や病人が出た場合は、本来の業務の保健医を優先していた。

「珍しいわね。坊やがひとりで来るなんて」

「…………」

 キャスターの声に応えは返さず、士郎の視線は室内の棚へと向けられていた。

 棚にはボトルシップの数が増えている。

 中には日本酒の瓶の中に作られているものもあった。いずれも、彼女自身が手がけた作品だ。

 現に椅子に座るキャスターは新しいボトルシップの製作に着手していた。

 机には多種の部品。

 細かすぎる数の部品を見て、パッと見だけでも高度な製作技術が必要だというのが否応無しに思い知らされる。

 実際見ていれば、ピンセット片手に瓶の中で組み立てている精密作業は、傍から見て確かにすごいと賞賛を送らざるをえない。

 なのだが――

 棚にある数種のボトルシップに再度視線を向けて、疲れたように士郎は口を開いていた。

「……どれも似たようなもんだよなぁ」

 こだわりがある製作者には禁句の言葉。

 案の定、その言葉がカチンと来たのか、キャスターはギロリと士郎に視線を向けていた。

 双眸に宿る怒り。知りもしないで適当な事を言うなと物語る。

「これは分解タイプの船よ。坊やが見てるそっちは引き起こしタイプの船。一緒にしないでちょうだい」

 此方の方がより難しいのよ、全く、これだから素人は、と吐き捨て作業に集中する。

 彼女が言うには、ある程度まで作った部分を瓶の中で組み立てていく物と、最初から瓶の中で組み立てていく物があるらしい。瓶の底を切り出来た船を入れて底を再接着する方法もあるという。それぞれ製作手順が違うとの説明もされた。

 機嫌を損ねたキャスターに士郎は素直に謝罪していた。

 しかし、喋りながら組み立てているキャスターを見て、集中しなくて大丈夫なのだろうかと首を捻っていたのだが。

「それで、本題は何?」

 区切りのいいところまで作り終えたキャスターは一息つくため立ち上がっていた。

 離れた場所にあるテーブルへ招き、椅子に士郎を座らせる。

「どうしたのよ坊や、随分と浮かない顔してるわよ」

「……クラスの子とさ、ちょっと話をして……喧嘩ってものではないけれど……あ、これは相手はそうとってるのかな? 結果的には俺が相手の神経逆撫でしてさ」

「なにをしてるのよ。それで相談?」

 気まずそうに言葉を吐いた相手に、キャスターは肩を竦めていた。

「何を言ったの? 坊やが相手を怒らせるなんて、余程の事だと思うけれど?」

「……実は」

 自分が前から思っていた、ISの銃に対する考えと機体に搭載されている絶対防御、それとISに乗る覚悟について口論したと士郎は伝えた。

 話を聴き終えたキャスターは開口一番『馬鹿ね』と告げる。

 彼女は心底呆れていた。

「馬鹿じゃないの。それに、気にするなら最初から言わなければいいのよ」

「まあ……な」

「過剰反応しすぎよ、坊や」

 席を立ち、キャスターはカップを手に取り、茶葉を入れポットの湯を注ぐ。

「…………」

「坊や、私たちの目的は何? 極端に言えば、この世界の事は、本来私たちには関係のないものなのよ」

 こと、と音を立て紅茶を注がれたカップが差し出されていた。

「アーチャーやランサーのような味は期待しないでちょうだい。美味しく淹れる知識も作法も私にはないのだから」

 言って、キャスターも自分のカップを持ち対面の席に座っていた。

 紅茶で唇を湿らせると、カップをテーブルに置き口を開く。

「いい坊や、良く考えなさい。私たちの一番の目的は、坊やを元の世界に戻す事。ランサーからも言われたとは思うけれど、その合間は坊やもこの世界を楽しみなさい。でもね、捨て置けとまでは言わないけれど、此方が深く関わる事でも無いのよ? この世界の事は放っておきなさいな。絶対防御に関しても、坊やの言い分もわからなくはないわよ。でもね、その説明だと、世の中全てが矛盾になるわ。犬を飼っている人間に、坊やはその犬は噛み付くかもしれないから怪我をして危険ですよ、飼うのはやめた方がいいですよ、と言ってるようなものよ」

「…………」

「お馬鹿な坊やでも、私が言っている事はわかるでしょう? 程々の線引きはしなさいな。面倒事に突っ込むのは御免よ」

「……わかってる」

 聴いているのかいないのか、静かに……その一言を士郎は呟く。

 釘を刺した忠告ではあるが、眼の前の少年は返答はしていても恐らく己の考え、思うがままに進むだろう。

 容易に想像がつくキャスターはひとつ溜息をつく。浅はかなマスターをフォローするのはサーヴァントの役目だ。

「なんていう子なの? 坊やのクラスの子? 私が暗示をかけておくわよ」

「……いや、いい」

 そこで初めて士郎はハッキリと反応を示していた。

「そう? 手っ取り早いわよ? 後腐れも無いし」

「いや、これは俺が口にした事だから、俺が何とかするよ。ここでキャスターの力を借りたら、それはそれで何か違うと思うから」

 青臭い子ねとキャスターは呟いていた。

「あらそう。なら好きにしなさいな」

 言って、この話はこれで終わりと断ち切りたかったが、お節介ついでにキャスターは続けていた。

「方法はあるの? どうしたいのよ坊やは」

「……わからない」

「お節介を焼きたいの?」

「どうだろう。なにをしたいのかはわからないな。いい方法もないし」

 困惑する士郎に対し、だがキャスターは笑みを浮かべていた。

「なくはないわよ。坊やの得意なやり方があるじゃない」

「?」

「相手が絶対防御を信じているのは別として、要は坊やは心配なんでしょう? その危険性を教えたいんでしょう?」

「キャスター、俺は別に、威したいとか手荒な事をしたいとか言うわけじゃないぞ。それに、俺の一個人の考えを無理矢理押し付けたくもないんだ」

 昨日のピットでの出来事を思い出す。

 士郎はキャスターが何か勝手な事をするのかと捉え抑制するが、彼女はわかっているわよと応える。まあ聴きなさいと続けていた。

「わからせるには、当然ISしかないわよね。でも、そのためには、坊やは普通のISの武装では無理よね。なにせ、手馴れていないんですもの。坊やの得意の武器ではないんですものね」 

 と――

 回りくどい言い回し。

 そこまで言われて、士郎は気がついていた。キャスターが何を言いたいのかを。

 だが、それには根本的な問題がある。もしキャスターがそれらを含めた上で考えている発言だとしたら――

「待ってくれキャスター……お前……それは、いや、それ以前に、一体何処から持ってくる気だ?」

 士郎の返答に、キャスターはいまいち納得のいかない回答と捉えたのだろう。

 故に彼女は笑みを浮かべると、紅茶を一口含んでいた。

 あら、決まっているじゃない、と前置きし――

「坊やらしくない答えね。他所から持って来れないのなら、いっそ造ればいいじゃない」

 ニヤリとキャスターは意地悪く笑う。

 ギリシャ神話の『裏切りの魔女』の名に相応しく、妖艶で――だが、その笑みを浮かべた彼女の顔は、とても綺麗で美しかった。



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15

「おー、お帰り士郎」

「おう……」

 ベッドでくつろぎ雑誌を読む一夏に軽く声をかけ、ふらふらした足取りの士郎は制服をベッドに放ると、己も倒れこむようにぼふとベッドへ身体を預けていた。

 疲労の身体を伸ばせる事が酷く気持ちいい。

 ぼそりと――口を動かし、力なく呟く。

「疲れた……」

「最近帰りが遅いよな。いつもなにしてるんだ?」

 ぺらりとページをめくった雑誌から視線を外し、一夏は隣のベッドを見る。

 当の士郎は相手に背を向けた格好のまま横になり、振り向きもせず声だけで返事をしていた。

「んー? ISの機動性……もっと俊敏に反応する為の訓練……修行……暴行……虐め……」

「おい、何言ってるんだ?」

 後半ぶつぶつと呟く士郎に呆れながら一夏は落ち着けと声を漏らす。

「セイバー相手にしてた……疲れた……身体痛い……」

「この時間までか?」

 こくりと頷き肯定。未だに士郎は振り返っていない。

 それを聴き、一夏は呆れていた。

 正直に言えば、一夏はセイバーとのISでの模擬戦は苦手だ。負けるのが嫌だからという単純な理由ではない。

 圧倒的過ぎるのだ。手合わせする度に、何度も弱い自分を思い知らされる。

「勝敗は?」

「……俺が勝てると思うのか?」

「悪い。全く思わない」

 彼女は強い。

 一夏から見ても、技量が足りない自分にとって、セイバーから学ぶものは数多くある。

 誰かを護るために力を得るためにセイバーの強さには憧れがある。

 だが、同時に壁も感じる。感じはするが、自分のためだという気概で一夏は無謀とわかりつつも乗り越えようとしている。

 弱さを見せつけられるが、そこで諦め、楽をしたいという妥協はない。

 士郎に対しても、自分と同じようにIS技術向上のため、セイバーを相手にしているのはわかっている。

 実際に、一夏は士郎のIS操作は上がっていると感じている。それは、代表候補生には遥かに劣るが、自身もうかうかしていられないという対抗心を持たせるほどに。

 よくやるな、と逆に羨望する。

 その反面、あのセイバーとよく続けられるなとも思っていた。自分にしてみれば、実姉の千冬を相手にしているようなものだ。身が持たない。

 一夏はセイバーと手合わせした時の事を思い出していた。

 互いにブレード一本の武装。機体状態は同じ。違いは専用機と訓練機。第二世代と第四世代。旧型と新型。

 接近戦での雪片弐型で斬り合った時と、零落白夜を起動させた時とのセイバーの動きが全く別なものだったのを思い返す。

 エネルギー刃を一切身に触れさせまいとする攻勢は正に鬼神の如く。

「唯一無二の一撃でも、当たらなければ意味はありません」

 雪片の柄や握る腕を巧に払われ、捌かれ、何も出来ずに逆に倒されていた。

「…………」

 負けた姿を思い出し、こっちも沈む空気になるなと胸中で呟くと、話を変えるため、一夏は別の事を訊いていた。

「なあ、士郎」

「んあ」

 相変わらず、士郎は背を向けている。

 思わず一夏は手にした雑誌を投げつけようとしていた。いい加減にこっちを見ろよと告げながら。

「鈴があの時言ってたけれどさ、その、セシリアとは本当に大丈夫なのか?」

「…………」

「セシリアって、結構言い方キツイからな。今は丸くなったんだけれどさ。これでも最初は酷かったんだぞ。俺なんて、あいつと初めて会った時に――」

 一夏が何か口にして話をしているが、士郎はその声を聴いてはいない

 セシリアとの一件に関しては、セイバーにも追求されている。あの日屋上でみんなと昼食を摂ったその夜に白い眼で問い詰められた。

 事実、意見の展開の食い違いである。別に取っ組み合いの殴り合いをしたわけではない。

 セイバーに再度意見の食い違いだからとは説明をしていた。それ以上は何も言っては来なかったが、彼女の眼は納得をしていなかったのを覚えている。

 昼食時に敢えて訊かなかったのにと、はっきりと説明してくれない事に関しての鬱憤もかねて、ISの模擬戦という名に託けて士郎に対して憂さを晴らしてもいたりするのだが。その時のセイバーは口元をニタリと笑わせていたりもしていた。

 話し終えていた一夏に対して、士郎はセイバーに話した同じ内容を口にする。

「……だからさ、互いの意見の食い違いだって。殴り合った喧嘩に見えるか?」

「いや、そうは思わないけどさ。確かに、あいつと普通に話をしてるのは見るけど」

「だろ? それにもう終わってるぞ。オルコットだって何も言ってないだろ?」

「ま、そうだよな」

 頷く一夏はそれ以上何も言ってこなかった。

「…………」

 士郎が口にした内容の一部は嘘だ。実際は、士郎とセシリアの仲はあの時以降並行が続いている。だが、仲が悪いままではない。普通に話をして接してはいる。

 ふたりは、どこか距離を置いて話をしている。

 いつまで気にしているのと告げられたキャスターの言葉が酷くわかる。

(引っ張りすぎている……俺ってこんなヤツだったかな……)

 ひとりぶつぶつ考え始め、直ぐにやめる。これではまた元に戻ってしまう。

 頭を切り替えるために――今度は士郎が気になっていた事を口にしていた。

「一夏……」

「なんだ?」

「お前の方こそ、何かあったのか?」

「……何って?」

 極々普通に言葉を返してくる相手に――そこで士郎はようやくして振り向いていた。

 じっと相手の顔を見て――

「あの日の昼休み、教室でのお前……何か変だったぞ? いや、よく考えれば、その前ぐらいから何処かおかしいような気がしたんだ」

「…………」

 無言のまま、だが一夏は笑みを浮かべる。手にしていた雑誌をひらひらとさせながら。 

「特に何もないぞ。それこそ、おまえと同じだよ」

「…………」

 しばしの静寂。だが、視線はどちらからでもなく逸らしていた。

「そうか」

「ああ」

 それ以上、ふたりの会話は続かなかった。

「…………」

 無言のまま士郎は考える。

 一夏は何かを抱えている。だが、それが何かはわからない。

 できる事であれば、士郎は一夏に協力してやりたかった。しかし、同様に自分にも考える事がある。

 参ったなと胸中で呟きながら、士郎は身体を背けていた。

 

 

 剣道場でのあの一件以来、一夏とランサーの仲は宜しくなかった。正確には、ランサーは全く意識しておらず、一夏が一方的に嫌っているだけなのだが。

 セシリアたちも最初は一夏と同じようにランサーに対して距離を置いてはいたが、箒自身が全く気にしていない事、なおかつ自分自身の未熟さを知るいい機会だったとさえ捉えている。

 なによりもとを正せば、箒から勝負事を持ち込んだ話がそもそもの原因だ。確かに一方的ではあったとしても、それをランサーが責められるのは筋違いでもある。

 クラス内でのランサーの評価は概ね高い。あの一件以来、寧ろ上がったとさえ言える。

 だが、すべからく、学園の者――皆が皆、友好的というわけではない。中にはランサーを快く思わない者も無論いる。

 「男のクセに」「容赦の無い男」「野蛮な男」――

 暴言等が浴びせられるが、あたり前のようにランサーがそんなものを気にするわけが無かった。

 そんな連中がいる事などはさて置き、箒自身は変わらず、時間があればランサーに手合わせを度々頼み出る程だ。

 ランサーと箒の間のわだかまりが無くなり良好なものになった点に関しては、一夏自身も大いに納得してはいる。してはいるのだが、彼は割り切れないところは未だ割り切れていなかった。良く言えば頭が固い。悪く言えばガキなのだという一言に尽きる。

 例えるならば、衛宮士郎と赤い弓兵の英霊エミヤとの間柄だろうか。

 そんな一夏の態度が、事の発端を起こした箒の頭を悩ませる種になるとは皮肉なものだ。

「その……一夏。心配してくれたのは嬉しいが、いい加減、ランサーと仲直りしてもらえないか?」

「箒、俺は別に喧嘩してるわけじゃないぞ?」

 夕食時、箒が何気なくそう話しかけた途端に一夏の機嫌は悪くなる。

 不貞腐れる相手に、箒は溜息を漏らさずをえなかった。

 極力丁寧に言葉をかけてもこの有様だ。

「……私は気にしていないんだ。だから、私のせいでお前が気に病む事などなにもないんだ。だから、頼むから――」

「単に俺が気に入らないだけだ。いいだろそれで」

「…………」

 自分のせいで、一夏の態度が刺々しくなるのがいたたまれなかった。皆の前ではこんな姿は見せていない。自分との会話の中で見せる姿。

 負い目を感じる箒だが、これ以上話をしても心情に変化が無いのが心苦しい。

 自分ではどうする事も出来なく、内密でと話をし千冬に相談した箒だったが、担任からの返答は「ガキなんだ放っておけ。気にするな」と素っ気無いものだった。

 同じように内密を前提に、友人たちに相談しても返答は似たようなものだった。

「一夏の気持ちは解らなくは無いけどさ、これは、アンタが気にするような事じゃないんじゃないの?」とは鈴の談。

「酷な言い方で申し訳ありませんが、時間が経てば解決する場合もあります。今は放っておいた方が懸命だと思いますわ」とはセシリアのもの。

「ランサーに対してお前が気にしていないのならば問題はあるまい。嫁の事は嫁自身の問題だ」とはラウラの弁。

「んー、僕も皆と同じ意見かな。箒が納得しているのならこの話は終わりだし。なにより聴いている限りでは、一夏のものとは話は別だしね」

 最後の頼みの綱のシャルロットも返答は同じものだった。友人たちの意見は皆『放っておけ』の一言だ。

 私のせいでこうなったのだからと漏らすが、皆次に返す言葉も同じだった。

 それとこれとは話は別だと突っ撥ねられる。一夏は一夏の問題であって、お前の問題ではない。それこそ、またお前とランサーの間がおかしくなったらどうするんだ、とも諭された。

 せめて、お前が如何こうするのではなく、此方に任せろとの意見に対し、箒は頑なに拒否していた。

 心配するのは解るが放っておけとは言われた手前、箒はそれでも自分自身が何とかしたいと考えあぐねる。だが、どうしていいかはわからなくなっていた。

 食事も終え、此方の話を打ち切りひとり足早に自室に戻ってしまった一夏に対し、果たして自分は如何すれば良いのかと、箒は途方に暮れていた。

 

 

 深夜、うっすらと灯りが点る食堂内の片隅に箒はひとり座っていた。

 ソファーに座り、自動販売機で買ったはいいが、一口も飲まないままの缶のお茶は既に温くなっていた。

「なんだ? 篠ノ之の嬢ちゃん、ひとりでこんな時間に」

「――?」

 かけられた声音に対し、力無く顔を上げた箒は相手の名前を呟いていた。

「ランサー」

「おうよ。どうしたよ、ひとりで」

「どうしたんだ、こんな時間に」

「おいおい、そりゃこっちの台詞だってーの」

 質問を質問で返す相手にランサーは苦笑を浮かべる。

「……私は、ちょっと考え事をしていてな……」

 手にした缶を無意味に弄び――やはり飲もうとはせず、箒は続け言う。

「そちらは?」

「あー、俺は飲みモンでもな……つい今し方まで、道場でセイバーと一戦交えててな。いやー、久々に中々愉しめたトコだ」

 剣道場で人払いのルーンを施してのもの。

 誰にも邪魔されず、気兼ねなく戦えた。無論、互いに宝具を封じたサーヴァントの全力での勝負である。

 久しく全力を出せる機会などなかったのだから。

 決着はつかなかったが、セイバーもランサーも全力を出せた事に関しては満足している。

 小銭を入れ、缶コーヒーを選び彼。

「…………」

 セイバーとランサーの組み手か、と箒は胸中で呟いていた。ふたりのやり取りは是が非でも興味がある。これは勿体無い事をしたなと考えていた。

 ランサーもそれを察したのか、適当に切り返す。

「そんなに面白くはねーぞ? 俺とセイバーの一戦なんざ見ても」

 頭を振り箒は言う。

「そんな事はない。私にとっては興味深い。次は是非、立ち合わせてほしい」

「ま、かまわねぇけどよ」

 コーヒーを一口含み――

「んで? そっちは? 心此処に非ずって感じだぜ、嬢ちゃん?」

「…………」

 食えない男だなと漏らし、箒は改めてランサーに視線を向けていた。

 思考し――彼女は頷いていた。

「……少し、話を聴いてもらえないだろうか」

「?」

 隣に座るように促すと、彼女は事の経緯をぽつりぽつりと話し始めていた。

 

 

 箒から説明を受け、話の内容にランサーは頭をがしがしと掻いていた。

「正直、私はどうすればいいのかがわらない。ランサーにこんな話をしても迷惑かと思うかもしれないがな……」

「…………」

「基を正せば、私のせいで一夏はあなたに対して無礼な態度をとっているのが、な……」

「篠ノ之の嬢ちゃんが気にする事じゃねーと思うがなぁ、俺ぁ」

「皆もそう言うがな……その、皆の意見はわかるんだ。わかってはいるんだが、同じように、私としては、それこそ一夏には私の事など、気にしてほしくないんだ」

「ふむ……」

 ランサーは顎に手を触れさせながら考える。

 気に入らない相手と仲良くしろとは中々無理な話だ。ランサー自身は一夏の事は嫌ってなどいない。見ていて危なっかしい所もあるが面白い奴だという認識だ。

 問題は相手の一夏の方だろうと考察する。嫌う相手と仲良くなどする気が無いだろう。

 例えるならば、ランサー自身が赤い外套を羽織る弓兵と仲良くしろと言われた場合、全力を持って拒否するだろう。

 気に入らない、いけ好かない、馬が合わない相手とは、片方だけがどうこうしようとも巧く合いはしないのだから。

 いずれこの世界から消える身の自分にしてみれば、放っておけば良いのにと思うのがランサーの正直な本音だ。

 実を言えば、箒が口にしたこの話は既にランサーは知り得ていた。遠回しに千冬、鈴、セシリア、ラウラ、シャルロットたちから、各々タイミングは違えどそれとなく話をされていた。皆、それなりに一夏とそれに対する箒を心配しているからだ。

 とはいえ――

 眼の前で神妙な顔をして、自分のせいだと本人に告げて悩む箒の姿を見た以上は、流石にランサーとて御節介を焼かざるをえなかった。

 律儀な嬢ちゃんだと内心漏らしながら、彼は口を開いていた。

「なら……そうだな。如何転ぶかはわからんが、俺に任せられるか?」

「…………」

 僅かばかり期待が篭る双眸で箒はランサーを見る。

 その視線に苦笑を浮かべながら彼は続けていた。

「言っとくが、改善に期待するなよ。より悪化するかもしれんしな。ただ、お前が気にするような事にはしないようにする。なるべくな」

「…………」

「どうだ?」

 じっと見入る箒は一瞬眼を伏せていた。

「……できれば好転する事を望むのだがな」

「さあなぁ……こればかりはなんとも言えんさ。最悪、あの兄ちゃんから、俺だけ嫌われてればいいさ」

「……それは私が困る」

 他に方法が思いつかない箒は改めてランサーに向き直り、宜しく頼むと頭を下げる。

 それに対しランサーは、なるたけ善処してみるさ、と笑いながら応えていた。



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16

「兄ちゃん、遊ぼうぜ」

 かけられた声音に――だが一夏は不機嫌な表情で一瞥向けた程度で直ぐに顔を背けていた。

 気だるそうに立ち、片手を腰に当てたランサーがそこに居た。

「お前とやる意味が俺には無い。模擬戦なら、鈴かラウラあたりにでも当たってくれ」

「つれねーなぁ」

 肩を竦めるランサーではあるが、相手の反応は当然わかり切っていたものだ。

 踵を返し歩き出す一夏の背に向けて、彼は再度言葉を吐いていた。

「聴いたぜ。誰彼護るだなんだとご大層なことヌかしてるクセに、都合が悪くなれば、そうやって女の背に隠れるんだな」

「――――」

 少年の歩みがぴたりと止まった。

 かかった――

 餌に食いついた相手に内心で笑い、ランサーの口は止まらない。

「どいつだ? 蒼い機体に乗ってる奴か? 黒い機体に乗ってる奴か? 橙の機体か? 仲間のどの女に護ってもらうんだ? 教えてくれや。なぁ、腰抜けの兄ちゃんよ。それとも吊り眼のねーちゃんに護ってもらうか? なにかありゃ大好きなおねーちゃんが護ってくれるもんなぁ」

「なんだと、テメエ!」

 その一言が簡単に理性を吹き飛ばしていた。

 瞬く間に振り返った一夏はランサーの胸倉を掴む。殴りかからんばかりの勢いだが、相手は全く動じない。逆にニヤリと笑ってさえ見せる。

 その態度が更に一夏の怒りに拍車を掛けた。

「なになに?」

「どうしたの?」

 荒い声を上げた一夏に周りの生徒が気づき視線を向けていた。だが、周囲の眼など気にもせず、舌打し、彼はランサーを睨みつける。

「いいぜ。相手になってやるよ。いい機会だ。テメエのそのツラぶっ飛ばしてやりたかったんだよ!」

「いいねぇ。面白そうだ。女の背中から吼える口先だけじゃねーのを期待するぜ、色男?」

「っ――」

 掴んでいた腕を振り払うように一夏は離れていく。

 一部始終のやり取りを眼の当たりにした真耶はわたわたと慌てていた。

「あ、あの、お、織斑君もランサーさんも、け、喧嘩は駄目ですよ! な、仲良くしましょうね……」

 険悪な雰囲気に呑まれ、如何対処していいかわからず、割って入ることができなかった彼女は、なだめるようにそう声を掛ける事しかできなかった。

 だが、心配する副担任に振り返りもせず、一夏は白式を展開する。

「別に、喧嘩じゃないですから」

「そう言うこった。ま、仲良くやるんで勘弁してくれや」

 真耶に気楽に声をかけたランサーは、手近にいた打鉄を駆る生徒に歩み寄っていた。

 生徒と二、三程言葉を交わし、ISを借り受ける。

 自分が知る普段のふたりとは明らかに違う雰囲気に、流石に真耶は千冬に縋りついていた。

「お、織斑先生……どうしましょう……?」

「……ふたりがやるというんだ。勝手にやらせればいいだろう」

「で、ですが……」

 それでも不安を覚える真耶は、眉を寄せたまま一夏とランサーのふたりへ交互に視線を向けていた。

 

 

「なになに?」

「なんか、織斑君とランサーさんが模擬戦するみたい」

「模擬戦て、ランサーさんは打鉄で?」

 ざわざわと騒ぎ出す連中を尻目に、打鉄を身に纏ったランサーは準備を整えていた。

 量子変換されたブレードを呼び出し手に取ると、そのまま数回振り払う。だが、どこか納得しないとばかりに首を傾げていた。

(槍と比べちまうと剣てのはどうにもなぁ……あー、いまいちしっくり来ねェな……)

 剣を扱えなくはないが、やはり手馴れた槍の感覚がどうにも出る。

 ぶつぶつと悪態を吐きながら動くランサー。と、気がつけば横には士郎が立っていた。複雑な表情を浮かべながら彼は言う。

「……本当にやるのか?」

「あー、篠ノ之の嬢ちゃんに、頼まれてっからなぁ。俺も任せろなんて適当な事言っちまったし……いやはや、参ったぜ」

 安請け合いするなよ、との指摘にランサーは軽く笑うだけ。

 箒の時とは違い、朝方にランサーから持ちかけられた話を士郎は聴いている。

 内容も十分理解している。特に、箒自身が切に願っている事も。

 昨夜に自分が考えていた件を、形はどうあれ、ランサーが処理しようというのだから先を越されたと捉えるものもある。

 もっと早く気づいていればと自分を責める士郎だが、それを見透かされたのだろう。べしと頭を小突かれていた。

「大方くだらねー事考えてんだろ、坊主」

「く、くだらないって……」

「わかりやすすぎんだよ、お前は。どうせ、俺がもっと早く気づいていれば、とか馬鹿な事でも考えてやがんだろ」

「ぐぅ……」

 『馬鹿か』と一言漏らし、ランサーは士郎に視線を向ける。その眼は『知らないとは言わせない』と物語っていた。

「坊主、お前はお前で、自分自身が悩んでるものに足りねェ頭使って手を回せ。他の連中の事ばっかり考えてんじゃねーぞ? お前が出来る事なんて高が知れてんだ。全部が全部に関わろうとすんじゃねーぞ」

「……だけど」

 一夏は友人だからと告げる士郎にランサーは嘆息ひとつ。

 全てを助けようとする、この少年の信念は嫌いではない。だが、理想と現実ではどだい無理な話である。

 士郎らしい考えではあるが、今のランサーは否定していた。

「いいから。ほれ、どいてろっての。今は俺が任せられてんだ。まあ、お前にゃその後を頼むぜ。それに、正直これといった算段がねェんだよな」

「おいっ!?」

 じゃあ何のために模擬戦なんてするんだよ、との声にランサーは笑うだけ。

「まー、なるようになればいいさ。そもそも、俺は諭して人に手を貸すようなガラじゃねーんだぜ? 失敗したら坊主に任せるさ。後始末はよろしくな」

 気楽に言ってのけるランサーに、だが士郎は苦笑を浮かべる。

 口ではそう言ってるが、どうせそんなつもりもないだろうに――

「……わかった。でもさ、これだけは言わせろよ。頼むから、やりすぎるなよ?」

「そりゃ相手次第だろ?」

 士郎の忠告にランサーはさらりと答えると、身体を傾け打鉄を浮上させていた。 

 

 

「織斑先生……」

「…………」

 紅椿を身に纏ったまま降り立つ箒に千冬は無言のまま。その視線は上空で相対する白式と打鉄を捉えていた。

 千冬と専用機持ち五人は、事前にランサーから話を受けていた。内容は『次の二組との合同実技に一夏と模擬戦をするが、邪魔はしないでくれ』と告げている。

 好きにしろと応えた千冬ではあるが、内心では不安は拭えていない。

 生身のランサーの実力は、先日剣道場で見た限り十分理解している。箒であの様だったのだ、一夏程度では勝てはしない。ラウラですら奴には勝てはしないだろうと踏んでいる。

 なによりISを纏ってはいるが、それでも一夏に勝機があるとは全く思っていない。

 第四世代の最新型とは言え、機体性能に助けられているだけの搭乗者の実力不足は、如何様にも埋めることのできない差がある。

 逆に、ランサーが駆る打鉄は訓練機とは言え、その限界性能をいかん無く発揮している。

 たかが一訓練機を見事なまでに操るランサーの技能に、千冬にとっては危険だと考えすぎるきらいがある。脅威と言っても過言ではない。

 むしろ、模擬戦においては、やり過ぎるのではという心配もある。

 ランサーはセイバーと違い、ISでの模擬戦で必要以上に手を抜く場合がある。勝敗もバラバラだ。手を抜いて敢えて負ける事もあれば、手加減無しで勝つ事もある。何を考えているのかがわからない飄々とした態度は、ISに乗っても変わりはなかった。

 だが、自分の不安などおくびにも出さない千冬は教師としての職務を全うするのみ。

「織斑、ランサー、準備はいいか?」

 手にしたインターカムでふたりに呼びかけると、数秒送れて二機からの返答が来た。

「ああ……」

「いつでもいいぜ」

 淡々と応えた一夏、気楽に応えるランサー。

 対照的なふたりの声音。

 声から感じた限り、一夏は静かに、それでいて落ち着いているように千冬は思えた。だが、彼女は今の弟の内心まで深く読む事はできていない。

 一夏の胸中は憤怒にまみれたもののみ。相対するランサーに今すぐ飛びかかりたい衝動に駆られている。

 形はどうあれ、名実ともにランサーに殴りかかる事ができるのだから。

 早く、早く合図を寄こせ――早くコイツを叩き潰させろ――

 握る雪片には自然と力が篭る。

 逸る感情を何とか無理矢理押し込みながら、一夏は試合開始の合図を待っていた。

 

 

「始めろ」

 耳朶に響く開始の合図とともに、一夏は瞬時に駆け出していた。

 『瞬時加速』の奇襲から一気に攻め込み、戦況を自分の有利な側へと進めようとしてのものだ。

 だが――

 それはあくまでも相手が油断しており、なおかつその奇襲の初手が成功していれば、の話だ。

「っ――」

 言葉を詰まらせる一夏の眼前には、肉迫するランサーの姿。一夏の稚拙な戦法など容易に知り得たのだろう。

 現に行動を読まれていた相手は僅かに踏鞴を踏んでいた。そんな一夏とは対照に、迷いも見せずランサーは停まらない。そのまま――頭突きを見舞っていた。

「ぐっ――」

 衝撃に仰け反るが、瞬時に手にする雪片で斬りかかり――間髪を容れず、一夏はその身に二太刀の斬撃を浴びていた。

 喧しく鳴り響く警告音。削り取られるシールドバリア。

 ランサーの振る太刀は、斬ると言うよりも叩きつけているだけでしかない。

「くっそ――!」

 悪態をつきながら何とか三撃目を受けまいと雪片で防ぎはするが、力任せに容易く斬り払われていた。

 無理矢理こじ開けられ、がらんどうになった腹にランサーの回し蹴りが突き刺さる。

 

 

 試合開始僅か数秒足らずの合間に、白式のシールドエネルギーは三分の一を失っている。

 対して打鉄は無傷のまま。

 その刹那の攻防を見た生徒たちはワケがわからなかった。その中のひとり、鈴は自身のIS甲龍が映す互いのデータを見てぽつりと呟く。

「え、何? 何で一夏のシールド、あんなに減ってんの……?」

 彼女の問いかけに、誰も答える事は出来なかった。

 

 

 呻きながら反撃に出る一夏に対し、ランサーは後方に身体を投げる。

 懲りずに『瞬時加速』を仕掛ける一夏だが――予想していたのかランサーは身を捻り、斬撃を容易くかわしていた。

 避けられたとわかるや否や、一夏は急停止から反転し斬り返す。逆袈裟斬りに雪片を振り上げ――

 ぐいと顎を引いたランサーに切っ先は掠りもしなかった。

 と――

 再度ランサーは後方へと身体を投げ出していた。それを一夏は間合いを取るためと判断し追走する。

 左へ右へと揺さぶりをかけ、そう思わせれば上へ下へと撹乱するように白式を引き離そうとする。

「ちょろちょろ逃げてんじゃねぇ!」

「…………」

 一夏の罵声に対し、ランサーは笑みを浮かべたまま無言。彼とて、無駄に逃げ回っている訳ではない。何より、態と追いつかせるかどうかというギリギリの距離での加速を繰り返している。

 策略があった上での動きだという事に気づいているのは、地上で静かに見入る九人。セイバーと士郎、専用機持ち五人と千冬、真耶だった。

「まずいですね、イチカは」

「まずいぞアレは……」

 同時に呟くセイバーとラウラに対し、隣に立つシャルロットも頷いていた。

「何も考えていない。むやみやたらに振り回されて動いている……冷静にならないと相手の思う壺だよ一夏……」

 戦闘に置いて、相手の動きを封じ込める一手として、体力を奪う方法がある。

 そのための効率的な手法としては、無駄な動きによる疲労を与えればいい事になる。

 短絡的な方法を行使したランサーだが、その策に一夏は呆れるぐらいに乗せられていた。

 一夏自身、スタミナ切れに追い込まれている事すら気づいていない。それがどれ程重要な意味を示すのかさえ認識していないだろう。

 荒い息のまま。それほどまでに頭に血が上り、他にはなにも考えず、一辺倒しか捉えていないのがうかがい知れる。

 この時点でようやく他の生徒たちの中からも異変に気づいた者が出始めていた。

 生徒たちから漏れる違和感の声。

「ねぇ、何か変じゃない?」

「ランサーさんの動き……あれ、ただ逃げてるだけじゃないよね? 巧く言えないけれど、何か変な気がする……」

 何人かはその意図に気づきはじめている。布仏本音もそのひとりだ。

「うー。このままじゃおりむー負けちゃうよー」

 どうする事も出来ず、本音はばたばたと腕を振るしかなかった。

 

 

 模擬戦を開始してから時間は僅か10分足らず。その間のふたりの差は歴然としていた。

 ランサーは汗ひとつ掻かず、涼しい顔のまま微動だにしない。

 対して、大きく肩で息を吐き――呼吸を乱す一夏。

 急旋回、急上昇、急停止、アリーナ内を縦横無尽に飛び交わされ、雑に入り乱れた動きは身体に負荷をかけている。

 知らずの内にダメージを蓄積している事に、一夏は全く気づいていない。

 なおかつ、一夏は左手の多機能武装腕「雪羅」の荷電粒子砲にさえ気が回っていない。

「あの馬鹿――動きが鈍くなってる」

 一夏の動きを追っていた鈴は、明らかにスピードが落ちはじめている事へ歯噛みする。

 それは当然、間近で相対するランサーの方が白式の機動力が眼に見えて低下している事に気づいている。

(頃合か)

 胸中で呟くと、相手の体力を把握したランサーに変化が起きる。

 一切仕掛けていなかった打鉄がここで攻めへと転じていた。

 唐突に――

 ぶん、と手にしていたブレードを一夏目掛けて投げつけていた。

「――!?」

 相手の突飛な行動に反応が遅れるが、投擲された剣を一夏は雪片で斬り弾く。

 が――

 突然真横から襲われた衝撃に、機体は大きく跳ね飛ばされていた。

 警告音が奏でる間もない。

 状況が判断出来ていない視界の片隅で、落下するブレードを宙で拾ったランサーが一気に翔るのがわかった。

 体勢を立て直し――叩き込まれたブレードを受け止める。

 打鉄にとって唯一の近接武装のブレードを投擲するなど意表をつくには十二分過ぎる。

 ましてや、意識を集中させたその合間に真横から殴りかかるとは、注意力が散漫になっている相手、並びにサーヴァント中最速を誇るランサーだからこそ出来る芸当だ。

「…………」

 それらを一部始終見ていた箒は言葉を失い、ただただ唖然としていた。

 だが、その驚きは他の生徒、候補生たちとは違うものだった。ブレードを投擲したと同時に爆発的な加速をした事は確かに驚愕した。

 ならば彼女が眼を見開いていた事柄は何なのか?

 それは、自身の機体――紅椿のハイパーセンサーに刹那ではあるが、告げられ表示された文字。

 ロスト――

 それは本当に一瞬だった。ハイパーセンサーがランサーの駆る打鉄を追う事ができなかった。

 それがなにを意味するか――第四世代型最新スペックの紅椿が、第二世代型訓練機の打鉄の機動を捕捉出来なかったという事実がありえなかった。

 超音速飛行、最高速度時速2450キロを誇る「銀の福音」相手でも、こんな事は起きていない。あのアメリカ、イスラエル共同開発の高スペックを持つ第三世代型軍用ISに遥かに劣る、たかが第二世代型の一訓練機を見失うなど……笑う事ができなかった。

(紅椿が補足できなかった? ランサーの打鉄を? そんな馬鹿な……)

 ありえない事に対する箒の胸中の呟きとは裏腹に、視界では白式が打鉄と斬り結んでいた。とは言え、それも一瞬の事。力負けした一夏はランサーに簡単に薙ぎ払われていた。

 

 

 期待はずれな相手の実力にランサーは呆れた声を漏らしていた。

「口だけだなテメエは」

「っ――」

「ほれ、遊んでやるからかかって来いよ」

「ヌかしてろテメエっ!」

 ランサーの挑発に乗り、一夏は躍り掛かるように斬りつけていた。

 かわし、避け、適当なところでランサーは斬り返す。

「ほらどうした? 篠ノ之の嬢ちゃんの方がまだまだマシだぜ。動きに無駄が多いぞ」

「うるせえよ!」

 激昂し、上段に振りかぶった雪片で斬りかかる。

 大振りは、然も避けてくれと言わんばかりの動きでしかない。

「馬鹿者が」

 上空を見入る千冬の口から漏れた小さな呻き。それとともにランサーはその一撃を僅か半身横へ動くだけ。

 陽炎のようにゆらりとかわした刹那、カウンターの拳が一夏の腹へ吸い込まれていた。

 一発一発が酷く重く、更には打鉄を纏っての渾身の一撃ともなれば、喰らう側への衝撃は想像以上のものとなる。

 二度、三度とシールドバリア越しに伝わる衝撃に一夏は身体をくの字に曲げて悶絶する。

 相殺しきれないダメージが臓腑を抉る。

 拘束を解かれ、よろよろと後退する相手へ、ランサーは気だるそうに視線を向ける。

「んじゃ、次はこっちから行くぜ。精々粘れよ?」

 その言葉とともに打鉄の姿が――掻き消えていた。

「――――」

 何処に――

 苦悶の表情のまま、迷いは一瞬。背筋にぞくりとしたものを感じ――

 警告音に反応するよりも早く、咄嗟に一夏は右へ雪片を繰り出していた。

 鈍い金属音が上がる。

「ほぅ、止めるねぇ」

「っ――」

 狙って受け止めたわけではない。本能の赴くままに動けただけだ。それこそまぐれと言っていいだろう。

 続けざまに繰り出される剣戟を、一夏はただただ受けるしかなかった。

 防戦一方。加えてランサーは手加減しての攻撃とは言え、一夏自身追いつくのはやっとだった。

「ほれ、速度を上げるぜ?」

「くっそおおおお――」

 いい様に弄ばれ、咆哮し一夏は斬りかかっていた。

「おねーちゃんも大変だな。テメエみてーなガキがいて。苦労すんだろ」

「黙れよ――」

「ほれ、かかって来いよ。ムカついてんだろ? 姉の七光りの弟さんよ。いいとこ見せねーと、おねーちゃん泣いちまうかもしれねーしなぁ」

「取り消せテメエっ!」

「はっ! 口先だけの小僧が吼えンじゃねーよ。おねーちゃんの後ろ盾がなけりゃなにもできねーガキが。一丁前に吼えんなよな」

「黙れってんだろがテメエっ!」

 斬りかかる一夏を軽くいなし、ランサーはブレードの柄で白式の肩を殴りつけていた。

「なら力づくで黙らせてみろ――ガキがッ!」

 直情的な動き。無駄があり、杜撰な運び。

 誰が見ても、今の一夏は冷静さに欠けた戦い方だった。繰り返す『瞬時加速』による奇襲も効く筈がない。

 逆に隙を衝かれ、踏み込まれたランサーの斬撃をなんとか受け止めるが――

「甘ェよ」

 再三、腹に蹴りを叩き込まれていた。

 拳、斬撃、返しの刀で白式の胴が薙ぎ払われる。

 と――

 僅かに意識が逸れたその隙をランサーは逃さない。

 体重が十分に乗った一撃。

 首を刈り取るかのように疾る蹴りに、一夏は左腕でそれを防ぐ。が、重い蹴りによりバランスが崩れかける。

 よろめく白式を見逃さず、その場でぶんと身を捻るランサーの左の回し蹴りが崩れた相手の首へ叩き込まれていた。

 口腔から息を漏らし、身体を沈ませる一夏へ向き直っていたランサーはブレードを振り下ろす。

 一撃、二撃、三撃――更には腹部を蹴り飛ばされ、間合いを無理矢理離されていた。

 もはや一夏は心身ともにボロボロだった。

 

 

 視界の中、ふらりと動いた一夏を見て――セシリアは眉を寄せる。

「なんですの……あの構え、まさか――あのシールド残量で!?」

「仕掛ける気かアイツ」

 ラウラも気づいたのだろう。一夏が何をしようとしているのかを。

 それに応えるように、一夏が握り締める雪片弐型が刀身を開いていた。

 零落白夜、起動――

 残り僅かのシールド残量を転換しても、絶対無効の一刃は無傷のままのランサーに届くかすらわからない。

 なによりも、発動させた時点でエネルギー切れになるのがオチだ。

 それでも一夏を奮い立たせるのは――

「意地か」

 誰に聴かせるわけでも、千冬はぽつりと呟いていた。

 その言葉の通り、今の一夏を突き動かすのは、もはやただの意地でしかない。

 このまま終わる事など受け入れられない。

 ならば己が勝つには、絶対必殺の一撃にかけるしかない。

(一太刀だけでも、アイツに、一矢報いる事が出来れば)

 それが一夏の覚悟――

 眼に見て、相手の気迫が篭るのがわかった。

 この一撃にかけるという執念。

 しかし、ランサーは鼻で笑う。相手の双眸に僅かに見えた迷いの色。

 覚悟を決めたつもりのクセに、ただ一色に染まる事も出来ず、微かな雑念を含んだ相手の自己満足が気に入らなかった。

 背部大型スラスターにエネルギーを集中させ――一夏が翔ける。

 瞬く間に射程圏内へ収めた打鉄に対し、彼は確信しただろう。

 とった――

 動こうともせず、一夏から見れば、すかした面をしたランサーへ振り下ろされた一撃。

 例え当たろうとも倒せるかどうかはわからない。ただ当てればそれでいいと念じた、やぶれかぶれの一刀。

 彼は気がついていただろうか? その相手がにやりと笑っていた事に。

 故に――

 ランサーは、そんな生半可な一撃に当たるつもりは毛頭なかった。

「――――」

 耳障りな風斬音を上げた一閃の軌道上に、打鉄の姿はない。

 振り下ろした空間には白式のみ。

 ハイパーセンサーが捕捉することも出来ない間に、ランサーは20メートルほどの距離を瞬く間に移動していた。

「なっ――」

 気が付いたときには全てが終わっていた。

 一夏の胸元に疾る衝撃。

 投擲されたブレードの柄尻を食らい、白式のエネルギー残量をゼロにする。

 最後はあっけない幕切れのまま、一夏は敗北していた。

 

 

 シールド残量ゼロ――

 何も出来ず、一方的に打ちのめされた現実に、一夏は己の無力さに苛立つ気持ちを抑えられなかった。

「クソっ――」

 悔しさに口汚く言葉を吐くと、眼の前にランサーがいた事に気が付いた。

 此方を嘲笑いにでも来たのだろう、観念したかのように彼は顔を上げ相手へ視線を向けていた。

 その眼差しには、好き勝手に言えよ、と自嘲めいた諦めが含まれている。

 だが、次にランサーが口にした言葉は一夏が想像していなかったものだった。

「悪かったな」

「――なに?」

 予想外の言葉に、思わずそう訊き返す。

 今一度、ランサーは同じ言葉を口にしていた。

「悪かった。篠ノ之の嬢ちゃんと、さっきのお前のねーちゃんの事だ。口にした以上、許せとは言わねェが、謝罪はするさ。すまなかった」

「…………」

「言い過ぎたかもしれねェが、こうでもしねーと、お前は俺の話を聴かねェからな。無理矢理やったまでだ」

「……なんだよそれ」

「当然納得もしねーだろ? ムカつく事もあんだろう。俺が気に入らねェならそれでもいいさ。ただな、他のヤツには当たんじゃねーぞ。それに、言いたい事があるならこそこそすんな。面と向かって言いやがれ」

 話はそれだけだと残し、面倒くさそうにランサーは背を向ける。

 降下しようとして――機体を停止させると、振り返りはせずに一夏へ声をかけていた。

「聴かせてくれや。俺相手に何ひとつ手も足も出なかったお前は、今、どう思ってやがる?」

「どう思う?」

 勝手な事を言い、更には嫌な事を訊く奴だと一夏は眉を寄せていた。だが、眼の前の相手に対して思わない事が無い筈がない。

「……ムカつくさ。お前にも、俺自身にも。ただ、それよりも一番感じさせられるのは、悔しいって事だ」

「悔しい、か? その原因は何だかわかってんのか?」

 そんな事は言われるまでも無い。自身の無力さだ。

「お前に言われなくてもわかってるさ。俺が、弱いから……」

「ああそうだ。何だ、良くわかってんじゃねーか。なら簡単だぞ、小僧? 護るんなら強くなれや。弱ェ今のお前如きじゃ、誰ひとり護れやしねーぞ? 寧ろ、お前が護られてんだからなぁ?」

「うるせえよ!」

 一際強い怒声。

 首だけで振り返り、ランサーは一夏を見上げる。

 此方を睨んでいる表情に変わりは無いが、ランサーが着眼したのは一夏の瞳。

 少年の双眸には確かな意志を宿している。どうやら腐りはしていないようだ。

(なんだよ。イイ面構えもできんじゃねぇか)

 何も知らないガキだと思っていたのは俺の早計だったな、とランサーは胸中でぼやいていた。

「はっ、イイ面だ。そー言えんなら、まだまだ大丈夫だな」

「カッコつけやがって……俺、やっぱりお前が嫌いだ」

「ああ、カッコいいぜ俺はよぅ。嫌いで結構だ」

 背を向け、今度こそ降下するランサーに一夏は声を上げていた。

「さっきから勝手な事ばかり言いやがって……勝ち逃げなんかさせねえよ! 次こそ絶対にお前に勝ってやる! 絶対にだ! 箒も千冬姉の事も、這いつく蹲らせて謝らせてやる!」

「いいねぇ。嫌いじゃないぜ、そーいうの。挑まれりゃいつでも受けんぞ」

 ニヤリと口の端を吊り上げ、ランサーはそう応えていた。

 

 

「あー、めんどくせぇ」

 地面へ降り立ち、打鉄を解除したランサーは凝った身体を馴らしていた。

 ガラじゃねーんだよな、こういう事は、と愚痴を漏らしながら、彼は言い寄ってくる生徒たちを軽くあしらっていた。

 何がしたかったんですか、あなたは、とのセイバーの問いかけにもランサーは応えなかった。

 生徒の賛辞を適当に聴き流しながら歩くランサーだが、視界に箒の姿を捉えるとそちらへ向かう。

 箒もまたランサーに歩み寄っていた。言いたいこと、訊きたいことがあるが、口が巧く動かない。

「ランサー、その――」

 それをランサーは感じ取り、手を向け制していた。

「色々お前も言いたい事があんだろうがな、とりあえずだ。まぁ、気にすんなよ。後はどうなるかはわかんねーけどな。悪くなりゃまた別になんかするさ。それに、話は後で聴くからよ」

「あ、ああ……」

 耳元でぼそぼそ呟き、ぽんぽんと箒の肩を軽く叩くと、じゃあなとランサーはその場を後にする。

 視線の先では、士郎がなにやら口喧しく彼を責めている。対してランサーは面倒くさそうに頭を掻き相手にしていない。むしろ邪険にあしらう素振すら見せていた。

 そうこうしているうちにランサーは今度は千冬になにかを懸命に説明し出していた。気づけば彼は他の専用機持ちに囲まれている。皆、いい顔はしていない。

 思わず箒は口元に笑みを浮かべていた。

(後で衛宮には事情を説明しないといけないな)

 と――

 いつの間に歩み寄っていたのか、隣には白式を解除した一夏が立っていた事に気づく。

 思い込んだ表情の幼馴染に声をかけようとしたが、それよりも早く彼は箒に話しかけていた。

「箒、俺は強くなる。とりあえず、あのランサーの奴をぶっ飛ばせるぐらいに強くなってやる……アイツの鼻は絶対にへし折ってやるぞ」

「…………」

 強い意志――

 今なら、あの時箒が何故諦めなかったのかがわかる。自分にも意地がある。あのいけ好かない男の鼻っ柱を挫いてやると一夏は心に誓っての発言だった。

 自分が感じていた昨夜までの一夏の態度とは違う。挙句、彼の口からまさかそんな言葉が出るとは想像もつかなかった。

 そのせいだろう。おかしくて、箒はつい吹き出していた。

 笑われた事に一夏は一瞬唖然とするが、瞬時に――僅かに顔を紅くして反論する。

「な、なんだよ。笑わなくたっていいだろ!?」

「いやすまない。そうではない。そうではないんだ」

 怪訝な顔をする一夏に構わず箒は笑う。

 補足を加えれば、結果的にランサーが行ったのは非常に単純な事だった。

 要は、織斑一夏が持つランサーが行った気に入らない対象を『篠ノ之箒』から『自分自身』へと方向性を変えただけだ。

 簡単に言えば、目標を持たせた上での認識の摩り替え、上書きだ。当然この場合の目標とは、ランサーを叩きのめす事になる。

 案の定、事が済んだ結果がこれだ。ハッキリ言えば、織斑一夏はまだまだ子供だと言うのがわかりえた。良く言えば『単純』、悪く言えば『ガキ』だということだ。

 ランサーとて、話が悪しき方へ進んだとすれば、当然更なる手を考えていたのは言うまでもない。

 当然ではあるが、これはなんの解決にもなっていないのだが。変わるだけには十分だった。

(こんな簡単に変わるのならば、馬鹿みたいにひとりで悩み考えていた私の迷いは、一体なんだったのだろうな……)

 そう胸中で呟き――

 気恥ずかしそうな一夏に対し、詫びながら箒は嬉しそうに笑っていた。



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17

「衛宮、寮の部屋だがな……ようやく教員寮の方に空が出来た。今日からそちらに移れ。部屋割りは、ランサーと一緒だ」

 放課後、唐突に千冬に呼ばれると、士郎は部屋の移動を命じられた。

 放られた鍵――おそらく、これが新しい寮部屋のものなのだろう――を受け取り、特に支障もなかった士郎は、素直に『わかりました』と頷いていた。

 だが、うげ、と声を漏らしたのはランサーだった。

 心底嫌そうな顔をして、彼は言う。

「なにが悲しくて、コイツと一緒にならにゃなんねーんだ」

「決まっている。お前を個室にすると、厄介ごとが出まくるからと衛宮が教えてくれている。こちらとしては、当然黙認できん。平気で女生徒を部屋に連れ込まれてもかなわんからな。兄弟仲良く部屋を使え」

「そりゃアレか? 生徒さんじゃなければ、構わねぇってことか? 吊り眼のねーちゃん」

「……学園内の全ての女性に対してだ、と説明されて満足か? 教師に手を出す気かお前は。それと、いい加減にその呼び方をやめろ」

 くだらん事を説明させるな、と千冬はバッサリと切り捨てる。

 対してランサーは、よくも余計な事を言いやがってと士郎を睨むが、向けられた視線を相手は当然無視している。

 そう応えた千冬ではあるが、ランサーならば平気でやりかねんとも危惧している。

 いや、現に教師の何人かにちょっかいをかけているのを知っていたからだ。千冬が知っているだけでも教師は三人。

 榊原菜月、エドワース・フランシィ、それと……山田真耶。

 三人ともランサーとはお茶をする程度の仲ではあるのだが、いずれも嫌がってはおらず、頬を紅めて、満更でもなかったりするのだから手に負えない。特に、榊原菜月に関しては本人がランサーに熱を上げているらしい。

 ちらりと横目で副担任を見てみれば、ひらひらと手を振るランサーに照れた表情を浮かべている。

 溜息ひとつ漏らすと、やれやれと男性陣から視線を外し、次いで千冬はセイバーを見る。

「それとセイバー、お前の部屋もようやく目処がついた。個室ではあるが、同じく教員寮だが我慢しろ」

「ならば――」

「言っておくが!」

 拳を握り嬉々としたセイバーの台詞を遮り、担任教師織斑千冬は、異議を認めぬ強い口調で言葉を重ねていた。

 その眼には、『貴様のくだらない考えはお見通しだ』と滲ませる。

 此方もある意味、ランサーなみに面倒な奴だったという事を思い出しながら――

「衛宮との同室は当然認めん。ランサーとの交換も認めん。わかったな!」

 有無を言わさぬ、織斑千冬裁判長からの一方的な通告。

 その判決に不服そうな被告ふたり。

「へーへー、わかりましたよ」

「くっ……」

 つまらなそうな顔のランサーは口を尖らせ、呻くようにセイバーは頷くしかなかった。

(本当にサーヴァントかこいつらは……)

 変なところが子供っぽい二騎に、士郎は深い溜息を漏らしていた。

「なんだ。またひとり部屋になるのか俺は」

 何気なくぽつりと呟いた一夏。その声に胸中で拳を握るのは三人。箒、シャルロット、セシリアだ。彼女たちにしてみれば、気兼ねなく部屋へ訪れる事が出来ると喜んでのもの。

 ラウラに関しては特に思う事は無かったのだろう。朝に気兼ねなく忍び込めると思うだけかもしれない。現に、一夏と士郎がふたり部屋になって以降も、彼女は早朝一夏のベッドに潜り込んでいた。流石にそれに気づいた士郎は驚きはするが、それが毎日ともなれば驚きは無くなっていく。要するに、慣れてしまっていた。

「人間、慣れると怖いよなぁ」

 果たして、士郎の呟きは誰に対してのものだったか。

 と――

 一夏の声を耳敏く聴き取っていたランサーは、行動早く手を挙げていた。

「おい、一夏の兄ちゃん、俺と部屋交換しねぇか?」

「……アンタ、今、説明されただろ? それと、馴れ馴れしくすんな」 

 舌の根も乾かぬうちに、部屋替えを持ちかけるランサーに一夏は眉を寄せて呆れるしかない。

 当然であり必然、それを目撃したふたりが声を荒げて叫ぶのは同時だった。

『今の今で、何でお前は人の話を聴いていないんだ!?』

 机を叩き立ち上がる士郎と、教卓に出席簿を振り下ろした千冬の声が、一年一組の教室内に響いていた。

 

 

「すまないセシリア、手伝っていただいて」

「構いませんわ、セイバーさん。同郷の者として、これぐらいのこと、お礼を述べられるほどでもございませんわよ」

 そう答えはするが、実際手伝えるものなど何も無かった。

 室内は綺麗に纏まれていた。セシリア自身、千冬とセイバーふたりが使う部屋とはいえ、汚いとは思っていなかった。

 綺麗過ぎるのだ。まるで、毎日毎日部屋を掃除しているかのように。それも隅々まで。

 その事に関して、セシリアはセイバーに『綺麗好きなんですの?』と訊ねたのだが、何故か彼女は言葉を濁すだけできちんとした返答はしなかった。

 首を傾げるセシリアではあったが、特に大した点でもなかったので彼女もそれ以上は追求しなかった。

 セイバーの私物も数えるほどしかない。私服と制服、寝間着、ISに関する教材のみ。化粧品という類を彼女は持っていないのだ。

(同じ年頃の女性らしからぬお部屋ですわね……いくら織斑先生と同室だったとは言え、言い方を悪くしますと、閑散としたものですわ)

 それにしても、とセシリアは室内を見渡していた。

 織斑千冬と同室だったとは言え、時間の差はあるものの、寝食を共にする機会は多かっただろう。よく息が詰まらなかったなと彼女は思う。

 だが、この事に関してセイバーはこう語る。

「千冬と過ごした時間は、色々ありましたが愉しいものです。良ければ一度過ごしてみたらいい」

 この言葉にラウラは是非にと喜び、一夏は勘弁してくれと叫んでいた。

 鈴と箒、シャルロットに関しては身が持たないとセシリアとの同意見だった。

 見るとも無しに室内――普段入る事のない織斑千冬の部屋兼寮長室なのだから、興味は少なからずある――を眺めるセシリア。

 彼女がセイバーの部屋の引越しの手伝いをしているのには理由がある。

 ピットでのあの一件以来、セシリアと士郎の間柄はそのままだ。修繕も悪化もしていない。互いにそれをわかっていながら毎日を接している。

 朝に顔を会わせ、昼を皆とともにし、放課後には別れる。

 唯一変わった事といえば、放課後に士郎とセシリアふたりでの模擬戦は行われなくなった事だ。IS実技での千冬、真耶の指示であれば従うが、それ以外ではふたりがISを交わすことはなかった。

 少なからず、セシリアには、ISに乗る意味を考えさせられていた。考えるといっても士郎の言葉を脳裏に浮かべての程度。

 深く追求するほどではない。ほんの僅かとは言え、気にしていないのかと問われれば、答えは否。

 放課後の一夏たちとの模擬戦時にも言葉が過ぎり思う事はある。だが、雑念にとらわれてISの操作に支障が来たす彼女ではない。思うところはあれど、自身は誇りを持つイギリス代表候補生。眼の前の相手に一切の油断をせずに迎い撃つだけ。

 じっとしているよりは動いていた方が気も紛れる。ISに乗っていれば時間が経つのも忘れるが、彼女とてひとりの人間、年頃の女の子である。

 たまには違う事もしたいと考えるのは決しておかしな事ではない。セイバーの手伝いを買って出たのもそのためだ。

 だがそれは、セシリアに何かしらの考えがあるように、セイバーにもひとつ思うところを持っていた。

 幸いにしてふたりきり。訪ねるには絶好の機会でもあるため、彼女は口を開いていた。

「セシリア」

 名前を呼ばれ――

 気がつけば、セイバーが真っ直ぐに此方を見ていた。相手の声に気づかないほど、自分はぼうっとしていたのだろう。

 少々伺いたいことがあると告げる相手に、なにか、と訊ね返すセシリア。

 セイバーは視線を向けたまま口を開いていた。

「今更言うのもなんですが……セシリア、あなたとシロウの間で何があったのかはわからない」

「…………」

 ストレートに話す方ですわね、とセシリアは胸中で呟きながらも相手の声に耳を傾ける。

「シロウが口にしたもの、どのような是非を論じたのかはわからない。彼の事です。間違った事を口にしてもいるでしょう。ですが、どちらであろうとも、シロウは他人を平気で軽視するような男ではない。どうか、そこはわかっていただきたい」

 それには応えず、セシリアは視線を逸らす。

 無言ではあったが――息をひとつ吐き、セシリアは応えていた。

「随分と、衛宮さんを信頼されてますのね……」

 セシリアの言葉に、セイバーは、はいと応える。

「あなたの思うことに、わたしが口出しする権利はない。だが、これだけは口にさせてほしい。セシリア、何かを悩んでいると言うならば、その悩みはひとりでは背負い込まないでほしい」

「…………」

 沈黙。

 だが、静寂を打ち破ったのは、やはりセシリアだった。セイバーにも訊いておきたい言葉があったからだ。

「セイバーさん……あなたも、わたくしたちがISに乗る事は遊びだと思いますの?」

 その問いかけに、だがセイバーは頭を振る。深い意味は当然彼女はわからない。それだからこそ、今、セイバー自身が思う事を口にしていた。

「セシリア、わたしはその意味を深く捉える事は出来ません。ですが、あなたはあなたの意志で此処に居る。違いますか?」

「……そうですわ」

「偉そうな事は言えませんが、あなたが成し遂げようとする想いであれば、それは決して遊びではないでしょう。少なくとも、わたしはそう思う。それは、胸を張れる事だ」

「…………」

「先も言いましたが、シロウとセシリアの間に何があったかはわからない。それを立ち入って訊いても良いのかはわかりません。わたしが今口にした内容も、的を外れた答えかもしれない。ですがセシリア、これだけはどうか伝えさせてほしい。あなたは、わたしにとって大切な友人だ。悩み迷う姿は見たくない。もし、それがあなたひとりで解決できないものなのであれば、遠慮せず誰かに頼り話すことをお勧めします」

 ひとりで悩む事よりは遥かにいい――

 そう告げてから、セイバーはセシリアの背に向けて頭を垂れる。

「出過ぎた言い方をして申し訳ない」

「いえ、セイバーさんのお心遣い、痛み入りますわ」

 そう答え、くるりと彼女は振り返り――言葉を失う。ここでセシリアはとある事に気がつかされる。

 怒っているのだ。彼女、セイバーが。

 何故――

 もしや今の自分の態度に何か問題が?

 慌ててセシリアは、セイバーに問いかけていた。

「あの……セイバーさん、もしかして怒っていますの?」

「怒っている? おかしな事を言う。わたしが何故、怒るというのですか、セシリア?」

「いや、ですが……」

 現にお顔はおかんむりではございませんか、と叫びかける言葉をなんとか呑み込んでいた

「怒ってなどいませんよ。ただ少々、苛立ちが募るだけです。ええ。何もおかしな事はない。おかしな事はないのです。ええ、ええ、よりにもよって、わたしに頼らず、よもやキャスターに真っ先に話を持ちかけたとは……ええ。私はシロウになど怒っていませんとも。腹立たしい事この上ないだけです」

「それを一般では、怒っていると言うんですのよっ!?」

 聴いてもいないことを口にしているセイバーに対し、セシリアはおろおろとするばかり。

 更には彼女が口にした『キャスター』とはなんだろうかと疑問に思う。家具や台車の底面に取り付けられている移動用部品のことか、アナウンサーのことだろうかと思考する。

 だが、それも時間にすれば僅かな事。

「あ、あの、なにか申し訳ございませんわ……」

 つい思わず謝りの言葉を口にしたセシリアに対し――セイバーの首がぐるんと向けられる。その表情にはニコリとした微笑を浮かべて。

「おやおや、おやおやおやおや……? これはこれは異な事を言いますね、セシリア……あなたが、わたしに謝罪する意味がわからない。どうした事でしょう……わたしには、皆目見当がつきません。申し訳ない」

 正直、笑みを浮かべるセイバーがセシリアは怖かった。

 思わず肩が震えた事を、彼女自身この時ばかりは恥とは思いたくなかった。

「あわわわ……」

「そうですね……思い出したらまた苛立ちが増しました。それにその点に関して私は説明を受けていない。確認も兼ねる意味合いを含めて、シロウとこれから稽古をしましょう……ふふふ、ええ、それは実に名案です。何故にもっと早く思いつかなかったのでしょう……自分自身に呆れてしまいます。そう思いませんか? セシリア?」

「ノ、ノーコメントですわ! は、話を聴く限り、『名案』ではなく『明暗』にしか聴こえませんわー!」

 どうにも話の流れから察するに、衛宮士郎がセイバーに何かをしたのだろう。だが、それが何かは当然セシリアはわからない。眼の前で口元をほころばせた少女が酷く恐ろしかった。

 ただひとつハッキリと理解したものは、これから衛宮士郎の身に不幸が訪れる事が確実だというもの。それと、何故かセシリアにはセイバーが真っ黒く禍々しい鎧を身に纏っているように思えた。当然、実際には鎧など着ていないのだが。

(こ、こちらがわかりませんわー! 衛宮さんは、一体何をしたんですのー!?)

 この場に居ない少年に、セシリアは胸中でそう叫んでいた。

 

 

「えぶしっ――」

 荷造りをしていた士郎は、不意にくしゃみをしていた。

 一際大きな音に、一夏は振り返って声をかける。

「どうした士郎、風邪か?」

「いや、何かとても大切な事を伝え忘れているような気がして」

「? なんだそりゃ?」

 不思議がる相手の声を聴き流しながら、士郎は『はて?』と小首を傾げる。だが、気のせいかと結論付けると荷造りを再開していた。

 一夏から見た士郎の私物は数えるほどの物しかない。制服に私服、寝間着、IS教材程度だ。

 彼は知るはずもあるまい。この男、衛宮士郎がセイバーと同じように必要最低限の私物しか持っていないことを。娯楽品などとは、とんと一切無縁である事が。

 まるで、ボストンバッグ片手で自由気ままにふらりと動ける鈴のような奴だなと一夏は胸中独りごちる。だが、口は別の言葉を吐いていた。

「お前、人生楽しんでるか?」

「? なんだよ藪から棒に」 

 一夏の意味不明な言葉を適当に切り上げ、士郎は荷物を纏めていた。

 

 

「てなわけなの。これが実に面倒くさくて――」

「はあ」

 眼の前のテンションの高い相手についていけず、士郎は紅茶を口にしながら曖昧な返事をしていた。

 やりづらい――

 割り振られた新しい教員寮部屋に荷物を置くと、士郎は夕食までの時間潰しとして、ぶらりと学園内を散策していた。

 途中、相川清香に会うと、ハンドボール部で使うスコアボードが壊れたから直せるかと声をかけられ、ふたつ返事で手早く修理をしていた。

 簡単に直し終えたところへ、今度は布仏本音に暇かと訊ねられ、同じくふたつ返事をしたら腕を掴まれ連れて来られた先が――

(まさかこことは)

 眼の前に座る生徒会長、更識楯無が管理する生徒会室。

 自分を連れ込んだ張本人に視線を向ければ、当の本音は幸せそうにケーキをあむあむと食べている。

「衛宮くん、おかわりはいかが?」

「あ、ごめん。貰えるかな?」

 カップが空になった事に気づいた虚がすぐさま声をかけてくる。

 眼鏡に髪は三つ編み姿の三年生。

 布仏虚――

「いつも妹がお世話になっています。布仏本音の姉で、この生徒会では会計を務めています、布仏虚です」

 簡単に自己紹介する虚は、確かに妹の本音と顔立ちは似ているが、そこはさすが三年生ともあり、お堅い感じのしっかりした女性だ。

 士郎も自己紹介をした際に、虚から本来の学年は同じなのだから普通に呼んでくださいね、とお願いされていた。

「それより驚かされたのは、布仏が生徒会メンバーだとはな」

「あれ? 言ってなかったー? えへへー、生徒会書記の布仏本音は出来る子なのだよー」

 その後ろで何を言ってるのやらと嘆息していた虚は、歩み寄り士郎のカップにお茶を注いでいた。

 丁寧な姿勢が、何処と無くライダーに似てると思わせた。

 何よりも彼女、布仏虚の淹れた紅茶は美味しい。士郎が知る限りでは、ランサーはもとより、アーチャーと互角、もしくは越えているのではと思うほどだ。

「で、士郎くんの役職に関してなんだけれど」

 虚に礼を述べていたところに不意にかけられた楯無の声。

 士郎はその内容に眉を寄せていた。

「待ってくれ更識、俺は生徒会に入るなんて言ってないぞ」

「え?」

「え?」

 しばし無言、だが、先に視線を逸らしたのは楯無だった。

 やれやれと肩を竦めながら。

「仕方がないわよね。ま、いいか。で、士郎くん、第二書記と第二会計、どっちがいい? それなりに希望に添えるようにはするけれど……おねーさんとしては、両方掛け持ちてのが男の子らしくて格好イイと思うんだけれど。あ、副生徒会長のポジションはまだ駄目よ? いきなりはさすがにキツイでしょう? 仕事も少しずつ慣れてからでないとね」

「……お前は、俺の話を聴いてるのか?」

 何食わぬ顔をして、書類に名前を書こうとしている生徒会長に、士郎は慌ててヤメロと制していた。

「おい待てって……だから、こっちの同意なくして話を進めるなよ。勝手に処理するな、馬鹿やめろ」

「馬鹿だなんて、おねーさんは悲しいわ」

「うるさい。とにかく、俺は生徒会に入るかどうかなんて決めてないんだよ」

 えーと声を上げる楯無。じゃあ何で此処に来たのよと責められるが、そんなのは士郎の知った事ではない。

 連れて来たのは布仏本音だ。

 しかし――

「エミヤん、生徒会に入らないのー? たのしいよー?」

 彼女も勝手な事を口にしていた。

「……入らないよ」

「えー、なんでー?」

 何で、と言われても正直困るのが士郎の心境だ。どうして入るということが前提で話が進んでいるのだろうか。

「せっかくお仕事楽出来ると思ったのにー」

「わたしも、楽出来ると思ったのにー」

 本心を漏らし、ぐうたらだらける生徒会長と生徒会書記。

(それが答えか、このふたり……)

 あのな、と言葉を吐く士郎よりも遥かに早く、その表情に怒りを浮かべた虚を見て身なりを正す更識楯無と布仏本音の両二名。

 だが楯無は、ぷくーと頬を膨らませ、いかにも「わたしは怒っています、怒ってますよ。あれ? 怒らせちゃっていいんですか?」と面倒くさそうにアピールしてくる。

 士郎も、極力相手にしたくはないので適当に応えていた。

「なんにせよ、諦めてくれ」

「むー、じゃあ、何処か部活に入らない?」

「部活?」

 気楽に言う楯無ではあるが、正直、部活に入っている暇などはない。

 士郎の心情に気づく事も無く、彼女は言葉を続けていた。

「前の学校では、何か部活に入っていたの?」

「弓道部だったよ」

 それを聴き、へえと楯無は眼を輝かせる。『だった』という言葉を聴き逃さなかった事と、弓という返答に意外だと感じたのが一番の本心だ。剣道か何かをやっていたのかと思っていたからだ。

「弓道部なら、ここにもあるわよ。良かったらどう?」

「……俺さ、弓道部は辞めたんだよ」

 辞めた、という響きに一瞬楯無の表情に陰りが浮かぶ。

「……訊いてもいい? どうして辞めちゃったの?」

 大した事じゃないさと告げると、士郎は自分の肩に手を添えていた。

「怪我してさ、それで辞めたんだ」

 だから、弓道はもうしてないんだと告げる。

「あの、ごめんなさい。無神経な事訊いて……」

「なんでさ。言ったろ? 別に大した事ないぞ」

 人のプライベートに立ち入ったと思ったのだろう。先までの態度とは違い、何処か申し訳無さそうな顔の楯無。

 普段はおふざけが過ぎる彼女でも、こんな切なそうな顔をするのかと士郎は感じていた。

 ゆっくりと口が開かれ、言葉が紡がれた。

「ごめんなさい……お詫びに、生徒会に入らない?」

「なんでさ……馬鹿か、お前は」

 前言撤回。

 この子はやはり駄目な子だった。

「ヒドイわ! また馬鹿って言った! わたしに平気で馬鹿って言うのは、士郎くんぐらいよ! 責任とって! 生徒会入って!」

「そう言うことを口にされても仕方がない相手に、なんて言えばいいんだよ……馬鹿だろう?」

 三連続もヒドイわーと泣き崩れる楯無。当然涙など出ている筈がない。

 虚も扱いに慣れているのだろう。全く相手にしていない。

「お嬢さま、無理強いはいけませんよ?」

「むー」

 虚に窘められた彼女は嘘泣きも意味がないと悟ったのか、それ以上は言ってこなかった。

 どうやら生徒会長様は、生徒会会計の布仏虚には頭が上がらないようだ。

 意外な弱点を眼にしながら、士郎は二杯目の紅茶に口をつけながら楯無へ視線を向けていた。

「それにさ、なんでそんなに、俺なんかに拘るのさ」

「んー」

 そこで楯無は身体を向き直す。ふざけた表情はせず、至極真面目な顔だ。

 彼女自身、衛宮士郎に興味を持つのはその正体。男性でISを動かせる二番目の操縦者、ならびに何かを隠している身なり振る舞い。

 だが、今はそれ以上に思う事がある。それを彼女は口にしていた。

 扇子の柄尻で、とんとんと机上を叩きながら。

「なんて言うのかしら……士郎くん、この学園に入っても、どこか楽しそうには感じないのよね。なんだか距離を置いてるような、壁を作ってるような……ああ、わたしを警戒してるってのとはちがうわよ。それとは別箇。そんな感じかしらね」

「…………」

「おねーさんとしては哀しいわ。学園生徒会長としては、皆に楽しんでもらいたいわけよ。当然、その中のひとりに、士郎くんも入ってるの」

 なるほど。全生徒の事を考えているとは、すべからく立派な志だ、と士郎は思う。

 その顔に貼り付けている三日月の口さえなければな、と胸中で付け足しながら。

 冗談はさておき、として楯無は手持ち無沙汰に扇子を弄る。

「それに、生徒会に入ってほしいってのは本当の話。そりゃ、楽ができるかなーとは思うわよ。士郎くんて、要領良さそうだし。誰でもいいってワケじゃない。人材が不足して困ってるのもあるけれど……ただ、そんなものは置いといて、士郎くんがいれば、なんていうのかしら、楽しそうじゃない」

「…………」

 にかりと、本心から笑う楯無の表情は、見ていて気持ちがいいのは否めなかった。

 生徒会の手伝いなど、穂群原学園の生徒会長、柳洞一成の元で手馴れていたものだ。

 ここで士郎の悪い癖が出る。彼は、他人から頼まれたことに対して基本的に嫌と言わない。言えないのではなく、言わない。

 千冬に相手にするなと忠告されていた事を忘れているわけでもない。

 故に――

「入る事はできないけれど、別に手伝うのは構わないぞ」

 なんて、あっさりとそう応えていたのだから。

 言い方を変えれば、『困っているのならば協力するぞ』と口にしているものだ。

 これは頭の回転がいい楯無に取っては、如何様にも取れる言葉になる。

 案の定、彼女の表情には悪い笑みが張り付いていた。

「ふうん……困っているなら助けてくれるのね?」

 その話し方は、男に二言はないわねと言質を取るためのもの。

 にたりと笑みを浮かべ、双眸には『誤魔化し無しよ』と物語る。

 だが――

「ああ。俺でよければ手伝うぞ」

 自身の発言を撤回するでもなく、弁明するわけでもなく、何の躊躇も煮え切らなさも一切見せず、士郎はただその一言を返すだけ。

「…………」

 さすがに楯無は拍子抜けしていた。これが一夏であれば、面白いようにからかえるのだが。

 眼の前の男子生徒、衛宮士郎は何処か違う気がした。それが何かはわからない。

 ただ、自らを省みないその態度は、楯無の胸のうちの泉にひとつの雫を落とすに十分だった。僅かな波紋は揺らぎ広がる。

「わたしが言うのもなんだけれど、あなた変わってるわね」

「そうか?」

「それが悪いとは言わないけれど、おねーさんからの忠告。そんな事だと、都合よく利用されちゃうわよ?」

「なんだそれ」

「ふふ、なんにせよ、困った時はよろしくね、士郎くん」

「ああ」

 微笑を浮かべる楯無に士郎はこくりと頷いていた。 

 横では、わーいと喜ぶ本音と、理由はどうあれ協力してくれる事に笑みを浮かべている虚。

 和気藹々とした生徒会室。

 ではあるが――

 生徒会室を後にしてから数分後、彼はセイバーに拘束される。

 有無を言わされぬまま剣道場へ運び込まれ――

 そこで、一方的な稽古と称する暴行を受ける事になるのだが、今の彼は当然知るよしもなかった。



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幕間3 篠ノ之束

今回は皆大好き束さんだよー。
なお、いつもよりかなり短いです。


 かりかりと、部屋に無機質な音が響く。

 素人が見た限り、何に使われるのかは理解し難い機械の備品が至るところに散りばめられ、蛇のように様々なコード、ケーブルが縦横無尽に這い回る異様な空間。

 金属の床には、同じように何かの金属機材が無造作に放置されていた。意味があってそこに置かれているものもあれば、本当に意味もなく散らばっている金属片もある。

 音のする箇所を見れば、そこにはリスがいた。ただのリスではない。銀色の機械仕掛けのリスが床に転がっているボルトを音を立てて齧っていた。

 一目でこれがまともな生物ではない事がわかる。

 木の実のように齧るリスがその動作をやめて一点を見つめる――が、直ぐにボルトに歯を立て、かりかりと分解し構成素材を吸収していく。

 椅子に座るひとりの女性。青と白のワンピース、頭には機械のウサギ耳。

 暗闇の中、僅かな明かりだけが周囲を照らす。

 明かりの源になる空中投影されたディスプレイは七枚。表示されたデータに眼を通し、同じように空中投影のキーボードを叩くのは篠ノ之束。

 無言のまま――黙々と、彼女は素早く指を滑らせる。

 その表情は普段の彼女とは全く違う。いつもであれば、鼻唄まじりにキーボードを叩き、にへらと笑い楽しみながら作業をしている。

 だが、今の彼女は機嫌が悪かった。

 寝不足、不健康に淀んだ眼はさらに酷くなっていた。必要であるはずの睡眠はもはや無用になっているほどに。

「…………」

 おもしろくない――

 自他共に認める『天才』科学者、篠ノ之束。彼女の胸中は、その一言で埋め尽くされていた。

 突如として現れた、男の身でありながらISを動かせる二番目の適正者、衛宮士郎のせいで、インパクトが薄れ、織斑一夏が目立たなくなりかけている。

 世界で唯一の男性操縦者として注目されていたのに――その彼の隣に立てるように、最愛の妹のためにと手を尽くしたのに。それがほんの僅かではあるが徐々に崩されてきている。

 おもしろくない――

 次いで、そこにさらに束に追い撃ちをかける事態が起こる。三人目の男性適正者、ランサーの登場だ。

 彼女が独自に調べわかり得た限りでは、身体能力は織斑一夏、衛宮士郎を遥かに越えている。

 IS技術、操作も群を抜いており、各国専用機持ちたちを凌駕してもいる。

 束にとって、取るに足らない各国の候補者のレベルを上回っていようが下回っていようが、些細な事であり関係なかった。

 唯一彼女を腹立たせ、気分を害させたのは、束自身が造り上げた絶対な存在、確信を持っていたハイエンドならびにオーバースペック、箒のために与えた最新鋭機、最高傑作、第四世代型IS『紅椿』を圧倒した事。それもたかが一訓練機如きが、だ。

 挙句、もうひとりの名も知らない、知る気もない金髪の女生徒にまで同等の実力を見せつけられたことが余計に苛立たせた。

 ありえない。

 だが、そのありえないことが平気で起きている。

 手にしたデータも直視できなかった。これは一体何の冗談だろうと、天才博士、篠ノ之束はデータが示す『事実』を笑いさえもした。

 天才の自分に理解できないはずが無い。

 にも拘らず―― 

 十全であり、完璧なはずの自分にわからない事が起きている。

 偶々ISの操縦技術がすごかった?

 馬鹿な。ありえない。自分が造る物は完璧であり十全でなければならない。型落ちの第二世代型訓練機に遅れを取るものなど造っていない。 

 聴けば、各国がこの第二、第三男性操縦者に接触しようとしているという情報も耳にする。正式な表立っての行動ではなく、あくまでも水面下での他国同士の牽制を兼ねてのものだろう。中には専用機を提供して引き込もうと画策する国があるのも知っている。

 だがそれらは、表立ったものであろうがなかろうが、束にとっては不快な話であり迷惑な事でしかない。

 そんな事をされては、ますます織斑一夏の立つ瀬が無くなる。衛宮士郎、ランサーの登場で存在が薄くなる。

 世界で初めてISを動かせる男性として見られていたのに。

 このままでは、IS世界大会『モンド・グロッソ』第一回総合優勝者、織斑千冬の『弟』程度としか見られなくなる。

「…………」

 おもしろくない。

 どいつもこいつもわたしの邪魔をする――

 親友の織斑千冬も自分の意見に賛同してくれないのがつまらなかった。

 どうしてちーちゃんはわかってくれないのだろう――

 知らずに束は、その瞳に怒りの炎を灯しながらディスプレイを睨みつけていた。

「…………」

 無言のまま、彼女はふうと一息つく。

 でも、まあいい。

 展開していた七枚のうち二枚のディスプレイを閉じ、キーボードを叩いていた指が止まる。

 がたりと椅子から立ち上がり――

(もうすぐだから……)

 胸中で静かにぽつりと呟き、そこで束は振り返る。

 ああ、もうすぐだ。

 背後に並ぶ、自身が手がけた幾機もの無人稼働IS。

 己のみが持っているISの無人化技術。

 物言わず居並ぶ、女性的なシルエットのゴーレムたちに、束は満足そうな視線を向ける。

 自身は気がついているのかいないのか、歪んだ狂気に心躍らせ――

 悪意を含んだ無邪気な笑みを浮かべながら。

「もうすぐだからね」

 もうすぐだから――

 邪魔なモノは片づけないと。要らないモノは壊さないと。目障りなモノは潰さないと。

 そのためには、面倒ではあるが自分が手を下さないといけない。

 箒ちゃんといっくんと、ちーちゃんと楽しく遊べないものね――

 早く準備をしないといけない。早く造り終えないといけない。

 逸る気持ちを抑えながら。

 大丈夫だよ、箒ちゃん、もっともっと強くしてあげるから――

 自分の用意した完璧な舞台に、呼んでもいない不要な役者などいらない。

 主役を食おうとする脇役など、早々にご退場願わなければならない。

 例えその方法が、どのような手段を用いても……だ。

「もうすぐだからね、箒ちゃん……」

 はやく、はやく遊ぼうね――

 忙しい。コアの製造も急がねばならない。

 暗闇の中を蠢くリスたちは、対照に輝く明かりに照らされた主を見るともなしに、ただ黙々と、かりかりと静かに音を立ててボルトを齧るだけ。

 愛しい妹の名前を呟き、含んだ笑いがかすかに秘密ラボに響いていた。



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18

 昼休みに立ち寄った保健室では、キャスターは紅茶を片手に珍しく本を読んでいた。

 読み耽る書籍は、IS起動ルールブック。知識を得ている今のキャスターには無用の代物にしか思えなかったが、士郎の視線の意味に気づいたのだろう。彼女は然したる興味も持たずに、ただの暇つぶしよ、としか応えなかった。

 そういうものかと士郎も適当に捉え、今日はボトルシップは作っていないんだなと室内に視線を巡らせていた。が、直ぐにその考えは訂正させられる事になる。前に作っていたボトルシップは既に組み立てが終わっていたのだろう。棚に飾られていた。

(早いモンだな……)

 ついこの間、作り始めていたばかりだったのにもう完成しているのを見て、余程手先が器用なのか、余程暇だったのか判断に迷うところであろう。 

 まぁ、そんな事はどうでもいいと思考を切り替え、椅子に座ると士郎は持っていた差し入れを渡していた。

 読んでいた本を閉じ、キャスターはテーブルに置かれた紙箱を素直に受け取っていた。中身を見て――さまざまな種類のケーキとプリンに彼女は眉を寄せ、少しばかり困惑する。

 それら全てが買ったものではなく、眼の前の少年による手作りだというのが容易に知れた。

「美味しそうね……坊やが作るのは、何と言うか流石ね……女として、打ちひしがれるわ……」

「そうか? 単に趣味の延長みたいなモンだけれど……」

「お菓子まで平気で作れるのを趣味の延長って……」

「良かったら今度教えるぞ? 料理の腕だって上がってるんだから。キャスターだったらお菓子ぐらい簡単に作れると思うし」

 その言葉にキャスターは意外そうな顔をする。

「そ、そうかしら?」

「おう。前に桜だって言ってたぞ。キャスターさん頑張ってるって。葛木先生だって、キャスターが作った弁当食べて美味しいって言ってたって藤ねえから聴くし」

「そ、宗一郎さまがっ!?」

 その言葉を聴き、キャスターの頬が瞬く間に赤みを帯びる。

 天にも昇るとはこの事か、涎を垂らして愉悦に浸るキャスターの顔は、正直言ってだらしがなかった。

 自分が作る菓子類を、美味い美味いと口にしながら食す宗一郎を妄想しながら――

「うえへへへ、宗一郎さまが……宗一郎さまが……」

「おい、涎、涎……ま、それは置いといて、最近、布仏も頻繁に来るんだって? 良ければアイツにもやってくれよ。そのために多く作ったんだから」

 若干引いている士郎の声。

 おっといけないと口元を白衣でごしごしと拭いながら――みっともないぞと士郎に指摘されるが無視――彼女は頷く。

「わかったわよ。本音さんが来たら渡しておくわ。それと、真面目な話。坊やに伝えておくことがあるわ」

 緩んだ表情を戻し、サーヴァントの『貌』になるキャスターが少年へ向き直っていた。

 変化した相手の雰囲気を感じ、士郎もなんだと身を正す。 

「今のところ、此方の魔術基点を『わたし』を軸として発信をしているわ。此方の信号に相手が気づいてくれれば、そこから干渉して繋げる事が出来るの」

「…………」

 召喚されてからキャスターなりに調べはしたが、大気にマナは感じられるが、霊脈は感じられなかった。もしかして、場所が悪かったかと首を傾げはしたのだが。

「だけど坊や、これだけは覚悟しておいてちょうだい。思った以上に、わたしの能力に制限がかかっている。あちらに気づいてもらう必要があるの。あんなに偉そうに言って申し訳ないけれど、元の世界に戻るには、わたしだけでは力不足ね……わたしの力では今はこれが限界なの。無論、引き続き他の手も考えるし、何とかするようにはしてみるけれど」

 制限がかかっているのは、やはり三騎と契約しているからなのだろう。ただでさえ自分は魔力不足の身なのだから。

 時間がかかり悪いわねとキャスターは言う。

「そんなことはないぞ。キャスターには感謝してるんだ」

「桜さんが気づいてくれる事を願うしかないわね。互いの魔力反応さえ捉えられれば問題は解決するわ。こちらからもこじ開けて、ゲートを作れれば」

 後はそうねと一言漏らし、少々忌々しそうにキャスターはその美貌を歪めていた。

「宝石翁の弟子……野蛮な猿のお嬢さんの家系に伝わる平行魔法があれば、なお効率がいいのだけれど」

「……平行魔法かぁ」

「ええ。極端な話、時空をこじ開けてもらえれば楽なんだけれど、それにまぁ問題はあるのだけれど」

「えらい簡単な例えだな」

 第二魔法「並行世界の運営」――

 その言葉を聴いて、士郎はもうひとつ教えられていたものも思い出していた。

 キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ――

 現存する魔法使いのひとりであり、第二魔法の使い手。

 士郎は良くは知らないが、前に遠坂凛が得意になって話していたのを覚えている。遠坂家にとってはその系統を受け継ぐ大師父にあたる人と説明を受けていた。

 時間旅行、記録の改竄、事象の改変などもこの魔法に含まれるとかなんとかかんとか……

 とにかく、まあ、なんだかスゴイらしい。

 整理し、士郎は今一度自分たちの置かれた状況を考える。

 ひとつ、キャスターの力を以ってしても、この世界を抜ける事は出来ないらしい。

 ふたつ、キャスターの魔力反応を桜ないし凛たちに察してもらわねばならない。そこから互いに干渉させる手がある事。

 みっつ、未熟な自分と契約しているため、セイバーはもとよりランサー、キャスターも十分な力は発揮出来ていない。

 大まかに分けて三点を彼は改めて認識していた。

「こちらから手出しが出来ない以上はどうする事も出来ないけれど。それと坊や」

 言って、キャスターは白衣のポケットから取り出していた物を士郎に手渡していた。

 受け取る掌にあるのは、それは宝石のように煌めきを持つ、血のように紅い石だった。親指ほどの大きさの石、数は五個。

「なんだ? コレ」

 口で呟きながら視線をキャスターへと向ける。

 魔女は苦笑を浮かべながら応えていた。

「前に言ったでしょう? 魔力を篭めたもの。宝石魔術と思ってちょうだい。少しでも坊やの魔力不足を補うものよ。使い方は後で説明するわ」

「わかった。サンキュー」

「まあ、念には念を。あくまでも仮のものよ。それに、そんなものを使うようにならない事を祈ってるわ」

「ああ。でもさ、聖杯戦争の時はこんな風になるとは思いもしなかったけれど、アンタたちだってサーヴァント同士、仲良く出来るモンなんだな」

 気楽に笑う士郎に対し……だがキャスターはその表情は一変し、嘲りが浮かんでいた。

 何を馬鹿な事をと漏らす魔女に、士郎は瞬時に眉を寄せていた。自分を助けてくれている事に相反すると彼なりに捉えたからだ。どうでもよければ手など貸してくれないはずだ。令呪の束縛があるとはいえ、抵抗する気であればいくらでも抵抗は出来る。

「なんでさ。ランサーもキャスターも、こうして俺を助けてくれるだろ?」

「……わからない子ね」

 はあとキャスターは溜息をつく。

「坊や。あなたはやっぱり甘いわね。いい? わたしたちは別に仲良くしているわけではないの。それに、決して仲良くする気はないのよ。わたしたちはサーヴァントである以上、お互いは敵同士なのよ?」

「む……」

「此方としては挑まれない限り何もする気はないわよ。わたしからも手を出すつもりはないけれど。恐らくランサーもそうでしょうね。あんな態度をとってはいようとも、敵は敵と捉えているハズよ。挑まれさえすれば、あの狗はすぐに牙を剥く。坊やのように気心を許した覚えはないわ。セイバーだってそうよ。わたしを良くは思っていないでしょう?」

「それは、そうだけれど……」

 キャスターの指摘に士郎は返答に困っていた。確かにその通りではある。

「それに坊や、わたしがあなたにした事、忘れたわけじゃあないでしょう?」

「…………」

「いい? わたしは、あなたのために手を貸しているわけではないの。わたしは、桜さんに頼まれたから手を貸しているだけよ。それに、本来のわたしのマスターは宗一郎さま唯ひとりよ。そこを間違えない事ね」

 迂闊に信用するな、気を抜くな、とキャスターは告げる。

 だが士郎は、それでも自分が思う事を口にしていた。

「でも、それでも俺はキャスターには感謝してるんだ。そりゃ色々あったのは確かだけれど、こうして助けてくれるんだから」

「坊や、あなたね……」

 わかっていない相手に睨み付けるキャスターだが、士郎はぶんぶんと頭を振る。

「いいんだ。キャスターもランサーも思惑はあるだろうけれど……あの時言ったように、それでも俺はふたりに感謝してる。いろいろあったのは確かだけれど、こうして手を貸してくれているのも確かなことだろう?」

 それでいいじゃないかと彼は言う。 

「…………」

 キャスターは無言にならざるを得なかった。ここまで馬鹿な子だとは思いもよらぬところだろう。

 ついで、彼女の口からは嘆息が漏れていた。

 本当に甘い子だと再認識させられてしまっていた。これ以上何を言っても聴きはしないだろう。

「……まぁいいわ。これ以上は無駄のようね」

 諦めたのか、キャスターは立ち上がる。次いで、彼女は思い出しように士郎に問いかけていた。眼の前の少年を考えて、わざと話題を変えるために。

「で、そのセイバーとランサーは最近はどう?」

 普段から顔を会わせる士郎とは違い、キャスターは基本、魔術で調べている事と、趣味も兼ねて引きこもりが大体だ。他の二騎の動向を把握しているわけではない。

 唯一知る手段は、遊びに来た布仏本音から『そういえば今日、ランランがねー』『アルるんがねー』と話を聴くぐらいでしかない。

「時間がある時は稽古してるよ。もっぱら篠ノ之たちと剣道場だよ。最近は一夏もかな」

「ああ、いつもの事ね。飽きもせずにご苦労なことだわ」

 それ以上は興味が無いとし、キャスターは話を続けていた。

「とりあえず、今現在坊やに伝えておく事はそれだけ。後は、坊やのISの方ね。放課後にでも仕上げましょうか」

「わかった。なら授業が終わったら第二整備室に行くよ」

「ええ。こちらも人払いの用意はしておくわ。じゃ、放課後にまたね、坊や」

「ああ」

 言って、士郎はキャスターと別れていた。

 キャスター自身も気がついているのかいないのか、士郎に手を貸そうとしているその思考が、果たして己の本心からなのかは理解していなかった。

 

 

 放課後になり、第二整備室に脚を運んだキャスターは、そこでISを弄っている士郎に声をかけていた。

 ISスーツ姿で所々が汚れているのも気にせず、作業に没頭していた彼はキャスターの存在にようやく気づき視線を向けていた。

「思ったよりも出来ているものね」

「よく言うな……殆どキャスターのおかげだろ」

 じと眼で睨む士郎に対し、キャスターは気にした素振りも見せず妖艶に笑うだけ。

 彼女の眼の前には赤銅色のISが立っている。

 士郎が弄っているISの正体は他ならない学園の訓練機だ。それに手を加えていただけのもの。

「何を言ってるの。造ったのは坊やよ。私はただサポートしただけ」

 腕を組み、キャスターも機体に見入る。本当によくやる子だわと彼女は思う。

 額の汗を拭い、スパナ片手に肩をとんとんと叩きながら士郎は機体の背面を覗き込んでいた。

「外装はこんなもんだと思うけれど、中身はさっぱりだからなぁ……一度余計な事して外したから、推進力の調整とかはまだだけどな。こっちの方は全然わからないし……」

 彼が弄ったのはあくまでも外部装甲のみ。必要に応じたパーツを新造し装着させていくだけ。

 IS本来の推進ユニットコントロールシステムの最適化と効率化、エネルギーバイパスシステム、シールドバリア制御システムの調整などは一切手をつけていない。

 それらの類は士郎には全くわからないからだ。

 マニュアルを参照しながらシールドエネルギーを調整してみたが、やはり良く分からない。下手に弄って爆発されても困るし、壊れたらそれこそどうしていいかわからないからな、と彼は言う。

 使用したさまざまな機材、小型発電機を片付け、士郎は肩部ユニットのシールドはどうしようかと考えていた。

「出力制御と特性把握のデータも必要ね。そこはわたしも手伝うとして……あとはそうね。本音さんにもお願いしようかしら」

「本音? なんでさ」

 顎に手をあて思案するキャスターの口から聴こえた名前に士郎は首を傾げていた。

 何故にここに布仏本音の名前が出てくるのだろうか。

 不思議そうな顔をする士郎を見て、キャスターは呆れたような視線を向けていた。

「坊や、知らないの? 本音さんは機体整備の技術に関してはすごいのよ。一年生にしては確かな腕よ」

「……マジで?」

「……坊や、あなた彼女をどういう風に見ているの? いつも眠たそうな顔をして、動きが遅く、お菓子好きな女の子……としか見ていないのではなくて?」

 その指摘に士郎は心の底から驚いていた。まさに自分が思っていた事をキャスターが口にしていたからだ。

「違うのか?」

「違うわよ」

 そういう眼で彼女を見ていたのねとキャスターは再度呆れながら溜息をついていた。

 そんな事を言われてもと士郎は参ったなと頭を掻いていた。現にそうとしか見えないのだから。

 赤銅色のIS――外部の装甲は、全て士郎の投影でのものだ。

 唯一、やはりコアは投影できなかった。

 それ以外の外部装甲は士郎なりに考えてのもの。機動性に優れたデザインだ。

 これといった特徴がなく、他のISと比べてあまりにもシャープすぎるだけの機体。

 白式のような多機能武装腕もない。

 紅椿のような展開装甲があるはずもない。

 甲龍のように肩部と腕部が武装されているわけでもない。

 ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡの「ガーデン・カーテン」のような防御に秀でるわけでもない。

 シュヴァルツェア・レーゲンや、ブルー・ティアーズのような遠距離武装に特化した砲身も一切ない。

 内臓火器も外装兵器も何もない。士郎にとっては不要だからだ。

 と――

「見事なものだな」

 整備室に響いた凛とした声に士郎は振り返る。キャスターはわかっていたのだろう。彼女は視線を向けもしなかった。

 第二整備室に現れた千冬は、士郎の横に立つ赤銅の機体に見入っていた。

 話半分で聴いていたものはあったが、本当に造るとは思わなかった。

 それと同時にこれでいいのかと確認の意味合いも兼ねて彼女は訊ねていた。

「しかし、本当にいいのか? お前には専用機のオファーが来ているんだぞ? 何も訓練機を使う事もあるまい。お前さえ良ければ、話を聴く手配はするが」

 千冬の提案に、だが士郎は小さく首を左右に振る。

 専用機の話は本来俺には関係のないもの。イレギュラーの自分よりも、それは、もっと受け取る資格のある他の生徒たちに勧めてほしいと断っていた。

 実際に、各国関係者が士郎へ接触する話は多い。中には国家だけではない。企業、組織、機関からも申し込みがある。良い話ではないものも多々ある。前に楯無との話で出たように、拘束し研究機関へ引き渡せと協力を示唆するものもあった。

 政府の名を出された打診すら、千冬と真耶は頑なに拒否していた。

 どんな事であろうとも、彼女たちは人体実験の類は一切認めなかった。それは士郎を人間扱いせずに、束のように解明のための一材料、モルモットとしか見ていない連中が気に入らなかったからだ。

 なによりも約束したように、彼女らは士郎に害となるものは全て独断で対処している。

 とは言え、政府関係者も一度断られただけで大人しくしているわけでもない。一部には強硬な手段で理不尽にもIS学園を脅迫してくる輩もいる。だが、それらも千冬と真耶は全て相手にはしていなかった。

 一部暴走した連中の件は士郎自身の耳には入っていない。どんな話であろうとも、千冬が全て停めており情報が届かないように配慮している。

 千冬、真耶以外にこの事に気づいているのはキャスターとランサー、セイバー、それと楯無のみ。

 楯無は知っているだけで一切干渉はしていない。

 ランサーは、自身にも士郎と同じような話が来ていることに気づいているが、当然彼は興味がない。専用機を提供しますとの話も受けるが、ランサーが首を縦に振ることはない。その点に関してはセイバーも同様だ。

 更には、度が過ぎているもの、眼に余るものは流石にキャスターとて大人しくしてはいなかった。何をしたかは彼女は誰にも口外しなかったのだが。一応言っておけば、仮にも士郎に仕えている手前、殺めるような事はしていない。

 訓練機とは言え、IS学園に配備されている貴重な機体に違いはない。だがそれでも士郎に提供を許してくれたのは、一番はデータ収集を兼ねてのものが表立った理由だ。

 学園独自の士郎専用機へ許可する事にデータ収集と名目があれば問題はなかった。

 当初は暗示をかけて強制的に使おうとしたキャスターではあるが、士郎がそれを良しとしなかった。千冬に話をし、無理を通してもらった上でのもの。千冬から学園の事実上の運営責任者、轡木十蔵に話は通してあり十蔵本人からの許可も得ている。

 士郎は知りもしなかったが、当初、千冬はISの私物化にいい顔はしなかった。教師の身でありながら、『予測外事態の対処における実質的な指示』を行使できる彼女にすれば当然の反応といえよう。

 データ収集という名目で、渋々ではあるが許可するに至りはしたが。それでも他に出た障害に関しては、キャスターが都合よく処理してしまっていた。

 それと、半ば脅迫されたものもある。

 職員室で千冬とキャスターがISの使用の件で話をしていた時に、いい返事をもらえない事に面倒くささを感じたキャスターが机に出した幾枚の写真。それが状況に変化をもたらす。

 織斑千冬の写真――

 それも、ただの写真ではなかった。

 ネコミミ姿、ISスーツ姿、学園制服姿、ゴシックロリータ、ウエディングドレス、メイド服、ナース、女医、裸エプロン――

 ありとあらゆるコスチュームを身に纏った、紛れもない織斑千冬が写っている。

「なんだコレは」

 当然、こんなものを撮った覚えがあるはずがない。だが、写っているのは明らかに自分だ。合成などというちゃちなオチではない。

 どの写真もノリノリな自分がいた。恥じらいもなくカメラ目線にVサインをしているものまである。

 種明かしをすれば、暗示をかけて撮ったものだ。勿論、千冬の意識に覚えはない。

 写真を捲れば捲るほど、千冬の指先は震えるばかり。 

 弟の一夏にすら見せた事のない表情でそれらを見入る千冬にキャスターはぼそりと囁く。これが流出したら大変ね、と。

 織斑千冬に熱を上げる生徒たちの手に出回れば、それはそれは大変な事になるだろう。考えたくはないが、二年生の黛薫子の手にでも渡れば事態はさらに厄介な事に悪化する。織斑千冬の意外な素顔と面白おかしく愉快に弄られる事は間違いない。

 生徒によっては万札をはたいても手にしようとする輩が出るだろう。

 千冬が知る限り、ラウラがその写真の存在を知ればまず間違いなく入手しようと躍起になるはずだ。それこそ金に糸目をつけず行動しようとするのが眼に見える。

 こんなもので脅迫する気かと睨みつけてくる相手に――だがキャスターからすれば、いくら『モンド・グロッソ』総合優勝者の織斑千冬であろうとも、それこそたかが一小娘風情としか見ていない。どんなに武術に心得があろうとも、所詮はたかがひとりの人間だ。歯牙にもかけない。

 例えこの脅迫を千冬が呑もうが呑むまいが、キャスターにとっては関係なかった。

 キャスター自身も、こんなものが交渉の役に立てるとは思っていない。では何故提出したのかと問われれば、たんなる趣味、戯れでのもの。

 結果、これがとどめに成ったわけではないが、千冬はISの利用を認めていた。ただその際に、全ての写真ならびにネガを出せと言われたことにキャスターは素直に従っていた。

 奪い取った千冬は直ぐに全て燃やしたという。あら勿体無いと告げるキャスターを睨みつけるが、魔女はけろりとしたまま気にもしていない。再三他にはないか、隠していないかと問い詰められはしたが、キャスターはこればかりは嘘偽りなくすべてを差し出していた。

 後に士郎はこのやり取りを知ることになる。

「これ、えげつない脅迫だよな?」

 呆れるように問いかける士郎に対し、だがキャスターは心外だと顔をする。

 そのまま彼女はハッキリと言いのけていた。

「これは取引よ」

 坊やもまだまだ甘いわね、もっと大人になりなさいな、とさえ言われる始末だ。わかりたくはないが、そういうものかと適当に士郎は流していたのだが。

 そんなことはさておき――

「衛宮、許可したとは言え、使い潰してくれるなよ」

「……はい」

 皮肉を交える千冬に、士郎は申し訳無さそうに応えていた。

 ランサーとセイバーが駆る打鉄は無茶をしすぎる。それは、無理な負荷がかかってのものだ。

 サーヴァントの身体能力にISが追いつけていないのが一番の原因になる。規格外の存在を想定して造られているわけではない。あくまでも、本来の人間が出せる予測されうる限界数値を見越してのもの。想像もつかない――言うなれば人智を遥かに超越したエネルギーを受けたのだから。機体の方が持つはずがない。不具合が出るのは当然だ。

 特にランサーに関しては、先日の白式と模擬戦をした際に打鉄に必要以上の負荷をかけ過ぎていた。

 結果、外部に問題はなかったが、内部には相当のダメージを受ける事になった。

 メンテナンスをした、とある整備科の生徒は悲鳴をあげたという。一体どのように扱えば、これほどまでに動力部を焼きつかせるのか理解できない、一からバラさないと、と。それほどまでに状態は酷かったらしい。

 報告を受けた千冬は頭が痛かった。終始額から指は離れず、一緒に聴いていた真耶もただただ乾いた笑いを漏らすしかなかった。

 幸いにしてコアにはなんの影響もなかったため極端な話破棄されるという事はなかったが、訓練機とは言えこの世界にある数少ない467のコアのうちの一機だ。簡単に壊されてしまっては眼も当てられない。

 ランサーに対し、扱うなとは言わないが、無茶をするなとしか千冬は言えなかった。

 それに対してランサーは悪びれる事もなく『へーい』といつものようにお気楽に返答していただけなのだが。

 士郎にしてみれば、それらを知っているだけに申し訳ない気分になる。肩身が狭い。

 恐縮する相手に千冬は笑みを浮かべていた。

「冗談だ。で? この機体の名はなんと言う?」

 名前――

 それを聴き、思わず士郎はキャスターと顔を見合わせていた。

 そんな事は全く考えていなかった。

 キャスターもその美貌をきょとんとさせている。口をへの字にしている彼女はどこか可愛らしかった。

 そんなふたりに千冬は呆れた表情のまま口を開く。

「なんだ、決めてもいなかったのか?」

「全然、考えてもいませんでしたよ」

 想定外だとばかりにスパナで頭を掻きながら士郎は応える。

 別にそのままでもいいしと考えていたのが本音だ。

 そんな少年の姿を見て――思わず千冬は、話と全く関係ない事に意識が向けられていた。随分とスパナが似合う男だなと、つい感心していた。これほどまでに工具が似合う輩はそういない。

 じっと見入られたことに『なにか?』と首を傾げる士郎だが、千冬はすぐに、なんでもない、気にするなと応えていた。

 やれやれとした表情のまま、千冬は今一度、赤銅のISへ視線を向ける。

 その表情は、かつての自身が共にした愛機を見るかのような眼差しだ。

「……仮にも、お前の機体になるんだ。言うなれば相棒だ。名前ぐらいつけてやれ」

「…………」

 そういうものかと士郎も機体へ視線を向ける。

 真耶から教えられたISの特性を思い出す。

 互いの対話、一緒に過ごした時間、操縦時間に比例して、IS側も操縦者の特性を理解しようとする。

 それによって相互的に理解する。ISは道具ではなく、パートナーと認識しろ、と。

 キャスターも頷き、眼を細めて笑う。

「そうね。坊やの機体になるんだから、好きなように決めなさいな」

「……わかった」

 千冬とキャスターに頷きながら――

 頭のどこかではイメージしていた。故に機体の色もそれに近いのだから。

 キザで皮肉屋、現実主義者――

 何故にその名を思い浮かんだのか、いや、士郎はこれしか思いつかないとその名を呟く。

「アーチャー――」

 苦笑を浮かべながら、彼は赤銅のISを見入っていた。



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19

 士郎たちが第二整備室で機体調整作業をしている頃、夕食を終えた一夏たち一行は剣道場で稽古をしていた。

 何度目かになる試合形式の勝負を終えた箒と一夏は肩で大きく息をする。対して相手をするランサーは息ひとつ乱れてはいない。棍を肩に担ぎ、涼しい顔をして直立したまま。

 ふらふらした足取りで木刀を構えようとした一夏ではあるが――募る疲労により、よろよろと床に尻餅をついていた。呻きながら彼は言う。

「参った……駄目だ。限界だ」

「……わたしもだ」

 息を切らせた箒もまた同様に、その場に腰を下ろしていた。

 ふたりがかりで挑んだとは言え、結果は一方的に倒されただけ。ランサーに軽くあしらわれた自分たちが情けない。

 とは言っても、ランサーを相手にする前に、一夏と箒はセイバーと手合わせをしていたのだが。

 一夏と箒のふたりを交互に稽古をつけていたセイバーではあるが、連戦に連戦を重ね続ければ当然疲れが生じてくる。休憩を申し出た箒に頷き、セイバーは『少々お腹が空きました』と残し、自らも席を外していた。

 休憩もそこそこに、ようやく体力が幾分回復したふたりを見て、次に相手を買って出たのがランサーだった。

「なんだなんだぁ? 夫婦揃って、だらしがねーなぁ」

「だ、誰が夫婦かっ!」

 ランサーの軽口に箒は紅潮した頬へ更に赤みが増し反論する。

 満更でもあるまいにと胸中で漏らしながら――呼吸を整えるのにやっとのふたりを見下ろし――ランサーは棍の柄で軽く肩を叩きながら口を開く。

「まぁ、最初の頃に比べりゃ、ちったぁマシになったがな。とは言っても、一夏の兄ちゃんはまだまだだな。お前はこちらの間合いを意識しすぎだ。俺がわざと間合いを取らせてやってたのに気づいてたか? 馬鹿正直に、嬉々として踏み込むのは止めろ。ほいほいと簡単に誘いにのるな。自分の間合いに持っていったつもりの、その油断が目立つぞ」

「…………」

 ランサーの指摘に一夏は声も無い。

「お前が距離を詰めたつもりでもな、俺がちょいと後ろに下がっちまえば、状況なんざまた変わるんだぜ? それに、俺の得物と握る腕も考えろよ。こっちの間合いなんてのはよ、それこそ自在に変えられるんだからな。でないと、打ちのめされる一方だぜ?」

「……わかった」

 素直に答える一夏に頷き、ランサーの視線は箒へと移っていた。

「篠ノ之の嬢ちゃんは嬢ちゃんで、線と点の切り替えしへの対応が甘い。一度俺のペースに呑まれると何にも出来なくなるだろ? そいつぁ問題だぞ。いいように手玉に取られるからな」

「あ、ああ。気をつける」

 そう返答しはするのだが、どうにも巧くいくわけがない。技量には圧倒的差がある。にも拘らず、箒は相手の指摘を素直に受け入れていた。それは、少しでも今後に生かせることができればと判断してのものである。

 ランサーもそれは理解しているのだろう。

「まぁ、今日明日で完璧に対処できるとは思わねーけどな。基礎には些かの足しにはなんだろ。次に活かせるようにはしとけよ。さてと……」

 視線をふたりから座って傍観していた他の専用機持ちたちへ移し彼。

「お前らも、見てるだけじゃつまんねェだろ? 遊ぼうや」

「……遊ぶ?」

「ゲームでもしますの?」

 ランサーの提案にいまいち話が読めないシャルロットとセシリアが小首を傾げる。

 そうだと応え、ランサーは続ける。

「ああ、ゲームだ。得物無しの俺と、お前ら六人がかりでの組み手ってのはどうだ?」

「ほう、面白そうだ」

 そう声を漏らしたのはラウラだった。

 彼女はすっくと立ち上がり、鋭い隻眼がランサーへと向けられる。

「貴様には、わたしも相手をしてもらいたかったところだ。それで、勝敗はどうつける?」

「そうだな……」

 ラウラの声にランサーは顎に手を当て考えると……いい案を思いついたとばかりに、ニヤリと笑みを浮かべていた。その『貌』は、酷く悪い。

「ルールは、お前らが動けなくなるか、俺を床に叩きつけるか、てのはどうだ?」

『…………』

 一夏たちは各々顔を見合せていた。その表情には不安を浮かべたものではない。

 舐められたものだと受け取ったのは全員だった。いくらランサーとて、徒手で六人を相手にはハンデを与えすぎだと考える。

 結果が見えすぎてつまらないと、半ば呆れた表情を浮かべたラウラは続けていた。

「ふむ……いいだろう。ちなみに、わたしたちが勝てばどうする? 張り合いが無ければつまらんぞ」

 はあ、そういうモンかねとランサーは考え、定番ではあるがと前置きしてから口を開く。

「あー、ならメシでも奢るか? 上限金額はいくらでも。和洋中なんでもござれ。次いでだ。駅前のなんか高ェ甘いモン売ってるトコあんだろ? なんつったか? なんたらクルーズとかいう店の、あそこのデザートも別腹で追加ってなトコでどうだ?」

 他には思いつかんとランサー。

 と――

「乗った!」

 真っ先に声を上げたのは鈴。次いでシャルロットとセシリアも乗り気なのか腰を上げていた。

「一夏と箒がやられっぱなしなのを見てるのも面白くないし」

「ランサーさん、殿方に二言はございませんわよね?」

「ちなみに訊いておくが、お前が勝ったらどうすればいい?」

 一応訊いておいてやるとするラウラの問いかけに、ランサーは嬢ちゃんたちとのデートでいいぜと軽く応える。

「言うだけは、自由だな」

 口元を吊り上げるラウラと同様に、一夏と箒もそれならばと立ち上がっていた。

 素手ならば自分たちにも利はある。

 ボコボコにしてやると各々胸中で呟き、くつくつと悪い笑みを浮かべる六人ではあるが―― 

 しかし、それが甘い考えだったと直ぐに思い知らされることになるのだが、当然のように、この時点では誰ひとりとして気づきも考えもしなかった。

 

 

 床に這い蹲るかのように身体を沈ませ、円を描くかのようにランサーの右脚が疾る。

 簡単に足を払われ、バランスを崩したセシリアの左腕を絡み取ったランサーは捻るように立ち位置を変え、瞬時に床を蹴る。

 入れ替わるように、鈍い音とともに床に背を叩きつけられたセシリアは息を詰まらせていた。

 畳道場とは違い、此処は剣道場だ。緩衝は何もない。これが畳の上であれば、身体を打ち付けたとしても衝撃を吸収する柔軟性があるのだが――

 ダイレクトに伝わる衝撃に肺が空気を欲し激しく咽る。

 痛みにより起き上がる事もできない彼女の視界を過ぎるのは、フランス代表候補生のシャルロットだった。

 一瞬にして次の獲物に飛び掛られたランサーに投げ飛ばされていた。

 何とか受身を取りはしたが、シャルロットもセシリア同様に体力の限界なのだろう。「ごめん」と一言漏らし起き上がる事はなかった。

 左腕を前に出し、相手を牽制する様に腰を落とすランサー。対して、彼を左右から仕留めるように間合いを詰めるラウラと鈴。

 じりと間合いを詰め、油断無く距離を取るふたりに対し、ランサーは眼を笑わせながら微動だにしない。

 床に倒れているのは四人。今し方倒され動かないセシリアとシャルロット。早々に脱落したのは一夏と箒だ。「情けないわね」と鈴の罵声にふたりは面目ないと漏らす事しかできなかった。

 それでもなんとか奮闘してはいるが、各々投げられ叩きつけられた数は当に覚えてはいない。皆が皆、もはや意地で向かっているだけだった。

 刹那――

 仕掛けたのは鈴だった。だんと踏み込み、弾丸のように間合いを詰めるとランサーの左腕を払うように懐に潜り込み、掌底を叩き込む。

 だが手応えは無い。当たる寸前にランサーは後方へ跳び退いていた。

 不発に終わった一撃に歯噛みした鈴だが、そのほんの僅かな油断がいけなかった。

 伸びた腕を飛び退き様のランサーに掴まれ――着地と同時に、真下から捌く右腕の力が加わり背後ヘポイと投げ捨てられる。

「うきゃあぁぁっ!?」

 放物線を描く鈴へ――まるで仔猫のようだなと思いながら――視線を向ける箒と一夏。

 悲鳴を零し、面白いぐらいにポーンと飛ばされ、次いで背後で上がるのは鈍い音。

 適当に投げ飛ばしておきながらランサーは後ろを確認してはいない。視線は残るひとりへ向けられたまま。

 じりと間合いを詰めるラウラに対し、彼は言う。

「腰のナイフは抜くなよ、嬢ちゃん? まー、エモノありってんなら、俺もそれ相応に対処すんぜ?」

「…………」

 ランサーに指摘され、思わず腰に下げたコンバットナイフの柄に伸ばしかけていた指先が止まる。

 ニヤニヤと笑う相手に警告されるまで、ラウラは自分自身でも知らずの内にナイフを抜き掛けていた事に気づかされていた。

 それほどまでに自分は追い込まれていた事を思い知らされる。

 冷静を取り戻したかのように――ラウラは腰のホルスターごと外すと、一夏へと放り投げていた。

「持っていろ、嫁」

「あー」

 適当に力無い返事をしながら受け取る一夏に眼もくれず、腰を落し構えるラウラ。

 つま先を滑らせ、ランサーも構える。

 とんと床を蹴り、疾るのはランサー。予備動作も無く、筋力だけでの一拍の踏み込みに対し、ラウラは咄嗟に掴みかかる腕を逆に取り、身体を捻り投げに入る。

 相手の力をそのまま応用した合気。

 が――

 びくともしない。大木を相手にしたように、ずしりと大地に根が張る樹木のように。

 一瞬気を取られたラウラの身体がぐるりと回り、視界の上下が瞬時に逆になる。

 僅かな浮遊感。

 ランサーに肩を掴み取られ、ぶんと後方へ投げられていた。

「くっ」

 空中で体勢を整え、ラウラは音も無く床に着地する。

「やるねー。さすがにガキとは言え、軍人のお前さんともなると、そう簡単にはいかねーか」

「…………」

「じゃー、こっからは別だ。打撃も入れるぜ」

 気楽に言いのけ……ランサーが床を蹴る。

 刹那に間合いを詰められ、拳、肘、膝、蹴りが繰り出される。

 打撃の雨。

 一発一発の破壊力は、空を切る音だけでも否応無しに理解させられた。

 その威力は、ランサーは手加減をしていないと一夏たちは捉えている。

 だが、それは大きな間違いだ。

 サーヴァントたるランサーが本気で繰り出す一撃は、例え相手がラウラであろうとも容易く皮膚を裂き、骨を砕き、絶命出来るものだ。

 一夏たちに手加減無しと見える打撃でも、それはそれは手心を加えて放つものだ。とは言え、ランサーの一撃一撃が全力であろうと無かろうとも、相対するラウラ、また見入る一夏たちから見れば区別など付くはずが無い。

 事実、先まで箒たち五人を相手にした際の比にもならない、明らかな速度。

 一発でも受ければ致命傷になりかねない攻撃。

 全ての打撃を無傷でやり過ごす事は出来ない。避けられないものは箇所を外し受け止めるしかなかった。

 一撃一撃が重く、人体の急所を的確に狙う破壊の牙。

 何処を襲えば壊れるかを熟知している暴風に、ラウラは胸中で悪態をつくしかなかった。

 あのラウラが防戦一方の姿を晒すなど、誰が想像できようか。 

 ひゅっと伸びるランサーの右膝。それをラウラは身を捻りかわし避ける。が、ランサーの動きは止まらない。本命は、爪先を使った蹴り足。

 反応が遅れたラウラの顎を掠め――がくんと彼女は膝を付いていた。

 意思とは裏腹に、身体の自由が急速に奪われる。

 首を鳴らし、欠伸すらしているランサーが視界に映る。

「待て! まだ終わっていないぞ!」

 声を上げて叫んだラウラだが、実際には口を動かす事は出来なかった。そのまま彼女は床に大の字に倒れ込んでいた。

 撃沈するラウラを見せられ、一夏たちは本格的にランサーが何者なのかがわからなかった。

 気楽にへらへらした態度は相変わらずに、実力は軽口を叩くほどに確かなものを持ち合わせている。

(これは、もしかしたら千冬姉でも勝てないんじゃないか?)

 一夏自身が最強と思える姉を引き合いに出してみて考える。脳内での結果は贔屓目に見ても姉の圧勝とは思えなかった。もしかしたら負けてしまうという姿すら想像してしまう。

 思案する一夏など当然気にもせずに、ランサーは口を開く。

「さーどうするよ。まだ続けんなら受けるぜ」

 ランサーの声に――だが一夏たちは冗談ではなかった。

 ラウラと違い、適当に投げられただけでダウンした自分たちが生身で勝てるワケが無い。

 不意に――

 ランサーが背後を振り返る。視線の先には、ふらりと立ち上がっていたラウラの姿があった。

 産まれたての仔鹿のように、がくがくと膝が震えている。顎から脳に伝わるダメージの余韻が残っているにも関わらず、無理矢理立ち上がったのだろう。

 隻眼には諦めの色は浮かんでいない。執念、信念、負けず嫌いは流石といったところだ。

 シャルロットの静止も聴かず、ラウラは駆ける。

 だんと床を蹴り、身体を捻ると渾身の一撃の蹴りを叩き込む。しかし、ランサーは左腕でそれを防ぐのみ。

 ラウラの脚に伝わる痺れ。まるで鋼にでも打ち込んだかのような堅さ。

(本当に人間かコイツは――)

 ぐんと身体を反転させると、ランサーの眉間めがけて踵を振り下ろす。

 当たる寸前に――今度はその足首を掴まれていた。そのままランサーの腕が捻り、古い西部劇で見るようなカウボーイが扱う投げ縄よろしく、軽々とラウラの身体を振り回し始めていた。

「うわぁ……」

 眼の当たりにした光景に思わず声を漏らしたのは鈴。他の連中も顔を顰めていたのは言うまでもない。

「や、やめろおぉぉぉ」

 ラウラの悲鳴。

 脳震盪と遠心力の振り回し、的確に三半規管を狂わされる彼女は簡単に眼を回す。

 あっはっはっと笑いながら――ある程度力を緩めると、ランサーは床にポイと投げ捨てていた。

「きゅううう……」

 眩暈と吐き気による二重の不快さにより伸びたまま、ラウラはぴくりとも動かない。

 今度こそ完全に、『ドイツの冷氷』は撃沈していた。

「さて」

 額を拭い――汗など一切浮かんでいないが――手強い相手だったとふざけた事を口にしながら、何事も無かったかのようにランサーは一夏へ向き直る。

「じっくり休んだろ? んじゃ一夏の兄ちゃん、続きやるか」

「やらねぇーよ! 無理だろ! ラウラで無理なのに何で俺なんだよ!?」

 白羽の矢を立てる相手に一夏は本気で抗議していた。何処をどう見たら俺になるんだと。嫌がらせかよとさえ口にする。

 それに対してランサーはつまらなそうに応えるだけだ。

「情けねーなぁ。男のクセに泣き言ヌかしてんじゃねーぞ。仲間護ンだろ? あ? 口先だけか、テメエは?」

「ぐぬぬぬぬぬ……」

 それを言われるのは辛い。

 反論できず歯噛みする一夏は、止むを得ず立ち上がるしかなかった。しかしと彼は胸中で思う事もある。ランサーの台詞は自分の信念と果たして今此処でのものは繋がるのだろうか、と。

 首を傾げる一夏を無視したまま、ラウラとの組み手で身体が温まってきたのだろう。ランサーは爽やかな笑顔を浮かべ、しれっと告げる。

「お前も打撃ありな」

「だから、なんでだよっ!?」

「嬢ちゃんたちが見てんだ。それなりにイイとこ見せろよ、色男」

「出来る事と出来ない事の線引きを見ろよ、アンタは!」

 会話が成り立たない事に激昂する一夏を当然のように再度無視し、ランサーは馬鹿な野郎だなと零していた。

「お前が一本取れば済むことで簡単だろ。約束通りに嬢ちゃんたちにはメシ奢りなんだからよ」

「…………」

 無言。

 一夏には理解できなかった。この男は、一体何を言っているのだろうか?

 例えるならば、エネルギー無尽蔵の雪片装備、IS暮桜展開本気モードの千冬相手に生身で殴り倒してみろと言っている様なものだ。

 無茶苦茶過ぎる事をよくもまあ平気で言えるものだなと、ある意味感心させられる。そんな一夏を尻目に周りからは声がかかる。

「一夏ッ! しっかり! 応援してるよ」

「わかってるわねアンタ。死ぬ気で取りなさいよ。て言うか、死んでも取りなさいよ。あたしたちのために」

「取らなければ、わかっているな……?」

「一夏さん、信じていますわよ……」

 好き勝手な事を言う、ガールズギャラリー。

 だが、各々の眼は『取らなければ殺す』と安易に物語っている。

 誰も一夏の事を心配していない。いや、この場合、都合がいいように信用信頼しているだけかもしれないが。

「勝手な事言うなよ畜生がぁぁ」

 叫び、一夏は破れかぶれにランサーに突貫していた。

 

 

「なっさけないわね、アンタ」

「一夏にはがっかりさんだよ」

 はあと溜息をつく鈴とシャルロットに反論する気力もなく、一夏は床に寝転がったまま動くことも出来ず、何を言われようとも一切反応を示しはしなかった。

 一夏の名誉のために記すのならば、彼は彼なりに奮闘したと言えよう。だが五度目の組み手で流石に体力の限界を迎えたのか崩れ落ちたまま動く事はなかった。

 瞳に光はなく、死人然の一夏は放っておき、ランサーの視線は女性陣へと向けられる。

「じゃー、次はお前らだな。どいつだ? デュノアの嬢ちゃんか? オルコットの嬢ちゃんか? ふたりまとめてかかって来るか?」

 その言葉に皆ぶんぶんと首を振る。「嫌だ」と全力をもってアピールしている。

 ちなみにラウラは未だ眼を回したまま夢の中だ。

「そうかそうか。首を振るほど嬉しいか」

「アナタの眼は腐ってるんですの!? 全力で嫌がってるんですのよ!」

 セシリアの声にうんうんと頷きランサーは笑う。

「そうか。次はオルコットの嬢ちゃんか」

「人の話を聴けですわ!」

 怒髪天をつくほどに吼えるセシリアを軽く聴き流し、ぱたぱたと手を払いながらランサーは視線を逸らす。

「冗談だっての。なら、あっちか」

「あっち?」

 ランサーが視線を向ける先。釣られてシャルロットも首を動かす。次いで残りの女性陣も向き直り――

「楽しそうねー」

 ひょいひょいと軽い足取りで道場内に現れたのは生徒会長こと更職楯無だった。

「見てたわよー。随分と面白そうな事してるじゃない」

 弾む声音で倒れ横になったままの一夏に歩み寄り――

「やだもうぅ、一夏くんのエッチー」

 わざとらしくスカート内の下着がはっきりと確認できる位の位置に立つ楯無は、棒読みの台詞のままスカートの裾を押さえつける仕草を見せる。

 のだが――

「…………」

 言葉も一切発さず、身体も眼球すらも微塵も動かない一夏。

 自身が想像していた反応を全く示さない相手に対し、楯無はぽつりと呟く。

「……予想以上に、ガチみたいね」

 慌てふためく姿を期待していただけに、口元を開いた扇子で覆い彼女。

 先から一方的に要領を得ない奇怪な行動を示す生徒会長に、箒は眼を閉じると、眉を寄せた額に指を添えていた。

「……何がしたいんですか、アナタは……」

「んー、からかい?」

 箒の問いかけにしれっと応えると、楯無はランサーに向き直っていた。

「改めまして、衛宮ランサーさん。わたしは二年生の更職楯無。この学園の生徒会長です」

「噂はかねがね。全生徒中最強らしいな。話にゃ聴いてんぜ? んで、そのお偉い生徒会長さまが、俺なんかに何用かね?」

 肩を竦めながら尋ねるランサーに箒も同意見だった。此処へ来た楯無の意図がわからない。一夏に用があるのかと思ったのだが、倒れたままの男子生徒にはどうやらなにもないらしい。

 閉じた扇子を口元に当て、楯無は言う。

「わたしも、この催しに混ぜてもらおうかなぁと思って」

「あー? 別に構わねーよ」

 気楽に答えるランサーと、拳をぐっと握り締めて『やりぃ』と声を洩らし準備をする楯無。

 そんなふたりのやり取りに気をとられ、思考が追いついていなかった箒は慌てて割って入っていた。

「ま、待ってください先輩! その、まさか……ランサーと組み手するつもりですか!?」

 その問いかけに対し――

 楯無は不思議そうな顔をして、僅かばかり小首を傾げて見せていた。

「んー? その『まさか』だけど? そもそも、こんなの面白そうじゃない。見てるだけだなんて冗談ばっかり。もう、ずるいわよー。箒ちゃんたちだけ楽しんじゃってば」

「いや、ずるいもなにも……そうではなくて、先輩、その、あの人は――」

 強いですよ――

 箒のその一言に、だが楯無は頷き、にんまりと笑うだけだった。

「モチわかってるわよー。だから、混ぜてもらうのんじゃない」

 ばっと開いた扇子には『上等』の文字が浮かんでいた。

 

 

 掴み、投げ、打ち、殴り、蹴る――

 眼前で繰り広げられる攻防。出来の悪い演舞を見せられたかのように、箒たちは声も無くただただ黙って見ているだけだった。否、見せられていた、という言葉が当てはまる。

 ランサーの顔を狙う楯無の貫手を無造作に払い打ち、逆に明らかに眼を狙った爪先蹴りを楯無は身体を仰け反らしてかわしていた。

 鼻先を掠める風圧を感じる間も無く、制服の胸倉を掴まれた彼女の身体が勢いのまま床へと叩きつけられる――寸前、指が床を弾いていた。

 衝撃を殺したまま身体を捻り、ランサーの足を刈るように繰り出す旋脚。

 楯無に足を払われたランサーの身体が浮くが、ぐんと後方へ跳ね飛び床に着地する。

 一瞬互いの眼が合うが、ニヤリと笑みを浮かべるだけ。

 僅かに床から浮いた格好のまま、楯無も瞬時に起き上がり体勢を立て直していた。

「いやはや。いい動きだ。いいね、気にいったぜ」

「それはどうも」

 そう軽く応えた楯無ではあるが、胸中は落ち着いてなどいなかった。

(なんなのよ!? 見たものと実戦で、こうも違うものなの……!?)

 手足を触れさせてはっきりとわかる。相手は生半可な人間ではない。足運びなども人間相手に熟知したものだ。

 少なからず、先日の道場での箒との得物を用いた試合の話、今日の組み手の様子、それらを見越し戦略を踏まえた上で自分が勝てる相手と軽く見定めていた楯無はその考えを改めざるを得なかった。

 フェイントを絡めた手技足技も全く功をなさない。此方の思惑など最初から知っているように布石の小細工は尽く全く通じない。

 相対する眼の前の男は、明らかに人間の潰し方を知り、壊す事に手馴れている。

 この男は危険すぎる――

 対暗部用暗部「更識家」の当主であり、17代目の楯無を名乗る彼女、更識楯無の脳裏にはそう警鐘が鳴り響く。

 生身でこんなに肝を冷やす事など何時以来だろうか。

 悟られないように余裕を持って振舞ってはいるが、正直息は上がっている。

 ランサーにしてみれば焦りなど全く無い。幾ら学園最強を名乗る相手であろうとも、結果的には楯無はただの人間なのだから。

 先の攻防でもランサーは彼女の下着の色すら確認出来る余裕があるくらいだ。ちなみに楯無の股を覆う色は黒だった。

 背中を伝い流れる冷たい汗を感じながら、生徒会長はさてどうしようかと考えあぐね――

「ランサアァァッッ!」

 道場を震撼させる突然の咆哮に、均衡は一気に吹き飛んでいた。

 楯無はもとより、ランサーすら驚いている。

 専用機持ちたちは言うに及ばず、例外は死んだままの一夏とラウラの両二名のみ。

 怒気を含む声量で現れたセイバーは、鬼の形相といわんばかりの表情のまま眼当てとする相手へ向かって突き進んでいく。

 離れた場所に居るとはいえ、あまりの剣幕とセイバーが放つ近寄りがたい雰囲気にあてられたセシリアは、蒼い顔のままつい横に居る鈴へ震える声でそっと耳打ちしていた。

「鈴さん……わたくし、セイバーさんがなにやら銀色の甲冑をお召しになられているように見えてならないんですが……?」

「はあ? 甲冑って、アンタ何言ってんの? 床にでも頭ぶつけたせいで、元々馬鹿だった脳味噌がシェイクされて、余計に馬鹿になったんじゃないの?」

「……随分な言いようですわね……ケンカを売られているというのはいくらなんでもわかりましてよ?」

 見えませんか、見えないわよと言い合うふたりの声など当然耳に捉えるはずもなく、セイバーは今一度の怒声をあげる。

「貴公……わたしのプリンを食べましたねっ!?」

「……プリン?」

 思わず呟くシャルロット。その単語にランサーは頭を掻いていた。

 今の今までセイバーが道場に帰ってこなかったのは、どうやら探していた菓子類があったためなのだろう。しかしながら結局のところ見つからず、怒り心頭のまま戻ってきたというのが窺い知れる。

「なんだよ……菓子の類のひとつやふたつ、どーでもいいだろうが」

「ほぅ、地べたに這い蹲り、額を擦り付けて許しを請うのならばまだしも、開き直るとはな……いいだろう、ランサー……この場で貴公との決着をつけてやろう。即刻、その首叩き落してくれる」

 ずんずんと歩を進め――床に落ちていた木刀を足の爪先で引っ掛け蹴り上げ手に取ると――瞬く間に駆け出していた。

 疾風――

 シャルロットが認識する間も無く、真剣もかくやと言わんばかりに繰り出すセイバーの一閃を――

 ランサーは足裏でそれを容易く受け止める。

 舌打ちし、セイバーが繰り出す剣戟をランサーは足技だけで捌ききる。

 いかに剣技を得意とするセイバーとは言えども、感情を激しく昂ぶらせ、冷静さを欠いた一撃など当たるはずもない。

「面倒くせー奴だなぁ。また買えばいいだろうが」

「買えばいい? 買えばいいと言ったか、ランサー? シロウが、わたしのために作ってくれたプリンを買って補えと言うかランサー!」

 やはり怒りに身を任せて払われた剣閃を――うるせぇなぁと愚痴りながら、ランサーは首を軽く動かしかわして見せる。

「衛宮さんは、お菓子も作れるんですの?」

「うん。僕も食べさせてもらったけれど、プリンもケーキも凄く美味しかったよ。ラウラなんて眼をキラキラ輝かせてたぐらいだし」

「ほう」

「へー、そんな言うんだったら、あたしも食べてみたいわね」

 眼の前の状況を敢えて見て見ぬ振りをし――現実逃避とも言うが――セシリアの声に頷くシャルロット。箒と鈴もまた興味深いと賛同する。

 やんややんやと騒ぐ外野の声を無視し、楯無はランサーとセイバーの合間に割って入っていた。

「ちょっ、ちょっと待って。なんだかよく分からないけれど、話を聴いている限り、人の物を勝手に食べるのは……良くないと思うわ」

「そうでしょう。良かったタテナシ、と言いましたか? どうやらアナタは理解してくれるようだ」

「う、うん……」

 いまいち状況、ならびに横槍を入れられてどうしていいかわからず、とりあえず楯無は頷く事しか出来なかった。

 だが、ランサーは心底面倒くさそうな表情のまま。

「お前なぁ、五個も食っといて一個ぐらいイイじゃねーかよ。それにだ、ありゃお前だけにじゃねーぞ? 俺にも良かったら食べてくれって声かけられてんだからな」

 五個――

 その言葉に、女性陣からはぼそぼそと声が上がっていた。

「五個は……多くないか?」

「多すぎよ」

「わたくし、前々から思っていましたけれど……セイバーさんて……」

「うん、僕もそのことに関しては同意かな。こう言っちゃなんだけれど、セイバーって、すごい食いしん坊さんだよね」

「なっ――」

 箒たちの指摘に振り返り、セイバーは慌てふためく。

「ち、違います! わたしは決してそのような――そ、そうです! シロウが、シロウの作るお菓子が美味しいから悪いのです!」

 故に、わたしに落ち度は全くありませんとセイバーはそう豪語する。だが、女性陣の視線はといえば、氷のように冷たいものだった。

「だからって、いくら美味しいからって五個はいくらなんでも……」

「ねえ……」

 同意しかねるという顔の鈴とシャルロットが揃って告げるのは『食べ過ぎ』の一言に尽きる。

「う、ううう……ランサーッ!」

 四面楚歌となるセイバーは怒りの矛先をランサーへと向ける。が、肝心の槍兵の姿は見当たらない。

「何処へ逃げましたか、ランサー!」

 ぶんぶんと首を動かし、獲物を探し彼女。

 視線の先には申し訳無さそうに立つ楯無ひとり。

「……あの、セイバーちゃん? ランサーさんなら、とっとと出て行ったわよ?」

「なんと! おのれ、ランサー! 逃げ出すとは風上にも置けぬっ!」

 楯無の声にセイバーはすぐさま駆け出していた。

 まさに嵐のような一瞬に箒たちは唖然としたまま。

 有耶無耶となった勝負。

 中途半端な終わり方。

 セイバーという闖入者による幕引き。

 なんにせよ、お開きとなった催し。

「……助かった、かな……?」

 誰に聴かれるとも無く楯無はぽつりと呟き――次いで考える。

 本気で勝負していたらどうだったか?

 その本気は、果たして何処までを意味するものか。生身でのものか、ISを含んでのものか……

 楯無自身も深くは考えてはいない。だが、邪魔が入らなければ、いずれは勢いに熱くなり過ぎて、ミステリアス・レイディを展開していたかもしれない事は否めなかった。

「ちょーっと勿体無かったかな……」

 僅かながらに胸中に生まれた好奇心と恐怖心を誤魔化すように、楯無の口元を覆う扇子には『不燃焼』の文字が浮かんでいた。



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20

 
 ふと思いついた話。だが、私は謝らない。

 とある昼食時――
 いつもの面子に加えてランサーも加わり、一行は屋上で食事をしていた。
 和やかな空気の中、唐突に一夏は士郎へ声をかけていた。
「なあ、士郎の両親てさどんな人なんだ」
 訊ねられた内容に、士郎はだがバツの悪そうに頭を掻く。
「あー、俺の両親てさ火事の時に死んだんだ。その後、俺、養子として引き取られたんだけど、その人も亡くなってさ」
「……悪い。変なこと訊いたな」
「なんでさ。気にすんなよ。そう言えば、オルコットの両親てどんな人なんだ? やっぱり貴族となるとスゴイのかな」
 申し訳無さそうな顔をする一夏に対し、話を変えようと士郎はセシリアに視線を向ける。
 世界は違えど英国ともなれば、もしや魔術協会があったりするのかと若干の期待を込めながら。
 だが、セシリアは士郎の期待に応える事はない。苦笑を浮かべて彼女は言う。
「どのように思われてるのかは存じませんけれど、母も父もとても立派な方でしたわ」
「でした?」
 士郎の呟きにこくりと頷きセシリア。その瞳はどこか遠くを見つめていた。
「三年前に列車事故で……」
「……ごめん。無神経な事を訊いて」
「いいんですのよ。で、一夏さんのご両親は何をなさってますの?」
 ぱんと手を合わせ、話題を変える為にセシリアは一夏を見る。
 第一回『モンド・グロッソ』総合優勝者の千冬、男でISを初めて動かせた一夏の両親ともなると、さぞ立派な方なのだろうと彼女は想像する。
 ――だが。
「俺と千冬姉、両親に捨てられたんだ」
「あ……」
 悪い、子供の頃の話だからよく覚えてないんだと一夏は言う。
 申し訳ありませんわと頭を下げるセシリアに気にするなと言葉をかけ――
 それ以上、三人の会話はなかった。各々無言のまま、もぐもぐと食事に勤しむ。
『空気が重い――』
 ずんと沈んだ空間の中、何とか平静を保っているのは箒と鈴、シャルロット。
 ラウラに関しては流れ的に「私は試験管ベビーだったぞ」と口走りそうな雰囲気を察したシャルロットが咄嗟に口を押さえ封じていた。更なる燃料投下をされるわけにはいかない。
 流石に一同を見てセイバーはランサーに耳打ちする。
「ランサー、何とかしてください。この空気は流石の私も耐えられない」
「無茶言うんじゃねーよ。いくら俺でも通夜の空気に突っ込むほど馬鹿じゃねーぞ」
 そこをなんとかアナタの小粋なジョークで和ませてください、と囁く騎士王に対し、槍兵は滑り前提になるじゃねーかと反論する。

 そんな暗い話があったとかなかったとか。
 本編とは全く関係のない話――
 


 IS実技の授業にて、居合わせる者たちが見るものはひとつ。『アーチャー』と名前をつけた赤銅色のISを身に纏う士郎。

 好奇の視線を彼は向けられている。

 しかし、士郎への専用機として手配されたとしか聴かされていない面々からすれば、その機体は随分と味気ないものだった。

 ラウラのシュヴァルツェア・レーゲンや、セシリアのブルー・ティアーズと比べると迫力に欠けるものがあり、紅椿や白式のように機体の派手さがない。

 ただのパワードスーツにしか見えなかった。その見解はあながち間違いでもない。極端に言えば、ただ飛べるだけなのだから。

「正気か坊主……何でよりにもよってあのいけ好かねェ野郎の名前なんだ」

「同感です。正気ですかシロウ……何故にアーチャーの名前などを」

 生徒たちより一日早く、はじめて見て、ISの機体名を耳にしたランサーはただ呆れるだけ。

 セイバーに至っては、彼女も呆れはしているが、それに加え剣を教える師匠としてのプライド故か、露骨に斜に構えた態度、ならびに嫉妬が強かった。今一度、シロウにはわかって頂く必要がありますね。と、なにやらぶつぶつと呟いていたりするのだが。

「シロウ、その名を冠するという事は、つまりは、私の師事では不服だというのですね」

「な、なんでさ!? なんでそうなるのさ!」

「剣の師として、これほど屈辱的なものはありません、何故、その名を冠すのかと訊いたのが愚問でしたね」

「――セ、セイバー?」

「なるほど……シロウには躊躇いがないという事ですか、ええ、そうでしたね。そうでした。シロウはアーチャーの剣技を模倣していたのでしたね」

「え、えーと」

「魔術は凛に……剣術は私と言っていながら……いいでしょう。今一度、シロウには誰の戦闘スタイルが一番優れているのかを証明して見せましょうか」

「なんでさッ! ま、待てって! そんなのセイバーが一番だっての! ただこれは特に大した事じゃなく……」

 その後は聴く耳持たぬセイバーに、身を持って『教育』されたのだが……

 実際、ISの名前に関して士郎自身は深くは考えていない。千冬や真耶が口にした類の『相棒』としての思惑は微塵もない。では何故その名にしたのかといえば、自身が扱う武器の影響、それが色濃く現れたものでの対象でしかない。他に意図するものは無かった。

 意識のない深層心理で言えば、越えるべき目標としてのものなのかもしれない。

 セイバーとランサーふたりの表情から察するに、やはりこの名は駄目だったかなと士郎自身も考え出していたりするところが本末転倒である。

 そんな一悶着があった事など露知らず、ひとりの生徒が士郎の機体を見て呟く。

「なんだか強そうに見えないね」

 相川清香の呟きは尤もだ。見た目だけでも外装武装は何もないのだから。

 他の専用機と比べてしまうと、どうしても見劣りはしてしまう。それは士郎もわかっていた事であり、苦笑を浮かべるしかなかった。

 女生徒たちの少々期待はずれとした眼差しで見られる中、ただひとり違ったのは布仏本音。彼女だけは向ける眼が違っている。

(えへへー、エミヤんも葛木先生も一緒に頑張ったもんねー)

 彼女の胸中の呟き通り、IS『アーチャー』は布仏本音の協力なくしては語れない。

 普段の眠たそうな顔のままではあるが、機体整備に関してはキャスターが口にしたように、『見事』の一言に尽きる。

 機体調整など手馴れたもの、士郎が見ている前で容易にこなし、シールドバリア制御システム、エネルギーバイパスシステムの調整など瞬く間に処理していく。

 普段の彼女とは思えない手際のよさ。意外な一面。

 逆に、あれを持って来てこれを持って来てと指示を出しては、遅いよ早く、違うよなんでそんなの持ってくるのと叱責までされもした。

 流石にそれを眼の当たりした時には、士郎は本音への認識を改めていたのだが。これが彼女、布仏本音にとっての得意分野なのだろう。

 はじめて見る士郎の専用機に一夏は声をかけていた。

「それが士郎の専用機か?」

「ああ。派手さにかけるだろ?」

 おどけてみせる相手に一夏は笑う。

 一夏自身、ごてごてした武装、外装を持つからといって強いとは思わなかった。確かに、見た目のインパクトで強さを求めるようなものもあるのは認めるが、それはそれとして、彼なりに思う事は搭乗者の能力と合わさってのものだと考える。

 現にセイバーなど打鉄との組み合わせであれほどまでの強さを発揮しているのだから。士郎の機体を見たところで、率直な意見を言えば、弱そうだとは思わなかった。ただ一回り小さいぐらいのもの。

 実際に士郎のISの技量と実力は上がっている。訓練機であれほどとなったのだから、専用機を持つとなると更に能力は向上するのだろうと一夏は勝手にそう解釈していた。

 他の生徒たちとは違い、一夏と同様に『アーチャー』を未知数と見ているのは専用機持ちたちだ。中でもセシリアの胸中は複雑だ。

(あれが衛宮さんの専用機――)

 セシリアが思うところは、まずは搭載武装に関してだ。一体彼の扱う装備はなんなのだろう。そこに興味を持っていた。

 ――と。

「衛宮、あたしの相手してよ」

「…………」

 声をかけられた方へ視線を向ければ、既にIS甲龍を展開させていた鈴がニカリと笑い士郎を見ていた。

 先を越されたと内心で悪態をつくのは一夏、箒、シャルロット、ラウラ、それにセシリアもまた。各々士郎の機体が気になる手前、模擬戦を申し込んでみたかったからだ。

 そんな連中の心情を簡単に見切っているのだろう。鈴は早い者勝ちよと言わんばかりに、他の専用機持ち一同に勝ち誇ったような視線を向け、胸中で舌を出していた。

 返答に困っている士郎に構わず、鈴は次いで千冬へ視線を向けていた。

「織斑先生、構いませんよね?」

「……衛宮?」

 その一言で千冬は士郎へ問いかける。『行けるか?』と。

 教師として、生徒の向上意欲のために模擬戦を止める権利はない。事情を知っているとは言え、士郎に対し変に肩入れも出来ないからだ。経緯はどうであれ、生徒が成長するのならば否定もできない。

 だが士郎は千冬の立場も汲み取り、それを承知の上で頷いていた。

「大丈夫です」

「……わかった。では、衛宮、凰、模擬戦を始めろ」

 千冬の声にふたりは『はい』と応え、頷いていた。

 

 

 開始の合図を受けてはいるが、互いに動きはなかった。

 空中で向かいあったまま、鈴は二基の青龍刀を連結させた双天牙月を手にして赤銅のISを見る。相手は何も手にしていない。武装展開に手間取っているのかと彼女は考える。

 そんな彼女の心境とは別に、士郎自身はさて、どうしたものかなと考え――不意に、オープンチャネルで話しかけられていた。

「先手は譲るわよ」

 唐突の申し出に、士郎は思わず訊き返していた。

「……気前がいいんだな」

「どーせその機体、試運転も兼ねてんでしょ? いいわよそれぐらい」

 士郎のISの特性を見ておきたいものがある。それに、鈴は見た目でアーチャーには大した武装はないのだろうと打算する。

 一夏と同じように、恐らくは近接格闘仕様。実際、幾度か手合わせている鈴は士郎が得意とするのは接近戦だとわかっている。それを踏まえての発言だった。

「本当にいいのか?」

「言ったでしょ。イイって」

「……本当に?」

「くどいわよ」

「わかった」

 そう返答を耳にし――鈴は理解していただろうか。

 瞬時に士郎の腕に生まれた、黒一色の少しばかり機械じみたデザインの弓に。無駄の無い流れる動作――既に彼は矢を番えた体勢に入っていた事に。

 そのまま、迷う事無く放たれていた二射。

 僅かに遅れる警告音、気づけば、矢は眼の前に迫っていた。

「あっぶな――」

 脚を狙われた事に、咄嗟に身体を捻り避ける鈴。

 先手を譲ったとは言え、まさかいきなり矢を放たれるとは思わなかった。

「やってくれるじゃない」

 すぐに体勢を整え――刹那に、彼女は両肩に衝撃を受けていた。

「――!?」

 何が起こったのか理解するのに僅か数秒。

 ハイパーセンサーに映る警告表示――

 見れば、甲龍の巨大なスパイクアーマーが特徴の両肩が破壊されている。肩のスライドアーマー中央部を正確に射抜かれていた。そこに何があるかは鈴自身わからぬはずが無い。

(いつのまに――!?)

 否、警告音は鳴っていたかと彼女は考える。

 だが、鈴は把握していなかった。士郎は続けて二射放ったわけではない。彼は一度に四射放っていたのだから。

 状況が未だ掴めていない鈴とは対照に、士郎は目的を果たしていた。少々汚いとはわかっていながらも、まずは危険視する衝撃砲を封じるのみ。これで相手のメインとなる中距離戦闘の火力は半減できた。残るは甲龍の腕部にある衝撃砲。

「…………」

 無言のまま士郎は僅かに考えていた。

 ISを纏っているせいか、ハイパーセンサーを通しても本来の射よりは些か感覚が劣る。

 身体が未だ慣れていないからなのか、なんにせよ考察は後だと彼は意識を切り替えていた。

「衝撃砲が――」

 呟く鈴の言葉通り、士郎が射抜いたのは衝撃砲を放つ球体部。これが何を意味するかは説明するまでもない。

「くっ」

 試してみたが、肩の計四門の龍咆は何の反応も示さない。簡単な話だ。つまりは、正確無比に潰された両肩の衝撃砲はもう撃てない。

 しばらく相手の機体を観察していた士郎だが、案の定、肩の武装が使えないのだとわかるや否や、アーチャーを起動させアリーナを駆ける。

 疾りながら――射続ける彼。

 が、瞬時に鈴も機体を疾らせその空間を離れていた。油断してたとはいえ次いでの五射、六射目に当たりはしない。

「うっとうしい!」

 雨のように放たれる矢を腕部装甲で防ぎ、双天牙月で斬り払い、一気に間合いを詰める。

 精密射撃には驚かされはしたが、懐に入ってしまえばこちらのものだと考えてのもの。

「調子に乗んな!」

 放たれる矢を掻い潜り――

 踏み込み払う連結された青龍刀を、身体を逸らし――士郎は後方へ機体を疾らせる。

 間合いを離すと同時、やはりそのまま、矢継ぎ早やの手利きよろしく休みなく射掛け続けていた。

 しかし、鈴とて中国代表候補生。この程度の攻撃をいなせぬ技量を持たぬ彼女ではない。

 彼女もまた機体を滑らせ、矢の間を器用に疾り、腕部の衝撃砲で牽制しながら――

「もらいっ――」

 矢を斬り伏せ、瞬く間に士郎の間合いに潜り込む。

 奔る一閃。

 だが――

「――っ」 

 瞬く間に士郎は迫る凶刃を斬り弾く。彼の手に握られるは双剣。物理刀身を持つ、量子変換された二振りの剣。

「――っ!?」

 打鉄でよく見る近接ブレードとは渡りも全く違く短い。

 なによりも眼を惹かれたのは、白と黒を対称にした刀身と柄が一体化した形状。

(これが衛宮の近接武装)

 鈴がその武装を詳しく理解できるはずもない。ただの刀身の短い白と黒い剣にしか捉えていないだろう。

 この世界の科学技術で構築された、衛宮士郎のIS『アーチャー』用の近接武装。

 それが、士郎が本来投影して得意とする双剣、干将・莫耶を模倣されている事など当然彼女が知るわけもない。

 僅かに鈴の動きが停まる。そこを士郎は見逃さない。手にした双剣を浴びせにかかる。

 双天牙月を瞬時に絡め受け流し、切り返す白と黒の刃が鈴へと迫り――

 だが甲龍はその追撃を許さない。手にした柄を瞬時に払い、アーチャーの進撃を食い止めていた。

 左右から同時に払いかかる斬撃を――鈴は笑みを浮かべて簡単に弾いてみせる。

 確かに士郎の近接戦闘能力は見事ととるが、彼女が相殺できぬ技量ではない。

 衝撃にアーチャーの体勢が僅かに歪む。そこを今度は逆に鈴が逃しはしなかった。

「ちっ――」

「なめんな!」

 舌打ちする士郎に対し鈴は一喝。

 ぐんと振りかぶった脚が士郎の脇腹に叩き込まれる。息を吐き、打撃に顔を歪ませ――足癖の悪いやつだと歯噛みしながら、迫る穂先を白剣で防いでいた。

 士郎の握る剣に阻まれながらも鈴は体勢を立て直していた。

「そんなちっこい剣で、あたしの双天牙月を止められると思ってんじゃないわよ!」

「なんでさ――凰こそ甘く見るなよ、小さくとも針はのまれぬって言うだろ!」

「知ってるけど知んないわよ!」

「なんでさ――」

 言葉を交わしながらも攻撃の手数は止まず。

 立場は変わり、間合いを詰めるべく烈火の如く鈴が攻め動く。

 肩に走る穂先を流し、返しの切先が迫る眉間を寸で払う。繰り出す一撃の軌道を逸らすために黒剣で受けるが、鈴の方が僅かに巧い。いなしにかかった士郎の腕を真下から絡めるように青龍刀の刃が剣を弾いていた。

「がらあき!」

 質量は確かに相手の武器が上回る。衝撃に剣を握る片手ごと払われた士郎へ追い撃ちをかけるべく鈴が踏み込む。

 胴を薙ぎ払うように迫る刃を――

 甲高い音を立てて、士郎はそれを迎撃する。

「――――」

 驚いたのは鈴だろう。難なく凌ぐ士郎は双剣で防いでみせていたのだから。

 双剣を以って相手の間合いを切り崩そうとする士郎だが、鈴にすればそう簡単に突破させてたまるかと双天牙月で斬り弾く。

 互いの打ち合いは休まることを知らない。

 鋭く鈍い金属音を響かせ激突する二機。

 今まで幾度となく相対してわかるように、やはり白兵戦に関しての士郎の技量には鈴は一目置いている。厄介な上に油断できない。

 思わず息を漏らす彼女ではあるが、困惑を浮かべながらも自身が扱う刃は止まらない。

 二剣を力任せに叩き潰すように――風切り音を立てて双天牙月を振り下ろす。

 だが、士郎はそれを捌きにかかる。刃を黒剣で受け止め、逆の切先を白剣で流す。

「なんなのよコイツ」

 セシリアのブルー・ティアーズのように、中距離射撃型かと思えば近距離格闘を難なくこなす。まるで、距離を選ばない戦闘を得意とするシャルロットを相手にしているかのような錯覚に陥るほどに。

 斬撃を頭上で受け止める士郎は刃を逸らし――

 迫る二刀を鈴は双天牙月で苦もなく弾く――

 アリーナ内には二機の刃が響き合う。

 士郎と鈴による絶え間ない剣戟は激しさを増していく。既に打ち合うのは幾合か。

 鈴が繰り出す双天牙月を士郎は双剣により迎え撃つ。

 間合いを離す事もなく、互いに刃を振るう回転速度はさらに増す。重く、疾く、繰り出すのみ。

 奏でる金属音は無骨なメロディのように。

 

 

「坊主の本領発揮か」

 あの忌々しい赤い弓兵を彷彿とさせる戦い方。ランサーは僅かながらに顔を顰める。

 自身がはじめて相対した時を思い出していたからだ。微妙に苛立たせてくれると彼は漏らす。

 同様に、眉を寄せて視線を向けるのは千冬だ。

 上空の二機を見つめ――士郎の双剣が甲龍に斬りかかるのを見て千冬の表情は険しいものになっていた。

 IS『アーチャー』を駆る衛宮士郎の技量。

 彼女は難しい顔をしたまま、ひとり静かに見入っていた。

 

 

 火花が踊る――

 首を跳ね飛ばさんばかりの勢いで迫る大刃を、彼は短剣を振るい捌いていた。

「こんのっ――」

 僅かに漏れた声音は鈴の口から。だが士郎は聴いてはいない。

 身体を捻り――体重を乗せた二刀を力任せに相手へと叩きつける。

 それを双天牙月の刀身で受ける鈴。白と黒の剣による重い一撃は僅かに彼女の体勢を崩していた。

 勢いに押され、甲龍の腕が沈む。そこへ、死角から繰り出した蹴りを叩き込む。

 しかし、そう簡単に受けて堪るかと鈴の腕部衝撃砲が開き撃ち放つ。見えない一撃に吹き飛ばされ、士郎は間合いを離されていた。

 が――

「しまった――」

 思わず声を漏らしたのは彼女だった。咄嗟に間合いを離した事を後悔する。それと同時に士郎の手には再び量子変換された黒弓が握られていた。

 標的を射抜くべく、士郎の指は矢を番え――彼女が認識した時には既に放たれていた後。

 だが、狙った先は頭上。甲龍ではなく、あらぬ方へ矢を放った相手をいぶかしみながらも――鈴の迷いは一瞬。腕部の龍咆で撃ち込みながら疾っていた。

 士郎の手に握られるのは、やはり白と黒の剣。それを何の迷いも無く向かってくる甲龍へと投擲していた。

「――っ!?」

 鈴は僅かに動きを止める。投げ放たれた剣を防ぐ為に双天牙月を構え直す。と、彼女が更に驚かされたのは士郎の動き。

 空手となっていたはずの両の手に握られる量子変換された双剣をまたも投げ放つ。その数は四対。上下左右、四方向から迫る計八の物理剣。

 本来の投影、干将・莫耶の引き合う性能など持ち合わせていない。文字通りただ『投げる』だけ。だが、足留めには十分だった。

 それを――

 三対の白黒剣を弾き、かわし、斬り伏せて、鈴は四対目の剣を処理しようとし――

 警告音が奏でたのは正面と背面――

「!?」

 それと同時に鈴は背後から衝撃を受けていた。

 背面装甲に刺さるのは二本の矢。一体いつのまにと思案しかけ――先ほど士郎が頭上に放ったものだと瞬時に思い知らされる。

 剣は全て布石。意識を向けさせ、時間を稼ぐだけの些細な手段。

「嵌められたってワケ!?」

 と――

 停まる甲龍はただの的となる。両腕に刺さる四本の矢――何れも、腕部砲門を貫いている。

「――っ」

 再度鳴る警告音に気づき視線を向ければ、双剣を手にしたアーチャーが突進してくるのがわかった。

 ぎりと歯を軋らせ――鈴の双眸には諦めの色は浮かんでいなかった。

 たかが龍咆を撃てなくなった程度で負けが決まったわけではない。格闘戦であれば鈴自身にも分はあるのだから。

「上等ッ! 叩き潰してやるわよっ!」

 双天牙月の柄を強く握りしめ、甲龍もまた疾駆する。

 

 

 初めて士郎を相手に黒星をきった鈴は地面に降り立っていた。

 先に降りていた士郎に視線を向けて見れば、彼は女生徒たちに囲まれていた。それもそうだろう。

 正直に言えば、ISの技術ではパッとしなかった士郎が突然専用機を得た途端に見せた戦闘技術だ。

 今の今まで代表候補生相手に勝ちを奪えた事など一度もなかったのだから。

 更に言えば、模擬戦中に幾度となく繰り出した見事な弓の腕。その一部始終を見ていた生徒たちから歓声が上がらぬはずがない。

「エミヤん凄かったんだねー」

 あははと笑う本音の声。他の生徒からもあれこれ声をかけられてはいるが、士郎自身は困惑している。

 そんな相手に、鈴はモテモテじゃないのと胸中で皮肉を呟いていた。

 すぐに視線を逸らすと、あーあと残念そうに声を漏らす。そんな彼女に歩み寄っていたセシリアが声をかけていた。

「どうでした鈴さん? 衛宮さんのISは」

「んー、まさか、中距離タイプとは思わなかった。弓兵なんて名前だけかと思ったらそーでもないでやんの」

 少しばかり忌々しそうに呟く鈴に、セシリアは無言。

 首を動かして士郎を見れば、彼は千冬となにか言葉を交わしている。離れた自分たちがそれを聴き取れているわけもない。

 じっと見入りながら鈴は言う。

「アイツ、弓の腕はマジかもしんない。セシリア、アンタの射撃技術とどっこいかも」

「それほどまでですの?」

 セシリアの声に鈴はこくりと頷いていた。

 先の模擬戦を思い出し、鈴なりに推察する。お世辞に見ても、士郎の精密な射は見事だと思う。

 残った腕部の龍咆への応射。射返された時も、正確に腕部砲門を狙ってきていた。

「うん、そりゃ今がアレとはじめて戦ったけどさ……」

 言って両肩のスパイクアーマーに視線を向け、イギリス代表候補生にこれを見てみろと指し示す。

「正確に衝撃砲の砲門を射抜くと思う? それもあの動いてる中、寸分違わず両肩よ?」

「…………」

「ついでに言うとアイツの弓……なんか変だった」

「変?」

 いまいちハッキリしない物言いの鈴にセシリアはそう訊き返していた。

「うん、あくまでもあたしが感じた事なんだけどさ? アイツの矢をかわすのって結構難しかったの」

「どういうことですの、難しかったとは?」

 回避運動を見越しての射撃という事だろうかとセシリアは考える。だが、それほどまでに衛宮士郎には技術力があるとは思えなかった。

「セシリアたちは見てたからわかんないと思うけど、とにかく速いのよ。ISの全方位視覚接続のアシストとハイパーセンサーの警告表示があるとはいえ、避けられない。なんて言えばいいのかな……避けるとしたら、相手の眼、指先、軌道……もっと早く先読みしないと駄目みたいな感じ。斬り弾くのがやっとだってのは言い過ぎだけど」

 ごめん、自分でもなに言ってるかわかんないんだけどね、と告げる。

 だが、実際に鈴は理解できていない。あくまでも、彼女が感じた何となくでの範囲でのものだ。

「ま、舐めてかかったのはあたしだけどさ。これ最初ッからフツーにやってたらどうなってたろ……本当になんなのかしら、衛宮のは……あー、くそっ、イライラする。後で問い詰めてやる」

 スナイパーライフルと違い、たかが弓で射抜かれたのだ。衛宮士郎の搭載武装は余程のものなのだろう。

 遊んでないでハナっから挑めばよかった、馬鹿な事したわねと呟き彼女は腰に手を当てていた。

 鈴の話を聴きながら、しかし、セシリアは別の事を考えていた。

(果たして、本当に武装のものだけなのでしょうか……なんでしょう……なにか引っかかるような……)

 なにかパズルのピースが嵌りそうで嵌らない。それが何かもわからないもどかしさを覚えながら、セシリアはひとり思考していた。

 と――

「それとさ――」

 思わずぽつりと呟かれた鈴の声音。それをセシリアは聴き逃さなかった。視線を向け「なんですの?」と問いかける。

 だが、鈴は言葉を続けてはいなかった。ただ、「しまった」と失言に顰めた表情を浮かべはしたが、口を滑らせた以上は観念したのか。周囲を気にしながら――周りには誰もいない事を確かめた上で――話し出す。

 甲龍の腕部指先で器用に頬を掻きながら、気まずそうに鈴は言う。

「あのさ……笑わない?」

「はい?」

 此方に目線を合わせようとはしない相手。

 何を言うのだろうか。無論真面目な顔をしている友人に、セシリアは笑いなどはしない。

「なんですの? 先ほどの模擬戦ですの? それでしたら笑いもしませんわよ」

 セシリアの発言に嘘偽りは無い。

 鈴も士郎も互いに決して手を抜いた様子は見えない。結果では鈴が負けはしたが、双方立派な勝負だったとセシリアは思う。それを笑うほど、自分は人間が出来ていないとは思わなかった――ハズだ。

 それを聴き、意を決したのだろう。鈴は口を開き言葉を紡ぐ。

「んー、あのね、正直言うとあたし、衛宮と戦ってた時……アイツがちょっと怖かった」

「怖い?」

 思わず訊き返したセシリアの声に、鈴は素直にうんと頷く。

 彼女は続ける。

「福音の時もさ、そりゃ怖かったわよ? なにせ軍用スペック搭載のISだもん。それこそ死んじゃうかなと思ったけど……でもね、その時のものとはなんか違かった」

「…………」

「それがなんなのかはわかんないけどさ。ま、私が単純にビビってただけかもしんないけれど……わかんない事ばっか言ってゴメンね」

 そこまで言って、鈴は、あははと笑う。が、セシリアは笑いもしない。ただ無言のまま聴き入っている。

 それをバツが悪く感じたのか、鈴はセシリアの背を――当然、甲龍での加減はしながら、ばしんと叩いていた。

「ちょっ、なにするんですの鈴さん」

「冗談よ冗談。なーに辛気臭い顔してんのって。あたしがそーいう顔すんならまだしも、なんでアンタがそんなマジメ面してんのよ」

「いえ……」

 気楽に言う鈴に対し、セシリアの表情は何処か浮かなかった。

 彼女が口にした言葉を今一度胸中で反芻する。

(怖い……)

 先の一連の試合を思い出す。僅かに見せた『高速切替』のような武装展開。

「…………」

 次はぎったんぎったんに叩きのめしてやるんだからと豪語する鈴の声を聴きながら――

 何処か違和感を覚えながらも、セシリアは自身が思うその疑問の答えを見つける事は出来なかった。




今回の話に関しまして、alutoさんのご協力に感謝いたします。誠にありがとうございます。


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21

 強さとはなんなのか――ラウラはひとり考える。

 過去に祖国ドイツで指導を受けていた際に、自身が敬愛する織斑千冬に訊ねたところ返答はよく分からないものだった。

 そこへ、もうひとりの絶対な力をもつ少女、セイバーが現れたことにラウラの心は酷く揺れる。

 千冬と同じ、いやそれ以上か。打鉄を駆り、訓練機でありながら繰り出す見事な剣捌きにラウラはいつしかセイバーを見る眼が千冬へ向けるものと同等になっていた。

 ISの訓練を適度なところで切り上げた彼女は、学園内を右往左往しセイバーの姿を探していた。

 途中、幾人かのクラスメイトを見つけ、セイバーを見なかったかと訊ねた際に、布仏本音から「屋上に行くのを見たよー」との話を聴き、軽く礼を述べると、ラウラは告げられたままに屋上へと続く階段を駆け上がっていた。

 

 

 心地よい風が吹く――

 一日の授業が終わり、生徒たちの自由時間がやってくる。部活動に勤しむ者、早々に身体を休める者、ISの訓練に励む者。

 一夏は箒や鈴たちに「私たちもISの訓練をするぞ」と告げられ、半ば強引に引っ張られアリーナへ連れられていった。その際に一夏は「ゆっくり休みたいからパス」と抗議の声を上げていたが、どうやら聴き入れてはもらえなかったらしい。

 セイバーも誘われたが、箒たちの胸中を知っているだけに邪魔をしては悪いと考え丁重に断っていた。

 士郎は鷹月静寐に壊れた腕時計を直してほしいと頼まれ、ふたつ返事で引き受けて修理作業に没頭している。

 ランサーは言うに及ばず、幾人かの女生徒に囲まれているのを見ている。大方、飽きもせずにお茶でもしにいくのだろう。

 気兼ねなくひとりとなったセイバーは足の向くままふらりと学園内を歩き、気づけば屋上へとやってきていた。

 斜陽により茜色に染まる屋上。眼下のグラウンドでは何処かの部活動の生徒の掛け声が響き走っている。

 IS学園の屋上から見える遠くの街並み。当たり前ではあるが、冬木市で見た街並みとはまた違う風景。

 異国の世界とは言え、セイバーは優しく街を見つめている。

 ――と。

「――セイバー」

 放課後の屋上で、ひとり夕陽を眺めていたセイバーはそう声をかけられていた。

 振り返ってみれば、そこには少々息を荒げたラウラが立っていた。邪魔したか、との声に小さくセイバーは頭を振る。

「どうかしましたか?」

 訊ねるセイバーに、歩み寄ったラウラは「お前を探していた」とだけ応えていた。

 確かラウラも箒たちと一緒にISの訓練をしていたはずだがと考えていると、それを察したのか嫁――一夏を相手にはしたが弛んでいて話にならんと一蹴していた。AICで動きを停めたところをレールカノンの的にしてやったと豪語する。一夏に同情しながらも、セイバーは笑みを浮かべるしかない。

 気を取り直し、話はなんでしょうかと訊き返すセイバーに視線を向け、銀髪の少女は口を開く。

「どうすれば、お前のように強くなれる?」

 あまりにも唐突に告げられたその言葉。

 少女の意図が掴めず、セイバーは眼をぱちくりとさせ、逆に眼の前の相手に訊き返していた。

「強く、とは私のようにですか?」

「そうだ。どうすれば私はお前のようになれる? 私はもっともっと強くなりたいんだ」

 ラウラにしてみれば、福音戦以降、自分がもっと強ければと考える事がある。自分がもっと強ければ、皆も怪我をしなかったと思ってのもの。とは言っても、それはあの時に福音を相手にした者ならば誰もが思う事である。ラウラだけに責任があるわけではない。

 有意義な夏休みも終わり、新学期に入り数日経ったところに現れた士郎とセイバー、ランサーの三人はラウラの『強さ』を更に意識させた。特にセイバーとランサーの『強さ』には心奪われた。直感で、今の自分では適わない技量を持った相手だとすぐにわかり得た。

 IS実技での模擬戦を思い出す。今までとなんら変わらず、セイバーはブレード一本で容易にシュヴァルツェア・レーゲンを圧倒していた。予測を超える機敏な動き。レールカノン「ブリッツ」による超音速の砲弾など斬って捨て、間合いに入り込めば得意とする剣戟。

 獅子奮迅――

 力戦奮闘――

 鬼神のように――

 相対するラウラでさえ思わず見惚れるほどに。それほどまでに、迷いも一切見せず、剣を繰り出すセイバーの姿は気高く美しいとさえ感じていた。

 戦闘に於ける決して退かぬその姿勢。その全てにラウラは夢中となっていた。

 銀の髪を持つ少女がこれほどまでに執着するなど織斑千冬以来だろう。

(困りましたね……)

 ラウラが織斑千冬に憧れを持っているのを普段の生活からセイバーは知っている。ラウラにとっての一番は織斑千冬なのは変わらない。

 威風堂々――

 その凛々しさ、姿に焦がれている。だが、それがまさか自分にまで向けられているとはセイバーは思いもよらなかった。

「前に、教官に同じ事を訊いた事がある。だが、よくわからない。だから教えてほしい。どうすれば教官やお前のように強くなれるのかを」

「…………」

 少女が口にする教官とは織斑千冬の事なのだろうとセイバーは容易に知る。

 強さを口にするラウラの瞳は輝いている。羨望の眼差し、憧憬の的として――

 だが、向けられるラウラの純真な双眸はセイバーにとっては些か困惑していた。

 強さにも色々ある、肉体的な強さ、目標に向かって己の怠惰な気持ちに打ち勝つ精神的な強さなど。

 肉体の強さだけが当て嵌まるとは限らない。各言う精神面かと問われれば応えは否。

(私は、あなたが憧れとして持つ強さなど持ち合わせていない。誇示できるものではない)

 セイバーが胸中で呟く事など露知らず。ラウラにとっては千冬もセイバーも同等に、気高い存在。ふたりの強さはそれはまるで獅子のようだと感じていた。

「教官には憧れる。それと同じように、お前の強さにも私は興味がある」

「ラウラ、強さといっても、その内容は色々なものがあります。私如きが軽々しく論ずることはできませんよ。あなたが強くありたいとは、なんのためですか?」

「なんのため?」

 なんとか言葉を発したセイバーの声に、ラウラは小首をかしげていた。

「そうです。あなたが求める強さとはなんですか? ある程度であれば、少しは助力になるやもしれない」

「私は――」

 その意味をラウラなりに考えているのだろう。しばし熟考したのち――真っ直ぐに見据え応えていた。

「よくわからない。私が求める強さと、お前の強さ、教官の強さは同じものなのか? 私は一夏を護りたい。私は一夏に助けられた。私はもっと強くなって一夏を……シャルロットたちを護れるぐらいになりたいんだ」

「…………」

 顎に手をあてセイバーなりに考察して導き出したものは、ラウラの口にする『強さ』とは『大切な人を護れる力』だと結論づける。ラウラ自身そのことに深くは理解していないのだろう。

 強くなりたいとの言葉にも、定義など多種多様。一概に言えるものもない。

「誰かを護るために強くなる。立派な志ですよ」

「そのためにはどうすればいい?」

「……そうですね」 

 難しい質問だ、とセイバーは考える。肉体面、精神面を鍛えるだけではこの少女は理解しないだろう。

「すまないラウラ、その事に関しては私は明確な答えを持ち合わせてはいない。その応えは、誰かに教えてもらうものではなく、自分で見つけなくてはならない」

「自分でか?」

 きょとんとした顔のラウラにセイバーは頷く。

「ええ。勝てば強者、負ければ弱者という決め付けでは短絡すぎます。価値観と言うものの違いがあります」

「…………」

「例えば、腕力や権力、財力を誇示して相手を黙らせた場合、それは『強さ』と思えますか?」

 セイバーの例え話に一瞬ラウラは眉を寄せる。顎に手をあて――だが視線は彷徨ったまま。

「……それは……いや、以前の私ならばそれは強さだと思うが……今は何故だろうか、違うような気がする」

「以前と違うと思うという事は、ラウラが成長していると言う事でしょう」

「そうなのか?」

「ええ。見方によれば先の件は『暴力』ともとれかねません。必ずしもそうだとは言えませんが、ラウラは違うと感じた」

「ああ」

「強さと言っても一概に答えなどはないと思います。求めるものが違ければ、自ずと応えはそれぞれとなりますから」

「では……お前の言う強さとはなんなのだ?」

「私ですか?」

 こくりと頷くラウラ。

 しばし無言のセイバーだったが、彼女なりに考えて口を開いていた。

「強さとは、守るべきものを守るもの。どんな力にも屈しない。どんな力にも負けない。守るべきものを守るために戦い、全てを背負いながらも進む意思……本当の強さなど、私にもわかりません。私なりの結論は出ていますが、自分は未だにそこに辿り着けてはいないと思っています」

「…………」

 人間にとって、誰しも見たくないものは自分自身の弱さではないだろうかと考える。

 自身の『強さ』を見せる者はいても、『弱さ』を見せる者はいないだろう。

 それらを含めた上で、自分自身の『弱さ』から眼を背けず、受け入れて向きあう者こそ『強い』とセイバーは捉えている。

 ならば、ラウラが言うように、己が思う『強さ』に自分は従っているかと問われれば、否と応えるだろう。

 セイバーの言葉が理解できず、ラウラは困惑したまま問いかけていた。

「……何故だ? お前は十分強いのに、なにが問題なのだ?」

「いえ、腕力や武技の強さだけならば――ですがそれしか持ちえないならただの暴力になり果てる」

 その言葉を聴き――ラウラの表情は硬くなる。自分の憧れである彼女、セイバー自身が己の持つ強さを『暴力』と簡単に切って捨てたのだから。

 しかし、それをラウラは否定しなかった。

 感情の薄い表情に珍しく苦笑を浮かべ、まるで過去を幻視するように遠くを見つめる。

「……私は以前、身命を賭して果たさなければいけない任についていました。正否を秤に掛け、常に正に傾けるべく最良を尽くし、時には非難を浴びようと非情に徹した。そうすることこそが私の義務だと信じて。いや、信じる……ということすらする暇もなく」

 アーサー王としての部分を伏せ、彼女は断片的な言葉の欠片をつなぎ合わせていく。

「しかし終わりの時、結果はあっけなく否に傾いてしまった。私は絶望し、その存在意義を打ち砕かれ、途方に暮れた」

 そこまで口にすると、セイバーは一度言葉を区切る。

 ひとりの王としての終焉。ここから先は、少女としての彼女が思い巡らせた夢の続き――

「ラウラ……私はそこで、やり直しを――願ったのです」

「?」

 唐突に呟いた一言は虚ろな幻のようにラウラの眼の前を通り過ぎていく。

「その終わりを嘘にしたい。私が望んだものはこんなものではなかった……塗り固めていた心に皹が入った理由にも気付かないで……そんなことばかり考ました」

 国や民を護るために全てをやり直したい、なかった事にしたいと願った。

 円卓の騎士のひとりであり、盟友であった『湖の騎士』ランスロット――

 カムランの落日――

 取り戻したいという思いは、いつしか王に相応しくない自分を殺すことに変わっていった。

 銀髪の少女の瞳はそんなセイバーの声に揺れていた。

 口を衝いて出てくる下手な慰めは、それこそ下手を打つだけのものになってしまう。

 それでも、ラウラの口は開かれ、言葉が紡がれる。

「なかったことにするのは……決していけないことなのか?」

 だから彼女に言えたのは本心からの思いだけだった。

 セイバーはラウラをじっと見据え……静かに、だがはっきりと双眸に意志を宿した顔で頷いていた。

「……はい。やはりそれはいけないことだ」

 その返答にラウラは言葉を詰まらせる。思わず相手に掴みかかろうとしたが、なんとか自制し踏みとどまっていた。

「だが……!」

 お前もやり直したかったことがあったのだろう――?

 そう言おうとした彼女の頬に、セイバーはそっと触れていた。

 誰にでもある暗い記憶が箍を外して流れだしそうになったのかもしれない。

 風に煽られ冷えた手の感触に可愛い声を出しながら怯んだラウラが可笑しくて少しだけ笑ってしまう。

「やり直しはできない。そんなおかしな望みは持てない」

 そのまま真っ直ぐにラウラの眼を見る。

「その道が、今までの自分が、間違っていなかったと信じている――私の『大切な人』が教えてくれたことです。結果は無残でしたが、その過程に一片の曇りもないと信じられるならただ受け入れればよかった」

 取り戻したいと願ったなら。何故それほどに思った『私たち』をなかったことにできようか――?

 償うなら過去ではなく、今から始めなければならなかったのだ。

「今は私も道半ばです。その答えに気付けなかった自分が。いつか彼に追いつけるようにと強さを探している」

 セイバーが口にした『彼』とは誰の事を指すのか、ラウラはなんとなくではあるが理解する。そのまま、くすりと笑みを浮かべていた。

「……ならば、お前も私と一緒だな」

「ええ。一緒です。私はあなたに強さを説けるほど強くはありません。あなたの求める正解にも答えられないでしょう。ですからラウラ、あなたの強さはあなたが真っ先に思い浮かべたものが、あなたの強さなのだと思います」

 ラウラが悩み考えて、彼女が考えに考えあぐね、そこで導き出した答えこそ、何ものにも代え難い意味があると思うもの。

「ラウラ、強さと言うものは、存外死んでしまうまでわからないものかもしれません。ある種、ひとつの欲ではないでしょうか? 自分ひとりだけであれば、自分が強者か弱者かなどわからないはずです。そこで誰かと比べる事により差異が生まれる。ですが、人それぞれ考えている『強さ』など違うものです。チフユやイチカ、ホウキもまたそれぞれ違う事でしょう」

「教官も、嫁もか?」

「ええ。必ずしも全部が全部とは思いませんが、人間、誰しも弱い部分、強い部分を持つものです。『強さ』とは自分のその両極面の弱さ、強さを含めて受け入れることができ、また他人の弱さも受け入れることのできることかもしれません。ふふ、言い出してしまうとキリがありませんね。哲学的なものは私には無縁です」

 言って、セイバーの指先はラウラの頭を優しく撫でる。

 気持ちよさと気恥ずかしさにラウラは思わず声を漏らす。

「むぅ、くすぐったいぞ」

「ああ、すみません。つい」

 言って手を離そうとしたが、今度は今度で名残惜しそうな表情をするラウラ。

 苦笑を浮かべながら、セイバーは少女の頭をそっと撫でつける。

「ですが、ラウラ。これだけは伝えておきます。私のようになってはいけませんよ」

 その言葉の意味がわからずラウラは不思議そうに首を傾げる。

「なぜだ? 強いお前のようになりたいのだ、私は。それもいけないことなのか?」

 いいえとセイバーは首を振る。

「誰かを護りたい。あなたのその気持ちを私は持っていなかった」

「……どういうことだ?」

「言い方がおかしかったですね。わたしも誰かのために護ると誓った事があります。ですが、それはラウラとは違ったものでした」

 ラウラの護る対象は友人。対してセイバーの護る対象は国。

 護るためには犠牲もいとわないと覚悟してのもの。とてもラウラに対等と自慢できるものではない。

「私には大切な友、大切な仲間がいました。ですが、私は彼らを傷つけてしまった。私が固執した護るもの……それこそ強さと言うものは力だけのものでした。結果、私は取り返しのつかないことをしてしまいました。彼らを傷つけてしまった」

「だ、だが……仲直りはできたのだろう?」

 今までとは違い、真面目な表情となるセイバーに対し、どこか慌て心配そうな顔になるラウラ。

 その声にセイバーはいいえと首を振る。

「ラウラ、あなたは私のようになってはいけません。あなたがどのように見て私のようになりたいなどと思ったのかはわかりませんが、見誤ってはいけません。力だけが全てではありませんよ。強さというものは……」

 この先、少女の人生に決断を迫るものがあるかもしれない。

 それは、もしかしたら些細な事かもしれない。あるいは重要な事かもしれない。

「……私は、お前を困らせてしまったか?」

「いえ……」

「酷く悲しい顔をしているぞ。私はお前を困らせる気はなかった」

 すまないと頭を下げる。口を真一文字にしているラウラはわからない。

 だが、それでいてラウラもまた思う事がある。これほどまでに強いセイバーでさえも悩む事があるのだということが。

「難しい話はわからない」

「そうですね。難しい。本当に難しいものです」 

 ラウラの強さに憧れる姿勢は、セイバーにとっては眩しいものだ。

 アーサー王として、苦楽をともにした友も仲間も臣下の者も、息子のモードレッドすらも殺めた自分の手は既に血にまみれている。

 それらを思い出し、そんな自分が少女に強さを説く資格などあるのだろうか、とセイバーは自問していた。

 じっとセイバーの顔を見つめ、ラウラは僅かに顔を伏せる。説明をされてもいまいち理解できないのだろう。

 だが、先のセイバーの『やり直しを願った』いう話は何となくではあるがわかるような気がした。

 自分が親を知らずに鉄の子宮で生まれた試験管ベビーである事。成績が振るわなかったために貼られた『劣等』のレッテル。『出来損ない』と嘲罵を浴びせられた暗い過去。

 今でこそ持ち直しはしたが、消せるものなら消してしまいたいとラウラも願い思うもの。

 それ故にラウラは問いかける。

「……お前に勝てば、私はその強さと言うものは知り得るだろうか?」

「そうですね。それもひとつの手段でしょう。何かしらの足がかりにはなるのではないでしょうか」

 そうか、と小さく呟き――

 ラウラは顔を上げていた。その顔に浮かぶものは、迷いが一切ない純粋な笑み。

「決めたぞ! 私はお前に勝つ。絶対に勝ってみせるぞ」

「望むところです。挑まれれば全力を持って受けましょう。ですがラウラ、私は手加減はしませんよ?」

「当然だ。逆に手を抜かれて勝っても面白くない。全力のお前を倒してこそ意味があるのだからな」

「ええ。あなたの答えが見つかるように、少なからず協力しましょう」

「……わからなくなったら、また話をしてもいいか?」

「無論です」

 言ってふたりは笑う。

(こんな私でも役に立てる事ができれば……この少女の力に少しでもなれれば)

 息巻くラウラにセイバーは胸中でそう呟いていた。

 ――と。

 セイバーは顔を上げていた。いつしか空は黄昏に。

 肌に触れる風も冷やりとしたものになっていた。

「む。風が強くなってきましたね。戻りましょうラウラ、身体を冷やしては事だ」

 ラウラを連れ、セイバーは屋上を後にする。

 風が吹く――

 旋律を奏でるがごとく、風は金色の髪と銀色の髪を優しく撫でつけていた。



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22

 
『I.S.F インフィニット・ストラトス×Fate』を書く上で、真っ先に思いついていた話。
このふたりを絡めたかった。
どうしても作りたかった話。



「なにコレ……なんで……」

 ディスプレイに映る数値、スペック表値にシャルロットは小さく声を漏らしていた。

 深夜の第二整備室、そこで彼女はひとり作業をしていた。だが、作業とは些か違和感を受ける状況。煌々とした照明などない暗い空間の中。唯一のまともな明かりはシャルロットの開くノートPCのディスプレイによる光源のみ。

 無言のまま、かちゃかちゃとキーボードを叩く指先は僅かに震えていた。

 ハンガーラックに吊るされた、士郎が造ったIS『アーチャー』、赤銅を基調のその機体――

 接続したコードから読み込む詳細データ、それらが端末を通し映し出される度に彼女の表情は逐一変化する。それは眉を寄せるものに。

「どういうこと……数値表示は全然大した事がない……寧ろ機動性が著しく高いだけ……なにより……」

 彼女が一番驚いたものはその事実。

「これは、ほとんどラファール・リヴァイヴのデータだ……」

 そう。シャルロットが何度見ても、何度同じ表示をされるのは『アーチャー』の基本スペックはラファール・リヴァイヴと遜色ない。

 それもそのはずだろう。

 どんなに弄ろうとも、士郎のIS『アーチャー』に流用されている基本データはラファール・リヴァイヴである限り、それ以上のデータが抽出されるはずもない。

 とは言え、彼女が理解できなかったのは模擬戦における士郎の動き。あれほど見事な精密射撃を行える機体にも拘らず、スペックが第二世代型というのだから。

 では、一体どうやって彼はあれほどの武装を繰り出しているのだろうか。考えれば考えるほど、調べれば調べるほど、その答えは見つけられない。

 詰め込まれているのは、あくまでも訓練機と変わらぬスペックとISコアのみ。

「専用機なのに……実質、訓練機と同等……何処の機体だろうこれ……」

 武装データも一通り眼にしたが、近接格闘武装の双剣の重複登録、中距離遠距離武装として登録されている弓のみ。他には何もない。

 拡張領域容量にはまだまだ空きがある。この登録武装だけで『高速切替』に近い動きをしているのかと思考しながらキーを叩くシャルロット。

 ――が。

「勤勉なのね」

「――!?」

 不意に、暗闇に響いた声音に彼女は身体をびくりと竦ませていた。ノートPCを咄嗟に閉じ、シャルロットは立ち上がる。

「坊やのISを調べても何もわからないでしょう? 欲しいデータは見つからないものね。お嬢さん?」

 唐突に灯りが生まれる。光はふたりの姿を闇の中に浮かび上がらせていた。

 その光明が魔術によるものなどシャルロットはわかりもしない。

「な、何を言っているんですか……く、葛木先生、僕は……」

「ええ。坊やに頼まれて効率良く動かせる方法なんでしょう? データを修得しないといけないものねぇ」

 口調、声音は穏やかだが、背筋を凍らせる冷たさが含まれている。

 こつこつと静かにヒールの音を響かせ――第二整備室に現れたのはキャスターだった。

 心臓を鷲掴みにされたかのようにシャルロットは声も出ない。

 キャスターが口にしたように、シャルロットが『アーチャー』に接触したのは簡単だ。模擬戦を終えた士郎にISの効率性を上げる方法がある。エネルギー効率を上げるともっと良くなるよ、と。当然士郎は疑いもしない。関連する機体制御、エネルギーシステムなどはわからないのだから。

 良かったら手伝おうか、と口にするシャルロットの提案を士郎が断る理由はなかった。

 エネルギーシステム向上の話は嘘ではない。機体の装甲アーマーを開いて調整する必要があるため士郎立ち会いのもと作業は進み、実際に上がっている。

 後の細かい作業は僕がしておくよ、と丁寧に応え、士郎も言葉に甘えてシャルロットに任せていたのだが。

 キャスターは少年のように甘くはない。新たな専用機が登場したとなれば、何れはスパイ紛いな輩が近づかないとは思っていなかったわけではない。案の定、人払いと暗示をかけてみれば、相手が勝手に餌に食いついたのだから。

 ならびに、面倒くさい事ではあるが、今は仮にもマスターの身の衛宮士郎に害をなすならばキャスターは殺害も厭わなかった。

「…………」

「坊やは短絡だから疑わないでしょうねぇ……でも、私は違うわよ? 返答如何によっては手間ではあるけれど血なまぐさいことになるわねぇ。玩具を展開する前に……ああ、別にその玩具を展開してもいいわよ。無残に捻り潰してあげるから」

 ISを展開して抵抗するならご自由に、と。

 楽しそうにくすくすと笑うキャスターにシャルロットは言葉なく恐怖する。妖しく笑うその『貌』に――

 かすかに空気が絞まるような気がした。

 保健医として見慣れた顔、シャルロット自身も怪我をした際に何度か世話になった事がある。その時の第一印象は、とても綺麗な人だというものだ。

 それが、今眼の前にいる相手が同一人物には見えなかった。

 保健医は手に何も持っていない。だが、彼女が言うように、簡単に自分は殺されるという恐怖感にシャルロットは駆られていた。

 眼の前の埃を払うのに何の迷いも持たぬように――

 何故そんな事を思うのかはシャルロット自身わからない。ただはっきりわかるのは、相手が遊びで口にしたものではないということ。

 脅しでもない声音にシャルロットはごくりと固唾を飲み込み――『アーチャー』から離れ、キャスターの前に姿を見せる。

 素直に現れた少女に対して、キャスターの眼つきが変わる。

 蛇に睨まれた蛙のように。

 身体にまとわりつくような異様な違和感。笑みを浮かべる女性からは不気味なほどに『死』を感じさせられた。

 シャルロットは気がついていない。キャスターの眼に魔力が篭り、その瞳を見た少女の脳と心、口を撓ませた事に。

 それが軽い心理誘導の魔術だという事に気づきもせず。

「答えなさい。少しでも嘘だと思ったら容赦はしない。偽ろうとしても同じ。返答に迷いが出ても。包み隠さず喋りなさいな」

「……はい」

 どう考えても逃げられない――魔術の影響だと理解するはずもなく――彼女は諦めたようにそう答えていた。

 いい返事ねと答え、キャスターは言う。

「最初に、坊やのISになにをしたの?」

「……何もしていません。詳細スペックのデータを端末で盗みました」

「あなた個人の意思? あなたは確かフランス代表候補生だったわね? フランス政府の差し金かしら?」

「…………」

 無言ではあったが、いいえとシャルロットは首を振っていた。

 震えた声音が口から発せられる。

「デュノア社……僕の父の指示です」

 ぴくりと眉を寄せ、キャスターは耳にした言葉を訊き返していた。

「父親?」

「はい……弁解する気はありません。僕は父の命令でデータを盗みました」

「何のために?」

「…………」

 そこでシャルロットは口を噤む。

 無言のまま、しばし時間が流れるが、キャスターは再度口を開いていた。

「今一度訊くわ、お嬢さん。答えなさいな。何のために盗んだのかしら?」

 軽い魔術とは言え少女に抗う術はない。逆らえない力に圧され――

「……僕が、妾の子供だからです」

 眼を瞑り、シャルロットは観念したように――何処か諦めた様にそう答えていた。

 だが、キャスターにしてみればその返答は求めたものではない。

 そこで魔術を解くと、言葉の意味を知るため、彼女は三度口を開く。

「場所を変えるわ。付いてきなさい」

 顎でしゃくり、キャスターは踵を返していた。

 

 

 つかつかと歩くキャスターの背に、おどおどとした視線を向けてシャルロットが続く。

 会話など一切ない。

 無言のまま、シャルロットはただキャスターの後を付いていくしかなかった。

 途中、逃げ出そうかと考えもしたが、すぐに思い留まる事になった。

 逃げ出したとしても、一体何処へ逃げるというのか?

(怖いよ……一夏……)

 脳裏に想いを寄せる男子生徒に助けを求めるがそれは叶わぬ事だ。

 いいようのない恐怖を覚えながら、力ない足取り。

 ――と。

「入りなさい」

 唐突に声をかけられ、入るように命じられたのは保健室だ。

 明かりが点る室内に足を踏み入れ――視界に映る、保健室には似つかわしくない物。その類も今現在のシャルロットには気にもならない。それほど精神は圧迫されているという事だ。

 椅子に座るよう促され、シャルロットは大人しく従っていた。

(僕……どうなるんだろう、これから……)

 俯き、肩が震える。ぎゅっと握り締めた拳も力なく震えていた。

 一夏に知られた前回の状況とは勝手が違う。明らかに一教師に見咎められたのだから。

 不意に――小さく、かちゃりと陶器が重なる音が鳴る。

 鼻腔をくすぐるのは甘い香り。見れば、眼の前には琥珀色から湯気をのぼらせるティーカップが差し出されていた。

 出された琥珀色を見るともなしに見つめるシャルロット。その身体は未だ震えたまま。

 嘆息ひとつ漏らし、キャスターは言う。

「飲みなさいな。毒なんて入っていないわよ。そうまで震えられたら訊くものも訊けないわ」

 それは嘘だ。

 キャスターが本気であれば、相手に暗示をかけて強制的に自白させる事など造作もない。

 それをしないのは、仮にも本人の意思を尊重してのもの。

「…………」

 しばし無言であったが、おそるおそるとカップに手を伸ばし、シャルロットは紅茶を口に含んでいた。

 最近紅茶を淹れてばかりねと、キャスター自身考えていた。紅茶など、ただの色水程度にしか見ていなかったというのに。

 最初の頃と比べ、彼女の紅茶を淹れる作法は上がっていると言えよう。布仏本音の姉、布仏虚と顔をあわせる機会があった際に偶々紅茶の淹れ方を教えてもらったからだ。虚やアーチャーには到底足元にも及ばないが、作法を知る知らないで淹れる味は違うもの。

 だが、それらはあくまでもその手順を十分にこなせる場所で淹れるもの。

 悲しいかな此処は保健室。お湯はポットのみ。茶葉もインスタントでしかない。休憩程度に口にするものに、キャスターはそこまで徹底したものを求めてはいない。故に手軽に済ませる方法を選ぶ。とはいえ、インスタントでも美味しく淹れる分量は教えてもらった上でのものだ。

 紅茶の甘味に緊張がほぐれたのか、シャルロットは肩の力を緩めていた。

 それを見越し――キャスターもまた椅子を引き、向かいの席に座っていた。自身も紅茶に口をつける。

 唇と喉を潤した魔女は少女へ視線を向ける。

 蒼く見据える瞳に一瞬背筋をぞくりとさせるシャルロットだが、冷静故か大人しいまま。

「お嬢さん、話してもらうわよ。あなたが何をしようとしていたのかを。それと、さっき言っていたわね。『妾の子』と……どう言う事?」

「…………」

 少しは落ちついたのか、シャルロットはキャスターの問いかけに――静かに、ぽつりぽつりと答えはじめていた。

 

 

 事のはじまりは、IS学園のセキュリティを踏まえた上でのデュノア社からの暗号通信からだった。

 当初のシャルロットに課せられた任務の織斑一夏と白式のデータがいつまで経っても送られてこないのだから。

 痺れを切らしたデュノア社にしてみれば、遊びでシャルロットをIS学園に送り込んだわけではない。先に述べた二種のデータを得るためだ。

 だがシャルロットはデータを送るつもりはなかった。とは言え、彼女は年頃のひとりの女の子だ。自分の会社が相手となれば抵抗できるものにも限りは出てくる。

 デュノア社の経営は日々変動する。一向に送られてこないデータに躍起になるのは当然と言えよう。

 だが、それでもシャルロットは頑なにデータ提供は拒否していた。IS学園特記事項第二一条を盾にして。

 双方の意思が平行のまま、動いたのはデュノア社だった。

 第二の男性操縦者、衛宮士郎の専用機ISデータを入手しろ――と。

「…………」

 携帯電話に告げられた内容にシャルロットは言葉を失う。それは、一夏とのやり取りを思い出したのだから。

「僕は――」

「シャルロット・デュノア代表候補生」

 反論しようとするシャルロットを遮り、通話相手は抑揚のない声音で告げる。

「我々デュノア社は、遊びであなたをIS学園に送り込んだわけではありません。そこはご理解されているはずです」

「……はい」

「織斑一夏、ならびに同操縦者のISデータの取得があなたの任務だったハズですよ?」

「ですから、それは何度も言っているでしょう? 僕にはそんな事は出来ないと――」

「出来る出来ないではないんですよ。我々はやれと言っている」

「――っ」

「言い方を変えれば、あなたひとりのせいで、デュノア社員が路頭に迷うという事をお忘れなく。それとあまり我侭を仰られますと、此方としても不本意ではありますが代わりを用意しなくてはなりません」

 電話越しに聴こえる相手の嘆息。それよりも聴き捉えた言葉にぴくりと反応し、僅かにシャルロットの指先、肩が震え出す。

「代わり?」

「ええ。あなたを本国に引き上げろ、との話が出ております」

「――――」

「聡明なあなたならわかるはずです。この意味が」

 その後の事をシャルロットは覚えていなかった。ただ、震える手がよく携帯電話を取り落とさなかったと今になれば思う事だ。

 無意識のまま二、三程言葉を交わし通話を終えると、無言のまま額に手をあて思案に暮れる。

(戻される……? あの場所に……嫌だ……そんなの嫌だよ……)

 父親、本家、デュノア社、フランス政府……それらが頭に浮かびシャルロットは更に苦しむ。

 しばらくひとり悩んでいた彼女だが、悩み考え抜いた末に出した答えは――今の生活を壊したくないとしたもの。

 

 

 その後は今に至る。

「――――」

 自分が愛人の子供である事。

 現状のデュノア社の経営不振の事。

 それと、このデータ収集の件はこれが初めてではない事。

 自分が男として偽り、織斑一夏に接触して彼の身体データ、ならびに機体データを得るように言われた事。だが自分が女だとばれたこと、その際に一夏にどうしたいのか告げられ、助けてもらった事まで。

 キャスターにとっては関係ない部分もあったが、シャルロットにとっては勢いのまま全てを話していた。特に、白式のデータ取得の話などは一夏以外に口外していない。キャスターが二人目となる。

 シャルロットの思惑など知るはずもなく、キャスターは内心呆れたものがあった。

 士郎のISに関しては、何処かから情報が漏れたものを中身の確証もせず聴き捉えたのだろう。しかも白式や紅椿のように、最新型ISかなにかと勘違いしての食いつきとも取れる。白式のデータが得られなくても最新型のデータが取れればそれでいい。その考えは間違ってはいない。

 その欲する機体データが、願っているように最新型であればの話が前提となるのだが。

 データを取得しなければ、代表候補を剥奪すると脅されもしたとシャルロットは話す。別の人間を新たな代表候補生として学園に送る。帰国させられるのが嫌ならば、大人しく指示に従えと安易に示唆されたもの。

 とはいえ、それはシャルロットの問題である。

 理由はどうあれ、キャスターの眼の前で縮こまる少女は損得を天秤にかけて『得』を選んでいる。

 皆と離れたくないから心苦しいが言われるままに協力したと聴こえはいいが、そのために士郎のデータを得ようとした。それは目的の為ならやむなしというシャルロットの本心だろう。苦渋の選択など言葉で彩っても事実は変えられない。

 それはシャルロット自身もわかっている。一夏と離れたくないために、友人の機体データを売ろうとしたのだから。

「一夏に助けてもらったのに、僕はやっぱり駄目なんです。軽く条件を出されてしまって大人しく従っているんですから」

「一夏? ああ、ISをはじめて動かしたという男ね。織斑一夏だったかしら」

「はい」

 シャルロットの頷きに、だがキャスターは特に反応はない。

 織斑一夏に関する情報は頭の中に入っている。織斑千冬の弟で、士郎と仲良くしているとも聴くし、ランサーがくだらないちょっかいをかけているのも知っている。

「…………」

 恐らく、一夏という男が助けたというが、その少年も感情のまま口にし、少女を諭したつもりなのだろう。キャスターはその程度の認識だった。『子供』だと捉えている。

 覚悟は出来ていますと答えるシャルロットに、キャスターは内心鼻で笑っていた。

 簡単に覚悟があると口にするのなら、最初からこんな事をしなければいいのにと。そのため、魔女は問いかけていた。

「あなたはどうしたいの?」

「……どうしたい?」

「どうしたい、どうやりたいの? 今の状態をあなた自身はどうしたいの?」

 話を聴く限り、今回の件を通すところへ通せば、この少女自身にもそれなりの処罰が下されるだろう。命を奪られるまではいかないと見越しても、陽の当たらない生活を余儀なくされると推測する。

 なにより、デュノア社だけのものか、その背後にもしフランス政府が関与しているとなれば面倒ごとは増えるだけ。

 デュノア社は解体され、別会社に吸収、または傘下に入る程度にはなるだろう。デュノア家は一族郎党も処罰は受けるやもしれない。もしくは、狡猾にもこの少女だけに罪を被せてトカゲの尻尾きりとして保身に走る輩がいないとも限らない。

 だが――

 画策した者が処罰を受けるのは当然だが、自分の都合で産ませるに至った女の子供を、実の娘と接するわけもなく、IS適正があるとわかれば掌を返したように駒のように扱う。

 シャルロット・デュノアの父が、果たして本心から下したのか、または別の者の指図なのかはわからない。しかしキャスターにすれば、黒幕が誰かなど、そんな些細な事はどうでも良かった。彼女はただひとつ、『気に入らなかった』だけなのだから。

 大人たちにいいように利用されて、自由も、本人の意思も蹂躙されたこの少女への仕打ちが、キャスターは純粋に許せなかった。

「……私と同じね。まるで」

「え?」

 ぽつりと漏らすキャスターの声音にシャルロットは思わず訊き返していた。だが、魔女はそれには応えず、先の言葉を繰り返す。どうしたいのか、と。

 相手の問いかけに、シャルロットは視線を泳がせ力なく呟いていた。

「僕は……一夏と……皆と離れたくないです」

「……ならいいんじゃないかしら、それで」

「いいって……」

 シャルロットの視線がキャスターへ向けられる。あっさりと応える女性。そんな簡単に済む問題ではない。それほどの事を未遂とはいえ自分はやろうとしていたのだから。

 罪の意識はあるようね、と捉えたキャスターはつまらなそうに言う。

「どうでもいいわよそんなの。くだらない」

「ど、どうでもいいって……悪いことをしようとしたんですよ。そ、それに、僕が嘘をついているかもしれないじゃないですか」

「それはないわね」

 あっさりと――言いのける。

「あなたの眼を見ればわかるわね。嘘をついているのかどうなのか。それに、そんなに器用じゃないでしょ、あなた」

「…………」

「そんなあなたを見て、一夏て子は助けてあげようという気になったのでしょうね。ついでに言うけれど、衛宮士郎の機体データなんて、大して役に立たないわよ? あなたならわかるでしょう。所詮は第二世代型のデータなのだから、今更お古のデータを手に入れたところでどうにもならないはずよ」

「……それは……」

 キャスターの指摘にシャルロットは口篭る。言われる通り、中身を見た限りでは『アーチャー』のデータはそれほど価値があるとは思えなかったからだ。

「どうしても欲しいっていうのならくれてやればいいわ。ああ、なんなら私が直接デュノア社に話をしてあげるわよ? 私はね、お嬢さん……自分の勝手な都合でいいように振り回そうとしている輩が大嫌いなのよ。それに私はあなたを許したつもりはないわよ。罪の意識があるのなら償いなさいな」

「…………」

「それでも自分自身に納得できないのなら、自分で勝手に担任の織斑先生なり山田先生にでも言う事ね」

「はい……」

 おそらく、シャルロットは許しを得るために馬鹿正直に士郎に話をしたとしても、当の彼はこう応えるだろう。

「データぐらい、いいじゃないか」

 後先も考えず、どういう事になるかなど考えてもいない。『正義の味方』を語る少年の心情を知り、その後の行動など安易に想像がつくだけにキャスターは頭が痛かった。いや、シャルロットの実情を知れば、あの少年は間違いなく首を突っ込むだろう。

 空になっていたカップを下げ、二杯目を淹れて差し出しキャスターは嘆息する。

 素直に紅茶に口をつけるシャルロットを見ながら――いずれにせよ、根本の問題は解決しない。

 自分ひとりが勝手に手を下すとなると、後々厄介なことが起きるのは必須と考える。IS学園の存在、ならびに織斑千冬だ。

「お嬢さん、私は今回何も見なかった。何も聴かなかった。それでいいわね」

「え? でもそれは……」

 シャルロットが顔を上げ、口を開き言いかけるがキャスターは相手にしなかった。

「極力面倒事には首を突っ込みたくないの。あなたは今まで通り大人しくしてる。そうしなさいな」

「……でも……」

 でもそれは、何の解決にもならないのでは――シャルロットは胸中でそう呟く。

「魔がさそうとしたけれど、それを思いとどまった。それでいいじゃないの」

「…………」

 お話は終わり。今日はもう帰りなさいなとシャルロットへ声をかける。

 これ以上話しても変わらないと思ったのかどうかはわからない。ただ、シャルロット自身が今後をよく考えるにはこれ以上拘束するにも得策ではない。

 わかりましたと応え、保健室から出て行く際にシャルロットは振り返ると、ぺこりと頭を下げていた。

 扉が閉まり、廊下を歩く音が鳴るが、やがてそれも徐々に聴こえなくなる。

 しんと静まり返る保健室で、キャスターはひとり思案顔となる。

「…………」

 何故に自分は手を貸しているのだろう?

 あの少女が自分と同じだから?

「…………」

 眼を閉じ、キャスターは意識を沈ませる。

 利用されて捨てられるなど。まるで自分を見ているようだ。

 他者による、あまりにも身勝手な振るまいが、キャスターは我慢ならなかった。

 自分と同じように、いいように利用されて捨てられるなど。

 自分自身はどうあっても変える事は出来ないが、眼の前の少女の運命を変えることは出来る。

 こんな自分でも、助けてあげる事が出来る。

 そこまで考えていたところで、キャスターは眼を開けていた。

 何故、自分は彼女を助けようとしているのだろう?

 所詮は他人だ。放っておけばいいだけなのに。

 何故に――?

 くだらない。実にくだらない事を自分はしようとしている。

 サーヴァントにあるまじき行為。自身は『キャスター』、希代の魔術師、『裏切りの魔女』と呼ばれる自分がどうして人助け紛いな事を――

「こんな私が……」

 魔術師になれない魔術見習いの少年の甘さが移っている――?

「私も正義の味方の真似事かしら?」

 魔女の自分がなんとお笑い種だろうか。

 誰かのために本気で助けようとしている自分に嘲笑う。

 馬鹿な話があってたまるか、とキャスターは一蹴したい気分だ。この身は宗一郎のためだけにある。

 葛木宗一郎にとっての善悪は衛宮士郎とは違いすぎる。宗一郎にとって間違っていると感じたものが正されるのだから。

 当初の目的は桜に頼まれた士郎を捜す事。それはもう済んでいる。次はこの世界から早々に出る事だ。他の連中はどう考えているか知らないが、キャスター自身はこんなところにいつまでも長居するつもりはない。一刻でも早く、愛する人のもとへ戻りたいのだから。だが、それにも時間がかかる。

 ――故に。

 時間がかかるその合間に――仕方がないと捉えていた。

 戯れとして、自分自身に言い聴かせるように、決して、湧いた感情が本心からのものではないと敢えて論じ否定しながら。

 いずれにせよ、彼女は理に合わぬ事を考える。

 自分が振舞おうとしている行いは、本心からのものではない。忌々しいが止むを得ず下すしかない。絶対に認めようとはせず、他に手がないのだからと置き換えていた。

 退屈しのぎにもならない退屈しのぎとしてか。

 気が変わったというべきか。束の間にやるべき事が見つかったというものか。

 くつくつと小さく笑いながら、どんなに自分に都合よく言葉を並べたとしても、ただひとつハッキリと理解しているものはある。

「そうね……私は気に入らないんだわ……」

 無意識のうちに手にしていた空のカップに力を篭めると――がぎんと音を立てて握り潰していた。

 

 

 それからのキャスターは迅速だった。

 翌日の生徒たちが疎らな早朝、職員室に入るなり千冬を掴まえ、有無を言わさず屋上へ連れ出していた。

「なんの用だ」

 写真の一件以来、千冬はキャスターを快く思っていない。

 士郎、セイバー、ランサーを含めた四人のうち、千冬が尤も警戒しているのは眼の前の女だった。ランサーも危険視するものではあるが、彼と比べればレベル的にはキャスターが圧倒する。保健室でよからぬ事を企てているのではと常々警戒してはいるが、予想とは裏腹に生徒からは良好の声しか耳にしない。

 キャスター自身も己がどう思われようが気にもしない。相手はただの人間だ。例え千冬があのISなどという玩具を持ってきたとしても歯牙にもかけない。

 互いの思惑などさて置き、キャスターは単刀直入に要件だけを告げていた。

「あなたのクラスの生徒、シャルロット・デュノア……どこまで知りえているのかしら?」

「言っている意味がわからんが?」

 眉を寄せ訊き返す千冬に、あらそうと応えつまらなそうに視線を向ける。

「わかりやすく説明したほうがよさそうかしら? あのお嬢さんの身辺状況、どこまで知っているのかと訊いてるのよ」

「……お前に教える必要があるのか? 貴様こそ説明しろ。目的はなんだ」

「訊いているのは私よ。あなたはただ訊かれた事に素直に応えればいいだけ。偉そうに、たかが人間如きが私に命令するんじゃないわよ。消し飛ばされたいの?」

「…………」

 ふたりの空気は最悪だ。

 節度を持ち振舞っているとは言え、キャスターはサーヴァントとしての能力をひけらかす気はないが隠す気もない。彼女の言葉は冗談など一切含んでいない。やる気になれば本気で行うだろう。

 対する千冬も相手の不可思議な能力に怯えもせず睨みつける。

 千冬が生徒を護るように、キャスターは不本意であれ士郎を護るだけ。どちらも己が護る領域に手出しをされれば黙ってはいない。

 しばし無言。だが先に折れたのは――千冬だった。自分が何も応えなければ、眼の前の女は次に真耶を標的にするだろう。彼女を相手にさせるには分が悪い。それを見越しての判断となる。

「先に言っておくが、生徒に危害を与えるよなものなら私とて容赦はせん。何が知りたい? デュノアに関してはそう応えるものなどないぞ?」

「男として編入したと聴いたけれど?」

「確かに。その事実はある……最初はな。だが、デュノア自身が女だと告げてその件は済んでいる」

「…………」

 それだけかと問いかける千冬にキャスターは顎に手を当て考える。

 昨日聴いた話をそのまま口にするべきか。もし口外して、眼の前の女が知り得ていない情報を提供したら面倒な事になる。

 そう考え――

 キャスターは別の事を訊いていた。

「デュノア社の経営は悪いのかしら?」

「……産業シェアに関しては我々が感知し、把握しているものではない。ただ、些か苦しいとは耳にする」

「…………」

 些か――

 相手の返答は予想出来得ていたもの。キャスターはやれやれとひとつ嘆息を漏らし口を開いていた。

「最後。とある生徒が自分ではやりたくもない事をやらされている。それをしなくてはならない脅しを受けている。どうしていいかわからないと迷うその子を、あなたならどうするかしら?」

 キャスターの口から発せられた唐突な内容に、千冬はなんだその例え話はと一瞬笑いかける。

 が、すぐにそれは思い止まっていた。相手の眼、冗談を一切含まない至極真面目な双眸だったからだ。

 それを見た千冬の表情も自然と強張り、相応の声音で返答していた。

「……決まっている。理由がどうであれ、生徒に外部から圧力をかける事など見過ごせん。それがお前の言うように無理強いを示すものなら尚更だ。如何なる手段を用いても護るだけだ」

「ふうん……」

 千冬の応えに納得したわけではない。だが、キャスターは口の端を吊り上げていた。

「なら、私は手を引くわ。面倒事まで深入りする気はないの」

「待て。先から何を言っている。的を得ない話ばかりでわからないぞ」

 立ち止まり、振り返ると魔女は言う。

 此処までは口にしても構わないと頭の中で算段しながら。

「デュノア社が、坊やのISのデータを欲しがっている。それをシャルロット・デュノアに命じて盗ませようとしている」

「…………」

「データ取得は未遂で終わったけれど、本人はそのことに酷く心を痛めている。経緯はどうあれ、自分自身が決めてデータを盗もうとしたことは事実なのだから」

 白式と一夏のことは敢えて口にしなかった。

 それは既に一夏とシャルロットの間で済んでいる事。いまさらそれをつつく気はない。

「私としては、あんなデータなどくれてやればいいと思うけれど、そうもいかないでしょう? あなたが受け持つ可愛い生徒なら、なんとかしてあげなさいな。それと、出来る事なら彼女にはなんの咎もないようにしてちょうだい。それくらいできるでしょう? 『ブリュンヒルデ』さん?」

 それだけよ、と言ってキャスターは踵を返す。

「待て。なぜお前がデュノアに肩入れをする?」

 そこが一番理解できない事だ。この女とデュノアに接点はないはずだ、と千冬は捉えている。

 だが、今度はキャスターは振り向きもしなかった。

「さあ? 自分でもよくわからないのよ。ただ、あの子が私と同じように、ただいいように利用されている姿を見るのが気に入らないだけ。実の子供を駒や道具に扱うのが我慢ならないの」

 実の子供、という言葉に千冬はぴくりと反応する。自身にも当て嵌まる境遇を思い出しながら。だが、それは一瞬。

 眼の前の女がこれほどまでに感情的になるとは珍しい。声音だけでも十分怒りを含んでいるのがわかる。見えはしないが、表情も相応のものなのかと邪推しながら、千冬は聴きとめた言葉を口にする。

「お前と同じとはどういう事だ?」

「私に、あなた如きにそれに応える義理があって?」

 話は終わりよと手を振り、キャスターは去っていく。千冬はその背をたた無言で見入るだけだった。

 職員室に戻り、彼女なりに調べた事でわかったものは、やはりきな臭いデュノア社の動きだった。それなりにカマをかけてみたが、相手は否定を示すだけ。

 だが、千冬とてそのまま引き下がりはしなかった。IS学園から遠回しにデュノア社に警告した事はみっつ。

 ひとつ、本学園生徒、シャルロット・デュノアに干渉するな。

 ひとつ、在学中のありとあらゆる国家、組織、団体に帰属しない。本人の同意がない限り、外的介入は原則として受け入れない。それでも介入するというのならば、規定違反の学園への干渉と見なし此方にも考えがあること。

 ひとつ、一経営企業如きが、私を甘く見るな、と。

 その三点を強制的に告げただけだった。今現在はこれだけだ。

 IS学園特記事項第二一条があるとはいえ、どれほどまでに効果があるかはわからない。だが、三年間は向こうも手は出せないのだ。その合間に最善の手を考えればいい。

 まったく、余計な面倒事を増やしてくれると、千冬はこの場に居ない保健医に対して恨みをぶつけていた。

 

 

 千冬に放課後呼ばれたシャルロットは気が気でなかった。

 自分が呼び出される事など、心当たりはひとつしかない。案の定、少女の予想は的中する。

 織斑千冬が本気になれば、シャルロットに関して調べられないものはなかった。キャスターの口にした内容もその筋から裏が取れた。また、実弟の織斑一夏と白式のデータを得ようとしていた事も調べていく上でわかったもの。

(葛木め……知っていながら口にしなかったな……)

 その事実を知った時、千冬は胸中でキャスターに怒りをぶつけていた。

 他の教師の姿が見えない職員室でシャルロットから一連の話を聴き取り――終えた際に千冬は険しい顔のまま告げる。

「くだらん」

 そう一言残し、千冬は手を払うとシャルロットに退室を命じていたからだ。

 ワケがわからないシャルロットは当然詰め寄っていた。言い方がおかしいが、何故、そうまで事情を知っているのに自分にはお咎めがないのかと。

 だが、それこそ千冬は面倒くさそうに視線を向けて言葉を吐く。

「お前はどうしたいんだ? 学園を離れたいのか?」

 その言葉にシャルロットは声を噤む。キャスターに応えたように、自分は仲間から離れたくないのだから。

 そのことを伝えると、然して表情に変化のない担任は「そうか」と応えただけだった。

「ガキの考えは所詮ガキの範疇でしかない。お前らでどうにかできるのか? くだらん事を考えるな」

 適当に言葉を濁され、半ば追い出されるように職員室を後にしたシャルロットはその脚のまま保健室へ向かっていた。

 がらりと扉を開けば、目当ての女性は、昨日話をした椅子に座り衣服を縫っていた。

 キャスターも現れた少女に視線を向け――あらと口元をほころばせる。まさかシャルロットが来るとは思っていなかったからだ。

 シャルロットは確認したい事があった。千冬は何も言わなかったが、今回のタイミングで真っ先に浮かんだのは眼の前に座る女性。

 椅子を勧められ素直に従う少女とは対照に、キャスターは裁縫の手を休めない。

 しばし無言が続くが、口火を切ったのはシャルロットだった。

「葛木先生が……その……色々としてくれたんですよね?」

「なにをかしら?」

 目線は合わせず、キャスターの指先は糸が通された針を布地に這わせていく。

 手際よい作業に見入りながらシャルロットは続ける。

「織斑先生から……デュノア社の事で話をしました」

「……そう」

「でも、おかしいんです。昨日の今日でこんな風になるなんて」

「なんの事を言っているのやら。わからない話をされても、私はなんとも返答の仕様がないのだけれど。余程優秀なのね、織斑先生は」

「…………」

「良かったじゃない。話を聴く限り、万事解決するんでしょう?」

「…………」

 そこでシャルロットは今の言葉に違和感を覚えていた。

(どうして葛木先生は、万事解決するなんて口にしたんだろう……僕は織斑先生からデュノア社の事で話をしたとしか言っていないのに……)

 まるで最初からわかっているかのような口振りともとれる。

 改めて相手を見るが、やはり変わらずキャスターは裁縫を続けるだけだ。

 確証を得たわけではない。だが、自然とシャルロットは感謝の言葉を口にしていた。

「……ありがとうございます。こんな僕を、助けてくださって」

「助けた?」

 そこで指が止まり、キャスターははじめて少女を視界に捉えていた。蒼い瞳が少女を睨むように真っ直ぐに見据える。

「お嬢さん、言葉はよく選んで使いなさいな。あなたが勝手に助かっただけではなくて? 勘違いしない事ね」

「…………」

 シャルロットは無言。

 キャスターはすいと視線を外し作業に戻る。

「ありがとうございます」

「礼を言われる覚えはないわよ」

「ええ。それでも、僕は葛木先生にお礼が言いたいんです」

「…………」

「何もしてくれていないかもしれません。でも、僕をあの時見つけてくれた事、話を聞いてくれた事には感謝しています」

「…………」

 言葉はない。この少女は本当に愚かな子だと魔女は思う。

 キャスターがあの場を押さえてくれたから、止めてくれたから今の自分がいるなどと、シャルロットは都合のいい解釈をしている。

「あの……」

「なにかしら?」

「その……迷惑でなければ、昨日の話を訊いてもいいですか? 僕と同じって口にした事……」

「ちっ――」

 小娘が、調子に乗るなと考える。

 余計な事を言ったものだとキャスターは後悔していた。相手の少女に対しても律儀に覚えているものだと歯噛みしながら。

 思わず暗示をかけようかと考えたが、すぐにやめた。余計な手間をかけたくない。

 なおかつ――何故か、キャスターは眼の前の少女に話してもいいかと考えていた。同情、憐れみかはわからない。気がつけば彼女は手にした針と衣類をしまい、空いたベッドへと抛っていた。その脚のままふたり分のお茶の用意をする。

 カップを手にして戻ったキャスターはシャルロットへ差し出し、自身も腰を下ろす。

「私自身のことを話す気はないけれど、ちょっとした御伽話を聴かせましょうか」

 話は長くなる、それにつまらない話よ、と前置きしてキャスターは口を開いていた。

 まだ、人間として生きていた頃の思い出を混ぜながら――

 オリンポスの神々の思惑と夫の裏切りにより人生を狂わされた女の話を語り出す。

 

 

 国を棄て、父を裏切り、弟を手にかけ、望みもしない夫を愛し捨てられ、帰る場所を失い異国の土を踏み長い放浪を辿る魔女の物語。

 無理矢理重ねられた多くの罪。叶わぬ願いと知らされながらも捨てざるをえなかった多くの夢。

 淡々と――

 時間にしてはどれ程か。

 語り終えたキャスターが顔を上げて見たものは、ほろりと一滴の涙を頬に伝わせるシャルロットだった。

 紅茶などとうに冷めている。最初は口をつけていたのだろうが、それほどまでに途中からは話に聴き入っていたのだろう。

 馬鹿な娘ね、とキャスターは笑う。

 くだらない昔話で、何故にこの少女が涙するのか。自分の事として話したつもりではないというのに。

 思わず、キャスターは手にしたハンカチでシャルロットの目元を優しく拭っていた。そのまま少女に語りかける。

「運命なんてものはね、お嬢さん。努力次第で先送りには出来るかもしれないわ。でもね、己の運命だけは、例えどんなに汚く足掻いたとしても自分ひとりの努力だけではどうする事も出来ないのよ」

 現に私がそうなのだからとキャスターは自嘲気味に笑う。

 だが、シャルロットは相対する女性の瞳に浮かぶ、どこか寂しそうな色があることに気づいていた。

 口に出しかけた言葉を――呑み込む。それは、眼の前の女性に告げていいのか迷ったからだ。

 逡巡するシャルロットに構わず、キャスターは続ける。

「心から、本当に自分を変えたいと願い求めるならば、誰かに手を借りなさいな。それも、ちゃんとした大人よ? 子供の浅知恵ではただ今を先伸ばしにしているだけ。それに満足できるものでもないでしょう?」

 遠回しに一夏の事に触れている。キャスターとて一夏の行動を馬鹿にしているわけではない。あくまでも彼は子供なのだから。その場の勢いでいい案を思いついたとしても、ならばどのように対処するのかと踏み込んだところまでは考えていまい。でなければ、シャルロットが悩む姿などあるわけがない。

 助ける事と救われる事が同一とは限らない。シャルロット自身も完全に救われてはいないのだから。

 でも――とも考える。子供だからこそ、口にできた言葉にシャルロットが助けられたというのもまた事実。

 こんな昔話を聴かせた事にキャスター自身意味があるとは思わなかった。

 だが、放っておけないと考えたのは本心からのもの。そのため、キャスターはシャルロットに優しく告げていた。

「お嬢さん、あなたと仲良くする気はないけれど、困った事があったらいつでもいらっしゃいな。おかしな事をされても面倒だし……そうね、お茶ぐらいは出すわよ」

「…………」

 その言葉に――シャルロットは、無言のままこくりと頷いていた。

 

 

 後日――

 保健室に訪れた士郎は、そこで珍しい顔を見つけていた。

「……珍しいな。デュノアがいるなんて」

 呟き通り、シャルロットと本音、キャスターの三人の組み合わせなど珍しい。

 仲良かったっけと首を傾げる士郎に、シャルロットは頷き応えていた。

「うん、葛木先生には良くしてもらっているよ」

「…………」

 無言のまま、キャスターに疑惑の眼差しを向け――問いかける。『アンタ何かしたのか?』と。

 だがキャスターは少年の言いたい事が簡単にわかったのだろう。否定の言葉を口にしていた。

「失礼ね。私はなにもしていないわよ」

「……どうだか」

 布仏の件があるから信用できないからな、と手を振ると士郎の視線はシャルロットへ向けられていた。

「デュノア……気をつけた方がいいぞ。この先生は怪しいからな」

「ちょっと、それはどういう意味かしら?」

 言い合う士郎とキャスターのふたりを見て――

「あはは、大丈夫だよ士郎。葛木先生は優しい人なんだから」

 屈託のない笑みを浮かべて――

 シャルロットは、心からそう微笑んでいた。




三度、今回の話に関しまして、alutoさんのご協力に感謝いたします。誠にありがとうございます。


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23

「鷹月、コレ」

 昼休みになり、士郎は鷹月静寐に頼まれていた腕時計を差し出していた。

 呼び止められた相手は渡された品を見入り――

「わ、本当に直ったの?」

 破損部分が完全に直された腕時計は正常に動いている。

 まさか本当に直るとは思わず、半ば諦めていただけに静寐の声音は嬉しさが含まれていた。

「ああ、修復する箇所は比較的簡単だったからさ。直ぐに出来たよ。ただゴメンな、渡すの遅くなって」

「ううん、そんなことないよ。こっちがお願いしてたんだから気にしないで。ありがとう衛宮くん。このお礼は、後でジュース奢るね」

「なんでさ。別にいいよ」

 苦笑を浮かべる士郎に賛同するように、会話を聴いていた本音は袖をばたばたと振る。

「エミヤんてすごいよねー。わたしも前にクーラー直してもらったんだー」

「クーラー?」

 その家電機の名を聴いて、静寐は思わず眼を丸くする。

(クーラーって、個人で簡単に直せる物だったかしら?)

 そう胸中で呟きながら、彼女の視線は自然と士郎へと向けられていた。

 だが、眼の前の男の子ならば、何でも直せそうな雰囲気を感じ取っていた。

 彼ならば、例え自動車が壊れたとしてもスパナ片手にちょいちょいと弄ってはあっさりと直しそうな気がする。更に言えば、ISも同じように例えどんな壊れ方をしたとしても容易に修理しそうな感じがした。

 そう思う静寐ではあるが、本音の言葉を聴いてからなのか、何処か疲れたような顔をして士郎は視線を逸らしていた。何かを思い出して、それが厄介なものだといわんばかりな顔で。

「?」

 彼の態度に静寐は首を傾げるだけだった。

 ――と。

『一年一組、衛宮士郎くん、至急、生徒会室までお越しください。繰り返します――』

 学園内放送で告げられる名前に、静寐は声をかけていた。

「衛宮くん、なにかした?」

「? なんだろ。特に思い当たるところはないけれど」

 士郎も首を傾げていたが、なんにせよ呼ばれたからには行かねばならない。

 行ってくると一言呟き、士郎は教室を後にする。そんな彼の背中に静寐は、腕時計ありがとうね、と声をかけていた。

 士郎が席を外したのを見て――

「セイバーさん……よろしいかしら」

「セシリア? なにか?」

 今日は士郎特製の弁当はなく、当の士郎はたった今学園放送で呼ばれてしまった。

 食堂へ向かおうと席を立ち上がったところに、セイバーはかけられた声音の相手に振り返っていた。

「…………」

 無言であり、だが声をかけておきながら、セシリアは視線を逸らしたまま。

 いつもの彼女とは明らかに違う雰囲気に対して、小首を傾げながらセイバーは問いかける。

「どうかしましたか、セシリア?」

「……少し、お話したい事がございますの。申し訳ありませんが、少々お時間頂けますかしら?」

「構いません。では食堂で……」

「あ、いえ……できれば人のいないところで」

 歩き出そうとするセイバーの腕を思わずセシリアはとってしまう。

 ぼそぼそと呟くセシリアに再度視線を向けるが、相変わらず、彼女は此方に目線を合わせようとはしない。

 なにかしらの事情があるのだろうと簡単に察したセイバーは返答軽く。

「……わかりました。では、屋上でも?」

「ええ、あと……出来ればランサーさんも……」

 逃げるかのようにセシリアは視線を彷徨わせ――

「あ……」

 思わず声音を漏らす。目当ての男性は、布仏本音と谷本癒子のふたりと楽しそうに話をしていた。

 談笑する輪を崩す事に躊躇うセシリアだが、つかつかとセイバーはそのままランサーの席へと向かっていく。

「ランサーにも用があるのですね?」

「セイバーさん?」

 慌てて呼び止めるセシリアではあるが、既にセイバーは声をかけていた。

「ランサー」

「あ?」

「少し、わたしと付き合ってほしい」

 言って、セイバーの視線が向けられた先、ランサーも釣られて首を動かす。

 視界に映るのは、こちらを見ずに申し訳無さそうな表情を浮かべて立つセシリア。片腕を抱きしめるように、強張っている姿。

 明らかにいつもと違う。瞬時に事態を察知したランサーは言葉少なく返事をしていた。

「あいよ」

 がたりと席を立つと、本音と癒子に悪いなと手を振っていた。

 またあとでねー、と袖を振る本音の声を背にふたりは歩き出していた。 

「行きましょうセシリア」

「申し訳ありませんセイバーさん……ランサーさんも……」

「別に気にすんなっての。そんな面すりゃワケありなんだろ? 早いトコ行こうや」

 セシリアの肩をぽんと叩き、連れ立って戸口を越え――

「あ、ちょうどいいトコにいた」

 かけた声の主は鈴だった。彼女は探していた人物を見つけ足早に寄っていた。

「セイバーと、ついでにランサー、アンタたちふたり今暇でしょ? ちょっとあたしに付き合いなさいよ」

「……鈴さん、申し訳ありませんが」

 ふたりの前に立つセシリアは、遠慮してくれと眼で問いかける。

 だが、鈴は気にもしない。

「別に構わないわよ、あたしは」

「いえ……」

 わたくしが気にするんですのよ、と言いかけるセシリアに鈴は気にした様子も見せず手を振っていた。

 鈴の眼がセシリアを捉えるが、当のセシリアは直ぐに顔を逸らし俯いていた。

 じっと相手を見入り鈴は言う。

「セシリア、あたしも同じ話をしようと思っていたトコ。どーせアンタのその顔見る限り、内容も多分同じモンだと思うわよ。後ろのふたりもそうだろうし」

「……後ろ?」

 言われ、くるりと振り返ってみれば――そこには、ラウラとシャルロットが立っている。

 一同の視線を受けたラウラは口を開き言う。

「わたしたちも、そこのふたりに用がある」

 『ふたり』とは、無論、セイバーとランサーを示している。

 セイバーは僅かに眉を寄せ、ランサーは千客万来だなと笑っていた。

 

 

「箒、メシ食いに行こうぜ」

「ああ」

 午前の授業も終わり、座りっぱなしで凝った身体をほぐしながら立ち上がった一夏は箒に声をかけていた。

 そのままぐるりと今日室内を見渡し――見慣れた顔がない事に、彼は今更ながらに気づくのだった。

「あれ? セシリアたちは……と」

「セシリアならセイバーたちとどこかに行ったぞ。シャルロットとラウラも後をついていったな」

 なんだそれ、と声を漏らし、一夏は頭を掻いていた。

「そっか。なら久しぶりにふたりきりか。俺たちだけで食うか」

「――!?」

 ふたりきり――

 相手が口にした言葉に、ぼひゅっと箒の顔は紅くなる。

 横に立つ一夏は「あー、でも鈴でも誘うか」と口にしているのだが、箒の耳には届いていない。

(ふたりきりふたりきりふたりきりふたりきりふたりきり……)

 呪詛のように胸中でぼそぼそと呟き――

 意を決した箒は顔を上げていた。

「一夏ッ! わ、わたしは今すぐ食堂に向うぞッ!」

「え? お、おう。だからメシ食いに行こうって言ってんじゃんか。鈴も誘って――」

「鈴はいらん! 捨て置け!」

「いや、いらんてお前――」

「行くぞ一夏っ! わたしは今一分一秒とも大変時間が惜しい! 昼食の後は、朝お前がサボった稽古だ! 食後の運動にちょうどいい」

「お、おい、引っ張るなっての」

 一夏の抗議の声を無視し、箒は腕を掴みずんずんと進むのだった。

 

 

「――で、話ってはなんだよ」

 先に場所を確保したランサーは屋上に人払いのルーンを施すと一度席を外していた。

 既に屋上にいた他の生徒たちはルーンの効力により、自身でも気づかぬままにその場を離れていった。今屋上にいるのは六人しかいない。

 戻ってきたランサーは適当に買ってきた飲み物を放り渡す。

 年長者に奢れとけと一言告げると、ランサーは缶コーヒーを口にしていた。

 終始無言の四人。先までハキハキしていた鈴もまた口数少なく黙っている。

 渡された飲み物を分け合い――

 口火を切ったのはシャルロットだった。手にした紅茶を弄りながら、だが開封はせずに。

「その……セイバーとランサーって、どこの国にも属してないよね?」

「ええ」

「あー、やっぱりそういう事か。吊り眼のねーちゃんも、ンな事言ってやがったな」

 どこかずれたふたりに、はははとシャルロットは乾いた笑いを漏らす。

「手っ取り早く言うね。あのね、ふたりとも……その……フランス代表候補生にならないかな?」

「は?」

「…………」

 訊き返したのはセイバー。ランサーは視線を向けはしないが耳は相手の声を聴いたまま。

 シャルロットは続ける。

「フランス政府からそう通達があったんだ。ふたりを代表候補生として迎えたいって打診がさ。そうでしょ? 皆も……」

 言って、彼女の視線はセシリアと鈴、ラウラへ向けられる。三人ともこくりと頷いていた。

「よく分かりませんが……」

 口を開き言葉を呟くのはセイバー。四人の候補生を順に見つめ言葉を続ける。

「四人とも既に代表候補生なのでしょう? そこへわたしたちを誘う意味がわかりません」

「…………」

 言葉なく俯くシャルロットを見て……此処まで口を挟まなかったランサーが喋り出す。

「適応能力ってヤツか。それが目当てで声かけてんだろ。それと……これは俺の勝手な推測だがな、嬢ちゃん。お前ら、それぞれのお国から面倒くせぇことふっかけられやがったな?」

 びくりと身体を鳴らせる四人。それを見て「ビンゴか」と悟るランサー。

 ランサーとセイバーのIS操縦技術ランクは相応のもの。しかもこのふたり、ならびに士郎に関しては帰属する国家、登録国籍はないまま。

 これは第四世代型IS『紅椿』を持つ箒のように、どの国も喉から手が出るほど欲しい人材故に。箒に関しては所持するISがメインとなるが、ランサーとセイバーに関しては純粋な技術能力。どの国も専属操縦者として迎え入れたいものがある。

「ランサー、どういう事ですか? 説明してほしい」

 いまいち理解が出来ていないセイバーに面倒くさそうに視線を向けると、あのなぁと前置きし口を開く。

「……お前なぁ、もちっと状況把握しろや。常日頃食ってばかりでいるんじゃねーよ」

「む。なにを言うんですか、わたしは……」

「とにかく」

 眉を寄せ異議を申し立てるセイバーをぴしゃりと遮りランサーは言う。

「大方、俺とセイバーの能力かなんか見てのモンだろーよ。お前ら所属する各国のお偉いさん方が手ぐすね引いて俺らを抱き込みたい。そのために、普段から顔あわせてるお前ら代表候補生も国のために動けやら、なんとか引き寄せろとかだろ。さらにはテメエらにも本気を出させるためだーろうがな。言い方によっちゃ代表候補を取り消すかなんかヌかされたんだろ」

「…………」

 無言のままのセシリアたちを見て、ついでセイバーの視線はランサーへと向けられる。

「そうなのですか? それはあまりにも……」

「どうなんだ? オルコットの嬢ちゃん」

 ランサーの指摘に――セシリアはふうと溜息を吐く。

「……百点満点ですわ。おまけに花マルもつけてさしあげましてよ」

「我がドイツも同じだ。お前たちふたりをドイツへ誘致するように命令を受けている」

「くだらねぇなぁ」

 ラウラの言葉を聴き、ぼそりと呟かれたランンサーの声音。 

 その声に怒り立ち上がったのは鈴。憎悪に満ちた双眸でランサーを睨みつけていた。

 対するランサーは無表情。

「くだらないってなによ! 代表候補になるためにあたしたちがどれだけ苦労したのかわかりもしないクセに!」

「当たり前だ。お前らがどれ程苦労したかなんて知るかよ。寧ろわかりたくもねぇぞ」

 フンと鼻を鳴らし、ランサーは鈴を見据える。獣のような鋭い眼光。殺気を篭めて射抜くと、さすがに少女は身を竦ませていた。

「それとだ……そこは、テメエらを叩き潰してやるってぐらいの気概を見せてみろ。ハナっから負け認めてんじゃねーよ。そんなことじゃ勝てるモンも勝てやしねーぞ?」

「アンタ……それは実力が違うからよ」

 なんとか言葉を漏らした鈴は座り反論するが、それすらもランサーはつまらなかった。

「実力? だから言ってんだろうが。くっだらねーモンにこだわってんじゃねーぞ? なら例えを変えるか?」

 言って、ランサーは空になっていた缶コーヒーを握り潰す。眼の前の四人に面倒くさそうに視線を投げかけ――

「お前ら、一夏の兄ちゃんを諦められるか? 何でここでアイツが出てくるんだとかヌかすなよ。黙って聴いてろ。どうなんだ? 普段のお前ら見てりゃ簡単にわかる。今更誤魔化すなよ? 好きだなんだと言う割りに、なにもせずまごついてそれで奪われて納得できるか?」

 唐突に話を振られ、返答に戸惑うが、ランサーにせっつかれたセシリアは口を開いていた。

「……はいそうですか、とはいきませんわ」

「…………」

 じっと相手の顔を見て――一度セイバーに目配せして――ランサーは続ける。

「例えばだ。そこのセイバーが一夏を好いているとしよう。お前らに『私が彼を好きなのだから諦めろ』と言われて、素直に諦めるか?」

「なんでよ!」

 納得できるかと声を荒げる鈴にランサーは片眼を瞑る。

「なぜ?」

「なぜって……納得できないからよ!」

「その恋愛にお前らが勝てもしんねーのにか?」

 薄ら笑いを浮かべた相手の態度に、感情的になった別の声が上がった。

「そんなのやってみなくちゃわからないよ!」

 反論するのはシャルロット。

 その応えに――

「そうだな。その通りだ」

 そこまで言って、ランサーはニヤリとする。

 セイバーもまた笑みを浮かべていた。

「わかってんじゃねーか。物事を一夏とISに変えただけでそーまで熱くなんなら、お前らは弱くなんざねーよ。『やってみなくちゃわからねー』その意気込みさえありゃ、この先伸びんぜ」

「…………」

 無言のまま、セシリアたちはお互い顔を見合わせていた。しばらくして、声を漏らしたのは鈴だった。 

「アンタってさ、結構イイ奴?」

「俺はいつだってイイ奴だぜ? 特にイイ女になら尚更だ」

 得意気な顔をするランサーに、うげと声を漏らす鈴ではあるが、悪い気はしなかった。

「ならそれでいいじゃねーかよ。一夏の兄ちゃんを譲る気がねえってんなら、ISだって同じように乗り越える気概を見せやがれ。ンなことで諦めんのか?」

 どこか釈然としない四人ではあるが、ランサーとてこれでやり込めるとは思っていない。これがキャスターならば、弁舌巧に言い篭められるのだろうが。

 ランサーは言いたい事を口にするだけ。その後の指摘など、どこ吹く風だ。

「ついでに言っとくが、俺たちとお前らの一番の違いはなんだと思う?」

「ISの適正能力か?」

 首を傾げて返答するラウラにランサーは首を振る。

「違うさ。往生際の悪さだよ」

 何を言っているのだろうか――理解に苦しむ四人を無視し、ランサーは続ける。

「俺もセイバーも、勝てそうにない相手に当たったとしても諦めはしねーぞ。絶対勝てない? なんでそう言える? 全ての手の内さらけ出して、己の実力全て発揮し、駆使尽くして喰らいつくのさ」

「…………」

 そう簡単に行けるものか――

 言うは易く行うは難し、ランサーの言葉にセシリアは疑問をぶつける。じっと相手を見据えながら。

「それでも……それでも勝てないとしたら……ランサーさん、アナタは一体どうなさいますの?」

「一矢報いる、それだけだな」

 躊躇もせず、あっさりと応える彼。あまりにも淡々とした返答にセシリアは訊き返していた。

「は?」

「いや、勝てないって前提での話なんだろ? なら、最後の最後まで徹底的に無様に汚く足掻いて一矢報いるだけさ。その時の相手のツラを見れりゃ、俺はそれで満足だな」

 ランサーはニヤと笑うだけ。

 その物言いに、セシリアは本当に心の底から呆れていた。

「……決して、諦めはしないのですね」

「おうさ」

 だがなと応え、俺らとお前らもそう違わねーぞとランサーは言う。

「ISも恋愛も似たようなモンだろうに」

「ランサー、あなたのその言い方では、恋愛に関しても汚く足掻けと示唆していますが? 女性に対して、それはどうかと思いますが」

 セイバーの指摘をランサーは当然無視。

「いずれにせよ、俺は代表なんざなる気はねーし、やんねーぞ。誘われたって行かねーからな。他当たるこったな」

「わたしもです。セシリア、同じブリテンの地の者として、悩むあなたの力になってあげたいとは思います。ですが、その結果的に、更にあなた自身を苦しみへ追い込み悩ませる事になってしまうというのならば、わたしは協力する事はできない。どうか、許してほしい」

「いえ、いいんですのよセイバーさん……ただ、考えが変わったらいつでもおっしゃって下さいまし」

「セシリア、気を悪くしたら許してほしい。わたしは剣を扱う事しか出来ない者です。あなたのような気品や優雅さを持ち合わせてはいない。もっと自信を持ってほしい」

「ふふ、嫌味にしか聴こえませんわ。でも……ありがとうございます、セイバーさん、逆に気を使わせてしまって」

「お気になさらずに」

「ですがセイバーさん、ランサーさんも……おふたりがわたくしに仰ってくださったように、あなた方もこれだけは覚えていてくださいまし。おふたりのIS操縦技術は見事なものですのよ? 各国が欲しがる人材に変わりはございませんの。世界が動くと言う事は、決して簡単なものではありませんわ。その事をどうかお忘れなきように。おふたりが望まなくとも、我がイギリスは欲していますので……」

「わかりました」

 頷くセイバーに――じと眼で鈴が話に割って入っていた。

「あのさ、なんか綺麗に纏めてるようなトコ悪いけれど、イギリスに落ち着こうとすんのはヤメテくんない? 中国だって諦めてないんだから」

「ドイツもな」

「……ごめん。一応、フランスもかな……」

 そうだと声を漏らすラウラと、申し訳無さそうな表情を浮かべるシャルロット。

「ま、堅い話はこの辺でやめよーぜ」

 潰した缶コーヒーの残骸を指先で弄ばせながらランサーは続ける。

「しかしまぁなんだ、案外嬢ちゃんたちは余裕なんだな」

「なにがだ」

 言っている意味がわからず、ランサーに訊ねるラウラ。

 いや、と頭を掻き首を鳴らしながらランサーは言う。

「いつもつるんでいるあの兄ちゃんから離れて大丈夫なのか?」

「代表候補生の話をしたかったから……」

 シャルロットの台詞にぱたぱたと手を振りランサー。

「あー、違う違う。そうじゃねーよ。言い方が悪かったな。お前らが惚れて入れ込んでるあの兄ちゃんから離れて大丈夫なのかってこった。もうヤった間柄なんだろ? とっかえひっかえかよ、あの兄ちゃん。見かけによらねーなぁ」

 ――刹那。

 ぶほっと息を噴出すセシリアと鈴、シャルロット。

 瞬く間に、四人は、ぼひゅっと顔から湯気を出していた。セシリア、鈴、シャルロットは『ヤった間柄』との言葉に反応して。ラウラだけは『惚れて入れ込んでる』に対してのものだ。

 一瞬にしてトマトのように赤くなったセシリアたちを見て、セイバーは不思議そうに呟いていた。

「惚れて入れ込む……四人はイチカが好きなのですか? 愛しているのですか?」

 直球過ぎるその言葉に、四人は頭からもプシューと湯気を吹き出していた。

 それを見てセイバーは慌てたように声を荒げる。

「ランサー――四人の顔が紅い! 病気でしょうか!?」

「お前、わざとやってんのか?」

 なにがですかと問い返してくるセイバーを適当にあしらい、ランサーは言う。

「しっかしまぁ、なんだ。正直あの兄ちゃんはとっかえひっかえかと思ったがなぁ……」

「い、一夏はそんなケダモノさんじゃないよ!」

 つまんねぇ野郎だぜ、と吐き捨てる相手に、顔を真っ赤にしたままぶんぶんと拳を振るシャルロット。

 ゲラゲラ笑いランサーは言う。

「英雄色を好むって言うんだぜ? 案外嬢ちゃんたちの知らないトコではお盛んだったりしてな? いつもの嬢ちゃんもひとりいねぇしな」

 箒がこの場に居ないことを指し示す。当然四人もそれに気づいてはいるのだが――

「そんなこと……」

 ない、と鈴は言い切れなかった。

 あの唐変木に限って――だが果たしてそうかとも考えさせられる。

 ぐぬぬぬと歯噛みする四人を見て、ランサーは笑ったまま。眉を寄せたセイバーが口を挟む。

「趣味が悪いですよ、ランサー」

「そう言うなや。俺は例えの話をしてるだけだぜ?」

 窘められるがランサーは気にしていない。四人を順に見ながら、やれやれと吐息を漏らす。

「なんだよ。手ェつけられてねーのかよ。生娘かよ」

「き、きむ――!?」

 言葉を詰まらせ、また更に顔を赤くするセシリアを見て、ランサーはへらへら笑う。セイバーは心底呆れるだけ。

「ランサー、あなたのように見境無しとは違う。イチカは純粋なのでしょう」

「お前、さり気なく俺の評判を平気で叩き落とすような事言うんじゃねーよ」

「大丈夫です。こと女性に関しては、アナタはこれ以上落ちる事はない」

「へえ、そうですか。まーどうでもいいが、あのぐらいの年のガキなんざヤリたい盛りなんだぜ? 手っ取り早くヤッちまえよ? 既成事実ってヤツだ」

 言葉による追加の燃料投下に、多少は鎮火しつつあった三人の顔が燃えるようにまたぼひゅっと赤くなる。ただひとり、ラウラだけが首を傾げていた。

「さっきから口にしているヤるとは何をだ? シャルロット」

 「うえっ!? 僕に訊くの!?」と応えに詰まるシャルロットだが――

「ラ、ラウラはいいの! 知らなくて!」

「む。なんだ、私だけ除け者か! ずるいぞ! 私にも教えろ! なんなのだ? ヤるとはなんだ? なんなのだ、ヤるとは?」

 ぷくーと頬を膨らませるラウラだが、シャルロットは返答に困るしかない。お願いだから連呼しないで逆に諭している。

「あー、ボーデヴィッヒの嬢ちゃん、ヤるってのはだな……」

「アンタも教えなくていいから!」

 余計な知識を吹き込むなと叫ぶ鈴に「へいへい」と軽く応えるランサー。

「話を戻すぞ。ならなおさらあの兄ちゃんから離れていいのかってこった。知っていながらわざとやってんのか思ったがマジモンかよ。そうとなれば話は別だ。悪いが俺から見た限り、アンタら嬢ちゃんの好意なんざ超がつくほど気づいてねーぞありゃ。苦労すんなぁ」

「ふむ。イチカは果報者ですね。こんなに四人に愛されるなど」

 改めて『愛』などと言われるとこそばゆい。熟れたトマトのように頬――と言うよりも顔全体を紅潮させる。

 恥ずかしさに汗を掻き、喉が渇いた四人は一挙手一動、全く同じ動きのまま手つかずだった飲み物を開け口にする。

 一気に喉へ流し込み……一息つく。各々味などわかりもしない。

 乱れのない動きの四人を見て、雛鳥かこいつらと思いながらランサーは口を動かしていた。

「まだまだガキくせぇが、なぁに、嬢ちゃんたちはイイ女になるぜ。俺が保障してやる。気づかねぇなら気づかせりゃいいんだからな。案外簡単なモンだぞ」

「それが巧く行けば苦労しないわ」

 はあと盛大に溜息をつく鈴に――だがランサーはべしんと自身の太腿を叩いていた。

 そのまま――

「イイ方法があるぞ」

 然も名案だと指を立てるランサーに対し、鈴はこれ以上ないぐらいに不安を覚えていた。

 嫌なぐらいに爽やかな笑みを浮かべる相手が信用できなかった。

「……なによ。思いっきり当てにはしないけれど、一応聴くだけは聴くわよ」

「おう、簡単だ。裸になって『好きです』って言いながら押し倒せ」

「ぶっ殺されたいのアンタ!」

「痴女ですわよ!? はしたないですわ!?」

 予想の遥か斜め上を行く立案に、セシリアは思わず叫び、鈴は部分展開したIS腕部で殴りつけていた。

 首の動きだけで難なくかわしランサーは続ける。

「なんだよ、不服か? じゃーアレだ。あれ、えーと、要は裸になった一夏の兄ちゃんに『好きです』て言われて押し倒されてーのか? 逆はなかなか難しいぞ?」

 そもそも一夏を裸にする段取りが思いつかんと真面目な顔で思案するランサー。

 鈴とセシリアは両手をわななかせながら食ってかかる。

「裸から離れなさいよ馬鹿!」

「アナタは頭が湧いてるんですの!?」

 ぎゃいぎゃい言い合う二人を眺めながら……ラウラはシャルロットに問いかけていた。

「シャルロット、裸で好きだと言って押し倒すのはおかしな事なのか?」

「あー、うん……まず言っておくけれど、多分ラウラが普段から朝に一夏にしてる事とは違うよ、うん」

「?」

 よくわからないのだろう。小首を傾げるラウラに対し、シャルロットはそれ以上何も言わなかった。

「なんだよ、我侭な嬢ちゃんだなぁ……」

 面倒くせェガキだなと毒づき、わざとらしく盛大に溜息を洩らすランサーに鈴は真顔。

「我侭? 今我侭って言った? なにコレ、あたしが我侭てレベルなのコレ!?」

「いいから聴けっての。あー、アレだ。裸になって、寮内だろうが外だろうが走り回って公言しろ。私は一夏が裸になるほど好きな露出狂……ええと、一夏が――」

「今、露出狂って言ったわよね、今! なに言い直してんのよ?」

「どうして裸が前提なんですの!?」

 ふたりの抗議の声など聴こえんさ、とランサーは何食わぬ顔で続けるだけ。

「一夏が裸になるほど好きな――」

「うわスゴイ。え、なに? それでも続けんのアンタ。オーケー、どうあがいてもアンタはあたしたちを痴女扱いしたいワケね。いいわ。よし、殺そう!」

 片腕だけではなく、鈴は残りの腕もIS部分展開を施し殴りかかるが、やはりそれらもまたランサーは軽くあしらっていた。

 打ち抜いてくる甲龍の拳をトンと抑えながらランサーは言う。 

「馬っ鹿、お前ら……よく考えてみろ。こんな魅力的で魅惑的な女を前にしてんのにだぞ? あの兄ちゃんはどーにかならねー方がおかしいんだぞ?」

「む、むう……」

「で、ですわ……」

 真顔のランサーに魅力的、魅惑的等という言葉をかけられ、思わず顔を赤らめる鈴とセシリア。

 面と向かってそんな言葉を掛けられるのは、正直悪い気はしないでもない。

「真っ向勝負が駄目ってんなら、変化球で攻めるしかねーだろうが」

「だ、だからって……は、はだ……裸って!」 

「へ、変化球過ぎますわ!」

 抵抗があるのは当然だ。口を尖らせてぶつぶつ文句を言うふたりにランサーは「あのなぁ」と言葉を漏らしていた。

「だからこそって言ってんだろーが。どうあったって、フツーに攻めて、フツーに落ちるか? あの兄ちゃんは女性不信か? それとも同性愛者かなにかか?」

「いや、そうは思わないけれど……」

「で、ですわ……確かに一夏さんはアブノーマルの方では……」

 言葉の最後はごにょごにょとトーンが下がる。指をいじいじと弄り俯く姿は、正しく可憐な恋する少女。

 だが残念ながらその姿を見せるべき相手はここにはいない。

 俯きもじもじとするふたりに――ランサーはぽんと肩を叩き告げていた。

「と言う事で、裸エプロンでいいんじゃねえか? マッパよりはインパクトも上々だな。ガーターベルトも付けりゃ一発だろう。凰の嬢ちゃんは白で……オルコットの嬢ちゃんは定番の黒か……ああ、いや……予想を裏切って紫ってのもありか」

「死ね」

「さっきから聴いてやがれば、全てランサーさんの願望ではありやがりませんかっ!」

 腕部による零距離射撃の龍咆を軽く避け――跳躍したランサーはフェンスの上に降り立っていた。

「ほう、見事なバランス感覚だ」

「ラウラ、感心するトコそこじゃないよ」

 変なところを感心している友人に呆れながら、シャルロットは零距離射撃をどうやったらかわせるのかが疑問だった。

「まぁ、なんにせよ」

 視界ではランサーがまた何か余計な事を言って鈴とセシリアを煽り出す。案の定激昂するふたりに視線を向けたままセイバーは口を開いていた。

「裸がどうこう以前はさて置き、ランサーが言うように、気づかれないなら気づいてもらうようにするという手は強ち間違いはありませんよ?」

「セイバーは一夏の鈍感さを知らないんだよ。あの唐変木の酷さは折り紙つきだよ!」

「ふふ、そうでしたね」

 はあ、と溜息を付き頬を膨らませるシャルロットにセイバーは笑みを浮かべる。

 横に座るラウラはごくごくとスポーツドリンクを飲んでいるだけ。

「避けてんじゃないわよ!」

「避けてるんじゃありませんわよ!」

 甲龍を展開する鈴と、ブルー・ティアーズを展開するセシリアの叫び声が屋上に響いていた。

 

 

「凰、オルコットの嬢ちゃん」

 夕食も終え、自室に戻ろうとしていた鈴とセシリアの歩が停まる。

 聴き慣れた声音に呼ばれ、ふたりは振り返り――瞬時にその表情は一変する。

 廊下の角から顔を出し、ちょいちょいと手招きするランサーを見て、鈴とセシリア双方は露骨に顔を顰めていた。

 無視して歩き出そうとするふたりであったが、再度背後から呼ばれ辟易しながら踵を返し歩みよる。

「なによ。またからかう気?」

「正直、疲れましたのですけれど」

 昼休みのやり取りを思い出し、ふたりは心底嫌がっていた。また変わらずにからかいにでも来たのだろうとその程度での認識でしかない。

 だが、ふたりの持つ心証とは違い、バツの悪そうに頭を掻きランサーは口を開いていた。

「悪かったって。からかいはしねーよ」

「どうだか。で、なに? 用があるなら手短に言ってくんない? わたしたちも暇じゃないんだからさ」

 ただでさえ今日はランサーに疲れさせられたのだ。早くシャワーを浴びて、ゆっくり部屋で休みたい。こんなところで無駄な時間を費やしたくない。鈴もセシリアも正直な本音だった。

「なんですの? また裸になる前提ですの?」

 セシリアの嫌味に――だがランサーの表情は至極真面目なもの。

「ああ。だが聴け。今度こそ、マジな話だ」

「…………」

 昼間の時と違い、嫌に真面目そうな相手――特に眼を――を見て、一瞬鈴とセシリアは顔を見合わせる。が、直ぐに向き直り「で?」と問いかける。

 ランサーはこくりと頷き続けていた。

「今日、大浴場を使えるのが誰か知ってるな?」

「大浴場? ああ、誰って言うか、アンタたち男が使う日でしょ?」

「ですわね。それがなにか?」

「ああ。俺ら使わねぇから、お前らふたり、一夏の兄ちゃんと一緒に入っちまえっての」

 刹那――

「――――」

 咄嗟に叫ぼうとするふたりの口をランサーは押さえ込んでいた。

 口を塞がれているとはいえ、もがもがと何かを言って暴れはするが、掴むランサーの手は外れはしない。周囲を窺いながら――誰も居ない事を確認すると――構わずに彼は言い聴かせていた。

「いいからマジで聴けっての! 何も裸で襲えとかじゃねえっての! なんなら嬢ちゃんたちは水着でも着て入ればイイだろーが」

「?」

 水着と聴いて抵抗がなくなったのを見計らい、ランサーはふたりの口を押さえていた手を離す。とりあえず聴け、と念を押すのは忘れない。

「いいか。一夏の兄ちゃんはいつも通り風呂場を使わせる。だが、俺と士郎は入らない。その時間、お前らは巧いことして一緒に風呂に入れってこった」

「な、なんでそうなるのよ」

「ですわですわ」

 詰め寄り、小声でぼそぼそと抗議するふたり。「んー」と頭を掻きランサーは続けていた。

「なんつーか、昼間はなぁ……さすがにからかい過ぎたってのがある。少しでも嬢ちゃんとの仲が進展すればって思ってな」

 進展するという方法がどこかズレていることに鈴とセシリアは呆れていた。

「…………」

「安心しろ。他の奴らにゃ言わねーでおくよ。決めるのは嬢ちゃんたちだ。ただ、言ったように俺らは邪魔しねーからよ」

 用件はそれだけだ、後は好きにしてくれや、とランサーはひらひらと手を振り踵を返す。

 ――と。

「待ちなさいよ」

 そのまま立ち去ろうとするランサーの背に、鈴は声をかけていた。彼女の表情は眉を寄せたまま。鈴とセシリアにしてみれば、ランサーにここまでされる意味がわからない。遊び半分でのものと勘繰ってしまうのは仕方のないことだろう。

「アンタさ、なんでそうまですんの? これもからかいのつもり?」

 信用ねぇなと一言漏らし、首だけ振り返りランサーは応えていた。

「正直言えばな、俺から見れば嬢ちゃんたちはどいつもこいつも面白いんだがな。中でもお前らふたりは、なんとなく個人的に応援したくなるだけだ。それに、他の三人……篠ノ之とデュノア、ボーデヴィッヒの嬢ちゃん連中と比べると、ちっとばかし遅れをとってるってのがなぁ。まぁ、余計なお世話かもしんねーけどよ、この機会に上手くいくことを祈ってるぜ」

 んじゃなー、と気楽に言って――本当にそれだけ告げて、手を振りランサーは去っていく。

 飄々とした男の背中に視線を向けていた鈴だったが、ふと隣に立つ友人へ言葉を洩らしていた。

「……どうする?」

「どうしましょう?」

 洩らした言葉の意味を互いに理解している。理解した上で、しばし無言だったふたりは向き合い、こくんと頷いていた。

 互いの瞳には決意の色を浮かべながら――



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幕間4 月夜の邂逅

 月明かりの中、IS学園上空に人影が浮かぶ。だが、よくよく見れば――その人影はISではない。

 身に纏うローブを巨大な蝶の翅のように広げ、夜空を浮遊するのはキャスターである。

「…………」

 磯の香りを含んだ潮風を身に受けながら、無言のまま彼女の指先が虚空を疾り――刹那に変化は生じていた。

 眼下のIS学園を囲むように、淡く青い八条の光の柱が立つ。そのまま青い光は一瞬にして学園すべてを包み込んでいた。

 だが、その光も次の瞬間には何事もなかったかのように消失している。時間にすれば数秒もかからない出来事であったといえる。

 例えこの光景を目撃していた生徒や教師がいたとしても、学園を包むシールドバリアかなにかとしか捉えていなかっただろう。一部の連中を除いて、今の光が魔術による障壁などと理解する者はいない。

 同様に、学園からキャスターの姿を視認出来た者もいない。認識阻害の魔術を身に纏う彼女を視覚が強制的に狂わされ確認することができないからだ。

 学園周囲一帯を一通り飛行し、確認した彼女の目的はふたつ。ひとつは再度の霊脈の確認。もうひとつは今し方行った魔術基点の再構築だった。

 前者の霊脈に関しては大きなハズレ。学園周囲を彼女なりに再三にわたり調べてみたが、霊脈の類らしきものは存在しなかった。

 後者の魔術基点に関しては、学園全体を八点で囲うように構築していた。これは言うなれば、キャスターの能力『陣地作成』によりIS学園を神殿化したといえる。もっとも、柳洞寺に構えたものと比べれば、圧倒的に劣ってしまうのだが。

 彼女が調べた事柄は、なにも魔術に関与するだけとは限らなかった。自分たちが存在するこの世界、特に身を置く学園に関して調べた上での防衛といえるものになる。

 それは、なぜか……?

 クラス対抗戦時に現れた正体不明の無人機ISによる強襲、臨海学校での『銀の福音』暴走事故。

 無人機ISの襲撃時には、狙われたのは織斑一夏と凰鈴音のふたり。だが、キャスターは正確には襲撃者の標的が織斑一夏であったのだろうとあたりをつけていた。理由としては簡単なもの、ISを動かせる男性というもので、である。狙うには十分の意味があり、理由にもなると捉えていた。

 そこに衛宮士郎というイレギュラーが登場したことにより、織斑一夏と同様の襲撃がないとも限らない。男性でISを動かせる事情はまったく解明されていないのだから。どこの国家、機関であろうとも、研究、情報としては是が非でも得たいものがある。

 『銀の福音』暴走事故に関しては、機密保持のために外部に事件の情報は一切漏れも開示もされてはいないのだが、キャスターは容易にそれら情報を集めていた。手段などそれぞれ。簡単なものから少々手荒なものまで。知り得る情報のためには無理も無茶も平気で彼女はこなしていた。それも、仮初めのマスターの士郎にばれても問題ないとした範疇での行動である。律儀に守るところは守っている。

 特に暴走事故の件は学園自体に被害はないが、キャスターにとってみればどうにも嫌な感じがしてならなかった。

 確証を得たわけではない。だが、彼女なりに調べた上で、調べれば調べるほど些かおかしな点が出てきていた。

 軍事機密の完全管理の下で容易く暴走など出来るものか。出来ることならば、なぜ同じような事件が起きていないのか。

 純粋にISを奪うという方法であるとしたならば、今年のIS学園に一年生で専用機持ちがこれほど現れるなど珍しいと聴く。同じ手口で襲うには、こんなに格好な的はないはずだ。

 なによりも、果たして本当に暴走だったのだろうか――?

 ならびに、キャスターが一番眉を顰めたものは、まるで臨海学校で訓練に出向いた生徒たちを見越したかのような段取り。その時期に合わせてハッキリとした事態があったのは、篠ノ之箒に与えられた専用機『紅椿』の存在。

 更に言えば、専用機を与えられたその日のうちに暴走事故が起きている。その暴走機体を停めたのも織斑一夏だという。

 話の流れとしては、あまりにも出来すぎている。偶然が此処まで続くものだろうかと考える。

 ISの生みの親であり、篠ノ之箒の姉の篠ノ之束もその場に居合わせていたという。だが、この点に関してもキャスターは眉を寄せていた。篠ノ之束はただ一言口添えをしただけで暴走ISを停める手伝いはしていない。ISの生みの親であるならば、停止方法でも幾らか協力はしてもいいはずではないだろうか。話だけを聴いている限り、全てをわかっている上で傍観しているように思えてならない。

 それがなんのためなのかはわからないところではあるが、なぜそれ以上は何もしなかったのか?

 無人機ISによる強襲と、暴走事故との因果関係があるかどうかもわからない。だが、逆に考えてしまえば、ないとは言い切れないのだが。結果的には如何様にも捉えられることになる。

 取り越し苦労で終わるのならば、それはそれで越したことはないとは彼女の考慮。

 問題が起きてから対処するよりは、事前に済ませておけるならば余計な被害も出さずに済む。

 キャスターにしてみれば、取るに足らぬと割り切った程度のものではあるのだが、念には念を。面倒ではあるが、士郎以外の人間も居るこの学園の防衛力を高めておくことにやりすぎる感はない。

 なによりも、彼女自身はわかっていなかった。本当に護ろうとするのならば、キャスターの保護対象は士郎ひとりでいいのだから。にもかかわらず、学園を自身の魔力を使って、あまつさえ神殿化までさせて防御を固めるのは、ひとえに布仏本音とシャルロット・デュノアの存在のために。

 サーヴァントであるキャスター自身は気づいていないが、本能ではふたりをもまた護るための手段を効しているというのにだ。

 とは言え、世界が違えといえど、どの世も人間とは愚かな連中だとキャスターは再認識する程度でしかない。更には自身も女性ではあるが、この女尊男卑の社会はやりすぎているというきらいさえ感じる。身分相応もなく、ただ『女』だからというだけで然も自分は選ばれたエリートだと言わんばかりの高慢さが鼻につく。

 人間とは実にくだらない、キャスターはそう嫌気を感じていた。

 話が逸れる――

 学園内部はセイバーとランサーがいる。セイバーはもとより、ランサーは普段はだらけてはいるが、問題に直面すれば真っ先に行動を起こすだろう。内部で何か問題があればその二騎に任せるのみ。キャスター自身は外部を担当しているだけ。護りに関してはサーヴァント中最高であるために。

 両目を閉じ、意識を集中させるとキャスターは学園へ散開させている無数の使い魔との常時展開情報をリンクさせる。使い魔たちが拾う視覚、聴覚による情報がダイレクトにキャスターへ伝えられてくる。

 ――と。

 とある場所、とある使い魔から伝えられる情報に彼女の意識が向けられた。

 「ぎゃあああ」と悲鳴をあげるのは――織斑一夏。彼に薄ら笑いを浮かべ、手をわきわきとさせながらにじり寄り迫るのは、なぜか水着姿で眼が据わった凰鈴音とセシリア・オルコットだ。

「…………」

 いまいち状況がつかめない。視える映像から、場所は……おそらく大浴場の脱衣場だろう。そこに三人が居るらしい。そうこうしているうち、上半身裸だった一夏を鈴とセシリアが取り押さえ――そのまま浴場へと走っていった。

「…………」

 そこでキャスターは使い魔とのリンクを切り離し、眼を開けると額を押さえていた。

 自分は一体何を見ていたのだろうか。今日日の少女の趣味がわからない。挙句、悲鳴を上げる少年を少女ふたりが抱えていくなど、どういう状況だと言うのだろうか。

 多少なりとも興味はなくはないのだが――大浴場を監視している使い魔に追って確認させる命を送ったのは言うまでもない――キャスターはそれ以外の使い魔たちへ再度意識を集中させる。

 とりわけ、目立つようなものは何もなく、感じられなかった。

 これ以上は何もないだろうと使い魔たちとの意識を切り離し、降下しようと身体を沈ませ――

 瞬時にキャスターは背後を振り返っていた。

「…………」

 視界に映るは闇の黒一色。月明かりに眼下の波の音だけが響く。

「気のせいかしら……」

 多量の魔力を行使したことにより、必要以上に敏感になっているのか、思わず彼女はそう独りごちる。

「坊やとの契約による能力低下の影響かしら……妙な違和感が拭えないわね」

 彼女の呟き通り、士郎と魔力供給による能力低下は否めない。

 警戒を怠らず、上空、海面、周囲に視線を張り巡らせ――再度、何事もなかったことを確認すると、その場からキャスターの姿は掻き消えていた。

 

   ◆

 

 とある海域上空を、闇に紛れた一機のISが疾駆する。

 夜故に、はっきりとはしないが、彼女の表情、顔色は優れなかった。

「…………」

 息を切らせ、黒髪の少女は言いようのない恐怖感にISを纏った身体を震わせていた。

 頬と背筋に冷たい汗を流しながら。

「何なんだ、()()は……」

 震えた声音でぼそりと呟き、瞬前まで見入っていたものを思い出す。

 久しく恐怖など覚えていなかった自分が――

(聴いていないぞ……あんなものは、聴いていない――)

 何よりも、ハイパーセンサーを駆使して調べたが相手の浮遊技術に該当するデータは一切見つからなかった。

(ISではないというのか……? では、()()は、一体なんだ? ただの人間が、ISを使いもせずに、どうやって飛べるというんだ……?) 

 当初の目的は、織斑千冬、または織斑一夏どちらかへの偵察だった。組織から不用意な単独行動、無用な接触は止められてはいたが、少女は聴きはしなかった。

 夜の闇に乗じて、ある程度の成果を挙げられればよかった。一番の理想は、織斑千冬の眼の前で弟の織斑一夏を殺害できること。その瞬間の織斑千冬の顔を見れれば大層愉しめたものだったのだが。

 現実はそうはいかなかった。おかしなことがそこで起きた。

 学園へ接近するにつれて、ハイパーセンサーが警告を奏ではじめていた。最初はハイパーセンサーの誤作動だろうと気にも留めていなかったが、一向に警告音は鳴り止まなかった。

 だが、視覚を強化したハイパーセンサーには何も映りはせず、ただただ警告表示を奏で続けている。少女は気づきもしない。キャスターが身に施している認識阻害の魔術により、その視覚は狂わされていることに。

 ナイトビジョンに切り替えても何も映ってはいない。

 赤外線サーモグラフィに切り替えたことで、そこでようやく少女は気づくこととなる。IS学園上空に、何かが存在()る。明らかな熱源を捉えていた。

「……なんだ?」

 思わず呟き、ハイパーセンサーが捕捉し警告する箇所を超長距離から視認する。

 その場に滞空し、少女が注意深く観察してみれば、捉えた熱源は明らかに人影だった。咄嗟にハイパーセンサー機能を切り替えて目視するが、やはり何も見えはしない。

 熱源を形として探知するサーモグラフィだけは、確かに人型を捉えている。

 多々に切り替えて確認はするが肉眼では捕捉できない。だが、確かに何かがIS学園上空にいる。

 完全なるステルス迷彩機能が搭載されているISだとでも言うのだろうか。だが、それでは熱源の説明がつかない。

 こちらに気づかれたかと内心焦りはしたが、顔を覆うバイザーのハイパーセンサー越しに相手の動きを油断なく見入る。障害となるならば、隙あらば狙撃することも考えていたのだが、いざ実際に引き金に手をかけようとした際に、あろうことかサーモグラフィに映った人型がこちらへ振り返っていた。

(此方を捉えている――!?)

 さすがに少女は息を呑む。

 超長距離からの相手が此方に気づいたのかと混乱する。それだけで此方を見透かされたかという恐怖を少女は身に浴びていた。例え狙撃したとしても、十中八九当たりはしなかっただろう。逆に、外した瞬間にこれほどまでの距離があると言うのに間違いなく自分が生きているというイメージは浮かびはしなかった。

 それほどまでに得体の知れない死の恐怖と絡みつくような威圧感、不気味さを相手から感じ取っていた。

 故に――

 冷静に判断した結果、少女が下したものは『正体不明』の相手からの撤退だった。

 少しでも早くこの場を去りたい。一秒でも早く空域を離脱したかった。

 これほどまでに自分が背筋を凍らせるなどありえない。

 ハイパーセンサーで何度も確認するが、後方から追っ手が来ることはない。だが、少女は安心などしていなかった。

「…………」

 今一度、少女は震える手の甲で額の汗を拭い――そこでバイザーが邪魔をしていることに気づく。

 小さく舌打ちし、毟り取るかのようにバイザーを外して汗を拭う。外気に晒された幼い顔は、どこか織斑千冬に似ていた。

(……震えているというのか? この、わたしが……?)

 素直に認めることなどできず、少女は唇を噛み締めていた。

 煩わしいほどに帰還命令のコールサインが鳴り響く。それらの回線を一方的に切り――少女は夜の空を疾走していた。



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24

「んぁ――」

 眼を覚ました士郎は身体を起こすと、周囲に視線を向けていた。

 かけられた毛布。窓から差し込む夕暮れの陽光。どうやら自分は寝ていたのだろう。ソファに横になってうとうとと眠りについていたようだ。

 未だ頭がぼうっとしたまま、はっきりとしない。士郎は寝ぼけ眼で窓の外を見るともなしに見つめていた。

「起きた?」

 かけられた声に振り返ってみれば、そこには楯無の姿があった。

 そこで瞬前まで行っていたことを思い出す。申し訳なさそうに士郎は口を開いていた。

「……悪い、手伝うって言ってたのに寝てて」

「そんなことないわよ。士郎くんが手伝ってくれたおかげで済んだし。なんだか余程疲れてたみたいだしね」

 そこまで口にすると、唇に指を当てて楯無は微笑んでいた。

 士郎自身はあまり覚えていない。結構な数の会計監査を終えて、少しばかりソファに座り休んだつもりだったのだが……

「それに、可愛い寝顔だったわよ?」

「は?」

 意味がわからず、きょとんとする士郎に――いい写真が撮れたと彼女は得意気に、それでいて満足そうに笑うのだった。動画も撮ったと口にしている。

 無言となる士郎に楯無は携帯電話を開き、その動画を見せていた。

 寝起きの鼻腔を甘いコロンの匂いが優しくくすぐる。楯無が身につけた香りだろう。「あ、寝ぐせ見っけ」と言いながら楯無は士郎の髪に触れていた。

 ぼんやりとしながら、いいようにいじられたまま士郎の視線は携帯電話へ向けられている。

 静かな寝息を立てる自分が映っている。聴こえる声音は楯無と本音のものだろう。よくよく聴けば、虚の声も混ざっていた。キャッキャウフフと拾われる音声の中、士郎の頬をぷにぷにとつつき悪戯しているのは虚だった。普段の彼女とは思えないお茶目な一面。動画の中の士郎は顔を顰め身じろぎはするが起きはしなかった。それを見て三人の声が更に拾われている。

 頬や額、鼻など、やりたい放題。弄りたい放題。三者三様、好き勝手に士郎相手に遊んでいる。

 徐々に……意識が鮮明になり、彼の口蓋が開かれていた。

「な――」

「な?」

 士郎の髪を手櫛で梳いていた楯無が思わず訊き返し――

「なにをしてるんだよ――お前はっ!?」

「あら、ちゃんと反応してくれた。おねーさん、ちょーっと寂しかったから、悲しかったわ。ぐすん」

「ぐすん、じゃないっ! 泣いてもいないくせに! それよりも馬ッ鹿、お前――消せっての! 今すぐに!」

 顔を赤めて声を荒げる士郎に、楯無はにっこり微笑み――

「い・や」

 その一言だけを告げていた。

「馬鹿かお前は! もしくは阿呆か? もう一度言うぞ、更識……今すぐ消せっての!」

「あ。やだ頭きた。嫌よ。絶ー対に消さないわ。こーんなに可愛い寝顔……もとい、素敵な動画を消すなんて勿体無さすぎ」

 咄嗟に――携帯電話を取り上げようと手を疾らせる士郎だが、ひらりと身をかわした楯無はひょいひょいと足取り軽く手の届かないところまで逃げていく。そのまま彼女は胸元に携帯電話をしまい込んでいた。取るならばどうぞ、と両手を広げる相手に士郎は苦笑交じりに「なんでさ」と声を漏らしていた。

 今はだめだ、次の機会に何とか奪わないと、と考えながら――不承不承、士郎は寝入って凝った身体をほぐしながら、今一度、改めて室内を見渡していた。

 生徒会室には三人のみ。寝ていた自分、お茶の準備をする虚、楯無のみ。本音の姿は見当たらなかった。士郎が考えていたことがわかったのだろう。椅子に座り楯無は言う。

「本音ちゃんは保健室に行ったわよ。あの子、暇があるとよく保健室に行くのよねー」

「…………」

 それには応えず士郎は無言。いつものことかと認識すると、ソファから立ち上がり楯無の向かいの席に腰を下ろしていた。

 此処最近、昼休みと放課後に士郎が手伝わされたものは会計監査と本音が溜め込んでいた書記事務の手伝いだった。本音の仕事に関しては、最初はふたりで処理していたが、途中から士郎ひとりが一手に請け負いこなしていたのだが。その合間に本音は何をしていたかといえば、士郎お手製のケーキを食べていたりする。

 仕事も、徐々にではあるが本来楯無がこなさねばならないものまで士郎が処理していたりする。おかしな話だ。

 ――と。

 虚の淹れたお茶が差し出される。礼を述べて口をつけようとして――虚がトレイで口元を隠し、こちらにちらちらと視線を向けていた。その頬はどこか紅かった。

「なんだ?」

 気になり声をかける士郎だが、虚は口元を覆ったまま。

「……可愛らしい寝顔でしたよ」

「勘弁してくれよ……」

 気恥ずかしさに士郎は紅茶を口に含んでいた。舌に伝わる熱さに意識を無理やり向けさせる。まさか、虚にまで言われるとは思わなかった。

「ねえ、士郎くん」

「ん?」

 カップから口を離し顔を向ける。視線の先では、楯無も同じように紅茶を口につけていた。

「あのね、先にお願いしておきたいことがあって。学園祭で、生徒会主催の演目があるんだけれど、その裏方のお手伝いをお願いできない?」

「学園祭の?」

「ええ」

 士郎たちは二学期から転入したことになってはいるが、今年の一学期のイベントは色々と中止になっていると聴く。詳しい話までは聴いてはいない。予定が多少ずれてはいるが、このまま何事もなければ来月には学園祭が行われるらしいとの話は耳にしていた。確か、その次の月にはキャノンボールファストという競技イベントもあるという。

 それらを思い出しながら士郎はカップを手に持ち訊ねていた。

「演目は?」

「それはまだ秘密。ただ、とーっても楽しいものにするから」

「……なんだそりゃ?」

 正直、眼の前の少女の性格上、生徒会が関わっているとなれば、まともではないような気がしてならなかった。面白おかしく周囲を引っ掻き回すのが彼女の得意分野だ。

 不安を覚えはするが、今更ながら此処まで来ている以上、特に問題はないだろうと適当に腹を括り、士郎は素直に頷いていた。

「わかった。いいよ、俺でよければ手伝うよ」

「ありがと」

「クラスの方の手伝いも頼まれたら掛け持ちするから、そこは許してくれ」

「大丈夫。生徒会だけって束縛はしないから。約束するわ」

「わかった」

 そこまで言い終え、会話がなくなる。

 互いにお茶をすするだけ。虚は直立したまま楯無の後ろに控えている。

 楯無も手持ち無沙汰なのか、扇子を掌で意味もなく弄っている。

 無駄に時間が過ぎる中、沈黙を破るように楯無の口が動いていた。

「……士郎くん」

「なんだ?」

「あのね、前から聴こうと思ってたんだけれど、ピットでのセシリアちゃんと会話してた時のことなんだけれど」

「――――」

 それを聴き、一瞬言葉を失った士郎は楯無へ視線を向けていた。

 相手の雰囲気が変わったことに気づいた楯無も真っ直ぐに見つめる視線を受け入れている。その顔には、どこか申し訳なさそうな表情を浮かべながら。

「……あの話を聴いてたのか? どこから?」

「割と最初から……うん、ごめんね。悪いとは思ってたんだけれど、聴くともなしに聴いてたの。邪魔しちゃ悪いかなと思って」

 声をかけられなかったと彼女は言う。

「…………」

「その上で、わたしからも訊きたいんだけれど、どうして士郎くんは、絶対防御のことを否定するの?」

 その言葉はある意味衝撃的だった。

 やはり絶対防御という存在が当たり前のように受け入れられている。それはこの世界では当然であるのだろうが、しかしながら士郎にしてみれば違和感を覚えるものでしかない。

「絶対防御がある限り、人が死ぬなんてことはありえないのよ? それは士郎くんもわかるでしょう?」

 楯無の何気なく呟かれた言葉に、士郎の顔は思わず強張っていた。

 眼の前の少女もまた当たり前のように受け入れている。心のどこかでは、楯無は違うと捉えてくれると思っていなかったわけではない。

 士郎の眼は真剣なもの。その双眸で彼は楯無へ問いかけていた。

「……更識、お前は不安にはならないのか?」

「不安て、だからISには絶対防御が備わっているのよ? あくまでもIS装着者が死ぬことはないし。なによりも、実際今までそんな事故も報告も挙がってないんだから。なんにも心配はないのよ」

「…………」

 違う、そうじゃない――

 思わず士郎は叫びかけるが、何とか理性が動き言葉を呑み込んでいた。代わりに掌に爪が食い込むほど拳を握り締めていた。

 あまりにも価値観の違いに彼は言葉がなかった。

 そうまでしてISを信頼できるのかが士郎には理解できない。何事もなく受け入れているその姿は呆れさえも覚えるほどに。

「士郎くんて、おかしなことを気にするのね。ちょっと神経質になりすぎよ? ま、わたしは嫌いじゃないけれど。ISに触れてる時間が少ないから不安になる気持ちはわからないでもないわ」

 気楽に笑う彼女の声に対し、士郎は無言のまま。セシリアの時と同じように、楯無からも違和感を感じる。この世界の人間とはズレがある。

 別の世界から来た自分がおかしいと感じるように、この世界の人間にとっては、それが当たり前であり常識となる。

 自身の正義感を振りかざしたとしても、さすがにこれはどうすることも出来ない。士郎は諦めに近い息を吐くことしか出来なかった。

 だが逆に、士郎にとって見ればISの異常さを改めて実感するだけでしかないのだが。

 さすがに士郎の顔色が悪くなっていることに楯無は気がついていた。思わず椅子から立ち上がりかける。

「大丈夫? 顔色がよくないけれど……」

「いや、気にしないでくれ。ちょっと色々考えてたことがあってな」

 左手で制しながら、士郎は空いたもう片方の手で額を添えていた。

 絶対防御とは、操縦者が死なないように全てのISに備わっている能力である。容と言えど、名目上では自分の専用機となったIS『アーチャー』にも無論備わっている。

 だが、ISの絶対防御も完璧ではない。シールドエネルギーを突破する攻撃力であれば、本体にダメージを貫通させることができる。

 そこが大きく矛盾する。人命に危険が及ぶことになぜ誰もおかしいと思わないのだろうか、と。片やその危険性を持つことに関して、なぜ気付かずに過信しているのだろうか。

「…………」

 例えその事を論じたとしても、また関係がおかしくなるのは眼に見えている。歯痒いものを感じながらも、士郎はなにも口にはしなかった。

 そんな彼を見て――楯無は唐突に口を開いていた。

「ねぇ士郎くん、おねーさんとISで勝負しない?」

「……は?」

「おねーさんは強いわよ?」

 楯無の提案に、士郎は眉を寄せるだけだった。

 意図が理解できない。

(いきなり何を言っているんだ、コイツは……)

 話が読めない士郎にとって、突然告げてくる彼女の誘いに乗る意味など特にない。

 だが、楯無にしてみれば、どこか悲しそうな顔をした士郎など見たくはなかったため。ついでに言えば、実際に士郎の実力を自分の眼で確かめたいもの。見定めてみたかった。

「悩んでいても、何も解決しないものよ。そーいう時は、身体を動かすことに限るものなの」

「おい……」

 言うや否や、行動は迅速に。楯無は士郎の腕を掴み無理やり立たせていた。

「お、おい――は、離せっての!」

 一瞬、煩わしそうに腕を振りほどこうとしたが、それは叶わなかった。ついで、楯無の両手が士郎の頬にそっと触れていた。

 恥ずかしさに顔を背けようとする士郎だが、楯無は逃がさない。

 両の掌に瞬時に熱が伝わるのがわかる。照れちゃって可愛いわね、と胸中で呟きながら――しかし表情は真面目なもの。そのまま彼女はじっと相手の眼を見つめ、語りかけるように言葉を紡ぐ。

「わたしはね士郎くん、あなたが何を考えて悩んでいるのかはわからない。わたしはあなたじゃないから。でもね、話を聴くことはできるわよ?」

「…………」

「それとも、こんなわたしは信用できない? 何を考えているかわからない女には」

「……そういうわけじゃないけれど」

 士郎はこちらを見ようとはせずに視線を泳がせたまま。流石に悪戯が過ぎるかと判断した楯無は、ちろと舌を出していた。

「ま、それはそれとして、うじうじと悩む士郎くんに、仕方なく、おねーさんが協力してあげましょう。一暴れでもすれば悩みなんて吹っ飛ぶものよ」

 ぱっと両手を離すと、そのまま士郎の腕を掴んでいた。

「その前に、ご飯食べましょ。その後アリーナね。ハーイ、決まりー」

「おい、だから勝手に決めるなっての」

 一方的に話を進め、腕を組んでくる楯無に士郎は困惑するしかない。相手の自由奔放なペースに呑まれている。

 助けを求めるように士郎の視線は周囲を彷徨い……虚へ向けられる。

 士郎の心情を察したのか、虚の口が開かれ――

「可愛らしい寝顔でしたよ」

「いや、それはもういいから」

 赤面のまま――諦めたように、士郎は気恥ずかしさを誤魔化すように溜め息をついていた。

 

 

 書類整理を終え、一息ついた千冬は隣の真耶へ声をかけていた。

「山田先生、あなたから見て最近の衛宮をどう思う?」

「……どう、とは?」

 突然振られた話の意味を理解しかねた真耶は顔を向けて、思わず訊き返していた。

 千冬はノートPCディスプレイに表示されているここ最近の衛宮士郎のデータを見入っていた。打鉄やラファール・リヴァイヴと比べて、専用機として与えられたIS『アーチャー』での戦績はめまぐるしいものがある。基本スペックは第二世代型のラファール・リヴァイヴを士郎用にカスタマイズした程度でのもの。にもかかわらず、こうまで勝率に著しく変化が現れるとは、正直千冬自身は思っていなかった。

 機動性を最大限界まで高めた機体を駆り、倉持技研に無理を通させ造らせたという、近接武装の双剣『干将・莫耶』と中距離遠距離用の黒弓『フェイルノート』の二種を手にする士郎はある意味異様だった。

 明らかに場慣れした双剣の腕、一撃必殺を狙うとも呼べる見事な弓の腕前。特に射に関しては千冬は言葉がないほどに。

 先日の鈴との模擬戦を思い出しながら、千冬の表情は自然と険しいものになっていた。

「最近の衛宮のIS技術に関してだ」

「……確かに、衛宮君のISに関する技術力は向上していると思います。専用機を手に入れてからの彼はそれまでの戦い方と大きく違いますけれど……でも、織斑先生、それはひとえに成長しているからではないでしょうか? 極端に言えば、なにか問題がありますか?」

 真耶が指摘するのは士郎の性格を踏まえてのもの。士郎の能力に眼を見張るものがあるが、だからと言って必要以上に力を誇示して暴れているわけでもない。素直で気が利くいい子な彼、という認識が真耶の持つ衛宮士郎に対するイメージだ。

 だが、僅かに千冬は頭を振っていた。

「いやな、このまま野放しにしていて果たしていいものなのかと思ってな」

 それを聴き、真耶の表情に陰りが浮かぶ。まさか、と前置きし彼女は眉を寄せていた。

「織斑先生、衛宮くんを拘束するというワケではありませんよね?」

「……どうかな。最近考えることがある。衛宮の技術力は危険視するものがあると思えてならない。尤も、衛宮だけに留まらないがな。セイバーとランサーのふたりは脅威だ」

 胸中では、葛木が尤も警戒するべき相手ではあるがなと呟きながら。

「…………」

 じっと見入る真耶の視線に苦笑を浮かべながら、千冬は「すまんな」と一言漏らす。

「拘束と言っても、変に勘繰るな。わたしの言葉が足らなかったな。ちゃんとしたところで保護された方がいいのかと思ってな」

 そう言いはするのだが、千冬自身でも保護できる場所が思いつくわけでもない。

 少なからず、ここにいるよりまだマシな方なのでは、と考えてのことだった。

「……織斑先生、織斑先生は衛宮くんの味方ですか?」

「真耶?」

 いつになく真剣な表情、真面目な声音で呟く相手に千冬は思わず名前を口にしていた。

「織斑先生、私は、衛宮くんの味方です。彼が元の世界に帰れる手伝いができるのならば、わたしは協力を惜しみません。だから、敢えて言わせていただきます」

 じっと千冬の眼を見据え、だが真耶の双眸には確かな意志が宿っている。

 普段のおどおどした態度は消え、自身の思いを告げていた。

「織斑先生が衛宮くんに危害を加えるのなら、わたしは黙っていることはできません。彼が悪い子にはどうしても思えません」

「…………」

 千冬は無言。だが、そうだなと小さく呟いていた。

「わたしとて、衛宮の味方でいたいと思う。だがな、真耶……万が一ということも考えて置け。悪い奴でないのはわかってはいるつもりだが、衛宮たちに関しては完全な信用も信頼も出来ていない。それは向こうも同じことだろう」

 その言葉に、一瞬ではあるが真耶は眼を伏せていた。

「……そうでしょうか? 衛宮くんは、逆にこんなわたしたちを……うぬぼれかもしれませんけれど、信用も信頼もしてくれているんじゃないでしょうか? わたしは信じます。此方を信じてもらうためにも、わたしは衛宮くんを信じます。そうでもしないと、何も変わりません。お互いがわかり合うのって、そんなに難しいことですか? 対話をすれば、わだかまりなんてなくなると思います」

「…………」

 真耶が口にした言葉は綺麗過ぎる理想論でしかない。しかし、否定できる反面、否定できない反面もある。

 彼女の言い分に一理なくはないのだから。

 千冬とは違い、他者へ猜疑心を持たずに接する真耶は甘く、それでいて眩しいものがある。

「『疑心、暗鬼を生ず』か……」

「はい。疑ってかかってしまうと、なんでもないことでも疑わしく思ってしまいます。此方から信じてあげないと、彼も不安になります」

「強いなお前は……時折、お前が羨ましく思うよ」

 言って、千冬はカップを手に取るとコーヒーの準備をしていた。

 

 

「――と言うわけで、第三アリーナの使用申請に来ましたー」

 職員室に現れるなり、開口一番、一方的に気楽な声音でそう告げる楯無に千冬と真耶は言葉を失っていた。

 千冬はコーヒーを口につけようとして、真耶はチョコレート菓子を口に入れようとして。休憩中の教師ふたりは呆れた視線を向けるだけ。

 だが楯無は一向に気にせぬまま。その後ろに立つ士郎は居心地悪そうに表情に困惑の色を浮かべていた。

「なにが『と言うわけ』だ。こんな時間に、お前は何を言っているんだ?」

 しばし無言だった千冬は疲れたように呟きマグカップを机上へと置いていた。千冬が言うように、時刻は午後の8時を回っている。

 だが――やはり楯無は気にしていない。

「こんな時間だからこそです。アリーナ使用の許可を頂きに来ました」

「却下だ。馬鹿者」

 面倒くさい、帰れ、明日にしろ、とまるで野良犬でも払うかのように千冬は手で追い返す。

 と――

 普段であれば、あれこれと言葉を並べて問答してくるはずの楯無が、あろうことか「わかりました」と応えただけであっさりと引き下がっていた。

 これに対して千冬は眉を寄せていた。あまりにも相手が素直過ぎる。故に、危機感を覚えるのは必然か。

「待て更識……お前、何を企んでいる?」

「あらら、企むだなんて人聴きの悪いこと仰らないでください、織斑先生……断られたら大人しく引き下がるだけじゃないですか。それじゃ失礼しますね」

 言って、笑みを浮かべて楯無は士郎を連れて踵を返す。

 だが、本心を言えば、楯無はハナから許可など貰う気はない。断られるなど百も承知。形だけでも伝えに来ただけでしかない。

 ならばどうするつもりか――

 答えは至極簡単である。彼女が有する生徒会長特権を強制行使し、思う存分好き勝手に振舞うだけ。もはや規律も規定もあったものではない。まさに、己が望むままに如何様にも突き進むのみ。

 相手の性格上、容易に後の行動が手に取るようにわかったのだろう。額に手を当てた千冬は嘆息するしかない。

「……待て。私と山田先生が立ち会う。それで納得しろ。勝手なことはするな」

 それを聴き――

「見事な交渉だったでしょ?」

「なんでさ。お前の性格見越して、呆れてるだけだぞ」

 楯無は士郎に満面の笑みを浮かべVサインを見せている。しかし、士郎はすぐさま顔を逸らすと、千冬と真耶に対してすみませんと頭を下げていた。



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25

(´・ω・`)シロウ・・・カテナイッテイワレテルヨ・・・スデニミナサンニサキヲヨマレテイルヨ
(´;ω;`)ブワッ
推奨BGM「激突する魂」または「The Battle of IS」


 更識簪は、少々憂鬱だった。

 それは眼の前を歩く幼馴染の布仏本音の存在。夕食をいつものようにひとりでとろうとしたところに突然現れ、腕を掴まれ一緒に行こうと引っ張りまわされた。

 食事を終えたら終えたで簪は早々に自室に戻ろうとしたのだが、また本音に腕を掴まれ連れられていた。

「うひひひ。生徒会室に行ってケーキ食べるんだー」

「……太るよ」

「だーいじょうぶー」

 何処に連れて行く気なのか訊ねてみれば、生徒会室の冷蔵庫にエミヤんが作ったケーキがあるから一緒に食べようと言う。

 その足取りは軽い。よほど嬉しそうに――楽しみにしているのが簪にもわかる。

「エミヤんの作るお菓子は絶品なんだよー。かんちゃんもきっと気に入るよー」

「…………」

 エミヤん――衛宮士郎のことだろう。最近、彼のことを口にする本音はどこか楽しそうだった。

 遠目で幾度か話の当人を見たことがある。何より、本音には言ってはいないが、件の彼とは第二整備室で会話を交わしもした。

 簪にとっての衛宮士郎の第一印象は『おかしな人』に尽きた。だが、僅かな時間だったとは言え、士郎との過ごした時間は不快ではない。また話すことが出来ればいいな、と思えたほどに。

 自分の手がける『打鉄弐式』を賞賛されたことが、彼女は嬉しかった。それは本当に些細なことではあるのだが、簪の心に大きな印象を与えるには十分だった。

 ――と。

 前を歩いていた本音の足が止まった。首を傾げ、眠たそうな眼で見入る先。

「んー、エミヤんと会長だー」

「……それと織斑先生と山田先生」

 簪の歩も止まり、視線の先の四人を見て――自然とその表情には陰りが浮かぶ。四人の中にいるひとりを見て。

 四人は此方に気づいていなかった。そのまま廊下を歩いていく。

 悪いことをしてはいないのだが、思わず本音は壁の角から様子を窺っていた。

「んー? 何処に行くんだろう?」

「…………」

 後を付いていこうとする本音とは対照に、簪の歩は止まったまま。動かない友人に気づいた本音が振り返っていた。

「かんちゃんも行こうよー」

「……わ、私はいいから」

「えー、かんちゃんも行こうよー」

「……いいから……本音、私はいいから」

「やーだー」

 腕を掴み引っ張ろうとする本音に簪は抵抗を示す。

 だが、こういう時の本音は意外と我侭なのも知っている。下手に言い聴かせても素直に従いはしない。ぐいぐいと引っ張る力に困惑した簪だったが――

「本音さん?」

 唐突にかけられた声音にふたりは振り返っていた。

「葛木先生」

「……こ、こんばんは」

「こんばんは、本音さん、それと……簪さんだったわね」

 顔をほころばせるのは本音、少々緊張しながら頭を下げるのは簪だ。キャスターもまたふたりに対して、にこりと微笑む。

 改めてキャスターを見つめ、簪は僅かながらに動揺する。

(相変わらず、すごく綺麗な先生……)

 簪とキャスターは多少ながら接点があった。それは本音を仲介してのもの。たまたま、本音から『葛木先生は模型を作るのが得意なんだよ』という話を聴いた際に、無理を承知でお願いしたものがあった。断られると思っていたのだが、すんなりと了承の返事を貰えると、すぐさま簪は製作をお願いしたい品を渡していた。だが、翌日になってみれば作り終わったと一言告げられ品物を渡されていた。簪から見ても、その出来栄えはまさに完璧であり見事という以外見当たらなかった。細部の処理、色合いなど忠実に再現された塗装に簪は手にしたまま眼を輝かせ言葉を失うほどに。

 何度も頭を下げる相手に、模型作りが趣味のキャスターもさすがに照れたとか照れなかったとか。

 そんなことがあり、ふたりは顔見知りであったりするのだが。

 改めて本音に視線を向けてキャスターは問いかける。深い意味はなく、純粋な好奇心でのものだ。

「それで、ふたりはなにをしていたの?」 

「えーと、エミヤんと会長がいたのー」

 その返答は、キャスターの問いかけに適切ではない。だが、大して気にした素振りも見せず、逆にエミヤんと聴き――ああ、坊やのことねとキャスターは瞬時に理解していた。

「そういえば、第三アリーナに行くとか言っていたわね」

「第三アリーナ?」

 その言葉に、本音は小首を傾げていた。

 

 

 照明さえ必要としないほどに、頭上に輝き浮かぶ月光に、時間外の使用となる第三アリーナに立つ四人の姿が照らされていた。

 一組は、千冬とIS『ミステリアス・レイディ』を身に纏う楯無。

 楯無は鼻唄交じりに気楽なまま。特殊ナノマシンによって超高周波振動する水を螺旋状に纏ったランスを手にしている。

 どこか放漫さを感じる相手に千冬は苦言を呈していた。

「更識……言っておくが、衛宮を甘く見るな。アイツは、お前が思っているほど簡単な奴ではないぞ。わたしの勝手な私見ではあるが、現時点での一年の専用機持ちの中では、ある意味、奴は強いぞ」

 強い、としか口にしていない。だが、それだけで楯無には十分だった。へえ、と若干表情に変化を浮かばせながら。

「それは、わたしよりも、でしょうか?」

「……さあな。だが、慢心は足を掬われるぞ? 今一度言うが、衛宮は強い」

「ふうん……織斑先生がそこまで推すとは珍しいですね」

 対する向かい側には、もう一組――IS『アーチャー』を纏う士郎。その隣には真耶が立っていた。

「ミステリアス・レイディ……」

 IS『アーチャー』のハイパーセンサーにより表示される相手の機体データ。それを士郎は読み取っていく。

 楯無が身に纏うISは士郎が知るものと何ひとつ似ていなかった。身を護るアーマーの面積はIS『アーチャー』と同じように少なく、ごてごてとした装備を持っていない。

 なによりも、一際眼を惹いたのはその外観。機体の左右に浮くクリスタルのようなもの。そこから水の膜が広がり展開している。手にする大きな槍も同じように水に包まれていた。

 表示されている楯無のISデータを見ながら士郎は呟く。

「……はじめて見るタイプだ」

 装着者の楯無を包む水は、まるでドレスや翼のように見える。妖精のような神秘ささえ感じ思わせるかのような美しいデザイン。

「……綺麗だな」

「はい? 何か言いましたか?」

 訊き返す真耶に、なんでもないです、と士郎は応える。

 小首を傾げながら、だがそれ以上真耶は訊ねはしなかった。

「衛宮くん、更識さんのISはナノマシンで構成された水を扱います。機体も武装もナノマシンが展開しています。あなたが今まで相手にしてきた織斑君の白式や凰さんの甲龍などのISとは勝手が違います。油断はしないでくださいね」

「わかりました。どこまで出来るかは自信がありませんけれど、やれるだけやってみます」

「良いお返事です。堅くならないで。相手をよく見て、いつも通り落ち着いてください。大丈夫、衛宮くんなら勝てますよ」

「…………」

 微笑む真耶。

 此方に気を使ってくれているのがわかる。苦笑を浮かべると、士郎は頷いていた。

 互いに向き合い――士郎と楯無は対峙する。

「準備はいい?」

「ああ」

「その前に、ねぇ士郎くん……普通に勝負してもつまらないし、おねーさんからひとつ提案」

「提案?」

「そ。『賭け』しましょうか?」

「……賭け?」

 眉を寄せ訊き返す士郎に「ええ」と頷き楯無。

「わたしが勝ったら、向こう一週間、士郎くんのお手製お弁当献上ね」

「…………」

「本音ちゃんがやたら自慢するわけよ。美味しいって。おねーさんとしては興味深いわ。決まりね。で、士郎くんが勝ったら、おねーさん添い寝してあげる。裸で。もちろん、お触りもオッケーよ?」

「ば、馬鹿かっ、お前はっ!」

 瞬時に耳まで赤くなる士郎を見て、ケラケラ笑い楯無は続ける。

「あはは、耳まで真っ赤にしちゃって、ムキになっちゃって可愛いいわね」

「あきれてんだよ。いい加減察しろ!」

「むー」

「……くだらんコントはすんだか?」

 黙って聴いていた千冬がさすがに割って入る。疲れた表情で互いに視線を向けていた。

「更識、衛宮、ルールは通常通り、シールドエネルギーがゼロになった方が負けとなる。加えて、これ以上は戦闘続行不能と判断した場合はこちらで強制的に停めに入る。双方とも異論はないな?」

「はい」

「ええ」

 返答するふたりに頷き――

「はじめろ」

 千冬の声音が模擬戦の開始を告げていた。

 

 

 響く剣戟。

 月明かりに照らされ、ぶつかり合う二機の間に火花が散る。

 先に仕掛けたのは士郎だった。双剣を手にし、彼は疾走する。

 楯無は口元に笑みを浮かべたまま、大型のランスをゆっくりと構え――迎え撃つ。

 無駄な動作が一切なく、放たれる打突。それを士郎は黒剣で受け流す。装甲の至る所に纏わりつく霧状の水に眉を顰めたが、斬り払えなくはない。そう確信すると更に踏み込むため間合いを詰める。

 だが、その足が止まる。

 楯無はそれ以上の接近を許さない。踏み込む相手を彼女の射程範囲が立ち塞がる。

 繰り出すランスを力任せに弾き、返すランスを更に士郎は双剣で弾き返す。

「ふっ――」

 鋭い息吹とともに、士郎が手にする双剣は勢いを増し――突き出されるランスを弾き逸らし、瞬時に間合いへ踏み込んでいた。

「甘い」

 だが、後退はするが楯無は笑みを浮かべるだけ。

 ランスを旋回させ掴み直すと、左右から疾る二撃を苦もなく防ぎに回っていた。

 士郎の振るう一撃を防ぐ度に、楯無のランスからは火花が奔り、周囲を照らす。

 猛攻――とも呼べる剣戟を捌きながら、しかし楯無の表情から笑みが消えることはない。

 楯無とて、ただ一方的に防戦に回っているわけではない。士郎の腕の軌道と足運びを見て確実に、それでいて難なく防いでいる。

「ちっ――」

 弧を描き、叩き伏せるかのように振り払われた一閃を――だが楯無は初めて受けはせず、後方へ跳びやり過ごしていた。

 目標を失い、大振りとなり地面を抉る一撃となる。

 その一瞬の隙を彼女は見逃さない。

「接近戦が得意なのは、なにも士郎君だけじゃないのよ?」

 気楽に呟く楯無の声音は士郎の耳には届かない。

 地面を蹴り、離した間合いを一瞬に取り戻した楯無のランスが迫る。

 だが――

 ぐるんとその場で身を捻り、士郎は突き出された穂先を黒剣で薙ぎ払っていた。

 互いに声を漏らしながら――どちらともなく間合いを離す。

 唐突に、士郎は妙な違和感を覚えていた。身体に纏わりつく不快な湿度。

 己の体温の向上によるものとは違う何か。

 よくよく見れば、周囲を漂う濃い霧に。

(なんだ?)

 何気なく――本当に何気なく、士郎は己の右腕部装甲に視線を向ける。それと同時に、ハイパーセンサーに表示されるのは、急速に上昇する熱源反応。

 それは、濡れたIS『アーチャー』の装甲が急激に温度を上昇させている。

(なんだ――?)

 判断するよりも遥かに早く――ぞくりと本能が危険を察知し、瞬時に機体を後方に滑らせていた。

 なにかはわからない。だが、士郎の本能があの場に留まることは良しとしなかった。考えるよりも先に身体が動いている。視界の角で楯無の口元が吊り上っていたのが見えたような気がした。

 ――刹那。

 瞬前までいた空間が爆発していた。

「――っぐ!? 気化熱――水蒸気爆発かっ!?」

 直撃とはいかないはずなのに、身に浴びる爆音と爆風。シールドエネルギーが一気に削り取られていく。

 衝撃に激しく脳が揺さぶられ意識が刈り取られかけるが、士郎はその状況の最中でも、すでに行動を済ませていた。

 砂塵を巻き上げ爆風を浴びる楯無から見れば、ハイパーセンサーに映るIS『アーチャー』の機体ダメージは予想よりも減っていなかった。

 ISから伝わるエネルギーをナノマシンを介し、熱に変換させて爆発破壊させる、『清き情熱』――

 決定打になるかなと踏まえていたが、なかなかどうして。士郎は今の一撃をかわしていたのだから。想像以上の相手の判断能力に楯無は感嘆していた。

「あら残念。外し――」

 ――瞬間。

 爆風を切り裂き――二矢が宙に浮かぶアクア・クリスタルを射抜いていた。

「あらら」

 音を立てて地に落ちる一対のクリスタル。

 気楽な声音ではあるが、楯無にとっては少々予想外だ。あの爆発の余波に巻き込まれていながら正確無比に反撃している士郎に楯無は少なからず舌を巻く。

(コレは確かに……士郎君は、やる相手ではあるわね)

 そのまま――視線が上へと向けられる。

 頭上から迫る剣戟をランスで防ぐ。そのまま身体を捻り繰り出す白と黒の乱撃。

 激しい金属音を奏で――旋回するランスが真横からIS『アーチャー』を殴りつける。だが、すでに機体を反らした士郎の腕に握られているのは黒弓フェイルノート。至近距離から連射する。

「うふっ、やるぅ♪」

 嬉しさを含めて軽く笑い、ナノマシンの水を絡めた旋回でそれらは容易く捕らえ弾き落としていた。

 間合いを離し構える二機。

 双剣を構える士郎は、楯無と対峙する。

 楯無は口元をほころばせたまま、ランスの切っ先を僅かに上げていた。

 刹那――

 向かい合ったのはほんの僅か。

 一瞬にして詰め寄り、互いの間に剣戟が繰り広げられていた。

 ぶつかり合う刃と刃、鋼と鋼。

 耳障りな金属音を奏で、繰り広げられる攻防は互角。

 ぎん――と音を立てて士郎が握る白剣の一撃を弾くが、その余剰衝撃さえ利用し身体を反転させ、逆に握る黒剣を叩き込んでくる。

 唇を舐め、楯無は自身でも高揚する気分を抑えられなかった。 

 

 

 士郎と楯無の邪魔にならないようにと観客席に戻り、遮断シールド越しに見る模擬戦に真耶はぽつりと呟いていた。

「……すごい」

 それほどまでに、展開される光景に真耶は眼を奪われ、千冬は表情に変化はないが言葉もない。

 あの更識楯無を相手に、衛宮士郎がここまで渡り合うとは思っていなかったのが正直なふたりの心情だった。

 舞うような士郎の双剣。

 専用機を得た士郎に真耶が訓練の相手をした時よりも、そこからさらに技術面が格段に向上しているのがわかる。

 特に真耶から見ても、士郎の『相手武装による相互影響を含めた思考戦闘』に対する判断能力は見事としか思えてならない。初見であるはずのIS『ミステリアス・レイディ』に一切恐れることなく向かっていくなど、ある意味策もなければそれは、良い意味で『蛮勇』であり、悪く言えば『無謀』でしかないのだが。それでも結果的には渡り歩いている。

 不意に、千冬は背後に気配を感じ振り返っていた。

 視線の先に立つのは、キャスターと布仏本音、更識簪の三人。

 一体何処から、何故此処に居る、と眉を寄せる千冬だが、向けられた視線に気づいたのだろう。ちらりとキャスターも顔を向け、軽く手を振っていた。それに対して千冬の表情は更に険しくなるが、それ以上は相手にする気もないのか視線をアリーナへと戻していた。

「おお、すごいすごい」

「…………」

 声を上げて驚く本音。簪も声音を漏らしてはいないが、その眼は驚きに見開かれている。

(あの姉さんが押されている……?)

 自分の知る姉が僅かながらに押されかけている姿が簪は信じられなかった。

 

 

 僅かながら軽く息が上がり、楯無の呼吸が乱れる。こんな気分になるなどいつ以来だろうか。剣道場でランサーを相手にした時のものとはまた違う高揚感。

 それは士郎も同様に。セイバーを相手にしている時とは違う感覚。ISを遊び感覚で扱う他の生徒たちとは明らかに違う。とは言え、命を危険にさらしていることをスポーツと言い切る考えは肯定できないままではあるが。

 楯無から感じるのは、『強くあろうとし、更なる高みを目指す姿勢』――

 何かに必死になる事に関しては、共感できるものがある。

 士郎の双眸、決して諦めの色を宿さないその瞳を前に、楯無は背筋をぞくりとさせる。

(なんて眼をするのかしら)

 今、攻守は逆転している。果敢に攻めるのは楯無。手数も彼女が多い。だが、士郎は一向に後ろに下がってはいなかった。

 撃ち込まれる高速のランスを全て受け止め、捌き、払い、かわすが、一度も後退はしていない。

 それを楯無も気づいているのか、更に信じられない事は、そこから士郎は一歩前へと踏み込んでいた。

(コイツの槍捌きは確かに脅威だけれど……セイバーやライダー、ランサーを相手にするよりはまだ――)

 耳障りな金属音を奏でる攻防の中、ゆっくりと、だが確かに――士郎は歩を進める。

 驚いたのは、見入る者たち――千冬、真耶、本音、簪だった。

 相手の速度を上回り間合いに踏み込む。規格外のことを士郎は平然とやりのけはじめていた。

 あの楯無が押されている。

 小細工等一切無く、ランスの打突を致命傷となりえるものは避けながらも己の身体と一対の剣で押し進む。

 無数に繰り出される双剣の連撃に、楯無は徐々にではあるが追いつけずに、少し、また少しと下がっていた。

 自ら距離を詰める士郎に対し、彼女は前に進む事が出来ずに後退を余儀なくされる。

 一撃一撃ごとに確実に楯無のランスを弾き、後退させていく。

「っと――」

 繰り出される双剣の軌道を逸らそうとする楯無ではあるが、その尽くが巧くいかずにランスごと弾かれる。

 此処で初めて楯無の顔から余裕の笑みが消えていた。

 白と黒による疾風怒濤の連撃を捌き、ほんの僅かに後退するが、その刹那に開いた距離を見逃さず更に士郎は縮めていた。

 双剣の嵐は楯無を斬り伏せんばかりに襲いかかる。

 だが――彼女に勝機がないわけではない。

「ふふん」

 ぺろと舌を出し、楯無の瞳に妖美を漂わせる。

 士郎の技量に驚きはするが、脅威には感じはしない。IS技術は楯無の方が遥かに上回る。

 相手が速度で勝るというのならば、此方は更にその上をいくのみ。超越、凌駕――とにかく凌ぐだけのこと。

 変化は一瞬。

 間合いを制する空域を取り戻すかのように、ぶつかり合う金属音に――異音が生じた。

 反転攻勢――

 楯無のギアが二段階ほど跳ね上がる。その異変に気づかされたのは、無論、双剣を振るう士郎。

 風を切り突き出されるランスの穂先を弾くが――

 線と点を織り交ぜた巧みな攻撃。ランスの戻りの隙さえ与えずに、前後左右、縦横無尽に空間を掌握するのは既に楯無だけ。

 完全に士郎の歩は停まり、先に進むことが出来なくなった。逆にその場に腰を落として応戦に徹するのみ。

 直撃とは行かないまでも、捌き切れなくなったランスの穂先をその身に浴び、少しずつ、IS『アーチャー』のシールドエネルギーを削りはじめる。

(くっ――さすがにそう簡単には行かないか)

 柔軟さを併せ持った楯無の槍捌きの冴えが圧倒する。自身の計算と死線を積み重ねた己の双剣が徐々に狂わされる。

 『対暗部用暗部』の家系に生まれた楯無が幼いころからの厳しい鍛練と実戦で培われた能力、それはISとて変わらない。

 僅かながらに楯無を『普通の女の子』だからと甘く見たのが士郎の劣勢へと繋がる。

 甲高い音を上げて、ランスで双剣を受け止めると、旋回させるように斬り払う。そのまま切っ先を士郎へ目掛け――

「残念。ただの槍じゃないのよね」

「――っ」

「いい顔♪」

 ランスに装備されている四門のガトリングガンが火を噴き士郎を襲う。

 至近距離からの砲撃――

 シールドバリアを越え、絶対防御が発動する。身体に走る痛覚に士郎の表情が苦悶に歪む。

 直撃を受けながら下がる相手に――楯無の眼は僅かに驚きに開かれていた。

 士郎の腕――その手に握られていたのは黒弓。それも、これから撃とうという動作ではない。すでに挙動を終えている姿勢。

(いつの間に――)

 彼女が表情を変化させると同時、手に持つランスの一部が爆砕する。

 視線を向けてみれば、ガトリングガンの砲門に刺さる三本の矢。そこだけを器用に狙い破壊されていた。

 唖然とする間もなく、真横から踏み込まれた一撃をランスで絡め受け止める。

 力が拮抗する。

 楯無にしてみれば、今しばらくこの時間を楽しんでいたかった。

 眼の前の男の子になら負けてもいいかなとさえ考える。自分が負けたことにより、その後がどうなるかなど一切頭にはない。純粋にそう思うだけ。

 だが、それと同時に思うことがもうひとつ。自分は『更識楯無』、この学園の『生徒会長』であり最強の称号を持つ身だ。

 はっきり言えば、彼女は負けず嫌いだった。

(学園最強の名は、そう簡単にはわたせないのよね)

 まだ、奥の手のひとつやふたつ、晒しもせずに負ける気はない。

「暑いわよね……ほんと暑い……」

 汗にまみれ、妖艶に呟く楯無に対し多少なりとも色香を感じる。

「…………」

 打ち合いながら、世間話でもするかのような口調。何かの誘導かと警戒する士郎だが、相手の策に乗らぬようにと双剣を振るう。

「でも、これで勝ちは勝ちよね?」

 ランスで受け流し――にたりと楯無が笑う。ハイパーセンサーに表示される互いのシールド残量。

「――お前っ!?」

 瞬時に判断した士郎がその場を離れようとするが、楯無はその腕を掴み逃がさなかった。腕を絡みつかせ密着する。

 うふふと笑いながら――周囲に立ち込める霧が熱へと変化するのがわかる。ハイパーセンサーが奏でる警告音。急速に高まる熱源反応。

 頬を上気させ、耳元で甘く囁くように――

 とん、と士郎の胸元にしな垂れかかる。

「つれないなぁ。付き合ってくれても良いじゃない」

「馬鹿――」

 士郎の叫びは最後まで発せられなかった。

 少年の声音は爆音に掻き消され――両者の足元から二度目の激しい爆発、熱風と衝撃が起こっていた。

 第三アリーナが揺らぐ。一度目と比べて爆破力は倍ほどに。それほどまでに楯無はナノマシンによる霧の密度を圧縮させていた。

 頭上から降り注ぐ砂塵、土塊を浴びながら。

「――っ」

 起こした身体のところどころが激しく痛む。周囲を覆い立ち込める土煙、粉塵は晴れていない。それほどまでに衝撃の破壊力を物語る。

 口の中に広がる鉄の味。呼吸をするだけで嫌な空気が流れ込む。猛烈な吐き気と頭痛に加え、眩暈までする。

 思わず倒れそうになるが、なんとか踏みとどまり持ちこたえていた。

 身体が酷く重い。少し動いただけでの苦痛が生じる。

 ――と。

 真下にいた楯無も身体を起こす。お世辞にも綺麗とはいえないが、士郎と比べてその姿はぼろぼろではない。

 瞬時に楯無へ顔を向け――声をかけていた。

「……怪我はないか?」

「え? あ、うん」

 言われるまま返答し、士郎に不思議そうな視線を向けていたが――やがて、楯無のその表情には笑みが浮かぶ。

「私の勝ちね」

 ハイパーセンサーが表示する、IS『アーチャー』のシールドエネルギーはゼロ。対するIS『ミステリアス・レイディ』は僅かながらのシールド残量。

 見た限り楯無に怪我などはないようだった。気楽に声を出す相手に安堵すると同時――士郎は怒りがこみ上げていた。

 勝負など、そんなことはどうでもよかった。

 そのまま、己の腕が楯無へ伸ばされていたことに士郎は気づいていなかった。

「ふざけんなよ、お前――」

「……っ!?」

 低く静かに吐かれた声音。

 無意識のまま、楯無のISスーツの胸倉を掴み――かけるが、寸前に思い留まり空を握る。ゆっくりと拳を引き、だが、怒りの表情は浮かべたまま。

 楯無にとっては理解できない。何故、眼の前の彼は怒っているのか。

 爆発の瞬間に、士郎は逃げることが出来ないとわかるや否や、その場に楯無を掴み伏せさせ覆いかぶさっていた。それはまるで爆発の衝撃から身を挺して護るかのように。

「し、士郎君?」

 相手の剣幕に眼を白黒させ、だが楯無はその名を呟くことしか出来なかった。普段、からかいはしても、これほどまでに士郎が怒りを露にしたことはない。その彼の声音は震え、睨み見据える双眸に変わっている。

「怪我したらどうする気だ、お前は」

「け、怪我って……士郎君、あなた大げさよ……少しぐらい怪我しても、絶対防御があるから死ぬわけじゃないんだから――」

 言葉小さく、ぽつりと応える楯無。

 楯無とて自分が無茶をしたことは理解している。多少なりとも怪我をするリスクがあるのも把握している上での行動だ。

 絶対防御――

 その言葉が更に士郎の怒りを増幅させていた。実際に、あの零距離地点の爆発を身に浴びた士郎、楯無は身体に痛みがあるがこうして平然としている。それはシールドバリアによるもの。

 絶対防御は『命にかかわる攻撃』を受けた際に働く能力だ。今の『清き情熱』の爆発では、絶対防御は発動していない。

 だがそれは――

「だからって、お前は自分の身も考えないのかよ……」

 悲しそうに表情を歪めながら士郎の口は言葉を紡ぐ。

 呆然とする楯無は言葉がなかった。それは相手の雰囲気に呑まれたからではない。

「お、落ち着いて士郎君、そんなに絶対防御は信じられない?」

 彼女の問いかけに、だが士郎は応えない。

「なんなんだよお前は――」

 静かに呟き――自分が感情のままに訴えていることに気がつくと、一度大きく息を吐き眼を伏せていた。

 落ち着きを取り戻したのか、額に手を当て、消え入りそうな声音で言葉を吐く。

 膝をつく士郎に一瞬迷いはしたが、楯無は装甲腕部でそっと相手の肩に触れていた。

「士郎君、怒っているのは……私が勝つために手段を選ばなかったこと?」

「……違う」

 何に対して頭にきているのか、何に対して悔しさを覚えるのか、激情に走りながらも士郎自身は相手に告げることは逡巡する。

 楯無は士郎が勝ち方に文句をつけているのかと思ったが、そうではないことにようやく気づく。彼が触れているのは絶対防御に関してだと理解した。だが、今度は逆に楯無が悩むことがある。

「……士郎君、あなたが私を庇うことなんてないし、理由もないはずよ」

 彼女の眼は『何故?』と問いかける。

 しかし、士郎にしてみれば眼の前で少女が勝つためだからといって傷つく姿など見たくはない。絶対防御があるからといっても士郎の身体が自然に動き楯無を庇っていたことは事実。

「馬鹿――こうでもしなけりゃ、お前も怪我したかもしれないんだぞ。女の子を助けるのに理由なんてあるか」

「…………」

 その言葉に意表をつかれたのか楯無は言葉もなく固まる。眼の前の少年は何を言っているのだろうか、と。

 楯無は純粋に困惑していた。士郎が何に対して怒っているのかがわからない。

「なんでそんなのを当たり前のように頼ってまで、そんなモンなんかに乗ってるんだよ……」

「なんでって…………」

 かけられた声音に言い返そうとして――彼女は言葉を詰まらせていた。ふと、自分がそうまでしてISに乗る理由を瞬時に応えることができなかった。

(なぜ――?)

 更識家――対暗部用暗部として生み出された抑止力。

 生まれた幼いころより、彼女は周囲の大人に「更識家の長女」であることを求められた。

 身を守り敵を制圧するための武術を叩きこまれた。

 人を操り情報を引き出す術を教え込まれた。

 暗部の闇に対するためにそれよりも深い闇を心に刷り込まれた。

 それは、決して彼女が望んでいたわけではない。

 どれもこれも、自身が『更識家』に生まれた人間として、当然であり必然であるだけのことでしかない。

「そんなことしなくったって――もっとお前らしいことをすればいいだろ……」

 囁かれるような士郎の声に、楯無は無言。

「…………」

 言葉も無く、表情には若干の陰りを滲ませながら幼少を思い出す。

 彼女は楽しいことが昔から好きだった。

 パーティーや祭りがあると、それをどう盛り上げるか考えただけでワクワクしたし、いつも率先して騒ぎ立てていた。

 他人をくすぐるのが上手くなったのも、そうやって人を笑わせようとしたり、からかって遊んでいるうちに得意になったものだ。

 でも――

(お姉ちゃん……)

 ――何ものにも代えがたく、それ以上に大切な決意が楯無にはあった。

 譲ることが出来ない、それでいて、大事に胸の内にしまわれる最愛者の声音。

 自然と楯無は口角をあげていた。微笑を浮かべ、だがはっきりと想いを告げる。

「私は更識楯無だから……強くないといけないの……」

 彼女の心から発せられた優しい言葉を耳にして――士郎の眼が見開かれる。

 その言葉には確かな『もの』が込められていた。

 いつかどこかで見た、諦めない彼女の瞳と重なる。

 楯無へ顔を向け――相手もまた士郎を見つめ返す。

「詳しくは言えないの……けれど、私はISに乗ることが間違っているなんて思ったことは一度もないわ。それは絶対防御なんて関係ない」

「…………」

 満足そうな相手をじっと見入り――

(ああ、そうか……)

 胸中で呟き、士郎は眼の前の少女にはどうあっても勝てないなと思わされた。こんな眼をする相手には、言葉で何を言ったところで無駄なものだとわかっている。恐らく、口論をしたセシリアもまた一緒だろうと考える。

 同時に、それが士郎は我慢ならなかった。

 女の子がそんなことを口にしなければならない世界も、それを押しつけた周囲も。そして、それを変えてやることができない自分自身にも。

 そんなものは士郎にとっては勝手な我侭ではあるのだが。自身の考えを押し付ける気はない。だが、やりきれなかった。

「強くあるためなら、私はISだって絶対防御だって使う」

「――ッッ!」

 楯無の言い分は何も間違ってはいない。絶対防御を利用し、どんな手を使っても勝とうとするのはこの世界においての常識であり、逆におかしいのはイレギュラーの士郎なのだから。

 どうしようもない憤りに士郎の顔が歪む。眼の前の彼女は今なら手が届くのに、いつか伸ばしても、伸ばしても掴めない場所まで落ちていくかもしれないと考えてしまう。

 知らずのうちに握り締めていた拳は自身の胸元に。その微かに震える拳を楯無は捉えていた。ついで視線は拳を握る相手へと移される。

「あの……ひょっとして、心配してくれてるの?」

「当たり前だろ。勝負は俺の負けでいいよ。実際こっちのエネルギーは尽きてるんだし。でもな、楯無、頼むから……お願いだから無茶なことはしないでくれよ」

「……うん」

「…………」

 それ以上口にすることはなく、無言のまま立ち上がろうとして――ふらりとぐらつく士郎を楯無はあわててその身を支えていた。

 

 

「…………」

 言葉もなく見入る四人。言うまでもなく、千冬と真耶、簪、本音。

 唯一、キャスターだけが口元を吊り上げていた。士郎と楯無の会話を魔術により拾い聴いていたが、内容は笑わずにはいられなかったからだ。

 直ぐに駆け寄ろうとした千冬たちにキャスターは「少しだけ待ってあげて」と告げて引き止めていた。

(本当に……甘い坊やだこと……)

 隣に立つ本音と簪に気づかれないように、キャスターは静かに溜息を漏らしていた。

 眉を寄せる千冬を無視し、士郎たちの会話が終わったことに気づくと、キャスターは再度声をかけていた。

「……もういいわよ」

「ええと……」

 力なく呟く真耶。

 まさか、自身を巻き込んでの二度目の『清き情熱』を起こすとは思っていなかった。

 視線の先では、ようやく砂塵が晴れた中、僅かなシールド残量のIS――『ミステリアス・レイディ』が爆心地に立っていた。その横に膝をつくのはシールドエネルギーゼロとなった『アーチャー』だ。

 観客席へ視線を向け、疲れたような笑みを浮かべて手を振る楯無――その手を彼女が誰に対して振っているのかはわからない――に、千冬は溜め息をついていた。

「なんだこの勝負の決め方は」

 呆れながらも、千冬は真耶を連れて楯無の元へと駆けていく。本音もその後についていった。キャスターは興味がなくなったのかその場を後にする。

 残ったのはただひとり。

 簪はじっと二機のISに視線を向ける。

 楯無と士郎の模擬戦、ふたりの攻防を眼の当たりにした簪は無言のまま。しかし、自身でも気づかぬ高揚を胸に覚えていた。それとともに胸中に浮かぶのは姉に対する引け目。

(すごかった……私も……あんな風に戦えるのかな……でも、私は姉さんとは違うから……)

 胸躍る感情の昂ぶりと姉への劣等感を抱きながら、彼女は背を向けていた。

 

 

 翌日の昼休み、生徒会室に現れた士郎は無言のまま、机上にことと弁当を置いていた。同じように、本音と虚にも渡していた。虚に関しては「私もいいんですか?」と喜んでいる。

 士郎の見た目は痛々しい格好だ。頬には湿布が貼られ。手首には包帯が巻かれている。制服姿でわからないが、その下は至る所に湿布や包帯が巻かれているのだろう。朝、教室に入った際に一夏や箒たちが驚いたのはいうまでもない。同様に、楯無の頬も湿布が貼られた姿。打撲箇所には手当てがされている。だが、此方は士郎と比べれば程度は軽いものだ。

 楯無にしてみれば、昨夜の決着時に交わした会話で士郎が生徒会室にはもう来ないと思っていただけに、扉を開いて彼が入室した姿を見て驚きと嬉しさを感じていた。内心びくびくとしていたりもするのだが。

 手渡された弁当。それを見て、眼をきらきらと輝かせる楯無。

「おお、これが噂の士郎君のお手製……いわゆる愛妻弁当ね」

「…………」

 なんとなく――その発言が気に入らなかったものと、昨日の勝負の付き方が納得いかない士郎は、楯無の眼の前に置いた弁当を瞬時に取り上げていた。そのまま本音へと渡す。

「布仏、今日は特別に二個食べていいぞ」

「わーい」

「あーん、士郎君の意地悪!」

 腰にしがみつく楯無を引き剥がそうとするが、逆に更に身体を密着させてくる。

 至る所から走る激痛に顔を顰めながら士郎は声を上げていた。

「っ痛い――はなせ!」

「いやよ! 私にもくれないと、本気でまとわりつくわよ!」

「や、やめろっ! 何処触ってんだお前は!? だから痛いっての!」

「ほらほら! 早く私の分を返さないと、もっと酷い事するわよ!」

「馬鹿かお前は!? 何でベルトを外そうとする!? なんでさ!? お前頭おかしいんじゃないのかっ!? なんで携帯取り出してんだよ!?」

 叫びを上げ、楯無の顔を押さえつけて身体から引き剥がそうとする士郎。

 だが、負けじと楯無もまた抵抗する。お弁当を食べさせろと、不条理な行動に走ろうとしている。

「エミヤんのお弁当美味しいねー」

 既に食べはじめ、嬉しそうな本音の声音が響く中、虚もまた楽しそうにお茶の準備に取り掛かっていた。

 不意に――

「……ねぇ、士郎君」

 顔面を五指で押さえ込まれた格好のまま、何気なく楯無は訊ね言う。

「まだ悩んでる? 迷いは……吹っ切れない?」

「…………」

 その言葉に――士郎は楯無から手を離していた。楯無本人はしがみついたままだが。

 士郎の考えには一切変化はない。ISに対する認識も、絶対防御のことも何も変わりはしない。

 何よりも、楯無自身が躊躇もせずに平然と自身を巻き込んで爆発を起こした事に不快があった。勝負とは故、だからと言って勝つために何事もなく己を巻き込む。コレこそ絶対防御を過信している所以での行動なのだろう。

 命を粗末にするような行動は、やはり士郎は受け入れられない。

 だが、敢えて彼は口にしていた。

「……正直言えば、悩むものは何ひとつ消えてないよ。ただ、考え方は変えるべきなのかとは思う」

 昨夜の模擬戦で士郎は思い知らされた。いや――正しくは、わかっていたのに否定せずにはいられなかったのだろう。

 誰も彼もが遊びで乗っているわけではない。彼にとっては、今でも絶対防御なんてものを信じることは出来はしない。

 だが――お節介にはなろうとも、ならば自分が『彼ら』を守るために出来得ることに手助けを行えればという指針だけは定まっていた。

「そう……」

 士郎の声音に満足そうに頷くと……楯無の口はニヤリと笑っていた。

「それって、私のおかげよね?」

「なワケないだろ。お前は単に引っ掻き回してひとりで悦に入ってるだけだろ」

「なにそれ酷いわ」

「うるさい。それよりもいいから離れろ! さっきから言ってるだろ? いい加減、痛いっての」

「い・や」

 再度顔を押さえつけて引き剥がすが、楯無は懸命に抵抗する。その表情は少々照れを帯びながら。

「それに、あの時みたいに名前で呼んでほしいなー」

「はぁ?」

 あの時――という言葉を聴き、士郎は昨夜のことを思い出す。

 ――が。

「なんでさ? 俺、名前なんて呼んだっけ?」

「酷ッ」

 更識としか口にしていないハズなのだがと考えながら、まあいいやと思考を切り替える。埒が明かないと悟ると、士郎は本音に声をかけていた。

「布仏、早く食え!」

「あ。そんなことさせたら私あることないこと言いふらすわよ? 士郎君に襲われてキズモノにされたってセイバーちゃんに言うわよ?」

「おおおいっ!? お前冗談にもならない起爆剤を何平気な顔して放り込もうとしてやがる!?」

「なによ! 押し倒したのは事実でしょう!?」

「馬鹿じゃねーの!? 本当にお前馬鹿じゃねーの!?」

 馬鹿かと楯無を剥がそうとするが、さすがに我慢も限界だったのだろう。その手に楯無は口を開き噛み付いていた。

 まさか噛み付かれるとは思ってもいなかった士郎の口から驚きの悲鳴が漏れる。

 楯無は噛み付いたまま離れない。そこから更に抱きついてくる。

 びき、と骨が悲鳴をあげ――士郎は苦痛に顔を歪ませる。

 わーわーぎゃーぎゃーと騒ぐ中――

 とある昼下がり、生徒会室は今日も賑やかだった。




「14」に出ていたキャスターに模型製作を依頼したのは簪です。
なお、今話の製作に関しまして、alutoさんのご協力に感謝いたします。誠にありがとうございます。


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26

(´・ω・`)コウシンソクドガアットウテキニオチテイルヨ・・・


「更識、この書類のハンコ頼む」

「はいはい」

「それと、このハンドボール部の備品新調の嘆願書だけどさ、さすがにスコアボードを直して使うのも限界だぞ。前に一度直したものを再度修復はしたけれど、検討したほうがいいいかもしれない。と言っても、部費で賄えばいいのに嘆願書出してくるってのは、純粋に部費アップを願ってんだろうなコレ」

「ふむふむ」

「あとは、一年の教室棟の廊下の照明が切れてるところがある。予備品あるか? あれば俺取り替えるし」

「ああそれなら――」

「コレ今日の分の書類な。報告書もまとめてある」

「了解」

 言って、士郎は雑務をてきぱきとこなす。

「じゃ、お先な」

「お疲れさま。また明日ね」

 ひらひらと手を振る楯無に頷き、周囲を片付け席を立ち、士朗は生徒会室を後にする。

 いなくなった男子生徒に楯無の手が停まり、ふむと彼女は一息漏らしていた。

「うーん。コレじゃ本当に生徒会長は士郎君でいいんじゃないかしら、と思うわね。ね、虚ちゃん?」

 同意を求めるように、向かいの席に座る虚へ声をかけていた。

 だが、当の虚は面を上げもせず、視線は書類へ落としたまま。手は忙しなく動き、握られたペン先が紙面上を素早く踊り、インクが走っていた。黙々と、彼女は与えられた自身の作業をこなすだけ。

「お嬢さま。おしゃべりはその辺で。お仕事がまだ残っておりますので」

「いや、だから……」

 ちょっとぐらいイイじゃないの、息抜きも必要よ、と気楽に言ってみるのだが――

「お仕事が残っておりますので」

「……はい」

 無表情、ならびに感情のない声音の虚に従い、楯無は静かに作業に戻っていた。

 

 

 花壇の水まきを終え、士郎は額の汗を拭う。夕方とはいえ今日も暑い。

 生徒会室を出た士郎は放課後の廊下をひとり歩いていたが、ふと、足が停まり窓の外を見る。グラウンドの隅にある花壇が視界に映った。

 気づけば彼は、用務員室に寄り居合わせた轡木十蔵からバケツや軍手など作業一式を借り受けて、花壇へ向かい今に至る。

「さて」

 本題に取り掛かるかと、視線を向ける。

 周囲には無造作に生い茂る雑草。制服に手をかけ上下を脱ぐとISスーツ姿になる。部分には未だ包帯が巻かれたまま。

 汚れないように手近の場所に制服を置くと、首にタオルを巻き、士郎は草むしりに取り掛かっていた。

 午前中の授業でグラウンドに出た際に、隅で十蔵が作業をしていたのを知っていただけに、手伝えればと思考してのもの。

 しばらく無心のまま作業に没頭していたためか、真横に立っていた相手に士郎は気がついていなかった。

「アンタって、変わってるわね」

 不意にかけられた声音に振り向き顔を上げれば、鈴が立っている。彼女もまたISスーツ姿だった。

 見た感じ、放課後の自主訓練を終えたところなのだろう。

 引き抜いた雑草を放り、士郎は返答する。

「そうか?」

「そうよ、こんなの業者に任せればいいじゃないの」

 事実、遠巻きに立つ幾人かの他クラス――上級生か同学年かはわからないが――の生徒はこちらを見て笑っている。生徒が草むしりをする必要などない。やるとすれば、それは余程のことになる。

 鈴の言うように、IS学園には専用の業者が立ち入るものだ。清掃でさえ、毎日専属の業者が処理する。教室や廊下、果ては天井まで。自分たちが使う学舎だというのに、掃除に回す時間さえ惜しくその分を少しでもIS教育にあてるためだという。確かに楽ではあろうが、律儀な士郎はこの点も解せなかった。

 もっとも、教室の清掃に関しては完全に生徒が行わないというわけではない。何かしらの罰に宛がわれることがあるのだが。教室の清掃に関しても、士郎が自主的に気になったところは掃除していたりする。

 大して気にも留めず、士郎は作業に戻っていた。草を引き抜き付着する土を落とし脇へ放る。そのまま次の草を引き抜いていき――同じ作業を繰り返す。

「俺が気になったからやってるだけだよ」

「ふーん」

 手馴れたようにこなしていく士郎を見て、鈴はそれ以上言っても無駄だと悟ったのだろう。

 そう応えると……鈴もまた雑草が生い茂る手付かずの場所に屈み込みむと、ぶちぶちと草を引き抜いていた。

 本来であれば、彼女――鈴は士郎と話をしたいことがあった。それは本当に些細なもの。

 訓練を終えて戻ろうとした鈴は、幾人かの他クラスの生徒とすれ違った際に耳に聴こえた内容が気になっていた。

「なんであんなことしてるんだろうね?」

「男なんて雑用するしか能がないんだからいいんじゃないの? それこそグラウンドの全部むしってろっての」

「あはは、言えてるー、男のクセに専用機貰ったからって調子に乗ってるよねー」

 愉快そうに嘲笑して去っていく声に、鈴は立ち止り思わず振り返る。

「男?」

 男に専用機と聴いて思い当たる人間は、鈴が知る限り学園には消去法でふたりしかいない。

 耳にした場所に向かってみれば、聴いた話通りに士郎の姿を発見する。なにをしているのか近寄ってみれば草むしりをこなしはじめている。さすがに邪魔をするのも気が引けていた。

 故に、終わってから話をしようと考えてのもの。

「汚れるぞ?」

「なによ。そっちもやってるでしょ。同じじゃない」

「そのままだと手を切るからさ……草だと思っても切れるもんだし。軍手使えよ」

 言って、見もせずに、ポイと余分の軍手を投げると、それは放物線を描き鈴の元へ的確に届けられていた。

「それと、やるなら根っこから抜いてくれると助かる。根が残るとまた生えてくるからさ。千切れないように掴んで抜いてくれ」

「……アンタって、けっこう細かいのね」

 こんなの適当でいいじゃないの、と返答はするが、鈴は言われるままにしっかりと根元から引き抜いていた。

 

 

 さて。草むしりは根気が要となる。集中力も当然必要となるだろう。

 つまりはどういう事かといえば――鈴は既に飽きていた。

「ああもう面倒くさいっ! 甲龍で削ってやろうかしら」

「なんでさ? お前、ここら一帯を耕す気か? 後はいいよ。俺がやるから」

「む」

 呆れながら呟かれたその一言は、鈴の心をカチンとさせる。遠回しに邪魔だと言われた気がするからだ。無論の事、士郎はそんなつもりは毛頭ない。言葉足らずであるのは変わらないのだが。

「誰もやらないとは言ってないわよ!」

「……なにを怒ってるんだよ」

「うっさい! 見てなさい! あたしにだってこんなの簡単に出来るんだから! あたしは代表候補生なんだからっ!」

「だから、本当に何で怒ってんだよ。それと、草むしりに代表候補生なんて関係ないだろ?」

 ワケがわからず、士郎は首を傾げていた。だが、鈴はそんな指摘に耳を貸さず、ただひたすらに雑草を根元から確実に引き抜いていた。

 ふたりで行えば、はかどるもの。

 作業に没頭していたが、顔を上げて見ると地面は綺麗になっている。最初の方は巧くいかず、ぶつぶつと文句を漏らしていたが、数をこなしていくうちにいつしか口数は減っていき、やがては無言。

 だが――

 鈴は、ちらと士郎の方へ視線を向けていた。見れば作業範囲は鈴の3倍ほどに。黙々とこなす結果だ。

「……さすがに暑いわね」

 夕暮れの風が吹くとは言え、地面は日中に照りつけた熱気を帯び、身体は作業により汗をかく。額を拭い一息つく鈴に気づき士郎は声をかけていた。

「本当は朝方にやるのがいいんだけれどな。バケツの中に飲み物あるから適当に飲んでくれていいよ」

「バケツ?」

 立ち上がり、言われるまま周囲を見渡すと彼女は青いバケツを見つけていた。近寄りバケツを覗けば水に浸かった幾本のペットボトルがある。

 作業しながら休憩がてらに飲むために準備していたのだろう。

「アンタって、ほんとに用意がいいわね」

 軍手を外し、バケツの中に手を突き込む。水は温くなっていたが、手に伝わるひんやりとした感触が火照る熱を抑えていく。

 一本のスポーツドリンクを引き抜くと、封を切って口をつけ、乾いた喉に流し込んでいた。

 

 

「こんなもんかな」

 区切りをつけて満足そうに頷くとむしった雑草を一箇所にまとめておく。邪魔にならないところに置いてくれていい、と十蔵に事前に言われていたので問題は無い。

 取りこぼしがないのを確認すると、後片付けをしながら鈴へと顔を向けていた。

「悪いな凰、手伝ってもらって」

「別いいいわよ。暇だったし」

「? そうか?」

 バケツからペットボトルのお茶を引き抜き、口をつける。汗を拭いながら士郎もまたようやく一息ついていた。まだ茂る雑草を見て、残った分はまた明日かなと考えていたが、無言のまま視線を向けている鈴に気づいていた。

 向き直り彼。

「どうかしたか?」

 士郎の声に「うん」と一言呟き、鈴は応えていた。今なら話をしても大丈夫かなと探りを入れながら。

「……あのさ、生徒会長とISで勝負したんでしょ?」

 その言葉に耳が早いなと士郎は思わず感心していた。情報元は何処だろうと考えながら素直に頷く。

「ああ」

「で? どっちが勝ったの?」

「聴いてどうするんだ?」

「どうもしない。単にあたしがどっちが勝ったか知りたいから訊いてんの。他意はないわよ」

 そうか、と士郎はお茶を一口含み、喉を潤してから返答する。

「更識が勝って、俺が負けた」

 負けた、と聴き、鈴の表情に変化はない。予想通りとは思わない。

 代表候補生としてのプライド故に、認めたくはないが、今の士郎のIS技術能力は追い越すような勢いの伸びを感じている。

 最近の士郎を見て、実力はわからないが楯無と互角に渡り合えると思っていたものがある。鈴の勝手な予測では、どちらが勝ってもおかしくはないと読んでいただけに。

 逆に言えば、仮にも自分を倒した手前、そう容易く負けてほしくないと願うところがあったりもする。

「……衛宮、アンタ、本気で戦った?」

「ああ。別に手は抜いてない」

 士郎の手首や身体に巻かれた包帯を見て余程の試合だったのかなと鈴は想像する。

「どんな勝負だったの?」

「どんなって……あー」

 思い出しながら――士郎は顔に疲れたような表情を浮かべていた。

 剣と槍がぶつかり合い、拮抗したところを爆発された……それをそのまま口にするのも面倒だった。

 うん、とひとつ頷き彼は言う。

「滅茶苦茶だった」

「なにそれ。アンタってさ、ホントにいったいなんなの? ついでに言えば、アンタの兄貴のランサーも」

「…………」

「男でこうまでISを動かせるなんて、それこそおかしな話なのよ」

「なんでって言われてもな……」

 返答に困り士郎は頭を掻いていた。事実、起動した明確な手段はこの世界の常識では説明がつかない。当然、魔力、魔術のことを話す気はない。

「本題はそれか? お前が俺なんかに用があるなんて、よっぽどだろ?」

「……そんなに卑屈になんなくてもいいわよ別に。ただちょっと、衛宮と話がしたかっただけ」

「そうか?」

 僅かに首を傾げた士郎だが、此処で話すにしても、日は暮れており、辺りも暗くなっている。

 眼の前の少女も、例え下手なことを口にしたとしても、素直に聴き入りそうな雰囲気ではない。

「なら、飯でも食うか? 落ち着いたところなら構わないか? 此処で話すよりはいいと思うし」

 考えた上で、士郎はそう声をかけていた。

 

 

 士郎の部屋――もとい、教師寮棟に足を運ぶことなどほとんど無い。滅多なことでは慌てず毅然とした態度の鈴ではあるが、その顔は何処か不安そうだった。

 寮食堂では他者の人目もあるだろうからとしての士郎の配慮だった。

(こんなトコに来るなんて思わなかったわ……変に緊張するし)

 自室に戻り、シャワーを浴びて汗を流した鈴が言われた部屋に訪れてみれば、士郎もまたラフな格好に着替えていた。

 ほのかな石鹸の香りになぜかドキリとしたが、鈴はおくびに出さず、室内に招かれていた。

(コイツはコイツで、部屋に招き入れることの意味わかってんのかしら? ま、まぁ……衛宮がそんなことするヤツじゃないってのはわかってはいるけれど……い、一夏だったら嬉しいかなぁ――って、なにをあたしは考えてんのよ)

 慌ててぶんぶんと頭を振り鈴。ひとり息を吐き、落ち着きを取り戻す。

 部屋は拍子抜けするほど綺麗だった。それもそのはずに、殺風景と呼べるほどに部屋には余分なものが何もなかった。元から寮部屋に完備されている最低限の生活用品以外――有体に言えば、士郎の私物品らしきものは、何ひとつも見当たらない。何もない部屋ではあるが、当然のように至る所の清掃は行き届いている。

(……なんて言うか、つまらない部屋ね……)

 殺風景ではあるが、部屋には生活の温かみらしきものは感じとれていた。

 胸中で呟きながらぐるりと見渡し――と、視線が一箇所に停まる。唯一の私物品らしきものを視界に捉える。それは、ドアの近くに無造作に置かれている釣り道具の一式だった。釣具を指さし、鈴は士郎に問いかける。

「ねぇ、入り口にある釣り具って、あれ、アンタの?」

「違う、ランサーのだよ」

 ランサー、と聴き――そういえば、ここはアイツと同部屋なんだったわね、と鈴は今更ながらに思い出す。言われてみれば、放課後に意気揚々と釣竿担いで外へと駆ける姿を幾度か見たことがある。

 今日はどうしたのか気になったので彼女は訊ねていた。

「で、そのランサーは?」

「あれ? 入れ違いに会わなかったか? アイツ別の道具一式持って近くの埠頭に釣りに行ったぞ」

「こんな時間に?」

「夜釣りがどうとか言ってたな。詳しくは聴かなかったけれどさ」

 ふーん、と一言漏らし、鈴はキッチンへと視線を向けていた。士郎は冷蔵庫から食材を取り出す。

「まぁ、夜に勝手に学園の外に出ていいんだっけか――と、ベーコンと玉ねぎ……ろくな物が残ってないな、オリーブオイルあったっけかなぁ……」

 簡易キッチンでがさがさと探す士郎に、思わず鈴は席を立ち上がる。

「衛宮、あたしも手伝おうか?」

「なんでさ。座ってて待っててくれよ。テレビでも見ててくれ」

「……うん」

 正直に言えば、鈴は落ち着かなかった。

 男の子の部屋に入ることに抵抗がないわけではない。今一度改めて室内を見渡してみる。

(そうは言われても、妙に落ち着かないのよね……弾や一夏の部屋によく遊びに行ってたのに……それとはなんか違う感じがするし……)

 女子よりも清掃が行き届いているとしか思えてならない空間。

 なによりも、彼女はドキドキしていた。それは、友人と接して感じる気持ちとは違うもの。

 見るともなしに視線を向けて、鈴はひとり考える。

(……まぁ、衛宮もカッコいいって言えばカッコいいわよね。ウチのクラスでもそれなりに人気あるし……で、でも、一夏に比べたら全然だけれど! い、一夏の方が!)

 一夏に想うものは確かな恋愛感情。

 友人の五反田弾に想うのは、よき悪友としての感情。

 だが、ランサーへ想うもの、士郎に想うものはまたそれらとも違う何か。

 鈴の中で一番格好いいと思う男性は一夏であり、それはどうあっても変わらない。

 大人のランサーからはワイルドさを感じるし、士郎は士郎で一夏にはない男らしさを感じる。だからと言って恋愛感情までは募らない。だが気にはなる。それが何かわからないため、ドキドキと変に意識してしまう。

 それに、IS学園に来てから、他の男子の料理など食べるなど久しぶりだ。

 一夏や弾の手料理を食べたことがあるが、前に屋上で食べた士郎の弁当はそれらと比べても本当に美味しかった。

 香ばしい匂いが漂う。フライパン片手に調理する姿を鈴は見るともなしに眺めていた。

(これが一夏とふたりきりだったら、なおいいのになぁ……って、だからあたしはなに考えてんのかしら)

 頬を若干紅く染めながら、鈴はそんな淡い願望を抱いていた。

 ――と。

 扉がノックされた。

 フライパンを置き士郎が出ようとするが――それを見越して、妄想を振り払うように自分の頬をぺちぺちと叩きながら鈴が動いていた。

「いいわ、あたしが出るから衛宮は続けといてて」

「悪い」

「はーい、どちらさまですか?」

 言ってしまってから後悔する。普段の学生寮のノリで。

 ガチャリと開いた先に立つ――織斑千冬の姿を眼の前にして言葉を失う。

「衛宮、少し話をしたくて……て、何故、凰がいる」

「ち、千冬さん――!?」

 現れた相手に失念していた鈴ではあるが、千冬は眉を寄せた表情になっていた。女生徒を連れ込むような輩かと詮索するが、だが、直ぐにそんな甲斐性はこの男にはないなと確信する。普段の態度を見ていれば、女に対してだらしないというイメージはない。セイバーや楯無、本音に振り回されている姿をよく見ているだけに。更には、実弟と比べて、そうまで鈍感ではあるまいと推測する。この男は弁えているところはきちんと弁えている。

 余談ではあるが、これがランサーだとしたら千冬は容赦なく殴りつけているところだが。

 そうこうしているうちに、士郎もまたエプロン姿でフライパン片手に顔を覗かせていた。戸口に出た鈴が固まったままなのが気になったからなのではあるが。

 戸口に立つ千冬を見て、士郎の表情には「おや」と変化が生まれていた。

「織斑先生、よければ織斑先生も夕飯どうですか?」

「いや、私は――」

 そこで断ろうとした千冬ではあるが、鼻腔に漂う香ばしい匂いに食欲がそそられる。

 不覚にも、ぐうと腹の虫が鳴る。

 無表情ではあるが、何処か気まずそうに千冬は視線を逸らしていた。

「よかったらどうですか?」

「……いや、結構だ」

 ――と。

 再度鳴った千冬の腹の虫。先よりも一回り大きな音が。

 表情に一切変化の無い士郎は再度訊ね言う。

「よかったらどうですか?」

「……すまん。いただこう」

 少々気恥ずかしく、千冬は頷いていた。

 

 

 士郎が作った料理は、ベーコンと玉ねぎでシンプルに作られたリゾットとトマトサラダ、キャベツのコンソメスープ。どれも手軽に作られたものではあるが、士郎なりの調理分量よる味なのだろう。口にしたそれらは確かに美味しかった。

「大したものだな、衛宮……お前の作る料理は、実に美味いな」

「ホント、手軽な材料で簡単に作ってるハズなのに美味しいわね」

 食事を終えた三人は、食後のお茶を口にしていた。

 士郎と鈴、千冬の組み合わせで話をするなど珍しいものがある。

 座学やIS実技のこと、会話の内容も主に授業のことが多かった。寮部屋でまで授業の話をするのはどうかと三人とも思っていたことではあるのだが、話を変えようと、士郎は鈴へ視線を向ける。

「で、凰。話ってはなんだ?」

「あー、ええとね……」

 唐突に話の矛先を振られ、鈴はもじもじと湯飲みをいじる。それを見て千冬は察したかのように口を挟んでいた。

「私がいては気まずいか? 席を外すが」

「あ、いえ……千冬さ……織斑先生が気を遣ってくださらなくても大丈夫です。大したことじゃないですし」

「そうか? それと今は教師も生徒も関係ない。普段通りでかまわんぞ。楽にしろ。衛宮、お前もな」

「はい……」

 実際、鈴にとって千冬が居ようが居まいが関係ない。自身が気になったことを口にしたいだけなのだから。

 あのさ、と前置きし鈴の口が開かれる。

「衛宮、アンタってさ、その、強いわよね……」

「そうか? お前の方が十分強いだろ? 代表候補生なんだし」

「嫌味のつもり? その代表候補生に勝つクセに……そうじゃないわよ。純粋に、今のあたしじゃ……たぶん十回戦っても全部は勝てないと思う」

 着実な努力により、少しずつではあるが士郎はIS技術力を高めてきている。それでも鈴の方がISに関しては上回ってはいるのだが、勝率も良くて八割。残り二割は負けるような気がしてしまう。

 鈴の独白に士郎は無言。千冬が代わりに口を挟んでいた。

「……なんだ、凰? お前にしては、ずいぶんと弱気だな」

「茶化さないでください千冬さん……これでもあたし、真面目に考えてるんですから」

 話が逸れたわね、と呟くと――ええと、と漏らし鈴は続ける。

「あの双剣、弓の腕……とてもここ最近のものじゃないわよね。アンタ、もともとそれなりの腕だったんでしょ? 隠してたわけ?」

「隠してたって言うのは語弊があるよ。ISを触ったことが無いのは本当だ。ここに入ってからだよ。弓は昔、俺弓道部に入っててな」

「……剣は?」

「あれは日頃の鍛錬での結果かな……」

 事実であり、それ以外は応えられない。セイバーによる剣の師事、幾度と無い死線を潜り抜けた上で見につけた剣技。未だ及ばず、模倣と呼ばれようとも己の存在意義ともなるもの。

「ほう……」

 思わず千冬は声を漏らしていた。彼女も気になっていたところではある。如何様にして、眼の前の男子は相応の技術を得たのだろうかと。

 鍛錬と聴き、鈴は興味を惹かれていた。

「昔から? アンタのお父さんもそれなりの腕だったの? それともお母さん? 稽古をつけてもらえるほどアンタの両親てすごいんだ。羨ましいなぁ」

 だからアンタって強いのね、と一方的に話し、鈴はひとりで納得している。それも変な勘違いをしたままで。

 そのためだろうか、自然のうちに士郎は苦笑を浮かべていた。

「いや、俺の両親は普通の人だったよ」

「……だった?」

「凰……」

 小さく呟かれた千冬の声音。それ以上はやめろという意味を含んでのもの。

 何気なく返答したつもりであったが、敏感にその言葉に反応していた。見れば鈴の表情は一変している。何処か聴いてはいけない領域に土足で踏み込んだことに。

 しかし、士郎は気にもしない。そんなものは慣れたことだ。

「ああ、言ってなかったか? 俺の両親はもういない。十年も前に火事で死んだんだ」

「……え?」

 言葉を失い、鈴は呆然としたまま。相手が何を言っているのかわからなかったが、瞬時に把握する。ついで、自分がいかに無神経なことを口にしたのかがようやくわかったのだろう。咄嗟に――慌てたように彼女は顔を伏せていた。

「ご、ごめん。何も知らなくて……あたし、そんなつもりでアンタに訊いたワケじゃないの」

「? なんでさ。そんなに気にするなよ」

「でも――」

 それこそ不思議そうに士郎は鈴を遮っていた。

「お前がそんなヤツじゃないってのはわかってるよ。知らないんだからしょうがない。お前が気にすることなんてなんにもないんだからさ」

 だからさ、そんなに気にしないでくれ、と彼は告げる。

「…………」

 無言の鈴。千冬はひとり口の端を吊り上げていた。

(馬鹿正直なヤツだ。お人よしというか、なんというか……なるほど。確かに、真耶が真剣に思うだけの男ではあるな)

 士郎が口にした言葉に、千冬は少なからず思うところがある。改めて、真耶が味方になりたがるのも頷ける。裏表などない。眼の前の少年は純粋すぎる。

 横でひとり考察している千冬に気づくはずもなく、鈴は顔を伏せたまま問いかけていた。

「ね、衛宮……怒ってくれてもいい。でも、失礼ついでにどうしても聴かせて。お父さんもお母さんもいなくなって、アンタは……寂しくなかったの? その、今も……」

 どうしてそこまで普通にしていられるのだろうか。鈴自身には考えられない。幾ら十年もの時間が経とうといえど、そうまで普通に振舞えるものなのだろうか。

 自分が両親を亡くしたとして、果たして普通でいられるだろうか? なによりも、鈴はあんなに仲が良かった両親が離婚したことでさえ、ショックを隠しきれていなかったのだから。とても想像がつかない。故に、彼女は不躾であるのを十分理解した上で訊いてみたかったものがある。

 ふむ、と士郎は顎に拳を当て考える。頬杖をつくような格好のまま視線を一度虚空に向けてから鈴へと移す。

「……そりゃ寂しくなかったってのは嘘になるけどさ、俺、自分の両親のことあんまり覚えていないってのが正直なところなんだ。でも、それを補えるかのように俺はいろんな人と会った。本当の親はいないけれど、俺を引き取って育ててくれた人もいる。血は繋がってないけれど、姉のような人が俺を世話して……ああ違うな。俺の方が世話してるなアレは。肉親とは変わらない家族が俺にはいるんだ。だから、今の俺は全然寂しくない」

「…………」

「嬉しいこと、嫌なこと、馬鹿なこと……それこそいっぱいあったさ。でも、それら全ては楽しいと思える」

 そう応える士郎に鈴は顔を上げて見つめていた。

「そいうものなの?」

「んー、お前に訊くけれど、家族って何だと思う?」

「……血縁関係?」

「確かにそれもあるよな。偉そうなことは言えないけれど、俺は絆なんじゃないかなと思うんだ。さっきも言ったけれど、俺には血の繋がらない大切な人たちがいる。姉のような人もいるし、妹のような人もいる。一緒にいると、そう思うんだ。家族ってのは、こういうモンなのかなって」

「絆か……」

 ポツリと呟く千冬に、士郎は「ええ」と応え頷く。

 士郎の肉親のことは知っている。鈴の今の家庭環境もクラスは違えど知っている。

 千冬は自身のことを思い出す。幼子の一夏を護るために、ただひたすらがむしゃらだった。それこそ脇目も振らずに一心に。

 支えあえれることが、これこそ、絆なのだろう。その通りかもしれんな、と千冬は思う。己の両親に絆を感じるかと問われれば、否としか応えられない。

 しかし、士郎は支えあう兄弟も居ない。文字通り「ひとり」だったのだろう。一夏とふたりきりでの過酷さを知っている。それが独り身ともなればどれほど辛いことか。

 この少年は孤独を知っている。それを絶望もせず乗り越えている。

 相手を見据え、千冬は精神面からくる切実な願いのようなものを感じていた。それは鈴もまた同様に。

 士郎とて自覚は無いが、家族と居たいという心の現われが自然と人を引き寄せるのかもしれない。家族が出来れば自ずと護るべき強さが必要となる。強くあろうとするのはそこから来ているのかもしれないのだが。

 とは言え、千冬は士郎から別のものも感じていた。

 何かを誤魔化して生きている――

 例えるならば「危うさ」というものか。

(……家族を失っている割には、なにか妙ではあるが……偽っているような……それとも、ただ私が気にしすぎているだけか)

 確証があるわけではない。それこそ千冬が何気なくそう思っただけでしかない。

(……気のせいか)

 自分に言い聴かせるかのように、千冬はそれ以上の詮索はしなかった。

「…………」

 鈴は無言のまま。彼女は士郎が口にした内容を反芻していた。

 彼の「思い出せない家族を失っていながら、本当の家族の様な絆で結ばれた他者に囲まれて生きること」と、自身の「あんなに仲が良く、大好きだった両親が離婚してしまったこと」を不謹慎にも秤にかける。

 不幸を比べたつもりではないが、応えはわかりきったもの。士郎はそれでも前に進むことができている。決して自分は進めていないとは思わない。だが、敢えて比べてしまうと鈴は些か前に進めてはいないと感じていた。

「なんとなくだけど、衛宮の言いたいことはわかる気がする」

 こくりと頷く鈴から、士郎は視線を千冬へと移す。

「千冬さんには一夏がいますよね。羨ましいなって思うとこがあります」

「手のかかる弟だがな」

「それこそわかるような気がします。俺にも手のかかる姉のような人がいますから」

 やれやれと疲れたような笑みを浮かべる千冬に相槌を打つように士郎もまた苦笑を浮かべて応えていた。

「ははは、ま、家族ってのはいいモンですよね」

 何気に呟かれたその言葉。士郎自身は気づいていないだろう。その顔には、どこか寂しそうな色が窺えたことに。ふたりはそれを見逃さなかった。

 故に――

『…………』

 そんな彼に鈴は申し訳なさそうに口を開く。

「ゴメンね。衛宮、変なこと訊いて……お詫びに……」

 言って――

 鈴はニカリと笑う。その顔は――ヒマワリのような元気な笑顔だ。

「なら、今日だけは、あたしがアンタの妹になってあげる」

「なら私は、お前の姉になってやろうか?」

 対する千冬の笑顔は、まるで桜の花のように美しく栄える。

「なんでさ!?」

 意味がわからずそう反論することしか出来ない。しかし、同時にこのふたりが『姉』と『妹』にもなれば、それはそれで手間がかかり面倒くさく、喧しくもあり賑やかになる毎日なのは確実だろうと考えていた。

(なんとなく、イリヤと藤ねえを逆にした感じだよなぁ……あれ? でもそれって何も変わってなくないか?)

 おかしな話の矛先を変えるべく、士郎の口は動いていた。

「そんなことよりも――ところで千冬さん、俺に用事ってのはなんだったんですか?」

 話題を無理やり変える相手に対し、キャスターに劣らぬ美貌の千冬は、その表情に些か不満そうな色を浮かべていた。

「ん? ああ、すまんな……私の話も大したことではない。なんとなくではあるのだが、お前さえよければ、剣道場で手合わせを頼めないかと思ってな。そのことで話そうと思っていたところでな」

 その申し出は、士郎にとって心の底から意外なものだった。

 セイバーやランサーには遥かに劣りはするが、純粋な竹刀を用いての稽古ともなれば、士郎が勝てる相手ではないと思えるからだ。

 そのため、眉を寄せて訊き返す。

「俺がですか?」

「ああ」

「……俺なんかじゃ、千冬さんの相手なんて勤まらないですよ?」

「そんなこともあるまい」

 謙遜するな、と千冬は付け足す。

 実際、千冬は士郎の剣技に興味があった。ISでの鈴や楯無との剣戟を眼の当たりにし、久方ぶりに刺激を受けたのは紛れもない事実だった。

 朝晩には剣道場の一角を借りて、日課の鍛錬だと口にし、セイバーと竹刀を使用して稽古をしているのも知っている。

 それらを見知った上で、純粋に千冬は士郎に手合わせをと願っていたのだった。

「衛宮、お前の剣筋はISを見ていてもなかなかだと思えてな。生身でも相応のものかと感じてな」

「いや……そう言われても」

 言われたからといって、はいそうですかと素直には受け入れられないものがある。だが、千冬を相手にしてみたいと思う気持ちがあるのも否めなかった。

 それこそ『ブリュンヒルデ』と呼ばれる彼女に対して、果たして自分が何処まで喰らいつくことが出来るのかは興味がある。

 士郎はしばし黙考していた。

 怖いもの見たさに千冬の実力を覗き込んでみたいものがある。

「ほれ『士郎』、『姉』に付き合え」

 思考の踏ん切りをつけるのかのように、背を後押しするかの如く――

 千冬が口にするように、姉として振舞っているつもりなのだろう。士郎が見慣れた織斑千冬がこんな遊びに付き合うとは思わなかった。『姉弟ごっこ』はどうやらはじまっているようだ。

 自然と、士郎の口元には笑みが浮かぶ。それは、挑戦意欲に駆られてのもの。

「わかりました。俺でよければ」

 笑みを浮かべる士郎を見て千冬も満足そうに頷いていた。

(いい顔をする。一夏にも見習わせたいものだ……)

 立ち上がるふたりにを見て、鈴もまた席を立っていた。

「面白そうね。立会人はあたしでイイでしょ? こんなに面白そうなの見逃すなんて勿体無いしね、『お兄ちゃん』?」

 心底気に入った玩具を手にしたかのように鈴は愉快そうに笑う。

 千冬は思う。もし、自分にもうひとり、士郎のような『弟』が居れば、三人そろって今よりも尚楽しいだろうと。

 鈴は思う。もし、自分に士郎のような『兄』が居れば、寂しさなど感じることもなく温かく楽しめるだろうと。

 

 

 一時の自称『姉』と『妹』に連れられて――

 食後の運動と称する剣道の鍛錬は、結果は惨敗であれど、士郎にとって有意義な時間を過ごさせていた。




毎度ながら、alutoさんのご協力に感謝いたします。誠にありがとうございます。


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27

当作品を読んでいただいている方々、いつもありがとうございます。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。
相変わらず話が進まない、ゆっくりした内容ですが、作中内の学園祭前後までは、のんべんだらりと緩いものが続きます。ご了承ください。
(´・ω・`)・ω・`) キャー こわ


 太陽が沈み、夕涼みを兼ねた夜釣りに趣くのが最近のランサーの楽しみだ。

 昼にはお目にかからなかった大物の魚が夜には釣れたりもする。

 なによりも、同じ見慣れた場所でも昼間とは違う夜の風景は、サーヴァントの彼とて子供心にわくわくさせるものがある。

 IS学園近郊の埠頭に、彼はひとり堤防に腰を下ろしていた。

 人によっては退屈極まりない場所ではあるが、彼にして見ればお気に入りの空間。

 竿と糸だけで海の様子を見るのが好きなランサーにとって、長時間握っているであろう釣竿は一切ぶれることはなかった。

 持ち前の力と、さながら機械のような精密さ。常人であれば持て余す暇でも微動だにしない精神力はさすがだろう。

 前に士郎は訊ねた事がある。「釣りというのは楽しいのか」と、それに対し彼は「楽しさを伴う鍛錬だ」と応えていた。

「…………」

 簡易ランタンが暗闇を照らす唯一の明かり。無言のまま静かな波の音を耳にし、夜の水面を眺めていたランサーだが、その眉が僅かに動く。

 それは、垂らした釣り針の餌に食いついた魚に、ではなかった。ざり――と地面をこする音。背後に生まれた気配に対してのもの。

 唯一の憩いの時間を彼は邪魔されたくはなかった。無粋な輩に声をかける。

「前も言ったよな? こそこそ嗅ぎ回るのは感心しねーぞ」

「そうね。それに対して、私はこう言ったはずよね? 『面と向かってなら粗捜しをしてもいいのかしら』て」

「そうだな。んで、俺は次にこう言ったよな? 『アイツに迷惑かけねぇんならな』とよ。んでもって――」

 振り返りもせずに、ひゅっとランサーは竿を振るう。

「警告もしたよなぁ、小娘? テメエの遊びに付き合うほど俺は暇じゃねえってよ」

 一瞬にして――寸分の狂いもなく――喉元に突きつけられた竿の穂先に楯無は言葉を失う。

 文字通り、動く事が出来なかった。

 そこでようやくランサーは肩越しに振り返っていた。飄々とした態度は消え失せ、眼光鋭く獣のような双眸が楯無を捉えている。

 ランサーらしからぬ僅かながらの苛立ちは、別のところ。

「テメエが勝手に怪我すんならかまわねーぞ。だがな、士郎を巻き込むんなら話は別だ。お前アイツを『囮』に使おうとしてんじゃねぇだろうな?」

「――――」

 囮、という単語に僅かばかりに楯無の内心に動揺が走る。無論表情には一切出してはいないが、ランサーを見る眼つきは変わっていた。

 冷静を装いながら――楯無は悟られないようにしてはいるが、ランサーを相手にそんなことは無理だということに気づいていない――彼女は胸中で呟く。

(この人、何をどこまで知っているかしら――)

 無言の相手をつまらなそうに見てランサーは続ける。

「何で知ってるんだとか言いたそうなツラしてんなぁ? ちょっとした狐がいてよ。ちょろちょろ嗅ぎ回ってる誰かさんの話を聴いたもんさ。そう言うことでな、場合によっちゃ誰であろうと――テメエも。吊り眼のねーちゃんも、巨乳のねーちゃんもだ。片っ端から潰してやんぜ?」

 ざわり――と容易く感知できる殺気を醸し出すランサーに楯無は息を呑む。

「――っ」

「お得意のISごときでどうにかなると思ってんじゃねーぞ? あんな玩具程度で止められると思うなよ。俺もセイバーも本気であれば簡単に潰せるって事を覚えておくこったな」

 相手の狂言――大仰な物言いを彼女はそうとしか捉えていない――に、だが楯無は頬を歪ませながら応えていた。

「……随分と自信があるのね。生身でISをどうにかできると、本気で思っているの? 化物でもあるまいし」

 ランサーが口にする自信は一帯何処から出てくるものかと楯無は失笑を漏らすにはいられない。生身でISを相手にすることなど到底不可能だ。

 化物とは言い得て妙だ、とランサーは笑う。その言葉のとおり、自分たちサーヴァントは、人間からしてみれば「化物」以外の何者でもない。ある意味よくよくわかっているなと感心さえする。

 だが、楯無が口にしている意味が違うことは、当たり前ではあるが理解している。

 相手の表情を見て、ランサーは簡単に思い知ったのだろう。フンと鼻を鳴らし言う。

「ああ。あんなガラクタみてえな玩具で一喜一憂してるテメエらの方がどうかしてんぞ。お前、ロシアとか言う国の代表生らしいな。家柄はその筋の暗部の専門分野たあなぁ、俺から見りゃぁ年端もいかねぇ小娘が。どっちにしろ大した実力もねぇのにそのふたつに浮かれてご苦労なこった。つまるところ、まともなヤツがいなくてお前が充てられたわけか。どちらも人材不足ってなトコか?」

 ぴくり、と楯無の眉が動く。

「…………」

 喉元から釣竿の先端を引くと、もはや興味は失せたとばかりにランサーは楯無に背を向けていた。

 眼の前の男の実力は楯無自身も認めている。それは純粋な身体能力に限ってのもの。故に、生身でISを破壊するなどと荒唐無稽の言葉に彼女は嗤笑するしかなかった。

 更には、ロシア国家代表操縦者としての自分、更識家17代目頭首の自分には、彼女なりに誇りがある。どちらにも常人には理解できぬほどの努力、苦労苦痛があった上で成り立ったもの。それを何もわかりもしない無知の輩に、容易に侮辱された事に彼女は怒りを感じている。

 大概の事はさらりと流す楯無ではあるが、さすがに我慢は限界を迎えていた。自分の存在意義となる「ふたつ」を嘲弄されてまで、寛容な心を持ち合わせてはいない。

 それでも懸命に自制させるようにしながら――楯無は作り笑いを浮かべていた。そうでもしなければ、彼女はどうにかなってしまいそうだった。

「……聴いた話のとおりね。箒ちゃんや一夏くんの気持ちがわかるわ。わたし、アナタがとても気に入らないわ」

「誰彼好かれる気もねーぞこっちは。勘違いの野郎は見ていてイライラすんだよ。ああ、お前は女だったか? 紛い物のおかげで強くなったと思い込む。それとも名家の金のお蔭か? 自慢の身体か? 股座開いて男咥えて勝ち取ったか? 子供の割りにやる事に関しては随分とえげつねぇな。テメェの親にそう教わったか? ああ、それとお前にゃ妹がひとりいたよなぁ? 代表候補らしいが、そいつも同じように――」

 それ以上耳障りな声を聴いていたくなかった。

 言葉を最後まで続ける暇も与えず。瞬く間に部分展開されたIS腕部。量子変換されて握られていたランス――蒼流旋が風切り音を上げて叩き込まれる。

 が――

 穂先は目標のランサーの背を貫いてはいなかった。一瞬にして、寸前まで居た箇所を抉るランスを彼の脚が踏みつけ、コンクリートの地面へと縫い付けていた。

 楯無の挙動は一切加減等していない、迷いも無く本気で背後からランサーに襲いかかっていた。

「くっ」

 押さえつけられているランスはびくともしない。生身の片脚で踏まれているだけなのに、ましてや楯無の片腕はIS展開しているにもかかわらずにだ。

 狙い済ました軌道を、杭のように振り下ろされたランサーの片脚一本に楯無はどうする事も出来なかった。

「残念。惜しかったなぁ?」

 嘲り笑うように、ランタンに照らされたランサーの獣のごとき眼は楯無を射抜いていた。

 

 

「で、お前たち、一体何をしていた?」

「…………」

 額に手を添える千冬の前に立つふたり――ひとりは楯無。もうひとりはランサーだ。

 場所は職員室。翌日早朝、楯無とランサーは千冬直々に呼び出されていた。

 時間だけが無駄に過ぎていく。

 無言のまま返答もしないふたりに、千冬は幾度目とも数えていない溜め息をついていた。

 ランサーは面倒くさそうにそっぽを向いたまま。話を聴いているのかすらわからない。逆に楯無はまだマシな方だ。返答はないが、申し訳無さそうな神妙な面持ちのまま俯いている。

 これまた幾度目とも数えていない同じ質問を千冬は投げかけていた。

「……お前たち、一体何をしていた?」

「…………」

 だが、やはり楯無は何も応えない。

「更識、お前のISが学園外で展開された記録がある。これはどういうことだ?」

「いえ、あの……」

「訊き方を変えよう。応えろ、IS学園生徒会長、更識楯無……学園外でのISの展開はどういう意味をもたらす?」

 そこで固く結んでいた楯無の重い口が開かれ、静かな声音で返答していた。

「……状況如何によっては、重大な国際問題に発展する恐れがあります」

 その応えに頷いた上で千冬は改めて向き直る。

「そのとおりだ。生徒会長のお前がわかっていながら、なぜ展開をした? 説明しろ」

「…………」

「わたしは説明しろと言った」

 再度千冬に説明するように促されるが、楯無は沈黙したまま。

 舌打ちし、業を煮やした千冬が立ち上がろうとするが、それを遮りランサーが口を挟んでいた。

「面倒くせーな。俺がこの女に見せろと言ったんだ。それでいいだろ」

「お前には訊いていない」

 煩わしそうに眼で「黙れ」と睨みつけるが、ランサーは冷笑を浮かべるだけ。

 その態度に苛立ちを覚えたのか、矛先を男に変え、千冬の口調は更に強いものへ変わっていた。

「……お前はお前で時間外に勝手に学園を出歩くなと言ったはずだ。何様のつもりだ」

 ランサーの存在が特別なものだということを千冬が忘れているわけではない。だが、だからと言って、『IS学園生徒』とした意味での特別扱いをするつもりはない。取り締まるべきところは同様に取り締まる。それは、他の生徒への示しがつかないために。

 ならびに、不用意にランサーが、夜の学園外を平気で出歩くのも一度や二度ではなかった。

「展開したISと生身でやってみたかったんだからしょうがねぇだろ?」

「夜の埠頭でだと? 馬鹿も休み休み言え。一角を破壊してか?」

「ああ」

「……お前、自分が何を言っているのか本当にわかっているつもりか? お前が簡単に考えているようなものではないんだぞ、これは!」

 がんと机上に拳を振り下ろす千冬。その音に楯無はびくりと身体を竦ませ、居合わせた他の教師たちも何事かと視線を向けてくる。

 睨む千冬に対して、ランサーは真っ直ぐに見返すだけ。

 一般の生徒たち、楯無でさえ問答無用で黙りこくる千冬の眼光ではあるが、眼の前の男には大した効果などありはしない。

 つまらなそうに笑うランサーに対し――これ以上話をしても無駄だと悟ると千冬は視線を逸らしていた。

「……もういい。話は後ほど改めて訊く。下がれ。以上だ」

「……失礼します」

 頭を下げて退出する楯無。対照にランサーはようやく自由の身になれたとばかりに早々と部屋を出て行った。

 職員室を出て、気だるそうに立ち去るランサーの背に楯無は叫ぶ。

「なんのつもり」

「あ?」

 鬱陶しそうに振り返ったランサーに対し、楯無は不快な気分のまま再度同じ台詞を口にする。

「なんのつもり? さっきのアレ」

 何故庇ったのだと口にする楯無の言葉に――ランサーの口元は吊りあがっていた。声を漏らすまいと耐えてはみるが、それが無理だったのか、肩を震わせながら彼。

 げらげらと笑われた事に楯無は一瞬唖然としたが、直ぐに相手の振る舞いに憤慨する。まさか笑われるとは思っていなかったのだから。

「何だお前、ひょっとして庇ってもらえたとでも思ってんのか? 別に他意なんざねぇよ。くだらねーことで拘束されたくないだけだ。からかうのは得意なようだが、からかわれるのは慣れてねぇな」

 嘲りを含んだ物言いを残し、手を振りすたすたと歩き去るランサーの背を、無言のまま――だが楯無は怒りの表情を浮かべて睨みつけていた。

 

 

 朝のSHRの最中、唐突に一時限目の枠を使っての臨時の全校集会を行うとの学園放送が流された。発言者は無論、IS学園生徒会長たる更識楯無。

 一夏にとってはあまりいい印象はないと言ってもいい。むしろ嫌な予感がしてならなかった。それもそのはずに、先日も全校集会が行われはしたが、内容は迫る学園祭の件の話――だったのだが、その中で『各部対抗織斑一夏争奪戦』などと言う本人の承諾も一切ない勝手な企画をでっち上げられ景品にされていたのだから。

 今日もまたあの生徒会長を考えてみれば、何かよからぬことを言い出すのではなかろうかと内心びくびくしていたりする。

 不安は一夏だけではない。教師陣も詳しい内容は聴かされていない。ただ、楯無から緊急を要するもの、としか報告は受けていなかった。

 一年一組の面々も雑談を交わす中、士郎は自分たちが居る体育館内を見るともなしに眺めていた。はじめて見るわけでもないのだが、穂群原学園の体育館と比べれば広さは倍ほどに。視線は自然と二階席へと向けられる。安全のために隔てられた手摺りの奥の空間。二階もまた結構な広さが窺える。

 真横に立っているランサーは、あくびをしながらだるそうに。全校集会などという面倒くさいものから逃げようとした彼は、あっさりと千冬に捕まり、士郎へ引き渡されていた。

「さぼらせるな。首に縄でも括って横で監視しておけ」

 千冬の言葉に対し――内心ではランサーの素行の管理と言う無茶振りに呆れながらも――士郎は頼まれた以上は、わかりましたと頷いていた。

 なによりも、ランサーこと「クランの猛犬」に対して「首に縄」とは、ある意味皮肉がこもった比喩表現だなと捉えていた。千冬とて、ランサーの正体を知ってのものではない。たんなる言葉の表現でのものが掠った程度でしかない。

 そうこうしているうちに、全校生徒が集まる中、壇上に楯無が現れる。学園生徒会長の姿にざわついていた声音もぴたりと止んでいた。

 しんと静まり返る空間の中、楯無の声が響く。

「はーい、おはよう、みんな。日頃の勉学、部活動、その他諸々ご苦労さま。わたしを倒して次期生徒会長にと躍起になる方々も同様に。さて、朝も早くから集まってもらえたあなたたちに、ここでわたしからささやかなプレゼント兼発表がありまーす」

 ざわり、と生徒たちが騒ぎ出す。プレゼント、との言葉に教師たちも首を傾げ眉を寄せていた。それは、千冬や真耶も同様に。

 なになに、なんだ、とどよめく中、静粛にと声をかけて楯無はにこりと微笑み――

 その口がゆっくりと言葉を吐き出していた。

「わたし、一年一組の衛宮ランサーさんが大嫌い。ああ、勘違いしないでね。同クラスの衛宮士郎くんはとってもいい子よ。生徒会を手伝ってくれてるから。わたしが大嫌いなのは、お兄さんの方。這い蹲らせてやるわ。覚悟しなさい」

「――何を言っているんだアイツは」

 唖然とした顔の千冬はそう呟くことしかできなかった。

 突然の指名宣言に生徒たちからは、やはりざわめきが起こる。ついで生徒たちの視線は当然該当者となるランサーへ向けられていた。

 ただひとり、布仏本音だけが『うわぁ、会長本気で怒ってるなぁ』と漏らしていたのだが、誰もそれを聴き咎めている者はいなかった。

「おい……」

 名指しされたランサーへ、士郎は白い眼でじろりと睨んでいた。

「お前、本当になにしてんだよ。一度目は篠ノ之、二度目は一夏、三度目は何でアイツなんだよ」

「まぁ待て坊主。俺にもちぃとばかし事情は色々あるが、とりあえず待て」

 本当にお前は問題事ばっかり起こしてんなぁ、と喚く士郎を制し、ランサーは視線を楯無へ向けたまま。

 楯無の演説は続いていた。

「それでね。それを踏まえた上での決定事項がひとつ。学園祭での各部活動の催し物への投票上位組には部費の特別助成金が出るって話は変わらないわ。そちらとは別に、特例措置の部費アップの案件があります。それと、わたしを倒したら生徒会長になるという話は一時凍結します。なので、今後わたしを狙っても無駄よ」

 ざわり、と騒がしくなる生徒たちを――だが楯無は瞬時に一喝。

「静かに。話はまだよ。なにも倒して生徒会長になるのを廃止するわけじゃないわ。言ったでしょ? 『わたしを倒したら生徒会長になるという話は一時凍結』て」

 そこまで言い終えると、壇上に立つ楯無は、ふうと一息つく。ぺろりと唇を軽く舐め――

「現時刻を以って、生徒会長になる方法、特例措置の部費アップの方法は、一年一組の衛宮ランサーを倒したものとします。今一度言うので、よく聴いて。生徒会長になりたかったら衛宮ランサーを倒すこと。部費アップを狙うなら衛宮ランサーを倒すこと。両方兼用も大いに結構。襲撃は、授業時間を除いたいかなる自由時間であれば問題なし。以上」

「っ――」

 「はあ?」と眉を寄せるのは士郎と一夏。箒やシャルロットも意味がわからず、ぽかんとしている。

「? どういう事でしょう。何故にランサーが関係するのですか?」

 背後のセイバーの声など聴こえていない。

 はめられた――

 忌々しそうにランサーは壇上を睨みつけていた。

 楯無もランサーの視線に気づいたのだろう。ニヤリと悪役染みた顔。手を軽く振りながら、口元を覆う扇子には「ざまぁみろ」と書かれていた。

 生徒会長権限を行使しての八つ当たり、仕返し、憂さ晴らし……言い方などは、もはやどうでもいい。とにもかくにも、面倒ごとを押し付けられたのだから。

「あのガキ」

 小さく吐き捨て――ランサーは横から飛びかかる女生徒の腕を捻り投げ飛ばしていた。

「な、なんだ」

 突然のことに驚く士郎。シャルロットも次から次に起こることに眼を白黒させている。

「下がってろ坊主、セイバー。巻き込まれるぞ」

 素早く言い終えると、わきにいた士郎をセイバーへ突き飛ばし――ランサーは身構える。 

 多勢に無勢。今この瞬間にランサーは全生徒から狙われる身となったのだから。

 右から左から、前から後ろから伸びる手、手、手――

 掴まれまいと、払い捌き、床を蹴り、ランサーは一跳のもとに人垣を飛び越えていた。

 転がるかのように手近の扉に走り彼。

 がちゃがちゃがちゃがちゃ――と、耳障りな音だけが鳴り開きはしない。完全な施錠がされている。

「ちっ――」

 小さく叱咤しながら、煩わしそうに背後を振り返る。

 扉を背にしたランサーを半円を描くように囲む生徒たち。皆一様に眼には怪しい光を宿し、薄ら笑いを浮かべている。

「面倒くせェことしてくれる」

 軽く呻いたのは一瞬。刹那に床を蹴るとランサーは壁を伝い二階席へとよじ登っていた。

「逃げたわよ――」

「あっちから回って――」

「部費アップのために――」

 喧騒を耳にしながら、いやはや女というのはパワフルなもんだ、とそう感じながらランサーは身体を起こし――

 ごり、と右側頭部を擦られるように異物を押し当てられていた。

「…………」

 無言のまま、視線だけをそちらへ向けてみれば――ISシュヴァルツェア・レーゲンを展開していたラウラが浮かんでいる。押し当てられているのはレールカノン「ブリッツ」の砲口だ。

 氷のような冷たい眼。

「悪いな。怨みはないが、部費のために貴様にはここで死んでもらう」

「……お前さん、部活は?」

「教官が顧問の茶道部だ」

「さいですか」

 参ったねぇと軽口を叩くランサーだが――今度は左頬をグリと硬い物で突かれていた。

 面倒くさそうに視線を動かせば、双天牙月を構え、口角を上げる鈴の姿。当然此方もIS甲龍を展開している。

「悪いけど、ラクロス部のためにアンタは犠牲になってもらうわよ」

「…………」

 はぁと溜め息を漏らし、わかっていたかのように後頭部に当たる異物感を覚えながらランサーは言う。

「オルコットの嬢ちゃんもか?」

「ええ、ええ。テニス部の部費アップのために礎になって頂きますわよ。残念ですわ。このような形でお別れとは……」

「…………」

 背後を振り返りもせず、ランサーの後頭部をごつごつと叩くのは、ISブルー・ティアーズを纏うセシリアの自立機動兵器。BTレーザーの銃口は狙いをはずさず浮いている。

「はぁ、三人に囲まれっちまったら厄介だな……」

「あら? 随分と諦めがいいのですね。いつぞやは『往生際の悪さ』を自負されていらっしゃったハズでしたけれど?」

 意外ですわね、と漏らし若干眉を寄せるセシリア。だが、ビットの狙いはそのままに。それは鈴も同様だ。警戒を強めながら柄尻をぐりぐりと押し付ける。

「アンタにしちゃ無駄に観念するのが早いじゃない。怪しいわね、アンタ……何考えてんの?」

「別に、ただ俺なんかにかまけてていいのかねぇ? ほれ見てみろや。篠ノ之の嬢ちゃんが、お前らの愛しの一夏の兄ちゃんを押し倒してやがるぞ? いいのか、放っておいてよ」

『なっ――』

 すいと指さすランサーに釣られ、三人は慌てて眼下に視線を落す。が、目当てのふたりはただ此方をぽかんとした表情で眺めているだけ。

 当然、押し倒してもいなければ、抱き合ってもいない。そもそも、よくよく考えてみれば、こんな人目の付くところであのふたりが大それた行動に出るわけがなかった。そんな狂言にまんまと騙されるとは、この三人は阿呆としか言いようがない。

「間抜け」

 ぼそりと呟かれた声音。

 刹那――

 一閃するランサーの蹴りが、砲口を、柄尻を、ビットを払いのけていた。

 虚を衝かれた三人が振り返った時には、手摺り上を疾走するランサーの姿。不安定な足場だというのにとにかく速い。

 体育館内で砲撃するわけにもいかず、掴みかかるしか術はない。先回り捕まえようとするラウラの腕を掻い潜り、逆に踏み台にして、ランサーは宙を跳んでいた。そのままセシリアの機体へと飛び移っていた。

「えっ――」

 まさか此方に飛び移るとは思わずに声を上げるセシリア。わーわーきゃーきゃーと眼下は喧しい。足場などフィン・アーマー部分のみの細く僅かしかない箇所にも関わらず、セシリアの両腕をひらりひらりと巧みにかわして見せ――

「この――わたくしを踏み台にするなんて――」

「セシリアっ! そのまま捕まえときなさいよ!」

 首を回してみれば、手にした凶悪な得物を構えて飛びかかってくる鈴の姿。

「はああああっ」

 すり抜けざまに双天牙月で叩き落そうと踏み込む鈴だが、薙ぎ払いはするのだが手応えはない。咄嗟に――気配を感じ振り返り見れば、非固定浮遊部位の棘付き装甲に乗ったままのランサーはニヤと笑う。

「運搬ご苦労さん。ゆっくり休め」

 棘付き装甲を力任せに踏み抜き、本体にぶつかりバランスを崩す鈴をさらに逆脚で蹴り飛ばす。

「うにゃああああっ!?」

 体勢を立て直すこともできず、悲鳴を上げて壇上めがけて鈴は墜落する。ランサーは反動で跳躍するとラウラに飛び乗り、そこからまたセシリアへと飛び移り――さらには二階手摺りへ舞い戻る。何事もなく降り立ったランサーはそのまま走り、手近の窓に飛びつき解錠――がらりと窓を開けて、律儀にぴしゃりと窓を閉め、そこから外へと逃げ出していた。

 一部始終はまるで動物園から逃げ出した猿を捕獲する有様だ。

 追うわよ、急いで、何処何処を封鎖して、要請を――と慌ただしく生徒たちが駆け抜けていく中、壇上に立つ楯無は残念そうに小首を傾げていた。

「……巧い事いかないもんね」

 彼女の口元を覆う扇子には「つまんない」と文字が浮かぶ。そのわきでは眼を回した鈴が転がったまま。

 一部始終見入っていた士郎とセイバー、一夏と箒、シャルロット、真耶は、ただただ無言。頭痛を覚えるかのように、千冬は額に手を添えていた。



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28

 朝のわけのわからない大捕り物とでも呼ぶべきか、喧騒とは無縁の時間……とは言い難い。

 放課後の一年一組は別の意味で騒音を奏でていた。それは、学園祭で催すクラスでの出し物を決めるために。

 クラス代表として、壇上に立ち進行を任されていた一夏は頭が痛かった。それもそのはずに……提案されるものは、織斑一夏と衛宮士郎、ランサーを絡めたものしか挙がらない。

 ツイスターゲームやら王様ゲーム、果てはホストクラブなど。

「こんなの誰が楽しむんだよ」

 男がこんなのやってても誰も喜ばないじゃないか、とさり気なく零した台詞に女子たちは一切の調和の乱れもなく返答していた。

『わたしたちが楽しいし、嬉しい! 織斑一夏、衛宮士郎、衛宮ランサーの三名はクラスの共通財産である!』

「…………」

 そうまで力説されては無言になる。参考までに真耶にも意見を訊いてみれば「楽しそうで先生はいいと思います」と、意外にも乗り気の回答だった。

 担任の千冬は、自由気ままに進むので時間がかかるとみなし――なかなか決まらないことに面倒くさがって見切りをつけたとも見れるが――早々に切り上げている。決まったら職員室に報告に来いと言い残し、副担任の真耶に後は全て任せて去っていった。

(ものぐさにも程があるっての、千冬姉……教師の仕事ってそんなことでいいのかなぁ……)

 ちなみに、女生徒たちが称するクラス共通財産の男性三名のうちのひとり、ランサーもこの場にはいない。朝の楯無による鬱憤晴らしの標的にされてから授業時間を除いて終始狙われている。各休み時間毎、昼休みは言うに及ばず。放課後の今も無論どこかを走っているのだろう。窓から当たり前のように飛び降りて逃げていく姿に、士郎たちはもう見慣れてしまっていた。

 とはいっても、ランサー本人もなんだかんだとしながら楽しんでいたりするのだが。当たり前ではあるが、彼が本気で逃走でもすれば誰も追いついては来れない。サーヴァントの身体能力を発揮してしまえば更に……ともなるが。

 ああでもないこうでもないと白熱する意見――女生徒だけだが――は次第に方向性が決まり、喫茶店に落ち着いていた。それもただの喫茶店ではない。いわゆる「コスプレ喫茶」に話は進んでいる。極々普通の喫茶店なんて面白くないしつまらない、という理由でのもの。

 ともあれ、喫茶店の発言者はラウラ。そういうものに興味があるとは意外だなと一夏は言ってみるのだが、相手はそれ以上何も口にはしなかった。たまたま視界に映ったシャルロットは何処か挙動不審だったりするのだが。

「?」

 小首を傾げながらも、まぁいいかと然して気にも留めず、別の意味で半ば諦めたように一夏は話を進めていく。喫茶店ともなれば軽食も出すようになる。

「えーと、この中で料理できる人は?」

 一夏の声に幾人かが手を挙げていた。挙手する者は自信があるからだ。その中のひとりには――自信満々、さも当然とばかりに――セシリアも手を挙げているが、周囲からは「ヤメテ」「やらなくていいから」と止められている。思わず一夏もさっと視線を逸らしていた。

「どうしてわたくしが料理をしてはいけないんですの!? このわたくし、セシリア・オルコットの料理の腕は完璧でしてよ!?」

 見た目だけはね、と誰かの呟きにセシリアは激昂する。

「どういう意味ですのっ!?」

 ぷんすかと怒り心頭――心外だと言わんばかりに声を荒げるセシリアを何とか宥めつつ、改めて一夏は手を挙げる女生徒を見渡す。

「箒もできるし、士郎も得意だよな?」

 一夏の声に士郎は軽く頷いていた。

「ああ。味の完璧さを求められるのは困るけれど、厨房に回るのなら問題はないよ」

 料理の出来る男子、というコンセプトは魅力的なのだろう。女子たちは頷いている。

「織斑くんと衛宮くんは厨房も接客も兼用ね。ランサーさんは当然接客メイン! うちのクラスの男性が三人もいるのは強みよ。これを前面に押し出さないと」

 そういうものかと適当に頷き、一夏はもうひとつの問題点を考えていた。

「コスプレってなると……なら、そのコスチュームはどうする?」

 どこかから借りるか、または作るとなると手間だろうなと考える。そんな一夏の心配を察したのか、意外にも挙手して立ち上がっていたのはシャルロットだった。

「それなら問題ないよ。衣装に関しては僕に当てがあるんだ。こうなると思って既に話はしておいたから」

『?』

 一同が首を傾げる中、ひとりだけ思い当たる節がある者がいた。士郎だ。

 その顔には不安の色を浮かべながら。知らずのうちに、彼はがたりと音を鳴らし席から立ち上がっていた。

「おい、待ってくれデュノア。参考までに訊きたいんだけれどさ、その当てっていうのは、まさか――」

 確認のために口を開く。その声音は少しばかり震えていたかもしれない。

 間違っていればいい。シャルロットが言う「当て」が、どこかの喫茶店をたまたま知っているから口利きでなんとかなるのだろう、と。都合のいい展開に一抹の望みを賭けながら。

 くれぐれも、士郎自身が思い当たる紫髪の女性でないことを強く願いながら――

 だが、現実というものは、概ね「非情」なものだ。

「察しがイイね、さすがだよ士郎。うん、たぶん想像の通りだよ」

 振り返り頷くシャルロットは――満面の笑みを浮かべていた。

 それを見て、力なく士郎は椅子に腰を下ろしていた。

(ああ、詰んだ――)

 盛大に溜め息を漏らす彼。隣の席のセイバーも士郎の考えていたことがわかったのだろう。彼女も思い当たる相手がひとりしか浮かばず、苦い顔をしていた。

 案の定、と言うべきか――その期待に応えるかのように、勢いよく扉が開かれる。

 現れたのは――

「話は聴かせてもらったわ!」

 士郎の予想を裏切ることもなく、愛用する紫のスーツ姿で腕を組み、白衣をなびかせて仁王立つキャスターがそこにいた。その横には紙袋を持ったメイド服姿の布仏本音がいる。

 唖然とする一同――恨みがましく睨む士郎と諦めたように眼を瞑るセイバーを除いた――を気にも留めず、ふたりは教室内に入り壇上に立つ。

「シャルロットさんからのたっての願いとあれば断れないわ! 衣装に関しては全面的にバックアップするわよ!」

「ということで、このように既に葛木先生の協力を得ています」

 シャルロットもまた壇上に上がり、キャスターに手を向けていた。

 ぽかんとした顔の真耶と一夏を適当にあしらいながら――拳を握り締めて豪語するキャスターと、壇上で楽しそうにスカートを翻しくるりくるりと舞踊る本音。 

「準備は万全よ。定番のメイドコスは既にクラス全員分を作っておいたわ。デザインは今本音さんが着ているものと同じだけれど。サイズは各々ピッタリ把握しているから大丈夫よ」

「おい待て。保健医の仕事しないで、また日の中作ってたのか」

 思わず口調も忘れて指摘する士郎だが、キャスターはハンと鼻で笑っていた。それこそ塵芥でも見るかのような冷たい眼差しで。

「馬鹿にしてもらっては困るわね。わたしが日の中になんて作るわけないでしょう?」

「だよな。さすがにそこは自制するか」

 ふうと安堵の息を漏らす士郎に、こくりと頷きキャスター。

「一晩で作り終えたに決まってるじゃないの」

「無駄にスキル上がってんじゃないかよ! 頼むからその労力をもっと別のところに生かしてくれよ!」

 元の世界に戻る方法を模索するとかしてくれよ――と、本音と建前の士郎の叫びなど当然無視し、キャスターの視線は、とある方へと向けられていた。目線の先に立っている――真耶をじっと見入る。

「な、なんでしょうか?」

「…………」

 凝視する相手に思わず自分の身体――特に胸を――を抱くように隠す真耶。キャスターは構わずにジロジロと見ていたが、ようやくして「ふむ」と納得するようにひとり頷いていた。

「ええ、概ね大丈夫ね。はい、山田先生の分」 

 言って、本音から紙袋を受け取り、その中から取り出した一着のメイド服を真耶へと渡す。思わず受け取った真耶はしばし無言。ぼうっとしたまま、キャスターと自分の手に渡されたメイド服を交互に何度も視線を運び――そこでようやく意味を理解する。

「うええええっ!? わ、わたしもですかっ!?」

「当然」

 顔を赤める真耶にキャスターは真顔。

(え? 何で当たり前じゃないの、みたいな顔されてるんでしょうか?)

 真耶の疑問に応えることもなく、キャスターはクラスの生徒たちに自作のメイド服を渡すべき相手の名前と照らし合わせて配っていた。

「…………」

 無言のまま、真耶は手にするメイド服に視線を落とす。スカートの丈が少しばかり短く感じるが、フリルのついた可愛いデザイン。多少ながら、着てみたいかなと彼女は思う。だが、同時に思うことは自分なんかがこんなものを着て、似合うわけがないと自己嫌悪を持つ。

 生徒たちならばいざ知らず、自分なんてとつい呆れてしまい、真耶は思わずしゅんとうな垂れてしまう。

 ――と。

「自分にはこんな服なんて似合わないとか思っているんでしょう」

「…………」

 顔を上げてみれば、キャスターが振り返っていた。

 無言を肯定と取ったのか、それこそ呆れたように相手は口を開いていた。

「お馬鹿さんね。なに言ってるのよ。そんな可愛い顔してるのにもったいない」

「か、かわっ!?」

 世辞でもなく、純粋にキャスターは告げていた。童顔ではあるが、それを差し引いたとしても、真耶には紛うこと無き可愛さが十二分にある。

「教師だからといって、可愛い服を着ちゃいけないなんてこともないでしょう? それに、せっかくの学園祭なら、教師だって楽しんだっていいじゃないの。お堅い職業なら尚更に。その日一日限り、生徒と一緒に騒いだっていいじゃない」

 さり気なく言いながら、視線をはずしキャスターは生徒たちへ服を配る。生徒たちも「うんうん」と頷いていた。

「山ちゃん先生も似合うと思うよー。元が可愛いんだしさー」

「うん。可愛いマヤマヤ先生のメイド服姿見たいよねー」

「まーやん先生も一緒にやろうよー」

 一様の声が上がる。相変わらず真耶をあだ名で呼ぶのは変わらない。前に注意された時の「先生」をつけて呼んでいるだけの変化でしかない。

 一夏もまた顎に触れながら真耶を見ていた。

「俺も山田先生のメイド服姿は似合うと思います。着たら可愛いと思いますし」

 狙っているのかと疑えるほどに自然と口から吐く台詞。相も変わらずの天然と呼べる平常運転。見事な唐変木ぶりを余すことなく発揮する。

 何気なく口にした言葉が、果たして幾人の生徒の機嫌を僅かばかり損ねたのかも彼は当然知る由もない。

「そ、そうですか? お、織斑くんもそう言うんでしたら、先生も着ちゃおうかなぁ……」

 照れを滲ませながら、満更でもない真耶を見て――

(あ、ダメだ。山田先生も流された……)

 頬杖をつき、ぼうっと眺めていた士郎は内心で呟いていた。

 照れる真耶とは別に、渡されたメイド服を手にした生徒たちは、壇上に立っている本音が実際に身に纏っているものと見比べて各々思わず「え?」と呟く。

 手にする生地、質感は触れてみてだが、決して安いものではないというのがわかった。特にセシリアは敏感に反応していた。

「え? コレ本当に自作?」

「どう見てもどこかのお店の制服みたい」

「どうやったらこんなの手作りでできるのかしら」

「あ、可愛いデザイン。わたし気に入ったかも」

 早速メイド服を身にあてがう女生徒たち。なんやかんやでクラスの連中には好評のようだ。

 きゃあきゃあと騒ぐ一同を見入るセイバーだったが――

「何を他人事のように見ているの? セイバー、当然あなたのもあるわよ」

「――っ!?」

 口をゆがめて笑うキャスターの手には、セイバー用に寸法を合わせたメイド服が掲げられている。

 さすがにセイバーは言葉を失っていた。

「士郎くん、セイバーのメイド服姿……見たいと思わない? ああ、それともセイバーやシャルロットさん、セシリアさんとラウラさんなら大正浪漫風のメイドかしら? 和と洋を併せ持った格好の方がいいかしらね。ハイカラロングのメイド服。定番の矢絣柄とか。袴姿も悪くはないわね」

 クラスの連中の手前、『士郎くん』と呼ぶと、キャスターは手に持つ紙袋からさも当然のように、丈の長い矢絣柄のメイド服を取り出していた。

「…………」

 キャスターに話を振られて士郎は黙る。

 見たいか見たくないかと訊かれれば、士郎とて男の子だ。好きな女の子の普段と違う格好は当然見てみたい。言われるまま、ミニスカートのメイド服や、袴姿のセイバーを思わず想像してしまい――

「その顔は満更でもないようね?」

「ち、違う! 俺は別に――」

 見透かされたキャスターの指摘に、ばたばたと手を振り士郎は慌てて否定を口にするが……最後までは告げられない。

 余りにもわかりやすい反応に、はいはい、と肩を竦めてキャスター。

「あらそう? ふーん、へー、なら士郎くんは本当に見たくないの? 普段と違う格好のセイバーなんて、すばらしく斬新だと思うけれど?」

「…………」

 キャスターの簡単な口車に乗せられ、思わず士郎はセイバーを見てしまう。

 今身に纏うIS学園制服姿は十分可愛い。しなやかな肢体をはっきりとさせるISスーツ姿にはドキドキとさせる。そんな彼女がメイド姿にでもなればどうなるか――

 赤面しながら、士郎は自分に素直になり、こくりと頷いていた。

「うん、おしゃれなセイバーは見たいかなぁ……可愛いだろうし……俺は嬉しいなぁ」

「シロウーッ!?」

 叫ぶセイバーに士郎は「ゴメン」と頭を下げるだけ。勝ち誇ったようにキャスターは笑っていた。

「無駄よセイバー、彼は賛同したわ。挙句、クラスの皆は好意的。故に、ひとりだけ輪を乱す……とは、まさかまさか言わないわよねぇ?」

「くっ……」

 確かに周りを見れば、皆乗り気で楽しそうにしている。さすがに協調性を欠くほどセイバーは状況を理解していないわけではない。不承不承、受け入れていた。

「……わかりました。確かに、不粋な真似をする気はありません。わたしも受け入れましょう……そ、それに、士郎も、その……こんなわたしが着ても喜んでくれるようですし……」

「はいはい、惚気ご馳走さま。甘いものは士郎くんの作るお菓子だけで十分よ」

 顔を赤めるセイバーと士郎に、勝手にやってちょうだいとキャスターは再度肩を竦めていた。便乗するように周りの生徒も囃し立てる。

「あははー、衛宮くんもセイバーさんも顔真っ赤ー」

「うらやましいなぁ」

「いいなぁ、わたしも彼氏ができたらこんな風にラブラブになれるのかなぁ」

『ラ、ラブラブ!?』

 更に顔を赤らめる士郎とセイバー。そんなふたりを見て、表情の変化は何もないが。歯をぎりと軋らせるのは、箒とセシリア、シャルロット。

(い、一夏とあのように、こ、恋人のようになれれば……)

(くっ、羨ましいですわ……わたくしも、一夏さんとあんな風に見られたら……)

(いいなぁ……僕も一夏と表立ってあんな風に見られたらなぁ……)

 盛り上がる一同――一部例外――を尻目に、一夏は疲れたように声を漏らす。

「女子はメイド服として、男はISスーツのままか?」

「何を言っているの? 女性がメイド服といったら、男は当然執事姿に決まっているじゃない」

 何気なく呟いた一夏の声を耳に捉えていたキャスターはつまらなそうに視線を向けていた。

「え、えーと……」

 どこの世界の法律で決まっているのかはわからないが、反論はしなかった。いや、反論はできなかったと言う方が合っているだろう。

 なぜかはわからないが、一夏は余計なことを言ってしまうと必要以上に怒られそうな気がしていた。

 物言わず口を結んだ一夏から視線を逸らすと、キャスターは、ぱちんと指を鳴らす。それと同時に再度扉が開かれる。現れたのは――

「ご注文はお決まりですか? お客さま」

 颯爽と現れたのは、蝶ネクタイに燕尾服姿のランサーだった。手にはなぜか一輪の紅い薔薇を持っている。

『…………』

 静寂。

 が、次の瞬間には、割れんばかりの歓声が上がっていた。

『かっこいいーっ!』

 士郎は再び頭を悩ませていた。他の生徒たちに面白おかしく追い掛け回されていたはずなのに、何を一緒に楽しんでいるのやら。律儀に合図が来るまで廊下で待っていたのだろうか。

「おー、似合うねー、ランランー」

「おう。俺は何を着ても似合うもんさ」

 本音の賛辞に対し、ランサーは手にした薔薇を真耶へ渡すと豪快に笑っていた。

「これはあくまで一例よ。燕尾服にベスト姿。アスコットタイや蝶ネクタイ……執事といってもコーディネートしだいでは、それこそ種類はいろいろ。服装、衣装もそれぞれ意見を取り入れて作らないと。お客を楽しませるならば、当然自分たちだって楽しみたいじゃない?」

 キャスターの言い分には誰も異論は唱えない。正論である。

「こういうことに関しては、本当に生き生きとしてるなぁ」

 士郎の小さな呟きは誰のも耳にも届かない。皆、キャスターの言葉に心躍らせていたのだから。

「執事服の織斑くんに衛宮くん……更にはランサーさん……いい、すごくいい!」

「素敵です葛木先生」

「きゃーっ!」

「ナイスよ、デュノアさん! 既にこの話を組み込んだあなたは最高!」

 女子たちの羨望の眼差しに「えへん」と胸を張るキャスターとシャルロット。なぜか本音も同様に。

(執事姿の一夏か……ま、まぁ、馬子にも衣装というものか……)

(一夏さんの執事姿……凛々しいですわね……似合いすぎますわ)

 執事姿の一夏を想像し、まんざらでもなく箒とセシリアは口元をだらしなく緩ませている。

 自由に妄想する女生徒たちを満足そうに見回しキャスターは向き直っていた。

「ほら士郎くん、着てみなさいな」

 言って、士郎の机に放り投げられる執事服一式。「え?」と声を漏らすがお構いなしに。ぱんぱんと手を叩く。

「ほら早く」

「ここでかよ」

「当たり前でしょ? 何を恥ずかしがっているのよ。どうせその下にはISスーツを着てるんでしょう? 裸になれと言ってるわけじゃないんだから。ああほら、あなたもよ」

 言って、キャスターはすたすたと壇上に戻り一夏にも服一式を手渡していた。

「お、俺もですか?」

「その耳は飾りなのかしら? 同じことを何度も言わせないでちょうだい」

 拒否を許さぬ強い口調と眼力。見れば、周囲の女子たちの眼も爛々と輝いている。

『…………』

 有無を言わさず大衆の面前で着替えさせられ、そのまま教壇へと立たされる。

 左から、白手袋に蝶ネクタイ、燕尾服姿のランサー。

 士郎の格好は黒のズボンに白のシャツにネクタイとベスト姿。

 対する一夏の格好は、こちらは黒のズボンに白シャツ、ベストとかわらないが首元にはリボン姿。

 ランサーは何がそこまで楽しいのやら終始にこやかに笑みは絶やさずに。逆にふたりは好奇の視線にさらされているのがつらいのだが。

 三者三様の姿を見て、女性陣は興奮している。

 特に、一夏の執事姿は簡単な格好とは言え、実際に眼にしている姿は想像以上のインパクトに箒とセシリアは声もない。つまるところ、格好良かった。

 シャルロットも「へえ、やっぱり似合うね」と感想を漏らし、ラウラもまた「うむ。嫁はハウスホーフマイスターとしても十分振舞えるやもしれぬな」と納得していた。

 セイバーもまた士郎の珍しい姿に心奪われたのは例外ではない。

 真耶も三人の姿を純粋に格好いいと思ってしまう。彼女は特にランサーを、だが。

「こう見ると、統一もいいけれど、バラバラの方がかっこよくない?」

「うん。それぞれの個性があっていい感じ」

「接客時には手袋ははずした方がいい?」

「時間ごとに三人の服装を変えるってのも面白そう」

「眼鏡! 眼鏡をかけてランサーさん! そして意味もなく手を添えて無駄にかけ直して!」

 だが――

「あの……盛り上がっているところゴメンね。ひとつ疑問なんだけれど」

 おずおずと挙手するのは――鷹月静寐だった。

「これって一応案としての話だよね? 確定はしてないよね? まだ」

 刹那、「まだ」という言葉に一同の動きがぴたりと止まる。

 そう。静寐の言うように、今はまだ案での話し合いだ。承認の許可は担任から貰わねばならない。

 何も難しい話ではない、当然、許可さえ貰えば承認となる。

 だが、不可となればどうなるか。小言程度ですめばいい。もしかすれば、理不尽にも出席簿が飛んでくるかもしれない。

 さらに言えば、彼女――静寐は知りもしない。衣装の協力とは言え、キャスターが関わるとなればどうなるものか。

「それでね、誰がその承認を貰ってくるの?」

「…………」

 一同無言。真耶もまた苦笑を浮かべている。だが、自然と皆はひとりへ視線を向けていた。このクラス代表者へ。つまりは――

「……え? 俺?」

 自分を指さし訊き返す織斑一夏へ。

 さも当然と頷き一同。

「んじゃまぁ、学園祭のうちのクラスの出し物は『メイド執事喫茶』で決まりってことで。ハンコは織斑くんが貰うって事で」

『はーい。異議なーし』

「ちょっと待ってくれよ!」

 賛成多数で決まりー、と谷本癒子の声により、一夏の声に誰も耳を貸さず返事さえもしなかった。目的は済んだとばかりに各々メイド服を片手に教室から出て行く。

 肩を落とす一夏に対し、やれやれとキャスターは溜め息を漏らしながら卓上にある申請書を手に取り声をかけていた。

「仕方がないわね。わたしも口添えをするわよ」

「お、お願いします」

 渡りに船とはこのことか、と一夏はキャスターの申し出を断りもしない。

「ええ、わたしとしても、皆がこんなに楽しそうにしているんだもの。協力してあげたいわ」

 一夏に笑って見せはするが、内心は腹黒い。主に自分の目的――写真のためにね、とキャスターは心の中で呟くだけ。

 よく言うものだ、と胸中で毒づくのは三人。士郎、セイバー、ランサーだ。

 そんなひとりと二騎から向けられる白い視線もなんのその。気づきもせずにキャスターは口の端を愉悦に歪ませる。

(邪魔などさせるものですか。こんなにもいい被写体の話、是が非でも通して見せるわよ)

『…………』

 否が応でも手に取るようにわかる。大方、すごくどうでもいい個人的なことを頑張ろうとしているのだろう、と。

 野心に燃えるキャスターに、士郎と二騎のサーヴァントは呆れたように溜め息を漏らしていた。

 

 

 その格好で今日は過ごしてよ、と三人はお願いされて今に至る。

 ランサーは苦もなく即答。残りふたりは――心底嫌な表情で――仕方なく了承の返事を漏らしていた。

 何処から情報を聴きつけたのか、写真部の黛薫子につかまったり、他クラスの生徒にも揉みくちゃにされた。主に一夏が。

 報告のために、一夏が職員室にその格好のまま現れた途端、室内はざわついていた。弟の姿を見て、千冬は額を押さえながら。

 ランサーは燕尾服姿のまま生徒に追い掛け回されている。中には当初の目的を忘れて追いかけている者が居たりもするが。更には難なく追っ手を撒いては、その格好で釣り竿片手に埠頭へ行こうとしているのだから。

 廊下を執事姿で歩く士郎を好奇の視線が途切れることはない。その姿で生徒会室に入ってみれば、楯無は口にしていたお茶を盛大に噴出していた。机上の書類は哀れにも紅茶まみれとなる。虚にいたっては手にしていたトレイを取り落とすほどに。

 はあはあと、鼻息荒く、楯無が取り出した携帯電話を見て――一目散に、士郎は生徒会室から逃げ出していた。




前話、今話ともに、毎度のことながらalutoさんのご協力には大変感謝いたします。誠にありがとうございます。


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29

 第二整備室に士郎と本音は足を運んでいた。

 目的はひとつ。先日、楯無との模擬戦により破損した『アーチャー』を修復整備するために。

 模擬戦とは言え無傷ではない。戦闘行為により、損壊した部分を補修するため、士郎自身が直せるところは直し、システム系統に関しては本音に手伝いを頼んでいた。

 千冬と真耶は状況を知っているだけにIS実技の授業では口裏を合わせて士郎に訓練機を使わせていた。とは言え、事情が事情ではあるが、いつまでも訓練機を使うわけにも行かない。

 名目上はデータ取りを生業として『アーチャー』を士郎に与えたものである。使い潰してハイ終わりとはいくはずもなく。当たり前ではあるが、世界に限られた数しかないコアの一体である。放置するわけにもいかず、当然修理をしなくてはならない。

 そのため、本音の協力を得て機体整備に着手することになった、のではあるが――

「ひゃー、しかしまー随分と派手にやったねーエミヤん」

 ハンガーに吊るされた機体を改めて眼の当たりにした本音は正直な感想を述べていた。

「外装もボロボロだし。まー、あの会長の『清き熱情』を直撃したから無理もないかな――て、んー?」

 首を傾げながら機体をじっと見入る彼女。破損した一部に顔を寄せ、無言のまま。さらにはぶかぶかの袖をまくり指先で断面をなぞってさえもいた。

 本音の様子が気になり士郎は声をかける。

「どうかしたか?」

「…………」

 問いかけには応えず、ひとしきり損壊箇所を見て回る本音は――やはり先と変わらず首を傾げるだけ。

 不思議そうに『アーチャー』を見ながら、やっと士郎へ返答していた。

「んー、なんだろう……おかしな感じがするんだよね。なんだか、壊れた部分が……例えると、まるでガラスで造られたような感じ……」

 顎に袖を当てて――だが、本音のその表情は、眉を寄せたものへと変わる。

「それに、ISは本来自己修復機能があるんだけれどねー、エミヤんのはどういうわけか機能してないっぽいんだよねー。なんでだろー? エラーかなー?」

「…………」

 無言ではあるが、本音の後ろに立つ士郎は内心でぎくりとしていた。整備事に精通している彼女の観察眼はやはりすごいなと胸中で呟く。

 あくまでも装甲は士郎の得意とする投影のもの。言わば外面だけでしかない。本来のIS装甲修復機能など施されているはずもなく。新たに投影しなおしたパーツと組み替えていくしかないため、本音の指摘に対し、士郎は正直気が気でならなかった。

 ならびに、いつまでもこのまま投影だけでやり過ごすことにも限界が来ている。少しずつではあるが正式な装甲を手配してもらい組み替える必要もある。故に、願わくば、どうかこれ以上深く追求されませんようにと念じながら――

 ――と。

 願いが叶った、と言うわけでもなく、よくわかんないやとすんなり諦めたのか、本音は手際よくコードを『アーチャー』につなぎ、機体データを展開しはじめていた。各スペックを用途に合わせて調べていくと、しばらくして無言のまま見入っていた彼女は、うーんと小首を傾げていた。

「ハイパーセンサーの値がずれてるね。センサーが衝撃の影響でこれってなると、他のも結構ずれがあると思うよー?」

「……それはつまり、直りそうってことか?」

 最悪では廃棄なのかと心配する士郎だが、本音はぶんぶんと頭を振っていた。

「うんうんー、大丈夫ー。壊れたわけじゃないからねー。システム値に関しては修正すれば元に戻るよー。間接部分の部品は代えないとダメかもねー。まーやれるトコまでやってみよー」

「助かる」

「えへへー、頑張るからー、苺がいっぱい乗ったホールケーキが食べたいなー」

 振り返りにこりと笑う本音に、ああそれならと士郎は頷く。

「なら、プリンもつけるよ」

「おおー、頑張るよー!」

 追加デザートの言葉に火がついたのか、勢いよくかちゃかちゃとキーボードを叩いていく本音。片手でキーを叩きながら、もう片方の手は制服のポケットからチョコレートを取り出していた。片手だというのに器用に包装紙を剥がし口へと運ぶ。

 無償ではなく、ちゃっかりとしているところがいかにも本音らしい。見返りのお駄賃はエミヤんのケーキだー、と確約できたことを嬉しそうに口にしながら。士郎もただで手伝ってもらうつもりはない。本音の約束には苦もないことだ。逆に言えばお菓子程度で手を貸してもらえることに感謝している。

 余談ではあるが、こちらの世界に来てからお菓子を作る機会が格段に多くなった。

 先日も、ラウラに頼まれたお菓子を作ったものだった。その際に一騒動あったりしたのだが。

 料理に関して言えば、士郎は和食が尤も得意とするものだ。どちらかと言えば、作れなくはないが菓子類というものはそれほど得意なものではない。

 お菓子系を作ることになったのも些細なもの。一夏が千冬にコーヒーゼリーを作ることがあるという話をたまたま聴いてからだ。

 気まぐれで甘みを強くしたものを作ってみたのだが、これが意外にも好評だった。このことをきっかけに、彼は菓子も作るようになっていく。

 なにかに作ってと頼まれた当初は、本を片手に見ながら作ったものだ。だが、次第に数をこなしていくうちに、いつしか士郎なりのアレンジが加わったいわゆる「オリジナル」が作られていくことになる。数をこなせば当然レパートリーも増えるものだ。

 菓子製作の腕も上がっている。桜や凛、イリヤスフィールが知ったらそれは驚くことだろう。

 眠たそうな顔のまま、だが相変わらず一年生でありながらIS整備の腕は確かな本音。チョコレートを片手に作業している格好がどうもいまいち納得はできないのだが。

「うーん……見た限りだけど、たぶんスラスターの方は問題ないと思うよー。目立った問題もこれと言ってないとは思うけれどー、後は実際飛んでみてからかなー。不具合があるかどうか調べて微調整はしないとだけどねー」

 かきり、と音を立ててチョコレートを齧りながら――思い出したようにくるりと向き直ると、本音は士郎の腰を袖でぺしぺしと叩いていた。

「エミヤん、物理シールドはつけないのー?」

 シールドと聴き、士郎はスパナで腕部装甲のボルトを締める手を停めていた。

「慣れないものがあるからなぁ。俺には必要ないかなぁ」

「ふーん、エミヤん剣でビシバシとあーって飛んだり跳ねたりするし、弓でぴゅんぴゅん射抜くの得意だもんねー。受けに回るって言うよりか、それすらも攻めに転じてるしねー」

 言いながら、本音は身振り手振りでばたばたと動いてみせる。彼女の言うとおり、盾に頼り戦うよりは、双剣で攻防をする方が性に合っているものがある。双剣であれば、瞬時に防御にも攻撃にも転じることが出来るからだ。

 そっかそっかとひとり納得すると――再度チョコレートを齧りながら――本音はケーブルに接続したノートPCの作業に戻る。ダルダルの袖だというのにかちゃかちゃとキーボードを叩いていく。

「ねー、エミヤん、訊いてなかったけれどさー、会長と何で模擬戦なんてしてたのー?」

 機体反応速度の数値を照らし合わせながら作業する本音は何気なく声をかけていた。

「あぁ? あー」

 正直な話をしたとして、眼の前の少女は果たして理解するだろうか……と、ついそんなことを考えながら、士郎もまたスパナでの作業をこなしながら返答する。

「……ちょっとしたことがあったんだ。それはもしかしたらどうでもいいことかもしれないことなんだけどさ、でも、俺はそれがすごく気になった」

「…………」

「ひとりあれこれと考えて悩んだところに、尻を叩かれてな」

 『尻を叩く』という言葉を使い濁しながら彼。だが、触れた内容は事実であり間違いではない。

 果然として、本音は小首を傾げながら訊き返していた。

「悩んでるのに叩かれるのー? お尻叩かれると痛いよねー。わたしもお姉ちゃんに怒られて叩かれたことあるしー。じゃーわたしが慰めてあげるー。頭撫でてあげるよー」

「なんでさ?」

 苦笑を浮かべながら士郎は作業を続けていた。「ぶー」と声を漏らしながらキーを叩く本音に今一度視線を向け――考える。

 包み隠さず話をした場合、彼女はいったいどんな反応を示すだろうか。

 きちんとした説明をするかどうか迷ったが、敢えてそれ以上なにも言わなかった士郎は――不意に、そこで彼の視線はとある箇所へ向けられていた。

「あの子……」

 視線の先に立つのは、以前見たことがある眼鏡をかけた水色の髪の少女。相手も此方の存在に気づいたのだろう。ちらと一瞥だけして、何事もなかったかのように自身の作業に戻っていた。

 無言のまま、じっと見入る士郎に気づき、チョコレートを食べ終えた本音もまた「どうしたのー?」と視線を向け――

「あー、かんちゃんだー」

「かんちゃん?」

 訊き返しながらも、目線は以前見た打鉄弐式の整備作業をこなしている少女から外れることはない。

「かんちゃんはねー、専用機が完成しないから学園の行事ぜーんぶ休んじゃってるんだよー。クラスリーグマッチも学年別タッグトーナメントも。楽しいこといっぱいあるのにさー。臨海学校も行かなかったんだよー。夏休みも何処にも行かないで、ずーっと弐式を組み立ててるの」

「…………」

「まー、本当のところは、おりむーのせいなんだけれどねー」

「一夏のせい? 布仏、それってどういうことだ?」

 聴き咎めた言葉を問いただそうと本音に向き直る士郎だが、返答の声はない。それもそのはず、本音は応えず少女の方へと駆けていた。どうしようかと迷った士郎ではあるが、彼もまた後を追うようについて行った。

 士郎が歩み寄ったころには、少女の横をちょろちょろと忙しなく動き、ぴょんぴょんと飛び跳ねてもいる。

 明らかに少女の作業の邪魔をしているのが丸わかりだ。煩わしそうに眉を寄せる相手に、さすがにまずいと思った士郎は注意していた。

「布仏、相手に迷惑をかけるなよ」

「えー、かんちゃんに迷惑なんてかけてないよー。ねー、かんちゃん?」

「…………」

 自覚がないのか本音はけろりとそう応える。だが、相手の少女の表情が物語る意味を士郎は見逃していなかった。

 手伝う、やめて、と会話を交わすふたり。

 改めて少女を見るが、やはりどこかで見たことがあるような気がしてならなかった。他人の空似、とはこういうことを言うんだろうかなと考えながら。

「何手伝うー? スラスターの出力調整ー?」

「やめて……触らないで……お願いだから……」

 勝手にかちゃかちゃとキーボードを叩く本音を引き剥がそうとするのだが、全く動こうとはしなかった。

 眼につく行動に出始めた本音を慌てて士郎は制止する。

「いいからやめろって布仏、この子も嫌がってるんだからさ。ええと……」

 そこで士郎は少女に視線を向けて言葉が続かなくなっていた。よくよく考えてみれば、相手の名前を知らないからだ。

「かんちゃんは『簪』て言うんだよー。髪飾の簪てあるでしょー? あの字の『カンザシ』だよー」

「カンザシ?」

 首を傾げる士郎に頷き、少女の腕を取って本音は楽しそうに口を開く。

「あー、そういえばエミヤんは知らなかったっけー? かんちゃんはねー、じゃじゃーん。なんと日本の代表候補生でー、会長の妹さんなんだー」

「会長?」

 そう言われ、しばし脳裏で考え……ようやく合点がいったのだろう。ああ、と声を漏らし、改めて士郎は少女――更識簪へ視線を向けていた。

 対して、男子にじっと見つめられることなど経験したことのない簪は少々気恥ずかしそうにドキドキしながら。

「君、アイツの妹か」

「…………」

 僅かながらに表情に変化を浮かばせ簪は頷く。

 言われてみてようやく気づく。以前見かけた時、何処か知っている人物に似ていると思いはしたが、楯無の妹と言われて、すっきりとしなかった疑問は氷解する。

「かんちゃんはねー、自分ひとりでISを組み立ててるんだよー、元は倉持技研が造ってたんだー」

「ひとりで?」

 驚いたように口を開く士郎に対し、簪の気は重かった。彼女にしてみれば、余計なことは言わないでほしかった。姉と比べられると思ったからだ。

 だが――

「それはすごいな。一から造るなんてさ」

「……でも、まだ出来てない……」

 士郎の声に簪は思わず返答していた。彼女自身も何故つい応えたのかはわからなかったのだが。

「? ひとりで一から作ってるんだろ? なら、言っちゃなんだけれど、時間がかかるのはしょうがないだろ?」

「……姉さんは……わたしと違って、こんなに時間がかからない」

 今度は意図して自虐的にそう呟く。だが、士郎の反応は首を傾げるだけだった。

「なんでさ? 姉は姉で君は君だろ? それにゴメンな、俺、何も知らないからさ……まずアイツに妹がいたってことも今知ったモンだし……」

「…………」

 そこで簪は不思議そうに相手を見ていた。知らないとは言え、自分を「楯無の妹」とは見ていない。「簪」という一個人として見てくれていることに。

 今までの人間は、簪に「更識楯無の妹だから出来て当たり前」という眼でしか向けてこない。その見方でしか自身の存在を受け入れられなかったことが苦痛でしかなかった。

「それに前も見たけれど、一から造ってるとなると当然自分で考えた武装も組み込むんだろコレ。そりゃ自分用に造りたくもなるだろうなぁ」

 前に見たときと大きく違っているのは打鉄弐式の肩。大きな翼のようなスラスターがその存在を顕すかのように。

 機体を見る限りでは完成しているように見える。些か疑問に思ったことを彼は口にしていた。

「なぁ? ここまで出来てるのにまだ完成してないって言うのか? 素人見で悪いんだけれど、もう十分過ぎるような気がするんだけどな」

「武装がまだ……」

 言いにくそうに応える簪に、士郎は、ああそういうことかと納得する。

「あーなるほどな。自分専用の武器ともなれば、そりゃそう簡単にはいかないもんな。じっくり考えて造るわけだ」

「…………」

 何処かずれた認識の相手に簪は少々困惑していた。説明するべきか悩む彼女に構わず、士郎は続ける。

「自分だけの武装なんて、誰にもマネされたくないもんな」

 故に――

 士郎の口にした言葉は、簪の氷結した心にヒビを入れるもの。

 本音も気づいているのだろう。にこにこしながら言葉をかけていた。

「ねー、言ったとおりでしょー、エミヤんはかんちゃんをそんな風には見ないってー」

「……うん。本音の言うとおりの人かもしれない」

「?」

 ひとり意味がわからず首を傾げる士郎に対し、本音は秘密だよー、としか言わなかった。

 再度首を傾げながらも士郎は改めて『打鉄弐式』に視線を向けていた。

 じっと機体を眺め、指先を触れさせている彼に、簪もまた以前のようにその姿を見つめていた。

「改めて訊くけれど、ひとりで造るとなると結構難しいんじゃないのか?」

「……別に」

 素っ気なく応えるが――唐突に向き直られ、真正面から相手の顔を見てしまう。視線が絡み合うような感覚に襲われ、一瞬ドキリとした簪は慌てて顔を背けていた。その頬には多少ながら赤みがさしている。

 簪の態度を不思議がる士郎だが、気にせず言葉をかけていた。

「……なあ、もし迷惑じゃなければ手伝わせてもらえないか?」

「え?」

 落ち着きを取り戻した彼女はその言葉の意味を理解しかねて振り返っていた。

「ああ、いや、無理にとは言わない。君が全てを自分ひとりの手で造りたいって言うのなら、それは余計なお世話かもしれない。でもさ、ごめん。さっき布仏から聴いたんだけれど……君、今までの行事に出てないんだって? 夏休みも何処にも行かないで作業してたって聴いた。せめて、来月のキャノンボールだっけか? あれに間に合えるように協力したいかなって」

「…………」

「せっかく此処に入ったのに、何の行事にも参加してないのはつまらないだろ? 代表候補生なら尚更だと思うんだ。俺の一個人の意見としては、ひとりで造るよりは、誰かと一緒にやればもっとはかどるんじゃないかと思ってさ。なにか手伝えればと思ってな」

 申し訳なさそうに言う相手に簪は無言。だが、しばらくして考えるように言葉を吐いていた。

「あなたの機体も、あなたがひとりで一から全部造ったって聴いた……」

 感情のこもらない眼で『アーチャー』を見る簪。その言葉に、だが士郎は「まさか」と応える。いったいどこからからそんな話が流れたのかが不思議だった。

「なんでさ。変な話が独り歩きしてるぞソレ。俺なんかが個人で造れるわけないだろ? 素体はもともとあったものだしな……そこに装甲が施されたものだよアレは。PICも、偏向重力推進――なんだっけ? あのなんたらとかいうのもわかんないし、とにかく、システムというシステムなんてさっぱりだよ俺は。それこそ布仏とキャス――葛木先生に手伝ってもらったものだよ」

「えへへー」

 名を呼ばれ、本音は得意気に笑っていた。対照に、士郎は若干苦笑を浮かべながら。

「それに、君の機体が遅れてるのは俺にも責任があると思うし」

「……どういうこと?」

 眉を寄せて訊ねる簪に士郎は頷き説明していた。

「俺の武装もさ、その倉持技研てところで造ってもらったんだ。少なからず、君の機体製作に影響を与えたのは確かだと思う」

「……別に気にしてない。それに、弐式を引き取ったのはもっと前。今の倉持技研はもう携わっていない。あなたは関係ない」

 これ以上あなたと話すことはないとばかりに、ふいと顔を背ける簪。士郎は怒らせたかなとバツが悪そうに頭を掻いていた。

 ごめん、気を悪くしたなら謝るよ、と前置きし、彼は続ける。

「頑張っているヤツを手伝えてあげればって思ってさ。それだけだよ。他意はない」

 軽率だったと告げる相手に簪は無言。だが――ちらりと一瞥し、口を開いていた。

「考えさせて……」

 それだけ言うと、簪は今度こそ本当に身体さえ背けて機体の調整作業に戻っていた。

「…………」

 これ以上は迷惑をかけられないなと判断すると、士郎はわかったと軽く応え、本音に呼びかける。

「ほら、これ以上邪魔しちゃ悪いだろ?」

「えー? 大丈夫だよー」

「いいから」

「あーうー」

 なおもキーボードをかちゃかちゃと弄る本音の制服の襟首を掴み、無理やり引き剥がすようにずるずると連れて行く。さすがに男子の腕力にはかなわない。

「…………」

 少しばかり悪いことをしたかなといった表情を浮かべる簪に軽く手を振り、士郎は構わずに本音を引きずっていく。

 ばたばたと袖を振り「えー、かんちゃんのお手伝いするー」とごねる本音の声が第二整備室に響いていた。

 

 

 同刻――

 生徒会室にいるふたりは向かい合うように座っている。ひとりは生徒会長の更識楯無。もうひとりは織斑一夏。

 互いの格好は胴着に袴姿のまま。些か場には不釣合い――ある意味滑稽な姿とも言えよう。

 疲れた表情を浮かべながら、一夏は何故こんなことになったのか今一度思い返していた。

 時間は一時間ほど前にさかのぼる。

 一夏は楯無に生徒会室へ呼び出されていた。室内に他の人間は居ない。虚もまた席をはずし姿は見せていなかった。

 唐突な話は、彼女からの専属コーチの申し入れだった。

 二年生、三年生の中には男だからということで物珍しさにISの指導を買って出て来る者が後を絶たない。

 気心知れた人間に教えてもらえば楽なもの。故に一夏は丁重にそれら申し出を断っていた。楯無からの話も同じものだと捉えてのものだ。

 当初は相手の押しつけに近い指導を拒んでいた一夏ではあるが、しつこいように言い寄られたため、やむを得ず条件を出していた。

「俺が負けたら従います」

 その言葉を彼は瞬時に後悔する。場所を畳道場に移し、律儀に着替えさせられ、そこで組み手として楯無を相手にしたのだが、結果は一方的だった。

 無論のこと、楯無の圧勝である。徹底的に叩きのめされた。まさに『一方的に』だ。

 無手での心得がないわけではない。篠ノ之箒の道場で習った程度ではあるが古武術に覚えはある。だが、それでも赤子の手を捻るかのように簡単に手玉に取られるとは思わなかった、というのが一夏の心境であろう。

 相手は女の子。腕力では自分が勝るという愚かであり浅はかな考えがあったのも油断といえる。

 なんにせよ、舐めてかかろうとも、本気でかかろうとも、結果はいずれも変わらない。一夏は楯無に勝てなかった。

 意地で喰らいつきはしたが、やがては気を失うほどに攻め立てられ『負け』となった一夏は約束通りに指導を受けることになる。

 眼を覚ました一夏を連れて再び生徒会室に戻り今に至る。

 戻る最中に自動販売機からお茶と紅茶を購入した彼女。以前、士郎相手に同じことをしていたのだが、今回違うのは楯無がお茶で、一夏に紅茶が渡っている。

「…………」

 眼の前でお茶を口にする楯無を無言のまま一夏は見入る。

 相変わらず、彼女……更識楯無の考えていることはわからない。自分を学園祭の景品にしたり、ランサーを特例部費アップの標的にしたり、と。我侭放題、自由奔放、勝手気ままなことをしている。教師に怒られもしているようだが、本人は気にした素振り――反省の色すら全くない。

 それらを踏まえた上で、一夏は考えていたことを口にしていた。

「あの……何で俺なんですか?」

「あら、負けたら従うって言ったのに、一夏くんは反故にするの?」

「いえ、そうではないですけれど……士郎もいるのに」

 士郎ではなく、何故自分なのか――

 そんな疑問を投げかける相手の返答に対して、両手を組んで顎を乗せていた楯無は笑みを浮かべるだけだった。

 わかりきったことを口にする。

「ああ、それは簡単よ。単純明快。君が弱いから。だから、おねーさんが一からしっかり鍛えてあげる」

「…………」

 ――無言。

 想像できていなかったわけではないが、いざ実際に面と向かって言われると些か応えるものがある。

「弱いから、ですか……?」

 傷心、とまでメンタルが弱い一夏ではないが、追い討ちをかけるように楯無は容赦なく言葉をかけていた。

「弱いわよ。今の君は。いくら相手のシールドエネルギーに直接ダメージを与えられる零落白夜があろうとも、ね。それは当たらなければ意味がない。何よりも、今の君は士郎くんよりも弱いわ。彼の機動性はわかるはずよね?」

「ええ……」

 素直に一夏は頷いていた。だが、自分にだってプライドはある。確かに士郎の技能が上がっているのは知っている。しかし、だからといって福音を相手にした自分が全く適わないと言われるのは心外だった。

(だからって、福音だって死に物狂いで相手したんだ。その俺が士郎に適わないなんてことは……ない)

 それが驕りだという事に彼は気づいていない。

 十分に発揮できていない第四世代の機体性能。対象のエネルギー全てを消滅させる白式の単一仕様能力、零落白夜特殊兵装の雪片弐型――

 今現在に至るのは、それらに頼るものであり、純粋な自身が持つ実力の賜物ではない。そこを一夏は勘違いをしている。

(これはやばいかな……本人は気づいてないけれど、ちょっと天狗にはなってるわね……)

 容易に楯無も相手の心情に気づいている。

 一夏の顔つきが変わったことに――厄介ね、と彼女は漏らしていた。

「無理ね。今の君では士郎くんには勝てない。一夏くん、あなたは技能が追いついていない。機体に助けられているだけよ」

「…………」

「士郎くんは技能も相応にあるわ。確かに荒削りであるのは否めないけれど、一夏くんと違って機体に頼った戦いはしていない。彼とアナタの違いはまずはそこ」

「……先輩は、ずいぶんと士郎を買っているんですね」

「ええ。実力を間近でハッキリと見たもの。世辞でも贔屓目でもなく、伸びるわよ、彼」

「その『先輩』から見て、士郎はあなたに勝てましたか?」

 自嘲気味に笑う一夏に「いいえ」と楯無は応えていた。

「おねーさんが勝ったわよ?」

「なんだ」

 思わず呟かれた相手の言葉が気になり、楯無は小首を傾げていた。

「何か言いたそうね」

「ええ。だってそうでしょう? 先輩に勝てなかったわけでしょう?」

「ええそうね。彼は勝てなかったわ。でもね、士郎くんが『本気』であればどうかわからなかったものではあるけれど?」

「……どういう意味ですか? 士郎が手加減していたってことですか?」

 声のトーンが変わり訊ねる一夏だが、楯無はおどけて見せるだけ。

「さあ? そこまで教えてあげることはできないけれど、話を戻すわよ? はっきり言って、福音に勝てたのも白式の機体のおかげよ。君の純粋な実力じゃないわ」

「…………」

「もし、士郎くんが福音を相手にしていたとしたら……彼ならもっと巧くできたかもしれないわね」

「また士郎を出すんですか?」

 苛立ちが募り、意識せずとも語気が荒くなる。楯無に向ける表情も強張ったものだろう。

 挙句、事件に巻きこまれた身でありながら自分たちは必死に福音を停めたのだ。本来であれば、幾ら四人の代表候補生が含まれているものの、学生……実力的にラウラやセシリアなどの優れたIS環境があるとはいえ、入学した一年生が対処するものではない。

 僅かな情報と、軍用機でもない自分たちの機体、その場に有り合わせた残存武装で事にあたったのだから。何もしていない人間にとやかく言われたくはない。むしろその場に居なかった人間を引き合いに出されても不快なだけだ。

 結果さえ否定するかのような言い方は納得できない。

 一夏が強く反発するのも当然と言えよう。だが、そんなものを気にする彼女ではなかった。

「見方を変えましょうか? なら、酷な言い方をするけれど……君に相応の技術があったとしたらどう? 福音にてこずった? 箒ちゃんたちも護れたんじゃなくて?」

「……そんなのは……」

「済んだことはしょうがないわよね。大前提で暴走事件に巻き込まれるなんて想像もつかない話よ。後になって『もしかして』『すると』『したら』と仮定の話をしても意味がない。わたしは卑怯な言い方を口にしている。君の言いたいことはわかるわよ。一夏くんがいたからこそあの程度で済んだことであり、一夏くんがいなかったらより酷いことになったでしょうね。じゃあ、これからの場合はどう? もし、また無人機が現れたらどうするかしら? 福音と同じような高スペックを持ったタイプだとしたら? 今のままでは何も変わらないわよ。眼の前で誰かが傷つくのを黙って見ていられる?」

「…………」

「第二形態移行で浮かれるのはいいけれど、それだけではダメよ。与えられただけで満足しているようじゃあ勝てないもの。努力して技術を研磨して積み重ねていくことこそ意味があるものよ」

 手にしていたお茶の缶に口をつけると――楯無は唇を舐めて、相手を見据えていた。

「報告にあったけれど、福音はただの暴走機体じゃあなかったんでしょう? 名目上は暴走とはなっているけれども、搭乗者を護るかのように動いていたとも聴くわ。福音自体が意志を持ち、本能的に動いていたとしたら? 山田先生の授業で習ったはずよ? ISにも意識に似たものがある。そんな機体が相手なら……話を戻すけれど、士郎くんは巧く対処できていると思うのよ。思考戦闘、判断能力には正直驚かされたし……極端な言い方すれば、まるで相手の心を読んでいるかのようにね」

「…………」

「なんでそう言える、て顔してるわね。言ったでしょ? 戦ってみたからわかるものだし、君も白式で勝負すれば理解するわよ。もっとわかりやすくするなら、互いに訓練機で勝負すれば、結果は簡単だと思うしね。同じ機体、同じ武装になれば尚更に。100パー、君が負けるもの」

 一夏は無言のまま、ただ黙って相手の話を耳にするだけ。

「比べられるのが嫌なら強くなりなさい」

「…………」

「わたしは別に君を貶めるつもりは微塵もないわよ? ただ、認めるべきところを認めれば、それは見直すべき箇所ということにもなると思うの。違う?」

「……それは、先輩の勝手な見解でしょう? 俺が士郎に劣る、てのは」

 ぼそりと、一夏の口から発せられた声音は酷く冷たいものだった。

 不機嫌な相手を冷静に見つめ、彼女は言う。

「今の君は誰も護れはしない。誰かに護ってもらうのがオチよ。それに、ついでに言っておくけれど、いつまでも士郎くんを下に見ていないほうがいいわよ? その考え方、おねーさんは好きじゃないわ」

 楯無の指摘に一夏は僅かながらに息を呑み、たじろいでいた。

「俺は、別にそんなつもりは……」

「そう? わたしにはさっきから君が上だと考えての物言いに聴こえているけれど。彼、技術の上達が異様よ。あっという間に抜かれるわよ?」

 既に抜かれているけれどね、とは胸中で呟いておく。

「そりゃ士郎の上達振りは否定しませんよ? でも、だからって……」

 それはさすがに言いすぎだと考える。専用機を持ったとは言え、ラウラやシャルロットに勝てるとは思わない。それが一夏の考えだ。

 だが、楯無は違う。

「そう? わたしとしては、一年生の中で最強に近いのはセイバーちゃんは別として、士郎くんだと思うけれど?」

 一夏もセイバーの実力は十分納得している。幾度となく模擬戦を見て、自身も戦った。彼女は誰と戦おうとも負け知らずだ。それはわかる。だが、次に名前が挙げられた士郎に関しては疑問を持つ。そのために自然と一夏の口は開かれていた。

 だが、ここで本来であれば、セイバーとランサーの実力は相当のものと捉えられるだろう。にもかかわらず、然して話題に上がらないのはキャスターによる認識阻害の魔術の暗示によるもの。

 相応の実力を有しているふたりへ、千冬と真耶を除いた学園生徒、教師はそれ以上の反応を示さない。

 認識をずらされているふたりにとって、「今」の会話においてセイバーという存在を認知はしているがそれだけのもの。必要以上に意識が働きかけると抑圧され、脳裏から消えている。

「ラウラやシャルがいるのに、ですか?」

「ええ」

 にべもなく応える楯無に対して、一夏はなおも追及していた。自分が思うことを告げるように。

「……AICや高速切替があるのにですか? それに、搭乗時間だって――」

「だから?」

 たった一言を切り返す。本当につまらなそうに楯無は問いかける。逆に一夏は呆気に取られていた。

「いや『だから』て――」

「AICや高速切替があるから彼が勝てないと思うなら、とんだ見当違いよ。事実、まれにとは言え、勝っている姿を見たことがあるでしょう?」

「…………」

 言葉はない。楯無が言うように、ラウラとシャルロット、鈴と模擬戦をして10回に3回は士郎が勝つ。箒にはほぼ六割方。それが何を意味するのかは説明するまでもない。

「それに――」

 士郎と一夏の明確な違いに触れようとして――喉まで出かけた言葉を呑みこんでいた。

 口が止まり、唐突に黙る楯無に一夏はいぶかしむ視線を向ける。

「なんですか?」

「あー、うん。ごめんね。なんでもない」

 ぱたぱたと手を振りながら彼女は適当に会話を続けていく。喋りながらではあるが胸中では別のことを、まるで自分自身に囁くように呟いていた。

(だって、つじつまが合わない話じゃない? 勝負だっていうのに、身を挺してわたしを護ろうとするんだもの……)

 模擬戦での士郎を思い出す。奇妙な行動ではあったが、不思議と笑うことはできなかった。それになぜか、嬉しいという感情が心中に浮かんだことも彼女自身不思議に思うことだった。

(どうしてわたしは『嬉しい』と思ったのかしら?)

 これらのことを彼女は誰彼なしに公言もしていない。自分が信頼する虚にさえも。全ては楯無の胸裏に秘められたまま。

 話す内容を選びながら彼女は口を動かしていた。

「君、彼の戦い方を何も見ていないのね。たまたま勝った、ではないわよ。勝つための戦い方をして勝ったこと。まぐれで勝ったものと考察して勝ったものは違うわよ」

「……それは……わかりますけれど」

「いい、一夏くん。君は何か勘違いをしているから敢えてハッキリと言うけれど、士郎くんを下に見るのはやめなさい。いつまでも、彼が他の専用機持ちたちに勝てないというイメージも捨てたほうがいいわよ。いずれ……ううん、近いうちに、今の勝率は大きく変わるわよ。機体性能の差があるからと言うのは逃げ口上にはならないわよ? それを言うならシャルロットちゃんが一番当てはまるわよね。彼女、第二世代型の機体で君や箒ちゃんの第四世代型を相手に上をいくじゃない?」

「…………」

「つまりはそう言うこと。彼は同じ相手に同じ戦い方はしない。この方法が効かないなら別の方法で、と戦闘の最中に思いつき次の瞬間には行動に移して、躊躇せずに向かってくるもの。二種類の武装しかないのに多様に絡めて挑みかかってくる姿勢は、ある意味ゾッとするわ。高速切替というけれど、士郎くんの武装展開時間も見事なものよ」

 実際に相対してその実力は楯無自身確かめている。独学で覚えたものかどうかはわからないが、そこから更に伸びるだろうと踏んでいる。

「それともうひとつ。搭乗時間が少ないから勝てないってのはおかしなものよ? 君、自分のことは言える? それにその差を彼は腕でカバーしてるもの。今の君は全てにおいて劣っているわよ」

「言ってくれますね……だから、俺に指導をすると?」

「ええ」

「どうしてですか?」

 その言葉に、楯無は肩をすくめて見せていた。

「それは、わたしが学園最強だからよ。うぬぼれと捉えてもらっても構わないけれど、学園最強の称号は伊達じゃあないのよ?」

「……セイバーやランサーにも勝てると?」

 ありゃ、そうくるかと呟きながら――

「うーん、一夏くんにしては結構難しいことを訊くわね……」

 意外と痛いところを突くなんて生意気よ、とおどけてみせるが彼女の胸中は複雑だ。

 埠頭での一件を、今思い出しても寒慄を覚えるものがある。簪のことを侮辱されかけ、幾ら頭に血が上ったとは言え、ランスの一撃を容易にかわされていたこと。あまつさえ、これが血なまぐさい戦場であれば、必殺に近い一撃を避けられもすれば、自分に次はない。

 相手の技量であれば、いくらでも此方に襲いかかっていたはずだ。しかし、それでもランサーは動こうとはせず、一切手を出してはこなかった。

 踏みつけていたランスから脚を離し、何事もなかったかのように背を向けると、座り直し竿を振るう。

 何故反撃しないのか、眉を寄せる楯無ではあったが後から考えれば行き着くところはひとつ。「しない」ではなく「しなかった」としたら、と結論づけていた。つまりは、相手にするほどの価値にも満たない輩と処理されたと言うことなのだろう。

 冷たく見据えるランサーの眼――見定め、相手の力量が大したものではないと悟った嘲りの色。路肩に転がる石でも見るかのように。

 手を下すまでもない。情けをかけられたとでも言うべきか。

 ランサーに恐怖を覚えるよりも、敵とさえ認識されなかったこと、歯牙にもかけられなかったことが悔しかった。

(舐められる、と言うことがこれほど悔しいなんてね……)

 士郎との模擬戦の影響でIS『ミステリアス・レイディ』が本調子ではなかったからなど、自分に対する都合の良い言い訳でしかない。しかしながら、楯無も黙って引き下がるわけにはいかないものがある。普段はおちゃらけ飄々としているが、意地は持っているのだから。

 故に――楯無は嫣然と笑う。

「……でも、『勝ってみせろ』と言われれば、勝ってみせるわよ? 生身の強さイコールISの強さとはいかないでしょう? 逆も然り、ではあるけれど。それじゃ応えにならないかしら?」

 自分で口にしていながらも違和感は拭えないものだ。

 正直に言えば、薄々ではあるが、士郎はまだしもセイバーとランサーには説明がつかない異常さを楯無は感じはじめていた。だが、その「なにか」が釈然としない。隔靴掻痒の感がある。

 一夏の手前、勝ってみせるなどと分をわきまえない発言をしているが、本心ではどうなるかなどわからなかった。

 しかし、勝たねばならない状況に追い込まれでもしたら、彼女は己が身にいかなる事が起こりようとも勝つつもりでいる。それが楯無なりの覚悟と意地だ。

「ほら、わたしのことなんてどうでもいいでしょう? 士郎くんは着実に技術を高めてくる。逆に一夏くんは第二形態移行しているにもかかわらず技術はそんなに上がっていない。これは大いに問題よ。弱いままでも別にいいや、気にしない、と言うのなら話は別だけれどね」

 楯無は再度肩をすくめてみせていた。

「一夏くんは動きに無駄があるの。そこがもったいないところなのよねー。今まで他の子たちとの模擬戦を見てきたけれど、気になって仕方がないのよ。わたしが指導したらバリバリ強くなれるわよ?」

 建前ではそう告げるが、本音としては別のものがある。

(自分の身は自分で護らせる、なんては公には言えないものね……士郎くんの存在がライバルとして引き合いになってくれればいいんだけれど)

 暗部の『草』として動く者からの報告に名が挙がる、とある組織の存在が一夏にとっては避けて通れない相手だと理解した上でのものだ。そのためには、彼自身に力をつけてもらわねばならない。いつまでも誰かに護ってもらうわけにはいかなくなってくる。

 付け焼刃であるのは否めないが、手っ取り早く直接彼女が教え、今のうちから鍛錬をこなさせることに越したことはない。

「ま、強いわたしが教えるんだから、一夏くんも当然強くなってもらわないと。まずは機体性能に頼りすぎるところから変えていきましょうか」

「…………」

「腐るか腐らないかは君次第よ? 本気で誰かを護りたいのなら、強くなってみせなさい。言い負かされるのが嫌なら、相応の実力を身につけなさい。君が強くなれないと言ってるわけじゃないわ。素質はあるわよ。だからそれを開いていくだけ。ただ、そのためには――」

 諦めないことね、と言葉をかける。

 一夏は返答もせず無言のまま。だが、握り締められた両の拳には強く力がこめられていた。



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30

 士郎、一夏がそれぞれ時間を過ごしていた同じ頃、保健室を陣取る三人の姿はある意味異様な組み合わせだった。セイバーとランサー、キャスターのサーヴァントたちである。

 キャスターから話しておきたいことがあると告げられ保健室に足を運んでいるのだが――

 呼び出した当の本人――保健室の主たるキャスターはと言えば、その類まれなる美貌の眼の下には若干隈ができていた。どうしたのかと訊ねてみれば、クラス女子の要望に応えるため、日夜作業に没頭しているせいと応えていた。どんな些細な変更にも快く応じる彼女。それは、女子も楽しみ、キャスターも楽しんでいると言えよう。メイド服以外のコスチュームも頼まれ、そのデザインに試行錯誤を繰り返してもいた。

 その結果であれば、睡眠不足など関係ないと豪語する。だが、本来サーヴァントにとって睡眠は必要ないのだが……そのことには敢えて触れず、セイバーは軽く聴き流していた。

「しかしまぁ、三騎が雁首揃えて茶飲み話だ。笑えるだろーよ」

 ランサーが口にした内容は尤もである。本来の聖杯戦争であれば互いを敵とみなし殺し合った間柄。にもかかわらず、テーブルを囲んで馴れ合うなどありえない状況だ。

 皿に乗ったカステラを無造作に一切れ手でつまみ口へと運ぶ。

 当初、お茶だけでは口寂しいだろうとして「魚でも捌くか? 刺身とかどうよ」と提案するランサーだったのだが、すぐさまキャスターは考えられないという顔をした。

「どこの世界に茶請けに刺身を食べる阿呆がいるのよ」

「寿司にゃ煎茶が合うんだぜ? 似たようなモンじゃねーか。魚なだけに、肴ってな」

「馬鹿じゃないの? ミルクティー片手に刺身を食べるなんて聴いたことがないわよ」

 キャスターが指摘するように、各々が口にする紅茶は「ミルクティー」だ。それも、キャスターなりにこだわった茶葉を使ったものである。

「いやいや、世の中にゃ存外居るやも知れんぜ、葛木メディア先生? 偏見はよくねーなぁ? 勝手な決め付けはどうかと思うぜ?」

「能無し風情が喧しいわね。本来であれば、あなた如き白湯を出されていないだけ這いつくばって感謝なさいな」

 ランサー相手に気に入ったアッサムリーフをわざわざ使いたくない。憎々しげに言葉を吐くキャスターに対し、しかしランサーは「ほう」と意地悪そうな笑みを顔に貼り付けていた。

「色水程度と馬鹿にしてやがった割には、作法も手馴れたモンらしいじゃねーか」

「――っ」

 それを聴き、露骨に狼狽するキャスター。が、すぐに何事もなかったかのように表情を一変させ――努めて冷静に振舞っているつもりだが――ランサーを睨みつけていた。

「……誰から聴いたのかしら?」

「布仏の嬢ちゃんだ。下の方のな。結構可愛がってるらしいじゃねーか」

「本音さんは……」

 おしゃべりな子ね、と忌々しくキャスターは漏らす。カカカと笑い、ランサーは続ける。

「茶の淹れ方も覚えたようだ。早いトコ、葛木に飲ませてやりてぇもんだよなぁ?」

「う、うるさいわね。余計なお世話よ。黙ってその口を閉じなさい」

「いやはや、なんだかんだと難クセつけてやがったわりには簡単に流されたもんさな?」

「黙れと言っているのよ。チワワに喉元噛み千切られて死にさらしなさい」

 罵倒するキャスターとは別に、セイバーは少々残念そうな顔をする。話の流れ的に希望する運びに進まないとわかったからだ。

「え、と……あの……魚は捌かないんですか?」

「あなたも何を言っているのよ……」

 今の会話を聴いていて、どうしてそういう風に捉えられるのかが甚だ理解できなかった。

 名残惜しそうな表情のセイバーを視界に捉えないようにし、額に手を添え疲れたようにキャスターは口を開いていた。

「とにかく、話を進めるわよ。あなたの見るも聴くも堪えない魚の戯言なんてどうでもいいのよ。どうせ作れもしないくせに」

 だが、ランサーは退かない。「これだから無駄に育ちのいい輩は嫌だねぇ」と悪態をつきながら。

「なんだよ、調理の仕方なんてモンはなぁ、『生』以外なら『焼く』か『煮る』か『蒸す』ぐらいだろうが。味付けなんてモンは塩でもありゃ十分だろうよ」

「なによそのお粗末過ぎるザツさ加減……ワイルドすぎるものにも程があるわよ」

「…………」

 言い合うふたりに――だがセイバーは否定も肯定も何も口を挟めなかった。いや、挟まない。生前の故郷での食事の類はまさに「ザツ」だったのだから。彼女にとっては耳が痛い。

「坊やが作るならまだしも、あなたのエサなんてゴメンだわ」

「なら坊主にでも作らせるか?」

「話が違うでしょう? 坊やに聴かせたくないから、あなたたちふたりだけを呼んだのよ」

 全く、と文句を漏らしながらキャスターは立ち上がると、戸棚から菓子を取り出していた。

 お茶請けに用意したのは、本音から――正確には虚からだが――もらったカステラ。本来であればシャルロットとのお茶会時に食べるために取っておいたものだったのだが。

 手際よくナイフで切り分け、皿へと移し、ランサー、セイバーの前に並べ――セイバーの分のものだけ若干厚めに切られている――ついでにおかわりの紅茶も注ぎ、今に至る。

 二杯目の紅茶を口にし、セイバーは訊ね言う。

「それで、話とは?」

 話が脱線していたことに気づいたキャスターは咳払いをひとつし向き直る。

「……学園祭の件よ」

 そう前置きする相手に些かセイバーの表情には疲れが窺えた。先日の放課後の一件を思い出しながら、である。

 だが――

 つい今しがたの醜く言い争った態度は微塵もなく、キャスターの表情は至極真面目なもの。聖杯戦争時における奸計を特技とする『キャスター』の『貌』になっている。

 真剣な顔の相手にセイバーもまた表情を改めていた。

「……なにかあったのですか?」

 張り詰めたかのような雰囲気を感じる限り、催しごとに関してではないのがわかる。

 ひとつ頷き、キャスターは口を開いていた。

「少しばかり、気になることがあるのよ」

「気になること? シロウに何か?」

 セイバーの問いかけにキャスターは「いいえ」と首を振る。

「言葉が足りなかったわね。坊やではなく――いえ、この場合は坊やにも関係あることになる、とでも言うべきかしら? おかしな連中が動いている、と言ったところかしら」

「……どういう意味ですか? キャスター、勿体ぶった話し方をしないで教えてほしい」

「勿体ぶっているつもりはないわよ。知った話では、言ったように妙な連中がこそこそと動いてるらしいってことよ。今のところはそれだけ」

 学園に張り巡らせている使い魔の一体から通じて得た情報。更識楯無から聴き得たものだ。

「とっ捕まえて暗示をかけて洗いざらい自白でもさせれば手っ取り早いのだけれどね」

「キャスター、だからと言って、あまり好き勝手にするものは……シロウは良しとしませんよ?」

 面倒くさそうに呟くキャスターに苦言を呈するセイバー。

「わかっているわよ。表立ってはしないわよ。だから、此方で入手できる情報を集めているだけ。使い魔を通じて得た情報は無理やりじゃあないもの。勝手に喋っているところをたまたま聴いただけですものね」

「…………」

 それでも何かを言おうと口を開くセイバーだったが、言葉は発しない。

 キャスターは続ける。

「それを踏まえて、本当にその連中が何かしらの動きを見せるとしたら学園祭に仕掛けると思うわよ」

「根拠は?」

 これはランサーの問いかけ。フンと鼻を鳴らし、つまらなそうに人さし指を立てて彼女。

「ここはそれなりのセキュリティーを完備しているわよね。さすがに学園祭ともなれば警備も手薄になるところが出るわよ。IS企業関係者、国家関係者、学園関係者……その他諸々。それこそ人の出入りは倍にでもなる。学園も不穏分子に対処するために警備をより厳重にするでしょうけれど……」

 含みのある言い方にセイバーは疑問を投げかけていた。

「そこを相手は突いてくる、と?」

 指摘に対し、キャスターはこくりと頷く。

「人の波に紛れ込むなら絶好の機会よ。何かを企む連中の類だとすれば、わたしなら間違いなく潜り込むわね。人目を気にせず振舞えるもの」

「…………」

 顎に手を当て思考するセイバーの視線が下がる。カップを手にしたランサーは、そうだなと声を漏らして言う。

「一番の策としては、問題事も面倒事も、此処の連中に全部任せて放っておけばと思うもんなんだがなぁ」

「……ですが」

 何気に呟くランサーに対し、セイバーは顔を上げていた。

 ランサーもわかっている。彼の眼が気だるそうに物語る。

「お前の言いてぇことはわかってるさ。そうはいかねーってことだろ? 関わっちまった以上は云々て言いてーんだろう? 俺だってそんなことは理解してるさ。坊主ならなおさらだろーによ」

「そのことをシロウは?」

 士郎自身は知っているのかどうなのか、気になる点を問いかける。だが、ランサーは首を横に振っていた。

「いや、何にも言ってねえぞ俺は」

 キャスターもまたカップを手にし口を開いていた。

「わたしもよ。教えていない理由はふたつ。ひとつは、余計な心配をかけたくないこと。もうひとつは、せっかくの学園祭なんだもの、坊やには楽しませてあげたいじゃない」

「それは……概ね同意です。できることであれば、シロウは厄介ごとに関わってほしくない」

「そういうこと。だから、もし、仮に万が一の話よ? なにかがあったとしたら、わたしたちで勝手に動くだけ。その話をしておきたかったのよ。セイバー、あなたの耳に入っていなければ、不貞腐れるでしょう?」

「……まぁ、そうですね」

 そう返答し――

 唐突に、セイバーは先日の教室での一件を思い返していた。

「まさか……このことを見越して、敢えてイチカたちを楽しませようと? そのためにわざわざあんな芝居を打ったというのですか?」

「…………」

 真っ直ぐ見る相手に「ふっ」と笑い返したキャスターは、すいと眼をそらす。その瞳には何処か憂いを滲ませながら――

「ええ、そうよ」

「なんと……申し訳ない。わたしはあなたを見誤っていた。あなたがそこまで考えていたとは……早計でした」

 浅はかな自分を恥じるセイバーに、しかしランサーは半眼だった。

「いやいやいやいや。ねぇーだろ? ねぇよ。なにさらっと流されてんだお前? 無理やり趣味のモンとこじつけてるだけじゃねーかよ」

 ぱたぱたと手を振り否定するランサー。何を馬鹿正直に騙されてるんだと告げながら。

「まあいいさ。とにかく、妙な連中がいるってことに変わりはねぇ。もし何か手を出してくるってんなら叩き潰しゃいいんだろ?」

「内密に、よ?」

 大雑把過ぎる考えのランサーにキャスターは面倒くさそうな視線を向ける。

 へいへいと応えながら、彼は紅茶を啜っていた。

「下手にこっちから首をつっこむつもりはねーがな、向こうがかかってくるってんなら話は別だ」

「確かに、それはそうですが……」

 ランサーとキャスターの二騎とは違い、何処か釈然としない面持ちのセイバーではあるが、士郎に害をなす場合は如何なる手段を用いても護ることに変わりはない。

 更に言えば、もう一点ほど彼女は気になることがあった。

「キャスター、このことをチフユは?」

 知っているのでしょうか、と眼で問いかけるが、相手はつまらなそうに首を振るだけ。

「言ってないわよ。言う必要もないことではなくて? 向こうはこちらを信用していない。向こうは向こうで情報を得ているんでしょうけれど。おそらく、知っていてもこちらになにも提供してこないと思うけれど?」

「ですが、それは、無闇やたらに心配をかけまいとしてのものとは思えませんか?」

『…………』

 無言のふたり。

 セイバーは自身の考えを織り交ぜながら続けていた。

「チフユはわかりますが……マヤは親身になってくれている。せめて……」

 眼を瞑り、キャスターは呆れたように息を吐くと、掌を向けていた。

「言いたいことはわかるわよ、セイバー。でもね、下手に情報が漏れるのも問題よ。それこそ、全ての教師が知っているわけではないわ。現に保健医としてのわたしがそうだもの。一部の……それも本当にごく一部の人間にしか知らされていないのかもしれない話を、他言するべきかしら?」

「…………」

「だから、わたしたちはわたしたちで勝手に動くだけよ。そこをあんな人間如きにとやかく言われる筋合いはないわ」

 この話はこれで終わりよと告げてキャスターは紅茶を口にする。

 じっと相手を見入るセイバーではあったが、これ以上は話しても無駄かと悟り俯いていた。

 カップを手に取り、琥珀色に視線を落としながら、セイバーは別のことを口にし言葉を紡ぐ。

「しかし、話は変わりますが……改めて思うところなのですが、我々三騎が揃ってこのようになるとは想像もつきませんでした」

 ひとりの少年に皆こぞって仕えることになろうとは――

 つい思わずセイバーは苦笑を浮かべてしまう。 

 キャスターもその件は同意したのか、ひとつ吐息を漏らしていた。

「坊やも同じことを言っていたわよ。『あんたらも仲良くやれるんだな』て」

「…………」

 ランサーは口角を上げ、セイバーは声を漏らしていた。

「なんともシロウらしい。それに、このような空気はわたしも好ましく思う」

 セイバーの呟きにランサーとキャスターは真顔になる。

『…………』

 二騎の視線を感じ取り、セインバーはきょとんとした顔になる。何かおかしなことを口にしたかと小首を傾げながら。

「む? なにかおかしいでしょうか?」

「いや」

「意外と、と思ってね」

 口を揃えて互いに顔を見合わせるふたり。ランサーは頭を掻き、キャスターは顎に手を添える。

 セイバーの表情は些か不機嫌そうなムスッとしたものとなる

「わたしとてサーヴァントだ。不用意に馴れ合うのは良しとはしません。ランサーはまだしも、キャスター、わたしはあなたを信用してはいない」

「随分ね」

「あなたがそれを言いますか。自分がしたことを、よもや忘れたとは口にするつもりはないでしょうね? 今一度言いますが、わたし個人としては、あなたを信用することはできない」

「……でしょうね。わたしとしても、状況が状況とは言えども信用してもらえている、とは思っていないわよ」

 なかったことにする気などない。肩をすくめるキャスターに――

「ですが……」

 そこで言葉を区切り、セイバーは紅茶を口にする。

 キャスターとランサーを順に視線を向け、自然と口元には笑みを浮かべていた。

「どういうわけでしょうか、わたしとしては、今のこの状況を好ましくも思っている。キャスター、あなたを信用していない、と確かにわたしは口にしました。ですが、それと同じように――逆にあなたを、いえ、ランサー、貴公も同様だ。あなた方ふたりは心強く感じています。味方としてはこれほど頼もしく思うことはない。特に、シロウの疲弊した心の支えになってもらえたことには至極感謝しています。わたしだけでは、恐らく……」

 どうすることもできなかったでしょう――

 そう独白し、カップを手にしたまま黙するセイバーに対し、ランサーは無言のまま頭を掻き、キャスターは意味もなく頬を掻く。

 面と向かって騎士王にそう言われてしまっては、さすがのふたりも別の意味で居心地が悪かった。

「わたしは矛盾していますね。ふふ、おかしなものです。我々は争っていたと言うのに……」

 そんなセイバーに対して、キャスターとランサーは口の端を吊り上げる。

「状況はどうあれ……同じマスターに仕えている以上は大人しくしているわよ。いくらわたしでも。無駄に斬り捨てられるつもりはないわ」

「こっちもだ。坊主の手前、それ相応には仕事するさ。気に食わんと騎士王さまに斬られるわけにはいかねーからなぁ」

「わたしとて、誰彼構わず挑みかかるつもりはありません。あくまでも害となればの話です。血に飢えた戦闘狂のようにとられるのはやめていただきたい」

 眼を瞑り、不機嫌そうに。心外ですと漏らしながらカステラをほうばる姿は全くもって説得力に欠ける姿だ。

 訪れる和やかな雰囲気に――

 三人は顔を見合わせ、各々含み笑いを漏らしていた。

「ところで――」

 紅茶で喉を潤しながら、キャスターは視線をランサーへと向ける。その顔には険しい――と言うよりも至極鬱陶しそうな表情を浮かべながら。

「あなた、あの生徒会長とかいう小娘に何をしたわけ? こちらはその煽りを受けて、面倒ごとの尻拭いなんてやらされてるのよ」

「そう言うなや。ありゃ俺が悪いんじゃねーぞ? 向こうが突っかかって来たんだぜ?」

 言うなりゃ俺は被害者ってもんさ、とカラカラと笑いながらランサーに――だが、キャスターの双眸は鋭いものに変わっていた。

「無駄によく回る口だこと。煽ったのはあなたでしょう?」

「まるで見たように言うじゃねーか」

「……見ていたわよ」

 使い魔を通して埠頭での一部始終を把握しているキャスターは呆れるだけ。

 更には、士郎に頼まれて教師、生徒たちに部分部分の暗示をかけ直させられている。無駄な労力を重ねられもすれば嫌気もさす。挙句はランサー自身がまいた種ともなれば尚更に。

「これだから能無し風情は……感謝ぐらいしてほしいわね」

「ちっ、うっせーな。へーい、反省してまーす」

「その首、刎ね飛ばすわよ?」

 悪びれた態度も見せず、むしろ小馬鹿にした声音のランサーに、キャスターは額に青筋を浮かべ舌打ちしていた。

 安らいだ空気はすぐさま一転。一触即発。また不毛な争いを続けるふたり。

 ――が、先の会話の中で訊きそびれていたことを思い出し、セイバーはキャスターに声をかけていた。

「すまないキャスター、先程の件で訊いていなかったものがあります。教えてほしい。その不穏な動きを見せる連中と言うからには何かの集団でしょうか?」

 指摘に対し、ああ、と小さく呟くと、なんだったかしらとキャスターは顎に指を当て――

「『亡国機業』……この世界を股にかけて暗躍する組織と呼称される連中らしいわ」

 実にくだらないわ、とキャスターは一言のもとに吐き捨てていた。

 

 

 とある高層マンションの一室――

 最高級のスイートルーム。広い室内には三人の姿がある。

 華やかな装飾で彩られた家具、調度品の類。それに見合った内装。さながら宮殿のようにも見える贅沢すぎる造り。

 高級感あふれんばかりとした空間の中、ゆったりとしたソファにくつろぎながら、左手の爪にお気に入りのネイルカラーを塗っているのは、長身でありながら豊かな金髪、抜群の美貌を誇る女性――亡国機業の幹部、スコール・ミューゼル。

 そんなスコールから離れた場所には、高級そうな絨毯に寝転がりながら菓子を食べている少女と、アームチェアに座りながら書物を読んでいる眼鏡をかけた女性がいる。

 光沢の映える爪に満足すると――スコールは顔を上げていた。

 彼女の反応に従うかのように、高級な部屋に相応しい立派な造りの扉が開かれると、またひとりの女性が現れる。

「お帰りなさい、オータム」

「ああ……」

 言葉少なく、ぶっきらぼうに返答し、オータムと呼ばれた女性はスコールの向かいのソファにどかりと座る。テーブルに足を投げ出し、「面倒くせぇ」と声を漏らし気だるそうに振舞う彼女。

 あらあらと言葉を漏らし、少々困ったようにスコールは口を開いていた。

「お行儀が悪いわよ?」

「ほっとけ、こう見えてもこっちは疲れてるんだからよ」

 話しかけてくる愛しい相手とはいえ、今は身体を支配する疲れの方が圧倒する。スコールを一瞥しただけで邪険にあしらい、オータムは天井を見上げながら深く息を吐いていた。

 スコールは気分を害することもない。むしろそれすらも楽しむかのように口元には妖艶な笑みを浮かべながら。

「つれないわね」

「…………」

 オータムは相手をせず無言のまま。先まで次の標的となる場所を下見――偵察をしてきたところだった。

 事前に頭の中に叩き込んでいた建造物の間取り図と実際に眼の当たりにした立地を比べて、進入ルートを再確認する。

 何度も脳裏で反芻し彼女。

 ようやくして――オータムは向き直ると、恋人へ視線を向けていた。

「噂に聴くIS学園てのも案外ザルだなありゃ。警備の甘いトコもありやがる。待たずに今すぐ仕掛けりゃやれるぞ、スコール」

「慌てないの。ちゃんと準備はしていてよ?」

 好戦的なオータムを宥めるように、スコールは笑みを浮かべたまま、白魚のような手――その指先にはいつの間にかチケットがつままれていた。

 テーブルへ置かれたのは、IS学園で催される三枚の学園祭の招待券。

「…………」

 無言ではあるが、何故三枚あるのか、そのことについてオータムは眼で「なんだこれは?」と問いかけていた。

 口元の笑みは崩さずに、スコールは疑問に応えるように言う。

「サニとホークを連れて行きなさい」

 告げられたふたりの名を聴いた瞬間、オータムの表情は一変していた。不快そうに眉を寄せる。

「おい、わたしだけで十分だ。ふたりもいらない。ヘマをするとでも思っているのか?」

「すねないの。あなたの実力はわたしが十分知ってるわよ? でもね、オータム、念には念をよ。いくらあなたでも単身で乗り込むことに心配なの」

「そんなにわたしは信用ならないか?」

「あなたを心配してはダメなの? 誤解しないで、わたしはあなたが心配だから、よ」

 じっと見つめられ――

 小さく舌打ちし、視線をそらしたのはオータムだった。俯いたその頬は紅く染まっている。自身を心配してくれることは純粋に嬉しいものがあるからだ。

 不貞腐れる相手に「可愛い顔が台無しよ」と言葉をかける。そう言われてしまうと、オータムとてこれ以上文句を言うつもりはなくなっていた。

 素直に従い、オータムは頷いてみせる。

「わかった。お前の指示に従う。サンシーカーとホークアイを連れて行く。それでいいんだろ?」

「ええ。素直なオータムは好きよ」

 言って、彼女は身体を起こすと、腕を伸ばしてオータムの頬をそっと撫でる。

(それに、真偽はどうあれ、報告にあった不可思議なISの存在が事実であるとするならば、オータムだけではもしかしたら荷が重いかもしれないしね……)

 スコールの胸中など知りもせず、優しく触れられたことに、思わずオータムの口からは可愛らしい声が漏れ出ていた。その顔には更に赤みが増している。

 相手の様子がたまらなく嬉しくてスコールは微笑みのまま。

 ――と。

「お出かけ?」

 名前を呼ばれたことに、寝転がりながら菓子を食べていた少女が眼を輝かせて身体を起こす。短い黒髪に活発的、無邪気そうな笑みを浮かべる女の子――名をサンシーカー。

「…………」

 読んでいた本を閉じ、視線だけをスコールとオータムへと向ける、青い長髪に眼鏡をかけ表情に然したる変化を見せない女性――名はホークアイ。

「サニ、ホーク、聴いていたように、あなたたちはオータムのサポートよ。無理はしないこと。いいわね?」

「はーい」

「了解」

 元気に手を挙げ応えるサンシーカーと、静かに頷くホークアイ。

 表情がころころと変わる少女とは対照に、人形のように無表情の女性。

「オータムが言うように、今からは行かないの?」

 ソファから立ち上がったスコールへ駆け寄ると、サンシーカーは相手の腕を掴んでいた。対するホークアイは無言のまま、再び書籍を開き読み耽っている。

「今から行こうよー、ねー、スコール」

「ダメよ、サニ。言ったでしょう? 準備が整ったら連れて行ってあげるから」

 なだめすかすスコールの姿は、まるで保育士のように。

「ガキのお遊戯の引率かよ」

 見かねて思わずぼそりと小さく吐かれたオータムの台詞を、だがスコールは耳に捉えていながら敢えて聴こえなかった振りをする。胸中では「可愛い子」と呟きながら。

 むーと頬を膨らせるサンシーカーの頭をスコールは微笑を浮かべながら優しく撫でる。

「まだよ。お出かけはまだ先。いい子だから我慢しなさい。お菓子を買ってあげるから、ね?」

「お菓子!?」 

 お菓子、と聴き少女の機嫌は瞬く間に変わる。

 嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねると、サンシーカーはスコールに抱きついていた。

「うん! 大人しくする! お呼ばれするまで我慢するから!」

「あらあら。現金な子ね」

 ころりと態度が変わったことに呆れながらも、スコールは優しく笑っていた。



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幕間5 drinker

今回の話は、時間軸で「21」「22」あたりとなります。
「30」部分は関係がありません。


 とある週末の夜――

 ある程度の書類処理を終えた千冬は、IS学園での自室ともなる寮長室で一息ついていた。

 凝った肩をほぐしながら、ふと何気なく時計を見れば、午後の11時半ばを過ぎている。

(小腹が空いたな……)

 冷蔵庫にはつまめる食材はなにもない。あるのは酒類のみ。弟の一夏が見れば呆れるだけ。とても一教師とは思えぬものぐさぶりである。

「…………」

 意識すれば余計に腹が減る。こんな時間では寮食堂など当然やっているはずもない。

 自炊など無論無理。何より先も述べたが食材が一切ない。

 遅い時間ではあるが、思いついた次いでとばかりに、今から外出でもして近くのコンビニエンスストアまで行ってこようかと立ち上がりかけ――唐突に、彼女はドアをノックされた音に気づいていた。

(こんな時間に誰だ?)

 不審に思いながら――

 もしや、一夏か士郎が夜食を作ってきてくれたのかと脳裏を過ぎるが、すぐにあるわけがないなと却下する。晩い時間も時間であり、何よりふたりがそこまで気が利くとは思えなかったからだ。

 だが、少しばかりは『ひょっとしたら』と思うところはある。獣耳が生えていれば、千冬は間違いなく狼だろう。耳はぴこぴこ忙しなく動き、尾っぽもばさりばさりと揺れることだ。

 故に、ちょっとばかりの淡い期待を胸に秘め、少しばかり浮かれながら――寮長室の扉を勢いよく開き、千冬は無言になっていた。

 そのちょっとばかりの淡い期待は見事に粉砕されていた。シャルロットの愛機ISの切り札、69口径パイルバンカー『灰色の鱗殻』を叩き込まれたかのように。

 訪問した相手の顔を見て、彼女は眉を寄せ、瞬時に嫌そうな表情を浮かべていた。眼の前に立っているのは、陽気に片手を挙げたランサーだった。

「おーう、吊り眼のねーちゃん、飲もうや」

「…………」

 相手の落胆振りもなんのその。ランサーは全く気にもしていない。

 手にした幾つものビニール袋から覗くのは酒の類。近くのコンビニエンスストアから買い漁ってきたのだろう。袋の膨らみ具合から瓶や缶の量が半端ではなかった。とてもふたりで飲む分ではないのが窺い知れる。

 それ以前に、千冬の目線が捕らえていたのはランサーにではない。彼の背後に立つ真耶に向けられていた。

 真耶も見据えられる双眸に申し訳無さそうに身体を竦め萎縮する。苦笑を浮かべながら。

 千冬の視線の意味に気づいたのだろう。ランサーは、やめとけやめとけと手を振っていた。

「待て待て。俺が誘ったんだ。眼鏡のねーちゃんに非はねーぞ」

「…………」

 しばし無言の千冬だったが、「帰れ」と一言残し扉を閉めようとする。

 ――だが。

「しゃーねーな。眼鏡のねーちゃん、ふたりで飲むか」

「は、はい」

 そんな会話を耳に捕らえ――

 閉まりかけていたドアが再度勢いよく開かれた。ギロリと睨む千冬。

 真耶とふたりきりにさせるとなれば、この男は一体何をするのかわからない。真耶も真耶とて持ち前の性格上断りもしないだろう。

 下手にランサーとふたりきりにして、馬鹿な間違いを起こされても困る。

「……入れ」

 結果、千冬が下した判断は――不承不承、招き入れるしかなかった。

「セイバーが言っていた通り、綺麗なモンだな」

 部屋に通されるなり、ランサーは開口一番そう告げた。

「――っ」

 何気なく背後で呟かれた声音に、瞬時に振り返りランサーに視線を向ければ、ニヤリと笑みを浮かべている彼。真耶はわからずきょとんとしている。

 彼の笑みが意味するものは、間違いなく千冬のマイナス面を知っている顔だ。

 部屋に関しては、昨日一夏が片付けている。一日経ってはいるが、部屋はまだ通常を維持している。阿鼻叫喚の魔界化は『まだ』していない。

「――くっ」

 反論するに反論できず、口を開くが言葉は出ない。

 ランサーも千冬の心情を手に取るようにわかっていながら、それ以上は口にしない。眼だけが「なんにも言わねーよ」と物語っていた。

 ふたりに適当に座れと言うと、千冬は差し出されていたビニール袋を半ばひったくるように受け取っていた。不貞腐れながらも礼を述べて早速ビールに手をつける。

 ムスッとした仏頂面の相手に対し、なんなら小僧たちも誘うか、とランサーは告げていた。小僧とは、当然一夏たちのことだろう。だが、千冬は額に指を当てて嘆息を漏らす。

「未成年に飲酒を強要させる馬鹿がいるか?」

 仮にも教師が生徒に対して酒飲みに誘うのが常識か考えろ、と千冬に言われるのだが、ランサーはどこ吹く風か全く聴いてはいない。

「酒なんて水みてぇなモンだろ? ちっとばかし見逃したっていいじゃねーかよ」

「いいわけなかろう。まったく……」

 此方を疲れさせる奴だと一言漏らし、千冬は手渡された弁当を口にしていた。

 腹が減っていたのは否めない。ランサーが買ってきて出したのは酒類だけではなかった。ちょっとした弁当の類もある。それを千冬が食したのは言うまでもない。

 テーブルに散乱する酒の残骸。強いアルコールの香りが部屋に漂う。

 定番のビールなど言うに及ばず。ワインにウイスキー、ブランデー。日本酒、焼酎、ウオッカなどなど。

 酒の肴の燻製類、チョコレートといった菓子類まである。

 三人も居ればアルコールの消費ペースなど早まるものだ。特に、真耶は飲むペースがふたりを上回っていた。

 最初は嫌々な表情を浮かべていた千冬ではあったが、時間が経つごとに、次第にその頬には若干ではあるが赤みが増していた。

 「家飲みもいいモンだな」と声を漏らすランサーに深く訊けば、『バー・クレッシェンド』によく行くと言う。思わず耳を疑ったが、ひとりでふらりと脚を運ぶ事もあれば、真耶や榊原菜月、エドワース・フランシィらと一緒に行く事もあると平気で言いのけていた。あげく、バイト紛いにウェイターまでやっているという。

 それが板につくほど似合っているというのは真耶の談。話半分に聴いていれば、携帯電話のカメラで撮った画像を見せられた。

 そこには、言われるようにウェイター姿が様になったランサー。思わず似合いすぎて天職かと考えさせられたのは千冬にとっては余談だろう。

 更に言えば、千冬はランサーの話術を知らない。ワイルドの中にダンディさがあるのだから。より多くのオーダーをとるのが巧い。その実力は確かに店の売り上げに貢献している。

 顔を顰め――次いで、携帯電話からランサーへ視線を走らせ千冬は言う。

「お前は一体何をやっているんだ?」

 本当に、コイツは何をやっているのだと千冬は頭が痛かった。自身の行きつけの場所で勝手な事をしてくれるなと胸中で呟きながら。

 仮にも男性操縦者という立場上、何故に学園外でアルバイトなどしているのかがわからない。否、それよりも、IS学園の厳重なセキュリティを如何ほどに掻い潜り外へ出ているのかが千冬には到底理解できなかった。それもそのはずだろう。霊体化になり平然と外へ出ているなど非科学的な手段など思いもよらない。

 ランサーの手合いを知ってはいるが、それでも彼を狙う国家、組織、機関はいる。ひとりとなれば好都合として強引な手段に打って出てくる輩がいないとは言い切れない。

(自分がどれ程の立場にいるのか、わかっているのかいないのか……)

 千冬の思惑とは裏腹に、一夏、士郎、ランサーの中で、状況を一番理解しているのはランサーだ。その状況を知りえた上での行動。あきらかに面白おかしく楽しんでのものだ。それを千冬が知れば心労は更に絶えないだろう。

 バーのマスターには気に入られて女客には好評なんだぜ、と聴いてもいない事を平気で言う。

 千冬は頭が痛かった。だが、確実に思ったことはひとつ。バイトをするなとは強く言えないが、今度店に行った際には、マスターにそれとなく話をしておこうかと決めていた。

 しかしながら、ランサーも千冬の考えを察したのだろう。

「おいおい、結構気に入ってんだ。唯一の楽しみと額に汗する収入源を潰さんでくれや。勝手に辞めさせられたらかなわんぜ」

 彼の言い分は尤もであろう。理由はどうであれ、仕事はきっちりこなし、客受けはよい。売り上げも上々。それを千冬の個人的な一存で決める完全な正統性はない。問題としては、男性でのIS操縦者というところだろう。

 変なところは的を得ているが、だが、そうであったとしてもアルバイトをするなどという話は、仮にも「IS学園生徒」として在籍している立場上、一応連絡ぐらいするべきだろうと告げておく。相手は十分な大人とは言えど、千冬はそれでいて担任教師となり、真耶は副担任教師なのだから。

「……確かにわたしの先行した考えは申し訳ない。だがな、お前はもっと自分の立場を考えろ。衛宮もそうだが……特にお前はそれなりの武術か何かを心得てはいるようだが、それはあくまでも生身のものだろう? よからぬ連中に眼を付けられた場合、素手でならば十分太刀打ちできるだろうが、極端な例え話をするが相手が銃でも持っていればどうにもならん。ISであれば尚更だ。それに、勝手に出歩かれて、何かあったとしたら此方で庇うことはできん」

「?」

 千冬の口にした意味がわからず、きょとんとしたままのランサー。

 ――が。

 合点が行き内容を理解したのか――くはっ、と声を漏らし、くつくつと笑う。ばんばんと自身の太ももを叩き彼。

「…………」

 何を笑うところがあったのか、今度は逆に千冬が理解できなかった。些か不愉快そうな顔になる彼女を無視し、ひとしきり笑い――気が済んだのか――ようやくランサーは顔を上げていた。

「いやいや、悪ぃな。まさかアンタが俺らを『心配』するとは思わなかったモンでな。ああ、違うな。俺にも心配するとは思っちゃいなかったモンでね。つい笑っちまった。ちっとばかしこっちで思うことがあってよ、気を悪くせんでくれや」

「……フン」

 ランサーにとって見れば、人間に我が身を心配されるとは思わなかっただけに以外であった。自身にとって、例え話であろうとも銃やISなど全く意味がないというのに。

 だが、それは他ならぬサーヴァントとしての考えであり、人間であり、教師の身である千冬の心配は当然といえるものだ。

 千冬の常識にランサーが当てはまらなければ、ランサー自身の常識に千冬は当てはまらないことになる。

 ひさしく『心配』されることなど忘れていた。心配する側ではあれ、される側に回るとは思っていなかった。大方、男性操縦者としての立場を考えろ、との認識なのだろうとランサーは汲み取っていた。

(まぁ、コイツから見ればそうなるわな。俺の考えで勝手気ままに動きもすりゃ気が気でもねーか。坊主のことはセイバーとキャスターに任せとけば問題ねぇと楽観してたモンはあるしなぁ)

 胸中で考えているように、士郎に関してはセイバーとキャスターが居れば問題はなかろうと踏まえていたものはある。とは言え、千冬の言い分もわからぬ彼ではない。

 結果的には、勝手過ぎたものはあるなと考え直してはいる――果たして何処までが本心からのものかと議論すればまた変わりはするだろう――のだが。 

「せっかくの忠告だ。考えてはおくさ」

「どうせ、話半分だろうがな……」

 一言返すと千冬はビールを飲み干していた。所詮はただ酒だ。懐がランンサーからのものであれば遠慮もしない。片っ端から飲み尽くしてやると画策していたのだった。 

 いい飲みっぷりだと茶化しながらもランサーは空いたグラスにビールを注ぐ。満更でもなく千冬も注がれたビールを口にし飲み干していた。

 頬杖をつき、にやにやとした笑みを浮かべて相手を見る。ランサーも千冬や真耶と同じように結構な量を既に飲んでいる。ウイスキーであれば割らずにストレートのまま。顔には一切出ていない。味がわからないわけではない。単に彼にとってはアルコールなど水と同じでしかない。

 そうこうしているうちに、三人の中で早々に出来あがったのは、ひとりペース配分が先行していた真耶だった。

 適度に酔いが回ったのかケラケラ笑い、眼は据わり、呂律の回らない口調で彼女はぺしぺしとテーブルを叩き、または横に座るランサーの額をぺちぺちと叩いていた。

 ここぞとばかりに日常の不平不満をぶちまける。

 やれ、織斑先生は厳しすぎる。弟の織斑くんには優しくない。

 やれ、ランサーさんとセイバーさんはISをもっと丁寧に扱わなさ過ぎる。

 やれ、生徒さんはわたしを教師と見ていない、と。

 普段のおどおどする真耶とは思えぬ饒舌ぶり。酒の力とは恐ろしいものだ。何よりも本人の千冬を前にしても物怖じせずに言いたい事をハッキリと告げるのだから。

 端的に言えば、酒癖が悪い。

 酒臭い息を吐き、顔を紅くした真耶はランサーの肩に腕を回し絡んでいた。

「むふぅ……わたしだって、頑張ってるんですよぅ。頑張ってるんです……生徒の成長は見ていて嬉しいものがありますよぅ。ですがぁ……生徒は生徒、教師は教師であるべきだと思うんですよぅ……聴いてます? 聴いてますかぁ、ランサーさん……?」

 ぐに、と頬をつままれながら彼はこくこくと頷いていた。

「あー、聴いてる聴いてる。聴いてんぜ。つまりはアレだ、敬えってこったろ? 勿論だ。ふてえ野郎だ。アンタほど生徒の成長に一喜一憂してる奴はいねえさ。胸張れることだ。立派なモンだ。つーことでな、まあ飲めやねーちゃん、飲んで嫌な事は綺麗さっぱり忘れろや」

 ランサーの声に満足したのか、三白眼でニコリとしたままの真耶。

「そうですよねぇ。ランサーさんはわかってくれますよねぇ」

 言って彼女はワインを呷り、チーズをもごもごと食していた。

 さっきからこの調子だ。しかも同じ事を繰り返してこれで七回目である。

 さすがのランサーも何度も何度も、延々と同じ話を聴かされては堪らない。早いところ酔い潰して大人しくさせた方がいいと判断した彼は、眼につく酒を――相手の身体をそれなりに考慮してだが――次々に真耶のグラスに注ぎ勧めていた。

 

 

「ふにゅう……」

 言い疲れたのか、程よく酔いが回ったのか――

 見事なまでに酔いつぶれた真耶は眼を回し寝入っている。

 風邪を引くぞと千冬はブランケットを後輩の肩にそっとかけていた。

 ぷひゅるるる、と静かな寝息を立て、ぷくーと鼻ちょうちんに加え、よだれまでたらしている真耶の顔は見事なまでに幸せそうだ。

「ストレス溜まってんなぁ、このねーちゃんも」

 がじがじと乾物を齧りながらランサー。千冬もサラミに手をつけ口へと運ぶ。

「あのガキどもを相手にしているからな。ついでに言えば、真耶に接する態度が馴れ馴れしいものがあるがな。親近感はいいが、何事にも限度がある。一教師を友達感覚で慕うのは問題だろう」

「そういうモンかね? ま、それだけ人気ってこったろーがよ。結構な事じゃねーか」

「はにゃあ……」

 泥酔する真耶の口から声音が漏れる。

「い、いけませんよ、織斑くん……衛宮くんも……わ、わたしは先生なんですよ……ラ、ランサーさんまでそんな……」

「……コイツは本当に寝ているのか? ずいぶんと的確な寝言だが?」

 覗き込んで見れば……困ります、と呟き、だらしなくニヘラと笑う真耶に対し千冬は呆れるだけ。

 どのようないかがわしい夢を見ているのやら。

 寝息に合わせて膨らむ萎むを繰り返す鼻ちょうちんを見ながら、ランサーは笑っていた。

「割ったら起きそうだな」

 おもしれぇ嬢ちゃんだと言いながら……真耶も大概だが、ランサーから見れば千冬も同じようだと考える。

 つい、思っていた事を彼は口にしていた。

「アンタも普段はおかたくツンケンしやがるくせに、たまには肩の荷を下ろしたらどうだ? 肩肘張っても疲れるだけだぜ?」

「余計なお世話だ」

 あぁ、そうかいと酒を口にしながら――片眼で相手を見定める。

 ランサーから見た織斑千冬は美人ではあるが、いつも気難しそうにムスッとした顔をしている。笑えばそれなりの女性らしさを見せる一面があるのも知っている。尤も笑う事など滅多にないのだが。

 気の強い女性は嫌いではない。むしろ彼にとってみれば逆に好みであると言えよう。

 勿体ねェなと漏らした言葉が千冬の耳に届く。

「お前さん、イイ奴は居ねーのか?」

「?」

 意味がわからず、千冬は眼で問い返す。どういう意味だ、と。

 ランサーはノリが悪いな、察しろとばかりに口を開き言う。

「男だ男。お前ぐらいならいい男のひとりやふたりぐらい、居やがんだろうが」

「……なんだお前、もしかして、わたしを口説いているつもりか?」

「あ? お前はなかなかの女だぞ。放っておくにゃ勿体ねえ」

 なかなかとは言ってくれると胸中で呟き千冬。

「ほう、ならば何故手を出さない?」

 そう簡単に、お前如きにはなびかんがなと告げながら。少しばかり酔っているなと自覚しつつも、彼女は軽く言いのける。

 ランサーは肩を竦めながら別の乾物を齧っていた。

「俺としては魅力的だがな、アンタ、弟がいんだろーが。あいつは本気で俺を嫌うぜ。嫌がることはしねーつもりだ。おまけに言えば、アンタもあの兄ちゃんには甘いとこがあるがな。見ててわかんぜ」

「…………」

 姉離れできない弟。弟離れできない姉。主にランサーが指すのは果たしてどちらの事か。

 ――唐突に。

 僅かながらのほろ酔い気分。グラスを傾けながら千冬は問いかけていた。

「なあ……」

「あ?」

「お前から見て、一夏はどうだ?」

 その言葉はどういう意味を示したものかは理解していないが、ランサーは思うがままを口にしていた。

「あの兄ちゃんか? いい眼はしやがるが、まだまだ子供だな。覚悟も足りねえ。戦う意味も護ろうという意味も何処か履き違えてやがるし、甘すぎる。何よりも」

 言って、ランサーはグラスの酒を呷ると口元を手の甲で拭う。

「俺から言わせりゃなぁ、小僧だけじゃあない。どいつもこいつも、ISに過信しすぎてやがるさ」

「…………」

 ランサーが口にした意味を理解しかねた千冬だが、相手は続けていた。

「一夏の兄ちゃんに関しては、あんな玩具に振り回されてる以上は強くもなれんさ。制御できてこそ面白くはあるがな。振り回されんじゃなくて、振り回してこそだぜ?」

 一夏の戦う意味はイコール「護る」であろうと推測する。であれば、次に「護る」という考えの本懐としては、果たしてどこまで踏み込んでいるのかどうかが焦点となろう。命を懸けて、とした場合ならば、ランサーなりに思う応えは「否定」と取っていた。

 面と向かって論じれば、本人は命を懸けると勇ましく豪語するだろうが、それはあくまでもISという代物に頼っての発言であろう。ISに頼るものが悪いとは言わない。ランサーが指摘するものは、心のどこかで「絶対に死なない」という安全枠に括りついている固定概念が外れていない事へ対してのもの。何々があるから大丈夫だという片隅に縋る部分が癪にさわる。

 仮に、「ISに備わる『絶対防御』がある限り、命を落とすことはない。だから俺は命をかけて誰かを護る」などと豪語されれば、ランサーは半ば本気で笑いながら『現実』を叩き込ませることだろう。

 軽々しく「護る」などと口にするな、と論ずる気は毛頭ない。

 だがしかし、一夏が口にする「護る」と、士郎が口にする「護る」では、圧倒的にその意味も、行動も、結果も、重みすら乖離していると彼は捉える。

 それら「言葉」を理解していれば尚更に。上辺だけの「命知らず」は勇猛果敢でもなく、素晴らしくもなんともない。

 ひとしきり笑ってから「尤も問題は」と告げてから――

「挙句にゃ、好意寄せてる連中に囲まれてやがるクセに気づきもしねェ。ありゃ、一種の病気だぞ?」

「流石のお前にもそう見えるか……本当に、あいつには困ったものだ」

 ふふと笑い、千冬も酒を口へと運んでいた。

 だが――

 眼を細めたランサーは少々表情を強張らせて千冬を見入っていた。

「ISと言やぁ、篠ノ之の嬢ちゃんが乗ってんのは、玩具にしてはやり過ぎてやがる。ありゃただの小娘が使うにゃ過ぎた玩具だぞ」

「…………」

 幾度となく模擬戦を交わしてわかった相手の武装。『紅椿』に搭載されている二振りの刀剣、雨月と空裂。

 雨月の刺突攻撃時のレーザー放出、斬撃そのものをエネルギー刃として放出する空裂――

 どちらも、サーヴァントの自分にしてみれば取るに足らない存在ではあるが、ひとりの少女が扱うには十分すぎる。いや、ランサーにしてみれば危険視するものだ。

 その事に搭乗者の箒も気がついていないだろう。自身がどれ程の力を振りかざしているのかを。

 更に言えば、士郎ほどではないがランサーも「絶対防御」に関しては良くは思っていない。

 あんなものは何の役にも立ちはしない。いざ実際に命のやり取りに直面すれば、女生徒たちなど悲鳴を上げて何も出来ずに震えているだけだろうと考える。クラスのほとんどの連中など、腕でも斬り落とされれば泣き叫んで終わりと踏んでいる。

 だが、ランサーのこの考えは極論過ぎるものでしかない。手練れの戦士、または魔術師とて腕の一本斬り落とされればそれこそ致命的となる。にもかかわらず、当たり前ではあるが、何処の世界に特殊な力も持たぬ純真な少女が腕を切り落とされて平然としていられるものか。

 セイバーがもしこの考えを聴いたならば、少女たちという一立場側を無視した一方的なその考えの根本がずれていると一笑に付したことだろう。

 無言のまま、氷の入ったグラスに視線を落としながら千冬は聴き入るだけ。ランサーは続ける。

「お前の弟が乗ってるヤツも、他のと比べりゃ何処かきな臭ェ。だが、それよりも篠ノ之の嬢ちゃんが乗ってんのは異様だ。今は自分が扱っているものがどれだけのものかを理解しているのかすらわかっちゃいねぇ。下手をしたら力に呑まれて狂うだけだぜ」

「…………」

「俺はな、ねーちゃん、そういう輩をごまんと見てきた。過ぎた力は身を滅ぼすぞ」

 成長する姿は見ていて面白いんだがな、とそう告げる相手に対し、千冬は「お前は一体何者なのだ?」と言いかけ――だが、声音は発せられなかった。

 眼の前にいる男は、ぱっと見て普通の「成人男性」にしか思えない。だが、口にする言葉を聴く限り、いまいち理解できぬ物言いでもある。まるで、見た目以上の倍の時を過ごしてきたかのように。

 そんな馬鹿なと千冬は小さく頭を振ると、そのまま素直に頷いていた。

「……ああ、肝に銘じておく」

 教師として、生徒を導くのは仕事だからなと。誤った方向には決して進ませんさと彼女は言う。

 互いに無言。

 ぷふー、と真耶の寝息が静かに響く。

「……シケた話になっちまったなぁ」

 ぼそりとつぶやき、ランサーは乾物を齧る。暗い話題では酒も不味くなる。

 話を変えるかと思案するランサーだが、それよりも早く千冬が口を開いていた。

「先の話だが……」

「あ?」

「お前にはいないのか? いろんな女に手を出しているが、本気であって、本気であるまい?」

 千冬の言葉に――ランサーは些か心外だと眉を寄せていた。

「おいおい、言ってくれるじゃねーか。これでも俺は遊びのつもりなんざ欠片もねーぞ? いつだって本気だ。そりゃまぁアレだ。相手が嫌がらねー限りはな」

「む……」

 そう言われればと千冬は思案する。

 よくよく考えてみれば、ランサーからちょっかいを出されている女性は皆嫌がってはいない。それは生徒であろうが教師であろうが同様に。

「いくら俺でもな、相手が嫌がりもすればそこまでよ。引き際も肝心だ。無理だとわかりゃそれまでにしとくモンさ」

「……だが……それでも、ではないか?」

 気だるそうなランサーの表情が僅かに変化する。

 空になった千冬のグラスに氷を放り込み、適当にウイスキーを注ぐ。

 めんどくせえやつだと諦めながら、ランサーは観念したように話し出していた。

 酒の席だ、そう割り切りながら、たまにはそんな話もいいだろうと考えて。

「昔な、本気で惚れた女がいた。イイ女だった」

 飲みながらでなければやっていられない。自分にもと手に取ったウイスキーの瓶だが、それが空だとわかると、偶々眼に止まった手つかずの日本酒の口を開け、氷をグラスへ落とし彼。飲めるものであればなんでもよかった。

 日本酒に氷を入れると味や香りがわかりにくくなるぞ、と千冬に言われるが、酒の飲み方など好きなように飲むだけでしかない。

 飲む本人が美味しいと思えばそれでいいかと思いながら彼女は訊ねる。

「……その人は今は?」

「もうずっと昔の話だ。とっくにくたばっちまったよ」

 魔槍ゲイボルクを貰い受けた、影の国の魔女スカサハを思い出し――

 参ったもんさ、と空いた手を払い、酒を喉に流し込む。

 含みのある言い方に――じっと相手の顔を見て、千冬は呟く。

「……その口振りは、後悔しているのか?」

「後悔か……そうだな。その時ばかりは、何でもっと早く生まれて来なかったのかと思ったぜ。もっと早く出会えていりゃ、と想う事はある。寄り道ばかりの人生でよ、後悔はしているな」

 手にしたグラスの琥珀色に視線を落としながら。

 ランサーが告げたその言葉の意味を瞬時に理解する。それ以上、千冬は深く訊く気にもなれなかった。

「そうか」

「ああ、本当にイイ女だった」

 ひとりの男として、愛した女性に悔いを残す――

 普段は飄々とし、だらけた姿さえ見せる。しかし、それでいて剣呑さを持つランサーからは想像できぬ表情。それほどまでに、この男は真剣だったのだろうと千冬は感じていた。それと同時に、この男を此処まで真剣にさせたという相手に興味を惹かれていた。

「……出来る事ならば、一度会ってみたかったものだな。お前がそこまで入れ込むほどとは」

「ああ、そいつもきっと気に入ったと思うぜ。お前みたいな奴は特にな」

 言って、ランサーはグラスを手にし、陽気に笑っていた。

 

 

 さてと、と声を漏らし背中に真耶をおぶりランサーは振り返る。

 浴びるように酒を呷っていたというのに、眼の前の男はけろリとしていた。対して千冬の足取りはふらついている。

 だが、言うべき事は告げていた。

「……送り狼にでもなってみろ。容赦せんぞ」

「しねーよ。流石の俺でも素面以外で手なんざ出さねェよ」

「ふん」

 勘弁してくれよと漏らす相手を千冬は信用していない。だが、そこまで腐ってはいまいと信用せざるを得なかった。

「結構楽しめたぜ。また飲もうや」

「……気が向けばな」

「今度はセイバーも誘ってみるか」

 セイバーは学生じゃねェからなと付け足しながら。

「……構わんが、葛木は誘うな。わたしはアイツが嫌いだ」

 千冬の口から漏れた言葉に「嫌われたモンだな」とランサーは口元を吊り上げていた。

「そうか? 案外、酒が入りゃ楽しいモンかもしんねーがな」

 意外と意気投合するかもな、と告げると彼女は心底嫌そうな顔になっていた。

 そんなわけがあるかと応える千冬に、彼はガハハと笑う。

「そいじゃま、眠り姫をお届けに行きますかね」

 静かに寝息を立てる真耶を起こさぬようにランサーは歩き出す。

 去り際の男の背に千冬は嘆息まじりに声をかけていた。

「今一度言うが、送り届けたらさっさと帰れ」

 へいへいと軽く応えると、ランサーは真耶をおぶり直していた。

「……さて」

 ランサーの姿が見えなくなり、千冬はおもむろに呟いていた。

 部屋にはまだ手つかずの酒が幾本かと、口を開けた酒類が残っている。正直に言えば、彼女はまだ飲み足りていなかった。

 日付が変わった日曜日は、日がな一日何もない。完全なオフだ。多少ばかり昼前までに寝過ごしたとしても然したる問題はない。

 例え何かあったとしても、副担任の真耶に任せておけばいいと、ぐうたらな考えが脳裏によぎる。

 そうと決まれば、彼女の行動は迅速だった。

 あるはずのない獣耳をピンと立て、酔っているはずの足取りだというのに、千冬はスキップさながら部屋に取って返すのだった。



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31

 此処最近の士郎は寝不足だった。

 それは、学園祭準備の追い込み、ならびに生徒会主催の演目の手伝いもしていたためである。まあ何はともあれ、無事に学園祭に間に合って良かったと彼は安堵の息を漏らしていた。

 漏らしていたのだが――その表情は浮かなかった。

「坊や、わたし今すごく幸せよ」

「…………」

 衛宮くんの執事服には何がいいかな、と模索していたふたり――夜竹さやかと鏡ナギだ――の声を、話半分に聴きながら、意識を向ける。

 白のシャツに赤のベストと紺のベストを交互に当てて見繕われていた彼の横に立つ女性――

 眼の下の隈はなく、いつもの美貌に戻ったキャスターは聴いてもいないことを告げてくる。

 感無量、とはこのことだろうか。幸せそうに、愛でるかのような眼差しで。

 安い幸せだなあと士郎は胸中で呟いていた。あくまでも胸中。口に出しようものならば、キャスターが持つ不思議剣、ルールブレイカーでバラバラに切り刻まれそうだった。放っておけば、そのうち鼻血でも勝手に垂らして倒れもするだろうかと適当に考えながら。

「あはー、いいわねぇ。いいわ。やっぱり可愛い子が可愛い服を着るのはたまらないわ……くあーっ、ああもぅ押し倒したい……」

 言って、頬に手を当てウットリとした表情で眺めるキャスター。あげくは、作ったわたしがすばらしいわ。自分自身の才能が恐ろしいわと漏らしている。

「…………」

 げんなりした表情の士郎は――キャスターが口にした最後の台詞を特に――聴かなかった振りをして顔を背けていた。

 眼の前では、キャスターが製作したメイド服に袖を通した女生徒たち。

 日常的に胴着などの格好に見慣れている箒はメイド服姿。口を開かずに立っている限りは清楚なメイドと見れるだろう。

 メニュー品のチョコレート菓子をぽりぽり齧りながら準備に取りかかるラウラ。そのラウラから「何で勝手に食べてるのさ」と菓子を取り上げるシャルロット。

 当たり前のようにキッチンに入ろうとして、すぐさま鷹月静寐に追い返されるセシリア。

 箒と違い、三人の専用機持ちたちが纏う格好は大正浪漫漂う矢絣柄の袴姿。他の生徒も何人かは袴姿でいるのだが、やはりこの三人は特に目立つ。和と洋を合わせた姿となればなおさらだろう。

 だが、だからと言って他の生徒が陰になるのかといえばそうではない。 

 個々による「個性」など様々だ。

 タイツに包まれた脚線美。しなやかなスタイルで存在を示す者や、メイド服や袴服に映えるような艶やかな髪を持つ者、または雰囲気だけでこれでもかと十分アピールする者など、それこそ多種多様に揃っている。

 IS操縦技術では専用機持ちに劣る彼女たちとて、今この場では、一個人のメイドとしての存在は決して負けて劣ることはない。

 もっと言い方を変えれば、生徒ひとりひとりが輝いていると言えよう。

 一同を目にしてキャスターの頬はだらしなく緩んでいる。口元を伝うよだれを白衣の裾で拭いながら。

「桃源郷とはこのことだったのね……天国に近い場所を見つけたわ」

「……前に『ヴァルハラ』がなんたら言ってなかったか? まぁいいけれど……確かにこれはちょっとお眼にかかれないものではあるよな」

 キャスターほどではないが、士郎とて理解している。ここがとんでもない『楽園』と化しているのを。

 黒タイツ姿の生徒もいれば、白タイツの姿の生徒もいる。

「なあ、色が違うのは何か意味があるのか?」

『こだわりよ!!』

「……こだわり?」

『こだわり!!』

 何気なく訊ねてみれば、女生徒たちからそう真顔で力説されたのがついさっきのこと。

 はあ、そういうものなのかと圧倒されたが――わきに立つセイバーだったら、とつい思わず考えてしまう。

 導き出された「答え」は――

「……ふむ。なるほど、確かにこれはこだわりだ」

 腕さえ組み、うんうんとひとり頷き納得する。

 想像対象にしていたそのセイバーは静寐に呼ばれてキッチンの方へと歩み寄っていた。

 そうこうしているうちに、キャスターは黛薫子に負けず劣らずの腕前により、被写体をカメラにおさめ続けている。

 士郎の執事服も決まったようで、赤のズボンに赤のベスト、首もとは赤のリボンに落ち着いていた。我ながらいい仕事したわといわんばかりにナギとさやかは満足したように笑みを浮かべている。

 赤一色で派手じゃないかと訊ねてみるのだが、ふたりは瞬時に「そんなことはない」と力説する。

「衛宮くんは『赤』が似合うの!」

「イメージカラー!」

「…………」

 士郎は無言。『赤一色』ともなれば、否応なしにまさに『アイツ(赤い弓兵)』を思い浮かべてしまう。

 抵抗はあるのだが――しかし、そうまで言われては、せっかくの好意を無下するには心苦しく、断るわけにも行かず素直に頷いていた。なによりも、ナギとさやかは楽しそうにしているのだから。

 周囲に視線を向けてみれば生徒たちもノリがよく、皆、キャスターの求めるポーズに快く応じていた。

 ぱしゃぱしゃかしゃりかしゃりと機械音とシャッター音が鳴る。

「いいわよ! もっといやらしく! 最高――今のアングル最高よ! 目線をこちらに――そう! そうよ!」

 言って、床に這い蹲り、またはごろごろと寝転がりながらカメラを向けるキャスター。

 前言撤回。生徒たちも悪ノリしすぎである。

 ごろごろと転がってなにを撮ろうとしているんだお前は――そう口を開きかけた士郎だったが、それよりも早く別の第三者の声音が割って入る。

「……何をしているんだ貴様は」

 声の方を振り返れば、呆れた顔をした千冬が立っていた。千冬は周囲に視線を向け――はあと溜め息をついていた。生徒たちは皆メイド服に身を包んでいる。真耶さえも同様に。視界で目立つのはシャルロット、ラウラ、セシリアの袴姿。色合い的に一際眼を惹かれたのはセイバーだった。彼女に至ってはなぜか紅白を基調とした巫女装束だった。

 頭を痛めながら、千冬は息を吐く。キャスターが関わっていると知った途端に許可を出すかどうかは本気で悩んだものだった。何かよからぬことを企てているのではないかと邪推したために。

 結果的には生徒たちも楽しんでいるならばとやむを得ず許可したものなのだが。

 こんなことになるならば、是が非でも不許可にしていた方がマシだったなと今更ながらに後悔の念に駆られていた。

「全く……山田先生、あなたも何を一緒になってそんな格好をしているんだ?」

「あ、あはは……で、でも楽しいですよ? 織斑先生もご一緒にどうですか?」

「何を言っているんだ……」

 生徒と同じようにメイド服姿の真耶は苦笑を浮かべ、千冬は呆れて溜め息を漏らす。

 と――

 むくりと起き上がり、キャスターがじっと此方を見入っていることに千冬は気づいていた。

「……なんだ?」

「『なんだ』とは此方の台詞よ……なぜ、着ていないの?」

 千冬の格好はいつもの黒のスーツに黒のタイトスカート姿だ。

 信じられないといった風貌でキャスター。その肩はふるふると震えている。

 着ていない、とはキャスターが作ったメイド服だ。朝方、職員室の千冬の机の上においていたはずなのに――

「誰が着るかあんなもの。くだらん」

 瞬間、千冬の腰にキャスターは抱きついていた。

 きゃあと上がる黄色い歓声。

「禁断の恋!?」

「うらやましいっ!」

 はしゃぐ周囲を千冬は「馬鹿か」と一喝する。

 刹那――

「お姉さま! わたしも!」

「教官! わたしも!」

 どさくさに紛れて自分たちもと抱きつこうとする、四十院神楽と岸原理子、ラウラ。だが、千冬の繰り出した拳骨が振り下ろされ、簡単に三人を撃沈させていた。

 頭にぷくりとこぶをこしらえ、些か涙目になってすごすごと下がるラウラたち。

「なにをやってるのさ」

「…………」

 呆れるシャルロットの声に戻ったラウラはしゅんとしたまま言葉もない。

 馬鹿どもが、と役に立たない生徒に声を漏らした千冬は――ぽかんとしたまま立っている士郎へ視線が向けられていた。

 キャスターの顔を押さえ込み、腰にしがみつく相手の腕力が想像以上に強いことに困惑しながら――

「衛宮! コイツを引き剥がせ!」

 千冬の声音に我に返ったのか、頷き士郎はキャスターの肩に触れた途端、音速を超えた右フックは彼の側頭部を的確に捉え吹き飛ばす。

 力技で黙らせられたとは、士郎は思いもしない。判断する暇すら与えられず、捻りさえ加わった殴打――頭部に伝わる衝撃により、意識は瞬時に刈り取られていたのだから。

「がはっ――」

 意識がないのに口腔からは叫びが漏れる。

「シロウーッ!?」

 静寐の試食に付き合っていたセイバーは瞬時にキッチンから駆けていた。

 きりもみ状に跳ね飛ばされる士郎を落下寸前に受け止め、一発で昏倒したマスターを抱き起こすセイバーを見もせずに、奇行に走るキャスターは続けていた。

「離れろ!」

「いいじゃないの! あなたも教師の端くれなら、生徒と一緒に楽しんだっていいじゃない! 人間だもの!」

「黙れ! 何が端くれだ! いい加減に離れろと――ドコを触っているっ!?」

「中身はともかく、素体だけはいいのだから!」

「無駄に失礼なことを言ってくれるな貴様は!」

 両手でキャスターの顔を押さえつけ、ぐぐぐと剥がしにかかる千冬。

 だが――

 意外にも、キャスターはすんなりと引き下がっていた。

「ええそうね。無理強いをするのはよくないものよね」

 言って、千冬から離れると服についた埃をぱたぱたと払う。

 先までの態度はなんだったのか。

 素直すぎて逆に拍子抜けであり、あまりにも気持ちが悪い。

「…………」

 用心深くうかがっていた千冬に、にこりと微笑み「時間を取らせたわね」と言ってキャスターは踵を返す。

 そのまま――

「裸エプロン」

 去り際にぼそりと呟いていた。

「――っ!?」

 それを耳敏く捉えていたのは、何を隠そう当の千冬。

 飛びかからんばかりの勢いでキャスターの肩を掴み振り向かせると、瞬く間に胸倉を掴み締め上げていた。

「あらあら、苦しいわ」

 平然と応えながらも、だが視線は敢えてそらしキャスター。

「き、貴様……」

 小さい声音――眼の前の相手にのみ聴こえる声量で――言うに言えず、あの写真をまだ隠し持っているのかと眼が訴える。

 ようやくして、キャスターは千冬を真正面に捉えていた。

「何のことかしら? あの時、わたしは全てを渡したわよ? 信じる信じないはあなたの勝手。わたしからはそれ以上はなにも言わないわよ?」

「……何が目的だ」

「その言い方だと、まるでわたしがあなたを脅しているみたいじゃない。心外だわ。他意なんてないのだけれど?」

 わかったのならそろそろ手を離してもらえるかしら、と告げるキャスター。真顔ではあるが、その瞳の奥には愉快そうな色が滲む。何かを企んでいるのが容易に知り得た。

「…………」

 掴んでいた手を離し千冬。乱れたスーツを整えるキャスターにしかめっ面のまま訊ねていた。

「で? わたしに何を着せる気だ? おかしなものなら張り倒すぞ?」

「あら? 着てくれるの? どういう風の吹き回しかしら」

「……狸が」

「わかってるわよ。じゃ、裸エプロンで――」

「お前の耳も飾りか!?」

 言って、千冬は再びキャスターを締め上げていた。

 交差した腕で首を絞められているというのに、苦しむ素振りも見せず、さらりと口を開いていた。

「あなたこそ何を言っているの? 客寄せには最高じゃないの。『ブリュンヒルデ』織斑千冬の痴女――意外な一面が見れて」

「貴様、今、本心を漏らしていながら何を言い直している!?」

「冗談よ。ちゃんとまともなのを着てもらうわよ。下着の上にワイシャツ羽織っただけの格好でネコミミなんてどう?」

「馬鹿か」

「『ギャップ萌え』って言葉、ご存知かしら?」

「知るか」

「『ちふゆたん恥ずかしいお』て言ってみて。なるべく馬鹿っぽく」

「死ね」

「じゃあ『ちふゆたんガッカリだお』でもいいわよ? さん、はい!」

「音頭を取られても言うはずがなかろう!? 張り倒すぞっ!?」

「おお、こわいこわい」

 鋭く一喝し、千冬は絞める力をより一層こめていた。

 

 

 復活した士郎は椅子に座り水を飲んでいた。

「大丈夫ですか。シロウ?」

「ああ、大丈夫だセイバー、これぐらいはなんともないよ」

 改めて巫女服姿のセイバーを前にした士郎は直視することができずに視線をそらしていた。

 白い小袖に緋袴、コスプレとはいえ、衣装に関してはキャスターは一切の妥協はしない。そんじょそこらの神社に劣らぬほどの立派であり精細な作り。まるでこの衣装自体が何かの神具であるかと言い過ぎるほどに。それほどまでに、綺麗な彼女が神道たる装束に身を包んだことに、より神秘的な美しさを感じていた。

 今のこの季節、紅葉舞い散る境内や水の澄み渡った湖がバックにでもなれば、それはそれはさぞや絵になるはずだろう。

「?……どうかしましたか、シロウ」

「うん、ちょっと考え事。セイバーの格好見てたらさ、綺麗な湖とかがあったらなと思って」

「ハア? 湖……ですか?」

 首を傾げる姿を見る限り、どうやら意味がわかっていないみたいだが、ここでセイバーの姿があまりにも美しかったからと改めて口にするのは恥ずかしかったし、タイミングが悪い。

 だからほんの少しの言いわけと本音を伝えることにする。

「ああ、湖だ。セイバーは海は見たことあっても大きな湖は見に行ったことないだろ? そのうち連れて行ってやりたいと思ってさ」

「なるほど。それで、ですか。しかし、シロウ、わたしとて湖ぐらいは見たことがあります。何よりもわたしの剣と鞘はそこから貰い受けたものですし、わたしの側近は『湖の騎士』と呼ばれていた」

「あ……!」

 しまった――

 そういえばと失言に気づく。セイバーの出生には、湖の貴婦人が大きくかかわっている。

 湖ぐらい当然見たことがあるだろう。

 忘れていたのですか、と腰に手を当てジト眼顔で呆れられる。

「……面目ない」

 素直にそう謝ると、彼女は困ったものですねと漏らし――

「それでも、あなたとふたりで見に行ったことはありませんでしたね。わたしも、いつか……シロウ、ふたりで見に行きたい」

 言って、セイバーはそう笑ってくれていた。

「っ――」

 咄嗟に身体ごと背けると、片手で顔を覆っていた。

 やばい――

 彼の顔は瞬時に熱を帯び火照ることだろう。セイバーの今の一言と笑みを浮かべた表情は、不意打ち過ぎるにも程がある。

 意識を敢えて変えるように、今一度、士郎は恥ずかしさに震える手でコップを取り、水を口に含んでいた。程よい冷水は思考を鮮明にし、ドキドキとした感情も落ち着かせていた。

「ま、まあ、アレだよ……ええと……キャスターにも困ったもんだよなぁ」

 まさか殴り倒されるとは思わなかったけれどなと苦笑を浮かべながら――士郎の視線は、とある方へと向けられていた。

 セイバーもつられてそちらを見て、同じように苦笑を浮かべるしかなかった。

 視線の先――

 空き教室で着替えさせられた千冬のお披露目と化した一角。

「ちょっと、歩きにくいのだけれど」

 うんざりとした顔をしたキャスターのスーツの裾を掴んだ千冬は、片手は自身が纏うメイド服のスカートを押さえていた。

「しゃんとなさいな」

「か、勝手なことを言うな!」

 指摘に対して千冬は顔を赤らめて反論することしかできなかった。きゃいきゃいと黄色い声に包まれていること自体も堪えられなかった。

「お、おい、このスカートの丈は短すぎないか?」

「何を言っているのよ。そんなことないわよ。それぐらい普通よ」

「こ、これで普通なのか? 下手に動くと、その……し、下着が見えそうなのだが……」

「普通よ」

 何も問題ないわと真顔のまま応えるキャスター。だが、それは真っ赤な嘘だ。千冬用に渡したメイド服だけは明らかにスカートの丈は他のものよりも短くなっている。

 太ももには白タイツ。頭にはフリルのカチューシャ。生徒たちと比べて白の割合が多いメイド服に身を包んだ千冬は恥ずかしそうに俯いている。

 普段黒ばかりの格好が眼につく千冬を敢えて「白」を基調としたコーディネートに統一したのはキャスターの目論見だ。

「う、ううぅ……脚がすうすうする……」

 穿きなれないミニスカートなどいつ以来だろうか。

 千冬自身は戸惑いと羞恥の二種の感情に支配されている。

 常日頃、凛とした態度の自分がこのようなひらひらした格好を身に纏うなど、どのように想像できようか。

(くっ……こんなことならば執事服の方を頑なに通せばよかった……)

 空き教室に連れられ、キャスターを前に矢継ぎ早に言いくるめられ、あれよあれよと気がつけばメイド服を着せられていた。

(よりにもよって……こ、こんな破廉恥まがいな、か、格好を……わた、わたしがするだと……それに……か、風でも吹いたら、め、めくれそうじゃないか……)

 確か此方も逐一反論していたはずだが、結果的にはキャスターの巧みな弁舌には太刀打ちできなかった。

 執事服なら下半身はズボンであり、いつもの千冬らしく振舞い、まだ落ち着いていられるというのに――

 普段では決してありえなく、また絶対に見ることができない姿。クラス生徒からは歓声が上がっていた。

「可愛いですよ、織斑先生」

「素敵っ!」

「お姉さま! 一生ついていきます!」

 真耶や生徒たちの千冬へ対する信仰心は更に高まり、団結力も増していた。

「ほら、士郎くん、なにをひとり『やれやれ、まったく……』という感じに冷めてるつもり? あなたも織斑先生を見た感想を言ってみなさいな」

「え?」

 キャスターに唐突に話をふられて士郎は困惑していた。

 別に距離を置いて冷めているつもりはない。ランサーやキャスターほどではないが、彼とて学園祭は相応に楽しんでいるつもりはある。

 何かを皆と一緒になって楽しむのは好きなことだ。

 関係ないが、ちなみにランサーはここにはいない。燕尾服の姿のまま彼は適当に学園内をふらついている。

 段取る打ち合わせがあるのに勝手に出て行って、と半ば呆れた相川清香と谷本癒子、布仏本音がランサー捕縛のため同様に席をはずしている。

 下手に姿をさらして混雑が増されても困ってしまう。事実、先日三人が各々執事姿で過ごした結果、相応の反響がクラスに寄せられていた。

「あの格好はなに?」

「一年一組はホストクラブなの?」

 クラス女子の遊び半分で過ごさせた結果が思わぬ波紋を呼び寄せる。

 同学年から二年生、三年生まで。果ては教師陣からも。無駄に対応に追われて疲労することに困ったクラス生徒は、これ以上余計な情報を与えないために三人の男性に学園祭当日まで一切余計な行動に出ないようにと釘を刺していたのだが。

 物の見事にランサーはその厳令をぶち破っていた。故に、廊下には既に他クラスの者と思われる幾人かのざわざわとした気配が感じられるほどに。一部は千冬のメイド姿を目撃したという情報をもとに現れた者もいるだろう。

 人の入りによって賑うことは悪いことではない。喫茶店ともなれば、人入りがなければやっている意味もない。だがしかし、何事にも物の手順というものは存在する。それを無視して行き当たりばったりで進めるわけにもいかないものがある。

 未だ清香、癒子、本音の捕縛チームは戻ってきていない。それほどまでに、捕縛対象者は勝手気ままにどこかをほっつき歩いているのだろう。

 なにはさておき――

 恨みがましく此方を睨んでくる千冬に、士郎は胸中でひとり呟く。

(なんでさ? 何で俺が睨まれるのさ?)

 ほらとキャスターに催促されると、士郎は思うがままを口にする。

「まあ、俺なんかが言っていいのかどうかわからないですけれど……普段のスーツ姿と違って、今の織斑先生は仕草のひとつひとつが新鮮で、すごく可愛いと思いますよ。織斑先生は魅力的な女性なんですから、もっとお洒落してもいいんじゃないですか? 勿体無いですし……なぁ?」

 言って士郎はセイバーに同意を求める。

 セイバーもまたこくりと頷き、改めて千冬に向き直っていた。

「わたしも同感です。凛々しいチフユもそれはそれで人を惹き寄せ魅力的ではありますが、今のあなたはとても愛らしい。ふふ、チャーミングですよ?」

「――っ」

 ふたりにそう褒められた千冬は顔を赤らめ俯くだけ。だが、「からかうな」と反論はしておく彼女。その声音にはいつもの威厳さは含まれていない。

 にんまりとした笑みを浮かべ、目元も意地悪そうな表情のキャスターの指先がとある箇所へ向けられていた。

「それに、弟さんもまんざらでもないようだし」

「…………」

 一夏も姉のメイド服姿などまさか御眼にかかれるとは思っていなかった。故に、臨海学校での水着姿の時と同様に、見とれていた、というのも仕方がないことだろう。

 だが、一夏がとある女性のみを若干頬を染め、熱い視線で見つめている姿は、ごく一部のある連中にしてみれば面白くもなんともない。

 つまりはどういうことかといえば――箒、セシリア、シャルロット、ラウラの四人はすこぶる機嫌が悪かった。

 着替えた四人は一目散に一夏のもとに馳せ参じ、各々の姿を披露したのだが――それ以上反応を示してくれなかったのだ。千冬のようにじっと見入ることもしてくれない。

 箒に対しては――

「へぇ、いいな」

 セシリアに対しては――

「和服姿もなかなかだ」

 シャルロットに対しては――

「似合ってるぞ」

 ラウラに対しては――

「袴服でもナイフは携帯しているんだな」

 なんというか、言葉足りなくあまりにも淡白すぎるものであろう。ラウラに至っては認識しているものすらずれている始末だ。

 彼女たちにしてみれば、その一言で終わるというのは残念でしかない。心情は寂しいものがある。

 褒められている、というのは彼女たちとてわかっている。だが、もっとこう……想い人の前であれば自分をもっと見てほしいものであり、褒めてもらいたい。それが普段と違う格好であれば尚更と捉えるものは少しばかりわがままとなっても致し方あるまい。

 何も必要以上に持ち上げろと望んでいるわけではない。

 今の風体を事細かに絶賛し、心から称賛しろ、というつもりもない。言葉は悪いが鈍感な一夏に四人は相応な気の利いた褒め言葉など期待はしていない。

 確かに「綺麗」「可愛い」「美しい」といった言葉をかけられるのは嬉しいものだ、だがそれは美醜についてのもの。着眼点はそこでなくても多様にあろう。

 例えば雰囲気。優雅、品、美麗といったものを絡めて。

 次に動作。些細なものすら対象に汲まれてもおかしいことではない。話す仕草、笑い方、歩き方など。

 さらには感覚に至る、楽しいといったものまで。褒め言葉など豊富にあるものだ。

 何よりも四人は恋する乙女たちである。端的に言えば、日常で頻繁に着る機会のない格好なのだ、見た目をより口にしてもらえるだけで彼女たちの心は躍るのだったのだが……

 現実は望んだように行くはずもない。

 大事なのは、一夏が女性のさまざまな魅力にどれだけ関心を持っているかが重要であるため、褒めることに然したる抵抗がないことイコールそれほど興味がない、と四人はそう結論付けていた。

 これが士郎ならばと怨嗟のこもった双眸が向けられる。恨み、辛み、妬み、嫉み……ほとんど八つ当たりでしかない。

 セイバーへかける言葉は、四人が本来望んでいたものだ。「綺麗だ」「可愛い」「普段の姿もいいけれど、その格好も可憐だよ」と。セイバーも士郎からの言葉にまんざらでもなく頬を赤らめている姿が、やはり口惜しい。

「わたしはわたしは?」

「どうどう? 衛宮くん?」

 千冬とセイバーへの賛辞を眼にしていた女子たちも、わたしも褒めて誉めてとわらわらと詰め寄り士郎を困惑させていた。

「憎悪の視線で人が殺せるならば……」

 物騒なことを口にしながらセシリアはハンカチを口にくわえ忌々しそうに呻いていた。箒、シャルロット、ラウラの三人も舌打ちをしながら親指の爪を噛んで似たような表情をしていたのは仕方のないことだろう。

「い、いやらしい眼で見るな織斑!」

 一夏の視線に気づいた千冬は、照れ隠しに弟を罵倒する。刹那、我慢の限界を迎えたのか、「破廉恥だ」「馬鹿嫁が」と難癖をつけた箒とラウラに腹を蹴り上げられた一夏は「理不尽だ」と叫ぶことになるのだが。

 と――

 かしゃり、と機械音が鳴る。慌てて千冬は音のした方に視線を向け――睨みつけていた。

「な、何を撮っているんだ貴様は!」

「あら、ついうっかり」

 カメラ片手に肩を竦ませ、キャスターはとぼけて見せるが素知らぬ顔だ。確信犯であろう。

 なんにせよ、こうして学園祭は始まったのだった。

 

 

 IS学園の敷地内に生い茂る樹々は色づき、もえるような紅葉は人々の眼を魅了し心を楽しませる秋――

 何気なく眺めていた布仏虚は無言のまま。

 楽しむには申し分ない。落葉も後始末は大変であるが、それらに関しては昨夜の時点までに、眼につくものは士郎があらかた片付けていた。とは言え、当たり前とはなるが、全てを、ではない。一度掃除したところを風に吹かれたものや自然に落下した葉々までは手が回らない。

 無論、広大な敷地を彼ひとりが管理しているわけもなく、あくまでも学園祭を迎える上で、来場する人々の通りの邪魔にならないように掃除しているだけ。尤も、士郎ならばやるからには数日前から徹底的に手をつける。そうまでしなくていい、とは楯無や真耶に言われたため。

 竹箒を片手に持った士郎と、手伝いのつもりなのか妹の本音も一緒になって石畳を掃除する姿を虚自身も見たことがある。ついでに言えば、落ち葉で焼き芋を作っていたのも知っている。何故知っているのかといえば、虚の存在に気づいた士郎に誘われて仲良く焼き芋を食したからなのだが。

 もとより毎日清掃に入る業者によって酷く目立つものは既に処理されている。先日も士郎が個人的に行った草むしりと同じではあるが、気になったところがあったから片付けているという程度。

 赤々とした紅葉から視線を逸らし、虚は他の教員と同じように仕事に戻っていた。

 IS学園正面ゲートで来場する人々のチケットをチェックする。それは、偽造されたチケットで入場する者がいないか確認するためでもある。

 不意に――

「こんにちは!」

 たたたと駆け寄り、元気よく挨拶してくる少女に虚もつられて微笑んでいた。

「はい、こんにちは。チケット見せてもらってもいい?」

「はーい。お姉さん、お願いします」

「お利口さんね。お名前は?」

「ネロ。ネロ・ジラソーレ」

 言って、少女はポケットから学園祭の招待券を手渡していた。

 それを受け取り眼を通す虚。招待者の名前を確認し、本物であり問題はない。屈み、ありがとう、と一言告げて少女へチケットを返していた。

「ネロちゃんね。今日は楽しんで行ってね」

「うん」

 にこりと笑うネロの頭を優しく撫でる。「えへへ」と笑う少女に――虚は直ぐにあることに気づいていた。

「ひとりで来たの?」

 まさかこんな小さな女の子がひとりで学園祭に来たのかと不思議に思う。だが、その心配は杞憂に終わった。

 ううんと首を振るネロ。

「おねーちゃんと来たの」

「お姉ちゃん?」

 首を傾げる虚。もしかしたら迷子かしらと脳裏をよぎるが――唐突に声がかけられていた。

「ネロ」

「…………」

 声の方を振り返れば、サングラスにスーツ姿の女性が足早に駆けて来た。

 スーツの女性は、こつんと少女の頭を小突く。

「勝手にはぐれてはダメでしょう」

「えへへ、ごめんなさーい」

 小さくペロと舌を出すネロ。

「全く……ご迷惑をおかけしました」

 言って、女性は向き直り頭を下げる。虚も慌てて立ち上がっていた。

「ああ、いえ、全然……ネロちゃんのお姉さんですか?」

「ええ。申し遅れました。わたくし、こういう者です」 

 サングラスをはずし、にこやかな笑みを浮かべた女性はスーツの内側から学園祭の招待チケットと一枚の名刺を取り出し虚へと渡す。

 素直に受け取った虚が視線を落とした名刺に印刷された文字、篠原重工IS技術開発局第一課主任レディ・ブルックリン――

「本日はお招きいただきましてありがとうございます。この子はどうにもお祭り事が大好きなものでして……眼を離すと直ぐどこかに行ってしまいましてね」

 困ったものです、と女性は嘆息する。

 苦笑を浮かべる相手に、虚もその胸中は理解できる。自分にも手のかかる妹がひとりいるのだから。

 貰った名刺はポケットへ、チケットは返し虚は微笑んでいた。

「ネロちゃんと一緒に、今日はぜひ楽しんでいってください」

「ええ」

「ばいばーい」

 手を振るネロに、虚もまた手を振り返していた。ふたりの姿を見送り――

 正面ゲート前でひとり笑みを浮かべて立つ少年に視線が停まる。赤い髪にバンダナ姿、どこかおしゃれな服を着た男子。

 にやけた顔を見て、一目見て、虚にとっては不審者と捉えていた。

 眼鏡をかけ直し、彼女は少年へと歩み寄っていた。

 

 

 まさか、正面から堂々と入るとはオータムは思っていなかった。

 学園祭で催される各イベント用に運ばれる資材にでも紛れて潜入するのが手っ取り早いと考えていただけに、スコールの提案は拍子抜けだった。

 渡された学園祭のチケットは本物であり、偽造品ではない。一体何処から手配したのか訊ねてみれば、スコールは「ヒミツ」と意味深に妖しく笑うだけだった。チケットの配布者の欄に打たれた名前は彼女の知らない相手だ。

 オータムすら知り得ない人脈のパイプ――もしかしたら、IS学園内部に同胞が紛れているのかと怪しんでみたのだが、すぐに考えるのをやめていた。自分が今あれこれ考察してもどうにもならない。

 IS学園には各国家の生徒や要人が出入りするために厳重にチェックする監視カメラが至る所に完備されている。それら全てを把握しているわけでもなく、無駄に顔を知られるのは考えものではないかと思案するオータムだが、敢えて真正面から挑むというのがスコールのもの。彼女なりの意図して考えるものがあるならば、例えオータムに思うところがあろうとも従うのみ。それほどまでにスコールを信頼しているといえる。

 あげくはサンシーカーに対して、めいっぱい楽しんできなさいとさえ告げていた。

 別にこそこそする必要はないものねと言うスコールに、キャッキャとはしゃぎ喜ぶサンシーカーとは逆に、オータムは顔を引きつらせていたのだが。

「たまには羽を伸ばすのもいいじゃない?」

「コイツに関しては、年がら年中、羽伸ばしまくりじゃないか?」

 疲れたように言うオータムの指摘に、スコールは「あらあら、コイツ呼ばわりは酷いわね」とおどけて見せると優しく笑うだけだった。

「サニ、オータムをお願いね」

「はーい」

「おい、そりゃわたしの台詞だろ?」

 ガキのお守りをさせられるのはわたしだぞ、とオータムは非難がましくスコールを睨む。

 今の今まで三人の会話を耳にしていたホークアイはひとり自分のペースを崩さない。やり取りを耳にしていながらも、一切口を挟まず、話に参加もせずに、無言のまま読み耽る書物の頁を静かにぺらりと捲っていた。

 昨日のことを思い出しながら――

「馬鹿どもが……呑気に浮かれやがって」

 視界に映る行き交う人々、喧騒に、自然と苛立ちが募ったオータムは悪態をつく。

 ここら一帯を吹き飛ばしでもすれば、少しばかりは溜飲が下がるだろう。何も知らずにのほほんと過ごす連中に癇癪を起こし――

 そんな彼女の考えを遮るように、横には音もなく歩み寄っていたスーツ姿にサングラスの女性――レディ・ブルックリンが声をかけていた。

「オータム、顔」

「ちっ……」

 虚の前で見せた饒舌な姿とは違い、言葉少ない今の姿こそ本来の素のスタイル。

 レディ・ブルックリンの指摘に、オータム――巻紙礼子は掌を口に当てると崩れた微笑を取り繕っていた。

 キャリアウーマン然とした格好のまま歩くふたり。

 スコールから受け取ったチケットですんなりと学園内に入ることができた三人ではあるが、周囲をあふれる人の波に紛れ歩を進める。

 気楽な気分で行き交う人混みの中を――だが、巻紙礼子とレディ・ブルックリンは油断なく伺っていた。

「…………」

 人が多いとは言え、学園警護の人間を等間隔に眼にしていた。相応に監視の名目で人員を配置しているのだろう。

 思わず口元を微笑とは違う歪みが生じる。

「手筈通りだ。お前らは指示があるまで待機しとけよ」

「了解」

 淡々と応えるレディ・ブルックリンの声に頷く巻紙礼子だが――もうひとりの返答がないことに不思議がり、歩みを止めて振り帰り――言葉を失う。

 ネロ・ジラソーレの姿がない。

 つい先まで、横について歩いていたはずだというのに。どこかへはぐれたのか、その後姿すら見かけない。

「あの馬鹿……」

 ちょろちょろ動きやがって、と悪態をつくが、計画は予定通りに遂行せねばならない。頭が痛い巻紙礼子だったが、レディ・ブルックリンは片手で制していた。

「クソガキが」

「……サニは、わたしが探す。オータムは予定通りに」

「ったく……どうせ食いモンにでもつられてんだろ。そっちは任せるぞ」

 巻紙礼子の言葉に、レディ・ブルックリンはこくりと頷いていた。



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32

 教室内――調理班が詰めるキッチンから上がる悲鳴に、一夏は頭が痛かった。

「やめて! セシリア触らないで!」

「誰!? セシリアから眼を離したのは!」

「もう簀巻きにして端のほうに転がしといて」

「衛宮くんもお願いされたからって調理を教えない!」

「つまみ出せ!」

「どういう意味ですのっ!? 皆さんこの間からわたくしに対する扱いが酷すぎませんこと!?」

 ギャーギャー聴こえてくる内容から、容易に状況がわかりえていた。また、大方キッチンに潜り込み、調理班に混じって作業をしようとしたのだろう。

 悪気があってやっているのではない。彼女は彼女なりに手伝おうとしているのはわかる。それは一夏だけではない。皆もわかっている。わかっているからこそ――皆はセシリアをキッチンから締め出していた。

 ラウラとシャルロットふたりに連行され、セシリアは渋々といった面持ちのまま接客班に戻っていた。

 何をしているいのやらと呆れる一夏だが、意識は別の方へ向けられていた。

 接客フロアでは何事か騒いでいる。

「ちょっと、ランサーさんは!?」

「え? また、いないのっ?」

「ここにいるのは織斑くんだけだよ。衛宮くんは?」

 名前を呼ばれた士郎の声がキッチンから聴こえてくる。

「衛宮くんは調理、織斑くんは接客となれば……はあっ!? また勝手に校舎外に出たの!?」

「あっ!」

 夜竹さやかが廊下に顔を出して何かを発見する。見れば、話通りにランサーは不用意に持ち場の教室前から動いては他クラスの女子と戯れていた。ただでさえ混乱度合いが増すから不用意に許可無く勝手に他のクラスに行かないようにと忠告されていたにもかかわらず、雑談に花を咲かせていた。そのまま何処かへ行きそうな雰囲気だ。

「対象確保!」

 見かねた鷹月静寐の指示に従い三人のメイドが素早く動く。

 相川清香と谷本癒子、布仏本音はスカートを翻し一目散に駆け出すと、談笑していたランサーの腕を――清香と癒子が掴み取り、本音はトレイでぽこんと頭を叩くと、回れ右して教室前へと連行していた。

 見事な連係プレイにより、ランサーの手綱を巧みに操る清香たちにクラス女子は「おお」と賛辞を送っていた。

 

 

 一夏と士郎は忙しなく動き続けていた。

「何でこんなに忙しいんだよ……」

 調理もすれば雑務もこなし、指名されればテーブルへと赴く。

 赴く、のだが……箒たちにとっては、やはり面白くない。

「デレデレしおって」

「鼻の下を伸ばして、一夏ったらいやらしい」

 彼女たちの言い分はもはや言いがかりに等しいものだ。決して一夏はランサーと違い弛んだ表情などしていない。むしろ困惑顔といったところだろう。

 だが――箒たちから見れば、他の女性客に一夏が接すること自体が気に入らなかった。本人にしてみれば普通の距離で接しているのだが、彼女たちから見れば必要以上に近づきすぎていると捉えていた。

 それは士郎も同じだった。オーダーされた品を運んだ足のまま、指名された別のテーブルへと向う。

 セイバーにとっては、指名で士郎の名が挙がるたびに、彼の人気があることを嬉しく感じている。しかし、嬉しく感じる反面、複雑なものも感じていた。それは――

(こんなシロウの姿を凛や桜には見せられませんね。彼女たちは間違いなく機嫌を損ねる)

 今もまた視線は士郎を追い、セイバー本人も気がついていないのだが、その頬はぷくりと膨れていたりする。他のクラスと思われる女子生徒と話し、にこやかに笑う彼の姿。

 いわゆる「やきもち」というやつだ。

 一息ついた士郎の横へ、セイバーは自然と詰め寄っていた。

「随分と嬉しそうですね、シロウ」

「……何がさ、セイバー?」

 唐突にそう言われ……彼の表情にも困惑の色が浮かんでいた。セイバーからそんなことを言われる意味がわからなかったからだ。

「いえ、いつもよりも至極嬉しそうな顔をしていると思っただけです」

「待ってくれセイバー、何を怒ってるんだよ」

「別に、わたしは怒ってなどいません。不当な言いがかりは止していただきたい」

「……顔が不機嫌そうじゃないか」

「申し訳ありませんが、この顔は生まれつきです。そんなことよりも、あちらのテーブルの御方がお待ちですよ? わたしの相手などせずに、急いで馳せ参じたらいかがですか、お忙しい執事殿?」

「なんでさ」

 ぷいとそっぽを向くセイバーと、どうしていいかわからず士郎は戸惑っていた。

 そんなふたりのやり取りを直に目の当たりにしているのは、相川清香と鏡ナギ。彼女たちの口は笑みを象っているが、ジト眼は心を表している。

「うん。もう、ふたりとも完全にもげればイイと思うの」

「リア充爆発すればいいのに」

 ぱんぱんと手を叩き――

 無理やり間に割って入ると、士郎の背を清香が押し、セイバーの背をナギが押していた。

「はいはい、イチャラブしないの。衛宮くんはこっち」

「見せ付けなくていいから、仕事仕事。セイバーさんは」

『別にイチャついてなんかいない!』

 瞬時に顔を紅くして声を上げる男女を無視し、白い眼の清香とナギは「うるさいな。頭のてっぺんから足の指先まで全部爆発して、もげればいいのに」と文句を漏らし引き離していく。

 士郎とセイバーは、少々イライラした女生徒ふたりの手によって仲裁されるが、一夏の方はそうもいかない状況と化していた。

「…………」

 谷本癒子は、箒が手にしているステンレス製のトレイがぐにゃりと変形していく様から眼が離せなかった。

「篠ノ之さんっ――トレイ! トレイが! ひしゃげる、ひしゃげてるよっ!?」

 癒子の叫びは耳に入らず、客からの「すみません。オーダーお願いします」との呼び声すら聴いていなかった。箒の眼は一夏に向けられたまま釘付けとなり、口元からは歯をぎしりと軋らせた音を絶え間なく鳴らし続けていた。

 露骨に機嫌が悪いのは、なにも箒だけではない。セシリアも同様に。更には、楽しそうに談笑している姿すら妬ましいほどだ。

(ああもうっ! あの位置に立っていればよかったですわ!)

 立ち位置にさえ歯噛みするほどまでに、彼女の心は病みはじめていた。

「しっかし、なんでこんなに人が来るんだ?」

「わかってないね、一夏は。学園で三人の男の人なんだよ? 他の子たちから見れば、そんな一夏たちが執事姿でご奉仕してくれるともなれば興味を持つのは当たり前じゃないか」

「そんなに面白いものでもないと思うんだけれどな」

「はは、残念だけれど、学園祭が終わるまではこのままだと思うよ?」

「勘弁してくれよ……」

 今、一夏とさり気なく話す相手はシャルロットだった。仲良く談笑するふたり。

 ――と。

 偶然にも、セシリアと眼が合い――シャルロットは、くすりと口元を歪めて見せる。

(――っ!? 笑いましたわ! 今、間違いなく、シャルロットさんは、このわたくし、セシリア・オルコットを笑いましたわ!)

 悔しさに、セシリアが手に持つトレイもまた歪な音を立てて、飴細工のようにぐにゃりと変形する。こちらはねじれていたのだが。

 シャルロットの笑みは「ニコリ」ではなく「ニヤリ」としたもの。悪意のある笑みだ。

 ぐぬぬぬと歯噛みするセシリアだが――静寐に「十番テーブルのお客さん紅茶のおかわりだよ」とそうを声をかけられると、ねじれたトレイを取り上げられ、代わりにティーポットを渡され背を押されるが、視線はシャルロットから外れてはいなかった。

 テーブルに歩み寄り、だばだばと音を立てて紅茶を注ぐが当然カップは見ていないため、あふれ出す。ソーサーも満たし、湯気を上げる赤銅色の液体はテーブルへ広がっていた。

 昨夜のうちにオルコット家に仕える――セシリアの専属メイド、チェルシー・ブランケットから紅茶を淹れる作法を事細かに電話で教わったというのに、なにひとつ活かされることはない。

「ちょっと――!?」

 客の静止も聴きいれず、彼女の視線は向けられたまま。だが、そのセシリアの身に更なる激震が走ることとなる。

 シャルロットは腕を絡め、見せ付けるかのように胸を押し当てる姿。勝者の特権といわんばかりに優越感に浸っている顔だ。

 さすがに一夏も無駄に密着してくる相手に気づき困惑していた。

「あのさ、シャル……ちょっと離れてくれないか?」

「? 一夏は僕と一緒じゃ嫌なの?」

「誰もそうは言ってないだろ」

 ただ、一夏にとっては、いつぞやの時と同じく腕に胸が当たっているから離れてくれ、と告げたいものがあるのだが。

「嫌? 嫌じゃない?」

「ええとな……だから、その……そうじゃなくてだな、嫌ってわけじゃなくてだな……」

 上目遣いで相手の顔を覗き込むようにシャルロット。一夏も歯切れ悪く、気恥ずかしそうに視線を泳がせていた。

 その際にさり気なく、シャルロットは更に胸を押し当てる。

 瞬間――

(あ、あざとすぎますわ! あざとすぎますわよっ!? ず、ずるいですわ! そんなに一夏さんに寄り添うなんて! わたくしでも出来ないことを平然とやってのけるとは! 羨まし過ぎますわよっ! 一夏さんも一夏さんで、何でもっと強く抵抗しませんのっ!? これだから殿方というのはっ――)

 そのまま――

「許せませんわぁぁっ!!」

 我慢の限界なのだろう。奇声を上げて向かおうとするセシリア。だが――

「馬鹿者が」

 一喝する千冬。

 べしんとトレイでセシリアの頭を一撃し、仕事に戻させていた。

「阿呆なことをしていないで真面目にやれ! デュノア、貴様もふざけが過ぎるならば放り出すぞ!」

「あはは、すみません」

 注意されるや否や、シャルロットは一夏からパッと離れる。千冬に謝りはするが、セシリアにはペロと舌を出していた。

 困惑する一夏の横を寄り添うように歩き、再度見せ付けるかのように必要以上に身体を密着させている。

 シャルロットに対し、なかなかの策士であるとセシリアは評価を改めざるをえなかった。

(宣戦布告と捉えますわよ……シャルロットさん……危険視危険視とは把握しておりましたけれど、よもやここまでとは……正直、見くびっていた――侮っておりましたわ。大人しい形を潜めていながら、こうまで大胆に『実力』を発揮するとは……やはり、彼女こそダークホース……セシリア・オルコット、一生の不覚ですわ……改めてその名をわたくしの胸に刻みましてよ!)

 シャルロットはスタートラインにすら立っていない。一足飛びに、もはやその場は遥か前に通過している。今の相手は距離半ばを過ぎているといったところか。どれほど自分が出遅れていることか。悔やんでも悔やみきれない。

 どうでもいいが、セシリアの空想の筋書きであって、話は飛躍しすぎである。

 ぶつぶつと呟きながらも――テーブルの惨状は、すっ飛んで来た士郎が既に片付けていた。ティーポットすらセシリアの手から受け取り、用意した別のカップに注いで済ませている――紅茶を頼んだ生徒に深々と頭を下げるセシリア。だが、彼女の頭の中は今後のシャルロットに関する対応をどうするべきかという算段に追われていた。

 馬鹿な生徒に呆れながら――千冬は別の問題で頭が痛かった。

「…………」

 自分に向けられる視線。熱に浮かされたかのような女生徒たちの絡みつく数々の視線が煩わしかった。ついで喧しく上がる歓喜の悲鳴。

 注文品を運ぶために歩くだけできゃあきゃあと騒々しく、注文をとるために話しかけるだけできゃあきゃあとかしましい。

 最初は黙らせるために睨みもしたが、それもすぐに無駄だと悟る。それすらもご褒美だとばかりにさらに喧騒に拍車がかかるからだ。

「…………」

 彼女はすこぶる機嫌が悪かった。幾ら学園祭とて、教師も楽しむことに関しては反対するつもりはない。

 よりにもよって、まさか自分もこんな格好をさせられるとは――

 だが、それでも懸命に千冬は自分自身に落ち着け落ち着けと諭すように言葉をかけていた。

 忌まわしい記憶がよみがえる。メイド服などまだマシな方だ。ネコミミ姿、裸エプロンや卑猥な水着姿など、とても人目にさらせるものではない。

(落ち着け落ち着け、納得しろ納得しろ……)

 眼を瞑り、ふうと息をひとつ吐く。

 と――

「納得できるかっ!」

 くわっと眼を見開き、叫ぶと、キッチンに戻った彼女は力任せにトレイを投げつけていた。

 風切り音を立てて、まるで円月輪――古代インドで用いられた投擲武器――のように壁に突き刺さる。その際に、先にキッチンに戻り調理をしていた一夏の鼻先をチッと掠めて、だ。

 前髪が幾本かはらりと落ち――顔面を蒼白にした一夏の首が鈍い音を立ててこちらを見ているが千冬は相手にしない。いや、もしかしたら彼女は弟に眼を向けて舌打ちさえ鳴らしていたかもしれない。

 ふうふうと肩で大きく息をしながら――

「織斑先生、九番テーブルお願いします」

 別の生徒が調理したオーダー品が眼の前にドンと置かれていた。海老ピラフとホットケーキ、コーラフロートを無言で見つめ、彼女はやりきれない表情のまま――別のトレイを掴んでいた。

 言われるまま、指定の席に次々と品を運び、本人は笑顔のつもりだが、実際には口元は震え、引きつった笑みを浮かべていた。

 熱い声を背に受けながら、しかめっ面のまま歩いていた千冬の歩が唐突に止まる。

「…………」

 自身が受け持つクラス、喫茶店と化した一年一組は、結構な人でにぎわっていた。他クラスの生徒の姿は説明するまでもないが、一生徒につきひとり招待されるチケットにより外部の者――当然一部だ――が多く居るのもわかった。

 千冬にとっては予想外の人の出入りに僅かながらに驚いていたというのが正直な感想だった。

(こんなものを見て、何が楽しいんだ?)

 自分の姿に視線を落とし、ついで執事姿でオーダー品を運ぶ士郎と一夏、接客をこなすメイド服姿の箒、巫女装束のセイバーを見る。袴姿のセシリアは先程の件が気に入らなかったのだろう。シャルロットに迫り何かをまくし立てていた。ラウラと真耶の姿は見当たらない。休憩でもしているのだろう。

 滑稽な格好の連中を見ても面白くもあるまいに、と千冬は胸中でひとりごちる。

 とは言え、彼女はわかっていない。魅力的だからこそ人が集まることに。男性陣目当てに来る者は多い。だが、そんな男連中を抑えてより高い支持、人気があるのは千冬だった。

 熱い視線で見られているものが、からかい――物笑いの種で見られていると当の千冬本人は捉えている。しかし、彼女が思うようなことは実際とは違っていたことに気づいていない。

 誰も笑ってなどいなかった。いや、誰が笑いなどするものか。皆、ウットリとした眼差しと表情、憧れを持った眼で見ている者もいるだけだった。普段は近寄りがたい雰囲気を醸し出す千冬が、まさかどういう冗談かメイド服にもなっているのだ。そんな彼女に奉仕されたい。否、奉仕したいと生徒たちの中に生まれる群集心理はえてして間違ったことではない。

「織斑先生、すみませんがランサーさんの様子を横で見ていてもらえませんか?」

 三番テーブルと五番テーブルの客からの注文を伝えた千冬は、静寐からそう声をかけられていた。

「ランサー? また何かしたのかアイツは」

 廊下に並ぶ長蛇の列を女生徒だけで切り盛りするのは難しい。各種クレームの対応もあるのだが、それらを買って出て処理しているのはランサーだった。

 ランサーの接客、話術によって事実クレームはなくなってはいるが、朝と比べて列が更に長くなっていたりするのだが。

「ええ。廊下で接客はしてくれているようなんですけれど、ある程度は大丈夫だろうと状況を見ては、サボって直ぐ何処かに行こうとするんです。その……衛宮くんだけでは接客に調理も雑務も兼ねていっぱいいっぱいで、他にお願いできるのは織斑先生しかいないので……」

 ただでさえ自分たちに付き合ってもらっているという建前があるので、静寐は申し訳なさそうに俯いていた。

 こういうところはコイツは生真面目なやつだったなと千冬は改めていた。

「……まあ、山田先生やお前たちでは素直に聴かんだろう。衛宮が手一杯では仕方あるまい。セイバーでも同じだろうしな」

「あはは……」

 引き受けようと一言残し、千冬は廊下へ出ていた。

 だが、予想とは違い、そこには入り口に立っているのは燕尾服姿のランサーだ。悠々自適に接客をこなしている。千冬が現れたことで廊下に並ぶ女性客から歓声が上がるが、そんなものはこの際無視する。

 千冬の姿に気づいたのか、ランサーも向き直り――ほうと一言漏らし、カカカと笑っていた。

 メイド服を着ているとは聴いてはいたが、実際に眼にしてはいなかったため、その姿は斬新だった。

「なんだよ。お前もンな格好させられたのか? 似合ってるぜ、千冬ちゃん?」

「うるさい黙れ。張り倒すぞ? ちゃん付けするな。喜んで着たと思うか? いいように騙されただけだ、葛木のヤツに」

「そーかい? なんだかんだ言っても、そーやって着てるってこたぁそれなりに楽しんでんだろ? 素直じゃねーわな、アンタ。でなけりゃいくら言われようとも着ねぇもんさ。ホントに嫌なら脱ぎ捨ててどっか行けばいいじゃねーか」

「……フン」

 反論はできずにそっぽを向く。笑いながらランサーは千冬の姿を今一度改める。

「しかしまぁ、随分と愛想のねぇ態度だなぁオイ」

 口はへの字に腕を組んで立っているメイドなど、そうお眼にかかれるものではない。

「もっとこう愛嬌よくしたらどうだ? 布仏の嬢ちゃんみてーに、にこにこ笑えや。ああ、それがイイって言うマゾにゃぁたまらねーか。なんつーんだっけか? ツンデレってーのか?」

「阿呆か。それよりも、『裸エプロンなんてどう?』などと真顔で言ってくるようなヤツはどうにかならんのか? あいつは風俗業かなにかと混合しているのか?」

 思い出すだけでも憎たらしいとして、この場に居ないキャスターに対し千冬は恨み節をぶつけていた。

 キャスターは本来の持ち場、保健室に戻っている。学園祭中に何かあった場合に備えて常時保健室は開けているために。

 可愛い子達に囲まれなくて残念だわと漏らしながら去るキャスターの背に「さっさと戻れ」と追い払うように声を浴びせていたのだが。

「俺個人としては、是非とも拝見したいもんだがな」

「黙れ」

「へいへい、口じゃぁあの女にゃ勝てはしねぇわな。まぁいいさ。それよりも、あっちを見てみなっての」

「?」

 顎でしゃくられた先を見てみれば、ランサーと同じように列整理をしている真耶とラウラ、本音の姿を捉え――嘆息する。

 ランサーがこの場から居なくならなかったのも三人を見て楽しんでいたからだった。

「……なんだアレは」

 ランサーに手招きされて駆け寄ってきた真耶に、千冬はなんとも言いがたい視線を向ける。

「山田先生……君は、なんと言う格好をしているんだ……」

「あ、あははは……似合いませんかね?」

「…………」

 千冬は頭が痛かった。似合う似合わない以前の問題だ。

 真耶の格好は、バニーガール姿だった。すらりと伸びた手足、くびれた腰、あらわになる胸元、童顔とは言え女性の肢体を強調させるデザイン。

 相手の視線に真耶は気まずそうに、意味もなく頭につけた垂れたウサ耳を弄っている。

 担任の姿に気づいたのか、とことことラウラと本音も寄ってくる。呆れながらも、一応千冬は声をかけていた。

「ボーデヴィッヒ……お前の格好は……なんだソレは……」

「はっ、教官。自分は衛生兵であります。日本の衛生兵の正式な制服ということでこちらを――」

 正式な制服、という言葉が引っかかり……いや、千冬はわかっている。わかっていたのだ。だが、敢えて訊き返さなければならなかったと言えよう。

「……待て。誰がそんなことを言った?」

「はっ。葛木先生でありますが」

 敬礼したまま述べるラウラの格好は、ナース姿だった。それも黒一色である。頭に乗せたナースキャップの色も当然黒だ。

 額を押さえたまま千冬は呻く。横では腰に手を当てて笑うランサー。

「あの馬鹿は風俗業と何かを混同しているのか? それよりも」

 呆れるだけで二の句は続かない。千冬が視線を向ける本音の姿。

 楽しそうににこにこしている本音の格好は白一色のナーススタイルだった。こちらもナースキャップをちょこんと頭に乗せている。

 袴姿だったラウラ、メイド服姿の本音と真耶の格好が変わっているのも簡単な話だ。保健室の手伝いとして本音が時間を見てうかがった際に、暇そうにだらけていたキャスターが唐突に「保健室ならナースよね」との短絡的な考えにより着替えさせていた。その場にたまたま一緒にいたラウラや真耶も巻き込んで。

 真耶に関するバニーガールは完全な趣味の押し付けだった。

「いや……さすがにコレはちょっと……」

 抵抗を示す真耶にキャスターはにべもない。

「そんなことないわよ。山田先生にはお似合いよ。それに、そんな格好で迫れば、男なら誰だってメロメロよ?」

 ぴくりと真耶の耳が反応する。「男なら」の部分に強く彼女は喰らいついていた。彼女の脳裏に浮かぶ男性の顔――

「メ、メロメロですか?」

「メロメロ」

 そんな一連のやりとりがあったことを真耶の口から聴いた――真耶にとって自身の名誉に関わる部分は当然伏せてだが――千冬は心底頭が痛かった。

 不意に、別の声がその場に割って入る。

「なにしてんのよ、アンタらは……」

 声のする方を見れば、大胆なスリットが入ったチャイナドレスに身を包んだ鈴が呆れた顔をして立っていた。髪形はいつものツインテールとは違い、シニョンと呼ばれる髪飾りをつけていた。

「ほうほう。これはこれは」

「な、なによ」

 顎に手を当てニヤニヤした顔で見入るランサー。

「いやらしい眼でみんな!」

 ぷんすかと怒り、ぷいとそっぽを向く鈴に――伸ばされたランサーの指先は彼女の背をすいとなぞる。

「うにゃあああっ!?」

 ぞわぞわと背筋に走る不快感。瞬時に向き直り激昂する。

「さわんな馬鹿! 変態!」

「そうだもんなぁ、俺なんかよりも触ってほしいヤツがいるもんなぁ?」

「う、うっさいっ!」

 意味深に言う相手に鈴の顔は瞬く間に紅くなる。

「いやはや、ちんちくりんが板に合うぜ、可愛いなぁ嬢ちゃん」

「ほっとけ馬鹿!」

 ぽんぽんと頭に触れるランサーの手を邪険に払い鈴。からから笑いながら、だがランサーの手はぐりぐりと鈴の頭を撫でていた。

 可愛いなどと言われてしまうと、さすがの鈴も照れてしまう。顔は赤いままではあるが、褒められたことも嬉しくないわけではない。だが、その褒めてくれる相手がランサーではなく一夏だったらなと考えてしまっていた。

 実際に一夏に見せてみたところで言われた台詞は――

「その頭のぽんぽんてなんだ?」

 それだけである。他には何もない。

 これには次の瞬間に鈴が相手を蹴り飛ばしていたのも仕方がないことだろう。たまたまその場を目撃していた本音は「アレは狙ってやってるとしか思えない」と言わしめたほどに。

 気分を変えるべく彼女は「ところでさ」と声を漏らし忌々しそうに視線を向けてくる。

「なんなのよアンタんトコ。話に聴いてはいたけれどさぁ……」

 言って、居並ぶ面々を順に見入る鈴。

「メイド服の千冬さ――織斑先生に、バニーの山田先生……ナースのラウラに、本音だっけか? で、燕尾服っつーの、それ? そのカッコのアンタに……」

 一組の教室内を覗いて、更にげんなりと顔をしかめる。

「袴のセシリアにシャルロット、巫女服のセイバーに執事服の衛宮……他にもメイド服に袴の子もいるし……全然こっちに人が流れてこないんだけれど。どうしてくれんの? あげくはウチのクラスの子もそっちに並んでるってどういうこと?」

 一夏の執事服姿はカッコいいなと思ったことは鈴の胸にだけ秘めておく。

「それは俺の魅力によるものだろう」

 腕を組み、ふふんと笑うランサーに千冬が後ろで「相手にしなくていいぞ」と告げている。無論、鈴もまともに相手などしていないし、する気もない。

「あのさ、一言いい? 『寝言』って、寝て言うモンよ?」

 面倒くさいヤツだわコイツと彼女は息を吐いていた。

 

 

「そろそろ休憩に入ったら?」

 休みなしで働いている一夏と士郎のふたりに、静寐はそう声をかけていた。 

 言われたふたりは時計を見る。

 特に士郎は接客、調理、雑務をこなす。てきぱきと。細かいところも気が利く性分だ。

「一家にひとり、衛宮くんがいればスゴイ助かるよね」

「3,980円ぐらいで売ってないかしら」

「何もしなくても家事全般。炊事、洗濯、掃除、寝てる間に全部やってもらえるし」

 誰かの呟きにうんうんと賛同の気配を感じる。

 人を安い家電用品のように扱うな、洗濯までされて抵抗ないのか、さらには手頃なお値打ち価格だと感じながらも、士郎の調理の腕は停まらない。

 冗談はさておき、さすがに朝から働き尽くめの一夏は言葉に甘えていたが、士郎は頭を振っていた。

「いや、俺は午後から生徒会の演劇の手伝いがあるからさ、悪いけれど後で抜けるから……そっちに出るんで休憩はいいよ。それに、男ふたり抜けたら捌くのが難しくないか?」

「うん、まぁ、そうなんだけれどね」

 作り終えたオムライスを皿に移し、キッチンから顔を覗かせフロアを見れば、いわゆるお姫さま抱っこでひとりの女生徒を席へと運ぶランサーの姿。

 何をやってんだアイツはと呆れながらも、女性客の目当ては、やはり男性陣と千冬目当てと分類される。

「んー、じゃ衛宮くんは引き続きお願いできる? 調理に回ってくれるのは正直助かるし、休みたかったら言ってくれていいから。織斑くんは大丈夫だよ」

 そう言われても、一夏としては、片方は休まないとなれば、自分だけ休憩をとることには気が引ける。

 自分もいいやとそのことを伝えると、逆にふたりに呆れられていた。

「別に気にするなよ」

「そだよ? 皆だって好きに休憩してるんだから」

 静寐が言うように、清香や癒子は当たり前のようにフロアのテーブルに陣取り食事をしている。

「わたしオムライスとオレンジジュース」

「わたしは、シーフードドリアとアイスコーヒーね」

 ついでに執事御奉仕セットを士郎指名で頼んでいるのだけに手が付けられない。メニューを提供する側なのに、何故自分たちが受ける側になっているのやら。

 言われ、考える一夏だったが、自分の名前が打たれた学園祭招待チケットで友人の五反田弾を呼んでいるのを思い出す。彼のことだから今日この日を心待ちにし楽しみにしていたのだ、間違いなく学園祭に来ているだろう。数日前に電話で話したときのテンションの高さは忘れようがなかったのだが。

「ごめん、じゃ少し出るからさ」

 手ですまないとジェスチャーするが、士郎も静寐も気にしない。「いってらっしゃい」と送るだけだった。

 静寐はフロアに戻り、士郎は別の調理をはじめている。

 と――

「あれ? 一夏は?」

 フロアに姿が見えなかったことに不思議がったシャルロットがキッチンを覗き込んでそう声をかけていた。

 入れ違ったのか、はたまた忙しくて気がつかなかったのだろうか、休憩に出たぞと告げると、瞬時に彼女は詰め寄っていた。

「ひ、酷いよ士郎! なんで教えてくれなかったのさ!」

「え? いやなんでって……一夏が休憩に入るのを、何でデュノアに教えるんだ?」

「え? あ、いや、だってその、休憩に入るっていうことを教えてもらえれば、その……」

 一緒に学園祭を回れたのにあんまりだよ、と不満そうに彼女は漏らしていた。然も士郎が悪いという雰囲気だ。

(なんでさ?)

 胸中で声を漏らす士郎に構わず、シャルロットに――何処から話を聴いたのか、箒とセシリア、ラウラ、果ては二組の鈴にまで。特にセシリアには強い口調で責められていた。

 今しばらく、彼はそのことで問い詰められることとなる。

 

 

 携帯電話で連絡を取り合い、早々に合流した弾と一夏は学園内を適当にぶらついていた。

 ふたりが足を踏み入れた先は、美術室で行われている爆弾解体ゲームだった。工具一式を渡され、一夏と弾は雑談を交えながらゲームを進めていく。

 だが――

 行く先々で声をかけられる友人を思い出し、弾は低い声を漏らすことしかできなかった。

「お前、人気あんのな?」

「はぁ? 単に珍しいから声をかけられてるだけだぞ?」

「…………」

 手際よくドライバーで上蓋をはずす作業を見ながら弾は無言。

 中にはそういう輩がいないとはいえない。だが、弾が今のところ見ている限りでは、純粋に一夏に好意を寄せて声をかけてきている子がいるのもわかっていた。

 何故わかるかと言われれば至極簡単なこと。頬を赤らめて照れたように……それこそ勇気を振り絞って話しかける少女の姿を見れば容易に知れる。僅かな会話とは言え、話し終えて「やったー」と嬉しそうに喜ぶ顔を見れば確証だろう。

 弾にとっての頭の痛いところとしては、それらも一緒くたに見ている阿呆な友人に対してなのだが。

「一夏、お前はやっぱアホだわ」

「は? 馬鹿なお前に言われたくないぞ?」

「うっせ。お前は豆腐の角に頭打ちつけて死んだ方がいいぞ。むしろ死ね。二度死ね」

「なんだそれ? どういうことだよ」

「言うかアホが。それよりもよ、入り口にいた眼鏡かけた人……美人で可愛いかったなぁ、なあ、お前知らないか?」

「眼鏡の美人?」

 はて、と首を傾げながら指先は爆弾を解体していく。

「よくわからんが、眼鏡かけたその人ってさ……みつ編みのおさげ髪か?」

「あー、たしかそんな感じ」

「……お堅そうな感じか?」

「ああ、そんなイメージはあるな」

「…………」

 そこで一夏は無言となり――爆弾を弄る指先も停まる。

 黙する相手に視線を向け、弾は訊ねていた。

「なんだよ、知ってんのか?」

「……お前が会った人と俺が知ってる人が同一人物かどうかはわかりかねるが、似たような人はいるな。ただ、すごい真面目な人だぞ。お前みたいなちゃらい男なんて相手にしないと思うけどな」

「うるせえな」

 ちゃらい言うんじゃねぇよ、と一夏が手にしようとしていたニッパーを奪い取る。

 爆弾解体は最終局面を迎えている。二本の配線のうちどちらか一方を切ればクリアという定番の状況だ。

「んで、どーよ」

「……なにが?」

 ニッパー片手に赤と青、どちらの配線を切るか迷う弾の声に一夏は思わず訊き返していた。

 相手に視線は向けず、弾は配線を凝視したまま。これが時限式の本物であれば、既にふたりは爆死しているほどの時間の掛けようだ。

「お前以外にふたり男の操縦者がいるってたじゃねーか」

「あー、まあ別に、普通だぞ」

「なんだよ。女の園にたった三人なんだぜ? それにお前みたいにISを動かせるってことは、やっぱすごいことなんだろ?」

「……すごい、か……まぁ、すごいよな……ふたりは……」

 急に口を噤む友人に――弾はちらと視線を向けて肩を竦めて見せていた。

 自分にはわからない何かに対し、一夏は思うところがあるのだろう。

「ま、俺にはよくはわかんねえけどさ、お前はお前なんだから気にすることねーと思うけど?」

「…………」

「俺から言わせりゃな、お前がアレに乗れて動かせるってのだけですごいんだからよ。変なことは気にしねーで胸張ってろや」

 弾なりに気を使っているつもりなのだろう。

 それが痛いほどわかる。一夏とて長年無駄に馬鹿みたくつるんでいたわけではない。

 故に――

「……弾」

「なんだ?」

 友人を真っ直ぐに見据え、彼は今胸中で思っていたことを口にする。 

「真面目な話するお前は似合わないな」

「上等だテメエ。表でろや」

 叫ぶと同時、赤と青い配線両方をバチンと断ち切り――解体失敗を示すアラームが鳴り響いていた。

 

 

 一夏から弾を紹介され、士郎とセイバーも互いに軽い自己紹介をした際に、弾は「家が食堂をやっているんで機会があれば来てくれ」と告げていた。セイバーは「是非にと」即答していたりするのだが。

 弾はそっと一夏に耳打ちする。

「なあ、ここの学園の子って、えらくレベル高くねぇか?」

「? そうか?」

「そうかって……セイバーちゃんなんてすげえ綺麗で可愛いじゃねぇかよ!」

「あー、まあ、そうかな」

 大した反応を示さない相手に――

「……お前、やっぱダメだわ」

「?」 

 一夏は不思議そうに首を傾げるだけだったのだが、弾はなにを言ってもダメだと諦めたのか、士郎とセイバーに対して挨拶もそこそこに、個人で他を見て回りたいからと教室を後にする。

 時間を見てそろそろ頃合かなと判断した士郎は、生徒会の手伝いに言ってくるとクラスの連中にそう声をかけていた。だが、その際に専用機持ちたちとセイバーの様子は何処か変だった。何かよそよそしく、妙にそわそわとしている。一夏の姿も見当たらなかった。

「?」

 不思議に思ったが、それ以上は深くは考えず、士郎は楯無に言われていた第四アリーナへと足を運んでいた。

 と、しばらくすると演劇主催の楯無が現れると、専用機持ちたちとセイバーを集めてなにやらぼそぼそと話をしていた。

「第四アリーナの演劇に一夏くんと士郎くんが出るから――」

 ヒロイン役で、あなたたちも参加してみない?

 そう告げて、専用機持ちたちの了承は簡単に得、セイバーも箒たちのように即答ではないが、自分が参加することで劇にプラスになるものがあるのならば協力しましょうと応じていた。

 尤も、セイバーにしてみれば、キャスターから聴いた話の真偽はどうあれ、警戒するためにも士郎の傍から離れるつもりはないのだが。

 楯無は満足そうに頷いていた。暗部の『草』からの報告を受け、不穏な動きを見せる連中に対処する手筈を整える。第四アリーナへは外部内部に教師の布陣も考慮してのもの。

(相手の数がわからないのは痛いところだけれど、一夏くんはわたしがなんとかするとして、士郎くんは箒ちゃんたちの専用機持ちの傍に置いておけば万が一に備えられるとして……残る問題は……)

 彼女はちらりとランサーを一瞥する。

「…………」

 わかる限りでは、ランサーの身体能力は士郎と一夏を超えている。専用機を持たない彼がふたりと比べて狙われる確率は低いと捉えていた。だが、だからと言って狙われる可能性がないわけではない。相手の眼を分断できるにも打って付けかと考える。それに、いくら武術か何かを心得ているのだとしても、人間が銃弾ででも撃たれれば無事ではすまないと楯無は当然のように考えている。どこぞの漫画やアニメではあるまいし、撃たれた銃弾を生身の人間が指先でつまみ防ぐなど、ありえるはずがない荒唐無稽なものを思わず想像してしまっていた。

(と、すれば……)

 ならば、監視の眼を強めてもらうしかない。

 幸いここには最高の指導者と補佐のふたりがいる。監視には十分すぎる逸材だろう。

 そう考えた楯無は、真耶と千冬に二、三ほど会話を交わすと、セイバーたちを連れて出て行った。

 士郎と一夏、セイバーに専用機持ちたちが抜けた穴を埋めるように、清香や癒子、静寐たちは忙しなく動く。

 中でもランサーはクレーム処理、接客、注文取りと難なくこなす。客の回転率も相応に。

 唯一の男性ともなり引っ張りだこではあるが、そこはランサーの巧みな接客術と話術によるもの。女性客に不平不満を与えず残さず苦もなく捌いていく。

 教室廊下を往復している――と。

「すみません」

「はい?」

 廊下で、幾度目ともなる、かけられた声音に、ランサーはにこやかに応えながら振り返っていた。

 眼の前には、にこにこと笑みを浮かべ、ふわりとしたロングヘアー、スーツ姿の女性が立っていた。

「織斑一夏さんは此方にいらっしゃいませんか?」

「ああ、彼なら今演劇の方に出ていましてね」

 普段と打って変わった接客態度で彼。演劇に関しても事前に士郎から話を聴いていた程度でのものであるが。 

「演劇、ですか?」

 きょとんとする相手にランサーは頷く。

「ええ。第四アリーナの方で。よろしければご覧になられてみては? 観客参加型の演劇と聴いておりますので。お客さまも楽しめられると思いますが?」

「それは面白そうですね。わかりました、ありがとうございます」

「いえいえ」

 ペコリと一礼して去っていく女性。

 その女性の後姿を眺めていたランサーだが――

「……ほう」

 一言漏らし、その眼つきが僅かに変わったことに誰も気づきはしなかった。

 ならびに、離れていた場所とはいえ、彼は先程の楯無と千冬、真耶との会話の内容を耳にしていた。

 必要以上にふたりが自分を注視しているのがわかる。故に、敢えてランサーは普通にやり過ごしているのだが――胸中はニヤリとした愉快そうな感情の色が支配する。

「ランサーさん! 四番テーブルと七番テーブルご指名だよー。戻ってー」

 入り口からひょっこりと顔をのぞかせる清香に――しかし、ランサーは振り返りもせず、淡々と告げていた。

「あー、わりぃ。俺、ちっとばかし抜けるわ」

「え?」

 思わず聴き返した清香には応えず、ランサーは燕尾服に手をかけ――上着を脱いで放り投げる。

「相川の嬢ちゃん、つーことで後は頼まぁ」

「え? ちょ、ちょっと、ご指名入ってるんだよっ!?」

 咄嗟に投げられた上着を受け取った彼女だが、視線を向けた先には、ランサーの姿はその場から既に消えていた。

 

 

 アリーナ全体を使ってのセットは豪勢な造りだった。

(まあ、それを手伝った自分が言うのもなんだけれど、やっぱり豪勢だよなぁコレ……)

 第四アリーナを使っての演劇はシンデレラ。

 手伝いとして、ナレーションの朗読を頼まれた彼は、抑揚つけて、感情こめて、と横に立つ本音に頷き、劇の幕開けを待っていた。

 と――

 ブザーが鳴り響き、照明が落ちる。

 さっと幕が上がり、アリーナのライトが壇上を照らし――

「――なんでさ?」

 思わず士郎はそう声を漏らしていた。

 ライトに照らされた先には、なぜかそこには一夏が立っていた。ここからでも十分わかる不安そうな表情。王冠を頭にのせ、煌びやかな衣装を纏った王子然とした姿。

「エミヤん」

 本音の声にハッとなり、士郎は慌ててナレーションを読み上げていく。

「むかしむかし、あるところにシンデレラという少女がおりました」

 垂れ流しになる声に眉を寄せるが、内容はまともなものだった。一夏の不安は拭えないが、楯無の言うとおりアナウンスに沿って話を進めろと言われるままに移動する。

 が、ナレーションはそれ以上先が流れなかった。一夏の表情の不安の色が更に増す。

 それは士郎も同様だった。

 疑問を口にし――マイクで声が筒抜けだというのはわかっているが、それでも口は閉じなかった。話の内容も事前に聴いていた段取りと全く違う。思わずぽつりと呟いたために、本来のナレーションは停まっていた。

「シンデレラ・ザ・シンデレラってなんだよコレ。シンデレラはひとりだろ?」

「ほら、エミヤんちゃんと読む」

「本当に読むのか、コレを……」

 思わずステージを指さし彼。本音に確認を取るために視線を向けるが――

「エミヤん、劇!」

「あ、ああ……」

 横に立つ本音の鋭い叱責を受けながらも、どこか釈然としないまま読み続けていく。だが、次第に――先行して目読していた文の内容に眉はより、頬は引きつったものになっていた。

 確か、聴いていた話では「シンデレラ」のはずだった。それも、自分の知っている「シンデレラ」が上演されると思っていた。

 だが――

 自分がナレーションとして読まされているコレは一体なんなのか――

「シンデレラ・ザ・シンデレラ、今宵もその幕が開ける――て、今宵ってなんだよ――はいはい、読みますって」

 ステージに立つ一夏は呆然としていた。

 垂れ流されるナレーションを読み上げている声は聴き覚えがある士郎のものだ。だが、読んでいる当の本人も内容が理解できていないのだろう。途中引っかかったり、いかにも傍に誰か居るのか確認するかのように小声でぼそぼそと囁き合う声すらマイクが拾っていた。

「? 何を読んでるんだコレ」

 一夏は途切れ途切れのナレーションにただただ首を傾げることしかできなかった。

 士郎も同様に頭が痛かった。台本の内容が理解できない。

「は? いやだからおかしいってのコレ……あー、わかったっての……布仏、頼むからそんな顔するのはやめてくれ……」

 お手製さながら……否。段取りが行き当たりばったりなのはいかがなものか。

 読み上げながら、向かいの舞台袖に居る楯無を見つけ睨みつける。

 相手もこちらの視線に気づいたのか――あはっ、と舌を出して笑って見せる馬鹿ひとり(更識楯無)

(あいつは……)

 後でぜったいとっちめてやる。馬鹿な生徒会長に文句のひとつでも言わねば気がすまない。

 そんなことを考えていながらも――気づけばナレーションを読み終えていたのだろう。

 壇上の不安そうな顔のままの一夏と眼を合わせていた。相手は「なぁ、なんなんだコレ?」と顔が物語るが、士郎も「俺に訊くなよ。俺だってわかんないよ」と首を横に振るだけだった。

 と――

「あわれ王子は、血に飢えた最強最悪凶悪凶暴なシンデレラに狙われることになったのです。王子は王冠に隠された機密事項を必死に護るため、シンデレラはその機密を奪い、国を自らの欲望、糧とし、掌握するために――彼女たちの血で血を染める舞踏会はこうして幕を開けるのだった」

 ナレーションが続く。読み上げるこの声は楯無だ。

「頭悪すぎだろ、この内容。なんだよ『最強最悪凶悪凶暴』て。それにアイツがナレーション読むなら、俺手伝う意味無くないか?」

 思わず呟く士郎の眼が――唐突に、一夏の頭上に向けられる。何の前触れもなく奔る凶刃。

「一夏っ――上だっ!」

「上? 上がなに――うおわっ!?」

 士郎の叫びに――つられて見上げた途端。一夏は悲鳴を漏らしながら横へと跳ぶ。転がりながら再度視線を向ければ、白いドレスに身を纏い刀を振り下ろしたを格好の箒と、同じく白いドレスに身を包み両の腕にナイフを握るラウラが立っていた。

「衛宮、余計なことを言うな。もう少しだったものを」

「余計なもなにも、刀振りかぶって上から襲いかかっといてなに言ってんだよ」

 睨んでくる箒に士郎は呆れを含みながら反論する。眼の前で友人が暴行されて黙ってなどいられない。

 起き上がり、一夏はふたりから離れるように数歩ほど後ずさる

「おい待て、箒……何でそんなモンで俺が襲われるんだよ。やめろっての」

「黙れ。劇の内容を聴いていなかったのか? わたしはお前の王冠を奪い手に入れる。いや、手に入れねばならんのだ」

「ヘタに動くな。なに、痛みなど与える前にわたしが処理してやる。無駄に嫁を痛めつけるつもりはないからな」

「無理言うなっての」

 模造刀とは言え、結構な勢いで殴られもすれば当然痛みはある。故に、理不尽ないわれのない打撃を受けるわけにもいかない。

 転がりながら刀とナイフを掻い潜り、一夏は士郎の方へと這うように逃げていた。

 追撃しようと箒とラウラが床を蹴る。

 刹那――

「そこまでです!」

『誰?』

 突然響き渡る声音に思わず訊き返す士郎と一夏。

 バッと観客席にスポットライトが当てられる。照明の中に立つのは、腕を組み、純白のドレスを身に纏い、頭には見なれたクセ毛がぴょっこり飛び出ている金の髪。顔にはホッケーマスクをつけた――

 最後のおかしなアクセサリーに、そこで士郎は、セイバーの異様な姿に言葉を失っていた。

「いたいけな少年を、自らの醜い強欲のために毒牙にかけようとする者よ……その浅ましくも愚かな行為に心すら闇に呑まれたこと恥と知れ! 人はそれを『独善』と呼ぶ……」

「なにやってんだアイツは……え? なにこれ」

 相手を見て、ようやく声を絞り出し、ぼそりと士郎は呟いていた。状況が飲み込めないまま周囲を窺うだけ。一夏も理性が追いつかないのかぽかんとしている。

 ふたりを無視したまま「シンデレラ」の物語は進む。

「おのれ、何者だ!?」

 演技も板につくように、憎悪を滾らせた眼――刀先を相手に向けて叫ぶ箒。

 一夏の「え? お前悪役なの?」との指摘を聴きもせず、現れたホッケーマスク姿の白い騎士に、ラウラもまたぎしりと歯を軋らせていた。だが、セイバーは一喝する。

「貴様たちに名乗る名などない!」

 観客席から跳躍し、セイバーは一夏の前にふわりと降り立っていた。ステージに立つ騎士は、まるで王子を護るかのように。

「……邪魔をするならば容赦はせんぞ」

「ならば貴様から片付けてくれる」

 ナイフを構えるラウラと刀を構える箒。だが、セイバーは静かに構えてみせていた。

「己が欲のみを求める者よ、その考えを今一度改める気はないのですか?」

 その言葉を聴き、心底つまらなかったのだろう。ラウラはハンと鼻で笑っていた。

「笑止! 欲するものを求めて何が悪い! 力で奪うことの何が悪い?」

「愚かな……一時の欲求に罪もない者を蹂躙するか! 見過ごすことなどできぬ!」

 そう叫びを上げると同時に――セイバーめがけて、向かいの舞台袖から楯無がブンと投げこんだ――チェーンソー。

「……アイツはなにをぶん投げてんだ?」

 力ない士郎の呟き。

 放物線を描いて――だが的確にセイバーに届いたソレを片手で掴み受け取ると――

 手馴れたようにスイッチを入れると、チェーンソーは起動する。バルルル――と勢いよく耳障りな駆動音を奏ではじめた。

「挽肉となって、己の罪を後悔なさい。地獄への片道切符を献上します」

 決め台詞のつもりなのだろう。コーホーとマスク越しに漏れる呼吸音が駆動音に紛れて聴こえてくる。

「いや、どう贔屓目に聴いても善玉の口上じゃないだろ」

 玩具だろうとは思うが、何であんなものを持ってきてるんだと考えも織り交ぜながら。

 士郎の指摘を無視し、箒とラウラはセイバーを睨みつけていた。

 なにがなんだかわからない。

 ホッケーマスクをかぶりドレス姿。手には「バルルルル」とやかましく物騒な得物を振り回している――あまりにも奇抜な格好をしたセイバーに一夏は頭が痛かった。

「え? どう考えても悪玉の立場側なのに、本人は善玉のつもりで押し通す気なのか?」

「ハロウィンか、これ?」

 コーホーとくぐもった呼吸音。ホッケーマスクをかぶっているため顔は窺えないが、頭には、ぴょっこりと見なれたクセ毛がピコピコと動いている。本人も意外と楽しんでいるのだろう。

 改めるまでもない。やはり、見まごうことなき、セイバーだ。

 ――と。

 煩わしそうに、セイバーはマスクで覆った顔で振り返っていた。

「何ですかシロウ、イチカもさっきから……今いいところなのですから邪魔しないでいただきたい」

「あ、ごめん……」

 全く、と小さく漏らし、チェーンソーを構えるセイバーもどき。

 これは悪いことをしたなと頭を垂れる士郎だが――

「あれ?」

 すぐさま、俺悪くないよな、と自分自身に言い聴かせていた。

 くぐもった声音で、マスク越しにコホーと息を吐くセイバーは劇に戻っていた。

「今宵の我が剣は血に飢えている……迂闊に近寄らば、その身を貪ろうぞ」

「うん。やっぱりどう聴いても悪モンの台詞だよな」

 チェーンソーをあくまでも「剣」呼ばわりすることには、士郎はもうどうでもよかった。

 フンと鼻を鳴らし、ラウラは両手のナイフを構えていた。

「抜かせ。貴様こそわたしのナイフの錆にしてくれよう。大人しくここで朽ち果てろ」

「お前もお前でノリがいいな」

 呆れる一夏の声など当然耳に入れるはずも無く、ラウラと箒は腰を落とし静かに身構える。

 そのまま――下卑た笑みを浮かべながら、ラウラはぺろりとナイフを舐め、箒もまた刀身に舌を這わせる。完全な悪役面だった。

 当然ではあるが――無論演技である。

 ――が。

「馬鹿かっ!? おい馬鹿やめろ。その絵面はいろいろとマズイだろっ!? 特にお前らふたりは本当にやめろっ!! 別の意味で違和感が無いっ!」

 咄嗟に反応した一夏の叫びを聴きもせず、ふたりは瞬時に駆け出していた。

「愚かな……『神』をもバラバラにできるチェーンソーを相手に身の程をわきまえぬとは」

「おい。今、チェーンソーって言ったよな? 認めたよな? 更識はちゃんと考えて台詞言わせてるのか、コレ……」

 こちらはこちらで、士郎の指摘を当たり前のように無視し、憂いを含んだ僅かな吐息。だが――次の瞬間にはホッケーマスクのセイバーも駆け出していた。

 ラウラ、箒と切り結び、がぎんがぎんと交戦する度に火花が散り――

 最近の玩具は精巧にできているんだなと感心する。士郎はあんな小道具を用意した覚えはない。おおかた、楯無か本音あたりが準備していたのだろう。

 しかし、それにしてもと言った表情で士郎と一夏は見入っていた。

 チェーンソーはもとより、ぶつかり合うナイフと刀も、まるで本物のようにしか見えなく煌きを持っている。 

 振るうセイバーの得物がたまたま床を掠めれば、綺麗さっぱり抉れており――

『本物じゃんっ!?』

 悲鳴を上げるふたりとは別に観客は興奮の叫びを上げる。

 いやいや、盛り上がる箇所おかしいだろうと手を振りながらの一夏を無視し、劇は進む。

 回転する刃に刀とナイフで切りかかっている姿を見て、セイバーが手加減しているのか、はたまた箒とラウラの技量がすごいのか士郎には理解できなかった。

 刀に関しては、一夏の見知ったものだった。

(よくよく見ればあの刀……確か『緋宵』とかいう真剣じゃないか!?)

 何でそんな大事なものを持ち出してチャンバラなんかしてんだよ――胸中で叫ぶ一夏を気にも留めず、壇上ではセイバーと箒が切り結んでいる。

 観客からは「おお」と歓声が上がるが、士郎と一夏からは「なにコレ」と呆れの声が漏れる。

 瞬間、セイバーは見入っていた一夏の前に滑り込むと、チェーンソーを振り払っていた。

 ぎん――と鈍い音とともに何かが弾かれていた。ライトの反射にきらりと輝くものは銃弾だった。

 どうやら狙撃されたのだろう。そのまま――降り注ぐ銃弾をセイバーはチェーンソーで切り弾いていく。

「なんでもありかよ」

 発砲音も何も聴こえない流れ弾にあたってたまるかと遮蔽物に身を隠す一夏が見たものは、観客席――スナイパーライフルを担ぎ狙撃ポイントを移すセシリアの姿。

「よそ見とは余裕だな」

 横合いから走りセイバーに斬りかかる箒。だが、向かってくるのがわかっていたのか身体をそらし一閃をやり過ごす。

 小さく呻く相手に、真下からチェーンソーを刀身に叩きつけ――箒の手から撥ね飛ばされた刀は弧を描き床に突き刺さる。入れ違うように、タクティカルナイフを両手に構えたラウラがセイバーに躍りかかっていた。

 観客もまた奇想天外、予想のできない演出の連続に声を上げるだけ。

「あーくそ、出遅れた」

「うーん、ここに飛び入るのは骨が折れるなぁ」

「?」

 声のした方へ士郎が振り返ってみれば、そこには箒やラウラと同じように白いドレスを纏った鈴とシャルロットが立っていた。

 憎々しげな表情を浮かべる鈴と、どうしていいかわからず困惑するシャルロット。だが、そのふたりの手に持つ物を見て士郎は「お前らもか」といった顔をする。

 鈴は逆手に持った飛刀。シャルロットはマシンガンを携えている。

 だが、士郎も鈴もシャルロットも気づいていなかった。壇上で身を隠していた一夏の姿が消えていたことに――



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33

 壇上で身を隠していた一夏が不意に腕を引かれ、そのまま連れてこられた場所は、自分が着替えさせられた更衣室だった。完全な防音が施された空間はアリーナの喧騒を遮断している。

 振り返った先にいたのは、弾を探していた際に出会い、無理やり名刺を渡してきた女性、巻紙礼子だった。

 にこにことした顔は変わらないが、何故ここに彼女がいるのか訊ね――

 楯無が駆けつけた時には、一夏の姿はボロボロだった。

「聴かせてもらえるか? どうしてわたしが、コイツを狙うとわかった?」

「別に、深い意味はないわよ。三人の男性操縦者の中でも、更にそこから振るいにかけられれば、第四世代型と呼ばれる『白式』を持つ彼を狙いに定めると予測しただけ」

「ふん、もうひとりの専用機持ちを狙うとは思わねーのか?」

「思うわよ。だから言ったでしょ? 予測しただけって。もうふたりの方にも相応に護衛はつけているもの。うちひとりの周りには他の専用機持ちが居る」

「…………」

「わたしの護衛対象は、織斑一夏くん……というだけよ、亡国機業」

「ほう……どこまで知ってるもんだかなぁ」

「洗いざらい喋ってもらうわ。もちろん、あなたの口からね」

「ぬかせ、ガキが」

 『剥離剤』により『白式』を奪われ、なすがままに痛めつけられているところへ『ミステリアス・レイディ』を展開させて割り込んだのだが――

「……ドジった」

 状況は好転していない。むしろ劣勢へと回る。

 オータムもまた、ケタケタと笑っていた。

「おいおい、さっきまでの勢いはどうしたよ? わたしに洗いざらい吐かせるって意気込んでたじゃねーか?」

「……耳障りな声ね」

 前半は何の問題もなく『アラクネ』を相手にいなしていたのだが、次第に機体の動きが鈍りはじめる。見た限りの外部面の補修は万全なもの。だが、内部システムに関しては事細かに修復はされていない。士郎との模擬戦による蓄積ダメージにより、思った以上に楯無の機体『ミステリアス・レイディ』は動かなかった。

 ここまで被害があるとは思わなかったこと、システムに関しても、軽く見た限りでの修正程度。より一層深く確認などしていなかった結果によるもの。

 相手を甘く見た楯無の表情は若干焦りを浮かばせていた。更には自分は一夏を護りながら戦っている。

 自嘲気味に笑いながらも、懸命にランスを駆使し、オータムとの間合いを取る彼女。

「おねーさんに任せなさいなんて言っておきながら、すごくかっこ悪いわね」

 巻紙礼子――オータムが纏うIS『アラクネ』――

 蜘蛛のように背から伸びた八本の装甲脚のうち、二脚の先端は開き、砲口を覗かせている。

 守勢一方――

 一夏をかばった楯無だが、その右腕は動かない。装甲ごとレーザーに焼かれた腕からは嫌なにおいが鼻腔に漂う。

 じっとりと額に浮かぶ脂汗。だが、熱と痛みに顔をしかめもせず、楯無は平然を装っていた。

 対IS用ISの武装――

 絶対防御を無視する熱量エネルギーに、まさかこうも簡単にやられるとは彼女は思ってもいなかった。油断していたものもある。

 何故、相手がこんな武装を持っているのかと考えるよりも――こんな時に模擬戦時の士郎の言葉が脳裏をよぎる。

「――やっばいわね」

 普段はおちゃらけているが、ここぞという時には冷静沈着、物事を見極める洞察力に長けた楯無は汗を垂らしながら機体を動かそうとしていた。

 半壊している機体、ならびに一夏を護りながら果たしてどこまで出来るか――彼女は僅かばかり焦燥に駆られながら考えていた。

 だが、その状況は唐突に変わることとなる。

「あー、せっかくのお楽しみのところ悪ィんだがなぁ……その兄ちゃん殺されっちまうとよ、いろいろとマズイんだよな」

 呑気な声音。ついで、真横から不意に聴こえた風を切る音。それと同時に楯無の眼前を走る煌く白刃。

 オータムは咄嗟にカタールで払い、またはかわし避けていた。

 からんと音を立てて床に転がるのは――ステンレス製のフォーク。ちらりと背後に視線を向ければ、壁に刺さっているのはバターナイフ。

 投擲したバターナイフが深々と壁に刺さるなど、いかなる原理、ならびに力を加えたものなのか。

 視線をナイフが飛んできた先へと向け、オータムは呻く。

「……テメエはさっきの……なんのつもりだ」

「『なんのつもり』とは随分だな。ただのウェイターだよ。ただのな。あ? 執事だっけか――て、まぁいいさ。ほれ、オーダー取りに来てやったぞ」

 唐突に、第三者の声音が更衣室に響く。

 踵を鳴らし、現れたのは――ランサーだった。

「ランサー」

 一夏もまた信じられないという顔をして、現れた男に視線を向ける。どうしてここにランサーが居るのかがわからなかった。

 それは楯無も同様に。だが、それ以前に彼女は声を上げて叫んでいた。

「ランサーさん、ダメ下がって! 相手はISなのよ!?」

「まぁ、俺としてはどうでもいいんだがな……知っていながら放っておいた事がバレでもしたら、『マスター』にどやされるんでね。なんだかんだとはいえ、一応、嬢ちゃんは顔見知りだ。個人的に見殺しにしたとあっちゃ、寝覚めが悪いってなモンもあるしな」

「何を言っているの……?」

 楯無にしてみれば気が気でない。逆に、どうしてこんな時に現れるのか歯噛みさえした。いくらランサーの身体能力がすごかろうとも、ISが相手では何の役にも立ちはしない。

(眼を離さないように織斑先生にお願いしたのに――違う! 何を考えているの!?)

 万全ではない機体で一夏を護りながら戦っているのにさえ厳しいところへ、ランサーも護りながらとは痛手過ぎる。

 気に食わない相手ではあるが、放っておくわけにも行かない。瞬時にランサーの前に出ようとする楯無だが、ランサーは愉快そうに笑い手で制していた。

「聴こえなかったか? ご注文はお決まりですか、お客さま?」

 敢えてかしこまった口調で言ってみるのだが、相手はお気に召さなかったのだろう。

「ふざけた真似しやがって――」

 ランサーにしてみれば、状況は予想していたものの中でも、半分最悪だった。

 眼の前の女から発せられる匂いは、嗅ぎ慣れたもの。自身がよく知る血生臭いものだ。

 彼がまず真っ先に向かった場所は保健室。

 キャスターは、お茶請けの煎餅をバリボリとかじり、だらけてはいたが、第四アリーナでの動きは把握したのだろう。自身の形成した陣地内での一夏、オータム、楯無による小規模とはいえ、衝突の波長を見過ごすほど寝ぼけてはいない。ランサーが保健室の窓から飛び込んできた時点で既に彼女の緩んでいた表情は一変していた。

 ランサーの顔を見て、キャスターもまたひとつ頷き、生み出した鳥の使い魔をセイバーのもとへと飛ばすと二騎は散開する。ランサーは騒動の起こる現場へ、キャスターは援護も兼ねて士郎の身を護るべく向かう。

 彼が匂いを頼りに来てみれば、床に倒れている一夏はISすら身に纏っていない。楯無に関しては、その一夏を庇うように立ってはいるが、右腕は損壊している。大方、庇いながらでも戦ったのだろう。

 容易に状況が知り得た彼は、ぼりぼりと頭を掻きながら気だるそうに息を吐く。

「ったく、面倒くせぇなぁ。埠頭で啖呵切った生徒会長さんも劣勢のようだ」

 オータムへ向き直り、おどけた表情を浮かべてランサーは肩を竦めて見せていた。

「おい……ここはひとつ、分けってことにしねぇか? こちらとしてもよ、無駄な面倒事は起こしたくねぇし、巻き込まれたくもねぇんでな。こいつらが無事なら、俺的には文句はねえからよ。この場は見逃してやってもいいぜ?」

 楯無が背後で何かを叫ぶが、耳には入れず、そのまま彼の口は動き提案を告げていた。

「それにだ、テメエ自身にゃ悪い話じゃねえだろう? 俺と後ろのふたり含めりゃ三対一だ。このままやるってんなら、そっちにゃ分が悪いと思うがなぁ?」

 どうだ、と物語るランサーの顔に――だがオータムは切れ長の眼を歪ませていた。

 相手の言い分では状況から見て「三人がかりでは勝てはすまい」と一方的に決め付けられたもの。なによりも「見逃してやる」などと上から目線での情けをかけられたものだ。

 にたり、とオータムの口が開かれる。そんなものに従う道理など、彼女は持ち合わせていない。

「はっ――笑えない冗談だなぁ? 馬鹿言ってんじゃねぇぞ。テメエ程度のカスが、たかだか一匹混じった程度で、あげくは後ろに転がってる何もできねぇガキも頭数に入れて三対一だぁ? このオータムさまも舐められたもんだなぁ? IS引っ張ってくるならならまだしも、生身の奴に何ができる!」

 交渉決裂とみなした返答に、ランサーは息を吐く。

「……ちっ、ああそうかい。これでも最大限に譲歩してやってるってのに……ったく、こちとらガキのお守しながらの戦闘なんざ柄じゃねぇんだ。面倒くせぇーのによ」

 そこまで言って――

 ランサーは、オータムが口にした台詞の一部が引っかかり、確かめるべく振り返っていた。

「兄ちゃん、いつもの威勢はどこいった? ISの展開もしねーでやられっぱなしなんて、らしくねぇじゃねーか」

「違う……違うんだ、ランサー」

「あん?」

「『白式』は――」

 身体に走る痛みに顔を歪ませた一夏に代わり、肩を貸して抱き起こす楯無が言葉を継ぐ。

「奪われたの、一夏くんの『白式』が!」

 立ち上がる楯無だが、やはり機体制御が巧く効かない。

 それを見て――

「……そういうことか……」

 一言漏らし、首のネクタイをはずし床へ放り捨てると、ランサーは前へと歩き出していた。

 だが、その行動にぎょっとしたのは楯無だった。

 何をしようとしているのかなど、彼女にとっては、火を見るよりも明らかだ。

(なんて馬鹿なことを……勝てるはずが無いのにもかかわらず、彼はISを相手にしようとしている)

 この場での怖いもの知らずは、命を落とすことになりかねない。

「馬鹿っ――下がってランサーさん! あなた何を考えているの!? ここはわたしが抑えるから、あなたは一夏くんを連れて逃げて!」

 ISの装甲腕部で生身の人間が殴られでもすればひとたまりもない。『アラクネ』が扱うカタールも容易に人など分断できる。さらには楯無自身が腕を焼かれたエネルギー兵器。ISの絶対防御に包まれていながらこの程度なのだ。これが生身で直に浴びればどうなるかなど想像することができない。

 と――

「嬢ちゃん、ソイツ連れて離れるか隠れてるかしてろ」

 ランサーは楯無の制止を無視し床を蹴る。

「やめて――」

 声にならない悲鳴を耳にしながら駆けるランサーに――オータムは笑うだけ。

「なんだテメエ……自殺志願者か? だったら望み通りにバラしてやるよ」

 言って、両腕に握るカタールで対象者を斬り伏せようと襲いかかる。

 振り下ろされたそれら二刀を体術だけでかわし、懐に潜り込んだランサーの蹴りが疾り、オータムの腹部へと迫る。

「馬鹿が――」

 オータムは鼻で笑い、一夏と楯無は「馬鹿なことを」と声を漏らす。生身の蹴りなど、IS搭乗者になど効くはずがないのだから。

 そう。本来であれば。

 その場にいた者は誰もが思った。だが、瞬時にありえないことがおき、その場にいた者は驚愕する。

 鈍い音が上がると同時に、『アラクネ』の機体が後方に吹き飛ばされていた。

「――!?」

 なにをされたのか、一番理解できていなかったのは、蹴りを叩き込まれた当のオータムだった。

 重い一撃を受けて、ISを纏う自身が衝撃に浮かせられたのだから。

(なにをされた? わたしは今、なにをされた? 蹴られただと……わたしが!?)

 自問自答し――認識する暇もなく、再度の蹴りは脇腹に叩き込まれていた。初撃と比べて威力が増した二撃目の衝撃に、オータムの身体は手近の壁に叩きつけられていた。

 絶対防御に包まれているにもかかわらず、衝撃に息を詰まらせた口からは唾液を垂らし――だが、その双眸は信じられないといった色を滲ませ相手を見る。

「なんだ、そりゃ……?」

 オータム自身も間の抜けた声を漏らしていると気づいているだろう。

 その『貌』――つりあがった口元は粗暴。涼やかな獣の視線。

 いや、それよりもオータムの眼は、ランサーの手に握られている『物』へと向けられていた。

 つい先まで、男は無手だったはずだ。

 だが――その腕には、紅い凶器が握られていた。

『――――』

 一夏と楯無のふたりが息を呑むのが気配でわかる。驚く眼が向けられる先も同じだろう。

 二メートルほどはある、血のような真紅の槍――

 身体を「く」の字に曲げるオータムに、まるで旋風のようにランサーは追撃する。手にした槍を払い――それを寸での所で避けると、展開したカタールで振り向きざまに斬りつけていた。

 顎を引き、ランサーは紙一重でかわして見せると、逆にバランスを崩しているその体勢――死角から紅い槍を振り上げる。

 確実に首元を狙い穿つ一撃を、オータムはカタールで弾き逸らしていた。

 間合いを取る一機とひとりに、楯無と一夏は言葉が出なかった。

 それはオータムも同様だ。

 生身の人間、それも男がISを展開している相手に反応速度で追いつけるわけが無い。

 今一度、オータムは、眼の前の男を信じられないといった表情で捉えていた。給仕姿は変わらない。その脚も腕も生身のまま。ISによる部分展開もされていない。さらには、手品のように、何処から取り出したのかわからない紅い槍。斬り合っただけで、彼女にはアレが決して玩具などではないということがわかっていた。

「ちっ――」

 小さく呻き――

 武装したカタールで斬りかかるが、ランサーは掌で槍を掴みなおし、苦もなく斬り弾いていた。

「給仕野郎が……」

 苛立ちのまま、オータムの背後から鋭く伸びたクモの脚によく似た『爪』が貫かんとばかりに頭上から襲いかかる。

 しかし、それよりも速く――装甲脚を瞬時にかわし、ランサーは間合いを離すべく床を蹴る。

 が――

 飛び退きざまに、彼の腕から投げ放たれていた紅い槍は、弾丸さながら音を切り、オータムへと一直線に突き進む。

「――っ」

 迫る切っ先に罵声を漏らしながら、手にするカタールと装甲脚全てを使い――自身も瞬時に身を捻りやり過ごす。勢いを完全に殺すことはできず、軌道を逸らすために斬り弾くのがやっとだった。

「ほう……あの距離からかわすかよ。ISてのは面倒くせぇモンだなぁ?」

 低い姿勢で床に降り立ち見据えるランサー。

 とはいえ――

 自分から武器を手放したことに、オータムは笑みを浮かべていた。理由はどうあれ、眼の前の男は再び素手となったのだから。

「クソ野郎が、ちょこまかしやがって――大人しくぶっ殺されろ!」

「テメエがな」

 口汚く罵るオータムに、ぼそりと呟いたランサーが疾る。

 だんと踏み込み、一息に伸びた蹴り脚からオータムは咄嗟に身体を仰け反しかわし避けていた。だが、半円を描くように足先の軌道が変わると、側面から刈り取るかの如く牙が迫り、右手に握るカタールを叩き落していた。

 ついで――

 オータムが気づいた時には、床を蹴り、流星の如く蹴りを叩き込んでくるランサーの姿。

 咄嗟に装甲腕部で防ぐが――ありえない音を立てて叩き込まれた重い衝撃に、身体が沈む。

 ランサーは、ぐるんと宙で身を翻すと、二撃目を叩き込み――

「うっとうしィんだよ、テメェはさっきから――」

 衝撃にバランスを崩しながらも、IS展開腕部を疾らせたオータムは相手の足首を掴むと、力任せにランサーの身体を床へ叩きつけていた。

 そのまま覆いかぶさると、空手となった右のIS腕部の指先が相手の頭部を捕らえ、握り潰すように力をこめる。熟れた果実のように潰される頭の末路を思い描きながら笑みを浮かべる彼女だが――

 瞬時にランサーの両手が掴み留める『アラクネ』の五指に伸びると――拘束を力任せに引き剥がしにかかっていた。

「本当に人間かコイツ!?」

 ISの力に抗う術など生身の人間には持ち合わせるはずがない。

 しかし、いまや完全に『アラクネ』の五指を引き剥がし、その顔には嘲笑すら浮かべた男がいる。

 息を漏らしながら、オータムは左手に握ったカタールを逆手に持ち替えると――穂先を男の胸元めがけて振り下ろす。

 だが――

 疾るランサーの腕が遥かに速い。刀身を真横から打ち抜いた裏拳により、オータムの手から凶刃は撥ね飛ばされていた。

「テメエッ――」

 悪態をつきながらもオータムの挙動は迅速だった。得体の知れない相手の胸倉を掴み――彼女は手当たり次第に、ランサーの身体を周囲へ叩きつけていく。床、壁、ロッカー、とにかく眼につくもの全てに、一切合切、見境なく、手加減などあるはずもなくランサーを振り回し――投げ飛ばしていた。

「っ――」

 衝撃に吹き飛ぶロッカーから一夏を護りながら楯無。眼の前で繰り広げられる光景は、まるで子供の頃に見た怪獣映画のようだった。

 ただひとつ明確に違うのは、破壊の限りを尽くすのは双方怪獣ではない。とても信じがたいが、暴れるのは一機とひとり。

 と――投げ飛ばされたランサーは、轟音を上げて、手近のロッカーが並ぶ一角へと叩きつけられる。

 衝撃に思わず眼を瞑るが、恐る恐る開けて見たものは――視界に映るのは、床に投げ出されて動かないランサーの二本の脚。

「――――」

 声を上げることも駆け寄ることもできず――ただ、楯無はその場にへたり込んでいた。それは一夏も同様に、立ったままではあるが言葉は失ったまま。

 しかし、そのふたりの眼の前で――ランサーの脚は不意に跳ね上がり、反転するかのように身体を起こし立ち上がっていた。

 その顔には、何食わぬ平然とした表情が張り付いている。整えられた髪は乱れ、衣服はところどころ破れてはいるが、それだけだった。

 何事もなかったかのように、ロッカーの残骸を蹴り退かして歩むランサー。

 その姿にオータムは戦慄を覚えたことだろう。散々痛めつけたというのにもかかわらず、相手はまるで空想上の産物、ホラー映画に登場する動く屍、ゾンビのように、ゆらりと立ち上がってはこちらに向かって来るのだから。

 今一度、オータムはランサーを見やるが、やはり相手はISを身に纏ってはいない。IS反応もハイパーセンサーには感知されていない。脳裏では、報告にあったとされる不可思議なISの存在かと思いもしたが、すぐに頭を振っていた。確証などないが、彼女の脳はその結果を否定していた。

 そんなことはないはずだ。相手はただの生身の人間だ。そう、生身の人間のはずだ。でなければ、こんなことはありえない。

(では、これはなんだ?)

 ありえないことが起きている。この男は人間ではないというのか。

 馬鹿らしい。酷く馬鹿げて笑い話にもなりはしない。

 故に――

「ンな馬鹿げたことがあってたまるかよっ! だったら消し炭になりやがれっ!!」

 叫びを上げながら、背面の八本の装甲脚のうち、四本の先端が開き――閃光を撃ち放つ。

 楯無は眼を閉じることもできない。ランサーの身体が焼き尽くされると、頭で理解はしているが、動くことはできなかった。

 だが――

 誰もが想像した結果には至らなかった。

 ランサーに迫る四条のレーザーは、当たる直前に突如屈折し、天井や床へと突き刺さっていた。

「なんだっ!?」

 撃ち放つオータム自身の声は震えたもの。何度撃とうとも結果は同じだった。

 何かに護られているかのように、レーザーは阻まれあらぬ方へと折れ曲がる。

(偏向射撃の干渉――いや違う、わたしの武装はBT兵器じゃない……それに偏向射撃はBTエネルギーが高稼働率時のみに使えるはずだ……自身のBT兵器の操作ならまだわかるが、他人の兵器に生身が干渉できる術なんざ存在しねえ。聴いたこともねぇし、ありえるはずがねぇ)

 頬を伝う汗も拭えず、オータムの推測は続く。

(ならなんだ……考えられるのは絶対防御か!? いや、それもありえねぇはずだ……対IS用ISの武装だ。現にあの女にゃ当たってんだ。生身で喰らえば、一発で御陀仏だってのに――)

 視線は一度楯無へ向けられるが、直ぐにランサーへと戻されていた。

 ランサーも不敵な笑みを浮かべるだけ。彼に『アラクネ』の射撃が効かないのは、彼が生まれつき持つ『矢よけの加護』によるものだ。射手を視界におさめていれば確実に回避可能な、飛び道具に対する防御スキル。それは、この世界における近代兵器も例外ではない。

 それに加えて、自然に曲がったように見えるものも何のことはない。魔槍ゲイボルクを高速で払い斬り弾いているだけだ。

 ――と。

 床を蹴り滑るランサーは声を上げる。

「嬢ちゃん、ソイツをよこせ」

「え」

 意味がわからず呆けた楯無だが――

「早くしろ」

「は、はい!」

 二度目の叱責に言われるまま、咄嗟に「使用許諾」を施しランスを投げる。

 振り向きもせず伸ばした片手で柄を掴んだランサーは軽々と扱い――迫る刃を難なく弾いていた。

「……嘘」

 眼の前の光景が信じられず、思わず楯無の口から声音が漏れる。

「ちっ――」

 蹈鞴を踏むオータムを前に、ランスを旋回させて構えたランサーは、歯を見せ、獰猛な笑みを浮かべていた。

「他人の槍はいまいちしっくりこねぇが……まあ、やれなくはねぇか」

 言って――踏み込み、オータムの握るカタールを弾いていた。

 IS武装を生身で扱いながら――なによりもパワーアシストの保護もないのに、動きに無駄がない。決してランスは片手で扱えるほど軽々とした重量ではない。

 にもかかわらず、ランサーは片手で掴むランスを、まるでデッキブラシでも扱うかのように、突き、斬り、打ち、払い、振るう。

 二刀のカタールと八本の装甲脚をランスで難なく凌ぎ彼。

 さらには、オータムを一角に追い詰めると――ランスを軸に宙に舞い、床、壁、天井を蹴りつけ翻弄する。ISを相手に生身の人間が常識の速度を超越して、だ。

 直に相手をしているオータムにとっては信じられないことが連続で起きている。ハイパーセンサーが相手の姿を補足できていないのだから。

 ランサーの姿が掻き消える。文字通り、消えていた。

「なっ――」

 状況が理解できないオータムだったが、警告音とともに瞬時に顎を引き反転するように後方へ体をのけぞらせていた。

 刹那――

 ぼっ、と空気を貫く音とともに、瞬前までいた空間を真横から疾るランスの穂先。

 僅かにハイパーセンサーの反応が遅れている。

 本能的に動かなければ、間違いなく頭部を貫かれていただろう。串刺しにされた姿を想像し、背筋に汗を流しながら、数歩ほど下がるオータム。だが、ランサーの動きは止まらなかった。

 かわされるとわかるや否や、空中で身体をひねらせ――壁を抉りながらランスを直角に叩きつける。

「――くそがっ」

 カタールで鈍い衝撃を受けながら――声を漏らしオータムは更に後方へ機体を走らせる。

 そのまま――

 耳をつんざくような轟音が上がる場所は、三度身体をひねらせ、頭上から力任せに得物を振り下ろしていたランサーだった。しかしその両の手に握られていたものは二種。左手には握り直したランスを。右手には再び紅い槍が握られていた。

 衝撃に床は窪み、いびつな穴が開く。

「おい」

 静かに紡がれる声音に、オータムはぞくりと背を竦ませていた。

「――っ」

「あんまりちょろちょろすんなよ。巧くつぶせねえだろう?」

 突き刺さったランスを抜き取り、獣のような眼光はオータムへ向けられる。

 言いようのない恐怖に包まれた彼女は、言葉を発することもできずに後退する事しかできなかった。

(なんだコイツは……なんなんだコイツは……なんなんだよ、何で、手から離れていたはずの、あの槍をまた持ってやがる……どういう理屈で呼び出しやがった――量子変換かっ!?)

 ごくりと固唾を飲み込み、震える腕はカタールを握りなおす。油断せず、相手の一挙手一投足に細心の注意を払いながら。

(いいや、ありえねぇハズだ。あの野郎はISを纏っちゃいねぇ。にもかかわらず、IS相手に生身でかかってくるだと……本格的にワケがわからねぇぞ……噂に聴く、織斑千冬以上かコイツは……男のクセに……『アラクネ』と真っ向からカチ合うだと)

 と――

 だん――と一歩踏み込んだランサーに、びくりと反応したオータムは、手近にあったロッカーを掴み、相手めがけて投げ飛ばしていた。

 せまる鉄塊をランスで一閃し、まるでバターのように容易く切り裂き――だが、ランサーの視界に『アラクネ』の姿はなかった。

 音を立てて 背後の壁を巻き込み後退するオータムに――

「なんだよ、逃げんのかよ」

 撤退した相手に――ランサーは、肩に担いだランスを弄ばせながら、振り返りもせずに声をかけていた。

 後ろに感じるのは、ふたりの気配。

「更識の嬢ちゃん、ここ(第四アリーナ)に訓練機はあるのか?」

 ランサーの言葉が何を意味するのかわかりかねたが、彼女はこくりと頷いていた。

「あるわよ……格納庫に『打鉄』と『ラファール・リヴァイヴ』が……でも、隔壁が降りてるし、パスコードも……それが――いや、それよりも」

 彼女の向けられた視線の先は、長身の男の右手に握られた真紅の槍。ついで、ランサーの身体を交互に見る。

「ランサーさん、あなた一体……怪我は――それに、その手に持つ槍はなんなの……?」

「あ? コレか、ただの手品だ。結構自信があってよ。巧いモンだろ? まぁ、そういうワケだ。気にすんな。身体は見てわかるように、頑丈だけが取り柄なモンでな」

 さらりと言いのけるランサーに対し、楯無は本気で心配しているのだ。それを軽く流されて黙ってなどいられない。

「頑丈……手品って――ふざけないでよっ!」

 相手の剣幕に対し、こいつはマズかったかなと肩を竦めて見せて彼。

「ンなことよりも――訓練機はあるんだな。嬢ちゃんはソイツと一緒にここに居ろ。その腕じゃ追撃は無理だ。それと、コレは返すぞ」

「……ランサー、まさか……追いかける気なのか?」

 競技であればまだしも、殺戮ともなれば楯無では分が悪すぎる。ランサーにしてみれば、自分が得意とするものは「スポーツ」ではない。

 となれば――

「面倒くせぇが、それしかねぇだろ」

 一夏の言葉に対して、だるそうに返答すると――

 ランスを放り、ランサーの姿は音もなく、一瞬にして掻き消えていた。

 

 

 オープンテラスの一角、席に座ったホークアイはアイスコーヒーを口にしていた。

 眼の前の席に座るサンシーカーはソフトクリームを美味しそうに舐めている。

 あの後、サンシーカーを見つけるにはそう時間はかからなかった。

 とある模擬店前を、ハンバーガーを片手にパクついて呑気に歩く姿を発見していた。勝手にはぐれないようにと手をしっかり握り、それなりにふたりは学園祭を見て回る。

 特にホークアイが見たいものはない。全てサンシーカーの眼につき興味をそそられた先へと腕を引かれて連れ回されただけである。唯一、ホークアイが僅かな反応を示したのは美術室で行われていた「爆弾解体ゲーム」だった。一切の迷いもなく、逡巡も示さず思うままに解体していく。居合わせていた生徒たちは「おお」と驚いていたが、同様に横にちょこんと座るサンシーカーに対しては癒しを感じたのか、「かわいい」「お菓子食べる?」と可愛がっていた。おかげでチョコレートやクッキー、ビスケットなどもらえるものは全部食べていたのだが。

 解体ゲームに興じる女性の傍らで、生徒たちに頭を撫でられる少女。絵的に見ても、滑稽なものはないだろう。

 ふうと満足げなホークアイと、別の意味で満足げなサンシーカー。

 両手いっぱいにお土産のお菓子を貰い、サンシーカーは生徒たちに手を振り美術室を後にしていた。

 休憩するホークアイではあるが、些か身体はだるさを感じていた。普段であれば、こんなことはありえない。元気な連れに、あっちへふらふら、こっちへふらふらと振り回されたためだろうと割り切ってはいたのだが。

 妙な違和感は拭えぬまま。

 不意に――

「サニ」

「ん?」

 名を呼ばれ、顔を上げたサンシーカーだが、声をかけた当のホークアイは空を仰いでいた。

 ――と。

 頭上を過ぎるは一機のIS。高速で飛び去る『打鉄』に、居合わせた学園生徒や他の来場者も、何事かと視線を向けていたが、学園祭の何かの催しだろうと直ぐに興味がそれたのかそれ以上関心を持つものはいなかった。

 だが、ホークアイだけは違っていた。『打鉄』が向かった方角をじっと見入っていたが――彼女は瞬時に立ち上がっていた。

 手首に視線を落とし――腕時計を見る。定時連絡に定めていたはずの時刻はとうに過ぎ、しかし、オータムからの連絡は一切ない。

「戻る。恐らく、あれは追撃されている」

 連絡がないのは、何かしらの問題があったのだろうと彼女はそう結論付けていた。

「えー、もう? クレープとチョコバナナまだ食べてないよ? あ、あそこでホットドッグ売ってる」

「……任務が優先。それに、後でわたしが好きなだけ買ってあげる」

「むー、わかった。我慢する……」

 不貞腐れながらも素直に従い、サンシーカーは手にしていたソフトクリームをぱくりとほおばっていた。

 

 

 クラスの喫茶店が忙しいから、直ぐに戻ってと連絡を受けたふたりは急いでいた。男性陣が誰もいなくてクレームが酷いとの報告も受けている。

 士郎と一夏はわかるが、なぜランサーまでいないのかと不思議がるセイバーだが、彼女は言われるままに駆けていた。

 劇は混沌としたものになっていた。観客まで参加するものとなり、手伝うものも特にないのと、これ以上は付き合いきれない、クラスの催し物が混雑しているとの三点の理由で、士郎は一足先に、第四アリーナから教室へと戻っていた。

 セイバーも劇には幾分満足したのか、士郎をひとりにするわけにもいかず、後は本音に任せて教室への帰路を急いでいた。隣を走るシャルロットの表情は浮かず、残念そうな面持ちだった。

 王冠をゲットした者は一夏との同室を認める、という触れ込みを受けていただけに、是が非でも一夏の王冠がほしかったのだが――正直に言えば、まだ第四アリーナに残って王冠の争奪戦に加わりたかった。

 だが、セイバーが教室に戻る姿を見たのと、専用機持ちたち全員が抜けたままではクラスの喫茶店の人手も足りなくなっていること。さらには当の一夏の姿が何処にも見当たらなかったのだ。

 他の連中は、自分だけ抜けても別にいいだろうという考えを持っているが、シャルロットはその辺はしっかりとしていた。それは、確かに自分も抜けていたいという気持ちが全くのゼロというわけではない。

 しかし、なんとかしてと呼びにきたナギの姿を見ては、戻らざるを得なかった。

 足早に第四アリーナから駆けるふたりだったが――不意に、セイバーの歩が止まる。

「どうしたの、セイバー?」

「…………」

 シャルロットも相手に気づき声をかけるが、セイバーは応えない。見れば、彼女の視線は大空へと向けられていた。

 つられてシャルロットもまた空を見上げ――

 高速で視界を過ぎ去るのは『打鉄』だった。

「打鉄? なんだろ?」

「……ランサーです」

「え? ランサーさん?」

 じっと空を凝視していたセイバーだが、その眼は別の方へと向けられていた。

 と――

 チチチ、とさえずる小鳥がセイバーとシャルロットに舞い降りる。一羽はセイバーのかざした手を止まり木のように乗り、もう一羽はシャルロットの肩へ留まっていた。

 突然のことに眼をぱちくりとさせたシャルロットだが、口元には自然と笑みが浮かんでいた。

「人懐こいなぁ……逃げないなんて。随分と人間馴れしてるみたいだ」

 言って、シャルロットは指先を肩へと運ぶと、小鳥は啄ばむように戯れていた。

 くすぐったさに思わず口から声が漏れる。囁くかのように小さく鳴く姿はひどく可愛らしいものがある。

「何か言ってるのかな? でもゴメンね。僕、キミが何を言っているかはわからないんだ……それにしても、紫色の鳥なんて珍しいなぁ」

 言葉が通じるはずもないのだが、何気なくそう呟き伸ばした指先で小鳥の頭をそっと優しく撫でる。それに甘えるかのように、小鳥はくちばしを擦りつけていた。

 一方のセイバーは、先から静かに――それでいて無言のまま。それはまるで、小鳥の声を聴き入るかのように。

 そのまま――

「あっ」

 シャルロットが声を漏らしたのは、肩に留まっていた小鳥とセイバーの手から離れて羽ばたく小鳥に対してのもの。

 名残惜しそうに見入っていた二羽は、校舎の方へと飛び去っていった。

「いっちゃった……つがい鳥かなぁ。すごく仲良さそうだったけれど……あんなに人間に馴れてるなんて、警戒心がないのかな?」

 ねぇセイバー、と同意を求めようと視線を向けるが――彼女は一切返答せず、今来た道を戻り、第四アリーナへ駆け出していた。

「セイバー!? どうしたのさ!?」

 シャルロットも慌ててその後を追い駆けていた。

 

 

 上空を走るは二機のIS、黒色と黄色。

 IS学園から更に二機のISの反応があることにホークアイは気づいていた。迷うことなく自分たちへ向かってくるということは、恐らく、相手も此方を捕捉しているのだろう。

「…………」

 オータムの援護に向かおうとしていたが、瞬時に彼女は判断を取りやめていた。

 スコールから命令されていた内容は「オータムのサポート、だが状況如何によってはその限りではない」とのものだ。つまりは、状況に応じて最善となる策をとれ、ということになる。

 故に、ホークアイは、自分たちが出来得る限りの最優先へ移行する。それは、更なる追撃者をオータムへ向かわせないこと。

「サニ」

「んー?」 

「追っ手が来た。海上に出る」

「んー、了ー解」

 二機は進行方向を変え、市街地から海上へと飛行ルートを変更する。と、ハイパーセンサーに捉えていた二機もまた此方の進路を追ってきていた。

 やはり此方を追ってきたかと確信すると――追ってこなければこちらから襲撃するだけだったが――IS学園から遥か離れた沖合いの海上で機体を停止させていた。サンシーカーもまた機体を滞空させている。

 ここでならば、スコールに釘を刺されていた無駄な被害も出はしまい。

 そう判断すると、ホークアイは背後を振り返っていた。そこには、『打鉄』と『ラファール・リヴァイヴ』が同じように滞空している。

 搭乗者ふたりの幼さが残る顔を見る限り、どうやらIS学園の生徒なのだろう。てっきり教員か何かの類が追ってきたとばかり思っていただけにホークアイの心境は若干拍子抜けだった。

 正義感からか、または興味本位からなのかはわからないが、いずれにせよ、オータムのために足止めはせねばならない。

 瞬時にホークアイはハイパーセンサーを起動させ、該当データ検索にヒットしたIS機体は一件。フランス代表候補生の専用機、『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』――

(フランス国家……曰くつきの候補生、シャルル・デュノア……否、シャルロット・デュノアか……)

 表示ウインドウを消し、ホークアイは向き直る。

 サンシーカーも該当データを確認したのだろう。彼女の方は、つまらなそうに声を漏らしていた。

「あなたたち、何処の所属ですか? ここがIS学園と知っての行動ですか?」

 勤めて冷静に、それでいて気丈に警告するシャルロットだが、相手二機の該当する事細かな詳細データは存在しなかった。

 一目見てわかり得たのは、IS機体は『ラファール・リヴァイヴ』であること。

 それも――

(僕と同じ、カスタム化されている機体だ)

 シャルロット自身のリヴァイヴ・カスタムⅡと同じように、基の形状とは懸け離れた機体。

 片方は軽装備仕様。身に纏う装甲も必要最低限とされる腕部や脚部だけ。本来搭載されているシールドの類は一切見当たらない。スラスターも二翼のみ。

 もう片方は重装備仕様。両肩を覆う装甲アーマー、腰に下がるフィン・アーマー、脚部に搭載される砲門。加えて、機動性を補うように背には大型のウイングスラスターが四基。

 この空域を飛行する話など聴いてはいない。ならびに、学園でのパフォーマンス、こんな機体を持つ生徒や候補生がいるとも聴いていない。なによりも、バイザーで顔を覆っているが、搭乗者ふたりは見知らぬ相手だ。

 言いようのない不安を覚える。背には嫌な汗が流れていた。

 物々しい雰囲気に、頭では理解している。眼の前の人間が、ただの人間ではないということが。

「……もう一度訊きます。あなたたちは、何処の所属の方ですか? 応えてください……返答如何によっては、あなたたちを拘束しなくてはいけないことになります」

「…………」

 再度問いかけるシャルロット。

 セイバーもまた無言ではあるが、機体は自然とシャルロットを護るように前へと出ていた。彼女の直感が警鐘を奏ではじめる。

 だが――

「んんー、ホーク……わたし、あっちの『打鉄』のお姉ちゃんの方がいいな。()()()()()()

「…………」

 それには応えもせずに――

 ホークアイの眼は、橙のIS――シャルロットへと向けられていた。それとともに、ホークアイの先までの楽観視は消えていた。サンシーカーの口にした言葉に、相手ふたりが、ただの学生ではないと認識を改めたために。

 バイザー越しであるというのに、射抜かれるような鋭い双眸を感じ、悪寒により、ぞくりと身を震わせるシャルロットだが、相手が話しに応じないというのは雰囲気でわかった。

 それでも三度警告しようとするシャルロットだが――その口は動かなかった。眼は大きく見開かれる。

(なに、あれ……)

 黄色のリヴァイヴの手に生まれた、量子変換した――大太刀。

 刀身、刀幅、厚み、大雑把な言い方をすれば、その形状はまるで軍艦でも一撃で粉砕できるかのような――さながら『対艦刀』とでも呼ぶべきか。

 それほどまでに、言葉無く見入ることしかできないシャルロットに構わず、刃渡りは三メートルはある大剣をサンシーカーは容易に扱い構えていた。

 セイバーもまたシャルロットほどではないが眼の前の少女が握る大剣に驚いていた。だが、彼女の脳裏に走ったのは第五次聖杯戦争で相対したバーサーカー、ヘラクレスが使用していた岩の斧剣――

 ホークアイもまた、両手には量子変換された長銃を握り締めている。その銃も、シャルロットは見たことが無いデザインだった。

「――っ、セイバー!」

「わかっています。シャルロット、下がってください」

 既に呼び出し、ブレードを構えたセイバーの声に応えるかのように――サンシーカーとホークアイは、リヴァイヴを駆り、牙を剥き襲いかかっていた。



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34

メリー。


「なんだ……これは……」

 足を踏み入れた第四アリーナ更衣室内――

 我が眼を疑う光景に、千冬はそう言葉を漏らすことしかできなかった。

 それは、隣に立つ真耶もまた同様に、声すら発せず、唖然とすることしかできなかった。唯一、震えた眼だけが室内を所狭しと彷徨う程度。

 壁の一部はぶち抜かれ穴が開き、天井や床も至る所が抉られ破壊されている。中には燻ぶる箇所もあった。

 備え付けられていたであろうロッカー類は、一切、元の面影を残していなかった。皆、ひしゃげ、潰れ、切り裂かれ……何かしらの損壊を受けて、ただの鉄屑と化している。

 それはまるで、この室内だけに生まれた常識外の暴風雨の仕業かと思わせるほどの爪痕に似たものだった。

 逆に無事である場所を探すのが困難なほど、その中に、一夏と楯無ふたりの無事そうな姿を見つけた千冬が事情を問いただせば、亡国機業のISとランサーが戦闘を行った痕跡だということ。ならびに今現在も追走しているという。

 報告に上がった隔壁破壊の件も、容易に理解出来得ていた。聴いた話によれば、勝手に訓練機を扱い追いかけているのだろう。

 本格的に、真耶は絶句し、千冬は片手で顔を覆っていた。

 口早に説明する一夏と楯無ふたりも自分たちが眼にしたものは、とても信じられたことではない。けれども、事実を口にするしかなかった。

(それにしても……)

 楯無の説明を耳にしながらも、千冬は、改めて室内の惨状に眼を向けていた。

 ISを相手に生身で戦うなど、あまりにも馬鹿げているとしか思えなかった。

 千冬自身が、前に一夏とラウラがいざこざを起こした際に、ブレード片手に割って入ったことはあるが、これは常軌を逸している。

 真耶に人目につかないように虚を呼ばせると、数分と経たぬうちに相手は現れた。虚もまた室内の有様を眼の当たりにして言葉を失ってはいたが、千冬に命じられるまま、一夏と楯無の手当て――応急ではあるが――を任されていた。

 あくまでも、学園祭は続けたまま。楯無からの報告を受けたとは言え、不用意に他言もできない。今この状況を知っているのは千冬と真耶の教師ふたりと、四人の生徒に分類される楯無、一夏、ランサー、虚のみ。

 楯無へ、信用できる教員を何人か遣すとだけ告げると、千冬は真耶を連れて第四アリーナ管制室へと向かっていた。

 

 

 僅かほど時間はさかのぼる。

 なにが起きているのかがわからない。

「織斑先生、ランサーさんが何処かに行っちゃいました……」

 どうしていいかわからず、相川清香は困った表情のまま、そう告げて来た。

 楯無から「ランサーさんから眼を離さないでください」と言われていたにもかかわらず、千冬と真耶のふたりで注視しておきながら見逃すとは迂闊すぎるにも程がある。

 男性操縦者として狙われる可能性があるかもしれないと言う話は聴いてはいたが、士郎、弟の一夏よりは幾分警戒レベルを下げていたのは否めない。

 だが、だからといって眼の前から忽然といなくなるとは思わなかった。

 ふたりがランサーの性格を、よりよく把握していなかったのも――ある意味としてであって、必ずしもそうだとは限らない――ひとつの問題といえよう。

 あげくは、真耶の持つ携帯端末からは、第四アリーナピット内の一部隔壁破損の報告。ランサーを捜すことと、現場へ向かう二重にどちらを優先するべきか、ふたりは気が気でならなかった。

 特に千冬には、ランサーをこのまま放っておくという気にはならなかった。何故かはわからないが、妙な胸騒ぎ――説明できぬ不快な気分を覚えていた。それは、第六感のただの『勘』でしかないのだが。

 隔壁に関してもそうだが、ランサーに対しては他の教員に連絡することは考えていなかった。

 告げられた「素性の知れない輩から狙われている」という情報も、不明瞭であり、不確かなものである。下手に情報を漏洩させるわけにもいかない。

「あの馬鹿は……本当に問題ごとばかり起こしてくれるなっ!」

 罵声を漏らしながら、千冬と真耶は駆けていた。自分たちの格好はメイド服とバニーガール姿ではあるが、もはやそんなことはどうでもよかった。好奇の眼にさらされようが、知ったことではない。

 と――

「織斑先生」

「――?」

 真耶が呼び止め、指さす方向に視線を動かせば――そこには、駆ける士郎とキャスターの姿があった。

「衛宮……」

 眼の前に現れる士郎もまた、楯無から報告を受けた対象のひとり。

 無事だったか、と思わず口に出かけた言葉を、千冬はなんとか呑み込んでいた。

「あれ? 織斑先生と山田先生も」

 士郎もふたりの姿に気づき、駆け寄ってくる。

「? どうかしたんですか、ふたりとも……なにか、慌ててるようですけれど」

「…………」

 どう応えるか判断に迷うのは千冬だった。逡巡する間さえ煩わしいほどに。

 彼女――千冬にとって衛宮士郎という人間は、弟の一夏と比べて、変なところには妙に鋭く気がつく男だと認識していた。

 仮に偽ろうとしても、それを怪しがり、踏み込み勘ぐってくる節があった。とはいえ、それは千冬が嘘をつくのが下手なだけである。同様に、真耶も嘘をつくのが上手というわけではない。

 返答に困るふたりだが――

 その状況を打開したのは、キャスターだった。彼女は、これでもかと言わんばかりに盛大に溜め息をついていた。

 背後で大げさすぎる吐息に――さすがに士郎は振り返っていた。

「な、なんだよ」

 困惑したような声音を漏らす相手に、キャスターは面倒くさそうに――事実そうなのだが――指先をすいと千冬たちへと向けていた。

「だから言ったでしょう? 男性陣が誰も居なくてクラスが参っているって。織斑先生も山田先生も、急いであなたたちを連れ戻そうとしてるのよ。見て御覧なさい。特に織斑先生なんて、この格好で脇目もふらずに来てるってことは、余程のことよ? それぐらい察しなさいな」

「あ……そりゃ、確かに……すいません」

 指摘され、納得したように頷くと士郎は再度向き直っていた。

 対して、千冬と真耶は無言。助け舟を出したキャスターに、よくもまあ、そこまで咄嗟に口が回るものだと呆気にとられていたのだが――

 呆ける三人に構わず、キャスターは続ける。

「ほら、ランサーはふたりに任せるとして、あなたは早く戻りなさいな。クレームが酷いのは本当なんだから。静寐さんや清香さんだけでは手が回らないわよ」

「あ、ああ」

 ごく自然を装いながら、千冬もまた士郎に声をかけていた。

「戻ってくれていたところだったか」

「ええ、クラスの方が忙しいから、直ぐ戻ってくれって事で……葛木先生に言われて、今から向かうところでしたけれど」

「そうか……」

 ちらとキャスターに視線を向けるが、相手は特に表情の変化はない。

 再び士郎に視線を戻し、彼女は言う。

「なら、直ぐに戻れ。男手が誰もいなくてな……正直、参っているのは本当だ。鷹月が指揮を執って、なんとか抑えてはくれているようだが、限界がある。すまんが、お前には客の対応を第一に頼む。織斑やランサーのふたりも、捕まえ次第戻させる。それまで、ひとりでなんとかしてくれ」

「……ホントに、ランサーのヤツはどっかに行ってんですね。わかりました」

 話を聴き呆れた士郎は嘆息ひとつ。千冬と真耶に「先に戻ります」と告げて駆け出していた。キャスターもまた追いかけるように駆け出し――

「第四アリーナの更衣室……急ぎなさい」

 すれ違いざまに、囁くようにそう告げる。

 咄嗟に振り返る千冬だが、キャスターは立ち止まりもせずに、そのまま士郎の後を駆けて行った。

 

 

 身を投げる勢いのまま、管制室に到着したふたり――千冬は真耶に指示し、学園配備の訓練機ISを確認させていた。

 素早くキーボードを叩き、表示されるデータに小さく呻くと、真耶は瞬時に振り返っていた。千冬も覗き込むようにディスプレイに視線を向けていたため、映し出される結果に眉を寄せていた。

 伝える必要はないのだが、しかし、真耶は敢えてその答えを口にする。

「南東方面に高速で移動しているのは、学園に配備されている『打鉄』の一機です。データ照合に間違いありません。恐らく……」

 移動速度も、常識ではありえない反応を示していた。訓練機の『打鉄』が出せる最高速度を超越している。

 理解できないことばかりが起きている。

 搭乗者が誰かは言うまでもなく、ランサーだろう。最後まで口にはせず、真耶は向き直ると――通信回線を開き、口早に叫んでいた。

「ランサーさん!? ランサーさん!? なにをしているんですか! 直ぐに戻ってください!」

 相手からの返答は無し。強制的に回線を繋げている以上、聴こえていないはずはない。

「何を馬鹿なことを考えてるんですか……お願いですから、返事をしてください!」

 真耶は再度声を荒げて叫んでいたが、ようやくしてランサーから返答がくる。

「……聴こえてるよ」

「――っ、なにをしてるんですか! 直ぐに戻ってください!」

「なにって、追撃だ」

 その言葉に、真耶は言葉を失っていた。

 代わりに対応するように、千冬は真耶に指示すると、『打鉄』と通信回線を繋がせていた。インターカムを手に取り、一呼吸漏らし、口を開く。

「『打鉄』に乗っている馬鹿者……応答しろ」

 そんな言い方って、と真耶は言葉を漏らすが、千冬は聴いてはいない。彼女とて、そう余裕があるわけではなかった。

 今一度、インターカムで呼びかける。

「訓練機の『打鉄』に乗っている馬鹿者……返事をしろ。上空飛行のパフォーマンスなど、聴いていないぞ」

 一瞬、回線から「うげ」とくぐもった声が聴こえたが、ついで何かを諦めたかのように溜め息が漏れていた。

「その声は、千冬ちゃんか? お前もそこに居んのかよ」

「…………」

 こんな時まで無駄口を叩くとは、と苛立ちを覚え――それでいて多少の安堵は感じ――ながらも彼女は告げる。

「ランサー、今すぐ戻れ。自分がなにをしているのか、今度こそ、知らぬ存ぜぬとは言わせんぞ」

「あー、まぁ、そいつは説明すると長くなんだが……お前の弟と生徒会長さんが喧嘩売られてな」

「……知っている」

 千冬の返答を聴き、幾分気が楽になったのか、ランサーの声音に明るみが含まれる。

「あ、知ってんなら話は早ェな。俺は、その追撃中だ」

「待てランサー、その話が例え本当であったとしてもだ……お前が追撃する必要はない。代わりに教員を至急向かわせる。余計なことはするな。相手が撤退するなら今はそれでいい。素性の知れない輩を深追いするな。だから……お前は、今すぐに戻れ」

 淡々と告げてはいるが、織斑千冬は厳格な教師とは言えど、ロボットではない。血の通うひとりの人間故に、その声音に冷静さはなかった。

 千冬にとって、ランサーがただの人間でないのはわかる。だが、だからと言って、『亡国機業』などと名乗るばかりの、目的意識もはっきりとせぬ不穏な組織に接触させるつもりはない。それが彼女なりの憂慮でもあるからだ。

「お前が、相応の実力を持っているのはわかる……だが、こんなことに、お前が関わる必要はない。後は我々がやることだ……だから……」

「いやに弱腰だな、吊り眼のねーちゃん。心配してんのか?」

「ランサーッッ!」

 通信回線越しに、へらへらと軽口を叩く相手に千冬は声を荒げる。だが、次のランサーの返答は、至極真面目なものだった。

「まぁ、俺としても、面倒事にゃ関わりたくはねーんだが……そうも言ってられねーんでな」

「どういうことだ……」

「吊り眼のねーちゃん……ヘタな問答はいらねぇだろ? どうせ、おおかた更識の小娘から全部聴いたんだろ? お前の弟のISは奪われてんだ」

「…………」

 一瞬言葉を詰まらせ、応えに困る千冬は無言のまま。ランサーが言うように、楯無から一夏の『白式』が、どういう手段かはわからないが奪われたとの話は聴いていた。

 にわかに信じられない内容ではあったのだが――

「悪ィが、俺ァもう聴く気はねーぞ。アンタら教員が今から追いかけても、とっ捕まえられるかどうかもわかんねーしな」

「…………」

 ランサーの言は一理ある。だが――

 判断に葛藤する千冬は、それでも思いあぐね、決め手を欠ける。

「……ランサー、お前は……今、どこを飛行している?」

「あ? ンなこと言われても、よくはわかんねェぞ。下にゃ街が見えるけどな」

 街、という言葉を聴き、千冬は舌打ちしていた。市街地上空に入っているのかと呟きながら。

「……お前の周囲には、何が見える? 海か、山はあるか?」

「なんもねぇぞ。見渡す限りは街ばっかだな……あぁ、右手の方には海……か、アリャ……ちっとばかし見えてきたな」

「…………」

 その報告に、しばし考え込んでいた彼女は眼を瞑る。

 時間にしてみれば、僅か数秒足らず。しかし、長い時間が経ったかのように感じたまま、眼を瞑っていた千冬は、観念したようにインターカムを握り締めていた。

 彼女の口がゆっくりと開かれ、言葉を伝える。

「ランサー、全ての責任は、わたしがもつ……交戦を許可する。決して、取り逃がすな」

 その声を聴き、鈍い音を鳴らして立ち上がったのは真耶だった。

「正気ですか――織斑先生!? アナタは、自分が何を言っているのかわかっているんですかっ!?」

 キーボードパネルを叩き殴りつけ、真耶は信じられないという顔――視線を向けて、食ってかかっていた。

 まさか、千冬がそんなことを口にするとは思っていなかった。当たり前のように、直ぐに学園に戻れ、と告げて終わるだろうと捉えていただけに。

 千冬と真耶のふたりは、わかるはずもないが、ランサー本人もまた、回線の向こう側では意外な顔をしていた。なんと言われようとも、追撃することに変わりはなかっただけに、それが千冬の口から告げられるのが、公認の交戦許可が下ろされるとは予想外だったと言えよう。

「……いやいや、まさか、アンタがンなこと言うとは思っちゃいなかったんでね。てっきり、戻れと言われるんだとばかり思ってたモンでな」

「茶化すな……いいか、ランサー……できる限り、市街地上空は避けろ。海上に誘い出すか、山間部に追い込め。万が一にも、地上戦にでもなった場合は、開けた場所で速攻で仕留めろ。重ねて言うぞ……よく聴いてくれ。絶対に、民間人に被害は出させるな」

「注文の多いこった。まぁ、オーダー通りにやってやんぜ」

 だが――勝手に話を進めることに、真耶は我慢ができず声を張り上げていた。

「やめてください、織斑先生!」

 椅子が倒れるにも構わず、真耶は千冬の肩を掴んでいた。その表情には信じられないといった色を浮かばせたまま。

「織斑先生……わたしは反対です。今直ぐにやめさせるべきです! ランサーさんを巻き込む必要はありません! わたしが向かいますから――」

 だから、どうか考え直してください――

 真耶の双眸がそう訴えかける。

 捕まれる肩には力がこもり――だが、千冬が口を開くよりも早く、回線の向こうのランサーは、からからと笑っていた。

「眼鏡のねーちゃん、言ったろ? 今からアンタが向かっても、追いつかねえっての。このまま俺が仕留めるさ」

「ランサーさん……」

 力なく呟く真耶は、掴んでいた千冬の肩から手を離し、だらりと下げる。

 千冬は一瞬だけ視線を向けたが、直ぐに逸らし続け言う。

「……アリーナとは勝手が違う。下は市街地だという事は忘れるな。いいか、くどいようだが、絶対に市街地に被弾させるな」

「言ってくれるね。ま、やってやるさ――と、もうちょいだな」

 ランサーの台詞に、真耶は慌ててモニターを視認していた。

 表示された、二機のIS反応――

 レーダーが捉える機影を見て――真耶は、驚愕するしかなかった。口から漏れるのは、信じられないといった声。千冬も僅かばかりに驚いてはいる。

「あ、ありえません……『打鉄』は、防御重視とされた訓練機ですよ!? これ程の距離に追いつくなんて……それにこの加速……考えられません……」

 高速移動の単純な種明かしは、後先も特に考えもせず、ランサーが『打鉄』に風のルーン魔術を施し、飛行速度を増して疾走していただけでしかない。無論、必要以上の負荷をかけているため、機体自体は無理がたたっているのだが。

 そんなことに真耶が気づくはずもない。

「さぁて、ンじゃまぁ、かますとするかねぇ」

 悪戯を思いついた子供のように、気楽に応えるランサーに、千冬は「すまん」と小さく呟く。

「頼む……『白式』を取り返してくれ」

「あいよ。ンで、まぁ……とりあえず、訊いときたいことがあるんだがなぁ。ISてのは、機体自体も大切なモンなのか?」

「……どういう意味だ?」

「ISってのには、一機造るにも結構な金と時間に労力がかかってるってのはわかるんだがよ……その、なんだ……具体的に言うとだな、その中でも、要はコアさえ無事でありゃいいんだろ? 相手の機体が原形を留めなくなってたとしても、そいつは不可抗力であって、問題はねぇよな?」

 その言葉に――千冬も真耶も、ただただ呆気にとられていた。

 この男の言い分を、つまりは良いように理解するならば「言われるように仕事はこなすが、多少のことは大目に見てくれ。ISをぶっ壊しても文句を言うな」と告げている。

 だが、直ぐに千冬の表情には笑みが浮かんでいた。インターカムを握り、思う言葉を相手にぶつけていた。

「ああ、構わん。言ったろう? 責任はわたしが取る、と。お前は、思う存分好き勝手に徹底的に叩きのめせ。だが、殺人を容認することはできん。生け捕りにしろ。IS機体も破壊を推奨するつもりはないが、お前と、ついでにコアが無事であれば文句は言わん。如何様にも暴れるだけ暴れろ」

 そこまで告げると、千冬は一度言葉を切る。

 一呼吸置き――

「言っても聴かんのかもしれんが……いいか、無理と無茶は違う……命を落とすようなマネはしてくれるなよ?」

 刹那、回線越しにランサーが笑うのがわかった。それと同時に、耳障りな激しい金属音が上がると通信は一方的に切れていた。恐らくは、ランサーが言うように交戦に入ったのだろう。

 無言のまま、握るインターカムを下げた千冬が気づいたものは、非難がましくこちらへ視線を向ける真耶の姿。

 睨みつけるかのような憎悪のこもった双眸に対し、千冬はまっすぐに見返すことしかできなかった。

 真耶自身にもわかってはいる。今この状況で、ランサーの存在は大きく頼りになるものだ。また、彼が言うように、他の教員を例え今から向かわせたとしても時間がかかり過ぎる。何よりも見失う可能性の方が遥かに高い。

 それらを理解した上で――だが、真耶は教師である以上に、ひとりの人間として、ランサーに追撃させた事が納得できなかった。

 衛宮士郎やセイバーと同じように、ランサーもまた本来であれば、関係のない人間として認識していただけに、危険を伴う問題ごとに巻き込んだことに対して悔やむものがあった。

「…………」

 耐えられずに視線を逸らしたのは――真耶。彼女は「すみません」と一言漏らし、倒れた椅子を拾い腰を下ろす。

 静かに、傍に歩み寄った千冬は、彼女の肩にそっと手を添えていた。

「いいんだ、真耶……お前の判断が、本来『人』として正しいものだ。わたしは、私情と権限で我侭を通して、『物』として扱ったんだ……軽蔑してくれて構わない」

 千冬の言葉に、だが真耶はふるふると頭を振っていた。

「軽蔑なんて……しません。偉そうなことを言いましたけれど……わたしも、織斑先生の立場だったら……多分、同じ事をしています」

「……すまない」

 真耶の肩から手を退けると、千冬は眼を閉じ、大きく息を吐いていた。瞬時に、気分を切り替えるため口を開く。

「山田先生、ランサーの『打鉄』とリンクできるか?」

「はい。武装量子変換のデータ送信ですか?」

「……いや、ヤツのハイパーセンサーとモニターを繋げてくれ」

「……わかりました」

 キーボードを操作し、瞬時に大型ディスプレイには、ランサーが駆る『打鉄』の視点、ハイパーセンサーが捕捉し展開する光景が映し出されていた。

「織斑先生、状況は――」

 手当もそこそこに、右腕に包帯を巻かれた楯無が管制室に飛び込むと、勢いのままモニターを見入り――動きが止まる。

 それは、見入る真耶も同様だった。ただひとり、千冬だけを除いて。

 激しく状況が代わり映えする様に、真耶も楯無も言葉を失ったまま、何も発することはできない。

 上下左右、縦横無尽に入れ変わり立ち変わり、途切れる事無く瞬時に変化する光景。空、市街地、交戦するISと目まぐるしく移り変わるのは、その分の動きをするランサーだ。ISを纏っているとはいえ、説明がつかない反射神経。

 オープンチャネルで流れてくるのは、相手側IS搭乗者と思われる女の罵声、ぶつかり奏でる金属音、砲撃音、それとランサーの笑い声だ。

 唖然としていた真耶だが、瞬時にキーボードを叩くと、大型モニターに映る敵と思しきISデータに声を上げていた。

「照合するあのISは……アメリカ製の登録コア、第二世代型の『アラクネ』です――え?」

 不意に、モニターに映る違和感に彼女は気づいていた。

 千冬もまた、楯無も真耶が漏らした声音に思わず視線を向けていた。

「山田先生、どうしたんですか?」

「……学園より真逆、北西の沖合い上空で四機のIS反応があります。これは……」

 声をかけた楯無も駆け寄りモニターを覗き込み――

 キーを叩きながら、真耶は声を荒げていた。

「うち二機は、デュノアさんのリヴァイヴと、学園配備の『打鉄』です! 搭乗者は……認識データからセイバーさんです!」

「デュノアにセイバーだと!? どういうことだ? どうしてあのふたりが海上などにいる!?」

 その報告を受けた千冬の顔に動揺が走り、声を漏らしていた。

 真耶は、表示されるデータを読み上げ報告を続ける。

「残る二機は、照合データから量産型のリヴァイヴですが、所属は不明です……織斑先生、これは……」

「交戦している、ということですか?」

 言葉を引き継ぐように呟く楯無に、真耶は頷きながらキーを操作し――

「……ダメです。ジャミングが酷くて、デュノアさんとの回線が繋がりません。映像も無理です」

「交戦している機体のせいか?」

「恐らくは」

 千冬の声に応え――

 しかし、真耶の双眸は、更にモニターを凝視することとなる。

「――織斑先生っ! ランサーさんの戦闘空域に、所属不明の機体が接近しています。機体照合は――またラファール!? ですが、速い――数秒で会敵します!」

「もう一機だと?」

 何が起きているのかわからずに、千冬はただそう呟くことしかできなかった。

 

 

 右手に握る、菱形のクリスタル。一夏より『剥離剤』にて奪い取った『白式』のコアに視線を落とし、オータムは口元を吊り上げていた。

「いろいろありはしたが、とりあえず、目当てのものは手に入れた」

 サンシーカーとホークアイのふたりへの連絡は後でもいい。今は早く空域を離脱するのみ。

 だが――

 その笑みは一変する。表情を歪ませる原因は、得体の知れない男性操縦者に対してだ。

 男などにいいように手玉に取られたことが気に入らない。どんな手品を使ったかはわかりはしないが、自分をこうまでコケにしたのだ。いずれは自身の手で殺してやると誓い――

 頭の中で毒づきながら、ぎりと奥歯を噛み締める。

(殺してやる、殺す殺す殺す――絶対に――)

 目標を達成したとはいえ、逃げ帰るに至ったことに、オータムのプライドは我慢がならなかった。

「殺してやる」

 故に――

 目先のことに固執していた彼女は、常識外れの速度で迫る機体の存在に気づくのが遅れていた。

「――誰を殺すって?」

「――――」

 瞬間――

「――っだテメエっ! 追ってきやがったのか――しつけえんだよっ!!」

 横合いから突然殴りかかられた衝撃に、オータムは歯噛みする。

 ISの警告音すら鳴りもしない。ハイパーセンサーの感知反応に気づかれもせず、殴りかかってくるなどありえない。

 動揺を隠せないオータムとは対照に、獣じみた笑みを浮かべるランサーは追い討ちをかける。

「ハッ――」

「――っが、ざけてんじゃねえぞっ!」

 きりもみ状にバランスを崩していたオータムは言葉を吐き捨てながら体勢を立て直す。

 高速で間合いを詰めてくるランサーの腕に握られるは――紅い槍。

「うっとうしいなぁ――テメエはっ!」

 突き込まれる槍の穂先を、左腕に呼び出したカタールで斬り払い、後方へ飛び退きながら、装甲脚の八本全てを射撃態勢に変更し――撃ち放つ。が、瞬く間にランサーはレーザーを空へ切り払い、うち二脚の砲口から撃ち込まれる実弾兵器すらも、ことごとく切り捨てる。

 砲撃の雨を掻い潜り――一瞬にしてオータムの右側面へと回り込む。

「――っ」

 『アラクネ』の反応速度が追いつけていない。振り向く間もなく、オータムはその身に再度の衝撃を受けていた。

「があああっ」

 叫び――苦悶の表情を浮かべる彼女の機体『アラクネ』が眼下の街へと落ちていく。と――

「ソイツか――返してもらうぜ」

 耳元で聴こえた声音と同時に、右手に持っていたコアを奪い取られる感触を覚えていた。

 ぐん――と機体制御をかけ、間合いをとりながら滞空する。

「なんなんだ、テメエは……」

 この日、何度目になるかわからない台詞を漏らしながら、オータムは殺意をこめた双眸で相手を睨みつける。

 織斑一夏と更識楯無を殺そうとしたところを邪魔した男。

 自分に蹴りをみまい、吹き飛ばした男。

 今はISを纏い、滞空する男。

「『打鉄』ごときで追いかけてくるだぁ? どこまでふざけてんだテメェはよ」

 純日本製の第二世代型『打鉄』は、防御に特化した機体。機動性を見てしまえば、同じ量産型IS『ラファール・リヴァイヴ』と比べると劣るものがある。にもかかわらず、『アラクネ』に追走するなど、理解の範疇を超えている。更に付け加えるなら、男の纏うISは情報通りであれば、IS学園に配備されている訓練機の『打鉄』のはずだった。

 実戦配備用の完全軍事ISでもなければ、戦闘用になにかしらカスタマイズされたわけでもない。ISを動かすためだけの、ただの一訓練機でしかない。

 しかし、ランサーは、それこそ相手の言い分がくだらないと捉えたのだろう。嘲るように口角を吊り上げていた。

「ふざけもなにもねぇだろーがよ。追いつかれてんのは、単にテメェがトロいだけだろぅが」

「…………」

 ハイパーセンサーが表示するデータは、やはりただの訓練機であった。オータム自身が駆る、強奪したアメリカ製の機体『アラクネ』の方が、同じ第二世代型とはいえ、総合的能力に於いては全て勝っている。

 そう、ISでは――だ。

 男などにいいようにあしらわれるなど、オータムの感情制御は既に限界だった。そのため、彼女が下した判断は、ごくごく簡単なことであり、それはそれはシンプルすぎる応えを選んでいた。

「なら、テメェをここでブッ殺して、『白式』のコアを持って帰るだけだ」

「はっ――いいねぇ。やれるモンならやってみせろよ。こそこそ逃げ帰ることしかできねぇヤツが。暇つぶし程度には相手してくれよ? それになぁ、出来もしねぇことをベラベラと口にしねぇ方がいいぞ? 小物臭ェからよ」

「抜かしてろ……抜かしてろカスがぁっ!」

 眼下には市街地が広がる高高度上空で――二機は激突する。

 

 

 長大な刀剣を振りかざし、サンシーカーはセイバーの機体速度を上回っていた。

 大剣から繰り出される剣戟は、斬るというよりも叩くに近い。ただ眼の前の障害物を粉砕するだけでしかない。

 見切り、捌いてしまえば如何様にも斬り込むことは可能であろう。にもかかわらず、セイバーは懐に入ることができなかった。

 サンシーカーの剣戟は、大雑把でありながらも無駄がない。圧倒的な力量に加え、卓越した技量と速度を併せ持つかのように。

 断ち割るように振り下ろされた一刀に対し、セイバーは渾身の力をこめて斬り払う。

 質量を無視したかのような技巧に、サンシーカーは、セイバーの繰り出す一撃一撃をことごとく受け流していた。

 返す刃は疾風のように速度を増し、セイバーの腕や脚、胴へと牙をむき襲いかかる。決して懐には入れさせまいとする剣捌きは絶妙の一言。

 踏み込もうとするのだが、直ぐにまた斬り返される凶刃が、首を刈り飛ばさんとばかりに迫り来る。避けるか防ぐしかないセイバーは防戦に回るのみ。

 対して、サンシーカーは自ら間合いを詰めて斬りかかっていた。

 長大な武器にとって、距離を縮める必要はない。一定の範囲さえ保てばいいのだが――

 幾十合目ともなる剣戟。

 サンシーカーは、ブレードで防ぎ止められた大剣をそのまま受け流し――

 セイバーは、大剣を力強く斬り弾くと、瞬時の隙を狙い、ブレードの刺突による一撃をみまう。

 が、サンシーカーは手足のように大剣を操ると、生じたはずの隙をこれまた瞬く間に――盾のように剣身で防いでみせていた。

 そのまま――

 手首の返しで、セイバーの身体ごと鋼塊で叩きつけ、横殴りに薙ぎ払う。

 ごうと音を立てる剣圧、衝撃によって、海面に機体を跳ねさせながらも、セイバーは瞬時に身を捻ると、迫るサンシーカーの刃を手にするブレードで防ぎきる。

 だが――

 受け止められたことにも構わず、サンシーカーは、再度力任せに大剣を振り抜いていた。巻き起こるは突風――衝撃を殺しきれず、セイバーの身体は大きく吹き飛ばされていた。

「――セイバーっ!」

 シャルロットが声を上げるがそれだけ。彼女もまた、眼の前のホークアイを相手にするのが精一杯であり、加勢することができなかった。

 降り注ぐ銃弾を掻い潜り、または展開したガーデン・カーテンで防ぎながら、逃げるように猛攻を凌いでいた。

(今は、眼の前の相手をなんとかしないと……カバーに入るのはその後だ。それに……)

 まさか、セイバーが近接戦闘で押されるとは思いもしなかった。一分一秒でも早く援護に回るべく、シャルロットは意識を切り替える。

 黒のリヴァイヴを駆る相手の武装は、全て射撃兵器のみ。武器庫さながら、多種多様。ミサイルやレーザーガトリング、ライフル、グレネードなどの射程距離を保つ攻撃ばかりだった。

 ならば――接近戦に持ち込むしかない。

 考えるよりも遥かに早く、シャルロットは行動に移っていた。

 一瞬で超高速状態に突入する彼女は、疾風迅雷の勢いで空を駆け抜ける。

「――――」

 身体にかかる急加速の重力負荷にもかまわず、シャルロットはホークアイの背面をとると――そのまま、両手で握る近接ブレード、ブレッド・スライサーを叩き込む。

 一閃された剣筋は、大型スラスターの一翼を狙う。だが、瞬時に身を捻り、上下を逆さに入れ替えたホークアイの脚が振り下ろされた剣先を弾いていた。

「くっ――」

 衝撃に圧され、咄嗟に体勢を立て直し――斬り返した刃を再度叩き込むが、今度は腕部装甲で受け止められていた。

「――っ」

 そこでシャルロットは、己の読みを誤ったことに気づかされた。相手は近接武装が使えないのではなく、使わない。

 射撃武装を得意とするのなら、間合いを詰めてしまいさえすれば長銃の類は使えない。接近戦なら、まだ自分にも分があると踏んだ狙いは早計でしかなかった。

 ――と。

 鼻先が触れるほどに、眼前に突きつけられていたのは、ホークアイの左腕に握られた銃口。

「――っ!?」

 咄嗟に身体を仰け反らせてかわすと同時、うなりを上げて迸る銃撃をやり過ごす。機体を跳ねらせ、無茶な体勢をなんとか立て直しながら、シャルロットはブレードを薙ぎ払い――左手に呼び出していたマシンガンを撃ち放つ。

 銃弾をばら撒き牽制しながら、瞬時加速により間合いを離していた。

 何を以ってして、相手が接近戦を不得意と決め付けたのか。

 近接武装を用いる必要などない。例え懐に潜り込まれたとしても、如何様にも対処できるということを、シャルロットは身をもって思い知らされた。

 頬を伝う汗を拭うこともできず、乱れた呼吸を整えながら、彼女は攻撃の糸口を掴むために算段を練りはじめ――海面から上がる盛大な水飛沫音に、思わず意識を向けてしまっていた。

 ホークアイも首を動かし、視線を向ける。

 海面に二度、三度と叩きつけられ――セイバーはなんとか機体を制御する。ブレードを持ち構え直すところへ――

「あっはははははっ――」

 暴風もかくやといわんばかりの勢いで、間髪入れずにサンシーカーはセイバーへと斬りかかっていた。

 甲高い音を上げ、剣と剣がぶつかり合う。

 大剣に圧されながらも、セイバーは両手で握るブレードを緩めはしなかった。嵐のように迫る刃の連撃を受け、払い、弾きながら。

「あはっ♪ すごいすごい! ねぇ、ホークぅ、このお姉ちゃんスゴイよ♪」

「――っ」

 相手の楽しそうな――謡い、口ずさむかのような幼子の声に、セイバーの眉が寄る。その口は自然と歯を軋らせていた。

 サンシーカーの口から漏れる声音は、嬉しさに喜びを含んだものだった。それも、こうまで渡り合える相手など久しく出会えていなかっただけに。

(こんな子供まで扱うのですか……しかも、扱う剣技は、ラウラやホウキ、リンよりも上……機体操作は、セシリアやシャルロットよりも遥かに上……)

 首を引いて切っ先をかわし避けると、刹那の間を置かずに踏み込みブレードで薙ぎ払う。だが、大剣の一撃に容易く潰され、届きはしなかった。

 仕切り直すかのように、大剣の切っ先をセイバーに向けて構えたまま、サンシーカーは距離をとる。

「……おかしいね、お姉ちゃん。防ぐのは巧いけれど、攻めるのはそんなに得意じゃないのかな?」

「…………」

「違うよね? なんとなくだけど、わかるんだもん……『戦えるのに戦わない』……本気じゃないよね? 手加減してくれてるのか、そうじゃないのか……」

 首を傾げるサンシーカーに――だが、セイバーは無言のまま。

「…………」

「じゃあ……」

 言って、サンシーカーは、腕部装甲アーマーの内側の一部を開くと、何かを取り出し口へと放る。

 白く小さな錠剤じみた物を舌に乗せ、ごくりと嚥下し、向き直ると――

「お姉ちゃんが本気を出してもらえるように、こっちもギアを上げるから――」

 簡単には、壊れないでよね?

 そう一言告げると――一直線に斬りかかる。

「ッ!?」

 剣戟による乱打。殴り、叩き、突く――

 振る、一刀一刀が徐々に速度を増し、切り刻まんとばかりにセイバーの身を凶刃が襲う。

 しかし、それら全てを――

 鋭く鈍い音を奏でながら、セイバーはブレード片手に凌ぎきる。サンシーカーは、たまらなく嗤い出していた。

「あっはははっ――ほぅら、やっぱり! こんなに防げるんだからさぁ――本気でわたしと遊ぼうよ、お姉ちゃん!」

 衝撃に互いがのけ反るが――それは一瞬。体勢を立て直して突っ込んでくる来る相手に、セイバーもまたブレードを構え迎え撃つ。

 一際、剣戟に凶暴性が増したことに、セイバーは静かに呻いていた。

 機体性能に加えて、サンシーカー自身が持つ、その実力は、『今』のセイバーの動きを容易に捉えていた。力、技巧と反射神経、IS操作能力により、十二分にカバーされている。

 こうまで彼女が押されているには要因がある。

 ひとつめはセイバー自身。

 主に足枷となるのは魔力の存在だった。士郎の魔力容量と、聖杯の加護、霊脈が存在しない土地でのサーヴァント三騎の契約使役、今現在続く戦闘行為は、少なからず魔力を消費している。

 更には、何処かで交戦していると思われるランサーの存在も、頭の痛いところであろう。槍兵の立場も理解した上で、セイバー自身が己の魔力出力を抑えているのもそのためだった。

 だが、この自制は、魔力という恩恵に与る性能差に、はっきりと正負を受けるのは当のセイバーだった。極度の魔力不足は、彼女がただの『年相応の少女』である人間にまで衰えるほどに。

「ねえ? わたしばかり攻めてちゃ面白くないよ? お姉ちゃんも、受けてばかりじゃつまらないでしょ? 交代しようよ!」

 鋭さと威力が増した一刺をいなして、軌道を逸らし――

 連撃による連撃を捌き続ける。

「――ッ、提案は嬉しいのですがね」

 ふたつめは、セイバーが駆る『打鉄』自体。

 空中戦を繰り広げる彼女は『打鉄』に対し、酷使することに躊躇いがあった。規格外の負荷を受けてもなお、機体が動くのなら良いが、無理がたたり、下手をして空中で分解でもされてしまっては、どうすることもできなくなる。

 ならびに、セイバーの反応速度に機体の『打鉄』が追いついていないものもある。僅かなタイムラグにより、既に機体動作に無駄が生じている。

 全力を出せていない理由としては二点だが、問題は更に上る。そのISの機体自体にも差が開いていた。

 訓練機の『打鉄』に対し、相手の素体となるIS機体は、同じ第二世代型の『ラファール・リヴァイヴ』ではあるのだが、シャルロットのように最大限界までカスタマイズされている。また、完全な軍用スペックを搭載された戦闘用ISに仕立てられている。 

 セイバーは、自身の能力低下がこうまで影響することに歯噛みし、また、黄色の機体を駆り、無邪気に笑いながら斬り結んでくる相手に対して、僅かばかりにゾッとしていた。

 それでも、サンシーカーから繰り出される剣戟の決定打を受けることがないのは、セイバーの『直感』スキルによって回避されているためと言える。

(イリヤスフィールのように――いや違う。これは、下手な見方をすれば、更にそれ以上ですね……)

 ぶつかり合う鋼同士により火花が躍る。

「……なんのために、こんなことをするのですか?」

 返答を求めたわけではないが、自然とセイバーの口からは声が漏れていた。彼女から見れば、こんな幼子がISを駆る事が解せなかった。

 サンシーカーは不思議そうに首を傾げながら――大剣を一閃。

「おかしなことを訊くんだね、お姉ちゃんて……たくさん壊して、いーっぱいやっつけたら、褒めてもらえるんだよ。スゴイね、エライねって。お姉ちゃんは、すごく強いから……そんなお姉ちゃんをやっつけたら、また褒めてもらえる!」

「褒められるというだけで、乗っているというのですか」

「あとは、わたしが楽しいからかな」

「――ッ」

 あは、と無邪気に笑いながら、身を捻るサンシーカー。遠心力を伴った渾身の一撃をブレードで斬り払い、側面に走るセイバーだが――

 そちらを見もせずに、サンシーカーは腕力だけで歪曲する軌道を運びながら、返す刃で襲いかかる。

「――くぅっ」

 物理シールドが斬り砕かれ――ブレードで防ぎながら後退するセイバー。機体維持警告を奏でる右腕部。

 今まで相手にしてきたIS操縦者と明らかに違う。容姿は子供とはいえ、その総合技術センスは、真耶やラウラを軽く超えていると読む。

 なにより、長刀の武器を扱っているにもかかわらず、隙がない。あれほどまでの質量の大剣を両手、または片手で難なく振るい、間合いに近寄らせないとは何たる技巧か。

 能力低下によって苦戦するとはいえ、「セイバー」の彼女が近づけないとは、笑い話にもなりはしない。

 加えて、あれほどの武器を扱っていながら、しっかりとした足場もない宙に浮いた状態で打ち付けてくる。

 本来であれば、下半身をしっかりと支える地面がなければ、腰が入らぬ一撃一撃は威力が落ちるはずなのだが――

 劣勢であるのは、認めざるをえないだろう。しかし、だからと言って、セイバー自身が、サンシーカに全ての能力が下回っているわけではなかった。

 薬物摂取によって身体能力を向上したとしても、セイバーが視認できないレベルではない。反応速度や思考速度は低下していない。

 逆に、セイバーがサンシーカーに勝り圧倒するのは、技術面や戦術面、経験面。なによりも、相手が唯一持ち合わせていないものは――魔力。

 もはやこの際、魔力制限などこだわってはいられなかった。

「…………」

 風が吹く――

 吹き荒れる一陣の強い風に、思わずサンシーカーは片手で顔を覆っていたが――向けられていた眼は、不思議なものを捉えていた。

「……?」

 はじめて、サンシーカーは、セイバーに対して嬉々以外の感情を見せていた。

 相手の顔つき、雰囲気が先までとは異なり、張り詰めた空気に驚くのだが――サンシーカーの口元は好奇に歪む。

「あはっ♪」

「これは……些か厄介ですね……」

 言葉を漏らしながら、だが、セイバーは眼の前の相手に集中しきれてはいなかった。彼女の意識は、同じ空域のとある方へと度々向けられていた。

 それは――

 

 

 音速で飛来する機体がこちらに向かってくることに、斬り結ぶランサーも気づいていた。

 オータムを斬り払い、間合いを取ると、刹那の間をおかずゲイボルクを構え直していた。

 そのまま――

 撃ち込まれていた閃光を上空に切り払いランサー。

 現れた機体は雪のように白いISだった。シャルロットのISと似たような機体。両手に三刃の大型クローを搭載し、特にランサーが眼を引いたのは右腕。一回り大きく無骨な形状。一目見て、左腕にはない何かを仕込まれているというのがわかる。

 搭乗者は機体同様に「白」だった。髪も透きとおるように白く、覗く肌も人形のように白い。

「スノーっ! テメエ、どういうつもりだ! 邪魔すんじゃねぇよ!」

「…………」

 現れた機体に対し、オータムは罵倒する。それを見たランサーは油断なく構え、状況を整理していた。

 搭乗者は頭を垂れ、前髪に隠れた表情は窺い知れない。

 白い機体は、八本脚の仲間か何かなのだろう。口やかましく叫ぶオータムの声に、スノーと呼ばれた女は何も答えない。

 だが――

 ゆっくりと面を上げ、髪の隙間から向けられた眼。

「…………」

 無言ではあるが、相手の顔を見たランサーの眉がよる。肌に絡みつくような不快感が彼の身を包んでいた。

「くひっ」

 奇怪な声を漏らすとともに、女の口は三日月のようにニタリと吊り上る。

 宝石のような紅い眼がランサーを捉え――白い機体は瞬時に疾駆する。

「キャハッ!」

 狂気に彩られた双眸。耳障りな笑い声を零しながら、一瞬にして間合いを詰めていた白の機体は、右腕の大型クローを振りかぶり斬りかかっていた。

 大振りであり、無駄な動きを含む一撃を――金属音を奏で、ランサーはゲイボルクで難なく防ぐ。しかし、純粋なISのキャパシティーは、軍事用変換された相手のリヴァイヴが『打鉄』を上回っていた。

 防がれているにもかかわらず、力任せに振り払われたランサーは、機体ごと撥ね飛ばされる。

「なろっ――」

 慌てることなく機体制御により身構える。自身の能力が幾許か低下しているのは理解しながらも、気楽さは抜けてはいない。

 対してスノーは、だらんと両の装甲腕部を下げたまま。首さえ傾げたように――口元は歯を覗かせ吊り上げたまま、笑いを零し続けている。

「くふっ――」

 ひとつ笑いを漏らすと同時、再度機体が宙を駆ける。がぎん――と音を立て、腕部前方に展開するブレード状のクローを振りかざし、刻むために迫る凶刃を、ランサーは微動だにせず腰を落とし、紅い槍を振るうだけ。

 一閃――

 槍の一振りにクローを弾くと、今度は白い機体がバランスを崩し後退していた。その格好のまま――ランサーは振り向きもせずに、腕を疾らせると、背面から撃ち込まれていた光弾を頭上へ斬り払っていた。

 ちっと舌打ちするのはオータム。不意討ちの狙撃を試みたのだが上手くはいかなかった。

 確認もせずに、ランサーの視線はスノーへと向けらたまま。

 機体を立て直し、一瞬、何が起こったのかわからず、きょとんとしていたスノーだが――口を歪ませ哄笑していた。

 耳障りな声を漏らしながら、それはまるで、愉快な玩具を見つけたかのように。

「ふひっ、ふはっ――」

「めんどくせぇな。『狂化』でもしてやがんのか? バーサーカーかよ」

 喋る相手を挟むように、前後から攻める機体は『アラクネ』と白のリヴァイヴ。

 ランサーは――ゲイボルクを握り、その場で旋回するように瞬く間にスノーとオータムの近接武装を斬り弾いていた。

「てめえっ――」

「ヒャハッ!」

 呻くオータムと笑うスノーを――そのまま身を捻り、ランサーは両の二機を蹴り飛ばしていた。

 

 

 セイバーとサンシーカーが交戦する一方、ホークアイを相手にするシャルロットは苦戦を強いられていた。

 黒の機体の脚部から放たれた――追尾するマイクロミサイルをアサルトライフルで掃討しながら、水飛沫を上げて銃弾を掻い潜り彼女。

 ホークアイとシャルロットのISは同じ『ラファール・リヴァイブ』であり、カスタマイズされた機体。第二世代型ISの限界性能は互角ではあるが、圧倒的な操作技術力と戦闘能力がシャルロットを突き放す。

 代表候補生程度を一蹴するなど、ホークアイにとっては造作もないこと。だが、シャルロットにしてみれば、得意とする『高速切替』の反応速度を上回る相手の機体性能に翻弄され、劣勢に追い込まれていた。

 黒のラファールの腰に下がっていたフィン・アーマーが自立起動し、ホークアイの前面に展開する、即席の盾といわんばかりに平面で銃弾を防いでいる。一枚一枚がまるで意志を持つかのように自在に動く。シャルロットの攻撃は一切防ぎながら、である。

(セシリアの自立機動兵器よりも厄介だ)

 なによりも、ホークアイは、フィン・アーマーを扱いながらも、自身の手にする銃器の攻撃は止まっていない。更には、そこからうち二枚が反転すると、光弾を撃ち放つ。

 シャルロットの攻撃手数は両の二手のみ。対するホークアイは、両の二手は変わらないが、自立機動兵器は一から四にもなりえていた。手数はどうあっても圧倒される。

 それでも、懸命にシャルロットが喰らいつけているのは、彼女が得意とする『高速切替』によるものだった。

 だが――

 極端な言い方をしてしまえば、あくまでもそれは、代表候補生によるささやかな抵抗でしかない。対等な戦況にすら至っていない。

 ハイパーセンサーが奏でる緊急通告――ロックオン。ホークアイの脚部から、ミサイルの群れがバラ撒かれていた。

「――っ」

 機体を旋廻させて振り切ろうとするが、追尾するマイクロミサイルの群れは速い。

「まずいっ――『面』で圧されるっ!?」

 急加速で上空へ逃げては振り返り――

 アサルトライフルとマシンガンで撃ち落すが、撃ち漏らしたミサイルが直撃し、シャルロットは爆発に包まれた。

 が――

 立ち込める黒煙を切り裂き、ガーデン・カーテンを展開した橙のISはその姿を現すと――そのまま、シャルロットは『高速切替』による射撃の弾雨をホークアイに浴びせかかっていた。

「…………」

 無言のまま、ホークアイは機体を駆る。

 見えていないはずもなく――だが、それでも銃弾の豪雨など気にも留めず、被弾しようとも構わずに突き進むのみ。

 ホークアイは、撃たれることによる恐怖心など持ち合わせてはいなかった。

 対して、シャルロットは、向かってくる『行動』に胸中で声を漏らしていた。

(――何で停まらないの!?)

 それはまるで、感情そのものが欠落しているかのように。焦り迷い戸惑いもない、虚無そのもの。

 そこがふたりを大きく隔てる。

 片や戦闘の髄を知らない一代表候補生、片や戦闘の髄を知る一特殊工作員。命のやり取りを知るか知らないかの覚悟は違う。 

 結果――

 人間ではなく、人形を相手にしているかのような錯覚に陥ったシャルロットは、引き金に触れていた指先が僅かに緩んでいた。

 相手は、そこを見逃さなかった。

 瞬時加速で懐に潜り込まれ、気がついた時には、一瞬にして繰り出されていた蹴りがシャルロットの腹に叩き込まれていた。

「――――」

 臓腑を抉る打撃に息を吐き、胃液がせりあがる。

 だが、ホークアイの追撃は止まらない。橙のISが両手に持つ銃器を叩き落とすと、呼吸に苦しむシャルロットの髪を無造作に掴み――

「――ッ」

 声を上げることができないシャルロットが眼を見開いた先は、拳を振りかぶった姿の相手。

 黒の豪腕が殴りかかる。二度、三度と相手の顔、胸、腹を殴打し――

「これなら――」

 殴られ、ISを破損させながらも――だが、シャルロットとて、密着状態を逆に好機と捉えていた。彼女の左腕が瞬時に走り、装甲をはじかせ――切り札が晒される。

 一点突破――

 点による打突。69口径パイルバンカーを無理やり黒の機体の腹へと叩き込み――装填された次弾が次々に叩き込まれていく。

 第二世代型最強と謳われる最大攻撃力の直撃ともなれば、絶対防御は発動する。あのドイツ第三世代IS搭乗者、ラウラすら表情に苦悶を浮かばせたほどの衝撃。

 相手の機体が、これで行動不能になると確信をもったシャルロットの笑みは――凍りつく。

 ホークアイの表情は変わらない。むしろ澄ました顔とでもいうべきか。

「…………」

 この瞬間にもリボルバー機構により、次弾炸薬が装填され連射が続く。鈍い音を響かせて黒のリヴァイヴに必殺の杭は撃ち込まれる。にもかかわらず、眼の前の女性は口元を苦悶に歪めることもない。

 叩き込まれるパイルバンカーによる一撃一撃は、決して軽いものではない。その証拠に、ホークアイの腹部を襲う衝撃は、ISのシールドエネルギーが集中したことにより絶対防御が発動している。エネルギーを奪いながらも、相殺しきれない衝撃は、確実に搭乗者の身体を貫いている。

 いや、貫いているはずだった。

 そして、シャルロットは失念する。密着しての攻撃手段があるのは、何も彼女だけではないということが。

 がごん――と音を鳴らし、ホークアイが纏う両肩の装甲アーマーが跳ね上がり――

「あ」

 間の抜けた声音を呟くとともに、シャルロットの身体は、クラスターミサイルにより、光と炎、爆音に包まれていた。

 覗く砲口からの零距離射撃に晒され、シャルロットの口からは悲鳴も漏れなかった。否、漏らせなかった。

「――――」

 衝撃にのけぞりながらも、必死に離脱しようとするが、ホークアイの掴む手は髪から首へと移り逃がしはしない。さらには、呼び出されていた集束レーザーガトリングすらも、シャルロットの腹に押し当て撃ち放つ。

 ホークアイ自身も、零距離で起こる衝撃を直に受けているが、構わぬまま。

 瞬く間に、搭乗者のシャルロットを護るべく発動する絶対防御。だが、その身に受ける相殺しきれぬ衝撃は、ホークアイが喰らうレベルとは桁が違っていた。

 シャルロットのISが行動不能に達するまで、銃器による蹂躙は続けられ――ハイパーセンサーが無力化と判断した頃、一方的な掃討砲火を終えたホークアイは、事も無げに、気を失った相手を放り捨てていた。

 PICが正常作動しない機体は、そのまま重力に引かれ海面へと落下していく。

 それを、セイバーは捉えていた。

 サンシーカーを力尽くで斬り払い、撥ね飛ばすと――『打鉄』にかかる負荷など気にも留めず、全速力をもって、一直線に駆け抜ける。

 落ちるシャルロットの腕を掴み、刹那に体勢を立て直し身構え――セイバーは上空の二機に、キッと鋭い視線を向け、睨みつけていた。

 対して、サンシーカーは、にこにこと笑ったまま。ホークアイは、つまらなそうに見下ろすだけ。だが、不意に顔を逸らし――

「サニ、頃合だ。撤収する」

「えー、もう? まだ遊ぶー。ホークは先に帰ってていいよ」

 不機嫌そうに、頬を膨らませるサンシーカーだが、ホークアイは相手にしない。淡々と告げるだけ。

「スコールからの命令だ。オータムが失敗した。支援に向かい、合流次第、最優先に帰還しろとのことだ。誰ひとり欠けることなく戻れ、とな。それに……学園の方から、また何機かこちらに向かってくる」

「……ぶー、それじゃ、しょうがないか。つまんないの」

 言って二機は背を向ける。

 突然戦意を見せなくなる相手ふたりに――しかし、それは向こうの勝手な都合である。セイバーが戦意を失う道理はない。なによりも、腕に抱くシャルロットは倒されているのだから。

「待て……大人しく、逃がすと思うか?」

 ブレードを構えるセイバーに、だがホークアイは振り返らない。代わりに、サンシーカーが笑いながら応えていた。

「ばいばいお姉ちゃん、また遊ぼうね。追ってきてもいいけど……うーん、わたしとしては、続きがしたいから構わないよ? 出来れば、追いかけてきてほしいなぁ」

「サニ」

 窘めるように一言で制すホークアイに、サンシーカーは「はーい」と返答する。と、同時に二機は一気に加速し――瞬く間に空域より離脱する。

「くっ――待ちなさい!」

 後を追うように、セイバーもまた『打鉄』を駆り、疾る――のだが、その機体は、すぐに停止することとなる。片腕にある、シャルロットの姿。

「…………」

 迷いはしたが――シャルロットの身の安全を第一と考え、セイバーは追うのを諦め、学園に向かって機体を疾らせていた。




無駄に長引く。
それと、主人公の衛宮士郎くんは、更識簪さんとイチャイチャしています。


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35

一話では収まりきりませんでした。


「あら、簪さん」

「あ、葛木先生……」

 生徒や招待客の往来で賑わう廊下を、ひとり歩いていた簪にキャスターは声をかけていた。

 簪も呼び止められた声音に振り返り、相手がキャスターだとわかると、ぺこりと頭を下げていた。

 周囲に視線を向けてから、再度簪を見て、キャスターは訊ねていた。

「おひとり?」

「……は、はい……ええ、そうですけれど……」

 言いにくそうに返答する相手に、ふむとキャスターは顎に手を当てていた。

 文化祭ともなれば、相応に友人同士とつるんで行動するものだが、人付き合いが苦手という話は本音から聴いていた。

 せっかくの学園祭も、ひとりではつまらないだろうとキャスターは値踏みする。何より簪の格好は、いつもの制服姿だった。特別、クラスの催しごとにも関わっていないのだろうと容易に推測できた。

 簪もまた、本来であれば自身の専用機『打鉄弐式』を弄っていたかったのだが、学園祭ともなり、第二整備室は開放されていなかった。

 一年四組のクラスメイトとも交流があるわけでもない彼女にとって、クラスの催しごとに参加する気は浮かばなかった。朝から寮の自室にこもって好きなアニメを見て過ごしていたのだが、さすがにひとりでのつまらなさと見飽きたこともあった。

 制服姿のまま校舎にやってきたのだが、特に見たい場所もなかった彼女の足が自然と向いた先は、一年一組。三人の男性を中心にホストまがいなコスプレ喫茶店をやっているという話を事前に本音から聴いていたこともあり、特に抵抗もなく立ち寄っていた。

 本心では、本音と一緒に何処か回れればいいかなという淡い願望があった。

 クラス前にやってきて驚いたのは長蛇の列。噂には聴いてはいたが、これほど人が並んでいるとは思わなかった。

 隙間から中を除いてみれば、忙しなく動いている士郎の姿を見つけていた。本音の姿はなく、自身が嫌う織斑一夏の姿もなぜか見当たらなかった。

 どうしようかと迷ったが、やはり、寮にまた戻ろうと踵を返し――

 そんな時に彼女はキャスターに声をかけられたのだった。

「なら、今、お暇かしら? ちょっとお着替えしてみない?」

「え?」

 聴き返す相手に、キャスターはにこりと微笑んでいた。

 

 

「…………」

 簪は困惑していた。

 別のクラスの生徒、部外者の自分がここに居ていいのかがわからなかった。

 確かに、一組の生徒と話をしたことなど、本音と士郎以外ではひとりもいない。だが、生徒たちは簪に対して極々普通に接していた。

 否、知っているのが当たり前かというように。

 だが、他人の眼に必要以上に敏感な簪が、この不自然さを感じぬはずがない。

 なんと言うのだろうか、周りの人たちは自分たちを見ているようで見ていない。なぜかそんな風に彼女は感じていた。

 だというのに、どうしてそうなっているのかが理解できない。なにかしらのからかいの対象にされているということもない。

 しかし、それ以上に不思議な状態を眼の当たりにしていた。

 向かいの席に座るのは、衛宮士郎――

「衛宮くん、顔色悪いよ? ちょっと休む?」

「…………」

 清香にそう声をかけられ、士郎は言われてみれば、ぼうっとすることに気がついていた。

 眩暈や気分が悪くなるわけではないが、なんとなくだが身体に違和感があり、だるさを覚えていた。

 そこへ簪を連れたキャスターが現れ、休憩するなら彼女の相手をしてあげなさいな、と告げると、また列の整理に戻っていった。

「更識、嫌なら嫌って言ったほうがいいぞ」

「あ、うん、あ、でも……その、嫌じゃない……かな」

「なんだそれ。まあ、本当に嫌だったら言ってくれ。言いにくかったら、俺が代わりに言うからさ」

「う、うん……」

「まったく……なんで他のクラスの……更識にまで着せてるんだか」

「あの……衛、衛宮くん?」

「ん?」

 そこで簪は、ぶつくさと呟く士郎に声をかけていた。

 視線を向けてくる相手に、しかし簪は咄嗟に顔を伏せていた。申し訳なさそうに、しかし、視線はちらちらと士郎へ向けながら。

 意を決して、彼女は問いかける。

「……あの……何で……衛宮くんは、その……メイドさんの服を着ているの?」

「…………」

 無言。

 簪が指摘するように、士郎の今の格好は、黒を基調としたメイド服だった。スカートから下、露になる脚は黒のタイツに包まれている。無論、ISスーツを着用している。穿いたことのないパンプスにより、足の指先は非常に痛い。頭にはセミロングのウィッグを付けられている。フリルのカチューシャも忘ることなく乗せられている。

 顔にもうっすらと化粧が施されている。

 対する簪の格好は、白のシャツに黒のベスト、黒のズボンといった執事姿だった。当然、キャスターが着替えさせていた。

 ウイッグを掴みテーブルへ放ると――すぐさま慌てて飛んできた癒子とさやかに被され、整わされる。

 元に戻し、櫛で梳かれ、出来に満足すると、何事もなかったかのようにふたりは戻っていった。ふたりの姿も、執事の格好だ。

「…………」

 一瞬の出来事に、簪も眼をしばたたかせ、無言だった。

 眼を瞑り――士郎は淡々と口を開き言葉を吐いていた。

 

 

 教室に戻るなり、士郎は腕を引かれてキッチンへと連れ込まれていた。

「わたしたちは、考えを誤っていたのよ」

「ほう」

 腕を組み、ひとり頷く癒子に対し、士郎はどこか興味なさ気に返答していた。

 周囲には、静寐と清香、さやかとナギも居合わせる。

 然したる反応を見せない士郎を無視するように、癒子はピッと人さし指を立てていた。

「いい? 人を呼び込むために、圧倒的に差をつけるために、わたしたちは他クラスにない、イニシアチブを存分に発揮することができたわ。結果はどう?」

「まあ、予想に反してスゴイ長蛇の列ができたよね。今も現在進行形で、人の列が作られ続けているけれど」

 さやかの声に、癒子はうんうんと頷いていた。だが、立てた指を左右に振る。

「うん。でもね、それだけではダメだということに気づいた……いや、気づかされてしまったのよ」

「……どういうこと?」

 これはナギの声。

「…………」

 癒子のもったいぶった口調に対し、嫌な予感がした士郎は無言のまま席をはずそうとしたのだが、「何処行くの?」と口にする静寐に腕を掴まれていた。

 指先を――すいとナギに向け、癒子は続ける。

「いい、確かに執事での御奉仕喫茶は評判が高かった。織斑くん、衛宮くん、ランサーさんに織斑先生のおかげで繁盛したわ」

「うん」

「でも、ここが盲点だったのよ」

「どういうこと?」

「……人っていうのはね、飽きやすいのよ!」

『――!?』

 告げられた言葉に――

 その発想はなかったとばかりに、静寐と士郎を除いた女子三人には電流が走る。

「確かに、人は熱しやすく冷めやすい」

「言われてみれば」

「迂闊だったわ」

 思案するように顎に手を当て、または口元を手で覆い驚き――各々ぶつぶつ呟く清香とさやか、ナギを尻目に、士郎は静寐にそっと耳打ちしていた。

「こんなトコで話をしてるよりは、お客さんを相手にした方がよくないか?」

「も、もうちょっとだけ付き合ってあげようよ」

 ふたりの会話を無視しながら――癒子は拳を握り締めていた。

「口コミ、人伝で確かに催し物の内容情報は広がって、このままいっても人気は落ちないと思うよ。でもね、学園祭上位入賞クラスに与えられるデザートフリーパスを確実に手に入れるためには、更なるテコ入れが必要だと思うわけよ。いわゆる、ダメ押しというヤツよ。使える手段は全て使って、万全に備えるべきだと思うの」

 癒子が言うように、学園祭での各クラス、部活動の催し物の投票を行い、上位入賞組には相応の賞品が用意されている。部費、特別助成金など、その中の一角にある学食デザートフリーパスをクラス女子は一丸となって狙っているのだった。

 話が長くなりそうだなと感じた士郎は、再び、そそくさとその場を後にしようとするが、今度は襟首をナギとさやかに掴まれ引き戻されていた。

 癒子は続ける。

「あげく、今は衛宮くんのみ。織斑くんもランサーさんも織斑先生がいないとなると、どうあっても回転率は落ちちゃうのよ」

「それは、仕方がないんじゃないかなあ……」

 顎に手をあて小首を傾げる静寐に頷き、清香は手を挙げ訊ね言う。

「そうまで言うには、何か考えがあるってことでいいのかな?」

「うん。要は、インパクトを与えればいいわけよ」

「そのインパクトってのは?」

 さやかの声音に――よくぞ訊いてくれたといわんばかりに、これ以上ないほどに顔をほころばせる癒子。

 彼女の口が開かれ、紡がれる内容は――

「衛宮くんを女装させるのよ!」

 その一言に――

 士郎は一目散に駆け出していた。が、横から飛びかかられた清香に足を払われ床に転がされると、簡単に捕えられていた。伊達にハンドボール部で身体を慣らしてはいない。更には、狭いキッチンでは逃げ場など限られていた。

 離してくれ、と呻き暴れる士郎から視線をはずし、癒子へ移すと――静寐は「え?」と再度首を傾げていた。

「えと、どういうこと?」

 まあ聴いて、と前置きした癒子は、立てていた指を床でもがく士郎へと向けていた。

 人を指さす行為はダメだよ、と静寐に咎められるが――直ぐに癒子は指の形を変え、掌で示す格好のまま説明していた。

「男性に執事の格好をさせて客を集めようとしたのが間違いだったのよ。発想の転換。逆を攻めるの! つまり、わたしたちが執事姿になって、男性陣をメイドさんにするのよ!」

「なるほど」

 腕を組んで頷くナギに、士郎は「なんでだよ」と反論する。

「いや、待ってくれっての! おかしいだろ? おかしいっての。自分で言うのもなんだけれど、結構客入り凄いんだからさ、このままコレで行こうっての! そんなおかしなことに挑戦する必要ないだろ?」

 だが――

「衛宮くん……人間てのはね、永遠に挑戦し続ける生き物なの。そこで甘んじてちゃダメ……もっと高みを目指さないと……終わりなんてないのよ」

 清浄潔白、とでも言うべきか――

 けがれない澄んだ瞳を向けて、癒子は静かに微笑んでいた。しかし、口にされた内容は立派だと思いはするが、士郎は半眼だった。

「何を真面目な顔で言ってるんだよ。単に面白がってるだけだろ、それは!」

「あーもう、うるさいな衛宮くんは。フリーパスのために協力してくれてもいいじゃない。皆のために犠牲になってもいいじゃないの。ちょっと女の子のカッコするだけじゃないの。何が不満なの?」

「まさかの逆ギレ!? 本音を漏らしたなっ!?」

「だーいじょうーぶー、ちゃーんと綺麗にしてあげるよ。そのために葛木先生を呼んであるから」

「はろー」

 癒子の声に応えるように、片手を上げて現れる自称保健医。

 だが、更に士郎は暴れるだけだった。

「や、やめろーっ! 最悪な人材を連れてくるなっての!!」

 激しく抵抗するのだが、やはり清香に押さえつけられたまま逃げることは叶わなかった。

「普段であれば、可愛い女の子限定だけれど、皆が楽しめるためにという大義名分を掲げる癒子さんに頼まれてしまってはしょうがないわ。不承不承。嫌々だけれど、頼まれた以上は、それに見合った仕事はきっかりするわよ」

「嫌ならやめろよ! 男なんざ着替えさせても面白くもなんともないだろう!?」

「まぁ、自分の限界に挑戦してみるのも一興よ。それに、男相手におめかしさせるとなるのは、意外とドキドキするわね。ランサーなら完全に御免こうむるけれども、あなたは可愛い顔立ちしてるしね」

 にこにこと微笑みながら、左手には化粧道具を、右手にはメイド服一式を持ったキャスターがにじり寄る。

「まぁまぁ」

「そういうわけだから……」

 面白そうだと、手をわきわきとさせながら……能面となったナギとさやかもまた歩み寄る。

「やめろっての! せめて自分で着替えさせろーッ」

「脱がせ脱がせ」

「ええい、大人しくしなさいっての! どうせISスーツ着てるんだから、恥ずかしがらなくていいんだから」

 わいのわいのと取り囲む一同を、静寐は呆れた表情を浮かべ溜め息を漏らしていた。

 

 

『…………』

 メイド服に着替えさせられた士郎の姿を見て、癒子と清香、静寐、さやかとナギは言葉がなかった。

 キャスターの化粧による腕もさることながら、素体なる士郎の格好は完全に女生徒と化していた。

「うん……なんか、スゴイ負けた気がする……男の子なのに脚綺麗……」

「……なんだか……女の子って言っても全然大丈夫なレベルだよね……」

 しみじみと呟くさやかとナギとは対照に、士郎は不貞腐れた顔をしているのだが。

 ただ、ひとつだけ気になる点があるとすれば――

「ちょっと歩いてみて」

「?」

 言われるまま歩いてみれば、腕を組み、うーんと首を傾げる癒子は「やっぱりね」と漏らしていた。

「歩き方は、やっぱり男の子だね。股を閉めて歩くように心がけてみて」

「見た目からなんとかしろと?」

 呆れたように、士郎は力なくそう呟いていた。

 思い出しても、やはりいい気分にはならない。そんな一悶着があったことを士郎は説明し終えていた。

「――と、いうわけだ」

「…………」

 無言のまま、簪の視線は周囲に向けられる。メイド服や袴姿も居れば、自分のように執事服の割合の生徒も多い。

 三種の給仕姿を見るともなしに見入る彼女へ、士郎は半笑いを浮かべていた。

「……更識、笑ってくれていいんだぞ? 女装が趣味なの、とか言ってくれていいんだからな? 俺は、もう、何を言われても気にしないからさ……」

 どこか遠い眼をして、半ば自棄になっている士郎に対し、簪は慌てて手をぶんぶんと振っていた。

「そ、そんなことない。それに、その……に、似合ってるし……か、可愛いし……」

「やめてくれ……こんな格好して、似合うだ可愛いだなんて、悪いけれど、嬉しくない褒め言葉だ……」

「あうぅ……」

 気落ちして沈む士郎をなんとか励まそうとする簪ではあるが――

 残念ながら、彼女の口から気の利いた台詞は紡がれなかった。

 と――

 横を通りかけた清香が話に割って入っていた。

「何か持ってこようか? コーラでも飲む?」

「……あー、うん。もらおうかな。更識にも何か頼むよ」

「オッケー♪」

 ちょっと待っててね、と一言残してキッチンへ駆けると、四個のグラスをトレイに乗せて戻ってくる。

 水の入った二個のグラスをテーブルへ置くと、簪の手元にオレンジジュースを置き、士郎の前にもグラスを差し出していた。

 喉が渇いていた士郎は迷いもなくグラスを取り――簪は、清香の口元がニヤリと歪むのを見逃さなかった。

「衛宮くん――」

 よからぬ不安を覚えた簪が制止するが、間に合うはずもなく、士郎はグラスに口をつけて喉に流し込み――

 ぶふっと激しく噴きこんでいた。

 舌を刺激する辛い酸味、氷で誤魔化されていたが、発酵した大豆の匂い。明らかに、自分が知っている炭酸飲料ではない味だ。

 その正体は――

「これ、醤油だろっ!?」

「はっはっはっ――すりかえておいたのさっ!」

「意味がわかんないぞっ!?」

 両腕を意味もなく突き出すように構えて笑う清香は、ピューと逃げていく。

 激しく咽る士郎に、簪はハンカチを取り出し、相手の口元をつい拭っていた。

 何をされたかを理解した士郎と、咄嗟ではあったものの、自分が何をしたのかを理解した簪は無言のまま。

『…………』

 気恥ずかしいふたりではあったが、士郎は簡単に礼を述べると水が注がれていたグラスを手に取っていた。

 彼にとって見れば、悪戯された意味が理解できぬまま。口直しの水――こちらは酢じゃないだろうなと、液体の透明度を見て、注意深く匂いを嗅ぎ――を飲む。

 

 

 女性の自分たちよりも可愛い士郎へ不満を持ったふたり――

 悪戯が成功したことに、イエーイとハイタッチをかわす清香と癒子に呆れながらも、キャスターは士郎の体調が優れていない理由に気づいていた。

 休憩に入っている今、このクラスに居合わせる人間全ては認識齟齬の暗示をかけている。それは、士郎を休ませるために。彼の体調に問題があるのは、魔力の消費による。ランサーとセイバーの影響だろうと察しはついていた。自身の魔力の流れにも違和感があることに気づいている。

 士郎の手の甲と二の腕に浮かぶ令呪は、召喚されたあの日からキャスターの魔術で人目に触れないように隠されているが、二騎の魔力消費により、現に今の片腕は僅かな熱を持っていることだろう。

「…………」

 戸口に立つキャスターの切れ長の眼が向けられる先は、士郎の手首に巻かれている赤い布――魔術礼装「マグダラの聖骸布」を模したかのようなソレは、IS『アーチャー』の待機形態である。

 体調不良となる原因を既にキャスターは説明していた。だが、それは真実ではなく偽りを交えてのこと。

「坊や、暗示を掛け直すのに、予想以上に魔力を使うことになるわ。わたし自身の貯蔵魔力も使うけれど、ラインの繋がるあなたの魔力にも影響が出るかもしれないの。気分が優れなくなるかもしれないけれど、我慢してもらえるかしら?」

 何のためにとの問いかけに対しては、ランサーの一件「生徒会長になる方法、特例措置の部費アップ」の対象の件でとだけ告げると、士郎はあっさりと了承していた。

 何の疑いも持たずに、逆に「頼むよ」とさえも言葉を残して去っていくマスターに、キャスターは感心と呆れが織り交ざった微妙な表情を浮かべていた。

「もう少し疑うということを覚えた方がいいと思うのだけれど」

 変なところは不必要なまでに勘付くクセに、大事なところは探索せずに意外と見落とす。

 話を鵜呑みにする士郎の甘さにやれやれと肩を竦めながらも、彼女は表情を改めていた。

 今日のところはコレで誤魔化せることができようが、もはや士郎本人に隠し事をして動くことは避けられぬレベルと判断する。

 話すべき頃合ね、と胸中で呟きながら、キャスターもまた踵を返していた。

 廊下で列の整理をしながらも、離れた一角で会話を交わす士郎と簪のふたりを見て――やれやれと肩を竦めながら――それも一瞬のこと、キャスターの表情は鋭いものとなる。

 彼女がセイバーやランサーのように追撃しない理由は二点。

 ひとつは、士郎の護衛のためにこの場に留まったこと。

 もうひとつは、彼女の固有スキル、陣地作成が大きく意味を成す。学園を神殿に見立てて張った結界は防御を固めてはいるが、本懐は別にある。

 聖杯や霊脈に頼れない今、魔力を得るには他から奪うしかない。その方法は、他者から精神力と体力を奪うものだった。

 結界を通じて得る手段――特に、多数の来場者で大いに賑う今日この日を、キャスターは逃すことはなかった。

 汚れ役をあえて買って出るのはキャスター。ランサーもその辺は気づいているのだろう。だが、彼は何も言いはしなかった。

 士郎にさえ告げてはいない。無論、話したところで許可など下りはしないだろう。故に、彼女の独断で行ったことでしかない。

 自分を含めたサーヴァント三騎の能力低下は、如何様にしても否めない。

 不足の魔力を補うには、もはや綺麗事だけでは済まされない。取り入れるだけ取り入れるため、対象者を死に至らしめるまで搾り取る気はないが、だからと言って、この方法は決して褒められたものではない。それでもキャスターは非道なマネを駆使するのも厭いはしない。

 よくよく見れば、体調が優れていないのは何も士郎だけではない。横を過ぎる清香と静寐も、些かではあるが、何処か疲れた表情を浮かべている。本人たちにしてみれば身体がちょっとだるいかなと思う程度。はしゃいだせいかと感じるぐらいだろう。

 それが純粋に接客によるものだけではないことを知っているのはキャスターのみ。

 無言ではあるが、キャスターは結界を緩めることもなく、クラスの手伝いを続けていた。

 しかし――

 魔力低下の影響は、着実にキャスターへも及んでいた。彼女の警戒力は、意思とは裏腹に綻びはじめていた。

 

 

 見た限りでは命に別状はなく、疲労が激しいシャルロットを預けたセイバーは、教員ふたりの制止も無視し、『打鉄』を駆り疾駆する。

 向かう場所は、ランサーが交戦する空域へ。

 「魔力放出」によって、機体に魔力を纏わせて高速飛行するセイバーではあったが、唐突に通信回線が繋がれていた。

 呼び出しは真耶。

「ひとりで先行するのは危険です」

 真耶の言い分は尤もではあるが、停まることはない。

 飛行速度を緩めながら疾るセイバーに追いついてきたのは三機。訓練機『ラファール・リヴァイヴ』に乗る真耶と、『ブルー・ティアーズ』を展開したセシリア、『シュヴァルツェア・レーゲン』を纏うラウラが続いていた。

 セシリアとラウラを連れて行かせたのは千冬の指示だった。

 交戦するセイバーたちの空域の変化。シャルロットのIS反応は消え、所属不明の二機は突如進行方向を変えて高速移動を開始する。

 向かう先のルートを割り出し、それがランサーたちの交戦空域だと知った真耶は気が気でならなかった。

 ただでさえ、二機を相手にしているランサーの『打鉄』は徐々に損傷率が上がっている。そこへ、シャルロットたちと交戦した所属不明の二機まで加わったとすれば、いくらなんでもランサーひとりでは多勢に無勢。

 真耶は考えるよりも早く、行動に移していた。

 立ち上がり駆け出そうとするが、その肩を掴み留めるのは千冬だった。

「落ち着け、真耶!」

「落ち着いてなんかいられません! 離してください! ランサーさんを見殺しになんて出来ません!」

 聴き分けのない子供のように、掴まれた腕を振り払おうとする真耶だったが、千冬は一喝する。

「落ち着けと言っている! 今この場で慌てたところでどうにもならん!」

「……っ」

 声量にびくりと身体を竦ませる相手に、ようやく手を離すと、諦めたように息を吐く。

「お前もこれ以上は言っても聴かんのだろう。行け。ただし、無理はするな……教師のお前が死ぬようなマネは許さんぞ」

「織斑先生……」

「……それに、どうやらセイバーも同じようだ」

「え?」

「見ろ」

 言われ、千冬が指し示した先へ振り返り、真耶が眼にしたのは、高速で移動するセイバーが乗っていると思われる『打鉄』のIS反応。所属不明の二機を追うように移動をはじめていた。

「教員ふたりと接触してから動きはじめたようだ。教員も学園へ動いていると言うことは……恐らくとしか言えんが、デュノアは無事なのだろう」

「…………」

「行って来い」

 千冬の声に向き直り――

「……すみません」

 軽く一礼すると、真耶は管制室から駆け出していた。

 居なくなった一年一組副担任を見送り、今の今まで口を挟まなかった楯無は、深く息を吐く千冬に言葉をかける。

「いいんですか? 織斑先生……山田先生を行かせてしまって……」

「……本音を言えば、行かせたくはないが、アイツがああまで感情を露にするなど久しぶりだ。見た目とは裏腹に、ああ見えて冷静に対処できる。それとだ。本当は、お前も行きたくはあったのだろう?」

「……ええ。動けるならば、わたしはここに居るべきではありません……悔しいですね、何が生徒会長でしょうか」

「なに、今のお前には、やれることをやってもらうさ」

「ええ」

 わかりましたと一言返すと、楯無は先まで真耶が座っていた場所へ腰を下ろすと、キーボードを操作する。

 千冬は携帯電話を手に取っていた。真耶とセイバーだけでは荷が重い。巻き込みたくはないが、千冬にとって動かせる人間は限られていた。

 数回のコール音の後、目当ての人物が応答する。

「ボーデヴィッヒ、わたしだ」

「教官? どうかしましたか?」

「ああ、少々込み入ったことが起こってな。お前は、今何処に居る?」

「はっ。第四アリーナの外に出たところであります。セシリアと一緒ですが」

 セシリアと一緒と聴き、一瞬眉を寄せた千冬だが――直ぐに口を開いていた。

「他の連中はどうした? 演劇に出ていたと聴いているが?」

「箒と鈴は、わかりません。シャルロットも同様です。それと教官、嫁の姿が見当たらないのですが、ご存知ありま――」

「ボーデヴィッヒ、くだらん話は後にしろ。今からそこに居るオルコットを連れて、第四アリーナの格納庫へ向かえ。山田先生が居るはずだ。落ち合い、彼女の指示に従い行動を共にしろ」

「は? あの、教官……どういうことでしょうか?」

「詳しく説明している暇はない。お前たちにしか頼めんことだ」

 事態を呑み込めないラウラだったが、相手の声に素直に従い、了解しましたと返答することしかできなかった。

 飛行中に事のあらましを真耶から聴いたラウラとセシリアは、ただただ驚くばかりだった。だが、やるべきことを理解したふたりの表情は変わっていた。

 今は、一刻も早くランサーのもとへ辿りつくこと。

 刹那――

 三機の前に滑り込んだセイバーは、飛来する閃光をことごとく斬り弾いていた。

 セイバーの技量に驚くが、さらに驚かされたのは弧を描き曲がった閃光。

 高速接近し、眼の前を塞ぐように佇む機体。その機体を見て、誰よりも早く、真っ先に声を上げて反応したのはセシリアだった。

「『サイレント・ゼフィルス』っ!? そんな……どうしてここに!?」

 彼女は胸中で「馬鹿な」と叫んでいた。

 自国イギリスに有るはずのBT二号機が、何故ここに存在するのか、と驚愕に眼を見開きながらも、セシリアが持つ感情は「困惑」の色合いが強かった。

 フレキシブル――

 セイバーが斬り弾いたのは、偏向射撃。自分が未だ習得できない技能を眼の前の相手は物にしている。

 否、それよりも、BT適正最高値を記録したのは自分のはずだというのに――

 驚きと推測にセシリアは顔しかめていた。

 しかし、こんなところで足止めを食うわけには行かなかった。

 邪魔をする以上は、所属不明機の仲間なのだろうと判断すると、武装を展開し、前に出たのは――真耶。

「オルコットさん、ここはわたしが抑えますから、セイバーさんとボーデヴィッヒさんを連れて先に行ってください」

 真耶の言葉に、しかしセシリアは首を振る。

「いいえ、悔しいですけれど……山田先生とセイバーさん、おふたりの方が今のわたしたちの中では一番の戦力ですわ。あの機体の相手は、わたくしとラウラさんが致します」

「……オルコットさん」

 真耶にとって、その進言は受け入れがたかった。見た限りではあるが、いくら代表候補生といえど、眼前の搭乗者は容易な相手ではないと雰囲気で感じ取っていた。

 口を開きかけるのだが、それよりも先に言葉を発していたのはセシリア。

「山田先生、それ以上は仰らないでください。何も、わたくし自惚れて口にしているわけではございませんの。むしろ逆ですわ。格好つけているわけでもございません。ですので、どうか、先をお急ぎになさってくださいまし」

 冷静に考えれば、真耶かセイバーが残るのが相応ではあろう。だが、今ランサーが相手にしているISは四機。うち三機は量産型の第二世代型とはいえ搭乗者の実力は結構なものだという報告を受けている。一刻も早く救援に向かわなければならない。

 ならば、真耶とセイバーのふたりをここに残すわけにはいかない。欲を言えば、ラウラも先へ送りたいが、セシリア自身は己の実力を理解していた。セイバーやランサー、士郎を相手にしても能力が劣っている今の自分では倒せない。実力が違いすぎる。

 逆も同じことだった。ラウラだけに任せるにも、苦い重い相手だというのがセシリアの直感。であれば、自分とラウラのふたりがかりで処理するのみ。

 セシリアの顔を見て――何かを言おうとするが、言葉を呑み込み真耶。

 生徒を危険にさらしたくないという思いはあるが、実際にこうして連れてきている以上は覚悟を決めねばならない。

 幸い、セシリアひとりでは下手な無茶をするのではと不安はあったが、軍人であるラウラが一緒であれば、まだなんとかなるだろうという思いがあった。

 当たり前ではあるが、幾ら軍人のラウラとはいえ、一生徒に変わりはない。ラウラが居るから全てが巧くいけるだろうという考えを真耶は持っていなかった。

 しかし、それでも、彼女は決断する。瞬時に回線を開き、シャルロットを保護した榊原菜月とエドワース・フランシィらに、セシリアたちの応援に向かうよう頼んでいた。

「ごめんなさい。頼りない、こんな先生で」

「セシリア、ラウラ……すみませんが、ここはお願いします。決して、無理はしないように。危険と判断した場合は直ぐに退きなさい。先程の教員の方が来てくれます。マヤ、飛ばしますよ」

 言って、セイバーは真耶の腕を掴むと、瞬く間に加速していた。

 音速で消える二機を見送り、フンと鼻で笑いラウラは身構える。

「さて……ならば、早めに片づけなくてはならんな」

「そのようですわね」

 頷いたセシリアの手には、レーザーライフル、スターライトmkⅢが握られていた。

 バイザー型ハイパーセンサーで顔を覆う『サイレント・ゼフィルス』の搭乗者が妨害するでもなく素通りさせたことに、特に意味はない。ただ単に、セシリアの口にした言葉が気になっただけだった。

「解せんな。それではまるで、勝つつもりで口にしているようだぞ?」

「誇りある英国機体に乗っているわりには、知能はお粗末過ぎるようですのね。言語を理解できないのでしょうか? そのつもりで申しましたけれど……もう少し噛み砕いてご説明いたしましょうか?」

 挑発のつもりなのだろうが、その程度で相手は釣られはしない。

「ふん、ろくに機体も操作できず、満足な結果も残せぬ貴様がイギリス代表候補生に専用機持ちとはな……落ち目の貴族に与えるとは、よほどイギリスはレベルが低いと言うことか。それと――」

 首を動かし、顔を覆うバイザー越しの視線をラウラへと向ける。

「ドイツの遺伝子強化素対の出来損ない……欠陥品が、一丁前に専用機持ちとはな、実にお笑い種だ。くだらん塵屑二匹が相手をするとは……先の元代表候補生止まりの女ならまだしもな」

 くつくつと笑う『サイレント・ゼフィルス』の搭乗者に――セシリアも笑みを浮かべて応えていた。

 冷静に振る舞いはするが、その実、内心はハラワタが煮えくり返っている。相手の言葉に踊らされ、猪突猛進といかないのは、少なからずセイバーやランサーとの模擬戦の成果。

 熱くなっては、周りが見えず、勝機すらも見出せぬ――

「ええ、仰るとおり認めましてよ。ですが、わたくしにも意地がございますの。その機体はイギリスのものですので、返していただきますわ。それに、あのふたりを先に行かせたのにも意味がありましてよ?」

 優雅に、だがそれでいて双眸に宿る意志を見せながら、彼女は告げる。

「強者を、こんなところで足止めさせるわけにも行きませんものね。相応の舞台はこの先ですし、格下の方と踊る円舞曲は、わたくしたちだけで十分でしてよ? うるさいハエを払うのに、おふたりの御手を煩わせる必要もございませんの」

「……貴様」

 静かに、はじめて感情の変化を見せる相手。

「どうしてあなたがその機体に乗っているのか。どうしてあなたがその機体を手に入れたのか。詳しく聴かせていただきますわよ」

 セシリアは視線も向けずに、横に並ぶ友人へ声をかける。

「そういうことですので、ラウラさん、申し訳ございませんが……わたくしにお付き合いいただいてもよろしくて?」

「……今更だな。何を改める必要がある? わたしも同じことを考えていたぞ。どちらにせよ、セイバーと山田先生を先に行かせることに変わりはなかったからな」

「感謝しますわ」

「なに……では、先も言ったが、あの機体を拘束してから追うとしよう」

「ええ。塵屑は塵屑なりに、力を見せてさしあげましょう」

 言って――

 ラウラは眼帯を外し、ハイパーセンサー補助システム『ヴォーダン・オージェ』を発動させ、セシリアは四機の自立機動兵器を展開していた。

 黒と蒼の機体は空を翔ける。

 

 

 両手首装甲から伸びる三爪状の大型ブレード、パペットクローを振りかざし、スノーはあざけりの笑いを漏らしていた。

「キャハッ!」

 斬りかかる右腕部のクローをゲイボルクで防ぎ、突き込まれる左腕部のクローをランサーが駆る『打鉄』の右手が掴み留める。

 だが――

 耳障りな音がランサーの両腕部の間接部分から鳴り響く。拮抗するIS自体が劣勢に傾きはじめていた。

「――クソッ」

 罵声を漏らしたランサーの眼が向けられる先は、側面に回り込み、カタールを構え斬りかかってくるオータム。

 『打鉄』の両腕をふさがれたランサーは、舌打ちとともに右の装甲脚を跳ね上げていた。

 カタールの切っ先を脚で防ぐのだが、踝にあたる部分を貫かれる。

 刺さる刀身は先端のみ。カタールはそれ以上刺さりはしなかったが、無理な体勢からランサーは身をよじったため、損傷部分が大きく広がる。

 右脚に組み込まれた補助スラスターまで被害が及ぶが、その格好のまま、構わずにオータムを蹴り飛ばす。

 三機の戦闘空域は、今は海上へと移行していた。

 相手を追い立て、または誘い出すように、高速で斬り合いながら、ランサーは市街地上空からオータムたちを引き離すことに成功する。

 もっとも、オータムにとっては、なんとしても『白式』のコアを持ち帰るために襲いかかっていたのだが。ランサーもそのことに理解した上で、相手をいいように利用しながら誘い出していた。

 危惧していた眼下の市街地への被弾という憂いも消えたことにより、ランサーは気を使うこともなく存分に戦闘に集中できていた。

 そのまま――

 スノーを掴み留めた腕を疾らせ、半円を描くように身を捻ると――力任せに、オータムめがけて投げ飛ばしていた。

 振り回され、体勢を立て直すこともできぬスノーと、避けることもできなかったオータムの両者は、なす術もなく衝突する。

 槍を構えて突撃するように疾駆するランサー――だが。

「ふひっ――」

 呻き、未だ体勢を立て直せていないオータムとは対照に、嗤いながらスノーは右腕を突き出していた――瞬間、ランサーの身体が凍りついたように動かなくなる。

「なんだ、コリャ――」

 眼に見えない何かに掴まれたかのように。それはまるで、ライダー、メドゥーサが持つ魔眼「キュベレイ」による石化のように。

 だが、無論のこと石化魔眼などではない。その正体は、ラウラが駆るドイツ第三世代型IS、『シュバルツェア・レーゲン』に搭載されている特殊兵器と同じ、慣性停止能力、アクティブ・イナーシャル・キャンセラー。

 例外なく、ランサーの駆る『打鉄』もまた、空中に縫い付けられたかのように固定していた。

 表情を歪ませるランサーとは逆に、スノーはせせら哂う顔をしていた。

「やっべ――」

「ヒャハッ!」

 動かない的となった相手に、白の機体がかざす無骨な右腕の砲口から放たれた三発のグレネード弾が撃ち込まれ――狙い違わず着弾する。

 爆音と爆発。炎と煙を巻き上げる中、ようやくAICの認識対象から外れたランサーが飛び出してくる。

「ああくそっ――邪魔くせぇモン詰め込んでやがるな」

 グレネード弾の直撃により、機体の至る所から機体維持警告が鳴りはじめる。ランサー自身にダメージはないが、機体の『打鉄』はそうもいかなかった。

 対IS装甲突破用特殊徹甲弾――

 両腕、両脚の装甲は爆発と衝撃によって、一部は壊れてなくなっている箇所もある。

 左腕部と右脚部はPIC反応が完全に消失していた。従来の、ただのISアーマーとしか機能しない。

 PICが正常作動しない場合、本来であれば搭乗者にとっては、鋼の塊を括られていることになる。それでも左腕と右脚が動かせるのは、サーヴァントの筋力で振り回しているだけでしかない。

 サンシーカーと同じように、戦闘中に三錠の薬物を摂取したスノーは、身体能力を爆発的に底上げしている。

 反応速度も、人間にしては先までとは比べられないほどに。

 サーヴァントとはいえ、飛行能力を持たぬ彼が空を翔けるにはISに頼るしかない。そのISは既にボロボロの状態にまで追い込まれていた。

 いくらランサー自身がISに抗う力を持っていようとも、『脚』となる『打鉄』は限界に近い。

 ケタケタと嗤い、両腕の大爪、パペットクローで斬りかかるスノーの斬撃を左腕で受け止め――シールドバリアが機能していない装甲が紙のように抉られていた。

 構わずに、ランサーは半壊した物理シールドを掴むと、フリスビーのように投擲する。

 シールドとはいえ、ランサーの力で投げつけられもすれば、それはちょっとした凶器にさえ成り果てる。

「くはっ」

 嗤い、スノーは容易く斬り弾く。だが、一瞬とはいえ、相手の動きが止まったところをランサーは逃がしはしない。

 シールドを払った空間に、入れ違うように現れたランサーの蹴りを受け――白のリヴァイヴは咄嗟に両腕を重ね衝撃を殺しながらも後方へ下がらされていた。

「ビービーやかましいったらありゃしねぇ」

 腕部、脚部から機体維持警告域の表示が、警告音ともにひっきりなしに鳴り響く。これ以上機体損壊が続けば、ISが強制的に解除される場合もある。空中で放り出されもすれば、いくらランサーとて対応する術はない。真下は海なのだから。

(これが、足がつく地表なら、まだなんとかなるんだがな)

 追い込まれているとはいえ、余裕の考えを持つランサー。

 ――が。

 すぐに、煩わしそうに吐き捨てると――たった今吹き飛ばしたスノーが急速接近し、パペットクローを振り上げる。

 斬りかかる両のクローを弾き――

 そこへ横合いから撃ち込まれる二条のレーザーをまたも斬り捨てる。

 面倒な装備を持つスノーを先に仕留めようとしたランサーだが、阻むようにオータムの駆る『アラクネ』が眼の前に滑り込んでいた。

 AICが有効だとわかったオータムは、カタールと装甲脚で襲いかかる。

「死にさらせっ!」

「うるせぇなぁ!」

 槍の柄とカタールの刀身がぶつかり合い、火花が散る。

 オータムはスラスター推力を上げているのか、槍の打突に喰らいつき――二刀のカタールで斬り返していた。

「ちっ――」

 打ち合いながらもランサーの手が止まることはない。加速度を増すオータムの一撃一撃を弾き、逆に攻め込みながらも――舌打ひとつ。

 『打鉄』自体のダメージにより、動きが完全に鈍くなっていた。それは当然、搭乗者のランサーは理解しており、オータムもまた気づいている。

 ニタリと嗤い、彼女は叫ぶ。

「スノー! こいつを停めろ!」

 槍で斬り払いながら――ランサーの眼は、オータムの指示に従い、離れた場所で再び右腕を向けようと動くスノーの姿を捉えていた。

 しかし――

 振り下ろされた二本の装甲脚を蹴り弾くと――

 二度も同じ手を喰らう彼ではない。

 一瞬にして、『アラクネ』と切り結んでいた『打鉄』は――カタールをいなし払った隙に加速していた。

 スラスターが半分死んだまま、機体制御が利かないながらも、楕円の軌道を描くように、オータムの股下を掻い潜る。

 そのまま――スノーから見て斜め後ろの空間、数十メートルほど離れた位置に疾駆する。

 唐突に対象を見失い、未だハイパーセンサーが索敵に追いついていないスノーめがけて――ランサーはゲイボルクを投げ放っていた。

 音を切り裂き――白のリヴァイヴの右腕を槍が貫き過ぎると、数秒遅れて爆ぜていた。

 爆発は、ゲイボルクの投擲によるものだけではなかった。右腕に搭載されているグレネード弾にも誘爆したのだろう。

 更なる爆発を危ぶみ、装甲を切り離しはしたのだろうが、思った以上の損壊を逃れることはできなかった。

 腕部――右腕半ばから先を抉り取られ、パペットクローも爆発の衝撃によって壊される。撒き散らされた破片が眼下の海面へと落ちていく。

 一瞬の出来事に唖然としたのはオータム。スノーもまた壊された右腕を不思議そうに見つめていた。

 ただひとり、笑うのはランサーだ。彼は再び腕に紅い槍を握っていた。

「これでおかしな手品は使えねえな?」

「――テメエ」

 静かに呟くオータムだが、その表情は焦りが浮かぶ。

 散々相手に翻弄され、いいように手も足も出ずに打ちのめされ続けたところへ、ようやくして有効となる手段が見つかり、一泡吹かせることができたと思えば、瞬く間にその策さえも潰されていたのだから。これでは元の木阿弥になってしまった。

 相手の機体は、もはや『死に体』だというのにだ。生き残っているスラスターも、メインとなるスカートアーマー背面部と、左脚部の補助スラスターのみ。

 刹那――

「っと――」

 頭上から――視界を遮るように肉迫した黄色のISが身を翻し、手にする大剣を『打鉄』めがけて振り下ろしていた。

 

 

 轟音を上げ、叩きつけられた一刀を槍で受け止めるが、サンシーカーの駆るISの連撃は続く。

「ちっ――」

 舌打ちながらも、サンシーカーと斬り合うランサーは後退せず。

 バイザーで顔を覆っているため表情はわからないが、相手の口は嬉しさに歪んでいる。

「はじめまして、お兄さん。わたしとも遊んでくれる? さっきの金髪のお姉ちゃんと同じくらい強そうだね」

「…………」

 その言葉に、ランサーの警戒は一際強くなる。

 相手――眼の前の子供が口にした「金髪のお姉ちゃん」とは、離れた場所で感じたサーヴァントの気配と消去法からして、セイバーとあたりをつけていた。どういう経緯かはわからないが、一戦まみえ、更には倒されもせずに逃げおおせたのだろう。

 能力が低下しているとはいえ、セイバーから逃げることなど、簡単なことではない。にもかかわらず、こうしてこの場にいるということは、それほどまでに眼の前の少女はIS操作能力に長けているのだろうと決めつける。

 長年の経験――戦場から離れることもなく、さまざまな人間、人外を眼にしてきた手前、相対する少女からは、年頃とは思えぬ雰囲気さえも感じ取っていた。

 黄色のISが握る大剣を見て――ランサーは口元を吊り上げていた。伊達や酔狂で、あんな巨大な剣を振り回すわけがない。腕にも相当自信があるからこそ扱っていると読む。

「ガキにしちゃやりやがる。末恐ろしいな……」

 バーサーカー、ヘラクレスを思い出しながら彼。

 あははと嗤いながら切り結ぶ相手。剣技は洗練された域ではないが、本能に従い振るう直感的な運び。ランサーの槍を巧みに捌く。

「あはっ♪」

 スラスターを最大に、機体全体を使ってその場で反転し、振り下ろす一撃を――ランサーは罵声を漏らしながら受け止めていた。

 だが、衝撃に右腕部の反応もここで途絶える。完全に両腕のPICは沈黙する。

 重い一撃。サンシーカーにとっては渾身の一振りだが――『打鉄』を素早く駆り、ランサーはその場を切り抜けていた。

 瞬前までいた空間を奔るのは、スノーが駆るリヴァイブの大型クロー。

「キャハッ!」

 嗤いながら、ガラス玉のような紅い眼球がギョロリとランサーへ向けられる。

「さぁて、どうしたもんかねぇ……」

 軽い声音。ついで息を吐き、ランサーは肩を竦めていた。

 視界に捉える三体のIS。下にスノー、左手側にサンシーカー、右にオータムを捉えながら。

 三機を相手にするのは問題ない。だが、それはあくまでも、サーヴァントたる『ランサー自身のみ』という限定での話である。

 彼が駆る『打鉄』自体が、もはや限界に近かった。

 ランサーの動きについてこれていない機体。至る箇所から警告音が鳴り響いている。周囲に浮かぶ表示ウインドゥ。損傷率は既に80パーセントを越えていた。いつオーバーヒートを起こしてもおかしくはない状態だ。

 しかし――

 対照に、浮かない表情はオータム。それもそのはずだろう。

 槍一本だけで、他には何も武装を持たない訓練機を相手にし、こちらは二機がかりだというのに、未だに撃ち墜せていないのだから。

 『打鉄』の機体は確実にダメージは負っている。にもかかわらず、機体を操り、自分やスノー、果ては増援として現れたサンシーカーの斬撃まで巧みに捌き今に至っている。眼の当たりにする現実を、オータムは受け入れることなど出来はしなかった。

 決して、自分たちのIS操縦技術が低いわけではない。組織「亡国機業」内でのIS能力はトップレベル。操作能力を比べれば、相手の『打鉄』に乗る男は拙いものがある。

 そうなのだが――

 それでも、こうして生き残っているのが理解できずにいた。

 オータムの心境を汲み取ったかのように、ランサーは口を吊り上げる。

「往生際が悪ぃモンでなぁ。テメエの読み通りにゃいかねーぞ? お前らの動きは大体わかった。コイツ(打鉄)がぶっ壊れる前に、沈めてやんぜ」

 ランサーが有する「戦闘続行」能力。

 名前の通り、戦闘を続行する為の能力は、決定的な致命傷を受けない限り生き延び、瀕死の傷を負った状態でも戦闘の続行を可能とする。それは纏うISに乗りながらも同様に。

「ちっ――」

 小さく呻くことしか出来ずにオータム。本来であれば一笑に付したであろうが、彼女は、相手の口から発せられた言葉を、出まかせ、虚勢、と取ることは出来なかった。

 何故、そう思ったのかはわからない。わかりはしないが、男が口にする以上は、実際にやりかねないと危惧していた。

(往生際が悪いってレベルじゃねぇぞ……アラクネにムスペル、ネージュの三機だってのに……)

 オータムが奪ったアメリカ製、軍事用IS『アラクネ』――

 サンシーカーが駆る黄色い機体、近接戦闘特化型『ラファール・リヴァイヴ・カスタム・ムスペル』――

 スノーが操る白い機体、接近戦も中距離戦も得意とする『ラファール・リヴァイヴ・カスタム・ブランシュネージュ』――

 いずれも、三下程度の安い機体ではない。この三機であれば、たかがIS一機など、ものの数分とかからずに無力化できる能力を有している。

 と――

「まあいい、そんじゃまぁ……まずはテメエだ。いい加減、そのツラも見飽きたところだ」

「――っ」

 鋭い眼光が向けられた先は――オータム。

 飄々とした態度ではあるが、ランサーの口から発せられた言音は深く、重く、冷たさを含んでいた。 

「――――」

 オータムは動くことができなかった。

 ランサーから放たれる殺気に、彼女は呼吸すら忘れかけたように。相手の構えは、先までの雑さなど一切なく、寸分の狂いもない。

 槍の穂先は海面へ穿つ様に向けられるが、ランサーの獰猛な双眸はオータムを射抜いている。

「…………」

 背筋が凍る。言葉も無く、彼女は構える事も出来ない。

 恐怖によって、何もすることが出来ないといった方が正しいだろう。

 相手が握り構える槍の穂先を僅かに下げると同時――

 空気が変わったのがわかった。先までとは比べられないまでの殺気が更に溢れ出す。

 否、人間が放てるものなのかと何度も考えさせられるほどに。

 尋常ではない雰囲気に呑まれたオータムは無言のまま。

 他の二機からは、ランサーは背を見せ無防備であるというのに、スノーとサンシーカーもその場から動くことができなかった。

 歯を見せて、笑みを浮かべていたスノーの口は自然と閉じられ、サンシーカーは、バイザー型ハイパーセンサーに覆われた眼をぱちくりとさせていた。

「…………」

 槍を構えたランサーの身体が沈む。

 殺される――

 馬鹿げた話であり、信じられないはずなのだが――恐怖を覚えたオータムの直感がそう告げる。

 シールドバリアも絶対防御も関係なく、男が動いた瞬間に、自分は「死ぬ」とそう理解していた。

 槍を構え、疾り出す――瞬間、ランサーはその空間から後方へと飛び退いていた。

 が――

「――っ」

 ランサーの反応についていけない『打鉄』の左脚が、頭上から奔る一条の鋭い閃光に撃ち抜かれる。

 亡国機業のメンバーたちの中で、唯一動くことが出来たのは、交戦する四機の更に高高度上空で様子を窺っていた一機のIS。

 黒い機体は、ホークアイが乗る中距離遠距離後方支援型、『ラファール・リヴァイヴ・カスタム・ヴェズルフェルニル』――

 彼女は光学迷彩により機体を隠したまま、大型スラスターでの姿勢制御を行い滞空するに留まっていたが、ようやくして行動を起こしていた。

 高感度ハイパーセンサーが捕捉するのは『打鉄』。

 ロングレンジスナイパーライフルを眼下に構えた彼女は、自身の『鷹の目(ホークアイ)』の名の通り、鋭く広い観察力により精密射撃を開始する。

 生き残ったスラスターを制御しながらも、二射目、三射目の奔る光弾をかわし、斬り弾き――ランサーが眼を向けたときには、大剣を振りかぶったサンシーカーが迫っていた。



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36

 頭上から降り注ぐ精密射撃に、ランサーの動きは最小限に押さえ込まれていた。

 遥か上空に捉えるのは黒い機体。

 先からの見事なまでの射撃を繰り返すのは、アイツだなとランサーは確信していた。

 同時に、ホークアイは戦慄を覚えていた。遥か離れた空間だというのに、高感度ハイパーセンサー越しに捉えている相手の眼と眼が合ったかのように。

 馬鹿げた話ではあるが、間違いなく、『打鉄』の搭乗者はこちらを見据えている――

「――っ」

 動揺を隠すように、ホークアイは更にスナイパーライフルを撃ち続けていた。

 斬りかかってくるサンシーカーの動きに合わせた頭上からの援護狙撃。

「ああ、くそっ――めんどうくせぇなぁ! 上からバカスカ撃ちやがってよ!」

 大剣の薙ぎ払いを弾き――生き残っていたもう片方の物理シールドが撃ち抜かれていた。

 僅かにランサーの意識が向けられたその隙を、サンシーカーは見逃さない。

 大剣を斬り返す――瞬間、一陣の強風が吹き抜ける。

「ランサーッ!」

 風を切り、弾丸のように駆けるセイバーは、今まさにランサーに大剣を振り下ろそうとしていた黄色いISめがけ、その勢いのまま、機体ごとぶつかるかのように斬りかかっていた。

 横合いからの突貫に、虚をつかれたサンシーカーではあったが、その顔には驚きの笑みを張りつかせる。標的をセイバーへ移した彼女にとって、もはやランサーなど眼中には無い。

 瞳を輝かせて喜ぶサンシーカー。

「あはっ、本当に追ってきたんだ、お姉ちゃん」

「…………」

 子供特有の無邪気な狂気に――相手の声に耳を貸さず、秀麗な顔を曇らせたセイバーは身を翻しブレードを振るう。

 サーヴァント能力を発揮し、斬りかかる剣閃を――しかし、サンシーカーもまた臆することなく受け流す。

 セイバーの剣戟は、先よりも鋭く速い。重さも乗り、斬撃に力が増している事に気づきながらも、嬉しそうに声を漏らしながらサンシーカー。

「それがお姉ちゃんの本気なのかな?」

「…………」

 やはり返答はせず、疾風のように振るう三撃。

 ことごとく斬り弾かれ、やはり懐に潜ることはできない。

 それと――

 ブレードによる四撃目を繰り出すことは叶わなかった。

 表現するならば「ビシ」という微かな音。

 音は僅かに鳴りはしたが、止むことはなく、むしろ逆に、連鎖するかのように響きは続き――

 鈍い音を上げ――セイバーが握るブレードが砕け散る。

「くっ――」

 耐久限界を迎えたのか、相手の大剣の力量によるものかは、今ここで解明するなど意味もない。

 武器の役割を失った柄を放り捨てる相手に、サンシーカーは笑い声を零し――眉を寄せていた。

 セイバーの眼は戦意を含んだまま。ブレードを失ったと言うのに、諦めてなどいない。空手であるはずの両腕が、何かを掴む。

 サンシーカーには、わかるはずもない。

 風王結界(インビジブル・エア)――

 幾重にも風を纏わせた、光を屈折させて形状を不可視とさせた剣を彼女は握る。轟々と音を立てて吹き荒れる風は彼女の手元から。

 そのまま、眼に見えない何かを頭上に掲げ――迷うことなくサンシーカーへ振り下ろされていた。

 瞬間、尋常ではない旋風が巻き起こる。荒れ狂う風は「槌」となり、サンシーカーの大剣を半ばから叩き割っていた。

「わっ!?」

 サンシーカーの大剣を砕いた一撃は、纏わせた風を解放することにより、暴風として撃ち出された風王鉄槌(ストライク・エア)

 武器を破壊され、徒手となった少女を斬り伏せるべくセイバーが間合いを詰める。無力化するには、スラスターを破壊して行動不能にさせざるをえない。

 風を切って振り下ろされる二撃目は、瞬時にセイバーの判断を見誤らせていた。

 サンシーカーの片手に握られるは――戦斧と槍を合わせた長柄武器、ハルバード。

 見えない一刀を、少女は勘を頼りに斬り弾いていた。

 後方へ飛び退き間合いを取るが、サンシーカーの眼は、セイバーの手に向けられていた。

 渦巻く風の塊を手にしているとでも言えばいいのか、音を立てて見えない何かを視界に捉えながら。

「すっごいね、お姉ちゃん……その手に持っているのは光学迷彩の武器かなにかかな? まさか、レーヴァテインが壊されるとは思わなかったけど」

 レーヴァテイン、とは少女が扱っていた大剣の名なのだろう。

 逆に、セイバーは問うように言葉をかけていた。

「……あなたの武器は、大剣だけではない……というわけですか?」

「わたしは、レーヴァテインしか持ってない、なんては口にしてないハズだよ、お姉ちゃん?」

 言って、サンシーカーは剣の柄――半ばから砕けた大剣レーヴァテイン――を海面へと放り捨てる。

 ハルバードを両手で握り構えると、何の躊躇もせず斬りかかっていた。

「――っ」

 これに驚いたのはセイバーだった。

 脚、腕、首、腹を狙うように撃ち込まれる打突を、風王結界で斬り弾く。

 本来であれば、相手の不明確な得物を警戒するのが筋であろう。にもかかわらず、サンシーカーは嗤いながらハルバードを振るい、怯むことなく挑みかかってくる。

 サンシーカーに、セイバーの『剣』が見えている……ということは決してない。

 ハイパーセンサーにも補足出来ていない。表示は『unknown』――

 手の内がわからない以上、様子を見るのが定石だ。下手に踏み込んで更なる策に陥るわけにはいかない。

 だと言うのに、ならば何故、わかっていながら斬りかかっているのか――?

 応えは至極単純だった。

 眼に見えないのであれば、相手が何を持っているのか直接確かめるだけ。

 ただそれだけを、サンシーカーは実行していた。

 実に簡単な判断ではあるが、瞬く間にサンシーカーは、相手が持つ形状を勘を頼りにハルバードを打ち当て読み取っていく。

 打ち合いにしての数は二十。

 槍の頭部に斧状の広い刃が付いているため、大剣とは違い、重量は先端に位置している。そんな武器であるにもかかわらず、サンシーカーは疲れることもなく――

 斬り、突き、断ち、払い――セイバーの持つ形状にあたりをつけはじめていた。

「……んーと、だいたいわかったかな」

「ぐっ――」

 満面の笑みを浮かべるサンシーカーだが、セイバーにとっては背筋を凍らせる狂気の笑みに見えていた。

 アサシンの佐々木小次郎にも形状を見破られた時と同じく、セイバーは歯噛みする。

 彼女は確信する。この少女は、技量に関しては、少なくともサーヴァント並みの能力を有している。

 二十一合目の薙ぎ払いを――サンシカーは、ハルバードを的確に合わせるように斬りつけていた。

 狙い通り、目測が立ったことに少女は笑う。

「あったりー。これで、お姉ちゃんが持つ形状は完璧にわかったよ。長さは一メートルも無い『剣』だね」

「…………」

「無言は肯定ととるよ、お姉ちゃん? じゃ、いくよ?」

 その言葉は嘘ではないといわんばかりに、先までは手当たり次第にハルバードを振るっていた相手が、間合いを取りながら斬りかかってくる。払うものは弾き、当たらぬと目測した距離には更に踏み込んでくる。

 完全に、サンシーカーは風王結界の刀身、間合いを把握している。

 薙ぎ払われたハルバードの一撃を、セイバーは風王結界で斬り受ける。だが、サンシーカーは柄を手中で回転させると、セイバーの不可視の剣を絡めとる。

 剣を握ったままの腕をとられるセイバーだが、一瞬にしてハルバードが振り上げられていた。

 穂先の斧頭、その反対側にある鉤爪が狙うは――セイバーの側頭部。

「――――」

 咄嗟に装甲腕部で受け止める。

 だが――

 ハルバードの勢いは止まらない。鉤爪に腕を引っかけられたまま――セイバーの身体は、軽々と投げ飛ばされていた。

「……っ」

 機体制御をかけて、セイバーは身構える。

「さぁてと……スノーとオータムも、あっちのお兄さんとお姉ちゃんと遊んでるから邪魔されることもないし、邪魔はさせない。お姉ちゃんと遊ぶのは、わたしだけ……ホーク、邪魔しないでね」

 通信回線を開き、ホークアイにそう告げると――

 サンシーカーの手からハルバードが消えていた。代わりに現れたのは巨大な両刃斧だった。名を、ミョルニル。

 北欧神話に登場する雷神トールが扱う「鎚」の名と同じ。だが、武器の形状は違えど、古ノルド語の名称と意味は違わず。

 冠する意味は「粉砕するもの」――

 眼の前の相手をただ蹴散らすだけの『名』であれば、これほど行動に相応しいものはない。

 一メートルほどはある柄を軸に、左右に幅広の刃が取り付けられている。更には、刃の側面自体に取り付けられているのはブースターだった。

 柄の三分の二を覆う刃の面積。サンシーカーが扱い見せた大剣やハルバードと比べて、圧倒的に大きいその武器は、インパクトだけでもセイバーの闘争心を威圧する。

 ぶん、と眼の前を掠め過ぎ、空を切る戦斧。

 繰り出される猛攻を、セイバーは冷静に掻い潜っていた。

 「斧」とは、重みを利用して振るい、対象物を断ち切るものである。剣で真っ向から打ち合うなど分が悪すぎる。

 その一撃は、いくらシールドバリアに包まれたISとはいえ、当たり所が悪ければ、受けた腕部や脚部など容易く切断し、粉砕する事など可能であろう。

 故に、セイバーは風王結界で受け止めることはせず、全てをかわし続けていた。

 ただ闇雲に避けるだけではない。策はある。

 彼女が狙うのは、自身の攻撃が確実に『捕らえる』機会を待つのみ。

 斧は、剣と比べれば破壊力は勝ろうとも、『重量』が最大のネックになる。

 両手で握り、振り下ろされた一撃。避けるには難しい――だが、明らかな大振り。そこをセイバーは見逃しはしなかった。

 旋風のように、胴を薙ぎ払おうと振られた一閃が――不意に、セイバーの眼は、サンシーカーの手に握られている斧へと向けられていた。

 妙な違和感。

 なにかがおかしい。

 セイバーの眼が捉えていたのは、相手の指先。

 それが何かを理解する前に、サンシーカーの行動は既に終えていた。

 握る両刃斧、ミョルニルが軸中心から分離し――片刃の二挺に変わる。そのまま、握る片方はブースターの推力を受けて跳ね上がっていた。

 風王結界を受け止め、もう一挺の凶刃が狙うは、セイバーの首。

「――っっ」

 まずい――

 当たるわけにはいかない。

 機体負荷にもかかわらず、サーヴァントの身体能力を使い、身体をよじりかわす――のだが、僅かに反応が遅れた左手首が撥ね飛ばされる。

 放物線を描き、落下する『打鉄』の手首を見もせず、また逆の斧が同じようにブースターを伴いセイバーの身へ襲いかかるが、斬り返した風王結界が刃を押さえ込んでいた。

 拮抗する力にサンシーカーは嗤い、セイバーは無言。

 だが――

 仕掛けたのはセイバーだった。片手で握る不可視剣を巧みに操り、甲高い音を立てて二挺の戦斧を斬り弾く。その余波にバランスを崩すサンシーカー。

 瞬時に斬り返された一閃に、サンシーカーは受けに回るために左腕で防ぎ止める。

 しかし――

 装甲腕部を抉る一刀は浅い。それ以上の傷を受ける前に、サンシーカーは後方に飛び退いていた。

「やるぅ!」

 ちらりと損傷した腕部に視線を向ける。避ける判断がもう少し遅れていれば、壊されていただろう。だが、それも一瞬のこと。

 二挺のミョルニルを構え直し、サンシーカーはスラスターを噴かせると、武器の名の通りにセイバーを粉砕しにかかっていた。

 

 

 音を立ててぶつかり合うセイバーとサンシーカーを視界の端で捉えながら、真耶は迫るパペットクローの斬撃をかわし続けていた。

 サンシーカーをセイバーが押さえるように、ランサーに襲いかかろうとするスノーに対して、彼女は殴りかかる勢いでリヴァイヴを駆り、割り込むとそのまま交戦へと突入していた。

 邪魔されたことに大した反応も示さず、スノーは紅い目玉を真耶へ向けたまま。愉悦に歪む『嗤い』を途切れさせることなく斬りかかるのみ。

 見た目からすれば、箒やセシリアたちと同年代ほどの少女だろう。

 だが、眼の前の相手に脅威を感じた真耶の背には、冷たい汗が流れていた。

「きひっ――」

「……っ」

 近接ブレードのブレッドスライサーでいなしながら――しかし、真耶の胸中には戸惑いがあった。

 搭乗者を一目見て、正常な判断を下せるまともな相手ではないというのがわかる。とても、同じ人間とは思えないほどに。

 こうまで恐怖、嫌悪を覚える『眼』をする輩が存在したのかと感じさせられていた。

 重度の精神異常者。

 極度の闘争本能、攻撃行動。

 今のスノーの心が駆り立てられるのは、ただひとつ――「破壊」のみ。

 更には、スノーの攻撃性の限度は超え、暴力への衝動は、既に殺人本能にまで至っている。

 「攻撃行動」とは、無抵抗の他の固体に対し、身体的、ならびに精神的な危害を意図して加えようとする行動をさす。

 その定義となる行動を起こす内的過程――主な分類とされれば、認知、情動、動機づけ、パーソナリティなどを「攻撃性」と呼ぶ。

 生物学における見解では、こういった攻撃性は、主に内部的な要因と外部の刺激の相互作用によって引き起こされると考えられている。

 ISに乗り、自身の能力以上の結果を出せる者――

 これら事例人例を今まで眼にしてこなかったわけではない。真耶自身が切磋琢磨した学生時の友人、教師となり幾人もの生徒の中にも同様のケースを持つ者がいた。だが、それは、ISという「スポーツ」の括りでのものだ。多少やりすぎたといえる、とまだ口添えが可能なレベルといえよう。

 眼の前の、白い搭乗者は違う。

 腕を振りかざし、相手のどこを狙えば死に至らしめることがわかっている行動。ただむやみやたらに暴れているだけではない。

 的確に、真耶を殺すことだけを考えて襲い掛かっている。

「キャハッ――」

 損壊した右腕だというのにもかかわらず、鈍器として殴りかかってくるスノーに対し、ブレードで斬り弾いた瞬間――手に生み出していたのは銃。

 至近距離からアサルトライフルで撃ち抜きながら真耶。

 シールドエネルギーが削られようとも、絶対防御が発動し衝撃が殺せず身体を貫こうとも、スノーの嗤いは止まず、怯みもせずに向かってきては左腕の大型クローを叩きつけてくる。

 雑な運び――それでいて重さを十二分に乗せた斬撃を、アサルトライフルの銃身で防ぐ。

 真耶の纏うリヴァイヴの関節駆動部分がうなりを上げる。同じ量産型とはいえ、機体性能、出力は相手が上かと瞬時に悟る。

 ぎりと歯を軋らせ、真耶は逆の腕にマシンガンを呼び出すと、迷いも無く相手の腹部に銃口を押し当て撃ち放つ。

 リズミカルな銃音を奏で、銃撃に相手のシールドエネルギーが削れはじめる。

 しかし――

「キャハッ!」

 またもや、スノーは壊れた腕で殴りかかっていた。

 密着状態からの動きにも制限されるが、かわすために身を反らし後方へ跳ぶ真耶へ――

 逃がさんとばかりに、白のリヴァイヴは相手めがけて体当たりをする。

「――っ」

「ふはっ」

 もつれ合うように重なる二機だが、先に動いていたのはスノー。右肘を真耶のこめかみに叩き込み、動きが停まったところへ――

 振り上げたクローを相手の胸元めがけて叩き込む。

 が、その場で宙返りをするように大爪をかわしてみせると――装甲脚部がスノーの背面へ叩き込まれていた。

 位置を変える真耶の挙動は続いたまま。アサルトライフルとマシンガンによる掃射。

 頭部に当たる銃弾によって、絶対防御が発動するが、衝撃はダイレクトに脳に伝わり揺さぶられる――はずだ。

 だが――

 銃撃に被弾しながらも――感情は一切変わらず、スノーはただ哄笑を続けていた。

 真耶は恐怖に身体を戦慄かせる。

「この子……」

 異常な相手に怯えながらも、真耶は銃撃の雨をやませることはなかった。

 と――

 唐突に、ぴたりと嗤いが止まり、真顔となったスノーの首がぐるんと右へと向けられた。

 見入った先は、装甲の両腕を斬り捨てられ、一気に畳み掛けられる『アラクネ』の姿。

 一瞬、何事かと思う真耶もまた視線を向けたその隙に、ランサーに押され、劣勢となるオータムめがけてスノーが疾る。

 それは、サンシーカーも同じだった。

 相手の力量を探り、己の力を出し惜しみすることのなくなったセイバーとの交戦により、『ムスペル』の機体装甲のところどころは破損し、手に握る二挺のミョルニルの大刃は欠け、片方は半ばからなくなっている。それでも相対する『打鉄』を渾身の力で斬り弾くと、スノーと同様にオータームのもとへ馳せ参じ、ランサーに斬りかかっていた。

 これに虚をつかれたのはランサー当人。オータムとまみえた戦況は彼に軍配が上がろうとしたところへ、突如、白と黄の『疾風』が妨害する。

 次の瞬間、ランサーは異様な行動をとるサンシーカーとスノーのふたりに眼を見張る。

 貪るかのように錠剤の薬物を口にし、噛み砕き嚥下する。自分たちが何錠服用したかなど考えるまでもない。

 刹那――

 あらん限りの叫びを喉から発す。己を鼓舞するかのように、獣のような咆哮を上げ――疾駆する。

 『アラクネ』を護るように、連携の取れた『ムスペル』と『ブランシュネージュ』の二機による攻撃。

 阿吽の呼吸――

 連撃、乱撃は、これ以上オータムには触れさせぬ。ここから先は一歩も通さず、一歩も退かぬとばかりに執念のみで喰らいつく。

「コイツら――」

 先までの姿の欠片は微塵もなく、豹変したかのようなふたりの『貌』――「嬉々」も「嗤い」も消え、鬼気迫る表情。

 半壊した大斧ミョルニルながらも、それがどうしたとばかりに猛勇をふるい、各手に駆使するサンシーカー。

 片腕のパペットクローと、ここにきて脚部爪先に仕込んでいた厚身刃のダガーも扱い、両脚すら混ぜながら巧みに攻防に徹するスノー。

 ランサーの繰り出す槍の穂先、サンシーカーの眼を覆うバイザーを掠め――衝撃の余波に破壊され、顔が露になるが構わぬまま。

 予想通りの幼すぎる顔立ちの子供に、しかしランサーは動じない。例え相手が子供であろうとも、こと挑みかかられる戦闘において手を抜くつもりなどない。

 サンシーカーが攻撃に転じた際に生じる隙をスノーが防御に回り、逆に、スノーが攻撃に転じる際に生まれた隙をサンシーカーが防御に移る。

 吼える二機は、互いの攻守を補いながら全力を以って襲いかかる。

 ゲイボルクで弾き、払い、防ぎながらも、彼が相手の気迫に圧されたわけではないが――だがそこに、頭上から三機目の狙撃が加わることによって、ランサーはオータムたちから強制的に離されることとなる。

 尋常ではない二機の狂気に一瞬気圧され、呆けていた真耶とセイバーではあったが、慌てて加勢しようと動く――のだが、その二機にもホークアイはレーザーライフルの雨を降らせ、四枚の自立機動兵器は光弾を撃ち、追尾マイクロミサイルによる数での脚止めを怠らない。

 高度を下げて強襲する黒いリヴァイヴ、『ヴェズルフェルニル』は、一機の身でありながら実に三機を手玉に取るように牽制する。

「――っっ」

 誰が舌打ちしたのかは、わからなかった。

 さりとて、相手が何をしようとしているのかは容易に知りえた。打って変わる防戦。それは、『撤退』の意図を見透していた。

「ちっ、潮時かっ――」

 小さく呻くと、サンシーカーとスノーを下がらせ、オータムもまた射撃形態の八本の装甲脚を使い撃ち放つ。

「逃がしません!」

 機体を疾らせ、追いかけようとする真耶だが――進行方向を遮るように、セイバーが滑り込んでいた。

「なにを――」

 二の句を告げられなかった真耶が見たものは、曲る閃光を斬り弾いたセイバーだった。その閃光は、確実に真耶自身を狙うように軌道を描いていた。

 頭上からとは異なる狙撃――

(何処から――っ!?)

 見れば、自分たちを囲むように弧を描くのは六条の閃光。

 それらを――

 不規則に歪曲し襲いかかる閃光をセイバーは斬り捨て、真耶の背後を護るランサーもまたゲイボルクで斬り弾く。

 降り注ぐミサイルを真耶も手にするマシンガンで掃射するのだが、撃ち落した幾つかのミサイルから着色された煙が噴き出していた。

 周囲を包み込むように幾重にも煙幕が撒かれ、途端に真耶のハイパーセンサーに不具合が生じる。ジャミングの類に相手機体を見失い――

 セイバーに護られながら煙幕から抜け出した時には、オータムたち四機のISの姿は消えていた。

 

 

 休息もとり、幾分身体が楽になった士郎は、簪にゆっくりしていってくれと声をかけると、自身は再び接客業務に戻っていた。

 自身の格好、メイド服に関しては、もはや開き直っていた。いつまでもぐだぐだと文句を言っても、何も変わらないからだ。

「あ、もういいの?」

「ああ。休んで楽になったからさ」

「そう……ならゴメンね、早速なんだけど、二番テーブルにご指名なんで入ってもらってもいいかな?」

 二番テーブルへ向かってと告げられて、うかがった際に士郎は言葉を失っていた。

 テーブルに座るのは、不釣合いなほどに場違いな、綺麗な女性が座っている。

 士郎でも十二分にわかる女性としての大人の魅力。セイバーやキャスターとはまた違う美人。

 紅茶を口にする、豊かな金の髪の女性に、一瞬、士郎は間違いではないのかと静寐に訊ねたのだが、間違ってはいないと返される。

 士郎は知らずのうちに苦い顔をしていた。

 クラスへ戻る前から、彼はさまざまな企業、機関、はては国家関係者から話しかけられていた。

 話の内容も多種多様。武装提供、専用機提供など。

 改めて、士郎は自身のイレギュラーたる存在の影響を実感することになる。男性でISを動かせるということを、思いのほか楽観視していたことは否めない。

 座るように促され、士郎は一礼して女性の横に着席する。本当は少しでも距離をとるために向かいの席に座りたかったのだが、女性にこちらへどうぞと手招きされては大人しく従わざるをえなかった。

 学園祭がはじまる事前に決めていた規則、「無理無茶無謀を除き、お客さんの希望には誠心誠意をもって従うこと」――

 一夏、士郎、ランサーに告げられていた取り決め。無論、女性が口にした内容は、なんら問題に当たることがない。

「少し、お喋りにつきあってもらっても?」

「あ、はい。俺なんかでよければ」

 大人の女性とどう接していいかが、士郎はいまいちよくわからなかった。

 千冬や真耶とはまた違い、さりとて近しい人物の藤村大河や蛍塚音子とも明らかに違うタイプの女性。つい畏まった話し方をしてしまう。

 イメージだけで見れば、掴みどころが見当たらない女性――脳裏に浮かんだ一番近い相手は、イリヤスフィールの従者のセラ。だがそれもただ思い浮かんだだけのこと。セラと似ているかと問われれば、似ている箇所など全くない。なによりも、まだまともな会話すらしていないのだから。

「男の子でISを動かすのは大変でしょう?」

「ええ……ああ、まぁ……その……正直言って、簡単ではないと思います」

 士郎の喋り方にくすくすと笑う女性は「もっと楽にして」と声をかける。

 そのまま女性は、さやかを呼び止め、士郎にも紅茶を一杯頼んでいた。

 数分と経たぬうちに運ばれた紅茶が士郎へと差し出される。去り際に、「顔紅いよ? ごゆっくり」と意地悪い声音と笑みを浮かべるさやかを士郎は一睨みする。

 すすめられるまま紅茶を口にする少年に視線を向け、些か落ち着いたのをみこしてから女性は話しかけていた。 

「ISを動かすのは楽しい?」

「…………」

 その問いかけに、士郎は僅かに無言となる。

 女性は気分を害したのかと思い、慌てて声をかけていた。

「男の子でISを動かせるなんてありえないことでしょう? だから、どうしても訊いてみたかったの。不快な気分にさせたのならゴメンなさいね」

「……いえ、そんなことはありません」

 手を振って応じながら、彼は考えていた。

 楽しいか楽しくないか――士郎にとっては捉え方にもよる。兵器としてみるISと、スポーツとしてみるISでは応え方は大きく違う。

 だが、女性はただ「楽しいかどうか」を訊いただけであり、なにもさらりと応えれば済むことである。そんなに深く考える必要性はどこにもなく、士郎はつい踏み込んだ考察をしてしまっていた。

「動かせることは楽しいですね。空を飛べるというのは、なんというか、ワクワクします」

「そう」

 微笑を浮かべる女性に、士郎は子供っぽい返答だったかなと考える。だが、何も恥じることはない。事実、そう思うことなのだから。

 女性も気にした様子を見せていない。

「あなたは、この世界をどう思う?」

「?」

 唐突に振られた話の内容の意味を理解することができず、訊き返そうとする士郎だが、相手の女性は遮るように続けていた。

「そう難しく捉えないで。今のこの世界……ISによって、女尊男卑となった世界……確かに社会は女性有利となりはしたけれど、だからと言って全てじゃないの。あくまでも、それはISを動かせると言う括りのみ。世の産業技術や製造業は別のものよ」

「…………」

「女のわたしが言うのもなんだけれど、女性だからといって、全てが男性より上回るとは思っていないわ。先も言ったように、技術においては平等と思うの。ううん、男性だからこそ思いつく理論があるかもしれないし、逆もあるかもしれない」

「…………」

「確かに、篠ノ之束によって世界は変わったわ。良い意味でも悪い意味でも。その上で、あなたに訊いてみたいの? あなたは男性でもISを動かせるイレギュラーのひとり。そんなあなたには、この世界はどう映っているのかしら?」

「……あの、その前にひとついいですか?」

「ええ」

「どうして、そんなことを俺に訊くんですか?」

 訊いても面白くもないと思いますけれど、と応える士郎に、女性はくすりと笑みを浮かべる。

「興味本位、ではダメかしら? 一個人として、男性操縦者からみた意見というのは実に興味深いものよ」

「……そういうもんですか?」

「ええ、そういうものよ。当たり障りがなければ、是非お聴かせいただけないかしら? 無理にとは言わないけれども」

 小首を傾げる相手に――士郎は特に黙することもなかったため、思うままを口にする。あくまでも一個人の意見と前置きをしながら。

「正直に言えば、よくわからないってのが現状です。そりゃ確かに、ISを動かせるってのが女性のみということとは別に……だからと言って、世の全てに男性と落差をつけるのはおかしいと思います。確かに、ISを動かせることが出来るのは女性のみという事実はあるでしょう。でも、俺からすれば、『だからなんだ?』と言う感情が強いですね」

「ふうん……」

 士郎の返答に興味を持ったのか、女性の眼がやさしく笑う。

「乗ることに関しては差が生まれるでしょう。でも、そのISを造るには女性も男性も関係ないと思います。女性のみが動かせると言う論理的なものは解明されていませんし。機体維持のメンテナンスだってそうです。ISを造るにも、色々とさまざまな分野で人が関わっているはずです。一から全てを女性だけがまかなっているとは思えません」

「…………」

「少なからず、男性の力……例えば技術者の方だって優秀な人だって多く居ます。その人たちの恩恵でISが造られていると思います。それらを踏まえた上で、世の女尊男卑という社会はおかしいと思います。ISを動かせるだけと言う、ひとつの部分にしかこだわっていない」

「……そうね」

 相づちを打つ女性に頷き、士郎は続けていた。

「誰かが言っていました。女性と男性で戦争をしたら、男性側は三日と持たないと。でも、俺はそんなことはないと思います」

「……根拠は?」

「ISは、今の世の中では最強と呼ばれていますが無敵じゃありません。エネルギーだって無尽蔵じゃない。切れてしまえば動かなくなりますし、戦うのは何もISだけじゃない。生身の人間は、心臓を撃たれれば死んでしまいます。戦争ってのは、何も機械と機械同士の戦いだけではないということです」

「…………」

「戦い如何によっては形振りかまわってなどいられない。細菌兵器でも持ち込まれれば、ISに乗っている人以外などどうにでもなってしまいますし、搭乗者は無事でも、整備士や技術者といった周りから潰してしまえば状況だって変わると思います。補給路を絶たれでもすれば、搭乗者ひとりで整備も補給もまかなうのは難しいでしょう。そこを攻められたらいくらISだからといってどうにかできるとは思えません。それに……」

「それに?」

 言葉を区切り黙る士郎へ、先を促すように声をかける女性。

 士郎はこくりと頷き口を開いていた。

「対IS用の武装が開発されでもすれば、女性有利という牙城なんて関係ないと思います。ISに女性が乗れるからスゴイ、なんていう社会は壊れるはずです。もっとも、ISを壊せる存在が出てしまえば、男性だから女性だからといった区別自体が無意味ですけれど」

「ISを壊せる存在ねぇ……」

「…………」

 含みを持つかのような相手の声音に士郎は無言。

 視線を動かし女性を見るが、彼は臆することなく逸らしもしない。

「実に興味深い例え話だけれど、何か心当たりがあったりするのかしら?」

「まさか。ただ考えれば簡単なことじゃないですか? 今の兵器を凌駕するISに対抗するなにかしらを模索する、というのは。世の男性にとっては面白くない世界だと思います。いずれはISが世界に取って代わるのかもしれませんけれど、その前までは、戦闘機や戦車が当たり前のように使われていたんですよ? 乗り手の人だって、当然男性の割合が多いんですから。現に、まだ戦闘機や戦車は存在しますけれど、事実ISにはかなわない。でも、逆には考えられませんか? 今の兵器がISに適わないのならば、ISを破壊できる兵器を造ればいいって」

「…………」

「そんな人たちからすれば、自分たちの立場を追いやったISに対して、なにかしらの対抗策を講じたりするのは普通だと思いますよ。今の世界は偏っているんですから」

「……そうね」

 無言であった女性は一息つき、紅茶を手に取り口に含む。

 ダージリンの味に堪能しながら――ゆっくりと口を開き訊ね言う。

「そうまで考えて口にする君は、この世界を壊したいと思ったことはある?」

「……は?」

「ISという物さえなければ、また違っていたとは思わない?」

 冷静に考えれば、飛躍した話であろう。

 一瞬、脳裏に浮かんだのは楯無とセシリアの顔。もし、この世界にISがなければ、ふたりはまた別の人生を歩んでいたのではないかと考える。

 だが――

 士郎は直ぐに頭を振っていた。ISという存在があったことにより、ふたりに知り合ったのは事実。

 なにより、自分はこの世界の人間ではない。この世界を壊す壊さないなど、自分が答える権利などないと思うのだから。

「ええと、それはどういう意味でのものかがわかりかねるんですが……隷属させられた男性社会ということであれば、明らかにやりすぎていると思います。それを抜きにして純粋に考えるとしたら……なんとも言えません。ここに来て、いろんなヤツと友人になることができましたから……思うところはありますが、このままでもいいんじゃないかなと」

「そう」

 そこで紅茶を口にし、喉を潤し女性は続ける。

「わたしはあるの。ISなんてなければ、この世界は変わっていたのにって。でなければ、何処かで悲しむ子もいなくなるのにねって」

「? それってどういう――」

 ことですか、と口にすることは出来なかった。女性の白く綺麗な指先が、士郎の口へ押し当てられていた。

 微笑みながら、彼女は言う。

「お節介ついでに言わせてもらうけれど、極端な言い方をすれば、ここ(IS学園)はね……兵士の養成所のようなところよ? ISは軍事利用を禁止され、スポーツのために使われるというけれど、そんなのは上辺だけ」

「…………」

「表向きは、ISについて学ぶためと御大層に謳ってはいるけれど、その旨は何のことはないの。言い方を変えれば、何処に出しても恥ずかしくない兵士の下地を造り、基礎訓練を習うところだもの」

 士郎は真面目に聴き入っていた。それは、少なからず、自分も思っていたことでもあるのだから。

「ちょっとしたやり方如何では、殺戮兵器の何者でもないけれど。人を殺すこともできれば、人と競うこともできる。使う道具は同じなのに、もたらす結果は違うわよね?」

「…………」

「君の考え方、個人的には嫌いじゃないけれど、捉えているのは、ちょっとだけ一方通行ね。他の見方もしてみるといいわ。大局的に物事を捉えてみなさい。よく考えてごらんなさいね。まあ、その口ぶりからすると、君は何か思うところがあるようだけれど」

 指先をゆっくりと離し女性。

 士郎は不思議と相手を見入る。言葉は不快ではない。どこか危うさを含んだようにも捉えていた。

 自然と彼の口は開かれ、言葉を紡ぐ。

「あなたは……ISが嫌いなんですか?」

「……そうね。好きか嫌いかで言えば、嫌いかしらね?」

「…………」

「理由は聴かないの?」

「あなたにとっての、その理由というのは、俺が聴いてもいいのかどうかがわからないですから……」

 律儀な子ねと呟き、女性は指を組む。

 たったそれだけのことなのだが、眼の前の女性からは妖艶な色香を感じていた。

「話を変えるけれど、君にとって、ISとは何かしら?」

「……空を飛ぶため……決して争いごとなどには使われず、純粋な飛行機体……だと思います」

「兵器とは思わない? ISなんて、いわば簡略されたゲームの駒よ?」

「…………」

 僅かに考えるが、首を振って再度答える。

「いえ、思いたくはないです」

 発せられた否定の言葉。

 「思えない」ではなく、「思いたくない」――

 言い方を違えど、その旨には士郎にとって思うところがある。理解せざるをえないながらも拒みが混ざり含んだものだった。

 だが、相手の女性はその意味を理解したのだろう。

 士郎の頭に手を乗せ、優しく撫でる。まるで「よくできました」と言わんばかりに。

 羞恥により、瞬く間に顔を紅くする士郎だったが、くすりと笑うと女性は「ごめんなさいね」と一言漏らし、手をどけていた。

 紅茶のカップは空。女性は席を立ち上がる。

「お話が出来て嬉しかったわ」

「いえ、俺も……個人的に思うところがありましたから」

「ふふ、縁があったら、また会いましょうね。その格好、可愛いくて似合ってるわよ、衛宮士郎くん」

 言って、女性はぽんぽんと士郎の肩を叩くと、混雑する室内を見て、申し訳なさそうに表情を曇らせる。

「忙しそうね。ゴメンなさいね、時間をとらせて。これ以上お邪魔しても悪いから、お暇するわ」

「いえ、ありがとうございました」

「あ、衛宮くん、終わり? なら悪いんだけれど、八番テーブルのお客さんがゲームだから急いで」

 四十院神楽に声をかけられ、一瞬眼を逸らした士郎は、わかったと返答する。

 刹那――

「ああ、そういえば」

 不意に思い出したように、背後から女性の声が上がる。

「自己紹介をしていなかったわね。わたしはスコール。スコール・ミューゼルよ」

 かけられた声音に振り返ろうとして――

 ふと、あることに気がついていた。

 何故、女性は名前だけを告げる必要があったのだろうか、と。装備提供を名乗る企業であれば、名刺を渡して済むはずだ。

 いや、それ以前に、どうして自分は先まで話していた女性を企業や国家関連の人間だと思いこんでいたのだろうか。相手はそんなことは何ひとつ口にしていない。

 なによりも、よくよく考えてみれば会話の内容もおかしなものだ。

「――っ!?」

 慌てて振り返るのだが、女性の姿はそこにはなかった。僅か数秒の間だというのに。

 直ぐ近くにいたナギを捕まえ、士郎は訊ねる。

「鏡、今俺と話していた人は何処に行った!?」

 声をかけられ、一瞬きょとんとしていたナギは、ああ、と呟く。

「あのモデルさんみたいな綺麗な人? あの人なら、今出て行ったばかりだけれど――それが――衛宮くん?」

 入り口を指さすナギの言葉を最後まで聴きもせず、士郎は廊下へと駆ける。だが、スコールと名乗った女性の姿は何処にも見当たりはしなかった。

 

 

「ただいまー」

 たかたかと駆けるサンシーカーは、出迎えたスコールに抱きついていた。

「お帰りなさい。どう? 楽しんでこれた?」

 スコールもまた、えへへと笑いを漏らすサンシーカーの頭を優しくなでる。

「うん。あのねあのね、すっごく強いお姉ちゃんがいたんだよ」

「あらあら、その顔を見ると、余程楽しめたのね。後でじっくり話を聴かせてね」

「うん。また遊びたいなぁ」

 無邪気にサンシーカーはそう笑っていた。

 遅れてオータムとホークアイ、スノーが現れる。三人の中で、ただひとり、オータムは不機嫌そうな面持ちで。

「……スコール、お前、何処かに出かけていたのか?」

 スコールが身に纏う服装に少しばかり違和感をもったオータムは訊ね言う。

 そんな相手の顔を見て、だが、スコールは微笑むだけ。

「ええ、ちょっと個人的にね。それよりも……その様子だと、失敗したようね」

「知ってて言うのはやめろ。それに、どういうつもりだ? どうして、スノーなんか嗾けやがった!?」

 その言葉に――「なんか」呼ばわりされた少女――スノーは申し訳なさそうに俯いている。しかし、気弱そうな表情の双眸は、ちらりちらりとオータムへ向けられていた。

 背後の視線に気がついているのか、オータムは一度大きく舌打ちすると鬱陶しそうに振り返っていた。か細く小さな悲鳴を漏らしたスノーは、慌ててホークアイの背に隠れていた。

 掴みかかろうとするオータムへ、スコールは声をかけて制していた。

「怒らないで。あなたに言っていなかったのは謝るわ。でも、事前に口にしていたとしても怒るでしょう?」

「…………」

 ムスッとした表情は変わらないオータムに、スコールは頭を垂れる。

「ごめんなさい。サニとホークに加えて、万が一を想定していたのは、わたしの独断よ。でも、おかげで無事に帰ってきてくれて安心してるのよ。それに、エムだって足止めしてくれていたんだから」

 エム、と名を聴きオータムの表情は更に険しいものになっていた。

 スコールの言葉で思い出す。『打鉄』を相手にしていたサンシーカーとスノー、ホークアイに混ざるかのように割り込んだ偏向射撃――

 やはりあの射撃はアイツかと確証を持ったオータムを見越したかのように、ふらりと現れたのは黒髪の少女。

 その姿を見て、オータムは歯を軋らせ眼に力をこめる。

「テメエ……」

 静かに声を漏らす相手とは対照に、少女の眼は嘲笑を帯びたまま口を開いていた。

「無様だったなオータム。それに、労いの言葉も感謝の言葉も、お前の口から、わたしはまだもらっていないが?」

「……なんだと」

「苦戦していたお前を、わたしはわざわざ助けてやったんだ。感謝こそされ、睨みつけるなどとはお門違いだろう?」

 空気の変化にスコールの腕に抱かれていたサンシーカーはすぐに反応し、スノーもわたわたと慌てふためく。

 ぴくりとオータムの眉が動き――

 殺意を含む双眸に変わるが、エム――マドカは気もせず、口を動かし言葉を吐いていた。

「それに、わたしならお前よりも巧くやれたさ。訓練機ごときにあしらわれ、何もできずに逃げ帰る無能な貴様とは違う」

「言ってくれるなぁ、クソガキ……命令無視して意気込みやがって、偉そうにひとりで勢いよく乗り込んでおきながら、得体の知れない相手にビビッて、何の確認もできずにすごすごと逃走したヤツは言うことが違うモンだなぁ? よくもまぁ、無駄に口が回るものだ。感心させられるぜ?」

「――貴様っ」

 今度はマドカが口元から歯を軋らせ睨みつけていた。

 少女の胸倉を掴み上げるオータムに、それまで怯えていたスノーが慌てて割って入っていた。

「エ、エム……ダメだよ……喧嘩しちゃ……オ、オータムもそんな恐い顔しないで……お、お願いだから、ふたりとも喧嘩腰にならないで……仲良くしようよ……ホ、ホークも停めて……」

「…………」

 仲裁しようとおろおろとするスノーは、助けを乞うようにホークアイへ視線を向ける。

 名を呼ばれたホークアイは、無言のまま険悪な雰囲気となるふたりをつまらなそうに見ていたが、静かに頭を振るだけだった。

 勝手にやらせておけばいい、という意思表示。

「そんな……」

 協力してもらえるとばかりにそう思っていただけに、当てが外れたことでスノーは若干涙目になっていた。

 が――

 割って入る仲裁の声音の主は、スコールだった。

「やめなさいオータム。エムもそこまでにしなさい。さすがにこれ以上は見過ごせないわよ」

「――ちっ」

 オータムは舌打ちし、半ば突き飛ばすようにマドカを離す。

 バランスを崩し、倒れそうになるマドカの身を咄嗟に受け止めるスノーだったが、当のマドカは、受け止められた手すら煩わしそうに振り払い――フン、と鼻息ひとつ残すと、踵を返しその場を後にする。

「ごめんなさいね、スノー……あなたにも無理をさせて」

 困ったものねと零すスコールの声に、スノーは、ううんと首を振っていた。

「大丈夫、気にしないで……」

「お願いついでに、エムのこと……頼まれてくれる?」

「う、うん……」

 こくりと頷き、スノーもまた踵を返すと、マドカを追いかけて部屋を出て行った。

「ちっ――」

「……で、実際に眼にした感想としては、どうだったかしら?」

 マドカが消えても溜飲は下がらないオータムへ、スコールは愉快そうな眼の色は消さずに改めて訊ねていた。

「……三番目の適正者の男とやりあったがなぁ……はっきり言って、ありゃ化物だ。たかが訓練機如きで、このわたしが、ああまで攻められるとは思わなかったぞ……それに、それにだ……信じられるか? あの野郎は生身で、わたしのアラクネとやりあったんだぞ? なあスコール、コイツはなんの冗談だ?」

 思い出しただけでもゾッとする。こちらは遊びはなく挑みかかったのだ。それを素知らぬ顔をして難なく捌ききられた。

 挙句、今更ながら相手は本気ではなかったとオータムは捉えていた。確証など何もない。ただ、此方が殺す気で襲いかかったというのに、笑いながら機体を駆られるなど冗談ではない。

 マドカの介入があって逃げることはできたが、こちらは四機がかりで襲いかかったというのに撃墜することができなかった。

 そう考えれば、こうして逃げおおせただけでもマシといえる。もしくは、ワザと逃がされたのではとさえ思えていた。それはまるでネズミをいたぶり遊ぶ猫のように。

 槍を構えた際に見せた、背筋を凍らせた殺気――

(舐めやがって……)

 ぎりと歯噛みするオータム。

 そんな彼女を然して気にもせず、スコールは問いかけていた。

「ふうん……あなたが言うのはよっぽどね。噂の『ブリュンヒルデ』の弟さんの『白式』の方は?」

「あっちの方は大したことねぇよ。邪魔さえ入らなければ」

 再度思い出し、オータムは忌々しそうに口の端を歪めていた。

 せっかくの顔が台無しよとスコールは言い咎めるのだが、オータムはフンと鼻を鳴らすだけ。

「なら、当面の目的は……」

「ああ……あの三番目は、かなり邪魔くせぇな。いずれにせよ、全力を以って本気で殺しにかからないと『殺せない』ぞ? それと、こちらの武装も全て対IS用のものに変える必要がある」

「……その話は追々ね。ちなみに……二番目の子は?」

「そいつには当たらなかったな。ツラも見てやしねぇし」

 そう、と一言だけ呟くと、スコールの視線はホークアイへ向けられる。

「ホークの方は?」

 沈黙を保ち会話に混ざらなかったホークアイは、その口をゆっくりと開いていた。

「……フランス代表候補生を相手にした。現時点では、全く脅威には感じない。撃墜したがコアは奪えなかった」

「現時点、ということは、この先壁になるとも?」

「……高速切替は中々だとは思う。だが、如何せん『経験』が足りない以上は、取るに足らない」

 淡々と答える彼女に、スコールは満足そうに頷いていた。

「三人ともご苦労さま。今日はゆっくり休んで頂戴。サニ、苺のミルフィーユを買ってきておいたから、それを食べてからお話を聴かせてね? ホーク、あなたにはチーズのベイクドケーキを用意しておいたから」

「ケーキ!? うん! 行こ、ホーク」

 ケーキと聴いたサンシーカーは、パッとスコールから離れると、ホークアイの手を引き駆けていく。

 残ったオータムは、離れていくふたり――早く食べたいと急ぐサンシーカーに、無理やり手を引っ張られるホークアイなのだが――の背を見るともなしに眺めていたが……振り返り、口が開かれる。

「……楽しそうだな、スコール」

「あら、そう見える?」

「ああ。少なくとも、わたしにはな。何があったのかは、わからないが、余程、お前を楽しめたことがあったんだろう?」

「ふふ、さぁどうかしら? でも……あなたに『()()』見えるということは、()()()()()()()()()

「……フン」

 鼻息ひとつ漏らし、顔を背けるのだが――刹那に、彼女は向き直ることになる。

「実際のところ、どうだったのかしら? サニとスノーは……」

「…………」

 スコールの言葉に、オータムはしばらく沈黙したままではあったが、観念したように息を吐く。

「逃走の時間を稼ぐために、スノーとサンシーカーは薬を呑みやがった。でもな、それでも相手を潰せなかった」

「…………」

「ホークアイの話では、サンシーカーは、さっきのフランス代表候補生を足止めする際に、その場にいたもう一機の『打鉄』の女とカチ合った時にも呑みやがったらしい」

 興味を惹かれた言葉に、スコールの眉が微かに動く。

「……つまりは、『ストレングス』化せざるをえなかった相手が、ふたりいるということね?」

「ああ。データは所得してあるから後で見てみろ。それに、サンシーカーの方は、楽しそうにお前に説明してくるぞ?」

「そうね……あの子があんなに嬉しそうな顔するなんて、本当に久しぶりね」

 何処か複雑な表情を浮かべながら――

 退屈にはならなそうね、と静かに呟くスコールの声が静かに響いていた。

 

 

「ふうん……」

 モニターにつまらなそうな視線を向けたまま篠ノ之束は、ぎしと音を鳴らし――椅子の背もたれに寄りかかる。

「仕方がないとはいえ、先を越されたのは正直つまらないけれど……でも、面白いものが見れたからよしとするかなぁ」

 やれやれと息を吐くと、呆れるような顔で投影キーボードに指を這わせる。

 カチャカチャとキーを叩き彼女。

「いっくんにも困ったものだねぇ。もうちょっと危機感を持ってほしいトコだけれど……まぁ、『剥離剤』なんて使われればどうにもできないか。コアを奪われた時は、さすがに束さんもドキリとしたけれど……」

 まさか、『白式』のコアを奪われるとは思いもしなかっただけに、予想外のことに困惑もした。

 さすがにマズイと見越し、介入しようと行動に移そうとした束ではあったが、思い留まらせたのは、ランサーの存在だった。

 それからの行動を、束はコア・ネットワークを通じて全てを見入っていた。

 たかが一機――訓練機如きの『打鉄』が、軍用ISと互角以上に渡り合う。

 『打鉄』の限界性能を無視した交戦結果。とても、乗り手となる操縦者の技量だけでは説明がつかない。

 なによりも束が興味を持ったのは、飛行速度。『打鉄』における加速限界は熟知している。それが、大型スラスターなどといった追加搭載されていれば話は別となるが、IS学園に配備されている『打鉄』は、いずれもカスタマイズなどされていない。手の施された機体など、一体もありえはしないのだから。

 当初は専用機の類か何かかと推測したが、直ぐにその当ては外れていた。何度調べ見返しても、ランサーが駆る機体は訓練機。それが追跡時に常識外の速度を確かに示したことに、彼女は無視するはずもない。

 これほど興味深いことはない。自分に必要だと感じたものは、どんな些細なことであれ記録していた。

 得られた情報を差し引いたとして、結果的に、彼女は介入しなかったことを僥倖と捉えていた。

「たかだか訓練機だっていうのに、こうまで興味を惹かれるのはどうかと思うけれど……」

 できることなら回収して直に調べてみたくもある。

 飽くなき探究心は尽きることがない。

 くつくつと含み笑いを漏らしながら彼女。

 見入る先は、つい今しがた繰り広げられていた攻防。映し出されるのはふたり。紅い槍を握る男と、見えない何かを振るう少女。

 少女の方にも束は逸る気持ちを抑えることができなかった。自身でも知り得ずわかり得ない武装。データ表示も解析も一切受け付けない光学迷彩の武器などあるはずもない。

「ホント、面白いね……この束さんにもわからないってのは、なんなんだろうねぇ……」 

 そこまで言うと――

 彼女の表情は一変する。にこやかな笑みは消え、怒りの形相に。

「それにしても、素性を隠して、せっかく用意して渡してやったってのに、思ったよりも使えないのは癪に障るねぇ」

 束の怒りの矛先は、武装の類を提供したのにも関わらず、思う以上の成果を上げなかった連中に対して。

 無能、と捉えた彼女は毒づいていた。

「つかえない屑は屑ってことだねぇ……ま、ハナから期待はしてなかったけれど、それでもなにかしらの役には立つかとは思っていたんだけど……淡い願望なんてものをもったのがそもそもの間違いだったねぇ、コレは……どうしようもない輩を使おうとしたのが、束さんには無駄ってことかなぁ……」

 言って――

 彼女は身体を起こしていた。その顔からは怒りの感情は消えている。

「そうだねぇ……わたしが直接やらないと、やっぱりダメかぁ……」

 ぺろと指先を舐め、束は静かに笑いを漏らすのだった。



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幕間6 夜食と黒猫

時間軸は「26」から数日後の話。
「29」での『ラウラのお菓子の一騒動』のちょっとした話。


「はー、ただいまー」

 大浴場で汗を流し、いいお湯だったと一息ついたシャルロットは自室に戻っていた。

 ――が。

 ドアを開けた部屋の中は薄暗かった。彼女は思わず「おや?」と小首を傾げていた。

「あれ? ラウラ、いないのー?」

 同室の少女の姿が見えない。シャルロットよりも先に、ラウラはひとり早くそそくさと入浴を済ませていた。どこかへ行ったのかとも思ったが、返事はなく、鍵はかかっていなかった。

 寮とは言えど、盗られるものはなにもない。だが、本当にどこかへ行っているとするならば、ラウラにしては無用心だなと胸中で呟きながら、もしかしたらもう寝てしまったのかもしれないとも考え、奥へと進み……そこでシャルロットは気がついていた。

 ベッドのひとつが膨らみを帯び、更にはもぞもぞと動いている。

「なんだ、ラウラいるんじゃないか」

 安堵しながらも、何で電気つけないの、とそう声をかけるが――やはり、返事はない。

「……ラウラ?」

 今一度声をかけてみるのだが、三度返答はなかった。

 本当に寝ているのかと思ったが、その割には頭からかぶった毛布は不自然に揺らぎ動いている。

 ひょっとしたら、どこか具合でも悪いのではないだろうか――?

「ラウラ? めくるよ?」

 友人を心配し、シャルロットは毛布をばさりと剥ぎ取り――

「うむ。美味い」

 口の周りをチョコレートまみれにした黒猫パジャマ姿のラウラを発見する。

 シャルロットの視線はラウラから……彼女の手に持つタッパー容器に詰められているケーキへ向けられていた。

 スプーンですくい、口へと運ぶ。もふもふとほうばるラウラに――

「ラウラーッッ!」

 シャルロットは、怒りの声を張り上げていた。

 

  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 大事なタッパーを取り上げられ、床に慣れない正座をさせられているラウラの前には、腕を組んだシャルロットが仁王立っていた。

 ちなみに、部屋の電気は煌々とついている。

 向かい合ったまま小半時間は経っている。無言の雰囲気に耐えられぬのか、落ち着きがなくちらちらとラウラの隻眼がシャルロットの様子を窺っている。例えるならば、それは雨の日に捨てられ、寒さに震える仔犬のように、しゅんとしている。

 若干青筋を浮かべたシャルロットは、重い口をようやく開いていた。

「……僕言ったよね? 間食はしちゃいけないって」

「…………」

「しかも、お風呂に入った後は、寝るだけなんだからダメだよって言ったよね?」

「……う……」

「返事」

 シャルロットが発した抑揚のないその一言に、ラウラはびくりと身体を竦ませながら――決して眼を合わせようとはせず応えていた。

「……い、言われたぞ」

「うん。言ったよね? ちゃんと覚えててくれている。僕は嬉しいよ。でもおかしいなぁ……じゃあ、なんで食べてるんだろうねぇ?」

「……それは」

「それは?」

 ぼそりと呟くラウラにシャルロットもまたオウム返しに訊き返していた。

 しばしの静寂。だが、それを破るかのように、うむと頷きラウラは口を開いていた。

「そこにケーキがあるから――」

「あのさぁ」

 得意気に話し出そうとするラウラの台詞を遮り――シャルロットの冷酷な双眸が眼の前の銀髪の少女を射抜いていた。

 注意されたわけでもないのだが、背筋をピンと伸ばし、だらりだらりと汗を垂らすラウラは自ずと姿勢を正す。

「なに? そこに山があるから登る的みたいな登山家さんのようなこと言ってるの? もしかして巧く言ったつもり? 全然巧くないよ」

「…………」

「大体、何処から持って来たのさこれ。勝手に持ってきちゃダメじゃないか」

 そもそも、毛布を頭からかぶって、それで隠れていたつもりなのだろうか、とシャルロットは頭を悩ませる。それほどまでに、手にしたケーキが嬉しくて周りが見えていなかったと言うことだろうか、とも考えていた。

 何はともあれ――

「か、勝手にじゃないぞ。それはわたしのだ。わたしがケーキの本を見て食べてみたかったから、衛宮に頼んだものであってだな……アイツが、わたしのために作ってくれたものだ」

 よくよく見てみれば、タッパーの蓋には「ラウラ」と書かれたテープが貼られている。

 ケーキも改めてみてみれば、何層にもなるガトーショコラ。表面にはココアパウダーが振りかけられているのだろう。

 相変わらず士郎は何でも作れるんだなと思いながら――無言のままのシャルロットにラウラは説明を続けていた。

「セイバーと一緒に寮食堂の冷蔵庫から持って来たんだ。『食べれる分と考えて食べること』と、ちゃんと衛宮から許可は貰ったぞ!」

「…………」

 セイバー、と聴きシャルロットの眉根が寄る。

 食に関しては、セイバーはかなり食べる少女だ。シャルロットが知る限り、いったい何処にしまわれているのかというほどの量を事もなげに処理していく。好きなもの、食べたいものを、お腹いっぱい口にしても体重は全く変わらないのが妬ましいほどに。

 呆れるほどに食べるセイバーだからと言って、ラウラが真似て食べていいワケでもない。セイバーにも釘を刺しておかないといけないな、とシャルロットは胸中で考えていた。

「うんうん。セイバーと一緒に持って来たんだ」

「そ、そうなのだ。そうなのだ! セイバーが一緒だからな。と言うわけでだな、お前もわかってくれたということで、そろそろいい加減にわたしのケーキを返してくれると助かるのだが。まだ食べたりないのでな」

「あはは、面白いこと言うねー、いいわけないでしょーっ! なんで話をすりかえるかなラウラは」

 にこりと微笑み……シャルロットはタッパーを持ち部屋を出ようとする。とりあえずは士郎に話をして、今後はラウラのおやつを控えるように頼むしかないなと考えながら。

「はーい、没収ー」

「シャ、シャルロット!」

 正座で痺れた足に鞭打ち――タックルさながらに腰にしがみつき、ラウラは懸命に手を伸ばす。だが、当然身長差があり届くことはない。更にはシャルロットはタッパーを取られないように頭上に掲げている。

「やめろ! か、返せ! 後生だシャルロット! そいつは……そいつは、まだ戦える! わたしは、大切な戦友(ケーキ)を見捨てるわけにはいかないんだーッ!」

 ぴょんぴょんと飛び跳ねてなんとか奪い取ろうとするが、シャルロットは意に介しない。

「ダメなものはダメ! 今日という今日は許さないよ! きちんと反省するまで返さないからね」

 それを聴き、びしりと直立したまま。額に手を当てて、ラウラは口を開いていた。それはまるで、声高らかに謳い上げるかのように。

「待て、反省すればいいのだな? ならば反省した! すごく反省した! 我が祖国、ドイツに誓い、海より深く謝罪することをここに宣言する! すーいーまーせーんーでーしーたー。ほら、言われたとおりに謝ってやったぞ? だから早く返してくれ」

「うん。反省する気、微塵もないよね? なに、そのこちらを完全に煽るような台詞の棒読みに加えて偉そうなの? 本気で僕の事、おちょくってるでしょ?」

 額の青筋を更に数本増やし、シャルロットは微笑み返すだけ。

「大体だよ、そう言っておきながら、こないだお腹壊したじゃないか。ココア飲みすぎて『ぽんぽん痛い。ぽんぽん痛い』て。泣きついてきたのはラウラでしょ!?」

 シャルロットが言うように、前にラウラはセシリアが買ってきたケーキを食べたときに、ホットココアを何杯もがぶ飲みした。シャルロットが「お腹を壊すよ」と注意したが聴き入れず――結果、お腹を壊してベッドに倒れたことがある。その時も、結局話を聴かずに飲み過ぎたのが覆すことのない原因であるのだが。

 ラウラも覚えているのだろう。握る拳を上下に振りながら反論する。

「こ、今度は大丈夫だ! わたしの唾液には、医療用ナノマシンが――」

「ナノマシンがあるから大丈夫って容認できるわけないでしょ! 『医療用が微量だが含まれているから』とかこないだもそんなこと言って、最終的にはお腹痛いって寝込んだじゃないか!」

 言ってシャルロットはギロリと睨む。ついで、言い聴かせるように極力優しい口調で声を出す。

「こう見えても、ケーキなんて高脂肪で高エネルギーなんだよ? それも、もう寝るって時間にがっつり食べちゃったら、肥満のもとだけじゃない。中性脂肪やコレステロール値も高くなるんだよ? わかってるの?」

「…………」

「士郎のことだから、その辺はきちんと踏まえて糖質や脂質も考えて控えているとは思う。でもね、だからと言って、それでも食べていいってことにはならないんだよ?」

「…………」

「そりゃ確かに個人個人にもよるよ? 個体差って言う表現はアレだけれど、人や体質にもよるから必ずしも一概にとは言えないかもしれない。だけれど、夜に摂取したカロリーが寝てる間に脂肪になりやすいってこともあるんだからね」

 そこまで言って、彼女は、前にラウラとふたりきりで朝食をとった際の出来事を思い出していた。

 あの時は、確かラウラは朝からステーキを食べていたんだと克明に思い返していく。

 どうして朝からそんなのを食べるのか訊いてみれば、返ってきた答えは、至極的を得たものだった。

「後は寝るだけの状態となる夕食時に一番食べるなどおかしなことだ。消化されないエネルギーが脂肪になり、太るだけでしかない」

 確か、そんなことを言っていたはずだと思い出す。 

 その時に口にした内容を、ラウラはちゃんと覚えているのだろうか……?

 言い方を変えれば、俗に染まった、と感じていた。それが悪いことだとは思ってもいない。

「…………」

 本当にラウラは変わった、とシャルロットはそう感じていた。

 いまだどこか冷たいところはありはするが、それすらも最初と比べれば丸くなっている。

 なんだかんだと言っても、ラウラは可愛いな、と思うのがシャルロットの心情であろう。

 だが――

 それは、普段の振る舞いでの場合を示す。

 今、この時、この場においてのシャルロットにとって……茶飲み話に花咲く微笑ましいひとつのエピソード、とは捉えることができなかった。

 諭すように「わかった?」と念を押すのだが――

「む、むう……シャルロットはいちいちうるさいヤツだ……わたしが食べたいものを食べて何が悪いんだ。まったく……クラリッサから聴いたように、これが『(しゅうと)』と言うヤツか」

「へえ、ラウラは随分と面白いことを口にするんだねぇ。僕は、君の事を心配してるからこうまで言っているってのにさぁ」

 頬にまではっきりと青筋を浮かべて――だがニコニコと笑うシャルロット。対するラウラは一気に蒼い顔となる。

「き、聴こえていたのか!?」

「完璧に馬鹿にしてるでしょ!? そこまでべらべら喋っておきながら、何をいまさら驚いているんだよ!」

 言って、掴みかかる彼女ではあるのだが――

 どすんばたんと暴れるが、瞬く間にラウラは逆に腕を取り、シャルロットを床に組み伏せていた。

 

  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「居ない……わけじゃあないよな」

 そう呟き、士郎はドアの前に立っていた。

 再度ノックをして数秒待ってみるのだが、返事はない。よくよく耳を澄ませば、なにやら室内からは、ばたばたと音がする。人の気配もするし、ギャーギャー叫び声も微かに耳にする。

「? なにをやってんだ?」

 手にしたビニール袋をがさりと鳴らし、首を傾げながらも、士郎はドアノブに手をかけ――あっさりと開く。

 逡巡するが、声をかけて彼は中へと入っていた。

「デュノア、ボーデヴィッヒ、入るぞ?」

 室内へ入り、ドアを閉めて向き直ると――

「衛宮ー!」

 シャルロットの手から奪い返したタッパーとスプーンを大事そうに抱え、とてとてとて、と駆けるラウラは士郎の背後に身を隠す。

「おっとと、なんだ?」

「あっ! ラウラっ――何を士郎の後ろに隠れてるのさ!?」

 もうひとりの声の方へ視線を向け――眼のやり場に困った士郎は慌てて顔を背けていた。

 なぜか髪はボサボサの頭に枕をのせ、肩から鎖骨、胸元まで見える着崩した寝巻き姿のシャルロットの声には返事せず、ラウラは士郎の後ろからちらちらと覗き込んでいた。そうかと思えば、シャルロットと眼が合うと瞬時にすぐさま身を隠す。

 士郎が知っている、普段見慣れたラウラとは全く異なる挙動。なによりも、黒猫パジャマの格好に驚いたのだが。

 意外な一面を眼にし、ぽつりと彼は呟いていた。

「なんだ、この小動物……」

 とりあえず、状況が理解できない士郎は、身嗜みを整えるシャルロットを見ないように問いかける。

「なあ、デュノア……どういう状態だ、コレ……? 説明してくれると助かる」

 疲れたようにシャルロットは頭にのった枕を掴むと、適当にベッドへ放り投げていた。

「……ラウラが士郎の作ったケーキを食べてるんだよ。お風呂入った後はダメだって言ってたところ。それで取り上げようとしてたら、暴れて抵抗して逃げ回ってたってところだよ。士郎からも言ってあげてよ」

「あー、そういうことか」

 呆れたように、士郎は頭を掻きながら呟いていた。

 その発言は、意図したものではなかった。食べ物に関してはセイバーや藤村大河を相手にしてきていた手前、それほど深くは考えてはいなかった。食べてはダメだ、我慢しろ、と言って聴かせてもきちんとは守られはしないのだから。これが間桐桜の誡める発言であれば両二名は大人しく従うのだが。食事の規律に関しては桜は圧倒的に厳しい。彼女を怒らせれば、どうなるか――主に以降の食事に関してだが――ふたりは十二分に理解している。

 補足するならば、士郎とて「つまみ食い」を率先して容認しているわけではない。健康管理を考慮してのもの。それ以外の無駄な摂取、特にわがままによる場合に関しては、彼もまた怒る時は当然怒る。

 故に、桜と比べれば些か甘い士郎は、ついつい、いつものクセで僅かながらに聴き流してしまったものだった。

 それがシャルロットは気に入らなかったのだろう。案の定、「そういうこと」との言葉に彼女は苛立ちを覚えていた。

 ムッとした顔のシャルロットに、瞬時に士郎も今の失言に気づいたのか、慌てて取り繕うように言葉を選んでいた。だが、相手は聴き入れてはくれなかった。

「甘やかしちゃダメだよ、士郎! なんでもかんでもラウラの言うことに従ってちゃ、ラウラのためにもならないんだから! だから食べちゃダメって言ってるでしょ!」

 シャルロットが声を荒げる。

 士郎の背後に隠れるラウラはこれ幸いと、ケーキをスプーンですくっては口へと運ぶ。ばくばくと食べる食べる。

「本気で怒るよ、ラウラっ!」

「ま――待て待て、待ってくれ、デュノア! お前の言い分はよくわかるよ。確かに、食べ過ぎるのはよくない。それはすごくわかる。健康管理は大事なことだ。でもな、えーと……それを踏まえた上で、俺の話を聴いてくれると助かるんだが……」

 掴みかかる勢いで詰め寄るシャルロットの進行方向を塞ぐように、士郎は両手を広げて割って入っていた。

「頭ごなしに怒らなくたっていいんじゃないかな、と。ちゃんと言って聴かせればわかるっての。それに、ボーデヴィッヒがたまたま食べたいって言ってただけなんだからさ、そんなに目くじら立てなくても……多少は、大目に見てやってもいいんじゃないか……な? ダメ、かな?」

 余りの剣幕に、少々涙目になりながら、士郎の服の裾をぎゅっと握るラウラもこくこくと頷く。

 状況を見る限り、子供をしかりつける母親とそれを宥める父親の構図でしかない。

「甘い! だからそれがダメって言ってるのさ! 確かに士郎の作るお菓子は美味しいよ。でもね、士郎も士郎で、なんでもかんでも言われるままに、ほいほい作って上げちゃうのは良くないと思うんだ」

「う、あ、ああ、うん。そのとおりだ。デュノアの言ってることは正しいと思う。俺も、美味しいって言ってくれて食べてくれるんなら、作ったこちらとしては嬉しいとしてやりすぎたものはあるかもしれない」

「作る側としての意見に関しては、それはわかるよ。でもね、何事にも限度ってものはあると思うんだよ。士郎も頼まれたからって、素直に作るのもいけないと思う。そうやって甘やかすからラウラはお菓子ばっかり食べて、ご飯を食べないんだから。栄養のバランスが偏っちゃうよ! それにタッパー丸まるあげるなんて作りすぎだよ!」

「あ、ああ……」

「僕だって憎くてこんなことやってるんじゃないんだよ! ラウラにはかわいそうだけれど、少しずつなら食べてもいいと思うけれど、全部を一気に食べちゃったら、それこそ丸々太った仔豚さんになっちゃうよ! ぷくぷく太っちゃったら一夏に嫌われちゃうよ? いいのラウラはそれでも――って、こうまで言ってるそばから全部食べたねっ!?」

 くどくどと説明していたシャルロットだが、悲鳴に近い叫びに変わる。彼女の言うように、タッパーは空。けふと息を漏らし、満足そうなラウラがそこにいる。口の回りは当然チョコレートで汚れている。

 まあまあと手で制しながら士郎はハンカチを取り出しラウラの口元を拭っていた。その顔は苦虫を噛み潰したかのように。

「確かにフォローはできないけれど、ええとな……それは、たまたまだろ? ボーデヴィッヒだってわかってるっての。でも――」

 言って、士郎はラウラの額をぺちんと叩いていた。「あいたっ」と小さく可愛らしい声を漏らすラウラと、思わずシャルロットは眼を丸くする。

 士郎が叩いたとしてもそれこそ力加減など当然している。

 叩かれた額を押さえながら、非難がましくムスッとラウラは相手を睨んでいた。

「なにをする」

「『食べれる分と考えて食べること』ては言ったけれど、限度はある。デュノアは、お前のためを思って言ってくれてるんだぞ? ダメだろ?」

「む、むう……」

 まさか、士郎にまで注意されるとは思わなかったのだろう。返答に困りラウラの眼は微かに泳ぐ。

「な? 反省してるよな? だったら言うべきことがあるだろ?」

 士郎は、じっとラウラに視線を向けて促すと、うむとひとつ頷き――

「すまん、シャルロット! 反省した!」

 力強くラウラは返答。それでもシャルロットと士郎は呆れるだけだったのだが。

「僕と士郎が話をしている合間に、全部平らげた相手に『たまたま』も『反省』もなにもあったものじゃないと思うんだけれどね?」

「……反論できん」

 疲れたようにベッドに腰掛け、ジト眼のシャルロットの指摘に、苦笑を浮かべながら士郎はラウラの頭を撫でていた。

「しっかし、よくもまあ本当に食べきったもんだな。セイバー並みか。まぁ、こちらとしては嬉しいよ。作り甲斐があったな」

「うむ。大変美味かったぞ。今度は、この前のプリンがいいな。クリームが乗っているヤツがまた食べたいぞ」

 プリンとクリーム、との単語から前に作ったデザートを思い出し――

「アラモードか。そうだな……牛乳と卵に、ホイップクリームとアイスクリームはなんとかなるとして、問題はフルーツか、何を用意するか……とりあえず、なら、今から準備してくるか」

「本当か!?」

 ぱあと表情を輝かせるラウラに対し、にこりと微笑み士郎は腰を上げようとする。

「ああ、待て衛宮! バケツプリンと言うものも食べてみたいぞ!」

 ふんす、と鼻息荒くラウラは豪語する。

「バケツプリンか……随分とチャレンジャーだな。藤ねえやセイバーでさえ未だその領域に挑んでいないのに……となると、冷やすのが一番の問題だな……」

 顎先に手を当て、士郎はふむと考える。どうやって冷蔵させるかが悩むところだ。バケツを容易に入れるぐらいのサイズとなると、学食堂の厨房かなと思いながら。いや、それ以前に牛乳と卵は果たしてどれほど使うものかが頭の痛いところだろう。

 口をつける以上は、当然ではあるが、そこらに転がるバケツなど使えるはずがない。ホームセンターから8リットルか10リットルほどの容量が入るポリバケツを買ってくれば十分過ぎるだろうと思案する。

 念入りに洗浄してから作らないとな、とも士郎は考えていた。

 ――が。

「だーからそれがダメって言ってるんだよ! なんでわかんないかな!? それにやめてよねっ、バケツプリンなんてさぁ! なに大前提で作る気満々でいるのかなぁ? 士郎だと本当に作って持って来そうだよっ!」

 ばんと座るベッドを叩きシャルロット。予想以上に大きな音に驚き、ラウラはさっと士郎の背後に身を隠していた。

 士郎もまたシャルロットから醸し出される負の雰囲気に気圧されしていた。ある意味、桜のようで怖かった。

「衛宮、シャルロットが怖い。食事に関しては教官並みだ」

「す、すまん。落ち着いてくれ、デュノア……つ、つい俺も今のは、あまりの食べっぷりに……流されたことに関しては全面的に悪いと思ってる」

「言ったそばから流されるってどういうことさっ!? 僕が馬鹿みたいじゃないかっ! 普段の一夏の鈍感さにはがっかりだけど、ある意味、今の士郎にもがっかりだよ! ていうか、ラウラはいちいち士郎の背後に隠れなくていいからさ」

 そこまで言い終えると、シャルロットはふうと吐息を漏らしていた。落ち着け落ち着けと自分に言い聴かせながら。

「で? 何か用?」

 疲れたように視線を向けてくるシャルロットは、つい思わずキツイ言い方をしてしまっていた。

 だが士郎は特に気にした様子を見せることもなく、本来の用件を思い出すと口を開いていた。ああ実はな、と前置きして彼。

「ええとな、十蔵さんから梨貰ったんだ。それも結構な量をな。ひとりじゃ食べきれないから、皆に配ってたところだ」

 言って、手にするビニール袋を掲げて見せる。梨は士郎が口にしたように、轡木十蔵から草むしりの御礼として貰ったものだった。

 最初は断っていたが、ぜひ貰ってくれと押し切られた。貰いはしたが、量が量なだけに。自分もいただきはするが、せっかくならば他の連中にも分けようかとしての行動だった。

 セイバーや一夏、鈴たちには既に配り終えている。

「ナシ?」

 首を傾げるラウラに頷き、士郎は梨をひとつ手にとっていた。

「ああ、日本の秋の旬の果物かな。俺も食べたけれど、甘くて美味しいぞ」

 甘い、と聴き、ラウラは瞬時に士郎の前に回りこんでいた。

「食べる食べる!」

「そうか? ならついでに剥こうか?」

「うむ! 今すぐ食べたい! 剥いてくれ!」

「いや、ちょっと、士郎――」

 勝手に話が進んでいくところに慌ててシャルロットが言葉をかける。これ以上ラウラに食べ物を与えるのはよくないと判断してのもの。

 なのだが――

「デュノアも食べるか?」

「あー、うん。貰おうかな」

 士郎の声に、シャルロットは思わずそう返答していた。

 

  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 皿にのせられた梨を手に取り、ラウラは口へ運んでいた。

「うむ。しゃりしゃりとした独特の食感がなかなかだ」

「ほんと、みずみずしくておいしいねー。味も濃厚だし」

 シャルロットもまた、もうひとつと摘んで口にして――

「て、違うよ!」

 当初の目的を思い出して、彼女は声を荒げていた。自分も一緒になってのんきに梨を食べている場合ではない。重要なことはこれ以上ラウラに食べ物を与えないことだ。

 士郎は視線を向けて「どうかしたか?」と問いかけるのだが、それに気づかず――気づいていないはずはないのだが――ラウラはしゃくしゃくと梨を口にする。

「うむ、美味い。クラリッサたちにも食べさせてやりたいな。衛宮、これはドイツまで送れるのか?」

 顔をラウラに向けて、僅かに士郎は思考する。

「どうだろう? ドイツまで送るとなると鮮度が持つかな? 送れなくはないような気がするけれど……明日、山田先生にでも訊いてみるよ」

「頼む。衛宮、もっと食べたいぞ。剥いてくれ」

「ああ」

 言われるまま、士郎はナイフ片手に梨を剥いていく。発送に関しては、最終的にはキャスターにでも頼んでみるかと思案しながら――

「おかしいでしょ!? 士郎もなに当たり前のように剥いてるのさ!」

 突然豹変したかのように怒り出したシャルロットに士郎は慌てていた。

「な、なんだよ。美味しくなかったか?」

「すごいね、どうしてそういう風に思いつくのかが僕にはビックリだよ士郎、違うって言ってんのさ!」

 ああそうか、と士郎は先ほどの話を思い出す。

「わ、悪い……デュノアがそんなに怒るとは思わなかった」

「わかってくれればいいんだよ」

「ゴメンな。気がつかなくて……デュノアは、俺の分も食ってくれていいから」

 見当違いな返答に、シャルロットはベッドの枕を掴み力任せに壁へと叩きつけていた。

「なんでだよ! それだと僕が食い意地はってるみたいじゃないか! そういう眼で僕を見てるって言いたいの?」

「ち、違う。そんなつもりはないっての」

「衛宮、早く剥いてくれ」

「え? ああ悪いボーデヴィッヒ、今剥くから」

 言って、しゃりしゃりと梨を剥く士郎にシャルロットは呆気に取られていた。

「うわ酷い。頼まれたから断れないとか士郎がいい人なのはわかるけれどね、ある意味わざとでしょ? ねぇ、わざとやってるでしょ?」

 ひとりで呼吸を乱し、肩で大きく息をする。

「オーケー、ちょっと整理しよう。おかしいんだよ。僕はこんなキャラじゃないはずだ」

 眼を瞑り、うんうんと頷くシャルロット。とりあえず、自制すように大きく息を吸い、ゆっくり吐き出し――

 士郎はナイフを使い、梨の皮に幾つか斜めに浅い切り込みを入れ剥いていく。それを何個も続けていき――皿にのせられたそれらを見て、ラウラは声を漏らしていた。

「おお、まるでウサギのようだぞ、衛宮!」

「お前のトコの黒ウサギ部隊にはならないけれど、こんな風にしてみた。ちょっと見栄えが悪いけどな」

 言って、ナイフ片手に士郎は笑う。

「落ち着いてらんないよっ! なにちょっとほのぼのしてんのさ! いい加減にさぁ、ちゃんと人の話聴こうよホントにさ! もういいよ! ラウラなんてぷくぷく太って仔豚さんになっちゃいなよ! そんでもって一夏に嫌われちゃえばいいよ! もう知らないよ!」

 激昂するシャルロットに士郎は「悪い」と頭を下げる。そんなふたりを気にもせず、ウサギの形に切られた梨にラウラは眼を輝かせていた。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「…………」

 もう今日は疲れた――

 ベッドに入ってもう寝てしまおう――

 シャルロットはゆっくり休みたい、と切にそう願っていた。

 梨は確かに美味しかった。士郎が持ってきた分は、結局全部食べてしまった。まだ沢山あるから明日持ってくると言い残して士郎は帰っていった。

 ラウラの食事に関しては、考えるだけ無駄だと悟る。考えるにしても今日はもう嫌だ、明日にしようとしてのもの。

 はあと小さくひとつ溜め息を漏らしシャルロット。

「ラウラ、ちゃんと歯を磨くんだよ」

 自身は既に済ませている。そう声をかけ、ベッドに入ろうとして――

「シャルロット……」

「? なんだいラウラ? どうかした?」

「お腹が痛い。ぽんぽん痛い」

 自分の腹に手を当て、困ったようにラウラは呟く。

 それに対して――

 シャルロットは「フフ」と笑う。つられてラウラも「にへら」と笑う。

 が、その笑みは一瞬にして消え失せていた。シャルロットの顔は、例えるならば般若のような形相に。ついで、血管が切れるほどに咆哮する。それは容易に想像できた結果でもある。

「だから言ってたでしょ! 何でラウラはそうやって人の言うこと聴かないかなっ! ホント、キミは期待を裏切らないねッ!」

 飛び交う怒号。ふっ飛ぶ椅子。

 近隣部屋から「うるさいよ」と苦情が上がるにもかかわらず――シャルロットの腹の底から吐き出された怒声により、窓ガラスには大きくヒビが走り込んでいた。



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37

 基地通路が揺れる。

 微かな振動は――だが止むことはなく、断続的に続いていた。

 音もなく地下通路を疾走するふたつの人影。短い黒髪を揺らすマドカと、白く長い髪をなびかせるスノー。

 後方からは、銃撃や悲鳴、怒号が聴こえてくるが、ふたりは構わずに駆けるのみ。

 と――

 ふたりの脚が唐突に停まることとなる。

 眼前に広がるのは、天井も高い一際大きな通路だった。だが、マドカたちが立ち止まった理由はそれだけではない。

 開けた通路の向かい側、その先を塞ぐように立つふたりの女性。

「な、言ったろナタル。ここに張ってりゃ相手が勝手に来るってさ。わたしが言ったとおりだろ?」

「……嫌な予想ね」

 得意気になって呟く相手に、金の髪を持つ女は呆れたように応えていた。

 興味がなさそうなマドカとは違い、油断なくスノーは眼の前のふたりに視線を向けていた。

 どちらも、スノーの脳裏では知る相手。叩き込まれたデータを思い出す。

 気楽な声音で今も金髪の女性に話しかけている、虎模様のISを纏うのは、イーリス・コーリング。

 アメリカ国家代表者であり、機体もデータ上知っていた。アメリカが造った第三世代型であり実験機IS『ファング・クエイク』――

 『安定性と稼動効率』を重視したと謳われた、接近戦を得意とする機体である。

 もうひとりもまた有名な相手。アメリカ国籍のISテストパイロットであり、『銀の福音』の正式登録操縦者たる、ナターシャ・ファイルス。

 さらには、ナターシャの両腕に抱えられている『武装』へとスノーの視線は向けられていた。

 銀の塗装を施された、翼のような形――

 鋭く射るような双眸のナターシャ。

 対照に、イーリスがISに包まれた腕、指先を天井へと向ける。

 地下とはいえ、しきりに揺れる振動。それは、マドカとスノーの脚にも伝わっていた。

「上でドンパチやってるのは陽動だろ? 甘く見んなよ……目的は、『銀の福音』か、亡国機業」

()()()が陽動かもしれんぞ?」

「ヌかしてろ」

 侵入者ふたりへ告げるイーリスの声に――だが、スノーもマドカもバイザーで隠す表情に変化はない。

 むしろ、口を開くのも煩わしいといわんばかりにマドカ。

「わかっているなら話は早い。探す手間が省ける。そこまで案内しろ。不本意ではあるが、なにも命までは奪りはしない。命乞いをする前に従ったほうが賢明だぞ?」

 一方的に吐き捨てるマドカだが、ハンとイーリスは鼻で笑う。

「おいおい、聴いたかナタル? あのガキは、そこまでわたしらに案内しろだとよ」

「…………」

「面白ぇ冗談だ。だがな、わたしらを舐めるなよ? オイタが過ぎると怪我するぜ?」

 言ってイーリスは笑うのだが、横に立つナターシャの表情は険しくなる。

 ひとしきり笑い――イーリスの表情もまた変わっていた。

「命乞いするのはテメエらだ。とっ捕まえて、洗いざらいゲロってもらうぜ? ファングを甘く見るなよ? わたしはガキだからといって容赦しねーぞ?」

 言うなり――

 瞬時加速により、マドカめがけて拳を叩き込んでいた、

 が――

 鈍い音によって、イーリスの拳は防がれていた。

 直線上に立つマドカを護るように、横合いから跳びかかったのは、左腕をIS部分展開したスノー。

「エムの邪魔はさせない……」

 呟きを漏らすと同時、パペットクローで斬りかかるが、今度はイーリスが腕部で防いで見せていた。

 そのまま――スノーは、腕部に組み込まれていた砲門による射撃。

 咄嗟に身体をひねり横へ飛ぶイーリスと、後方に控えていたナターシャもまた当たるまいと身を翻していた。

「IS持ちかよっ!?」

「甘く見たのは、どうやら貴様の方だな?」

 くつくつと笑い、マドカは床を蹴り跳躍すると、イーリスを飛び越えていた。

 その場をスノーに任せるように、彼女は奥の通路へ進もうとする。

「くっ――待ちやがれ!」

「させない……」

 斬りかかってくるスノーを蹴り退かし、追いかけようとするイーリスだが――

 喰らいつくスノーは瞬時に回り込み行く手を遮る。ついで、右腕も部分展開すると、エネルギー媒体の矢を構えてマドカを狙撃しようとしたナターシャめがけてレーザーを撃ち放っていた。

「――っ」

 ナターシャもまた更に飛び退き――彼女は手近の壁に背を預けるように追い込まれていた。

 狙撃は虎模様のISへも向けられていた。

 舌打ちしつつ、イーリスもまた距離をとるため床を蹴り、飛び退いていた。

 マドカが消えた奥の通路へと続く入り口を死守するように構えると、瞬時にスノーの全身をISが包み込む。

 白い機体『ブランシュネージュ』の完全展開に、バイザーが覆うスノーの表情が愉悦に歪み、紅い瞳が狂気に彩られる。

 だが、イーリスは嘲笑を浮かべるだけ。

 目の前の相手が展開したISは、基本形態が大きく変わりはするが量産型『ラファール・リヴァイヴ』――

「ハッ、量産機如きで、わたしのファングを停められると思ってんじゃねーぞ」

「ヒャハッ!」

 ぶつかる拳、ぶつかるクロー。

 戦闘狂へと豹変したスノーは嗤い、イーリスへと斬りかかっていた。

 激突する二機ではあるが、そこへ援護するように、『銀の鐘』試作壱号機、腕部装備砲を構えるナターシャ。

 だが――

 イーリスのハイパーセンサーは唐突に、もう一機のIS反応を感知していた。

 その場所は――今まさに光の矢を番え、撃とうとしていたナターシャーの背後。

 壁の向こうに、もう一機が居る。

「――っ、離れろナタル!」

 咄嗟に叫ぶイーリスの声に疑問を感じるよりも早く、ナターシャは本能的にその場から真横へと飛び退いていた。

 床を転がるように――だが、ナターシャの視界が捉えた先には、壁から『腕』が生えていた。

「なっ――」

 言葉を失い、だが、視線を逸らすこともできずに見入る先――轟音を上げて現れたのは――巨大な『腕』だった。

「ちぇっ、残念……逃げられちゃった」

 気楽、それでいて幼い声音。

 もう一本の『腕』が、隔壁をまるで紙でも引き裂くように破壊して現れる。人間など捕まれば簡単にひねり潰せるのではと思わせるほどに異形。

 息を呑むナターシャではあるが、意識を奪われていたのは一瞬。

 刹那に切り替え、両腕で抱える『銀の鐘』を構えると、躊躇もなく撃ち放つ。

 しかし――

 姿を見せた黄色い機体『ムスペル』は、巨大な両腕で難なく防いでいた。

「もう終わり? まさか、飛び道具だけじゃないよね?」

「くっ……」

 呻くナターシャは、続けざまにエネルギー媒体の矢を放つが、ことごとく巨大な『腕』は叩き落していった。

 その身をあらわにしたISは、酷く滑稽な姿であろう。にも関わらず、ナターシャは声を漏らすことはできなかった。

 まさに奇怪。さりとて、威圧感に恐怖を覚えるのは事実。 

 元来のIS『ムスペル』の両装甲腕部に、さらに外骨格構造を持つ巨大な機械の『腕』を装着した格好。

 ISの腕部で、より大きな機械の『腕』を操り暴れるサンシーカー。その指先が生き物のように、意思を持つかの如く蠢いている。

 相手の攻撃がエネルギー矢による射のみだとわかると、酷くがっかりとした声を漏らしていた。

「ホントにそれだけっぽいね。つまんないの。じゃ、今度はこっちだね」

 言って、サンシーカーの操る異形の『腕』が隔壁へ突き刺さると、力任せに引き剥がされた壁の一部を――ナターシャめがけて投げつけていた。

「――!?」

 ISを纏っているわけではないため、生身による動ける範囲は限られている。だが、それでもISの力によって投擲される隔壁の一部を直撃でもすれば命はない。回避するためにナターシャは身をひねる。

 が――

 壁を投げつけると同時に加速していたサンシーカーの手繰る『腕』に、その身は捕らえられていた。

「しまっ――」

 口から内臓が吐き出されそうなほいどの圧力により、片腕ごと胴を握りしめられるナターシャ。

 懸命に『腕』を引き剥がそうと、全身に力を入れる。

 生身でIS用の兵器すら扱う彼女の身体は、女性とは思えないほどの力を秘めている。

 とはいえ――

 それでもなお、万力のようにギリギリと締め付けてくる『腕』はビクともしない。激痛にもがく両脚はバタバタと虚しく空を蹴るだけだった。

「あははっ、頑張るね、お姉ちゃん……でも、無駄だよ。例えISを身に纏っていても、この武装ヤールングレイプル(鉄でできた掴むためのもの)に捕まったら逃げられない。それどころか」

 ――潰しちゃうよ?

「ぐっ、ぁぁぁぁあああああああああああああ!?」

 この火急の場に置いて、似つかわしくないにもほどがある幼く無邪気な呟きと共に、手加減に手加減を加えていた巨人の腕は、ほんの僅かに力を込めただけで掌の小鳥の身体にミシミシと骨が奏でる異音に拍車をかける。

 燃えるような痛みと熱が身体を駆け、ナターシャの口から悲鳴が上がる。既に肋骨の幾本かは折れているのだろう。

「ナタル――!?」

 悲鳴を耳にし、相棒が捕獲されたことに、イーリスは踵を返し駆け出していた。

 普段、戦いの場に置いて周りが見えなくなりがちな彼女ではあるが、それでも、こと大切な相棒の悲鳴――それも、今まで聴いたことがない叫び――を無視できるほどの非人間でもなかった。

 だからこそ、殺戮機構となったスノーに背を向けたことが命取りとなった。

 今此処は、スポーツマンシップにのっとった試合を行う場ではない。殺す殺されるという、ただの命のやり取りを行う戦場だ。

 スノーが突き出していた右腕、慣性停止能力、アクティブ・イナーシャル・キャンセラーが『ファング・クエイク』を捕捉し、その場に停止させていた。

「っ!?」

 がくんと身体の動きが停まり、イーリスの眼は驚きに見開かれる。

 ほんの数瞬のうちに、彼女は自らの敗北と自身の甘さこそが敗因であったことを悟らされていた。

 どこかで第二世代に乗る子供が相手だと、たかをくくっていたのではないか――?

 機体性能などIS同士の戦闘においては、些細なことであり何の保障にもならない。

 せいぜい、質の良い銃と防弾チョッキを渡されている程度の秤であろう。

 一撃で眉間を打ち貫く技量たる『腕』さえあれば、装備の良し悪しなど、如何ようにでも覆せるというのに。

 当の昔に、彼女は自分が常識など通用しない世界に足を踏み入れていることに気がつかないまま、殺し合いという天秤の中で測りそこなっただけだ。

 背後を振り返ることも叶わず、イーリスは、その身にレーザーと特殊徹甲弾の直撃を受けていた。

 宙に浮いたまま、スラスター四基による『個別連続瞬時加速』も発動させることも出来ずに。

 衝撃に吹き飛ばされ、機体の破片を撒き散らしながら、イーリスはその身を床に叩きつけられていた。

「クッソ……」

 必死に起き上がろうと顔を向けて――彼女が見たものは、立ち込める爆炎を切り裂き、躍りかかる白い機体だった。

 スノーがイーリスに襲いかかる傍らでは、ナターシャは息を詰まらせた悲鳴を漏らしていた。

 掴まれたまま、彼女の身体は、壁、床に叩きつけられていた。衝撃は生身の肉体へダイレクトに伝わっている。常人であれば、既に気を失っていてもおかしくはない。いや、気を失っていた方がまだマシといえよう。早々に失神でもしていれば、これ以上の痛手を受けることはないのだから。

 だが、それでもナターシャは動くことも叶わず、今の彼女ができることは、ただただ、相手を睨みつけることだけだった。

 頭部の痛みに意識を失いそうになるが、顔を鮮血に染めた彼女は言葉を吐き出す。

 愛しい我が子を護る母親のように――

「渡さない……あの子は……絶対に……」

 ナターシャは呪詛のように呟きながら、唯一、動かすことが出来た『銀の鐘』が装備されている片腕を必死に伸ばし、眼前の『敵』へと向けていた。

 震える腕は、何の意味も成さないことを理解している。

 ズタズタに傷ついた腕は、彼女にとって固有感覚機能(運動感覚)が正確なのかすら把握できていない。痛覚さえ麻痺して感じられなかった。

 片腕で撃てるわけもなく、よしんば、何かの奇跡でも起こり、エネルギー矢を射ることができても、それは『ムスペル』が操る片腕ヤールングレイプルに容易く弾かれることだ。

 今、自分が軍人として取るべき最も賢い行動は、如何にして、危機的状況下であるこの場を抜け出すか。なんとしても生き残り、敵の情報をひとつでも多く軍に伝えることであろう。

 しかしながら、どうして諦めることが出来ようか?

 彼女はひとりの軍人として、ならびに、ひとりの女性でありえる。

 今まさに眼の前で、大事な『我が子』を悪鬼の輩に連れ去られようとすることに、彼女は黙って指をくわえて見過ごすような感情など持ち合わせてはいなかった。

 例え己が身が地獄に落ちようとも、許すことなどできるハズがない。

 空を飛ぶことを何よりも好み、翼を奪われた我が子を護れるのは、母親のように愛着を持つ、ナターシャ自身のみ。

 それなのに、現実はなんと無力なことか。

「……あの子? お姉ちゃん、何をさっきからそんなに頑張っているのかな? おもちゃが我が子だとか、わたしには理解できない(わからない)な」

 首を傾げたサンシーカーではあったが、ナターシャから完全に興味を失い、視線を逸らすと――

 思い出したように、ヤールングレイプルが握る彼女を床へと叩きつけていた。

 口を動かす最後の気力もそこで途切れたのだろう。がくんと首が下がり、ナターシャが意識を失いかけるその刹那、うすら暗がる視界に捉えた光景は、同じように床に叩き伏せられた友人の姿が見えたような気がしていた。

 

 

 上空からのレーザー、ミサイルによる建造物への掃射。ハイパーセンサーが眼下の状況を詳細に補足し、逐一確認すると、また別のところを狙い破壊する。

 ホークアイたちがこの基地に襲撃してから僅か数分。

 要となる軍事施設はホークアイのIS『ヴェズルフェルニル』一機によって蹂躙され、無力化とさせられていた。

 赤子の手をひねるように、一方的な『破壊』で踏みにじるだけ。

 至るところから上がる炎と黒煙、残骸が広がる眼下――

 次の標的へと向けられる銃口。だが、その射線上に、負傷者を引きずり懸命に離れようとする基地兵士がいることに気づく。

 さらには、兵士たちに『動き』が見える。

 何をしようとしているのかなど、ホークアイにとっては容易に知りえていたことだった。

 ISが動かせなくとも、自分たち男が操れる『兵器』がある。

 それは些細な抵抗であり、徒労に終わる行為とわかっての行動だというのが、基地兵士連中は誰もが理解している。

 だが、屈強な男たちとて意地がある。

 例え無駄なことであろうとも、意味がなかろうとも、自分たちが心身に誇りを持ち所属する米軍に対し、ここまでいいようにコケにされて黙ってなどいられない。

 不意に見てみれば、負傷者に肩を貸して動いていたひとりの兵士が見上げていた。

 視覚補足拡大映像に映し出される男の顔は、怯えの色は窺えるが、逆に憎悪の闘争心が感じられていた。

「…………」

 ホークアイは銃口を逸らすと、ハイパーセンサーで逃げ遅れが居ないことを確認すると、あらぬ方へと砲撃する。

 傍受した通信はひきりなしに飛び交い、止むことは無い。

 焦燥、怒号に駆られた声音。

 だが、皆一様に駆られる思惑はひとつ。「どうして此処が」と。

「救援を――救援を頼む――」

「くそったれっ――6-Dエリアが突破されてる! 負傷者が半端ねぇ! 本部――本部、至急救援を頼む――繰り返す! 6-Dエリアに至急救援を頼む!」

「動けるヤツ――生き残った部隊はまとまれっ、ふざけやがって! 目に物見せてやる――」

 一部の兵士は戦意を喪失していない。あろうことか、立て直し、反撃に転じようというのだろう。

 事実、基地上空に浮かぶ、『ヴェズルフェルニル』めがけての対空砲火。

 生き残った基地配備された対空ミサイル、装甲車による対空射撃、歩兵によるロケット弾――

 正直、うっとうしい……というのがホークアイの感情であった。

 ISならまだしも、近代兵器に場を奪われ、現在では、その存在すら片隅に追いやられているといわれる旧式兵器では、相手になどならない。

 極秘裏とされた国防戦略拠点。

 軍関係者であろうとも、ごく一部の人間しか知られていない基地防衛に配備されていた三機の軍事用量産型IS『ラファール・リヴァイヴ』は、既にホークアイが全て撃ち墜している。

 いずれも搭乗者の生体反応は健在であるが、直ぐに戦線に復帰できるような機体損傷率ではない。やぶれかぶれに真下からグレネードが撃たれるが、ホークアイは機体を操り、ひらりひらりとかわして見せていた。

 と――

 突如、基地一画が爆音を上げる。砲撃はホークアイではない。新たな炎と煙を上げる箇所から昇ってくる三機のIS。

 うち一機は、一部が壊れた銀色の機体を、巨大な『腕』のヤールングレイプルで担ぐサンシーカー。

「お待たせホーク、お仕事終わったよ」

「…………」

 目的を達成したことにホークアイは頷くと、それ以上の掃討行為をやめて向き直っていた。

 そのまま、彼女はじっとサンシーカーへ視線を向けていた。

「……ん? なぁに?」

「いや、なんでもない……」

 小首を傾げるサンシーカーだが、直ぐに頭を振りホークアイは視線を逸らしていた。

 先日のIS学園での戦闘のように、今回はその身に怪我は負っていないようだ。そのことに彼女は安心を感じる。

「追跡されるのもつまらん。撤収するぞ」

「了解」

 マドカの言葉に再度頷き、ホークアイ、スノー、サンシーカーは機体を駆り、速度を上げる。

 眼下からの砲撃を掻い潜り――

 北アメリカ大陸北西部、第十六国防戦略拠点、通称『地図にない基地(イレイズド)』を四機は後にした。



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38

 学園祭が無事終わってからというもの、布仏本音は一部の人間の雰囲気が変わっていたことに気がついていた。

 違和感――

 どこか態度がおかしく感じたのは、まずクラスメイトの一夏とシャルロット。セシリアとラウラに関しても、いつもと違うように感じ取れた、というのが彼女の正直な感想だった。

 逆に、本音から見た箒と士郎、セイバーやランサーは変わらず、全くの普段通りだった。

 一夏と士郎、セイバー、箒、セシリアとラウラは皆一緒に演劇に関わっていた。演劇の最中に何かあったのかと思いもしたが、本音が知っている範囲では特に問題がおきるようなことはなかったはずだと結論付ける。

 喧嘩をしているようにも見えない。

 楯無のせいで劇の途中は混沌としたものへと変わってしまったが、概ね楽しめた結果に終わっていた。

 劇以降、一夏とシャルロット、セシリア、ラウラ、セイバーとランサーの姿は見ていなかった。

 夕方にふらりと戻ってきたセイバーとランサーはクラスの出し物を引き続き手伝いはしたが、一夏たちが戻ったのは夜になってからだった。

 クラスの頑張りによって、一年一組は好成績により目当てのデザートフリーパスを手に入れることができた。

 唯一、一夏の王冠を手にする者は居らず、一部の人間に伝えられていた『織斑一夏との同部屋』はご破算になってしまったのだが。

 学園祭の閉会式もつつがなく終了したが、普段であれば、お祭り好きの楯無が一言挨拶するはずなのだが、なぜか虚が代わりに締めくくっていた。

 虚曰く、「会長は、はしゃぎすぎて疲れている」とのこと。

 それら一連を思い出しながら、本音は、なんだろうと小首を傾げていた。。

 違和感を覚える相手はクラスメイトだけではない。姉の虚、ならびに副担任の真耶に対しても同様に。

 生徒会長の楯無に対しては、学園祭の演劇途中以降から、ここ数日まったく顔を見てもいない。

 思いきって一夏やセシリアたちに話しかけてみれば、皆いつものように普段通りに接してくれる。

 だが、ひとりでいる時、IS訓練時には、その表情は特に厳しい顔に変わっていることを本音は知っていた。

 他のクラスメイト――さやかや癒子が言うには、随分と気合が入っているとは口にするが、果たしてそれだけなのだろうかと本音は考えていた。

 正直に言ってしまえば「こわい」という感情。

 皆、終始気難しい顔をしている。良く言って何かを考え、悪く言ってしまえばピリピリしている。

 はっきりと変わったのは、やはり学園祭以降。

 なにがあってそうなったのか、本音は答えを見つけられず、原因はわからない。

 彼女は、ただただ小首を傾げるばかりだった。

 

 

 先日のIS学園近郊でのIS展開、ならびに戦闘行為。

 千冬の権限である程度は誤魔化し、または情報を隠蔽消去をしたが、それでも全てを隠しきることはできない。

 国際IS委員会へ提出する報告書をまとめさせるために、セシリアとラウラは放課後別室へと呼ばれていた。

 本来はセシリアとラウラのふたりも査問委員会に引き渡されることになっていたのだが、それを制したのは千冬だった。

 ふたりも、と触れたように、査問委員会に身柄を引き渡すよう強要されたのは他に三人。シャルロット、セイバーとランサーである。一夏と楯無の両二名に関しては、IS学園内での出来事として関わりを抹消していた。

 だが――

 特にシャルロットの立場というものは微妙であった。

 戦闘を行ったIS学園関係者は、真耶を含めて七人。教員ふたりの榊原菜月とエドワース・フランシィらは除外されている。この七人の中で、ケガの程度が酷かったのはシャルロットだった。

 命に別状はないが、これがフランス政府にとっては格好の口実を与えることとなる。

 フランス政府がIS学園と千冬に対して、責任をとるように求めてきたのだ。

「IS学園は、どのように責任を取るのか?」

「貴重な我が国の候補生に対する許しがたい行為」

「学生に実戦を強要するとはどういうことだ」

 貴重な代表候補生への被害。いくらケガとはいえ、下手をすれば取り返しのつかないことになっていたかもしれない。

 ところが、これに噛み付いたのは当のシャルロット。

 代表候補生という立場を軽んじ、首を突っ込んだことは自分の落ち度であり軽率な行為であったと認めよう。それでも、自分は友人を放っておくことはできなかった。セイバーやランサーのために手を貸したことに関しては、一切後悔はしていない。

 自分自身がフランス政府から咎を与えられるのならば、甘んじて受けるつもりだったが、関係ない人間――千冬に対して――へ矛先を向けられるのが納得がいかない。

 しかし、この点に関してはシャルロットもわかってはいない。IS学園において、不測の事態――『予測外事態の対処における実質的な指揮』は千冬に一任されている。

 千冬の指示で行ったと言ってしまえば、それもまかり通るであろう。

 とは言え、同じようにフランス政府の抗議もまた当然となる。

 自分を盾にいいようにIS学園、担任教師に揺さぶりをかける態度がシャルロットは我慢ならなかった。さらにここにきて彼女を憤慨させることが起きる。

 ハイエナのように何処から嗅ぎつけたのか、デュノア社まで難癖をつけてきていた。

 フランス政府の対応はわかるが、デュノア社が然も我が物顔でしゃしゃり出てくるのが許せなかった。IS学園へシャルロットを編入させる際に性別を偽装していたことなど棚に上げて、である。

 これにはさすがの温厚なシャルロットも、完全に怒りの限界を迎えていた。

 千冬に対し――

「自国へ帰らせてください。僕が話をつけてきます」

 などと、このように啖呵を切るほどに。

 無論のこと、シャルロットが性別を偽り学園へ編入したこと、一夏や『白式』のデータを奪取することといった問題は実質的に解決は済んでいない。一時の感情を爆発させた、そんな彼女を帰国させる気も千冬は持っていない。なにより、大事な生徒を幾ら親族とはいえ、いいように利用しようとするデュノア社に接触させる気はない。

 学園に在籍する以上は、如何なる手段を用いてもシャルロットを護る気でいる、のだが……

 予想外の横槍を入れられるとは思いもしなかった。キャスターである。

 彼女もまたフランス政府、デュノア社に対して、心良い感情を持ち合わせてはいなかった。むしろ敵意に近い。あげくは、査問委員会にわたしを出廷させろ、直接話をつけて来るのでしばらく留守にする、とまで告げてくる始末。

「織斑先生、二週間ほどお暇を頂きたいのだけれど、よろしいかしら? 理由? わざわざ言わないといけないの? そんなの決まっているじゃない。無様で虫けら以下のゴミ屑にも等しい馬鹿な連中を黙らせてくるためよ。のうのうとこの世に生きるのもおこがましいわ。ああ、それとシャルロットさんもお借りしたいの。当事者の意見て、()()()()()()()? 本人も帰国をいたく希望しているし。悪いのだけれど、同様に彼女も二週間ほどお休みさせてもらえないかしら?」

 にこりと微笑みさえしていた。

 たまたま居合わせていた真耶は悲鳴を上げることも動くこともできなかった。にこにこと笑いはするキャスターに対し、純粋に恐かった。

 当然許可などできるはずがない。

 普段は冷静に達観するキャスターではあるが、ことシャルロットに関した事柄となると熱くなり些か周りが見えていない。まるで、母親のように。

「落ち着きなさい」

「落ち着け」

 セイバーとランサーもそんなキャスターに少々驚いていたりもしたのだが。

 早まった馬鹿なマネはやめろと言い聴かせる――シャルロットも乗り気だったのが千冬の頭の痛いところだった――と、決して悪いようにはしないから大人しくしていろとだけしか言えなかった。

 なんとかシャルロットに対する査問委員会への召喚も撥ねのけはしたが、セイバーとランサーに対してはどうあっても覆すことができなかった。当事者となるのは主にランサー、次点でセイバー。このふたりであるからだ。

 ふたりはふたりで、特に反論も抵抗も示さない。むしろ自分たちだけで済むのなら、シャルロットたちに被害が及ばないようにしてほしいとさえ頼まれていた。

「すまんな……」

 セイバーとランサーに頭を下げはするが、千冬とて、すんなりとふたりを委員会に引き渡すつもりなどない。

 身柄を引き渡すつもりはないこと。織斑千冬が立会いのもと取調べを行うこと。あくまでも今回の戦闘行為に対してのみ言及すること。

 これらを認めなければ、当IS学園は一切の情報提供、ないし委員会には応じるつもりはないと強固の姿勢で返したのだった。

 

 

「つ、疲れましたわ……」

 机に突っ伏すようにうな垂れるセシリア。書き終えた横のラウラも机に伏してうんうんと唸っている。

 纏め上げた報告書に眼を通した千冬は、やれやれと息を漏らしていた。

 眼にした限りでは特に問題はない。概ね事実だけが記されている。誤った内容が記されていたその度に、彼女が指摘していたのだから。

 まあ、よかろうと判断し立ち上がると、未だ死んだように動かないふたりへ声をかけていた。

「ご苦労だった。それとな、お前たちに伝えておきたいことがある。前以って言っておくが、非常に悪い話だ」

 コーヒーメーカーから自分の愛用するカップにコーヒーを注ぎ、砂糖を探し千冬。

「な、何ですの、織斑先生?」

「…………」

 含みのある言い方をする千冬に対し、思わずセシリアはたじろいでしまう。

 そう構えるなと告げてから、彼女は目当ての容器からスプーンで二杯ほどカップに入れると向き直っていた。

「今朝方、とある筋からの情報が入ってな……『銀の福音』が奪取された」

「ほう……」

「それは、大変ですわね……」

 世間話でもするかのような感じの相手に、伏せた顔のまま各々は呟き応えるのだが――

『!?』

 耳に捉えた言葉は聴き間違いかといわんばかりに、瞬時にふたりは顔を跳ね上げていた。

 ぱくぱくと口を動かし、信じられないといった表情で。

「なっ――」

「ど、どどど、どういうことですのっ!? うば、奪われたっ!? あの『銀の福音』が奪取されたと仰いましたのっ!?」

 ばんと机上を叩き、セシリアは身を乗り出していた。

 同様とまではいかないが、ラウラの眼も驚きに見開かれている。

 あの『銀の福音』が奪取された――?

 そんな話はにわかに信じられるはずもない。

 瞬時に臨海学校での出来事が思い出されていた。

 自分たちが命がけで停めた暴走機体。

 ラウラにいたっては、あの機体はコアは無事であったが、暴走事故を招いたことにより凍結処理が決定され、アメリカ軍が何処かに永久封印したと報告を受けていた。

 事実上の封印のはずである。あれほどまでの軍事スペック搭載のISを野放しになどできようか。

 暴走事件時は、場所が海上故に民間人に被害が出なかったからまだしも、都市部で暴れでもされてはゾッとしてしまう。

 大型スラスターと広域射撃武器を融合させたシステム。36もの砲口をもつウィングスラスター。

 常時瞬時加速と同程度の急加速が行える高出力の多方向推進装置によって、超高速飛行されながら、高密度に圧縮されたエネルギー弾を全方位へバラ撒かれでもすれば被害は甚大であろう。

 だが――

「落ち着けオルコット。やかましくてかなわん」

 一言のもとに斬り捨て、千冬はコーヒーを口にしていた。

「こ、これが落ち着いていられますのっ!? 重大なことですのよ!? 何をのんきにしておられますのっ!?」

「そ、そうです教官! 『銀の福音』が奪取されたなど……冗談にも程があります!」

「わたしは冗談は嫌いだ」

『…………』

 なぜそうも冷静でいられるのだろうか。

 だが、千冬とて落ち着いているわけではない。ふたりは気づいていないが、彼女が淹れたコーヒーは塩味が効きすぎている。

 顔に出すわけにもいかず、何事もなかった風に装い、千冬は一口だけ啜ったコーヒーを以後手には取らなかったのだが。

「この件に関しては、既にアメリカ政府が動いている。奪取されたとはいえ、それが何処に運ばれているかもわからん。知ったところでどうにもできんさ」

「し、しかし! だからといって、黙っているわけにもいかないでしょう!?」

「そ、そうですわ。情報を公開して、至急各国との連携を――」

 ふたりが口にする甘い考えを、呆れた顔をして千冬は言い捨てていた。

「できるわけがなかろう? ISを盗まれましたなど。面子を優先する連中だ。しかも、暴走事故を引き起こして永久封印とされたはずの『銀の福音』だ。公表したくとも公表できん。オルコット、お前の国の二号機と同じようにな」

「それは……」

 千冬にそう指摘されては、ぐうの音も出ずに黙ってしまう。

 公に『サイレント・ゼフィルス』が奪取されたなどとは世界に公表していない。盗まれたなど、恰好の笑い草であり恥の何者でもない。実際に、イギリス代表候補生たる自分も、眼にし相対するまで知らなかったのだから。

 無言となるセシリアに……息を吐き、だがな、と千冬は言う。

「遅かれ早かれ、この事実は、お前たちの耳に届くことだ。だが、今しばらくは公表はされずに隠匿される」

 特にドイツともなれば、情報収集などはお手のものだろうとも踏んでいた。

「今一度言うが、アメリカにとっては二度目の失態だ。まずは自分たちで取り返そうとするだろうし、事実の隠蔽に躍起になることだろう」

「しかし教官、奪取されたとはもしや……」

 ラウラが口にする思い当たる組織。

「亡国機業、で間違いございませんわね?」

 後を継ぐように言葉を吐いたセシリアに、千冬は静かに頷くと今朝の出来事を思い出していた。

 

 

 早朝の職員室、教員の姿もまばらの中、眠気覚ましに淹れたコーヒーを手にした千冬は自席に腰を下ろしていた。

 と――

 机に置いていた携帯電話から着信を知らせる電子音が鳴り響く。表示される名前に、千冬は眉を微かに寄せていた。

「こんばんは、ブリュンヒルデ、ああ、そちらの時間帯はモーニングでしたか?」

「珍しいな。お前がかけてくるとは」

「ええ、海以来ですね。お久しぶりです」

 電話の相手は、ナターシャ・ファイルス。

 コーヒーを手に取り、それでどうかしたかと問いかける。

「わたしとしては、のんびりとお話をしたいところなのですが、そうもいかないところでして……この通話記録も恐らく傍受されます。誤魔化せるのも数分なので、用件だけ伝えさせていただきます。よく聴いてください」

 相手も口調、物腰から妙な雰囲気を感じ取った千冬もまた表情を強張らせていた。

「……なにがあった?」

「あの子――『銀の福音』が奪取されました」

「なんだとっ!?」

 唐突に伝えられた内容は、彼女を驚かせるに十分な内容だった。

 極力声を抑えたつもりでいたためか、周囲の教員に聴かれることはない。それでもさらに声を潜めて千冬は問いかけていた。

「奪われたと――いったい何処にだ?」

「亡国機業です」

 亡国機業と聴き、千冬は苦い顔をする。

「……そんな情報は届いていないぞ」

「でしょうね。アメリカが全力で停めていますから。まだ何処にも漏れていない、ホットな情報ですよ?」

 なにせ、現場に携わる人間からの話ですから、一番乗りですよ、とおどけた口調のナターシャは続ける。

「情けないことに、ものの見事にやられました。イーリも今はベッドの上です」

 イーリと聴き、あいつもやられたのかと千冬は瞬時に悟っていた。

「……無事なのか?」

「あら? 心配してくれるのですか?」

「茶化すな」

「ふふ、失礼……イーリは命に別状はありません。頑丈だけが取り柄みたいで。わたしもですけれど……襲撃された基地兵士も重傷者は多いですが、死者はいません」

「死者はいない?」

「ええ。でも、基地の主要施設は見事に破壊されました。『地図にない基地(イレイズド)』の名の通り、基地は無くなったといっても過言ではありません。ただ、厄介なことに……あの子と同じように、イーリの実験機もなくなっています」

「アイツの機体とは確か……」

「ええ。お察しの通り、アメリカ第三世代型国家機体です。それも一緒に、恐らく奪われています」

「……『銀の福音』に実験機ともなると、上は黙っていないだろう?」

 痛いところをつかれ、ナターシャもまた苦笑を含んだ声音で返答していた。

(上層部)はバケツの水をひっくり返したようにてんやわんやですよ。誰が責任を取るかで大忙しです。恐らく、わたしはテストパイロットを、イーリは国家代表枠を剥奪されるみたいですね。面子が大事だから、そういったところに帳尻を合わせようとするみたいです」

 それはそれで、ある程度自由が利いて動けるんですけれど、とも応えていた。

「厳重なかん口令が敷かれていますので、情報が漏洩すれば、それ相応の処罰は受けることでしょう」

「ならば……なおさらだ。なぜ、そんな話を?」

「頼れるのが、あなたしかいないから」

「――っ」

 隠すことも、下手に言葉を並べることもなく、ナターシャはただそれだけを口にしていた。

「行動制限がされている、今のわたしはなにもできない。気をつけてください。それだけを伝えたかったの。特に、ブリュンヒルデ、あなたの弟さん……素敵な白いナイトさんにも伝えてください。はっきり言いますが、嫌な予感がしてなりません」

「…………」

「弟さんも、先日、亡国機業に襲われたと聴きました。学園祭だったというのに災難でしたね」

「詳しいな。ある程度は規制を張っていたハズなんだがな」

「こちらの情報網は優秀ですよ。何人かの子が査問委員会にかけられそうなことも知っています」

「……実に見事な情報網だ。感心させられる」

「ふふ、もし、こちら(アメリカ)が 見下すような態度に出てきたなら、『銀の福音』のことを場に上げてみてください」

 面白いことになりますから、と笑う相手だが、千冬は苦笑を浮かべざるをえなかった。

「自国のことだろう? そんなことをすれば、お前の身にも不都合が生じるかもしれんぞ?」

 まさか、そんなカードを握らせるために危険を承知でかけてきたのかと彼女は思う。

 しかし――

「形振り構っていられないの。今のわたしは……話はそれだけです。お手間を取らせていただき、申し訳ありません」

 言って、通話を切ろうとした相手に――しかし千冬は言葉を滑り込ませていた。

「待て」

「…………」

 その言葉は相手に届いていたのか、通話はまだ続いていた。

 千冬は口早に告げる。

「……()()()()()()()()()()()()?」

「…………」

「口実など幾らでも作れる。傷を癒すためやら、IS実技講師としてこちら(IS学園)にお前を招致するなど、やり方などさまざまだ。だから、友人として言っておく。その耳にしっかりと叩き込んでおけ」

「……聴かせてください」

「早まった馬鹿なマネはやめろ。こんなわたしでも、力を貸すことにはやぶさかではない」

「…………」

 しばしの無言。だが、かすかに含み笑いが千冬の耳には聞こえていた。

「ええ。その時には、お言葉に甘えさせていただきます。すみません。本当に時間切れのようです。なにかありましたら、またこちらからご連絡します」

「ああ。無茶はするなよ……」

「ふふ、それでは」

 バーイ、とだけ告げられると、通話は切れていた。

 

 

 今朝のやり取りを思い出していた千冬だが、割り切るように言う。

「このことを知っているのは、わたしと山田先生とお前たちふたりだけだ。いいか、くれぐれも絶対に他人に公言するな。特に、織斑と篠ノ之にはな」

「な、なぜですか?」

 これに異を唱えたのはラウラ。彼女は福音を止めたのは彼であり、事実を知るべきではなかろうか、何よりも自身が敬愛してやまない千冬の弟である。

「ふたりとも満足な洞察力、観察力を身につけていない。操縦技術に関してもなおさらだ。自分たちの機体性能を存分に発揮できてもいない。そんなところに今回の事件を報告できるか。下手に知って、下手に動かれても困るだけだ。想像してみろ。織斑の耳にでも入れば、あいつは間違いなく勝手に動こうとするぞ」

「…………」

 あの時のように、わざわざ機を逃したり、命令無視で飛び立ったりされてはかなわんからなと告げる。

 『紅椿』を手に入れて浮かれる箒と、絶好の機会を逃し密漁船を守る一夏。ふたりの行動を思い出したセシリアとラウラは言葉もない。

 だが、それは本当にIS技術不足によることだけだろうか。

 千冬本人でも気がついていないように、ただ一夏を危険事から遠ざけているようでしか他ならない。

「なにも、そんなに険しい顔をするな。伝えるときは、わたしから伝える。いいか、絶対に他言することは許さんからな」

「……はい」

 返答するセシリアとは違い、ラウラは真っ直ぐに千冬を見入り訊ねていた。

「教官、ひとつお訊きしてもよろしいですか?」

「……織斑先生だ。まぁいい。なんだ、ボーデヴィッヒ」

「なぜ、わたしたちにこの話をされたのですか?」

「なんだ、そんなことか」

 呆れたように肩を竦めて見せると、千冬は話し出していた。

「お前たちに話したのも、現時点で話すに値すると判断したからだ。どちらかといえば、専用機持ちの中でも慎重派と捉えたこと。それにな……」

「それに?」

 訊き返すセシリアに、ニヤリと笑い千冬は言う。

「ふたりがかりとはいえ、それでもいいようにあしらわれたお前たちならば、知っておくべきかと思っただけだ」

『…………』

「お前たちを信用しているからだ、と言えば満足か?」

 そうまで釘を刺されては、ふたりは不承不承、素直に頷き返答せざるをえなかった。

 だが、千冬が口にした「わたしが伝える」とは言うが、それは一体いつになるのだろうか……喉まで出かけた言葉をセシリアは無理やり呑み込んでいた。



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39

 国際IS委員会からの紙面による回答文章。そこには、千冬が提示した条件を全て呑む旨が記載されていた。

 だが、千冬はこの回答に疑問を待たざるをえなかった。

「…………」

 紙面を握る指に思わず力がこもる。

 あまりにも対応が早すぎる。亡国機業に対しての各国の迅速な反応、といえば理解できる。

 だが、彼女の勘が、それでも異様だと訴えていた。

 世界がそれほどまでに危機感を覚えている、とも考えてはみるが、答えはノー。

 日々、ひとつでも多くのコアをどこよりも抱えもちたいと躍起になっている連中だ。世界の安定など二の次、三の次であろう。

 ならば何かと考えれば、思いつくのは「情報」が欲しいからだろう。

 ならびに、査問委員会として正式な場で、男性操縦者のひとりであるランサーと接触できる機会。

 連中は、それを見越して事を早めたのだろう。IS学園における予測外時に指揮を執れる管理者、織斑千冬に、好からぬ動きをされまいとして。

 面倒くさい連中だと、千冬は正直に心の中で呟いていた。

 それに加えて、こちらが提示した条件全てを呑んでいる点に対しても、千冬は眉をしかめていた。

 各国要人極秘裏に進められる会合。唐突であるため、各国要人が来日するわけにも行かず、すべては中継によるライブ映像での査問委員会となるのだが。

 今一度、彼女は疑問を脳裏に浮かべていた。

 しかし――それにしても早急すぎる。

(それほどまでにして、情報を得たいということか……)

 考えたくは無いが、裏で何かがあるのかとも推測する。きな臭い根回しに、半ば苛らつきを覚えもするが、どこの国家にも属さないIS学園とは言え、全てを遮断できるわけでもない。

 だが、それでも千冬は、士郎とセイバー、ランサーの三人の身は護ろうと考える。

 そのために、自分自身に如何なる処罰が下されようとも、身柄を引き渡せと告げられようとも、そんなものは知ったことかと啖呵を切る覚悟さえある。

 セイバーとランサーのふたりには、形だけのつもりで査問委員会への召喚状の承認許可を得るために話はしたが、以外にもふたりはすんなりと了承していた。

「早いに越したことはないんだろ?」

「それは、そうだが……重ねて、都合が悪いと返答しても構わないのだぞ? 向こうがなんと言ってこようとも、別に出なくてもいいんだ。お前たちの意志を尊重する」

「別にいいっての。逆に言えば、何を訊かれるのかがわかんねぇがな。難しい話は好きじゃねえし」

 カカカと軽く笑うランサーに加え、セイバーも頷き答えていた。

「わたしも同意です。断る理由がありません。早めに対処できるのならばしてしまった方がいい。それに、チフユ、もし、わたしたちが応じなければ、あなたに、いや、この学園に何か迷惑がかかるのではないですか?」

「そんなことはない」

 何食わぬ顔で千冬は返答するのだが、容易に嘘だと見抜かれていた。

 嘘をつくのが下手ですね、と笑みを浮かべてセイバーは続ける。

「余計なことになるならば、なおさらです。わたしとランサー程度で済むなら安い話です。わたしたちに構わず、あなたやシャルロット、イチカに迷惑がかからないように事を進めてください」

「向こうが何を考えてようが関係ねえよ。こっちが不利にならなきゃどうでもいいしな」

 相槌を打つように話に乗るランサーに、セイバーもまた頷くだけ。

「その通りです」

「……すまない。だが、極力、お前たちに不利になるようなことはさせないと約束しよう」

 ふたりの寛容な応対に、千冬はただただ頭を下げることしかできなかった。

 

 

 キャスターに士郎の護衛を頼むと、セイバーは千冬と一緒に学園を後にしていた。

「わたしも連れて行きなさい」

 シャルロットに対するフランス政府、デュノア社の態度に怒りの溜飲は幾分か下がりはしたが、それでも完全ではなかった。

 出かける最後の最後まで、しつこかったキャスターに辟易しながらセイバーは言い聴かせていた。

「キャスター、さすがにあなたまで出向いてしまっては、シロウを護ることができなくなってしまう。あなたがシャルロットを心配するのもわかります。わたしも、出来ることなら代わってあげたいと思う。ですが、もし、此処を離れた際にシャルロットにも何かあってはそれこそ事だ。防御に長けたのはあなたしかいない。ですから、どうか皆を護ってほしい」

「それに、話がこじれて手に負えなくなったら、いよいよあんたの出番だ。とりあえず、大人しくしといてくれや」

 ランサーにさえ言いくるめられ、渋々と――本当に渋々と――キャスターは、学園に残ることを承諾していた。

 だが、もし本当に害を成す輩が乗り込んできた場合は容赦しないと言いのける相手に、ほどほどにしておけ、としか千冬は言えなかった。

「ええ。今は大人しくしているわよ。今はね」

「…………」

 どこか意味深な言葉を残して去っていく保健医はさておき……

 他にも国際IS委員会から説明要求の書類がまだ残ってはいるが、それらは心苦しいながらも、後は真耶に任せていた。

 そんな一連のやり取りを思い出しながら、千冬たちは委員会から手配されたリムジンに乗せられ移動している。

「…………」

 見るともなしに窓枠に頬杖をつき、見える景色を眺める千冬だったが、セイバーとランサーが横でなにやら会話を交わしていたことには気がつかなかった。

 リムジンは都市部に入り、駅前へとさしかかる

 と――

「停めてくれ」

 唐突に告げられたランサーの声音に、千冬の意識は戻されていた。

 ランサーの言葉に運転手も驚いたように急ブレーキをかけ――急停止したことに、慣性の法則が働き、千冬の身体が前のめりになる。

 路肩に寄せて停まらせた行為に千冬は理解することができなかった。突然この場に停車させる意味もない。なにより、出向く先となる日本IS委員会の指定場所まで程遠い。

 何のまねだと問い詰める間もなく、ランサーとセイバーは車から降りていた。

 ランサーひとりのくだらない悪ふざけかと思いきや、セイバーもまた何食わぬ顔で降りていた。更には、あろうことか、千冬が座る側のドアを開けて彼女も引き摺り下ろして、である。

「ランサー、なにをしている。勝手なことをするな」

 わけがわからないながらも、千冬はランサーに語気を強くして言いつけるのだが、当の本人は聴いてもいない。

 駅前に停められたリムジンは、否応なしに雑踏の注目を浴びることとなる。

 好奇の視線に晒されながらも、ランサーは構わずに運転手に二言三言ほど会話を交わし――

 怪訝そうな表情を浮かべながらも、運転手は程なくしてリムジンを発進させ、その場を後にする。

 何か言いかける千冬を制すと、セイバーは彼女の手を引き、たまたま眼に停まった駅前のデパートへと向かっていた。いつまでも物珍しい視線を浴びて居たくもない。ふたりの後ろにランサーも続く。

 わけがわからず手を引かれるままデパートに入る千冬ではあったが、その手を振りほどくことはできなかった。

 セイバーが腕を握る力が些かこもっていることに気づきながら――とりあえず声をかけることぐらいしか、彼女にすることはない。

「セイバー、どうしたんだ一体……こんなところで買い物なんてしている時間はないんだぞ?」

 欲しい物でもあったのかと邪推する千冬に対し、首を動かしセイバーは返答する。

「すみません、説明は後ほど。ランサー、どうですか?」

「……ああ、やっぱそうだわ。そりゃまぁ、完全に俺らだわな」

 セイバーの問いかけに、面倒くさそうにランサーは頷く。

 ふたりのやり取りの意味がわからず千冬はただ手を引かれるだけ。

 と――

 三人がそのまま向かう先は、数基据え付けられているエレベーター。

 自分たち以外の人が乗っていないそのうちの一基に滑り込み、適当に階を押す。

 扉が閉まり、ガラス張りに覆われたエレベーターがゆっくりと動き出し……そこでようやくセイバーは千冬の腕から手を離していた。

「チフユ、すみませんでした」

「いや……それよりもなんだ? 何か欲しい物があったなら、帰りにしてくれないと困るのだが……」

「いえ、少々問題がありまして」

「?」

 セイバーからランサーへと視線を動かす千冬だったが。

 飄々とした態度が消え、獣のような眼つきの相手につい息を呑んでいた。

 ふたりの雰囲気の変化に気づきながらも、問いかけるしかない。

「……教えてくれ。一体どうしたというんだ?」

「つけられている」

 ぼそりと呟くランサーに、瞬時に千冬も表情を改めていた。

「なに? いつから」

「学園を出たころから……四人ですね。伏兵は見当たらないようですが」

 そのところはどうでしょうか、とセイバーは確認を求めるようにランサーへ視線を向けていた。

「四人だな」

 斥候を得意とするランサーは人員の数を正確に把握している。

「学園の方に用があるのかと思ってたが、どうやらこっちのようだな。しかし、つけられるってのもおかしな話だ。俺らか? アンタか?」

 片眼を瞑り千冬を見るランサーだが、相手もこくりと頷いていた。

「……おそらく、可能性としては両方ではあるな」

「その口ぶりからすると、目処はついてるってとこか」

「…………」

 それには応えず、千冬は無言。

 返答の無い相手に深くは追求するつもりもハナから持ち合わせていなかったのか、まあいいさとランサーは軽く受け流していた。

「……すまん……」

 それだけ告げると――

 迂闊だった、と千冬は胸中で毒を吐く。

 ランサーとセイバーに対し、IS国際委員会のことしか考えていなかったのは間抜けな話である。

 常日頃から接触を求める国家、組織、機関は数多い。先日のナターシャが電話で口にしたように、情報漏洩を恐れ規制を張ったにもかかわらず筒抜けとなるところには既に漏れている。それが国内でも同じことが言えると何故思いつかなかったのか。

 普段の千冬であれば、こんな軽率なミスをおこしはしない。どうしてそんな大事なことに頭が回っていなかったのか。

 ブラフの情報を流してから行動を起こすのが筋であるが、何の策も講じず下手に移動したことが頭の痛いところだ。

 眼下へ視線を向けようとするが、やめろ、とその肩をランサーに掴まれていた。

「下手な動きは見せるな。どっから見られてるかもわからねぇし、なにをされるかもわからねぇ。相手に勘ぐられても面倒くせぇ。そのままにしとけ」

「…………」

 だから先から何も言わずにとりあえず落ち着けるところまで向かったという話かと納得する。

 下手に騒いで周囲の民間人を巻き込ませないためかと意図を酌みこみながら。

 ランサーに言われるまま、素直に従う千冬であはるが、いつまで触っていると一言漏らし、肩に置かれていた手を払いのけていた。

「ああ、わりぃ」

 口にはするが、悪びれる様子も一切見せず彼。

 視線を向けるセイバーが訊ね言う。

「どうします?」

「叩き潰すか」

 便乗し、好戦的な意見を述べるランサー。セイバーも排除することに関しては概ね同意だった。

 だが、否定を口にしたのは千冬だった。

「いや、余計な問題を起こしても困る。今は、委員会に出向くことを優先したい。この問題はなんとか後にしたいのだが……」

 口にはするが、それが簡単に済む話でないのもわかっている。現に車から降りてしまった以上は、ここからの交通手段は限られてしまう。

 せめて車内で教えてもらえればと思いはしたが、こうまでして動いたことには何か策があるのだろうとも捉えていた。

 その考えに応えるように――

「なら、二手に分かれるか。どっかで落ち合うとするしかねぇな……駅か」

 ランサーの指が操作パネルに伸ばされていた。

 音が鳴り、表示される階は七階。目当ての階に停まったエレベーターの扉が開かれる。

 乗り込む人間も誰も見当たらない。幸いとして、セイバーと千冬を降ろすと開閉ボタンを弄りながら、今度は一階のボタンを押していた。

「お前らは、ある程度時間を潰してから移動しろよ。セイバー、千冬ちゃんを任せたぜ」

「ええ、ご心配なく。ランサー、あなたもほどほどに」

「あいよ」

 扉が閉まりかける寸前に、千冬が落ち合うために告げる駅名を耳にしながら……エレベーターは再度動き出していた。

 

 

 同刻――

 セイバーたちが学園から離れている放課後、士郎は本音と一緒に第二整備室にいた。ふたりの前には、素体のIS『アーチャー』がハンガーに吊るされている。

 手配してもらった装甲の一部ではあるが、それがようやく届き、組み替えているところだった。

 吊るされた『アーチャー』は数点の機材とコードが繋がれ、機体も装甲を外され、箇所によっては精密部分も剥き出しとなっている。

 メインシステムの数値調整も兼ねているため、本音が手にするノートパソコンともケーブルが接続された状態である。特に、各種数値関連は今まさに弄りはじめたところだった。

 その姿を見ていた者がいる。入り口で見るともなしに視線を向けているのは一夏。

 彼の表情は、酷く険しい。

 先日の学園祭での襲撃において、自分は何も出来ずにただやられただけだった。

 福音を相手にしたとき、一夏は、仲間を護ると己自身に言い聞かせるように誓ったはずだ。だが、終わってみれば結果はどうだったか?

 第二形態移行の『白式』は、全く歯が立たなかった。

 オータムと名乗る女性に一方的に打ちのめされ、あげくはコアとなる己のISすら奪われた。

 助けに来た楯無に護られ、さらに現れたランサーにはそれこそ窮地を助けてもらった。

 コアは取り返してもらったとはいえ、自分は何も出来なかった。自身の無力さが悔しかった。

 姉の名を『護り』、家族を『護る』――所詮は夢物語だったのかとさえ思わされる。

「…………」

 セイバーやシャルロットもまた亡国機業と名乗る連中と思しき機体と交戦したと耳にした時、彼は気が気でならなかった。

 シャルロットが撃ち落されたと聴かされた際には、戻ってきたセイバーに思わず掴みかかっていた。

「どうしてアンタが一緒に居たのに、シャルがやられてるんだよ!」

「やめろ織斑、セイバーはセイバーなりに対応してくれた。デュノアが無事なのも彼女のおかげだ」

 感情を露にする弟に、千冬は半ば呆れを感じながらも諭していた。

 しかし、彼は聴き入れなかった。

「無事だからって、怪我させていいわけじゃないだろう!?」

 怒りの矛先を姉へと向ける一夏だが――

 その場に居合わせたセシリアやラウラ、真耶が事情を話し説得しようとするが、それを制していたのはセイバーだった。

 掴まれたまま、振りほどくこともせず、彼女は真っ直ぐに彼を見つめ応えていた。

「イチカ、あなたの仰るとおり、わたしはシャルロットを護ることができませんでした。相手の技量も読めず、彼女に協力を仰ぎ連れ出した結果は弁解のしようがありません。わたしの我がままで怪我を負わせたのは紛れもない事実です。あなたの怒りも、もっともでしょう」

「…………」

「本当に、申し訳ありません」

 眼を逸らすでもなく、言い訳をするでもなく、セイバーは事実を告げて、頭を垂れていた。

 セイバーに落ち度はない。聴けば、シャルロットたちは二機を相手にしていた。双方一機ずつが相対し、セイバーでさえ劣勢に追い込まれていたとも伝えられていた。

 自分の相手でさえ手一杯のところに、シャルロットのカバーに入ることさえ難しかったのだろう。

 セイバーの視線に耐えられず、一夏は掴んでいた手を離し一言謝罪を残すと、逃げ出すようにその場から駆け出していた。

 頭を冷やしてから、再度セイバーに頭を下げはしたのだが、彼女は気にしないでくださいとしか言わなかった。

 翌日以降も、暴挙も何事もなかったかのように一夏に接してくれる相手に後ろめたさを感じながら、彼はいろいろと考えてしまっていた。

 自分が強ければ、まだ何とかなったのではないか?

 自分に力があれば、結果はまた、変わっていたかもしれない。

 どうして――

 なぜ――

 自身に『力』があれば。そんな疑問、訝りを己にすら持ちかける。

「…………」

 ふと向ける視線、瞳に生気は宿っていない。どこか虚ろ、むしろ憎悪の色が灯りはじめていた。

 同時に、楯無の言葉が耳に蘇る。

 彼ならもっと巧くできたかもしれないわね――

「…………」

 もし、あの場に士郎が居たら?

 もし、あの場に士郎が居たら、『アラクネ』と名乗るISに遅れをとらなかったのでは?

 なによりも、もし、士郎があの場に居たならば、楯無も怪我をしなかったのではないか?

 士郎なら――

 士郎なら――

 士郎なら――

 『もしかしたら』と頭の中で自分と士郎を比べはじめ、全てに劣る自分が恨めしかった。

 だが――

 一方では、そんな自分が、士郎に劣るということが納得できないでいた。

 いや、頭ではわかっているつもりなのだろう。だが、それを認めたくない。認めてしまっては、自分が自分ではなくなってしまう。そんな気がしていた。

「……くそっ」

 口汚く言葉を吐き、胸の内に生まれる葛藤を誤魔化すように――知らずのうちに、彼はふたりへと歩み寄っていた。

 

 

「士郎、ちょっと模擬戦に付き合ってくれ」

「…………」

 整備室でIS『アーチャー』を弄る士郎と本音にかけられた声。

 ふたりが知る、普段とは明らかに違う低い声音の一夏に、作業の手を止めると士郎は立ち上がり向き直っていた。

 こちらを見入る視線も、どこか冷たさが含まれていることに気づく。

「……今からか?」

「ああ」

 正直に言えば、『アーチャー』は完全ではない。どうするか返答に迷う士郎だが、割って入ったのは本音だった。

 気楽な声で邪魔しちゃダメ、と一夏の前に立っていた。

「ダメだよおりむー、今、エミヤんの機体は整備しはじめたばかりなんだから。それに、まだエミヤんの機体は完全に直ってないんだからね」

 整備が終わるまでは模擬戦はダメだよと告げるのだが――

 わずらわしそうに、一夏の視線が本音へと向けられていた。

「うるさいな。のほほんさんは関係ないだろ!」

「――っ」

 告げる荒々しい口調、声音、相手の表情に、本音は驚き思わず身体を竦ませる。

 苛立ちに、再度何かを言おうと口を動かしかける一夏だったが、相手に声を発させる前に士郎が片手で制していた。

 一夏の声音にびくりとする本音の肩にそっと触れ、そのまま後へ下がらせていた。

 相手が何に対して苛々しているのかは、士郎にはわからない。

 どんな理由があるかわかりはしないが、本音に当り散らす姿は見ていて気持ちがいいものではない。彼女の視界を遮るように身体を滑り込ませて士郎。

「わかった。ただ、布仏が言ったように、メンテし始めたばかりだから、悪いけれど準備に時間がかかる。整い次第向かうから、先に行っててくれ」

「…………」

 一夏は頷きも返答もせず踵を返し、去っていく。

「エミヤん……」

 背後から駆けられた声音に振り帰ると、本音は若干涙目になっていた。

「わたし……おりむーに、なにか怒られるようなことしちゃったのかな……?」

「いや、布仏が悪いわけじゃないさ。気にするなよ」

 一夏の尋常ではない雰囲気からして、十中八九、原因は自分にあるのだろうと士郎は思っていた。

 何か相手の気分を害することをしてしまったのかとも考えていた。

「それよりも、組み立てるのを手伝ってくれるか?」

「う、うん。それはもちろんだけれど……」

 言って、こくりと頷く本音ではあるが、すぐに申し訳なさそうな表情を浮かべていた。

「……エミヤん、このままだと……動かしても調子が悪いままなんだよ」

「でも、動くことはできるんだろ? 起動できるのはいいとして、システムの方はどうかな?」

「うん……大丈夫だよ。あくまでも、動かせることに関しては可能なんだけれど、でも、一番の問題は……わたし、索敵センサーのパラメーターを弄っちゃったから……今のままではオートの切り替えが本調子じゃないよ? すごく誤差が出ちゃう。急いで戻すけれど、時間がかかっちゃうかもしれない……」

「…………」

 詳しく説明を受けた要訳によれば、つまるところ、索敵センサーも、マルチロックも自動反映されず、全て手作業で処理しなくてはならないということだった。

「ごめんね、そっちの方も弄りたかったから、あっちこっちといろいろ同時進行で触っちゃって、いったんはずしちゃったから……」

 余計なことしてゴメンね、とうな垂れる本音に、士郎は汚れていない方の手で彼女の頭にぽんと触れていた。

「大丈夫だ。そんなの気にするなっての」

「でも……」

 申し訳なさそうに渋る本音の頭を、今一度優しく撫でると、彼女は若干頬を赤め安堵したように、うんと頷いていた。

 オートに頼らずとも、動かせるならば問題はない。

 己の眼で捉えて動けばいいことなのだろう。ハイパーセンサーに頼らずとも『動く』ことが重要だと士郎は認識していた。

「いいよ、気にしないでくれ。後は……そうだな。量子変換の武装を呼び出すことには?」

 問題があるか、と訊ねるが、本音は首を振っていた。

「武装のコールは大丈夫。PICも。そっちは、まだ何も弄ってないよ」

「ふむ」

 肉眼で相手を補足する事、武装変換に支障はない、シールドバリアと絶対防御は従来通り展開でき、飛行することができる。

 士郎にとっては、然したる問題はない。要は、オート操作はできずにマニュアル操作のみ。

「なら……いいよ。このままの状態で出る。悪いんだけれど、戻ってきてから続きを頼むよ」

「うん……」

 士郎の優しい声に、本音は力なく頷くことしかできなかった。

 

 

 放課後になってから、箒は一夏の姿を探していた。

 目的は言うまでもなく、一緒に訓練をしたかったからだ。

 ISでもいいし、剣道でもいい。とにかく、一夏と一緒に居られて過ごせる時間が欲しかった。そのために当人を先から探しているのだが……どこにも見当たらない。

 教室、アリーナ、体育館、寮の自室……

 当てとしていた場所をしらみつぶしに探すのだが、すべて空振りだった。

「一夏め……何処に行ったんだ?」

 行き違いにでもなったかと考えながらも、今彼女が向かうのは整備室。こんなところに一夏が居るかなと思いもしながら歩を進め――

 目当ての人物の姿をあっさりと見つけたことに、箒は自然と笑みを浮かべて駆け寄っていた。

「一夏、どこに行ってたんだ?」

「…………」

 そう箒が声をかけはするのだが、当の一夏は返答もしない。

 聴こえていないのか、と一瞬不思議そうに思いはしたが、構わずに彼女は告げる。

「最近のお前はたるんでいるからな。わたしが訓練に付き合ってやる。それにだ、このところ、お前はどこか変だぞ? 心なしか上の空のようだしな。何か悩んでいるなら、もやもやした気分を払拭させるためにも、わたしと模擬戦をしないか?」

 箒にとって、最近の一夏はどこかおかしく感じていた。長年の幼馴染だからこそ、彼の微妙な変化はなんとなくではあるがわかり得ていた。

 とは言え、なんとなくわかる程度であり、明確ではない。何について悩んでいるかはハッキリとしない。それとなく話かけてみても、何食わぬ普段のように接されるだけ。本音と話をしている姿も見るが、格別変わりはない。

 だが――

 箒が口にした「たるんでいる」という言葉を耳に捉えた一夏は舌打ちをしていた。

 その音は箒の耳にも聴こえていたのだろ。

 一瞬何事かと顔を向けてくる相手を無視し、一夏はそのまま脇を通り過ぎる。

 しかし、慌てて箒は彼の肩を掴んでいた。

「ま、待て一夏」

「…………」

 やはり返答はせず、煩わしそうに一夏は一瞥するだけだった。

 冷たい双眸に、箒は一瞬、彼に何かしたかと自問自答するのだが答えは出ない。故に、持ち前の気丈な性格で言いのけていた。

「な、なんだその眼は……わたしが何かしたのか?」

「…………」

 問いかけには応えず、一夏は再び小さく舌打ちすると、掴まれていた肩を無理やり振り払っていた。

「お、おい」

 わけのわからない一夏の態度に、元々気が強い箒はつい反応してしまっていた。

 再度肩を掴もうと手を伸ばすのだが、今度は触れさせまいと身を捻る。

「うるさいな! ほっとけよ!」

「――っ、一夏!?」

 鋭く叱責する声。それは、抑えに抑えていた怒りが堰を切ったように溢れ出す。

 幼い頃からの彼を知っていたはずだったが、こんな姿の一夏を眼にしたのは初めてだった。

 こちらを睨み見据える一夏に背筋をゾッとさせながらも、相手の突然の拒絶に、彼女はどうしていいかわからず、それ以上声をかけることができなかった。

 無言のまま踵を返し歩き去る彼の背に――

 悲しみに心を縛られた箒が伸ばした手は、むなしく空を掴むだけだった。



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40

原作8巻目が出る前に纏めたかったんですが、理想と現実は違うものですね。


 秘密結社と称される『亡国機業』内部でも、幹部連中にとっては、その思惑は必ずしも一致するわけではない。

 派閥というものは存在する。

 何処の国でもある政治然り、会社の組織然り。

 タカ派とハト派。

 強硬派と穏健派。

 右翼と左翼。

 亡国機業とて例外ではない。

 スコール一派が別の任務で日本を離れているこの隙は、別の派閥にとっては絶好の機会だった。

 言うなれば、眼の上のこぶとなる相手が不在となった今、他の幹部連中もこの好機に乗じてスコールを出し抜こうと躍起になっていた。それは、そんな連中のひとりとなるフォレストと呼ばれる派閥も内のひとつ。

 得られる情報は、今のうちに、あらゆる手を尽くしてでも得がたいものがある。ならびに、絶好の機会があれば男性操縦者の身柄を確保するという大胆な手段も算段のひとつに組み込まれてさえいた。

「対象が動くぞ」

「あいよ」

 無線の相手に軽い声音でひとつ頷き、男――バンビーノは缶コーヒーを口にする。

「…………」

 フォレスト一派のひとりであるバンビーノは、他の同僚の三人と組んで監視を続けていた。

 監視するべく任務対象の報告を受けたのは、織斑千冬と学生ふたり。

 とある筋から、学園教員のスケジュールというものは入手している。だがこの日、織斑千冬が外出する予定などは知り得ていなかった。

 さらには、学生――報告ではIS適正ランクも高いとされているふたり。うちひとりは女性。もうひとりは、学園に在籍しているISを動かせるといわれる男性陣の一角。長身の男。

 幾ら世界に名だたるブリュンヒルデ、織斑千冬が一緒とはいえ、護衛も連れずに――もしかしたら自分たちのように離れながら張り付いているのかもしれないが――出歩くことなどありえない。

 手配されたと思しきリムジンに乗り込み、学園から動きを見せたことに彼らが黙っているはずがなかった。

 尾行に気づかれぬように後を付けたというのに、どういうわけか連中は駅前で車から降り、近くのショッピングモールへと向かっていた。

 仲間の三人が距離をとりながら、逐一バンビーノへと連絡していた。

 が――

「――待て! 対象に『変化』がある。奴ら……分かれたぞ」

 ひとりの報告にある『分かれた』という言葉に、バンビーノの眉がぴくりと動くと、すぐさま無線に手を伸ばし問いかける。

「気づかれたか?」

「いや、こちらに気づいた様子はない。アルファワン、アルファツーはそのまま。ベータワンが単独だ。街の方へ向かっている」

「…………」

 駅前を離れて街へと向かうことに意味することをバンビーノは瞬時に考えていた。行動を別にするには、簡単に推測できるのは撹乱であろう。

 だが、対象者がひとりで動くというには、あまりにも露骨過ぎる。何らかの形で尾行に気づき、こちらを釣ろうとする罠にしては、ずさんとも言える。

 となれば、どこかの護衛者と合流するためかと判断していた。

 合流されても面倒だなと結論付けたバンビーノは無線を今一度手にとっていた。

 『ベータワン』と聴き、男の方かと胸中呟くと、彼は飲み干して空になった缶コーヒーを投げ捨てる。

 空き缶は狙い違わずゴミ箱へと吸い込まれていた。

「ベータワンは俺が追う。お前らは、アルファワン、アルファツーを引き続き監視しろ」

「了解」

 無線の通信を切ると――バンビーノは行動を開始していた。

 

 

「…………」

 喉から叫び声が漏れそうになるが、千冬は必死に口を真一文字に閉じ――懸命に堪えていた。

 だが、彼女の心臓は、ばくんばくんと早鐘にように忙しなく鼓動する。

 心拍数は極度に増加し、自律神経系は圧迫され、いわゆる洞性頻脈の状態だった。

 それもそのはずに。今の千冬は、セイバーに抱えられて宙を跳んでいた。

 飛ぶ、ではなく、跳ぶ――

 比喩表現でもなく、実際に跳躍を続ける彼女。

「喋ると舌を噛みますよ」

 セイバーがそう一言だけ告げると、降り立ったビルの壁面を間髪置かずに再び蹴りつける。

「――っ」

 身に受ける浮遊感。千冬は思わず眼を瞑り、しっかりと抱えてくれているセイバーに強くしがみつくことしかできなかった。

 ランサーと分かれ、しばらくブティックなどを見るともなしに時間を潰していたのだが、ようやくして彼女たちも行動を開始する。

 張り付く三人の気配を感じるセイバーに倣い、ようやくして千冬も尾行に気がついていた。

 追跡者を撒くために、ショッピングモールなどに足を運ぶが、付かず離れずの気配は健在。

 さすがに人混みに紛れて徒歩で振り切ることはできぬと判断したセイバーは、やむをえないと千冬の手をとり――駆け出していた。

 尾行者たちの気配も追ってくるのがわかる。構わずに駅の構内を抜け、人で賑う通りを駆けていく。

「セイバー、駅を出てしまっては――」

 目的地はそちらではないと告げる千冬の声を無視し、手を引き駆けるセイバーは雑踏の中に紛れ、そのまま手近にある裏路地に入り込んでいた。

 人の姿もなく、だが、追ってくる気配を感じながら。

「チフユ、失礼しますよ」

 一言断りを入れ、相手が反応するよりも早く――

 千冬の膝裏をすくい上げるように、小柄な体躯のセイバーに抱えられると、そのまま一気に地面を力強く踏みしめ跳躍していた。

 何の迷いも説明もなく、高層ビルの壁を垂直に蹴り上げ、駆け昇る。

「…………」

 言葉もなく、千冬は眼を大きく見開くことしかできなかった。

 普段、滅多なことでは表情を露にしない千冬ではあるが、今、この時ばかりは例外であった。

 信じられない状況を眼の当たりにし、光景に直面している千冬を無視したまま、瞬く間にビルの屋上の給水塔まで登ると、今度はそこから手近いのビルへめがけて跳躍していた。

 手近のビルとはいえ、その距離は数十メートはあるのだが。 

 ビルからビルへ。そのまた次のビルへと足場を求めて、セイバーは跳び移り続けていた。

「――っ」

 身に受ける風の強さによって、結構な速度だというのがわかる。

 眼を開けていられず、思わず瞑りそうになるが――視界に映る光景は瞬時に背後へと流れていく。

(白昼夢でも見ているのか……?)

 規格外の能力を有するセイバーたちをなんとなくではあるが感じていた千冬は、自分にそう言い聴かせることしかできなかった。

 IS『暮桜』や『白騎士』で飛ぶことに慣れてはいたが、跳ぶことになど慣れてはいない。なによりも、彼女はISという絶対安全に護られていれば命への危険がないということを知っているだけに、今はその概念も消えうせている。

 適度な加速や減速も自分の意思ひとつで自由に効くISとは違い、他人任せの速度であるため、生身にとっては命の危険に直面している。

 セイバーが足でも滑らせれば、まっさかさまに落下し、地面に叩きつけられれば即死は免れない。

 恐怖により、やめろと口にしかけるが――

 同様に、明確な確証はないが、何故か安心を覚えていたのも事実だった。セイバーに抱えられてビルの合間を縫って跳ぶなど、非常識な体験を身をもって味わっているというのにだ。

 思わずセイバーの首に回していた腕に力がこもる。

 と――

「怖いですか、チフユ?」

 こんな状況で気楽に声をかけてくるセイバーを、千冬は本気で殴り飛ばしたかった。

 さすがのブリュンヒルデ、織斑千冬とて、今この状況下において、恐怖を感じぬ筈もない。顔を赤めて、彼女は食ってかかることしかできなかった。

「か、からかうなっ!」

「ふふ、失礼。ですが、安心してください。あなたは、わたしが護りますから」

「……っ」

 説明することはできないが、彼女――セイバーと一緒であれば、どんなに危険なことであったとしても、不思議と憂虞は薄れていたりする。

 ついと視線を真下に向ければ、遥か彼方のように見える地面。通りを人が行き交い、自動車が走る。

 身に受ける浮遊感に、声が漏れそうになるのだが、やはり千冬は懸命に堪えていた。

 対照に、セイバーは僅かに身体を傾け、次のビルを目指し、壁を蹴る。

 眼下の人間も、オフィスビルで働く周囲の人間も、セイバーと千冬の姿など肉眼で捉えてはいないし、視認すら出来てはいないだろう。

 一陣の風となり、セイバーはしっかりと千冬の身体を抱えたまま、ビルの谷間を駆け抜けていた。

 

 

 観客席で見入るのは三人。鈴とセシリア、ラウラだった。

 それぞれ自主訓練に励んではいたのだが、早々に切り上げ自室へ戻ろうとしていた矢先に、途中に士郎と出会っていた。

「あれ? 衛宮、アンタこれからどっか行くの?」

「ああ、一夏と模擬戦をちょっとな」

 かけられた鈴の声に、何の気もなく返答する士郎ではあったのだが、一夏との模擬戦、との言葉に妙な胸騒ぎを覚え、変に反応したのはセシリアとラウラのみ。

 セシリアに至っては何か言いかけようとはしたのだが、一緒に居る鈴の存在を考慮し、余計なことは言うまいと口を閉ざしていた。

 逆に、鈴にとっては一夏との模擬戦と聴き興味を持つこととなる。

「ふーん、暇だし、見ててもいいでしょ?」

「構わないぞ。第二アリーナらしいからな。じゃ、俺は先に行くから」

 言って、士郎は片手を挙げて去っていく。

 面白そうだと口にする鈴とは対照に、セシリアとラウラのふたりの表情はどこか浮かぬまま。

 他に生徒の姿が見受けられない第二アリーナ内、対峙する『白式』と『アーチャー』に視線を向けながら鈴はふたりに訊ねていた。

「ねぇ、一夏と衛宮、どっちが勝つと思う? わたしは、一夏だと思うけれど」

 一夏と士郎を比べ、贔屓目に見てしまえば、鈴にとって好意を寄せる相手の方が勝ってほしいと捉えるのは当然だろう。

 機体も、同じ専用機でも、セカンドシフトしている『白式』の方が上だと読む。この時点で、鈴は士郎を格下と捉えてしまうのは無理からぬことだった。

 あくまでも、鈴は他クラスの生徒。一組との混合実技時に顔を合わせることであり、常日頃、言うなればクラス単体での実技時間の方が遥かに多い。そこでの向上を彼女は見ていない。

 その姿を見ていれば、彼女も些か考えは変わっていただろう。

 とにかく、現時点での鈴は、己の考えに、他の専用機持ちも同意すると思っていた。

 だが、現実は違う。

 首を振り、ラウラは淡々と返答していた。

「いや、おそらく……衛宮の方だろうな。嫁には勝ってほしいと思うのだが」

「わたくしも、ラウラさんの意見と同じですわ。お互い、努力をしているのは認めますが、上回っているのは衛宮さんだと思いますの」

「……へ?」

 予想外のふたりの返答に、鈴は間の抜けた声音を漏らしていた。

 

 

 士郎の視界の隅、アリーナ内の端に立つふたりの人影を見つけていた。心配そうに見上げる本音と、その隣に立つのは簪。離れた場所とはいえ、模擬戦を行うアリーナ内に制服姿のまま居合わせていては、危険が皆無というわけではない。

 流れ弾にでも当たっては事だと考え、退出するように手で示そうとするのだが、士郎は瞬時に思いとどまっていた。

 傍に簪がいる以上、相応の対処はしてくれるだろうと判断していた。

 と――

 考慮していた矢先、秘匿回線が繋がれていた。相手は今意識していた簪だった。

「衛宮くん、本音のことは大丈夫。何かあったとしても、わたしが護るから気にしないで」

「…………」

 秘匿回線が展開されているということは、簪自身の専用機『打鉄弐式』を纏っているということになる。こちらの心配は杞憂だったかなと胸中で安堵しながら士郎は返答していた。

「悪い。迷惑をかける」

「……別に、気にしてない。本音が動こうとしないから……それに、わたし自身も意図したことがあるから問題ない」

「……悪いな」

 今一度呟く士郎ではあるが、簪も苦笑を交えた吐息を漏らしていた。

「言ったはず。気にしないで、と。わたしはわたしで此処に居るだけ。あなたは眼の前の相手に集中した方がいい」

「ああ……」

 簪の声に頷き、士郎の意識は『白式』へと戻されていた。

 

 

 第二アリーナに、模擬戦を開始する合図が鳴り響く。

 滞空飛行状態を維持していた二機は、ほぼ同時に行動を開始する。

 IS『アーチャー』の手中には、量子変換により実体を得た黒弓フェイルノートを握りしめる。

「……っ!」

 射法八節――極限の集中により放たれる矢は全てが必殺である。

 シールドバリアーを用いるIS戦に置いては、『白式』の零落白夜や亡国機業が用いた特殊兵装以外で厳密な意味の一撃必殺は存在しない。

 つまりは、あらゆる攻撃が牽制にしかなり得ない。

 しかし、例外として、イレギュラーたる士郎からしてみれば、それは些細な問題でしかなかった。

 例え一撃で射抜くことが出来ない相手であろうとも、こんな初手で対応を誤るなら、所詮はその程度と言うこである。

 いくら『白式』がセカンドシフトの姿を取り、基礎スペックでは大きな差があるとしても。乗り手の技量の底が見え透いているのなら、それを踏まえて戦闘を行えばいい。

 牽制であろうとなかろうと、勝利へと繋がる道筋を創る足がかりとなるならば必殺と言って過言ではない。

 事実、士郎は仮に一夏が多機能武装腕・雪羅を展開し、バリアーシールドを張る。または瞬間加速で攻めてくるなら勝利を確信していた。

 だが、一夏が取った行動は雪羅の荷電粒子砲による砲撃。

 士郎の射に僅かに遅れて放たれていたそれは、フェイルノートのエネルギー矢を飲み込み、そのまま『アーチャー』へと猛進する。

 その火力は圧倒的。

 士郎の知るISの中でもトップクラスの威力を誇っている。まともに食らえば、一撃でシールドバリアーの大部分を削り取られるだろう。

(そんな大技、当たりはしないぞ、一夏……)

 士郎は自身の射が終わると同時に機体を操作し、容易に身を捻るようにしながら避けていた。

 真正面からやり合う分には恐ろしい武器だが、如何せん大味である。

 連射性能に乏しく、エネルギー消費も激しい荷電粒子砲は、注意さえしていればそこまで厄介な存在ではない。

「ちっ……」

 一夏は舌打ちをしながら士郎に迫るため、斜め右に大きく回りながら飛ぼうとする。

 が、彼に待っていたのは肩に刺さる衝撃。

 黒弓フェイルノートから放たれたエネルギー矢が被弾したものだった。

(何時の間に……!?)

 考える暇もなく迫る次弾を雪片弐型で切り払う。

 一夏が油断していたのも無理はない。

 スペックなら自分が圧倒的に上。過去の鈴との戦いを思い出してもここまで第二射が早くはなかった。

 次々と放たれる矢を打ち払いながら、一夏は回避に回らざるを得なかった。

(なんだよ……そうやって……自分だけ強くなったって言うのかよ!?)

 士郎は一夏が遮二無二撃ってくる荷電粒子砲を避けながら、それでも射続ける手をやめなかった。

 彼の射撃速度が増していくのには理由がある。何も機体を特別改造したわけではない。それどころか、『アーチャー』自体は本来のスペックを発揮しているとは言いづらい状態だった。

(だいぶ慣れてきたな……)

 士郎が胸中で呟く通り――

 そう。彼は単純に、このISという存在に慣れて来ていたのだ。その世界にも、である。

 三次元立体機動を可能とするISから見える世界は、通常の人間が見ている世界とは異なる。

 単純に言えばコントローラーでのキャラクター操作による方向転換、カメラ移動が常に変動している状態に近い。

 上へ飛んでいるつもりでも、実は落下している。

 眼の回るような世界。戦闘機のパイロットであろうと、ここまでの眼まぐるしい状況変化にはついていけないだろう。

 本来、それを一学生が操作することを可能とする領域までハードルを下げているのが、ハイパーセンサーを初めとした各種センサーである。

 これによって感覚を制御することによって、世界最強の兵器はその最強たる由縁である驚異の機動力を手に入れる。

 しかし、今の『アーチャー』は、それらセンサーの切り替えによる補佐がまったく追いついてない。

 本音が心配していたのも詰まる所、このセンサーの異常についてである。彼女自身、今の状況を見て驚いていた。

 普通に考えれば、戦闘どころか機体を操作しての飛行すら正常にできるとは思っていなかったからだ。

 それでも、そんな心配をよそに、士郎は非常識なまでの集中力によって機体を制御し、射を続けていた。

 彼の射撃間隔が短くなったのも、今までセンサーによる補正に頼っていた部分を、日頃の訓練によって鳴らしてきたところが大きい。

 士郎自身、最もクレバーな選択肢は『白式』との遠距離戦である。

 荷電粒子砲は一夏の射撃センスと相まって、士郎には当たらない。

 一方、士郎の射撃は既に一種の境地に立っている。一夏が防ぎ、いなし、避けることすら彼の射には『見えている結果』のひとつに過ぎない。

 遠距離射撃戦を主体とするIS操縦者たちが聴けば、百人中百人は「あり得ない」と口をそろえることだろう。

 先ほどの一夏の肩を射抜いた一射もそのひとつにすぎない。

 今も一夏は呪いにでもかかったように防いだすきを突かれ、避けた方向に矢が飛んでくるなどどいう状況に陥っていた。

 これがラウラや鈴なら早々にある程度のダメージを覚悟で接近戦を挑んできていただろう。

 しかし、一向にその気配がない。

 それが士郎の眼には、今の一夏がどこかここではない別の場所を見ているように思えてならなかった。

(……何を考えているんだ、一夏……?)

 射続ける士郎の弓に隙を見つけようとする一夏だったが、その間も彼のエネルギー残存量は減り続けていた。

 一夏からは相手に隙らしい隙が見当たらない。

 近づこうとすれば絶妙のタイミングで牽制の矢が降り注ぐ。

 士郎のことを心のどこかで軽視している一夏であったが、この射撃センスに関してだけは言い訳のしようがない差を感じさせられる。

 故に、それがさらに彼の心を追い詰めてもいた。

 これが普段の一夏であったならば、あるいは隙を見つけることができたかもしれない。

 もしくは、早々に別の手段をとっていただろう。

 だが、今の一夏の頭の中にあることは『士郎の全てを越えなければいけない』という想いだけだった。それが彼の判断を鈍らせる。

 とは言え、そうも悠長にはしていられない。

 フェイルノートのエネルギー矢は決して一撃や二撃で大打撃を受けるような火力はない。しかし、既に数えるのも面倒なほどの射を受けていた一夏のエネルギー残存は半分を切っていた。

 負けてしまっては元も子もない。

 一夏は隙とも呼べない僅かな隙を見計らい、矢をその身に受けながらも瞬時加速で間合いを詰める。

 

 

 瞬時加速からの斬撃に、鈴は思わず、やったと上ずった声を漏らし拳を握り締めていた。だが、隣に立つラウラの表情は冷ややかだった。それは、ランサーを相手に見せた時と同じように、何も考えておらず、ただ闇雲に突っ走っているようにしか思えなかった。

 ラウラの考えを肯定するかのように、セシリアが代わりに口を開いていた。

「いえ……」

 彼女の呟き通りに、状況は一変していた。

 一夏が薙ぎ払った一閃は、絶好の機会、間合い、タイミングともに見事だった。

 だが――

 士郎は迫り来る一撃を屈み避けていた。瞬時加速で、だ。

「瞬時加速ッ――!?」

 驚きの声を漏らす鈴。士郎が瞬時加速を使えるなどとは聴いたことがないし、知り得てはいなかった。

 告げるように、ラウラは言葉を紡ぎ出していた。

「鈴、お前は勘違いをしているぞ。嫁が日々努力しているのはわかるが、同じように、衛宮もまた努力しているということだ」

「でも、だからって、今まで使ったことがないのに、いきなり……?」

 それほどまでに、士郎は技術を隠していたのだろうか。

 もし、そうだというのならば、今まで手を抜いていたということなのか、と鈴はそう捉えてしまっていた。

 しかし、ラウラは違うと口にする。

「いきなりではない。言ったろう? 努力をしている、とな。ヤツは、ヤツなりに積み重ねてもいたということだ。それに、瞬時加速は嫁もシャルロットも使えるんだぞ? それが衛宮も使えないという道理にはならんだろう?」

 ラウラへ視線を向けていた鈴は、上空の二機を見入っていた。

「となると……」

「瞬時加速からの零落白夜による一撃必殺が望めない以上、対等……いや、完全な白兵戦であれば、衛宮の方が上だな」

「…………」

 鈴の意識は、再度ドイツ代表候補生へと向けられていた。先から逐一、士郎を擁護するかのような発言が気に障る。苛立ちが募りはじめていく。

「なに? さっきから衛宮ばっかり贔屓目に見てるようだけれど、それだとまるで一夏が負けるような言い方じゃない」

 自然と語気が荒くなり感情的になる。眼つきも睨みつける表情に変わっていた。

「…………」

 肯定も否定もせず無言を通すラウラの代わりに返答したのはセシリアだった。

「鈴さん、気づいていませんの?」

「なにがよ。セシリア、まさかアンタも衛宮が上だとか言うんじゃないでしょうね?」

 睨む鈴だが、セシリアは気にも留めなかった。

「接近戦での唯一の奇襲が効かない今、衛宮さんと対等とはいきませんのよ?」

「……だからなんでよ。たかが衛宮が瞬時加速を使えるってなだけでしょ? どうしてそれが一夏の負けに繋がるのよ」

 意味がわかんないわよ、と鈴。

 本格的に、セシリアは呆れた声を漏らしていた。

「……鈴さん、本当に気づいてらっしゃらないのですか? 衛宮さんのスタイルは、接近戦のみではないんですのよ? お忘れですの? あなた御自身が、専用機を得た彼とはじめて模擬戦をされた時のことを。今一度、思い出してください。どのようにして、追い込まれたのかを」

「…………」

 そこまで言われて、ようやく気づかされていた。何故、自分はそんなことを忘れ、見落としていたのだろうか。

 慌てて鈴は振り返り――

 想像を読むかのように、士郎は黒弓フェイルノートを構えた姿がそこにはあった。

「衛宮は、瞬時加速しながら射るんだ。それも、正確無比にな」

 どういう原理か理解出来ぬが、動き回っているのに当ててくるのだからなと自嘲気味にラウラは笑う。己も放課後に士郎との模擬戦を行った際に、弓矢の餌食となり、いいようにあしらわれ、敗北を喫している。  

 言葉通りに、戦況は大きく動きを見せはじめていた。

 瞬時加速しながらも、狙いは違わず、士郎は矢を射続ける。

 第五次聖杯戦争時に、アインツベルンの森の中、セイバーと激しく斬り結び、高速移動するバーサーカーの眼を的確に狙い撃つ士郎にとって、ISを纏っているとはいえ、一夏を相手にするには、慣れた腕では造作もないことだった。

 二段階加速(ダブルイグニション)で逃げようとするのだが、瞬く間に士郎の矢と、投擲された双剣によって逃げ道を塞がれ、最小限の動きに制限されては、簡単に撃ち抜き止められていた。一夏にとっては、それは、無駄にエネルギーを消費するだけでしかない。

 一気に、一夏は苦しい立場へと追い込まれていく。

 飛来する矢をかわし、あるいは弾き、それでもどうすることができないものは、零落白夜のバリアシールドを展開して防ぐのみ。だが、防御に回るということは、完全に攻撃の手が止み、脚も停まる。

 動きが留まれば、それはもはやただの的でしかない。

 士郎とて、闇雲に矢を放っているわけではない。相手に避けられ、斬り払われようとも、決して本音と簪のふたりに被害が及ばないように考慮している。

 黒弓フェイルノートを引き絞り――一夏へ向けて撃ち放っていた。

 傍目から見ても劣勢となる一夏を、それでも擁護しようと鈴は懸命に言葉を吐き出していた。

「で、でも……ほら、一夏にだって、多機能武装腕の荷電粒子砲が……」

「ほう。わたしは、瞬時加速しながら射撃に移る嫁を見たことがないのだが? それに、お世辞にも嫁は射撃は巧くはないはずだと認識していたのだが? それほど までに射撃を得意としているのならば、話は別だ。嫁にも分はあるだろうな。最大火力を有しているからとはいえ、必ずしも勝機に繋がるとは思えんがな」

 ラウラの指摘通りに、一夏は苦し紛れに雪羅による大出力の荷電粒子砲を撃ち放つのだが、士郎は機体を操りひらりとかわしていた。

 

 

 何度も何度も同じ展開を繰り返し、一夏は内心の焦りを隠せずにいた。

 例え士郎がこちらの行動を的確に読んでいるのだとしても、一夏にはそもそも接近戦以外の選択肢がない。

 荷電粒子砲も雪羅のエネルギー爪も全てはその為にあるのだから。近づくこと自体は難しくない。基礎スペックは圧倒的に自分が上だ。

 直線経路を最短で行くならば、どうやっても『アーチャー』は逃げ切れない。

 いくら士郎が牽制を仕掛けることで、『白式』の動きに制限を与えようとしても、一夏には少しの痛手も何もかもがどうでもよかった。

 間違いではない。元より勝機があるとすればそこにのみ。

 しかし、それは言うなれば、あまりにも知性に欠けた獣のような姿だった。

 一夏は『アーチャー』に接近しても瞬間加速によるヒット&アウェーに固執している。それでは意味がない。既にそのアドバンテージは失われたものだ。

 『アーチャー』が距離を置くことを許さない白兵戦における純粋な剣術勝負に掛けるしか術はないはずなのだが――

 これには、さすがの士郎も困惑していた。

(どうしたって言うんだ……)

 勿論、一夏はあまり戦術的に戦えるタイプではなかった。箒もそうであるが、接近戦での一撃必殺に掛ける彼らは感覚に頼る部分が大きい。

 だからと言って、決して考えなしと言うわけではなかった。直感的に次にどうするのかが分かる彼らは士郎にはない戦闘センスを持ち合わせていると言えた。

 だと言うのに、今の彼から感じるのは蛮勇。みんなを護りたいと、強く願っていた少年の姿はどこにもなかった。

 戦況は終始、士郎の独壇場だった。

 一夏が士郎に仕掛けるヒット&アウェイでの先方。そのことごとくを士郎は先読みすることが出来ていたからだ。

(次は一拍置いて、引いてからの瞬間加速……こっちが追おうとすれば後ろに回り込まれ、遠距離に切り替えれば隙を突かれる。だったら……)

 士郎は一夏の手にあえて乗るふりしながら、武装を双剣へと切り替える。

 それにつられるようにして一夏は士郎の後ろに回り込んでから、振り向きざまを薙ぎ払ってくる。

 狙い通りの薙ぎ払いが加速する直前、士郎は双剣で弾くと同時に一夏の胴体を殴りつける様に斬り払おうとする。

 それを雪片弐型で何とか防ぐものの、もう片方の黒剣が一夏の首を狙っていた。

 顎を引きやり過ごすと同時、蹴りを放ち間合いをとる。だが、その寸前に、既に士郎は空域を離脱していた。

 ぐんと身を捻りながら、既に武装は変換されていた。手に握られるフェイルノートで射続ける。

 エネルギー媒体の矢をかわし、斬り払いやり過ごすが、全てを撃ち落すことは出来ていない。

 瞬時加速で切り抜けるのだが、その進行方向に投擲していたのは黒剣。

「ちっ――」

 咄嗟に後方へと逃げようとするが、今度は白剣が行く手を遮る。

 逃走経路を狭められ、此方の手の内を読まれていたことに歯噛みする一夏だが、斬り弾き、なおも加速する。

 だが、僅かとは言え、動きが止まったところを士郎は逃がしはしなかった。彼もまた仕留めるべく機体を駆り、双剣との斬撃を浴びせにかかる。

 悪態をつきながら、雪片弐型を構え直し迎え撃つべく一夏も加速する。

 士郎なりに、一夏への対策がないわけではなかった。

 一夏の戦闘スタイルは、姉の織斑千冬に酷似している。否、出来の悪い模倣でしかない。過去の千冬のIS戦闘記録、モンド・グロッソにおける映像記録を見て対処法を学習していた。

 明らかに、一夏の動きの大本は姉に倣った戦い方だった。攻撃、防御、それらはコピーであり、そこに一夏独自のスタイルは一切組み込まれてはいない。

 故に、対処の仕方など、意外と簡単であったりする。

 当然であろう。

 一度剣の道を捨てた人間と、一度も立ち止まることなく才能を磨き続けた人間。

 最強の存在だからこそ成し得る戦法をそれ以外の人間が、ましてや一学生が真似たところで、同域になる筈がない。

 それは、士郎がセイバーの剣術を真似るようなものだった。

 剣に自身が宿らないならば、そんなものはただの機械でしかない。

 どれだけ機械が発達しようと、その中心に人間がいるのは、そこに未だ越えられない壁があるからに相違ない。

 そのため、機械である一夏が士郎を超えられる道理はない。

 

 

 映像で何度も見て、知り得た動き。行く手を遮れば、想像通りであり、目測通りに相手が動く。

 士郎にして見れば、シミュレーション通りに、過去のモンド・グロッソでの千冬の各試合での間合いの取り方、対各種武装に対する反応、それらを興味本位で見て得ていた知識が十分活かされていた。

 士郎とて、ISに関しては学習している。

 何よりも、己は素人である。ISとなると、まだまだ技術面は拙いものがあるのは否めない。

 そのため、人一倍努力するのは当然であった。

 初めの頃はそれこそ歩くことさえ覚束なかった。クラスの女子に呆れられたり笑われて恥ずかしい思いも何度もした。

 セイバーやランサーが一級品だったおかげで、余計に拍車が掛かったが、それでも笑われるのは自分のせいだと認めていた。

 毎日のように訓練場でセイバーたちと訓練した。

 わからない箇所に関しては本音や真耶に訊ね、情報、知識、技術を吸収していった。

 過去の映像を参考にしたのも、真耶の配慮によるところである。

 少しずつではあるが、着実に、それでいて確実に。士郎は得た知識を余すことなく。己が身へと覚えさせ反映させていた。

 二刀による手数に押されながらも、一夏は諦めてはいなかった。

 士郎には負けられない。負けるわけには行かない。負けたくない。

 振り抜かれた雪片弐型をかわして見せた士郎の位置は頭上。そのまま――反転するように振り下ろした蹴りが、一夏の肩へと叩き込まれていた。

「くそっ――」

 スラスター制御をかけて体勢を整えるが、一夏の視界に迫るのは、頭上から降り注ぐエネルギー矢の群れだった。

 懸命に滞空制御をかけるが、矢継ぎはやに警告表示が眼に飛び込んでくる。

 頭上からロックされた緊急警告。

 舌打ちすると同時に、その場から瞬時加速で飛び退いていた。

 が――

 その眼前には、同じように瞬時加速によって回りこみ、双剣を振り上げた士郎の姿があった。

 戦闘は、何も武器だけによるものではない。

 『白式』に纏わりつくように両肩を押さえ込むと――そのままスラスターを吹かせて手近の壁へと叩きつけていた。

 衝撃に息を詰まらせる相手へ拳を見舞い、蹴りを放つ。

「……っ」

 ぶんと振り払われた雪片弐型を屈んでかわし――腕が振り切り戻る瞬間に身をひねった士郎の脚が一夏の脇腹に叩き込まれる。

「くそっ、くそっくそっ――」

 口汚く己を、士郎を罵り、一夏は力の無さに悔やんでいた。

「俺は、皆を護るんだ……皆を護るって決めたんだ……」

 護ると誓ったのに、何も出来ずに終わってしまっては、またあの時と同じになってしまう。

 『銀の福音』との戦いを、先輩の言葉を――

『もし、士郎くんが福音を相手にしていたとしたら……彼ならもっと巧くできたかもしれないわね』

 模擬戦の最中だというのに、一夏は耳に残る楯無の声を払うかのように頭を振っていた。

「そんなはずない……俺はみんなを護ったんだ……俺は、何も間違っていない!!」

「さっきからぶつぶつと口にして……言いたいことがあるなら、ハッキリと言えよ、一夏!」

 この試合中、一夏が訳のわからないことを呟いていることを士郎は耳に捉えていた。

 否、それ以上に剣を伝わって、一夏が並々ならぬ敵意を向けて来ていることにも気がついていた。

 本音に当り散らすように模擬戦に付き合わせておきながら、当の相手は集中していない。意味不明の呟きと苛立ちをぶつけられる士郎も最早我慢の限界だった。

「先輩も、千冬姉も……みんな、みんな、みんな、みんな、俺を馬鹿にしやがってるんだ!?」

 一夏の叫びと共に繰り出される剣戟は、その苦々しい響きとは裏腹に軽い。

「俺の何がいけないって言うんだ? 俺はただ、皆を護りたかっただけだろうが。実際に今までだって、上手くやってきたんだ。なのに、お前が……お前が来てからだ! 俺は自分が一番強いなんて言うつもりはないさ。でも、努力だってしてきた。皆を護りたかったから、『銀の福音』のときだって戦ったんだ!!」

「だから、何だってんだ! それと俺が、何の関係があるんだ!?」

「ないさ!! 関係ないのに、皆がお前の方が優れてるって。お前の方が上手くやれたって言うんだ!! あの時、アイツらを助けたのは俺なのに、俺が間違ってるって言うのかよ!?」

 双剣と雪片弐型が激しくぶつかり合い火花を散らす。

 一夏の慟哭を聴きながら、そこでようやく士郎にも相手が何を言っているのかを理解しはじめていた。

 『銀の福音事件』――

 彼とて、その出来事は知りえていた。本来は外部に漏れるはずのない事件でありながら、主にキャスターからの聴いた話によるところである。

 何者かが、自分たちを狙ってくる可能性がある。その一端の触りとして、聴き及んでいたのだ。

 そこで一夏は一度、作戦ミスをした。

 福音を零落白夜で一撃のもとに破壊する作戦。

 それを実行した一夏と箒は、福音を撃破することが出来なかったという。

 しかし、話はそれにとどまらない。

 その時、偶然にも密漁船が戦闘区域に居たのだ。

 それを見つけた一夏は密漁船の安全を第一に考えてしまった結果、箒を危険に晒し、自分自身も重傷を負い、福音も逃がしてしまったと言う。

結果的には誰も大きな怪我をすることもなく、事件は解決したらしいが、一夏はそうは思っていなかったのだろう。

 あの時、最初の一撃を成功させていたなら。密漁船を気にせずに福音を叩いていたなら。初めから自分にもっと力があれば。

 そんな『if』が彼を苦しめ続けていたに違いない。

 だが、だからと言って、何故そこまで気に病む必要があるのかが士郎には分からなかった。

 一夏はやり通したはずだ。その場にいなかった自分だからこそかもしれないが、全員を護り通して、無事に事件は終わったはずなのだ。

「もしもの話なんて、そんなの、考えるだけ無駄だ。自分でも分かってるんだ。俺だろうと、お前だろうと、誰が皆を護ったが重要じゃない。でも、考えちまうんだよ。もしも、密漁船を護ったせいで箒が死んでいたらって。市街地に福音が入って、沢山の人を襲っていたらって」

 一夏は考えてしまっていた。

 ありえたかもしれない未来。それは『if』などという甘いものではなく、天秤が僅かに傾いただけで実現していた。

 それを分かっているからこそ、彼は自分を否定する人間を見返さなければならない。自分よりも上手くやれたという男に負けるわけにはいかない。

 そうでなければ――

「俺が、俺である意味がないだろ!!」

 ――自分自身の存在価値を証明できない。

 証明できなければ、織斑一夏にとって、一番大切な人の名前を汚すことになる。

 最も優れた女性操縦者である姉のためにも、自分は最も優れた男性操縦者でなければならない。

 その星のような名声を侵すようなことがあるというなら、自分は無価値どころの話ではない。

 ゴミ、否、害悪だ。

 憧れの存在に最も不必要なもの。

 何時の日か、織斑千冬が自分のことを不要と捨て去られることがなによりも……

「…………」

 士郎には咄嗟に出てくる言葉かなかった。

 幾度も切り結ぶ剣線の中、相手の事情を分かった気になって慰めることだけはしてはならないとだけ、直感が囁く。

 そんなことに意味はない。ただ慰めるだけでは一夏のためにならない。

 しかし、それ以上に。

 ――もとからそんなつもりはなかった。

 一夏を心の奥底から理解できたわけではない。

 本来なら世界唯一の男性操縦者は彼のみであり、偉大すぎる姉を持った少年。

 みんなを、仲間を護りたいと直向きに真っ直ぐなその決意を持つのに必要だった勇気はどれほどのものか。

 それなのに、彼はきっと後悔している。

 それが士郎には何よりも許せなかった。

「俺が俺である意味……? そんなもの、誰かに認めてもらわないといけないものじゃないだろう!?」

「……煩い!! お前になんか、分かるわけがないんだ!」

 一瞬、驚いた顔を見せながらも、それは自分に対して拒絶の言葉を叫ぶ士郎への憤怒に塗りつぶされる。

「お前に俺の気持ちが分かるか!? 一度も誰かを護るために戦ったこともないくせに、千冬姉の名前を背負う意味も重みも知らないくせに、偉そうに言うんじゃねぇよ!!」

「……っ」

 一夏は知らない。

 士郎が元の世界で何を失い、何を誓い、何を護るために生きてきたのかを。

 それを知っている人達なら決して出てくることのない言葉だったが、今は関係ないことだった。

「重いんだよ。無敗のモンド・グロッソのチャンピオン。その『弟』として扱われるのが、俺にとってはどうしようもなく苦しいんだ」

 それは傷ひとつない天上の至宝。世界中のすべての人々を魅了する「無敵」というなの宝石だ。

 穢れているのなら価値はない。傷があるなら他の傷が増えようがいまさら大して変わらない。

 だが、その宝石には一切の穢れなどない。

 預けられた身にはあまりにも手に余る代物だ。

 自分自身のものだと言い張れる資格のない者は、傷をつける権利などない。

 その価値を落としめた人間に待っているのは、輝きを穢した『大罪』だ。

 これを預けるべき人間が他に居るのなら喜んで渡してしまいたい。

 しかし、織斑千冬の『弟』は、織斑一夏ただひとりである。この世に生を受け、死する時まで、その宝石の輝きに照らされた道を歩む『影』となる以外の選択肢が存在しない。

 その一生を、『織斑』として過ごさねばならないのだから。

 だが――

「言いたいことは、それだけか?」

 静かに、だが、それでいて怒りを含んだ声音が士郎の口から吐かれていた。

 感情を制御してはいるが、それが巧くいかないのも、士郎自身理解している。

「お前は、根本的に間違ってるんだよ。千冬姉、千冬姉ってな……結局は、皆を護りたいって言うのも、強くなりたいって言うのも、全部千冬さんに迷惑を掛けてない自分、なんていう証――それこそ、くだらない免罪符が欲しいだけなんだろ!!」

「――っ!? 違う、俺は……」

「違うもんかよ! 誰かに何か言われたぐらいでグチグチグチグチ気にしやがって。今まで、お前のやってきたことを後悔してるって言うのかよ。仲間を助けてきた自分が間違ってるなんて思ってるのかよ。そうなんだろ。違うんなら、違うって胸を張って言い返してみろ!! それにな、護るために戦ったことがないだと? 言ってくれるな……それこそ俺は必死に戦って護ったんだよ! イリヤも桜も、俺は必死に護ったんだ! 見ろよ……お前だって、俺のことを何ひとつわかっちゃいないだろう! 何を以ってして、俺が誰も護っていないだと? ふざけるなよっ!」

 それは一夏にとって予想外の言葉だった。

 『後悔しているのか?』――

 あまりにも眩しい姉の背中に目が眩んで、いつも最善の結果を残さないと怖かった。

 自分を護ってきてくれた姉の姿。

 親に捨てられて、絶望するしかなかった自分が今もこうしていられるのは全て千冬という存在がいてくれたからだと。

 だから、自分も誰かを護らなないといけないと思った。

 千冬姉が自分にやってくれたことと同じように、自分もみんなを護ることが出来たなら、自分も千冬姉のために生きられるのだと。

 護られる側から、護る側へと――

 なのに、何度も間違えそうな自分がいて。そのたびに他の人に助けられた。

 誰かに助けられるたびに、自分が誰かの重しになっていることが嫌だった。

 どれだけ結果が良くても、途中経過に存在する綻び。

 自分が誤って断ち切ってしまった糸。その結び目を解くだけで、全く違う最悪のシナリオが目に浮かんだ。

 もっと上手くやれてればそんな想像をしないで良かった。

 誰にも指摘されなければ忘れていられた。

「違う……違う、違う、違う、違う!! 俺は、後悔なんかしてなかったんだ。お前さえ……士郎、お前さえいなければなっ! こんな気持ちにはならなかったんだっ!! お前さえいなければっ!」

 振り下ろされる雪片弐型には例えようもないほどの熱がこもっていた。

 自分の殻に閉じこもっていた時の何倍も熱い心が。

 だが、だからこそ、士郎はその熱さに応えるように真実を告げていた。

 振り払われた雪片弐型を斬り弾き――

「誰かがいたから? 誰かがいなければ? その言葉の矛盾に、何で気がつかないんだ、お前はっ! 『皆を護る』と言ったお前の皆ってのは、篠ノ之やオルコットたちだけか? たった一握りの連中を護って満足かよ! 誰かの存在を否定している。自分に圧し掛かる重荷を最初から否定しているのは、何よりもお前じゃないか! 責任から逃げたくて、自分の護りたいものを消し去ろうとしている。そんなんじゃ、いつか本当に護りたかったものまで失うことになるだろ!!」

 繰り出される双剣の乱打に、一夏は舌打ちを漏らし防戦に回ることしか出来なかった。

 一夏の頭の中に、士郎の言葉が雪崩れ込んでくる。

 今まで空っぽだったはずの器。

 己から振り払おうとしてきた重荷が、再び自分自身に背負われようとしている。

 しかし、一体、それは何の重さだったのだろうか?

 分からない。分かろうとしない。分かりたくない。

 目の前に居るあいつはこちらの言い分など聞こうともしないで、引き下がることなく剣を振るい続けている。

 お互いに怒りにまかせた打ち合いは力任せに振るわれて、強くなるために身につけてきた技術も戦術もいつのまにやらなくなっていた。

 ただ、それでも残ったものをぶつけ合う。

 士郎は自分自身のエゴと怒りを。

 一夏は――果たして、彼は一体何をぶつけているのか。

 

 

「…………」

 一夏は感じはじめていた。

 士郎が振るう剣の重さ。それは決して技術によるものなどではない。

 自分達は今、そんな領域には居ない。もっと低俗で、野蛮で、純粋なぶつかり合い。

 そんな中、士郎の剣が重いのは、その怒りと言葉が、他の誰かのために向けられる怒りだからだ。

 自分の剣が押し返される。機体性能で上回っているはずの自分の剣が。

 士郎の剣の重さが彼の背負っている覚悟と、他の誰かの命の重さで出来ている。

 彼の剣にはどうやっても自分の命という重さが欠けている。だが、それでいて、力強く、直向きに、怖いほど真っ直ぐな気持ちだけで圧倒される。

 互いの渾身の一刀がぶつかり合い、弾け飛ぶ。

 しかし、まるで敗者であるかのごとく膝をついているのは一夏だけだった。

 屈む一夏の前に歩み寄る士郎は剣を構えたまま、見下ろすように相手を見つめている。

「お前がみんなを護りたいっていうのと同じくらい、俺だってみんなを護りたいさ。でもな、誰しもが幸せである世界なんてただのお伽噺だ。そんなことも分からないで、闇雲に突っ走って、責任から逃げて、それで一体お前は何を守れると思ってるんだ?」

「俺は……お前みたいに……そんな風に諦めたことなんて絶対に言わない。お伽噺になんてさせないんだ」

「……お伽噺だよ。一切合財何の犠牲も出さずに、全てを自分ひとりで護って見せるなんて、土台無理な話なんだよ。俺たちみたいな奴は、俺たちだけじゃない。俺たちよりも実力があって、俺たちなんかよりも、ずっと長い間戦ってきた奴がこの世にはきっといる。そんな奴らが必死になって護ろうとしても、変わらなかった世界に俺たちは生きているんだ。沢山の誰かが力の限りを尽くして護ってきた。それでも、どうしようもないもの(地獄)が確かにあるんだ」

 それは何時かの少女の夢であり、ある男の辿り着く絶望だったかもしれない。

 一夏はその言葉に、自分の言っていたことがどれだけの綺麗事だったのかを思い知らされる。

 所詮、彼の今までの功績も、その手に握る剣で『敵』という誰かを切り捨ててきたきたことの結果だ。

 それでどうして『みんなを護る』などと口にできるだろうか?

 その敵が自分の大切な人だったなら、どうやっても取りこぼすものが出てくると言うのに……

 呆然と、ただ現実に立ち尽くすしかない。それが当然の結論なのだから。

 だと言うのに――

「それでも進み続けるって、俺は決めたんだ」

 今まで正論を散々振りかざしていた男は、あり得ない夢を語った。

「不可能だからなんて言い訳は、諦める理由になんてならない。傷つくのがあるなら、この身を差し出す。例え零れ落ちていく犠牲があったとしても、決して足だけは止めはしない。背負い続ける重荷で、いつか自分自身が潰れることになったとしても、俺が俺である理由を間違えない。衛宮士郎がどれだけ無価値な存在だとしても、取り零してきた人のために、何よりも自分のために、俺はどんなことだって乗り越えてみせるんだ。だってさ、俺は、正義の味方になると誓ったんだから」

 お前はどうなんだ、と男は無言で語りかけてくる。

 それが自分と彼の違いだった。同じことを目指していたのに、それでも現れた差異。

 自分は現実を直視せずに、何時かどうにかなると結局は他人任せ。都合の悪いことがあれば、その責任を誰かに押しつけて逃げていた。

 彼は現実にぶち当たりながら、体を、心をボロボロにして。それでも夢を背負い続けると胸を張っている。

 気がついてみればそれだけの違い。

 しかし、一夏にはその背中がかすれて見えなくなりそうなほどに遥か遠くに立っているように見えてならなかった。

 ここにきてようやく、認められた。

 どれだけの機体性能があろうと、どれだけの才能の違いがあろうと、そんなことは瑣末な問題だ。

 比喩表現で例えるならば――

 何しろ相手は宇宙人だった。人間じゃない。絶望しか待っていないはずなのに、それが立ち止まる理由にならないなんて言う奴は、地球を離れて何処か遠い星――金星あたりにでも居かなければ見つからないだろう。

 ああ、それはなんて尊く、そして光に満ちた地獄。

 煉獄の炎のとび込む勇気を自分は持ち合わせていない。

 だから勝てない。心の戦いで、こいつには絶対に勝てないのだ。

 でも、もしも許されるのなら――

 自分にもその大切な物があると誇れる人間になれるなら。

 俺は、こいつに――負けたくない。負けるわけにはいかない。

 自分が負けているものがあるなら、それを補って余りある何かで凌駕しなければならない。

 覚悟が足りない。積み重ねてきた研鑽が足りない。責任から逃れようと必死に重荷をふるい落としてきた自分に残っているものなんて最早何もない。

 虚勢を張っていたこの身はたった一つの想いさへひていしていたのだから。

 いや、たったひとつだけ、本当に最後まで残っていたものがある。

 振るいに掛け、削り落した自分の体の奥の奥に。どれだけのものを否定し続けてきたのだとしても。それでも、この胸を穿つような苦しみだけは捨てなかった。

 最も大切な人の名を。その誇りを穢すまいとする。それだけが、今までの自分が本当の意味で護り続けてきた、ただひとつの己が証明。

 世界なんてスケールが大きすぎて考えられない。IS学園のことは好きだが、命を賭けるのかと訊かれれば躊躇ってしまう。箒、鈴、セシリア、シャルロット、ラウラ、代表候補生の仲間たちのために戦ってきたつもりだったが、覚悟も実力もまだまだ足りていなかった。

 それでも、自分は織斑一夏である限り、それ以上でも以下でもない。

 誰かに認められるでもなく、何を証明するでもなく――生き続けていく限り、自分は織斑一夏なのでしかないのだから。

 姉の織斑千冬が世界最強の名を冠するものだとするならば、織斑の名を継ぐ自分も、また恥じることのない最強へと至りたい。

 力への執着。醜くもとれるそれではあるが、それすらどうでもよかったのかもしれない。

 何を背負って戦うのか。それがハッキリしただけでも、身体はこんなにも軽く感じ取れていた。

 余計な言い訳をし過ぎた。

 そんな想いと共に、力尽きていた両脚に力を入れる。激情に燃えていただけの心が、その熱さを動力に変えたかのように全身に力がみなぎっていた。

「正義の味方……か。士郎、お前、そんなこと言ってて恥ずかしくないのか?」

「う……いや、まあ……あくまで物の例えってヤツでだな。実際にそういう風に名乗っているわけじゃないぞ」

「いいじゃんか、正義の味方。馬鹿みたいだけどよ、お前には良く似合ってるぜ?」

「……一夏、それって馬鹿にしてるよな?」

「してないって。俺には無理だ。たぶん、見知らぬ誰かよりも大切な物がある。そんな奴には無理なんだ。だから俺は――千冬姉のために最強になる」

 叫ぶように、大気を揺るがすように。ここに、世界最強の姉を目指すことを織斑一夏は宣言した。

「一夏……前から思ってたけど、お前ってかなり重症だよな」

「何が悪いってんだ! 俺は今まで俺のことを育ててくれた千冬姉に感謝してる。難しいことはよくわかんないけれど、千冬姉のために強くなる。そんでもって強くなったらみんなも護ってやるんだ!!」

 巻きあがる気炎。吹っ切れら彼を見て、若干ながら引いてしまいそうになった士郎だったが。

 口元には確かに笑みを浮かべていた。

 ニヤリと笑いながらこちらの隙を窺う綺羅星のような眼。間違いなく、それは今までみんなを護り続けてきた織斑一夏という男の眼だったからだ。

 ――姉のために強くなって、ついでにみんなも護ってやる。

 大層なことだ。

 片手間に護って見せられてはたまったものではないが、今の彼なら「千冬姉のためだ!」などと、シスターコンプレックス丸出しでやり遂げてしまいそうなのだから恐ろしい。

 両者は構えを取る。

 ふたりとも、今日初めてお互いの本当の顔を見たような気がした。

 一夏の視界を遮っていた暗雲は晴れた。

 士郎が見る初めての一夏の表情があった。

 それだけで、きっと目の前に居る敵はとんでもない強敵なのだと理解した。

 一夏は士郎の構えの隙のなさ、そして両の目がどんなものだろうと逃さぬと驚異的な集中を見せていることに気がつく。これでは自分の動きなど、簡単に見切られてしまったとしても仕方がない。

 次は隙を見つけるのではなく、隙を生み出すようにしかけなければならない。

 士郎は一夏の才気を侮ることなく見極める。機体に関しても圧倒的に有利な相手であろう。

 どんな攻撃も自分と違い一撃必殺だ。今まではまるで格下の相手のような無茶苦茶な剣筋だったが、今からはセイバーと対峙するがごとく動かなければやられてしまいかねないだろう。

 そうして先手を取るべく、踏み出そうとした一足は――

「実に見事な三文芝居だね。反吐が出るよ」

 唐突に――

「ちょーっと遅かったかな? もっと早くに本気になってれば良かったけど、今のままだと、いっくん負けちゃいそうだから」

 在るはずが無いことなのに――

「くだらないゴミを片付けるのを手伝ってあげるね」

 耳元で、篠ノ之束がささやくような声が聴こえたような感覚に一夏は捉われていた。



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41

 ニコニコと笑みを浮かべて座るキャスターを眼の前にして、真耶は頬に汗を浮かべることしか出来なかった。

「美味しいお菓子とお茶があるの。よければどう?」

 放課後、お茶に誘われたことに、軽い気持ちでほいほいと乗り、シャルロットが居合わせた保健室に足を踏み入れた己を真耶は呪っていた。

 比喩でもなく、確かにお茶とお菓子は美味しかった。

 茶飲み話もそれなりに楽しかったのは事実である。唐突に、キャスターがテーブルに二枚の申請書を出さなければ、であるが。

「実は、山田先生にお願いしたいことがあるの」

「なんでしょうか?」

 口をつけていた紅茶のカップをソーサーに置き、真耶は相手へ訊き返していた。

 キャスターもまた、どこか難しそうな表情を浮かべて応えていた。

「とある生徒さんが、家庭のことで悩んでいるのだけれど、その生徒さんのためにも何とか協力してあげたいと思うのだけれど、如何せん、わたしでは力不足で、どうしてもあなたに助力をお願いしたいのよ」

「む……それは見過ごすことが出来ませんね。生徒のためというならば、このわたし、山田真耶も教師の端くれとして協力は惜しみません」

 教師として頼られたことに対し、なにをすればいいんですか、と鼻息荒く応える真耶。だが、瞬時にキャスターは首を振っていた。

「ああ、いや……やっぱり、あなたの手を煩わせるわけにはいかないわ。ごめんなさい、今の話は忘れてちょうだいな」

 申し訳なさそうに告げる相手に……だが、真耶はバンとテーブルを叩き立ち上がっていた。

「何を言っているんですかっ! ひとりの教師として、ひとりの生徒の悩みも解消できずに、何が『教師』ですかっ!」

「でも……」

 迷い、顔を曇らせる相手に有無を言わさず、真耶は続ける。

「『でも』も『しかし』もありませんっ!」

「……本当に? 本当に協力してもらえるのかしら?」

「こんなことに嘘をついてどうするんですかっ!」

「そう……じゃあ、お願いしようかしら」

 その時のキャスターの笑みは、それはそれは悪魔じみたものであったことだろう。

 すいと差し出す二枚の書類。

「実は、この書類にあなたの署名と判がほしいのよ」

「なんだ、そんなことですか? 構いませんよ。署名のひとつやふたつ、判のひとつやふたつ。ちょっと見せてくださいね」

 言って、書類を一枚手にとり、内容を眼を通していき――その身体は、ビシリと擬音を発するかのごとく、石のように固まっていた。

 だらりだらりと汗を垂らし、心なしか指は震える。だが決して書面から眼を背けることも出来ず、さりとてキャスターを見ることも叶わなかった。

 そんな彼女を代弁するかのように、キャスターは紅茶を啜り、笑みを浮かべて告げていた。

「協力を惜しまない? 生徒のためならば?」

「…………」

 真耶の視線が外れることのない書面に記されている文面はこうである。

 『休暇申請書』『外出届申請書』――

 そこに記されているふたりの名前が問題であった。片方は、シャルロット・デュノア。もう片方は、葛木メディアと記されている。

 ふたりの名前が記されている意味を真耶は否応なしに理解させられている。許可できるはずもなく、共犯の片棒を担ぐこともできなかった。

「あ、あの――」

 意を決して、断ろうと口を開きかけたのだが――

「ひとりの教師として、ひとりの生徒の悩みも解消できずに、何が『教師』か……ご立派な信念だわ。正に教師の鑑ね。ねぇ、山田先生?」

「あうううう……」

 牽制もかねたキャスターの言葉のジャブに、真耶の意志は容易く粉砕されていた。

 偉そうに豪語した内容は嘘だったのかと脅すかのように、担任の欄に名前と受領した判を押せと告げているのだから。

 眼を泳がせ、返答に困窮する真耶がさすがに不憫に思えてならなかったシャルロットは口を開き割り込んでいた。

「あの、葛木先生……さすがに、これ以上は……山田先生も困っていますし……」

「何を言っているのお嬢さん? 山田先生は、快く、生徒のためと力強く応じてくれたのよ? まさか、ここに来て、ごめんなさい、無理です、なんて、無責任なこと言わないわよねェ?」

「あ、あうううううう……」

 もはや泣きそうなほどに表情を曇らせる真耶。いつ涙腺が決壊してもおかしくはない状態だった。

 今、この状況下でクラス申請の判を押せるのは彼女しかいない。担任である織斑千冬は所用で出かけてしまっている。だからこそ狙った犯行でしかない。

 判さえもらえばこちらのものであり、後は如何なる言及がされようとも、のらりくらりと言い逃れる。

「残念なことに、担任の織斑先生は不在なんですもの、副担任のあなたに許可を求めるのは当然ではなくて?」

 どの口が言うんですか、と真耶は思わず抗議しかけるのだが、胸中とは裏腹に声を発することは出来なかった。

 もう一押しだと決め付けるキャスターが更に言葉を畳みかけようとして――

 唐突に、彼女の視線が窓の外へと向けられていた。

 愉悦に歪んでいた表情は消え失せ、気楽さは微塵もなく、険しい『貌』へと変わっていた。

 

 

 モニターに映される二機のISの模擬戦を見入り、束の表情は愉悦に歪んでいた。

 くつくつと笑いは漏れ、眼元も心底楽しそうに細まっていた。

 何気なく、コア・ネットワークを通じてIS学園のアリーナで行われていた模擬戦を見入っていたが、束にとっては、これほどまでになく愉快で堪らなかった。

 感情のままに怒りを爆発させる一夏の動きは、お世辞に見ても稚拙で雑過ぎる。だが、そんなことはどうでもよかった。

 束にとってもっとも重要なことは、今の一夏が本心から相手を憎んでいることに着目していた。

 こんな絶好の機会を見逃せるわけがない。

「いっくん、ちょろっとだけ、束さんが手を貸してあげるね。いっくんが望むように、いっくんが求めるようにしてあげるから」

 言って、彼女はモニターを見ながら指先でキーを叩いていた。

 表示されているのは二種類のデータ。片方は『白式』、もう片方は『アーチャー』のスペックデータであった。

「さあて、お片づけをしないとね」

 冷めた声音と裏腹に、表情には笑みを張り付かせたまま。

 彼女が口にする手伝いとは、ほんのちょっとだけ背中を押してあげること。そのために、結果として不幸な事故が起きてしまったとしても、それはそれで模擬戦上致し方のないことであろう。

「なにが『アーチャー』だよ、コイツ。ふざけてるよね」

 ふたりのやり取りの会話も耳にしていたが、正直に言って束はうんざりしていた。

 他人がどうなろうが、他人をどうしようが、そんなのはどうでもいいことであった。要は、自分や箒、一夏と千冬以外がどうなろうが知ったことではない。

 怪我をしようが、命を落そうが、それらは極々些細な事であり、束本人からすれば、意味もないことである。

 くだらないと眉をしかめていた束の顔は、一瞬だけ素に戻っていた。その意味が示す先は、彼女は、IS『アーチャー』の正体を見抜いていた。

「量産機のクセに専用機? こんなガラクタに、束さんの『白式』が手こずるなんて、一体どういうわけだろうねぇ」

 ぼそりと呟かれる彼女の疑問。

 それもそのはずだろう。

 二番目の操縦者とされる衛宮士郎に与えられた専用機に関して、機体の開発元も提供先も一切存在していないのだから。

 当初、束にとっては、倉持技研が『白式』の前に開発着手していた『打鉄弐式』のような、どうでもいいISのように途中放棄していた類かと考えていた。だが、彼女なりに調べた結果、そんな事実は一切なく、倉持技研が携わったのはあくまでも武装のみ。更には最近になって装甲の類を手にかけはじめたと知ったのだった。

 これに対して彼女が疑問を持たぬはずがない。

 実際、他国、各企業が開発し有している専用機には一切手をつけておらず、だが、それでも学園が専用機を用意したとの情報が存在している。

 どこの企業、国家が開発したのかデータが一切存在しない専用機。そんな矛盾した存在のIS『アーチャー』を束が黙認せぬはずがない。

 そして彼女は、『アーチャー』の正体を容易に知り得ることとなる。学園に配備された量産機『ラファール・リヴァイヴ』であることを。

 たかが一量産機如きを、どういうわけか専用機として扱っている。極端な言い方をすればその程度のことは然したる問題ではないだろう。

 しかし、彼女――束が固執している部分は、いわゆる、自分が少なからず手を加えた『白式』が量産機などに劣るという現実を受け入れることができなかった。

 確かに、搭乗者たる一夏自身の実力不足は否めない。

 だが、それでも完全なIS自体の基礎スペックのみの話で言うのならば、『アーチャー』が『白式』に勝るものなど、何ひとつとして存在しなかった。

 機体性能同様に、所持する武装もこれといって眼を惹くデータがあるわけでもない。

 特化した長所も見当たらなく、束にとって見ればいわばゴミに近いISに、『白式』がいいように扱われるなどは、プライドが許さなかった。

「本当に、つまらないね」

 指を伸ばし、彼女は投影キーボードを叩いていく。表示されていたIS『アーチャー』の出力数値を、コア・ネットワークを通じて軒並みカットしていく。ある数値は半分以下に、ある数値は出力自体をゼロに。逆に『白式』のデータはリミッターすら外し、外部からのデータ送信をし、インストールすら行っていた。

 効率のよい機体性能を維持出来るように、逆に非効率の機体性能に弄ることなど束にとっては造作もない。

 強制的に、彼女は二機のスペックデータを対照的に改竄していくのだった。

 と――

 アリーナの監視モニターを通じて、動こうとする代表候補生たちの姿があることに気づいていた。おおかた、『白式』を停めようとでもいうのだろう。

 フンと鼻を鳴らし、束は鬱陶しそうに言葉を吐き出していた。

「なんだよ。どいつもこいつも……邪魔しないでほしいねぇ、まったくもう」

 言って、彼女の指先は、とあるキーを無造作に叩いていた。

 

 

「……ぐっ……」

 機体性能が急激に反応しなくなったことに、操縦者たる士郎は否応なしに理解させられていた。

 ついで、片翼のスラスターの反応が途絶えたことにも気づいていた。

(なんだ……?)

 見れば、『アーチャー』のスペックデータは全てがおかしな数値を示し出す。部分は途絶え、部分は半分以下しか表示されない。

 士郎の動きが唐突におかしくなったことに気づいたのは、本音と簪、ラウラやセシリア。鈴すらも、これが明らかに機体の調子が悪いことだというのを理解する。

 ただひとり、例外は一夏のみ。

「やめろっ! 停まれよ『白式』ッ――どういうことだよっ……どうなってんだよっ! くそっ! 士郎、逃げろっ!」

 唐突に、こちらの制御を一切受け付けず、一夏の意思に反して『白式』は勝手に動き続けていた。

 耳に聴こえたかのような束の声。周囲に視線を向けるが、当然ではあるが、束の姿など見つけられはしなかった。

「一夏ッ!」

 振り払われる雪片弐型を斬り弾きながら側面に回りこんだ士郎が叫ぶ。

 明らかに、搭乗者を無視したかのような奇行。機体に振り回されている状態だというのが嫌でも理解させられていた。

 一夏もまた、焦りを浮かべた表情のまま声を荒げていた。

「くそっ――士郎、ダメだ近寄るな! 今の『白式』は俺の制御を受け付けていないっ! オートモードでお前を完全にロックしてる! いいから逃げろっ!」

「馬鹿っ、だったらなおさらだ! 理由はわからないけれど、暴走してる機体をそのままにしておけるかよ!」

 突き込んでくる雪片弐型を白剣で防ぎ、逆手で斬り返そうとするところへ、そうはさせるかと黒剣で弾き逸らす。

「っ――ならっ、そうだっ! 零落白夜の出力エネルギー切れを誘って停止させるしかないぞ!」

 『白式』が繰り出す一刀を黒剣と白剣でいなした士郎に一夏は叫ぶと、彼は機体の残存エネルギーを確認していた。どんなに暴走して動こうとも、エネルギーさえ切れてしまえば停止もしよう。無駄に零落白夜が発動すればその分だけ機体停止も早まるために。

 そのためには、士郎に凌いでもらわねばならないわけなのだが。はたして、この暴走機体に『アーチャー』がどこまで持つのかが甚だ疑問ではあるが。

 だが――

 一夏の目論見は水泡に帰する。

「なんだよ、これ……」

 思わず漏れた、震える声音。信じられず……だが、視線は一切外れることができなかった。

 『白式』のエネルギーは一切減っていなかった。『紅椿』の単一仕様能力、絢爛舞踏によるエネルギー供給をされたわけでもないのにだ。

 エネルギーを供給するもうひとつの方法は、従来であれば、事前準備が必要となるコア同士での供給がある。だが、こちらの場合は、機体同士のシンクロ率などの問題が生じ、困難が伴うやり方となってしまう。当然ではあるが、そんなことをした覚えなどあるはずがない。

 零落白夜の起動、無駄に撃ち放った荷電粒子砲によってエネルギー消費は在り得ているというのに……

 これではまるで、自動供給されているようなものだ。

 相手に告げることを迷いはしたが、言わないわけにはいかなかった。重い口を開き――

「士郎っ――『白式』のエネルギーは元に戻っている……減ったはずのシールドエネルギーも同様だっ!」

「……なんだソレ……エネルギー切れは望めないってことかよ」

 悪態をつきながらも、身を捻り斬撃をかわした士郎は『白式』との間合いを計っていた。

 士郎だけでは荷が重すぎると感じた一夏は、直ぐにオープンチャネルを開いていた。

「箒――鈴ッ!? ラウラっ! セシリア、シャル!」

 オープンチャネルで友人たちに呼びかけるのだが、一向に通話は繋がらなかった。どういう状況か、外部へは一切繋げることはできなかった。逆に、内部――士郎と一夏の間でのやり取りは繋がっている。

 さらに言えば、一夏はそこでようやくアリーナ内が『異常』であることに気づいていた。

 それは、以前に一度見たことがある……

「ワケがわからねえよっ! なんで回線が繋がらないんだよ!? なんで隔壁なんて降りてるんだよっ! これじゃまるで……」

 クラスリーグマッチ時の未確認ISの襲撃と同じじゃないか、と一夏は胸中で叫んでいた。

 士郎も『白式』を相手にすることにのみ集中していたせいか、周囲を見入る余裕は持ち合わせていなかった。彼もまた、今になって状況が変化していることを把握する。

 遮断シールドに加えて観客席とステージを分けるように隔壁が降りている。セシリアたちの姿も覆われた隔壁の中に居るのだろうと判断していた。

 どういう状況下は、いまいち理解はしていないが、士郎にとってはひとつの安堵を得たことになる。隔壁が降りたことにより、ひとまずはセシリアたちに危害が及ぶということはなくなったと捉えていた。しかし、完全に楽観視できないのも事実。

 いつ『白式』が標的対象者を変更するかはわからない。己に標的を絞っているのならば、それはそれで士郎にとっては都合が良いことになる。

(となると……)

 士郎の意識は、ステージ内に取り残されているふたりへと向けられていた。

 オープンチャネルを展開し、士郎は簪へと話しかけていた。視線はあくまでも『白式』へ。相手の予測のつかない動きを警戒するためである。

「――簪! 状況が変わった。お前もISを展開して、本音を護ってくれ。頼む!」

「……もうやってる。本音のことは心配しないで。それよりも、衛宮くん……あなたは自分のことを心配して。決して無理をしないで。傍から見ても、今のあなたの機体は、明らかにおかしいの」

 努めて冷静に振舞う彼女ではあるが、その実、心中は穏やかではなかった。

 簪もまた、目の当たりにした機体動作がおかしなことに気がついていた。先まで見事に『白式』を相手に優位に事を進めていたはずなのに、唐突に動きに不調が出はじめていた。当初は純粋な機体トラブルかと思われたが、それにしては、どこか妙に思えていた。

 ISの機体構造、製作に関して人一倍努力している彼女だからこそ。ISに精通している故の洞察力であろう。

 本来であれば、簪もただ黙って見ているつもりはなかった。未完成の『打鉄弐式』とはいえど、動かないわけではない。士郎の補助、サポートに回れればと考えはしたが、直ぐにその思案は取りやめざるをえなくなる。

 簪にとっての未完成の武装の独立稼動型誘導ミサイル。システムが不完全なため、目標とするマルチロックオン・システムは機能しない。単一ロックオン・システムでなら撃てなくはないが、その結果としては士郎も巻き込む恐れがある。巧く士郎が切り抜けてくれればいいが、接近戦での膠着状態となっている二機へ介入するタイミングすら簪にとっては判断に考えあぐね、手をこまねくことしかできなかった。

 簪の胸中を知りもせず、士郎は続ける。

「極力、ふたりに被弾はさせないようにする。だけれど、もしものことがあるかもしれない。重ねて頼む」

「……気にしないで。こちらはこちらで対処する」

 ひとつ頷き、士郎は『白式』へと向き直っていた。

 ふたりを護り、ついで一夏を助けるために機体を停める……

 なかなか難しい注文だなと考えながらも、士郎は『アーチャー』を疾らせていた。

「なんとか停めるしか方法はないぞ」

 がぎんがぎんと鈍い金属音を奏でる中、すれ違いざまに加速する一夏の表情には迷いが浮かぶ。オープンチャネル越しに漏れた声音。

「だけど……」

 いくらなんでも、士郎ひとりでは無理だと感じていた。

 しかし――

「『だけど』も『でも』もないんだよ! そのまま放って置いて、エネルギー切れを待つ余裕はないぞ。どういうわけか、俺を狙うならそれでいい。だけど、布仏やオルコットたち、他の奴らに狙いを変えはじめたら、それこそ事だぞ! お前の機体はあらゆるバリアエネルギーを無効化する武器なんだ。遮断シールドを切り裂いて暴れ出してみろ……手に負えなくなるぞっ!?」

「――っ」

 士郎の含みのある言葉――

 一夏は瞬時に『銀の福音』を思い浮かべていた。士郎が言うように、『白式』は『アーチャー』をオートモード、ならびにロックオンし続けていた。こちらの制止を一切受け付けず、振り払われる斬撃は執拗に相手を狙い続けていた。

 今は『アーチャー』のみを攻撃対象としているが、これが何かの拍子に士郎の言うように遮断シールドを切り裂いて観客席に居る鈴たちを襲いはじめたらと考えただけでも嫌な汗が背を伝う。

 がぎんと音を鳴らし、火花が散る。双剣で雪片弐型を防ぎきり――少しずつ、『白式』の出力が『アーチャー』を上回りはじめていく。

 一夏の眼前に映し出されるウインドウには在り得ない数値を示していた。自身が把握していたスペック数値が全て最大限界まで引き上げられている。

 その意味するところは、瞬時に理解させられていた。

 鍔迫り合っていた力の拮抗は、唐突に終わりを迎えていた。パワー、スピード、それらが急激に高まる『白式』が『アーチャー』を容易くいなす。

「――っ!?」

 バランスを崩され、無防備となったところへ――

 機体から感じる嫌な雰囲気に、ハッとする一夏は声を上げていた。

「零落白夜だっ! 避けろ士郎っ!」

 叫びと同時に、至近距離から発動した『白式』のワンオフアビリティが唸りを轟かせて逆袈裟懸けに振り上げられていた。

 だが――

 捉えていた士郎の眼と、一夏の声音も相まって、『アーチャー』は寸でのところをかわしきっていた。

 空を疾る一刀を瞬く間に蹴り弾き、士郎は間合いを仕切るために瞬時加速で離れていた。

 零落白夜の発動を解除し、雪片弐型を構える『白式』に対し、士郎は僅かながらに舌打ちを漏らしていた。

 今の繰り出された一撃は、明らかに先までの動きとは比較にならない。予備動作を無視した加速、一夏が言うように、オートモードによる攻撃へと切り替わっていることになる。

「…………」

 しかし、そんなことがありえるのだろうか?

 油断なく双剣を手にする士郎は胸中でそう自問していた。攻守を全てオートモードに頼りきり、あげくは操縦者の制御を受け付けない。そんなシステム、技術法があるなどとは本音や真耶からとて聴いたことがない。

 ならば考えられる可能性は二点のみ。一点は、純粋な機体暴走――

「――っ、一夏! 悪いけど、ここからは手荒くなるぞ。力尽くで停めにかかる。衝撃があるかもしれないが、我慢してくれ!」

 『アーチャー』の不具合など、既に士郎の頭の中にはない。今はどうあっても眼の前の機体を停めることだけを考えていた。

「かまわねぇよ! もうこうなりゃ、ぶっ壊すぐらいの気概でやってくれ!」

「出来うる限り、壊さないようにはやってみる。いくぞ」

 言って、『アーチャー』を駆る士郎は『白式』へと斬りかかっていた。手数では上を行く双剣を巧みに操り、雪片弐型を押さえ込み――

 士郎の腕に生まれたのはフェイルノート。瞬く間に彼は射続けていく。

 正確無比に狙う箇所は『白式』の間接駆動部分。特に四肢の動きを停めることを最優先としていた。

 が――

 次の瞬間には、ふたりの表情は変わることになる。驚く士郎、何よりも搭乗者たる一夏もまた同様に。

 飛来する箇所が既にわかっているかのように、高速反応によって『白式』は七射を全て斬り弾いていたのだから。

「なんだよコレ……士郎の弓の反応を上回るってのかよ――っ!?」

 不意に顔をしかめ、一夏は苦悶の表情を浮かべていた。

 ここに来て、状況は更に悪化していく。機体だけに留まらず、操縦者たる一夏へも異変が生じていく。

 暴走する機体を制御するため、強制停止や機体解除といったあらゆる手を行使していた彼ではあったが、それらのコールには一切の反応を示しはしなかった。加えて、操縦者たる一夏の表情は次第に狂気に彩られていた。

 己の身体の中に侵入してくる、どす黒い『何か』に懸命に抗う彼ではあったが、如何せん未熟な彼に撥ね退ける術はない。

 束によるコア・ネットワークを通じての『白式』の搭乗者への精神汚染。脳波へ一方的に攻撃性を増す信号波長を強制的に送りつけることにより、一夏が篭絡するなど容易いことであった。

 ならびに、本心では士郎を妬み憎んでいたことも災いする。自身の精神力の弱さにつけこまれる容となっていた。

「なんだ、コレっ……頭の中に入り込んでくる、この嫌な感じ……」

 徐々に蝕まれ、意識を失いかける一夏ではあったが、それでも彼は懸命に耐えて見せていた。

 逆に、士郎は表情を曇らせる。

「くそっ……」

 機能するシステムの類が本来の数値を大幅に下回る。それが何を意味するのかは、既存能力値にも極端に影響を及ぼすことになる。

 自立機動する『白式』は雪片弐型を振るい、『アーチャー』を力尽くで押しのけ退かすと果敢に攻め立てる。

 だが、士郎とて機体に不具合が生じようとも、そう易々と喰らうわけではない。双剣を手に見事に捌ききっていた。

「……っ」

 機体にこれ以上無理をかけたくはない。負荷をかければかけるほど、後々に本音の手を煩わせることに負い目を感じていた彼ではあるが、もはやそんな配慮を考えている場合ではなかった。

 極端な数値低下は、『アーチャー』への無理がたたった結果であると士郎はそう解釈していた。

 まさかこれが、コア・ネットワークを通じて、『天災』篠ノ之束による介入による影響など夢にも思いはしない。

 IS『アーチャー』の機体性能の著しい低下に加え、眼を見張る問題はもう一点。

 それは――

 

 

 話は数分前に遡る――

 人が変わったかのような一夏の動きに、最初は士郎を圧倒したことを喜んでいた鈴ではあったが、徐々にではあるが表情は曇りはじめていた。

 なにかがおかしい。

 いたぶるような動き、攻撃。

 自分が知る一夏は、こんなことをするような人間ではないはずだった。

 何よりも、模擬戦にしては度が過ぎている攻撃が眼につきはじめていた。

 胸の奥にこみ上げる焦燥に駆られかけたが――

「停めるぞっ!」

「――ッ、あたしに命令しないでよ! アンタに言われなくてもわかってるわよっ!」

 ラウラの叫びに意識を戻した鈴もまた声を荒げていた。

 明らかに一夏の様子、士郎の様子が奇異と捉えたラウラと鈴、ふたりは観客席を駆け、ステージへと向かおうとするのだが――

 更なる異変に気づいたのはセシリアだった。一点を見つめた彼女の双眸は驚きに開かれていた。

「ラウラさんっ――鈴さんっ!」

 一刻も早くステージ内へ向かわなければならないのに、余計な手間は取られたくはなかった。

 焦りを覚えながらも、呼び止める声に振り返るふたりだが、セシリアが指し示す方へ視線を瞬時に這わせ――

 ラウラと鈴もまた驚き、眉を寄せていた。

 ステージと隔てる遮断シールドに表示される文字――

「レベル……7っ!?」

「どういうことだっ!?」

 唖然とした表情で読み上げる鈴と、普段の冷静さもなく声を荒げるラウラ。

 セシリアもこの状況がおかしなことであるのはわかっている。

 たかが模擬戦如きが、警戒レベルとして認識され、システムロックの挙句に、遮断シールドの大幅な設定変更。

 以前、クラス対抗戦時に所属不明の無人機による乱入の際に眼にしたアリーナステータスチェックは『レベル4』。そこから三段階も跳ね上がった数値にセシリアは眼を見開くことしか出来なかった。

 こんな馬鹿な話が在り得るはずがない。だが、現に三人の眼の前で『事実』が起きている。

 それはまるで、外部からの侵入を拒み、内部から逃がさぬかのように――

「こんのっ――」

 形振りなど構っていられなかった。後のことなど一切考えず、最悪身柄を拘束されて事情聴取されようとも、良くて反省文を書かされることになろうとも、鈴は部分展開していたIS腕部を遮断シールドへ向けると、最大威力での衝撃砲を撃ち込んでいた。

 しかし――

 『レベル7』の表示は、伊達でもなければ酔狂でもない。突破などできるはずがなかった。

「――っ」

 歯噛みする鈴たちの眼の前で二機の攻防は進展していく。

 『アーチャー』の機体が徐々に破壊され、装甲部が砕けはじめていた。

 この光景に、本格的に三人は顔色すら変え、混乱することとなる。

「なんだっ!? 衛宮の機体はシールドバリアが正常に発動していないっ!?」

 正確に言えば、まだこの時点で機体シールドは部分部分では健在であった。だが、それも意図されてのものである。

 そうこうしているうちに、士郎が流血したことにセシリアは悲鳴を上げて口元を覆っていた。

「衛宮さんっ――」

 ピットで士郎と口論した際の事を彼女は思い出していた。

 操縦者が血を流す――それは、ISに本来備わっているはずであり、人命に危険が及ばないように護るための絶対防御が発動していないことを物語っていた。

 無駄であるとわかっていながらも、ラウラは展開したレールカノンを砲撃する。

 が――

「ちいっ――」

 ラウラの舌打ちが示すように、近距離からの砲撃にもかかわらず、やはりシールドに変化は一切見当たらない。

 自分たちではどうすることも出来ず、副担任の真耶に助けを求めるために、セシリアはオープンチャネルを展開させるのだが、通信すら機能しはしなかった。

「山田先生!? 山田先生――っ!? ダメですわッ、回線が繋がりませんの」

「なんなのよっ……何が起きてるのよ、コレ……意味わかんないわよ……」

 呆然と呟くことしかできない鈴の視界、ステージと観客席を仕切る間に隔壁さえもが降りはじめていく。

 そのまま、三人を取り囲むかのように隔壁が降り塞がれる。ステージ内の状況を見ることはできなくなっていた。

 

 

 力任せに打ち付けられただけの衝撃に、受けた左腕が弾かれる。

 瞬時にその場で身を捻った『白式』の回し蹴りをわき腹にまともに喰らい、勢いのまま遮断シールドに叩きつけられ、士郎の身体は地面へと落下していた。

「……ぁ……っ、はあ、ぁ……」

 背中を強打し、息を詰まらせ――それでも、手にした黒剣を地面に突き立て身体を起こす。

「……っ」

 息を吐き出し、苦悶の表情を浮かべながらも士郎は相手へと視線を向けていた。

 人が変わったような動きを見せる『白式』へ――

 何が起きたのか理解できない。だが、先までの一夏の動きではないことだけは明白だった。加えて、決して『白式』による機体暴走という答えだけでは説明がつかないことも把握していた。

 身体に響く鈍痛に顔を顰めながら、士郎は立ち上がる。

 これではまるで――

(織斑先生のようだ……)

 胸中で呟いた通り、士郎が目星をつけた結果としては、もはや現状の『白式』は、何度も映像で見た、完全に織斑千冬の動きである。

 いくら姉弟とはいえど、どんなに巧く動きをコピーしたとしても、他人の動きを精巧に事細かに表現することは出来ない。何故か。それは、人には独特の呼吸がある。自身でも知らずのうちに無意識によるクセが出たりもするからだ。

 士郎が調べた限り、戦闘方法を模倣するシステムに、『ヴァルキリー・トレース・システム』、通称『VTシステム』というものが在るのは知っていた。

 過去のモンド・グロッソにおける出場選手たちの戦闘方法をデータ化し、そのまま再現、実行するシステムであり、士郎がもう一点の可能性として考えていたのがこれだった。

 一夏の『白式』にも同じものが搭載されているのかと思いはしたが、直ぐに考えは却下していた。『VTシステム』は現在、あらゆる企業や国家での開発が禁止されているとも聴いている。そんな代物を、一夏の機体に搭載されているとは思えなかったからだ。

 それに、模倣と呼べるレベルではないというのも理解させられていた。

 戦闘能力の制限を解除され、内に秘めていた力を発揮でもするかのように――

(これが一夏の実力だってことか……)

 双剣を構え対峙しようとする士郎ではあるが――

「エミヤんっ!」

「……っ」

 突然の声音に士郎の意識が戻される。気がつけば、真横に本音が駆け寄っていた。恐らく、突然のことに彼女も驚きいてもたってもいられず、簪の制止を振り切っていたのだろう。

 だが、近寄るということは、危険に晒されることを意味していた。

「馬鹿っ! なんで来たんだっ!? いいから早く離れろっ!」

「で、でも――」

 士郎に一喝され、瞬時に本音は身を竦める。

 明らかに『アーチャー』の動きがおかしいことを心配して言いよどむ彼女だったが――

「士郎ッッ!! そこから離れろっ! 雪羅が動く! 早く逃げろっ!」

 懸命に抗っていた一夏だったが、その言葉を最後に、彼の意識は朦朧となる。

 表示された警告音。

 士郎の眼が僅かに頭上へと向けられ――その表情が驚きへと変わる。

「――ダメだっっ!」

 叫びを上げると同時、士郎はいまだ突っ立っていたままの本音の腕を掴み抱き寄せると、その場に覆いかぶさっていた。

 本音を護るため、刹那の間とはいえ――士郎は魔力を通し、一時的に機体外骨格の硬度強化を高めていた。

 直後、落雷に似たような轟音が鳴り響く。

 その正体は、頭上から降り注がれた荷電粒子砲。直撃により機体は激しく揺さぶられ、至る箇所が悲鳴のような異音を発する。

 士郎の身体もまた受ける重度の衝撃によって顔は苦痛に歪んでいたが、機体構造を把握していたために、補強による恩恵に助かっていた。

 複雑な機械で造られたISの基本構造を全て熟知しているわけではない。あくまでも外骨格、装甲部分を『強化』し、凌いでいるだけでしかない。ならびに、長時間耐えられるわけでもなかった。

 士郎にとっても『荷電粒子砲』などと言う、エネルギーを変換し、収束圧縮させて撃ち出す兵器に機体だけで防げるはずもない。 

「――っ、ぐっ、がぁっ――」。

 シールドエネルギーが削りとられ、機体破損個所が表示されるが、士郎はそんなものは見ていなかった。

 機体の損傷レベルが報告されようとも、搭乗者たる士郎の絶対防御の不具合が表示されようとも、彼は一切眼にしていない。背部に極度の熱と痛みを覚えるが、そんなことさえも構ってはいられなかった。

 考え、最優先と捉えているのはただひとつ。腕に抱く本音の身を護りぬくこと。

 刹那――

 雪羅による攻撃は不意に止んでいた。その理由は、簪が『打鉄弐式』の武装、八門のミサイルポッドから放たれていた誘導ミサイルによる。

 単一ロックオン・システムにより、狙いは雑であり、それらミサイルはことごとく外れ、または雪片弐型によって斬り捨てられていた。

 当たらなかったことに焦りはない。直撃しようがしまいが、簪にとっては『白式』の動きに変化を生じさせることが目的である。

 無論のこと、生まれた隙を士郎が見逃がすはずがなかった。

 荷電粒子砲の射撃が逸れた中から焼け焦げる機体を疾らせ、士郎はその場を瞬時加速で離れていた。

 が――

「……っ!?」

 息を呑む士郎の眼前に回り込んでいたのは、二段階加速(ダブルイグニション)で迫る『白式』。

 今しばらく時間を稼ぐために、簪が二射目の誘導ミサイルの群れをバラ撒きはしたのだが、それらを容易く潜り抜け突破していた。

「させるかっ!」

 既に振りかぶられていた雪片弐型を本音に当たらせてなるものかと身をひねり、士郎は相手機体の腕を蹴り上げていた。

 ほぼ曲芸に近い動きを見せるが、無理やり体勢を崩した格好のまま二機は衝突する。

 腕の中で小さな悲鳴を漏らす本音を懸命に護り、取り落とさぬように加速すると、一刻も早くこの場から避難させるためだけを考えていた。

 しかし――

 背後からの斬撃に、咄嗟に士郎は振り返り防ぎ止めていた。

 

 

 モニターに映る『アーチャー』の動きに、束は小さく舌打ちを漏らしていた。

「しぶといねぇ……いっくんも意外と粘るし……抵抗するとは思わなかったけれど」

 早急に決着はつくかと思っていただけに、予想以上に粘る相手に束の苛立ちは増していた。

 自分が作っているシナリオ通りに進まない。

 トントンとリズムをとるようにテーブルを叩いている指先も自然と力がこもりかけていた。

 更に言えば、彼女は『アーチャー』に対して疑問を持ちはじめていた。

 雪羅による砲撃を見入っていたが、笑みを浮かべていた表情は徐々に硬くなっていた。

 どうして動いていられるのか――

 それが束の一番の疑問点だった。己が介入し、明らかに『アーチャー』は不利な立場に居るハズだった。

 だというのに――

「……っ」

 当たり所が悪かったとしても、大破とはいかずに中破ぐらいには陥るだろうと読んでいた。

 それがどうだ?

 『アーチャー』は何食わぬまま動き続けている。いくらISの装甲とはいえ、荷電粒子砲の直撃を受ければ相応のダメージは生じるはずだというのが束の考えである。

「束さんの知らない合成金属……? 何処かの企業が造った装甲が邪魔してるってのかな?」

 本来のISに流用されている外装金属とは違う、別の何か。だが、それが彼女にはわからなかった。

 ただの偶然、勘違い、とも考えたのだが――

「…………」

 鬱陶しいなぁと漏らすと、束の指先はキーボード上を舞っていた。

 

 

 表情を歪ませ、湧き起こる負の情性に必死に抗っていた一夏ではあったが、それももはや限界であると彼は悟っていた。

 胸の内を染め上げていく『黒』に流されまいとするのだが、同時に、心のどこかでは進んで受け入れることを望む自分にも気づくこととなる。

 頭の中に響く言葉。敵を叩き潰せ、蹂躙しろ、自身の心に従い望むように排除しろ、と甘く囁かれる。

(敵? 誰が? 士郎がか……?)

 普段とは明らかに違い、今の一夏の思考はまともな判断力すらも鈍っている。虚ろとなる眼が士郎へ向けられ、その口元が吊り上りかけ――

 だが、矛盾する感情を払拭させるために、己を言い聴かせるために、一夏は声を上げて叫んでいた。

「士郎ッッ、時間がないっ、俺が俺でいられなくなるっ――躊躇せずに俺ごと叩き潰せ! 絶対防御があるから死にはしないっ! 早くしてくれっ!」

 このままでは自分を見失い、結果的にとんでもない事態を引き起こしかねない。本能的に感じた彼ではあるのだが……

 『絶対防御』を過信した一夏の発言。しかし、士郎にとっては、その提案を受け入れることはできなかった。

 と――

 そこで一夏の意識は完全に『白式』へ乗っとられることとなる。

「一夏っ! 何とか制御してくれっ! 本音が居るんだっ――頼むっ!」

 無駄であるとわかっていながらも、士郎は声を荒げざるをえなかった。振られる剣戟は止むこともなく、むしろ速度は増していた。

 踏み込む速度は圧倒的。繰り出される一撃は秀逸。

 凡庸であった単調な攻撃は消え失せ、剣戟の一撃一撃に重さがのせられている。見れば、一夏の表情も尋常ではないものへと変わっていることに気づく。例えるならば、それは『狂化』するバーサーカーのように――声にならない咆哮を上げて、斬りかかってくる。

「くそっ――馬鹿野郎っ!」

 罵声を漏らす士郎の反応速度を上回り、迫る斬撃を――片手に握られる黒剣だけで斬り弾いていた。

 先までの剣筋、運びなど比にもならない。

「……っ、ぐっ……」

 片手には本音を抱えて護る。

 決して防御には回ることが出来なかった。故に士郎もまた攻勢に打って出ることしか出来ずにいた。

 耳障りな音を奏で、三撃を打ち払う。

「……っ!」

 首を刎ねるかのように迫る四撃目を、咄嗟に黒剣を掌で返し、振るわれた一刀を捌ききっていた。

 本能的に捉えたのは、護れば負ける。攻めなければ勝てないと直感していた。

 それほどまでに、一夏の剣戟には躊躇がない。

 両者の合間に火花が散る。

 正直に言えば、本音を手放し、一夏との戦闘に集中したかった。

 だが、迂闊に彼女を手放せば、瞬く間に互いの剣戟により斬り捨ててしまう恐れがあった。そのために、放すに放せない。

 抱えられ、手枷足枷となる彼女が至近距離でぶつかり合う鋼同士の余波に一切怪我らしい怪我を受けていないのは、士郎による技量。

 全身全霊、全神経を集中し、全力を以って本音には掠り傷ひとつ負わせぬようにと護り抜く。

「……っ、このっ……」

 剣を振るうたびに息は上がり、バランスを崩し倒れそうになりながらも必死に踏みとどまり次撃を見舞う。

 ぶつかり合う刃と刃。

 受ける剣、振られる剣。

 徐々に力を宿し振られる『白式』の剣に、僅かに士郎が押されはじめる。

 片手とは言えど、士郎もまた懸命に黒剣を繰り出し、相手機体の剣戟を打ち殺す。

 息体中の筋肉が悲鳴を上げる。

 かわし損ねた斬撃が、『アーチャー』の右肩を抉る。砕けた破片が士郎の頬を僅かに切り裂き、そこから紅い筋が流れていた。

「エミヤんっ!?」

 驚きに声を漏らしたのは本音。彼が血を流したことによって理解させられたのは、ひとつだけ。

 どういうわけか、今のIS『アーチャー』は、シールドバリアならびに絶対防御が発動していない。

 それがどういうことを意味するのか、生身で『白式』の雪片弐型を相手にしていることを示していた。

「ダメっ! エミヤんっ――逃げてっ!」

 これ以上は本当に取り返しのつかないことになってしまう。士郎が傷つく姿は見たくない。

 後退するように、必死に本音は叫んでいた。

 だが――

「……ふざけるなよっ……」

 ぼそりと、士郎の口から声音が漏れる。

 『アーチャー』のシールドバリア展開に不具合が生じていることに、やはり彼は気づいていない。

 腕に抱く本音の声も聴いていなかった。今の士郎の心を支配するのは純粋な怒りだった。

 至近距離から荷電粒子砲を撃ち放っていた『白式』ではあったが、士郎は機体を無理やりひねらせやり過ごしていた。その際に、わき腹に猛烈な痛みと激しい熱を感じたが、そんなことすら、もはや些細な程度としか判断していなかった。

「一夏っ! しっかりしやがれっ! 皆を護る、誰も傷つけさせないって決めたんなら機体ぐらい制御してみせろっ! いいように遊ばれて、呑まれてんじゃねえよっ! 眼ェ覚ましやがれっ!」

 士郎は後退する意思など微塵も持ち合わせていなかった。

 逃げるぐらいなら、真っ向から叩き潰して停めてやる――もはや、士郎にとっても意地であろう。

「聴いてんのか、一夏っ! ぼけっとしてないで制御してみせやがれっ!」

 士郎とて、己が無理なことを口にしているというのは理解している。純粋な機体暴走という可能性も十分考えられはする。しかし、だからといって、一夏が制御できないとは思ってはいなかった。心のどこかでは、操縦者たる彼が『白式』を自在に制御できることを信じているために――可能性を捨てきれていなかった。

 しかし、現実は残酷である。

 士郎の声は、一夏の耳には届いていない。

 否――

 相手が何かを言っている程度にしか捉えていない一夏にとって、耳には何も聴こえはしなかった。

 ただ、眼の前の敵を倒すことのみ。その一点だけに集中し、何も視えておらず、何も聴こえてはいなかった。

 切り結ぶは十の剣戟。

「――――ッッ!」

 一夏の口から漏れる獣のような咆哮。声を荒げ、叫び、剣を叩き込んでくる。

 渾身の力で打ち込み――片や斬り伏せようと奮い、片や相手を止めるべく奮われる。

 護るべき存在をその腕に抱く士郎の強さ、意志、信念、執念は眼を見張る。決して口先だけではない。

 有言実行――

 本音を傷つけさせまいと、片腕一本の剣でことごとく斬り弾く。

 しかしながら、護ると口にした以上、確かに本音は怪我ひとつ負ってはいない。が、その分、身を挺して捌く士郎の機体が傷を負いはじめていくことになる。

 黒剣で防ぎきれない斬撃は、文字通り、IS『アーチャー』の身を以って受けきっていた。

 腕部の装甲、肩部の装甲、脚部の装甲が抉られ、砕けた破片が宙を舞う。

 怒りに任せた一撃、士郎の胸元を狙うように繰り出された雪片弐型を――だが、真下から振り上げた黒剣が切っ先を斬り払い軌道を僅かに逸らしていた。

 頬を掠める穂先に構わず、その場で剣を振るった勢いのまま反転すると、『白式』の腕の関節駆動部分に斬り返した一刀を叩き込んでいた。

 どんなに装甲に硬度があろうとも、脆い部分――間接部分まではその限りではない。

 雪片弐型を握る『白式』の右腕の反応が鈍る。完全な破壊とまではいかないが、唯一、相手が振るう近接武装の攻撃が止まったことは、士郎にとっては幸いである。

 僅かな隙とはいえ、体勢を立て直させる前に、士郎は自由の利かない機体ながらも『白式』を停めるべく斬りかかっていた。

 幾度となく死線を掻い潜ったとはいえ、恐怖心が無いわけではない。わき腹からはひっきり無しに痛みが伴い、額にはじっとりと脂汗が滲む。ISスーツの一部は焦げ、その箇所からは肉の焼けた嫌な臭いが鼻腔に漂い、流れる鮮血が『アーチャー』の装甲を濡らしていた。

 と――

 轟音を上げて、ステージを隔てる遮断シールドを突破する『剣』が士郎の視界に映っていた。

 

 

「は?」

 間の抜けた声音が、束の口から漏れていた。

 眼の前に映し出されている実態に、彼女は一瞬、理解することができなかった。束の脳が、在り得ない現実を理解することを拒否していたが、だからといって状況が変わるわけでもない。頭の片隅では、今現在の疑うことの出来ない現状であるというのは嫌でも認識させられている。

 それでも、理解したくない光景を、信じる事ができない事実を、受け入れることができない在りのままを――

 眼を大きく見開きくことしか叶わないながらも、それら全てを、彼女は否定したかった。

「……なんなんだよっ!」

 語気を荒くし、振り下ろされた拳はテーブルを殴りつけていた。

「なんなんだよ、コイツはっ……なんなんだよ、この女はッッ!?」

 自身がハッキングしたシステム『レベル7』は、容易に突破できるものではない。随時演算プログラムが書き組み替えされており、その法則、対処法は当然、束のみしか知りえていない。

 あらゆるエネルギーを無効化できる零落白夜以外に力づくで突破することなど出来ないはずだった。

 それが、訓練機の『打鉄』が扱う鈍い鉄色の実体剣に突破されたのだから。

 キーを叩き、束は剣が撃ち込まれた方角を割り出すと、望遠機能を最大にしてモニターへと映し出していた。

 捉えた映像には、紫のスーツに白衣をなびかせた女が映る。

 その女の周囲には、どういう原理か三本の実体剣が浮かんでいた。と、振り下ろす腕に従い、『剣』は一直線に突き進み、轟音を上げて遮断シールドへと突き刺さっていた。

 先の剣と同様に、原形を留めずにひしゃげながらもシールドを突破し穴を開ける。

「なんなんだよっ……なんなんだよっ、コレはっ!?」

 声音は震え、キーを叩く指先も僅かに震えている。それでも、束は映像に捉えた女性を録り込み、解析していた。

 だが、その表情は更に険しく、理解できないといった顔へと歪むだけでしかなかった。

 常識の範疇をこえている。

 女性からは、IS反応が何ひとつ感知されていない。ISを身に纏いもせず、IS専用武装に手も触れずにステージ内へと投げ込んでいる。そんなことは現実的に出来るはずもなく、在りえるわけがない。

 束が理解できるはずがない。実体剣にキャスターが魔力を絡め、それをミサイルさながらに投擲しているのだから。

 と――女の首が動く。

 監視カメラ越しに向けられた視線が、真っ直ぐに束を射抜いていた。

「――っ」

 息を呑む束ではあるが、次の瞬間には映像は砂嵐へと変わっていた。

 最後に映っていた女の表情。こちらを見透かすような視線。正体に気づかれたのかという悪寒が身を駆け抜け、背には冷たい汗が伝う。

 こちらの存在に気がついたためにカメラを壊したのかと捉えた束ではあるが、しかしながら、実際には、そんなことは在りえていない。

 呆けていた束ではあったが、その表情には怒りを滲ませていた。

「ふざけるなよっ――凡人がっ! この束さんにっ!」

 綻びを修復し、邪魔をされないようにと束は手を加えていた。

 

 

 キャスターもまた、シールドが修繕されていくのがわかっていた。

 下手に監視カメラに映像が記録され、残されても後々厄介だと判断した彼女は事前に把握していた場所に設けられているカメラの類を全て魔力で破壊し尽くしていた。その結果が束へ無駄な脅威感を与えていることになど気づくはずもない。

 たった今し方、開けた穴が徐々にではあるが元の状態へと戻ろうとしていく。

「…………」

 予想以上の威力を下回る現実に、キャスターは眉をしかめていた。シールドへ直撃する寸前に、魔力を爆発的に高めて一点突破を狙い、容易く目論見通りに行くかと思いはしていたのだが――

「思った以上に厄介ね、このシールドというのは……この世界における魔力の神秘による制限……面倒ね……」

 ふうと息を漏らしたキャスターではあるが、投擲する実体剣は既にない。全て使い切ってしまっている。

「本当に面倒ね……自己修復の機能といったところかしら?」

 デジタル方式によって管理されている堅牢な防御遮断シールド、隔壁を解除するには相応のデータ量を解析し突破していかなければならない。

 情報を『0』と『1』の数字の組み合わせ、あるいは、オンとオフで扱う方式。更には、ハッキングしている束にのみしかシステムなどの状態を離散的な数字に書き換えているため、元に戻すことは困難であろう。

 故に――

 シールドを突破するために、彼女は極々単純な手段を用いることにしていた。その方法とは、壊すこと。

 手中に生み出されるは、錫杖。

 そこからほとばしる魔力の奔流が、遮断シールドを直撃し、一部を消し飛ばしていた。

 より火力を強めるためには、更に魔力を行使することを意味する。

 修復など追いつかないほどに蹂躙し、キャスターの高速神言による魔術が開いた穴を凍結させる。

「後は任せたわよ、おふたりさん」

 キャスターの声に応じるように、開いた穴へと飛び込んでいたのは、ISを展開した真耶とシャルロットだった。



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42

え?
千冬ちゃんとセイバーとランサーのターン?
では、逆に訊こうか。
いつから切り替わると思っていた?


 頭上から降り注ぐ銃撃に『白式』は瞬時に後方へと機体を滑らせていた。

 土埃を巻き上げ、士郎と本音の前に降り立つ二機は銃火器武装を構えたまま。

「やめなさい織斑くん!」

「一夏、なにしてるのさっ! いくらなんでも度が過ぎるよっ!?」

 真耶とシャルロットの咎めるような叱責に――

「…………」

 だが、一夏は何か答えるわけでもなく、憎悪に満ちた『貌』を向けるだけだった。

 明らかに、ふたりが知っている普段の織斑一夏の雰囲気、態度、表情とは大きく懸け離れている。

 はっきりと伝わる敵意。

 ISに身を包み相対しているのに、肌に纏わりつくような不快な違和感を感じずにはいられない。

 シャルロットの脳裏には、先日の学園祭時に遭遇した所属不明のIS機が不意に浮かび上がった。

「山田先生……」

 僅かに不安を含んだ生徒の声音に、だが、真耶も頷いていた。彼女もまたシャルロットが告げようとする、一夏に対する違和感を覚え、意図を汲み取っていた。

「……ええ。今の織斑くんは、普通じゃありませんね。デュノアさん、気をつけてください」

「はい」

 副担任の口から漏れる声に、シャルロットも気を引き締める。

 が――

 シャルロットにそう応えていながらも、真耶の胸中には疑問が浮かぶ。人間、これほどまでに豹変するものか。否、明らかに、露骨過ぎるぐらいに。

 不貞腐れている、機嫌が悪いというレベルではない。先日の学園襲撃時における白い少女と同様。

 両者ともに、手中には銃器が握られていた。『白式』の右手に存在する雪片弐型、左腕の雪羅を警戒してである。機体の一挙手一投足に気を配りながら様子を見る。

 用心深く、慎重にリヴァイヴを『白式』の直線軸上に動かしたシャルロットは、ハイパーセンサーで後方を知覚していた。

 見れば、士郎はうずくまったまま立ち上がってはいない。顔を苦痛に歪ませる彼の横には心配そうに覗き込む本音と『打鉄弐式』を纏う簪の姿。

「…………」

 『白式』の相手を自分たちに任せ、本音と簪のふたりに士郎を医務室へ連れて行かせたくはあったのだが、第二アリーナはシステムロックがされ、内部外部ともに干渉を受け付けていない。

 他クラスの生徒とは言えど、簪のIS『打鉄弐式』は独自で組んでいる未完成の機体である。基本システムのPIC(パッシブ・イナーシャル・キャンセラー)も正常に作動しているのかも微妙なところであろう。実際に、士郎を抱えてステージ内から浮遊していないのがその証拠ともなる。

 本来であれば、直ぐにでも士郎を医務室へ連れて行きたい衝動に駆られる彼女であるが、眼の前の『白式』を停めることを最優先と捉えていた。

 優先順位に心の中で士郎に対し、ゴメンと一言謝りながらも、ならば早急に問題を解決しなければと表情を改めていた。

 それは、真耶も同様だった。

「…………」

 ならば、と真耶の双眸に気迫がこもる。普段の柔軟な表情、温厚な雰囲気が一変していた。士郎に関しては、完全に身の安全を保障した上で無事に運ばせるしかない。

 もう一点、遮断シールドを吹き飛ばしたキャスターの手法、技量に関して事細かに問い詰めたいこともあるのだが、それらを差し置いて、今、成すべきことを彼女は全うするのみだった。

 刹那――

 睨み据え、口元をニタリと粗暴に釣り上げた一夏に意識が向けられ――彼は、咆哮を上げて真耶へと斬りかかっていた。

「――っ」

 実技では他生徒に劣る一夏とは思えぬ機動、技術、剣捌き。

 正直に言えば、真耶から見た織斑一夏のIS操作能力に関しては、お世辞にも、総合センスは見劣りするレベルである。その問題としては、機体を操作出来ていないところが一番の要因といえる。機体性能に助けられているところが多く見られ、決して彼自身の操作能力が上回っているわけではない。

 機体性能を十分に熟知し、そこへ己のIS操作能力が加われば実力は如何なく発揮されよう。

 士郎を例に挙げれば、彼はIS操作期間が他者と比べて圧倒的に短いながらも、その短期間の合間に機体『アーチャー』の性能を十二分に活かしきっている。そこへ、少しずつであり確実に能力を積み重ね向上させたIS操作能力がプラスされた今の士郎は、総合的能力から見れば一夏を大きく上回っていた。

 士郎であれば、能力の変化に納得もできる。だが、一夏の場合は違っていた。一夏の現状はいまだ荒削りであり、機体性能に頼るきらいがまだ眼についていた。とはいえ、この先、伸びる見込みが全くないわけではない。

 言い換えれば、あくまでも未知数であるのは確かである。それが、真耶にとっての『織斑一夏』への見解であった。

 しかし、今、この時ばかりはその認識を改めざるをえなかった。

「なんて力っ――」

 振り抜かれた雪片弐型を銃身で防ぎ、瞬時に身を捻り受けた衝撃を逃がし彼女。

 機体性能は第三世代型に劣る訓練機リヴァイヴであるが、操縦者の技量によっては次世代機を相手にしても引けはとらない。無論、真耶とて対峙する生徒に技術面で遅れるはずはない。

 しかし――

 代表候補生止まりとは言えど、己を圧倒しはじめる相手に真耶は内心で動揺していた。

 反応しきれない剣筋、読みが遅れる機体速度。

 とても、一朝一夕で変わるレベルではない。こんな彼を士郎は相手にしてやり過ごしていたのかと思わされるほどに、能力の劇的変化に圧倒される。

 鈍い音を奏で斬撃を防ぐのだが、立場を入れ替えるように巧みに力の逃げ方を混ぜる『白式』に側面を取られ――

「くはっ!」

「――っ!?」

 奇声を上げる一夏に腹を蹴り上げられ、息を詰まらせる真耶めがけ――起動する零落白夜を振り下ろす『白式』ではあったのだが、そうはさせまいと横合いから割り込むシャルロットの『高速切替』が邪魔をする。

「――っ、山田先生、離れてください!」

「デュノアさん、ごめんなさいっ」

 体勢を立て直した真耶もまた銃火器による攻撃で脚止めを狙うのだが、『白式』は意に介さない。

「――効いてない!?」

 驚きに呟くとともに、被弾しながらも『白式』は二機目掛け襲い掛かっていた。

 

 

 肩を怒らせていた束ではあったが、徐々にではあるが冷静さを取り戻していた。

 自身の解せないことが立て続けに存在するのは納得できていない。

 だが――

 白衣を着た女が何者かなど、今はどうでもいいことだった。そんなものは後でいくらでも考えればいいことである。

 束は優先すべき物事を改め、モニターへ視線を向けていた。

 写される映像は、遮断シールド、ならびに隔壁を破壊しこじ開けようと、未だ無駄な行為を繰り返している三人の代表候補生。

「鬱陶しいねぇ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 口の端を吊り上げ笑みを浮かべるが、その表情は悪意に満ちる。

 束個人にとって、イギリス、中国、フランス、ドイツの代表候補生など眼中には無い。だが、それが一夏の周囲をちょろちょろと動き回ることに関してだけは例外であった。

 好意を持って接しているというその態度が容易に知り得ていたが、彼女はいたく気に入らず、酷く不快であり目障りでもあった。

 どこの馬の骨ともわからぬ輩に、いらぬちょっかいを出されるというのは面白くない。

 束が士郎に対して男性操縦者たるその存在を疎ましく思うように、一夏にまとわりつく四人の代表候補生に対しても忌まわしく感じていた。

「…………」

 ここで彼女は厄介な構図を思い描いていた。

 例え話をしよう。

 とある代表候補生が、貴重であるとされる男性操縦者と模擬戦を行っていた際に、たまたま、偶然にも不幸な事故が起きたとしたら?

 意図的に怪我をさせるような行為に及んでいたとしたら?

 その結果、不幸が重なり、男性操縦者が命を落すようなことになったならば?

 他国の干渉を一切受け付けないIS学園とはいえ、男性操縦者を殺めた代表候補生を送り出した各国はどのような責任を取ることになるだろうか?

「そうだねぇ。箒ちゃんのためにも、邪魔な連中をまとめて片付けるのもいいかもしれないねぇ」

 『白式』に手を下させるよりも、ある意味面白そうだとほくそ笑み――

 くつくつと声を漏らし束の指先はキーボードへと伸びていた。

 

 

「動かないで、エミヤん……今、デュッチーたちがおりむーを取り押さえてくれてるから、もう大丈夫だよ」

「…………」

 かけられた声を聴くともなしに耳にしていた士郎ではあったが、ゆっくりと視線は本音へと向けられていた。

「……布仏、大丈夫か? 何処か痛いところはないか?」

「……ううん、大丈夫。エミヤんが護ってくれたから、わたしは大丈夫だよ……それよりも、エミヤんの方が心配だよ」

 言って、本音は制服を脱ぐと士郎のわき腹に当てていた。傷口の止血をするために大した役には立たないかもしれないが、押さえていないよりはマシであると彼女なりに考えていた結果である。

「布仏、汚れるからやめろ」

「…………」

 こんな状況だというのに見当違いな士郎の指摘に――だが、本音は聴き入れなかった。

 白かった制服は、士郎の血を吸い紅く染まる。本音の指先も汚れはするが、彼女はそんなことは構いはしなかった。

「ゴメンね、エミヤん……わたしのせいで、痛かったでしょ……?」

「なんでさ? 気にするなよ……お前が怪我してなければそれでいいんだ。だから、気にしないでくれ」

 そう応える士郎ではあるが、傷口からの痛みに顔をしかめていた。

 触れた彼の身体は極度の激しい熱を帯びている。早く治療をしないとと慌てる本音ではあるが、どうすることもできなかった。

「…………」

 簪も心配そうに伺っていたが、ふと、意識は別の方へと向けられていた。

 万一に備えて、士郎と本音を護れるように機体を立たせていた彼女の表情が――僅かに曇る。

(なに……?)

 『白式』を取り押さえる真耶とシャルロット、二機のリヴァイブではあるが、何処か違和感を彼女は覚えていた。

 真耶が雪片弐型と雪羅を掴み留めているところを、無理やり一夏を『白式』から引き剥がそうとするシャルロットであったが――

「――リヴァイヴが」

 驚きに近いシャルロットの台詞を遮り、フランス代表候補生の機体、『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』は拘束していた『白式』から手を離すとぐるりと向き直る。

 操縦者の操作を無視した自立機動。

 制御下を離れ、意志を持つかのように腕に生み出されたアサルトカノン「ガルム」と重機関銃「デザート・フォックス」。

 一切の操作を全く受け付けない機体。これに慌てぬ彼女のはずが無い。

 士郎を助けるために現れたというのに、これでは『白式』と同様に危害を加えようとしている状況だった。

 強制停止、ならびに強制解除を何度もコールするが、やはり操作の類は何ひとつ認識はされなかった。

「デュノアさんっ!?」

 真耶もまた、シャルロットの突然の行動に反応できずにいた。自身は『白式』の両腕を塞いでいるため動くことができない。

「士郎っ――離れてっ!」

 叫ぶことしかできずに――突如として、シャルロットの駆る機体の銃口が狙い定める先は士郎へと向けられていた。

 刹那に、銃撃が開始される。

「――っ」

 咄嗟に本音を掴み、射撃をかわすために横合いに飛び退き地面を転がる彼ではあるが、身体はガタが来ており無理がたたる。起き上がることができず、極度の眩暈と吐き気に襲われ、口蓋から胃液しか出なかった。

 動かない士郎に対し、必死に抗うシャルロットではあるが、無情にも引き金は絞られ――その射線軸上に機体を滑り込ませていたのは簪だった。

「衛宮くん!」

 『打鉄弐式』を盾にシャルロットの銃撃を凌ぐが、如何せん万全ではない。動くことができなくなった簪目掛けて橙の機体は襲いかかる。

 銃弾を浴びせ、悲鳴を上げる簪に近接ブレード「ブレッド・スライサー」で斬りつけていく。

「簪ッッ――っ!?」

 助けに入ろうと動く士郎ではあったが――

 意思とは裏腹に、ざわりと本能が警鐘を奏でる先へと向けて、行動を起こさせていた。

 

 

 視界の片隅、観客席から蒼い光が閃いたことに、その場に居た者の中で一番早く気がついていたのは本音だった。

 だが、認識できた時には既に眼前に迫り来る蒼光。時間が止まったかのようにどうすることもできず、思わず恐怖に眼を瞑ってしまっていた彼女ではあるが――

 ふわりと、その身を抱かれていることを本音は理解させられていた。

投影(トレース)――」

 ぼそりと呟かれた士郎の言葉が耳に聴こえる。

終了(オン)――ッ!」

 瞬間――

 轟音とともに激しい熱風をその身に浴びる。だが、いつまで経っても己の身に衝撃は何も起こりはしなかった。不思議に思い、恐る恐ると閉じた瞼を開いてみれば、彼女は驚きに眼を見開いていた。

 閃光を食い止めているのは花弁だった。士郎の左腕に優しく抱かれた本音が見たものは、もう片方の腕――突き出されたIS『アーチャー』の右腕を中心に護るように広がるのは、さながら四枚の盾であろう。

 IS『アーチャー』に備わっている武装は二種類のみしかない。双剣と黒弓。本音もメンテナンスに携わっているため熟知している。

 ――はずだった。

「…………」

 追加武装の類であったとしても、こんな防御装備を有しているなどとは聴いていないし、なによりも本音にとって、士郎が個人的に武装のインストールをすることができるとは思えなかった。

 では、これは一体なんなのか?

 不可思議の光に遮られている状況――

 理解できることも、答えられることも無い。無論、本音がこの守り(アイアス)を知るはずもなかった。

 トロイア戦争における、大英雄の投擲を唯一防いだと伝えられるアイアスの盾――

 花弁の一枚一枚は古の城壁に匹敵するとされ、あらゆる投擲武具、担い手により放たれる凶弾に対して無敵とされる結界宝具である。

 眼の前で起きている光景が本音には理解できなかった。

 それでも否応なしにわかったことは二点。紅い花弁が盾のように護ってくれているということ。それと、それを行っているのが士郎であるということを。

「エミヤん……?」

 力なく呟いた本音に応じるわけでもなく、士郎の視線は観客席へと向けられていた。

 

 

 傷ついた身体に鞭打ち、振り払った右腕に従い、眼前に瞬間投影展開されたのは――『熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)』。

 完全に機体だけでは対処ができないと苦渋の判断による魔術行使――

 刹那の間における魔術工程。

 近代兵器を相手に対抗できるかどうかなどはわからない。だが、やらねばならなかった。

 イメージするのは最強の盾。

 しかし、イメージしている時間もなければ、イメージするのに時間も不要である。

 血液という血液が沸騰するかのような錯覚。息を切らせながら、身体中を駆け巡る物理情報と魔術理論――

 撃鉄を起こすように、二十七の全魔術回路に魔力を注ぎ込み起動させる。

 神経そのものが魔術回路になっている士郎にとって、生命力を魔力に変換する肉体自体が苦痛により悲鳴を上げる。しかし、それらももはや些細なことでしかない。

 到達する正にその刹那、魔術展開により大気が震える。

「……っ」

 本音を護りながら、衝撃により四枚の花弁が撃ちこまれていたレーザーを防ぎきりはしたのだが、吐き気を催し、意識が途切れかけたことに魔術工程により造られた盾は消える。

 士郎の視線が向けられた先は、蒼い閃光が放たれた方向へ。

 そこには、今し方砲撃し、特殊レーザーライフル、スターライトmkⅢの銃口を向けているセシリアの姿を捉えていた。

 隔壁が開かれ、一部の遮断シールドが途切れた箇所からステージ内へとなだれ込んでくるのは三機。

 大型青龍刀を連結させた双天牙月を手にする鈴の『甲龍』――

 ワイヤーブレードとプラズマ手刀を展開するラウラの『シュヴァルツェア・レーゲン』――

 レーザーライフルを構え、BIT兵器さえも起動するセシリアの『ブルー・ティアーズ』――

 三人とも、その表情は苦痛に歪んでいた。

「逃げろ、衛宮っ!」

 悲痛に叫ぶラウラの言葉の意味を理解し、士郎の双眸は驚きに見開かれる。

 一直線に、こちらに加速してくるのは『シュヴァルツェア・レーゲン』と『甲龍』である。

 視線は『白式』と『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』へと彷徨い確信する。

「――っ、オルコットたちもかっ!?」

 束による機体操作によって、自立機動させられていることになど思いもしない。先の狙撃においても、『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』を簪へ斬りつけさせたことよって、士郎たちを護る存在がいなくなったところを『ブルー・ティアーズ』に襲わせていただけでしかない。

 幾度もの死線を掻い潜り、こと『死の気配』に関しては敏感に反応する士郎という人間を知らず、侮っていた束にとってみれば、絶好のタイミングでの奇襲が失敗するなど思いもよらないことであろうが。

 僅かに呻き、士郎は瞬時に判断を下していた。

「本音、俺から離れてくれ」

「で、でも……」

「頼むから言うことを聴いてくれっ! いいなっ!」

 本音の返答を聴かず、士郎は向ってくる二機を迎え撃つように『アーチャー』を起動させていた。

 動こうとしない本音の変わりに、己が距離をとり被害を与えないようにしなければならない。ならびに――

 機体を疾らせながらも、彼は両の手に呼び出していた双剣をそれぞれ目的とする場所へと投げつけていた。

 投擲された白剣は、簪へ襲いかかっている『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』へ。黒剣は真耶の拘束を力任せに振りほどき、雪羅による零落白夜のエネルギー爪を今まさに振り下ろそうとしていた『白式』へと。

 しかし、二機とも迫る凶刃を容易く弾くのだが、士郎の目論見は成功している。

 双剣による介入に隙を見逃さないふたり――

 簪は対複合装甲用の超振動薙刀、近接武装の「夢現」で『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』を斬り払い、真耶は至近距離から銃火器による射撃を『白式』に浴びせていた。

 双方の状況を見たわけでもなく、士郎にとっては決して余裕があるわけでもない。ただたんに、真耶と簪ならば、何とかなるだろうという確証があるからでしかなかった。

 結果的に、士郎が望むような好転へと事態は動くことになりはする。

「…………」

 そこで既に彼の意識から簪と真耶のことは頭の中から切り捨てられていた。再度手中に生み出される双剣を駆使し――

 左側面から踏み込む『甲龍』の双天牙月を斬り弾き、右後方から襲いかかる『シュヴァルツェア・レーゲン』のワイヤーブレードを黒剣で絡め受け流していた。

 とは言えど、どんなに攻防に徹しようとも傷ついた身体では多勢に無勢である。いくらISの操縦に手馴れた士郎だとしても、機体基本能力は三機の方が上である。自立起動する故に搭乗者による感情制御が一切なく、振られる剣戟、射撃は正に『必殺』。

 なおかつ、士郎にとっては本気であっても完全な本気になれない要因がある。それは、搭乗者の彼女たちを傷つけないようにとする配慮が攻撃において手心を加える邪魔をしていた。

 こんな状況であるにもかかわらず、優先すべきは他人と考える士郎の思考はこの場においては大きな足枷となっていることに本人は気づいていない。

 さらには――

 『甲龍』と『シュヴァルツェア・レーゲン』の近接武装による脚止め、そこへ死角から『ブルー・ティアーズ』による砲撃。

 二機の斬撃をやり過ごしては射撃線軸上へ誘導され、射撃を警戒すれば逆に斬撃に攻め立てられる。三機の連携に士郎は確実に追い込まれていく。

 と―― 

 すいと掲げられる『シュヴァルツェア・レーゲン』の右腕。

 その意味を理解した士郎は息を呑む。

「――っ!?」

「停止結界だっ! 衛宮っ――レーゲンに起動させるなっ!」

 制御できずに、叫ぶことしかできぬラウラに士郎もまたいわれるまでもなく行動に移っていた。こんなところで慣性停止結界に捕まりでもすれば、それこそ格好の的でしかない。

 振り上げた黒剣、白剣の斬撃に『シュヴァルツェア・レーゲン』の右腕が発動を中断させられる。

 だが――

 黒の機体を相手にしていた士郎の身体に衝撃が走り抜いていた。

 血の流れるわき腹を狙った『甲龍』の蹴りを受け、重い一撃に士郎の口蓋から苦悶の悲鳴が漏れる。骨が砕けるような鈍い音と嫌な感触を身に受けながらも、その場から離れるために機体を動かそうとするが、『甲龍』の挙動は迅速だった。

 そのまま――

 拡散衝撃砲「崩山」を至近距離からまともに喰らった『アーチャー』は吹き飛ばされることとなる。

「うっ……ぐっ」

 炎を纏った弾丸は、龍咆による通常時の「不可視の弾丸」とは大きく違い、威力も増している。直撃した箇所からの熱、ならびに動き続けたことに傷口は更に開き出血も続いていた。

 意識が朦朧とする中、本能的に動いていた両腕が、ラウラのレールカノン「ブリッツ」から放たれていた弾丸を切り払っていた。

「ダメっ――停まって、ティアーズっ! お願いっ! これ以上彼を傷つけないでっ!」

 意に反した機体の行動。

 己は士郎を傷つけるつもりなど毛頭ない。挙句は、自身の手で彼を殺しかねない行為を繰り返している。

 セシリアの叫びに――やはり彼女の機体が応じることはなかった。ならびに、ウインドウに表示される在り得ない数値、BT兵器の稼働率は200パーセントを超えている。

 四基のBIT、ブルー・ティアーズから撃ち放たれる閃光は、唐突に、横合いから弧を描き曲がりくねり士郎へと襲いかかるが――

「ッ、投影(トレース)終了(オン)――ッ!」

 気力を振り絞り、再び展開された『熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)』――

 だが、二度目の投影魔術は、先のアイアスとは比べるべくもなく精密な工程に欠け、脆く杜撰な造りである。展開されたのも三枚の花弁ではあったが、防ぎ止めることはできなかった。例えるならば、役に立たない飴細工レベル。

 結果的に、それらは簡単に撃ち抜かれ、右肩と左脚の装甲に被弾することとなる。

「くそっ……」

 破片を撒き散らし、狙撃によって完全に右腕部、左脚部の反応が途絶えた機体に士郎は歯噛みする。

 今のセシリア自身の技術では、ビット展開と同時に他の武器との連携はできないはずである。操縦者たるセシリアがビットの制御に集中しなければならないためだ。だが、その矛盾を『ブルー・ティアーズ』は事も無げに克服していた。

 主力武装である特殊レーザーライフルで狙撃し、軌道を歪て横合いから襲いかかるBT兵器の連携制御。当然であるが、それらはセシリアの制御下で行われてはいない。全てが彼女の機体『ブルー・ティアーズ』が独立起動して襲いかかっている。

「ふっざけんじゃないわよっ、甲龍っ! あたしの言うこと聴きなさいよっ!」

 焦りを浮かばせながら懸命に機体を操作する鈴ではあるが、意に反したまま、『甲龍』は士郎目掛けて双天牙月を振り上げ斬りかかっていた。

 

 

 凶刃を切り払うが、バランスを崩した士郎めがけて三機はそれぞれ得意とする狙撃武装による狙いを定めていた。

 ロックオンの警告音に息を漏らし呻く彼ではあるが、瞬間、IS『アーチャー』を包み込むように幾何学紋様の魔方陣が展開される。

 撃ち込まれるレーザー、衝撃砲、レールカノンではあるが、それらはことごとくキャスターが展開した魔術障壁によって打ち消され、届くことはない。

 逆に錫杖を腕で旋回させ、放たれる魔力弾が三機を狙うが、瞬時に散開しやり過ごしていた。入れ違うかのように、地表には歪なクレーターが生まれていく。

「カラクリ人形のクセに、避けることに関しては達者じゃない」

 ふわりと降り立つキャスターの声音は静かであり、だが毅然を含んでいた。

 今し方放った魔力弾は手加減などしていない。ステージ内に作られたクレーターがその威力を物語っている。

 キャスターの視線が向けられる先は二箇所。『白式』を食い止める真耶と、『ラファール・リヴァイブ・カスタムⅡ』を相手に奮闘する簪へ。とはいえ、彼女から見ても両者が劣勢であるのは感じ取れていた。

 真耶とシャルロットに対処を任せ、しばらく様子をうかがっていたキャスターではあったが――

 突如として士郎に襲いかかるシャルロット、ならびにステージ内に現れ危害を加えてくる三機という予想外の状況に、さすがの彼女も介入せざるを得なかった。

 フォローに回るべきではあるが、その前に処理しなければならない問題がある。こちらを狙うように構える三機に対してである。

「坊や、下がっていなさい。後はわたしがやるわ」

「待ってくれ……キャスター、お前、あいつらに何をする気だ?」

「おかしなことを訊くわね。邪魔な連中は排除する、それだけよ」

「……っ」

 言葉に含まれる冷酷さを感じ取った彼は咄嗟に彼女の肩を掴み留めていた。

「待ってくれ……それは、殺すってことじゃないよな?」

「…………」

 だが、キャスターは肯定も否定もしなかった。一瞬だけ、士郎へ鬱陶しそうに一瞥を向けたがそれだけである。

 その『応え』に対して、瞬時に意味を理解した士郎は声を荒げていた。

「ダメだっ! キャスター、頼むからやめてくれっ!」

 息を漏らし――説明するのも一々面倒だと思いながらもキャスターは手中に握る錫杖に魔力を込める。周囲一帯に浮かび上がる幾何学紋様。

「坊や、わたしはあなたを護るためにここにいるの。最優先すべきはあなたの身の安全なのよ。そのために、障害となる輩は排除しなければならないの。当然でしょう? 割り切りなさい」

「……納得しろって言うのかよっ!」

「そうよ。どういう理由かはわからないけれど、坊やに牙を剥くのならば、こちらとしても相応に対処するだけよ」

「やめてくれ! そんなことは俺は望んでいないっ! 頼むから待ってくれ! それに、これは――あいつらの意思でもなんでもないんだよっ! 機体が一夏の『白式』と同じようにおかしくなっているんだ! 機体を止めさせえすれば――」

 甘っちょろい台詞に彼女は辟易していた。ぶんと振られた錫杖により、眼前に展開する障壁が『ブルー・ティアーズ』の砲撃を掻き消していく。ついで、牽制も兼ねた魔力弾を撃ち払う。

「本当にそう思っているの?」

「……どういう意味だよ」

「これが坊やの言う機体の暴走ではなく、本人たちの明確な意思だとしたらどうかしら?」

「……そんなことは……」

 絶対に無いとは言い切れなかった。

 何かしらの件で憎まれているとしたら?

 それほどまでに、殺したいほど憎まれるとしたならば?

 確かに、士郎の言うようにセシリアたちの表情から困惑の色がはっきりと窺い知れる。鈴に至っては口汚く罵声を漏らしながらも懸命に機体を操作している。

 しかし――

 キャスターはこの場にいる誰よりも一際冷静であり、冷酷である。

「相手の意思だとか、機体がどうかなど関係ないのよ。事実、襲いかかってくる連中は軒並み始末すればいいだけよ」

「ふざけんなっ! そんなの納得できるわけがないだろうっ!」

「じゃあ、どうするつもり?」

「令呪を使ってでも、お前を停めさせる」

「…………」

 目先の問題を取り違えている相手に、キャスターは本格的に頭が痛かった。

 あくまでも自分より他者を優先する愚かな人間――

 言うがままに、このままでは本当にくだらないことで令呪を使われかねないだろう。

「なにか……なんとかする方法はあるはずなんだ」

「坊や、もうそんなことを言ってる場合じゃないのよ。殺さなければ、殺されるのよ」

「ダメだ!」

 一喝する士郎は首を振っていた。懇願するようにキャスターを見据える。

「ダメなんだよ……そんなことは絶対にダメなんだ、キャスター……頼む、傷つけないでくれ」

「坊や」

 が――

 この少年の頑固、意固地は今にはじまった事ではない。

 非情になれない甘さを持つ魔術見習いだということを再認識させられていた。

 故に――

「傷つけるな、なんていうのは甘い注文よ。本当にどうにかしたいと願うのならば、相手には怪我のひとつやふたつぐらい覚悟してもらわないと」

「……っ」

 言葉の意味を理解した士郎の表情が僅かに緩む。

 相手はこちらに危害を加えようとしているのに、こちらは相手に危害を加えるなとは無理からぬことであろう。

(まったく……どうにもこの子といると調子が狂うわね……)

 不殺を通せとは面倒だと胸中で呟きながらも、未熟なマスターの命に応えるように、キャスターは魔力を練り上げていた。



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幕間7 姉と妹

当作品を『お気に入り登録』してくれている数が2000件を超えました。
ありがとうございます。
これからも当作品にお付き合いいただければ幸いです。


 彼女――篠ノ之箒がアリーナステージ内で起こる異常な状況に直面するのは、士郎と一夏が模擬戦を開始してからある程度の時間が経ってからだった。

 第二アリーナ内で、模擬戦を繰り広げるふたりの姿を見入っていたのは本音やセシリアたちだけではない。箒もまたこっそりと脚を運び観戦していた。ただ彼女の場合は、一夏の態度がおかしいことに疑問を持ち、跡をつけていたのだが。

「一夏……」

 試合は士郎有利となるペースで進んでいたが、流れが突然変わりはじめたことに彼女は驚きを隠せなかった。暴力性が増す一夏の動き。何よりも布仏本音が士郎の傍にいるにもかかわらず、まとめて斬り捨てるかのように襲いかかる『白式』――

 ISを纏いもしない丸腰の生徒まで、相対する『アーチャー』ごと雪片弐型を振りかざす一夏の姿が信じられなかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

「――馬鹿者ッ! 何を考えているんだ、一夏はッッ!?」

 自身でも知らずのうちに携帯電話を手に取っていた箒は、姉の番号へコールしていた。

 数回のコール音を経て、相手が出る。

「姉さんっ!」

「やーやー、箒ちゃん、箒ちゃんからかけてきてくれるなんて、束さんはとっても嬉しいなぁ」

 気楽な声音で応える束。しかし、対照的に箒は切羽詰った声だった。

「姉さんっ、助けてくださいっ!」

「あやっ? 穏やかじゃないねぇ。何々? ちーちゃんにでも虐められた? むむむ、それだったら束さんも黙っていられないよ。愛しの箒ちゃんを虐めるなんて、ちーちゃんにはお灸をすえなくちゃいけないね」

 ぷんぷんと口から言葉を発し、束さんは怒っちゃうよと漏らす相手を――だが、箒は切実に懇願するだけだった。

「お願いします、姉さんっ! 『白式』を――一夏を停めてくださいっ!」

 冗談も耳にしていない妹に、束はノリが悪いなぁと一言漏らすと切り出していた。

「……言っている意味がわからないよ、箒ちゃん。電話をかけてきてくれたと思ったら、いきなり助けてなんてさぁ。何を言ってるのかなぁ? 束さんビックリだよ?」

「姉さん……」

 己が知る一夏は決して力を誇示しない。意味もない暴力を振るう男ではないと、そう信じている。昔の自分のような過ちを行う人間ではないと切に願いながら。

 故に、こんな状況に陥っているのは、一夏の乗る機体自体に何かしらのトラブルがあるからだと考えた上での発言である。

 少なからず倉持技研が開発に関わったとはいえ、最終的に『白式』を手がけたのは束本人である。ならばこそ、彼女が電話越しに声を張り上げたのも、機体に関して如何なる操作介入を施すことなど造作もないことであると読んでのことである。

「箒ちゃん、順を追って説明してくれないと、何を言ってるのかもわからないよ? 束さんだって頭ごなしに言われたら、わかるものもわからないんだよ? いっくんがどうかしたのかな?」

「……一夏がおかしいんです。いや、『白式』が……」

「『白式』が?」

「相手を必要以上に攻撃しているんですっ!」

「ふーん……それで?」

 特に興味のなさそうに返答する姉に、箒は二の句が続けられなかった。

「……それでって、姉さんっ! 一夏の機体がおかしいんですっ! 相手をいたぶるように……まるで殺そうかという動きをするんですっ!」

「へぇ。まぁ、別にいいんじゃなぁい? 話はそれだけ?」

「……別に、いい? 話は、それだけ……?」

 己の聴き間違いかと疑うほどに、箒は相手が口にした言葉を理解できなかった。

(何を言っているんだ、この人は……)

 そんな箒の胸中を知ってか知らずか、束は続ける。

「話の口ぶりからすると模擬戦か何かをしてるってことなんだろうけれど、箒ちゃんさぁ、何か勘違いしてなぁい?」

「……勘違い?」

 ポツリと呟いた姉の言葉を耳に捉えた箒は思わず訊き返していた。

 束は、やはり最愛の妹はわかっていないと気づきながらも愉しそうに声を漏らす。

「模擬戦てのはさぁ、つまるところ、()()()なんだよ? 手加減してやり合ったところで、両者の身につくものかい?」

「それは……」

 口ごもる妹に、姉はくすくすと笑う。

「強くなることに、強くあろうとすることには、他ならない箒ちゃんが一番よーくわかってることじゃない」

「――っ、ですがっ! これはどう見ても異常ですっ! 模擬戦によって、自身が得ることもあれば、自身に足りないことがあるのを知るということは理解していますっ! でも、限度というものはあるでしょう!?」

「まぁ、確かに。それも一理あるかもしれないねぇ。でもさぁ……束さんにとっては、正直どーだっていいと思うことだしねぇ。そんなことを言われても『だから何?』としか思えないことなんだよねぇ」

「……?」

 言っている意味がわからず、箒は咄嗟に言葉を詰まらせ携帯電話を耳元から離していた。

 落ち着くかのように、一拍置いてから改めて電話を手にした箒は訊ねる。

「何を、言っているんですか……?」

「ISには絶対防御があるんだよ? 別に死ぬワケじゃないんだしさぁ。ISに関して、今まで何かしらの死亡事故とかあった?」

「いえ、ありません……それは、確かに……そうですけれど……」

 絶対防御の存在を出されてしまっては箒はそれ以上は何も言えなかった。

 だが、彼女は失念している。絶対防御は搭乗者の生命を護るシステムではあるが、それはあくまでも正常に作動していればの話である。

 束もそれを知った上で口にしているのだが。

 しかし、腑に落ちない点はもうひとつある。通話越しでも嫌なほどに伝わる落ち着きすぎている姉の態度。

 少なからず、一夏が乗っている機体のトラブルだというのに、格別声に変化すらもない。姉にとって、一夏の存在は決して些細なものではないはずだ。

 それなのに――

 他者ならまだしも、一夏のこととなれば逆に必要以上に介入してくるはずの姉だというのに、全く乗り気を感じなかった。まるで、わかっていながら視て見ぬふりをするかのような。

 妙な違和感を拭いきれず、ふと、箒は疑心を持つこととなる。

「姉さんっ……あなたが、何かしたんですか?」

「何かって、何を言ってるのかな、箒ちゃん?」

「…………」

 箒は一瞬言葉を詰まらせる。

 本当に姉は何も知らないのかと逡巡するのだが――

「一夏に何をしたんですか、姉さんっ!」

「束さんを頼ってくれるのは嬉しいけれどさぁ、箒ちゃん、束さんのところから『白式』をどうこうすることなんかできないよ? それに、大切ないっくんを、どうして束さんが何かをする必要があるのかなぁ? 仮にだよ? そんなことをしたとして、束さんに、一体何の得があると思うんだろうねぇ?」

「っ……それは……」

「まぁいいけれど。んー、そうだねぇ。コア・ネットワークを通じて確認してみたけれど、『白式』に関して言えば、特に何かしらのエラーが出てるわけでもないしねぇ」

「……本当に、ですか?」

「むぅー? 束さんが箒ちゃんに嘘ついて何の得があるのかなぁ? ぷんぷん、束さんだって怒っちゃうよ!」

「…………」

 ISを世に生み出した姉であるからこそ、他者のISに介入することなど容易ではないのか。

 何も確証があるワケでもない。そのようなことができてもおかしくはないという偏見による箒の一個人の考えである。

 しかし、そのことに関してはっきりと口にできていないのは、心の底では姉を信じていたからだった。箒自身も、そんなことはしない。そんなことをしても姉には何の得にもなりはしない、と。

 だが、現実は甘くはない。箒は事細かに問い詰めるべきだった。()()()()()()()()

 現に、彼女は平然と妹に嘘をついているのだから。

「機体の方に問題が無いってことになると、後は、純粋にいっくんの意思なんだろーね」

「一夏の意思? 姉さんっ!? 姉さんは、一夏が自分の意思で相手を傷つけているというんですかっ!?」

「んんー、違う?」

「当然でしょうっ!? 一夏はそんなヤツではありませんッ!」

「だってさー、そうとしか思えないじゃん? 心底いっくんは相手にムカついてたってことだしさぁ。余程のこと腹に据えかねたんだろーね」

「そんなことは……」

 嫉妬、苛立ちという言葉を完全に否定することが箒にはできなかった。現に、IS操作性能において士郎が一夏を上回りかけていることに箒は箒なりに気づいていた。

 僻みにより一夏が士郎を快く思っていないという事も、なくはないとしか言えぬ自分が居る。

「でも……うん、そうだねぇ。まぁ、万が一にだよ? 機体トラブルかなにかが原因とみなしたとして、例え何かしらの暴走事故が起きたとしても、然したる問題でもないと思うしねぇ」

「……は?」

 事故が起きても問題はない?

 姉の発言の意図がつかめず思わず間の抜けた声を漏らす箒ではあるが、通話越しの相手も気がついたのだろう。

「あれ? わかんない? んー、箒ちゃんこそさぁ、よく状況を理解した方が良くなぁい?」

「……どういう意味ですか?」

 通話越しに聴こえる姉の含み笑いに些か苛立ちを覚えながら箒は冷静に言葉を紡いでいた。

 相手が何を考えているのか……良からぬことではないようにと願いながらも――だがしかし、予想は裏切られる。

「箒ちゃんと、いっくんにちーちゃん以外の人間がどうなろうと、そんなの知ったことじゃないじゃない」

「――っ」

「そもそも、いっくんが怪我するわけでもないんだし、どうでもいい二番目の男がどうなろうが、束さんは知ったことじゃないし、箒ちゃんが気にする必要もないじゃない。それにさぁ、なんだっけ? なんかもうひとり、二番目とは別の()()がいるよね? ひとりぐらい壊れて使い物にならなくなったって、もう一匹の替えがいるんだし、別にどうだっていいじゃない」

「姉さん……あなたは……」

 震えた声音が箒の口から漏れるが、束は聴いてはいなかった。饒舌なまま彼女は告げる。

「例え動かなくなったとしてもだよ? ゴミはゴミなりに、塵は塵なりに、まだそれなりに使い道も利用価値もあるからねぇ。解剖(バラ)して調べる研究材料(サンプル)にでもなれば、世の役に立って御の字だしね。曲がりなりにも男性操縦者の検体ともなれば、男でISを動かせる謎が解き明かせるかもしれないしねぇ。束さんとしては、ちみっとだけ興味があるよ」

「――――」

 ケラケラと声を上げて笑う束に――

 箒は本格的に言葉を失っていた。人間を――士郎をモルモット扱いし、あげくはランサーまでも予備呼ばわりする姉の考えを理解することはできなかった。箒は士郎を友人だと胸を張って言うことができる。決して人道に反した対象、偏見でなど認識していない。

 告げられた言葉に、箒もまた正常な判断がつかないでいる。

「姉さん……あなたは、あなたは自分が何を言っているのか理解した上で、そんなことを……本気で口にしているんですかッッ!?」

 例え冗談だとしても、許せる範疇を越えている。

 だというのに――

本気(マジ)本気(マジ)大本気(おおマジ)だよ~。こんなことで冗談言ったって、何の得にもならないじゃん? 大体さぁ、模擬戦で何かしらの怪我する事故が起きたとしても、それは単なる『不幸な事故』なんだしさぁ。そんなに目くじら立てることでもないんじゃない? 固い固い、固いよぅ、箒ちゃん? もっーと気楽に考えないと疲れちゃわない?」

「――あなたという人はっ!」

 それ以上姉の声を聴いていたくはなかった。

 姉ならばと、何かしらの方法があればと頼った自分が愚かだったと結論付けた箒は叫ぶ。

「あなたには――あなたを頼ろうとしたわたしが馬鹿でしたッ! あなたには頼みませんッッ! 自分でなんとかしてみせますっ!」

 一方的に切られる通話――

「あーらら、残念。切られちゃった」

 口ではそう呟きながらも、束の顔には残念そうな表情は欠片も浮かんではいなかった。

 刹那に束の雰囲気は変わっている。つい今し方、箒と話した呑気さなど微塵もない。

「そうだよぅ、これは、ある意味箒ちゃんのためでもあるんだからさぁ……箒ちゃんもまだまだだねぇ。取るに足らない一人間如きがどうなろうと関係ないのにさぁ。それに、せっかくの機会なんだから、邪魔されても困るんだよねぇ。いっくんが自分の意思で動いているんだから、その意思は尊重してあげないとねぇ」

 モニターを見越し笑う束の姿など知る由も無く――

「一夏ッ……衛宮ッ……」

 箒は無我夢中のまま、彼女は彼女なりに事態を止めようと行動に移っていたのだった。



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43

 イメージしろ。現実で敵わない相手なら、想像の中で勝て――

 自身が勝てないのなら、勝てるモノを幻想しろ――

 忘れるな。イメージするものは常に最強の自分だ。外敵など要らぬ。お前にとって戦う相手とは、自身のイメージに他ならない――

「…………」

 赤い弓兵の言葉を思い出しながら、士郎は呼吸を整える。

 肩で大きく息をつき――彼の顔色は決してよろしくない。

 横に立つキャスターはそんな士郎に気づきながらも声をかけていた。

「……坊や、わたしが前にあなたに渡した『石』は持っているかしら?」

 『石』と聴き、保健室で渡された、血のように紅く、宝石のような輝き持つアレのことかと理解すると、士郎は僅かに首を振っていた。

「いや、今は手元に無い……ロッカーに置いてある」

 制服のポケットに入れたままだと応える相手にひとつ頷き――

「……ロッカーね」

 意識を僅かに集中させたキャスターの左手には唐突に紅い石が生まれ出る。

 空間転移により士郎のロッカーの制服から移動させていた。それを無造作に士郎へと放る。

「呑みなさい。今の枯渇しきっている坊やの魔力を補うためにも必要よ。それに、わたし独りに任せる気なんて、さらさらないんでしょう?」

「……っ」

 キャスターの声により、意識が向けられた先には真耶と簪を護るように剣を振るう幾体かの異形の姿。本音の傍にも数体がその身を現している。

 竜牙兵と呼ばれる自動人形(オートマタ)というよりも、いわゆるゴーレム(土人形)に近い使い魔たち――

 出来の悪い積み木じみた(竜牙兵)を召喚しているということは、もはやキャスターも形振り構っていられないということか、または隠すことなど既に意味もないと悟ったからか。

 とにかく、竜牙兵たちの動きは、あくまでも的確であり、それでいて機械じみていた。

 だが、真耶と簪を護るには、どんなに散漫な動きであろうとも意味を伴っている。

 『白式』と『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』に各々群がる骨の兵士ではあるが――

 雪片弐型に薙ぎ払われ、高速切替に撃ち砕かれては霧散していく。

 しかし、いかに破壊されようとも、骨の兵士の目的は、真耶と簪を護りぬくことであり、相対する機体を仕留めることではない。倒れては起き上がり、破壊されては修復して立ちふさがるのみ。

 その点に関しては、主たるキャスターの命令に忠実に従っている。

 現に、最初は骨の化物に驚いていた真耶と簪のふたりではあるが、自分たちを文字通り身を挺して護り抜く姿に、どういう理由かはわからぬが――見てくれは不気味さを伴い悪者じみた恰好ではあるが――味方であるということだけは理解できていた。

 教員であり元代表候補生であった真耶はまだしも、模擬戦の数をこなしているとは思えぬ簪を護り抜いていることに対して士郎は幾分安堵の息を漏らすだけ。

「……ああ、すまないキャスター、本当に感謝してる。恩に着るよ」

「安くはないわよ? 『倍返し』にして返してもらわないと割に合わないわ」

「努力するよ」

 軽口をかわし、渡された石を口へ運び士郎は呑み込む。

 ごくりと嚥下し……効果は瞬時に現れていた。渇ききった内面を満たすように広がる魔力の波。

 幾分か持ち直したマスターを確認すると、次にキャスターは機体『アーチャー』に魔術を施す。風を司る魔術で機動力を補っていた。

「イメージしなさい坊や。機体を己の脳だけで動かすの。機械ではなく、自身の身体の一部の延長と見なすのよ。纏わせた風によって、坊やの思うように動かせるはずよ」

「……ああ、なんとなくだがわかるよ」

 口頭だけでの説明であるが、実際に動かして見せる士郎にキャスターは呑み込みが速いわねと胸中で呟いていた。

 そのまま彼女の指は今度は士郎自身のわき腹の傷口へと向けられていた。瞬時に施されたのは部分空間凍結。流れる血も文字通り停まっていた。

 士郎の身体を蝕んでいた熱と痛みも引きはするが、彼女は治癒魔術により障害負荷を軽減させたわけではない。いわば一種の『呪い』で士郎の身体の痛覚を誤魔化しているだけである。失った血液が補充されていることもない。

「手間だけれど、そろそろ機械人形狩りと行こうかしら」

 練り上げた魔力を上空に展開し、魔法陣が宙に浮かぶ。

 帯電する魔力は――頭上から降り注ぐ閃光をすべからく防ぎきっていた。

「くだらないわね。そんな玩具が通用すると思っているのなら、甘く見られたものだわ」

「オルコット……」

 相手を見据えて士郎は呟く。

 砲撃を見舞い滞空する蒼い機体に視線を向けたままの士郎にキャスターは訊ねていた。

「それで、算段は?」

「そんなの決まってる。ひとり残らず皆を救うだけだ」

「……相変わらずの向こう見ずね。一夏という男に偉そうに言って聴かせていたわりには、坊やも変わらないわよ? ああ、違うわね。あなたの場合は、わかっている上でやってるだけに、余計にタチが悪いわね」

「ぐっ……」

 一体何処から見ていたんだと声を詰まらせる士郎に対し、キャスターは続ける。

「あのお嬢さんは坊やに任せるわ。どうやら因縁のようだし。坊やは上を。わたしは下を任されるわ。できる?」

「……できる、じゃないさ。やってみせるよ」

「いい答えね」

 とん、と軽く士郎の胸を手の甲で小突き、目線で行きなさいと物語る。

「凰とボーデヴィッヒは頼んだ。くれぐれも、控えめにお願いするよ」

「それは、相手次第じゃないかしら?」

 キャスターの言葉に頷き、士郎は機体を動かし上空へと昇る。

「さて、それじゃあ……お嬢さんたち――」

 二機へと視線を向ける先――

 だが、眼前には瞬時加速で迫る黒の機体がそこにいた。

 ワイヤーブレードが展開され、プラズマ手刀すら既に振り下ろされている状況。

 にもかかわらず――

「あら?」

 まるで他人事のように呟く彼女を――幾条ものワイヤーブレードは切り裂き、プラズマ手刀は白衣を貫いていた。

 細切れにするかのごとく、紅い花を咲かせたキャスターの身体を蹂躙する凶刃は止まず。胴から腕と脚、四肢を失い、首が切り落とされる。

 原形を留めずズタズタに引き裂かれ、血煙が上がり、白衣の残骸が宙を舞う光景を眼にした本音は悲鳴を上げる。

 ただただ呆然と見つめるのは、凶行に及んだ機体に乗るラウラと、棒立ちではあるが操作を受け付けないことに歯噛みしていた鈴。それと、ハイパーセンサーによる視覚補助により意識を向けていた真耶と簪。

 あまりの光景に言葉もない。衝撃に吹かれてひらりと舞う白衣を見入ることしか出来ていなかった。

 だが――

「話の途中に切りかかるなんて、随分と無粋ねぇ……躾がなっていないようだけれど?」

 一同が顔を上げ……声のする方へ視線を向けた先、そこには何事もなかったかのようにキャスターの姿があった。四肢が欠落してもいなければ、首も刎ねられていない。だが、いつも見慣れた保健医姿と比べれば、ふたつばかりほど違和感があった。

 ひとつは、まるでファンタジー映画に登場する魔法使いが羽織るような紫色のローブに身を包んだ恰好。もうひとつは、そのローブを蝶の翅のように広げ、生身ひとつで宙に浮かんでいたのだから。

 部分展開のIS反応すら感知せず、人間が飛ぶなどそんな非常識な話は聴いたことがない。

 驚愕は更に続く。

 ぽうとキャスターの前面に生まれ出る無数の光。それらは豪雨のように降り注がれる。

 上空から放たれる光弾から逃れるように黒の機体が地を跳ねる。光は地面を穿ち赤く焦がす。直撃でもすれば相応の損傷を受けるのではと息を呑むラウラは肝を冷やすのみ。搭乗者の意思とは裏腹に、滞空する相手めがけて両肩のレールカノンが砲撃するが、キャスターが生み出し飛来する魔弾により撃ちぬかれ空中で爆砕するだけだった。

 相殺すらできぬと判断した黒の機体はその場から離脱するように動き出す。

 だが、その刹那に――

 しなやかに伸ばされたキャスターの腕――指先に収束する魔力を解放させると、高速神言により、さながら見えぬ魔力で編まれた鎖は『甲龍』と『シュヴァルツェア・レーゲン』に絡みついていた。

「悪いわね。恨み辛みはないのだけれど、逃げられても困るし、かといって同様に宙に昇られて坊やを追い回されても面倒なのよ」

 士郎を追いかけるかのように起動しようとした二機ではあるが、飛ぶこともなく地面に縫い付けられたかのようにその場に留まっていた。

 がくんと機体に重圧がかかることにラウラは気づく。

「なんだ……何が起こっている……レーゲンに何が……」

 表示されるエラー。

 極度の重圧が機体『シュヴァルツェア・レーゲン』を襲う。みしみしと――レールカノンの砲身、四肢から歪な音が上がり、機体が僅かに沈む。

 状況が理解できていないラウラに構わず、独立起動する黒の機体は、ただただ抗い動くだけ。

 機体にかかる重圧負荷はあり得ない数値を表示している。その意味は、アリーナ内で己の機体にだけ何十倍もの重力を受けていることになる。

 キャスターが二機に施したのは重圧魔術。士郎を追おうと空へ逃げられぬように。ならびに、ちょこまかと動き回られるのを防ぐためである。

 士郎を追いかけることができぬと判断した『甲龍』は機体を軋ませながらキャスターへ向き直り、ようやくして彼女を敵と認識する。

 邪魔者を排除するために、四門の砲口を向ける『甲龍』に対し――だが、彼女は慌てることもなく、手にする錫杖が鐘を鳴らす。

 と――

 キャスターが前面に展開した魔法陣は計十三。

 虚空に描かれる神言詠唱――

『――ッッ』

 サーチライトのように、紋様中心から淡い紫の光が漏れ出していた。その一陣一陣は二機を捕捉している。

 科学が発達するこの時代、オカルトじみた光景の連続に息を呑み続けるは鈴とラウラ。

 そんなふたりとは対照に――あざ笑うかのように神代の魔術師たるキャスターは、秘蹟を紡ぎはじめる。

「あらかじめ言っておくけれど、お嬢さんたち……殺しはしないけれど、身に受ける衝撃と怪我は我慢なさい。悪いけれど、加減をするのは得意じゃないの。抵抗するのは勝手だけれど……ああ、()()()()()()()()()()()。ごめんなさい、訊くだけ野暮だったわ。せいぜい無様に抗いなさいな。それに、余り時間も掛けていられないの。シャルロットさんと簪さん、山田先生もフォローしないといけないのよ」

 その宣告に、先に蒼い顔となるのは果たして鈴とラウラのどちらであろうか。

 光の矢が放たれ――耳障りな音を奏で、二機を容赦なく呑みこんでいた。

 

 

 空中戦を繰り広げるのは赤銅と蒼。ふたつの機影は絶え間なく交差する。

 高速同士の剣と剣がぶつかり合い、甲高い音を奏で火花が舞い散り――近接武装インターセプターを手にする『ブルー・ティアーズ』は僅かに後退せざるをえなかった。

 その下がった間合いを埋めるように踏み込む士郎は双剣を一閃させていた。

 ぶつかりあう両者の剣戟の数は既に三十――

 二刀による攻撃を――しかし『ブルー・ティアーズ』はショートブレード(インターセプター)一本で巧みにいなす。逆に、これ以上は接近を許さんとばかりに士郎を切り刻まんと襲いかかっていく。

「――っ、はぁ、はぁ――っ!」

 息を吐き、なにも考えずに、ただひたすら前へと進むだけの士郎は剣を振るう。

 響き渡る剣戟。互いの間合いが違えば、速度すらまた違う。

 身を捻るように繰り出された士郎の一撃に押された蒼い機体。だが、今一歩届かない。

 逆に士郎の間合いを侵犯するように、蒼の機体が手繰る凶刃が迫り来る。

「っ――」

 捌ききれぬ剣閃。徐々に加速を伴う猛攻を士郎は苦悶の表情を浮かべながらも、培ってきた戦闘経験と行動予測を頼りに凌ぎきる。

 白兵戦であればまだ自分に勝ち目があると踏んだのだが――

「ぐっ――」

 胸を掠める斬撃に紅が宙に舞う。

 閃光と化した剣の軌跡を士郎は苦悶を漏らしながらも二刀で弾く。ハイパーセンサーによる視覚補助に頼らぬ彼自身の眼が僅かではあるが追いつけなくなっていた。

(だが、完全に追えないわけじゃないっ――まだ、いけるっ!)

 渾身の力を込めて繰り出した一撃は、同じように渾身の一撃を以って相殺される。

 『ブルー・ティアーズ』を相手に接近戦を挑んだ士郎ではあるが、その目論見は通用していない。

 純粋に、近接格闘を不得手とするセシリア自身の能力は一切関係がなかった。

 武装コールも必要としない瞬時展開。今の蒼い機体には、遠距離近距離ともに万全である。行動予想と反応速度を駆使し、肉薄する士郎を凌駕しようと襲いかかるだけ。

 本来の機体性能を十二分に発揮している。

 一夏が乗る『白式』の性能が格段に上がったのは、織斑千冬のIS操縦の戦闘データを外部インストールされているためである。

 対する『ブルー・ティアーズ』と『甲龍』、『シュバルツェア・レーゲン』の三機に関しては、外部インストールの類は成されていない。あくまでも三機が発揮できる最大限界性能を引き出されているだけでしかない。いわば、本来持ちうるポテンシャルを束の手によって弄られ、極限までの最適化を施されているだけとなる。

 搭乗者の意識集中により、武装の同時使用ができないという問題点を突破した今の『ブルー・ティアーズ』に隙は皆無。

 旋風のように繰り出された一撃を受け流し――だが、バランスを崩す士郎は瞬時に体勢を整えると、臆することなく双剣を構え疾駆する。

 呼吸を乱し、肉体は既に疲労が募り動きすら衰えが生じはじめていた。疲れを知らぬ自立起動(ブルー・ティアーズ)との大きな相違。

 このまま戦闘を続行したとしても決着がつくのは必然であろう。だがそれは、純粋な実力差ではなく、時間という概念によってであるが。

 

 

 互いの剣が打ち弾き、二機の間合いが離れ――

 黒弓フェイルノートから奔る何条もの『弾丸』は、正確無比に蒼い機体の武装を射抜くべく襲いかかる。

 機関銃のように掃射された矢は――だが、ことごとく自立機動兵器に撃ち落されただけだった。中には偏向射撃によりまとめて撃ち捨てられたものもある。

「――っ」

 息を漏らした士郎は装填された矢を構えようとするが、思考を必要としない『ブルー・ティアーズ』は動きの移行が断然早い。

 逆に赤銅機体を狙撃するべく撃ち放たれた蒼い閃光。

 鷹の眼にも近い士郎の動体視力は、一分の狂いもなく矢で迎撃し、それらすべてを相殺していた。

 銃と弓、似て異なる遠距離武装の攻防は変わらず。

 しかし、意思なき機体に手繰られる搭乗者――セシリアにはこの戦闘の結末が容易に予想出来得ていた。度重なる連戦を経て消耗した肉体と精神、元々性能の劣る機体が動いていることすら不自然なほど。

 対する『ブルー・ティアーズ』は実験機として本来なら十全に扱うことが困難な性能を遺憾なく発揮し、一個体で一軍を相手取れるほど特化している。

 当事者でありながら、蚊帳の外に締め出されたからこそ、士郎よりも冷静に事の推移を図ることができていた。セシリアには、このままでは自身の機体によって葬り去れられる士郎の姿が視えていた。

 故に、彼女は声を張り上げる。

「もういいですからっ! もう――もう、おやめになってっ! 衛宮さんっ! 今のあなたでは、ティアーズを相手にするのは無理ですっ! ですから、どうか――」

 逃げてくださいまし――

 懸命に叫ぶオルコットに対し……士郎は顔を向ける。

 ついで――彼女は己が眼を見開いていた。

 見入る視線の先、士郎は、ただ二コリといつもの様に笑う姿を捉えていた。。

「大丈夫だ、オルコット……お前を――その機体を停めてみせる」

「衛宮さん……」

 ビームを掻い潜り、偏向射撃を斬り弾き、蒼い機体へ疾るのだが、今一歩のところをミサイルに阻まれる。

 機体を損傷させながらも、それでも士郎はあきらめもせずセシリアの元へたどり着こうとする。

「どうして……」

 ぽつりと独りごちるように呟き彼女。

 眼前で繰り広げられる光景。

 自身の意思に伴わず、繰り出される精密射撃に士朗は損傷を最小限に抑えながらも空を翔る。

「どうして笑えますの……どうしてそこまで傷ついていらっしゃいながら、わたくしなどに構いますのっ!?」

「……言ったろ、オルコット……まずは、お前をその機体から降ろす」

 開放回線(オープンチャネル)越しに交わされる会話――

 歪曲する閃光を斬り払い、ひとつ息を吐き出し呼吸を整える。

 あまり時間をかけてもいられない。己の身体のことは己自身が一番よくわかっている。

「どうして……どうしてですのっ!? どうしてそこまで……あなたにとっては、わたくしは憎くて嫌な相手のはずでしょう!? お忘れですのっ!? わたくしがあなたに対して告げた言葉を――」

 自分ごときを助けようとする士郎の行動に、セシリアは理解できないでいた。

 この場で彼が逃げ出しても誰も彼を咎めはしないだろう。ここまで傷つき、それでも助けようとする意味も理由も存在しないはずである。

 だが――

 士郎は淡々と応えるだけだった。

「だから、どうした?」

「…………」

 そう当たり前のことのように応える相手の言葉に彼女は二の句が告げられなかった。

 顔を上げ、士郎はセシリアを見据えるのみ。

「オルコット、お前が俺を気に入らないのはわかる。好く思っていないのも知っている。でも……それでも、友人を助けるために、理由なんてものは必要ないだろう? それにだ……俺は、お前を憎んでも嫌ってなんかもいない」

「――っ」

 その言葉は、セシリアの胸を深く抉る。

「友人? あなたは、こんなわたくしを友人と……そう思っていらっしゃるというの? そのために、敢えて傷つくと仰いますのっ!? わたくしなどのためにっ!? そんなことのために――わたくしの機体が、あなたを傷つけているというのにっ!?」

「ああ、そうだ。だから――」

 息を吐き、表情を一変させ、士郎は告げる。

「気にするなよ、()()()()。お前が言いたいことは後でいくらでも聴くからさ……今は、みんなのところに帰ろう」

 

 

 ふたりのその会話のやり取りは、コアネットワークを通じて全て束の耳にも聴こえている。

 くだらない。実にくだらない。

 塵芥風情が、一丁前に友人のために命をかける?

 虫唾が走る――

「心底くだらないねぇ。なら、その『友人』てヤツに殺されろよ」

 友人のために命を落すようなマネにでもなれば、さぞかし本望であろうと束は結論付けていた。

 それに――

 この男の本性を暴いてやる。

 土壇場まで追い込まれてこそ、人間の酷く醜い本性は曝け出され露になる。

 上辺だけの綺麗事を述べるこの男も、いざ実際に窮地に立たされでもすれば、我が身可愛さのあまりに薄汚い姿を晒すはずだと彼女は嘲笑を浮かべていた。

 

 

「やめてッ――やめてえええぇぇっっ!!」

 突然狂い出したように、頭を押さえてセシリアは苦しみ出していた。

 脳内に流れ込む、どす黒い感情――

「わたくしは、わたくしはそんなことは望んでいないっ――」

 脳裏に響く負の感情。

 恨み、嫉み、怨嗟、憎悪、自棄、破壊衝動――

 男がISに乗ることなど許されない。

 己は、あの男(衛宮士郎)を憎んでいる。

 恨め、憎め、必要であれば殺してしまえ――

 囁かれる言葉に――しかし、セシリアは髪を振り乱し叫び、違うと連呼していた。

「オルコット……?」

 突如苦しみ出すセシリアの姿に、士郎は似たような光景を思い出していた。

 それは、復讐者(アヴェンジャー)のサーヴァント、この世全ての悪(アンリマユ)との契約の影響に呑まれる桜と同じように――

「うるさいっ――うるさいうるさいうるさい、うるさいッッ!!」

「オルコット――ダメだ、聴くなっ! 耳を貸すなっ!」

 叫ぶ士郎の声に、セシリアはびくりと身体を竦ませるが――

「あなたが……あなたがいたから? わたくしはあなたを憎んでいる? あなたが……あなたさえいなければ……あなたが、あなたがあなたが、あな、あなたが、あな、あなた、が……」

 植えつけられるように感情を一方的に改竄されていく。彼女が思っていようが、心になかろうが、そんなことは関係がない。ただ望むがままに染め上げられるだけとなる。

「あなたさえいなければっ――」

 顔を押さえ、覗く片眼からは禍々しい憎悪の色を灯らせながら。

 だが――

「だめ……逃げて、衛宮さん……お願いですから……」

 頭蓋を割られるかのような激痛を堪えながら、片眼から涙が伝い、懸命に腕を伸ばす彼女の手に――握られるのは、特殊レーザーライフル、スターライトmkⅢ。

「――っ!?」

 声を漏らしたのは、セシリアか士郎か。

 至近距離からの砲撃を――だが、一瞬にして士郎は斬り払っていた。

 顔の半分は狂気に染まり、もう半分は悲しみに染まるセシリアの口がゆっくりと動き――

「……助けて……()()()()……」

 力なく呟かれた言葉が、士郎の行動の引き金となる。

「ああ、今助ける。だから、もう少しだけ我慢してくれ」

 こちらの攻撃に即座に反応し隙を見せないというのならば、無理やり隙を作らせ綻びを生じさせるしかない。

「…………」

 眼を瞑り、一度大きく息を吐く。

 極限まで意識を集中させ、体内の魔術回路に魔力を通し流し込む。

 乱れた呼吸を一息で正常に戻し士郎。

 投影は、息吹が乱れてしまえば行うことができない。投影速度と精度が落ちた時点で負けが決まる。

 故に、この戦いは『ブルー・ティアーズ』との戦いではない。言うなれば、己自身との戦いである。

「――投影(トレース)開始(オン)

 内界に意識を向け、魔術回路に創造できる限界まで設計図を並べていく。

 記憶を頼りに外見から読みとった内部構造。引き出された創作思念に構成材質を選び出し――

 当然では在るが、負荷をかけた身体に代償は伴う。

 口から血を吐き出し、視界の一部に亀裂が生じて紅く染まる。

 本来、彼が得意とする投影は通常回路にひとつ、良くてふたつしか入らない。それを、複数の魔術を走らせている。

 短絡的に考えただけでも、それがどれほど難しいことを意味しているのか、同様にどれほどリスクがあるのかも理解している。

 結果――

 無理無茶無謀であろうとも、衛宮士郎の信念に歪みは無い。

「――憑依経験、共感終了」

 多大な負荷を身に受けながら工程を押し進める。

 流出する魔力に骨格が耐え切れない。幾ら魔力に余裕があろうとも、根本たる士郎の魔術回路自体が悲鳴を上げる。

 頭部から頬を伝わる鮮血。

 血の混じった胃液がせりあがり、口元を汚す。

「――工程完了(ロールアウト)全投影(バレット)待機(クリア)

 身体は内面から撃ち出す『剣』の衝撃に激しく揺さぶられる。

 溢れ出すイメージを懸命に保存しながら……回路は既に焼き切れる限界であろう。制御ができなくなれば、士郎の身体は内側から生み出される無数の刃によって崩壊するだけでしかない。

 『ブルー・ティアーズ』の自立機動に振り回され、成す術もなく状況を魅入らせられていたセシリアは言葉もない。

 士郎を――否、IS『アーチャー』を中心に、宙に現れるのは、ひとつひとつの形状が異なる無数の剣。

「っ――停止解凍(フリーズアウト)全投影連続層写(ソードバレルフルオープン)……!」

 叫びとともに投影された無数の剣が撃ち放たれる。対象は、蒼の機体の脚止め、ならびに自立機動兵器への牽制である。

 撃ち放つたびに投影し複製する。放てば放つほど減った数を瞬時複製する士郎。

 しかし、それでも自立機動兵器の狙撃が勝り、士郎へと迫る。

 と――

 偏向射撃が士郎の身体を撃ち貫く姿を想像したセシリアの感情が爆発する。

 そんな情景は、絶対に認めることなどできるはずがない。

「ダメ――ダメぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ」

 あらん限りの声音で叫び彼女。そして、変化は唐突に起こっていた。

 歪曲して四方から士郎に襲いかかる閃光は、そこから更にねじれ、あらぬ方へと逸れては遮断シールドに当たり散っていた。

「――っ」

 セシリア自身も気がついていない。僅かではあるが、BTシステムに干渉制御し、軌道を曲げていたのだから。

 ここに来て制御下を取り戻そうとする彼女の精神力が機体操作に影響を与える。それは、束にとっても予想外の出来事でもある。

 砲撃の止んだ自立起動兵器は沈黙を保ったまま宙に浮いていた。何とか士郎から遠ざけようとコントロールするセシリアであるが、干渉はそこまで。

 彼女の意思に逆らうように、再びの独立起動が展開される。

 だが、それでも懸命に抗うセシリアもまた自立起動兵器の制御を掌握しようとし、自身の周囲へ滞空させる。

 時間にしてみれば、それは僅か数瞬ばかりの出来事だろう。

 しかし、その好機を士郎は見逃していなかった。

「――――」

 まだ届かない。

 決め手に欠ける。

 あくまでも創り出す刀剣は脚止め。そこから先に踏み込むには、もう一手を加えるしかない。

 クリアとなる思考。己の身体を十分把握しながらも物質投影を開始する。

 創造の理念を鑑定し――

 基本となる骨子を想定し――

 構成された材質を複製し――

 製作に及ぶ技術を模倣し――

 成長に至る経験に共感し――

 蓄積された年月を再現し――

 あらゆる工程を凌駕し尽くし――

「――っ」

 故に――

 そのもう一手を生み出すために、士朗は全魔力を左腕に集中させていた。

「――投影(トレース)開始(オン)

 寸分違わずイメージするのは、鉛色の巨人が操る斧剣。

 通常の生身の腕では扱えない。だが、今の自分はISというパワーアシストがある。

 IS『アーチャー』の左手に、架空の柄が握り締められる。外見通りの常識から逸した巨重すら精巧に複製される。が、この再現だけではまだ足りない。

 一切の迷いも見せず、眼の前のひとりの少女を助けるために、彼は更に魔術回路を起動させ――

 ボロボロの身体にありったけの熱を注ぎ込み奮い立たせる。

「――投影、装填(トリガー・オフ)

 極度の眩暈に吐き気が襲う。しかし、そんなものはどうでもいい。

 限界を超えた魔術行使により、血液が脳を圧迫し、激しい頭痛が襲う。

 それでも――

(壊れた部分は後でどうにでもなるっ――今はっ)

 己の身体が悲鳴を上げようが、損傷しようが、関係がない。一刀の下に叩き伏せるには、体内の魔術回路をフル稼働させる必要がある。

 自立起動兵器はセシリアから制御を奪い返し、『ブルー・ティアーズ』と共に士郎へと迫る。

 全てが手遅れになったように思われた刹那、万物の時がその一撃により彼方へと追いやられる。

 叫びを上げ、踏み込むと同時に繰り出されたのは八閃――

全工程投影完了(セット)――是、射殺す百頭(ナインライブズブレイドワークス)

 四基のレーザービット、二基のミサイルビット、スターライトmkⅢ、背面スラスター二基――

 神速を以って、狙う八点を破砕する。

「――ッッ」

 主要となる武装を潰され、メイン推進力を破壊された蒼いISは、衝撃に機体が維持できず、空中で分解するかのように――

 蒼の破片を撒き散らし、宙に放り出され、落下するセシリアを士郎は抱き受けていた。



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44

「あー、だりぃー、寝てぇー、釣りしてぇー、煙草吸いてぇー、缶コーヒー呑みてぇー」

「静かにしていなさい、ランサー」

 横でぼそぼそと愚痴を零すランサーに対し、セイバーは眉をしかめ声を細めて注意する。

 だが、そんなことで素直に従う彼ではない。今度は逆隣に立つ千冬に視線を向けていた。

「なぁ、吊り眼のねーちゃん、煙草くれや」

「あるわけなかろう。大人しく、黙って静かにしていろ」

「帰りてぇー」

 小声で叱責されるが、やはりランサーは聴き流すだけだった。

『…………』 

 議論されている話を真面目に聴き入っているのはふたり。セイバーと千冬である。

 既に独りランサーは退屈そうに隠すことなくあくびすらしている。開始五分も経たぬ時点で委員会の話などもはや聴いてはいない。

 しゃんとしなさいという意味を込めてセイバーに肘でわき腹を突かれるが、当のランサーは気にも咎めていない。

 先から会話のやり取りを交わしているのは千冬と委員会メンバーだけだった。

 片やランサーの相手をしながらも、千冬は見事に委員会の会話を途切れさせることなく続けていく。

「……では、生徒や一般人に被害を出させても良かったと、あなた方は、そう仰りたいのですか?」

「そうは言ってはおらんよ。少なからず、他に方法がなかったのかと言っているんだ」

「ではお訊ねしますが、どのような手段が適切だったのでしょうか? ご教授いただけますか?」

「まぁ、待ちたまえ。当人からもよりよく聴こうじゃないか。ランサーくんと言ったかな? 君が独断で行動した事に関して、何か申し開きはあるかね」

「あー? まぁ、別にねぇなぁ」

 唐突に話を振られたランサーではあるが、特に意識した素振りも見せなかった。退屈に拍車がかかり、いよいよ居眠りでもはじめようかとしていた矢先のことであり、内心ではようやくかと捉えてもいた。

 不遜な態度をとる相手に気を悪くすることもなく、委員会メンバーは続ける。

「……追撃に対してだが、教師に一任しようとは思わなかったのかね?」

「任せるっつったてもなぁ……」

 鼻で笑うランサーは、頭を掻きながらつまらなさそうにモニター越しに映る各国の主要委員会メンバーを一瞥していた。

 どいつもこいつも胸糞悪い面構えをしてやがる――

 それがランサーが感じ取ったメンバーの第一印象であり、腹に一物あるといった態度が見てとれる。故に、五分も経たぬうちに興味すら完全に失せたランサーが心此処にあらずと振舞う要因ともなるのだが。

「学園祭が行われてる中、派手に暴れられねぇだろう? 大体、人を呼ぶ時間もなかったしな。それに、挑まれりゃ受けるのが俺の信条なモンでね」

「……反省はしていないのかね?」

「その反省ってのはよ、どのことに対して言ってんのかねぇ? 勝手な行動をとったことか? ISを規定外域で起動させたことか? それとも、相手のISを仕留めることができなかったことに対してか?」

「…………」

 相手は無言。ランサーは口の端を歪ませ続けていた。

「まぁ、アンタらお偉いさん方がにとってみりゃ、どうして相手をとっ捕まえられなかったのかってことを言いてぇんだろうがよ。悪ィな、期待にそえられなくてよ」

「……やめろランサー、お前は訊かれたことだけに答えろ」

 横に立つ千冬の指摘にランサーはへいへいと軽く返答していた。

 僅かに動き、ランサーにだけ聴こえるように千冬は声をかける。

「下手に挑発はするな。思うことや言いたいことはあるだろうが、穏便に済ませろ。今この場で無駄な波風を立てることもない。会話は全て録音されているんだ。頼む――」

 お前たちのためにもな――

 千冬の囁きに、ランサーは苦笑を浮かべながら頷いていた。

「あー、すまねぇな。反省してるかと問われりゃ、俺個人の勝手な行動が問題になったことは大いに反省してるぜ?」

「ふむ……興味深い報告を受けたのだがね。なんでも、生身で相手のISとやりあったというのだが……にわかには信じられないことではあるが、これは本当かね?」

「……本当かも何も、相対したのは事実だがよ? 生身でISをどうにかできると、アンタ自身は本気でそう思ってんのか?」

「…………」

 逆にランサーに問われた委員会メンバーは口を噤む。

 考えるまでもない。

 この世界において、ISを相手に生身でどうこうすることなどできるはずがない。それは必然であり、定説である。

 そう、()()()()()()()()()()、であるが。

 相手が無言のままなにも言い返してこないことを確認してからランサーは続ける。

「つまりはそういうこった。更識の嬢ちゃんと一夏の兄ちゃんが戦闘してるのを、俺は見てただけでしかねェよ」

「確かに、ISのログが示しているのは件の二機ではあるが……」

 学園側が提出したデータ、ISログは筋が通っており、なんらおかしなところはない。だが、それら全ては改竄され隠蔽された記録である。

 無論、委員会メンバーも提出されたデータが偽造されているということはわかっているのだが。

「では……その場に居合わせたという件を、今一度、君の口から説明してもらえないだろうか? どういう経緯かね?」

「クラスの催しで男手が足りなくてな。アリーナの演劇のイベントに参加してるっては聴いてたが、さすがにクラスの方を優先するべきとして連れ戻しに行ったわけだよ。そうしたら――」

「偶然、所属不明のISと戦闘している場に出くわした、と?」

「ああ。アリーナステージ側は防音設備が整ってるようだが、俺が探していた側からすりゃ派手な音を立ててやがったもんでね。何事かと気になるのは人間の心理としては当然だろう?」

「…………」

 顎に手を当て、無言のまま――沈黙が場を包む。

 千冬はしかり、セイバーもまたよくもそこまで行動とは全く裏腹の嘘を平然とした顔で並べられるものだと感心していた。

「率直な意見を訊きたい。君から見て、相手のISはどうだったかね?」

「どういう意味合いでのものかは判断しかねるが、ただの機体だとは思わねぇなぁ」

 含みのある言い方をする相手に、アメリカ代表者は問いかける。

「ほう? それはどうしてかね?」

「殺すつもりで向ってこられてんでね。とてもスポーツという概念とは思えぬ殺気を受けたもんさ。事実、更識の嬢ちゃんは絶対防御に包まれていながら腕をやられたからな。ただのISとは同類とは、とてもじゃねぇが考えられねぇよ」

「……対IS用ISの武装、ということでしょうなぁ」

「二機がかりでも取り押さえることはできなかったのかね?」

 神妙な面持ちで呟くイタリア代表者、疑問を口にするドイツ代表者。

 ランサーは「ああ」と応え続けていた。

「後から聴いた話だが、一夏の兄ちゃんはロクに相手もできずにボコボコにされてたところを更識の嬢ちゃんに助けてもらったんだが、嬢ちゃんも護りながら戦ってたようで劣勢だったそうでな」

「そこに、君が来たからこそ状況が変わった……ということかね?」

 ギリシャ代表者の問いかけに、ランサーは苦笑を浮かべて肩を竦めて見せていた。

「変わったといえば変わったろうな。ちょろちょろ動く『的』が現れりゃ、相手の意識も集中しねぇ。そこを嬢ちゃんと兄ちゃんは見逃がさず、二機がかりで追い返したってワケだよ」

「……では、何故、君が追いかけたのかね? 追い返すことに成功したなら、そのままでもいいと思わんのかね?」

 続けて訊ねるギリシャ代表者のその問いかけに――

 だが、ランサーはハンと鼻で笑い、粗暴な表情を浮かべていた。突然豹変する男に、モニター越しとはいえ気圧され、うろたえる幾人かの委員会メンバー。

 ひとりひとりの顔をうかがうかのように見渡してからランサーは淡々と応えていた。

「たいした理由じゃねぇが、ふたつある。ひとつは、ふたりをいいように怪我させたことが気に入らなかったこと。それともうひとつは」

 じっと見入り――

「野放しにして、他の生徒や客やらに被害が出たらコトだろうってなトコだよ」

「…………」

 質問をしたギリシャ代表者に視線を戻し彼。

「アンタらの家族が見知らぬ輩に暴行されたとしたらどうだ? その輩はまだ追いかければどうにかできる状況だとしたら? それでもアンタらは何もせずに動きはしねぇか?」

「…………」

「俺は我慢ならねぇから追いかけた。それだけだよ」

 つまらなそうに言い捨てるランサーに、沈黙を保っていたアルゼンチン代表者は眉をしかめて口を開く。

「……それで『打鉄』を起動させて追撃したというのかね」

「ああ」

「織斑くんの制止を振り切ってまで追撃したと?」

「そうさ。ドタマにきてたもんでね」

 ランサーが告げる嘘に千冬は胸を痛めていた。事前のやり取りでは交戦を許可した話をそのまま通せと千冬は口にしていたが、それを否としたのはランサーとセイバーだった。

 馬鹿正直に事実を告げれば、相手連中は鬼の首を取ったかのように責め立て追求してくることは予想できる。殊更、千冬の立場がおかしなものになることを良しとしなかったためである。

 結果、千冬の制止を振り切り勝手に行動したという流れに落ち着いているのだが。

 『剥離剤(リムーバー)』により、一時的とはいえ『白式』のコアを奪われたことは伏せている。奪われたということ自体が国際委員会連中の耳に入れば更に面倒なことになるのもわかっているために。

「だが、だからといって君の下した判断は適切だったとは到底思えんよ。もしも市街地戦にでもなったらどうするつもりだったのかね? 無用な被害が出るとは考えつかなかったのかな?」

「まぁ、その点に関して言やぁ考えていなかったワケじゃねェよ。海上に誘い込んで速攻で仕留めるつもりだったモンでね」

「随分な自信を持っているようだが?」

「自信がねぇなら追いかけねェだろ? 俺は仕留めるつもりで追撃しただけさ」

「……まぁ、その話は置いておくとして……ひとつ、本当に個人的な意見であるのだがね、あくまでも参考程度のもので質問したいのだが、いいだろうか?」

 モニター越しだというのに、わざわざ手を挙げて発言の許可を求めたのはスイスの代表者だった。

 ランサーは頷き応じるだけ。

「かまわねェよ」

「ありがとう。その……なぜ『打鉄』だったのかな? 同じ量産機とはいえ、機動力が優れているのは『ラファール・リヴァイヴ』だろう? どうして『打鉄』を選んだのかと思ってね」

「あー、別に意味もないさ。眼の前にたまたまあったのが『打鉄』だったんでそれを起動させただけだ。逆に『ラファール』てのがあったとしたら、そっちに乗ってただけの問題だよ」

「……意図しての理由は……」

「ねぇよ。追いかけるために機体の選別なんてモンは頭ん中にはねぇし、ISであればどれでもいいってな程度だぜ? ンなに深読みされるコトかねぇ?」

「すまない。参考になったよ」

 本当に、特に意味もない質問のように思われるが、委員会メンバーの胸中は穏やかではない。なによりも、ランサーが乗ったのは紛れもない一訓練機の防御重視とされた『打鉄』である。それを乗りこなして追撃をしたというには明らかに説明がつかない要点は二点ほど生じる。

 ひとつは機体速度。

 同じ第二世代型ではあるが、搭載スペックは上回る『アラクネ』を追撃したとはいえ、あくまでも『打鉄』は防御重視を生業とされた機体である。最大限界加速は同じ量産型の『ラファール・リヴァイヴ』と比べても劣るはずだった。にもかかわらず、各国へ配布された資料における記録された戦闘データ数値は理解の範疇を超えるものだった。

 もうひとつは機体維持。

 報告によれば、IS学園に戻ってきたランサーが駆る『打鉄』の機体は、ほぼ半壊に近かった。いつオーバーヒートを起こしてもおかしくない状態であり、四肢のほとんどは反応が途絶えている。にもかかわらず、この現状でありながらも亡国機業の操る三機のISを相手にしていたというのだから。

 この報告には各国はランサーの機体操縦レベルに絶句するのは言うまでもない。

 これほどの腕を持つ男性操縦者を野放しにしておくことなどできるはずもなく、各国こぞって抱き込もうと躍起になっているのは言うまでもないことなのだが。

 査問委員会というのも名ばかりであり、実際のところは、ランサー、ならびにセイバーと交流を持ちたいのが各IS国際委員会の目論見である。

 フランス代表者が口を開く。

「セイバーくん、我が国の貴重な代表候補生を、君が独断で連れ出したそうだね? そのことについて――」

「待ってください。それは以前にも申し上げたハズでしょう? 彼女は、最善の策を講じたために――」

「織斑くん」

 割って入る千冬を煩わしそうに、それでいてやんわりとフランス代表者は一喝する。

「一学生にそのような権利があるのかね? 緊急事態だというのはわからなくはないが、まずは教員に相談するというのが筋というものではないのかね?」

「……っ」

「それに、わたしはセイバーくんに訊いているのだよ。是非とも、彼女の口から真相を説明してもらいたくてね」

 優しい口調ではあるが、安易にお前は黙っていろという意思がひしひしと感じられる。

 口を噤む千冬の拳が握り締められ震えていることに気づきながらもセイバーは――あくびを噛み殺しだるそうにしているランサーもだが――事も無げに答えていた。

「以前お話した内容に変わりはありませんが?」

「構わんよ。改めて聴かせてもらいたい。独断で我が国の代表候補生を連れ出したことは事実であるのかね?」

「ええ、わたしが連れ出しました」

 厳しい口調で問い詰められるが、セイバーは臆することもなく相手を見据え返答する。

「それは、なんのためにかな?」

「なんのため?」

 この投げかけられた言葉にセイバーは思わず口元に笑みを浮かべて聴き返していた。

「これは異なことをお訊きになられますね。友人を助けるために、助力を仰いだだけですが? それと、何故シャルロットを連れ出したのかと問われれば、彼女のIS操作能力が高く頼りになるからです。わたしひとりでは無謀であるとも、彼女の力添えがあればことなきを得ると踏んだからです。フランス代表候補生としての彼女の実力は素晴らしい。その彼女を抱えるフランス国である貴方は、シャルロットの素質を軽視しているというのでしょうか?」

 セイバーなりの皮肉を込めた返答に――

 フランス代表者は、ひとつ咳払いをして切りかえしていた。

「……だが、結果はどうかね?」

「仰られるとおりです。弁明のしようがありません」

「軽率であった、とは認めるのかね?」

「無論です。状況を甘く捉え、事の慎重さを見誤ったことに関しては、わたしの落ち度であり、紛れもない事実です」

「ふむ……」

 何かしら言い返してくると思っていただけに、素直に頭を下げるセイバーに――フランス代表者は些か虚を衝かれてしまっていた。更に言えば、とても歳相応の少女の顔つきではない。言い表すことのできぬ雰囲気に呑まれたフランス代表者は、内心の動揺を悟られまいと、それでもなんとかイニシアチブをとろうと手元の資料に視線を落す。

「君の適正能力、調べさせてもらったよ。中々素晴らしいデータだ」

「…………」

「これほどまでの適正能力がありながら、相対したISを倒し、捕縛することはできなかったのかね?」

「はい。相手は予想以上に実力を持った者たちでした。それに、あの状況においてはシャルロットの身を第一にと考えての結果です。相手を倒すまでには至りませんでした」

「……なるほど」

 セイバーの発言に対し、はたして何人の国際委員会メンバーはフランス代表候補生の存在を軽視していたことか。

 口には出さぬが、代表候補生よりも亡国機業の機体、搭乗者を捕縛することを優先しろと思うところであろう。

「そのことに対してだが……デュノア社側から、どうしても君から話を訊きたいと申し出があってだね。すまないが、回線を繋いでもらってもいいだろうか?」

 しかし――

「お待ちください」

 声を割り込ませたのは千冬である。この場においてデュノア社の名前を出されては彼女は黙ってはいなかった。

 デュノア社がしゃしゃり出てきてセイバーに難癖をつけてくることなど眼に見えている。故に、そんなことは黙認できるわけがない。

「お話が違いますが? この査問委員会は、関係者のみということでしたよね?」

「関係者だとも。シャルロット・デュノアは、我が国フランス代表候補生であり、デュノア社の御令嬢でもある。既に先方に話は通してある」

「…………」

 御令嬢とはよく言う――言葉を並べれば済むと考える浅はかさに、千冬は苛立ちを募らせるだけだけだった。

 加えて、用意周到にデュノア社を待機させている態度が気に入らない。

 睨みつける千冬に悪びれた様子も見せず、フランス代表者は口を開く。

「そんな顔をしないでくれたまえ。いやいや、わたしどもも丁重に断ったのだが、如何せん、デュノア社も強固でね。まったく、参ったものだよ」

「…………」

 ぎり、と千冬の口蓋から歯が軋む音が鳴る。

 くだらん嘘をべらべらと、どうせ政府も絡んでいるだろうにと彼女は胸中で罵倒していた。

「反故になさるというのならば、こちらも此処で打ち切ります。任意というお話のハズでしたよね? セイバー、ランサー、帰るぞ」

「まあ、待ちたまえ織斑くん。向こうもせっかくの機会であるのだから、話ぐらいは」

 だが――

調()()()()()()()?」

 向き直り、厳かに口を開いた千冬の表情は怒りに満ちている。憎悪、嫌悪を滾らせる獣の双眸に、モニター越しとはいえ、幾人かの委員会メンバーは息を呑む。

 織斑千冬を怒らせることは得策ではないと悟ると、掌を返したかのように懸命に宥めにかかる。その姿は逆に彼女の怒りという火に油を注ぐだけでしかない。

「茶番に付き合うほど此方は暇ではない」

 此処で打ち切られては、せっかくの男性操縦者のひとりであるランサー、ならびに類まれなる操縦技術を持つセイバーとの接触の機会を逃すことにもなる。

 そのため――

「あなた方の回答文書、まさか知らぬとは言わせませんよ? これ以上の狼藉は見過ごすことなどできません。任意であると言う建前上、ふたりも了承してくれたことで此処に連れて来ましたが公開裁判でもなさるおつもりでしたならば、これ以上付き合う義理もありません」

 淡々と応える千冬に顔色を変えて声をかけるのは日本政府である。

「織斑くん……君の立場も良く考えてみてくれ。今の君自身の置かれた状況は――」

「それは、脅迫のおつもりですか?」

 己の立場とセイバー、ランサーの両名の立場を秤にかけたところで、彼女にとって『ブリュンヒルデ』という称号など何の未練もない。今すぐ返せといわれるならば、この場でのしをつけて突き返すほどに執着するモノでもなければ、覚悟がある。

 立場を利用されて、こちらが引き下がると思われるなど甘く見られたものだと彼女は息を吐いていた。

(やはり来るべきではなかった)

 日本政府の制止を無視し、各国の宥めすら聴き流し、千冬はセイバーとランサーに声をかけて踵を返す。

 が――

「待ってくださいチフユ、わたしは構いません。繋いでください。ですが、応えられる範囲内のものだけとさせていただきたい。それでよろしいでしょうか?」

「セイバー」

 予想外の返答に、千冬は驚き振り返っていた。

「織斑くん、彼女がそう言っているのだ。どうだろうか?」

「――っ」

 小さく舌打ちを漏らす千冬ではあったが、セイバーが望む以上は彼女も従うしかない。

 思うところはあるが、不承不承、千冬は回線の許可を告げていた。

 

 

 フランス政府が口を開く前に、セイバーは一目見て確信する。モニターに映る三人のうち、中央に座る男こそがシャルロットの父親なのだろうと。

 案の定、デュノア社社長と説明を受けると、両脇に座る専務と副社長と名乗る者たちから矢継ぎはやに詰問がなされていた。

 セイバーは淡々と、それでいて素直に応えていくだけでしかない。

 時間にしてはどれほどだろうか。詰問するのは専務と副社長のふたりのみであり、デュノア社長は一度たりとも口を開くことはなかった。

「――それはアナタ個人の意思でしょうか? それとも、デュノア社の意思でしょうか? またはフランス国としての意思なのでしょうか?」

「これはデュノア社としての意思として――」

「では、どのようにすれば納得していただけるのでしょうか? この場で膝をついて許しを乞えばよろしいのでしょうか? 額を床にこすりつければよろしいのでしょうか? やれと仰るのならばやらせていただきますが?」

 と――

 今の今まで沈黙を続けていたデュノア社長が言葉を紡ぐ。

「もういい。やめたまえ」

「社長、ですが――」

「わたしはやめろと言った。聴こえなかったのかね?」

「――――」

 睨まれたことに専務の男は押し黙る。口を閉ざしたことを確認すると、デュノア社長はセイバーに向き直っていた。

「すまない、セイバーくん……不快な思いをさせた」

「いえ、構いません」

 寛容な心遣い痛み入るよと漏らすデュノア社長は思いついたように言葉を吐いていた。

「最後にひとつ……セイバーくん……その、娘は……シャルロットは、元気かね?」

「ええ、元気です。ですが、そんなことをわたしに訊くよりも、直接話をされた方がよろしいかと思いますが?」

「…………」

「この場をお借りしてお訊ねしますが、アナタにとってシャルロットはなんですか? 都合のイイ道具ですか? 本気で心配されているならば、父親として、直接話をされるべきではないでしょうか?」

「…………」

 シャルロットの境遇に関しては、セイバーもまた知り得ていた。些か話がわかる御仁かと判断するセイバーではあるが、実の娘を道具とみなし扱うという態度は如何様にしても見過ごすことはできない。自分が知らず、立ち入ることができぬ領域であろうとも、友人たるシャルロットが悲しみ、哀しむ要因たる存在であれば話は別である。

 黙するデュノア社長に変わり、声を荒げるのは脇に座る専務の男だった。

「一学生如きが、失礼ではないのかね?」

「その一学生如きの質問にも答えられないのでしょうか?」

 売り言葉に買い言葉、セイバーもまた熱が入っている。

 無礼な態度の相手にまくし立てる専務と副社長のふたりではあるが、それを制したのはデュノア社長である。

 片手を挙げ、両脇に座るふたりを黙らせると彼は告げる。

「話は後日、正式に手続きを踏んで通達させていただこう。今日のこの場では、これ以上、デュノア社としての発言は控えることを約束する」

 言って、デュノア社長は口にしたように、それ以降は何も声を発しはしなかった。

 拍子抜けとなるデュノア社の手の引きように言葉を失っていたのは何を隠そうフランス政府であろう。フランス政府とデュノア社との抗議は事前に打ち合わされていたことだった。だが、実際に蓋を開けてみれば大した抗議らしい抗議をするでもなくあっさりと話を切り上げる。これでは当初の目論見が台無しであった。

 とはいえ、フランス政府のみがこの場でごねるのも得策ではない。結果として、フランス政府も大人しく引き下がるしかないのだったのだが。

 が――

 此処で誰もが予想していなかったことが起きる。挙手し発言を求めたのはセイバーだった。

「わたしからもひとつ、お訊ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「なにかね?」

 返答したのはアメリカ代表者。セイバーはそちらへ向き直ると、ひとつ息を吐き、改めて視線を向けて問いかけていた。

「相手敵機に関しまして、あなた方には何か心当たりはないのでしょうか?」

 その言葉に……場の空気が変わる。

 しんと静まる空間の中、訊き返すように声を漏らしたのは――

「セイバーくん……それは、どういう意味での発言かな? いや、何故、そのように思うのかね?」

 デュノア社長の問いかけに、セイバーはひとつ頷く。

「公式のIS登録数は確か467でしたね。そこから増えてもいなければ減ってもいない。そうでしたね、チフユ?」

 不意に話を振られた千冬は一瞬呆けていたが直ぐに頷き返答していた。

「あ、ああ。その通りだ」

「ISコアにはナンバリングが振り分けられていると聴きます。であれば、そこから機体の特定は可能なのではないでしょうか?」

 何気ないセイバーの問いかけではあるが、だが、この発言に確証性はない。

 何故ならば、例え仮に特定されたとしても、データ上の偽造に加え、強奪されたという理由によりいくらでも逃れられることができるからだ。

 しかし、発言者たるセイバー自身の目論見は、純粋に誰かが意図的に機体を提供したのではないかとする協力者という存在をいぶかしんでのことである。

 可能性がなくはない話ではあるが、それを明確に言及する術はない。

 安易に敵性ISと関係を結んでいる者がいるのではないかと邪推されることに、国際委員会メンバーとしては心中穏やかではない。下手なあらぬ噂を立てられて厄介なことでしかないからだ。

 だがしかし、この発言は少なからず数国においては後ろめたさを払拭することはできなかった。

「ふむ……その考えはなくはないが……そうだな……機体強奪をされ、暴走事故などを引き起こした何処かの方々には心当たりがあるのではないですかな?」

 オーストラリア代表者の発言に噛み付いたのはイギリスだった。

「どういう意味ですかな?」

「意味? 聡明なイギリス政府はご理解が早いかと思いましたが……暴走事故もさることながら、ご自慢のBT二号機が奪取されたということを伏せていたことも遺憾ですからなぁ」

「それは、公表して要らぬ不安を煽ることに……」

「ほぅ、つまりは、バレなければそれでいいということですかな?」

 話に乗ってくる中国に対し、イギリス代表者は内心舌打ちをしていた。

 奪取されたことを素直に認めるのは容易い。だが、それは自国における防衛力が低いことさえ物語る。

 事実、ISを盗まれましたなど、恥に滑稽、いい笑いものでしかない。

 これを皮切りに、イギリスが国際社会において発言力が低下することはなんとしても避けたい状況である。そのため、この場では弁明するしか方法はなかった。

「誰もそのようなことは言ってはおらんっ! 然るべき適切な時期に――」

「然るべき時期とは、一体何時の事を指していますのやら。イギリスがこうでは、欧州連合もお里が知れますなぁ」

 欧州連合と名指しをされ、これにより激昂せぬ、フランスにイタリア、オランダといったヨーロッパ側ではない。

「貴公、無礼ではないか」

「心外だ。それはただのこじ付けではないか」

 だが、中国代表者は強気である。

「強奪されたことを正式に公表もせずに内密で処理しようとしたことがですかな? あげく、銀の福音に関しても対処を入学間もない学生に任せていること事態がおかしいことではないのかね?」

 胸中で笑みを漏らす中国代表者の話の矛先は、今度はアメリカとイスラエルへと向けられる。

「二国間による機密事項とはいえ、状況が状況であったのだ。情報が開示していれば、各国が密接に連携することもできたのではないのかね?」

「そもそも、一学生に処理を任せるということが甚だおかしなことだろう。何事もなかったから良かったでは済まされないことであろうが。下手をすれば、我が国の代表候補生になにかがあった場合はどうするつもりだったのかね?

「聴けば、福音を停めるために噂の男性操縦者も含まれていたそうではないか。貴重な男性操縦者に、それこそ何かあったとすれば、アメリカとイスラエルの二国はどのように責任を取るつもりだったのですかな?」

「いやいや、もしくは、別のことを考えていたのではないですかな?」

 くつくつと笑うロシア、アフリカの国際委員会の発言に、アメリカとイスラエル側は反論する。

「何が仰りたいのですかな?」

「こちらとしても予想外の出来事であったのだ! それを――」

「本当に、予想外だったのでしょうか? 甚だ疑問ですがねぇ?」

 口を割り込ませたのは中国代表者である。

「それを狙ってのことだったのでは?」

「どういう意味ですかな、それは」

「いやはや……暴走機体を停めるために、男性操縦者が不幸な事故にあったということも想定できていたのではないかと思いましてな。それを見越していた、とも限らないのでは?」

 その発言に、さわりと各国は色めき立つ。

「それは、むざむざ見殺しにしていた、ということですかな?」

「そうとしか思えませんでしょうなぁ」

「馬鹿馬鹿しいっ! そんなことをして、一体何のメリットがあるというのかねっ!?」

「メリットはないかも知れませんが、それではデメリットもないのではありませんかな?」

「それはあくまでもひとつの可能性という括りでしかない空論だ!」

 失笑を漏らし、侮蔑の表情を浮かべるカナダ代表者は指を組み、顎を乗せて口を開く。

「どうですかなぁ……叩けば埃が出てくるやもしれませんが」

「それに、第二世代型とは言えどアラクネも奪取された貴国のことです。福音のように、隠蔽は十八番でしょうな」

「違いない」

 中傷するには恰好の的となるアメリカに対し、ある国は蔑みの言葉を吐き、ある国は笑いものにする。

 だが、聴くに堪えぬと感じる国もある。話題の矛先を変えるべく進言していた。

「そういうことであれば、VTシステムを積んだドイツはどうなのかね? あきらかな協定違反の機体を世に出しているような国こそ、テロリストどもと結託しそうだと思うがね?」

 だが、これに対し唐突に槍玉に挙げられたドイツはたまったものではない。案の定、顔色を変えて反論するのみ。

「言いがかりも甚だしい!」

「だが、実際にVTシステムが搭載されていたことは覆すことができぬ事実でしょうなぁ」

「それは、我々も知り得ぬ事だった。それに、研究施設は原因不明の壊滅を――」

「おかしなことを仰いますなぁ? 知らぬハズがないでしょう? 自国で造られた、量産の目処さえ立たぬ素晴らしい専用機ですよ? それに、研究施設の壊滅など荒唐無稽もいいところですな。素直にお認めになられてはいかがですかな? 隠蔽をされた、と」

「無礼なっ!」

「…………」

 白熱する弁舌に、千冬は氷のように冷め切った双眸を向けるしかなかった。

 各国は、どの国よりも脚を引っ張り合う。

 話の方向性が逸脱し、セイバーとランサーの面前で繰り広げられる醜態。

 いわば茶番であり、見るに堪えぬ聴くに堪えぬ光景に、千冬は唇をかみ、拳を強く握り締めていた。

 だが――

 ぱんぱんと手を叩き、発言をするのは香港の代表者だった。

「まーまーまー、皆さま方もそんなに険しい顔をされることもないでしょう。強奪された機体や暴走事故など、今此処で話をしたってしょうがないじゃありませんか。話の本懐は、()()のことだったじゃないですか。まぁ、フランスの候補生が怪我をされたことは確かでしょうが、命に別状はないと聴きますし。こう言っては何ですが、それ以上の被害が出なかったことに関しては良しとしようじゃありませんか。()()の考えも理解してあげてもよろしいかと思いますがねぇ」

 場に似合わぬ飄々とした態度。他の国々の代表者と比べると気楽な声音の男に非難が向けられる。

「何を呑気なことを……問題が起きなかったからそれでいいとでも言うつもりかね」

「いやはや、ご指摘はごもっとも。ですがねぇ……過ぎた事を議論しても仕方がないことではありませんか? それよりも、わたしとしましては、対IS用ISの武装の方が重要かと思いますけれどねぇ。これが事実であるとするならば、亡国機業は対IS用の武装を有しているということになります。これは脅威となりますよ?」

「……それは、そうではあるが……」

「皆さま方も思うところ、言いたいことはあるでしょう。ですが、此処は今その話をするところですかな?」

『…………』

 黙する一同に頷き、香港代表者は千冬ヘ視線を向けていた。

「織斑さん、すみませんがそちらの生徒会長、更識楯無くんが戦闘で受けた状態、状況をご説明いただけないでしょうか?」

「え、ええ……」

 促され、千冬は戦闘状況を説明し出す。

 しかし――

 彼女は、セイバーとランサー、ふたりの表情が変わっていることに気がついてはいなかった。

 二騎のサーヴァントの表情変化の原因は国際委員会の罵り合いを見ていたからではない。ラインともなるマスターである士郎からの魔力パスの変化に気づいて、である。

 急激な魔力の流れ、尋常ではない魔力行使にふたりの身体に走る違和感。

「ランサー」

「ああ、気づいてる。こりゃ坊主に何かあったな」

「…………」

 険しい『貌』となるセイバーを見もせずに、ランサーは声を潜めて続けて言う。

「キャスターが気づかねぇハズがねぇ。坊主のことは、魔女に任せてある以上、託すしかねぇぞ」

「そのようですね……今は、キャスターを信じるしかありませんか」

「そう言うこった。だが、こっちも早急に切り上げた方がよさそうだな」

「ええ……」

 冷静に頷く彼女ではあるが―― 

(シロウ……)

 胸中でマスターの名を呟くその実、心境は焦燥に駆られていた。

 

 

 雲に覆われた空域よりも更に上層、対流圏界面付近、IS学園超高高度上空――

 航空機の類が存在せぬ無音の領域に、八翼の大型スラスターによる機体制御をかけて留まるのは一機のIS、光学迷彩により身を隠したホークアイが駆るヴェズルフェルニル。

 僅かな挙動ですら大きくバランスを崩しかねない状況にいながら、ホークアイは微動だにせず。

 大型ジェネレータを背負い、そこから伸びるいくつものケーブルは両手で握る五メートルほどの銃砲に繋がっている。セシリアが扱うロングレンジスナイパーライフル、スターライトmkⅢを越える銃口は学園へと向けられている。

 だが――

 眼下で繰り広げられている状況を見入る彼女の口元を酸素供給マスクが覆っているが、呼吸は僅かばかり乱れていた。

 超高高度による酸素欠乏、というわけではない。眼にしている現実がにわかに信じられないために。

 バイザー越しの超高感度ハイパーセンサーにより捕捉している状況――否、もはや乱戦と化しているアリーナステージ。

 中でも、一際彼女の眼を惹くのは異形の存在。

 結果、紡がれた彼女の声は震えていた。

「……スコール。わたしは視認しているモノが信じられない。確認はできている?」

「ええ、こちらでも確認しているわ。ホーク、あなたと同意見よ」

 開放回線(オープンチャネル)越しに淡々と応えるスコールではあるが、彼女もまた眼にしているモノは理解できなかった。

 ホークアイが捉えているハイパーセンサーをリンクして全てを見ている光景。

 衛宮士郎が操るIS『アーチャー』による明らかに許容量を超えた不可思議な武装展開――

 切り刻まれたハズの女が何事もなく動き、更にはISを纏いもせず宙に浮く――

 更には、何の冗談か、B級ホラー映画にでも出てくるような骨の化物の姿――

 どれもこれも説明がつくはずもない。

「いずれにせよ、介入のタイミングはあなたに任せるわ。だけど無理はしないでね。予想外の出来事に困惑しているのは確かよ。あなたを失うわけには行かないの……目的を達成することだけを考えて。危険だと察したら、直ぐに撤退なさい」

「了解」

「……ごめんなさいね。わたしのわがままに付き合ってもらって」

「問題ない。スコールが気にかけるなんて滅多にない。こちらも相応に対処に従う」

「……ありがとう」

 その通信を最後に、ホークアイは意識を極限まで高め集中し、銃口の狙いを定めていた。



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45

「終わったら迎えに来る。悪いけれど、それまで此処に居てくれ」

「…………」

 抱えるセシリアを士郎はアリーナ外壁の梁に降ろしていた。

 足場はしっかりしており、外壁枠の骨組みに掴まる彼女は向き直っていた。

 士郎の顔色は悪く、呼吸は荒い。口元、頭部から流れる血で汚した面様。

「……お待ちになって」

 降下しようとする『アーチャー』の腕を、伸ばしたセシリアの手が掴む。

 足を踏み外せば怪我程度ではすまない高さ。無論のこと、『ブルー・ティアーズ』は全壊に近い損傷によって展開はできない。

 危ないと判断した士郎は咄嗟に彼女の身体を支えていた。

「……オルコット、頼むから動かないでくれ」

「…………」

 セシリアは士郎を見入るだけ。

 だが――

 こちらを見る士郎の眼の動きに若干違和感を覚えた彼女は――唐突に理解し、声を荒げていた。

「士郎さん……あなた……右眼が見えておられませんのねっ!?」

「…………」

 掠れたセシリアの声音に――士郎は無言だった。

 事実、片眼の視神経は魔術行使の影響により視えていない。

 度を過ぎた魔術は、術者の回路と神経を破壊する。

 呼吸をするたびに身体を蝕む苦痛。『甲龍』に蹴り砕かれた箇所を鉄製の魔力が補強していく。

 それでも、当の士郎はセシリアの視線から逃れるために顔を背けることしかできなかった。残る片眼が向けられた先は、眼下のステージ。

 その姿を肯定と受け取った彼女の指先に力がこもる。

「ハイパーセンサーは――視覚リンクは、視神経接続しますのよ!? 今すぐに起動なさい!」

 眼が見えていないなど悪い冗談にも程がある。もしかしたら、自分(『ブルー・ティアーズ』)や『甲龍』、『シュヴァルツェア・レーゲン』の襲撃のせいで視覚や脳に影響が出ているのかもしれない。

 まくし立てるセシリアに――しかし、士郎は困惑したように返答していた。

「いや、今の俺のセンサーは生きてないんだ。ちょっと事情があって、使えなくてさ」

「――ッ、何を呑気なことを――ならばなおさらですわ! 今すぐおやめになって! もう、あなたが傷つく必要はございませんのよっ!? それに、これ以上は、あなたの身体が持ちませんのよ!? 無理をしても、あなた自身が壊れてしまってはどうにもならないんですのよっ!? どうしてそれがわからないんですのっ!?」

「…………」

 だが、士郎は頭を振るだけだった。

「……オルコット、心配してくれるのは嬉しいよ。でも、今の皆の機体が明らかにおかしいのもわかるだろう? 何も出来ないわけじゃない。現に、こうしてお前を停めることができたんだから」

「……あなたの身に『もしも』があればとは考えませんの!? 放っておけばいいんですのよっ! 誰かがそのうち停めてくれますわっ! 例えあなたがこの場から離れたとしても、誰もあなたを咎めませんわっ! いいえっ、わたくしが、非難などさせませんし、文句なども言わせませんわよっ! ですから、どうか考え直してくださいまし! お願いですから……」

 セシリアの叫びに確証などない。暴走する機体を停めてくれる者など、この場には他には居ない。彼女自身も勝手なことを口にしているのはわかっている。だが、それでも敢えてセシリアが声を荒げるのは、これ以上傷つく士郎の姿を見ていられなかったからに他ならない。

 しかし――

 士郎は返答の代わりに、くしゃり、とセシリアの頭を優しく撫でるだけだった。

「言ったろ……現に、お前みたいに停めることができるんだ」

「……士郎さん」

 今一度、彼の名を呟いたセシリアではあるが、そこで彼女は悟っていた。

 この人は、何を言っても聴きはしない。どれほど自分の身体が傷つこうとも、そんなことは一切気にも留めず成すべきことを行うだけである、と。

 例えどんなにやめてと頼んでも、彼は笑って応えるだけだ――

 数秒ほど相手を見つめていたが、ようやくして彼女は口を開いていた。

「士郎さん……後で、お話したいことがございますの。ですから、どうか、わたくしと約束してくださいませ」

「…………」

 言いたいこと、訊きたいこと、謝りたいこと、怒りたいこと――

 口にしたいことは、それこそ多々ある。

 セシリアの両手が伸ばされ、士郎の左右の頬を軽く打つように添えられていた。

「よくお聴きになって……いいですの? 必ずわたくしの前に戻ってきますように。約束を違えましたら、わたくし、あなたを許しませんわよ。ですから……決して……決して、無理はなさらないで……」

「……ああ」

「淑女との約束ですのよ? 破ったりしたら……それこそ、永久に許しはいたしませんわ。あなたの頬を叩いて叩いて叩きまくって、そのお顔を、鏡を見るのもイヤだと言うぐらいに、無残な潰れたパンケーキにしてさしあげますから」

 パンケーキは元々潰れた形状なのだが、と喉まで出かけた言葉を士郎は呑み込んでいた。自分もまた相手の発言に対してさり気ない指摘が出来るということは、思ったよりも余裕があるのだと気づいていた。

「はは、そりゃ大変だ。なら、なおさら破るわけにはいかなくなったな。ああ、約束するよ」

「…………」

 気楽に応える相手ではあるが、セシリアの顔は浮かない。

 口にはするが、セシリアから見ても士郎の身体はもはや限界に近いのは容易に見て取れる。

 それでも彼は諦めもしなければ弱音も吐きはしない。

 安心させるかのように、士郎はセシリアの頭を再度ぽんと触れていた。

「じゃ、またあとでな」

 言って、士郎はセシリアの指を優しく取る。

「あ」 

 名残惜しそうに離れる指先を――だが、セシリアはぎゅっと握り締めていた。

 背を向け、黒弓を手に士郎はステージへと疾る。

「また、あとで……」

 士郎の言葉を反芻するように呟き、両手を自ずと胸元へと運んでいた。

 祈るように手を重ね、静かに独りごちる。

「……ご武運を」

 刹那――

 不意に、彼女の身体に悪寒が奔り抜けていた。

「――っ!?」

 慌てて背後を振り返るが――特に目立つものは視界に映りはしない。

 周囲に視線を向けはするのだが、やはり、これといったおかしなものは見当たらない。

 だが――

 誰かに見られているような、明らかな視線を彼女は感じていた。

「……なんですの?」

 狙撃者たる彼女だからこそ、同類の存在に気づいたのやも知れぬ。

 吹き抜ける強い風を受けて、セシリアは大空を仰ぐのだが――視界には、何も映りはしなかった。

 

 

 更識簪という少女は、模擬戦になれていない。

 あくまでも基礎となる戦術程度は独学で把握している。だが、それはあくまでも映像や教本による情報からの知識であり、実技学習とは違う。

 物事に対処する術も、理想と現実では大きく異なるように。

 実技訓練を殆どしていない彼女にとって、実戦――いや、これが実戦と括る状況であるかは別であろう。明らかに違和感を醸し出す橙色の機体を前に、薙刀を手にする簪の胸中は穏やかではない。未完成のIS『打鉄弐式』を纏っているとはいえ、その身は極度の緊張と恐怖に震えている。じっとりとした汗が頬を伝う。

 更識簪という少女は、授業らしい授業には一切出てはいない。整備室に閉じこもり、独自開発、組立をする己の専用機『打鉄弐式』の着手に没頭しているのが常である。

 誰にも頼らず自身ひとりで組み立てる一番の理由は、姉と比べられるからであった。

 どんなに頑張って、努力した結果を出したとしても、必ず告げられる言葉は決まっている。

「さすがは、楯無ちゃんの妹さんね」

 子供心に気づいてしまう。どんなに努力しようとも、自分は姉に勝てはしない。

 いくら優秀な成績を残したとしても、『姉』である楯無の『妹』だからという括りで出来て当たり前だと判断される。

 逆に、僅かでも結果が劣れば、浴びせられる言葉もまた決まっていた。

「お姉ちゃんは、あんなに立派なのに」

「楯無ちゃんの妹なんだから、もっと頑張らなくちゃいけないよ」

 姉の名を引き合いに出され、必ず見比べられてしまう。

 純粋に、簪は、一個人として見てもらいたいだけだった。そこには『更識家』も『姉』も関係がない。更識簪というひとりの少女を見てほしい。ただそれだけだった。

 すごいね、頑張ったね――

 褒めてほしかった。誉めてもらいたかった。

 更識楯無の妹ではなく、更識簪というひとりの人間として。

 ISを誰にも頼らず、ひとりで黙々と組み立て作業する姿は姉への当て付けであり、見返すためであろう。

 努力は人を裏切らない――

 努力は必ず報われる――

 そんな言葉は嘘っぱちだと簪は思う。どんなにひたむきに打ち込み頑張ろうとも、報われないようならば、はたして自分はどれほど『努力』を積まなければならないのか。

 どれほど辛酸を嘗めねばならないのか。

 この世界に神さまがいるならば、簪は思う。どうしてこの世はこんなにも無慈悲なのだろうか?

(わたしの頑張りは、一体、誰がわかってくれるのだろう)

 甘い考えだと言われてしまえばそれまでであろう。だが、物心ついた頃から何をしても万能な姉が傍にいたら?

 どんなに頑張って努力をしても、天賦の才を持つ姉の前では水泡と化す。

 諦念してしまい、気鬱となった心では全ての物事において卑屈な態度をとってしまうのも無理からぬことではなかろうか。

 とある哲学者が残した言葉がある。

 苦しみは人間を強くするか、それとも打ち砕くかである。その人が自分の内に持っている素質に応じてどちらかになるのである――

 簪にとっての苦しみは、まさしく打ち砕かれる存在であろう。

 人は平等を求めるが、能力は平等ではない――

 人は平等ではない――

 まさしく、その通りだと彼女は思う。

 努力が必ずしも結果を生むわけではない。生まれ持った才能の差がある場合は、同じだけ努力をしたとしても無意味であると簪はそう捉えている。

 だが、ひとつだけ簪が間違っていることがある。

 他者を妬み嫉み羨む一方で、簪もまた知らぬ誰かに同じように思われていることを。簪自身がそのことに気づいてないだけであり、自分にしかない才能があることにも気づいていない。

 誰かを羨ましいと思うように、誰かに羨ましいと思われているかもしれないことに。

 更識簪という少女は、人付き合いが苦手である。

 人との接触を極端に避ける。クラスメイトであろうとも、教員であろうとも。他人と触れ合うことは、他人の声すらも聴こえてしまう。

 他者との関わりを遮れば、不快な声を耳にすることもない。

 揶揄、嗤笑、嘲弄――

 故に、自然と自分の世界に閉じこもることにそう時間はかからなかった。

 他人の声を聴こえなくするには壁を作り、塞ぎこんでしまえばいい。

 誰も自分をいじめない。誰も自分を傷つけない。誰も自分を馬鹿にしない。

 誰も咎めず、誰も責めない。

 聴きたくもない言葉を耳にして、これ以上自信の心を傷つけられなくて済む。

 そんな彼女の磨耗する心を癒してくれるのは、アニメーション作品である。

 勧善懲悪。変身ヒーロー、ロボット作品――

 アニメーションの世界では、所詮は虚偽であり、仮想現実の類の作品であれど、簪にとっては憧れてしまう。

 困っていれば颯爽と現れ、苦しんでいれば助けてくれる。弱者を護る、そんなヒーローに。

 他人を拒絶する更識簪は、他者の干渉を一切許さず、如何様にも氷結した心は融けることはない。

 そう、衛宮士郎という男性に会うまでは。

 いつしか、氷に覆われた簪の心にヒビは入り込み、少しづつ、本当に少しづつ氷は崩れていくことになる。

 凍てつく寒い冬が終わり、うららかな日和の春が訪れるように――

 はじめて自分をひとりの『人間』としてみてくれた人。

 はじめて自分を更識楯無の『妹』とは見てくれなかった人。

 衛宮士郎がISの技術をひたむきに努力し、少しでも腕に反映させようと切磋琢磨し励んでいる姿を彼女は知っている。

 図書室で人知れず過去のさまざまな映像記録を見て独自にISの操作性、技術面を学習している彼の姿も見たことがある。

 最初の頃は稚拙な動きで、その無様な操作性に周囲は失笑を漏らしていたという話も耳にしていた。

 だが、例えどんなに笑われようとも、例えどんなに嘲られようとも、彼は立ち止まることをやめず、努力し前へと進んでいる。

 同じ努力をしている自分とは雲泥の差であることを簪は理解していた。

 どうして、笑われても平気でいられるのだろうか?

 どうして、諦めないのだろうか?

 自分は当に逃げだしているというのに。

 他人に無関心であったはずの彼女が気にかける。それが心を動かされ、興味を持つということであることに果たして簪本人は理解しているのか。

 気がつけば、簪は図書室で関連書籍を広げる士郎へと歩み寄り、何気なく訊ねていた。

「どうして、あなたはISに乗るの?」

「…………」

 深い意味など無く、何故自身の口からそう問いかけたのか、明確な答えは持ち合わせていない。

 彼女の言葉に、一瞬士郎は無言となり、僅かに視線を逸らし黙考していた。数秒の間を置いてから、彼は気恥ずかしそうに返答する。

「どうして……か? そうだな……どうして乗っているんだろうな……?」

 考えてみたところで根本的な答えはひとつ。成り行きである。だが、馬鹿正直にその経緯を簪に話す士郎ではない。

「あなたのお兄さんの操縦と比べられて、嫌じゃないの?」

「ランサーと? そりゃまあ正直に言えば悔しくないって言えば嘘になるけれど、こればっかりは俺個人の能力だからな……」

「…………」

「先の質問なんだけどさ……どうしてISに乗っているのかって訊いたけれど、正確な答えには当てはまらない上で言うと……俺はさ、自分の見える範囲の人を護るために強くなりたいんだ」

「…………」

 簪は思わず無言となる。

 が、彼女の脳裏に思い浮かんだ言葉がそのまま口から紡ぎ出されていた。

「強くなりたいから、ISに乗るの?」

「……いや、強くなりたいから乗るわけじゃない。俺には、護りたい人がいるんだ。そのために、俺は強くならなくちゃいけないんだ。その一環で、今の俺はISにも乗っているんだと思う」

「……誰かを護る……」

「ああ」

「……なんだか……ヒーローみたい」

 士郎の発言は、簪自身が好むヒーロー作品に登場する主人公が述べる口上のようで強く反応してしまっていた。

 相手の告げた言葉に、士郎もまた頷き応えていた。

「ヒーロー、か。そうだな。正義の味方、かな……」

「正義の、味方……?」

「ああ」

 口にする言葉に照れはするが、ふざけている様子は見えない。眼は真剣さを物語っている。

 幼い頃から憧れ続けた人のために、憧れ続けた物になろうと願う。誰もが幸福であってほしい、誰かのためになるならばと、そう繰り返し続けていた想い。そのために――

「俺は、正義の味方にならなくちゃならないんだ」

「…………」

 正義の味方――

 簪にとっては、夢や絵空事としか思えなかった。高校生にまでなって、まさかそんなことを実際に口にする相手がいるとは思わなかった、と言ってしまってもいいだろう。

 ISに乗ることとそれがどう繋がるのかわからず、思わず、相手には悪いが笑ってしまいかけはしたが……それでも口元が踏みとどまったのは、士郎が洒落や冗談で口にしているのではなく、本心からの言葉であるということが理解できた。

 純粋すぎるほどに、相手の眼は真摯を告げる。

 眼は口ほどに物を言う――

 そんな彼を見て、どうして笑えるものか。

 その言葉の意味を深く訊くことはできなかったが、惹かれる言葉であったのは事実。

 更識簪という少女が、衛宮士郎という少年との距離を僅かばかりであるが縮めることが出来たのは、それがきっかけでもあった。

 IS技術面の知識に乏しい彼へ参考程度に意見を述べもした。実技訓練に関しては逆に彼女が参考に取り入れられる部分も在りもした。

 互いにとって、不足している部分を教えあって補える間柄とでも言うべきか……

 衛宮士郎の存在が、更識簪の心を変えたのは紛れもない事実であろう。

 

 

「……っ、はあっ……はあっ……」

 息が苦しい。呼吸があらい。

 相手の動き全てから眼が離せぬ彼女は、心身ともに疲労困憊している。

 更識簪は戦闘が得意なわけではない。それは、持ち前の性格、気弱さが影響し、一年生の専用機持ちの中では、取り分け下位に辺るレベルといえよう。しかし、そんな彼女が他の代表候補生に劣らず、逆に勝るものがある。いわゆる情報判断能力である。

 相手の戦闘データから対処法を探し出す術は、簪にとってはそう難しい方法ではない。

 しかし――

 どんなに計算しようとも、致命的となる部分は経験である。

(怖い――)

 頭で考えてはいるが、身体が行動に移らない。

(怖い、怖い――)

 何よりも、彼女が相手にしている機体はシャルロットが乗る『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』――

 型遅れとなる第二世代型ではあれど、第三世代型と渡り合うには遜色ない機体であり、今は束により最大限界値までスペックは引き上げられている。

 そんな機体を相手に、簪が互角の攻防を繰り広げられるはずもない。

(怖い、怖い、怖い――)

 機動性、反応速度、極めつけは精密性。それら全ては簪を圧倒的に凌駕する。

 あげく、シャルロットもまた一夏と同じように狂気に呑まれ、凶暴性を増していた。普段の彼女からは想像が出来ぬ哄笑を漏らし、『打鉄弐式』へと襲いかかっている。

 抑圧された感情のタガが外れ、正常な判断が下せていない。

(怖い、怖い、怖い、怖い――)

 剣、銃器と使い分けてくる相手機体に対して、ISを纏い、絶対防御に包まれているとはいえ、今の簪の胸中を支配するのは恐怖心一色。

 正直に言えば、簪はこの場から逃げ出したかった。だが、それでも彼女が逃げずにこの場に留まる理由は一点のみ。衛宮士郎への配慮に尽きる。

 どういうわけか、相手は士郎へと向おうとしている。であれば、例えどんなに実力に差があろうとも、今この場で自分が抵抗すればするほどに、士郎への被害が及ぶこともない。

 自分自身が懸命に耐え、踏みとどまらせれば、彼へ向うこともない。

 『白式』を相手に孤軍奮闘する真耶と同様に、己もまた眼の前の一機でも押さえ込めることができるのならば――

 今の簪は自分のためにシャルロットを相手にしているわけではない。ひとえに、士郎のためである。

 彼女が誰かのために、自分の意思で動くのはこれが初めてのことであろう。

 残存するシールドエネルギーも僅かばかり。頼りとなるミサイルポッドの残弾数も無駄には出来ぬ今の簪にとって、唯一の武装は心許ない薙刀のみ。

 なによりも、相手にするシャルロットは機動性、ならびに技術性においては他の専用機持ちの中でも頭ひとつほど飛び抜けている。

 脅威となる高速切替の使い手の彼女に対し、未完成の荷電粒子砲の『春雷』と誘導ミサイルの『山嵐』が役に立つとは思えなかった。

 もとより、ハナから勝負になどなりはしない。

 『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』の行動予測がことごとく覆されている。

 簪なりに独自に入手していたシャルロット・デュノア、ならびに専用機体の詳細スペック、搭載武装、戦闘行動パターン。

 それらデータから対処するべく最善たる『行動』を導き割り出すのだが――

 シールドエネルギーが尽き、行動不能にならずいられるのも簪自身の粘りもあるが、一番の立役者となるのは竜牙兵の存在であろう。

 簪の意思に呼応するかのように、シャルロットの剣戟を防ぎ、または盾となり銃弾から護る。

 脚止めをする異形の間を掻い潜り、薙刀で斬りかかる簪ではあるが、シャルロットは意に介さず刹那に近接武装で切り払っていた。

 精密な動きの相手に綻びを生じさせるなど至難の業であり、針の穴を通すようなものだった。

 一瞬たりとも気を抜けば、即座に倒される。

 懸命に喰らいついていられるのは、全く役に立っていないとも言い切れぬ彼女の行動予測も少なからず影響している。

 半円を描くように打ち弾いたブレードを、薙刀の切っ先を巧みに絡め受け流す。

 だが――

「――っ!?」

 手元に確かに捕らえていた刀身の質量は唐突に消えていた。

 押さえ込んでいた対象が消失したことにより、なにもない虚空を薙刀が払うことになる。

 馬鹿正直に斬り合う必要などない。武装量子変換によって、シャルロットの手に握られているのは、重機関銃「デザート・フォックス」――

 バランスを崩し、背を向けるかたちとなる簪めがけて銃弾が撃ち込まれていく。

「君……動きに無駄が多いよ? 予測可能な単調すぎる攻撃。目先のことばかりに囚われすぎてる。視野が狭い。だから……」

「――っ」

「回避に頭が回っていない。教科書通りの動きが効くと思ってるのかな?」

 背部に搭載されている連射荷電粒子砲『春雷』の存在が脳裏をよぎるが、稼動データが取れていない武装が実戦で役立つはずもない。

 例え牽制で使うにしても、シャルロットを相手に効果があるとは思えなかった。逆に、射撃移行の間を狙われては自分はただの的となる。それだけはなんとしても避けたかった。

 ならば、自分に使える手段は――

「…………」

 怯えて後ずさろうとする脚を懸命に堪え、簪は意識を集中させていた。

 銃撃の雨に晒されながらも、簪は恐怖心を押し殺し――

 薙刀を両手で握り締め、スラスターを展開した彼女は『瞬時加速』による突貫を下していた。

 銃撃する相手に突貫するなど無謀であろう。シャルロットにとって、『瞬時加速』を伴う斬撃を防ぐことなど造作もない。それは、一夏を相手に模擬戦をこなしていた際によく使われた手だからだ。

 耳障りな金属音を奏で、振りかぶられた薙刀は案の定シャルロットに防がれていた。

 しかし――

 ひとつだけ、シャルロットは極々些細なミスを犯していた。今、シャルロットが相手をしているのは、一夏ではなく簪だった。更に言えば、『白式』ではなく『打鉄弐式』である。

 簪が『瞬時加速』まで使ったのは、斬撃を狙ったわけではない。本懐は別のところにあった。それは、間合い。

「零距離ならっ――」

 叫びと同時に、ウイングスラスターの板は既にスライドしており、そこから高性能小型ミサイルが顔を覗かせていた

 至近距離で起こる爆発に簪自身も巻き込まれる。

 爆風と衝撃をまともに喰らい、簪はその身を地面へと叩きつけることになる。

 十分な受身などとれるはずもなく、呼吸を詰まらせながらも彼女は結果に満足していた。

 ディスプレイに浮かぶエラーの数々。一部システムダウンが生じる『打鉄弐式』を起き上がらせ――

「これなら……いくらなんでも……」

「いくらなんでも?」

 投げかけられた声音に、簪はぎくりとし、瞬時に顔を上げていた。

 立ち込める砂塵、煙の中、ゆっくりと……だが、確かにその姿を現すのは『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』――

 簪の表情が驚きに変わる。相手の機体に損傷らしい損傷は一切見受けられなかった。

「なんだっけ? 零距離なら? 零距離なら、僕を倒せると思ってたのかな?」

「――ッ」

 防御パッケージ、ガーデンカーテン――

 二枚の実体シールドと、二枚のエネルギーシールドにより防御機能を向上させる。シャルロットの機体が全く無傷である理由は、シールド展開のために。

「……なん、で……?」

「うん。思い切りに関しては、いい判断だと思うよ。相打ちを狙ってでも倒そうという気迫は見事だね。でもさぁ……」

 二コリと微笑み、シャルロットの機体は加速する。

 一瞬にして詰め寄られ、蹴り上げた爪先は簪の腹部へ叩き込まれていた。

「――っ、あぐっ」

 蹴り倒され、苦悶に呻く簪は――更に苦痛の悲鳴を漏らすことになる。彼女の腹に機体重をかけた脚で踏みつけたままシャルロットは続ける。

「相手の武装のことを考えないで、見境なく手札を切るのはおススメしないし、得策じゃあないね。それは、ただのお馬鹿さんでしかないよ? ひとつ、勉強になったでしょ」

「うあああっ」

 圧迫される腹部の鈍痛に眼を見開きながらも、必死に暴れ簪は逃れようとするが、橙の脚部は動きはしなかった。むしろ苦痛を増加させるように逆に力を篭めて沈みこませてくる。

 助けに入る竜牙兵ではあるが――それら異形を、シャルロットの高速切替による銃撃の豪雨が粉砕していた。

「直撃すれば確かに厄介ではあるね。ずいぶんと高性能な火薬を積んでいるようだけれど、当たらなかったら意味はないよ? 『Possession inutile(役立たない所有)』……なんだっけ? 確か日本語で言うところの……ああ、宝の持ち腐れってヤツだね」

 撃ち砕かれ、崩れる竜牙兵は修復が追いついていなかった。それは、キャスターの魔力供給が低下していることを意味している。

 キャスター自身も気づいている。簪のフォローに回りはしたいが、相対する二機が邪魔をするため、思うように動くことができない。

 加減などせず、鈴とラウラのふたりを機体ごと消滅させるのは簡単だった。殺害すれば一瞬であろう。だが、敢えて搭乗者の身を優先とするのは士郎の命でもあるために。

 しかし、簪を護るために動いていたのは、なにも竜牙兵だけではない。

 シャルロットの両手に握られる銃器は、唐突に弾かれていた。

「――ッ!?」

 奇襲は続く。

 簪から引き剥がすべく、橙の機体を後退させるように降り注ぐ弓矢の群れ。

 跳び退き、足元へ着弾する『矢』を忌々しそうに見つめるシャルロットの視線が向けられる先――黒弓を構えて翔けるISの姿を捉えていた。

 一瞬にして――

 簪の眼前には、橙の機体の斬撃を黒剣で食い止める士郎がそこにいた。

 

 

 切り払うシャルロットが後方に跳び、間合いが十分離れたのを見計らい、士郎は簪の頭を優しく撫でる。

「悪い簪、遅くなった。よくデュノアを停めてくれてた。頑張ったな」

「衛宮くん……」

 向き直り、もう片方の手に白剣を呼び出し構える士郎に簪は慌てて声を上げていた。

「衛宮くん……あの人が突然……最初は機体を停める手段を教えてくれてたの、でも、突然苦しみ出したと思ったら……」

 背後で簪が立ち上がる気配を感じながら士郎はこくりと頷いていた。

「ああ、わかってる」

 眼の前のシャルロットもまた、先のセシリアと同様に負の感情に呑まれているのがわかる。

 肌に伝わる不快な雰囲気。

「デュノア……今すぐにISを解除しろ……でなければ、悪いが、俺は力尽くでお前を助けなくちゃならなくなる」

 言ったところで無駄であろうと頭では理解していながらも、士郎は口に出さずにはいられなかった。

 案の定、シャルロットは嘲笑を漏らし士郎を見据える。僅かに首を斜に傾けながら。

「助ける? 随分とおかしなことを言うんだねぇ? 僕は別に助けてもらう必要もないんだよ」

「…………」

 普段見慣れたシャルロットとは激しくかけ離れた表情。とても同一人物とは思えぬ『貌』に、士郎の表情も自然と強張っていた。

 簪を下がらせ、前に出る士郎にケラケラと笑い、手にする銃口を宙に向けながら――ああ、と思い出したかのようにシャルロットの眼が細まっていた。

「そうだねぇ……ならさぁ……僕を助けてくれるって言ったよね? じゃあ――死んでよ」

「デュノア……」

「死んでよ、士郎……君が死んでくれれば、僕は自由になれるんだ。そう、約束してくれたんだ」

 と――

 シャルロットは、自分が口にした言葉に違和感を覚えるように小首を傾げていた。

「約束――? あれ? おかしいな……? 約束って……僕は、誰と約束なんてしたんだろう……」

 ふと疑問に思う。自分は、そんな約束事を、一体誰と交わしたのだろうか。

「僕は……約束……誰と……僕は、僕は僕は……僕……ボク……ぼく……僕は……」

 父――?

 デュノア社――?

 フランス政府――?

 IS学園――?

 織斑千冬――?

 疑問符は浮かぶが答えは出ない。そもそも、何故自分は、士郎を殺さねばならないのか――?

「僕と、僕のお母さんと――」

 そこでシャルロットの思考にノイズが生じる。

 自分の母親は既に他界している。あんなに優しかった母――

 記憶はどんどんと改竄させられていく。

 疑問に思えば思うほどに、求める答えは捏造されて用意されていく。

 結果――

「ああ、なぁんだ……ひどく簡単なことじゃないか」

 ニィ、と口の端が吊り上る。ついで、シャルロットの双眸に宿るのは憎悪。その眼を見て、背をぞくりと竦ませるのは簪である。

「なんで、そんな大事なことを忘れていたんだろう」

 淡々と告げるシャルロットではあるが、表情は怒りに満ちていた。

 自分の母親が死んだのも、衛宮士郎のせいである、と。

 母が死んだ元凶――

 この男のせいで、最愛の母は死なねばならなかったのだ、と彼女は認識させられていた。

 ならば、憎む相手を許す道理がない――

「君のせいで――君のせいで母は死んだんだっ! 僕は絶対に許さないっ!」

「何を、言っているの……?」

 思わず呟く簪もまた状況が呑み込めていない。士郎のせいでシャルロットの母親が死んだ話など聴いたこともなければ、そんな情報も知りもしない。

 もとより、衛宮士郎が誰かを殺めるような人間には思えていない。

 簪の心境など知りもせずにシャルロットは続ける。

「君を殺せば、僕は自由になれるんだ! 僕を助けるって言ったよね? ならさぁ、今すぐ死んでよっ! そうすれば、僕も母も自由になれるんだからさぁっ!!」

「――デュノアっ!」

 大容量の拡張領域を活用したシャルロットが得意とする高速切替。

 斬り合っていたかと思えば銃火器に持ち替えての近接射撃、間合いを離せばブレードに変更しての接近格闘。一定の距離と攻撃リズムを保ち得意とするシャルロットの戦闘方法。

「――ッ、さすがに厳しいかッ」

 片眼が塞がれていることによって生じる掴めぬ距離感。

 まともに銃撃を喰らうわけにもいかず、感覚だけに頼る双剣による攻防。

 ならば、勝負を決めるには速攻をしかけるしかない。

 と――

 一気に間合へと踏み込み、彼は双剣を駆使して斬りかかっていた。

 シャルロットへ肉薄し、接近戦へ持ち込む士郎ではあるが――

 それが罠であることに気づいていたのは簪だった。

「ダメっ! 衛宮くん――誘いに乗っちゃダメっ!!」

 簪の叫びが士郎の耳に響くが、聴こえたところで既に遅い。

 橙色の機体の右腕の装甲がはじけ、露となる凶器。自ら間合いを詰めていた士郎は逃れることが出来なかった。

 相手が接近戦を仕掛けてくることに気づき、逆手に取っていたのはシャルロット。

 殴りつけられる衝撃――

 パイルバンカーに腹を撃ちぬかれ、鮮血が溢れ出す。

「――っっ!?」

「衛宮くんっ!?」

 臓腑を貫く激痛に、士郎の口蓋から叫びと血が吐き出される。身体を駆け抜ける想像以上の破壊力に意識を失いかけるのだが、それでも、眼に力は篭ったまま。

 リボルバー機構により、次弾炸薬が装填され連射をさせるわけにはいかない。両手に握る双剣を魔術で強化し――刹那にパイルバンカーの砲身を斬り断っていた。

 わき腹に深々と突き刺さる杭はそのままに。咄嗟に間合いを離す士郎ではあるが、激痛に膝を付きかける。対して、シャルロットは手にブレードを握り締めていた。

「死んでって言ってるでしょ!」

 視界の塞がれた右側面を取るシャルロットの手に握られるブレッドスライサー。その切っ先が士郎の首へと叩き込まれる――寸前に、斬り弾いていたのは機体ごと割り込ませていた簪だった。

「させないっ!」

 渾身の力を込めて橙の機体を払う簪の身体は震えている。薙刀を握る手も震えるが、それでも彼女は己の恐怖心を拭うように相手を見据え士郎の前に立っていた。

「……ぐっ、すまないっ、簪っ」

「お礼なんかどうでもいい! あなたの右はわたしが受け持つから、衛宮くんは相手に集中して!」

 振り返りもせずそう告げはしたが、簪は一目見て士郎の右眼が視えていないことを看破していた。

 僅かな構え、動き、それらはほんの些細なことであったとしても、観察力に長けた簪だからこそ気づいたものであろう。

 加えて、もはやこれ以上時間も掛けていられなかった。わき腹からぼたぼたと血を撒き散らす士郎の身体は既に限界であることも彼女は理解している。

(これ以上、衛宮くんには無理をさせられない……なら、わたしも出来ることを――)

 黒ずんだ血の色に気を失いそうになる簪ではあるが、己を奮い立たせると士郎の補佐をするのが、今の自分に課せられた使命と捉える。

「……わかった。でも、無理はするなよ……俺の傍から離れるな。お前は、俺が護る……」

 自分の身体よりも他人を心配する士郎に驚きと呆れを感じながらも――

「…………」

 無言のまま頷く簪――

 気配で悟る士郎――

 そのふたりが同時に動く。

 簪の操る薙刀のリーチを活かし、士郎は双剣を駆使して一気に踏み込んでくる。

 士郎の攻防を補助するように、簪は薙刀を手にカバーする。

 薙刀と双剣の二種の攻撃、リーチの異なる斬撃に、シャルロットは忌々しく舌を鳴らすだけ。

 なによりも、簪の薙刀を意識すれば双剣が迫り、士郎の双剣を意識すれば薙刀が迫る。

 さらには――

「――っ!?」

 殊更シャルロットが歯噛みするのは、簪の斬撃に乗じてフェイルノートによる狙撃を絡める士郎の存在である。

 高速切替で士郎を狙えば簪が邪魔をし、簪を狙えば士郎が邪魔をする。

 そうかと思えば、シャルロットの近接格闘に合わせた黒弓。近接射撃に切り替えれば双剣でことごとく間合いを潰してくる。いずれもその生じた僅かな隙を狙うのは簪である。

 いうなれば、士郎と簪によるふたりでひとつの、砂漠の逃げ水(ミラージュ・デ・デザート)

 即興であるにもかかわらず、ふたりの息が揃うかのような攻防は、士郎が簪の動きに合わせているために。

「――っ、このっ――」

 しかしながら、シャルロットにとってはたまったものではない。自身が得意とする戦法を、容は違えといえど、同様の事を再現されているのだから。

 ある意味、どちらを対象の重点に置くか二者択一を迫られる状況であろう。

 ふたりによる攻防は続く。

 簪も先までの恐怖はない。大怪我を負っているというのに、それでも果敢に攻め、傍にいる士郎の存在が己を鼓舞する。

「鬱陶しいねぇっ! 本当にさっ!」

「ぐっ――」

 叫び、シャルロットは双剣を斬り弾く。勢いのまま『アーチャー』の機体が逸れる――瞬間、簪が伸ばした手が士郎の腕を掴むと、機体重をかけて旋回する。

 遠心力を伴い――結果、眼前には再び厄介な黒と白の剣が迫ることとなる。

 呻き、シャルロットは斬り防ぐことしか出来なかった。

「目障りなんだよっ、君はさっきからっ――!!」

 業を煮やしたシャルロットが標的を簪へと定め襲いかかる。だが、当然士郎はその蛮行を黙認するはずがない。

「悪い、デュノア!」

 横から飛び掛るように斬りかかり、シャルロットの防御を崩したところへ、蹴りを叩き込み蹈鞴を踏ませ――

 プライベート・チャネルで交わされていた戦術通りに、士郎と簪は動いていた。

「下がって、衛宮くんっ!」

 入れ違うように割り込む『打鉄弐式』のミサイルポットが開かれていた。

「この距離なら――外さないっ!」

「――ッ」

 シャルロットが息を呑むが、簪が口にしたように全ては反応が遅すぎていた。

 二基による八門のミサイルポッドから放たれていた誘導ミサイル。マルチロックオンシステムが機能しなくとも、至近距離からの着弾をかわせることもできずに、爆発に巻き込まれた橙の機体は――ガーデンカーテンを展開し、爆煙を切り裂き姿を現す。

「馬鹿のひとつ覚えだねぇ! この程度で僕を倒せると思ってるの!? 甘いよ! 僕の機体は――」

「確かに、わたしひとりでは無理……でも、今は衛宮くんがいる! ひとりでは勝てなくても、ふたりがかりなら停められる!」

 立ち込める黒煙の中から聴こえる簪の声に嘲笑を漏らしたシャルロットは――

「停める!? ハッ――何を言ってるのかな、君はさぁっ!」

 だが、抜け出したその先に、視線を向けた彼女の表情は一変する。

 視界には回りこんでいた士郎が立っていた。手に握られているのは黒弓。

 更には、エネルギー媒体の矢は、既に放たれている。

 『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』の両腕、両脚の関節駆動部分を射抜れ、がくんと動きが停まったところへ、横合いから疾る簪の『打鉄弐式』のミサイルポッドが再度開かれていた。

 その間にも、シャルロットの脚止め役を買って出る士郎の攻手は止まず。『アーチャー』を駆り、頭上から射られる矢は橙の機体のスラスターを撃ち抜いていく。

 完全に逃げることも出来なくなったところへ――

「あなたは言った……()()()()()()()()()()()()。確かにその通り。だから、衛宮くんに脚を止めてもらう必要があった! 今度こそ、()()()()()()!」

 避けることも、防ぐことも、動くこともできなくなった相手めがけて八連装ミサイルが発射される。

 残る限りに撃ち込まれたミサイルの爆発による爆発。連続して起こる爆発の嵐の直撃を受けたシャルロットの意識は閃光に包まれ、そこでぶつりと途切れていた。



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46

「…………」

 ダイレクトに転送される映像に、束は無言のまま見入っていた。

 おかしい――

 彼女の頭の中を支配するのは、その言葉のみ。

(どうしてコイツ(衛宮士郎)は死なないんだよ)

 イギリス代表候補生の機体を掌握し、完全な主導権を握った上で襲わせれば不可解な武装で逆に倒される。

 フランス代表候補生の一撃は生身の人間にとっては致命傷となりえるものだった。腹に穿たれているというのにもかかわらず、現にこうして動いている。

 IS『アーチャー』のシールドバリアは消失し、絶対防御は確実に機能していないハズだった。

「…………」

 わからない。

 おかしい。こんなことはありえないはずだ。

 馬鹿げている。

 理解の範疇を超えている。

 『天才』たる自分にとって、把握できないことなどあってたまるものではない。

 しかし、意思とは裏腹に束は口元を覆うようにを手を当て黙考することしかできなかった。

「…………」

 彼女は思考を切り替える。

 ならば、如何様にすれば、この男を殺すことが出来るのだろうか?

 死にはしないが、怪我をすればするほどに、衛宮士郎の動きが鈍くなっているのは明らかである。

 頸動脈の通る首をくびり落す?

 心臓、肺といった胸部に穴を開ける?

 重要な臓器が揃う腹部を握り潰す?

 しかるに、手間ではあるがひとつずつ試していくしか方法がない。

「腕の一本でももぎ取れば普通は死ぬし……とりあえず、それから試してみようか。それに……使()()()()()()()()()()()()()()()()

 捨て駒程度には使えるかと踏んでいた代表候補生たちではあったが、結果としては大した活躍もしていない。

 精神感応に予想外な反旗を翻したイギリス代表候補生――

 それなりに使い勝手がいいかと思われていたフランス代表候補生――

 不可思議な攻撃で早々に脱落する中国とドイツの代表候補生――

 役に立たなくなった連中のことなど、束の脳裏からは疾うに切り捨てられている。今はアリーナステージ内に残る()()()()に目処を立てて口の端を吊り上げ――

 ウサギとニンジンが描かれるマグカップを手に取り、彼女はモニターを見入っていた。

 

 

「――っ」

 息を詰まらせる真耶は――眼前に迫る切っ先から、咄嗟に身体を捻っていた。

 瞬前まで居た空間を貫き過ぎる雪片弐型。視界の片隅で捉えながらも真耶は側転し、体制を立て直しながら手に呼び出した銃器による掃射を浴びせていた。

 が――

「――どうしてっ!?」

 やはり何度繰り返しても結果は同じだった。

 銃弾が直撃しているにもかかわらず、『白式』の動きは一向に停まらなかった。シールドエネルギーは一切減少していない。

(攻撃を受けていながら……エネルギーが減らないなんてありえません――)

 不可思議な現象に困惑しながらも、真耶は自身がとれる戦法を繰り返すことしか出来なかった。

 剣戟、銃撃、そのどちらも全く効果がない。だが、それでも彼女は諦めはしない。なんとしても一夏を、『白式』を止めるために。

 撃ち尽くし、空となった弾倉を捨て、瞬時に銃へ給弾を施し――

「――っ!?」

 唐突に、視界を覆うように迫るのは五指。

 瞬時加速(イグニッション・ブースト)によって間合いを詰めた『白式』に顔を掴まれ――

 そのまま、力任せに振り回された真耶の身体は――正確には纏う『ラファール・リヴァイヴ』ごとではあるが――宙に浮かされ、地面へと叩きつけられていた。

 打ちつけられる衝撃により肺から息を吐き出し彼女。苦悶にあえぎ、身体を起こすことが出来ない相手の首を掴んだ『白式』は、力を籠め締め上げていく。

「――っ、あああっ!?」

 眼を見開きながらも懸命に拘束を振り解こうとする真耶ではあるが、万力のように絞まる『白式』の指が外れることはない。

 細首を圧し折るかのように呼吸器官を塞がれ、苦悶に喘ぐ相手に――多機能武装腕の雪羅が上がる。

 無防備となる真耶に振り下ろされる零落白夜のエネルギー爪。

 それを――

 横から渾身の力を込めて食い止めるのは士郎であった。

「――やめろッ、一夏ぁッ!」

 斬り返される双剣。

 だが、瞬時に真耶から手を放していた『白式』は後方へと跳び退いていた。

 本来の標的者となる士郎の姿を捉えた一夏の口元が――嘲笑するように歪む。

「…………」

 士郎の頭痛は止まらず、無理を続けた投影行使によって自身の魔術回路は疾うに限界を超えている。

 分不相応の魔術は身を滅ぼす――

 さらなる魔術行使は、身体が耐えられるかどうかもわからない。脳髄が破裂するのも時間の問題であろう。

 激しく咽る真耶の身体を起こし士郎。

「大丈夫ですか、山田先生」

「え、ええ……ありがとうございます……」

 礼を述べ、呼吸を整えた真耶が顔を向け――その表情が一変する。

「――衛宮くん!? あ、あなた……その身体っ……」

 驚きに見入ることしか出来なかったのは、()()である。

 しかし、彼女の視線が向けられているのは、荷電粒子砲による焼け爛れた箇所ではなく、さりとて杭が貫いている部分でもない。士郎が身につけるISスーツの内側から破られる傷口。()()()()()()()()()――

 だが、士郎は真耶の問いかけには応えなかった。なぜならば、彼の意識は既に『白式』へと向けられていたからだ。

 その『顔』は怒りの色へと染まっていた。

 零落白夜は如何なるシールドエネルギーも切り裂く。だが、絶対防御が正常に作動しなければ、搭乗者にとっては当然生死にかかわる攻撃と成り果てる。

 真耶の機体が正常であろうがなかろうが、士郎にとっては『白式』の行動を看過することが出来なかった。

「……一夏、お前、今自分が何をしようとしたかわかっているのか? 山田先生を手にかけようとしたんだぞっ……!?」

「――――」

 一夏は何も応えない。ただ、冷め切ったように、興味がないといわんばかりの眼が向けられるのみ。

 問答も今の相手には無意味だったと思い出した士郎は息を吐き――

「……そうかよ」

 痛む肺に無理やり空気を送り込み、彼は身体を戦闘用に切り替えていた。

「言ったよな? 力尽くで停めにかかるって。悪いけれど、歯ァ食いしばれよ? どギツイの見舞って眼を覚まさせてやる」

 刹那に――

 僅かに『白式』の身体が沈むのがわかった。

「……山田先生、下がっていてください」

「ま、待ちなさい衛宮くんっ! あなた、まさかその身体で戦うつもりですかっ!?」

「ええ、どういうワケか、あの機体は俺に用があるみたいですしね。それに、時間も掛けていられませんから」

 淡々と応える士郎の肩を掴む真耶は声を荒げる。

「ダ、ダメです! あなたこそ下がりなさいっ! そんな身体で相手をするなんて無茶です! 織斑くんは、わたしがなんとかしますから――聴いているんですかっ!? 衛宮くんっ!?」

 見た限りでもこれ以上士郎に負担をかけさせるワケにはいかない。戦闘継続など黙認できるハズもない。

 真耶の言葉など聴くはずもなく、告げた士郎は半歩ほど右へと動いていた。

 と――

 地を蹴り、一直線に『白式』は士郎へと迫っていた。

 銃器を取り出し身構える真耶よりも遥かに速く士郎は迎えるべく腰を落とし、襲いかかる白の機体の動きを見据えたまま――

 突き出される雪片弐型の切っ先を頬を掠めるようにかわし、繰り出していた黒剣が相手の胴を払う。

 しかし――

 手ごたえはない。

 虚しく空を切るその場所に、『白式』の姿は存在していない。瞬時加速(イグニッション・ブースト)で迫った相手は、瞬時加速(イグニッション・ブースト)によって消え去り、瞬時加速(イグニッション・ブースト)によって士郎の右へと移り――殴りつけるように展開していた零落白夜のエネルギー爪を叩き込む。

「――っ、づあっ!」

 相手が死角に移行するのは予想できたことであり、こと忍び寄る『身の危険』に関しては敏感な士郎は疾る凶刃を蹴り弾いていた。

 無理やり身体を動かしたことにより、いたる箇所の傷口という傷口から真紅が垂れる。

 駆ける激痛に意識が飛びかけるが、悲鳴を噛み殺したまま士郎は『白』に向き合っていた。

「……っ」

 血を流しすぎたために身体の震えが止まらない。寒気が酷い。

 士郎を仕留めにかかる――横薙ぎに迫る剣戟を、機体の『白式』ごと弾き返し防ぎはするのだが、腕に走る痺れは停められず。

 そのまま――

 僅かに反応が遅れた隙を見逃さず、再度死角となる右側面に回りこんだ『白式』は士郎の腕を掴んでいた。

「――っ、ちっ!?」

 パワーアシストにより、士郎の腕を掴んだ『白式』は握り潰さんとばかりに力を籠めていく。

 ばきりばきりと音を鳴らし、まるでアルミ缶のように装甲がひしゃげ――生身となる腕にビキリと走る激痛――掴まれ圧し折られようとする腕を刹那に『強化』すると、逆に軸とし、身体を反転させた士郎の蹴りが一夏の側頭部に叩き込まれていた。

 衝撃に『白式』の拘束が解かれるが、筋を痛めた腕を庇うように、士郎は息を吐いていた。

「ちっ――」

 バラバラに砕け、ヒビ割れる視界。

 脳内の撃鉄が起こされる。

 イメージは源、意識は最大限界まで引き上げられ、霞んでいた片眼の視界も鮮明となる。

 仕切り直すかのように飛び出してくる『白式』に、士郎は無言のまま迎え撃つ。

 旋風を伴い雪片弐型が一閃される。

「――っ」

 身を捻りかわしはするが、刀は肉を抉り過ぎ去っていた。

 生まれる熱と痛みに士郎は口元を歪めつつも、追撃する刃を弾き飛ばし、切り返して繰り出される一刀を払い落としていく。

 鋼同士のぶつかり合いに――力負けした士郎の姿勢が崩れる。そこへ振り下ろされるエネルギー爪。

 避けることのできない刃に対し、だが、寸でのところで双剣を打ち合わせ、威力を相殺させてやり過ごす。

 止むことのない剣戟――

 速度、間合い、なによりも体力の差が歴然であるにもかかわらず、士郎は真っ向から挑みかかるのみ。

 もはや一歩間違えれば即死となりえる凶刃を、臆することなく弾き逸らす。

「――っ」

 横殴りに迫る旋風を士郎は瞬時に受け流す。だが、勢いは殺せることができずに、地面へ叩きつけられる――寸前に、地を蹴りつけた士郎は踏み込んでいた。

 勇猛に攻める士郎であるが、誰の眼から見ても限界であるのは知れていた。

 呼吸は乱れ、身体の動きは確実に衰えている。

 頭上から落とされる雪片弐型の一撃を、渾身の力を込めて打ち弾く。

「――――」

 指先の感覚などなく、握り締めている得物を取り落としていないのが士郎自身にとっても不思議でならない。

 頭痛に耐え、吐き気を堪えながらも迫る『死』を潜り抜ける。

 こみ上げる血により呼吸すらままならない。息をするだけでも肺に激痛が疾る。

 薙ぎ払われる雪片弐型が腹を掠める。刹那に、宙に舞うのは零れる鮮血。

 追撃するように叩きつけてくる剣閃を――それでも士郎は巧みにいなし続けていた。

 

 

 満身創痍と思えぬ身体で士郎は攻防に徹していた。

「…………」

 手足の裂傷が増え、踏み込む速度も低下している。

 信じられぬといった表情で見入る真耶は言葉もない。

 本来であれば、彼女は士郎に加勢するために動くべきであった。

 だが――

 眼前で展開される二機の攻防に、彼女は手にする銃器で助勢するタイミングを完全に失っていた。

 士郎の顔色は土気色に近く、命の危機に瀕しているというのがわかっていながらも、動くことができなかった。

 見殺しにしているワケではない。教師陣の中でも、真耶はとりわけ人一倍、親身に生徒を想う教員である。

 そんな彼女が、こんな状況下であるにもかかわらず行動できない理由はひとえに『見惚れていた』からだった。

 放心は驚きに。次いで、惹起される。

 それほどまでに、衛宮士郎の剣戟は異常であり異色。

 烈火怒涛――

 以前眼にした更識楯無との模擬戦時に見せた姿とはまた違う。いや、今の士郎の姿の方がより気迫に満ちているように真耶には思えてならなかった。

(これが、彼の本気なのでしょうか……)

 ボロボロと成り果てる衛宮士郎の身体のどこに、これだけの力が残っているというのか。

 鬩ぎ合う剣戟の激しさ――

「衛宮くん……」

 身を案じる真耶ではあるが、士郎は一歩も後退していなかった。

 激しい攻勢。『白式』が振るう剣戟全てを打ち弾き、逆に押し返すべく踏み込んでいく。

 ひとりと一機が繰り出す剣戟は、ただただ叩きつけるのみ。そこに技量など存在しない。双方ともに速度と力任せによってぶつかり合っているだけだった。

 傷ついた身体では考えられず在り得ない。無茶をすればするほどに、自身の意思により肉体を酷使することは、更に痛めつけるだけでしかない。

 その姿は、一種異様――

 加えて、ここに来て士郎の剣戟に勢いが増していく。

 『ブルー・ティアーズ』や『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』を相手にした先ほどまでの比ではない。

 互いを仕留めるかの如き振るわれる猛攻は必殺の域へ。

 『白式』の繰り出す零落白夜のエネルギー爪、雪片弐型を双剣で弾き散らし、士郎は間合いへと踏み込んでいく。

「――――」

 息を吐き、舌打ちを漏らす一夏が僅かに後退する。

 めまぐるしい火花を散らし、士郎が振るう双剣の一撃一撃は重さを乗せた威力を持つ。

 それもそのハズに、機体性能で劣る彼が対抗するには魔力を通し絡めた剣戟によるところ。

 受ける側にとっては、爆薬でも叩きつけられたかのような衝撃をその腕に覚えていた。

「――っ」

 士郎の剣を捌きながらも、『白式』もまた間合いを詰めるために攻めに転ずる。

 しかし――

 勢いを変えさせまいとする士郎の腕がそれを許しはしなかった。

 舞うかのように振るわれる双剣を駆使し、または激しさを増していく。白と黒による剣の乱打に、一夏は忌々しく舌を鳴らし防ぎきるのみ。

 相手の腕と脚の運びから軌道を読むのだが、その行動予測の一歩先をいくかのように士郎の剣は迫るのだった。

 故に、防御に回るしかなくなった『白式』に対して、士郎は叩き伏せるかのようによりよく深く踏み込んでは剣の豪雨を打ち込んでいく。

 だが――

 唐突に、見入る誰もが唖然とし、息を呑むこととなる。

 打ち合っていた双剣が、士郎の手元から忽然と消失していた。

「――っ!?」

 見れば、消えたのは剣だけではない。己の身体に纏っていた損壊するIS『アーチャー』も粒子変換し、消え去っていた。

「なんだ――」

 呆けたのは一瞬。されど、一瞬。

 丸腰となる士郎は、相手の間合いの中。

 完全な無防備となるその隙を見逃さずに『白式』が振り下ろした一刀は、狙い違わず、士郎の左肩から右わき腹にかけて袈裟に斬り捨てていた。

「しまっ――」

 一筋に裂かれた箇所から紅が噴出し、焼けつく痛みに士郎の身体がぐらつき、倒れかかる。

「衛宮くんっ!?」

 絶叫に近い声音を上げる真耶は刹那に機体を加速させていた。

 士郎を死なせるわけにはいかない。その執念に駆られた行動ではあるが、彼女の瞳はあるものを捉え、急停止することとなる。

 崩れ落ちそうになる身体を支えるように、士郎の両の脚が瞬時に踏みとどまっていた。

「――――」

 彼の顔つきは、決して諦めてなどいない。

 されど、助けにいかなければならない状況であることに変わりはない。にもかかわらず、真耶は機体を停めて見入ることしかできなかった。

 何故かはわからない。それでも、邪魔をしてはならないと本能がそう告げたとでも言うべきか。

 一方の士郎は意識を失ってはいない。助けに入ろうと動いた真耶には気づいてもいなかった。

 地面へ打ちつけられてもおかしくない一撃を、士郎は気力だけで耐えきっていた。

 それは、倒れてしまえば起き上がることが出来ぬと理解していたために。故に、決して倒れるわけにはいかなかった。

「――っ」

 無理が祟り、耐久、活動限界を迎えたISが強制解除されたことに士郎は呻く。遅かれ早かれ、ISが解除されるだろうとは予想していたことでもある。

 が――

 例えISが解除され展開出来ずとも、己の身体は動かせる。

 勝敗が決したわけではない。衛宮士郎は、まだ負けてはいない。

 死に体でありながらも、身体がまだ戦えると告げてくる。ならば――動くことに支障がなければ、成すべきことなど決まっている。

 魔術回路が悲鳴を上げる。

 少しでも気を緩ませれば、意識を失いそうになるほどに。

 壊れたモノが使えないのならば、壊れていないモノを使えばいい。

 有るモノが壊れたならば、無いモノを総動員するしか方法はない。

 単純なことであるが、手つかずの領域に、手を伸ばす――

「――身体は」

 結果、自らを表す呪文を、彼は自然と口にしていた。

「――I am the bone of my sword.(身体は剣で出来ている)

 己の手足がまだ動くうちに、白の機体を停めねばならない。

 今の自分に出来ることは、停めるために戦わなければならない。ならば、作るのみ。

 最強のイメージを想い、如何なる輩にも負けないモノを――

 自分自身を騙し、他人さえも騙す。その上で幻想するのは最強の模造品。

 故に――

 真横から迫る凶刃を、士郎が斬り払う姿など、誰が想像出来ようか。

 キャスターを除く、その場にいる全員――『白式』を纏う一夏でさえ表情に変化が生まれ、視線を向ける先は、士郎の左手に握られている()()へ。

 黄金に輝く西洋風の剣。

 その剣の正体を知る者はいない。名は『勝利すべき黄金の剣(カリバーン)』――

 吼える一夏が一息とともに上下左右から振る四閃。斬り捨てるかの如く叩きつける剣戟を、黄金の剣はことごとく防ぎ弾いていた。

 叩きつけてくる雪片弐型と、その斬撃を自ら意志を持つかのように防ぎ止める黄金色の剣――

「はあっ――!」

 気合一閃――

 五戟ともなる刃を斬り弾いた黄金の剣の勢いは止まらず。『白式』は斬撃を防ぐために咄嗟に雪羅をかざすが――

 黄金の閃光を伴い振り抜き打ちつけられた剣は、多機能武装腕を半ばから断ち斬ると同時にガラスのように砕け散っていた。

 蹈鞴を踏む『白式』ではあるが、瞬時に手にする雪片弐型が横薙ぎに振るわれていた。

 斬り返される雪片弐型。首を刎ねに来た一撃を、黒い鉈の剣を投影し、ありったけの力を込めた腕で打ち払う。

 迫る凶刃を――黒い鉈の剣で防ぎとめる。

 だが――

 止めたはずの一撃は、黒の剣を貫き士郎の身体を一閃していた。 

「――ぐっ」

 赤を零しながら士郎は呻く。

(まただ――)

 即座に投影された鉈状の黒い剣は、半ば三工程ほど飛ばして複製されていた。結果、存在が希薄であり砕ける理由は容易に知れる。

 原因は基本骨子の想定が荒いために。どんなにイメージ通りの外見や材質を保とうとも、そこに構造の理がなければ崩れてしまう。

 劣った空想は、その瞬間に妄想へと成り果てる。

 黄金の剣も、鉈状の黒い剣も、本来であれば模造したならば砕けることなどあり得ない。

 ならば、瓦解させぬためには筋を通したイメージで投影するのみ。

「――投影(トレース)開始(オン)

 出来上がっていた設計図を起こし、イメージだけで複製される。士郎の両手に握られるのは、無骨な錬鉄の夫婦剣(めおとけん)

 伝説に残る名工が、妻を代償にして作りあげた希代の名剣、干将莫耶――

 亀裂模様(龜文)が浮かぶ陽剣(雄剣)干将、水波模様(漫理)が浮かぶ陰剣(雌剣)莫耶。

「あれ、は……」

 思わず呟いたのは真耶。士郎が握り締める鉈状の剣は見覚えがあった。ソレは、彼女の脳裏にしっかりと焼き付けられていたため忘れるハズがない。

 IS『アーチャー』が操る機械じみた双剣とは異なり、中華風のデザインを髣髴させる形状。はじめて士郎と出会った時に眼にした剣であるために。

 

 

「どうしてだよ! どうしてコイツは武装を展開できるんだよっ!?」

 気性荒く、束は手にしていたマグカップを壁へと投げつけていた。

 叩きつけられ砕け散る破片。琥珀色の液体が床や壁にぶちまけられる。

 子供のように癇癪を起こした彼女は手当たり次第に、眼につくもの全てを叩きつけていた。

 憎悪を滾らせた双眸で、怒りに満ちた相貌で――

 衛宮士郎が有するIS『アーチャー』の起動展開は、束が強制的に解除していた。部分展開であろうとも、武装の量子変換でさえも、彼女は確かに封じている。

 耐久限界を超えたわけでもなければ、活動限界を迎えたわけでもない。ただたんに、篠ノ之束の手によって操作された現状である。

 にもかかわらず、この男は何事もなかったかのように双剣を呼び出している。

 束にとっては思いもよらぬ。衛宮士郎という輩に、自身の常識が一切通用しない。

 わからない。

 どうして、この男が抗い続けていられるのかが理解できない。

 纏うISは量産機の流用であるのは間違いがない。振り分けられているコアのナンバリングも裏が取れている。

 シールドバリア、絶対防御を封じてしまえばどうにかなるだろうと目論めば、一向にやられはしない。仕留めるべき決め手さえ欠ける。

 ならば、IS自体を封じてしまえば殺すことなど容易であろうと画策すれば……束の予想をことごとく覆す現状が映され続けていた。

 とりわけ、完全に彼女の怒りが爆発するのは、多機能武装腕の雪羅を斬り断った事実である。

 更に追い討ちをかけるような信じられぬ光景は、『白式』のシールドエネルギーが減りはじめていることだった。相手の剣を防ぐたびに、シールドエネルギーは確実に減少し、復元がされていなかった。

 絶対防御が発動すれば、相応にシールドエネルギーの減りも多い。

 少しづつではあるが、『白式』は機能停止へと追い込まれている。

「なんなんだよ……なんなんだよ、コイツは……」 

 自身が手がけた最高傑作の一機が――絶対防御もシールドバリアも展開している『白式』が、ワケのわからぬ一量産機ごときの武装で両断されるなど如何様にして認めることが出来ようか。

「――――」

 憤怒の形相となった束は歯を軋らせていた。

 コイツはこのまま生かしておくワケにはいかない。

 どのような手品――施される機体カスタム、有する武装かはわからない。

 だが、確実に理解させられたことは一点。

 この男も、機体も、このままのさばらせるには危険である。そのためには、どんな容、方法であろうとも、今此処で始末しなければならない。

 例えるならば、束のイメージする純白のキャンバスに垂れた黒い雫。しかし、たった一滴の雫は白の世界を損なわせる象徴としては十分である。どんなに塗り潰したとしても、その存在を滲ませる。

 これは、明らかな汚点である。

(男性操縦者は、いっくんひとりのはずなのに……なのに、なのになのになのに、なのになのになのになのになのになのになのに――)

 汚れをこのまま野放しにしておくなど、束は寛容な心を持ち合わせてはいない。

 何よりも、彼女が求め描く世に衛宮士郎は含まれていない。理想とする世界に、イレギュラーは必要ない。

「調子に乗るなよ、ガキがっ――!」

 怒りの溜飲が下がるワケがなく、彼女の口蓋からは呪詛に近い声音が漏れ続けていた。

 

 

 横殴りに迫る凶器を――しかし、寸でのところで身を捻り、手する千将で打ち弾く。

 士郎の口から呻きが漏れるが、攻め込む『白式』に右の莫耶を叩きつける。

 だが、相手もさることながら、打ちつけてくる軌道は読んでいたのか雪片弐型で容易に防ぐ。

 手中で柄を転がすように持ち直すと、眉間へ奔る切っ先。急所へ迫る一撃を――士郎は双剣をもって弾いていた。

 魔力の消費が低い双剣ではあるが、僅かでも精度を落せば、その時点で衛宮士郎の死に際となる。

「――っ、はあっ――!」

 繰り出されてくる剣を弾き、踏み込んでくる『白式』に合わせるかのように袈裟に薙ぐ。

 眼球、脳を焦がすように鳴り続ける頭痛は止まず、逆に強まっていた。

(落ち着け……落ち着け……)

 自分に言い聴かせるように、両肩で息をしながらも、相手の一撃に備え――

 一息で間合いを詰めてくる『白式』は、その手にする刀を突き出してくる。

 心臓を貫きに迫る剣戟。

 刹那に半円を描くように切り払い、奮う士郎は次撃を打ち込んでいた。

 双剣を迎え撃つ雪片弐型。

 『白式』は一歩も引かずに士郎の連撃を防ぎきっていた。

 拮抗する両者の剣戟。そこに腕力の差がありすぎる。

 幾ら自身の筋力を魔術で『強化』しようとも、それは永久に持続するワケではない。対するISに生身で力勝負を仕掛けても結果は見えている。織斑千冬の戦闘データをインストールされた『白式』の剣に対抗できるのも、カウンターさながらに斬り合わせているだけに他ならない。

 剣が疾る。

 叩きつけられた衝撃に腕が痺れ、身体すら跳ね飛ばされていた。

 が――

 雪片弐型が一閃される中、瞬時に体勢を立て直し、咆哮をあげて士郎は勇然と駆けていた。

 嵐のように振るわれる剣の一撃。

 ISを纏わぬ士郎にとって唯一の利点は小回りが効くことであろう。だが、それがISに対して役に立つかと問われれば答えなどない。

 それでも士郎は『白式』の一撃を誘っては空を切らせ、その合間を攻め込み双剣を叩き込んでいく。

 振るわれる旋風を紙一重でかわして見せては、恐れを知らず踏み込み一刀を見舞う。

 触れれば瞬時に斬り捨てられる暴風の中、躊躇することなく果敢に挑む士郎の姿。

 あの傷ついた身体の何処から力が出せるのか。

 ISに対し、力負けしているハズの士郎は――されど一歩も後退していなかった。

 雪片弐型を受けては、流し、弾き、捌いていく。

「――――」

 息を呑む音は幾人から。セシリア、真耶、本音、簪――

 追撃を許さぬ白の旋風。

「くっ――」

 呻く士郎に呼応するかのように、脳天を狙うように振り下ろされる一刀。

 しかし、日輪の如き閃光とともに、士郎は双剣で防いでいた。

 奔る雪片弐型を、士郎の手繰る双剣が受け流していく。

 頭上真下、左右から間髪を容れず襲いかかるのは『白式』。標的を駆逐するだけに振るわれる凶器。その高速を更に上回り抗うのは士郎が手にする双剣。

 『白式』の剣戟が高速であるならば、士郎の剣戟はいわば神速――

 相手の猛攻を、ただ泰然として構え、迎撃しては打ち崩し、圧倒していく。

 めまぐるしい怒涛の攻撃。右眼が視えていない死角を重点的に突いてくる『白式』ではあるが、士郎は動じることなく干将で雪片弐型の軌道をいなし、莫耶で開いた懐へ叩き込む。

 超人的なスピードで『白式』の反撃すらもことごとく受け流し潰していく。

 とはいえ、攻めれば攻めるほどに、動き続ければ動き続けるほどに、士郎は体力を失っていた。

 指先程度だったものが、今は両腕にまで及び、過度の酷使に感覚は失せている。内部から崩壊してさえもいた。

 技量、体力は圧倒的に劣る士郎であるが、逆に有して勝るものはISにない魔力のみ。

 雑な運びとなる剣筋ではあるが、一撃は重かった。

 がむしゃらとなり振られる士郎の剣は――だが、確かに力が篭められている。

 ぶつかり合い、開く間合いに刹那に踏み込み、両の剣を一閃させる。

 士郎にとっては考えなど何もない。

 身体は止まらず、心も止まらず。されど、立ち止まってしまっては全てが『止まる』――

 体力を失えばどうなるかなど考えるまでもない。

 もはや思考など意味もなく、身体が動くだけでしかなかった。

 故に止まることはなく、前に進むだけでしかない。

「はあっ――!」

 渾身の力で叩きつけ、打ち弾いていく。

 耳障りな剣戟が響き渡る。

 士郎の繰り出される一撃一撃を捌ききれず、『白式』はその身を後退させていく。

「……真っ向勝負を仕掛けるにも限界か」

 間合いを離す相手に対し、士郎もまた断線しかける思考の中、崩壊寸前の身体を動かし後方へと跳んでいた。

 幾ら担い手を投影した双剣とはいえど、術者本人の体力が持たず。加えて、片腕とはいえ織斑千冬と同等の剣技を振るう『白式』には分が悪すぎる。

 こうなってしまっては、無理やり隙を作り倒すしかない。

 ならば――

「――鶴翼(しんぎ)欠落ヲ不ラズ(むけつにしてばんじゃく)

 手にした双剣へ、最大の魔力を篭めて投げつける。

 左右から一投された剣は弧を描き、十字を象るように飛翔する。

 が――

 高速で迫る双剣を『白式』は雪片弐型を一閃させ、容易く打ち払い軌道を逸らしていた。

 あらぬ方へと弾かれ過ぎ去る黒と白の剣。

 武器を手放し、空手となった士郎へ『白式』は加速する。

「――凍結(フリーズ)解除(アウト)

 士郎もまた結果は読んでいた。簡単に切り払われ、防がれることは予測している。

 そのために、自身の掌に作り上げられていたのは今一度の干将莫耶。

 刹那に、振るわれた斬撃を受け止めていた。

「――っ」

 防がれたことに息を漏らす一夏ではあるが、斬り伏せるべく再度の剣戟を見舞う――寸前、それは起こる。

「――心技(ちから)泰山ニ至リ(やまをぬき)

 『白式』の背後から『牙』が迫る――

 この場で動ける人間など限られる。誰の援護かなどと確認をする間もなく背後からの一刀を打ち弾く。

「――――」

 一夏の表情は唖然としていた。

 切り払ったものは、ついさっきやりすごしたはずの黒の剣。真耶か簪のどちらかが奇襲したとばかりに思っていたために。ありえない方角から襲いかかった正体に、彼の表情は変化を生じさせざるを得なかった。

 だが、驚く一夏とは対照に、士郎は莫耶を叩き込む。

 が――

 『白式』は一瞬にして得物を切り返すと、全力を篭めて打ち込まれた白の剣を斬り砕いていた。

「っ――」

 規格外の反応速度に声が漏れる。

 セイバーなみの反射神経。映像で何度も観た織斑千冬に似た――いや、これが織斑千冬なのだろう。他に言葉が見当たらず、見事としか言えぬ剣戟は、どういうわけか彼女の動きを再現している。

 しかし、だからといって士郎に策が尽きたわけではない。

「――心技(つるぎ)黄河ヲ渡ル(みずをわかつ)

 白式の背後から今一度飛翔するのは最初に投擲した莫耶である。

 夫婦剣である干将莫耶には、とあるひとつの特性がある。それは、磁石のように互いを引き寄せることだった。

 例えどんなに離れていようとも、干将と莫耶は引かれあう。その性質に変わりはない。強力なS極とN極であるのと同義であろう。 

 故に、士郎の手に干将がある限り、莫耶はいかなることがあろうとも、手元へと戻ってこなければならない。

「――――」

 二度目の背後の奇襲を――やはり『白式』は想像以上の反応速度を以って避けていた。

 士郎とて黙って見ているつもりはない。手にする干将を叩き込み――その黒の剣もまた、『白式』は斬り砕く。

 この一瞬、この距離、この間合い――両者は手詰まりとなる。

 士郎は四刀による奇襲も失敗し、一夏は雪片弐型を振り払った恰好となる。

 ()()()()()()()()、と士郎は胸中で声を漏らしていた。

 ■■■■を相手に戦った状況を再現されたかのように。ひとつだけ違うのは、今眼の前で対峙しているのが■■■■ではなく『白式』であるということ。

「――――」

 そこで彼は違和感を覚えていた。何故、自分はそんなことを思い出していたのだろうか。

 部分部分は補完されているが、部分部分は欠落している。

 そもそも、どうして自分はこの状況を似たものだと感じ、■■■■を相手に戦ったことがあると錯覚したのか――

 ノイズまじりな思考の乱れを刹那に払い、士郎の意識は現実へと戻される。

 今、自分が相手にしているのは『白式』であり、■■■■ではない。

(余計なことは考えるな――眼の前の相手に手中しろ)

 そう自身に言い聴かせ――士郎は策を施していた。

「――唯名(せいめい)別天ニ納メ(りきゅうにとどき)

 体内の魔術回路が火を吹くかのように熱を生み出す。

 空手であったはずの両腕は、作り上げられていた双剣を三度握り締めていた。

「――両雄(われら)共ニ命ヲ別ツ(ともにてんをいだかず)――!」

 眼の前の無防備とる機体めがけ、士郎は双剣を左右から振りぬいていた。

 装甲を抉り、勢い余った一刀は、雪片弐型を握る『白式』の腕をも斬り飛ばす。防ぐことが出来ぬ双剣に、『白式』の機体エネルギーが根こそぎ奪われる。

 残った唯一の武器を失った白の機体は瞬時加速(イグニッション・ブースト)で後方へと移動していた。

 だが、逃げたところでどうにもならず。

 本能で『恐怖』を悟ったのは、一夏()か、それとも『白式(IS)』か――

 例えどちらだとしても、終幕に変わりはない。

 双剣が消え、士郎の手に生み出されているのは弓。しかしながら、矢として番われたモノ、形状を見て、声を漏らすのは誰であろうか。

 黒い光沢、稲妻のようなフォルム――

 『矢』として構える鏃は、魔剣『赤原猟犬(フルンディング)』――

 限界まで引き絞られた弦から放たれた矢は、どれほどかわされようと、また弾かれようと射手の意志ある限り決して標的を外さぬ赤い光弾と化して襲いかかる。

 弾道を読みとり、瞬時加速(イグニッション・ブースト)で直角に逃げる『白式』ではあるが――

 事も無げに、赤弾は追っていく。

「――――」

 自動追尾式の類かと判断した白の機体は更に加速する。二段階加速(ダブルイグニション)で振り切ろうとするのだが、在り得ない軌道を描き光弾は距離を詰めてくる。

偏向射撃(フレキシブル)……?」

 ぼそりと呟くセシリアの眼前を高速で飛行する『白』と、『赤』がその後を追う。

 信じられないモノを眼にし続けている彼女の視界には、獲物を狙う山猫のように、執拗に追跡しては――逆に対象物を仕留めるべく――速度を増して迫る光が映るだけだった。

 と――

 瞬時にして、標的が射抜かれる。

 蹂躙するかのごとく、赤い猟犬(フルンディング)は『白式』の大型ウイングスラスターを撃ち貫いていた。

 二翼を一瞬にして壊され、空中で大きくバランスを崩す白い機体へ――常識を覆すように、方向転換し真逆に捩れた魔弾は、残るもう二翼のスラスターにも襲いかかり破壊する。

 為す術もなく、衝撃に跳ね飛ばされた機体は墜落するだけ。地表へ激しく叩きつけられ、二転三転とし、倒れたままとなる。

 動き、起き上がることもなく――粒子変換して消えた『白式』の後にはISスーツ姿のまま倒れ伏す一夏の姿だけが残されていた。

「…………」

 決着がついたことを把握した士郎の手から弓が消える。安堵の息を漏らし――刹那に、極度の目眩と押さえ続けられていた吐き気が彼を襲う。

「――こりゃ、相当ヤバイな……ッ」

 頭蓋を割るかといわんばかりの頭痛――

 度重なる魔術行使の代償により、士郎の血液は暴走し脳を激しく圧迫していた。

 と――

 唐突に、彼は身体を懐抱されていた。

 抱きしめられたことに面くらい、また、抱いている相手に驚きながらも士郎は声を漏らすことしかできなかった。

「――――」

「良かった……衛宮くん……本当に……」

 声を詰まらせ、嗚咽混じりに士郎の身体を抱きしめていたのは真耶だった。

「――ッ、先生……苦しいです」

「えっ!? あ、ああ――ご、ごめんなさいっ! わたしったら」

 言って、真耶は慌てて士郎から腕を外すと解放していた。

「でも、本当によかったです。あなたが死ななくて」

「すみません、山田先生……心配をかけてしまって」

「ええ、本当ですよ。すっごく心配してたんですから。だって」

 顔を上げ、真耶は至極嬉しそうにニコリと微笑み――

()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……え?」

 思わず聴き返した士郎の身体にドンと重い衝撃が走る。

 自然と首が動き――

 見入る視界に映るのは、己の腹に深々と刺さり貫いている――真耶が握るブレードだった。



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47

 キャスターと相対する鈴とラウラは、魔力光弾を受けたことにより――キャスター本人も直撃を狙わず、余波ではあるが――意識を失っている。

 だが――

 搭乗者たるふたりが頭を垂らすよう気絶しているにもかかわらず、ISは展開解除されることもなく起動を続けていた。

 本来であれば、操縦者生命危険域(デッドゾーン)として、これ以上ISが稼動できるレベルではない。

 ISとは、人が乗ったことによってはじめて最大限の力を発揮することが出来る。

 その程度の知識はキャスターとて十二分に把握していた。

 鈴とラウラの機体は具現維持限界(リミット・ダウン)――いわゆるエネルギー切れを迎えている。

 ISの操縦者絶対防御――救命領域対応により、すべてのエネルギーは防御に回され操縦者の命は護られていた。

 操縦者の命に関わる攻撃はシールドエネルギーを大幅に消耗するのだが、その判断はIS自体が行い、操縦者側ではカットできないシステム根幹である。

 あらゆる攻撃を受け止める絶対防御とて完璧ではないが、放たれた魔力光弾は物理的にそれを突破し、鈴とラウラの肉体にダメージを与える程のものではなかった。

 だと言うのに、彼女たちが腕や脚から血を流している姿を見て、キャスターは眉を寄せていた。

(絶対防御が発動しているならば、この子たちは血を流さないはず……気絶しているということは、救命領域対応が機能しているはず……でも、それにしてはおかしな点がひとつ……)

 キャスターが矛盾として捉えているもの――

 それは、搭乗者の意識が途絶えているにもかかわらず動き続けている二機のISに対してだった。

 機体稼働に必要なシールドエネルギー量は遥かに下回り、この状態では機体の耐久力が急激に下がっている。更に言えば、絶対防御を除いた、武装、機能全般が使用できなくなるハズであった。

 その認識が通じなく、かくいう意味を示すのは――

「ああ、()()()()()()()()()……」

 導き出された答えに納得したキャスターの額に青筋がうっすらと浮かぶ。

 ふたりのISの絶対防御などハナから機能していない。最初から捨て駒として扱われていることを理解した彼女の貌が怒りに染まる。

「木偶風情が……一端に人質のつもりかしら?」

 学園周囲に展開していた防御障壁魔術を解除し、それら全てを攻撃魔術へと変換させる。

 竜牙兵に回していた魔力すら打ちきり攻撃へと専念する。

 紫電が奔り――

「坊やにとっては有効でしょうね。でも、お生憎さま……わたしにそんな手は通用しないわよ」

 腕を払い、刹那に結果は生まれ出る。

「捩れなさい」

 キャスターが詠唱に用いる神代の言葉。

 呪文や魔術回路の接続を経ずに魔術を発動する、高速神言――

 一小節に該当するが、発動速度は一工程と同じかそれ以上。しかしながら、その威力は五小節を上回る大魔術に相当する。

 『甲龍』と『シュバルツェア・レーゲン』、二機のISの両腕がその場で捩れ吹き飛ばされていた。

 しかし、キャスターによる蹂躙は停まらず。

 Aランク(建物半壊級)レベルに当たる魔力弾による狂飆により、二機は完膚なきまでに破壊されつくしていく。

 両脚を潰し達磨にされたところへ、『シュバルツェア・レーゲン』の肩部の大型レールカノンは損壊し、『甲龍』の非固定浮遊部位の棘付き装甲が爆砕される。

 一方的な魔力弾の集中砲火――

 立ち込める砂塵が晴れた後、残骸部品が散らばる中に残されたのは、機体とは逆に無傷のまま転がる鈴とラウラ。

 このままにしておくわけにもいかず、ふたりを安全であり邪魔にならないアリーナ内の端に運び――

「…………」

 キャスターの視線はとある先へと向けられていた。

 腕を伸ばし、彼女の手に握られているのは剥ぎ取った黒のブレスレットと黒いレッグバンド。いずれも鈴とラウラが有する各々の待機形態ISである。

「先生……」

 心配そうに声をかけてくるのは本音だった。護り抜いていた竜牙兵もアリーナ端へ本音を送り届けると同時に消失していた。

 落ち着かせるように、キャスターは本音の頭を優しく撫でる。

 と、そこへ簪が機体を駆り走りこんで来る。『打鉄弐式』の腕の中には同じように失神しているシャルロットを抱えながら。

 『白式』を停めると口にする士郎に対し、簪もまた手を貸すことを申し出ていた。だが、その協力に彼は首を振っていた。

「お前の武装は打ち止めだろう?」

「でも、荷電粒子砲がある……接近戦が出来ないわけじゃない……それに、わたしの『弐式』は、まだ動ける」

 いくら未完成であろうとも、士郎と連携であれば使えなくはない武装である。そう考えた上での発言ではあるのだが、やんわりと士郎は断りを口にしていた。

 純粋な厚意に対して簪を怪我させるのに抵抗があること、さすがに『白式』相手では戦闘経験がほぼゼロの状態では荷が重過ぎるだろうという二点からの考慮である。

「その気持ちはすごく嬉しいよ。でも、お前震えてるだろ? 無理をしないでくれ。それに、俺はお前にしか頼めないことをお願いしたいんだ」

「わたし、に……?」

「ああ。デュノアを頼む。それと、葛木先生のところに行ってくれ。あの先生の近くなら安全だ」

「…………」

 こちらを心配してくれているというのは痛いほどわかる。だが逆に、簪は自分自身が足手まといであるということも同じぐらいに痛感していた。

 士郎がそのような意味合いを含んで口にしたとは思っていないが、自分にもっと力があれば彼を助けてあげられたのにと己を責める。

「頼む」

 再度呟く士郎だが、視線は『白式』へと向けられていた。竜牙兵が消え失せた中、劣勢に追い込まれていながらもなお志気を下げずに奮闘する真耶を捉えて。

「…………」

 しばし無言のままでいた簪ではあるが、ようやくして頷くとシャルロットを抱き上げ『打鉄弐式』を疾らせていた。

 士郎の指示を受けて運ぶように頼まれたと告げる相手に頷き、シャルロットを受け取ったキャスターはそっと地面へ寝かせ――首にかかっている十字のマークのついたオレンジ色のネックレス・トップをもまた剥ぎ取っていた。

 眼前での保健医の行為に、簪は気がついていない。いや、既に見てはいなかった。

 彼女の双眸に焼き付けられている光景は、纏うISが消失し、無防備な恰好の士郎に振り下ろされる凶刃だった。

「衛宮くんっ――!?」

 叫び、駆け出そうとした簪ではあるが、唐突に腕を掴まれていた。

 驚き振り返って見れば、『打鉄弐式』の片腕を掴んでいるのはキャスターである。だが、簪が驚いたのは、掴まれている箇所だった。女性の細い腕でありながらも、まるで石のように。逆に引き寄せられていたのだから。

 とはいえ、士郎の援護に向わねばならぬ簪は掴まれた腕を振り解こうとするのだが、それが叶うことはなかった。

「――――」

 こんな時に何をするのかと叫びかける簪ではあるが、改めて意識をキャスターへ戻してみれば、相手からは鋭い眼差しが向けられていた。

「行ってどうするの? ろくな装備も無い今のあなたの機体では、無駄に足を引っ張るだけよ?」

「……それは、そうですけれど……」

 指摘される点は事実であり反論できない。だが、だからといって放っておくことができないのも事実である。

「黙って見ていろ……と言うんですか……?」

「そうよ。手を出さずに見ていなさい」

「そんな……」

 憂慮の面持ちのまま視線を向ける簪だが――状況は更に一変している。生身でありながら、士郎は剣を手にし『白式』と互角に渡り歩いていた。

 ISの補佐もなしで幾合もの剣戟を繰り広げる姿など異様であろう。

「……武装……展開……?」

「…………」

 キャスターが動かない理由は二点からだった。

 ひとつは、皆を停めて見せると口にした士郎の意志を尊重して。残るひとつは、自身が任されたのはあくまでも鈴とラウラであるからだった。

 だが、そんなものは口実にもなりはしない。純粋な本心で言えば、衛宮士郎が織斑一夏を停めるだろうということはわかっている。故に、邪魔をする気がなかったからとなる。

 そのために、簪が介入してしまえば士郎の枷となり余計な手間を与えるからだと判断したキャスターが引き止めていただけに他ならない。

 と――

「簪さん、ISを解除しなさい」

「……え?」

 士郎と『白式』が繰り広げる攻防に眼を奪われていた簪は、一瞬何を言われているかわからなかった。

 本音もまた視線だけをキャスターに向けている。

 簪も同じように瞳を動かし――よくよく見れば、ネックレス・トップを掴んでいる手とは逆の手には、他の専用機持ちのものと思しき待機形態が握られていることに気づく。

(どうして、待機ISを手に取っているの……?)

 なんのためにと脳裏で呟く簪へ――

「早く」

 有無を言わさぬ強い口調。

 普段眼にする相手からは想像できぬ姿に、簪はあわてて『打鉄弐式』を解除する。

 光に包まれ、右手中指に填められたクリスタルの指輪へとISが待機形態に戻ったことを確認したキャスターは、次いで掌を上に向けて差し出し告げていた。

()()を、こちらに渡しなさい」

「…………」

 どうしてですか――?

 喉から出かけた言葉を呑み込み簪。人とのかかわりに酷く敏感な彼女だからこそ、先と同様に、下手な問答は許されない空気を肌で感じとっていた。

 断れば、何をされるかわからない。言いようのない重度の威圧を受け、本能からそう悟らされた簪は然したる抵抗もせずに、言われるまま素直に指輪を外すと、キャスターへと手渡していた。

「いい子ね。今は休みなさい。大丈夫、きちんと返すわよ」 

 そう言葉をかけるキャスターの声に頷くかのように、瞼が降り、糸が切れた操り人形よろしく簪の身体がぐらりと前のめりに傾いていた。

 倒れ込む簪を優しく抱き受け、寝かせようとして――本音の悲鳴がキャスターの耳を貫いていた。

 

 

「――――」

 ずるりと引き抜かれる刀身が紅く染まる。

 何をされたのか未だ思考理解が追いつかない士郎に対し――遅れて身体には焼けつく痛みが駆けめくる。

 部分部分の痛覚が麻痺し、だが新たな傷口によって、彼の意識は強制的に戻されていた。

 ぼたりぼたりと傷口から『生命』を零す相手へ――

「あは」

 無邪気に笑い、風を切ったブレードは士郎の右肩へと振り下ろされていた。

「づっ……!!」

 肉を断ち骨を削る痛みにより、眼の前が真っ白になる。

 だが――

 鎖骨に喰いこむ刃身は、それ以上先には進まなかった。

 些か不確かな手応えを感じた真耶の表情は眉を寄せていた。それは、なにか金属のようなものにでも当たったかのような感触を覚えたからだった。

 事実、見れば真耶の握るブレードは刃こぼれしていた。

「どういうことでしょう?」

 不思議そうに小首を傾げていた真耶ではあったが直ぐに意識を切り替えていた。

 刃が通じないのならば、銃を使うしかない、と。

「斬れない身体なら、撃ち殺すしかないですよね?」

 役に立たなくなったブレードを地に捨てると、逆の手に握られる銃器。肩部武装コンテナから取り出していたのは、五十一口径アサルトライフル『レッドバレット』――

(まさかっ、山田先生までっ――)

 胸中で呻きながらも、士郎は魔術回路を起動させていた。

「――投影(トレース)

 右腕は動かず空手のまま。左腕に生み出したのは干将。

 引き金に手をかけた真耶に迷いはない。銃口から火を噴き――士郎の身体から紅い筋が走りぬいていた。

 致命傷となる部分を咄嗟に残る片手で覆う士郎ではあるが、しかし、無論のこと全ての銃弾を停めることなどできなかった。

「――っ、はぐっ――!?」

 脚を撃ちぬかれ、地面へ倒れる士郎は起き上がることが出来なかった。斬られ突かれることに慣れはするが撃たれる痛みは初めてだった。

 視界が霞み、猛烈な寒気と睡魔が彼を襲う。

「おかしな手品は使わせませんよ……衛宮くん?」

 虫の息となる士郎の身体を乱雑に蹴転がし真耶。仰向けとなり呻く相手に、二挺の銃口――手にする一方を額に狙いを定め、もう一方を心臓部へと向ける。

 だが――

 両眼が塞がり苦悶に歪む士郎の貌。荒い呼吸に上下する胸。

 狂気に染まっていた真耶の双眸に変化が起こる。

 眼前――足元に倒れる士郎の姿に、彼女の瞳は正気を取り戻していた。

「え……? ウソ……衛……衛宮、くん……?」

 ピクリともしない相手に、真耶の口から掠れた声音が漏れ出ていた。

「わ、わたし……わたし、が? わたし、わたしが、わた、し、が、彼を……ウソ……だって、衛宮くんは……やだ……わたし……なんてことを……」

 手を震わせながら数歩ほど後ろへと下がっていた。

 どうして、彼が倒れているのか――

 どうして、自分は銃器を向けているのか――

 自分が何をしたのか、自分が何故こんなことをしたのか……彼女は、自分自身が理解できずに、ただただ茫然自失となるだけだった。

 血の気が失せ、顔面蒼白となり彼女。片手は、士郎の腹を刺した際にブレードを伝った血で汚れている。

 地面に倒れたまま動かない士郎と、己の手を何度も見比べ――真耶は声にならない悲鳴を上げる。

 しかし――

 正気と狂気が入り乱れる真耶の思考は安定しない。

 身体を揺らし、ガチガチと歯を鳴らし――その脚はがくがくと震え、ふらりふらりとおぼつかない足取りのまま後退していた。

「はやく、殺、さないと……」

 まともな判断が下せぬまま、頭の中に直接命じられる声に従い、手にする銃口が向けられ――

 刹那に、彼女は両の腕を射抜かれていた。

 

 

 超高高度上空でタイミングを見計らっていたホークアイは戦闘行動へ移っていた。

「現時刻を以って武力介入を開始する。最優先任務は、第二男性操縦者、()()()()()()()。ならびに、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 淡々と呟き、刹那に黒の機体が構える銃口から戦術的高圧縮エネルギーレーザーが発射される。

 『ヴェズルフェルニル』が扱う長銃は、すでに戦闘用という域を超えている。もはや戦争用の代物であろう。

 名を『グングニル(貫くもの)』――

 北欧神話の主神にして戦争と死の神オーディンが振るいし槍の名を冠し、伝承でのその槍は決して的を射損なうことないと謳われている。

 僅かに屈折しつつ、皮肉にもキャスターが展開していた魔術障壁があれば防げたであろう一撃は、『壁』が存在しない学園全体を包むシールドを容易に貫く結果となる。

 衝撃により若干照準がずれるがセンサーは軌道修正を瞬時に施し、目標補足システムが『次』を捉えていた。

 対象機体がロックオンされ――

 学園を覆うシールド消失を確認し、続けざまに引き金にかかる指が動く。放たれたのは二射。

 標的を射抜くべく疾る二条の閃光は流星の如く。正確無比に、銃器を握る『ラファール・リヴァイヴ』の両手首を撃ち抜き破壊していた。

「…………」

 更にもう二射が放たれ、今度は対象機体の肩部を狙撃していた。

 長銃砲(グングニル)から蒸気が排出されていく。

 内蔵された液体窒素によって急速冷却された銃身に次弾エネルギーが供給される中、ハイパーセンサーの望遠機能を最大にして、ホークアイは眼下の状況を視る。

 第二男性操縦者の生体反応は健在であること。量産機の稼動が停止したのを確認し――

 障害となるものがなくなったと認識すると、彼女は機体を疾らせIS学園へ向って急速降下していた。

 だが――

「――ッ」

 息を漏らしたホークアイは、刹那に機体の進行方向を変えていた。減速は一切せずに、逆に更に加速しては螺旋を描くように駆ける。

 肩部、脚部から撃ち放たれた特殊ミサイルを瞬間爆発させ、広範囲に高エネルギーのサージ電流が発生する中、ホークアイは前後左右へと機体を走らせ、真下からの砲撃をことごとくかわし続けていた。

 異形の姿は忽然と消えていたこと、ならびにハイパーセンサーがIS反応を感知していないために見落としていたが、アリーナ内にもうひとりばかり厄介な存在が居たことを彼女は痛感する。

「…………」

 無言ではあるが、展開される電磁パルスの防護シールドを容易に突破してくる威力に、彼女は眉をしかめることしか出来なかった。

 また、ハイパーセンサーが相手の砲撃種類を特定出来ないこと、ならびに砲撃軌道予測が読めないことにも疑問を持たざるをえなかった。

 攻撃してくる『正体』が掴めぬ以上、ホークアイには対処の仕様がなく、ワケのわからぬ手により撃墜されるなど笑い話にもなりはしない。

 故に、この場からの撤退を余儀なくされることとなる。

「…………」

 今一度、彼女は第二男性操縦者の姿を確認していた。できることであれば、保護し連れ帰ることが任務でもある。

 だが、正体不明の輩を相手には出来ぬと割り切ると、決断するのは迅速だった。

「すまないスコール……衛宮士郎のテイクアウト(持ち帰り)は断念せざるを得ない。帰還する」

「気にしないで。彼のことは残念だけれど、おかげで案の定、()()()()()()()()()()()

 幾度目ともない閃光を掻い潜り、ホークアイは八翼のスラスターを展開すると、全速を以って空域から離脱していた。

 

 

 上空から続けざまに射られるのは二射。真耶の両肩武装コンテナが貫かれ――収納していた銃器が誘爆する。

 激しい爆発をその身に受けた真耶はその場に崩れ落ちていた。ピクリとも動かず、さりとて瞬く間に起きた出来事にキャスターは舌を鳴らす。

「無様だわっ――」

 専用機持ちのみになにかしらの問題が生じていると酌んだ彼女は早計であった。

 根本的な解釈自体を誤っていたこと。ソレは、優れた専用機であろうとも、安定した量産機であろうとしても、基本となり唯一共通するのはISだということだった。そこに機体性能の優劣など一切関係が無い。

 真耶が展開しているISは専用機でもなければ特殊なシステムが施されている機体でもない。教員が扱う、ただの一量産機である。

 専用機が何かしらの操作権を奪われるというならば、訓練機とて奪われぬ道理が存在しない。現に真耶の機体は凶行に及んだのだから。

 ISであるならば、例え量産機であろうともなんら代わりがない。

「迂闊すぎるにも程がある」

 自分自身の浅はかさを呪いながらキャスター。

 だが、今は優先すべき順番が変わりすぎていくことに苛立ちすら覚えていた。

「次から次へと――」

 続けざまに起こる第三者の介入によって、真耶の機体が狙撃される。予想外の展開にキャスターは歯を軋らせていた。

 本音に危険だから動かないようにと念押しした彼女は魔術で瞳を強化し、閃光が駆けた大空を仰ぎ――遥か天に滞空する機体を視認する。

 一小節の基に展開される高速神言。

 生み出された魔力が迸り――幾筋もの線条に広がり標的を撃ち墜とすべく空へと昇る。

 だが――

「――はずしたっ!?」

 高速起動により、『ヴェズルフェルニル』は魔術光をことごとく避けきっていた。

 そうこうしているうちに、黒い機体は空域を離脱する。

「――ッ」

 いなくなった相手にこれ以上かまけている暇もなく。キャスターは己に出来ることを全うするしかない。

 アリーナ周辺が慌ただしい。

 それは、学園に配備した使い魔を通じて流れ込む映像。生徒や教員が動き出している姿だった。

 学園へ撃ちこまれた一撃はシールドを容易に突破されている。

 無論のこと、セキュリティが感知しないワケもなく、学園に警鐘が鳴り響くのは自明の理。

 ならびに、閃光を多くの生徒たちが目撃していた。何事かと騒ぎにならぬ方がおかしいだろう。

 今はまだアリーナのシステムロックがなされたままであり、人目に触れることはないが、それもいずれは時間の問題であろう。

 余計な面倒ごとになる前に、早急に処理しなければならない。

 一夏と同様に地に倒れ伏している真耶はISを纏っておらず生身のまま。

 無言で歩み寄り、指先を伸ばすキャスターだったが、唐突に制止の声が士郎の口から上がっていた。

「やめてくれ、キャスター」

「…………」

 首を動かして片眼で睨みつけてくる士郎に対し、キャスターは冷めた一瞥を向けるだけだった。

「……なに、しようとしてんだよ……その手を下ろしてくれよ」

「放っておけば、また殺されるかもしれないのよ? この女は、この場で殺しておくべきよ」

「ふざ……ふざ、けんな……」

 起き上がろうとして――身体が動かないことを諦めた士郎はその恰好のまま口を動かし続けていた。

「……山田先生は……そんな人じゃない……」

「坊や、アナタ自分が何をされたのか本気で理解していないのっ!? この教員も、専用機持ちも――始末しておくに越したことは無いのよ!?」

 キャスターとて、決して士郎が襲われたというだけで彼女たちを殺そうとしているわけではない。

 しかし、どこかの誰かがキャスターの知らない技術によって真耶たちを操っていた以上、それが今すぐにでも、ならびに今後も繰り返されないという保証はない。

 不穏分子ともなりえる彼女たちを、ここで排除しておくことは今現在の安全を確保するうえでは合理的な判断である。

 士郎もキャスターの言葉に含まれている意味合いを理解している。だが、それでも彼は僅かに首を動かし否定の言葉を口にしていた。

「……馬鹿、そんなのダメに決まってるだろ……それに……アンタ、デュノアも殺すって言うのかよ……」

「……ええ、そうよ。わたしは、あのお嬢さんに特別な感情など持ち合わせていないもの」

「嘘つけっての……桜のように、気にかけてくれてるクセに」

 見透かされていることに――

 痛いところを衝かれ、返答に間を空けることとなったキャスターは観念したように声を荒げていた。

「本当に憎たらしくて嫌な坊やだことっ! わかった、わかったわよっ! 坊やの指示があるまでわたしは一切手を出さない! 当事者たちには暗示も掛けないっ! これで満足かしらっ!?」

 霞む視界の中、士郎はキャスターがこめかみに青筋を立てながらピクピクと怖い笑顔で震えているのが見えたような気がしていた。

 本気で怒っているなと感じながら――

「あ、ああ……サンキュー……あ、それと……」

「――まだあるのっ!?」

 さすがにこれ以上は聴いていられない。

 いい加減に殴りつけて黙らせようかと思考するキャスターだが、士郎は真っ直ぐに見据え、残る頼みを口にする。

「頼まれついでにもうひとつ……オルコットを、迎えにいかなくちゃならないんだ……約束したから……いつまでも、あそこに置いておくのは危険なんだ……悪いけれど、最優先で……それも頼めるかな?」

「…………」

 こんな状況であるにもかかわらず他人を優先することにキャスターは本格的に言葉を失い頭痛すら覚えていた。

「わかったわよ、わかったからっ! 後の始末は全てわたしがやっておくから、これ以上は喋らないでちょうだい! 坊やの身がこれ以上手に負えなくなれば、わたしがセイバーに会わせる顔がないのよ! 今はさっさと休んでいなさい!」

「ああ、セイバーに心配かけさせるのは本当にヤバイ……悪い、キャスター……無理ばっかり言って、後は……頼んだ……」

 言って、ついに士郎は限界を迎え意識を失う。

「ああもうっ! 無駄な手間をかけさせてくれる坊やねっ!」

 使い魔を通じてアリーナ内に居るセシリアたち以外の他の生徒は幾人か。

 まずはその連中からどうにかしていかないと――

 やることなすことが多すぎることにキャスターは苛立ち紛れにそう呟くことしかできなかった。

 

 

「――ッ」

 予想外の介入者による砲撃に束は舌を鳴らしていた。

 なにからなにまで自分の思い通りに事が運ばないことに苛立ちは増すばかりだった。

 一基の軌道衛星をハッキングし、座標を割り当ててみれば成層圏空域に存在する一機のIS反応――

「コイツが邪魔したのか……」

 余計なことをするなよと一言漏らし、IS『アーチャー』に下した機体強制解除の信号を送り込んでいた。

 が――

「っ?」

 モニターに映し出されるISに変化は何も見当たらなかった。

 再度強制解除、緊急停止の信号を送り込むのだが、変わらず、何も受け付けていない。

 ISを開発した束でありながら、大元たる主の命令に従わない状況に眉を寄せることしかできなかった。

「――っ、どういうことだよ」

 ぎりと歯噛みした束ではあるが、事態は更に変化していく。

 何の前触れもなく――

 突如として表示されていた全てのディスプレイが切り替わる。勝手にプログラムを立ち上げては、あるウィンドウはデータを改竄しはじめ、あるウィンドウではOSデータを次々に抽出していく。

 一瞬、さすがの束もなにが起こったのか理解できずに呆けていたが、ハッキングを受けている状況であるということをようやく把握する。

「――っ」

 やられた、と束は本格的に呻きモニターを睨みつけていた。

 成層圏空域で戦闘する量産機は、ある意味(デコイ)であり本命。こちらを炙り出そうという役目も担っている。 

 経緯はどうあれ、相手側は、篠ノ之束が衛宮士郎に接触するのをどういうわけか知っていた。邪魔をしたISに介入してくることさえ読んでいた上で、その機会を虎視眈々と狙っていたのだろう。

「……っ」

 データの流出は止まらない。

 一部を敢えて直結させ、そこから束の手腕を発揮するかのごとく、逆ハッキングを仕掛けていく。

 ウィルスプログラムを送り込み、僅かな時間すら稼ぎもするのだが、有利であるのは相手側だった。束が主導権をひとつ取り返せば三つ取られ、三つ取り返せば五つ取られる。

「――チッ――」

 このままではいたちごっこにより時間をとられるだけでしかない。ハッキングの攻防に無駄な手間をとられ、その隙にこの場を押さえられても面白くない。

 取り返すことを諦めた束は防衛のみに専念する。天才たる彼女が本領を発揮したことにより、これ以上の侵攻は食い止められ、そこから幾重にも防衛プログラムを組み込んでいく。

 だが、あくまでも止めているだけに過ぎない状況は、いつかは拮抗が崩れ出す。

 数パターンの情報殲滅改竄プログラムを送り込み、完全なプロテクトを幾重にも張り巡らせ――

 ひとつ小さな舌打ちを漏らした束は、無造作にとあるキーを叩いていた。

 瞬間――

 ボン、と音を立てて汎用機は黒煙を吐き出していた。

 物言わぬ鉄の塊と化していく機材。その中には、メインフレームすら含まれている。

 必要なデータは定期的にバックアップしているとはいえ、この光景は他者から見ればやりすぎであろう。しかし、自身のマイナスに値すると判断した対象に関しては、やるからには徹底するのが束でもある。

 主要となる機材は次々と壊れていく。 

 束が下した命令はデータ消去。

 これ以上の損害を免れるために、データを破棄するためだけに機材ごと破壊するために、キーを無造作に叩いていく。

 主要の機材が次々と壊れていく中、束は別のことを考えていた。

 どこぞの国家が介入してきたのかと踏むが――いや違うと束は首を振っていた。一国家でできることなど限られる。

 だとすれば――

「…………」

 国家でなければ組織であろう。更に、こんなマネができる組織など、束にとっては思い当たる節はひとつしかなかった。

 当初は、国際IS委員会かと思いもしたが、連中にこのような芸当が行えるとは考えにくい。

「レベルが低いヤツじゃないとすると……」

 どういう理屈か、こちらの掌握を打ち払う方法をこの機体は有しているのだろう。

 今この場で一機のISにかまけている暇はない。此処が割り出されるのも時間の問題である。いや、既に割り出されている。

 こちらの居場所を特定するのが目的であったかのように――

 現に、ディスプレイに映る赤二点。

 別の軌道衛星をハッキングし、そこから映し出される結果に――束の表情は変化を生じさせるに十分だった。

 ダイレクトに流れる映像は、超高速で白色と黄色のISが移動していた。

 割り出された方角から、二機は間違いなくここを目指し向って来ている。

「…………」

 目的は篠ノ之束の捕縛か、または有する無人機か。

 移動式のラボたる『吾輩は猫である(名前はまだ無い)』には相応の防衛装備を有している。だが、亡国機業の相手をするなど面倒であり手間がかかる。

 故に、早々にここから撤退する必要がある。

「……まあ、いっか……」

 一度だけモニターに視線を向け――

 当初の目的は達成できたことに束は満足していた。遅かれ早かれ、第二操縦者の男は死に絶える。次は三番目の男を排除しなくてはならない。

 癪ではあるが、全ての機能を打ち切ると彼女は逃走するための行動を開始していた。

 

 

 寮食堂内の片隅で、ソファーに座る箒とセシリアは言葉少なく会話を交わしていた。

 内容は第二アリーナで起こったものである。

 箒自身もアリーナ内に居合わせていたことを告げ、セシリアは一部始終を口にする。

 とはいえ、あの場で唯一全てを見入り、最初から最後までを知るのはセシリアと本音だけだった。思い出してみても理解出来ぬことの連続でしかない。

 特に、士郎の身体の傷口が癒えていく姿を直に眼にしたふたりは信じられないといった驚愕の眼差しで見ることしかできなかった。

 部分空間凍結の魔術を施された士郎の身体から無造作に引き抜かれた杭が地面へ放られる。

「葛木先生……これは、一体なんなんですの……?」

「…………」

 キャスターの手を借りて地面へ下ろされたセシリアは、眼の前で起きている現状に問いかけの声を漏らしていた。

 しかし、相手は求めた答えに応じることはなかった。ただ、邪魔をするなという殺気にも近い威圧を篭められた一瞥を向けられるだけであり、以後セシリアと本音は何も口にすることも出来ずに押し黙るだけだった。

 あの場あの時ほど、セシリアは背筋を凍らせるほどの戦慄を覚えたのははじめてであった。そのため、本能的に口外できる部分のみを話すだけに留まることとなる。

 箒にとっては、彼女は隔壁に閉じ込められたまま何もすることが出来ずにいた。『紅椿』を展開したところで隔壁をこじ開けることも破壊することも叶わぬまま、気がつけば事態は収束に向かっていた。

 だが、終わってみれば事態は箒が思っているほど楽観出来るような状況ではないことを気づかされる。彼女は知りもしなかった。一夏以外に士郎に襲いかかった五人の存在を。

 その内のひとりであるセシリアの口から伝えられる内容もまた耳を疑うに値するものだった。

「…………」

 双方押し黙り、時間だけが過ぎていく。

 ――と、そんなふたりのところへ、ふらりと現れたのはISスーツ姿に腕や脚、頭に包帯を巻いた痛々しい恰好のシャルロットだった。箒とセシリアの姿を捉え、憔悴しきった顔のまま声をかける。

「ああ、此処に居たんだ。よかった。部屋に行っても居なかったからさ……随分と探しちゃったよ」

「どうしたんだ? 何かあったのか?」

「うん、実は……ふたりに言っておこうと思って……あのさ……僕、帰ろうと思うんだ」

「は?」

「…………」

 唐突に切り出したシャルロットの内容に、箒は聴き間違いかといわんばかりに眼を丸くし、セシリアは無言のまま視線を向けていた。

「帰る? 帰るとは……一体何処にだ?」

「フランスにさ」

 損壊した機体修復のために一時帰国するのかと理解した箒であるが、シャルロットは違うと首を振っていた。

「たぶん、僕はもう此処には戻れないと思う。ううん、恐らく、箒たちにももう二度と会えないと思うんだ」

「何を言っているんだ……?」

 引き揚げることを示す意味合いに箒は困惑する。

「ごめん……ちょっと詳しいことは言えないんだ。ただ、皆と過ごした時間は楽しかったよ」

「ど、どうしてだ? いくらなんでも、突然すぎるじゃないか」

 慌てるように声を上げる箒に対し、シャルロットは静かに首を振る。

「どうしてもないよ。僕は、此処に居られない。僕は、士郎にとんでもないことをしたんだから」

「……ま、待て! だが、だからと言って……」

「四組の子には、さっき会うことが出来て……その……僕は、士郎に会わせる顔がないんだよ。だから……ごめん。虫のいいことを言っているのは重々承知してる……でも、それでもお願いしたいんだ。士郎には、箒とセシリアから伝えておいてほしい……許してもらえるなんては思っていないけれど、本当に申し訳なかったって」

 それじゃ、と消え入りそうな声で呟くとシャルロットは箒の視線を振り切って踵を返す。

 だが――

「お待ちなさい」

 呼び止めたのは無言のまま聴き入っていたセシリアだった。

「黙って聴いていれば……シャルロットさん、アナタ、随分と自分勝手すぎませんこと?」

「……言ったでしょ。勝手なことだってのはわかってるって……だから――」

「だから、逃げ出すと仰いますの? 保身のために?」

 蔑むかのような眼を向けるセシリアに、シャルロットは顔を伏せることしか出来なかった。

「……保身……君は酷いね……僕に生き恥を晒せって言うの?」

「ええ、そのように捉えてもらって結構ですわ。みっともなく無様な姿をあらわにしろと申しておりますのよ」

「セシリア、お前……」

 いくらなんでもそんな言い方はないだろうと咄嗟に肩を掴む箒であるが、セシリアはうっとうしそうに振り払っていた。

「箒さん、申し訳ありませんが、アナタは黙っていてくださいまし」

 ぴしゃりと言い切り、セシリアはシャルロットへと向き直る。

「悲劇のヒロインぶるのは勝手ですわよ。それでも自国へ帰るのならば、お好きにどうぞ。ですが、彼への言伝は御自分でなさいませ。わたくしも箒さんも、メッセンジャーではございませんのよ」

「…………」

 俯くシャルロットはただただ言葉を吐いていた。

「……どんな顔をして、僕は彼に会えって言うのさ」

「そんなのは知りませんわよ。御自分で考えなさい。それに、言っておきますけれど、辛いと思うのはシャルロットさんだけではございませんのよ? わたくしとて、どの面下げて彼に会うべきかなど、逆に教えて欲しいぐらいですわよ」

「…………」

「今一度、よく考えなさい。彼を傷つけたのは、アナタだけではないんですのよ。わたくしも、鈴さんもラウラさんも、一夏さんもですのよ。自国に帰るから伝えて欲しい? 甘えるのもいい加減になさい」

「…………」

「帰るのならば、直接ご自身の口から彼に伝えてから去るんですのね」

「……僕は、セシリアのように振舞うことは出来ないんだよ」

「だから、殻に閉じこもるというんですの? ハッキリ言いまして、今のあなたは見ていてイライラしますわよ。何をひとりで不幸ぶってるんですの?」

 その物言いに、シャルロットの眉がピクリと動く。

「僕は、そんなつもりは――」

「いいえ、あなたは不幸ぶってますわよ。なんて僕は可哀想なんだろう。こんなにも僕は辛い思いをしたのにと……虫唾が走りますわよ」

「……ッ、なんだよ……さっきから偉そうにっ……僕がどんな思いをして、どんなに悩んで決めたかも知らないクセにっ!」

 セシリアの言葉尻にシャルロットの抑えていた感情が爆発する。怒り、睨みつけながら。

 だが、射殺すかという双眸を向けられていながらもセシリアは動じることもない。むしろ呆れたように肩を竦めて見せていた。

「ええ、ええ、知りませんわよ。わたくしはアナタではございませんもの。いえ、むしろ知りたくなどありませんわね。彼を傷つけて、すごすご逃げ出そうとしているアナタの何をわかれと仰いますの? わかってもらおうという根本的な考え方自体が甘いんですのよ」

「…………」

「もっとも、アナタにとってはその程度でございましょうね。さっさと帰って悠々自適にすごせばいいんじゃありませんの? その様子ですと、アナタのことですから彼を傷つけたことに関しても、特に責任も感じていらっしゃらないんでしょうけれど。士郎さんのことなど綺麗さっぱり忘れて、何事もなかったかのように呑気に暮らせばよろしくて? さぞかし楽なことでしょう」

「――っ」

 刹那、ばしんと乾いた音が上がるのはセシリアの頬から。

 肩を怒らせ、呼吸も荒いシャルロットは相手を睨みつけていた。

「前々から気に入らなかったんだよ。お嬢さま然としたその物言い。上から目線の君がさ」

「……やりましたわね」

 頬を手の甲で拭ったセシリアは、負けじとシャルロットの顔を掌で張っていた。

 ひとつ叩かれればふたつ返し、ふたつ叩かれればみっつに返す。

 互いの頬を打ち合うふたりに――

「や、やめろ! こんな時に何をやっているんだ、お前たちはっ!?」

「……やらせとけばいいんじゃないの?」

 唐突に割り込まれた声音は――自動販売機に寄りかかるように腕を付き、面倒くさそうに視線を向けていた鈴だった。彼女の恰好もいたるところに包帯が巻かれた姿である。

「鈴! 身体の方はもういいのか!?」

「ちょっと、あんまりデカイ声出さないでくんない? 頭に響くから」

 眉をしかめて嫌そうな顔をする相手に箒は即座に口を噤んでいた。

「す、すまない……」

「ん。まあ、打ち身が酷くて至るところがまだ痛いけれど……頭もまだぐらぐらするけれどね」

 動けないわけじゃないわよと応える鈴。

「大丈夫なのか? まだ休んでいた方がいいんじゃないのか? 無理をしても身体を壊してしまったら意味がないんだぞ?」

「呑気に寝てもいられないわよ。で? あのふたりはなにしてんの?」

 呆れ、疲れたように視線を投げる先では未だセシリアとシャルロットのふたりは平手の応酬をしていた。

「そうだ――お前もふたりを停めるのを手伝ってくれ」

 思い出したように箒は事態を収拾させるために協力を募る――のだが、予想に反して鈴は至極面倒くさそうに一瞥をくれるだけだった。

「はぁ? なんでよ。イヤよ、めんどくさい」

「鈴!?」

「停めたきゃ箒ひとりで勝手にどーぞ。あたしはあたしで用があんのよ。で? 衛宮はどこ? ラウラは隣の部屋で寝てて、一夏は隔離されて、アンタたちはここに居るし。衛宮を探してるんだけど、どこにいるか知んない?」

 その言葉に掴み合いを続けていたセシリアとシャルロットの手が停まり、箒もまた表情に陰りを浮かばせる。

「……その顔からすると、どこに居るかは知ってんのね。ならいいわ。それで、一体なにがあったわけ? きちんと説明してくんない? あたし、気がついたらベッドの上なんだけれど?」

 

 

 同刻――

 深夜、人気の無い公園に居るのはふたり。遊具のブランコに腰掛けた千冬と真耶は無言だった。

 公園内の外灯に照らされたふたりの表情は浮かなかった。

 セイバーとランサーを連れてIS学園に戻ってきた千冬にとって、第二アリーナで起きた件はまさに寝耳に水であろう。

 一連の騒動を聴き入った千冬は静かに息を吐いていた。報告内容はどれも頭が痛いものばかりである。

 キィと音を鳴らし、真耶はようやくして視線を千冬へと向けていた。

「……織斑先生、『白式』は、一度本格的に精密検査を行うべきです。あの機体は、明らかに何かがおかしいです」

「…………」

 真耶の指摘通りに、千冬も『白式』には何処かきな臭さを感じてはいる。一般企業や国家が造った機体ならまだしも、少なからず篠ノ之束が手がけたという事実が、彼女にとってはどうにも妙に引っかかっていた。

 何より、彼女はランサーに告げられてから『白式』と『紅椿』を訝しんでいたところはあった。

 片手で缶ビールのプルタブを引いて開けると、口をつけて喉に流し込む。

 バーで随分と呑みはしたが、それでもまだ千冬は呑みたりなかった。

 委員会の貪欲さ。眼にし、耳にした内容を今思い出しただけでも虫唾が走り、苛立ちは消えない。呑まなければやっていられないとはこのことだろう。

 あげく、学園に戻ってみれば専用機たちの暴走事故があったと報告を受ければ耳を疑い言葉もなくなる。

 負傷者の中でも特に怪我の状態が一番酷いのは、重篤とされる士郎である。

 身体中の至るところに生じる切創、裂傷。一部は割創さえある。銃創や杙創(よくそう)、内部的怪我となる内出血に骨折、捻挫、内臓破裂。熱的要因となる火傷も酷い。

 集中治療室に担ぎ込まれ、士郎の意識は未だ戻ってはいない。セイバーとランサーのふたりは士郎の容体を知るや否や何処かへと姿を消していた。

 士郎とは別に、意識が戻っていないのは三人ほど。一夏と鈴、ラウラである。だが、こちらの三人は命に別状があるわけでもなかった。重度の打撲として呼吸は安定している。意識が戻るのも時間の問題であろうと診断されていた。

 一体何が原因で、何が起こったのか――

 とりわけ呆けたように塞ぎ込むのは真耶だった。眼を覚ましてから自分がした事の重大さを我を忘れるほど錯乱したかのように暴れ出し、酷く取り乱す彼女を押さえつけたのはキャスターであると居合わせていた本音や簪、セシリアから聴かされていた。

 教職員寮の自室にまるで引き篭もるかのように。

 何があったのか事情を聴くために、敢えて外へと連れ出したのは千冬の独断である。学園にいては訊けることも訊けないとしての配慮故に。

 当然ではあるが、連れ出すことにキャスターが気づいていないハズはなく、だが敢えてなにも言わずに黙認していた。

 行きつけのバーで呑むのも千冬ひとりであり、真耶は一口も酒には手をつけなかった。

 話したくないのならばそれでもいいとして、帰りがてらにたまたま眼についた公園へと誘って来たのは真耶である。

 そこで一連の流れを――真耶は重い口を開いて語り、全てを吐露していた。

 唐突に――

()()()()()()()……」

 一点を見つめ、ポツリと呟かれた千冬の声音に真耶は一瞬呆けた顔をしていたが、応じるように――場に不似合いな声が加わる。

「あれれ? 気づいていたのかな?」

 一体いつからそこにいたのか、何の前触れもなく、何も無い場所から現れたのは、篠ノ之束。まるで最初からそこに居たかのように。

「篠ノ之、博士……」

 驚きに眼を見開く真耶とは違い、居るのがわかっていたのか千冬の表情に変化は見当たらなかった。

 缶ビールに口をつけた格好のまま視線を向けてくる幼馴染の前に、束はスキップさながら足取り軽く歩み寄っていた。

「やー、ちーちゃん」

「……なんの用だ?」

 自分から声をかけておきながら、問いただす相手に気にした素振りも見せずに束は笑う。

「いやいやいや、なんだかさー、学園で愉快なことが起きたそうだねー。何でもさ、いっくんの『白式』が暴走したらしいじゃない。これまた随分と面白いことが起きるもんだねー。ホントホント、不思議なこともあるんだねぇ。それに、二番目の男がくたばりそうだって言うじゃない?」

「……面白い?」

 だが、この言葉に反応したのは真耶だった。

 彼女の中で、少しづつではあるが、何かが壊れかけていく。

 下手をすれば誰もが大怪我をし、最悪なケースでは命すら落しかけない危機的状況であったものを、ただの一言の『面白い』と片付けられることなど、如何様にしても納得できるはずがない。

 なによりも、面白い要素など――断固として――ひとつもありはしない。

 相手がISを世に生み出し造った張本人の篠ノ之束とはいえ、不謹慎としか思えない今の発言は、真耶の神経を逆なでさせるには十分だった。

「何が、面白いんですか……」

 ぼそりと吐かれた声音は、しかし、束の耳に届いていたのだろう。千冬との会話を邪魔されたことに、露骨に怪訝そうな表情を浮かべていた。

「は? なんだよコイツ。ちーちゃん、なに、コレ?」

 コレ呼ばわりをし、向ける顔つきも、千冬へ見せていた物腰優しそうだった双眸の面影は微塵も無く、睨みをきかせた眼光へと変わっていた。

「……束、失礼な言い方はやめろ。彼女は、わたしが受け持つクラスの副担任の山田真耶だ。臨海学校で一度会っているだろう?」

「あれ? そうだっけ? 取るに足らないどーでもいい人間なんて、いちいち覚えてないよ――て、あぁ、よくよく見たら、ちーちゃんをたぶらかそうとしたおっぱい魔神か」

「…………」

 けろりと応える束に対し、千冬は無言のまま眉を寄せていた。

 鬱陶しそうに指を差し向ける束ではあるが、千冬が制止するよりも早く、肩を怒らせる真耶の口が動いていた。

「もし、取り返しのつかない怪我をしたら、死んでしまっていたとしたら……篠ノ之博士、あなたはそれでも面白いと笑っていられるんですか?」

「はぁ? だからなんだよ? なに束さんに意見してるワケ? 別に、二番目のヤツがどうこうなろうと知ったことじゃないよ。それに模擬戦なんだから、事故で死んだとしても、相応に処理されるわけだし。なにマジでムキになってるわけ? 理解できないんだけれど」

 面倒くさそうに応えながら、ひとつ名案を思いついたかのように指を一本立てていた。

「ああ、例え死んだ後でも役には立つよね? 研究材料としての『価値』ぐらいは残ってると思うし。できれば死んじゃえば良かったのにねェ? そうすれば、男でISを動かせる理由も原因もいろいろと調べられたのに残念だったねぇ。まぁ、くたばってたらくたばってたらで、腕の一本でも貰おうかなーと思ってたところではあるし。束さんとちーちゃんの仲だしねぇ。ねぇ、ちーちゃん? どーせあの二番目は死ぬんだしさぁ、予約ってことで、事切れたら束さんに死体を寄こしてよ。有効活用してあげるよー」

「…………」

 くすくすと笑う束ではあるが、千冬は無言のまま聴き入っているだけ。ただ、その表情はより一層険しい顔となっていた。

 ただひとり、静かな怒りによって身体を震わせる真耶のみは束を真正面から睨み見据えていた。

「衛宮くんは死にませんっ! いいえ、絶対に死なせませんっ!」

「うるさいなぁ。空気ぐらい読めよ。それに、お前ひとりがどうこうしようが、遅かれ早かれ、死ぬ人間はどうあがいたって死ぬんだよ」

「あなたは、本気で言っているんですか……?」

 相手の考え方は到底受け入れられはしない。いいようのない嫌悪のみが真耶の心を支配していく。生理的に受け付けることが出来ないと彼女の本心がそう警鐘を奏ではじめていた。

「くだらないことを訊かないでほしいね。冗談を言うほど束さんは暇じゃあないんだよ。まぁ、言い方を変えれば、少しは興味があるよ。人体の構造上の部品としてね」

「……っ」

「いろいろと調べたけれど、他の専用機持ちたちもこぞって襲ったらしいじゃんか。二番目の男性操縦者を事故とはいえ殺したってなると、他国のどうでもいい代表候補生も相応に面白くなってたのにねぇ。男性で操れる内のひとり。貴重な輩を殺したともなれば、各国の面目丸つぶれだったろうにさぁー。実に残念だったよ」

「アナタはっ!」

 思わず立ち上がろうとした真耶に片手を差し向け、そこで今まで口を挟まなかった千冬が割って入っていた。

「……束、遠回りな言い方はやめろ。お前がそれだけを言うために、わたしの前に現れた訳ではないだろう?」

「おおっ、さすがちーちゃん、察しが早くて助かるよ。わかってくれるってことは、やっぱり愛かな?」

 真耶にはもはや興味はないとばかりに、束は嬉しそうに千冬へと向き直っていた。

「あのさー、やっぱり二番目のヤツは個人的にいろいろと調べたいから、バラしてみたいんだよねー。ナノ単位ででも調べもすれば、どうして男でもISが動かせるのかがハッキリとすると思うんだよ」

「――っ」

「…………」

 表情に変化を生じさせるのは、無論、真耶である。千冬は眉を微かに動かすのみ。

「それだけを伝えに来たんだよ。束さんなら検体として、効率よく研究材料として使ってやれるからね。そんじょそこらの無能な屑どもとは勝手が違うよ~?」

「そんなこと、容認できるわけがありませんっ!」

 両手を広げ、ケラケラと笑い楽しそうに説明し出していた相手に我慢できず――

 だが、確固たる意志を持った真耶は声を荒げていた。

 案の定、邪魔されることを快く思わない束の表情もまた変わることとなる。

「ちーちゃん、ホントになんなのコレ、さっきからさぁ……? なにコイツ、なに偉そうに束さんに意見してるの?」

「衛宮くんは、モルモットじゃありませんっ!」

 怒りに身を任せて立ち上がる真耶に対し、心底鬱陶しく目障りだといわんばかりに束は呆れの表情を浮かべていた。

「はあ? だからうるさいって言ってるだろ。どうせおっ死ぬ二番目なんだし、替えは三番目のヤツが居るんだから別にいいだろ。ゴッコで教職者ぶってる割りに偉そうにするなよな。大した実力もないクセに」

「なっ――!?」

 束が告げた言葉に真耶は言葉を失っていた。自身は決して『ごっこ』で教師を行っているつもりは無い。至らない点があるのは自覚しているが、教師としての誇りを持っている。遊びのつもりなど毛頭なかった。そんな風にとられるなどと、心外以外の何者でもなかった。

 悔しさに歯噛みする真耶に構わず、束は続けていた。

「それに、三人の男性操縦者の中で一番どうでもいいのが二番目の男だしね」

「……どういう意味でそう思う? できれば聴かせろ、束」

「――ッ!」

 唐突な千冬の言葉に、真耶は顔色を変えていた。まさか、話の内容如何によっては了承するつもりなのかと彼女は危惧する。

 話に乗ってきたと捉えた束は嬉しそうに切り出していた。

「いっくんは、束さんや箒ちゃんにとって、とても大事な子だからね。三番目は操縦技術がダントツっぽいし。ほら、そうなると二番目なんて大した役にも立ってないじゃん」

「…………」

 束の一個人の感情での物言い。

 どういった理由が聴かされるのかと少しばかり期待をしていたのだが、思わず千冬は苦笑を浮かべていた。それは予想出来得ていた応えであったからに他ならないために。

「……それが、理由か?」

「そうだよ。ちーちゃんこそわかってるクセに、何でいちいち訊くのかなぁ? ちーちゃんだって、その三人の中なら篩いにかけて二番目のヤツが一番どうでもいい存在だと思うでしょ?」

 意味がわからないよと漏らす束に対し、千冬はフンと鼻で笑っていた。

「その考えには賛同できんな。お前の言い分では、それでは衛宮が一番格下だからという意味での結果だろう? 偏見でしかない」

「偏見も何も、事実だからねぇ」

「……束、その三人の中では、一夏が一番下だとは捉えないのか?」

「ありえないね」

「何故そう言い切れる?」

 千冬の言葉に、束は呆れた表情を浮かべていた。

「ちーちゃん、ちーちゃんこそよく考えた方がいいよ? いっくんは伸びるよ」

「ほう……その根拠はなんだ?」

「決まってるじゃない。束さんが手がけた『白式』に乗ってるんだよ? これで伸びないはずがないじゃない」

「…………」

「だからさー、ちーちゃんの許可を貰っておこうと思ってさ。ちーちゃんだって、いっくんよりもどこの馬の骨ともわからないヤツが研究材料にされてた方がいいでしょ? ISの発展のために何かしらの役に立つとは思うし」

 ね、と賛同を得るかのように問いかける束に対し、だが、千冬の表情は冷ややかだった。それは、いつぞやの携帯電話で会話を交わした際の時と同じ否定の言葉を口にするために。

 同時に――まだ中身が残っていた缶ビールが彼女の手の中で握り潰されていた。

「……なぁ束、前にも言ったはずだ。人道的に反した事柄に、わたしは賛同する気はないと。それに、一切興味がない」

「んんー? ちーちゃんも箒ちゃんと同じで御堅いねェ」

「…………」

 妹と同じという物言いに、千冬の首が僅かに傾く。

「まー、いっか……とりあえず、伝えることは伝えたからね? ちーちゃん? それにしてもさぁ」

 口元に指を運び、くすくすと束は笑う。

「『白式』は、わたしの予想を裏切る動きを見せるねぇ。搭乗者の精神とリンクして、そういう行動に走るのかもしれないのかなぁ。わたしにもわからないことが出てくるってのは興味深いよ。うんうん、そう考えると、いっくんが心の底からそのように望んだからこそ、『白式』が動いたんじゃないかなあ?」

 だが、この言葉に異議を唱えたのは真耶である。

「織斑くんが自ら望んで、衛宮くんに危害を加えたと言いたいんですかっ!?」

「そうだよ。目障りだから潰したい、気に入らないって思うのは、人間誰もが持ちうる心理だろ。別におかしなことじゃないはずだよ」

「…………」

 キッと睨みつける真耶だったが、その口は動いていた。

「……篠ノ之博士っ、あなたがなにかしたんですかっ!? 応えてくださいっ、篠ノ之博士……あなたが、彼らに何かをしたんですかっ!?」

「随分と面白いことを訊くね? 仮に束さんがちょっかいを出したとして、何の得があるのかなぁ?」

「……ISを造ったあなた以外に、こんなことが出来るとは思えません」

「まあ、束さんに不可能はないけれど、だからといって、それだけで束さんが何かしたって言うのはどうかと思うけれどねぇ?」

「…………」

「そうまで言うなら、束さんが何かちょっかいを出したって言う証拠を出しなよ。誰もが納得できる断固たる証拠をさぁ」

「……それは」

 ぎりと真耶は歯を軋らせていた。

 確証を持ったわけではないが、相手は嘘をついている。雰囲気でそれを察していた。

「証拠は?」

「……証拠なんてありません。ですが、ハッキリとわかります。篠ノ之博士、あなたが何かをしたのは……わたしの、ただの勘です」

 相手が告げる言葉に、束は失笑を漏らしていた。

「勘? とるにたらない人間の勘ごときで難癖つけられても迷惑な話でしかないよ。ちーちゃんの前だからって、下手に格好つけるなよな。たかが一教師もどきがさぁ。もう一度訊くよ? ちょっかい出したとして、束さんに何の得があるって言うのさ?」

「――っ」

 明らかに眼の前の篠ノ之束は何かを行っている。だが、それを明確に表示できる証拠がない。介入し、手を加えたという物質的証拠が。

 本人を前にしておきながら、この言いようのない歯痒さ、怒り。

「それにさぁ、機体のせい機体のせいって言うけれど、本当に機体のせいなのかな?」

「……どういう意味ですか?」

「あれ? ここまで言ってわからない? 無能はどこまでいっても無能ってことか。搭乗者の意思で殺そうとしたんじゃないのって言ってんだけれど? こうまで砕いて言わないと理解できないわけ?」

「――――」

 それは、妹の箒にも告げた同じ言葉。一夏やセシリア、鈴、シャルロット、ラウラたちの明確な意思で士郎を傷つけたのだろう、と。

 だが、反応は箒とは違う。真耶にとって、教え子がそんな感情を持つはずがないと信じているために。

「だいたいさぁ、お前も殺しかけて喜んでたひとりのクセに、何が護るだ死なせないだ、だよ。よくそんなことが言えるもんだね。今頃いい子ぶるなって言ってんだよ」

「――ッッ!?」

「お前の明確な意思で、あの二番目を殺そうとしたんだろ。他人に責任擦り付けるなんて鬱陶しいことこの上ないよ」

 聴くに堪えられないと捉えた真耶は掴みかかろうとするが、身体を滑り込ませた千冬が制止していた。

 束はニタニタと口元を歪ませている。

「ムキになるってことは、自覚はあるみたいだねぇ。で、どうだった? 偉そうなこと言ってた割には、やってることは矛盾してるわけだよねぇ? お前もなんだかんだヌかしてるクセに、本心では男がISを操作できることが妬ましかったんだろ?」

 結果――

「アナタはッッッ」

 聴くに堪えられず、千冬の腕を振りほどき、感情のままに殴りかかる真耶ではあるが――

 次の瞬間に、地面に倒れこんでいたのは己だった。

 何をされたのかはわからない。気がつけば、自分から地面へ倒れこむかのように。

 頬にじんじんとした痛みと熱が帯びはじめる。ようやくして、真耶は、逆に自分が束に殴り倒されたのだということを理解していた。

「大丈夫か?」

 真耶を優しく抱き起こすと、千冬は鋭い視線を束へと向けていた。

「束、お前が何を考え、何を企んでいるのかは知らんし、訊く気もなければ興味もない。だがな……これ以上、衛宮にいらんちょっかいをかけてみろ。さすがにわたしとて見過ごすワケにはいかん」

「…………」

「それにだ、お前がわざわざこうして出てきたということは……お前、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「…………」

 今の今まで楽観としていた相手の態度、雰囲気が変わる。

 眼つきを変えた束は逆に問いかけていた。

「……ちーちゃん、どうしてそう思うのかな……?」

「フン、お前との付き合いが何年だと思う? お前の真意に関して理解は出来ないが、お前が考えそうなことぐらいは察しがつく」

「……それだけで?」

「ああ、それだけだ。だがな……」

 嘲りの混じった眼差しの束に対し――

 千冬はハンと鼻で笑い、口元を釣り上げていた。

「うぬぼれるなよ? 世の中にはな、お前が知らないことも存在するんだ。お前を中心に世界が回っているとは思わないことだな」

「……その言い方だと、やっぱりちーちゃんは、何か知ってるっぽいってことでいいのかな?」

「そうだな。お前よりは知っているつもりだ。一夏以外にISを動かせる輩を近くで見ているからな。常識が通用しないとはこのことだろうな。現に、お前の理解が及ばない出来事に直面している……違うか? 衛宮の登場は、まさしく予想外のことではないのか?」

 かまをかける言い方の千冬ではあるが、相手は愉快そうに笑みを浮かべるだけだった。

「ふうん……面白いねぇ。そういうことにしといてあげるよ、ちーちゃん」

 ぺろと指先を舐め、目を細めた束は……しかし、彼女もまた、にんまりと口元を歪ませていた。

「まあいいや。一応、断りは入れたから、後はこっちで勝手にやるからね」

「篠ノ之博士っ、まだ話は終わっていませんっ!」

 落ち着け真耶と千冬に肩を捕まれるが、その手を荒々しく振り払い――

「彼に――いえ、衛宮くんとランサーさんに指一本触れてみなさいっ! わたしは、アナタを許しませんっ!」

「…………」

 その言葉に――

 束は眼を瞬かせ、きょとんとした顔をしていたが、唐突にケラケラと笑い出していた。

 これに唖然とするのは発言者の真耶だった。

 後ろめたいことも指をさされるようなことも口にしてはいない。自身が思い、信念のままに発言した内容である。

 だが、これを笑われるということに、彼女の表情は赤く染まる。怒りと羞恥が入り混じった顔。

「――っ、何がおかしいんですかっ!?」

「あははは、滑稽で笑えるねぇ。触れたらどうするの? ひとりじゃ何にもできないくせに? ISに頼らなければ誰かを護れる力も無いくせに? あんまりくだらないことで束さんを笑わせないでほしいなぁ」

「――っ」

「ちーちゃんがいなけりゃ何も出来ないクセにさぁ。ちーちゃんがいるからこそ、ここにいられるクセに。おんぶに抱っこの割りに、何を偉そうに言ってるわけ? 正直うっとうしいんだけれど」

「っ――」

 声を詰まらせる真耶に、これ以上は興味もないとばかりに束は千冬に向き直っていた。

「じゃーねー、ちーちゃん。また会おうね。今度はふたりきりでね。うるさいハエがいない時に話そうね」

「篠ノ之博士ッ!!」

 現れたときと同様に、忽然と姿を消す束。

 夜のしじまに、真耶の怒声が響き渡っていた。

「真耶、あまり気にするな。昔から、あいつはああいうヤツなんだ。あいつの言うことは――」

 肩に手を添える千冬ではあったが――真耶はその手を荒々しく振り払っていた。

 涙を浮かべて睨み据える双眸に、一瞬呆けた千冬だが、再度言い聴かせようとして――だが、それよりも早く真耶の口が動いていた。

「先輩はッ――どうして、そんなに冷静でいられるんですかッ!?」

「真耶?」

「篠ノ之博士と幼馴染だからですかっ!? 冗談だからと受け入れられるからですかっ!? 織斑くんには危害を与えられないからと分かっているからですかっ!? 衛宮くんならどうなっても構わないという考えですかっ!? そんなの、わたしは許せませんっ! わたしはっ――本気で、衛宮くんが心配なんですっ! わたしは、わたしは彼に取り返しのつかないことをしてしまったんです!」

「落ち着け真耶、今のお前は疲れているだけだ。身体を休めて冷静になれば、いつものお前に戻る。だから――」

「……わたしの何を知っているんですか」

 自嘲めいた笑いを漏らし、真耶は数歩ほど後ろへと下がっていた。

「――――」

「わたしの何を知っているって言うんですかっ! 何も知らないクセにっ! 然もわかったような言い方をして――勝手なことばかり言わないでくださいっ!」

「待て真耶、わたしが口にした言葉が気に触ったのならば謝る。だが、わたしは決してそんなつもりでは」

 取り乱すかのように、口早に告げる後輩を宥めるために、真耶の両肩を掴もうとするが――

「触らないでっ!」

「――っ」

 一喝する相手の声音に、伸ばした指先は停まっていた。

 敵意を剥き出しに睨みつけてくる真耶の表情など、千冬にとってははじめて眼にする姿であろう。

 故に、どう対応してよいかわからず、千冬は言葉をかけることも動くこともできなかった。

 その場から逃げるように――踵を返した真耶は、己の身体を抱きしめるようにして駆け出していた。

「…………」

 千冬は追うこともできず、ひとりその場に残されるだけだった。

 

 

 セシリアから一連の話を聴かされる鈴は無言だった。

 『ブルー・ティアーズ』を停めたこと――

 『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』を四組の日本の代表候補生と共闘して停めたこと――

 ISの展開維持が出来ぬまま、武装のみの展開で『白式』を停めたこと――

 全ての機体が停止したと思われたところを真耶が駆るラファール・リヴァイヴに刺されたこと――

 説明される内容に、鈴は表情に変化を生じさせることもなく、大人しく、ただただ黙って聴いていた。

「……士郎さんは、今は集中治療室(ICU)ですの。意識が戻らなくて……その、わたしくしたちも立ち会えていないので、詳しいことはわからないんですのよ。面会謝絶でして……」

「状況も、あの時の一夏とは違ってな……」

 あの時、とは『銀の福音』戦時に箒を庇い負傷した一夏の状態を示していた。

 ISに備わっている操縦者絶対防御。致命領域対応により、一時的にではあるが一夏は昏睡状態に陥っていた。

 全てのエネルギーを防御に回して操縦者の命を守る状態は、ISの補助を深く受けた状態でもある。福音戦で負傷した一夏はISのエネルギーが回復するまで眼を覚ますことはなかった。

 だが、今回はその時と同じではない。士郎のIS『アーチャー』は機能すらしていない。操縦者絶対防御も発動していない状態だった。

「衛宮のISは一切作動していないんだ……原因も全くわからないままでな」

 操縦者生命危険域(デッドゾーン)に入っている旨を伝えられ――

「……つまりは、後は衛宮本人の体力次第ってこと?」

「……ああ」

「あ、そ」

 神妙な面持ちの箒とは対照に、鈴はあっさりとそう返答する。

 だが――

 誰もがそこから先、続きを口にすることはできず、押し黙るしかなかった。

 体力次第とは言うが、ならばその体力は果たして持つのだろうか――と。

 特に鈴と箒は知り得ていないことであるが、立て続けに行われた連戦によって、傷ついた士郎の身に十分な体力など残っているハズがない。

 治療室に運ばれるまで息があったというのが奇跡的なほどの致命傷。それを、あの状態で乗り切れることなどできるのだろうか――

 場の空気が否応もなく重くなる。その『答え』が全員に理解させている。

 沈黙が続く中――

 誰に訊ねるわけでもなく、沈んだ空気を少しでも払拭させるかのように、鈴はポツリと呟いていた。

「あのさ……衛宮、死なないわよね?」

「…………」

 その問いかけに、やはり三人は応えられなかった。

 しかし――

「死なせませんわよ……約束したんですから……」

 小さく独りごちるセシリアの声は耳に届かず。

「……んで? 山田先生は?」

 自分たちのように制御が利かないISによって凶行に及んだ教員の身を案じた鈴ではあるが、箒も意味を感じ取ったのだろう。ひとつ頷き返答する。

「山田先生は教員寮の自室だ。塞ぎ込んでいてな……その、無理もないと思う」

「確かに。経緯はどうあれ、自分の手で刺したってもなれば、あの先生メンタル弱そうだモンね」

 押し黙ったままの友人たちに――ふうと息を吐き、鈴は顔を上げていた。見入る先はシャルロットへ。

 シャルロットもまた自分へ向けられた視線に気づくのだが、見られていることに耐えられず咄嗟に顔を伏せていた。しかし、鈴はかまわずに口を開く。

「ねえ、シャルロット……耳を貸せるんなら聴いて。さっきの話、正直言えば、途中からは聴いてたのよ。アンタが逃げ出したいってのはわからなくはないわよ。あたしだって同じよ。でもね、あたしたちは、個人以前に代表候補生であり、専用機持ちでもあんのよ」

「…………」

「伊達や酔狂、遊びで代表候補生になったんじゃないでしょ? アンタだってそれなりに思うことがあったから候補生になったわけでしょ? あたしたちが肩に背負ってるモンは、決して軽くはないハズよ」

「でも……僕は、士郎に許してもらえるなんて思えないんだよ……怖いんだよ」

 静かに、搾り出すような声音でシャルロット。だが、鈴はハンと鼻で一笑していた。

「なにアンタ、まさか許してもうおうなんて甘っちょろいこと期待してるわけ? 心のどこかでは許してもらえるんじゃないかなって期待があるからこそ、そんな考えを持つのよ。許されるわけないじゃない。どういうわけか知らないけれど、あたしたちは今こうして自由にしてられるってのもおかしなことなのよ? むしろ拘束されてない方が異常よ」

「…………」

「でもね……だからといって、そのままほっぽって嫌なことから眼を逸らして逃げ出すのは本当にいいこと? 衛宮にぶん殴られるのが当たり前だと思いなさいよ」

「…………」

「あたしはね、自分自身にムカついてんのよ。機体にちょっかい出されたこともムカつくわよ。でも、それ以前に、あたしは自分が許せない。どんな容であれ、衛宮を傷つけた自分がね」

 唇を噛み締め、それでもシャルロットは視線を逸らしたまま。

 鈴はひとつ息を吐くと続けていた。

「あたしたちは衛宮に罵られて責められても、例えぶん殴られても文句が言えない当然なことをしたのよ。帰るってんならそれでもいいと思う。それはアンタが決めたことなんでしょう。だけれど、それならそれで、きちんと衛宮に真正面から文句を言われてから消えなさいよ。それくらいの筋を通さなくちゃなんないじゃない……あたしたち……」

「……僕、は……」

「自分だけ楽になろうと思ってんじゃないわよ。なんのために衛宮が身体張って停めたのか、アンタ本当にわかってんの?」

「わかってるよ……わかってるからこそ、僕は士郎に会わせる顔がないって言ってるんだよ! 僕が……僕の機体は、彼を殺しかけたんだよっ!?」

「……だから?」

 つまらなそうに訊き返して来る相手に――一瞬、シャルロットは言葉を詰まらせる。

 だが、直ぐに口を動かしていた。

「だからって、さっきから鈴はどうしてそんなに冷静でいられるの!? どうして平気でいられるの!? 士郎のことが心配じゃないの!? 代表候補生だから、彼を傷つけたこともしょうがないって思ってるの!?」

 刹那――

 伸ばされた腕はシャルロットの胸倉を掴み力任せに引き寄せていた。

「最っ高に笑える冗談を口に出来るのね……なにアンタ、あたしがいつ気にしてないなんて言ったのよ。あたしが心配してないとでも思ってんの? 馬鹿じゃないの?」

 鼻先が触れるかというぐらいの距離で言いのける。

「平気でいられるわけないじゃない。こちとら心底ハラワタ煮えくり返ってんのよ。今すぐにでも仕返ししたいぐらいよ。何処のどいつか知らないけれど、代表候補生に――あたしと『甲龍』に舐めたマネしくさってくれたのよ。絶対に見つけ出して、一京一兆一億万倍してやり返してやるわよ。それに、あたしたちが騒いだところで衛宮が元気になるワケ? 騒いだところでアイツが良くなるってんならいくらでも騒いでやるわよ」

 言って、突き飛ばすように押しのける鈴は鼻息荒く。

 よろめいたシャルロットはセシリアに受け止められていたが、顔は伏せることしか出来なかった。

 自分にはそんな覚悟は持ち合わせていなかった。やられたらやり返すという気概さえ思いつかない。ただただ、眼の前の事実から顔を背け、見ないようにして逃げ出すことしか頭になかった。

「……鈴は、強いね」

 ぼそりと呟くシャルロットに、鈴は今一度フンと鼻を鳴らす。

「強くなんかないわよ。あたしは、あたしにできることをする……ただ、それだけよ。で? アンタはどうするの、シャルロット……逃げるの? やり返すの?」

「…………」

「アンタがどれだけ苦悩したかどうかなんて、そんなの知ったこっちゃないのよ。大事なのは、アンタ自身が本気で衛宮に申し訳ないと思ってんなら、何を言われようとも、そんなのは覚悟の上じゃない。それとも、アンタの覚悟ってのは、後ろめたさにビビッて逃げ出すような、その程度の柔なモンなワケ?」

「四組の子も、士郎にも……僕は、相手を傷つけることがたまらなかったんだ。愉しくて嬉しくて……笑いながらふたりに酷いことをしたんだよ……僕の手は、あの感触を覚えてるんだ。士郎のお腹を盾殺し(シールド・ピアース)が貫いた感触を……」

 シャルロットは己の片手を開き、じっと見入る。

「僕は、狂ってるのかな? 僕は……僕自身がわからないんだよ……ねぇ、鈴……セシリア、箒……僕は、おかしくなってるのかな?」

 悲痛な表情で友人たちに問いかけるが――セシリアも箒も何も応えることはできなかった。かけられる言葉が思い付かなかったために。

 だがひとり、鈴だけは違っていた。心底つまらなそうに言い返していた。

「だから、知んないわよそんなの。アンタが狂ってようが狂っていまいが、罪悪感に駆られてるんなら、やることやってから好きなだけ悩みなさいよ。くっだらないことに頭使ってんじゃないわよ」

「……くだらない、かな?」

「くだらないわよ。自分のことと衛宮のこと秤にかけて、自分を選んでるってことでしょう? それがくだらないって言う以外に、他になんて言えばいいわけ? 教えてくんない?」

「……酷いな、君も……本当に参ったね……」

 深く息を吐き、シャルロットは眼元を指先で拭っていた。

「なんだよ、そうまで言われたら逃げ出せなくなるじゃないか……まさか、鈴にまで同じこと言われるとは思わなかったよ」

「喧嘩売ってんの?」

「違うよ……納得しただけ」

 言って、顔を上げたシャルロットの表情に迷いの色は消えていた。

「……そうだね。士郎に、気が済むまで殴られなくちゃいけないよね。責任は、とらなくちゃならないよね」

「そういうことよ。ここまで言わせといて、それでもぐちぐち泣き言ヌかしてたら、その面容赦なく張っ倒してたところよ。大体ね、ひとりであれこれ悩むなってのよ。あたしらって、アンタにとってはそんなに信用ならない? 他国の専用機持ちだからって壁がある?」

「…………」

 頭を掻き、ついで意味もなく自身の髪を手持ち無沙汰に弄りながら鈴は続ける。

「自惚れかもしんないけれど、あたしはアンタのこと、大切な友だちだと思ってんのよ。ううん、あたしだけじゃない。そこの箒もセシリアも、ラウラも、アンタのことは大切な友だちだと思ってる、と思ってんの。だから……ひとりでああだこうだと悩む前に、箒でもセシリアでもラウラでも、あたしでも、誰でもいい……相談ぐらいは、してくれたっていいじゃないのよ……ひとりで悩むよりは楽になると思うし」

「……ごめん……」

「……その言葉は、あたしの前に言うべきヤツがいるでしょ。あたしよりも、アンタを先に心配したヤツにちゃんと言わなきゃなんないんじゃないの?」

 面倒くさそうに鈴が顎でしゃくる先はセシリアに、である。

 シャルロットもまたわかっているよ、と頷き応えると向き直っていた。

「うん……ごめん、セシリア……君が僕のことを、そうまで心配してくれていたのに酷いことをして」

「別に、気にしてませんわよ。それに、殴られる覚悟があるのは、わたくしも同じですし」

 深々と頭を下げる相手に、多少頬を紅くしたセシリアは腕を組むと居心地悪そうにそっぽを向いていた。

「それに、ライバルがこんな簡単に退場されてしまっては、それはそれで面白くありませんもの」

「ありがとう、セシリア……」

「話は纏まった? いい? あたしたちがハッキリさせなきゃなんないのはふたつよ。ひとつは、どうしてあたしたちの機体が衛宮を襲ったのか。それともうひとつは」

 ギラリと双眸に怒りの炎を灯し彼女は告げる。

「あたしたちの機体に要らんちょっかい出したヤツを絶対に見つけ出して、徹底的に叩きのめす……そうでしょ?」

 問いかけに対し、セシリアとシャルロットは頷き返す。

 表情を緩めた鈴は肩を竦めておどけて見せる。

「まぁ、それはそれとして、アンタが国に帰るってんなら半分は停めはしなかったのよね。一夏を狙うヤツがひとり減るってのは、あたしにとっては僥倖だもの」

 惜しいことしたわと冗談めいて口にする鈴ではあるが――

 だがしかし、逆にシャルロットはニヤリとした笑みを浮かべていた。

「どうかな? 僕、本当にフランスに帰るつもりではあったけれど、ひとりでとは口にしてないよ? 悪いけれど、一夏も連れていくつもりだったし」

『…………』

 したたかな応えの相手に鈴とセシリアは言葉を失う。が、合図をしたわけでもなく、直ぐに双方どちらともなく顔を見合わせていた。

「ねぇ……あたしたち、厄介なヤツを引き止めたことにならないコレ?」

「同感ですわ。日本のことわざにある、敵に塩を送るとはこういう状況なのでしょうか?」

「ま、そこまで減らず口が叩けるようなら大丈夫でしょ。で、それとは関係ないことがひとつ気になってんだけど」

 鈴の目線は、今度はセシリアへと向けられていた。

「セシリア……アンタ、いつから衛宮のこと名前で呼ぶようになったの?」

「……え?」

 告げられ、ふとセシリアは顎に指を当てていた。意識して口にしたワケではない。

 深い意味があることもなく、自然と呼んでいただけであろう。だが、面と向かってそう言われてみれば、どうして自分は彼を名前で呼ぶようになったのか。

「特に意識していたわけではございませんけれど……?」

「ふーん、まぁ別にどうでもいいんだけれどさ、なんか気になっただけ。それだけよ」

 それはそれとして、と漏らし鈴は腹に手を当てる。

「それよりも、あたしすっごくお腹空いてるのよね。眼が覚めるまで何も食べてないし……さすがに限界なんだけれど」

 鈴が寮食堂に足を運んだのも何の事はない。空腹を覚えて眼を覚まし、あわよくば、誰かしら居ないかと目論んでの行動だった。食堂関係者であれば無理を通してなにかしらを作ってもらうつもりであったのだが、居合わせたのは箒たちであったと当初の当ては外れていたのだが。

 こんな時に食欲があると告げる鈴に対しセシリアは呆れていた。だが、逆に、食欲があるということは元気である証でもある。

「なら、僕が何か作ろうか? 簡単なものでよければだけど……お詫びもかねてさ。よければ、セシリアと箒もどうかな? お茶も出すけど――ああ、鈴、言っておくけれど、僕酢豚は作れないからね」

 シャルロットの提案に――鈴は即座に反応していた。

「アンタ、あたしが酢豚しか食わないとでも思ってんの? なんでもいいわよ。食べられるんなら、ぶーたれる文句もないわ。あたしはごちそうになるわよ」

「わたくしも、お茶であればそれに見合ったお菓子を持参いたしますわよ」

「遅い時間に食べるのはどうかと思うが、お茶ならばわたしも頂こう」

「決まりだね」

 三人に頷き、なら早速用意するよとシャルロットは歩き出す。ついで、お菓子を持ってきますわとセシリアも続いていた。

 残されたふたり――箒は言葉をかけていた。 

「すまない、鈴……」

「別に、アンタに礼を言われる義理もないわよ。あたしは思ったことを言っただけよ。決めたのはシャルロットなんだから」

「それでも、きっかけを与えたのは、お前だろ」

「はぁ? あのね、それこそお門違いよ。きっかけを与えたのなんて、あたしじゃない。大本はセシリアよ。アイツはアイツで、アレでハッパをかけたつもりなんでしょ」

「……お前もお前だ。福音の時も、同じように助けられたな」

「後先考えずに、勝手なことして命令違反した内ひとりのあたしが心構えを説くってのもおかしな話よね。『お前が言うな』っての」

 自分自身を皮肉る鈴だが、箒は首を振っていた。

「いや、鈴は人を奮い立たせるのが巧いものだとわたしは思う」

 だが――

 鈴に対してそう告げる箒ではあるが、心中は別のことを考えており複雑だった。

 自分でなんとかしてみせると豪語しておきながら、実際のところ彼女は何も出来なかった。

 隔壁に阻まれ、閉じ込められたまま。

(結局、わたしは何もすることができなかった……自分ひとりの力ではどうすることも……)

 所詮は姉が造ったIS『紅椿』に頼る恰好であった。

「――さっきの話だけどさ」

 唐突に切り出す鈴に、箒の意識が向けられる。

「?」

「第二アリーナの件よ。箒、アンタがあの場に居合わせて無くて本当によかったと思ってんの。あたしに一夏、セシリアにシャルロット、ラウラの機体がこぞって衛宮を襲ったのよ。そこにアンタの『紅椿』が加わっていたらと思うと本気でゾッとするわよ。アンタの機体って『白式』と同じ第四世代型でしょ? 『白式』と『紅椿』が組んで襲いかかってたとしたら、いくら衛宮でもどうなってたかなんて考えたくもないわ」

「そう、だな……」

「四組の専用機持ちの機体は完成してなかったから影響は受けてなかったみたいだけれど……山田先生の量産機はあたしたちと同じように影響受けてんのよね。でも、そうなると葛木先生のISはなにも問題がなかったわけじゃない?」

 ワケわかんないわよと両手を広げる鈴ではあるが、横を歩いていた箒の歩は不意に止まっていた。

「…………」

 彼女は姉との会話時の事を思い出し、その内容に違和感を覚えていた。

 なぜ、姉は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 自分は士郎の名など口に出してはいない。模擬戦をしているとしか伝えていなかった。にもかかわらず、姉は相手が士郎であるということがわかっていた。

「…………」

 ただの偶然、とは思えない。

 男性操縦者の一夏だから、模擬戦の相手も同じ男性操縦者の士郎であるという予測は幾らなんでも無理がありすぎる。

 考えたくは無いが――

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「箒? なにしてんの?」

「ああ、すまない。なんでもない」

 胸の奥に生まれる疑心を隠すように、箒は後を追いかけていた。

 

 

 ラボに戻った束は上機嫌だった。それは、鼻歌交じりに作業をこなすほどに。

 入手した代表候補生たちのパーソナルデータを確認しながら独り言を口にする。

「ちーちゃんを本気で怒らせるのは、()()得策じゃないし。結果としては、こんなところかなぁ」

 顎先を指でなぞると、次にモニターに映し出されるのは男女の姿。

 片方は、IS『アーチャー』を纏いさまざまな刀剣の類を周囲に浮かび上がらせる衛宮士郎――

 もう片方は、IS学園勤務保健医とされる葛木メディア――

 特に束が着目していたのは、保健医の方だった。素性も知り得られる情報は全て集めていた。

「このコスプレ女も理解できないね……既婚者で、生まれはギリシャ……ギリシャで造られた専用機の類ってことなのかな……」

 ぶつぶつと呟きながら、彼女は思案に暮れる。

 IS展開反応を一切感知させることもなく、それでいてビームともレーザーとも熱線とも与り知らぬ不可思議な武装砲撃。

 なによりも、どこぞの特撮映画に出てくる化物もどきの群れ。

 単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)であるとしても、このような量子変換など考えられない。

 だが、考えられる限りでは、単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)が濃厚かと結論付けていた。

 それであれば、第二操縦者の衛宮士郎の機体は量産機でありながら第二次移行(セカンドシフト)したとも考えられる。しかし、第二次移行(セカンドシフト)したのであれば、束自身が気づかぬハズもない。

 IS『アーチャー』の武装も、保健医の武装も、コンピュータが何度解析したところで表示される結果は変わることはなかった。いずれも『unknown』――

 しかし、予想外の収穫として得られた事実もある。

 『白式』にとっての戦闘経験値は大幅に増加していた。これが何を物語るのかは、束のみが知っている。

 ある意味、最高の死に土産を残していった衛宮士郎に対して、ほんの少し――僅かに評価を上げていた。

 ――と。

「束さま」

 ディスプレイの明かりだけが光源となる闇に包まれた室内に響くもうひとりの声音。

 見た目は背が低く華奢、銀色の髪を持つ少女だった。

 気難しい表情は消え失せ、にへらと子どものような笑顔となった束は迎え入れていた。

「あー、おかえりくーちゃん。どうだった?」

 『くー』と呼ばれた少女――クロエ・クロニクルは一礼していた。

「はい。束さまのご命令とおりに()()してまいりました。今は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「うんうん、さすがさすが。仕事が早いねぇ、くーちゃんは」

「恐れ入ります。ご命令ですので」

 腰まで届く三つ編みの長い銀の髪を垂らしたクロエは、再度深々と頭を下げていた。

 そんな相手に、束は「真面目さんだねー」と言葉を漏らす。

「そんなにかしこまらなくたっていいんだよぅ? くーちゃんは、何事も一生懸命すぎるよ。もっと肩の力を抜くべきだと思うんだよね?」

 仕えるべき大切な主の声にクロエは顔を上げていた。

「肩の力を抜く? お言葉ですが、束さま……それでは、わたしは束さまのお力になれません」

「んー? そういうことじゃなくてだねぇ、もっと手を抜くとか、気を抜くとか……何よりも、束さんの前ではもーっとリラックスしていいんだよ?」

 と――

 そこでクロエは足元の感触に気がついていた。

 室内を歩き、微かに踏んだのは割れた陶器の小さな破片。しかし、床に散乱しているのがそれ以外にも多数在るというのを触れる足先で把握していた。ついで部屋に漂う焦げた匂い。

 入室してから先、クロエの両の瞳は閉じられたまま。表情に変化は生まれていないが、視覚で確認せずとも、嗅覚と雰囲気からしていつもの部屋の状態とは違うことを敏感に察していた。

「……束さま、なにかあったのでしょうか?」

 クロエの意識は散乱する床に向けられる。ここまでの状況ともなれば、何かがあったのだろうと瞬時に理解していた。確認も踏まえて黒の少女は問いかけていた。

「んんー? どうしてだい?」

 おかしなことを訊くねと漏らす束は僅かに首を傾げるだけ。

「その、床の状態があまりよろしくないようでして」

「あや?」

 言われて、束は今頃になって思い出していた。散らかる部屋の原因を。

「ああ、すっかり忘れてた。くーちゃんのいない間に、束さん、少しばかり虫の居所が悪くってさぁ、ちょっと散らかしちゃった」

「…………」

 あははと笑う束とは対照に、やはりクロエの表情に変化はない。

 少女が感じ取った部屋の惨状は、決して『ちょっと』というレベルで表現できる範囲ではないということさえ理解しているのだろう。

「まぁ、そんなことよりご飯にしようか。束さんお腹がすいてペコペコだよ。くーちゃんの作るご飯は美味しいからねぇ」

「……嘘です。わたしの作るご飯など美味しいわけがありません。ですが、その前にお片づけを致します」

 屈み、破片を手に取り掃除に取りかかるクロエであるが、束は慌てて制していた。

「いいよいいよ、そんなことやらなくったって。そのまんまでいいよ、別に束さんは困らないから」

「そういうわけにも行きません。このお部屋は、束さまのお部屋なのですから」

 てきぱきと作業をこなしはじめるクロエに――

「むー、じゃあママ(束さん)も一緒にお片づけしようか。そうすれば早く終わるしね」

 言って、束は――偽りなく、それでいて純粋――無邪気な笑顔を見せるのだった。



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幕間8 とある少女の憂鬱

小休止での「幕間」です。
現在の本編展開上、「ふざけ」や「ほのぼの」が綴れません。
こういう類のは「幕間」で。
時間軸は、模擬戦の前のどこか。



 その日――

 気難しい顔をした彼女、篠ノ之箒は、部屋番号数字『1025』とプレートに打たれたドアの前に立っていた。

 割り振られた部屋の主というのは、無論のこと、織斑一夏の自室である。

 ドアの前に立った箒は伸ばしかけた手を止めると、一度大きく深呼吸をすると身だしなみを整えていた。

「…………」

 特に身なりを気にする必要も無い。ここに来るまでに彼女は自室で、これでもかといわんばかりに何十回とも入念にチェックしていた。鏡を用いては事細かに意識するほどに。

 それほど注視することもないのだが、やはり彼女もまたひとりの少女である。好きな人の前では、みっともない容姿を見せたくは無いという意識が働いてしまうのは仕方のないことであろう。

 一通り確認し終えた彼女は意を決すると、ドアをノックし声をかけていた。

「一夏、わたしだ」

 しばらく待ってみるのだが、反応は無し。

「……一夏? 居ないのか?」

 再度声をかけながらドアノブに手をかけてみれば、扉はかちゃりと簡単に開いていた。

 鍵のかかっていない扉に迷いながらも、箒は部屋の中を覗きこんでいた。

「一夏?」

 三度声をかけて部屋に脚を踏み入れ彼女。だが、室内からは返答されることもなく無人だった。人の気配も、やはり無い。

「……居ないのか……せっかく来てやったというのに……アイツはどこへ行っているんだ」

 訪問する明確な時間の約束を交わしたわけではないため、一夏に全面的な非があるわけではない。自分に都合のいい解釈を彼女はしている。

 目当ての人物の姿がないことに僅かばかりの落胆と不機嫌を募らせ、ムスッとしたまま室内を見渡し彼女。

 時間を空けて置けと言ったのに、と零しながら――そんな箒の眼が留まったのは、ベッドには脱ぎ散らかされ、無造作に放られているシャツだった。

 そつなく家事全般をこなす一夏である。普段であれば衣類など綺麗にたたみ、きちんとクローゼットなどにしまわれるのが常なのだが、なにかしらの急ぎの用事でもあったのかそのままにされていた。

「まったく……脱いだものぐらいきちんと処理できんのか? アイツは……」

 姿の見えぬ彼のだらしなさに呆れつつ、ぶつくさと文句を言いながら箒は何気なくシャツを手に取りたたんでいた。

 が――

 不意に、自分がしている行為に気がつき手が止まる。

「…………」

 これではまるで夫婦のようだ、と彼女は考えてしまっていた。

 だらしない亭主を支える女房という構図を頭の中につい思い浮かべてしまう。

 胸中とは裏腹に――紅く染まった顔を――くだらない妄想を振り払う。

(何を考えているんだ、わたしは……)

 邪念を持つからいけないんだと自分自身にきつく言い聞かせ――いつまでもその手に握り締めていたシャツをベッドへ放ると、自身もまたベッドにとすんと腰掛けていた。

「…………」

 しんと静まり返る空間。

 だが、心情は意識しないようにすればするほどに、自然と視線は横にたたんで置かれたシャツへと向けられていた。

「…………」

 きょろきょろと周囲を窺い――やはり自分以外に誰も居ないことを再確認した箒は手を伸ばし、たたんだシャツを取っていた。

 今し方たたんだばかりのソレを広げ、そっと胸元に抱く。

 鼻腔をくすぐるほのかな匂い――

「……一夏の匂いだ」

 彼女の口から洩れた呟きは小さいものではあるのだが、紡がれた声音にはどこか嬉しさが含まれていた。

 広げたシャツにいそいそと袖を通し、彼女は羽織る。

 愛しい人の匂いに包まれていることに思わず口元がにやけてしまう。シャツではあるのだが、実際に一夏に抱きしめられているという妄想に浸りながら。

「えへ、えへへ……」

 シャツを羽織った恰好のまま、こてんとベッドに仰向けに倒れ、ごろごろと寝転がる。

「うふふ、一夏の匂いだぁ……」

 眼を細め笑みを浮かべる今の彼女は、それはそれは、とても有意義かつ至福の時を過ごしていたことであろう。

 しかし――

 ある意味、刻の流れは残酷といえる。時間とは、唯一リサイクルすることができないものであるからだ。

 その上で、時間には良い点と悪い点が存在する。

 良い点とは、質の高い時間が挙げられる。その者にとって意義深いと呼べる時間、快適な刺激を与えてくれる時間、愉しめて過ごせる時間であろう。

 反面、悪い点に挙げられるものは何かといえば、総合的において極論まとめてしまえば、どんなものにも終焉はやってくるということである。

 故に――

 そんな箒もまた例外ではない。楽しい一時を満喫するのだが……望みもせずに、終わりは突然やって来るのだから。

「一夏、悪いんだけれど――って、あ」

 唐突に耳に捉えた声音と気配を感じ――咄嗟に起き上がった箒の視界に映るのは、こちらを見つめて、ぽかんとした表情を浮かべた士郎が立っていた。

 士郎からしてみれば、彼が言葉を失くすのも無理はない。

 それもそのハズであろう。用事があって一夏の部屋に赴いてみれば、当の本人は居らず、代わりに一夏の私服と思しきシャツに袖を通し、一夏のベッドに寝転がっている箒の姿は、ある意味、視認してはいけない領域としか言えないからだ。

「――――」

 言葉無く、箒の顔は羞恥により見る見るうちに紅くなっていた。まさかこんな姿を見られるとは思っておらず、失態によって涙目になり、肩もまたふるふると小刻みに震えている。

 見られてはならないものを眼にされ、見てはいけないものを眼にした双方。気まずい雰囲気が刹那に場を包む。

 と――

 処理しきれぬ現状、あまりに突発過ぎる事態により、双方の正常な思考が一時的機能停止(ブラックアウト)に陥ると思われていたが――

「あー……」

 だが、意外にも永遠と続くかと思われた静寂を打ち破ったのは士郎だった。彼の方が停止していた思考が再起動するのが早かった。

「悪い、篠ノ之……どうやら俺は、訪れる部屋を間違えたみたいだ。本当に悪い。じゃあ、そういうことで俺は失礼する」

 爽やかな笑みを浮かべ、しゅたと片手を挙げ、駆け足さながらに踵を返し、そそくさと部屋を出ていこうとする士郎ではあるのだが――

「い……」

「……い?」

 思わず耳に聞きとがめた言葉に士郎の脚が不意に立ち止まることとなる。

 瞬間――

「い、いやああああああっ!」

 のっぴきならない悲鳴に驚き、刹那に振り返った士郎は――そこで更に驚愕することとなる。

 眼前まで迫るのは――椅子の脚。悲鳴を上げてベッドから跳ねると、床に降り立った箒が手近に在った椅子の背を掴み殴りつけてきたのだから。

 予想外な出来事に意識が追いついていなかった士郎ではあるが――

「っ――とおっ!?」

 ちっ――と鼻先を掠める。咄嗟に身を引いていなければ横っ面を容赦なく張り飛ばされていた。

 当たれば怪我程度ではすまない。背筋をゾッとさせながら士郎。

 避けられたという現実に残念がるわけでも慌てた様子も見せず、ふー、ふー、と大きく息を吐き肩を怒らせ、椅子を掴みなおした箒の双眸は眼光鋭く士郎へと向けられる。

「今すぐ忘れろっ! いいや、今すぐ死ねっ!」

「ちょっと待てっ――極論過ぎるだろっ!?」

「うるさいっ! それにな、衛宮……昔から言うだろう(・・・・・・・・)?」

「……なにがさ?」

 椅子の背を持ち、にじり寄る箒の動きを最大限に警戒しながら、士郎もまた腰を落とし身構えていた。だが、彼の足は本人の意志とは裏腹に――自覚が無いまま僅かに後退している。

 冷酷なまま、箒は告げる。

「人間、頭に強い衝撃を受けでもすれば、記憶の一部など嫌でも欠落するものだ」

「いくらなんでも限度があるだろう!?」

「うるさいっ! 大人しくそこに直れっ!」

「なんでさっ!」

 一足のもとに踏み込み振り払われた椅子の脚による二度目の殴打を――だが、士郎は寸でのところ巧みに屈み避けていた。

「避けるな衛宮っ!」

「ま、待て――落ち着けっての篠ノ之ッ! 俺は、何も見ていない! お前が一夏の服の匂いを嗅いで、嬉しそうな顔をしてベッドにごろごろと寝転がったあげく、ペロペロと枕を舐め回して至福に浸る姿なんて、本当に俺は、一切合財何も見ていないぞ! だから安心してくれ!」

「何が安心しろだっ! そこまでベラベラと――概ね眼にしているだろうがキサマっ! それに、最後のはなんだっ!? わたしは舐め回しなどしていないっ! 勝手な脚色をするなっ!」

「あ? ああ、そうか。これから舐め回すところだったか? 悪いな、邪魔して」

「死ね」

「うおわっ!?」

 力任せに振り下ろされた椅子を受けてなるものかと、士郎は必死に床に身を投げかわしていた。

「大人しく殴られろと言ったハズだっ!」

「無茶言うなっての!」

 振りかぶられた椅子という名の四撃目を――だが、やはり士郎は身を捻りやり過ごしていた。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「落ち着いたか?」

「あ、ああ……」

 ベッドに腰掛ける箒は、手渡された緑茶を受け取ると一口啜り気分を落ち着かせていた。

 士郎もまた椅子を引いては向かい合うように座っていた。 

 寮の部屋といえども、言い換えれば『勝手知ったる他人の家』である。湯呑みと茶葉を無断で拝借し、士郎はお茶を淹れて今に至る。

 程よい熱さに舌が刺激されることによって、頭は冴え、逆に冷静さを取り戻していく。

 平静な気持ちになればなるほど、彼女は先の暴挙をしきりに反省していた。幾ら恥ずかしさのあまりとはいえ、椅子で殴りつけるというのは度を超している。

 しばらくの間、箒を相手に奮闘していた士郎ではあるが、得物として振り回すには椅子などそもそも分が悪すぎる。

 両手で抱え持ち、動き回る士郎を執拗に狙いはするのだが、竹刀や木刀とは違い、普段慣れぬ物を長時間振り回し続ければ自ずと体力は消耗していく。

 動きが鈍くなった隙を見計らい、士郎は叩きつけられる椅子を掴み、箒から奪い取ることに成功するのだが――

「すまない……考え無しで軽率だった」

「まあ、わかってくれれば俺も別に気にしてないよ」

「その、本当にすまない。取り乱した」

「ああ」

 至極申し訳なさそうな面持ちで呟く箒に士郎は軽く頷いていた。

「勝手なことを言っているのは重々承知しているが……さっきのことは、他言無用で頼む」

「わかってるって」

「特に、一夏には……ああいや、皆には絶対に……」

「しつこい」

 内密を求める相手に若干呆れながらも、誰にも口外しないと約束を交わした士郎は苦笑を浮かべていた。

「……お前は、一夏に何か用があったのか?」

「用って程のものじゃあないんだけどさ、山田先生が補習云々のことで一夏を捜してたんだよ。で、会ったら伝えてほしいって言われてさ。先生も格別急いでるってワケでもなくて、なら伝えるだけ伝えておこうと思ってここにに来たんだよ」

 入れ違いだったみたいだけどなと締める士郎に箒はようやく納得する。

「そうか」

 そこでふたりの会話は止まり、若干の間が続く。

 沈黙の中、しばらく湯呑みに口をつけていた箒ではあったが――

「な、なぁ、衛宮……」

「ん?」

「その……話ついでに、ちょっと訊きたいことがあるんだが……お、お前は、一夏とは普段どんな話をしているんだ? その、わ、わたしの話とか……」

 士郎が普段眼にしている質実剛健な姿とは程遠く、しどろもどろになりながらもそう問いかけてくる彼女。

「…………」

 相手が何を言いたいのかを雰囲気でなんとなく察した士郎ではあるが、無言にならざるを得なかった。

 一夏に対するアプローチとして、どちらかと言えば箒は他の連中と比べて一歩も二歩も出遅れている印象がある。

 行動派の鈴やラウラとはその差は更に開きもし、いささか打算的な考えを持つシャルロットもそれなりに前へ進んでいる。空回りすることが多いがセシリアとて積極性がある。

 そんな四人と比べてしまうと劣勢であるのは否めない。

 彼女が持ち得る幼馴染というポジションを遺憾なく発揮しているのかといえば、答えはやはり否。同じ幼馴染という立場に当たる鈴と比べてしまうと行動範囲も負けている。

 敢えて表現するならば、鈴が積極的であるのに対し、箒はどちらかと言えば消極的であるといえる。

 自分からアプローチするという行為にも疎い。それは武士たる信念により破廉恥であるからと固く捉えてるせいでもあるのだが。

 そういった根幹的部分を変えていけば、箒とて己の立場を存分に好転させることも可能となる。

 言うかどうか迷いはしたが……黙っていてもしょうがないかと割り切った士郎は申し訳なさそうに口を開いていた。

「期待に応えられなくて悪いんだけれど……一夏の口から女の子の話とかはトンと出ないな」

「そ、そうなのか?」

 返答を受け、一気にしゅんと落ち込み彼女。もしかしたら、一夏の口から自分のことが話題にでも出るのかなと淡い期待がなかったワケではないために。

 そんな箒の心中を察した士郎は、若干気の毒そうな表情を浮かべていた。

「ちなみにだが、お前たちはいつもどんな会話をしているんだ?」

「あー、そうだな……」

 それでもいくらか持ち直した箒の問いかけに対して、何を話したっけと首を掻きながら、士郎の視線はぼんやりと宙を彷徨っていた。

「最近は……どういう料理作ったか、とかかなぁ……」

「……は?」

 箒の間の抜けた声音に対して、士郎は申し訳なさそうな表情を浮かべると頭を掻いていた。

「昼何食ったとか夜何食ったとか……どんな調味料使ってるかとか……」

「……な、なぁ……その、わたしがこう言うのもなんだとは思うのだが……お前たちは、本当に健全な男児か?」

 自身も少女でありながらも、訊ねる内容に抵抗が無いハズもなく、だが、年頃の高校生ともなれば異性に興味は持つものではないのだろうかと感じるのも事実である。

 箒が言いたいことを理解しながらも、士郎は苦笑を浮かべることしか出来なかった。

「……そこをツッコまれるのは痛いところだけれど、一夏の料理の話ってのはさ、意外と参考になるところはあるんだけれどな」

 洋食や中華も作れる士郎ではあるが、やはり一番意識しているのは得意とする和食であろう。

 それぞれの料理の姿勢には些細な違いがある。どういった調理方法、使用する調味料、食材の割合など。

 例えば、味噌汁にしてみても作り方など人それぞれであろう。こだわりのだしや、味噌によってもさっぱりとした赤味噌やコクのある白味噌のどちらか一方、またはその二種をこだわりの配合によって混ぜ合わせるという使い方が生じる。

 事実、箒が作る味噌汁とてこだわりがある。もっとも、彼女にしてみれば、どちらかと言えば一夏が好む味わいに寄せていたりするのだが。

 そういった個々による調理方法など必ずしも絶対に同じとなるワケでもない。

 料理の話はさておきと士郎は頭の中で事態の状況を整理していた。

 男女間における恋愛事情に自身が口出しできる権利も無ければ、事態を把握し相応にアドバイスが出来るような器量を持ち合わせてはいない。

 恋愛感情においてはどちらかといえば疎い士郎である。だが、そんな彼が――もっと正確に言えば、そんな彼でも織斑一夏に恋心を抱いている少女たちが居ることに気付くには然程時間はかからなかった。

 振り向いてもらいたくて、いろいろと努力している彼女たち。ああまで露骨に接している姿を常に眼にしていれば、傍から見れば誰もが嫌でも理解させられるというものだろう。唯一、例外中の例外としては当の織斑一夏本人だけである。相も変わらず、彼は彼女たちの態度に一切気付いていないという唐変木っぷりを発揮しているのだが。

 これによって好意を寄せている彼女たちの気苦労は絶えることが無い。篠ノ之箒もそのうちのひとりであることを知っている士郎は続ける。

「でもさ、逆に考えてみろっての。話題に出ないってことは、つまりは、一夏は格別誰かを特に意識してるってワケじゃないってことだろ?」

「…………」

「となれば、篠ノ之にだって十分チャンスはあるってことじゃないかな?」

「――ッ!」

 その指摘に――箒の視線が士郎へと向けられる。彼女の双眸にはうっすらと期待という名の炎が灯りかけていた。

「そ、そうか?」

「おう。篠ノ之がオルコットたちに勝っているのは幼馴染ってところと、料理が出来るところだろ? それと、大和撫子といった――」

「ど、どうすればいいと思う? 衛宮、男のお前から見てはどう思う?」

 話の途中だというのに、一気に食いついてくる相手の雰囲気に気圧されながらも、士郎は手で制しながら言葉を紡ぐ。

「どうって言われても……うーん、そうだなぁ……なら、例えば、私服を変えてみるとか」

「私服?」

 なんとなく呟いた言葉に箒は耳聡く反応していた。

「ああ、俺個人のイメージなんだけれどさ、普段の篠ノ之は和服の印象が強いって感じるんだ。そこを逆に洋服に変えてみるとかさ」

「ふむ」

「例えば、何気ない部屋着を変えてみても印象って変わるだろ? そういった、ちょっとしたさり気ないところを変えてみるとか。普段とは違う篠ノ之を一夏に見せてみるとかさ」

「普段と違うわたし、か」

 インパクトに変化があれば相手の印象も変わるだろうという士郎の指摘に箒は頷いていた。

 服装を変えてみるのは悪くないかもしれないと彼女は考える。これが髪形を変えてみたらどうかと言われていたとしたら、間違いなく首を横に振っていた。

 この髪型を維持しているのには意味がある。それは、昔に一夏に褒められたという理由からだった。そのため箒はポニーテール以外の髪型に変える気は持ち合わせてはいない。

 俯き何かを考え、ぶつぶつと口にしていた箒は、再度視線を士郎へと向けていた。

「衛宮……その、おま、お前は、その、セイバーと、そ、相思相愛なのだろう!?」

「……そ、相思相愛って言われると……」

「……違うのか?」

「いや、違くは、ない……」

 歯切れが悪いながらも問いただす箒に思わず士郎は頬を掻いていた。相思相愛などと面と向かって告げられては気恥ずかしい。

「そ、その、こ、こ、こ、告白したのだろう!? お、お前からか!? それとも、セ、セイバーからかっ!? お、お前は、セイバーのどこに魅力を感じたわけなんだっ!?」

「……み、魅力? セイバーの魅力って言ったら、そりゃあ……」

 そこまで言って――ふと士郎は考え込んでいた。

 改めてどこに魅力を感じたかという質問に関していえば、士郎が特別意識する二点から。

 一点とは、当然であるが可愛らしさや美しいという、セイバー本来の女の子らしさであろう。

 では残るもう一点な何かと問われれば、それは、彼女の尊い魂の在り方ではなかろうか。

「多くの人が笑っていました。それは間違いではないと思います」

 セイバーが告げた言葉は、忘れることなど断じてできることは無い。

 ブリテンの王となった彼女は、ただただ純粋だった。国を救い、民に笑ってもらいたいという想いのみ。たったそれだけのために、何の迷いも見せずにセイバーは自分自身を犠牲にしていた。

 国に裏切られようとも、誰も理解してくれる人がいなくても、彼女の決意は変わらない。

 一寸の迷いもなく貫かれた彼女の誓い、願いは、それはとても誇り高く、尊いものであったことであろう。

 理想の為に全てを捨てて駆け抜けた姿は、どこまでも気高く、美しい。

 そんな彼女を――否、そんな彼女だからこそ、士郎は心から護りたいと切に願い感じている。その信念に揺らぎなど一切存在しない。

「え、ええとだな……だ、男性から見て、女性のどんなところに魅力を感じるものなのか教えてほしいんだ」

「……篠ノ之、その質問に対して、俺の答えは何の役にも立たないと思うぞ?」

 そもそも、人によって好みは違う。

 士郎が女性に対して魅力を感じる部分はさまざまであろう。セイバーは当然であれば、ライダー、遠坂凛や間桐桜、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンに至る。ずぼらな藤村大河にすら感じる魅力はあったりする。

 特に、水着姿のイリヤスフィールには数居る女性陣の中でも一番ドキドキした覚えがある。

 セイバーにあってライダーにない魅力。ライダーにあってセイバーにない魅力。

 それらを踏まえた上で、世の男性と全てが通じた答えだとは思っていない。故の弁であるのだが。

「む、むぅ……そうなのか? なら、別のことを教えてほしいのだが……デ、デートというものは当然したことがあるのだろう?」

「……ま、まぁ、な」

 プールやショッピングに行ったりしたとの返答に箒は表情を輝かせていた。

「やはりそうか! デートというのは、楽しいものなのだろう?」

 意識する異性と一緒の時間を過ごしたい――

 雑誌に書かれていた恋人と行くデートスポットなど、一夏とならばとつい妄想してしまう。

「こ、こう言っては笑われるかもしれないのだが、お前とセイバーのことは羨ましく思う。普通に接して、お互い想うことや言いたいことを口にできるのだろう? それを踏まえた上で、デートというものには憧れがある」

 本心から漏れた言葉に、さり気なく士郎は聴き返していた。

「求める過程は違うかもしれないけれどさ……なら、篠ノ之から誘ってみるってのはどうかな?」

 過程は違うが、結果は同じだとわかっていながらも、妥協案として進言してはいるが――

「…………」

 士郎の提案に対して、だが、箒はどこか居心地悪そうに視線を逸らしていた。

「お前の言いたいことはわからなくはないのだがな……その……できることならば、わたしは、一夏から誘ってもらいたいと思うんだ……」

「…………」

 彼女の言い分はわからなくもない。士郎とてセイバーとデートするという場合であれば、自分から誘いたいものだ。

 箒の心情をよりよく深く把握したわけではないが、好きな人から誘われるというシチュエーションに憧れているのだろうと理解する。

 彼女とて歳相応の少女である。恋焦がれることはなんらおかしなものはない。

「…………」

 自然と顎に指を触れさせた士郎は黙考する。箒が望むような展開に事が運ぶかどうかと問われれば、何の迷いもなく『否』としか応えられない。

 まず大前提となる、その状況に持っていくこと自体が壊滅的に想像がつかなかった。

 それでも――

 脚を組み直し、士郎はひとり考える。

 そもそも、一夏は箒のことをどう思っているのだろうか?

 考えれば考えるほどきりがなくなる。唯一彼が本格的に意識する女性というのは、姉である織斑千冬ぐいらいであろうか。

「…………」

 協力するにしても、これはこれで些か面倒な話である。

 仮になんらかのかたちで士郎が映画のチケットや、どこかのレストランの招待券を入手し一夏に渡したとしても、素直に箒を誘うとも思えない。

 鈴やセシリア、シャルロット、ラウラたちの耳にそれらの話が入りでもしたら、厄介な事態に展開する。いや、例外なくそうなる。

 加えて、一夏の性格上、彼女たちの誰かに一緒に行こうと頼まれでもすれば、特に躊躇するでもなく了承するであろう。そうなってしまっては無意味に終わる。

 例えば――

「今暇か? よかったら一緒に行くか?」

 そんな台詞を告げては意識することもなく、出会った誰かを適当に誘うかもしれない。

 一夏ならばやりかねない。いいや、間違いなく、そうするだろう。

 加えて、ちゃんと篠ノ之を誘えよと言葉添えしたとしても結末は見えてしまっていた。

「? どうして箒を誘うんだ?」

 などといった返しを受けるとしか考えられない。

 そのように想像しただけで――自ずと、士郎は両手で顔を覆っていた。別の意味で目頭が熱くなるのは気のせいだと思いたいほどに。

「衛宮? ど、どうかしたか?」

「……いや、なんでもない」

 心配する箒に声をかけ、士郎は顎を指先でなぞると、その表情には更に険しさが増していた。

「…………」

 無言のままさらに彼は黙考する。

 大事なことは、如何にして織斑一夏が篠ノ之箒をデートに誘うか、という流れであろう。

 終始張り付いて、ふたりの接触を補助しつつ、御膳立てするにしても、途方もない労力がかかる。

 むしろ男友達の方が気が楽だとして、士郎を誘ってくるかもしれない。

 考えれば考えるほど、策を練れば練るほど――随時生じてくる問題を如何にして修復するかに頭を痛める。

 結果――

「……篠ノ之、決して悪いようにはしないから、少し時間をもらえるか?」

「? あ、ああ」

 ひとり思案に耽る相手に箒は素直に頷くことしかできなかった。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「ということで、ふたりに協力してもらうことにした」

 言って、士郎が連れてきたのはセイバーとキャスターである。

 場所も一夏の部屋から保健室へと移動していた。

 事情が事情なだけに、箒の立場を汲み取りセシリアたちを呼ぶわけにも行かず、加えて千冬や真耶を連れて来るわけにも行かず。となれば、必然的に連れて来るのは無難なこのふたりとなるわけなのだが。

 連れて来られたセイバーは状況が読めずに眼をぱちくりとさせ、対するキャスターは露骨に迷惑そうな顔をしている。

「俺だけだと篠ノ之にイイ助言は出来ないからさ、女性からの意見としてふたりを――」

 だが――

「ちょっと、坊や」

 襟首を掴まれた士郎は、ぐいとキャスターに引き寄せられていた。

 仰け反るような恰好になる相手に構わず、彼女はそのまま小声でぼそぼそと囁く。

「どうしてこのわたしが、こんな小娘の相手をしなくちゃならないのよ」

「……だからそのことに関しては、さっきちゃんと説明しただろ? 大人の女性の意見として、アンタから何かしらのアドバイスを篠ノ之にしてやってくれっての」

「ア、アドバイスっていったって……」

 些か返答に困りながらキャスター。彼女は彼女で恋愛に関しては、すべからく良い思い出が無い。

 ギリシア神話に登場するコルキス王女メディアの恋愛話はどれも悲劇であるからだ。メディアの意志など無視され、いい様に利用された挙句に捨てられる生涯なのだから。

 士郎もそのことは理解した上での進言である。

「大人の女性からの意見で頼むって」

「……簡単に言ってくれるわね。そもそも、シャルロットさんならいざ知らず、なんでこんな小娘に……」

 箒に背を向けたふたりは、ああだこうだと言葉をかわす。

 と――

 申し訳なさそうな表情を浮かべ、箒は口を挟んでいた。

「あ、あの、葛木先生……突然のことでご迷惑でしたか?」

「そんなことないわよ。悩んでいる生徒さんの心をケアするのが、わたしの仕事ですもの」

 箒の声にキャスターは軽く手を振り応えていた。その口元にはにこりと微笑みさえ湛えながら。瞬前までぶつくさと文句を洩らしていたというのに、なんという変わり身の早さであろうか。

 相手の返答に、箒もまた安堵の表情に変わっていた。

「ありがとうございます。その、正直に申し上げまして……葛木先生からご指導いただけるなどとは、これほど頼もしいことはありません」

「……というと?」

「はい。先生は既婚者であるとうかがっています。わたしの個人的なものではありますが、ぜひとも、先生の御夫君(ごふくん)との馴れ初めなどをお聴かせいただければと思いまして。それに、シャルロットからいろいろと先生の逸話を聴いておりましたものでして」

『…………』

 無言となるのは士郎とキャスターである。

 しかも、両者とも無言となるのは別の意味で。前者は呆れ、後者は気まずさからによる。そんなふたりを差し置いて、代表して質問するのはセイバーだった。

「逸話、とはどのようなものなのでしょうか?」

「家事全般が得意と聴いてな。御夫君(ごふくん)に振舞う食事――特に味噌汁に関しては、こだわりがあるとも耳にした。鰹出汁と合わせ味噌、木綿豆腐で作る味噌汁こそ、和の味覚の原点であり究極であると」

「…………」

「いやはや、確かにその通りだと思う。わたしも味噌汁はそれなりに作れはするのだが、こう言っては失礼ですが、外国の方だというのに調理に徹底しているのは感服致しました。よほど和食を学ばれたのだとい思います」

「……おい」

 キャスターだけに聴こえる声音で士郎。

「なんで、どこかで聴いたことがある内容が篠ノ之の口から語られてるんだよ」

 士郎が指摘するのは味噌汁のことに関してである。

 端的に言って、キャスターは料理などからっきしである。味噌汁などは実のところ、居候先の柳洞寺の跡取り息子である柳洞一成から、葛木宗一郎に飲ませるものを姑のようにいびられたほどである。

 赤出汁で、腹も取っていない煮干出汁で作った味噌汁は野卑な味だと叱責を受けている。ちぐはぐな代物であり、ミッソスープとも揶揄された。

 ちなみに、一成曰く、宗一郎に飲ませる味噌汁は昆布出汁の白味噌と決まっているらしい。

「なにをここぞとばかりに見栄を張ってるんだよアンタ……鰹出汁の合わせ味噌なんて作ったことないだろ?」

「う、うるさいわね。ちょっとぐらいイイ恰好したってバチは当たらないじゃないのよ。いいじゃないのよ、それぐらい」

 半眼に近い士郎からの白い視線をキャスターは見ない振りをしてやり過ごしていた。だが、頬を伝う一筋の汗を彼は見逃してはいない。

 そんなふたりのやり取りを聴いていないセイバーは不思議そうな顔をするだけだった。

 箒の説明は続く。

「衛宮に料理を教えたのも先生だと聴いた。だから衛宮はあんなに料理の腕が立つのだな。教えてくれる人が人なだけに頷ける。上達するのも早いので、教えがいがあるとも聴いたぞ」

「おい……随分と上から目線だな。誰が(・・)誰に(・・)料理を教えたって(・・・・・・・・)……?」

「…………」

 再度ぼそりと囁かれる士郎の声音。彼がキャスターに料理を教わったことなど一度もない。逆に、士郎が教えているのだから。

 詰問されるが、当のキャスターは顔ごと背けているのだが。

「なに自分のポジションをちゃっかり構築してんだアンタは」

「し、しかたないじゃないのよ……シャルロットさんの手前、つい言っちゃったんだからっ……」

「『つい』じゃないだろ……なに考えてんだよ……」

 間桐桜から『理想の奥様』として尊敬されているのを知っているだけに、どうしてこちらの世界に来てまで同じようなことになっているのかが理解に苦しむ。

「いちいちうるさい坊やね……わ、わたしにだって事情があるのよっ」

 ぼそぼそと小声で言い合うふたりに代わり、セイバーは小首を傾げながら疑問を口にしていた。

「そうなのですか? わたしはキャスターが料理を得意とするという話は聴いたことがないのですが。それにホウキ、シロウが料理を教わったという点はおかしな話だ。そもそも――もがが、もがもが」

 言葉を詰まらせセイバー。咄嗟に彼女の口を塞ぐのはキャスターである。

 士郎もまたセイバーの肩を掴み振り向かせていた。

「待ってくれセイバー、頼むから今は何も言わないでくれ」

 だが、キャスターの手をどけた彼女は不服そうに反論していた。

「シロウ、誤った情報を与えるのはよくない。キャスターに料理を教えているのは紛れもなく貴方だ」

「いいから、ここはひとまずキャスターを立てて話を合わせてくれっての。今の篠ノ之は、キャスターを崇拝するぐらいに尊敬の念を抱いてるんだから」

「ですが、だからと言って偽るというのはどうかと思う。わたしは騎士だ。騎士の誇りにかけて、虚偽を口にすることなどはできない。それが例えどんなことであれ、包み隠さず真実を告げるべきだ」

「いやまぁ、それはそうなんだけれどもさ……」

 言葉を濁しながらも士郎の視線は泳ぐだけ。状況が状況なだけに、ここはひとつ空気を読んでくれと訴えてはみるのだが。

 キャスターも同様なのかといえば、そうではない。敢えて視線を逸らした恰好ではあるが、表情はむしろ真顔に近く――

「そういえば、本音さんからとっても美味しいていうクッキーの詰め合わせを貰っていたのを忘れていたわ。さて、何処に置いたかしら」

「ホウキ、彼女は素晴らしい。愛する人のために弛まぬ努力を続けている。その姿は称賛に値するものだ。シロウの料理の腕が上達するのも、そんな彼女に師事して学んだおかげだと言えるでしょう」

 何気なく、本当に何気なく独りごちるキャスターの呟きに、セイバーは瞬時に反応していた。

 掌を返すとはこのことか。『とっても美味しい』と『クッキー』という強調された言葉に釣られたセイバーはあっさりと話に合わせていた。食べ物で懐柔するなど、まさしく餌付けであろう。

(どれだけ食べ物が中心に回ってるんだよ)

 空気を読んでくれた事は良しとするが、結果がクッキーであることに士郎は呆れ嘆息するしかない。

 だが――

 そんな三人のやり取りを見て、箒もまた不思議そうに眼をぱちくりとさせるだけだった。

「前々から気になっていたのだが……お前たちは、葛木先生とは知り合いなのか?」

 なんとなくではあるが、どこか違和感的なものを覚えていた箒の問いかけはもっともであろう。とはいえ、キャスターが臨時の養護教諭としてIS学園に留まると決めた時点で千冬と真耶を除いた全ての生徒、教員たちは暗示をかけられている以上よりよく深く追求してくることはないのだが。

「知っているも何も、彼女とは第五次聖杯戦争で――」

 しかし、その先を発することは出来なかった。今度は士郎がセイバーの口を手で覆っていたからだ。

「い、いやぁ――じ、実はさ! キャスターとは、前の学校でも一緒だったんだよ! いろいろと世話になってさ! そしたら今度は此処に赴任だろ? 世の中は広いようで狭いってのはこのことだと思うんだよ! ぐ、偶然てのはあるもんだよなぁ……は、ははは……」

「前の学校とは?」

「ほ、穂群原学園てトコでさ」

「ほむらはら? 聴いたことがないが……それと、お前もセイバーもだが、さっきから先生のことを『キャスター』と呼んでいるが、それはなんなんだ?」

「――――」

 的確な箒の指摘に士郎は刹那の間を置いてしまっていた。

 とはいえ、失言したと理解しながらも彼は瞬時に切り返す。平然を装い、何食わぬ顔をしたまま咄嗟に言葉を並べていた。

「きゅ、旧姓っ! そう、旧姓なんだよ! 旧姓はキャスターていうんだよ! 俺もセイバーも、キャスター先生て呼んでたからさっ! そっちの方が呼び慣れてたモンで、ついつい口にしちゃうんだよ!」

「…………」

 口からの出まかせにも程がある。

 些か苦しいかと自分自身を勘繰る士郎ではあったが――

「なるほど。納得した」

 意外にも、箒は妄言を簡単に信じていた。

「だが、いくら前の学校での知らぬ仲だとはいえ、目上の方を呼び捨てるのはどうかと思うぞ? 『親しき仲にも礼儀あり』というだろう?」

「あ、ああ。つい、友達感覚で接しちゃうのは俺の悪いクセだな。反省するよ」

「ん。ところで先生……御夫君(ごふくん)とは、どこでお知り合いになられたのですか? やはり職場ですか?」

 すんなりと話の方向性が変わったことに士郎の胸中の安堵感が如何ほどかなど知る由もない。

 宗一郎の話になった途端にキャスターもまたまんざらでもない表情を浮かべていた。

 ちなみにセイバーはキャスターが用意したクッキーをもふもふと食べているため大人しい。偽り無く美味なのだろう。眼を輝かせては、またひとつ、またひとつと無心にクッキーを手にとっていた。

「そうね……宗一郎さまとの出逢いは、まさに運命的だったわ……あの人は、とある事情で行き倒れだったわたしに手を差し伸べてくださったの」

「…………」

「何も仰らずに助けてくれて、介抱していただいて……」

 淡々と語るキャスターと、真摯に話を聴き入る箒。ひとり士郎は内心複雑であろう。

(そりゃまぁ、サーヴァントだからな。マスター不在で魔力供給が無ければ消えるしかないからな)

「寡黙で実直……無表情で余計な事は一切口にせず……でも、その真面目過ぎるところが何よりの魅力であるの」

「…………」

 キャスターが口にする宗一郎に関しては士郎もまた同意できる部分がある。

 実際、融通が効かず無愛想で近寄りがたい雰囲気を醸し出す教師であるが、生徒からの評判は決して悪くはない。逆に、上級生になればなるほど彼の持ち味を理解した上で親しむ生徒も多かったりする。

(テスト問題に誤字があっただけで、そのテスト自体を中止したぐらいだからな……)

 つい顎先に指を触れさせた士郎はひとり胸中で呟いていた。

「精神は気高く、身体も相応に強靭なの。宗一郎さまは心身ともに優れていらっしゃるのよ」

 うっとりとした表情でキャスター。若干惚気が入りはじめたのは気のせいではなかろうか。

「そう! 丘の上の教会で、宗一郎さまとの結婚式! 白いウエディングドレス! 投げるブーケ! 群がる女ども! それを見下ろす、わ・た・し! そしてそしてー! 格安な式場代ー!」

 妄想を入り交えて高らかに叫び彼女。表情は至極生き生きとし、幸せそうで何よりである。

 と――

 思うところがあったのか、セイバーは顔を上げていた。

「確かに。素手でありながらも彼の繰る武術は正直に言って侮れない。まさに手練と呼ぶのに相応しい」

「……そ、それほどまでか? わたしから見てもセイバーは剣術にかなり長けているように思えるのだが、その人はそれ以上なのか?」

 ぼりぼりとリスのように口にクッキーを含んだまま喋るセイバーに――横では士郎が食べながら喋るのはやめろと注意するのだが――対して、箒はその告げられた内容に驚いていた。

「そうですね。初見であれば、わたしは確実に敗北していました。驚異的な戦闘能力に圧倒されるでしょう」

 真面目に語るのだが、頬張るクッキー姿で台無しである。

「古武術の類かなにかなのか」

 しかしながら、素晴らしいとひとり感心する箒と対照に、士郎は視線を逸らしたまま。

(……暗殺拳だからなぁ……サーヴァントのセイバーでさえ、初見に限り倒すことができるっていう特殊な動きするし……)

 そんな士郎の内心など知るハズもなく――

「宗一郎さまは、なんでもそつなくこなされるの」 

 完全に自分の世界にトリップした彼女は、それこそ今にもくるくると踊り出しそうな雰囲気だった。

 一方で、熱心に語られる宗一郎の話を聴き入りながらも、箒はどこかそわそわとして落ち着きが無かった。話の内容が飽きたというわけではない。逆に大人の恋愛ということで、より一層深く込み入った話を訊きたがるのは完全な興味本位からであろう。

 そのため――

「せ、先生は、その――と、当然大人の女性ですから――キ、キキ、キ、キ、キスはされているのでしょうか?」

「――――」

 キス――

 接吻、口づけ、kiss、チュウ、口吸いなど言い方はさまざまである。

 ぽかんとした表情を浮かべるのは士郎。セイバーもまたクッキーを口にくわえたまま唖然としている。

 一瞬理解が遅れたキャスターではあるが、刹那に思考回路は正常に戻ると、何食わぬ顔をして訊き返していた。

 ――が。

「……一応確認しておきたいのだけれども、アナタは愛情表現のひとつであり、主に唇と唇を押し当てて触れ合うことを言っているのかしら? ケー(K)アイ(I)エス(S)エス(S)と綴っての『キッス』と発音するアレのこと? それとも、スズキ目スズキ亜目キス科に所属する魚類の総称である白身魚の(キス)のことを示しているのかしら?」 

「落ち着けっての」

 思わず身を乗り出し――キャスターの肩を掴んだ士郎は、ぐいと引き寄せていた。

「予想以上に今頭の中パニクってるだろアンタ。そもそも、話の流れで魚なワケがないだろーが」

「……ちょっと」

 気安く触らないでちょうだいと肩を払う彼女は一睨みする。

「あくまでも確認よ。もしかしたら捌き方を訊いているかもしれないじゃないの」

「馬鹿か? 冷静になれっての」

「本当に失礼なことを言う坊やね。わたしはいつでも冷静よ。よく言うじゃない。素数を数えれば落ち着くって。 一夜一夜(ひとよひとよ)人見頃(ひとみごろ)富士山麓(ふじさんろく)鸚鵡(おーむ)()く」

「それは平方根だ。完全に内心取り乱してるじゃないかっ!」

「それで、箒さん? どちらの方をお訊ねかしら?」

 うるさい士郎を無視すると、キャスターはにこりと微笑を浮かべ、確認を踏まえるためにもそう問いかけていた。出来れば後者の魚類であってほしいと無理な望みを願っていたりするのだが。

 そんな淡い願望など、ガラスのように砕け散るのはわかりきっていることだった。

「く、唇と唇を重ねる前者ですが」

「――――」

 箒が告げる言葉に、今度こそ完璧なまでにキャスターの内心は見事なまでに当惑する。

 それでも外面は平静を装うが、内面は慌てふためき混乱しているのが実情である。

 故に――

 ここでキャスターの悪い癖が出る。彼女は、どもりながらも、また見栄を張っていた。

「も、もも、もちろんよっ! わ、わたしと、そ、そそ、宗一郎さまは、ふ、夫婦ですものっ! キスのひとつやふたつ、と、当然じゃないのっ! おはようからおやすみまで、暮らしを見つめるぐらいにキスなんて当たり前よっ! ま、毎日がラブラブですもの! チューなんて日常茶飯事よ! チューなんて、チュー」

「…………」

 士郎は無言。またコイツは虚勢を張ったなと呆れの視線を向けるだけだった。

 だが、捉える箒は違っていた。表情を輝かせると更に質問していた。

「やはりそうですか! その上でお聴きしたいのですが……キ、キスとはどのようなものでしょうか」

「……ど、どのようなものっては、どういう意味で?」

「経験豊富であらせられると思います。ぜひ、ご教授いただければ」

「け、経験豊富って……」

 ここで補足をしておくならば、キャスターは宗一郎とキスをしたことが無いわけではない。

 キスをしたことがあるのはあるが、ここでいう事実と相違となるのは数であろう。それこそ極々僅かに数える程度であり、とてもではないが『頻繁に』などこなしてなどいないからだ。無論、おはようからおやすみまでも虚言である。

 その結果、どんなものかと訊ねられたとしても、明確に応えられるハズがない。

 眼を泳がせてキャスター。つい士郎へと向けるが、当の彼は既に顔を背けている。

(使えない坊やね!)

 胸中でそのように罵倒される士郎はたまったものではない。

「あの、ファーストキスの味は、レモンの味がするとよく聴きますが……やはりそうなのでしょうか?」

「レモン……?」

 この箒の問いかけに関しては、キャスターは眉を寄せるだけだった。

 そもそも、キスに関して言及するならば物質的な味などない。あくまでも、気分を比喩にしたものでしかないのだから。それこそ青春時代の甘酸っぱい初恋であれば、例えるのが『レモン』であったとしてもおかしくはない。

 今一度キャスターは考えていた。それはまさしく自問自答するかのごとく。しかしながら、どんなに思い出したところでもレモンの味などしなかったのではと結論付ける。加えて付け足すならば、キャスターにとってのファーストキスの相手は宗一郎ではなく、イアソンであるため正直思い出したくもないというのが現状であろう。

 イアソンのことなど頭の中から綺麗さっぱり追い出すと、宗一郎に置き換え考察するのみ。

 いい歳をした女性の身でありながら、少女のようにドキドキとしたのは確かであり、なによりも唇を触れ合わせた時は安心感を覚えていた。

「……生憎とレモンなんては感じなかったわね。でも、なんて言うのかしら……表現し辛いのだけれど……ときめくというか、ドキドキする方が強かったのと、一体感というか心が落ち着くのは確かよ」

「ドキドキするのに、落ち着くんですか?」

「言ったでしょう。表現しづらいって。こればかりは箒さんも経験してみないことにはわからないわね。それに、感じ方は人それぞれだし……それこそ貴方にとってはレモンの味に感じるかもしれないわよ?」

 どこか意味深に説明するキャスターの言葉に箒はひとりなるほどと顎に指を触れさせ――

「…………」

 ふと、別のクッキーに手を伸ばそうとしていたセイバーは、じいっとこちらを見入る箒の視線に気付いていた。

「ホウキ、なにか?」

「ああ、いや……セイバーも衛宮とは恋人同士ということはだ、その、つまり、なんだ……」

 言いにくそうに彼女。

「ふ、ふたりも、日常的にキスをしているのか?」

「――――」

「ど、どうなんだっ?」

 箒にしてみれば、キャスターひとりの応えだけではなく、同世代――彼女にから見ては同じ年齢だという認識である――のセイバーからも同じように意見を訊ねてみたいがために。

 だが、唐突に話を振られたセイバーにとってみれば、純粋に困惑するだけでしかない。士郎は既にまともな返答が出来ずに硬直したままなのだが。

「待ってくださいホウキ。一度アナタは落ち着くべきだ」

「わ、わたしは落ち着いているぞ! これ以上無いぐらいにな!」

「とてもそうは見えません」

「ふ、普通の恋人同士ならばそれぐらいは当たり前なのだろう?」

「こちらの話を聴きなさい。それに、どこが普通なのかがいまいちよくわかりませんが」

 普段の箒とは違い、予想外なほどにぐいぐいと来る相手にセイバーは手で制しながら。

 箒は箒とて、よりよく問い質したいがために言葉を重ねてくる。

「と、とにかく、実際のところはどうなんだ?」

「……実際に、とは?」

「だ、だから……衛宮とはキスしているのかと訊いているんだ! ま、まさか、恋人同士なのにキスをしたことが無い、とは言わないだろう?」

「し、したことが無いわけではありませんが……」

 相手のいまいちな反応に……だが、箒は少しばかり眉を寄せていた。

「嫌なのか?」

「い、嫌というわけではありませんっ! 相手がシロウならば、わたしは嬉しい……って、何を言わせるんですかっ!」

 上気した頬、熱を持った身体を落ち着かせるように、セイバーはいいですかと言葉を選ぶ。

「そもそもです。ホウキ、く、口付けというものはですね……その……か、軽はずみに行って良いものではないと、わたしは思うのです」

「…………」

「よく考えてみてほしい。いいですか? 口付けというものは、お互いの気持ちを確かめ合うための神聖な行為だ。それをむやみやたらに、みだりに行うなどわたしには考えられないし、どうかと思います。そ、それに、こういった行為はですね……心安らぎ、落ち着ける静かな場所で、ふたりきりの時にこそ本来の意味を――」

 そこまで言って――

 セイバーの意識は現実に戻されていた。

 己の世界に飛び立ち酔いしれていたハズのキャスターも耳聡く話に混ざっている。その後ろには大変気まずそうに紅い顔を手で覆っている士郎がいる。

 その時点で、セイバーは自身がどれほど恥ずかしいことを口にしたのかを理解していた。身体は更に熱を帯び火照り、耳まで真っ赤になり、まるで湯気を発するかのごとく。

「なになに? そこのところ、もっとよりよく深く詳しくぜひ」

「い、言うワケがないでしょう!」

 ニタリとした意地の悪そうな笑みを顔に貼り付けるキャスターにセイバーは動揺を隠すべく一喝していた。

「わ、わたしのことなど、どうでもいいでしょう!? だ、大体キャスター、アナタがはっきりとしないのがいけないのではないですかっ!? そういうアナタこそ、ソウイチロウとは、本当のところどうなのですかっ!?」

「あら、宗一郎さまはスゴイわよ? 激しいんだから」

「――――」

「宗一郎さまのキスは、それこそ身も心も蕩けるような情熱的ですもの。お子ちゃまな彼とは違うわよ?」

 その一言はさすがにカチンと来たのか、セイバーは反論していた。

「訂正しなさいキャスター。今のは聴き捨てなりません。シロウは相手を労わってくれる優しさがある」

「あら、宗一郎さまも荒々しい中に優しさがあるわよ」

「シロウは―――」

「宗一郎さまは――」

 セイバーとキャスター、双方の言い合いは続く。話の内容は、次第に夜の営みがどうだという部分にまで及ぶほどに。

 当然のことながら同席している箒は気まずそうに俯いていた。聴くともなしに耳に入ってくる言葉に顔は熟れたトマトのように赤らめたまま。

 それは士郎も同様だった。べらべらとそんなことまで話されては、聴かされている身としては気恥ずかしさに頬を紅潮させるだけでしかない。

 居心地悪そうにいるふたりを意識することもなく――二騎のサーヴァントは激しい舌戦を繰り広げていた。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 翌日の放課後――

 セイバーとキャスターを呼んだにもかかわらず話が脱線して終わった昨日の反省を踏まえ、士郎は士郎なりにあれやこれやと思考した結果幾つかの案をまとめていた。

 内容を告げようと箒の姿を捜していた彼ではあるが――だがその矢先、声をかけてきたのは捜していた箒本人からだった。

「…………」

 箒の顔に――思わず士郎は面食らっていた。

 昨日――正確に言えば、今日の放課後になるまでであるが――いろいろと悩んでいたとは思えぬほどに、その表情には迷いが一切消えて晴れ晴れとしていた。

「すまない衛宮……いろいろと考えてはみたのだが、やはり、どうにもわたしは、わたしのありのままを見せるのが性にあっていると思うんだ」

「…………」

「昨日、お前たちの話を聴いてわかったんだ。人によって、恋愛というのは様々な形があるというのを改めて知ったよ。頭では分かってるつもりだったのだが……今でも、お前とセイバー、葛木先生のようにわたしもなれたらと思う。だが、やはり、わたしはわたしだと思うんだ。お前たちのようにはなれないかもしれないが、わたしらしいやり方で、一夏にこの気持ちを伝えようと思う」

「……そうか」

「お前があれこれと考えてくれたことには感謝している。その上で、身勝手だったことは本当に申し訳ない。いろいろと迷惑をかけた」

 言って深々と頭を下げる箒に対し、士郎はよしてくれと声を漏らす。

「いや、そんなことはないよ。俺もお節介過ぎたかなとは思うし……なによりも、篠ノ之がそう決めたんならそれがイイことなんだと思う。逆に、昨日は迷惑をかけた。良かれと思ったんだけれど、結局何の役にも立たなかったし」

「そんなことはない。いろいろと為になったのは事実だ。重ねてすまない」

 今一度頭を下げる箒に、士郎は苦笑を浮かべると軽く手で制す。

「言ったろ。篠ノ之がそう決めたんなら、それがイイんだって。俺も余計なことを言った。気にしないでくれ。それに、俺に出来ることであれば協力するよ」

 士郎のその申し出に――しかし、箒は小さく頭を振っていた。

「その気持ちだけで十分だ。わたしも、言われたように、自分でなんとかしてみようと思う」

「?」

 相手の発言についてどこか違和感を覚えながらも士郎は返答していた。

「おう。頑張ってくれ――て言い方もおかしいかな。少なくとも、俺は応援してるからさ」

「ああ、ではこれから早速一夏を捕まえようと思うのでな。ここで失礼する」

「ん」

 超が付くほど鈍感な一夏を振り向かせるには至難な業だぞと心中で呟きながら、駆ける彼女の背を見送り彼。

 胸に去来するのは安堵。だが、それと同じように、どこかわだかまりが残るのも事実だった。

 二種の感情が入り混じり、顔に浮かぶのはどっちつかずの微妙な表情。

「ありのまま、か……うん。確かに、そっちの方が篠ノ之らしい」

 表には出さずにはいたが、打って変わったかのような箒の心情の移行に士郎は内心戸惑ってはいたのだが。

 故に――

「あらあら、坊やには愛しのセイバーがいるというのに、他の女にうつつを抜かすのはどうかと思うわよ?」

「――っ」

 唐突に背後からかけられた声音に驚き、士郎は慌てて振り返っていた。

 振り返った先に立つのは、こちらの反応を愉しんでいる白衣姿のキャスターである。その顔にはにんまりとした笑みを張り付かせて。

「おいっ――どっから湧いて出た、アンタ」

「ちょっと……このわたしを、ボウフラか何かのように言わないでちょうだいな。潰されたいの? そもそも、感謝してもらいたいものね。あの娘の悩みを、それなりに解消してやったっていうのに。言葉を選べないのかしら、坊やは?」

 ジト眼で睨むキャスターに呆れながらも、士郎は物騒なことを口にしないでくれと洩らしていた。

 それと同時に確信を得た言葉も耳に留めることとなる。

「その言い方からすると……アンタ、あの後、篠ノ之に何か余計なことを吹き込んだのか?」

 いらぬ小言を吹き込んで行動しているというのならば、さすがに黙ってはいられない。そう反論しようとするのだが、キャスターは心底呆れたように、これ見よがしに深い溜め息を吐いていた。

 露骨過ぎる態度に士郎は思わず動揺していた。

「な、なんだよ」

「吹き込んだとは人聞きが悪いわね。わたしは、ほんの少しだけ背中を押してあげただけよ。結果、行動に動いたのは紛れもなく彼女の意志よ」

 キャスターの返答に対し、いまいち納得できかねない士郎は怪訝のまま問い返していた。

「……ちなみに訊くけれど、よからぬ暗示の類はかけてないよな?」

「なにもしてないわよ」

 ムッとした表情になるキャスターに、再度士郎は問い詰める。

「……本当に?」

「……この場で消し炭にされたいのかしら?」

「滅相もございません、麗しい奥さま。なので、その変な光を出してバチバチ鳴ってる腕を下ろしてください」

 キャスターの右腕に帯電しかける魔力を指摘し士郎。

 彼女もまた本気ではなかったのか素直に腕を下ろしていた。

「あの後それなりに相談にのったのよ。それこそきちんと真面目にね」

 そしたらあれよあれよと話し出したわよと彼女は告げる。

「どういう心境の変化だよ」

「…………」

 士郎の指摘に対し、鼻持ちならないキャスターは口を『へ』の字に歪めたまま視線を逸らしていた。

「……仕方ないじゃないの……桜さんのように、わたしを『理想の奥さま』みたいな眼で見てるんですもの」

「そりゃアンタが変な見栄張るからだろうが」

「……本当にうるさい坊やだこと」

 自業自得じゃないかと洩らす相手を一睨みして彼女。

「それに……こちらを変に尊敬している以上は無碍に出来ないでしょう? ほっぽっておくのも後味が悪かっただけではあるんだけれど……その上で、取り繕った姿を見せたとしても、所詮は紛い物でしかないって話をしただけよ」

「待ってくれ。それってどういう意味だ?」

 自分に至らない部分があるのは認めるが、相談に乗ったのは本心であり、紛い物といわれるのは釈然としない。

 しかし、キャスターの表情は冷ややかだった。

「セイバーも言ってたわよね? 嘘で固めた姿と、真実のままの姿では、果たしてどちらが正確かしら?」

「…………」

 そんなのは答えるまでもない。断然後者である。

 だが――

 必要な嘘も、中には存在するのではなかろうかと士郎はつい考えてしまっていた。

 そんな考えが表情に出ていたのだろう。キャスターはひとつ苦笑を浮かべる。

「そうね。坊やの考えていることも、間違ってはいないわ。でもね」

「でも?」

「それを決めるのは、わたしでも坊やでもないの。本人のみなのよ。篠ノ之箒は、真実の姿を見せることを選んだ。それが、彼女の望んだ答えなのよ」

「それは、まあ、わかってるつもりだけど」

 どこか釈然としない答えに士郎はやはり腑に落ちない。いや、頭ではわかっているつもりではあるのだが、納得することに躊躇しているといったところであろう。

 割り切るべきところが些か割り切れないのがいかにも士郎らしい。

「大体、坊や如きが他人の色恋沙汰に口出しできると思って?」

「いや……さすがにソレを言われると、ぐうの音もでないけどさ……その、困ってる姿を見るとつい、な」

「…………」

 坊やの悪い癖ねとキャスターは溜め息をつく。

「俺のしたことは無駄だったって事かな?」

「半分そうで、半分そうじゃないわね」

「……?」

「話を聴いてた中で、あの子、純粋に喜んでいたわよ。衛宮に相談したことで幾分楽にはなったって。結果としては無意味かもしれないけれど、過程としては十分意味があるわよ。話を聴いてもらえたことで、胸の奥に痞えていたものが外れたんだから」

「……そういうモンかな」

「そういうものよ。そもそも、あの娘はあの娘で坊やに相談したのは妥当と言えるわね。これがランサーだとしたら、あの狗は余計なことを吹き込むわよ」

「確かに。問題が悪化しそうなのが眼に浮かぶよ」

 そう洩らすキャスターの言には士郎もまた納得していた。本能のままに動けと、よからぬ事を推し進める姿が容易に想像がつく。

 だが、彼女の言及は続いていた。

「ついでに言えば、坊やが相談に乗るのもお勧めしないわよ」

「なんでさ?」

「よく考えてみなさい。あの子の相談に乗るということは、あの子との仲を取り繕うということよ。他の娘はどう思うかしら?」

「……どうって」

「例えば、シャルロットさんや本音さんから同じような相談を持ちかけられたらどうするの? ふたりの仲も取り繕うように振舞うつもり?」

「…………」

 その指摘に士郎は言葉もない。

 ほら見なさいといわんばかりの表情で、キャスターは呆れていた。

「ひとりだけに協力するというのが問題になってくるのよ。八方美人にでもなるつもり? 坊やは中立であるべきなの。今回の件を機会に、篠ノ之箒も何かあればまた協力してもらえばいいという甘えが出ないとも限らない。そういうことにならないためにも、坊やが肩入れするのは得策じゃなということよ。おわかり?」

「……ああ、言いたいことはわかったよ」

「人には向き不向きがあるの。十全な人間なんてこの世にはいないのよ。全てを丸く治めようというのは、まさに夢物語よ」

「…………」

「保健医――正式に言えば養護教諭ていうのはね、坊や……精神心理的な相談援助、すなわち心理カウンセリングも受け持つものなのよ」

 心理カウンセラーの学問的基盤は、臨床心理学が中心的に用いられることを――知識程度の括りではあるが――士郎は知っている。

 実生活の問題や悩みに関し、主体的に相対して導くことが目的である。

 心身の健康指導、精神衛生。特に精神的な疲労やストレス、悩み等を軽減、緩和、時にはサポートといった生徒のメンタルヘルスが仕事となる。

「受身に回っていても、何も好転はしないものよ。攻める時に攻めないと、変わるものも変わらないわ」

 未だ無言のままとなると士郎に一瞥をくれてキャスター。

「坊や、わたしたちから見たらね……人間の一生なんて儚いものなのよ。それに昔から言うじゃないの。『命短し、恋せよ乙女』てね。その上で、勉学に励み、傍ら実生活に悩む生徒の心をケアするのも、わたしの仕事のひとつとなるわけよ」

「…………」

 呆気にとられる士郎の顔は、さぞ滑稽なことであろう。

 見事なまでの間抜け面に――キャスターは露骨に眉をしかめていた。

「何よ、その顔」

「いや、正直驚いた。アンタ、昨日はなんだかんだと話を脱線してたクセに、ちゃんと相談にのってるんだな。単に趣味だけで養護教諭をやってるワケじゃないんだな。見直したよ」

「なによ、まるで考えなしに動いているみたいな言い方ね」

「…………」

 違うのかよ、と思わず喉まで出かけ叫びそうになる言葉をなんとか士郎は飲み込んでいた。

 余計なことを言って、眼の前の魔女の機嫌を損ねるのは、経験上、決してよろしくは無い。

「いや、悪い……そうじゃなくてだな、こう言っちゃなんだけれど……アンタの悲劇っていうか、アンタの逸話はこれでも知ってるつもりだ。でも……その、アンタは幸せになる権利があるんだなって今更ながらに思っただけだよ」

「なによソレ?」

 話の脈絡がない返答に、キャスターは美貌を歪めるだけ。

 士郎は苦笑し、続けていた。

「重ねて悪い。冗談抜きでさ……アンタ、教師になったらいいんじゃないのか? 人を指導するってのは案外お似合いかもしれないし。それこそ葛木先生と一緒に同じ職場で働くってのも、よくよく考えてみれば悪くないと思うんだけれど?」

 夫婦で教師ってのも面白いと思うけどな、とつい笑う士郎ではあるのだが――

 対するキャスターの表情は真顔だった。それもそのはずに、彼女は耳に捉えた言葉を聴き逃してはいなかった。

 一拍の間を置いてから思考が正常に働く彼女は声を荒げる。

「同じ、職場……?」

「んぁ?」

 そこで士郎は自身の発言に気付かされる。

「同じ職場? わたしが? 宗一郎さまと? 宗一郎さまと? 宗一郎さまと?」

 胸倉を掴み締め上げられるほどの相手に気圧された彼は頷くだけ。

「お、おう」

「本当に、本当にそう思うの坊やっ!? 適当なことヌかしてたらこの場で打ち殺すわよっ!?」

「滅相もございません。ある意味で、公私ともに一緒に居られると思いますが……」

「公私ともに……」

 その言葉に――

 尖る耳をぴこぴこと動かすキャスターの口元には、満更でもない笑みが浮かんでいた。

「教師……そうよっ! そうだわっ! どうしてそんなことに気がつかなかったのかしら……教師の身であれば、いつでも宗一郎さまの御傍にお仕え出来るじゃないの! 私生活でも職場でも、いつだってあの人の支えになれるわっ!」

「盛り上がってるところ悪いんだけれどさ、いつでもっていうのには語弊があるぞ。教職があるんだから四六時中ってワケには――」

 掴んでいたキャスターの指先から解放された士郎のさり気ない指摘に――だがしかし、相手は聴いてなどいなかった。

「普段はお馬鹿でダメダメな坊やでも、本当に、本当に、本っっ当に、たまには役に立つじゃないの」

「……辛辣な御言葉を頂き、恐悦至極でございます。出来ればこちらの話を聴いてくれてるとありがたいんだけれどさ」

「そうと決まればこんなところで油を売ってる場合じゃないわ。わたしの幸せのために、戻る手段を講じないと!」

「あれ? 俺のために元の世界に戻る方法を模索してくれてるんじゃなかったっけ?」

 いつの間にかオマケ扱いされていることに嘆息する士郎になど眼もくれず、キャスターは鼻息荒く廊下を駆けて行った。

「まるで一陣の風だな、ありゃ」

 現金なヤツだなと彼は今一度吐息を漏らしていた。

「……でもまあ、キャスターのおかげで篠ノ之に迷いが無くなったってことは、確かにイイことなのかもしれないな」

 性格に問題ありの魔女でも役には立つじゃないかと呆れながらも、結果オーライとして士郎は自然と口角をゆがめていた。

 と――

「あ、居た居た。ねぇ衛宮、ちょっと相談したいことがあるんだけれど、今時間いい?」

「…………」

 背後からかけられた声音に――

 無言、無表情のまま振り返った士郎は微動だにせず。

 しばし静寂の場を包むが、凰鈴音は眼をぱちくりと瞬かせると問いかけていた。

「なにその顔。鳩が機関銃喰らったような表情してるわよ」

「それを言うなら『豆鉄砲を食った』だろ? 機関銃なんて直撃したら原形留めずにミンチで即死だっての」

「似たようなモンでしょ。アンタって、案外細かいこと気にするタイプよね。将来絶対ハゲるわよ?」

「…………」

 鳩が豆鉄砲を食ったよう――

 意味としては、突然の出来事に驚き、目を丸くしているさまをいう。

(機関銃なんざ、驚く前に蜂の巣にされて大惨事だろうに……)

 銃という大まかな部分の括りだけで同一視している相手に士郎は言葉も無い。

「まぁいいさ。で、相談てなんだ?」

「ん? ああそうそう。一夏のことなんだけれど、アンタに折り入って頼みたいことが――て、どうしたの?」

 告げられた内容に、思わず士郎は顔を押さえてその場にうずくまっていた。

 そんな彼に鈴は怪訝そうな視線を向けている。

(キャスターが言ってたのは、こういうことか(・・・・・・・)……)

 胸中で自問自答しながらも、幾分か持ち直した士郎は顔を押さえる指の隙間から眼を覗かせ鈴へと向けていた。

「いや、なんでもないよ。それで? 一夏がどうしたって?」

「だから、アンタにちょっと相談したいことがあんのよ。実は――」

 今しばらく――

 彼は、少女たちの相談事に付き合わされるのだった(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)



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48-1

「――ボーデヴィッヒ隊長」

「?」

 相手の声音にラウラは一瞬虚を衝かれていた。

 いつものように聴き慣れた声を耳にすると思っていただけに、彼女はかけた番号を間違えたのかと逡巡すらしていた。

「……クラリッサはどうした?」

 ラウラがかけた携帯電話の相手は、クラリッサ・ハルフォーフ。シュヴァルツェ・ハーゼ――通称「黒ウサギ隊」と呼ばれる、ドイツのIS配備特殊部隊の副隊長であり、隊長であるラウラが不在である今の部隊の指揮を執っている女性である。

 携帯電話を所持する主もクラリッサであり、この番号にかければ彼女が出ていた。今までもその通りであったために、ラウラにとってみれば当然いつものように相手が通話に応じるとばかりに思っていた。

 クラリッサ以外の者が応対するなどとは努々考えてもいなかっただけに。

 なにか手が離せぬ事情のために電話に出られぬのだろうと理解したラウラはそう問いかけていた。

 だが、部隊員からの返答は少々違っていた。

「……隊長、御言葉ではありますが……もしかして、御存知ありませんか?」

「なにがだ?」

 ラウラの返答に対して、相手は声に些か困惑を滲ませながらも応対していた。

「お姉さま――ハルフォーフ副隊長は、現在別任務のために本国を離れておりますが?」

「……なに?」

 その言葉にラウラは僅かばかりに眉を寄せていた。任務のために本国を――それも黒ウサギ部隊を離れるなど、隊長である自分は一切聴いてはいなかった。

 となれば、現在の部隊は誰が指揮を執っているのかという問題点が浮上する。

 ラウラのそんな懸念に応えるかのように隊員は伝えていた。

「軍令――それも、上層部から直々にとのことだそうで……その、極秘単独任務に就かれているので、最高機密(トップシークレット)ともあり、部隊員の我々も詳しいことは知り得ておりません」

「極秘任務だと? そんな話は、わたしはなにも聴いていないぞ……」

 息を呑む隊員は慌てて言葉を選んでいた。

「そ、そうなのでありますか? も、申し訳ありません……わたしは、てっきり隊長は御存知であるとばかりに――」

 格別己に落ち度があるわけでもないというのにかかわらず、隊員は非礼を詫びていた。

 無論のこと、ラウラは気にするなと返すだけである。

 だが――

 本音を言うならば、ラウラにとって思い当たる節はひとつしかなかった。

 喉まで出かけた言葉は『銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)』である。

 ドイツの情報網は優秀であり、今この時期に上層部が極秘裏に動くというのならば、十中八九、くだんの用件(銀の福音)で何かしらの情報を掴んだというのがラウラなりの考えであった。しかし、この推測はあくまでも彼女の個人的な思考によるところだ。

 もしかしたら間違っているかもしれなければ、本当に全く別の件でクラリッサが動いているのかもしれない。裏付けが取れる確証を持たぬ彼女は不用意に言葉を出すべきではないと判断する。

 会話を聴いている限り、今現在、通話相手の部隊員は『銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)』が奪取されたという事実を把握していない。

 ならば、相手が知り得ていない情報を不用意に与えるのは得策ではないと理解する。同じ部隊の仲間をとはいえど、話せる機密は制限されるからだ。

 昔のラウラならばいざ知らず、今の彼女は仲間――部隊員を信頼していないわけではない。

 部隊員たちとて、以前の近寄り難い雰囲気を醸し出していた彼女と比べれば、今のラウラに悪い印象は持ち合わせていない。

 故に、部隊員に悪いとは思いながらもラウラは口を開くことはない。無論のこと、敬愛する織斑千冬に口外するのを止められていた手前もあるだろう。

 現に部隊長たるラウラ自身に軍上層部から『銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)』に関する通達は一切ない。

 それこそIS学園に在籍するラウラに要らぬ情報を与えるのはよろしくないと酌んだのか、余計な面倒事になるのを恐れたからなのか――

 意図、思惑はさまざまであろう。

 しかしながら――

(福音はクラリッサに任せて、わたしは第二形態移行(セカンド・シフト)に専念しろということか)

 上層部の意向をそう汲み取ったラウラは胸中独りごちるのみ。

「それで? クラリッサがその任務に就いたのは、いつ頃からなのかわかるか?」

「明確ではありませんが、隊長の居られます日本の時差で言いますと……おそらくは、三日ほど前からだと思われますが……」

「…………」

 三日か、とラウラは胸中で呟いていた。その言葉に思い当たる出来事が別件で彼女なりにあるために。

「……隊長? なにか?」

「いや、なんでもない」

 いずれにせよ、この件は後ほど改めるとしてラウラは再度問いかけていた。

「クラリッサが不在だというのはわかった。本題に入るが、連絡したのは他でもない。破損した、わたしのレーゲンについてだが」

「はい。報告は受けております。ですが、受理した内容は変わらず、本国に一度帰還せよとのことです」

「…………」

 その意味を理解したラウラは格別表情に変化を生じさせることはなかった。逆に言えば、隊員が告げる言葉も、なかば予想出来得ていたものでもあった。

 故に、わかりきっていた応えを耳にしたとしても当然であると割り切っていた。

「そうか」

 要求が呑まれなかったこと自体に関しては特に思うところがあるわけでもなく、ラウラはあっさりとその一言を返すのみだけだった。

「それと、隊長の機体に関しまして、ハルフォーフ副隊長より言伝を承っておりますが……」

「クラリッサから? 聴かせろ」

「はい」

 通話口の隊員は、言いにくそうな口調ながらも内容を伝えていた。

「……その……申し訳ありません、とのことです。そのように隊長にお伝えするように受けております」

「…………」

 思わずラウラの口から吐息が漏れる。クラリッサらしいと彼女はそう感じていた。こちらの要求を通そうと尽力してくれた姿が眼に浮かぶ。

 部隊長の心情を察した隊員は――息を吐いた行為が『嘆息』であると早合点してだが――直ぐに言葉を重ねていた。

「重ねまして申し上げますが……副隊長も出立する直前まで、隊長の期待に添えますようにと交渉されていたのですが……」

「構わん。こちらが無理を承知で、パーツを送って寄こせとゴネたのがそもそもの間違いだ。本来であれば、ああまで破壊されもすれば、レーゲンの修復は本国で行うのが当然だろう。自己修復が追いつかぬのだからな」

 パーソナルデータ、ならびにパーツとはいえ輸送中に何らかの事故にでも遭って紛失(ロスト)でもすれば、それこそ事であろう。

 なによりも、本国ドイツのIS技術開発部にとっては、最近のラウラのデータ、ならびに搭乗機体の『シュバルツェア・レーゲン』の戦闘データの向上に興味が無いハズがない。

 よりよく把握し、検査するためにも本国に戻すのは常である。立場が違えばラウラとてそのように解釈している。だが、彼女が自国に戻ることに難色を示すのは二点からだった。

 一点は、大幅な戦闘経験値の取得により『シュバルツェア・レーゲン』は第二形態移行(セカンド・シフト)しかけてもおかしくはない状態であった。たった数日の合間に、こうまで明確な変化を起こされてしまっては、技術開発部にとっては驚愕に値し、是が非でも研究したい対象である。

 しかし、この件で素直に受け入れることが出来ないのは当のラウラであった。

 機体が第二形態移行(セカンド・シフト)しかけることに関しては、純粋に喜んでなどいられなかった。それは、己の力ではなく、何者かの手によって凶行に及んだ結果得たために。

 皮肉であろう。VTシステムに取り込まれた時と同じように、仮初めの『力』を与えられたのだから。

 残るもう一点は、上層部が俄然興味を示すのが模擬戦時の相手である。キャスターによる一方的な蹂躙により大破した機体ではあるが、解析不能な攻撃を受けたとはいえ戦闘経験値を得たのは事実である。

 上層部がキャスターの存在、ならびに彼女によって破壊されたという実状は知り得ていない。あくまでも、『シュバルツェア・レーゲン』が戦闘経験値を得たという直前の記録は衛宮士郎との模擬戦時までに留まっていた。

 だが、上層部が把握している戦闘相手が衛宮士郎であろうとも、把握していないキャスターであろうとも、着目しているのは戦闘経験値である。

 実際に、IS『アーチャー』との模擬戦時に劇的変化を得たのは確かである。ならば、また同じように、この男性操縦者と戦闘を行えば更なる進展が望めるのではなかろうかと期待するのは当然であろう。

 加えて、衛宮士郎の一個人戦闘データを取得するのが上層部の本心でもあるのだろうと推測に値する。

 それらを踏まえた上で、衛宮士郎との模擬戦をなんとしてでも継続するようにと打診を受けるラウラの胸中は複雑であった。

(そのために衛宮を利用しろというのか。あんな状況に陥った衛宮を……)

 そんな隊長の胸のうちなど知らぬまま、隊員は続けていた。

「隊長、こちらの準備は整っております。帰国次第、いつでも作業に取り掛かることが可能です」

「わかった。いずれにせよ本国に戻らん限りはどうにもならんからな。わたしの方も早急に出国の手続きを進める。受理され次第、追って連絡する」

「了解致しました」

 隊員の返答を最後に通話は切れる。

 携帯電話を仕舞ったラウラの表情は浮かないまま。

「……さて」

 あのように言いはしたが、まずは自身の専用機(シュバルツェア・レーゲン)を返してもらわねばならない。

 そう考えた彼女は踵を返し、自室を後にしていた。

 

 

「――聴いていますか? セシリア・オルコット候補生?」

「……え?」

 その言葉に、話半分上の空でしか聴いていなかったセシリアは意識を現実の世界に戻されていた。

 だが、彼女は格別慌てる素振りもなく――さらには悪びれた様子も見せずに応えていた。

「……申し訳ございません……その、別のことを考えておりましたので聴いておりませんでした。もう一度お願いいたします」

 通信者の説明はBT稼働率に関してのものだった。最初は相槌を打ちながら話を聴いていた彼女ではあるが、次第に相手の声を耳には捉えていなかった。

 話を聴いていれば聴いているほどに、セシリアの胸中は徐々に心ここにあらずだった。

 ほぼ全壊に近い『ブルー・ティアーズ』のメンテナンス状況を説明されるが、それら全ては彼女の耳には入っていない。

 予備パーツを送る送らない、セシリアのパーソナルデータを精密に取り直したいのでイギリスに帰国するようにといった会話を交わすが――

 自身の愛機に関わる内容であるが反応を示さないのには理由があった。今現在のセシリアの意識が集中するのは、士郎の身。その一言に尽きる。

 いまだ眼を覚まさず予断が許されぬ状態の彼を思えば、呑気にしていることが出来ないというのが心情である。

 そもそも、BTシステムの稼働率データがプラスに更新していようとも、気楽に喜べるものではない。それは、セシリア自身の純粋な実力に反映された成果でもなんでもないからだ。

 何処の誰ともわからぬ輩に愛機をいい様に弄られた挙句、士郎に怪我を負わせたひとりである自分が、如何様にしてBT稼働率の向上を受け入れることができようか。

 何よりも、セシリアもそうだが専用機持ちたちは自身のISの不具合を各国へ報告はしていなかった。いや、正確には報告することを止められていたというのが答えとなる。

 口止めをするのは無論キャスターである。

「お嬢さんたち、報告するのはやめておきなさい。何故って? 別に言いたければ勝手になさいな。ただ、それ相応に覚悟はしておきなさいな。わたしが言えるのはそれだけよ。無用な詮索もしない方がいいわよ? あなたたちの身のためでもあるのだけどね。人生を無駄に棒に振るのも面白くないでしょう? まぁ、冗談と取るか本気と取るかは御自由に」

 それでも好きにするならこれ以上は止めはしないわと残すとキャスターは専用機たちの前から去っていくだけだった。

 半ば脅迫に近い嚇しを残されては、セシリアたちとて大人しく従うしかなかった。特に、セシリアは唯一状況の冒頭から最後までの事情を知り得ている内のひとりでもあるために。

「……疲れているようですね。無理もありませんか」

 通信する相手は、そんな彼女の態度を咎めるために声を荒げもしなければ、気にした様子も見せはしなかった。むしろ逆に労わるかのように。しかしながら、セシリアの胸中を全て知っているのかといえばそうではない。あくまでも通信者が把握しているのはBT稼働率という数値である。

 何があって、何が起こり、何故そうなったのかという一連の過程を通信者は知るハズもなければ、セシリア自身も事実を告げてはいなかった。

 通信する相手側からしてみれば、今まで不振に続いていたBT稼動率がここに来て軒並み向上したのだから。それも、一瞬とはいえ記録が残るのは最高値で200パーセントである。なんとしてもこの稼働率を維持しろと通達してくる本国の指示は当然だった。

 セシリアのメンタルヘルスを悪化させ、ストレスを高めてしまってはせっかくのBT稼働率も低迷してしまうかもしれない。

 無理をさせないながらも、なんとしてでも修得し、思うままに操れるようになるように努めさせたいのが狙いとなる。

 そのためには肉体面、精神面の両方に負荷をかけるのは得策ではない。

「ここ最近のあなたのパーソナルデータの向上、特にBT稼働率の上昇は見事です。相応に見合った訓練の結果でしょう。疲労は募らせないように、適度に休息もとるように努めなさい。くれぐれも無理はしないように。期待していますよ」

「…………」

 期待しているとは重い言葉だとセシリアは捉えていた。

「……ありがとうございます」

「それと、今後の方針についてですが……報告にある第二男性操縦者の衛宮士郎との模擬戦を重点的に行いなさい。織斑一夏よりも、この男性操縦者との戦闘経験を蓄積することで一号機の自己進化率が上昇しています」

「士郎さんと……ですの?」

「ええ、なにか問題がありますか?」

「…………」

 問題など、大有りに決まっている。

 これ以上士郎を関わらせるということについては、彼女個人としては反対であった。

 しかし――

 容はどうあれ、うろ覚えとはいえども、第二アリーナでの出来事は忘れられない。銃口を向けて引き金に手をかけたのはセシリア自身であり、『ブルー・ティアーズ』が士郎を傷つけたのは隠しようがない事実である。

 そんな機体に乗り、これからも模擬戦を継続しろという命令を素直に受け入れることはできなかった。だが、その一方で機体に乗るのを拒絶していない自分がいることにも彼女は気付いている。

 専用機(ブルー・ティアーズ)の権限を手放せるのかと問われれば、素直に応じることなどできはしない。

「…………」

 なんのために代表候補生となったのか。

 選ばれるためにどれほどの苦労と努力を積み重ねてきたのか。それは、ひとえにオルコット家を護るためであり、亡き母と父のために。

 寝る間さえ惜しむほどに必死に勉学に励んで掴み取った『結果』を、おいそれと放棄するなどどうしてできようか。

 結局のところ――

 いくらどんなに綺麗事を並べ口にしたとしても、負い目を感じていながらも、頭の中ではわかっているつもりでいながらも、彼女はISから離れることはできなかった。

(……なんという道化でしょう……許されることなどない状況でありながも、心のどこかでは彼を軽視し侮辱している……こんなわたくしが、本気で士郎さんを心配する資格などあるのでしょうか? いいえ、あるわけがございませんわね……そうでもなければ、こんなことを考え付くハズがありませんもの……)

 愚陋な自分自身に嫌気が差す。

 そのため――

「――ですので、一号機の第二形態移行(セカンド・シフト)も近いかもしれませんね。同様に、搭乗者たるあなたのパーソナルデータも向上しているのは興味深いものがあります。今後の状況如何によっては三号機に乗り換えることもあるでしょう」

 話を聴いていなかったセシリアは、僅かに掠め捉えた言葉に耳を疑うこととなる。

「三号機……?」

 相手は何を言っているのだろうか?

 三号機など聴いたことがない。いや、そもそも存在していたのかという驚きの方が強い。

 ある意味重要機密であろう情報を、何故平然と洩らしているのかとさえ疑いすら覚えていた。

「お、お待ちください……今……今、なんと仰られたのでしょうか? 三号機? 三号機と申しましたの……? それはまさか、BTシステムを搭載した三号機のことですの?」

「あなたは知っておいてもいいでしょう。ええ、まだ極秘裏にですが、試作型として三号機の開発は八割方済んでいます。ロールアウトするのも時間の問題となりますけれど、正式な搭乗者は現時点では決まっていません」

「……三号機なんて……現に、わたくしはまだ……」

 自分はまだ『ブルー・ティアーズ』さえ満足に乗りこなせていない。そこへ三号機など荷が重過ぎる。

 だが、相手もセシリアの心情を知り得たのか、あっさりと応えていた。

「まだ正式に決まったわけではないと言ったはずですよ、オルコット候補生。ですが、こちらとしても余計なことを言いましたね。そうなるかもしれないという架空の話であるという程度の認識で捉えておきなさい。今は、与えられた一号機に専念することだけを考えるように」

「…………」

 余計なことを考えるなとは無理からぬ話であろう。そんな内容を聴かされてしまっては、意識しない方がどうかしている。

「ただ、三号機への搭乗者を決めるという話が出ているのは事実です。あなたか、サラ・ウェルキン候補生か、あるいは……」

「……あるいは?」

 他に誰がいるというのだろうか。

 セシリアにとって、自分や一学年先輩となる二年生のサラ・ウェルキン以外にも候補者がいるなど初耳である。

 専用機こそ持たぬとはいえ、純粋な能力であればセシリアに劣らぬ実力を秘めている。

 操縦技術を指南してくれもした、そんな優秀な彼女こそ、順当にいって三号機の搭乗者枠に一番近いであろうとセシリアは考えていた。

 だが――

「とにかく、我がイギリス代表候補生の中であなたは頭角を現しているということは忘れないように」

 女性はそれには応えず話を変えていた。

「あの――」

「今後も努力を怠らずに、BT稼働率を安定させるように励みなさい。通信は以上です」

「ま、待ってください! 前にも申し上げましたが、二号機の件は――」

 『サイレント・ゼフィルス』に関しては、イギリス政府からの回答は一切ない。どうして二号機が奪われているのか、何故自分にその知らせがないのか。

 とはいえ、セシリアとて誤った捉え方をしている。開示を求める内容が必ずしも得られるとは限らない。代表候補生とはいえ、言い換えれば一学生にしか過ぎない少女に機密事項に近い情報を与えることなど在り得ないのだから。

 イギリス政府の対応としても、それは当然のことである。もとめる答えは、なにひとつもらえていなかった。

「オルコット候補生、二号機は、あなたが気にすることではありません。この件に関しては、それこそ前にもそのように応えていたはずですよ?」

「ですが!」

 実際に立ちはだかり、こちらに襲いかかってきているのだ。それを野放しにしておくなど、どうしてできようか。加えて、『サイレント・ゼフィルス』の搭乗者はBT兵器を今の自分以上にコントロールしている。これがどれほどの意味を持つのか、政府とてわからぬはずがないのだが。

 再三に渡りセシリアは訴えてきていた。だが、いずれも、なしのつぶて。

 結果――

「オルコット候補生」

 今回も、相手からの返答は同じであった。

「気にすることではないと言ったはずですが?」

「……っ」

 声音に含まれる僅かな重み。

 無用な詮索をするなと告げているのを感じたセシリアは一瞬躊躇いをしたが素直に返答していた。

「……申し訳、ありません……」

「二号機は我々が対処しています。あなたが心配することではありません。他のことに囚われず、眼の前のことだけに集中しなさい」

「……はい……」

 心配するなとはそれこそ無理からぬことであろう。交戦した限り、『サイレント・ゼフィルス』の搭乗者はまぎれもなく脅威に値する存在であるとセシリアは確信していた。

 早急になんとかしなければ、後手後手に回るだけでしかない。

 とは言え――

 政府が対応するというのならば任せておくしかない。正直に言えば、セシリア一個人に出来ることなど何もない。

「…………」 

 通信が切れ、静寂となる室内。

 僅かな時間を経たせ、心を落ち着かせた彼女は独りごちていた。

「……士郎さんを傷つけて手に入れる第二形態移行(セカンド・シフト)なんて、意味があるのでしょうか……?」

 BTシステム稼働率の上昇、第二形態移行への兆候、それらなにひとつに対して嬉しいことなど微塵の欠片もない。

 しかし――

 頭の中では第二形態移行(セカンド・シフト)と士郎の身の優先を秤にかけている自分自身に気付き愕然としていた。

「つくづく嫌な女ですわね、わたくし……」 

 切に願う。

 自分は、そこまで腐ってはいない。いや、そうまで腐ってはいたくない、と。

「……士郎さん……」

 俯き、金の髪がさらりと垂れる。

 肩を震わせ――両手で顔を押さえた彼女は、静かに吐息を漏らしていた。

 

 

「いよぅ、ブリュンヒルデ」

「…………」

 無駄にテンションが高い声音の相手はイーリス・コーリング。

 千冬は眉をしかめたまま耳から携帯電話を遠ざけていた。

 何がおかしいのか――スピーカ部分からは、からからと陽気な笑い声が漏れていた。

「やられたと聴いていたが、その様子から察すると……元気そうだな」

「あー、やられたやられた。舐めてかかって、こっぴどくしてやられたぜ。おまけに殺されもせずに見逃されたとくりゃ、情けねぇ自分自身にムカつきもするさ」

「腐るな。命があるだけマシだろう?」

 そう応えた千冬ではあるが、減らず口が叩けるほどならば問題はなかろうとも捉えていた。

 亡国機業に襲われ、ISまで奪われたと聴いていたこともあり、もしや精神的に酷く追い詰められた状態なのではなかろうかと危惧してはいたのだが。

 もっとも、それがイーリスなりのやせ我慢でないとも限らないのだが。

 それはさておき、本題に入るために千冬は今一度口を開き問いかけていた。

「それで? お前がわたしにかけてくるとは一体全体どういう用件だ?」

 彼女が此方の携帯番号にかけてくる理由が千冬にはわからなかった。

 非通知設定でコールされた携帯電話を不審に思いながらも出てみれば、相手はイーリスであるからだ。番号も大方ナターシャから聴いていたのだろう。

 そんな推測はさておき、イーリスも本題に入り口を開いていた。

「おう、それそれ。ナタルに代わってくれ」

「……は?」

 一瞬、何を言われたのか千冬は理解することが出来なかった。

 だが、相手が告げる『ナタル』という言葉は誰のことを指すのかは否が応にも理解している。第三世代型の軍事IS『銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)』のテスト操縦者、ナターシャ・ファイルスである。

 認識した言葉を今一度整理しながら、千冬は疑問を口にする。

「待て……ナターシャ? ナターシャがこちらに来ているのか?」

 だが、その返答こそイーリスにとっては面倒くさそうに捉えていた。

「はあ? おいおい、ブリュンヒルデよ……くだらねぇおとぼけはナシにしようぜ? 大方アイツに余計なこと吹き込まれてんだろうけどよ、ンなことに一々付き合う必要もねえっての。いいからナタルに代わってくれって。そこに居るんだろアイツ。まったく、携帯にいくらかけても出やしねぇし……それになぁ、今こうしてる間も国際電話ってのは、それなりにかなりの料金とられんだからよ。早いトコ代わってくれっての」

 そんなに金もねぇのに全く冗談じゃないぜと零すイーリスではあるが――千冬は聴いてはいなかった。その表情には険しさを浮かび上がらせたまま。

「ナターシャが来ているのは本当なのか?」

「…………」

 そこでさすがのイーリスも、相手の雰囲気からして決して冗談を口にしているのではないということをようやく理解していた。

「……なぁ、一応聴いとくがよ……マジで、そこにナタルは居ないのか?」

「居ない。ナターシャの所在を――特にお前に隠し通したとして、こちらになにかメリットがあると思うか?」

 正式にアメリカを出国したとすれば話は別だがな、と胸中で洩らし彼女。

 イーリスもまた同意を述べていた。

「確かに……学園側がアイツを匿う理由がねェな」

「それよりも、ナターシャがこちらに向かったとはどういうことだ? 何があった? 詳しく聴かせろ」

「いや、待て待て……そう言われてもよ……」

 今度は逆に問い詰められるイーリスが返答に困惑していた。

「正直なところ、わたしもよくは知らねぇんだよ」

「お前が知っている範囲でいい。わかることは全て話せ」

「あ、ああ。といってもホントに何もないぜ? 数日前ぐらいに、アイツが日本に向うとしか言ってなくてよ……てっきりブリュンヒルデ、アンタに会いに行ったとばかりに思ってたぜ……」

「…………」

「最初は冗談で言ってると思ってよ、ふざけに乗っかって、そん時はわたしも連れてけって言ったんだが、適当にはぐらかされたモンでな。しばらくしたら仲間内からこっちを出国したって聴いてよ。まさか本当に日本に向ったとは思わなくてな」

 イーリスの説明に、千冬は眉間にしわを刻んだまま。

「ちなみに聴いておくが、お前たちが軍令で動くということは――」

「ねェな。ちっと事情があってな、今のわたしとナタルはおいそれと自由に動ける身じゃないんだよ。監視されてるモンでね。アメリカを簡単に出られる状況でもなくてだな」

「…………」

 千冬の台詞を皆まで口にする前に割り込んだイーリスの言葉。内容も前にナターシャが告げた部分に関与していることが窺い知れた。

 ついで、イーリスの発言内容からこちらは『銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)』が奪取されているのを知っていることには気付いていない話し振りであることも理解する。

(ナターシャのヤツ、まさか福音の情報を流したことはコイツにも言っていないということか)

 ひとり黙考する千冬に気づきもせず、通話の向こうではイーリスもまた呟きを洩らしていた。日本以外に当てがあるとは考えていなかっただけに。

「なら……アイツは何処に行ったってんだ」

「イーリス、大体でいい。アイツがアメリカを離れたのはいつ頃かわかるか?」

 よからぬ事を考えるなよと釘を刺していたというのに――

 妙な胸騒ぎを覚えながらも、千冬はそう問いかけていた。



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48-2

 意識を取り戻した真耶の脳裏に真っ先に浮かび上がったのは士郎の身である。

 己が身すら爆発の衝撃によるダメージが残り、動くだけで激痛に見舞われる。しかし、そんなことを気にしている場合ではなかった。

 直前までの状況は覚えている。自身の手で士郎を刺し、撃ち抜いた現実を。

 呑気に病室で寝てもいられるはずもなく、彼女は医療区画を駆けずり回ることとなる。

 フロアをくまなく捜すのだが、士郎は見つけられずにいた。

 と――

 キャスターの姿を視界に捉えた彼女は走り寄り、その肩を掴んでいた。

「あ、あのっ――衛宮くんに会わせてください」

「…………」

 歩を止め――キャスターは、掴まれた肩を面白くなさそうに一瞥した後、ゆっくりと振り返っていた。

「会わせろ? ずいぶんとふざけたことをヌかすじゃない」

「――っ」

 その『貌』を見た真耶は二の句が告げられなかった

 冷酷な色を灯す双眸。無表情となる相手を前にし、真耶は背筋が凍るほどの恐怖を感じていた。

 以前学園祭時に交戦した白い少女とはまた別に、同じ人間でありながらどうすればこのような『貌』ができるのかと思わされていた。

 眼を合わせていられず、顔を背ける真耶。

 口を開くことができずに、ただただ無言となる相手を鬱陶しそうに視線を投げたままキャスターは告げる。

「……会ってどうするの?」

「ど、どうって……」

「会わせる意味もなければ、会わせるつもりもないわよ。会わせたところで、彼を今度こそ殺されるワケにもいかないのよ」

「わ、わたしはっ、そんなことは――」

 するつもりなど毛頭ない、とは言い切れなかった。自身でも知らずのうちに士郎に危害を与えた事実は覆せない。如何様にして信じてほしいなどといえるものか。

 やはり黙ったままの真耶を邪魔そうに見入りながらキャスターは続ける。

「わたしは、あなたたちを誰ひとりとして信用も信頼もしていないの。わかったのなら、さっさと眼の前から消えなさい。これ以上ゴネるのならば、容赦はしないわ」

「…………」

 食い下がることもできない真耶は大人しくキャスターの前から去ることしかできなかった。

 重い足取りのまま、次に彼女が向かった先はセイバーとランサーだった。

 謝ったところで許してもらえるなど思っていない真耶ではあるが、謝らないわけにはいかなかった。

 せめてふたりには謝罪したいというのが彼女の嘘偽りない本心である。

 地べたに這い蹲って許しを請おうとする彼女ではあるが、それは出来なかった。いや、することすら叶わなかった。

 首根っこ――正確には襟首だが――をランサーにつかまれた恰好の真耶は膝を付くことができずにいたのだから。

「マヤ、経緯はどうあれ、あなたが謝る必要はない」

「そんなことは……だって、現にわたしは……わたしが……」

 セイバーの声に対し、真耶は言葉を詰まらせ俯くのみ。

「あなたの性格上、あなたの行動は理解できる。だが、今のあなたがしようとする行為は黙認することはできない。彼女(キャスター)から事の経緯は聴きました。それに」

「…………」

「そんな顔をしているあなたを、どうして責めることができるでしょうか? 確かに、気にするなとは言えません。謝り許しを請うのならば、それはシロウが眼を覚ましたときに、本人に直に伝えるべきだ」

「…………」

 もっともシロウのことですから何も考えずに容易に許すことでしょうけれど、とセイバーは胸中で呟いていた。

 話は以上ですと告げて去るセイバーと、真耶の頭をがしがしと撫でつけて立ち去るランサーふたりの背を黙って見送ることしかできなかった彼女のその後の行動は、千冬に連れられて学園の外に出た話に繋がる。

 咎められずに放任されるなど真耶の性格上、精神的には苦痛だった。口汚く罵られていた方が、まだどれだけマシだったものか。

 頬には湿布をはった姿。患部をとにかく冷やし続ける処置を施し、腫れは当初と比べて大分落ち着いていた。痣ができることはなかったが、痛みはまだ残ったまま。

「なにをしてるんでしょうか、わたし……」

 椅子の背もたれに寄りかかり、真耶はそうひとりごちていた。

 束に殴られ、千冬を拒んだあの夜以降、彼女は学園に戻っておらず、この三日間は学園勤務さえしていなかった。

 千冬と顔を会わせることが気まずく、また、セイバーやランサーと会うのにも気が引けていた。

「無断欠勤なんて、教師として失格ですね……」

 だが、彼女は知る由もない。

 無断欠勤したIS学園から御咎めが来ることもない。それもそのはずに、キャスターの計略による。口実を与えるための休日理由が『衛宮士郎の専用機に関して、デュノア社との交渉のため』というものをでっち上げられていることに。

 自身の知らぬところで話を進められているなど思いもよらぬことであろう。

 満足な睡眠をとっていない彼女の顔は、傍から見ても疲労の色が一際強く感じられていた。眼の下には若干の隈さえできていた。

 無造作に机上に置かれている携帯電話の着信ランプが点滅している。

 携帯電話には千冬からの着信履歴が数多く残り、心配する旨のメールも届いている。だが、彼女はそれらに一切出ず、メールも読んではいなかった。

 彼女が帰った場所も、学園の教職員寮ではなく、本来のひとり暮らしで契約しているマンションに引き篭もっていた。

 だが、かといって自堕落に過ごしているというわけではなく、彼女は彼女なりに調べていたことがあった。それは、第二アリーナで起きた衛宮士郎を襲った暴走事故に関してである。

 しかしながら、一個人のパーソナルコンピュータを使ったところで調べられることができる上限など高が知れる。さらにいえば、調べるにしても何から手をつけ、何処からどういったものをどのように調べるかに行き詰るだけだった。

 IS学園ならまだしも、個人で管理使用する端末からでは制限がかかり、ハッキング紛いなことをしても侵入できるエリアは極々僅かであった。

 当然、これといった手がかりが掴めるわけもなく、無駄に時間が過ぎ去るだけだった。

 それでも、諦めずに何かしらの手がかりを見つけたいと奮闘する真耶の心境は、自責の念に駆られていた。

 あげく、士郎の状態を知りながらもケラケラと笑う束の精神性が許せなかった。

 だが、それと同時に束から告げられた言葉が真耶の胸を深く抉っている。

「だいたいさぁ、お前も殺しかけて喜んでたひとりのクセに、何が護るだ死なせないだ、だよ。よくそんなことが言えるもんだね。今頃いい子ぶるなって言ってんだよ」

 喜んでなどいない。そんなつもりは微塵もない。

 しかし――

 どんなに否定の言葉を口にしたところで、実際にブレードで刺し、アサルトライフルで撃ち抜いたのは紛れもない現実であり、それを行ったのは自分である。

 そこで真耶はふと考えてしまっていた。

「…………」

 自分は本当に衛宮士郎を憎んでいなかったのだろうか?

 心の片隅では知らずのうちに彼に敵意を持っていたのではなかろうか?

 そんなことさえ思うようになっていた。

 だが――

 暗く沈みかける心を払拭するかのごとく――自分自身を鼓舞するように頬を打つ。

 乾いた音に、ついで両の頬はじんじんとした熱が帯びていた。

「…………」

 呑まれるな。弱気になるな。

 今は、自分が思うように、やりたいようにしなければならない。

 何を弱気になろうとしているのか。弱気になってしまっては、すべてが悪い方向へと進んでしまう。

 無かったことになどできないし、するつもりもないと自分自身に誓ったはずだ。

 それならば、いっそ一思いに開き直り、強気になってしまえばいいだけだ。

 本人が目覚めるのを信じて待ち、謝るのはそれからであろう。

 どんな罵倒も受け入れよう。どんな暴力も受け入れよう。

 覚悟を決めた真耶は、再度己の頬を強く打っていた。二度目は力加減を誤り、とても痛かったりしたのだが。

 意識を切り替えた彼女は静かに呟く。

「……篠ノ之博士は、衛宮くんのあの不思議な力には気付いていない……もし、知っていたとしたら、こんな回りくどい方法を取る必要はないハズ……」

 千冬と束の会話のやり取りを思い出す。

 真耶なりに話の流れを覚えていた限りでは、束が士郎に固執する原因もいまいちはっきりとしない。

 確実に理解しているのは、やはりISを動かせるという事実に何かしらの執着があるのだろうと捉えていた。

 だが、だからといって、ISを動かすことができる貴重な男性にどうしてそこまで固執するのか。織斑一夏とて立場は同じであるというのに。

 腑に落ちない。

 そして、ここにきたところで今まで当たり前のように捉えていた事柄に関して疑問が生じる。

 自分は、根本的なことを見誤っているのではなかろうか?

「なぜ、織斑くんがISを動かすことが出来たんでしょうか……」

 そう、その点が本来であれば一番重要視されべきことである。今現在も詳しく解明もされず、有耶無耶のままにされている。

 ISを動かせることが出来たのは、織斑千冬の弟だから――?

 いや、それはあまりにも突飛過ぎておかしな話であろう。世界最強(織斑千冬)の弟だからという血縁関係を基礎とする『肉親』を安易な答えであるとするならば、世の女性がISを動かせる以上、その女性の兄や弟、はたまた父親ならば同様のケースが出ていてもおかしくはない。

「…………」

 唐突に――カチリ、と思考が型にはまる。

 何気なく思いついたことは、偶然ではなく必然だとしたら、だった。

 視点を変えてみる。織斑一夏でなければならないこととはなんなのか?

 『ISを動かせたのが織斑一夏だったから』ではなくて、『織斑一夏だったからISを動かせた』だとしたら?

 例えるならば、車のエンジンをかけるにはキーを回す必要がある。車をISと見立て、必要なキーが織斑一夏だからこそ動かすことができるという仕組みだとしたら?

「まるで……」

 そう、これではまるで、ISを動かせられる男性が『織斑一夏』以外に存在されてはマズイということではないのだろうか。つまりは、ISを動かせる男性が織斑一夏ただひとりでなければならないという意図にもとれる。

「……はじめから、織斑くんだけにしか動かせない代物だとしたらどうでしょう……? いや、違う……もっと根本的なところ……ISは女性にしか使えないのに織斑くんが動かせた、ではなくて……逆に、ISは織斑くんにしか使えないところを、後から女性も動かせるようなシステムだとしたらどうでしょう?」

 導き出す答えではあるのだが、しかし、謎はまだ残っている。

 そうなると、何のために織斑一夏が動かす意味が存在するのか?

「深くは考えていませんでしたが、織斑くん以外の男性が動かすことに何か困ることでもあるというんでしょうか……」

 そのために士郎の存在を疎ましく思い、排除しようとでもいうのだろうか。

 同時に、たったそれだけのために、そんなことをするのだろうかとも彼女は考えていた。

「…………」

 織斑一夏の姉は織斑千冬である。誰もが認める世界最強のIS操縦者だった彼女。

 美貌と実力から敬意をもって「ブリュンヒルデ」と呼ばれる姉を持つ織斑一夏。

 このふたりとの更なる接点を持つ近しい人物は限られる。真っ先に上がるのは幼馴染でもある篠ノ之姉妹。特に姉である、ISを世に生み出した『天才』篠ノ之束。

 この四人の関係を考えると偶然は偶然とも思えなくなる。

 ISの創造者、篠ノ之束――

 世界最強の織斑千冬――

 唯一男性でISを動かすことができていた織斑一夏――

 姉妹というだけで第四世代型のIS『紅椿』を手に入れた篠ノ之箒――

「…………」

 だが――

 この四人の関係を崩す存在が、例外として現れた第二、第三の男性操縦者となる衛宮士郎とランサーのふたりである。

「篠ノ之博士にとって、ISは男性では織斑くんのみにしか動かせないなんらかのプロテクトやシステムを組み込んでいたとしたら? それがどういうわけか、まったく予想外に現れた衛宮くんとランサーさんには適応されずに動かせることができてしまったとしたら……それは面白くはないのは当然……でも……」

 あくまでも個人の 想像の範疇である。 

 はっきりと束が何かをしたという証拠は何も見つけることは出来ていない。

 しかし、それでも真耶は彼女が何かをしたのだと偏見視で決め付けていた。暴走事故の犯人は彼女で間違いないと。

 だが、いくらどんなに自分ひとりが騒いだところで事体が解決するワケではない。

 そのためには、解決の糸口となるのは、なんとしても決定的な証拠となるものが存在しなくてはならない。

「…………」

 ふと脳裏をよぎる疑問がある。このことに、もし仮に、千冬が関わっていたとしたら?

 考えたくはないが、千冬と束のふたりは裏で繋がっているのではないかと猜疑の眼を向けていた。

「……先輩が、もし本当に篠ノ之博士側の味方だとしたら、今の衛宮くんの身は……」

 そこまで言いかけ、真耶は首を振っていた。

 いくらなんでも、そこまで千冬は人間性を失ってはいないと捉えていた。考えすぎではあると思いたいが、士郎の身柄を束に売るようなマネはしないだろうと推測する。

 だが……

 今の真耶は、千冬に対して尊敬、傾慕し、信頼はしているが、信用はできずにいた。

「そんなことはない、と思いたいですが……確信は持てません……」

 加えて、今の学園内に士郎を留めておくこと自体が問題となってくるのではないかとも考えていた。

 学園に配備されている『打鉄』や『ラファール・リヴァイヴ』といった量産機ISが今回のように暴走でもすれば――

 搭乗者の意思に関係なく、だれもかもが襲いかかることになるのではなかろうか?

 ならば、どうするべきか――

 IS学園が安全でないとすれば、どこか別の場所へ移さねばならない。では、その別の場所とは何処となるか?

 どこかの国家が管理する機関に保護してもらうとなれば、また更なる問題が浮上してくる。どこの国家が信用できるというのだろうか?

 その国家が、実は裏で篠ノ之束と繋がっているのではなかろうか?

 思案すれば思案するほど、全てが疑わしく思えてならなかった。

 皮肉にも、以前千冬に対して告げた疑心を真耶自身が覆すこととなるのだが……

「…………」

 それらを含んだ上で、やはり学園に残しておくのが無難であろうかと彼女は結論付ける。特に、例え危険な状況にあるとしても、士郎の傍には頼れる三人が存在している。

「わたしなんかよりも……セイバーさんにランサーさん……それに、メディアさんがいれば安全ですし……」

 自分が傍に居なくても、あの三人がいれば士郎を護ることなど造作もないだろうと読む。

 正直に言えば、真耶自身も士郎を護ってあげたいと本心では思うことである。だが、彼女は自分自身のことがわからなくなっていた。また彼を傷つけるような暴挙に出たとあっては今度こそ立ち直ることはできないとさえ思い込むほどに。

「……わたしは、わたしでできることをするだけしかありませんね……」

 いい加減、シャワーでも浴びて少し横になろうかと立ち上がりかけ――

 不意に、立ち上げていたメールソフトから新しいメールが届いたことを知らせる受信音が鳴っていた。

「…………」

 大方、千冬からのメールだろうと思いながらも、送信者の名前だけでも確認しようと何気なくマウスを手に取り動かし――

 件名を見て、その指先は止まることとなる。

 第二男性操縦者、衛宮士郎に関して――

 その文面を見た真耶の眠気は一気に吹き飛び、上げかけた腰を座り直らせると、齧りつくかのようにモニターを見入っていた。

「これは……」

 表示されている送信者のアドレスは知らない相手だった。

 何かしらの悪戯かと邪推する真耶ではあるが、指先はマウスカーソル動かすと受信したメールを開いていた。

「…………」

 そこに綴られている文章は簡素に、しかし、真耶の視線は向けられたまま。

 ――第二男性操縦者の身に起きた真相を知りたくはないか?

 たった一行に収められた文章では在るが、彼女が興味を持つには十分だった。

 一体誰がなんのために――

 いや、そもそも、この送信者は何を知っているというのだろうか。

 真っ先に思い当たった人物は篠ノ之束である。だが、すぐにその推測は在り得ないと判断していた。彼女にとってそんな行動を取るメリットが見当たらないし、何よりも此方に接触する道理がない。

 そう鑑みれば、束以外の別の人間となるのだが……

 今一度、メール送信者のアドレスを確認する真耶ではあるのだが、やはり見覚えはない。メールアドレスもまた、誰もが入手できるフリーメールであることに気付いていた。

「どうしてわたしに……? 一体誰が? なんのために?」

 本来の――正常な思考が働く真耶であれば、こんなメールはスパムと決め付け消去していただろう。

 だが、そうはしなかった。逆にあろうことか、自分が知り得ない、自分が知りたいことを教えてくれるのかと容易く信じ込むほどに。

 このメールに信憑性など何ひとつない。不用意に信じるなど迂闊すぎるにもほどがある。

 だが、それほどまでに精神的に追い込まれた彼女は、傍から見れば怪しすぎる文面にも警戒を見せなかった。

「…………」

 藁にも縋る思いでも何でもいい。何かしらの手がかりがつかめるのなら。

 自身でも知らずのうちに、送信者へ返信の文章を打ち込んでいく。

「今度こそ、わたしは必ず護ってみせます……」

 真耶を突き動かすのは、ひとえに士郎に対する贖罪のみ。

 光の宿らない瞳のまま――真耶はそう呟いていた。

 

   ◆

 

 デュノア社からの暗号通信は、いまだシャルロットへ送られ続けていた。

 ここに来て、早急に衛宮士郎の個人データと彼が扱うIS『アーチャー』の機体データを入手するようにとの催促の旨を含む内容である。

 理由も明確であろう。この三日という合間に、シャルロットの専用機『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』は大幅な戦闘経験値を入手している。急激な自己進化率の向上は無視できない事態となる。

 言い方を変えれば、第二世代型の機体とはいえ、第二形態移行(セカンド・シフト)しかけるのではないか?

 希望的観測を現実に変換させるためにも今のデュノア社にとって見れば、少なくとも衛宮士郎の存在は軽視できなくなっていた。

 当初は、『天才』篠ノ之束と親交を持ち、『世界最強』と呼ばれる織斑千冬を姉に持つ織斑一夏と比べては、ISを動かせるという事以外に特筆する要因もないという認識程度であった。もっと悪い言い方をすれば、入手するべき本命(織斑一夏)である男性操縦者データの予備レベル。

 二番目に現れた男性操縦者とはいえど、特にこれといった長所を持ち合わせているわけでもないという認識だったハズが、それがどうであろうか?

 確かに初期は無様な操縦技術であったものが、今は爆発的飛躍を遂げるとでも表現するかのごとく見違えており、加えて極秘裏に入手した衛宮士郎の戦闘データは、他国の専用機持ちをも上回りかねないほどの数値を示しかけているのだから。

 それ故に、デュノア社の方針としては、必要であるならば更なる戦闘経験値を取得せよ、とも告げていた。

 だが――

「…………」

 ふざけるな、とシャルロットは胸中で叫ぶこととなる。

 要は、士郎を踏み台にして戦闘データを手に入れろ、と。なんとも勝手な言い分であろう。

 彼の現状を知りもせずに、都合のいい御託ばかりを並べてくる。

 さすがに、と言うよりも――ついに、と言うべきであろう。シャルロットの堪忍袋の緒は切れていた。

「……できません。いえ、僕はやりません」

「……シャルロット・デュノア候補生、あなたは、御自身が口にしている意味を理解していますか?」

「…………」

 相手からの言葉に――シャルロットの肩は静かに震えていた。恐怖がないわけではない。

 しかし――

「なんと言われようとも、僕は、僕が決めたことです」

「IS学園の特記事項があるから、ということでしょうか? 向こう三年間は手出しできないという入れ知恵を受けたようですが――」

 いくら織斑千冬が取り計らい、尽力してくれようとも、デュノア社がこのまま大人しく黙っているハズがない。

 事実、セイバーから聴けば、査問委員会にフランス政府が会合させたとも耳にした。

 なんとしてもデータを入手するようにと強い口調で責められるシャルロットではあるが、意を決した彼女に迷いはない。

「僕は、意志を変えるつもりはありません」

「……あなたは、御父上とデュノア社を裏切るというのですね?」

「裏切るも何も、僕は前にも言ったはずです。構いません、フランスに戻って直接父に話します。その結果、どうなろうと覚悟の上です」

 シャルロットなりの精一杯の虚勢であろう。

 覚悟はあるとは言えど、少女の心中に去来するのは『不安』の一言。

 自国へ戻るという意味がどういうことを示すのかも理解している。例えその身が拘束されようが、投獄されようが、最悪命を絶たれるようなことになろうとも、もはや関係がなかった。

 IS学園という自分の居場所を手放すことへの抵抗、先の見えない恐怖感がないワケではない。

 だが、それでもシャルロットが勇気を振り絞って行動を起こそうとするのは友人の士郎のためとなる。

 これが仮に、万が一にでも士郎が命を落すようなことにでもなれば、本格的にシャルロットは正気ではいられなくなる。

 士郎が死んで呑気に過ごせるような神経を持ち合わせてはいない。ならば、罪を償うためにも、これ以上士郎に迷惑をかけたくはない。そのためには、自分が犠牲になろうとも厭わなかった。

「僕がどうなろうとも、答えに変わりはありません。父にそう伝えてください」

「後悔することになりますよ? 今一度、自分の立場をよく考えた方が賢明ですが?」

「…………」

 自分の立場を考えろとの言葉にシャルロットは胸の内で舌打ちしていた。

 データを入手することだけに躍起になっている連中に言われたくはない。

 うるさい――

 そう罵声を浴びせようとした刹那、唐突に手に握り締めていた携帯電話の質量は消えていた。

「――っ」

 驚き、顔を上げて見れば、真横には居るはずのないキャスターが立っていた。

 眼を白黒させるシャルロットとは対照に、キャスターは取り上げた携帯電話に話しかけていた。

「随分と面白いことをしているのね。年端もいかない子供を脅迫するのは楽しいかしら?」

「――――」

 通話口越しとはいえ、相手が息を呑むのを気配で感じながら彼女。

 相手もまさかシャルロット以外の者が通話に出るとは夢にも思わぬことであろう。

「……失礼ですが、あなたは?」

 なんとか声を絞り出してそのように問いかける男ではあるが、キャスターはフンと鼻を鳴らすだけだった。極々つまらなそうに言い返す。

「わたしが誰かなんては、どうでもいいことよ。この子に命じて、いろいろと鬱陶しいことをやっているようね」

「…………」

 キャスターの指摘に相手は無言のまま。当然の反応に彼女は今一度鼻を鳴らす。

「衛宮士郎の機体データ、欲しいんでしょう? くれてやるわよ」

「先生っ!?」

 これに声を荒げたのはシャルロットである。だが、やはりキャスターは意に介さない。口元に人差し指を当て、静かにしなさいと仕草で示す。

「『はい』か『イエス』か『わかりました』で答えなさい。どれかしら?」

 選択の余地などなかろう。ほぼ恫喝であり、言葉が違うだけで意味は同じである。

 しかしながら、男にとって見れば素直に受け入れられることではない。第二男性操縦者の専用機体データを欲しているのは紛れもない事実である。だが、きちんと裏が取れている内容であれば了承しようもあるが、なんの前触れもなく突拍子に告げられた話を鵜呑みにできるワケがない。

 そもそも、素性の知れぬ輩の戯言に信憑性があるハズもない。そう判断した男は口を開いていた。

「……わたしの一存では決めかねます。一度報告をさせて――」

「次はないわよ? この子を突き出すところに突き出せば、あなたたちデュノア社がどれほど薄汚い手を使っていたのか、芋づる式に明らかになるわよねぇ?」

「……お待ちください。先からなんのことを言っているのやら――」

 取り繕うように言葉を選ぶ相手に、キャスターはつまらなそうに言い返すのみ。

「知らぬ存ぜぬが通るとは思わないことね。引っ張り出すことが出来ないと思うのならば、それでも結構よ」

「…………」

「あなたたちがどうなろうと知ったことじゃないのよ。倒産して社員が路頭に迷おうが、首を括ろうが、そんなのはどうでもいいのよ。わたしが告げるのはただひとつ。自分の意志で自分の考えを決めたこの子に余計な茶々を入れるなと言ってるのよ」

「…………」

「この子を通じて欲しいデータが手に入らない……だから、わたしが代わりに用意してやると言っているのよ。その少ない脳味噌でも言ってることは理解できるでしょう? おわかり?」

「……そうまで仰る以上は、見返りの要求はなんでしょうか?」

 誤魔化しが効かないと悟った相手は、慎重に言葉を選び、そう問いかけていた。

 しかしながら、その告げられた内容に対してキャスターは失笑を洩らすだけだった。

「そんなものなにも要らないわよ。ああ、この話を信用できないということで蹴るのはご自由に。だけれど、その場合は、こちらはこちらで勝手にやるだけよ。容赦はしないわ。徹底的に叩き潰すから覚悟しておきなさい。もちろん、あなたも例外じゃあないわ」

「なにを――」

 口にしている内容は無茶苦茶であれど、通話越しの女性は一体どこまで知り得ているのか――?

 発言のニュアンスから汲もうとはするのだが――

「そうねぇ……手始めに、まずはあなたからかしら? もうすぐふたりめの子供が生まれそうね。男の子かしら? 女の子かしら? 父親のあなたから見れば、さぞかし楽しみなことでしょうねぇ。でも、残念ねぇ……母子ともに、不幸な事故にでも遭ったら大変じゃない?」

「――ッ!?」

 くすりと含み笑いを洩らすキャスターであるが、横に立つシャルロットは彼女の『貌』を見て背筋を凍らせていた。

 確実性など一切ない。虚言であると指摘されればそれまでである。

 だが――

 シャルロットは、キャスターが口にしている内容が嘘ではないという感覚に囚われていた。

(先生は、やると言ったら本気でやるつもりだ……例えどんな障害が在ったとしても……そんなものは、この人には全く効果がない……)

 なにひとつ確証がないハズなのに、なぜか有言実行する姿が容易に想像できていた。

「まっ、待ってくださいっ! 妻は関係ないでしょう!?」

「関係ない? どの口が言うのかしら? 言ったでしょう。わたしにとっては知ったことじゃあないのよ。恨むのなら、自分自身とデュノア社を呪うことね。この子には偉そうに脅迫しておきながら、自分が脅迫されれば関係ない? 寝言は寝て言うことね」

「…………」

「口先だけだと思うのも勝手よ。出来るわけがないと鼻で笑うのも勝手よ。でもねぇ……わたしは、やると言ったらやるわよ。骨の髄まで追いつめるだけよ」

「――――」

「その上で最後に訊くわ。デュノア社が路頭に迷うかどうか、妻と子供の身に不幸な事故が起きるかどうかは、あなたの返答次第よ。『ハイ』と『イエス』……どちら?」

 有無を言わさず――

 雰囲気に呑まれた男に選択の余地はなく、拒否を口に出すことなどできなかった。

「イ、イエス……」

「結構。それと、飛行機のチケットを手配しておきなさい。無論、ファーストクラスを二枚よ。エコノミーなんて用意したら、その首ねじ切られると思いなさい」

 相手の返答を待たずに、一方的に、二、三言葉を告げたキャスターは携帯電話をシャルロットへ放っていた。

「聴いていた通りよ。そういうことになったから。あなたも荷物をまとめておきなさい」

 唖然とするシャルロットを尻目に、キャスターは白衣のポケットに手を入れ、背を向け立ち去っていた。

 

   ◆

 

 シャルロットと別れたキャスターはその足のまま士郎が隔離されている病室に立ち寄っていた。

 士郎の状態は変わらずに眠ったまま意識障害のひとつである昏睡が続いている。

 肉体的損傷は全て癒されているのだが、問題は精神面となる。

 下手に魔術を使って、士郎の身に何かしらの影響が出ても厄介なことになる。ならば、時間はかかるが自然と本人の意識回復を待つしか方法はない。

 殊更士郎の身を心配しているのはセイバーである。士郎が眼を覚ました時に、真っ先に声をかけたいとのことで四六時中傍に居た彼女であるが、疲労は募ったまま。本来のサーヴァントであれば睡眠など必要はないのだが、ことセイバーに関しては言わば半サーヴァントの身となる。

 士郎の身と同様に、従来の魔力供給とは異なるセイバーにも倒れられては面倒事が増えるだけでしかない。

「……セイバー、あなたは魔力の消費を少しでも抑えるために休んでいなさい。坊やのことが心配だというのはわかるけれど、無理をしてあなたまで倒れられてはどうにもならないわ。坊やが眼を覚ましたら知らせるし、その時にあなたが倒れていたことを彼が知ればどう思うかしら?」

「…………」

「不本意ではあるけれど、後のことはわたしとランサーに任せておきなさい。と言っても、あなたにとってみれば、わたしなんかを信じられるわけはないでしょうけれどもね」

「いえ……」

 何か言いたげな顔をするセイバーではあるが、キャスターの言い分も一理あるとして素直に承服していた。

「申し訳ありませんが、後はお願いします。キャスター、あなたを信頼します」

 セイバーも休み、姿を見せていないランサーの動向は知らぬまま。

 キャスターは定時刻に士郎の様子を窺いに訪れていたが、変化は特にない。

 この数日間、彼女とて大人しく学園に留まっているわけではない。要となる魔力供給のためにもキャスターは街へと赴いては至るところに魔術基点を施していた。広く浅く、街の人間たちから吸い上げた生命力はIS学園へ流れている。

 士郎が知れば当然怒る行動であり、セイバーが知れば咎める行為である。しかしながら、キャスターは意に介してなどいなかった。

「さて……」

 少しばかり厄介な今現在の彼の状態(・・・・・・・・・・・・・・・・)を、自分たち以外の如何なる人間にも知られるわけにはいかない。例え本音や簪に懇願されてもキャスターは聴き流すだけで会わせることはしなかった。

 連なる通路に設けられた監視カメラの類は全て破壊し、幾重に施される電子ロックに加えて、一画には認識障害の魔術が張り巡らされており第三者が迂闊に近寄ることはできない。

 電子音を奏で扉が施錠されたのを確認し、通路を歩いていたキャスターの足が止まる。

 視線を向けた先に立つのは――IS学園生徒会長、更識楯無。

「…………」

 一瞥を投げただけでキャスターは歩を進めていた。

 すれ違う瞬間に――楯無は口を開いていた。

「先生、士郎くんの容態はどうですか?」

「……あなたに答える必要があって?」

 再び歩を止めたキャスターは振り返りもせずに、そう問い返していた。

 楯無もまた視線を向けるわけでもなく、淡々と声音を紡ぐのみ。

「経緯はどうあれ、わたしの大切な簪ちゃんと本音ちゃんを護ってくれた彼には感謝の言葉をかけてあげたいんですけれど」

「言葉だけ? なら、好きになさいな。わたしには関係のないことだわ」

「あら? 御止めにはならないんですか?」

「止める?」

 楯無が口にした言葉に対し、キャスターは嘲笑混じりに口の端を吊り上げていた。

「止める必要なんて、ないのではなくて? 会うなり声をかけるなり、好きなようにやれるものならやってごらんなさいな。小娘風情が」

「…………」

 そう告げたキャスターは踵を返し去っていく。

 ひとり残された楯無の顔は……悔しさに彩られるわけでもなく、ニタリとした笑みを口元に張り付かせていた。

「ふぅん、その小娘風情を甘く見ないほうがいいですよ、お・ば・さ・ん」

 言って、彼女が胸元から取り出したのは一枚のカードだった。

「じゃじゃーん、マスターキー♪」

 ガラガラ声を模して手にしているのは、生徒会長更識楯無の権限により行使できる、IS学園におけるセキュリティアクセスを解除できるカードキーである。

「これさえあれば、どんなロックも一発解除。ふふん、生徒会長は伊達じゃあないのよ」

 好きにしろというのならば、言葉に甘えて好き勝手に振舞うだけでしかない。鼻唄混じりにカードリーダーに差し込み彼女。

 ――が。

 甲高い電子音とともに、ランプの色は赤のままだった。

「……あれ?」

 一瞬、何が起きたのか理解出来ずにいた楯無は、再度マスターキーを差し込むのだが結果は変わらず同じだった。

「……え? なんで?」

 自分が知り得る限りの解除パスコードを入力しているというのに、解除出来るハズが解除出来ない。

 カードを見るが、どこか割れていたり欠けていたりという破損部分は見受けられなかった。

「……なんで?」

 今一度疑問を口にしながら操作するのだが、やはりロックが解除されることはなかった。

 それもそのハズに――

 認識齟齬の魔術にかかっている楯無が手にしているカードは、マスターキーではなく、コンビニエンスストアで流通しているポイントカードなのだから。

 

   ◆

 

 この三日というもの、束にとってはつまらない時間を過ごしていた。

 衛宮士郎が正式に死んだという報告を受けてもいなければ、ここ数日表にでてきていないことも把握している。

 姿を見せていないということは、治療の類を施されているということを意味しているのだろうと認識していた。

 外部から医療スタッフが学園に入ったという情報もない。それはすなわち学園内部の医療関係者による措置を受けたことになる。

「大方、延命器具にでも繋がれているんだろうけれど……」

 無駄なことをするものだと束は推測する。

 死ぬ人間が死ぬことに変わりはない。考えにくいことではあるが、例え万が一に生存できたとしても、あれほどの身体損傷であれば日常生活には戻れぬはずであり、植物人間としてその生涯を終えるだろうと決め付ける。

 しかしながら、束とてただ黙って指を銜えて待っているわけではなかった。きちんとした状況を把握するに必要があった彼女は行動に打って出ていた。

 それは、無数に放った機械仕掛けのリスである。物言わぬ小型の偵察機からの映像を入手し、確かな情報を得るために。

 だが――

 彼女の目論見が成功することはなかった。

 IS学園に放たれたリスたちは、束に映像を送ることもなければ、一匹たりとて手元に戻ってくることはなかった。

 反応はことごとく途絶え、消息すら不明。

 これに対して、束は眉を顰めるしかなかった。

 IS学園の建物と基礎の隙間、壁のひび割れや壁の穴、下水道、エアダクトといったありとあらゆる箇所から侵入しているというのに、それら全ては成果を得ることもなく例外なく音信不通となるのだから。

 反応が途絶える最後の場所もまちまちとしてまとまりがない。

 学園の敷地に踏み込んだ途端に消えたものがあれば、校舎内に入った時点で消失したものもある。

 帰ってこないということは、何かしらの障害によって破壊されたのだろうと察する束ではあったのだが――

「…………」

 あの敷地を完全に網羅しているとも考えにくい。しかしながら、はっきりとしているのは二点である。ひとつは、機械仕掛けのリスたちは全て全滅していること。それともうひとつは、どの固体も目当てとなる医療区画付近への侵入が成功していないことだった。

 目当てとなるエリアへは、一匹たりとて辿り着いてはいない。

 中には、とても侵入者を捕らえるようなシステムが施されているとは思えぬ場所で突然反応が消えたのだから。

 ある固体の視覚カメラともなる眼をモニターで表示させていれば、ケーブルコードなどがひしめく狭く細いダクトを進んだところで異変が生じていた。

 突然画面にノイズが走ったかと思えば激しく乱れては途切れ、次の瞬間には映像信号停波(スノーノイズ)が現れるのみ。その後何の音沙汰もなければ此方の操作の呼びかけにすら応じることもなかった。

 まるで、ここから先へは一歩も通さぬといわんばかりの出来事であろう。

「…………」

 なにかしらの電磁波の影響で機能停止に陥ったのかとも考える束だが、そんなことは在り得ないと頭を振っていた。

 仮に機械を破壊停止できるほどの強力な電磁波の類であるとするならば、医療機器にさえ何かしらの影響が出ないとも限らない。

 そんなものを使用するとは思えないし、そもそも、何を対象としているのかがわからない。

 自分と同じように、小動物に見立てた偵察機器らの対策に講じているのだろうか。

「学園なりの対応措置……でも、仮にそうだとした場合、何かがおかしいんだよねぇ……」

 なにかはわからないが、なにかによって破壊されている。それが何なのかが束には理解することが出来なかった。

 彼女なりの考察において、脳内パズルは形成されていくのだが、矛盾となるピースは欠けたまま。

「…………」

 こんなことは在り得ないハズだ――

 胸中で何度も呟かれた言葉。

 例え小型のスパイ機とはいえ、束自身が手がけ造り出した以上はそれ相応の電磁波対策も万全である。捕捉している学園のセキュリティを掻い潜るためには一定の処置を施しており、生半可な攻撃で壊れるような代物ではないと自負している。

 加えて、現在のIS学園の防衛設備を束は完全に把握している。裏を返せば何処に警備の穴があり、手薄であるかすら捉えている。にもかかわらず、侵入は成功していない。

 自身が知らない設備を導入したのかとも考えるのだが、同様にここ最近に学園に機材が運び込まれたという形跡も見つかりはしなかった。

 学園が独自開発し、ピンポイントに駆逐するようなセキュリティシステムが配備されているとも考えてはいなかった。

 よしんば在ったとしても、束が気付かぬハズがない。

 ハッキングして入手したIS学園の予算支出データを何度照らし合わせたとしても、設備を導入したという記録や、これから新調するという情報も得られてはいなかった。

 それでは、これはなんだというのだろうか?

「…………」

 考えたところで結論には至らず。ついで、もうひとつばかり束の理解が及ばぬ案件が残っていた。衛宮士郎が所持するIS『アーチャー』の武装に関してである。

 搭載する武装を量子変換したとしても、いくら原型機となる『ラファール・リヴァイヴ』とて拡張領域には有限であり無限ではない。これだけの武器を搭載するには限界があるはずだと束は結論付けていた。

 わかっているだけでも白と黒の双剣、黒い弓、巨大な斧のような剣に黄金の剣、自動追尾する稲妻のような剣……その他諸々。

 『ブルー・ティアーズ』の偏向射撃に抗う際に見せた幾十もの刀剣の数々。あれらを繰り出し迎撃する姿だけを見れば、正に弓矢(アーチャー)

 これほどの量を粒子変換しておくにはどう考えても無理がある。

 いくら後付け装備用の拡張領域を用いたとしても、詰め込めるデータ量ではない。そもそも、IS『アーチャー』にウェポンラックすら存在していないことが確認されている。

 特に、斧のような巨大な剣は外観と同じように質量も常軌を逸している。あんなものを搭載武器のひとつとする理由がわからない。

 量産機の基本拡張領域をどんなに頑張り整理し詰め込んだとしても、やはり無理があり説明がつかない。

 現時点で把握している限りの武装量を全て収めるにしたとしても、追加増設装備する拡張領域は一基二基では足りなさすぎる。

 倉持技研以外の何処かの国家、企業が開発した武装をテストサンプルとして扱っているのかとも踏んだのだが、そのような話も確認が取れていない。

 無論ではあるが、束が記録していた『アーチャー』の展開武装を全て照合した結果、倉持技研が手がけたという双剣と黒弓以外は該当するデータが存在しなかった。

 何処で造られたのかもわからぬ武装。拡張領域を無視されたかのような武装――

 裏を返せば、データが存在するのは倉持技研で造られた双剣と黒弓のみ。

 搭載された武装の中でも、束の眼を一際惹かせたのは白と黒の双剣だった。

 IS『アーチャー』が展開する双剣と、IS展開を封じていたにもかかわらず、生身の衛宮士郎が平然と武装展開した際に握る双剣。白と黒の色合いは同じだが、形状は大きく違っていた。

「…………」

 何故、IS展開時に使用していた機械じみた形状の双剣をこの男は手にしていなかったのか。

 逆も然り。生身で握り締めていた白と黒の剣は、IS展開時には使ってはいなかった。

 これはどういうことなのか――?

 手にした剣はどう説明するのか。

 束の脳裏にあるひとつの仮説が浮かぶ。

 使わないのではなく、使えないということならばどうだろうか。

 何らかの条件が揃い、整った容でなければ扱うことができないから?

 それともその場の状況によって使い分けている?

 そもそも、使い分ける理由は何があるのか?

 考えれば考えるほど、理不尽に突き当たる。

 大前提として、ならばこの男の正体こそ一体何なのかという疑問が生じる。

 荒唐無稽な話ではあるが、手品のように扱っているとでもいうのだろうか。

 更には馬鹿げた妄想にまで発展する。

「まさか」

 はたまた、御伽噺にでも出てくる魔法使いのように、自ら創り出しているとでもいうのだろうか、と。

「どこぞのファンタジーやメルヘンじゃあないんだからさぁ」

 一笑に伏そうと口角を吊り上げた束ではあるが……口から笑いは漏れなかった。

 はたして本当にそうだと言えるのか。束自身も些細なことに拘っていると感じていた。いつもの自分であれば、こんなことは気にしていない。

 だが、どうにも引っかかる。何故だと問われたとしても、明確な答えを出すことはできないのだが。

 考えていることが、あながち間違いでないとしたら?

「…………」

 これが何を意味するのかを束は束ねなりに考えてはいたが、やはり答えは出ずにわからぬまま。

 だが、この場でああだこうだとどんなに考察したとしても、憶測推測の域は脱していない。事態は一向に、なにひとつとして好転する兆しは見えていないのだから。

 ならば――

「うん、そうだねぇ。やっぱりそれが一番手っ取り早い方法だよね」

 ひとつ頷き、至極簡単な『答え』を束は導き出していた。

 例え、IS『アーチャー』の正体が量産機であろうとも、専用機として流用していることには意味があるのだろうと結論付ける。しからば、死ぬ人間(衛宮士郎)にとってはもはや無用の長物であろう。死人が持っていても役に立たぬ以上は、よりよく有効活用してやろうと勝手に決め付ける彼女である。

 故に――

 束は、背後に一言も発さず黙って控えていたクロエへと声をかけていた。

「ねぇ、くーちゃん、またちょっとお使い頼めるかなぁ?」

「なんでしょうか?」

「んーとね……準備が整い次第、IS学園に行って、この『アーチャー』てのを貰ってきてほしいんだよ。ああ、勿論必要であるならば手段は選ばなくていいからね。状況判断はくーちゃんにお任せするよ。場合によっては、()()も持っていっていいからさぁ」

「わかりました。仰せのままに」

「うんうん、よろしくねー」

 直接調べなければわからないのなら、じっくりと精査するために入手する必要がある。そう結論付けた束は、クロエにそうお願いしていたのだった。



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48-3

予定外での「48-3」となります。
今回の視点は、「40」冒頭に出たゲスト亡国機業サイドのみです。無駄に一話分延びます。


「報告読んだが、ありゃどういうことだよ」

「あー?」

 ソファに寝転がり、ヌードグラビア専門誌に眼を通していたバンビーノは面倒くさそうに視線を上げてセイスへと向けていた。

「どうもこうもねぇよ。読んだ通りだ。それ以上でも以下もねぇよ」

「……なんだよそりゃ」

「…………」

 呆れた声音を含んだセイスの指摘に――だが、バンビーノは気だるそうな表情を崩さぬままに無言となるしかなかった。

 今考えても、理解できない。

 脳裏でそのことを踏まえ考察しながら、雑誌で顔を隠した彼は問いかけていた。

「なぁ、セイスくん」

「あんだよ」

 気色悪い呼び方をするなと洩らす相手を無視したまま、バンビーノは続ける。

「お前さぁ、人外相手にしたことあったっけか?」

「……何の話だ?」

「…………」

「そもそも、人外って言やぁティーガーの兄貴はどうなんだよ」

「…………」

 生身で第二世代型ISを解体するような兄貴だぜ、と告げるセイスに――やはりバンビーノは無言のまま。

 自身も属するフォレスト一派はいずれも曲者ぞろいである。

 良く言えば個性が強く、悪く言えば我が強い、といった一癖も二癖もある連中である。特にセイスが口にした、ドイツ語で『虎』の意味を示すティーガーを名に持つ男は一番の武闘派である。

 が――

「この子、胸デケェなぁ」

 自分から話を振っておきながら、バンビーノは雑誌を見入ったままだった。

 セイスにとっては答えらしい答えを返されるわけでもなくやりきれない。

「……聴けよ、オイ。訊いてきたのはそっちだろうが。エロ本なんざ読んでんじゃねえよ」

 大体なんでそんなの読んでるんだと声を荒げる相手ではあるが、バンビーノは取り合わなかった。逆に、わかっていないなといった表情を浮かべて。

「ヌード写真集ってのはなぁ、セイスくん……言ってみれば芸術だ。それがわからないってことは、いわゆる学が足りない証拠であってだなぁ。つまりは、一緒くたにすんなってことだ。オーケー?」

「同じようなモンだろうが。要は、素っ裸の女が載ってるってこったろ?」

 身も蓋もない解釈に、バンビーノはやれやれと肩を竦めるだけだった。

「見るか?」

「載ってる奴が俺好みじゃないから、いらね」

 その言葉に――バンビーノは多少驚いたように一瞥をくれる。

「……意外だな。お前にも、女の好みってモンがあったのか……?」

「テメェは、俺をなんだと思ってやがるんだ?」

「堅物、もしくはホモ――ってごめんなさい冗談です謝りますから握った拳を解いて下さいお願いします」

「……俺だって、人並にはそういうモンには興味があるっての……」

 フンと鼻を鳴らすセイスであるが――

 ああそうかとバンビーノは納得してみせていた。

「ま、どうせお前のことだから、目付きの悪い小柄でスレンダーな黒髪ショートの女の子とかが大好きなんだろ?」

「…………」

 セイスは口を噤んだまま。

 無言を肯定と捉えたバンビーノは、ニタリと意地の悪い笑みを浮かべていた。

「図星かこの野郎、どんだけエムのこと好きなんだ……?」

「べ、別に好きじゃねぇよ、アイツのことなんか」

「野郎のツンデレなんざ、誰得だってんだ?」

「うるせぇな」

 多少顔を赤らめたセイスは視線を逸らす。話を変えるためにわざと咳を払いながら。

「ンな事よりも……次は俺にやらせろよ。お前の尾行を撒くなんざ、それなりに楽しめそうなヤツのようだしな」

「あー、その件だけどよ」

「あ?」

 どこか乗り気なセイスの気概を削ることに対して、多少なりとも悪びれながらバンビーノ。

「俺らは、この件から手を引くぞ?」

 雑誌から眼を離さずに彼はそう告げていた。

「……は? どういうことだよ。聴いてねェぞ」

 言っている意味が理解できずに思わず訊き返す。せっかくの暇つぶしになると思っていたセイスにしてみれば承諾できるはずもない。

「そりゃそうだ。言ってねェもん俺。こっちの子はいいケツしてるよな」

「おい……おいおいおい、ふざけんなよ……こんな面白ェモン、指銜えて黙って見てろってか?」

「知るか。旦那の指示だからな。今後一切、俺らフォレスト一派は別命あるまで一切関与しねぇんだとさ。例え何があろうと静観に徹するとよ」

「……本気で言ってんのか?」

 僅かな間を置き、十分考えた上で問うセイスではあるが、バンビーノはつまらなそうに一蹴する。

「こんなことで冗談言ってどうすんだ? なんの特にもなりゃしねぇだろうが。いいか、くれぐれも勝手な行動は起こすなよ? それにだ、ここに来てスコール派が一歩後退してやがる。あの女がこの機会に敢えて下がるのなんざ、どう考えても何かあるぞ」

「だから、俺たちも動きを止めるってか?」

「そういうこった」

「……足並みそろえる必要もねぇだろうに。それに、他のヤツらは黙っちゃいねェぞ?」

 亡国機業は一枚岩ではない。組織に属する者たちとは言えど、幹部といった役職に就く連中の思想はそれぞれ違う。

 思想が違うのであれば、当然のことながら野心も違う。

 各派閥の長は今の役職で満足するような輩たちではない。組織内での更なる発言力、権限力を得るために上を目指している。それは、フォレストやスコールとて例外ではない。

 だが、そのためには、それ相応となる実績が伴ってくる。

 極端な例で挙げるのならば、どこかの国で造られていた新型ISの奪取であったり、ISを動かすことが出来る男性操縦者の身柄の拘束であったりといったところであろうか。

 フォレストやスコール以外の派閥の連中も機に乗じて動きをみせているのをセイスは知っている。他者を出し抜くことは好むのだが、他者に出し抜かれるとなると面白くはない。故に、彼なりに危惧した上での発言であるのだが。

 当然のことながら、バンビーノとて機先を制されることに関しては気に食わなかった。殊更スコールもフォレストも動かないともなれば、躍起になるのは想像に難くない。

 ページをめくりながら彼は淡々と応えていた。

「だろうな。旦那もスコールも、そんなモンは承知の上だろ。だが、それでも動かないって事はだ……それ以上に何かがあるって事で動かねぇんだろうよ」

「…………」

「好き放題やりたい放題し放題な俺らだとは言えどもよ、さすがに旦那の意向に背くワケにゃいかねぇからな。ま、旦那にゃ旦那の考えがあるってこったろ」

「…………」

 フォレストの名を出されては、さすがにセイスとて黙らざるを得ない。

 手前勝手な連中ではあるが、さすがに規律は守っている。それも派閥の長の命令であるならば従うしかない。

 しかしながら、わかってはいてもセイスとしては納得はできていなかった。

「この機会に俺らが抑え込まれるってのは、癪に障るぞ?」

「奇遇だな。その点に関しては、俺も同意だ」

 フォレストの命に背く気はないが、このまま黙って他の連中に先を越されるのはつまらない。となれば、バンビーノにできることは妨害のみ。

 彼にとってみれば情報撹乱、諜報活動など御手のものであろう。それなりに精々足を引っ張ってやると彼は胸中でほくそ笑んでいた。

「……しっかし、その男ってのは本当になんなんだ? いくらオマエでも、ただの堅気の人間相手を逃がすなんてヘマそうそうしねぇだろうに」

「…………」

 何気なく触れるセイスの声に――自然と顎に指を触れさせていたバンビーノは、思考の海に意識を潜らせる。

「…………」

 セイスが言うように、相手はただの人間だ。否、人間のハズだ。

 相手の挙動を認識できなかったなど、そんな馬鹿な話があるわけがない。

 日本の漫画で読んだような事柄と似たような状況に直面したのだから。

 確か、あの漫画は催眠術やら超スピードやらとは違うと触れていたが、自分が受けた現象も、決してそんな言葉で説明がつくようなものではない。想像以上の事柄を如何様に表わすことができようか。

 馬鹿げた話だ。そう、アレは馬鹿げた話でしかないという括りで状況を思い出すのみだった。

 ベータワンと呼称された三番目の男性操縦者を追跡するバンビーノは内心動揺を隠せていなかった。

(……どういうこった?)

 尾行の基本は、相手に悟られないことであり、次に相手を見失わないことである。

 だというのに――

 今の彼は、走って対象者を追っていた。

 革靴を履いてはいるが、亡国機業の工作員さながら音もなく駆ける。だが、どういう理屈か、相手は普通に歩いているというのに、一向にその差は縮まっていない。

(こりゃ一体、どういうこった……?)

 今一度の疑問を胸中で呟きバンビーノ。

 黒縁眼鏡にスーツ姿。どこにでもいるサラリーマン然とした恰好のバンビーノではあるが、見失わず、その背を追うのがやっとであった。

 最初は一定の距離を保ち歩いていたが、やがて徐々に早足となり、今はこうして走って追跡しているのだから。

 雑踏で賑う大通りを立ち止まることなく駆け抜けて彼。

「クソッ――」

 ぶつかりそうになる人垣をなんとか掻き分け――地下歩道へ続く出入り口に対象者の姿を発見していた。

「悪ィな! 急いでんだ!」

 身体を乱雑に割り込ませ、人を押しのけて突き進む。背後で罵声が上がるが聴いている暇などない。

 撒かれるわけにもいかず、バンビーノも遅れて地下へと降りる。

 大規模な地下歩道空間は出入口が無数にある。駅改札へ続く出入口、駅前通りの歩道に続く出入口、さらには一部の駅前通り沿いのビルとも接続されている出入口すらある。

 この僅かな合間に対象者の姿を見失うのは致命的であるといえる。どの出入り口からも、自由に移動することが可能であるからだ。

「チッ……」

 一足飛びに階段を降り立ったバンビーノは顔を上げていた。

 やはり、対象者の姿は視界にはない。

 何処へ行ったと視線を張り巡らせ――そこで彼は、対象者の姿を追うことだけに囚われ周囲の異変に気づくことに遅れていた。

「――っ」

 異常は直ぐに理解する。広がる地下通路に、音が存在していなかった。

 もとよりも、行き交うべきはずの人々の姿が一切見当たらなかった。

「……なんだ、こりゃ」

 蛍光灯に照らされる空間は、まるで俗世から切りとられたかの如く、隔離でもされたような雰囲気を漂わせていた。

 地下鉄道改札口と繋がっている箇所もあれば、近くの地下駐車場がエレベーターで結ばれている所もある。決して、人の姿が存在しないなど、在り得ないはずだ。

 しかしながら、その異様な空間に居合わせているバンビーノは油断なく周囲を窺うのみ。

「…………」

 工作員としての勘が、この異常性に警鐘を鳴らしている。

 本能ではこの場から直ぐに離脱するべきだということも理解している。

 と――

 知らずのうちに自然と壁に背を張り付かせていたバンビーノは己の行動に思わず苦笑していた。常識はずれな状況に直面していながらも、身体は最善の策をとるべきだと行動している。

 ならば――

 本能を押し殺し、落ち着かせるように息を吐き出し、意を決したバンビーノは一角から身体を滑り込ませていた。

「――っ!?」

 そこに、自身が追っていた対象者の男は立っていた。

 広がる地下歩道の中央に、相手との距離にしては15メートルほどであろうか。こちらが姿を現せるのを気だるそうに待ちかねていたかのように。

「意外にしつけェなぁ」

「…………」

「生憎と、男に追いかけられるってのは気持ちがいいモンじゃねぇし、趣味でもねぇんだがよ」

 かつかつと靴底を鳴らし、相手は数歩ほど進んでいた。

 こちらの存在に気づいてなお待ち構えているなど理解できない。つい周囲へとくまなく視線を向けるバンビーノではあるが、やはり自分たち以外の人の気配は感じなかった。対象者の背後へと続く地下通路からも、誰かがやってくるという姿もない。

「あの、わたしに言ってるんでしょうか?」

 つい背後を振り返るフリをするバンビーノはそう切り返していた。当然のことながら、後ろには誰もいない。

 だが――

「俺を追って来たんだろ?」

「……ちょっ、ちょっと待ってください。なんの事をおっしゃっているのかさっぱりなんですが……? わたしは、たまたまここを通っただけですよ? 何方かとお間違えじゃないでしょうか?」

 思わず苦笑を浮かべ、黒縁眼鏡に手を添え訊き返すバンビーノではあるが、ハンと相手は鼻で笑うだけだった。

亡国機業(ファントム・タスク)、つったっけかぁ? 随分とまぁ御大層な名前だよなぁ、オイ」

「――――」

 瞬間――

 僅かに息を呑むバンビーノではあるが、相手は見入ったまま続けていた。

「下手にすっとぼけてんじゃねェよ。その身体に染み付いてんのは、血と……銃ってヤツの硝煙の臭いだろ? ここまで臭うぜ。テメェも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「…………」

 クモ女、とかまをかけるその言葉に――

 バンビーノは指に触れていた黒縁眼鏡を外すと、脇へと適当に放り捨てていた。

 先まで取り繕っていた笑みは消え失せ、亡国機業員のひとりたる鋭い顔つきへと変わる。

 この男は、なにをどこまで知っているのか――?

 ただひとつハッキリと理解したのは、この男は普通ではないということだった。

「いい顔つきになるじゃねえか」

「…………」

 軽口を叩く相手を無視し、無意識のうちに顔を強張らせるバンビーノは――やはり自覚せぬまま戦闘スタンスを取っていた。僅かに重心を傾け、いつでも反応できるように五感を研ぎ澄ませている。

「ほう」

 対する彼もまた相手の纏う雰囲気が変わったことに思わず声を洩らしていた。ただの優男ではないということを察したために。

 と――

 意識を集中していたバンビーノが瞬きをしたその瞬間に、相手は眼前に迫っていた。

「ッ!?」

 予備動作を一切見せずにこの距離を移動するなど在り得ない。しかし、在り得ない現実の中肉薄し、抉り込むかのように疾る拳を――バンビーノは身体を捻りやり過ごすと同時、カウンターさながらに蹴りを叩きこんでいた。

 だが、脚に伝わる衝撃は予想以上に軽かった。確認する暇もないが、防がれたと無理やり判断すると咄嗟に間合いを取るために離れていた。

 視線を向ければ、片膝をあげた姿の男。叩き込んだはずの蹴りは、やはり防がれていたのだと解すバンビーノ。

 膝を下ろした相手は笑みを浮かべたまま。対するバンビーノも無言のままに構えをとる。

 一触即発となりかける、まさにその瞬間――

 動いたのは、相手の男だった。

「……なんだよ、これからだって時に……時間切れか」

「あ?」

 耳に捉えた言葉を訊き返すバンビーノを無視し、表情を崩した相手は後方へと身を投げていた。ついで、片手の五指を舗装地面へと触れさせ――

 刹那に、世界に音が流れ出していた。

「な――?」

 人の気配が溢れ出す。ついぞ先まで無音、無人のはずであった空間に、日常が戻っている。

 何が起こったのか、どういう手法か理解できない彼は思わず対象者から眼を離し、周囲を見渡してしまっていた。

 その僅かな隙に――

 第三の男性操縦者の姿は、地下空間から完全に消えていた。

 あっさりと逃げ出した相手を追うことも出来ぬバンビーノを見計らったかのように、無線に連絡が入る。聴けば、アルファワン、アルファツーを追跡していた仲間も標的を見失ったとの報告を受けていた。

 ロスト、となった以上は追跡の続行は不可能であると判断し、やむを得ず切り上げることとなったのだが。

「…………」

 相対した状況を思い出しているバンビーノに気づくわけもなく、セイスは再度声をかける。

()()()()は使わなかったんだってな」

「……使うヒマがねぇよ」

 セイスが指摘するのは、バンビーノの左手首に輝く紫色のブレスレット。

 僅かに視線を落とし、彼は自問する。

 あの場で、この()()()()を使ったところで状況は変わりはしただろうか?

 相手もISを展開できていたのではなかろうか?

 いや――

 どちらかと言えば、バンビーノは荒事が不得手である。それこそ裏方作業の方が彼にとっては性に合っているといえる。

 だが、曲がりなりにも亡国機業の内部派閥の一派であるフォレスト派に籍を置く彼は、成人男性ひとり程度拉致することなど造作もない。

 純粋な一個人の戦闘能力ではティーガーやセイスに劣るとはいえども、彼とて身体能力は十二分に兼ねそろえている。

 とりわけ肉体労働は苦手であって、出来ないわけではない。

 つまりは、一度敵と認識すれば相応の対処は行える。相手を無力化するための人体の急所は熟知しており、破壊する術も同様に網羅している。

 とはいえども、だからといってティーガーやセイスたちと肩を並べるほど格闘術に精通しているワケでもない。

「…………」

 正直に考えてみたところで、フォレスト一派の肉体労働担当者(脳筋)どもが相手をしたとしてもどうなるかはわからないといったところが心境である。

 癖を持つ連中ではあるが、軽んじているわけではない。相手が仮に、ISを展開していた場合であればどのように状況が変わるかも想像につかない。

(ティーガーとセイスのふたりがかりでなら、あの男を捕縛することが出来たか?)

 純粋に思考した上で、どのような結果になるというのかがわからなかっただけに。

ランサー(槍兵)、なんてふざけた名前じゃねぇかよ」

 諧謔を弄するセイスではあるが、バンビーノは聴いてはいなかった。

 知らずのうちに――

 理解できぬ疑問を払うかのように、彼は吐息を漏らしていた。




バンビーノ、セイスは四季の歓喜さんが執筆されている「IS学園潜入任務~リア充観察記録~」「アイ潜IF外伝」でのオリジナル亡国機業メンバーです。
亡国機業は一枚岩ではないため、いろんな派閥が存在すると思います。
四季の歓喜さんが創るフォレスト派は、そんな派閥のひとつだということでのゲスト参加させていただきました。
他のIS作品作られている方の中にも魅力的な亡国機業のキャラがいたりするんですよねェ。


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48-4

「ほう」
 アリーナ外壁に悠然と立つギルガメッシュは、酷薄な笑みを浮かべ見下ろしていた。
「……なんだ、テメエは」
 オータムにしてみれば、突然現れた見知らぬ男に誰何(すいか)の声をあげるのは当然といえよう。
 だが、その問いかけに相手は応じる気概など持ち合わせてはいない。
 言わずもがな、人類最古の英雄王たる傍若無人な彼の視界には、()()()()()()()()()()()()()()()
「――――」
 赤い瞳に射抜かれたスコールは息を呑み、動くことができなかった。
 ただ視線を向けられているだけであるにもかかわらず、彼女の身体はじっとりと汗に包まれる。
 亡国機業に身を置く彼女とは言えど、今まで見てきた人間の中でも、一際異様という表現しか思いつかない。
 男や女、老人、果ては子どもまで。()()()()()類に関わる連中の『眼』をさまざま見て来はしたが、向けられる男の視線は、比べようも無く、ただただ冷たかった。
 直視されるスコールは威圧に心が締め付けられていた。
 対照に、興味を一切示さなかったギルガメッシュの双眸に変化の色が起こる。
「有象無象のガラクタかと思えば……()()にしてはそこそこか。その金色(こんじき)は、この(オレ)にこそ乗り手に相応しい」
「……何をヌかしてやがんだ、あの野郎は……」
「…………」
 スコールは眼を逸らすこともできずに、ただただ呆然と立ち尽くすだけだった。オータムの声すら彼女の耳には届いていない。
 ギルガメッシュの口から淡々と言葉が紡がれる。
「女、膝を屈し地に伏せ、()()(オレ)に差し出し()く失せろ。であれば、畜生にも劣るその命、献上の褒美として、温情をかけてやらんでもない」
「状況が理解出来てねぇのか? 命乞いすんのはテメエの方だ、このクソ野郎っ!」
 『アラクネ』が持つ全ての装甲脚の砲門をギルガメッシュへと向けてオータム。
 しかし――
 やはりギルガメッシュは、オータムを見てはいなかった。正確には視界にすらおさめていない。
 その態度が――彼女の逆鱗に触れることとなる。荒々しい語気で言い放つ。
「イカレてんのかっ!? シカトこいてんじゃねえぞ、テメエ!」
「ま――やめなさい、オータム!」
 得体の知れない相手に警戒していたため、僅かに反応が遅れ――それでも咄嗟に叫ぶスコールではあるが、オータムは聴いてはいなかった。制止の声を無視したまま銃撃を開始していた。
 が――
 瞬時に、眼を疑う出来事が起こることとなる。
「なん、だ……?」
 唖然としたオータムの口から力なく声音が漏れる。
 相手の男は、何事もなく立っていた。
 否――
 彼女は、今起きたことが理解できていなかった。
 実弾、レーザーとも相手を撃ち貫くために、装甲脚による砲撃は間違いなく行われていた。
 確実に殺したとオータムは確信していたのだが、そうはならなかった。なぜならば、何処から現れたのかもわからぬ刀剣によって、砲撃は遮られていたのだから。
 あげく、相殺などという言葉は当てはまらない。展開した実弾、レーザー、そのどちらも、一方的に掻き消されたのだから。
「どういうことだ、こりゃ……」
 加えて、豪雨のように降りそそいだはずの刀や剣は、跡形も無く消え去っている。
 夢や幻でも見ていたかのように。だが、断じて夢でもなければ幻であるはずもない。自身は、相手を殺すために砲撃したのだ。決して威嚇で放ったわけではない。
 平然と立っていられるはずがない
 だというのに――
「何で、くたばってねぇんだ、テメエっ!」
「――無礼者」
 侮蔑の篭った声音が響く。
「誰の許し得て、(オレ)を見ているか、雑種」
 そこでようやくギルガメッシュの視線がオータムへと向けられる。
 刹那――
 彼女もまた、見据えられたことにより極度の威圧を受けることとなる。
 言葉を失い、動くことすら叶わぬ――それはまさに、蛇に睨まれた蛙の如く。
「さて」
 ギルガメッシュの視線がオータムからスコールへと移る。
「いつまで待たせるか、女? (オレ)は献上せよと命じたハズだが……聴こえていなかったのか?」
「……生憎と、この『ゴールデン・ドーン』は、わたしなりに愛着があるの。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」
 背筋を冷たい汗が流れながらもスコールなりの皮肉を篭めた言い方に――ギルガメッシュは口角を吊り上げる。
「なるほど。命はいらぬとみえる。ならば、そこな雑種とともに朽ち果てるがよかろう」
 と――
 ギルガメッシュが立つ背後の空間に異変が生じる。
 水面に小石を投じたことによって波紋が浮かぶように――振るえ、揺らぎ、歪む。
「――なんだ、そりゃ?」
 オータムは言葉を失いただ見入るだけ。
 何もない空間から現れ出でるのは、刀や槍、剣、斧――
「おいおい……」
 どういう原理か理解できるはずもない。IS反応すら感知せずに、武装のみを展開させている。
 理解することはできないが、オータムとスコールのふたりは、ISによる何かしらの武装展開であると捉えたであろう。しかしながら、当然のごとくISなどのハズがない。
 ()()()()、ギルガメッシュ自身の宝具『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』であることなど知るよしもない。
「おいおい……おいおいおい……」
 同じ形状の武具はひとつも見当たらなかった。それぞれ一本一本の形が違う。それも十や二十といった数ではない。否、オータムの眼の前で、その数はどんどんと増えていき、今はゆうに五十を超えている。
「……なんだよ、そりゃ……なんなんだよ、それは――それがテメエの単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)だってのかっ!?」
「雑種が理解する必要はない。(オレ)のモノとはいえ、その金色(こんじき)を破壊するのは些か癪ではあるのだが……ISには自己修復機能とやらが備わっているのだったな。加えて、コアさえ無事であれば、後はどうとでもなるのだったな? であれば、何も問題はなかろう」
 腕を掲げ――
「消え失せろ、道化」
 パチンと指を鳴らすと同時、神速を以って放たれる無数の凶器は、機関銃のようにスコールとオータムへと降りそそいでいた。



ここまで読んだ人、ご苦労さまです。
金ぴか繋がりなだけで、コレ別に続かんですよ?
一方的な蹂躙で終わるだけですし。


 昼休み時――

 自室で適当に昼食を済ませた更識簪は、第二整備室へ向かおうとしていた。

 整備室で何をするのかといえば、特にするべきことは見当たらなかった。自身の専用機である『打鉄弐式』はキャスターに取り上げられたまま。手元には返っていなかった。

 愛機であるISがなければ整備室に向かう用事もない。だが、かといって部屋で引き篭もるかのように時間を潰せるのかといえば、答えは否。

 今の彼女は――いや、正確には、ここ数日の簪は、落ち着いてなどいられなかった。

 それは何故か――?

 考えるまでもない。士郎の身を案じていたからに他ならなかった。

 本音と一緒にキャスターのもとへと向かい、士郎に会わせてほしいと懇願したが、取り次いでもらうことは叶わなかった。

 自堕落に過ごせるはずもなく、やることが限られる中、時間を潰せる数少ない場の一箇所に向うその矢先に、簪は見知った顔を見つけていたのだった。

「……本音?」

 呟きの通りに、布仏本音の姿を捉えた彼女は、何処へ行くのだろうかと眼で追っていた。

 両手で抱えるように花を持ち、足取り軽く向う先は――

「……先生たちの、寮?」

 簪が口にし、本音が進む先に建つのはIS学園敷地内に設けられている教職員寮棟である。

 生徒である自分たちが普段立ち寄るような場所ではない。本音に限って、寮棟に一体何の用があるというのだろうか。

「…………」

 無言のまま――駆け足さながらに、簪もその後を追っていた。

 もしや、教職員寮棟に何かしらの悪戯目的で忍び込むようなマネでもするというのであれば、止めさせるためにも力尽くで連れ帰えらねばならない。

 用もないのに教師が使用する寮に足を踏み入れるなど、簪にとっては考えられないことである。

 いつ誰に見つかるかもわからない。寮棟に入り込んだのがバレでもして、教師に怒られたりしてはたまったものではない。

「……早く、本音を見つけないと……」

 とは言えど、その心配は杞憂に終わる。

 無造作に扉が開かれたままであった、とある部屋の中に本音の姿を発見していたのだから。

「……居た」

 誰にも見つからずに本音の姿を捉えたことに彼女は安心する。

「本音、何してるの?」

「んー?」

 かけられた声に本音はくるりと振り返り――

「あー、かんちゃんだー。かんちゃん何してるのー?」

「…………」

 質問を質問で返されたことに、簪は頭が痛かった。

 それはこちらの台詞であるとばかりに険しい顔となる彼女は、今一度問いかけていた。

「……何してるの、本音?」

 そう言葉をかけながら部屋の中を覗く簪ではあるが、本音以外の人影は見当たらなかった。

 相手は対照的に、ほにゃっとした表情のまま答えていた。

「お花を飾ってるんだよー」

「……お花?」

 見れば、綺麗に片付けられた部屋、テーブルの上に置かれたフラワーベースに本音は持っていた花を生けていた。

 飾り付けに満足したのか、彼女は袖をぼふぼふと打ち当てる。

「うん、綺麗ー」

「……とにかく、勝手に入っちゃダメ……先生たちに見つかったら、怒られるから……」

「大丈夫だよー。織斑先生から、エミヤんの部屋に入る許可はちゃんと貰ってるからー」

 問題なしだよと応える本音ではあるが、簪は聴いてはいなかった。それは、耳に捉えた言葉に気を取られていたからだった。

「エミヤん、て……え? ここ、衛宮くんの部屋なの?」

「あー、そういえば、かんちゃんてエミヤんの部屋入ったことないよねー。この部屋は、エミヤんとランランの部屋なんだよー」

 男子の部屋に入ったことなど一度もない簪にとってみれば、いざ実際眼にした光景に心底驚いたことであろう。年頃の少年であるというのに、想像していた異性の部屋とは大きくかけ離れており何もない。唯一目に付いたのは、玄関先に置かれている釣り道具一式であるが、それはランランのだよと本音は告げる。それ以外に、本格的に衛宮士郎にとっての私物というものが存在しない。

「そう、なの? それで、ええと……本音? ここが、衛宮くんの部屋なのはわかったけれど……だからって、どうしてその衛宮くんの部屋に、あなたが居るの?」

 どうして花を飾っているのかと訊ねてみれば――

「エミヤんの部屋って殺風景だよね。ランランの私物はあるけれどさー。帰ってきたときに、何もない部屋だと可哀想だと思うの。こうしてお花を見ると、心が和んでホッとするでしょ? だから、こうして飾ってるんだよー」

 この三日というもの、本音は毎日のようにこの部屋に足を運んでは花を生けている。

 今日こそは士郎が帰ってくると信じ、願いを込めて――

 いつ戻ってきてもいい様に、おかえりなさいと伝えてあげられるように。本音なりに士郎の帰りを待ちわびた考えの結果なのだろう。

「…………」

 そんな事情を知らない簪ではあるが、確かに、何とも味気ない無機質な部屋が、急に華やいだ空間へと変わるのは理解できる。

 が――

 瞬時に簪の心情は虚ろなものへと変わるだけだった。

 本音のこの行動は、全て無意味に終わる、と判断したために。

「…………」

 とてもではないが、あの出血量、怪我の状況から見て、彼が助かる見込みなどないのではないか。

 本音には悪いが、簪は落胆の気分が強かった。

 その結果――

 硬く、思いつめた表情となる彼女に対し、本音は口を開くと優しく声をかけていた。

「大丈夫だよ、かんちゃん」

「……え?」

 唐突にかけられた本音の言葉の意味が一瞬わからず、簪は訊き返していた。

「心配しなくても大丈夫だよー。エミヤんは、必ず元気になるよ」

「…………」

 何故そう思えるのだろうか――?

 依然予断を許さない重篤な状態であるとされる士郎の身を聴かされている以上、簪の頭の中には最悪な結果が描かれているというのに。

「本音……衛宮くんは、多分……」

 助からない――

 そう言葉にしようとした簪ではあるが、開かれた口はそのままで、声音は発せられていなかった。

 告げることが忍びなかった。口にしてしまっては、認めてしまうことになり、抑えていた何かが壊れてしまいそうで怖かった。

 しかし――

「……かんちゃん……わたしね、エミヤんと約束したんだよ」

 ぽつりと言葉を洩らす本音に対し、簪は思わず訊き返していた。

「……約束?」

「うん、エミヤんはね、ケーキを作ってくれるって約束したんだよ」

「……え? なん、て? ケーキ……?」

 話の脈絡がいまいちよくわからない簪は困惑の表情を浮かべるだけ。だというのにもかかわらず、相手は身振り手振りを交えて話し続けていた。

「そうだよ。イチゴがいーっぱい乗ったホールケーキ。それと、プリンも付けてくれるんだよー」

 以前に約束した件が履行されていないのにはワケがある。士郎的には『アーチャー』のメンテナンスを手伝ってくれた御礼に彼女が希望するケーキを作ろうとはしていたのだが、それを止めたのは他でもない本音の姉の虚である。わがままに付き合う必要もありませんと釘をさされたかたちとなり、未だケーキは作られてはいなかった。

 士郎とてこのままにする気はない。虚に言われたこともわからなくはないが、約束は約束として考えている。それ故、本音にはきちんと約束は守るからと伝えていたのだが……虚の鋭い監視の眼は継続中であった。

 それ故、隠れてこそこそするよりは、面と向かって堂々とするだけであるのだが。要約すれば、メインのケーキはまだ渡せていなくても、生徒会事務の休憩時にお茶請け程度に作った菓子の類で場を繋ぐ。しかも、本音のためという大義名分を隠すために、楯無と虚の分も用意して。 

「そろそろ休憩にしないか? 今日は、ちょっと試しに趣向を変えたものを作ってみた」

「…………」

 虚とて士郎の隠れた動機を見抜けていないわけではない。逆も然り、士郎とて虚に自身の目的が見透かされていないとは思っていない。

「あら、楽しみね。今日はなにかしら? 士郎くんの作るお菓子は美味しいから、おねーさん期待しちゃうわよ?」

 そう声に出して喜ぶのは、ひとりわかっていない楯無のみ。

 毎度期待に胸を膨らませる生徒会長に強く言えるわけでもなく、さりとて虚も実のところは士郎のお菓子を何気なく所望しており、敢えて黙認していたりするのだが。

「エミヤんはね、約束を守ってくれるんだよ。前にエアコンが壊れた時だって、直してくれるって言ってその通りに直してもらったし」

「…………」

「他にもね、エミヤんはすごいんだよ。同じクラスの子の壊れた腕時計も直せるし、ハンドボール部のスコアボードも直せるし、生徒会のお仕事も手伝ってくれる……約束したことは、きちんと守ってくれるんだから」

 士郎のことを語る本音は、なんと嬉しそうなことか。

 故に――

 努めて明るく振舞おうとする彼女の姿を眼にしながらも同時に、簪は酷く後ろめたい感情に胸を締め付けられることとなる。

 本音には悪いと感じながらも、そんなことで信じて待つなど荒唐無稽にも程がある。

 現実は、そのように楽観視できるものではない。

 だが――

「それにね、わたしもエミヤんと約束したんだよ」

 あれこれと語る本音であったが、そこで言葉をいったん切ると視線を生けた花へと向けていた。

「エミヤんの『アーチャー』を元に戻すって。模擬戦でいろいろバタバタしちゃったけれど、帰ってきたらメンテナンスの続きを頼むって言われたんだもん」

「…………」

「わたしはわたしで約束を守るんだよ。本当は、整備室でエミヤんの『アーチャー』を弄って待っていたかったんだけれど、葛木先生にそれはダメって怒られちゃったから……だから」

 そっと歩み寄った本音は、だるだるの袖で簪の頭を優しく撫でていた。

「泣かない泣かない。わたしはエミヤんを信じて待つから、かんちゃんもわたしと同じように信じて待っててくれてたら嬉しいなぁ」

「…………」

「泣いちゃダメだよ。かんちゃんが哀しんで泣いてる姿をエミヤんが見たら、すっごく心配しちゃうんだから。ほらほら、笑って笑って」

 にこりと笑う本音の指摘により、簪はそこでようやく自分は涙を零していることに気づいていた。

 双眸からぽろぽろと涙がこぼれ頬を濡らす。静かに流れていた涙は、やがて嗚咽へと変わる。

「かんちゃんだって、エミヤんと約束したでしょ」

「約束……? わたし、が?」

「うん」

 はたして、自分は彼と何を約束したというのか。思い当たる節がない。

 困惑する簪をよそに、本音は続けていた。

「エミヤんは、弐式を組み立てるのを手伝うって言ったでしょ?」

「…………」

 答えの意味を都合のいい様に捉えている。自分は考えさせてくれとしか返答していない。何よりも、手伝われることに良しとも悪いとも応えていない。肯定も、否定もしていないのだから。

「本音、わたしは……」

 はっきりとした、そんな約束を交わした覚えはない。そのことを弁明しようとする簪であったのだが――だというのに、本音は笑ったままだった。

「だから、エミヤんが帰ってきたら、その時はかんちゃんから答えを伝えないとダメだと思うんだよー。かんちゃんは、考えさせてって言ったんだよ? なら、返事をしないといけないと思うんだよ。手伝ってて言うのも、手伝わないでって言うのも、決めるのは、かんちゃんなんだから。ほら、これも約束になるでしょう?」

「…………」

 本音の考察に驚かされた、というのが簪の素直な心情であろう。

 幼少の頃からの付き合いのために、こちらに気を使っているというのがありありとわかる。

 自然と――僅かにではあるが、涙で顔をぐしゃぐしゃにした簪の口元は笑みを作る。

「それにね、エミヤんの作るお菓子は、とーっても美味しいんだよ。かんちゃんもきっと気に入ると思うし……かんちゃんも食べたいケーキを作ってもらえばいいと思うんだよねー」

「……うん。衛宮くんが戻ってきたら、お願いしてみようかな……」

 紅い眼元を指先で拭う簪を、本音は再度いい子いい子と頭を撫でていた。

「うんうん、そうしようよー。わたしも食べたいもの、いーっぱいあるし」

「……もう次のお願いを決めてるの? それよりも、いい加減、子ども扱いはやめて……」

 お菓子は別腹なんだよと告げる本音に簪は呆れざるを得なかった。

 だが――

 正直に言えば、本音とて心は酷く落ち着いていない。不安という名の重圧にいつでも押し潰されそうになっている。実際、予断を許さない状況であるのは変わっていない。士郎の身に如何なる変化が生じるかも想像が付かない。それでも、健気に振舞い、諦めずにいられるのは、ひとえに士郎と交わした約束のために。

 彼との約束が絆となり、本音はこの場にいることができていた。

「…………」

 唐突に、簪の脳裏に浮かんだのは、ギリシア神話で語られるパンドラの箱である。

 パンドラの箱とは、ギリシア神話の最高神ゼウスが、人類最初の女性であるパンドラに持たせたとされる、ありとあらゆる災いが詰まった箱である。決して開けてはならないと命ぜられていながらも、パンドラが好奇心から開けたために、すべての災いが地上に飛び出したとされる。

 不謹慎ではあると自覚しながらも、士郎が専用機持ちたちに襲われたことを災厄に当て嵌める。だが、簪が着目しているのは別にあった。

 このパンドラの箱には続きがある。あらゆる災禍が外へ飛び出したことによって、人類は不幸にみまわれるようになりはするが、パンドラが急いで蓋を閉じたために箱の底には『希望』だけが残ったとされる。

 希望――

 簪とて、希望を捨てたわけではない。どうして自分は、彼が死んでしまうと決め付けているのか。どうして助からないと思い込んでいるのか。

(衛宮くんが、元気になる可能性が消えたわけじゃない……)

 表情に然したる変化はない。だが、その胸の内には先まで持ち得なかった熱い決意を秘めるには十分だった。

「…………」 

 本音が士郎の帰りを信じて待つように――

 伝えるべき答えを直接告げるためにも――

 簪もまた、彼が帰ってくることを信じて待とうと心に誓ったのだった。

 

   ◆

 

 自室で休むセイバーは、事の経緯を思い出していた。

 査問委員会でのやり取りを早急に切り上げ、学園へ戻るや否や、キャスターから一連の騒動を聴かされた彼女は耳を疑うしかなかった。

 完全なる人払いを施し、自分たちふたり以外は誰も居ない室内。

 部屋自体もなにかしらの監視、盗聴といった類のものが一切無いのを確認するほどに徹底した上で、キャスターは話しはじめていた。

 士郎が襲われたこと――

 士郎を襲った者たちのこと――

 傍に居ながら士郎を護れなかったこと――

 所属不明のISの介入を受けたこと――

 頭を垂れるキャスターに、だがセイバーは格別罵倒するような真似などはしなかった。

 連鎖的に起こった出来事の説明を静かに聴き入るのみ。

「言い訳にしか聴こえないわね。わたしがこんなことを口にしたとしても」

「そんなことはありません。あなたは、ラウラやリンを助けたではありませんか。シロウの頼みを受け入れてくれたのでしょう」

 セシリアやシャルロット、真耶たちの機体を士郎ひとりで止めに入っては奮闘したと聴き、中でも簪を護りながらシャルロットの相手をしたという話では士郎らしいとセイバーは胸中で感じていた。

 そんな騒動である。士郎ひとりでは手が足りなかったところを、理由はどうあれ、キャスターは残るラウラと鈴の機体を相手にしたのは事実である。

 しかし、キャスターは自嘲気味に――それでいて力なく笑みを浮かべていた。

「……わたしは、見境なく殺すつもりでいたのだけれど?」

「だが、そうはしなかった。結果としてシロウの願いを聴き入れてくれた。わたしはそう思っています」

「……甘いわね……坊やも、あなたも……」

「キャスター、その話はまた後ほど改めて。詳しく教えていただきたいのは、事の騒動にシロウが襲われた理由についてです。やはり、マスターだということが発覚したからでしょうか?」

「…………」

 難しい顔をしていたキャスターではあるが――思案の末に、静かに首を振る。

 聖杯戦争において、サーヴァント同士が闘うだけが優位を決するわけではない。サーヴァントを使役するマスターを排除しさえすれば状況は如何様にも変わる。

 現界のための依り代と魔力供給の役割を持つマスターが不在となれば、サーヴァントは消滅するしかない。

 例外としては『単独行動』スキルを持つサーヴァントであれば、自身の残存する魔力によって現界することは可能となるが、それも持って数日程度となる。

 極端な言い方をすれば、サーヴァント自体の能力が優れていようとも、そのマスターが殺害でもされれば無駄な戦闘はしなくても済むこととなる。そのためにマスターを狙うことは定石ともいえるのだが。

 三騎いるサーヴァントのうち二騎が離れた隙を狙ったのではとセイバーは読むのだが。

「いえ、それはないわね」

「マスターだから襲われた、というわけではないと?」

 そうでなければ狙われる理由がないではありませんかと続けるセイバーではあるが、キャスターは冷静に判断していた。

「セイバー、確かに坊やはマスターであり、わたしたち三騎のサーヴァントを使役しているわ」

「ならば――」

 言葉を続けようとするセイバーをキャスターは軽く手で制す。話を最後まで聴いて頂戴という意味合いを篭めて。

「でもね……それは、本来の世界で該当する事案であって、この世界では当てはまらないのよ」

「では、それ以外になにが?」

 仮にマスターということで襲われたということであれば、何故今なのか。人で賑う学園祭時ほど都合がいい頃合であったはずだとセイバーは推測する。

 三騎のうち、二騎のサーヴァントが離れた隙を狙うというのもわからなくはないが、であれば、敵サーヴァントや敵マスターが何かしらの接触しようものならば、魔力反応にキャスターが気づかぬはずがない。

 加えて、士郎を襲うとするならば、今この状況をもっと利用するべきではないのか――?

 仕留め損なった故に、時間を置くべきか――?

 あれこれと思考するセイバーであるが、決め手に欠けるものが多すぎていた。

「あちらの世界とこちらの世界で違う事柄、その中で坊やに適用されるのは何かしら? 聖杯戦争に関するものを全て外した上で、残されるのはなにかしら?」

「…………」

 そこまで言われ――ようやくしてセイバーも理解していた。

「それは……つまりキャスター、士郎がISを動かせる()()()()()ということで襲われたというのですか?」

「ええ」

「まさか、たったそれだけのことで?」

 そんなことで襲われたと言われて素直に受け入れられるセイバーではない。しかし、対照的にキャスターは淡々としていた。

「認識の違いよ。こちらの世界は女尊男卑が強い。馬鹿みたいに男が虐げられている。その中で、女にしかISが使えなかったところに織斑一夏が扱えることが発表された。これが何を意味するかは、あなたでもわかるでしょう?」

「…………」

「織斑一夏の登場は、世の男と女にしてみれば衝撃的でしょう。女にとっては女尊男卑という牙城が崩れる。男にとっては女尊男卑という牙城を崩せる」

「…………」

「ある意味、無視できない存在が現れてしまったともなれば、はたして、つまらないと認識するのは一体どちらかしら?」

 そこまで述べられては答えなど決まっている。考えるまでもない。

「女性にとっては不愉快なことでしょう。ですが、だからといって、そんなことだけで襲われたというのは些か無理がありませんか?」

 だが、キャスターはにべもない。

「どうかしら? 女どもにとって、今のこの確立した社会が崩壊するかもしれないのよ? 世界では、織斑一夏のようにISを動かせる男が他にもいるかもしれないとして、躍起になって検査し、調べているのが現状よ? 加えて、女にしか動かせないISの謎が解明でもされれば、肩身の狭い思いをしている男たちの立場なんて簡単に覆るかもしれないのだから」

「そのために、排除するというのですか? 自分たちの今の理想を保つために?」

「ええ、ある意味危機的状況に陥るやもしれぬ重大な案件ですものね。我が物顔で何でも思い通りに出来ると思っている馬鹿な女どもにとっては厄介でしょう。それ故、たまたま坊やが狙われた、と考えるのが妥当じゃないかしら?」

「…………」

「だってそうでしょう? 不穏分子が存在するのならば、それを淘汰する必要があるのではなくて?」

 無言、というよりも絶句に近い。険しい貌となるセイバーに対し、更なるレクチャーをするかのごとくキャスターは人差し指を立てていた。

「もしかしたら、狙いは違うのかもしれないわね。考えられるとするならば、IS学園自体か、学園の生徒ならば誰でも良かったのか、男性操縦者であったのか、専用機を持つ者だったからなのか、男性操縦者であるのならばランサーが学園を離れることも事前に知っていたのか……」

「…………」

「考えればキリがないわね。だけれど、いずれにせよ坊やが狙われたことは事実であり、坊やを襲ったのはISであるということは間違いがないのよ」

「あなたの指摘は一理ある。ですがキャスター……そうなると、カンザシはどうなのでしょうか? 彼女の機体は影響がなかったと聴きます」

「……そうね。そこが気がかりである内のひとつでもあるのよ。専用機持ちのみが、何かしらの影響を受けているというのならば、簪さんも例外ではないわ。それと、上級生の二年と三年にいる専用機持ちも同様にね。あとは――」

「……ホウキとタテナシも……ですね?」

 セイバーが挙げるふたりの名に、キャスターは御明察と応えながら、とあるもの取り出していた。

 彼女が手にするのは、専用機持ちたちの各々の待機形態ISであった。

 一年生連中の全ての専用機はもとより、二年生であるフォルテ・サファイアが所持する専用機『コールド・ブラッド』と、三年生のダリル・ケイシーが所持する専用機『ヘル・ハウンドVer2.5』さえもその手に在る。

 唯一の例外は、生徒会長である更識楯無の待機形態ISのみを入手していない。

「しかし……しかしですよ、キャスター……彼女たちは、アリーナでの前後の記憶が曖昧だとも口にしている。そう考えてみると、何かしらの暗示をかけられていたとは思われないだろうか?」

 士郎に危害を加えたことは覚えているが、何故、危害を加えようとしたのかという衝動がわからないとセシリアたちは告げていた。

「頭の中に声が響いてきて、その声を聴いているうちに……気がつけば士郎さんに銃口を向けていましたの。こんな話、信じてもらえるとは思っていませんのよ……」

 悲観にくれ、どこか自分を蔑み笑うセシリアであったが、セイバーは茶化すでもなく真面目に聴き入るのみ。

 彼女が口にした内容に、どこか引っかかる部分があったために。そのことを踏まえて問うのだが――キャスターは真顔であった。

「暗示は、誰から?」

「……それはわかりませんが、敵マスターの可能性とも言い切れないのではないでしょうか?」

 見習いの身とはいえ、魔術師であり、マスターであるからこそ士郎は襲われたのだ、とセイバーは自身の考えを口にしていた。

 セシリアたちが凶行に及んだのも、操られたというのならば話も纏まる。

 とは言えど――

「確かに……でも、そうなると、齟齬が生まれてくるのよ」

 キャスターもその線は真っ先に考えていた。どこぞのマスターが関与しているのではないか、と。

 しかし――

「…………」

「もし仮に、この世界に聖杯があるとするならば、その機能は当然活きていると考えるべきよね? だとしたら、闘争本能が互いを敵だと認識するのではなくて? 坊やに仕えている立場とは言えど、この身がサーヴァントに変わりがないのなら、何かしらの聖杯の影響を受けるはずよ」

「…………」

 それに、とキャスターは続ける。

「サーヴァントの気配は感じなかったわ。例え隠密行動に優れた『気配遮断』のスキルを持つアサシンであったとしても、わたしの結界を素通りすることはできないのよ」

 魔術師のサーヴァトであるキャスターが告げるように、魔術絡みであれば彼女が口にしているのは確かなのであろう。

「となれば、魔術の類で操られている、という線はないでしょうね。先も述べたけれど、魔力の反応を一切感知していない。魔術の痕跡もない。そう考えると、別の方法となるのだけれど。そちらとなると、坊やが魔術がらみで狙われる理由がないのよ」

 ふうと息を吐きキャスター。

「……その方法とは?」

「セイバー、あなたが口にした『操られていた』という点は、あながち間違ってはいないと思うわ」

「では――」

「だから、最後まで話を聴きなさいな。操られていたというのは確かでしょう。ただし、それが魔術でないとすれば、別のものよ」

「……別のもの?」

「ええ、別のもの」

「……それは……」

 そう呟き、ハッとするセイバーの脳裏に思いつくのは――

「インフィニット・ストラトス、ですか?」

「ええ。凶行に及んだのは、いずれもISであるということ。専用機、訓練機とも関係なく。それも全てが操縦者の意志に関係なく暴走している。でも、これも可能性でしかないのよね。逆に暴走していない専用機も存在するのよ。これが何を意味するのかは今のところわかりかねるわね」

「…………」

「犯人は外部の人間かもしれないし、学園関係者かもしれない。どちらにせよ、ここの連中は誰ひとりとして信用も信頼も出来ないということよ」

「…………」

 残された状況証拠だけで判断するセイバーは思案に暮れるが――

「キャスター、わたしからもひとつ……セシリアたちとは別のISの介入を受けたと言いましたが、話で聴いている状況の限りでは、まるでシロウを助けたような行動に思えてならないのですが」

「確かに。坊やを狙撃するならば出来た状況であるのは認めるわ。だけれど、そうはならなかった」

「ええ」

 セイバーの指摘にある所属不明ISの行動は、キャスターも考察していたことである。何故、士郎を助けるような真似をしたのか。何故、士郎を襲わなかったのか。

 十分な結果を手に入れたから、これ以上の介入は無用としたためか?

 真耶を狙撃したのも、用済みとなったからなのか?

 または、全く別の思惑があったからなのか?

「…………」

 顎に手を当て、眉を寄せながら状況を思い出す。

「……これは、わたしの勝手な推測によるものなのだけれど」

「どうぞ」

 是非聴かせてほしいと促すセイバーに、キャスターはひとつ頷く。

「シャルロットさんたちのISが坊やを襲った件と、介入したISの件は全く別であったのでは、と思えるのよ」

「と言いますと?」

「前者をA、後者をBとした場合……この二件は、たまたま重なったとしたらどう? 坊やを目的としていたのは別であるのかもしれないわ」

「なんのために、ですか?」

「それは今の段階ではなんとも言えないわね。言ったでしょう? わたしの勝手な推測だって」

「…………」

 肩を竦めて見せる相手に対し、セイバーは無言。

「……どちらにせよ、坊やの身辺警護は厳重にしておかないといけないのは確かね。この機会を狙われては厄介だわ」

 まったく面倒なことだわと洩らすキャスターではあるが、視線は騎士王へ向けられたまま。

「坊やの身辺を護るのはあなたの役目でしょう」

「無論です」

「であれば、あなたも身体を休めておきなさい。大事な時にガス欠にでもなったら締まらないわよ? ああ、食べ物を摂取しないと締まらないかしら?」

「む」

 ニタリと笑うキャスターに対し、セイバーは少々顔を赤らめて反論していた。

「わたしを食欲だけで動くと思われるのは心外です」

「あら? 違うの? わたしはてっきりそうだと思っていたのだけれど?」

「キャスター!」

「はいはい、冗談よ。坊やの身体の傷は間違いなく癒えている。後は意識が戻り、自然に眼を覚ますのを待つしかないわ。これ以上魔術を使うのは逆に身体に障りかねるわ」

「……魔術のことに関しては長けたあなたがそう言うのであれば、そうなのでしょう」

「そういうこと。それで、そちらの方はどうだったのかしら?」

 査問委員会はどうだったのかという意味合いを篭めてキャスターは訊ねていた。とはいえども、その中身としては、シャルロットに対してフランス政府がなにかしら口を挟んできたのかどうかという真偽を確かめるためでもある。

 だが――

 セイバーは眉をしかめ困惑した表情を浮かべていた。

「ええ、こちらはこちらで、()()()()()()()()()()()()()()()()()

「?」

 僅かに小首を傾げるキャスターに、セイバーは重い口を開き説明し出していた。

 

   ◆

 

 深夜――

 IS学園第六アリーナに建つ螺旋状の塔の頂に登ったランサーはひとり夜風に吹かれていた。

 無言のまま彼が見据えるのは眼下の学園敷地内。

 士郎の状況を鑑みて、哨戒の任に就いたランサーは今宵もまた同じように周囲を監視していた。

 遅い時間であるにもかかわらず、学園内には人の気配は未だ多く存在している。無論のこと、生徒や教員である。各々の寮棟もいくつかちらほらと灯りが点いている部屋がある。

 しかし、ランサーの意識の先は、学園内よりも学園外へと向けられていた。

「…………」

 風に紛れて嗅ぎ取れる、とある臭い――

 ここ数日、幾人かの気配を彼は感じ取っていた。しかしながら、相手は学園に侵入してくるでもなく、あくまでも遠巻きに外からこちらの様子を窺うかのように。

(こんなことなら、こないだの野郎を締め上げとけばよかったぜ)

 胸中で愚痴りながら彼。十中八九、先日に相対した類の輩なのだろうとあたりをつける。そうでなければ、朝、昼、晩、四六時中監視の気配が途切れることもないために。

 何故そう決め付けられるのかと問われれば、その根拠となるのは微かに漂う血の臭い。

 当初は鬱陶しく思いながらも傍観を決め込んでいたのだが、それがさすがに三日も同じ状態が続いたことに対し、彼は痺れを切らし行動へと移っていた。

 踏み込んでこないのならば、こちらから誘い出すために。自身を囮に、相手が喰らいついてくることを期待して。

 学園を離れ、ネオンに彩られる街中をひとりふらつき歩くランサーであるが、目論見通りに、学園周囲に点在していた気配は全て自分へと向き、なおかつ、後をつけられることになる――のだが、直ぐに違和感に気づいていた。

 数は三人。

 お世辞にも尾行術が巧いとは言えず、その名の通り、こちらの後をただ付いてきているだけだった。

 亡国機業と名乗る連中だと勘繰るランサーではあるが、それにしてはあのときの男とは比べるべくもなく、技術が杜撰であり素人臭過ぎる。

 こうまであからさまなのは、返ってこちらを油断させるための算段かと思えるほどに。または対象となるのが自分ではないのかとさえ考えさせられていた。

 とは言えど、男たちが付け狙らっているのは、やはり自分であることに間違いはなかった。

 深夜の時間も時間であり、歓楽街を歩くランサーに客引きの声は多くかかる。だが、彼はそれらを悉く適当にあしらい断っていた。

「…………」

 しばらく歩き、人通りも若干まばらになったところで――とは言っても、人の往来が完全になくなっているわけではない――頃合を見計らうと、ランサーは手近の路地へ足を踏み入れる。案の定、後ろを付いてきていた三人も踏み込んできたのだが。

 街灯もなく明かりは空から輝る月光のみ。大通りから奥まった袋小路となる場所で、ランサーはようやく振り返るとともに、そこで相手を確認する。

「…………」

 ランサーの予想に些か反したのは、男たちの恰好であろう。

 服装も、ジーンズにワークブーツ、ジャンパーといったストリートファッションスタイル。

 街でたむろしたり不良行為などを行い、徒党を組む集団――いわゆるチーマーとの造語で呼ばれる輩たちである。

 連中の手には月明かりに輝くナイフが握られていた。

「…………」

 この時点で、ランサーは三人の男たちを『取るに足らない完全な素人』であると断定していた。構え、握り方もまちまちであり、なっていない。敢えて言えば、とりあえず手に持ったという表現が相応しい。

 刃物を取り出した男たちも、本気で刺そうとしたわけではない。あくまでも脅しの道具として。

 ニタニタとした笑みを浮かべ、フォールディングナイフ(折り畳みナイフ)をちらつかせているのも余裕であろうという現れか。こちらが萎縮すると踏んでの行動であろう。

 だが、チーマーの男たちにしてみれば、選んだ相手が悪すぎた。

 ただの人間とは遥かに違い、たかがナイフ程度を出されたぐらいでランサーの顔色が怯えに変わることなど有り得ない。それこそ眉ひとつ動かずに、逆に冷めた表情そのものだった。

 男たちは気づいてもいない。この状況は、追い込んだつもりが、逆に追い込まれたかたちとなったのだから。

 刹那に、事態は一変する。襲いかかったのは、ランサーの方だった。

 刃物を持つ男たちも、丸腰の相手がまさかこちらに向かってくるとは思いもよらず。

 完全に虚を衝かれ、咄嗟に反応など出来るはずもなく――

 一番手前に立っていた男の鼻っ柱に打撃を叩き込んだランサーの追撃は止まず加速する。

 ずぶの素人とはいえ、数では勝る三人を馬鹿正直に相手にすることもない。

 手っ取り早く無力化するために、見せしめも兼ねて、ランサーはひとりだけを必要以上に痛めつけていた。

 その結果は、火を見るよりも明らかである。

 月明かりが照らす中、その光景は異様であろう。場慣れした喧嘩とは呼べぬ惨状に。

 ナイフを振らせる暇すら与えずに――瞬く間に、情け容赦なく一方的に叩きのめされ続ける仲間のひとりを眼にしては、残るふたりが戦意を喪失するにはそう時間はかからなかった。

「なぁ、兄ちゃん? 俺の後をつけてたのは何のためだ? 俺を狙った目的はなんだ? なぁ、おい……ぎゃあぎゃあ騒いでねぇで、訊いたことにはきちんと応えてくれや。なぁ?」

 地面に落ちたナイフを踏み潰し――

 胸倉を掴み、男の身体を片手で軽々と持ち上げていたランサーは問いかける。対照に、相手は震える声音で、知らない、何のことだと口にするのみ。

 ぎりと締上げる腕を、男はもがき懸命に振りほどこうとするがそう簡単に外れることはない。

 と――

 ランサーの残る空いた片手が拳を作り、男のわき腹を無情にも撃ち付けていた。

 顔は血にまみれ、鼻は歪み折れ曲がる男の口からくぐもった悲鳴を漏らし崩れ落ちるが、その叫びが大通りに届くことはない。

 夜の繁華街は雑踏が途切れていない。いたるところから流れる人や店の喧騒に掻き消されているのだから。

「……もう一度訊くぞ? 誰に頼まれた?」

「知らねぇつってんだろうが! 俺らはなんも――」

 全身に走る激しい痛みにより、顔は涙と鼻水で汚し、だらしなく開かれたままの口からは涎を垂らしていた男は最後まで言い終えることはできなかった。

 台詞を途切らせ、うずくまる男の脇腹を、無言のままランサーはサッカーボールよろしく蹴りつけていた。

 いくらサーヴァントたる『力』は加減しているとはいえ、与える衝撃は通常を超える。軽々と吹き飛ばされた男の身体は手近の壁へと叩きつけられていた。

 か細く呻き声を洩らし、だがぴくりとも動かない仲間のひとりの姿を眼にした他の男たちは恐怖するのみ。

 と――

 ランサーの首がゆっくりと動き、その鋭く獣じみた眼光が向けられる。

 これに慌てるのは残されたふたりの男たちである。

 次は自分たちも同じ末路を辿るのかと後ずさっていた。

「冗談じゃねぇぞ……勘弁してくれよ……」

「し、知らねぇんだ! 本当だ! お、俺たちは、知らねェ女に、アンタを痛めつけてくれって頼まれただけなんだよっ!」

「…………」

 こんなことになるなんて聴いちゃいなかったと零す相手だが、ランサーは余計な戯言は耳にしていなかった。

「……女ってのは、どんなヤツだ?」

「知らねぇよ! 赤毛の女に金貰って頼まれただけしか覚えてねえんだよ!」

「…………」

 赤毛の女、との言葉にランサーの脳裏に該当する輩は存在しなかった。

 学園祭時に亡国機業と名乗る女連中と交戦した際にも、赤い髪を持つ女はいなかったことを思い出す。

「……おい」

 抑揚のない声音に、男たちはびくりと身体を震わせるには十分だった。それほどまでに、恐怖を覚えているという証であろう。

 一歩前に出るランサーに、男のひとりは咄嗟に両手を差し向けていた。取り繕うためと、それ以上近づいてくれるなとの両方の意味合いを篭めて。

「おい――待て待て、待てって! 本当だ、嘘じゃねえ!」

「ま、前金で30万貰ったんだよ! アンタを痛めつけたら更に倍出すって言われたんだ!」

 少々痛めつけただけで大金を貰えるのならば、こんなに旨い話はない。

 金のために襲おうとしたんだと口を揃えるふたりに、本格的にランサーは苛立ちを募らせていた。

 これ以上暴行を続けたとしても、得られる情報は何もない。口にするように、嘘をついているわけでもなく、本当に何も知らないのだろう。

 もはや興味を失ったランサーは、背後の路地を顎でしゃくっていた。その双眸は、目障りだ、消え失せろ、と物語る。

 男たちにしてみれば、命からがら解放されたと捉えたことであろう。

 先を争うかのように――それでいて、引きずるように呻く仲間を連れて路地裏から一目散に逃げ出そうとする。

 が――

「ああ、言い忘れてたがよ」

 背後からかけられるランサーの声音。

「こういう時は、テメエのツラ覚えたぞとか言うんだろ? 仕返しするためによ。やり返しに来んならいつでも受けんぞ。いくらでも仲間連れて来んのも構わねぇがな。ただ、俺もテメエらのツラは覚えたからよ、そん時は、お前ら全員、その兄ちゃん程度の怪我じゃ済まさねぇからな」

「――――」

「それと、テメェらが金貰ったとかヌかす、その赤毛の女ってヤツに会う機会があったら伝えといてくれや。まどろっこしいマネしてねェで、直接来いってな」

「――――」

 ()()()()()()

 いくら金のためとはいえ、喧嘩という腕っ節には自信があった三人であるが、割に合うはずもない。復讐などすれば、余計な被害を受けるのは自分たちであろう。本能的にそう悟らされては下手な考えなど持つハズもない。

 返事をすることもなく、転がるように逃げた男たちは姿を消していた。

 ひとり残されたランサーは小さく息を吐く。

 当てが外れたことに無駄な時間を費やしたもんだと舌打ちをひとつ。

 こちらを監視をしている連中は、予想よりも警戒しているというのを理解する。

(思ったよりも、馬鹿じゃねえってことか)

 そう胸中で独りごちると、面倒なことになったと再度息を吐き出していた。

 やがて――

 ランサーの姿もまた、裏路地から消えていた。




「48」のそれぞれの思惑は今回で終わりです。
出てない彼や彼女や彼女は以降。


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49

「しっかし、士郎のヤツ……もう五日も経つのにまだ帰ってきてないのか」

「…………」

「…………」

 昼休み――

 昼食を摂る生徒たちで賑うIS学園食堂にて、自身もまた食事をしていた一夏は、雑談に興じていた中何気なく呟いていた。

 そんな彼の言葉に対し、同席していたふたりの女生徒――箒の箸は停まり、鈴の眉はピクリと僅かに反応する。

 一夏は対面する席に座り食事をしている幼馴染ふたりの変化に気づいた様子は見せていなかった。

「なぁ、検査って、そんなに時間がかかるものか?」

「……まぁ、検査って言ってもピンキリでしょ。わたしの『甲龍』で例えれば、専用機のメンテナンスとか、データ取りとか結構面倒くさいことはするもんよ。それに、衛宮は衛宮でいろいろと理由があんでしょ。時間がかかるってのも、それこそいろいろあんじゃないの?」

 公にて士郎が学園を離れている理由としては、専用機『アーチャー』のメンテナンスのためとされている。どこが開発したのかも極秘扱いとされており明かされていない。

 無論ではあるが、これは虚偽でしかない。本来の事実を知るのは極々僅かであり、鈴はその事実を知るひとりにカウントされている。

「そりゃまぁ、そう言われればそうだけれどさ」

「…………」

 然して取り合おうともしない鈴に軽く聴き流された一夏ではあるが、そういうものかと納得してか、それ以上士郎のことを口にすることはなかった。

 逆に、無言となり食事の手が停まっているのは箒であった。彼女は俯いた姿勢のまま。

 真横に座る鈴は相手の心中を容易に察しはするが口にはせずに。

「…………」

 一夏の状態がおかしいことに、箒、鈴ともに気づいている。否、正確に言えば、彼の記憶がおかしなことになっている、というのが現状であろう。

 どういうことなのか……?

 その話は、一夏が口にした五日前にまで遡る。

 

   ◆

 

 それは、医務室に隔離されていた彼は、眼を覚まして以降、第二アリーナでの出来事をなにひとつ覚えていなかったからだった。どうして自分が見慣れぬベッドに寝かされていたのかもわからぬ上に。

 身体の打ち身などは完全に癒されており、後遺症すら一切ない。『銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)』戦時に負傷した状況と同じく――いや、それ以上に『白式』搭乗者たる一夏にはダメージが残ることもない。

 けろりとした態度のまま、一夏が箒と鈴、シャルロットの三人がたまたま居たところへ姿を現せたことに驚きはしたが、開口一番告げる内容は、更に彼女たちを驚かせるには十分だった。

「なぁ、何かあったのか?」

 ただただ、淡々と。

 その一言は、唖然と言うよりも呆れ、怒りすら箒は覚えることとなる。

 何を呑気なことを言っているのかと、常日頃、極力普段は温厚なシャルロットですらこの時ばかりは顔色が変わっていた。

「一夏……お前っ、何を言っているんだっ!?」

 冗談を口にするには度が過ぎている。もともと怒りの沸点が低い箒は語気を荒く。

「な、何だよ、箒……何って……箒こそ、何をそんなに怒ってるんだよ」

「お前っ――!」

「…………」

 掴みかかろうとする箒を割って入り、停めたのは鈴である。明らかに、どこか様子がおかしい一夏に対して訝しみながらも彼女は口早に告げていた。

「一夏、アンタ昨日何したか覚えてる?」

 当然のことながら、鈴は昨日の一件を問うているのだが。

 一夏は不思議そうな顔をすると、思い出すように口を開き――

「昨日? 昨日は授業が終わってからさっさと部屋に帰って寝てたぞ。すごく疲れてたからな」

「…………」

「……ちょっと一夏……さっきから、何、言っているの? それ以上は……僕もさすがに、本気で怒るよ……?」

 震える声音でそう洩らすシャルロットであるが、鈴は片手を挙げて制していた。余計なことを言うな、と示す。

「あ、そ。じゃあ、もうひとつ。何でアンタ、医務室に寝てたかは……わかる?」

「いや、それがおかしいんだよ。俺は自室で寝てたのに、起きて気づけばあそこだろ? 何だよこれ……ドッキリかなんかか? ラウラのイタズラにしては手が込んでて意味がわからないし。それと、何で包帯やら湿布やらが巻かれて貼られてんのかもわかんないんだよ。これじゃまるで、俺が怪我でもしてたみたいだろ?」

「…………」

 どこも怪我なんてしてないのにな、と零す相手に――鈴は無言だった。

 だが、我慢出来ずに口を挟んでこようとする箒とシャルロットに気づいた彼女は遮るように再度問いかける。

「最後にひとつ。アンタ、第二アリーナでのこと覚えてる?」

「はあ? 第二アリーナなんて、昨日実技で使用したか?」

「……本音って子に何したかは?」

「なんで、ここでのほほんさんが出てくるんだ? 彼女、なにかしたのか? ていうか、さっき彼女と会ったんだけれど、なんだか知らないけれど怯えたように俺を避けてるようなんだよな……俺、何かしたのかな?」

 そう応える彼に対し、箒とシャルロットは言葉を失う。ただひとり反応が違ったのは鈴だった。

「……あっそ。オッケー。いいわ。わかった。癪だけれど……()()()()()()

 言って、つかつかと歩み寄り、眼前に立つと――

 何の前触れもなく唐突に、鈴は一夏の頬を――容赦なく、それでいて力任せに――平手で張り倒していた。

 シャルロットがセシリアの頬を打ったものの比ではない。それ以上の強烈な一撃を物語る鈍い音が響いていた。

 あまりの衝撃に、思わず一夏はよろめくほどに。わけがわからず、じんじんと痺れるような痛みに加え、徐々に熱を帯びはじめる頬を押さえていた。

「な、なんだよ、鈴っ――お前っ、なにすんだよ! 俺が何したって言うんだよっ!?」

 まさか平手を見舞われるとは努々思っていなかった彼の抗議は当然であろう。しかしながら、鈴は悪びれる様子を微塵も見せずに、手をひらひらとさせては、冷めた眼差しに何食わぬ顔をしているだけだった。

「別に、今のアンタに意味もないわよ。ただ、あたしは心底ムカついただけ。それだけよ。それと、手前勝手なことだから一応謝っとくわ。悪いわね」

「なんだよ、それ……」

「わかんないんでしょ? なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。じゃあね。箒、シャルロット、来て」

 言って、ひとり踵を返し歩き出す鈴に――何が何やらわからず、左の頬にくっきりと紅い手形を浮かび上がらせ、ただ呆然と立ち尽くす一夏を尻目に箒とシャルロットは慌てて後を追っていた。

 駆け寄る箒は問いかける。

「待ってくれ鈴……どういうことだ、アレは……」

「どうもこうもないわよ、箒……アイツ、本気で言ってるわよ、アレ」

「だ、だからって、その、い、いきなり引っ叩かなくてもイイんじゃないかな……?」

「よく言うわ。わたしが手ェ出さなかったら、シャルロット、アンタが代わりにやってたクセに。さっきのアンタも横目で見てたけど、結構な顔してたわよ?」

「う……」

「それに、憎まれ役ってのは慣れっこよ。アンタよりは、わたしの方が適任でしょ」

 後の余談となるが、この件を知ったセシリアもまた同じように激昂することとなる。

 一夏を殴りつけようかと動く彼女を停めたのも鈴であるのは別の話となるが。

「……そ、それよりも、さっきのはどういうこと? まさか、覚えてないってこと?」

 後姿から見ても肩を怒らせて歩くのがはっきりとわかる鈴に追いつき、シャルロットもまた疑問をぶつけてくるのだが――

「そのまさかでしょ」

 鈴は面倒くさそうに応えるだけだった。

 だが、箒もシャルロットも信じられないといった顔をしていた。

「そんな馬鹿なことがあるか!?」

「箒、アンタがそう感じるのは、わたしも同じよ。でもね、いつもと変わらない馬鹿面したまま平然とベラベラ喋ってて、驚く通り越して呆れたわよ」

「ね、ねえ……考えたくはないんだけれど……一夏がウソをついてるってことはない、かな? 状況が状況なだけに、言うに言い出せないから知らないフリをしてるとか……」

「それはないわね」

 あっさりと、鈴はシャルロットの指摘を切り捨てる。

 その根拠を彼女は淡々と口にしていた。

「だいたい、アイツ嘘つくのが上手いワケでもないし。嘘をつく意味があると思う?」

「……開き直ってるとか」

「あの馬鹿が? それこそないわよ」

 あれだけの事態だったというのに、とぼけて見せているというのにも些か無理がある。いくらなんでも、そこまで一夏の人間性が腐ってはいないと信じているために。

「ま、仮に……もしも、もしもよ? もし、そうだとした場合、衛宮に怪我させときながら、後ろめたさを微塵も無くて、マジで知らぬ存ぜぬ決め込んでるんだとしたら、ただブン殴るだけじゃ飽き足りないわね」

「…………」

 鈴の説明を黙って聴いていたシャルロットではあるが、やはり彼女は彼女で釈然としない表情を浮かべていた。

「で、でもさ……やっぱり、それこそ言うに言えないからだとは思わない?」

「思わないわよ」

「……即答だね」

「まあね。悪いけど、わたしはアンタよりもアイツとの付き合い長いし。そもそも、衛宮のことを無かったことにしておきながら、わたしらの前に平然と居られると思う?」

「…………」

「そこまでの無神経さも計算尽くだっていうのなら感心するわよ。それに、箒」

 言って、鈴は面倒くさそうに肩越しに箒へと視線を向けていた。

「アンタも同じなんじゃない? アイツ、嘘をついているようには感じられなかったでしょう?」

「……ああ、鈴の言うとおりだ。少なからず、わたしにとっては、普段の……いつも通りの一夏に感じられる」

 箒にとっては違和感は拭えていない。

 今の一夏は、紛れもなくいつもの一夏であった。あの時の、憎悪に駆られ、敵意を剥き出しにした形を潜めている。まるで、憑き物が落ちたかのようにすっきりとしているのだから。

「そういうこと。幼馴染を舐めんなってところよ。変に取り繕うような態度はわたしらにとっては簡単にわかるモンなのよ」

 ファースト、セカンドといったふたりの幼馴染の言に、シャルロットは黙り納得せざるを得なかった。

 自分に持ち合わせていない繋がりを、このふたりは持っている。

 さすがに勝てないなと苦笑し、それらを理解した上で、今一度彼女は問いかける。

「……どうするの?」

 一夏の件を、と示すことに鈴はひとつ吐息を漏らす。

「どうするもこうするもないわよ。まずは……セシリアとラウラには伝えないとでしょ? セイバーとランサーに……本音と簪だっけ? あとは、葛木先生と織斑先生……山田先生、は不在か……とにかく、報告はしとかないとマズイことになると思うし」

「…………」

「特に、この件は葛木先生の判断を仰ぐしかないと思うわよ? 結果的にどうなるかもわかんないし」

「……冷静だね」

「そう見える? こっちもね、これでもいっぱいっぱいなのよ。第二アリーナの件はどういうワケだか記憶にない。挙句、本音って子に何をしたのかも覚えてないとかヌかしてんのよ?」

「…………」

 黙するシャルロットを気にせず、鈴は続ける。

「ウソを口にしてるわけじゃないわよ。あの馬鹿は、本当に昨日の放課後以降のことを綺麗さっぱり忘れてるのよ。それこそ、ご丁寧に模擬戦だけの部分をね」

「……何故だ? 記憶障害の類ということか?」

 模擬戦による頭部への怪我の後遺症により、記憶の混乱によるものかと勘繰る箒ではあるのだが。

「さあ? そこまではわかんないけどさ、わたしの手前勝手な推測だけど、その線は薄いんじゃないかと思うのよね。それに」

「それに?」

 訊き返すシャルロットに――そこでようやく鈴の歩は停まると、くるりとふたりへ振り返っていた。その顔には思いつめた表情を張り付かせて。

「あの馬鹿も、わたしらみたいに、なにかされたとは考えられない?」

「――っ!」

 その推測は、感情を操られた鈴であるからこそ。妙な違和感は、そのことを真っ先に思い知らせていた。

 シャルロットもまたその意見には異を唱えることができなかった。彼女もまた自分自身の感情を制御することができずに凶行に至ったのだから。

「……ねぇ、シャルロット……アンタ言ってたわよね? 衛宮に襲いかかってた時の一夏は、いつもの一夏とは違ってたって」

「…………」

 その言葉にシャルロットは言葉なく頷くのみ。

「そう考えると、つじつまが合ってくると思えるのよ。でも、これはあくまでもわたしの勝手な推測だから確証はないわよ。だけれど……一夏に衛宮を襲わせるメリットって何だと思う?」

「メリットって……互いに男の子だよね? 機体は専用機同士だし……傷つけて得られるものなんて、データと戦闘経験値でしょ? 後は――」

 呟き思案するシャルロットを他所に、鈴はメリットと口にしながらも自分たちが士郎に危害を加えた際のことも思い出していた。

 それこそ、自分たちが士郎を襲ったのは何のためかと。

(戦闘経験値は確かに驚かされたわよね……あれだけの数値が加算されてれば、遅かれ早かれ第二形態移行も現実になりかけるし……)

 自身の専用機『甲龍』が今回の件で得た戦闘経験値は、本来の模擬戦時で獲得する数値を凌駕するほどのものだった。彼女だけではない。セシリアやラウラ、シャルロットたち三人の機体も同様の現象を得ている。中でも飛び抜けていたのはセシリアの機体『ブルー・ティアーズ』である。

 そんな中、今この場で人一倍酷く顔色を悪くしているのは箒だった。さすがに鈴も彼女の尋常ではない表情に眼を疑っていた。

「――って、ちょっと箒! アンタ、顔色ヤバイわよ!? 大丈夫?」

「……いや、すまない……鈴の話を聴いていて、わたしなりに考えていたものがあったからな……なに、大丈夫だ。問題ない」

「…………」

 大丈夫どころではない。

 普段と明らかに――いや、どうにも此処最近の箒の様子は何かしら不審に鈴は感じていた。

 しかし、そう感じていながらも、敢えて彼女は追求することはしなかった。

 

   ◆

 

 彼女たちの間で、そんなやり取りがあったのだが。

 と――

 がたん、と音を鳴らし席から立ち上がるのは箒だった。

「…………」

 突然のことに一夏はぽかんとした――悪く言えば、間の抜けた顔をしていたことだろう――表情を浮かべていたのだが。

 どうかしたのかと視線を向けてくる彼ではあるが、箒は何か言うわけでもなく――視線を合わせようともせずに――器には未だ食べかけが残るままのトレイを手に持ち足早に駆けていた。

 それはまるで、逃げるかのように。

「……なんだ? 箒の奴、どうかしたのか?」

 問いかけてくる一夏の声を――無視し、鈴もまた席を立っていた。

「悪いわね。わたしら、先行くから」

「……あ、ああ」

 やはり鈴もまた彼と視線を合わせるでもなく、そそくさと席から離れていた。

 唖然とする一夏を残し、足早に歩く箒を追いかけた鈴は声をかける。

「箒、あんま無理しない方がイイわよ」

「…………」

 生徒たちで賑う食堂内。そんな喧騒の中、箒は立ち止まると振り返ることもなくぼそりと呟いていた。

「……鈴、わたしは、もう、耐えられない」 

 一夏が第二アリーナでの一件を何ひとつ覚えていない。加えて、知らぬとはいえ、平然としていられるなど見ていられない。

「アンタの言いたいことはわかってるつもりよ。でも、仕方ないじゃない。正直に言う? アンタが衛宮に怪我させたって」

「…………」

「葛木先生も言ってたでしょ。余計なことは何も言うな。何もするなって」

「だが……だからといって!」

 若干語尾を強める箒に、周囲の生徒たちの幾人かは何事かと視線を向けてくる。

 面倒くさいことを避けたい鈴は、彼女の腕を掴むと隅へと移動していた。

 周りを伺い、他に誰にも聴かれていないことを確認すると鈴は声を潜めて口を開く。

「……わたしだって思うことは当然あるわよ。納得だって出来てない。でも……それでもよ? 先生がそうしろって言う以上は、わたしたちは従うしかないじゃない。わたしらがどうなるかなんて、正直なところ、先生の匙加減で決まるんだし」

「…………」

「これが決してイイ方法だとは思ってもいないわよ? でも、先生の胸のうちひとつでどうとでもされる以上、どういう状況がベストとなるのかもわからなくなってるし……」

 織斑千冬を差し置き、今この現状を掌握しているのはキャスターである。

 鈴は一夏の状態を真っ先に彼女へ報告していた。

 内容を理解した上でキャスターから指示されたのは二点。以後何もするな、何も言うな、である。

 許可を得て話をしてもいいと括られた人物へ教えることは許されはしたが、内密にされる類のものは全て黙殺するように脅迫される。

 キャスターにしてみれば、全てを見入っていた者の中に箒がいたのは予想外であった。

 本来であれば、暗示でもかけて記憶消去でも施すのが手っ取り早いのであるが、律儀に士郎との約束を守っているため何もしていない。とは言えど、誤魔化せるところは誤魔化し、とぼけられるものは全てとぼけて見せ、知らぬ存ぜぬを決め込んではいるのだが。

 鈴がキャスターに逆らえない理由はもうひとつある。否、正確には『専用機持ちたちは』と言った方が合っているだろう。

 彼女は手首に視線を落としていた。そこには、普段あるハズのモノが存在しなかった。

 それは箒もまた同様に、()()()()()()()()()()

 専用機持ちたちのISは全てキャスターが押収していた。一年生はもとより、二年生、三年生が所持するものも。無論の事、箒の『紅椿』さえも同じく回収されている。

 唯一の例外は楯無が所持する『ミステリアス・レイディ』のみ未だ入手されていなかった。

 回収などと言い方は丁寧な響きを持つが、その実は、乱暴過ぎるやり方でしかない。

「箒さん……あなたが持っているISを、こちらへ寄こしなさい」

 事件のあった翌日の夜、他の人影が無く、セシリアと一緒に居たところへ現れたキャスターからISを渡すように告げられる。だが、最初はISを取り上げられることを拒んだ箒であるが、次の瞬間には彼女の身体は手近の壁に激しく叩きつけられることとなる。

「――っ!?」

 何をされたのか、何が起こったのかと理解する暇もなく、箒は声を詰まらせるのみ。

 見えない何本もの手で――しかしながら確実に、首を、腕を、腹を、脚を押さえつけられている。

 抗い手足を動かそうにも動かせず、声を出そうにも言葉が出ない。

「――――」

 それは、居合わせたセシリアさえも声を漏らすことはできなかった。キャスターが一切触れることもなく、突如として箒の身体が浮き上がり、横薙ぎに壁へと叩きつけられる様を目撃させられているのだから。

 そんな中、然したる表情の変化を見せないキャスターは静かに歩み寄っていた。

「聴こえていなかったようだからもう一度言うわ。ISを、こちらへ渡しなさい」

 淡々と告げる相手に――

「――――」

 しかし、箒は首を本当にごく僅かに左右へと振っていた。

 拒否を示したことを知るや否や――

「そう」

 にこり、と微笑んだキャスターではあるが、刹那に状況に変化が生じていた。

「――ッッ!?」

 がくんと箒の首は虚空を見上げる形へと変わる。

 喉を締め上げる不可視の手の力が増していることを物語る。

 眼は見開かれ、喉は仰け反り、顔は窒息による呼吸困難により見る見るうちに赤くなっていく。

「別に、素直に渡す気が無いのならそれでも結構よ。あなたを殺して奪うだけだから」

 抑揚のない声音。冗談と取ることが出来ずに、本気で箒を殺そうとしているのがセシリアには雰囲気で感じていた。

 実際に、その言葉が合図であるかのごとく、至るところを締め上げられる箒はもがくことさえ叶わなかった。

 指先、爪先から力が失われかけ――

「ま、待ってくださいっ!」

 唐突に、声を張り上げてふたりの間へと割って入ったのはセシリアだった。

「葛木先生、おやめになってくださいまし!」

 割って入ったというのに、セシリアの身体は何かにぶつかることもない。それもそのハズに、箒に対してキャスターは魔力を絡みつかせているだけに過ぎない。

 一方のセシリアにしてみれば、光学迷彩によるキャスターが所持するISの何かしらの部分展開による暴行だと捉えていた。だが、当てが外れていることなどはどうでもよかった。今は焦りの方が強い。

「お願いです――どうか、どうかお願いですから、箒さんに乱暴するのはおやめになってくださいませ!」

「…………」

 横槍を入れられたことにより、キャスターの気分は幾許か不快を生み出すのは事実である。だが、それと同時に意識が僅かに箒から離れたことによって拘束する力に緩みが生じていた。

 それは、標的が箒からセシリアへと移行したことをも意味している。

 セシリア自身も、同じ目に遭うのではないかという憂虞を感じていないわけではない。現に、彼女の身体は恐怖でカタカタと震えていた。

 だというのに、懸命にセシリアは口を開き、微かな声音で言葉を紡ぎ出していた。

「お願いですから……これ以上、彼女を傷つけるのは……箒さんも、此処は素直にお渡しになって――どうか、お願いですから」

「――――」

 だが――

 それでも箒は『紅椿』を手放すことに抵抗がないわけではなかった。難色を示すのも当然であろう。経緯はどうあれ、やっと自分の専用機を手に入れたがために。

 これがいきなり取り上げられるともなれば、素直に首を縦に振れるはずもない。

 と――

「……箒さん」

 哀願するセシリアの二度目の声音に――決して納得などできていないが――箒は観念したように、微かに首を動かしていた。

「…………」

 それを見てキャスターはようやく拘束を解くことになる。

 解放された箒はその場にへたり込んでいた。立ち上がることも叶わず、恐怖に震え、激しく咽、呼吸を整えることしかできていない。

「大丈夫ですの……? 箒さん……」

 箒の背をさすり労わるセシリアたちの前に、キャスターは無言のまま氷のように冷たい眼差しを向けて立っていた。

 いくらか落ち着いた箒は――気丈にも睨みつけていた。その姿は、彼女なりの精一杯の虚勢であろう。

 キャスターにとっては、たかだか人間である小娘風情に睥睨されても何の感情も湧きはしないのだが。

「そちらのお嬢さんに感謝することね。もっとも……わたしにとっては、あなたたちふたりまとめて始末するのも厭わないのだけれど」

「――ッ、セシリアに、手を出すのならば……いくら先生でも許しはしません」

 自分に対してだけならまだしも、セシリアにまで手を出されるのは許容できない。

 加えて理解できない恐怖にさらされていながらも、箒は精神力を強く持ち言い告げる。

 だが、その恰好はキャスターにとってみれば逆に失笑を買うだけだった。

「許さない? 別に、わたしは許してもらうつもりなんてないわよ? 言ったでしょう? なんなら、ふたりまとめて始末するだけでしかないのだけれど、と」

「…………」

 微笑さえ浮かべるキャスターを前に――背筋に冷たい汗を浮かべる箒は言葉を失う。

 肌に絡みつくのは、えもいわれぬ恐怖感。畏れをいだく彼女はごくりと固唾を飲み込んでいた。

 明確な理由も説明されていなければ、承服などできるハズがない。

 が――

「…………」

 箒は左手首から金と銀の鈴がついている赤い紐を外すとキャスターへと手渡していた。

 キャスターとて、士郎の指示があるまで一切手は出さないと口にはしていたが、それはあくまでも必要最低限と割り切っている。殺害していないだけ遥かにマシであろうという考えでさえいる。とりわけ恐怖で屈服させるなど、決して褒められる行為ではないのだが。

 フンと鼻を鳴らし、キャスターは踵を返す。

「最初から素直に応じていればいいのよ」

 用は済んだとばかりに立ち去る養護教諭との一件――

 それら一連の件を思い出していた箒は、なにもできない自分の無力さに歯噛みすることしかできなかった。

 

   ◆

 

 同刻――

 士郎が隔離されている病室へと続く通路にふたりの女生徒が立っていた。

 ひとりは本音。もうひとりはシャルロットである。

「本音、もうすぐ昼休みが終わっちゃうよ? そろそろ戻らないと」

「……うん……」

 シャルロットの声に力無く頷き応える本音ではあるが、その場から動こうとはしなかった。

 寮棟に在る士郎の部屋の花を毎日入れ替えているのをシャルロットもまた知っていた。休み時間になるたびに此処に足を運んでは、ただじっと待っている。

 食事もあまり摂らなくなり、大好きなお菓子ですら口にすることもなくなっていた。

 簪の前では健気に振舞う本音ではあったが、彼女も彼女で精神的には疲労がかなり募りはじめていることを物語る。

 根を詰めて、本音自身が身体を壊してはどうにもならない。

 労わり声をかけるシャルロットではあったが、やはり本音は力なく返答するのみ。

 と――

 予鈴を告げる鐘が鳴る。

 本鈴が鳴る前には教室に戻らねばならない。授業に遅刻するわけにもいかないと判断するシャルロットは三度声をかけていた。

「ほら、チャイムが鳴ったよ。次の授業に遅れちゃうから、もう戻ろう」

「……うん」

 返事はするが、しかし本音は動こうとはしなかった。

 さすがにこれ以上は黙認できないと割り切ったシャルロットは、本音の肩にそっと触れてると反転させていた。

「戻らないとダメだよ。次の休み時間にまた来よう。僕も付き合うからさ」

「…………」

「ね?」

 無言のままの本音ではあったが、シャルロットに促されると、ようやくしてこくりと頷き歩き出す。

 駆け足で戻れば授業開始までにはまだ間に合う。廊下を走ってはいけないとはわかっていながらも、背に腹は変えられないとシャルロットは本音の手を引き駆け出そうとして――

 そのふたりの背後で、電子音を奏でて施錠されていたスライドドアがゆっくりと開かれていた。



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50

前話「49」更新時に書き込んでいただいた感想に、現時点でまだ返信できておりません。
すみません。


 保健室に篭もり、キャスターはひとり黙考していた。

「…………」

 テーブル上に並べられている十点の品。それら全ては、専用機持ちたちと真耶から押収した待機形態状のISである。

 彼女なりにいろいろと調べはしたが、コア自体が完全なブラックボックスと呼ばれるだけに、特にこれといった成果は上がってはいない。

 同様に、それぞれのISからなにかしらの魔力残留が見つかることもなかった。

 だがこの結果は、自分たち以外のサーヴァント、または魔術師の仕業ではないことを確実に裏付けることとなる。

「…………」

 今一度眼を細めたキャスターは、無造作に――それでいて無作為に――ひとつの待機形態ISを摘んでいた。

 手にするのは、十字のマークがついた橙色のネックレス・トップ――シャルロットの専用機ISである。

 取り上げられた専用機持ちたちとて、皆が皆、納得しているわけではない。

 当然、気絶している間に自分たちのISを没収されていることを察した彼女たちは気が気でなかった。

 状況が状況ではあったが、勝手に取り上げられていることは了承できない。特に真っ先に奪い返そうと噛み付いたのは鈴であった。

 保健室に駆け込んでくるなり返せと喚き彼女。事態を知った千冬も同伴したのだが、キャスターは一切取り合おうともしなかった。

「どうして、アナタたちに返さなくてはならないの?」

「どうしてって……」

 自分たちの専用機だからと言いよどむ鈴ではあるが、キャスターは全く別のことを口にする。

「ああ、そうよね。ISが無いと、彼を殺せないものねェ?」

「――っ」

 その指摘に鈴は身体をびくりと竦ませる。

 言葉を詰まらせる鈴の代わりに口を開いたのは千冬である。

「待て。その言葉は聴き捨てならん。コイツらの心情をも理解せずに、貶するその言い方は取り消せ」

「心情? アナタこそおかしなことを口にするじゃない。どうして取り消す必要があって? わたしは事実を言ったまでよ? 現にそちらのお嬢さん方は、皆こぞって殺しにかかったじゃない。ねぇ? シャルロットさん? セシリアさん?」

 問いかけるキャスターの声音に――しかし、名を挙げられたふたりは押し黙るのみであった。

「そ、それ、は……」

「…………」

「それとも、第二形態移行(セカンド・シフト)しかける絶好の機会だから返せというのかしら? 他人を犠牲にしてまで結果を欲するというのであれば見事なものよねぇ? 彼が死のうがどうが、あなたにとってはISの方が大事ですものね」

「ち、ちが、ちがいますわっ……わたくしは、わたくしは決して……そのようなつもりは……」

 思わず眼を逸らし、なんとか言葉を選ぼうとするセシリアではあるが、キャスターは意に介しはしない。

「なら、返す必要は無いわよねぇ? アナタに返したところで、また彼に危害を与えないという確証は無いのだし」

「……っ……」

「まさか、彼に一切危害を加えない、信じてほしい、だからISを返してくれ、なんて虫のいいことは言わないわよねェ?」

「…………」

 そう告げられては……専用機持ちは、誰も何も言い返すことが出来なかった。

「アナタたちは、誰ひとりとして信用していないの」

『…………』

 沈黙する生徒たちとは対照に、理由はどうあれ、教師たる千冬は黙認するわけにはいかなかった。

「だからといって、キサマがコイツらのISを没収するというのか?」

「そうだと言ったら?」

「確かに、コイツらのISが何かしらの問題があったのは事実だろう。衛宮の件も、不幸な事故だと処理するつもりは毛頭ない。だが、それを調べるのは、お前がすることではない」

「それを言うならば、決めるのもアナタではないはずよねェ?」

「……『白式』までもか?」

「当然でしょう? 事の発端となる機体だからよ? まさか、弟可愛さのあまりに無罪放免などと馬鹿げたことは言わないわよねェ? そこまでアナタの頭の中はおめでたいのかしら?」 

「…………」

 キャスターの指摘に千冬は言葉も無い。

「それに、副担任の女の件も満足に対応できずに、偉そうなことを言うんじゃないわよ」

「――っ」

「生徒の心情? ひとりの女の心情も理解できない輩が、どの口を開いて言うのかしらねぇ?」

 キャスターが口にする内容に、千冬は僅かに表情を変化させていた。

 この女はどこまで何を知っているのか、と。

 逆に、専用機持ちたちにとっては何の話かは理解できていない。唯一、副担任との単語から、ふたりが山田真耶のことを指しているのだということは把握するのみ。

 ろくな反応も示さない相手にキャスターは鼻を鳴らす。

「別に、こちらは報告するところに報告し回ってもいいのよ? 私怨で男性操縦者を殺しかけた代表候補生というのも面白そうじゃない?」

「…………」

 この言葉に一気に顔色を悪くするのは代表候補生たちである。第二アリーナでの事件を公にされてしまっては、彼女たちに御咎めがない、などということはない。世論の声によっては、その身の進退すら危うくなる。

「当然、アナタも管理責任を問われることになるでしょうね」

「……脅迫のつもりか」

「脅迫? 自分の立場をよく考えてモノを言うことね。アナタたちがどういう状況に置かれているのか、まだわかっていないようね。この期に及んで、対等だと思っていたら大間違いよ? なんなら、そちらのお嬢さんたちを拘束するようにしてもいいのよ? 今こうして自由の身となっているだけでも感謝なさい」

「――っ」

 あくまでも見下す言い方のキャスターに対し、千冬は忌々しく舌を鳴らす。

「代表候補生の資格を剥奪される程度で済めばいいわよねぇ? 代わりはいくらでもいるんだから、各国にしてみれば、極力被害は最小限に抑えたいものですしね」

「……何が目的だ? 人質紛いにコイツらを利用するつもりか?」

「決めるのはわたしであって、アナタではないの。それに、アナタごときに応える義理もないのよ。さ、理解したのならば、お引取り願えるかしら? アナタたちの相手をしているほど、わたしは暇ではないのよ」

 まるで野良犬でも追い払うかのように手を動かしキャスター。

 だが、千冬とて大人しく引き下がるハズも無い。

「勝手なことをするな」

「滑稽ね。あなたの弟も、人ひとり殺しかけたというのに随分じゃない」

「――っ」

「それとも、可愛い可愛い弟さんは何をしても許されるとでも言うつもり? 事故が起きたのは仕方がないとでも言うつもりなのかしら? であるとしたならば、さすがは『ブリュンヒルデ』と呼ばれる女は考えることが普通とは違うわねェ? 他人がどうなろうとも、身内だけはどうにかしたいとは、つくづく甘いわねえ」

「キサマっ――!」

「あら、もしかして怒ったの? あまりにも本当のことを言われ過ぎたからかしら?」

「――ッ」

 手玉に取るようなキャスターの挑発。

 一触即発となる空気を肌で感じるラウラは思わずたじろいでいた。自分が知る限り、織斑千冬がこれほどまでに怒りを醸し出している姿を眼にするのは初めてであろう。

 千冬自身もギリギリのラインで自制を保ちはするが、その実は今すぐにでも飛びかかり、相手の顔面を激しく殴りつけたい衝動に駆られている。

 キャスターは構わず続けていた。

「こうまで言われておいて、それでも返せというのならば、別に返してもいいわよ? ただし、今後一切、わたしたちは、アナタたちを『敵』とみなすだけだから」

 突飛なその言葉に眉根を寄たのは鈴である。

「ちょ、ちょっと待ってよ……敵って……どういうこと……?」

「そのままよ。排除するのも厭わないと捉えなさい。加えて、もとよりアナタたちの指示など受けはしない。こちらは好き勝手にやるだけよ」

「――っ」

 ぞくりと背筋に冷たい汗が流れ、鈴ですらあまりの剣幕に一歩ほど後退している。この時点で、本格的に彼女は眼の前の養護教諭が何者なのかがわからなくなっていた。

 それほどまでに張り詰めた場の雰囲気の中であるにもかかわらず、口を開いていたのはセシリアである。

「……わかりましたわ。先生にお預けいたします」

「随分と物わかりがいいのね? アナタにとっては、彼が居なくなってくれた方が清々するのではなくて?」

 かまをかける言い方をするのだが、セシリアは臆することなく真っ直ぐに見返し応えていた。

「勘違いなさらないでくださいまし。現状にて、士郎さんをこのまま放っておくなど、わたくしとても意地がございますの。ですけれど、先生が仰られることに正直否定はできませんわ。ですから、今はお預けいたします。存分に御調べいただいて結構ですわ」

「セシリア、アンタ、それって……」

 鈴が思わず信じられないといった顔をする。

 それもそうであろう。淡々と応えてはいるが、一国家が管理する専用機である。それを事も無げに預けるなど正気の沙汰ではない。いわば、イギリスで造られた技術の結集である機体を預けるとは、すなわち機体の性能から全てのデータを提供することになる。これが他国にでも渡ればイギリスは痛手どころの騒ぎではない。

 代表候補生であるセシリアでさえ、専用機を他者へ渡したというこの事実が知れ渡れば、その身は拘束されるだけでは済みはしない。それ相応の処罰は下される。

 いや、そもそも第三世代型のイギリス、中国、ドイツに加えて、第四世代型まで有している。

 これら各国ISの技術は当然極秘とされているものであり、それらがどこかに売り渡されでもすればパワーバランスは大きく変動することになる。

 なによりも、他国はなんとしてでも第四世代と呼ばれる『白式』と『紅椿』のデータを欲している。この機体に備わるデータを解明できれば第三世代機も爆発的な飛躍を遂げることにもなる。いや、第三世代を超えて、第四世代型の量産も夢ではないといえよう。

「アンタ、()()()()()()()()()()()()()()()()()!? いいの!? アンタ、それで」

「いいも悪いも、わたくしが士郎さんを傷つけたのは事実でしてよ。正直言って、如何なる処罰も甘んじて受けるつもりですのよ」

「…………」

「それに、偽りではないという本心を見てももらいたいですし。それはそれ、これはこれとはいきませんわ。先生がわたくしを信用できないのは当然のことでございましょう。ですが、厚かましいというのは百も承知の上で、わたくしは先生に信じていただきたい。そのためならば、ティアーズをお預けすることに関しては、やぶさかではございませんわ」

「…………」

「加えて、これが少しでも士郎さんへの贖罪になるのならば」

 贖罪との言葉に全員が反応する。

 『国家の専用機』と秤にかけて彼女たちの自尊心に葛藤が生じぬハズが無い。特に、軍人であるラウラにとってはなおさらであろう。

 故に、場をまとめるように千冬は重い口を開いていた。

「いいだろう。わたしの権限で、一時的に状況検分の行使としてお前たちのISを預かることにする」

「……織斑、先生……?」

 生徒たちの視線を受けながら――千冬はキャスターを睨みつけ告げていた。

「その上で、キサマに渡しておく。だが、勘違いするな。渡してあるだけだ。状況は理解しているが、だからといってコイツらの機体を他国に売り飛ばすようなマネをしてみろ。わたしはキサマを完膚なきまでに叩きのめす」

「実に面白い冗談ね。傑作だわ」

 最後の最後まで緊張に包まれた場の空気に居合わせた生徒たちは生きた心地がしなかった。

 正直に言えば、この場に居たくはないというのが鈴の本音である。

 話は済んだとばかりに追い出された彼女たちではあったのだが――

 どうしたものかと思案に暮れる中、千冬は口を開いていた。

「すまんな、お前たち……」

「どうして千冬さ――織斑先生が謝るんですか?」

 思わず呟かれた謝罪の言葉に鈴は訊き返していた。

「……すまん……何もしてやれなくて」

「教官が気になさることではありません」

「……すまん……」

 ラウラの言葉を耳にはしているが、しかし千冬は自身の無力さを思い知らされるだけである。

 キャスターが告げた言葉が反芻される。

 ひとりの女の心情も理解できない輩が、どの口を開いて言うのかしらねぇ――?

 言い返すことが出来ない。指摘された内容はその通りなのだから。

「わたしは、眼を背けているだけなのかもしれんな……」

 静かに、独りごちり彼女。

 真耶が発した言葉が、今更ながらに胸に刺さる。

 そのような一悶着があったりしたのだが――

 ブラックボックスとされるコアの存在を忌々しく感じながら、キャスターは紅茶が注がれているカップを手に取り口へと運ぶ。

 と――

「?」

 不意に、廊下からバタバタと駆ける音を耳に捉える。

 最初は微かに聴こえていた音はやがて次第に大きくなり、徐々にこちらに近づいてくるようになり――

 力強くドアが開け放たれていた。

 が――

 衝撃によってか、激しく鈍い音を鳴らしながら勢いあまったドアは外れ、同時にバランスを崩して室内に転がり込んできたのはシャルロットであった。

 もんどり打って倒れる姿など、彼女にあるまじきダイナミックな入室の仕方であろう。

「シャルロット……さん……?」

 キャスターもまた僅かながらに驚いていた。思わず壁にかかる時計に視線を向ければ、昼休みは既に終わり、今は五時限目の授業となる時間帯である。それにもかかわらず此処にいるということは、授業をサボっているということになる。

 床に身体を打ちつけた痛みもなんのその、シャルロットは顔を上げると――強打した鼻は赤くなっているが――パクパクと口を動かしていた。

「せ、先、せ――せ、せせ、せ、先、先生――せ、せせ――」

「とりあえず、落ち着きなさい」

 未だ口をつけていなかったカップを半ば押し付けキャスター。

 そうまで興奮されていては、一向に話が進まない。とりあえずは冷静になってもらう必要がある。

 シャルロットもまた手渡された紅茶を一息のままに――結構な熱さを保っているのにもかかわらず――飲み干していた。

「落ち着いた?」

 問いかけるキャスターの声音にこくりと頷き――だが、すぐさまシャルロットは口を開いていた。

「せ、先生っ――た、大変なんですっ!」

「大変? なにが?」

 どちらかと言えば、この場においてはアナタの方が大変なのではなかろうかと感じるキャスターではあるが。

 授業をサボってしまっては、それこそ担任に大目玉を喰らうだろうと呑気なことさえ考えていたりもしたのだが――

「大変なんですっ! し、士郎がっ! 士郎がっ――」

 落ち着いたとばかりに思っていたのだが、再び息を切らし、興奮冷めやらぬまま、震える声音で告げるその言葉に――

 キャスターは表情を引き締めていた。

 

   ◆

 

「――どうしていいかわからなくて、それに、あんな姿の彼を、そのまま学園内を歩かせるわけにもいかなくて……とりあえず、病室に押し込んで出歩かないようにと言うことしかできませんでした」

「賢明な判断よ。見つけたのがアナタで、本当によかったわ」

「本音は離れようとしなかったので……その……すみません、仕方がなかったので一緒に居させています」

「……本音さんなら仕方がないわね。いい? 話した通りに合わせておきなさい。余計なことは言わないこと。わかったわね?」

「はい」

 ツカツカと歩くキャスターの背後を少しばかり小走りで続くシャルロット。ふたりが向かう先は、隔離部屋ではなく一年一組の教室である。

 と――

 ノックもせずに、がらりと無造作にドアを開けたキャスターに、当然のことながら教室内に居た全員は何事かといった顔を向けていた。

 無論の事、教壇に立っている担任の千冬もまた視線を向けてくるが、現れたのがキャスターであったために表情を露骨に変化させていたのだが。

 その後ろにシャルロットの姿を見つけた彼女は咎めるように口を開いていた。

「デュノア、遅刻するとは随分だな? そんなにわたしの授業を受けるのは退屈か?」

「す、すみません……」

 凄まれれば萎縮し謝るしかない。遅刻していることは事実であるため、彼女は頭を垂れていた。

 だが、それを遮るように割ってくるのはキャスターである。

「そんなに目くじらを立てなくてもいいじゃない。彼女は、少しばかり具合が悪かったんだから。ちょっと保健室で休ませてあげていただけよ」

「…………」

 お前には聴いてはいないといった顔で睨みつける千冬ではあるが、キャスターはどこ吹く風か。

「体調も良くなったから、こうして連れて来たんじゃないの。それとも、織斑先生は生徒の体調を考慮してはあげないのかしら?」

「…………」

 今一度シャルロットを見れば、いわれるように、確かに顔色は宜しくは無かった。

 相手が告げるように、本当に体調が思わしくなかったのかもしれないと悟る千冬は教室内に入れとシャルロットを促していた。

 ご苦労だったと一応労いの言葉をかけて話を終えようとするのだが、そうは問屋が卸はしない。

 扉に手を添え、閉められまいとするキャスターは千冬にだけに聴こえるように声をかける。

 ぼそりと告げる内容に――

「――っ」

 本当か、という意味合いを篭めてキャスターに視線を向けてくる千冬であるが、当の相手は室内へ顔を向けていた。

「セイバーさん、ランサーさん、企業の人が専用機の件でお話があるそうよ。火急の用件らしいので急いでちょうだい」

 当然デタラメであるが、授業の妨げにならぬようにとふたりを引っ張り出す口実には十分であろう。

 セイバーとランサーもまた、キャスターがわざわざこうして授業中である教室に現れ、あげく、さん付けするなど何かがあったのだろうと容易に悟り席を立つ。

 教室を出るふたりに続き、千冬もまた話が話なだけに、授業は一時中断するしかなかった。

「聴け、お前たち。急用が出来たのでしばらく自習にする。いいか、くれぐれも馬鹿騒ぎはするな。静かにしていなければ、連帯責任としてPIC機能を切ったISでグラウンドを居残りで五十周させるからな」

『五十っ!?』

 生徒たちからの悲痛に近い悲鳴が上がるが、千冬は一切聴き入れず廊下へ出ると扉をぴしゃりと閉めていた。

 にわかに騒がしくなる室内の中、なにやら廊下で話し込んでいるのを尻目に、席に着こうとしたシャルロットであるが、その際に一夏に声をかけられていた。

「なぁ、シャル、なにかあったのか?」

「ううん、別に……」

「? そうか?」

 そそくさと席につく彼女の姿を、箒とセシリア、ラウラの三人だけは視線を向ける表情が違っていた。

 シャルロットもまた向けられる視線に気がつくと、彼女たちだけにわかるように口を開き――

「後で」

 声には出ださずに、口の動きだけで彼女はそう告げていた。

 

   ◆

 

「お、織斑先生っ――衛宮くんは、衛宮くんはどこですかっ!?」

「来たか、真耶」

 扉を開けて、息を切らして飛びこんで来た真耶は、目当ての人物を見つけるなり詰め寄っていた。

 学園を無断欠勤して五日目、マンションの自室で過ごしていた真耶の携帯電話が鳴り響く。

 表示される名前は、織斑千冬――

 出るかどうか迷う彼女であったが、いつもと違って、止まることもなくいつまでも鳴り響くコール音に、さすがに出てみれば――

「真耶、緊急を要する。今すぐ学園に戻れ。衛宮が――」

 耳にしたのは聴き慣れぬ千冬の切羽詰った声。しかし、真耶は疾うに話を聴いていなかった。

 相手が告げた『衛宮』との言葉、ならびに、尋常ではない声音を受けて――

(衛宮くん――)

 よくよく内容を聴きもせずに、未だ何かを話している千冬を無視し、携帯電話を放り捨てた彼女は着の身着のまま部屋を飛び出し、タクシーを捕まえると急いで学園へ向うこととなる。

 髪は梳かれもせずにボサボサのまま、履物すら片方がパンプス、片方がサンダルという出で立ち。

 それほどまでに慌てたという姿を物語らせている。

 室内に千冬と真耶を除いて他に居る者たちは六人。箒、セシリア、鈴、シャルロット、ラウラ、簪である。

 真耶同様に、箒たちとて心情は穏やかではない。

 千冬から士郎の容体に変化があったとしか聴かされておらず、なにが起きたのか問いかけても、一切教えられることはなかった。

 とある部屋に呼び寄せられ、特定の人員が揃うまで待たされ続けたところへ、ようやくして最後の待ち人となる真耶が現れたのだった。

「織斑先生っ、衛宮くんは――」

「落ち着け」

「――――」

「わたしに聴くよりも、お前のその眼で確かめろ」

「……はい」

 幾許か呼吸を整えた相手に頷き、こっちだと顎でしゃくる千冬ではあるのだが――

 普段は冷静沈着である彼女には珍しく、どこか落ち着きが無いことに、はたして真耶は気づいていただろうか……?

「先に言っておくがな、真耶……それと、お前たち……くれぐれも取り乱すな。はっきり言って、わたしも理解が追いついていないというのが正直なところだ」

「それって、どういうことですか……?」

「…………」

 しかし千冬は真耶の問いかけに応えることはない。

 一体なにがあったのか……?

 そう感じながらも真耶は千冬の後へと続いていた。

 

   ◆

 

 入室した一同は、眼を疑う事実と直面していることに言葉を失っていた。

 見入る先――

 ベッドには、上半身を起した状態の士郎の姿がある。痛々しい姿はそのままに。頭部、腕に巻かれた包帯。頬に張られた湿布等。

 彼以外にも、室内に居たのは四人である。

 脇に置かれた椅子に座るのはセイバーと本音の姿。何故か本音の頭を士郎が撫でているという不可思議な光景であるのだが。

 入室してくる面々視線を向けてくるキャスターと、少し離れた場所には腕を組んだランサーが同じように立っている。

 五日前に見慣れた顔で、表情で。いつもと変わらぬ衛宮士郎は、確かにそこに存在している。

 と――

 こちらの姿に気づいた彼の視線が向けられていた。どこか気恥ずかしそうに、なんと声をかけてよいのかわからぬといった表情を浮かべて。

 それは、鈴たちとて同じであろう。どのように声をかけるべきなのか?

 真っ先に謝ろうとした彼女たちであったが、いざ本人の姿を眼の前にしてしまっては言葉が出ない。

「大丈夫だった?」

「災難だったわね」

 まさか軽率に、そんな簡単に声をかけられる勇気がない。

 だが――

 口を開いたのは、士郎であった。

「悪い……いろいろと迷惑をかけた」

 言って、あろう事か頭を下げていたのだから。これに慌てるのは当然鈴たちである。

「ちょっ――よ、よしてよ、なんでアンタが謝んのっ!? 寧ろ謝るのは、わたしたちの方なのに」

 返答に困る鈴を余所に、今の今まで彼の姿を目の当たりにして呆然と立ち尽くしていた真耶は駆け寄り――士郎の頭を抱きしめていた。

 突然の行動に、一部を除いた誰もが驚く。

 ぎゅっと力強く抱き寄せられることにより、士郎の顔には真耶の柔らかな膨らみが当たっている。

「待っ――山田、先生――?」

「…………」

 唐突な出来事に慌てる士郎ではあるが、真耶は聴く耳を持たなかった。逆に、更に強く抱きしめていたりする。

「……めん、なさい……ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさい、ごめん、な、さい……」

 何度も何度も謝りの言葉を口にし彼女。その双眸からは、安堵による涙が流れてさえいた。

「あんなに血が……わたし、アナタにあんな酷いことを……わたし、わたしは……わたし、が……」

 言葉にならない嗚咽混じりの声音を漏らし真耶。

 が――

「……せっかくのお楽しみのところ、悪いのだけれど」

 横槍を入れるのは、キャスターの冷めた声音である。

「山田先生、アナタ、その無駄に育った脂肪の塊を押し付けて、彼を窒息させる気?」

「…………」

 キャスターの指摘に――

 我を忘れていた真耶は、ようやくして自分がなにをしているのかを理解していた。

 豊満な胸を押し付けていることによって、士郎の鼻と口を塞いでいる恰好となっていることに。

「ご、ごご、ごめ、ご、ごめんなさい衛宮くんっ」

 眼を赤くした真耶は、恥ずかしさのあまり顔まで真っ赤にすると慌てて離れ、士郎を解放していた。

 このやり取りに声を上げて笑うのはランサーである。

「おいおい、役得だなぁ、坊主」

「ラ、ランサー!」

 からからと笑う相手に対し、士郎もまた耳まで真っ赤にしながら反論する。

「出来ることなら代わってもらいてぇモンだ。で、どうだった?」

「ど、どうって……うるさいっ! 知るかっ!」

「あ? なんだぁ? 女に抱きつかれて嬉しくなかったってか? それはちっとばかし眼鏡のねーちゃんに酷いんじゃねーか? あ?」

「いや、別に……そりゃまぁ、嫌ってワケじゃないけれど……」

「つまりは、満更でもねぇってことか?」

 かまをかける言い方のランサーに、素直にこくりと頷き彼。

「……少しは」

「シロウ?」

 さり気なく呟く士郎に対し、すかさず冷たい声音を洩らすのはセイバーである。

 失言したと気づいた時には既に遅く、恐る恐ると視線を向けてみれば聴こえた声音以上に凍えきった表情を浮かばせるセイバーが映っていた。

「…………」

 ふと、もう一方からも射抜くような視線を感じた士郎がそちらを見てみれば――

 畜生でも見るかのように、蔑みを孕んだ眼を向けるのはキャスターである。表情は「これだから男という生き物は」と物語る。

 蒼白に近い顔を強張らせ、刹那に申し開きを零す士郎ではあるのだが、そんな中、まあ待てと割って入るのはランサーだった。

「ンなに怒ることでもねぇだろーが。今のは、ちょっとした事故なんだしよ」

「……むぅ……」

 そう言われてしまっては、セイバーとて押し黙るしかない。別に士郎から手を出したわけでもないために。しかしながら、彼女からしてみれば、別の女性――特に、自分は持ち合わせていない魅力的な部分に関して――と絡む姿は見ていて面白くはないというのが心情である。ぷくりと頬を膨らませた恰好――いわゆる、嫉妬なのだが。

「まぁ、残念ながら、こればっかりは、お前さんにゃあ無理があるか」

「ランサー……貴様、どこを見て言っているかっ!」

「あ? なんだ、お前? まさか、眼鏡のねーちゃんに勝てると思ってんのか?」

「…………」

 何に対してランサーが口にしているのか把握しながら――

 セイバーはちらりと真耶へと視線を向けていた。正確には、真耶の見事な胸部へ、であるが。

 現実を再認識させられたセイバーは、口惜しさに思わず唇を噛んでいた。

「くっ……さすがに、わたしには……」

 無念そうに深く息を吐き、ついと眼を逸らしセイバー。

「セイバーさんも、何を言ってるんですかっ!」

 先から槍玉にあげられる真耶としてはたまったものではない。自身の胸を隠すように更に一歩ほど離れるのだが――

 達観したかのようにセイバーは笑っていた。眼に力は篭っていないが。

「マヤ、あなたは、わたしにはない女性らしさを十分兼ねそろえている。それは誉れ、誇れるものだ」

「眼が笑っていませんよっ!?」

「実に素晴らしい。実に羨ましい。実に見事です。ええ、もげればいいですのに……」

 ぼそりと呟かれた言葉尻を真耶は聴き逃してはいないのだが。さり気なくセイバーは自身の胸に手を当て忌々しそうな表情を浮かべていたりするのも見逃してはいない。

「…………」

 コントのような一連の流れを呆然としたまま見入っていたラウラは、ようやくして口を開いていた。

「その、本当に……()()()()()()……?」

「…………」

 見当違いとともとりかねない問いかけとなるが、彼女の指摘はもっともであろう。

 もとより、ラウラたちが眼の前にしている衛宮士郎の容姿に関し、入室して視界に捉えた時点で皆言葉を失っていたのだから。

 ()()()()()()()()()

 面会謝絶とされていたが、こうもあっさりと顔を会わせることになろうとは。

 更には、今の彼の姿は五日前とハッキリと異なっていた。その最たるものが、髪の色である。赤髪は色素が抜け落ちたかのような白色。加えて、肌の色も一部が褐色に変わっている。

 しかしながら、笑えばいつもの見慣れた彼である。あんなことがあったというのに、何食わぬ顔で、いつものように、何事もなかったかのように振舞われては、キツネに摘まれでもしたかのように拍子抜けしてしまう。

 大前提として、彼はこちらに罵声のひとつも口にしていない。

 故に、再度の問いかけが漏れてしまうのも無理からぬことだった。

「身体は、大丈夫なのか?」

 重篤であったと聴かされていた手前、眼の前に存在する彼の姿は未だに信じられずにいる、というのがラウラの本心である。

 切創、割創、銃創、杙創(よくそう)、内出血に骨折、火傷すらも酷かったと耳にしていただけに。

 こうもあっさりと元気になるなど――

「わたしが……いや、怪我をさせた原因であるわたしたちが、そんなお前の身を労わる、というのもおかしな話ではあるのだが……」

 前置きにそう口にするラウラは恐る恐るといった表情で相手へ視線を向けていた。

「わたしたちは、お前に本当に申し訳ないことをした……いや、してしまった。許してくれなどと言えた身でもなければ、許してほしいとも思ってはいない。だが、それでも、訊かねばならない。身体の怪我は、問題ないのか?」

 驚異的な回復力、では片付けられない原状。どういうわけか彼のISは機能しておらず、そのため備わっているハズである操縦者絶対防御も何の役にも立ってはいなかったのだから。

 それがこうして普通に会話を交わせるまでに回復するなど、特に軍人であるラウラにとっては、にわかに信じられぬものなのだが。

 現に、こうまで見た目に変化が生じている以上、問題ないのか、との問いかけ自体が矛盾している。

「ああ、大丈夫だよ。すまない、心配かけた」

「……衛宮、その髪は……」

 箒の指摘に、士郎もまた自身の髪に触れながら。

「これは、まぁ……なんて言うか……」

 どう返答するべきか迷う彼ではあるが、ちらと視線をセイバー、ランサー、キャスターへと順に向けるのだが――三者三様といった表情を浮かべている。とりわけ面白がっているのはランサーであろう。キャスターに至っては、完全に興味が無いといわんばかりの顔である。助言するような素振りもなければ、自分で勝手にしろと雰囲気が安易に告げる。

 と――

 入室してから一切言葉を発していなかったセシリアが口を開いていた。

「士郎さん……お身体は、もう、よろしいんですのね……?」

「ん? ああ、悪いオルコットにも迷惑かけた」

「……本当に……本当に、よろしいんですのね? ウソ、偽りではございませんわね?」

「ああ」

 再度頷き、こちらを見る相手に対し――

「……そうですの。なら、安心しましたわ」

 そう言って――

「失礼」

 士郎の傍に寄ったセシリアは、腕を振り上げ――

 眼を疑うほどの流れるような挙動。乾いた音は二回鳴っていた。

 苦笑を浮かべるのはランサー。

 眼をぱちくりとさせるのはセイバー。

 キャスターは然して興味すらない顔のまま。

 シャルロットにいたっては、似たようなことを極最近にやったなぁと痛感しながら。

 それ以外の他の者たちは唖然としたまま。

「……オル、コット……?」

 両の頬を叩かれたことに士郎もまた呆然としていたが、次の瞬間にはギョッとした顔になっていた。セシリアは両の瞳にじんわりと涙を浮かべ、肩を震わせているのだから。

「約束、しましたわよね? 必ず、わたくしの前に戻ってきますようにって……約束を違えましたら……わたくし、あなたを許しませんわ、とも申し上げたはずですわよ……?」

「…………」

「それに、それに……決して……決して、無理はなさらないでって……」

「…………」

 今一度、士郎の頬を打つセシリアであるが、先と比べれば力は無い。

「許しません、許しませんわっ……無理はなさらないでって、約束、しましたのにっ……」

 止めようと動くセイバーではあるが、やめておけとばかりにその肩を押さえつけていたのはランサーである。

 士郎もまた抵抗する素振りも見せずに、ただ打たれるだけだった。

「……許し……許……」

 振るう力もなくなり、震える腕はだらりと下がり――

「……本当に……本当に、無事で……よかったですわ……本当に……」

 それが限界だった。

 感情の抑制が決壊し――恥も外聞も無く、堰を切ったようにわんわんと泣き出し彼女。

 セシリアに釣られてか、本音も泣き出し、シャルロットも声を上げて泣き、簪すらもすすり泣く。果ては、真耶にまで『嗚咽』は飛び火する。

 『啼泣』という名の五重奏――

「女を泣かせるとは、なかなかやるなぁ坊主」

 ランサーの軽口すら士郎の耳には入ってはいなかった。



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51

話数飛んでおりません。51話目です。
よくある新展開とか、新章突入てな感じ……か、コレ?


「束さまっ――」

 普段は表立った感情をあらわにせぬクロエではあるが、今この状況においては例外であった。

 思わず洩らした声音には、彼女らしからぬ若干の震えが含まれている。

「――ッ!?」

 ぞくりと背筋に走る悪寒。

 瞬時に身体を捻るとともに、クロエは手にする凶刃を一閃する。

 しかし――

 火花が踊る。

 右脇から振り上げられた一刀を――捌くことは出来ずに、勢いさえ殺すことすら敵わず。

「――っっ」

 至近距離から爆撃でもされたかと錯覚させるほどの衝撃が身体を駆ける。

 そのまま――轟音を奏で、クロエは身に纏う機体ごと、海浜公園の大広場へと叩きつけられていた。

「くうっ……」

 地表をすべり彼女。

 夜の時間帯ともあり、周囲に人影はない。しかしながら、今挙がった音は聴こえた人の耳には確かに捉えられたことであろう。こんな時間になんだろうと不審に感じるハズでもある。

 いたるところから痛みを覚え、機体損傷部分を示す警告文、システムダウンによるエラーが表示されるが、眼には留まりはしなかった。

 今は、一刻も早く、この場から逃げなければならない。

 身体がバラバラにでもなったのかと思わされるほどの鈍痛。声を洩らしながら懸命に機体を起しかけ――

「――――」

 確認する暇さえなく――だが、直前まで居た場所に轟音が叩き込まれたのを理解しながら――横へと跳ねてかわしていた。

 地を踏むと同時に瞬時加速により疾るのみ。

 視界の隅にかすかに映るクレーター。あんなものをまともに喰らっては、いくらISとは言えどどうなるかわかったものではない。

 理解の範疇を超えている現実。相手の繰り出す剣の重さ、威力、速度、ありとあらゆるものに圧倒されているのだから。

 小さく呻きを洩らしながらも、クロエは地を蹴り駆け抜けていた。

 だが――

 真横にぴたりと張り付く小柄な人影。射抜くかのようなセイバーの瞳に――

「――ッ」

 絡みつく恐怖により、クロエの脳裏に警鐘が鳴り響く。

 回転するかのように振り下ろされる剣戟を、クロエもまた呼び出していた近接武装を打ち当てつけていた。

 闇夜に火花が散り、両者の顔を照らすのだが、互いの表情は対照的だった。

 片や焦燥に駆られ、片や冷静に剣を手繰る。

 IS学園から全速を以って逃走しているというのに、追っ手を振り切ることは出来ていなかった。

 と――

 咄嗟に腕のアーマーで刃を防ぐクロエではあるが、刹那に爆ぜる。

 ブレードをぶつけられた衝撃により装甲が爆発するなど在り得ない。

 だが、在り得ないことが現実に起きている。

「くっ!?」

 爆発の衝撃により、クロエは身体を回転させるとスラスターを逆噴射していた。

 しかし、その行動は裏目に出る。

 クロエが反応するよりも遥かに早く、次の動作に移行していたのはセイバーだった。

 一閃――

 横薙ぎに払われた衝撃を受け流すことも捌くことも出来ず、クロエは公園内に設置されている遊具一画へと跳ね飛ばされていた。

 耳障りな鈍音――

 ぶつかる衝撃の凄まじさにより、遊具のひとつであったジャングルジムはひしゃげていた。その残骸から這い出るクロエの表情は恐怖一色である。

 あの華奢な身体、細腕から繰り出される、説明がつかぬこの威力はなんだというのか?

 相手が手にしている武器は、紛れもなく日本の量産型IS『打鉄』が装備する近接ブレード『葵』である。そのデータは隠しようがない。

 しかしながら、クロエが知り得る限りの近接ブレード『葵』とは想像を絶している。こんな馬鹿げた破壊力を有しているなど聴いたことがなかった。特殊換装装備にも該当しなければ、表示されるのは、カスタマイズされているわけでもなく、ただのブレードである。

 いわば第二世代型(アンティーク)ごときに、敬愛する篠ノ之束が手がけた自身の機体(黒鍵)が圧されるなど在り得るはずがない。

 生身で――いや、もしかしたら自分のように、生態ISを処置されているのやも知れぬ。

(この者は、危険すぎます)

 本能的に――

 第六感とでも称する勘が告げる――

 ここまで来れば、直に肌で感じ取ったからこそ理解していた。いや、強制的に、理解させられていた。

 相対するこの女性は、今後必ず障害と成りえることに。それは、まさに脅威と呼ぶほどに。

 そのためには――

「束さまの理想を脅かす者は、すべからく排除しなくてはならない」

 相手が何者であるかわからない。どのようなISを所持しているのかも見当がつかない。

 だがしかし、だからといってこのまま逃げ帰るにもいかぬと悟るクロエは覚悟を決めていた。

 例え己が身がどうなろうとも、刺し違えてでも――如何なる手段を行使してでも、今この場で始末するしかない。

 刹那に――

 ブレードを構え、一気に距離を詰めてくる相手の姿を捕捉したクロエは迎え撃つかのように光弾を放っていた。

 無論の事ではあるが、セイバーにとっては相手に休息を与える暇など考えてはいない。頭にあるのは、今此処で仕留め無力化するのみ。

 クロエにとっては近づかせるわけにはいかない。近距離戦など圧倒的に分が悪すぎる。遠距離から蜂の巣にするように掃射し彼女。

 しかし――

 セイバーは光の弾丸をことごとくを斬り捨て、立ち止まることも臆することもなく――より更に加速し――クロエへと来襲する。

「――っ」

 眼前に迫るブレードに、砲撃を見舞いながら片腕を叩き込む。

 が――

 斬撃により、クロエのISアーマーの片腕が刎ね飛ばされる。

 束が開発した第四世代型ISに装備されている展開装甲を応用した腕を、事も無げに第二世代型ISの近接ブレードで両断されていた。

 勢いに押されたクロエの身体は、地面へと倒れ伏すこととなる。

 絶対防御に包まれているというのに、全身を焼けるような痛みが駆け巡る。特に左腕からの痛みが酷く、痛覚すら感じぬ部分があった。恐らくは折れているのだろう。機体すらもほぼ半壊といった中、彼女は恐る恐ると顔を上げていた。

 無様に倒れ込んだクロエに手を差し向けるかのごとく、ブレードを握るセイバーは静かに告げる。

「何故、シロウを狙う?」

 喉元に突きつけた切っ先が月の光に煌く。

「目的はなんですか? 答えなさい。返答如何によっては容赦はしません」

「…………」

 ごくりと固唾を嚥下し、頬を汗が伝うが、クロエは応えない。

 黙秘を通す相手の態度に、口を割らせようと今一度警告を発しようとして――事態は急変する。

「――っ!?」

 唐突に――

 僅かに反応が遅れたセイバーの真横から超高速で迫ったのは、例えるならば銀の彗星だった。

 超音速飛行で体当たりするかの如く、白銀の機体はセイバーを押し潰さんとばかりに襲いかかっていた。

 臓腑を抉るかのような痛覚、ごぎんごぎんと何処かの骨が軋む音を耳にしながらも――不意を衝かれはしたが、セイバーとて無抵抗ではない。

 衝撃を受けつつ、取り落としていなかったブレードを白銀めがけて叩き伏せるように剣戟を見舞う。

 だが、バイザーで顔を覆う白銀は、背負う六枚の翼を盾のように眼前に展開すると、その一撃を見事に受け止めていた。

「――っ」

 ついで、セイバーは僅かに呻きを洩らす。

 振りかぶった衝撃により、わき腹に走るずきりとした痛み。同時に、ブレードを受け止めている白銀の翼は一部がスライドしていた。そこから覗くのは砲口である。

「しまっ――」

 意識を切り替えるよりも早くセイバーの身体は反応していた。白銀の腹を蹴り飛ばし、自身は後方へと跳び無理やり間合いを離させる。刹那の間を置かずに、一帯は翼から放たれていた光弾が爆裂していた。

 熱波と爆風を浴びながらも、後一瞬でも遅かったらと感じるセイバーは体勢を整え着地し、駆け出そうとして――その身は動きはしなかった。

「身体が――」

 凍結したかのように動かぬ身体。足も動かず、ブレードを握る指先一本すらぴくりともしない。

「これは、まさか――」

 ラウラが有する機体に搭載されている慣性停止結界(アクティブ・イナーシャル・キャンセラー)と同じものかと判断する。

 懸命に身体を動かそうとするのだが、地面に縫い付けられたかのように、完全に自由を奪われ停止したセイバーめがけて、頭上から白銀の機体のはためく光の翼から、いくつものまばゆい珠が吐き出されていた。

「――――」

 防ぐことも避けることもできず、セイバーは迫る光弾を前に歯を食いしばることしか出来なかった。

 が――

「セイバーっ!」

 彼女の耳に響くのはラウラの声だった。

 眼前には数発のグレネード弾が光の珠の進路を塞ぐように滑り込むと、爆発が起こる。

 グレネード弾とエネルギー光弾がぶつかりあい、昼間かと思えるほどの光明が海浜公園を包み込む。

 さすがにラウラとて降り注ぐ光弾を全てを撃ち落とすことはできていない。だが、立ち込める爆煙によってか、セイバーを拘束する見えない力は消失していた。

 自由を取り戻した彼女の行動は迅速である。瞬時に後方へと飛び退きかわすと、入れ替わるように瞬前まで居た場所が光弾により爆砕する。

「無事か、セイバー!」

 セイバーの隣へと降り立ったラウラは、訓練機ISである『ラファールリヴァイヴ』を身に纏っていた。白銀の機体へいつでも射撃を出来るようにアサルトライフルを構えたまま。先のグレネード弾を撃ち放ったのも彼女である。

「ええ、すみません、ラウラ」

「……状況がわからん。簡潔に説明しろ」

 学園外でISを展開するなど大問題となる。それは十二分に理解しているラウラではあるが、状況が状況であるがために、そんなことには構ってなどいられなかった。もはや、後はどうにでもなれという考えはいき過ぎであろうが。

「詳しい話は後で。今は、あそこにいる者を拘束せねばなりません」

 セイバーの言葉に――頭上に陣取る白銀に注意しながらも、ラウラはこの場にもうひとり存在するのを捉えていた。

 損壊したIS――データ照合してみても該当しない機体を纏う少女を。

「アイツを捕らえればいいのか?」

「はい。あの者から話を訊き出さねばなりません。それとラウラ、気をつけてください。新手は、もう一体います」

 その発言に、ラウラは眉を寄せていた。

「もう一体だと?」

「ええ。わたしの身体は突然動かなくなりました。おそらく、あなたのISが持つAICに似たような装備を所持している機体がどこかにいるはずです。動きを封じたところを先の銀の機体が攻撃を担ったのでしょうが、ラウラが来てくれたおかげで助かりました」

「ハイパーセンサーに反応はない……ステルス機能搭載のISというわけか……厄介だな」

「来ます!」

 輝きを増す六枚の光の翼。降り注ぐのは光の珠。

 セイバーとラウラを殲滅させるが如く、高速移動からなる広域射撃武器――

 六枚翼から撃たれる光弾を見て、ラウラにとってはこの戦闘スタイルは眼にした覚えがあった。

 彼女の脳裏に思い浮かぶのは、とある機体である。

「攻撃と機動に特化した機体かっ――これでは、まるで」

 『銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)』ではないか――

 胸中で叫ぶラウラではあるが、確証などない。自分が知る限り、こんな機体は見たことがなかった。『銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)』の姉妹機、または同型機が存在する話も聴いたことすらない。

 とはいえど、この状況で強制的に理解させられていることは二点であった。一点は、『銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)』と同じか、もしくはそれ以上の機体性能を有していること。それともう一点は、この機体を操る操縦者は、どういうわけかこちらに完全なる敵意を向けていることだった。

 見境なく光弾による爆砕を繰り返す中、狙いをセイバーに決めた白銀は超高速で強襲する。

 しかし――

 両の手にマシンガンを握るラウラが許しはしなかった。

 銃火器の掃射によってセイバーから距離をとらせたところへ、彼女もまた瞬時加速により近接武装で斬りかかる。

 邪魔をしたラウラを標的に変更した白銀は――だが、瞬く間に剣戟を弾いていた。

「――っ、機体が重い」

 扱い慣れた専用機(シュバルツェア・レーゲン)と比べ、その反応速度には若干の誤差が生じる。ISとはいえ、訓練機は所詮訓練機でしかない。ラウラの反応速度に、機体自体が追いつけていなかった。

 あげく、敵対する機体の性能は圧倒的に上だと把握させられる。

「ちいっ――」

 訓練機では分が悪すぎる。操作性――いわゆる使い慣れた愛機であるからこそのクセが存在する。

「――っ」

 コールが遅れながらも、手中に生まれた近接ブレードで相手の砲撃をいなしにかかるラウラではあるが――

 相手機体は紙一重でかわし避けていた。

 と――

 ほんの僅かにブレードを薙ぐ戻りの隙を見逃さず、加速した白銀の機体はラウラの腹に蹴りを叩き込んでいた。

「ッッ!?」

 腹部に突き刺さるかのような衝撃に、ラウラの身体は苦痛により『く』の字に曲がる。

 そのまま――

 零距離からの砲撃で蹴散らすかのように、光の翼がはためくが――光弾を放つことが出来なかった。

 横合いから高速で襲いかかるのはセイバーである。今まさに、ラウラに撃ち放とうとしていた六翼のうち二翼を、そうはさせるかと一刀のもとに斬り捨てていた。

 セイバーの剣戟は停まらない。

 返す刀で逆の一翼もまた断ち斬ると、更に首を斬り落とすかのごとく振るわれる一閃を――白銀の機体は僅かに身をよじり回避に移る。

 だが――

 かわしたと思われた一刀は、かわしきれていなかった。

 音を立て――

 顔を覆っていたバイザー型のハイパーセンサーが砕け散っていた。

 あらわになる貌。艶やかな金の髪が外気にさらされ、なびくさまは舞うかのように。

 セイバーにとっては見知らぬ女であろう。だが、ラウラに至ってはそうではない。

「お前は――」

 彼女は、その操縦者を知っている。

 アメリカ国籍、ISテストパイロット、『銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)』の登録操縦者、名をナターシャ・ファイルス――

「――『メタトロン』」

 敵意を剥き出しに、睨みつけるナターシャの言葉に応じるように、白銀の機体は残る翼を鞭のようにセイバーへと叩きつける。

 瞬く間にブレードの剣身で受け止め彼女。

 援護に回るようにラウラが射撃で応戦するが――同時に、セイバーとラウラはその場から飛び退いていた。

「っ、新手か!?」

 真逆の方角からの砲撃――

 砲撃箇所を瞬時に割り当てると、ハイパーセンサーを駆使したラウラはそちらへ向けてアサルトライフルを構え――

 刹那に、ラウラは息を呑むかのように、砲撃の手は停まっていた。

 その隙を見逃さず、ナターシャの機体はエネルギー弾の雨を降らせていた。

 と――

 棒立ちとなっているラウラを突き飛ばすかの如く、横から抱きかかえるようにセイバーは疾っていた。

「なにをしているのですか、ラウラ! 動きを停めるなど、的になるだけですよ!?」

 叱咤するセイバーではあるが、ラウラはその声を聴いていなかった。

「何故だ……」

「ラウラ?」

 腕に抱かれ、ぼそりと呟くラウラにセイバーは声をかけていた。

「ラウラ、一体どうしたというのですか? あの者を知っているのですか?」

 誰何されるが――ラウラは応えはしなかった。否、応えることができていなかった。なぜならば、彼女は周囲の声など耳には入っておらず、向ける瞳には、信じられないものを映しているのだから。

 月明かりを背に、滞空する黒の機体。

 その機体を纏う搭乗者の顔を、ラウラは知っている。もとい、黒の機体に身を包む者の顔を知らぬハズがない。

 結果――

 ラウラの口は自然と動き、驚愕といった表情へと変わる。

「何故だ――」

 自分が、見間違えるハズがない――

「何故、お前がここにいる――」

 自分が、見忘れるワケがない――

 その機体を、その搭乗者の顔を――

「クラリッサっっ!」

 震えるラウラの叫びに――だが、クロエを抱きかかえ、『シュヴァルツェア・ツヴァイク』を纏うクラリッサ・ハルフォールは、冷ややかな瞳を向けてくるだけだった。



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52

現在の展開は、こちらの考えた通りに進めています。


 同時刻――

 自国イギリスの地にて、技術開発局へのあいさつ回りを一通り終えたセシリアは、ティールームにてようやくくつろげたことに安堵の息を漏らしていた。

 ソーサーに乗せられていたカップを手に取ると、彼女は紅茶を一口啜る。

「…………」

 不味い――

 口にした瞬間に、安物を使っていると彼女は判断していた。これならば、IS学園の養護教諭の淹れた紅茶の方が圧倒的に美味い。いや、比べるまでもない。

 いまいちな味にカップを戻し、顔を向けセシリア。

 席の対面に座るのはランサーである。彼は脚を組み、頬杖をつきながら行き交うスタッフへ見るともなしに視線を向けていた。

 同様に、ふたりは逆にスタッフからの視線も浴びている。代表候補生でありBT一号機の搭乗者であるセシリアはもとより、そんな彼女と一緒にいるランサーには好奇の眼が向けられていた。

 もともと持ち合わせている端整な顔立ちに加え、そこらにいる男性連中とは明らかに一線を画く野生的な雰囲気を漂せては、女尊男卑とはいえども女性たちはつい一目置いてしまっていた。

 ふたりはどんな関係なのだろうか?

 歳の離れた兄妹、恋人同士、行儀の悪い従者、セシリアとランサーが知らぬ外では多種多様な見られ方をしていたりするのだが。

「…………」

 思わず、彼女はじっと見入ってしまっていた。

 よくよく考えてみれば、セシリアはこんなに近くでランサーと居合わせることなどなかったものだ。しかも、ふたりきりで、である。

 クラスメイトの会話を、彼女は今更ながらに思い出していた。

 同年代の一夏や士郎といった彼らとは違う大人の男性。奔放で口は悪いが、そこに愛嬌があり面倒見が良いとの評判が高い。さっぱりとした性格ながらも、そこがまた魅力だという話も耳にしている。

 初対面時には、ランサーの言動や行動に嫌悪感を抱いていたセシリアではあるが――

(確かに、こうまじまじと見てしまいますと、彼女たちの言っていることも理解できますわね……)

 それなりに人気があるのも頷ける。密かにファンクラブなるものが存在するのも彼女は知っている。

 とはいえど――

(ですが……だからといって、女性をとっかえひっかえなさるのは、いかがなものかと思いますけれど)

 節操のなさがいただけないと彼女は指摘するのだが、セシリアとてその点に関しては誤った認識でしかない。確かにランサーが生徒、あるいは教員に声をかけているのは事実である。しかしながら、全てが全て、ではない。

 逆に、生徒からランサーに声をかけてくるケースが多かったりもするのが現状である。

 形上ではIS学園に在籍三人の男性操縦者。その中でもひとり大人であるランサーの存在に、生徒たちの興味が無いわけがない。無論、男がISを起動させることが面白くないと感じる生徒も存在する。

 だが、そういった連中を差し引いたとしても、学園内で彼は人気があるのだが。

 とりわけランサーと話をしている女生徒たちは至極嬉しそうに。嫌がる素振りも見せずに、それなりに楽しんでいる。

「…………」

 考えるともなしにひとつの席を男女で座る現状に、ついセシリアは、ランサーと恋人であったならばと想像していた。

 気さくな性格ではあるのだが、こと戦闘時においては信念を貫く武人と化す。なによりも、女尊男卑と化したこの世界で、男性でありながらも女性に対し卑屈になる姿を一切見せずに、言いたいことはずけずけと口にする態度は評価している。もっとも、女性優遇社会という根本的な認識が通用していないものもあるのだが。

 女性に対してのだらしなさはありながらも、それを見越したとしても――

(ま、まあ、年上の男性というのも、わ、悪くはないですわね……)

 次に彼女は、これが一夏であったならばと想像していた。

 以前、夏休み時に一夏の家に遊びに訪れたセシリアであるが、そこでケーキの食べさせ合いっこをしたのを思い出していた。あの時はいろいろと邪魔が入ってしまったが、その延長上とばかりに妄想に徹する。

 状況は自宅に伺う直前まで耽っていた桃色な妄想である。何故かベッドに腰掛ける自分と一夏。自然とふたりは寄り添うと――

 セシリアは頬に手を添えると、ブンブンと頭を振っていた。

(い、いけませんわ、一夏さん……わたくしにだって、こ、心の準備がございましてよ。き、きちんと手順は踏んでいただかないと困りますわ)

 だが、妄想内での彼女は一夏に耳元で甘く囁かれてしまえば即陥落であろう。

(も、もう、一夏さんたら、強引なんですから……でも、そんなところもワイルドで素敵ですわね)

 思わず頬がニヤけてしまう。人目がなければ涎まで垂らしそうなほどに弛みきっていたことであろう。

 が、先からひとりだらしない顔をしていたりする姿は行き交うスタッフにバッチリと見られているということに彼女自身は気づいていない。

(…………)

 ならばもうひとついでとばかりに、三度想像する相手は士郎である。

(……士郎さんならば……)

 デートさながらにカフェにて名前で呼び合い、仲睦まじく過ごす姿を想像し――

 先のランサー、一夏以上に、セシリアは頬を紅潮させていた。

「――っ」

 たったそれだけのことを妄想しただけで、セシリアは一際赤面する。

 屈託のない笑顔の士郎を思い浮かべただけで、胸はドクンドクンと早鐘を打つかのごとく、激しい鼓動。

(な、何を考えてますの、わたくし……そ、そもそも、先から三人を比べるようなマネをして……こ、これでは、お尻が軽い女ではありませんことっ!?)

 だが、冷静になろうと意識すればするほどに、逆に脳内での映像は更に鮮明となっていく。

 思い浮かべる男の顔は――

「――ッ!!」

 妄想を打ち消すように、勢いよくカップの紅茶を口に含んだセシリアは――熱さで舌と咥内を火傷する。

 激しく咽、テーブルに添えられていたナプキンを慌てて手に取り口元を拭い彼女。

 液体が気管に入ったことと、口の中はひりひりとした痛みにより、若干涙目になりながらも視線は対面へと向けられていた。

 恥ずかしく、みっともない姿を晒したと感じた彼女ではあるのだが――

「…………」

 退屈そうに、ランサーは欠伸をひとつ。

 彼は、セシリアの今し方の一連の動きをまったく見てはいなかった。

(なんと言いましょうか……見られていなかったことが良かったのか、見られていたことの方が良かったのか……わかりませんわね……コレは……)

 ひとり馬鹿みたいな奇行に彼女の意識は沈んでいく。

 対照に、セシリアに同行し、イギリスへと訪れたランサーではあったのだが……彼は、疾うに飽きていた。

 彼女が専用機の修復を依頼してからというもの、関係者は軒並みランサーへアプローチをひっきりなしに続けていた。

 個人データを取らせてくれと言われるのはまだいい方である。中には専属契約の話を持ち込んでくる者までいる始末であった。

 もっとも、スタッフたちがこうまで躍起になるのも無理からぬことであろう。

 一部の人間はランサーのIS操作能力が著しく高いことを知っている。加えて、代表候補生であるセシリアとともにどういうわけかイギリスにやってきたともなれば、連中にとっては接触するまたとないチャンスであるのだから。

 パーソナルデータやIS搭乗稼動データ採取など、『お願い』というよりも『命令』に近い。

 不躾な申し出が多かったことは否めなかった。

「あの……ランサーさん……その、申し訳ございませんわ」

 そういったことに関して機嫌が悪くなっているのだと感じたセシリアは、つい謝罪の言葉を口にしていた。彼女から見ても、関連スタッフたちの言動は眼に余るものがあったために。

 だが、目線を合わせぬままにランサーは返答する。

「別に、オルコットの嬢ちゃんが謝ることじゃねェよ」

「ですが――」

「そもそも、嬢ちゃんに付いて来たのは、個人的な理由に寄らぁ。気にすることじゃねぇっての」

「……ですけれど、わたくしに付き合うのも……なんでしたら、気分転換に観光などされてはいかがでしょうか」

 わざわざ自分に付き合うのも気が引けた彼女は、ランサーの息抜きも兼ねてそう進言するのだが。

 やはり目線を合わせることもなく、頬杖をついた彼は気だるそうに応えるのみ。

「いや、()()()()()()()()()()()()()()()

「?」

 理解しかねる返答に、思わずセシリアは小首を傾げていた。

 と――

「久しぶりですわね、ミス・オルコット」

 唐突に声をかけられたセシリアはそちらに顔を上げてみれば――

「アナタは」

 そこには、優雅に青いドレスを身にまとい、見事な縦ロールの金髪をなびかせる少女が立っていた。

 その少女をセシリアは知っている。故に、その名を口にしていた。

「ええ、お久しぶりですわ。ミス・エーデルフェルト。ですが、こんなところでアナタに会うなんて奇遇ですわね……こちらには、何か御用があって?」

 そう訊ねるセシリアではあったが、エーデルフェルトと呼ばれた少女は鼻で笑っていた。

「あら、どうやらその様子ですと、何もご存じないようですわね?」

「?」

「ミス・オルコット、わたくしも代表候補生になりましてよ」

「…………」

 その言葉に――

 僅かながらにセシリアの表情に変化が生じていた。。

「それは……おめでとう、といわせていただきますわ」

「……ミス・オルコット、確かに貴女はBT一号機をお受けになられていますが……だからといって、いつまでも上だと思わないことですわね」

 上から目線の物言いと捉えた少女はフンと鼻を鳴らす。

「国家代表になるのは、このわたくしですわよ」

「……わたくしとて、譲る気はございませんわ」

「結構……ところで」

 そこで彼女の視線は、ようやくして同席しているランサーへと向けられていた。

「こちらの殿方はご紹介してはいただけないのでしょうか? お名前を伺ってもよろしくて、ミスタ?」

「これは失礼いたしましたわ」

 席から立ち上がると、セシリアは手をランサーへと差し向けていた。

「ミス・エーデルフェルト、こちら、日本から来られたランサーさんですわ」

 ついで、今度はエーデルフェルトへ手を差し向ける。

「ランサーさん、こちら、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト――わたくしと同じように、代表候補生となられた方ですわ」

 セシリアの紹介を受けて、スカートの端を両の手でそれぞれ摘んだルヴィアゼリッタは恭しく一礼する。

「お初にお目にかかりましてミスタ。わたくしは、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。ご紹介にあずかりましたように、フィンランドから、ここイギリスの代表候補生となりましたの。以後、お見知りおきを」

「フィンランド?」

 告げられた国の名を聴き、ランサーはつい眉を寄せていた。

 脳裏の知識から、フィンランドが北ヨーロッパの北欧諸国のひとつであることを引っ張り出しながら彼。

「自国の代表候補生じゃねぇのか?」

「ええ、我が祖国フィンランドであれば、国家代表となるのは自明の理。ですが、ここイギリスが着手している第三世代型であるBTシリーズの可能性に、わたくしは大変興味を惹かれましたの。そして、このわたくしにこそ、相応しい機体であると確信いたしましたのよ」

 故に、イギリス国家代表を目指すのだという。

 一応として志しは立派ではあるのだが、イギリスのISに携わる関係者の間ではルヴィアゼリッタは別の意味で有名な少女であった。

 自身で告げるように、IS適性能力は極めて高い。加えて、フィンランドではエーデルフェルト家は名族であり、誇り高く優雅で気品に溢れ、容姿端麗、成績優秀と非の打ちどころのないそんな彼女へ一部の人間たちからは『地上で最も優美なハイエナ』と評されている。

 更識楯無も日本人でありながらロシアの国家代表であることを思い出したランサーは、必ずしも出身国が絶対であるとは限らないことも悟ると、つまりはそういうことなのだろうと理解していた。

 ルヴィアゼリッタは続ける。

「ミス・オルコット……貴女がこちらへ戻ったのも、一号機の修復と……大方、三号機の件でしょうけれど」

「…………」

 セシリアを蔑視したように、彼女は態度を一変させる。

「IS学園での入学時の貴女の噂、聴きましてよ? 近接武装のブレード一本しか持たぬ機体相手に随分と油断した挙句、失態を曝したようですわね」

「…………」

 事実であり耳が痛い。

 何も言い返さぬセシリアに、無言を肯定と捉えた相手は続ける。

「わたくしならば、もっと優雅に乗りこなしてみせましてよ? まぁ、貴女にとってはデータをサンプリングするためだけの試作機である一号機がお似合いでしょうけれど。ですが、後者の件でしたのならばお生憎さま。残念ながら、BT三号機である『ナイツ・オブ・ラウンド(円卓の騎士)』は、わたくしに決まりでしてよ?」

「三号機……三号機の搭乗者は、アナタに決まりましたの? 聴いておりませんわよ」

「それは、貴女に言う必要などないのではありませんこと? 順当にいって、このわたくし、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトにこそ、BTシリーズの最高傑作である三号機を承る資質があるのは当然でしてよ」

 セシリアとなにやら言い争うルヴィアゼリッタに対し、ランサーは眼を細める。

 負けず嫌いなのか、どこか攻撃的な性格を相手から感じ取る彼は、自身が知る中で、とある者と姿を重ね合わせていた。

(にしても……なんつーか、どこか凛に似たようなヤツだな、コイツは……)

 金髪版の遠坂凛を髣髴させるとの答えに行き着いたランサーではあったのだが――

(それはさておき、このふたり……金髪に縦ロールってのは、キャラ被りじゃねェのか?)

 そんな俗なことを考えていたりするのは余談である。

「代表候補生としては後れをとりましたけれども、これで対等ですわ。いえ、どんなに貴女が無駄な努力をなさろうとも、国家代表は、このわたくしに決まりでしょうけれど。所詮、一号機と二号機はプロトタイプ兼テストタイプでしょう。ですが、三号機こそが本物のBT機体となりましてよ」

「……なぁ」

 聴くともなしにふたりの会話を耳にしていたランサーは、表情に変化を生じさせることもなくぼそりと呟く。

「俺が聴いてたところによるとよ、三号機ってのは、乗り手がまだ決まってねえって話だが?」

 話に割り込んでくるランサーに――だが、ルヴィアゼリッタは嫌な顔ひとつせず、逆に意外だといった表情を浮かべていた。

「ええ、よくご存知でして。確かに、三号機に関する話に些かの齟齬は生じていますけれども……ですが、それこそ些細なことでしてよ。遅かれ早かれ、三号機はこのわたくし、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトにこそ乗り手に相応しい機体ですわ」

「なるほどな」

 そういうことかと頷くランサー。

 ルヴィアゼリッタはそんな彼へ逆に問いかけていた。

「しかしながらミスタ? 関係者しか知らぬ極秘事項を何故ご存知ですの? 大方、ミス・オルコットがお話したのでしょうけれど、情報漏洩とは感心致しませんわね」

「別に大したことじゃねえさ。俺にその三号機のテストパイロットにならねぇかって話が、嬢ちゃんトコのここ(イギリス)から来てんだよ」

「あら、そうでしたの。これは失礼」

 しれっと答えるランサーに対し、ルヴィアゼリッタもまた頷き返し――

『はあっっ!?』

 若干の間を空けてから、声を揃えて訊き返していたのは、ルヴィアゼリッタとセシリアであった。

 特に、セシリアにとっては正に『寝耳に水』であろう。

「な、何ですのソレ……聴いていませんわよっ!?」

「そりゃそうだろ。極秘だとか言ってやがったし。あぁ、言っちゃマズかったんだっけな、コレ」

 声を荒げるルヴィアゼリッタではあるが、ランサーは格別気にするわけもなく頭を掻いていた。

「ラ、ランサーさん……それで、その……う、受けましたの? その話……」

 以前にイギリスの通信者からの話と、だから此処に居るのかと合点がいくセシリアではあるのだが、彼女もまた眼を白黒とさせている。いくらISの操作に優れた男性操縦者とはいえど、表立った通達もなく水面下で他国の専用機を受領したともなれば大問題となろう。

 昨日までは何事もなく、だが日をまたいだ途端にどこかの国の代表候補生になりました、などと宣言されてしまっては各国は黙ってなどいるハズもない。

 下手をすれば、国家代表にもなりかねないがために。

 表立っていないといえば、各国が喉から手が出るほどに欲する人材は合計で五人である。

 一夏に箒、ランサー、セイバー、それと士郎である。

 最初のふたりに関しては、所属する国家もなければ、所持するISが現在何処の国家も企業も辿り着けていない未知の領域である第四世代型であること。加えて、ひとりは『世界最強』と呼ばれる織斑千冬の弟であり世界初と公表された男性操縦者。ひとりはISのコアを造った自他共に認める『天災』篠ノ之束の妹ということが対象であるといえよう。

 ランサーは男性操縦者の中でも取り分けIS能力が高く、訓練機でありながらも学園祭時に亡国機業とのめまぐるしい戦闘結果を刮目されている。

 セイバーに至っても同様に、その戦闘能力は極めて高く、特に近接戦闘には眼を見張る実力を秘めている。

 最近では、どこから情報を仕入れたのか、ここに来て士郎の評価を再認識している国も多い。

 未だ状況が飲み込めていないセシリアに対し、ランサーは不思議そうに問いかけていた。

「あ? オルコットの嬢ちゃんには言ってなかったか?」

「き、聴いておりませんわよ! 初耳ですわ!」

「そうか? 悪かったな」

 言って、それ以上ランサーは何も口にはしなかった。この話はこれで終わりだという雰囲気に――納得できていないのは、何を隠そうルヴィアゼリッタである。

「お、お待ちなさい、ミスタ……どういうことですのっ!? 三号機に乗るというのは……いえ、それ以前に、どうして男性が三号機に乗るというんですのっ!? ISは男性には扱えないハズでしてよっ!? 説明なさい、ミス・オルコット! 田舎者である貴女の従僕風情が何故――」

 と――

 そこまで口にした時点でルヴィアゼリッタの表情は固まっていた。双眸は、まさかと訴える。

 それに応じるかのように、答えたのは些か冷静さを取り戻したセシリアであった。相手の言い方が癪に障っていたために。

「ミス・エーデルフェルト……アナタこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「……どういうことですの?」

「こちらにおられるランサーさんは、男性操縦者のおひとりでしてよ?」

「――ッッ!?」

 この言葉に、ルヴィアゼリッタは本格的に息を呑む。

「その様子ですと、本当に何も知らないようですわね? それと、わたくしのことを如何様に仰っても構いませんわ。ですが、彼を侮辱する発言は、一切許しませんわよ」

 売り言葉に買い言葉、とはこのことか。

 イギリスの名門貴族であるオルコット家を田舎者呼ばわりされたことよりも、ランサーを従僕呼ばわりしたことがセシリアは気に入らなかった。

 そんな彼女の胸中とは別に、ランサー自身は特別感情に変化はない。従僕とはサーヴァントの自分にとって似合いの言葉だと内心納得していたりする。

 加えて、子供のお守で同行している彼にとっては尚更であろう。

 じっとこちらを見入るランサーの不躾な視線にルヴィアゼリッタもまた瞳を向ける。

「ミスタ、なにか?」

「ああ、いやな、随分とまぁ美人な嬢ちゃんだと思ってよ。つい見蕩れちまってた。気を悪くしたンなら謝るさ。悪ィ悪ィ」

「あら、このわたくしの美しさを理解できていることに関しては褒めて差し上げますが、その言い方は評価に値しませんわ。もっとも、このわたくしの気品を感じない輩の方がどうかしていますけれど」

 言って、口元に手の甲を当て高らかに笑うルヴィアゼリッタ。

 いやまったくだと相槌を打つランサーではあるが、その眼は笑ってはいなかった。

 サーヴァントたる彼の本能が先から捉えていたのは『魔力』である。それは、眼前に立つルヴィアゼリッタから感じ取っていた。

(この女、魔術師の類か……?)

 愛想笑いを浮かべながらもそれなりに詮索するランサーではあるのだが――

(にしちゃぁ……杜撰すぎるか)

 仮に本当に魔術師だとした場合、雰囲気に違和感がある。

 慎重かつ警戒さを感じない。感情のみの言動が極めて目立つ。更に言えば、こちらがサーヴァントであることを知った上で敢えて近づいているのかといった憶測すら混ざる。

 何故にこの女から魔力を感じるのか、今この時点で判断する確たる証拠は得ていない。

 が――

 高笑いに興じていたルヴィアゼリッタではあるが、話を逸らされたことに気づくとその眼を吊り上げていた。

「ミスタ! 話を誤魔化すのはおやめなさい! どういうことですのっ!?」

「どうもこうも、今言ったとおりだってのよ。ちょいとワケありでオファーが来てたもんでな。それも兼ねて、一応付いて来たんだが……乗り手は嬢ちゃんに決まったんだってんなら、俺が此処に居るのも意味ねぇワケだ」

 言って、ランサーは席から立ち上がっていた。

「つーことでだオルコットの嬢ちゃん、俺ぁそこらブラついて来るんで、後は頼まぁ」

 ひらひらと手を振り退席しようとする彼に――

「……お、お待ちなさい」

 呼び止めるのはルヴィアゼリッタ。だが、呼び止めたからといって表情は困惑の色を浮かべるのみ。

「だ、誰が、そう仰ったんですの?」

「政府のお偉いさんがどうとか言ってやがったが……話半分で聴いてたもんでな、名前までは覚えちゃいねェよ」

「…………」

 この発言に、一気に顔色を悪くするのはルヴィアゼリッタである。

 どんな形、結果であれ、今この場でのやり取りを公言されるなど、彼女にとっては痛手となる。

 ありのままとはいえども、人に伝わる内容に、尾びれ背びれがついて話がよりややこしくなってしまってはどうにもならない。

 政府から直々に呼ばれた、いわばゲストに対し、一代表候補生が難癖をつけて三号機の話を取り消しにさせたことが発覚しようものならば、処罰がくだされぬわけがない。

「…………」

 だが、だからといって、彼女――ルヴィアゼリッタには承服出来かねる話であろう。

 三号機こそ、自分が乗り手に相応しい機体だと信じて疑わぬのだから。

「な、納得いきませんわ……何の間違いでISを起動させることが出来たのかは知りませんが、身の程を弁えた方がよろしくてよ?」

 ならば、結果を示せば誰もが納得できる事実となろう。

 観衆の面前で、完膚なきまでに叩きのめし、自身の実力を示せば何の憂いも存在しない。

「このわたくしと手合わせ願えまして、ミスタ?」

 しかしながら、この言葉に待ったをかけたのはセシリアである。彼女は相手の考えを容易に見抜けたからだった。

「ミス・エーデルフェルト、彼は、アナタよりもIS操作能力は極めて高いですわよ」

「あら、それはどういう意味でして? ミス・オルコット?」

 セシリアのこの言葉にはカチンと来たのだろう。腕を組み、笑みを浮かべながらもルヴィアゼリッタは反論していた。

「その言い方ですと、まるで、然もわたくしが劣ると仰ってるようにしか聴こえませんけれど?」

「否定はしませんわ。しかし、面白半分に彼を見下すのはおやめになられた方がよろしくてよ? 学園にて幾度となく模擬戦をお受けいただけましたが、実力は相応ですので」

 アナタの思う通りには行かないと眼で告げるセシリア。

「それは、貴女が単純に弱いからではなくて?」

 フンと鼻を鳴らし、侮蔑の双眸でルヴィアゼリッタ。だが、セシリは頷いて見せていた。

「ええ、アナタの言うように、わたくしはまだまだ未熟ですわ。それは認めましてよ。学園にて、それが嫌なほどにわかりましたもの。ですが、これだけはハッキリと言えますわ。()()()()()()()()()()()()()?」

 セシリアなりの挑発を含むその言い回しに、ルヴィアゼリッタの表情は僅かに強張っていた。

 が、それも一瞬のこと。

「……しばらく見ない間に随分と丸くなられたようですわね、ミス・オルコット。何があったのかは存じませんが、わたくしは貴女のような腑抜けとは違いましてよ」

 そう言うと、彼女は視線を今一度ランサーへと向け直していた。

「いかがかしら、ミスタ? お話を聴く限り、ミス・オルコットとは勝負なされて、このわたくしとはお相手いただけないのかしら?」

「…………」

「上層部からスカウトされるなど、余程ISの腕が立つのだとお見受けいたしますわ。それに、ミス・オルコットよりもお強いのでしょう? ならば、御指導、御鞭撻を含んだ上で、是非とも、このわたくしとお手合わせ願えませんこと?」

「…………」

 無言のままランサーの視線はセシリアへと向けられる。

 セシリアもまた無言ではあるが、首を静かに左右に振っていた。相手にするなと物語る。

 だが――

 自信に満ち溢れたルヴィアゼリッタに対し、ランサーは格別思うこともない。

「いいぜ。やるってんなら、俺は別に構いはしねーよ」

「決まりですわ」

 言質をとったとばかりにルヴィアは告げると、早速訓練施設を空けるように話をつけてくるとその場を後にしていた。

 彼女がいなくなったのを見計らい、声を荒げるのはセシリアである。

「ランサーさん、どうして!? 何も、彼女に無理に付き合う必要もございませんのよっ!?」

 相手にすることはないと言ったではないかと食ってかかるセシリアに対し、ランサーは苦笑するのみ。

「んなこと言ってもなぁ……見ててもわかるじゃねェか。ああいうタイプは、言い出したら聴かねーぞ」

「……それは、そうですけれども……だからといって……」

「正直言やぁ別に三号機がどうこうなろうが俺には関係ねェし、興味もねェんだよ。あの嬢ちゃんが乗りてぇってんなら、素直に乗せてやりゃぁいいだろーによ」

 欲しいというならくれてやればいいだけだろうに、何か問題があるのかと零す相手にセシリアは頭を痛める。

「……問題大有りですわよ……ランサーさん、あなたが考えるように、事はそう簡単にはいきませんのよ。わたくしとて、『ブルー・ティアーズ』を受け取るために死に物狂いでしたもの」

「代表候補生ってのは、面倒くせぇモンなんだな」

「…………」

 面倒くさい、とは嫌味な言葉だとセシリアは捉えていた。

 幾度となくランサーとの模擬戦を経た彼女ではあるが、まともな勝利を手にしたことはない。

 『ブルー・ティアーズ』は射撃を主体とした機体である。どんなに距離をとろうとも、ランサー相手にはまったく意味がない。しかも、訓練機である『打鉄』を身に纏っていながら、真っ向からレーザーライフルやビットの雨を容易に掻い潜っては間合いを詰められてしまう。

 正に自身の手足のように扱い迫るさまは脅威となる。

 IS稼働時間では言うに及ばず確かに勝っている。にもかかわらず、技術、実力、精神力、全ての面において劣っているのは紛れもない事実である。

 セシリアに嫉妬がないわけではない。

 悪い言い方をしてしまえば、何も知らないぽっと出の男に、血の滲むような努力を積み重ねてきた自分があっさりと抜かれてしまう姿を認めることなど屈辱以外の何物でもない。

 逆に、自分が欲するものを持っていることに対する憧れもまた強い。

「…………」

 自然とスカートの裾を握り締めていたセシリアは吐息を漏らす。

 確かに、ランサーはISを動かせる男性のひとりである。しかしながら、一男性操縦者だからといって機体の権利を譲り渡す話が出ているなどと聴かされては、さすがのセシリアも表立った行動言動には出さずとも思うことはあろう。当然ながら、それは良いものもあれば悪いものをも含む意味で、であるが。

 ルヴィアゼリッタの言い分がわからなくもない。立場が逆であったのならば、自分もまた納得など出来ていない。

 理解出来る半面と、理解できぬ半面、その両立にセシリアは葛藤する。

「とりあえずは、あの嬢ちゃんか。ま、ちょうどいい暇潰しにはなんだろーよ」

「……暇潰し、ですの……」

 セシリアが知るルヴィアゼリッタとは、決して簡単な相手ではないと認識している。BTシステム適性能力、IS適性能力は低くはない。代表候補生になる資格素質は十二分に兼ねそろえており、口だけではなく、相いまった実力をも持ち合わせている。

 いや、しばらく会わなかったとはいえ、彼女もまた知っていた以前よりも更に成長しているだろうとセシリアは読んでいた。

 だというのに、いくら知らぬとはいえども、この男にとっては、暇潰し程度の相手と映るのだろう。

「本当に、わからない方ですわね……」

 ランサーの横顔を、セシリアは複雑な心境のまま見入っていた。



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53

短ェ。


 非常に気まずい――

 現時点によるシャルロットの心境を至極簡潔に述べるとするのならば、その一言に尽きるものだった。

 彼女が今いる場所は、上空高度約40000フィート、地上より12000メートルほどを飛んでいる航空機の中である。ついでにいえば、僅か数席しかないファーストクラスの一席に座ってであるが。

 機内アナウンスで流れた、「快適な空の旅をお楽しみください」との台詞がシャルロットにいいようのない不安を募らせていた。

 彼女にとっては、このアナウンスには悪意があるのではなかろうかと邪推してしまうほどに、心はとてつもなく病んでいる。

(僕は、何を試されているんだろう……?)

 何の試練を潜り抜けさせられているのかと彼女。

 仮にこの世に『神』が存在し、その『神』が自身の気まぐれ、または退屈しのぎのためだけに現状を面白おかしく、大変愉快に設定されているとすれば、シャルロットは助走をつけて殴り飛ばすほどの気概を持ち合わせている。

「…………」

 どちらかといえば、決して好戦的とはいえぬシャルロットではあるのだが――繰り返すが、今、この時ばかりは例外であろう。

 彼女の隣の席に座っているのは、キャスターである。

「…………」

 セシリアとランサーが英国へ向うためにIS学園を離れ、遅れてシャルロットはキャスターに連れられ日本を発つことになる。行き先は無論彼女の生まれ故郷であるフランスへ。

 日本からフランスのシャルル・ド・ゴール空港までの飛行時間は、直行便にて約12時間程となる。

 既に日本を発ってから数時間が経過しているが、その間というもの、シャルロットとキャスターのふたりに会話は一切ない。

「…………」

 無言。

 静寂。

 シャルロットにとっては、素晴らしいほどに気まずい空気であろう。

 何故こうなったのかといえば、キャスターの機嫌が悪いことが原因である。敢えて指摘しておくのならば、同行しているシャルロットが何か粗相をしたわけではない。むしろ彼女はこれ以上ないほどに全神経を最大限に集中させ気を使っている。気を使いすぎて、ストレスによってマッハで胃に穴が開くのではないかと思えるほどに。

 ファーストクラスのチケットを用意しておけと伝えておいたのにもかかわらず、デュノア社は社用のビジネスジェット機を用意していたのだから。相手側からすれば、良かれと思って手配していたのだが、キャスターにとって見れば何を頼みもしていない余計なことをしているのかと機嫌を損ねるには十分だった。

 そもそも、デュノア社の専用ジェット機が用意されているということは、当然さまざまな人の眼に触れられていることになる。

 結果、デュノア社がわざわざ用意していたビジネスジェット機に乗るハズもなく、キャスターはファーストクラスのチケットを非合法な手段で自分で用意してフランス直行便の飛行機へ搭乗することとなったのだが。当然のことながら、チケット代の支払いはデュノア社持ちである。

「あの、我々はどうすれば……?」

「帰ればよくて? ああ、なんならせっかく日本に来たのなら観光でもすればいいんじゃないかしら? 適当にブラついて、適当に土産物でも摘まんで買ってから帰ればよろしいのではなくて?」

 途方にくれるデュノア社スタッフにそう告げると、キャスターはそれ以上相手にすることもなく。

 そんなやりとりの会話を思い出したシャルロットは、ぶるりと身を震わせる。

 隣接する座席は真横であるが、仕切りを立てられていたほうがまだマシであるといえよう。今さらながら、シャルロットの側から仕切りを立てるのも如何なものか。

 もっとも、この場の雰囲気に飲まれているのは彼女だけではない。

 ファーストクラスの唯一の搭乗者であるふたりに対し、最初は頻繁にサービス提供をしていたキャビンアテンダントだったが、キャスターが発する『寄るな』『しゃべるな』『消え失せろ』とのオーラに気圧され奥へと引っ込んでからは自分からは出てこなくなった。

 無論、こちらからの呼びかけ――飲み物などを求めた際には迅速に対応してはくれるのだが。

 頬杖をつき、窓の外を見るとも無しに眺めるキャスター。その手元には、既に二桁目の本数となるワインが置かれている。まるで水を飲むかのごとくワインを摂取しているが、一切酔うこともなく。

「…………」

 無言のままシャルロットはいろいろと考える。

 フランスへ戻り、デュノア社に出向いたところで一体なにが出来るのか。

 一時の感情のままに啖呵を切りはしたが、頭を冷やし落ち着けば落ち着くほどに、果たして自分は思うことを口に出来るのか、と。

 後悔しているのかと問われれば、答えは否。後悔など一切考えてはいない。

 だが、正直に言うのならば、彼女の本心はデュノア社に戻りたくはなかった。

 不安や恐怖により心が押し潰されそうになるのだが、それでも何とか踏み留まっていられるのは、ひとえに隣に居るキャスターのおかげといえよう。

 シャルロットにとって、キャスターの存在はとても心強い。

 個人的に興味本位でISに関するデータベース上で『葛木メディア』を検索した彼女であるが、該当データは何ひとつ存在しなかった。

(よっぽどすごい人だとは思うんだけれど、該当データにヒットするものが何ひとつ存在しないっていうのはどういうことなんだろう……)

 織斑千冬のような、とはいかぬとも、それ相応の実力を持つ女性なのは確かであるとシャルロットなりに考察している。しかしながら、悲しいかな、それはIS絡みによる捉え方でしかないだが。

 それはさておき――

 心強い彼女であるが故に、無言のプレッシャーは胃に悪い。

 目的地であるフランスに着くまで寝てしまうという手もあるのだが、残念ながら睡魔に襲われることもない。逆にこれでもかといわんばかりに眼はギンギンに覚めてしまっている。

(こういう時にお酒とか飲めば眠れるのかな?)

 そんなことを考えながら、シャルロットはオレンジジュースが注がれているグラスにちびちびと口をつけていた。

 とはいえど、いつまでもこうしているわけにも行かない。

「…………」

 ちらり、と横目でキャスターを見て彼女。

 思わずごくりと固唾を飲み込み――

「あ、あの……」

 意を決し、シャルロットは口を開き言葉を紡ぎ出していた。

「ま、前々からお訊ねしようと思っていたんですけれど……く、葛木先生の御亭主さんは……ど、どんな方なんですか……?」

「…………」

 キャスターからの反応はない。

 相手にされないのはわかっている。わかっていながらも、それでもめげずにシャルロットは言葉を吐き出していた。

 自分から踏み込んだ以上は、立ち停まるワケにもいかず進み続けるのみ。

 とはいえど、何も適当に思いついたことを口からでまかせじみたように言っているわけではない。

 以前に、葛木宗一郎に関してはざっくばらん程度に話を聴いている。

 結婚に至ることとなった相手の男性像をよくよく知りたいというのは、シャルロットの純粋なる好奇心である。

 普段は織斑千冬並みにクールな養護教諭ではあるが、一度亭主の話となればその表情は180度ほど反転する。

 主人のこととなると、聴かされているこちらが恥ずかしくなるほど惚気っぷり。しかしながら、シャルロットにとっては不快ではない。

 あれほどまでに一途になれるのは逆に感慨深いために。

 頑張れ自分と心の中で叱咤激励するシャルロットは続ける。

「葛木先生ほどの美人な方を奥さんに選ばれるだなんて、こう言ってしまっては失礼であることは重々承知していますけれど……そ、宗一郎さんは、相当モテたんじゃないのかなぁと思うんです……」

「…………」

「それでも先生と御結婚されたということは、お互いがとても惹かれあったということなんだと思います」

「…………」

「本当に個人的なことではあるんですけれど、だからこそ知りたいんです。宗一郎さんという方を。先生の心を射止めるだなんて、素敵だなと思います」

「…………」

「ぼ、僕も先生みたいな素敵な恋愛の末に結婚できればなぁって……だ、だから、参考までに、ぜひ、き、聴かせていただければなぁって……」

「…………」

「は、ははは……」

 今一度ちらりと横目で見てみれば――キャスターの姿勢は一切変わっていなかった。窓の外に広がる景色を見るとも無しに眺めた恰好のままである。

「…………」

「はは、ははは、は……はあぁ……」

 シャルロットの乾いた笑いは、最後は深い溜め息へと変わる。

 再び無言と静寂の空間に戻った途端に、うな垂れたシャルロットは激しい罪悪感を覚えていた。

(なにをやってるんだろう……僕は……)

 無理に話題を振ったところで、食いついてくるワケがない。相手は立派な大人の女性なのだから。

 短絡すぎる浅はかな自分の考えが嫌になる。

(もう、空港に着くまで寝てようかなぁ……それに、士郎は大丈夫かなぁ……)

 士郎の身を案じながらも、現状の空気に耐え切れず、心が折れかけているシャルロットは音楽でも聴きながら寝てしまおうとシートに手をかけようとして――

(……あれ?)

 ふと、彼女は自分の手の甲に何気なく目線が向いていた。

(なんだろう……これ……)

 見入る手の甲に、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 なんとも形容しがたく、しかしながら、何かの紋様のような――

(どこかにぶつけたかなんかしたかなぁ……)

 痣のようでありながら、格別痛みがあるわけでもない。

 最近までこんなのはなかったはずなのにと、身に覚えがないながらも、シャルロットは小首を傾げかけ――視線を感じた彼女は顔を上げていた。

 そこには、ジッとこちらを見つめるキャスター。

 と――

「聴きたいの?」

「……え?」

 一瞬、何を言われているのか理解できなかったシャルロットは思わず訊き返す。だが、キャスターは相手の返答などお構い無しのままに口を開く。

「聴きたいの? 宗一郎さまのことを? 宗一郎さまのことを、知りたいの?」

「え……あ、えっと……はい、すごく知りたいです。ぜひ、お願いします」

「……そう」

 言って、キャスターは視線を逸らし窓の外へと向ける。

 刹那――

「そう! そうなの? もう、仕方がないわね。シャルロットさんが、そうまで言うのならば聴かせてあげなくもないわよ」

 再びこちらへと向き直ったキャスターの表情は一変していた。

 本当にしょうがないわねと零しながらも、満更でもなく、弛みきったその顔は何と嬉しそうなことか。

「…………」

 なんにせよ、結果的によるがキャスターの機嫌が良くなったことに対し、シャルロットは心の中で大きな安堵の息を漏らしていた。

 のだが――

 フランス、シャルル・ド・ゴール空港に着くまでのこれから残る全時間を、キャスターのおしゃべりに付き合わされることになろうとは……今のシャルロットは想像すらしていなかった。




セイバールート、ランサールート、キャスタールートそれぞれ突入。
あ、別にアンケートとかとってないんで投票しても意味ねェですよ?
たてなっしールートは存在しねっす。


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幕間EX3 ランチタイム

疲れてるんですね、わたしは。
本編に関係ない話です。時系列は幕間EX2の続きあたりでしょうか。


 とある日の昼休み――

 穏やかな天気の中、いつもの面々に引っ張られた一夏は、昼食を摂るために屋上へと連れて来られていた。

 各々弁当、または途中の購買で選んだパンを持参し、人もまばらな屋上の一画を陣取ろうとして――ひとり背を向けて座るランサーの姿を鈴は見逃さず捉えていた。

 場所はあそこでいいかと勝手に決め付けた鈴は足早に。

 遅れて、先に進む彼女に倣うかのように一夏に箒、セシリア、シャルロット、ラウラ、セイバー、簪と続く。

「アンタ、何してんの?」

「あ? ああ、なんだ凰の嬢ちゃんか」

 ランサーの背後からひょいと覗き込んだ鈴。

「なに? なに読んでんの、アンタ。おおかた、イヤラシイ本でも読んでんでしょ」

 一方的に決め付け、女性の裸体がひっきりなしに載っているであろうグラビア雑誌でも読んでいるに違いないとした鈴ではあるのだが――

 そこには、彼女が予想していたものは存在しなかった。いや、むしろ眼にしたものの方が意外すぎていただろう。

「……なにソレ……競馬?」

 彼女の指摘とおり、ランサーが手にしているのは競馬新聞である。

 缶コーヒーを置き、片手に新聞を広げ、残るもう片方の手には赤鉛筆が握り締められていた。

 レジャーシートを敷き終え、それぞれが座る中、地べたに直に座るランサーに対し、よかったらこっちにどうぞと声をかけるのはシャルロットである。

 気配りのできる相手の言葉に甘え、座り直した彼は缶コーヒーに口をつけながら。

「小遣い稼ぎにちょいとな。暇潰しにゃちょうどよくてよ。なかなか面白ェモンだぞ?」

「……あのさぁ……人の趣味にとやかくどうこう言うつもりはないんだけれど、学園内で競馬新聞片手にチェックしてるヤツなんて、はじめて見たわよ?」

 呆れ果て、軽く聴き流そうとしていた鈴ではあるが、以外にも話に割って入ってきたのはセシリアであった。

「近代競馬は、日本ではギャンブルとしての認識が強いでしょうけれど、イギリスでは人気のスポーツとして有名ですわよ」

「そうなのか? セシリアは随分と詳しいんだな」

 思わず感心した一夏の声音に――セシリアは良くぞ訊いてくれたと顔をほころばせていた。

「ええ、ええ、当然でしてよ。近代競馬の発祥の地は、我が祖国イギリスですもの。加えて、なにを隠そう、このわたくし、セシリア・オルコットは馬主でしてよ?」

 さらり、と優雅に髪をかきあげ――何故に、今、髪をかきあげる仕草が必要なのかは理解に苦しむが――彼女。

「馬主ってことは、もしかして、セシリアは乗馬も出来るのか?」

「もしかしなくても無論ですわよ。優雅なわたくしの乗馬姿、ぜひとも御見せしたいものですわ」

「へぇ」

 感心したように呟く一夏に気を良くしたのか、セシリアの頬は僅かに赤みを増していた。

「ま、まぁ、このぐらい、淑女のたしなみというものですわよ」

「貴族のお嬢さまに乗馬が趣味ってのは、いかにもって感じで絵になるよな。うん、セシリアにはピッタリだな。すごく似合ってると思う」

「――――」

 その言葉に、セシリアは天にも昇る心地であろう。加えて、脳内では更に都合よく解釈されている。

 ピッタリだ→すごく似合ってる→綺麗だ→素敵だよ→愛してる→結婚しようセシリア、と。

「ええ、喜んで、ですわーっ!!」

「? なにがだ?」

 飛躍しすぎな上に、幻聴に次いで妄想である。

 実際、彼はそのようなことは一切口にしていない。否、超が付くほどの唐変木である一夏にできるはずがない。

 そんなふたりのやりとりを見て、ギシリと歯を軋らせるのは箒と鈴、シャルロットである。三人とも非常にわかりやすい。

 性格が歪んだ鈴は告げる。

「ふーん……で? アンタが飼ってるていう、その馬の名前はなんていうの? 『キンパツタテロール』とか? ああ、アンタには『ナリキンセレブ』がお似合いじゃない? いかにもセシリアって感じでピッタリだと思うわよ? 『ブロンドメッキ』てのもなんか強そうじゃない? 別の意味で」

「……馬鹿にしてますの?」

 夢見心地であったセシリアの意識は瞬く間に現実へと戻されていた。

 睨みつけてくる相手に――鈴は「ハン」と鼻で笑ってみせると、肩を竦めて言い返していた。

「イヤーねェ。とてもとても、わたしたちとはレベルが違う、大層ご立派な、お金持ちの貴族のお嬢さまを馬鹿になんかしてないわよ?」

「……随分と棘のある言い方ですわね?」

「言ったでしょ? 馬鹿になんかしてないって。わたしはね、ただ単に、アンタをおちょくってんのよ」

「それを一般的に、馬鹿にしてると言うんですのよっっ!?」

 これだから品位に欠ける方は、と溜め息混じりに呟かれたセシリアの言葉は――だがしかし、鈴の耳には確実に届いている。

 沸点の低い彼女は、額に血管を浮かび上がらせていた。

「はぁ? 貧乏人なめんじゃないわよ。なにアンタ、自分は品格あるとでも思ってんの? だったらお生憎さま。アンタ自身が思ってるよりも、アンタの品格なんて低すぎてタカが知れてるから。身の程知るためにも病院に行ったほうがいいんじゃない? どこが悪いの? ああ、頭だったわね」

「……なんですって?」

 セシリアの額にも青筋がうっすらと浮き上がっていく。

 犬猿の仲と化しているふたりの感情は更に増していた。

「そもそも、アンタがスゴイんじゃなくて、アンタの親がスゴイだけでしょ。単なる親の七光りじゃない」

「なっ――」

 その一言が決め手となる。

 セシリアの心情は爆発していた。

「もうぅぅぅぅ我慢の限界ですわっっ! このわたくしに対する度重なる無礼の数々ッ! 今までの積もりに積もった不届き千万っ! 溜まりに溜まった怨み辛み、全ての鬱憤っ! 今ここで晴らしてさしあげますわよっ!!」

「ハッ! アンタごときにやられるほど、わたしはヤワじゃないのよ! ほら、どっからでもかかってきなさいよ。ボッコボコに叩きのめして、返り討ちにしてやるわよっ!」

「地べたに這い蹲って、泣いて謝っても許してさしあげませんわよっ!」

「それはこっちの台詞よ! アンタこそ、負けた時の言い訳でも今から考えてたらイイんじゃないの? 泣きベソかいて土下座するのが眼に見えてるわよ」

 と――

「覚悟なさいっ!」

「ハンッ、唯一の射撃しか取柄のないお嬢さまごときが、このわたしに接近戦を挑んだ時点でアンタの負けは決まってんのよ!」

 刹那に、互いの髪や頬に手を伸ばしては掴み合いをはじめ、ぎゃーぎゃーと喧しく喚き散らす鈴とセシリア。あわててセイバーと簪が止めに入る一方で、憤怒と憎悪を滲ませる箒の眼光により、突き刺さるような尋常ではない視線を感じた一夏はうろたえるのみ。

「な、なんだよっ、なに怒ってんだよ、箒――なんでそんな眼をしてるんだよっ!? な、なぁ、シャル――?」

 助けを求めるように、シャルロットへと視線を向けるのだが――

「ん? なにかな? 織斑くん?」

「……なんで、お前も怒ってるんだよ」

 菩薩のようでありながら、実質、般若と化した……なんだかよくわからない表情の彼女。

「怒ってないよ? 織斑くんは失礼だなぁ」

「いや、だって実際怒ってるだろ?」

「怒ってないよ? 織斑くんは失礼だなぁ」

「……いや、あのさ……だから」

「怒ってないよ? 織斑くんは失礼だなぁ」

「……ハイ……すみません……」

 三回連続同じ台詞を聴かされしまっては、何故か此方に非があると判断させられた一夏は申し訳なさそうに謝罪を口にしていたのだが。

 連中を尻目に、ひとりつまらなそうな顔をするのはラウラであった。ラウラとて、競馬というのがどういうものかを理解している。

「実にくだらん。要は、速い馬を決めるだけではないか。簡単なことだ」

「いやいや、そう思うだろ? それがそうもいかねェモンなんだよ」

 缶コーヒーを手に取り、意味深に笑みを浮かべるランサー――視線は掴み合いを続けたままごろごろと転がる鈴とセシリアに向けられているのだが――に対し、ラウラは表情をムッとさせていた。

「……どういう意味だ?」

「走るのは確かに馬ではあるがな、その馬を操るのは騎手になるワケだ」

「…………」

 ラウラは無言となるが、眼は『それがどうした?』と物語る。

 まあ聴けやとランサーは自論を展開していた。

「競走馬や騎手の体調、両の組み合わせ……加えて、馬場の状態、天候状況なんかにも案外左右されることもあってな。レース分析、パドック、オッズ、スピード指数、血統などなど、それらを見越した上で一着二着を予想して決めるモンなんだよ」

「……むぅ」

「一番速い馬だから、必ず一番になれるともかぎらねえワケだ。馬にだって体力はあるんだからよ。初っ端から全快でトばして最後まで持つか? 中盤辺りから追い込んで逃げ切るか、終盤にかけて一気に決めにかかるか、駆け引きがモノをいう状態でもあるんだぜ?」

「…………」

 ランサーの説明にラウラは無言のまま。

「お前さんで例えれば、部隊のひとりが欠けたことによって作戦行動に支障は出ねェか?」

「うむ……確かに、部隊員がひとり負傷したことにより行動、作戦に大きな影響が出るのは否めない。負傷者を連れた上での救援艇とのランデブーポイントに遅れてしまっては死活問題だ。競馬というのは奥が深いものなのだな」

 なるほど、言われてみれば納得深いと腕を組み頷きラウラ。

 そんな彼女を呆れた眼で見るのはシャルロットである。

「そこ、納得するの?」

 しかしながら、ラウラは驚いたような顔をして友人へ視線を向けていた。

「何を言うシャルロット……作戦行動中の部隊にとって、一番の損失は何だと思っている?」

「え……そ、損失……? 突然言われても……え、ええと……戦力……かなぁ?」

「それも大事ではあるが、一番重要とされるのは情報だ」

「……へ?」

「情報だ」

 間の抜けた声音を洩らすシャルロットを無視したまま、本来の軍人の貌となるラウラは説明を続ける。

「情報の漏洩ほど恐ろしいものはない。いいか、よく考えてみろ。極秘重要任務に就く一個部隊が、迂闊にも敵の策に嵌り拘束でもされてみろ。惨い尋問により情報が漏れでもすれば、それがどういう意味をもたらすのかは、お前にもわかるだろう?」

「ええと……」

「部隊は壊滅……いや、損害が一部隊程度で済むのならば、まだよしとしよう。だが、これが我が祖国ドイツの根幹から崩壊するようなものであれば想像を絶する! 国家を脅かすなど決して許されることではないのだぞっ! お前は、わかっているのかっ!?」

「えーと、その前にふたついい? ひとつは、どうして僕は怒られてるのかな? それともうひとつは、なんでラウラはそんなに熱くなってるのかな?」

 競馬の話だったよねコレと洩らすシャルロットだが、ラウラはやはり無視したまま拳を力強く握り締めては言葉を吐き出していた。

「よくぞ訊いた。あれは忘れもしない……深々と雪が降り積もり、月明かりもなにもなく、ただただ凍えるようなとても寒い冬の出来事だった。あの夜、斥候に出た我が黒ウサギ部隊は敵の策に翻弄された挙句に退路を断たれ、補給もままならない状態で弾薬も尽きかけてな……もはや肉体的にも精神的にも追い詰められた我々は――」

「あー、ゴメン。その話、長くなるかな? それに、僕が怒られた理由って無いよね?」

 話が逸脱しそうだと悟るシャルロットではあるのだが、三度ラウラは無視したまま、ぽつりぽつりと昔話を語り出していた。

 なにをしているのだと胸中呟きながらも、箒は箒で、ランサーの言葉に一部共感するところがあった。

「人馬一体というワケか……確かに、記された情報から推測するというのは観察力や洞察力を養うことにもなるか」

 ふむと顎に手を添え彼女。

「見極めるってのは、相応に難しいけどな」

「まぁ、アンタが言ってることはわからなくはないけれどね」

 いい加減にしなさいとセイバーによって強引に引き剥がされた鈴は無理やり座らされ、少々不貞腐れたままにランサーに対し答えていた。

 同じように、簪に宥められたとはいえ、セシリアもまた完全に溜飲は下がってはいない。

 記載されている情報から読みとり、独自の見解により結果を導き出すというのは、洞察力を高めるに関してはあながち間違いではない。しかしながら、それが近代競馬を題材というのは些か問題であろうが。

「まぁまぁ、モノは試しだ。オマエさんの意見を聴かせてくれや」

「え? ちょっと――」

 言って、ランサーは手にする競馬新聞を昼食を口にする鈴へと渡していた。

 流れ的に鈴は思わず受けとってしまっていたが――どうしようか迷いながらも、箸を口に銜えた恰好のままガサリと紙面を広げていた。

 シャルロットから箸を口に銜えるのは行儀が悪いよと指摘を受けるが無視。

「……第666回、TMネコアルク杯……なにコレ? こんなのあんの?」

 ふざけたレース名だと感じながらも――これが一番人気のメインレースだと説明を受けるのだが――彼女は意外にも真剣に紙面に眼を走らせていく。

 そこに記載されている出走馬名、騎手、各々の戦績情報等――

 箒とセイバーも興味深そうに横から覗き込んではぼそりと呟く。

「……ずいぶんとかわった名前の馬ばかりだな」

「これは、最近の流行なのでしょうか……?」

 首を傾げるふたりを他所に、予想外であったのは簪も乗り気であったりする。

 一通りざっと眼を通し――

「んー、わたし的には、この『ハナノミヤコ』ってのかな?」

「ほう、そりゃまたどうしてだ?」

 そう問いかけるランサーに、肩を竦めてみせた鈴は銜えていた箸を手に取っていた。

「別に、深い意味はないわよ。単に、馬が中国生まれってなトコね。わたしンとこだし。後は、他の馬よりもちょっと小柄ってなとこが引っかかっただけかな。競馬ってのはよくわかんないけれど、風の抵抗とかもこの馬ならそんなにないんじゃないのかって思っただけだし。オッズは……うっわ、この馬人気ないわね」

「決めては地元ってのと体格ってトコか?」

「悪い? 手堅く一番人気のこの『ブリュンスタッド』なんての選んでも面白くないじゃない。どっちかって言えば、番狂わせとかの方が面白そうだし」

「いんや、悪くなんざねェさ。競馬なんて選んで狙うのは人それぞれだ。要は愉しみゃそれでいいモンだっての」

「そういうもん?」

 適当に相槌を打って鈴。

 ところで煙草吸っていいかと訊ねるランサーに対し、ダメに決まってんでしょ、とすかさず告げる彼女。

「制服に臭いつくなんて冗談じゃないっての……ったく……で、ちなみに訊くんだけどさ、アンタはどの馬を推してるわけ?」

「俺か? 俺はこの『クレナイセキシュ』てのだな。牝馬ながらにやたらと気が強ェってトコが決めてだな」

「……それだけ?」

「おうよ」

「……何ソレ、そんなんで決めてんの?」

「そんなモンだって言ったろ? 完全な儲け目的で決めてるワケじゃねーし。遊びだ、遊び。まぁ、これで当たりゃ更に文句はねェがな」

「どーでもいいわよ。それよりもアンタ、どうせ馬券買うんでしょ? 当たったら当たったで、わたしらになんか奢りなさいよ。期待はしてないけれど」

 図々しく言いのける鈴から手渡された新聞をジッと見ていたセイバーではあるが、口を挟んでいた。

「わたしとしては、やはり一番人気の『ブリュンスタッド』でしょうか。二番人気である七枠の『マイソウキカン』という馬も侮りがたいですが」

「お前はお前で手堅く決めてんなぁ」

 現実的だと皮肉るランサーにセイバーは表情を変えずに返答する。

「それはそうでしょう。勝負を決するというのであれば、わたし的には、この二頭しか考えられない」

「その分、配当も低いみたいだけどね」

 人気が高い分オッズも低いと洩らす鈴の言葉にセイバーは頷くだけ。

「それも然りです。ですが、それこそ強者としての証でしょう。そもそも、互いがライバルじみた関係というのも興味深い。カンザシ、あなたはどう見ますか?」

「え? わ、わたし?」

「ええ。アナタの意見をぜひ聴かせてほしい」

 話を振られた簪は慌てるが――視線は先から鈴と箒の間からちらちらと新聞へと向けられていたのだが。

 当然のことながら、セイバーはそんな彼女に気がついていないワケがない。

「わ、わたしは……この『ユミヅカサッチン』かな……脚力がスゴイてところに興味ある……力で他をねじ伏せるとか、ちょっとカッコイイかなって……」

「……アンタって、結構好戦的よね?」

「そ、そう?」

 それとどこか地味っぽそうと思うのは、簪の心の中だけでの秘密である。

 そんな彼女の胸中など知る由もなく、鈴はなるほどねと呟いていた。

「確かに、こう見ると馬力ってーの? 違う? 工率の単位? あっそ、知んないわよ。パワーだけで見れば『ハナノミヤコ』ってのよりは圧倒してるわね。ふーん、言われるように、わたしもセイバーも簪も意見は違うわよね」

「そういうこった。な、面白ェだろ? 与えられた限られた情報から得た結果で、答えはこうも違くなるモンなんだからよ」

「わからなくはないけれど、アンタが言うほど面白くはないわよ?」

 ニタリとするランサーに鈴の言葉は辛辣である。

 シートに広げられた新聞を見て、箸を止めた一夏は口を開く。

「俺は、この『ジュウナナブンカツ』かな」

 良くも無く悪くも無く、スタンダードってのは決めるところは決めるんじゃないのかな、よくはわからないけれどと付けて。

 ぷりぷりと独り怒り、サンドイッチをつまんでいたセシリアも話に混ざる。

「わたくしは、この『マジックガンナー』ですわね。特にこのガンナーとの響きがとても他人事のようには思えませんわね。それに、なんだかこう……ありとあらゆるもの全てを破壊尽くして突き進むようなイメージですわ。通り過ぎた後には草も生えずに、何も残らなそうな感じもしますわよ」

「はっはっはっ、そんな馬鹿な」

「ていうか、この馬のデータに未知数、規格外とか載ってるんだけれど、こんなのアリなの?」

 セシリアの言葉にラウラは笑い、鈴はなにコレと眉を寄せる。が、シャルロットは逆に神妙な面持ちだった。

(なんでだろう? どうしてだかわからないけれど、セシリアの言ってることはあながち間違ってないような気がするんだけれど……)

 確証など何もない。ただ自分は何故かそう思ってしまっていたのだが。

 と――

 更に鈴は騎手のデータに眼を通していた。

 目読していくだけで、眉間に皺が刻まれていく。

「……ここに載ってる騎手も、変わった名前の連中ばっかね。なに、この……ネコアルク、ネコアルクバブルス……ネコアルクデスティニー、ネコアルクエボリューションに……ネコアルクカオス、ネコアルクブラック、ネコアルクノワール、ネコアルクシュバルツ、ネコアルクネロ……ネコカオスブラックG666って……騎手全員身内か兄弟ってコト? GCVってトコに所属してるってあるけれど、なに? GCVって?」

「なんで俺に訊くんだよ。俺が知るワケないだろう?」

 話を振られた一夏は困惑する。使えないわねと零す鈴に「なんでだよ」と言い返しながら。

「ノワールって、僕のフランスでは『黒』て意味なんだよね」

 何気に呟くシャルロットに続き、ラウラと簪もまた口を開く。

「それをいうならば、このシュバルツという言葉は我がドイツ語で『黒』を意味するな。ドイツ出身の者ということか」

「……ネロ、は……確かイタリア語で、同じく『黒』って意味だったハズ……」

 『黒』にこだわりでもあるのかと意見する三人を尻目に、パラパラと紙面をめくる鈴ではあるが、再び出走場の一覧へと戻される。

 食事をしながらわいのわいのと言い合う皆の中、ひとり黙考しているのは箒である。

(それにしても……)

 記載されている枠、十六頭の名前を今一度見やり彼女。

 ブリュンスタッド――

 ジュウナナブンカツ――

 クレナイセキシュ――

 センノウタンテイ――

 マジカルアンバー――

 エルトナムアトラシア――

 マイソウキカン――

 ユミヅカサッチン――

 クロネコレン――

 シロネコレン――

 マジックガンナー――

 ハナノミヤコ――

 フォアブロロワイン――

 バルダムヨォン――

 ズェピアオベローン――

 チョクシノマガン――

(なんというか……どの馬も、本当にずいぶんと個性的な名ではあるな……)

 近代競馬に詳しいハズもなく、箒は無言のまま小首を傾げていた。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「おべんと、おべんと、たのしいな~♪」

「……子どもか? お前は……」

 るんたたるんたたとスキップさながらに、上機嫌のまま鼻唄を口ずさむのは真耶。

 そんな彼女の横に並んで歩くのは、呆れたような顔をした千冬である。

 たまには外で食べましょうとの真耶の提案に従い、屋上に連れられた千冬だが――

 対極的な表情を浮かべる両者ではあるが、共通するものがひとつだけあった。それは各々手にする士郎特製のお弁当を携えて。

 相変わらず、士郎からの差し入れとして日々渡される弁当は美味であった。特に千冬にとっては、一夏の作る料理は確かに美味いが、士郎の作る料理の味にも感心させられていた。

 どちらがより美味いのか、そんな甲乙などつけられることもない。

 どんな味付けが好みか訊かれた際に、さり気なく応えた千冬ではあるが、その些細な好みを士郎は聴き逃してはいなかった。

 もう少し薄くても構わない――

 もう少し濃くても構わない――

 だがしかし、そんなものは敢えて言うならばと前置きしての感想であり、本当に些細なことでしかない。美味いものは、間違いなく美味いのだから。

 とは言えども、士郎にとっては俄然調理に意欲を抱かせるには十分となる。

 せっかく食べてもらうのならば、よりよく美味しく食べてもらいたい――

 試行錯誤を繰り返したとはいえ、数日後には、ほぼ千冬好みの味付けへと変貌している。それは、真耶にも同じことが言えたのだった。

 つまりは、真耶の弁当と千冬の弁当とでは、同じ食材でもわざわざ味付けが異なっているというわけである。

 そこまで徹底しているのは何故なのかと問われれば、それが士郎の『食』に対するこだわりであろう。

「衛宮くんのお弁当ですよ? これが愉しまずにいられますか?」

「……たかが弁当だろう?」

 あくまでもドライな反応を示す千冬ではあるが――真耶はムッとした表情へと変わっていた。

「じゃあ織斑先生は明日から衛宮くんのお弁当は要らないんですね? なるほどなるほど。それじゃ、わたしから彼にそう伝えておきますよ」

「……誰も、そうは言っていないだろう」

「そうですか? いかにも要らなそうな感じですけれど?」

「……わたしの失言は認めよう。衛宮の作る弁当は愉しみではある……これで満足か?」

「満足です」

 明日から自分のは無しだといわれてしまっては、相応に残念な気持ちになってしまう。

 千冬なりに士郎の弁当が楽しみであったりするのは事実となる。彼女は彼女で、真耶のように露骨に表情に出ないだけなのだから。

 昨日(きのう)のケチャップとチーズの乗った洋風焼きナスは美味かった。

 一昨日(おととい)のじゃがいもとベーコン、ほうれん草を混ぜた卵焼きも美味かった。

 一昨昨日(さきおととい)の甘すぎず濃すぎることもなく、ほどよい味付けの切干大根も美味であった。

 横で美味しそうに食べている同僚を見て、自分には無くなってしまっている姿を想像し……損得を秤にかければ、損に傾いてしまっている。

「いい天気ですねー。穏やかで風もない……こんな時に外で食べるってのも悪くないですね」

「まぁ、たまにはな……」

 陽射しは強いが暖かく、空は快晴。まさに、すがすがしい日本晴れの気持ちとはこのことか。

 と――

 なにやら騒がしい一画に気づき千冬。なんだと見れば、一夏を筆頭にいつものメンバーがなにやら言い合う姿を捉えていた。

「なにをしているんだ? アイツらは……」

 その面々の中にランサーとセイバーが混ざっているのが珍しい。また馬鹿騒ぎでもしているのかとよくよく耳を済まして聴いてみれば――

 あれやこれやといった部分的にではあるが、違う、おかしい、そうじゃないと、なにやら真剣な眼差しで意見をぶつけ合っている。

「…………」

 普段は騒ぎを起すことが多い連中が、あんなに真面目な顔をして言い合う姿など久しく見ていなかっただけに。

(ガキだガキだと思ってはいたが、アイツらはアイツらなりに成長しているということか……?)

 ISのことで議論でもしているのだろうと認識した千冬の口元は自然とほころんでいた。

「ふふ……」

 唐突に、横に立つ真耶の口からくすくすと小さな笑いが零れていた。

「何がおかしい?」

 どうかしたかと視線を向ける千冬ではあるが、真耶はすみませんと声を洩らす。

「織斑先生、今、すごくイイ笑顔になってましたよ? ご自分でも気づいていらっしゃいませんでしたよね?」

「む……そうか?」

「ええ、でもわかります。普段はなんだかんだと問題を起すあの子たちですけれど、やっぱりライバル同士なんだなぁって思って。あんなに真面目な顔をして議論し合うだなんて……わたしはあの子たちをきちんと見ていないんだなって思い知らされちゃいました」

「…………」

 確かに、馬鹿騒ぎを起すことには優れた面々が――ランサーが居ることに引っかかりはするが――真剣になっているのは純粋に評価に値する。

「……まぁ、な……」

 その点に関してだけは千冬とて素直に頷くのみとなる。

「どれ、わたしも教師としてではなく、先輩として意見を述べてきますかね!」

 生徒たちの姿を見て、昔の自分の姿を重ねて思い出したのか、少しばかり興奮している真耶。

「……だからといって、依怙贔屓はするなよ?」

「そんなことしませんよ。今のわたしは、一OGです」

 言って、輪に混ざりに少しばかり早足で彼女。

「……まったく、これではどちらがガキかわからんな」

 呆れながらも――満更でもなく――吐息を漏らした千冬もまた苦笑混じりに歩み寄り――

 その会話を耳にする。

「だから、馬場の状況も考慮するべきだと思うのよ。この日の予報は雨でしょ? ぬかるんだ地形ではレースにだって影響が出ないとは限らないじゃない?」

「でもさ、この組み合わせだとオッズは低いよ? 守りに入ったら勝てる『勝負』も勝てないよ? 万馬券を狙うんなら、ここは敢えて挑戦するべきだと僕は思うんだよね」

「待て……今、ドイツ経由で過去のデータを調べたところによるとだな……」

「最後尾の馬がラストスパートで他の馬を全て抜き去るのはすごかったな。圧巻とは、ああいうものをいうのだろう」

「……でも、ジョッキーによるところもあると思う……見て……この『武内崇』ていう騎手……『センノウタンテイ』に騎乗した時は、全てのレース優勝している……」

「ぶっちぎりですわね。他の馬に乗っている時の結果はまちまちですけれども……何者ですの? この騎手の方は……」

「やはり『ブリュンスタッド』と『マイソウキカン』……大穴として、『マジカルアンバー』といったところでしょうか」

「なぁ、煙草吸っていいか?」

「ダメって言われたろ? アンタ聴いてないのかよ」

 などなど――

 競馬に関して熱く議論し合う生徒たちを見て――

「な――」

 凍りついた笑顔を張り付かせた真耶は――

「なにをしているんですかっっっ!? アナタたちはっっっ!?」

 咆哮が屋上に響き渡ることとなる。

 突然の声量に一同が驚き顔を上げ――げえっ、と声を洩らしたのは一夏である。

「や、山田先生っ!?」

「『山田先生』じゃありませんっ!! ISや学業のことで議論しているのかと思えば――」

 言って、真耶はたまたまラウラが手に持っていた競馬新聞を引ったくっていた。

 わなわなと手を震わせると、新聞は握り潰されていく。

「信じられませんッッ! なにを話しているのかと思いきや、あろうことかっ! 賭博だなんてっっ!!」

「……なにをやっているんだ、オマエたちは」

 本格的に呆れながらも千冬もまた続いていた。

「ギャンブルは、未成年にはまだ早すぎるぞ?」

「そういう問題じゃありませんッッ!」

 見当違いな指摘に対し、真耶は千冬にまで噛み付いていた。

 すぐさま失言したと悟った千冬は苦しみ紛れに視線をラウラへと向けていたのだが。

「ボ、ボーデヴィッヒ、これはどういうことだ、説明しろ!」

「はっ、教官! 今、我々はランサーに単勝、馬連、三連複、三連単に関する払戻金を習っていたところであります」

 払戻金という単語により、真耶の表情が更に怒りに染まる。

 慌てたセイバーはランサーの肩を掴み耳打ちしていた。

「ランサー、なんとかしてください。マヤがとてつもなく恐ろしい。アナタひとりの犠牲で済むのならば安い話です。我々の安住のためにも」

「――オマっ、俺にだけ責任押し付けんなよっ! お前も一緒になってやがったろっ!? おいっ! どさくさに紛れて押すんじゃねェよ!」

「ちょっと! もとはといえば、アンタが悪いんでしょ! 男でしょ! 大人でしょ! アンタが責任取りなさいよっ! ついでに一夏も!」

「なんでだよっ!?」

 ランサー、セイバー、鈴、一夏と順に声を上げるが――

「黙りなさいっ!」

 真耶の一喝とともに、雲ひとつない快晴であったはずが、雷鳴を轟かせ稲妻が手近のグラウンドへと落ちていた。

 白い息を吐き出し、ギロリと睨みつける様は、まさしくバーサーカー。

 あまりの剣幕にラウラとシャルロットは涙目となり互いに抱きつきガタガタと震え、箒とセシリアはセイバーの背後で縮こまる。簪はランサーの背後に隠れ既に気絶一歩手前である。

 そんな中――

 全ての責任を押し付けられた形となるランサーは申し開きを口にしていた。

「ま、まあまあ、待ってくれや、眼鏡のねーちゃん……こりゃアレだ、アレ……えーと、じょ、情操教育の一環てヤツでだなぁ、物事の例えを俺なりに手っ取り早く教えてたモンであってだな、いやー、さすがに競馬は無ェかなっては、怒られるのはもっともだがよ」

「…………」

「まぁ、なんだ……アンタが怒るってのも、わからなくはねぇんだよ。俺が悪いってのは自覚してる。反省してる。だがな、敢えてだ、敢えて言わせてもらいてぇんだが……」

「…………」

「そう、おっかねぇ『貌』すんなっての……せっかくの可愛い顔が台無しだからよ」

 と――

「も、もうっ! か、可愛いだなんて――ランサーさんたら」

 表情を一転させ、恥らう真耶を見て、しめたと一気にたたみかけようとするランサーではあるのだが――

「――なんて、言うと思ってますか?」

 それらは全て芝居であった。

 顔を覆っていた両手を外せば――再びそこには、氷を超越する冷ややかな表情を浮かべる真耶がいた。

 男に褒められることが慣れていないと目論んだランサーの致命的なミスであろう。真耶を甘く見すぎていた結果である。

 彼女はそれを容易く見越していただけでしかないのだが。

 もはや、悪鬼羅刹でしかない。

「巧く丸め込めたと思いましたよね? ちょろい、と思いましたよね? 馬鹿にしてますよね?」

「あー、いや、そんなことはねぇぞ、うん」

「ならどうしてわたしの眼を見て言ってくれないんでしょうか? 人と話す時は、相手の眼をきちんと見てお話しするようにと教えられませんでしたか?」

「いやー、教えられたような気はするんだが、如何せん学がねぇモンでなぁ。アンタの眼を真っ直ぐに見つめるだなんて、俺には眩しすぎて出来ねェモンでよ」

 眼を泳がせるランサーではあるが、両手を伸ばした真耶は相手の顔を掴み無理やり自分の方へと向けさせていた。

 それでも視線だけは在らぬ方へ逃がし彼。

 眼鏡越しから覗く真耶の双眸は、魔眼でもないはずなのに、どういうわけかライダーのサーヴァントであるメデューサのように石化でもさせるかのごとく。

 懸命に首の力だけで逃れようとするのだが、それ以上にがっしりと捕らえられた真耶の指の力は上回っている。

(このねーちゃん、どうしてこんなに力がありやがんだっ!?)

 内心叫びながらも目線はつい千冬へと向けられていた。アイコンタクトだけで『なんとかしてくれ』と訴える。

 無言のまま腕を組んでいた千冬ではあるが、やがて深い溜め息を漏らしていた。

「山田先生……コイツの馬鹿さ加減は今にはじまったことでもないだろう?」

「…………」

「確かに、コイツがしでかしたことを鑑みればロクでもないことだろう。改めるとしても、今のこの時間ではなく、放課後にでも設けてみてはどうだろうか?」

「…………」

 怒り心頭である真耶は聴く耳を持ちはしなかったが――

 やがて「ふう」と息を吐き出していた。

「そうですね……今はお昼休みですし、後ほどきちんとお話しましょうか」

 言って指を離し真耶。解放されたことに安堵したランサーは――間抜けなほどに口を滑らせていた。

「いやー、これがなかなかなレースなモンでよ、当たったら、お前さんも吊り眼のねーちゃんも飲みに連れてくからよ」

「…………」

 一瞬の間を置き――

 しばらくして、こほんとひとつ咳払いをした千冬は真耶へと向き直っていた。

「山田先生、コイツも一応これでも反省しているようなので、これ以上は――」

「織斑先生? アナタも何を真面目な顔をして一緒になってふざけているんですか? 馬鹿にしてます? 馬鹿にしてるんですか? 馬鹿にしてるんですねッッ!?」

 真耶、再び激昂す――

 沈静化したと思われた彼女の『怒り』という火に油を注ぐだけである。

 掴みかかろうとする真耶の手を咄嗟にかわし避けた千冬であるが、バランスを崩し倒れかける――寸前に、ランサーは腕を掴み引き寄せていた。

「吊り眼のねーちゃん、お前もお前でなにやってんだよっ!」

「す、すまん……ついうっかり……というか、お前が原因だろう」

 キシャーと奇声を上げるかのごとく、真耶は怒りの矛先を撒き散らす。

 空はいつの間にか曇天が覆い、雷がふりそそいでいた。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 昼休みも半ばほど過ぎた頃、生徒会室での事務を終えた士郎は楯無に連れられ廊下を歩いていた。

 他愛も無い雑談――ほとんど楯無が一方的に喋り、士郎は聴く側に徹するだけなのだが――に興じてふたり。

「そうそう、こないだの『たてなっしー』だけど、結構評判良かったのよ」

「…………」

 士郎は無言となる。

 散々な目に遭わされたあの忌まわしい存在――

 あんなものがいったい何処に評判が良いというのだろうか。警備会社で好評なのかと訝しみ彼。

「それで、まだ極秘ではあるんだけれど、プロモーションビデオの第二弾を作ろうと思うのよ」

「極秘って意味、わかってるか?」

「第二弾は、『たてなっしーVSかんざっしー』とか」

「誰得だ? ソレ……」

「制御の利かない姉を助ける妹の物語」

「既に『姉』は制御不能だろ? 世のためにも破壊した方がイイと思うんだけれどな」

 皮肉を零す士郎であるが、当然楯無は聴き流す。

 加えて、現実世界では姉妹の仲がいまいち宜しくないからといって、空想世界で理想の姉妹像を描くというのはどうだろうかと考える。これをなんらかの形で簪本人が観たとしたらどうなるか。以前の『かんざっしー』の話の時点で大層イヤな顔をしていただけに、決して良い印象は抱かないだろう。

 またぞろ姉妹仲が悪くなるのではなかろうかと危惧する彼ではあるのだが。

 しかし、楯無は気にした様子もない。

「そのために『たてなっしー』は弐号機として生まれ変わったのよ」

「……ニゴウキ?」

「そ、弐号機。あ、『弐』てのは難しく書く方の『弐』よ。漢数字の『二』じゃないから。ここ重要」

「…………」

 どうでもいいところにこだわるんだなと士郎は呆れ果てている。

「回収された『たてなっしー』は、あれから改良が施されたのよ。聴いて驚かないでよ」

「……またそのフレーズか? それよりも、俺が脱ぎ捨ててた()()はきっちり回収してたのかよ」

 学園から逃走した際に頃合と安全を見計らって士郎は『たてなっしー』を脱ぎ捨てると近くのゴミ捨て場に放り込んでいたのだが。

 どうせ色が変わったとでも言うつもりなのだろうと士郎は読んでいた。おおかた赤色になったとでも口にするのだろうとして。

 が――

「なんと、今度の弐号機は飛べるのよ」

「……は?」

「飛ぶのよ」

「は――はあああああっっ!?」

 予想の遥か斜めを告げるその発表に、彼は純粋に驚愕の声を上げていた。

「……士郎くん、驚かないでとは言ったけれど、驚きすぎよ。むしろ大げさ? うーん、そういうのはちょっといらないと思うのよね。おねーさんちょっと引くかな」

「アホか? 飛ぶって、飛ぶことだよな? 飛ぶんだろ? 『跳躍』の跳ぶじゃなくて、『飛行』の飛ぶってことだろうっ!? あんなのに飛行能力が備わったってことでいいんだろっ!?」

「うん、flying」

 素直にこくりと頷き彼女。だが、対照的に士郎の表情は驚きのままである。

「お前っ……これが驚かずにいられるかっての」

 ただでさえISという存在に世界は振り回されているところに、よりにもよってあんなものが飛行技術まで組み込まれて世に出るなど考えられない。

 それこそ『ひゃっはーっ!』と奇声を上げて敵陣に突っ込んで爆発するミサイルにしか思えてならない。

「『たてなっしー』脅威のメカニズム! 量産体勢もバッチリよ!」

「あんなモンが大量生産されたら末恐ろしいぞ」

「さまざまな地域で活躍できるわね。人命救助、復興支援に大いに貢献できるってものだわ」

「…………」

 士郎は無言である。

 あんなものがわらわらと動いている姿など想像もしたくない。

 むしろ世紀末な荒廃した世界に闊歩している方がしっくり来ると思えてしまうのは偏見であろうか。

「でもね、ジェットエンジンを背負っての話なワケよ。ついでに言えば、まだテスト段階なのよね」

「いや、それでも十分すごいだろ」

「ありがと。参考イメージとしては、ほら、こないだ『鋼鉄男』て洋画があったじゃない。両足のスラスターブーツによる飛行機能。アレを意識してるんだけれどね。理想と現実とでは巧くいかないものなのよ」

「…………」

 『鋼鉄男』とは楯無に誘われて観た米国映画である。パワードスーツを身に纏い、悪人と戦うといういわば正義の味方といったストーリーであった。その作中内での主人公はパワードスーツを着て自在に空を飛んでいたのだが。

「だから」

 言って、微笑を浮かべた楯無は士郎の両肩に手を添えていた。

「テストパイロット、お願いね」

「なんでさ?」

「言ったでしょ、まだテスト段階だって。つまり、試運転をしなくちゃいけないわけよ」

「…………」

「超音速飛行を狙ってみようかと思うの」

「超音速って、お前……よくよく考えてみれば、ジェットエンジン背中に括りつけて飛ぶなんて、直接の人体にどれだけの負荷がかかると思ってるんだよ」

「だからこそ、それを試すんじゃないの。そのためのテスト飛行よ。大丈夫大丈夫。ダミー人形で試してみたから。下手しても、ちょっと爆発四散しただけだから」

 然したる問題じゃないわよ、と彼女。

 しかしながら、そんな話を聴かされて、士郎が冷静でいられるハズがない。

「しただけってなんだよ! 大問題だろっ!? ちょっとのレベルが、お前は相変わらずぶっ飛んでるんだよ。この前のスタンロッドもそうだったろ」

「そうそう、スタンロッドっていえば、武装も改良したのよ。憶えてる?」

「…………」

 憶えているかと訊ねれば、士郎は無言にならざるをえなかった。扇子を模したモノが、実は象をも一撃で昏倒させる電気ショックを与える器具であると明かされれば、どう考えてもやりすぎであろう。

 楯無本人はあくまでも護身用具だと豪語するが、相手を良くて黒焦げ、悪くて消し炭にするような、完全に殺傷能力ありきのシロモノを容認できるハズがない。

「接近戦しかなかった『たてなっしー』に、ついに飛び道具が備わったのよ」

「……おい」

「ビームかレーザーを組み込めなくて残念て言ったでしょ? ふふん、科学は進歩するものなのよ」

「……待て」

「『弐号機』の両の掌からレーザーが出るようになったのよ」

 うっふっふっ、と含み笑いを漏らす楯無は嬉しそうに話しはじめる。

「これのすごいところはね、筋肉の動きだけでコントロールすることが出来るのよ」

「だから、待てっての」

「詳しく説明するとね、要は腕部に組み込まれた筋電図がポイントなのよ。筋肉の動きを認識することによって、前腕の筋肉に力を入れるとチャージ。逆に前腕の力を抜けば超高圧縮レーザー発射なワケ。当然連射も可能よ」

 キュイーン、バシュー、と口で擬音を発しながら実際に構えて見せる楯無。

 士郎は眩暈を覚えるだけでしかない。

「それ本当にただの殺戮兵器だろっ!?」

「ちなみにこれも『鋼鉄男』からのオマージュ。これで名実ともに、『たてなっしー』はオールラウンダーとして誕生したの。もう遠距離からの狙撃もオッケーてなモノよ」

「やめろっての」

 冗談ではない。

 飛行能力に加え、更には射撃武装まで備わったなど、()()()()()()()()()()

 『鋼鉄男』のガントレットの掌から発射される、標準的攻撃用光線兵器は士郎も知っている。

 だが、だからといって『ひゃっはーっ!』と叫び、バシュバシュバシュバシュと、両手から同様にレーザーを放つ姿は無差別攻撃のなにものでもない。

「でもねー、これもダミー人形だから、試し撃ちでレーザー連射してたら簡単に両腕が吹き飛んじゃったのよねー。なので、こっちのテストもよろしくね」

「するわけないだろっ!」

「えー? どうして? 限界に挑戦するのって、ロマンだと思わない?」

 同意を求める彼女に対し、士郎が了承できる箇所は欠片も存在していない。

「爆砕したり、吹っ飛んだりするのが前提で話を進めるのをやめろ。無人で失敗したから、有人でってのがどう考えてもおかしいだろうがっ!? そもそも、そういうのは、お前自身がやればいいだろう?」

「なんで? わたしに何かあったらどうするの?」

 士郎くんてホントおかしなこと訊くわね、と彼女。

「どうして急に真顔になるんだよ。それに、なんで俺ならいいんだよ」

「頑張れ、男の子♪」

 ウインクひとつに親指を突き出す彼女の手を、士郎はぺしんと叩いていた。

「答えになってないんだよ。馬鹿だろ、お前」

「大丈夫大丈夫。なにかあったとしても、映画とかでよくあるじゃない。事故に遭って奇跡的に生還したけれど、失った部位を機械で補ったりとか」

「やめろ。流れが想像つく」

「サイボーグ士郎くん、なんて響きカッコよくない?」

「語呂悪すぎだろ。どこぞの漫画やアニメのタイトルみたいだな」

「機械の身体なんてカッコイイじゃない。いわば正義の味方よ? ヒーロー、ヒーロー。『英雄』と書いて『ヒーロー』と読むのよ!」

「…………」

 正義の味方という言葉にピクリと反応する士郎ではあるのだが――

「片腕なんてドリルよ、ドリル! どう、興奮しない? プロトタイプなんてカッコイイじゃないの」

「するかっ! 日常生活において、明らかに不要だろうが」

「わっかんないわよ? 突然落石があったらどうするつもり? そんな時にこそドリルで一撃粉砕っ!」

「ものすごく超が付くほどの限定状況だろソレ」

「他にもプロトタイプだから言語機能に問題があったりするの。起動時の挨拶は『オハヨウゴザイマシタ』とか」

「ただの欠陥品じゃないかよ」

「メカ士郎くんとか、ロボ士郎くんとかの方がイイ?」

 本当に話に脈絡がなさ過ぎる。

 会話を交わし続けることに士郎の苛立ちは募りはじめる。

「良いか悪いかの問題じゃないだろう?」

「士郎対メカシロウ、とか?」

「聴けよ。どうして疑問系なんだ? それと、どこかの特撮怪獣映画で使われそうなタイトルだな」

 顎に指を当て、少しばかり斜に考える楯無に対し、士郎はジト目となっていた。

「じゃあ……オレサマ、オマエ、マルカジリ、とか?」

「それはもう機械的なモン関係ないだろ!」

「あ、ああ! うっかりしてたわ、ゴメンなさい」

「……なにがさ」

「モビルなスーツや、モビルなアーマーの方が好みなワケね。男の子だもんね。オッケーオッケー、極力要望には応えるわよ?」

「アホだろ」

 ピッと指差しにこりと微笑み彼女。

 士郎は心の底から深い溜め息を漏らすのみ。

 どうしてこんなに疲れさせられるのだろうか――?

「…………」

 しかし、と彼はふと思い立つ。

 屋上で食べようと提案した楯無であるのだが、その彼女は手に何も持っていない。なにかしらパンでも買ってくるのかと思っていたのだが。

「……なぁ」

「ん?」

「ところでさ、お前……昼食は?」

「ん」

 言って――

 楯無は手を差し出していた。何もない空手を、である。

 意味がわからず首を傾げる士郎であるが、彼女は不思議そうな顔をしていた。

「え? そのお弁当って、わたしにでしょ?」

「え? なんでだよ」

「え? 違うの?」

「え?」

「え?」

 刹那に――

『え?』

 互いに顔を見合わせていたが、先に動いたのは楯無だった。

 ふう、やれやれと肩を竦めると――

「あーっ! あんなところに空飛ぶ猫のミイラ!」

「……はあっ?」

 突如声を上げて、在らぬ方へと指さす彼女。

「なにが空飛ぶ猫のミイラだよ……どこだよ」

 見るとも無しに顔を向けた士郎であるが――楯無の示す先には何も存在していなかった。

 瞬間――

 士郎の手から弁当をさっと掠め盗り彼女。そのまま一目散に駆け出していた。

 一瞬何が起きたのか理解できずにいた士郎ではあるが、奪われたことを理解すると慌てて追いかけていた。

「おまっ――購買に行ってパンでも買って食えよ!」

「じゃ、士郎くん買ってきて。ツナサンドとタマゴサンド、それとコーヒー牛乳ね。全力ダッシュでよろしく」

「なんでだよ! 自分で買ってこいよ!」

「ヤ。面倒くさい。それじゃ、このお弁当はわたしのね。ハーイ、決ーまり」

「返せコラッ!」

「オホホホホ、ほーら、捕まえてごらんなさい」

 リゾートビーチの波打ち際を追いかけっこするような、どこぞのバカップルのようなノリで駆ける楯無。そのまま屋上へと続く階段を三段跳びに駆け昇っていく。

「なんであんなに速いんだアイツは!」

 遅れて士郎もまた屋上へと辿り着き――

「おい! お前なに人のもの盗ってるんだよっ!」

 後ろから追いつき、若干声を荒げる士郎ではあるのだが――

 屋上は強風が吹き荒れ、見渡す空は黒い雲に覆われ雷鳴が絶え間なく響いていた。

 生徒会室を出た際には暖かい陽射しに青い空が続いていたハズだというのに――

 僅かな短時間で一体なにが起こったのかと考えさせられる中、戸口に立つ楯無は微動だにせず。振り返ることも反応することもなく。

「?」

 不審に思い横へと回る彼ではあるが、やはり楯無は固まったようにピクリとも動きはしなかった。

 本格的に訝しみながらも、士郎は彼女が見入る先へと視線を向けて――

「……なんだ、アレは……」

 それしか呟けず、他には言葉を失う。

 ようやくして、状況を理解した楯無もまた口を開いていた。

「あ……ありのまま今起こっている事を話すわ……士郎くんから貰ったお弁当を屋上で食べようと思ったら、山田先生に怒られている織斑先生たちの姿を見ることになったの……な、何を言ってるのかわからないと思うけれど、わたしも何を見たのかわからなかったわ……」

「いや、わかるから。それに、俺は別にお前に弁当あげてないぞ? いいから返せよ」

 ほら、と手を出し弁当を渡せと告げるのだが、楯無は頑なに拒否をする。

 そんなふたりのやりとりなど気づきもせず――士郎と楯無が居合わせていることすら気づいていないのだが――千冬は静かに独りごちる。

「な、何故に、わたしまで」

 ランサーたちと一緒に正座させられている彼女はそう呟きはするのだが――瞬時に、ギロリと真耶に睨まれては俯き無言となっていた。

 普段は穏やかで温厚な真耶が、今は眼を吊り上げて怒りをあらわにしている。

「…………」

 彼女でも、怒る時は怒るものなのだなと実感する士郎ではあるのだが――

 正座させられている面々を見て、彼は首を傾げてしまっていた。

 一列に並ぶ一夏、箒、鈴、セシリア、シャルロット、ラウラ、簪たちは皆俯いたまま。

「……本当に、何をやらかしたんだ……?」

 セイバーとランサー、千冬までいる以上は、なにか余程のことがあったのだろうと、士郎はひとり推測することしかできなかった。




各ネタ詳細は活動報告に。
読まなくても特に問題は無いです。


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54

 彼女――真耶は、落ち着かなかった。

 待ち合わせとして、相手が指定してきた場所は、ホテル『テレシア』の最上階にあるレストランである。

 居合わせる者たちも、明らかに上流階級の人間たちばかりであった。

 場違いな雰囲気をひしひしと感じる彼女だとはいえども、だが、だからといって真耶の容姿が見劣りするのかといえば、そうではない。

 彼女もまたイブニングドレスに身を包んでいる。

 派手さは無いが、落ち着いた色を基調としたドレスはいかにも真耶に似合っていた。

 ウェイターに案内されて通された場所は、夜景が一望できる一角。そこに――相手もこちらに気づいたのだろう。ひらひらと手を振るのは、豊かな金の髪に紫のドレスを纏う女性がひとり座っていた。

 メールのやりとりを交わした相手から、特徴通りの容姿の者であることを踏まえて確認のために真耶は問いかける。

「……ええと、ミューゼルさん、ですか……?」

「ええ。そういう貴女は、山田真耶で間違いはなくて?」

「は、はい、そうです……それで、あの……メールでのことで……わ、わたし、アナタに訊きたいことが……」

「まぁ待って。とりあえず、まずは座って。食事をしてから話をしましょう」

「あ、あの……」

 本題に入ろうとする真耶をスコールは軽く手で制し、席に座るように促していた。

 

   ◆

 

 自分たちの周囲の隣席に座る他の客の姿はない。

 レストラン側の配慮なのか、または眼の前に座る女性の指示か。

 グラスを手にとり、くいとワインを口に含みスコール。

 対照に、真耶はコースメニューである料理の類には、なにひとつ手をつけていなかった。

 貴女も食べなさいと勧められはするのだが、彼女はナイフとフォークを手に取ることはない。

 オードブルからはじまり、メインディッシュにつづくのだが……真耶にとっては、食事などしている状況ではない。

 何故に、自分へ連絡してきたのか。

 彼女は、何を知っているのか。

 そもそも、相手は一体何者なのか。

「フレンチは、お嫌い?」

「……いえ」

 口元をナフキンで押さえる仕草すら気品がある彼女。

「衛宮士郎くん……可愛い男の子よね、彼」

「…………」

 相手の口ぶりから察するに、やはり彼女は士郎と既に接触したことがあるのだろうと察していた。

 瞬時に脳裏に浮かぶ疑問がある。

 ならば、何故……?

 意味、理由、目的……それら諸々が真耶の頭の中を駆け巡る。だが、最重要に認識しておかねばならないことを彼女は欠落させている。

 メールに書かれていた真意を確かめるよりも、大事なことを。

 それは、眼の前の女性が衛宮士郎の敵であるのか味方であるのかということを。

「いろいろと訊きたい事があるといった顔をしているわね」

「…………」

 いかにも顔に出ていたのだろう、スコールはグラスに指を伸ばしていた。

「さっき訊きかけたわよね? 何故知っているのかといえば、調べたからよ。わたしたちなりに、()()()()()()

「亡国、機業……?」

 その組織の名を真耶は当然知っている。

 だが、知っているのは名前でだけであるというのが正直なところでしかない。

 何故ならば、組織の目的や存在理由、規模といった詳細が一切不明であり謎が多い組織であるという認識でしかないために。

「わたしの素性を明かすけれど、わたしはスコール・ミューゼル。亡国機業のひとりよ」

「……何を、言っているんですか……?」

「信じる信じないは、貴女の勝手よ? でも、貴女が調べようとしているものを……探ろうとしているものを、知ろうとしていることは同じよ、真耶」

「……え?」

 世間話でもするかのように、あっけらかんと告げる相手に真耶は状況が理解できていない。

 メールでやりとりをし、待ち合わせの場所で顔を会わせてみれば、相手は亡国機業に身を置く者だという。

 いわば裏の世界で暗躍する秘密結社という存在であるがために、そこへその組織のひとりだと告げられたところでにわかに信じることなど出来るはずもない。

 からかわれているのかと邪推するのは無理からぬことであろう。

「…………」

 じっと相手を見据えた上で、真耶は口を開いていた。

「……仮に、アナタが本当にその組織に所属する人間だとして……そんなことを明かした上で、わたしに接触する意図はなんですか? いえ、それ以前に、衛宮くんに対しても同じです。アナタの目的はなんですか!? アナタは、一体何を知っているというんですかっ!?」

「目的……そうね」

 グラスを手に取り、注がれたワインを零さぬように手中で回しスコール。

 やがて……視線は真耶へと向けられる。

 同性であるにもかかわらず、スコールの眼差しに思わずドキリとする真耶ではあるが。

「真耶、こうして貴女と直に会うことも、衛宮士郎くんへ接触したことも、当然理由はあるわよ?」

「…………」

 顔を強張らせる真耶ではあるが、スコールは笑みを浮かべると、そんなに(こわ)い顔をしないでちょうだいとおどけてみせていた。

「そうね。()いて言うならば、()()()()()()()、では『答え』にならないかしら?」

「……は?」

「前者の質問も後者の質問も、わたしにとっては、とても興味があるからなのよ。貴女自身も、衛宮士郎くんも」

「ふざけないでくださいっ!」

「別に、ふざけてなんかいないわよ?」

「……興味が、ある……? 衛宮くんが男性操縦者のひとりであるということに関してならわかりますが、わたしに興味を持つなんてどうかしているとしか思えませんけれど? ただの一教師を拘束したとして、得られる情報なんて無いと言っておきますよ……?」

 例えどのようなことをされようとも、自身が知る限りの衛宮士郎に関する情報だけは決して口を割らぬと覚悟する真耶ではあるのだが――

 スコールはパタパタと手を振るだけだった。

「何か勘違いしているようだけれど、貴女を拘束する気なんては無いわよ? 言ったように、わたしは興味があるからよ? メールで貴女と連絡のやりとりをしたのもそのため。それに、わかってはいないみたいだけれど、貴女は貴女自身が思っている以上に実力を秘めている……貴女に興味を持つのはそれが理由よ」

「…………」

「ハッキリと言っておくわ。元、日本の代表候補生、山田真耶……どう? ()()()()()()()?」

「なに、を……?」

 相手が何を言っているのか、その意味を理解しかねた真耶は思わず訊き返していた。

 スコールは顎の下で指を組むと、眼を細めて続けていた。

「永遠に、織斑千冬の影で終わるつもり? もっと貴女が貴女らしく輝けて、活躍できる場所を用意してあげるといったら? 今以上に……いえ、よりよく貴女の才能を如何なく発揮させてあげるとしたら?」

 スコールが口にする内容は、御世辞でもなければ嘘でもない。彼女は真耶のデータを知り得た上での純粋な見解を述べただけであり、織斑千冬と比べられ、代表候補生止まりとは嘲笑されはするが、それは真耶本人が持ちえるポテンシャルを全て余すことなく出し尽くしていれば話は変わる。

 彼女が持つ潜在能力は確かに未知数ではある。

「……スカウトしてるつもりですか? 冗談にしては、笑えませんよ?」

「わたしは、本気のつもりだけれど? 貴女ほどの操者なら歓迎するわ」

 小首を傾げ、『どう?』と問いかけるスコールに――真耶は己の信念をもって言い捨てていた。

「わたしはっ! 先輩を尊敬しています! あの人の力になれるなら、わたしはそれで……」

 織斑千冬は憧れであり、敬愛している。太陽のように眩しい彼女に近づけるのなら、これ以上の幸せはない。

 しかし――

「嘘ね」

「……っ、わたしはっ! 嘘なんて……」

「よく考えてごらんなさいな。貴女はそうだとしても、あの女が、貴女を必要としていて?」

「っ、それは……」

 指摘された言葉に真耶は口を噤むざるをえなかった。

 対照に、スコールは口元に笑みを浮かべる。

「義理立てする必要も何もないでしょう?」

「……義理立てって……」

「そうかしら? 織斑千冬がいなかったら……織斑千冬さえいなかったなら、あなたが国家代表になることができていたのではなくて?」

「――っ」

 突然の指摘に、思わず真耶は息を呑んでいた。

 スコールは畳みかけるように言葉を吐き出す。

「常に一歩先を行く、あの女が目障りだったのではなくて?」

「……やめて」

「疎ましかったでしょう? 妬ましかったでしょう? 貴女は人一倍努力していたんですものね? 織斑千冬に負けないほどに。それなのに――」

「やめてっ!」

 それ以上、耳にしていたくはなかった。

 声を荒げ、テーブルを激しく叩き立ち上がり真耶。

「わたしはっ! そんなことは、絶対に思ってなんて――」

 だが――

 真耶の口からは、『ない』との言葉は続かなかった。

 自分は本当に、憎んでいなかったと言えるのか?

 恨み、妬みがなかったのか?

 自問するが――答えは出ない。

 と――

「ミス・ミューゼル、いかがされましたか?」

「ああ、なんでもないの。ごめんなさいね」

 何かトラブルがあったのかと、足早にやってきた初老のウェイターに対して、スコールはやんわりと返答すると軽く手を振っていた。

「…………」

 老紳士は無言のまま。ちらと視線を向けてみれば、片方は怒りのままに席を立ち、片方は穏やかな表情を浮かべている。本来であれば、これが何も無いはずがない。

 だが――

 スコールがそう告げる以上は、何も問題は無いことになる。

「…………」

 その意味を理解した老紳士は一礼すると立ち去っていく。

 口元に指を当てたスコールは、おどけたような口調で咎めていた。

「食事中に大きな声を上げて席を立つのはマナー違反よ? 他の皆さんに失礼だわ」

「――ッッ」

 見れば、周囲の客やスタッフから何事かといった視線を受ける形となっている。

 周りの客にとっては迷惑なことであろう。それぞれ食事の時間を楽しんでいるだけに。中には、いかにも露骨に不快そうな顔をする者までいた。

 人目があるこんなところで、いくらなんでも騒ぎを起すのは得策ではない。

「それでもやるというのならば止めはしないわ。好きになさい。実力行使であろうとも、ISであろうとも、御自由に」

 声音は気楽さが含まれているが、細めるスコールの眼の色には先までの安気は微塵も無い。

 こちらの手の内を完全に読まれていることに、真耶は背筋に汗を這わせていた。

「…………」 

 結果、逡巡するも、彼女は無言のまま着席することしか出来なかったのだが。

 加えて、この時点で周囲の客たちからの非難の視線は逸れている。

「せっかくだから、貴女も飲みなさい」

「…………」

 ワインを勧めるスコールではあるが、やはり真耶は口にしようとはしなかった。

 スコールもまた相手が飲もうとする素振りを見せぬと悟ると、それ以上は無理に勧めることもせずに。

「もう一度言うけれども、先の話、わたしは本気よ?」

「…………」 

「来なさい、真耶。貴女はそんなところ(IS学園)で終わる人間じゃないわ。わたしたちと一緒に、新しい世界を創る気はない? 貴女は自分でも才能が在ることに気づいていないだけ。織斑千冬にだって……いえ、ハッキリと言うわ。あのブリュンヒルデ(織斑千冬)すら凌駕できる実力を持っているのよ」

「…………」

「いつまでも、ブリュンヒルデ(織斑千冬)の後ろに立っている気もないでしょう? 前に進みなさい」

「……前に?」

「そうよ。よく考えてみなさい。衛宮士郎くんの身に起きたことを。あの女は何をしてくれたの? むしろ篠ノ之束側の味方であるかもしれないとは思わないの?」

「…………」

 その指摘は真耶とて疑いを晴らすことはできていないというのが現状である。千冬本人に正直に問い詰めているわけでもない。

 しかし――

 だからといって、スコールの話をまともに聴いて鵜呑みに出来るハズもない。

 これ以上話を聴いていたくなかった真耶は、再び席を立ち上がっていた。

 二度目となる行動に、再度周囲の客から煩わしそうな視線を浴びることになるのだが――

 だが、真耶こそ今度は周囲の視線など一切気にしてなどいなかった。

「帰ります……もう、これ以上、アナタと話す意味がありません……」

「あら? わたしとしては、貴女ともっとお話したいと思ってるのよ? この機会に、お互い、もっと仲良くなれると思うのだけれど?」

「――っ、わたしは思いませんっ!」

 ハンドバッグを手にし、退席しようとする彼女へ――スコールは呼び止めていた。

「ああ、ちょっと待って」

「なんですかっ!? お金を払えというのならば払いますよっ!?」

 自分のディナー代を払っていけというのであれば、真耶は大枚をはたくつもりである。なんなら、相手の分でさえ払って早くこの場から去りたい感情が強かった。

 見当違いな啖呵を切る真耶に対し――しかし、スコールは嫌われたものねと静かに笑う。

「違うわよ。コレ」

 テーブルクロス上を滑らせるように、差し出されていたのは折りたたまれた紙片である。

 意図が理解できぬ真耶の視線はスコールと紙片とを交互に行き来する。

「わたしの連絡先よ。受け取るも、捨てるなりお好きになさい」

「…………」

「ただ、これだけは言っておくけれど、学園にいる以上は、調べられることにも限界があるわよ? 今の貴女に出来ることなど高が知れているのだから。よく考えることをお勧めするわ」

「――ッ、馬鹿にしてっ!」

 眼の前で破り捨てようと手を伸ばした真耶ではあるが――

 そうはせずに、奪い取るように紙片を握り締めると踵を返していた。

「何かあったら、いつでも連絡しなさい。これでもわたしは、貴女の味方のつもりよ? その時に、貴女が知りたいことを教えてあげるわ」

「…………」

 聴いているのかいないのか――

 それには返答することも無く、真耶は駆けるように出入り口へと向って行った。

 

   ◆

 

「なんで、あんなヤツに声をかけたんだ?」

 真耶が退席するのを見計らい、入れ違うかのようにスコールへと歩み寄って声をかけたのは、同じようにドレス姿のオータムである。彼女もまたこのレストランの一角に座り、一部始終のやりとりを観察してはいたのだが。

 当然のことながら、スコールに何かあったとすれば、真耶をこの場で殺すことも厭わなかったが。

 オータムにとって、山田真耶など『ただのトロそうな女』という程度にしか見えていない。あんな女をこちら側に引き入れるメリットなどなにもないでは無いかというのが本音である。

「何の役にも立たないだろ、あんな女」

「そうかしら? 彼女、()()()()()?」

「…………」

 面白い、とはどういった意味をさしているのかオータムは理解していない。故に、彼女の表情は、更にムスッとしたものへと変わっていた。

 スコールの興味が真耶へと移っていることへ。なによりも、一番面白くないと捉えているのは、よりにもよってスコールがプライベートである連絡先を教えていたことだった。

 仏頂面となるオータムに――スコールもまた相手の認識を悟ると、くすりと声を洩らしていた。

「もしかして、焼きもち?」

「…………」

 図星であることにオータムは反論せず。フンとつまらなそうにそっぽを向くだけ。

「嫉妬してくれるオータムは可愛いわね」

「フン」

「彼女にはフラれちゃったから、そんなオータムと一緒に食事がしたいわ」

「……わたしは、あの女の代わりなワケか?」

「あら、わたしとじゃ嫌?」

「…………」

 嫌なものかと口にできるワケもなく、黙って席に着くなり――添えられているナイフとフォークを手にすると、手付かずであった真耶の分の料理を口にしオータム。

 スコールもまたワインに口をつけていた。

「厄介なことにならないといいがな」

 考え無しに簡単に連絡先など教えてしまっては、そこから足が付きかねない。

 面倒くさいことになるだけだろうと読むオータムではあるのだが……スコールは「大丈夫よ」と応えるだけだった。

「どうしてそう言える? あの女が織斑千冬に話でもしてみろ。どうあっても、邪魔になるだけだろ?」

「それは『話していれば』での前提よね? 織斑千冬には話さないわよ、彼女……恐らく、ひとりでどうこうしようとするタイプだもの」

 現に、此処に来たのも彼女ひとりである。誰かに話をし、同行者を伴って来るという選択肢もなくはなかった。

 だが、真耶はそうはしなかった。出来ないわけではない。出来るのにしなかった。この意味は、似ているようでいながらも全く異なる。

 スコールの読みのまま、ひとりで現れたということは裏が取れたことになるのだから。

 予想通りに、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 このことを今一度把握したのはスコールだけである。

 当然オータムはそんなことを知らないために、疑問を口にするだけでしかない。

「根拠は?」

「……そうね……()いて言うのならば、女の『勘』かしら? それを見越して、明かしたワケだから」

「……なんだ、そりゃ」

「そう簡単に釣れるとは思ってはいないわよ。今日の本来の目的は、顔見せのようなものだったし。それに」

「それに?」

「遅かれ早かれ、彼女はこちら(亡国機業)に来るわ。来る。()()()()

 揺さぶりは十二分に意味を成す。

 ()()()()()()()()()()()――

 確信を得たかのように、スコールは愉しそうに笑みを浮かべるのだった。



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55

「よぅ、衛宮」

「…………」

 不意にかけられた声音に対し、振り返る士郎の片眼である視界に映るのはふたりの女生徒であった。

 ひとりは、金の髪をうなじで束ねた生徒。

 もうひとりは、太めの三つ編み髪に小柄で猫背。

「…………」

 今一度、士郎はふたりの女生徒を見改めていた。顔と名前が一致しない彼からすれば、返答につまるのは致し方ない。

 思わず不躾に視線を向けてしまっている士郎ではあるが、長身の生徒はニタリと――どこか意味深のように――口元を歪ませていた。

「お? なんだなんだ? そんなにマジマジと見入って。あ? なんだ? アレか? 惚れたか? 俺の魅力に中てられたのは、そりゃまぁ仕方がねェな」

 何がそんなに面白いのか、ゲラゲラと笑いながら士郎の背をバシバシと叩き彼女。

「…………」

 無言のまま、士郎は片眼をぱちくりとさせていた。

 呆然、である。

(なにを言ってるんだ……コイツは……)

 そのようについ胸中で呟いてしまうのも当然と言えよう。

 なによりも、士郎を一際困惑させたのは相手の恰好であった。独自にカスタマイズされているIS学園指定の制服にもかかわらず、胸元は大きく開かれ、スカートは短く深いスリットすら入っている。加えて、上下ともに黒い下着が露出する程に。

 制服を身に纏っているとはいえ、女性特有の肢体のラインがはっきりとわかる。

 彼とて歳相応の男児であり、眼のやり場に困るのだから。

 士郎の心の声に同調したかのように、小柄の生徒が口を挟む。

「なに言ってんスか? みっともない恰好に呆れてるんスよ」

「あ? お前こそなに言ってんだよ。見惚れてる、の間違いだろ?」

「うわぁ、そこまで自信満々に応えられるなんて、ある意味アホっスね」

 そんなふたりのやりとりを耳にしてはいるのだが、自意識過剰としか思えぬ言動に対し、どう反応していいのかわからないといった複雑な心境になりながらも彼は言葉を洩らしていた。

「ええと……」

「ダリルだ。ダリル・ケイシー」

「フォルテっス」

「……どうも」

 軽く自己紹介する彼女たちに、一拍間を置き会釈する士郎であるが――ダリル、フォルテとの両者の名には聴き覚えがあった。

 千冬と真耶から教えられていた、IS学園一年生以外の専用機所持者の存在。楯無の他に二年生と三年生にそれぞれひとりずついるとも聴かされていた。

 もっとも、あくまでも士郎が知っていたとする範囲は、学年と名前、所持する専用機IS、所属国家のみである。

 三年生のアメリカ代表候補生、ダリル・ケイシー――

 二年生のギリシャ代表候補生、フォルテ・サファイア――

「…………」

 頭の中にしまってある情報をもとに、彼は別の事を考えていた。声をかけられたということは、なにかしらの用があるということになる。

事実、ふたりからは挨拶だけをしにきたという雰囲気は感じ取れていなかった。

 意識したわけではないのだが、些か表情を硬くする士郎は問いかけていた。

「それで……ケイシー、先輩……? なにか、俺に御用でしょうか?」

 確か機体の名は『ヘルハウンド』だったかと探りを入れながら自然と構える。

 が――

「なんだよ、そんなに構えんなっての」

「あ、いえ、そういうつもりはないんですけれど」

「身構えんなよ、気楽にしろっての。表情堅ェぞ? オイ」

「はあ……」

 陽気に笑いながら歩み寄るダリルは士郎の背を再びバシバシと叩くと、そのまま腕を伸ばし肩を組んでいた。

「――――」

 無造作、とも呼べるほどに肩に手を回してくる彼女に対し、士郎は困惑するだけである。

 表現するならば『気さく』な性格であろう。とはいえども、それは良く言えばであり、悪く言ってしまえば馴れ馴れしいことに他ならない。

 身長差により肩を組まれているため頬が触れるほどに密着されており、女性特有の甘い香りが士郎の鼻腔をくすぐる。

 だが、ここで更に士郎を戸惑わせる事態が生じていた。

「あの……」

「あ?」

 敢えて視線を逸らし、申し訳なさそうに言葉を洩らす士郎であるが、相手は気にした様子も見せていない。指摘するかどうか迷う彼ではあるが――やはり示すべきであると告げていた。

「……その……すみません、胸が、当たってるんですが……」

「なんだ、ンなことか? 当ててやってんだ。気にすんな」

「…………」

 士郎は言葉を失うのみである。

(……え? なんでそのぐらいで、的な感じで済まされるのさ……)

 自身が知り得る範囲に該当しないタイプの女性である。

 自堕落、わがまま、暴君姉として振舞う――衛宮邸で主に士郎に対してだが――藤村大河とて、恥じらいに関してはここまで無頓着ではない。

 敢えて、敢えてであるが――

 例えるならば、恥じらいを一切合財捨てた藤村大河と美綴綾子、蒔寺楓の三人を足して半分に割ったような感じの人間だと判断するのは士郎の心の中の秘密である。

 半ばヘッドロックに近い体勢へと変わっていく状態である士郎の一方、フォルテとしては些か不機嫌そうな表情へと変わっていく。

 心なしか、声音にも棘が含まれていくことになるのだが。

「先輩、彼、嫌がってるっスよ」

「あ? なにを嫌がってるってんだよ。男にとっちゃ役得だろ?」

「――――」

 よりによって、なんてことを言うんだと抗議しかける士郎であるが、首に回されているダリルの腕が喉を締め付けているため声が出ない。

 豊満な胸を彼に押し当てながら――当然わかっていながらなのは言うまでもないが――フォルテは続ける。

「超が付くほどガサツで恥じらいもない相手に、どう対応していいかわかんないってトコっスよ」

「…………」

 見事なまでに的を得ている指摘である。欲を言えば、ストレート過ぎずに、もう少し言葉を包んでもよいと思うところであるが。

 と――

「…………」

 先から鼻腔をくすぐる甘い匂いに士郎の意識が向けられる。

 この匂いと似たようなものを、以前どこかでかいだような覚えを感じていた。

 それと同時に、締まる戒めが些か緩まったところで士郎は口を開いていた。

「先輩、あの……」

「ダリルでいいっての。それにお前、本来俺とタメだろ? 敬語なんてやめろっての」

「それじゃあ、ダリルさん……香水、つけてますよね?」

「なんだ? クセェか?」

「いえ、そうではなくて……この香水って――」

 学園祭時に接客した、とある女性と同じ香りがしたために。

 香水の種類などごまんとある。高いのか安いのか、ブランド物なのかそうでないのか、士郎が香水に詳しいわけもない。たまたま似たようなものを眼の前の女性が使っているのかもしれない。個人的には高価なイメージが拭いきれていなかったりする。

 それ故に、士郎自身もどうしてそんなことを口にしようとしたのかわからぬのだが。

 そもそも、何を訊こうとしたのだろうか。

 だが、そんな彼の疑問を遮るように割り込んでいたのはフォルテである。ああなるほどと合点がいったという顔をして。

「汗臭いから離れろって言いてェんすよ。安物のコロンでどんなに誤魔化しても、もともとの汗臭ェもんは汗臭ェっスからねぇ」

 そう告げると、フォルテは士郎へと視線を向ける。

「アンタも、物事はハッキリと言ってやったほうがイイっスよ? この人は、ちゃんと言われないと理解できない可哀想な人っスから」

「…………」

 どうして先からもうひとりはこんなにも毒舌なのだろうか……?

 そんな士郎の胸中での疑問など知る由もなく、フォルテの発言にダリルは食ってかかっていた。

「お前、コレ、結構高価ェんだぞ?」

 高い、との言葉にやはりそうかと頷き士郎。

 しかしながら、フォルテは呆れ顔となるだけだった。

「先輩に、そんなモンが買える甲斐性があるとは思えねえっスよ」

「うるせぇなぁ。ああ、そうだよ。貰いモンだよ。それがどうしたよ? 悪いかよ? ああ?」

「あろうことか逆ギレっスか? つくづくクズっスね」

「なんだとー」

「まぁ。そんなことはどうでもイイっス」

「どうでもよかねェだろうが。おい、衛宮、俺は汗臭くねぇからなっ!?」

 そこはハッキリとさせておくぞとばかりに何故か少々きつめに念押ししてくるダリルであるが、対する士郎はといえば気のない返事で応えるのみ。

 と――

 本来の目的を思い出したのかダリルは表情を改める。

「それよりもだ衛宮、ちっとばかし付き合えよ」

「……付き合う?」

「ああ、お前、一丁前に専用機を持ってんだろ? ヤろうぜ。相手しろよ」

「…………」

 その一言で士郎は理解していた。

 コイツはISでの模擬戦を望んでいる――

「…………」

 とはいえど、模擬戦をするにも今の士郎には制限が課せられていた。身体が動くことに変わりはないが、片眼を覆う眼帯姿。補助杖を使い歩行するのがやっとの恰好である。加えて、彼は現在二点によりIS操作一連の類全てを行うことを許されていなかった。

 一点は、今の姿の士郎である。にも関わらず、そんな現状の彼を相手にダリルは模擬戦を挑むというのだから。

 どう応えようかと迷う士郎だが――その前にフォルテの気だるそうな声音が割り込んでいた。

「先輩、彼、一応怪我人なんスよ? 無理に模擬戦なんかに付き合せて、更に余計な怪我でもさせたらやっぱマズイっスよ?」

「あ? ンなこと気にしてんのか そんなモン唾でもつけときゃ治んだろうが」

 それがどうしたとばかりに応えるダリルに対し、心底呆れたかのように――わざとらしき大きな溜め息を漏らしながら――だるそうにフォルテは続けていた。

「そりゃ先輩みたいな怪我とは無縁の脳筋メスゴリラとは違うっスからねェ」

「……お前、さっきから聴いてりゃ、俺のことボロクソじゃねぇか?」

「気のせいっスよ」

 ぷいとそっぽを向くフォルテであるが、そんな彼女にもこのような悪態をつくにも理由がある。

 それもそのはずに。

 フォルテにとってみれば、自分の大切な恋人が他人にやたらべたべたと触れ合っている姿など、見ていて決して面白いわけがない。なによりも、先から必要以上に密着し過ぎている。

 ダリルもダリルとて、士郎の反応を面白がっては更にからかうために始末が悪い。

 故に、フォルテの心情、表情ともに不愉快度は増すばかりである。

「それと、彼も嫌がってるっスよ。いつまでも肩組まれてて迷惑そうっスよ。先輩があまりにも汗臭いから辛そうなんスね」

「お前、ぶん殴られてェのか? なんだよ、お前もコイツとヤってみてぇだろ?」

「……正直、どうでもいいっスかねェ」

「なんだよ。ノリが悪いなぁ。ホントは一発ヤってみてぇんだろ?」

「先輩みたいな興味本位は、生憎と微塵もないっスねぇ」

「…………」

 さて――

 ふたり……士郎を含めて三人ではあるが、先からの会話はこの場に居るだけの者たちで交わされている。

 会話だけは、であるが。

 たまたま廊下に居合わせている他の女生徒たちからの士郎への視線は酷く白かった。否、むしろこれ以上ないほどの侮蔑に近い。

 『ヤる』やら『一発』やら、部分部分の言葉だけとられてしまえば、あらぬ誤解を受けかねないために。もはや遅いが。

 別の意味で余計な面倒事に巻き込まれていることに関し、士郎は頭が痛かったのだが。

「まあいい、そういうわけだ。つーことで付き合えよ」

「……今からですか?」

「今からに決まってんだろ? ほら、いくぞ」

「あ、いや――」

 士郎の返答を待とうとせず、ダリルは半ば無理やり連行しようとする。

 だが――

「なにをしている」

 割り込み一喝する声音。そちらへ三人が視線を向けてみれば――そこに立つのは織斑千冬であった。

 思わず『うげっ』と声を漏らしていたのはフォルテであったりするが。

 瞬時に状況を見抜いた千冬の鋭い眼光は、その中のダリルへと定められていた。

「ケイシー、なにをしている」

「なにって、別になんもしてねーんですけど? なぁ、衛宮?」

 同意を求めるように肩に手を回した恰好のまま応えるダリルではあるが、千冬はフンと鼻を鳴らしていた。

「大方理由は察しがつく。衛宮はまだ怪我が治っていない。余計なちょっかいをかけるな」

「ちょっかいなんて出してやしませんよ。ただ模擬戦に付き合えって話をしただけですし」

「言ったはずだ。衛宮の怪我は治っていない。そんな状態のコイツと模擬戦の許可など出せるわけがなかろう」

 あくまで淡々と告げる千冬ではあるが、対照にダリルは軽口を叩く。

「そんなにマジになんなくてもいいじゃねーんすかねぇ? 模擬戦つったって、シミュレーターもあるんですから」

 ダリルが口にしたシミュレーターとは、学園内に設けられている仮想IS訓練用のものである。

 ISを操作する上でのあらゆるデータを取り組み、仮想空間内で再現するAI――

 とはいっても、シミュレーターは所詮シミュレーターでしかないのだが。

 ISコアが組まれているわけではないため、操作性においてはハイパーセンサーなどといった、どうしてもコアに頼らざるをえない機能が備わっていない。

 当然のことながら、IS訓練には実際の機体を使用した方が成果として影響があるが。

 マイナス面が大きく突出するが、シミュレーターでの特性が完全にないわけでもない。場所や天候などといった立地条件を自由に組み替えることができるのは、データを取り組み仮想空間内で再現するAIならではといったところであろう。

 例えれば、IS学園である一生徒に対し、市街地で周囲に被害を一切出さずに模擬戦をしてみろといわれたとしても、どだい無理な話であろう。射撃に関してもペイント弾を使用し周囲に配慮したとしても、逸れた流れ弾の行方までは対処できない。

 一寸の狂いもなく、とある市街地を忠実に再現して模擬戦時においてて好き放題破壊されても懐がまったく痛まないといった上流階級富裕層者にとっては別であろうが。

「生徒同士が切磋琢磨することは別に間違っちゃいやしませんが? 教師が生徒の技術に対する向上心を抑制するってのはおかしいと思いますがねェ?」

 ダリルが指摘する件は間違ってはいない。生徒同士が模擬戦を行い、互いに勝っている部分、劣っている部分、戦略性、行動、考察力、洞察力等、なにを補うべきかが分かるものや得られるものはおおいに存在する。

 しかし――

 千冬は一切取り合おうとはしなかった。

 何故ならば、士郎がISの操作を許されぬ残るもう一点というものが、千冬の許可が必要であるからだった。

 如何なる理由があろうとも、千冬自身からの許可が下りない限り、ISを起動、ならびに触れることすら認めらぬ現状維持である。

 無論の事、模擬戦などもってのほかであり、更に付け加えておくのならば、整備すら許されていないのだから。

 以上を踏まえた上で、彼女が容認するわけがない。

「どんな容であれ、許可は出さん」

「シミュレーションぐらい問題ないでしょう? 別に怪我するわけでもねーんですし。それとも……」

 そこで一度言葉を区切り、ダリルは自身の唇を舌でぺろりと舐める。

「なにか、衛宮にゃシミュレーションを触らせちゃ不味いことでもあるってんですかねぇ?」

 ISによる模擬戦ならまだしも、仮想訓練すら規制するということに対してかまをかけるダリルではあるが――それがどうしたとばかりに、千冬の表情に変化はなにも現れはしない。

「好きなように捉えろ。どう詮索しようがお前の勝手だが、二度も言わせるな。許可はせん」

「お堅いこって」

 はあやれやれと肩を竦めるダリルに――そこでようやく千冬の表情に変化が生まれる。ニタリ、と邪に口元は歪みへと。

「そうか、そんなに模擬戦がしたいというのなら、特別に、このわたしが相手になってやろう」

「…………」

 なにを告げられたかわからぬと、ダリルは一瞬真顔になり――無言となっていた。その返答は、半ば予想はしていなかったからだ。

 構わずに、千冬は続ける。

「お前たちが満足するまで、存分に組手稽古の相手をしてやると言っている」

「ちょ――まっ、待ってほしいっス! なんスかっ!? 『たち』? 今、『たち』って言ったんスかっ!? まさか、わたしも入ってるっスかっ!?」

 だるそうにしていたフォルテが自分を指さし食ってかかるが――千冬はつまらなそうに視線を向けるのみ。

 ()()()()()()

 元世界最強、織斑千冬を相手にしてなど、身体がいくつあっても足りはしない。

 瞬く間にダリルとフォルテの両名は顔色を悪くするのみ。

「いやいやいやいや」

「わざわざ織斑先生のお手を煩わせるまでもないッスよ」

「ほう? 衛宮は良くて、わたしでは不服だと言うのか?」

「いやいや、お呼びじゃないんで、ご遠慮願いますよ」

「そ、そんなこと言ってないっス! 滅相もないっスよ!?」

 が――

 千冬は、返答の変わりにごきりごきりと拳を鳴らしていたのだった。

「なんで骨鳴らしてるっスかっ!? 意味わかんねっスよっ!?」

「わからないだと? そんなものは至極簡単だ。それはな、これからお前たちを殴るためだ」

 この言葉にフォルテは顔色を一気に蒼くする。

「な、殴るって言ったスかっ!? た、体罰っスよ、体罰っ!? そ――それに、サンドバッグなら、このド腐れ先輩ひとりだけで十分スよっ!? 鬱憤晴らしにちょうどイイっスよ」

「なにしれっと俺だけにしてんだお前。もともとの提案は、フォルテ、お前だろうがっ!?」

「知らないっスよ。リアルサンドバッグは先輩だけにしてほしいっス」

 なんとか取り繕うとするフォルテと、冗談ではないとするダリル。責任を擦り付け合う姿は見ていて酷く始末が悪い。

 だが――

 千冬にとっては、そんなふたりのやりとりなど関係がないのだが。

「遠慮するな、連帯責任だ。二人まとめてでも構わん。それに体罰と言ったな? ああ。その通りだ」

「み、認めたっスね! なら――」

「認めたから、どうだというんだ?」

「……ス?」

「こちらの口頭による指導に従わぬ者に対し、やむを得ず、教育的名目上、肉体的苦痛を与える罰を加えることはわたしとて心が傷む」

「…………」

「ああ、本当にな……私的に罰を科す目的で、今からお前たちの身体への暴力行為に移らねばならんとはなぁ。それに、仮にも専用機持ちであるお前らふたりが今更体罰だなんだと泣き言抜かすわけでもあるまいなぁ?」

 ニタニタと底意地の悪い笑みを浮かべる千冬に対し、フォルテはぶんぶかと頭を振る。

「横暴っスよ!? 顔と言動とが一致してねっスよっ!?」

 と――

 もはや付き合ってられぬと、脱兎のごとく駆け出し逃げるふたりであるが――格別千冬は追いかけるわけでもない。

「逃げ足だけは見事な奴らだ」

 フンと鼻を鳴らす彼女は士郎へと向き直る。

「衛宮、お前もあのふたりに馬鹿正直に付き合う必要もない。相手にするな」

「いや、断るもなにも有無を言わさぬ流れでしたから……」

「お前らしいといえばお前らしいが、言うべきものはきちんと口にしろ」

「……善処します」

「まぁ、そう堅くなるな。半分は冗談だが、一応気には留めておけ。今のお前に、これ以上の負担をかけさせるわけにはいかんからな」

 千冬は士郎の肩をぽんと叩いていた。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「存外、ブリュンヒルデの監視の眼はキツイものがあるね。引き続き機会はうかがうけれど、なかなか難しいと思うぜ?」

 一言二言頷き――

「ああ、ああ……なにかあったらまた連絡するぜ、叔母さん」

 携帯電話の通話を切り、彼女は笑みを浮かべていた。




フラグON。


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