黄金の虎 (ぴよぴよひよこ)
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序章
第一話


木場 大河①


 界境防衛機関、ボーダー。

 この組織は次元を超え襲い来る謎の侵略者『近界民(ネイバー)』と対抗できる、地球上でただ一つの民間組織である。

 世界を震撼させた近界民侵攻を抑え、平和を守る組織として市民――特に本部基地が存在する三門市ではヒーローのような扱いを受けており、この町の者にとってボーダーに入隊することはある種のステータスとも言えた。

 

 そんな特殊な防衛機関に入隊するには、いくつかの試験をクリアする必要がある。

 ・基礎体力

 ・学力テスト

 ・面接

 これらが一般に知られている試験内容だ。

 防衛、すなわち戦闘を行う隊員には運動能力が求められ、作戦を理解する頭も必要となる。そして特級の極秘技術である『トリガー』を扱うため、入隊する者の素性は厳密に調査されるのである。

 しかし試験合格のための内訳には、公にされていないにも関わらずもっとも重要なファクターが存在した。

 

 それが『トリオン』。

 トリオン能力とも呼ばれるそれは人間ならば誰しもが持っている、心臓の横にある見えない内臓『トリオン器官』で生み出される生体エネルギーだ。近界民と戦うために必要なボーダーの武器『トリガー』を使うための動力でもあり、これが一定の基準に満たないと試験を全てパスしても落とされることとなる。

 トリオン器官はある程度鍛えることも可能であり、しかしそれでも劇的に変化することは稀なため、特にトリオン能力がそのまま戦闘能力に置き換えられる防衛隊員としての入隊にはそれなりの能力が求められた。

 

 剣を振るうにも、弾丸を放つにも、トリオンが必要なのだ。

 失えば戦線を離脱せざるを得ないボーダーの防衛隊員は、基本的にトリオン能力が高ければ高いほど適性があると言えよう。

 

 ――しかし、やはり物事には例外があった。

 

 

 

* * *

 

 

 

 四年前――

 近界民(ネイバー)による大規模侵攻が起きてから三度目の入隊試験。

 史上初の異次元からの侵略、そして歴史にもなかなか類を見ない千を超える死者を出した()の事件は、それまで少数精鋭志向であったボーダーを規模拡大の道へ歩ませるには充分な出来事であった。他にも様々な思惑が入り乱れてもいたが、ともかくとしていま現在ボーダーでは大々的に民間からの入隊を募集しているのである。

 また、人々の中には界境防衛機関が公になり、しかし保持する技術や近界民に関する情報が開示されずにいたことを不審に思う者も存在したが、それをおいてもボーダーは市民の憧れでもあり、三度目を迎えた入隊試験の会場を受験者で埋め尽くせるほどには、ボーダーという組織には期待が寄せられていたのだった。

 

 第三試験会場。ここは体力テスト、学力テストをクリアした者が最終試験たる面接を受けるための控室である。面接するだけにしてはやたらと広いそこには、数百人もの人間が自分の番を待って座っていた。

 高まる緊張と不安に自然と口数が多くなる受験者の群れの中で、その青年は一人、無言で目を瞑っている。

 

「えー、受験番号351番、木場(きば)大河(たいが)くん。四番の面接室へ」

「はい」

 

 名を呼ばれた青年が立ち上がり、案内された部屋へ通される。

 明るめの茶髪が伸びたままといったようなボサボサ頭。特に鍛えられたような身体でもなく、身長も高校生にしては少し高いかくらいの、極めてふつうの男子。

 面接室で待っていた三人の試験官たちも、彼を一目見た際の第一印象はその程度だった。

 

「木場大河くん、一七歳、高校二年生……ね。ああ、座ってくれていいよ」

「うっす」

 

 試験官のうち中央に座っていた男性が椅子を勧めると、木場大河はがさつな返事とともに、無遠慮にどかりとパイプ椅子に腰を下ろした。金属の軋む音に試験官の一人が目を眇めてもおかまいなしである。

 

「じゃあ、まずは志望動機から聞かせてくれるかな」

 

 試験官が書類を手に取りながら決まりきった質問を飛ばす。

 これはほとんど形式だけのものだ。この木場大河という高校生は運動・学力のテストは合格してきているし、素性も問題ない。あとはトリオン能力さえ測れればいい。

 もっとも、あまりに不純な動機を持っていたならばその限りではないが。

 問われた彼は視線を泳がせつつ、頬を掻いてこう答えた。

 

「あー……、復讐ですかね。うちの両親、近界民(ネイバー)? に殺されたんで」

「……なるほど」

 

 明らかに嘘を吐いている。三人の試験官たちは全員そう確信した。

 しかし書類上にはたしかに「近界民侵攻により両親が他界」と記されていた。残った家族は妹が一人。もしかしたら金銭的な理由が志望動機で、いまのは試験官の同情を誘うための嘘か、と彼らは受け取った。

 どちらもボーダー志望の者にはありがちな理由ではある。家を失った者、家族を失った者――どちらであっても防衛任務に意欲を見せてくれるため、特に減点対象にはなり得ない。

 まあ、全てはトリオン能力で決まる、と言ってしまうと元も子もないのだが。

 

「君は防衛隊員志望かな? それとも技術者(エンジニア)?」

「防衛隊員ですね。機械とかあんま強くないですし……身体を動かすのは嫌いじゃないっす」

「ふむ……」

 

 彼の答えを書類に書き込みつつ、"試験終了の合図"を待つ。

 この部屋にはトリオン能力を測る装置が備え付けられており、別室でそれを測定しているのだ。モニターしている()の試験官から通信が届けばあとは適当に話しておしまいにするだけ。

 いくつかの質疑応答を繰り返しているうちに、中央の試験官の耳にザザ、と通信が繋がる音が届いた。

 

《こちら観測室(モニタールーム)……》

 

 どうにも困惑した様子の声に、通信を受け取った男は思わず眉根を寄せる。先ほどまでは「トリオン能力(てい)、不合格」とばったばったと受験者を切り捨てていたくせに、と。

 彼は面接中の大河に知られないようこっそりと――実は試験官はトリオン体である――秘匿通信を送り別室の試験官と言葉を交わした。

 

「《どうしたんだ? 測定は終わったんだろう?》」

《いや、それが……。もう少し面接を引き延ばしてくれないか?》

「《はぁ?》」

 

 歯切れの悪い答えに語気が荒くなる。しかしまぁ、必要ならばしかたない。そう思って改めて目の前の男子を観察してみた。

 ふてぶてしさを除けばどこにでもいそうな高校生。だがトリオン能力を測定している試験官の様子からして、もしかしたら彼は金の卵なのかもしれない。あまりの数値に測定器の故障を疑ったとか、そういう事態になっているのかも――

 トリオンはトリガーを介さない限り目には見えない。だからこそこうして時間をかけて測定しているのである。

 面接の内容を世間話に移行させつつ、試験官は観測室からの連絡を待った。

 

 

 

 

《すまん、待たせた。受験番号351番、合格だ》

 

 およそ一時間にも及ぶ面接は、その言葉でようやく終わりを迎えた。

 やれやれとバレないように心の中でため息をついて、締めくくりの質問を飛ばす。

 

「じゃあ最後に……。木場くんは、正隊員になれたら何をしたい?」

 

 最初と最後の質問は全て同じと決まっている。面接内容があまり重視されない以上、奇をてらった質問など余計に意味がないためだ。多くの受験者たちは「頑張って街を守りたいです」とか「これ以上自分のような人間を増やさないために努力します」などといった綺麗な言葉を使う。

 しかし彼は違った。

 鋭い歯を剥いて残忍に笑い、こう答えたのだ。

 

「――とにかく近界民をブッ殺したいです」

 

 至極楽しそうに。溢れんばかりの期待を声に乗せてそうのたまった。

 一瞬ぎょっと身体を固まらせた試験官たちだったが、どうにか平常心を保って愛想笑いを浮かべる。

 近界民に復讐心を抱く者は数多い。故に馬鹿正直に近界民を殺したいと宣言した受験者も少からずいた。最近ではたしか三輪という少年も似たようなことを言っていたはずだと記憶している。

 だがこれほど楽しそうに、嬉しそうに「殺したい」などと言った者がかつていただろうか。

 猛獣を野に放つような、取り返しのつかないことをしてしまったかのような焦燥感に囚われるが、すでに合格は決定事項。試験官たちはどうすることもできずに大河の退室を見送るしかなかった。

 

 

 

* * *

 

 

 

 試験を通過した大河は後日、ボーダー基地本部にて訓練用トリガーの受け渡しのために開発室に呼び寄せられていた。

 と、思っているのは本人だけで、実際は大河のトリオン能力について技術者(エンジニア)、その筆頭である鬼怒田開発室長が呼び出したのである。

 

 あの面接で行った大河のトリオン能力の測定結果は――――『不明』、であった。

 

 彼を測定しようとした機器は軒並みエラーを吐きだし、全くもって解析不可能だったのだ。

 とりあえず合格としたのは、それが機器の不調や大河にトリオン能力が全くないからではなく、むしろトリオン能力が高すぎるのではないかという疑いがあったから。そしていま、今度こそ精密に計測するために呼び出したのだった。

 

「わしはボーダーの開発部門を束ねる鬼怒田(きぬた)本吉(もときち)という者だ。おまえが木場大河で間違いないな?」

「あー、はい」

 

 気の抜けた返事に鼻白みながらも、鬼怒田が訓練用トリガーを差し出す。

 

「これがボーダーが近界民と戦うための武装、トリガーだ。これを持って起動の意思を発すれば誰にでも使える。まぁ、最初は勝手がわからんだろうから、『トリガー起動(オン)』という言葉をキーワードにして慣らしていくのが通例だな」

「へえ……」

 

 受け取ったそれをしげしげと眺める大河。

 訓練用トリガーにはほぼ基本的な能力しか備わっていない。すなわち、トリオンでできた戦闘体への換装と、一つだけ設定された武器の発動である。

 そして戦闘体で訓練室に入ればコンピューターがそのトリオン能力を再現するために精密に測定してくれるのだ。面接用の程度の低い測定機器では測れなかった彼の能力も、これではっきりするだろうという鬼怒田の考えである。

 

「ではやってみろ」

「うっす……」

 

 いきなり渡されて「トリガー起動(オン)」と叫べ、などと言われると少し気恥ずかしいものがある。まるで子ども向けの特撮ヒーローのようではないか。

 しかしまぁ、これを起動するのがボーダーの戦闘員たる最低限の資質なのだからやるしかないわけだが。

 深呼吸して羞恥心を押し込めた大河は、トリガーを握って起動する意思をたしかに強めた。

 

「トリガー、オ――――」

 

 瞬間、開発室に爆発音が響き渡った。

 同時に巻き起こった白煙が瞬く間に部屋を埋め尽くしていく。

 

「な、なんじゃ!?」

「鬼怒田さん、大丈夫ですか!」

「わしはいい! 木場は――」

 

 一瞬にしててんやわんやになった開発室内。己を心配するエンジニアたちの声を遮って大河を慮る鬼怒田は出来た人間なのかもしれない。

 空調を全開にして、ようやっと煙が晴れた部屋の真ん中で、当の大河は呆然と突っ立っていた。その手には破損したトリガーホルダー。怪我などはないようだが、心底驚いたらしく腰を抜かさないまでも目を見開いて固まっている。

 

「木場、無事か!」

「え、あ、はあ……まあ」

「そのトリガーを見せてみろ。もしかしたら不備があったかもしれん」

 

 正気を取り戻した大河がゆるりと腕を上げる。

 鬼怒田の技術者らしい分厚い手にトリガーを渡すと、鬼怒田は短い足をどたどた鳴らして解析用の機材の前に走っていった。

 それを見送ってから大河はさっきの爆発で服でも破けてはいないかと裾に目をかける。どうやら先の派手な爆発は物理的な被害をもたらさなかったようで、身体も服も、立っていた場所さえも傷一つない。

 

「これは……」

 

 ほっと一息ついた頃、少し離れた場所で鬼怒田の驚くような声が聞こえて、そちらを見やるとちょいちょいと手招きをされた。

 

「どしたんすか?」

「木場、今度はこっちの部屋でもう一度トリガーを起動してみろ」

 

 歩き寄った矢先、示された狭い部屋に押し込まれる。かろうじて見えた表札プレートには『測定室』と書かれていた。

 何事かと思う暇もなく新しく渡されたトリガーに目を落とし、「早くせんか」と急き立てる鬼怒田の声に背中を押されて再び起動の意思を強く持つ。

 

「トリガー、オ――」

 

 ボパァン! とまたも炸裂音。

 今度は狭い部屋に押し込まれたおかげで白煙が襲うのは大河だけである。ゲホゲホと咳き込む彼を無視して、鬼怒田は目を見開きコンソールに釘付けになっていた。

 

「なんじゃこれは……!」

「げほ、ちょ、鬼怒田サン、換気して換気」

「いいからとっとと出てこい!」

「前が見えねーんすよ!」

 

 どこか興奮した様子の声に急かされ、手探りで測定室を這い出た大河。

 なんなんだよ、と口を尖らせた彼を待っていたのはいつの間にかプリントアウトされた紙を持った鬼怒田の姿だった。

 

「これを見てみい」

「これは……?」

 

 渡されたコピー用紙には見たこともない単位で表わされた数字と、ほぼ真上一直線に線が伸びたグラフ。

 はてと小首を傾げる大河に鬼怒田がグラフを指さして説明してくれる。

 

「これはおまえのトリオンの出力グラフだ」

「出力」

 

 オウム返しに答えた大河の頭からハテナマークが取れない。そもそも入隊したばかりの大河は『トリオン』という言葉にすら聞き覚えがなかった。しかも指されたグラフはもはやグラフの体を為していないようにも思える。

 

「なんか、ブッ飛んでますね」

 

 ややふざけ気味に言った大河だったが、意外にも鬼怒田は満足そうに頷いた。

 

「その通り。木場、おまえのトリオン能力ははっきり言って異常だ。トリガーが暴発したのも、おまえのトリオンの出力に戦闘体が耐えきれず破裂したと思われる」

 

 このグラフは起動されたトリガーに注ぎ込まれたトリオンの数値を示している。通常、戦闘体に換装するための『起動費用』がかかるため、少し上に伸びてから山なりに降っていくはずのグラフである。

 それがほぼ一直線に真上に伸び、上限値を越えて計測不能となっているのだ。戦闘体の限界値さえも突破して、換装した直後にそれが弾け飛んだらしい。

 

「へー、そんなこともあるんすね」

 

 呑気な声で返した大河だったが、鬼怒田が口角泡を飛ばしながらそれを否定した。

 

「あるわけなかろう! 異常だと言ったろうが! こりゃ面接の時に計測機器がエラーを起こしたのも頷けるわい」

 

 まくし立てられるように説明されても、専門家でもなければ今日初めてトリガーに触った大河には全く理解が追いつかない。そんな彼を放置して鬼怒田は隈のできた目を輝かせて興奮していた。

 

「こりゃあとんでもない掘り出し物だぞ……! 城戸司令にも報告せねば――おい木場! もう少し付き合ってもらうからな!」

「えー……」

 

 飲み込めない状況に不満の声を上げた大河だったが、やはり無視された。

 このあとも様々な機械やら何やらに繋げられ、鬼怒田の悲鳴なのか歓喜なのか判然としない奇声を聞き続けることになったのだった。

 

 

 

 



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第二話

 

 

 あれから数日、多種多様な測定の結果、木場大河のトリオン能力は『測定不能』であることが判明した。……これを判明と表現していいのか定かではないが、とにかく現状の機材では彼のトリオン量の底を観測できないことがわかったのだ。

 もはや異常という言葉にすら収まりきらない大河のトリオン能力であるが、保有する"量"よりさらに特筆すべきは"出力"だ。

 訓練用は言わずもがな、正隊員用の正規のトリガーですらそれに耐えきれずに破損してしまう。同じように、訓練室にでも入り込もうものならその部屋ごと機能不全に追い込んでしまうのだから性質(たち)が悪い。

 

 だが少しは抑えろと鬼怒田に怒鳴られても、生身の状態でトリオン量の調節をすることなど誰にもできないのだから仕方がない。

 これはもう大河自身の努力や気合でどうにかなる問題ではなかった。

 例えるなら、ダムの放水でコップに水を注げと注文するようなものなのだ。どうにかすべきは放出量ではなく器のほう。

 大河を戦闘要員として扱うには特別なトリガーが必要だ。鬼怒田はそう結論付けた。

 

「こりゃ大仕事だわい」

 

 初めて会った日から一度も消えない隈の上でギラリと光る丸い目。大の大人がおもちゃを見つけた子どものようにはしゃぐ姿を見て大河は苦笑した。

 

「あー……あはは。で、俺はどうすりゃいいんですかね」

「開発室はこれからおまえ用のトリガーの開発を始める。おまえ自身の処遇については城戸司令に一任したから、一度司令室に顔を出しておけ。設計が終わり次第わしも向かう」

「はいはい……」

 

 手を払って追い出された大河は、一人わけもわからないまま歩き出した。

 とりあえず合格はしたってことでいいんだよな? そう不安に思いつつ近未来然とした廊下を進んでいく。

 鬼怒田の説明により、ボーダー隊員にはトリオンとかいう謎パワーが必要で、どうしてか己にはそれがものすごい量で備わっているらしい……ということだけは理解できている。だがなんでか強すぎてまともに運用できないらしきことも感じ取って、大河は己の行く末が少々心配になったのだった。

 

「はあ……っていうか司令室ってどこだよ」

 

 思えば場所すらちゃんと聞かされていなかった。

 あの鬼怒田という男は開発室長という地位にいることから、それなりに()の者だろうに技術以外には目が届いていないのではなかろうか。

 不満も露わにため息をついた大河は、適当に視界に映った人間に聞くことにした。ちょうど都合よく、少し向こうにエレベーターを待っている様子のスーツを着込んだ男性がいてくれたのを見つけたのだ。

 

「あのー、すんませーん」

「……どうしたね?」

 

 振り向いたその男性はその筋の者かと思うくらいの人相の悪さをしていた。白いものが混ざった髪を後ろに撫でつけた頭と、鋭い目のその左にかかる長い傷痕が余計にそう思わせる。

 が、そんなことを気にも留めずにふてぶてしくも大河は道を尋ねた。

 

「やー鬼怒田サンって人に司令室に行けーって言われたんですけど、司令室ってどこっすかね?」

「それなら、私もいまから向かうところだ」

「え、マジ? ちょうどよかった、連れてってくれません?」

「ああ、来たまえ」

 

 ラッキー、と促されるまま到着したエレベーターに乗り込む大河。

 

「いやー助かりましたー、ありがとうございます!」

「かまわん」

「俺こないだ入隊試験に合格したばっかなんですけどね、なんか鬼怒田サンって人に捕まっちゃって」

「鬼怒田開発室長から聞いている」

「あ、そーなんですか。これ俺ちゃんと合格してるんですかね? なんか入隊式ってのがあったみたいなんですけど、俺それ出てないんすよ」

 

 大河は自身も飲み込めていない状況に、不安からかぺらぺらと口を回していく。

 強面の男性は見た目にそぐわない律儀さで、時おり頷きながら大河の言葉を聞いていた。

 

「きみはたしか木場大河だったか」

「あ、はい。知ってるんですか」

「ああ。心配せずともきみはすでに正式に入隊していることになっている。安心したまえ」

「そうなんだ、よかったー」

 

 いま大河が馴れ馴れしく話しかけている相手こそ、界境防衛機関ボーダーの最高司令官、城戸正宗である。

 舐め腐ったような態度の大河であるが、若者が増えつつあるこの組織では寛容な心も必要なのか、城戸司令はとくにそれを咎めるようなことはしなかった。むしろ彼をよく知っている人間からすれば意外なほど穏やかに応対しているとさえ思われることだろう。本当に見ている者がいたら胃を痛めていたかもしれないが。

 

「こっちだ」

 

 案内された部屋にはたしかに『司令室』と書かれている。

 城戸がノックもせずにそのドアを開けたのをなんら不思議に思うこともなく大河は後に続いた。

 

「あれ、誰もいないじゃん……司令って忙しいのかな」

 

 キョロキョロと室内を見回す。

 部屋の中にあるのは執務用と思しきデスクと書類の入った棚。他には来客用のソファがテーブルを挟んで鎮座しているのみだ。

 そういえば、と大河は思う。鬼怒田には司令室に行けとは言われたものの、時間の指定はされていなかった。もしかしたらこのままここで司令とやらを待つよりも、もう一度開発室に戻ったほうが早いかもしれない。

 いったん戻るかと思い直した彼が案内してくれた男性に礼を言おうと向き直ると、

 

「では、話をしようか」

「……!?」

 

 そこには悠然と椅子に座る強面の男の姿があったのだった。

 そしてようやく思い至る。案内してくれたこの男性こそボーダー最高司令官なのか、と。

 

「ええ……、ちょっと、先に言ってくださいよ」

「なんだ、知ってて話しかけてきたのではないのか」

「いや知りませんって。こないだ入隊したばっかって言ったじゃないですか」

「そうだったな。では改めて自己紹介しよう。私がボーダー本部最高司令官、城戸正宗だ」

「木場大河です、よろしくお願いシマス……」

「別に身構えずとも、取って食べたりはしない」

 

 冗談なのかそうでないのか判然としない真顔で言われ、さしもの大河も言葉に詰まる。

 それに唐突に話をしようと言われても、彼はここへ行けと言われただけでどのような内容の話をするかなどこれっぽっちも聞いていないのだ。気まずそうに頬を掻くくらいしか彼にはできなかった。

 

「さて、きみにはボーダー史上類を見ないトリオン能力が備わっているという話だが」

「え、ああなんかそういうこと言ってましたね」

 

 口火を切った城戸司令に、まるで他人事のように返す。

 実のところ、大河はトリオン能力をもてはやされているのはわかっていても、それがどれだけ異常なことなのか未だに理解できていない。

 鬼怒田の説明は専門用語ばかりでわかりにくいし、同期の隊員たちとは一度も顔を合わせてすらいないのだ。平均も知らないのに、能力が高い――しかも目に見えないエネルギーが――と言われても、彼にとっては「へえそうなんだ」としか言いようがないのである。

 

「鬼怒田開発室長からは、きみは通常のトリガーを扱えないと報告を受けている」

「らしいっすね。俺、正隊員にはなれないんですか?」

「いや……」

 

 左目にかかる傷を指先でさすりながら、城戸は鋭い形をした目を大河の方へ向けた。

 

「ボーダーは現在、隊員を募りその規模を広げている。それに伴い隊員にはランクが付与されることとなった」

「ランク……ですか」

「個人や部隊単位での能力の指標だ」

 

 軍隊などとは少し形式が異なるが、階級のようなものである。防衛という戦闘を含む任務を行うボーダーでは、公になるまでは少数精鋭の部隊がいくつかあるだけだった。

 しかし隊員が増え規模が広がりつつあるいまでは少し体系が変わってきている。

 より優秀な人員を、より優れた部隊を、それに見合った任務に就けさせる。能力が見合わない隊員たちにはランクを上げるために切磋琢磨してもらい、仮に個人では劣っていてもポジション分けされた部隊内で役割を担わせる。そのための階級付け。

 

「AからCまでのランクを定め、隊員たちには決められたレギュレーションの武装で模擬戦を行ってもらう予定のはずが、きみには通常のトリガーは扱えない。つまりランク戦には参加できないというわけだが……」

 

 そこまで言い、少しの間を置いて城戸は続ける。

 

「私はきみをS級隊員に任命しようと思う」

「S級?」

「ああ。本来は(ブラック)トリガーを担う者のみに与えるはずだったランクだ」

「すんません、ブラックトリガーってなんすか」

「……通常のものよりもずっと強力なトリガーだと思えばいい。鬼怒田開発室長がきみ専用のトリガーを完成させれば、おそらく黒トリガー並の戦闘能力を有することになるはずだ」

「はあ」

 

 大河は納得とも嘆息ともとれない相槌をついて頷いた。

 彼は入隊式にも顔を出しておらず、ランク戦についても知らなかったままだ。もちろん対外的には機密である(ブラック)トリガーのことなど全く知る由もない。

 一応、合格書類にはランクのことと、それに伴う給料の変化なども書き記されてはいたものの、それをしっかりと読み込む前に鬼怒田に呼び出されてしまっている。

 いまいち話が伝わっていないと見た城戸は、もっと深い話をするべく切り込もうとした。

 

「きみは、何か目的があってボーダーに入隊したのではないかね?」

「ええ、まあ」

「よかったら聞かせてくれないか」

 

 城戸司令は大河を囲い込む腹積もりだ。

 S級にするのは確定としても、彼のトリオン能力は脅威である。放置する手はない。

 そして願わくば、本部司令直属の隊員にしてしまうのがもっとも都合がいいのである。人が増え、派閥が形成されつつある現在のボーダーにおいて、城戸は己の真の目的のためにも強力な駒は手元に置いておきたい。

 問われた大河はするりと視線を泳がせてから答えた。

 

「やー、近界民をブッ殺したいだけっすよ。うちの両親、あいつらに殺されちゃったんで」

「ほう……」

 

 面接の時と同じく、あからさまな嘘と思える返答に城戸は目を眇めた。

 

「ここにはきみと私の二人だけだ。盗聴も、記録もされないと断言する。加えて、きみの目的がなんであれ、それを理由に不当な扱いはしないと約束しよう。木場大河くん、きみの本当の目的を教えてくれないか」

「…………」

 

 真っ直ぐに見つめられ、大河は居住まいを正した。

 これはもう生半可なごまかしは効きそうにない。城戸の視線は心の中まで見通すような鋭いもので、てきとうな嘘を並べたところですぐさま見破られるだろうと大河に確信させた。

 しばしの間を置いて、ゆっくりと彼は話し出す。

 

「……近界民をブッ殺したいってのは本当です。でも正確に言うなら」

 

 すぅ、と深く息を吸い、大河は

 

 

「俺は、――――"人を殺したい"」

 

 

 そう答えたのだった。

 

 

 

 



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第三話

木場 大河②



 

 

 大河は昔から生き物が大好きな、ごくふつうの子どもだった。

 自分でもわからない内に人に引き寄せられ、持ち前の明るさですぐさま懐く彼は多くの人間に好かれる人気者でさえあった。

 それが「人を殺したい」とまで言うようになってしまったのはなぜか。彼がきっかけだと思っている要因は二つある。

 

 一つは小学校時代に理科の実験で行った蛙の解剖。

 当時理由もなく生き物全般が好きだった大河にとって、この実験は授業とはいえ心苦しいものであった。麻酔を打たれて動かなくなった蛙にメスが入るところなど、見ていられなくなって瞼をきつく閉じていたのを、彼はいまでも鮮明に思い出せる。

 そして、その次の瞬間のことも。

 

 同級生たちの悲鳴につられ、好奇心に負けて目を開いた大河の視界に映ったのは、腹を切り裂かれた哀れな蛙。

 鼻をつく生臭い血の臭いになぜか心惹かれて目が離せなくなる。いや、生臭さではなく、もっと強く、もっと濃い何か。それを探して大河は腹を開かれた蛙に顔を近づけた。

 騒ぎ、あるいはからかうような同級生の声もいまは耳に入らない。

 

 どれだ。どこだ? この芳しい匂い(ヽヽ)の元は。

 

 目を皿のようにして蛙の内臓を探る大河の姿は、よもや気でも狂ったのかと同級生たちに思わせた。それを気にも留めずに彼は蛙の腹に指を捻じ込み続ける。

 そして見つけた。外気に晒されてなお力強く拍動を続けるルビーのような美しい心臓を。

 

 これだ。この匂いだ。

 

 まるで宝物を見つけたような顔で心臓に触れる。とくんとくんといまも血液を送り続けるそれは、まさしく儚い宝石だった。

 ――()は、どうなっているんだろう?

 思いついてしまったが最後、生まれた興味は脳の信号を待つことすらなく手のひらを勢いよく閉じさせた。

 途端、飛び散る血液。小さなはずの蛙の心臓はどこに納まっていたのかと驚くくらい血で真っ赤に手を染め上げる。そこに広がるその匂いに大河は陶酔した。

 (わか)る、(わか)っていく――これは命の匂い、輝く生命の芳香。

 そして急速に訪れる死の匂い。命を運んでいた血液が鉄の臭いに変わっていくのをつぶさに感じ取る。

 

 ふと違和感を覚えて大河は首をめぐらせた。

 自分に注がれる奇異と忌諱の視線。

 しかし感じた違和感はそれではなく。

 

 ――――いい匂いがする。

 

 そこで、大河は全て理解した。

 己が生物を好んでいたのは、この"命の匂い"に惹かれていたから。そして生物のカテゴリにはもちろん、人間も含まれている(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)、ということに。

 蛙も、犬も猫も。生きるもの全てが持つ生命の香り。

 ○○くんも。□□ちゃんも。△△先生も××さんも。みんな胸の中にコレ(ヽヽ)を隠し持っているんだ。――――見てみたいな。

 ヒトが放つそれは他と比べて特に濃かった。だからより興味を引く。

 気になる。……気になる。

 

 この日から大河少年は同級生から距離を取られながらも、なおにこにこ笑って懐いてくるどこか不気味な子どもとして注目されることとなった。

 

 しかしこの時点ではまだ、人を殺したいなどと声高に言うことはなかったのだ。

 幼いながらもそれが悪いことであると理解していたし、人ならざるも生き物を殺傷すれば怒られ、悲しむ者がいるというのは知っていたから。

 だから大河は我慢した。ずっとずっと我慢し続けた。

 誰もが持つふくよかな生命の香りを嗅いでも、祭事で大人数の匂いにあてられても。

 耐えて、耐えて耐え続けた。

 そうして中学を過ぎ、高校に上がり、かつての蛙事件もすっかり忘れ去られ再びふつうの学生になりかけたころ。

 

 あの大規模侵攻が起こったのだった。

 

 謎の侵略者による大蹂躙。人々は逃げ惑い、ある者は殺され、ある者は連れ去られた。

 混乱を極める最中、大河はたった一人の妹を連れて家へと急いだ。泣きわめく妹をなだめすかし、さまざまな形をした侵略者の妙な臭い(ヽヽヽヽ)を避けて幸運にも無傷で自分たちの住居に辿り着くことができた。

 だがそこで待っていたのは、既に冷たくなり始めた両親の姿。

 胸に大穴が空き、見るからに死んでいる彼らを目に捉えた妹は酷く泣き叫んだ。

 それをなだめつつ大河も悲しみに暮れ、しかし蘇えるかつての切望。

 

 ずっと嗅ぎたかった匂い。探し求めていたモノ。――人間の臓腑の香り。

 けれど足りない。これは足りてない(ヽヽヽヽヽヽヽヽ)

 

 その存在を知ったいまならわかる。

 求めていたのはトリオンの匂い。生体エネルギーであるその香りに大河は惹かれていた。

 当時は知り得なかったトリオン器官ごと心臓を抜かれたがらんどう(ヽヽヽヽヽ)な両親からは、その残滓しか感じ取れない。

 

 これがもう一つのきっかけ。

 ずっと耐えてきた大河の欲求は、両親の死の匂いによって強く、より大きく膨らんで、もはや抑えきれるものではなくなり始めていた。

 

 ――殺したんだから、殺されても文句は言えないよな。

 

 怒りでもなく、憎悪でもない。ただそういう言い訳(ヽヽヽ)を得て、零れる涙を拭くこともせずに大河は立ち上がった。

 遠くにはいまもなお蹂躙を続ける謎の巨獣たち。

 匂いでわかる。アレは生き物じゃない。ならば――

 

 

 

――――――

――――

――

 

 

 

「アレを操ってる奴らがいる」

 

 黙って話を聞いていた城戸司令に視線をやりながら、大河は笑う。

 殺戮を繰り広げた謎の侵略者。あの巨像からは生きた匂いがしなかった。だがあれほどの動きをプログラムするには高度な知識が必要である。

 

「そいつらはきっと俺たちと同じような人間(ヽヽ)だ。けど、俺たちの世界の住人じゃない。つまり……」

 

 殺しても、いいんだ。

 そう結論づけた大河は大規模侵攻で唯一近界民(ネイバー)と対抗し、近界民にもっとも近い場所にいるであろうボーダーへ入隊したというわけである。

 なるほど、と頷いた城戸は再びこめかみの傷に指を這わせた。

 

(彼の匂いに対する執着はおそらくサイドエフェクト……言うなれば強化嗅覚の影響だろうが、トリオンを嗅ぎ分けるというのは聞いたことがない)

 

 正隊員と同じように、ランク分けすればSからCのうちもっとも希少度の低い強化五感の一種。しかし炎や電気と同じように、それそのものには匂いなど存在しないエネルギーであるトリオンを嗅ぎ取るなど、本来ならばありえない話だ。

 だが彼の尋常ならざるトリオン能力の影響がそれを可能にさせているのかもしれない。同時に、この異常な殺人衝動もそのせいか。

 いわば、副作用(サイドエフェクト)の副作用。一度知ってしまったトリオン器官の香りは、まるで麻薬のように大河の脳を侵してしまったのだろう。

 しばし黙考していた城戸は話し終えた大河に向かって口を開いた。

 

「……結論から言おう。たしかに近界民を殺しても法に触れることはない。奴らにこちらの人権など存在しないからな」

 

 城戸は努めて無感情にそう断じた。

 個人的な恨みを除いても、この世界の住人ではない近界民はいかに人型をしていたとしても厳密には人間ではない。ゆえに殺そうと監禁しようと罪に問われることもない。この世界の法はこの世界の秩序しか守らないのだから。

 

「――――!」

 

 その言葉にギラリと目を輝かせる大河。

 まさか自分のこんな話を真面目に聞いて、しかも肯定してくれる人間など存在するはずもないと思っていた彼は、それだけで城戸に対して好感を覚えた。

 

「君がS級隊員となり、もし……私の、本部司令直属隊員となれば、いつかその願望を叶えてやることも可能だろう」

 

 城戸が続けたのはやはり勧誘のセリフだった。

 この異常に過ぎる殺人衝動を持った人間を放置するのは危険すぎる。しかし手元に置いてコントロールできるならば、これ以上ない強力な駒となるだろう。

 大河の能力を活かすには、その牙を向ける相手を用意せねばならない。だが近界民を排除するのは城戸も望むところ。これは穏健派の忍田にも友好派の玉狛にもできない優位な点である。例え異常嗜好の持ち主であっても、城戸にとっては都合のいい趣味であるとしか思わない。

 

「どうかね?」

 

 試すように問われた大河は、一瞬の逡巡もなく即答した。

 

「なります」

 

 初めて自分の異常性を認めてくれた人間。それだけでなく、望みを叶えてくれるとあっては頷かないわけがなかった。

 殺してもいい、と。殺させてやる、と。この男の部下になれば『殺しの許可証(ライセンス)』が手に入るという。ならば断る理由がどこにあるというのか。

 

「俺は、アンタについていく」

 

 鋭い歯を見せて笑った大河を見て、城戸も満足そうに頷いた。

 その莫大なトリオン能力を以て近界民を排除する。黒トリガーにすら値しかねないその力を存分に揮わせる。このトリオン能力があればおそらくどのようなトリガーでさえ起動できるだろう。それこそ、近界(ネイバーフッド)の国をまるごと消滅させてしまうような、規格外の破壊兵器さえ。

 それを、いま、手に入れた。世界を揺るがす引き金(ワールドトリガー)を、この手の中に。

 

「決まりだ。これから先、木場隊員には私が直々に命令を下すことになる。鬼怒田開発室長には君専用トリガーの開発を急がせよう」

 

 城戸が書類を一枚取り出して署名、押印して大河にもまた名前を書かせる。

 嬉々としてペンをとる大河を見つつ、城戸は内心でほくそ笑んだ。忍田派や玉狛派に先んじて、城戸派はとてつもなく大きな"牙"を手に入れた。あとは鋭く磨き続け、来たるべき時に突き立てるだけだ。

 そうでなくとも大河のトリオン量はボーダーに対して多大な利益を生むだろう。防衛能力や防壁の強化、トリガーの新規開発、使い道はいくらでもある。

 

「では、これからよろしく頼むぞ」

「こちらこそ」

 

 どちらからともなく右手を延ばし、契約(ヽヽ)を終えた。

 互いの利益のため、虎は首輪を受け入れ、飼い主は餌を約束した。後の最凶戦力、特S級隊員はこうして誕生したのだった。

 

 城戸は無表情のまま、傍から見てもわからない程度だが上機嫌になったらしく、心なしか饒舌に大河と会話していたところに鬼怒田が現れ、大層彼を驚かせたという。

 

 

 





大河のイメージはコミックス13巻に掲載されている『企画初期のカゲ』です。
超悪人面(笑)



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黒トリガー争奪戦編
第四話


 

 

 時は現在。

 現ボーダー設立からおよそ四年半の月日が流れたいま、城戸は司令室で執務をこなしながら遠征部隊の帰りを待っていた。

 先日連絡のあったA級上位三部隊(チーム)……ではなく、先ほどいきなり到着予定だけを送りつけてきた特殊部隊、S級木場隊(ヽヽヽ)の帰還である。

 

 大河は本部司令直属隊員となり開発された専用トリガーの訓練を一年ほどこなしたころ、突如として駄々をこねだした。早く近界民(ネイバー)殺させろ、と。

 いつか叶えてやるとは言ったものの、あまりに早い限界の訪れに城戸は頭を痛めた。実際、人型近界民がそうそう乗り込んでくるようなことはなく、(ゲート)を通じて現れるのはトリオン兵ばかり。大河にはそんな不満が蓄積していたらしい。

 

 そしてついに城戸が踏み切ったのが、ごく少数による極秘裏の遠征計画。

 題して『極めて能動的なトリガー技術獲得のための遠征』。要約すると「殺してでもトリガー奪い取りにいく遠征」である。

 超々トリオン能力を持つ大河を近界(ネイバーフッド)へ放つというのは、如何な近界民嫌いな城戸司令といえども簡単には承諾できない危険な賭けでもある。

 なんせ捕獲でもされればあの能力がそのまま脅威となってこちらに降りかかるかもしれないのだから。それでも首を縦に振ったのにはいくつかの要因があった。

 

 まず第一に大河が城戸に忠実な姿勢をとっていたことが挙げられる。

 己を認めてくれた初めての人間ということもあって、大河は城戸に忠誠を誓っている。簡単には裏切らないと確信できる従順な虎はその牙を主の敵のみに向け、城戸も大河を信頼に値すると思い始めていた。

 

 二つ目に、大河の戦闘能力はこちらの世界(ヽヽヽヽヽヽ)では満足に(ふる)えないのもあった。

 ひとつ例を挙げるなら大河専用に造られた射撃用トリガー『ハイドラ』。これは両肩に砲塔を構える大出力のトリオン(カノン)であるのだが、これまた彼専用の仮想空間でこれが火を吹いた結果、水平に撃つと正面およそ数キロにわたって瓦礫の山が生まれてしまうこととなった。左肩のメテオラ装填の砲に至っては市街地が消し飛ぶ威力である。

 防衛任務でこんなものを撃ち放ってはトリオン兵よりも甚大な被害を振り撒いてしまうとして、大河はあまり戦闘に出されることがなくなってしまったのだった。これもまた駄々をこねた理由に含まれているのかもしれない。

 

 そして最後に、ボーダー本部のトリオン貯蓄がこれ以上追いつかないのがある。

 彼の膨大なトリオン量は本部基地運営のためのトリオンタンクを瞬く間に埋め、なおかつ余るというまさしく規格外の保有量を誇っていたのだ。新たなトリガーを開発するにも、防衛措置を徹底するにも余りありすぎるそのエネルギーは、彼に大きな暇を与えてしまった。

 レギュレーションの違う装備ではランク戦にも出られず、防衛任務にも使えない過剰戦力は日々を無為に過ごし、ついに爆発してしまったのである。

 

 そんなおりに知られてしまった近界(ネイバーフッド)遠征のこと。

 城戸は秘密にしていたことでぶつくさ文句を言われ、それからずっと張りつかれて駄々をこねられ続けていた。あまりのしつこさに城戸は様々な条件を課することで、ようやく極秘裏にGOサインを出したのだった。

 

 条件は遠征における禁止事項や想定される危険に対する回避法の徹底。

 そしてとにもかくにもまずは許可を出した日から一年間は訓練を続けること。

 これには同じくS級となった迅悠一や天羽月彦、そして本部未認可のトリガーを使っている玉狛支部の隊員が相手にあてがわれ、彼らにはそれはもう嫌な顔をされたという。若干、城戸司令の私情が混じっている気がしなくもないが、それは置いておこう。

 

 この一年という月日は、大河用に新たに遠征艇を建造する期間でもあった。

 通常、数部隊(チーム)合同で乗り込む遠征艇はタンクに燃料としてトリオンを貯蓄し、それがなくなれば乗員からも補給を行う。しかし大河がいればそんなものは必要ない。

 本部基地すら運営できる彼がいる限りトリオン切れなどとは縁が遠く、そのぶん多機能・高性能な遠征艇を建造してできるだけ危険を少なくする目論見だった。……出来上がったのが凶悪な戦闘兵器になってしまったというのは城戸派でも司令と鬼怒田、及びその直属の部下しか知らないことである。

 

 そしてこの極秘遠征のオペレーターを探すのも大きな課題だった。というのもオペレーターには城戸派の隊員が少なく、特に情報規制の厳しいこの遠征に登用できるほど信用のおける人間がいなかったのが悩みの種となったのだ。

 そんな時に大河が引っ張ってきたのが、その年にボーダーに入隊し女子には珍しくも技術者(エンジニア)として活躍していた彼の実の妹、木場ミサキであった。

 

 大河に及ばずも――というより誰も及ばないが――高いトリオン能力を持ちながら、それを開発部のテストにのみ使っていた彼女は、兄が引っ張っていった先の司令室で遠征の話を聞いて一も二もなく頷いた。

 兄の異常性をも飲み込んで「家族が死ぬなら近界民殺す方がマシ」とはっきりと言ってのける彼女は、やはり大河の妹なのだな、と城戸を納得させた。

 彼女にオペレーターの経験はなかったが、サポートする対象は大河一人。オペレーション能力はそこまで重要視されない。そして複雑な機構を持つ遠征艇を扱うには、技術者(エンジニア)としての知識の方が役に立つ。

 

 こうして一年を特殊な訓練に費やした木場兄妹(きょうだい)は、S級木場隊として近界へ送り込まれることとなった。

 殺戮を任務に含む危険な旅は、近界民からこちらの世界への目を欺くために通常より遠方、かつ長期に渡る長旅だ。

 だが半年ほどかけて一度戻ってきた時には、愉悦に満ちた大河の表情とともに、両手に余るほどの近界技術(ネイバークラフト)を携えて鬼怒田を大いに喜ばせる結果となった。

 戦果を挙げてしまえば止める理由も弱まり、手に入れた技術を惜しみなく注ぎこまれた最凶の"牙"はまた暗黒の海へ潜っていく。彼らは特務部隊として、城戸派の内々で飼われる虎の子となったのだった。

 

 

 そんな彼らがもうすぐ帰ってくる。

 玉狛が新たな(ブラック)トリガーを擁するという大事件に、城戸派一党は遠征部隊の帰還を待ってそれを手に入れる算段であった。そこへ飛んできた木場隊の帰還予定報告。

 A級上位三部隊に合流させれば、相手がいかな黒トリガーの使い手だろうと問題にはならない。

 城戸がそう確信した時、司令室のインターフォンが鳴って訪問者の顔がモニターに映った。

 A級七位の三輪隊隊長、三輪秀次。己が呼び出した人員であると確認して、城戸はドアのスイッチに触れた。

 

「入りたまえ」

「……失礼します」

 

 促すと、一礼をして足を踏み出してくる。

 年齢に見合わぬ慇懃な礼をして入ってきた彼は、大河と同じく城戸直属の隊員である。

 近界民を殺したがっているのも同様だが、理由は別だ。三輪は家族を殺されたことからくる純粋な憎悪で近界民を排除しようと日々研鑽を積んでいる。近界民排斥主義を掲げる城戸派とはとかく相性がよく、重要な任務に就けさせることも珍しくない。

 今回も、玉狛の黒トリガーを発見・交戦したのは城戸派では三輪隊が初であり、その説明を帰ってきた遠征組にしてもらう予定だ。

 

(ブラック)トリガー使いについての報告書は確認した。遠征部隊が戻ってきた際、実際に交戦した三輪隊には直接説明してもらいたいのだが、構わないかね?」

「はい、もちろんです」

「それと、黒トリガーの確保は重要な任務なため遠征に出ている上位三部隊に加え、もう一名、追加の人員を補充することになった」

「一名、ですか? 我々の派閥からとなると、二宮さんあたりでしょうか」

 

 三輪が僅かに首を傾げる。

 城戸派はボーダー内でもっとも人数の多い派閥ではあるが、その中でも実力者となるとそれなりに数が絞られる。A級レベルの戦闘力を有し、かつトップスリーの部隊を除くと、三輪の想像がつく限り個人では少し前にB級に降格された二宮隊の隊長くらいしか思いつかない。

 しかし城戸がゆるゆると頭を振るのを見て、三輪は思考を放棄して答えを待った。

 

「きみにはもう教えてもいいだろう。本部司令直属部隊は三輪隊だけでなく、他にもう一部隊存在しているのだ。もうすぐ近界遠征から帰ってくると連絡があった」

「……! そうだったんですか」

「ああ、S級隊員の木場大河。一応、きみとは同期にあたる」

「木場、大河……」

 

 三輪は記憶を掘り起こしてみても、その名前に思い当たるものはなかった。

 それも当然のことかもしれない。なんせ大河は入隊式もランク戦も参加できなかったのだから。そのまま極秘の遠征に出立した大河の存在は、城戸派上層部の他には訓練に付き合った一部の隊員など、ごく僅かな人間しか知り得ない。

 

「S級というと、その隊員も黒トリガー使いなのですか?」

「いや。彼は少々特殊(ヽヽ)なため、通常のトリガーを使えないことからS級隊員となった」

 

 トリガーを使えない? 不思議そうにそうこぼすと、城戸が説明を付け加える。

 

「彼のトリオン能力に通常のトリガーが耐えきれないのだ。専用に改造した武装も強力すぎて一般隊員と足並みを揃えることができない」

「……なるほど」

 

 そんなことがありえるのか。三輪の中で別の疑問が浮かんだが、城戸司令が嘘や冗談などを好まないことを知っている彼はとりあえず言葉のまま飲み込むことにした。

 

「たしかに、そんな存在がいれば遠征も楽になりますね」

 

 基地から離れる遠征においては、トリオン能力が高い者はたしかに心強い味方となるだろう。

 件の隊員はトップ部隊(チーム)と一緒に遠征に出たのかと認識した三輪は、なんとはなしにそう言い、しかしまたも城戸の頭が左右に振られたことに驚いた。

 

「木場隊は単独で遠征に出ている」

「単独で……!?」

「木場隊員の存在自体はことさらに秘匿されてはいない。しかしこの遠征内容は極秘事項だ。知ればきみにも守秘義務が課せられることになるが……」

 

 意味深な言葉に三輪は無言で頷く。

 城戸がこうして言葉尻を濁したのはおそらく、自分に何か伝えたいことがあるのだろうと察したのだ。同じ直属隊員としてそれなりに信用を得たのだ、というのも感じ取り三輪は城戸派の最深部へ足を踏み入れることを決意した。

 

「通常の遠征の目的は、きみも知っているな?」

「はい。近界の調査とともに、交渉・取引によって未知のトリガーを手に入れることだと聞かされています」

 

 前置きされたその質問に、三輪は無意識だろうが眉間にしわを寄せて答える。近界民を強く憎む彼にとっては、そんな相手と取引をすることすら腹に据えかねるらしい。

 だが続いた城戸の言葉に彼は再度驚愕の表情を浮かべることとなった。

 

「木場隊は『奪う』ことを主眼においた特殊な遠征部隊だ。手段の中には、近界民の殺害も含まれる」

「な……っ!?」

 

 しばらく開いた口を塞ぐことができなくなる。それほどまでにこの事実は三輪の心を震撼させた。

 近界民を殺しに行く遠征。そんなものが存在していたとは。

 三輪は話に聞く木場大河という人物を想像して、早く会ってみたいと強く思った。その脳裏に浮かんだイメージがとてつもなく凶悪な絵面だったのは言うまでもない。

 

「木場は、もしかしたらきみとは話が合うかもしれないな」

「そう、ですね」

 

 曖昧に頷いて、三輪は来たる遠征部隊の帰還を待ち望む。

 いまだけは玉狛の黒トリガー使いよりもそちらに意識が向いてしまう。

 話がしたい。いったいどんな思いで遠征に赴き、その先で何をしてきたのか。詳しく聞いてみたい。

 玉狛の件が片付いたら対話の場を設けてみよう。そう決めて、三輪は城戸に断りをいれてから報告書の精査を始めた。任務を早く、スムーズに終わらせるために。

 

 

 

 



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第五話

 

 木場隊の帰還は奇しくも通常の遠征部隊と重なることとなった。

 基地の中央、外部から(ゲート)の存在を隠すため防壁で囲まれたそこに、二つの重音がこだまして遠征艇が着艇する。

 その内の一機、開かれたハッチから降りてきた太刀川隊の隊長・太刀川慶が、隣に鎮座する遠征艇を見て疑問を口にした。

 

「あれ、なんでもう一機あるんだ?」

「別口の遠征か……。おそらく木場のものだろう」

「げ、あの人か」

 

 同じく降りてきた風間隊の隊長・風間蒼也がそう推察すると、太刀川は顔をしかめた。

 直属ではないものの風間は城戸派では筆頭の隊員であり、遠征の内容は知らずとも大河の存在を認識している。太刀川も大河の訓練相手になった経験があり、その時のことを思い出して眉根を寄せたのだろう。

 

 ……アレはひどかった。当時を思い出して太刀川の顔はさらに渋いものに変わっていった。

 初のS級隊員と戦えると聞いて開発室に飛び込んだのが運の尽き。

 仮想空間で街ごと消し飛ばされるわ切り裂かれるわ噛み千切られるわで、太刀川は軽くトラウマになってしまっている。いくら斬りつけてもびくともしない(シールド)や、のちに知った強化戦闘体の耐久性なども含めて、戦闘狂の彼をしていまでも戦いたくないと言わしめる出来事であった。

 むしろ、あれは戦闘ではない、と太刀川は振り返る。

 あの男のトリガーはもはや虐殺だとか殲滅などといった用途のための、人に向けるべきものではない『決戦兵器』だ。さすがの太刀川も一方的過ぎる訓練相手になるのは気が滅入って、かつての開発室から逃走したのだった。

 嫌な顔をして遠征艇を眺めつづけているとハッチが開き、風間が推測したとおりの人物が降りてくるのが見えた。黒地に白の虎模様があしらわれた隊服をはためかせ、ゆっくりと近づいてくる。

 

「お、太刀川じゃん。おひさ~」

「木場さん。木場さんも遠征行ってたのか?」

「そうそ。楽しかったぜー」

 

 後頭部で手を組んだ大河が笑いながら歩く後ろには、木場隊が()(てい)を為す唯一の要因である妹のミサキ。

 

「木場妹もか。二人で遠征? 大変そうだな」

「こんちわ太刀川さん。まあ、慣れましたよ。あんなんでも兄貴ですから」

 

 茶色のツインテールを揺らしたミサキが大河に似たつり目気味の眼差しを向けて答える。

 遠征の内容を示唆するようなことも言えないので当たり障りのないことしか返せない。そのせいでどこか冷たい対応になったが、太刀川は気にする素振りもなく木場兄妹について歩いた。

 このまま遠征部隊の隊長たちは会議室へ赴き、城戸へ報告にあがるのだ。目的地が同じ風間と船酔いの冬島隊隊長代理の当真勇もその後ろに連れ立っている。

 

 名実ともにボーダー最精鋭の隊員たちはただ歩くだけで、整備班や誘導員たちに道を譲らせる不思議な迫力を湛えていた。

 

 

 

* * *

 

 

 

 会議室では城戸司令の他に鬼怒田本吉、根付栄蔵、唐沢克己といった城戸派の幹部が、そして三輪隊から隊長の三輪と狙撃手(スナイパー)の奈良坂透が席を連ねていた。

 遠征部隊を出迎えるなら城戸と鬼怒田の二人がいれば事足りるはずだ。しかしここにいるからには何かしらの用があるのだろう。

 彼らの意図に気付きながらも、まずは報告をと風間が布に包まれた遠征成果を机に広げた。

 

「これが今回の遠征の成果です。お納めください、城戸司令」

「御苦労」

 

 並べられた四つの未知のトリガーに城戸が泰然と頷く。そして視線を横に移動させると、促されたことを察した大河も同じように遠征戦果(ヽヽ)を机に乗せた。

 

「こっちが俺らのやつね」

 

 乱雑に包まれたそれを開くと、トリガーホルダーがじゃらじゃらと音を立てて崩れた。山のように重なり合う近界技術(ネイバークラフト)の塊は、両の指よりも数が多い。

 

「うおっ、すげ」

「素晴らしい! 未知の世界のトリガーがこれほどとは! これでボーダーのトリガー技術はさらなる進化を遂げるぞ」

 

 太刀川が短く感嘆すると同時に、鬼怒田も喜びの声をあげる。

 揉み手で笑う鬼怒田へ向け、得意げな顔をしていた大河を肘でつついて太刀川はこっそりと尋ねた。

 

「こんだけの数、どうやって集めたんだ?」

「あー? んーまあ、俺らは今回長かったからな。たしか半年くらいかけたし、こんなもんだろ」

 

 まさか片っ端から殺して奪ったと言うわけにもいかず、適当に濁した大河を太刀川は訝し気に見つめる。その意識を逸らすかのように城戸が口を開いた。

 

「無事の帰還何よりだ、ボーダー最精鋭部隊よ」

 

 厳かな声音に全員が居住まいを正して向き直る。

 会議室を見渡した城戸は深く息を吸い、再び言葉を紡いでいく。

 

「帰還早々で悪いが、おまえたちには新しい任務がある。――現在玉狛支部にある、(ブラック)トリガーの確保だ」

「黒トリガー……」

「玉狛?」

「三輪隊、説明を」

 

 反応した風間と太刀川に頷いてみせた城戸は、向かって右に列席している三輪隊に目配せをした。それを受けた三輪が促し、黒トリガー接触の報告書を持った奈良坂が立ち上がる。

 

「十二月十四日午前、追跡調査により近界民(ネイバー)を発見。交戦したところ黒トリガーの発動を確認。その能力は『相手の攻撃を学習し自分のものにする』、と思われる。

 その後、玉狛支部の迅隊員が介入、彼がその近界民と面識があったことにより一時停戦。迅隊員の手引きにより近界民は玉狛支部に入隊した模様。

 ――そして、現在に至ります」

 

 淡々とした口調の報告であったが、その内容に当真が驚嘆の声をあげた。

 

「近界民がボーダーに入隊!? なんだそりゃ!」

「へえ、近界民が……」

 

 隣では大河が残忍な笑みを浮かべている。

 ――面白いじゃねーか。

 彼はさんざん近界(ネイバーフッド)で暴れ回ってきたくせに、新しい獲物を見つけて猛獣のように舌なめずりをしたのだった。

 

「玉狛なら有り得るだろう。元々玉狛の技術者(エンジニア)は近界民だ。今回の問題はそいつがただの近界民ではなく、黒トリガー持ちだということだな」

 

 風間の言葉に城戸が頷く。

 

「そうだ。玉狛に黒トリガーが二つとなれば、ボーダー内のパワーバランスが崩れる。だがそれは許されない。おまえたちにはなんとしても黒トリガーを確保してもらう」

 

 黒トリガーは通常のトリガーとは桁違いの性能を誇る。元々は本部と玉狛で一つずつ保有しており、しかし隊員の数、そして規格外のS級である大河によって城戸派が大きく優勢だったのだ。

 そこへ新たな黒トリガーが参入するとなると、そのバランスは拮抗、もしくは逆転してしまう可能性がある。

 戦闘能力だけで言えば、本部の黒トリガー使いの天羽と特別な専用トリガーを持つ大河が並べば圧倒的かもしれない。しかし大河は同じ天秤に乗ることはできないのである。

 大河の持つトリオン能力とトリガーがどれだけ強大であっても、あくまでそれは通常(ノーマル)トリガーの延長線上のもの。武装の多様性や緊急脱出(ベイルアウト)の有無など有利な点はいくつかあるが、それでも黒トリガーの特殊性は他とは一線を画す。

 

(くだん)の近界民はいまも三輪隊の米屋、古寺の両隊員が見張っている。近界民の行動パターンは三輪隊から聞くといいだろう。日時などを含む作戦指揮はおまえが執れ、太刀川」

「了解です」

 

 命令を下された太刀川が頷き、部屋を後にする。これから遠征部隊と三輪隊総出で作戦会議をするためだ。

 それに続いてぞろぞろと去っていく隊員たちだったが、ボーダー幹部の一人、メディア対策室長である根付が大河を呼び止めた。

 

「木場くん、ちょっと」

「はい?」

 

 振り向いた大河から視線を切って、根付が城戸に向き直る。

 

「城戸司令、木場くんを放棄地帯とはいえ地上(ヽヽ)で戦闘させるのはまずいのでは? もし流れ弾でも飛んで市街地に被害が及んだら……」

 

 彼が心配したのは大河の戦闘の余波が街へ及ぶことであった。

 根付も大河の戦闘能力は把握しており、仮想空間で市街地が吹き飛んだ時は顔を青ざめさせたものだ。市民からボーダーへ対しての信頼を重要視する彼にとっては、この懸念は当然のことと言えよう。

 たしかに不用意に解き放てるものではないか、としばし額の傷に触れつつ黙考する城戸。

 にわかに無音になった会議室で、大河は城戸の答えを待たずに口を開いた。

 

「たぶん大丈夫っすよ。向こう(ヽヽヽ)で上手くやる方法を見つけたんで」

「何、本当か!?」

 

 その言葉にいち早く反応したのは根付ではなく鬼怒田だった。大河のトリガーを自らチューニングした彼にとっては、あの異常出力をどう制御するかに苦心していたこともあり、その方法とやらに非常に興味を引かれたらしい。

 

 大河はその膨大なトリオンの量と強力すぎる出力もあって、トリオンコントロールというものが大の苦手である。

 射手(シューター)用トリガーはトリオンキューブのサイズも異常であったが、それ以上に分割だとか威力の調整だとか、そういった調節する類の能力が皆無なため、彼の射撃用の武装は銃手(ガンナー)用のものを魔改造することになっていた。

 

 その弱点を克服していたとあれば、大河の運用もまた変わってくる。期待の眼差しを受けた大河は苦笑いして頬を掻いた。

 

「俺自身がじゃなくて、全部ミサキ任せなんですけどね」

「んん? おまえの妹が?」

「はい。まあ、やたらめったら街を破壊するとかはないはずです…………たぶん」

 

 ぼそっと付け足した言葉尻はきっちりと根付に拾われていたらしく、彼は慌てたように大河を制止した。

 

「たぶんじゃ困るよ木場くん! もし市民に被害でもあったら、信頼を回復させるのにどれだけの費用と時間がかかるか……!」

「えー……」

「いや『えー』じゃなくてだね!? き、城戸司令……」

 

 縋るような目で見つめられた城戸はひとつ嘆息して大河に視線をやる。

 

「近接戦闘は問題ないな?」

「そっちは大丈夫です。鬼怒田さんお手製のはしっかりできてるんで」

「ならばいい。射撃用トリガーは地上で市街地への方角に向けることと、水平状態での使用を禁ずる。それならば問題はあるまい」

「了解っす。あ、鬼怒田さん、作戦決まったら開発室行くんでそこで調整お願いしていいっすか?」

「わかった、あとで向かう」

 

 今度こそ退室していった大河を見送って、根付は額の冷や汗を拭う。

 アレの戦闘は下手をすると天羽の黒トリガーよりも性質(たち)が悪い。むしろ自分で制御――してくれるかどうかはさておき――できるぶんだけ天羽のほうがマシとさえ思える。

 心の中で頼みますよ、と大河や城戸や、果ては神にさえ祈ってハンカチをポケットにしまい込むのであった。

 

 

 

 

 




感想・評価ありがとうございます。
こっからどんどん滅茶苦茶になっていきますがよろしくお願いします。


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第六話






 

 

 

 人気(ひとけ)どころか生物の気配さえない暗闇の放棄地帯を、三輪を先頭にしたボーダーの一団が疾駆している。トリオン体に換装し通常では考えられないスピードで走る彼らは、レーダーに映らないバッグワームと夜の暗さも相まって、その速さとは裏腹に高い隠密性を獲得していた。

 

「おいおい三輪、もっとゆっくり走ってくれよ。疲れちゃうぜ」

 

 からかうような太刀川の軽口に答えることなく、三輪は不機嫌さを隠さずに舌打ちして脚を動かし続ける。

 彼は城戸司令に知らされた己と同じ司令直属隊員である大河と話をしたかったのに、その機会を得ることなく任務が開始されたことにいら立っていた。

 当日に決行されたのはまだいい。業腹だが太刀川の「学習するトリガー相手なら早い方がいい」という言い分は理解できたし、作戦会議中に私的な会話を慎むのも当然のことだ。

 しかし当の大河はいまここにはいない。

 作戦会議が終わった際、話しかける暇もなく開発室へ直行してしまったのである。そのまま籠りっきりで、あまつさえこの(ブラック)トリガー奪取任務にすら遅れるという事態となっている。トリガーの調整という話は鬼怒田から説明されたが、ずっと期待していたぶん、三輪の落胆は大きかった。

 

(とっとと終わらせよう)

 

 何も大河の到着を待つまでもない。この任務さえ終わらせればいくらでも話はできる。

 相手が(ブラック)トリガーだろうと、それに対抗できる者たちこそが遠征部隊に任命されるのだ。太刀川も人と成りは苦手だがその戦力は信頼にあたう。速やかに任務を完遂させて、今度こそ木場大河と話をしよう。

 決意を新たにした三輪の足を止めたのは、太刀川の大声だった。

 

「止まれ!!」

 

 急制動に足の裏がざりざりとアスファルトを削る。

 何事かと尋ねようとした三輪は目の前に立っていた人間を見て、思考に没頭していた己を恥じた。

 

「迅……!」

 

 待ち構えるように立っていたのは迅悠一。

 (ブラック)トリガーを担う正規の(ヽヽヽ)S級隊員であり、三輪が目下敵視する『裏切り者の玉狛支部』の隊員だ。

 

「太刀川さん久しぶり。……みんなお揃いでどちらまで?」

 

 揶揄するようなその態度に声を荒げかけた三輪だったが、太刀川に制されて押し留まる。

 

「こんな所で待ち構えてたってことは、俺たちの目的もわかってるんだろ」

「うちの隊員にちょっかいかけに来たんでしょ? 最近玉狛(うち)の後輩たちはかなりいい感じだから、ジャマしないでほしいんだけど」

「そりゃ無理だ、……と言ったら?」

「その場合は仕方ない。実力派エリートとしてかわいい後輩たちを守んなきゃいけないな」

 

 ふざけたことを。三輪が嫌悪を露わに顔をゆがめる。

 何がうちの隊員だ、かわいい後輩だ。ただ近界民を匿ってるだけだろうが。

 そう叫びたい気持ちが湧いてくるが、そんなことをしても暖簾に腕押しなのはわかっている。三輪は玉狛所属ということだけでなく、迅のつかみどころのないその性格が苦手で、嫌いだった。

 

「いくらあいつが近界民でも、正式な手続きで入隊した、正真正銘のボーダー隊員だ。誰にも文句は言わせないよ」

 

 三輪はまるで、詐欺師の話を詐欺師相手だと知っていて聞いているような気分にさえなった。口汚く貶してやりたくても、上手い言い方が見つからない。

 悔しさに歯噛みしていると、三輪の前に歩み出た太刀川がバッグワームを解除しながら(いや)と口にする。

 

「迅、おまえの後輩はまだ正式な隊員じゃないぞ。玉狛での入隊手続きが済んでても、正式入隊日を迎えるまでは本部ではボーダー隊員と認めてない。俺たちにとっておまえの後輩は、一月八日を迎えるまではただの野良近界民だ。

 ――――仕留めるのに、なんの問題もないな」

「……!」

「へえ……」

 

 太刀川の言葉に目が覚めた思いをしつつ、同時にやはり苦手だと再認識する。そんな三輪を置いてけぼりにして、睨み合いは加速していった。

 

「邪魔をするな、迅。俺たちは任務を続行する。本部と支部のパワーバランスが崩れることを別としても、黒トリガーを持った近界民が野放しにされている状況はボーダーとして放置するわけにはいかない」

 

 風間も迅を鋭い視線で射抜く。

 背の低さとは裏腹に、その剣呑さは見る者を怯えさせるような風格さえあった。

 

「城戸司令はどんな手を使っても玉狛の黒トリガーを本部の管理下に置くだろう。玉狛が抵抗したところで遅いか早いかの違いでしかない。それともおまえは、黒トリガーの力を使って本部と戦争でもするつもりか?」

「戦争なんてするつもりはないよ」

 

 それでもなお、迅は余裕を崩さない。

 むしろ決裂を目前にして闘気を纏い始めているのかもしれない。

 

「城戸さんの事情はいろいろあるだろうが、こっちにだって事情はある。あんたたちにとっては単なる黒トリガーだろうが、持ち主本人にしてみれば命より大事なものだ。……おとなしく渡すわけにはいかないな」

「……あくまで抵抗を選ぶか」

 

 風間のその言葉を皮切りに、本部部隊全員が意識を戦闘態勢へと移行させた。もはやこれ以上言葉を交わしても無駄だ。相手が飲まない道理は、力で押し通すしかない。

 

「遠征部隊を相手に、おまえ一人で勝てるつもりか?」

 

 黒トリガーに対抗できると判断され、選抜された遠征部隊。その三部隊に加えて三輪隊も合流している。迅悠一がその手に持つ黒トリガーを起動させたとして、勝ち目は薄い……はずだ。

 

「おれはそこまで自惚れてないよ。遠征部隊の強さはよく知ってる。おれが黒トリガーを使ったとしてもいいとこ五分(ヽヽ)だろ」

 

 そこまで言ってから、迅はニッと口の端を上向かせた。

 

「『おれ一人だったら』、の話だけど」

 

 近づく足音を捉えた太刀川が首をめぐらせる。その方向の屋根の上に、夜に映える赤色が星々を背負って立っていた。

 五つの星をかたどったエンブレム。A級五位、嵐山隊である。

 

「嵐山隊、現着した! 忍田本部長の命により、玉狛支部に加勢する!」

「嵐山隊……!?」

「忍田本部長派と手を組んだのか」

 

 増援を迎え入れながら迅は笑う。

 

「嵐山たちがいれば、はっきり言っておれたちが勝つよ。おれのサイドエフェクトがそう言ってる」

 

 ギリ、と音が鳴るほど歯噛みして三輪は彼らを睨みつけた。

 理解できない、したくもない。なぜやつらは近界民に味方する? 近界民を排除することがボーダーの責務であるというのに。

 

「あんたたちは……」

 

 ついに堪えきれなくなった三輪が口を開いた瞬間、本部部隊の真後ろに隕石でも落ちたのかと思わんばかりの衝撃波が迸った。

 アスファルトが砕けて粉塵が舞い、すわ攻撃が始まったのかと警戒し始めた隊員たちの耳に呑気な声が届く。

 

「おー、間に合った間に合った。いや遅れて(わり)い」

「木場……さん」

 

 砂埃が晴れたそこには、埃を掃う動作をしつつ歩いてくる大河の姿があった。

 いったいどこから現れたのか。そう疑問に思う間もなく、三輪は驚愕に晒される。

 

「……久しぶり、木場さん」

「あ? おー、迅じゃん。何してんのこんな所で」

 

 ずっと余裕を保っていた迅が焦っている。それだけで三輪の脳内は驚天動地だった。何を言おうと揺るがなかった自信が、たった一人の人間の登場で揺らぎ始めているのだから。

 大河の能力を知らない三輪にとっては、まったくもって理解の及ばない出来事であった。

 

「木場さんも城戸さんの命令でここに?」

「そうだけど」

「よく戦闘の許可が下りたね」

「おう、ひとえに妹の愛が為せるワザがね」

 

 おちゃらけた様子の大河に対し、迅は己の失態に舌打ちをしたい気分にあった。

 しばらく顔を合わせていなかったせいで『予知』のサイドエフェクトが上手く働かなかったのか。ここでの大河の登場は、完全に想定外の出来事であったのだ。

 迅も大河の戦闘能力を把握している。いやむしろずっと遠征に出ていたことも考慮すれば訓練の相手をしていた頃より強くなっている可能性のほうが高い。嵐山を含めた戦力差は一瞬にしてひっくり返されてしまった。

 

「木場さん」

「ん? えーっとたしか三輪っつったっけ」

「はい」

 

 内部通信で何か話していたのか、耳に手を当てていた大河が振り返る。

 城戸の話では同期ということだったが初めてまともに相対した大河を前に、三輪は現状を伝えようと言葉を探した。

 

「迅と嵐山隊が玉狛の黒トリガーに味方をするらしく、任務遂行のためにはやつらを蹴散らさなければならないみたいです」

「ふーん……」

 

 ひとつ頷きを返して、大河が玉狛勢に向き直る。

 

「なんで、って話はもう終わったのか?」

「……そうだね。できればこのまま帰ってくれると嬉しいんだけど」

「断る」

 

 声のトーンを落とした大河の両手足がにわかに淡く輝き始める。

 漏れ出る濃厚な殺意。一般人ならまだしも、常日頃戦場に身をおくボーダー隊員たちはひしひしとそれを感じ取る。

 迅と嵐山隊は不意の一撃を警戒して距離を取り、それぞれの武装(トリガー)を起動し始めた。

 

「なんだか知らねーが……邪魔するならおまえらからブッ殺すぞ?」

「……こりゃまいったな」

 

 迅が風刃を手に、かつての訓練の記憶を思い起こす。

 大河との戦闘訓練はいまと同じくこの黒トリガーを使ってのものであったが、それでも勝率は限りなく低かった。それというのも、大河の攻撃方法が予知などまるで意味を持たない力任せの範囲攻撃だったからに他ならない。

 さらに言えば風刃の能力と迅のサイドエフェクトは相性抜群だが、風刃は大河との相性が最悪だったのもある。どれだけ斬撃を走らせても強化嗅覚のサイドエフェクトで感知され、迅は(シールド)も張れないために攻撃を防ぐ手段がない。もっとも、張ったところで紙ほども役には立たなかったろうけども。

 

「嵐山、全員で木場さんを押さえてくれるか」

「了解した。迅のほうは一人で大丈夫か?」

「ああ。ちょっと予知(よてい)が狂ったから、そのぶん頑張らないといけないけど」

 

 気合を入れなおした迅は秘匿通信でさらに指示を送る。

 

「《木場さんの攻撃は防ごうとするな。距離をとって時間を稼ぐだけでいい》」

「《わかった》」

「《私は木場さん? って人知らないんですけど、そんなに強いんですか?》」

「《強いよ。あの人はなんでもかんでも規格外だからね》」

 

 嵐山隊の木虎藍にそう返しつつ、迅が跳んで廃屋の屋根に上る。

 同時に嵐山が放ったメテオラが本部部隊の目前のアスファルトに着弾して派手な爆風が巻き起こった。

 

「《頼んだぞ!》」

「《迅もしっかりやれよ》」

 

 飛び去る迅を見送り、残った嵐山たちはそれぞれ起動していた銃手(ガンナー)用トリガーを大河に向けて撃ち放った。光弾の群れが冬の夜の冷たい空気を切り裂いて殺到し、しかしそれは硬質な音を立てて弾き飛ばされる。

 見たこともないほど分厚い(シールド)を張られた後ろから何人かが迅を追い、狙撃手だろう人影も廃屋の住宅街へと消え去っていく。

 

「よし、一旦身を隠すぞ」

「「了解」」

 

 嵐山の号令に、銃を撃っていた木虎と時枝充が応えて身を翻す。

 数人が迅を追っていったが嵐山たちの目的は敵の分断と足止め。迅の先ほどの物言いから、大河さえ押さえ込めれば勝機はあると彼らは思っていた。

 何度かの跳躍を経て距離を取った嵐山隊。本部の合同部隊がすぐには追ってこないことを確認しつつ、未知の敵に対する作戦を立て始める。

 

「嵐山さんは木場って人知ってるんですか?」

「名前くらいは、ってところだな」

「オレは全く知らないです」

 

 眠そうな形の瞼を瞬かせた時枝に木虎も頷きを返す。

 嵐山本人はA級部隊の隊長としての立場から、S級隊員である木場大河という隊員の存在を知ってはいたものの、ランク戦にも出ず、防衛任務にもほとんど姿を現さない大河とは面識がなかった。しかし迅の言葉が脳裏に過る。あれだけはっきりと「強い」と言うからには、相応の戦力を有しているのだろう。

 

「俺たちに託されたのは時間稼ぎだ。勝とうとしなければどれだけ強くてもやりようはある」

「はい」

「こっちに残ったのは三輪先輩、米屋先輩、あとは出水先輩みたいですね。狙撃手(スナイパー)がいるかもしれませんが高い建物は少ないので位置取りを徹底すれば無視できるかもしれません」

「よし。賢、そっちはどうだ?」

《はいはーい、いま狙撃位置につくところですよー》

「わかった。位置につけたら狙撃できるポイントを綾辻に送ってくれ」

《了解りょうか――うおあぁっ!?》

 

 通信先から突如悲鳴が聞こえ、驚くと同時に賢と呼んだ己の部隊員がいるはずの方を向くと激しい音を立てて崩落していくマンションが遠くに見えた。そのさらに向こうには夜空に彗星の如く昇っていく青白い光。

 嵐山はもしや狙撃手の佐鳥が緊急脱出(ベイルアウト)させられたのかと肝を冷やしたが、あの方向は基地ではない。すなわち、あれが佐鳥を襲いマンションを破壊した元凶なのだろう。

 

「賢、無事か!?」

《な、なんとか……。なんだったんですか今の!?》

「すまない、気付いたらマンションが崩れるところだったんだ。綾辻、今の何かわかるか?」

《お、おそらくあの木場という人の攻撃だと思われます。弾速が速すぎて正確に観測できませんでしたが……》

 

 それを聞いて、嵐山たちは顔を見合わせた。

 これは思ったより厄介な相手かもしれない。そう再認識して全員が頷いた。

 

 

 

 








大河のシールド:
基本の六角形型でしか出せない。ただしどこが正面なのかわからない分厚さ。大太鼓に使えそう。
出した場所から動かせない。前が見えない。つーか邪魔。などの要因であんまり使われない。


という設定でございます。






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第七話







 

 

 

 がらがらと遠くから響く崩落の音に耳朶を打たれて、太刀川隊の射手(シューター)・出水公平が感嘆の声をもらした。

 

「うっはぁ~、今のなんですか?」

 

 肩に砲塔を取りつけた大河にそう問う。しかし大河としてはただ弾を撃っただけとしか言いようがなく、曖昧に頷くのみであった。

 

 大河専用射撃用トリガー、正式名称『試作型超高圧トリオン(カノン)・ハイドラ』。

 彼の異常出力に耐えうる砲塔を両肩に一門ずつ取りつけたこのトリガーは、注ぎ込まれる莫大なトリオンを圧縮し、驚異的な破壊力の砲弾に変えて射出する決戦兵器である。右の砲にはアステロイドが、左にはメテオラがそれぞれ設定されているが、その威力はもはや原型を留めていない。

 正式名称なのに試作とされているのは、大河以外には扱えない上、甚大なコストを要するこの機構を流用することもできないためだ。暴発を防ぐ強固な砲身と複雑な内部機構は、展開するだけでも多量のトリオンを要する。

 そしてそのトリオンを無理やり圧縮して放つ咆哮は「防衛」とは縁の遠い破壊をもたらしてしまうのである。遠くに見えるマンションの中腹を一撃で抉り取ったのを見れば、根付がこの男を街に放つことを危惧したのも頷けるだろう。

 

 砲撃を終えた右肩(ヽヽ)のハイドラの調子を確かめつつ、大河は三輪に指示を飛ばした。

 指をさした先は今も粉塵を巻き上げているマンションの方角。

 

「撃ちもらしたか。三輪、誰かあそこに送っとけ。たぶん狙撃手(スナイパー)がいる」

「了解。陽介」

「あいあいさー」

 

 三輪がこの戦闘を開始してから合流させた米屋陽介の名を呼ぶ。カチューシャを着けた三輪隊の一員が即座に応じて、廃墟の屋根を駆けていった。

 

「なぜあそこに狙撃手がいると?」

 

 時間を無駄にしないために米屋を送り出してからその疑問を口にすると、大河はすん、と鼻を鳴らした。

 

「そういう匂いがしたんだよ。俺のサイドエフェクトだ」

「サイドエフェクト……」

 

 匂いと言うからには強化嗅覚あたりだろうか、と見当をつけた三輪はそれ以上追及することなく己も戦闘態勢に入った。

 米屋を追いかけるように嵐山隊の木虎が飛び出して行ったからには、おそらく本当に狙撃手がいたのだろう。それよりも今は、位置を特定した嵐山と時枝をどう攻略するかのほうが重要だ。

 レーダーに映る二つの点は動かずこちらを待ち構えているらしい。

 二人にまで減ったとしても嵐山隊はA級部隊、連携だけでいえば自分たちよりも上を往くだろう。

 

「そっちのは……出水だっけ?」

「あ、はい。太刀川隊射手(シューター)の出水公平です」

 

 作戦会議中に軽く自己紹介はしてあったものの、大河は短時間の間に交わされたそれに自信がなかったのか出水の名前を呼んで確認した。

 それから、さてどうするかと頭を捻る。

 なぜか指示待ちの様子を見せる他の二人に対して大河は困った顔をして腕を組んでいた。

 そもそもあの作戦会議は(ブラック)トリガー相手を仮定して話し合っていたものであり、他の正隊員を相手にするのは完全に想定外なのだ。ずっと個人(ソロ)でしか活動していなかった大河にとって他の人間と連携を取るのは難しい話で、予定通りであれば太刀川たちの後詰に入ることになっていた。

 

「俺、連携とか苦手なんだよなー……。ここじゃ全力も出せないし、どうすっかな」

「おれは距離とって攻撃できるんで適当に暴れてもらってもいいですけど。三輪はどうだ?」

「…………」

 

 水を向けられて三輪が惑う。

 速やかに任務を終わらせるには技量を知っている出水と組んで己が前衛を担うのが一番手っ取り早い。あの砲撃はたしかに威力は凄まじかったが、それだけにむやみに撃ち放てるものではないだろうし、援護にも向いてなさそうに思える。

 しかし、三輪は見てみたかったのだ。個人で遠征に出られるその力量を。

 作戦会議中に話だけは聞いた武装の中には近接格闘用もあったはず。それを思い出した三輪は大河を試すことにした。

 

「俺も援護に回ります。木場さんは自由に動いてください」

「あ、そう? OKOK(オッケーオッケー)

 

 大河が頷くと、輝いていた両手足からブレードが突出し始めた。それぞれの指に纏うように伸びた鉤爪は手を巨大化させたような錯覚を起こさせ、その切っ先は見る者に無慈悲さを告げる冷たい煌めきを湛えている。

 

 大河専用近接格闘(アタッカー)用トリガー、正式名称『多連装攻殻獣爪』通称『虎爪』。

 両手足計二十本ものブレードを展開するこの武器は、率直に言えばそのままスコーピオンを同時に二十本生やしたような武器、である。しかし彼の膨大なトリオンを注ぎ込まれたこれはしなやかかつ強靭であり、一般的なそれとは強度や攻撃力が桁違いだ。その硬度は肥大化させれば盾代わりにもなり、モールモッドのブレードすら容易く握りつぶす。

 ちなみに手も足も片側一本でそれぞれトリガーチップを一つずつ埋めている。こう聞くとトリオンを無駄に消費していると思われがちだが、正味な話、無駄を増やさないと大河には取り扱えないのである。

 トリオンコントロールにおいて繊細さという概念が存在しない大河に合わせるため、鬼怒田開発室長は多連装式により放出口を増やすことである程度の制御を可能とさせた。メインとサブの制限も取っ払い、調律の一部をイメージで行えるブレードを大量に生成させることで近接戦を行えるまでに調整し、同時起動させることで流れ込むトリオンを分散、射撃用トリガーの威力も抑えることに成功したのだった。

 

「そんじゃま、行きますか」

 

 面倒そうに肩を下ろした大河が大地を蹴る。

 足の爪を地面に食いこませた初動は特殊な強化戦闘体の膂力もあって一息で最高速度に達し、彼は衝撃波を撒き散らしながら嵐山隊に突撃していった。背後ではその挙動に驚き出遅れた三輪と出水が追随するために走り出している。

 冬の夜長に、冷たく激しい狩りが始まろうとしていた。

 

 

 

* * *

 

 

 

 視界の端に赤い点が高速で動いているのを感じ取る。

 ――来る!

 レーダーで敵の接近を確認していた嵐山、時枝が迎え撃つべく建物の陰から飛び出し銃を構え――そこになんの影もないことに困惑した。

 

《嵐山さん、上です!》

「っ!?」

 

 嵐山隊オペレーター、綾辻遙の警告を受けて二人は咄嗟に道路に転がり出る。その一瞬後、身体の芯まで震える衝撃が両人に叩きつけられた。

 何事かと先ほどまで自分たちがいたところを見ると、そこには巨大なクレーター。大きさもさることながら、底が見えないほどの大穴を穿ったその威力に、嵐山の背中に冷たいものが走り抜ける。

 破壊を生んだ元凶を見上げると、それは壁面に爪を突き立ててこちらを見下ろしていた。肩に展開された砲塔が今も自分たちを捉え――

 

「充、飛べ!!」

 

 本能が鳴らす警鐘のおかげでなんとか第二撃も回避することに成功した。背後にあった民家は粉々に吹き飛び、これ幸いと二人は立ち上った粉塵に紛れて距離を取る。

 

「迅が規格外だと言ってたのが、よく理解できたよ」

「たしかにあの攻撃は防ごうとしちゃダメですね」

 

 走りながら嵐山と時枝は相手の脅威を冷静に見定めた。

 まず射撃トリガーは防御不可の強力な砲撃。弾速も異常で目視してからの回避も難しい。

 ただし余りある威力のせいで、撃つには角度(ヽヽ)が必要らしい。佐鳥に向けた一発はマンションの上階に放ったもの、そして先ほどは壁に張りついた状態で真下に向けて撃ってきた。このことから、おそらく上層部によってそうした制限がかけられているものと見受けられる。

 あの両手足の爪はまだ能力が不明だが、見るからに近接用の装備だ。近づきすぎなければ問題はないはず。

 

「とにかく距離を取るぞ。綾辻、狙撃手がいそうな地点を洗い出してくれ」

《了解》

「賢、まだ生きてるな?」

《生きてますよー、米屋先輩と木虎がバトってるんで退避中です》

「よし、西側の建物に陣取ってくれるか? 俺たちは向こうの狙撃の射線に入らないように木場さんを誘い出す」

《了解!》

「行くぞ、充!」

「はい」

 

 頼れる隊員を背に民家を飛び出す。

 嵐山隊は連携重視の部隊である。広報の仕事に従事しながらも訓練は怠っておらず、むしろ他の隊より隊員同士の結びつきが強固になったことでこの部隊は強くなったと嵐山は確信していた。

 そして何より、迅が守ろうとしている後輩は家族の恩人である三雲修のチームメイト。命より大切な弟妹を救ってくれた大きすぎる恩義に報いるためにも、簡単に負けてやれるはずがない。

 

「木虎、俺たちもそっちの方角に向かってる。米屋に手こずってるなら……」

《大丈夫です。今――――終わりましたから》

 

 一拍の間をおいた木虎の声が通信に届き、彼女がいるであろう半壊のマンションを見上げる。木虎の言葉が正しければ間もなく米屋が緊急脱出(ベイルアウト)し、その軌跡が夜空に映し出されるはずだ。

 しかしマンションの窓を突き破って現れたのは、身体にヒビが入った米屋と、それに引っ張られる形で体勢を崩した木虎の姿だった。

 

(まずい!)

 

 嵐山はそう思うも、カバーに入れる距離ではない。いや、入ったところで防げなければ意味がない。既に自分たちを追いかけてきた本部部隊は木虎を目視して狙いを定めている。

 

「くっ、シールド――――」

 

 木場に狙われていると悟った木虎が薄緑の防壁を展開させるも、やはりというべきか全く威力を減衰させることなく砕け散り、必殺の一撃は彼女のトリオン体を抉って緊急脱出(ベイルアウト)の輝きとともに夜空に消えていった。

 

「やっべぇ威力だなー。ま、おかげで相打ちだし心置きなく帰れるわ。あとよろしく~」

 

 胸にスコーピオンが刺さっていた米屋も、木虎と同じく軌跡を描いて基地へ飛んでいく。

 

「! 嵐山さん!」

 

 二人の緊急脱出(ベイルアウト)に気を取られた一瞬、嵐山の頭部を狙った狙撃が暗闇を切り裂いて飛来していた。寸前で気付いた時枝が腕を引いて回避させ、嵐山も慌てて射線から身を隠す。

 

「サンキュー充」

「いえ」

《すみません、詰めを誤りました》

「大丈夫だ。米屋も落としてくれたし、狙撃手(スナイパー)の位置も割れた。まだまだここからだ」

 

 作戦室に強制送還された木虎が謝罪してきて、しかし嵐山は笑って返す。

 攻撃手(アタッカー)が減ったのは痛いが、それは向こうも同じこと。狙撃手は位置さえ確認できれば対応のしようもある。それに加え、木虎のおかげでこちらの狙撃手、佐鳥が再び潜むことができたのだ。まだ挽回は可能なはず。

 

「高さのない家が密集したルートを通るぞ」

 

 射線を計算し、いくつもの角を曲がって駆ける。

 民家の上を跳んでいければより距離を稼げるのだが、高さを取ると狙撃に加えて規格外の砲撃が飛んでくるためアスファルトを踏みしめるほうが賢明だ。

 迅に託されたのは足止め。しかし時間を稼ぐなら敵対勢力を削ぐことが望ましい。できれば大河を、それが無理でも三輪と出水はここで落としておきたい。

 そのための狙撃ポイントへ急ぐ途中、遠くに爆発音が響いた。

 後ろの追手から意識を逸らすわけにもいかないので綾辻に確認を命じる。

 

「綾辻、今のは?」

《風間隊の菊地原くんが緊急脱出(ベイルアウト)したみたいです》

「さすがだな、迅。俺たちも担当した分はきっちりこなすぞ」

「了解です」

 

 もうすぐ佐鳥の射程に入る。予定のポイントは住宅地の真ん中にある開けた公園だ。あそこなら高さを必要とするあの砲撃も飛んでこないはず。

 

「……! 出水か!」

 

 道を急ぐ嵐山たちは背後から何条もの流星が追いかけてくるのを確認した。この軌道はバイパー、つまり太刀川隊きっての天才射手(シューター)、出水の追撃と思われる。

 曲がり角を曲がっても予測されていたのか追跡してくるその弾道は、明らかに事前設定されたものではなくリアルタイム設定射撃。

 さすがはA級一位の双壁を担う一角。そう感心しつつも苦々しく口を歪め、嵐山と時枝が(シールド)で弾丸を防ぐために足を止めた。

 見えない位置から撃ってくるバイパーは下手に躱そうとするより受け止めたほうが被害が小さく済む場合も多い。敵の動きを予想して放つそれは回避行動を前提にされていることが多く、それならば逆に足を止めて全方位を防御するか、遠距離にシールドを張って弾丸が軌道を変える前にぶつけてしまうのが安全策だ。

 しかし、広報部隊ながらも戦い慣れた嵐山がそういう選択をするのは、敵にとっても織り込み済みだったらしい。

 

「くそ、追いつかれたか……!」

「あの距離を一瞬で……」

 

 バイパーを受け止めるために足を止めたのはほんの二秒程度。いくらトリオン体だろうと一〇〇メートルはあった距離は充分安全マージンと言えるはずだった。

 しかしそれを無視するのがやはり、迅に規格外と言わしめる存在なのだろう。彼らの目前に、曲がり角から姿を現したと思った瞬間まるで縮地のような速さで距離を詰めた木場大河が迫っていた。

 

「くたばれ」

「うおっと!」

 

 獲物を抑え込む猛獣のように、巨大化させた両手の爪を叩きつけてくる。それをギリギリで躱した嵐山がバックステップで距離を取り、再び身を翻そうとした刹那、冷酷な輝きを放つ左肩の砲塔が重い金属音を立てて作動した。

 ――ここで撃つのか!?

 まさか、と動きを止めた嵐山だったが、狙いは自分ではなかったらしい。

 砲塔は照準を定めず上を向いたまま火を吹き、しかし直後に爆裂して夜空に大輪の花を咲かせた。

 

「ぐ、うっ!?」

「これは……!」

 

 敵の目的は攻撃ではなくこちらの動きを止めることだったようだ。

 射程が短く設定されていたメテオラらしき弾頭は凄まじい爆風で嵐山と時枝の両名を地面に縫い付けた。

 だがこれでは向こうも動けないはず……。

 そんな嵐山の予想は希望的観測に過ぎなかった。敵の巨大な爪が地面に突き刺さっているのを見た時、彼は自分の予測が間違っていたことをその身をもって味わうことになる。

 

「……もぐら爪(モールクロー)っ!?」

 

 十本ものブレードが足元から乱立して嵐山を襲う。右足が斬り飛ばされ、身体中にいくつもの傷がつけられてトリオンが漏出し始めた。

 刃を変形させ壁や地面を通して攻撃する方法を『もぐら爪(モールクロー)』と呼び、主にスコーピオンをメインに扱う攻撃手(アタッカー)が不意打ちなどに用いる。

 しかしそれを知っている嵐山は驚くとともに苦い顔で足元を睨んだ。伸ばせば伸ばすほど脆くなるはずの刃がこの距離でこの威力、しかも十本ものブレードが林立するなど見たこともない。まるで迅の持つ風刃の集中攻撃のようだ。

 傷を与えた猛獣がギッと牙を剥く。爪を引き抜き、再び躍りかかってくる敵の姿はまさに虎そのもの。機動力を失ったその身では必殺の一撃を回避することも難しい。しかし、

 

「まだだ!」

「っ、?」

 

 トリガーをセレクトし、起動する。試作型トリガー『テレポーター』。トリオンを消費して視線の先に瞬間移動することができる移動及び奇襲用の装備である。これによって嵐山はすんでのところで凶刃から逃れることができた。

 だが前門の虎を超えた先には、後詰の狼が詰め寄っていた。

 

「ぐっ……!」

 

 三輪の追撃の鉛弾(レッドバレット)を右手に受けた嵐山は、片足でバランスを取ることができず、ついに膝をつく。

 背後では爆風に紛れて緊急脱出(ベイルアウト)の輝きが立ち昇っていた。どうやら時枝も動けなくなっていたところを狙撃されたらしい。

 

「終わりだな、嵐山さん」

「さて、それはどうかな……」

 

 頭に拳銃型トリガーを突き付けられた嵐山はそれでも、白い歯を見せて笑ってみせた。

 

 

 

 







オリジナルトリガー説明回。
灰虎(ハイドラ)虎爪(こそう)。虎で考えたのは早くもネタ切れ。
厨二くさいけど考えるの楽しい。そうしている内にどこまでが許容範囲かわからなくなってくる。


ジャンプしてハイドラ撃ちまくればいいのでは?
→地下に張り巡らされた秘密経路と搬送通路にまで届いてしまうので乱射できません。

てな感じです。


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第八話

 少し時を遡り――




 

 

 やっぱりめんどくせえ。

 大河は嵐山隊を追い詰めながらそんなことを思っていた。

 ボーダー上層部から射撃用トリガーの制限をつけられ、さらには慣れないチームでの作戦行動。近界(ネイバーフッド)では周辺ごと更地にしてしまえば事が済んでいたものも、鎖で繋がれたような今の状況ではそういうわけにもいかない。

 嵐山隊は連携が売りの部隊だけあって一筋縄ではいかないのもあり、大河は早々にこの任務を億劫に感じ始めていたのだった。

 何度目かのため息をついた時、遠くに爆発音が響き緊急脱出(ベイルアウト)の軌跡が夜空に舞い上がった。

 

「誰か落ちたのか?」

 

 通信で尋ねると、妹のミサキのけだるげな声が耳に返ってくる。

 

《風間隊の菊地原って人が落ちたみたい》

 

 さして興味もなさそうにそう答えたミサキも、この任務を面倒に思っているらしい。

 それもそうだろう、半年に及ぶ遠征から帰ってきて早々に新しい任務を言い渡されたのだ。二人しか乗り込まない遠征艇はことさら狭いとは感じなかったが、それも長く続けば気が滅入るというもの。彼女はずっと楽しみにしていた風呂も満足に楽しむ間もないまま、再びコンソールに向かわされている。

 

《とっとと終わらせてよね、クソ兄貴》

「相変わらず口が汚いぞミサキちゃん?」

《嬉々として人を切り刻むやつなんかクソ兄貴で充分でしょ》

 

 クソ呼ばわりされて苦笑いを浮かべた大河であったが、違いない、と妹の意見には全面的に同意した。同時に、早く終わらせたいという言葉にも。

 彼は殺人狂ではあっても、戦闘狂ではない。獲物を狩る楽しさというのは理解できても、それは単に手段でしかなく、真に求めているのはその先の血なまぐさい結果(ヽヽ)である。

 よって隊員同士で争う事態になったことはまだいいのだが、いかんせんそそるものがない。同じボーダー隊員を殺すわけにもいかず、そもそも切り刻んだところで緊急脱出(ベイルアウト)するだけ。とっとと終わらせて(ブラック)トリガーを持つ近界民(ネイバー)のところへ向かいたいというのが大河の考えだった。

 

「んじゃちゃちゃっと終わらせますかね。ミサキ、もいっちょ調整よろしく」

《チッ。めんどくさいなぁ》

 

 通信に乗るほど大きな舌打ちをされたが、気にすることなく大河は再び嵐山隊を目指して足を踏み出した。

 

「出水、テキトーに嵐山隊の足止められるか?」

「了解っす。……バイパー!」

 

 背後の出水に敵の足止めを頼むと、その両手にトリオンキューブが浮かび上がった。A級一位の射手(シューター)だけあってなかなかのサイズをしている。大河はそのトリオンの濃さ(ヽヽ)に少しだけ危険な食指が動いたがなんとか我慢した。

 細かく分割されたキューブは出水の設定した弾道を走り、おぼろげな街灯しかない廃墟群の中で電子回路(サーキット)を形成するように駆けていく。

 

直接援護(ダイレクトオペレーション)開始》

 

 バイパーを追って走り出した大河の耳にミサキの声が響く。

 

《左肩部ハイドラ装填。引き金(トリガー)は?》

「こっちで。弾の設定だけよろしく」

《はいはい》

 

 ミサキがキーボードを叩いてトリガーの調整をしていく。トリオンコントロールが苦手な大河が殲滅戦以外でもまともに動けるようになったのは、ミサキのこの"外部調整"のおかげだ。

 莫大なトリオン能力から吐き出されるハイドラなどを撃ち放つ際、オペレーションルームから遠隔でトリガーに干渉し強制的に出力を射程や弾速に割り振る。そうすることでようやく大河の武装は対人戦闘に運用することが可能となったのである。

 

 起動しているトリガーを遠隔で操作することはなんら難しい技術ではない。が、一般の隊員にとっては全くもって意味のないことでもある。なんせトリオンのコントロールは基本中の基本であり、大して教えられることなくとも誰もが当たり前に行える事柄だからだ。

 たとえ扱いが難しいバイパーのようなものであっても、戦闘中にいちいちオペレーターに調整を要求していては戦況に間に合わないため、ふつうは誰も使いはしない。大河専用トリガーのチューニングに悩んでいた鬼怒田も選択肢にすら入れないイレギュラーな方法だ。

 

 だがミサキはそれを可能とした。

 それというのも、彼女の持つサイドエフェクトがこれ以上ないほどに大河と噛み合っていたことに起因する。

 『思考追跡(トレース)』。ランクAの超技能に分類されるこれは、他人が何を考えているかを予測する能力が強化されたもの。その人物をより深く知るほど正確さを増していくサイドエフェクトである。

 兄妹であるミサキは幼少からともに育ってきた大河の考えを完璧に近いレベルで推察することができるのだ。主に射撃トリガーなどを扱う際、どのタイミングでどの程度の威力を求めているか、聞かずとも先回りで調整することで大河の戦闘をサポートすることが可能となる。

 

 余談だが、大河の異常な殺人衝動を理解してしまった(ヽヽヽヽヽヽ)のもこの能力に因るところが大きい。

 言わずとも伝わってしまう兄の押し込められた願望に気付いていた彼女は、それでも否定することができなかった。己の求めるものが罪であると悩んでいたことも、それを健気に耐えてきたことも知り尽くしているがため。

 近界遠征のことを知って鎖が解き放たれた時の喜びも、彼女は理解することができた。できてしまった。

 故にミサキは大河を止めることはしない。

 口癖のように繰り返す「あんなんでも兄だから」との言は、それすなわち「兄>その他の命」と公言するも同然の、いわば危険なヤンデレ的ブラコンである。

 

《いつでもいけるよー》

「おーらい。んじゃ決めるか」

 

 曲がり角を通過すると出水のバイパーが嵐山隊の二人を襲っているところが見えた。足に力を込め、爪でアスファルトを抉り取りながら一息に肉薄する。

 

「くたばれ」

 

 短く呟き、両手の爪にトリオンを流し込んで肥大化させ、当たれば文字通りの八つ裂きになる一撃を繰り出した。

 

「うおっと!」

 

 標的にした嵐山がギリギリで躱す。バックステップで距離を取られたが、その動きも予想済みである。

 左肩のハイドラからミサキにより0.5秒後起爆に設定されたメテオラが発砲され、巨大な火の玉が爆風を纏って夜空に顕現した。目に映る範囲全てを埋め尽くす火球が大気を押しのけ、熱波とともに凄まじい風圧を撒き散らす。

 轟と唸りを上げる灼熱の暴風は周辺の民家ごと嵐山たちをアスファルトに押し付けて、数秒の間その動きを封じる。

 大河は爪を地面に食い込ませることで爆風に耐え、同時に地中にブレードを走らせた。身動きのとれない嵐山の足元から乱立する刃は右足を抉り切り、そのまま無数の切り傷を身体中に刻み込んでいく。

 実際はこの一撃で仕留めるつもりだったものの、彼は「まぁいいか」と楽観的にとらえた。

 イメージで動かすぶん虎爪は扱いやすい部類に入るが、やはり特殊な動きをさせると命中率が低い。しかし機動力を削げれば上々だ、足を削ってしまえばこの凶爪から逃れる術はない。

 

《狙撃で嵐山隊一人脱落。あと二人だね》

 

 ハイドラの一撃に紛れて本部側の誰かが狙撃を行ったらしい。あの閃光の中を正確に撃ち抜くとはさすが遠征部隊。感心しながら大河は巨大な爪を嵐山に向けて振りかぶった。

 これで終わり――

 

「まだだ!」

 

 と思いきや、嵐山の姿が一瞬にして消え失せる。

 

「っ、?」

《テレポーター? まぁ、悪あがきだね》

 

 ミサキの言葉に同意しつつ、嵐山が跳んだであろう背後に振り向く。自分の後ろには三輪と出水が追走していた。そっちに跳んだのなら、嵐山は虎穴に入ったも同然だ。

 案の定追撃を受けた嵐山は重石を身体に撃ちこまれて膝を突いていた。

 

「終わりだな、嵐山さん」

「さて、それはどうかな……」

 

 三輪に銃を突き付けられながら出したその言葉は誰もが苦し紛れだと思った。

 事実、残るは死に体の嵐山と未だ姿を見せない佐鳥の二人しかいない。しかも佐鳥に至っては大河のサイドエフェクトでだいたいの位置が把握されている。もはや打つ手は何もありはしない。

 

「ッ、全員跳べ!」

 

 だが大河は嗅ぎ取った。嵐山隊ではなく、玉狛勢(ヽヽヽ)の起死回生の一手を。

 突然命じられた跳躍の命令に、三輪と出水はためらうことなく従った。A級部隊ともなると判断の早さが生死を分ける要因になることも多い。そして彼らの早さは間違いなくその身を救った。

 

「……風刃!?」

 

 三輪が跳び退った地点から斬撃が飛び出してくるのを見て驚愕している。

 大河も知っている。この音もなく忍び寄ってくる必殺の一撃は間違いなくあの黒トリガーによるものだ。彼は跳び上がったところに、さらに一条の光が迫ってくるのをその目に見た。

 ――狙撃!

 爪を肥大化させて掲げたが狙いは大河ではなかったらしく、似たようにシールドを展開した出水が戦闘体の心臓部、トリオン供給機関を防壁ごと破壊された。下から嵐山の援護射撃を受け、シールドを一枚それに割りあてた結果同時に二発(ヽヽヽヽヽ)放たれた狙撃が貫通してしまったようだ。

 粉々になった盾の欠けらと一緒に、泣き別れになった頭と身体が散っていく。

 

「くっそ、佐鳥ぃ……」

 

 最後に残った頭部で苦々しい顔をした出水が爆発音とともに空に昇っていった。

 

「チッ……」

 

 三輪が舌打ちするのもわかる。昇る閃光は出水のものだけではない。本部部隊、おそらく狙撃手(スナイパー)当真のものだろう軌跡が遠くのマンションから迸っていたのだ。

 察するに、嵐山から位置情報を受け取った迅がこちらに遠隔斬撃を飛ばし、それと同時に当真に対して接近、排除したのだろう。

 さすがは黒トリガー、こういった特殊な戦術は己にはないものだ。

 忌々しくも認め、しかし不審に思う。向こうは向こうで戦っていたはずなのだが。大河がミサキにそう尋ねると、間の抜けた声が返ってきた。

 

《んー、あ。なんか向こう全滅してたみたい。こっちに集中してて気付かなかったわ》

「おまえな……」

 

 呆れつつも仕方ない、と大河は妹の不始末をそうとは取らずに置き捨てた。

 ミサキもチームを組んだ作戦には慣れていないのだ。何より大河の思考を読んでトリガーを操作する役目もある彼女には指揮や戦場を俯瞰して見るための余裕が少ない。それを知っている大河には妹を責める気持ちは浮かばなかった。

 

「ったく……」

 

 着地した彼は無造作に腕を振るい、今度こそ嵐山を退場させた。仕事を終えた嵐山は抵抗することなく刃を受け入れて夜空を飛んでいく。そしてそれが消え失せたころ、任務を邪魔した主犯――迅悠一が姿を現した。

 

「よう秀次」

「迅……!」

 

 三輪が全身で怒りを露わにして迅を()めつける。近界民を匿うだけでなく、ここまで部隊をズタボロにされてしまっては虚仮にされているとしか思えないようだ。

 現れたかつての訓練相手に、大河は呆れたような視線を向けた。

 

「まさか遠征部隊をまるまる返り討ちにするとはな。腕を上げたみてーじゃねーか、迅」

「いやいや、仮想訓練室だったら木場さんにはまだまだ敵わないよ」

「へえ……」

 

 まるで今ここでなら己をも打倒できるとでも言いたげなそのセリフに、大河が面白そうに顔を歪める。

 やれるもんならやってみろ。そう言わんばかりの仁王立ち。

 一見隙だらけのようだが爪と戦闘体の性能が合わさった瞬発力は脅威だ。迅は油断せずに薄緑の刃を振り上げる。

 

「嵐山も頑張ってくれたし、ここはきっちり全員帰ってもら――!?」

「……?」

 

 風刃を翳した迅がそこでビタリと動きを止めた。

 警戒していた三輪が不思議そうにしつつ、いつでも迎撃できるように構えている。そのわきをするりと抜けた大河がくつくつと喉を鳴らして迅に近づいていった。

 

視えたか(ヽヽヽヽ)?」

「木場さん、あんたそういうのはズルいんじゃない?」

「はっはっ、これも遠征のための特別措置だから仕方ない」

「あ~~……もうまいったな」

 

 ついには風刃をしまい込んだ迅を見て、三輪が理解できないとばかりに大河に駆け寄った。

 

「木場さん、どういうことですか?」

 

 すわ大河すらも裏切ったのかと焦った三輪だったが、実際は真逆……いや、それより性質が悪い話が大河によって説明された。

 

「俺の戦闘体は特別製でな。近界(ネイバーフッド)で追い詰められた時のために緊急脱出(ベイルアウト)ももちろん備わってるんだが……そのシステムもできれば向こうに見せたくない。だからその場合、取り巻く周囲の一切合財を消し飛ばすことになってる」

「え、と、いうと……」

「まあ早い話が自爆機能付きってことだな。半径二キロくらいは軽く吹き飛ぶぞ」

「なっ!?」

 

 驚愕に開いた口が戻らなくなった三輪の後ろで、迅が後頭部をがりがりと引っ掻く。

 半径二キロを巻き込む大爆発ともなれば、ここからほど近い玉狛支部にも届いてしまう。いや、最悪川を越えて市民が住む街にすら及びかねない。

 その余波はどれだけの被害を生むだろうか。もしこれを知っていれば、メディア対策室長の根付は間違っても大河の任務参加を許可しなかったはずだ。爆風が市街地には及ばなくとも、瓦礫の破片なんかはその限りではない。

 

「そんな危険なもん置いてくるでしょふつうさぁ……」

 

 そこまで巨大な爆発、緊急脱出(ベイルアウト)機能が付いていない黒トリガーを扱う迅にとっては鬼門も鬼門。トリオン体が破壊され、生身に戻っても爆風や熱波はまだそこにある。

 周囲の物体(ヽヽ)と干渉しない座標に戻されるといっても爆発自体は物質でもなんでもない。仮に少し離れた位置に転送されたところで生身の運動神経では広がり続ける魔の手から逃れることはできないだろう。

 

「奥の手は隠しておくもんだろ」

「いやいや、おかしいから。もし爆発したら根付さんが死ぬからね?」

「ギリギリまでオンオフ効くから問題はねえよ。これはおまえに対する牽制だ。ここで邪魔するなら、黒トリガーの近界民(ネイバー)ここで(ヽヽヽ)始末する。それだけの話だ」

 

 黒トリガーを持った近界民。その脅威度は計り知れない。仮に玉狛と友好的であったとして、それはなんら安全を保証するものには成り得ないのだ。

 必要なのは排除。放置すればさらなる被害が生まれる可能性を鑑みれば、最悪玉狛ごと(ヽヽヽヽ)吹き飛ばしてでも殺すべし。

 ――というのが建前であって、己の目的の『黒トリガーの中身(ヽヽ)』を求めた大河はどんな手段を取ってでも玉狛支部に向かうつもりだった。

 それができなければ腹いせ(ヽヽヽ)に周辺ごと吹き飛ばしてしまおうというのが本気でもあったが。

 

「はあぁ……」

 

 大きなため息をついてしゃがみ込んだ迅を見て、三輪は少しだけ胸がすく思いをした。

 さすがに自爆機能には驚かされたが、迅が手出しができないとなればこのまま二人で任務を続行できるはずだ。この人は他と違う、と大河への認識を改めたのだった。

 

「さて、じゃあ玉狛支部行くか」

「はい」

 

 歩き出した大河に三輪が追従する。

 放置された迅が慌てて二人の腕を掴んで引き留めようとした。

 

「ちょちょちょ、待って待ってたんま」

「うるさいぞ迅。あんたの出番はもうない、とっとと帰れ」

「いやいや、まずは話を――」

 

 素気無い三輪にさすがの迅も焦りを見せる。

 しかし迅は振り返った大河の顔を見て、新たにサイドエフェクトが発動したのかするりと腕を離した。

 

「木場さん、何するつもりだ?」

「うん? 黒トリガーをブッ殺しに行くだけだが」

「いや待ってって。……その前にさ、ちょっとだけそいつの話を聞いてやってくんない?」

 

 迅の申し出に三輪が反駁する。

 

「……なんだと?」

 

 今さらなんの話をするというのか。件の近界民が「比較的おとなしい」のはボーダー幹部とて知るところ。その上で城戸司令は命じたのだ。始末せよ、と。

 もし素直に黒トリガーを差し出したのならば明日の日の出くらいは拝めるかもしれないが、そんな殊勝なやつなら今このような事態にはなっていない。

 つまり話し合うことなど何もない、と三輪はきつく目を眇めた。

 

「秀次も落ち着けって。頼むよ木場さん、きっと木場さんもわかってくれるはずだから」

 

 らしくもなく必死になる迅に対し、大河はしばらく黙ってその様を眺めていた。

 そして、

 

「ふーん……、この場しのぎの出まかせってわけでもなさそうだな」

「木場さん!?」

 

 大河が興味を持ったように言うと、三輪はまた迅に丸め込まれるのではと危惧して声を荒げた。せっかく任務続行に漕ぎつけたというのにそれでは意味がない。

 しかし大河はじっと迅を観察し、少ししてから鼻を鳴らした。

 

「まあいいか。こいつは『嘘』は言ってない」

「そん……」

 

 そんなことわかるわけが、と言いかけてから三輪はサイドエフェクトの存在を思い出す。

 強化嗅覚のサイドエフェクト。限りなく生身の肉体と同じように作られたトリオン体は体温もあれば汗もかく。そうした身体から発せられるありとあらゆる情報を感知して、そう断じたのだろう。

 諦めた三輪は大人しく従うことにした。

 話を聞くだけ、それだけだ。聞き終わった暁にはしっかりと任務を遂行してやる。そう心に決めて。

 

 

 

 




 


半径2キロ。これけっこう先まで書いてから気づいたんですけど、本部基地からだいたい1~2キロくらいが警戒区域っぽいんですよね。
あはは・・・ヤベェ。
ついでに言うと各支部は警戒区域外縁部にあるらしいですが玉狛支部はけっこう離れててもろに市街地。これはヤバイ。
でもほら、あれ。警戒区域を一歩出たら市街地が広がってるってわけでもないでしょうし、玉狛支部までは警戒区域ではないけど放棄地帯ってことでひとつ。(かなり厳しい)

原作も遊真が帰るところを襲うつもりだったみたいですし、割と大規模な戦闘が起こってもある程度は大丈夫・・・なんだといいなあと。


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第九話

 

 あれからしばらく歩いた大河たちは警戒区域の外縁部、その先の川の中に位置する玉狛支部へと到着していた。

 二人は迅に案内されるまま三階のダイニングらしき部屋へと足を踏み入れる。

 キョロキョロと興味深そうに部屋を見回す大河とは対照的に、三輪は不機嫌極まりないといった様子でソファに腰を下ろした。ふだんから裏切り者と思っている玉狛に、まさかこのような形で乗り込むとは考えていなかったのだろう。

 

「あ、宇佐美。遊真まだいる?」

「あれ、迅さん。うん、訓練室で三雲くんたちとトリガーいろいろ試してるよ」

「ちょっと呼んできてくんない?」

「んー? まぁいいけど」

 

 迅に呼び止められた宇佐美栞がちら、と彼の背後の二人を見てから頷く。

 大河のことは知らないが、近界民(ネイバー)嫌いの三輪は宇佐美も知るところ。近界民である玉狛の新入隊員を呼ぶということは何かしら問題が起きたのかも、と脳裏に過りつつも、迅がいることで深刻には考えずに訓練室へと駆けていった。

 

「お、これウマいな」

「…………」

 

 出された茶菓子を頬張る大河を見て三輪がため息をつきたくなる。しかし彼は"話"とやらが終わるまで口を開かないことに決めていた。終わり次第、即座に近界民を始末する算段である。

 

「木場さん、わかってるとは思うけど、いきなりドカンはやめてよ?」

「それは近界民次第だな。むぐ、おまえがなんの話をさせようとしてんのか知らねーけど、少しでも妙な真似をしたりなんの益もないと判断したらその時点で殺す」

「その点は大丈夫だと思うんだけど……、まぁ、とにかく最後まで聞いてよ」

「わーったよ」

 

 迅に念押しされて大河が曖昧に頷いた。

 ここまで言うからにはそれなりに意味のあることなのだろうと理解もする。しかし基本的に城戸司令に忠誠を誓っている大河はこの時点では最終的に近界民を始末するものと考えていた。

 何より遠征先では危険を避けるために交戦を禁じられていた黒トリガー使い、その臓腑の匂いが大河の興味を引いている。

 

「おっす迅さん、おかえり」

「おつかれさまです」

「おう遊真、メガネくんも」

 

 宇佐美に呼ばれたのだろう人物がひょこりと扉から顔を出した。白い頭の小さな男子と、その後ろには黒髪の眼鏡少年。作戦立案時に見た情報では白い方が近界民であると説明された大河が、菓子を飲み込んで視線を送る。

 

「お? 重くなる弾のひと……と、こっちは誰だ?」

「三輪先輩……?」

 

 二人の少年が迅に促されて大河の正面に座ると、白い方は口を尖らせながら三輪と大河を見比べ、黒い方は不穏な空気を察したのか冷や汗をかいて固まった。

 

「俺はS級隊員の木場大河だ、よろしくな」

「ほう、S級の」

「迅さんと同じ……! あ、ぼくはB級の三雲修といいます」

「おれはC級の……あれ、まだだったっけ? 玉狛支部に入隊した空閑遊真です、どうぞよろしく」

 

 自己紹介すると存外素直に返される。

 うんうんと頷いた大河は「ん?」と首をひねって空閑と名乗った近界民に尋ねた。

 

「クガユウマ? 日本人か?」

「あーえっと」

「遊真、木場さんは全部知ってるよ」

「そうなのか。おれは生まれも育ちも近界(ネイバーフッド)だよ」

「へえ、近界民にも日本人名のやつがいるんだな」

「親父がこっちにいたからね」

 

 ふーんと鼻を鳴らした大河はとりあえずは納得し、本題の"話"に移行することにした。

 

「それでなんの――」

 

 気の抜けたような空気の中、突如として物騒な音を立て展開されるハイドラ。右肩の砲身が喋っていた途中の空閑の頭部に狙いを定めて固定され、いつでも火を吹ける状態で唸りを上げる。まるで猛獣のような重低音にあてられて、三輪を含むその場の全員が凍り付いた。

 

「なっ、何を……!?」

「座れ」

 

 泡を食ったように立ち上がった三雲に大河が低い声で命令する。左の砲塔を突き付けられ、しかし彼は両手を上げつつも反駁した。

 

「で、でも!」

「メガネくん、落ち着け」

「迅さん……!」

 

 空閑を挟んだ向こうに座る迅になだめられ、納得がいかない顔をしつつもようやく三雲がソファに座り直した。当の空閑は向けられた砲口に一瞥もくれずじぃっと大河の瞳を見つめている。

 

「……でだ、近界民(ネイバー)。俺は城戸司令からおまえを抹殺するよう命令を受けているわけだが」

「ふむ。でもこうして席についてるってことは交渉の余地があるってことか?」

「迅がしつこいんでな。まあ、交渉するかどうかはまだ決めてない。話を聞いた結果、敵性と判断したらその場で殺す」

「……なるほど。本気みたいだな」

「それって……」

 

 空閑の言葉に三雲の冷や汗が大粒になる。空閑のサイドエフェクトは嘘を見抜く能力。その空閑が本気と言っているからには目の前の凶悪な武器を向ける男はそうなのだろう。

 どこか現実味すら薄れさせる絵面に、三雲はとてもではないがついていける気がしなかった。

 

 対して凍てつく部屋を作り上げた張本人である大河は極めて冷静でいた。

 ハイドラの引き金(トリガー)に意識を置きながら、白髪の近界民の動きを注視し続ける。少しでも妙な動きをすれば迷いなく撃ち放す腹積もりだ。そこには空閑以外への配慮は全くない。一応、近界民の背後がボーダー本部基地の方角であることだけは認識していたが。

 大河にとって近界民との対話とはそれすなわち尋問である。赴いた国の情報を吐かせるために適当に捕らえた者を極限状態に追い込んで"話"を聞くのが彼のやり方だ。

 

「待ってください、ここでそんなもの撃ったら……!」

 

 明らかに大火力を備えていると見て取れる武装に、三雲が声を荒げて再三制止する。この支部には自分たち以外にも人間がいる。己もまた危機に晒されているがそれよりも非戦闘員の宇佐美や幼い子どもだっているのだ。この場で戦闘になったらどうなるかなど考えたくもない。

 しかし残忍な輝きを湛えるトリオン製の大筒は揺らぎもせずに、今も狙いを定め続けていた。

 

「こいつが敵性近界民と判明したら即座に殲滅を開始する。その場合、匿っていた玉狛支部の人間も同様だ。まあ、表向きには『必要な犠牲だった』ってことになるけどな」

「な……っ!?」

 

 あまりの過激さに言葉も出ない。

 しかし焦った三雲がちらと迅に視線をやっても、落ち着けと膝の上でハンドサインを送ってくるだけだ。

 玉狛支部ごと消滅させるようなことを言った大河には三輪もさすがに驚いたようで、空閑に対し穴が開くほど睨んでいた目を丸くして隣の危険人物に視線を移していた。

 しんと静まり返った室内。静寂に包まれた中で、おもむろに大河が問いを投げかけ始める。

 

「嘘は通じないと思え。仮に嘘でなくても俺がそう思ったら殺す。……まずは一つ目。なんのために"こっちの世界"へ来た?」

「死んだ親父が『オレが死んだら日本に行け、オレの知り合いがボーダーっていう組織にいるはずだ』って言ってたからだな」

「その知り合いってのは?」

「モガミソウイチ。迅さんの黒トリガーになった人だよ」

「そうか」

 

 大河が無感動に頷くも、向けている大砲が動くことは一ミリたりともない。

 敵は未知の近界民で、しかも黒トリガー使い。油断させることはしても己が油断することは間違ってもあってはならない。それが遠征にもおける心得である大河にとって、「いつでも殺せる」というのは対話のための最低条件でもあった。

 張りつめる空気の中での対談、続けての質問が飛ぶ。

 

「おまえは黒トリガー使いだって話だが、その能力は」

「んー……わかりやすく言うと解析したトリガーの能力を追加していける能力、って感じかな。(いん)にして重ねて発動もできて、解析元よりも強力にできたりする」

「ほお、今はどんな能力がある?」

「力を強くしたり、盾を出したり、跳ねたり鎖で相手を捕まえたりとか。この前はそっちのミワって人の重くなる弾をコピーした」

 

 空閑は嘘偽りなく、己の黒トリガーの情報を詳らかにして答えていく。

 本気の殺意で大砲を向けられた状態なのもあるが、嘘やごまかしが通じないというのが嘘ではないと感じ取れたのも大きい。

 そして何より、この場で戦闘になればたとえ自分だけが逃げ切れたとしても、それ以外の人間が全員死ぬと確信していた。空閑は近界(ネイバーフッド)を、戦場を渡り歩いてきた経験を持つ。潜り抜けてきた修羅場の数に裏打ちされたそれが警鐘を鳴らしているのだ、この男は危険だと。

 入隊したばかりで、しかも正式でもなかったが、空閑はもう三雲のチームメイトとしての自覚を持っている。不興を買って戦闘になってしまったら応戦はするつもりでも、できる限り穏便にすませる腹積もりでいた。

 

「へえ……。おまえ今トリオン体だろ、それが黒トリガーか?」

「少し違うかな。トリガーから供給されるトリオンでできてるけど、能力じゃない。どっちかっていうと『機能』ってとこか? 本当のおれの身体は壊れかけてて、黒トリガーの中に封印されてるんだ。半分、常時発動型って言えばいいのかな」

「なるほどな、どうりで……」

 

 大河が顎に手をやって納得した様子を見せる。

 彼が気になっていたのは空閑のトリオン体の匂い(ヽヽ)。その身体は死にかけの傷病人のような匂いを発していたのだ。黒トリガーらしき指輪からはまた別の匂いがすることからして、本体が壊れかけているという弁に頷いた。

 

「指輪が本体か。ちっと見せてみろ」

「これを外すのはちょっと……」

「別に壊しゃ……ああ、そういうことか。じゃあ手ェ伸ばせ」

「ほい」

 

 差し出された手を取った大河はそのまま鼻を近づけた。

 すん、と鳴らしてトリオンの匂いを確認する。

 

 ――空閑のトリオン体のとは似ているが少し違う匂い。肉親のものか。中身(ヽヽ)はたしかに死にかけているらしき感じもする。

 

 黒トリガーは人間が命と全トリオンをつぎ込んで作り上げるもの。その人間のトリオン能力が(のこ)って使用者に力を授け続けるのである。ゆえに匂い(ヽヽ)もまた他とは根本から異なる。

 大河曰く、「量産品は薄くて無機質」らしい。黒トリガーは遺した人物のトリオン能力を有しているため、製作者の匂いも色濃く残る。トリオンを嗅ぎ分ける大河はそれを感じ取ることができ、空閑のものは間違いなく黒トリガーであると見定めた。

 

「これ、おまえの親父さんか」

「そうだけど……なんでわかったの?」

「そういう匂いがした」

 

 死んだ親父が、とは言っても黒トリガーになったとは言っていない空閑は不思議そうな顔をして「匂い……?」と自分でも指輪型をしたそれに鼻を近づけてみたが、さっぱりわからなかったらしい。

 砲塔を向けられながらも呑気そうにしていた彼は、大河の「次で最後な」との言葉に頷いてその質問を待つ。

 

「なぜボーダーに入隊した?」

「オサムに誘われたんだ。チカっていう仲間が近界民にさらわれた兄さんと友達を探しに行くのを手伝ってくれって」

「そうか。それが今の目的か?」

「うん」

 

 迷いなく頷く空閑を、大河はしばらくの間凝視し続けた。

 

 ――汗の匂い。見た目は淡々としているが多少の緊張はしているらしい。それを隠せるだけの度量と経験があるということか。だが嘘を吐いているような感じはしない。黒トリガーの能力は異例ではあるものの、己とは相性がいい。殺すならいつでも殺せる。

 

 三雲の汗が二滴ほど垂れ落ちたころ、大河はようやく身体を反らしてソファの背もたれに寄り掛かった。照準も外され、砲塔がトリオンの粒子になって消えていく。

 ほっと息を吐いた三雲がちらりと視線をやると、空閑を挟んだ向こうで迅もまた胸をなで下ろしていた。

 

「ふーん、おまえ変なやつだな」

「ひどい言われよう……。質問は終わりか?」

「"話"は終わりだ。こっからは"交渉"だな」

 

 今度は前のめりにして膝の上で手を組んだ大河。

 隣で三輪が目を見開いて驚いていた。話は終わったのに始末しないのか、と言外に語る彼を片手で制して進める。

 

「ひとまずおまえが敵意のない近界民だってことは理解した。でも黒トリガーを持った近界民を放っておくことはできない。ましてや、玉狛に入るとなればな」

「むう……」

 

 空閑が難しい問題に口を尖らせる。

 

「なんで玉狛だとダメなの?」

「簡単に言うと、本部の『近界民はブッ殺すべき』って派閥と、玉狛の『話し合えばわかるんじゃね?』って派閥があるからだな。おまえが玉狛に入ると、迅とおまえで黒トリガー持ちが二人になる。本部より支部の方が強くなるといろいろ面倒が起きるんだよ」

「そういうもんなのか……」

「おまえのその黒トリガーは解除できないのもわかった。できれば本部の管理下に置きたいわけだが……」

「それはムリ。おれは玉狛支部に入隊したからな。っていうか本部じゃ近界民の入隊なんて認めないんじゃないの?」

「だろうな。それでだ、交渉ってのはそこだ」

 

 人差指を立てた大河は、その指先を見つめる空閑に条件を示す。

 

「おまえを玉狛に入れてもいいって思わせるほどの有用性を示したら、俺からも城戸司令に口を利いてやってもいい」

「木場さん、それは……!」

 

 黙っていられなくなった三輪がついに食って掛かった。城戸司令の命令は近界民の抹殺だったはず。直属隊員である自分たちがそれに逆らうことがどういう意味なのか、わからないなんてことはないだろうに。

 しかし秘匿通信で返された言葉に三輪は黙り込むこととなる。

 

「《もう少し見てろ。迅が言う、こいつの持ってるものがショボければ結局は同じことだ》」

 

 大河の中ではまだ空閑を殺すことは選択肢に入っているらしい。そのことに一先ずは安心したらしい三輪が静まるのを確認してから、大河が空閑を促した。

 

「どうだ?」

「ゆーよーせー、って言われてもなー?」

「おまえがボーダーに入隊したらお得だって思わせるようなことだよ。近界民の技術、情報……なんでもいい、言ってみろ」

「それならレプリカに聞いた方が早いな」

『心得た』

 

 空閑の服の裾からにょろりと伸びてきた黒いモノ。ぐにぐにと形を変えたそれは、黒い炊飯器に長く尖ったアンテナが二本伸びたような不思議な形をとって大河たちに話しかけてきた。

 

『初めまして、タイガ。私の名はレプリカ、ユーマのお目付け役だ』

「喋るトリオン兵とは、面白いもん持ってんな」

「トリオン兵……!?」

 

 剣呑な響きににわかに三輪の警戒度が上がる。しかし大河は物珍しそうにするだけで再びカノン砲を向けるようなことはしなかった。数々の国を渡ってきた彼にとって、トリオン兵の多様性は過去に知るところである。

 

『タイガの言う近界民……いや近界(ネイバーフッド)の情報ならば、およそ六十ヶ国以上のものを有している。それぞれの国に滞在したのは何年か前なので、最新のものとは言えないが』

「六十……、そりゃすごい」

 

 大河が静かに驚嘆の声をもらす。他の隊員に比べて突出した遠征経験を持ち、かつ渡った国の数もそれなりにある彼をして、六十という数字は舌を巻くにあたう数だ。それらの国々の情報であれば、有用性という点ではなかなかの説得力を持つ。

 

「これはけっこうな掘り出しもんかもしれないな」

「本気ですか、木場さん」

 

 じとりとした目つきで問う三輪に、再び秘匿通信で大河が話しかける。

 

「《目の前の獲物(えさ)に釣られすぎるなよ、三輪。こいつの持ってる情報が確かなら、これからの遠征はもっと具体的な策を取れる。ここで一匹の近界民を殺すより、近界(むこう)でもっとたくさん殺した方がいいだろ?》」

 

 細かな情報があれば渡った国の内情をその国の近界民からいちいち引き出す必要がない。特に大国を避け、玄界(ミデン)と関わりのない国を選別しなければならない特殊な遠征では際立って役に立つ。

 関連性がわかれば攻め入れるか否か。技術がわかれば奪う価値があるかどうか。そして国力を知れば殲滅できるかどうかまで計算に入れられる。

 近界民を尋問するのも有意義(ヽヽヽ)ではあるのだが、別に嬲ることが趣味ではない大河にとってはやはり面倒な時もある。正確な情報を得るには数が必要不可欠。最後に心臓を抉り出すという楽しみがあっても、時間的な問題が大きい。

 

 さすがにそこまでは知らない三輪はやはり反論した。

 命令は始末と奪取。そこを違えてはならない。

 

「《……! ですが、城戸司令が許すとは》」

「《黒トリガー自体は問題ない。この能力なら俺だけで充分殺し切れる。コピー元より強くなるってのはたしかに便利で強力だが、俺の武装は調整されてるだけで突き詰めればなんの特殊性もない武器だ。出力勝負なら負ける気がしないからな》」

 

 それにはたしかに頷けた。

 コピーする能力。それは相手が未知のトリガーを使っていなければなんの意味もない能力である。そして大河の扱うトリガーは特殊な改造を受けているとはいえ、その破壊力は彼のトリオン能力があってこそのもの。仮に大砲を丸々再現したところで発射できるかどうかは定かではない。

 いつでも殺せるという言葉にほんの少し安心感を得た三輪は、大河の次のセリフに片眉を上げた。

 

「《――それに何より、こいつはもう死にかけてる》」

「《それは、どういう……?》」

「《あの黒トリガーは死にかけのこいつのために造られた延命装置みたいなもんだ。こいつの命はそう長くない。だったらその前に有効活用したほうがお得ってもんだろ?》」

「《しかし……》」

 

 遠くない未来にいずれ死ぬというのなら情報を吐かせておくのも一つの手だろう。

 もし暴れたらその場で始末できるし、仮に勝手に死に絶えたらそれはそれで黒トリガーは残る。僅かな期間でも玉狛とのパワーバランスが崩れることに目を瞑れば納得できないこともない。

 しかし、三輪にとって近界民とはただ殺す相手。損か得かで考えるものではない。

 "殺さねばならない"。それはボーダーにとっての存在意義であり、義務であり、三輪の根幹に根付いた原理そのもの。

 

「…………」

 

 それでも数多くの近界民を手にかけてきた大河の存在がその信念を揺るがした。実際に近界へ赴いて牙を剥く彼の考えは、三輪にとっても軽々しく断ずることのできないものであったのだ。

 

「レプリカっつったな。国の情報はどの程度まで詳細にわかる?」

『今は変わっているかもしれないという前提はあるが、長く居着いた国ならばトリオン兵やトリガーの特色まで。短くともその国の国力、文化や風土、生活様式は記録されている』

「へえ、いいね。さすがにトリオン兵にはサイドエフェクトも働かねーから聞くけど、嘘じゃないという証拠は?」

『本部のトリガーで私を解析すれば、惑星国家の配置図と国の特色が映像付きで確認できるだろう』

「なるほどな。……よしわかった」

 

 大河がぱしんと膝を叩き、三雲がびくりと震えた。

 

「とりあえずおまえらを本部に連れていこう。そこで今の話をもう一度城戸さんにしてもらう。"交渉"(   )の続きはそこでだな」

「ふむ?」

「大丈夫だ遊真、おれもついていくから」

「ぼ、ぼくも同席していいでしょうか……?」

「いいんじゃね? んじゃ夜も遅いし、早めに行こうぜ」

 

 思い立ったがとばかりに立ち上がる大河に、玉狛の人間がぞろぞろと続いていく。その最後尾につきながら、三輪は今もまだ迷い続けていた。

 近界民は全て敵、殺すべき相手……。しかし利用価値があれば別なのか? ボーダーに入隊するなどという世迷いごとを許すほどの?

 ふるふると頭を振り思考を放棄して玉狛支部を後にする。

 強すぎる憎悪から近界民に対して多角的に物事を見れない三輪は、しかしそれでも大河に従ってみようと思い始めていた。

 

 

 

 





とりまる:バイト中
レイジ:防衛任務中
うさみ:レイジのサポート
こなみ:一人訓練室で遊真の帰りを待っていたら夜が明けた




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第十話






 

 

 本部会議室ではボーダー幹部の面々が顔を突き合わせて議論していた。

 内容はもちろん、玉狛支部の(ブラック)トリガーの件についてである。

 バン! と強く机を叩いた鬼怒田はその手を忍田本部長に突き付けた。

 

「どういうことだ! 忍田本部長、なぜ嵐山隊が玉狛側についた!? なぜ近界民を守ろうとする! ボーダーを裏切るつもりか!」

 

 作戦を遂行中のオペレーターから伝わった迅の妨害、そしてそれに伴う遠征部隊の潰走。

 全滅はしていないらしいが、戦力を大幅に削られた状態で黒トリガーを相手にするのは街を危険に晒しかねない。撤退も時間の問題かと思われる展開に、鬼怒田は我慢ならんとばかりに口角泡を飛ばす。

 怒声を浴びせられた忍田はしかし、己もまた静かに怒りを燃やして目を鋭くさせた。

 

「裏切る……? 論議を差し置いて強奪を強行したのはどちらだ。もう一度はっきり言っておくが私は黒トリガーの強奪には反対だ。ましてや相手は有吾さんの子……これ以上刺客を差し向けるつもりなら、次は嵐山隊ではなく私が相手になるぞ、城戸派一党……!」

「……っ!?」

 

 厳かな会議室がにわかに揺らめいたと思えるほどの気迫。

 発せられた怒気は城戸派、その中でも急進派筆頭である鬼怒田や根付の顔色を変えさせるほどのものであった。一人くわえ煙草の男、唐沢は議論を俯瞰的に見て冷静に判断を下す。

 

(忍田本部長は最前線を退いたとしても、未だボーダー本部において最強のノーマルトリガー使い……怒らせたのはまずかったな)

 

 やはり懐柔策を取るべきだったか、と口には出さずとも己の陣営の失敗を確信する。差し向けられた刺客の中には特殊なS級隊員も含まれていたが、地上(ヽヽ)での戦闘となるといろいろと制限がついて分が悪い。

 ちらりと本部最高司令官の席を見やると、城戸が手元のコンソールに目を落としていた。何か、新しく状況が動いたのかもしれない。

 

「……ふむ。例の黒トリガーは投降したようだ。木場・三輪の両隊員が捕縛したとの報告が上がってきている」

「何!?」

「おお、そうか!」

 

 実行部隊のオペレーターの一人であるミサキから送られてきたそれを城戸が読み上げると、忍田は驚愕し、鬼怒田は揉み手をして喜んだ。

 

(木場を使ったのか……? 街への被害を考えればそれはないと思っていたのが甘かった……! 城戸さん……!)

 

 忍田が歯噛みして城戸を睨みつける。

 彼も木場大河という存在はそれなりに知っていた。規格外のトリオン能力を持つというS級の本部司令直属隊員。破壊の権化のようなトリガーと、それを助長させるような人間性を持ち合わせた危険な人物。そう認識している。

 例の遠征内容は忍田派の人間には特に厳しく秘匿されていたため詳細を知ることはなかったが、それでも大河の異常性は既知の事柄であり、忍田は彼のことを危険視していたのだ。

 

 だが件の黒トリガー使いは「捕縛された」と言っていた。

 忍田の思考に一筋の光明が差す。近界民と見れば殺しにかかる木場と三輪がそのような甘さをみせるとは考えにくかったが、生きているのならまだ話し合いの余地はある。

 説得は難しいが、なんとかしたい。そうして忍田は腕組みをして考えを巡らせていった。

 

「ふぅ……投降とは意外でしたが、かえって激しい戦闘にならなくてよかったですよ」

 

 額をハンカチで拭いながら根付がそうこぼすと、鬼怒田はフンと鼻を鳴らす。

 

「だが捕縛する意味はあるのか? 黒トリガーだけ奪い取って始末すればよかろう」

「穏やかじゃないですねぇ。しかしあの木場くんと三輪くんがそうしたのですから、それだけの理由があったのでしょう」

「まぁいいわい。新たな黒トリガーさえ手に入ればな」

 

 随分と勝手な物言いに忍田が声を荒げかけたが、それは喉を通して出ることはなかった。

 突如として会議室の扉が開き、そこに議題渦中の人間が軒並み顔を連ねていたのを見たからだ。

 

「どうもみなさんお揃いで。会議中にすみませんね」

「迅……!」

「迅!?」

 

 飄々とした迅悠一の登場で場の空気は一変した。

 この男が余裕を見せている時、それは彼の中で物事が思い通りに進んでいる証左。強力なサイドエフェクトがそうさせる軽々とした態度に、城戸派は先ほどまでの楽観的な考えができなくなり、忍田はどこか安心感を覚えた。

 

「貴様、よくものうのうと顔を出せたな!」

「まぁまぁ鬼怒田さん、血圧上がっちゃうよ」

 

 厳つく歯ぎしりする鬼怒田をよそに、城戸がじとりと並んだ顔を見渡す。その中のひとり、自分が四年前から重用している大河に視線を定めると真一文字に引き絞られていた唇を開いた。

 

「木場、これはどういうことだ」

「んー……、どこから話そうかな。……まず結論から言うと、黒トリガーは回収できません」

「何ぃ!?」

 

 大河がきっぱり答えると鬼怒田がまた頭に血を上らせた。

 捕縛したのに回収できないとはどういう意味か。誰もが思ったそれを、城戸が短く問いただす。

 

「それは何故だ?」

「んっとですね、この黒トリガーは完全にこいつ専用なんですよ。奪ったところで誰も起動できやしない。だから回収できないってより、回収しても意味がないって言った方が正しいかな」

 

 黒トリガーは使い手を選ぶ。元の人格の影響か、"好き嫌い"がある特殊なトリガーだ。それが極端に少ない風刃であっても起動できる人数はボーダーにも二十人程度。主に国を救うために造られることが多い近界民(ネイバー)の黒トリガーは、他国の人間というだけで使用できないことも多々ある。

 空閑のものに関していえば、これは完全に空閑遊真個人のために造られた黒トリガー。肉親にのみ扱える、と極めて限定的な条件が課されていてもおかしくない。

 

「どうしてわかる」

「そういう匂いがしたんで」

 

 すん、と鼻を鳴らす音。

 大河のサイドエフェクトにそれなりの信頼を置いている城戸は黙ったが、鬼怒田はそうはいかなかったらしい。

 

「そんな曖昧なことで認められるか。だいたい意味ならあるだろうが! 近界民が、しかも黒トリガー使いが玉狛に入隊するなど放置できるはずがなかろう!」

「だーから、そのための交渉をしに来たんじゃん、鬼怒田さん」

「交渉だとぉ……?」

 

 そんな余地があるか、と声を荒げた鬼怒田を無視して大河は空閑の背中を押し、幹部たちの前に突き出した。

 

「どうも初めまして、空閑遊真です」

「……」

「君が有吾さんの息子の……!」

「あ、親父の知り合い? どもども」

 

 城戸の鋭い視線に晒されて、しかし呑気そうに手を振る空閑に忍田が会釈を返す。

 その白い頭にぼふっと手を落として、大河は城戸へと笑ってみせた。

 

「こいつは使える(ヽヽヽ)よ、城戸さん」

「……おまえが近界民を見逃すとはな」

「俺は使えるものはなんでも使う主義ですからね」

 

 大河は城戸へ忠誠を誓ってはいるが、盲目的に狂信しているわけではない。命令されたことには基本的に従っても、もっといい方法があれば迷わずそちらを選択する。もっとも、それで城戸の期待を裏切ることはしないが。

 己を信じて遠征に送り出してくれた城戸にはそれなり以上に感謝もしていて、彼の不利益になるようなことは決して行わない。「使える(ヽヽヽ)」とは、大河に対してと同時に、ボーダーにとっても有用な意味を持っているのだろう。それを知っている城戸はひとまずは話を聞くくらいの様子を見せた。

 

「ほれ、空閑」

「ほいほい。えーと、タイガー先輩と"交渉"したんだけど。おれのユーヨーセーを示せばボーダーに入れるかもしれないって」

「なるほど……『模擬戦を除くボーダー隊員同士の戦闘を固く禁ずる』、か」

「隊務規定を盾にするつもりですか……」

 

 唐沢と根付が白い頭の空閑を見つめる。

 

「有用性だと?」

 

 額の傷に指を這わせた城戸がそう問うと、空閑が腕を伸ばした。

 

「レプリカ、頼んだ」

『心得た』

 

 腕先からにょろりと顔を出したレプリカがまた炊飯器のような形をとって浮遊する。鬼怒田や根付が驚いたように口を開けたが、何も言わずにその様を眺めつづけた。

 

『初めまして、私の名はレプリカ。ユーマのお目付け役だ』

「…………」

『私はユーマの父ユーゴに造られた多目的型トリオン兵だ』

「有吾さんが……」

 

 浮遊するレプリカの言葉に城戸と忍田がそれぞれ思うことがあるのか、なんとも言えない表情で黙り込む。

 

『タイガとの交渉でこちらが出すのは近界(ネイバーフッド)の情報。ユーゴが自らの目と耳と足で調べ上げた、およそ六十以上の国々の国力、風土、生活様式、そして知る限りのトリガー技術の情報を明け渡す代わりにユーマのボーダー入隊、及び安全を保証してほしい』

 

 レプリカの取引条件に城戸の眉間にしわが寄る。

 たしかに近界の情報は有用性という点では評価できる。しかし玉狛の黒トリガーとそれはなんら関係はない。なんなら近界民である空閑を殺し、レプリカというトリオン兵さえ確保してしまえばそれで済む。

 そんな城戸の考えを察したのか、レプリカはふよふよと浮きながら硬質的な声で釘を刺した。

 

『私はユーマの黒トリガーとほぼ一体化している。ユーマを殺せば私もまた消滅するだろう』

「ふん……」

 

 思考を読まれたと思った城戸が鼻を鳴らす。

 レプリカの後ろでは空閑がこっそりと首をかしげていた。

 別に空閑とレプリカは一体化などしていない。レプリカの解析能力がなければ黒トリガーの運用に少なからず支障は出るものの、レプリカ自体は完全に独立したトリオン兵である。

 だが口に出すことはなかった。何も全てを正直に明かす必要はないのだから。

 今は"交渉"の場。自分や仲間たちに武器を突き付けられた尋問とは違い、どれだけこちら側の要求を通せるかの話なのだ。レプリカは大河の「トリオン兵にはサイドエフェクトが発動しない」という言葉から、一体化との嘘を混ぜ込んだらしい。

 レプリカの作戦に気付かない大河は空閑の頭をわしゃわしゃとかきまわして城戸に話しかける。

 

「何回も遠征に行く身としては、こいつらの情報はぜひとも欲しい。いろんな国のトリガーの情報はきっと鬼怒田さんも満足すると思いますし」

「そりゃ、そうだが……」

 

 水を向けられた鬼怒田も渋々だが頷く。大河の遠征成果は数多あれど、トリガー技術はいくらあっても困ることはない。いや、実際は山ほどのトリガーを持って帰ってきた大河のせいで技術者(エンジニア)たちは昼も夜もなく解析に勤しんでいるのだが……まあそれは嬉しい悲鳴というやつであろう。

 

「しかしその情報と、玉狛に黒トリガーが入隊するのとではつり合いが取れない。空閑の所属が玉狛になれば、もたらされる情報は平等、もしくは玉狛に利が多い。パワーバランスが崩れる懸念は消えないだろう」

「ああ、それに関してなんだけど」

 

 なおも首を縦に振らない城戸に迅が片手を上げて割り込んでくる。

 視線を集めた彼は腰に佩いたホルスターから黒い短刀のような形をした『風刃』を抜き取り、会議室の机に差し出した。

 

「今の話に加えて、玉狛(こっち)からは風刃を出す」

「何……?」

「風刃を――本気か、迅!?」

 

 彼の提案に机上の人間は誰もが瞠目した。特に風刃の製作者(ヽヽヽ)が迅の師匠であると知っている城戸と忍田の驚きようは他の幹部たちよりも大きい。

 怪訝な顔をした城戸はその真意を探るべく迅に向き直った。

 

「……何を企んでいる、迅? この取引は我々に有利すぎる」

 

 その言葉に鬼怒田と根付も内心で頷く。

 今持ちあがっている問題は近界民そのものより、玉狛が黒トリガーを二つ所有することの方が重要である。だが先ほど大河が告げた「他の人間には起動できない」という言葉を信じるなら、風刃と件の黒トリガー、どちらの価値が大きいかなど考えるまでもない。

 何よりA級数部隊を返り討ちにした風刃があれば、天羽、そして大河の戦力を加えることで玉狛と近界民が何を画策しようが力で押し込めるのだ。この取引は悪くないどころの話ではない。

 

「別に何も企んでないよ。ただうちの後輩をかっこよく支援したいだけ。本当は陰ながら、が理想だったんだけど……」

 

 ちら、と大河を見やり、少しだけ悔しそうな顔をして続ける。

 

「もうひとつ付け加えるなら、うちの後輩たちは城戸さんの『真の目的』にも、いつか必ず役に立つ」

「……!」

「おれのサイドエフェクトがそう言ってる」

 

 それきり、しばらくの間無言の時間が会議室を支配した。

 誰もが己の内に回答を吐き出している。

 

 黒トリガー。パワーバランス。

 近界民。情報。

 ――恩人の子。

 幹部たちは各々、空閑の入隊もアリではないかと喉を鳴らす。

 

 仲間。後輩。

 敵。有用性。

 ――殺戮の足掛かり。

 隊員たちの内心はばらばらではあるものの、絶対反対だと言う者はいなかった。全ての決定は上に依る。若干一名分、危険すぎる思惑が紛れ込んでいるが果たして気付く者が何人いたか。

 

「……、…………いいだろう」

 

 長い沈黙を破り、城戸が鋭い視線を伏せ気味にしながら口を開いた。

 

「近界の情報、そして風刃と引き換えに……玉狛支部、空閑遊真のボーダー入隊を正式に認める」

「や、やった……!」

 

 承諾の言葉にこの会議室へ入ってから初めて声をあげた三雲が視線を集め、過去最高の早さで冷や汗を顔中に張り付けた。もしそれがトリオンであったならば彼は大河に次いで有能な能力の持ち主だったやもしれない。

 

 途端に緩み始める会議室の空気、それを嫌うかのように城戸が号令をかけた。

 

「……では解散とする。木場隊員と三輪隊員は残るように」

「は、はい、失礼します」

「ありがとーゴザイマシタ」

 

 短い命令に全員が席を立つ。名指しで居残りを命じられた二人以外はそれぞれ何やら言い合いながら会議室の扉をくぐっていった。

 ぞろぞろと会議室をあとにする面々の姿が消えてから、城戸はじろりと据わった視線を大河に送りつけた。

 

「木場、どういうつもりだ?」

「どういうつもりって?」

「あれだけ近界民を殺したがっていたおまえが、なぜよりによって今見逃すのかと聞いている」

「ああ……」

 

 殺したいと駄々をこねたくせに、どうして今になって手を返すのか。

 問われた大河はがりがりと頭を掻いてから拍子抜けしたように答えた。

 

「だってあいつ、もう死んでるんだもん」

「何……?」

「黒トリガーの力でかろうじて生きて――いや死ぬまでの時間が伸びてるだけ。死んでるやつを殺すのは俺の趣味じゃない」

 

 生きているから殺せるのだ。生きているから、その匂いに惹かれる。

 大河は遠征中にも味わえなかった黒トリガー使いの臓腑(はらわた)の匂いを楽しみにしていたのに、実際に現れたのは既に死に体の野良近界民。すっと引いていく興味に、ようやく迅の言葉が届いて叶ったのがあの"話"だった。

 

「だったら情報引き出して、もっともっと殺すために役立てた方がいいじゃないっすか?」

「…………」

 

 彼の言い分に呆れかえりつつも、なんとか納得はした。

 城戸は効率主義者である。その鉄面皮に隠された奥底にどれだけ激しい感情が渦巻いていても、決して表には出さずに組織の運営を最優先する。今となってはパワーバランスの懸念も消え去り、残るは直属隊員への疑問のみだ。

 続けざまに隣の三輪にも視線を送った。大河と違い、純粋な憎悪で近界民を排除することを願った彼は、何を思って空閑の連行に応じたのか。

 

「三輪」

「……俺は……」

 

 先ほどの話し合いにも参加せず、ずっと黙り込んでいた三輪は戸惑ったように言葉を濁した。

 近界民は殺すべき相手。それは今も変わらず思っていることだが、「もっと殺すために」と軽く言ってのけた大河に影響されて揺らぎ続けていた。

 三輪が返答できずにいると、城戸は瞳を閉じて小さく嘆息する。どうやらこのごたごたには如何な彼とて疲れを感じていたらしい。

 

「……、まあいい。あの近界民が問題を起こした場合、処分はおまえたちに任せる」

「はい、それはもちろんです」

「りょーかいっす」

「ではおまえたちも解散しろ。この件については報告書の提出は不要とする」

 

 それきり、三輪と大河も会議室をあとにする。

 こうしてボーダーの派閥間による黒トリガー争奪戦は、静かに幕を下ろしたのだった。

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 会議室を出た大河はミサキの待つ作戦室に帰るべく廊下を歩いていた。

 木場兄妹は任される任務の特殊性ゆえ、ボーダー本部基地にほぼ住み込みで暮らしている。

 当初はボーダーの建てた仮設住宅が彼らの家となったものの、両親もおらず大河がS級隊員となり、果てはミサキも入隊してからは『木場隊作戦室』に割り当てられた部屋が彼らの生活の場となっていた。とはいえ、ほとんど遠征で出払っているので彼らの姿を見る職員もまれなのだが。

 

 木場隊作戦室は他の部隊のそれと比べて少々優遇されており、主にミサキの要求により生活感が溢れるどころか別世界のような様相すら呈している。

 トリガー技術を無駄遣いした仮想空間露天風呂をはじめ、遠征中に撮り溜めたTV番組や映画を楽しむ巨大スクリーン、ゲームに本。果てはミサキ独自の研究開発スペースまで。ありとあらゆる娯楽が詰めこまれたそこは長旅の疲れを癒すと同時に鋭気を養う彼らの城だ。

 

「木場さん!」

「ん? 三輪か。どうした、まだ帰らないのか?」

 

 そんな自分の巣に帰る途中、三輪に呼び止められて足を止める。

 駆け寄ってきた彼は口を開きかけしかし、言葉を探すように押し黙った。

 

「なんか用か」

「あ……はい、その……」

 

 そのへどもどした態度に大河は首を傾げ、目の前の少年が落ち着くのを待つ。

 基本的に己の価値観で人を見る大河ではあるが、ボーダー隊員……というより玄界人(ヽヽヽ)に対しては「殺してはならない」という一般常識も持ち合わせているので意外と素直な面を持つ。殺戮部隊であることと乱暴者であることはイコールではないのだ。

 しかしまあ素直すぎて逆に殺意も隠さないため忍田のような者にも目を着けられてしまうのだが本人は特に気にしていない。城戸派の人間は時たま頭を痛めているが。

 しばらくして三輪は意を決したように顔を上げた。

 

「木場さん……、木場さんの遠征の話を、聞かせてもらえませんか」

「遠征の?」

 

 オウム返しに聞き返された言葉に頷く三輪。

 彼は城戸に大河の存在を教えてもらってからずっと話がしたいと思っていたが、何の話をするかはまだ決めていなかった。どうして司令直属隊員になったのか、どうして単独遠征などというものを望み、かつそれを許されるのか。聞きたいことは山ほどある。

 それらをまとめると、やはり遠征で何をしてきたかという話に収束した。遠征先で本当に近界民を殺してきたのだろうか。それも含めて三輪は大河に極秘任務の内容を尋ねたのだった。

 

「あー……そのことは誰にも話すなって城戸さんにも言われてるからなあ」

 

 「これからの遠征」「もっと殺すために」などと既に示唆するようなことは言ってしまったが、実際に何をしてきたかは絶対に言えない最重要機密(トップシークレット)。困ったように頭を掻いた大河に、三輪は目に力を込めて大丈夫です、と詰め寄る。

 元よりこの極秘事項を教えてくれたのは城戸司令。彼がそうしたということは、むしろ大河の話を聞くことを暗に勧めているのではとさえ三輪は思っている。

 

「俺は木場さんと同じ司令直属の隊員です。木場さんの帰還前には司令により同様の守秘義務を課せられています」

「ああ、そうなのか。じゃあいいかな」

 

 そこまで踏み込んだならば遠征内容を話しても問題ないだろう。そう判断した大河は三輪の頼みに頷くことにした。どうせ本部基地にいる間は仕事も少ない。というより、仕事自体はあるがほとんど基地の"電池"扱いされているため暇を潰せるなら話の一つや二つは苦ではない。

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 色よい返事をもらえた三輪は滅多に見せない笑顔を浮かべて頭を下げた。彼をよく知る者が見れば驚いてしまうくらいにはいい笑顔だ。

 

「今日はもう遅いし明日でいいか? 明日は一日中開発室にいると思うからそこで」

「はい!」

 

 年相応の少年の顔になった三輪は元気よく「では失礼します!」と挨拶してから去っていく。

 それを見送った大河は妙に懐いてくる三輪に対し、

 

「……変なやつ」

 

 などと身も蓋もないことを呟いて、今度こそ己の巣に帰っていった。

 

 

 

 






みんなみんな、生きているんだトモダチなんだ殺せるんだ。
とまぁ、遊真を見逃した理由はそれ。完全にサイコキラー。
さすがにワートリ主人公を殺す勇気はなかった・・・・。

そして原作キャラで深く関わるのは主に三輪です。なのでもっとも原作剥離が激しいのも彼です。




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近界蹂躙編
第十一話


 

 

 翌日、開発室最奥の部屋にて三輪は大河と相対していた。

 しかしようやく念願の叶った彼は目の前の状況に困惑している。

 

「おう、来たか」

「ど、どうも。……これは何をしているんですか?」

「ああこれか?」

 

 三輪が指したのは大河に取りつけられた機器の数々。

 リクライニングシートのようなソファに深く座った大河にはさまざまなチューブや電極が伸びる機材が取りつけられており、さながら重篤な入院患者の病室のような様相を呈していた。

 足の踏み場もないほど乱雑に張り巡らされた極太の配線はどこかサイバネティックでもあり、三輪は実は大河が改造人間なのではないかと半ば本気で思ったほどだ。

 

「これは基地運営用のトリオンを供給する機械だよ」

「基地運営用……? 防壁や迎撃用のですか?」

「そうそう。あとは研究用とか実験用とか……まあいろいろあるけど、早い話が俺は今日、乾電池役ってこと」

「そ、そうなんですか」

 

 途方もない話に三輪は驚きや尊敬を通り越して呆れてしまった。基地運営をはじめとするトリオンを個人で供給するなど、どれだけのトリオン量を有していれば可能となるのか。城戸が言っていた「通常(ノーマル)トリガーを使えない」という話も、いまなら納得できる。

 ソファ横に用意されていたドリンクをストローで吸いながら大河がまぁ座れ、と手で示す。

 配線に埋もれかけていた椅子に腰を下ろして、三輪はぺこりと頭を下げた。

 

「今日はありがとうございます。急な頼みを聞いてくださって」

「おう。鬼怒田さんに頼んで防音にしてもらってるからなんでも話せるぞ。……で、何を聞きたいんだ?」

 

 大河がずごごーっと中身を飲み干したコップを備え付けの簡易テーブルの上に置くと、瞬時にそれが消えて新たな飲み物が配置された。スイッチボックスにも使用されるワープトリガーである。

 無駄遣いこの上ないトリガーの使用法に一瞬鼻白んだ三輪だったが、極秘の話をするための気遣いなのだろうとなんとか気を取り直して大河に向き合った。

 

「えっと……では。まず、木場さんはなぜ単独で遠征に行かれるのですか? 未知のトリガーを手に入れるだけなら通常の遠征に同行するだけでもいいはずですが」

「そりゃおまえ、近界民(ネイバー)をブッ殺したいからに決まってんだろ」

 

 ノータイムで返された物騒極まりない答えに、しかし三輪は怯むことなく聞き入る。元より彼も近界民と交渉するなど生ぬるいと感じているのだ。三輪にとっては大河の答えはむしろ、理想的とさえ感じられた。

 

「ふつうの遠征じゃ、下手すりゃ本当に行って帰ってくるだけだ。んなつまんねーもん、行きたくねーよ」

「どうしてそこまでして近界民を? 気分を害されたら申し訳ありませんが……やはり家族を殺された恨みでしょうか」

「そりゃあ、恨みがないって言えば嘘になる。こんなんでも家族の仲が悪かったわけじゃないしな。でも別に、俺は復讐のためにやってるわけじゃない。殺したいから殺す。それだけだ」

「……そう、ですか」

 

 三輪は大河のことを同じ復讐に燃える仲間だと思っていたが、どうやら違ったらしい。その事実に覚えたのはほんの僅かな落胆と、同じくらいに湧いてくる興味。

 視線を落とした彼はどこかで復讐者と成り果てた己の進むべき道を探していたのかもしれない。家族を殺されたこととは別のところで近界民殺しを望む大河に、それを重ねているのだろうか。

 

「俺の遠征は完全にトリガー奪取に限定されてんだ。おまえも知ってるだろうが通常の遠征任務にはあの大規模侵攻を敢行した国の情報を探したりとか、その被害者の捜索も含まれてる。

 けど俺はその真逆。"こっちの世界"……向こうじゃ玄界(ミデン)って呼んでるここから、かなり離れたところでトリガーを奪ってくるのが仕事だ。国の二十は回ってるが、日本人と会ったことはねーな」

「…………」

 

 開かされていく内容に黙って聞き入る。理由が復讐でないことは少し残念だったが、それは置いておいても、大河が近界(ネイバーフッド)(おこな)ってきたことにはやはり興味がある。

 が、続く言葉に三輪は違う意味で言葉を失った。

 

「今日ここに来る前、城戸さんに聞いたぞ。おまえは姉の仇を討つためにボーダーに入ったんだってな」

「……っ」

 

 急な話題の転換に息を飲んでしまう。

 脳裏に過るかつての記憶。冷たい雨と、己の腕の中で失われていく姉の体温。三輪はそのフラッシュバックに吐き気を覚えて口を押さえた。

 そんな彼を慮ることなく、大河はさらに続けて言う。

 

「言っちゃ悪いが、俺とおまえは違う。俺がやってることはただの殺戮だ。玄界とはほとんど接点のない国で暴れて、殺して……。向こうにとっちゃ俺たちが大規模侵攻を受けた時と同じような気分だろうよ」

 

 たしかにその通りだ。三輪も素直にそう思う。

 何も知らずに過ごしていたところに、あの決戦兵器のような武装を抱えた男がやってきて一切合財を灰塵に帰される。向こうからしてみれば悪夢のような話だろう。

 

「おまえが俺に何を期待してんのか知らねえけど、たぶん望んだ答えは返せねーぞ」

「…………」

 

 黙り込んでしまった三輪を、大河は感情の読めない表情で眺めていた。

 試すような、哀れんでいるような視線。晒された三輪は膝の上できつく拳を握りしめる。

 

 望んだ答えは返ってこない。大河の言葉にしかし、失望していない自分がいて彼は当惑していた。では己は何を望んでいたのだろうか。それさえわからず何も言い出すことができずにいる。

 

「じゃあ逆に聞くがな」

 

 静かな機械音だけが場を支配する中、大河が鼻を鳴らして問う。

 

「おまえはなんで城戸さんの下に就いたんだ?」

「それは、近界民を排除することがボーダーの使命だと……」

 

 玉狛の友好派は論外として、忍田本部長の派閥でさえ生温い。近界民排斥主義を掲げる城戸派こそ己が身を置くべき立場。

 そう答えた三輪だったが、大河は肩を竦めて否定した。

 

「そうじゃねえよ、直属隊員にまでなった理由だ。派閥がどこだろうと襲ってくる近界民は排除する。おまえが復讐を望んでようがやることが変わらない以上派閥はどこだっていいはずだろ。まあ、司令派は近界民を恨んでる連中が多いから居心地はいいだろうけどよ、直属にまでなる意味はない」

「それは、そうですが」

 

 ボーダーは界境防衛(ヽヽ)機関。つまり攻め入ることがない自衛に特化した組織である。……一部特例を除いて。

 三輪が司令直属隊員になったのは、城戸に勧誘されたからだ。個人(ソロ)で暴れていたころ忍田により東隊に放り込まれ、しかし秘めたる殺意を滾らせていた時に受けた勧誘。

 その時の口説き文句は――

 

「昨日の空閑に対しての様子を見りゃわかる。おまえは近界民を殺したがってる」

 

 そう、近界民を殺せる、と。殺していいと言ってのけた城戸に忠誠を誓った。そのために今日まで牙を研いできたのだ。

 

「じゃあなんで殺したい? 復讐するだけなら大規模侵攻を起こした国だけでいいはずだろ」

 

 次の問いにもすぐには答えられなかった。

 

「俺は……」

 

 三輪とて近界にはさまざまな星が浮かび、中にはこちらの世界と全くすれ違わなかった国もあったのだろうとわかっている。復讐すべきは姉を殺した大規模侵攻を起こした国。他はどうでもいいはずなのに、彼は頑なに近界民を排除しようとする。それはなぜなのか。

 いまでも定まっていない心の内へ彼はようやく向き合い、その弱さ(ヽヽ)を口にした。

 

「――俺は……きっと、やつらが怖い(ヽヽ)んです。姉さんを殺されたことも許せない、けど、それと同じくらいに……。この世界以外に見えない国が無数に広がっていて、それが攻めてくると思うだけで、背筋が凍りそうになる。だから……」

 

 国単位ではこちらの世界と接点がなかろうがもはや関係ない。次元の壁の向こうは全て敵だ。やつらは既に奪った。かけがえのない者を、時間を、全てを。

 仮にいままで地球とすれ違わなかったからといって、もしこちらにトリガー技術がないと知ればどんな国だって侵攻し、人々を蹂躙しようとしただろう。

 ボーダーが設立されてからもトリオン兵はひっきりなしに送り込まれてくる。その事実がそういった考えを助長する。

 

「…………」

 

 両手で震える肩を押さえた三輪を、大河がじっと見つめている。

 

「だから……」

 

 攻めてくる"かもしれない"。奪おうとしてくる"かもしれない"。それだけで、既に奪われた者からすれば排除する理由になる。この不安が晴れるとすれば、それは近界民を殲滅し尽くした時にでしかありえない。

 ゆえに――

 

「殺さなければ、と……思います。怖いから殺す。危険だから殺す。近界民だから……」

 

 そこまで言って、三輪は大河を見つめ返した。俯いた顔から見上げるようにしているその目は、叱られるのを待つ子どものような不安や怯えを孕んでいた。

 

「……はっ」

 

 そんな彼の頭を大河は愉快そうに笑いながらわしゃわしゃと撫でつけたのだった。

 

「やっぱ俺とおまえは(ちげ)えよ。けどまあ、そういう理由で殺してもいいんじゃねーの?」

「っ~~……」

 

 呆けた表情を戻せず、どこか気恥ずかしさを覚えた三輪は俯けていた顔をさらに下へ向けた。

 しかし同時に大きな安心感も得て、なぜだろうと理由を探す。

 きっと、誰にも言えなかった「怖い」という感情は彼の本質を指していたのだろう。恥ずかしさと、自分でもわかる理不尽さから言えなかった言葉。自分が近界民を酷く憎んでいることを知り、なおついてきてくれる米屋のような仲間にさえそれを伝えることはできなかった。

 

 怖いから根絶やしにするなんて、あまりにも理不尽で非合理で、荒唐無稽な子どもの言い訳だ。その弱さを覆うために「危険」という言葉に言い換え、本物の(ヽヽヽ)憎悪で己を塗りつぶした。

 だが大河は笑って認めてくれた。弱々しくちっぽけな本当の自分を。そのことに彼は安心したのかもしれない。

 

 あれだけ固執していた復讐は三輪の全てではなく、彼はおぼろげながらも前を見ようとしていた。たとえそれが非現実的なものであっても、歩みを止めることはなかった。

 そんな彼にとって大河という存在は、きっとこの上ない味方で、「殺したいから殺す」という危険な思想さえ迷わず突き進む力強さに思えて頼もしく感じたのだろう。

 

「き、木場さん?」

「…………」

 

 黒髪をくしゃくしゃにしつつ大河は三輪に対する認識を改めていた。

 実際のところ、大河にとって三輪の思いなどどうでもいいことであった。他人がどういう意志をもってボーダーに入隊し任務に就いているかなんて興味もない上、知ったところでなんの益もない。

 そして己が異端中の異端であることは理解していたし、城戸司令以外の誰かにわかってもらうつもりもなかった。

 しかしこうして実際に「誰かの近界民を殺す理由」を聞かされると少しだけ心が動いたのだ。

 

 あの不安や怯えを孕んだ瞳は、かつての自分だった。

 

 決して許されない切望。三輪の思いとは道を(たが)えど怖がる理由は同じだ。いまでこそ城戸司令やミサキがともに立ってくれているが、大河も己の抱える葛藤に悩む日々を過ごしてきた過去を持つ。

 だからこそ三輪の思いを簡単に否定することはできなかった。

 城戸が頷いてくれた時。ミサキが嘆息しながらもついてきてくれた時。大河は言葉に表せないほどに嬉しかったから。

 

「あ、あの、もう……」

「んあ? ああ……」

 

 気まずそうな声にふと我に返る。

 まぁごちゃごちゃ考え込んでしまったが、要は近界民殺しのお仲間ができて少し気が楽になった、といったところか。

 

「悪い悪い」

「いえ……」

 

 やんわりと外された手を引っこめて、代わりに飲み物と一緒に送られてきた菓子類を勧めた。

 

「ほれ、食え」

「ありがとうございます」

 

 断るのも無粋かと三輪はそれに手を伸ばしつつ、逸れた話題を元に戻そうと話しかける。

 

「木場さん、よかったら遠征先でのことも聞いていいですか?」

「かまわねーよ。どうせ今日は暇だからな」

 

 尋ねられた大河は鷹揚に頷いた。

 その身体から伸びる機材はいまも彼のトリオンを吸い上げ続けている。常人なら数分で終わる作業も、大河の莫大なトリオン量にもなると一日がかりの大仕事だ。ちなみに初めてこの仕事を任された際にはトリガーだけでなく本部のトリオンタンクすら破裂させて、鬼怒田の頭髪と血管の数本が犠牲になったのは余談である。

 

「んー、何を話すか……」

「記憶に残ったことだけでもかまいませんよ」

 

 心なしか柔らかくなった三輪の語調。それに気付かないまま大河はぽんと手を打った。

 

「んじゃそうだな、遠征の最後のほうの話でもするか」

 

 半年にも及ぶ遠征になると、最初に赴いた国なんかは印象が薄くなるもの。記憶に新しい近界の国を思い浮かべた大河は、ソファに座り直して長話の体勢をとった。

 三輪も居住まいを正して聞き入る姿勢になる。彼は久方ぶりに、心がわくわくするのを感じていた。

 

「最後に乗り込んだ国なんだがな――――」

 

 目を輝かせている後輩に教えてやろう。

 大河は血に塗れた話を、あえて(つまび)らかにするつもりで語り出した。救いようのないくらい非道かつ残虐で、耳を覆いたくなるような血みどろの遠征内容。

 たとえこれで三輪に恐れられようとも構わない。それならそれで、己のやることにはなんら影響もない。これからも一人戦場に立つだけだ。

 

 血に飢えた虎の、禁断の記録が紐解かれていく。

 

 

 

――――――

――――

――

 

 

 

 

 

 




三輪の思いは完全に独自解釈。

次回から国家だのトリガーだの独自解釈だのオリジナルの設定が多数出てくるのでベイルアウトの準備だけはしっかりと。
よろしくお願いします。



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第十二話

近界(ネイバーフッド)蹂躙編





 

 

 太陽の国、アクティナ。

 ここは落ちることのない陽の光を糧に生活を営む白夜の国。母体(マザートリガー)はこの太陽そのものであり、人々が住む大地は天体と化した母体の『外殻』にすぎない。そのため他国であれば()が管理すべき昼夜がなく、常時その光をそそぎ続けている。

 

 そういった背景もあり、この国は近界(ネイバーフッド)では珍しく動力となるエネルギーがトリオンだけではない。玄界(ミデン)とは少し仕組みが異なるが太陽光発電のようなシステムを確立しトリガーと組み合わせることで独自の発展を遂げているのである。

 

 科学国家とも称されるこの国は街のそこかしこにソーラーパネルに似たエネルギー精製装置が設置されており、それらから作られるエネルギーは生活の他に、国家防衛をするトリガー使いやトリオン兵に送られる。そうした潤沢な動力を得られる国内での戦闘に限っては、アクティナの戦力は他国に侵略を躊躇させるほどのものを有する。

 

 規模から言えば小国に分類される彼らの誇りは、国土は狭くも他にはないビルや巨大な防壁、それらが織り成す美しい景観が如実に物語っている。追い求めた効率が機能美へと昇華されたこの眺めは近界でもこの国でしか味わえないだろう。

 

 ――そんな近未来然とした街並みはいま、木端微塵に粉砕されて瓦礫の山と化していた。

 

「科学国家っつってもなあ。簡易トリオン銃がちょっと高性能になっただけじゃね、これ?」

 

 無人の荒野となった場所でため息とともにそう言い捨てる大河の足元には、原型を留めていないトリオン兵の残骸。これらは中型の人型トリオン兵が隊列を組んで襲ってきた成れの果てである。

 

《弱いなら弱いでいいよ別に。それより次来るよ》

「早いとこトリガー使いが来てくれりゃいいんだけど」

 

 壮絶な破壊の後ではあるが、大河はまだ近界民(ネイバー)を殺してはいない。それというのも、この国が特殊な形状をしていて簡単には攻め込めないためだった。

 アクティナの国土は(実際のところ方角名は違うかもしれないが)東西に長く伸び、高いビルが軒を連ねる中枢部が真ん中に鎮座し、防壁を挟んで市街地、そしてまた防壁を挟み無人の発電区域といった防衛形態をとり、中枢を核に分かれる形となっている。

 大地が細く伸びきった場所は荒野になっており、東西の端に三門市の(ゲート)誘導装置のようなものが設置されているのか、木場兄妹の遠征艇は侵入する際に強制的に東の荒野に降り立つことになった。

 

 そしてそこで、まずは挨拶代わりにと叩き込んだメテオラが一枚目の防壁にぶち当たり、それが崩壊するとまるで蜂の巣を突いたようにトリオン兵の軍団が大河に向かって殺到してきたのである。いきなり攻撃されれば近界民(ネイバー)側もそういう対応をするのは当たり前だが。

 玄界(ミデン)での戦闘と違い、遠慮も何もない彼の武装は派手に戦火を撒き散らしつつ荒野を越え、無人の発電区域を更地にしていまに至るというわけだ。

 

《まあトリオン兵とか、他の国よりはマシな動きしてるんじゃないの?》

「隊列とか組んでるし、たしかに動きはいいけどよ……トリオン兵とかどうでもいいし。トリガー使いの反応はないのか?」

《たぶんぜんぜん来てない》

 

 遠距離から砲撃してくるバンダーの改造版みたいなトリオン兵に撃ち返して粉微塵にしつつそう尋ねても、ミサキから返ってくる言葉にはまったく希望が見出せない。

 

「チッ、頭でっかちはこれだから……。んじゃこっちから行きますかね」

 

 右肩のハイドラが圧縮されたアステロイド(カノン)を掃射して、波のようなトリオン兵の群れを薙ぎ払っていく。動くものが何もなくなった荒野に足を踏み出した大河は、蜂の巣の深部に向かって歩を進め始めた。

 すなわち、市街地への侵攻。

 巣を叩いただけでは木端(こっぱ)の働き蜂しか出てこない。だが巣に入って根幹に被害が及べば精鋭部隊が出てくることだろう。

 大国相手なら控えるべき手法だが、ここは国力的には弱小国家。完全な殲滅はそれなりに骨が折れるものの、別にそこまでせずとも引けばいいし、その場合も潮時さえ見誤らなければ問題はない。何より仕込み(ヽヽヽ)は既に済ませてきた。

 玄界出身であることを隠すためエンブレムも何もつけていない隊服を翻して、大河は大地を蹴った。

 

《グラスホッパー起動》

「サンキュ、っと」

 

 大股に過ぎる二歩目に合わせるように、大河の思考をトレースしたミサキがトリガーを操作してグラスホッパーを足元に展開した。これも大河が自分でやると制御を誤って、下手をすると中枢を飛び越えて反対側にまで行ってしまう可能性があるため、こうしてミサキが手ずから起動しているのである。

 一辺が四メートルはあろうかという半透明の板に足を乗せると、その場から瞬間移動(テレポート)でもしたかのように大河の姿が消え失せる。

 もちろんグラスホッパーにそのような機能はない。単純に跳ねる強さが異常なだけだ。

 

「《んぎぎ……、これやっぱ慣れねえな……》」

 

 音速を越えた速度で(くう)を裂きながら大河が通信でこぼす。

 あまりの加速度にさすがの強化戦闘体でも圧がかかり、口を開きたくないのだろう。別に開いたところで問題はないのだが、このグラスホッパーの加速にかかるGは生半可なものではない。もし生身の人間があれを踏んだら細切れなんてレベルではなく消し飛んでしまうに違いない。

 数十秒の音速飛行ののち、大河は先ほど自分で吹き飛ばした防壁の無事な部分に着弾(ヽヽ)した。

 

()った~……くはないけど、毎回着地が締まんねーな……」

《この前なんて何メートルも埋まったもんね。あれはウケた》

「ウケんなよ……、割とマジで焦ったぞアレ」

 

 妹と軽口を叩き合いながら防壁に爪を食いこませて登りつめ、無人の発電区域とは違って生きた人の匂いが充満したそこを眺める。

 まだ中枢に見える防壁より高いビルのような建造物は少ないものの、そこではたしかに近界民……いや人間が生活しているだろう空気(におい)が漂っていた。深呼吸した大河は満足そうに牙を覗かせる。

 

「くく……」

《前から思ってたけど兄貴の笑い方悪者っぽくて引く》

「え、マジか。今度から気をつけよ」

 

 くつくつと喉を鳴らした大河は一瞬にしてそれを引っこめた。さすがの大河も妹には嫌われたくないのだった。

 口は悪くともミサキの存在は間違いなく彼の心の支え。この遠征においては命綱を持つ役目でもある彼女の言葉は無視できない。

 

 しかし彼がこれから行うのは悪者どころの話ではない。そもそもこんな旅に付き合わせるなという話でもあるのだがそれは過ぎたこととして、無辜の人々が暮らす街を破壊し尽くすのだ。悪も悪、それも極悪非道の頂点にすら至る悪行である。

 

 だがその点に関してはミサキは口を挟まない。既に何度も繰り返してきたという慣れを除いても、彼女は大河のやることになんら歯止めをかけようとは思わなかった。

 『思考追跡(トレース)』でも大河(あに)の求める"匂い"とやらはわからなかったが、求める気持ちは理解してしまった。それに至るまでの苦悩も知る彼女は、むしろいまの状況を好ましいとすら感じている。

 

「そんじゃあまあ、駆けつけ一発!」

 

 大河の気合を込めた声に呼応するようにハイドラが唸りを上げた。左肩、メテオラが装填された砲塔が眼下の市街地の中心に向けられ、次の瞬間に巨大な砲弾が撃ち放たれる。

 この一発にはミサキは干渉していない。なぜなら外部干渉は威力を抑えるために行うもの。隠密や秘匿の必要がない場合、『枷』が外れた猛獣はその真価を発揮する。

 大河の杜撰なコントロールによって炸薬(トリオン)を注ぎ込まれた極大の咆哮は、ただの一撃で市街地の一画を消し飛ばした。

 

「――――――!!」

 

 数キロは離れた着弾箇所からも吹きすさぶ爆風に乗って近界民たちの断末魔が大河の耳に届けられる。そしてその声よりも濃厚な死の匂いを、彼のサイドエフェクトは敏感に嗅ぎ取った。

 

 

「あ――――~…………!! っは!! っはっはっは!! はははははは!!!」

 

 

 笑う。笑う。げらげらと、いやらしく、凶悪に、純粋に。

 釣り上がる頬を戻せない。大口を開けた大河は呼吸の必要性が薄い戦闘体なのをいいことに息継ぎもせずに笑い転げ続けた。

 ――脳髄に染み渡るこの匂い。これだ、これこそ求めていたもの。

 惑星国家を強襲するのは幾多も繰り返してきたことだが、何度味わってもたまらない。むしろより欲求が強まっている気さえする。

 生に満ち溢れた街から漂う濃密な死の匂い。だが足りない。まだ、足りていない。

 

 さあ殺そう――もっと殺そう! 次はどうしようか。直接心臓を引きずり出すのがいいかもしれない。それとももう一発ブチ込んでもいいか。

 

 蜂の巣を半壊させた熊――否、虎は舌なめずりして獲物を求め続ける。

 通信で大河の哄笑を聞いていたミサキはただ「楽しそうだなぁ」と狂喜に満ちた兄の思考を読み取っていた。

 

 よし決めた。次は直接手で()ろう。

 残酷な決断を夕飯のメニューを決めるような気軽さで選択した大河は立っていた防壁からその身を投げ出した。ボーダー本部基地並、百数十メートルはあろう壁だが、戦闘体にそんな高さはなんの意味もない。

 通常の戦闘体ですら大気圏から突入しても無傷で着地することができるのだ。その場合どれだけ深く埋まるかは定かではないが。

 

「――っとお!」

「……!?」

「なんだ、こいつは……」

 

 地面を蜘蛛の巣状に割って着地した大河は、突然の大爆撃に混乱する近界民たちの凝然とした視線に晒された。先ほど防壁が半壊した上に、今度は市街地の中心部が消滅したのだからその恐慌ぶりはさもありなんと言ったところか。

 注がれる視線も当然のこと。このタイミングで現れた異邦人、騒ぎの原因でないと思う人間の方が少ないだろう。

 

「止まれ、何者だ!」

 

 数人の男たちが人混みをかき分けやってきて、銃型のトリガーを大河に突き付け叫ぶ。

 国の軍人か街の自警団か。生活感に満ちた匂い(ヽヽ)からして後者だろう。サイドエフェクトであたりをつけた大河は見る者を戦慄させるような笑みを浮かべた。

 ――さすがは科学国家、こんな"下っ端"にもトリガーが行きわたっているとは。

 

 ボーダーにおける鬼怒田の『ノーマルトリガー量産』という功績は、玄界に物量的な防衛システムを構築させた画期的な発明だった。しかしトリガー技術が文明の根幹を築いている近界がその程度のことをできないはずもない。

 それでも近界では『トリガー使い』が貴重な戦力として扱われ、機があれば玄界に攻め込んでさえ奪おうとしてくる。それはなぜか。

 

 単純に、優秀なトリオン能力者が少ないためだ。

 

 文明の全てにトリオンが関わる近界では、たとえ街の防衛を任される自警団だろうと日々の生活にトリオンを割り振らざるをえないため、トリガーを起動させて戦闘に回るほどの余力がないのだ。

 玄界が当たり前に使っている資源エネルギーは近界には少なく、もしくは存在しない。石油・石炭・天然ガスなどといった枯渇性エネルギーの全てをトリオンで賄う近界民たちにとって、「戦闘を行えるほどのトリオン能力者」という基準がボーダーよりもさらに厳しいのである。

 事実大河がこれまでに渡ってきた国ではもっと上の『軍人』からしかトリガーの使用を許可されていないところのほうが多かった。

 市民から徴収したトリオンを組織の運営に使用し、トリオン兵の生産やトリガーの開発といった兵装充実を図ると同時に戦闘に回す人員のトリオンを温存する。それが近界の主だった兵の運用法だ。

 

 だが、ここは特殊なエネルギー精製法を確立させた太陽の国。

 潤沢なそれを生活に回すことで兵力を上げた近界でも類を見ない科学国家。

 いち自警団程度がトリガーを持つのは珍しい。しかし、そのトリガーを奪取するために遠征に来た大河たちにとっては、鴨が葱を背負って来たようなものであった。

 

「ようやく来たな、トリガー使い」

「黙れ。もうすぐ軍の部隊も到着する、抵抗は無駄――――」

 

 ぞろぞろと取り囲んで勇ましく叫ぶ近界民だったが、それは蛮勇でしかなかった。

 大河が目にも留まらぬ速さで爪を閃かせる。投降を促そうとした一人の男がトリオン体を微塵にされ、何が起きたかわからぬまま爆発してトリガーが強制解除された。

 

「な――!?」

「まずは一匹(ヽヽ)

 

 同じ人間扱いすらせず、まるで羽虫を払うかのように生身(ヽヽ)に対して追撃する。

 哀れな男はへたり込んでいた場所ごと縦に分割されて、大地を朱に染めた。

 

「こっ、こいつ!?」

「撃て! 撃ちまくれ!」

 

 怯んだ自警団の団員たちが手に持った銃型トリガーを乱射し始める。

 トリガー使いは希少。ゆえに攻め込んできた敵ですら本音で言えば捕らえて駒にしたい。それが叶わなくとも『燃料(ヽヽ)』にはなる。

 しかし目の前の凶悪な男は危険だ。有しているトリオン能力は喉から手が出るほど欲しいくらいに強大だが、やつは仲間を殺した。殺しすぎた。

 説得は不可能。そう判断して一斉に引き金を引いた。

 

「――――――ぎゃは」

 

 だが、遅すぎた。

 判断も、行動も、その弾丸すらも。

 

「うわあっ!?」

「ぐあぁッ!」

 

 その場から消えたような錯覚すら与える大河の初動は、己に狙いを定めた攻撃の全てを置き去りにしてその身を獲物の眼前に運ぶ。

 一番近くにいた者を撫で切りにし、その隣の男を抉り、身体に突き刺したままの爪を振り払うと隊列を組んでいた自警団の一団が雑草のように千々(ちぢ)に吹き飛んだ。

 揃って換装を解除された彼らの恐怖は続く。

 無力化しても大河の蛮行は止まることなく、むしろ加速度的に加虐性を増していく。

 

「はははっ、あハはははははは!!」

「やばい、こいつ……!」

「にっ、逃げろ!!」

 

 血が霧のように舞う壮絶な戦場。そこで高らかに笑う大河は、生き残った者たちに戦慄しか与えなかった。慄いた近界民たちが身を翻し、我先にと走り出す。

 

「逃げんなよお! もっとブチ撒けて逝けや!」

「ひっ、ぎゃ――――」

 

 ガシャン、と砲塔が無機質な音を立てて作動し、無慈悲にも吼え立てる。

 放たれた光弾はもはや人に向けるような威力ではなく、その苛烈さは直撃を免れた者さえ肉片と化す破壊の権化。

 阿鼻叫喚の地獄絵図となった市街地で、滅びをもたらす悪魔のような虎は欣喜(きんき)の咆哮を上げ続けた。

 

 

 

 



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第十三話

 
日間ランキングに載っててビビりました。
ありがとうございます。


 


 

 

 

 どれだけ殺しただろうか。すでに市街地も無人の発電区域と同じく、いやそれ以上に見るも無残な更地へと成り果てている。整然と立ち並んでいた家屋も、細やかな装飾を施された街道も、いまや足を踏みしめるだけで塵となって霧散する。

 一応、未だ原型を保っている建物も彼方に見えてはいたものの、市街地を囲う防壁にこびりついた残滓に過ぎないそれらはむしろ、侘しさしか感じさせなかった。

 無人の荒野となった中、なんとか逃げ延びた一部の近界民(ネイバー)が侵入者の危険性を伝えたのか、送り込まれてくるのが再びトリオン兵ばかりになって、さらにそれも返り討ちにした大河はしばしの休憩を挟んでいた。

 

「んー、これは違う……」

《もうちょい前、前。そこら辺に転がってない?》

「お、あったあった」

 

 彼が探しているのは本来の遠征の成果。

 大河自身は殺戮をメインに楽しむ旅だと捉えているが、遠征自体はトリガー奪取が目的である。今は殲滅した自警団が残していったトリガーを瓦礫の山から探しているのだ。

 干し草の山から針を見つけるような作業だが、サイドエフェクトと遠征艇のトリオン探知を組み合わせればそこまでの苦労はない。

 

「これはさっきのと(おんな)じか。こっちはボロボロ、と」

 

 探し当てたトリガーの中からダブ(ヽヽ)りと破損したものを弾き、解析と再利用に使えそうなものを選りすぐる。どれもこれも血と煤に塗れていて、もはや技術ではなく怨念の塊のようにさえ見えるが、大河は起動さえできれば何も問題はないと言わんばかりに無感動に拾い集めていった。

 自警団が持っていた銃型トリガーにはあまり特殊な技術は見られなかったのだが、そもそも見せる前に殲滅してしまったので一応回収している。それと、大河はサイドエフェクトにてこの国のトリガーには妙な匂いが混じっていることに気付いていた。

 使用者のものでないトリオンの匂い。どうみても(ブラック)トリガーではないそれに付随していた匂いは、おそらく(くに)から供給される外部エネルギーによるものだ。

 発動中のトリガーに外部から遠隔でエネルギーを供給する――――

 触れた部分からトリガーを臨時接続することはボーダーでも可能だが、遠隔供給は未だ叶わない未知の技術。持ち帰る意義はある。

 

《んじゃ適当に置いといていいよ。ピヨちゃんに回収させっから》

「ういー、よろしくー」

 

 大河が集め終わったものを比較的平らな地面に置く。そこへすぐさま覆いかぶさるように影が差した。

 『ピヨちゃん』とはミサキがペット代わりに作ったものを流用した大河のサポート用鳥型トリオン兵だ。上空から大河を観測して『思考追跡』や通信の補助を行い、集めたトリガーを回収する役目も担う。

 

「落とすなよー」

 

 鷹ほどの大きさをしたそれがトリガーを回収して大空へ戻っていく。

 それが見えなくなったころ、大河の鼻が新たな敵の襲来を告げた。

 

「っと……お出ましか」

 

 牙を剥いて笑う大河の視線の先に黒い(ゲート)が開き、自警団の不揃いだったそれとは異なって白一色に染まる戦闘体を構築した一団が現れた。

 防衛軍、守護兵団……呼び方は国によってさまざまだが、要はその国の戦力の粋を集めた主力軍隊である。アクティナのものは白を基調とした軍服に白銀の飾りが拵えられた特徴的な格好で統一されているらしい。

 己を囲うようにして数百人が向かってくるのを、大河は笑って眺めつづける。

 遠距離から砲撃もできたが、とある思惑もあってこの国の人間と会話する必要があったのだ。

 

「よう。わざわざ殺されにご苦労なこったな」

 

 数十メートルを空けて足を止めた一団に挑発するようなことを言うと、一歩前に出た金髪の女性が憎しみを露わにして叫び返した。

 

「黙れ! よくも我らの国をこんなにも……! ……今すぐ殺してやりたいところだが、それでは収支が合わん。貴様を捕らえてこの国の()にするというのが上の決定だ。貴様が奪ったものは、文字通りその命で(あがな)ってもらうぞ!」

「はは、できるもんならやってみろ」

 

 アクティナの部隊長らしき女が言ったのは、大河をマザートリガーに捧げるという意味の言葉。

 強大なトリオン能力者を生贄にすればそれだけの国土が得られる。その点で言えば大河のそれは圧倒的だ。間違いなく近界一の大国になることは明白。

 そしてそういった目に見える利だけでなく、大河に踏みにじられた者は帰って来ずとも、祖国のために殉じたとあれば哀れな国民たちにも死んだ意味があっただろうとこの国の上層部は決断したらしい。

 並ぶ軍勢は間違いなくアクティナの主力兵団。こと国内においては無敵とも称される強力な部隊である。

 

「口が利けるうちに確認しておくが、貴様、どこの国の者だ?」

 

 最後に飛んできた問いに、大河は内心でほくそ笑んだ。

 近界民はとかく敵の所属を重要視する。どこの国が、どれだけの戦力を蓄えているかは近界(ネイバーフッド)の国々にとって重要な情報だ。惑星国家の軌道周期によっては数十年単位でしかすれ違わない国もあるし、近くとも敵対していれば内部情勢は遮断されてしまう。

 まずは情報を得て、向こうが劣っていれば人材を、(まさ)っていれば技術を吸収するべく軍の運用も変わっていく。

 どこぞの近界民から聞き出した(ヽヽヽヽヽ)大河はそれを知っている。だからこそ今この時点では存在すら知らないレプリカの有用性をのちに認めることになるのだ。

 とりわけアクティナは独自性の強い発展をしている背景から外交に関して閉鎖的な側面をもつ。余所の国から攻めてきた己に対し、必ずその質問をするだろうと読んでいたのだった。

 

 だから、答える。

 

「……ラフォーレ」

 

 嘘偽りをなんの戸惑いもなくするりと吐き出す。

 ラフォーレとは、ここアクティナと似たような軌道で近界を廻る国家である。

 この国とは対照的に緑豊かな肥沃の惑星であり、二つの国家は犬猿の仲でもあった。大河がその名を口にした理由は、軌道が近いからこそ頻繁にぶつかり合うラフォーレがここで稼いだ憎悪(ヘイト)を向けさせるスケープゴートとしてちょうどいいのと、もう一つ。

 つい先日まで、彼がその国を蹂躙していたからである。

 

 つまり、こういうことだ。

 ラフォーレで暴れてきた際にはアクティナの名を、アクティナで暴れている今はラフォーレの名を。それぞれにとっての鬼門である国を騙り食い潰し合わせるという悪辣な作戦の仕込み(ヽヽヽ)

 全ては玄界(ミデン)への目を誤魔化すために行われる隠蔽工作だ。

 

「やはり、貴様……!」

 

 そんな大河の企みにまんまと乗ってしまったアクティナの部隊長は、怒りに震えながら己の武装を解き放った。

 

「『光輝の針(スコーニィ)』!!」

 

 バチバチと音を立てて展開していくそれは、すでにトリオン体であったはずの部隊長の身体を半分飲み込んで顕現した。

 頭はフルフェイスメットのような防具がすっぽりと覆い隠し、背中には二つの筒が背負われる。もっとも特徴的なのは右手の甲から伸びる銀色の針。太い配線が背中の筒に接続された姿は、どこか除染作業員じみた奇怪な風体だ。

 

「……、変なカッコ」

 

 ぶっちゃけて言うと、ダサい。

 思わず声に出してしまった大河に、部隊長はメットに隠れた中で歯を食いしばったのだろう、ギリリと軋むような音を立ててから叫んだ。

 

「我が国のトリガー技術、甘く見るなよ……!」

「ハッ、せいぜい楽しませてくれよな」

 

 鼻で笑い飛ばしながら、しかし決して甘く見るようなことはしない。全てが未知の近界ではいつだって油断大敵。いつも飄々とした大河とて、相手を舐めるようなことはできないのだ。

 だから今もしっかりと見定めている。培ってきた戦闘考察力とサイドエフェクトを頼りに、目の前の近界民の脅威度を注意深く観察する。

 ――トリオン能力自体は上の中といったところ。武装からはこの国特有のトリオンと何かが混ざり合ったような匂い。おそらく外部から供給されるエネルギー。しかしそれだけでなく妙な匂いも存在している。金属……銅か。針の先端からは何やら焦げたような匂いがある。

 嗅ぎ取った情報から推察するに、

 

(電撃、か)

 

 そう結論付けた。

 電撃はトリオン体に対しても極めて有効な攻撃手段である。トリオンを介さないほぼ全ての物理攻撃を無効化する戦闘体にも、ある程度の打撃を与えることができる。

 それは電撃が与えるのが外的なダメージではなく、内部に対しての攻撃だからだ。

 トリオン体を制御するのは伝達脳とトリオン供給機関。それらを繋げる伝達系のシステムには電気的信号が使われている。そこに電撃を与えるとエラーが起こり、さながら痺れたかのようにしばらく行動不能にさせることができるのである。

 

 目的は大河の捕縛と宣言したアクティナの軍は、たしかにそのための装備を繰り出してきたらしい。

 だが先にわかってしまえば恐れるようなことはない。大河の超高コストな戦闘体は特殊な濃縮トリオンを使用した強化戦闘体。雷に打たれたところでびくともしない強靭さを誇っている。

 それに何より、

 

「先手必勝だ」

 

 部隊を展開させようとした部隊長に先んじてハイドラを作動させた大河は、暴力的なまでのトリオンを注ぎ込んで遠慮なしの連続掃射を敢行した。

 あのトリガーを装備しているのは隊長のみ。試作機か何か知らないが、他はおそらく全てサポートに回る算段らしい。

 ならばまずそいつをブチ殺してしまえばいい。シンプルに考えた大河は情け無用とばかりに必殺の砲弾を叩き込んだのだった。

 

「――――お?」

 

 およそ十秒。念には念を入れた殲滅射撃は隊長の後ろにいた部隊の数十人を同時に屠ったが、大河はハイドラを停止させたあと不思議そうに声をこぼした。

 地をどよもす砲撃の後には何も残らない、はずだった。

 

「――っ、驚異的な破壊力だな」

「へえ、……少しはやるみたいじゃねーか」

 

 目を眇めた大河の視線の先には粉塵の中で三角錐型の白いシールドを展開した隊長の姿。煙を上げながらも先の猛攻を防ぎ切った彼女に、大河は面白そうに歯を剥いた。

 

「どんな仕掛けだ、そりゃあ」

 

 地を蹴り急速接近して爪を叩きつける。狙いはシールドそのもの。

 己の大砲を真正面から防ぎ切ったそのシステムは、ボーダーにはない特殊な武装だ。できれば無傷で手に入れたいが、そういう手加減が苦手な彼は情報だけでも持ち帰るためにまずはと間近で破壊を試みた。

 

「ふんっ!」

「っ、と、お?」

 

 白い三角錐に爪が突き刺さる直前、分厚い盾の表面が細かに分割されて弾け飛ぶ。その勢いで大河はたたらを踏む結果となった。

 それ自体が攻撃手段にも使えそうな威力で爆裂して、大河の虎爪を押し返したのだ。

 そしてそんな大きすぎる隙を敵が見逃すはずもなく。

 

「くらえ!」

「っ! あぶ、――!?」

 

 千鳥が(いなな)くような音とともに針先から迸った電光を、脅威の反射速度で回避した大河がしかし直撃(ヽヽ)を受けて地を転がった。

 雷速に至る攻撃はたしかに目を瞠るものではあったものの、強化戦闘体と歴戦の経験が射線を読み回避を可能にしたはずだった。だが青白い光は空を切ると思われた弾道をほぼ百八十度曲げて帰ってきたのだ。

 これにはさすがの大河も反応しきれず、背中に直撃を受けて吹き飛んだのだった。

 

「って~……、やっべえな、今の」

《だいじょぶ?》

「《おう、問題ない》」

 

 転がりながら体勢を整え、挟撃してきた後方部隊に反撃しつつ通信で考察を練る。

 

「《ありゃただの電気じゃねーな。トリオンと混ざってるのかもしれん》」

《……なにそれ、そんなことできるの?》

「《知らねーよ、俺は技術者(エンジニア)じゃねえんだから》」

 

 深くは考えずに言い捨てる。

 しかし彼がサイドエフェクトで感じ取ったことを元に至った考えは、のちの解析でわかることだがその実、真に迫っていた。

 

 太陽の国の実験兵装『光輝の針(スコーニィ)』。

 これは背中に背負う二つの筒の中に本物の発電機とトリオンタービンをそれぞれ装着し、生まれたエネルギーを混ぜ合わせて射出するアクティナの試作トリガーである。

 (くに)から供給されるエネルギーを元に電気とトリオンを融合・増幅させ、両者の特性を持ちトリオン体にも破壊をもたらす驚異の電撃を撃ち出す。

 射撃として見た場合、弾速は雷に匹敵し、しかも自動でトリオン体を追撃する誘導性をも持ち合わせている。

 三角錐型のシールドには電磁装甲のようなシステムが搭載され、敵の攻撃を察知すると表面の薄いトリオン板がはじけ飛び、無効化、もしくは受け流す。本来ならば一度しか使えない電磁装甲であるが、トリガーであるこれはトリオンを供給する限り何度でもその役割を果たす。大河の猛攻を凌ぎきったのも、真正面から受け止めずに弾き飛ばしたことが功を奏したようだ。

 

「《うーん……、ライトニングより高い速度のくせにバイパー軌道で追っかけてくるハウンド、みたいな感じか》」

《なにそれずるい》

 

 描いた推論にミサキが身も蓋もない感想をこぼし、大河は苦笑をもらした。

 戦場に似合わぬ微笑の彼方ではハイドラカノン砲が炸裂してまた数十人が粉々になっている。

 

《ねぇ兄貴》

「ん?」

 

 激しい戦闘の中、耳に届く静かな声。

 降り注ぐ雷をシールドで防ぎながら、通信先に意識を割きすぎないよう注意してミサキの言葉を待つ。

 

《アレ欲しい》

「…………」

《絶対欲しい。壊さないで持って帰ってきてね》

「……了解」

 

 告げられたのはおねだりであった。

 大河はやや困ったように間を置いて頷く。彼も妹の趣味は熟知している。見たこともない技術となれば、彼女が今遠征艇の中で目を輝かせているだろうことは容易に想像がついた。

 

 大河が生き物を好むように、ミサキは機械類に興味を引かれるのである。

 

 元は実家で暮らしていたころ飼っていた犬やら猫やらが、大河のせいで長生きしなかったことに起因している。別に虐待したりしていたわけではない。ただじっと眺め続けていただけだ。

 しかし肉食獣のような視線に晒され続けたペットたちには多大なストレスが生じていたらしく、木場家で飼われる生き物はついぞ平均寿命を迎えることはできなかったのだった。

 

 そんな折りに両親に買ってもらったロボットの犬が、ミサキのメカ好きへの第一歩だった。

 しっかりとメンテナンスをすれば決して損なわれない無機物のペットたちに、「機械なら死なないし兄貴が興味もたないから」とどっぷりハマり込んでいった。それが長じて兄を追うついでにボーダーへ技術者(エンジニア)としての入隊を可能とさせたのであった。

 この遠征への参加も大河のサポートのためと同時に、最新技術をいち早く手に入れられるということに魅せられたもの大きい。

 

 そんな彼女の今の夢は『完璧な動物を再現したトリオン兵の製作』。トリガーを奪取するこの遠征の目的にひっそりと潜り込ませたミサキの野望である。

 玄界にはない技術を貪欲に呑み込むのは彼女も望むところ。他国にすらないあのトリガーはぜひとも欲しい。

 

「しっかし、壊さないで奪うとなると……」

 

 言いながら、有象無象のトリガー使いを切り刻んでいく。『スコーニィ』とやらはたしかに脅威だが、その射程は短いらしく大河の機動力であれば距離を取るのは難しいことではない。ゆえにまずは周辺の雑魚を、とこうして薙ぎ払っているわけである。

 妙な形のブレードを展開した敵を刃ごと細断。背後から迫った者を足の爪で掴み、そのまま握りつぶす。

 

「けっこう荷が重いな」

 

 時おり不意の一撃として隊長格の女にハイドラを撃ちこんでみたが、科学国家だけあってレーダーかトリオン感知能力か知れないが優れているようだ。あの三角錐のシールドできっちりと防がれている。

 狙ったトリガーを無傷で奪う。その条件はなかなかに厳しい、と彼は少し悩んでいた。

 

 木場兄妹のトリガー奪取の手順は主に

 殲滅→回収

 である。

 

 先ほど市街地に攻め込んだ時のように暴れ回ったあと、無事(ヽヽ)なトリガーを拾い集めるのが主な手段なのだ。大河の攻撃の余波で破損することは珍しくない、どころか完璧に無傷のトリガーを入手できることは稀ですらある。

 

《あのトリガーの攻撃はトリオン体を追尾するみたいだけど、たぶん敵味方の区別がついてないんだと思う》

 

 ミサキが解析した情報をまとめた考察を言い聞かせてくれる。

 ふむ、と心のうちで頷きつつ大河は敵を殺すその手を止めることはない。

 

《でなきゃ他の部隊とこんなに距離をとる陣形なんか組まないだろうし。誤射防止のために一定距離直進して、そこから一番近いトリオン体に追尾するんじゃないかな》

「《意外と万能ってわけじゃねーんだな》」

《だからたぶん試作型じゃない? あれ持ってるの一人だけだし、味方いるところにあんまり撃ってこないし》

 

 なるほど、と少し離れたところで命令を下しているのであろう耳に手を当てて叫んでいる隊長格を流し見る。

 

「《ま、やるだけやってみるか》」

 

 ――向こうも向こうで勝利条件に()がついている。

 心の中で断じた大河は周辺の近界民を切り刻みながら作戦を練り始めた。

 

 侵略者を殺すだけならあの新型を投入する意味はあまりない。たしかに初見殺しとも言える性能ではあるものの、殺害目的ならば単体で張り合うより弾幕を張った方が確実だ。

 しかし向こうの目的は無力化、ないしトリオン器官の奪取。

 濃すぎる弾幕は戦闘体を解除させた後の生身を傷つけてしまう。それがトリオン器官にでも当たればアクティナ軍の奮戦は骨折り損となってしまうのである。

 新型トリガーと己の身柄。全くつり合いは取れていないが、手加減しなければならないのはどうやらお互いさまらしい。

 

「ふーむ……」

 

 唸りながら考察を続ける。

 メテオラで広範囲爆撃すればあの盾ごと粉砕することも可能ではあるだろう。しかし炸裂弾(メテオラ)は攻撃の余波が残りやすい。直撃すればトリオン体の換装を強制解除させた上でさらに逆巻く爆炎が敵の身体を襲うのだ。トリガーがもろとも消滅してしまうため捕獲にはこれ以上ないほど向いていない。

 

「――となると」

 

 敵部隊最後の一人を八つ裂きにし、そしてトドメ(ヽヽヽ)を刺した大河が爪を差し向ける。

 血の滴るそれを向けられた女はびくりと身体を震わせた。

 

「直接引き裂くしかねーか」

 

 獣のように喉が鳴る。

 求めていたモノはもう充分堪能したし、場は整った(ヽヽヽヽヽ)。邪魔者がいなければいくらでもやりようはある。後は本来の遠征目的を果たすだけ。

 数百人を瞬く間に殺し尽くした大河は、返り血にまみれながら怜悧な眼光を煌めかせた。

 

 

 

 




 



オリジナルトリガー、光輝の針(スコーニィ)
たしかギリシャ語で「灰」だったかな?(うろ覚え)ちなみにアクティナは「光線」です。

トリオン体に対する電撃について。
原作ではラービットが使用し日佐人がくらってたやつですね。外傷無しで行動不能、のちにエネドラ戦に復帰、というところから「エラーを起こさせ疑似的に痺れさせる」と解釈しております。
ラービットのあれがトリオンと混ざってたからとか言われたら詰む。




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第十四話

 

 

 

「……馬鹿な」

 

 ただ一人残された部隊長が周辺を見回してうろたえる。

 彼女は試作とはいえ新型トリガーを与えられ、最精鋭の部隊をも任されてここに来た。だのに、なんだこの光景は。

 辺り一面は真っ赤に染まり、醜悪な匂いが立ち込めていて吐き気さえ覚える。

 転がっている肉片の中には知己(ちき)の姿もある。同じ釜の飯を食い、国のため、家族のためにと立ち上がった勇敢な部下。

 

「こんな――」

 

 粉々になった街、同じくらいに原型もない仲間たち。

 ここはアクティナ。太陽の国。国内での戦闘は己たちのもっとも得意とするところ。トリオン能力に左右されない高性能なトリガー、弾切れなど起こさない無尽蔵のエネルギー。そうして圧倒的な火力で押し切るのがこの国の戦略だ。

 なのに、なのに――

 

「こんな馬鹿なことがあるかっ!!」

 

 あまりにも違いすぎる"戦力差"。多対一のそれは本来ならばアクティナに傾いて形容されるべき言葉のはず。しかして現状はどうだ。

 兵たちは敵に傷一つ与えることができず、残ったのは己のみ。あまつさえ余力を残しているようにすら見える化け物は自分に狙いを定めている。

 

「ふざ、ふざけるなよ化け物め! よくも、同胞をォ!!」

 

 焦燥に裏返る声。同調するように背中の筒が高音を上げてエネルギーを練り上げる。

 精神的に追い詰められた彼女はトリガーをフルパワーで起動させた。もはや狙いなどつける必要はない。神の裁きを受けるべき相手は、この場に一人しかいない(ヽヽヽヽヽヽヽ)のだから。

 

「『光輝の針(スコーニィ)』ッ!!」

「おっとお」

 

 彼女の怒りを体現したかのような稲妻が迸り、敵のトリガー使いに殺到する。不可避の雷光は並のシールドなど容易く穿ち、全力で放ったならばそれごとトリオン体を破壊する断罪の一撃。

 しかし化け物はあざ笑うかの如くそれを防いだ。六角形の分厚い盾は必殺のはずの攻撃を何事もなかったかのように弾いて音を響かせる。

 

「クソ、クソッ、クソォオオ!!」

 

 撃つ。撃ち続ける。

 感情の発露が不定形のまま攻撃性だけを持って針から射出されていく。

 数十発も放つと被雷した地面や仲間の亡骸だけでなく、トリガー自体からも焦げくさい匂いが漂い始めた。

 

「なに――」

 

 反応しなくなった引き金を何度も絞り、ようやく己の武装の不調を察知する。

 彼女の背中に装着されたトリオン複合装置は悲鳴をあげながらも全力稼働をおこなっていたが、トリオン体ではないコイル部がオーバーヒートの直前で緊急停止を作動させたのだ。いかに強力で完成度が高くとも、このトリガーは『試作型』。まだまだ改良・改善を必要とする次世代の武器なのである。

 

「弾切れか、ラッキーだな」

「ッ、舐めるな!」

 

 これ幸いと突撃してきた敵に向かって盾を展開する。

 『光輝の針(スコーニィ)』に付属されたこの『テトラボルト』は射撃を無効化するだけでなく、接近してきた敵を迎撃することも可能。炸裂し飛び散るトリオン板はそれそのものが刃となる。

 敵性トリオンを検知、迎撃発破稼働。

 ――が、しかし。

 

「っぐぅ!?」

「まずは腕一本」

 

 驚くべきことに野獣のようなトリガー使いは刃の暴風雨を防ごうとすらせずに突っ切って爪を振るい、彼女の左腕を切り飛ばした。

 たしかに一枚一枚はそこまで攻撃力を備えるものではない反射盾の欠けら。しかし直撃すれば腕の一本や二本は吹き飛びかねないはずの威力は持っている。

 なのに腕が飛んだのは彼女だけ。相手は全身にトリオン板を浴びながらなお五体満足で立っていた。

 

 思えば、この化け物は雷の直撃もすでに受けているはず。全力でなかったとはいえその一撃はトリオン体を行動不能に陥らせるには充分なものだった。

 ――どういう仕掛けだ。

 沸騰しかけた頭が少し冷える。祖国を滅ぼしかねない脅威を前に彼女は一周回って冷静になることができた。

 敵の全身には今も薄く光る三角形の刃がそこかしこに突き刺さっている。その浅さに彼女は疑念を覚えた。

 

「手こずらせんな、よっ!」

「ちぃっ!」

 

 なおも追撃してくる黒衣の男に盾を差し向け、迎撃しながら後退していく。

 あの爪は危険だ。盾以外で受ければ即座に終わる。そしてどういうわけか両肩の大砲はしまわれたままらしいが、その危険度は無視できない。意識の隅に置いておかねば。

 落ち着いて見定めつつ、トリガーの調子を確認。

 ――トリオン複合機冷却終了、再稼働開始。

 しかしすぐには撃たない。敵のシールドは固く、トリオン体もまた妙な耐久度を持っている。

 乱射したところで防がれるなら、無駄撃ちを控えて相手の隙を待ち、一気に殺し切るべきだ。

 

「――そこだッ!」

 

 裂帛の気合とともに閃光を放った。盾が敵の爪を弾き、たたらを踏んでバランスを崩したところに叩き込んだ一撃。

 

「あぶねっ」

 

 敵はそれをギリギリで回避した。足の爪を地面に食いこませて無理やり身体を捻ったらしい。憎らしいほどの戦闘勘と反射神経。

 しかし、織り込み済みだ。

 雷は敵を追尾する。近すぎるこの距離では射線を読んで回避できても、その後ろから真っ直ぐ戻ってくる。

 それに合わせるように盾で突撃を敢行、同時に起爆。爪で防がれることはわかっていても意識を逸らせればそれでいい。

 上から押し付けるように盾を叩きつけたところへ、先ほど放った雷が目にも留まらぬ速さで帰ってくる。が、それはさっきも見た防壁で止められた。

 

「効かねーよ!」

 

 ――知っているさ。

 敵の言葉に心の内で返す。

 相手の防御トリガーは固く、スコーニィの全力でさえも傷がつけられない。だがそのぶん分厚く、不透明だ。 

 テトラボルトと自身の盾に挟まれた奴はいま、周りが見えていない。だからこそ警戒しているだろう。

 

「――終わりだ!」

「――――!」

 

 だからこそ(ヽヽヽヽヽ)。真正面から攻撃する。

 テトラボルトを自分で割り、雷の射出口である針を掲げられていた手のひらに突き刺した。

 

 ――()った。

 

 彼女は確信する。

 敵はトリガーの能力もだが、さらにトリオン体の戦闘能力が異常だ。膂力、瞬発力、そして何より耐久性が他とは一線を画している。雷撃も遠距離からでは盾に防がれ、近距離では避けられ、直撃しようと戦闘不能に陥らない不可思議な戦闘体。テトラボルトの鱗片が浅くしか刺さらないことからその強靭さが見て取れる。

 ならば直接(ヽヽ)電撃を流し込んでしまえばいい。どれだけ硬かろうがそれを動かす仕組み(システム)は同じはず。針を突き刺し、伝達系に直接ダメージを与えてしまえば今度こそこいつを焼き尽くせるはずだ。

 

 ――同胞たちの無念、その身で味わえ!

 

 撒き散らすのをやめ、己の内に静かに猛らせてきた怒りを、彼女は今こそ解き放つ。

 意識の中の引き金(トリガー)を引き絞り、トリオン伝達脳からスコーニィへ送られた信号が裁きの雷を――

 

「な――――」

 

 放つことはなかった。

 何度も何度も引き金を引いても、『光輝の針《スコーニィ》』は沈黙したまま動かない。

 

「捕まえた」

 

 手のひらに突き刺していた針を掴み取られ、反射的に退こうとしてようやく彼女は気付いた。

 

「――これ、は……!」

 

 後ずさろうとした彼女を縫い止めている十本のブレード。

 崩壊したテトラボルトの陰で、敵の足から生えた爪が地面に呑み込まれているのが見える。

 

「地中を、通って……!?」

 

 それが背後から突き立って、背中のトリオン複合機、そのトリオンタービンのみを破壊していたのだ。

 

「おまえのトリガーは半分機械(ヽヽ)みたいだからな。大砲じゃ粉々にしちまうし、おまえごと八つ裂きにするわけにもいかねーし、近づいてきてくれて助かったぜ」

「そん、な……」

 

 では、手加減していたというのか。

 大砲を使わないことを不思議には思っていたものの、何度も盾で防がれたことで諦めたと勘違いしていた。何より狙いが『光輝の針(スコーニィ)』自体だったとは。こちらも殺さずに捕縛という枷があったが、敵はさらに細かい条件まで付けて戦っていたのか。

 

「そのトリガーはもらってくぜ。妹にねだられちゃ、兄として期待を裏切るわけにはいかないからな」

「や、やめ――」

 

 言い切る前に右手の爪が彼女の頭部を引き裂いた。

 全身にひびが入り、戦闘体が崩壊していく。

 

「っと、よしよし、無傷のままゲットできたな」

 

 強制解除の白煙が晴れると、そこにはホルダー状に戻った『光輝の針(スコーニィ)』と付属のコイル筒を抱えた敵が立っていた。満足そうにそれを離れた位置に置くと、どこからともなく鳥型のトリオン兵が飛んできてかっさらって行ってしまう。

 

「さてさて、せっかくだしゆっくり楽しむ(ヽヽヽ)とするかな」

「……! わ、私は国の情報は絶対に吐かんぞ」

 

 再び眼前まで戻ってきた男が不穏な言葉を吐く。

 彼女の脳裏に過るのは拷問、陵辱といった言葉の数々。だがその身は腐っても軍人。最新鋭の試作トリガーを奪われてしまったが、国の情報まで売り飛ばしたりはしない。

 

 しかし、男はけらけらと笑って首を振る。

 

「そんなもん要らねーよ。俺が興味あんのは、おまえの中身(ヽヽ)だけだ」

「な、にを……」

「安心しろ、いたぶる趣味はない」

 

 言いながら、冷たい輝きの爪を一本、ゆっくりと伸ばしてくる。

 

「ま、死ぬほど(ヽヽヽヽ)痛いだろうがな」

「ひ――――」

 

 最後に瞳に映ったのはどこまでも無慈悲な鉤爪と残酷な笑み。恐怖に歪んだ視界は、見つめたくない現実を透かして最愛の家族の姿を映し出していく。

 

 

「―――――――――たすけ―――――」

 

 

 胸元に光るタグが千切れて転げ落ちた。

 そのプレートに『カトリナ・レンクウィスト』という()の名が刻まれていることなど、爪立てる獣は気付きもしないし、気にも留めなかった。

 

 だって、ほら。

 

 中身はこんなにも美しい――――

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

《――んん~……、ふう》

 

 敵部隊を殲滅し終えた大河はぐぐっと伸びをして空を見上げた。

 一仕事を終えたあとの気分はいつも爽快だ。なんせ、終わった時には求めていた匂いが辺り一面に広がっているのだから。

 最後の女も彼を存分に楽しませたらしく、他の者であれば胃の内容物が逆流すること必至の地獄の底のような場所で、大河は清々しそうに鼻歌すら飛ばして笑っていた。

 

 そのさまをモニターを通して見つつ、遠征艇の中ではミサキも上機嫌でトリガーを並べていた。

 

「うーん、大量大量♪」

 

 アクティナの技術力が詰まったそれらは、あの雷を射出するトリガーの他にも殲滅した部隊から奪ったものも含まれている。そのほとんどはダブ(ヽヽ)りだったが、科学国家と言うだけあってこれらのテクノロジーはボーダーに多大な力を授けてくれるだろう。

 銃型にはあまり特殊な効果はないようだったが、包囲部隊が装備していたレーザーのような折れないブレードを生成するトリガーや、破片を飛ばして迎撃も可能とするシールド。

 そして何より電気とトリオンを混合する驚異の機構を持った『光輝の針(スコーニィ)』なる試作トリガー。

 

 トリオンを電気代わりにするのはボーダーでも使われているありふれた技術である。

 変換装置によりトリオンを疑似的に電気として扱いレーダーや端末といったものを作動させる普遍的なもの。

 しかしトリオンで発電するのと、トリオンと電気を混ぜるのとでは、意味合いが大きく違ってくる。後者はこれまでにないさまざまな技術の先駆けとなる可能性を秘めているのだ。

 攻撃手段として捉えれば、大河が経験したように雷速に至る射撃を可能とし、一撃当てれば戦闘体を行動不能に陥らせる特殊ダメージまで発生する。

 防衛時には人型近界民(ネイバー)を抑えるのにも使えるし、トラップトリガーとしての運用も相性がいい。

 

 そして一番大きなポイントは、これまで他とは一線を画していた特殊なエネルギーであるトリオンとのハイブリッド、という点である。

 人が持つ『生体エネルギー』であるトリオンはそのままでは目に見えず、また同じトリオン以外では感知すらできない特殊なエネルギー。それと普遍的なエネルギーである電気を複合させられるとなると、その用途は大幅に広がっていく。

 もしこの技術を十全に使いこなせるようになれば一般隊員はトリオンの消費を抑えつつ、さらなる力を望めることになる。今までトリオン不足で採用できなかった人員をも前線に回せるのだ。防衛力の底上げとしてはこれ以上ないだろう。

 

「んっふっふ~」

 

 ミサキは早く基地へ帰って鬼怒田と一緒に解析したいと笑みを深くし、戦利品の山を丁重に箱の中にしまい込んだ。

 

 

 

 




 



2017年初投稿がここになってしまった。
新年にお届けする虐殺ストーリー。
敵から見た主人公はこの通り化け物ですが、今年も『黄金の虎』をよろしくお願い致します。


スコーニィの外部発電機について。
ボーダーでも隊員用端末や遠征艇のコンピュータを動かすのにトリオン変換装置なるものがあって発電できるようですが、
「トリオン→電気」にまるっと変換しているのか「トリオンで発電機を動かして電気を生成」しているのか不明なので、ここでは後者という形にしてあります。
つまりトリオンでできた部品のみでは発電できないので、スコーニィには外部装置が必要である、ということになっています。


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第十五話

 

 

 

 無限の太陽が照らすアクティナの大地。今日設定(ヽヽ)された天気は無風のようである。

 大河は実在する神に感謝しつつ、改めて辺りを見回した。

 

 死屍累々としか言いようがない醜穢(しゅうわい)極まる光景。凪いでいるせいで血の海の匂いは消えず、今も殺された者の怨念のように立ち込めている。

 しかし大河にとって瑞々しい死の匂いが広がるさまは、まるで桃源郷のような眺めにすら見えていた。彼の前世は悪魔か何かだったのかもしれない。

 

 しかし彼とて長居をするつもりはなかった。

 大河が求めているのは生きている(ヽヽヽヽヽ)トリオンの香り。血の匂いも好きだが、酸化し始めた鉄臭いものには興味がない。ゆえに悪魔のようなこの男は「殺し続けること」が真の目的といえよう。

 

 死の沐浴を終えた彼はさらに奥のアクティナ中枢部へ向けて歩き始める。

 そこにはこの国の支配階級の家々や門外不出のトリガー研究施設などが軒を連ねているのだろう。もし大河が侵入すれば、この国の行く末はもはや破滅以外の運命を辿ることはなくなるに等しい。

 

「ミサキ、もうそろそろか?」

《んー。あ、もうすぐ来るっぽい》

「了解」

 

 妹からの通信を切ると、突如として雷鳴が轟いた。

 青く燦々と透き通った天空を裂いて閃光が迸り、激しい轟音とともに間近に落雷が発生する。

 次の瞬間には金に輝く衣装を身に纏った黒髪の少年が立っていて、興味深そうに辺りを見回していた。

 

「うっひゃ~、ほんとに死んでるや」

「誰だ、おまえ?」

 

 文字通りの青天の霹靂として現れた少年に大河が胡乱な目を向ける。

 いま、どこから現れたのか。周辺には何も見えなかったし、レーダーにも反応はなかった。

 そうした言葉が頭を巡ったが、一つだけわかったことがある。

 

 ――こいつ、(ブラック)トリガーか。

 

 そう。突然現れた少年の匂いは二つあった。彼自身のものと、そうでないもの。通常(ノーマル)トリガーではないと判断したのは、他の人間(ヽヽ)の匂いがしたからだ。

 

「あは。ボクはね、シベリウスっていうんだ。シヴィって呼んでいいよ!」

「…………」

 

 テノールボイスを発する少年のテンションに鼻白んだ大河が眉根を寄せた。

 見た目は十代の中盤あたりか、押し並べた少年といったところだ。金色に煌めくローブを身に纏い、ミドルショートの黒髪が飛び跳ねるたびにふわふわと揺れている。それを眺めて大河は「天羽が元気溌剌になったみたいなやつだな」と勝手に評していた。

 しかし外見がふつうでも、状況はそうではない。少年の周りには今も死体が原型も留めずに散らばっているのだ。しかもそれらは同じ国の人間のはず。どうしてこの惨劇を目にして笑っていられるのか。

 

「何(モン)だ、おまえ」

 

 大河にとって愉快な景観でも、他人にとってはそうでないと彼でさえわかっている。警戒度を上げ再三問いただすと、シベリウスと名乗った少年はぶうと口を尖らせた。

 

「自己紹介もしないなんて育ちが悪いね。さすがラフォーレの野蛮人だ」

「……はっ」

 

 なるほど所属はたしかにこの国らしい。

 先の殲滅戦開始時に吐いた嘘がきちんと広まっているのを知って、口角を上げた大河は煽るように嗜虐的な笑みを浮かべた。

 

「アクティナも堕ちたもんだな。この国は雑魚ばっかかよ?」

 

 国を冒涜する暴言に対し、少年は欠片も怒りを見せることなくへらへらと笑うのみ。

 

「そりゃ銀色(プシフロ)のやつらじゃこの程度でしょ」

「プシフロ?」

 

 聞きなれない表現に聞き返すと、シベリウスが得意顔になって大きく頷いた。

 

「あれ、知らない? そっかラフォーレには上下なんてないんだっけね。じゃあ教えてあげるよ。

 この国は真ん中から金色(ゼスト)銀色(プシフロ)の二つに分かれてるんだ。キミが弱い者(ヽヽヽ)イジメしてた相手が銀のほう。金のボクたちの真似してこそこそ頑張ってたみたいだけど、所詮は銀色だったみたいだね」

「ふうん……」

 

 外交に関して閉鎖的なはずのアクティナの情報をぺらぺら喋る少年に、「こいつは使えそうだ」と心の中であくどい顔をする大河。聞くだけ聞いて、あとはとっとととんずらしてしまえばいい。

 

 こと黒トリガー相手では、大河も真正面から相手をすることはない。

 というのも、遠征に課された条件の一つに『黒トリガーとの交戦は控えること』という項目があるからだ。なるべく危険を回避したい城戸派幹部の計策、これからも遠征に漕ぎつけるために大河も従わざるを得ない。

 

「真似、ねえ。そういうからには、『金色(ゼスト)』とやらのおまえは少しはマシなんだろうな?」

「あはは! 当たり前じゃん。なんてったって金が金たる理由は……」

 

 瞬間、シベリウスの姿が掻き消えた。

 

「――このボクの存在なんだから」

「っ!?」

 

 背後から首を狙った一撃を紙一重で躱す。

 バヂッと嫌な音を立てて通り過ぎていった手刀。大河はあの試作型トリガーと同じ焦げたような匂いを感じ取っていた。

 

「――なるほど、たしかに真似だな」

「よく避けたね。まぁ、銀のやつらとはいえ全滅させるだけのことはあるみたい」

 

 現れてからずっと変わらない飄々とした態度の黒トリガー使いに内心舌を打つ。

 ――こいつは、『雷』そのものだ。

 しかも全身が、である。

 自発的に生み出した電気とトリオンを混ぜ合わせて射出する『光輝の針(スコーニィ)』と違って、これは元から「雷でできている」に近い驚異的な黒トリガーらしい。レーダーの範囲外から突然現れたことから察するに、移動速度までもがその域にあると見た方がいいだろう。

 

「ボクの『金の霹靂(イヴジェニス)』を羨ましがって作ったのがあのオモチャ。一割も再現できてるか怪しいけどさ」

「オイオイいくらなんでも喋りすぎだろ」

 

 おそらく国の最重要機密であろう黒トリガーの名称まで口にするシベリウスに、さしもの大河も突っ込みを入れた。だが、その意味はわかる。どうせ――

 

「いいんだよ別に。アクティナの外に、この名前を知って生きてる人間なんていないんだから、さぁっ!」

「だろうな、このガキ……!」

 

 想像通りの理由に納得はすれども、その通りに死んでやることなどできるわけもない。

 真っ直ぐ突っ込んでくるシベリウスをシールドで防ぎ、地面を蹴りつけて距離を取る。強化戦闘体の膂力は一歩で元いた場所を彼方にまで遠ざけた。二歩三歩と続けて一気に中枢を目指す。

 だが機動力は敵が上。一瞬で回り込まれて蹴りを受け、大河は激しく地面に叩きつけられた。

 

「わお。ラフォーレの野性味もここまでくると大したもんだ。猫みたいにすばしっこいね、お兄さん」

「言ってろガキ。こちとらおまえに用はない、ここまで来れば充分だ」

 

 埋もれた身体に倒れかかってくる瓦礫を蹴り飛ばし、戦闘体の調子を確かめて起き上がる。

 痺れはあるが、問題ない。確認した大河はアクティナの中枢都市を背に立ち上がった。そして目の前にいる余裕をみせたままの生意気な少年へ向け悪辣な表情を浮かべる。

 

「たしかに厄介な能力だが、守るもんがなけりゃ意味がない」

「うん? 何を……ってまさか」

 

 瞬時に展開されたハイドラが大河の肩にのしかかるように方向を変える。斟酌なしのトリオンを注ぎ込まれたメテオラが装填され、真後ろ、中枢を守護する防壁に向け極大の咆哮を放った。

 ――が、それは超高速で滑空していたにも関わらず途中で撃墜され、巨大な爆風を巻き上げるに終わる。

 

「すっごい威力。もしかしてお兄さん、黒トリガー使い?」

 

 一歩も動いていないシベリウスがへらへらと笑って尋ねてくる。

 

(やっべえな、こりゃ)

 

 今期の遠征で大河は初めての冷や汗を額に浮かべた。

 軽々とした少年は大河の砲撃に対し、精神的にも物理的にも全く動じず、すっと持ちあげたその腕から金色(こんじき)の雷を放った。それが音を超えるスピードの弾頭を正確に捕捉し、撃ち落としたのである。

 射程・威力・精密性。どれをとっても、あの試作トリガーとは比べ物にならない。彼の「オモチャ」という表現はまさしく的を得ていたようだった。

 全遠征を含めれば黒トリガーと相対するのはこれが初めてではない。しかしこの相手はそれらの中でも一等の危険度を誇っているらしい。

 

「まぁまぁ落ち着いてよ。ボクは交渉に来たんだからさ」

「ああ? 交渉だと?」

 

 少年は邪気のない笑みを湛え、大河へ手を伸ばす。

 それはただ見れば友好の握手でも求めているかのような気安さであったが、先の雷撃がそこから放たれたのを見てしまえば銃を突きつけられるよりなお性質(たち)が悪い。

 シベリウスが手を差し出したまま、人が良さそうな顔で語りかける。

 

「お兄さん、アクティナ(うち)においでよ。ラフォーレなんかよりずっと快適な生活が送れるよ? キミのトリオン能力ならマザートリガーに捧げるより、もっと上手い使い方をしたほうがいい。銀の連中はどうせ報復のために『礎になれー』とか言ってきたんでしょ?」

「まあ、たしかに言ってたな」

「やっぱり。でもボクたちは違うよ。銀の連中がどれだけ死んでも気にしてないし、恨んでもない。むしろあいつらの中から生贄を選んで、広げた国でキミに活躍してもらった方がいいからね」

「……、……なるほどな」

 

 門外不出の黒トリガーの名を知った敵も、味方に引き入れてしまえば問題ない。

 つまり、断れば殺す、という交渉の名を騙った脅し文句。

 とはいえ大河を優遇するつもりなのは本音なのだろう。彼の能力は近界民であれば誰もが垂涎(すいぜん)する規格外のものだ。

 少年の言い分には頷きつつ、手は取らずに大河はタイミング(ヽヽヽヽヽ)を推し量る。

 

「《ミサキ、まだか?》」

《もうちょい。こっちの準備はいいんだけど》

「《……了解。どうせだ、こいつと遊んでもいいよな》」

《ちょっと、禁止事項……まあいいか。あんまり早く落ちないでよ?》

「《わーってるよ》」

 

 努めて無表情で通信を終えた彼は解放された頬を、まるで目の前の少年へ唾を吐きかけるような底意地の悪いものへと変えさせた。

 

「断る。この国はどこもかしこも鉄くせえんだよ。どうせ鉄くさいんなら、血で染めた方がまだマシってもんだ」

「……ふーん、そう」

 

 ぱた、と音を立てて戻される細い腕。

 無邪気な笑顔だったシベリウスは、邪気のないまま残虐な顔つきに変わっていく。

 

「じゃあ、しょうがないね。銀色(プシフロ)と同じなんて芸がなくて嫌だけど、マザートリガーの燃料になってもらうよ。トリオン器官さえあればいいから、もう――死んでいいよ」

 

 ふわりと髪が浮き上がり、次第に激しく逆立ち、シベリウスを金色(こんじき)の閃光が取巻いていく。『金の霹靂(イヴジェニス)』が彼の心の内を表現するかのようにその身を神の怒りそのものへと変貌させていった。

 

「悪いが鞍替えはしない主義だ。ま、せいぜい楽しませてくれよ」

「あは。死ぬのが楽しいなんて、変な人だね」

「死ぬのはおまえだけだ、クソガキ」

「育ちの悪い野蛮人はこれだから。来世では直るといいね、お兄さん」

 

 両者ともに壮絶な笑みで視線を交わす。

 シベリウスの黒トリガーのせいで本物の火花が飛ぶ舌戦は、大河の突進で開戦へと移行した。

 

「――っら!」

 

 直立の状態から瞬時に最高速度に達する突撃。先攻を許された彼はしかし、不意を突く背後からの金の槍を防ぐために後手に回った。

 雷を物質化させたような巨大な突撃槍(ランス)。触れるだけで何もかもが蒸発しそうな電熱を纏って襲い来る。

 

「遅い遅い!」

「言ってろ!」

 

 シールドを展開し、閃光とともに千鳥がさんざめくような耳障りな音を撒き散らすそれを受け止め、左肩のハイドラをミサキに調律(チューニング)させた最低威力(ヽヽヽヽ)で放つ。それでもあり余る威力は巨大なクレーターを作り上げ、二人を爆炎と粉塵が包み込んだ。

 あの速度は目で捉えられない。ならば視覚を潰し、嗅覚で捉えればよい。

 向こうは黒トリガー。特殊性の代わりに普遍性を失った一点特化の武器。ゆえに盾もない。

 たとえ全身が雷であろうと、トリオン体であれば必ず存在する伝達脳と供給機関さえ破壊すれば倒せる相手だ。そしてハイドラは掠めるだけでそれを消し飛ばせる。イヴジェニスとやらは黒トリガーの名に恥じない規格外性能だが、相性自体は悪くない。

 

「――死ね」

 

 匂いで居場所を特定した大河は短く呟いてハイドラに火を吹かせた。

 濃い煙幕が虫に食われたように穿たれ、そこに存在していた全てを薙ぎ払っていく。如何な雷の速度で動こうが、音より早く飛来するハイドラの一撃は気付かせぬままに敵を噛み殺す。

 見えていれば察知もできよう。しかし粉塵に包まれた状態では下手に動けば自ら巨大な牙に身を晒すことになる。

 

「遅いって言ってるじゃん」

「……てめえ」

 

 だがハイドラが吼え猛ったアステロイド(カノン)は地面の他に空気しか抉ることはなかった。

 死んだ視界でそれをどうやって感知したのか、瞬身が如き速さで回避したシベリウスの姿は大河の真後ろで輝きを放っていた。

 

「チッ!」

「逃がさないよ!」

 

 薙いでくる腕をシールドで止め、次の瞬間また背後から現れて繰り出してくる蹴りを爪を食いこませた急制動で避ける。

 どうにもこの少年の攻撃方法は肉弾戦がメインのようだ。だが当たれば電撃が身体を襲い、行動不能に陥いることになるだろう。先ほど既に一発もらっている。あの時は本気ではなかったのか一時的な軽い痺れのみだったが、今纏っている雷光を見れば余裕を保っていることはできない。

 

「逃げてんのはテメエだろ!」

「あはっ! どこ引っ掻いてんのさ。爪とぎはもう充分したんでしょ?」

 

 虎爪を払うも敵の姿は捉えられない。

 これは骨が折れるな、と大河は内心で独りごちた。

 さすがは黒トリガー。同じ規格外でも違う天秤に乗るそれらは、一分野においては計測不能なトリオン能力を持つ大河をも凌駕する。その奇怪なまでの変則さは彼を驚かせた。

 

 

 しかし、驚愕の念はシベリウスも同様であった。

 彼は無造作に見えた一撃一撃の全てを、必殺のそれと思って放っていたのだ。

 見えない位置から、反応できるはずもない速度で繰り出す己の攻撃を敵は悉く防ぎきっている。

 ――なんだ、こいつは。

 たしかに『金の霹靂(イヴジェニス)』も万能ではない。雷の速度で動けようとも、それに思考が追いつけるわけがない。移動の度に位置設定を繰り返すこれは直線に飛ぶ砲弾を叩き落とすことはできても、思慮外の動きには弱いのだ。

 それでも、とシベリウスは戦慄する。

 移動が事前設定されたものだろうと、攻撃速度は雷のそれ。本来ならば不可避の一撃のはずだ。

 まるで野生の勘で動いているのではないかと思わせる奇抜な体捌きに、能力差でどうにか取りついて対応していく。

 圧倒的な速度の差。そして手数の多さは(はた)から見ればシベリウスが圧倒しているように思えるだろう。

 

「おッら!」

(こいつは……!)

 

 それでも油断はできない。

 大砲の一撃はまともにくらえばコアごと全身が吹き飛ぶだろうし、爪もその大きさから攻撃範囲が広く身体で受け止めたくない。焦れた少年は全方位から雷をぶつけてみたが、翡翠石に閉じこもるような強固な盾で弾き返されてしまった。

 

「――この!」

「っぬ、ぐ……!?」

 

 長期戦闘はまずい。

 そう判断したシベリウスはあえて大河を中枢を守る防壁まで追い込むことにした。

 トリオン消費を度外視した全身から雷を放っての突撃、盾で防がれてもそれごと押し包む大規模放電を撒き散らし、焦げ付いた轍を描いて押し込んでいく。

 『金の霹靂(イヴジェニス)』は強力な能力と引き換えにひどく効率が悪い。アクティナのエネルギー供給を受けられればその弱点は解消されるのだが、ここは派閥の違う銀色(プシフロ)の土地。それを受けるための信号(ヽヽ)が異なっている。

 しかし中枢は違う。この防壁までは中立地帯として彼もその恩恵に与れるのである。

 

「あは。終わりだね」

 

 黒トリガーを全力解放したことが功を奏したのか、焦げ付き煙を上げつつ壁にもたれかかった大河の腕が片方失われている。抉ったような傷は大砲ごと右肩から戦闘体を喪失させ、そこから蒸気のようにトリオンが噴出していた。

 

「……終わりか」

 

 傷を押さえた大河がため息とともに吐き捨てる。

 シベリウスは勝ち誇ったような顔をしているが、そういう意味で言ったのではない。仕込み(ヽヽヽ)が発動する時が来たのだ。

 

「野蛮なラフォーレの尖兵ごときが、随分と面倒かけさせてくれたね。まぁ、所詮は通常(ノーマル)トリガー。『金の霹靂(イヴジェニス)』の敵じゃなかったかな」

「残念だがここまでみたいだな」

「そ。キミの人生はここでしゅーりょー。でもだいじょうぶ、マザートリガーの中に入ればみんなキミに感謝してくれるだろうからさ。何百年、いや何千年だろうね。キミがもたらす繁栄を思えば、あれだけのことをしてもみんなキミを神様って呼ぶよ。だから――安心して死んで?」

 

 勝利を確信したシベリウスが饒舌になるのを、大河は鼻で笑って一蹴した。

 

「ハッ、ごちゃごちゃうっせえよ」

「――は?」

「俺の仕事はもう終わりだ。そろそろ援軍(ヽヽ)が来るからな」

《来たよ》

 

 通信で届いたミサキの言葉と同時、アクティナの空が急速に暗くなっていく。

 

「――な、これは……!?」

「そら来た。ご到着だ」

 

 大河が待っていたのはラフォーレの侵攻部隊。

 根っからの戦闘民族のような彼らの国をさんざっぱら破壊し、蹂躙し、煽りに煽った大河は、アクティナへ逃げ込めば必ず追撃してくるだろうと確信していた。そのためにわざわざ所属を騙り、獲物を敢えて逃がすことまでしたのだ。

 

「おまえも言ってたろーが。俺は尖兵。先駆けに全力出してどうする」

 

 未だ大河の所属を見誤っているシベリウスが挑発され、しかし黒トリガー使いの少年はそれでも泰然とした態度を崩さない。

 

「……ふん。関係ないね。ラフォーレの連中がいくらやって来ようが、この国で戦う限りボクに敗北はない」

「そうか、そりゃけっこうなことで。俺は先にお暇させてもらうぜ」

「逃がすわけないでしょ? 全部終わらせたらキミは――、!?」

 

 大河は最後まで聞かずに残った左腕の爪先をこめかみにあてがい、躊躇なくそれを突き刺した。

 突然の行動にシベリウスが言葉もなく瞠目する。

 

『トリオン伝達脳破損。ジャガーノート起動』

 

 無機質な機械音声が大河にのみ響く。

 

「言ったろ。もう終わりだ、残念なことにな」

「な、にを」

 

 敵は自ら伝達脳を破壊した。ただそれだけのことなのに、シベリウスの背筋に冷たい何かが走り抜けていく。

 ――何か、まずいことが起きる。

 そう直感した少年はしかし、どうすればいいのかは全く思いつかない。

 敵なら倒せばいいのに、その敵は自殺とも言える行動を起こした。その先に起こるのは、いったいなんだ?

 

「おまえの中身(ヽヽ)は気になるが、これも仕事だ」

 

 ひびが広がる身体で大河は心底残念そうにそうこぼした。

 黒トリガー使いとの戦闘は避けるよう命じられているが、向こうが追ってくるならその限りではない。基本的に優れたトリオン能力者がその担い手に選ばれる"国の切り札"は、それだけ魅力的な匂いを放っているのだ。できれば抉ってみたいというのが本音。

 しかし(これ)を相手にするのは少々骨が折れる。

 そう判断した大河は早々に勝つことを諦めた。黒トリガーは獲得できれば多大な戦果となるが、そのぶんリスクが高い。ここでむきになって仕込みを無駄にする価値はないと考えたのである。

 最後の作戦を遂行するために必要なのはこの中枢まで至ることだったが、それは向こうのおかげでなんとかなった。

 

『戦闘体活動限界』

 

 無情な声が穴の開いた頭にこだまする。

 ――まあいいだろう。黒トリガー使いの匂いは、いずれ必ず。

 

「何を――キミは何を言っている?」

「じゃあな、クソガキ」

 

 問いに答えず、その牙がぎちりと音を立てるほど唇を裂いて笑う大河の顔はシベリウスにようやく恐怖を与えた。

 ――だが、もう遅い。

 

緊急脱出(ベイルアウト)

「待――――」

 

 瞬間、アクティナ中枢都市のおよそ一割を消滅させる大爆発が巻き起こった。

 太陽の国に生まれた新たな火輪(かりん)。半径二キロに及ぶ巨大な焦熱の火球はその爆風と衝撃波をもってさらなる広範囲へ被害を拡大していく。緊急脱出(ベイルアウト)の軌跡すらかき消して、大河の最後の一撃はアクティナに打撃以外の何物も与えない。

 

 『ジャガーノート』。それが大河の戦闘体に搭載された最終兵器。

 「止めることのできない巨大な力」、「圧倒的破壊力」という意味の名を冠するこの自爆機構は、強化戦闘体に莫大なトリオンを許容値を越えて強制的に吸い上げさせ、その名の通りの大爆発を引き起こす。大河が捕縛や打倒されるといった危機的状況に陥った際、彼の姿や武器などの情報を持った敵を全て排除して脱出させる危険極まりない最終手段である。

 その徹底ぶりは遠征艇から三キロしか届かない緊急脱出(ベイルアウト)システムの範囲ギリギリまで調整するほどのもの。玄界(ミデン)と違い大地が浮遊している惑星国家にとっては致命的なダメージにすらなりかねない。

 これを作動させるためにはミサキがアンテナの届く位置にまで遠征艇を運ばなければならず、彼女との言葉も要らないコンビネーションがなければ成り立たない本当の奥の手だ。

 

 大河を収容した専用の遠征艇が、すぐさま(ゲート)を開いて撤退していく。

 その下ではラフォーレの軍勢が弱ったアクティナに襲い掛かっているのだ。巻き込まれてはここまでした意味がなくなってしまう。

 

 

「っだはあー! くそ、黒トリガーつええなーもー」

「おつかれー。まぁ元々想定外だったんだしいいじゃん」

 

 送還されたベッドの上でもぎゃああと喚く兄に、ミサキはコンソールを向いたままてきとうな慰めの言葉を投げかけた。

 アクティナの防衛軍を殲滅している最中に黒トリガーが生まれる(ヽヽヽヽ)可能性も考慮していた彼女にとっても、あの雷神のような使い手の登場は予想外のものだった。

 「生まれたて」はその場に起動できる人間がいるかもわからず、かつ起動できたとしても秘めた能力がその本人にさえ未知数なため奪取できる可能性もあるのだが、能力を十全に使いこなせる黒トリガー使いはやはり脅威だ。早々に勝利を見切った大河の選択は正しいものと言える。

 

「もうトリガーもいっぱい手に入ったしさ、そろそろ帰ろうよ」

「んー、そだなー。どうせ戦闘体が復活するのに時間かかるし……」

 

 ミサキの提案に頷きを返して、大河はそのままベッドに倒れ込んだ。

 彼の超高コストな戦闘体はそのぶんだけ構築するのに時間を要する。その期間はゆうに七日。言うまでもなくボーダーに所属する隊員の誰よりも長い。

 トリオンは無尽蔵が如くあっても、それだけはどうしようもない。だからこそ高性能・高耐久の強化戦闘でもあるのだが。

 構築に時間がかかるのなら、破壊できないほど強靭な戦闘体を作ればよい。そうやってシステムの根本から見直して新規開発されたものがこれだ。

 もともと生半な戦闘体では起動した瞬間に破裂するため鬼怒田やチーフエンジニアが頭を捻って生み出した、大河にしか扱えない専用の強化戦闘体である。

 

「今回の遠征ももう半年くらいか。早いもんだな」

 

 腕を枕にして息をつく。

 通常のものは長くても一か月程度。学生が多く所属するボーダーではこれ以上の期間を要する遠征は難しい。

 ちなみに木場兄妹は大学、高校ともに休学扱いである。二人ともボーダーに根を下ろすつもりなため進学する気は全くなかったが、世間体を気にしたボーダー陣営によって休学に留められている。

 

「はー、やっとお風呂に入れる……」

「この(ふね)にもあるだろ」

「水がいっぱい手に入った時だけでしょ! あたしはもっとゆっくりしたいの!」

「はいはい、基地に戻ったら好きなだけ浸かれよ」

 

 本部基地に作り上げた己の城を思い浮かべて、ほふぅ、とミサキも息を吐く。

 大河はそれより、今回も大量に得られたトリガーから引き出す技術を鬼怒田たちがどう料理してくれるかの方が楽しみだった。

 

「早く帰りたいなあ」

「どうせもうトリオン使わねーんだからブーストダッシュしろ、ブースト」

「もうしてる」

「あ、そう……」

 

 その言葉通りモニターに映る惑星国家が急速に小さくなっていくのを見て、大河は独りにやけた。

 総じて、今回も楽しかった。真正面からあれだけ暴れ回ったのは久しぶりだ。雨のように舞う血飛沫、濃厚な生とそれに寄り添う死の匂い。最後の女から抉り出した心臓は特に馥郁たる芳香を放っていた。珍しい新技術も手に入ったし、言うことはない。

 

 彼が蹂躙した国では今も戦闘が繰り広げられている。だがアクティナが存続しようがラフォーレに占領されようが、もはやそれは彼の知るところではない。

 その禁断の欲求(サイドエフェクト)は既に次の獲物を探しているのだ。

 

 

 

 




 


ネイバーフッド蹂躙編、ひとまず終了。

黒トリガー金の霹靂(イヴジェニス)、ギリシャ語で「高貴」。光輝の針はこれを真似したという言葉遊びです。正確に発音すると「エブギェニス」らしいですよ。唇噛みそう。

全身雷。うん、アレです。雷天大壮。カッコよくて好きなんです。殺しましたけど。

ちなみにアクティナが大河をマザートリガーに放り込むと太陽が巨大化しすぎて逆に滅ぶという意味のない設定。ついでに玄界よりでかい太陽が軌道上の国を燃やし尽くすとかいう死んでも近界民殺すマンと化す。


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第十六話

 

 

 

「――と、こんなとこか」

 

 

 時おり休憩を挟み、三輪の質問にも答えながら大河が語り終えると既に日が落ちる時刻となっていた。開発室に三輪が来たのは午前のこと。ゆうに六時間以上も話し込んでいたらしい。

 長きに渡る冒険譚を聞き終えた三輪は感心したように息をついてその活劇に思いを馳せた。多少の誇張・脚色があるとしても、事実として大河は近界(ネイバーフッド)の国々のうち少なくとも一つをほぼ壊滅させてきたことになる。

 本当に、殺してきたんだ――

 三輪は(おそ)れより先に敬服の念が生まれた。人として本来ならば忌避すべきこと。認めてはならない最後の一線。なのに心の内に湧いてくるのは胸がすくような感覚。

 

 言葉にすれば……そう――ざまあみろ、と。

 

 近界民に対して怒り、嫌悪する彼はたとえ罪なき民だとしてももはやその命になんの価値も見いだせなかった。姉を奪った次元の向こうを一括りにして絶滅を願う三輪は大河の行いに目を輝かせて息を飲んだのだった。

 

「すごい……ですね。月並みな感想で申し訳ないですが」

「まあしょうがねーよ。俺もちょっとうろ覚えな部分もあったし、最後は結局自爆だったしな」

「木場さんほどの力があっても(ブラック)トリガーは危険な相手なんですね」

「あー……あれはなー」

 

 大河が思い出したように苦い顔になる。

 雷の力を持つ黒トリガー。あれは本当に厄介な相手だった。もし最初からあれが属する陣営に攻め込んでいたとしたら、太陽の国での戦果はもう少し控えめになっていたことだろう。

 

「ありゃ他の国の黒トリガーを含めた中でも一等やばいやつだったからなあ」

「なるほど……他にはどんな黒トリガーがあったんですか?」

 

 興味の湧いた三輪がそう尋ねると、大河は顎に手をやってしばし唸った。

 

「そうだな、基本的に出てきたらすぐ撤退になるから詳細はわからないのが多いんだが……覚えてる限りだと、当たるまで追いかけてくる弓とか、空間を作り変えるトリガーとか……、あとは――」

 

 まるで矢に意識があるかのような軌道で何度でも襲い掛かってくる超追尾の矢。自分に優位な状況を強制的に作り上げるトリガー。

 つらつらと出てくる妙ちきりんな黒トリガーの数々に、三輪は想像すら追いつかず気の抜けたような声をもらしてしまう。

 

「へぇ……」

「あ、おまえ今『なんかショボいな』とか思っただろ」

「い、いえ、そんなことは」

「たしかに中にはショッボいのもあるけど、それでも黒トリガーだぞ。空間を作り変えるっつーのも仮想空間とは違って――」

 

 大河が経験したその性能を語り始めようとした時、二人がいる部屋に通信が届いた。

 

『木場、トリオンの供給が終わった。ご苦労だったな』

「はーい、りょーかいっす鬼怒田さん。……今日はこのくらいにしておくか」

「あ……はい、ありがとうございました」

 

 鬼怒田が告げた終了の通知に大河が立ち上がり、三輪も続いて腰を上げてからぺこりと頭を下げた。

 

「また、木場さんの時間があるときにでもお話、聞かせてください」

「おーいいぞ。俺もボーダーに話し相手いなくってなー。トリガー開発のことは鬼怒田さんとミサキに任せてるし、城戸さんはずーっと無表情で聞いてんのか聞いてないのかわかんないし……」

「ま、まぁ城戸司令はお忙しいですから」

 

 城戸司令が大河の長話に付き合っている様子はどうにもイメージできず、三輪は曖昧にフォローした。

 ボーダー最高司令官たる城戸は各部署の報告をまとめ、時には会議を開き裁可の是非を問われたり、外部組織との折衝や支部とのバランス調整など、さまざまな仕事をこなしている。直属隊員としてその一端に触れた三輪も司令の忙しさを知っていた。

 しかし城戸の冷めた顔に延々と話しかける大河を想像して、彼は少し可笑しく思うのだった。

 

「そうだな。俺は次の遠征が決まるまでは暇だし、おまえの時間が空いたらいつでも連絡してこい」

「はい、ありがとうございます!」

 

 隊員用の端末に個人的な連絡先を登録し合いながらトリオン供給フロアから出る。開発室の最奥にあたるその扉をくぐると、二人の視界の端に青白い光が瞬いた。

 

「あれは……」

「お、さすが鬼怒田さん。もう研究始めてんのか」

 

 大河が感心したように言う。

 おそらく話に聞いた電気とトリオンを融合させるトリガーの実験だろう、と三輪はあたりをつけた。武器に留まらないその有用性はやはり他のトリガーの研究・解析よりも優先度が高いらしい。

 

「どーっすか、そのトリガーは」

 

 ずかずかと近づいた大河が尋ねると、鬼怒田は消えない隈の上で目玉をぎょろりと動かした。

 

「どうも何もありゃせんわい」

 

 睡眠不足からくる血走った眼球と気難しそうな語調が合わさった雰囲気はおどろおどろしく、さすがの三輪も少し怯んでしまう。

 だが鬼怒田が続けた言葉は不機嫌さなど全く感じさせない興奮したそれだった。

 

「これは素晴らしい! 電気と組み合わせるっちゅう発想はわしにもあったんだがな、こいつの完成度は想定以上だ! 加えて外部からのトリオン供給機能、こいつから得られる技術と情報は頭一つ抜けてるどころじゃないぞ」

「そいつはよかった。苦労した甲斐があったってもんすわ」

 

 ギラギラと目を輝かせる鬼怒田に大河がへらへらと笑って返す。

 技術的な話は大河にはわからない。が、己の目的に付随した戦果だろうと褒められれば気分がいいもの。上機嫌そうに手を振って続きを促した。

 

「発電システムはトリガーに組み込むのが難しいんでな、武器としての実装はすぐにとはいかんが……他の草案はもうできとる。配備されればボーダーの防衛体制に革命が起きるぞ」

「へえ……」

 

 やはりあまり理解していない大河の隣で三輪が興味を持ったのか鬼怒田に尋ねる。

 

「隊員にはどのような恩恵があるのですか?」

「うん? そうだな……」

 

 顎に手をやった鬼怒田は己の脳内で思い描いている研究内容の一端を騙り出した。

 

「まず継戦能力が大きく上がる。戦闘体をハイブリッドエネルギーで動かせられれば消費トリオンを大きく削減できるからな。それに今はまだこいつの特殊な波長(ヽヽ)がようわからんからなんとも言えんが、戦闘中にトリオンをチャージすることもできるようになるかもしれん」

「……!」

 

 その話に三輪の眉が上がる。

 彼も防衛隊員として合格するほどのトリオン能力は持っている。しかしそれでも戦いが長引けばやはり心許ないと感じる時もあった。特に鉛弾(レッドバレット)などは消費が激しく、八時間もの防衛シフトでは乱射もできない。

 最初から制限時間のあるランク戦などにはあまり恩恵はないかもしれないが、防衛任務や……いつか訪れるであろう人型近界民と戦うことも視野に入れればこの研究にはぜひとも力を入れてほしいと思ったのだ。

 

「それはすごいですね」

「だろう! まだ計画段階だがボーダー本部基地の発電量を上げることで防衛施設の増強も考えとる。警戒区域外縁に電気柵のようなトリガーを張り巡らせれば大規模な侵攻も抑えられるかもしれんしな。まあその場合電磁波の影響が大きいのと一般人が近づいた時に少し――――」

「あー鬼怒田さん、抑えて抑えて」

 

 滔々(とうとう)と語り始めた鬼怒田の肩に手を置いて大河が興奮を落ち着かせる。止められた鬼怒田はつまらなさそうに鼻を鳴らしたが、技術者が持つある種の性癖のようなもののスイッチを踏んでしまった三輪は心の中でこっそりと礼を言った。

 

「なんじゃここからが面白いところだと言うのに」

「鬼怒田さん熱心なのはいいけど、俺たちにわかんない話も延々とするからさあ……」

「おまえは逆にトリガーへの理解が浅すぎるわい。おまえ専用の武装もいつまでも妹に頼りっきりにするわけにもいかんだろう、少しはだな……」

「はーいはい、わかりましたわかりました」

「おいこら待たんか!」

 

 突如始まった説教から逃れるように早足で歩きだす。大河は後ろに続いた三輪とともに鬼怒田の怒声を背中に浴びながらドアをくぐって廊下に出た。

 

「鬼怒田さんいっつも話長いんだよなー」

「あ、あはは……」

 

 どういう顔をしていいかわからず、三輪は誤魔化すように苦笑を浮かべた。そんな彼へ、どうにか気を取り直した大河は「ともあれ」と歩きながら話しかけた。

 

「あれが実戦配備されれば他の隊員の戦力も上がる。そうすりゃ防衛任務に出る部隊も増えてA級の仕事も少しは減るだろ。したら……おまえもいつか遠征に出られるといいな?」

 

 軽く笑った大河に三輪が頷いて返す。

 元よりA級の三輪隊は遠征の選抜試験に参加する権利を有しているが、彼らはそれに臨んだことはなかった。隊長である三輪が近界民(ネイバー)と交渉するような旅には魅力を感じず、また司令直属である彼にはそれなりに重要な任務が任されることが多かったためだ。

 だが木場隊のような特殊な遠征であれば三輪も興味がそそられる。近界民を虐殺、蹂躙するさまを間近で見れば、己の内に燻る何かも晴れるのではないかと彼は考えていた。

 

「そうですね。……その時は、できれば木場さんの部隊について行きたいですが」

「そりゃどうだろうな。個人ならともかく部隊ごとってのは、情報統制も厳しいし難しいんじゃないか?」

「かもしれません」

 

 木場隊の遠征に一般隊員が続くとなると、それはむしろ足手まといに近い存在となる。大河の話を聞き、実力の一端も垣間見た三輪は無情な現実を見据えつつも、かの冒険活劇に参加してみたいと願ったのだった。

 

 

 

 この日から、三輪は大河を兄のように慕うようになった。

 幾度かの対談を経て名前で呼び合うようにもなり、迷いが吹っ切れた様子の三輪に彼の隊の仲間たちは首を傾げたが、やや雰囲気が柔らかくなった隊長を歓迎してそっと見守るだけに留めた。

 

 二人の出会いが良いものであったかどうかはまだわからない。復讐に燃える少年は虐殺を繰り広げる男に憧れ、その身を戦禍に飛び込ませることになるのかもしれない。

 

 界境防衛機関ボーダーにとっては近界民と戦うための意思であればことさら問題にはしないだろう。たとえそれが市民に公表できないほど後ろ暗き憎悪であったとしても……。

 うら若き少年少女を中心とするこの組織は世間の評判と異なる面も持ち合わせている。

 限りなく低い可能性とはいえ死と隣り合わせの戦場。かつて空閑を発見し敗北を喫した時に米屋が言った「殺そうとしたのだから殺されても文句は言えない」とは、冗談でもなんでもないただの事実だ。……いや、多くの隊員はそこまでの覚悟を決めてはいないのだが。

 

 しかし、とにもかくにも、近界民にとってははた迷惑な邂逅になるであろうことは言うまでもなかった。

 

 

 

 




 


悪の道に身を落とすシスコン(シリアス)。


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大規模侵攻編
第十七話


 

 翌年、一月某日。ボーダーが新入隊員を迎えてしばらくたったある日、大河は小会議室に呼び出されていた。

 幹部からは城戸司令、忍田本部長、玉狛の林藤支部長が列席。隊員からは大河の他に風間、三輪が招集されており、そしてA級となった迅悠一がこれから来ることになっている。

 この小会議室はふだん使っているものとは違い、主に()に出せない議題や秘密裏に会合するときに使われるもの。かつては大河の遠征計画を立てた際にも使用された。

 とはいえ今日は特に機密に関して話すわけではない。まあ、公式発表する内容でもないのだが本来使用すべき大会議室で鬼怒田が今回の議題についての準備をしてくれているため、完了するまではここで話し合うのである。

 

 迅の到着を待つあいだ、城戸はモニターに今期入隊した近界民(ネイバー)、空閑遊真のランク戦の様子を映し出して観察していた。

 

「……空閑の息子、か」

「そ、なかなかの腕だろ」

 

 何か含ませるような言い方をした城戸に軽いトーンの言葉がかかる。

 最高司令官に気安い口を利くのはレンズの反射が強すぎる眼鏡とくわえ煙草の男、林藤匠。玉狛の支部長である。彼は城戸とは現ボーダー設立前からの付き合いだ。

 知らぬ仲ではないがゆえに許される緩さ。迅も大河も緩さでいえば似たようなものだが、林藤にはそれ以上の、どこか言い表わせない深みがある。

 そんなかつての同輩の言葉を無視して城戸は対面に座る大河に声をかけた。

 

「木場、おまえの目から見てやつはどうだ?」

「んえ? あー……」

 

 頭の後ろで手を組んでいた大河は突然向けられた話に「強いんじゃねっすかねー」とてきとう極まる答えを返した。これにはさすがの城戸も呆れて言葉もない。

 しかしランク戦に参加していない大河には荷が重い質問であったのもたしかだ。忍田や林藤の前で「いつでも殺せます」なんて言わせるのもあまりよろしくないため、深くは追及しなかった。代わりにこの場でもっとも客観的に見れるであろう風間の名を呼ぶ。

 

「……風間」

「まだC級なので確実なことは言えませんが、明らかに戦い慣れた動きです。戦闘用トリガーを使えばおそらくマスターレベル……、8000(ポイント)以上の実力はあるでしょう」

 

 椅子に座らず立っていた彼が自分の考察を語ると、忍田が驚きの声を上げる。

 

「8000……! ならば一般のC級と一緒にさせたのはまずかったかもしれんな。はじめから3000点くらいにして、早めにB級に上げるべきだった」

「そうしたかったけど、城戸さんに文句言われそうだったからなー」

「…………」

 

 大人たちのやり取りに挟まれつつ、しかし大河はなんの興味もなさそうにそれを聞き流していた。

 近界民がいても、そいつが強かろうが弱かろうがボーダーに入隊した以上殺せないので意味がない。しかも元より死にかけの空閑に対し、大河はもはや一欠けらの価値も感じないのである。

 同じように隣の三輪もかつて憎悪を映し出していた目つきを潜ませ、無言で正面だけを見つめている。

 

「……先日、訓練場の壁にひびを入れた(ヽヽヽヽヽヽ)のも玉狛の新人だそうだな、『雨取千佳』だったか」

「あの子はちょっとトリオンが強すぎてね。いずれ必ず戦力になるから大目に見てやってよ」

 

 最古参二人の会話に大河がぴくりと反応する。

 ボーダー基地の壁はトリオンでできている。そのため通常兵器がいくら攻撃しようとびくともしない。そして大河の莫大なトリオン能力の恩恵に与っている現在では、トリガーだろうと並のトリオン能力者では傷一つ付けられない要塞と化しているのである。

 それに、ひびを入れた?

 静まっていたはずの猛獣の鼻が鳴る。危険な興味が生まれつつあった。

 

「黒トリガーの近界民にトリオン怪獣(モンスター)、そいつらを組ませてどうするつもりだ」

「別にどうもしやしないよ。っていうか千佳が怪獣(モンスター)なら木場はどうなっちゃうんだよ」

「さあ、○ジラかなんかじゃないっすか」

 

 水を向けられた大河がへらりと笑って躱す。幹部たちの回りくどい話に参加するつもりは毛頭なかった。が、そのトリオン怪獣とやらには少しばかり関心がある。

 

「どんなやつなんですか、そいつ?」

「千佳か? 見た目はふつうのちっちゃい女の子だよ。兄さんと友達が近界民にさらわれてて、二人を取り戻したくて遠征部隊選抜を目指してる」

「……ふーん」

 

 林藤に尋ねてみたものの、空閑からすでにその話を聞いている大河にとっては新たに得られた情報が見た目しかなかった。

 

「遊真ともう一人の隊員(チームメイト)の修は、それに力を貸してるんだ」

 

 それも知ってる。そう心の中で呟いた大河はこれ以上意味がないとして再び無気力になり、後頭部で組んだ手に重心をずらした。

 

「近界民にさらわれた人間を近界民が奪還する、か。馬鹿げた話だ。近界(ネイバーフッド)には無数の国がある。独自の調査(ヽヽヽヽヽ)によって国の情報は集めたが、それでもなお被害者は見つかっていない」

 

 例の極秘遠征計画を誤魔化すため、その内容は厳重に隠し通されているが、それでも忍田のような幹部に察知された時のために最終的には『長期の近界調査』という情報だけが見つかるようになっている。忍田や林藤はそれを偽の情報だと薄々感づいていながらも口に出すことはなかった。

 

「まぁ、なんでも目的があった方がやる気が出るってもんでしょ。復讐でも救出でも。なぁ蒼也?」

「……自分は別に兄の復讐をしたいとは思っていません」

 

 林藤に呼ばれた風間は無表情のまま返す。近界民に兄を殺された過去を持つ風間は三輪と違い、その身を復讐に燃やすようなことはなかったらしい。

 

「お? 遠征で少し価値観変わった?」

「自分は今までと何も変わりません。ボーダーの指令に従って近界民を排除するのみです。……変わったと言うのなら」

 

 淡々とした言葉を連ねつつ、風間が三輪を見やる。

 ふだん通りであればこの話し合いに口を挟んでいてもおかしくない三輪が、ずっと黙って聞き入っていたのを不審に思ったのだろう。

 視線を感じ取った彼は風間の方を向き、静かに答えた。

 

「俺も何も変わってはいません。近界民は排除する、それだけです」

「……空閑が近界民であることはもういいのか?」

「司令の決定であれば従います。やつの持っている情報を使えると判断したのなら、俺から言うことは何もありません」

「……そうか」

 

 自分と同じように淡々と答えた三輪から視線を切り、風間は彼の変化にひっそりと眉をひそめた。

 あれだけ復讐に固執していたのにこの落ち着き様。本人が何も変わらないと言ったところでその変化は顕著に過ぎる。三輪にいったい何があったというのか。

 

「…………」

 

 三輪の隣では大河が誰にも聞こえない小ささで口笛を吹いていた。

 ()は深く知らなくとも大河にとって三輪はボーダーで初めてできた弟分のようなもの、先の物言いの言葉に含まれていない部分もきちんと聞き取っている。

 『やつの持っている情報を――近界民を殺すために――使えると判断したのなら』

 三輪は何も変わっていない。ただより効率をとっただけだ。近界民を殺すために必要な情報は、近界民から聞き出すのが一番手っ取り早い、ただそれだけのこと。

 

 にわかに無言が広がった小会議室。しばらくして入口の扉が開いて新たな入室者を迎え入れた。

 

「どもども遅くなりました。実力派エリートです!」

 

 指で空を切りながら席に着く迅。それを認めた忍田が頷き、「本題に入ろう」と両手を机に乗せて立ち上がる。

 

「今回の議題は、近く起こると予測される……近界民の大規模侵攻についてだ」

「大規模侵攻……!」

 

 その剣呑なワードには落ち着き払っていた三輪もさすがに瞠目せざるを得ない。

 今までもトリオン兵は絶えることなく送り込まれてきていたが、大規模と銘打ったからにはそれとは比較にならない戦力が送り込まれてくるのだろう。かつての悲劇のように――

 そこまで考えて三輪は頭を振った。

 ――違う、これから起きるのは悲劇ではない、反撃だ。

 大規模となれば人型もやってくる可能性も高い。その時こそ、研鑽を積み続けてきた己の牙を解き放つ絶好の機会。彼は議題に集中するべく前のめりな姿勢をとった。

 

「まずは事の発端なのだが、……迅」

「はいはい。なんか嫌な未来が視えてね。街を歩いてみたんだけど、どうにも街の人が何かに殺されたりさらわれたりする未来が視えたんだ。ボーダー隊員も何かと戦っている未来が確定してるやつが何人もいる。しかも激しい戦闘だ。つまりこれまでにない規模の侵攻が起きる可能性が高い」

「…………」

 

 説明を受けた風間が無言で頷く。

 迅の持つサイドエフェクトは未来視の力。Sランクの希少度を誇る超感覚である。

 人間に対して発動するためには実際に顔を見なければならず、襲われる者は特定できても襲ってくる者は読み取った情報から類推するほかない。しかしボーダーが激しい戦闘を繰り広げるような相手といえば近界民しかいない、つまりこの組織が手こずるようなトリオン兵の群れか人型近界民、もしくはその両方が侵攻してくることが高確率で予測されたのだ。

 

「襲ってくる国については――木場」

「はい?」

 

 呼ばれると思っていなかった大河が素っ頓狂な声音で反応した。

 

「おまえのサイドエフェクトは強化嗅覚だったな。これ(ヽヽ)から、何か読み取れないか?」

「なんすか、それ」

 

 忍田が取り出したのは小型トリオン兵『ラッド』の残骸。一カ月前、市街地にイレギュラーゲートが開かれた原因である。当時遠征に出ていた大河は後に聞かされたが、これを駆除するのにC級を含む全隊員が駆り出されるという大騒動が起きたのだ。

 

「この偵察用トリオン兵を送り込んできた国が攻めてくる可能性がもっとも高い。どこか(ヽヽヽ)で同じか、もしくは似たような匂いを感じたことはなかったか確かめてほしい」

 

 忍田は偽りの遠征内容を偽りのままに、今現在の議題のために曖昧な表現で追及を避けて尋ねた。ここで藪をつつく意味はない。防衛重視の派閥を形成している彼にとっては大規模侵攻に対する情報はなんであれ欲しい。

 

「ああなるほど」

 

 無意味と知りつつ大河がラッドを受け取った。

 彼が遠征先に選ぶのは広大な近界のうちでも玄界(ミデン)から遠く離れた国々。これから襲ってくるだろう国はおそらくそのどれでもない。

 もしかしたら大河の正体に気付いた国が報復だの考え、惑星の軌道すら無視して無理矢理遠征艇を飛ばして来た、なんてこともあるかもしれないが、その場合はどうやっても持ちこめる戦力が限られるだろう。それこそ「大規模」なんて言えはしない程度に。

 

「ん~……」

 

 一応嗅いでみても、やはり記憶にない匂いがした。

 あの太陽の国製トリオン兵のように外部エネルギーの受給機能など特徴あるものであればすぐにわかるが、市民から徴収・貯蓄されるトリオンによって製造される人形は国によってもそこまでの違いはない。

 だが、このラッドから読み取れる情報は他にあった。

 

()の匂いがするな」

「……! そのトリオン兵は周辺の人間のトリオンを吸収して(ゲート)を開く能力を持っている。それの可能性は?」

「いや、これを構成してるトリオンの匂いっす」

 

 大河のサイドエフェクトのもっとも奇異な部分は、エネルギーであるトリオンを嗅ぎ分けることにある。このラッドからは物理的な匂いはほぼ喪失しており、代わりに吸収されたという多人数のトリオンの匂い、そしてラッド自体を構成するトリオンの匂いがそれぞれ存在していた。

 

「ちっとこれ割りますね」

 

 許可も得ずにトリガーを起動した大河は素手のままラッドを引き千切るようにして割り、その断面に鼻を近づけた。

 やはり人の匂いがする。

 卵状態で持ち運ぶトリオン兵を孵化させるためのトリオン、それを注入するのが遠征に赴いた近界民の役割だ。ラッドにはその匂いの残滓が残っているのである。

 だがそれはふだん防衛任務で倒すバムスターやらも同じ。これだけでは何もわからないに等しい。

 

「これ、他にもあります?」

 

 ゆえに大河は量を求めた。多ければ多いほど情報も増えていく。聞けばこの小型トリオン兵は大量に放たれたとのこと。それならばあるいは――

 

「ほとんどが分解されたはずだが……待ってくれ、今確認する」

 

 大河の要求に忍田が開発室に連絡を入れた。

 ボーダーの貯蓄トリオンには構成員たちのトリオンの他、討伐したトリオン兵を分解したものが含まれている。いわばリサイクルだ。一か月前に駆逐したトリオン兵が残っているとは思えなかったが、通信の繋がった開発室は予想外にもそれを保管していると答えた。

 しばらくすると残っていたラッドの残骸が山のように運ばれてくる。

 

「貯蓄トリオンに余裕があったんで、小さいコレは後回しにしてたんですよ」とは、開発室の職員の言。その膨大なトリオンを供給していた本人である大河は受け取った残骸の山を崩して確認していった。

 

「んー、違うな。これと、これと……あとこれも」

 

 嗅いでは投げ捨て、あるいは机に並べ、大河が小型トリオン兵を分別していく。

 見た目の違いが全くわからない他のメンバーは黙ってその様子を眺めていた。

 

「うん、だいたいこんな感じだな」

「……これは、どういう違いで分けられているんだ?」

 

 ひとしきり終えたらしいところで忍田が問うと、すんと鼻を鳴らした大河は分別した六つのラッドを順番に指さした。

 

「男、男、男、女、男、男。それぞれ違う人間の匂いがします。男のうち一人は若くって、もう一人は爺さんって感じ」

「なるほど……」

 

 城戸が唸るように低く呟く。

 通常、近界民の遠征は玄界とは違ってごく少人数で行われる。でなければ消費トリオンが大きく、帰りには人数が増えている(ヽヽヽヽヽヽヽヽ)ことが前提とされている玄界(こちら)への攻撃が成り立ちにくいためだ。

 このラッドを放った遠征艇に六人もの近界民が搭乗しているとなれば、その攻撃はかなりの規模が予想される。一時期トリオン兵の開発にも着手していたボーダー研究開発室では卵化と孵化の技術もデータに残っていた。いつも防衛任務で討伐している程度の数であれば、一人か二人の人員で充分に賄えることが既に判明している。

 ……それが、六人。

 

「この人数、もしくはさらに多い可能性もあるがこの場合、人型近界民も攻撃に参加してくる見込みが高い。偵察用トリオン兵を送り込んできたとあればやはり大規模侵攻は間違いなく起きると見ていいだろう」

「おそらく爆撃型トリオン兵も同じ近界民が放ったと考えられる。これらを前触れとして対策を講じていこう」

 

 城戸の推察を総括して忍田が言い、会議に参加していた面々はそれぞれ頷いた。

 その中で大河がぴっと手を挙げる。

 

「近界民の情報なら、このために入隊させたやつがいるじゃないですか。こんな時こそ役立てなきゃ」

「……、空閑か……」

「そうそ。あいつまだランク戦ブースにいます?」

 

 渋い顔をした城戸を気にも留めずに聞くと、代わりに風間がモニターを見てふと片眉を跳ね上げた。

 気付いた忍田が顔を向ける。

 

「どうした、風間」

「いえ、その空閑がC級のブースで緑川を圧倒しているようです」

「何……?」

 

 緑川駿。A級では三人しかいない中学生隊員の一人である。

 まだまだ発展途上でありながら高いセンスを持ち、上位部隊に属するだけの実力を兼ね備えている期待の新鋭だ。それを圧倒するとは、空閑の能力の高さも垣間見えるというもの。

 

「……、そろそろ鬼怒田開発室長の作業も終了しただろう。木場、三輪、大会議室に空閑を連れてこい」

 

 小さく嘆息した城戸が二人にそう命じる。

 元より空閑が問題を起こした場合、彼らに一任すると明言していた。別に正隊員との戦闘訓練が隊務規定に違反している訳ではないが、かのブースでは要らぬ騒ぎの一つも起きていることだろう。

 頭の痛くなる話だが、これから役に立つのであれば目の一つも瞑ろう。

 そんな思いが滲み出る声色の命令を受けた二人が立ち上がる。

 

「ういーっす」

「了解しました」

「もし三雲くんが一緒にいたら彼も連れて来てくれ。爆撃型と偵察型、両方の件を体験している彼の意見も聞きたい」

「了解っす」

 

 忍田の追加にも頷いて、大河と三輪は揃って小会議室を後にした。

 

 

 

 



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第十八話

 

 

 

 C級ランク戦ブースへ大河たちが到着すると、そこでは奇妙な光景が待ち受けていた。

 

「三雲センパイ、すみませんでした」

「……えっと、何が?」

 

 空閑と戦っていたはずの緑川が三雲に頭を下げ謝罪していたのである。

 不可思議な状況に大河と三輪は一連のやり取りを終えるまで待ってから彼らに話しかけた。

 

「よう玉狛の」

「お? タイガー先輩とミワ先輩」

「あ、ど、どうも……」

 

 自分たちの方へ向かってくる二人を確認した空閑は「コンニチハ」と手を上げ、三雲は汗をだらだらと流して会釈した。どうやら三雲は初対面時、いきなり大砲を向けてきた大河にトラウマを植え付けられたらしい。

 彼らの横にいた三輪隊の隊員である米屋も気付いて話しかけてくる。

 

「おー秀次、どうしたんだ?」

「陽介もいたのか。俺は城戸司令にこいつらを呼んでこいと命じられたんだ」

「え、そうなの? くそー白チビとバトるつもりだったのに……」

「悪いな、それはまた今度にしてくれ」

「ちぇー」

 

 口を尖らせながらも米屋は三輪の変化について思う。やはりどこか丸くなっている、と。その変化を与えたであろう人物にも目をやってみる。

 

「今ちっと会議しててよ、それに関しておまえらの……っつーかレプリカの情報が必要になったんだわ」

「ほう。レプリカの」

 

 空閑と言葉を交わす大河を見るが、果たして三輪が丸くなった理由はわからない。三輪本人に聞いても「最機密事項だ」としか返してくれなかったため、米屋は友人でもある隊長の心境変化のわけについて、ついぞ知ることはなかった。

 

「忍田本部長に三雲も連れてこいって言われてる。まあとにかく来いよ」

「は、はぁ……」

「すまんね、よーすけ先輩。勝負はまた今度な」

「すまんなよーすけ」

「絶対だからなー」

「オレも絶対リベンジするからね!」

「うむ、ではさらばだ」

 

 今生の別れのような演出で戦闘狂(バトルマニア)たちが手を振る。そうして米屋、緑川と別れて歩き出した一行だったが、廊下を歩く途中、ふと大河が「ん?」と足元を見た。

 

「誰、こいつ」

「あ……えっとこの子は……」

 

 三雲が言葉を探して言い淀むと、視界の下の方でちょこちょこ動いていた影がむくりと身を起こした。

 

「おれはたまこまのねむれるしし、りんどうようたろうだ」

 

 馬に乗るようにカピバラに跨ってキラリと目を輝かせる子ども。

 白けかけた大河だったが、その身に宿るトリオンの濃さに意外と納得の様子を見せた。

 

「ほう、なかなかデキそうなやつじゃねーの」

「ふ、なかなかおめがたかい。なをきいておこう」

「俺は木場大河だ。よろしくな」

「たいがか。おぼえておく」

 

 キラリと目を輝かせて自己紹介を交わす二人。

 この年齢にしてこのトリオン能力。陽太郎が名乗った「玉狛の眠れる獅子」とやらは実は的を射ているのかもしれない。少なくとも後ろを歩く三雲(めちゃくちゃ薄い)よりは期待できるんじゃないか、と大河は思うのだった。

 それきり、特に友人でもない彼らは無言でエレベーターに乗り込んだ。

 別段それを気にしたというわけでもないだろうが、静かに上昇を続ける狭い箱の中で空閑が三輪に向けて口を開いた。

 

「今日はいきなりドカドカ撃って来たりしないんだな」

「…………」

 

 が、無視である。元々コミュニケーション能力が高い方ではない三輪は、近界民(ネイバー)である空閑の言葉をまるっと放置した。隣では三雲がまたも――むしろそうでない時の方が稀だが――汗を垂らしている。

 

「そりゃ入隊を認めたんだから殺せねーだろ。俺たちはおまえに情報さえ吐いてもらえればなんでもいいのさ」

 

 代わりに大河が答えて、空閑はそうか、と頷く。

 

「お姉さんの敵討ちのためか」

「……なぜそれを」

 

 姉のことを言われてようやく三輪が反応した。空閑は情報源について話すことはなかったが、もし米屋が教えたとバレれば空閑の代わりに彼がしばらく無視されることになるだろう。

 

「たしかにレプリカが詳しく調べれば、お姉さんを殺したのがどこの国かけっこう絞れると思うぞ」

「……、ふん。その情報はいずれ吐いてもらうが、今日の議題はそうじゃない。黙っていろ近界民(ネイバー)

 

 むう、と口を尖らせて空閑が黙る。

 初めて出会った時に狂犬のようだった三輪がこれほど大人しくなっていたのには実際に矛を交えた空閑にとっても意外であった。少しばかり神経を逆なでるようなことを言ったのは、その理由が気になってあえてのことだ。情報が欲しい時、相手を怒らせて口を滑らせるのを待つというのはありきたりな手法である。

 

「…………」

 

 三輪が大河の背中を見て心を落ち着ける。

 狂犬だった彼は狂獣である大河の本物の狂気にあてられて、かえって精神的には落ち着いたのかもしれない。

 しかしその牙が丸くなったわけではない。今は雌伏の時。噛みつき方を、噛み殺し方をこれから学ぶのだ。もし空閑が本当に問題を起こしたならば、冷静に猛る今の三輪を相手にすることになり、初めて会った時よりも手こずることになるだろう。

 

 無関係なのにプレッシャーを受けて胃を痛めそうな三雲が緊急脱出(ベイルアウト)を半ば本気で考えだしたころ、ようやくエレベーターが止まって空気が入れ換えられた。

 他人に配慮しない大河と三輪は大股でさっさか歩き、追随する三雲と小柄な空閑、カピバラのらいじん丸が早足で後を追う。

 到着した会議室の扉を開けると、鬼怒田の怒声が彼らを迎えた。

 

「遅い! 何をもたもたやっとる!」

「ああ鬼怒田さん、お疲れっす」

 

 部屋の中央には近界(ネイバーフッド)の惑星軌道を立体映像で表示する映写装置。これの調整のために小会議室に鬼怒田の姿がなかったのである。

 そんな多忙な開発室長に大河があいさつをすると、足元にいた陽太郎がそれに続いた。

 

「またせたなぽんきち」

「ぶっほ!!」

 

 鬼怒田の「なぜおまえがおる!?」という大声をかき消して大河が吹いた。

 

「ぽ、ぽんきち……はっはっは!」

「何を笑っとるか木場!」

「くく……、まあ落ち着いてくださいよぽんきちさん」

「貴様がその名で呼ぶんじゃない!」

 

 まるでコントのようなやり取りだったが、城戸の咳払いで場の空気が引き締まった。

 

「時間が惜しい。早く始めてもらおうか」

 

 頷いた忍田が前に出て、会議に参加したばかりの空閑と三雲に説明を始める。

 ――近く予想される近界民の大規模侵攻、対策を立てるため空閑の情報と、三雲のトリオン兵との戦闘の経験を教えてほしい。現在わかっているのは小型偵察用トリオン兵と、大型の爆撃用トリオン兵を使う国だということ。

 

「なるほどな。レプリカ、頼んだ」

 

 頷いた空閑は近界の情報を渡すためにスリープモードだったレプリカを起こした。

 

『心得た』

 

 袖からにょろりと顔を出したレプリカが毎度の如く炊飯器型をとる。

 空閑が正隊員になった日からレプリカの持つ情報はボーダー本部のものになってはいたが、その中身(ヽヽ)が膨大過ぎたため、解析には長い時間が必要との結論が下されていた。

 コピーするにも時おり資料に紛れ込んでいる「その国独自の文字や言葉」はデータベース化すらできない謎の情報だ。

 だが自律トリオン兵であるレプリカは聞けばわかりやすく答えてくれるので無理に解析するより聞き取りで情報をまとめた方が早いとされ、惑星国家の軌道配置図やその国の名称といった重要なものを提供してもらった後は、大河の奪取してきたトリガーの解析に開発室の総力をあげ、レプリカには必要な時だけ応じてもらう取り決めを交わしていたのだった。

 

「いま、わしらの世界に近づいてきておる国はこの四つ」

 

 鬼怒田が機器を操作すると会議室の中央に浮かぶ軌道配置図の中から、今現在接近している国の名前が表示される。

 

 リーベリー。

 レオフォリオ。

 キオン。

 アフトクラトル。

 

「おまえにはこれらの国の特徴を教えてもらおう」

『承った』

 

 鬼怒田がふんぞり返って促すと、浮遊したレプリカがそばにいた宇佐美に投影機と自分を接続してもらい、浮かんでいたホログラムが切り替わる。

 

『これらの国に滞在したのは七年以上前のことなので現在の状況とは異なるかもしれないが』

 

 そう前置きして解説を始めた。

 レプリカがそれぞれの国の映像を映し出す。

 

『広大で豊かな海を持つ水の世界、"海洋国家"リーベリー。

 この国は自国の資源が豊富であるがゆえ他国に攻め入るようなことは滅多にない。逆に防衛時には海そのものが敵の進撃を阻む防壁となるため、兵力が特別高いわけではないが敬遠されることが多く、比較的平和で穏やかな国だ。

 そして特殊なトリオン兵に騎乗して戦う"騎兵国家"レオフォリオ。

 こちらも戦闘の際に騎乗のためのトリオン兵を必要とするので、あまり侵攻には向かず、主に防衛に特化した戦力を備えている。人馬一体の兵士たちは機動力、突貫力に優れ、開けた戦場では特に真価を発揮する』

 

 リーベリーとレオフォリオの国が映し出された立体映像を眺めながら、会議メンバーたちが黙って聞き入る。

 続けてレプリカが残りの二国の映像に切り替えた。

 

『偵察用小型トリオン兵ラッド、爆撃用大型トリオン兵イルガー。これらを扱う国はこの中ではキオンとアフトクラトルに絞られる。キオンは厳しい気候と地形が敵を阻む"雪原の大国"と呼ばれ、アフトクラトルは近界でも最大級の軍事国家であり"神の国"と称される。

 どちらも抱える戦力は星々の中で指折りだ。特にアフトクラトルは七年前の時点で十三本もの黒トリガーを所有していた』

「十三本……!」

 

 思わず忍田が絞り出すような声で驚嘆した。

 黒トリガーが十三本。数字としては二桁でありながら途方もない数だ。一つでもあればその国力は目覚ましいほどの変貌を遂げるというのに、それが両の手の指よりも多いとなると、その凄まじさが理解できるというもの。

 

『しかし黒トリガーはどの国でも希少なため、通常は本国の護りに使われる。遠征に複数投入されることは考えづらい。多くても一人までだろう』

 

 レプリカの言葉には頷きつつも、城戸がこちらで得た情報も交えて尋ねる。

 

「仮に黒トリガーを一人含めたとして、六人以上の近界民が遠征部隊を差し向けてくるとなると、それはどの程度の規模の戦力だと考えられる?」

『遠征に使われる船はサイズが大きいほどトリオンの消費も大きい。黒トリガーを含める六人、もしくはさらに多い人数での遠征、それを"こちらの世界"へ、という前提を含めて考えるとかなりの規模が予想される。三門市を一つの()として仮定した場合、その目的には占領さえ入る可能性がある』

「……そうか」

「六人ってやけに具体的だな?」

 

 二人の会話に口を挟んだ空閑の言葉に、忍田が小さく頷く。

 

「木場のサイドエフェクトで、少なくとも六人の近界民が存在することが判明したんだ。先月の小型トリオン兵を送り込んできた近界民だ」

「なるほど……」

 

 ちらと大河を見やると流し目で見つめ返される。空閑は玉狛支部で"話"をした時にサイドエフェクトという言葉が出てきたことを記憶していても、それがどういう能力かは説明されていない。しかし「そういう匂いがした」とは言っていたので大体の予想はついたようだ。

 

『攻めてくるのはキオンとアフトクラトル、どちらかの可能性が高いが、人型近界民が現れた際、見分けるための目印を教えよう。一言で言えば、頭に(ツノ)があるのがアフトクラトルだ』

「ツノ? 鹿やらヤギやらの角か?」

 

 鬼怒田の疑問にレプリカは炊飯器のような全身を使って頷きの動作を行う。

 

『正確にはトリガーを改造したトリオン受容体だが、外見上は角のように見えるはずだ。アフトクラトルでは以前より、そのトリオン受容体を幼児の頭部に埋め込み、後天的にトリオン能力の高い人間を作り出す研究が進められていた。

 我々が滞在していた時期には既に実用レベルにあり、同時にこの技術は国家機密でもあったため他の国に流出するとは考えにくい』

 

 レプリカの説明に大河が感心したようなため息を吐いた。

 

「どうやってそんな国家機密を手に入れたんだ?」

『それは――』

「待て木場。今はその話をしている場合じゃないだろう」

「……うっす」

 

 忍田に咎められて大河が沈黙する。しかしどうにも気になってしまっていた。

 軍事国家のトップシークレットというその情報。手に入れるのはそう簡単な話ではない。実際に近界の国に攻め込んだことがある大河だからこそその難しさが理解できる。

 太陽の国で例えるなら、あの試作型トリガーの性能や仕組みが当てはまる。

 アレももし市街地を殲滅するようなことさえしなかったならば、決して戦場に出てくることはなかっただろう。切り札足り得る技術はそれだけの非常時にでも陥らなければ姿を見せることはない。ただ滞在するだけでは国の機密など手に入れられるはずもないのである。

 大河は見たこともない空閑の父親に対して疑念とともに尊敬の念を抱いたのだった。

 

「続けよう」

 

 城戸が静かに進行を促した。

 

「角付きだと具体的に何が変わる? トリオンの量か?」

 

 再開された対策会議で最初の質問をしたのは風間。

 レプリカがふわりと身体の向きを変える。

 

『量に加えて質も変化する。"角付き"の使うトリガーは武器というより身体の一部と捉えた方がいい』

「そりゃどういう意味だ?」

 

 続けて大河の方を向き、説明を補足した。

 

『簡単に言えば、"自分の指先を操るようにトリガーを操作できる"。

 例えばボーダーのトリガーで言えば戦闘体の腕がスコーピオンになり、指先の感覚まで再現して動かせるようなものだ。複雑な能力のトリガーだろうと素早く、かつ精密に操作できる彼らの戦闘力は、通常トリガーを大きく上回る』

「なるほどそりゃ厄介そうだ……」

 

 言いながら、大河はその角とやらがちょっと羨ましくなった。トリオンコントロールの苦手な彼にはぜひとも欲しい機能が備わっている。しかしまぁ、実際に着けたとしたら頭蓋骨ごと暴発するというなんともグロテスクなオチが待っているだろうけども。

 

『さらに、角を使って黒トリガーとの適合性を高める研究もされていた。黒トリガーと適合した場合は角が黒く変色する』

「ふうん……」

 

 いよいよもってレプリカの持つ情報量が異常になってきた。大河はあの交渉で空閑の入隊を認めたことに間違いはなかったと確信する。

 近界最大級の軍事国家の機密をこれだけすらすらと言い連ねることができるのだ。もはやこのトリオン兵の価値は、己が積み上げてきた遠征の回数と屍の山よりも高い。

 

「では、人型近界民の参戦も考慮に入れつつ防衛体制を詰めていこう」

 

 忍田の鶴の一声で会議の方向は部隊の運用についての話へと切り替わっていった。

 そういった類の話が苦手な大河は適当に聞き流して明後日の方向を向く。どうあってもその身は一つの駒。いつなんどき敵が攻めて来ようと、大河は下される指令に従ってそれを排除するのみ。……ただ、極上の餌が目前にぶら下げられれば、どうなるかは定かではない。

 

(早く来ねえかなー)

 

 そんな物騒な思いを馳せながら、会議の終了を待つのであった。

 

 

 

 




 


リーベリー、レオフォリオについては完全に捏造設定。どうせ出ないしいいよね。


 


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第十九話

 





 

 

 

 

 会議が終わり、迅悠一は三輪を探してボーダー本部基地を歩き回っていた。

 城戸にも話を通したがサイドエフェクトで視た未来の情報に、三輪に風刃を持たせることによって助かる命があるということが判明したのだ。

 もちろん可能性の話である。しかし風刃を他の誰かに持たせるよりも有効らしきことも推測でき、迅はその(ブラック)トリガーを受け渡すために三輪を探しているのであった。

 

「お、ここにいたのか」

 

 やっと見つけた目的の少年は、屋上で最近仲がよくなったらしき特S級隊員とともに何やら話し込んでいた。三輪と同じ司令直属隊員でもある男の腕には見たこともない鳥型ロボットのような物体。

 はてと首を傾げる迅の存在に気付いた三輪が振り返って声をかけた。

 

「なんの用だ、迅」

「もう『さん』付けもしてくれないのね……。ところでそれ何?」

「おまえには関係ない」

 

 つれない三輪の態度を体現するかのように、鷹の形に似たそれは翼を羽ばたかせて大空へ舞い上がっていってしまった。しかしその動きを見る限り、どうにもトリオン兵の一種であると推測できた。

 近界民(ネイバー)嫌いの三輪はトリオン兵も同じように憎んでいる。そんな彼が見慣れぬ形とはいえトリオン兵に興味を持つのが意外で、迅は少し気になったのであった。

 ともあれ、用事はそのことではない。気を取り直して三輪に向かい合い、

 

「まぁいいや。実はおまえに頼みたいことが――」

「断る」

「早っ。話だけでも聞いてくれよ」

 

 言葉に被せる早さで却下された迅は苦笑しつつ勝手に続きを述べ立てた。

 

「実はさ、今回の大規模侵攻のどこかで、うちのメガネくんがピンチになる。その時に助けてやってほしいんだ」

 

 視えてしまった未来。最悪の場合彼が死亡する可能性すら感じ取った迅は、玉狛の後輩のために今度こそ陰ながら(ヽヽヽヽ)支援しようと決意した。

 たとえそれに必要なのが自分を嫌っていることがわかり切っている少年・三輪だとしても、頭を下げることもやぶさかではないらしい。

 

「三雲が……? ふん、あんたなり玉狛の連中なりに助けさせればいいだろう」

「もちろんそのつもりだよ。でもそれだけじゃ足りないんだ。んで、その時に近くにいるのがおまえの部隊っぽいんだよね」

 

 何かから逃げる三雲たちと、それを援護する玉狛第一の面々。だが木崎をはじめとする実力者はやられるのか足止めをするのか欠けていき、最終的に烏丸京介だけが三雲のそばに残る未来。

 烏丸だけでは脅威から逃れられない。……高確率で。

 どうするかと悩んだ結果、赤く染まった未来に三輪隊の臙脂色を混ぜることでようやくパレット(その先)が明るくなる、と迅のサイドエフェクトは答えを出した。

 

「なあ、頼むよ秀次」

「…………」

 

 頭を下げる迅に、三輪が怪訝な表情を見せる。暗躍が趣味の男だとしても、こうも必死になるとは三輪にとっても少々意外であった。

 

 迅がここまで三雲の安否を気にしているのは、もちろん玉狛の後輩だからという理由が一番大きい。しかしただそれだけではなかった。

 三雲の死はその先の未来を大きく揺り動かす。特に同じチームメイトである空閑と雨取の、健全で楽しそうな前途に亀裂を入れてしまうのだ。

 幼馴染を喪った少女は酷く落ち込み歩みを止め、制御を失った少年は闇雲にその背中を押す。結果起きるのは、迅ですら読み切れない不確かな未来の奔流。

 その内のひとつは、躍起になった彼らが復讐に燃え、いずこかへと姿を消す負の連鎖だった。

 おそらくは、密航。隊長を喪った三雲隊が遠征選抜に受かるはずもなく、他の部隊(チーム)とは組む気のない彼らが選ぶ最悪の未来。

 そんなものが見えてしまっては、放置することなどできやしない。

 

「あと、木場さんもさ」

 

 三輪から色よい返事がもらえなくとも、まだ話の()はある。三輪が城戸司令以外で唯一素直に言うことを聞く人物、大河を巻き込んで、迅は望む未来へのレールを敷き詰める。

 

「木場さんはたぶん、どこからでも間に合う(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)。おれは知らないけど、なんかそういう移動手段みたいなのがあるんじゃない?」

 

 迅が掬い上げた未来のイメージの中にはもちろん大河の姿があった。が、少々異様でもあった。

 様々な場所で繰り広げられると思しき戦闘、そのどこであっても「存在する可能性がある」のだ。数キロは離れた地区であろうと戦闘に参加できる神出鬼没さ。つまり長距離を高速で移動できる手段があるのだろうと迅は推測した。

 

「あ?」

 

 ついでのように話に交ぜられた大河は素っ頓狂な声を上げた。

 どこからでも間に合う移動手段とは、おそらくグラスホッパーのことだろう。あれは迅との訓練時には使用していなかった。近界(ネイバーフッド)遠征の最中にミサキが試しに操作してみた結果可能となったコンビネーションだ。

 けれども近界民との戦闘に間に合うのは嬉しい予測でも、三雲のことは大して興味がない。大河はジト目で迅を睨みつけた。

 

「三雲ってのはもう正隊員なんだろ? 緊急脱出(ベイルアウト)があんのに死ぬとか、よっぽどの死にたがりか運が悪いかのどっちかだ。んなやつの面倒なんて見てられっかよ。人は死ぬときゃあっさり死ぬ。諦めろ」

 

 ばっさりと切り捨てられて、迅は頬を掻いてため息をついた。だが、話はここからだ。

 

「うーん、溢れる野生感……。でも、メガネくんを助けないと木場さん、かなり悔しがることになるって、おれのサイドエフェクトが言ってるよ」

 

 これも視えた未来。大河が三雲に対してなんの興味も持っていないことからして、あのメガネ少年に関する別の何かがこの男の逆鱗に触れると予想される。迅にも直接的な原因はわからないが、かなり(いか)っている大河の姿が視えたのだ。

 

「なに……?」

 

 三雲を助けないと後悔する? ありえそうにない言葉を反芻してみても、やはり想像すらできなかった。

 果たしてそんな場面があるのだろうか。迅の『未来視』のサイドエフェクトとはいえ、大きく外れることだってままある。他人の感覚(ヽヽ)をあまり信用しない大河は頭の隅に置いておく程度に留めた。

 

 不確かながらも大河を丸め込んだと見た迅は次の()を取り出して三輪に渡した。

 

「そんでさ、メガネくんを助けてもらう代わりと言っちゃなんだけど、これ受け取ってくれないか」

「……これは」

 

 迅に渡されたものに目を落として三輪が小さく驚く。

 黒トリガー、『風刃』。初めて手にしたそれの意外なほどの軽さにも驚きつつ、胡乱な視線を迅にぶつける。

 

「城戸さんにももう話は通してある。今回の大規模侵攻でそれ(ヽヽ)はおまえが持っているのが一番いいっぽいんだ。ついでに風刃の運用のために秀次の配置が変わるとメガネくんのピンチにも間に合うみたいでさ、一石二鳥っていうか」

「ふん、こんなもの――」

 

 要は己を使うためのダシか。心の中でそう断じた三輪が迅の思惑に乗りたくないがために反射的に押し返そうとしたところを大河が止めた。

 

「いーんじゃねーの、秀次」

「……大河さん」

 

 三輪が振り返り、不思議そうな視線を送ると肩を叩かれる。

 

「風刃の能力は地味だが強力だ。持ってた方が、人型をブッ殺すのに使えるかもしれねーだろ」

「それは、そうですけど……」

 

 物騒な理由だったが三輪は驚くようなこともなく風刃を握り締めた。

 今さら殺しの是非など問うまでもない。無差別に殺戮を繰り返してきた男と、それに憧れる少年。それに元より三輪は近界民を殺すつもりでボーダーに入隊したのだ。仮に大河と出会わなかったとしても近界民は殺す。何がなんでも。

 

「…………」

 

 師匠の形見を地味扱いされた迅は苦笑しつつ黙って成り行きを見つめていた。

 ここは任せた方がいい。サイドエフェクトもそう言っている。

 

「使えるもんは何でも使う。さっきのと組み合わせるのも、けっこう相性がいいと思うぜ」

「なるほど。あとでうちのオペレーターにも言っておきます」

 

 さっきの、とは鳥型のトリオン兵だろうか。

 そう思った迅だが声には出さずに二人を見守る。

 

「おう。……しっかし黒トリガー、か」

「そういえば大河さんは起動できないんですか?」

「一回試させてもらおうとしたけどぽんきちさんに怒られた。『黒トリガーを暴発でもさせたら取り返しがつかん』って」

「……たしかにやめといた方がいいかもしれませんね」

 

 それ一つで戦力差をひっくり返せる存在。そんなものをただの起動実験で破壊してしまったら大変どころではない大問題である。

 鬼怒田が止めたのも当然のこと、大河はけらけらと笑って肩をすくめた。

 

「まあとにかく、パワーアップはできる時にしておけよ。いざ近界民を前にして手も足も出ませんでしたじゃ話にならねーからな」

「わかりました」

 

 素直に頷いた三輪は後ろにいた迅に振り向いて、しかし視線は合わさずに風刃をかざした。

 

「これは受け取っておく。だが三雲が助かるかどうかは保証しない。まあ、戦闘の邪魔になるようなら緊急脱出(ベイルアウト)くらいはさせてやる」

 

 不穏な言いようではあったが、それでも三雲が助かる可能性があるなら、と迅は頷いた。

 

「あー……、それでもいいか。よろしく頼むよ」

 

 要求を飲んでくれた礼にきちんと頭を下げて念を押す。

 そんな迅のつむじに向けて、大河はずっと引っかかっていたのか先の話題を振り返した。

 

「おい迅、三雲を助けないと後悔するってどういう意味だよ」

「まだ確定じゃないからなんとも言えない。けど、メガネくんは今後ボーダーにとっても大事な隊員になる。できるだけ気にかけてあげてほしいんだ」

「……はあ、おまえのサイドエフェクトは破格の割に曖昧だよな」

「あはは、しょうがないでしょ。未来は動き続けてるんだから」

 

 大河の呆れたような声に、迅は笑って同意した。

 『未来視』はたしかに便利で強力で、ボーダーの危機を救ったことも何度かあった。けれども迅だって何かを見落としたこともあるし、読み違えることも多々あるのだ。

 神の御業(みわざ)に連なるような能力でも、使うのはただの、一人の、ふつう(ヽヽヽ)の人間。迅はたびたび己をエリートと自称しているが、それはサイドエフェクトがあろうと個人の能力が人の範疇に納まっていることを表わしている。

 

「話は終わりか? だったらとっとと帰れ」

「相変わらずつれないな、秀次は。んじゃ、よろしく~」

 

 二人に背を向けながら、迅は胸の内に燻る焦燥のようなものに違和感を覚えた。

 サイドエフェクトが発動してもよくわからない。先ほど頼んだ三雲のピンチは消えないまでも、燻っているのはそのことについてではないと感覚でわかる。

 大規模侵攻よりもっと遠い未来……果てしなく広がるその流れの(いち)結末に、とてつもなく残酷な破滅が待ち受けているような、不確かな不安。

 しかし自分でもわからないことを言語化できるはずもなく、迅は来たるべき近界民侵攻にのみ気を向けることにした。

 

 

 そして数日後。

 三門市の空を、暗雲が覆い尽くした。

 

 

 

 



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第二十話

 



 

 

 

 空を覆う(ゲート)の数々。

 市街地の人々にかつての大規模侵攻を思い起こさせ、しかし過去のそれを遥かに上回る悪夢の門の数に誰もが戦慄を露わにする。

 

(ゲート)発生、(ゲート)発生。大規模な(ゲート)の発生が確認されました』

『警戒区域付近の皆様は直ちに避難してください』

 

 響き渡る警報とサイレン。そしてそれをかき消すかのような巨大で重苦しい侵攻の音。

 (ゲート)誘導装置はこの事態にもしっかりと役割を果たしてくれていたが、ここまで届いてくる地響きが近界民(ネイバー)の進撃の激しさを物語っている。

 にわかに混乱が始まる最中(さなか)、大河は隣に立っている三輪へ視線もやらずに話しかけた。

 

「残念だがオススメの焼肉とやらはお預けみたいだな」

「そうですね。終わった後でまた来ましょう」

 

 三輪はこの事態にも動揺を見せずに答えた。

 今日は「近界民をブチ殺すために精をつけよう」という名目で三輪が大河を誘い、お勧めの焼肉店へ向かう途中だった。そこで不意に鳴り響いた警報。驚きはしたが近く起こると予知されてもいたため焦ることはなかった。

 けれども昼食を取れずじまいだったのには腹も立つ。が、その怒りもまた近界民にぶつけてやればいい。暴れ回り、腹を空かせてから食べる焼肉もきっと美味いことだろう。

 必ず勝利の美酒として味わってやる、と三輪が壮烈な笑みを浮かべた。

 

「よし、行くか」

「はい!」

 

 逃げ惑う市民の流れに逆らって歩き出す。

 余計な混乱を招かないようにその場でのトリガー起動を控えて警戒区域へ向かう。そういう理由から生身の移動であるが、特に大河は市街地でのトリガーの起動を固く禁じられていた。

 武器を発動せずとも戦闘体自体が異様な破壊力を誇る彼は、ただぶつかっただけで一般人に危害を加えかねない。ついでに民家の屋根を蹴ろうものならもれなく破損、よくてヒビ。いかな非常時とはいえその存在ははっきり言って近界民より性質が悪い。

 

「おーお、もう始まってんな」

「そのようですね」

 

 遠くで迎撃装置の砲撃音などが響き、すでに戦闘が始まっている様子がうかがえた。防衛任務に就いていた部隊ももうトリオン兵の討伐を始めているだろう。

 たしか諏訪隊や来馬隊、東隊などが警戒区域を巡回していたか、と三輪は戦況を脳裏に描いた。さらにいえば今は防衛シフトが入れ替わる時間帯。基地にも数部隊が控えていると思われる。

 彼らが進撃を抑えている間に非番の部隊が間に合えば被害も最小限に抑えられるはずだ。大河と三輪のポケットに入っている隊員用端末も、出撃を急かすように緊急呼び出しのコールをひっきりなしに鳴り響かせている。

 

「ここは基地から東っ側だったか。おまえの配置は?」

「三輪隊は南西地区です。ですが『風刃』も渡されているので本部の指示で変わるかもしれません」

「そか。俺も指示待ちだ」

 

 歩きながら担当地区を確認する。

 特殊な戦力である大河と黒トリガーを扱う三輪はそれぞれ「臨機応変に対処するための備え」としての役割を与えられていた。『風刃』が必要になるまでは三輪は自分の部隊員と任務に就き、大河は最初から本部の駒として運用される。

 おそらく迅や天羽も似たような仕事を与えられているだろう。

 

道は作ってやる(ヽヽヽヽヽヽヽ)、暴れてこい」

「ありがとうございます」

 

 人混みを抜けた二人がトリガーを起動し、その姿が隊服の戦闘体へと換装された。

 今回に限ってはボーダー隊員や市民に混乱を与えないようにするため、大河にもエンブレムが付与されることになっていた。S級、唯一の部隊(ヽヽ)である木場隊のエンブレム。大河の肩に虎模様のサーベルタイガーが牙を剥いている。

 

【挿絵表示】

 

 警戒区域に到着した大河がハイドラを起動させ、レーダーで他の部隊が存在していないことを確認してからその火砲を解き放った。轟音が響き、近界民の進撃を上回るほどの地鳴りが辺りにこだまする。

 

「これでよし。人型近界民がどこに出ても、恨みっこなしだぜ」

「わかってます。ではまた後で」

「おう」

 

 障害物が全て消え去った一本道(ヽヽヽ)を三輪が駆けていく。

 市街地へ向けることを禁じられているハイドラだが、市街地から本部基地のほうに向けていれば放ってもいいだろう。そう解釈した大河が放棄地帯の民家を薙ぎ払って道を作ったのだ。

 あまりの衝撃に市民が遠くで悲鳴を上げていても大河は全く気にも留めていない。しかし三輪を見送ってから届いた通信にはやはり咎めるような声色が滲んでいた。

 

《今のは木場か?》

「あーはい、そうですよ忍田サン」

《放棄地帯とはいえ人の家だ。あまり無茶はするな》

「はいはい。んで、俺はどうすればいいんですか?」

《……、各地に強力な新型トリオン兵が出現している。木場にはそれの対処をしてもらいたい》

 

 悪びれない態度の大河に通信の向こうで忍田が何とも言えない顔をしている様子が伝わってくる。が、すぐさま切り替えて指示を出してきた。

 どうせ言っても聞かないとわかっていたのに加えて、同じS級の天羽も戦場のどこかで似たようなことをしているのだろう。

 

《木場隊はそのまま東部地区を担当してくれ》

「他のトリオン兵は無視しても?」

《おまえの武装はたしかに数を殲滅するのに向いているが、地上で扱うには不向きだ。東部ではもういくつかの部隊も展開している。他のトリオン兵は他の部隊に任せていい。一応手の届く範囲で破壊しつつ、新型を各個撃破していってくれ》

「木場了解。ミサキ、聞こえたな?」

《はいよ~。もらった位置情報送るね》

 

 通信先を切り替え妹につなげると、基本的に基地から出ない彼女はすでに作戦室で準備をしていたらしく即座にレーダーに情報が追加されていった。無数の赤い点、そしてボーダー隊員の反応が映し出される。

 よく出来た妹に笑みを深めつつ大河が地を蹴って、まずは近場の一体目、その新型とやらに向かって走り出した。

 

「新型ってのはどんなやつだ?」

《接触した東さんの報告によると、サイズは三メートル強、人に近い形態(フォルム)で二足歩行。小さいけど戦闘能力が高く、隊員を捕らえようとする動きがある……だって》

「捕獲用トリオン兵か」

《あ、追加の情報来た。レプリカ特別顧問(ヽヽヽヽ)によると、アフトクラトルで開発された『ラービット』ってトリオン兵みたい。トリガー使いを捕獲するためのトリオン兵だって》

「はー、レプリカぱねえな」

 

 トリオン兵自体のことではなくレプリカの保有情報量に驚きながら大きく跳躍すると、レーダーに映っていた通り、その新型トリオン兵『ラービット』らしきものが暴れているのが視界に入った。ショットガンを構えた金髪の男が掴まれ、今にも捕獲されようとしている。

 

「――おらよっと!」

「うぉおっ!?」

 

 助走で民家の屋根を抉りながら繰り出した蹴りがラービットに突き刺さる。さらに大河は足の爪を肥大化させて掴み、その巨体を無理やり押さえつけた。

 荒々しくも助けられたくわえ煙草の男が、転げ落ちた先で驚愕に顎を落とす。

 

「お、おまえどこの隊のやつだ?」

「S級の木場隊だ。ちっと離れてろ」

 

 己の存在はボーダー内でもあまり知られていないと認識している大河は端的に答えつつ、今ももがき暴れているラービットをじっと観察している。

 地に着けた片足の爪も地面に食いこませて新型を強引に縫い付けていると、くわえ煙草の男、諏訪洸太郎から注意が飛んだ。

 

「おい気をつけろ! その新型、電撃も使うぞ!」

「へーえ、電撃ね」

 

 警告されると同時、ラービットの背中に棘が生えて閃光が迸る――が、既にサイドエフェクトで看破していた大河は驚くことなく、また掴んでいる爪を緩めるようなこともしなかった。

 これはトリオンと混ぜられた電気ではない。ならば恐るるに足りず。

 もう焦げたような匂いは経験済みだ。この程度(ヽヽヽヽ)であれば問題にすらならない。

 

「堅さはまあまあ。力も、まあ他の雑魚に比べりゃ大したもんか」

 

 両手ごと抑え込まれたラービットがアスファルトを砕いて足をばたつかせるも、食い込む爪から逃れることができない。むしろ身動(みじろ)ぎする度に装甲の表面に入った亀裂が大きくなっていく。

 大河は確認しているのだ。新型とやらがどんな性能をしているのか、どの程度の脅威となり得るのか。トリオン兵の情報の抜き方(ヽヽヽヽヽヽ)はもう知っている。どんな匂いがしたら、どのような性能を持っているのかだいたい把握できる。

 そしてそれは今、終わった。

 

「はいごくろーさん。死ね」

 

 果てしなく無造作にラービットが握りつぶされる。上半身を砕かれながら輪切りにされたトリオン兵は無残なまでの死に様を晒して沈黙した。

 

「…………」

 

 あまりのあっけなさに先ほどまで苦戦していた諏訪隊は全員が呆けてそのさまを見つめていた。

 アステロイドを弾き、弧月のブレードでも切っ先が僅かにしか食い込まない強靭な装甲。それを紙屑のようにぐしゃぐしゃにした男が使っている武器はなんなのだ。同じトリガーとは思えない。

 そんな疑問が浮かんだ彼らを無視して大河は本部作戦室へ通信を繋げた。

 

「あー、本部ー。今ラービットとやらを破壊した。詳細情報を送る」

《こちら本部、了解した。新型だがバムスターなど大型トリオン兵の中から出現するようだ。サイドエフェクトで感知できればそれらも撃破しつつ任務を続けてくれ》

「なるほど、木場了解っと。ミサキ、できてるか?」

《だいじょうぶ。各部位の装甲強度、運動性能とそれに伴う戦闘能力、あとは電撃ね。嗅覚情報もだいたい把握してまとめたのを送ったよ》

「サンキュー。じゃ、次行くか」

「あ、おい!?」

 

 報告を終えた大河は諏訪隊を放置して飛び去った。

 あの新型は一般隊員なら倒すのにそこそこ苦労するレベルだろう。そう認識した彼は新型排除の命令に従ってそれを壊して回るつもりだ。

 しかしただ命令されたからではない。一般的な戦闘用トリオン兵モールモッドと比較して、何十倍ものコストがかけられていることがうかがえるラービットは明らかに向こうの主力。大量に破壊すれば、近界民(ネイバー)側も痺れを切らして人型がやってくるだろうと判断したのである。

 

「ウサギ狩りか。早く来ないと全滅しちまうぞ、飼い主さんよ」

《付近で東隊がまだ新型と交戦中》

「あいよっ」

 

 レーダーにマークされたポイントに向けさらに跳躍。

 眼下に距離を取ろうとする東隊の二人と、追撃しようとするラービットの姿が捉えられた。

 

「捕捉!」

 

 たった一言放った大河の言葉に『思考追跡』で何重もの先回りをしていたミサキが即座に応える。

 

最低火力(ヽヽヽヽ)

 

 ハイドラ起動。照準補正。付近の隊員に配慮して威力は最低に調整。

 ――準備は万端だ。

 

「ナーイスミサキ、お――っらあ!」

 

 妹の完璧な仕事に支えられ、獰猛に笑った大河が上空からウサギに襲い掛かった。

 降り注ぐ破壊の嵐。威力を殺すために弾速と射程寄りに調律(チューニング)された砲弾はしかし、超高圧で圧縮されたトリオンが炸裂してラービットの装甲を粉砕していく。果てしない弾速に反応もできなかったのかガードもできずに弱点である頭部が吹き飛ぶと、撃たれた勢いのまま民家に突っ込んで動作を停止した。

 

「木場か。助かったよ」

「うっす東さん」

 

 ロングヘアの男が片手を上げて礼を言う。

 大河は東隊の隊長・東春秋とは三輪を通じて既に知り合っていた。軽く手を上げ返して現状を報告しあう。

 

「東ッ側のこれ(ヽヽ)の排除は俺がやりますんで」

 

 その言葉を吐いた男と、ズタボロになったラービットを交互に見る東。

 大河のことは知っていてもその戦闘能力までは知らない東であったが、今は深くは聞かずに努めて短く応答した。

 

「そうか。俺たちはこれから付近のB級と合流して南部地区に向かう。こいつは隊員を"キューブ化"して捕らえる能力があるらしい。既に何人かやられてる、おまえも気をつけろよ」

「了解っす」

 

 まあ、人型が来るまでだが。大河は心の中でそう付け加えてまたその場を後にした。

 跳躍し、捕捉、破壊。

 地下に張り巡らされた通路を避けつつ、まるで流れ作業のように何回か繰り返していると、やや雑音の混じった通信が大河の耳に届けられた。

 

《兄――、本部が強襲――てる》

「あ?」

 

 彼方にそびえるボーダー本部基地。その上空に巨大な影が迫っていた。

 

 

 

 




 



ようやっと戦闘まで漕ぎつけた。

そういえば焼肉寿寿苑の住所が鈴鳴なんですけど、鈴鳴支部って玉狛支部と近い+来馬隊の現着が南西だったことからしてそっちの方角にありそうなんですよね。
今回三輪が行こうとしてたのは最近発掘した違う店ということでひとつ。


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第二十一話

 

* * *



「ラービットが……」
「おいおい『まともに戦える』どころじゃないぞこれは」
「……(ブラック)トリガーか?」
「判別できません。トリオン出力係数不明、計測機器がエラーを起こしています」
「砦の反対側で暴れてる方は黒トリガーみたいだがなぁ」
「いやはや、これは……玄界の進歩も目覚ましい、ということですかな」
「ケッ、ただ馬鹿力なだけだろが」
「こいつを手に入れられれば言うことはないが……どうする兄、いや隊長どの」
「無理に大物を狙う必要はない。ひとまずこれは無視していいだろう」
「我々も出撃致しますか、ハイレイン隊長」
「もう少し待て、このまま今の作戦を続行する。――ミラ」
「はい、次の段階へ進みます」



* * *
 


 

 

 

 爆撃型トリオン兵の情報はすでに本部も知るところである。対策には充分な措置をとってあり、現に二体の爆撃型が出現した際はものの見事に撃ち落とすことに成功していた。

 しかし敵は物量作戦に切り替えたらしく、新たに追加された特攻兵団はその数を四倍にも増やして向かってきた。

 

「第二波爆撃型トリオン兵接近! 数、八!」

「砲台全門撃ちまくれ! 貯蓄トリオンは気にせんでいい!」

 

 鬼怒田の怒号に答えるかの如く、基地外壁に搭載された迎撃砲台が唸りを上げる。

 規則正しく並べられたそれらから隊員の扱う銃型のものより強力なトリオン塊が連続して撃ち放たれ、上空から迫りくる『イルガー』を穴だらけにしていく。

 

「三体撃墜、残り五体です!」

「……これが遊真くんの言っていた自爆モードか」

「ええい厄介な! 一体ずつ集中して落としていけ!」

 

 その弾幕は果てしなく濃いものではあったものの、弱点である頭部を閉じ、背中に生やした装置でトリオン密度を上げたイルガーは一体を落とすのにも時間がかかるようだ。火力を集中させ、端から落としていったが二体ぶんの巨大な影が基地へと覆いかぶさってくる。

 

「全員衝撃に備えろ!」

 

 忍田の警告に全員が机に張りつくようにして身体を強張らせる。次の瞬間、その身が浮き上がるほどの衝撃が本部作戦室を駆け抜けていった。

 

「装甲強化は充分しておいた、もうひび(ヽヽ)すら入れさせんわい」

「後続は!?」

「新たに出現したトリオン兵……か、数、十五!」

「十五だとぉ!?」

 

 本部オペレーターの沢村が動揺を消し切れない声で報告すると、得意げな顔をしていた鬼怒田もその数に悲鳴のような声を張り上げた。

 作戦指揮をとる忍田は冷静に敵の脅威を推し量り、迎撃のための確認を行う。

 

「装甲の耐久度は!」

「耐久自体は問題ない、あと何発叩き込まれようが崩れやせん。だが衝撃自体は消し切れん! あれだけの数を受けるとなるとキューブ化された隊員の解析に支障が出るかもしれんぞ!」

「それは……まずいな……!」

 

 さすがの忍田にも焦りが生まれる。

 基地内部が全てトリオンでできているならば何も問題はない。しかし現実には精密機械であるコンピューターなど、衝撃に弱い機材がいくつもある。特に開発室に手配されている解析用の機器はまだ設置すらままなっていない。

 このままではまずい。本部基地が健在だろうと機能が果たせなければ意味がなくなってしまう。

 先の八体を迎撃して二体が抜けてきた。後続の十五体もの特攻部隊ではおよそ十発近くも自爆を許してしまうことになる。

 

「木場に繋げ」

 

 焦燥に包まれたオペレーションルームに、城戸の厳かな声が響いた。心を落ち着かせるような低音の命令に、沢村がキーボードを叩き木場隊のオペレーター・ミサキを介して通信を繋げる。

 

「聞こえるか」

《……――いはい、こちら木場》

「本部が敵の強襲を受けている。時間がないため答えだけでいい、そこから撃ち落とせるか?」

《あー……いけます》

「では実行しろ。()は二つまで外してかまわん」

《了解》

 

 短い承諾の言葉を最後に途切れた通信を、忍田が頼もしく思うと同時に訝しくも感じる。

 ――『枷』とはいったいなんのことだ?

 しかしそれを問う前にとてつもない衝撃が映像として捉えられ、モニターが一時ホワイトアウトして沢村が悲鳴を上げた。

 

「こ、高エネルギー反応! これは……!?」

「爆撃型はどうなった?」

「モニター不調、少々……、っ! ぜ、全滅。敵トリオン兵、全滅しています!」

「よしよくやった木場!」

 

 沢村の報告に鬼怒田が歓喜して両腕を振り上げる。

 ホワイトアウトから回復した外部を映し出すモニターの中では、沢村の言葉通り迫っていたはずのトリオン兵の群れが完全に一掃されていた。

 忍田もほっと胸を撫で下ろすも、かの特S級隊員の危険度を改めて認識しなおす。

 木場隊の反応はレーダーによればかなり離れていたはずだ。そこからあの堅固なトリオン兵の群れを正確に、連続で撃ち落とせる威力の砲撃。味方である内は頼もしいことこの上ないが、生憎と彼は城戸派でも司令直属の筆頭隊員。

 いつかの黒トリガー強奪作戦が強行された時のように、敵に回った場合のリスクを思うと安穏としてはいられない。そして何より――

 

 ――これ(ヽヽ)を、近界(ネイバーフッド)に送り込んだのか。

 

 いくら単身での遠征とはいっても、ただの『調査』にこれほどまでの武力を持たせる意味などないはずだ。やはりあの極秘とされている遠征は、想像できるうちでももっとも最悪なことが行われているのかもしれない。

 

 この大規模侵攻における重要な対抗戦力として、司令直属隊員・木場大河の戦闘能力は派閥の異なる忍田へも詳細に開示されていた。無論、危険人物として以前からその能力を探ってもいたが。

 幸い大河自体の存在はそこまで秘匿されてはおらず、彼に与えられた新規開発トリガーの性能も忍田は把握していた。

 ……否、把握していたつもりだった。

 今行われたこれは。過去に自身で調べ上げ、そして開戦前に渡された書類上のスペックからは到底予測し得ない破壊力であった。

 

 莫大なトリオン能力と、それを存分に使い潰すトリガー。明かされた情報でもキロ単位の射程と規格外の威力に驚いたというのに、それでもまだ()があるというのか。

 忍田は机の上で悠然と手を組んでいる城戸を見上げ、しかしすぐに切り替えてモニターの方に振り返った。

 今は戦闘中。余計なことに気を取られている暇はない。

 通信状況も回復して、嵐山隊の隊長と言葉を交わしつつ忍田は己の職務に再度集中し始めた。

 

 

 

* * *

 

 

 

 時はほんの少し遡り。

 

《では実行しろ。枷は二つまで外してかまわん》

「了解」

 

 短く答えた大河の視線の彼方にはイルガーの群れ。あれを撃ち落とせとの飼い主(ヽヽヽ)からの命令だ。

 この距離ではゴマ粒のようにしか見えないが、強化戦闘体とミサキの支援があればさほど問題ではない。それに、彼を縛る『枷』はいま解き放たれようとしている。

 

「枷二つまで、ね」

《"こっち"で外しちゃうのかー。まぁいいや、急ぐから場所取りだけしといて》

 

 専用回線に切り替えたミサキの明瞭な声に頷く。

 

「あいよ」

 

 イルガーの群れを捕捉でき、かつ比較的広い交差点の真ん中に陣取った大河は、黄色く輝く両手両足の爪を巨大化させアスファルトに深く突き立てた。

 

制限(リミッター)解除、第一・第二、同時解放》

「急げよー、こっちはもう準備万端だぞ」

《うっさいバカ兄貴。だいたいあたしの仕事じゃんか》

「はっはっは、頼むぞ優秀な妹よ」

《チッ……》

 

 舌打ちを返され、しかし軽く笑い飛ばして大河が目標にピントを合わせる。

 憎まれ口を叩きながらも『思考追跡』により視覚支援がすでに行われている。ゴマ粒のようだったイルガーが群れの全体を映し出されるほどに拡大され、照準線(レティクル)が大河の視界に映り込む。

 だがそれを操作するのは大河自身ではない。

 

《ハイドラ仰角固定、照準敵トリオン兵。おら、撃ち出せクソ兄貴》

「了解」

 

 細かな操作は全てミサキに任せてある。大河はその莫大なトリオンを注ぎ込むことだけに専心すればいい。ハイドラから聞こえる獰猛な唸り声のような作動音が、キンキンと耳に刺さる高音に変わっていく。

 

「くらえやクジラども!」

 

 ――――!!

 

 右肩の砲塔からこれまでにない威力で撃ち出された弾頭はその余波だけで交差点をへこませ、弾道直下の家屋を破砕するのとほぼ同時に本部基地上空へと到達。今まさに自爆特攻を敢行する直前だったイルガーに突き刺さる。

 泳ぐように先陣を切っていたトリオン兵のうち一匹が完全に消滅し、近くにいた二匹はかすっただけで半身を吹き飛ばされた。

 間断なく放たれた二発目の咆哮も地面を陥没させ、衝撃波が大気を震わせる。

 音速どころか光速にさえ至りそうな弾速の長距離砲撃は目標を誤らず撃ち抜いていき、その全てを粉微塵にして周辺に降り注がせていった。

 

「っつ~……、聴覚切るの忘れてた……」

《ばーか、バカ。兄貴が気付いてなかったらあたしも気付かないっつーの》

「はいはい俺が悪いですー」

 

 下された命令を遂行して、砂埃を払いながら立ち上がった大河はくらくらする頭を叩いてなんとか気を取り直した。耳を聾するどころではないあの衝撃は撃った本人にすらダメージを与えてしまうのである。

 ミサキの思考追跡も「何をしたがっているのか」はわかっても、「何が必要か」は己で考えなければならない。そういったサポートも彼女の仕事ではあるものの、イルガーの突撃までにという時間との勝負、細かなことは放置していたのだった。

 

「出力元に戻しておいてな」

《わかってるわよ》

 

 戦闘体の全身に光帯が浮かび上がり、消える。再び枷が施された。

 もう目には見えないが、大河のトリオン体には強力な制限拘束がなされている。

 

 元より規格外の破壊力を生み出す大河のトリガーであるが、それゆえ玄界(ミデン)での扱いは慎重にならざるを得ない。たとえ近接武器だろうと考えなしに発動すると街を危険に晒すため、ふだんは常時制限をかけられているのである。……あれでも。

 その状態での砲撃では自爆直前のイルガーに間に合わなかったとみえ、城戸の命により一時的に拘束が外されたのだ。

 

 それまでの戦闘体構築システムを根本から見直し、大河専用に新たに開発された特殊な強化戦闘体――通称『フェンリル』。

 

 大河の異常出力を受け止め、破裂しないよう密度を高めたこれは膂力・耐久力に優れ、並の攻撃ではまともに傷も付けられず、さらには素手でトリオン兵を引き千切るほどのパワーを発揮する。

 しかしこの強化戦闘体は高い能力と比例して使用者との間に深刻なギャップをもたらしてしまうのである。

 制御するのに高度で繊細な技術を必要とする人型の兵器(ヽヽ)。だが、トリオンコントロールと同じくがさつで大雑把な大河はそういった手加減のようなものが苦手であり、結局さらにコストをかけて先の『拘束具』が実装されたのだ。

 

 第一段階は『革の鎖』。戦闘体の表層に見えない帯を何重にも巻き付けるようにして、その破滅的な出力を強制的に封じている。

 この状態でも通常考えられないほどの運動性能を誇っているが、大河が何気なく動かしている一挙手一投足にも莫大なトリオンが消費されているのである。

 ちなみに大河の意思で外せるのはここまでだ。近界においては、という条件付きで必要に応じて任意で解除することが許可されている。

 

 第二段階の『筋の鎖』は武装に回されるトリオン量に対する限定拘束である。

 武装を発動する際、供給機関から武器トリガーに注ぎ込まれるトリオンのおよそ六割を『ジャガーノート』の起爆剤として分かち、貯蓄する。そうしてやっと爪や大砲を武器として(ヽヽヽヽヽ)成立させているのだ。

 こちらはミサキや上層部の許可がなければ外すことができない。これを外せば仮想訓練室で市街地を丸ごと吹き飛ばした威力が現実のものとなるため、よほどのことがなければ解放してはならないことになっている。

 主に近界の国を完全に殲滅する際などに解除されるが、大河の加減次第ではミサキの外部調整すら弾く場合もあるため対人戦闘においては滅多に外されることはない。

 

 単体ですでに半端ではないトリオンを必要とする戦闘体とその武装に、同等のコストをかけて制御させる。開発初期は一度起動したが最後、どうやっても破壊を振り撒く制御不能の破壊兵器のような存在であったが、地上への被害を気にしなくていい近界ではその性能を遺憾なく発揮できる。

 そうして多大な犠牲の果てに奪ってきたトリガー技術の粋を詰め込まれ、今では制御できるがゆえ(ヽヽヽヽヽヽヽヽ)、より凶悪な戦闘能力を獲得しているのである。

 

 莫大なトリオン量に飽かせても構築に七日。もしこれを一般隊員に生成させようとすれば半年以上はかかる「神を飲み込む」という名にふさわしい化け物の器と、それを縛る鎖だ。

 

「よーし、仕事の続きだ。……人型はまだか?」

《まだだね》

「…………」

 

 ぐきぐきと首――『フェンリル』には骨に相当する部位が内蔵されている――を鳴らし、大河がため息をつく。

 ウサギの親玉はまだ現れないらしい。レプリカの情報により敵国は『アフトクラトル』とほぼ確定しているが、角を生やした強化トリガー使いとやらは未だに遠征艇に引きこもったままだ。

 

「うーん、ビビらせすぎたか?」

《まぁ、駒として浮かせようとはしてるかもね》

 

 かつての遠征でもよくあったこと。人的被害を抑えるためにトリオン兵をメインに送り続けてくる防衛体制。しかしその場合、敵にとっては止めるべき戦力が大河のみであるため結局はトリガー使いも戦場に出ざるを得ない状況に陥ることになる。

 しかして今はこちらの本拠地(ホーム)。アフトクラトルの狙いは隊員の捕獲らしいので、大局から見れば大河を撃破しなくとも向こうの作戦は成り立つのである。あまりの規格外さに避けられている可能性も考えられた。

 

「しゃーねえ、邪魔しまくって巣穴から出てくるのを待つか」

《ん。警戒区域外のは除外しておいたから、キリキリ働いてね》

「はいはい、了解了解」

 

 いかに威力を抑えても甚大な被害をもたらす大河は、トリガー起動状態において城戸司令の命令なしに市街地に近づくことすら許されていない。かつて玉狛を強襲したのはそれだけの特例であったのだ。

 願わくば、人型近界民が襲来する際にはこちら側でありますように。そう祈りつつ大河はまた戦場を駆けていった。

 単純作業は苦となるが、メインまでの前菜だと思えばまだやる気も出るだろう。

 

 標的を捕捉。破壊。

 

 標的を捕捉。破壊。

 

 アフトクラトルの主力たる新型トリオン兵が無情なまでに壊されていく。

 大砲が吼えれば粉々に、爪が閃けば微塵になって(くずお)れる。

 しばらくのあいだ無心で東部地区ごとラービットを粉砕していると、ミサキの小さな呟きが大河の耳に届いた。

 

《……来た》

 

 周辺に確認できた内の最後の一匹にトドメを刺そうとしていた身体の動きをぴたりと止める。

 

《人型だよ。基地南西部に二体、南部に一体》

「こっちには?」

 

 隠し切れない喜悦が混じった声音の問いに、ミサキはやや嘆息しながらも答えた。

 

《……東部の端にも一体。けっこう離れてるかな。風間隊が応戦してる》

「んー、さてどうすっかな」

 

 ようやく姿を見せた人型近界民(ネイバー)。しかしすでに他の部隊が対応しているらしい。いやどちらかといえばボーダー隊員がいるところを狙って人型が現れたのだろう。なんと羨ましいことに。

 未だ大河の任務はラービットの撃破。ほとんど終えているとはいえ離れた獲物を横から奪うには相応の理由(ヽヽ)が必要だ。

 

「……お?」

 

 しばし悩んでいると、遠くの方で光の柱が空に立ち昇ったのが見えた。あれは緊急脱出(ベイルアウト)の輝き。誰が落ちたのか尋ねると、ミサキが淡々と事実のみを報告する。

 

《風間さんが落ちたみたい。相手は(ブラック)トリガーらしいよ》

「へえ、そいつあ……」

 

 風間が落とされた。A級三位の、そして攻撃手(アタッカー)ランク二位の実力者が。

 しかし大河が興味を持ったのは敵の強さに対してではない。

 近界民。黒トリガー。その組み合わせは、ずっと待っていた存在。もはやそれを放置してウサギ狩りなどしていられる心境ではなかった。

 ではどうするか。風間が落ちたとて己の任務は変わらない。その黒トリガー使いがこちらに狙いを定めれば応戦は許されるだろうが……。

 ふとトドメを刺していなかったラービットに視線をやる。ギギ、と身体を軋ませた半壊状態のトリオン兵を見て、大河は悪辣な笑みを浮かべた。

 

 

 

 




 


 



やり過ぎ感あふれる強化戦闘体設定。後々必要になるので許してほしい。

硬い・重い・なのに早い!これを壊せた黒トリガーはかなり強い設定でした。死んだけど。

 


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第二十二話

 

「―――― 一瞬でも勝てると思ったか?」


 


 

 

 

 菊地原士郎は苛立っていた。

 元々卑屈気味な性格の彼は優秀そうなやつが嫌いで、実際に優秀な者でも天狗になっていたりされるとそれを叩き折りたくなる性質(たち)の少年だった。

 しかし今苛立っているのはそれ以上に、自らが――言葉には出さずとも――憧れ、敬っている隊長が緊急脱出(ベイルアウト)させられて、そのことを敵が煽っているからだ。

 

「来いよガキども、遊んでやるぜ! チビの仇を討ってみろ!」

 

 黒い長髪、同じくらい黒い()。事前に知らされた情報から見るに(ブラック)トリガー使いの近界民(ネイバー)

 全身を液体化させることができ、物理攻撃をほぼ無効化。さらには謎の見えない攻撃をも持ち合わせている。だが、

 ――こいつはここで殺す。

 優秀そうだとかそうでないとか、もはやそんな次元の話ではなくなった。

 やつが踏み抜いたのは心の奥底に大事にしまっていたもの。こんな下賤な男では触れることすら烏滸がましい大切な……『誇り』。

 この戦場で黒トリガー使いを自由にさせた場合の脅威、危険度、その他もろもろの言い訳(ヽヽヽ)の陰に己の怒りを隠して、菊地原はスコーピオンをきつく握り締めた。

 

 菊地原の隣にいる隊員(チームメイト)、歌川遼も似た気持ちでいた。

 ふだん物腰柔らかな彼とて決して譲れないものがある。自分がどれだけ無様を晒そうと、それをあげつらわれようと、己の失態は素直に受け止める。それが歌川の美点であり強みでもあった。

 だが。この近界民は。

 敬愛する先輩を、部隊(チーム)の努力を。嘲笑い踏み躙ったのだ。それこそ温厚な歌川の唯一の逆鱗。

 許すことはできない。許してはならない。――断じて!

 敵は隠密(ステルス)戦闘を得意とする部隊(じぶんたち)の、その隊長である風間が気付けないほど謎めいた能力の持ち主。しかし己もまた打倒されようとも、情報だけは持ち帰ってやると強く決意して刃を構えた。

 

《二人とも退け》

 

 強制送還された作戦室から風間の声が届いても、二人の闘志は消えることなく燃え盛って敵へ鋭い視線を送り続けている。

 

「《このままじゃ引き下がれないでしょ。ムカつくんですよ、こいつ》」

「《全身が液体化しても伝達脳と供給機関はどこかにあるはずです、それを叩けば……》」

 

 菊地原と歌川がそう言い返すと、通信先でため息が聞こえた。

 

《……半人前どもめ》

 

 敵のトリガーと風間隊のメイン武器(ウェポン)であるスコーピオンは相性が悪い。ここで退けばその戦力を他に回すことができる。

 そういった戦略眼は二人とて持っている。わかっていて許せないのだ。せめてやつにひと泡吹かせなければこの足を後ろに向けることはできそうにない。

 さらに反論しようとした彼らだったが、風間の冷たい声がそれを遮った。

 

《だがそうじゃない。そこにいると巻き込まれて死ぬぞ。その建物はじきに消滅する(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)

「《……え?》」

「《……! 歌川、行くよ》」

 

 サイドエフェクトにより風間の真意を悟った菊地原がカメレオンを起動しながら窓から飛び降りた。遅れて歌川も同様に屋外へと身を投げる。

 (くう)を切る風音にあてられながらも、菊地原の()はその音をしっかり捉えていた。

 かつて黒トリガー確保のために赴いた際、迅の妨害を受けた時に遠くで聞こえた砲撃音。悲鳴をあげるアスファルトと、牙が打ち鳴らされる音。

 ――もはやあの黒トリガー使いはひと泡どころではなく血の泡を吹くことになるだろう。

 菊地原は先ほどまでの怒りを潜めさせて――いや、むしろ同情すら抱いて呟いた。

 

「……あーあ、ご愁傷サマ」

 

 虎が、獲物の匂いを嗅ぎつけた音がした。

 

 

 

* * *

 

 

 

 アフトクラトルの強襲部隊の一員、黒トリガー『泥の王(ボルボロス)』を担うエネドラは突如撤退を始めた敵の兵士に怪訝な感情を露わにした。

 

「あァ!? ……チッ、逃げる頭が残ってやがったとはな」

 

 あれだけ煽ってやったのに尻尾を巻いて逃げるとは。未開の国ではしゃぐ猿のくせに存外戦略を見る目があったらしい。

 だがまぁ構わない。そう、

 

「ブッ殺せるんなら、誰でも――――」

 

 全てを言い終える直前、壁を突き破って何かが目の前に叩きつけられた。

 瞠目して見たものは無残にも全壊したラービット。そして何事かと口を開こうとした瞬間――彼がいた建物は地図(マップ)から消滅した。

 

(なんだ、これは――、――まずい、防御を……!)

 

 音すら殺す爆裂の最中(さなか)、咄嗟に全身を液体化、同時にコアを局所防御で固めて爆風に身を任せる。意味がわからないほどの強烈な爆撃だったが、泥の王(ボルボロス)が持つ特殊な能力は「身軽になれる」という点でその窮地を脱することができた。

 

「……クソッ、なんだったんだありゃあ!?」

 

 吹き飛んだ先で身体を再構成させたエネドラはそう吐き捨てて、己を襲った下手人の姿を探し首をめぐらせる。

 果たしてその下手人は自ら姿を現した。

 地面を砕いて着地した白黒の衣服を身に纏う玄界(ミデン)の兵。手足の爪、肩には二つの砲塔……そして、凶暴なエネドラをしてさらに凶悪と思わせる狂気の笑みを湛えた男が眼前に立ちふさがった。

 

「よお近界民(ネイバー)。ようやくお出ましだな」

「てめぇは……」

 

 エネドラが目の前の男と戦闘開始前の記憶を照合する。間違いない、ラービットを殺して回っていた男だ。それだけでなくイルガーの群れを叩き落とした犯人でもある。

 隊長ハイレインが唯一警戒していた存在。金の雛鳥より一等危険な、黄金の虎。

 暴虐に染まっていたエネドラの思考の片隅で、かろうじて残っていた「目的」というワードが鎌首をもたげる。

 こいつさえ捕まえてしまえば一掴みいくらの雛鳥など問題にならない。たとえ脱出機能があろうが、逃げた先まで追って捕獲するだけの価値がある。関わるな、とハイレインは命じていたが、捕獲して帰ればそのいけ好かない鼻を明かせることだろう。それは愉快だ。実に愉快な絵面だ。

 

「ハッハァ! そっちから来てくれるとはな、『黄金の虎』!」

 

 黒いマントをはためかせ、エネドラは般若のような形相で高笑いを放った。

 

 

 

「あ? なんだそのカッコいいあだ名は」

 

 近界民の匂いを嗅ぎつけ、風間が緊急脱出(ベイルアウト)したとの報告を受けた大河はこれ幸いとその地点へと急行していた。片手に残骸と化したラービットを引きずらせて。

 それを投げつけ、無理やり任務の範疇に近界民を引き込んだのである。

 挨拶代わりに援護射撃(ヽヽヽヽ)を一方的に叩き込み、残っていた風間隊の二人を追い散らした彼はようやく出会えた獲物とあいまみえ、そしていきなりよくわからないあだ名で呼ばれて困惑したのだった。

 

《隊員を捕獲しに来たみたいだし、兄貴のトリオン能力でも観測してたんじゃないの? エラー起きてなきゃだけど》

「《それで黄金の虎なのか……なかなかいいネーミングセンスじゃねーの》」

《…………》

 

 通信の向こうで呆れかえる妹を無視して、大河は眼前の敵の能力を推し量りにかかる。

 気を取り直したミサキも現状把握できている情報を開示していった。

 

《報告によると全身を液体化させる黒トリガーらしいよ。それだけじゃなくって見えない謎の攻撃もあるみたい……まぁ、兄貴にはもうわかってるかもしれないけど》

 

 風間から本部に送られた情報はすでに全ての隊員へと届けられている。黒トリガーと思しき敵の特異な能力、その危険性。

 しかしミサキが言うように、大河のサイドエフェクトはより正確にそれを見極めていた。

 

「《気体化だな。あいつの周りに、あいつのじゃない匂いも広がってる》」

 

 つまりは黒トリガーのものであろう匂い。漂い続けるそれはある程度の操作もできるらしく、隙あらば大河を飲み込もうと広がってきている。

 嗅ぎ取った彼が後ろに跳んで距離を取ると、黒い長髪の近界民が怪訝な顔をして叫んだ。

 

「あ? 威勢よく来たわりに随分と臆病じゃねぇか。オラどうした、かかってこいよ!」

「《コイツ、頭悪そうなやつだな……》」

《兄貴に言われたらおしまいだね》

「《そりゃどういう意味かな、ミサキちゃん?》」

 

 近界民ではなく実の妹から遠まわしに馬鹿にされた大河が不満そうにもらす。

 実際のところ豪快なトリガーと大雑把な性格に隠れがちだが、大河も馬鹿ではない。

 学業という面では特に優秀と胸を張れるわけではなかったものの、しっかりと作戦や戦略を練るだけの頭を持っている。でなければ単独遠征など城戸が許さなかっただろう。

 それに加え、数多の戦場を潜り抜けてきた今では、雰囲気や予感といった抽象的なものにさえ鼻が利く(ヽヽヽヽ)

 

《さあね。嗅覚情報の視覚化は……要らないか》

 

 小生意気に返した妹はしかし、見事な手際で情報を整理していった。

 戦場で戦うのは大河一人。視覚化させたところで邪魔になるだけだと判断したミサキが強化戦闘体(フェンリル)に必要な分だけのデータを更新していく。戦闘に集中させるため全体の戦況は遮断、周辺の区画データを送信。

 もともと風間隊が交戦していた廃屋は消し飛ばしてしまったため瓦礫の山となっている。敵性近界民が吹っ飛んだ先は一般的な民家が並ぶ住宅街だ。砲撃を行うには跳ぶか敵を撃ちあげるかする必要がある。

 

《ハイドラは位置が悪いかな。あんまり高い建物がないし》

「《問題ない。切り刻む》」

 

 ミサキの勧告に大河が短く答える。

 同時に地を蹴り一瞬で黒い敵影の真後ろに回り込んだ大河は、隙だらけのその身を右の大爪で薙ぎ払い、左の尖爪で断ち割った。

 ぐしゃりと崩れるアフトクラトルのトリガー使い。しかし油断はしない、敵の反応は――

 

「ハッ、玄界の猿が! んな原始的な攻撃でオレがやられっかよ!」

 

 ぼこりと湧き立つように瓦礫の隙間から近界民が復活する。今の煽り文句で気を逸らせたと思ったのか足元からブレードが何条も突き立ってくるが、大河は難なくそれを躱していった。

 

「こんなもんか、前髪パッツン野郎」

「ンだとテメェ!」

 

 軽く言い返したつもりだったのに、黒髪の近界民は酷くいきり立って憤慨した。煽り耐性が著しく低いと思われる。

 そんなどうでもいい情報を頭の隅に追いやりつつ、秘匿通信で敵の能力をまとめていく。

 

「《んー、物理無効ってか? なかなか面倒そうなやつだな》」

《伝達脳と供給機関はどこかにあるはずだけど》

「《だよな。消し飛ばせば早いけどそれじゃあ楽しめねえ(ヽヽヽヽヽ)》」

 

 ようやく出会えた黒トリガー使いの近界民。大河は換装が解かれた肉体ごと余波で吹き飛ばしてしまうハイドラをあまり使う気がないらしい。

 先の「援護射撃」もほとんど爆破の外輪(ヽヽ)を掠めさせたにすぎない。少々威力が高すぎたかと半ば焦った大河であったが、黒トリガー様はなんとか耐えてくれたようである。

 

「《まあ、全身を細切れにしてやればいつかは当たるだろ》」

《……うん、原始的な攻略法だね》

「《はっはっは! ちげーねー!》」

 

 敵の言葉に同調したミサキに笑って返して、大河はまた突進を始めた。

 

 

 

「……チッ、何度やりゃ気が済むんだ? んな攻撃じゃ一生かかってもオレを倒すなんざ不可能だぜ」

 

 何度も何度も細切れにされたエネドラはそう煽りつつも、目の前の敵に妙な圧を感じていた。

 あの爪の攻撃は切り裂く範囲が広いため、コアはすでに近場の物陰に隠している。念には念を入れてダミーも複数潜ませ、さらに罠としても分離した一部を地面に潜り込ませているのだ。

 その上『黄金の虎』は確実に手に入れたいため、気分を盛り上げる殺し方よりも速やかに抹殺するほうを選んだエネドラは気体化も行い、いつでも敵を殺せる状態にいた。

 

 ――否、いたはずだった。

 

「……ぐっ、この!」

 

 またも爪の一撃を受けて千々に吹き飛ぶ己の身体。だが問題はない。いくら切り刻まれようと『泥の王(ボルボロス)』は一分たりともダメージなど受けるはずがないのだから。

 しかし不可解だ。見えない位置から飛び出すブレードを、見もせずに躱すこの敵。先の三人組の部隊も音だか振動だかで察知していた様子だったが、こいつに至っては気体(ガス)さえ避けて(ヽヽヽ)突っ込んでくる。

 

「たりぃなぁ……! 無駄だってのがわかんねーのか!」

 

 全身からブレードを射出して虎を追い込んでいく。盾と爪で弾かれるが構わない。その上から覆うように気体を操作して切り刻めば……。

 

「ぐおっ!?」

 

 もう少しで王手をかけられるとほくそ笑んだエネドラだったが、虎が放った大砲が上空で炸裂して気体化していた身体の一部が霧散させられてしまった。

 厄介な使い手に何度目かの舌打ちをして、されどその回避法をとった敵に対して現状を理解する。

 

気体(ガス)が視えてやがるのか……?)

 

 間違いなく死角から、無音で攻めたてた手を難なく躱された。どうやらこの敵は先の部隊よりも正確に『泥の王(ボルボロス)』を感知する能力を持っているらしい。

 

(なんだ……、音はない。形も色もないはずだぞ……)

 

 ましてや匂いなど。トリオンである『泥の王(ボルボロス)』にそんなものがあるわけがない。

 トリオン反応を検知している可能性もあるが、至るところに身体の一部を潜ませているこの戦場であそこまで正確に躱せるはずもない。

 

「……野生の勘ってか? マジで原始的だなオイ」

 

 未開の地である玄界はトリガー技術が遅れている。遠征艇に同乗していた国宝の担い手ヴィザは発展が目覚ましいと褒めていたが、エネドラにとっては猿が玩具を振り回して遊んでいるようにしか見えなかった。

 しかし、この『黄金の虎』は。

 切り裂く爪とバカでかい咆哮を放つ大砲。それしか持っていないのに黒トリガーたる己と互角に渡り合っている。姿を消したりするような妙なトリガーもない。猿が知恵を絞るでもなく本当にただ愚直に突撃してくるだけだ。

 なのに、殺せない。むしろ押されている気すらする。この、最強の黒トリガーを相手に。

 

「フザけやがって……!」

 

 歯噛みしたエネドラはまたも突っ込んでくる『黄金の虎』に、全力(フルパワー)の一撃を見舞うべく分散させていた身体を収束させ始めた。

 この敵には気体(ガス)ブレードは効果が薄い。見えない攻撃はたしかに有用なのだが、これは気付かれぬようにトリオン体内に侵入させダメージを与えることができるだけの濃度(ヽヽ)を得なければならない。しかし気体化させた部位すら感知されては侵入は不可能。そして空気中からブレードを発生させるには攻撃前に目に見えるほどのガスを集中させることになって余計に当たり辛い。

 ……ならば。

 

(回避もできねぇくらいの一撃で仕留めりゃいい)

 

 

 

「《んー、ぜんぜん当たらん》」

《どっか別の場所に紛れさせてるんじゃないの?》

 

 もう数十回は繰り返したか。漂うトリオンの匂いと濃厚な殺気の中を駆けて敵を切り刻み続けていた大河は、あの本体らしき姿には弱点のコアがないことに気付き始めていた。

 ならばどこかに隠しているのか。だが液体・気体化した敵の匂いはそこかしこから漂っていて、さすがの大河も高速で移動しつつ判別するのは難しい。

 集中すれば濃さ(ヽヽ)からある程度は見極められるだろうが……。

 

「《たぶんそうかもな。いろんなところに埋め込まれててちと面倒だが、一か所ずつ潰して……お?》」

 

 そう思っていたところに、周辺の()が敵の方へ集まり始めているのを感知した。気体化していたものも吸い取られていくように集束していく。

 おそらく全力で攻撃するための下準備だろう。

 あの不定形の攻撃は爪で切り払ったりシールドで受け止めても形を変えて追撃してくるため、全力で撃ってくるとなるとまともに受けることができない。回避すればいい話でもあるが、これは好機だ、と大河は足を止めて大きく息を吸った。

 

「《右の屋内、一階と二階。あいつの後ろの地面。他は薄い(ヽヽ)、ダミーだな》」

《ん。マーキングした》

 

 位置情報が視界に赤く映し出される。

 トリオン供給機関を擁するコアは他よりその匂いが濃く感じられる。しかし隠蔽にはそれなりに気を遣っているのか同程度のものがいくつかあった。その中から三つまでは絞っても、やはり偽装されたものが二つ含まれているだろう。

 だが関係ない。まとめて切り刻めばいい。

 

「くたばれ、玄界の猿が!!」

 

 近界民が叫ぶと同時、津波のような黒い泥の塊が押し寄せてくる。左右と上から包み込もうとしてくる大波は、なるほど速度で回避させない範囲攻撃ということらしい。飲み込まれれば身動きが取れないままミキサーに放り込まれたように体中が切り刻まれるだろう。

 大河は内心でほくそ笑みながら、吸ったまま(ヽヽヽヽヽ)だった息を吐きだした。

 

「っがァあああああッッ!!!」

「な――!?」

 

 張り上げた大音声(だいおんじょう)。突然の威嚇のような咆哮に近界民が目を見開く。しかし狙いはそこじゃない。

 

「バカな、押し戻され……っ!?」

 

 大河の正面を中心に、津波に大穴が開いて黒渦が吹き飛ばされていく。大砲のものと違い目に見えない爆発はしかし、目前の全てを押しのけ大地と空気を震わせた。

 ついには全力だっただろう一撃をトリガーすら使わずにかき消された近界民が言葉もなく突っ立っている様が見えるまでになる。

 呆然とした近界民の顔は、今起こったことが信じられない……いや信じたくないといった心情をありありと浮かび上がらせていた。

 

 近界民であろうと常識では考えられないほどの強靭さを誇る強化戦闘体『フェンリル』。

 通常呼吸の必要性が薄いトリオン体だが、大河専用のこれはサイドエフェクトを活かすために肺活機能が高められている。さらにトリオン以外で物理的なダメージを受けない戦闘体は強引に外気を取り込むことも可能であり、圧縮された空気の塊は冗談ではなく呼吸だけで人を殺せる殺傷兵器と化すのである。

 

 そしてこの近界民が使う黒トリガーもまた、通常のものより物理的な干渉を受けやすい性質を持っている。瓦礫の(つぶて)を受ければ穴が開き、軽風にすら煽られる身軽な身体。

 硬質化していたならばともかく、津波のように液体化した状態であれば吹き飛ばすのに武器すら必要ないと大河は判断したらしい。

 

「そんな、バカなことが――」

「まず一個目」

 

 未だ愕然としている近界民を放置してコアらしき反応があった地点を爪で切り刻む。

 手応えなし。ダミー。

 続けざまその上階にあった地点にも爪を伸ばす。

 手応えなし。ダミー。

 

「さて……、あと一つだな(ヽヽヽヽヽヽ)?」

「ッ!?」

 

 その言葉にギョッと身体を強張らせた近界民。

 ようやくダミーを破壊されたことに気付いたようだ。

 ……トロすぎる。

 

「フザけ――――」

「終わり、っと」

 

 ゴパ、とまた泥を湧き出しかけ、しかし掻い潜られた近界民は最後の一つ、伝達脳と供給機関を擁するコアを刻まれてついに沈黙した。

 全身が破裂するように膨れ上がり、実際に大きな爆裂音とともに戦闘体が解除される。

 トリオン煙が風に流され、あとに残ったのはへたり込んだ丸腰の近界民の姿のみ。

 

「な、あ……?」

「よお近界民。ようやくお出ましだな?」

 

 出会った時と一言一句同じ言葉が口をついて出る。

 そう、大河が用があったのはこの生身。黒トリガーを与えられるだけあって、目の前の近界民からはとても濃い「いい匂い」が漂っている。

 ――我慢できない。

 

「はは、くははは……」

 

 弧を描く唇と、ぎちぎちと音を立てて姿を変える爪。何かをくり抜くことに特化させたような形状のそれは、もはやこれから起こる惨劇を言葉より雄弁に語っている。

 

「てめぇ……」

 

 苦々しく睨みつける近界民。狂喜の声を煽られていると勘違いしているのか。

 ボーダーとしてはこれ(ヽヽ)を捕虜として扱うという選択肢もある。黒トリガー使いとあればアフトクラトルも放置はすまい。捕虜交換という形で捕らえられてしまった隊員を取り返すことだってできるはずだ。

 ――我慢できない――

 だが大河の思考の中にそんな配慮のようなものは一片たりとも存在していなかった。

 

 だって、「殺していい」のだから。これ(ヽヽ)は人間ではないのだから。

 どうして我慢する必要がある? 最高司令官が「殺していい」と、「殺させてやる」と言ったのだ。それを対価にこの身は首輪を着けられることをよしとした。だから――

 いや、違う。破綻していようとそんな"論理的"な言い訳など彼の内にない。

 

 ただいい匂いがするから。

 眼前の近界民はトリガーを解除しても馥郁たる匂いを放っている。トリオン能力で言えば上の上、最上級に近い能力を持っているのだろう。木端のトリガー使いなんかじゃありえない、近界(ネイバーフッド)でもなかなかお目にかかれない極上のもの。

 であれば――そんな獲物を前にして、虎が食事の礼儀作法など守るはずもなかった。

 

「……あ?」

 

 大河の様子がおかしいことにようやく気付いた近界民。

 けれどももう遅すぎた。彼はどれだけ無様だろうと、情けない姿を晒そうとも、なりふり構わず逃げるべきだったのだ。そうすればもう少しだけでも長生きできたかもしれなかった。

 長い髪を揺らした近界民が、ゆっくりと近づけられる爪を恐れへたり込んだまま後ずさって壁に背をつける。

 

「お、おい……」

 

 黒く染まった近界民の眼球は、残酷なまでにくっきりと、輝く爪のシルエットを映し出していた。

 

「な、まさか……やめ――――」

 

 やがてその瞳は恐怖のみを浮かび上がらせ、

 

 

「――――ひゃは」

 

 

 虎が嗤う。おぞましく、舌なめずりをして。

 

 

 

 




 







 


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第二十三話

 
警告:グロテスクなシーンがあります。

……今さらか。
 


 

 

 

 アフトクラトルの遠征艇内部。

 遠征部隊の一員、自らも(ブラック)トリガーの担い手でありながら、サポートに特化した能力から必要がない限り外へ出ない女性隊員――ミラが、先ほど送り出した戦闘員エネドラの敗北をモニターで観測した。

 

「ハイレイン隊長、エネドラが敗北しました。相手は『黄金の虎』です。いかが致しますか?」

《そうか、早いな(ヽヽヽ)……》

 

 自陣営の敗北ながら粛々と事実を報告すると、隊長から呆れたような声が返ってくる。

 それもそのはず、エネドラを転送したのは本当につい先ほどだ。黒トリガーを与えられながらそのような失態、いくら傲慢なあの男とてどれだけ笑われても文句を言えないだろう。

 しかし恐るべきは『黄金の虎』か。いかに油断の過ぎるエネドラであろうとも扱う『泥の王(ボルボロス)』の能力は本物だ。こうも簡単に撃破されてしまうとはミラとしても驚かざるを得なかった。

 やはり隊長(ハイレイン)の指示は正しかった。今、彼は『雛鳥』の捕獲に自ら赴いているが、珍しく腰を上げるのが早かったその選択もおそらく正解だったに違いない。

 

《まあいい、回収は任せる》

「了解致しました」

 

 そのハイレインに命じられ、トリガーを起動させたミラが空間を繋げる()を開く。

 黒トリガー『窓の影(スピラスキア)』。本来高度な機材や装置を必要とする(ゲート)、それに似た空間移動を自在に操るこのトリガーは、自軍の配置を即座に変更することで戦局を操作し味方のサポート・敵の攪乱など、様々な用途に使える特異な能力を持つ。

 

 今もまたエネドラが無力化されたため回収に向かうのだ。だがミラは彼自身を救けにいくわけではない。玄界(ミデン)の兵に敗北したエネドラの、『泥の王(ボルボロス)』のみを回収するのである。

 担い手は……ここで始末する。これはすでに遠征計画の内に紛れ込ませていた任務。

 もともと決まっていたことに加え、玄界への航行中も収まることのなかった暴言、『黄金の虎』は無視しろとの命令を跳ねのける独断。もはやその存在は彼女たちにとっても手に余る。

 

 エネドラの腕に着けられた発信機へ座標を合わせ、戦闘が終わったばかりのそこへ空間を繋げる。ミラは目的を果たすために攻撃用のトリオンをトリガーに集中させつつ()を覗き……そして驚愕に目を見開いた。

 

「――――っはははは、ひゃはははははははは!!!」

 

 響き渡る哄笑。立ち込める血の臭気。

 

「……これは」

 

 広がりつつある窓の外で、エネドラの心臓を持った玄界の兵――上官ハイレインが危険視していた『黄金の虎』が狂ったように笑い転げていた。

 アフトクラトルの()精鋭は壁に背中を預け、光を失った瞳を苦痛に歪めたままこと切れている。

 そのさまは、元より自らエネドラを処理するはずだったミラですら一瞬思考停止してしまうほど異様な光景であった。

 

「ははは、はー……――あ?」

 

 狂気に侵された『虎』の目がぎょろりとこちらに向いて、ミラは思わず後ずさりそうになった脚を強引に踏みとどまらせた。

 

「……エネドラは……、私が手を下すまでもなかったようね」

「あァ? ……お仲間さんか。安心しろ、すぐに会えるさ」

 

 凶悪な笑みで牙をちらつかせた男が手に持っていたエネドラの心臓を握りつぶす。飛び散る鮮血と肉片。そして吐き気を催す臓物の臭い。

 ミラはびくりと跳ねた己の身体を叱咤した。

 ――落ち着きなさい、戦いに来たわけじゃないのよ。『泥の王(ボルボロス)』を……。

 心の中で言い聞かせるように呟く。黒トリガー使いになってから久しく感じなかった恐怖を無理やりに押し込めて、ミラはエネドラの亡骸に視線を這わせた。

 しかし見当たらない。回収すべき黒トリガーがその身には確認できなかった。

 

「探し物はこれかよ」

「っ、それは」

 

 視線で何か探していることに気付かれたのか、『黄金の虎』が鼻を鳴らして心臓を握りつぶしたのとは逆の手を開く。そこには回収を命じられた『泥の王(ボルボロス)』がウネウネと不定形な身をくねらせていた。

 

「……それを返してもらえるかしら?」

 

 努めて冷静に、冷酷に言い放つと、何故か不思議そうな表情で返答される。

 

「なんで?」

「…………」

 

 ミラはその煽るような声色に、怒鳴りつけてやりたい気持ちをぐっと堪えた。

 たしかに黒トリガーを手に入れられたというのは大きな戦果になるだろう。それ一つで戦況が変わるほどの能力を持つ黒トリガーは、トリガー技術(テクノロジー)を持つならばどんな国であっても喉から手が出るほど欲しい存在だ。それはここ玄界でも同様のはず。

 しかし、大国からそれを奪うというのがどういう意味を持っているのか、目の前の男はきちんと理解できているのだろうか。

 

「私たちは『アフトクラトル』。星々の中でも上位に位置する私たちの国から黒トリガーを奪うとどうなるか、貴方でもわかるでしょう?」

 

 そう、十本以上の黒トリガーを擁するアフトクラトルでもその存在は貴重かつ重要な戦力だ。それを奪うとなれば、間違いなく報復が行われる。今回のように『雛鳥』を狩るのではなく、殲滅を目的とした侵攻が行われるのだ。

 少し考えればわかること。如何に玄界の要塞が強固だとしても、暗黒の海に浮かぶ星の中で最大級の国家であるアフトクラトルの敵ではない。……ないはずだ。

 自らを奮い立たせるように手を握り込んだミラの前でしかし、血に濡れた男はさも嬉しそうに口を裂いた。

 

「くっはは、また来てくれるのか? ――楽しそうじゃねーか」

「なっ――!?」

 

 ミラが凝然と目を見開く。

 言葉通り楽し気に笑った男は『泥の王(ボルボロス)』を摘み上げると、なんとそのまま口に放り込んで嚥下してしまったのだ。自国が殲滅されるかもしれないと知り、その引き金をなんのためらいもなく引いた男は不敵な眼差しでミラを見据えた。

 

「さあ、取り返してみろよ『アフトクラトル』。もっと遊ぼうぜ」

「……くっ」

 

 焦りに唇を引き絞らせたミラは『窓の影(スピラスキア)』にトリオンを集中させ、このトリガー唯一の攻撃手段である影の針を敵の背後に差し向けた。

 窓の能力に付随したこれはあまり威力のあるものではないが、首を一刺しすればあっけなく終わる。ほとんど音もない針は暗殺の如く敵を葬るのである。

 

「おっと。おまえも黒トリガーなんだな……くはっ」

 

 しかし首を反らされるだけで難なく避けられ、その凶悪な笑みをやめさせることはできなかった。両手が輝き、血に(まみ)れた爪が陰惨な鋭利さを誇張する。

 

「やっぱいいな、黒トリガー使いはよ。こいつはなかなか楽しませてくれたぜ? ――ははっ、ははははっ! おまえはどうだ、女ァ!!」

 

 メキメキと嫌な音を立てて肥大化した爪が襲い来る。『黄金の虎』は目を逸らしたくなるようなおぞましい表情で牙を剥き、よもや遠征艇にまで侵入するのではと思わんばかりの突進で向かってきた。

 

「――ッ!」

 

 窓を緊急遮断。瞬時に無音になって、自身の激しい心音だけが鼓膜を震わせる。

 

「……はあっ、はあっ……」

 

 いや、震えているのは全身か。アフトクラトルにおいても冷酷無比と恐れられるミラは、今だけはその総身を恐怖に慄かせていた。

 ――なんだったの、アレは。アレが、兵士ですって? あんな、化け物みたいなモノが。

 あんな人間を兵士として囲うなんて玄界はどうかしている。あれならまだエネドラの方が可愛げがあったというものだ。

 もはや悪鬼にしか見えなかったあの男は、ミラの中にあった"玄界のイメージ"を塗り替えるに充分すぎた。それほどまでに彼女に恐怖を刻み込んだのだった。

 

 視線を流して見たモニターでは他の玄界の兵たちが今もアフトクラトルのトリオン兵を駆逐している様子が映し出されている。だが、組織や故郷のために戦っているという理由があるだけ彼らが随分と健全な人間(ヽヽ)に思えた。

 『黄金の虎』は違う。あれは完全に「殺したいから殺す」という類の狂った(けだもの)だ。所属も何も関係ないからこそあんな簡単に『泥の王(ボルボロス)』を奪い、飲み込んだのだ。

 

「……っ」

 

 まだ動悸が収まらない。久しく味わった恐怖の感情はミラの心を激しくかき乱し続けている。

 そんな精神状態でもトリガー(ホーン)に支えられたトリオンコントロール技術は狂獣から逃れることを許した。ほとんど恐怖心(ほんのう)から咄嗟にとった回避行動は、寸でのところで凶爪から彼女を救ったのだ。

 ミラは肩で息をしながら、上官に報告するために遠征艇のコンソールに向き合った。

 

「……ハイレイン隊長、申し訳ありません。『泥の王(ボルボロス)』の回収に失敗しました。今は『黄金の虎』の()にあります」

《……どういう意味だ?》

「トリオン体に『泥の王(ボルボロス)』を飲み込まれました。回収するには『黄金の虎』の撃破が必要になります」

《……、……まずいな》

 

 通信先のハイレインが歯噛みしている様子が伝わってくる。

 先ほどミラは「黒トリガーを奪えばどうなるか」という話をしたが、実際のところ今現在彼女たちの国は『神選び』にごたついており、報復に回す戦力も時間的な余裕もないのである。

 むしろ逆に黒トリガーの一角を失った自分たちの派閥、この遠征部隊の隊長ハイレインを当主とするベルティストン家の力が大きく弱まってしまい、ここで『雛鳥』を手に入れてもその意味がなくなってしまう事態さえ考えられる。

 

《……くそっ》

「いかが致しますか……?」

 

 いつも冷静沈着な隊長が言葉汚く吐き捨てるのを聞き、ミラも不安に駆られて声が細くなる。

 

《……『金の雛鳥』の捕獲は重要性を増した。ラービット以外のトリオン兵は市民の捕獲命令を撤回し、進撃に注力させろ》

「了解、命令を変更します」

《終わり次第おまえもこちらへ向かえ》

「かしこまりました。すぐに向かいます」

 

 やはり出来る上官はありがたい。確固とした声音はようやくミラに落ち着きを取り戻させた。これで泣き言でも喚かれていたら彼女も恐慌状態に陥っていたことだろう。

 震えの収まった指で操作パネルを操り、市街地へ侵攻させているトリオン兵の行動プログラムを変更していく。

 あわよくば『雛鳥』以外も攫う手はずだったが、今はそれよりも戦闘員の目を向けることの方が重要になったのだ。より広範囲で破壊活動を行わせれば、より多くの戦力を散らすことができる。その間に隊長と己で手ずから『雛鳥』を摘み取っていけばいい。

 

「変更完了、そちらへ向かい――――、っ」

《どうした、ミラ?》

 

 行動プログラムを変更した矢先、またも不測の事態が起こったことを観測したミラが言葉を詰まらせる。

 

「ランバネインも敗北した模様。回収致しますか?」

《……ああ、そちらを優先しろ》

「了解致しました」

 

 黒トリガーではないが多大な火力を持つ『雷の羽(ケリードーン)』を操るアフトクラトルの遠征メンバー、ランバネインも敗北を喫したらしい。一刻も早く『金の雛鳥』を確保しなければならないが、放置するわけにもいかない。

 トリガー技術も明け渡すことはできないがそれよりも。

 ランバネインはハイレインの実の弟。これ以上ベルティストン家の力を落とすわけにはいかないのだ。

 

 ……どうしてこうも上手くいかないのか。

 何日もかけて玄界を調査した際には持ち得る戦力で充分作戦を遂行できるはずだった。多少トリオン兵の損害が大きかろうと捕らえる戦果がそれを上回るはずだったのに。

 しかし実際はどうだ。僅かながら『雛鳥』は確保することができたが、黒トリガーを奪われ、戦力は今も確実に削られていっている。

 さらに敵の砦も強固な上に迎撃能力が高く、陽動すら上手くいっていない。

 

 悔しさに歯噛みしつつ、ミラはランバネインの下へと窓を繋げるのだった。

 

 

 

 




 




私はワートリキャラの中でもミラが特に好きです。次いでみかみか。
・・・どう見ても髪型です本当にありがとうございました。

弱ったミラとか絶対可愛いですよね。
 


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第二十四話

 

 

 

 二人目が来たと喜んだら、あっという間に消え失せて匂いも辿れなくなった。

 黒トリガーを飲み込んだ大河は違和感の残る腹をさすりつつ、一人はブチ殺せたし今は満足しておくかと気を取り直して通信を繋げた。隊員用端末を通じ、今もどこかで戦っている三輪の下へと。

 

「よう、調子はどうだ?」

《大河さん。こちらはC級の援護ばかりでこれといった戦果はありません》

「そうか、そりゃ残念だな。こっちは一匹始末したぞ」

《……! さすがですね。俺もC級を本部へ受け渡したら前線へ出られると思います》

「ああ、頑張れよ。敵にワープできる能力のトリガー使いがいるから気をつけとけ。()に情報回しておくからよ」

《了解しました、確認しておきます。ではまた後で》

 

 三輪との通信を切ると、すぐさま別の声が大河の耳に響いた。

 

《ちょっとクソ兄貴。本部からめちゃくちゃ連絡来てんだけど》

「あ? どした」

《どしたじゃないよ! もー、いいから繋げるよ》

 

 ミサキが声を荒げて通信先を切り替えると、妹のより大きい怒声が大河に突き刺さる。

 

《木場! なぜ殺した!》

「うおっ、なんだ忍田サンか。なぜってそりゃ敵だからに決まってるでしょ」

《そうではない! 捕虜として扱えば交渉が……この戦闘も終わらせられたかもしれないのに、どうして――》

「あっはは、甘いコト言いますね。近界民(ネイバー)との戦いはンな生っちょろいもんじゃないでしょ。敵の(ブラック)トリガーも手に入ったし、あとは殲滅すればいいだけの話っすよ」

《黒トリガーを……!? しかし》

 

 なおも食い下がる忍田。だが彼とてわかっている。

 今は戦争中(ヽヽヽ)、そこでの人命ほど儚いものはない。何より攻めてきたのはアフトクラトルなのだ。たとえ向こうの遠征部隊の全員を殺害しようともボーダーが罪に問われることはないし、国自体は報復に来るかもしれないが文句を言われる筋合いもない。

 

 忍田が危惧したのは、大河がこの行為を近界(ネイバーフッド)でどれだけ繰り返してきたのか、という点である。

 

 木場隊オペレーター・ミサキにより映像情報は遮断され、しかし文書データで報告された事実(ヽヽ)

 「敵近界民撃破、捕縛を試みるも抵抗激しくこれを殺害」……こんな報告をいったい誰が信じるというのか。本部作戦室に交戦開始の旨が届いてから十数分、黒トリガー使いをこれほど容易く撃破したことは素直に驚嘆すれども、殺害に至るまでがいくらなんでも早すぎる。もはやトリガーを解除させてから即座に殺したとしか思えない。

 無力化した相手を全く躊躇もせずに切り刻む。その慣れた手際は、極秘とされた遠征で何をしてきたかを如実に表していた。

 

《木場、おまえはいったい――》

「あー……」

 

 忍田が引き下がらないとみて大河が勝手に通信を切ろうとしたところ、そこに割り込んできた冷たい声によって糾弾は抑え込まれた。

 

《その話は後だ》

《……城戸さん……!》

《敵の軍勢は進撃の速度を上げ、警戒区域から大きく逸脱し始めている。これ以上の被害は見過ごすわけにはいかない》

《……わかっています》

 

 理路整然とした城戸の言葉に、忍田が歯噛みしつつも頷く様子が伝わってくる。続けざま、大河にも命令が飛んできた。

 

《木場、おまえを市街地まで追撃させることはできない。一旦基地まで戻れ。屋上に臨時トリオン供給器がある。そこで基地トリオンの充填を終えてから南部のC級退避を援護しろ》

「あーい。木場了解」

 

 命令を承諾して大河は歩き出した。

 元々は新型トリオン兵ラービットを破壊することが命令(オーダー)だったのだが、東部方面で粗方始末を終えたところに風間隊の人型接触報告が上がり、援護という名目で彼らを追い散らして近界民を撃破した。

 トリオン兵の群れは基地から見て西と北西部は天羽が完全に殲滅したらしく、東部も新型を多数排除したため進撃は抑えられている。

 残るは南部、南西部。こちらはトリオン兵団の規模と行動の変化により多数が警戒区域を抜け、市街地にまで及んでいるようだ。情報によれば人型近界民もいるらしい。

 

「ミサキ、頼むわ」

《はーいはい。ちょっと待ってね、弾道(ヽヽ)計算が……》

 

 開けた場所に出た大河は足を止めて妹に移動手段を要請する。

 ミサキが『外部調整』を行い、しばらくすると巨大なグラスホッパーが展開された。太陽の国で使った時より幾分か小さいが、それでも一般隊員からしてみれば異様な大きさである。

 

「弾呼ばわりかよ……」

《実際そんな感じじゃん》

「まあいいけど。サンキュー」

 

 無造作にそれに飛び乗ると、大河の姿が掻き消えて本部基地上空まで跳ね飛ばされる。今回は外壁に直撃させるわけにもいかないので緻密な飛距離の計算が必要だったようだ。

 

「お、ドンピシャ」

《ったりまえでしょ》

「ナイスミサキ、っと」

 

 ふふんと得意げに鼻を鳴らすミサキを適当な感謝の言葉で称えながら大河が着地する。弾呼ばわりはされたが今度は着弾ではない。

 

「えーっと供給器ってのはこれか?」

《それそれ》

『トリガー臨時接続』

 

 基地屋上に突き出た巨大なコンセントのような供給索を大河が持ちあげると、機械音声が流れて戦闘体と接続された旨が告げられる。

 それと同時に本部作戦室から通信が届いた。鬼怒田の声だ。

 

《木場、残存トリオンはどれくらいある?》

「さあ? 今も昔も、メーターが変わったことがないんで」

 

 強化戦闘体の視界の端に映るトリオン残量。他の隊員であれば視覚化されたメーターが表示されるのだが、大河のものを反映させるとエラーが起きる上に、きちんと表示されたとしてもおそらく視界が埋め尽くされるためだいたい『∞』で表記されている。

 近界(ネイバーフッド)でどれだけ暴れようとこれが変わったことのない大河のトリオン能力は、今でさえ計測不能の規格外である。

 

《……、相変わらずだな。まあいいわい、迎撃砲台のチャージさえできれば構わん。数分で終わらせる、少し待っとれ》

「あいあい」

 

 鬼怒田のため息とともに供給が開始された。

 大河のトリオンがぎゅんぎゅんと吸い上げられていく。しかしやはりメーターは表示を変えない。今まさに一般隊員がどれだけ集まろうと叶わない量を、たった一人で供給しているのに、である。

 さすがにこの短時間でタンクを満たすことはできない――というより注ぐ量が膨大すぎて供給器が破損する――ため、一時的なチャージではあるが、広範囲に散ったトリオン兵を追撃するための砲台を稼働させるには充分だ。

 

《よし、完了した。市街地へ侵攻したトリオン兵は砲台と合流したB級でなんとかする。おまえは本部基地へ向かうC級の援護だったな、気張れよ》

「了解っす、ぽんきちさん」

《その名で呼ぶんじゃない!》

 

 通信を叩き切られた大河は苦笑しつつ基地外壁、南部地区方面のへりに足をかけた。

 

「さーて、C級(ひよこ)どもはどこだ?」

《本当は地下通路から来るはずだったみたいだけど、敵にワープ使いとキューブ化させる黒トリガーがいるから地上経路で退避してくるみたいだよ》

 

 現在南部側のC級隊員は玉狛支部の隊員に援護されてこちらに向かっている。どうやらその中に敵の狙いがあるようで、人型近界民が執拗に襲撃を繰り返しているらしい。

 

「ああ、あの女か。一本道で回り込まれちゃおしまいだもんな」

 

 妹からの情報を聞いた大河は鼻を鳴らして先の黒トリガー使いの能力を思い返す。

 地下通路はどれも最短ルートを通る一本道。そのようなところで自在にワープできる敵から逃げることなど不可能に近いだろう。

 加えて、その通路はトリオンではなく一般的なコンクリートでできたもの、大河にそんな場所で援護ができるはずもない。もろともに生き埋めになるだけだ。

 

《あとなんかミクモって隊員を援護しろって通達されてる。これあの玉狛の黒トリガー使いと一緒にいたやつだよね?》

「三雲だあ……?」

 

 大河の脳裏に迅の言葉が過る。

 ――メガネくんを助けないと木場さん、かなり悔しがることになるって、おれのサイドエフェクトが言ってるよ。

 何に対して後悔するのか。未だにそれははっきりしていない。そして「助ける」というワードも曖昧だ。例えば単純に敵から守るだけなら、仮に大河が三雲を串刺しにして緊急脱出(ベイルアウト)させても助けたことにはなるだろう。

 

「……まあ、いいか」

 

 小難しいことを考えるのはやめて、大河は眼下の警戒区域を見渡した。本部の広域レーダーによればそろそろ退避中のC級の姿が見える頃合いだ。

 と、外壁から睥睨していると大河がいた近くに突然音もなく人影が現れた。

 

「あれ、あんたは……」

「あ?」

 

 地に手を付いた状態で現れたリーゼントのボーダー隊員が大河の方を見て眉を上げる。

 大河にも見覚えがある男だ。空閑の黒トリガーを奪取する際に合同でチームを組んだA級隊員。狙撃手(スナイパー)の当真勇である。

 続けて三輪隊の奈良坂透、古寺章平が同じようにして現れた。

 

「……木場さん?」

「おお、秀次の隊の」

 

 三輪を通じてある程度は面識のあった奈良坂たちに片手を上げると、三輪隊狙撃手の二人が律儀にお辞儀をして返す。

 

「三輪隊はもうお()りは終わったのか?」

「はい。三輪と陽介はまた退避中のC級の救援に向かう手はずになっています」

「んでおまえらもここから援護ってわけか」

「そういうことですね」

 

 南西地区での仕事を終えた三輪隊は人型近界民を抑え、B級は合同でトリオン兵団を排除しに向かうらしい。

 世間話のようにその報告を聞いていると彼らのいる基地の外壁が重苦しい音を立てて開き、そこに並んでいた洞穴のような空洞から巨大な弾頭が現れた。

 

「これは……」

 

 古寺が眼鏡を支えながら覗き込む。

 これは攻性トリオンを充填した長距離弾道の噴進爆弾だ。端的に言えばミサイルである。

 広範囲に散ったトリオン兵はこれでピンポイントに撃破していく。迎撃砲台や地面から飛び出す槍衾のトラップで進行を防ぎ、上空からミサイルで仕留める。それが緊急時の備えとなっている。

 ミサイル型の防衛機構は以前からも存在していたがトリオンの消費が激しいため、本格的な運用はこれが初めてだ。この兵器は大河の莫大なトリオン量を活かすために新たに量産されたもの。充填されたトリオンも、ほぼ彼のトリオン器官からきている。

 

「いよいよもって戦争じみてきましたね」

 

 ぼそりとそんな感想をもらした古寺に、大河は笑って否定を返した。

 

「いや最初っから戦争だろうよ」

 

 近界民との戦争。公的には四年半前から始まった、未だ続く(ヽヽヽヽ)人類の生存競争。

 負ければ奪われる。家族、友人……それらが織り成す平穏な時間が。

 勝てば守れる。(おの)が守ろうとした全てを、今度こそ。

 

「……そうですね」

 

 ごくりと唾を飲み込んだ古寺。己が戦っている意味を思い直して緊張がぶり返してきたらしい。

 そんな彼に今度はスコープを覗き込んだ奈良坂が声をかけた。

 

「章平、位置に着け。そろそろ三輪たちが見えてくるころだ」

「は、はい!」

 

 スナイパー組が狙撃の姿勢に入ったのと同時、ミサイルがトリオンの噴煙を上げて射出されていく。飛行型のトリオン兵やその下の軍勢に着弾した弾頭は派手に炸裂してその役割を果たした。

 

「おーお、この分ならトリオン兵もすぐ一掃されそうだな」

 

 南西地区は最も――市民ではなくC級の――避難が遅れている区域であるが、警戒区域を抜けたトリオン兵はそこまで多くない。突破というよりはイレギュラー(ゲート)で送り込まれたものが多く、まばらに散って手間がかかっても、強力な新型も含めA級とB級合同部隊が破壊して回っているようで今のところは防衛も順調と思われる。

 

「あとは……」

《ん、来たよ》

 

 ミサキの通信を受け、レーダーを確認する。

 映し出されているのはいくつかの丸い点と、それを追う三角の点。丸がボーダー隊員で、三角が敵性反応だ。

 

 その方向を見ると爆発と粉塵が巻き起こっていた。援護している隊員の誰かがメテオラを放って強引に狙撃の射線を通したらしい。

 風に流される煤煙の中から、何やら鳥のようなものに囲まれた人型近界民が現れる。そして、それを阻もうとする三輪隊の臙脂色も。

 

「秀次も頑張ってるみたいだな」

 

 屋上のスナイパー組が援護射撃を開始すると、初撃を受けた近界民が追っていた足を止めて防御に徹し始めた。新たに生み出された魚型をした弾がその身体を取り巻き隠していく。

 

《サカナを避けて当てるゲームか、いいねぇ》

 

 遠くで狙撃銃を構えていた当真が楽しそうに通信でこぼす。割と大河の近くで構えていた古寺が咎めるように声を荒げた。彼はどうにも真面目な気質なようだ。

 

「遊びじゃないですよ、当真さん!」

《ものの例えだってーの。ま、俺らにかかりゃ楽勝だぜ》

 

 当真が気安く、しかし凄みを感じさせる声音で言う。

 

《なあ奈良坂?》

「当然だ」

 

 一言で答えた奈良坂は微動だにしない身体をそのままに、引き金を絞る指だけをゆっくりと動かしていく。

 

「あの程度、防御のうちに入らない」

 

 直後、射撃音。

 放たれた弾丸は真っ直ぐに魚の群れに向かい――その僅かな隙間を抜けて近界民の身体に穴を開けた。

 

「うーお、すっげえな」

 

 思わず大河が嘆息する。額に手をかざして眼下を睥睨したまま、その戦果を確認して。

 ここまで精密な射撃は見たことがない。というより、一切合財を吹き飛ばすことしかできない大河には逆立ちしても真似できない芸当だ。ミサキの照準補正を鑑みても、これだけの繊細さはどうあっても再現できそうにない。

 

「さて、それじゃ俺も……っと?」

 

 そろそろ戦場に飛び込もうかと大河が身を乗り出した瞬間、風に乗って知っている匂いが彼の鼻に届けられた。

 ――さっきの女の匂いだ。

 顔を上げるとどういう仕組みか、手のひらに浮かぶ黒い塊以外何も持たない紅い髪の女が基地上空を浮遊していた。こちらを見下ろし、どうにも苦い表情を顔に張り付けている。

 

「ワープ使い!?」

 

 古寺が慌てたように銃を構えたが、その狙いの先の女は顔を歪めたまま浮遊し続け、特に行動を起こさない。

 

「……なんのつもりだ?」

 

 奈良坂も不審気にそちらを見やる。突如現れた黒トリガー使い。何をするでもない様子だが、放置しておくのも都合が悪い。

 妙な睨み合いの間が広がっていく。

 

 

 

 上官に狙撃手の排撃を命じられたミラだったが、敵の砦の屋上に『黄金の虎』の姿を確認して歯噛みしていた。

 ラービットを差し向けて制圧するつもりだったのに、そこにいたのはその強力なはずのトリオン兵を紙屑のように握りつぶす危険な敵。自身でも手に負えない相手の出現に彼女は手をこまねいていたのだった。

 

「隊長、狙撃手の近くに『黄金の虎』がいます。ラービットでは時間稼ぎもできないかと」

《なんだと?》

「どうやって追いついたか不明ですが……」

 

 エネドラを送り込んだのは敵の砦からかなり離れた位置だったはず。己の黒トリガーでも使わない限り『黄金の虎』は駒として浮いていたはずなのに、どうして。

 そんな疑問が浮かぶが、現実にやつはここにいる。いかにしてこの短時間で砦に出現したのかは不明でも、今ここであの男をどうにかせねば狙撃手を追い散らすこともままならない。

 

「いかが致しましょう?」

《……、『黄金の虎』を遠くへ飛ばせるか?》

「実行してみます」

 

 答えながら、ミラは難しいだろうと心の中で自答していた。『泥の王(ボルボロス)』を回収しに向かった際も僅かながら戦闘に及んだが、あの男は初見のはずの影の針を如何様にしてか察知して躱していた。

 どんな原理か。わからないまでも飛ばせる(ヽヽヽヽ)ほどの隙を見せるとは考えにくい。しかも成功したところで得られる時間は僅かなものだろう。

 されどやらねばならぬ。今はその僅かな時間が惜しい。そういう旨の上官命令。何よりここまでいいようにやられて黙っていられるはずもない。

 

「…………」

 

 まずは針で追い込む。逃げた先の足元に大窓を広げてどこか遠くへ。

 単純かつ最速。それを狙っての攻撃だったが、虎の足元に開いた大穴は何も飲み込むことなく間抜けにも口を晒すのみに至った。

 

(いったいどうやって感知しているの?)

 

 ミラが苛立ちながらも冷静に思考をめぐらせる。

 隠密展開に関しては『窓の影(スピラスキア)』は『泥の王(ボルボロス)』よりも上を往く。多少の前触れ・音はあるものの、それは展開とほぼ同時に発生する僅かな予兆に過ぎない。ましてや足元に開いた大窓は音がした時点で敵を飲み込む落とし穴となるのだ。回避など許すはずもないのに。

 

「……くっ」

 

 『黄金の虎』が肩の大砲から信じられないほどのエネルギーを込めた砲弾を飛ばしてくる。

 ミラはどうにか小窓を開けて跳ね返した。あわよくば自滅を、と真っ直ぐに跳ね返したが、あろうことか虎は爪で弾いてこちらを睨み続けていた。

 

 ――これなら砦に向けて跳ね返した方が……。いや、狙撃手に向ければよかったか。

 後悔してももう遅い。さすがに何も考えずに二射目を撃ってくるほど敵も馬鹿ではないようで、大砲は空を向いて沈黙してしまっている。

 ならば狙撃手自体を、とその足元にまた大窓を開けたが、『虎』の警告を受けたのか瞬時に跳び退って回避されてしまった。

 ……ダメだ、これ以上は時間を無駄にするだけ。

 

「申し訳ありません、無力化は難しいと思われます」

《そうか……、わかった。いったん戻ってきてくれ》

「了解致しました……」

 

 落胆したような隊長の声にミラの心がざわつく。

 彼女はその黒トリガーの能力から後衛に回されがちだが、本人自身も味方の援護や任務を遂行することを誉れと捉えており、特に国や属する派閥にとって重要な任務であるこの玄界(ミデン)遠征には渾身の思いであたっていた。

 ……なのに。

 

(『黄金の虎』……!)

 

 アレが出てきてから何もかもが上手くいっていない。戦闘の補佐どころか、子どもの使いのような回収作業さえ。

 しかしどうすることもできない。歯噛みしつつ、ミラは再び隊長のそばへと戻っていった。

 

 

 

「あ? また消えちまったな」

 

 姿が消えたワープ女のいたあたりを見回した大河は、拍子抜けしたようにため息をついた。

 二度も会ったのに逃してしまった。こんなことは近界(ネイバーフッド)でもあまりなかったことだ。……が、だいたいそういう時の相手は決まって黒トリガー使いであったため、特に引きずることもなく素直に諦めた。

 

「また面倒な能力のトリガーだな、ありゃ」

 

 鼻を鳴らして言い捨てる。だがだいたい把握できた。

 彼があのワープのような黒トリガーの攻撃を避けられたのは、いつも通りサイドエフェクトで匂いを感知したからだ。あのトリガーは入口(ヽヽ)を開く際、決めた座標にトリオンを集中して次元の壁をこじ開ける、という能力を持っているらしい。

 座標が固定される前は細い線のようなトリオンが伸び、それは薄すぎてだいたいの位置しかわからないが大まかでも事前にわかってしまえば避けることは容易い。そうして針のような攻撃も避けることができたのである。

 

「はあ、まあこっちから行けばいいか」

 

 今度こそ人型近界民をブチ殺しに。

 そう思って基地外壁のへりに足を乗せた大河だったが、スコープから顔を離した奈良坂に呼び止められた。

 

「木場さん、待ってください」

「……今度はなんだ」

 

 胡乱気に視線をやると、奈良坂はイーグレットの先で眼下の戦場を指しながら敵の作戦についての所感を述べた。

 

「おそらくさっきの女は狙撃を邪魔しに来たのだと思われます。実際、木場さんがいなければ俺たちは対抗できなかった。ですので……」

「このままここにいろってか」

 

 大河がげんなりとした顔を向けると、奈良坂はしたりと頷く。

 

()も戦力は整っています。このタイミングでの狙撃は有効です。できれば木場さんにはここの護衛をお願いしたい」

「……しかたねえか。秀次も頑張ってっし、横からかっさらうのも悪いしな」

 

 そう言って、大河は頭の後ろで手を組んだ。

 せっかくの弟分の晴れ舞台だ、おいしいところだけを取るのも野暮というものだろう。

 そうして大河は戦場に飛び込むことを諦めた。しかし、ただ見ているだけというのもつまらない。慣れない援護射撃でもしてやるか、と再びハイドラを起動させた。

 

「晴れ舞台は派手なほどいい、ってな」

 

 悪辣な笑みを浮かべ、鳥と魚が毬のように集まっている近界民へ向けて火砲を差し向ける。

 

 

 

 

 



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第二十五話

 

 

 

 勝てる。

 油断はしない。けれどもそんな確信めいたものが三輪の心に生まれつつあった。

 C級を基地まで送り届けた彼は再度出撃の時になってようやく人型近界民(ネイバー)との交戦に漕ぎつけた。三輪隊の総員が健在で隣には米屋、基地屋上には奈良坂と古寺が控えてくれている。

 すでに南部で別の人型と交戦し、それを撃退した出水・緑川もこちらに合流。そして基地にいたNo.1(ナンバーワン)狙撃手(スナイパー)の当真勇と、一仕事を終えた(ヽヽヽヽヽヽヽ)兄貴分であるS級の木場大河も。

 

 勝てないはずがない。

 心の中の二言目は、どこか言い聞かせるようなものになった。

 近界民(ネイバー)。暗黒の海を無数に漂う星の住人。

 危険な相手。恐るべき敵。

 青い髪の男と紅い髪の女、どちらも使っているのは(ブラック)トリガーだ。いかなA級とはいえ一部隊には荷が重い使い手。だが――その身は独りではない。心強い味方に支えられ、かつて「怖い」と評したやつらに向かって三輪は恐れを断ち切るように剣を振るう。

 

「み、三輪先輩! 千佳を、」

「黙れ。おまえはとっとと基地へ向かえ。こいつは俺が殺す」

 

 背後で喚く三雲を振り返りもせず一蹴して人型近界民に向き合い続ける。

 迅の助言も今は無視だ。確信があろうと余裕を残して勝てる相手ではない。

 

「陽介、出水のフォローを」

「しゃーねーな、っと」

 

 三雲たちを護衛し、その際足にキューブ化を食らったため動きが取れない出水を強引に引き下がらせる。機動力は削がれたが弾幕の厚さはまだ健在、ここで失うよりは固定砲台としてでも使った方がいいだろう。

 

「てめっ槍バカ! もっと丁重に扱いやがれ!」

「うっせ弾バカ。助けてやってんだからありがたく思え」

 

 口やかましく言い合いながらも出水の射手(シューター)用トリガーは敵の鳥型の弾を撃ち落とし、米屋は死角から忍び寄る蜥蜴型の弾を回避して跳び退る。

 なかなかの連携ぶりだ。襟首を掴まれた出水の足が凧の尻尾のように靡いている、という間抜けな絵面に目を瞑れば見事と手を打ってやってもいい。

 前線の人数が減り、無理をしないよう三輪も距離を取ると屋上からの援護射撃が敵に突き刺さる。魚を纏って防御を固める青髪の近界民だったが、それごと吹き飛ばすような広範囲爆撃も飛んできて舌打ちをして跳び退っていった。

 

 さすが、頼りになる。

 狙撃組も隙間を縫うような精密な射撃は舌を巻くほどだ。そこへさらに大砲まで加わるとより凶悪なコンビネーションと化して敵の進行を堅固に防いでくれる。

 メテオラを直撃させると三輪たちも危険に晒されるため敵近界民の真上辺りで炸裂させているようだが、その爆発はトリオンによるもの。触れた生物弾のことごとくがキューブとなって足元に散らばる。

 

 この分ならノーマルトリガーを解除し、風刃で遠距離攻撃に参加した方が己も役に立つかもしれない。業腹だが迅の予知はあっていたということか。

 そう判断した三輪は一度大きく下がって換装を解いた。

 

「風刃、起動」

 

 静かに宣言すると黒い短刀の柄から薄い緑黄(りょくおう)のブレードが伸び、そして揺らめく風の刃がその周りを漂い始める。

 

「お、秀次。風刃(それ)使うのか」

 

 どこか羨むような、からかうような米屋の声が聞こえる。それを無視して戦況からみた作戦を周囲に飛ばした。

 

「《陽介、おまえは玉狛の烏丸(やつ)と一緒にC級を基地に連れていけ。射撃手段がないと邪魔になる》」

「《ちぇー、わーったよ》」

「《屋上の援護射撃と合わせて抑え込む。出水、残ったトリオンを全て絞りだしてもらうぞ》」

「《はいはい、了解》」

 

 そして動きを止めたところで風刃で切り刻む。

 あのキューブ化の弾はトリオンにしか作用しない。メインに使っている鳥型と魚型も「宙に浮いている」ことから、足元は完全にノーマークという可能性が高い。地面を這いずる蜥蜴型には気を付けなければならないが、物体に斬撃を伝播させる風刃であれば足を止めた近界民を両断することは容易いはずだ。

 生き残った新型トリオン兵を抑えている緑川も遠距離の攻撃手段を持っていない。そっちはそっちで終わり次第援護に向かわせた方がいいだろう。

 

「すみません三輪先輩、後ろ、お願いします!」

『ガイスト起動(オン)白兵戦特化(ブレードシフト)

 

 玉狛の烏丸が新型の一体を両断して三雲の背後に陣取った。烏丸が持つ本部未承認のトリガーは時間制限付きの強力なもの。殿にはちょうどいい。

 道路を駆けていく彼らを尻目に三輪が風刃を構える。近界民との距離はおよそ十五メートルといったところか。近すぎず、かといって遠すぎることもなく、敵の意表を突くにはいい距離だ。

 いつでも撃てる(ヽヽヽ)状態のまま三輪は屋上の仲間に通信を送った。

 

「奈良坂、古寺。人型近界民を仕留める。制圧射撃だ。大河さんにも伝えてくれ」

《奈良坂了解》

《古寺了解》

 

 狙撃銃といえど奈良坂たちが扱うそれらはトリガーであり、それなりに連射が利く。高い威力と長い射程ゆえ一発一発に多量のトリオンを消費してしまうものの、この場面で敵の動きを止めることができれば戦いは終わる。

 当てなくてもいい。敵が防御に徹しさえすれば。

 同じく屋上にいるであろう当真はそういった狙撃の使い方が好みじゃないため相変わらず一発必中を狙うだろうが、この際撃ってくれさえすれば構わない。

 

《攻撃を開始する》

 

 奈良坂の静かな声とともに、遠距離からの刺突が敵の近界民に降り注いだ。

 

「アステロイド!!」

 

 出水も残存トリオンを全て使い切るような両攻撃(フルアタック)を発動し、防ぐことはできても回避を諦めさせる面制圧攻撃が展開される。

 

「――――何?」

 

 が、突如開いた大穴に呑み込まれ、敵の姿は跡形もなく消え去ってしまった。

 あれは別の敵が持つ黒トリガーの能力――ワープか。

 構えたまま瞠目した三輪の耳に兄貴分からの通信が届く。

 

《秀次、後ろだ》

 

 咄嗟に振り向くと、そこには玉狛の連中に襲い掛かる人型近界民。米屋たちも気付いて斬りかかるが生物弾に邪魔をされて刃が届いていない。

 どういうわけか近界民どもは三雲の持っているキューブ、C級隊員を狙っているらしい。痺れを切らしていきなり王手をかけに行ったのか。残った新型トリオン兵も三雲たちに集中している。

 

(逃がすか……!)

 

 沸騰しかける頭を落ち着かせて風刃を握り込む。

 問題ない。まだ距離は近く、目算で風刃の刃を展開させることは可能。上空から俯瞰している鳥型トリオン兵の支援情報もある。

 何より敵はがむしゃらに突っ込んでおり、こちらに気を配る余裕はないように見えた。

 

「――くたばれ、近界民!」

 

 裂帛の気合とともに風刃を振り抜く。続けざま二発、三発――全弾計六発の斬撃。

 地面を削るような下段の剣閃はそのままラインを刻んで人型へと伸びていく。

 

「――――!」

 

 そして見事、敵の手足を切り飛ばすことに成功した。

 身体を真っ二つにするはずの初撃は運悪く生物弾に当たってしまい仕留めることは叶わなかったものの、右手と左足を削れたのは大きい。機動力を削いでしまえばあとは屋上からの砲撃だけでも殺し潰すことはできるはずだ。

 近界民を殺すのは何も自分でなくともいい。

 憎悪より効率を取るようになった三輪は冷静に判断を下していた。

 そう、殺せるのならなんだっていいのだ。すっぱりと首を落としても、長引く消耗戦に入っても、敵が死ぬのなら手段は問わない。

 この場面で言えばもはや敵の命は風前の灯。難しく考える必要はないのである。

 

「……またか」

 

 しかしやはり厄介なのは黒トリガー。追い詰めたと思った矢先またしても姿を消し、そのままなんの反応もなくなってしまった。

 

《三輪くん、お疲れさま。どうやら他の人型近界民も撤退を始めたみたい》

「それは一時的なもの、でしょうか」

《おそらくは、ね》

 

 三輪隊オペレーターの月見蓮によると、他の区域で戦闘していた人型は先の生物弾を使う近界民が引き上げた直後に撤退していったらしい。

 この大規模侵攻、こちらの損害もそれなりにあったが終始ボーダーが優勢だったと見ていい。しかし敵は未だ健在である。

 仕留められたのは大河が殺した一匹(ヽヽ)のみで、向こうの目的はおそらくC級の捕獲であり戦果は少ない。トリオン兵など戦力の大部分は削れても、また仕掛けてくる可能性は高いと思われる。

 

《残ったトリオン兵の掃討が終わり次第幹部たちとの作戦会議があるだろうから、三輪隊はもう引き上げていいわ》

「了解、帰投します」

 

 敵に深手を負わせることはできた。だが、仕留めることはできなかった。

 ――まあ、いいか。また来るのなら次で殺せばいい。

 新たな決意とともに小さく息を吐いて、三輪は基地屋上を見上げた。

 そこでは同じ部隊の仲間たちと大河が軽く手を振ってくれている。それに返しながら、三輪は味気のない勝利を噛みしめたのだった。

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 このままでは確実に失敗に終わる。

 予感が確信に変わったのは『金の雛鳥』を目前に追いつめた時分だった。

 アフトクラトルの遠征部隊、その隊長を務めるハイレインは玄界(ミデン)の敵兵の足止めを逆に利用するつもりでいたが、臙脂色の部隊が到着してから前提が崩され、頭の中で組み立てていた作戦がどうあがいても成功に到達しないことを冷静に受け止めていた。

 

(ランバネイン、エネドラは敗北。ヒュースとヴィザは依然戦闘中、……ヒュースは置いておくとしてもヴィザの相手は黒トリガー、窓を開く余裕があるかどうか。ミラの能力があれば『金の雛鳥』には追いつくが、まだ距離が近い上に敵勢力も健在)

 

 ()が足りない。どう考えても王手(チェック)をかけるのにはもう数手必要になる。そしてその時間があまりにも足りなさすぎた。

 

(トリオン兵はほぼ壊滅状態。敵兵の主力の大部分は引きはがせたが、雛鳥の護衛もまだ追加があるだろう)

 

 そして何より。

 

「……ぐっ!」

 

 この大砲……!

 顔を歪めたハイレインが忌々しそうに玄界の砦を見上げた。

 『黄金の虎』が陣取った狙撃位置は今のこの戦場をくまなく見渡せる。そして爆風だけで纏った生物弾を軒並みキューブ化させてしまうような強烈な砲撃を放ってくるのだ。

 さすがのハイレインもトリオンは無限ではない。キューブ化した敵弾を吸収して疑似的に回復することも可能ではあるのだが、この爆風はそのキューブさえ広範囲に吹き散らしてしまうのである。

 さらに追撃に狙撃と近接戦闘を得意とする兵士が向かってきては、じっくりと回復する余裕もない。

 

「チッ……!」

 

 最後のあがきとして『金の雛鳥』へ強引に詰めたハイレインだったが、やはり上手くはいかなかった。謎の遠隔斬撃に手足を落とされ、トリオンが漏出していく。

 

(……ダメだな)

 

 ハイレインは脳裏に過った言葉をそのまま掬い上げた。

 その身は武官ではない。どちらかというと文官に近い彼は作戦の失敗を素直に受け止め、この時点で任務遂行に見切りをつけた。

 

「《ミラ、一時撤退する。窓を繋げてくれ》」

《了解致しました》

 

 従順な声が返ってきて、即座に背後に気配が生まれる。

 大窓が遠征艇に直接繋げられ、ハイレインは追い縋る玄界の兵に生物弾をけしかけながらそこに飛び込んだ。

 

「ヴィザとヒュースも戻してくれ」

「はい」

 

 命令を言いつけ、戦場から一変して静かな遠征艇の中、腰を下ろし頭に手をやってため息を吐く。ランバネインの姿は見当たらない。しかしハイレインにはそれを気にする余裕もなかった。

 

 敵の戦力はしっかりと測ったつもりだった。だが、足りなかった。

 何が足りていなかった?

 あの『黄金の虎』だ。おそらくやつの莫大なトリオン能力に飽かせて砦は強固に、そして守りが堅ければ攻撃にも余裕が生まれてくる。

 

 なぜ偵察時にそれがわからなかったのか。玄界の全兵士が動員されたと思っていたラッドの駆逐時にもあの男は姿を見せていなかった。では厳重に管理されているのかと思いきや、戦場では奔放にすら思える神出鬼没さでかき回されている。

 

「はあ……」

 

 思わず二つ目のため息が大きくなる。さらに問題は重なっている。

 アレがエネドラを単騎で撃破したことはまだいい。あの頭の足りていない男は油断が過ぎる。だが『泥の王(ボルボロス)』を奪われたのは痛すぎる展開だ。

 アフトクラトルに現存する黒トリガーは両手の指よりさらに多い。しかし四大領主の一角としてハイレインが管理するのは国宝『星の杖(オルガノン)』をはじめとする五本に過ぎない。さすがに全てを持ちだすことはできないため、本国に一つを置き、残る全てをこの遠征につぎ込んでいるのである。

 それを失うとなれば……その事実は管理者たる彼の指が失われるも同義だ。

 本格的に玄界と戦争になるのならば領主全員が戦力を総動員して、この星を占領することも可能だろう。されどもそれでは意味がない。『アフトクラトル』で覇権を握れなければ、玄界を占領したところでハイレインの立場が変わるわけでもないのだから。

 

「ただいま帰投致しました」

「どうにもお疲れのご様子ですな」

「……ああ」

 

 ミラが回収してくれたヒュースとヴィザが遠征艇に姿を現す。二人ともそれなりに手傷を負わされていて、あのまま考えなしに作戦を続行していたらと思うとまた頭が痛くなる。ハイレインは撤退の見極めが間違っていなかったと確信した。

 

「エネドラが敗北し、『泥の王(ボルボロス)』が奪われた」

「なっ……!?」

「おやおや……」

 

 額に手をやりながら現状を通達する。

 ヒュースはその言葉に息を飲み、ヴィザは柔らかな表情ではあるものの、その意味はわかっているらしく二の句を告げないでいる。

 

「兄……いや隊長どの、お戻りか」

「ランバネイン……」

 

 どこにいたのかランバネインが大きな身体をのそりと動かして現れた。

 エネドラに次いで敗北した弟に向け、ハイレインは無意識ながらも細くなった目を差し向ける。

 

「そう怖い顔をするな。――と、負けた俺が言えることではないか」

「……いや、いい。俺の分析が甘かっただけのことだ」

 

 ゆるく頭を振ったハイレインは、集まった己の部下たちに眇めたままの視線を流した。

 

「玄界の戦力の底は深く、長きに渡った偵察もその全てを探ることはできていなかった。

 ――だがまだ敗北したわけではない。もう一度作戦を練り直し、今度こそ目的を達成する」

 

 ゆっくりと言い聞かせるように放った言葉に、ヒュースがぴくりと反応した。

 

「……それは、『雛鳥』の確保を続行するということでしょうか」

 

 敵兵、そのひよっ子を捕らえるという目的で赴いたこの遠征。当初の目標であった数には満たないものの、何人か捕らえることには成功している。しかし黒トリガーである『泥の王(ボルボロス)』が奪われたとあってはどれだけの『雛鳥』を捕まえたとしても補填できるものではない。

 そして捕獲するためのトリオン兵すらほとんど使い切ってしまったのだ。いかな最新鋭トリガーと黒トリガーを擁していても、玄界の戦力が侮れないのは今隊長自身が言ったとおり。

 疑念の混じった声色に、ハイレインはもう一度頭を振った。

 

「この遠征の目的を変更する。主目的は『泥の王(ボルボロス)』の奪還、それが叶わなければ……『黄金の虎』を、少なくとも『金の雛鳥』は確実に捕らえる。

 ――――例え、この地を更地にしてでも」

 

 ハイレインを当主とするベルティストン家の権力拡大。そのための玄界遠征。なのに権力を象徴する黒トリガーの一角を奪われてはなんのためにここまでの戦力をつぎ込んだのかわからなくなってしまう。

 『泥の王(ボルボロス)』の奪還を。できなければそれ以上の戦果を。手ぶらで帰れば神の選別を間近に控えたアフトクラトルでの地位さえ危ぶまれるこの事態に、ハイレインはもともと鋭かった目をさらに眇めて冷酷さを露わにした。

 隊長の宣誓のような命令に、アフトクラトルの遠征部隊は全員が無言で頷いた。

 

 

 

 




 




ハイレイン管理の黒トリガーの本数は独自設定であります。


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第二十六話

 

 

 

 見事に敵を退けたボーダーはしかし重苦しい空気を漂わせた会議室で幹部、そして主要な防衛隊員が顔を突き合わせていた。

 人型近界民(ネイバー)が去り、市街地へ進撃していたトリオン兵の全てを撃破した彼らは、それでも唐突に過ぎる近界民の撤退を不可解に思いこうして会議を開いているのである。

 

「……敵は、どうなった。迅」

 

 その中心で城戸が低い声で問うと、迅悠一が頬を掻きながら曖昧に答える。

 

「んー、諦めてなさそうだね」

「一時的な撤退か。これを好機と見るか、厄介と捉えるべきか」

 

 忍田が難しい顔をしてそうこぼした。

 敵がまた襲来するのであれば、さらわれたC級隊員を取り戻すチャンスがまだあるとも見れる。が、戦禍がさらに広がることも考えられるのだ。危機が去っていないとあれば市民にも不安が広がるため、どちらにせよ大手を振って喜ぶことはできない。

 

「あのワープ使いの(ブラック)トリガーは厄介だのぅ。向こうのタイミングで戦力を好きなように移動させられると後手に回るしかない」

 

 鬼怒田がうんざり顔で腕を組む。

 あの黒トリガーの存在は少数での遠征にこれ以上ないほど向いている。言うなれば、将棋の盤上でどの駒も好きな位置に配置できるようなものだ。それはもはや卑怯という言葉にすら収まりきらない反則レベルの能力。

 ボーダーも決められた地点へのワープができる程度の技術は持ち合わせているが、それでも自由度という点でかなりの差を開けられている。

 

「敵の狙いはC級隊員の捕獲で間違いないようですねぇ。……これはまいりましたよ」

 

 そう言って頭を抱えたのは根付だ。

 本部基地で収容したC級隊員の点呼を取った結果、行方がわからないのは十八名。その全員がトリガーの反応すら追えないため、まず間違いなく近界民に連れ去られたとみていいだろう。

 

「隊員が連れ去られたとあっては、市民からの追及は免れませんよ」

「まだ終わったわけではないだろう」

 

 根付のため息交じりの言葉に忍田が反駁する。しかし鉤鼻のメディア対策室長は逆に肩をすくめて視線を送り返した。

 

「終わっていないから頭が痛いんですよ。トリオン兵の侵攻は最小限に留められましたが、市民の被害はまだ確認していない。もしそちらでも死者や行方不明者が出ていたら……。そこにまた近界民が襲ってくるとなると、私としては不安を覚えざるを得ません」

「それはそうかもしれないが……」

「その話は全てが終わった後にしてもらおう」

 

 逸れ始めた議論を、城戸が即座に修正する。

 

「今は、次の襲撃にどう備えるかを話し合うべきだ」

「……その通りです」

「ええ、私も異存はありませんとも」

 

 頷いた幹部たちに城戸もまたそれを返して、今度は忍田へ質問を飛ばす。

 

「現在出撃が不可能な隊員は?」

「A級からは出水、風間、木虎……あとは玉狛の木崎と烏丸が戦闘体を失っています。B級も多数。荒船隊、茶野隊、鈴鳴第一がほぼ無力化され、個人ではさらに数が増えます」

「じゃが合流を優先させた部隊はほとんど無傷だろう」

「ええ。B級の二宮・影浦隊をはじめとする上位部隊、A級も現着が間に合わなかった加古隊が。県外に出ていた草壁隊と片桐隊は交通規制のせいで遅れていますが、遅くとも今晩には帰還する予定です」

 

 忍田が手元の報告書を読み上げると、会議室の淀んだ空気が少しだけ軽くなったような雰囲気に包まれた。

 

「それだけいればもはや勝ったも同然だろう。敵のトリオン兵はほぼ壊滅、黒トリガー使いの能力もだいたい把握できた今ならば――」

「いや、それがそうでもないみたいだよ鬼怒田さん」

「なんだと? そりゃどういう意味だ、迅」

 

 せっかくの希望に水をさされた気分になった鬼怒田は口を挟んだ迅に胡乱な視線を向けた。

 困ったように笑った迅は視えた未来の一端を、どうにか言語化して報告する。

 

「おれはアフトクラトルの連中のうち、二人の顔を見た。でも、次の襲撃で街を襲ってるのはやつらじゃない。『視えない相手』だ」

「それは……、敵の増援か?」

「たぶんね」

 

 忍田の問いに迅はやはり曖昧に答えた。

 迅のサイドエフェクトは顔を見た人間ならばその人物が未来で「何をするか」が視える。しかし次の襲撃でアフトクラトルの戦力はボーダーに向いているのに、それでも街の人々の「襲われる」という未来が消えない。

 トリオン兵は粗方始末し、残された戦力が僅かにも関わらず、だ。

 それは敵の増援を示しているのかもしれない。もしくは、別の国が混乱に乗じて攻めてくるかのどちらかだ。

 

「ここへきて未知の敵の出現はまずいな」

「ただでさえアフトクラトルはまだ黒トリガーを三つも持っとるというのに……!」

 

 また不安が覆い始めた会議室の中で城戸の声が響く。

 

「奪取した敵の黒トリガーの解析は?」

「解析は進めとりますが、いかんせんキューブ化された隊員の解放を優先させとりましてな、終わり次第といったところです」

「戦力として数えるには時間が足りない、か」

 

 黒トリガーは多大な戦力となりうる。それはたとえ敵が持っていたものだとしてもだ。

 しかしそれを起動させられる人員を探すのと、使いこなせるまでにさせる時間が足りそうにない。城戸は直属隊員として列席している大河に視線を送った。

 

「木場、おまえのサイドエフェクトで使い手を選別できるか?」

「いやー、やっぱ時間がかかりますかね。黒トリガーを起動できるかどうかってのは、けっこう曖昧なもんで。例えば風刃で言えば『人が好くて他人のために力を発揮するやつっぽい匂い』みたいな感じで、似たような匂いの隊員が起動できる……"かもしれない"ってだけっすもん。迅の方が早いんじゃないですかね」

 

 なるほど曖昧すぎて理解できそうにない。瞬時に悟った城戸は迅にも同様の問いを投げた。

 

「……迅」

「うーん、起動するだけなら、ってやつはいるかもしれないけど、たぶんノーマルトリガーのままの方が慣れてるし戦力になると思うかな」

「……そうか」

 

 せっかく奪った黒トリガーだが、これはこの戦争には使えそうにないようだ。

 それに関しては見切りをつけた城戸は続けざまに迅へもう一つ尋ねた。

 

「敵が襲来する時間はどうだ?」

「明日か明後日の夜、かな。それまで散発的に来るかはわかんないけど、決戦が夜だってのは確定してる」

 

 迅の答えに鬼怒田が「ならば」と口にした。

 

「ほぼ全戦力で迎え撃てるということか。丸一日あれば戦闘体の再構築もだいたい終わっとろう」

「そうだな。では、それまでの防衛は現状の隊員でシフトを組み、他の隊員は基地にて待機、トリオンと体力の回復を図るということでよろしいか」

 

 幹部が頷きかけたが、隊員から出席している風間がひとり手を挙げた。

 

「たしかに防衛任務は怠ってはなりませんが、通常の人数では不安が残ります。敵はゲートを使わずに空間を繋げる黒トリガーを持っている。生半可な数ではただの餌にしかなりません」

「む……そうだな」

 

 渋い顔で腕を組む忍田。

 風間の言うことももっともである。ラービットですら単騎では持て余すというのに、数人で回している防衛任務中に黒トリガー使いなんぞが現れたら為すすべもなくやられるか、捕獲されてしまうだろう。

 正隊員は緊急脱出(ベイルアウト)のおかげで捕獲自体はされにくいが、今は戦力を削られるのはまずい。

 頭を捻った会議メンバーは無言になり、重苦しい空気が再びのしかかる。

 

「あー、じゃあこうしましょう」

 

 すっと手を挙げたのは防衛隊員でももっとも年上の冬島慎次。オペレーターを除けば二人しかいない部隊でA級二位の座に君臨する冬島隊の隊長だ。

 

「バッグワームを装備した護衛をつけて、俺が各地にスイッチボックスを設置してきます。警戒区域内にはもういくつかありますけど、その数を増やして、ついでに外にもつけておけばトリオン兵の出現と同時に出撃できるでしょう」

「ほう!」

 

 特殊工作兵(トラッパー)である冬島の提案に、鬼怒田は手を打って賛同した。

 各地にワープポイントを設置しておけば敵の黒トリガー並とまではいかないが、それでも瞬時に出撃・脱出が可能だ。距離があるためそれなりにトリオンの消費は激しいものの、冬島個人ではなく本部の装置と繋げれば大河のトリオンの恩恵にも与れる。

 出現したのがトリオン兵ならば防衛部隊を、人型近界民であれば主力部隊を。状況に合わせて戦力を送り込むことができる。なかなかいい案かもしれない。冬島が寝ずの番をすることになるが。

 忍田もその案に頷く。

 

「なるほどな。護衛に迅をつけておけば設置も安全に行えるか」

「任せてくださいー。やっぱ実力派エリートはどこでも引っ張りだこだねー」

 

 片手で後頭部を掻いた迅の肩を叩きつつ、冬島は苦笑した。

 

「はいはい、期待してるぞ」

 

 そうして冬島の案が可決された。護衛部隊と防衛シフトについては隊員の意見も聞いて合同部隊をいくつか見繕っておけばいいだろう。

 

 会議はまだまだ続く。

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 厳粛な空気の中、ハイレインが口を開く。

 

「ミラ、残存戦力はどの程度だ?」

「……トリオン兵はプレーン体のラービットが二体。モッド体は五体を回収しましたが、うち三体は損傷が激しく運用は難しいかと思われます。

 他、イルガー二体、モールモッド、バンダー六体、バムスター七体、バド十体、ラッドは二十一体となっております」

 

 部下の報告に隊長の顔が険しくなる。

 

「これはまた随分とやられたなぁ――っと失礼」

 

 ランバネインが磊落(らいらく)に笑いながら言い、周りの全員から視線を集めて大きな肩をすくめた。

 だが実際のところ、彼が言った通りだと誰もが思っている。アフトクラトルが持ちこんだトリオン兵団は下手な弱小国家であればそのまま占領できるかもしれないほどの大戦力だったのだ。

 特にイルガーと改造ラッド、そしてラービットの組み合わせは殲滅するだけなら敵の本陣にいきなり主戦力を叩き込むことができる凶悪な連携。生半なトリガー使いではそのまま捕獲されるほどの強力なものである。

 が、玄界(ミデン)侵攻においてはそのほとんどが失われている。モールモッドはまだしも、木端のバムスターは囮にすら使えるかも怪しいほどだ。やはりラービットが削られたのはでかい。

 

「増援を待つのはどうでしょうか。リーベリーに送った部隊と合流すれば戦力としては充分立て直しが利くと思われますが」

 

 アフトクラトルは周辺の国々にも同様の規模で侵攻を始めている。それだけ『神選び』はこの国にとっての最重要課題であった。

 キオンはその国力から、レオフォリオは単に手が足りなかったため他の領主が主戦力を送り込んでいるが、リーベリーはハイレインの直属部隊が担当している。向こうが今どうなっているかはわからないがよもや完璧に撃退されているとは考えにくい。合流させればそれなりに役には立つはずだ。

 そうヒュースが意見を述べると、ハイレインはしばし考えてから首を振った。

 

「リーベリーから合流するとなると、少なくとも四日はかかるだろう。あまり時間をかけると玄界の戦力が整ってしまう恐れがある。この惑星(ほし)は広大だ。あの戦場にいた兵士が全てとは考えない方がいい。もしかするとラッドを駆逐した兵でさえ一部でしかない可能性もある」

 

 国を攻め落とせる戦力を跳ねのけた玄界。しかしそれでもあの砦と兵には余裕(ヽヽ)があった。市街地を攻撃し、敵兵をほとんど誘引したと思いきや防衛に傾きつつも黒トリガーを相手にできる戦力を回してきたのだ。

 数も質も、その底はまだわからない。そして時間をかければかけるほど全戦力が整った状態に近づいていってしまう。それはあまりいい手ではない。

 

「だが増援は必要不可欠か」

 

 ハイレインが顎に手をやると、ヴィザが首を傾ける。

 

「では、あの国の?」

 

 ああ、と頷いて、ハイレインが手元の機器を操作した。

 映し出されたのはこの侵攻の後詰に回すはずだった従属の国々の者たち。

 

「ガロプラ、ロドクルーンの後詰部隊。玄界の追手を阻むために用意していたが、この際致し方ない」

 

 玄界の砦が強固と判明してから念のために国よりも(ヽヽヽヽ)先行させておいた部隊。

 連携はしにくいが、戦力としてはハイレインも一目置くくらいのものを持っている。しかしヒュースは眉根を寄せて難色を示した。

 

「たしかに短時間で合流できますが……やつらは信用に値するのですか?」

 

 この二国はアフトクラトルとは主従関係にある。

 だがアフトクラトルにマザートリガーを抑えられた状態で管理され、星そのもの(ヽヽヽヽヽ)を人質に取られているような彼らは命令には従うものの、信頼しあっているわけではないのである。そのような連中が、連携が必要な戦場で充分な働きを見せるとは思えない。仮に囮にするとしても、適当なところで勝手に撤退されてはなんの意味もないのだ。

 そんな心配をしていたヒュースだったが、ハイレインは瞳を冷酷なものに変えて否定した。

 

「いや、やつらは猟犬代わりにする」

「猟犬……?」

 

 首を傾げるヒュースにさらに説明を加える。

 

「やつらも国の戦力は欲しいはずだ。『雛鳥』は砦に引きこもってしまったが、街の住人はいくらでもいる。ガロプラ、ロドクルーンにはそちらで暴れてもらう」

 

 なるほど、とヒュースは得心した。

 玄界の戦力は強大だが、トリガー技術はごく狭い範囲にしか普及していない。そして無力な市民を守るための防衛機関があの砦らしい。

 属国の部隊もアフトクラトルではなく、己の国のためとなればそれなりに本腰を入れて侵攻するに違いない。すなわち涎を垂らした猟犬が『市民(エサ)』に群がっているとなれば、玄界も戦力を分散することになってもそれを防ごうとするはず。

 アフトクラトル(われわれ)はそこを叩く。全員が主旨を理解して頷いた。

 

「残ったイルガーにラッドを搭載し、市街地二方向に特攻させる。自爆先でラッドを撒き、得た座標を元に二国の部隊を送り込み、我々は『窓の影(スピラスキア)』で降り立ち玄界の砦に攻撃を加える」

 

 ハイレインが語った作戦に(みな)もう一度頷く。『泥の王(ボルボロス)』、『金の雛鳥』、そして『黄金の虎』。目的の全ては玄界の砦にある。まずは攻め込まねば何も始まらない。

 

「ヴィザ、砦の外壁は斬り崩せるか?」

「どうでしょうなぁ。数値だけで見ても異常なトリオン密度です。実際にやってみなければなんとも……」

 

 ヴィザが柔和な笑みのままやんわりと答える。

 アフトクラトルの国宝、『星の杖(オルガノン)』。斬れぬものなしと謳われた強力無比な剣ではあるが、玄界の砦は嘘のようなトリオン密度をしている。イルガーの特攻に傷一つつかなかった強度を見れば軽々(けいけい)に頷くことはできないようだ。

 

「そうか。強度が薄いのは正面の大門だが、さすがになんの構えもないとは思えん。できれば新たな入口(ヽヽ)を作りたいところだな」

 

 トリオンでできた外壁は『卵の冠(アレクトール)』でも穴は開けられるだろうが、やはり時間がかかる。敵が態勢を整える前に攻め込みたいこちら側としては侵入は速やかに行いたいところ。

 こういった潜入には『泥の王(ボルボロス)』がもっとも適しているものの、それは敵の手の中だ。ミラの『窓の影(スピラスキア)』もマーカーなしでは転移先を目視する必要があるため壁に阻まれた本陣に乗り込むことはできない。 

 

「まぁ、それも含めて詰めていくとしよう」

 

 ハイレインの言葉にランバネインが胸を叩いて応えた。

 

「おう。明日には俺の『雷の羽(ケリードーン)』も復活する。殲滅戦も大歓迎だ」

「私とヒュース殿のトリオン体も、増援が来るまでに回復を終えるでしょう」

 

 アフトクラトルのトリオン体はトリガーと一体化している。ゆえにトリオンさえ供給すれば時間とともに傷も癒える。一度全て破棄してから再構築する必要がある他国のものよりも優れたトリオン体は、夜の海に浮かぶ国々でも最大級の軍事国家であるアフトクラトルの技術の粋と言えよう。

 頼もしい部下を見やり、ハイレインも今一度大きく首を動かした。

 

 

 

 



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第二十七話

 

 

 

 大方の作戦会議を終えたボーダー隊員たちは、それぞれ鋭気を養うために自由時間を過ごしていた。ある者は好物をたらふく食べたり、好きな映画を見てやる気を高めたりなどなど……またある者は家族に連絡をして安心させてやったりと来たる決戦に向けて心の準備を整えている。

 

 B級以上の部隊は作戦室に籠る者も多かったが、それを持たないC級隊員は狙撃訓練場を仮初の宿として一塊に過ごすことになっていた。

 ボーダー隊員とはいえ未だ戦力に数えられていない彼らは庇護対象であり、戦争が終わるまでは家に帰ることも許されていない。敵の主だった狙いは彼らである。家に戻すために方々に散らすと敵の矛先がどこに向くかわからなくなってしまう。

 まるで囮か何かのような扱いになってしまったが現状ではどうしようもない、と幹部たちは決断した。

 そのひよっ子たちでごった返した狙撃訓練場で、一人の少女が不安そうに猫を撫でていた。

 

「チカ子、大丈夫かなー……」

 

 明るい髪色にぴょこんと跳ねた毛が特徴的な夏目出穂は、新型トリオン兵から逃げる際、近界民(ネイバー)によってキューブにされてしまった狙撃手(スナイパー)仲間の雨取千佳を気にかけて不安を口にした。

 かつてこの訓練場でも見た雨取の異常なトリオン能力は近界民にとって有用であるらしく、新型や人型近界民に執拗に追い回された挙句に目の前でキューブにされてしまったのだ。

 その後近界民は撤退し、雨取は開発室のラボでキューブ化から解放されるという話になっていたが、未だその姿を見せてはくれていない。どうにも拭いきれない不安が夏目の心を覆っていたのだった。

 

「大丈夫だよね。メガネ先輩もそう言ってたし、A級の人なんか近界民ボッコボコにしてたもん」

「……」

 

 感情の読めない猫の表情。声に反応してか小首を傾げて少女を見上げる。

 頷いてくれていると捉えた夏目はかの戦場のことを思い起こしていた。

 

 キューブ化された雨取を抱え、強力な新型を一手に引きつけて逃げる三雲。おかげで夏目をはじめとしたC級はそのほとんどが窮地を脱することができたのだ。

 走る先に見えたボーダー本部基地の大きな正面扉に安心感を覚え、しかし振り返ると追い詰められた三雲がラービットに囲まれ、もうダメだ、と目をつぶった直後。

 臙脂色の隊服を着たA級部隊、三輪隊が現着して三雲はその窮地を脱した。夏目と同い年という緑川も参戦して新型を抑えに回り、彼らは獅子奮迅の言葉が似合う奮闘ぶりで新型を無力化させ、気の強い夏目が慄くほど強大に思える人型近界民さえも圧倒しているように見えた。

 基地屋上からは正確無比な狙撃と味方ですら驚く威力の砲撃が援護射撃として行われ、ついにはその人型近界民も撃退することに成功したのだ。

 

 ……しかし、未だ敵の侵攻は終わっていないらしく、こうしてC級は一纏めに集められ保護されている。不安は消えない。

 敵が諦めていないということは、また雨取が狙われることになるということかもしれない。

 だが己には守ることさえできないという現実に、夏目は拳を握りしめることしかできなかった。

 

「早く戻ってこい、チカ子ぉ……」

 

 彼女の小さな声は、C級隊員たちの喧騒に紛れて誰にも届くことなく消えていった。

 

 

 

* * *

 

 

 

 研究開発室、メインラボ。

 そこではキューブ化という未知の能力を解析し、輝く六面体にされてしまった隊員の解放が急がれていた。多くのC級がキューブ化され、そしてA級隊員の木虎も同じく箱詰め(ヽヽヽ)にされてしまっている。

 できれば戦力になるB級以上の隊員の解放を優先したいが、立方体になってしまったそれらには見分けが全くつかない。サイドエフェクトで判別できないかと鬼怒田はトリオン供給中の大河にキューブを見せたものの、会ったことのある木虎はともかく、他はほとんど判別不能のままであった。

 

 致し方あるまい、と諦めた鬼怒田は片端からキューブ化を解いていった。急遽作り上げた孵化器(ヽヽヽ)は二つが限度で、方法が確立されても複雑な秘密箱のようなそれは解放するのに数十分を要する。早く戦力を整えたい鬼怒田にしてみればもどかしい時間だ。

 いらいらと腕を組んだ開発室長の前で、並んだ孵化器、その内の一つが輝き始めた。

 

「…………あれ?」

「おお! 雨取か!」

 

 キューブがあった場所に呆けた顔をしてへたり込んでいたのは雨取千佳であった。彼女に目をかけていた鬼怒田はほっと胸を撫で下ろして孵化器から降りるのに手を貸してやる。

 

「あの、ここは……」

「ここはボーダーのラボだ。きみは敵のトリガーでキューブ化されとったんだよ」

「そっか、私……。っ! あの、修くんは!」

「三雲なら無事だ。今は近界民が一時撤退して、隊員はみな基地に控えておる」

 

 慌てて起き上がった雨取にそう説明すると、彼女は深く息を吐いてもともと小さな身体をさらに縮こませた。

 鬼怒田が優しく肩を叩き安心させてやっていると、扉の向こうから無遠慮な声が響いた。

 

「うーっす、ぽんきちさん、供給終わりましたー、っと?」

「その名で呼ぶなと言っとろうが!」

 

 陽太郎がそう呼んでから、大河は響きが気に入ったのかそれを真似して鬼怒田を「ぽんきち」と呼び続けている。毎回こうして怒鳴られてもどこ吹く風だ。

 

「んー?」

 

 顔を赤くした鬼怒田を無視して姿を現した大河。彼は雨取の小さな身体を認めると、扉をくぐってその近くまで歩み寄った。背の低い少女に向かい、しゃがんで目線を合わせる。

 

「……ふーん。ほっほう、こいつは……」

「……あの、なんですか?」

 

 いきなり現れた大河にじろじろと観察された雨取は居心地が悪そうに身を捩った。

 どうにも嫌な感じがする――人格者である雨取は口に出すことはなかったが、心のうちにざわざわとしたものを感じ取っていた。

 そして目の前の男がギッと牙を見せた瞬間、彼女の小柄な身体が跳ね上がる。

 

「おいコラ、何を脅かしておる」

「えー、そんなつもりはなかったんすけど。悪いなおチビちゃん」

「い、いえ……」

 

 立ち上がった大河を見上げて、雨取は怯えたような表情をみせた。それはもはや人型近界民を目の前にしたのかと思えるくらいの怯えようだ。

 

(……なんだったんだろう?)

 

 雨取は背の高い男を見上げたまま心の中でそうこぼした。

 どうやら、彼女に宿っているサイドエフェクト『敵感知』が発動したことに本人も驚いているらしい。今まで近界民にしか反応しなかったはずのそれが、ボーダー隊員である人物に対して発動したのは初めてのことだった。

 といっても、この能力が実際にどのようなものであるのかは雨取本人すらきちんと理解していない。近界民の襲来、自分を狙うトリオン兵の気配を敏感に感じ取ってきた信頼にあたう感覚ではあるものの、原理や条件は未だはっきりしていないのである。

 

(近界民、じゃないよね)

 

 思いつつ、仮にそうだとしても発動する意味がわからないと自問自答する。同じチームを組んでいる空閑も近界民だがサイドエフェクトは反応しないし、他の隊員に狙撃訓練で狙われた時もまた同様だ。

 しかしこの感覚を信じて今まで危機から逃れてきた彼女は、どうにも大河のことが気になってしまったのだった。

 

「んじゃ俺は戻りますよ」

「おう、ご苦労だったな」

 

 プシュ、と近未来的なドアが開く。

 開発室の入口をくぐりながら、大河は背後の少女のことを考えていた。

 

 ――なんだありゃ。めちゃくちゃいい匂いがする。

 

 今まで名前くらいしか知らず、アマトリ チカという少女が高いトリオン能力を有していると聞いてはいたものの、実際に会ったのはこれが初めてだ。そして、あのような特濃のトリオンの匂いを嗅いだのも。

 なるほど敵が狙うわけだ。

 そう思えるほどのトリオン能力は近界を渡り歩いた大河でさえ初めて見る。そんな自身はもっと規格外であるのだが、自分の匂いは得てして感じ取れないもの。それはトリオンも同様であった。

 

(あー……中身見たいなー。でもなー、ボーダー隊員だしなー)

 

 トリオン器官を抉り出したらどれだけ芳醇な香りが噴き出るのだろうか。しかし近界民であるならまだしも、玄界(ミデン)の、日本の――ボーダーの人間。そんなことが許されるはずもない。

 いっそのこと寝返ってくれればいいのに。

 そんな物騒なことを考えつつ、大河は次の予定へと向かっていった。

 

 

 

* * *

 

 

 

 陽が落ち、すっかり暗くなった基地の屋上で、大河は三輪と迅の二人と顔を突き合わせていた。

 三輪とともに迅によってここに呼び出されていたのだ。

 

「木場さん、秀次。メガネくん助けてくれてありがとな」

 

 ぼんち揚げを片手ににこやかな笑みを浮かべた迅が二人に礼を言う。ずいっと差し出された菓子の袋を、三輪は無視し、大河は無遠慮に手を突っ込んでひと掴みほど中身をかっさらった。

 

「別に助けたわけじゃない。俺は近界民を狙っただけだ」

「まあそうな。つーかアレで助けたって言うのか?」

 

 否定の言葉とぼりぼり響く咀嚼音。しかし迅は変わらず笑みを浮かべていた。

 

「とりあえずメガネくんが死ぬっていう最悪の未来は回避された。二人のおかげでね」

 

 雨取千佳のために身を挺した三雲。「幼馴染を守る」という、他者には変えられない彼の行動原理には常に死がつきまとっていた。

 予知でそれを知った迅は駆けつけられる中でも最高戦力である三輪隊と大河、No.1狙撃手(スナイパー)当真勇に直接頼みに行ったのだ。どうか、彼を守ってくれと。

 そしてそれは成った。敵は一時的な撤退ではあるものの、消耗は敵が大きく、ボーダーは少ない。何よりこの先三雲修には「死ぬ」という未来はほとんど視えていない。だからこそこうして直に礼を言いたかった。

 

「んなことよりよ。あいつを助けないと後悔するってどういう意味だったんだ?」

 

 ぼんち揚げをあらかた食べ尽くした大河が手を払いながら尋ねると、迅は困ったように頬を掻いた。

 

「んー、それなんだけど。実はよくわからないんだよね」

「はあ?」

 

 胡乱気な視線を受け流し「あっはっは」とてきとうに笑ってごまかす。

 迅のサイドエフェクトは『予知』。つまり選ばれなかった選択肢の()は視えないのである。三雲の死と関連しているように思えた大河の未来は、実はそうではなかったらしい。

 ただ、と迅は真剣な顔つきに戻って忠告した。

 

「まだ木場さんのその未来は消えてない。敵の再度侵攻で何かあるのかも」

「おまえまたテキトーなこと言って俺を使う気じゃねーだろうな」

「いやほんとほんと」

 

 据わった鋭い目を向けられておどける迅だったが、彼の胸の内にもまだ不安はあった。

 視えた未来の中、後悔しているのは大河だけではない。三雲たちや己も肩を落としているイメージが脳裏に過って消えないのだ。

 誰かが死ぬという未来ではない。その中には全員揃っている。唯一連れ去られる未来が消えていない雨取でも、次の戦闘で死ぬという可能性は限りなく低いはず。

 なのに、消えない。「最悪」はすでに回避され、この先もボーダーは変わらず運営されているというのに。

 

「迅」

「あ、おうどした秀次」

 

 思考に耽りかけた迅を三輪が呼び戻した。

 冷たい風が吹きすさぶ中、三輪は闇夜に溶け込むような黒いトリガーを懐から取り出して迅に手渡す。

 

「これは返しておく。城戸司令にも進言したが『風刃』は戦況に応じて投入したほうがいい。このさき俺の必要にならないのなら使い慣れているおまえが持っていたほうがいいだろう」

「……そうか。わかった」

 

 そう言うだろうと思っていた迅だったが、あえてそれを伝えずに受け取った。

 三輪に『風刃』を渡したのは三雲の死を回避するため。完全にではなくともその未来を回避した今となっては彼が言うとおり、もっとも使いこなせる迅がこれを手にしていたほうが戦力になる。

 再び握りしめることになった『風刃』はその手のひらの中で、どこか懐かしさを迅に感じさせた。

 

「……ありがとな」

「? だから俺は何もしていないと」

「いや、こっちの話。ともあれ、もう一度アフトクラトルを追い返せばこの戦いは終わる。あと少しだ、頑張ろうぜ」

「そんなこと、おまえに言われるまでもない」

「ほんとに冷たいなー秀次は。でも次はきっと、一緒に戦うことになる(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)。その時はよろしくな」

 

 視えた未来の一端をこぼした迅は、冷たい風から逃れるように屋上から去っていった。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

 

 

 決戦の備えを済ませた大河は今度こそ自分の城へと戻ろうとしていた。

 待機場所、予想される攻撃への配置の確認、そして基地トリオンの供給。貯蔵するエネルギーと人員、その両方の全戦力が整ったボーダー本部は、もはやアフトクラトルが初手と同じ規模のトリオン兵団を差し向けてきたとしても充分抗戦できる要塞と化している。

 だが迅の予知によれば敵の攻撃は苛烈なものだという。どこにそんな余力を残していたのかは定かではないが、今のボーダーを手こずらせるほどの猛攻が予想されていた。

 

 ――まあ、なんにせよ全て叩き潰すだけだ。

 ざっくりとまとめた大河はややつまらなさそうに肩を落とした。

 近界民が攻めてくるのならそれに越したことはない。ない、のだが。

 大河の配置は合同迎撃部隊。おそらく忍田派も紛れているであろうその部隊の中で近界民の心臓を抉り出すのは至難だ。すでにC級が攫われている現状、できれば敵は捕縛し捕虜として扱うとの決定が下されている。

 城戸司令も判を押したその命令には大河も従わざるを得ない。

 欲求に任せて行動できるのは抜け道(ヽヽヽ)がある時だけだ。今回でいえばこの戦争は「防衛」とともに「救出」も視野に入り始めている。

 大河にしてみれば全員殺して遠征艇を奪ってしまえばいいのに、と思わなくもないのだが、それでも決定は決定。先を見据えた指示であるため、下手に行動することはできない。

 

「あーあ、つまんねーの」

 

 ぼやきながら木場隊作戦室のドアを開く。

 住み慣れた()、そして最後の肉親である妹の匂いが大河を包んで荒んだ心をいくらか穏やかにさせた。彼にとって家族であるミサキの匂いは、抉り出したトリオン器官の匂い以外に「何か」を満たしてくれる唯一の安定剤でもあるのだ。

 

「おかえり、兄貴」

「ん、ただいま」

 

 独自の研究スペースから顔を出したミサキがぱたぱたと室内履きの足音を立てて駆け寄ってくる。そしてそのまま大河の胸にぼふっと飛び込んだ。

 

「お? どした、なんかあったのか?」

「んー……」

 

 気の強い妹がふだん見せない甘えた様子に、大河は抱き止めつつも不思議そうに尋ねた。

 

「さっき迅さんに会ってさ……次の戦いで兄貴がやられるかもしれないから、気をつけろって」

「はー?」

 

 ミサキのツインテールを撫でつけながら大河が気の抜けたような声をもらす。

 迅とは先ほどまで会っていたが、そのような警告はなされていない。敵には黒トリガーがおり自身を打倒するような相手がいることに今さら驚きはしないし、それだったら直接己に言えばことは済むはずだ。

 なぜミサキに? と不審がった大河であったが、すぐに考え直した。

 彼の戦闘能力は対人戦においてはほとんどミサキのサポートがあってこそ。そして戦闘中に暴走(ヽヽ)を抑えられるのも、城戸司令を除けば妹のミサキただひとりだ。だからこそ遠回りに警戒させたのかもしれない。

 

 しかしながらわざわざ妹の不安を煽るようなやり口が快いわけでもなかった。内心で舌を打ちながら大河は改めて問い直した。

 

「やられるってのは負けるってことか? 死ぬとか攫われるとか想像できねーんだけど」

「わかんない。ただやられるかもって言ってただけだし」

「……相変わらずテキトーだよな、あいつも」

 

 だが明言しなかったということは、おそらくそういう未来ではないのだろう。

 幾分か気が楽になった大河は妹の肩を押し返して笑みを浮かべた。

 

「ま、どうせ俺が戦線離脱したらきちーから根回し(ヽヽヽ)でもしたんだろ。緊急脱出(ベイルアウト)先を遠征艇にしときゃ復帰も脱出も安全にできるし、ミサキもそっちに変えとけ」

「うん……わかった」

 

 身を離したミサキは指揮用(オペレーション)コンソールを叩いて脱出先の変更を実行させた。

 彼らの遠征艇は特別製。豊富なトリオンを殲滅の手段にさえ用いる極めて攻撃的な代物だ。改造を施されたトリガーをも装備させられ、テレポーターやカメレオンといったものと同様の能力を有している。そして緊急脱出(ベイルアウト)してきた大河を接続すれば、彼の戦闘体での時と同等、場合によってはさらに凶悪な攻撃力を発揮する。

 

(これが必要、ってわけか?)

 

 いましがた行った設定の変更に迅の思惑を垣間見ながら、しかし必要ならばいいか、と大河は小さく嘆息した。

 次の攻防戦は楽しむ暇もない。できればとっとと追い返して、次なる遠征に臨むことが彼の唯一の楽しみであった。

 

 

 

 




 




大規模侵攻の展開に悪戦苦闘中……原作通りに終わらせちゃえばよかったと後悔しております。


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第二次アフトクラトル強襲編
第二十八話


 

 

 

 月の光が厚い雲に遮られた真っ暗な夜に、とうとう決戦の時は来た。

 しんと静まり返った三門市。冬の澄んだ空気はしかし不穏な音声を伝播させ、街じゅうにそれを響き渡らせた。

 

(ゲート)発生、(ゲート)発生、警戒区域内に(ゲート)が発生しました》

 

 放棄地帯と違って小奇麗な建物の群れは、人がいないだけで()も言えぬ不気味さを生む。

 今宵は風も寡黙に過ごすらしい。警報以外に何も音が存在しない街に、なお避難路を示す電光掲示板や点滅を繰り返す信号機がぼんやりと明かりを差し伸べて、ひそやかな薄気味悪さを助長している。

 

《付近の皆様は直ちに避難してください》

 

 誰もいない街中で、街路樹だけがその無機質な警告を身に浴びていた。

 

 

 

 

――――――

――――

――

 

 

 

 

 繰り返される警報を耳にしながらも、本部作戦室の末席に座った根付は組んだ手の上に顎を乗せてほっと息を吐いた。

 

「念のため警戒区域を広げておいて正解でしたねぇ」

 

 レーダーを映し出す巨大なスクリーンには、出現したトリオン兵が市街地に向かって侵攻していく様子が映し出されている。

 メディア対策室長である根付には許しがたい光景のはずだったが、迅の予知によってさらなる被害が予想された三門市は警戒区域をさらに広げており、現在トリオン兵が向かっている地点が無人であると知っている彼はふだんよりも落ち着きを持ってそれを眺めることができていた。

 

「だが止められねば意味はない。敵の数は?」

 

 忍田が厳かに問うと、コンソールに向かっている沢村が端的に答える。

 

「数は二。出現したトリオン兵は爆撃型のようです。基地から離れ、西部、東部にそれぞれ向かっています」

「たったの二体だとぉ?」

「何か狙いがあるのかもしれないな……。とにかく撃ち落とそう」

 

 鬼怒田の怪訝な声に頷きつつ命令を下す。

 本部基地の外壁からミサイル型の迎撃装置が発射され、トリオン兵に殺到する様子がレーダーに映し出された。ミサイルタイプの攻撃力は迎撃砲台のそれよりも数段上だ。当てるのに一定以上の距離を必要とするため強襲時には使えなかったものも、爆撃型が基地から離れていくのであれば自爆モードであっても撃墜するのに充分な威力を発揮してくれるだろう。

 

「目標まで五〇……二〇……、命中!」

 

 そして直撃し、()警戒区域の中腹付近でイルガーを叩き落とすことに成功した。

 だが。

 

「……! 撃墜したトリオン兵の周辺に新たな反応多数! これは偵察用小型トリオン兵の反応と思われます!」

「イレギュラーゲートを開くつもりか!」

 

 沢村の報告に忍田がそう推察すると同時、爆撃型トリオン兵を示していたレーダー上のマーカー付近にさらに点が増えていく。

 あの小型トリオン兵は周辺の人間からトリオンを吸収してゲートを開くという能力を持っているが、警戒区域であるあの地点に人はいないはず。最初から充填しておいたのか。

 ラッドが開くイレギュラーゲートに誘導装置が効かないのはボーダーも既に知るところ。しかしそれに予めトリオンを注ぎ疑似的な発信機(ビーコン)代わりにするとは……ひと月前は偵察であったがゆえ被害は少なく済んだが、これが三門市全体にばら撒かれたことが今になって背筋を寒くさせる。

 ――厄介なものを。

 忍田が歯噛みしている間にも次々とトリオン兵が送り込まれてくる。

 

「西部地区に敵トリオン兵団出現! データにない反応! 数……一〇〇……二〇〇!? さらに増加中!」

「なっ……!?」

「なんじゃその数は!?」

 

 あまりの数に全員が息を飲む。

 先日撃破したアフトクラトルのトリオン兵だけでも千に近い数があり、敵戦力は粗方削ったと思っていたところにこの追加数。やはり迅の言った通り敵には増援があったらしい。

 

「東部地区にもトリオン兵団が、こちらは三〇体程度、ですが……」

「人型、か!」

 

 モニターに映し出された映像に、アフトクラトルとはまた違った装いの近界民(ネイバー)が浮かび上がる。

 角がないため所属する国は違うようだが、イルガーとラッドを使ったことからしてアフトクラトルとは協力関係にあると思われる。

 

「冬島のワープで対応に当たらせる! 部隊は――」

 

 しかしボーダーとて準備は万全だ。ほぼ無限のようなトリオン、それを存分に活かした防衛措置は徹底されている。

 忍田が本部作戦室に詰めていた冬島に指示を飛ばそうとした時、ザザ、と通信が繋がる音が聞こえた。

 

《本部、こちら実力派エリート。聞こえてますか?》

「迅か、どうした?」

 

 通信は現在ソロのA級隊員扱いとなっている迅からであった。彼はいま本部基地防衛のため、警戒任務にあたっていた狙撃手とともに屋上に待機している。

 

《人型近界民、出ました?》

「ああ、今確認した」

《そっちにはA級の上位部隊を回してください。単独部隊じゃけっこうヤバイかもしれない》

「何、それほどの……?」

 

 彼の言葉に忍田のみならず、わずかながら城戸も眉を上げた。

 敵はこの短期間にそこまで強力な駒を新たに持ちだしてきたというのか。ならばなぜ最初からそれを使わなかったのだ?

 ……ともあれ、今はそれを考えている場合ではない。

 

「了解した、助言感謝する」

《いえいえ~、実力派エリートですから》

 

 通信が切れ、一瞬の間が空く。その刹那に思考をめぐらせた忍田は冬島へと命令を下した。

 

「東部地区に出現した人型には太刀川隊、風間隊、草壁隊を回せ! 現場の判断で不足だと感じられた場合はすぐに報告するよう通達しろ!」

「了解~っと。狙撃手(スナイパー)少ないんで当真も向かわせますかね」

「ああ、頼む。西部地区には天羽を。フォローに嵐山隊と片桐隊をあたらせろ、前警戒区域を出たトリオン兵を追撃させるんだ」

 

 天羽の黒トリガーは大軍を相手にするのに向いているものの、昨日までの警戒区域を越えて追撃させると放棄されていない民家への被害が大きすぎる。人がいないとはいえそれは憚られるため天羽にはトリオン兵団の()を叩かせ、そこからこぼれたものを討ちとるサポート役が必要だ。

 切っていくような勢いで指示を飛ばす忍田に鬼怒田が立ち上がって声を荒げた。

 

「忍田本部長、A級をそんなに外へ出して大丈夫なのか!? 敵の、アフトクラトルの狙いは本部基地だと迅も言っておったろう!」

 

 迅の予知。敵のうち二人の顔を見た彼が言うにはアフトクラトルの目的はC級隊員から少しズレ(ヽヽ)始めているらしい。

 おそらくはこちらが奪った(ブラック)トリガーの奪還。それと執拗に追い続けてきた『雨取 千佳』の身柄……そして『木場 大河』。その全てがあるボーダー本部基地に攻め込んでくるであろうというのが予想されたアフトクラトルの攻撃だ。

 茫洋とした話ではあったが本部はそれを前提とした防衛態勢を敷いている。いくつかの特例も通して万全の構えをとっているのだ。

 けれどもここまでの増援は予想を超えている。そんな鬼怒田の焦りに頷いた忍田はそれでも落ち着いて所見を述べた。

 

「戦力は充分整っている。基地防衛であればB級の合同部隊でも間に合うだろう。市街地に向かったトリオン兵団に捕獲用の新型が紛れ込んでいた場合を想定すると、最小限の出撃に留めるにはA級部隊が必要だ」

「たしかにそうですねぇ。無人とはいえ市街地への侵攻は最小限に留めねば。また散らばる前に殲滅したほうがいいと、私も思いますよ」

 

 忍田の説明に根付が同意する。

 このトリオン兵団と新たな人型近界民の狙いは明らかに戦力の分散。しかも迅の言葉を信じるならB級で人型を抑えるにはかなりの人数が必要になる。ならば強力なA級部隊で速やかに排除し、また本部へ戻らせるのがベストだろう。

 

「東西ともに迎撃部隊現着、交戦を開始しました!」

 

 市街地の防衛はこれでひとまず大丈夫か。だが敵の本命はまだ来ていない。

 

「アフトクラトルの反応はまだか?」

 

 忍田が問うと、コンソールを操る沢村が広域レーダーの出力を上げた。

 

「依然反応は――来ました! 基地南部に敵性反応! アフトクラトルの人型近界民と思われます!」

 

 それと同時に敵が出現したらしい。

 モニターに映し出された黒い球体のようなもの。辛うじて見えた影の数は五、つまり残った人型全員で攻城戦(ヽヽヽ)に臨むものと見受けられる。やはり基地の中に敵の狙いがあるようだ。

 

「迎撃部隊を周囲に展開しろ。屋上からも援護射撃をさせるんだ」

「了解っ」

 

 冬島がスイッチボックスを操作して待機中の部隊を送り出す。

 厳戒態勢を敷かれた今は基本的に部隊単位で管理され、それぞれの作戦室が本部の大規模トリガーを介して冬島のスイッチボックスに接続されている。

 それらを統合する冬島が各部隊のオペレーターに作戦と隊員の状態を確認させてから転送(ワープ)を起動した。

 

「迎撃部隊配置完了!」

 

 沢村の報告通り、基地周辺レーダーにいくつもの味方識別反応が浮かぶ。

 基地防衛。敵の全戦力を計算に入れた迎撃部隊はA級が少ないとはいえボーダーの主力陣である。加古隊、三輪隊に続き元A級の二宮隊、影浦隊。そして個人から迅、空閑の玉狛勢、最後の砦に木場大河が待ち構えている。

 

 ……敵の狙いのひとつに大河の存在が予想されているとあったが、それでも彼が捕獲されるなどという事態はボーダー幹部たちはそこまで心配していなかった。

 もし捕らえられたら危険なんて言葉では表せられないくらいの――三門市どころか世界の危機である――異常事態に陥ることになるが、率直に言ってアレの捕獲は困難を極めるというレベルではないのだ。

 たとえその仕組みを知ろうとも――いや、知れば知るほど無理難題だということばかりが浮き彫りになる厳重な管理体制。もともと徹底されていた大河の危機回避システムは、捕獲まで至るのにボーダー基地を落とすことすら必要になる。もはや心配をすべきは彼でなく基地の方と言っても過言ではない。

 

「木場はおいといても、黒トリガーを二つとも出すのは心臓に悪いのぅ」

 

 鬼怒田が気を揉んでそうこぼす。

 大河を含め他の隊員と違って黒トリガーには緊急脱出(ベイルアウト)がついていない。黒トリガー使いに黒トリガーをあてるのは戦力的に見て常道でも、キューブ化という反則能力を持つ近界民を相手させるのには些か危機感が勝る。といっても強力な駒を遊ばせておくのは勿体無さすぎるのも事実だ。

 

 ちなみに空閑の黒トリガーは本部ではなく玉狛が管理するものであるが、入隊時にその存在は空閑と同時に本部にも容認されており、先日の第一次アフトクラトル強襲時の独断使用にも特にお咎めなどはなされていない。無論ランク戦などに使用してはならないが。

 そして迅の手に戻った『風刃』は現状もっとも有効に使えるという点で本部管理のまま彼に使用を許可している。

 

「ですがやはり心強いですねぇ。こういう時こそ存分に力を発揮してもらわないと」

 

 根付は額をハンカチで拭いながらそう言った。

 過剰にも思える戦力だが、敵もまた互角かそれ以上だ。角つきの強力なトリガーが二つ、黒トリガーが空間移動とキューブ化、凶悪な遠隔斬撃で三つ。そんな相手に温存はしていられない。……最強部隊たる玉狛第一はある意味で温存とも取れる任務に就いているが。

 

 迎撃部隊が配置されたのを確認して、忍田は拳を握りしめた。

 

「――――戦闘開始だ!」

 

 最後の火蓋が切って落とされる。

 

 

 

 



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第二十九話

 

 

 

 基地から見て南側に出撃した合同迎撃部隊は、会敵に向けそれぞれが得意とするフォーメーションを展開してしかし、敵を視認する間もなく進撃を許す次第となった。

 

「連続ワープってオイ、なんでもありか」

 

 大河が忌々しそうに吐き捨てる。

 敵の移動手段は瞬間移動(テレポート)に近いもの。しかも(ブラック)トリガーたるそれにはボーダーが使うテレポーターのようなインターバルがないらしく、黒い球体と化した近界民(ネイバー)の一団は防衛ラインを嘲笑うかのように通過していってしまったのだ。

 黒トリガーが有するそういった不条理さには今さら驚くようなことはなくとも、厄介であることに変わりない。

 

「ああ、ヤッバい……! ()めるんだ、基地に入られる!」

 

 焦った声音で周囲の隊員に指示を飛ばしたのは迅だ。

 かろうじて見えた近界民の姿。五人中二人の顔を見た迅は基地侵入を予知してはいたが、それがどんな手段によるものか、はたまたどれだけの時間がかかるかは経過がわかりにくい夜というのも相まって確定させることができていなかった。

 しかし今、敵勢力の全員を確認した彼は想定よりもずっと早く侵入を許してしまうことを察知したのだ。

 

「止めろ、って言われてもな」

 

 大河は走り出しながら気だるそうに呟いた。この距離から瞬時に攻撃を加えることができる武装はハイドラであるのだが、よもや基地に向けて撃ち放つわけにもいくまい。下手に貫通でもさせたらその先にいるのは非戦闘員。

 非常時につきC級や職員も訓練用、あるいは護身用トリガーを起動させるよう通達くらいされているはずであっても、万が一ということもあり得る。

 グラスホッパーか強化戦闘体の膂力で一人突出すれば間に合うかもしれない。それでも黒トリガーを三つ擁する敵陣営の真っただ中に斬り込むほど彼は無謀ではなかった。

 

「奈良坂、古寺! 屋上の狙撃手(スナイパー)全員で下を狙え!」

 

 大河に追随していた三輪が(おの)が部隊の隊員たちに通信を送った。

 屋上の各方面を警戒していた狙撃班も今は南側に集中している。三輪隊の二人、影浦隊の絵馬ユズル、荒船隊の全員が揃っているはずだ。

 

《奈良坂了解。狙撃手(スナイパー)、攻撃を開始する》

 

 全員に向けた返信とともに針のような鋭い銃撃が近界民たちに降り注いだ。

 硬質な音が響き、敵の黒い傘状のシールドらしきものがそれを弾く。報告に上がっていた磁力を扱うトリガーか。渡された情報にはアステロイドを反射するとあった盾も、狙撃の弾となると弾き返すまでにはいかないようだ。

 防御に徹した隙に合同部隊の全員でかかればあるいは侵入を邪魔できるかもしれないが――

 

「――っと、敵の攻撃が来るぞ」

 

 大河の警告に地上部隊の全員が足を止めた。

 (みな)が視線を送る先で近界民の一人が腕を巨大な砲塔に変えてこちらに狙いを定めている。

 

「高火力の射撃トリガーだったっけか」

 

 思い返すようにこぼすと同時、銃型トリガーのものよりずっと大きな弾丸が高速かつ連続で撃ち放たれた。

 

「くそっ……!」

「これはさすがに近寄れないね」

 

 焦れた迅も身を穿つ威力の弾を避けないわけにはいかず、横へ大きく跳んで回避行動をとる。それに追従するように移動した空閑も口を尖らせて遠くの敵を睨みつけていた。

 

「チッ……。俺が突っ込む、遠距離攻撃できるやつは全員で――」

 

 多少危険でも突撃する役が必要か。援護を要請しようとした大河が言いきる前に、迅の大声がそれを遮った。

 

「木場さん下がって!!」

「っ!」

 

 鼻腔を刺す冷たい空気に紛れた、既知の嗅覚情報を感じ取って跳び退る。ワープ女の黒トリガーの匂い。線のように伸びてきたそれが集中して出入口(ヽヽヽ)を開いたのだ。

 しかしそこから出てきたのは知らない匂い――いや、実際には嗅いだことはあった。ラッドに充填されていたトリオンのうち、老人らしきものと評したそれ。

 大河が跳んだ直後、寸前まで立っていた場所が一瞬にして見えない何かに切り刻まれた。

 話に聞く、広範囲に渡り強力な斬撃を放つ黒トリガーのようだ。基本的にトリオン製のブレードは淡く光を放っている――もちろん変更することも可能ではある――のだが、それが際立つ夜においても目に映らぬ剣速とは恐れ入る。

 

「やれやれ、老骨には些か荷が重い精鋭たちですな……」

 

 暗闇の中、さらに黒い次元の狭間から皮肉そうな声とともに一人の老兵が姿を現した。

 柔和な面持ちの近界民を見た空閑が眉をひそめる。

 

「このジイさんは……」

 

 この老人は先日の第一次アフトクラトル急襲時に空閑が相手取った近界民だ。強力な黒トリガーの能力と、それを余すことなく発揮させる練達の剣士。

 前回戦った時は途中で撤退していったため決着はついていないものの、はっきり言って分が悪いレベルの使い手だった。

 

「毎度毎度、アフトクラトルは足止め(ヽヽヽ)が贅沢だね」

 

 己の戦闘能力にそれなりの自信を持つ空閑も認めざるを得なかった。

 この老兵を無視して他の近界民に攻撃を加えるなど不可能。そのうえ敵が侵入するまでに撃破するというのも難しい。こちらが複数の上級部隊を擁していてもそれは変わらない。

 周辺に現れたモールモッドにも気を配りながら、空閑は臨戦態勢をとった。

 

「…………」

 

 そのほど近くで大河は鼻をひくつかせていた。

 ――妙な匂いだ。

 厳密には匂いではなく、気配。一方的とはいえ死闘を繰り返してきた大河の戦闘経験が警鐘を鳴らしている。この老人は"危険"。それがトリガーの能力によるものか、別の要因であるかはまだわからないが厄介であることはたしかなようだった。

 

 まあいい。なんにせよ叩き潰せばいいことに変わりはない。

 虎爪を起動させた大河は肉食獣のように獰猛な唸り声をあげて戦いに集中し始めた。

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 ミラの能力によって瞬く間に敵の城塞に取りついたハイレインたちは立ちはだかる敵兵の気配を敏感に感じ取っていた。

 とはいえ敵が待ち構えているのは当然。こちらも相応の準備はしてきている。

 降り注ぐ狙撃をヒュースに防御させ、先ほど通り抜けた(ヽヽヽヽヽ)更地を追い縋ってくる敵兵に対しランバネインの火力を差し向けて押しやり、スペースを確保したところへヴィザを送り込む。

 

「ヴィザ、遠慮は要らん。斬れるだけ斬れ」

《承知致しました》

 

 開けた敵陣のど真ん中に降り立ったヴィザが国宝『星の杖(オルガノン)』を解放する。さすがにその能力は知られていたようで距離を取られたが構わない。ヴィザの本気(ヽヽ)はそんな簡単に敵を逃しはしないのだ。

 さらに残ったトリオン兵をばら撒き、それを援護させる。

 

「こちらも侵入するぞ。ミラ」

「はい」

 

 ミラが懐から取り出したのは小さな装置。これはガロプラから徴収した潜入用トリガーである。トリオンに穴をあけ、防壁もすり抜ける小賢しい道具。

 無論アフトクラトルも作ろうと思えば作れるが、そもそも潜入を必要としない国力を持つ彼らはそういった類のトリガーを用意していなかった。ガロプラが所持していたのは嬉しい誤算だ。

 トリオンでできた防壁を無効化する、といってもこの要塞のトリオン密度は尋常でなく人が通れるような穴は開けられないらしい。しかしミラがいればその程度は障害にすらならない。アフトクラトルは中が見えさえすればすり抜けられる。

 

「大窓を開きます」

「よし。行くぞ」

 

 僅かな隙間から砦内部を視認したミラが大窓で繋げる。その向こうにも敵兵はいるだろう。が、やはり問題はない。こちらは黒トリガーなのだから。

 傲慢にも思えるが事実である。ハイレインは閉じゆく窓の先に細く眇めた視線を送りつけた。

 一見したところ外の兵はかなりの精鋭部隊と見受けられる。先日己を抑えた臙脂色の部隊にヒュースと単騎で渡り合った男、そしてヴィザとやりあったという黒トリガーの使い手。

 市街地に放った『猟犬』に玄界(ミデン)が主兵力の多くを送ったのは確認済みだ。『黄金の虎』を含め他もそれなりの実力者と思われる部隊をここに配置していたということは、内部の防衛はそれ以下。黒トリガーを二つ擁する自分たちならば如何様にもできるはず。

 

「ほう、これは……」

 

 ミラの大窓をくぐった先。そこを見渡したハイレインは思わず口の()(うわ)()くのを止めることができなかった。

 

「ひっ、人型近界民!?」

「なんでここに!」

 

 まさかの雛鳥の()

 先の攻撃で逃げ惑い戦力に数えられていなかった雛鳥たちは要塞で保護され続けていたらしい。現れた自分たちに慄き動揺する彼らを見て、これは僥倖とハイレインはほくそ笑んだのだった。

 

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 

「人型近界民が侵入! 一階、狙撃訓練場です!」

「なんじゃと!? どうやって入った!」

「トリオン(へき)に穴を開けるトリガーを所持していた模様……!」

「いけない、これはいけませんよ! あそこにはC級隊員たちが!」

 

 敵の侵入を受けて一瞬にしててんやわんやになるボーダー本部作戦室。莫大なトリオンをつぎ込んだ防壁はどんな手段であれ破壊には時間がかかるはず。それをいとも容易く突破されたなど、寝耳に水も甚だしい。

 迅の予知により侵入はされると事前に知ってはいたが、それにどれだけの時間がかかるかは不明であり、主戦力を差し向ければ止めることも可能だと計算していたのだ。

 

「落ち着け、基地内部にも部隊は配置している」

 

 城戸が静かに取り成すも、根付の焦燥は消えない。

 

「しかし敵は黒トリガーの近界民ですよ! 生半可な戦力では……!」

 

 そう、敵は黒トリガー。互角に渡り合えるA級部隊は既に出払っている。基地内部に残った戦力で抑えることができても、隊員が攫われる危険性は無視できない。

 

「だが放置することもできない、か。冬島、狙撃訓練場に生駒隊、弓場隊、それと鈴鳴第一、東隊を送ってくれ」

「了解」

 

 B級一位二位に続く上位部隊である生駒・弓場隊、次いで攻撃手ランク四位の村上鋼擁する鈴鳴第一、そして指揮能力が高い東春秋率いる東隊。彼らであれば黒トリガー相手であろうと充分抗戦できるはず。

 忍田が命じると、冬島が機器を操作してワープを起動させた。

 基地内部を示すレーダーにマーカーが増え、赤い点の人型近界民と真っ白にさえ見えるC級隊員たちの群れの間に部隊が新たに配置される。

 ――が。

 

「なっ!?」

「どうした!」

 

 沢村の驚愕の声に忍田が問う。

 彼女は見たものを信じられないように、震える声で現状を報告した。

 

「生駒隊の生駒、水上隊員、弓場隊の全隊員、鈴鳴第一の来馬、別役隊員が基地南部の戦闘中区域に……そこで緊急脱出(ベイルアウト)を発動させました」

「なんだと!?」

 

 さしもの忍田も声を荒げて叫んだ。一瞬にして三部隊が壊滅などにわかには信じがたい。侵入した黒トリガーがどれだけ強大であってもそんなことが起こるはずが――

 

「どういう……南部だと?」

 

 焦った忍田が気を取り直し、狙撃訓練場(ヽヽヽヽヽ)に送り込んだはずの部隊が緊急脱出(ベイルアウト)した地点を問いただした。

 

「……はい。おそらく敵のワープ能力で強制転移されたのち、外の黒トリガー使いに攻撃されたと思われます」

「なんちゅう反則技じゃ!」

 

 鬼怒田の怒りももっともだ。忍田は歯噛みして敵の戦略を脳裏に描いた。

 敵は攻城戦において強行のような勢いでもって突撃してきたが、それでもギリギリまでこちらを視ていた(ヽヽヽヽ)のだ。

 ボーダー側が転送(ワープ)技術を有していることを知った彼らは侵入した先でトリオン反応を検知し、現れた隊員たちに驚くことなく対処してみせた。おそらく前もって転移場所に()を開けておき、落とし穴に落とすように再転移させて外の強力な黒トリガー使いに斬らせた。突如として空中に放り出された隊員は為すすべもなく切り刻まれたに違いない。

 無事だったのは東と、グラスホッパーを装備していた隊員だけのようだ。外に放り出された中で生き残ったのは鈴鳴第一の村上のみ。咄嗟にスラスターを起動させたのか。

 

「くっ! 二階は……」

 

 十フロアぶち抜きで造られた狙撃訓練場は射撃スペースが二階層に分かれている。一階は押さえられても、まだ――

 

「あぁ、ダメです。スイッチボックスの反応が消えました」

 

 そんな忍田の希望は冬島の言葉に光を見失ってしまった。

 

「何? 冬島、どういうことだ」

「ちょいと待ってくださいね。くそ、いったい何が……」

 

 がしがしと頭を掻いた冬島が機器を叩いて原因を調べる。

 狙撃訓練場に設置された監視カメラの映像を確認すると、床にいくつかのトリオンキューブが転がっていた。どうやら設置しておいたワープポイントをキューブ化の能力で床ごと剥がされた(ヽヽヽヽヽ)らしい。

 技ありというべきか強引な力押しと称するべきか。どちらにせよ腹立たしいほどの特異能力。

 奥歯を噛みしめた忍田は再度指示を出し直した。

 

「追撃部隊は狙撃訓練場の通路前に送り込め、敵のワープトリガーは察知が難しいが足元に注意し、三人、少なくとも二人一組でフォローし合うよう徹底させろ!」

 

 後手に回ってしまうが致し方ない。生き残った隊員だけではC級の護衛は難しい、今はせめて敵の意識を散らさねば……。

 

 

 

 

――――――

――――

――

 




 





さようなら弓場隊。そしてちゃっかり生き残る東さん。
これが原作で顔出しできないキャラと有能さを見せつけるキャラの違いか。


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第三十話

 

 

 

 

 鳥が襲い来る。人型近界民(ネイバー)の放った謎の生物弾がC級隊員の群れを強襲する。

 落とし穴を避けることに成功したB級隊員も必死に反撃しているが、広範囲に散ったひよっ子たちを守りきる術はなかった。

 その群れの最後尾で逃げ惑っていた少年についに一羽の鳥が追いつき――

 

「と、トリガー解除(オフ)!」

 

 生身に戻った背中で、鳥型の弾を無効化した。

 

「――何?」

 

 騒然となった狙撃訓練場の中に、人型近界民がこぼした困惑の声が混ざり込む。

 庇護対象たるC級隊員たちにも敵の使うトリガーの能力は知らされていた。トリオンをキューブにする常識はずれの能力。戦闘体で受ければ致命的なそれは、どうしても避けきれない時には換装を解けばいい。

 もちろんずっと生身でいるのは危険過ぎるため、できるだけ早く戦闘体に再換装する必要があるのだが、同じトリガーを起動するには少しばかりのクールタイムのようなものがある。

 再起動までの僅かな間でも生身で逃げ切らないといけなくなるこの手段はあまり推奨されてはいなかった。けれども今まさに捕獲されようとした少年が早々に奥の手を使ってしまっても、誰も責めることはできないだろう。脅威が迫ったとき、最後に自分を救うのは己の判断なのだから。

 

 

 

 

(『卵の冠(アレクトール)』の能力が『雛鳥』にも伝わっていたか)

 

 冷静に判断を下したハイレインは、冷徹な手段に及んだ。

 換装を解いた生身の『雛鳥』にトリオン体の瞬発力で瞬く間に肉薄し、その首筋に一発の手刀を叩き込んだのだ。

 

「――ガッ!?」

「ミラ」

「はい」

 

 ぐたりと力を失った『雛鳥』の身体を無造作に放る。しかし彼が床に叩きつけられることはなく、ミラによって遠征艇の貨物室に繋げられた窓をくぐって姿を消した。

 

「う、うわあああ!?」

「いやああああ!」

 

 それを見た『雛鳥』の群れはさらなる恐慌状態に陥った。

 キューブ化ならまだしも、リアルな収穫(ヽヽ)の現場を見たことで恐怖が膨れ上がったらしい。暴力を振るわれることへの忌避感からか、換装を解くこともせず散り散りに逃げていく。

 好機だ。この混乱に乗ずればかなりの収穫が見込める。無論『金の雛鳥』を探すことが重要であるものの、戦利品が多いことに越したことはない。

 そう判断したハイレインが手のひらの上で浮遊する『卵の冠(アレクトール)』からさらに生物弾を生み出そうとした時、視界の端に一人逃げる様子を見せない少女がいることに気が付いた。

 

 

 

 

 

(何よ、なんなのよコレ~……!)

 

 脅威が目の前に迫った夏目は動転の最中にあった。

 近界民が襲ってきたと思ったら正隊員があっという間にどこかへ放り出され、残されたのは僅かなB級隊員と無力なC級隊員(じぶんたち)のみ。頼りにしていたはずの先輩方は盾にすらなってはくれなかった。

 

「やば、やばい……」

 

 足が動かない。新型トリオン兵に掴まれた時は雨取のことを思っていたがゆえ恐怖心は抑え込まれていたのに、今になって捕獲されるという恐怖が全身を駆け巡っていた。人型近界民はこちらに気付いて鳥型の弾を差し向けようとしている。

 ――まずい。まずいまずいまずい……!

 こんな時どうすればいいのか、夏目にはさっぱりと思い当たらない。

 ボーダーで受けた訓練にはこんな異常事態に対応するものなんてなかった。もしかしたら正隊員になればあるのかもしれないが、その身はやはりC級。基礎の基礎しか学んではいない。

 

(恨むぞ先輩方~……!)

 

 夏目の脳裏に狙撃訓練を教えてくれた正隊員の顔が浮かぶ。

 ロン毛で落ち着いた雰囲気の東先輩、チカ子に土下座返しした佐鳥先輩、いつも訓練一位のナラサカ先輩。

 彼らが教えてくれたのはなんだったか。

 狙撃銃の種類。狙撃手の心構え。スコープの覗き方。

 

(あーもう! そんなこと思い出してる場合じゃ――)

 

 夏目の頭の中を走馬燈のように過る訓練の日々。そこに引っかかるものを覚えて彼女は両手で頭を(はた)いた。

 

「何、なんだっけ、思い出せあたし……! ――――あっ」

 

 そして思い出した。

 敵の撃ち方ではない。訓練の内容でもない。基礎にすら至らないその記憶。

 

「――操作盤(コンパネ)!」

 

 弾かれたように走り出した夏目は狙撃訓練場の端に設置されたコントロールパネルへ一目散に向かっていった。

 そう、ここは狙撃訓練場。十フロアぶち抜き全長三六〇メートルの巨大な演習場(ヽヽヽ)。広大な訓練室にはさまざまな戦場の地形を再現できるシステムが組み込まれている。

 幸いその操作盤近くから侵入してきた近界民たちはC級を追って中央付近まで移動している。ひよこの大軍に目を奪われた敵の隙を縫うように走り、壁に激突するような勢いでついに駆け抜けることに成功した。

 

「なんでもいいから隠れられるものに……!」

 

 後ろで猛威をふるう鳥に気を取られながらも、必死に手を動かしてコントロールパネルを操作していく。必要なのは"障害物"。

 市街地……。頻繁に使用されるこれも悪くはない、が、やはり足りない。狙撃用に造られたそれは少ない建物しか作り出さないのだ。他には何かないか。

 ……海岸。ダメだ、遮蔽物なんかない。……荒野。ダメだ、岩程度じゃ間に合わない。

 

「――これだ!」

 

 するすると流れるスクロール画面の一つに、滅多に使われない戦場の名が映し出された。

 見つけた。敵から隠れ逃れられる戦場。これなら時間も稼げるはず。

 設定を変更、ボタンを押し込み、演習場のモデルを決定する。

 

地形(フィールド)変更、戦場(モデル)――――」

 

 長大な狙撃訓練場は、その姿を瞬時に変えた。

 

「――――『密林(ジャングル)』!!」

 

 夏目の大声に応えるように突如として木々が生い茂る。幅の広い葉が幾重にも重なり、湿った土の匂いすら感じられるほどのリアルな密林がそこに出現した。

 狙撃の基本はどんな戦場でも変わらない。だからこそ突飛な地形も登録されている。

 さまざまな状況でも焦らず狙撃を行うために三門市では絶対にあり得ない戦場が組み込まれた演習システムは、この時に限っては技術者(エンジニア)にも思いもよらなかっただろう起死回生の一手となったのだった。

 

「よし、これなら!」

 

 迫った鳥弾から逃れ、夏目はその茂みに飛び込んでいく。追いすがってきた弾もトリオンでできた木々に邪魔をされキューブとなってボトボトと落下する。そして初撃モード(ヽヽヽヽヽ)に設定されたフィールドは、破損した部位を即座に修復してまた葉を茂らせた。

 ――やった、やった……!

 上手くいった。夏目は密林の中を駆け抜けながら興奮した面持ちを隠せず露わにする。

 これならあの厄介な生物弾も追ってはこれまい。目を瞠る破壊力の大砲だろうと瞬時に再構成される樹木に邪魔をされて本領を発揮できないはず。

 そして何より。

 

「お返しだ、コノヤローッ!」

 

 取り出したるは狙撃銃、アイビス。

 この訓練場はC級でも使われる彼女たちの庭。滅多に使用されない密林だろうと、どうすべきかは訓練内容に含まれている。

 ――どんな戦場だろうとやることは変わらない。ボーダーの狙撃トリガーはよく出来ている。ちゃんと狙えば、狙ったところにちゃんと当たる――

 かつての講習内容を思い出しつつ構えた狙撃銃のスコープを覗き込み、訓練通り(ヽヽヽヽ)に狙いを定めた。

 

「っしゃ、いける!」

 

 マントと生物弾に防がれたものの、夏目の放った弾丸は人型近界民に直撃した。葉っぱを貫き、木々の隙間を通すように撃った弾は習った通り的に当たったのだ。

 ――ありがとうございます、先輩方!

 先ほどとは打って変わって、頼もしい記憶の中の先輩たちに感謝の念を送る。

 時間稼ぎは充分。いやそれ以上。ここで手こずらせてやれば他が生きる。雨取と一緒に習った戦略の一端を、夏目は初めて噛みしめたのだった。

 

 

 

 

 

(ここは、訓練場か)

 

 突如として姿を変えた巨大な部屋(ヽヽ)を見て、ハイレインは敵の手を称賛した。

 なるほどトリオンでできた密林は『卵の冠(アレクトール)』を無効化し、修復される木々は『雷の羽(ケリードーン)』すらも遮断する。

 そして飛来した狙撃を弾きながら、内心で舌を巻いた。

 ここは彼らの庭。アフトクラトルにはない密林はただの壁にしか見えないが、向こうにとっては慣れ親しんだ訓練場だ。針の穴に通すような狙撃も可能だろう。『雛鳥』といえど、その中には知将の卵が混ざっていたらしい。

 

 これは時間がかかるな。そう判断して新たな命令を下す。

 

「ミラ、あの操作盤を解析しろ。ヒュースは上階へ向かい『泥の王(ボルボロス)』の奪還を、ランバネインは通路の確保だ。俺はミラの防御に回る」

「了解」

「任された!」

 

 通路をくり抜くトリガーで上階へ向かうヒュース。分厚い外壁には小さな穴しか開かなかったが、内部の薄い壁であれば人が通れる程度の大きさにまでこじ開けられる。

 ランバネインは敵兵の影が見えた狭い通路にこれでもかと『雷の羽(ケリードーン)』を叩き込み始めた。この訓練場には通路が四つ……射撃スペースが二層に分かれそこに出入り口が二つある。ミラの大窓を常時開きランバネインに二つ押さえさせ、あとの二つには残ったラービットでも詰め込んでおけばいい。

 操作盤に近寄ったミラを狙撃から守るためにハイレインも寄り添い、どれだけの時間がかかるか彼女に尋ねた。

 

「どうだ?」

「玄界の技術が組み込まれていて、解析には少々かかるかと」

 

 トリガー技術と組み合わされた玄界の技術は独特な発展を遂げ、仕組みを解析するだけでかなりの時間を要するらしい。トリオンに依らない玄界の『機械仕掛け』。平時であればじっくりと研究してみたいものだが、今はそれどころではない。

 頷いたハイレインはランバネインにも問いを投げた。

 

「どれだけ持たせられそうだ」

「トリオンも気力も満ちている。やれと言われた分はきっちりこなすさ。ただ後ろからちょっかいをかけられるのが鬱陶しい。狙撃を止めてくれ」

「承知した」

 

 ランバネインの要求に短く答えて、蜂型の生物弾を弟の背後に纏わせる。トリオンの弾丸を防ぐだけなら数で壁を作るだけで充分だろう。

 

「間もなく敵の増援も来るはずだ。持ちこたえろ」

「了解した!」

 

 玄界にも空間移動のトリガーが存在しているのは確認済みだ。だがここのトリオン反応は潰したため、訓練場に戦力を送るにはランバネインの撃破が必須。狭い通路では激しい弾幕を越えることは難しく、トリオン消費を除けば足止めにいい条件が揃っている。

 

「…………」

 

 ミラの小窓で遠征艇のモニターを確認させてもらう。

 こちらに時間がかかる代わりに、外で敵を引きつけているヴィザの下には続々と敵が集結しているようだ。ヴィザと猟犬、玄界がその双方に主力を差し向けた状態ならば時間を稼ぐには上々か。

 兵を送られるヴィザには相応の負担がかかるものの、アレもまた単体で国を落とす化け物。他の三領主にさえ格段の信頼が置かれた老練の(つわもの)だ。

 

「ヴィザ、そちらはどうだ」

《ええ、次から次へと兵が群がってきております。ですがご安心を……全力を以て排除してみせましょう》

「ああ、任せた」

 

 『星の杖(オルガノン)』は超広範囲の円状斬撃トリガー。壁の硬い玄界の砦内部ではその力を充分に発揮できない。

 だが屋外で敵を引きつけるにはなんの問題もない。むしろ全力を出したヴィザならば敵の戦力を削ぎ落していってくれるはずだ。たとえその中に(ブラック)トリガー使いや『黄金の虎』が紛れていたとしても。

 

「今のところは順調か……」

 

 『黄金の虎』はヴィザが。『金の雛鳥』はまだ発見できていないが、『泥の王(ボルボロス)』は探知できている。

 勝利条件はどれかひとつでもいい。

 ここがいざ突破されたとなれば『雛鳥』の捕獲を捨ててヒュースに合流すれば攪乱にもなるだろう。ハイレインは密林に潜む『雛鳥』の可愛らしい牙を叩き落としながら静かに唇をゆがめた。

 

 

 

 

 

 

《よくやった! きみはたしか、C級の》

「夏目出穂っす!」

 

 密林に潜んだ夏目の耳に聞き覚えのある声が届く。訓練でも世話になった東春秋の声だ。

 

《ここ隠れる場所もなかったしイコさんらどっか落っこちていってまうし、助かりましたわ》

「えと……」

 

 こちらは覚えのない関西弁。返事につまるとゆっくりとした口調で自己紹介された。

 

《B級生駒隊の隠岐孝二や。よろしく頼んますわ》

「う、うっす!」

 

 あまり記憶に残っていない隊員だったが、どうやら狙撃手(スナイパー)の先輩らしい。

 

《ここへの空間転移(ワープ)はもう無効化されているらしいな。他の部隊は正面突破するしかないみたいだ》

《下手に(つつ)かんと隠れときます?》

《いや、赤い髪の女がコントロールパネルを解析している。どれだけかかるかわからないが放置はできない》

「じゃあ、それを邪魔するんっすか?」

 

 差し出がましいとは思いつつも、夏目も彼らの作戦会議に参加した。

 C級隊員である彼女にはオペレーターなどついているはずもなく、東らが通信を切ったあと再度繋げる手段がない。その不安から口を出してしまったようだ。

 この状況を生み出してくれた夏目を無下にすることはせずに、東がまるで教師のような口調になる。

 

《狙撃訓練場への戦力追加を抑えているのは赤い髪の女のトリガーと、大男が持つ大火力のトリガーだ。上階の通路はトリオン兵が抑えていて、突破はしやすそうでもここからじゃ射線が通らない。

 狙える範囲の近界民のどちらにも防御のためのキューブ化させる弾がついているが、本体は女の方に近い》

「てことは」

《大男の方を狙うんっすね!》

「わっ!?」

 

 突如紛れた少年の大きな通信音声に夏目の両肩が跳ね上がる。

 

《小荒井、あんまりでかい声で作戦をもらすな。向こうに聞こえたらどうすんだよ》

《わりーわりー》

 

 諫める声も少年のもの。この二人の声は夏目にもうっすらと聞き覚えがあった。狙撃訓練が終わった際、東を迎えに来た東隊の二人――たしか小荒井と奥寺だったか。

 苦笑交じりになった東が締めくくる。

 

《俺たちがすべきは現状の打破。それに必要なのが通路の確保だ。外と連携して突入経路をひとつに絞り一気に叩く。

 狙いは小荒井が言ったように大男のほう。やつを落とせば基地内部の残存部隊でも残りの黒トリガーを抑えることができるはずだ》

《了解!》

《了解です!》

《C級にも手伝ってもらうぞ。人見、狙撃手(スナイパー)用トリガーを持っている隊員をリストアップしていつでも通信を繋げられるようにしておいてくれ》

《わっかりましたー》

 

 東の指示にオペレーターの人見摩子が応答する。続けて他の隊員にも指示を出して作戦を盤石のものにしていった。

 

《小荒井、奥寺、南沢の攻撃手(アタッカー)組は人型や新型トリオン兵がこっちに向かってきた場合の援護を任せる。いいな?》

《うっす!》

《任せといてください!》

《了解っす!》

 

 攻撃手たちの元気にあふれた返答が夏目のやる気をも奮い立たせる。

 さすが正隊員たちだ。彼らに従って作戦を実行すれば何も不安はないと思わせてくれる。

 

《さあ、反撃だ!》

 

 

 




 


 


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第三十一話

 

 

 

 ボーダー本部基地南部。基地からさほど離れていない場所で激しい戦闘が繰り広げられている。

 敵は一人、(ブラック)トリガーを使う老人。

 対してボーダー側は十人を超える合同部隊だ。屋上の狙撃班を加えればさらに多い。ばら撒かれたトリオン兵も叩き潰したいま、戦力では完全に上回っているはずである。

 

 なのに、戦局は拮抗……いや、ボーダー側が押されていた。

 

「《なんだ、こいつは……》」

 

 努めて無表情のまま、二宮隊隊長・二宮匡貴が眼前の敵の脅威に舌を巻いた。

 一人の老人に合同部隊が押されている。自らに(たの)むところ(すこぶ)る厚い彼であっても、この現状はいささか非現実的に映っていた。

 まず、弾が当たらない。

 No.1(ナンバーワン)射手(シューター)である己の両攻撃(フルアタック)や、加古隊隊長・加古望の『追尾弾(ハウンド)・改』でさえ敵に攻撃が届いていない。避けられているのではない。全てかき消されているのである。

 伸ばした円の軌道上をブレードが走る仕組みの黒トリガー。聞かされてはいたが数百に至る弾幕を一つも取りこぼすことなく斬り潰すとは、いったいどんなトリガー制御技術を持っていれば叶うのか。

 

「《オイオイ、全然近づけねーぞ》」

 

 影浦隊隊長の影浦雅人もブレードの範囲外に退避しながら唇を噛んでいた。

 『感情受信体質』のサイドエフェクトを持つ彼はその性質上狙撃や奇襲にめっぽう強い。逆に敵の意識の外から奇襲することも得意分野である。が、目の前の敵からは異質なものを感じ取っていた。

 敵はこちらを見ていない。なのに、意識を向けられている(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)

 射手(シューター)銃手(ガンナー)組の全力攻撃(フルアタック)を全て斬り潰しながら、である。

 防御で手一杯かと思いきや、その展開領域に一歩でも踏み込んだら間違いなく切り刻まれるという確信めいた予感。影浦はほんの一瞬の隙さえ見せない敵の気迫に圧されていた。

 

「《俺が崩します》」

 

 三輪がハンドガンを携えて通信に声を乗せた。

 音すら切って殺せそうな超高速のブレード。まずはあれを止めねばどうしようもない。

 敵は弾を全て撃ち落とす技術の持ち主。ならば『鉛弾(レッドバレット)』は有効なはずだ。

 

「《手を貸せ、白チビ》」

「《ふむ、了解した》」

 

 鉛弾を持っているのはこのメンバーでは三輪だけ。だが同じ能力を持っている人物ならもう一人いる。三輪からその能力をコピーした空閑遊真だ。

 ――まさかこいつと協力するとはな。

 二人は同時にそう思っていた。最悪の出会いと最悪の相性。そんな彼らがまともに協力しあえるのか。……今の二人なら大丈夫だろう。「敵を倒す」――その目標が同じ限り、私情より効率を取る彼らは、今だけは因縁も忘れてコンビネーションを発揮する。

 

「《タイミングはそっちに合わせる。準備ができ次第撃て》」

「《OK。……『射』印( ボルト )(プラス)『錨』印( アンカー )四重(クアドラ)!》」

 

 夜の闇に溶け込むような黒い弾が射出される。援護するように二宮や加古から放たれた弾丸にも紛れ、漆黒の魔弾の必中は確実と思われた。

 しかし弾が殺到した瞬間、敵の姿が掻き消える。

 

「重石のトリガーはもう見ました」

「――――!?」

「やば――」

 

 不可視の移動。囲むように撃たれた追尾弾(ハウンド)すら掻い潜って三輪と空閑の前に老兵が肉薄していた。どうやって、などと考えている暇はない。敵は手持ち(ヽヽヽ)の剣で彼らを斬るつもりのようだ。

 反撃、は間に合わない。防御、も意味がない。太刀を防いだとて周囲のブレードが通過するだけでその身は寸断される。

 

「む?」

 

 剣を振るう直前、何かを察知したのか老人は高く飛び退った。

 寸前まで立っていた場所に薄緑色の斬撃が突き立つ。迅が放った風刃のブレードだ。

 

「跳んだな」

 

 そして虎視眈々と狙いを定めていた大河の、低く獰猛な声が宵闇に響いた。

 直後地を震わせる極大の咆哮が放たれる。しかも一発や二発どころではなく、目を瞠る威力のそれを何十と撃ち続けていく。

 初めて大河の攻撃を見た合同部隊の隊員たちは一瞬敵のことすら忘れてそのさまに気を取られた。見ないでもわかるほどの高トリオンの砲弾をあれだけ撃つとは、いったいどんなトリオン量をしているのか、と。

 半ば呆然とした隊員たちの視線には見向きもしなかった大河だったが、砲撃を終えたあとは己も目を見開く事態になっていた。

 

「……これはまた、恐るべき威力ですな」

「マジか、こいつ……」

 

 杖剣を携えた老人が何事もなかったかのように着地したのである。目に見える傷はひとつすらなく、初対面からずっと変わらない柔和な顔をして地に足をつけている。

 

(やばいな、こいつ(ヽヽヽ)は)

 

 大河は見た。己の砲弾は寸分違わず全て敵近界民に殺到していた。眩しいほどの極光の塊は残響すら置き去りに敵を消し飛ばすはずだったのだ。

 しかし敵の展開するブレードにより、斬り飛ばされたのではなく、弾き飛ばされた。真正面から受けず、超高速のそれにそっと添えるような柔らかさで弾道を逸らされた。

 これはやばい――近界(ネイバーフッド)を渡り歩いた大河はかつて出会った黒トリガー使いにも同様の脅威を覚えたことが数多くある。しかしトリガーの能力ではなく、使い手(ヽヽヽ)にその念を抱いたのはこれが初めてだった。

 

 敵の黒トリガーの能力は円の軌道上にブレードを走らせるもの。

 端的に言えば無数の剣を同時に振るえるだけ(ヽヽ)。もちろんその速度や範囲は驚異的ではあったが、所詮は中距離武装、ハイドラで粉微塵にすればいいと考えていた。

 だがあの使い手は防御も、反応すらも間に合うはずのない超威力・超高速の砲撃を、撫でるような柔らかさで逸らしてしまった。並ではないどころの話じゃない、異常に過ぎる。

 

「《おまえら、いったん基地の壁まで下がれ》」

 

 目前に立つ敵の、嗅覚では探ることすらできない脅威に対し、大河は認識を改めた。

 これは中身(ヽヽ)が気になるなどとは言っていられない。速やかに、確実に始末せねばならない難敵だ。もとより換装が解かれた生身ごと消し去るような威力の砲撃を行ったが、まだ足りないらしい。

 殺すことは単なる手段、目的はその中身。そういう嗜好の大河をして、この老兵は危険すぎた。元より敵を軽んじるようなことはせずとも、その危険度は想像すら超えていたのだ。

 

 数ではダメだ。点の攻撃は弾かれる。ならば面で押し潰す。

 シンプルに考えた大河は味方を退避させ、跳びあがって左肩のハイドラを作動させた。老兵の脅威を計算に入れ、他への被害など考えない超威力の炸裂砲弾(メテオラ)を装填する。

 

「――――くったばれや!」

 

 轟と吼え、基地からほど近い場所で基地より大きな赤熱の火球を生み出した。

 防御など許さない。回避など認めない。大河の仮借なさがそのまま顕現したような爆炎は大地を蒸発させ、いくつかの地下通路をも圧し潰して辺りの地形を変えながら燃え盛った。

 

「《うわ、めちゃくちゃするなぁ木場さん》」

「《やばいな、タイガー先輩》」

 

 迅や空閑の呑気な声が通信に乗るが、二人と三輪を除く他の隊員たちはたまったものではない。

 なんの心の準備もしていなかった彼らは爆風で基地外壁に叩きつけられ、身動きすら取れない状態なのである。

 

「《ふざけた威力だな……》」

「《……マジかよ》」

 

 二宮や影浦ですらその威力に驚かされている。

 しかし大河はそれらに返す余裕がなかった。彼のサイドエフェクトは今も敵の存在を感じ取り続けている。

 

「チッ……!」

 

 円が伸ばされたことを察知した大河は咄嗟に両肩を抱きしめるように腕を交差させ、身体全体を覆うほどの爪で防御に徹した。

 直後に響く鋭い音。何発分もの音が繰り返しこだまし、空中でピンボールが如く弾きまわされてから今も赤く融解している地面に叩きつけられる。

 

「……硬い」

 

 遠くで老兵が評するのが聞こえる。しかし強がりを言う余裕すらない。

 

《避けた? アレを?》

 

 ミサキの驚く声も聞こえてくる。

 埋まりかけた身体を地面から引きはがした大河はすぐさま地を蹴って距離を取った。半球状に大きく窪んだそこに相変わらずの無傷で降り立った近界民に忌々し気な視線を送りながら。

 

「ブレードに、自分を弾かせたのか」

 

 大河が虎のような警戒姿勢をしたまま呟く。

 今さっき自分が食らった連続斬撃、敵はブレードの()で同じように自身を弾き飛ばしてハイドラの火球を回避したようだ。目に見えない高速移動、空閑と三輪に襲い掛かった時も同様の手法で迫ったのだろう。

 自分を弾いて移動する。言うだけならば簡単だ。ボーダーにもグラスホッパーを利用する似たような技もある。だがこれは鋭さも範囲も桁違いである。察知も難しい高速斬撃と同等の速度で向かってくるとは。

 無数の剣を同時に振るえるだけ――そんな評価は間違いも甚だしかった。角つきではないはずのこの近界民は真の意味でトリガーと一体となっている。どれだけの修練を重ねればその域に達するというのか。単純な仕組みのはずの黒トリガーをしかし、(おの)が指先より遥かに自在に使いこなしている。

 

「……まずいな」

 

 初めてだ。絶対に勝てないと思ったのは。

 大河は数多の黒トリガー使いと対峙して、その能力に驚かされ、そして奥の手の緊急脱出(ジャガーノート)を使ったことも多々あった。だが当時、大河はそれらの近界民相手でもやりようによっては勝ち筋はあるとどこかで思っていたのだ。

 彼は手段を問わない。消耗戦、一撃離脱。果ては脅迫、人質だって使って近界(ネイバーフッド)を蹂躙してきた。

 しかし目の前の敵はそのどれもが通じないだろう。無論、戦場の違いもある。ここが玄界(ミデン)の地でなければ戦い方は大きく変わる。けれども現実としていまここは玄界であり、ボーダー基地近くの最終防衛ラインである。

 

 この状況、唯一勝ち筋が見えるのがトリオンのスタミナ勝負だが、勝敗が決するまでに自分以外の全てが切り刻まれる方が早いと断言できる。あの黒トリガーはシンプルがゆえに消耗が少なく、本人の総量は高い。

 油断でもしてくれていれば殺し切れた可能性もあった。この強化戦闘体の性能を知らず、この侵攻においてアフトクラトルが優位な状態で出くわしたなら意識の外から首ごと刈り取れたかもしれない。

 しかしいま、現在においては。

 老兵は一欠けらの隙も見せていない。ブレードを展開する領域に踏み込んだものは、砂の一粒すら斬り分かつ気迫が感じられる。

 

「大河さん、下がってください!」

 

 聞こえた声に大河の身体が動かされた。無意識の内に跳び退った彼を、しかし示し合わせたように庇う援護射撃の弾幕が形成される。

 

「わり、助かった」

「いえ。敵の攻撃を受けたようですが、ダメージは?」

「なんとかガードできたわ。たぶん次は無理だろうけどな」

 

 ハンドガンを打ち続ける三輪の近くまで下がり、態勢を整える。

 

「おれがやった時とはレベルが違うな。あんにゃろう、まだ手の内隠してたのか」

 

 空閑も弾を射出しながら唇を尖らせていた。

 先日、全力で臨んでいた戦闘。追い詰められてはいたものの、反撃手段を、勝ち筋を構築した矢先にあの老兵は去っていった。だがその時思いついた戦法は今実行したところで一瞬にして斬り捨てられるのがオチだろう。

 あの時の敵は余力を残していた。そこが隙となり一筋の光明となっていたのだ。

 それが今はない。どれだけ鋭く切り込もうとも、踏み出した瞬間に微塵にされる。

 己の強さから戦闘中に油断をする。それはいい、そこを突いて勝てるのなら文句はない。けれどもどこかで見下されているというのはやはり腹立たしい。

 

「さすがに木場さんでもありゃキツイみたいだね」

「うっせ迅」

 

 迅がこぼした言葉、大河はからかうような声音だったそれに短く言い返す。

 業腹だが、アレは一人では手に負えない。迅が予知したのはこれだったか。

 悔しさに歯噛みしてからしかし、大河はその感情を己で意外に思って眉根を寄せた。

 その身は戦闘狂ではない。そのトリオン能力を自らがもつ目的のために費やして行動する彼は、特別な改造を施された破格のトリガーさえ一つの道具としか思っていない。

 ならばこの感情はなんだ? ささくれ立った心の内を覗き見て、大河は思う。

 ……驕っていたのだ。莫大なトリオンによって実現した圧倒的破壊力に、最終的に何もかもを力で叩き伏せてきた己にいつしか酔っていた。小細工など通用しないとたかをくくっていた。たとえ、黒トリガー相手だろうと。

 だが、今の敵はどうだ。

 此度の敵もまた黒トリガー。しかしその能力はシンプルなもの。己との間に分厚くそびえ立っている壁は、純粋な技量の差。

 

(まあ、反省は後だな)

 

 感情を押し込め冷静に考える。ここで勝たなければ反省などなんの役にも立たない。

 幸い()はある。それは自分自身も含めて。

 手段を選ばない彼は素直に現状を振り返った。使えるものはなんでも使う。それが大河の主義。

 

「《慣れねーが、一手ずつ詰めてくしかねーな、ありゃ》」

「《そのようですね》」

 

 大河の言葉に三輪も頷く。高く、厚い壁を切り崩すには、この場にいる全員が奮起せねば叶わない。今だけは嗜好も、感情も、全てを無にして戦いに没頭する必要がある。

 

「《誰か指揮(シキ)れるやついるか?》」

 

 全体に向けた通信でそう問うと、意外そうな声音が返ってきた。二宮の声だ。

 

「《たしかあんたが一番年上だったろ。素直に年下の言うことを聞くのか?》」

「《役に立つなら歳なんざ関係ねえ。俺あずっと個人(ソロ)だったから連携とかわかんねーんだよ》」

 

 そう言い返すと納得したような様子を見せる。

 

「《迅さんは? サイドエフェクトであのジイさんの弱点とかわかんないの?》」

 

 続けて空閑が迅の名を推薦した。

 しかし「うーん」と唸った迅は指揮官の地位を辞退した。

 

「《あのお爺さん、隙とか弱点とかなさそうなんだよなぁ。攻撃が速すぎて予知しても間に合うのおれだけだし》」

 

 何より、と続けて言う。

 

「《ここはみんなに任せた方がいいって、おれのサイドエフェクトは言ってるよ》」

 

 そう言っておきながらも迅はこの展開を意外に思っていた。

 大河の人柄は訓練相手をしていた頃から知っているつもりだった。このような場面になった時、あの凶暴な特S級隊員はがむしゃらに突っ込むものだと考えていたのだ。

 そしてあえなく負けてしまう。だからこそブレーキ役たる彼の妹に釘を刺しておいた。一人で戦えば敗北するかもしれない、と。

 

 迅の予知は選択肢による分岐、それぞれの"可能性の高さ"を推し量ることができない。疑似的に行う「こうなる確率が高い」という推測はその人物の行動原理と、己が及ぼせる影響範囲での類推にすぎないのである。

 だから意外であった。大河が「他人を頼る」という選択を迷わずとったことが。

 望み薄だと思っていた未来へのレールが今、はまり込む。

 ――これを死守せねば。

 どうすればいい? その答えこそが先の回答。「みんなに任せた方がいい」とサイドエフェクトははじき出した。

 

「《ふむ》」

 

 空閑の頷く声を最後に、しばらくの間が空く。

 敵は強力無比。そしてここは最終防衛ライン。基地の中でも未だ戦闘は行われており、さらにA級の主力たちは市街地を防衛中である。

 そんな責任の重さからか誰もが名乗りを上げずに黙り込んだ。

 

「《二宮さん、どうですか》」

「《……俺か》」

 

 三輪が問うと、二宮の静かな声が聞こえ、そして反駁する声も二つ響く。

 

「《あら、二宮くんなの》」

「《ケッ、おまえかよ》」

「《……何か不服か?》」

 

 加古と影浦の不満たらたらの声音はしかし、文面だけはすでに認めているようなものだった。

 この場にいる人間で、二宮の指揮能力がもっとも高いと二人も認識しているのだ。

 

「《ヘマこいたら一生笑ってやるよ》」

「《あら、それいいわね。二宮くん、気負わずやっちゃいなさい。私も笑ってあげるわ》」

「《……ふん。決めたぞ、おまえらは囮役だ。とっとと突っ込んで死ね》」

 

 軽口を言い合いながらもそれぞれがもっとも得意な距離で陣形を立て直していった。

 加古隊の黒江双葉が加古のそばへ、喜多川真衣は特殊工作兵(トラッパー)として姿を消す。

 影浦隊の北添尋は基地の壁まで下がり、狙撃手の絵馬ユズルは屋上から狙いを定める。

 三輪隊、大河、玉狛組、そして基地から送り返された(ヽヽヽヽヽヽ)中で唯一生存していた村上もカバーしあえる範囲で広がり、不意打ちにも対応できる距離を保つ。

 

「《全員、距離を取りながら武装を教えろ。特にS級の二人と玉狛のチビ、何を持っているかわからないのでは話にならん》」

「《それもそうだね》」

「《OK》」

 

 二宮の要請に迅と空閑は頷いたが、大河だけはそれに待ったをかけた。

 

「《あんまゆっくりしてらんねーぞ。向こうの気まぐれで何人減るかわかりゃしねえ。そんなんじゃ作戦の立てようもないだろ。

 俺のトリガーの情報はオペレーター経由で渡しておくから五分以内に決めろ、その間はどうにか押さえる》」

 

 彼が言い出たのは時間稼ぎだった。

 とはいえ単独で押さえきれる相手でもないだろう。ちら、と周囲に視線をやると、一人の隊員がその意を汲み取った。

 

「《オレが囮になります。この中じゃ一番浮いてる(ヽヽヽヽ)駒だ》」

 

 剣と盾をそれぞれ両手に携えた村上が申し出る。

 狙撃訓練場からここに弾きだされた彼は隊長と同僚をすでに討たれ、鈴鳴第一としての役割はもう果たせそうになかった。その状態では複合部隊での作戦にはあまり役に立てないだろう。近接攻撃をしかけるだけでも至難の相手ならなおさらだ。

 そういう判断を下した村上であったが、影浦からひそやかな通信が届いた。

 

「《鋼、いいのか?》」

「《ああ。オレたち(ヽヽヽヽ)が勝てるんなら何も文句はないさ。だから後は頼むぞ、カゲ》」

 

 ふだんは無骨なくせにこういうところで気にしいな部分を見せる友人に、村上は苦笑したくなるのをどうにか堪えた。ここで笑ったらせっかくの気遣いが暴言に変わることだろう。

 

《おい鋼、一人だけかっこつけてんじゃねーぞ》

 

 通信に紛れ込んできた新たな声とともに基地の屋上から近界民めがけて狙撃が降り注ぐ。それに守られるようにして一人の隊員が地上部隊に合流した。

 狙撃班の中で唯一近接武器を持つ荒船隊隊長、荒船哲次が弧月を抜き放って村上に並び立つ。

 

「《あのジイさんには狙撃も効果が薄いっぽいしな、囮でも役に立てるんならこっちのほうがいいだろ》」

「《悪いな荒船、助かる》」

「《おう。カゲ、ここは俺たちに任せな》」

「《……おめーはそれ言いたいだけだろ》」

 

 アクション派スナイパーの趣味を知っている影浦がぼそっとこぼすと、荒船は気さくそうに笑った。

 

「《バレたか。まぁ、それでもタダでやられるつもりはないけどな》」

 

 荒船が振り返った先で、大河が頷く。

 

「《五分だ。俺が取りつく、おまえらは可能な限り死なねえように敵の気を引け。最悪俺ごと攻撃しても文句は言わん》」

「《わかりました》」

「《了解した》」

 

 各自が自分の役割を理解して駆けだした。

 おそらく負けることになる。大河はまだしも、他二人は間違いなく落とされると確信していた。

 だが、()に繋げられるなら本望。ボーダーの訓練はそうやって積み重ねていくのだ。そして訓練は来たる実戦に向けて行うもの。

 今こそその本懐を遂げる時――

 

 

 



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第三十二話

 

 

 

「……来ますか」

 

 老人の静かな声とは裏腹に、一撃で一切合財を薙ぎ払うような剣撃が振るわれる。

 あらゆる方向から叩きつけられる超速のブレード群。大河は虎爪で自分を囲うようにしてなんとか防ぎ、その身を敵の目前にまで運びきった。

 この近界民(ネイバー)はなにも降り注ぐ弾丸の群れを一つの円で防いでいるわけではない。幾層にも重ねられた防衛圏を構築して斬り潰しているのである。

 そこへ突っ込み強引にこじ開けて、中心部にまで至ってしまえばそうそうブレードは振るえまい。そんな風に考えていた大河はしかし危険な匂いを感じ取って地に爪を喰い込ませた。

 

「――ふっ!」

「っぶね!」

 

 展開するブレードに匹敵しかねない杖剣の一閃を、爪による強制的な姿勢制御でどうにか躱す。

 いくら生身の筋力が関係しないとはいえ、イメージもできない動きはいかなトリオン体だろうと再現できない。この一筋の剣戟はそれだけで相当な研鑽を積んできているのが理解できる鋭さだ。やはり生半な覚悟では眼前に立つことすらままならないらしい。

 

 だが大河の戦闘体はそういう『技量』を圧し潰すために開発された驚異の性能をもつ特注品。

 第一拘束を解除した彼はサイドエフェクトと物理法則を無視するような体捌きで無数の刃を潜り抜けた。剣が見えなくとも円の形くらいは把握できる。様々な角度、広さで伸ばされる展開領域から刃が及ぶまえに身を翻し、僅かな隙を縫って爪を振るう。

 

「ンのやろ!」

「ぬうっ……!」

 

 ほんの少し生まれた敵の体勢の歪みに、村上と荒船が弧月を煌めかせる。

 

「「旋空弧月!!」」

 

 射撃手段を持つ隊員からは常に援護射撃が放たれている。そこへさらに囮役の二人がオプショントリガーを起動して遠距離から斬りかかった。

 

「ほう、伸びる斬撃とは面白い」

「……簡単に止めやがって」

 

 腹立たしいほど余裕のある微笑み。

 闇夜を切り裂く剣閃はそんな微笑を浮かべた敵へ届く前にかき消されてしまった。未だ目に映らぬブレードはその総数も形もはっきりとはわからない。厚い弾幕を削り、目の前で荒ぶる虎の爪を弾きながらもまだ余裕があるというのか。

 忌々しく吐き捨てた大河が囮役二人に向きかけた敵の意識を剥ぐために躍りかかった。

 

「どこ見てやがる!」

 

 僅かに首を反らした敵へ腕を振りかぶる。

 目の前に己が立っているのに他に意識を割く余地があるのか、などと今さら問うまでもない。今も弾丸は降り注いでいるのだ。しかし視線をも外したその動作は死角を嗅ぎつけた大河の身体を半ば反射的に動かさせ、彼を罠へと引きずり込んだ。

 

「隙だらけです!」

「ッ!」

 

 老兵の杖剣が振りかぶった右の二の腕を捉える。相変わらず驚くべき剣速の一閃。――が、硬質な音(ヽヽヽヽ)が響いて、その刃は通り過ぎることなく浅く食い込むにとどまった。

 

「――な」

「残念、ハズレ(ヽヽヽ)だ」

 

 強化戦闘体(フェンリル)には骨に相当する部位が内蔵されている。これは超高密度のトリオンでできており、関節部以外、とくに動きの少ない腕や脚には厚さのあるものが使用されているのである。たとえ攻撃に特化したブレードトリガーだろうと容易には斬り落とせない。

 間違いなく斬り飛ばせると確信していたであろう近界民は一瞬動きを止めた。その隙を逃さずに刃が食い込んだままの右腕を強引に叩きつける。

 

「トリオン体まで硬いとは、いやはや」

 

 大振りの一撃は虚を突いたにも関わらず避けられてしまった。しかし目的だった敵の意識は間違いなくこちらに向いている。今はそれで良しとしよう。

 自らを納得させた大河の眼前で杖剣を持ちなおした老兵は、さらなる鋭さをもって斬撃を繰りださんと腰だめに刃を構えた。

 

「――ならば首を落としましょう!」

 

 この硬度は関節にまで及ぶまい。一瞬で見切ったのか老兵は次手に首を薙ぐ一閃を選択した。けれども首を挟む両肩についた大砲は、暴発を防ぐために大量のトリオンを注ぎ込まれている。つまり大河が操るトリオン体の中で、この砲塔が(ヽヽヽヽヽ)もっとも硬い(ヽヽヽヽヽヽ)

 

「そっちは大ハズレだ!」

「ぐっ!」

 

 まさかそれそのものが攻撃用の武器ではないはずの大砲、そんなものがこれほどの硬度を持っていたとは思いもよらなかっただろう近界民は、今度こそ不意を突かれてその身に傷を刻まれた。攻撃を受けないと睨んだ大河はそのぶんだけ敵の回避を織り込む余裕があったのだ。

 

 とはいえついたのはほんの小さな切り傷にすぎない。

 左の大腿に刻まれた僅かな傷は少量のトリオンを漏出させてから薄く消えていく。

 

「……厄介ですな。やはりあなたにはここでご退場願いたい」

「ああ、おまえを殺したらそうするわ」

 

 老兵がこぼすぼやきを剥き出しにした犬歯で噛み砕いて笑う。

 降り注ぐ弾幕を防ぐには相応のブレードの数が必要、こちらを仕留める動きをするなら僅かでも隙が生まれるだろう。それを目に見えない玉の(きず)として責木(くさび)を撃ちこめば、あるいは。

 あえて挑発するように手をひらひらと動かした大河は内部通話で囮役の二人に通信を送った。

 

「《隙を逃すなよ》」

「《わかっています》」

「《いつでもいけますよ》」

 

 サイドエフェクトによる事前察知。野生の獣のような警戒態勢の前で、老兵がすっと杖剣を持ちあげ、片手でそれを支える構えをとった。

 何かする気か。

 ちりちりと肌を焼くような気配。今まで振るっていた黒トリガーはシンプルな性能だ、まだ他に何かあってもおかしくはない。隠していた別の能力でも発動するのか。

 油断せずにそのさまを睨み続けていると、円の一つが近界民と自分を結ぶ軌道で展開された。

 ブレードで自らを押し出す超高速の突き。そう見定めた大河が跳び退り、直後に悟る。

 ――やられた!

 

「――っ!?」

 

 眼前から姿を消す老兵。その背後に陣取っていた村上が胴体を真っ二つにされて凝然と目を見開いた。

 近界民の狙いは大河ではなかった。いや、大河だけ(ヽヽ)ではなかったのだ。

 展開した円軌道はたしかに二人を結ぶように伸ばされたのだが、それを(はし)るブレードは突きの姿勢を見せた老兵を押し出すのではなく、大河の背後から襲い来た。そして避けられたと見るや刃の向きを変え、自身を弾いて背後の村上に斬りかかったのだ。

 まさに突きを放たんとする体勢こそフェイク。次善の策まで練られた急襲は攻撃のために気を張っていた村上に防御すら許さず真一文字に身を分か断った。

 

「……スラスターON!」

それ(ヽヽ)は知っておりますよ」

 

 最後のあがきに放たれたレイガストの一撃もあえなく(はた)き落とされる。先の侵攻時に誰かがスラスターを使うところを見られていたようだ。知っている動きが全て通用しないなど、厄介どころの話ではない。

 歯噛みした村上が緊急脱出(ベイルアウト)を発動して夜空に昇っていく。

 

「《チッ……。おいあと何分だ?》」

「《……あと、四分ですよ》」

 

 残った囮役の一人、荒船が重々しくこぼす。

 極限まで集中して行う戦闘は時が凝縮するような感覚になる。ふだんより高速化する思考がそうさせる時間経過の錯覚に、大河はもう一度舌を打った。

 

 三人がかりでよもや一分しか稼げないとは。ここが玄界でなければもう少しやりようも……。

 生まれかけた言い訳を強引に飲み下す。しかし一瞬の弱音さえ読み取られたのかミサキの声が戦闘体内部に響いた。

 

《……兄貴》

「《わかってる》」

 

 交わした言葉はそれだけ。

 たったそれだけで木場兄妹はしっかりと意思疎通を果たしていた。

 ここで負ければ後ろにいる合同部隊をも切り刻んで、この老兵は基地にまで乗り込むだろう。そうなった場合、おそらく助かるのはほんの僅かな人数だけだ。遠征艇に乗せられる人数に制限があろうと、アフトクラトルがもつ黒トリガーはそれすら取り払える。キューブ化すれば数百程度の人員は貨物室にでも押し込めるのだから。

 ここで、負ければ。

 もしそうなりかねないと判断した時には、もはや玄界(ミデン)がどうのと言っている場合ではなくなる。つまり、二人はこの危機に際して規格外を誇るトリガーを完全開放し、この一帯ごと敵を消し去ることを視野に入れ始めているのである。

 超高速移動すら覆う超々広範囲の殲滅爆撃。この老兵を殺すにはそれだけの手段が必要だ。自分を――自分たち以外をあまり信用しない木場兄妹は背後の合同部隊に対してそこまで期待していない。彼らが木場隊を打倒する相手に確実に対抗できるかと考えた時、頷くことはできなかったのだ。

 行えばボーダー基地をも半壊させかねない攻撃だろうと、地下深くにある遠征艇に緊急脱出(ベイルアウト)する妹は助かり、兄を思うミサキはそれを止めない。

 

 戦いは迷った方が負けだ。

 近界(ネイバーフッド)遠征で培った徹底的なまでの危機管理。大河の冷徹な思考は妹以外の全てを犠牲にしても天秤を揺らすことはない。

 ……ともあれ、それは最終手段だ。勝つことを諦めたわけでもないのだから、今は置いておくべきだろう。

 

「…………」

 

 ざりざりと足の爪で地を掻く。

 突進前の威嚇のような動作をしながら、距離のあいた近界民を睨みつけた大河はもう一度踏み込むために脚に力を込めた。

 出力を抑える鎖が解かれた戦闘体は残像すら映す初速でもって敵に肉薄する。

 

「――今度は当たり(ヽヽヽ)のようですな」

「……!」

 

 その残像とともに右手を置き去りにさせられた大河は振り向きそうになった首を強引に敵の方へ縫い付けた。

 今の出力での制御は自分でも難しい。そんな状態で元から目で捉えられない剣の嵐に突っ込むのだ、落ちたのが首でないだけマシ――そう思え!

 手がなかろうと爪は生える。これは肉体でなくトリオン体。肘から先に突き出た刃を振るって杖剣を弾く。

 

「旋空弧月!!」

 

 叫ぶ荒船の声。視線すらやらずにおいたが、それは大河だけであった。

 

「っ!?」

 

 荒船の宣言(ヽヽ)に釣られて伸びる斬撃を警戒していた近界民は、線状ではなく点で飛んできた攻撃に目を丸くした。

 今は剣士として振舞っている荒船の本職は狙撃手(スナイパー)、いつの間にか狙撃銃に持ち替えていた彼は「見た攻撃に即座に対応する」老兵の、ある種の癖を逆手に取ってだまし討ちを行ったらしい。

 しかしそれでも援護射撃を削り潰す異常な使い手。旋空より早い狙撃の弾とはいってもそれを落とすのに造作もない。

 狙撃の反動が消える前に伸びた円に荒船が捉えられ、避けきれないと悟って出したシールドごと横に分割されてしまった。

 

「《すんません、あと……三分っす》」

 

 ひびが広がって、荒船の戦闘体が爆散する。

 ああ、まいった。一人で三分は難しい。となると――

 大河の思考が危険な領域にまで及んだその時、彼と、同時にボーダーをも救う声が通信に乗る。

 

 

「《――――よし》」

 

 

 二宮の静かな声が大河の選択を止めた。

 彼は五分とされた作戦立案時間を使い切ることなく、ものの二分で組み立てたのだ。

 村上と荒船の犠牲は無駄ではなかった。短い時間に済んだ背景には二宮に反発しがちな影浦が親友(とも)のためと文句を飲み込んだことが大きい。そんな偶然が積み重なってボーダーは近界民の手ですらない消滅の危機を逃れたのだった。

 

 巨大化させた爪で強引に敵を振り払い、戦闘開始前の距離に戻って尋ねる。

 

「《……決まったのか》」

「《なんとかな。あんたの右手がなくなったのは痛いが……》」

 

 右肘から先で輝くブレード。爪を生成し攻撃はできても、柔軟な動きはさせられそうにない。

 二宮の指摘に大河が妹の名を呼ぶ。

 

「《問題ねえ。おいミサキ》」

《あー……、もうっ! やってやるわよ!》

 

 髪をくしゃくしゃにする音と、計器を叩く音。ややあって大河の右ひじから伸びるブレードの束が形を変えていった。

 メキメキと音を立てて変形した姿は巨大な右腕(ヽヽ)。もとより伸びる爪の数は五。であれば自在に形を変えるブレードで腕を構築することも可能である。

 とはいえ腕の動きを完全に再現させるには緻密な調整と、大河の思考をつぶさに追跡(トレース)する必要がある。ミサキも実際にやるのは初めてだ。最大限に集中せざるを得ないこれを行っている限り、もうハイドラの加減もできなくなるだろう。

 

「《……なるほど規格外と言うだけある。まあいい、これで全て出揃った》」

 

 二宮は両手にキューブを生み出しながら敵を見据えた。

 囮役のおかげで、なんとか必要な人員を減らさずに作戦を練ることができた。ここまで来たなら、あとは敵が全力を出してしまう前に殺し切るべし。

 

 

「《攻撃を開始する》」

 

 

 高い壁への挑戦。険しく遠い道のりへ足を踏み出した。

 

 

 



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第三十三話

 

* * *

 

 

 

 玄界(ミデン)の砦内部を駆けるアフトクラトルの若き精鋭、ヒュース。

 彼の第一目標は『泥の王(ボルボロス)』の奪還だ。隊長ハイレインは『金の雛鳥』『黄金の虎』の捕獲も視野に入れると言っていたが、その中でいまもっとも狙いやすいのがトリガー反応を追える『泥の王(ボルボロス)』。

 ヒュース個人に思うところはあってもこの命令に否やはない。単独で敵陣の中枢を駆けるのは危険を伴うが、主兵力を遠ざけ、さらに隊長自らも戦力を引きつけている現状を顧みれば一人送り込まれたことにも文句は言えないだろう。

 

 慎重に、しかし迅速に目的地へ向かう。帰り(ヽヽ)のことは考えなくていい。腕につけた発信機があればミラの(ブラック)トリガーで脱出できる。

 『蝶の楯(ランビリス)』を先行させ、曲がり角で鏡張りのように展開し先の様子をうかがう。敵影なし、一気に駆け抜ける。

 

「……障壁か」

 

 角を曲がった先で通路が塞がれていくのが見えた。浮かび上がった『清掃中(???)』という文字はヒュースには理解できなかったが、どうせ立ち入り禁止のような警告文だろうと彼は気にせず近づき、ガロプラから徴収したトリガーで障壁をくり抜いた。

 

「!」

 

 穴をくぐり抜ける直前、待ち構えていたようにトラップが作動する。床からせり上がったのは小型の射撃砲台。慌てずに放たれた弾丸を反射して破壊し、さらに駆ける。

 ……敵の気配。

 さすがに追手がいないはずもないか――『蝶の楯(ランビリス)』を身に纏ってヒュースは迎撃に意識をおいた。

 

(これは……曲がる弾丸?)

 

 向かう先から現れたのは、兵ではなく弾丸であった。先日の戦闘時に黒髪の男が使っていたものと同類のトリガー。いや――

 

「くっ……!?」

 

 防ごうとした直前、弾とは思えない挙動で周囲を取り囲み全方位からぶつかってくる。あの男が使っていた時は曲がるとはいっても単純な動きしかしなかったが、これは。

 衝撃に揺すられながらも踏みとどまる。

 まるで生きているかのような弾丸の群れは、『蝶の楯(ランビリス)』を纏っていたのが功を奏してどうにか無傷でやり過ごすことができた。

 光弾の軌跡が消えゆく角の先から、二人の女性兵士がこちらをうかがっているのが見える。追手はこの二人……だけではない。後ろからも敵の気配が感じられる。

 

近界民(ネイバー)捕捉、戦闘を開始する!」

 

 白い手袋をつけた三人組の部隊が背後から接近しつつ声高に宣言した。

 挟撃か。砦内部でなら派手な戦闘はできまいと期待していたが、それは侵入の際に裏切られている。たとえ炸裂するタイプの射撃トリガーであってもここの壁はそう簡単に崩れそうにない。狭い通路は『蝶の楯(ランビリス)』の得意とする局所戦に持ち込めるが……。

 

「チッ……」

 

 致し方ない、とヒュースは臨戦態勢をとった。

 時間は惜しいが追手を撒くには砦の構造情報が足りない。ここで素早く無力化するほうが賢明だと考えたらしい。

 

「『蝶の楯(ランビリス)』!」

 

 彼の身体を黒い欠けらが取巻いていく。そのひとつひとつが武器であり、(たて)。磁力をまとう独立した破片たちは熟練の兵でも精密な操作が難しい異色のトリガーだが、トリガー(ホーン)の恩恵により身体の一部と化した現在ではどんな相手だろうと後れを取ることはない。

 アフトクラトルが誇る最新鋭トリガーの力を、いまこそヒュースは発揮させた。

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 ボーダー本部上層階の一室。ここは――『何もない部屋』。

 本来であれば大会議室、その三号であった部屋だ。いまは緊急事態の名分のもと急遽改装され、椅子や机などが片付けられてまっ平らな状態になっている。

 

「…………」

 

 その最奥で雨取千佳は居心地が悪そうに立ち尽くしていた。

 彼女は敵の優先目標の一つであることが確定している。それゆえこうして厳重に保護されているのである。

 改装という名の魔改造を受けた部屋はさまざまなトラップが仕掛けられ、護衛にボーダー最強部隊の玉狛第一が付き添う強固な防護態勢。雨取と同時に敵の(ブラック)トリガーもここで彼らが警護することになっている。

 敵の狙いのうち二つをまとめて置くことで襲撃予測を立てやすくし、その最後の砦として最強部隊が詰めているのだ。手厚い保護を受けている雨取は、なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまうのだった。

 

 とはいえ本来であればこんな緊張状態が続くはずではなかった。

 本部基地の外壁はいかなる手段を用いても破壊が困難な代物であり、たとえ黒トリガー使いが三人いようとも迎撃を受けながら侵入するのは難しい、はずだった。

 予想外なまでの増援戦力。そして短時間での侵入。

 基地のすぐ近くでは大規模な戦闘が行われており、内部でもC級が攻撃に晒され危機に瀕しているという。

 自分だけ安全な場所にいる罪悪感からか、雨取の胸の内にもやもやしたものがわいてくる。

 

「千佳、大丈夫か?」

「う、うん……。ありがとう、修くん」

 

 雨取の浮かない表情に気付いた三雲が彼女の肩に手を置いた。

 彼はこの緊急措置が決まった際、上層部に無理を言って参加させてもらっていた。はっきり言って三雲の存在はなんの助力にもならず、むしろ足手まといになりかねないのだが、木崎たち玉狛第一と護衛対象である雨取が頷いたため許可された。心が荒みがちな戦闘状態がいつまで続くかわからない以上、精神安定剤としての人員も必要だろうという名目だ。

 

「宇佐美、戦況はどうなってる?」

 

 部屋の中央で腕を組んだまま微動だにしない木崎が問うと、その耳にオペレーターに就いている宇佐美が返答を送る。

 

《狙撃訓練場が押さえられちゃって対応に苦慮してるみたい。残ったB級は中位以下がほとんどだし……。外も遊真くんたちが頑張ってるけど、敵の黒トリガーが強くて苦戦中かな。

 単独で基地をうろついてる近界民は"走れる部隊"の王子・香取・那須隊が追ってるよ。王子隊と那須隊が挟んで交戦中》

「交戦場所は?」

《基地中層、西側の通路だね》

「……ここと狙撃訓練場の間か」

 

 木崎が眉間にしわを寄せる。やはりボーダーのトリガーのように、アフトクラトルも彼らの所有物であった黒トリガーを探知しているようだ。位置的に真っ直ぐここを目指しているのがうかがえる。

 

「狙撃訓練場……!」

 

 通信を聞いていた雨取の顔色が一層悪くなった。あの訓練場には彼女の友人である夏目もいるのだ。心配で気が気でなくなるのも当然といえる。

 

「あの――」

 

 ここは大丈夫だから、そっちに。

 最強戦力を自分のために遊ばせているのがいたたまれなくなった雨取はそんなセリフを告げるべく声を上げかけたが、それが口をついて出る前にとてつもない衝撃が基地全体を大きく揺らがした。

 

「っ!?」

「わあっ!?」

「千佳!」

 

 巨漢の木崎すら一瞬浮いて体勢を崩すほどの衝撃。転びかけた雨取が悲鳴をあげ、三雲に抱き止められてなんとか壁に激突せずにすんだ。

 

「……なんすか、今の」

 

 窓の外を覗きながら烏丸が問うと、宇佐美の雑音混じりの声が返ってくる。

 

《……外で何かあったみたい。たぶんあの木場って人の攻撃だと思う》

「あのバカ、基地を吹っ飛ばす気じゃないでしょうね」

「……やりかねないのが怖いな」

 

 かのS級隊員の訓練相手になった経験を持つ小南と木崎は揃って額に手をやった。

 いまは多少制御できると聞いたあの異常出力を誇る武装群、しかしその気になれば強固なはずのこの基地すら消し飛ばせるであろうことは彼らも経験から知っている。それだけの敵がいることにも驚いたが、もっとも危険なのはおそらくあの男だろうと彼らは考えていた。

 

「レプリカ、空閑たちは大丈夫か?」

『ああ、いまのところは。だが敵の強さは尋常ではないようだ。タイガや(ジン)がいても確実に勝てるとは断言できない』

「そんなに……!?」

 

 三雲がレプリカの分裂体による状況報告に声を詰まらせる。彼にとって空閑や迅の戦闘力は絶対的なものである。そこへさらにあの木場大河が加わっているとなれば勝利は確実なものだと信じていたのに、外は予想外の苦戦を強いられているという。

 

《あー……マズいかも》

「どうした」

 

 宇佐美のまごついた言葉に木崎が反応する。

 

《今の衝撃のせいで王子隊と那須隊が突破されたみたい。香取隊がフォローに入ってるけど、ちょっと分が悪いかも》

「なんだと?」

 

 詳しく聞くと、どうやら王子・那須隊の隊員たちは先の大地震のような振動で体勢を崩したところに攻撃を受けたらしかった。

 単独で潜入している近界民は磁力を扱うトリガー使い、たしかやつは浮遊すら可能な特殊能力を持っていたはず。その優位を一瞬の攻防に活かしたのか。B級上位を含む二部隊をこうも簡単に蹴散らすとは。

 ここへきてさらなる戦力低下。狙撃訓練場に向かった部隊をさらに細分化して近界民の追撃にあたらせなければならないかもしれない。

 

「木崎さんっ!」

「なんだ、雨取」

 

 ついにいてもたってもいられなくなった雨取は最強部隊の隊長にすがりついた。

 

「あの……お願いします、狙撃訓練場の応援に向かってください!」

「……それは」

 

 身長差の激しい少女を、木崎は困ったような表情で見下ろした。

 彼も雨取が何を不安に思っているのかくらい理解できている。以前狙撃手(スナイパー)にC級の友達ができたと、玉狛での訓練時にも楽し気に語っていた。しかし現状からみて玉狛第一がここの防衛を離れるわけにはいかない。いまも敵の兵がこちらへ向かっているならなおさらだ。

 

 どう返したものかと返答に悩んでいると、思ってもいない人物から援護射撃が飛んできた。

 

「いいんじゃないすか、向かっても」

「京介」

 

 烏丸がいつもの読めない表情を崩して微笑を浮かべた。

 

「敵を倒せば勝ちってわけじゃない、でしょう?」

「おまえ……」

 

 つい最近、自分で口にしたのと似たセリフに片眉を上げる。

 木崎がちらりと視線を向けた先で小南が顔を背けた。昨日の戦闘で烏丸の家を守るために人型との戦闘から離脱したことを話していたらしい。

 

「ようは千佳と黒トリガーを敵に渡さなきゃいいんでしょ。あたしたちだけこんなとこで暇を潰してるなんてありえないんだけど!」

「……はあ」

 

 向けられた視線に逆ギレするように小南が叫ぶ。

 彼女の言い分もわかる、わかるが……。木崎は眉間を揉みながら考えをまとめた。

 玉狛第一として他の援護に向かう。それもアリだろう。ほとんどのA級が基地外で戦闘している現状、内部に残った部隊でもっとも有力なのは自分たちだ。これは純然たる事実。驕りでもなんでもなく。

 その場合は雨取と三雲をここに置いていくことになるが……。

 これが木崎にとって一番大きな懸念材料だった。

 特例措置につき現在雨取は正隊員用トリガーを起動しており、万が一の場合にも緊急脱出(ベイルアウト)が可能になっている。敵が現れたとしてもこの部屋に仕掛けられたトラップと合わせて、逃げる隙くらいはあるだろう。

 だが敵にはワープできる黒トリガーがある。もし今単独で動いている近界民がここへ至り、そして発信機か何かで狙撃訓練場にいるキューブ化の能力を持つ近界民を送り込んでくると、万が一が現実になってしまう可能性が僅かながら生まれてしまう。

 では、連れていくのか? これもまた同じ理由でNOだ。雨取はキューブ化の近界民に対してできるだけ近づけたくない。向こうから来るかこちらから行くかの違いだけだ。

 となると――

 

「全員で出向いて、いまこっちに向かってるやつを速攻で倒したら千佳たちと別行動、これがベストかしら?」

「……そうだな」

 

 得意げに胸を張った小南に同意する。罠を張り巡らせた部屋を放棄するのは痛いが、もっとも安全策といえるのがそれだ。

 木崎は自身がさまざまな懸案や妥協を束ねて出した結論に、ほぼ直観ノータイムで辿り着いた小南に苦笑した。彼女はもともと地頭がいいほうなのに、こういうことに関しては計算よりも勘で動くタイプだ。しかもそれがだいたい正しいから敵わない。

 

 ともあれ、決まったなら迅速に行動するのがベスト。描き出した作戦を全員に伝えて動き出す。

 

「まずは香取隊の援護に行くぞ。宇佐美」

《あいあいさー。香取隊の染井ちゃんにはもう伝えてあるから、合流地点までの最短距離をマップに出すよ》

「せまい通路での戦闘になる。カバーがしやすいぶん突出も難しい。小南は絶対に当てられると確信できたとき以外は前に出るなよ」

「了解」

「俺と京介で燻り出す。いいな?」

「了解っす」

 

 玉狛第一が揃って部屋を出て、宇佐美に示されたルートを駆けだした。その最後尾に三雲と雨取がおっかなびっくりついてくる。

 

「ありがとうございます、木崎さん……!」

 

 小さな弟子の感謝に、木崎は振り返りもせずに答える。

 

「気にするな。いまの状況で玉狛第一(おれたち)を温存しているのがもったいないのも事実だしな。……修、おまえは雨取を守れ。今度こそ、だ」

「……はい!」

 

 頼もしい最強戦力に付随した最弱の三雲は、しかし決死の覚悟を笑みに滲ませて頷いた。幼馴染を守る。油断も驕りもせずに今度こそ守りきる。それが彼に課せられた至上命題だ。

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 ボーダー基地本部上層、北西方面通路。

 近界民追撃の任に当たっている香取隊が小規模ながらも激戦を繰り広げている。

 

「ああもう、なんなのよコイツのトリガーは!」

 

 反射されるアステロイドを控え、跳ね返っても軌道が逸れるハウンドをメインに乱射しつつ香取葉子が忌々しげに吠えたてた。

 敵のトリガーは磁力を扱う変幻自在の武器であり盾。なかなか隙を見せない相手に焦れて吐き捨てたのだった。

 

「葉子、あんまり前に出んなって!」

《わたしたちだけで無理に倒す必要はないわ。いま玉狛がこっちに向かってきてる》

 

 同部隊のメンバー若村麓郎とオペレーターの染井華の言葉に引きずられるように、舌打ちをしながら少しずつ距離をとっていく。

 近接主体の三浦雄太はすでに落とされてしまった。あのトリガーを相手に剣で勝負を挑むのは分が悪い。ひと欠けらでも身体に撃ちこまれると機動力が著しく下がってしまうのだ。磁力に引き寄せられたかと思えば反発力に弾かれて体勢を崩される。実に厄介極まりない。

 

「……っ、この!」

 

 香取が放たれる磁力片をスコーピオンで叩き落して歯噛みする。

 こんなはずではなかったのに――敵の侵入を受けて追撃の任を与えられたまではよかった。いや、正直に言えば王子隊と那須隊が突破されたと聞いたときは鼻で笑いさえした。いつも上位に食い込む王子隊や、ボーダー外にも人気を得ている那須隊のことを彼女はあまり快く思っていなかったのだ。

 けれどもいまは逆に「何やられてんのよ」という気持ちが湧いてくる。さすがに自分勝手とは自覚しながらも。

 最初はとっとと敵を撃破して、先日の侵攻時の遅れを取り戻すつもりだった。近界民を撃破したとなればそれなりの戦功を与えられ、その事実があれば落ち目だった香取隊にもスポットが当たるはずだったのだ。だからこそ先行していた二部隊が落とされたときは目を細めた。戦果を独り占めできると確信して。

 

「下がれって言ってんだろ!」

「うっさい、アタシに命令すんなっ!!」

 

 前に出がちな香取が若村に肩を掴まれ、それを振り払う。

 何もかもがうまくいかない苛立ち。そこには彼女自身も気づいていない思いが内包されていた。

 家をぺしゃんこにして、平穏な時を奪った因縁の相手。親友の家族を奪った大罪人。近界民は敵だ。ゆえに倒さねばならない――この手で。

 香取はそのためにボーダーに入った。彼女の親友はそこまで復讐に執心しているわけでもなかったし、長い訓練とランク戦の影に埋もれがちだったが、本来の目的はそれだったのだ。

 いま初めて人型の近界民を見て香取は思い出し始めていた。その復讐心を。これは『戦争』であると。たとえ気に入らない味方であろうと協力してでもねじ伏せなければならない相手であったのだ、と。

 まだ彼女は気づいていない。いや気づきたくない。絶好の機会を自らの浅ましい考えで無駄にしてしまったなどと認めたくなかった。

 

「このっ……! バカ野郎!」

「ちょ、なにす――!?」

 

 ハウンドを乱射していた左腕を引っ張られ、文句を言いかけた香取の目の前で若村の胴体が弾け飛んだ。

 首をめぐらせた先には腕を砲身に変形させた近界民。敵は球状にガードしていた裏で強力な射撃を狙っていたらしい。

 

「ぐ……!」

「ろ、麓郎……!」

 

 若村が緊急脱出(ベイルアウト)を発動させて姿を消す。残されたのは、ひとり。

 途端に恐怖心が芽生えてくる。ふだん強気な言動をしていても、彼女はまだ高校一年生の少女なのである。ランク戦であれば落とされた三浦や若村に文句を言う場面でも、いまは任務下にある。しかも単なる防衛任務ではなく人型を相手にする重要な場面。いままでに経験したことのない『本番』だ。取り返しのつかないことをしでかしてしまったような焦燥感が香取の心を焦がし始める。

 

《葉子!》

「華……! アタシ……!」

 

 親友の声にも平常心は取り戻せず、迫る敵近界民から身を守ることすらままならない。

 

《走って、早く!》

「う、うん……!」

 

 言われるがまま、香取は走り出した。

 

《その角を右に――目標地点まで八十……いや、これは》

「なっ、なに、なんなの!?」

 

 不安を煽るような親友の言葉に香取は取り乱し始め、しかし通路の先に見えたその存在にようやく理解した。

 

《伏せて!》

「伏せろ!」

 

 染井と同じセリフを吐いたのは見ただけで安心感を覚える巨躯の木崎レイジ。その手に持ったガトリングガンが回転を始め、一秒もしないうちに馬鹿げた密度の弾幕が形成された。

 香取を追って現れた近界民が舌打ちをして跳び退る。曲がり角に身を潜め、こちらをうかがっているようだ。

 

「エスクード」

 

 そんな近界民と香取の間に分厚い壁が生まれた。同時にガトリングガンが鳴りを潜めて、彼女はやっと立ち上がることができた。このトリガーは――

 

「か、烏丸くん!」

「頑張ったな、香取」

 

 不安から解放された香取が玉狛第一……いや烏丸に駆け寄る。彼女にとって烏丸は憧れの存在であった。ほとんど見た目からくる純粋なのか不純なのかよくわからない動機であるが。

 

「よく持ちこたえたわね」

「小南……センパイ」

「なんであたしにはイヤそうな顔すんのよっ!」

 

 続けて声をかけてきた小南に眉根を寄せる。彼女のことも一応は憧れの部類に入っている。半分以上が一方的なライバル視なので素直には認めたくなかったが。

 しかしその実力は香取も認めざるを得ない。名だたる攻撃手(アタッカー)の名が並ぶランキングで、上位五名のうち女性隊員は小南だけだ。一時期攻撃手(アタッカー)一本に絞っていた香取もそれを知っている。そこに名を刻むことの難しさも。

 ともあれいまはその強さが頼もしいことに違いはない。

 

「その、みんなやられちゃって、アタシ……」

「わかってる。だから来たんだ」

 

 しょぼくれた香取の肩に木崎が手を置いた。大きな手の力強さに香取の怯えが取り払われていく。

 

「このままエスクードを盾に俺と京介で敵を炙り出す、小南は――」

 

 ハウンドを装填した突撃銃(アサルトライフル)を手に指示を出す木崎。

 そんな彼に警告が飛んだ。

 

《レイジさんっ!》

「っ、レイガスト――(シールド)モード!!」

 

 咄嗟に銃を投げ捨て、代わりに起動させた二つのレイガストを眼前に構える。

 その直後にそれは来た。強固なエスクードのど真ん中を貫き、黒い槍状の敵トリガー片が木崎をレイガストごと吹き飛ばす。

 

「この、威力は……!?」

 

 即座に身を起こした木崎はひびの入った盾を、多少のトリオン消費に目をつぶって再生成した。この目を瞠る威力、常に最大の防御力を発揮させねば一発で持っていかれる可能性がある。

 

 烏丸もいつでも対応できるよう警戒を続けながら香取に声をかけた。

 

「香取、修たちを頼む」

「オサム……?」

 

 振り返った彼女の前に二人の隊員が申し訳なさそうに立っている。C級隊員である雨取のことを彼女は知らない。が、三雲のことは噂程度に聞いていた。烏丸が新たな弟子をとった、と。

 胡乱気な視線に晒されて、三雲と雨取が冷や汗とともに会釈する。

 

「す、すみません、よろしくお願いします」

「はあ……まぁいいけど。どっちみちアタシもお荷物なことに変わりないし」

 

 香取もボーダー最強部隊に混じってこの局所戦に挑めるほど豪気ではない。むしろ任されたのが護衛であってホッとしたほどだ。それが烏丸の弟子なのが少し気に食わなかったが。

 

 

 

 

(防がれたか……)

 

 バチバチと青白い閃光を放つ砲身を解除して、ヒュースはいまの戦況を飲み込み始めていた。

 敵の増援は先の侵攻時にも相手取った部隊。これまでの追撃部隊とは格が違う精鋭らしい。実際に戦った彼が比するところ、敵の中でも随一の部隊であると思われた。しかし、

 

(この前のようにはいかんぞ……!)

 

 漲るトリオンと確たる意志をもって拳を握り込む。

 長きに渡る偵察を終え、玄界に侵攻したアフトクラトルの遠征部隊。彼らはその戦力の大部分をトリオン兵に依存していた。小国であればそのまま陥落させられるほどの大軍団、あとは軽くあしらって敵を引きつければそれだけで済むはずだったのだ。

 ゆえに、あの時はトリオンのほとんどを失った状態で戦っていた。千にすら至る数のトリオン兵をたった六人で孵化させたのだから、その消耗も当然のことと言えよう。

 いまはその枷はない。豊富なトリオンの全てをこの戦いに使い切ることができる。

 加えて、ヒュースはこの攻城戦自体が短期決戦であると考えていた。万全の体勢で待ち構えた敵の砦に長く居座るなど悪手。迅速に目的を達成し、即座に脱出するのが最善手だ。それがゆえの全身全霊、全力全開である。

 そしてその目的は目の前にある。眼前の敵兵から『泥の王(ボルボロス)』の反応があるのをヒュースは確認していた。次いで、『金の雛鳥』が最後尾で震えているのも。

 まさに鴨が葱を背負ってきたようなもの。

 あの厄介な障壁(バリケード)トリガーも、トリオン消費を気にしなければ穿ち崩せる。先日この部隊はなかなかの戦いぶりを見せてくれたが今日はそうはいかない。今度こそ叩き潰してみせよう。

 

 覚悟を新たにヒュースが複雑なトリガーを精密に操作していく。狙いは全員であるが、もっとも落としたいのはあの大男。おそらくはやつが部隊の要だ。こいつを最初に落とせば残りはなんとでもなる。

 

「くらえ!!」

 

 破片を集めて作り上げた車輪を、強烈な磁場形成による反発力で弾き飛ばす。さらに通路に敷き詰めた欠けらでもって加速、加速、加速――!

 

「エスクード、――っ!」

 

 敵兵が生み出した新たな障壁を真一文字に切り裂き、けたたましい轟音をあげて車輪は通路の突き辺りまでを一直線に薙ぎ払った。

 

 敵は……まだ生きている。

 

「存外しぶといな」

 

 嘲るように呟くが、別段見下しているわけではない。むしろ一筋縄ではいかないとヒュースは改めて認識していた。

 あの障壁トリガーは車輪を防ぐためではなく、自分の視界を奪う目的で起動させられたのだ。『蝶の楯(ランビリス)』の操作性は距離の他に目視による制限がある。敵はそこを突いて必殺の一撃をかいくぐったらしい。

 

 やはり簡単には決められない。が、こちらもなりふり構っていられない。

 玄界とて自国に侵攻してきたアフトクラトルを疎ましく思っているだろうが、ヒュースにも必死になるだけの理由があった。

 己が主君のため、彼は冷酷なまでに牙を剥く。

 

「『蝶の楯(ランビリス)』!」

 

 身命を賭して。

 

 

 



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第三十四話

 

* * *

 

 

 

 広範囲に(わた)り浮かぶ見えない円。まるで天体図のようなそれを嗅ぎ取り、ギリギリのタイミングで躱していく。

 大河はいくつもの線状に描かれる死をかいくぐりながら忠実に作戦を遂行していた。

 単に弄ばれているように見えるいまの状況も、そうする必要があるからこそ歯噛みしつつ身を投じているのだ。

 

「《焦らず、ゆっくりとだ。敵に感づかれるわけにはいかないからな》」

「《わーってるっつの》」

 

 二宮の通信に反駁することもせず剣の嵐を耐え続ける。弾き飛ばされたら終わり、首を落とされても終わりだ。暴風が如く振り回される剣撃の中、敵が予想通りに動くのをひたすらに待ち続けている。

 あの近界民がいまもっとも落としたいと思っているのは大河。それは作戦を立案した二宮も、大河自身も同様の認識を持っている。ゆえに彼は囮役を継続して引き受けた。ただ、変わったのは囮とまではいかずとも前衛陣が前のめり気味になっていることだ。

 この老兵は抑えるだけでも大河のみでは厳しいものがあるため、射手(シューター)銃手(ガンナー)以外は着かず寄らずで敵の意識を散らしている。

 

 上。右、下。左右同時。

 順番なようでいてほぼ一瞬の間に振り下ろされる鉄槌のような剣の一撃。

 その思考さえ許されない刹那の剣戟を匂いと直感でもって回避する。歴戦の経験と極限にまで高まった集中力が為せる(わざ)。眇めたまぶたの奥で、大河の瞳が獰猛に引き絞られている。

 

 位置にはつけた。あとは――

 

 遠距離攻撃陣の濃い弾幕に炸裂弾が紛れ込む。広い攻撃範囲は単に斬り潰すことはできず、爆風をかき消すにもいくつかの剣が要る。

 これは釣りだ。さあこの餌に敵はどう動くのか。

 失敗は許されない。いま発動している作戦は一度しか行えない、犠牲を無視した総力戦である。

 密林に潜む虎のように、大河の喉が鳴る。

 

「ふぅむ――」

 

 近界民が唸る声がする。動くか――それとも。

 

 

 

 

―――――――――――

 

 

 

 

 動きが変わった。

 相変わらず滝のように注がれる弾丸の塊を()ぎ斬りながら、ヴィザは敵兵の雰囲気が変わったことを敏感に感じ取っていた。

 

 『黄金の虎』が防御に徹して『星の杖(オルガノン)』の展開領域に居座っている。周囲には近接武器を装備した兵、少し離れた位置に射手たちが陣取る包囲戦。戦闘開始時からそう変わらない陣形ながら、そこにはたしかに"狙い"が感じられる。

 

(さすがに人数が多い。意識を割く者は厳選せねば)

 

 高く積み上げられた歴戦の経験から、ヴィザの戦闘勘はもはや人の域を超え多人数を同時に、完璧に警戒するという神業にまで達している。

 敵が隙をうかがう気配を察知し、展開する剣をいつでも差し向けられるように温存しつつ、なおかつ目の前の滝を削っているのである。

 それでもやはり限界はある。八方向、およそ八人が同時に向かってきて対処できる限界だ。

 無論、何も考えずに突っ込んでくる雑魚はその限りではない。熟練、ないし精鋭の兵でなければどれだけの数がいようと、今斬り潰している弾丸の如くその身を刻まれるであろう。

 

 今、彼を取り囲んでいるのは若くして精鋭の玄界(ミデン)の兵。一人一人が相応の力をもつと思しき戦士が十名以上。砦の屋上にも何人かの狙撃手が狙いを定め続けている。

 

(『黄金の虎』と二名の黒トリガー使いは最警戒として……、礼服の青年と防塵布(ぼうじんふ)をつけた少年。彼らは隙あらばいつでも刺せるもの(ヽヽヽヽヽ)を持っていると見ていいでしょうな)

 

 冷静に敵の戦力を見定める。

 その手に握るは祖国の国宝『星の杖(オルガノン)』。能力が知られているとはいえこれほどまでに耐えられるのはヴィザにとっても意外であった。

 先の時間稼ぎ(ヽヽヽヽ)の二人もそうだ。援護射撃の厚さに守られていたのを別としても虚を突かねば容易に討てぬ隙の無さは見事という他なかった。いまも寄らず離れず一定の距離を保たれ、その身を断つつもりの一撃もギリギリではあるが回避されている。

 

(やれやれ、老骨にはいささか厳しいですなぁ)

 

 内心でそうこぼしながらも、攻め手を緩めるようなことは一切しない。

 国のため。そのためだけに剣を振るう。国宝を担うその身こそ一振りの剣なのだ。使いこなすのは己でなく上官。アフトクラトル四大領主が一人、ハイレイン。

 すでに命令は下されている。全力で、敵を斬れと。

 

(じっくりと、一人ずつ削っていくとしましょう)

 

 『黄金の虎』は連携のためか火力に特化しすぎている武装を控えている。黒トリガー使いの二人は余力を残し、一刺しを狙っているようだ。狙撃は見てからでも対応可能。……ならば。

 いまもっとも厄介で潰しやすいのは、後方で炸裂弾を放っている巨漢の射手。

 

「まずは一人、――――っ!?」

 

 自らを剣の腹で弾き『星の杖(オルガノン)』と同等の速度で空を裂いたヴィザは、一人目の敵を斬ることに成功した。

 斬ることには。

 手に持った剣で仕留めるため接近したその足にあの重石のトリガーが作動した。弾丸は受けていないにも関わらず。

 

 ――罠か。

 

 恐らく姿を消した少女兵が辺りに設置して回っているのだろう、いつの間にか周囲にトリオン反応が増えていた。兵士ばかりに気を取られ、気配のないそれらにまでは対応しきれていなかったようだ。

 

(地面ごと刻むこともできましょうが、また(ヽヽ)重石をつけられてはかなわない)

 

 周囲にいる黒トリガー使いによってすでにやられたことがあった。展開した剣に重石をつけられると、単体相手でさえ攻撃を見切られる恐れがある。その愚は犯せない。

 迷いもなく瞬時に右の足先を斬り落とし、また己を弾いて距離を取る。そこへ薄緑色の気配が忍び寄っていたことを察知した。

 

 遠隔斬撃。空中へ回避。

 刹那の思考で逃れ、先の『黄金の虎』が砲撃を放った時と同じ構図となる。見るとやはり、狙っている。

 しかし恐れる必要はない。大砲は()の向きで攻撃がくる方向がわかってしまうのが弱みだ。右は威力重視の弾、左は炸裂する弾。どちらも威力はおかしいが、それさえ気を付けていれば防ぐ、ないし躱すことは造作もない。

 

(これは……)

 

 極光が突き抜けてくるような砲撃を弾いて逸らし、また屋上からも飛んでくる狙撃をも切り伏せたところへ、真下からうねる弾丸の群れが迫ってくる。追尾する性能をもった玄界の射撃トリガーのようだ。

 『星の杖(オルガノン)』に対し足元の死角を攻めるのは、これの性能を浅く(ヽヽ)知っている者ほど陥りやすい手。だが無意味なのは同じ攻め手を使った黒トリガー使いを擁する敵陣営なら承知のはず。

 すなわちこれも囮。

 

(槍兵が一人。剣士が三人。……伸びる斬撃)

 

 弾丸の群れに紛れて接近した敵兵が眼下から刀身を伸ばして攻撃してくる。しかしあの砲弾より遅ければ弾き飛ばすのになんの支障もない。軽く振り払おうと剣を差し向けようとし、

 

「ぬっ!?」

 

 突如放たれた本物の極光(ヽヽヽヽヽ)に目を焼かれた。

 

(これはいったい……!?)

 

 トリオン体は生身と比べ、肉体としての性能がずば抜けて優れている。膂力や瞬発力をはじめ、五感である聴力や視力も然りだ。だが目を焼くほどの光を受けようと、物理攻撃を無効化するトリオン体は光で実際に網膜を焼くことはできず、たとえ集束させた光線であろうと一時的に視界が奪われるだけですぐに回復する。

 されど今の光は違う。トリオン体の視力を奪うためのトリガーによって放たれたらしき光はヴィザの目を本当に焼き潰した。白く塗りつぶされたのは一瞬で、すぐに目を瞑った時のような幾何学模様が浮かび上がる。

 

 ――これはまずい。

 さすがのヴィザも視界がない状態でこの人数を相手にするのは容易いことではない。空中で食らったことで上下感覚も怪しいため、己を弾いて回避もままならない。

 危機に陥った彼は延びる斬撃も追尾する弾もまとめて防ぐべく、自身の周辺に剣を集め、最高速度で周回させ始めた。

 だがそこで突如剣が重くなる。あの重石を取りつける弾丸を今度こそ受けてしまったらしい。

 

「……ぬんっ!」

 

 目が見えなくとも『星の杖(オルガノン)』は身体の一部も同然。つけられた重石を薄く削いで落とし、再加速させる。

 アフトクラトルのトリオン体はトリガーと一体。武器を再生成するようにトリオン体の再構成もまた行える。回復とまではいかずとも、ごく一部に限定すれば似たようなことも可能。あと十秒もあれば視力も戻るだろう。それまでは重石を削ぎつつ全力で剣を回せば堪えきれるはずだ。

 

(さすがに……防ぎきれませんか)

 

 身体を擦過した弾丸が地面に穴を穿つ。

 足裏でその衝撃を確認したヴィザは何発かの攻撃は受けても仕方がないと諦めた。頭と胸さえ死守すれば立て直しは利く。砲撃だけは確実に避けるために『黄金の虎』の気配は厳密に追いかけなければならないが。もし放たれれば方向感覚が怪しかろうが強引にでも移動せねば。

 地に落ちても剣を酷使して防御に徹する。極光を受ける前の敵の配置、現在の気配。歴戦の経験から紡ぎ出される回避能力は目を奪われてなお敵の攻撃を掻い潜っていく。

 あと六秒。

 

(右前方、遠隔斬撃。左右からまた伸びる斬撃。通常弾、追尾弾多数)

 

 空中では平衡感覚も怪しかったが、地に足をつけてしまえばその程度察知するのはわけもない。地面に降り立ったならあの砲撃も飛んではこないだろう。

 気配から位置を割り出し、無傷(ヽヽ)の剣で斬り払う。

 手応えあり、二人落とした。剣士と射手の一人ずつ。

 あと三秒。

 

「――――ぐっ!」

 

 背後の剣士の攻撃。読み逃したか? いや違う、ただ伸びるだけではなく、妙な起動でうねってきた。この気配、防塵布の少年兵か。

 だが感じ取れた殺気が半分無意識のうちに身体を避けさせた。左足をかすめただけだ。

 お返しとばかりに振るった刃がその身を分かつ。

 あと一秒。

 

(っ!?)

 

 全身に巻き付く鎖の感触。また罠を踏んだか。これは黒トリガー使いの能力。

 目を開く。視力は戻った。眼前に迫る『黄金の虎』。

 

「――『星の杖(オルガノン)』!」

「さっきより(おせ)えよ!」

 

 広く展開した剣では間に合わず重石の欠けらが残る刃を左右からぶつけたが、驚くことに爪を纏った手で止められた。落としたはずの右手も輝く爪が代役を買って出ている。疑似的な回復能力まで有するとは厄介な。

 それをおいても恐るべき膂力、やはり彼のトリオン体は通常とは異なるらしい。

 けれども剣はそれだけではない。上下からも叩き込み、足の爪と盾で防がれても押し潰すように攻撃を加えていく。回避できない状態に追い込んでしまえば首を落として終いにできる。

 

「チッ!」

 

 焦れた虎の大砲が作動する。この距離で撃つか。周囲には味方もいるというのに。

 いや……これは陽動、気を散らすための誘い(ヽヽ)だ。虎が何か吐きだして足元に転がった。反射的に斬る。

 

「これ、はっ……!?」

 

 途端、撒き散らされる電光。これは――電撃。

 どうやらトリオン体の動きを封じる手投げ弾らしい。……慌てることはない。アフトクラトルのトリオン体はこの程度であれば即座に回復する。展開した剣も自在に動かせる。

 

「もらった!」

 

 背後に槍兵の声。奇襲に叫するとは精鋭といえども青さ(ヽヽ)が残るか。

 こちらの備えはまだまだある。狙撃を止めるための剣を除いても、この場の敵を切り伏せるだけのものは残っている。

 

「甘い」

 

 振り返りもせず槍兵の胴体を上下泣き別れにさせ、杖剣で鎖を解き放った。そこに仕込まれた重石の罠が発動しても、知ってさえいれば瞬時に剣を再生成すれば済む話。

 動けない『黄金の虎』をここで――

 

「――と、思うじゃん?」

 

 槍兵の負け惜しみのような言葉。しかし事実脅威は迫っていた。

 閃光のような残影、小柄な身体でどうやって動いているのか剣を持った少女がヴィザを切り刻んで通り抜けていく。

 

「……うそ」

 

 否、切り刻まれたのは少女の方だった。ヴィザは目にも止まらぬ速さの斬撃を、目に映さぬまま防ぎきって、かつ斬り返したのだ。

 

「面白いトリガーをお持ちのようですな」

 

 言いつつ、仕留めた少女を振り返りもせずに杖剣を持ちなおす。今度こそ『黄金の虎』を討つべくヴィザが無事な左足で踏み込もうとした瞬間、

 

「っ!?」

 

 突如何もなかった場所から斬撃が飛び出した。これは遠隔斬撃の黒トリガーが有する能力のはず。しかし攻撃の気配は感じられなかったのに。

 危うく両足を落とされるところだった。いったい何が、とヴィザが下に視線をやると、先の大爆撃で融解しかかった地面にはありえるはずもない石ころ(ヽヽヽ)

 

(斬撃を礫に込めて……面白いことを考える)

 

 おそらくは物体に伝播するのであろう斬撃を石に撃ちこみ、あの少女にばら撒かせた。即席の斬撃手投げ弾というわけだ。なるほど気配が感じられようはずもない。

 だがそのぶん石は小さく、狙いもつけられなかったらしい。ヴィザの脚についた傷は行動を阻害するほどには至らず終わった。

 

「……ごめんなさい、先に落ちます」

 

 少女の仲間に告げる謝罪と同時、槍兵ともども脱出機能が発動し、粉塵がヴィザと『黄金の虎』を包み込む。

 他の者より粉煙が大きい。これは煙幕か? 不審に思ったヴィザは再び奪われた視界で気配を頼りに敵の攻撃を読み始めた。

 周辺に弾丸、黒トリガーの気配、足元には遠隔斬撃が。

 回避は――動けない。

 叩き込んだ剣を全て受け止めた『黄金の虎』がその爪で握りしめて動きを封じている。二、三本程度なら円を広げればいいが、これほどまでに多くの()を掴まれては大きく動くことができないのだ。

 間合いは三歩。円を消すにも虎を斬るにも時間が足りぬ。

 

「まだまだ」

「マジか……!」

 

 ならば斬撃自体を斬り伏せればいい。

 遠くに使い手の驚く声が聞こえる。

 線上に伸びる遠隔斬撃は吹き出すように刃が出現するまで実体を持たない。いや斬撃自体にも実体などないだろう。が、練達の極みにいるヴィザにとって、杖剣で以て斬撃の飛び出す瞬間に狙いを定めてかき消すなど、羽虫をはたき落とすよりも容易いことだった。石に込められたものと違い、使い手から伸びてくる気配さえあれば。

 

 そろそろ決め手(ヽヽヽ)が来る。

 

 確信したヴィザの警戒度が上がる。

 玄界の兵にはがむしゃらに突っ込んでくるような無能はいない。彼らはここまでじっくりと積み上げてきたのだ。

 これまでの全てが布石。予想していたヴィザの反応は鋭かった。

 

『強』印( ブースト )(クア)――――」

 

 煙が晴れた背後で黒い装いをした黒トリガー使いの少年が微塵切りに細断される。素早い動きに多彩な能力。その存在は常に頭の隅に意識していた。接近されれば歴戦の経験が半ば無意識に身体を動かせる程度には。

 

「――――なんて、ね」

「な――」

 

 首に一閃。

 柔らかな声音とともに急所を裂かれたヴィザの顔に驚愕が浮かび上がる。凝然と見上げたそこに妙齢の女性が夜空に映える長い金髪をたなびかせていた。

 ……完全にノーマークだった。彼女はずっと弾丸の雨を降らせていたはず。射手ではなかったのか。

 いやそもそも、いつからそこにいたのか? 気配などまるでなかった。姿を消した程度では隠し切れない殺気や徴候は感じられなかったのに。

 おそらく『窓の影(スピラスキア)』のような空間転移のトリガーだろうか。

 

「…………!」

 

 一瞬遅れて敵の狙いに気づく。

 なるほど決め手をこの形にするために、無駄だと知りつつあえて下からの攻撃を集中させたらしい。常に周辺に気配を散らし、偽りの大砲に気を取らせて動きを封じ、背後から声をかけ(ヽヽヽヽ)奇襲、そして目にも止まらぬ剣閃と遠隔斬撃に剣を振るわせた。鳴りを潜めた狙撃も上を向かせないための沈黙か。

 そして最警戒していた黒トリガーこそが最大の囮。贅沢な餌にまんまと食らいつき、斬った瞬間僅かに気が緩んだようだ。月の隠れた宵闇は影も映さず、転移してきた女性は無音のまま首をかき切っていった。

 

「……見事」

 

 これだから戦いはやめられない。

 ヴィザにとって玄界の兵一人あたりは取るに足らない戦力であった。それは『黄金の虎』でさえ同様だ。一対一、いや数を揃えようとも、どんな相手だろうと負けるつもりなどなかった。

 きっと、あの激しい戦闘の中で策を練ったのだろう。高みへ手をかけるために誰もが奮起したのだろう。ゆえにこそ傲慢に見えた『黄金の虎』や強大な戦力である黒トリガー使いでさえ自らを囮とした。

 若者が切磋琢磨するさまは見ていて飽きぬ。それがたとえ敵であろうとも。

 

 ――だからこそ戦いは、楽しい。

 

 敗北を受けてなおヴィザは笑みを浮かべた。全力を出せと言われ、全力を出すつもりで臨んだ決戦。しかし彼はそれを出し切る前に詰んでしまった。

 斬った数で言えば(まさ)っていても、敵の消耗は一手ずつ迫るための必要な犠牲だった。

 

 いかな精鋭とはいえ、ここまで若き兵にやられるとは……この身も焼きが回ったか。

 ひびの入るトリオン体で静かに瞑目して、己の失態に苦笑する。

 久々の全力に力が入りすぎたのかもしれない。焦ることはなかった。引き気味に戦い、狩れる敵から潰して行けば勝てる戦いだったのかもしれない。

 だが現実として今敗北し、その身は砕けようとしている。

 

「――ですが、我々(ヽヽ)が負けたわけではない」

 

 その言葉とともにトリオン体が崩壊して辺りは白煙にまみれた。換装が解かれる直前、予めミラに連絡を入れて撤退の準備はできている。

 開かれた大窓に飛び込み、視界から消えゆく兵たちの姿を見ながら最後の笑みを浮かべた。

 

「さらばです、玄界の勇士たちよ」

 

 

 




 



ここでは黒江の『魔光』の能力をスタングレネード扱いしていますが公式にはまだ不明です。


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第三十五話

* * * 

 

 

 

 外の決戦が佳境に入ったころ、内部での戦闘もまた激化の一途を辿っていた。

 

 磁力を纏う千変万化の強化トリガーは攻撃の予測すら難しい。近界民が生成した車輪が空気を切り裂き、冷ややかな旋律が通路に反響する。

 対する玉狛、木崎のガトリングガンも負けじと高速回転して怒号を張り上げた。耳をつんざく射撃音とともに、線状にすら見える光弾の鞭が敵を舐めまわすように叩き込まれていく。

 多くは車輪に弾き飛ばされたが木崎はそれでも構わなかった。

 敵が自分を意識すればそれでいい。いまのところ例の反射盾は形成されていない、おそらくはこちらの手を読んでいる――彼はそれを承知で烏丸を促した。

 

「京介!」

「了解」

 

 烏丸の突撃銃(アサルトライフル)からバイパーが吐き出される。盾として浮遊している車輪を避け、規定弾道を描く弾丸が殺到。敵の注意を散らしにかかる。

 

「ふん……」

 

 近界民は尾のように身体に纏わりつく磁力片でもってそれを叩き落とした。そして愚直ともいえる特攻、掲げた車輪とともに真正面から突っ込んでくる。

 どうにも以前とは違う。木崎はこの近界民の戦い方が緒戦で見せたものから一変していることに違和感を覚えていた。

 『磁力』と『反発』。たったそれだけながら無数の欠けらによって生み出される戦術は膨大かつ奥が深い。この近界民もそれを熟知しておりクレバーな戦法に徹するように見えたがしかし。

 いまは、多少強引なまでの戦いぶりを見せつけている。

 レールガンのような射撃、エスクードを真っ二つにする斬撃。どちらも第一次強襲時にはなかった威力だった。戦いに手を抜くような者にも見えなかったのだが。

 

(シールドモード!)

 

 振りかざされた車輪をレイガストで横へ弾くように逸らす。エスクードすら切り崩すこれを真正面から受けることはできないが、防ぐという観点でならやりようもある。

 

(スラスターON(オン)!)

 

 そして盾を変形させ、二つの突起で敵を挟んで壁に縫い付ける。トドメはいつものように。

 

接続器(コネクター)ON(オン)

「はああっ!!」

 

 小南が大斧を思い切り振りかぶる。当たれば勝ち、そう言い切れる威力の攻撃。双月を繋ぎ合わせたこの大斧は破壊力だけで言えばボーダー随一だ。一部例外を除いて。

 

「舐めるな!!」

「こっの……っ!」

 

 けれども不定形の尾に柄部分を押さえられてそれは止められた。火力重視の斧による一撃は全て刃部分に込められた多量のトリオンによるもの。柄にはなんの効果もない。

 これは弧月なども同様だが、とりわけ双月はその制約が大きい。なんせ『斧』である。形状からしてブレードは先端部に集中している。それがゆえの高威力と、使いこなせるからこそ評価される小南の力量であるが、それなり以上の実力者相手になると防がれることもままある。

 

「舐めてんのは、そっちでしょ!」

「く、っ!」

 

 斧を受け止められ、レイガストを薙ぎ払って自由を取り戻した近界民にしかし、小南は瞬時に接続を解除して二振りの小斧で連続切りを見舞った。魚群のように破片が飛び交う中で的確に斬撃を繰り出すさまは一種の舞のようにすら見える。

 

「メテオラ!」

 

 近界民の両腕に浅い傷を残して最後に小規模なメテオラを撃ち出す。その爆風にのってくるくると回った小南が木崎たちの後ろに着地して、すぐさま敵を封殺する弾幕が再形成される。

 

 

 

(やっぱ強い……ムカつくけど)

 

 この一連の攻防を通路の角に隠れながら見ていた香取は、玉狛第一の実力をしかと目に焼き付けていた。特に攻撃手(アタッカー)役を担う小南の動きに注意して。

 香取隊の面々とはそれぞれポジションが違う玉狛第一のメンバーであるが、戦術自体は似たようなものだ。二人が崩し、エースが獲る。この場合でいえば小南の立ち位置に香取がくる。しかし彼女にいまの動きができるかというと否だった。

 扱う武器の違いもあるだろう。けれども香取が歯噛みして悔しがっているのはそこではなく、単にあの破片の嵐を無傷でやり過ごし、なおかつ攻撃を加えることができるような技術を持ち合わせていないという点である。

 単純に、地力が違う。

 部隊単位でのコンビネーションもまた同様だ。ほとんど言葉も交わさずに動く完璧な連携。敵のリアクションも含めた行動予測は強固な信頼関係があってこそのもの。

 香取隊にここまでの絆はない。場当たり的な行動をとる香取を他の二人がどうにか援護するというのが香取隊の主な戦法なのである。最終的な形が似ていても、そこには信頼より妥協の割合のほうが大きいのが事実。

 

(アタシにも、力があれば……)

 

 力があれば、たった一人の敵にいいようにやられなくてすんだのだろうか。そんな疑問が香取の胸にわいた。

 いや、あの近界民は玉狛の三人を相手取ってなお渡り合っている。ただ一人強くなったところで自分の手に負えるとはどうしても思えなかった。

 であれば、部隊(チーム)で強くなれば? それもどうだろう、と香取は思案する。

 彼女が真に信頼しているのは親友の染井だけだ。その従兄という繋がりの三浦雄太、兄の友人である若村麓郎などは、はっきり言って打算的に部隊を組んだに過ぎない。……かといって、追い出す気にもなれないのだが。

 

(まだ、間に合うのかな)

 

 いまになって自分の幼稚さが嫌になる。香取はいままでやりたいことだけをやってきた。それが許されるくらいには素質があったし、実際にほぼ彼女の活躍によるところでB級の上位までは来れた。が、結局はそこまでだ。個人の強さで測る天井なんて、あまりにも低い。

 

 まだ間に合う。アフトクラトルとかいう侵略者を追い返せばきっと。

 そうすればまた始められるのだ。あの退屈で、騒々しくて、でも嫌いになれない訓練の日々が。

 全ては玉狛第一の奮闘にかかっている。これ以上敵の好きにさせてはいけない。

 香取は小南たちの鮮やかな連携に目を丸くしながら、彼女らの勝利を心から願った。

 

 

 

(こいつら……!)

 

 一方で目を丸くしていたのはヒュースも同様であった。

 相手が最精鋭の兵であると判明した時点で彼はフルスロットルで踏み込んだのだ。

 出力でいえば前回の戦闘時のおよそ四倍。『蝶の楯(ランビリス)』の鱗片の数に至っては六倍近くにも跳ね上がっている。

 なのに崩せない。力の差は歴然なはずであるというのに。

 その原因についてはヒュースも気づいていた。まだ少年と形容できる彼とて軍人だ、戦闘における連携の重要性くらいは理解している。相手どった部隊が精鋭である以上、個々の戦力が連携によって何倍にも引き上げられているのは自明の理。

 

 とはいえ彼の目算ではそれごと捻り潰すことが可能であるはずだった。

 そうできるだけの能力は持っていたし、そうするための武器さえも彼には与えられた。そして何よりも彼には義があった。

 祖国で噂に聞いた新たな神の選出候補。まことしやかに囁かれていた中にあった主君の名。ヒュースの主はアフトクラトルでも有数のトリオン能力者だ。

 もしここで手ぶらで帰れば……。それを思うだけで彼の身体は突き動かされる。

 

「この……! とっとと――」

 

 ――落ちろ! 怨嗟のような念を込めて車輪を撃ち出す。数は五、通路を埋め尽くさんばかりの範囲攻撃ながら、防御を許さない必殺の高威力斬撃。

 

「エスクード!」

「ちぃっ!」

 

 だが、その攻撃はまたも防がれた。

 床から生える障壁のトリガー。たやすく斬り裂けるはずの防御用トリガーにしかし、生成時の突き上げをくらって撃墜される。あの大男が盾で弾いたのを真似したのか。

 同時に視界が遮られてしまう。連なる車輪の群れは障壁を貫いていくだろうが、このままではまた曖昧な操作になって躱される可能性が高い。

 

「ならば――」

 

 撃ち出した車輪全ての結合を解除して通路に破片をばら撒く。そしてそれらで両側の壁を真っ黒に塗りつぶして次善の策とした。

 磁場を形成する鱗片、トリガーからそれを強化する電荷を放出する。

 これは『レール』だ。本来であれば腕に装着・変形させる銃身の規模を上げ、通路自体を巨大な砲塔に見立てた必殺の兵装。

 出力は最大限に、砲弾を最大級に。残った欠けらの全てを武器としてレールに乗せる。

 

「『蝶の楯(ランビリス)』ッッ!!」

「伏せろ!!」

 

 敵の注意を促す声に対し、ヒュースは強化トリガーの名を叫びながら無駄だと嘲笑った。

 

(馬鹿め――!)

 

 超巨大な弾を撃ち出す――ように見せかけて、これは鱗片を集めただけの散弾(ヽヽ)だ。貴様らがとるべきは回避ではなく防御。

 心のうちでそう嘯く。障壁によって攻撃が中断された次の手に、よもや障壁が有効な手法をとるとは思うまい。そんな心理的な計算と、偽りの巨大砲弾による視覚的な威圧。合わせて正面から不意を打つ必殺ならぬ必勝の一撃だ。

 敵に磁力片を埋め込めれば一気に優位に立てる。まあ、この精鋭たちであれば手足の一本や二本は躊躇なく斬り落とすかもしれないが、それが有利に働くことに違いはない。

 

 『蝶の楯(ランビリス)』の電荷量が上がり、耳を刺す高音が限界にまで高まった刹那、漆黒の砲弾は礫の群れに姿を変えて通路を埋め尽くした。

 

「しまっ――!?」

 

 後悔の念よりも速く殺到する鋭い鱗片たちは、敵の言葉を遮り、防御すら許さずに降り注いだ。伝達脳か供給機関を貫ければこの一発で事は済むが、まともに狙いをつけられない散弾であることが祟って撃破には至らなかった。

 けれども結局は同じことだ。全身に『蝶の楯(ランビリス)』の破片を浴びた玄界の兵はもはやヒュースの操り人形も同然。彼は磁力を操作して三人の兵を壁に叩きつけ、そのまま磔にした。

 

「ふん、随分と手こずらせてくれたな」

「くっ……!」

 

 悔しそうな目で睨みを利かせる玄界の精鋭部隊。しかし彼らにできることはそれしかなかった。

 

 

 

 

「まずい、レイジさんたちが……!」

「ウソでしょ……!?」

 

 戦闘が行われている通路の角から三雲と香取が顔を半分覗かせて呆然と呟く。

 名高きボーダー最強部隊がたった一人の近界民にやられてしまうなんて、彼らには容易に信じられるものではなかった。たとえ、それが目の前で繰り広げられたものであろうと。こんな事態は、もう悪夢としか言いようがない。

 

「どうすんのよ、もう……」

「……っ!」

 

 頭を抱えた香取が誰に向けるでもなくこぼす。その隣で三雲が覚悟を決めたように手を握り込んだ。

 ――『おまえは雨取を守れ。死ぬ気で――』『今度こそ、だ』

 三雲が託された命令、いや使命を脳裏にリフレインさせる。そして後ろで怯える雨取に視線をやった。

 彼女を危機から遠ざけねば――

 緊急脱出(ベイルアウト)があっても安心はできない。敵はトリオン兵に黒トリガーの能力を持たせる技術を有しているのだ。もしかしたら隊員捕獲用のトリガーか何かを所持している可能性もある。

 

「千佳、おまえは逃げろ。あの部屋に戻れば時間稼ぎくらいはできるはずだ」

 

 あの魔改造された会議室ならば最悪ここで全員がやられたとしても雨取を守ることができる。最強部隊である玉狛第一がやられたとなれば、本部最強の『個人』が出張るはず。

 忍田真史。もしものときは彼を頼れと迅にも言いつけられていた。ここへは間に合わずとも、あの部屋であれば瞬時に駆け付けられる。専用の転移トリガーがあそこにも繋がっているのだ。

 

「で、でも……」

 

 自らの代わりに危険に晒される三雲に対して、雨取はすぐに頷くことができずにいた。

 三雲だけではない、玉狛の先輩たちも危機に瀕している。……自らの我がままのせいで。

 押し寄せる後悔と自責の念。打ちひしがれた雨取は目の端に涙を浮かべて戸惑った。

 

「っざいわね、とっとと行きなさいよ。どうせアンタがいたってなんもできないでしょ」

「……っ」

 

 さらに香取から心を貫くようなことを言われて、雨取は完全に言葉に窮した。

 

「華から聞いたけど、アンタを守るために烏丸くんたちが戦ってるんでしょ? いいご身分よね、C級のくせに」

「香取先輩、それは……!」

「アンタは黙ってて」

 

 庇うように立った三雲を強引にどかせて、香取は小柄な少女に詰め寄る。

 

「ヒロイン気取りならどっか見えないとこでやってくれる? トリオンがすごいんだかなんだか知らないけどさぁ、ほんとムカつくから、そういうの」

「わ、わたし、は……」

「逃げるんなら逃げる、戦うんなら戦いなさいよ。後ろでずっとびくびくおどおどしやがって……アンタなんのためにボーダー入ったわけ?」

 

 言いながら、香取はこれが八つ当たりだと自覚していた。

 そう、全部八つ当たりだ。全部自分に言っているのだ。玉狛の戦いを目の当たりにして生まれた無力感、何もできない自分への失望。その苛立ちを同じ無力な少女に叩きつけただけ。

 場当たり的な作戦をとって、どっちつかずのポジションにいて、自分が主人公のように振舞う。そんな自身はなんのためにボーダーに入った? ついに訪れた本番に右往左往して……。少なくともこんな無様を晒すために入ったんじゃない。

 

「アタシは戦う。アンタのためじゃなくてアタシのためにあの近界民をブッ飛ばす。まだグズグズすんならとっととどっか行って、邪魔だから」

「…………!」

 

 ぎろりと睨まれた雨取はしかし、その言葉を真っ向から受け止めた。

 彼女は何をするためにボーダーに入ったのか。それは、戦うためだ。戦えるようになるためにここへきた。そして、

 

 ――友達を守りたいから。仲間を助けたいから。

 

 全ては、そのために。

 庇護されにきたのではない。ただ守られる存在であっていいはずがない、断じて。だから――

 

「わたしも、戦います。戦わせてください!」

「千佳!?」

 

 雨取の覚悟に三雲が困惑する。いまは正隊員用トリガーを起動しているとはいえ彼女はC級隊員だ。どれだけの覚悟をもって奮起したとて守られる立場にあることに変わりない。

 結果的に唆すことになった香取もまた目を丸くした。八つ当たりで意地の悪いことを言った彼女も、雨取がC級である以上何もできないのは当然であると理解していたし、この少女を逃がすよう命令も下された。尻尾を巻いて逃げるべき、そうして当たり前。しかし小柄な少女は驚くべき闘志の輝きを目に宿して頑然と踏みとどまっていた。

 

「……あ、そ。じゃあせいぜい足を引っ張らないようにしてよね」

「は、はいっ!」

 

 意外ではあった。けれども香取は少女の覚悟をよしとした。まったくもって似ていない、なのにどこか自分と重なった雨取の思いを無為にしたくなかったのだ。この階層には香取隊作戦室もある。あの近界民を自由にすると仲間が危険に晒される可能性が存在する。

 守るために戦う。それは香取や雨取だけでなく、ボーダーに入隊する多くの者が原初に宿す志。

 

「ダメだ、千佳! おまえは……」

「修くん、わたしなら大丈夫だから」

「アンタも腹くくりなさい。女の覚悟無駄にしてんじゃないわよ」

 

 納得のいかない様子の三雲を強引に説き伏せて通路の先をうかがう。まだ近界民は玉狛第一に手を下していないようだ。何やら言葉を交わしているようだがここまでは聞こえてこない。

 振り返った香取は雨取の装備を尋ねた。

 

「アンタ……チカとか言ったわね。トリガーは何があるの?」

「えっと……」

 

 緊急措置として雨取に渡された正隊員用トリガー。本来狙撃手(スナイパー)である彼女だが、戦闘を考慮されていなかったため中身は渡されたときのままだ。その内訳を雨取が努めて短く答えていく。

 

「アステロイド、ハウンド、シールド、バッグワーム……サブトリガーは全部フリーになってます」

「ふーん、射手(シューター)用のスタンダードね」

「で、でもどれも使ったことなくて……たぶん分割とかはできない、です」

 

 C級を射手(シューター)用トリガーで通過した隊員に与えられる基本的なチップ構成のトリガーホルダー。とくに適正を考えず渡されたそれは、彼女にとってほぼ全ての武装が未知のもの。

 不安げに目を伏せた雨取に、香取は気にせず続けて三雲を促した。

 

「最悪撃てればなんでもいいわよ。メガネ、アンタは?」

「ぼくは、レイガストとスラスターをメインに、アステロイド、シールド、バッグワームがサブに入ってます。……ですが、本当に戦うんですか? ぼくたちじゃあの近界民には、」

「……ブッ飛ばすとは言ったけど、勝てるなんて思ってないわよ。

 いい? あの近界民の欠けらを撃ちこまれると磁力で動きを邪魔される。けど、ずっと操れるわけじゃない。攻め続ければこっちに集中せざるを得なくなって、玉狛の拘束も外れる。そしたら全員で一気に叩くのよ」

「……レイジさんたちの解放を軸に、なるほど」

「玉狛が落とされたら終わりよ。そん時は全員で近界民を引きつけて本部長に任せましょ」

「わかりました。……宇佐美先輩」

《了解、レイジさんたちにも伝えとくね》

 

 存外に前がかり的ではない作戦に、三雲もついに頷いた。宇佐美を通して木崎たちとも連携を密にする。

 

「よし……行くわよ」

 

 

 

 

 敵を封殺することに成功したヒュースは、最後のあがき(ヽヽヽ)に注意しつつ玄界の兵から反応している『泥の王(ボルボロス)』の所在を探っていた。

 

「我々の黒トリガーは誰が持っている? 貴様らの誰かが所持しているのはわかっている、おとなしく渡せ」

「…………」

 

 何も答えない玄界の兵。叩き潰してやりたいところだったが、ヒュースには彼らの持つ脱出機能の性能が未知数な以上、『泥の王(ボルボロス)』を回収してから排除するのが最善であった。

 可能性としては低いが、もし……仮に所持する黒トリガーごと脱出されると面倒なことになる。先ほどの一撃は撃破するつもりで放ったし、もしそうなれば『金の雛鳥』に注力できると目論んでもいたが、こうして首尾よく捕縛できたなら回収しないわけにもいかない。

 

「……チッ」

 

 いまのうちに手足を落としておくか。いやトリオン切れでも脱出するかもしれない。拘束していてもあまり近づくのは危険だが……。

 ヒュースが隊長と思しき大男の懐に手を伸ばそうとした刹那、彼が黒トリガーよりも重要視していた存在が目の端に映った。

 

「『金の雛鳥』……!」

 

 アフトクラトル繁栄の要。主君を救う唯一の手。遠征部隊ではなくヒュースにとっての最重要目標が現れて、彼はそちらに目を奪われた。

 

(どうする……『泥の王(ボルボロス)』は回収しなければならないが『金の雛鳥』が……。こいつらを落としてそちらを優先するか? 雛鳥には脱出機能がないはず。しかし――)

 

 一瞬の硬直。刹那の隙であったが精鋭たる玄界の兵がそれを見逃すはずがなかった。

 

「スラスターON!」

「ぐっ……!?」

 

 磔にしていた腕を強引に引きはがして、隊長格の男が殴りつけてくる。

 盾に付加した噴進力をそのまま打撃力に変えた殴打。磁力による推力低下と『打撃』という点であまりダメージがある攻撃ではなかったものの、刹那であった隙が数瞬にまで引き延ばされた。

 

 

 

(……!)

 

 木崎が作ったチャンス。無駄にするわけにはいかない。

 『人』に対して武器を向けるのが初めてだった雨取は、この瞬間までためらいを捨てきれずにいた。戦うと決め、戦いたいと申し出た彼女であっても、人を撃つという行為には忌避感が拭いきれない。

 その嫌厭(けんえん)には空閑と三輪隊による戦闘が深く根付いている。戦闘体のことを知らずにいたころに目の当たりにした激しい戦闘。空閑の首から噴き出る血のようなトリオンと、吹き飛ばされた腕。十四歳の少女に恐怖を植え付けるには充分すぎる情景だった。

 でも、それでも。

 

(……友達は、仲間は……わたしが、助ける!!)

 

 この作戦の成否は友人である夏目や玉狛の仲間、それだけでなくボーダー全体から見ても重要な分水嶺である。

 逃げるのもいいだろう。敵の目標である己が逃げ切れば広義に見て勝利と言えないこともない。

 守りに徹するのもいいだろう。ここで戦闘が行われている限り他の戦力は他に向けられる。

 けれど、「助ける」ならば。

 もし夏目がすでに……いや、隊員が攫われているのはもう確定している。彼らを助けるというのならこの近界民の撃破は必須だ。何がなんでも捕縛し、黒トリガーと合わせてでも交渉しなければならないのだ。

 迷っている時間はない。この迷いが友人を殺すかもしれない。

 そんな重責をエールに変えて、雨取は仮初に与えられた己の力を声の限りに叫んだ。

 

「――あ、アステロイドッ!!」

「な……っ!?」

「でかっ!?」

 

 近界民だけでなく、後ろで香取も驚愕していた。

 射手(シューター)用トリガーはトリオン能力の優劣がはっきりと表れる。有する能力が高ければ高いほど、生み出されるトリオンキューブもまた大きくなっていく。

 とりわけ雨取のそれは群を抜いていた。通路を塞がんばかりのトリオンキューブ。これだけで敵がなぜ彼女を狙うのか、浅く聞いていた香取にもはっきりと見て取れた。

 

「え、と、どうすれば……」

 

 弾を生成したはいいが、それをどうすればいいのか雨取にはよくわからなかった。

 初めて使ったアステロイド。三雲が使っているところは何度か見ていたが、どうやって分割するのかはいまいち理解していない。ましてや通路を埋め尽くすようなサイズ、初心者の彼女に扱えるようなものではないうえに、このまま射出すれば作戦の要である木崎たちごとすり潰しかねない。

 

「宇佐美、通路の隔壁を閉鎖しろ!」

《了解!》

 

 磔にされたまま木崎が毅然と叫ぶ。

 宇佐美の操作によって射線上に伸びる通路が封鎖されていった。これで無駄な被害は抑えられる。あとはもう、思いっきり撃てばいい。

 

「そのまま撃て、雨取!!」

「は、はいっ……!」

 

 力強い言葉に押されて、雨取がアステロイドを解き放った。何も調整しないままに撃ち出されたそれは威力や射程の全てが平均値であったにも関わらず、圧倒的な破壊力でもって近界民と木崎たちに押し寄せる。

 

「京介、小南!」

両防御(フルガード)!!」

 

 間髪入れずに玉狛第一の全員がシールドを展開した。揃って壁に張り付けられていた彼らを守るように盾が何重にも浮き上がる。その数は五、表層の一枚は跡形もなく消し飛び、残る全てにもひびを入れられながら、なんとか巨大な弾丸をやり過ごす。

 

「ぐぅっ!!」

 

 しかし近界民はそうもいかない。盾にも転用できる磁力の鱗片は緒戦に見せたときの数倍はあろう数を誇っており、耐久性も大幅に上がっているだろうが、そこにも限界というものがあるだろう。単純な仕組みの通常弾(アステロイド)といっても、こんな規格外なものは弾き返すことができず、また耐えることも難しいはずだ。

 しかしさすがは強化トリガーというべきか、はたまた彼の判断とトリガー操作技術を褒めるべきか。

 近界民は防ぎきれないと見た直後に自身を()で包み込んだ。そしてそのまま毬のように吹き飛ばされたのだ。受け止めずに身を任せる。そうすることによって被害を最小限に食い止めた。

 

「くそ……!」

 

 が、それでも無傷とはいかなかったようだ。殻から姿を現した近界民は炸裂したアステロイドの一端を受けたらしく、至るところに傷が浮き出ていた。殻に入ったわずかな亀裂からでもダメージを与えるとは、まだトリガーの仕様も理解していないというのに雨取の潜在能力が垣間見える。

 そして、即席のチームといえど、彼女たちはしっかりと連携していた。

 

「くらえっ!」

 

 グラスホッパーにより瞬間的な加速を得た香取が、巨大なアステロイドの影に隠れて接近を果たした。敵は全力の防御を行い、周辺に欠けらは浮いていない。割れた殻を再び武器か盾にするよりも先に、このスコーピオンが確実に首を落とすだろう。

 ――獲った!

 確信した香取の口角が上がる。

 

 

 

「舐めるな」

 

 対するヒュースの声音は静かなものだった。

 暴力的なまでの攻撃をしのぐことに成功した矢先の奇襲。眼前に迫る少女兵。けれども慌てることはない。狼狽えてはいけない。

 ――焦りが剣を鈍らせる。

 かつて教えを受けていたころ、師によって与えられた訓戒。

 数々の戦場を潜り抜けてきた老練の古兵(ふるつわもの)に鍛えられたヒュースにとって、師に倣い物事を冷静に見れることこそが己の最大の武器であると自覚していた。それが長じて『蝶の楯(ランビリス)』のような奥妙なるトリガーへの適性を見せたのだ。

 この場面でいえば、焦っているのは敵、使っているのは剣――ならば。

 

「な――ガッ!?」

 

 振り抜かれた刃を紙一重で躱し、凝然とした横っ面を容赦なく殴り飛ばす。その一瞬で『蝶の楯(ランビリス)』を再び全身に纏って走り出した。

 

(この女は放置、精鋭の三人も無視だ。この場で最も厄介なのは――『金の雛鳥』!)

 

 追撃もせずに突進する。

 精鋭部隊はまだ『蝶の楯(ランビリス)』の欠けらが埋め込まれている。また壁にでも叩きつけておけばいい。この戦闘において最も厄介かつ重要なのは『金の雛鳥』。あの少女さえ潰せば戦いは終わるはず。脱出機能がないのであれば、そのまま人質にでもしてしまえばことは済む。

 

「行かせ――ッ!?」

「邪魔だ!」

 

 やはり行く手を塞ぐ玄界の兵を封殺。出現する障壁も炸裂弾ももろともに切り裂いて疾走を続ける。無理矢理すぎて左腕が飛んだが、多少のダメージも無視していいとヒュースは開き直った。接近さえ果たせばあの大火力も思うようには扱えまい。

 

「千佳、手を!」

「う、うんっ!」

 

(何をする気だ――)

 

 雛鳥と眼鏡をかけた少年が向かいくるヒュースを前に手を取り合う。よもやふざけているわけでもなかろうが、その動作は彼に訝しさを与えた。

 

「いくぞ――」

「「アステロイド!!」」

 

「なっ!?」

 

 二人が息を合わせ、再び顕現させた巨大弾。

 先と同じ威力、いやこれは違う。あの眼鏡のほうが調整したのか、さらに威力が高められた射撃だ。射程を捨て、その全てを火力に特化させた破壊の権化が、二発分。

 

(まずい――)

 

 慌てるな! 自身にそう言い聞かせつつ磁力片を展開する。迫る巨大なトリオン塊を前にヒュースはなおも冷静であろうと努めた。

 避けるのは……不可能だ。先ほどと同じようにこの弾丸は通路を埋め尽くすような大きさをしている。ならば切り払うか、弾くかするしかない。

 できるだろうか――、――無理だ、と心の中で浮かんだ問いに即答する。あれを防ぐには少しだけ(ヽヽヽヽ)足りない。

 『蝶の楯(ランビリス)』の耐久力を計算した結果、一発だけならやり過ごすことができるとヒュースは弾きだした。先の()による防御を応用すれば、なんとか。

 けれどもう一発はどうしても無理だ。ギリギリのところで『蝶の楯(ランビリス)』の限界がくる。分割した鱗片では到底防ぎきれるものではない。どうにかしてその帳尻を合わせなければ。

 

 致し方ない――

 

「――『蝶の楯(ランビリス)』ッ!!」

「うっ!?」

「な、烏丸先輩!?」

 

 ヒュースは冷酷な判断を下し、それを実行に移した。敵精鋭部隊のうち誰が『泥の王(ボルボロス)』を持っているかはまだ判明していなかったが、その中でも最も可能性の薄い隊員を盾に選んだのだ。埋め込んだ磁力片で浮遊させ、向かってくる弾丸に突っ込ませる。

 

「かまうな、修!」

「は……はい!」

 

 思いのほか潔い男が盾も使わず光弾の中に姿を消していく。弾殻を破ることは叶わず、見た目もたいして変化はなかったが、たしかに弾体が反応して僅かながら威力が低減したはずだ。

 ヒュースは人ひとりぶんのトリオン質量をぶつけることにより、弾丸の威力を強引に『蝶の楯(ランビリス)』の耐久許容圏内に収めた。あとは、全力で防ぐだけ。

 

「ぐう……ぉおおおお!!」

 

 ギリギリまで身を伏せ、『蝶の楯(ランビリス)』を板状にして斜めに構える。着弾面積をできるだけ小さくして受け流すためだ。後ろにも敵がいる以上、また吹き飛ばされるのはまずい。

 分厚い盾を削る衝撃がヒュースを圧し潰さんばかりに迸る。大丈夫だ、耐えられる――!

 

「そんな……!」

 

 呆然とした眼鏡の少年がこぼした声に、ヒュースは勝利を確信した。

 凌いだ。凌ぎきった。この距離からであれば『金の雛鳥』を確保するのに一秒もかからない。もし追撃を企てていようと次弾が生成されるよりも先んじて仕留められるだろう。後ろからは他の兵が迫ってきているが、もはや無意味だ。残った右腕で撫ぜればそれで雛鳥のトリガーなぞ解除させられる。

 

 しかしヒュースがその手で栄光を掴む直前に、予想だにしないものが彼の動きを止めた。

 

《ヴィザ翁!?》

《――しわけありません、突破されました》

 

「――ッ!?」

 

 耳に飛び込んできた音声。ヴィザの敗北。

 

(そんな、バカな!?)

 

 ついに彼の冷静な思考が、ここに完全に打ち砕かれた。

 ヒュースにとってヴィザの存在、その戦力は絶対のものであった。

 泰然自若の古兵――比肩する者なしと謳われた剣術、(よわい)六十五にして未だ衰えないトリオン能力、経験に裏打ちされた戦闘勘。

 そのヴィザに国宝たる黒トリガー『星の杖(オルガノン)』を持たせた結果が単体で城を落とす化け物だ。幼少より師として仰いできたヒュースがヴィザに向ける信頼は、ハイレインが注ぐそれよりなお深く、強い。

 そのような存在が敗北を喫したという事実は、ヒュースに大きすぎるショックを与えた。勝利の確信から陥落の衝撃、その落差がより大きく彼を揺るがし呆然自失とさせる。――なんとも、最悪のタイミングで。

 

「うおおおお!!」

「チィッ!」

 

 眼鏡の少年が剣を振りかぶる。いまさらそんなものにやられはしないヒュースであるが、彼の平常心は崩れに崩れていた。

 目の前の雑兵にムキになり、周囲への注意がおろそかになる。

 

「こん、のぉ!」

「っぐ!?」

 

 背後からの大斧。それをギリギリのタイミングで防ぐ。

 トリガー(ホーン)の制御能力に支えられた『蝶の楯(ランビリス)』はどうにかヒュースのトリオン体を守ったが、この一撃はあの巨大弾頭に勝るとも劣らない脅威の威力。全ての鱗片をもってしても彼の眼前に刃が迫る。

 だが止めた。いまこそ落ち着いてこの少女兵を磁力で――

 

「――――っ」

「今度こそ獲ったわよ、この野郎」

 

 大斧を持った兵の腹を突き破り、まっすぐに伸びてきた剣がヒュースの胸を貫いた。磁力で浮かしかけた精鋭の後ろに、これまでほぼ無傷でいた少女兵が詰めていたのだ。

 どんなに強力な磁場を形成しても『蝶の楯(ランビリス)』の影響下にない彼女の体勢を崩すことはできず、その光刃は違うことなくトリオン供給機関を突き穿った。

 供給機関を失ったトリオン体にひびが入り、ついには爆散する。

 

「く、……!」

 

 敗北に呆然としかけて、ヒュースは己を奮起させた。

 まだ、終わっていない。この命ある限り己の全ては主君に捧げるのだ。

 ――為すべきことを、為さねば――

 

 

 

 



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第三十六話

 

* * *

 

 

 

「さらばです、玄界の勇士たちよ」

 

 近界民の撃破と同時に開いた空間転移の輪、反応できたのは大河だけであった。戦闘体が破壊された白煙がまだ漂っているなかで、トリオン反応が途絶えた敵の位置を正確に捉えられたのが彼だけだったのだ。

 しかしそれ以前に援護射撃でほとんどトリオンを使い果たした他の隊員には、撤退する近界民を目にしたとて反応は間に合っても追撃はできなかっただろう。

 

「逃がすか!」

 

 閉じゆく次元の狭間に向けて、撃ち出すように爪を伸ばす。左手人差指以外の爪を消すことによってトリオン供給先を限定、半ば暴発させる勢いで刃を(はし)らせた。

 生身に対し、トリガーをもって取り押さえるには安全処理が施された弾トリガーが最も適しているのだが、大河のハイドラにはそんなものは備わっていない。遠征の目的から実装されなかったのに加え、余波だけで肉体など消し飛んでしまう威力のそれに安全処理なんて、どうやっても搭載できるものではなかった。

 ゆえにこうして虎爪による追撃、速さを重視したピンポイントの刺突を繰り出したのだが……

 

「見送りは結構ですよ」

「んなっ……!」

 

 老練の近界民がトリガーホルダーに戻った杖先で軽くブレードの腹を突く。

 それだけ、たったそれだけで必殺の凶刃は無意味と化した。

 小さな点となった転送口から爪を逸らすにはほんの僅かに切っ先をずらすだけで充分であった。そう簡単には言っても、言葉のまま容易くできることではない。杖型のトリガーホルダーがトリオンでできているからといって、それには何も効果もないのだ。そんなもので虎爪を逸らすなんていうのは銃弾を割りばしで弾くような、意味不明な領域の技術である。

 生身に戻ってもやつの剣術の冴えは健在だったらしい。人間が反応できる速さではないはずの爪を、なんとも事も無げに弾いてしまった。人智を超えた絶技、やはりあの老人は底が知れない。

 

「……チッ」

 

 惜しくも近界民を見逃すことになった大河はしかし、怒り狂うでもなく周囲を見回した。己の大爆撃で広く深く窪んだ更地に、生き残った何人かがそれぞれ状況を把握するべく動き始めている。

 どうにか強敵を撃退した合同迎撃部隊であったが、必要だったとはいえ戦線離脱させられた隊員の数も多い。

 二宮隊は隊長以外が、加古隊は黒江が緊急脱出(ベイルアウト)。影浦隊は狙撃班に同行していた絵馬を除いた全員が落とされている。十人以上で挑み、半数以上を落とされた。

 戦力的な消耗がもっとも軽度な三輪隊を含め、残った隊員たちもほとんどトリオンを使い果たしており、これ以上の戦闘はかなり厳しい状況とみえる。

 

「はーあ、なんとかなったか」

 

 ともあれ勝ちは勝ち。ここでの勝利は大きい。被害がいかに大きくともあの近界民を倒せたのは僥倖と言わざるを得ない。奴を自由にさせていたらどれだけの被害をこうむっていたかわかったものではなかった。大河は大きなヤマを越えたことに安堵の息をついたのだった。

 

「……やられた」

 

 そこで、小さな呟きが落ちたのを聞きとがめる。

 その言葉をこぼしたのは空閑だった。黒トリガーを解除され中学の制服に戻った彼は四つん這いの状態で地に転がった何かに視線を落としている。

 

「どうした?」

「…………」

 

 尋ねても返答はない。空閑の近くにいた迅も沈鬱な面持ちで黙り込んでいた。

 よもや(ブラック)トリガーのホルダーを破壊されたわけでもあるまい。もしそうなら空閑はいまごろ息絶えているはずだ。

 

「レプリカ……」

「あ?」

 

 空閑が呼ぶその名は、彼に付随するトリオン兵の名。……そして、視線の先に転がっているのも、空閑の御目付役たるトリオン兵の残骸――の、欠けらであった。

 

「お、おい、それ……」

 

 大河が息を飲んで残骸を指さす。初めて聞く彼の焦ったような声音に、空閑がゆるゆると顔を上げた。

 けれども大河の焦燥は別に空閑のことを慮ってのことではなかった。レプリカの有用性は、彼も、そして本部も認めた非常に重要なもの。保有する情報は遠征数十回ぶんにも及ぶ、ボーダーにとって千金に値するほどの財産(ヽヽ)である。

 

「あの近界民に、やられたのか」

 

 いつの間に。

 愕然と問うと、空閑はため息のようにぼそりと答えた。

 

「……うん。全身を斬られたときに、やられた」

 

 そしてトリガー強制解除の白煙に紛れて、機能不全に陥ったレプリカを持ち去ったらしい。あのギリギリの状況でそんなことまでしていたとは、どこまで抜け目のない老人なのか。

 

「ざっけんなよ、オイ」

 

 歯ぎしりした大河の奥歯から怒りを形容するような音がもれる。

 大河にとって妹以外の隊員が――たとえC級であろうがなかろうが――攫われるなどという損害は痛くもかゆくもないものだった。もとよりほとんどの隊員の名前も顔も知らないのだから、情が湧く余地すらないのである。

 けれどもレプリカは別だ。特別顧問に任命されたあのトリオン兵が持つ情報だけは絶対に譲れない。とくに大河にとっては近界各国の情報は意義深いもの。これからレプリカによってもたらされた情報に基づく近界侵攻を企てていたのに、勝手にいなくなられては困る。とても困る。

 

「おいミサキ、他の近界民はどうなってる?」

《ん、狙撃訓練場に三人。単独でうろついてた一人は無力化したみたい》

「そうか。じゃあまだレプリカ取り返せる目途はあるよな」

《さあ? 命令は捕縛だからね~。アタマ(ヽヽヽ)を押さえないと逃げられるかもしんないよ》

 

 先ほど撃退した近界民はアフトクラトルの中でも随一の猛者。おそらく迅の予知の()は超えただろうとみたミサキは気の抜けたような返事をした。

 あの老人を打倒、そして一人を捕縛。大方の予想に、そう遠くないタイミングでアフトクラトルが撤退を開始することは目に見えている。

 しかし大河の瞳には、それを許すまいとする決意がありありと浮かんでいた。

 

「……全員ブッ殺す」

 

 物騒な物言いに、ミサキが呆れたようにストップをかける。

 

《だーから、命令は捕縛だっつってんでしょ。だいたい兄貴に基地内部での戦闘の許可なんて下りるわけないじゃん》

 

 彼の戦闘には前提として広大なフィールドが必要となる。屋内における局所戦は苦手……というよりその『局所』ごと消し飛ばしてしまいかねない。本部基地内部などはもっての他だ。

 

「知るか。このまま指くわえて見てられっかよ」

《はあ……ったく》

 

 下された命令やボーダー本部基地に対し配慮の欠けらも見せない兄に、ミサキは渋々ながらも付き合う様子を見せた。

 そこには半ば諦めめいたものがある。どうせ、こいつは止まらない。だったらトリガーの調整でもなんでもやって、できるだけ被害を最小限に留めるのが己の役割だと嘆息した。

 

「タイガー先輩、悪いけどレプリカのこと、頼むよ」

「んあ? ああ……」

 

 すっかり忘れていた空閑に懇願されて、大河が曖昧に頷く。

 レプリカを取り戻そうとしているのは完全に大河個人の利益のためである。空閑の心情などこれっぽっちも勘定には入れていないが、求める結果が同じなため、いちおうは了承しておいた。

 

「おい、誰か動けるやついるか?」

 

 屋内戦では思うように力を発揮できない。そのため動かせる駒が要る、と周囲に声をかけた大河であったが、即答できる隊員は一人もいなかった。

 少しの間をおいて二宮がゆるゆるとかぶりを振り、否定の意を示す。

 

「悪いが俺と加古隊は狙撃組を連れて市街地の援護だ。ほとんどトリオンも残ってないが、近界民の数だけで言えば向こうのほうが多いしな」

「そうか。んじゃこっちは秀次と……」

 

 ちら、と目を向けられた迅が困ったように頭を掻いた。

 

「ごめん、ちょっとおれもやることがある。メガネくんのとこに行かないと」

「オサムがどうかしたのか?」

「ああ……」

 

 空閑に問われた迅はやはり曖昧に頷いた。何かよくない未来でも視えたのだろうか、難しい表情を浮かべて空閑を見つめ返している。

 

「まあいいか。秀次、おまえはまだ()れるか?」

 

 迅から視線を切った大河が尋ねると、三輪は力なく、しかしたしかに首肯した。

 

「なんとか……。補助に回れば、といったところです」

「ああ、かまわねーよ。っし、じゃあ行くか」

 

 部隊の割り振りを終えた隊員たちがそれぞれ新たな戦場に向かって移動を始める。

 二宮を筆頭とする継続迎撃部隊は東部地区方面へ。迅と空閑はワープトリガーにより基地内部に。

 

 そして大河と三輪は――

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 外の決着がつく少し前。

 広大な訓練場での攻防で、陣頭指揮をとる東は手をこまねいていた。

 当初は外部と連携して通路を突破する予定だったのが、ここを抜けた近界民の追撃に向かった王子・那須・香取隊が壊滅して外部戦力が大幅に削られてしまったのだ。

 残る部隊はB級下位がほとんど。その中で有力なのは諏訪隊や柿崎隊であるのだが、いまの状況ではいささか力不足が否めない。逆に、下手に突破すると敵の強化トリガーと黒トリガーで大打撃を与えられかねないのが現状だった。

 しかし敵側の戦力が優位であっても、未だここに釘付けの状態なのが少しばかり不可解である。東はそこに一端の光明を探した。

 

(敵の目的は……聞かされていた限りでは黒トリガーの奪還と雨取って子だったはず。あの子がここのC級に紛れ込んでいると勘違いしているのか?)

 

 近界民たちにとってこの場で時間を食う意義は薄い。つまりここにも「狙い」があるはずだ。そしてそれは敵から見て恰好の違いがわからないであろうC級の雨取である可能性が最も高い。無論隊員を捕まえられるだけ捕まえていきたいのもあるだろうが、目標として彼らは、あの子を探している。

 だとすれば、と東は作戦を変更した。

 時間稼ぎに徹する。基地外での戦いが終わればA級部隊が戻ってくる。あいにく基地近辺での戦闘は敵が強力すぎるらしく、余力がほぼ残らないだろうと報告を受けた。そのため多少時間がかかるが、市街地防衛部隊を待つことにする。

 最高戦力たるA級トップチームか、派手に暴れる天羽をサポートしている嵐山・片桐隊ならば充分抗戦できる状態で戻ってこれるはずだ。

 

「《みんな、ここは耐える場面だ。隠岐と俺で隠れながら狙撃をして時間稼ぎしていることを隠す。来たるべきときまでトリオンを温存しておいてくれ》」

「《了解っす。けど、操作盤(コンパネ)は大丈夫なんですか? 地形が解除されるとマズいんじゃ》」

 

 奥寺がそう進言する。いまもコンパネには紅髪の近界民がついており、どの程度かはわからないが解析が進められているはず。巨大な盾として存在している密林が解除されれば戦況は一気に不利になってしまう。

 隊長を信ずるがゆえ不安というよりは単純な疑問として述べられた言葉に、東は微笑を浮かべて返答した。

 

「《大丈夫だ。技術者(エンジニア)に設定をロックしてもらった。コンパネの解析が終わっても地形の変更はできない》」

「《なるほど。わかりました》」

 

 奥寺の姿が見えないまま頷きをひとつ落として、東が移動を開始する。

 時間を稼ぐといってもただ撃つだけでは敵に意識さえさせられない。あたかも解析を邪魔しているかのような嫌らしい攻撃を加えなければ。

 そして彼にはそれが叶う。「最初の狙撃手(スナイパー)」たる東春秋は、ボーダー最高峰の技術を持っている。純粋な精密さでいえば奈良坂や当真が台頭する現在、後進の成長に喜びはしても、ただ抜かされるままでいられる彼ではないのだ。

 

(狙い通りにはいかせないぞ、近界民)

 

 心のうちで嘯いて、スコープを覗き込む。

 

 その僅か数分後に、己もまた狙い通りにはいかない事態になることを、東は予想だにしていなかった。

 

 

 

 

 

 ランバネインが『雷の羽(ケリードーン)』を乱射しながら、その轟音に負けじとがなりたてる。

 

「敵がひとつの通路に集中し始めてしばらく経つが、突っ込んではこないようだ。どうにも動きが読めない」

「ああ。密林からの狙撃も最小限のものだけだ。何かを待っている、か。ヒュースが削ってくれたぶんをどこかから補填しようとしているのかもな。ミラ、そっちはどうだ?」

「いましばらくかかるかと。突破されるほうが早いかもしれません」

 

 ミラの悔しそうな顔に気にするなと苦笑を返し、ハイレインは密林を見渡した。

 潜んだ『雛鳥』や兵たちの姿は全く見えない。先ほど試しに余ったトリオン兵を送ってみたが、踏み倒した木々も即座に修復され、鬱蒼と茂る紛い物の植物はトリオンでできていることもあって反応を追いにくいらしく瞬く間に撃破されてしまった。

 やはり手間取った。突破するために策をめぐらせているであろう玄界の兵が乗り込んでくるのも時間の問題だろう。これならヒュースに合流して『泥の王(ボルボロス)』の奪還に注力したほうがいいかもしれない。

 ハイレインがこの戦場に見切りをつけるのと同時、ミラが操作盤解析のために動かしていた手を止めて叫んだ。

 

「ヴィザ翁!?」

「どうした」

「し、少々お待ちを……!」

 

 操作盤ではなく『窓の影(スピラスキア)』を慌ただしく起動する。その様子にハイレインは最悪の事態を想像した。

 おそらくヴィザから通信が来たのだろうが、隊長たるハイレインには何も送られていない。命令系統を無視してまでミラに何かを要請する――そんな事態と言ったら、一つしかない。

 そして、少しの間をおいて想像していた「最悪」を肯定する通信が届いた。

 

《申し訳ありません、突破されました。『星の杖(オルガノン)』は無事ですが……》

「……ああ」

 

 アフトクラトルでも最上位の武力を誇るヴィザの敗北。しかしその報告を受けてもハイレインの動揺は小さなものだった。

 玄界(ミデン)の底力は測り知れない。それは身をもって味わったことだ。

 初めて乗り込んだ日にヴィザが落とされていたらもう少し驚いていたかもしれなかったが、常に最悪(ヽヽ)を考えて行動するハイレインは玄界の戦力がヴィザを打倒する可能性をも念頭に置いていた。

 とはいえやはり想像しがたい。あの最高戦力を相手に玄界の兵はどう立ち回ったのか。

 記録が残っていればヴィザに提出させることを頭の隅で決めて、ハイレインは現状に必要な情報を優先させた。

 

「敵の残存勢力はどの程度だ?」

《斬ったのは九名、うち一人は黒トリガー使いです。狙撃手を除いて残りは七。『黄金の虎』ともう一人の黒トリガー使い以外はほとんどトリオンが残っていないと思われます》

 

 なるほど負けはしたが戦力は大幅に削ってくれたようだ。外にいた兵は最も、とまではいかなくとも精鋭揃いの部隊だった。それをほとんど機能不全にまで追い込めたのなら役目としては上々だ。

 

「そうか、わかった。ヴィザは遠征艇から外の情報を――」

 

 頷いたハイレインはそのまま指示を出そうとし、

 

《お気を付けください、『黄金の虎』がそちらへ向かっています》

 

 わかりきったことを言われて困惑した。

 『黄金の虎』が向かってくる。そんなことは言われずとも予想できた。ヴィザを倒したあとそんな余力があるのには驚いても、動けるのならこちらに向かってくるだろう。

 ここへの転移はもう封じてある。あの火力でならランバネインの突破も容易であることは明白だし、すぐに移動すれば問題はない。

 

「もともとここは捨てる(ヽヽヽ)つもりだ。我々はヒュースと合流して『泥の王(ボルボロス)』を」

 

 ハイレインのセリフを、剣呑な声音がもう一度遮った。

 

真っ直ぐ(ヽヽヽヽ)向かっているのです。退くのならお早めに――》

「――!」

 

 瞬時に理解する。

 アフトクラトルがなんとかすり抜けたあの防壁、いかなる手段でもってしても破壊できそうにない堅固な壁を『黄金の虎』は突破できるのか。……問うまでもない。アレの規格外さはいつだって予想を超えてくる。

 

「ミラ、そこから離れろ!」

「え……?」

 

 再び操作盤の解析に戻っていたミラへ警告する。自分たちが壁抜けしてきたのはこの操作盤の近くだった。その地点を覚えていられたのなら、突破してくるのもここの可能性が高い。

 

「壁から離れ――」

 

 伝えきる前に、いくつもの光刃が閃いた。

 

「くッ!?」

「ミラ!」

 

 右腕が落ちた彼女を抱きかかえ跳び退る。直後切れ目の入った分厚い壁が膨れ上がるように押し出され、激しく吹き飛ばされる。重苦しい音を立てて崩れ落ちる防壁だったトリオン塊。改めて見てもその密度と厚さは異常という他ない。

 なのに、まるで砂の城を崩すかのようにそれは現れた。

 

「――てめえら」

「『黄金の虎』……!」

 

 ハイレインが睨みつけた先で、虎模様の隊服を身に纏った男が壁の破片を蹴り飛ばす。

 

「やってくれたな……!」

「……!?」

 

 ひどく(いか)り狂った形相で吼える虎。ハイレインは違和感を覚えて眉根を寄せた。

 こいつは何に(いか)っている? たしかに『雛鳥』を大量に捕らえた。だが数は違えど先日も同じことを(おこな)ってきているのだ。先ほど捕まえた中にこの男の知己でもいたのか。

 逆鱗に触れてしまったとしたら面倒な。しかし――

 

(感情に揺れているなら、チャンスでもある)

 

 知将ハイレインは冷静にそう考えていた。

 厄介なトリオン能力を持っている難敵、しかし真っ直ぐ突っ込んでくるだけならどうとでもなる。ヴィザにより右手は斬りおとされ、まだ敵戦力の追加がない今……前しか見えていないのなら、意識の外から生物弾(アレクトール)をくれてやる。

 

「ミラ、まだ動けるな?」

「問題ありません」

 

 『黄金の虎』と同じく右手を失ったミラだが、彼女のトリガーはたとえ両手がなくなろうとも発動するのになんら支障はない。協力して一気に叩けば、アレを手に入れられる。アフトクラトルに繁栄をもたらす神を――次世代の覇権を。

 

「死ねッ!」

 

 ハイレインの決意が滲む眼差しの向こうで、なんとも物騒な叫びとともに爪が伸ばされた。残った左腕の凶悪なそれが上層の射撃スペースの床すら切り刻んで叩きつけられる。

 

「『卵の冠(アレクトール)』!」

 

 手のひらに浮かぶ卵からハイレインが魚型の弾を生み出して自身とミラを防護。

 敵の攻撃にいかな暴力的な威力が込められていても、トリオンでさえあるのならそれはキューブ化される。叩きつけられた爪が中ほどから分断され、二人の目前で床を切り刻んで粉塵を巻き上げた。

 

「あ゛あッ!? 防いでんじゃねーぞ!!」

 

 理不尽に猛る虎の肩に大砲が構築されていく。

 撃つのか、あの破壊兵器を。この砦の中で――

 

「やめろ、木場!」

 

 大砲を危惧していたのは何もハイレインたちだけではなかったらしい。

 密林の方から制止する大声が響く。やはりあの砲撃は向こうにしてみても脅威に過ぎるようだ。止められた虎が一瞬だけ逡巡するような様子を見せ……

 

「っっっごォああああアアアッッ!!!」

 

 直後に吼えた(ヽヽヽ)

 先ほどまでの比喩でなく、本物の『咆哮』だ。

 

「――ッ!?」

 

 ビリビリと空間を震わせる大音声。やつの怒りを象徴するように左手の爪がまた巨大化して、ついには天井にまで至ってしまった。

 そのさまには通路を抑えていたランバネインも目をとられ、ミラは恐懼に身を竦ませている。

 ハイレインだけが、いち早く気づいた。

 

(あれは……!)

 

 爪が地面に食い込んでいる。いや、飲み込まれている。

 あの虎は怒り狂っているように見せかけて、頭の中は冷静だった。冷徹なまでに、こちらを殺すことだけ考えていた!

 この咆哮と破滅的なまでに巨大化した爪は意識を上に向けさせるための陽動(フェイク)。狙いは下だ。足もとは『卵の冠(アレクトール)』による防御が薄いことを、敵は知っている。

 この状態で狙うのは誰だ? 先ほど爪を防いだ己か、通路を抑えるランバネインか。……違うだろう。潜入だけでなく、撤退するのにも『窓の影(スピラスキア)』の能力が必要だ。我々を捕らえることが目的なら、まず潰すのは――

 

「ミラ!!」

「――――」

 

 そういうことか。ハイレインは舌を打ってミラの腕を掴んだ。

 この鼓膜を突き破らんとする咆哮は内部通信すら阻害する爆音。そこまで作戦の内だったのだ。一瞬出遅れたハイレインは死守すべきミラの腕を掴んだはいいが、自らが回避する余力を失ってしまった。

 

「隊長!?」

「……く、ぅ」

 

 ハイレインの予想通り足元から突き立てられた爪が彼の全身を貫く。ミラを守るのに必死で蜥蜴や海月(クラゲ)型を撒くのも間に合わなかった。

 しかし彼は間に合ったとしても防ぐことはできなかっただろうと自らを納得させていた。

 乱立した爪はハイレインを穿ったままさらに高く伸びたのだ。もし生物弾に当たったとしても、それは切っ先のみがキューブ化するにとどまって伸び続ける刃にとっては誤差にすらならなかったろう。

 

「くそっ……」

 

 『卵の冠(アレクトール)』を強制解除されたハイレインが歯噛みする。トリガーなしではヒュースの援護どころか己の身を護ることすらままならない。

 撤退するしか、ない。

 見誤った。敵が怒りに目を濁らせていると思い込み、勝てると誤信した。手に入れられたなら間違いなく栄光が手に入ると目が眩んでしまった。

 

「下がれ隊長!」

 

 悔いたハイレインが撤退命令を口にする前にランバネインがかぶさるように躍り出る。トリガーを解除されたハイレインに対し容赦なく狙撃の弾が迫っていたのだ。

 シールドで防ぎ、『雷の羽(ケリードーン)』で威嚇射撃をばら撒くランバネイン。これで通路は完全に開放された。すぐさま敵の増援が駆け込んでくるだろう。

 そして眼前の脅威はまだ去っていない。この場でもっとも危険な猛獣はまだ、こちらを睨み続けている。

 

「ぬっ!?」

 

 『黄金の虎』の背後から飛来した弾丸を盾で受けたランバネインが驚愕の声をあげた。彼の腹から突き出る三つの重石。これは、あの臙脂色の隊服を纏う少年が使っていた行動阻害を目的とするトリガーだ。

 片膝を突きかけたランバネインはブースターでバランスを取ることによりなんとか体勢を保っている。

 

「ちいっ、猪口才な!」

「こっちだ、デカブツ!」

 

 やはり現れた臙脂色。銃を乱射しながらこちらを挟み込もうと床を蹴る。あのトリガーは厄介だ。『卵の冠(アレクトール)』がない以上、重石を解除する方法がない。だがヴィザの報告によればトリオンはほとんど残っていないはず。あの移動は、おそらく釣りだ。

 

「――――」

 

 ランバネインへ警告しようとしたそこへ、身体が引きずられるかのような感覚。空気があの男に吸い寄せられている。またあの咆哮を放つつもりか。あれを生身でくらえば鼓膜が破れ、最悪気を失う可能性がある。

 ハイレインは最後に残った僅かな時間で命令を下した。

 

「ランバネイン、攪乱しろ! ミラは合わせて撤退を、ッ!?」

「――逃がすかよ」

 

 目の前に狂獣が立ちふさがる。

 巨大な爪を消した『黄金の虎』が目にも止まらぬスピードでハイレインたちに詰め寄っていた。

 もう『卵の冠(アレクトール)』の護りはない。トリオン体であれば問答無用で沈黙させる反則級の黒トリガー……この規格外にさえ通じる手が、彼らには残されていなかった。

 まだ伸ばした爪を叩きつけてくるのなら防ぎようはあったろうに――時が凝縮したような感覚の中、振りかざされた凶悪な爪を見つめながらハイレインは虎の執念に恐怖すら抱いていた。

 ミラの『窓の影(スピラスキア)』は次元を超える異質なトリガーだ。彼女が展開する窓は単純な力では破壊できない。それを壊すには同じく次元を超える何かでなければならないのだ。そこまでの特殊性を持たない虎の「叩きつけ」であればまだ防げたのに、こいつはどこまでも冷徹に迫りくる。弱所だけを攻めたててくる。

 ランバネインは間に合わない。巨大な砲塔を向けるより先に虎の爪が閃くだろう。

 

「隊長っ、――!?」

 

 咄嗟にミラがハイレインを庇うように前へ出ようとし、しかし突き飛ばされて驚愕の表情を浮かべた。突き飛ばしたのは、他でもないハイレイン自身であった。

 

(ミラをやらせるわけには……!)

 

 彼女はアフトクラトルの部隊にとって、絶対に失ってはならない命綱。たとえ隊長であるハイレインが換装を解かれたとしても、最優先で守らなければならない対象がミラであることに変わりはない。

 決死の覚悟でもって隊員を庇ったアフトクラトルの隊長は、その代償を自身の血でもって贖うこととなった。

 

「ぐっ、ああッ……!」

 

 二の腕から輪切りにされた右腕が鮮血にまみれて転げ落ちる。苦悶の声をもらしながらも、ハイレインは内心で安堵していた。

 この段階になっても虎は冷徹なまでに盤面を見ていた。向こうもやはりミラを落とすことを重要視しており、そのおかげもあってかこの程度(ヽヽ)の傷で済んだのだ。腕一本。安くない代償だがここで全員が捕縛されるよりはずっといい。

 

「ハイレイン隊長ッ!!」

 

 ミラが叫んでいる。そうではないだろう、とハイレインは叱責してやりたかった。が、声が出ない。

 ずっとトリオン体での訓練ばかりしてきた彼はいかな覚悟をもって戦場に臨んでいても、慣れない痛みには呻き声しか出すことができずにいた。

 まだ敵はそこにいる――いつだって冷静沈着だったはずの彼の右腕(ヽヽ)は、いましがた輪切りにされた本物の右腕のように正体を見失っていた。

 

「ミラ! 兄上を下がらせろ!!」

「ランバネイン……、え、ええ!」

 

 頼もしい弟が『雷の羽(ケリードーン)』を乱射して『黄金の虎』を引きはがしにかかる。兄と違って武官に近い彼はこの状況にも惑わされずに対応してみせた。……いや、少なからず動揺はしているのだろう。あれだけ「隊長と呼べ」と聞かせていたのに、素が出てしまっている。

 それでも彼の奮起はありがたかった。『黄金の虎』は目標を変えた。アフトクラトルを殲滅するのにもっとも邪魔だと認識する相手がミラからランバネインへと移ったようだ。

 

「ミラ……撤退、を」

「は、はい、今すぐに! ――っ!」

 

 ようやく絞り出せた命令。諾々と従うミラを邪魔する狙撃が行われた。辛うじて即死は免れたが、脇腹と肩を抉った傷からトリオンが大量に噴き出て彼女を焦らせる。

 どこまでも容赦がない。未だ姿の見えぬ密林から針のような射撃が飛んできている。通路からは増援が押し寄せてきた。もはや一刻の猶予もない。

 

『――!!』

 

 部隊の危機に上階にいたラービットらが床にひびを入れながらハイレインたちの前に着地した。

 

《ハイレイン殿、お早く!》

「ヴィザ、か。助かっ、た」

 

 どうやら遠征艇から行動プログラムを変更してくれたようだ。巨体が着地する際の衝撃で気を失いかけたことには目を瞑って、ハイレインはどうにか身を起こす。

 

「おおおおおッ!」

 

 ハイレインの護りをトリオン兵にまかせたランバネインがブースターを吹かして宙を駆け『黄金の虎』の気を引く。今のうちに、窓を。

 

「座標固定! 窓を開きます!」

「ああ、ランバネインを、頼む」

「わかっています、隊長、早く!」

 

 半ば押し込まれるようにして遠征艇に転げ落ちたハイレインの全身を激痛が駆け巡る。どうにか耐えて窓の外に視線をやると、ランバネインが凶悪な爪に串刺しにされるのが目に入った。

 

「ランバネインっ!」

「そのまま窓を開いておけッ!」

 

 ミラの悲鳴に叫び返したランバネインは強引にブースターを吹かして爪から逃れる。しかしずたずたにされた下半身からのトリオン漏出は激しく、すぐさま全身にひびが入りはじめた。

 

「うおおおおッ!」

 

 トリガー強制解除の直前、最後の力を振り絞って窓へ向けた全力のブースト。換装が解かれた爆発の中からその慣性のままランバネインが飛び出してくる。

 

 ――――ッッ!!

 

 形容しがたい爆音を最後に、ハイレインの意識は途絶えた。常人には耐えがたい虎の咆哮が、窓を通じて遠征艇にまで及んだのだ。

 これをもっと近くで、生身で受けたランバネインがどうなったのか。彼がそれを知るのはずっと先のことであった。

 

 

 

 



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第三十七話

 

 

 

 

 狙撃訓練場に押し入った大河は、胸のうちで渦巻いていた怒りの炎が急速に静まっていくのを感じて思わず笑いそうになった。怒りより優先される本能が鎌首をもたげたのだ。

 なぜならそこにいたのは「獲物」だったから。

 呆然とこちらを見る三人の近界民(ネイバー)はあの老兵のような"敵"ではなく、殺せる、殺したい、殺してもいい、獲物だった。

 ゆえにこそ彼は怒りを偽装した。本来であれば慎重に運用される己の立場を強引に誤魔化すのと同時、近界民たちにわざと隙をさらすことで逃げるという選択肢をとらせないために。

 

 まず潰すべきは空間転移能力をもつあの女。

 非道なまでに冷徹な彼の戦闘思考は、アフトクラトルを追い込むべく瞬時にめぐりめぐって、第一手として厄介な移動手段を有する女に狙いを定めた。小賢しい転移をさせなければ近界民の三人程度、いかようにも料理することができる。

 無論、油断などしない。相手は(ブラック)トリガーだ。

 けれども撤退させなければ確実に仕留められると確信していた。ボーダー側の損害など気にもしていなかったが、広範囲破壊兵器たるハイドラを使わずとも近界民たちのトリオンが尽きるまで嬲り倒せばいずれ決着はつく。そしてそのまま偽りの怒りでもって抉ってしまえばいい。邪魔をするやつらは……まあ、怒りのあまり制御できない爪が振り回されるなんてこともあるかもしれない。

 

「ああクソ、うざってえなもう」

 

 ……結論から言って、大河の企みはうまくいかなかった。

 アフトクラトルの首魁である男のトリガーを解除させ、その右腕を輪切りにすることはできたが、それだけだ。

 撤退の要であるワープ女を狙っていることが看破され、生身でさえそれを守り抜くという執念を見せた首魁に、大河の虎爪は腕の一本しか切り刻むことが叶わなかった。

 三輪の残存トリオンが少ないことも見破られて、新型トリオン兵と射撃トリガーをもつ大柄な男が自身に集中し始め、それに対応している間にリーダー格には逃げられてしまった。

 

 だが、まだ終わっていない。腕の一本などで満足してやれるはずもない。

 レプリカも譲れないが、それとは別に強敵と戦いながらその匂いにずっとそそられていたのだ。

 大河は、獰猛な虎は、狂おしいほど飢えに飢えていた。

 

「っっっがあアアッッ!!!!」

 

 串刺しにしてトリガーを強制解除させた大男が転送口に飛び込む直前、圧縮した空気を解放させる巨大咆哮で大音圧を叩き込む。

 常人には耐えられるはずもない爆裂音声(おんじょう)。十数歩ほどの間合いからでも鼓膜は破れ、脳が揺すられ、重篤な障害すら残りかねない危険な空砲(ヽヽ)

 

「か――――」

 

 生身でまともにくらった近界民は即座に意識を消失させ、糸が切れたように(くずお)れる。そして転げ走ったその勢いのままワープ女の目前で床に投げ出された。

 

「ランバネイン!?」

 

 やつを待ち構えていた紅髪の近界民が悲痛な叫びをあげる。

 残るはこの女だけ。こいつを落とせば終いだ。そのあとにはお楽しみが待っている。

 捕縛命令? 知ったことではない。なぜならこの身は(いか)っているのだから。

 そう、怒り狂っている。「命令も忘れるほどに」。それに襲ってきた近界民の処遇など抹殺に決まっている。交渉なんかせずとも、奪われたものは全員殺してから取り返せばいい。

 

『……!』

「邪魔、だっ!」

 

 音響攻撃など効果があるはずもないラービットが大河の行く手を遮る。

 虎爪を閃かせて一撃のもとに切り裂くも、さらに二体が突進してきて彼は舌を打った。あの空間転移は人の真下にも穴を開けられる。大男が意識を失っていようが、逃げるだけならワープ女の一存ですぐさま姿を消してしまう。

 

「あ、ああ……」

 

 幸いにもワープ女は気が動転しているようで、つけ入る隙をさらけ出していた。

 

「秀次ィ!!」

 

 大河が弟分の名を叫ぶ。三輪もトリオンは残りわずかだが、無抵抗の近界民を仕留める程度であればなんら問題はないはずだ。

 呼ばれた三輪が弧月を腰だめに構え、遠距離斬撃を可能とするオプショントリガーの発動予備動作をとった。

 近界民の再度侵攻にあたり、空いていたトリガーチップに詰め込んだ弧月の専用オプション。大河と共闘するなら広い間合いの攻撃方法が必要になるとの判断は、先の強敵との戦いも合わせて正解だったと言えよう。

 

「旋空――」

 

 三輪が攻撃態勢に入ると同時に、大河の叫びによって近界民も危機を悟ったらしい。残った左手の上に黒い何かが浮かび上がり、空間転移の黒トリガーが音もなく起動する。

 

「――弧月!!」

「『窓の影(スピラスキア)』!!」

 

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 

 剣閃が(はし)る。こちらに目掛けて迸ってくる。

 自分を狙うか、ランバネインを殺すつもりか。どちらであるかはミラにはわからなかったが、窓を二つ開けるだけの余裕もなかった。

 だから、これは賭けだった。自分かランバネイン、守れるのは片方だけ。

 

「――っ!」

 

 そして彼女は勝った。いや、五分といったところだろうか。

 優先したのはランバネイン。倒れ伏した彼の真下に大窓を開いて強制的に離脱させた。

 鋭く伸びた光刃はランバネインの背中を浅く切り裂いていったが、あとで文句を言われても謝る気はなかった。敵陣のど真ん中で伏臥(ふくが)していたのだ、真っ二つにならなかっただけマシと思ってもらうしかない。

 そしてランバネインの無事を確保してから、自らもそこへ飛び込んだ。何発かの狙撃弾が迫りくるなか、ほんの僅かな距離を、永劫の時間に囚われたような錯覚を味わいながら駆け抜けた。そうしてどうにか生きて二人とも遠征艇に戻ることができたのだ。

 

「……はあっ、はあ、ああ……」

「ミラ嬢!」

 

 安堵の息と一緒に胃の内容物まで戻しそうになって、ミラは遠征艇の床に膝を突いた。駆け寄ってきたヴィザに背中を撫でられ、緊迫した状況から解放された喜びを叫ぶ心臓を、どうにか落ち着かせる。

 トリガーを起動した状態でこれほどまでに死を間近に感じたのは初めての経験だった。死神の鎌が首筋に当てられ、いまにも振り抜かれそうな圧迫感。震えそうになる身体を残った左腕で抱きしめて、ミラはまだ戦いは終わっていないと心に鞭を入れる。

 

「ヴィザ翁……隊長は、」

「ハイレイン殿には応急処置として止血だけ終えました。出血が多いですがおそらく命に別状はないでしょう。いまは意識を失っておられます」

「そう、では――」

「ランバネイン殿の手当ても私が承りましょう。あなたは、あなたの仕事をなさってください」

 

 まずは現状の確認から。

 問われたヴィザはすらすらと答える。しかし矢継早に告げられる言葉に頷けども、ミラはどこか違和感を覚えた。この老人はいつもゆったりと構えていて、このような事態にも焦らず立ちまわってくれるのには何も変なところは感じないのだが……。

 

「ヴィザ翁、あなた……」

 

 もしかして、と視線を向けるミラにヴィザは柔和な微笑みをたたえたまま己の状態を明かした。

 

「いやはや、先ほどの轟音で少し耳がやられましてな。申し訳ありませんが通信による補助はできそうにありません」

 

 あの虎の咆哮は彼にもダメージを与えてしまったようだった。『窓の影(スピラスキア)』の窓を通じてさえこの威力、ハイレインも心配だがランバネインの容体が気にかかる。

 だが立ち止まるわけにはいかない。ミラにはまだやることがあった。玄界へ向けた第二次攻撃の作戦行動は未だ完了していないのだ。

 

「そう……ですか。わかりました。私は、ヒュースのところへ、向かいます」

 

 耳が聞こえないヴィザのためにゆっくりと区切りながら行動を伝える。いずれトリオン体が再構築できれば通常会話もできるようになるだろうが、いまはそれを待っていられる状況でもない。

 

「承知致しました。どうかお気をつけて」

「……はい」

 

 言葉短かに頷いて、また『窓の影(スピラスキア)』を起動する。座標はヒュースのマーカーへ。

 向かう先にもまた玄界の兵がいるであろうことはわかっていたけれども、あの化け物がいないだけミラの心労は少ないものであった。……たとえ、非情な決断を下すことになるとしても。

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 トリガーを解除され、追い詰められたヒュースはしかし決意を新たにしていた。国のため、君主のために臨んだ玄界遠征。戦闘では敗北を喫しようと、手ぶらで帰るわけにはいかないのだ。

 

「レプリカ? レプリカっ、どうしたんだ」

「どうした、修?」

「それが……」

 

 敵は五人。うち二人の精鋭は伝達系を破損しているらしく動きに少し違和感がある。『金の雛鳥』と眼鏡の少年は妙に焦った様子で、通信用トリガーだろうか豆粒のようなものにしきりに声をかけていた。そしてとどめを刺してくれた忌々しい少女兵は戦争慣れしていないのか、こちらを包囲するでもなく遠巻きに見つめてくるのみ。

 

(どうにかしてこの状況を打破しなければ)

 

 ヒュースは落ち着いて現状を顧みる。

 絶体絶命の状態であるのには間違いないが、脱する機会は必ずあるはずだ。

 ミラのマーカーはしっかりと腕に巻いてある。しかし遠からず己は捕縛されるだろう。ミラの迎えが来るまでにこの場を切り抜ける必要があった。窓が開いても逃げることができない、なんてことだけは避けなければ。

 残る装備はイヤリング型の多機能トリガーに簡易トリオンナイフ、そしてガロプラから徴収した壁抜けのトリガー。

 そこから導き出される起死回生の一手といえば、

 

(包囲を抜け、非戦闘員を人質にとる、か)

 

 そう結論づけた。

 トリオンナイフはトリオン体にもダメージを与えられるとはいえ、さすがに戦闘員を相手にするのは無謀すぎる。玄界の砦にも戦闘以外で何かしらの任を負う人員がいるはずだ。そいつを囮にし、脱出……その際できれば『泥の王(ボルボロス)』と人質を交換したい。

 

「レイジさん、こいつどうするの?」

「捕まえる。捕虜にしてC級解放の交渉をするって話だからな」

「…………」

 

 剣呑な雰囲気を発する玄界の兵からゆっくりと後ずさる。まずはタイミングを見計らわなければ。ただ走って逃げたとて、トリオン体の瞬発力には敵わない。

 

 ――――ッッ!!!

 

 そこへ、爆発的な音が響いてきて砦が揺さぶられた。獣が吼え猛るような不気味な旋律に誰もが瞠目して気を散らす。

 降ってわいた幸運に、ヒュースは即座に行動に移った。

 

「あっ、こいつ! 待ちなさい!」

 

 誰が待つか。心のうちで嘲りながら逃走経路を描き出す。

 まず射線を切るべく角を曲がり、おそらく罠が仕掛けてあるだろう通路を避けるために手近な壁をトリガーでくり抜く。

 あとは運だ。ミラが来るのが先か、捕まるのが先か。それまでに非戦闘員を人質に取れれば比較的安全に脱出できる可能性が高まる。

 

「止まれ!」

 

 紫色の隊服を着た少女と眼鏡の少年が追い縋ってきて曲がり角から姿を現す。射撃トリガーを向けられたがしかし、躊躇しているのかすぐさま撃ってくるようなことはなかった。

 

「撃つなら撃てばいい。オレは投降などしない」

「この……!」

 

 くり抜いた壁を乗り越えて睨みつける。閉じ始める穴が玄界の兵たちの姿を小さくしていく。

 悔し気な表情を浮かべた彼らの背後から、精鋭部隊のリーダーらしき男の声が響いた。

 

「弾トリガーは安全処理が施してある、やつを止めろ!」

「!」

 

 即座に反応したのは少女のほうだった。構えた拳銃から弾丸が放たれ、閉じかけた穴を通過してヒュースに直撃する。

 

「っぐ、ぉお!」

 

 しかしヒュースは耐えた。人を気絶させるに充分な衝撃を与えたそれを、確たる意志をもって耐え抜いた。

 主君への忠誠が、鋼の如き彼の精神力がそれを可能とさせた。

 敵は迂闊にも弾に安全処理が施してあると言った。死なないとわかっているのなら、覚悟さえあれば意識を保つこともできるはず。そうして歯を食いしばって、彼は敵の手から逃れることができたのだった。

 

 完全に閉じた壁に手をついて、肩で息をしながら調子を確かめる。

 痛みはあるが、身体は動く。五体満足にして意気軒昂。さあ、やるべきことをやり抜こう。

 

「敵の反応は……向こうか」

 

 イヤリング型の多機能トリガーでレーダーを起動し、外の動きを確認する。壁が閉じたあと、この部屋の扉に向かって通路を移動しているようだ。こちらもすぐに動き出さなければ。

 

(少し先に動かない反応がある)

 

 いくつかの壁をすり抜けたヒュースはレーダー上に映し出される「移動しないマーカー」に狙いを定めた。トリオン反応は一つ分。この状況で戦闘員が何もせず動かないというわけもあるまい。おそらくは目当ての非戦闘員。トリオン体で、移動しない者、となればどこかの部隊に属する通信兵か何かだろうか。

 

「…………!」

 

 目標までの壁を全て突破し、そこにいた人員を認めたヒュースは己の予想があっていたことを確信した。

 

「なっ、おまえは……!?」

「華、下がって!」

 

 二人の少年と一人の少女。

 コンソールに向かっていた少女のほうからトリオン反応がある。次いで残る二人はヒュースにも見覚えがあった。彼らは先ほど蹴散らした部隊の隊員だ。

 なるほどここから通信を送っているのか。そして脱出装置が働くと部隊それぞれに割り当てられた部屋へ送還される。

 よくできたシステムだ、とヒュースは内心で独りごちた。その感心をおくびにも出さないで簡易トリオンナイフを展開、見せつけるように振りかざす。

 

「抵抗するな。下手に動くと殺してしまいかねない」

「ふざけんな、くそっ!」

 

 白刃を突きつけられた玄界の部隊が後ずさる。

 

「そこの女、こっちへ来い」

 

 じりじりと追い詰めながら、ヒュースが二人の男に守られる形でいた通信兵を呼びつけた。

 人質にするなら力が弱い者。これは鉄則だ。傍から見て悪鬼の如き所業であっても、いまは戦争中で、ここは戦場。たとえ力なき少女であろうと、そこに立ったからには一人の兵なのである。

 びくりと肩を跳ねさせた少女はしかし、気丈にも前へ出ようとした。

 

「だめだ、華!」

「華さん!」

 

 残された二人が叫ぶ。

 情けない、とは言うまい。ヒュースは歩み出た少女の考えを見透かしていた。

 彼女はトリオン体だ。おそらく隙を見てナイフを奪う算段なのだろう。

 

「――っ!」

「ふん」

 

 案の定跳びかかってきた少女を軽くいなして床に叩きつける。そして間髪入れずにその胸にナイフを突き立てた。いくらトリオン体といえど明らかに戦闘慣れしていない無手の女。軍事演習で幾度となく組み手を行ってきたヒュースの敵ではない。

 

「あ……」

 

 煙が爆発的に立ち昇ってトリガーが強制解除される。通信兵には脱出機能がついていないのか、それとも脱出先がここ(ヽヽ)だからか、眼鏡をかけた少女はついに恐怖を瞳に映して戦慄いた。

 

「くっそがあっ!」

 

 果敢にも一人の男が殴りかかってくる。

 なんなく腕を捻り上げて、その首にナイフを当てた。多少狙いとはズレたが、人質が手に入ればこの際かまわない。

 直後、ヒュースを追ってきたのだろう先ほど彼を追い詰めた玄界の部隊がドアを蹴破るようにして現れた。

 すかさず人質を盾にして見せつける。

 

「動くな!」

「なっ、あんた……!」

 

 斧を携えた少女が目をつり上げた。しかしどうともできないだろう。この人質がトリオン体であればもろともに真っ二つにできただろうが、今は二人とも生身の状態だ。よもや考えなしに躍りかかってくることはあるまい。

 

「全員トリガーを解除しろ。さもなくばこいつを殺す」

「ぐあっ!」

 

 捻り上げた腕をきつく締めて本気を強調する。

 玄界の兵たちは焦れたようにヒュースを取り囲んできた。彼らには攻撃をしてくる気配はなかった、けれどもトリガーを解除する様子もない。

 ――さすがに簡単には頷かないか。

 ヒュースも焦れながら、冷静に見定める。玄界の兵はあまり戦争慣れしていない者も多かったが、『泥の王(ボルボロス)』や『金の雛鳥』を護衛していた部隊はかなりの精鋭だった。彼らはもしかすると、一人の兵と黒トリガー、そして『金の雛鳥』を秤にかけてこちらを取り押さえにかかるかもしれない。

 油断せずにじっと睨みつけていると、一人がぼそりと呟く。

 

「トリガー、解除(オフ)

「葉子!?」

 

 人質の男が驚愕してその少女の名を呼んだ。そういえば、こいつと同じ部隊の隊員だったか。ヒュースがひっそり納得していると、生身に戻った少女は両手を固く握りしめて肩を震わせた。

 

 

 

「みんな、あいつの言うとおりにして。お願い……します」

 

 己の部隊員を人質に取られた香取は無力感に苛まれながらもトリガーを解除した。

 いま喉元に刃を突きつけられている若村は打算的にチームを編成した隊員だ。兄の友人であり、染井にばかり気をかけて、自分には文句ばかりたれる気に食わない男。

 けれども見殺しになどできるはずがなかった。ようやく自分の幼稚さに気づけたのに。やっとこれから(ヽヽヽヽ)が始まるというのに。

 

 若村が殺されれば、きっと彼女は立ち直ることができなくなるだろう。

 香取は隊長として、仲間として彼を救わなければならなかった。それができなければボーダーに入った意味がなくなってしまう。ほとんど見失いかけていた存在意義が、今度こそ霧散する。

 

「香取……」

 

 足をひきずっていた木崎が神妙に呟く。

 戦闘体が破壊されるまでには至らなかったが、彼の伝達系はズタズタだ。左手足の回路はほぼ断裂、ここへ駆けつけるにも時間がかかってしまった。

 おそらく小南も似たような状態のはず。そんな体たらくでは飛びかかって近界民を無力化するのも難しいと言わざるを得ない。対人戦闘に慣れていない三雲や雨取にも荷が重いだろう。

 そして、香取も。自分のところの隊員が人質に取られている状況で、仲間が死ぬかもしれない行動を起こせるはずがなかった。隊長とはいえ十六の少女なのだ。

 

 ――忘れるな。こいつらを倒せば勝ちってわけじゃない。

 

 自らの言葉が重くのしかかる。下手に動くことはできないが、いまの状態でトリガーを解除するのもまずい。どうにか突破口を見つけなければ。

 

「……トリガー、解除(オフ)

「千佳!」

 

 三雲の隣にいた雨取が一人、静かに換装を解いた。

 彼女は他人を気遣うことができる少女だ。仲間を人質にされている香取の懇願には応えるしかないと、潤んだ瞳が如実に表していた。その意を汲むように、三雲も嘆息とともにトリガーを解除する。

 

「…………」

 

 ああ、しかたない。そう木崎が自らを納得させる。香取隊と接点がほとんどなかろうとも、彼らは仲間である。その命と引き換えにできるものなど何もないのだ。

 ひとつため息を落として、木崎がトリガー解除の意思をたしかにする。もし後輩たちに危害が及びかけたら、身を挺してでも守るつもりだった。

 しかしトリガーを解除するその直前に耳障りな音がして、異次元からの扉が開いた。

 

「……!」

 

 空間移動の黒トリガー。追い詰められた近界民を、仲間が迎えに来たのか。

 ここへきて新たな敵。

 全員が身を固くし瞠目するなかで、紅い髪の女が漆黒の穴より姿を現す。

 

「ミラ……!?」

 

 満身創痍の身体を引きずりながら。

 いまにもトリガーが強制解除されそうなさまに、仲間の近界民も驚愕に目を見開いた。

 木崎たちも突然の登場とは違う意味で驚きに包まれる。このワープ使いがいたのは狙撃訓練場だったはずだ。そこでいったい何が起きたのだ?

 

「――ヒュース」

 

 ミラと呼ばれた女性が冷たい視線で、仲間のはずの近界民を睨みつけた。

 

 

 




 



祝ワートリ18巻発売。
これで生駒隊と王子隊が動かしやすくなる。たぶんもう出てきませんけど。


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第三十八話

 

 

 

 

 『窓の影(スピラスキア)』と同期しているマーカーの座標に合わせて大窓を開いたミラは、その先に広がっていた光景を見て瞬時に状況を理解した。急速に冷えていく心の中で静かに呟く。

 

(ああ、ヒュース――負けたのね(ヽヽヽヽヽ)

 

 生身の状態で玄界(ミデン)の兵を人質にとっているヒュース。どう見たところで完璧に追い詰められているとしか考えられない。

 加えて言うなら、そのあがきは――無意味だ。嘆息を留めて膨らんだままの胸に決心が生まれる。『泥の王(ボルボロス)』を取り返すこと叶わず、そして『金の雛鳥』を捕獲することにも失敗した。……であれば、当初の予定通り(ヽヽヽヽヽヽヽ)、任務を遂行しなければ。

 

「ヒュース」

 

 名を呼ぶと、アフトクラトルの優秀な遠征隊員が人質を抱えたままゆっくりと近づいてくる。

 

「『泥の王(ボルボロス)』は?」

「……やつらの誰かが持っている」

「そう……」

 

 ちらりと視線をやった玄界の兵が身体を強張らせる。

 それなりに人数はいたが、トリオン体なのは二人だけ。その二人もかなりの手傷を負っているようだ。しかし、ミラとしても油断をするわけにはいかなかった。身体はボロボロ、残るトリオンも僅かしかない。人質があろうとほんの少し抵抗されればトリガーが解除されてしまうかもしれないのだ。

 

(ブラック)トリガー、返してもらえるかしら?」

 

 ゆえに、彼女は努めて底冷えのする声音で問いかけた。

 彼らは『黄金の虎』のように後先考えない馬鹿ではないだろう。こうして命令(ヽヽ)すれば、きっと。

 

「…………」

 

 それは正解だった。ひと際がたいのいい男が懐からカプセルを取り出し、その中で『泥の王(ボルボロス)』がもがいているのが透けて見えた。残った左腕を差し出して、譲渡を促す。

 

「……投げるぞ」

「ええ」

 

 言葉の通り放られた黒トリガーをしっかりとつかみ取る。黒トリガー回収成功、任務は……これで終いだ。

 壊れかけた回路のような音を立てる『窓の影(スピラスキア)』の窓。それが閉じ始める前兆であることを知っているヒュースはひどく動揺してミラの名を叫んだ。

 

「ミラ、なんのつもりだ!?」

「ごめんなさい、ヒュース。『金の雛鳥』を捕らえられなかった以上、あなたを連れて帰るわけにはいかないの」

「な……貴様ら、やはり……!」

 

 "やはり"。そう言うからには彼も噂くらいは聞いているのだろう。エリン家当主がアフトクラトルに捧げられる(ヽヽヽヽヽ)ということは。

 ミラの瞳に冷たいものが宿る。

 

「『金の雛鳥』はそこにいる! 捕まえれば――」

 

 必死に追いすがる彼に冷ややかな視線を返し、ミラはそれを『金の雛鳥』に移し替えた。

 

「……あなた、こっちへ来てくれる?」

「――っ!?」

 

 問われた少女はびくりと身体を震わせた。が、歩み寄ってくる様子はない。人質を取られている状況で、しかも解放を条件にしたわけでもないのに瞬時に自らを差し出せる人間がいったいどれだけいるのか。

 怯えた様子の少女の前に眼鏡の少年が立ちはだかって、こちらをきつく睨みつけてくる。

 まあ当然だろう、とミラはそれだけで諦めた。捕らえれば、とは言うが、一体全体誰が捕らえるというのだ。いくら黒トリガーでもミラはもう死に体、弾丸の一発でも受ければ致命傷になりかねない。

 言った本人であるヒュースはすでに戦闘用トリガーもない。人質がいても、『金の雛鳥』と引き換えにできるものであるとは思えない。

 

「ふざけるな!」

 

 しかしそんなことで納得のいくヒュースではなかった。これも当然だ。彼は君主のためにここへ来ているのだから。

 頭に血を昇らせた彼は、おそらく自身でさえ予期していなかった行動に出た。

 

「うわっ!」

「この――!!」

 

 乱暴に人質を投げ捨て、『金の雛鳥』に向けて突進するヒュース。玄界の兵たちは突然の蛮行に一瞬出遅れた。ただ一人を除いて。

 

「千佳っ!!」

 

 眼鏡の少年は猪突の勢いで迫りくるヒュースを避けようともせずに、後ろにいた雛鳥を抱きすくめて庇う姿勢を見せた。凶刃を携えた者を相手に無手のまま身を晒す、健気な献身。

 

「邪魔だ!」

 

 そんな自己犠牲を体現する少年に対し、ヒュースは躊躇もなく手に持ったナイフを突き立てた。彼もなりふり構っていられないのだろう。刃が沈んだ背中にじわりと赤色が滲んできても、蹴り飛ばすような勢いで少年を退かすことに躍起になっている。

 

「が……!?」

「お、修く……きゃああっ!?」

 

 流れおちる鮮血に雛鳥が悲鳴をあげる。

 

「修!!」

「修! あんた、よくも……!」

 

 ようやく蹲る少年を引きはがしたヒュースであったが、出遅れた者がずっとそれを眺めつづけているはずもない。トリオン体のままでいたうちの、斧を持った少女がヒュースを捕らえにかかる。

 

「この、離せっ!!」

「おとなしくしなさい!」

 

「…………」

 

 ミラはまるで茶番を見せつけられているかのような冷たい瞳のままでいた。

 付き合っていられない。『金の雛鳥』はそれなりに重要ではあるものの、そのために交渉や口論などしてはいられなかった。

 時間がないのだ。残存トリオンだとか増援が駆けつけてくるといったことではなく、隊長やランバネインが瀕死の危機に陥っている。遠征艇に積まれた医療器具では処置しきれない。いますぐにでも国へ戻って治療しなければまずいことになる。

 

「残念だけれど、時間切れよ」

「待て! ミラ、ふざけ――」

 

 トリオン体の少女に腕を捻り上げられたヒュースがしかし、それを引き千切らんばかりにつんのめって叫びちらす。もはや正常な思考もできないのだろう。この状況で『金の雛鳥』に襲いかかったところでなんにもならないことは明白だというのに。

 ヒュースのありさまを見て、ミラはハイレインの判断が間違っていないことを確信した。

 ――連れ帰れば、ヒュースは我々の敵になる。

 人が好いことで有名なエリン家。そこで育てられたヒュースが誓った忠誠は主君だけに向けられたもの。この様子では直属の上位者たるベルティストン家にも牙を剥くことは容易に想像できた。

 

「心苦しいわ。優秀なあなたを失うのは痛手、それは本当よ。――さようなら、ヒュース」

「ミラ!! くっそおおおお!!」

 

 窓を閉じる。そうして彼の悲痛な叫びはついぞ届くことなく遮断されてしまった。

 玄界に一人取り残されるヒュース。その不安と憤りはどれほどのものか。ミラには想像することもできなかったが、考えても栓無きこととしてすぐに思考の隅に追いやった。

 

(……限界のようね)

 

 静寂が戻った遠征艇内。ビシリと小さな音がしてミラの身体にひびが入る。ついにトリオンが切れたようだ。

 危なかった。あのまま『金の雛鳥』に気を取られていたら面倒なことになっていたかもしれない。自分の選択が間違っていなかったことにほっと息をついて、ひびが全身に広がる前に自らの意思でトリガーを解除した。

 

「お戻りですか。ヒュース殿は……」

 

 ランバネインの応急手当も終えたのか、処置室からヴィザが姿を現す。

 

「ヒュースは置いていきます。『金の雛鳥』が手に入らなかった以上、これは既定事項です」

 

 ゆっくりとした口調で問いかけてきた彼に対し、ミラは心ならずも早口でそう答えた。

 ヒュースを置いていくのは苦肉の策。これは本当のことだ。

 幼少よりヴィザに剣を教わり、(ホーン)トリガーの適性も高く、最新鋭トリガー『蝶の楯(ランビリス)』を自在に操る若き兵。この損失はエリン家のみならず、ベルティストン家から見ても大きな痛手であることは間違いない。

 けれどもその優秀な駒が反逆する可能性があるとなれば、切り捨てるほかになかった。優秀な手駒がいざというときに寝返る、これほど厄介なことはない。どんなに強力な敵であろうと、最初から最後まで敵でいるのならいくらでもやりようはあるだろう。

 

「しかし惜しい……いや、いまは何も言いますまい。ともかく、お疲れさまでした」

「ええ、ヴィザ翁も……。これより帰還します、隊長たちは私が診ますのであなたも身体を休めていてください」

 

 コンソールに帰還命令を打ちこんで、ミラは処置室へと足を運んだ。

 その短い道すがら、ようやく終わった任務について思いをめぐらせる。

 

 長きに渡った偵察に比すれば瞬きが如く短期に終わった玄界侵攻。時間にしてみれば二回の攻撃を合わせても数時間に満たない。

 なのに、その損耗は考えることをやめたくなるほどに甚大であった。

 持ちこんだトリオン兵はほぼ全てを失い、黒トリガーを強奪されかけ、奪還の際に隊長は右腕を喪失。ランバネインも重傷を負っている。

 特にランバネインは精密な検査をしなければ容体の把握すらままならない。あの轟咆を間近で受けたのだ。よくて聴覚障害、下手をすれば脳や臓器にもダメージがある可能性すら危ぶまれる。

 

 到着した処置室のベッドに、血の滲んだ包帯を巻かれた二人が寝かされている。遠征艇に積まれていた医療器具は申し訳程度のものしかなかったはずだが、ヴィザがうまくやってくれたのか見た目だけなら「治療」としての体を為していた。

 

 ――どうしてこんなことに。

 

 苦痛に歪む二人の顔を見て、ミラはわかりきっていてもそう思わずにいられなかった。

 玄界(ミデン)。トリガー技術に依らない文明を築く特殊な星。ここでなら他の国に攻め込むよりも多くの成果を得られるはずだった。他の領主を出し抜き、次世代の覇権を獲ることができると確信していた。

 しかし現実は違った。

 ここは虎穴だ。アフトクラトルは、虎の棲み処でその尻尾を思い切り踏みつけてしまった。その先に待っていたのはおぞましき牙と爪。黒トリガーを三つもってしても敵わぬ化け物に追われて、命からがら逃げだすことしかできなかった。

 

「…………」

 

 これからのことを思うと、ミラの気は錆びた釣鐘のように重かった。

 果たして捕らえた雛鳥は、ハイレインの右腕を埋めるに値するのだろうか。それを決めるのは彼自身であるものの、ミラの心には拭いきれない不安が色濃く居座り続けていた。

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 黒トリガー使いが消え去ったあとも、ボーダー隊員たちはすぐには動き出し始めることができなかった。

 

「くそっ、ちくしょう……ちくしょう――」

「修くん! しっかりして、修くん!!」

 

 現場は混沌としていた。小南に取り押さえられた近界民(ネイバー)は呆然自失のままぶつぶつと怨嗟を呟き、その近界民に刺された三雲は意識を失っていないまでもまともに話すこともできないでいる。

 

「宇佐美、救護班を寄越せ。香取隊作戦室、大至急でだ」

《り、了解!》

 

 唯一はっきりとした行動に移れたのは木崎だけだった。トリガーを解除した彼はようやく満足に動かせる身体をきびきびと使って三雲の手当てを開始した。

 

「香取、救急箱はどこだ?」

「あぇ……? え、えっと、は、華……」

「私が持ってきます。消毒液と包帯くらいしかありませんが……」

「かまわん、頼む」

 

 半ば無意識に傷口を押さえる三雲の手をそっとどけて、傷の具合を確認する。

 もう凶器たるナイフは近界民の手から転げ落ちている。そのナイフはトリオン製であり、破片が体内に残っているようなことはないはずだ。十センチほどの裂傷を救急箱から取り出したガーゼを押し当て圧迫。完全な止血に至らないまでも血液の流出を最小限に留める。

 レスキュー隊員だった父に倣い、冷静に処置を施しながらも木崎は自分を責めに責めていた。

 

(俺はいったい、何をしていたんだ……!)

 

 誰かを助けるとき、一番役に立つのは鍛え上げた自分の身体。そう教わったはずなのに。そうするために鍛えてきたというのに。

 後輩を守れずして何が先輩だ。戦闘体がボロボロだったなんて言い訳にもならない。あの場面で生身でいた雨取や三雲は、トリガーを起動したままだった己が身を挺して守らなければならなかった。突然の凶行も予測さえしていれば対処できたのだ。

 

(馬鹿か、俺は!)

 

 まず力強く的確に動く身体があって、その上でいろんな知恵や道具が役に立つ。いまも胸に刻む亡き父の教え。けれども足りなかった。それ以前のものが足りていなかった。

 守る意思が、守ろうとする意思が。

 あの瞬間、迷いなく雨取を守るために動けたのは三雲だけだった。木崎は一瞬出遅れ、そして戦闘体の不調により間に合わなかった。全くもってふざけている。

 

「ぐ、う……!」

「修、気をしっかり持て。――絶対に助ける」

 

 包帯をきつく当てた際のうめき声に強く呼びかける。まるで、贖罪か何かのように。

 木崎が自分を殴りたい気持ちでいっぱいになった頃、開きっぱなしになっていた香取隊作戦室の扉から人影が現れた。

 

「くそ、間に合わなかった……!」

「オサム!? ……!」

 

 作戦室に飛び込んできたのは迅と空閑であった。

 迅はこの光景を予知していたのか悔し気に唇を噛み、空閑は一瞬の瞠目のあと感情が見えなくなった瞳を近界民のほうへと動かした。

 

「やめろ、遊真」

「! ……レイジさん」

 

 即座に意図を読み取って制止する。木崎にも彼の気持ちは理解できたが、もうアレは敵ではなくなった。

 

「…………」

 

 ちらりと見やる先で未だ自失状態の近界民。ヒュースと呼ばれたアフトクラトルの少年兵は置いていかれた事実からか、先ほど激情を露わにした理由からか、抵抗する様子もなくうなだれたままでいる。

 こいつは捕虜にする予定だった。しかしアフトクラトルに対してその存在は邪魔でしかないらしく、もはやこの少年に交渉材料としての価値は見いだせなくなってしまった。それでも、報復など許せる行為ではない。

 責められるべきは、俺だ。そう悔いた木崎は救護班が到着しても三雲のそばを離れず、むしろ先導するように手当てを続行した。

 

 

 

 

――――――――

 

 

 

 

「迅さん、オサムは……」

「大丈夫だ、メガネくんは助かるよ」

 

 重傷を負った三雲は一通りの処置がなされたあと、安全が確認された病院に運ばれていった。それを見送る空閑の不安げな声に、迅が力強く答える。

 しかしその表情は明るいものではなく、彼はそのまま俯きがちに謝った。

 

「すまない。この未来もうっすらとは視えていたんだ。メガネくんが千佳ちゃんを守ろうとする未来にはどうしても危険がつきまとう。でも」

「ああ、わかるよ。言って聞けば苦労はないけど、オサムは面倒見の鬼だからな」

 

 少しばかり余裕が生まれたのか茶目っ気を見せる空閑に、迅が苦笑する。

 

「……そうだな。けどおれも遊真も、迎撃部隊の配置から抜けるとまずかった」

「それもわかってる。あのジイさんは誰か一人でも欠けてたら勝てなかった」

 

 基地防衛、複合部隊による迎撃の最終防衛ライン。それはほとんど敵の狙い通りに突破されたようなものではあったが、この戦力を基地の外に留めるために放たれた黒トリガー使いは常軌を逸した使い手だった。あれが基地内部に侵入していたらと思うと、空閑ですら背筋が凍るものがある。

 理解を示す後輩に迅は、そこからさらに申し訳なさそうに言葉を絞り出した。

 

「……レプリカ先生のこともだ」

「!」

「戦いの途中であの近界民がレプリカ先生を狙ってるのがわかった。でもそれを伝えると作戦が瓦解する。そうなるとボーダー側の被害が甚大なものになりかねなかった。

 ……だから、おれは、秤にかけたんだ。ボーダーと、レプリカ先生を」

 

 迅が見た未来の一端。戦いのさなかに確定されたそれは違うことなく収束した。

 勝てはする。しかし玉狛のメンバーが肩を落とし、関係ないはずの大河が怒り狂うという混沌とした未来。

 全ての鍵はレプリカにあったのだ。仲間としての存在、そして情報源としての価値。

 ボーダーにとっても重要なものではあったが、迅はそれを天秤に乗せざるを得なかった。多くの人命と、一個のトリオン兵。空閑の家族のような()であっても、あまりに大きすぎる被害を考えると優先させることはできなかった。

 

「……そっか」

 

 すまない、と再三謝られた空閑は、けれども激昂するようなことはなかった。

 彼もあの激戦をどうにか潜り抜け、それがギリギリのところだったのは身をもって痛感している。レプリカが奪われてしまったのは迅の責任ではない。ただ単に己の力が足りなかっただけだ。そうして行き場のない怒りを飲み込んだ。

 

「アフトクラトルは何か狙いがあってレプリカを持っていったんだろ? だったらすぐに壊したりしないと思うし……まだ取り戻せる可能性だってあるはずだ」

「……ああ。メガネくんたちと一緒にA級になれば、きっと」

「じゃあ、A級目指す理由が増えただけだ。オサムには早く良くなってもらわないとな」

「うん。きっとなれるさ。おれが保証する」

 

 後輩の思いの強さに後押しされて、迅もようやく笑顔を見せた。

 これからも長く続く彼らの未来。さまざまな要因が絡まり合っていてサイドエフェクトを用いてもはっきりとは視えなかったが、彼らなら迷わず進んでいくことだろう。

 そう信じて。

 

 

 



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第三十九話

 

 

 

 アフトクラトルの撃退。それに伴う敵近界民(ネイバー)の全面撤退の開始。

 司令部により通達されたその情報を受けた大河は、狙撃訓練場の真っただ中で深く息をはいた。

 

「あー……、逃げられたか」

 

 さすがに少し急ぎ過ぎたかと僅かながら反省もする。

 敵首魁の打倒を果たしたあと、射撃型の強化トリガー使いに気を取られ、結果的に(のが)すことになってしまった。あの大男の反撃は大河にとって羽虫の抵抗のような弱々しいものではあったが、そのせいでかえって鬱陶しく思ったのも事実だ。すぐさま串刺しにしてやったものの、多少強引にでもワープ使いのほうを徹底して追い詰めるべきだった。

 せっかくの(ブラック)トリガー使いだったというのに。やれやれと肩を落とした大河は、足もとに残された血だまりと輪切りにされた近界民の腕を見やって、もう一度嘆息した。

 

「すみません、大河さん。俺があのとき女のほうを狙っていれば……」

 

 駆け寄ってきた三輪も開口一番に反省を口にした。

 勝負を決める一撃を任された三輪は、その切っ先を向ける相手に無力化された大男を選んだ。ふだんは使わない旋空――慣れないオプショントリガーで動く的を狙いにくいのもあったが、何よりいざ近界民を殺せる場面に直面して彼は目標を見誤ってしまったのだ。ワープ使いを落とすことができれば、そのあとで如何様にもできるはずであったのに。

 効率をとるようになった三輪も、実際に近界民が生身の状態で転がっているなんて状況を見たのは初めてのこと。咄嗟に突き動かされた身体は近界民の死を強く望んでしまった。その心に深く根付いた復讐心はそう簡単には消えずに、いまもまだ(わだかま)りを残しているようだ。

 

「気にすんな。殺せるのはあの瞬間しかなかったしな。どうせ捕虜にしたって交渉だのなんだの言って許可下りねえだろうし」

 

 大河はつまらなさそうにそうこぼして、責めるようなこともせずに頷いた。

 下された命令は捕縛である。あの局面において、手が滑ったとか、怒りに我を忘れていた、などという言い訳が通用するのは戦闘中である間だけだ。

 重傷に追い込んだリーダー格は逃してしまった。続いて戦闘を離脱しかけた女と身動きできない大男、殺すチャンスが一度きりとなれば三輪が大男のほうを狙ってしまっても、大河には責める気持ちは浮かばなかった。

 

「ま、とりあえずおつかれさん」

「あ、はい。おつかれさまでした」

 

 大河が残った左腕を掲げ、一瞬なんのことかと戸惑った三輪が遅れて右手を上げて軽く打ち合わせる。

 不器用なハイタッチを終えた二人は、なんとはなしに辺りを見回し、いまさらになってジャングルとなっている狙撃訓練場のありさまを見て目を丸くした。

 

 

 

――――――

――――

――

 

 

 

 アフトクラトルの引き上げ直後、市街地における攻防戦においても近界民の撤退が確認された。

 これにより全ての戦闘行動は終了、対近界民(近界民)大規模侵攻・三門市防衛戦は終結となり、後日その被害の全貌が明らかとなった。

 

 

 民間人

・死者0名

・重傷8名

・軽傷24名

 

 ボーダー

・死者0名

・重傷1名

・軽傷144名(トリガーを解除していたC級隊員12名。非戦闘員132名。耳鳴り他、音響外傷等)

・行方不明58名(すべてC級隊員)

 

 近界民

・死者1名

・捕虜1名

 

 

 のちに第二次大規模侵攻と呼ばれることになるこの戦いはボーダーの勝利によって終わったが、その爪痕は他ならぬボーダーに大きく残されることとなった。

 二度にわたるアフトクラトルの強襲。とくに第二波攻撃、本部基地内でのC級隊員の大量拉致はボーダーの防衛力に疑問を生み、多くの市民たちに不安を与えたのだった。

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 幾日かまたぎ、ようやく街に活気が戻り始めたころ。

 大河と三輪は戦闘開始前に向かっていた焼肉店に赴き、この店自慢の特上肉に舌鼓を打っていた。

 

「んー。ウマいな、これ」

「三〇〇時間寝かせた熟成肉ですからね。値が張るだけはありますよ」

「腐らねーのかそれって」

「ドライエイジングというらしいです。実際肉の塊の外側はカビたりするので捨てて、熟成しきった中だけを提供するみたいですね」

「ほー」

 

 感慨深げに肉を摘み上げた大河が、それを口に放り込んで頷きながら咀嚼する。

 

「なるほど高いわけだな。まあ臨時収入もあったしいいんだけどよ」

「ですね。学生には少し行き過ぎた金額ですが……」

 

 値が張るメニューであったが、いま言ったように彼らの懐は温かかった。二人には近界民撃退に際して特級戦功の褒賞金が与えられたのだ。

 その金額、150万円(なり)

 次いで、大河にはさらに追加があった。新型トリオン兵『ラービット』の詳細情報取得、東部方面での大量撃破。敵の(ブラック)トリガー使いの単独撃破、その黒トリガーの獲得。第二次攻撃の迎撃戦の要と、近界民を撤退させた決定的な打撃。その戦果の枚挙には(いとま)がない。

 とくに一時的とはいえ黒トリガーを奪取した彼は戦功とは別の部分で褒賞金を得た。これは近界遠征にも付随する特殊な契約にも基づいている。大河は――新規トリガー開発協力費という名目で――新種のトリガーを一個獲得につき200万が支払われることになっているのである。今回は黒トリガーということで500万円が彼の口座に振り込まれた。

 トリガーは奪い返されてしまったものの、それは大河の落ち度によるものではない。僅かながらでも解析できたことからこの金額は丸々支払われた。

 が、これは反省の意として半分以上をボーダー職員の通院費として返上している。

 こういう細かい部分でボーダーの管理下にあることを示さないと、余計な敵を作ってしまうのである。とくに忍田のような者につつかれるとあとあと面倒になりかねない。

 その他個人(ソロ)ポイント1500(ポイント)も与えられたが、これは大河にとって意味のないものなので割愛しよう。

 

「あとは……」

 

 三輪が浮かべていた微笑を消して隣の席を見やる。

 

「おいコラ、それは俺の肉だろうが!」

「へっへーん、早い者勝ちだよー」

「一理あるな。ということでこれはいただき!」

「んなー!!」

「こら、あんまりうるさくするな。他の客に迷惑だろう」

「「「はーい」」」

 

「……静かに食べられたら言うことはなかったんですけどね」

 

 眉間のしわを揉んだ三輪に、隣の席で騒ぐ男子たちの保護者役である東が苦笑を返した。

 

「騒がしくてすまん秀次。こいつらには焼肉奢るって約束してたんでな」

「いや米屋は違いますけどね」

「よねやん先輩なんで来たの?」

 

 出水と緑川が白けたような瞳で米屋を見る。あわせて全員からの視線を集めた米屋が無理くり朗らかに笑みを浮かべた。

 

「なんか冷たい……。だってよ~、秀次が焼肉行くってのに誘ってくれねえし。こうなったら尾行してでも着いてってやろうと思ってたところに緑川が焼肉焼肉言いながら飛び跳ねてっから『あ、こりゃチャンスだ』と思って」

「…………」

 

 それで東たち全員をこの店に誘導した、と。

 その顛末に言葉もない三輪の眉間がさらに寄って、米屋は誤魔化すように口を尖らせた。

 

「んだよー、いいじゃんかよーオレも交ぜてくれてもよー」

「……もともと二人の予定だったんだよ」

「ははは」

 

 ため息とともにこぼした三輪の言葉に、東は表情を緩めて笑い声をあげた。

 あまり人と関わり合いを持たない三輪を心配していた彼は、こうして誰かと出掛ける姿を見て安心したらしい。

 

「まあいいじゃねーか秀次。俺は別に騒がしいのは嫌いじゃないぜ」

「……大河さんがそう言うのであれば」

 

 三輪にとってのゲストたる大河本人が許諾して、ようやく言葉でだけ認める。

 実際のところ大河は孤高の隊員ではあるものの、それは秘匿される遠征がそうさせるものであって、本人としては人付き合いが嫌いなわけでも苦手なわけでもない。もちろん踏み入らせることはできないので一線を引くことが必要なのも事実であるのだが。

 

「いえー! 木場さん話がわかるー!」

 

 許しを得た米屋はここぞとばかりに三輪たちの席へ乗り込んで、この店の最上級の逸品である熟成肉のたたきを一切れかっさらった。

 

「うっお、なんだこれうめぇ!」

「え、なにそれオレも食べたい!」

「なんだなんだ、おれにも一枚くれよ」

「おー、奮発したんだな秀次」

 

 そしてわらわらと群がってくる若きA級隊員たち。見ている東も止めようとはせず、にこやかに見つめてくるのみだった。

 

「……おまえらな」

 

 大河は許したがせめて一言くらいは言わなければ気が済まない、と三輪が割りばしをへし折りそうになったとき、東の声が全員の動きを止めた。

 

「っと、そろそろ始まるぞ」

 

 みなが視線を向けたのは店に備え付けられたテレビ。そこには「間もなくボーダーの記者会見が始まります」とテロップが流れていた。

 今日は近界民との戦いが終わってからちょうど一週間。街の復興が本格的に始まるのに合わせて今回の防衛戦の結果報告を行うのである。

 

『ではこれより、今回の防衛戦における結果報告をおこないたいと思います』

 

 壇上にのぼった根付が、鼻にかかった声をマイクに乗せる。

 それを聞きながら三輪はどうせ相席になったのならと東に意見を求めた。

 

「東さん、今回の大規模侵攻、どう思いますか?」

 

 こういう質問を投げかけるならば、最年長かつ広い視野をもつ東が相応しい。緑川や米屋なんかは「大変だったー」の一言で終わらせかねないし、大河も活躍をみせたといっても局地的なものが多く、これまでも俯瞰的な所見などは聞かずにいた。

 問われた東はウーロン茶の入ったグラスをあおって、喉を潤してから語り始めた。

 

「そうだな……。市民の被害は最小限に留められた。警戒区域を出たトリオン兵もいたが、民間人の被害はほとんどが避難中の転倒なんかが主なものだ。みんな、よくやったと思うよ」

 

 迅の予知、部隊の連携、基地自体の防衛能力。これらは遺憾なく力を発揮した。大河や天羽、太刀川といった強力な個人戦力も合わさり、全体から見ても少ない負傷者の数はボーダーの存在意義を確たるものにしたと言っていい。

 ただ、と神妙な顔つきになって続ける。

 

「行方不明者が五十八人。それも半数以上がボーダー基地内部で攫われた。そこはかなりつつかれるだろうな」

 

 東が述べてからそう間もなく、テレビでその旨が追及された。

 

『基地内部に犠牲者を出したという事実は、ボーダーの防衛力に疑問を呈する結果になったと思うんですが、そのあたりについてはどういった認識なのかお聞かせください』

 

 アフトクラトルの第二次攻撃。それも、よりにもよってC級を保護している狙撃訓練場への侵入。そこでの被害はこの攻防戦においてもっとも大きなものであった。押し合いへし合い逃げ惑うC級の群れ、そこへ襲い掛かった生物弾は数分にも満たない時間で四十もの人数をキューブ化してしまったのだ。基地内部に侵入されたというだけでも市民には不安があるだろうに、よもや隊員が攫われたとなれば言及は免れない。

 

 しかし、市民たちはボーダーの防衛能力に疑問を持っているだろうが、実際に直面した東にしてみればこれだけの被害で済んだのが奇跡のようなものだと言いたかった。

 壁をくり抜くトリガー、空間転移、そしてキューブ化という異色武器。とあるC級隊員の機転がなければ攫われた人数はもっと跳ね上がっていただろうし、もしかしたら正隊員すらもその魔の手に落ちていたかもしれない。

 あの場にいて、みすみす拉致を許してしまった東でさえも隊員の練度が足りなかったとは思えなかった。あれは敵が上手(うわて)だったのだ。

 無論、練度が高ければ高いほどいいのもたしかだが、もし仮に基地内部の隊員全てがA級レベルの実力を備えていたとしても、敵の即時侵入は予想外であり、攫われたC級の数もそう変わりはしなかっただろう。

 テレビの中で根付も同様の言葉を返していた。

 

『お手元の資料をもう一度よくご覧いただきたい。今回起きた戦闘の規模は、四年半前の第一次近界民侵攻のおよそ十二倍です』

 

 そして、被害は約三十分の一。

 さらにいえば――機密事項なので記者には伝えられないが――今回の敵には黒トリガー使いがいたのだ。それも三人も。それを考慮すれば第一次侵攻時と比べた戦力差はさらに広がっていく。

 

『最高の結果ではありませんでしたが、我々のこれまでの備えが結実した、想定以上の大きな成果であると考えています』

 

 第一次侵攻当時、人々には抵抗する術がなかった。旧ボーダーが存在してはいたものの、敵の規模に対して彼らの力はあまりにも足りていなかった。

 いまは、違う。基地を建造し、隊員を募り、武器・兵器・戦術の研究を重ねてきた。その研鑽の積み重ねがあってこそこれだけの被害で済んだのだ。

 根付の誇るような顔つきに、記者たちの間でどよめきが広がる。

 

 ――戦闘の規模が大きければ六十人程度は誤差だというのか。

 ――わずかでも犠牲をなくすことはできなかったのか。

 

 心情を煽るような問い、さらなる改善を訴える声、さまざまな質疑に根付や鬼怒田が対応していく。

 彼らも慣れたものだ。近界民に対抗できる唯一無二の組織、ボーダーが存在しなければ三門市――いや世界の混乱が訪れる。幹部たちはその重責を負っているからこそ、余裕(ヽヽ)を保たねばならないのだ。

 

「あー……」

 

 記者たちが色めき立って質問を飛ばしているさまを眺めていた大河は、飯をかきこんでいた箸を置いて呆れたような声をもらした。

 

「どうしました?」

「いや……市民(おまえら)がいるから本気出せねえんだろ、っつーのは本末転倒か」

 

 個人としては別に街を守るために戦っているわけではない大河。しかし所属する組織は三門市防衛を謳っており、市街地に被害が及びかねない大河や天羽は局所的な運用がなされている。

 ボーダーにあるまじき言葉を吐いた大河に対し、三輪は苦笑して曖昧に頷いた。

 

「……まぁ、ボーダーは三門市とは緊密な協力関係ですから。スポンサーや市民の援助があって活動できていますし」

「俺としてはせめて警戒区域を広げてほしいがな」

「はは、たしかに大河さんにはここは狭すぎますね」

 

 あまりに強力な武器はかえって小回りが利かない。警戒区域がもっと広ければ、市街地がもっと離れていれば。そのもしもが許されていれば敵の侵攻などまとめて薙ぎ払えたものを。

 やれやれと肩を竦める大河であったが、記者たちのわめきように対しては怒りの感情はなかった。いや、率直にいえば果てしなくどうでもよかった。己の戦場は三門市(ここ)ではないし、専用にチューニングされたトリガーもやはり三門市での戦闘は考慮されていない。

 ボーダーに隠されたただ一つの『侵攻部隊』である彼の役割は、敵地で敵を殺すこと。それだけだ。

 とはいえ敵が攻め込んできたのをただ眺めていることなどできはしないのも事実。

 もう少し戦い方のバリエーションを増やさないとな、などと大河が考え始めたころ、記者会見を映し出しているテレビ音声がにわかに騒がしくなった。

 

『……その件はもちろんこちらでも――』

 

 どうやらとある中学校でC級隊員が無断でトリガーを使用し、そのせいで近界民に訓練用トリガーには緊急脱出(ベイルアウト)機能がついていないことが知られた、と責められているらしい。

 

「なあ、これって……」

 

 米屋がぼそりと呟いた言葉に、東が顎をさすりながら答える。

 

「三雲のことだろうな」

「え、そうなの?」

 

 緑川がきょとんと問うと東は難しい表情を浮かべた。

 

「忍田本部長が言っていたのを覚えてる。イレギュラーゲートが頻発してたときに、規律違反ではあるが勇気ある行動を起こした隊員がいるってな。当時対応にあたったのは嵐山隊で、木虎も彼を擁護してたらしい」

「へえ、あの木虎が」

 

 木虎のプライドの高さはA級隊員の間でも広く知られている。出水が感心したようにそうこぼしたが、東の表情は強張ったままだ。

 

「これは、まあ、いわゆるしっぽ切りってやつだろうな。記者の矛先をボーダー全体から一人の隊員に向けるための話題提供だ」

「うわ、オレそういうのキライだな」

 

 渋い顔をする緑川。同じく米屋や出水も不愉快そうに頷いて同意を示す。

 組織のイメージを優先させるために隊員を槍玉に挙げる……それは幹部にとっては必要な犠牲であろうが、隊員にとっては裏切りのような不快感が拭えない。

 防衛隊員のほとんどは子どもで、年も近いのだ。階級が違おうと、隊員はすべてともに切磋琢磨する仲間である。それを上層部が切り捨てるような行為を好ましく思えるはずもなかった。

 そんな純粋な少年たちに、東も苦笑を浮かべて首肯した。

 

「俺だって好きじゃないさ……きっと提案した幹部たちもな。でも俺たちが街を守るために、上層部はボーダーを守らなきゃならないんだ。理解しろとは言えないが、根付さんたちを悪く言うのもやめてやれ」

「そういうもんなのか~……」

 

 最年少の緑川は眉を八の字にしつつも納得したようにテレビを見つめた。

 敵は近界民だけではない。世の中にはボーダーに良い感情を持たない人間だっている。緑川にはまだよくわからなかったが、ただ剣を振るうだけが戦いじゃないということは薄らと理解したのだった。

 そこで三輪がふと疑問をこぼす。

 

「実際のところ、三雲の違反がなかったらどうなってたんでしょうか」

「ん?」

「あいつが訓練用トリガーで戦わなければ、もしくは戦闘不能にならずにトリオン兵を撃破していたらこの戦いの結末も変わっていたのでしょうか」

 

 緊急脱出(ベイルアウト)の有無はアフトクラトルの作戦に大きく影響を与えたということがうかがえる。つまり三雲のあの行動は単なる蛮勇に過ぎず、結果としてC級の大量拉致を招いてしまったのだろうか。

 そんな疑問に東は考え込むような姿勢を見せた。

 

「うーん、そうだな……」

「むしろ逆じゃねえの?」

 

 三輪の隣で頬杖をかいていた大河がぼそりと呟く。全員の視線を浴びた大河は気だるげに口を開いた。

 

「今回の敵の狙いはC級隊員。そうなった原因は三雲なんだろうけど、今回に限って言や『狙いがC級だけだった』からこんだけの被害で済んだ。

 もしあの規模の戦力が最初から一点突破で市街地に攻め込んでれば、ボーダー隊員の損耗が少なかった代わりに一般人の被害は激増してたろ。街中(まちなか)じゃ俺も天羽も手ェ出せねえからな」

「なるほど……」

 

 頷く三輪に促されるように大河は続きを述べる。

 

「一匹でも抜ければあのラッドとかいうヤツのせいで倍々ゲームだ。あの数を、市街地に入ってから新型も交えて分散させられてたら手の打ちようがなかった。結果論だが、三雲の失態はむしろ功績と言い換えてもいいんじゃねーの」

 

 敵の軍勢は数も質もこれまでの攻撃とは比較にならないほど強力なものだった。予知していたボーダー側も初期対応に間に合ったのは防衛任務に従事していた数部隊のみ。アフトクラトルの全戦力が同時に投入されていたら、防衛にあたっていた少人数では侵攻を止めることができなかっただろう。

 その先に起こるのは市街地における泥沼の戦闘だ。天羽や大河による広範囲殲滅は行えず、被害を抑えようにもB級部隊を単体で撃破、もしくは捕獲しかねないラービットの存在がそれを許さない。

 市民が逃げる間もない市街地では雑魚トリオン兵のバムスターですら脅威になる。そこへさらに爆撃型や黒トリガー使いが紛れ込んだら、もはや手の着けようがなくなっていた可能性もあった。

 淡々と語られた大河の言葉に、三輪は得心したように目を丸くした。

 

「そういう見方もあるんですね」

「ま、この記者会見の調子じゃ吊るし上げられるだろうけどな」

 

 この場にいる全員は三雲に対して評価を改めたが、記者たちはそういうわけにもいかない。ボーダーを責める論調は激化しつつあり、三雲の存在を公にしろと叫んでいる者すらいた。

 

「メガネボーイ大丈夫かこれ? 嫌がらせとかされんじゃねーの」

「やりすぎじゃないの……? 三雲先輩もだけど、家とか家族に何かされたらシャレにならないでしょ」

 

 辛いことは誰かのせいにしたくなる。記者や攫われた隊員の家族の気持ちはわかるが、それらすべてを一人の責任にするのは違うだろう。

 米屋や緑川が心配しているように、このままでは三雲だけでなく家族や友人までもが多くの人間に恨まれることになってしまう。行き過ぎた正義感は簡単に人を殺す。人命がかかったこの件でいえば、報復の名目で三雲の周囲が危険に晒されることが容易に想像できた。

 

「たしかに(まず)いかもな。おまえらも、しばらく三雲のことを気にかけてやってくれ」

「そうっすね」

「三雲先輩に何かあったら遊真先輩とかすっごいキレそうだしね……」

 

 東に頼まれた米屋たちは苦笑してそれを了承した。とくに以前三雲にちょっかいをかけたことがある緑川は、空閑による手痛いしっぺ返しを思い返して神妙に頷いた。もし現実にあの眼鏡の先輩を傷つける者がいたなら、おそらく空閑の反撃も相応にひどいものになるはずだ、と身震いしたのだった。

 対して三雲の進退にさしたる興味もない大河と三輪は何も言わずにいたが、記者会見を映し出しているテレビに当の本人である三雲修が登場して、気の抜けたような声をもらした。

 

『三雲修です。いまの話に出てきた、先月学校でトリガーを使った訓練生はぼくです。質問があればぼくが直接答えます』

 

 ざわりとどよめく会見会場。その動揺はテレビの前の米屋たちにも波及していた。

 

「おいおいマジか」

「三雲先輩……!?」

 

 人型近界民に刺されたという三雲は患者衣を羽織っており、その下には痛々しい包帯が巻かれているのが見えた。

 そんな怪我人相手にも記者たちは容赦なく言葉を浴びせ始める。

 規則違反について、隊員が攫われたことについて。三雲の存在があろうとなかろうとアフトクラトルは攻め込んできていただろうに、まるで大規模侵攻自体が彼の責任でもあるかのように。

 

「あー、もうっ、こいつらムカつくな~……!」

「落ち着け緑川。気持ちはわかるけどな」

 

 東に諫められた緑川が頭を掻きむしる。

 テレビの中で三雲が質疑に応答するたびに記者たちは声を荒げて責め立てている。もはや公開処刑のようなありさまだ。いま執拗に責任をなすりつけようとしている記者たちは三雲が中学生で、その彼が奔走したからこそ助かった命があることを理解しているのだろうか?

 

『我々が聞きたいのはきみが原因で失われた五十八人もの若者の人生を、どう埋め合わせるつもりなのか。きみがどう責任を取るのか、ということだよ』

「…………」

 

 東のこめかみに薄く青筋が浮くのを見て、三輪はぎくりと背筋を伸ばした。

 この東春秋という男は、いつも冷静でいて声を荒げることなど滅多にない人物だ。けれども怒らない(ヽヽヽヽ)というわけでは決してない。そして大抵、一度火が着くと恐ろしいことになるのである。

 かつて部隊(チーム)を組んでいたことのある三輪はひとり恐怖していた。最後に東が怒りの感情を見せたのはいつだったか。

 たしか二宮と加古がしつこく言い争いをしてたとか、そんなくだらないものだったはずだ、と三輪は記憶を掘り起こした。そのときは結局二人とも論理的に詰めに詰められて涙目になっていたとも覚えている。あのマイペースながらもプライドの高い二人のあんな顔を見たのは、それが最初で最後だ。

 ああ、記者よ黙れ。もう三雲の責任とかどうでもいいから早く記者会見よ終われ、と彼は必死に願うのであった。

 

 しかし東は三輪の願い虚しく静かに怒りを猛らせ始めていた。

 ボーダーの保有する武器、運用すること自体に才能を必要とするトリガーは、多くの子どもたちを戦場に送り出すことになった。これまでの常識が通用しない異次元の技術(テクノロジー)がそうさせてしまったのだ。

 けれども子どもが子どもであることには変わりなく、彼らによって守られることが当然になったとしても、大人は彼らを庇護しなければならない立場だというのに、この記者たちは責任を問うばかり。

 さすがの東も感情を口に出してしまいそうになったころ、三雲の反撃が始まった。

 

『取り返します』

 

 毅然と放った言葉。

 意味を図りかねた記者たちは一瞬静まり返った。

 

『近界民に攫われた皆さんの家族も、友人も、取り返しに行きます。

 責任とか言われるまでもない、当たり前のことです』

『……!?』

 

 先ほどまでとは違う意味でざわめく記者たち。

 近界(ネイバーフッド)遠征は一般には機密事項だ。近界民の世界に打って出るというのは彼らにとって想定外の返答であった。

 

「おいおい……」

 

 呆れたように声をもらしたのは大河だ。

 どれだけ三雲が詰められようと何も思わなかったが、その口から出てきた言葉には反応せざるを得ない。遠征は機密事項、これが公になって面倒になるのは御免被りたいというのが彼の本音であった。

 外に知られるとどんなことになるか。大河は少し考えただけで憂鬱になりそうだった。

 いままで――対外的には――勝手に出立していたものに、余計な手続きが増えるかもしれない。もしかしたら遠征に一回出るだけでも目的や期間が公表されて、市民の許可さえもが必要になるかもしれない。そんなのは御免だ。

 さらに言えば、近界民の世界という存在が知られれば、近界民自体のことも隠し通すのが難しくなるのもあった。

 市民が思う近界民とは主にトリオン兵のことを指す。しかしアレが文明を構築しているわけではないことは、少し頭を働かせればわかってしまうだろう。

 人型――人間(ヽヽ)がいて、生活をしている。それを知られたら。

 平和的解決を求める声が生まれるなんてことや、小うるさい人権屋が立ち上がるという七面倒な事態すらも考えられる。

 大河には、近界民という存在が人々にとって未知の化け物であってほしいのだ。駆除以外の選択肢が生まれないほどに恐ろしく、理解しがたい存在であってほしい。

 いまでさえあの遠征は秘匿せねばならないというのに、これ以上無駄な条件など課されたくないのである。

 

『……彼の言ったとおり、現在ボーダーでは連れ去られた人間の奪還計画を進めている』

「げっ……」

 

 テレビの中で城戸司令が遠征の事実を、曲がりなりにも認める発言をしてしまうのを聞いて、大河は一層苦々しい顔つきになった。

 案の定記者たちは新たな被害者が出ることへの危惧や心配を口にする。

 大河にとってはもはや慣れたものであるというのに、そんな偽善的な理由で止められてはたまったものではない。

 しかし城戸司令は上手く言いまわし、ボーダーの一大プロジェクトとして理解を求めていった。

 第一次侵攻時の被害者をも捜索対象とする奪還計画。四百人以上の被害者は未だもって行方の手がかりすら掴めておらず、それだけの人数を探すとなれば遠大な時間がかかることは明らかだ。となれば、遠征はもはやこれからの当たり前(ヽヽヽヽ)となっていくだろう。

 

「遠征のこと言っちゃってよかったのかな?」

「まあ、最終的に城戸司令から話したんだから大丈夫だろう」

「そっか……」

 

 緑川と東がそう言い合っている。

 ボーダーが認めた近界進出、こんな大きなネタがあれば三雲の話題は小さなものになるはずだ。どちらかといえば隊員目線の彼らはそうして胸を撫で下ろしたのだった。

 記者会見は三雲の退場とともに事実上の終了となり、映像を戻したニュースキャスターやコメンテーターたちがそれぞれ自分の所見を述べているものとなった。

 東たちが食事に戻ったあとも、しばらくぼんやりと画面を見つめていた大河がぼそりと三輪の名を呼ぶ。

 

「秀次」

「はい?」

「ちっと――手伝ってほしいことがあんだけどよ」

 

 

 



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S級隊員の課題編
第四十話


 


新しいオリキャラが出てきますが、別に覚えなくてもまったく問題はありません。


* * *

 

 

「失礼します」

 

 空気の抜けるような音とともに開かれたドアをくぐる三輪。

 彼が足を踏み入れたのはボーダー本部に存在する木場隊作戦室、もとい木場兄妹が生活している部屋である。

 この木場隊作戦室は基地中層に割り振られる一般的な部隊作戦室とは配置が異なり、司令室や会議室などに代表される、組織にとって重要な施設が集約された最上層――通称「窓付き」と呼ばれる場所に位置している。このことからも彼らの存在がボーダー本部にとって大きな意味をもっていることがうかがい知れよう。

 そんな魔境とも言うべきエリアを訪れた三輪はしかし、己の目的である人物を目にして――彼を知る人ほど――珍しい笑みを浮かべた。

 先日の焼肉店で大河にとある頼みごとをされた三輪は「力になれるのなら」とそれを快諾し、こうして木場兄妹の根城に足を運んだのだった。

 

「お? どうした秀次、なんか用か?」

 

 が、そこにいた大河から返ってきたのはそんなすげない言葉であった。

 しかし三輪もうろたえない。むしろ不思議がられる理由はわかっている。約束の日時はもう少し先、一週間後の今日なのである。今回は時間が空いたので、様子見、進捗の確認といったところだ。

 

「今日は防衛任務もないので、差し入れついでに寄ってみました」

「おお、悪いな」

 

 三輪が手土産に購入してきたいいとこのどら焼きが入った紙袋を差し出すと、大河はそれを受け取ってひとつ取り出し、コンソールに向きっぱなしのミサキに放り投げた。

 振り返りもせずにキャッチした彼女は兄と同じような釣り目がちの視線だけをよこしてどら焼きにかぶりつく。

 

「はんひゅーみわー」

「お口に合ったのならよかったです」

「ほのほらひゃひうあいな」

「何言ってんのかわかんねーよ」

 

 どら焼きを口にくわえたままキーボードを叩き続けるミサキに、自らもどら焼きを頬張りつつ大河がこぼす。すると、ミサキは手を止めてから大仰にやれやれと肩を落とした。茶髪ぎみの色をしたツインテールがそれに合わせるようにゆらりと揺れる。

 

「こんくらい言わなくてもわかってくんないとさー。絆が足りてないよ、絆が」

「おまえのサイドエフェクトと一緒にすんなっつーの」

 

 嫌みったらしく述べたミサキの頭をぐりぐりと撫でつける大河。

 先の振り返りもせずにどら焼きをキャッチした際もミサキのサイドエフェクト『思考追跡(トレース)』が発動していたのだろう。

 実際のところある程度以上の付き合いがなければタイミングや角度、勢いなどが伝わらないためミサキの言う絆は充分足りている。

 木場兄妹のやりあいを見ていた三輪は微笑ましそうに目の端を落として大河に声をかけた。

 

「新しいトリガーの出来はどうですか?」

「あー、それなんだけどな」

 

 新しいトリガーの開発および実験。その手伝いが三輪に託された『頼みごと』だった。開発と調整自体はミサキが行うので、実質的には実験台になってくれ、というのが大河からの依頼である。

 

「ぽんきちさんに頼んでた骨組みが送られてきて、やっと形にはなるかなってとこなんだけどよ。なんせこれまでのトリガーとは質が違うからミサキも苦戦中って感じなんだわ」

 

 先の妹と同じようにやれやれと肩をすくめる大河に、ミサキは不満たっぷりに睨みをきかせた。

 

「ていうかあたしの本業はトリガーじゃなくてトリオン兵の開発なんだけど。そこんとこわかってる?」

 

 ミサキが文句を述べたように、トリガーとトリオン兵の開発は似ているようで違う。広義的に見ればトリオン兵もトリガーの一種ではあるが、開発にはそれぞれ独自の知識や理解が必要となる。

 それでもミサキがトリガー開発に着手できるのは、大河のせい(ヽヽ)だ。……けっして「おかげ」などではない。

 遠征艇を操縦してのサポートだけでは足りないと判断したミサキが、長い時間を学習に費やして戦闘用トリガーの造詣(ぞうけい)を深めた結果があの"外部調整"なのである。

 初の遠征に出たのが三年前。外部調整が可能になったのは前回の遠征の後半から。つまりおよそ二年半もの間、彼女は兄を補助する(すべ)を修めるべく努めたのだ。

 ――全ては家族を死なせないため。

 そこからくる兄からの信頼や期待は居心地の悪いものではないものの、アテにされるのはいささか癪にさわるのであった。

 しかし大河はにししと笑ってミサキの頭をわちゃわちゃかきまわした。

 

「わーってるよ。わかってるし感謝もしてるって。サンキューミサキ愛してるぜー」

「うっっざっ」

 

 その手をはらい眉間にしわを寄せたミサキから視線をきって、三輪のほうに向き直った大河は至極楽しそうに口を歪めた。

 

「こいつが完成したら、俺ももっとマシな戦い方(ヽヽヽヽヽヽ)ができる。いちいち慣れねえ手加減なんざしなくても済むからな」

 

 大河はあの大規模侵攻において一つの課題を課せられた。それは「戦闘の自由度が低い」こと。

 焼肉店で流れたボーダーの記者会見、そこで話された公開遠征。攫われた人間の奪還という目的とは別にレプリカを取り戻したい大河としては、もちろん今回の公開遠征にも参加するつもりである。

 あのとき城戸司令が述べた遠征の参加要項は「希望者を募り、試験により選抜」であった。S級かつ司令直属隊員、さらには遠征経験者であり特級のトリオン保持者たる大河はおそらく優先的に登用されるであろうが、彼には彼で思うところがあったのだ。

 

 大規模侵攻にて大河はアフトクラトルのトリガー使いと対峙し、(ブラック)トリガーを含む大半の近界民(ネイバー)を圧倒した。けれども戦場や戦況その他諸々が足枷となって本気で戦うことは叶わなかった。結果として一人を除き敵勢力を逃し、あまつさえ多大な被害をボーダーに与えることとなってしまった。

 別段そこに責任を感じているわけではないが、課題が残ったのは事実。これまでのような膨大なトリオン量に飽かせた戦闘方法ではいずれ限界がくると思ったのだ。

 必要なのは新たな"力"。火力的なものではなく、もっと精密に、自在に扱える己の武器を大河は欲したのだった。

 

「手加減するだけなら別に、素手でもそこらの近界民くらい引き千切れるだろうけどさー。やっぱアレを見ちゃったらねえ」

 

 もごもごとどら焼きを頬張りながらミサキも頷く。

 ボーダーが向かう次の遠征先はアフトクラトルへと決定された。そこにはハイドラを弾き飛ばす驚異の使い手の存在があり、そして公開遠征の前提である「潜入」という点が大河たちの危機意識を煽った。

 このままでは単に遠征艇の動力扱いで終わってしまう可能性がある。近界(ネイバーフッド)にまで行っておあずけなど頷けるはずもない。そしてこの猛犬ならぬ猛虎がおあずけを食らった場合、留守番でもっとも割りを食うのがミサキなのである。

 近界の国に到着して大河が出撃を我慢できる時間はおよそ三十分である。――という冗談はさておき、理由もなく、仮にれっきとした理由があったとしても国へ乗り込もうとする大河を押し留めるのは至難だ。この悪知恵の回る男は重箱の隅を突くような些細な要因で侵攻を正当化しようとするため、ミサキは毎度のように苦労させられている。

 

「それに、借りも返さなきゃなんねえし」

 

 大河の瞳孔がギッと引き絞られる。金に輝く虹彩の中、収縮した瞳に映るのはやはりあの老兵。

 いくら潜入とはいっても必ず戦闘は起こるだろう。あの黒トリガー使いもまた出張ってくるやもしれない。もしそうなったなら、それは危機ではなくチャンスとなる。

 アレはおそらく近界にも類を見ない使い手のはずだ。奴を打倒できたのならば、広い惑星国家群の中でも脅威となる星はかなり減る。そうなれば三門市民捜索という名目でもっといろいろな国へ渡る機会が増えるに違いない。

 遠征の事実が知られてしまったのなら、今度からはそれを利用しよう。それが大河の思惑であった。

 

「アフトクラトルは近界(ネイバーフッド)でも最大級の軍事国家って話だしな。あいつらを問題なく叩き潰せるようになれば、遠征の反対派なんてもんができてもねじ伏せられるだろ」

 

 トリガー技術は常に進化を続けている。それは玄界も近界も変わりない。

 だからこそ、現状に満足してはいけない。己が最強であると驕ってはいけない。

 いかなトリオン量を持とうと、いかな強力なサイドエフェクトを有しようと、打てる手は打たねばならないのである。

 

「ま、とにもかくにも、まずはトリガーの完成が――」

 

 大河がそう締めくくろうとした矢先、木場隊作戦室の扉が開いて全員がそちらを振り向いた。

 

「やあやあ大河くん、トリガー開発捗ってるかい?」

 

 現れたのは開発室用の作業着を身に纏った中年の男。

 鬼怒田よりやや歳を重ねながらも筋骨隆々の身体。ざっくばらんに切りそろえられた短髪と無精髭、そしてある意味技術者(エンジニア)の証ともいえる目の下の隈。

 

「げえっ、シゲさん!?」

 

 三人の中で唯一驚いていたのは大河だった。彼が驚いたことに驚いた三輪もいたが。

 それだけ大河の様子が三輪には不可解であった。

 常に泰然自若とした男が、たった一人の技術者が現れただけで驚き――いや、恐怖を抱いている。

 「シゲさん」と呼ばれた技術者には三輪も覚えがあった。それというのも彼の持つ鉛弾(レッドバレット)の改造を手掛けたのがこの男であったからだ。

 茂森(しげもり) 一徹(いってつ)。彼は開発室に五人いるチーフエンジニアの内の一人であり、大河の強化戦闘体やトリガーの開発・調整にも関わっている。

 

「茂森さん?」

「おお、三輪くんもいたのかい。鉛弾の調子、いいみたいだね。聞いたよ、近界民の撃退に一役買ったそうじゃないか」

「はい、おかげさまで……」

 

 茂森という男が、あまり交友関係の広くない三輪とも友好的に話しかけることができるのは、彼が城戸派の人間だからだ。

 

「でも惜しいねぇ、今回の戦果が近界民一人と腕一本だなんて! せっかく六人も来たのに。これじゃあ足りないよねぇ、ぜんぜん足りないよ! ……もっともっと殺さなくっちゃあ、ねぇ?」

 

 それも、かなり過激派の。

 立場や業績から見た場合、城戸派の筆頭といえば鬼怒田や根付を指すことが多い。が、近界民排斥主義という思想にもっとも準じているのはこの男である。

 

 四年半前の大規模侵攻において、茂森は全てを失った。

 妻も、息子も。その嫁も、孫さえも。

 その怒りと絶望は容易に彼を狂鬼へと変えた。凄まじい執念をもって、近界民を殺す鬼へと。

 茂森は大規模侵攻が収まったあと、しばらくして始まった現ボーダー設立のための職員募集にいち早く応募した中の一人だ。それまでの人生に培ってきたものを全て捨て、トリガーの開発という前人未踏の技術職に就いた。そして近界民への憎悪のみでチーフの地位にまでのぼりつめたのだ。

 大河の専用トリガーがやたらめったら破壊と殺戮に向いているのは本人のトリオン出力が異常なのも大きいが、茂森がその設計に噛んでいるのも多分に含まれているだろう。その殺意はトリガーに乗り移ったかのごとく、いまも死を撒き散らさんと煌々と宿り続けている。

 

「そうですね。次があれば、今度こそ奴らの息の根を止めてみせますよ」

「ははは、期待しているよ」

 

 茂森の物騒極まりない発言に怯まず返答できるのは、三輪もまた近界民によって狂わされた一人だからであろう。笑いながら近界民を殺そうなんて言える人間は、ボーダー隊員といえど彼らと大河くらいのはずだ。

 だからこそ三輪は大河の怯え方が不可解だった。大河にとって茂森は頼りになることはあっても、怖がる必要などこれっぽっちもないはずなのだから。

 

「何しに来たんすか、シゲさん」

 

 歓迎とは程遠い感情を露わに眉をひそめた大河とは裏腹に、茂森は声が裏返りかねないほど上機嫌で話しかけた。

 

「なんだい、釣れないなぁ大河くん。仕事の合間を縫ってトリガー開発の手伝いに来てあげたっていうのにさ」

 

 茂森にとって、大河の存在はまさしく希望の星である。

 近界民を殺したいとのたまい、それを実行した隊員はボーダー内部においても大河ただ一人。

 戦闘員を諦め、そして「防衛」に主眼を置くボーダーのやり方に不満を覚え始めたころに現れた大河は、近界民の根絶を心より願う茂森の狂気を受け止めるにふさわしい人物だったのだ。

 彼は大河の専用トリガー開発への協力を申し出て以来、ずっと献身的に尽くし続けてきている。それは大河も知るところ。

 だが、当の本人はどうにも乗り気ではなかった。

 

「そりゃあありがたいけどよ……。ありがたいっていうか……うーん……」

 

 戦闘用トリガーの開発には多大な労力が要る。それはベースとなる骨組みを与えられながらも苦戦しているミサキを見れば明らかなことだ。そして、いま現在開発室がてんやわんやの大忙しなことも大河は知っていた。

 あの記者会見のあとから開発室は公開遠征のために多忙を極める混沌状態と化しているのだ。というより、忙しくない時期がない、というほうが正しいのかもしれないが。

 大河が極秘遠征から持ち返ってきた未知のトリガーの解析もまだ済んでいないというのに、大規模侵攻で受けた被害の修繕、そこから得た情報による防衛施設の改善、次の遠征のための遠征艇改造、と仕事は山積み。開発室の人員はほとんどが不眠不休、残業、泊まり込みとブラック企業も裸足で逃げ出す魔境状態である。

 その合間を縫って来たとなると、いくらなんでも無碍には扱えない。

 

「まあいいや。そういうことならお願いしますよ」

 

 諦めたように手をあげ、それをそのままミサキのほうへ流す。

 茂森はしたりと頷いてミサキの横に椅子を引っ張っていった。

 

「はいはい、任されたよ。それじゃミサキちゃん、このデータをその骨組みに組み込んでくれるかい」

「はいよーっと」

 

 システムコンソールに並んで作業を始めた二人の見やりつつ、どうにも顔色の優れない大河を慮るように三輪が声をかける。

 

「大河さん、茂森さんのこと苦手なんですか?」

「いや、苦手っつーか……むしろシゲさん自体は好きだぜ。城戸さんよりは話が合うしな。けどなあ……こういうときの技術者(エンジニア)ってーのは、厄介っつーか、こええっつーか……」

「……?」

 

 なんとも要領を得ない大河の様子に、ますます不思議そうな顔をする三輪。

 

「数が揃うとよけいに……」

 

 ぶつぶつと呟きながら渋面を作り、それきり大河はなんの反応もしなくなってしまった。

 しばらくしてトリガーの試作ができあがってから、三輪はその言葉の答えを得るのだった。

 

 

 

* * *

 




 


これより第二部となります。
原作を追い越すためいままでよりオリジナルの設定や独自解釈などが増えていきますので、予めご了承ください。


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第四十一話

 

 

「さあできたぞ! 新型トリガー、試作一号だ」

「んじゃさっそく試すとしますか。兄貴、仮想空間入ってー」

「おう……」

 

 茂森が作戦室を訪れてから約二時間。待ちわびた改造トリガーの産声にしかし、そこにはまるで死刑宣告でも受けたかのような返答をする大河がいた。

 三輪は不思議そうに首をかしげつつも、ようやく自分の出番が来たかと気合を入れなおす。

 

「約束は一週間後でしたけど、様子を見にきた甲斐がありましたね」

「あー……。秀次、今日は帰っても大丈夫だぞ?」

「えっ?」

 

 三輪の役目は実験台。これは大河が直々に頼んだことであり、試作とはいえトリガーが完成したのならばその勤めを存分に果たそうとしているのに、当の大河は肩を落としてそれを押し留めようとした。

 

「どういうことですか?」

「今日はたぶん役に立たねえと思うし」

 

 大河から頼んできたというのにこの物言い。さすがの三輪もむっとして不満げに返す。

 

「それは……たしかに大河さんが相手では力が足りてないかもしれませんが……」

「いや逆、逆」

「え?」

 

 手のひらを振って三輪の言葉を打ち消した大河は、どう伝えたものかと頭をひねった。

 

「役に立たねえのは俺だ。なんつーかな、俺のトリガーの試作品は、最初はいつもだいたい使いものにならねえんだよ」

 

 そのセリフを補足するようにミサキが口を挟む。ただし、悪戯めいた声音を混ぜて。

 

「まあ一番難しいのが調整部分だからねー。でもせっかくだし見ていけば? 面白いもんが見れるかもよ」

 

 ハイドラに始まり、大河のトリガーは――というよりトリオンは――出力調整が難しい。とはいえまったく利かないわけでもないのだが、発動を本人のみに任せるとそれと似たようなものであると言っても過言ではない。

 通常のトリガーでは受け止めることすら不可能な超出力。そのため専用トリガーはあえて出力上限値を設けないことでとりあえずの暴発を防いでいる。がしかし、()にはめないことで逆に調整(コントロール)が難しくなっており、結果としてこれまで行ってきたすべての実験において大河のトリガーは毎回、起動と同時に本人を損壊させるありさまであった。

 今回もまた……、と含み笑いを浮かべるミサキ。三輪がそれを見たとき、いったい何を思うのかと悪戯めいた気持ちでいるらしい。

 

「おいミサキ」

「ほら、とっとと仮想空間入れっての」

 

 くすくす笑いながら促す妹に、恨めしそうな視線をやりつつ大河はトリガーを起動して仮想空間へと転送されていった。慌てて三輪もそれに続き、ふだん使う仮想訓練フィールドよりもずっと広大なスペースがとられた空間へと転送される。

 一瞬の視界のホワイトアウトののち、三輪たちが足を着けたのはふだん目にする三門市の警戒区域であった。

 ここは大河専用に造られた実験用仮想空間であり、規模からして消耗が激しいので起動及び展開にも彼のトリオンが使われている。かなり広域なのは、そうでもしなければ大河のトリガーの射程や効果範囲がわからないためである。

 フィールドとしては三門市を模しているが、山を越えその先の地平線までも続いている。これは過去にハイドラの有効射程を調べた際の最大距離を現在の設定としたものだ。その距離約四十キロメートル。およそ戦艦の主砲と同等レベルの射程である。

 

『そんじゃー兄貴、まずは起動してみて』

「はいはいっと……」

 

 そんな広大に過ぎるマップの中央、見えないスピーカーから聞こえてくるミサキの指示に従って、大河が無名の新トリガーを起動する。

 見た目は変わらず、しかし戦闘体内部に微弱な振動と唸るような音が発生した。それを確認してからさらにミサキの言葉が続いていった。

 

『三輪もいるし一から説明するよ。今回の試作トリガーは体内から電気を発して相手の動きを止めるって代物で、兄貴の戦闘体にトリオン製の発電機を組み込んで虎爪と接続・放電する仕組みなのよ。あんまり変換効率は良くないんだけど、そこは兄貴のアホみたいなトリオン量があればどうとでもなるからそれは置いといて』

「嫌な予感しかしねえ……」

 

 説明を聞くごとに顔色が悪くなる大河。顔色はもはや青を通り越して土気色になり始めている。

 

『んで問題は相手の動きを止めるレベルの電気を纏うと兄貴自身も感電するのよね。それなんだけど……』

 

 三輪は何度か頷いてから、どこからとなく声が聞こえてくる空を仰いだ。

 

「あの、それって」

『強化戦闘体なら大丈夫でしょってことでそこは気合で耐えてね』

 

 唐突に放たれた根性論。技術も何もないその発言に大河のみならず三輪でさえも「なんだそれは」と言いたくなった。

 たしかに強化戦闘体は耐久力に優れている。それは外傷に対するものも、内部に対するものも同様だ。

 電撃を受けようとも特殊な濃縮トリオンは電気抵抗率が高く、虎爪を起動している際は足の爪を地面に突き立てていることもあって大抵の場合はなんらダメージも発生せずに電気は抜けていく。

 ただし、それにも限界はある。そして先ほどミサキが言ったように、一番難しいのが調整部分なのである。

 しかしミサキは外部から調整されない限り本人にさえ取り扱いが難しいそれを、

 

『三輪はちょっと離れといて。そんじゃあとりあえず最大出力からやってみよっか』

 

 あえてフルスロットルで発動させた。

 

「待て、おい待てミサぎぃやあああああああああああ!!?」

「大河さーん!!?」

 

 不穏すぎるミサキの言葉にかけたストップは無視され、大河の身体を閃光が覆った。

 耳をつんざく空気の破裂音があたりにこだまして、その源の大河周辺にはプラズマが発生し、数秒で地面が融解し始める。そしてそれらを押しのけるような絶叫。見ているだけで恐怖に襲われる光景であった。

 放電はわずか五秒ほどで止められたが、それだけで大河は立っていることもできずに(くずお)れる。溶解した地面といまも紫電を撒き散らす大河のそばに近寄れない三輪は慌てて、しかし距離をとったまま声をかけた。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

「ぉご……おあぁ……」

 

 見るも無残に――といっても外傷はない――倒れ伏す大河をよそに、技術者(エンジニア)組は意気揚々と意見を交わしあう。

 

『さすがに無謀すぎたかなー。ふつーに計測機器振り切ったわ。あとやっぱ兄貴のせいで勝手に出力上がっちゃったし』

『うーん発電効率の悪さを逆手にとった調整しやすいトリガーのはずなんだけどねぇ』

『ガチ感電するとエラーで外部調整もぶっちぎるなあ。あとでコード書き変えとかなきゃ。ジェネレーター吹っ飛びそうだし……。まあ威力は申し分ないみたいね』

『強化戦闘体であれじゃあ、ノーマルだと一発で機能不全に持ち込めるんだろうけどねぇ』

『こっちまで動けないんじゃしょうがないよね。一応トリガーの最大出力としては抑えめになる仕様だったけど……んじゃまあ次は50%くらいにしてみるか』

『えーとどれどれ……初回と比較して次は強めの雷の二倍くらいか。強化戦闘体なら動けるくらいにはなるかな?』

『おっけー。スイッチオン』

「んぎゃああああああああああああ!?!!?」

 

 さきほどと大して変わりない結果に、三輪は思わず顔を背けてしまった。

 たしかに雷が落ちた程度では戦闘体に傷はつかない。それどころかその二倍と思しき電流だとて大河の身に外傷は見当たらなかった。

 ただこれは雷と違って持続的に電流が迸るのが問題なのである。

 戦闘体に対し電気による攻撃が有効なのは、ラービットが繰り出したこともあって周知の事実。くらえば内部にエラーを発生させて動きを止めることが可能となる。とくにアクティナが使っていた『トリオンと電気の混合エネルギー』となれば戦闘体に破壊をもたらし、より効率的に敵の伝達系を狙うことすらできるようになるのだ。

 しかし単なる電気のみでもある程度の疑似的なダメージを与えられ、そしてさらにそれを持続させるとまた別の意味の攻撃となる。

 伝達系に使われているのは電気的信号。そこに電流を流し続けた場合、あらゆるエラーが起きる可能性が生まれる。

 

『もうちょい弱めにしてみるか』

 

 たとえば、各種感覚設定のオンオフ。

 

「あがぁああっががが!?」

『まだだめかー。もすこし下げて――』

 

 たとえば、戦闘体制御の誤作動。

 

「んぎっ! おおおあああっ!?」

『あっ、やば』

 

 たとえば――

 

「へぶっ――」

「ちょ――!?」

 

 トリガーの強制発動、などである。たとえそれが最後の切り札の自爆であろうとも。

 

 

 

* * *

 

 

 

 これはひどい、と三輪は思わざるを得なかった。

 

「くそっ! こんなことだろうと思ったんだちくしょう!」

 

 憧れていた兄貴分はようやく動くようになった身体で地面を叩き――かなり巨大なクレーターができあがった――、

 

『うーんやっぱり戦闘体に耐電性を持たせないと効率が悪いようだね』

 

 狂気に侵された技術者はコンソールの数値だけを見つめ、

 

『んーでも出力50%くらいなら動けそうって思ってるみたいだよ。少しだけ』

 

 兄貴分の妹君はサイドエフェクトで小石程度の強がりを拾い上げてしまっていた。

 

『へえ、さすが大河くんだね!』

『ヒュー! さっすが兄貴ぃ!』

「待て、待ってください……」

 

 完全に心折られた大河を、三輪は不憫そうに見つめる。

 いつも強く、頼もしかった大河のこんな姿は初めてだった。そして見たくなかった。

 いまならわかる。茂森の登場を恐れた大河の気持ちが。

 やつは、やつらは鬼だ。対近界民(ネイバー)のためならなんだってするのだ。自分とはまた違う意味で。

 三輪は近界民を滅するためにならどんな訓練も辞さないが、茂森は近界民を滅するためならどんな犠牲をもいとわないのだ。次いで、兄の我がままに振り回される妹の鬱憤晴らし。ここは、地獄である。

 三輪は痛感した。ボーダー内で技術者に逆らうことは、地獄の鬼に逆らうも同義である、と。

 ボーダー隊員でありたいのなら、城戸司令に逆らってはいけない。しかし、人間でありたいのなら、技術者に逆らってはいけないのだ……。

 

「やめろ秀次、そんな目で俺を見るんじゃおおおおおおおお!!?」

「…………」

 

 ついには何も言わず、もはや黙祷すら捧げそうな三輪に大河は手を伸ばしかけ、やはり電撃にそれを止められた。

 ボーダーでできた初めての弟分に、僅かな強がりさえも見せることのできない大河は考えることをやめたのだった。

 

『がんばれ大河くん! これが完成すればまたたくさん近界民を殺せるんだ!』

『新しい武器が欲しいって言ったの兄貴だしぃ。こんなの初期の実験に比べればなんてことないよね』

『あー、あれも大変だったよねえ。ハイドラの試作一号なんて、撃ったらもれなく大河くんも消し飛んでたし』

『いっちばん初めはあたし知らないけど、破裂しない戦闘体をつくるとこからだったんだっけ? めんどくさい兄貴で申し訳なくなっちゃうわね』

『いやいや、大河くんこそ私の希望だからね。近界民を殺し尽くす日が来るまで、協力は惜しまないよ』

『だってさ。よかったね兄貴』

 

 大河は勝手なことを述べ立てる技術者たちに文句も言わず――言う前に潰される――、ただ耐えようにも言語機能が勝手に絶叫する喉を放棄して、終わらない無間地獄の終わりをひたすら待ち続けた。

 余談だが無間地獄とは地獄の最下層に位置し、真っ逆さまに落ちたとしても二千年かかるという。この試作トリガー実験における体感時間がそれに匹敵したかどうかは、大河のみが知ることだった。

 

『ほら早く立って』

「……」

 

 蒸し返すようだが、これは実験である。

 つまり倒れ伏したまま電流に晒されるだけではなんの益体もない。どの程度の電流であれば動けるかを知るためのものなのだ。大河にはそれを調べるために立ち上がる必要がある。

 精神はすでにずたぼろの大河であるが、身体自体にはとくに問題もない、とされている。

 電気による攻撃には戦闘体・伝達系へのダメージはあっても、そこから生身にはなんの影響も及ぼさない。耐えがたい激痛を味わおうともそれは戦闘体が受けた痛みという感覚を生身へ送信しているだけで、実際には感電もしないし後遺症が残るわけではないのである。

 逆に言えば伝達脳から生身への情報送信には電気的な信号が使われていないのが地獄が続く原因ともとれるかもしれないが。

 

『次は出力30%くらいでいこっか』

「ぅぃ……」

 

 とはいえ、精神が肉体に異常をきたす原因になりうるのもまた事実。これがもし実験でなく意味のないただの拷問であったならば、さすがの大河も立ち上がることすらできなかったかもしれない。主に妹の裏切りのせいで。

 過酷な実験内容だが、監督がミサキだけであったならばおそらくここまでの苦痛を味わうことはなかったはずだ。もっと大河の意見が尊重されれば下限からゆっくり電流を上げる手法になっていたと思われる。

 しかしそこに茂森が加わると大抵の場合こういう地獄が生まれるのだ。

 あの男は大河と違い、いかに近界民を苦しめて殺すかも計算に入れたがる。それは結果として、近界民に与える苦痛を大河も余すことなく受けさせられるということだ。そしてミサキは悪乗りする。

 

 歯ぎしりして拷問に耐える大河。

 大丈夫、耐えられる――

 この実験が自ら覚悟して始めたもの――予想外に唐突だったが――であり、この先に楽しみがあると知ってこそそう思えた。そして先ほど茂森たちが言ったようにボーダー入隊初期はもっとひどい状況であったのも相まって、大河の胸には幾ばくかの余裕が生まれつつあった。

 だからミサキの容赦のない実験続行も当然のことだ。そのはずだ。そうでなければやってられない。

 これは試練なのだ。これを乗り越えられればまた近界民を殺せる。そのためならなんだってやるとボーダーに入ったときに決めたのだから。

 

「でもやっぱちょっと休憩――」

『ほいスタート』

「ああああああああああああ!!!」

 

 ……力を得るというのは、つらく、難しく、――ときに、虚しい。

 

 

 

* * *

 

 




 



あんまり科学的知識に詳しくないのでトリガーの詳細は曖昧にしてあります。
ただ『蝶の楯(ランビリス)』のようにトリオンに磁極を持たせることは可能であることが確定しているので、それを使った広義的な人力発電というくらいの設定です。
本物のコイルを使っていたアクティナとはまったく別とだけ。


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第四十二話

 

 

 しばらくして拷問、いや実験が終了し、ようやく三輪の出番が回ってきた。

 この「しばらく」というのが一週間であったことを除けば、三輪も大河も心身ともに万全の状態で訓練を開始することができたであろうが、二人とも何も言わずに神妙な顔で向き合っている。

 そも、三輪はこの訓練開始がもともと頼まれた日時のとおりなので遅くなったとかそういう文句は一切ないのだが、当の依頼人である大河がいまにも死にそうな顔をしているのにはいささか以上の憐憫の情を向けざるを得なかった。

 

『それじゃ、実戦形式、始めるよー』

「おう……」

「はい……」

 

 大河の声音も重いが、三輪の気もまた重い。

 兄貴分の役に立てるならどんなことでもしようと奮い立ったはいいが、目の前で繰り広げられた地獄のような実験の矛先が、今度は自分に向けられようとしているのだからその暗澹たる思いも理解できよう。

 大河は大河で、電撃地獄が完全にトラウマになってしまっている。彼はなぜこんなトリガーを欲しがったのか半ば見失いかけていた。もし過去に戻れていたら自分をぶん殴ってでも止めさせていたことだろう。

 ともあれ強化戦闘体がもともと持つ耐久性に加え、突貫工事ではあったものの重要な器官や伝達回路には耐電性を持たせることができたので、もう高出力の放電を行っても自爆する心配はない。とくにトリガー暴発は大河自身の精神的問題云々より『ジャガーノート』の強制発動が危険視されたため、茂森が最優先で戦闘体の保護機能を実装してくれたのだった。

 

『んじゃ虎爪を起動して、接続してみて』

「ん。……いくぞ、秀次」

「いつでも大丈夫です」

 

 ミサキの命で見た目にはいつもと変わらない虎爪を起動し、振りかぶる大河。

 そして受け太刀の構えで弧月をかざす三輪。

 トリガーを起動しただけで火花が散るようなことももうない。あの耐電実験はどれだけの電流までなら問題なく動けるかを調べるものであり、この新型トリガーは常時放電し続けるわけではないからだ。もっと早くに戦闘体の改造が済んでいれば、地獄を味わう必要もなかったのだが……そこはもう、大河は何も考えないことにしている。

 それに加え、攻撃がヒットする瞬間にのみ放電すれば新トリガーが高出力を叩きだそうと、万が一にも自爆する恐れがないとされている。一瞬であれば『光輝の針(スコーニィ)』の直撃さえ耐えきったのだから、そこは折り紙付きだ。

 このトリガーの主眼は大河が局所での戦闘ができない事実を覆すためのもの。この実験が成功すれば虎爪を最小サイズに留めたままでも、相手に触れれば即打倒が可能となる。

 大河のこれまでの戦闘履歴から見ても、ハイドラの火力を知った敵は総じて接近戦に持ち込む傾向にあった。無論、通常の虎爪だけでも撃破撃退は可能なのだが、無用な破壊をもたらさず、そして容易な捕獲手段の確立は大河にとって戦術の幅を広げる大きな一手なのである。

 

「せえ、のっ」

 

 手のひらが一回り大きくなった程度のサイズで叩きつけられる虎爪。防御された場合を想定して本気でぶつけたわけではないが、それでも三輪の身体と弧月は軋みをあげる。

 と同時に閃光と破裂音が発生して、特殊機構の発動を見る者に知らせた。

 

「ぐっ……!」

 

 三輪の戦闘体に流れ込んだ電気が数秒の間その動きを封じさせる。痛覚の設定はいつもより弱めにしてあるが、それでも身体中に広がる痺れと、思うように動かせない不快感は拭いきれない。運が悪いとその痛覚設定すらめちゃくちゃにされて激痛を味わう可能性すらある。

 

「けっこう効きますね、これ。防御不可の近接攻撃と思えばかなり有効だと思います」

 

 実際に体感した三輪がそう感想を述べる。

 あのハイドラをかいくぐってようやく対峙した相手がこんなものを振りかざしてきたら、それだけで戦意喪失しそうなものだ。高威力、かつ受け太刀すら許されない絶対的な足止め機能。続く第二撃にはなすすべなく屠られてしまうだろう。

 

「うーん……」

『んー……』

 

 しかし木場兄妹の反応はいまいちであった。

 二人してどこか納得のいかないような音を鼻からもらしている。

 

「どうしました?」

「いや……なんか思ってたのと違うっつーかさ」

『そーねえ。攻撃に付加効果がつくのは悪いことじゃないんだけどさ』

 

 これだけの性能を得てまだ納得しないのか、と三輪は戦慄するような思いで大河を見た。

 しかし本人はがしがしと頭をかいて、人差指を立ててから言葉を探す。

 

「あー、ほら、防御不可っつってももともと俺の攻撃防げるやつのほうが珍しいじゃん」

「……あ」

 

 そういえば、と三輪も思い当たる。

 いまのは手加減していたからこそ弧月で受けることができたが、本気を出せば弧月どころか三輪をアスファルトごと粉々にするなど大河にとって赤子の手をひねるよりも容易い。そういう意味では電撃による防御不可効果は過剰……というより無意味である。

 

「防いだやつってだいたい防御用とかそういうトリガー使ってくるんだよ。あのジイサンもだけど、手に持たないタイプの」

「なるほど……」

 

 強度の違いはあるがボーダーにおけるシールドも同じようなものだ。手に持たない盾、すなわち感電しない防御方法。それを加味すると電撃による足止め効果などあってもなくても、物理的に爪を叩き込んだほうが手っ取り早く、確実だ。

 たとえ「床や壁に無用な破壊をもたらさない攻撃」という利点があろうとも、緊急時にはやはり確実な撃破のほうが優先される。さすがに基地ごと吹き飛ぶような火砲は厳禁だが。

 

「ていうかそもそも想像してたのと違うんだよなあ、これ。俺が思ってたのはアクティナのあれみたいに電気を放出して攻撃するみたいなさあ」

 

 脳裏に浮かぶのは半壊させた国で敵が使っていたあのトリガー。あれほどの性能とまではいかずとも、似たようなものに仕上がるのではと期待していただけにこの落差は大きかった。

 鬼怒田に新トリガーの草案を頼んだときに、たしかにそのように伝えたのだが、と大河は首を傾げた。

 

『上手く伝わってなかったか、もしくは"まだできない"か、かねー』

 

 思案するような声で、ミサキはさらに続ける。

 

『まあたぶん前者じゃない? バカ兄貴の説明じゃ鬼怒田さんの頭脳でも理解できなかったんでしょ』

「おい」

 

 あまりの言い草にさしもの大河もつっこみを入れている傍らで、三輪も顎に手をやって考え込んでいる。

 

「あの話に聞いたアクティナのトリガーですよね。鬼怒田開発室長はあれを優先的に解析している節があったので、まだできないというのも不自然な気がしますが……」

「秀次、おまえまで俺をバカ呼ばわりするのか……」

「あ、いえ、そういう意味ではなく……」

 

 胡乱な目を向けられた三輪は慌ててそれを否定する。

 アクティナの話を聞いた当時から鬼怒田は『光輝の針(スコーニィ)』の解析に力を入れていた。開発室に瞬いていた閃光、すなわち発電についてはそのとき既に可能であったはず。ならば似たような構成をしたトリガーの開発くらい、あの人物なら簡単にできるのでは。

 そう伝えてみると、大河も同意したように腕を組んで頷いた。

 

「そーだなー」

『とりあえず鬼怒田さん……は忙しそうだしシゲさんに聞いてみるかな』

「おー、頼むわ」

 

 忙しい度合で言えばチーフエンジニアである時点で茂森も大差ないとは思われるものの、この新トリガー開発にもっとも注力してくれる人材となると鬼怒田よりも茂森に軍配が上がるだろう。鬼怒田は城戸派の筆頭といえど、開発室長という立場から"近界民を効率的に殺すトリガー"よりも"広く普及させるためのトリガー"に力を入れざるを得ないのである。

 内線で開発室に繋げたミサキは、説明の全てを任せるためにスピーカーと仮想空間を接続して茂森の声を二人に伝えた。

 

『実験は順調みたいだねぇ。でも大河くんが言うようなトリガーはちょっと難しいかな。

 純粋な電気に空中で指向性を持たせるのは難しいんだ。たとえばほら、雷の実験とかでも落ちる場所はまちまちだろう? 狙った場所に落とせるのは、そこにしか落ちない状況を作ってあるときだけなんだ。よくマネキンを二体並べてどっちに落ちるか、なんて実験をしているだろう。だいたいランダムでどっちにも落ちるってやつ』

「ふんふん……」

『『光輝の針(スコーニィ)』の雷がまっすぐ飛んでいくのは、これにトリオンが混ぜられているからなわけだけど、きみも知っているようにこれを再現しようとすると外部装置が必要になる。でもトリオンでできていないそれをきみの戦闘体に組み込んだとしても、ハイドラを撃った衝撃で破損するだろうし、発射には長い針が必要になる。つまり、虎爪の邪魔になってしまうわけだ』

「なるほどなあ」

 

 つらつらと語られる説明に頷く大河。

 やろうと思えば可能。だが実現には他のトリガーをほぼ全て捨てなければならない。攻撃も移動もままならないところまでいってようやく実用に耐えるものができあがる。それでは意味がない。

 大河は放電すれば勝手に中距離攻撃になると考えていたが、思えば『光輝の針(スコーニィ)』の雷もある程度直進してからターゲットに向かって方向転換していた。そうしなければ発射した本人さえも危険に晒されるからだろうと初めて見たときは推察していたが、それに加えてトリオンを混ぜたとしても一瞬のうちに着弾してしまうその速度に、細かな狙いなどが設定できないのであろう。

 

「ちっ。あてが外れたな……」

 

 大河が残念そうに呟くと、茂森が励ますように付け加えた。

 

『思っていたのとは違ったようだけど、それでも使い道はあるさ。きみが苦手な局所戦闘にも有効なのは事実だし、このまえの大規模侵攻で試してた電撃手榴弾も実用に耐えうるものになる。なにより発電機構自体は戦闘体に組み込まれているから……つまり素手ですら敵のトリガー使いを打倒することも可能というわけだ。

 ああ、それは元からそうなのもあるんだけれど、超火力の武器を捨てていきなり徒手空拳になるとなれば、相手は油断もするだろうしね。もしそうでなくとも揺さぶることは可能だろう?』

「まあ……考えようによっちゃ、そうかもしんないすね」

『はっきり言って、私たち開発室の技術の粋はその戦闘体にこそある。もし大河くんが十全にそれを使いこなせるようになればそれだけで脅威さ。きみが加減さえできていれば、新しいトリガーなんて必要なかったじゃないか』

「そりゃそうだ」

 

 けらけらと大河が笑うと、茂森は通話先でにこやかになったのがわかる声音で締めくくった。

 

『何はともあれ訓練さ。私としては実戦を期待したいところだけどねぇ』

「そりゃ俺もっすよ」

『その新型トリガーはとりあえず完成扱いで上に伝えておくよ。城戸司令にも、大河くんの公開遠征への参加を強く推しておくから』

「あざーっす」

『うん。じゃ、がんばってね』

 

 ぶつりと音がして、それきり音声が聞こえなくなる。

 仮想空間に残された二人にミサキが声をかけた。

 

『んじゃまあそのトリガーは一応完成ってことで。あとの慣らし(ヽヽヽ)は自分でやってねー。あたしはご飯食べてくるから』

「おーう、おつかれ。サンキューな」

「お疲れさまでした」

 

 一言、「ん」と伝えたミサキの音声もまた途切れ、仮想空間に大河と三輪の二人きりとなった。

 さてどうするかと手を頭の後ろで組んだ大河に、三輪が少しだけ申し訳なさそうに話しかける。

 

「大河さん、もう少し訓練を続けてくれませんか?」

「ん? いいけど、どうした?」

「あの……俺も、俺も次の遠征に参加したいんです」

 

 できれば木場隊と合同のチームで、と付け加える三輪。

 先ほど茂森は遠征への参加を推すと言っていたが、おそらく大河の遠征参加はもはや決まっているようなものだろう。戦闘能力が考慮されているのではなく、遠征艇の問題でそうとしか考えられない。

 攫われたC級隊員の数は58名。これは通常のA級部隊が使う遠征艇をどれだけ改造しようとも賄いきれない人数だ。乗せるだけならまだしも、推進力を得るだけのトリオンも、どれほど続くかわからない航海をするだけの食料も積み込まねばならないのだから。

 現実的に考えて、一隻の(ふね)を改造するより、二隻両方を使って遠征したほうがコストもかからない。そして大河専用の遠征艇は大河の莫大なトリオンありきの性能をしている。むしろこちらはトリオン消費を考慮しないで済むため、貨物室を増やせばいいだけなので改造コストは安くすむはずだ。

 木場隊は遠征に参加する。ならば三輪は、是が非でもそれに同行したい。そう思っていた。

 

「もちろん城戸司令にも直訴しますが、選抜試験で受かればそれに越したことはありませんから」

「ああ、次はおまえの戦闘訓練に付き合えってことか」

「はい。お願いしても、いいでしょうか?」

 

 不安げに見上げてくる三輪の視線を受け止めた大河は、からからと笑ってそれを承諾した。

 

「ああいいぜ。でも部隊で選ばれたいんなら連携訓練とか必要なんじゃねえのか?」

「うちの隊員は作戦を伝えればそれを実行できるだけの練度があるので、あとは個人の力量を……と思ってましたが、よければ何回かうちの連中を呼んでもいいですか?」

「構わねえよ。別に俺も俺のトリガーにも秘匿義務は課されてねえしな。実験も終わったし、選考日までだいたい暇してるしよ」

 

 秘密なのは過去の遠征の内容だけ。そう伝えると三輪はぱっと顔を輝かせた。

 

「ありがとうございます!」

 

 この後も二人は戦闘訓練を続けた。

 しかし三輪は忘れていた。大河のトリガーはふだん、ミサキによって威力が抑えられていることを。そしてそれを存分に振り回していい場所での戦闘がどんなものになるのかということを。

 しばらくして戻ってきたミサキが目にしたのは、焼け野原に成り果てた仮想空間と、へばって地に伏す三輪、そして困ったように頭をかく大河の姿であった。

 

 

 



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第四十三話

 

 

 

「ありがとう、ございました……」

「おつかれさん」

 

 数日をまたぎ、今日も個人の戦闘訓練を終えた三輪と大河が仮想空間から戻ってくる。

 木場隊作戦室に足をつけた三輪は精神的疲労によりいまにも倒れ込みそうな様子だ。通常の訓練ならいざ知らず、常に一撃死の可能性がついてまわる戦闘では一瞬も油断することができない。そして頼み込んだ立場から休むことも言い出せなかった三輪は毎回疲労困憊といった(てい)で訓練を終えていた。

 対する大河は基本的にハイドラをぶっ放し、虎爪を振り回すだけなので大した労力にも感じていない。それがかえって休憩の少なさに繋がったのも三輪を追い詰めた要因の一つかもしれない。

 

「今日も一度も勝てませんでしたね……」

 

 うなだれつつ訓練結果が表示されたボードを見る三輪。そこには一列にならんだ○と×が端から端まで続いていて、三輪は彼我の力量差をまざまざと見せつけられた思いでいた。

 やはり強い――トリオン能力の差は技術で埋められるというのもこの人にだけは当てはまらない。ただトリオンが多いだけではなく、多すぎるからこその戦術の狭まりが逆に隙のなさを生み出しているとも言えるだろう。

 開幕に撃ち放たれる超火力の遠距離攻撃と、近・中距離すべてを薙ぎ払う爪。そして唯一の弱点ともいえるトリガーの精密性を補うサイドエフェクトによる感知。戦えば戦うほど勝てる気がしない、というのが三輪の感想だった。

 ミサキによる補助がなくてもこれだ。むしろ調整されていないからこその破壊力がいまは厄介なのかもしれないが、本気を出した『木場隊』はこの訓練時よりもずっと強いと思うと背筋が凍る。市街地への被害を考慮しなくていいというだけで、大河の戦闘力は数十倍にも膨れ上がるのだ。

 

「そこは前提が違うしな。簡単にやられてたら単独遠征なんて許されてねえよ」

 

 そう言ってくつくつと喉を鳴らす大河に、三輪は苦笑でもって返した。

 

「それもそうですね」

 

 前提が違う。たしかにそうだった。

 脳裏によみがえる訓練の光景の一端。興味本位で一度だけ大河と同じ強化戦闘体を再現してもらった三輪は、その性能に大いに驚いた。

 まず仮想フィールドに降り立ったときの彼の第一声は「重い」――であった。

 次いで、「固い」。

 そのまま武装の展開どころか直立状態で腕一本も動かすことができず、どうにか一歩足を踏み出せたと思ったらトリオン枯渇により強制解除されてしまったのである。

 大河の強化戦闘体には途方もないトリオンがつぎ込まれている。それ自体は知識として知ってはいたものの、まさかただの運動行為にすら莫大なトリオンが必要だとは、三輪も体験してみるまでわからなかった。

 いや、体験しても意味不明であることに違いはない。たしかにトリオン量でいえば三輪はけっして多いほうではない。けれどもその全てをもってしても腕の一本、足を踏み出しただけでそれが枯渇するなんて想像だにできないことであった。

 これをあれだけ軽やかに動かし、さらに専用のトリガーを使ってあのような砲撃を繰り出しているとは、身をもってしても理解しがたかった。

 

 しかし実際のところ大河と強化戦闘体の実情は真逆とも言っていい。一挙手一投足に莫大なトリオンがかかるのは、そうでもしなければ微制動がとれないためだ。

 この特別な戦闘体は大河のトリオン出力に耐えきれるようにしてあると同時、これが大河にとって動かしやすい消費量なのである。

 

 三輪は改めて思う。――異常だ、と。

 だが、本人が言ったように、そうでもなければ単独遠征など許されないだろう。そうでなければ近界(ネイバーフッド)の星々を滅ぼすことなどできないのだろう。異常でなければ――近界民(ネイバー)を殺したいなどとは言わないのだろう。

 その異常さが、三輪には心強く……また、心地良い。

 彼がひっそりと笑みをこぼしているかたわら、スポーツドリンクを飲んでいた大河にミサキが声をかけた。

 

「兄貴、そろそろ時間」

「ん? あー、そういや今日は城戸さんに呼ばれてたっけ。なんの用っつってたかな」

 

 言われて、そうだっけと頭をかく大河に、ミサキは呆れたようなため息をついた。

 

「知らない。でも何かしらの思考を読み取れるタイプのサイドエフェクト持ちが集められてたから、たぶん近界民の尋問かなんかじゃない?」

「ふーん。ってことはミサキも行くのか」

「今日の朝一緒に行くっつったろーがこのアホ」

「はっはっは。忘れてた」

「次から放電の強さランダムにしとくから」

「謝るからマジやめろ」

 

 本気のトーンで制止する大河に木場兄妹の力関係を垣間見た三輪であった。

 それはそれとして近界民の尋問には彼も興味がある。

 人型近界民に関する情報は公にはされておらず、その尋問となれば高いレベルでの秘匿義務が課せられているであろうが、これでも三輪はA級部隊の隊長であり司令直属の隊員でもある。

 おそらく三輪がもつ権限でもその尋問に参加することは可能なはずだが、彼は大河に付随することを選んだ。どのみちどこから話を聞いたかくらいは問われるだろうし、そのほうが手っ取り早い。

 

「すみません、俺もついて行っていいですか?」

「いいんじゃねえの?」

 

 なんともアバウトな返答にミサキのほうへ向き直り視線で尋ねる。

 しかしミサキも曖昧に肩をすくめるだけで、明確な答えは返さなかった。

 そも、彼らは招集されただけであって尋問に対する他者の参加をどうこうする権限を有しているわけではないだろう。どうしたものかと顎に手をやった三輪に、大河が適当極まる結論を出す。

 

「まあダメだったら門前払いされるだけだし、行くだけ行きゃいいだろ」

 

 強引だが正論であった。

 とにもかくにも行けばわかる話。そうして部屋を出ていく木場兄妹の後ろに三輪もついて歩いていった。

 

 

 

* * *

 

 

 

 ボーダー本部小会議室。ややこじんまりとした部屋にこの組織の重鎮が顔を突き合わせてならんでいる。最高司令官、城戸正宗。開発室室長、鬼怒田本吉。そして本部部長の忍田真史。

 そこには木場兄妹と風間隊の菊地原も席を連ねており、本来呼ばれていない三輪はその後ろに立っていた。

 三輪の参席には何人か眉をひそめていたものの、結局何も言われることなくスルーされた。司令直属隊員である彼ならば問題はないということだろう。

 

「木場隊の二人と菊地原隊員は服装変更なしでトリガーを起動しておいてほしい。こちらの質問に対する近界民の心理状態や体調に変化があったら内部通信で知らせるように」

「あーはいはい、なるほどね」

「了解です」

「わかりました」

 

 城戸に命じられてそれぞれが私服モードでトリガーを起動する。同時に一般とは違う戦闘体をもつ大河の座っていた椅子だけがみしり、と重量に対する悲鳴をあげた。

 ちなみに幹部たちはトリオン体ではないようだが、通信を受けるための機器を耳につけているらしい。

 

「それで、尋問の内容なのだが」

 

 彼らのトリガー起動終了と同時に忍田が口を開いた。

 

「こちらでもいくつか考えているが、まずは情報の最終確認からしていこう。

 木場がエネドラと呼ばれる(ブラック)トリガー使いを撃破したあと、ミラという近界民(ネイバー)が言った言葉。『私が手を下すまでもなかった』というのは間違いないんだな?」

「ええ、まあ」

 

 大河がゆっくりと頷く。

 当時の記録は残っていない。映像も音声も、ミサキがシャットアウトしていたからだ。

 そこに隠された惨劇には目を瞑って、忍田は隊員たちを見回した。

 

「捕虜であるヒュースという近界民を捕縛した際に、仲間であるはずのミラは助けようともせず、また、最初から彼を置いていくような口ぶりであったことを確認している。こちらは映像も音声も残っている」

 

 やや皮肉めいた言い方に大河がついっと目をそらす。

 

「アフトクラトルも一枚岩ではないというのは確実だ。我々が揺さぶりをかけるので、きみたちにはサイドエフェクトでなんらかの変化を感じ取った場合に知らせてほしい」

「あいあい」

 

 大河がしたりと頷き、ミサキと菊地原も了解の旨を示す。

 腕時計を確認した忍田は隊員たちの緊張をほぐすように――ここに緊張するような人物はいなかったが――わざとらしく椅子に背中を預けた。

 

「あと五分くらいか。尋問自体もそう長くはならない予定だ、あまり固くならないでくれ」

 

 果たして、忍田の気遣いは無意味であった。

 前述したようにここには緊張するような人間はおらず、しかしこれから尋問をするというのだから明るく朗らかに歓談できるような雰囲気でもない。忍田のそれは大河はともかくとして未成年である三輪やミサキ、菊地原に対する配慮であったのだが、それは完全なる空回りであったと言えよう。

 ただ、そういう空気をあえて読まない人間なら一人いた。

 

「城戸さん、ぽんきちさん、俺の新しいトリガーのこと聞きました?」

「……ああ」

「うむ、茂森からつぶさに聞いておるわい」

 

 大河である。

 彼は空気を読めないのではなく、読まない。

 この行為はしいて言うならボーダーに対する優位性の誇示ともとれる。

 もちろん元来の自由奔放な性格からきているのも大きいが、重鎮に対しても対等かつ強気に出ることで自身の立場を主張しているのである。主に、忍田に向けて。

 かつて空閑とレプリカがそうしたように自らの有用性を明かし、最高司令官や開発室長にも重用されていることを示して自分の主張を通りやすくする。

 本人はそこまで深く考えてのことではなかっただろうが、派閥や思想が真っ向から異なる忍田には効果的であっただろう。

 木場大河はボーダーの味方である。けれども、それは城戸司令の牙であり、本部長の手にはない力なのだ、と。忍田はそう受け取った。

 

「おまえのその新トリガーが基地にも実装できれば、基地運営用トリオンも多少は節約できそうだのう」

「いやいや、それってまた俺が電池になるやつじゃないすか。文字通りの」

「ふん。おまえはそうやって大人しくしてるくらいが丁度ええわい」

 

 鼻息混じりの鬼怒田の言葉に、内心でこっそり忍田も同意する。

 

「発電量自体はかなりのものですけど、それは兄貴のバカみたいなトリオン源があってですし節約にはならないと思いますよ」

「そのようじゃな。だがトリオンとは別にエネルギーの貯蓄をしておくというのもやっておいて損はないか。基地すべてがトリオンで動いているわけではないしな」

「ふむ……。非常用電源設備を充実させておくのもいいかもしれないな」

 

 ミサキと鬼怒田のやりあいに城戸も交ざって頷く。

 基地運営に用いるエネルギーはトリオンがかなり大きな割合を占めている。そして電気やガスは一般企業から引いて使用しているのである。とくに開発や仮想訓練施設にはコンピュータによる高度な計算が必要なため、かかる電気代も馬鹿にはならない。

 城戸も好意的に捉えていたが、もしここに根付がいたならば、彼はボーダーから電気を売る施策を考えていたかもしれない。

 三門市には大手電力会社の施設があるのだが、他の街にはない戦闘行為が日常と化している三門市では常に破損の可能性がつきまとう。流れ弾の一発でも飛べば街全域が停電しかねないのだ。そんな射程をもつトリガーは迎撃施設以外では大河の大砲くらいであるが。

 ボーダー印の格安電力ともなれば市民の印象もさらによくなるかもしれない。

 

「いやだからそういう話じゃなくってですね」

 

 大河は思惑から外れ始めた会話のレールを敷き詰めなおす。

 

「ミサキがいればなんでもかんでもぶっ壊す心配もなくなってきたし、そろそろ俺も基地内でのトリガーの使用解禁もアリなんじゃないかなーって思うんですけどね」

 

 ふふんと胸を張って大河はそう主張した。

 彼はボーダー基地内での行動にかなりの制限を帯びている。大まかに言えば

・無許可でのトリガー起動禁止

・専用の仮想空間以外での戦闘用トリガーの使用禁止

・戦闘体での走行禁止

 などである。

 非常時には多くの制限が取り払われるものの、堅苦しいことに違いはない。

 しかしそれには城戸も鬼怒田もけっして頭を縦には振らなかった。

 

「おまえは自分が持つトリガーの危険性をもう少し自覚しろ」

「まったくだわい」

「えー……」

 

 不満げに唇を尖らせる大河。

 しかしその彼を慕う三輪でさえも城戸たちの結論には同意していた。

 実際に強化戦闘体を試させてもらって実感したのだ。あの制限の多さがなければ危険すぎると。

 まず先ほどトリガーを起動した瞬間に椅子が軋んだことからわかるように、強化戦闘体にはかなりの重量がある。もし転んだ際に誰かが下敷きになれば口から内臓が噴き出るくらいの重さが。

 膂力は言わずもがな、大河自身が供給しているトリオンにより強固となっているボーダーの通路だろうと、腕の一振りで粉々に粉砕されるであろうし、走行が禁止されているように高速で移動しているところに誰かとぶつかれば文字通りに轢き殺してしまうだろう。衝突の際に発生する衝撃は体積と質量の違いもあって、同等のスピードで走る軽自動車のそれよりもなお激しい。

 茂森が言った通り、この強化戦闘体こそが技術の粋、戦闘の要なのである。武器があろうとなかろうとその危険性の違いは誤差でしかない。

 

「あーあ。これじゃ開発してもらった意味ぜんぜんねえじゃん……」

「他にも企画段階のがいくつかあると聞いとるが、そっちはどうなんだ?」

「んーまあいろいろ考えてはいるんすけどね。そっちのは補助っつーか、結局"こっちの世界"じゃ使わない感じのやつなんで」

 

 まったくもって不満甚だしい、と頭の後ろで手を組んだ大河に対し、城戸は無表情ながらも労うように声をかけた。

 

「そう気落ちするな。おまえにもやってもらうことはある」

「どうせ電池役でしょうよ……」

 

 口の端を引きつらせて視線だけよこす大河を真正面から見て、城戸は静かに力強い声音で語る。

 

「私は、おまえを公開遠征の第二部隊隊長にしようと思っている」

「――――!」

「まだ決定ではないがな」

 

 最後に付け加えられた言葉からは力強さは消されていたものの、最高司令官の意思としては大河を推す。そう伝えられた当人は一瞬ぽかんと口を呆けさせてから面白そうに唇に弧を描かせた。

 大河以外の会議室にいた人間は驚くようなこともなく、ごく淡々とそのセリフを聞いていた。

 無論、忍田もそこに含まれている。

 

「…………」

 

 彼は腕を組んで黙り込む。

 重役会議ではすでにその話題が出ており、忍田も大河の人格面に問題を感じつつ有する能力や遠征艇を二隻運用することから遠征の参加に否やはなかった。ただし、条件を出して。

 その会議で大河の極秘遠征のことを、簡易的にまとめられた情報としてでも提出することを条件にしたのである。

 そこで知った過去の遠征の内容は想像していた通りのものであり、忍田本人としては大河を再び近界へ送り込むのに頷きたくはなかったが、その能力は必要不可欠であるのも事実。

 単独部隊ではないこと、第一部隊の隊長――指揮系統を自身が握ること、それらを加味してようやく参加を容認することができた。もし遠征部隊の選抜に口を挟むことができれば、東のような忍田派の常識人を第二部隊に加えさせる目論見もある。

 

 忍田が黙って思考を巡らせている対面では、三輪も決意を新たにしていた。

 やはり大河の遠征参加はほぼ確定。ならば是が非でも自分も参加したい。そしてできれば第二部隊が望ましい。しかしそこはあまり重要ではないのかもしれない。人間関係的に考えれば選抜さえ果たせば三輪ないし三輪隊はおそらく第二部隊所属になるだろう。そこは司令直属隊員でもある三輪が望めば考慮される可能性が高い。

 問題は部隊選抜。

 通常の遠征部隊選抜試験の内容を、三輪は詳しくは知らない。

 もとよりあまり興味がなかったのと、実際に参加した隊員ととくに親しくないからだ。しかも遠征の内容は大河でなくとも大抵の場合機密に該当する。たとえ親しくとも雑談のタネに、というわけにもいかないはずだ。

 ゆえに三輪が思うのは、どう受かるか。

 今回の選抜で求められるのはなんだ?

 戦力か……交渉力か。

 おそらくは――前者。

 アフトクラトルに奪われたのは58名もの人間。それを交渉で取り戻したい場合、ボーダーには取引の材料になるようなものを持ち合わせていない。大河の話によると近界民はさらった人間を兵士にするかエネルギー源にするか、またはその国の『神』にするかのいずれかだという。

 今回の場合、アフトクラトルが持ち込んだ戦力とその必死さからみて『神』を欲しがっていたのだろうと推測できる。大河や雨取のような優秀なトリオン能力者を執拗に狙っていたことからしてほぼ間違いないだろう。

 であれば。

 どうやって58人の隊員を取り戻すか。

 それは、武力によってのみでしかありえない。

 選抜には部隊の総合力を重点的に見るに違いない。

 現在の三輪隊の順位はA級7位。そもそもA級ランク戦は現在行われてはいないが、できれば実力的にもう少し上に行きたいところだ。

 

「そういや他に参加する隊員でもう決まってるやつはいるんすか?」

「!」

 

 ふと尋ねた大河の言葉に、三輪が顔を上げた。

 別に己を慮って聞いたのではないだろうが感謝の念を抱きつつ城戸の返答を待つ。

 

「いや、まだだ。第一部隊の隊長に忍田本部長を据える以外は何も決まっていない。部隊単位での参加の是非は選抜試験で行うとして、追加で幹部が個人での推薦を挙げる……と言ったところだな。そこに私が推すのがおまえだという話だ」

「なーるほど。そりゃありがたいおハナシだ」

 

 その話を頭の隅に置きながら、三輪はこれからの訓練内容を練っていた。

 個人での参加は幹部の推薦が要る。しかし城戸司令は大河を推した。推薦枠を得るには他の幹部……忍田や林藤は論外としても、鬼怒田や根付ともとくに親しいわけではないため難しいかもしれない。

 それに何より、実力で選ばれたほうが後腐れがなくていい。もしかしたら大河が第二部隊隊長としての立場から登用してくれる、という希望的観測もあるが、それはやはりあくまで希望でしかない。これからは訓練の密度を上げなければ。

 

 三輪が覚悟を決めたころ、会議室の扉がノックされて林藤率いる玉狛の人間と、捕虜であるヒュースという名の近界民が現れた。

 ようやく今日の本題が始まろうとしていた。

 

 

 

 



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第四十四話

 

 

 

「本国に関する質問には、いかなるものであっても回答しない。それ以外に言うことはない」

 

 尋問が始まって開口一番、近界民(ネイバー)がそう発言した。

 戦闘体状態である大河、ミサキ、菊地原はそれぞれがサイドエフェクトをもってヒュースの言動に注意を払う。

 

「《あー、こりゃダメだ。こいつは情報は吐かねえ》」

 

 まず大河が即座に尋問が無意味であることを確信した。

 ヒュースとやらが纏う匂いはまったくもって揺らいでいない。緊張もしていない。

 敵地の上位連中に囲まれながらも揺るがぬ兵士。こういう手合いは得てしてなんの情報ももたらさないと経験から知っている。たとえ凄惨な拷問を施そうとも、こいつは短い悲鳴以外声をあげることなく、最後までこちらを睨みつけながら死んでいくだろうと判断した。

 

「《同感。この近界民は何をしたところで何も吐かないと思いますよ》」

 

 ミサキも同様にこの時間を無駄だと断じた。

 彼女のサイドエフェクト『思考追跡(トレース)』は、ある程度の付き合いがなければ相手の思考の表層程度しか推し量ることができないが、それでもヒュースの心のうちには確たるものがあると看破していた。

 忠誠、覚悟。そのような言葉で表わされる意思の固さ。

 おそらくこれはその忠誠を誓った相手にしか崩せない、厄介な代物だと。

 

「《……右に同じ、ですね》」

 

 菊地原もまた同じように、ヒュースの心音の変化のなさに呆れかえっている。

 その図太さに関してはいささか腹立たしいとは思いつつも、この近界民に対して別に個人的な恨みでもあるわけがない彼は淡々と仕事を全うしようとしていた。

 

「……ふん。やはり玉狛に置くと、捕虜も態度がでかくなるわい」

 

 秘匿通信で報告を受けた鬼怒田が鼻を鳴らす。

 

「だが近界民よ、我々を玉狛と同じにするなよ。必要なら荒っぽい手を使ってでも貴様には情報源になってもらう」

 

 これは揺さぶり。三人もの隊員が無駄だと断じても、鬼怒田としてはそうせざるを得ない。

 呼び出された近界民が「何も答えない」と言って、はいそうですかと帰すわけにはいかないのだ。組織として、ある程度の面子も保たねばならないのである。

 

「貴様ら近界民には我々の法は適用されん。素直になるなら今のうちだと思うがな」

「《はっはー。『荒っぽい手』を使うんなら俺に任せといてくださいよ。たぶんなんにも喋らないだろうけど》」

「《少し黙ってろクソ兄貴》」

 

 トリオン体ではない城戸や鬼怒田を代理してミサキが釘を刺す。

 『思考追跡』など使わずとも幹部連中のこめかみが引きつったのを見れば言いたいことなど誰でもわかっただろう。ヒュースだけは己の態度によるものかと思っているかもしれないが。

 目玉だけ明後日の方向に向けた大河を牽制するように、忍田が咳ばらいをしてからヒュースのほうに向きなおった。

 

「……ヒュースといったな。私はこの組織の軍事指揮官である忍田という者だ。私個人としてはきみをまっとうな捕虜として扱いたいと思っている。

 その上で聞かせてもらいたいのだが、きみを捕縛した際にアフトクラトルの連中はなぜきみを置いていった?」

「答えない、と言ったはずだ」

 

 やはり頑なな様子にしかし、忍田は怯まずに質問を続ける。

 

「アフトクラトルが故意にきみを見捨てたのは明白だ。ならば、もう忠義を立てる必要はないのではないのか」

「……侮るな」

「《!》」

 

 忍田の質問に対し、初めて揺らぎを見せた近界民にサイドエフェクト持ちの隊員が注視する。

 

「遠征に出る以上、死ぬことも覚悟の上だ。何が起き、何をされようと情報はもらさない。どちらから(ヽヽヽヽヽ)だろうとな。それ以外に話すことなどない……!」

 

 見せた感情は怒り。

 匂いも思考も心音も、それ以外の情報は何も得られない。

 

「《やっぱ無駄ですって。情報も吐かない、捕虜交換にも使えない。だったらこいつの利用方法はもう決まったようなものじゃないんすか》」

 

 大河が言っているのは、この近界民にすべての罪を着せて処刑するという意味の言葉。

 攫われた58名もの隊員の家族や友人、それらのヘイトを一身に浴びせてボーダーへの悪感情を軽減させる。それで何が変わるというわけでもないが、敵の一味を始末したとなれば市民たちの心情も少しは和らぐかもしれない。

 そんな物騒なセリフに忍田がぎろりと睨みをきかせた。

 

「……遊真くん、少し聞きたいのだが、向こうの世界では捕虜の扱いはどうなっている?」

 

 心を落ち着けようと静かに呼吸をしてから、林藤たちと同席していた空閑に尋ねる。

 

「んー。拷問的なのもないことはないけど、やる意味はあんまりないかな。どっちかというと憂さ晴らしみたいなもんだし。拷問するなら数を揃えて情報のすり合わせをしないといけないしね」

「《ほーらな》」

 

 大河の茶々を無視して城戸が口を開く。

 

「だが、おまえならばどの情報が嘘かどうか、判別がつくのではないのか?」

「そのために呼んだの?」

 

 嘘がわかるサイドエフェクト。それがあれば数を揃える必要はない。

 しかし相手が何も声をあげなければ意味がないのもまた事実である。この近界民はどんな拷問にかけたところで、嘘すらつかずに黙って死ぬ。そう確信できる意志の強さを持っている。

 それを理解している城戸は「確認したまでだ」と空閑に謝意を見せてヒュースに向き直った。

 

「近界民……いや、ヒュース。取引をする余地もない、か?」

「ない」

 

 即答したヒュースに、城戸はしばし黙考して結論を出した。

 

「よくわかった。今日はここまでにしよう」

 

 短くため息をついた城戸が出席者に言い聞かせるように終了を知らせる。

 得るものは何もなかった。

 できればアフトクラトルの情勢くらいは欲しかったところだが、傍から見ても、そして内心をうかがおうともそれが得られないと誰もが答えた。もういくつか揺さぶる話題はあったものの、ヒュースの覚悟の強さを前にしては無意味であると言う他ない。

 しかし空気が緩みかけた直前、おもむろに大河が口を挟んだ。

 

「ちょいといいっすか」

「どうした?」

 

 城戸が発言を許すと、彼は挙げた手の人差指をヒュースに向ける。

 

「玉狛が管理してるのかなんなのか知らねえけど、ちょっと杜撰すぎるんじゃないんすか? そいつの耳にトリガーがついてんだけど」

「!」

 

 その発言に全員の視線がヒュースに集まって、その隣にいた空閑が「おお、ほんとだ」とヒュースの右耳を指さした。

 

「……チッ」

 

 舌打ちをするヒュースから林藤がイヤリング型のトリガーを押収する。

 よもや戦闘用のトリガーでもないのだろうが、一瞬にして緊張が走った会議室にようやく弛緩した空気が流れ始めた。そして城戸が管理を任せた者にじろりと視線を飛ばして責任を問う。

 

「林藤支部長、これは失態だぞ」

「いや申し訳ない」

 

 飄々と謝罪する林藤はしかし、内心ではこのことを重く見ていた。

 玉狛の隊員である三雲に害をなした近界民の扱いを玉狛で引き受ける。矛盾するようだがこれは三雲のためでもあり、またヒュースのためでもあった。

 小型とはいえトリオン製のブレードで刺された三雲は重傷を負い、いかに近界民友好派の玉狛といえども一時は危うい雰囲気になりかけた。とくに責任を感じている木崎もまさか捕虜に害を為すことはあるまいが、暗い感情の一欠けらくらいは抱えているだろう。

 しかし三雲は報復など望んではいないだろうし、させてはいけなかった。

 林藤は己の過去から、"こちらの世界"で近界民と和解するのには長い時間がかかると知っている。また、今回のような尋問が逆効果であることも。

 ヒュースに対しては処分を避け、時間をかけてある程度の妥協、打算を含んだ取引までもっていく腹だったが、今回のことでそれも難しくなったのは明白。管理体制がおろそかであると伝わってしまえば厳しめの監視くらいはつけられるかもしれないし、そうでなくとも報告書を頻繁に提出しなければならないだろう。

 玉狛の隊員たちとの溝を埋める時間はもうとれないかもしれない。そして、

 

「やはりいまからでも本部で管理すべきなのでは?」

 

 当然、こういった提案も出てくる。いまからでも本部預かりになってしまうと、ヒュースの身の安全は保障できなくなる。林藤としては、そういった血なまぐさい前例(ヽヽ)を作りたくない。

 しかし根付の発言には城戸も思案顔で頷いてしまっていた。

 

「今回のことは始末書も書きますから、大目にみてくれませんかね」

「しかしですねぇ……」

 

 心の中で焦る林藤に、ここで助け船が入る。

 

「まぁ、林藤支部長とは取引もある。今回限りならば目を瞑ってもよかろう」

 

 鬼怒田がため息交じりながらも了承を提案したのだ。

 彼はすでにヒュースの件については話がついていた。この捕虜よりも優れた情報源、そして空閑のサイドエフェクトがあればこそ実現した交換条件。むしろ鬼怒田にとってはヒュースを本部で拘束するメリットがなく、また価値も薄いのだろう。

 

「……いいだろう」

 

 根付は失態を理由に食い下がろうとした――そもそも玉狛に捕虜を収容する施設があるかどうかもわからない――が、最終的には城戸が頷いたためにそれを諦めたのだった。

 

「では会議を終了とする。捕虜は念のために体内スキャンを(おこな)ってからさがらせろ」

「了解です」

聴取に協力(ヽヽヽヽヽ)してもらった隊員にはまだやってもらうことがある。鬼怒田開発室長についていってくれ」

「あいあいさー」

「了解です」

 

 林藤はヒュースを連れてスキャンのために。他の隊員たちも鬼怒田の用とやらを手伝うために会議室を退出していく。

 ぞろぞろと連なって歩く通路はそれなりに広いものであるが、七人にもなると少々手狭に感じる。その道すがら三輪は尋問の内容について大河に尋ねた。

 

「尋問という割りにやけにあっさりしてましたね。どうだったんですか?」

 

 三輪はあの会議室内において戦闘体になっておらず、また通信を受けるための機器も持ち合わせていなかったため、傍目から見た薄すぎる内容に疑問を覚えたらしい。

 たしかに通信がなければかなり異様な会議だった。三門市で大暴れした敵の近界民の一味に対し、わずか数分ほどで終了してしまったのだからこの疑問も当然のことと言える。

 大河はすでに捕虜に対する興味も失せていたがゆえ、薄れかけた印象を噛み砕いて三輪に伝えた。

 

「ああ。あのヒュースとかいうやつはテコでも動かないタイプだったんでな、城戸さんも時間の無駄だって見切りつけたんだろ」

「意外ですね。俺は、やってみなければわからないと思いますが」

 

 城戸が三輪の復讐心を買ってくれたように、三輪も城戸が極度の近界民嫌いだと認識している。

 たとえそれを表には出さずとも、拷問してでも情報を得たいのは事実だしボーダーとしても益がある。サイドエフェクトも絶対ではないのだから、城戸ならば物騒な手も迷わず使うのではと思えたのだ。

 

「林藤支部長との取引だ。さっきも言ったがの」

 

 そんな三輪の疑問に答えたのは鬼怒田だった。

 

「空閑の力をうちに貸す代わりに、あの近界民の扱いを玉狛に一任しろとな」

「空閑の力?」

 

 オウム返しで大河が尋ねると、鬼怒田は鼻を鳴らして空閑のほうを見た。

 

「嘘を見破るサイドエフェクトだと。こと尋問に関してはおまえらのものより有用だと言っていいだろう」

「ほーう」

 

 大河もちらりと空閑のほうに視線を向ける。

 照れているのかいないのかさっぱりわからない表情でどうもどうも、と手をあげる空閑。その横ではなぜか三雲が冷や汗を垂らしていた。

 

「あまり信用はしておらんがな。忍田本部長は空閑だけで充分だと言っておったが、わしはそうは思わん。だからおまえたちも呼んだのだ」

「なるほどね」

 

 いかに強力なサイドエフェクトだとしても、それが絶対とは限らない。とくに「嘘を見破る」といった相手の心理を読み取る類のものに関してはそれが顕著であろう。たとえ同じ答えでも、相手の考え方ひとつで読み取れる情報が左右されてしまうのだから。

 例えば「リンゴが好きか」と問いかけ、相手が否と答えたとする。

 そこで相手が考える理由が「嫌いだから」という場合と「嫌いではないが大好物というわけでもない」という場合があっても、どちらも「嘘ではない」という判定になってしまう。

 もしかしたら空閑の能力はその細かい部分まで読み取れるのかもしれないが、他の人間にはそれがわからない。ゆえに鬼怒田は人数を必要としたのだろう。

 大河が得心がいったと頷き、それからはてと首を傾げる。

 

「じゃあもう終わったんじゃないんすか?」

 

 捕虜にした近界民はたった一人。

 であれば尋問する相手ももはやいないはず。なのにまるで空閑の力を借りるのはこれから、と言っているような口ぶりに、大河はもう一度質問を飛ばした。

 鬼怒田は到着した開発室への扉を開きながら答える。

 

「むしろ本題はこっちだ。これ(ヽヽ)はおそらく、空閑にしかできないだろうからな」

「んー?」

 

 慌ただしい様子の開発室内をずんずん進んでいく鬼怒田に続きながら、大河は隣にいたミサキや三輪と顔を見合わせる。

 二人も軽く肩をすくめるくらいしかできなかったが、その答えはすぐに姿を現した。

 

「雷蔵、あれを起こせ」

「了解です」

 

 部屋で待っていたらしきチーフエンジニアの寺島雷蔵が機器を操作して、それ(ヽヽ)にトリオンを注入した。

 

「黒い、ラッド?」

 

 三雲がそう声に出すと同時、ラッドが瞳のようなコアをぱちくりと開いて全員を見回す。

 

『あぁ? やっと来やがっ……げぇっ、虎野郎!?』

「あ? なんだコイツ」

 

 ガラス張りになっているため匂いが感じ取れない大河は、向こうが己を知っているような口ぶりをしていてもそれが誰だか気付けなかった。

 ミサキは声や態度、そして黒い角からしてエネドラと呼ばれた近界民だろうとあたりをつけたが、大河としてはエネドラの印象=抉り出したトリオン器官の匂いとしか認識していなかったため、思い出すのにも時間がかかるらしい。

 

『てっ、てめぇあれだけのことしておいて忘れたとは言わせねぇぞ!』

「生憎だがラッドに知り合いはいなくてなー。誰、おまえ?」

 

 トリオン兵の知り合いならあてがあるんだけどな、と煽っているのかややふざけた様子の大河に、鬼怒田が呆れたように補足した。

 

「こいつは木場が撃破した(ブラック)トリガー使いの成れの果てじゃ。アフトクラトルの角は未知のトリオン技術っちゅうことで、解析するためにラッドに乗せかえた結果がこれだ。

 どうにも、角には生体情報を収集する機能があるようでな。しかもコイツの角は脳と半ば同化しておった。そのせいで知識や記憶があるらしいのはいいが、性格まで反映されたのは鬱陶しいところだわい」

「へーえ、そんなこともあるんだな」

 

 関心したように吐息をもらす大河。

 トリオン技術は未だ未知の領域が大きい。脳と同化して記憶をバックアップなどというのは現代医療でも真似できない異質の技術……否、現象だろう。

 これを意図的に再現できればトリオンを治療に使うなんてこともできるかもしれない。遠征という不測の事態が起きがちなものには、いくらでも湧いて出るトリオンに新たな使い道ができることはいいことだ。

 ともあれ、今日ここに来たのはそういった話し合いをするためではないのだろう。気を取り直してエネドラの成れの果てに注意を戻す。

 

「で、こいつがどうかしたんですか?」

「うむ。ラッドにエネドラの意識が根付いたのはつい最近でな、その時点でいくつか聞き取りもしたが、やけにすらすら情報を吐きよる。肉体自体は死んだから諦めもついたのかもしれんが、あっさり答えられると逆に信憑性が薄い」

「なるほど、そこで空閑(コイツ)ってわけか。たしかに俺じゃトリオン兵相手に聞き取りなんか無意味だしな」

 

 トリオン兵が意識を持ったところで、戦闘体のような生体機能はついていない。汗も心音もないのだから大河や菊地原では嘘も何も見破ることはできないだろう。

 ギリギリ役に立ちそうなのがミサキだが、彼女もトリオン兵が人格を有しているのを見るなんて初めてのこと。『思考追跡(トレース)』も相手の声や仕草の微妙な変化があってこそ十全に発揮できるものであって、声はともかくトリオン兵の仕草なんて人間の頃とはまったく違うはずだ。そもそも六本脚である。

 頼みの綱はただ一人。

 トリガーまで隠し持っていたヒュースをあっさり見切ったのはそういうことか、と納得しつつ、空閑は己の役割を理解した。

 

「オッケー、やることはわかった。さっそく始めよっか」

 

 

 

――――――

――――

――



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第四十五話

独自設定がいっぱいです。

 


 

 

 

 エネドラの尋問からはさまざまなことが判明した。

 アフトクラトルが攻めてきた理由。

 なぜ雨取千佳に固執したのか。

 そしてヒュースが置いていかれたわけ。

 ボーダー側が推論していたのも合わせて、それらの言は嘘をついているようには見えなかった。母国であるアフトクラトルの内情までをも軽口のように答えていくエネドラの言葉を空閑がすべて本当だと知らせると、鬼怒田は訝しさを隠そうともせずに問いただした。

 この黒いラッドは挙句の果てにアフトクラトルまで案内してやってもいいとさえのたまったのだ。たとえ本当であっても信用はできそうにない。

 

「貴様、何が狙いだ? いったい何を企んでいる?」

『あぁ? 聞きたいこと聞いたらそれかよ。このオレ様が協力してやるっつってんのによ』

「もう一人の捕虜があれだけ忠義を立てとるというのに、あまりに協力的すぎると言っておる」

『ハッ! あんな犬っころと一緒にすんなよ。だいたいハイレインの連中は最初っから俺を捨てていく気だったんだろーが』

 

 大河が出会ったミラという女近界民のセリフ。

 ――エネドラは、私が手を下すまでもなかったようね――

 当時すでにこと切れていたエネドラは情報としてそれを伝えられている。しかしそれだけで祖国を裏切るというのは少々短絡的と言わざるを得ない。しいて言うなら、近界民らしくない(ヽヽヽヽヽヽヽヽ)

 近界民というのは生まれた国に執着を持つことが多い。もちろん捕らえられた場合はその国の兵士として利用されることもままあるが、それは打算や取引の上で成り立つことであり、捕縛から即祖国を裏切るという行為はほとんど見られないのだ。

 たとえ仲間に裏切られていたと知っても、エネドラはアフトクラトルに生まれ、アフトクラトルで育った。そして黒トリガーを任されていることからしてもそれなりの立場にいると思われる。そんな存在が簡単に国を見捨てるとは考えにくい。現にヒュースはあれだけわかりやすく裏切られていても頑なに口を閉ざしている。

 

『俺は俺を裏切ったやつを許さねえ。そんだけだ』

「嘘はついてないね。手伝うのも、復讐したいってのも。ただ、何か隠してる感じはある」

 

 空閑がそう述べると、顎に手をやった大河がマイクに向かって問いを投げた。

 

「ふーん。……アフトクラトルより大事なものがアフトクラトルにある、ってか?」

『……!』

 

 核心を突かれたのかエネドラが言葉を詰まらせる。

 これまで淀みなく返答してきたエネドラは、視線(コア)を背けるでもなくじとりと大河を睨み、しかし黙り込んだままだ。

 

「はっは、答えたくないってか。ぽんきちさん、こいつの今日の聞き取り、ここまでにしてもらってもいいっすか?」

「あん? ……まあ、かまわんが」

 

 くつくつと喉を鳴らす大河を不審に思った鬼怒田であったが、エネドラがもたらした情報をまとめるための時間が必要なこともあってその提案を許諾した。

 尋問を終えた空閑や三雲、菊地原を帰るのを見届けてから、三輪が何があったのかと問いかける。

 

「どうかしたんですか、大河さん?」

「ああ、まあ……な」

 

 大河はさも神妙に濁してから寺島のほうに顔を向けた。

 

「雷蔵、こいつを仮想空間に連れてくことってできるか?」

「ん? できるけど」

「じゃあ頼むわ。俺専用の訓練モードのやつな」

「はいはい」

 

 やおら面倒くさそうに立ち上がった寺島は注文に応えるべく部屋を後にする。

 そして彼の大きな身体を避けたミサキは大河の考えていることを読み取って呆れかえっていた。

 

「……前時代的」

「いいじゃねーかよ、別に」

 

 三輪だけが、彼らが何を言っているのかさっぱりわかっていない。

 再三問いかけると、大河は牙をちらつかせる凶悪な笑みを浮かべた。

 

「あいつだってヒュースと同じだ。答えたくないことは死んでも答えたくないんだろ」

 

 ま、もう死んでるけどな、と付け加えてから続きを述べる。

 

「そういうのを聞きだしたいんなら、相応に仲良く(ヽヽヽ)ならなきゃなあ」

「仲、良く……?」

「ヒュースは無理っぽそうだが、エネドラならいけそうだ」

 

 またも喉を鳴らして、大河は握りこぶしを見せつけた。

 

「男の友情っつったら、殴り合いだろ?」

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

『おい! ちょ、やめ――へぶっ!』

 

『ふざけんなこの猿! おい、おい! ぶがっ!?』

 

『ごぁっ!? クソ、てめぇ……あ、待て、あああああ!?』

 

 がつんごつんと硬質な音が仮想フィールドに響き渡っている。

 鉄を打つような重く鈍い音。それと同時にエネドラの悲鳴もこだまする。

 音声だけ聞けば拷問をしているように思えるが、その実――――

 

「へい秀次、パス行くぞ!」

「はい大河さん!」

『やめろっつってんどぐぁ!?』

「よっしゃ、決めろ!」

「くたばれ、近界民(ネイバー)!!」

『ぎゃあああああ!?』

 

 その実、ただの拷問である。

 大河たちは仮想フィールドに入ってから手近な学校の校庭に陣取って、そこでサッカーをしていた。

 ボールはもちろん、エネドラである。

 

 大河がエネドラに取り入るために選んだ手段は暴力による屈服であったのだが、トリオン兵と化したいまのエネドラにそういうものが意味を為さないのは自明の理。

 そこで大河はまずエネドラの心を折ることにした。

 猿と呼んで見下す連中に手も足もでない状況をこれでもかと味わわせる。

 屈辱と無力感。暴力を除けば、人間の心を折るにはそれが一番手っ取り早い。

 

「ふー。たまには訓練じゃない運動ってのもいいもんだな」

「ええ、そうですね」

 

 大河が近界民と仲良くなるなどとのたまい、仮想フィールドに入ってすぐ「サッカーしようぜ!」なんて世迷いごとを言い出したときにはさすがの三輪も目を丸くしたものだが、しばらく付き合っているうちに彼もこの行為の意味を感じ取って手伝うことに終始した。

 いま言ったように訓練じゃない運動が楽しかったのもある。近界民を足蹴にするのが気持ちよかったのは……多少なりともあったかもしれない。

 ともあれ、二人の狙い通りエネドラのプライドはずたずたになっていることだろう。いまも脚のほとんどが折れた状態の身体を、だらりと地に伏せさせたまま屈辱に悶えている。

 

『クソがぁ……猿どもが……調子に乗りやがってぇ……!』

 

 人型であったなら地面を殴りつけているのが容易に想像つくほど怒りと恥辱に塗れた様子のラッド。さらに大河が容赦なく踏みつける。

 

「おーう、エネドラ。もう降参かあ?」

『ざっけんなクソ猿! オレサマにこんなことしやがって、てめぇどうなるかわかってんだろうな!?』

「はっ、どうなるってんだ? ラッドの分際で。くははっ!」

『……! ……ぐ、く、ぐぅぅ……!』

 

 ぐりぐりと靴の裏をこすり付けてから、大河はいやらしい笑みを浮かべてエネドラのそばにしゃがみ込んだ。

 なだめるような、慰めるような、それでいてしかし陰湿な声音で囁きかける。

 

「なあエネドラよう。実のところ俺は、おまえとは仲良くできると思ってんだぜ?」

 

 とはいえこの状況でそんな言葉を投げられたところで、エネドラにとっては侮辱でしかないだろう。

 コアを上に向けたラッドは自由の効かない脚を振り回して当然のように怒りを露わにした。

 

『あァ!? いまさらご機嫌取りってか!? ふざけんじゃねぇぞ! てめぇら玄界(ミデン)に協力してやるのもやめだ! 二度と話しかけんな!』

「『泥の王(ボルボロス)』」

『――!』

 

 ひどく激昂したエネドラが、大河のその一言で動きを止める。

 

「おまえが俺たちに協力するのはそれを取り返したいからなんだろ」

『…………』

「沈黙は肯定とみなすぜ」

『っぜぇな……だったらなんだってんだよ』

 

 エネドラがボーダーに協力する理由。アフトクラトルを裏切ってでも成し遂げたいこと。

 それを(ブラック)トリガーの奪還とみた大河の推測は正しかったようであった。エネドラは怒りを若干弱めて大河の言葉を待つ姿勢を見せる。

 

「どうやって取り戻すつもりだ? もうおまえは自由に歩き回ることすらできないってのに」

『るせぇ、手段なんてどうだっていい。オレはアレを、知りもしねぇやつが我が物顔で振り回すのが気に食わねぇだけだ』

「へえ……」

 

 エネドラの様子を注意深く観察する大河。

 強化嗅覚もいまだけは役に立たない。心情を読み取るには仕草や声音で判断するほかにないからだ。

 だがサッカーと称して行った精神的拷問。『泥の王(ボルボロス)』という核心。これだけあれば「話」をするのに充分だと大河はほくそ笑む。

 

「なんだ、恩人か何かなのか、あれは」

『……関係ねぇだろ』

「関係はねえさ。でも協力はできる」

『あ?』

「俺たちが無事アフトクラトルに着いて……もし『泥の王(ボルボロス)』を手に入れられたなら。俺の権限でそれをおまえの物にしてやってもいい」

『…………』

 

 スポーツの名を騙った拷問の前には、己のトリガーの強さも見せつけてある。

 街を吹き飛ばす大砲、すべてを切り刻む爪。エネドラ本人をも苦しめたそれらがその実、当時の戦闘では本当の力を十分の一ほども出していないことを。アフトクラトル相手に、単体で互角以上に戦えるということを。

 獲得した黒トリガーの行く末をどうこうする権利が大河にあるのかどうかを、エネドラは知らない。しかしこれほどの力を持つ者が言うのなら、そんな横暴な話にも信憑性が生まれてくるというものだ。

 

『じゃあこっちからも聞かせてもらうぜ。なぜ協力する? 黒トリガーを手に入れて使いもしないってのは正気の沙汰じゃねぇぞ。……オレが言えた義理でもねぇが』

 

 くつくつと喉を鳴らして、大河はあえて本音を語り始めた。

 

「おまえとは気が合いそうだって思ったからさ。なあエネドラ、おまえはどうだ?」

『答えになってねぇよ。それに玄界の猿にそんなこと言われても嬉しくもなんともねぇ』

 

 舌打ちせんばかりに不満を露わにするエネドラに、大河はまた笑みを浮かべる。

 

「それもな。猿、っての? 俺も近界民なんか未開の地に棲んでる害獣くらいにしか思ってねえ。ただの狩りの対象であって、それ以外に価値なんぞねえってな」

 

 人の形をした、人でない何か。

 人を攫い、人間に(あだ)為す生命体。

 大河の認識において、近界民とはそういうもの。他の動物よりもトリオン能力に秀で、狩ることでそれを得られる益獣であり害獣。

 

『…………』

 

 あと雑魚市民とかな、と付け加える大河。

 弱い人間が住んでいるせいで全力が出せない。大河にとって市民とは守るべき存在ではなく、単なる足枷程度にしか思っていない。

 理由は異なるのだろうがそういう点から大河は己とエネドラに近しいものを感じた。

 

「でもおまえはもう死んだ。近界民じゃあなくなった。まあ人間でもなくなったが、そっちは重要じゃねえ」

『オレにとっちゃ重要だ! だいたいおまえが殺したんだろうが』

「まあ聞けよ。俺は、おまえっつー人格(ヽヽ)とは仲良くやれると思ってる。これは本当だ。だからよ、取引なんて腹の探り合いじゃなく、100%の協力関係を組みたいんだよ」

 

 先ほど言ったように近界民とは害獣に過ぎない。それを狩れるからこそボーダーとはもてはやされる。その力となるトリオンを重要視する。大河はそう信じている。

 人の形をした害獣。しかもトリオン器官をも有している。己が抱えるどす黒い野望を叶えるのにこれほど適した存在はない。

 だが害獣は害獣だ。たとえ言葉を解そうとも取引なぞするに値しない。有用性を示せば利用くらいはしてやってもいい。そんな認識。

 そしてエネドラは死んだ。(おれ)が殺した。だから組む価値がある。

 しいていうなら――死んだ近界民だけがいい近界民、といったところか。

 エネドラはそんな大河をじっと見つめ、やがてひとつ舌打ちをもらした。

 

『チッ、さっきあんだけボコしてくれやがったくせに生意気なことをほざきやがる』

「おまえが自分をまだ近界民だなんて希望(ヽヽ)を持ってたら、話も聞かなかっただろ。死んで生まれ変わったおまえなら、人間として(ヽヽヽヽヽ)対等に話がしたいってことだ」

 

 さあどうだ、と弧を描く口を閉じた大河の横で、三輪はその成り行きを黙って見つめていた。

 大河はエネドラを人間として扱いたがっている様子である。おそらくはレプリカの代わりにでもしたいのだろう。レプリカのような存在を、もっと自分よりのものとして。

 しかし三輪としては、エネドラのことを害獣を通り越して虫程度にしか思っていなかった。

 近界民とは敵。殲滅すべき悪。だがすでに死んだエネドラに対して思うことはあまり多くない。ただ、虫に生まれ変わるとは因果応報もあったものだなとだけ感じていた。

 

『…………』

 

 そしてエネドラは。

 粉々に踏み砕かれたプライドの代わりに、新たな精神構造を組み立てつつあった。それこそが大河の思惑であると頭の端で気付きながらも。

 たしかに己は死んだ。「近界民」とかいう呼称だか蔑称はさておいて、人間ではなくなった。ふつうに考えてアフトクラトルへの忠誠などなかったことにしてもいいし、元よりそんなものは持ち合わせてはいない。

 だが――『泥の王(ボルボロス)』。

 あれだけはなんとしてでも取り戻したいと思っている。そして目の前の猿――いや、虎はそれを叶えると言い、叶えるだけの力も持っている。

 どうするべきか――――

 

『『泥の王(ボルボロス)』は……』

 

 エネドラのとった選択は、

 

『あれは、うちの前当主だったものだ。十年かそんくらい前に戦争で黒トリガーになった』

 

 すべてを(つまび)らかにすることだった。

 それすなわち、100%の協力の約束。

 

『アフトクラトルは四つの家が回してるっつったよな? 忌々しいがハイレインがそのうちの一つで、前当主が死ぬまではうちは二つ下の(くらい)の家だった。

 二つ下っつったらほとんどパシリも同然だ。当主が死ねば同位くらいの家に吸収されて名も無くなる。オレはそれが許せなかった。だから無理くりにでも黒トリガーの適性を得るために当時未完成だった最初から黒い角(ヽヽヽヽヽヽヽ)を埋め込んだんだ。当主を受け継いだのが若造でも、黒トリガー保持者になれば発言力は多少上がるからな』

 

 エネドラは自らを嘲笑うように続ける。

 

『その結果がこのザマだ。角のせいで性格は激変、それは別に気にしちゃいねぇが記憶も曖昧になってきやがる。なんのために黒トリガーを手にしたのかさえも。

 ……前当主はオレの祖父だった男だ。だったはずだ。名前もおぼろげで、そうだったんだろうって感覚だがな。

 だがおぼろげだろうと、『泥の王(ボルボロス)』を他のやつが使うことだけは許せねぇ。あれは、オレの……、……はっ、やっぱ思い出せねぇ。そりゃ脳みそも欠けらしか残ってねぇし、角に入ってんのはただのデータだからな、もう思い出すことはできないんだろうさ。

 ただ、『泥の王(ボルボロス)』をいいように使われるのが許せねぇってのだけが、オレに残った唯一の意思で、目的だ』

 

 両前脚を器用に使って肩をすくめるような動作をしたカニモドキ。

 しかしそこに宿る意思はたしかにエネドラで、人間のもの。

 了解したと膝を叩いた大河はエネドラを抱えて立ち上がり、寺島に通信を繋げて仮想空間をあとにするのだった。

 

 

 

 



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第四十六話

 

 

 

 エネドラと協力を約束してから一週間ほど。

 大河とミサキは発電トリガーの他にも木場隊の力を活かすために新たな実験と訓練を重ねていた。

 度々訪れる三輪とその部隊員たちとの訓練にも明け暮れ、いまや木場隊作戦室の仮想空間はランク戦に勝るとも劣らない激しい戦場と化している。

 実際、激しさだけでいえば(まさ)っているのだろう。何しろハイドラが火を噴くだけで通常のランク戦マップのおおよそ三分の一が消し飛んでしまうのだから。

 

「旋空弧月!」

「威力が足りてねえぞ米屋――っと?」

 

 三門市を模した戦場で米屋の旋空、ではなく幻踊が起動された弧月・槍の一閃を腕で受け止める大河。首に向かって伸びようとするブレードを嫌い、そのまま腕で絡めとって捻じり折る。

 さすがA級部隊というだけあって、三輪隊は大河との対戦で数度の壊滅を受けてからすぐさま戦術を練り上げてきた。

 いまでは無造作にハイドラを撃つだけでは撃破に至らないことも多く、こうして接近戦を許す程度には「戦闘」の体裁を保つまでになっている。

 

「うっは、シールドもなしに止められると凹むな~」

「変なフェイント混ぜてきやがって。やり合う度に面倒くさくなってくるな、おまえは」

「それ褒め言葉で、っしょぉ!?」

 

 力任せに振り抜かれる虎爪。

 会話中にも油断をするなと思い切り横薙ぎに払ったが、米屋は新たに起動し地面に突き立てていた槍に体重を乗せて器用にも身を躱した。それこそが狙いと気づいて顔をしかめながらも。

 

「やっべ、空中はまずい」

 

 ハイドラのあまりに強すぎる火力は、たとえ制限を課されていなくとも極近距離での使用が憚られる。吹き飛ばされる瓦礫にダメージ判定がほとんどなく、仮に当たったとして強靭な強化戦闘体の前では体勢が崩れるようなことがないとしてもだ。

 爆風は匂いを散らし、粉塵は視界を殺す。ゆえに撃つなら空中へ向けてが一番よい。

 

「と、おも――」

「わねえよ」

 

 攻撃の隙に飛来する狙撃も、背後からの鉛弾(レッドバレット)も、すべてを無視して大河はハイドラを撃ち放つ。

 瞬時に芥子粒になって緊急脱出(ベイルアウト)していく米屋。背中に撃ちこまれた弾痕と錘をそのままに振り返ると、ハンドガンを構えた三輪がなんとも曖昧な顔をして立っていた。

 

《くっそー、木場さん強すぎぃ! 秀次、カタキは頼むぜー》

「……ああ」

 

 一応頷きはすれども、この対面で勝てるとは微塵も思ってはいない。

 難敵を前に戦意と尊敬がごちゃまぜになった表情で、三輪はハンドガンの引き金を引く。

 

鉛弾(それ)も小手先じゃ通用しねえぞ!」

「くっ……!」

 

 巨大な爪にすべて着弾し、間違いなく鉛弾が作動しても大河の移動速度はまったくもって揺るがない。

 しかしそれはすでに知るところ。鉛弾の一番の狙いは、脚だ。

 

「――ここっ!」

「おっと……」

 

 振り回される巨爪をぎりぎりで回避しつつ、狙った通りの場所に弾を撃ちこむことに成功する。

 当たったのは大河の右足、くるぶしのやや上だった。

 強化戦闘体の膂力に対して鉛弾の重さという特殊効果はほとんど意味を為さない。おそらく百発以上打ち込んだところで運動性能に変わりはないだろう。

 単純に重さという点で言えば、の話だが。

 三輪が狙ったのは移動自体を阻害する部位への攻撃。脚に横方向の角度から鉛弾を打ち込めば、重石は反対側の脚の動きを邪魔するように生成される。こうすれば瞬発的な跳躍移動はともかく、歩行・走行を阻害して動きを鈍らせられるとみたのである。

 

「……なるほどな」

 

 ちゃんと考えてトリガーを使っているものだ、と感心しつつも、大河は意地の悪い笑みを顔に張り付けて三輪に忠告した。

 

「でも言ったろ。小手先だってよ」

「……なっ」

 

 大河はおもむろに左足を上げると、そのまま右足、鉛弾がせり出した部分に振り下ろした。

 ごぎん、と嫌な音。その一撃で無情にも重石がへし折れる。そうして三輪の狙いは純度100%の力技で無為に帰してしまったのだった。

 そういえば、と三輪は思い当たる。

 たしかに鉛弾が発動した錘は硬い。弧月ですら斬りおとすことが叶わないそれは、当たれば鉛弾の起動者が解除するか被弾者が戦闘体を破棄するまで効果が続く。しかしかつて一人、常軌を逸した使い手がその錘を斬って捨てていたではないか。

 あのアフトクラトルの黒トリガー使いである。

 あれも常識が通用しない使い手であったが、常識が通用しないというなら大河のほうが上回っている。強化戦闘体の出力は実体験した三輪ですら測り知れないものであった。ならば重石をへし折る程度、造作もないのは当たり前。

 

「《奈良坂、援護しろ!》」

《了解》

 

 再び突撃の構えを見せる大河に、離れすぎないように距離を取る。すでに古寺は跡形もなく吹き飛ばされてしまっているため、三輪は唯一残った味方である奈良坂の援護射撃を要請して回避に専念した。

 もっとも警戒すべきはハイドラによる広域・高火力の一撃。

 あの老兵がそうしていたように、大筒はその向きで発射方向が事前にわかる。わかったところで回避ができるかというとそうでもないのだが、大河を前に何も考えずに動くことは、それはもはや死んだも同然なのだ。

 

(この距離ならメテオラはない……。爪に注意しつつ右の大砲を最警戒して、撃った瞬間に左側に回り込む……!)

 

 動く要塞のような大河にあまり近づきたくないのは本音。しかし三輪の持つ射撃用トリガーではダメージを与えられないのもまた事実。

 傷をつけて継続的なダメージを期待しようとも、大河は首と胴が繋がってさえいれば仮に四肢をもがれたとしてもトリオン枯渇による緊急脱出(ベイルアウト)などしないだろう。あれにトリオン切れなどという概念は存在しないのだから。

 ならば一撃で首を落とすほかにない。

 されど伝達脳と供給機関は弧月ですら刃の通りにくい硬さの骨に守られていて、狙うとなると骨の隙間に刃を滑り込ませるという神業が必要になってくる。戦闘中にそんなことができる者がいるとすれば、それはおそらく太刀川かその師匠の忍田くらいのはずだ。

 奈良坂のアイビスならば頭を弾き飛ばせるかもしれないが、威力重視の狙撃銃では簡単には当たってくれないと思われる。

 であればやはり、接近し、喉を掻き切る。これしかない。

 首の横には強固な砲身があるため弧月で攻撃するなら突きに限られてしまうものの、逆に言えば威力の乗りやすい突きであれば刺さりやすく、また骨による妨害も受けにくい。

 

「今日はまた新しいトリガーが完成したんだよ。まあ新しいっていっても既存のものを使いまわしたようなもんなんだけどよ」

「……?」

 

 狙撃を回避しつつ大河が言葉をもらした。

 この男は戦闘中の会話、しかも本物のアドバイスでさえ隙を作るための道具にしてくるので性質が悪い。ゆえに警戒はしつつも、その言葉の真意を知るために三輪は耳を澄ませて続きを待った。

 

「秀次の訓練を引き受けて正解だったな。迅も太刀川もすぐ逃げやがるし。おまえらの諦めの悪さ、嫌いじゃないぜ――ってことで、新型トリガー見ても……折れてくれるなよ?」

「……元より俺が頼み込んだことですから」

「はは、そうだったな。……じゃあ行くぜ!」

 

 三輪の答えに満足したのか、大河が緊褌一番(きんこんいちばん)、両手を広げてなんらかの構えと思われる姿勢をとった。背中からは虎爪と同様の材質とみられる突起……背びれとでも称すべきものが二枚。

 ちりちりと後頭部が焼けるような緊張感のなか、何が起きても即応できるように意識を集中させて三輪が身体に力を入れる。だが、

 

「『バーニア』起動(オン)!!」

「――――え」

 

 次の瞬間には、三輪の戦闘体はバラバラになって空中に投げ出されていた。

 動かすことのできない首の代わりに、眼球を巡らせて何が起きたかを確認しようと必死に努める。

 その視界の端で何かが高速で飛行(ヽヽ)していた。

 

《三輪! っ、ベイル――》

 

 辛うじて聞こえた奈良坂の通信。しかしごく短いそれさえも途切れて、三輪は彼も同じようにやられたのだと理解した。

 

 

 

――――――

――――

――

 

 

 

「っかぁー! また全滅かー!」

 

 何十回目かもわからない部隊壊滅による敗北を受けて、米屋が木場隊作戦室の床に転げてしまった。戦闘結果を示すボードには「木場大河:三輪隊」という他では見られない記述と、三輪単体で挑んだときと同様の一列に並んだ○と×が入れ替わることなく続いている。

 

「しかも空飛ぶとかあり得ねぇー! あり得なさすぎて笑えてくる」

「この前の近界民が使ってたの見てよ、ありゃ便利そうだなーと思ってスラスターとかからなんか作れねえかと開発してみたんだよ、主にミサキが」

 

 あまりにも圧倒的な大敗。しかしそれでもなお笑みを浮かべることができるのが米屋の強みであろう。

 大河もそれを理解していて、わかりやすく戦闘結果から考察を述べた。

 

「米屋も秀次も、俺の首を狙ってただろ。ありゃ正解だ。強化戦闘体を落とそうと思ったらやっぱそこが一番の狙い目になる。でも逆に狙いを絞りすぎて俺が守りやすくなってんだよ」

「うーん、オレも最近は足狙いなんだけどなー。木場さん相手だとあんま意味ないっつぅか」

「俺としては狙撃手に首を狙われるのが一番めんどくさいからな、足を削って首か頭を撃ち抜くほうが簡単だと思うぜ」

 

 自らの弱点をも曝け出してそう言うと、奈良坂が頷きつつも反論する。

 

「……それは開始前の作戦会議でも出たんですけどね、そもそも木場さんはサイドエフェクトで俺たちの位置を把握できるでしょう。だからこそ狙撃は体勢を崩すほうを優先して、前衛組が決める形にしたかったんです」

「まあ、それも有りっちゃ有りだ。ただミサキの制御がないときは俺の砲撃精度はそんなないからな、けっこう近づかれても牽制くらいにしかならねえんだ」

「いや、牽制でもおれは吹き飛びますから……」

「「それはおまえの訓練不足だ」」

「……はい」

 

 大河と奈良坂に同時に切って捨てられた古寺はがくりと肩を落とした。

 最後に三輪のほうに向きなおった大河は、牙を見せつけるように笑って言う。

 

「でもまあ、さすがはA級って感じだな。戦るたびに手強くなってるのを実感するぜ」

「ありがとうございます。……俺たちは、戦るたびに大河さんの強さを思い知らされます」

「ほんとそれなー」

 

 あぐらをかいた米屋がそう締めくくり、大河と三輪隊の訓練はしばしの休憩となった。

 他の作戦室よりもスペースがとられた空間には、三輪隊が来ることを見越して新たに持ってきてあった長テーブルが設置されている。ちなみにずらりと並んだ菓子類はミサキがため込んでいたものを大河が無断で引きずり出してきたものである。

 

「そういや遠征の選抜試験の内容ってまだ決まってないんだっけ?」

 

 もりもりと菓子を頬張りながら大河がそう問うと、三輪はすすっていた茶を飲み込んで頷いた。

 

「はい。でも大河さんの参加が決まった時点で人数的な問題がなくなったので、A級は希望すればほぼすべての部隊が参加権を与えられるみたいです。防衛上、最低でも二部隊ほどは残らなければならないので、倍率が大きく下がった感じでしょうか」

 

 公開遠征は、公開されるというだけあって絶対に失敗が許されない任務となる。市民の期待を一身に背負わなければならないそれは、できる限りの戦力を送ることが前提だ。上位はもちろん、実力がすでに認められているA級ならば順位が一番下であろうとも選考の対象となる。それ自体は通常の遠征でも同様だが、今回はより多くの部隊を引き連れることになるだろう。

 かといって防衛をおろそかにすることもできないので、公開遠征の重要度を考慮し、今回は二から三部隊をこちらに残すことになっている。

 

「あーそうなのか。じゃああんまり順位とか意味ない感じか?」

「そうなりますね。そもそもA級ランク戦はB級の昇格試験と同時に始まるので、今年は選抜試験で潰れるはずです」

「ふうん。ランク戦とかやったことないしよくわかんねえんだよな」

 

 スナック菓子をかじりつつ大河が鼻を鳴らす。

 それを聞いた全員が同時に「大河が一般隊員でなくてよかった」と思った。

 仮に大河がトリオン能力をそのままに通常のトリガーを起動でき、チームを作ったとして、彼はどのポジションについていただろうか。

 高トリオンを活かすポジション……そしてコントロールが苦手なことも加味すれば、おそらくは銃手(ガンナー)あたりか。

 その場合、銃手(ガンナー)というより砲撃手(キャノニア)なんて新しい名前がつけられるかもしれない。影浦隊の北添のようなグレネードガンどころか、連装式ミサイルポッドを抱えてランク戦のたびに仮想フィールドを焼け野原にする化け物が生まれそうだ。そんなもの、間違っても一般隊員と同じにしてはいけないだろう。

 

「と、ともかく、今回は俺たちも選抜試験への参加は確定ってことです」

「そうか」

 

 脳裏によぎった空恐ろしい光景を打ち消しつつ三輪が結論を述べる。

 隊員同士の対戦にさほど興味がない大河は締めくくろうとしたが、三輪隊の面々は逆にそちらのほうに話題を移していった。

 

「今年はランク戦なくなっちまったけど、オレたちいまスゲェいい感じだからいけるとこまでいってみたかったってのはあるよなー」

「そうですね。木場さんとの戦闘は毎回実戦さながらの緊張感がありますし、やはりそういう訓練は身になります」

 

 米屋と古寺が訓練の重厚さに自身が成長している実感を噛みしめる横で、奈良坂も同意して話を引き継いでいく。

 

「A級ランク戦も訓練という観点で見れば経験値は多いんだろうけどな。ただ、どの部隊も特色がはっきりしてるし、結果が変わり映えしないというか」

 

 奈良坂が言うようにA級ランク戦は番狂わせが起きにくい。それは各部隊がそれぞれ強みを活かす術をもっているため、個々人の力量よりも、いかにその戦術に相手をはめ込むかが重要な戦いになりやすいのである。

 戦術訓練としてはいいかもしれないが、戦闘訓練としてはやや劣る。戦況がパターン化されやすいと、戦闘を避けなければいけない場面が多くなるからだ。

 つまり隊員一人一人の錬成は個人(ソロ)ランク戦で補うというのが主な方針となる。しかし狙撃手(スナイパー)には個人ランク戦が存在せず、また三輪や米屋クラスの実力者になるとランク戦の相手も限られてきてしまう。

 そこに降ってわいた大河との戦闘訓練は、三輪隊にとってありがたいものだった。

 オールレンジの攻撃方法と、全員を相手にして余りある実力。戦術、戦闘、連携、すべてを鍛えることができる訓練相手に、三輪隊の練度はたしかな底上げを果たした。文句があるとすれば、理不尽すぎる攻撃力くらいだろうか。

 特殊なS級隊員との訓練によって、彼らは回避行動の技術はかなりのものを習得したといえよう。しかし防御の術はまったくもって身につかない。

 大河を前にシールドなどなんの役にも立たないのだからしかたのないことではある。だがこの訓練だけをずっと続けているとシールドを使わない癖(ヽヽヽヽヽ)がついてしまいそうだった。

 

「しかし古寺の言う通り、緊張感のある訓練はありがたい。木場さんには感謝してます」

 

 些細な不満はなかったことにして、奈良坂は謝意を述べた。

 部隊単位での訓練をする機会というのは、意外と言えるほどに少ない。ランク戦以外でやろうとしたならば、自分たちと他の部隊員たちのスケジュールをすり合わせなければならないし、A級に任される任務は県を跨ぐ特殊なものも多く、そもそも相手が見つからないことがしばしばある。

 けれども大河であれば、一般隊員がかかずらう任務とはほぼ無縁である。会議か開発室に出向いていなければだいたい木場隊作戦室にいる上、それらも長い時間拘束されているわけではない。

 三輪隊のメンバーの都合がつけばいつだって超弩級のS級隊員と訓練ができる、というのは、大河と三輪のパイプがあってこそのこと。他の部隊にはない大きなアドバンテージと言えるだろう。

 

「そこは気にすんなよ。こっちもいろいろ試したいことがあるし、A級部隊が訓練相手になってくれるのはありがてえ」

 

 咀嚼した菓子を飲み込んで大河も感謝を示した。

 いままで彼の訓練に付き合ったことがあるのは迅や天羽、木崎と小南、そして太刀川であるが、それも二年以上前のこと。とくに初期の頃はトリガーの制御もままならなかったこともあって訓練と呼べるものであったかどうかすら怪しい。

 そんなひたすらに爆撃されて粉微塵になるような実験(こと)に付き合わされた隊員たちは誰もが「二度とやるか」と固く誓っており、いまでは訓練の相手を探すことはA級部隊同士のランク外対戦を組むよりよほど難しい事柄となっているのである。

 

「他のやつらはすぐ逃げ出すからなー、秀次に頼んで正解だったわ」

「いえ、そんな。大河さんにはいろいろお世話になってますので」

 

 謙遜する三輪の頭をわしわしと撫でまわして爽やか――傍目から見ると凶悪――に笑う。

 大河がボーダー隊員同士における人付き合いをしておいて、初めてよかったと思った瞬間であった。

 しかしあえてフォローを入れるならば、迅や太刀川はトリガーの相性がどうとかいう以前に、たった一人で相対させられたのが運の尽きだったと言えよう。三輪は自分から頼み込んだことだからと逃げ出すような真似はしなかったが、それでも訓練相手としてはトリオン兵より役立ったかどうか判然としない。かの巨砲に援護もなく立ち向かうというのは、まさに蟻が虎に挑むようなものなのだ。

 

「ただいまーっと」

 

 その後もしばらく歓談を続けていると、この部屋のもう一人の主――ミサキが作戦室に帰ってきた。

 彼女は三輪隊が兄の相手をしてくれている間に自分の仕事をするべく、ここ最近はしばらく開発室にこもりきりであった。

 もともと技術者(エンジニア)枠でボーダーに入隊した彼女は、いきなりS級になった大河よりずっと人脈が広い。女っ気が少ない技術者界隈においてはもはやアイドルか何かのような扱いすら受けているミサキにとって、開発室とは居心地のよさで言うなら生活の場となっているこの作戦室と同じくらいとも言えた。

 それでも自分の仕事=大河のトリガー関連であり、不器用な兄のため健気にも汗水流してきたというのに、彼女が受ける仕打ちはあまりにも酷であった。

 

「ああ、三輪たちまた来て――ああああああ!?」

「おかえ――どうした?」

 

 二度目になるが、テーブルに並んだ菓子はミサキがため込んでいたものを大河が無断で引っ張り出してきたものである。

 

「クソ兄貴ィ! あんたなに人のお菓子食い漁ってんだ!」

「なんだよ、いいだろ別に。足りなくなったら買ってくるって」

「そうじゃない! あああ……遠征前に頼んどいたご当地お菓子が、おすそ分けでもらった高級羊羹がぁ……。んな、こないだ根付さんに頼み込んで譲ってもらった一日限定10個の激レアスイーツまで……!?」

 

 まるでこの世の終わりがごとく、両手で顔を覆いがたがた震えはじめるミサキ。

 あまりの恐慌ぶりに、そして貪っていた菓子類の希少さに大河も少なからず動揺した。

 

「……あの、ミサキ?」

「あ゛?」

 

 小柄な少女がへたり込んだその場からギロリと目を尖らせた。その怒りの凄まじさは、噴き出した感情が彼女のツインテールを持ちあげて炎のように揺らめいているような錯覚さえ生み出している。

 それを向けられた大河は「あ、死んだな」と悟った。

 木場隊の虎は一匹ではない。むしろ暴れ回る獣がいたならば、それを制御できる存在のほうが恐ろしいだなんて、子どもだって考えなくともわかる自明の理。

 

「その、なんだ、……わ、悪かっ」

「トリガー(オン)!!!」

 

 謝罪の言葉を蹴り飛ばす勢いで拒絶したミサキは吼えるように呪い……もといトリガーを起動させた。

 ぎょっと身を縮みこませる大河。

 ミサキが換装した戦闘体は服装こそオペレーター用のものだが、中身はまるで違う。そも、彼女も一線級のトリオン保有量を誇っており、危険な遠征のために護身用などではない本格的な武装を有しているのである。

 

「待て待て待て謝るから! 悪かったって知らなかったんだって!」

「黙れァ!!」

「ストップ、ちょ、落ちつげぼぉ!?」

 

 見事なラリアットが大河の喉に食い込み、それを震えながら眺めていた三輪隊の面々は「こうやって首を狙うのか」と訓練の反省を思い出していた。

 木場兄妹のヒエラルキーをまざまざと見せつけたミサキはしかし、それでも怒りが収まらなかったらしく、悶絶する大河の足を引きずって仮想訓練室に叩き込む。

 

「トリガー起動しろ。五秒以内」

「あの、ミサキちゃん?」

「ご、よんさんにーいち」

「トリガー起動(オン)!!」

 

 凍える瞳の恐怖政治で大河を仮想マップに送り込み、地響きがしそうな歩みでもってコンソール前に赴く。

 そしてキーボードを何回か叩いてから出力レバーのつまみを思い切り押し込んだ。

 

「『バーニア』全開放(フルスロットル)!!」

《ぎゃああああああ!!?》

 

 モニターを通じて大河の悲鳴が部屋全体に響き渡った。しかしそれは一瞬で、すぐにどんどん小さくなっていく。

 背中の噴進装置が全力稼働して、大地を割りながら猛スピードで埋まり続けているのである。

 

「フー……フー……!」

「あ、あの……ミサキ先輩……?」

 

 猫科動物の威嚇じみた息遣いで自らを落ち着かせようとしているらしきミサキに、果敢にも三輪が声をかける。ぎょろりと動いた瞳は緩慢な動作に反して旋空を放てそうな鋭さを湛えており、三輪は一瞬話しかけたことを後悔しつつなんとか言葉をひり出すことに成功した。

 

「すみませんでした、その……ミサキ先輩のだと知らずにお菓子を食べてしまって」

 

 ぺこりと頭を下げる三輪。

 米屋、奈良坂、古寺の三人は、これからは三輪をことを心から「隊長」と呼ぼうと胸に誓い、その偉大なる背中に続いたのであった。

 

「すんませんした!」

「申し訳ない……」

「本当に申し訳ありませんでした……!」

 

 土下座せんばかりの謝罪を受けて、ようやくミサキは人の姿に戻った。

 

「むぅ……、…………殺……、――まあ、いいよ。あたしも鬼じゃないし」

 

 長い葛藤の中、若干危険な言葉が飛び出かけたのを三輪たちは聞かなかったことにした。

 ゆえに「いや鬼だろう」とは口が裂けても言えない三輪隊の面々は、虎より怖い鬼に平服しつつ強制削岩作業の真っ最中にいる男を視界の端から追いやった。もはや悲鳴も聞こえてこない。人の形をした何かは糸が切れたマリオネットのように四肢を投げ出してマントルを掘り進んでいる。

 

 

 

 



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従属国来襲編
第四十七話


 

 

 最終的に強制自爆させられた大河は戻ってくるなり五体投地で妹に謝り、ミサキはその背中に座って残りわずかとなっていたお菓子に舌鼓を打ったのだった。

 三輪隊は次からここを訪れるときは両手いっぱいの甘いお土産を持参してこようと固く誓いつつ、黙ってその様子をうかがう。

 ひとしきり甘味を腹に収めたミサキは何度か座布団(たいが)に座り直してから「あ、そうだ」と声をあげた。

 

「今日夕方から緊急防衛対策会議だって鬼怒田さんが言ってたわ。ゴミクズ兄貴と三輪にも連絡来てんじゃない?」

「ご、ゴミはちょっと言いすぐぃッ!」

「黙ってろ」

「はい……」

 

 現在進行形で憤怒に滾っていそうなミサキではあったが、実のところ怒りの感情はもう残っていない。

 これは彼女の持つサイドエフェクトの――彼女自身は厄介だと思っている――影響である。

 謝った人物が本気で謝罪しているかどうか、ミサキには手に取るように読み取れる。そして相手が付き合いの長い大河であれば完璧な精度で発動するこのサイドエフェクトは、本人が望む望まないに関わらずよけいな情報まで拾い上げてしまうのだ。

 ――大河は、ミサキに対してかなり後ろ暗い後悔を胸中に抱いている。

 極秘とされた遠征に出立するためにオペレーターを必要とした彼は、当時十四歳であったミサキを引っ張ってきた。殺しを主な手段とする危険な遠征に、である。

 言葉や態度に表すことはないが、近界民殺しを許可されて浮ついていたときには考えもしなかった後悔が大河の胸にいつも淡く燻っている。だから彼は、ミサキに何をされようと本気で怒ることはけっしてない。クソと呼ばれようとゴミと呼ばれようと、文句は言っても無意識のうちに許容してしまう。

 そういう本人も気づかない仄暗い感情すら読み取ってしまう『思考追跡(トレース)』は、本気の謝罪にめっぽう弱いのだ。有無を言わさず私刑に処さねば感情の槌の振り下ろしどころを見失ってしまう程度には。

 実の兄妹に気を遣われるなんて、面倒だし、こそばゆい。互いにそう思っているからこそ言及せず、やりたいようにやる。そのすれ違いの範疇であればラリアットの一発も飛ぼう。これは木場兄妹に必要なコミュニケーションなのだから。

 

「…………」

 

 ともあれ、文字通り尻に敷かれた大河は端末の確認などしようがないので、連絡の有無は三輪に確かめてもらうことにした。しかしそれも黙ってろと通告されたので視線だけでだ。

 

「ああ、たしかに来てますね。防衛任務中の加古隊以外のA級部隊隊長とS級が招集されてます」

 

 隊員用端末を確認した三輪がそう答えると、さすがに会話も必要になっただろうと判断したミサキが発言を許可する、とばかりに大河の頭を(はた)いた。

 

「緊急ってことはやっぱエネドラが言ってたやつらが来るんだろうな」

「でしょうね」

 

 なんとも格好のつかない姿のままであるが、三輪は大河の醜態を見ないフリで通して答えた。

 カニモドキに転生した元近界民との協力はいまのところうまくいっている。腹の探り合いのない協力体制を敷いた結果、軽い聞き取り調査の際にエネドラは情報を吐いた。

 アフトクラトルの従属国、ガロプラとロドクルーンが攻めてくる。アフトクラトルの遠征部隊隊長ハイレインは堅実にそうするだろう、と。要は玄界(ミデン)に足止めをかけるために手下をけしかけてくるということであり、最初からそのために手下を招集してもいたらしい。

 そしてエネドラはあまり近界の国に詳しくないのが珠に瑕であるが、それでも必要最低限の情報は提供された。

 曰く、ガロプラは少数精鋭の雑魚。ロドクルーンは量産型トリオン兵で押してくる雑魚、らしい。精鋭の雑魚とは矛盾しすぎているが、エネドラはアフトクラトルの侵攻を打ち払った玄界であればどうとでもなるレベルの国力だと言い切った。大河であれば国ごと消せるだろう、とも。

 

 しかし、そもそもの話だがエネドラの情報を得る以前からボーダーはその二国と接触を果たしている。

 大規模侵攻、第二次攻撃の際に街を襲った人型とトリオン兵の大群。それぞれがガロプラ、ロドクルーンの遠征部隊によるものである。映像を確認したエネドラによれば間違いないそうだ。

 大河も記録を見せてもらったが、概ねエネドラの言葉に間違いはないと判断した。ロドクルーンのトリオン兵団はともかく、A級上位部隊と相対して引き気味ではあったものの撤退まで戦い抜いたガロプラはそれなりにできる(ヽヽヽ)連中と見受けられた。

 されど己であれば殲滅するのに――街中でさえなければ――大した労力はかからないとも思えたので、精鋭の雑魚という点にも同意することができたのであった。

 

「んじゃ開発室寄ってエネドラ連れてきてからいこうぜ」

「わかりました」

 

 大河のセリフに三輪も同意して立ち上がる。

 エネドラは当初、トリオン供給器と接続されなければ人格を保つこともできなかったのだが、いまは大河の取り計らいによって携行用充填機(トリオンバッテリー)を用い、ある程度の自由が与えられている。

 開発室最奥、ほぼ大河の調整にのみ使われるスペースにおいては移動も許可されており、軽い要望であれば寺島などに言いつければ応えられる。そうして聞き取り調査以外の大抵の時間は映画を観たりだとか割と不自由なく過ごしているのである。

 

 部屋の中をカサコソ動き回る黒いラッドというのはなかなかにシュールというか、見る者によってはホラー的印象を受けるのだが、もともと大河関連については近づきたがらない職員も多く、狂気のマッドサイエンティストのような茂森が常駐しているのもあって、いまではその部屋は完全なるアンタッチャブルな空間と化していた。

 

 そこからエネドラを出すことは禁止されていて、半ば世話係扱いされている茂森や寺島にも軽々に許可が下りるものではない。

 しかし大河は別だ。実際に屈服、懐柔に成功した彼にはエネドラに対するあらゆる権限が与えられている。もちろん脱走されたなんて事態になれば、かなりのペナルティも与えられることになるのだが、大河の性格やサイドエフェクトを考慮すればそんな事態はほぼありえないと言っていい。

 

 ともかくとして、エネドラが貴重な情報源であることには変わりなく、会議に連れていけばそれなりには役に立つとみた大河は自ら殺した元近界民の居住区に赴くことにしたのだった。

 

 

 

* * *

 

 

 

『あぁん? オレサマは忙しいんだよ。情報はやったんだしハナシアイなんぞ勝手にやってろよ』

「秀次、なんかバスケとかしたくね?」

「いいですね、会議前にちょっと身体を解したいと思ってたところなんです」

『待て、わかった。ついていこうじゃねーか』

 

 そんな会話を交わして、エネドラは会議参加を了承した。

 「バスケ」とかいうものがどんなものかエネドラにはわかりあぐねたが、「サッカー」と同じかそれ以上の拷問であると推測したらしい。

 そうして快く(ヽヽ)参加を決定したエネドラを肩に乗せて、大河は会議室の扉を開いたのであった。

 

「ういーす」

「失礼します」

 

 大河と三輪が肩を並べて入室したそこは、アフトクラトルの襲撃が予想されたときに使われた会議室よりもずっと狭い部屋であったが、出席者の人数はその当時よりも多い。幹部は城戸と忍田だけだが、司令部総括オペレーターの沢村やA級部隊隊長たち、そしてB級部隊の隊長だがかつての功績から信頼の厚い東が席を連ねている。

 おそらく緊急と名付けるだけあって時間が惜しいため、会議の決定をそのまま現場の人員に伝えたいのだろう。

 

「来たか。あとは風間と迅だけ……木場、エネドラを連れてきたのか」

「ええまあ、役に立つかと思いまして」

 

 会議用モニターの前に立っていた忍田が二人を迎え入れ、その肩に乗っているエネドラを見咎める。

 

「それはそうだが、ボーダーの機密に関する話が出るかもしれないし、捕虜に聞かせるのはまずいだろう」

「別にいいと思いますけどね。仮に裏切ったらもう一回殺すだけですし」

 

 極めて重要な警告にあっけらかんと返す大河。

 その頭の横ではエネドラがそんな器官もないだろうにぞわりと身震いしていた。

 

『心配しなくとも逃げたりしねぇし余所にしゃべったりもしねぇよ。もし仮に生き返ったとしても裏切らねぇし裏切れねぇ。生身で「さっかー」なんぞされたらたまったもんじゃねぇからな』

「サッカー?」

 

 国民的スポーツがどう関係しているのだ、と忍田は頭を傾げたが、その答えが返されることはなかった。

 

「エネドラの扱いに関しては木場に任せている。緊急なのは事実であるし、直に話を聞けるのは役に立つだろう」

 

 城戸が静かにそう述べると忍田も納得して引き下がった。

 たしかに情報をもたらしたエネドラにノータイムでの質問ができるのはいいことだ。加えて、先ほどはああ言ったが今回に関しては近界民に隠したいボーダーの機密といえば迅の予知くらいのもの。それも話の仕方によっては簡単に隠し通せるものである。

 デメリットよりメリットのほうが大きい。防衛重視の忍田はそうしてエネドラの参加に頷いた。

 それと同時に風間と迅が会議室に現れて、いよいよボーダー緊急防衛対策会議が開始された。

 

「では始めよう。エネドラから得た情報によりアフトクラトルの従属国である二つの国が攻めてくるかもしれないということがわかった。……本人もいることだしさっそく聞かせてもらいたい。このガロプラ、ロドクルーンの二国が攻めてくるというのは確かなのか?」

 

モニターに映る近界の軌道配置図は刻々と近づいてくる国を示しており、その三つのうち二つがいま挙げた国名を記している。

 

『ああ』

 

 忍田の問いに、エネドラは迷うことなく即答した。

 

『オレらが侵攻を始める前からそいつらを呼び寄せてたし、オレが死んだあとの二回目の攻撃にも使ってた。そこのアゴヒゲとか黒髪のガキどもは実際に接触しただろ。今回はたぶん国から補給を受けて前と同じかちょい増しくらいの戦力で攻めてくるだろうよ』

「なぜ言い切れる?」

 

 再度の問いにもエネドラはノータイムで答える。

 

『ハイレインの野郎ならそうするってだけだ。あいつは常に最悪を考えて動く根暗野郎だからな。ま、要は足止めだ』

「……」

 

 ちらりと忍田が迅を見る。エネドラの言葉が真実かどうか、予知で測れるか聞きたいらしい。

 それを察した迅はこくりと頷いた。

 

「本当だと思いますよ。敵の狙いは足止めってところも」

 

 街の人間に死んだり攫われたりする未来は視えない。それをぼかして伝えると忍田は再びエネドラに尋ねた。

 

「ガロプラとロドクルーンはどういう手段で我々の足止めを行うつもりだ?」

『そんなもん知らねぇよ。オレがその国について知ってるのはさわり(ヽヽヽ)だけだ。ガロプラは少数精鋭の雑魚、ロドクルーンはトリオン兵頼みの雑魚、ってな。どんなことをしてくるかはわかんねぇし、そもそもハイレインにとっちゃ玄界の意識がそいつらに向いてくれりゃなんでもいいだろうしな』

「なるほどな……」

 

 戦力や手段に関してはわからずとも、とにかくとして攻めてくることはほぼ確定とみていいだろう。

 あとはこちら側の問題。どう防衛するかの話になるのだが、その前に。

 

「では、この二国がこちらを離れるまで特別警戒体制を敷いていくことになるが、その前に城戸司令よりこの件に関してひとつ指示がある」

 

 忍田により場を整えられた城戸が口を開く。

 ――この件は可能な限り対外秘とする。

 いまだ大規模侵攻の爪痕が残る市民に動揺を与えるわけにはいかない。この短期間に二度も襲撃されたとなればボーダーへの風当たりも強くなる。それは公開遠征に少なからず支障が出る可能性もあるということだ。

 すなわち、襲撃があったことさえ気づかれることなく敵を撃退したい。

 ボーダー内部にも情報統制を行い、任務への参加もB級以上から必要最低限の人員に声をかけていくことになる。

 

 そこまで聞いて、大河は「また面倒なことになりそうだ」と天井を仰いだ。

 市民どころか大部分の隊員にも気づかせないとなると、ハイドラは間違いなく禁止だろう。そこに現れるのが大量のトリオン兵だというのだから、その面倒くささもやる前からわかるというもの。

 とはいえ遠征計画に支障が出るかもしれないとなれば従うしかないのだが。

 遠征とは大河がボーダーに所属する唯一の意義と言っても過言ではない。それを邪魔しようというのなら、たとえ千のトリオン兵だろうが手ずから千切ってやるのもやぶさかではないのだ。気分はさながら草むしりといったところだろうか。

 

「敵の目的が足止めだとすると、どういった攻撃をしてくるか予想が難しいですね」

 

 大河の思考を横切って風間がそう述べると、忍田も難しい顔をして頷いた。

 

「ああ。足止めというだけなら市街地への攻撃・市民の拉致もそうとも言えるが、その可能性は低いようだし……」

 

 もう一度ちらりと迅を見やる。

 しかし口を開いたのは大河であった。

 

「まあフツーに考えて基地に何かしてくるんでしょ。俺も逃げるときはだいたいそうするし」

 

 すでに忍田には極秘遠征のことは知られている。ゆえにその内容も断片的であれば話しても構わない。ここにいる面々もハッキリと口に出さなければ余計な詮索はしないだろう。そう判断して大河は意見を述べた。

 

「理想としては軍司令部を潰す。まあ本当に理想を言えば……や、それはおいといて、頭さえ潰せば手足は動かないんで。相手もそれなりにこっちの戦力は知ってるんだろうし、遠征部隊……少数でやれることっつったらその程度だと思いますよ」

 

 近界民ならそうするだろう。そう言い切る。

 

「……ふむ。ではまず狙ってくるのは基地潜入ということか?」

「どうかな……。俺だったら外から基地ごと吹っ飛ばすだけし、やり方は想像つかないっすね」

 

 城戸の問いには曖昧に答えたが、代わりにエネドラがその考えに賛成を示した。

 

『オレも潜入はアリだと思うぜ。おまえらがどうして市街地に攻撃がねぇって言いきれんのかは知らねぇが、このアホみたいな硬さの基地を外から落とすにゃあの雑魚どもには荷が重すぎる』

「なるほど。ならば敵の攻撃に対してもっとも警戒すべきは基地侵入ということになるが、その場合は迎撃とトラップで防ぐ形になるか。冬島、おまえの意見を聞かせてくれ」

 

 忍田が促し、壁に背を預けていた冬島が所見を述べる。

 

「基地の迎撃装置は派手だし使えないとして、接地タイプのトラップトリガーを敷き詰めておけば動きを鈍らせることはできると思いますよ。とくに耐久力の薄い入口の大扉あたりは重点的に配備したほうがいいでしょうね。

 ただ、前回アフトクラトルの連中は壁抜けのトリガーを持ってたんで、全方位を警戒するとなると設置数が多すぎて手が回らないかもしれないです」

 

 そのうちの一言にエネドラが反応した。

 

『壁抜けだぁ? オレらはそんなもん持ってなかったぞ。たぶんガロプラかロドクルーンの連中の持ち物だな』

 

 トリオン体をキューブ化する黒トリガー『卵の冠(アレクトール)』、空間を繋げる黒トリガー『窓の影(スピラスキア)』、そして何物であろうと切り刻むアフトクラトルの国宝『星の杖(オルガノン)』。それらがあればこそこそと潜入などする必要のないアフトクラトルの戦力はそういった小道具類を持ってきてはいなかった。

 そも、潜入するのなら『泥の王(ボルボロス)』と『窓の影(スピラスキア)』だけで事足りる。本来であればそういった類の運用をされるはずのトリガーであったはずなのだが、――本人はそう望んでいたとしても――不幸なことにエネドラは戦闘要員として送られてきた。その結果として虎の牙にかかることになってしまったのである。

 それはさておき、エネドラのその言葉によって今回攻めてくる相手が潜入という手段を用いてくる可能性がかなり濃厚に浮き上がってきた。忍田が総括して防衛手段について詰めていく。

 

「では主な体制としては本部基地防衛をメインに、念のため市街地戦も予備に想定して組んでいくことにしよう。

 天羽や嵐山、太刀川たちはそれぞれこれらの国の近界民と戦ってみた隊員として意見を出してほしい」

 

 

 

――――――

――――

――

 

 

 

 近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)近域。

 闇夜の中空(ちゅうくう)において玄界の輝きに追いやられるように、僅かな影のみを残して存在を主張している遠征艇の中。そこでガロプラの精鋭たちは顔を突き合わせていた。

 

「今回の任務に際しての、俺の決定を伝える」

 

 野太い声でそう言い放ったのは、この遠征部隊の隊長であるガトリン。がっしりとした体格に丸太のような腕を組んで部下たちに視線を巡らせる。

 その先にいるのは副隊長のコスケロ。以下、実動部隊のウェン・ソー、ラタリコフ、レギンデッツ。そしてサポート役のヨミ。

 みな若くして遠征部隊に選ばれた精鋭だ。祖国(ガロプラ)がアフトクラトルに支配されてからというもの、国の力も兵力もいままでの水準を下回るふがいなさを見せていたが、彼らには充分な力があるとガトリンは認めていた。

 自分たちが結局アフトクラトルに都合よく使い潰される役回りだろうとも、任務はこなさなければならない。そのために自らの目と耳と足で見つけ出した逸材たちなのだ。

 

「アフトからの指令内容は玄界の足止め。やり方はこっちに一任されている。今回はロドクと合同任務ということだが、向こうとの協議の結果、玄界の基地に攻撃することにした」

「基地へ、ですか?」

「そうだ」

 

 納得していない雰囲気の部下たちに、ガトリンは言い聞かせるように続ける。

 

「俺たちより前に呼ばれた遠征部隊はアフトにより玄界の市街地への攻撃を許可された。……というより命令されたわけだが、結果は前に言った通りだ。

 アフト、ロドク、そして我々ガロプラの三国を合わせた戦力をぶつけても、玄界はそれを退けるだけの戦力を持っている。これを我が国に向けられるわけにはいかない」

 

 三国合同による玄界侵攻。とくにアフトクラトルの戦力は多大なるものであった。

 一国を落としかねないトリオン兵の軍団と、複数の黒トリガー使いを擁する遠征部隊。それらと戦い、あまつさえ黒トリガー使いを一人殺害、もう一人の強化トリガー使いを捕虜にしてしまえるほどの力を、玄界は有している。

 アフトクラトルはそれなりに『雛鳥』を攫えたらしかったが、引き換えに多大な打撃を。ガロプラとロドクルーンはトリオン兵のすべてを失ってなお戦果はゼロ。軽視するには強大に過ぎる相手である。

 

「しかし、基地への攻撃も敵対行為としては充分ではありませんか?」

 

 民間人を攫おうと、基地へ攻撃しようと、報復されるのならば同じことではないのか。

 コスケロのもっともな問いに、ガトリンは重々しく頷く。

 

「だから追ってこれないようにする。具体的には玄界の遠征艇の破壊、これを最優先目標としてな。この作戦の立案理由の言い方を変えるなら、民間人に手を出す余裕がないと言ったところか」

 

 アフトクラトルがよこした玄界の情勢と基地の内部情報。それによれば実動部隊の数はそれほど多くなく、また遠征艇も数を揃えているわけではないらしい。そこで少数での任務となれば、その遠征艇の破壊がもっとも有効かつ難易度が低い。

 それでも持ち得るすべての戦力を注ぎ込まねばかなわぬ難事であろう。民間人は狙わないのではなく「狙えない」。この結論にはロドクルーンも頷いたのである。

 部下たちも納得したらしく、ガロプラの大まかな作戦は形を取り始めていった。

 

「ヨミ」

「はい。アフトの情報と、実際に交戦した前遠征部隊のデータを合わせると、玄界の実動部隊はおよそ100人程度。精鋭は30人ほどで、彼らは我々(ガロプラ)とも互角に渡り合える実力を持っている模様です。

 また、玄界が有する黒トリガーは3本。そしてアフトが『虎』と呼称していた強力な戦力が一人」

 

 モニターに情報を出力していくヨミに、レギンデッツが「は?」と間の抜けた声をもらした。

 

「『虎』ってなんだ? あの虎か?」

 

 がおー、と両手で爪を尖らせる彼に、ヨミは感情の読めない瞳で続ける。

 

「わからない。ただアフトは超々高トリオン能力者とだけ」

「超々高トリオン、ねぇ……」

 

 鼻を鳴らすレギンデッツに、コスケロがたしなめるように話しかけた。

 

「たしかに眉唾ではあるけど、油断はできないよレギー。玄界は実際にアフトを撃退してるんだから」

「そりゃそうなんだろうけどよ……」

 

 国でも聞いたことのない単語に、レギンデッツはその『虎』とやらの存在がにわかに信じられなかった。

 「優秀なトリオン能力者」だとか、「他に類を見ないトリオンの持ち主」だとか、そういった類の人間ならば見たことがある。自分も平均以上は持っているし、ここにいるガトリンやコスケロだってかなり優秀な部類に入るのだから。

 だが、「超々高トリオン能力者」とは生まれてこの方聞いたことがなかった。そしてそれを言ったのが優秀な人材を多数抱えているアフトクラトルであることがもっと信じられなかったのだ。

 少数ながらも精鋭揃いのガロプラと比べてすら優秀な者が多いアフトクラトル。そこにおいても超が二つ付く高トリオン能力者とは。そんな馬鹿げたものが本当に存在するのだろうか。

 

「送られてきた玄界の基地の外壁や防衛機能のデータを見ても、豊富なトリオンを潤沢に使っていることがわかっている。もしかしたらその『虎』がいてこそのものかもしれん」

 

 ガトリンの推測にラタリコフが同意する。

 

「ですね。逆に言えば『虎』をどうにかすれば玄界の戦力はかなり削れるのではありませんか?」

 

 できればそれだけでも捕らえて連れ帰ることができれば。

 そう言外に匂わせたが、ガトリンが頷くことはなかった。

 

「無理だな。アフトの連中が黒トリガー四つをもってしても不可能だったことを、我々ができるとは思えん」

「そうですか……」

 

 もしそんな存在を連れ帰ることができたら、アフトクラトルの支配からの脱出さえかなうかもしれない。そんな淡い期待を抱いたラタリコフであったが、現実は非情であった。

 力が足りない。仮に力を蓄えようとしても、アフトクラトルに吸収されてしまう。

 星々の中でも有力な国に従属しているというのは、その威名に守られているという事実でもある。しかしながら他国に管理(ヽヽ)されていることに不快感を覚えないわけではない。できるならアフトの支配から脱したいというのがガロプラの本音なのだ。

 

「話を戻すぞ」

 

 逸れ始めた会議内容を、ガトリンが一言で軌道修正する。

 

「玄界に着いたら実地調査で前情報との照らし合わせ。その後ロドクルーンとタイミングを合わせて攻撃を開始する。トリオン兵の一部は回してもらえることになっているから、コスケロ、レギー、ヨミで玄界の気を引いている間に俺とラタ、ウェンで基地への侵入を試みる」

「了解」

「オーケー、隊長」

「アフトの捕虜から我々の情報が洩れていることを前提に動く。ウェンのトリガーでトリオン兵に偽装するが、常に奇襲は警戒しておけよ」

「了解です」

「よし。では玄界に到着するまでの間、作戦の細部を詰めていこう」

 

 音もない星の海の夜。静かに戦いのときが近づいていく。

 

 

 




 


黄金の虎を読んでくださっている皆様方、いつもありがとうございます。
誤字報告も助かっております。
いろいろ試行錯誤しているつもりですが、ギャグ調は苦手分野なのかもしれません。


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第四十八話

 

 

 

 アフトクラトルの従属国が攻めてくるとわかってから二日目の夜。

 大河は防衛任務の待機場所である詰所にいた。緊急防衛対策会議の日からも極秘裏の内に警戒態勢は敷かれていたが、二つの国が侵攻してくるタイミングとしては今日がもっとも可能性が高いと予知されている。

 大河と同じく待機中のメンバーには太刀川や迅、小南といった彼にとっても顔見知りの面々が揃っていた。

 というのも、迅がこっそり城戸や忍田に口添えをしていたのだ。大河を抑える人員が必要になるかもしれない、と。

 

 迅は大河の顔を見た際に、あまりにも危険すぎる未来を視てしまった。

 どう危険なのか、視た本人にもわからないくらいにめちゃくちゃな未来だった。言葉に表しにくかったのだが、無理矢理に一言でまとめるのなら「本部基地がなくなっていた」である。

 何が起きるのか? 大河の爆発だ。文字通りの。

 かつてレプリカを持ち去られたときの怒りとはレベルの桁が違う、まさに噴火のような感情を大河が発する未来。どうしてそんなことになるのか迅にはまだ予想もできなかったが、ともかくとしていざというとき、実力で大河を押さえ込むことができる――かもしれない――メンバーを一緒に行動させているのである。小南も太刀川もあまりいい顔はしなかったが。

 

 迅としては、大河を防衛任務から外してもらうという選択肢もあった。

 これからやってくる近界民から何かしらの影響を受けて爆弾と化すのだから、原因となるそれらから離しておけばなんとかなる可能性がなくもないと考えて。

 がしかし、それはそれとして危ない未来が視えてしまった。

 敵がきた時点で大河は、戦場より遠く離れた地点から強引に介入しようとするだろう。そうなるとおそらくあらゆる手段を用いての行動となる。止める者が誰もいない、暴走列車のような状態で。その際には戦闘の秘匿など考慮されないに違いない。

 ならば遠くで手の着けられない怒りを撒き散らされるより、近くで落ち着かせられる可能性に賭けたほうが無難。迅はそう結論づけた。

 幸い大河自身は()の話を聞くくらいの常識を持っている、と以前知ることができた。同時に任務の裏をかくあくどさも持ち合わせているが、この先の未来で近界民にどんな影響を受けるのであろうとも、落ち着けと声をかけてやれる人間がいるだけでだいぶマシだろう。と、思いたい。

 

「――――!」

 

 迅が憂鬱な未来にため息をつきたくなるのをどうにか堪えているところに、嫌な予知(よかん)が彼の第六感をこれでもかと刺激した。逃げ出したくなる心に鞭打って席を立つ。

 

「ああ……来た来た、敵さんが来ましたよっと」

「お、やっとか」

「待ちくたびれたな」

 

 太刀川と大河が手に持っていたトランプを投げ捨てて立ち上がると、それまで負けっぱなしだった小南はぎりぎりと歯噛みしてからそれに続いた。サイドエフェクト持ち二人と勘だけで生きているような男、そんなのを相手にババ抜きをしては、勘が強いといっても常識人の内に入る小南では分が悪かったらしい。

 

「でもあたしたちの出番はまだ先なんでしょ?」

 

 そう小南が言うように、彼らの出撃はもう少し先だ。具体的に言うと迅が先駆けとなって敵を視認してから本格的な始動を始めることになっている。

 これは先の予知に関係しているのもあるが、もともとの作戦上でもそうなっていた。迅の予知を得てから動いたほうが確実。それはA級部隊も幹部たちも同様の認識をもっている。

 

「おう。んじゃちょっと行ってくるから、みんなはいつでも出られるようにだけしといて」

 

 早くしろよー、と呑気に敵を待っている太刀川、そして言葉には出さずとも身体を動かしたくてうずうずしている小南に、迅は内部通話でこっそりと念押しした。

 

《木場さんのこと、くれぐれも頼んだよ》

《あんま自信ねーな……》

《期待されすぎても困るわね》

《いやホントに頼むからね》

 

 ひとり生身で首の骨を鳴らし、臨戦態勢になりつつある大河――基地内でのトリガー起動は禁止されている――を見やり、改めて迅は予知が近づいていることを感じ取る。

 ――まずいことになるかもしれない。

 

 

 

* * *

 

 

 

 ガロプラ、ロドクルーンの連合部隊は予想通りボーダー本部基地をまっすぐに目指してきた。

 それなりに広範囲に散りつつも、南側方面から一直線に向かってくる。

 屋上からは狙撃部隊がトリオン兵を削り、地上部隊は銃手(ガンナー)用トリガーによる横撃と攻撃手(アタッカー)による各個撃破でそれをサポート。面状に迫ってくる敵軍を押し返すことは難しいが、いまのところ最重要で守らなければならない正面大扉は死守できている。

 しかし――

 

《敵の反応が基地外壁に接触!》

「――なんだと?」

 

 総司令部から沢村の通信が飛んできて、屋上からライフルを放っていた木崎がスコープを真下に向けた。

 押されてはいる。だがまだ接近を許した覚えはない。

 現に基地外縁部に敵の姿は見えなかった。しかし沢村の通信により現状がいかに差し迫っているかを痛感する。

 

《これは……地下通路から!?》

「地下――しまった!」

 

 本部基地南側はかつてアフトクラトルの黒トリガー使いと激戦を繰り広げた場所である。

 大河の爆撃により一時地面が融解し、いまも基地の敷地より巨大なクレーターが残されている。その広すぎるクレーターが敵が隠れながら基地に近づくための隠れ蓑になってしまっているのだ。そして、抉られた地面から地下通路への侵入を許してしまったらしい。

 ボーダーが使用するレーダーは高低差を感知しない。狙撃などの弾道計算程度なら可能だが、それも手動によるもの。遠距離攻撃をしかけてきているわけでもない敵性反応に対しては、現場の隊員か監視カメラから送られてくる映像がなければ成立し得ないのである。

 そして敵は地下に潜り、隊員の目をかいくぐってしまった。監視カメラは……設置していたものも、設置すべき場所も、まるごと大河が吹き飛ばしてしまっている。

 地下通路から続く入口もトリオン製であるが、正面扉と同じく外壁のような分厚さをもっていない。すなわち壁抜けのトリガーを用いれば容易に侵入が可能となる。

 

「迅、地下通路から敵が侵入(はい)ってくるぞ!」

《OK、いま向かってる!》

 

 木崎が取り急ぎ通信を飛ばすと、これも予知していたのか迅がすぐさま返してきた。

 目の前のトリオン兵団は数こそ多いが性能はさほどでもない。おそらく地下に潜ったやつらこそが本命の可能性が高い。そして人型である可能性も。

 

《こっちは任せて、レイジさんたちはトリオン兵をよろしく頼むよ! 地上が押し込まれてもまずいことになる》

「わかってる、上は任せておけ」

 

 侵入者を迅に任せ、再び狙撃でトリオン兵を撃ち貫いていく。

 沢村が迅と敵近界民の接触を果たした旨を通達したが、それきり迅から木崎への通信が行われることはなかった。

 

 

 

――――――

――――

――

 

 

 

 標的を確認。動きを予知()んで風刃による一斉斬撃――

 撃つ前から防がれると知ってなお迅は攻撃を敢行した。一瞬でも動きを止めて、敵の姿をしっかりと確認する必要があったのだ。

 あるいは、八つ当たり染みた感情が混ざっていたのかもしれない。何かがうまく転がって、近界民たちをここで仕留めることができればと。

 そして

 

「ああ、やばいなぁ……」

 

 ひとり呟く。

 敵を見て、敵の狙いを視て迅は片手で顔を覆った。

 ――そういうことか。

 ああまずい。実にまずい。

 迅は単独ではあったが、その呟きは司令部の忍田にも届いていた。

 

《迅、どうした? 敵はどうなった》

「ああ、忍田さん。敵の狙いは……いや、その前に」

 

 敵の目的を報告するよりも先に。何よりも優先して。

 迅は太刀川と小南の名前を呼んだ。

 

「太刀川さん、小南。まだそこに木場さんいるよね?」

《ああ、いるけど》

《どしたの?》

「とりあえず暴走しないように押さえといて」

《え、なんでよ》

 

 短く聞き返されるが理由を話している時間はない。そもそもこの逡巡がもっとも危険な未来に近づく一歩に他ならないのだ。

 ひと際大きく息を吸って、迅は敵の目的を司令部に伝えた。

 

「敵の狙いは……遠征艇だ」

 

 ああどうか、どうか怒ることなく聞いてくれ。

 そんな迅の願いはたった一文字の重音程にかき消された。

 

《………………は?》

 

 

 

* * *

 

 

 

 みしりと拳が悲鳴をあげた。

 瞳孔は限界まで引き絞られ、瞼は見開かれ。呆けているような口からは残忍な形をした牙が覗き、それが怒りの熱によるものか急速に乾いていくのが見えた。

 

「………………は?」

 

 地獄の底から絞り出されたような声に、押さえておけと言われた太刀川も小南も動けずにいた。

 己は戦闘体、相手は生身。

 けれども近づいたら死ぬ。殺される、と二人の本能が警鐘を鳴らしたのだ。

 

《木場さん、頼むから落ち着いてくれ! 格納庫にはもう風間さんも鋼も向かってる! 太刀川さんと小南が追いつけば絶対に大丈夫だから!》

 

 通信用のスピーカーからわめく迅の声も聞こえない。

 大河の頭には近界民が遠征艇を壊しにきたという事実だけが響いていた。

 

 ……遠征艇を、壊す。

 近界とこちらの世界を繋ぐ唯一の(ふね)を。

 専用に造られ、木場兄妹の第二の家とも言える(ふね)を。

 苦楽を共にした、大河の第三の家族とも言って過言ではない(ふね)を。

 ――それを、

 

「こ、わ、す、だあ…………?」

 

 そんな行為を許せるか。

 そんな考えを許せるか。

 そしてそれを、黙って見ていることができるのか。

 否。否、否、否! 愚問である。

 

「こ、……ろすぅうウウ!!!」

 

 ――殺す。殺して殺して殺して殺す!

 両手で髪を掻きむしり、純粋かつ濃厚な殺意を撒き散らして大河は絶叫した。

 太刀川も小南も、忍田でさえも一歩退いてそれを見る。人からこれだけの感情が噴き出ているのを、彼らはこれまでに見たことがなかった。熱く滾る激情が炎のようにゆらめいているのに、大河以外の人間は悪寒に震えて言葉も出ない。

 もしこれを怒りと称するならば、彼はこれまで一度も怒ったことなどなかったのだろう。

 もしこれを憎悪と称するならば、彼はこれまで一度も人を憎んだことなどなかったのだろう。

 それほどまでに大河の殺意は色濃く、あらゆる負の感情を孕んだ不気味さで爆発したのであった。

 

「お、おい木場、どこに行く!?」

 

 おもむろに歩き始めた大河を、どうにか正気を取り戻した忍田が押し留めようとする。

 しかし大河はその行為をぎょろりとした気味の悪い眼球運動によってのみで押し返した。

 

「あ? 決まってんだろ、近界民ブッ殺しに行くんだよ」

「だがおまえの配置は地上迎撃だ、基地内でのトリガー使用は……」

「関係ねえ、俺の(モン)に手ェ出したやつは殺す!!」

 

 凶獣が吼える。

 命令違反。独断行動。大河の行為を責める言葉はいくつも浮かぶが、それをしてどうなるかは忍田にもわかった。

 どうにもならない。この男は止めようとする者は何人だろうと力でもって排除するだろう。

 大河を押し留めて遠征艇を無事に守り切ることができればよし。しかし傷のひとつでも付けられれば、それこそどうなるかわからない。

 さしもの忍田もどうしたものか考えあぐねていたとき、総司令部からの通信が届いた。

 

《木場》

「――! なんすか城戸さん」

 

 ボーダー本部最高司令官。虎に首輪をかけた男。

 城戸正宗の一言でようやく大河に欠けらほどの思考力が戻ってくる。

 

《おまえの基地内での戦闘は許可していない》

「ンなこたあ、わかってんですよ……! でもそれで遠征艇が破壊されたときにゃ、俺はどうなるか自分でもわかんねえ」

《…………》

 

 かろうじて残った恩義と忠誠心が人の言葉を紡ぐ。

 しかしそれでもこの衝動は抑えがたかった。会話が成り立とうとも、その結果が意にそぐわなければたやすく首輪は弾け飛ぶだろう。

 それを察したのか、城戸は珍しく通信に乗るほどのため息をついてから、命令を下したのだった。

 

《……いいだろう。おまえに侵入した近界民の追撃を任せる》

「……了解」

「城戸司令!!」

 

 城戸の許可に対し喜ぶでもなく頷く大河と、信じられないとばかりに叫ぶ忍田。

 それもそうだろう。この男を、とくにいまの状態の大河を基地内に解き放つなんてどうかしている。トリガーのひとつでも暴発すればそれだけで基地は崩壊する。たとえそこが地下深くの格納庫であったとしても。

 しかし城戸は忍田の心配をよそに、大河に新たな首輪をかけた。

 

《いま近界民を追跡している隊員は全て地上の迎撃に向かわせる。

 ……木場、条件はひとつだ。戦闘は地下で行え。そこで起きたことはすべておまえの責任によるものとする》

 

 つまり、この戦闘における被害――遠征艇の安否は大河の責任として処理する。

 守り切れればよし。破壊されたのなら、それは自分の力不足によるもの。怒りの矛先は己にしか向けられない。無論、自らの暴走で損壊させたとしても同様である。

 そうすれば少なくとも無理はしないだろうと城戸は見たのだった。

 もちろんこれは賭けでもある。大河が遠征艇を守り切れなければ公開遠征計画はほぼ頓挫する。アフトクラトルは遠く離れ、隊員を取り戻すと大言壮語を放ったボーダーに対する風当たりも強まることは想像にたやすい。

 けれども、仮に遠征艇を破壊されてしまったとしても、ボーダー自体が消滅するよりはずっとマシだ。いまの大河はそれほどまでに危険な爆弾と化しているのだ。首輪はかけてもガスを抜かねば、この凶悪な虎はいずれ破裂する。

 

「あァ……わかりましたよ」

 

 すべてを理解して、大河は詰所をあとにした。

 重苦しい空気の源泉がいなくなったことで、残されたメンバーの身体がようやく動くようになる。

 

「はぁ……。太刀川、小南。おまえたちも地上の迎撃部隊と合流してくれ」

「いいんですか、あれ、ほっといても?」

「もともと木場は城戸司令直属の隊員だからな。城戸司令の命令ならば私に止めることはできん」

「ま、権限があっても止めらんなかったわね、あれは……」

 

 どっと疲れが押し寄せたことを隠し切れない忍田を二人が慮る。

 しかし忍田はそんな健気な部下たちを戦場に送り出してから、おもむろに通信を繋げた。

 

「迅、おまえも大変だったな。一人でなんでも抱え込まなくていいんだぞ」

 

 繋げた先は迅だ。

 この未来を視ていたであろう迅が相応に苦悩していたことは容易に想像できた。未来視のサイドエフェクトで得た情報は、本人以外に共有することが難しい。いくつものルートが存在する未来(それ)に対して、予防線を張ることしか(ヽヽ)できない迅の心労を思えば、忍田の苦労などあってないようなものだ。

 太刀川と小南に助力を請うていようと、結局未来視とは孤独に立ち向かうことしかできない。ボーダーの行く末までを勘定に入れなければならない苦悩を慮った忍田に、迅はやや返答に困った。

 

《あ~、あはは……。いや、ありがとうございます》

「ああ。しかし地上が押し込まれても、結果は同じだろう。もう少し働いてもらうぞ」

《ええ、もちろんです》

 

 しばし間を置いてから、迅がふと思い出したように付け加える。

 

《城戸さんの判断はよかったと思いますよ。遠征艇も、木場さんも大丈夫だと思います》

「そうか……。少しは肩の荷が下りたな」

《……ですね》

 

 迅はあえてすべてを語らない。

 遠征艇も、大河自身もきっと無事に戦闘を終えるだろう。

 ただし、それ以外のことは――

 迅はやはり口をつぐむ。結局、あの猛獣を止めることはできないのだ。その結果として血に飢えた牙にかかるのがボーダーでないだけマシと思うしかない。

 視たくもない未来を言いたくもない言葉にすることはない。迅は黙って自分の任務に集中することに決めた。

 

 

 




 



いつも読んでいただきありがとうございます。
ガロプラ編は少々薄味かもしれません。
一気に転がしていく所存ではありますが…。
一話一話が短めなので今日から四日、毎日投稿するつもりです。


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第四十九話

 

 

 

 首尾よく玄界(ミデン)の基地へ侵入できたガトリンはしかし、不穏な空気を感じ取っていた。

 ――敵がいない。

 侵入した際に敵の(ブラック)トリガー使いによる迎撃をやり過ごしてから、ただの一人も追手がかかっていないのだ。外はあれだけ警戒されていたというのに。

 不気味だ。

 まるで魔物が棲む洞穴を手探りで進んでいるかのような、じとりとしたものが背中にのしかかる。

 

「……誘導されているのでしょうか」

 

 追走しているラタリコフがぼそりと呟く。

 誘導。その可能性はある。

 非戦闘員の居住区や雛鳥の避難場所から離されているだけという可能性。

 事実いくつかの通路は目の前で封鎖されていったし、追手がなくともこちらが探知・追跡されているであろうことは確実。ならば仕掛けるタイミングを見計らっているか、罠を張り巡らせているのか。

 しかしこちらに壁抜け用のトリガーがあることは玄界も知るところのはず。基地に入ってすぐは攪乱のために何回かランダムに壁をすり抜けていたが、やはり追撃はなかった。

 もしくはある程度泳がせて、侵入した目的を探っているのかもしれない。

 

「……そうかもな。だが最短で行かせてもらえるというのなら僥倖だ」

「だね。一気に叩いて一気に引く。それで終いにできる」

 

 ラタリコフと同じく後ろで通路を駆け抜けるウェンが同意する。

 ただでさえ少ない戦力を削らずに目的地まで行けるのなら、それが向こうの狙いだとしても優位なのはガロプラだ。一撃必殺と瞬時の撤退。遠征艇さえそこにあれば、ガロプラにはそれがかなうのだから。

 

 初日にこの任務を完遂することができれば、いま出撃させているトリオン兵もすべて回収して、それを小出しにして玄界を足止めすればいい。そこまで完璧に抑えられたのなら、アフトクラトルのみならずガロプラとロドクルーンも玄界の周回軌道から遠く離れたところまで逃げ切ることができるだろう。

 その前提さえあれば、玄界の民を攫うことだってアリかもしれない――

 そこで、ウェンの思考は途切れた。

 

「――!?」

 

 尋常じゃない衝撃音にガトリンとラタリコフが驚いて後ろを振り向く。

 いま走っている通路はすでに地下。ここを抜ければあとは一気に降下するだけだというのに、このタイミングで追手がかかるとは。やはり非戦闘員がいるだろう区画から離れたために玄界の誘導が終わったということか。

 しかしそれならば作戦のうち。追手はウェンに任せて二人は走り抜けることに専心すればいい。

 

「なんだ、こいつは……!?」

 

 それができなかったのは、現れた玄界の兵が異様に過ぎたからだった。

 どこから現れたのかと思えば、通路の天井をぶち抜いて襲い掛かってきたらしい。この、地下の通路までの、分厚く固いそれを。

 そしてそのままウェンに組み付き、二の腕を両足で踏むように押さえ込み、頭を捻じ切った。――素手で。

 

「見つけたぞ、クソ野郎ォ!!!」

 

 轟と吼える謎の刺客。

 ガトリンは直感した。こいつが『虎』だと。

 そして同時にまずいことになったと舌を打つ。

 武器トリガーも使わずに戦闘体を引き千切るその性能も警戒するにあまりあるが……そんなことより一撃で首をもがれたウェンの脱出機能が発動してしまったのだ。

 

 脱出機能はガロプラにおける最新技術であるが、アフトクラトルとの合同作戦時にはこれを発動する機会はなかったと報告を受けている。それというのも、前遠征部隊がガトリンたち後続部隊に「足止め」の任が与えられるであろうことを見越していたからだ。

 脱出機能は「知られていないこと」がもっとも肝要なポイントとなる。

 他の国にはあまり普及しておらず、最新型のこれはアフトクラトルにさえまだ知られていない秘奥のトリガー。つまり捕虜から漏れることもないはずであるため、ガロプラがこの技術を持っていないことを前提に玄界が迎撃作戦を立てている、とガトリンたちは想定しているのだ。

 しかし玄界がすでに有する技術でもある以上、こちらもその機能を持っていると知られればそれなりの対応をしてくる可能性が高い。

 

 すなわち、脱出機能を無効化する手段を、玄界が確立しているかもしれないということ。

 

 アフトクラトルの『卵の冠(アレクトール)』のような、トリオン体の上からそれを無効化するトリガーないし方法。もしそれらを玄界が持っていれば、この任務の危険度は一気に跳ね上がる。

 脱出機能はできれば一斉撤退にのみ使いたかった。そうできなくとも、露見するのが早すぎた。

 ともあれ、ウェンを責めることはできないだろう。

 『虎』の出現は隊長であるガトリンにも予想はつかなかった。運が悪ければ自分がやられていたかもしれないのだ。

 

「《一気に抜けるぞ、ラタ!》」

「《了解!》」

 

 案の定脱出機能を予期していなかったであろう『虎』が一瞬怯んだのを皮切りに、二人は全速力で駆けだした。

 真っ直ぐな通路には遮蔽物もない。この砦の強固な壁を素手で打ち砕くような膂力の相手なら一息で追いつけるかもしれない。攪乱用のトリオン兵『ドグ』を撒き散らしたものの、それがどれだけの足止めになるかはわかったものではなかった。

 

「《ここです!》」

 

 背中に突き刺さる『虎』の殺意をひしひしと感じながら、二人はどうにか降下用エレベータ上部までたどり着いた。息をつく間もなく壁抜け用トリガーを床に設置し、迷うことなくそこへ飛び込んでいく。

 大口を開けた竪穴区画は薄暗く、それこそ魔物の口腔内に身を投じるような怖気を感じはしたが、化け物に追われた二人に選択肢などなかったのであった。

 

 

 

――――――

――――

――

 

 

 

「チィ、クソどもが……!!」

 

 犬型トリオン兵を踏みつぶした大河は、床ごとひしゃげたそれに一瞥もくれることなくミサキに通信を繋げた。

 

「ミサキ、おまえいまどこにいる?」

《遠征艇。ワープでこっちくる?》

「ああ、頼むわ」

 

 敵の狙いが遠征艇であると判明した時点で、ミサキはオペレーションの場所を作戦室から遠征艇へと変更していた。

 最悪、遠征艇が直接攻撃されるようなことがあっても、ミサキが遠征艇に搭載されたトリガーを発動すればそれを防げるからである。さらに迅や忍田、城戸からも次々と要請が飛んできたのだ。とくに迅からはほとんど泣き言のようなものが。

 暴走する大河を止められる最後の可能性は、妹であるミサキ。

 本人もそれを自覚しているし、読み取れた大河の思考が怒りと憎悪に塗れていて危険だと判断した。

 あれほど怒りを発する兄は彼女も見たことがなかった。いつ、何があっても薄ら笑いを浮かべていた大河はいま、完全に心の余裕を失くしている。

 余裕がないということは、隙が生まれるということでもある。

 だがそれ以上に危険なのは、怒りにまかせたトリオンコントロールがどうなるか、ミサキにもまったくわからないという点である。

 

「よっと」

 

 すとん、と音を立ててミサキが大河の背後に現れ着地する。

 これはスイッチボックスによる瞬間移動(ワープ)。ミサキのそれは専用にチューニングされており、大河の戦闘体に埋め込まれた座標には初期設定で飛べるようになっている。主に遠征艇からの出撃、または収容に際して使用されるもの。

 

「とりあえず遠征艇に行ってからまた出るって感じで」

「おう」

 

 手に持っていたスイッチボックスを開き、手早く設定をいじっていく。

 トリオン兵ごとひびの入った床に木場隊の文様(エンブレム)が浮かび上がると、大河とミサキは揃ってそこに手を着いた。

 

 トリガーが発動する刹那、ミサキは大河の横顔を盗み見る。

 傍目から見ただけではそれほどいつもと変わらないようにも思える。むしろ人を小馬鹿にするような薄ら笑いがないだけマシとも言えた。けれども中身(ヽヽ)はもはや、別人かと勘違いしてしまうほどにぐちゃぐちゃだった。

 火のような激憤と、粘つくような憎悪。合わせてマグマのような感情の塊が大河の中にうごめいている。

 対照的にミサキは背筋が凍るような思いでいた。こんなこと、レプリカを持ち去られたときにさえなかった。

 たしかにあのとき、瞬間的にではあったが大河は怒りの感情を露わにした。しかしそこにはやはり余裕があり、敵の近界民に対して憎悪までは抱いてすらいなかった。

 そうだ。憎悪だ。

 ミサキは思い当たる。

 大河が近界民をその手にかけるとき、彼はおよそ殺意と呼べる感情は抱かない。「そいつを殺す」というのは意思であって意志でなく、そこには喜びしか持ち得ないのである。

 手強い敵、煩わしい反撃に苛立ちを覚えることはあっても、本気で憎むようなことはなかった。

 近界民とは、敵である前に獲物。たとえ害獣と吐き捨てようと、それを狩ってトリオン器官を得ることが目的であるがゆえ、けっして憎悪の対象にはなりえない。はずだった。

 ――「殺したいから殺す」。

 その「殺したい」理由が憎悪だけで塗り潰されている。「殺す」方法が悪意に満ち満ちている。

 そんな兄の姿を見たミサキは、初めて、大河が純粋に怖かった。

 

「――着いたな。あいつらは……まだ降下中か」

 

 すでに動力を起動している遠征艇の駆動音に紛れて、大河の強化戦闘体から発せられる不可思議な音がミサキにも聞こえてくる。

 みしみしと軋む音。ぶちぶちと千切れる音。それはすでに渦巻く激情がもたらす悪影響が出始めている証であった。

 

「ねえ、兄貴」

「あん?」

 

 努めていつも通りに、ミサキが声をかける。

 

「遠征艇が起動してる以上、生半可な攻撃じゃ破壊されることなんてないよ。だから……」

 

 だから、落ち着いてよ。

 だから、気をつけてよ。

 そんな気持ちを言葉にしようとするのがなぜか躊躇われる。

 

「わーってるよ。少しは落ち着いてきたし、なんも問題はねえって」

「……そう。ならいいけど」

 

 嘘だ、とは言えなかった。おそらく本人さえ気づいていないのだろう。

 表面上は落ち着いたようにも見える。けれどもその中に渦巻くマグマはいまもなお噴き出るときを待ち続けているのだ。次に近界民の姿を見た瞬間、それが爆発的に噴出することは容易に想像がつく。

 しかし止められない。止める術を思いつかない。

 現に近界民は遠征艇の破壊を目論んでおり、大河を止めたところでより酷い未来が待っていることなど迅でなくとも予想できるというものだ。

 

「んじゃ行ってくるわ」

「ん」

 

 そう言って遠征艇から出撃していく大河を見送り、ミサキはいつものようにコンソールの前へと腰を下ろした。

 できることはもう、これしかない。大河が敵を迅速に撃滅することをサポートする。それだけに没頭しなければ。

 その先で近界民がどれだけ凄惨な地獄を味わおうとも、それは自業自得というもの。自ら虎穴に飛び込んだ獲物に対して、哀れみはもっても同情などできはしない。そもそもこんな事態になっているのは近界民のせいなのだから、その罪科はその身をもって償うべきだろう。

 ミサキは深呼吸をして、いつものように遠征艇の演算処理装置を大河のトリガーに接続した。

 

 

 



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第五十話

 

 

 

 玄界(ミデン)の遠征艇格納庫。

 そこで対峙した玄界の兵に、ガロプラ遠征部隊隊長・ガトリンはひどく困惑していた。

 ウェンを仕留めた『虎』。おそらくは玄界の最精鋭ともいえる兵。

 それはいい。しかし、その兵の様子がどうにもおかしかった。

 玄界の民に手を出せば、玄界の戦力はガロプラに向く。そういう判断のもとに開始した軍事施設へのピンポイント攻撃。しかし目の前の男は、まるで親兄弟を殺されたかのような怒りを剥き出しにしてこちらを睨んでいる。

 侵攻してきた自分たちに対して怒りの感情をもつこと自体に不思議な点はない。どのような規模であれ攻撃は攻撃、生活を脅かす輩には誰もがそうした思いを抱くはず。

 けれどもここまでの激憤ははっきり言って異常だ。なんせまだガロプラはなんの戦果も挙げていないのである。そのうえ玄界の戦力はこちらをほぼ完璧に迎撃することに成功している。

 想定以上の戦力差。ガトリンは優位に立ったからこそ顕れる隙を突こうと画策していたのに、目の前の敵はそれを簡単には許してはくれそうになかった。

 

「おまえら」

 

 きつく結んでいた口を開いた男は、凝縮した怒りを絞り出すようにその言葉を紡いだ。

 一音一音に滲むどす黒い感情。ガトリンたちは何が起きても反応できるように体勢を整える。

 

「遠征艇を壊しに来たんだってな……?」

「……!」

 

 ガトリンはほんの僅かに目を見開いた。

 ガロプラの目的。アフトクラトルを追撃させないための局所攻撃。

 なぜこの男がそれを知っている?

 いや、予想はつく。予想されたという予想。そもそもこの地下格納庫には遠征艇しかないのだから、ここに来た目的などそれの破壊しかありえないだろう。

 だがいまの質問には、確たるものがあった。すでに知っていることを確認するような、そんな色合いの問いであったのだ。

 

 ――玄界側が基地に侵入されてからも静かに誘導を続けたのは、それがあったから?

 

 向けられた怒りとは別に、悪寒が背中を走る。

 ここまで明確に作戦が暴かれているとなると、アフトクラトルの捕虜がこちらの情報を吐いただけとは考えにくい。「敵遠征艇の破壊」はこちらの遠征艇内で決めた作戦だ。部隊の誰かが内通でもしていない限り、玄界の兵がそんな言葉を吐くことなどできるはずがない。

 

(どういうことだ……?)

 

 ガトリンは身内を疑いかけて、しかしすぐさま疑念を振り払った。

 彼らはみな優秀な隊員だ。部隊を編成するにあたって、自らの目と耳で人と成りを確認してから仲間として選んだのだ。あの中の誰もが裏切りなどという行為に走るとは思えない。

 何より利がないだろう。玄界と通じて得られるものなど、何もない。せいぜいがアフトクラトルへの意趣返しくらいだが、マザートリガーを押さえられている以上、その結末は破滅にしかならないのだから。

 

「…………」

 

 ゆえに、ガトリンは言葉ではなく、行動で答えを示した。

 トリガー起動。『処刑人(バシリッサ)』生成。追加武装にチャージカノンを選択。

 一撃で全てを決めてしまえばいい。多少玄界の恨みを買おうとも、追いかけてこれないのなら結果は同じだ。遠征艇さえ破壊できれば新たな足を作っている間に星は遠く離れていく。……次の周期のことは、考えないようにして。

 充填完了。目標、遠征艇格納庫。

 敵は……動かない。対峙した男はこちらを睨んだまま微動だにしない。

 好機と見たガトリンは固い床にどうにか『処刑人』の爪を突き立てて、チャージカノンの引き金を引き絞った。

 

「……!?」

 

 しかし発射した瞬間ガトリンが言葉もなく瞠目した。

 解き放ったチャージカノンの一撃が突如出現した深緑色のトリオン塊に弾き飛ばされてしまったのだ。自分たちが使うシールドにも似たそれをしかし、意味不明な分厚さと強固さに、ガトリンが盾であると認識するまでにしばらくの時間を要した。

 傷ひとつ付くことなく大砲を防ぎきったシールドが、なぜか弾け飛ぶように自壊する。その反響音が消え去ったあと、しばし無音の間が広がり、そこに目の前の男が呟きをもらす。

 

「……殺す」

 

 ぶちん、と音がした。

 堪忍袋の緒だとか、そういう比喩のようなものではなく、極めて物理的な。

 ――まずい。

 それが敵の戦闘体のリミッターが外れる音だとは知る由もなかったガトリンであったが、とにかくまずい状況であることだけは本能で理解できていた。

 危機感が募る。

 怒れる虎の尻尾を踏んだなんて生易しいものではない。これはもはや、いままさに牙が打ち鳴らされようとしている虎口の中に頭を突っ込んだような、馬鹿げているほどに絶望的でしかし、けっして笑えない感覚。

 

 だがその先に起きた現象はさらに輪をかけて理解が及ばないものであった。

 

「こ、ろすゥウウ! こ、こココろすスス……!!」

 

 敵の全身がびきり、みしりと軋んで、ところどころ溶岩が湧き立つように膨張と収縮を繰り返す。まるで悪魔にでも身体を乗っ取られたかのような、あまりにも不吉な兆候。

 ガトリンもラタリコフも、息を飲んでそのさまを見つめていた。

 

 

 

―――――――

 

 

 

 格納された遠征艇内部ではミサキが慌ただしく機器を操作しながら悲鳴をあげていた。

 

「ああもう、やっぱり!」

 

 近界民を見た瞬間に怒りが爆発するだろうと思っていた大河は、ほんの一瞬だけ持ちこたえた。けれども、敵の攻撃に対してはやはりそれを押し留めることはかなわなかった。

 このままでは本当に吹き飛んでしまう。ボーダー基地どころか、三門市そのものが。

 

 大河のトリオン能力は異常。

 それはいまさら語るに及ばないただの事実であるが、いまでもその出力を受け止められるトリガーがこの世に存在しないことは、戦闘体開発者の鬼怒田や茂森、そしてトリガー制御を与るミサキしか知らない隠された真実だった。

 専用に開発された強化戦闘体『フェンリル』でさえ、大河のフルパワーには対応しきれない。

 幾重にも及ぶ拘束、いくつもの同時起動に、複雑な内部機構。そして訓練に一年以上を要した大河の「加減」によってようやくトリガー起動にまで漕ぎつけられたのだ。

 トリオンコントロール――調整や制御が苦手な大河であるが、それでも全くできないわけではない。長い訓練の末にどうにか最低限(ヽヽヽ)を覚えた彼だからこそあの程度(ヽヽヽヽ)で済んでいる。

 

 それが怒りによって失われるとどうなるか。

 間違いなく弾け飛ぶ。『ジャガーノート』のような規格化された爆発ならまだマシだ。完全に我を忘れた状態で、測定さえできないトリオンが流れ込んだ爆弾がどうなるか、ミサキにもわからない。下手をすると本当に三門市ごと消滅する可能性すらあった。

 

『――!』

 

 ミサキが軒並み振り切っている計器に目を剥いている間にも、近界民が差し向けた犬型トリオン兵が二匹、大河にブレードらしき角を突き立てる。

 しかしそんなものでは内蔵された骨に傷すらつけられず、小型のトリオン兵は変容しつつある戦闘体に巻き込まれて、刃を喰い込ませたままもがき続けることになった。

 

『邪魔だ、犬ッころ……!』

 

 大河が左腕に取りついた犬型の頭部を無造作に引き千切る。

 右足に組み付いたもう一匹は床ごと踏み砕き原型がわからないほどに粉砕。木端のトリオン兵ごときでは、もはやまともにダメージを与えることもできない。

 ずしん、と重苦しい音を立てて大河が一歩を踏み出す。それだけで床の亀裂がまたひとつ増えていく。その先にいた近界民は身を竦ませて飛び退った。

 

『こ、ころ殺殺殺殺――』

 

 もはや自我が存在しているのかも曖昧なうわごと。戦闘体は彼が人間であることを否定するかの如く異形と化し始めている。

 二人の近界民はそのありさまに言葉もなく動けないでいるらしい。

 しかしもっとも恐怖していたのはミサキである。

 あの犬型トリオン兵は限界まで膨らんだ風船に突き立った針のようなものだ。頑丈さゆえに破裂はしなかったが、あと何秒それが持つかわかったものではない。

 ――よくもそんな危険なことを。こちとら全メーターが振り切っていてどう対処すればいいのかもわからないのというのに。いや、それよりも。

 どうにかあれを落ち着かせなければならない――

 

「だああ、クソ兄貴が一番遠征艇壊しそうだっつーの……!」

 

 至極もっともなセリフを吐き捨てる。

 しかしぼやいても始まらないし、大河も止まらない。

 いまも徐々に外部調整が弾かれ始めている。

 すでに『フェンリル』へのトリオン供給出力は許容値を遥かにオーバー。ミサキは先ほどブレードを突き立てられた傷口から余剰トリオンを強制排出させてどうにか破裂を防ぐ。

 強化戦闘体に対する拘束たる"皮の鎖"も"筋の鎖"も、とっくに張り裂けた。足を踏み出せば床が割れ、制限が失われた供給量が戦闘体を変形させていく。

 

「拘束を再実行……! ――ダメよね、わかってたけど」

 

 いくら実行命令を繰り返しても、返ってくるのはエラーコードのみ。ミサキはコンソールもトリオン製なのをいいことに、それを両手で力いっぱい叩いた。

 

「外部からの調整じゃ、止めらんない……」

 

 ぼそりと呟きを落とす。

 もはや大河は外からコントロールできるような存在ではなくなってしまった。増水した河川の流れを変えられないように、外部調整では増大しすぎたトリオン量に対して影響を及ぼせない。

 さりとて、支流を作るが如く武器トリガーを起動しようものなら、そこから一気に決壊へと繋がるだろう。ハイドラはいわずもがな、虎爪を発動すれば数百メートルは伸びるであろう上に、けっして折れないそれを振り回したらどうなるか。

 いまの大河を止めるには、物理的か、あるいは言葉によってでしか為しえない。

 

 ではミサキが外に出て大河を止めるか。

 不可能だ。よもやミサキに対して攻撃を加えるようなことはないだろうが、止めることもまた無理であろう。

 さらに言えば、ミサキが敵の攻撃に晒された場合、よりひどい状況になるのは目に見えている。大河が大事にしている二つのもの。その両方に手をかけられては怒りが頂点に向かう速度が何倍にも早まるに違いない。そしてミサキが緊急脱出(ベイルアウト)でもしてしまえば、本当に大河を止める存在がなくなってしまう。

 その本人こそが危険に晒しているのだが……この状況では理解しても止まらないであろう。すでに導火線には火がついてしまっているのだ。火をつけた近界民が目の前にいるとなれば、理性を上回る怒りは消しにくい。

 

 ならば、言葉で止める。

 幸いにして、通信はまだ生きている。大河の呪言のような呟きは遠征艇にも届いている。もう意味のある言葉ではなさそうだったが。

 

「…………」

 

 ミサキが大きく息を吸い込む。

 モニターに映るは人の形を失いつつある肉親。

 あの暴走状態の兄を止める言葉は、彼女でも簡単には思いつきそうもなかった。理詰めなど聞く耳を持たないだろうし、感情で喚いたところで響くかもわからない。

 だから、ミサキはただ思いついたことだけを口から放った。

 

「ちょっと兄貴!」

『…………』

 

 反応はない。

 

「もうやばいって! 止まれ、止まりなさい!」

『…………』

 

 やはり反応は――

 

「止まってってば――お兄ちゃん!!」

『…………』

 

 返答はなかった。が、反応はあった。

 悲嘆するようなミサキの叫びに、膨張を続ける大河の戦闘体がびくりと震えて動きを止めた。

 ――好機!

 ミサキの目がぎらりと輝く。

 兄の耳に言葉が届いた。チャンスだ、唯一にして最初で最後の。おそらく限界は目前。これ以上暴走が続けば、間違いなく弾け飛ぶ。

 何年かぶりにした「お兄ちゃん」呼びを恥ずかしがる余裕もない。なんせまさに命がけなのだから。

 そうしてミサキは力の限り叫んだ。

 

「兄貴! こら! おすわり! 伏せ!!」

《…………おい》

 

 結果的に見れば、この試みは成功した。いや、大成功と言っても過言ではなかった。

 あの状態から持ちなおさせるのに言葉による説得など効果が薄いと言わざるを得なかったが、どうにかこうにか最後の一線を前にして、ミサキの声が彼に届いた。

 モニターを通じる音声ではなく、大河の戦闘体からの秘匿通信が返ってきて、ようやくミサキ――と同時にボーダー――は窮地を脱することができたのだった。

 

 

 

 




 


読んでいただきありがとうございます。
久しぶりにランキングに載ってて驚きました。その影響にも。

今話で判明したこと
「大河はキレると語彙力が下がる」


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第五十一話

 

 

 

 妹の必死な呼びかけにやっと自我を取り戻した大河ではあったものの、いまだ戦闘体は異形のままうごめいている。自意識は戻っても落ち着きを取り戻したわけではなく、『フェンリル』は大河の心境をまざまざと表現し続けていた。

 

《何が「少しは落ち着いた」よ。あたしに嘘つくなんていい度胸してるわね》

「《……悪かったよ》」

 

 憤るミサキの声に、若干心が静まっていくのを感じる大河。兄とは妹に勝てない生き物なのだ。

 とはいえ、若干である。この名状しがたき怒りをそう簡単に消せるかと問われれば、彼とて否と答えるしかない。

 

《兄貴が怒ってたら勝てるもんも勝てないでしょーが》

「《でもよう、あいつら……!》」

 

 いまにも地団太を踏み出しそうな様子で近界民を睨みつける。

 まるで駄々をこねる子どものようなその姿に、しかしミサキは諭すような声音でゆっくりと話しかけた。

 

《だから落ち着いてって。したら、あたしが兄貴を勝たせてあげるから》

「《むう……。わかった、頼む》」

 

 そうしてようやく大河は本当に落ち着くことができた。

 いままでも、おそらくはこれからも、ミサキは大河の生命線足り得るだろう。その事実に頭の隅で冷静さが生まれ、そこから温度が伝播していくように気勢が失われる。

 強化戦闘体はいくつかの骨格を破損してはいたが、幸いなことに重要な器官は無事であったようだった。膨張時と同じく不穏な音を立てつつも、ゆっくりと元の姿を取り戻していく。膨れ上がったぶんの過剰なトリオンは、ミサキの調整によりあえて治癒機能を止めた傷口から噴射する勢いで排出、大気と反応させ消滅させた。

 

 大河が再起動すると同時に、敵の近界民も気を取り直したらしく、二人いるうちの若そうなほうが円環状のブレードトリガーを射出した。

 

「《でもどうすんだ? あいつら緊急脱出(ベイルアウト)持ってるっぽかったけどよ》」

 

 サイドエフェクトで特殊な効果はないと見た大河が攻撃を回避しつつそう尋ねると、ミサキから呆れたような声音が返ってくる。

 

《むしろあたしが聞きたいわね。兄貴はどうやってあいつら殺す気だったわけ?》

「《ぐ……! 悪かったって!》」

 

 彼女の言う通り、考えなしに敵を叩き潰していたら、それこそそのまま逃げられていたであろう。

 痛いところを突かれた大河はしかし、心当たりが一つだけあった。

 戦闘体の行動を封じる攻撃方法。トリガーの発動をも封鎖する内部攻撃。

 『思考追跡(トレース)』で大河の考えを読み取ったミサキも同意を示す。

 

《そ。電撃なら緊急脱出(ベイルアウト)を防げるかもしれない。でも結局それは本人の意思での起動を妨害するだけであって、戦闘体の破壊を引き金(トリガー)に自動で発動するタイプなら撃破は無理よ》

「《んじゃどうするんだよ》」

《ボーダーで使ってるものと同じ性能と仮定するなら、不発させるには距離が必要ね。でもこいつらを基地から引きずり出して数キロ先まで行くなんてのは現実的じゃない》

「《まあ、ふつうに警戒区域外だしな》」

 

 感情を押し殺した冷たい頭で考えても、敵の脱出を防ぐ術は出てこない。

 しかしミサキはあっけらかんと答えた。

 

《だから仮想空間に放り込む》

「《あ、なるほど》」

《具体的にはあたしたちの部屋か開発室にある兄貴専用の広域空間。仮想空間である時点で脱出先とのリンクは切れるだろうけど、念のために距離も稼いでおきたいし》

 

 仮想訓練システムによる空間保持は向こう側(ヽヽヽヽ)のスペースを利用することで成り立っている。それは基本的に玄界外周から取られるものであるが、仮に敵の遠征艇が近くを漂っていたとしても完全に隔絶された空間であるため通信も届かず、また緊急脱出(ベイルアウト)の有効範囲にも含まれない。

 ただしそれは敵の緊急脱出(ベイルアウト)システムがボーダーと同じものであることが前提だ。

 先ほど大河が一人仕留めた際に見た限りでは、敵のそれは小型のゲートを開いて脱出する仕組みであることがうかがえる。詳細がわからない以上、隔絶空間かつ、長距離をとってから発動させるのがベストであろう。

 その点で言えば大河用の仮想空間はすべての項目を満たしている。

 中心となるボーダー基地から半径50km――上空含む――に設定されているのだ。敵の脱出機能の有効距離をボーダーの十倍と仮定してもお釣りがくる。

 そこへ仮想訓練用ではなく実際に空間を生成して入り、緊急脱出(ベイルアウト)も遮断状態にすれば内部から脱出することが不可能な檻となるはずだ。

 

「《避難警報も出てないし開発室は人がいるか》」

《そーね。あたしたちの部屋ならスイッチボックスで一発だし》

 

 狙いは決まった。

 けれども事がそう簡単に運べるとは限らない。

 

「《しっかし難しいことには変わりねーな。狙いは一人に絞りてえけど、たぶんこいつら一人落ちたら脱出すんだろ》」

 

 敵が使うチャクラムのような武器と犬型のトリオン兵。そして巨大なアームを展開した異形のトリガー。それらを素手(ヽヽ)で捌きながら大河がぼやく。

 頭は冷えたが怒りは未だ消えていない。いま虎爪を起動すればおそらくミサキの制御を振り切って長大なものになってしまうだろう。ゆえに大河は徒手空拳による回避を主な行動としていた。

 それはさておき注目すべきは敵の動きだ。

 完全にはバラけず、かといって固まっているわけでもなく。木崎のような巨躯の近界民を、部下であろう若い近界民がサポートする形の陣形を組んでいる。

 それでいて素手である大河に対してもかなりの警戒をしており、前がかりな戦い方はしてこない。メインとサポートがはっきりしている以上、それが崩されたら終わりだと彼らも認識しているようだ。

 

 そしてそれは正解だった。

 

 

 

 ガトリンは敵兵の異様な変形からの回復、その際に観測できた膨大なトリオン値を確認してから、たった二人で相手をするには荷が勝ちすぎると判断していた。

 だが武器トリガーを使わず、――これも常軌を逸しているが――素手での回避行動をとり始めたのを見て、そこになんらかの狙いを見て取った。

 

「《手加減……されてますよね》」

「《おそらくな》」

 

 ラタリコフも不穏な空気を感じ取っている。

 本気を出せば黒トリガーでもない自分たちなど歯牙にもかけない実力を持っているであろう玄界の兵。それをあえて、しかもあの異常な激憤のあとに戦闘を長引かせる意味とは。

 ――おそらくは、捕縛を狙っている。

 やはり、と言うべきか。脱出機能を見たあとにそのような戦法を取るのであれば、その上からトリガー使いを無力化する技術なりトリガーなりを持っているとみて間違いないはず。

 

(いけるか……?)

 

 ガトリンが手に持った大砲を見やる。

 もうすぐ二発目の充填も終わる。隙を見て格納庫に叩き込めば任務は終了する。しかし自分かラタリコフのどちらかが落ちれば確実にそれは失敗するだろう。そして邪魔者がいなくなったあと、敵は捕縛のために動き出すはずである。

 

「《繰り返すが俺がやられたら即離脱。これを徹底しろ》」

「《了解です》」

 

 己を補佐するラタリコフに再三忠告する。

 いまの状況が危険であることは百も承知。だがここまできて撤退というのも憚られた。

 おそらく敵基地への侵入ができるのは、いまが最初で最後。()では敵戦力の追加があったらしく、トリオン兵の損耗もかなり激しいようである。このままでは足止めすらできなくなるほどに。

 本国からの追加派兵という手もあるにはある。しかしそこまでするとガロプラの負担が大きすぎる上に、玄界に対し完全なる戦争行為を始める意味となる。玄界の戦力を見たガトリンとしては、向こうが「根絶」を考え始めるような行動は慎みたかった。

 

(ドグの残りは……五体か。出し惜しみは無意味だな)

 

 もう何匹目かもわからないドグがまた頭を捻じ切られ、その身体を『踊り手(デスピニス)』の盾にされる。数を出しすぎるとコントロールが利かなくなるが、多少動きが雑になろうとも『虎』の意識が割ければそれでいいとすべてを解き放つ。

 そしてそれらがまた粉砕される前に、ガトリンは賭けに出ることにした。

 

「《俺が『処刑人(バシリッサ)』で組み付く。大砲はおまえが撃て》」

「《接触するのは危険ではありませんか? いまの距離で何もしてこないということは、もし敵が捕縛用トリガーを持っていた場合、接触して発動するタイプの可能性が高いと思われますが》」

 

 そのもっともな言い分にはガトリンも頷きつつ、しかし己の考えでもってそれを否定した。

 

「《接触して発動するタイプと思えるが、やつ自身はこちらに接近する様子を見せていない。確証はないが相手が多数いると意味がないか、もしくは簡単に防げるものなのだろう。たとえば触れている間は相手の動きを止められるが自分も動けなくなる、とかな》」

「《……なるほど》」

「《一人ずつ仕留めないところからして、一撃・一瞬で捕縛できる類のものではないことは確実。俺が組み付いたあと俺を撃破するか無力化しようとするかのどちらかだろうが、その隙さえあれば大砲を撃ちこむのに支障はない》」

「《わかりました。……お気をつけて》」

 

 ラタリコフの警告にガトリンは当たり前だ、と無言の肯定を示した。

 異常な膂力をもった戦闘体。超硬度を誇る『処刑人(バシリッサ)』であっても油断はできない。

 そして敵がトリガーを使わない理由は未だ不明であるが、最初に使用したシールドだけは確認している。硬く、分厚いそれをどの程度の距離にまで発動できるかはまだわからないのだ。もしかすると捕縛用のトリガーを使いながらでもシールドだけは発動できるという可能性も少なからずある。

 ゆえにできるだけ距離を取り、敵の動きを止めて遠征艇を破壊する。

 それは現状で立てられる作戦のうち、もっとも効果的かつ効率のよいものであった。

 

「《…………いまだ!》」

 

 ガトリンが隙を見計らって『虎』にアームを叩きつけた。同時に大砲をラタリコフへと投げ渡す。

 さすがにアーム先の爪部分を避けるように受け止めた『虎』はそれを視線で追い、しかし止めようとはせずに『処刑人(バシリッサ)』の大型アームに手をかけた。

 途端、耳障りな音を立ててひしゃげ、歪み始める『処刑人(バシリッサ)』。超硬度を誇るガロプラ自慢の逸品、そのもっとも硬く太い部分に指がめり込み、ひびが広がっていく。

 驚くべき光景にしかし、ガトリンは想定の範囲内だと歯を食いしばって敵を押さえ込むべく全力でトリガーを稼働させた。

 すでに大砲はラタリコフの手にある。

 数秒、あと数秒耐えきれれば任務は完了する。

 ガトリンは己が立てた作戦が着実に成功に向かっていることを確信していた。

 

 ただひとつ、誤算があったとすれば。

 

 

 

「……馬鹿な!?」

 

 大河の背後で大砲が弾かれたことを受け、敵の近界民が驚愕に目を見開く。

 そこには翡翠色の巨大なスクリーンが浮かび上がっており、それが絶大な威力を誇るはずのトリオン(カノン)を完全に遮断したのである。

 シールド。一言で言えばただのそれ。

 先ほど大河が使ったものと同じであり、大型になったぶん面積当たりの防御力は減少してはいるものの、それでもなお近界民たちが信頼していたであろう高火力砲を防ぎきる力を持っている。

 

「あー、大丈夫とわかっててもヒヤヒヤするぜ。なあオイ? よくもやってくれたよなあ、クソ野郎……!」

「……!」

 

 身体を押さえつけるトリガーのアームを砕き潰し、そのまま大河は敵近界民の顔面を掴んで床に叩きつけた。

 いま大砲を防いだのは大河ではない。あれはミサキによるものだ。

 ただし本人のトリガーではなく、搭乗している遠征艇のもの。

 ミサキにより『空飛ぶタイガー号(ティーゲル・ボラーレ)』と名付けられた大河専用の遠征艇は、彼の莫大なトリオン量の恩恵を受け、さまざまな機能を有する戦闘兵器である。

 本人に負けず劣らずの広範囲爆撃を可能とする攻撃用トリガーをはじめ、透明化や探知無効化などのステルス機能、そして強固な防御機能をも獲得している。

 トリオン兵を模した遠征艇は外骨格もそれなりに頑丈にできているものの、さすがに素の状態でいまの大砲を受ければ破損は免れない。しかしながらトリガーを用いての防御、すなわちシールドを発動すれば大抵の攻撃は無に帰すことになる。

 そしてもっとも特筆すべきは、大河自身のトリオンを使ってはいても、それは一時的に貯められたものであるという点である。

 

「ラタ!!」

 

 格納庫から噴き出す光の奔流のような攻撃に、隊長格が部下の名らしき言葉を叫ぶ。だがラタと呼ばれた近界民は呆然と突っ立っていた場所から逃げることもできずに消し飛び、脱出機能を発動させて消え去った。

 

 貯蓄トリオンの使用。それすなわち、莫大なトリオンを持ちながらも異常な出力によってまともに運用できない大河とは違い、遠征艇のトリガーは豊富なトリオンを効率的に使いこなせるということ。

 完璧にコントロールできるからこそ、いまこの場、基地内においても遠征艇トリガーの使用は禁止されていない。

 近界侵攻において殲滅戦を仕掛ける場合、本来であれば大河が搭乗したまま無限に等しいトリオンを供給して遠征艇による攻撃を行うのがもっとも効率がいい。そうしないのは単に近界民を殺してトリオン器官を抉ることこそが大河の目的であるからに他ならない。

 ともあれ、当初の目論見通り大河は敵性近界民との一対一に持ち込むことができた。あとは――

 

「てめえは逃がさねえ!」

「な――がああああアアあああッ!!?」

 

 大河は試作型放電用トリガーを発動し、敵の動きを封じにかかった。

 このトリガーだけは暴走状態にあっても無理なく発動することができる。それは発電効率が著しく悪いのに加え、『フェンリル』の伝達系に耐電性を持たせることができたからだ。いまでは最初期の実験において、自殺行為としか思えなかった出力の連続稼働でさえも耐えきることができる。

 

「ぎぃあっ、あああぎゃあアアアああああ!!」

 

 プラズマが発生するような超高圧高電流が絶え間なく注ぎ込まれ、近界民の戦闘体に紫電が覆いかぶさった。トリオンでできた床も戦闘体も形こそ失わないが、空気が破裂し、閃光が迸る様子は地獄もかくやと言ったところ。もしこの地下格納庫に誰かが生身でいたならば、少し離れた程度では目と耳に異常が発生していたことだろう。

 

「ああああっがァアア、っ、っあああアア!!!」

 

 強力な電気攻撃が内部回路に食い込んでエラーを引き起こさせる。痛覚の遮断も、緊急脱出(ベイルアウト)発動の意思も関係ない。それが伝達系を通る信号である限り、不規則に発生し続けるエラーがその自由を許さない。

 

「痛てえよなあ、痛てえだろ。さんざん自分で味わったからその辛さはわかるぜ」

 

 凄惨な笑みを浮かべて挑発するも、それが近界民に聞こえることはない。

 連続的な電気的攻撃はあらゆる誤作動を引き起こす。つまり、感覚器官は強弱設定を絶え間なく繰り返し、結果として視界の明滅・失聴・断続的な激痛などをもたらすのだ。

 この極大電流を一瞬でも痛覚透過率100%で受ければ、文字通り死ぬような痛みが全身に駆け巡る。だが実際の生身は感電もしてなければ損傷もしておらず、トリガーホルダー内での生命活動になんら影響を受けていない。たとえ痛みに気絶しようとも、不規則に襲い来る地獄の激痛が意識を強制的に覚醒させてしまう。そして満足に動かせぬ身体では脱出することさえかなわない。

 実験を重ねた結果、とくに伝達脳付近に両手を置いて発動するとより効果的にその苦痛を与えられることがわかっている。ちなみに犠牲者は三輪である。

 

 哀れな弟分の献身はさておき、いまの時点で脱出機能が発動していないところを見るに、これはトリガーチップのような後付ではなく、ボーダーがそうしているようにトリガー自体に機能を付随させているものと思われる。でなければ稀に武装のオンオフも引き起こしてしまう電撃では逆に脱出機能の発動を促してしまっているはずだ。現に近界民のアームはもがくように暴れており、追加武装らしきものが辺りに散乱し始めている。

 

 これも実験で判明したこと。度重なる放電が行われても、『ジャガーノート』は誤爆したが緊急脱出(ベイルアウト)は発動しなかった。まあ、前者が発動した時点で連鎖的に緊急脱出(ベイルアウト)もするはめにはなるが……理論的には誤作動では「武装」しか発現しないとわかっている。

 この部分は賭けでしかなかったが、大河たちはそれに勝てたらしい。

 しかしながらいつまでも続けられるわけでもない。

 いくらエラーが起ころうとも電撃のみではトリオンでできている回路自体を傷つけることはできず、また各感覚の不協和音のなか難しいだろうが緊急脱出(ベイルアウト)起動の意思を固く保ち続ければ、いずれはそれが発動する可能性もわずかながらある。

 

 電撃を止めたあと戦闘体の機能が回復するのにおよそ五秒ほど。その時間で訓練室に叩き込み、仮想空間に送らねばならない。

 放電攻撃の発動中、大河自身も耐えられるとはいえ電波状の信号がかき消されるためか通信が行えず、かといって基地上層での戦闘は禁じられているがゆえに歩いて向かうわけにもいかない。しかしそこはミサキのサイドエフェクトにより完璧なフォローがなされた。

 

「頼むぜミサキー」

「よっと。んじゃワープ設置しとくよ。先に行って準備してるから」

 

 大河の背後にワープすると自身も危険に晒されるので遠征艇から現れ、短い時間ですぐにまた姿を消すミサキ。

 通信はできないが会話は可能。いや、いまも落雷を凌駕する轟音が響き渡っているため実質的に音声会話は不可能であるが、『思考追跡(トレース)』さえあれば意志の疎通はできる。

 大河にそれは備わっていないものの、事前の打ち合わせがあればこれからどうすればいいかくらいはわかる。タイミングなどはミサキが合わせてくれると信じてもいた。

 

「そんじゃあ地獄に招待してやるとすっか。てめえには聞きたいことも言いたいことも山ほどある」

 

 痛みに叫喚し続ける近界民を見下ろし、そう(うそぶ)く大河。

 この近界民を殺すことはもう諦めた。いや、この近界民はもう殺してやらない(ヽヽヽヽヽヽヽ)

 遠征艇とミサキ、およそ自分が大切にしているものすべてに刃を向けたこの近界民に対し、大河はただ殺すなんてだけで矛を収められそうになかった。

 ガロプラとかいう国を消す。潰してやる。完全に、完璧に、徹底的なまでに殲滅してくれよう。そのさまを特等席で眺めさせてやる。そうして初めて、初めて(ヽヽヽ)抱いた激情を収めることができる。大河はそう思っていた。

 ここで起きたすべては己の責任によるもの。ならば捕らえた近界民の処遇もまた、己に一任されるが道理。

 そうしてどす黒い感情を顔に張り付けたまま、スイッチボックスによる転移で大河は姿を消した。哀れな捕虜を握りつぶさないように気をつけながら。

 

 

 

 




 





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第五十二話

 


注:痛い描写があります。


 


 

 

 

 結果として、敵性近界民(ネイバー)の捕縛は完璧な成功を収めたと言えよう。

 捕獲したのが隊長格らしかったのも功を奏して、ミサキがそれを司令部に伝えると同時に地上での戦闘も終息に向かい始めていったらしい。敵が引いていくのなら、大河も本来の配置である地上迎撃部隊に合流しなくともいいだろう。むしろ拒否される可能性のほうが高いかもしれないが。

 

 何はともあれ、戦闘は終わった。

 ゆえにこれから始まるのは戦闘ではなく、

 

「…………」

「さて、と……」

 

 近界民に対する拷問である。

 

 三門市全域を越え、その周辺までをも模した仮想空間。街を囲むように連なる山岳のうち、ミサキが適当に選んだ山の頂上にある展望広場で、大河と近界民が対峙している。

 ここに入ってすぐ、大河は近界民の戦闘体を無造作に引き千切ってトリガーを強制解除させており、その後はなんら拘束などを行ってはいない。所持していた簡易トリガーはすべて奪い取ってあるし、生身である時点で大河の強化戦闘体に危害を加えることなど不可能だからだ。

 また、脱出もしかり。

 

 トリガー空間には二つの種類がある。

 ひとつは"こちらの世界"と接続されているタイプ。これは各隊作戦室のトレーニングルームのように、常時生成されていてドアなどから出入りが自由なもの。トリガーを起動しておらずとも入退室は自由だ。

 もうひとつは現在使用している、通信以外が隔絶されているタイプ。こちらはランク戦などに使われる、転送によってのみ進入可能な空間である。ほとんどの場合は仮想訓練形式のものだが、実際に空間を生成することも可能だ。コストを度外視すれば、であるが。

 ここから出るには戦闘体からシステムにアクセス――緊急脱出(ベイルアウト)含む――するか、仮想空間が解除されるのを待つしかない。

 いまは緊急脱出(ベイルアウト)による脱出も封鎖されているため、大河の目の前にいる近界民には逃げ場など微塵も残されていないということだ。

 

「ガロプラ、っつったよなあ、おまえら」

 

 鋭い視線で近界民を射抜く。

 

「……」

「おまえの名前は?」

「……」

 

 近界民は答えない。

 大河はいらいらしながら頭を掻いた。素手にも関わらず引っ掻いた部分からトリオンが噴き出てしまう。蒸気機関のような勢いで排出されたせいで、わずかに大河の頭が傾げた。

 先ほどは拷問が始まる、と述べたが、それも単純な行為とは言えない。とくにいまの大河にとっては。

 頭を掻いただけで自傷行為になったように、現在も出力の調整が危ういのだ。

 この状態で手をかければ問答の余地もなく近界民は死んでしまうだろう。

 怒りの向くまま顔を殴ろうものなら頭部が木端微塵になるか、頭蓋が三回半捻りをした挙句どこぞへと飛んでいくに違いないし、腹を殴ればそれこそ身体は真っ二つになること請け合いだ。

 ゆえに大河はゆっくりと近界民に近づいて、その左腕を持ちあげるように掴んだ。近界民は自らの運命を悟っているのか、暴れたり逃げたりする様子を見せない。

 大河はやりすぎないよう気をつけながら、じわりじわりと手のひらを締めていく。

 

「ぐっ、……!」

「さっさと答えろ」

 

 近界民は警告を無視してまでも答えない。

 舌打ちとともにぐしゃりと音がして、近界民の丸太のようだった腕が一部、枯れ木ほどの細さにまで握りつぶされた。極度の圧迫により、見るも無残な傷跡が残る。適切な治療を施しても元に戻るかはわからない。

 

「……がっ、あぁ……!」

 

 それでも、返答はなかった。

 

「よほど死にてえらしいな」

「……殺せ」

 

 脅しに対してだけ短く答えた近界民に、大河は震脚でもって返した。

 山が崩れそうな振動が響き、ガロプラ製の薄い軍靴、その右つま先が肉ごと千切れて地面に沈む。

 

「ぎッ!?」

「――ふー……。イラつくぜ。おまえは殺してやらねえって決めたけどイラつくぜ……!」

 

 またがりがりと頭を掻いた大河はおもむろにハイドラを起動させ、充分に近界民と距離を取ってから大声で脅しつけた。

 

「いまからする質問に答えなかったら、ひとつにつき一万! おまえの国の近界民を殺す!」

 

 物騒な脅し文句を言い終えて、メテオラを装填した砲塔に火を吹かせる。

 狙いは三門市周辺、反対側の山。

 猛る怒りの炎が込められたハイドラは、放った瞬間に自爆でもしたのかと思わせるような破壊を周囲に撒き散らした。木々はもれなく粉砕され、衝撃波だけで地表が波打ち、吹き飛んでいく。

 轟音とともに飛翔し、瞬く間に数十キロは離れているであろう山頂に吸い込まれていったメテオラは、遠目から見ても巨大に過ぎる火輪を生み出して山全体のおよそ半分ほどを抉り取った。

 これといった特徴のなかった山岳は融解して活火山のように真っ赤に染まり、遅れて爆音がここまでも届く。

 そのさまを見せつけられた近界民は無残に吹き飛んだ山を呆然と見つめ、力なく膝をついて諦めたように大河のほうに向きなおったのだった。

 

「さっさと名前を言え」

 

 ずしんと響く足音で近界民の前に立つ大河。

 頭部から漏れ出るトリオンのせいで格好がつかないが、それがかえって凶貌を引き立てていた。

 

「……ガトリンだ」

 

 諦観した表情でガトリンと名乗った近界民に、大河は無感動なまま続けて質問していく。

 

「なんで遠征艇を狙った」

「……? 知っていて待ち構えていたのではないのか?」

「まずは一万」

「……っ!」

 

 ――答えなければ国民(ネイバー)を殺す。

 本気だと受け取ったガトリンはぎくりと身をすくませてから、言葉を選ぶようにゆっくりと答えた。

 

「我々の目的は玄界(ミデン)の足止めだ。玄界の基地に遠征艇が二隻しかないのを確認して、それを破壊することがもっとも効率がいいと判断した」

「……そうかよ」

 

 ぎりぎりと歯を鳴らす大河を見て、ガトリンは己の失態を悔いていた。

 遠征艇の破壊。それは「追ってこられないようにする」という点ではやはり確実とまで言えるほどに有効であっただろう。玄界のトリガー技術はここ数年で急激な成長を遂げてはいるものの、遠征艇の建造には自分たちの国と同じくらいに長い時間がかかるはず。

 誤算があったとすれば、遠征艇自体に強い思い入れを持った人間がいたということ。そしてそれが、よりにもよって『虎』であったことだ。

 結局この男はシールドと電撃トリガー以外は何も使わず、素手で二人の精鋭を抑えきったのだ。おそらく黒トリガーですらないというのに。

 

「次だ。おまえの仲間は何人いる?」

 

 大河は極めて平淡な口調で聞いたが、ガトリンにはそうは見えなかった。

 この男は初めて見たときからずっと、異様なまでの怒りを撒き散らしている――

 それだけ大河にとって遠征艇が大事なものであり、ガトリンはその禁忌に触れてしまったのだと実感した。戦う過程で見せた暴走や、ウェン・ソーを襲ったときの咆哮。そしていまも引き絞られた瞳孔に怒りが渦巻いている。

 仲間は何人いるのか。

 答えたくはないし、答えるべきではない。しかし大河が「質問に答えなければガロプラの民を殺す」と言ったのが本気であり、それができるだけの力も持っていると見せつけられたガトリンには口を閉ざすことなどできはしなかった。

 左前腕部と右つま先からは少なくない血がいまも流れ続けている。だがどうにかここで自害できたとしても無意味だろう。ガトリンが独り死を迎えたところでこの『虎』は止まらず、その牙はガロプラに剥く。

 

「……俺を除き、五人いる」

「ロドクルーンとかいう連中は?」

「知らない。少なくとも二人とは通信で話したがそれ以上はわからない」

「ふうん……」

 

 観察されている感覚。

 何かしらの嘘を見破れるタイプのサイドエフェクトによるものか、とガトリンはさらに己の窮地の絶望的状況を思い知る。

 

「俺はおまえを捕まえたけどよ、それでおまえらの仲間は攻撃を諦めるのか?」

「……攻撃はやめないだろう。我々に命令したのはアフトクラトルで、やつらは我が国のマザートリガーを押さえている。やれと言われれば死んでもやらなければならない」

「はん、難儀なこったな」

 

 そう言いつつ、哀れみなど微塵も感じさせない声音で吐き捨てる。

 そして、留めていた感情を爆発させたかのように、大河は熱量を湛えた怒声で尋ねた。

 

「質問はこれが最後だ。てめえがガロプラ代表だと思って心して答えな」

 

 大仰に、ガトリンに向けて指を二本立てて。

 

「――アフトクラトルに滅ぼされるか、俺に滅ぼされるか。

 二つに一つだ、好きな方を選べ……!」

 

 食いしばられた歯がぎちりと鳴る。

 大河のそれは、獲物を食らうためではなく、殺すためだけに存在するかのような冷々たる鋭さを見せつけていた。

 

「…………!」

 

 ガトリンに投げかけられた重すぎる問い。

 ガロプラの命運をかけた二択。

 

 任務失敗でアフトクラトルに見放され、吸収されるか。

 玄界と完全に敵対し、物理的に滅ぼされるか。

 

 たかがひとつの任務を仕損じたところで、アフトクラトルがガロプラになんらかのペナルティを課すとは思えない。だがここで玄界に屈服し、アフトクラトル追撃に力を貸せばその限りではないだろう。

 裏切り者が出た国を、やつらが放置するはずがない。むしろ嬉々としてガロプラの戦力・技術を根こそぎ奪っていくはずだ。

 そうなったなら、もはやガロプラという国は(ほろ)んだも同義。人もトリガーも奪い尽された跡には、荒野しか残らない。

 かといってここで玄界を拒絶したならば、目の前にいる男は間違いなくガロプラに侵攻する。あの大砲を向けられたら、小さな村など一撃で消し飛んでしまう。

 強奪ではなく殺戮。怨恨によって動くこの男に交渉など無意味。ガロプラの抵抗など有って無いようなものだ。おそらくは二日か三日で、故郷の星は完全に塵と化すに違いない。

 

「……くっ……!」

 

 提示された二択は、どちらをとってもガロプラという存在が無くなることを意味している。いまだかつて味わったことのない重圧に、ガトリンの額に汗がにじむ。

 しかしそれぞれの選択肢の重さは同じではなかった。

 もしアフトクラトルに吸収されたとしても、ガロプラ出身者の一部は兵士化やトリオン生産のために生かされることは間違いない。小国ながらも精鋭揃いというのがガロプラの売りなのだから、そこに目をつけないアフトクラトルではないはずだ。

 逆に、玄界――否、大河と敵対したのなら。

 ガロプラという国は、消滅する。比喩ではなく、文字通り消えて無くなる。

 国土も、国民も、マザートリガーも。最初から無かったもののように、あっけなく。

 

「……わかった」

 

 実質的にガトリンには選択肢などなかった。

 国を思えばこそアフトクラトルの命令に従い玄界に侵攻した彼はいま、国を思うからこそアフトクラトルを裏切ることを強要されている。

 だが抵抗できるはずもない。国のため――すなわちそこに住む民のために彼はここに立っているのだから。

 

「我々は……投降する」

 

 ガトリンは膝を突いたまま両手を挙げた。片方は前腕部から先がだらりと垂れ下がってはいたが。

 無抵抗、降伏、服従の姿勢。

 ここに、ガロプラ遠征部隊の意志は完全に潰えたのであった。

 

 

 

 




 


本格的に捕獲……ふふっ(爆死

原作だとどうなるんでしょうね。ガロプラがまた出てくるのは確定みたいですが。
 


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第五十三話

 

 

 

 ボーダーはガトリンの投降を受けて、その部下たちも捕らえることに成功した。

 ガトリンから部隊固有の通信周波数を聞きだした大河が本部作戦室にそれを伝え、基地から発せられた通信を捉えたガロプラ遠征部隊に忍田が投降を促したのである。

 当初はガトリンの捕縛は認知していながらも通信の内容を信じなかったガロプラの部隊であったが、ガトリン本人による証明暗号の開示と説得によって渋々ではあったもののそれに従った。

 基地中央、遠征艇離着陸場に遠征艇を着底させ、非武装状態で降りてくること。

 そう伝えたボーダーによる厳重警戒のなか、ガロプラ遠征艇は言われたとおりに着陸し、その部隊員たちは無抵抗のまま囚われることになったのだった。

 

 しかし、だ。六人もの捕虜。はっきり言ってその数は多すぎる。

 情報を引き出すだけなら――サイドエフェクトありきではあるものの――二人か三人ほどいれば済む。それ以上は無意味というより、無用だ。

 それを理由に大河は何人かの近界民(ネイバー)は殺処分することを提案したが、さすがにそれは上層部に却下された。城戸も捕虜を無価値と断ずるには早すぎるとして保留とし、近界民たちは狭い仮想空間を檻に一様に閉じ込められることとなった。

 

 

 

* * *

 

 

 

「隊長……なんで、投降なんか……」

 

 何もない空間に押し込められたガロプラ遠征部隊の一人、レギンデッツが俯いたまま言葉をもらす。

 それは問いのようでいて独り言のようでもあった。

 拷問で受けた傷に治療を施されたガトリンは短く嘆息して、これもまた独り言のように呟く。

 

「……予想外のことが多すぎた。玄界(ミデン)は……アフトよりも危険だ」

 

 頼りになるはずの隊長がこぼした弱音のような呟きに、レギンデッツは強く反駁した。

 

「それでも! 任務失敗だけならまだしも、玄界に協力するなんて――」

 

 これは完全なる背信行為である。このことがアフトクラトルに知られようものなら、ガロプラの立場はいまよりさらに悪いものになる。

 ならば任務を遂げられなかったとしても、死んでそこで終わりになったほうがマシ。そういう意味の言葉を叫ぼうとしたレギンデッツであったが、横から副隊長が遮ってそれを諫めた。

 

「レギー。やめなよ。これは隊長の決定だし……僕もこの判断を間違いだとは思わない」

 

 負傷した隊長に代わりコスケロが"交渉"を担当した玄界人との会話を思い出す。

 そこで得た情報は、ガトリンの心を折った個人戦力の話とは別に玄界の脅威を物語っていた。

 ――ここは、玄界の一端でしかない。

 一端どころか、辺境の地とでも言っていいほどの規模である、と。

 事前の調査で市街地にはおよそ30万ほどの市民が住んでいると推測されたが、玄界からすればそれは全体の1%にも満たない人口なのだと。

 

 人口の多さは、国の強さ。

 玄界の全人口のトリオンをかき集めたら、どれだけのトリオン兵を作れるのだろうか。兵士を選別すればどれだけの精鋭が並ぶのだろうか。そう考えただけで怖気(おぞけ)が走る。

 しかも恐るべきことに、この国は日常生活にトリオンをまったく使わないという。

 すなわち、夜の海を漂う国々のように他国の人材を必要とはしないのである。

 それならばガトリンが迫られたという悪夢のような二択も裏付けられる。

 国を落としたところで、玄界はそれを必要としない。ならばどうするのか?

 ……消すのだろう。敵対した以上放置はできまい。かといって玄界は獲得した国民になんら使い道を見出せない。むしろ邪魔でさえあるのかもしれない。ならば滅してしまうのが手っ取り早く確実だ。

 なんと恐ろしい国か。これを敵に回すのならアフトクラトルを裏切ったほうがまだマシだとガトリンは判断したのだろう。

 コスケロも賛成だった。消滅させられるくらいなら吸収されたほうがまだいい。弾圧がごとき合併だとしても、少しでも民が生き残れる可能性に賭けたい。

 

「副隊長まで……!」

 

 しかしレギンデッツにはまだ納得がいかなかったようだ。

 彼も理解はできた。本当に玄界がアフトクラトルより危険な国であるのなら、どちらについたほうがいいかなんて考えなくともわかる。心身ともに剛健たる隊長が玄界の力を実際に見せつけられてそう思ったのならそれは事実でもあるのだろう。

 けれども彼は今回の攻撃において玄界の兵と直接戦闘を行っていない。自分の戦闘用トリガーすら起動していないのである。

 陽動と誘引。それが彼に任された役割であり、作戦の要。だが全力を出せなかったことが彼の納得を妨げていた。

 ただやられただけ。いいようにあしらわれ、捕縛されただけ。これではなんのために来たのかもわかりやしない。祖国のためか、アフトクラトルのためか。それすら判然としないのだ。

 

「オレは……納得なんてできねぇっスよ!」

「レギーあんたいい加減にしなよ」

 

 床を叩いたレギンデッツを、ウェンが憮然とした声音で諫める。膝を抱いて座ったまま、わめく仲間に鋭い視線を投げつけた。

 しかしその裏で、内心彼女もまた己がなんの役にも立たなかったことに憤りを感じていた。

 突然の『虎』の強襲。天井から降って湧いたそれに踏みつけられ、何がなんだかわからないうちに首をもがれた(ヽヽヽヽ)

 足止めの「あ」の字も出ることなく撃破され、そのうえ脱出機能を露見させてしまったのである。その失態が隊長の捕縛にも繋がっているとなれば、彼女が抱く自責の念の大きさは言わずもがなだろう。

 けれども、いま話すべきは過ぎたことではなくこれからのこと。ちらりと隊長に視線をやって、ウェンはぼそりと尋ねる。

 

「でも実際、あたしたちはこれからどうするの?」

 

 どうなるの、とも聞こえたそれに、ガトリンは残った右手で眉間のしわを揉みながら考える。

 ガロプラが存続するための道はある。しかしそれが正しい道なのかはわからない。

 アフトクラトルの脅威、玄界の戦力、ガロプラの現状。負傷の熱に浮かされる思考は混沌としていて、頭の中ですらまとまらなくなっていく。

 

「策はある。だが、もう少し考えさせてくれ……」

 

 

 

――――――

――――

――

 

 

 

 敵性近界民の無力化に成功。しかし大河の機嫌はそこまでいいものにはならなかった。

 それというのも、結局一匹たりとも手にかけることができなかったからだ。

 殺してやらない(ヽヽヽヽヽヽヽ)と決めたのはガトリンだけ。残りの有象無象は憂さ晴らしの足しにでもしてやりたかったのに、ボーダー上層部および城戸はそれを許さなかった。

 そもそもにして、ボーダーは捕虜の近界民の扱いが杜撰すぎる、と大河は憤っていた。呆れている、と言い換えてもいい。

 捕虜たちの手足を折るでもなく、個別に収監もしない。食事は出るし排泄の自由すらあるという。

 ――ぬるすぎる。

 最低でも両手両足は叩き折って、その上で両目も潰しておくのがベストだ。これは近界民を恨んでいるからなどではなく、単にいままで危険回避のためにそうしてきたというだけのこと。

 隙を見せてはならない。目の前に起死回生の一手(トリガー)が転がっていても、それを手に取ることすらできない状態にしておかねば放置などしてはいけない。

 ぬるすぎて、あくびが出そうで、それがまたいらいらを上乗せしていく。

 

 だいたい玄界の軌道周辺にはまだガロプラもロドクルーンも浮かんでいるのだ。

 応援部隊が来ないとは限らないし、そもそもロドクルーンの遠征部隊は現存している。

 とはいえトリオン兵主体のロドクルーンなどボーダーの敵ではないことがすでにわかっているし、であるならば大河はその国に飛んでいって根本から断絶してやればいいとさえ思っていた。

 これもまた、上層部には却下されたが。

 大河の遠征艇も公開遠征に向けてチューンナップと増築が予定されているためだ。いま(ふね)を出すわけにはいかない。これは最優先事項であり、決定した城戸にも覆すことのできない絶対のもの。

 さすがの大河も遠征艇なしに単独による星間飛行などできはしないので、渋々それには従った。

 しかしそれはそれとして――

 

「あーあ、つまんねー」

「だよねぇ! せっかく近界民を捕まえたのにさぁ!」

 

 大河のぼやきに大声で反応したのは茂森だ。

 ガロプラ遠征部隊を拿捕した翌日のいま、彼らは開発室の最奥――ほぼ大河のトリガー関連専用スペースになりつつあるそこで、トリガーのチューニングをかねて雑談を交わしていた。

 近界民をどうこうしたいという話のネタにおいて、大河の会話の相手を務められるのは三輪を除けば茂森しかいない。というよりも、こういうときは殺しかた(ヽヽヽヽ)にこだわりなどもっていない三輪より茂森のほうが乗ってくるのである。

 ……ちなみにミサキにぼやいても「グロい話すんなゲス兄貴」と一蹴されるのみだ。あくまで彼女は大河の手伝いをしているだけであって、近界民を殺戮することをいいことだとも悪いことだとも思っていない。しかし嬉々として内臓を見せつけられるのは御免被りたいのである。

 ともあれ、捕獲した近界民の行く末を、一匹を除いて上層部にかっさらわれた大河はこうして茂森に愚痴っているのだった。

 

『しっかし、部隊まるごと捕まえちまうとはさすがのオレも予想外だったぜ』

「まあ、なあ。運はよかったぜ、『雷公』も完成してたしな。あれがなきゃふつうに逃げられてただろうし」

「備えあれば憂いなし、ってね。この調子で他のトリガーも調整を進めていこう」

 

 エネドラも会話に交ざり、ここにボーダー内でもっとも危険な思想をもつ三人が揃った。三輪がいれば四天王と称してもいいかもしれない。

 余談だが大河の放電トリガーは茂森によって『滅雷公(ルインメイカー)』と名付けられた。略称は『雷公(らいこう)』。余談の余談にはなるが、大河本人はトリガーの名称などどうでもよかった。がしかし、ミサキが提案した『クソ兄貴危機一髪(ハッピーエンド)』だけは断固として拒否した。ぜんぜんハッピーじゃないしエンドなどしてたまるかと紙――しかも正式書類――に書かれたそれをぐしゃぐしゃに丸めて捨てたのであった。

 

「でも、城戸司令も慎重だよねぇ。情報を引き出したいのはわかるけどさ、六人も捕まえたら二、三人くらいは見せしめ(ヽヽヽヽ)にしてもいいと思うんだけど」

「それな。下っ端は大した情報も持ってねえだろうし、生かしとく価値なくねえ?」

『イヤイヤ、価値はあるだろうよ』

 

 どや顔――のような雰囲気――でエネドラがそう言うと、二人は興味深そうに「どんな?」と尋ねた。

 

『自分は何されても喋らねぇってやつは結構いるからな。そういうときは目の前でお仲間を削るのが効果的だろうよ』

「ほほー、なるほどね」

「そういやそういうのはやったことなかったなー」

 

 明るく話すにはあまりにも極悪なそれ。

 しかしこの場に他の人間がいないために誰に突っ込まれることもなく会話が進んでいく。

 

「試してえけどなー。ガトリンってやつ以外は手ェ出せないもんなー」

「じゃあそいつを拷問すればいいんじゃないかい?」

「や、あいつが隊長だし一番情報持ってそうなんすよね。だから意味ないっていうか。でも似たようなことはしようと思ってたけど」

『似たようなことだぁ?』

「あいつの目の前でガロプラって国ぶっ壊そうと思ってたんだけど、城戸さんたちに止められてな」

 

 過激な発想にエネドラが前脚を器用に打ってげらげらと笑う。

 

『ぎゃはは! そりゃ面白そうだな。オレぁ賛成に一票入れるぜ』

「私もぜひ見てみたいねぇ、その花火」

『あん? ハナビってなんだ?』

「花火っていうのは色のついた火がつく火薬を詰め込んだ砲弾でね、夜空に撃ちあげると綺麗な華が咲いたように火薬が飛び散るんだ」

『ほー。タイガの砲撃に色がついた感じか』

「だいたい合ってるね。もっと細かく飛び散るから華のように見えるんだけど」

『いいねぇ、ガロプラ花火(ハナビ)。見てみてぇぜ』

 

 いまも楽し気に会話しているように、元近界民であるエネドラと茂森はそれなりに仲がいい。

 茂森にとっては己のすべてを奪った近界民など「死んだ近界民も悪い近界民」と断じてしまいたいところではあったが、エネドラはそれなりに有能なうえ、大河と協力体制を組んだいまではきちんと味方として認識している。

 

 しかしなにより四年半前の第一次大規模侵攻がアフトクラトルによるものではないとわかったのが大きいだろう。

 エネドラの言によれば、それ以前からちまちまと玄界で人を攫ったことはあったものの、四年半前となると周期も違うし記録にも残ってない、とのことであった。その当時はちょうどガロプラに攻め込んでいた時期でもあり、自分も参加していた、とも。それに大規模な侵攻となれば当時から試験運用中であったラービットを確実に投入しているはずだ、というのも情報の信頼度を上げている。

 

 ボーダーの調査では第一次大規模侵攻において使用されたトリオン兵は、バムスター、モールモッド、バンダーといったどこの国も使用しているものであり、おそらくは"こちらの世界"のトリガー技術が遅れていることを知り、国の特定を防ぐために普及率が高いそれらをデフォルトのまま使っていたとみられている。

 その点について茂森は納得し、エネドラを真っ向から嫌悪するということはなくなった。

 これは彼の独特な考え方によるものもある。茂森の思想は、大河と三輪のちょうど中間あたりとも言えるものだ。

 法に縛られないからこそ近界民に直接的な復讐を果たしたい。そして近界民とは危険な存在のため、できれば根絶させたいが、最優先すべきは大規模侵攻を引き起こした国。

 大河は無差別に、三輪はすべてを、そして茂森はその中でも特定の国を――殺したいのである。

 

「あーあ、せめて一匹くらい報酬でくれたってよくねえか? 捕獲できたの俺のおかげじゃん」

「そこは私も同意できるんだけどねぇ。ま、大河くん風に言うなら『より多く殺すため』に我慢ってところかな」

「はあ、ガロプラだけは別ってことにしたいんだが」

 

 諦めきれない様子でぼやき続ける大河。いじけたように床を蹴るとパソコンチェアのキャスターがからころと音を鳴らして転がった。

 彼にとって殺害とは過程であって、トリオン器官を抉り出すことこそが目的である。だが遠征艇に手を出したガロプラの連中に対しては前言を撤回して、ただ単に腹いせで殺したいと思っているようだ。とはいえ上層部の決定にはさしもの大河も逆らえない。とくにいまの慎重になって然るべき状況においては。

 そんな大河を見ていたエネドラは『ふぅん』と鼻――は存在しないが――を鳴らしてから、あたかも面白いことを思いついたように前脚を打ち鳴らした。

 

『じゃあよ、こういうのはどうだ?』

「あ? どういうのだよ」

玄界(おまえら)はアフトクラトルまで行きたい。いまそのために遠征艇を改造してる。んで、一番の問題は二隻の(ふね)の足並みを揃えることだろ?』

「あー、そうらしいな」

「だね。大河くんの遠征艇はほぼノンストップで進めるけど、もう片方はそうもいかない。かといって連結させるのも難しいし、大河くんの出力に耐えられる供給器とシステムをいまから造るのもあんまり現実的じゃないからねぇ」

 

 大河用に造られたあらゆる機材は、完全に一点物の特注品(フルオーダー)である。

 戦闘用トリガーをはじめ、基地の貯蓄用トリオンタンクやその接続機器ですら他にはないワンオフパーツであり、もう一隻の遠征艇にそういった機材を組み込もうとすると根本から建造しなおさなければならなくなる。つまり、時間が足りないのだ。

 それでそれがどうした、と大河が尋ねると、エネドラはにやりといやらしい笑み――やはり雰囲気――を浮かべてこう言った。

 

『ガロプラの連中を"燃料"にしちまえばいい』

「! あー……」

「なるほど、それは……」

 

 つまりはトリオン器官を引き抜いて、そのまま遠征艇に接続する。もとから乗り合わせる隊員の保有トリオンも含めれば、トリオン器官の四、五人分あれば補給予定地であった二国くらいはショートカットできるだろう。

 そして、トリオン器官を引きずり出すには心臓ごと抜き出すほかにない。トリオン器官とは、手術によって取り出すことができないためである。つまりは間接的にだろうが連中を殺せる、ということだ。

 

 トリオン器官は心臓の横にあるということだけがわかっているのだが、人によって正確な位置はまちまちであるし、そもそも目に見えないため完璧な切除は不可能とされている。大河のサイドエフェクトを用いればもしかしたら可能なのかもしれないが、医療知識など持ち合わせていない彼にメスなど持たせたところで殺してしまうことには変わりないだろう。

 それ以前に、トリオン器官のみを完璧に抜き取られた人間がどうなるかもいまだ不明である。

 そのまま生き続けられるのか、それとも死ぬのか、それすらわかっていない。

 いまのところトリオン器官の強弱によって引き起こされる人体への影響は、サイドエフェクトのように脳のほんの一部が変質することだけとされている。

 それ以外にはどれだけ過酷な運動をしても、精神的な疲労を感じたとしても、トリオンの増減は起こらない。人体はトリオンを生み出す器官はあっても、トリオンを消費する器官を有していない、というのが現在の結論である。

 

「それは考えてなかったなぁ」

「つーかできるんすか?」

 

 エネドラの提案を受けた茂森が思案顔で顎に手をやった。

 ボーダーには剥き出しのトリオン器官(と心臓)からトリオンを抽出する技術がない。だがラッドが行うように極至近距離から吸い取ったり、供給器を取りつけて吸い上げる形ならば可能であり、それらを応用すれば見様見真似で実装はできるかもしれない。

 しかし仮に可能だとしても、上層部はけっして許可を出さないだろう。いかに近界民が人権を持たないといっても、あまりに非人道的すぎる。大河のような存在がいる時点で矛盾しているかもしれないが、それをおいてもエネルギーの供給法は秘匿するには根本的すぎて隠しようがない。いまでもトリオンという概念が対外的には隠されたままだというのに、人間の心臓から得ている、などと公表できるはずもなかった。

 

「まぁ、仕組みくらいなら思いつくよ」

「へーえ、そういう使い道もあるんだな」

 

 なるほどなるほど、と頷く大河。

 そんな彼が近界民から抉り出したトリオン器官をどうするかといえば、しばらく香りを楽しんでからの廃棄である。有体に言えばポイ捨てする。

 大河にとってトリオン器官とは嗜好品だ。他に煙草も酒も嗜まないが、その代替品ともいえるのがトリオン器官であった。

 鮮血とともにほとばしる生命の香り。それは抉った直後がもっとも芳しく、時間が経つごとに失われていく。そして血が酸化して鉄臭くなるころには、味のしなくなったガムを吐き捨てるかのようになんのためらいもなく投げ捨てる。

 大河はトリオン器官の匂いの変化を大気との反応による劣化と考えていたようだが、エネドラと茂森の話を聞く限りではそうではなかったらしい。もしくは特殊な保存方法があるのかもしれない。そこのあたりはバムスターでも解体すればすぐにわかることだろう。あれも捕まえた人間のトリオン器官を奪って保管する機能がついているはずだ。

 

『いい案だろ?』

 

 得意げに脚を鳴らすエネドラに、大河は顎をさすりながら頷いた。

 

「次の遠征会議あたりで提案してみるか……。どうせ忍田サンあたりがうるさいんだろうけど」

「ははは。たしかに忍田くんの考えは甘いからねぇ。防衛重視とは聞こえがいいけれど、近界民を絶滅させなきゃ戦いは終わらないっていうのに」

 

 防衛というのならば、攻めてくる元を断つべき。人類の安全を確保するためには、次元の向こうの生物を完璧なまでに一網打尽にせねばならないのだ。

 やれやれと肩をすくめる茂森に、しかし大河は鼻を鳴らして口を挟む。

 

「俺はそこらへん、どっちかってーとシゲさんとのほうが相容れないけどな。俺は近界民が絶滅したら困るほうの人間なんで」

 

 茂森を否定するようにそう言いきった。

 これまでの会話や行為と矛盾するようだが、大河は近界民の絶滅を望んでいない。むしろ近界民は多ければ多いほどいいとさえ思っている。

 もしボーダーが本格的に近界へと進出し、近界民を完全なる絶滅にまで追い込んでしまったとしたら、大河はとても困ってしまう。その胸に抱く殺人衝動のぶつけどころを失ってしまうのだから。

 近界民とは人間の代替品。そう思っている。

 近界民を殺しトリオン器官を抉りたい。間違いなくそう思っている。

 その上で、近界民には絶滅してほしくないのである。少なくとも向こう十数年くらいは。

 

「ふふっ」

 

 自身の思想に真っ向から反対された茂森はしかし、それでも笑って大河の肩を叩いた。

 

「それでもかまわないよ。いつでも目の前の近界民を殺したいと思っているのならね。ああでもでも、四年半前の下手人を見つけられたら、そいつらだけでも根絶やしにしてほしいなぁ」

 

 茂森は復讐に囚われてはいても、冷静に物事を計れるリアリストであった。

 全近界民の完全な殲滅。もしそれを本当に実行するとなれば、百年単位の時間がかかる大事業となるだろう。"こちらの世界"の宇宙を観測しきれないように、近界の果てもまた観測できていないのだから。

 レプリカがもたらした軌道配置図にあるだけでも未踏破の国が数十も浮かんでいるというのに、未だ計り知れぬ暗黒の海にはさらなる未知の世界が広がっているのだ。

 根絶は難しい。そして最優先されるべきは復讐。そこをはっきり見極めている茂森にとっては、大河のいまのセリフも別段裏切りだとは捉えていなかった。三輪であったならどうだったかはわからないが。

 

「ま、それくらいならな。どうせ近界民はまだまだいるし、シゲさんには世話になってるしよ」

 

 もともとガロプラだって消すつもりだったのだ。国の一つや二つ消したところで近界民は絶滅なんかしない。だいたい、これまでも壊滅状態にまで追い込んだ国はいくつもある。

 

「ありがとう。大河くんは素直ないい子だねぇ、孫が生きていたら嫁にあげたいくらいだよ」

「それ反応に困るからやめてくださいよ……」

「そうかい? じゃあ新しい拷問用トリガーの草案があるんだけど試してくれない?」

「それもマジでやめろ。いや本気(ガチ)で」

 

 そうかー……と気落ちした茂森をなんとも言えない表情で見ている大河。

 そこへ、珍しくも専用スペースに入ってきた人物が現れて彼に声をかけた。

 

「おう木場、ここにおったか」

「んあ、ぽんきちさん? なんかあったんすか」

 

 現れたのは鬼怒田。彼もこのスペースによく入る――入らざるを得ない――人物の一人である。

 別段急いでいるようにも怒っているようにも見えないが、いつもよりどす黒い隈が目の下で存在を主張していて、強面の鬼怒田をより恐ろしい風貌に仕立て上げていた。

 

「上層部の都合がついたんでな、捕虜の尋問を始めるから来い。今回はランク戦と防衛任務で他のサイドエフェクト持ちは来られんから、おまえの妹も一緒にな」

「あー了解っす。ミサキには俺から連絡しときますんで。近界民はどれ(ヽヽ)を連れてくんです?」

「おまえが捕まえたやつだ。隊長格って話だったからな」

「あいあい。連行は?」

「三輪に任せておる。おまえは妹を連れて一号会議室に来ればええわい」

「了解」

 

 短く答えて隊員用端末を取り出す。

 ガロプラ遠征部隊を拿捕して翌日の今日、普段から忙しいボーダー上層部がこれだけ早く都合をつけられたのも、今回の緊急性を如実に表しているだろう。ガロプラの連中は無力化すれどもロドクルーンの動向はつかめておらず、いまも事情を知る隊員たちの中には緊張が保たれている。

 その割には鬼怒田が急いている様子はなかったな、と大河は不思議には思いつつ、とくに気にすることなく通信先一覧からミサキを選択した。

 

 

 




 


いつも読んでいただきありがとうございます。
従属国来襲編の終盤をもちまして、完全オリジナルストーリーに入ります。


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第五十四話

 

 

 

「ちっす。遅れましたか?」

「失礼します」

 

 木場兄妹が指定された会議室に入室すると、そこにはすでにボーダー幹部と捕虜であるガトリンが揃っていた。

 コの字型に席を連ねる幹部に松葉杖をついたガトリンが囲まれている形で、そのガトリンの横にはトリガーを起動した状態の三輪が控えている。

 三輪は大河たちに目礼だけして正面に向き直った。この場では発言権も発言するつもりもないのだろう。

 

「来たか。予定時刻通りだがおまえたちもわかっているようにいまは時間が惜しい。すぐにでも始めよう」

 

 わかっているように、と言われてもかなり暇を持て余していた大河はしかし、素知らぬ顔で着席した。いらぬ藪はむやみやたらとつつくべきではない。

 大河とミサキが着席するのを見届けて、城戸はさっそくガトリンに向けて最初の一言目を放った。

 

「ガトリンと言ったな。おまえがガロプラの遠征部隊隊長で間違いないか?」

「ああ、その通りだ」

 

 ヒュースとは違い素直に頷いたガトリンを見て、根付や鬼怒田も口を挟むようなことはせずにその様子をうかがっている。

 従順ならば拷問の必要はない。そもそもそれはすでに大河が行っている。

 その証左に、いまも痛々しい治療痕がガトリンの左腕と右足にあった。前腕部の、強烈な圧迫による肉の断裂と粉砕骨折。右足のつま先に至っては完全に切断されている。そんな大怪我などふつうに考えて即日動けるようなものではないが、彼はそれでもここに立たされていた。ボーダー側の要請と本人の希望によるものである。

 そのことについても鬼怒田たちには慮るような気持ちはなかった。もとより近界民に人権などない。追い詰めれば追い詰めるだけ有益な情報を吐くことだろう。傷の熱に浮かされれば思考も鈍る。そうした判断からあえて苦境に立たせているのだ。むしろいまの状態も拷問のようなものと言えよう。

 

「昨日、我々との交渉を受けて『考えさせてほしい』と言っていたが、その考えとやらはまとまったのだろうか」

「……ああ」

 

 重々しく頷くガトリン。

 城戸の言う交渉とは、大河との約定とは別に唐沢によってなされたもの。その内容は「ガロプラ遠征部隊の命を保証する代わりにアフトクラトルへの航行を黙認せよ」というものだ。他にもいくつか要求はしたが、主にこの条件を提示するために大河に対し捕虜への手出しを禁じたのである。

 ガロプラとロドクルーンの周回軌道はアフトクラトルを軸に展開している。そこへ到達できれば遠征艇と隊員の休息をとることができ、体調と残存トリオンを万全な状態にして本丸に乗り込むことが可能となる。

 もちろんガロプラ上層部とのコンタクトはガトリンに一任され、もし交渉に失敗すれば彼ら遠征部隊のみならず、ガロプラという国自体に危険が迫ることも付け加えられていた。

 そしてここで言う「危険」とは大河のことである。彼がガロプラに対して抱く著しい怒りは城戸や忍田も知るところ。もし現地についてから約定が一方的に破棄されたのなら、そこで起きるすべてのことをボーダーは関知しない。より正確に表すならできない(ヽヽヽヽ)

 ガロプラが牙を剥いた場合、ボーダー側も己の身を守るために戦わざるを得ないのだ。そこは近界民友好派の林藤でさえ戦闘もやむなしと理解している。

 ――それが大河による殲滅戦であろうとも。

 大国・アフトクラトルとの戦闘を前に、背後に伏兵を残しておくことなどできないのである。

 

 重苦しい空気の中、ガトリンは痛みを飲み込むように大きく息を吸ってから口を開いた。

 

「少しだけ条件を変えてほしい」

「条件?」

 

 オウム返しに問う城戸。視線だけで続きを促す。

 

「……我々は玄界(ミデン)に全面的な協力を約束する。代わりにアフトクラトルには潜入ではなく強襲を行い、大きな打撃を与えてほしい」

「――なに?」

「なんですって……!?」

 

 ガトリンの要求に、忍田と根付が身体を前のめりにして驚いた。

 ガロプラとはアフトクラトルの従属国のはず。潜入を見逃すだけでも背信行為にあたるであろうに、よもや大打撃を与えてほしいとはいかなることか。

 城戸もわずかに眉を上げて不信感をあらわにした。

 

「……どういうことだ」

「ガロプラはアフトクラトルに従属しているが、それは力で強制されてのものだ。そのことに不満を抱えている民も多い」

「つまり我々にアフトクラトルを攻撃してガロプラを解放させろということか?」

「そこまでは求めていない。アフトクラトルが大打撃を受ければ我々のマザートリガーを押さえている派遣部隊も本国に戻るだろう。あとはこちらが勝手に離脱するというだけだ」

 

 ガトリンは収監されている間、ずっと考えていた。

 玄界の戦力であれば、遠征部隊であってもアフトクラトルと互角以上に渡り合えるだろう。そこにガロプラの後押しを加えれば、マザートリガーの解放も可能かもしれない、と。

 しかしこの提案には少なからず危険を伴う。ガロプラのトリガー技術のすべてを玄界に与えれば、ガロプラの()が玄界に露見することは必定。周回軌道は遠く離れるとはいえ危険な相手を作ってしまうことに変わりはない。

 けれどもだからこそ、ガトリンは全面的な協力という強い言葉で提案した。

 我々は敵ではないと強くアピールしたのだ。

 

「我々が持ち得る技術、アフトクラトルの詳細な周回軌道。答えられるものにはなんであれ答えよう。なんならアフト侵攻において俺を同行させた上で使い潰してもかまわない。代わりに遠征部隊ではなく、ガロプラ国民の生命の保証をしてほしい」

 

 ちらりと大河のほうを見てそう要求した。

 目下ガロプラに牙を立てる危険のある存在とはこの男である。

 

「…………ふむ」

 

 ガトリンの文言に城戸は思案顔で黙り込んだ。

 それに代わって忍田がこの提案における不安要素について問いかける。

 

「全面的な協力とは捕虜の六名によるものか?」

「いや、本国に協力を要請する」

「なぜできると言い切れる? 遠征部隊の隊長となればそれなりに立場が強いことはわかるが、支配国家への裏切りを独断で決めることなどできないだろう」

 

 ボーダーで言えば、忍田や大河が三門市の命運を勝手に決めてしまうようなものだ。組織に属している以上、そんなことを独断で決めて許されるはずがない。というよりそれは最高司令官たる城戸であっても許されざる行為である。

 ガトリンはそのもっともな質問にも動じず、ガロプラの現状をゆっくりと話し出した。

 

「結論から言えば、元よりガロプラはアフトクラトルへ反旗を翻す予定だったからだ」

「……!」

「アフトクラトルの『神』がもうすぐ死ぬという情報は知っているか?」

「ああ、アフトクラトルの捕虜から聞いている」

「そうか。我々が持つその情報の確度はあまり高いものではなかったが……逆に好都合だな。

 ともかくとしてそのタイミングで我々はアフトクラトル支配からの脱却を計画していた。おそらくは数年から十数年先と予想していたが、我が国の重鎮の一部はすでに準備を始めている。彼らに玄界の力と計画を伝え、協力を要請すればほぼ間違いなく受諾されるだろう」

 

 若干かまをかけられた忍田は自らの失態に眉をひそめかけたが、いまの話はそれを後回しにしてでも優先的に推し量る価値があった。

 ちらりと木場兄妹を見ても、ガトリンが嘘をついている様子は見受けられない。

 ガロプラのアフトクラトル離反。それはまさに渡りに船と言っていいものだ。これが真実ならば後門の狼であった存在が追い風に変わるほどの助力を得ることができる。

 それにもともとガロプラ遠征兵には情報提供をしてもらうつもりでもあった。そこへさらにひとつの『国』が持ち得る情報や技術までとなると、ガトリンが引き換えに求める対価はかなり小さなものとも言える。

 

「計画の機密性を高めるために全兵力を挙げての参戦はできないが、技術的な協力であれば問題はないはずだ。ガロプラからのアフト密航も容易となるだろう」

 

 この交渉において圧倒的に有利なのがボーダーであると認識した上で、ガロプラという国家の存続のために打てる最上の手。なるほど遠征部隊の隊長を任されるだけあって、ガトリンという男はかなりのやり手と思われた。

 

「……なるほどな」

 

 納得した様子で忍田も思案に耽る。

 それを見て大河は内心で舌を打ちつつ、しかし彼も納得せざるを得なかった。

 ガトリンに対する怒りはまだ消えてはいないが、いまの話を真実と受け止めるなら、やつは充分すぎるほどの対価を差し出した。

 ガロプラの総人口はおよそ四十万程度と聞いている。対してアフトクラトルは四百万超の大国である。

 そこに乗り込み「大打撃を与える」のならば、お楽しみ(ヽヽヽヽ)が多いのは考えるまでもなく後者だ。一日を経て少々冷静に物事を考えることができるようになった彼は、怒りより優先すべきことを取り戻し始めていた。

 そして鬼怒田が急いてなかったのもこれが原因かと思い当たる。この話をさわりだけでも聞いていたのなら、アフトクラトルまでの遠征ルートや、予想される道中の危険はほぼ完璧にクリアされることになるはずだ。

 少なくとも一般隊員用の遠征艇にあれこれ過度な機能を実装せずともよくなった。

 そちらはガロプラに置いておき、アフトクラトル侵入には大河専用の(ふね)を使えばよい。警護すべき対象が強固な艇の一隻になればより安全性も増すだろうし、短時間であればどれだけの人数を乗せたとしても近接国であるガロプラまでであれば問題なく航行できる。ゆえに通常の遠征艇には乗員スペースとトリオンタンクの増築だけすれば済む。

 

「わしとしてはこの提案を受けることに賛成しますぞ。遠征計画までに必要な工程がかなり短縮できますのでな」

 

 大河の考えを裏付けるように鬼怒田は賛成に票を投じた。次いで、交渉を担当した唐沢もまたそれに続く。

 

「私もです。現実的で、我々だけでことに望むよりも成功率が上がると思います。彼は、嘘もついていないようですしね」

「私としては全面戦争には少々抵抗がありますな。隊員の奪還を目的にしている以上、死傷者が出る可能性はできるだけ避けたいので」

 

 根付だけが反対の意を示し、城戸は頷きつつ他の幹部へ賛否を問う。

 

「ふむ。……忍田本部長」

「もう少し細かい部分を詰めたいところではありますが……、できるならガロプラの上層部と実際にコンタクトが取れてから決めたいですね」

「そうだな。だがそもそもガロプラがこの提案を却下すれば、いまの話はすべてなかったことになるだろう。現時点での賛否だけでかまわん」

「では、賛成ということで」

 

 忍田の答えを受けてまたひとつ頷き、視線を横へと動かす。

 

「林藤支部長はどうだ?」

「根付さんと同じ理由で反対ぎみかな。大国との戦争はやっぱり避けたいところですし」

「なるほど。賛成3、反対2か。木場隊員はどう思う」

 

 幹部内での賛否はほぼ割れた。城戸は遠征第二部隊隊長である大河にも回答を求めた。

 そして彼は即答する。

 

「もちろん賛成で。全面戦争っつっても、こいつらがそうしたように遠征艇か軍事施設に打撃を与えりゃそれで充分でしょ。ならむしろ、俺にとっては潜入よりもやりやすい」

 

 凶悪なまでの火力は潜入任務にはまったくと言っていいほどに向いていない。だがガトリンの提案の受けるのなら、その枷は解き放たれる。

 大打撃を与えろ、という指示は、大河にとって隊員を取り戻せというものよりもずっとやりやすく、わかりやすく、かつ容易い。

 大河の答えを聞いた城戸は、ひと際大きく頷いてガトリンに向き直った。

 

「…………いいだろう。その提案に応じよう。ガロプラの協力を取りつけた暁には、我々はガロプラという国家に対する一切の攻撃を行わず、遠征計画にアフトクラトルへの打撃を追加するものとする」

 

 最高司令官として城戸はそう結論づけた。

 公開遠征の名目は攫われた58名もの隊員の奪還。その作戦には少なからず戦闘行為が含まれる。そして大河という巨大個人戦力はどうあがいてもアフトクラトルに多大な打撃を与えることになるだろう。

 どうせ同じ結果になるのなら、ガロプラの協力を得られるに越したことはない。敵の敵は味方、と簡単に断ずることはできないが、アフトクラトルの従属国の内ひとつが応援に来ないだけでもボーダーにとってはありがたい。

 

「……感謝する」

 

 重々しく(こうべ)を垂れるガトリン。その胸にはガロプラの命運をかける重圧と、アフトクラトルからの離脱を目指す使命感がない交ぜになって渦巻いている。

 

「ともあれおまえがガロプラと連絡を取るところから始まるが、どの程度時間がかかる見込みだ?」

「まずは我々の遠征艇から暗号を用いた通信を送り、離反計画の中核を担っている重鎮に連絡用の派兵を行ってもらう。およそ二日か三日といったところか。もちろんその間は我々を拘束したままでかまわないし、万が一派兵されてきた者が武装していた場合、そちらの判断で処理してもらってもいい」

「承知した」

 

 この協定はガロプラのごく一部にしか明かせない重要なもの。

 ガトリンの遠征艇から送れるのは軍司令部へのみであり、以降の連絡は隠密で出航した連絡兵を介するのが得策らしい。

 敵国にいながら頻繁な連絡を行うと機密性が保ちにくく、またガロプラの軍事施設にはアフトクラトルの派遣部隊もいるようなので、城戸もその条件を飲んだ。

 

「本国と玄界の周回軌道が重なっている間にできうる限りの情報と技術をこちらに持ち込む。その後はそちらの計画待ちだが……」

「我々の遠征計画は約二ヶ月先を予定している。それまで――」

「すまない、二ヶ月というのは何日間だ?」

「およそ六十日だ。その間は不定期に聞き取りと技術協力を要請したい」

「ああ、問題ない。しかし六十日となると、直接ガロプラに渡ることはできないか……。いくつかの国を経由することになるな」

 

 ガトリンの言葉に、幹部たちがそれぞれ首肯した。

 ガロプラが玄界近域にあるのは残り一月ほど。それまでに艇を飛ばせれば遠征ルートはかなり短くなるのだが、そこは目を瞑るしかなかった。

 近界遠征とは、わずかでも安全を期するために長い時間を費やして訓練と研修を積まねばならないもの。そもそもにして今回の公開遠征はまだ参加する部隊の選定すら終わっていないのだ。

 すぐにでも飛びたてるのは大河のみであるが、彼に命じて完遂できるのはおそらく殲滅だけだ。隊員を奪還せよ、という作戦を遂行するには適切な能力――あらゆる意味で――を持った隊員が数多く要る。

 

「先ほど言ったようにアフトクラトルへの侵攻には俺も使い潰してくれてかまわないが、同行は必要か? ガロプラまでの案内でもスムーズに話を通せるが……」

「そこはおいおい決めることにしよう。まずは本国と連絡を取り了承を得ることだけ考えたまえ」

「……そうだな、そうしよう」

 

 詳細はすべて本国との約定を取りつけてから。

 そうして会議はまとまりかけたが、ふと忍田が思い出したように手をあげた。

 

「城戸司令、少しよろしいでしょうか」

「ああ、どうしたね」

「これはガロプラとの協力とは別の話になるのですが……。

 ガトリン、おまえたちはロドクルーンの遠征部隊とはどういう関係性か聞かせてくれないか。攻撃の中止はさせられないまでも、どれだけの戦力を残しているかくらいはわかるとありがたいのだが」

 

 問われたガトリンは一瞬の間をおいて思考し、結論を述べた。

 

「ロドクルーンの遠征部隊とは玄界への攻撃に際して協力体制を取っていた。が、そもそもトリオン兵主体の連中だ、アフトのトリオン兵団を蹴散らした玄界にはあまり手を出したくないだろう。無駄だからな。

 玄界が我々を捕縛したと知れば攻撃を中止する可能性が高い。持っている戦力も昨日見せた以上はないはずだ。応援部隊を呼び寄せた場合でも同時運用できる数には限界がある。戦力的には大して変わらないと思われる」

「そうか、よくわかった。情報感謝する」

 

 どうやら危機的状況はすでに去っていたらしい。完全に気を抜くわけにはいかないが、それでも昨日のトリオン兵団が最大戦力と知れれば脅威はほとんどないだろう。

 結局、ボーダーがもっとも危機に晒された原因が大河の暴走であったのが頭の痛くなるところではあったが。

 

「他に何かある者はいるか? ……では今回はこれまでとする。三輪隊員は鬼怒田開発室長とともにガトリンを遠征艇に案内しろ。ああ、医療班も連れていくといい。倒れられても互いに困るだろう。

 その後、ガロプラとの協力が約束され次第、彼らの拘束レベルを下げる。そちらのトリガーは預かったままだが、かまわないかね?」

「問題ない。そのまま玄界のものとして解析してくれていい」

「了解した。では解散とする」

 

 その城戸の一声を最後に、会議は終了となった。

 この二日後にガトリンの発言通りガロプラからの返信が届き、その全面協力が約束された。

 これによりボーダーの公開遠征計画は大幅に見直され、結果としてスケジュールの二割を短縮することに成功したのだった。

 

 

 

 




 


従属国来襲編・完。
いつも読んでいただきありがとうございます。
次からは原作のストーリーを追い越して遠征部隊選抜試験編となります。
オリジナル色が強いのでご注意ください。


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遠征部隊選抜試験編
第五十五話


 
新編の序章的なものなので少し短いです。
 


 

 

 

 暦は三月に入った。

 前月には予期せぬ――あるいは予知された――横槍が入ったものの、ボーダーの公開遠征計画はいまも順調に進んでいる。

 エネドラ、そしてガロプラの協力により遠征ルートはほぼ確定とされ、それを見越した遠征艇の改造も当初の目標よりずっと早く完了した。

 とくにガロプラの情報、技術はボーダーにかなりの利益をもたらしたと言えよう。

 いままでのトリガーには搭載できなかった能力がいくつか実装され、B級含む多くの隊員がその恩恵に与っている。戦術の幅も相当に広がり、B級ランク戦ではシーズン終盤ながらも、これまでにない戦闘がいくつか見られただろう。

 その中でもひとつ特筆するならば、近界民特有のテクノロジー『(ゲート)』を応用したトリガー、『喚門(エクストラクター)』の普及がもっとも顕著である。

 

 『喚門(エクストラクター)』は戦闘体のようにあらかじめ武器などを構築し、保存しておいたものを小型のゲートで呼び出すトリガーだ。ガトリンたちが小型ゲート生成装置を用い、トリオン兵や装備を召喚したものと同類の技術を使っている。

 呼び出せる武装は戦闘体同様、破壊されたり使い切ったあとは再構築するまで使用できなくなる――いわば簡易トリオン銃のようなもの。

 トリガーチップにない武装の臨時接続は多用すると機能障害を引き起こす可能性が生まれるため、あらかじめ充填しておいたトリオンが切れるまでしか使用することができないようになっている。

 しかしそれをおいてもトリガー構成にさらなるバリエーションを持たせられるのは大きなメリットだった。トリオンが充填された武器を取り出すため、戦闘時に消費する本人のコストがわずかで済むことも大きい。

 

 銃手(ガンナー)用トリガーを呼び出せば一定時間トリオン消費もなく弾幕を形成することもできるし、構築設定を変更すれば自身ではふだん発揮できない高火力をも獲得できる。

 なにより"臨時接続しない"というデメリットは、逆に言えば呼び出したものは誰であろうと使用できることにも繋がる。

 すなわち、高トリオン能力者が『喚門(エクストラクター)』を使用すれば――合流を成功させるという前提があるとはいえ――チーム全員がその恩恵に与れるというわけである。このトリガーは起動にかかる消費は少ないが、構築・保存にかかるコストは軽減できない。しかしそのぶんトリオン能力が高ければ保管容量が増える仕組みになっているので、能力が高ければ高いほど選択肢が増えるのだ。

 

 結果として『喚門(エクストラクター)』はボーダー隊員のトリガー構成に大きな変革をもたらした。

 このトリガーは実体化できない武装は保管もまたできないため、実質的に攻撃手(アタッカー)用のブレード(臨時接続できないスコーピオンなどは形状変化もさせられないのでほぼ弧月専用)や銃型トリガーとしか組み合わせられない。そしてブレードは性質上破損する機会が多い。この前提によって多くの隊員のポジションが銃手(ガンナー)寄りに変移していったのだ。

 接続せず、トリオンも消費しない武装はフルガードしながらの攻撃をも可能とし、ある意味では射手(シューター)以上の応用能力を獲得するに至った。逆に射手であっても両手で銃型トリガーを連射しながらのフルアタックなど、攻撃手を凌駕しかねない火力を手にできるとあって『喚門(エクストラクター)』は驚異的な早さで隊員界隈に広がっていったのである。

 

 余談だが、この新たなムーヴメントでもっとも割りをくったのは戦術、もしくはそのためのトリガー構成が決まり切っていた部隊だ。

 ひとつ例を挙げるなら太刀川隊などがそう。この部隊は隊長が剣以外使えない、そして出水も射手(シューター)としての誇りからか他のトリガーを使おうとしなかったため、『喚門(エクストラクター)』の恩恵に与ることはなかった。唯我などはもともと銃手であるがゆえ、そしてトリオン能力もあまり高くないために弾種の拡張くらいしか使い道がない。

 

 逆にもっとも躍進を果たしたのは玉狛第二である。

 ボーダーに激震を巻き起こした迅の加入(ヽヽヽヽ)という大事件を置いても、雨取の高トリオン能力から生み出される武装の数々は隊長・三雲の低トリオン能力を補うと同時に空閑に遠距離攻撃の手段を与え、成長というにはあまりにも著しい変化を部隊にもたらした。

 彼らは彼らで公開遠征を目指す理由を持つ。今年はA級昇格試験が選抜試験にとって代わるため、最低でもA級挑戦資格くらいは確保しておきたいところだろう。それも、次の一戦によって決定されるのであろうが……ここでは割愛しよう。

 

 さて、大河も新しく得た技術に振り回されることとなっていた。トリガー関連は主にミサキに任せている彼ではあったが、最終的に使用者となる大河には実験と調整が常について回る。

 ガロプラ侵攻によって傷ついた強化戦闘体は、再構築という名の七日間もの封印を余儀なくされたものの、仮想訓練ならばそれも関係ない。今日も元気に吹き飛んだり消し飛んだり粉々になったり地面に埋まったりしていた。

 それでも三輪隊の訓練にも付き合っており、いまのところ相手には困っておらず順調といった体だ。

 そんな折りのとある日に、木場隊作戦室に思いがけぬ通達が届いた。

 木場隊の遠征投入、その最終決定である。

 

■辞令書

 S級木場隊総員

■発令事項

 公開遠征計画において木場隊の二名に遠征部隊参加を命ず。

 所属:第二部隊

 隊長:木場 大河

 OP(オペレーター):木場 ミサキ

 

 ここまではいい。城戸が言っていたとおりの采配でもあり、大河は喜びこそすれ驚くようなことはなかった。彼が怪訝な顔をしたのはその次の文だ。

 

 ――以上の決定により、木場隊を遠征選抜最終試験の試験官に任命する。

 

 これには彼のみならず、ミサキも三輪隊の面々も同様の反応を示した。

 選抜試験の試験官。といってもよもや筆記試験の試験官になれというわけでもあるまい。ボーダーはそこまで人材に困ってなどいない。

 つまりこれは、選抜試験の最終選考が実戦形式であり、かつその相手役が大河である――という意味の命令書であった。

 

 彼らはまだ知らなかったが、この試験官はもちろん大河だけというわけではない。選抜試験を受けない部隊や、こちらもまた参加しないS級の天羽にも同様の通達がなされている。

 要するに彼らには近界民役をやってもらい、試験を受ける部隊はその条件下でどう動くかを見るというテスト内容。そして大河は……簡単に言えばラスボスを任されたのだった。

 

「これはまた、面倒な命令だな……。けど、面白そうでもあるか。なあミサキ?」

「試験中にミスって自爆とかしたらめっちゃ面白そうかな」

「笑えねえぞ、それ……」

 

 他愛のないやりとりをしている木場兄妹の横で、三輪隊のメンバーはそれぞれリアクションが異なっていた。

 三輪は訓練の成果を出し切るべく気合を入れなおし、

 米屋は「マジか~」とからから笑い、

 奈良坂は無表情のまま試験対策を思案し始め、

 古寺はこんなものどうやって合格するのかと顔を青くした。

 ともあれ試験は約二週間後。それまではB級部隊は参加資格を巡ってランク戦を行い、A級部隊はそれぞれ地力の底上げに努めるべく訓練を重ねることになる。

 本来であれば試験官が誰であるかも不明のまま臨むものであるが、ここで大河の参加が決まったことを知れたのは三輪隊にとっては僥倖であったのかもしれない。とはいえ――

 

「俺は手ェ抜かねえからな、秀次」

 

 もとより手を抜けるほど器用ではない男のそんな宣言に、三輪は力強く頷いて返す。

 

「もちろんです。本気で行かせてもらいます」

 

 立ちはだかるはS級隊員。

 三輪たちへの大きな課題はここに成ったのだった。

 

 

 

 



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第五十六話

 

 

 遠征部隊選抜試験。

 それは隊員及び部隊の総合力が試されるもの。

 参加を表明した時点で配られるテキストには近界(ネイバーフッド)の基本的な情報――もちろん最重要機密により紛失は即罰則――が記されており、そこから簡単な筆記試験も行われる。

 他、遠征艇のスペック・操作方法や近界においてのトリガーの仕様・挙動の違いなども筆記に含まれる。

 

 無論、それらよりも重要視されるのが実力だ。

 おおよそ(ブラック)トリガーを相手にして互角以上に対抗できることが最低条件になる。しかしそれ以上に大事なのは、作戦行動の是非を現場で判断し、ときには逃げることも選択できる柔軟性である。

 遠征に必要な第一条件は「生きて帰れること」となっているからだ。

 複数部隊による連携の確立。現地で遭遇した敵性体との実力差を見極める観察眼と判断力。対抗、及び逃走できる程度の戦闘力。これらを総合して遠征に赴く部隊を選抜する。

 

 三月二〇日のこの日は、ついにその最終試験が行われることになっていた。

 幹部たちの推薦隊員は別途の方法――主に重役会議で参加の是非が決定されるため、試験に臨むのは通常の遠征選抜にも参加できる資格をもった部隊である。

 A級からは太刀川隊、冬島隊、風間隊、加古隊、三輪隊……以上五部隊。

 B級からは二宮隊、玉狛第二、影浦隊、生駒隊とこちらは四部隊が試験参加となった。

 

 選抜試験、最終日。その試験科目は――「実戦」。

 ある程度の実力を考慮して組み合わせた三部隊と、ランダムで決定した試験官とを戦わせる。

 といっても必ずしも撃破を必要とするわけではない。

 生成された仮想マップにはターゲットとなる物品(情報(データ)含む)、あるいは人物(人形)が配置されており、それを探し出して遠征艇まで持ち帰ることが任務達成の条件である。

 もしくは敵勢力が強大だと判明した場合など、任務遂行が困難と判断したのなら遠征艇付近――最低でも緊急脱出(ベイルアウト)の有効範囲内まで退避することが失格にならない(ヽヽヽヽヽヽヽ)ラインとなる。

 連合部隊はそれぞれその場で指揮系統を確立し、与えられた任務を遂行する。それを幹部たちが観戦して遠征部隊を選抜するのである。

 

 木場隊……大河はCブロック担当試験官。

 単体で仮想マップに君臨し、侵入者を撃退する役割を果たす。これは主に撤退戦がメインになるだろうと幹部たちは考えていた。受験者たちがどのタイミングで任務を放棄し、帰還を考えることができるか、その判断の早さがポイントになると思われる。

 ちなみにAブロックは天羽と草壁隊が担当。

 こちらは強力な黒トリガー使いを含む敵部隊との遭遇戦を想定している。ここでもCブロックと似たように撃破か撤退かの見極めが重要な鍵となるだろう。

 Bブロックは嵐山隊を代表とするA級部隊、そして一部のB級を含む複合大部隊。

 ここだけは他とは違い、隠密行動を主軸とした作戦が展開されると思われる。厳重に警戒された中でどう動くかを見られることになるはずだ。

 

 そして抽選の結果Cブロック――大河が試験官を行う受験者たちは風間隊、三輪隊、玉狛第二となった。

 

 

 

――――――――――――

 

 

 

 選抜試験控室に集められた受験者たちは、最終試験へ臨むにあたりそれぞれのブロックで作戦会議を行う時間が与えられた。猶予は一時間。その中で各々がどう役割を持つかを決めなければならない。

 Cブロックの風間隊、三輪隊、玉狛第二のメンバーはオペレーターも含めてコの字型の長椅子で顔を向かい合わせて作戦を練り始める。

 

「まずは指揮官役だけど、これは風間さんでいいよね?」

 

 開口一番で菊地原がそう述べた。

 口調自体は生意気な、煽るようなそれであったが、ここにいる部隊でもっともランクが高く、かつ年長であったために誰も異論をはさむことなく承諾した。

 

「俺たちはそれでかまわない」

「ぼくたちも大丈夫です」

 

 三輪隊、玉狛第二の隊長二人が同意し、風間がひとつ頷いてから口を開く。

 

「よし。ではまず迅、俺たちの相手は誰になる?」

「えぇ……それアリなの?」

 

 玉狛第二に電撃入隊した男、迅は、問われた内容に苦笑した。

 未来視のサイドエフェクトであれば担当試験官もわかるし、そもそも合格できるかどうかさえ高確率で知れてしまうだろう。

 迅は試験にあたってそれを知っても伝える気がなかったため、風間の質問に対して曖昧にもごもごと口を動かした。困ったように自分と同じ第二の年長者、月見蓮へ目を向けても、「風間さんは容赦ないわね」とくすくす笑うだけであった。

 

「実際に近界へ赴いたらおまえの予知は大きな役割を果たす。ここでそれを使わないのは逆におかしいだろう。まあ、相手がわかってしまうのは幹部たちの思惑から外れているかもしれないがな」

「そりゃそうなんだけどさ。ま、いいか。とくに禁止されたわけでもないしね」

 

 結局風間に説得され、迅は予知のサイドエフェクトで得た情報を口にする。

 実際いま言ったとおり、幹部たちからはとりたてて未来視のサイドエフェクトの使用を禁じられてはいない。そこにいかなる真意が隠されているのかはさすがの迅にもわからなかったが、未来視自体が反則扱いになっていないことだけは読み取ることができた。やはり風間が言うように、近界遠征を行うにあたって破格のサイドエフェクトを使用しないなどありえないのだろう。

 

「相手は、うん、最悪なことに木場さんだね」

「――!」

「うわ……」

「タイガー先輩かー」

 

 本人も言いたくなさそうに、ぼそりともたらされた情報に、隊員たちがそれぞれ反応する。

 その中でいち早く三輪が手をあげた。

 

「知っている情報を使っていいということなら、俺たちは大河さんと戦闘訓練をしていたので戦術や使用するトリガーの詳細もわかりますが」

「よし、話してくれ」

 

 なんの迷いもなく頷く風間。

 この作戦会議も幹部たちによってモニターされているが、彼はそれを知った上で気にせずに了承した。事前に得た情報をどれだけ有効に活用できるかどうかも試験内容に含まれていると判断したのだ。

 

「まずあの人のサイドエフェクトは『強化嗅覚』です。トリオンの匂いも感知しておよそ数百メートル先からでも個人を判別できます」

「ずるくない? それ」

 

 口を挟む菊地原を片手で黙らせて、風間が続きを促す。

 

「風下なら探知範囲は大幅に減少しますが、それも完全ではありません。俺にはよくわからないのですが、以前『嗅覚といっても鼻だけで視てる(ヽヽヽ)わけじゃない』と言ってました」

 

 これは実際にサイドエフェクトを行使している大河にしかわからない……いや、本人も完璧には理解していないことであるが、彼の『強化嗅覚』とは鼻腔や嗅神経の受容体が大幅に増えているだけではなく、エネルギー体を捉える特殊な感覚神経が発達していることからその能力を発揮している。

 トリオンに溢れているがゆえに発達した特殊な感覚神経は、空気中に拡散される微量なトリオンを敏感に捉え、大河に「匂い」という情報でもってそれを知らせる。これはトリガーを用いた機器でも観測できない極微小なものでさえ逃れられず、戦闘体が発するわずかな消費が大気と反応して消滅した――と観測された――トリオンですらも嗅ぎ取ることができるのだ。

 

 そして鋭敏に過ぎる嗅覚は触れた空気と連続する物質を推算して、まるで目で視るかのようにその根源を探し当てる。

 これが遠距離、かつ風下でさえ発動する大河のサイドエフェクトの正体である。

 

「ふぅん……」

 

 このメンバーの中で唯一強化五感のサイドエフェクトをもつ菊地原だけが、うっすらとそれを理解した。

 彼の強化聴覚はそこまで強力なものではないが、それでも近距離であれば音だけでその物体の材質や重量、状態すらも看破できる。物体の移動に際するわずかな音でさえ捉えられるそれは、本人にとっては見ているも同然の感覚で感じ取っているのだ。

 

「ステルス戦闘は厳しそうですね……」

 

 透明化による奇襲が風間隊の特色であり強み。けれども目でなくとも捉えられてしまうのならそれはまったく無意味となってしまう。

 歌川が弱気にそうこぼすとしかし、風間は不敵な笑みを浮かべて彼をたしなめた。

 

「俺たちは透明にならなきゃ何もできない木偶じゃない。カメレオンがなくともこの部隊は実力でA級に上がっていただろう」

「……! はい、そうですね」

「ま、当たり前だけどね」

 

 これまで培ってきたすべてはきちんと力になっている。風間隊はそういう、叩き上げの強力な部隊。

 自信を取り戻した歌川から視線を切って、風間は三輪に向き直る。

 

「とはいえ奇襲が使えないこと自体は重く見るべきか。奴を撃破するには狙撃手(スナイパー)が有効というわけか?」

「一撃で頭か首を撃ち抜ければそうですが、反撃に飛んでくる大砲は回避がかなり難しいですね。それに威力的にはアイビスを使用したいので、距離を取りすぎると射程に収まりません」

「イーグレットでは防がれると?」

「防がれるというより、弱点部位以外に当たっても無意味、といった感じです。本人も言っていましたが『頭と胴体が繋がっていれば生きていられる』そうなので」

「それはまた厄介な……」

 

 風間と三輪が言い合うそこに、米屋と古寺が訓練から得た情報を差し込む。

 

「木場さんとの訓練で一番いい線行ってたのはオレと秀次で挟んでからのアイビスだったよな。シールドで防がれたけど、逆に言えばシールドを使わせたのってそれくらいだったし」

「そうですね。あのときは奈良坂先輩が頭部を狙ったのが弾かれてしまいましたが、同時に複数方向から撃っていればもしかしたら倒せていたかもしれません」

 

 古寺が補足した言葉に、今度は奈良坂が声を挟んだ。

 

「といっても本当に一瞬の隙だったからな。このチーム、狙撃手(スナイパー)は三部隊で三人だが、撃ち抜ける自信があるやつはいるか?」

「おれは……断言するのはちょっと難しいですね」

「わ、わたしも」

 

 奈良坂の問いにしょんぼりと肩を落とす狙撃手二人。

 落ち込んだ雨取を見た三雲がフォローするように付け加える。

 

「千佳の狙撃は鉛弾(レッドバレット)と組み合わせて動きを封じるのがメインなので、三輪先輩と合わせて鉛弾で固めてしまえばいいのではないでしょうか」

 

 しかし三輪は「いや」と首を振った。

 

「大河さんの戦闘体は特別製だ。鉛弾(レッドバレット)で動きを封じるには何十発も撃ち込まなければならないし、撃ち込んでも力ずくで外してくる」

「は、外す?」

「爪で叩き折るんだ。……俺も目を疑ったが」

 

 珍しくも言葉尻がしぼんだ三輪に、三雲が目を丸くする。そもそも口を挟んだことにすら文句を言われるかもしれないと思っていた彼は、ここで三輪に対する印象が大きく変わったのだった。

 そんな隊長の動揺をよそに、鉛弾を外されるという事態については三雲の隣で空閑が納得したように頷いていた。

 かつてアフトクラトルの(ブラック)トリガー使いと対峙した際に、空閑もコピーした鉛弾――をさらに強化したもの――をブレードで断ち斬られている。あの異常な戦闘力を誇る大河のトリガーが同様の出力(パワー)を備えていたとしても驚くようなことではない。

 

「まあ、一時的にでも動きを阻害すれば攻撃手(アタッカー)が近づく隙にもなるだろう。全員で囲んで、首を落とす。もしくは狙撃するのがベストか」

「大河さんの爪は受け太刀すると感電させられるので、そこまでしてようやく一瞬の隙ができるかどうかってところですね。攻撃手と狙撃手の連携がかなりシビアですし」

「そこは――待て、『感電する』?」

「はい。先日から戦闘体に発電機構を備えたトリガーを開発してまして、爪に触れると数秒動きを止めるレベルの放電が行われます」

「ああ、近界民を捕らえたときに使ったというアレか……」

「タイガー先輩どんだけなの」

 

 空閑のぼやきは全員の心情を代弁していた。

 

「あとたまに空を飛びますね。直線機動だと音速は軽く超えてきます」

「人間を軽く辞めてる気がする」

 

 付け足されたものに対するぼやきもやはり代弁していた。

 遠距離からこちらの位置を感知し、強大な砲撃を行い、行動阻害を力ずくで脱し、爪に触れると死、もしくは行動不能。そして時折空を飛ぶ。

 これはもはや黒トリガーを超越した何かである。とりあえず人ではない何かだ。

 あまりにも絶望的なデータしか提示されなかった風間は、禁じ手である迅のほうに視線をやった。

 

「俺は隊長として任務を放棄し撤退することを提案するが……おまえはどう思う、迅」

「うん、まぁ……賛成かな。ただこの作戦会議もモニターされてるからね。撤退戦になるなら出撃位置が調整されると思うよ。具体的に言うと敵地の真っただ中からスタートして、遠征艇の半径三キロまでを逃げ戻れるかどうかの勝負になる」

「なるほど……。出撃位置から遠征艇までの距離はわかるか?」

「ちょっと離れすぎてて正確にはわからないけど、たぶん十キロ以上はある、かな? 潜入が前提の作戦として市街地侵入状態からスタートってことかも」

「そこまで考えられているということは、俺たちが最初から撤退戦を選択することも想定されていると見ていいだろうな。木場を撃破できれば言うことはないが、むやみに特攻しても評価にはならないだろう」

「だろうねー」

 

 消極的な作戦であったが、迅は反対しなかった。

 そも、勝てる未来がほとんど視えないのである。これだけの戦力があればいくつかのルートには大河の撃破も予知の範疇に含まれているものの、隊員の損耗が激しすぎて「帰還を最重視する」評価としてはあまりいいものは得られそうになかった。しかも最後には自爆されるのだから、もはや手を出すこと自体が間違いであり、風間の見立てこそ最善と言わざるを得ない。

 

「では撤退時の陣形もいま決めておこうか」

 

 完全に撤退をメインにしているような風間の発言であったが、やはり誰一人として反対する者はいない。この試験で想定されている状況、それは強力な敵対勢力の出現。サイドエフェクトを使おうとなんだろうと、太刀打ちできないと知れた時点で逃げることが最優先となる。

 

「各部隊で合流し、離れすぎず互いをフォローしつつ退避する。狙撃手は遠距離からの援護だ」

「三輪隊了解」

「み、三雲隊了解。あ、風間先輩。撤退時の三雲隊の位置を殿(しんがり)にしてもいいでしょうか」

「なぜだ? ……ああ、『スパイダー』か」

「はい。あの人にどれほどの効果があるかはわかりませんが、撤退戦には使えると思いますし、その場合は先頭でばら撒くと味方の邪魔にもなるので」

「そうだな……視覚情報を共有しても急に慣れろというのは酷か。わかった。ただし、迅と空閑でしっかりガードしておけ。場合によっては陣形は変更することも念頭に入れておけよ」

「了解です」

 

 各部隊の隊長が頷き合い、風間がちらりと時計に目をやる。

 

「開始まであと30分ほどか。一応、攻め入る場合の状況も想定して作戦を詰めておくとしよう」

「そっちが『一応』なんですね……」

 

 いまさらだが試験内容は「敵中枢にあるデータの奪取」である。そこに敵性勢力の撃破は含まれていないが、戦う前から潜入すらも諦めていることについて、三雲が苦い顔をした。

 無論反対しているわけではない。敵が探知能力に優れ、戦闘能力も測り知れないのだから風間の判断が間違っていると思ってはいなかった。ただ、A級部隊が二チームもありながら諦観しているのが少し気になっただけだ。

 

「仮にも指揮官だからな、部隊員を少しでも危険に晒すことになるようなら出撃すら控えるべきと考える。近界遠征はそのくらい慎重で丁度いい」

「なるほど……」

 

 実際に遠征を経験した者が言うと説得力が違う。三雲も元より不満があったわけでもなかったため、納得して謝意を述べてから続きを促した。

 

「すみません、作戦会議を続けましょう」

「ああ。では潜入ルートだが――」

 

 その後も遠征本番さながらの話し合いが行われていく。

 与えられた情報と持ち得るものをすべて出し切り、試験に合格するために。

 

 

 

――――――

――――

――

 

 

 

 公開遠征計画、部隊選抜試験。

 最終試験:敵地潜入仮想任務。

 戦場マップモデル:科学国家『アクティナ』。

 Cブロック――試験開始。

 

 

 

 




 


お待たせしました。
といっても次の投稿も少々間が空くと思われますが。

ぶっちゃけこの小説だと隊員いっぱい連れていけるので選抜試験の意味あんまりないんですよね(


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第五十七話

 

 

 試験が始まると同時、大河はアクティナを模したフィールドの中枢部にある屋内に転送された。そしてすぐ、高いビルのような建造物にある一室で、本物のアクティナにはあったかどうかもわからないソファに倒れ込むように腰を下ろす。

 

「あー……かったりー……」

「このまえ面白そうとか言ってたじゃん」

 

 大河と同様に転送されたミサキが対面に座りながらそう指摘した。

 彼女はここでもオペレーターの役割を担ってはいるものの、『近界民(ネイバー)役』ということで実際に仮想空間に転送されている。こちらのオペレーティング用コンソールは外部と連動しているため、指揮などは仮想空間内ですることになる。

 そんな、本人も正直面倒だと思ってそうな妹に対して、大河はげんなりとした視線を送る。

 

「もっとこう、わかりやすい内容だと思ってたんだよ……。ふつうに戦闘訓練でよくねーか?」

「それはあたしに言われてもね」

 

 大河がぼやく試験官としての役割――「侵入の知らせを聞いてから出撃、敵対勢力の撃退もしくは捕縛」。

 つまり侵入者たる受験者たちが警戒網に引っかかるまでは何もすることがない。この時点では誰を相手にするのか大河はわかっていないが、風間たちが危惧していたようなサイドエフェクトによる早々の探知は行われないのだ。

 しかしそれは逆に、敵地深部への潜入がこの試験の前提となることを表わしている。いかに迅の予知が警鐘を鳴らしていようとも、これが試験である限り開始直後に撤退では評価できるポイントが限られてしまうのだから。

 ともあれいつ始まるかもわからない――極論を言えば完璧な潜入をされたなら座っているだけで終わるかもしれない試験に、大河はぶつくさ文句を言ったのだった。

 

「出撃じゃなくて巡回って体で外出りゃすぐ見つけられんだろ」

「ま、上から指示されたらそうなるんだろうけど」

 

 ミサキが言うように試験は幹部たちもモニターしている。その結果、Cブロックは迅がいるため戦闘回避が容易と判断されているので、大河の出現はある程度潜入が進んでからということになっていた。前述のように開始直後に撤退では見るものも見れないためだ。

 

「兄貴がソッコー出張ったら間違いなく逃げるでしょ、ふつうに考えて。こないだの大規模侵攻でトリガーの情報も渡したんだしさー」

「つってもよ、A級クラスが三部隊だろー?」

「そりゃそのレベルの複数部隊が相当戦略練ってきたら、いくら兄貴でも危ないと思うよ。でも急造の合同部隊じゃまず無理だし、向こうは遠征任務って体なんだから緊急脱出(ベイルアウト)圏内でしか無茶だってできないじゃん」

「あーそうか、俺たちのと違って前に出すわけにもいかねえもんな。脆いし」

「そゆこと。まあどうせ中枢まで来れたら指示出るでしょ。試験なんだから戦闘力だって見たいだろうし」

「かー……まどろっこしー……」

 

 ぐでんと背もたれに頭を乗せ、そのまま昼寝さえ始めてしまいそうな様子で目を瞑る。

 試験官にあるまじき怠惰さであったがしかし、試験官とはいえ近界民役を全うするのならば、ふだんから張りつめていても意味がないだろう、とミサキも注意することはなかった。

 

 

 

―――――――――――

 

 

 

 仮想近界(ネイバーフッド)国家の街中で、受験者たる三部隊が合流して顔を突き合わせている。

 彼らは予想された大河の強襲がないことを不可解に思い、また敵の巡回もなくこうして難なく合流することができたのであった。

 すでに試験開始から数十分。仮想近界国家は生活音もなく、ほとんど無音だ。ゆるやかな風の音だけが風間たちを包み込んでいる。

 静けさが染み渡った街はそれなりに不気味であったが、それでも戦闘が行われるよりはマシだろう。しかし上層部がこれを「戦闘試験」だと捉えているのなら、いまの状況はあまりにも不穏だ。

 

「敵の反応ありません」

《スコープによる目視でも観測できません》

 

 三輪と奈良坂の報告を受けて風間が顎をさする。

 

「意外だな。あの男なら正面からでもすぐに出てくると思ったが」

「罠でしょうか?」

 

 三雲が冷や汗を浮かべつつ具申する。

 中枢に引きこんでからの強襲。これをされると撤退が難しくなる。

 しかし風間が答える前に迅が片手を振ってそれを否定した。

 

「いや罠っていうより、上層部の指示じゃないかな。俺たちの戦力を見たいのに木場さん放り込んだら戦闘になるまえに撤退しちゃうでしょ、って」

「かもしれないな……。結局、戦闘は避けられんというわけか」

「撤退メインに作戦立ててたのはそれはそれで評価されてると思うけどね」

 

 風間と迅のやり取りを聞いて、三雲は上層部の悪辣さに目まいがした。

 あんな狂人と真正面からぶつけさせようとは、幹部たちはなんと恐ろしいことを考えるのか。

 いま現在の時点でこの少年と大河の初めての邂逅からおよそ四カ月ほど経っているが、三雲の脳裏にはあの大砲を突きつけられた場面(シーン)が未だに消えていなかった。

 大規模侵攻を終えて、ボーダー隊員としては共に戦った仲間と言えなくもない。けれども、あんな風(ヽヽヽヽ)でも一応は味方なのだろう、と思いたくても、どうしても思えなかった。

 戦場を己の力で潜り抜けてきた空閑などとは違い、実戦なんてほとんど経験したこともない中学生に本気で向けられたどす黒い狂気。彼がどれだけの覚悟を持っていたとしても、その心に爪痕を残すには充分すぎた。

 

「ここから先は市街地と思われる。住民の目の代わりに探知トリガーが設置されている可能性が高い。各自隠蔽用トリガーを起動しつつゆっくりと前進するぞ」

「三輪隊了解」

 

 頼れる先輩の声に、三雲が頭を振って恐怖を追い出す。

 これから己は近界に向かうための力を示すのだ。味方ひとりに怯えている場合じゃない。

 

「た、玉狛第二了解」

 

 風間の判断に従い、各々がバッグワームをまとって街を進んでいく。

 すでに通り抜けてきた後方には大きな防壁があり、さらにその前は妙な建造物が設置された荒野となっていた。遠征艇がある地点からははるか十数キロも離れていて、緊急脱出(ベイルアウト)はもう発動できない。

 全員が緊張感をもって死角に注意しつつ敵中枢を目指す。

 

 

 

 

―――――――

 

 

 

 

 試験用仮想空間モニタールーム。

 ボーダー上層部の職員、主に幹部と、各支部の支部長たちが試験中の受験者たちを観察している。

 Aブロックではすでに戦端が開かれており、太刀川隊・影浦隊・生駒隊が天羽の黒トリガーと草壁隊による迎撃を受け戦闘中。

 Bブロックは冬島隊・加古隊・二宮隊が隠密潜入中だが、冬島と喜多川のスイッチボックス、当真の観測援護を受けながらも大部隊の哨戒索敵により発覚は時間の問題とされている。

 そして――

 

「Cブロックもそろそろ木場を投入するかのう」

「彼を建物に押し込んだままだとそのまま潜入が成功しそうですしねぇ」

 

 鬼怒田と根付の話を聞き、忍田が受験者たちを褒めつつ頷く。

 

「迅がいるとはいえしっかりとした連携と作戦。さすがは風間といったところか、リーダーシップを強く発揮している。彼らがAブロックだったら仮想任務を完遂していたかもしれないな」

「うむ。太刀川たちは少し好戦的すぎるきらいがあるからな……。じゃが、戦力としては申し分ないわい」

「えぇ、A級一位は伊達ではないですね。Bブロックは冬島隊の索敵能力がうまく機能していますし、これからが注目のしどころでしょう」

 

 それらの会話を耳に入れながら、城戸が腕時計に目をやる。

 

「風間たちが中枢内部に侵入するまで、およそ一時間ほどだろうか。Aブロックは状況の進行が早い、そちらが終わり次第Cブロックの木場を動かして様子を見るとしよう」

 

 受験者たちの動きによって前後するが、おおよそで任務中盤、風間たちが侵入し任務目標のデータを入手してからの大河解放。これにより想定通り、撤退戦が繰り広げられることになるだろう。

 城戸の指示に首肯した鬼怒田がCブロック試験官をモニターする画面を見つめて、そこで昼寝でもしているのか目をつむったまま動かない大河を観察する。

 

「木場も何やら妹や茂森とこそこそやっておったのでな、また新しいトリガーでも作っておるやもしれん」

「おや鬼怒田さん、彼からは聞いてないのですか?」

 

 唐沢がそう問うと、鬼怒田は鼻を鳴らして肯定した。

 

「ガロプラの協力があったとはいえ遠征艇の改造にはかなり時間を要したからな。それに正式実装した『喚門(エクストラクター)』は遠征に使えることもあって大急ぎで普及させたしのう……。木場のことは茂森に任せっぱなしだったのだ」

「なるほど……。では、ぜひ彼の実力も見たいところですね」

 

 唐沢の呑気なセリフに、鬼怒田はため息にも似た吐息をこぼし、いまだ動きのない木場隊のモニターを見やった。

 首輪が着けられていても手に余る虎は、それまで専属と言っていいほど世話を焼いてきた開発室長の手を離れ始めた。

 後任がいるとはいえ鬼怒田にはそれが少々不安であり、恐ろしくもある。後任の復讐の化身はアレに何を持たせたのだろうか。ミサキが唯一の――比較的――常識人であるが、あの少女もストッパーとしては止め際が他人と少し違う部分を持ち合わせている。

 

「暴発して自爆せんといいがな」

 

 果たして、自分がこれから何を見ることになるのか。

 不安であり恐ろしくもあり、しかし技術者としてはたしかにわくわくとして、鬼怒田はCブロック試験官の解放を待っていた。

 

 

 

―――――――――――

 

 

 

 やはり試験官解放のタイミングを見計らっている、と風間が確信したのは仮想近界(ネイバーフッド)の中枢にまで至ったころだった。

 彼らはここまでかなり慎重に進んできたが、それにしても警備がザルすぎた。

 大河本人はもちろん、トリオン兵による巡回もなし。それどころかトラップや監視システムのようなものもなかった。

 さすがに街路を堂々と進めるほどではない。表通りのようなつくりになっている場所には近界民を模しているのであろうダミー人形が配置されており、おそらくそれらの正面に立つと警報が鳴るだろう。

 しかしそれでも裏路地に人影のひとつもないというのは、隠密任務の試験と呼べないのではなかろうか。

 

「この防壁を越えれば中枢区か」

 

 市街地と中枢を分ける防壁沿いに進むと関所のようなものを見つける。そこに衛兵の類はなかったが、念のためにカメレオンを起動した菊地原を先行させ、探ってもらう。

 

「《とくに何も仕掛けられてなさそうです。ぼくたちのことナメてるんですかね》」

「《舐めてるならそれに越したことはない。俺たちは任務を遂行できればいいのだからな。だがここから先は本格的な警戒がされている可能性が高い。各員、気を引き締めろよ》」

 

 風間が注意を促す通信を送ると、三輪と三雲が部隊を代表して了解を返答した。

 

「…………」

 

 カメレオンを解除した菊地原が戻ってくるのを迎えながら薄く笑う風間。

 どこか捻くれながらも優秀な隊員がこの試験の本質を見抜けていないはずがない。いまの油断するような発言も、おそらくは風間に注意されたかったのだろう。叱られたい、などといったものではなく、そうして他の隊員にも気をつけてもらいたいのだ。

 長い行軍、しかも隠密での行動はかなりの気力を使う。戦闘体ゆえに肉体面の疲労はないが、精神面はそうではない。

 ここまで何もなかったという事実も、逆に言えばバッグワームやカメレオンを無駄に使ってトリオンを浪費してしまったとも考えられる。

 敵地での緊張感、無為になった消費。軍人として鍛えられているわけではない少年たちには焦りが生まれることだろう。その焦りが判断を鈍らせる。ここまで何もなかった、この先も何もないかもしれない、そうであってほしい、という希望を抱かせる。

 それこそが実体のない罠であり、毒。

 仮に上層部がそこまで考えていなかったとしても、自ら生み出す罠こそが時に致命的なダメージを与えるのである。

 

 風間隊はそれを知っている。彼らは隠密行動をメインコンセプトに設定した部隊である。かつての遠征でも、当然のように偵察や斥候の任にあたった。それを見越していた風間によって、そういう訓練を(こな)したことだってあった。

 菊地原もふだんなら直接――ストレートすぎるほどに伝えていただろうが、神経がすり減った状態での憎まれ口は予想だにしない不和を生む可能性がある。大一番を前にくだらないことで連携を乱したくなかったのだろう。

 

「よし、進むぞ」

「了解」

 

 部下の意を組んだ隊長の一言のもと、新たに気合を入れなおす。

 そうして受験者たちはベストコンディションで敵地最深部に乗り込んだ。

 これまでに消費したトリオンは少なくないが、戦闘――撤退するのには支障ない。厳重に気を配り、いつでも全力を出せる状態で足を踏み入れられた。

 

 ややあって目標たる建造物の発見する。全体がガラスのような物質で作られている、近未来感のあるビル。

 風間たちは速やかに侵入し、コンピュータのような形体のコンソールからターゲットである情報(データ)を抽出し始めた。

 ことここに至っては罠を気にかける必要はない。

 情報の解析は遠征艇内にいるオペレーターたちの仕事であり、風間たちにできることは周囲を警戒することだけだからだ。

 加えて述べるならば、ここまで来たからには待ち受けているのは罠と呼ぶべきものではない。そう、それはまず間違いなく――

 

 

『侵入警報発令。侵入警報発令。警備隊は直ちに出動されたし』

 

 

 絶対的な試練である。

 

 

 



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第五十八話

 

 

 試験開始からおよそ一時間半。

 ついに木場隊に行動命令が下される。

 

《侵入警報発令。侵入警報発令。警備隊は直ちに出動されたし》

 

 機械音声が大河たちの待機室に繰り返し流され、浅い眠りについていた彼はぱちくりと目を(しばた)かせて身体を起こした。

 

「……ふああ、く。ようやく出番かあ?」

「うん、出番。でも早くしないと終わるよ。風間さんたちすごい勢いで逃げてるし」

「ちょっ」

 

 ミサキがなんとはなしに言ったセリフに、呑気にあくびをしていた大河は慌てて窓際に駆け寄った。

 背の高い建造物は中枢区からでも市街地防壁までをまんべんなく見渡せる。その眼下には市街地と中枢を隔てる防壁を抜けていく風間たちの姿が見えた。

 まさに脱兎といった様子だ。こちらの位置を把握してはいないだろうが、一目散に駆けて家屋の影に消えていく。

 

「どうなってんだここのクソ警備。なんの役にも立ってねえぞ」

「否定しないけど、そういうもんだと思うしかないでしょ。じゃ、あたしはオペレーション入るから」

「おう頼む。こんだけ待たせたんだ、ただで帰してやるかってんだ」

 

 部屋の外へ消えていったミサキを見送ってから、大河は楽しそうに歯を剥いた。

 なんら褒美もない仕事ではあるが、仕事は仕事。それに、三輪隊以外のA級クラス部隊との戦闘は格好の実験(ヽヽ)にもなるはずなのだ。

 眠気はとうに覚め、闘争心と狩猟本能が鎌首をもたげる。それと同時に空中機動用トリガーの発動が開始、強化戦闘体の背中に一対の背びれが生成された。

 

「『バーニア』起動(オン)

 

 宣言とともに大河の姿が掻き消える。目の前のガラス質の壁を吹き飛ばし、市街地までの数キロを瞬く間に飛びきって、虎爪による強引な接地でなんとか「着地」の体裁を整えた。

 アフトクラトルの遠征部隊が一人、ランバネインという男が使っていた飛行機能。それをモデルに製作されたのがこの『噴進機構(バーニア)』である。

 トリオンをもってして推進力を得るシステムは大出力を誇る大河には扱いの難しい代表ともいえるものなのだが、『バーニア』の機能は実際のところ「圧縮空気を貯蓄・噴射する」のみであり、軌道修正に使う背びれ以外はトリオンを使用していない。

 これは言うなれば強化戦闘体の強力な肺活量を活かした呼吸器官。武器でないがゆえに大河にも扱いやすく、グラスホッパーを自身で起動するよりも確実な移動を可能にする。

 

「はっはあ! 逃がさねえぜ、風間――いや侵入者さんよう」

「……チッ」

 

 サイドエフェクトで居場所を特定した侵入者。そしておそらくは指揮官であろう風間を捉えた大河は頭を押さえるべくそこに急行した。

 周辺には風間隊・三輪隊・玉狛第二の近接戦闘を得意とするメンバーがそれぞれ二人ずつ。物陰に隠れてこちらをうかがっている模様。

 

狙撃手(スナイパー)は――けっこう距離取ってんな。迅の予知(ズル)使ったか?」

「答えられんな。しかし発覚から接敵までこうまで早いとは……」

「警備の設定がザルすぎて、逆に特定が早まったな」

 

 くつくつと喉を鳴らして笑う。

 正直に言えば試験官なぞ面倒でしかなかったが、大河はここのところストレスが溜まりに溜まっており、その発散先を無意識のうちに求めていた。度重なるトリガー実験、ガロプラの襲撃、そして捕虜への接近禁止令。とくにガロプラに対する怒りの槌は振り下ろしどころを完全に失っており、いまもなお燻っているのである。

 三輪隊との訓練は訓練になるよう大河なりに考えて動いていたのもあって、ストレス発散には至らなかった。

 だがいまここでならば。思い切り――現地の近界民(ネイバー)役として市街地の破壊はある程度制限されてはいるが――戦える。向こうの心情などなんら汲み取る必要もなく蹂躙することが許される。

 

「かなり待たされたからな。あくびどころか昼寝までしちまった。寝起きの準備運動がてら、思いっきりやらせてもらうぜ」

「……。近界民役だというのなら取引も可能なはずだが」

「あん?」

 

 無表情のまま風間が「取引」という言葉を吐き出し、大河は片眉を上げた。

 たしかに試験官が真に近界民役を実行しているならば、通常の遠征でそうしているようにトリガーや情報、時には労働なども含めて交換材料になり得るだろう。

 だがいまここではありえまい。これは試験であり、任務は仮想。取引によって受験者を見逃せばただの談合にしかならないのだから。

 

「どうだ、ここはカツカレーで手を――」

「打つかあっ!!」

 

 いったい何を言い出すのか。そんな好奇心から一瞬でも聞く耳を持とうとした大河は、その期待を大いに裏切られた。

 ふざけた提案に爪を巨大化させた手でもって突っ込みをいれる。

 が、瞬時に風間の姿が消えて手応えもなく虎爪が空を切った。

 

「おおっ?」

 

 不可思議な現象に思わず漏れた怪訝な声。

 裏切られた期待が、今度は疑念となって思考に燻りを残す。

 風間は回避行動にすら移っていなかったはず。これはカメレオンの起動だけではない。その残り香から大河が敵の行動を見極めた。

 

「トリオンでできた糸? いやワイヤーか……そんなトリガーあったっけか」

《『スパイダー』でしょ》

 

 ボーダーにも使い手が少ないトラップ用トリガー『スパイダー』。それを風間の背中に撃ちこみ、カメレオンの起動と同時に引っ張ることで虎爪を回避させたと思われる。あの無意味な問いはその一瞬を作り出すための問答であったようだ。

 ちなみに大河は入隊当初の実験ですべてのトリガーの起動実験を行ったが、『スパイダー』はワイヤーどころか石柱のようなものが射出されるため、いくらでもトリガーチップを積めるホルダーにも採用していない。ゆえにどのような効果を持っているのかいまいち把握しきれていない部分がある。

 ともあれ大河にとって隠密(ステルス)トリガーはあってないようなもの。すぐさま匂いを辿って追撃態勢に移った。

 

「逃がさねえって――ん?」

 

 高速で追跡しながら、身体に違和感を覚える。

 何かが足に触れている感覚。走行を妨げるようなものではないが、これは。

 

「これもワイヤー? 匂いうっすッ!」

 

 地面と同化する色で設置されたワイヤーが足に纏わりついていたようだった。強化戦闘体の膂力と足の爪でいくらか切断されていたため違和感程度にしか思えなかったらしい。

 それにおいてもこのトリオンの薄さときたら。大河も戦場で経験したことのないものだった。おそらく三雲のものなのだろうが、近界(ネイバーフッド)のトリガー使いがこのような弱々しいトリオン器官を持っていたら、大河はその国の国力をかなり低く見積もって殲滅に入るレベルだ。

 

「ぬう……! 地味に気になる」

《それが狙いだとしたら大したもんだわ》

 

 ミサキが感心と呆れの入り混じったため息をつく。

 『スパイダー』はその名の通り、歩いているときに顔にかかるクモの巣のような鬱陶しさで大河の追跡を妨害している。さすがの大河でもワイヤーの色合いとトリオンの薄さが相まって、高速移動中に回避するのがかなり難しいようだ。

 

「あああうぜえ!」

 

 足の爪のおかげで重心がくずれても転ぶようなことはないが、それでも邪魔なことに変わりはない。

 トリガー制御が困難になるためイラつかないように気をつけつつ、大河は手の爪を先行させることでワイヤーを切りながら前進していった。鉄道車両の排障器のような形で生成された爪が、認識もできない糸をいくつも切り捨てていく。

 ――と

 

「うおっ」

 

 死角になった爪の下から障壁がせり上がり、虎爪を食いこませながらも上に弾き飛ばして大河が壁に激突する。強化戦闘体の勢いと重量で粉砕されたが、足止めとしてはこれ以上ない成果を挙げたといえよう。

 そこを狙って潜んでいた三輪隊の近接担当二人が飛びかかってくる。

 

「行きます!」

「もらった!」

 

 右上から三輪が、左上から米屋が、それぞれ形の違う弧月を振りかざして襲い来る。

 

「――ふッ!!!」

「な……っ!?」

 

 それを大河は文字通りに吹き散らした。サイドエフェクトで探知追跡をしていたまま、溜めこんでいた空気を『バーニア』ではなく口から放出して強力な風圧を生み出したのだ。

 

「上はダメだって、訓練で何度も学んだろうが!」

 

 大河と()りあうにあたって、もっとも下策となるのが上空からの攻撃である。爪も大砲も、その広大な攻撃範囲から取りまわしにある程度の制限がつく。が、敵が上方にいればその限りではない。

 それを知っているはずの二人はバランスを崩し、振りかざされた虎爪を、

 

「また……!」

 

 すり抜けるように避けて大河の前方に転がる。どちらにも背中にワイヤーが繋がっており、先の風間と同様の回避方法を見せたのだった。

 どうやら彼らはワイヤーをトラップとしてではなく命綱のように使って、攻撃と同時に回避を徹底しているらしい。上から襲ってきたのは、面状に振り回される虎爪に対し三次元的な回避方向が必要だったからか。

 これはおそらく迅による予知の恩恵を物理的に分け与える手段。急造チームの連携としては及第点と言えるだろう。

 ならば、と大河はハイドラを起動して三輪たちに狙いを定めた。

 市街地の破壊は控えろと言われてはいるものの、それは絶対ではない。仮に大河が本物の近界民(ネイバー)だとしても、ここまで敵に侵入されればどの道ある程度の被害は想定の範囲内なのである。

 巨砲が吼える直前、大河は足元に忍び寄る気配に気づく。

 

「それは視えてた、ぞっと!」

 

 おそらくは体勢を崩すために足元で発動させたエスクード。しかしサイドエフェクトで感知していた大河はバランスを崩すことなく、これ幸いと壁が突き立つ勢いを利用した跳躍をし、眼下に狙いをつける。

 水平方向より下に向けて撃ったほうが破壊が少ない。それは市街地への配慮ではなく、巻き起こる粉塵と瓦礫が敵部隊の撤退を助けるのを考慮したもの。

 

「落ちても恨むなよ秀次ィ!」

「……!」

「メテオラ!」

 

 眼下の三輪隊二人にハイドラを放つとほぼ同時、歌川のものと思しき炸裂弾(メテオラ)が飛来して大河に着弾した。

 タイミングとしては間違ってはいないのだろうが、その程度ではダメージも、狙いのブレさえも与えることはできないだろう。

 炸裂弾を爪で打ち払った大河はしかし、煙幕のようにトリオン煙が漂うなかで敵の狙いを悟る。

 ――狙撃! 『バーニア』は……さっきの吹き散らし(ヽヽヽヽヽ)でチャージ分を使っている。爪での防御は、奈良坂の狙撃の腕前を考えると隙間を抜けてくる可能性が高い。ならば、シールドで。

 

「――おっ?」

 

 大河の思っていたとおりに狙撃の弾は飛んできたが、その挙動は彼の思惑ごとすり抜けた。

 がきん、と音がして胸部に鉛弾の錘が突きたつ。狙撃と鉛弾(レッドバレット)の合わせ技。B級ランク戦など観戦したこともない彼は初めて見るそれに目を丸くする。

 さすがに体勢がくずれて落下するところにまた何発かの狙撃が飛んできて、それは今度こそ爪で叩き落したものの、その結果足からの着地が困難となった。

 

「いただき」

 

 菊地原の小さな声が聞こえ、同時にカメレオンが解除されて姿が現れる。

 体勢はまだ崩れたまま。これは虎爪ではなくシールドによる防御が必要――。

 大河の『強化嗅覚』は事前に敵の接近を察知していた。己を挟んで反対側にいる風間の存在をも。

 しかしこの小さな呟きこそが罠だ。ミサキの『思考追跡(トレース)』は大河が先に意識したほうに釣られてしまう。技量としては警戒すべき風間よりも優先して菊地原の攻撃をガードさせてしまった。

 

「チッ、腕一本か」

「ちゃんと落としてくださいよ風間さん」

 

 口を尖らせて文句を言う菊地原。

 だが大河としては風間の技術に舌を巻いていた。

 

「やるじゃねーか、風間」

 

 あり得ないほどのトリオンが噴き出る右肩を気にもせずに称賛を口にする。

 強化戦闘体に内臓された骨格は高密度のトリオンで構成されている。ブレードトリガーでも斬りおとすのが困難なそれはしかし、関節部分にまでは及んでおらず、そこに寸分違わず刃を通せば四肢を落とすことも可能。

 けれども戦闘中にそんな僅かな隙間を狙うのは言うほど容易いことではない。自身の技量、敵の動きとタイミング、そして角度。すべてを計算に入れてようやくかなう神業だ。

 

「できれば首を落としておきたかったが」

「さすがに守るっつーの」

 

 これまでと変わり、風間はヒットアンドアウェイをやめて足を止めた。結局撃ちもらした三輪隊含め他のトリオン反応が離れていくことから、おそらくはこの二人が殿を務める腹らしい。

 至極愉快そうに唇を歪めた大河は、残った左腕をすっと上げて風間を指さした。

 

「そういえば風間、おまえさ――」

「? ……ッ!」

 

 向けた人差指の爪だけを爆発的な勢いで伸ばす。あまりにも卑怯な手法だが、もともと手段など選ばない大河にとっては挨拶代わりのようなものだ。

 

「うわ、陰湿」

「ぎゃはっ! 引っかかんねえか、さすがじゃねーの」

 

 菊地原の陰口も無視して大河は続ける。

 

「まあ冗談はおいといて、だ。おまえらの何人かは遠征の乗組員(クルー)になるかもしれねえわけだし……じっくり相手をしてくれるってんなら俺の全力を見せといてやろうと思ってよ」

「……嬉しくもない提案だな」

「くははっ、そういうなよ。けっこう自信作なんだぜ、主にミサキの」

 

 そう宣言するやいなや大河の右肩の傷口から何本もの爪が突きたち、次第に形を変えて失われた右腕の形状を表わし始める。

 アフトクラトル戦でも見せた疑似的な回復。だが、これだけではない。

 両肩のハイドラのすぐ横、肩峰骨の上から新たに光刃がメキメキと音を立てて現出していく。やがてそれらも腕――二本の巨腕となって地面を叩いた。

 

「……本当に人間やめすぎなんじゃないの?」

 

 あわせて『バーニア』の背びれをも発現させた大河は、菊地原がぼそりとこぼしたように完全なる異形となっていた。さらに体表も輝きはじめ、鱗のような細かなブレードが全身を覆う。

 『獣鱗爪甲(じゅうりんそうこう)・虎式』。

 この名はトリガーの名前ではなく、新たに考案された「戦闘法」である。

 これまでの戦闘データと『思考追跡』で得た大河の思考データ、それぞれを組み合わせて作り上げた『虎爪』による攻防一体の形状。

 

 正式名称『連装式攻殻獣爪』の名の通り、虎爪は複数のブレードを生成するトリガーであるが、別にそれは両手両足に五本ずつの二十本が限界ではない。また、手足からしか出せないわけでもない。そして数を増やせば増やすだけ大河にとっては――威力調整という意味では――調節が楽になる。いままでそうしなかったのは、単にできなかっただけだ。

 そこでミサキが行うトリガー調整による疑似的な四肢復元をもとに、大河の思考ルーチンを補助するAIを構築。それによる自動調整を行いながら虎爪を起動させたものがこれだ。

 全身をブレードで覆い防御力を上げる。特に頭部、関節部は重点的に重ねて甲殻状にしてあり、敵の攻撃に対してさらなる難度を押し付ける。

 無理な動作を行えば鱗状の(ブレード)群は己の身体をも傷つけるが、多少の傷など大河は問題にもしないし、むしろありあまるトリオンは放出させてしまったほうが邪魔とならずに済む。

 二本の巨腕は補助AIにより簡単な動きしかできないものの、ただ叩きつけるだけでも充分な威力を発揮し、必要になればミサキが自由に動かすこともできる。

 すなわち、兄妹二人で一つの戦闘体を動かすようなシステム。

 かつて茂森は強化戦闘体こそが技術の粋と言った。そしてこれが木場兄妹の考え出した答えであり、奥義である。

 

「失礼なことを言うもんじゃねーぞ菊地原。これは俺たちが積み上げてきた成果(ヽヽ)だ」

 

 そう。この戦闘法には木場兄妹が培い、吸収したすべてが乗っている。

 大河の莫大なトリオン量から構築される規格外の武装群。これまでの戦闘経験。そして兄を助けるべくミサキの編み出した『直接援護(ダイレクトオペレーション)』に始まり、トリガー起動を助ける思考補助AIはレプリカの存在と彼によるトリガー遠隔発動から、バーニアはアフトクラトルの敵兵からそれぞれ発想を得ている。

 さらに今期のアフトクラトル遠征に際しもっとも危険な黒トリガーである『卵の冠(アレクトール)』、『星の杖(オルガノン)』を防ぐために必要だった全周分割防御。嵩む重量はもともとの膂力とサイドエフェクトを活かすバーニアで補い、アクティナから奪った技術で触れれば即紫電が撒き散らされる。

 

 大河は己を最強とは思わない。だからこそ、使えるものはなんでも使う。

 より強く、より強固に。

 そして安全かつ、迅速に。

 どうしても危険を伴う己の目的を果たすために、すべてを利用する。

 その結果ならば菊地原が言ったように化け物に成り果てようとも、大河は気にしないだろう。

 

「じゃ――いくぜ」

 

 

 

 



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第五十九話

 

 

 

 大河は己を最強とは思わない。だからこそ、使えるものはなんでも使う。

 より強く、より強固に。

 そして安全かつ、迅速に。

 どうしても危険を伴う己の目的を果たすために、すべてを利用する。

 その結果ならば菊地原が言ったように化け物に成り果てようとも、大河は気にしないだろう。

 

「じゃ――いくぜ」

 

 ゆえに、最初に狙いを定めたのが菊地原だったのは、ただ単純に距離が近かったからだけなのかもしれない。

 左の巨腕が振り上げられ、息つく間もなく叩きつけられた。それは単なる振り下ろしに終わらず、堅い質感とは裏腹に柔軟な伸縮性を見せて回避すら織り込む緻密な攻撃。大河の背後に陣取っていた菊地原は虚を突かれて直撃をもらってしまった。

 全体を構築する爪の一本一本が必殺のブレードである腕。そんなものの直撃を受ければもう助かるまい。仮にまだ戦闘体が生きていたとしても、全身をずたずたにされて、強制解除まで秒読みが始まっていると言ったところか。

 悪辣なことに大河が振り下ろした巨腕は叩きつけた手のひらを勢いよく閉じて、周囲の地面ごと菊地原を握り潰し、より確実な撃破を手中に収めんとした。

 徹底的なまでの攻撃本能。あるいは危機管理とでも言うべきもの。

 

「菊地原! くっ……!」

 

 菊地原の生存を見切った風間が即座に距離を取ろうとするも、バーニアによるノーモーションの追撃が逃れることを許さなかった。大河は派手に地面を削り巻き上げながらなお風間の高速機動に追随する。

 もはやワイヤーなど意味を為さない。それは触れた瞬間に細切れになるだろう。

 異形の巨獣と化した大河はしかし、怒りも狂気もなく冷徹に風間を追い詰めていく。

 

「すばしっこいな。さすがはランカー、簡単にはいかねえってか」

 

 大河は愉快そうにそう言い放つ。事実攻撃手ランク二位の体捌きは見事という他なかった。

 だが、実情としては少し変わってくる。逃げの一手とはいえ風間が落とされずに済んでいるのは『獣鱗爪甲(じゅうりんそうこう)』が防御寄りの戦闘手段であるから、というのがもっとも大きい。

 これは本来、回避困難な攻撃を行ってくる相手に対して使うべく編み出した戦闘方法。巨腕は自由に動くものの、全体から見れば小回りは利かなくなっており、追撃戦や高速で移動する単体相手にはあまり有効な手段ではない。

 ここでこれを使ったのは単に見せつけただけのこと。遠征部隊第二部隊隊長として対近界民、対アフトクラトルの力を、乗組員(クルー)になるかもしれない風間たちと、観戦しているはずの幹部たちへ。

 

「ブッ潰れな!」

 

 もはや地形も障害物も関係ない攻撃。

 振り下ろされる巨腕に対して防御にかざすスコーピオンなど、倒れてくる巨木を爪楊枝でどうにかしようとするようなものだ。無意味と断ずるほかない。

 それでも風間はその身体性能を遺憾なく発揮して、ギリギリではあるが攻撃を回避していった。時おり掠める瞬間には絶妙なタイミングでシールドが差し挟まれ『滅雷公』も本領を発揮できないでいる。

 戦況としては圧倒的優位に立っている大河は、決めきれないこの現状にもいら立ちではなく称賛の念を抱いていた。

 

 ――風間は随分と俺を研究していたらしい。

 完全に初見であるはずの四本腕に対しても驚きこそすれ恐れはなく冷静に立ち回っている。おそらく以前他の隊員に渡したトリガーのデータや、大規模侵攻において知るところになったであろう戦闘データから、どんな攻撃・動きをするか何度もシミュレーションを重ねてきたのだろう。

 だからこそ攻撃を避けられる。先読みしなければ――いや、先読みをしたとしても一手間違えば即座に詰む蹂躙劇を切り抜けられる。

 

 なるほど動きを知られているというのは厄介だ。そう頭の片隅で思う。

 これまで大河は見知らぬ星々での戦闘を主にしてきた。当然ながら互いに初見であり、だからこそ圧倒的性能を誇る武装群で制圧することができた。追い詰められようと最終的には自爆でうやむやにもできた。

 だが最初からある程度であっても知られていると、こうもやりにくい。

 何をしようとしているのか知っていれば、それが必殺の一撃であろうとも容易に回避できる。これは三輪隊との戦闘訓練でも思ったことだが、風間のそれはさらに上を行っている。

 何度も繰り返し挑んできた三輪たちとは違い、風間は見たこともないはずの獣鱗爪甲を組み込んでまで詰みきれない。

 これがボーダートップクラス。これが才能、これが経験値の差。

 ただ単に(トリオン)任せではいずれ限界がくると、改めて理解させられる。

 

「っと、追いついちまったか」

「……!」

 

 風間が飛び退ったあとの影を何度も叩きつぶすこと数十回。そんな蛮行じみた行為を繰り返しているうち、先だって退避中であった他の隊員たちの姿がおぼろげながらも見えてきた。

 大河は足を止めて大きく息を吸い、敵陣営の正確な位置を確かめてから四本の腕を威嚇するように広げた。吐き出されることのない呼気はそのまま肺と接続されたバーニアに流入・圧縮され、爆発的な推進力を溜めこんでいく。

 動きを止めた大河を尻目に、これ幸いと猛スピードで離脱を図る風間。それを大河は口の端を釣り上げて見逃した。

 

 いかな強化戦闘体とはいえ空気の充填にはそれなりに時間がかかる。

 細かな機動を行う程度ならば数秒もかからないが、いま大河がやろうとしていることには戦闘時に蓄積された分を除いても数十秒ほどのチャージタイムが必要となるだろう。だが、別段充填中は動けないというわけでもない。

 では何をしでかそうというのか――それは、風間が合流した複合部隊をまとめて殲滅することである。

 

「――フルバースト!!」

 

 大河が敵勢の合流を認めた次の瞬間、超臨界状態にまで達した圧縮空気が解放されて、まさに一息(ヽヽ)のうちに音速を突破。四本の腕からなる凶爪をさらに巨大化、翼のように広げ、擦過したものすべてを芥子粒(けしつぶ)にまで絶断する巨大な弾丸と化した。

 死滅の大翼は一塊と言うには散りすぎているボーダー隊員たちの全員を捉えてなお大きく。回避も、防御も、一切を無為に()せるであろうことが誰の脳裏にも(よぎ)っていた。

 ただ、一人を除いて。

 

グラスホッパー(ヽヽヽヽヽヽ)

「――――!?」

 

 そのたった一人、空閑が展開したのは跳躍用の薄膜。防御用ではないそのトリガーは、たしかに防御と呼ぶにはあまりに薄く、頼りない。

 けれどもトリオン、トリガーとはしばしば物理法則を覆してしまう。

 

 『グラスホッパー』――とは、触れた物体を弾き飛ばすトリガーである。厳密には跳ね返すのではなく、物体がもつ「速度」の値を運動量保存の法則を無視して強制的に変更する。薄い膜に触れたものがなんであれ、どのような速度であれ、設定された出力の速度ベクトルに書き換えて(ヽヽヽヽヽ)弾き飛ばす。

 それに頭から突っ込んだ大河は瞬時に減速(ヽヽ)して後方へと吹き飛んだ。長い爪が地面や建造物を削りながらも引っかかり、錐もみ状態で家屋に突っ込んでいく。

 

「チッ……頭の回るやつだ」

 

 舌を打ち、瓦礫を蹴飛ばしながら大河が起き上がる。

 物体を弾くトリガー、この反射膜で大河の突進を止められたのは『バーニア』が単発式の噴射機構であることが大きな要因となった。

 もしバーニアがアフトクラトルのブースターのような仕組みであったなら、グラスホッパーの影響など一瞬しか受け付けずに再加速することができただろう。絶えず噴進し続けていれば、反射が作用した瞬間にさらにそれを上書きすることができるはずなのだから。

 余談だが、弾丸トリガーも同じ原理でグラスホッパーによる反射はできない。通常の銃弾であればいざしらず、弾丸トリガーはトリオンの噴射によって推進力を得ている。弾頭を真逆に向けるものではないという性質上、弾道を逸らすことはできようが、一瞬一回きりのグラスホッパーでは防御の術として成立しないのである。

 今回は戦闘体を前面に出した突進、極めて物理的な単発攻撃であると瞬時に判断した空閑の機転が、大河の攻撃を文字通り跳ね返したのだ。

 

「もう第三区画か」

 

 中枢から見て二枚目の防壁。アクティナにおいては発電用施設が設置されているエリア。ここを抜ければ荒野が広がり、すぐにも緊急脱出(ベイルアウト)の有効圏内へと至るだろう。

 

《みんな散り始めてるね。よく練られてる(ヽヽヽヽヽヽヽ)

「ったく……秀次のやつ」

 

 ミサキが感心すると同時に大河がため息をつく。

 大河が吹き飛んでいる間にレーダー上のトリオン反応は散り散りになって、それぞれが緊急脱出(ベイルアウト)圏内へと向かい始めていた。その散り方は放射状に角度をつけての各個撤退。すなわちハイドラ(カノン)が一度に狙える人数を極限まで減らした状態だ。

 大河のハイドラは正面から縦方向にしか動かせない。左右の狙いは20度足らずの可動域しか持っておらず、身体ごと動かさなければ照準を合わせることができないのである。その弱点を補うに充分な効果範囲と連射性能を有してはいるものの。

 この制限は砲塔が大きすぎるのと同時に、反動を相殺する機構が必要だったための措置。真横に向けると、発砲の度に最高硬度の鉄塊が反動放射とともに大河の横面を殴りつけてしまうことになる。

 三輪は大河との訓練でそれを知り尽くしていた。ゆえにこそ、この移動要塞のような男に接近戦を挑めるまでに成長したのだ。

 

 バーニアを吹かして再度宙を駆ける。大河は嘲笑うように敵対勢力に先駆けて、第三区画の防壁へと足を着けた。

 もはや隠れる意義などないとみたのか狙撃による遠距離攻撃が何発も飛んでくるが、表皮に生成された細かな鱗状ブレードが一切の攻撃を通さない。

 

「くっそー、木場さんずっけぇ! そんなん訓練のときにも使ってなかったじゃんよー!」

 

 足もとからそんな米屋のブーイングが風に乗って聞こえてきた。

 くつくつと喉を鳴らした大河は、挑発するように応える。

 

「ばーか。切り札ってのは隠しとくもんだろうが――……こんな、風によ!」

「ちょ――!?」

 

 吼えた大河がさらなる変貌を遂げる。

 防壁を掴んでいた巨腕が振り上げられ、めきりめきりと軋み、そして握りこぶしが開かれるとそこには花弁たる指に囲まれた雄蕊(ゆうずい)のような砲塔……ハイドラ。

 それは全方位自由自在に狙いをつけられる悪魔の兵器。

 もはや隙なぞ見当たらず、逃げ場などどこにもない。

 必要なものを必要なだけ搭載した大河のトリガーは、ボーダーのトリガー特有のカスタマイズ性を遺憾なく発揮して、悪魔的進化を繰り返し続けていた。

 

 されどここまで同時展開が煩雑になると、大河のみでは限界がくる。

 二対の腕はまだしも砲塔まで起動した状態では操作はできない。

 ゆえの補助AI。ゆえの外部調整。

 この危険すぎる第三第四火砲はミサキにしか引き金も引けない、しかしだからこそさらなる凶悪さを(あらわ)す絶殺兵器なのだ。

 

「試験官として言ってやるよ。おまえらは充分合格、足手まといにゃあならねえだろうさ。ただ強いて言えば……俺は俺の目的のために、A級部隊の三つや四つには負けてられねえんだわ」

《敵性トリオン反応ロック完了》

「んじゃ、そういうことで――」

 

 

 

――――――――――――

 

 

 

 モニタールーム。

 幹部たちが戦況を眺めるための大画面は二つに減っていた。

 Aブロックは戦闘終了、Bブロックは佳境といったところか。

 そしてCブロック――

 

「あのトリオン馬鹿はいったい何枚トリガーチップを使っとるんだ」

「いやはや……彼が敵でなくて本当によかったですよ」

 

 唸るように言う鬼怒田と呻くようにこぼす根付。

 もはや大河の戦闘は蹂躙と呼ぶ他なかった。縮地のような機動を可能にするトリガーと全身をブレードで覆う堅固な戦闘法。さらには化け物が如き巨腕を生やし、あまつさえ危険な大砲を二門も追加するなどと、やりすぎという言葉では到底表し切れないありさまである。

 そのさまには幹部たちも言葉を失くしていた。端的に言えばドン引きしていた。

 ちなみに大河のトリガーホルダーは隊服用のベルト型をしている。そのベルトの頭から剣先までずらりと並んだ二列の装飾がすべてトリガースロットだ。半分以上はフリーとなっているが、それでも搭載している数だけで一般隊員の四、五人分はあるだろう。そして戦闘体構築に必要なトリオンはその何百倍もかかる。一週間という構築期間はむしろ奇跡と言えるほどに短い。

 こんなものが"こちらの世界"へ乗り込んで来たらと思うと、それだけで背筋が凍る。根付がこぼしたセリフにはこの場の誰もが賛同していた。

 

 

 ――敵でなければ、か。

 心の中でそう呟いたのは忍田だった。

 Cブロックの戦況はたしかに恐ろしい様相を呈しているが、あれが味方であるのならボーダーにとってこれ以上ない戦力と言えるだろう。

 あんなものが簡単に敵に捕らえられるとは思えないし、また、裏切る心配もほとんどない。

 

 木場大河という人物は、近界民を人間として認識していない――

 だからこそ、一切の容赦もなく近界民を殺せるのだ。

 逆に言えば、そう思っているからこそけっして近界民以外は殺さないのだ。彼が地球に生きる人類こそを人間であると認識している限り、ボーダーや市民に危害を加えることはないと言い切れる。

 かつて大河は近界民を害獣と言い捨てた。彼にとって近界民とは、田畑を荒らす猪や山猿となんら変わりはないのだろう。

 そんな連中に与したいと思うか。……否。

 彼は単に狩っていい、と許可が下りたから狩っているにすぎない。あくまで彼の中における常識の範疇でそうしている。

 人間として、害獣を狩る。

 猪に仲間になれと言われて人類を裏切る人間などいない。山猿から木苺を報酬に雇われる人間などいるはずもない。もしいたとすれば、それはすでに人間ではなく野生の獣そのものだ。

 つまるところ大河にとって近界民から持ちかけられる勧誘や対価など、その程度の事柄でしかないのである。

 であれば裏切るはずがない。人間社会のルールを守りながら人型の生物を抉り殺す。そのためだけにこの組織に属している。市や県に害獣の狩猟許可を求めるように、ボーダーという組織に身を置いているのだ。

 忍田も認めざるを得ない。

 あの男は徹底的なまでに殺戮者でありながら、破綻しているようでいて理性的で、どうしようもないほどに人類の味方なのだ、と。

 目に余る残虐性のすべてを外へと向ける。それは防衛重視の主眼と紙一重ながらも合致している。外部で敵を作るような真似は看過できないが、"この世界"を守るという点においてはたしかな有用性を示しているだろう。

 こちらとまったく関わりのない国への攻撃も、見過ごしたくはないがはっきり言って管轄外(ヽヽヽ)だ。忍田とて別に近界民が好きなわけではない。玉狛と手を組むことはあっても主義として同調はしていない。"全人類"という言葉の中には、近界の生命は含まれていないのだから。

 

「…………」

 

 隣では城戸が黙り込んだままモニターを観察し続けている。

 その目に映っているのは大河なのか、奮戦する受験者たちか。はたまた滅びゆく仮想近界国家か。

 大きな傷がかかる左目は、なんの感情も浮かばせないままに戦場を映し出していた。

 

「Cブロックもそろそろ終了でしょうかねぇ」

「結果は全滅かもしれんが、見るべきものは見れたかのう」

 

 この先は見るまでもないだろう。

 そう言外に述べて根付と鬼怒田は受験者たちを労いながらもモニターから視線を切ろうとした。

 

「いや――」

 

 忍田が反論を言い切る前に、唐沢もまた煙草を手に移して画面に注目した。

 若者たちはまだ戦っている。強大な敵を相手に、最後の瞬間まで立ち向かおうと必死に。

 

「彼らはまだ、諦めてはいないようですよ」

 

 唐沢がそう言うのと同時に、Cブロックモニターの中で絶対的存在であった大河の姿が光に飲まれた。

 

 

 




 

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第六十話

 

 

 

「んじゃ、そういうことで――そろそろくたばりな」

 

 四門もの大砲が眼下の敵に牙を剥く。

 哀れな隊員たちの遠征艇は異形の背後にあり、大河はまさしく最後の関門として君臨していた。

 

《ハイドラ、一斉――》

「いや……待て!」

 

 放てばそれで終いになるだろう一撃。それを中断してまで大河はその場を跳び退(すさ)った。

 直後いくつもの光芒が突き抜け、彼の立っていた場所を粉砕していく。その内の一条は避けきれず、シールドを用いて防御。だが、分厚い翡翠色のそれにもひびが入り、大河とミサキは両手と両腕(ヽヽ)の爪をもってしてさらなる防御を重ねた。

 

《なに、この破壊力――!?》

 

 ミサキが驚くのも無理はない。たったいま突き抜けていった射撃は、大河の体表を覆う『獣鱗爪甲』ならば貫いてしまえるほどの破壊力を備えていたのだ。

 それほどの火力を有するトリガーがボーダーにどれだけあるというのか。ダメージを与えるだけなら風間がやってみせたようにノーマルトリガーでも可能であるが、一撃で半身を吹き飛ばせるような高火力を有する武器などそうそう思いつかない。

 いや……ひとつだけあった。

 

《雨取千佳……!》

 

 大河のサイドエフェクトが先の攻撃の源泉を探り当て、嗅覚情報としてコンソールにそれを表示させる。

 雨取千佳。強固なはずの本部基地外壁にひびを入れた少女。

 彼女のアイビスであれば大河の強化戦闘体をも真正面から破壊することが可能であろう。

 だがいまの多方面射撃はアイビスによるものではなかった。

 

「『喚門(エクストラクター)』だっけか。集まってこそこそ何やってんだと思ったら」

 

 異次元空間から武器を取り出すトリガー、『喚門』。このトリガーは己のみならず味方に取り出した武装を分け与えることが可能である。

 狙撃銃型のトリガーは一発ごとに多量のトリオンを消費するが、雨取であればそれらも大量に構築・保管しておくこともできるだろう。さらに充填トリオンを一射にすべて注ぐよう設定しておけば、雨取本人によるアイビスの一撃となんら変わらない――むしろそれを凌駕する火力さえ発揮させることもできる。彼女の味方、全員が。

 

「まあ、連射はできねえだろ」

《所持してる武器には注意してよね》

「わーってるよ」

 

 絶大な火力を分配できるとはいえ、大河の言う通り連射はできないはずだ。充填したトリオンをすべて消費するからこそ、いまの威力を発揮できる。おそらく取り出された簡易トリガーに無茶な臨時接続を行ったとしても、雨取以外に二発目をチャージすることはできないだろう。

 ただ厄介なのは、大河の強化嗅覚をもってしても、二つ目(ヽヽヽ)の大砲を所持しているかどうかの判断が困難な点。簡易トリガーから発せられる匂いは雨取のものであり、先ほどの一斉射撃でそれが撒き散らされている。各方面に散った隊員たちの誰もが雨取の匂いを纏っていて、二発目を撃つための簡易トリガーを持っているかどうかまでは判別できなかった。

 

「一気に決めたいところだったけど、しゃあねえ。一人ずつ殺るとするか」

 

 外側へ叩き落されたため防壁の入口から第三区画に入り直し、もっとも近くにいた隊員の反応を感知してそこへ向かう。

 果たして凶悪な虎に追いつかれてしまった哀れな隊員は、

 

「おおっと、こいつはまずい」

 

 焦りを微塵も浮かばせずに口の端を上げてみせた米屋であった。

 じりじりと後退し続けながらも槍をしっかりと構え、どんな動きにも対応してやろうという気概が垣間見える。完全な戦闘態勢である大河をして、一撃では落とせないであろうと確信させる隙のなさ。

 褒めてやりたいところだったが、いまは試験中。あとで自分も含めて反省会でも開いてやろうと決めながら、大河は爪を研ぎ澄ませて大地を蹴った。

 

「ちょ、うお、木場さん無言とか本気(ガチ)すぎっしょっ!」

「……!」

 

 軽口を叩きながらも紙一重で爪を避けられる。合わせて叩きつけようとしたアームは、ほぼ唯一の弱点となった喉元へと正確に飛んできた狙撃を防ぐために縮めて防御に使った。

 一撃目を躱しきった米屋は煽るようにへらりと笑ってみせたが、大河はとくに気にも留めずに再び爪を振りかぶる。

 この笑みは大河との戦闘訓練で、米屋が盗んでいったもの。雑談やアドバイスさえも戦術の一端に加えるあくどさを、彼は大河から学び取ったのである。

 無論、自分がそうされたからといって激昂するような大河ではなかった。自分がそうする以上、逆にそうされる可能性も考慮するのは当然のこと。並大抵の煽り方では大河の精神は揺らがない。

 

「おぅわっ!」

「んー……」

 

 しかし二度目の力任せの攻撃も回避される。

 もともと米屋がもつ回避力と、風間との戦闘時とは違って援護射撃がかなり飛んでくるために攻めきれない。

 特に奈良坂の正確無比な狙撃は優先して防がねば喉元を食いちぎられかねないのと、防御をすり抜けてくる鉛弾狙撃が厄介だ。

 ひとつ唸った大河は両手の爪を長く伸ばして米屋を包み込もうとした。射撃に対するガードはもう一対のアームに任せ、回避困難な範囲攻撃を仕掛けるつもりで。

 

「うおっと、その手には……ッ!?」

 

 爪を伸ばした瞬間に飛び退る米屋の危機察知能力は優れたものであったが、ノーモーションで高速機動を可能にするバーニアの前には無意味な行動だ。ブレードに包まれた大河はそれそのものが武器の塊と同義であり、広がった爪の回避と突進の防御を同時にせねば躱し切れるものではない。

 ちなみに先ほど風間にも一度同様に迫ったが、彼はスコーピオンで足を覆い、それをもって爪を踏んで回避するという離れ業をしてのけた。

 しかし米屋はスコーピオンなど持っていない。そして大河も同じ失敗を繰り返すようなことはしない。

 

「こりゃマズ……あぎッ!」

 

 迫る爪を槍で引っかけて跳ぼうとしたしたのだろう米屋に紫電が迸り悲鳴をあげる。

 『滅雷光(ルインメイカー)』が発動してその動きを封じ込めたのだ。

 

「じゃあな」

 

 崩れ落ちた米屋になんの感慨もなく爪を振りかざす。

 あと数秒は動けない米屋にはもはや打つ手はない。

 しかしだからこそ彼は笑うのだ。それこそが作戦通りだとでも言うように。

 

「――――あ?」

 

 そして事実、それは作戦通りであった。

 虎爪によって粉微塵にされた米屋はトリガーを強制解除され……そして緊急脱出(ベイルアウト)していったのだ。

 

「なんで緊急脱出(ベイルアウト)して、ってこいつは……!」

《あ、やべ》

 

 大河が気づくと同時にミサキも己のミスを悟って舌を出す。

 レーダーに映る新たなトリオン反応。

 それが示すのは――

 

「遠征艇側から迎えに来た(ヽヽヽヽヽ)のか」

《そんな危ない手をよく実行するなー》

 

 ミサキが感心しながらも呆れるような溜め息をもらす。

 それもそのはず、受験者たちに与えられた遠征艇は大河たちが使うものと違って防御手段などまるで持たない単なる箱のようなものだ。ハイドラの一発でもかすめれば撃沈されてしまうだろう。

 いくら大河のサイドエフェクトに察知されないよう高高度を飛行していようとも、晴天の空に黒点は嫌というほどに映えている。偶然だろうとなんだろうと、ちらりとでも上を見上げていればその存在は明らかとなっていたはずだ。

 

《敵のトリオン反応連続で消失。どんどん緊急脱出(ベイルアウト)してってる》

「ああうん。見りゃわかる」

 

 大河の視界に緊急脱出(ベイルアウト)の軌跡がいくつも立ち昇っているのが映る。そしてそれを収容した遠征艇が(ゲート)を開いて脱出しようとしているのも。

 

「逃がすかっての」

 

 敵が逃げようとしているのを黙って見過ごすはずもない。

 両肩、両腕(ヽヽ)の砲門を、のろのろと門をくぐろうとしている遠征艇に差し向ける。

 

「逃がしてもらいますよ」

 

 そこで静かな三輪の声が大河の動きを止めた。

 しかしそれは一瞬で、大河は思考の中でハイドラの引き金(トリガー)を引き絞ろうとする。

 大河の知る限り三輪のトリガー構成は火力に乏しく、全力の攻撃であっても己の体勢を崩せるはずがないと知っているから。

 

 ――いや、違う!

 

 寸前で気づいて大河は瞬時に防御態勢に移った。

 分厚いシールドと虎爪による全力のガード。そこに先ほど味わったばかりの光芒が再び突き刺さる。

 

「ぬうっ……!」

 

 己の高圧トリオン砲弾と比べても遜色のない威力。それに加え、圧縮されていないがゆえの拡散された――とはいえ射撃ではあるはずだが――攻性トリオンの奔流はシールドに弾かれて放射状に流れを変える。すなわち足場をも崩されて砲撃の狙いが定まらない。

 極太のレーザーのような攻撃の源泉の元で、ふっと小さく笑みを浮かべた三輪が高らかに勝利(ヽヽ)を唱える。

 

緊急脱出(ベイルアウト)!!」

 

 半ば(ゲート)に飲み込まれた姿の遠征艇に、新たに帰還者が吸い込まれていく。

 おそらくは残っていた全員がこれで収容されたはずだ。レーダーに映る光点もあの遠征艇のものしかない。

 だが、

 

「まだ終わってねえぞ!」

 

 諦めの悪い虎が吼える。

 ほぼ完全に姿を消しつつある遠征艇は、大河から見て正面を横切るように脱出を図っている。ここからではハイドラはかすらせることもできない。周到なことに脱出方向さえも練りに練っているようである。

 けれども、そうであるのなら砲撃位置を変えるだけのこと。

 遠征艇が通っていった(ゲート)を正面に構える位置まで即座に飛んで、消えゆく黒点に向けて砲塔を突きつける。

 ほとんど消えかけだがハイドラの弾速であればまだ間に合う。そしてその凶弾は暗黒の海にて(ふね)を木端微塵にしてみせるだろう。

 

 ――と、思ったでしょ?

 

 幻聴かとも思えるほんの小さな呟き。

 そんなまさかと思考は答える。だが大河の危機感知を司る本能の部分は身体を動かし、それを防がせた。

 

 またも彼を襲う極大射撃。

 それでもレーダーに敵の反応はない。

 

「はぁーあ、置いてかれちゃったよ。っていうかコレ、実際のところ生身(ヽヽ)でも撃てるのかな?」

「菊地原……!」

 

 獣鱗爪甲を展開してから最初に屠った菊地原士郎がそこにいた。

 その手にはやはり、渡されたであろう雨取製の簡易トリオン銃。

 『喚門(エクストラクター)』で呼び出された武器は誰であっても使うことができる。他人が生成する武器との臨時接続は機能障害を引き起こす可能性があるために、あらかじめ充填されたトリオンしか使うことができない。

 ゆえにこそ、生身の人間であっても使用することができるのだ。

 

 この遠征選抜試験は内容をよりリアルにするため、一度トリガーを強制解除されたとしても、生身と同じ能力にまで引き下げられたトリオン体でもう一度復活できる。遠征先では戦闘体の被撃破が敗北条件ではなく、捕縛されるか死亡するかがそれに該当するのである。

 ただ、いま菊地原がこぼしたように、生身で雨取のトリオン砲を放って無事でいられるかどうかは甚だ疑問ではあるが。

 

「あー……ったく。やられたなこりゃ」

 

 ついに閉じゆく(ゲート)を見送った大河は全武装を解除して頭をがりがりと掻いた。

 捕虜一名。脱出者は残りの全員。

 近界民役としては消耗ゼロでのトリガー使い確保であり、勝利と言えなくもない。

 だが試験官役としては完敗としか言いようがなかった。

 

 どこからどこまでが作戦だったのかはわからない。しかし空閑に跳ね返されてからの一手一手は向こうの思惑通りであったようにも思えた。

 風間を追い詰めている間に雨取の『喚門』から呼び出した武装を配っていたのはたしかであろうが、いくらトリオンが多くとも無駄撃ちができるような数までは用意できまい。誰に何発持たせるかを吟味していたのなら、おおよその目処が立っていた作戦だったはずである。

 一撃死確実な遠征艇の起用と米屋の僅かな時間稼ぎ、三輪の勝利を確信したようなセリフ。レーダーに映らない生身での献身。

 大胆かつ繊細な作戦だ。サイドエフェクトで菊地原に気づいていたとしても、おそらくどうにもならなかっただろう。あの状況まで持っていけたのなら、脱出は間違いなく確実であった。

 敗因を挙げるとするなら……

 

《兄貴が調子乗るからー》

「おまえな……。レーダー見てなかったのミサキもじゃねーかよ」

 

 相手側の遠征艇の前進。それにさえ気づけていれば阻止は容易かった。防御必須の雨取印の射撃も無限ではない上に連射もできないのだから、接近する反応に上を見上げていれば撃墜することは造作もなかった。

 二人がそれに気づけなかったのは、『獣鱗爪甲』の制御にいっぱいいっぱいだったからだ。

 補助AIがあろうとも、それは完全ではない。いわば試作品なのである。さらにアームと追加のハイドラを起動した状態でのミサキの作業量は減るどころか増える勢いだ。これは大河も知るところであり、本気で妹を責めるつもりはない。というより『獣鱗爪甲』を使う必要もないのに見せびらかそうとしたのは大河なので、どちらかといえばやはり大河が悪いのである。

 

 そんな現実から目を逸らしつつ、大河は頭の後ろに手を組――もうとして片腕なことに気がつき、そのまま空を仰いだ。

 受験者(かれら)は力を示した。試験官たる大河から見ても、文句のつけどころは……まあ重箱の隅を(つつ)けば多少はあるが、遠征に出るには充分だと断言できる。

 しかしながらそんな大河であっても誰が合格なのかはわからない。

 

 見事な体捌きを見せた風間率いる風間隊。要所では言葉も要らぬ連携を行っていたし、最重要である最後の一射を放った菊地原は、おそらくこれが本番の遠征であっても命を賭して引き金を引いていたであろう。

 誰よりも強力なサイドエフェクト持ちを擁する玉狛第二。今回は迅ありきであったが、あのワイヤー命綱は他にも使い道がありそうであった。近界民であり機転の利く空閑と、弾数制限はあるが己に近い攻撃力を持つ雨取。ガードできない鉛弾狙撃もなかなかにいやらしい。

 三輪隊は自分が試験官だからこそという活躍ではあったものの、戦闘能力だけで言えば風間隊にも劣らず、そして有能な狙撃手を抱えている。

 

 正直に言えば大河がもっとも警戒していたのは奈良坂の狙撃である。全身にブレードを生成した状態であれば雨取の射撃でさえ「くらってからの防御」が間に合う。あれだけ派手であり、そして弾速の遅いアイビスであるからこそだが。

 しかし奈良坂の場合、この強化戦闘体の防御力を知ってからというもの、すべての攻撃において針の穴を通すような狙撃をしてくるのだ。

 具体的に述べるなら獣鱗で覆うことのできない眼球などをピンポイントで狙ってくる。もし彼が雨取並のトリオンを持っていたら、ライトニングを用いた視認も難しい速度の弾丸での精密射撃で、眼孔を通じ伝達系や伝達脳を破壊しようとするだろう。恐ろしいことに。

 

「……俺ももうちょい考えねーとなー」

《は? もうちょい?》

「…………」

 

 煽るミサキに口を噤む。

 これでもいろいろ考えているのに。いや、考えていることは当然ながらミサキも知っているのだから、これは完全に挑発だとわかっている。

 とにもかくにも、選抜試験は全行程を終えた。残りはボーダー幹部たちが決めること。

 試験官役は面倒ではあったが、大河としても得るものはあった。今日からはまた遠征本番に向けて開発と訓練を繰り返すだけだ。

 

 

 

 



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【幕間】木場大河の休日

更新が止まった作品にありがちな、幕間物語。

大河の一人称視点です。


 

 

 ……暇だな。

 長期遠征から帰ってきてしばらく。ボーダーは空閑の黒トリガー問題やら大規模侵攻やらでおおわらわだった。俺もそれに駆り出されたりしてそれなりに忙しい日々を送っていたが、今日はとくに用事もなく、また部屋に転がってると邪魔だとミサキに放り出されてしまって行く当てもなく本部基地をうろついている。

 開発室での基地トリオン充填作業も、新型トリガーの開発作業も今日はない。まあそのどちらも俺はじっと待つくらいしかしないから暇なことには変わりないんだが。

 そんでもってこういう日に限って秀次は防衛任務ときた。

 俺のボーダー歴は全体から見てもけっこう長いほうだが、知り合いってのは数えるくらいしかいねえんだよなあ。数少ないそれもだいたい隊員じゃなくてお偉いさんだし。楽しく会話、って感じでもねーしなー。

 

 つーことで、てきとうに気の向くままいい匂いのするまま、本部基地を歩き回っているという次第。

 うちの遠征艇ほどじゃないが、本部基地もなかなか落ち着く。そりゃ外壁から何から基地を構成しているトリオンのほとんどを自前で供給してたらそうなるわな。いわば自分の匂いが染みついた巣って感じだ。初めてここに来た日にゃよくわからん生き物の腹ん中にいるみたいで気味が悪かったが、いまはそういうものもない。

 しかしながら、慣れた匂いがするのに構造自体はぜんぜん把握してないから、いま自分がどこに向かっているのかも曖昧なのは妙な気分でもある。俺たちの部屋が上層に位置してるのもあって中層以下のつくりはさっぱりわからん。ま、別に予定もないしいいんだけど。

 

 そのまま散歩なのか迷子なのかもわからない足取りで、誰のものかも知らないトリオンの匂いに釣られて曲がり角をいくつか過ぎていく。

 すると大広間のような場所に出た。けっこう人もいる。それが防衛隊員ってのはわかっても、C級はともかく他はA級なのかB級なのかもさっぱりわからん。

 何人かは大規模侵攻のときに見かけたような気がしないでもない。結局知人ですらないからどうでもいいか。

 どうやらここは個人(ソロ)ランク戦ってやつをやってる場所らしい。

 せっかくだから見学でもしていくか。その戦いっぷりではなく、隊員たちのトリオン器官をだが。

 空いていた長椅子のひとつに陣取って腰を下ろす。座りは浅く、股を開き、両肘を背もたれに。

 自分でもでっけえ態度だなーとは思うが、こうしないと落ち着かないんだからしょうがない。

 

 これも戦闘体をいじりすぎた弊害ってやつだ。

 ぽんきちさんに言わせれば俺の出力のせいらしいんだけど、そんなことを俺に言われても困る。気を抜いたらいきなり指先から爪が飛び出たりとか、こっちだってびびるわ。

 遠征前の訓練時にはふつうに座ってたら足からブレードが伸び出て膝が顎に直撃したり、太ももの上に置いていた手から爪が出て足が千切れたりとかして、結局いまのスタイルでの座り方に落ち着いた。なんとか調律に慣れたいまでもこれは直せない。だって怖えし。

 あと生身と戦闘体との差異による弊害といえば、たまに呼吸するのを忘れちまうってのもあるな。人間、っつーか生物としてどうなんだとは思う。けど強化戦闘体の肺活量がはんぱなさすぎてサイドエフェクトを使いたいとき以外はほとんど呼吸してないんだよ。

 小さい頃から嗅覚関連には悩まされることも多かったから、これが楽だってのもあってついつい息を止めちゃうんだよなー。ミサキには「寝てる間に死ぬとか勘弁してよね」とか言われた。そんなん俺だって勘弁してほしいわ。

 

 まあ、それはさておき。

 正隊員になったやつらはボーダーの合格ラインを超えてきただけあって、そこらへんの街行く市民よりもトリオン量の平均値がだいぶ高い。それにここなら排気ガスとか動物の糞尿とかの雑臭も混じらないし、純粋にトリオンの匂いだけを楽しめる。

 これなら暇な日とかたまに来てもよかったぜ。知り合いいないからって出不精はよくないな。

 気を取り直し、すんすんと鼻を鳴らして物色する。見慣れない隊服を着た男がいるからか、ちょいちょい視線を感じるが全部無視。知り合いはいないけど作るつもりもない。

 

 うーん、あの128番の部屋に入ったやつはちょっとトリオン少ないな。20点。

 お、305番はまあまあ。40点。

 

 気分はあれだ、水族館。展示された魚を見て「あれうまそー」とか言ってる感じ。

 実際こいつらに手ェ出すわけにもいかないから例えとしてはいい線行ってるんじゃないか?

 

「……何してるんだ?」

「あ?」

 

 上機嫌で水族館ごっこを楽しんでいると、なんか黒スーツの男に話しかけられた。なんのコスプレだと思ったら、えーと……そう、大規模侵攻で作戦立ててくれたやつ。秀次も知り合いっつってたっけな。

 それはそうとこいつなかなかのトリオン量をもってるな。80点。他の木端がアジとかイワシだとすれば、このスーツはブリくらいには美味そうだ。

 横に立っていたブリ男の質問に答えないままじっと見ていると、何を思ったのか俺の隣に腰を下ろしてきた。正直まだ名前思い出せてないから困る。

 

「あんたを見かけるのは大規模侵攻以来だな。ふだんはどこかの支部にでもいるのか?」

「いや? 支部どころかほとんど本部基地の外には出ねえよ」

 

 だってやることないし。大学は休学中だしな。

 俺もミサキも基地から出ることはほとんどない。たまーにメシを食いに行ったり、必要なものがあるときに買いに行く程度だな。"こっちの世界"の繁華街っていろんな匂いが混じっててたまに気分悪くなったりするんだよ。ミサキはミサキでサイドエフェクトのせいで人混み嫌いだしよ。

 ブリ男はとくに疑問も納得も感じさせない表情で「そうか」とだけ言った。なんか用があるならはっきり言えよ。ていうか誰だよ。

 

「あー、俺になんか用か? つーかおまえの名前忘れたんだけど」

 

 こういうときはこっちがはっきり言うに限る。空気読めない? 知るか。挨拶もなしに隣に座るようなやつに読んでやる空気はねえ。吸う。

 

「……二宮隊の二宮だ」

 

 ブリ男もとい二宮は眉をひそめながらもきっちりと名を名乗った。二宮二宮、たしかに秀次がそう言ってた気がする。で、なんの用だ。

 視線で促すと、そいつは胸元から写真を一枚取り出して俺に差し出した。

 

「あんたが遠征に出てたってのは知ってる。単刀直入に聞くが、遠征先でこの女を見かけたことはなかったか?」

「あー?」

 

 女だあ?

 その写真には冴えない女が作り笑いを張り付けたような表情で写っていた。

 

「知らねえな」

「本当か? よく思い出してほしい」

 

 しつけえな。知らねえもんは知らねえよ。

 っていうか遠征の内容も話せないんだから、そいつを見たかどうかを答えていいのかも俺にはわからん。ぶっちゃけこの女がどっかの国の市街地にでもいたら知らずに吹っ飛ばしてるかもしれねえし。

 

「悪いがまったく記憶にねーよ。で、誰こいつ。おまえの女か?」

 

 二宮も近界民に知り合いが攫われたクチかと思ったが、即答で否定された。

 

「違う。……元部下だ。これは内密にしてもらいたい話だが、この女は重要規律違反の容疑者で、民間人にトリガーを横流しして"向こう側"に行ったとされている」

「で、連れ戻したいってか?」

「いや……俺は知りたい(ヽヽヽヽ)だけだ。この馬鹿を唆した黒幕を」

「ふーん……」

 

 密航、ねえ。大それたことを考えるやつがいたもんだ。

 こっそり行ったってんなら近界民のゲートにでも飛び込んだのかもしれないが、もしその先が遠征艇じゃなくて暗黒の海だったらどうするつもりなんだろうな。トリオン兵は遠征艇から直に飛び出してくるわけじゃねえんだし、そっちの可能性のほうがずっと高そうなもんだが。つーか実際そうなって夜の海の藻屑にでもなってんじゃねーの?

 さすがにそこまで言ってしまうほど俺は皮肉屋じゃないけど。

 

「ま、期待に応えられなくて悪かったな」

「いやいい。こちらこそ急に話しかけて悪かった」

「別に。何かしてたってわけでもねーし」

 

 よく考えなくても水族館ごっこしてたとか言えねーし。

 用が済んだ二宮はさっさと席を立つ――と思っていたがしかし、前を向いたまま動こうとはしなかった。

 

「……そういえば」

 

 ひとりごとのように言い出す二宮。話の切り出しかた下手か。

 

「秀次とはずいぶん仲がいいんだな」

「んん? ああ、まあな」

 

 仲がいいというか妙に懐かれてるというか。俺としては特別贔屓にしてるつもりもないんだけどな。訓練に付き合ったりとかも、割とギブアンドテイクな部分あるしよ。訓練相手が欲しいときにうちの部屋来たら、別に秀次じゃなくても受けるからな。太刀川は逃げたけど。

 しかしまあ、あれだけ懐かれればかわいいもんだと思ってしまうのも人情といえばそうだろう。別に俺は人間嫌いとかじゃねえし。むしろ人間好きだ。殺したいくらい。

 

「同じ司令直属隊員だし、秀次としかできない話とかもあるからまあ、それなりにな」

「そうか」

「それがどうかしたのか?」

「いや、あまり深い意味はない。俺は昔、秀次と同じ部隊にいたんでな……ただ気になっただけだ」

「あ、そ」

 

 会話広がらねーな、こいつ……。意味深に言っとけば突っ込んでもらえると思ってんじゃねえぞ。

 二宮の過去も秀次の過去も、俺にとっては同じくらいに興味のない話だ。

 そっけなく会話を切り上げると、二宮もこれ以上話すことなどないのかようやく腰をあげた。

 

「邪魔したな。失礼する――」

「あらぁ、二宮くんじゃない?」

 

 二宮の別れ際の挨拶を遮って、女の高い声が横から刺さる。

 

「加古……」

「珍しいわね、あなたが訓練場に来るなんて」

 

 立ち上がった二宮は無表情のままその女のほうを見ていたが、ぴりっとした空気をまとったのが俺の鼻をかすめた。なんだおまえ、この女が苦手なのか?

 加古っつったっけか、アフトクラトルの爺さんにトドメくれてやったやつ、――――!?

 なんだ、この女……!?

 

「別に、ただ世間話をしていただけだ」

「あはは、もっと珍しいじゃない。私にも聞かせてよ」

「おまえには関係ない」

 

 ばちばちと火花が飛びそうな視線のやり取り。

 それを無視して俺は二宮の後ろに立った。この加古って女、危険な匂いがする……。

 紫色の隊服を身にまとった金髪の女。その後ろには小学生みたいな成りをしたガキもいる。

 そっちはそっちでなぜかビビられていた。怯えと緊張が混ざった匂い。そんな怖がんなくても取って食いやしねーよ。ちょっと心臓抉りたいだけだ。

 

「あら、そちらは木場さんって言ったっけ? あなたをここで見るのは初めてね」

「……ああ」

 

 ずいっと一歩出てくるのに合わせて、こちらはすっと一歩下がる。

 一瞬不思議そうな顔をされたが、それ以上に後ろにいるガキが加古の腰あたりを掴んで動きを止めているのが不可解らしく、そいつに振り返った。

 

「双葉? どうしたの?」

「あ、いえ……」

 

 こいつは完全に俺を警戒してるな。近界民だったらその警戒心を褒めてやるところだが、あいにく人間には手を出すつもりはないから無意味だと言っておこう。

 いやそれより。そんなことよりも。

 双葉と呼ばれていた子どものほうもやばい匂いがするんだよ。くそ、こいつらいったい――

 

「おまえらさあ」

「……!」

 

 俺が口を開くと双葉とかいうガキがびくりと身をすくませる。なんなんだこいつ、俺の口からハイドラ(カノン)でも飛び出すとか思ってんじゃねーだろうな。出ねえよ。

 まあいいや。

 

「おまえら……昼飯何食った?」

「え?」

「は?」

「……?」

 

 なんか一様に不思議そうな顔をされた。二宮にまでも。

 

「昼食のお誘いかしら。残念だけれどもう済ませてしまったわ」

「木場さん、この女を誘おうとしているのならやめておけ、こいつは」

「違えよアホか」

 

 ……そういう勘違いか。

 んなわけねーだろ、なんで俺が顔しか知らないやつを飯に誘わなきゃなんねーんだよ。

 そんなことより、こいつらからする匂い。ヤバイ匂い。なんなんだこれは。聞くのもヤバそうだが聞かずにはいられない。

 

「何を食ったんだ、って聞いてんだ」

「鯖味噌羊羹チャーハンだけれど」

「…………」

 

 何言ってんだコイツ。

 

「鯖味噌羊羹チャーハンだけれど?」

 

 聞き取れなかったわけじゃねえよ!

 

「そ、そうか……それは、美味い、のか?」

 

 まさかそんなはずもないだろう。俺の鼻は常人とは違うといっても、明らかに危険な異臭くらいはそうと利き分けられる。

 こいつ、こいつらの口からそんな危険臭がしてんだよ! 人間兵器状態じゃねーか!

 

「うーん、今回はちょっとハズレだったかしらね」

「そうですか?」

「……………………」

 

 今回は? ちょっと?

 ―― そ う で す か ?

 ヤバイ。こいつらヤバイ。人間兵器どころじゃねえ。人間じゃなかったわ。殺していいのかな。

 サバミソヨウカンチャーハンとかいう死の呪文みたいな料理名には、二宮さえも眉間に指をやって反応に困っている。おまえの知り合いだろ、どうにかしろよ。その隙に俺は帰らせてもらう。

 

「あ、木場さんがお昼まだだったら作戦室(ウチ)くる? 新しいアイデアが」

「やめろ!!」

 

 俺は帰らせてもらう!! こんなところにいられるか!

 

「じゃあな!」

 

 三人の反応を待たずに踵を返した。引きとめられでもしたら俺は何をするかわからん。いまの俺は生命の危機すら感じているからな。

 こんな俺でもさすがに女に向かって真っ向から「口(くせ)え」とは言えない。傷つけてしまうからとかそういう斟酌ではなく、単に面倒事に発展するのが嫌なだけだが。ふだん空気を読まない俺であるが、いまは鼻が、あの臭気が混じった空気を読み取ることを拒絶した。

 加古マジ怖い。ボーダーはなんて人材を手に入れてしまったんだ。あんなのがいたんじゃあ近界も簡単に滅ぼせちゃうぜ。

 

「……、……ふう」

 

 ひとしきり走って後ろを振り向く。

 よし、追ってきてはないな。

 いやまさか本部基地で命の危険を感じるとは思ってもみなかったぜ。木場隊作戦室よりやばい兵器を開発してる部隊がいたってのも衝撃だな。今度城戸さんに報告書上げとこ。

 

 そんなことを考えながらエレベーターに乗って自分の部屋を目指した。

 ったく、たまに外に出てみたらこれだ。やっぱり自分ちが一番落ち着くな。

 気持ち早足になって木場隊作戦室まで歩いて、勢いのまま扉を開いて。

 

「あれ、もう戻ってきたの?」

 

 出迎えてくれたのは愛しの妹。その目には呆れがこれでもかと篭もっている。

 そら外出して数時間も経たずに帰ってきたらそうなるわな。

 でも仕方ない。あんな危険なものがボーダー本部を闊歩しているなんて俺も思ってもみなかったんだ。

 そう伝えてみても、ミサキの目から「何言ってんだコイツ」という色は消えなかった。いやマジなんだって。A級隊員で世界がヤバい。

 

「おまえならわかると思うけど、これは本当なんだよ。あのな、加古ってやつがな――」

 

 話半分に聞くミサキ。

 懇々とボーダーの危険性について説く俺。

 

 

 

 そんな、休日の一幕。 

 

 

 

 

 

 



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第六十一話

 

 

 公開遠征の日程も決まり、選抜された各々の部隊は今日も訓練と研修を重ねていた。

 一チームまるごと抜擢された部隊は自分たちに求められた能力を伸ばし、個人で引き抜かれた隊員は新たなチームメイトとの連携を学ぶ。

 暦が五月に入り、三門市を出発するのが一週間後に迫る今日では、その研鑽も佳境に入ったことだろう。

 そんな、隊員も職員も多忙を極める中、大河は悠々とボーダー本部基地を歩いていた。

 ぼこぼこと膨らんだビニール袋を右手ごと肩に乗せ、ゆっくりと歩む先は開発室。そこへ我が物顔で入室し、忙しなく動き回る技師たちへの挨拶もまばらにずんずんと最奥を目指す。

 ボーダー内で特に忙しいはずの開発室において、なぜか人気も薄くなる最後の扉を開くと、計器を叩きモニターを睨みつけていた茂森が振り返って笑みを浮かべた。

 

「やぁ大河くん。たったいま最後の調整が終わったところだよ」

「ちーす。そりゃちょうどよかった」

『おっせぇよ! 何してやがった!』

「そう怒鳴んなって」

 

 響く怒声に牙を見せつけるような笑みを返した大河の視線の先には黒いラッド、エネドラ。

 非生物らしくぎょろりとした機械的な単眼は部屋に入ってきた大河のほうに動き、六本脚がかちゃかちゃと音を立てていた。

 エネドラが怒っているのは他でもない、彼自身の重要な進退が今日決まると言っても過言ではないからだ。

 

「あー、もう準備はできてんのか。じゃあちゃっちゃと始めちゃってくれよ」

 

 持っていた荷物をデスクに置き、大河がそう言うと、エネドラが「テメーが遅れたんだろうが!」とまたがなり立てた。

 

「それじゃエネドラ。試してみてくれ」

 

 調整機器に接続されていたトリガーを外し、エネドラの前に置く茂森。

 

『やっとか、よっしゃあ!』

 

 促されたエネドラは、待ちわびたかのように眼前に置かれたそれに前脚を乗せる。

 握ることはできない。が、それは触れてさえいれば事足りるのだ。

 

『行くぜ……トリガー、起動!』

 

 そうして決意とともに告げられた言葉には、確かな意思が乗せられていた。

 

『《トリガー起動開始――起動者実体スキャン、スキップ――戦闘体生成》』

 

 サァ、と砂が流れるような音とともに、エネドラの姿が変化していく。

 

『《実体を戦闘体へ換装――メイン武装、該当なし――》』

 

 かつて見た黒髪が流れ落ちる。かつてエネドラだったものが構築されていく。

 

『《トリガー起動完了》』

 

 起動シークエンスを知らせるオートオペレーションが終了して、しばし開発室最奥の部屋は無音に包まれた。

 エネドラは目を見開いて自分の身体の具合を確かめている。

 手のひらを握る。開く。脚を上げる。戻す。

 頭にも手をやってみると、そこに角はなかった。鏡を見やれば黒く染まっていた眼も元通りになっているのがわかる。

 すべてを確認し終えたエネドラは最後に口の端を鋭く尖らせ、そしてそれを戻すことは終ぞなかった。

 

「はは、ははははは! すげぇ、動ける! 動かせる!! はははははっ!!」

 

 狂ったように哄笑するエネドラとは対照的に、茂森は「うん」と冷静に"実験結果"を見定めていた。

 

「トリオン遠隔供給もしっかり起動しているようだね。これで定期的なチャージなしでもトリガーを常時起動できるだろう」

「おォ、そうか!」

 

 茂森の言葉に喜色ばむエネドラ。

 そう、これは実験である。

 物質によるトリガーの起動。トリオン体からトリオン体への換装。遠隔によるトリオンの供給。

 さまざまな研究の成果としてエネドラのトリガー起動実験は成り立っている。

 それと同時にこれは"報酬"の前払いでもあった。

 アフトクラトルの情報や到達ルートへの助言。そして遠征への同行へ向けてある程度の自由を与えられたのだ。

 

 きっかけは単なる呟きだった。

 黒トリガー『泥の王』を取り戻すことを前提に協力を了承したエネドラであったが、取り戻したあとどうするつもりなのか、という話題の流れで大河が呟いたのだ。

 

 ――そういえばエネドラ、トリガー起動できねーの?

 

 当初できるわけねーだろ、と一蹴しかけたエネドラだったが、近くにいた茂森は目から鱗とばかりに大河の発言に乗った。

 

「トリオン兵のトリガー起動か。ふむ、レプリカという前例がある以上不可能とは言えないね」

 

 レプリカは自律型トリオン兵であるが、空閑の黒トリガーとほぼ一体となっており、自らの意思でその能力を発動することができた。

 『意思』というのが大事なのだ。トリガーを起動させるにあたって必要なのがそれであるがゆえに。

 その発言にエネドラは目の色を変えた。

 生きている――というよりは自我があるだけ――でも万々歳であった彼だが、人型に戻れるならそれに越したことはない。昆虫のような六本脚ではなく二本の足で歩き、機械音声ではなく自らの口から言葉を発したい。元人間からしてみれば当然の欲求であった。

 当然の欲求だからこそ、それを協力の報酬として言い出すのも当然であった。

 しかしアフトクラトルへの遠征においてエネドラの協力は重要なものではあるのだが、ボーダーとしては正直なところガロプラの存在のほうが大きい。

 そこで大河は茂森と協議した結果、さまざまな実験という名目でエネドラ復活への目処を立てた。

 

 なぜそこまで乗り気になったのか。

 もともと大河はエネドラを一人の人間として扱うつもりだった。という建前はさておき。

 そこには無論のこと、利己的な理由があった。

 もはやエネドラにアフトクラトルへの帰属意識などないのは明白。そしてこれまでの、実験とまではいかないがエネドラの状態を事細かに調べ上げた成果を見るに、彼には古い記憶は失われてはいても新たな情報を蓄積できることがわかっていた。

 この黒い角には元から情報収集のための効果が付随されており、エネドラの自我が保存されていたのに加え、かなりのデータ容量が確保されている。

 つまり、レプリカから吸い上げた情報をまるまるエネドラに乗せ、これまでの単独遠征に連れ出すことができると思い至ったのだ。

 

 レプリカは自身で言っていたように空閑のお目付け役。それを遠征のために引っ張り回すことは難しいだろう。それでもデータさえあればいいと思っていたが、わざわざ計器を叩くまでもなく答えてくれる存在がいるのであれば便利なことこの上ない。

 現在のエネドラは大河とも趣味が合うため、殲滅できそうな国を自分から提言してくれそうな部分も好ましかった。

 

 そして、近界国家を能動的に、より効率よく攻撃できる可能性が上がるならば、茂森という男がそれに乗らないはずがないのであった。

 エネドラ復活実験はまずノーマルトリガーを起動できるか否かから始まった。

 結果は可。

 ラッドの状態でトリガーを起動すればラッドの姿のままトリガーは起動できた。

 が、数秒もないままトリオン切れを起こして――語弊のある表現だが――エネドラは昏倒した。

 

 現状エネドラは小型のトリオンタンクを装着しているのだが、トリガー起動に際してその貯蔵量をほぼ一瞬で使い果たしてしまうのである。

 かといってトリオン供給用のコネクターを接続したまま起動することはできない。ふつうに切れる。

 そこから茂森たちはラッドが持つトリオン遠隔吸収能力を使って、周辺からトリオンを得ての起動を実験してみたが、これもうまくいかなかった。

 トリガーを起動すると、本体であるラッドはホルダー内に格納されてしまう。そしてホルダー内へ影響を及ぼせるのは己の戦闘体のみ。

 トリオン供給機関を持たないエネドラにトリガーを起動させるには、戦闘体自体にトリオン吸収能力を搭載する――ある意味では戦闘体の究極系とでも言えるようなそれを実現させる必要があった。

 しかも、通常のラッドの吸収量ではまったく足りない。

 言葉にしてみると、ラッドをまるまる一体装着した戦闘体を構築する必要があり、コストがかさむそれを維持するのにはラッドの能力では不足してしまう、というもどかしい状況なのである。

 

 最終的に手を出したのはアクティナから奪ってきたトリガーとその技術であった。

 外部からのエネルギー供給を得ることで無限の稼働を果たす科学国家のトリガー。

 特殊な波長でのエネルギー送受信を行っているとみられていたこれらは、開発室の解析により、供給源と同一のトリオンをとある波形で照射することで戦闘体や武器トリガーへのトリオン送信を可能にしていることが判明した。

 

 つまりアクティナ軍が使っていたトリガーはすべて、個人の自前ではなく星から汲み取ったトリオン(あるいは相似エネルギー)で構成されているのである。

 それはボーダーには再現できない技術であるが、茂森が目を着けたのは同一のトリオンであれば遠隔供給は比較的簡単である、という部分だった。

 

 ボーダーのトリガーで例に挙げると、スコーピオンを生成し、投げつけたとする。

 手を離れた時点で形状操作はできなくなるが、オンオフ――すなわちトリオン供給の是非は使用者に残されたままだ。供給を遮断しない限りブレードはそこに残り続ける。供給のラインがそこにあるのだ。

 

 茂森はここから発想を変えて、エネドラを構成するトリオンを全て大河由来のものにし、供給源も大河のトリオン器官とした。疑似的にエネドラを大河のトリガーとして扱うことで円滑なトリオン供給を可能としたのである。

 そして完成したエネドラの戦闘体には耐久力がほぼなく、武装もまたない。その節約分でトリオン受信用コアを構築し心臓部にはめ込んでおり、疑似供給機関としている。ちなみに服装は彼が元から着ていた黒のボトムにだぼっとした紫のシャツだ。エネドラ自身が指定したあたり、彼なりのこだわりがあったのかもしれない。

 

 こうして、エネドラは再び己の足で大地を踏みしめることができるようになったのだった。

 

「ほらよ」

「あ? んだこれは」

 

 大河が持ち込んできていたビニール袋を放る。

 それなりの重さをしていたそれを受け取ったエネドラは怪訝な顔をしたが、中身を見て狂喜乱舞した。

 

「うおお! こりゃ玄界のリンゴか!?」

「快気祝いってやつだ。好物なんだろ?」

「気が利くじゃねぇかよタイガ! まさかまたリンゴが食えるとは思ってもなかったぜ!」

 

 子どものようにはしゃぐエネドラを見て、大河も邪気なく笑った。ここまで喜ばれては、買ってきた甲斐があったというものだ。

 がさごそと袋を漁ったエネドラが赤々と熟したリンゴを手に取り迷いなくかぶりつく。

 

「うンめえぇぇッ!」

「そりゃよかった。適当に高いやつ買ってきたからな」

「やべぇな玄界、正直舐めてたぜ!」

 

 順調に"こちら側の世界"に抵抗感を失くしつつあるエネドラを見て大河がほくそ笑む。本体がラッドなのに食ったものはどこへ行くのだろうか、という疑問も浮かばなかった。

 

「そんなに美味いのか?」

「おォ」

 

 もっしゃもっしゃと咀嚼するエネドラに興味本位で尋ねたところ、アフトクラトルでは果物というものが基本的に高級嗜好品であるとのことだった。

 農園には広大な敷地が必要になり、必然的に主要な街から離れた場所に作らなければならなくなる。そしてそれを守る一般市民と農作物護衛用トリオン兵を巡回させるには金がかかる。

 ついでに言えば野生動物を勝手に狩ることも禁止されているため、どうあがいても獣害や鳥害が免れないらしい。

 そんな中生き残った果物も基本は料理や酒に使われ、ごく一部の糖度が高いもののみが純粋な果物として売りに出されるようだ。

 

 そういった事情がある国で育ったエネドラには、日本の農家が何代も重ねて品種改良していったリンゴが大層美味く感じられたことであろう。噛みしめる度に甘酸っぱい果汁があふれ出るのをじっくりと楽しむように、しかしあっという間に食べ終わってリンゴの芯だけが残った。

 

「っはぁ~……」

 

 そしてうら寂しそうなため息をつき、その芯をぐりぐりとつまんでいじり、

 

「オレ玄界に永住するわ」

 

 そんなことをのたまうのであった。

 

「はええよ、決断が」

 

 からから笑ってエネドラに突っ込み、自分もリンゴをひとつかじりつつキャスター付きの椅子に腰を下ろす大河。

 エネドラが復活できた以上、彼にはアフトクラトルへの遠征よりも先を見越してもらわねば困る。これから先、エネドラに待っているのは近界国家についてのデータ集積、端的に言えば勉強……であるが、それにはまず、やはりアフトクラトルに持っていかれてしまったレプリカの奪還が重要となるだろう。

 そのためには、と。大河は二つ目のリンゴをエネドラに放りつつ語る。

 

「アフトクラトルまでの航行ルートは覚えたか? 俺はガロプラはあんま信用してねえからよ、ちゃんと働いてもらわねえと困るぜ」

「あたぼうよ。オレの記憶だけだと不安があったが、ガロプラとレプリカ、だったか? そいつが残したデータがあれば問題ねぇ。あとはどこに出るか、だな」

 

 がしゅりとリンゴをかじると果汁があふれ、エネドラが嬉しそうに口を拭う。

 エネドラが言う「どこ」とは、アフトクラトルの"領地"の問題であった。

 ボーダーの目的であるC級隊員は、当然ハイレインの領地にこそ囚われていることだろう。あの男こそがアフトクラトル四大領主の一人であり、広大な国土のおよそ四分の一を支配している。

 その他の四分の三は別領主のもの、そして領主は戦争時以外は敵対関係にある。

 ゆえに他領地に潜入したり、攻撃したりする意味はないのだ。

 

 だが問題が一つあった。

 アフトクラトルの艇でしか突入先を選択できないのである。

 これはアフトクラトルの防衛システムの一環であり、同時に公平を期すためのものであるらしい。

 侵入してきた敵に対し、その領地の主が優先的に攻撃、ひいては拿捕の権利が与えられる。これは領地の戦力バランスを保つための法であり、領主の力を他に示すためのもの。

 敵を吸収できれば領地を増やすための力となり、被害を被れば信用と権威が失われるのである。

 だからこそ敵の撃破は領主の絶対的な責任として一任され、他の領主はノータッチを決め込む。ボーダーがアフトクラトルへ侵入する場所は、絶対にハイレインの支配するベルティストン領でなければならないのだ。

 

「で、ベル……なんたら領に入れる目途は立ってんのか?」

「いんや、まったく。オレぁ遠征艇の操縦なんざやったことねぇからな」

「おいおい……」

 

 そんな大役を任されたエネドラであったが、彼自身にそんな能力はなかった。

 アフトクラトル製の遠征艇であればゲートを開く先を選べる機能が備わっているが、それがなければゲート生成先の座標を正確に入力しなければならない。

 そんな数値をエネドラは覚えていないし、そもそも艇の操縦すら覚束ないのであった。

 期待はずれな返答に眉根を寄せた大河だったが、エネドラは悪そうな笑みを浮かべた。

 

「でもま、艇さえありゃいいんだから話は簡単だろ? ガロプラを支配してんのはハイレインの野郎だ。ガロプラを押さえてるやつらが乗ってきた艇は、当然ハイレインとこの艇だろうよ」

「あー、そうか。そいつらブッ殺して遠征艇か、データブッこ抜きゃいいのか」

「そういうこった。ガロプラの雑魚どもはアフトから抜け出すのが目的って話じゃねぇか、一石二鳥ってやつだな」

「それもありだなー。突入前に楽しみが増えるのも大歓迎だし」

 

 ふむふむなるほど、とエネドラの提案を咀嚼したリンゴとともに飲み込む。この話は上層部にも持っていくかと思案しつつ、どうせ弾かれるだろうなとも思う。

 ガロプラにあるアフトクラトル遠征艇を襲う際、下手に捕縛を狙ったりガロプラとの拙い連携では、こちらの知り得ない情報網でハイレイン側に強襲が知られてしまう可能性がある。

 ゆえに遠征艇強奪の手段はアフトクラトル兵の殺害になるだろうし、それ以外など大河にとってありえない。

 しかし他の隊員の前で大っぴらに近界民を殺すことは、友好主義の玉狛や第一部隊長の忍田だけでなく、城戸ら上層部もあまりいい顔はしないはずだ。

 なぜならA級上位の遠征経験者らも近界民同士の小競り合いに関わったことはあっても、自ら手を汚した経験はない。あくまで慣れているのは死体であって殺しではないのである。

 

 そういった背景もあり、敵地突入前という重要な場面、アフトクラトルに「打撃」を与える任務であることも相まって、遠征隊員たちに無駄な精神的衝撃や任務に対する忌避感を与えるのは避けるべきだと判断されるだろう。

 総合的に考えて、この話を上に持っていってもアフトクラトルの遠征艇を襲うのはガロプラに任され、ボーダー側は同時に出国。後に情報を渡されるのみになる、と大河は思い至った。

 

「うーん。他に何かいい手があればいいんだが……」

 

 できるだけ近界民を多く殺せるような、そんな手段が。

 などと、持ち得る知恵を絞って邪悪なことを考えている大河の隊員用端末がぶるりと震えた。着信の報せだ。

 その画面に映る発信者を見てやや眉をひそめながら通話ボタンをタップする。

 

『木場か』

「ういっす。どしたんすか? 城戸さんから直で来るなんて珍しいっすね」

 

 通話先は表示されていた名前と違うことなく城戸であった。

 いま言ったように城戸から直通で大河へ連絡が来ることなど、これまで数えるほどしかなかった。それも入隊してすぐの頃、つまりミサキがおらず木場隊が存在していなかった時期の話だ。

 部隊としての命令ならば先にミサキへと送られる。そのほうが確実だし、話が早いのである。

 

 つまりこれから話されるのは面倒事か、と若干大河は警戒するのだった。

 

 

 

 



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