偽者のキセキ (ツルギ剣)
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永遠≠帰還

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 たどり着いた場所は、紅く染まった黄昏の世界。幾万の嘆きと鮮血でできた、焔色の花園。朱色の鱗粉が舞い上がり、夜空へ溶けていく。

 昼と夜。どちらにも戻れず/堕ちきれず、輝きを延命し続けている。

 

 

 

 

 

「―――聞いてるんだろ? 聞こえているはずだよな、茅場」

 

 

 

 夕焼けの星空へ、ここにはいないアイツに向かって、独り虚しく吠えた。……決して届くことはないと、わかっていても。

 

 最上層【紅玉宮】。

 あらゆるものを切り捨てて振り払って、やっとたどり着いたゴール/終着点。背負った罪も託された想いも置き去りにした無念も全てが、ここで終わる/報われる/精算される。ようやく解放される、そのはずなのに―――

 ここにはもう、誰もいない、初めから誰もいなかったかのように。静謐だけが佇んでいた。

 

「あんたと彼女の思惑通り、ここまで来てやったぞ。……顔ぐらい見せたらどうなんだ?」

 

 返事はない、来るはずもない。期待もしていなかった。

 コレは単なる愚痴だ、言い訳だ。オレが()であったことの証拠だ、遺言といってもいい。

 今のオレには、ソレを誰かに向けることは許されない、こぼすことすら許されない。全て飲み込み、圧殺しなければならない。……ただ一人、全ての元凶だった茅場晶彦を除いて。

 

「……その必要もない、か。随分と余裕じゃないか。

 オレが全部()()()()()()()()なんて、考えられないか? やれるわけないって、タカくくってるんだろ?」

 

 煽るように脅しつけるも、応えはない。

 全ての決断は俺に委ねられていた、何を選択するも自由だ。ただし、二択しか存在しない。この世界を『壊す』か『延命』させるか、どちらか一つだけ。

 どちらを選んでも、大切なモノが失われる。ソレはオレだけの大切なモノじゃない、全てのプレイヤーたちが等しく大切に想う宝物。それなのに、オレだけで決断しなければならない。他の誰にも任せることができない/背負わせてもならない。

 

 そんなことになれば、きっと、ここは本当の地獄になってしまうから。

 

「ああ、全くその通りさ! あんたは正しいよ、非常に残念なことになッ!

 オレはやらない、守ってやる守り抜いてやる。絶対に壊しやしないさ! …………壊せやしないさ」

 

 どうするのか/どうしたいのか/どうすべきなのか、決まっていた。

 『延命』する、どんなことが起きようとも何があろうとも誰が邪魔しようとも、必ずそうする。ここに辿り着いた瞬間にはもう、いやもっとずっと前から、オレはソレを選んでいた。……選ばされていた。

 オレには始めから、選択肢なんてなかった。ソレを全て切り捨ててきたから、ここまでたどり着くことができた。

 

 世の中は皮肉だ、諧謔に満ちている。悪ふざけが過ぎる。……残酷なほどに。

 

「……あんたらの狙い通りさ。この世界、ここにいる奴ら仲間たち、ここで過ごしてきた全てが俺にとって―――、宝物だ。

 ()()()()()()になんて、できない。したくないしされたくもない。……失くしたくない」

 

 例えそのために、永劫の孤独を生きようとも/生かされようとも……。オレの決意は変わらない/変えられない。

 運命の糸に絡め取られてしまった。もう身動きがとれない。どれだけ暴れても/知恵を巡らせても/加速しても、登り得る天井にたどり着いてしまったから。……もうどこにも飛べない/戻れない。

 

「この城が()()()()()()なんて……、嫌だ」

 

 この世界がなかったら、オレは、皆と出会うことすらなかっただろう。ここで起こった()()が消える、記録も記憶も想いも何もかもが。アスナとも決して、出会うことのなかった並列世界へ……。

 独りのちっぽけなガキだったまま。ただ無為に年月だけ奪われる、そんな現実へ。全てがリセットされるだけ。

 

 顔を上げた。沈む心を振り払うように、これから進むべく/留まりつづける彼方を、睨みつけた。

 

 

 

「―――引き継いでやるよ。オレの力の限り、想像が尽き果てるまで! この夢は終わらせない」

 

 

 

 虚空に向かって、宣言した。あの男へ一撃を叩きつけるように、せめてもの抵抗として……。

 

 ソレは何処にも木霊することはなかった。空へ響き渡り、溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 虚しくなるほどの静寂に、涙がこぼれそうになった。突きつけられた孤独に、体の芯が凍えた。恐ろしさに耐え切れず、震えてしまう。

 だが、ソレをグッと堪えた。押し込んで/振り切って/無理やりにも、哂った。

 

「だけどまだ、安心するのは早いぜ。

 決めれるのはオレだけじゃない。()()は守るが()がそうするとは、限らない―――」

 

 言い終わるまもなく、花園の中に【転移】の光柱が立った。

 

 立ち上った白の光の中から、一人の青年が現れた。黒を基調とした装備を身にまとい、双剣を背負った剣士。まるで鏡写しのように瓜二つな姿形―――。

 さらに嗤った。倒すべき最後の敵が、向こうからやってきた。……()()を倒す()()が。

 現れた侵入者と向かいあう。

 

「せいぜい祈ることだな。オレが俺に負けないように、な」

 

 皮肉げに呟くと、背中の双剣を引き抜いた。

 敵もまた、同じように戦意を向けてきた。

 

 

 

「―――遅かったな《キリト》」

 

 

 

 敵の名前を告げた。オレがこれから滅ぼすべき敵……オレ自身の鏡像を。

 すでに分かたれ別の存在となった者へ、オレに対して俺に対して、そうだと言い聞かせるように/決別するように。

 

 オレの挨拶に《キリト》は、顔をしかめた。何か言おうと口を開きかけるも……、やめた/寸前で堪えた。

 代わりに死線を、滅ぼす意志を鋒に乗せて、差し向けてきた。もはや何も語ることはない。ただ刃でのみ、切り開くだけだと。

 

 求めていた返答にオレは、同じく剣をもって答えた。

 

 

 

「さぁ、始めようか。オレ達の終わりを、な―――」

 

 

 

 言い終わると同時に、戦いの火蓋が切られた。

 この世界の存亡を決する戦い。そして、オレと俺との魂を賭けた、殺し合いが―――。

 

 

 

 

 

 




 ご視聴、ありがとうございました。

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0階層
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 無限の蒼穹に浮かぶ巨大な石と鉄の城。それが、この世界の全て。

 基部フロアの直径はおよそ10km。その上に、無慮100に及ぶ階層が積み重なっている、想像絶するような広大さだ。総データー量など、推し量ることもできない。

 内部には、いくつかの都市や小規模な街や村、森と草原・湖までもが存在する。上下のフロアをつなぐ階段は各層に一つのみ。その全てが、怪物のうろつく危険な迷宮区画に存在するため発見も踏破も困難。だが、一度でも誰かが突破して誰かが上層の都市にたどり着けば、そこと下層の各都市の《転移門》が連結される。それによって、誰もが自由に移動できるようになる。

 

 城の名は《アインクラッド》。約6千もの人間を呑み込んで浮かび続ける、剣と戦闘の世界。またの名を―――《ソード・アート・オンライン》。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

『リンク、スタート!』

 

 その呪文で俺は、異世界への扉が潜った。決して帰ることのできない場所へと……。

 唱えた次の瞬間、視界は薄明の白に染められていった―――……

 

 

 

 視覚/聴覚/嗅覚/味覚/触覚―――オールクリア。

 自宅のベッドの上で仰向けになっている俺を「あちら」側へとリンクさせるため、認証のトンネルをくぐる。

 シミ一つない真っ白な広く狭い場所で、巨大な5つの輪がこちらに迫ってきては通り過ぎた。各々が五感の一つを担当しているのだろうか。滑るように俺を跨ぐと、背後のどこかへと消えていった。……五感全てが、あちら側でも同じように作動することが確認された合図だ。

 すべての確認作業を終えると、再現作業に移る。『オレ』がこちらと同じようにあちらで感じ動き回れる仮の体を/アバターを、システムが構成する。

 

 色が/音が/匂いが/味が/振動が、何の媒介もなしに直接オレの中に入ってきた。錯綜した大量の情報が、綺麗に整理整頓されていく。

 すると目が/耳が/鼻が/舌が/肌が、所定の場所に配置されていった。俺という立体地図が描かれていく。

 できあがったその中心に、重さが充填された。形は定かではないのに、触れた瞬間に張り付いて離れなくなる。すると足が/膝が/腰が/腹が/胸が/肩が/肘が/手が/首が/頭が、出来上がっていった。俺という塊がそこに現れ地に足をついていった。

 自分の重みに地面に反響する。綿菓子のようなその中を熱した飴のように変えて波打つ。その荒波を押さえ込むために、揺れ動く芯を無理ヤリ固形化させ形を決めた。

 気ままに、調子が外れたまま中に溶け込もうとする反響が、その芯に拒絶され山彦となって外へと跳ね返っていく。地面の上に立ち上がるための骨格と、それを支え動かすための筋肉が、稼動し始めていく。

 そうして、オレという姿がそこに立っていた。

 

 地面の確かな感触を足の裏で確認すると、腕を視界の中まで動かした。うっすらとした薄い燐光に覆われている手の平が現れる。

 その光が消えると、肌の色や皺が鮮明に映し出されていった。現れたそれを、握っては開いて5本の指の動かす。動かせることを確かめた。……何も支障はない。

 

 確認すると、その胸の内からこみ上げてくるものがあった。

 ほほの筋肉が緩んでは引き絞られて、瞳に力がこもってくる。鼻腔を空気が滑っていって、胸を内側から膨らましていく。その隣でトクトクと脈打っているものの鼓動が、意識され始める―――

 

(―――戻ってきたんだ、この世界に)

 

 その感動に従って、自分の頭を上げた。周囲にうごめいている多彩な情報が、一斉にオレの中に入ってくる。……そこには、現代の日本ではお目にかかることが困難な、広大な人類未踏の大地が開けているのだ。

 

 邪魔するものなど何もない、突きつけるような蒼穹。そこに揺蕩うは、遠近感を狂わすような巨大な綿雲。それを頭に被った山嶺が、視界の遥か彼方で鎮座している。肌を撫ぜる微風には、その山の裾野に広がる森林か草原の匂いが乗せられている。自動車の排ガスにまみれた大気か、空気清浄機で幾重にも越し取られた無菌の室内の空気では、感じることができない深呼吸の気持ちよさ。鼻腔か口から喉を通って肺を吸った空気が満たす、横隔膜が押し上げられて膨らんで胸郭を内側から押し上げて行くときに、体中に溜まった汚れたものが一新されるのを実感する。それは、体の内側と外に感じる自然とが、ひと続きのものだと言うことを心地よさと共に理解させてくれる。

 実感―――。コンピューターが作り出した仮想現実であるにもかかわらすそれは、物理現実では到底味わえない「本物」の味わいがあるのだ。

 体中が腹の奥底から、めい一杯広がって引き絞られていく。痛くなるほどなのに、それすらも気持ちいいと感じれるほどの自由が、溢れ出てくるのだ。確かに、細部においては、ここが仮想現実であるということを改めて知らしめる不具合はある。人の感覚の意外な程の目ざとさは、発展を続けてきたコンピューターの計算能力であっても、未だ捉えきれないところが多々ある。それでもその違和感は、最大限の集中力を発揮しなければ、はっきりと気づくことはできない。普段通りの構えない自然体であった場合、周りの環境を住みやすいものに調整するような、家具や電気製品などが奏でる不協和音のマイナス分だけ、この仮想現実の方が『現実』に思えてくるのだ。

 βテスト期間中何度も訪れた異世界。

 恋焦がれてきたその場所が、まさに目と鼻の先で、俺を待っている―――……はずだった。

 

「…………そうだった。確か最初は、こうだったよな」

 

 自分の部屋と酷似した場所。ベッドの上に寝ていた自分、ナーブギアも同じ。……ログインするまえと全く同じ。

 本当にここは仮想世界のなのか驚かれた。バグが起きたのではないかと不安になる。ただ寝て起きただけではないのか。でも、窓の外は曇って見えなくなっている。開けようと思っても開けられない。

 特異な演出。ここは現実と地続きであると、冒険の始まりは自分の部屋から。混同させて没入させる。

 

 βと合わせて二度目、驚きは少ない。これが初見の人は大いに驚いたことだろう。

 迷わず経験に従って、クローゼットを開いて着替えた。寝巻きのまま外に出るのはまずい。

 そこに入っていたのは、自分が持っているはずのないものだった。所々傷とあるボロ服/使い古して色あせた革の胸当て/あまり役に立たなそうな革の小手と脚絆/藁で編まれたサンダル=草鞋、初期装備だ。他に入っていたはずなのに何もない、代わりにそれが置いてあった。

 

「βの時は、わかんなかったんだよなぁ……」

 

 その時のことを思い出して苦笑した。何も分からずに着の身着のまま、外に出てしまった。……ほぼ丸裸と同じような寝間着姿で。

 コレを見つけることができたのは、ログイン時に下着姿だったプレイヤーだった。そのまま外に出るわけにはいかないので、着れる服を探しクローゼットかタンスを開いて見つけた。

 

 今度はちゃんと見つけて着替える=装備する。まだメニューウインドウを開くことができないので装備できているのかわからないが、身につけたのならそうなっているはずだろう。本編でもそうだったから、信じるしかない。

 防御力は雀の涙ほどしか上がらないが、それでもないよりかはマシ。特にサンダルはありがたい。裸足で外をであるくのは、気持ち的に不安にさせられる。

 

「―――よし! それじゃ行くか」

 

 準備を整えると、外に出た。扉を開く―――

 

 

 

 目の前に広がっているのは、求めていた異世界=うっすらと霧が立ち込めている森の中だった。

 背の高い木々に覆われて空が見えない、曇ってもいて灰色が立ち込めてもいる。そのくせ周囲はハッキリと見えているので、今は朝か昼なのだろう。……時間が止まっているだけかもしれない。

 踏み出した感触はやんわり、湿った腐葉土が裸足に染み込んできた。家の廊下のはずだったのに続いていたのは別の場所。自室がそのまま、異世界に転移させられたかのような異常現象。

 二度目ではあるが驚きが隠せない、そして何より喜びも。やっと異世界にきた実感が掴めた。

 

 森の奥へ進む……その前に、自分がいたところを振り返った。

 ボロボロの木造の小屋、人が寄り付かず整備もあまりされていないような山小屋。それなのに、扉の向こうは現代風という。

 扉があったすぐ横には、これみよがしに棍棒が一本立てかけられている。ちょっとやそっとでは折れないような、短いが太く荒削りな木刀といった道具=【木の棒(ウッドスタッフ)】。これから行く未知の森には必要だと思われる/思わざるを得ないモノ。

 

「……これにしちゃうよな、普通は」

 

 ソレを無視して、小屋の裏手側に回った。そこにあったのは、薪割り用と思われる【手斧(ハンドアックス)】=【木の棒】よりは使いやすく攻撃力の高い武器、裾がボロボロだが頑丈そうなフード付きマント=防御力を補填してくれるアクセサリ。それらを手に取り装備した。

 ほとんどのプレイヤーが、最初に目に付いた棍棒をもって森の中へ進んでいった。裏手に回ったプレイヤーの数は少ない。手斧とマントの存在に気づいたのはごくわずかだ。後になって気づき悔しがっていた。……見つけれたとしても、そこまでこれからの結果を左右するわけではないだろうが。

 

 全ての準備を整えることができた。

 ようやく森の奥へと進む。小屋から離れていった。森を包むうす霧を越えていく。

 どちらの方角に向かっても大差ない。途中で罠があるわけでも宝箱が隠されているわけでもない。行き着く場所は同じなので、迷わずまっすぐ進む。

 

「―――結局ここ、なんだったんだろうな? 似た場所なんてなかったしもう一度はこれなかった」

 

 もっと上の階に行けていたら、同じ場所があったのかもしれない。しかし、βではそこまで行けていなかった。踏破したエリアであっても、すみずみまで探索しきれたとも言えない。

 疑問は残るが、ワクワクを足してくれるもの。いずれは解明されることだろうと、その時にこの不思議な場所の意味が明かされる。それを思うと、楽しみが増してくるだけだ。

 

 

 

 森を進み続けると、霧が立ち込め濃くなった。頭上からは雪のような細かな灰も落ちてくる。辺り一面、視界が悪くなっていった。

 

 不安にさせられるがそのまま進んだ。これでいい、βと同じだ、大丈夫だこれで道はあっている……。護符のように【手斧】をギュッと握り直すと、迷わず前へ進み続けた。

 霧がだんだんと濃くなっていった。降り注ぐ灰も相まって、一面が漂白された銀世界になっていた。足元も凝らさないと見えない、周囲にあったはずの木々も見えなくなっていた。まっすぐだけ進めばぶつかるはずなのにそれもない……。

 そのことに気づくと、理解させられた、すでに別の場所にいることに。既にここは森の中じゃない。ソレに気づかされると、次に踏みしめた足の感触も固くなっていた。降り積もった落ち葉と灰の柔らかな弾力がなくなっている。地面は踏み固められていた。コンクリートのような硬さそして、人工物であると直感させる冷たさがあった。

 緊張で背筋が強張った。生き物が密集していた場所から急に投げ出された不安、無機物の世界は体の芯を凍えさせてくる。わかっていても、体が勝手に反応してしまう。じんわり冷や汗が流れ落ちた、口の中が乾いていくのも。

 

 不安を抱えながらも歩き続けるといきなり、地鳴りが響いた。地面が揺れる。

 ぞわりと、一気に緊張が走り抜けた。背筋にビリビリと痺れが走った。息を飲まされる。周囲を警戒するように見渡した。遠くからであることはわかるが、霧が立ち込めた今は遠近感覚が確かではない、先と同じ開けた森の中にいるとも限らない。音の反響だけでは当てにならない。……居所が掴めない。

 初見ならば、ただ怯えているだけだろう。ホラー映画の中/悪霊の住まう恐怖の館に閉じ込めされてしまったかのような不気味さに怯える。βの時のオレもそうだった。だけど、今のオレは―――違う。

 ニンマリと不敵に笑った、頬が引きつってしまうのを自覚しながらも無理やり。【手斧】を胸の前で構え腰を落とした、浮ついていた重心を定める。ふぅーと一つ息を吐き強張りを解いた/肩の力を抜いた=臨戦態勢。

 

 恐怖と期待が入り混じった緊迫感、やや前者に傾いているので平衡を保つ。体が震えているのは、怖いからか武者震いなのか……わからない。ただ、逃げ出したいとは思えない/思ってはいない。

 

「……さぁ来い、来いよ。さっさと来やがれ!」

 

 今度は仕留めてやる……。リベンジ戦だ。次は絶対に勝つ。

 βでは敗北で終わってしまった戦い。何も知らない始めの始めである以上どうしようもない、シナリオ上必要なことでもあったのだろう。予定された負け戦だ。ゆえに、あるいはまだか、『その相手』と再戦することは許されなかった。

 でも、今回は違う/同じシナリオにしてくれた=再戦できる。それも何度でも。もし負けたとしても、もう一度データを消してやり直しは可能だ、あるいはクリアしたあとの周回プレイでも。ただ……、今はそんな手間をかけたくはない。先が魅力的なのにわざわざここで足踏みしたくはない。

 だから今、ここで仕留める。

 

 足音がさらに大きくなる。それと同時に威圧感が増し、空気も重くなっていった。

 緊張が高まり額にじんわりと汗が流れ落ちる。ソレを拭い取ろうとしたその時―――姿を現した。

 

 その異様と巨体に、ゴクリとつばを飲み込まされた。 

 灰色の巨人、自分の背丈の3倍はある。横幅もたっぷりと詰まっている。鈍重な肥満体型ではないが、ギリギリレスラー体型に収まっている、象のような分厚い体皮。

 トロール―――。かの怪物によく似ている。

 死んだような虚の瞳、顔には理性の光は微塵も差していない、入力された命令に従うだけ。ヨダレを垂らしたままではなく体を洗うという考えが思い浮かばないような不潔感もないが、体の大きさと腕力だけが取り柄のモンスター。そう言い切ってもいいような、動きが鈍重で頭の回転も遅い雰囲気を醸し出している。ただし、その額から生えている角と背中にある羽。どちらも退化して使えない飾りのようなものだが、ただの粘土巨人でないこと/【魔人】の一種であることを証明している。

 【塵界の尖兵】―――。

 その名を認識すると同時に、HPバーも表示された。

 オレと同じ形状の一本型、だけどそこに込められている数値は桁が違う。……現状では、ほぼ歯が立たない強敵。

 

(だけど……、倒せないわけじゃない)

 

 今ここでも、倒せるはずだ……。周回プレイができることを考慮に入れれば、倒せないわけにはいかない。何より、倒せないような威圧感を帯びていない、こいつが最終ボスより強いなんていうことはありえないはず。

 腹に力を込めなおす、慄えを戦意で押さえつけた。

 

 そんなオレの怯えを感じ取ったのか/ただのアルゴリズムか、先手を繰り出してきた。両手に持っていた戦斧を振り下ろす。オレごと地面を踏み潰すかのような一撃―――

 ソレを、懐に飛び込んで回避した、転がりながら安全地帯へ。

 

 衝撃とはぜた土くれが背中を打つ、先までいた地面には深々と斧が食い込んでいる。……間一髪。

 だけど好機/敵は硬直している、そのまま流れるようにガラ空きの懐を一閃した。

 肉がすんなりと切れた感覚、カウンターになった。切りながら背後へと走り抜けていく。

 巨人、いきなりの攻撃に驚き悲鳴を上げた。痛みに身震いし地団駄を踏む、まとわりついているであろうオレを叩き落さんと。だけどその時にはもう、オレはいない。背後に退避していた。……初撃は見事に決めた。

 

 すぐさま次撃。いまだ驚愕冷めやらぬ巨人の背に、俺の背丈では腰辺りへ袈裟斬り。

 スパッと滞りなく、刃が巨人の背を切り裂いた。……こちらも上手くダメージを通せた。

 さらなる痛みに呻いた、背筋がビンッと反る。まるで浣腸でもされたかのようで、後で振り返ってみれば間抜けな絵ずらだ。だが同時に反射、オレを見ずに振り向きざまに反撃を繰り出してきた、鬱陶しいハエを振り払うように。

 だが、それも予想の範囲。問題ない。バックステップで余裕で躱せる攻撃、喰らえば大ダメージの上に吹き飛ばされ【転倒】の恐れもある。無難に考えれば、その通りが一番いい。そうしようとした―――

 だけど、踏みとどまる。振り払いに受けて立つ、軌跡を予想して、そこに自分の武器を沿わせる。受け止めるのではなく誘導する、ベクトルを操作する。相手の力で相手の体勢を崩す、パリィ狙い。

 迫り来る戦斧がぶつかる、押し飛ばされる、その寸前の無重力時間。高めた集中力がソレを捉えた。刃を跳ね上げる。

 

「おぉ……らぁ―――ッ!」

 

 金属同士が奏でる澄んだ音色。響き渡った。

 ほぼ直角に跳ね上げられた戦斧、自分の力が勝手に動いた。もともと振り向きざまの無理な体勢、体をひねっての背後への振り払い。加えられたベクトル変化にたまらず、巨人は前のめりによろけた。たたらを踏んだ。

 その自重を支える足。そこを狙い一直線にとんだ。切り込んだ。―――気持ちのいいまでの斬撃。スパンッと肉を裂く。

 巨人、支えようとした足に力が入らず、そのまま崩れ落ちた=【転倒】した。地鳴りと土煙が舞い上がる。

 

 起き上がる前に/隙だらけの今のうちに、攻撃を食らわせ続けた。HPバーがドンドンと削れていく。

 

 

 

 今日この時のためのイメージトレーニング。それが見事に幸をなした。

 

 このような巨体でしかもレベル差もあるような敵ならば、離れて戦うのは下策だろう。

 見た目通り、この敵にはパワーがある。数撃当てられればオレは殺される、たった一撃だけでHPは半分以上はもっていかれることだろう。こちらの防御力は紙に毛が生えたようなもの、HPも初期値で余裕は微塵もない。回復アイテムも持ち合わせていない。絶対に敵の攻撃を受けるわけにはいかない。

 ただ優っている点はある。スピードだ。こちらは小人で身軽だ、巨体の相手は背をかがめる無理な姿勢を強いられる。おまけに人型だ、背中や足元に死角が出来やすい。ちょこちょこ近くでまとわりつかれれば対処しきれない。小さいこちらはソレを見つけやすい。ソコに入り続けていれば安全だ。さらに、相手は自分が格上だと認識している、その考えを元に行動している。だから退かない、一度離れて俺と状況を分析しようとはしない。力でねじ伏せようとする、そうしなければならないと動く。ゆえに―――、その動きは単調だ。

 一見危険そうに見えるが実は、懐に張り付き続けるのが一番安全だ。

 

 

 

 【転倒】から起き上がる兆候。雄叫びをあげながら、戦斧をしゃにむに振り回してきた。

 寸前で読み取り回避。今度はパックステップで離れる。距離を取る。同時に―――手斧を投げた。巨人の腕に刺さる。

 たまらず巨人、戦斧を溢れ落とした。振り回していた勢いで彼方に転がる。

 

 起き上がるとふたたび相対。怒りにわれを忘れている表情。いつの間にか真っ赤に充血している目で、オレを射殺すように睨んだ。……取りこぼした戦斧をみることもなく。

 オレも同じく武器を失った。互いに徒手空拳、だけど相手の拳は岩をも砕けそうな鉄拳、おまけに鋼鉄ですらグニャグニャに曲げられそうな豪腕、さらには猛獣の牙すら食い込めず逆に折るような肉の鎧。戦力差は歴然だった、俺にとって【手斧】は必要不可欠だったが相手にとって【戦斧】はどうでもいい。そもそもあった差がさらに広がっただけだ、もはや取り返しがつかないほどに……。

 だが―――、心配ない。まだ想定通りだ。

 

 視線を外さないようにしながら、羽織っていたマントを脱いだ。手に取りまとめる。同時に、視界の隅で敵がこぼした戦斧を捉える。自分との距離を目算した。……ここが一番の難所だ。

 

 

 

「■■■■■■■■■―――ッ!!」

 

 

 

 すべてを揺さぶるような咆哮。地震が起きたかのように、地面まで震えた。

 

 叫び終わると突進。俺を掴まんと、捕まえて握りつぶさんと、両手を伸ばしながら体当たりしてきた。

 まるで津波、視界全てが暗く染めらる。巨人に覆われた。……わかってはいても根源的な恐怖で身がすくんでしまう。

 だけど、抑え付ける。ここで恐怖に負けてはならない、恐怖だけが問題だ。勝利はすでに、この手の中に―――ある。

 ギリギリまで引き付けると、横ステップで躱した。同時に、手に持っていたマントを広げ、投げた。

 

 巨人、俺を捕まえられず空振り。さらに、マントが顔に覆いかぶさった。前が見えない。急に視界が黒くなって驚く、動揺が足をもつれさせた。

 体当たりの勢いのまま転けた。うつ伏せに【転倒】した。どスーンと、ふたたび地鳴りが響き渡る。

 

 モゴモゴと顔を動かす、マントを取ろうとした。しかし、転んだ勢いで絡まったソレは容易には取れない、慌ててもいるのでさらに絡まる。―――その隙に、取りこぼさせた【戦斧】の下まで走った。

 無骨で使い古し所々汚れが目立つ【戦斧】、その刃は始めこそ鋭利に研ぎ澄まされていたのだろうが今は見る影もない/潰れて丸くなっていたり欠けていたりしている。金属製の棍棒といった有様。だけど……、巨大だ。俺の背丈ほどはある。急いで掴みあげようとした。

 だが……、できない。予想以上に重い。ほんの少し柄が持ち上がっただけ、一番重量がある刃は地面についたまま。

 装備に必要な筋力値が全く足りていないのだろう、動かすことすらままならないほどに。最初に持っていた【手斧】とは比べ物にならないほど、この巨人と遭遇できなかったことを考えればおそらくは、βで積み上げたパラメーターであっても難しかっただろう。だけどソレは、わかっていたことだ。それでもコレが必要だ。

 それに、使い方もわかっている。

 

 柄だけをしっかり掴むとそのまま、巨人の下へと走った。上がっていない刃がズルズルごりごりと地面を削るが構わず、引っ張り続けていく。走り高跳びの助走のように、直線ではなく弧を描くようにして、遠心力を付け加えていく―――

 ようやくマントを取り払った/引きちぎった巨人が、【転倒】状態から回復しようとしていた。近くに俺がいないことに気づきあたりを見渡す、がなり立てる擦過音に振り返り―――目があった。

 驚愕に目が見開かれた。何も考えられず空白、ただ眺めているだけ。そんな呆けた巨人に向かって俺は、最後のひと仕事。今まで助走で溜めに溜めた力を圧縮、踏みとどまりそこを軸にして捻る=急激な方向転換。全身の力を振り絞る、勢いに乗った戦斧を振り上げる。

 

「オオオオォォォーーーッ―――!」

 

 雄叫びをあげながら振り上げた【戦斧】は、地面から持ち上がった。摩擦音がしないのに動いている/動かせている。

 肩の関節が外れそうだった。あまりの重さに/限界を超えた武器に体が悲鳴を上げている。だけど、その勢いを殺さず導く/振り抜く、俺が求めた必殺へ=巨人の首筋へ。

 巨人はただ呆然と、事の次第を眺めているだけ。俺の/自分の武器だったものが首元まで迫ってきているのを。そして、その刃が自分の首の肉を喰んでいるのですら―――

 

(これで―――、終わりだッ!)

 

 全身全霊を込めた一撃。声なき咆哮とともにそれを―――、放った。

 

 

 

 瞬間、鎌鼬のような鋭い突風が、駆け抜けた……。

 

 

 

 勢いあまり/掴んでいられず【戦斧】が、手からすっぽ抜けた。そのベクトルを切り離せず、半回転させられながら倒れた。ゴロゴロと受身も取れず地面に転がされる=【転倒】、敵が目の前にいるのにすぐには動けない。

 だが、もう勝負は決まっていた。

 

 巨人の首が、宙に舞い上がっていた。同時に真っ赤な噴水を巻き上げながらも、残された胴体は何が起きたのか分からず立ちすくんでいる。

 赤いシャワーが降り注ぐ中、ぼとりと首が落下した。その微かな振動でようやく、何が起きたか理解したのだろう、遅れて胴体も倒れた。

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 「この仮想世界は現実世界と地続きである」
 このように誤解させることが、VRにリアリティをもたせプレイヤーを異世界に自然とのめり込ませる。その手の仕掛けが、このSAOというVRゲームにもあるはず。デス・ゲーム化という強引な手段以外に、夢と現実の境界を曖昧にしてしまう「何か」があっていいと思う。むしろそちらの方が真っ当なやり方ではないかとも。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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塵界 ログイン 後

 

 

 

 

 

 

 

 巨人の胴体がゆっくりと傾げ……、倒れた。地面が揺れる、灰が舞い上がった。

 切断した首から大量の血流、地面の灰と混じり赤黒い水たまり。どぼどぼと流れ落ち広がっていった。

 微動だにしない/動く気配もない。倒したことを確認すると、一気に力が抜けた。

 

「―――がはっ! はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 膝に手をつきながら、息を荒げた。今までまともに呼吸していなかったように空気を貪る。弾けそうなほど脈打つ鼓動にも初めて気づいた。そして、全身にドッと汗が噴き出しているのにも。

 自分が生きていることを実感した。すると、遅ればせながら手足が震えていた。寒いわけでもないのに歯の根もあわずガタガタと、体の芯から震えている。止められない……。

 

(俺……、やったんだ。倒したんだ)

 

 ふたたび巨人をみると、ようやく実感に至った。あの強敵に勝ったのだと、勝利の実感が湧いてきた。

 すると、震えが徐々に静まってきた。呼吸も整っていく。

 そのまま何とか落ち着かせると、余韻に浸ろうとした。その奮えのまま笑おうとしたが、腕に走った痛みが遮ってきた。

 

「いっッ! ちぃ……」

 

 呻きながら腕を押さえた。そうするだけ/押さえようとした腕の方も痛い。ほんの少し動かすだけでも激痛が走る。

 痛みはすぐさま脳みそまで駆け上った。握りつぶされるような痛みに立ってもいられず、その場に尻餅をついた。

 

 限界以上の武器を無理やり使用した反動だ。

 遠心力をつかった裏ワザ。助走をつけて力を溜め、腕だけでなく全身のひねりをを用いてぶん回す。そのため一撃のみ、使うとは言えない/振り回されているだけ。それでも、今の自分では出せない攻撃力を引き出せた。【頭部切断】の致命攻撃が成立、格上の巨人を倒すことができた。

 ただ、残心がうまくいかなかったのだろう。振り回した勢いを殺せず腕が/体全部が悲鳴を上げていた。もう身動きも取れない、戦えない……。

 でも、それだけの価値はあった。

 倒した巨人をもう一度見下ろした。にやりと笑う。

 

 ぼんやりと疲れを抜いていると、先の高揚感は冷めてきた。次第に不安が募ってきた。

 

(……倒したら、何かくれるわけじゃ……ないのか)

 

 勝利のファンファーレもない。ガックリと肩を落とした。

 残ったのはただ、巨人の死体だけ。もはや血は流れることはないが、それま出たもので灰白の地面が赤く染まっていた。凄惨な殺人現場だ―――

 寒気が走り抜けた。今更ながら怖気づいてきた。

 確かに倒したのに、自分がやったこととは思えない。どうしてこんなことができたのかと、現実世界の常識が鎌首をもたげてきた。オレはこんなこと、どうして出来たんだろう? どうしてコレよりも、貰えるアイテムやら経験値やらの方を真っ先に期待していたのか……。

 そして、ようやく異常に気づいた。

 

「……なんで死体、消えてないんだ?」

 

 そこにあり続ける死体。その圧倒的な存在感/物々しさ。さきまで自分と同じく動いていた/確かに生物だったはずなのに、今はただの無機物に成り果てている。これからその姿形も崩れて風化し、最後は塵にかわり消える。寒々しいまでの静止に、こちらの生命まで吸われていくようだ。

 β版ではこのようなことはなかった。倒した/HPが0になったモンスターは、大抵すぐに無数のガラスの破片に変わって空中に霧散し消えた。跡には何も残さない。戦いの爪痕や【血痕】=その場のモンスターとのエンカウント率を上昇させる&プレイヤーにつけば攻撃力微上昇/精神系状態異常耐性微減少などを付加/負荷する、切り離した部位=生体素材アイテムは残るがそれも時間が経てば消える。戦闘の痕跡は自動的に素早く清掃された。しかし、残り続けていた。さらには生々しさが加味されていた。血の匂いが鼻だけでなく皮膚にまで染み込んでくるかのように濃厚。まだソコに巨人がいるかのような臨在感を突きつけてくる。目には見えない怨念のようなものが残留しているような不気味さが醸し出されていた。それがオレの芯を掻き毟ってくる。

 気持ち悪さに眼を閉じた/顔を逸らした。芯からの慄えに怖れる。それ以上は考えないように蓋をした。

 

 気を取り直すと/そこから離れようと、立ち上がった。体はまだ休みたがっているが、無理を押して立ち上がる。……ここにいても仕方がない/長居したくはない。

 巨人の死骸を避けるように横切ると、投げ捨てられていた【手斧】を拾い上げた。降り積もった灰の中から拾い上げる。

 手に取るとおもわず、眉をしかめた。蓋が刺激される。……刃にはべっとりと、巨人の流血が張り付いていた。

 ソレも、β版にはなかったものだ。【血痕】がプレイヤーの武器にも残るなどなかった。どれだけ斬っても突いても叩いても刃には血糊はつかない、綺麗なまま。ただ【耐久値】が減るだけ、ソレが見てもすぐわかるように刃先が欠けたり丸く潰れたり亀裂が走ったりする。それだけだった。このような生々しい/本来あるはずの汚れは、自動的にぬぐい去られていた。

 地面に刃をこすりつけた、【血痕】をぬぐい去ろうとした。布か水があれば取れるのだろうが、あいにくそんなものはここにない。服を使うなど論外だ。……【血痕】は完全には取れなかった。どうしてもぬぐい去れない。

 大きくため息をつくと、諦めた。渋々と腰のベルトに収めた。

 β版にはなかった現象なので何が起きるかわからないが、捨てるにはおしすぎる。現状、これだけがオレの使える武器だ。このさき何が起きるかわからない以上、持っていくしかない。

 

 あたりを見回し「何か」のサインを探すも、途方にくれた。……リベンジを果たしはいいが、これからどうすればいいのかわからない。

 何かイベントが進むのかと期待するも……何もない。ただ森は静かなまま、シンシンと灰が降り注いでいるだけ。その奥から新しい敵がやってくることも……ない。続きを示す兆候も見当たらない。

 本来この戦いは、負けることが「決まって」いたのだろう。こんな初期ステータス/初期装備/【剣技(ソードスキル)】すら使えない今ではほぼ絶対に勝てない、それなのに勝ってしまった。製作者たちの見込みが外れてしまった。……現状は、バグのようなものなのかもしれない。

 しばらく呆然と佇んでいると、意を決した。

 

「……もっと奥、行ってみるか」

 

 相手がこないなら、こっちから行くしかない。……それ以外に何をすればいいのかわからない。

 降り積もった灰の道を歩む。

 

 

 

 

 

 何もない/代わり映えない景色、何も聞こえない/ただ足音だけそれすら灰に吸収され微かなもの、どこまでも続く/進んでいるはずなのに足踏みしているだけのような錯覚に襲われる―――。

 心なしか、段々と寒くなってきた。腕をさする/手をこする、意味もなく指を動かした。吐く息にも白いものが混じっているかのように見えた。

 あまりにも生物の気配がない。林立している木々にも生命の温かさを感じられない、ただの柱かずっと昔に枯れ果ててしまったかのように思えてしまう。オレしかいない。そのためかただ居るだけで、生気のようなモノを奪い取られている錯覚に襲われる。現にそうなっているのかもしれない。寒さは徐々に冷たさへと変わり、凍てついてまでくる。すでに手足の指先の感覚が怪しくなっていた。どんどん静寂へと溶け込んでいく。

 

(罠でも敵でもいいから、何か来てくれよ……)

 

 苛立ちを越えて懇願していた。そして、後悔が滲みできた。

 もしかしたら、あの敵は倒すべきではなかったのか? 負けて/殺されなくてはいけなかったのか? 倒された想定がされていなかったのか……。製作者たちの手抜かり、不安になってきた。

 同時に怒りも湧いてきた。なんだってその程度のこと考えていないのか? 苦労して勝ったなのにゲーム自体始められなくなるなんて、ふざけてる。勝っちゃならないのならもっと理不尽な強敵にすればいいのに、なんだってあの程度なんだよ―――。

 答えが見つからぬまま、足を止めた。

 

(……ダメだ。一回おちるか)

 

 もう耐えられない、これ以上は時間の無駄だ……。大きく溜息をつくと、メニューウインドウを展開しようと右手を振った。

 GMに抗議する、あるいはログアウトする。最悪やり直さなくてはならないかもしれない。……出鼻をくじかれた、最悪な気分だ。

 人差し指と中指を揃えた剣印を縦に振った、それでメニューが胸の前に展開するはずが―――、できない。何も起きなかった。

 

「…………そうだった。最初は使えないんだっけな」

 

 メニューを展開して操作出来るのはこのあとから、別空間へと転移してからだった。ここでは使うことができない。

 またため息がこぼれた。

 

(やばい、もしかしてコレ……、詰んだ)

 

 もうどうしようもない、この仮想世界に隔離されたも同じだ……。戦いには勝ったはずなのに、ゲーム自体に敗北した。

 何か他に方法が/打開策がないか、頭を巡らした。必死にひねり出そうとした。こんなところで人生終わっていいはずがない、こんな死に様では死んでも死にきれない。だが……、どこにもなかった。考えつかない。

 無力感に襲われると、乾いた笑いがこぼれた。……本当にもう、どうしようもない。

 今できることはない/誰も助けてはくれない=独りだ。ソレを思い知らされた……。

 

 だが逆に、踏ん切りがついた。気持ちを切り替える。戻れないのなら前へ進むしかない、できるのなら走って/駆け抜けて。

 誰も踏み入れたことのない場所へ行く。その事実に思い至ると、ワクワクが蘇ってきた。萎えていた冒険心が燻られる。

 もう仕方がない。ふたたび歩き始めた。

 

 

 

 

 

 閑散とした森が続く。降り積もった灰をかき分け進む。体は寒くて仕方がないが、それでも先へと行く。

 

 あとどれぐらい行けばたどり着くのか、わからない。そもそもたどり着くべき何かがあるのか。このままずっと同じ風景が続いていく=ループしているだけじゃないのか。……もうそんな先のことは考えられない/考えては歩けない。ただ歩くために歩く。

 かわりに、一体この場所は何のか考えた。

 どうして始まりがこの場所のなのか。SAOは剣が戦いの主役にある/異形のモンスターが跋扈するファンタジー世界=現実世界なら中世以前の世界のはずだ。現に先ほど、現実にはありえない巨人がいた。現在のこの場所も空を覆い尽くすほどの原生林、大きく齟齬があるわけではない。だけど、ログインする前にイメージした/β版で体験したモノとちがって、暗い。ロウソクの火が今にも消えかけているような、世界の終末感がそこかしこに漂っている。降り続けるのが雪ではなく灰であることが、ソレを一層後押ししてくる。積み上げてきた全てが失われ、もう二度と元に戻ることはない。これから先は無に帰るだけ、深淵一歩手前の死に瀕した世界……。

 空に浮かぶ鋼鉄の城。そこにいるはずなのに、どうにも別の場所にいる気がしてならない。例えば、空の上ではなく地上に。先の見えない灰色の風景がそう錯覚させてくるだけかもしれない/この森を抜けられたらすぐに改めることができるかもしれないが、それでも公式のPVや雑誌などで喧伝してきたSAOの煌びやかな雰囲気とここは全く合わない。自由で広々とした開放感がない、縛り付けられ汲々とした閉鎖感で息苦しくなる。現実世界よりなおここは……重い。重苦しい。

 もし、あの巨人をあの場で倒せずヒット&アウェーの長期戦で削っていく戦術をとった場合、奴とこの森の中でずっと命懸けの鬼ごっこをすることになったはず。今ソレを考えると、ゾッとしてしまう。もはやサバイバルホラーだ、大自然の中に身一つで投げ出されたかのようなもの。敵意を漲らせた巨人に追われながら/いつ殺されるのか怯えながら、誰もいない=助けが来ないこの森の中を隠れ走り回る。オレも含め大抵のプレイヤーは、そこまで心身を削らずに、無謀であろうとも挑んで倒されることを選ぶはず。だけど、今のオレには、そんな突貫をしている自分をイメージできない/その選択を迷わず選ぶとは言い切れない。染み込んできたこの森の重力が、ソレを許してくれない。怯えを植え付けてきた。……そんな気がする。

 

 灰に足を取られよろめいた。ギリギリ踏みとどまり、転倒は防ぐ。

 何とかバランスを取りながら気づいた、気づけていないことに気づいた。足首から下の感覚が麻痺していた。両足の感覚は小指ほどの太さの骨にまで退行していた、分厚く重い何かがはめ込まれているだけ/革と木でつくった義足を履いているような感覚。立っているはず/そう見えてはいるはずなのに、地面の感触が伝わってこない。流れているはずの血液も膝で折り返しているかのようで、鼓動も体温も感じられない。綱渡りしているかのようで不安定だ。

 また乾いた笑みが浮かんできた。

 

(……もうそろそろ、ダメかもしれないな)

 

 真冬の雪山で遭難したようなものだ、登ったことなどないがおそらくそんな感じだ。これからやってくる死に怯えるよりも受け入れる、今までよくやったと自分を褒めて慰める。ここまで頑張ったのなら、もういいだろう……。

 そこでふと、今の自分の不自然さに気づいた。

 なぜオレは、こんなに頑張っているんだ? GMに連絡もログアウトもできない仲間もいないのなら、一旦死んで強制ログアウト=リセットすればいいだけじゃないか。何をこんな無駄なことをしているんだ。今まで掛けた時間でどれほど有益なことができた/損失だったのか考えてみろ……。今更なことに気づいた。

 だけど、だからといって、ここまでやった以上最後までやり通す/やり通したい/やり通さないと収まりがつかない。みみっちく微かな可能性にしがみついている/損切りできないだけ=ゲーマーとして失格な態度かもしれないだろう。ここまで歩いても何もないなら、これから先にも何もない、あったとしてもコスパが釣り合わない/ふさわしい何かを想像できない。悔しさは一旦飲み込んで次に賭ければいい、最後に勝って笑えればいい……。残念ながら、ソレはできない。

 

(まだ道……、続いているよな)

 

 顔を上げ前を向くと、そこにはまだ先が伸びていた。代わり映えのない寒々しい風景だが、それでも道があった。

 

 感覚が失せた足を動かした、一歩前へ踏み出す。倒れないように注意しながら慎重に、だけど立ち止まらずに前へ歩き続ける。

 よろめきに四苦八苦していると、はじまりの小屋にあった【木の棒】を思い出した。

 アレを今もっていれば杖にすることができた、歩くのが非常に楽になっていたはず。ベルトに挟んで固定し落ちないようにはしているものの【手斧】は重荷になっていた。武器としてなら優秀なのだろうが、それ以外では役にたたないどころか有害だ。選択ミスに歯噛みした。……巨人を倒せなかったら今の苦労はなかったのではあるが。

 無い物ねだりしても仕方がない、過ぎてしまったことを悔やんでも今は変わらない。平衡感覚を研ぎ澄ましながら一歩一歩進んでいった。

 

 

 

 

 

 スピードは落ちたものの、進み続ける。前へと進み続けた。

 

 いつの間にか、灰の吹雪が弱くなってきているのに気づいた。顔に打ち付けるようだったのが、髪と肩の上にはらりと乗るように。視界も奥行を増していき、灰色以外の彩と輪郭が浮かんでいた。

 何か変わろうとしている。そんな予感が湧いてくるも、期待はしなかった/できなかった。ソレを受け取るには心が凍てつきすぎていた、透明であれたからこそ見えたのかもしれない。変化を変化とは思えず、ただ歩くことだけに、すでに歩いている意識すら希薄になっていた。瞳は茫洋と顔は虚ろ口からは意味を成さない小さな呻き=ゾンビのようにフラフラよろよろと、ただ前へ前へ先へ……。

 歩く反動で前のめりに、足元に目がいった。地面を見下ろす。

 そこで始めて、地面に灰が降り積もっていないことに気づいた。自分の足が見えた、粗末な革靴は破れ去り裸足になっている。

 足取りが軽くなったとは、感じなかった/そんな余裕もなかった。灰をかき分ける感触が消えていたことにも気付かなかった/麻痺していたのでできなかっただろう。段々と低くなっていったのでわからなかったのかもしれない。それでも、確かに地面が/土が見える。今までとは違う。

 顔を上げた、今度は期待を込めて。―――その視界にはもう、森はなかった。

 あったのは、幾棟もの尖塔/ビル。色鮮やかな輝きを放つ卒塔婆の群れだった。

 

「―――なんだ……、アレ?」

 

 かすれた小さな声が口から抜けた。まるで生まれてから今まで使ったことがなかったかのように、喉を削った。痛みに頭の奥が痺れる。

 

 目に映ったソレは大都市。それも現代のものとは違う、おそらくは外国においても違うだろう。

 未来の大都市。一昔前の科学者やSF作家が夢想したような、世界中の文化がごった煮がえした退廃と享楽の悪徳の街。同時に、365日24時間休むことなく輝き続ける機械の街。地球上の全てのエネルギーを蕩尽し続けることで成り立っている破壊の釜、そのくべるべき燃料には人すら例外じゃない/人の欲望こそ最大の原動力。……その燃えカスが、オレの背後にある灰の森であり、街との間に広がっている岩とゴミと廃墟だらけの荒野なのだろう。

 異質な風景=明らかに別の異世界、SAOの世界観から程遠い場所がそこにあった。

 

 呆然とソレを眺めていると、抑えていた不安が飛び出してきた。……オレは本当に、SAOっていうゲームをやっているのか? ここは仮想世界で、いいんだよな? もしかして、ソフトの中身自体が違ってたのか?

 自分が今どこにいるのか、わからなくなっていた。ここは現実世界ではないのだろうが、その確信も持てなくなった。自発的にログアウトできない/外との連絡も取れない今では、ここの住人でないと証明できない。オレの妄想だと言われたらそれまでだ。―――ただ一つの方法を除いて。

 ベルトに挟んでいた【手斧】を取り出した。刃を首筋に当てた。

 

 ほんの少し力を込めれば、それで終わる。このわけのわからない状況から抜け出せる。これ以外にはもう方法がない……。息を整え意を決しようとした。

 でも、できなかった/やらなかった。

 怖いわけでは、ない。ここで死んだところでこの世界から追い出されるだけ/現実で目を覚ますだけだ。そうした後やり直すなりゲームの運営者にクレームを叩きつけたりもできる、そのために必要な作業だ。泣き寝入りしてやることはない、オレの他にも迷惑を被ったプレイヤーがいるかもしれない、すぐさま改善すべきバグだ。さっさとやるべきだった。……できなかったのは、やっと「何か」にたどり着いたからだ。

 ようやく謎が解かれようとしている、新しい謎が用意されている。そんな期待に、死ぬのが惜しくなった。

 

(……こうなったらとことん、突き詰めてやる)

 

 【手斧】をベルトに戻すと、荒野へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 風吹きすさぶ荒涼とした大地、砂埃が舞い上がり空を覆う。今は昼中ではあるのだろうが、陽の光は淡くかすれていた。

 

 砂塵のためか乾燥しているためか、呼吸するたびに口と喉が痛くなる。肌からも水分が抜け出るのか渇いてくる、目もうっすらとしか開けられない。代わりに先までの冷たさは消えていったが、無理やり乾かされ固められツヤと柔らかさを奪われる=錆びさせられてきた。別の切り口で生気を奪い取ってくる/オレをこの荒野と同化させようとしてくる。……あまり長居したくない場所だ。

 砂よけのため、口元を腕で覆った。―――その時、体の異常に気づいた。

 目を見張った。自分の腕のはずなのに、自分のものとは思えない=毛深く筋肉が隆々と詰め込まれていた。人のソレともかけ離れている。

 驚き腕を離すと手が見えた。ソレもまた変貌していた。指が5本あるのが一緒なだけ、関節の数や基本構造も同じだろう。だけど、その指先/爪はちがう。鋭く研ぎ澄まさほんの少し湾曲している爪=凶器、生えている指の半分ほどの長さもある。混乱しながらも眺めていると、徐々に短くなり指先に納まってもきた。

 手や腕だけでなく腹や足にも目をやると、変貌は歴然となった。人の構造とは明らかに違う/分厚い太ももと大きく後ろに湾曲したかのような足=肉食獣の脚部。その全てが黒い獣毛で覆われていた。

 

「■ッ! ■■■■■■■■■ッ!?」

 

 思わず叫んだが、一瞬耳を疑った。自分の口から発したものなのに、自分の声と違う。獣の咆哮になっていた。

 口元に手を当てた、本当に自分の声なのか確かめようと……。すると、さらなる変貌が明らかになった。

 突き出た口に鋭い犬歯が並んでいた。即頭部に耳はなく上へと伸ばしていくと、見つかった。ピンと立ち上がった三角形の大きな耳。首から肩まで触っていくも、ゴワゴワとした獣毛の感触があった。

 鏡で確かめる必要はない。もはや、間違いようがなかった。

 

(……なんでオレ、獣人に……なってるんだ?)

 

 もう一度、まじまじと自分の手を見た。……そこには、人の頭を簡単に握りつぶせそうな獣の手があった。

 爪に意識を向けると、瞬時に伸びた。固く鋭いソレは、コンクリートも簡単に切り裂けそうな凶暴さがある。

 

 一体全体なんだって、こんなことになってるんだ……。考えても答えは出てこない。さっぱりわからない。

 異常な場所、異常な現象、異常な現状、異常異常異常―――。頭が混乱から抜け出せない。ここに意味はあるのか、今のオレにはわからないだけなのか、ただの気まぐれなのか……わからない。わからないことだらけだ。

 だけど、だからこそ吹っ切れた。ここで考えても仕方がない。答えは、先にしかないらしい。

 気持ちを切り替え先に進んだ、今度は獣の足で。

 

 

 

 

 

 獣の体は、意外と快適なものだった。

 

 人のそれとは違って、軽やかで早い。

 先と違って疲れは微塵も感じない。固くてザラザラとした地面のはずなのに、まるで低反発のクッションの上を歩いているかのようだった。ほんの少し力を込めれば、軽く自分の背丈の倍は跳躍/【剣技】並みの加速ができそうだった。運動機能が飛躍的に向上していた。……嬉しい誤算だ。

 おまけに、五感も鋭敏に研ぎ澄まされていた。

 目測およそ数kmは離れているであろう廃車らしき物体、それがわかるだけでも異常だが、その壊れた扉の鍵穴まではっきりと見えた。砂埃がザラザラと舞っているだけの不毛の荒野だと思っていたが、耳を澄ませてみると何かの息遣いも聞こえた。カサコソと身動きしている音も聞こえる。正確な場所まではわからないが、巨岩の下や廃物の中やくぐもった空からきこえてくる、自然現象ではなく生物の気配であることは確かだ。乾ききって臭など漂いようがないと思っていたが、石油と硝煙と卵が腐ったかのような異臭が鼻につく。嗅いでいられず鼻筋をしかめた。……それさえなかったら最高だった。

 β版でも味わえなかった万能感。今のオレなら、なんでもできそうな気がする。どんな敵にも負ける気がしない……。自然と、口元に笑みが浮かんでいた。

 だが、それが油断だったのだろう。視界の端でほんの少し瞬いた赤い光点を、見逃した。

 

 ソレに気づいたときにはもう、間合いの中だった。

 

 ここはSAO=剣の世界とは違う。未来の/科学技術が発達した世界だ、発達しすぎて自己崩壊しようとしている世界だ。だから当然、使用している道具の性質は違う、戦いの有り様も違う。互いに目と鼻の先で=近距離戦が主体ではなく、相手に知覚されないような死角/遠間から=遠距離戦が主体になっている。―――敵は重火器を使用してくる。

 異常ではあるものの、獣人はSAOの世界観にあてはめることができる。だから、「こんなことも起きるだろう」と受け止められた。自分がそうなっているのはおかしなことだが、ソレがあること自体は否定しない。むしろ知覚範囲が広がってくれた分、こんな荒野であっても心にはゆとりを持てる。……そこに、歪みがあった。

 【狙撃】を警戒していなかった―――

 

 パチリと、小さな火花が瞬いた。続いて、鋭く風を斬る音が鳴った。

 そこでようやく気づいて、光と音が出た方角に顔を向けた。見過ごしてもいいような違和感を感じた程度、近くの何処かで小銭が落ちた音色に反応したようなもの。だから―――、続く衝撃に驚愕した。

 思い切り、肩をぶつけられてたたらを踏んだ。目の前には誰もいないはずなのに/そもそも今のオレには力士の体当たりですらどこ吹く風で無視できそうなのに、よろめいていた/よろめかされていた。それも、上半身が限界まで弓ぞりにさせられそのまま頭から倒れる勢いで、倒される。

 驚くよりも先に体が反応した。【転倒】一歩手間で持ちこたえた。体操選手かフィギュアスケート選手ばりのCの字、少々横ひねりも加えられたのでGの字だろうか。常人だったのならば間違いなく腹筋がちぎれていたが、獣の体はソレに耐え切った。

 衝撃を散らし切ると、今度は激痛が全身を燃え上がらせた。左の肩口を中心に全身へと、同時に大量の血液が噴出した。荒野を()に染める。

 

 突然の出来事と激痛で頭はパンクしていた。何も考えられない。何が起きたのか、オレは無事なのか、この飛び散っている紫の液体はなんなのか……。意識が遠のき、感覚から遊離していく。

 そしてカチンと、何かがちぎれた音がなった。同時にフワリと、無重力状態になった。何かから解放され軽く/薄くさせられた気分。……ギリギリ繋がっていた心と体が離れた。

 そこから先のオレは、オレではない何かに=獣になっていた。

 

「■■■■■■■■■■■ーーーーッ!!」

 

 大気を轟かすかのような咆哮。自分の鼓膜が破れるのすら無視した爆音。

 叫び切ると、疾走していた。文字通り颶風のごとく、周囲の風景から色が剥げ落ち赤一色に変わった。

 赤く染まった異界。そこでは、何もかもが止まって見えた。

 鳴り止まなかった風は凪ぎ、砂埃まみれの汚れた空気はねっとりと粘つく液体になっていた。鼻から/口から吸うと喉や肺の中に張り付く、ただの一吸いが深呼吸であるかのようで重い。空気の質まで変わっていた。

 加速された時空間。踏み込んだその領域を、駆け抜けていく。

 

 なぜ走っているのか、何処に向かっているのか……。すでにオレはオレのコントロール下にはなかったので、わからない。

 でも、察しはついていた。オレであってもそうする。……オレを狙撃した誰かを、突き止める。

 すでに居場所はわかっていた。撃たれた瞬間、微かにだけど見えた、スナイパーの居所/うつ伏せでライフルを構えているその姿が。瞼に焼き付けていた。

 ソレを視覚にしっかりと捉えながら、彼我の距離を消していく―――

 

 だが突然、目眩に襲われた。ぐにゃりと視界が歪んだ。力が抜け落ちていく。立っていられない―――

 

(何だ、何だよ!? 一体……何が起き、て―――)

 

 視界の端から暗闇が侵食してきた。徐々に黒く狭め消していく。

 それと同時に体から、熱が奪われていった。栓が壊れてしまったかのように、抜け落ちていくのが止められない。虚脱感は平衡感覚まで消していく。

 

 【疫病】―――。そのデハブが頭に浮かんできた。

 HP減少だけではなく、吐き気と悪寒と頭がガンガンと痛む最悪のデハブ/現実の風邪の症状そのまま。まだレベル1であり【鑑定】スキルもないはずなので、メニューが展開できてもわからない。診察用のアイテムもアクセサリもない。だけど、βの経験上わかった。あの時以上の最悪さでもある、間違いようがない。

 いつどこでコレをやられたのか……、わからない。ログインした初めからそうなっていた/時限爆弾式だったのかもしれない。あの森の中の灰が感染源なのかもしれない、倒した巨人の血液がそうだったのかもしれない。狙撃された銃弾に、毒が埋め込まれていたのかもしれない。

 わかっているのはただ一つ、もう手遅れだということだけだ。

 

 息苦しく胸を押さえた。腹の底から何かがせり上がってきて、たまらず吐いた。胃液と吐瀉物が地面に撒き散らされる。

 それでも、気持ち悪さは抜け落ちない。力がとめどなく抜け落ち続ける、止められない。吐いたモノのなか紫色のものが混じり始めていた。

 自分が吐き出したものを見て、笑ってしまう。

 

(何だ……、コレ? リアリティ、高すぎだろ―――)

「―――ッ、■■■■ッ!」

 

 盛大に吐き散らすと、膝から力が抜けた。体がガクンと落ちた。

 何とか耐えきるもフラフラと揺れる、体が傾いていく。泥酔したかのように世界がぐるぐる回っていた。何とか安全圏までたどり着かないといけない、ここで倒れてはまずい/また【狙撃】されてしまう。もうすこしだけ前へ―――

 だが、その一歩を踏み外した。たまらず倒れた。

 

 砂埃が舞い上がる、頭に/全身に降り積もっていく。地面に倒れたはずだが、あるはずの衝撃も感じられなかった。意識はそこで途絶えていた……

 荒野の中へ全て、溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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塵界 鹵獲/転送

 

 

 

 

 

 

 

 遠くで誰かの声が聞こえる。

 

 

 

『何だよこの化物は……、バグか?』

 

 軽薄そうだが油断ならない声、若い男の声。おちゃらけているように振舞っていても、警戒心に満ちている。

 うっすらと目を開けるも、ぼんやりとしか見えない。周りはグチャグチャではっきりもしていない、意識が混濁している。指先も動かせない、そもそも感覚があるのかどうかすら怪しい。

 

『外見は【ワーウルフ】に似てっけど……、違うよな。そもそも奴ら、こんな砂漠になんていねぇし』

『そもそもコレ、モンスターじゃないでしょ。普通なら倒したらすぐに消えるものだし』

 

 最初に聞こえた男の他にも、女の声。どちらも若い、オレと同じぐらいの年齢だろう/そのようなアバターにしているのだろう。ただ、女の声は男のそれと違って、無造作に触ればただではすまなさそうな冷たさがあった。

 まとまらない気持ち悪さを押し殺して注意を向けると、二人の他にも誰かいるのがわかった。気配しかわからないが、オレを物色している奇異の視線を感じる。

 その一人、はじめの男とは別/落ち着いた力強さを感じられる声が聞こえてきた。集団のリーダー格の雰囲気を醸している。

 

『……調べてみたが、該当するモンスターはいなかった』

『まじか?』

『【識別】スキル使ってもダメなの?』

『ああ。俺が知らないとなると、運営が新しく出した奴か、それとも―――』

『不正ユーザー』

 

 中性的かつ機械的な声が、話を継いできた。その声には感情の色合いが薄かった、NPCなのかもしれないが……わからない。

 周りにいるのは、この4人だけだ。

 

『おいおい、何を言い出すかと思えば……。ここにそんなクラッカーいるわけねぇだろ、どんだけセキュリティ厳しいと思ってんだよ。ただのバグだよコレは―――』

『プレイヤーじゃなくて、わざわざモンスターに偽装した意味は?』

 

 リーダー格の男が話を途中で遮ると、問いかけた。突飛な意見ではあるが否定しきらず、その真意を聞くために。常にそうであるかのように、冷静で公平な態度。

 NPCのような男は、そもそも聞いていなかったかのように、リーダーの質問にだけ答えた。

 

『違う。これはプレイヤー』

 

 そう訂正すると、何かを指し示した。他の3人の視線がそちらに移る。

 おもむろに、女が一人オレのそばに近づいていくると、何かの操作をした/腕を動かした。すると、その胸の前に半透明の光る板=おそらくはメニューウインドウが現れた。光が目に刺さる、女の様子がソレで隠れてしまう。

 

『……確かに、反応があるわね』

『まじか? でもよぉ、それじゃなんでアイコンが見えねぇんだよ?』

『不正ユーザーだからでしょ。メインサーバーに登録されてないだけよ』

 

 ウインドウを閉じながら、面白みのない質問だと言わんばかりの気のない返答。男は納得しきれず首を傾げ続けるも、それ以上は追求せず。そういうものかと興味を失せた。

 不正ユーザー、メインサーバー……。ゲーム内キャラとは思えない単語/発言ぶり。そんなものを吐けるのはプレイヤーだからだろうが……、どうにも様子が違っている。SAOのプレイヤーとは思えない。

 

『―――あの森から来たな』

 

 リーダー格の男が、あさっての方向/おそらくはオレがいた灰の森を見つめながらつぶやいた。何かを値踏みするように、冷静の下で鎌首をもたげさせて……。一瞬、ゾッとさせられた。

 オレと同じく危険な臭いを嗅ぎとったのか、女が注意を促してきた。

 

『……立ち入り禁止区域よ』

『違う、ただの未踏域。【放射線汚染】による被爆ダメージが厳しすぎて、未だ誰も奥まで到達できてないだけ』

『おまけに、こんな辺鄙な場所でわざわざ来るのも面倒。中にはお宝もレアアイテム落とすモンスターもいねぇ、ただの薄気味悪いだけの森だしな』

 

 【放射能汚染】……。聞き慣れた単語だが、今ここで聞くとは思わなかった/あるはずがないと思っていた。剣が主武器のファンタジー世界には、最も縁遠い単語のはずだった。つい先まで見せられた未来風の異世界には似合うが、SAOには似合わない。

 話の流れから、何らかの状態異常を指しているのだろう、ソレもかなりキツいのを課せられる類の。混乱させられるが、続きに耳を傾けた。

 

『入ったことあるの?』

『いいや。面白そうな話題だったから、覚えてただけだ。……森の中で幽霊を見た、て話もな』

『ゴシップの一つ』

 

 森の中で幽霊……。オレの同じプレイヤーのことだろうか、ログイン早々にあの巨人と戦わされている。

 まさかいるとは思わず、驚かされた。β版でもそうであったように、プレイヤー全員が別々の異空間で戦わされているとばかり思っていた。不親切極まりないが、チュートリアルのようなものだから一人で戦わされるのだとばかり。他のプレイヤーたちと空間を共有していたなんて……。それだけ広大かつ見通しの悪いフィールドだった、ということでいいのだろうか。かなりの距離を歩いてきたはずだったが誰とも遭遇しなかったのは、瞬殺されてしまったのか道が誘導されていたからか……、ここでは判断はできない。

 それと、『見た』という点/ゴシップとして広まっているという点にも驚きを隠せない。今日がサービス開始初日で、プレイヤーは皆初ログイン中であるはずなのだから、現在進行形でなくてはならない。話題として広まっているはずがない。ただ、彼らが嘘か冗談を言っているとも考えづらい/する必要を考えられない。そもそも彼らは、本当にプレイヤーなのか? NPCではないのか、用意されたイベントではないのか? 一体全体本当に、ここはどこなんだ? ―――

 疑問は絶えない。体をまともに動かせないのがもどかしい。

 

『【除染】するから立ち入りが禁止されてる……て、聞かされてきた』

『だが、一向に終わらない。真面目にやっている気配もない』

『こんな訳の分からないのも、飛び出してきたしな』

 

 軽薄な男がそう吐き捨てると、視界が揺れた。頭そのものが揺れていた。……蹴られた。

 リベンジする優先順位を組み替えていると、ほかの誰かが/気配の重さからリーダー格の男が何も言わず離れようとした。

 

『―――待って! すぐに行くつもり!?』

『ああ。まだこいつが消えていないうちに、な』

 

 消える、オレが? ……。一瞬呆けるも、すぐに理解した。

 オレは今、理由は全く分からず納得もできないが、彼らの手によって倒された=HPが0にさせられた。だから身動きがとれない/五感も曖昧になっている。現状は復活猶予時間だ。β版では約3分ほどで、ソレを過ぎれば【はじまりの街】の【黒鉄宮】の【復活の祭壇】からリスタートさせられる、あるいは自分の【ホーム】から。本番の今は若干の修正がされているかもしれないが、おおむねそうなるはずだ。『消えないうち』とは、そういう意味だろう。

 リーダー格の指摘で気づかれたのだろう=チャンスは今しかない/迷っている暇はないと。だがそれでも、食い下がってきた。

 

『……せめて装備整えてこないと、【放射能汚染】に耐えられない』

『過去に敗退した挑戦者から、どのような装備であっても無意味。たどり着けないように設定されていると推測できる』

『だが今、俺たちには鍵がある』

 

 再びの指摘に女が、何かに気づいた。

 

『……もしかしてだけど、コイツの【血清】を使う、てこと?』

 

 【血清】……。また、聞き慣れたが似合わない単語が飛び出してきた。前ほどの衝撃はないが、その意味を考えれば嫌な気分を沸かせてくる。……今のオレは、無力なモルモットと同じか。

 

『コイツはあの森を抜けてここまで来た。どんなプレイヤーもモンスターも長くはいられないあの森の中から。……コイツの血には、あの強烈な【放射能汚染】に耐えるだけの抗体があるはずだ』

 

 確信を込めて告げてきた。まだ可能性の一つでしかないはずだが、すでに決定した事実であるかのような口調。

 女はそれ以上続けられず、同意を求めるかのようにほかの二人に目を向けた。

 

『確定は無理。でも、可能性はある』

『コイツみたいな狼男になっちまう、なんてこったぁねぇよな?』

『……君についてだけは、問題ないと確信』

『あん? ……どういう意味だよ、ソレ?』

『既になっているから』

 

 軽薄な男は一瞬キョトンとするも、女から「その通りね」と含み笑いを向けられ、軽口を理解した。肩をすくめ苦笑をこぼした。

 

『ここでデスペナを食らえば、次の試合までに持ち直すのは難しいだろう。ここまで来るのに溜め込んだ金もアイテムを消えるしな。だが―――』

『みなまで言わんでもいいよリーダー。

 こんな面白そうなこと、他の誰かに取られるなんてありえねぇ』

 

 そう言い切ると、獰猛な笑みを浮かべた。……はっきりとは見えないものの/だからかもしれないが、男が放射している感情の色合いが見えていた。

 NPCのような男も頷くと、残った女は一つため息をついた。そして、降参とばかりに手をヒラヒラさせながら言った。

 

『……どうせ私たちが優勝するのはわかってた。だったら、ハンデの一つでもつけてた方が燃えるわね』

 

 決まりだな……。皆の同意を受けとると、リーダー格がニヤリと哂った。

 

 

 

 

 

  ◆   ◆   ◆

  

  

 

 その後、迅速に事は運ばれた。

 オレは彼らに運ばれ/引きずられ、抜けてきた砂礫の荒野を通り、あの灰の森へと戻っていった。……彼らとともに。

 

 オレの意識いつ途絶えたのか/復活猶予時間が過ぎたのかは、わからない。懐かしの森の中に入ってすぐに、かすかに見えていた視界も消えた。五感も完全に閉ざされた。そして、この不可思議な異世界からも、消えた。

 

 

 

 




 短いですが、ご視聴ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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還魂の苑 チュートリアル 前

 SAOもゲームなら、こんな始まりがあるはず


 

 

 

 

 

『―――諸君、最後の【客人(マレビト)】がやってくるぞ』

 

 誰かの声がして目を覚ます。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 目覚める寸前、三者三様=打算/諦観/舌打ちが聞こえてきた。

 

『【塵界】の者を受け入れるなど、穢らわしいことこの上ないが……』

『我らが差し向けた【尖兵】が見つけ、しかも倒すほどの力の持ち主だぞ。充分に働いてくれることだろう』

『僕らがここから動けない以上、仕方のない処置ですよ』

『そんなこと言われんでもわかっている。……忌々しい封印め』

 

 重く閉ざされていた瞼をそっと見開く。するとそこには、ふたたび見知らぬ場所があった。先の森と荒野とは、趣が異なっている。

 地底深くの忘れられた墓所か深海にある海底神殿のような場所。石造りの建物内は、仄かに青みを帯びている。静寂に包まれた建物、荘厳と幽玄が同居している伽藍堂。かつては煌びやかに華やかに彩られていたであろうことを想起させるも、今はもうそう在れない崩壊するのを待つだけの物悲しさが漂っている。

 中央には、巨大な魔法陣のような紋様が描かれている半透明の床、氷かガラスのような見た目でありながら柔らかな感触がある不思議な素材。その齟齬に体がふらついてしまう。見渡す周囲には、アリの通る隙間もないほどしっかりと積み込まれた=滑らかな手触りがありそう石壁/石柱、左右対称のシンメトリーな構造。現代の技術でもこうはいかないと思わせる程の、精巧な芸術品。顔を上げて見える奥には通路、そして先には【転移門】らしき巨大な馬蹄が聳えている。今は起動していないためか、七色の光彩を揺らめかさている鏡面はなく、ただの古びた鳥居になって閉ざされた壁を見せている。……もし起動したのなら、あそこから共有フィールドに飛べるのだろう。

 先の異世界とは別物、β版でも見たことのない場所。だが、SAOの世界観の枠にはギリギリ収まっているであろう神殿だ。

 

「……今度は、どこに飛ばされたんだ―――!?」

 

 思わずぼやきを溢すと、口元を手で触れた。声を、まともな人の声を出せたことに驚いた。加えて、ちゃんと手も動かせていることにも。

 改めて全身を確認した。しっかりと五感がある、手足が指先まで動かせる。黒い獣毛や鋭い爪も湾曲した脚もない、人の姿/丹精込めて作ったアバターがそこにあった。

 ほっと安堵のため息をこぼした。……何はともあれ、体さえ無事で動かせればいい。

 

「目覚めたようだな、少年」

 

 よく通る錆びた声音/始まりに聞こえた男の声が、背中からかけられた。つられて振り返る。

 そこには、中世の神父のような/魔術師のような姿をした男が、立っていた。黒を基調としたカソックのような衣服で身を包み、目元までフードを被っている。そこから僅かに見える顔つきと、細身ながらガッチリとした長身と何よりも声音の低さから、男であろうとはわかった。それも、30代か40代ほどの壮年の男、雰囲気だけなら60代の老年に達しているほど静かで奥深い。

 現実にそんな格好の男が目の前にいたら、一瞬で目をそらしてすぐに視界から逃げるかするのだろうが、そうできない引力のようなものが働いていた。目を離せない/離してはならないと警告してくる、仮装パーティーかと笑うこともできない。底の知れない/一瞬で異質さを飲み込ませる不気味な威容を纏っていた。

 そんな神父姿の男の後ろにも3人/体が、オレを見下ろしながら佇んでいた。

 一人は、4本の腕をもつ獣人/巨人。ログイン初めに遭遇したモンスターよりも小さいが、オレの倍ほど背丈はある。白金の甲冑を全身に身につけた騎士姿だが、その頭は二本の捻くれた角を生やしているライオン。両腰と胸の前に4本の曲剣、あるいは刀のような武器を帯びている。4本の腕を器用に胸元で組みながら、傲岸そうに/侮蔑混じりにオレを見下ろしている。

 もう一人は、羽毛をある翼を持った龍。一団の中では一番巨大だ、全容を見上げると首が痛くなる。折りたたんだ翼は白鳥のように麗白、鮮やかかつ深みのある空色の鱗。爬虫類を思わせる風貌なれど、それとともに乾いた硬質さは感じられない。大海をそのまま形にしたような大らかな威厳。ソレを表すような碧玉の瞳は、見つめ返すとどこまでも吸い込まれていくかのように深い。……彼の一人称が「僕」だとは、とても思えない。

 最後の一人は、たなびくドレスと羽衣を纏った妖艶な仙女。日本の平安貴族が着ていた十二単のようなドレスを身にまとっていながら、身軽に/すぐにでも天へと舞えるかのように重さを/地面に縛り付けられていると感じさせない矛盾。ソレは、夕焼けのように煌く紅色が成り立たせていた。まるで、燃え広がっている炎を纏っているかのようにみえる。それでいながら火炙りにさせられているような悲惨さを感じさせないのは、彼女が人の姿をした別種の存在であるからだろう。オレを見下ろすその視線は、帯びている赤や煌きとは真逆で、芯まで凍えさられるほど冷たい。

 ゴクリと唾を飲み込むと、現実を思い起こした。ここは仮想世界/ゲームの中で、相手はNPCだ。気後れすることは何もない……。

 腹に力を込め直すと、尋ねた。

 

「ここは、ど―――」

「【天空城】のとある一角だ。名の通り、今まで君が居た場所とは少し違う」

 

 こちらが尋ねきる前に答えた。

 いきなり出鼻をくじかれ唖然としていると、続けて先に答えてきた。

 

「私の名は【ルート】、今はこの神殿で眠っていらっしゃる盟主様の代理をしている者だ」

 

 簡単すぎる自己紹介を済ますと、後ろの3人/体も紹介してきた。

 ライオン型の獣人=【ブレイド】、青の龍=【アーカイブ】、赤の仙女=【キズナ】……。どれも見た目の威厳にそぐわない、機能的な名前だ。

 紹介されても皆、会釈も反応も返さずそのまま見下ろし続けるだけ。その無言で、すごく居たたまれなくなった。別に恥ずかしい名前なわけではないのだろうが、聞いてはいけないことを知らされてしまったかのように感じさせられる。重い……。勝手に呼び寄せたくせに、お呼びじゃないと言わんばかりの拒絶ぶりだ。

 冷たい圧迫感に耐え兼ねて、ふたたび尋ねようとした。

 

「どうし―――」

「我々の目的のため、この城の中へ君のアストラル体を【転送】させてもらった」

 

 またオレの疑問を先読みして、答えてきた。的確に短く、それでいてわけのわからないことまでも含めて。

 思わず聞き返してしまった。

 

「……アストラル体、て?」

「魂、と言った方が伝わるかな。肉体を維持し動かしている意識の塊だ」

 

 そんな当たり前のこともわからないのか? ……とまでは言わないが、底意にはそんな侮辱が沈んでいるように聞こえた。

 ソレにムッとさせられるも、あまりにも微かすぎるのでオレの被害妄想の域を越えていない。ちゃんと教えてくれただけで、相手は何も悪くない。無視して続きを聞いた。

 

「呼び寄せたとはいえ、まだ【狭間】にいるようなものだからね。そうなっている」

 

 言い終わると、オレを指差してきた。釣られてそこを/自分の手を見る。

 ギョッとさせられた。驚きに声も漏れた。―――手が透けていた。輪郭が淡いでいる/消えかけている。

 

「心配はいらない。ここを出て城の中に入ればすぐに治る。ただ……、今の君が非常に不安定な存在であることは変わらない」

 

 動かしたり擦ったり叩いたりつねったりすると、確かにまだそこにある。視覚だけがおかしくなっていた。ただ、一端刺激から離れてしまうと、ぼやけて薄まっていくように感じさせられる。寒すぎて血の気が引いていくように、触覚が痺れていく。……あまり長居してられない。

 

「この城から逃げ出そうとしたり、城に巣食っている【死霊】や【悪霊】に取り込まれたり、生気が完全に抜けてしまえば、君は消滅することになる。跡形もなくな。……肉体とのリンクが途切れている君は、その仮の体(アバター)が壊れたら霊まで損なわれる。二度と転生することができない」

 

 意味不明な単語が出てくるも、言わんとしたい意図は掴めた。城から飛び降りたら死ぬ、生気=HPが0になったら死ぬ、【死霊】/【悪霊】=モンスターに襲われないように気をつけろ。体を大事にしろ。

 『二度と転生~』のくだりは、ゲームオーバーになると解釈すればいいのだろうが、それだけでない気もする。『死ぬ』ではなく『消滅』や今のオレは魂の存在であるなどから、ゲームオーバーだけとは限らない。復活が間に合わなければ一からやり直さなければならない=セーブポイントからのやり直しは効かない=コンティニューできない、ともとれる。……初心者にそんな鬼畜な縛りがあるとは、思いたくないが。

 オレがプレイヤーとしての悩みで不安になっていると、NPCは続けてきた。

 

「残念ながら、君に拒否権はない。消滅したくなければ我々に従うしかない」

 

 恐喝まがいのセリフを、事務的な口調で言い捨ててきた。オレには選択の余地はないと。

 そんなことをいきなり突きつけられたら、頭を抱えさせられるところだが……、問題は何もない。むしろオレは、進んでここにいる、この先の異世界を堪能するためにここまで来た。少々意外なことが起きたものの、目的は全く変わっていない。時間を食われてしまった分を早く取り戻したい。……お楽しみはこれからだ。

 

「何をすればいいんだ?」

 

 何の気負いもなしに、次のステップに行くであろうセリフを返した。……コマンドウインドウが展開することもあるが、大抵は会話だけで進まないといけない。目の前のNPCのように、機械とは思えないほど滑らかに会話できる相手なら特に。

 そんなオレの応えにNPCは、初めて驚きの表情を浮かべた。後ろの3人/体も表情を動かした。ほんのわずか、眉がぴくりと動くほど/視線をそっと泳がすほど/感嘆の声を漏らすほど。

 前回のように先読みしてくるだろうと思っていたので、逆にこちらが驚かされた。一体、何がそんなに予想外だったのか……。

 

「……この城の頂上、盟主様の居城に居座り【魔王】を名乗っている輩がいる。ソレを討伐して欲しい。障害になるのなら、かの者に従っている99体の【魔人】や【魔獣】たちも共にだ」

 

 魔王討伐=このゲームの大目的が告げられた。付き従う99体の下僕とはおそらく、各階層にいるフロアボスを指しているのだろう。

 色々と脱線してきたが、ようやく本線に戻って進んだ気分だ。課題は中々にハードそうだが、だからこそワクワクしてくる。ニヤけてくるのが止められない。……全部倒すのに、どのぐらいの時間がかかるんだろうか。

 

「もし果たしたのなら、君を肉体に戻し復活させる。それと、あらゆる世界を自由に飛びまわれる【翼】を授けよう」

「……【翼】?」

「君をここに呼び寄せたのも、その力の一端だ。応用した【召喚術】だがね」

 

 やれるかな……。最後に含ませた問いかけが、【クエスト依頼】のウインドウの形として現れた。『魔王討伐の依頼を受けますか? Yes/Hold/No』

 思いがけずに現れたウインドウに驚かされ、【翼】のことは頭から飛んでしまった。

 

(おいおい、こんなこと選択させるのかよ……)

 

 こんなの、受ける以外にあり得るのか? やらないでどうするんだよ……。意味不明な選択肢だ。

 ただ、重大な決断ではある。これからの行動を決めてしまう選択肢、なのに判断するための情報が余りにも少ない。話の流れからは『Yes』を選ぶ以外になく、『No』を選ぶメリットは見いだせない。安全策をとって『Hold』で保留するのが無難だろうが、引き伸ばす理由も見当たらない/伸ばしたところ最良の選択肢が現れるとも思えない。それに、序盤の選択肢は後でいくらでも挽回できると相場は決まっている。始めは流れるに乗るべきだ、『Yes』以外にありえない。

 すぐに視点クリックで『Yes』を押そうとするも、止めた。ふと聞いてみたいことが浮かんできた。

 

「……なぜ、あんたら自身でやらないんだ?」

「かの【魔王】の手により我々は、この神殿に封印されているからだ。ここから外に出れない。……盟主様のお命を危険にさらすことにもなる」

 

 お側を離れるわけにはいかない……。フード越しではよく見えないものの、含ませた言葉には諦観と焦燥と使命感が入り混じったやるせなさが滲んでいた。

 封印されている=外部からの圧力で閉じ込められている、というよりは、自ら進んでここに留まっている/留まらざるを得ない。あるいはその両方か。いかにも強大な力を持っていそうな彼らが打って出ようとしない/できない理由は、そこにあるのだろう。今その盟主様とやらは、瀕死の危篤状態かそれに類するほど衰弱している、側近である彼らが側から離れられないほどにまで……。それゆえに、オレのような外部の人間=プレイヤーを必要とした。

 組み立てた仮説/想像の裏をとろうと口を開くと、今度こそまた先どられた。

 

「君だけではない。他にも有望な者たちを呼び寄せている。……君たちの誰かが【魔王】を討てば皆解放することができるので、競い合う必要はない。ぜひ協力し合って欲しい」

 

 単独で攻略してもいいが、他プレイヤーとパーティーを組んで協力した方が効率がいい。誰か一人でも魔王を倒せば=グランドクエストを攻略すれば、その影響が他のプレイヤーにも波及する……。言い換えれば、こういうことだろう。少しばかり、首を傾げざるを得ないことだ。

 このSAOがMMORPGである以上、他プレイヤーが攻略した/している最中のクエストを受注した時、話に齟齬が生じてしまうことはある。同じ空間/時間を共有しているプレイヤー同士であるのに、そのクエストだけ切り取られたかのように別時空で話が進む、そのくせ後で元の共有時空へと戻さなくてはならない。小規模で簡単で使用する場所も限られているクエストなら可能だが、街中や頻繁に使われる重要なダンジョンでのクエストでは不可能だ。クエスト依頼者が何百人も分身することになる、後にソレを何事もなかったかのように一つに収めるとなると、どうしてもリアリティが欠けてしまう。……そんな異能の持ち主なら、そもそもプレイヤーにクエストなど依頼しない。グランドクエストともなれば、絶対に不可能だろう。

 できるとする/矛盾をなくすのなら、たった一度だけ。誰か一人でも攻略したらソレで終わり=ゲーム自体がクリアされる。周回プレイやクリア後の探索などはできない、とするしかない。魔王を倒したらSAO自体が終わる……。

 考えづらいことだ/考えすぎだろう。いくら何でもそこまでやるとは思えないが……、不安は拭いきれない。何せこのゲームを作ったのは、かの天才なのだ。常人ではストップをかけるところでアクセルを踏み込むし、どんなオンボロでもドライブテクニックで勝敗を覆す。そもそもどんなプレイヤーにかかろうとも魔王は倒されない自信があるから、なのかもしれない。……そう考えれば、不安は闘争心へと変わっていく。

 その影響か、天邪鬼な気分が沸いてきた。

 

「……断ったら、どうなるんだ?」

「そのアバターを消滅させ、君を解き放とう。転生してもらうことになる」

「帰れる、てことか?」

「……君が指している『帰る場所』が元いた肉体だというのなら、違う。

 ソレは今の君が戻ったところで、収めておけるだけの機能を保持できていない。壊れかけている。ギリギリ生命活動を維持するのが精一杯で、君が戻れば過負荷で止めを刺すことになる」

 

 『No』を選択した場合、殺される=おそらく彼らと戦うことになる。彼らがどれほどの強さかわからないが、初期装備にレベル1の今のオレでは相手にすらならないはずだ。まして4対1、開始1秒以内で殺されるだろう。……本当に『Yes』を選ぶ以外の余地がなかった。

 ただ、少々表現が込み入っていることが気になった。殺すとの直球なセリフではなく、アバターの消滅/解き放つ/転生などの回りくどい言い回し、前からずっとそんな感じの表現をしてきた。彼の性格なのだろうか……わからない。

 上品さと野蛮さをほどよくブレンドした紳士。神父/魔術師姿も様になっているが、騎士風の格好も似合うかも知れない。一番しっくりくるのは、大学教授といったところだろう。……ここにはそんな役職、ありそうにないが。

 妄想を膨らませていると、先まで感じていた圧力も薄れてきた。

 

「だったらなんで、【魔王】を倒せば復活できるんだ?」

「この【天空城】のエネルギーによって、君の壊れかけの肉体を賦活させることができるからだ。今はその功力が使えない」

 

 オレの体は今、壊れかけ/死にかけている設定らしい。それゆえに、自身の復活をかけて戦う。……現実では、ナーブギアを被ってフカフカのベッドの上で寝ているだけだが。

 苦笑が漏れそうになるとふと、思い出した。はじめにログインした時、灰の森で目覚めたこと。そこで【塵界の尖兵】を倒し、森を抜けて砂礫の荒野へと進んで……撃たれた。確か左肩を。今さすってみても、その傷跡はない/痛みもない。

 なくなっているのは当然のことだと思い込んでいたが、違う。【転移】しただけでは傷は回復しない。そもそもオレはあの時、今のような人の姿をしていなかった/狼男になっていた。ソレがここに来ただけで、どうして元に戻って/治っているのか。さらに言えば、毒を盛られたかで瀕死の状態になっていたはずなのに、今はその悪影響は微塵もない。呼び出されたアストラル体だから……。

 あながち、言っていることに矛盾はなかった。オレの肉体は今、どこかで生死の境を彷徨っている、おそらくはあの未来風の仮想世界に置き去りになって。

 ゴクリと、唾を飲み込んだ。今アレがどうなっているのか、考えたくない。嫌な想像が脳裏に浮かびゲンナリした。だけどすぐ、バカバカしいと一笑に伏した。世界観に入り込みすぎてる、ここはただの仮想世界でしかない/現実じゃない。……そう考え直し気を取り直した。

 

「ならさ……、もし【魔王】が助けてくれるのなら、アンタらの手を借りなくてもいいわけだ」

 

 何気なしに言った挑発めいたセリフに、4人の顔色が変わった。周囲の空気が一気に、緊張を孕んだ。

 全身が総毛立った。冷や汗がどっと溢れ出てきた。心臓が縮み上がって、バクバクとがなり立てる。先までわずかばかりに緩んでいた空気に、鋭い警戒心が刺し込まれていた。

 思わずウインドウを見返して、ホッと安堵した。まだ選択されていない/トリガーワードではない、間違って『No』を押したわけではなかった。

 

「……そういうことになるな。奴がそんなことするとは考えられないが」

「オレや呼び寄せた他の奴らが手強かったのなら、そうやって篭絡していくんじゃないか? アンタらを裏切れとかの条件付きで」

 

 少々悪ノリが過ぎていたが、聞かざるを得なかった。何か声に出して話を続けなければ、『No』になってしまうかもしれない。その危険に内心ビビりながら、表面は繕って尋ねた。

 すると、予想外の答えが返ってきた。

 

「ソレが、【魔人】と呼ばれている奴の下僕だ」

 

 NPCはそう、吐き捨てるように言った。彼らしからぬ/抑えきれぬとばかりに、静かなれど荒々しい怒気を/侮蔑を込めて。体の縁から滲みでた闇色のオーラが、人型とは違う異形を顕現させようとする。黒に侵された空気が、悲鳴を上げるかのように帯電した。

 だが、それもつかの間。すぐに全てを収め直した。

 ふたたび平静に戻ると、何事もなかったかのように。青ざめていたオレと向かい直した。

 

「城の中でどう行動するかは、君の自由だ。我々は規制しない、そもそもすることができない。どのような選択をするかは全て君に委ねられている。君がもし、【魔王】に組みして我らと敵対する道を歩むのだとしても、な。……その際、【魔人】の在り様は参考になることだろう」

 

 さて、お喋りはここで終わり。そろそろ決めてもらってもいいかな? ……。あくまでもフェアを貫くと、オレの決断を促してきた。

 オレの選択はもちろん、『Yes』だ。しっかりと間違いようもなくコマンドを入力した。……こんな奴らに勝てっこない。

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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還魂の苑 チュートリアル 後

 無知は幸せ、ゲームであれば怖くない。


 

 

 

 

 

 

 

 『Yes』を押すと、神父も了解したのか、最後の確認をとってきた。

 

「……受けてもらえる、でいいかな?」

「ああ。それ以外にはできなさそうだしな」

 

 選択させるようでいて、結局のところ同意させるだけ。かなり陰険なやり口だ。……それは言わないで黙っておいた。

 よろしい……。小さく頷くと、神父は襟を正して向かい直った。

 

「では微力ながら、我らの力を授けよう。魔王討伐に役立ててくれ」

 

 何かくれるのか……。思ってもみなかった言葉に、驚かされた。このまま共有フィールドに送られるだけだと思っていたが、違った。

 神父がそう言い終わると、後ろで黙って控えていた獣人が、前に出てきた。

 ほんの少し、数歩前に出てきただけで、よろめかされた。

 見えない豪腕で、後ろに押されるような錯覚を受けた。まるで山が動いたような威圧感だ、息苦しくなる。オレの倍ほどの巨体にみえるが、感覚的にはその数倍はあった。

 腕を組んだまま目の前で仁王立ちすると、腹に響くような重低音で言った。

 

「―――左手を出せ小僧。我の秘術を授けてやる」

「秘術?」

 

 て、一体何……? 聞きなれない単語だ。だけど、尋ねようとする前に、左手が前に出ていた。差し出した手の平に、獣人のソレが伸ばされる。

 つけるかつかないのギリギリ、二人で透明な球体を握っているような格好。言われるがまま/されるがままにそうしているも、何が起きるかさっぱりわからない。不安に戸惑っていると、何もないはずの中心からぼォっと、仄かな白い光が輝きだした。

 驚きの声が漏れそうになったが、寸前で抑えた。光は徐々に大きくなり、二人の手を飲み込んでいく。

 ソレに包まれた瞬間、左手をとおして何かがオレの中に入ってきた。流れを感じた。言い表せないが不快ではない、暖かいエネルギーの流れ、足りなかったものが染み渡りながら埋まっていく充填感。肘ほどまで知覚できたがそれ以降は霧散して捉えられない、だけど確実にオレの内奥に流れ込んでいた。

 手を離さずそのまま/流し込まれるままにしていると、今度は徐々に輝きが小さくなった。大きくなった光球も手の平の中に収まり、やがて消えた。

 全てを注ぎ終えたのを確認すると、獣人は伸ばした手を戻した。

 

「……これでお前は我が秘術、【剣技(ソードスキル)】を使えるようになった」

 

 【剣技】、ここでソレが出てくるとは……。差し出した手をグーパーしながら、先までの疑問が腑に落ちた。……確かにコレは、秘術だろう。

 β版の時には、【剣技】についての説明がなかった。いきなり共有空間に送られた/投げ出された。そのログイン場所=【はじまりの街】にいるNPCから話は聞けるものの、具体的なやり方等のレクチャーはしてくれない。ただそんな力があるとだけ、モンスターとの戦闘の際に有利になるとだけ。フィールドに出てモンスターとの戦闘中に、自分で掴まなければならない/そこではじめて身に備わっていたことがわかる。【剣技】という半分魔法じみた力が、なぜ/どこから/どうやって得られたのかは、誰も説明してくれなかった。オレ自身気にもとめていなかった。【剣技】のまるで超人にでもなったかのような高速の跳躍感覚の前では、そんな起源の話などどうでもよかった。本版では、ソレをちゃんと説明してきた。

 感心していると、獣人が続けてきた。

 

「片手剣、刺突剣、短剣、曲刀、片手斧、棍棒、槍。どれか一つを選べ」

 

 初期武器の選択。両手剣や斧・長槍などがないのは、重量があるからだろう。初期ステータスでは上手く操ることができない/持っていても邪魔になるだけだ。

 言われて我が身を振り返ってみると、確かにどこにも武器がなかった。腰にも背中にも鞘がない、あの森の中では持っていたはずの【手斧】もなくなっていた。β版と同じ【旅人の服】+【粗革の胸当】+【粗革のサンダル】=初期装備だ。武器はこれからくれるのだろう。

 

「それじゃ……、片手剣で」

 

 少し悩んだが、やはり片手剣に/β版の時の愛用武器にした。

 本版はβ版と多少変更されているのだろうが、基本は同じはず。始めは/第一階層には変わった戦術が必要なモンスターはいない、斬撃/突撃/打撃/連撃/間合いなどどれかに偏らせる必要はない。全てに対応できるオーソドックスな片手剣がベストなはずだ。階層が上がればソレも変わってくるのだろうが、基本はソロプレイで楽しむ予定だ。片手剣で通しても構わないだろう。

 オレが選ぶと、獣人はおもむろに胸の前に手の一本を伸ばした。人差し指をオレに向ける。すると、さきの秘術のときと同じ、その指先から淡い光が溢れ出てきた。その光に反応するように突然、オレの胸の前にも同じような光が生まれる。

 小さな光球は横に伸びていき、腕ほどの長さの細長い棒状になった。伸張が止まると光が薄れ輪郭ができていく、硬質で重量ある何かが具現してきた。

 ソレが片手剣だとわかったすぐ後、帯びていた光が消えた。同時に、中空に浮遊させていた力も消え失せ、落下する。

 

「―――おっと」

「今のお前にはそれで充分だ。……力をつけて不満になったのなら、城の中で新しいモノを調達するなり鍛え直したりしろ」

 

 床に落ちる寸前でキャッチすると、ぶっきらぼうに言い捨ててきた。そして、もう用事は終わったとばかりに背を向けようともする。

 その無愛想ぶりに、サービス精神が旺盛な奴ではないとムッとさせられたが、手に持った武器の実感がソレを帳消しにしてくれた。柄を握りほんの少し鞘から刃を抜くと、漏れでた鈍色の照り返しが目に刺さる。その光で自然と、笑みがこぼれた。

 初期武器【ショートソード】=最弱かつ最多数存在する片手剣。β版でも見たどこにでもある武器/レアアイテムとは到底言えない、石ころに毛が生えた価値しかない。だけどソレは、この世界での話だ。現実世界ではこんな凶器は/紛い物ですら中々お目にかかれない。部屋に飾っているだけでも変人扱いされる、腰に帯びるか背中にかけて街中を歩けば精神異常者だ、鞘から抜き放ったりでもしたら露出狂並みの待遇を受けてしまう、振り回しでもしたら警察のお世話になる。現代社会にコレの居場所はない。だけど今、ここにある/オレの手の中にある、そうあることが当たり前だと堂々と。ここは別世界であると証明してくれる。

 傍から見れば不気味な薄ら笑いを浮かべていると、獣人が今思い出したかのように振り返り言った。

 

「【剣技】の使い方は……、教える必要があるか? 仮にも、我らが送った下僕を独力で倒したのだろう?」

 

 『【剣技】のチュートリアルを受けますか? Yes/No』。獣人のセリフの後、ウインドウが展開された。

 ここでレクチャーしてくれるのか……。初心者のため、と言うよりは周回プレイ者用の選択肢だろう。はじめてプレイした人が、本番でいきなり【剣技】は使いこなせない。そもそも【剣技】そのものを理解しているのかどうかもわからない。受けるのは当たり前だ。

 ただオレは、β版で散々使ってきた。今さら基本動作を復習しても時間の無駄だ。ここまで来るのにかなりのロスまでしてしまったこともある、さっさと先に進みたい。そして何よりも、こんな嘲り混じりのセリフをぶつけられたら、頭を下げて教えを請うのはどうにも頂けない。

 『No』をクリックした。

 

「……そうか。なら、我からは以上だ」

 

 そう言い捨てると、もう義務は果たしたと言わんばかりに元いた場所まで下がった。

 そんな獣人のかわりに今度は、仙女が前に出てきた。

 

「次は私ね。

 右手を出して坊や」

 

 伸ばされたその手に、ドキリと息を飲まされた。

 白磁のような手、とでも呼べばいいのだろうか。形は同じでも人のソレとは明らかに違う、精巧で繊細な芸術品だった。ほのかに燐光を纏っているようにも見える。触れていいものなのかどうか、迷ってしまう。

 戸惑っている最中も伸ばしたままの仙女、このまま何もしなかったのなら失礼に当たる……。そう奮起させると、恐る恐る手を重ね合わせた。

 先ほどの獣人と同じ現象が起きた。違いは、発光の色が鮮やかな赤だった点。右手を通してその何かがオレの中に流れ込み満たされると、仙女はその手を戻した。

 

「……これで私の秘術、【連技(パーティースキル)】が使えるようになったわ」

「……【連技】?」

「あら? 【剣技】は知っているのに、【連技】は知らないの?」

 

 『【連技】のチュートリアルを受けますか? Yes/No』。ふたたび、ウインドウが展開された。

 【連技】とは何なのか? 基本技である【剣技】と同時に与えられる力、本版がβ版から変更点がないのならオレはソレを知っているはず。名前の通りならパーティーで使うスキル……。悩んでいると一つ、思い出した。

 【スイッチ(位置変更)】と【リンク(同時行動)】、二人以上/誰かとパーティーを組まないと使えない技だ。

 コンマ秒単位の高速戦闘が主となるここでは、仲間とともに同じ敵を攻撃すると互いに邪魔になってしまう、巨体ならともかく自分たち以下の体格でなおかつすばしっこい奴らなら特に。タイマンで戦うのがベスト。だけど、同じ力量ならともかく格上やボス級と戦う時には都合が悪い、ずっと相対しているわけにはいかない/仲間の援護が必要になってくる。そこで使われるのが【スイッチ】だ。使用時の僅かな間互いの体が透過し、支障なく立ち位置を変更することができる。また、チマチマ攻撃しているだけだと、仲間を呼ばれてあっという間に囲まれてしまうことがある。敵もまた【スイッチ】を使うことができる。どうしても速攻で倒しきらないといけない場合がある/強力な一撃を繰り出す必要がある。そこで使われるのが【リンク】だ。敵が弱ったり怯んだり隙を見せたりして硬直を余儀なくさせられた時、控えていた仲間と協力して同時に攻撃を叩き込む。あるいは反対に、避けることができない敵の強力な一撃を防ぐために、仲間と協力して防御し耐える。反撃のチャンスを作り出す。

 組む他プレイヤーとの【友好値】によって使える技は増減するが、その二つは誰と組んでも使える。基本の技だ。戦術の幅が一気に広がり、モンスターとの戦闘において大いに活躍してくれる。……おそらく【連技】とは、このことを指しているのだろう。

 ウインドウを前にして悩む、レクチャーを受けるか否か。まだ他に知らないことがあるのかもしれないし、確認もとれる。名前を付けられたことからも変更点があるかもしれない。やってもらって損はなさそうだが……、時間がかかりそうだ。しばらくはソロで楽しむので、今は別段必要でもない、その時になって確認すればいいだけだ。

 『No』のボタンを押した。

 

「どうしたの、黙ったままで? ……本当に知らないの?」

「え? いや、だって……」

 

 案に相違した反応に、再度確認した。だけどウインドウは、オレの了解を受けて消えていた。他には何もない。

 首をかしげた。ソレが目の前のNPCにも伝わったと思っていたが、どうも違うらしい。先の獣人には伝わったのに、この仙女には伝わっていない。……だったら何であんな選択させたのか、謎だ。意味がわからない。

 かと言うも、このまま黙っては誤解されてしまう。仕方なくそれらしいセリフを告げた。

 

「大丈夫。呼び名を知らなかっただけだから」

「そう……。それはよかった」

 

 心配になってのことではなく、事務的な確認だったらしい。断るとあっさりソレを受け入れてきた。

 獣人と同じように彼女も、オレに対しては無関心だ。淡白以上の冷淡。軽蔑じみた感情が混じっていない分、冷たさを感じてしまう。……オレの方がNPC扱いされている気までしてくる。

 

「あとこれが、私からの贈り物よ。―――【友誼のメダル】」

 

 アイテム名を告げながら、袖口から取り出した硬貨をチャリンと、指で弾いた。慌ててキャッチする。

 投げ渡された硬貨は、現実世界の五百円玉とよく似た形状、材質は十円玉のような銅貨に近いもの。なかに描かれている絵柄は、その名を表しているであろう握手された二つの手と、浮遊城アインクラッドを表しているであろう円錐状の塔だ。反対の面には、魔法陣のような/微生物用の迷路のような解読不明の文様がビッシリと刻まれている、見つめていると奥に吸い込まれるかのようで目眩がする。……β版ではなかったアイテムだ。

 

「ソレを城の中にいる特定の【人形(ヒトガタ)】に持たせれば、城の上層に登るための【天の階】を共に行くことができるわ。……つけないと中には入れない」

 

 一瞬、【人形】なるぶっそうな単語に首をかしげたが、理解は出来た。

 街で仲間にできる【傭兵NPC】のことだろう。彼らにコレを持たせれば、一緒に【天の階】=迷宮区を踏破できる。

 ありがたい変更点だ。β版ではプレイヤーしか入れなかった迷宮区に、NPCも連れていくことができる。彼らは単調な行動しかしてくれないが、プレイヤーよりもパラメーターの大半が上だ、特にHPは四割増ぐらいにある/体力自慢なら倍ほどある。前衛にて敵のヘイトを稼いでくれるタンクとして大いに役に立ってくれる。その反動か、アタッカーとしてはあまり見込めない、指示してもガンガン前に出て攻めに行ってくれない。

 

「残念ながら貴重品、てわけではないわ。売り払ってもそう大した値段にはならない。何処かに隠れ住んでるエルフ族の鍛冶屋なら、同じようなものを作れるはずよ。ある程度スキルを磨けば自分でも作れる。……まぁいくら作れても、使えるのは坊やと同じ【客人】だけ。しかも最大5個までなんだけど」

 

 つまらないものですが、どうぞお受け取り下さい……。脳内であってもこのようには脚色しきれない、投げ捨て感に苦笑してしまう。いいアイテムなんだが……。

 【客人】=プレイヤーしか使えないのは、この硬貨の所有者がプレイヤーでなくては効果を発揮し得ないということだろう。NPCに所有権を移して使わせても意味がない。最大5個までとは、1パーティーの上限数だ=最大6人まで、自分以外を全てNPCで埋めることが出来る。ただ、たった一人で5人のNPCに指示をだしながら戦うのは骨が折れるはず、獲得経験値なども分散されてしまうので使うことは滅多にないだろう。

 

「ありがとう。大切に使わせてもらうよ」

「どういたしまして。【客人】同士で協力し会えば、そんなものは必要ないんだろうけど」

 

 付け足された一言には苦笑するしかない。……NPCから指摘されると、堪えるものがある。

 全てのプレイヤーが互いに協力し合えばゲームの攻略など簡単にいくだろう。だが、そうはなかなかいかない。むしろ競争し格付けすることに向かってしまう。協力することはあっても打算の結果だ。全員が歩調を合し一丸となれるのなら、そもそもこんなゲームなど成り立たないだろう。

 もう仕事は終わったと、仙女も後ろに下がった。かわりに蒼の竜が、のっそりと首を伸ばしてきた。

 

「僕からは、コレです。―――【幻書の指輪】」

 

 口は動かされていないのに声が聞こえてきた。思念を飛ばして耳に直接伝達したかのようで不思議な感覚だ、古い携帯電話から聞こえてくる少々ノイズ混じりの声に似ている。

 オレを見つめながら鼻先をクィと動かすと、先のNPCたち同様に胸の前で光球が現れた。そしてその空色の光球から、一つの小さな指輪が表れた。浮遊されている力がなくなる前に掴む。

 白銀色の指輪、材質はわからない。見た目は何かの貴金属に見えるが少々軽すぎる、メッキを貼っただけの木製のモノかと思うも硬い、踏んづけても歪んだり傷ついたりしなさそうなほどの硬度をもっていた。加えて少々、熱を発している。触っても金属特有のひんやりとした冷たさを感じない、人肌程度の温もりがある/保たれている。中央に嵌められた透明な宝石は、プラスチックかガラスのイミテーションとは到底思えない。奥深さがあった。床か壁にこすって確かめてみるまでもないだろう、何らかの魔力を秘めているものだと直感させられる。

 【幻書の指輪】、β版にはなかったアイテム/この初期で渡される貴重な指輪アイテム。いったいどんな効能があるのか……

 

「ソレを指にはめてから、こうやって―――みてください」

 

 言いながら片手を上げると、人差し指と中指を揃えて剣印をつくり、宙に縦の線を一本引いた。訝しがりながらオレもソレを真似する。

 すると、竜の方には何も現れなかったが、オレの胸の前には透明なウインドウが展開された。β版でよく見かけたウインドウ、必要不可欠すぎてあるのが当然と思うほど身近なもの。現れたソレに驚かされた。

 メニュー画面だ。見間違いじゃない、指で触ってみると確かにソレであるとわかる、クリックもできればスクロールもでき別のページをめくることもできる。

 

「その本の1ページ目には、君の現在の状態(ステータス)力量(パラメーター)を数値化した表があるはずです。次のページが所持品と会得したスキルの一覧。その次が記号化された平面地図。それから先は白紙のページで、最後にメモ帳があるはずです。……確認できましたか?」

 

 指でコマンドを触ってみたり、横に振ってページをめくってみたりして確認した。言われたとおり/記憶にある通りのメニューが画面だった。今は白紙になっている場所には、パーティーを組んでいる仲間の情報・【友人(フレンド)】登録などした他プレイヤーの名前一覧・受注したクエストの確認と進行状況・メッセージ送受信用のメールソフトが入るはず。現在は一人なためかこの場所のせいか、使えない状態になっている。

 

「よかった。

 それでは、使い方の説明をしますが……、必要でしょうか? もしかして、すでにご存知でしたか?」

 

 『メニュー操作のチュートリアルを受けますか? Yes/No』。竜が訊ねてくると、選択肢を求められた。

 これも、すでに知っていることなのであえて教えてもらうことはない。『No』をおした。さきの轍を踏まぬよう、それらしい返事も付け加えて。

 

「……まぁ、一通りは」

「本当ですか? コレを作り出せるのは、僕か盟主様ぐらいしかいないはずなんですが?」

 

 思わず、目を丸くしてしまった。なぜそこで疑ってくるんだ? 

 答えにきゅうしてしまった。改めて問われてしまうと、どう答えればいいのかわからない、この世界の住人じゃないことを告げていいものかどうか。クローズドβテストで一度体験したからわかっているなど、面と向かって言えるものじゃない。ただのNPCなら「?」を浮かべるだけで終わりだが、この竜はその程度で終わってくれるとは思えない。……色々と説明するのが面倒だ。

 どうすればいいのかと黙っていると、竜が退いてくれた。

 

「……まぁ、詮索はやめておきましょうか。【時空魔術】が使えなおかつ【魔導具】製造の技法を持っている者ならば、作るのはそう難しいことでもない。この城の中にも、いないわけでもないですし」

「この指輪、何個も作れるのか?」

「コレはさすがに無理でしょうが、中に込めてる機能の一つだけなら可能でしょう。所持品を別次元に保存していつでも取り出せるようにする【魔導具】などは、エルフたちが使っているはずですよ」

 

 ここでしか手に入らないオンリーワンのアイテム、てことか……。コレを主として使って、機能を拡張・強化したくなったら他のアイテムで補強する。ただし、1つのアイテムでできるのは1つの機能のみ。

 

「一つ、注意があります。

 無くしたり破損したりしないようにしてください、できればいつも身につけておいたほうがいいですよ。もしそうなってしまったら、そこに保存していた所持品やお金や書類等を引き出せなくなります。新しいものを用意したり直したりしても、それまでのものは全て破棄せざるを得なくなります。……他に引き出しを作っておいたのなら、別ですが」

 

 指輪を失ったら、メニューが開けなくなる/操作できなくなる……。見た時からそうではないかと恐ていた不安が、見事に的中してしまった。

 かなり致命的だ、HP以上に守らなければならないものだろう。

 あくまでこの指輪は、情報やお金や所持品を保存している異次元の倉庫と繋がっているだけ。四次元ポケットのようなものだ。この中にそれらが圧縮されているわけではない、他のアイテムから取り出すこともできる。だけど、全ての機能を網羅しているのはこの指輪だけ、失えば面倒が増えることは間違いない。それに初期では、代用品を揃えることは難しいだろう。

 

「あと、壊れてしまうと、身につけている武装の【装備】が剥がれてしまいます。友人や仲間とのつながりも断たれてしまいます」

「【剣技】と【連技】が使えなくなる、てことか?」

「正確には、身につけている武装から引き出せなくなるだけです。素手で行えるものなら可能です。【連技】についても、【戦友(パーティー)】の5人までとなら問題はありません、それ以外の【親族(ファミリー)】や【友人(フレンド)】【同志(ギルド)】【従僕(サーバント)】として登録していた人々とは、できなくなります」

 

 まじか……。予想以上に危険だった。下手するとまともに戦うことすらできなくなる。

 なんだってメニューをアイテム化したんだ……。確かにこの形の方が自然ではある、メニューは知らない人から見れば一種の魔法だ、物を作り出したり消したり遠くの人間と連絡を取り合ったりなど常人にはできない。アイテム化すればソレを使える違和感はなくなる。だけどそのために、こんなリスクを背負わされることになった。難易度が一回りは確実に増された。

 げんなりしてため息をついていると、慰めるように続けた。

 

「ご安心ください。かなり頑丈に作っていますので、壊れることなど早々ありません。君の力に比例して強化される作りにもなっています。ただ、【魔人】や【魔物】など、【魔王】から力を譲り受けている存在から攻撃を受けた場合、破損する恐れはあります。……彼らと敵対するときは、指から外して保管した方がいいかもしれませんね」

 

 そんな強敵にこそ、指輪を使わないで/すぐにメニューを操作できるようにしていなくてどうするんだ……。あまり役に立たないアドバイスに、苦笑するしかなかった。

 言い終えて満足したのか、竜も首を戻して下がっていった。

 

「最後は、私だな―――」

 

 同僚すべての仕事を見届けていた神父が、前に出てきた。

 獣人/ブレイド=【剣技】と武器、仙女/キズナ=【連技】と【友誼のメダル】、竜/アーカイブ=【幻書の指輪】。その名に由来しているであろう贈り物をくれた。ならば神父/ルートは、何をくれるのか……

 

「だいぶ遅れてしまったが、君の名前を教えてくれないか?」

 

 『名前を入力してください』。ウインドウが現れると同時に、キーボードもでてきた。

 これで名前を入力しろ、とのことだろう。指示通りオレの名前を入力し【決定】ボタンを押した。

 だけど、そのまま待っているも何も起きない。むしろ神父が訝しんできた。

 

「どうしたのかね? まさか……、【召喚】の影響で記憶をなくしたのか?」

「え? いや、そんなことは……」

 

 ちゃんと入力したよな……。慌てて確認すると思い至った。先と一緒だ、入力しても意味がない/それで会話を続けてくれない。

 紛らわしいんだよ……。無意味な手間に舌打ちした。わざわざ入力させる意味がわからない、嫌がらせ以上のことは。

 一通り運営への文句をひねり出すと、落ち着いた。今更仕方がない。……このことは後で、GM(ゲームマスター)にでも報告しておけばいいか。

 

「―――【キリト】だ」

「「!?」」

 

 名前を告げると同時に、4人の顔色が変わった。ありえないと、目を見開いている。

 すると、空気まで硬質な緊張を帯びた。いきなり水中に投げ込まれたかのように、重く息苦しい。音までかき消されていた。

 突然の豹変に、体を強ばらされた。睨みつけてくる視線から目を離せない、かといってそのままだと心臓が握りられているようで苦しい。金縛りにあったかのように動けない、蛇に睨まれたカエルの心境だ。殺される、食われる、死ぬ―――。

 そのままあと10数秒続けられたら、倒れていたかもしれない。意識が朦朧としていた。ギリギリの瀬戸際で、神父のつぶやきに助けられた。

 

「…………そうか、君が【キリト】だったか」

 

 重々しい声音、それまでと変わってはいないだろうが、腹の奥深くまで届いてくる。吹き上がる激情を抑えに抑えて平静にさせたことがわかる。……オレに対する黒い感情、怒りか憎しみで。

 ソレは、後ろの3人も同じだった。あからさまに顔色にこそ表さなかったが、それまでの弛みが全く消えていた。重く鋭く冷たい、睨む視線は明らかに敵を見る目だった。

 そんな彼らの中、おもむろに獣人が前に出てきた。

 

「……よせブレイド」

 

 神父が静かに制止するも、獣人は聞かず。聞こえてもいないと言わんばかりに足を止めない。

 通り過ぎオレの下までやってくる寸前、神父が進行方向に割り込んだ。どこからともなく取り出した大鎌を、獣人の目の前で振り下ろした。

 人のみならず巨人か竜ですら輪切りにできる凶器。振り抜きの速度か重量かあるいは魔力のようなものか、叩きつけられた地面がひび割れる。衝撃で神殿全体が揺さぶられた、残響で轟々と戦慄く。

 

「―――二度目だぞ」

 

 静かだが底知れぬほど冷たい声音で、警告した。次はないと……。

 さすがに獣人は足を止めるも、その表情は微動だにせず。目と鼻の先に刃が通り過ぎたというのに、微風でも吹いたかのように何事でもないと。オレへの敵意はそらすことなく突き刺し続けていた。

 

「なぜ、我が貴様に従わねばならん?」

 

 おもむろにそう言うと初めて、獣人は神父を見下ろした。鋭利な刃のような/神父の大鎌にも匹敵するほどの視線で。嘲るでも煽るでも怒気ですらなく、感情の色合いを落とした静かな問いかけとともに。

 空気がさらに張り詰めた。もはや氷結だった。傍にいるだけで細切れに裂かれる、一触即発の槍衾だ。何がキッカケになるのかわからない、物音ひとつたてられない、息することすらできない―――

 極度の緊張に握りつぶされようとしていると、二人の間に竜が割って入ってきた。

 

「ソレが、【アスナ】様のご意志だからですよ」

 

 穏やかに優しげに、しかしゆえに重々しく荒々しい。マグマのような憤怒を内に秘めた微笑みで、告げてきた。

 獣人はちらりと、竜に視線を向けた。そして神父にも。同じ存在規模の二人が自分の前に立ちはだかっている、2対1では分が悪すぎる。だけど、ソレがなんだ/邪魔するなまとめて二人共片付けるまで、と。不退転の意志はそのまま、前を/オレを見下ろしていた。

 しかし、解けぬ臨戦態勢の中、気の抜けたため息が全てを収めた。

 

「ここでやっても意味はないわ、また振り出しに戻るだけ。……手間がかかるだけだからやめてちょうだい」

 

 そんなにじゃれ合いたいなら、外でやって……。不承不承と眉をひそめながら、仙女が戒めてきた。

 3対1になったからか、はたまた気が削がれたのか。獣人はフンと一言顔を背けると、そのまま下がった。最後に「命拾いしたな」とも、言うこともなく……。

 

 ようやく緊張が解け、人心地ついた。それまで忘れていたかのように疲れがドッと押し寄せ、膝が笑う。

 

「……すまない、こちらの事情だ。忘れてくれ」

 

 そりゃ無理だろう……。軽口を叩こうとするも、声が出なかった。迂闊に詮索できない。

 いつの間にか/どこにやら、振り下ろした大鎌が消えていた。まるで手品のように、半円を描きながらオレから見えない背中に重なると消えた。影に吸い込まれるかのようにして、しまい込まれていった。

 鎌を処理すると、今まで何事も起きていなかったかのように、贈り物の続きをしてきた。神殿の奥にある巨大な馬蹄=今は起動していない【転移門】に向かって、その両手をかざした。片手はそのまま、もう片方を宙でくるくると円を描く。

 描いた円に従って、濃紺色の光輪が生まれた。回すたびにその光は強くなり、炎の輪のように煌く、神父の手が回転する輪から外れても回転し続ける。その輪をポンと軽く押すと、込めた力とは思えないほど滑るように飛んでいった。ソレが【門】まで飛び中心に到着すると、一気に燃え広がった。七色に煌く鏡面が馬蹄の中で発生した=【門】が起動した。

 

「アレは、この城の中を自由に行き来する【転移門(ゲート)】だ。あそこを通るだけで、城の各所に設置してある【門】へ一瞬で飛べる。それを君にも使えるようにした」

 

 いつそんな認可をしてくれたのか……。考えてみても記憶にはない。おそらくは、名前の入力がソレだったのだろう。……簡単なものだ。

 

「現在、城にあるほとんどの【門】は通行不可だ。魔人や魔物どもが【門】を占拠し封印しているので使えない。……奴らを倒し再起動(アクティベート)してくれさえすれば、その【門】は使えるようにする」

 

 一度自分たちの足で全ての【門】を巡らなくてはならない。【門】を通じて新たなエリアに飛ぶことはない、あくまでも踏破した場所の行き来が楽になるだけ。使えるようにはしたがすぐに使えるわけではない。……贈り物と言えるのかどうか、わからないモノだ。効果は後になってから分かるものだろう。

 

「門を通らずとも、【転移】の力が込められた道具を使っても飛ぶことはできる。低階層では見つけるのは困難だろうが、上に登れば簡単に見つけられるはずだ。それと―――、これも渡しておこう」

 

 そう言うと神父は、懐から二本の古びた巻物を取り出し、手渡してきた。受け取ると同時にアイテム名が視界に映る。

 【運命の記述】【帰還の導】。……β版でも聞いた事のないアイテムだった。

 いったいどんな効力があるアイテムなのか。首をかしげながらも開いて中を見ようとすると、突然、指に嵌めていた【幻書の指輪】が光った。巻物も共鳴して光りだす。

 発光し自らの光に飲まれていくとそのまま、消えた。後には何もなくなった。ただその寸前、指輪の中に何かが二つ入り込んだのが見えた。

 

「な、なんだ? 何が起きた?」

「【指輪】をみてみるといい。先までは使用できなかった機能が使えるようになっている」

 

 即されメニューを展開した。ページをめくり確かめる。

 すると、クエスト関連のページに新たなコマンドが追加されていた。【キャンセル(依頼破棄)】と【リトライ(依頼再開)】。どちらも今は、クリックしても使えない状態だ。

 

「……これは?」

「まず【記述】は、予め記録しておいた時空まで戻ることができる魔法だ、特定の時点まで時を逆巻かせる。かつて行ったことをもう一度、あるいは切り捨てた選択肢を選び直すこともできる。何度もね」

「……タイムリープ、てことか? 過去にだけ飛べる?」

「タイムリープ、とやらは何なのかわからないが……、過去にだけ飛べるという点はその通りだ。未来方向へは飛べない」

 

 名前からの推測と話を統合すると、つまりは、同じクエストを何度も繰り返すためのコマンドだろう。達成した後でもまた最初から楽しめる、今度は別の分岐を選ぶことも出来る。ただし、一度再演を決定し時を戻したのなら、ゴールまで飛ばしたり早送りすることはできない。

 

「ただ、時間を移動するといっても同じことを繰り返すわけではない。だから、同時に別次元にも飛ぶことになる。なので、その次元にしか存在できないアイテムは持っていくことができない」

 

 強くて続きからニューゲーム。経験値もお金も持ち越せるけど、キーアイテムだけは持ち越し不可……。まさしく、β版でもあった機能だ。システムに名前が付けられただけだ。

 

「別次元に飛ぶことで分離するが、徐々に収束されてもいく。他の【客人】たちが同じように【記述】を使い分岐させたとしても、最後は一つにまとまっていく。……その仕組みの全ては説明できない。運命の神のなせる業だろう」

 

 ソレは、β版でも不思議に思ったことだ。

 他のプレイヤーと同時に同じクエストをこなしているのに、どういうわけだか話に齟齬が見当たらなかった。途中でかち合ってもストーリー上の必然のためか、連れているNPCの話に矛盾も戸惑いもなかった。細かく検討していけばあったのかもしれないが、体験している最中に違和感を感じることはなかった。クエスト受注の際の条件=関門や達成までの道のり=導線で選別しているのだろうとは思うも、定かではない。まさに、運命の神のなせる業といってもいい魔法だ。

 【記述】についての説明は以上なのか、神父は次の説明に移った。

 

「【導】は、【門】以外の場所へ【転移】したいときに使う。この城を踏破するにあたって使うであろう拠点や、【門】から遠く離れた僻地まで飛びたい時にも使える。……その旗を刺した場所までに」

 

 【導】によってコマンドが追加されたページ=簡易周辺地図。右端にある小さな方位磁針と縮尺値のそばに、旗のマークがついたボタンがあった。押すと地図の中央に、オレが立っているであろう場所=『P』の字が描かれている旗マークが自動でセットし直される。ただの、地図閲覧を見やすく/操作しやすくするための便利機能でしかない。ただし、地図上で動いている旗マークを長押ししていると、事は違ってきた。

 ソレに触れていた指先がぼォっと小さく瞬くと、突然、地図の上に手のひら大の旗が具現した。アイテムのオブジェクト化のように、二次平面の記号が立体の物となった。ソレを手に取り不思議がっていると、地図の方にも変化が表れた。オレの現在地を表しているであろう旗マークが、二重にダブっていた。『P』の他に『H』がついた旗がある。……コレが、神父が指摘したモノなのだろう。

 プレイヤーの任意で決められる【転移】先=【導】。これも、β版にあった機能だ。

 知っていることは隠して/変な勘ぐりをされるかもしれないので、とぼけて話を繋げた。

 

「へぇ、なかなか便利なモノだな。これがあれば【門】はいらなくなるんじゃないのか?」

「今は一つしか作れないから、【門】を使ってもらうしかないだろう。君が成長すれば増やすことはできるが、それでも数個が限界だ」

 

 いくつかに増やせる、というのは初耳だったので驚いた。β版ではずっと1つしかなかった、それで充分事足りてもいた。他の参加者がどうであったのかは、わからずじまいだ。増やせたプレイヤーはいたのかもしれない。

 できるのならば、多い方がいい。攻略を進める上での青写真に、数を増やす方法の情報収集を加えていると、神父が警告してきた。

 

「便利な交通手段ではあるが、注意してもらいたい。

 あまり頻繁に使わないほうがいい。特に、【魔人】や【魔獣】の支配下に置かれている場所では、上層であればあるほども。【魔王】の影響力が増すと私の力が伝えづらくなる。【転移】が失敗し【狭間】に囚われてしまう恐れがある」

「【狭間】?」

 

 聞いた事のない単語だ。思わず聞き返してしまった。

 

「【魔王】がこの城を支配するために作った、今君や我々がいる次元とは異なる次元にある場所だ。【魔王】の住処でもある」

「住処って……、城の最上層じゃなかったのか?」

「そうでもあるが、そうでもないと言える。現在の【紅玉宮】は唯一、この場所以外の城の全てのフロアとつながっている。最上層にあるが同時に最下層にもある。時空を超えて存在しているんだ」

 

 時空を越えて存在……。何とも大それた存在だ。

 最終ボスたる【魔王】は最上層=100階層に鎮座しているが、同時に第一階層からでも侵入することができる。その際には、【狭間】と呼ばれる特殊なエリアを通らなくてはならない。ならつまり―――

 

「だったら、ここを出てすぐに【魔王】と対決する、ていうこともできるのか」

「可能ではあるが……、あまりオススメはしない。返り討ちだけならともかく、【魔王】の戦力を増やすことになってしまう」

 

 殺される以上に取り込まれる……。彼からすれば、殺されるよりも最悪なことだろう。

 ただ実際、どういうことだ? 下僕になるといっても、本当にそんなことが起きるのか/プレイヤーに強制できるのか? 訝しがりながらも続きを聞く。

 

「【狭間】に囚われれば、それまでに蓄えていた力を封じられる。【剣技】も【連技】も使えない、武装も身につけることすらできないだろう。そのため抜け出すのは困難だ、長居すればするほど難しくなる。そこで【魔人】どもに殺されでもしたら、魂は捕われ転生することができなくなる。【従魔】へと変えられ一生を奴隷として過ごす事になる」

「【従魔】、ていうのはそのぉ……、【魔人】たちの下っ端、てことだよな? 人とは違う別の種族、てこと?」

「そうだ。見た目は人とほぼ変わらず体は頑強になるが、【魔王】と上位の【魔】のモノたちへの服従を強制されることになる。彼らが命じれば、かつての仲間であっても殺さなくてはならなくなる。【悪徳】を行うことに対する嫌悪感や罪悪感が麻痺し、逆に悦びと感じられるようになる。使命感すら感じられるらしいぞ」

 

 唾棄すべき醜悪な化物だ……。平静さを装うも、吐き捨てた言葉の端々からそのモノたちへの険悪感がにじみ出ていた。言葉にするのも不愉快だと、十字架を切りたそうにしている。

 ふたたび驚かれた、耳を疑ってしまった。彼の前では不謹慎だが、目がキラキラしてしまう。

 説明が本当であるのならまず、人ではない別種へと変わることができる=種族を変更できるようになれるシステムがある。プレイヤーはみな人から始めることを強制されるが、いずれは自由に変更できるということだ。【従魔】に変えられる=魔人族に変わる/変われる=別種族にも変われる=種族変更システムがある。なかなかに面白い。ただし【従魔】の説明からも、種族にはそれぞれ長所と短所があるのかもしれない。全てを均せば皆平等、必ずしも人を辞める必要はないのかもしれない。

 次に、こればかりは信じきれないが、プレイヤーの情動が操作されてしまう危険があること。【従魔】だけの特性かもしれないが、ほかの種族にもありそうだ。体格や顔かたちや道具からでもない、その種族がもつ/縛られてる信仰が影響を与えてくる。何に怒りを感じ何を悦びとしどう在りたいか誰とともにいたいか何を求めるかまでも、矯正されてしまう=準洗脳処置。唯一プレイヤーにのみ与えられている/NPCと分かつ不可侵の権利が、侵される。そんな禁忌を犯している。

 さすがにそんなヤバいことはしないはず……、とは思うものの、コレの開発者のことを考慮すれば一概には否定しきれない。茅場晶彦=SAOの開発者=若き天才/大富豪=オレの憧れ。……やりそうな気がする。

 ブルリと寒気が登ってきた。頭を振って、その不吉な予感を払った。いまそんな先のことを心配しても仕方がない。

 

「……【記述】を使って過去に戻っても、ダメなのか?」

「身につけていたのなら壊されるからダメだろう。もし別の場所に保存していたとしても、すでに変えられた以上元には戻れない。【従魔】であることからは抜け出せない」

 

 【魔王】様万歳、サイコパスになってPKしまくり……。最悪だ。そうなったらもう、リセットするしかない。

 

「安心してくれ。早々そんな事故は起こさせない。全ての【門】は私の力と直結しているので、【魔王】であっても手出しはできない。ただ……、その危険が0でないことは心に留めておいて欲しい。特に犯罪行為を、【魔王】が好む【悪徳】を行ってしまった場合捕らわれる危険は増す」

 

 犯罪行為=【悪徳】を行うリスクが、【狭間】に取り込まれやすくなること。そこで殺されれば【従魔】に変えられ、その後は【魔王】のために粉骨砕身しないといけなくなる。……むやみに女性プレイヤーと接触することは、避けるべきだろう。

 ため息をひとつついた。ただ上に登って【魔王】を倒せばそれでクリア、そんな単純にはいかないらしい。途中でいくらでも裏切れる/自分以外のプレイヤー全滅もクリア条件の一つになっていた、プレイヤー同士で足を引っ張り合えと誘導している。ただ、これから先プレイヤー数は増えるのだろうから勝負は一概に付けられない、相対的な優劣で判断されるのだろうか……。先に提示された『魔王討伐依頼』がここで効いてくる。

 

「……言い忘れたが、【導】を使うときにも注意が必要だ。特に設置場所には充分気をつけてくれ。街の外に設置すれば、魔物がそこを通ってくることもある」

「一方通行じゃないのか? 出口だけだと思ってたけど?」

「魔力をもち魔法を行使できる者ならば可能だ。君のすぐ傍まで【転移】できてしまう、あるいは君を強制的に呼び寄せることも、知覚だけ飛ばして監視し続けることもね。……奪えるほどの力の持ち主ならば、もはや君に安眠できる場所はなくなるだろう」

 

 便利さの裏返しの高リスク。安全が確保されたセーフハウスでなければ、【導】を盗まれてしまう可能性がある。街の外=戦闘可能エリア=【圏外】ならばなおさらだ。モンスターたちに奪われる危険がある、他プレイヤーにも注意しなければならないだろう。助言通り奪われれば、どこにも安眠できる場所がなくなる……。

 ただ、別の見方もできる。

 

「……逆に、相手もそうなるだろうな」

 

 オレの強がりに神父は、眉を上げた。そして意味を察すると、微笑みを返してきた。

 あえて盗ませることができたのなら、その盗人の下までひとっ飛びできる。モンスターであるのなら、彼らの巣穴かアジトを暴くことができる。他プレイヤーであってもソレは同じだ。逆に彼らのモノを奪い取ることができる。……ここでは強さが全てだ、【導】を獲ったところで絶対的な優勢を確保できない。

 

「最後にコレは、盟主様からだ。―――【生命の首飾り】」

 

 懐から取り出した装飾品を、受け渡してきた。神父のソレに対する丁重な扱いゆえか、両手で恭しく受け取ってしまう。

 【生命の首飾り】。細い銀紗のような鎖に、小指ほどの涙滴型の宝玉がついている。質素でチャチなモノに見えるが、使われている素材はどちらも高級なものだとわかる/穏やかで深みのある透明なオーラのようなものを感じられる。特に宝玉は、朝露よりも澄みきっているためか、見ているだけで落ち着く/心が洗われる気までしてくる。前の持ち主か作り手の清らかさまで、伝わって来るようだった。

 

「コレを身につけていれば、全ての生気を奪われたり【悪霊】たちに取り込まれ死に至ったしても、身代わりになってくれる。……ただし、一度限りだ」

 

 身代わりアイテム、HPが0になっても即座に復活させてくれる保険。……ありがたい贈り物だ。

 ただ、貴重品ではあるものの、初期の初期である今ここで貰っても持て余してしまう。無駄にしてしまう危険がある。……これから先しばらくは、何度も死に戻りをするだろうから。大量の金と経験値やレアイテムを保持するため、保険が必要になるはもっと上の階層になってからだろう。

 

「君には不要なものかもしれないが、念の為に。不慮の事故というものはどうやっても避けがたい」

 

 首飾りを見つめながら言った。自分こそソレが欲しいと/できることなら渡したくないと言うかのように、大切な宝を見送る名残惜しさを込めて……。

 ソレを見てしまうとどうにも、先の打算は言えなくなってしまった。

 

「……ありがとう。大事に使わせてもらうよ」

 

 代わりに出てきたのは、ぎこちない感謝。……ありがたいことには変わりないので、真っ赤な嘘じゃない。

 

「さて、我々から君に贈れるのモノは以上だ。武運を祈る」

 

 そう言うと、起動させた【転移門】を腕で指し示した。もう旅立ちの時だ、と。

 ようやく終わったか……。何とも緊張を強いられたチュートリアルだったが、これからだ。やっとこれからゲームが始まる。気分を新たに胸をトキメかせた。

 そのまま過ぎ去ろうとする寸前、ふと、気になった。振り返ると神父に尋ねていた。

 

「……ここ、また来れたりするのか?」

「その門は一方通行だ。一度くぐればここへは戻ってこれない」

 

 だと思った……。その答えはどういうわけか予想できた。おいそれと出入りできるほど、気安い場所だとは思えなかった。

 つまりは、チュートリアルはもう受けられない。あとは実地で確かめるしかない……。だとしても、二度と来れない場所だとは考えづらい。どうにかしてまた、戻って来れるはずだ。

 何処にあるのか、教えてくれないか? そう訊ねようと口を開く前に、神父が答えた。

 

「城の地下最下層。そこにある【異空の扉】を超えた先にある。……今の君の力では、門前払いを食らうことだろう」

 

 牽制でも警告でもなく、純粋な事実だと……。

 その通りだろう。もしかしたら【魔王】よりも強い裏ボスなのかもしれない。たどり着くだけでも、一体いつになるかわからない。

 だけど、できないわけではない。いつか必ずたどり着けるはず、たどり着いてみせる。……ゲームの目的が一つ増えた。

 

「それじゃ、また」

 

 軽く別れを告げると、【門】をくぐった。七色の鏡面に体を浸していく。

 

 

 

 ―――次に会うときは、敵同士だろう。

 

 

 

 完全にくぐり抜ける寸前、そんな宣言が投げられたような、気がした。

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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1階層 前
はじまりの街 旅の仲間 神父


 オリキャラ? です。

 17/11/23、タイトル変えました。


 

 転移門をくぐるとソコは、黒々とした宮殿の中だった。

 

 【黒鉄宮】―――

 プレイヤー誰もが始めに召喚される場所/この世界の入口。その名の通り、黒鉄色のレンガのような素材で作られた物々しい宮殿、所々鋼鉄製と思わしき鋲が穿たれている。宮殿というよりは城塞といったほうがいい、実用性一点張りの無骨な場所。窓も天井近くに等間隔に横並び、ギリギリ片手が入るぐらいの縦長、外の光はそこから差し込んでくるのみで中は薄暗くなっていた。それを補うようにポツポツと、背丈ほどの高さに小さな燭台が灯っている。

 

 七色に輝く光の膜を抜け、硬い地面の感触を確かめると、大きく伸びをした。溜まっていた緊張をほぐす。

 そして、辺りを見渡した。

 チラホラとプレイヤーの姿は見えるが、少ない。今日がログイン初日で賑わっているはずだが、そうなっていない、NPCがいないここでは閑散としているのがより目立ってしまう。……もう皆街へ繰り出してしまっているのだろう。

 肩を落とすと、嘆息混じりにつぶやいた。

 

「……ふぅ。だいぶ出遅れた、かな」

 

 初っ端の戦闘に、訳のわからない荒廃世界の探索。おまけに、省きに省いたのにやたらと時間がかかったチュートリアル……。サービス開始直後ではないが、かなり早い時間帯でログインしたはす、でもほぼ皆すでに先に行ってしまっている。

 

「まずったな。βの奴らはもう、先に行っちまってるんだろうな……」

 

 ここがβ版とは違うのは、ログイン時とチュートリアルで理解したが、根底から変えたわけではないだろう。その誤差を確かめるためにも、予め持ってきた経験と摺り合わせる。ビギナーはまだ街かその周辺でウロウロしているだろうが、βテスターはもう他の街まで走ってしまったことだろう。早々に取れる分だけのリソースを確保しておく。

 立ち止まり、しばし考えに耽った。これからどうするか/どうするのがベストか、頭の中であらすじのプランを立てる。この現状のデメリットとメリット、どうしたら遅れを取り戻せるか―――。

 

(……別に、問題ないか)

 

 出てきたのは、能天気な答えだった。

 元々ソロプレイで楽しむ予定だった、リアルの友人と待ち合わせているわけでもない。βテスターで知り合いがいなかったわけではないが、和気あいあいとした友人よりも互いに切磋琢磨以上に角付き合わせる商売敵のようなモノだった。敵の敵は味方、で手を取り合うような仲であることが多く、皆ほぼ実力主義の個人主義だ。ただ声をかけたとしても、何か作為があるんじゃないかと疑われるだけ。

 

(それにオレ、たぶん……恨まれてるんだろうなぁ)

 

 過去の所業を思い出し、また溜息をついた。

 フロアボス戦において、何度もLA(ラストアタック)をかっさらってしまった。トドメを刺したことでもらえる特別で貴重なアイテム、ソレを獲得してしまった。

 戦闘の前、互いにLAアイテムは誰がとっても恨みっこなし、との了承はされていた。とった者勝ち、戦いでの貢献度ではなく一番強いプレイヤーでもなく、参加した誰にでも権利がある。だからルール上全く問題はない。だけど、あまりにも取りすぎたことが問題だった。そうするためにボスのダメージ配分と自身の体力/集中力を計算して導き出したモノだったが、そんな努力は関係ない。そのぶん貢献しリスクも背負ってきたがソレも。ソロプレイであったことが問題だったのだろう。誰もオレが得た成果に口出しできない。またアイツに奪われたと、思われてしまった。……非常に迷惑な話だが。

 だからおそらく、他のβテスターから友好を引き出すことは難しい。今回も/始めに考えていた通り、ソロを基本に攻略した方が無難だ。

 

 一応の方針は決まった。

 「よしッ!」と顔を上げると、宮殿をでて街に繰り出そうとした。

 

 

 

「―――やぁ、遅かったな。随分待たされたぞ」

 

 

 

 親しげに声をかけてきた、見も知らぬイケメン。

 不意打ち過ぎて驚き、思わずそちらに振り向いてしまった。

 

「なかなか出てこないから心配していたんだが、もしかして……リアルで何かあったのか?」

 

 ハキハキとよく通る調子だが、圧迫感はない。むしろ穏やかにそっと、寄り添っていくような低い声音。聞いているだけで安心感を沸き立たせてくれる。その顔も声同様、見ているだけで落ち着かせてくれる。優男風で頼りなげな細身ながらどっしりと根が張っているような……、つまり第一印象はいい。システムから借り受けたもの以上の、彼本来の性格がにじみ出ているのだとわかる。

 ただ、タイミングがよろしくなかった。随分と古いナンパ手段に見えてしまい、警戒を露わにした。

 

「…………誰だ、アンタ?」

「誰って? お前なぁ―――」

 

 気取ることなく近寄って、拒絶するオレに苦笑を漏らした男はしかし、その顔を曇らせた。訝しんでオレを見る。

 そこでやっと、別人だと理解した。慌てふためく。

 

「す、すまない。人違いだった。……申し訳ない」

 

 恥ずかしげにアタフタとしながら、古風な調子で謝罪してくると、同時に深々と頭を下げてきた。

 その過剰な反応に今度は、オレのほうが慌ててしまった。

 

「い、いや、そんな謝ることでも……」

「いや、言わせて欲しい。お互い禍根は残さない方がいいだろう」

 

 禍根ってそんな、大仰なことでも……。呆れてツッコミをいれそうになった。ただ、真面目に言っているとも伝わってきて、苦笑するしかなかった。

 下げた頭を上げると、申し訳なさそうな表情を見せる、まるで交通事故でも起こしてしまったかのように。おずおずと弁明してきた。

 

「……君の、そのアバターの容姿が、私の知り合いが使っているものによく似ていてね。ちょうど今日ここで待ち合わせていることもあって……、誤解してしまった」

 

 すまない……。また頭を下げそうになるのを、慌てて止めた。

 でも……、いいからいいから。しかし……、全然気にしてないから。だが……、いいって言ってるだろ! ……そうか、そう言ってくれるのなら―――。少し語調が荒げてまで止めると、ようやく納得してくれた。

 そして顔を上げると、葛藤を越えながらも、意を決して尋ねてきた。

 

「迷惑ついでに聞きたいんだが……、君とよく似たプレイヤーを見なかったか? 先のチュートリアルを一緒に受けていた、なんてことは?」

「一緒に? アレって……、個別じゃないのか?」

「個別? ……何を言っているんだ君は?」

 

 キョトンと首をかしげながらも吟味すると、その可能性に至った。

 ソレを確かめんと、はんば疑いながら聞いてきた。

 

「私の場合、他の人たちもそうだったらしいが、10人ほどでいっぺんに受講したぞ。個別で受けた者はいなかったが……、君は違ったのか?」

 

 コクリと、正直に頷いた。嘘をつく必要がない。というか、相手の言っていることに半信半疑だった。

 数人まとめてレクチャーする。その方が早く済むものの、初っ端のチュートリアルは一人で受けるものが、常識だった/そう思っていた。いきなり見知らぬプレイヤーと顔を合わせることになれば、と惑わされてしまう。皆が欲しがっているだろう開放感を、味わえないのではないかと思う。しかしながら、始めに顔合わせをすれば/互いに同じ集団の中同じ教えを受ければ、少なからず一体感が生まれるはず。知らない他人同士、声をかけやすい空気が出来上がるのかもしれない。どちらがベストだとは、一概にはくくれない。

 それなら何故、オレと彼とでは違っているのか? 考え込まされていると、彼も同じように考えさせられていた。

 

「……数が少なかったからか? いやしかし、この時間帯でか? 今だってログインしてきているはずなのに、わざわざ―――」

 

 ブツブツとつぶやきながら、思考をまとめていく。オレがその声で考えからさめ、パチクリと眺めた。

 しかし彼は、その視線を浴びても考えから覚めず、さらに深みへと落ちていった。眉根を寄せて、こちらに気づけないほど集中していった。

 このままではドンドン明後日の方角に行ってしまう……。そう危ぐされると、慌てて仮説を漏らした。

 

「あぁー、もしかしてだけど……、オレがβテスターだったからも。だいたい操作覚えているから手間を減らすために個別でやった、とか?」

「なんと、君はβテスターだったのか! ……それでか?」

 

 再び疑問符を追い求めてしまった彼にオレは、はんば呆れはんばホッとした。思わず/見かねて、自分がテスターであるとバラしてしまったが、予想していたよりもマイナスな反応ではなく流してくれた。

 またブツブツと考え込む彼に、もう勘弁してくれと後ずさり始めると、

 

「―――まぁ、ここで考えても答えは出ないか」

 

 ようやく目を覚ましてくれた。顔を上げると、先の固さは消え失せ穏やかな微苦笑に。

 そして頭を掻きながら、謝ってくる。

 

「……たびたび済まない。引き止めてしまったな」

「いいよ、そんなに急いでいるわけでもないし。アンタと違ってオレ、ソロで遊ぶつもりだから」

 

 そこまで不快なわけじゃなかったし、今更急いでも仕方がない……。これが今日の星回りだと受け入れた。

 それじゃと、区切りのいいところで別れを告げようとすると、反対に手を差し伸べてきた。

 

「【コウイチ】だ。

 私が言うのもなんだが、ここで出会ったのも何かの縁だろう、君の旅行きに同行させてもらってもいいかな?」

 

 男の/コウイチからのお誘い。

 予想外、というわけではなかったが、驚かされた。まさかソレを誰かから言われるとは、思ってもいなかった。その時のことを想定していなかった。

 戸惑って考えがまとめられないでいると、逆に尋ねた。

 

「……知り合いとやらは、いいのか?」

「もしもの為にメッセージは残しておくが……、おそらくもうここには来ないだろう。リアルで急な都合が入ったのか、別のログイン場所だったのか? いやしかし―――」

 

 答えながらまた、自分の思考の中に埋もれようとしていた。

 心の平衡を取ろうとしたのに、逆効果だった。慌てて引っ張り上げる。

 

「別のって、ここ以外にもあるのか?」

「……ん? チュートリアルで教えてもらわなかったのか? 

 万は超えるだろうプレイヤーを一箇所に集めてしまったら、渋滞が起きてしまうだろう? そのため12ヶ所に分割しているんだ」

 

 なるほど、理にはかなっている。

 β版は千人だけだったけど、本番はその10倍以上。この共有フィールドへの入口が一つだけだったのなら、かなり混雑して入場制限が起きたのかもしれない。その問題が引き起こされずスムーズにログインできたということは、そういう変更点があったからだろう……。ここも、β版とは違っているということか。

 

(だとすると……、予想以上に変わってるのかもしれないな)

 

 地形そのものが変わっている可能性が、極めて高い。街の数も増えているはず。β版の知識が/アドバンテージが、ここでは引き継げないのかもしれない。せっかくの経験値が台無しになる。

 思わず唸らされていると、ふとおかしなことに気づいた。

 

「もしかして、ログイン場所はランダムだったり?」

「そうみたいだ」

「……だったら、ここで待ってても意味がないんじゃ?」

「いや、そうでもないよ。この場所は他の11箇所と共鳴状態にあるらしくてね、地面や壁が伝言板がわりになってくれている。ここにメッセージを書いておけば、他の場所でも同じものが見れる。ソレを伝って、私に返信することができるはずだ」

 

 なるほど、そういう仕掛けがあるのか……。リアルで友人同士のプレイヤー達が、すぐに連絡を取れるようにするサービス。場所がランダムならば、同時間にログインしたからといって同じ場所に送られるとは限らない。

 色々と、聞きそびれたことがあった。β版を経験したがゆえに、そんな素朴な疑問を持つことができなかった。

 

(こんなことなら、もっと情報を聞き出しておけばよかったが……、今更遅いか)

 

 もうあの場所へは戻れない。自分で見て聞いて、探っていくしかない。

 一つ溜息を漏らすと、胸のワクワクがすぐにソレを補填した。……全く問題じゃない、楽しみが増えただけだ。

 

「返事がこないところを見ると、まだログイン自体していないのかもしれない。……全く、自分から約束したのにすっぽかすとは、見下げ果てたやつだ」

 

 フンと鼻を鳴らしながら、ここにはいない友人を叱りつけた。その仕草はオレが、妹の粗相に向かってやるのと似ていた。

 ソレを見てようやくわかった。何故彼に安心感を感じたのか、その根拠はどこにあったのかが。

 

「一度ログアウトして問い詰めてやりたいが……、折角ここまで来たんだ。今日は楽しんで明日にでも訊ねればいいだろう」

 

 呟きながら納得に至ると、オレに向かい直り、

 

「というわけで、今日は私もフリーだ。君も一人らしい。私のようなお喋りがウザったくなければ、一緒に楽しみたいんだが……どうかな?」

 

 再度の誘いの手。謙遜を交えながら、どちらであってもスッキリとできる二者択一、気持ちがいいほど爽やかだ。

 断る理由は……、特にない。ソロにこだわる必要もない。

 差し出された手を掴むと、自己紹介した。

 

「―――【キリト】だ。とりあえず今日は、よろしくな」

「よろしくキリト君。できれば明日以降もお供したいな」

「君はよしてくれ、こそばゆい。呼び捨てで構わない」

「ん、いいのかい? 

 なら改めて……、よろしくキリト」

 

 そう言うと、朗らかにほほ笑みかけてきた。ソレに釣られてオレも、微笑みを顔に浮かべた。

 すると、そんな二人の間へ割って入るように、半透明なウインドウが展開された。急に現れたソレに驚いたコウイチは、まじまじと見つめ返し、さらに目を丸くした。

 

「およ、【フレンド登録】完了……? メニューを開いてないのに、勝手に……?」

「知らなかったのか? お互いちゃんと名乗りあって握手すると、自動的に【フレンド】になるんだ」

 

 いちいちメニューを展開して、コマンドを呼び出しクリックする。その作業が面倒で簡略化するため、という点もある。ソレ以上に、通常知られているその一連の動作が、これから【フレンド】にならんとする同士にはそぐわないから。無味乾燥過ぎる。加えて折角のフルダイブなのに、わざわざ旧時代の/パソコンの画面越しのやり取りを踏襲するというのは、あまりにもリアリティを減退させる行為だった。

 若干、自分の考えで脚色した製作者の哲学を説明すると、

 

「ほほぉ……、ソレは素晴らしい」

 

 オレが初めてソレを知った時と同じ反応を示してきた。

 その嬉しそうな反応に気をよくされたのか、おまけにもう一つ口から出た。

 

「ちなみにハグをすると【ファミリー】になる。勝手に登録されるものだから、注意しておかないとな」

「【ファミリー】の場合は、こんな報告ウインドウが展開されないのか?」

「もちろんあるんだが、いちいちクリックして消すのが面倒だろ? 消さないとずっと残るし。慣れたら大概、展開されないように設定しなおす。その時【フレンド】だけじゃなくて、他の関係も同時になくなるから」

「なるほど……。ソレは不具合だな」

「どうしても直さなくちゃならないもんでもないさ。……日本じゃハグする奴なんて、限られてるだろ?」

「ソレはわからんよ、ここは仮想世界だからね。現実でできないからこそ、あえてやってみたくなるものだろう?」

「そうとも……、言えるかな?」

 

 否定し切れる自信は、なかった。おそらく自分はやらないだろうが、ほかのプレイヤーがやらないとは限らない。普段はインドア派ではんば引きこもりだけど/だからこそ、ここではハッチャケテしまう。……無いことはないだろう。

 

「まぁこれで、【フレンド】登録も済ませた、名実ともに友人になったわけだ。あとはもう、出発するだけだな」

「だな。と……その前に、装備整えておかないとな」

「確かに、初期装備のままはまずいか……」

「いや、そうじゃなくて……、ちょっとした裏ワザみたいなものさ」

「裏ワザ……?」

「ここがβ版と変わっていなかったら、あるはずなんだ。とりあえずコレよりワンランク上の装備をゲットして、簡単に幾つかのパラメータを上げる方法が」

 

 ニヤリと、ここだけの話だと、声を細めた。

 βテスターなら誰でも知っている話だ。皆ソレを後で知って、悔しい思いをした。……ココでは、その悔しさを払拭したい。

 

「フィールドに出る前にやっておけば、戦いに慣れてなくても速攻で殺されることはないだろう。……こんな初期でデスペナ背負いたくないからな」

 

 肩をすくめながらそう言うと、コウイチも同感とばかりに頷き柔らかく微笑んだ。

 そして、マジマジとオレを見つめると、衒いも見せずに賞賛してきた。

 

「どうやら私は、随分と幸運だったらしいな。君のような熟練プレイヤーに出会えて」

「熟練って……、よしてくれ。ここがβと同じ保証はどこにもないんだ。そうなったらオレもコウイチと同じ、ビギナーだよ」

「そうはなりそうにないと思うが……、先輩扱いは嫌いかな?」

「年上にそうされるのは、な。……そこまで自信ない」

 

 オレの指摘に眉を上げた。

 

「ほほぉ……、何故私が君より年上だと?」

「喋り方とか雰囲気が、年下とか同年代とかじゃないからかな。オレの周りには見かけないタイプだったから、てのもある。まぁ……、絶対とは言えないけど」

 

 十中八九は、確信していた。ここでは確かめる術はないが、直感が訴えていた。

 目の前のコウイチは、現実のオレよりも年上だ。学生以上に教師か学者なのかもしれない。こんなネットゲームを、しかもSAOを初日にログインできているのだから、父親と同じ年代ではさすがにないだろう。頭と品の良さが、実年齢よりもふた回りほどかさ増ししているのかもしれない。

 

「そうか……。なら、答えるべきではないな」

「ここでそういうのは、ルール違反だし」

「そういうことだな。

 今の私は【コウイチ】で、君は【キリト】だ、お互いこの世界の住人で初めての友人だ。……この素晴らしいロールプレイングを楽しもうじゃないか!」

 

 コウイチはそう言うと、周りを華やかせるように笑いかけてきた。

 その大仰な台詞回しにオレは、こそばゆく頬をかいた。……ソレはあまり、悪い気はしなかった。

 

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

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はじまりの街 初心者の館

 

 

 黒鉄宮を出て、はじまりの街へ歩み出た。

 

 そこは、西洋風のレンガ造りの建物がたちならぶ街並み、きれいに区画整理されてもいる。これぞRPGといった世界観だ。街の中央付近で少し高台にある黒鉄宮からだと、街を一望できる。

 キレイに/平に舗装された石畳を歩きながら辺りを見渡した。その代わり映えなさに、ホッと胸をなでおろす。

 

(よかった。βからそこまで変わってないみたいだな)

 

 視界に映っているのは見慣れた風景、β版で目に焼き付けていたものと同じものだった。

 安堵すると、あの時の思い出と被り、戻ってきたのだと感慨が湧いてきた。自然と顔に喜色が浮かんできた。

 ソレは、隣にいたコウイチも同じだったらしい。

 

「なん、という……。本当にここは、ゲームの中なのか……?」

 

 目の前に広がっている異世界の光景に/そのあまりのリアリティの高さに、唖然とさせられていた。目をパチクリ口を半開きのまま、見入ってしまっていた。まるで、山奥の田舎から大都会にやってきたお上りさんのように。

 身に覚えのあるその様子に親しみの微笑みを浮かべた。しばし黙って付き合う。

 ひとしお感動の波が収まると、自分の様子に気がついたのか、コホンと気を取り直した。そして、照れを隠しなのか頭を掻きながら、

 

「他のVRで慣れたと思ったんだが……。ココは桁違いだ」

「全くな。どうやってこんなモノ、作ったんだろうなぁ」

 

 互いに感嘆のため息をこぼした。

 まさに夢見た通りの異世界、現実では到底見られなかったであろう別天地。目に見える何もかもが新鮮で不思議で魅力的で、ワクワクさせてくれる。一緒に遊ぼうと誘われている気までしてくる。ぼぉと、軽く上せたように地平線の彼方まで見渡した。

 いつまで眺めていも、飽きそうにない……。しかし、こんなところで突っ立っていては始まらない。頭を切り替える。

 

「さぁ、街の中に行こうぜ!」

 

 コウイチもオレの掛け声に頷き、二人街の中へと進んでいった。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 NPCとプレイヤーが入り乱れる雑踏の中、通りを歩き続けていた。

 新鮮だが同時に既視感もある光景。中に入ってソレを、より強く感じられた。

 

「―――やっぱり、βと同じか……」

 

 ボソリと、つぶやきが漏れた。

 一つ一つ、記憶と確認し合いながら眺めた街並みは、β版と同じだった。かつてみた【はじまりの街】と同じ、店の配置や名前も変わっていなかった。

 そんなオレの様子に何か察したのか、コウイチが尋ねてきた。

 

「何か、不安なことでも?」

「いや、むしろ助かってるんだが……。他の街はどうなってるのかな、て思ってさ」

「他の街……? ああ、あるほど」

 

 オレの指摘だけで理解したコウイチも、同じく考え込んだ。

 ココがβ版と同じだということは、他の11箇所も同じな可能性は高い。しかしそうなると、少々面倒な事が起きるのではないか? ……浮かんできた推測が口から出てきた。

 

「俺たちがいるココが、たまたまβと同じなのか? それとも全部がそうだったのか? 微妙に変更が加えられているだけなのか? 運が良かっただけなのか? ……オレの知識はアテになりそうにないかもな」

「そうとも限らないさ。

 先のチュートリアルでは、集団と個別があっただろう? ソレを君は、ビギナーとテスターを区別したからと推測した。そうであると確定できる証拠はないが、知識量や実力の差異が関わっていたことは確かだろう、このゲームには課金システムは実装されていないからな」

「そういえばそうだったな。普通はあってもおかしくないのに、なかった……」

 

 改めて指摘されると、不思議なことだと気づかされた。このゲームはかの若き天才かつ富豪が作ったから、浮世離れした何かがあると錯覚していた。

 制作者たちはプレイヤーたちの課金なしで、どうやって運営資金を賄うんだろうか? 無料プレイだけでやっていける何かがあるのか? 現実世界の経済とリンクしなければ、ただ目減りしていくだけなのに……? それじゃスポンサーだって離れる、茅場の資産だけで足りるとは思えないが―――

 何か言い知れぬ不安が染み出してきそうになる前、コウイチが自説を続けてきた。

 

「ただし、ログインしたばかりでは明確な線引きなど不可能。それ以前に持ち込んだ何かが、関わっているはずだ」

「……それがココにも、影響してると?」

「製作者たちはテスターたちのことを、予めこの世界を知っているプレイヤーを意識している。彼らにも新鮮な感動を贈れるよう配慮している。しかし、全てを変更するワケにはいかず、その時間もない。それでも、どうにかやりくりした結果が、コレなのだろう」

 

 まるで制作者の一員であるかのように、はんば断定的に言い切った。ただオレも、その考えに頷いた/頷かされるものがあった。

 βテスターとビギナーの選別、予めこの世界のことを知っている者と初対面の者。その知識格差を埋める何かが組み込まれているはず。あの茅場には、そこまでやってくれるフェアネス精神があると、期待できてしまう。……なんの確証もなくこぼした推測だったが、どうやらアタリを引いたのかもしれない。

 しかし―――、じっとコウイチの顔を見た。

 

「まぁ、すぐにわかることだ。……ところで、何か私の顔に付いてるのか?」

 

 まじまじと見つめてくるオレの様子に、首をかしげながら訝しんだ。

 

「いや別に……。なんだかコウイチの方が詳しそうだな、と思って」

「残念ながら私は初心者だよ。君にリードしてもらわんと、迷子になってしまう」

「ハッハ! ソレ、見てみたかったな。―――と、ここだ」

 

 ようやく見つけた建物の前で、足を止めた。

 そこにあったのは、西洋風の外観に仕立てられた道場、学校の体育館にも似た巨大な建物だった。開け放たれている扉の向こうには、酒場かカフェのようなくつろぎの空間が広がっている、そこで人がガヤガヤと屯していた。

 

「パブのようだが……、【初心者の館】?」

「βでは、ここがチュートリアルを担当していたんだ」

 

 説明するとその時の事が思い出されて……、溜息がこぼれそうになった。ここにはあまり心地よかった記憶がない。

 【初心者の館】―――。立てかけられている看板には、この世界特有の/アルファベットに似ているが解読不能な文字で書かれていたが、自動翻訳機能でもあるのだろう。日本語として解読できていた。

 建物の中には様々なNPCがいて、このゲームを遊ぶ上で必要な操作方法を教えてくれる。メニューの使い方や仲間との連絡方法・戦いの方法などなど、一人一人教える内容が分担されている。入口近くには知識だけでいいメニュー操作などを教えてくれる者がいて、入口からは見えない奥に広々とした大部屋があり戦闘教官がいる。……βと同じならば、そうなっているはずだ。

 

「ココを見つけたら、一応は寄っていくかもしれない。だけどもうあらかたの説明は済ませてあるから、全部は聞かずさっさと出ていくだけだろう。でも―――」

 

 ここだけの話と声を潜め始めると、館から他プレイヤーの集団が出てきた。男たち数人、皆肩をすくめ呆れ顔を浮かべていた。

 オレたちが目に映ると小さく挨拶を交わし、そっと確かめるように尋ねてきた。

 

「アンタらここ入るのか?」

「ああ。聞き逃したものないか、確かめたくて」

「ふーん……。まぁ、時間の無駄だと思うけどな」

 

 クスクスと、後ろの男たちが含み笑いをこぼした。お気の毒に/ご愁傷様と、何も知らない犠牲者を楽しんでいる。

 その様子にムッとさせられるも、我慢した。一見したところ、彼らはわからなかったらしい、ただ不快な時間を過ごしただけ。……哀れなのは、そちらさんだけだ。

 遠ざかっていく他プレイヤーたち、遅れを取り戻さんと早足で離れていった。こちらの声が聞こえなくなるまで待っていると、先の続きを再開した。

 

「……ああいう風に、最後まで聞かずに出ていく。

 説明じたいあまり有益なものでもない。実際に体験すればすぐに掴める基本中の基本だけで、そんなものはもう知っているからな」

「なら、ココならもっとその傾向が高くなりそうだ」

「βの奴らは知っているはずだから、我慢して聞くんだろうが……、初心者は大概ああなるだろうな」

 

 今はもう、人ごみにも紛れ見えなくなってしまった他プレイヤーたちの背中。改めてソレを見ると、少しばかり疚しさが染み出してきた。別に出し惜しみする必要はない、教えた方が良かったのかも……。

 オレの迷いを遮るように、コウイチがニヤリと笑って言った。

 

「中々に皮肉が効いているじゃないか。この世界のことを知っている者の方が謙虚に振る舞い、ゆえに力を獲れるとはな」

「だな。……もしかしたらソレ、ここ作った製作者の哲学なのかも?」

 

 最後は独り言として、誰に言うでもなく問いかけていた。さすがにこの一事だけで判断するのは早計すぎるが、そんな気がしないでもない。……コレはここから先、心に留めておかなければならないことかもしれない。

 気を引き締めなおすと、初心者の館と向かい合った。

 

「さて、それでは。退屈な講義とやらを受けに行こうか」

「9割がた聞き流して構わないよ。先生方は勝手にしゃべり続けてくれるはずだから、居眠りしなければ突っ立ってるだけでも構わない」

 

 そこが大問題なんだけど……。現実世界の学校の授業風景が思い出され、嘆息がこぼれた。つい先ほどまで/今なお夢の世界にいるはずなのに、どういうわけか現実に戻らされる。何も知らぬコウイチは、さっさと入ってしまった。

 オレはその背中をみて、少しばかり溜飲を下げた。……先のプレイヤー達の態度をもう、笑うことができない。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 長々と、ソレはそれは長々と続いた講義を終えて、ようやく外に出た。這い出るように、まるで悪酔いでもしたかのような有様でグッタリとしながら。

 

「―――はぁ……。しんどかったァ」

 

 心構えはしていたが、それでも堪えた。……無意味な話をただ聞くだけというのは、しかも無視せず相槌をし続けなければならないというのは、こんなにも辛いことだったとは。

 やっと解放された今、固く心に誓った。もうここには、二度と来ない。例えレアアイテムをゲットできようとも、二度と/永遠に。

 コウイチも少なからずそう誓っているのか、温厚な顔つきに険しさが差し込まれていた。

 

「フルダイブならではの陥穽だったな。旧来のゲームなら、ボタンを押し続ければ飛ばせたものだが……」

「確信したよ。こりゃ絶対、初心者はわからない」

 

 こんなモノを最後まで聴き続けられる奴は、よほど暇人かお人好しだ。アイテムなどをゲットできるとわかっているオレ達ですらこの有様だ、何も知らない初心者は早々に切り上げるだろう。

 オレが再度ため息を漏らすと、もう立ち直ったのか、いつも明るさを取戻して言った。

 

「それなら、苦行のかいはあったかな」

「あの手間を考えると、ちょっとばかし足が出そうだけと……」

 

 ここに誘ったことを後悔しそうになったが、その明るさに救われた。心の中で、肩をポンポンとさすってもらった気分、後ろ向きな考えとはソレで縁切りできた。

 肩をすくめ完全に立ち直ると、獲得した成果を確認した。【回復ポーション】×3と【地図】と路銀数百コル、何よりも【冒険者の証】

 【冒険者の証】―――。

 アクセサリの一つで、親指程度のピンバッチ、衣服のどこかにつければ効果を発揮してくれる。【敏捷値】と【耐久値】を1ポイントずつ上げ/HPを2%かさ増しする。加えて、NPCたちに見えるようにつけていれば、ソレだけで何かしらのクエストを受注できるようになる。……この初期の初期では、大変ありがたい装備だ。

 ソレを二人共、胸あたりに取り付けると、もはや忘れたとでも言うかのように出発を告げてきた。

 

「さてキリト、他にやるべき裏技はあるかな?」

「一応、この街全部回って【ロケーションポイント】開放すればソレだけで経験値貯められるんだが……、後でもやれるしな。そこまで慎重になる必要もない。

 圏外(フィールド)に出よう」

 

 オレも完全に払拭すると、遥か先の緑野へと顔を向けた。

 

「もう出ていいのか? 何か、イベントやらクエスト受注やらしなくていいのか?」

「そのために、先にゲットしておきたいアイテムがある……、てのは建前だな。

 先の鬱憤晴しだ。早くモンスターと戦いたい」

 

 おさえつけられた分、いっそう胸の高鳴りは止められない/止めるつもりもない。

 早くβでやった感覚を取り戻したい。あの痺れるような感覚を/万能感を、生きている感覚を取り戻したい。

 

「同感だ。私も早く、実際の戦闘をしてみたい」

 

 ニヤリと笑いかけると、背負っていた武器を手にとった。オレが腰に刷いている【片手剣】とは違う、背丈ほどもある長モノ=【槍】。

 

「そういえばコウイチ、【槍】を選んだのか?」

「うむ。【片手剣】にはかなり惹かれるものがあったのだが、リアルでは運動不足でね。遠間から攻撃できる【槍】を選んだ。……いい選択ではなかったかな?」

「いや、むしろ【片手剣】の方がよろしくなかったよ。コレはソロプレイヤー用だ」

 

 柄頭を撫でながら、皮肉をこぼした。

 

「万能型だと思ったのだが……、あ! だからか?」

「そ。はじめはコレでいいかもしれないけど、上に登ってパーティー組むようになったら、役割分担できたほうがいい。【片手剣】だとリーダーとか遊撃とか、面倒な役を背負わされる」

 

 万能/特徴がないからこそ、全部を任されるか一人で戦うか、この二択に限られてしまう。いずれ誰かとパーティーを組んで攻略するのなら、【片手剣】はあまりオススメできない選択だ。……何もかも満たそうと中間を選んだつもりが、いずれ何も掴めないはぐれものになる。

 βの時を思い出して、感慨にふけっていると、

 

「その顔つきだと……、面倒なことをさせられたのかな?」

「フロアボス戦で、特に。……まぁそのおかげで、LAが取りやすい立ち位置にいられたんだけどな」

 

 なんでもできるサポート役=遊撃役として、防御にも攻撃にも顔を出すことができた。そのおかげで何度も死線をくぐらされたが、得たものは大きい。

 顔を上げると、込められた心配を払うように笑いかけた。

 

「だから、ありがたいよ。【槍】の牽制と追撃のサポートがあれば、前に出て戦いやすくなるし。パーティー組むんだったら欲しかった相手だ」

「連携できるほど上手くやれる自信はないが……、期待に応えられるよう努力しよう」

 

 言葉では謙遜しているが、やってのけられる自信がにじみ出ていた。初心者とは思えない泰然とした雰囲気。……期待以上の働きが期待できそうだ。

 その空気に水を差さないように、一言だけ付け加えた。

 

「ただ……、悪いな。オレも【槍】については人聞きでしか知らないんだ。細かい使い方は、自力でどうにかしてもらうしかない」

「構わないよ。自分の武器だ、手探りになろうが使いこなしてみせる」

 

 コレでどんなことができるのか、早く試してみたくてウズウズしている……。少年じみたキラキラした眼差しで、そのときを待ち望んでいた。

 

(この人も、ゲーマーなんだ……)

 

 その横顔を見て、改めて感じ取れた。やっと同胞に出会えたような、硬くなっていた心の一部がほどけていく気分。釣られて目を輝かせていた。

 これからもっと面白くなりそうだ……。予期していた以上の、だけど何処かで望んでいた楽しさが、こみ上げ胸を弾ませてきた。

 

「さてさて。モンスターとやらはどれほどのものか、早く見てみたいもの―――」

 

 

 

「おぉい、ご両人! ちょっと待ってくれよ!」

 

 

 

 第一歩を踏み出した直後、背中から声がかけられた。

 思わず辺りを見渡し、顔を合わせた。

 

「……私たちのことかな?」

「らしいな」

 

 確認しあうとようやく、振り向いた。

 そこにいたのは、走って近づいてきたのは、赤いバンダナをハチマキのように巻いた二枚目若武者。息せきながら近づき、立ち止まる。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……。助かったァ、ちょうどいい所にいたぜ」

 

 息を整えフゥと、額から溢れる汗を拭うと、

 

「アンタら、βテスターだろ? ちょいと戦い方のレクチャーしてくれねぇか?」

 

 ニカッと溌剌な笑顔を見せて言った。

 悪びれることなく、疑うことなく。だけど不思議と、図々しさは感じられなかった。

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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はじまりの街 レクチャー

 突然シャシャり込んできた赤バンダナ男。その勢いにのまれ、断るでもなく了承するか考える間もなく、あれよあれよと圏外(フィールド)まで流された。そして望み通り、別に嫌々でもないが、このゲームでの戦い方のレクチャーを始めた。

 戦闘のいろはは、チュートリアルや【初心者の館】で教われる。そこでみっちりコーチを付けてもらえば十分に事足りる。ただ、実際のフィールドや戦闘の流れの感触を掴むためには、体験するしかない。チュートリアルでも館でも、ここで出現するモンスターではなく、影を立体化した真っ黒で胸にポッカリと穴があいた【擬似生物(ハートレス)】=特定箇所からほぼ無限に汲み取れる魔力(館のNPCたちは【地力(アース)】(略称アス)と呼んでいる)を【魔導核(コア)】を中心に術で練り固めた下僕が使い捨てサンドバックとして使用された。ので、初回戦闘の予習にはならない。

 ゆえに、慌ててしまうのは仕方のないことだが―――

 

 

 

「ぬおっ……、とりゃぁッ……、うえひぇぇっ!」

「ははは! そうじゃないよ。重要なのは【初動モーション】だ、クライン」

 

 巨体の割に機敏に動き回る青いイノシシ=【フレイジーボア】に四苦八苦しているバンダナ男=クライン。ソレを見て俺は、思わず笑い声を上げてしまった。

 

 【はじまりの街】周辺の平原フィールドに出現するフレイジーボアは、スライムレベルモンスターに分類されている。……いわば雑魚だ。

 直接遭遇したことはないが、現実のイノシシに酷似した姿と行動パターンで、攻撃方法は突進による体当たり以外にない。直撃しても10分の1もHPは減らないが、加味している【吹き飛ばし】効果によりランダムで【崩し】デバフを食らってしまう。一度空振りになってもすぐさま踵を返してもう一度トライしようとする。だけど、俺が知っている限り、立て続けに攻撃が空振りになると足をくじくか体をよろめかさせて倒れる。【転倒】状態の無防備を晒す。―――ソレが狙い目だ。

 短い手足をジタバタさせながら、まん丸と膨れ上がったその腹に最大の一撃を叩き込む。ソレこそがこのフレイジーボア攻略の最適解=5ツ星の【戦闘評価】を得るために必要な行動でもある。4つ星以下とは獲得できる【経験値】やレアアイテムドロップ率も一回りは上なので、ぜひとも獲得していきたい、この初期の初期ならなおさらだ。

 ただ、そんなことをしなくてもこのイノシシは倒せる。レベル1でもゴリ押しでも素手ですら、倒せてしまう。ソレほどによわい。ゆえに初めて遭遇するには/訓練には、うってつけのモンスターだったが……

 

「そんなこと、言ってもよぉ。あいつ、動きやがるし……」

 

 クラインは、決定打を与えられずに嘆いていた。

 

「当たり前だ。訓練用のカカシじゃないんだ」

 

 泣き言をぼやいているクラインに、呆れ気味で叱咤した。

 初心者だから、という言い訳はきかない。センスがない、やる気はある以上そう言うしかない。センスがない、大事なので二度言ってしまう。

 オレたちを引っ張ってきたのは、一人じゃ無理だったかららしい。だからコレは、少なくとも二度目の再チャレンジだった。コーチの補助をつけての敗者復活戦だ。

 

(ハッキリ言って、センスがないだけだな……)

 

 オレたちを(厳密にはオレだけだが)βテスターだと見抜くセンスはあったのに、戦闘のセンスはからきしだった。……もしオレたちがいなかったらコイツは、ここで財布の中身までカラになるかゲームオーバーになっていたのかもしれない。

 ログインした初日、このゲームを数ヶ月前から心待ちにしていたであろう同胞の一人だ。浮かれてその勢いのまま楽しみたい気持ちは十二分にわかる。なので……、言わないでおくことにした。

 

 クラインは、何度ものアタックの末、HPが半分ほどにまで減っていた。半減域より下がるとHPバーの色も緑から黄色に変わる、あと一撃でそうなるはず。

 返ってイノシシの方は、ほとんどHP減らしていない。体力も気力も満タン、無傷かつ連続で攻撃を当てているので【戦意】値まで上がっている、かなり【潜在能力値】を引き出せている状態で攻防力・回避率・クリティカル率まで上昇している。フゴフゴと鼻息荒く/目までギラつかせ、次の突進に備え力を貯めていた。……こんなに意気揚々と輝いているフレイジーボアは、見たことがない。

 

(それに比べて―――)

 

 隣に目を向けた。―――ソレを見て、思わず唸ってしまった。

 広々とした草原の中に一人、コウイチは立っている、彼の主武器である槍を構えながら。両手でしっかりと握りほどよく腰を落とした構えは、無駄な力みがなくゆったりとし、それでいて/ゆえに隙が見えない。気が滞りなく充填している自然体。コレが初めてだとは、クラインと同時期だとはとても思えない熟練があった。

 その視線が向いているのは頭上、相手にしているのはイノシシじゃない。バタバタと中空を飛びながら、攻撃の隙を伺っている長い嘴をもつ暗灰色の鳥=【プレーリークロウ】。この初期でなくてもかなり厄介な/迷惑なモンスターだ。

 飛行型モンスター―――

 この世界では、銃や魔法のようなほぼ必中の遠距離攻撃手段は存在しない。遠距離攻撃自体少ない。手に持った武器を振りまわすだけで中距離が限界だ。ただ唯一、【投剣】という遠距離攻撃手段は存在している、モノを投げて攻撃する。この初期であっても使えるソードスキルだ、どこにでも落ちている【小石】でも使えるので金も手間もかからない。だけどコレだけでは決め手に欠ける、牽制かヘイト稼ぎ程度にしか使えず、かなりのレベル差がなければ追撃での仕留めもできない。必要だけど十分な機能を持ち合わせていない不満が残るスキル。遠距離攻撃ゆえに空を飛ぶ敵にも使えるが、攻撃力が足りず命中率も不安定おまけにアイテムを使用するので金もかかる。ゆえにこの初期において、飛行型の敵はどれだけ弱かろうとも強敵になってしまう。他のモンスターと組まれたら、逃げることも考えに入れないといけなくなる。

 幸いなことに今、コウイチが相手にしているのは鳥一匹、殺されることはない。が、倒すことも難しい、槍の間合いであっても空に逃げられたら攻撃を当てられない。ヒット&アウェーでくるところをカウンターをブチ込むしかない。ただしソレは、慣れているオレであっても5回に1回以下でしか成功したことがない。【小石】をぶつけて撃ち落としたところを狙うのがセオリーだ。ただしその小石が当たりしかも落とせる確率も、同程度より少し上といったところ。……用がなければ/二人以上で連携できなければ、無視して逃げるのが吉だ。

 

 互いに視線の鍔迫り合い。鳥はガーガーと騒がしく喚き挑発する、かえってコウイチは静かに狙いを定めていた。その手に小石はない。両手でしっかりと槍だけを構えている。

 【投剣】のやり方は、既に教えた/覚えた、鳥の攻略法も教えた。クラインとは違いトントン拍子で2段階は先に進んでしまった。ので次のレッスンより、クラインの遅れを正す補習に付き合うため自習してもらっていた。その時点でもう、チュートリアルレベルより飛行型対策ぶん問題なく独力攻略に勤しんでもらって構わないほどだが、もう一つだけとっておきがある。ソレができれば、オレから教えられるものは何もない、パーティーとして協力し合うことができる。クラインを仕上げたら、そっちに取り掛かるつもりだった。だが―――、その必要はなくなった。

 なかなか地上に降りてこない鳥、バタバタと中空で羽ばたくだけ。無視して背を向ければその隙を狙ってくるいやらしさ、HPだけ減らされて腹が立つから相手をするも持久戦を強いられる。【スローイングダガー】でも持っていれば一撃で仕留められるも、そんなモノも買う金もない現状、我慢するしかない。業を煮やして暴れてもHPを持っていかれるだけだ。

 そんな飛行型モンスターにコウイチは、手に握っている槍の穂先を向けた。同時に、さらに腰を落としほんの少し前へ重心をずらした。猛獣が今にも獲物へと飛びかかるような姿勢=ソードスキルの初動モーション、繰り出す技は槍単発重攻撃の【パイルバンカー】、クリティカル以上の攻撃力とほんの二割増しほど射程が伸びる/技の後の硬直時間(クールタイム)も長いのではずしたら狙い撃ちにされる。ソレを鳥に―――、放った。ソードスキル発生/成立の、淡い光のライトエフェクトが武器から溢れでた。

 しかし鳥は、背丈の倍以上の頭上で滞空、届かない。ただ隙を差し出すだけ/無意味なソードスキル、彼もイラついて冷静になれなくなったのか……、そのはずだった。握っていた槍が勢いのままスルリと抜け、鳥の腹の真ん中まで発射されたのが、この目に映るまでは―――

 コウイチの槍は、まるで流星のように真っ直ぐと飛び出し、鳥を刺し貫いた。

 避ける暇なく驚く間もなくドテッ腹を貫かれ、そのベクトルにも耐えられず墜落した。そしてボトリと、地面に落ちる前に絶命していた。

 

「―――ふぅ……。何とか、成功したかな」 

 

 オレが言葉も出せず驚愕していると、先までの緊張を解いて一連の体験を反芻していた。忘れないうちに記憶にとどめておこうと、勝利よりも技の練り具合を気にしている職人の有様。

 ありえない事が目の前で、起こった。コウイチが繰り出したのは上位ソードスキルの【投槍】、ソレと酷似させた裏ワザ。【投剣】と基本ソードスキルを織り交ぜた複合技、プレイヤースキルである【急制動(ストップ&ゴー)】を用いた【擬似投槍】スキルだ。

 

 【投槍】―――

 エクストラスキルの一つ、【投剣】の上位版。片手で軽く振り回せるようなモノしか使えないソレとは違って、片手剣や曲剣や槍や両手斧まで何でも、持てて投げれる限りのモノを武器としてソードスキルの力を付加させることができる。今ゲーム最大の遠距離攻撃手段だ。発生条件は、【投剣】と【槍】を鍛え続けることだと言われているが、検証しきる前にβテストは終わってしまった。

 【急制動】―――。

 システムに登録されているスキルではなく、プレイヤー同士で勝手につけた裏ワザ=プレイヤースキルの一つ。システムから付与されている異能にほんの少し手を加えることで、強化・変化あるいは弱体化させることができる。ソードスキルが発動している最中/コンマ数秒間、システムの補助を邪魔せず/キャンセルされるギリギリの境をつかみ『押す』ことで、ダメージ量とスピードを上昇させる【加速(アクセル)】もその一つ。逆に『止める』ことで、方向転換させたりフェイントとするのがコレ。モンスター達との戦闘よりも、複雑な駆け引きが必要なプレイヤー同士の戦いでよく使われる技術。

 【擬似投槍】―――。

 プレイヤースキルの一つ、スキルスロットルに【投槍】を装備していなくても同じ効果をもたらす攻撃を繰り出す裏ワザ。装備している武器にソードスキルの力を付与させて投げる技。単発重攻撃や突進攻撃のソードスキルの最中、【急制動】で一時停止させ急発進する僅かな瞬間、ほんの少し手首を捻りながら手を離すと武器は―――、弾丸のように発射される。失敗すると、手からスッポ抜けての【武器取りこぼし】+ソードスキルのキャンセル+【強制一時停止(キャンセルペナルティ)】+クールタイムで、丸腰をさらしてしまう。刹那の/極めてシビアなタイミングで一連の動きをすると、ソードスキルはキャンセルされずしかし武器は手から離れた状態でゆえに【投槍】だと、システムが誤認してくれる。武器を発射させられる。

 こんな初期の初期ではありえないはずだが、コンマ数秒以下の刹那で正しい判断を導き出すのはどんな演算装置でも不可能だ。それに必要もないだろう。戦闘時に使われるのは一度だけ/装備している武器だけ、使えばソレを手放すことになるのだから、トドメでなければ逆襲にあう。

 

 落ちた鳥の下まで近づき槍を引き抜くと、付いた血を払うようにぶんと横振りした。そして、体に巻いていて襷を絡めて片方の肩で背負うと、振りかえった。

 

「……ん? どうしたキリト、何をそんなに驚いているんだ?」

「いやいや、お前こそ何言ってるんだよ? アレを見せられて驚かない方が、どうかしてるっての」

「そんなにおかしなことを……、したかな?」

 

 目をパチクリさせながら首をかしげるコウイチに、力強く首を縦に振った。

 

「さっきやったの、かなりの高等技だぞ。βでもできた奴は数えるほどだった。あのタイミングを掴むのはトンでもなく難しいことなんだ」

「でも君は、できるんだろ?」

「こんな初っ端じゃできなかったさ。

 偶然やれた奴をみて、もしかしたらと思って練習して……、何とかできた。5回に1回ぐらいの成功率でな」

「すごいな! そんなに成功させられるのか」

「いやいやいやいやッ! 一発でできた奴に言われてもなぁ」

「ビギナーズラックとかいうものだろう、アレは。次に同じことをしろと言われたら、成功させられる自信はない」

 

 堂々とした/胸を張ってまでの自信のなさにオレは、それ以上何も言えなかった。

 

「……彼の方はどうだ?」

「まだ何とも。センスはないけどガッツはある、てところだな」

 

 肩をすくめながら暫定評価を下すと、生徒の奮闘へと振り返った。

 そこには、仇敵同士とでも言うかのようににらみ合う、クラインとフレイジーボアの姿。今にも弾けそうなほど気合に満ちたクラインを、まるで嘲笑するかのようにブヒブヒと鼻息ならしている……ように見えなくもないボア。まだゲームを始めたばかりだというのに、最終ボスとの戦いのような緊迫感を醸している。

 脳裏をかすめたそんな変な幻覚にヨロめきそうにながら、何とか振り飛ばして、評価理由を説明した。

 

「……ビビって腰が引けちゃうようなことが無いのは、凄いよ。できないプレイヤーの大概の原因がそこにあるからな。けど逆に、前のめりになりすぎているというか、システムが感知して承認し切る前に動いちゃって―――」

「ドぉりゃあぁァァーーーッ!!」

 

 気合だけは十二分にある雄叫びを迸らせながら、クラインは突貫していた。同じく鼻息をフゴフゴと、蒸気機関車のように噴出させながら爆走するフレイジーボア、その体には朱色のライトエフェクトを纏いながら。

 ボア唯一無二の必殺技、突進攻撃【フルタックル】。獣型モンスターが使うソードスキルの一つだ。

 

 ボアがコレを繰り出すのは、稀だ。ライブで見られたプレイヤーは数限られてる、オレも又聞きだ。見れたプレイヤーはかなりの幸運だ。……大概、繰り出さられる前に倒してしまえるから。

 ボアは最弱のモンスターだ。相手に苦戦することは稀だ。やろうと思ってもできることじゃない、慣れてレベルが上がればできなくなることだ。この初期の初期だからこそできる、奇跡のような戦いだ。

 ボアは好戦的なモンスターではない。街では家畜として飼っている者もいる、見た目か匂いでちょっとでも強い相手だとわかれば自分から争いを避ける臆病なモンスターだ。だから、必殺技も大事に温存している。どれだけプレイヤーが瀕死だろうと身動き取れない危険な状態だろうと、やることはない。【戦意】が昂ぶり普段の冷静さを失う+立ち向かってくる敵が目の前にいて初めて、解放する。

 赤い大砲となって、草原フィールドを突進していた。

 

 対するクラインにソードスキルの加護は……なかった。ただのダッシュ袈裟斬り=通常攻撃の一つ。このままぶつかれば、間違いなく吹き飛ばされてしまう、大量のHPもともに―――

 即座にクラインのHPバーを確認すると、決断した。

 まだ十分に戦える状況ではあるものの、ちょっとヤバイ。あの一撃をまともに食らってしまえば、数少ない【回復ポーション】を使用せざるをえない羽目になる。HPが0になることはないだろうが、運悪くクリティカル判定だったらその可能性も無きにしも非ず。最悪そうなれば……、【黒鉄宮】の【復活の祭壇】まで戻されてしまう。再生されるまでの時間と、この狩場までの距離によるタイムロスは地味に痛い。もちろんクラインの命も。

 素早くしゃがみ、足元に落ちている小石をひとつ掴むと、【投剣】スキル【シングルシュート】の初動モーションをとった。小石を掴んだ手を肩より上に担ぐ、投球の動きに似た形。二人の激突予測地点に向かって、その時を待つ―――

 カチリと、噛み合ったかのような感覚がした。俺のアバターの腕とSAO全体を運営している巨大なシステムとが、一つにつなげられた感触。腕の筋力とは別、目には見えないが途方もなく巨大な歯車が挽きだす運動エネルギーが、腕を通して体全体へ注ぎ込んできた。手と握った小石が、淡い緑色のライトエフェクトに包まれる。

 その力に逆らわず振り抜くままに、光を帯びた小石が手から飛び出していった。弾丸とまではいかないが、甲子園児の投げる球並みのスピード。それが、爆進しているイノシシの額に―――、衝突した。

 

 フギィッと、体をのけぞらせながら悲鳴を上げると、そのまま足を踏み外し横転した。ゴロゴロごろごろと、土埃を巻き上げながら転がっていく。

 

「おトットッとぉーー……!?」

 

 強敵の急変にクラインは、慌ててたたらを踏んだ。

 何とか転ばず踏みとどまると、原因がわかったのか、キッとオレを睨みつけてきた。

 

「何すんだキリト! せっかくできそうだったのによぉ!」

「いやいや、できてなかったから! 間一髪だったから。走馬灯見えなかったか?」

「だからこそ、だろうが! ……必殺技てぇのは、死の間際でこそ閃くもんだ」

 

 云々と自分の答えに納得するクラインに、一瞬、答えられなかった。……コイツ、頭大丈夫か? ボアにやられすぎておかしくなったのか? こんなに愉快なやつだったのか……?

 吐き散らしたかった千の罵倒が、その数と勢いゆえに出てこれなかった。ただあぽーんと、呆然としたのみ。匙を投げる前に常識が壊れた。

 

「……クライン。ソードスキルは別に、必殺技というわけではないだろう? 

 我々非力な人間が、このようなモンスターたちと対等に戦い抜くための武器の一つ、でしかないはずだ。このイノシシで言うところの牙と毛皮、程度のものだよ」

「んなこったぁ、いちいち言われんでも―――」

「ゆえに、ソレを持ち合わせていないのなら……、ただ食われるだけの豚になってしまうようなモノでもある」

 

 優しく辛抱強く、諭すような説明は、クラインを現実に引き戻させるに足る力ある結論を叩き込んできた。

 邪気のない笑顔とともに言われたソレに、今度はクラインが空気ごと沈んだ、一撃でノックアウトしたかのように。逆にオレは、極から極へと振り回されて平静さを取り戻した。

 ダウンしてしまった暗いンに、手を差し伸べるように/慰めになるように言った。

 

「ほんの少し肩の力を抜いて、こらえればいいだけだよ。ちゃんと初動モーションは取れてるんだ。あとはソレを、システムが拾ってくれるのを待てばいいだけだ」

「くそぉ……。チュートリアルの時はできたのに、ここじゃできねぇなんてよぉ……」

「場所がよかったのだろう。

 ここはあまりにも広大だ、遮るものはなく彼方の山まで見える。どうしようもなく浮かれてはしゃぎ回りたくなる。その無意識の開放感と前のめりになり安い君の性質が重なって、浮き足立ってしまっているのだろう」

 

 またバッサリと分析を突き込んできたが、今度はなるほどと頷かされるモノだった。思わずポンと、手を叩いてしまった。

 それはクラインも納得するものだったのか、それでもムッと拗ねながら返した。

 

「無意識とか言うんだったら、直しようにもできねぇじゃねぇか。……今すぐ性格変えろ、て言われても無理だしよぉ」

「いいや、簡単な方法があるぞ」

「え!? あるの……?」

 

 クラインよりも先に、オレが尋ねてしまった。……オレ自身でクラインへの慰めを否定しまった形になってしまった。

 そのオレの応えに確信を持って告げた。

 

「その【曲剣】をやめればいい。空気抵抗が良すぎて早く振れてしまうんだ、今のフライング気味な君には致命的なほどに。だから、もう少し重量があって振りが遅くなる武器……、【棍棒】あたりに変えれば改善されるはずだ」

 

 なるほど、それでいけるじゃん! と、思わず拍手を送りそうになった。

 武器にはそれぞれ固有の性質を持っている。ソレは繰り出せるソードスキルの違いではなく、形状や重さや素材などの物質面にこそ根拠がある。さらにここは、現実世界とは異なり超人的な運動機能が使え物理法則で成り立っているものの、万有引力や慣性の法則など共有しているものが多数ある。空気抵抗など存在しないような動きは出来るが、だからと言って本当に存在しないとは言い切れない。ここでもソレは、縫いとめる反発力として作用しているはず。

 もしオレであったのなら即採用の助言だったが、クラインは拒絶反応を起こした。

 

「こ、【棍棒】にぃ!? ……俺ぁそんなの嫌だぜ、【曲剣】がいいんだ」

「なんで? いい考えじゃないかクライン、オレも賛成だよ。

 斬撃よりも打撃の方が有効な敵は多いし、雑に扱っても滅多に壊れない、強化するにしても素材を集めるだけで済む。【棍棒】の何がいけないんだ?」

「そんなに勧めてくんなら、なんでお前は【片手剣】なんだよ?」

「ソロで遊ぶつもりだったから。一番融通が利く武器がコレだった」

「ほぇ? ……そういう理由で、なのか?」

 

 目をパチクリと不思議がっているクラインに、こくりと頷いた。……これ以上にない理由だ。

 しかしそんなオレをジィと、探るように眇めて見つめてくると……、何かを諦めたようにハァとため息をついた。

 

「…………お前、ロマンねぇな」

 

 呆れてモノも言えないと、含み笑いを込められながら言われた。その言い分にカチンとくるも、寸前でこらえた。

 実用一点張り。自分にはその傾向が大いにあることは、自覚していた。見た目やブランドよりも機能、装飾や細工などに費やすよりも強化、どれだけ長らく使ってこようが他にいい物が見つかればポイッと捨ててしまえる。モノへの愛着が薄い。……ソレは必然服装や髪型にも表れ、見咎めた家族に教育を施された。

 

「【曲剣】のロマン、か。ふむ…………、山賊にでもなりたかったのか?」

「おい! なんでよりにもよって山賊が出てくんだよ?」

「いやぁ根拠はないのだが、君を見ていると真っ先にソレが浮かんできてね」

「オメェの目ん玉は節穴かぁ? 見ろ! この、どこからどう見ても二枚目の若武者を―――」

 

 そう言うとクィッと、自分の顔を覗き込ませてきた。

 自賛したとおりそこには、若武者の凛々しげな顔立ちがあった。現実世界にいたのなら、間違いなく女性が放って置かないだろう硬派な美男子だ、男からも頼られるような次期棟梁といった面持ちでもある。

 

「……なッ! コレでわかったろ?」

「な、何!? ソレが一体何の答えになってるんだ?」

「おいおい……。オメェも実用主義者か」

 

 クラインは話を噛み合わさず、勝手に直感し肩を落とした。それでコウイチは、おろろと悩み続ける。

 一歩引いていたオレは朧げながら、何となく何を言わんとしているか、わかった。

 

「もしかしてなんだけど……、【刀】使いたいのか?」

 

 オレの推測に、ニカリと盛大な笑顔を見せてきながら指をパチンと鳴らした。

 

「そう【刀】だ、日本刀だよ! 武器と言ったらソレっきゃねぇよッ! 

 『またつまらんモノを斬ってしまった』とか言ってみたくねぇか、『飛天御剣流』とかやってみたくねぇのかお前らは?」

「…………何ソレ? 何かのアニメにでも出てくるセリフか?」

 

 全くもって熱情を共有できず、さらには有名らしい決め台詞にも無反応なオレに、人であることを疑うような視線を向けてきた。理解できていないことが理解できないと、常識が無いと呆れられている。

 いわれのない中傷に、さすがに何か言い返してやろうかと口を開きかけると、

 

「クライン。ここではタブーに触れてしまうことだが……、我々とキリトでは世代が違うらしいんだ。今の10代にとってアレは、カビが生えかかった古典だよ。よほどの趣味人でなければ知る機会もないだろう」

「マジか!? そうだったの!? 今ってもうそんなんに、なっちまってたのかぁ……」

 

 ガックリと、肩を落とした。頭まで抱えそうな勢いだ。

 そんな落ち込む暗いンにコウイチは、肩を軽く叩くと、

 

「安心しろクライン。このゲームを作った製作者たちが、ソレを知らないはずがないだろう? 特に茅場は、リアルタイムで見たことがある最後の世代だ」

「……確かに、言われてみたらそうだな。……でも―――」

「だったら必ずや、【刀】スキルには『飛天御剣流』が再現されていることだろう。いやされていないはずがない、されてなければおかしい。裁判を起こさなくてはならんほどの犯罪行為だよ、ソレは」

「いやいやいや! さすがにそこまでは、言えねぇだろうが―――」

「ソレができない男に、男のロマンの何たるかもわからんような男に、この剣の世界を作れるはずがない。そうでないものが、私たちが今日まで恋焦がれてきたココで、あるはずがない」

 

 急に熱弁を奮った。クライン以上の熱情を込めて、先までの対立などミジンコほども無かったと、オレにはわからない何かを共有し合っていた。

 そんなコウイチの豹変に驚くよりも暗いンは、伝えられた熱でフツフツと蘇っていく。

 

「そうかぁ……。いや、そうだな。絶対そうだ、そうに決まってる! そうだよなッ! あるはずだよ、そうだろ!!」

「ああ、賭けてもいい!」

 

 何を……と、置いてきぼりをくらってしまったオレは、そんな/おそらく意味のない問をこぼした。

 完全に立ち直ったクラインは、熱狂の絶頂から緩やかな下りかになると、改めてコウイチと向かい合い謝罪してきた。

 

「さっきのは取り消させてくれコウイチ、すまねぇ……。アンタは男のロマンのわかる人だよ」

「気にしなくていいさ、知らなかった私の方が悪いのだから」

 

 互いに一歩引き合って和解した。重ねた握手の中には、友情が芽生えていた。

 

「……ただ、そうなるとだ。君は苦難の道を歩まなくてはならなくなるな」

「構わねぇよ、こんなハンデ。いつか【刀】使えると想っていれば、何たって乗り越えられるぜ!」

 

 【曲剣】ソードスキルがまともに使えない、少なくとも広い【圏外】では……。ソレは致命的なほどの障害だ。もうこのゲームをやめて、運営を訴えてもいいレベルだ。

 だけど/だからこそ、ソレを乗り越える/苦境をバネにする。求める夢の肥やしにするために……。オレはますます、二人から引いた。

 

「うむ、君ならそういうと思っていた! 微力ながら、私も力を貸そう」

「ああ、大いに頼らせてもらうぜ! 代わりに俺も、アンタが何かあったときは助けになるよ。精神的に、じゃなくてな」

 

 お茶目に、ウインクをするかのように付け足すと、どちらかともなく握手を離した。

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

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はじまりの街 鐘

 

 

「お取り込み中悪いんだけど……、まだ終わってないぞ?」

「何が?」

 

 アレと、すぐそばでピクピクと横倒れているイノシシを指さした。先のオレの攻撃がうまいところに当たったのか、【転倒】しただけでなく【気絶】までしていた。まだ起きる気配もない。

 

「あとちょっと小突いただけで終わりだから、トドメ」

「最後は君の手で終わらせなければな」

 

 やりたくなさそうな顔をしているクラインを、二人で促した。

 気持ちはわからないでもない、数の暴力での弱い者イジメみたいな結果になってしまった。これ以上何かするのは良心に反するような気がしてくる。だけど、このまま逃がすのも違うだろう。そもそも起き上がったとしても、逃げてくれることもないはず。

 

「……はぁ、しゃぁねぇな。やりゃぁいいんだろ―――」

 

 これみよがしにため息を吐き出すと、自分の持っている海賊刀に集中した。

 

「モーション……、モーション……」

 

 呪文のようにブツブツと呟く。落ち着け落ち着けとも。そして、ぎこちなく初動モーションをとる=武器を右肩に担ぐように構え腰を落とした。

 すると、今度こそ検知されたのか、ゆるく弧を描く刃がぎらりとオレンジ色の光に包まれた。ソードスキル発生のライドエフェクト。

 ソレに後押しされるよう、体が滑っていく。流れに逆らわず、前へ跳ぶ―――

 

「りゃぁぁッ!」

 

 太い掛け声と同時に、それまでとは打って変わった滑らかな動きで、左足が地面をけった。じゅぎゅーんと心地よい効果音が鳴り響くと、刃が炎の軌跡を宙に描いた。

 片手用曲剣基本技【リーバー】。今まで散々できなかった技を、イノシシへ叩き込んだ。半減していたHPを、吹き飛ばしていく。

 キレイに残心も決めると、驚きをあらわにした。

 

「うぉ!? ま、まじか? もしかして今、できた……のか?」

 

 成し遂げながらも信じられず、切ったイノシシへ振り返った。

 ふぎィーと哀れな断末魔を上げると、一瞬、足を硬直させた不安定な状態で固まった。四肢がピンと張り伸ばされる。そして、ピクリとも動かなくなった。急激に減少していったHPも、ようやく0になった。

 

「お……、うおっしゃぁぁッ!」

 

 それを確認すると、クラインは、派手なガッツポーズを決めながら雄叫びを上げていた。そして、満面の笑みで振り向くと、左手を高く上げた。苦笑しながらもソレに付き合って手を挙げると、バシンっと、ハイタッチを交わした。

 

「おいおい、見てくれたか二人共! ついにやってやったぜ俺ぁ!」

「うむ。まごうことなくソードスキルだったぞ」

 

 やったなクラインと、コウイチが賞賛の微笑みを送った。

 【気絶】してる相手にできても、あまり意味がないんじゃ……。なんて言葉が喉元まで出てきたが、寸前で飲み込んだ。ウキウキと浮かれているクラインを見ていると、水を差すのは野暮だろう。オレの方が年下なのだろうが、大人な対応をしよう。

 

「初勝利おめでとう。……でも、そのイノシシ、ほかのゲームではスライム相当だけどな」

「えっ、マジかよ! 俺ぁはてっきり中ボスかと思ったぜ」

「なわけあるか」

 

 笑いを苦笑に変えながら、もしもの為にと用意していた剣を鞘に収めた。

 そして、掴んだソードスキルの感触をもう一度試そうと武器を構えているクラインに、コウイチが注意を施した。

 

「クライン。アレもちゃんと処理しないといけない。あのままだと経験値が手に入らないぞ?」

「へっ? ……て、あれ? 本当だ。どういうことだ、0のまんまだぞ?」

 

 コウイチに言われてメニューウィンドウを開き確認すると、首をかしげていた。自分のステータス画面にあるはずの数値の上昇が、見当たらなかったらしい。

 

 このゲーム、SAOの特徴のひとつは、プレイヤーは必中の魔法・遠距離武器を扱うことができないことだ。それは、運営側がプレイヤー全員に、VR体験を存分に味わってほしいための処置だ。等身大、またはそれ以上のモンスターたちと肉薄しながら戦うスリルは、否が応にも鼓動をはやめる。ここが、現実と同じものであることを教えてくれる。リアリティ―――。その言葉に忠実であるための、設計の一つだ。

 そしてもう一つが、今俺たちの前に横たわっているイノシシだ。微動だにせず、ただそこにある。時折微風が、その毛皮の上を撫でるように走ると、ゆらゆらと青い剛毛が揺れた。先程クラインが付けた傷跡だけが、黒味を帯びた赤で明滅している。その周りには鮮やかな赤が溢れていたが、今ではその流出も止まりかけ傷跡だけがライトエフェクトを淡いでいた。

 死骸……。そうとしか言えないような静寂のまま、イノシシは地面に横たわっていた。

 

「お前、さてはちゃんと講習を聞いていなかったな? ただ倒しただけでは何も手に入らない、後処理が必要だ」

「うるへぇ、忘れただけだ」

 

 恥隠しにムスリとそっぽを向いた。ソレをみて苦笑する/それだけに留めた。……オレもコウイチに教えてもらったが、ソレは黙っておく。

 

 ただ倒すだけでは、武装が摩耗してHPが減って所持アイテムを損失させるだけだ。モンスターとの戦闘は、消費行動でしかない。唯一ソードスキルのレベルは上昇するが、それを上げるだけならば、倒す必要はどこにもない。街にある街路樹などを相手にスキルを放てば、ある程度までではあるが、スキルを上昇させることはできる。しかしこのSAOは、レベル制度を採用しているRPGだ。

 従来のRPGなら、自動的に手に入れることができる経験値やお金。だけどこのゲームでは、プレイヤーがある一定の行動を取らない限り手に入れることができない。

 

「そのイノシシの死骸に手を伸ばして、こんなふうに―――手の形を作ってかざすんだ」

 

 そう言いながら俺は、右手の手の平をイノシシに向けながらかざした。人差し指と中指・薬指と小指をくっつけて、大きなVサインを作りかけた。寸前で止める。……戦闘に参加してしまったオレがやると、認可されてしまう恐れがあった。

 

「……こうか?」

 

 俺の真似をしてクラインも、自分の手をイノシシの死骸にかざした。

 すると、ほんの数秒後、クラインのかざした手がほんのりと淡い光を帯びはじめた。

 

「うぉ!? 何だなんだ?」

 

 同時に、その青白いライトエフェクトは、イノシシの体全体にも放たれ始めた。

 徐々に光は、淡い仄めきから煌びやかな輝きへと光度を増していく。そして、その光がイノシシの輪郭をぼやけさせるほどまで膨れ上がると、途端に、光そのものがズレ始めた。イノシシを中心に輝いていたその芯が、体の外へと抜け出てきた。ある一定の境界、イノシシのフォルムの外に押し出されたそれは、そこから吐き出されたかのように、飛び出してきた。

 そして、青白い光の小さな塊は、そこからまっすぐに飛び出すと、クラインの掲げた手のひらへと吸い込まれて一体となった。

 

「うひゃぁッ!」

 

 変な声を出しながらクラインは、慌てて手を胸元まで引っ込めた。

 光の玉が手に平に当たるときは、硬式野球の球をミットで捉えたかのような音を6割減した音を出す。だが衝撃はほとんどない。足で踏ん張る必要すらなく、歩きながら、別の方向を振り向きながらでもできる。それは攻撃ではないからだ。

 俺は、ホンの少し笑いを含ませながらクラインを見た。彼の今の気持ちはよくわかっているつもりだ。俺も初めてこれを体験したときは、同じような反応した。ただ傍から見ると、微笑ましいものを感じざるを得ない。

 

 クラインの手は、先程まで光を帯びていたが、今は元に戻っていた。しかし、その手を不気味そうに見つめながら、グーパーと指を動かして手の感触を確かめていた。

 すると、視界の隅でイノシシの死骸も変化していた―――

 先程までは、動く気配は全く見えないといえども、周囲にあるオブジェクト、特に俺の足元に転がっている小石とは明らかに違う肉の感触が見て取れた。加えて、周囲のフィールドと滞りなく繋がっていて、気にしなければ無視できるような微風の影響すらその毛皮で表現していた。が、それとも違った姿に変わっている。まるで、表面からコンマ数ミリを境界にして、イノシシがフィールドから切り離されているかのようだった。見た目は変わっていないが、時間が止まったかのように固まって、あらゆる環境の影響下から切り離されて凍っている。躍動的な動画として描かれたものが、急に、立体的な静画として止められてしまった。

 それも一瞬、瞬く間もなくイノシシは、その凍った体をボロボロと崩壊させていった。ガラス塊を思い切り砕いたような音ともに、跡形もなく消滅した……

 生物としての消え方ではありえない。体に幾重にも亀裂が走り砕ける。剥がれた欠片は、細かく、砂粒にも満たない微粒子にまで分解した。そして、最後に一瞬だけ、白い光子となって煌き中空に溶けて消えた。

 跡には何も、どこにも気配すら残さずに。クラインと死闘を繰り広げた【フレイジーボア】は消えた。

 

「これでようやく、戦闘終了だ」

 

 俺は、無意味に掲げていた右手を戻しながら言った。

 【パーティー】を組んでいない他プレイヤーは、その経験値(このゲーム世界では【星力(ハーモス)】(略称ハス))を手に入れることはできない。生きている間に攻撃を加えていたのなら話は別だが、倒れたモンスターに手をかざしただけで経験値を掠め取ることは、できないように規制されている。

 ただ、小石の投擲のヒットによって、俺も経験値を獲得できる権利を得ていた。だが、このイノシシ程度の経験値を分配して欲しいほど、セコくはない。また今の初期の段階では、専用の補助スキルや装飾品は存在するが、システムに検知されるわからない距離から手をかざしていたため、俺に経験値が入ることはなかった。

 

「……なんだか、魂を吸い取ったみたいで、嫌な感じだ」

 

 そう言いながら、自分の中に入っていったであろう『何か』を気味悪がった。

 

「確かに、言われてみるとそうだな。先までは敵同士で、いわば対等な競争相手としてあった。だが、すでに倒れたアレは違う。こちらが一方的に奪ったような、してはならない一線を越えてしまったような……、罪悪感を感じざるを得ない」

「いやいや、さすがにそこまでは……ないだろう?」

 

 真面目に応えたコウイチに、歯切れの悪いツッコミを入れた。

 ただの経験値=数字=データのやり取り、とは割り切れないモノがあるのは、同感だ。魂と言い切れるほど大げさではないが、生きるために必要不可欠な何かであることは疑いない。殺した……。その言葉が脳裏をかすめてくる。

 ソレを振り切るように/見ないように、クラインはことさら明るく話題を変えてきた。

 

「経験値はゲットしたが……、金の方はどうやって手に入れるんだ?」

「ああ、それなんだが―――」

 

 俺は言いながら、イノシシがいた場所に視線を送った。クラインもそれに従って、そこを見た。今はもうそこは、気持ちよく風にそよぐ草原があるだけ。

 

「倒したモンスターから経験値を手に入れると、あんなふうに、モンスターの体が消えてなくなる。装備してた武装や切り離した体の一部とかは消えずに残ることもあるんだけど、大抵はああやって跡形もなく消える。特に獣系のモンスターは、全部消えることが多い」

「……回りくでぇな、一体何なんだよ?」

 

 クラインの追求に、俺は閉口した。

 これは、先に言っておくべきことだった。講師としては失点ものだ。ただ、もうソードスキルの感覚を掴んだのなら、あのイノシシ程度はラクラク倒せることだろう。次の機会で試せばいいことだ。

 自分の中で納得すると、説明を続けた。

 

「金を手に入れるためには、倒したモンスターの身体を街まで運んで、店に売らなくちゃならない」

「ほえ? ……身体を、売るのか?」

「そこだけ取り上げるな! 変な意味に聞こえるだろうが」

 

 クラインの合いの手に、思わず突っ込んでしまった。

 コホンとひとつ咳払いをして続けようとするが、クラインがニヤニヤしながらこちらを見ていた。「どんな意味だよ、何か変なこと考えたんだろう?」と、煽り立てるように。

 そんなスケベ野郎にキッと、返答替わりの視線を差し向けた。だけど既に、口笛を吹きながら素知らぬ顔をしていた。

 何か言い返してやろうとしたが、やめた。こんなことで力使うのはもったいない。ため息をこぼすと、説明を続けた。

 

「……正確には、さっきのイノシシだったら、【ボアの生肉・★1】とか【ボアの骨・★1】だな。極まれに【ボアの牙・★1】も手に入る。死骸を解体することで、それらの換金アイテムを獲得する。そして、それを街の市場とかで売って金に変えるんだ」

「うへぇ……。死体を解体するのかよ……」

 

 その場面を想像したのか、形の良い眉をひそめてげんなりしていた。

 

「安心しろよ。解体といっても、実際は剣先でちょこっとつつくだけでいいんだ。そうすると先の死骸が、骨付き肉か親指大の牙に変わってるんだ」

「……んだよ。それを早く言えよ」

 

 ブスっとした表情をさせながら睨んできたが、先ほどのお返しとばかりに、無視してやった。

 そんなオレに引き継いで、コウイチが続けた。

 

「ただ、それをやると経験値が手に入らなくなる。解体してしまうと、死体も消えてしまうからな。……どっちを手に入れるかは、考えてから決めなくてはならない」

「経験値かアイテム、どっちかひとつだけか。―――なかなか厳しいゲームだな」

 

 そう言いながらもクラインは、不敵な笑みを浮かべていた。

 代々続いてきた武家の若棟梁とでもいうような、眉目秀麗な姿かたち。それはもちろん、彼の現実の姿ではないだろう。かというオレも、正統なRPGにはよくいるような、正義の味方の主人公顔をしている。が、もちろんオレ本来の顔とは違う(かけ離れているというのは言い過ぎだが)。オレの要素はこの顔には微塵しか見当たらない。クラインの顔も(本当だったら土下座ものだがおそらく当たりだろう)オレと似たりよったりだろう。

 そんな偽りの仮面の中でも浮かべた表情は、なぜだか、クラインらしいものだという感じがした。クラインのことは、会ったばかりで本名すら知らないのだというのに、彼にふさわしいものだという直感がオレの頭の中で響いた。

 厳しいゲーム。だからこそ、この俺がクリアしてやる―――。クラインが浮かべたそこには、アバターの清潔さとは程遠い、生の/ゲーマーの野心がにじみ出ていた。オレも釣られてか、そんな笑い顔を作りそうになる。

 

「死体のアイテム化だけは、倒した本人じゃなくてもできるらしい。だから、周りにほかのプレイヤーがいないか気をつける必要があるだろう。マナー違反ではあるだろうが、罰則規定は設けられていない、プレイヤーたちの判断に委ねられている。……獲物を掠め取るプレイヤーは、少なからず出てくるだろう」

「……確かに。いるだろうなぁ」

 

 コウイチの忠告にクラインは、非難はできないが肯定もできないと、難しそうに苦笑した。オレも似たような表情を浮かべた。

 β版の時には、なかった気苦労だ。この本番で変更されたシステムだ、おそらく一番の変更点だろう。βでは自動的に経験値とアイテムが振り込まれた、倒したプレイヤーとそのパーティーのみが報酬を享受できる、横手からしゃしゃり出て漁夫の利を掠め取ることはシステム的に不可能だった。でもここでは、ソレができる。……コウイチの予測は、残念ながら当たってしまうことだろう。

 

「まぁ、まだ第一階層で、そんなことをする奴はいないと思うけどね」

「そう願いたいものだな」

 

 そうまだ、少なくともこの階層と次の階層までは、そんなハイエナじみたことはできないだろう……。やるにはリスクが高すぎる。掠め取ったアイテムを自分の懐に収めたままでは、追いつかれたとき奪い返されてしまう。追跡者の手が届かない保管場所に、すぐさま送り込めなければいずれ袋だだきにされるだけ。ソレもおそらく、考えている以上に早々に。

 【ギルド】設立。パーティーを越えた人数と手を結び合うこのシステムは、三階層で初めて使える。ギルドに加入していれば、金やアイテムを加入者間のみメニューを通して実際にその場にいなくとも自由に交換できる、預金したりアイテムを保管することができる。掠め取ったアイテムをすぐに、ギルドのアーカイブに送信することも。

 

「コウイチ、お前の方はどうすんだ? ほっぼらかしたままじゃねぇのか?」

「ん? ……ああ、そうだったな。忘れていたよ」

 

 指摘されてようやく思い出したと言うかのように、先に倒していた鳥へと向き直った。

 Vサインをかざそうとする寸前、止めた。

 

「悪いコウイチ、解体で頼むよ」

「目的のアイテムはもう手に入れたはずだが……。なるほど、クラインにかな?」

「これも何かの縁だよ」

 

 二人で何事か通じているのを、クラインは首をかしげた。何なのか尋ねてくる前に、コウイチは槍を抜きその穂先で鳥を小突いた。

 とんと、軽く穂先が触れると、まるでスイッチが押されたかのように解体が始まった。鳥の死骸は光に包まれぼやけ、別のモノへと変わった。灰緑色の小さな羽が一枚=【クロウの羽・★1】が、鳥がいた場所に現れた。

 コウイチはソレをつまみ上げると、クラインへ手渡した。

 

「なんだこりゃ? もしかして……、くれんのか?」

「そのまさかだ。君とは今後も付き合っていきたいので、まずは挨拶がわりに」

「いいよいらねぇって! てめぇで持ってろよ。俺はレクチャーしてくれただけで腹いっぱいなんだ、これ以上は受け付けねぇ」

「先にソレを持っていった方が、いいアイテムくれるお使いクエストがあるんだよ。始めたての今じゃあの鳥を狩るのは難しいし、時間をかけたら報酬のランクも落ちる」

「うッ! まじか……。で、でもよぉ―――」

 

 オレの援護射撃に食指が動いてくれたか、クラインは難しそうな顔で迷う。

 あとひと押し。こちら側に引き込む言葉を口に出そうとする前、クラインは顔を上げた。

 

「OK! コイツは貸しだ。いつか必ず返す」

「期待してるよ」

 

 吹っ切れたように宣言すると、コウイチの手からソレを受け取った。

 

 モンスターのいなくなった草原。歩き回るか時間が経てば遭遇するのだろうが、そのためにはもう少し街から離れる必要がある。まだまだ探索したい気持ちは山々で、もっと奥へ進みたい。

 でも今は、街に戻って準備を整えないといけない。必要なアイテムはゲットした。街の中もまだ探索しきれていない。一度戻るのが当初の/コウイチとの予定だったが、

 

「……さて、どうするクライン? もう少し勘がつかめるまで、この狩場で狩っていくか?」

 

 クラインを置いていくわけにはいかない。

 まだ一緒に行動すると決めたわけではない、そもそもどんな奴なのかもわからない。だが、この場の空気では既にそうなっていた。ただ空気なので、確信は持てない。一応は他人ということで/水臭いかもしれないが、尋ねた。

 

「コホンッ。まぁ……、なんだ。お前たちには、めっちゃカンシャしてる。それはゼッタイだ」

「スゲェ棒読みに聞こえるぞぉ」

 

 わざとらしい感謝を茶化すと、心外だと言わんばかりに苦笑した。

 

「こりゃマジだよ、キリト。

 ただ俺は、ここらで一度落なきゃならないんだわ。アツアツのドミノピザが俺を待ってんだ」

「ほほぉ、宅配でも頼んだのか。準備万端じゃないか」

「おうよ、腹が減っては戦はできねぇ。今夜は夜通しヤリまくるからよぉ」

 

 クラインの返答にコウイチは、どうにも答えられないと微苦笑で返した。遅れてオレも気づき、やはり苦笑いを浮かべた。

 

「それじゃ悪ぃな。この礼はいつか必ず返すからな、精神的に」

 

 そう言いながらクラインは、ニカッと笑うと、右手を差し出してきた。

 オレのは精神的にか……。苦笑しつつも、その手をためらわずに握った。

 

「これからもよろしく頼むぜ、キリト」

「こっちこそよろしくな、クライン。また訊きたいことがあったら、いつでも呼んでくれよ」

「おう、頼りにしてるぜ!」

 

 言い終わるとクラインは、手を離して一歩二歩と、後ろに下がった。右手を振ってメニューを展開した。スクロールして、【ログアウト】ボタンを探す―――

 

 この瞬間までだった。ここから世界は、急変した。

 

 

 

 

 

 ―――リンゴーン、リンゴーン、リンゴーン……

 

 

 

 

 

 何処からともなく、鐘の音が鳴り響いてきた。始まりを/終わりを告げる、不吉な鐘の音……。

 オレが/プレイヤー全員が、ここを遊び場と楽しんでいられたのは、その時までだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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はじまりの街 スタート

 茅場の演説のだいぶぶんは、省略させてもらいました。


 

『―――それでは最後に、諸君にとってこの世界が唯一の現実であるという証拠を見せよう』

 

 宙に浮いた巨大赤ローブが、おそらくは茅場晶彦が、厳かにも指し示したもの。ほとんど自動的にアイテムストレージを確認し、ソレをタップした。

 次の瞬間、アイテムのオブジェクト化同様、きらきらと音と光を立てながらソレが現れた。かざした手のひらにすっぽりと収まる。

 【手鏡】―――。その名のとおり、小さな丸い鏡。

 一見すると何の変哲もないアイテムだった。だからか、無用心にもソレを覗き込んだ……

 映っていた姿を見て、ギョッとさせられた。

 

「…………オレ?」

 

 そこにあったのは、現実のオレの姿だった。勇者然とした逞しさなどどこにもない、忌避してやまない生身の容姿そのものだった。

 なぜこんなものを見せつける? 悪趣味にも程がある……。喉元から出てこようとした寸前、白い光の柱が立ち上った。

 周囲、何百はいるであろうプレイヤー全てから、光柱が現れ包まれた。隣にいたクラインからもコウイチからも。ソレを目の端で捉えると、構えるまもなくオレ自身もまた覆い尽くされた。

 

 光は、ほんの2・3秒で消えた。恐る恐るうっすらと目を開けると、視界も元通り、先に見えていた風景が戻ってきた。

 【はじまりの街】の大広場、強制的に集められたらプレイヤーたち、まだ皆同じような初期装備のまま。武器や鎧に着られているぎこちなさが見えるも、美男美女あるいは古強者然とした外見の者たち……。いや、厳密には違っていた。

 

(な、何が起きたんだ……。!?)

 

 慌てて周囲を見渡し、目を丸くした。あまりの変化に一瞬声が出せなかった。

 ソレは相手も同じだったのだろう。クラインがいるはずの隣に立っていた見知らぬ誰かが、信じられないと訴えるように震えながら指差してきた。

 

「え? お、お、おま……、キリト?」

「そういうお前こそ……クライン、なのか?」

 

 そこにいたのは、眉目秀麗な若侍ではなかった。仕官先と戦を求めてあちこち転々としている野武士、あるいは人里離れた山林に跋扈している山賊だった。同じなのは、額に巻かれた悪趣味なバンダナと逆立てた赤い髪、先までは燃え盛る炎のようだったが今は鶏のトサカだ。それでも、ソレがクラインだとわかったのは……勘だ。先にあちらが当ててくれなければ、疑いが優っていたかもしれない。

 そしてどうやら、信じたくないことだが、オレにも同じような変化が訪れているようだった。おそらくは【手鏡】に映った姿へと。クラインの驚いた顔が、ソレを如実に物語っていた。

 

「うむ……。どうやらこの【手鏡】は、リアルの顔に強制変換するアイテムだったみたいだな」

 

 冷静に現状を解説した声。立ち位置からしてコウイチだろう。

 恐る恐る、だけど興味もたぶんに、その顔を見た。……見上げた。

 

「……そんなにジロジロと見ないでもらいたいな。驚かれるのはしょうがいないことだが、気恥ずかしい」

「いやいや、お前の場合は逆だから。あんま変わってないから驚いてるんだよ」

 

 そこにいたのは、エリート公務員とでも呼べるような男だった。実際は30代後半以上の経験を積みながらも、見た目は20代後半といってもいいほど若い、メガネを掛ければまさしくイメージ通りのやり手。だが何も付けてない素の顔は、落ち着いた柔和な顔つきと雰囲気を醸している、将来有望な大学助教授といったところだ。

 目元口元鼻の稜線に顎の形おまけに耳まで、どれも先とは別人なのだが、クラインを見たときの驚きには及ばなかった。むしろ、どういうわけか同一人物だと瞬時に理解できた。作られた先の顔と今のリアルの顔、二つを結べるコウイチの元型とでも呼べるものが共有されていた。

 

「そう……なのか? 随分変えてみたはずだが、実はそうじゃなかったと?」

「いや、確かに変わっちゃいたんだけど、何というか……。やっぱりコウイチだなって、ひと目でわかったから。オレやクラインとかと違って」

 

 それでも首をかしげるコウイチにオレは、それ以上何も説明しなかった。できなかった。……これ以上説明すれば、これから先立ち直れないぐらいの敗北感を味わいそうだった。

 ソレはクラインも同意見だったのだろう。なおも納得いかないと不満げなコウイチを無視して、その話題から逸らした。

 

「……てかよぉ。顔は何となくわかるんだが、背丈とか体つきが変化してるとかってのは、どういう仕組みだ?」

「おそらく、【キャリブレーション】だろう。ログイン開始前に、ナーブギアかぶりながら全身触らされたアレだ」

 

 【キャリブレーション】=装着者の体表面感覚を再現するために、「手をどれだけ動かしたら自分の体に触れられるか」の基準値を測る作業。=自分のリアルな体格をナーブギア内にデータ化する。

 オレの推測にクラインは、理解したが納得できないと難しそうな顔つきした。なんだってそんなことをするのか? その大元はわからないままだ。

 まぁ、それについては茅場が答えてくれるだろう……。そう、赤ローブの言葉を待っていると、コウイチがまるでサイボーグのように自分の体の具合を確かめながら考察を続けてきた。

 

「骨格や筋肉、内蔵の動きなどは、あらかじめ元型を作っておいたのかもしれないな。性別と年代別に何体か。そこにスキャンした全身の手触りを被せた」

「なるほどね。だから触れてねぇはずの背中とか、たいして触ってねぇはずの足の指とか股間のモノも、ちゃんとついてくれているわけだ」

 

 独り言のような考察にクラインが乗ってきた。そこから漏れ出た単語に、茅場の話に集中しようとしていたオレの意識まで持っていかれた。

 ソレは、コウイチも同じだったのだろう。クラインが指摘して初めて気がついたように、悩ましげに眉をひそめた。

 

「しかし、それならば……どうもおかしいな。自分のものとしか、現実で使っていたものとしか思えないが……」

「あ、俺もソレ思った! すげぇフィットしているというか、生まれてこの方使ってきた相棒そのまんまで、違和感がねぇ。ポジショニングの具合までまんまだし、たぶん形も―――やっぱり!」

 

 クラインは、自分のズボンの中身を確認すると、驚きをそのままに声を上げた。

 

「うほぉ、なんだよこの再現度は! ありえねぇだろう、ちゃんとホクロまでついてやがるぞ!」

「やめろよクライン! そんな大声出すな―――」

「おおぉ! 確かにこれは……、私のだ!」

 

 オレが必死にクラインの狂行を止めていると、コウイチが同じように確認し顔を輝かせていた。

 自分のズボンの中身を覗き込み、子供のようにはしゃぐ二人の男、そんな二人の間で右往左往しているオレ。奇妙すぎる3人組に、周囲の視線は痛いほど突き刺さってくる。そのうち2人はアハ体験の喜びで我を忘れているので、オレだけが居たたまれず沈まされた。

 いや注目を浴びての落ち込みが、態度にも現れたのだろう。ようやくオレの不調に気づいたクラインは、しかし見当はずれの仲間意識を向けてきた。

 

「どしたキリの字、確かめなくていいのか?」

「……やらない」

「不安になんねぇか、大事な自分の分身だぜ? ちゃんとしたのかどうかは―――」

「やらん!」

「キリト、今後の命運にも関わるかもしれん重大事項だぞ? 他人が見ても是非の判断は付けられん。君自身で確かめてもらわないと困るな」

「困れ、大いに困ってろ!」

 

 見事に息のあったタッグ攻撃も、強引に拒絶した。……オレはお前ら変態野郎の仲間じゃない。

 ただし、その代償は大きかった。現実でもここまで声を荒らげたことは数少なかったので、叫び終わった後ハァハァと気が高ぶってしまった。周りのプレイヤーたちのことも無視してしまった。

 オレの必死な様子を見て、やっと正気に立ち返ってくれたのだろう。コウイチは、知的発見で輝いていた顔をしゅんと曇らせ、目も泳がせためらいがちに尋ねてきた。

 

「もしかしてだがキリト、君は…………女の子、だったのか?」

「はぁ!? 何でそうなるんだよ?」

 

 予想の遥か斜め上の疑問に、貯められていた怒りが声とともに裏返ってしまった。

 脈絡がなさすぎる、なんだってそんな当たり前のことを聞いてくるのか……。そう思っていたのは、オレだけだった。コウイチを援護するように、クラインが続けてきた。

 

「【手鏡】見ろよ、その面で体格だぜ? 声も微妙なところだ。……わりぃが、外からじゃどっちか判断つかんかったよ」

 

 すまねぇと、決まりの悪そうな顔で謝ってきた。出てきたのが言い訳がましいセリフであったことすら悔いるように、自分の不甲斐なさで苦みばしった顔つきになっていた。

 その明後日すぎる方向に、目を真ん丸にして眺めていると、

 

「おまけに今の恥じらいぶり……。どうやら私は、無神経なことをしてしまったらしいな」

 

 すまなかったと、頭を下げて謝罪してきた。気づくべきことに気づけなかった愚かしさを悔いるように、自分の無知の罪深さを恥じ入るように後頭部を晒していた。

 たてつづけの盛大なファールボールで、ようやく現状ここで何が起きているのか理解に至った。一気に沸点を超え、プラズマ化までして飛び出した。

 

「謝んな! オレは男だ、男だからッ!」

「いや、だけどなぁ―――」

「服装見ろ! こんな格好してる奴が、女なわけないだろうがッ!」

「周りを見てくれ。それだけでは判断できんよ」

 

 そんなこと―――。反射的に跳ね返そうとした言葉はしかし、視界に映った異様な光景で打ちのめされた。

 みずぼらしいどこにでもいるような少年少女たち。不安げに帯びているその顔振る舞いは、可愛さや哀れよりも腹立ちの方を強く掻き立ててきてしまう。特に、ピンクっぽい色合いでフリル付きのスカートを履いているふくよかな男たちを見ると。天井の巨大赤ローブや禍々しい空模様を仰ぎ見ていないと、デス・ゲームに囚われた絶望感を保つのは難しい。

 言葉や激情よりもなお説得力のある光景に、何も言い返せずぐぬぬっと飲み込まされた。

 

「コウの字。本人はああ言ってるんだから、今だけは……そういうことにしていいんじゃねぇか?」

「『今だけは』って何だ、『そういうこと』ッて何だよ! ずっとそれでいいよ、そんな目で見るんじゃねぇッ!」

「なるほど! 今後に備えての予防策というわけだな」

 

 ポンとコウイチは、すべて合点がいったと手を叩いた。

 そして、あろうことか、怒り狂っているオレに称賛の眼差しを送りながら言った。

 

「閉塞感からくる絶望が倫理感を削り取ってしまうことは、予想されてしかるべき最悪だ。おまけに凶器は簡単に手に入り誰も咎めないとあれば、なおのこと考えている以上に早く訪れることだろうな。だから、女性であることは必ずしも有利なこととは言えない。男と主張したほうが最悪は免れる。理想は、どちらかわからない中性であることだが……、まぁソレは黙っていれば大丈―――」

「コウイチ、あんたと言えども、それ以上続けたらぶった斬る」

 

 感動のまままくし立てるコウイチを一刀両断するように、もはや冷たくもある声音で告げた。……聞くに耐えない妄言だ。

 

 絶対零度の怒りを突きつけようやく、周囲にもオレの心の中にも平穏な静けさがもどると、ため息を一つこぼした。これでようやく、茅場の話に集中できる―――

 そう思って耳をそばだてると、

 

 

 

『―――以上で、ソードアートオンライ正式サービスのチュートリアルを終了する。……プレイヤー諸君、健闘を祈る』

 

 

 

 いつの間にか、茅場のチュートリアルは終わっていた。

 

 目を丸くして呆然、何が起きたのか理解できずあぽーんと口を丸く開けていた。まさかまさか……、もうおしまい?

 聞き逃してしまった? 冗談だろ……。狂気の天才ならではのブラックジョークかと苦笑いを浮かべると、赤ローブの輪郭がおぼろげになっていった。

 

「え? うそ……、待てよ、なんで? ご冗談でしょ茅場さん? これで終わりって……、なんでぇ!?」

 

 待ってください、もう一度初めからお願いします! ……と、訴えながら手を伸ばすも、聞き届けられず。掻き消えてしまった。

 後には何も残らず、空も元の青さを取り戻していった。

 

 

 

 再び呆然と立ちすくむ。頭の中が真っ白になり、抱えた。……誰か嘘だと、時間よ巻き戻ってくれと、神よ私に憐れみをと切に願った。

 だが―――、願いは叶わなかった。晴れやかな青い虚空が見下ろしてくるだけ。

 

 終わった……。第一歩を踏み外してしまった。これからのはずなのに、もう致命傷を受けてしまった。こんな状態じゃ100層まで登るなんて、この第一層を突破するのも難しい。

 乾いた哂いがこぼれた。もうどうにでもなれと、ヤケクソな気持ちが胸いっぱいに広がった。すると、奇妙な清々しさで胸がすいた。何も解決していないけど気分はいい、肺にたまる空気がおいしい―――。

 そして代わりに、その空いた場所からフツフツと、怒りが湧き上がってきた。その感情が頭まで駆け上がるとギラリ、朗らかな顔が般若になった。

 

「―――どうしてくれるんだよ、テメェら! 聞き逃しちまったじゃねぇかッ!」

 

 元凶の二人に向かって、あらかんぎりの罵倒をぶつけた。

 我が事ながら信じられない、人間の所業とは思えなかった……。これから生きる死ぬの命の話をしていたのに/わざわざしてくれていたのに、独善的になりがちなゲーマーたち皆が集中して耳を研ぎ澄ませている中、オレ達はチ○コの話題に夢中だった。タマの存在証明に全力投球だった。意味がわからない。

 わんわんガアガアぎゃあぎゃあと、自分でも何を言っているのかわかっていない。そんな癇癪を迸らせていると、うんざりしたような苦笑いを浮かべてコウイチが割り切ってきた。

 

「別に、大したことは言ってなかっただろう? 一度でもHPが0になったらゲームオーバー、ここだけでなく現実でも。それだけだよ」

「いや、コウの字よぉ。そんな簡単に要約しちまうのもどうかと思うぜ?」

「そうか? 私はもっと、この現状を作り出した仕掛けの種明かしをしてくれるのかと期待していたが、そうではなかった。ただ皆の気分を高揚させただけだった……」

 

 こちらの質問は受け付けてくれなかったし……。残念だと、どこかが見事にズレた感想をため息混じりに漏らしてきた。

 あまりにも見当外れすぎて、オレもついつい「そういえば、そうだよな」と頷きそうになった。一方的に言いたいことだけ言って消える、質疑応答は一切受け付けない。これで不満を持たない奴は仏様かキリストの生まれ変わりだ。その手の人たちは現世の色々から解脱してる本物なので、機械仕掛けのインチキ神様の罠なんかにはそもそも引っかからない、いらっしゃるわけがない。

 気づけば怒りの矛先がズレていた。もう一度突きつけてやろうと身構えるも、とうにその気分も失われていた。収められる分には吐き出せていたらしい。

 スッキリはしないが掻き毟りたくなるほどでもない。つまりはいつも通り/平静さを取り戻すと、すべて洗い流すことに決めた。

 

「……まぁいい、過ぎたことは仕方がない。コウイチの言うとおり、ここはデス・ゲームになった、てことだけだしな」

「おぉ、立ち直りはえぇなキリの字」

「これからはこうでもないと、生き延びられないだろう?」

 

 悩んで立ち止まっている暇はない……。即決即断、こだわりなんて重荷をもっては、上には駆け上がれない。時間は金より重要だ。

 

「うむ、さすがキリト。もう心構えはできたんだな」

「コウイチ程じゃないさ。ただ……強がってるだけさ」

「それだけで充分すぎるだろう。私の平静はただ、考えないようにしているだけだよ」

 

 さらりと謙遜を混ぜると、オレがどういう意味かと尋ねるまもなく、すぐに建設的な話題へと切り返してきた。

 

「さて、これからどうすべきか……。地道に安全を確保しつつ、街の周辺でレベルアップを図ったほうがいいかな?」

「いや、すぐに【迷宮区】に向う」

 

 オレの決断に二人共、驚愕した。信じられないと目を丸くしている。まるで自殺志願者でも見ている目だ。

 

「おいおい、正気かキリの字!? いきなりラスダンに行くつもりかよ?」

「ああ。最低限必要な装備を整えたら、な」

 

 ソレも途中で手に入るだろうから、まっすぐ【迷宮区】へ向かうことには変わらない……。そうは付け足さず、人心地つけるように誤魔化した。

 

「君にしてはかなり無謀な決断と思うが……、何か考えでもあるのか?」

「特には、考えってほどじゃないよ。

 誰もまだ来ていない最前線にこそ、最高の宝がある。この世界のリソースは限られているから、できるだけかき集めていかないと身の安全は図れない」

 

 最強であること、あろうと日々を生き続けている者たちこそ最も安全だ。

 傍目からは真逆に見えるが、全体を俯瞰して見れば『強者』たちの方が安全だ、そうであろうと互いに心がけてもいる。だからその一点だけでも、どれだけ気に入らない相手だろうとも手を結べる/協力し合える。そうでない『弱者』たちは、それができずバラけてしまう、個々での奮闘が余儀なくされシステムに喰われてしまう。モンスターたちにも、傍目には見えないが、『プレイヤーを排除する』という一点において協力し合っている/ほぼ決して敵対したりも迷ったりもしない。その透明な悪意への反抗心としても、『戦って生き残る』気合は強化される。

 

「しかし、それにしてはリスキー過ぎるぞ? 何も迷宮区まで行かなくてもいいはずだ」

「だからこそ、だよ。大半のプレイヤーがそう考えるからこそ、オレたちは行く。ファーストペンギンになるんだ」

 

 波荒れる暗い海を見下ろす海岸、そこは豊かな食べ物の宝庫であると同時に捕食者と危険に満ちた戦場だ。誰もが足踏みする、飛び降りなければならないが足が竦む、機を待っているというがいつ来るのかわからない。指を咥えて見下ろすだけ。そんな中、勇気を振り絞って飛び込むファーストペンギン。失敗すれば死ぬも成功すれば総取り、誰に邪魔されることなくエサを食い放題だ、それを見て飛び込んだ者たちは残りしかない。

 たっぷり食い溜めたファーストは、その後子孫を繋ぐことができる。だけど、ただ流れに乗って海に降りた者たちは、同類という新たな旧敵と少ない雑魚を奪い合わなければならない。必然、冬も越せないぐらい衰弱してしまう。……そんな生き方や最後も、惨めなものだろう。

 

「もちろん、危険なことには変わらない。身の安全だけを考えるならココを起点にして徐々に進んだほうがいいだろう。

 でもオレには、βの経験値がある。第一層に出てくる敵は、嫌ってほど倒してきた。種類も攻撃パターンも心得てる。そこで戦って生き延びれば、誰よりも早くレベルアップすることができる、そこに配置してある【トレジャーボックス】から最高のアイテムも手に入る。わざわざ街で高い金を払って装備を買わなくても、揃えることができる」

 

 力強く利を訴えた。できるできるやればできると、自分にも暗示をかけるように。

 βの経験値の価値は、0ではないだろう、だがブランド品というわけでもない。あって頼りすぎれば惑わされ、無くて冒険しすぎれば後悔する、整備不調のオートマチックの拳銃といったところ。あって損は無いとしか言えない。だから、それ一つで【迷宮区】を踏破できるとは口が裂けても言えない。

 でも、言わなければならない。やらなければならない、ファーストペンギンにならなければならない。嘘は百も承知、今準備できることは自己暗示しかないだけだ。まずは気合を高めて、いつでも泳ぎまわれるように怖れを解しておく。

 

「ハイリスク・ハイリターンか……、私は博才がある方ではないのだが」

「いいや、『ハイリスク』でもないぞ。運もいらない。

 誰かが一歩先んじれば、いずれ誰かが踏み出さなければならない目の前にある『先』なら、釣られて後に続く。理性で抑えられるものじゃない。前線で戦うようなプレイヤーなら、多かれ少なかれ同じ考えの持ち主だからな。……彼らの『用心深さ』を満足させるために、無謀であることを引き受ければいい」

 

 損な役回りだが、報酬は約束されている。初めは怖くて無様を晒してしまうが、やっているうちに慣れて嫌でも強くなる。それに、一度でも勇敢さを示せば、自ずと人が集まってくる/助けてくれる。考えられる以上に得は多い。それに、『用心深さ』に酔わせれば、飛び込みの邪魔だてはされず援助を受け持たせられる。……無謀=命知らずのバカ、とは必ずしも言えない。

 考えを言い切ると、二人を見た。ぼぉと何も言えず、ただ見つめ返すだけ。そこには嘲りの濁りはなく、眩しいものを見たと言わんばかりに輝いてすらいた。

 それを見せられると、決まりが悪くなってしまった、顔を逸らしたくてたまらなくなる。……程度をわきまえず、必要以上に煽ってしまった引け目がにじみ出てきた。

 

「……オレは、これからそうするつもりだけど、強制はしない。やりたくもない。自分のことだけで手一杯で、責任も取れるわけじゃないからな」

 

 だけど……。続く言葉は、胸の中に閉まっておいた/出せなかった。ソレを口に出せるほどオレは、まだ……自分を信じきれない。

 その葛藤のまま、眉を引き結んで顔を背けると、コウイチが呆れた様子で言った。

 

「水臭いこと言わんでくれ。ここまで来たからには、君とは運命共同体だよ。それに……、私一人でいるよりも、君といたほうが生存率は上がりそうだ」

 

 かけられた了承に、思わず振り返ってしまった。欲しかった言葉、だけどそこには命の重みがある。いやが応にも責任の重荷が肩に食い込んでくる。

 ソレを背負いきってやれればオレは、作り上げた仮想の顔のままでいられただろう。あの凛々しげな勇者然とした顔の青年なら、そんなこと笑って成し遂げられるに決まっている。記憶は朧けながらそんな設定を込めて作った。でも今のオレは違う、仮面は剥ぎ取られていた。

 

「……知り合いとやらは、いいのか?」

「ざっと見渡しただけだが、ここにはいないようだ。別の街にいるかそもそもログインしていなかったのか……、後者であることを願っているがな」

 

 おそらく、そんなことはありえないだろうが……。まだ現実にいる望みがある分、割り切れないが、最悪を考えなければならない。今ここにいるオレたちには、ソレしかできない。オレ達もまた囚われた最悪の中にいると、再確認させられる/そこから目を背けられなくなる。

 

「もしここにいたとしたら、下手にフロア中を探しまわるより、迷宮区に行ったほうが早く見つかるだろう。現実に戻るためには行かなければならない場所だからな。そこで再会できれば願ってもないことだが、まぁ難しいだろう。だが名は売ることが出来る。人づてに伝えてもらっていけば、いずれ巡り合うこともできるだろう」

 

 だからコレは、自分にとってもマイナスにはならない。目的にかなった行動だ……。このデス・ゲームの中/ほぼ裸一貫の今、そんな長期的な視点で構えられるのは、一体どういう腹持ちなのだろうか。

 もしオレが、同じ立場だったのなら、コウイチのようにあれるのだろうか……。考えてみた。すぐに、できそうにないとの答えが叩き出された。自分以外の誰かへの気遣いなど、やれる心の余裕は持てそうにない。

 だからフッと、微笑をこぼした。強ばっていた気が解けた。目の前の男は、オレがその責任を持てるほどヤワじゃなかった。むしろ並んで立てるほど、肩をあずけていい相手だった。

 

「そうか、ありがとうコウイチ。……正直言うと期待してた」

「光栄だ。これからもそうあれるよう、努力しよう」

 

 オレもだ……。この優秀な後衛に負けないぐらい、果敢な前衛であらねばならない。胸の内でそう、誓を刻んだ。

 

「クラインはどうする? ともに征くかな?」

 

 コウイチは短く簡潔に、だけど少し煽るようにして尋ねた。

 一連の話を黙って聞いていたクラインは、いきなり話を振られて驚くも、すぐに答えた。

 

「俺もやることは、ダチと無事に合流することだ。全員今ログインしているはずだから、誰か一人はこの街にもいるはずだろう。まずはそいつを探す。

 そのあとは、【黒鉄宮】の掲示板を使って連絡待ちだな。コウの字のダチとは違って、ログインしてることは確かだからな、ほかのゲームでもよくつるんできた仲だ。まずは合流、掲示板使って連絡することを考えてくれるはずだ」

 

 そして一旦、区切った。

 その次の言葉が予想できてオレは、残念だと顔に出さないように努めた。本来は一人で行かねばならなかった場所だと、思い出す。

 

「……てなわけで、かなり手間かけちまうからな、お前らとは一緒には行けねぇ」

 

 はっきりと/さっぱりと、互いに後悔は残らないように言い切った。先に張っていた防衛線がなくとも、動揺せずにいられるほど。

 ひと拍ソレを飲み込むと、そうかと/残念だけどと、前に付け足せるように返した。

 

「何かあったらメッセージを送ってくれ。できる限りだけど、協力するよ」

「おうよ、存分に頼らせてもらうぜ。くだらねぇつぶやきもバンバン送りつけてやるからな」

 

 ほどほどに頼むよ……。一瞬、SNSみたいな書き込み爆撃を想像してしまい、苦笑気味に肩をすくめた。まさかそんなことやるとは思えないが、オレの人を観る目はマスターレベルにはほと遠い/まだまだヒヨコレベルだ。

 

「お前ぇらも、そうしろよ。何でもいい、どんなアホなことでも「今日は食ってクソして寝た」でも「カネ貸してくれ」でもいい、送って来い。必ず見てやっから」

 

 生存報告しろよ……。一部夾雑物があって濁ったが、言わんとしようとしていることは伝わった。まともに感動に浸らせてくれない男だ。

 だけど、ありがたい気持ちは無視できなかった。リアルだったらお節介としか思えなかったセリフでも、今ここでは違って聞こえた。まだ会って間もない他人に、そういうことを言えてしまうクラインにオレは、初めて羨ましいと思えた。

 だからだろう。皮肉混じりの感謝を返そうと思っていたが、胸で詰まって答えられなかった。代わりにコウイチが応えた。

 

「そうさせてもらおう。いずれは君たちとも共に戦う事になるからな、有望株には先行投資しておく必要がある」

「おいおい、そう言ってくれるんだったら、駄文は受け付けられねぇぞ。前線の有力情報を送ってもらわねぇとならねぇなぁ」

「もちろんだ。私たちが死ぬようことがあったら、君たちにこそ受け継いで欲しい」

 

 さらりと/穏やかなままで、今は出してはならない単語を使って言った。

 笑い話で終えようとしたであろうクラインは、すぐにおちょくるような笑いを引っ込めた。代わりに/止められた息を押して、答えた。

 

「……そうならねぇことを祈ってる」

「無駄死にだけはしない。絶対にな」

 

 噛み合いきれていない返答に苦笑をこぼすも、追求はせず。今は/お前はそれでいいと、互の分を認め合う。

 そしてそのまま、離れようとするクラインの背に、別れと再会の約束をかけた。

 

「じゃなクライン、また何処かで会おう」

「ああ、ぜってぇにな。死んでも生き抜けよ」

 

 最後に一つ、わけのわからないトンチを投げ渡してくると、返品不可だと言わんばかりに背を向け去っていった。雑踏と街の中へ、その姿が消えていく。

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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ホルンカ村 クエスト

 

 茅場のチュートリアルが終わり騒めくプレイヤーたち。悲鳴や罵倒を撒き散らす者もいれば、これからの不安で重い沈黙で俯いてしまっている者たちも。皆、デス・ゲームにアップデートされた激変を受け入れるのに、必死になっている。

 そんな雑踏の中へクラインは、隙間を縫うようにして【黒鉄宮】へと向かった。何処かにいるであろう友人たちと連絡を取るために、遠方にあるであろう【はじまりの街】と唯一通信できるそこへと。

 その背が見えなくなるまで見送ると、気分を一新させるように出発を告げた。

 

「さて、名残惜しいが行くとするか!」

「そうだな。ここは少々、狭すぎるしな」

 

 周りを見渡すと、まだ判断しかねて屯しているプレイヤーたち。どうすればいいのかわからないと、周りを伺っている様子でもある。互いに向け合う視線が、この場に重苦しい不安を蔓延させていった。……さっさと抜け出さなければ、この空気に巻き込まれてしまう。

 外へ一歩踏み出すとちくり、胸に小さな痛みが走った。彼らは知らないだけかもしれない、ここに居続けたら悪くなる一方だと/ここも既に安全な場所ではなくなっているとも、声を掛けてやるべきかもしれない。そう思い惑い始めてくると、

 

「―――今は、見なくていい」

 

 コウイチの断言に、思わず踏みとどまった。

 

「まず第一歩を踏み出す、ここから走り出す。それが彼らのためにもなる、ついてくるのか来ないのかは彼ら自身で判断すべきだ。私たちはただ、ファーストペンギンになればいいだけだろ?」

 

 君が言ったことだ……。こちらの不安を察し、拭い取るような助言。わざわざ気苦労を背負い込む必要はないとも。

 微かに笑うと、迷いは晴れた。

 

「そうだったな。オレたちが行けば、それに続いてくれるかもしれない」

「そうなってくれれば、後ろの心配もしなくてよくなる」

 

 いたずらっぽく笑った。オレも同じく。

 再び走り出すと、人ごみを縫って外に出ていった。喧騒と不安を背にし、街の外へ一直線に。途中誰かに、その姿を見られたような気がするも構わず進んだ。

 完全に群衆から抜け出すと、振り返り外から一望した。

 

「―――どうやら、初動は私たちが一番らしいな」

「だな」

 

 βテスターでも、なかなかあそこから抜け出せないんだな……。意外だった、並走しているプレイヤーが皆無だった。数十人はいるであろう彼らですら、この決断ができなかったとは。

 前を向き直ると、舗装された道路から街の最端=水堀にかかった大橋へ。モンスターが寄ってこない/寄せ付けない不可視の結界が張られている安全圏を抜け、【圏外】へ。風のように、無人の草原を走り抜ける。

 柔らかな土の感触/下草の弾力/頬を撫でる涼風、問答無用で自分のちっぽけさを知らしめてくる開けた視界。十数分前まではただ感動をもたらしてくれるだけの芸術品だったソレらは、一枚めくれば恐ろしい敵意が露わになるような騙し絵に変わっていた。ソレを振り切るように/腹にまで染み込まないように、走り続けた

 

「このまま、あの森まで走るぞ」

「あそこか……。かなり距離がありそうだが、時間は大丈夫かな?」

 

 もうそろそろ夕暮れだ……。今はまだ、地平線の先にあり黒い染みでしかないような森までには、夜になることだろう。そうなれば格段と、危険度が増す。

 

「構わない。手前の【宿駅】まで行く」

「夜にでるモンスターは、昼より厄介だと聞いたが?」

「それも狙いだ。ここの夜にでる【イージーウルフ】を狩って素材を必要分手に入れる。宿で依頼されるクエスト用にもな」

 

 防具にもなる【狼の毛皮・★1】と、クエスト用のレアドロップ【狼の牙・★1】。売れば金にもなるので、できるだけ狩っていきたい。今のレベルでは厳しい戦いになるが、慣れているオレなら難しくはない。

 

「名前からすると、狼型か……。先に相手にしたイノシシや鳥よりも厄介そうだな」

「大した違いはないよ。二人で速攻でやれば倒せる、2匹以上だったとしても連携することないし、1匹倒されると怯んで弱腰になる」

「立ち止まらず強引にでも前に出て戦う。そうする方が有利だと?」

「第一層のモンスターは大概そうなんだよ、特に街周辺の敵はな。初めてだと、どうしても腰が引け気味になるだろう。そんな心理に基づいて組まれた戦術アルゴリズム、だと思うよ」

 

 なるほど……。オレの推測に頷いた。証拠はなければ統計を取ったわけでもないのだが、あってもおかしくはない。

 さらに何かを尋ねようとコウイチが口を開きかけると、前方に見慣れたイノシシが現れた。【フレイジーボア】だ。呑気に頭を地面まで下げ草を食んでいる、こちらにはまだ気づいていない。

 

「ボアか……。腕慣らしにはちょうどいいか」

 

 ぼそり呟くと、走りながら初動モーションをとった。

 ボアの間合いの外、ソードスキルが当たるギリギリの境界。走っている勢いも加味され、立ち止まって放つ時よりも飛距離が伸びる=ちょっとした裏ワザ。ただし、勢いを殺さずにモーションを認定させるのは難しい。

 ボぅっと、火が吹くようにライトエフェクトが構えた剣に帯びた。ソードスキルが認定された。次の瞬間グンと 見えない手で押される/引っ張られるかのように加速、遠くにあった景色がズームアップされていく―――

 片手剣単発突進攻撃【レイジスパイク】。一発の弾丸となり、イノシシまで跳んだ。鋭い角のように突き出した刃が、その横腹を撫でる、そして通り抜けた。

 イノシシは全く動けないまま。オレが通り過ぎてようやく気づいた。振り向こうとするもできず、途中でカチリと固まった。すでにHPは0、死んでいることに気づいていなかった。

 遅ればせに/オレが再び着地すると同時に、手足を突っ伏したまま横倒れた。ピクリとも動かず、巨大な置物のように固くなっていった。

 

「一撃か……。鮮やかなものだな」

「初撃はクリティカルが出やすいんだよ。相手が攻撃できない間合いから急所を狙えばね」

 

 何てことはないと剣を鞘に収めると、振り返って後処理をした。経験値を獲得する。

 ガラス塊となってボアが消失したのを見送ると、さらに遠くでムシャムシャ草を食んでいるボアへと向き直った。

 

「次、コウイチがやってみる?」

「ああ、やらせてもらおう」

 

 意気込むように言うと、肩に吊るしていた槍を手に取り構えた。まだログインしてから10回も戦闘はこなしていないはずだが、随分と様になっている。向けた鋒と視線がしっかりと定まっている。

 

「先にオレがやった間合いよりも、2・3歩は遠くからでもできるはずだ」

 

 厳密には使いこなしていないのでわからないが、槍の飛距離は片手剣の倍と見ていいはず。

 その助言に軽く頷くと、一気に跳んだ。張り詰めた弓から放たれたように、残像が視界に焼き付いた。

 その加速の中、さらにソードスキルを発動させた。槍にライトエフェクトが煌くと、僅かに捉えていたその姿が霞んだ。

 槍単発突進攻撃【ボーンバレット】。真っ直ぐと突き立てられた槍は、イノシシの横腹を貫き穿つ―――

 

「―――ムッ!?」

 

 手元まで突き込むとその勢いのまま体当たりに、串刺しにされたイノシシは踏みとどまれずに押し出された。それで直進だったベクトルが傾いた。

 絡まりながら地面に転がる寸前、コウイチは槍を手放した。イノシシはそのまま突き刺さった槍ごと吹き飛ばされていった。

 

(うわぁ……。一発で出来ちゃうものなの、アレ?)

 

 一度だけの見本とちょっとした助言だけで、走行中のソードスキル発動を成功させてしまった、あやまたずイノシシを一撃で仕留めても。嫉妬も起きないような才能だった。

 呆れ気味に称賛の眼差しを送っていると、直前で横へ転がるように回避したコウイチが、その拍子で服についた土草をパッパと払いながらぼやいた。

 

「……コレは、やめた方がいいかもしれないな」

 

 最初に出てきたのは、成功の喜びよりも戸惑い。眉を顰めながら倒したイノシシを見つめていた。

 

「どうした、そんな難しそうな顔して?」

「槍でコレをやることについて、ちょっとね。

 敵が動かず、しかもアレぐらい軽かったのなら構わないのだろうが、倒せず吹き飛ばしもできないのなら衝突してしまうだけだ。剣や曲刀のように、通り抜けながら撫で切るのなら構わないのだろうが……」

 

 槍/突き攻撃主体の武器では自爆技に等しい……。指摘されてみると確かにそうだ、思わぬ盲点だった。敵は実体として正面にいるのだから、真っ直ぐ突進すればぶつかるだけ。通り抜けられるのは槍のみで、使い手までは無理だ。しかも突き刺したら、コウイチがやったようにすぐに手放さない限り【転倒】の危険がある。

 誤算だった。片手剣と槍の違いを把握しきれていなかった、オレのミスだ。

 

「そうか……。オレがやりきれなかった分を始末して欲しかったけど、難しいかな?」

「【短刀】か【片手剣】あるいは【曲刀】持ちなら、簡単なのだろうがな」

 

 よければ、そのどれかに直してもいいが……。暗に提案された。

 少し悩むも、すぐに却下した。槍の遠距離攻撃と牽制は捨てがたい。戦闘を速攻で終わらせるよりも、前後を磐石にして守りを固めたい。

 だとすると、

 

「もう一人、いや二人は欲しいよなぁ……」

 

 コウイチも無言ながら頷いていた。

 ソロでやるとは決めていたものの、パーティープレイをしている今、どうしても人数を揃えておかねばならなくなった。二人でこのまま突っ切ってもいいが、未踏地を行ったり撤退したりすることもあるのでどうしてもあと二人は欲しい。四人でないといざという時対応しきれない、逆に四人ならば大抵のピンチからも生き残れる。これからトップを突っ走ると決めた以上、仲間を増やさざるを得ない。

 ただ、

 

「どうする、戻って仲間を探すかな?」

「いや、ソレはやめよう。今残っているプレイヤーを無理に引っ張っても使えないし、同じこと考えている奴らならこの先で会えるはずだ」

 

 あくまで意思が統一されていてこそ機能する、それそれが役割を理解しかつ能力も同一以上でこそ。声をかけて探しまわるよりも、進みながら出会った相手がベストだろう。最前線という場所が人を選別してくれる、この初期の時点ではまだ確固たる組織はできてもいない、機と縁があればすぐに仲間になってくれることだろう。

 イノシシが破砕した音=コウイチがアイテムを獲得した。経験値を取りたくても、すでに槍が刺さっている状態では自動的にアイテムになってしまう。消失すると、残った槍をまた肩にかけ直した。

 

「行こうか。今は悩んでいても仕方がない」

「そうだな。今は先に突き進む時だ」

 

 これからの課題として頭の片隅にしまっておくと、走り出した。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 幾度の戦闘をこなしながら、たどり着いた森の中。すでに周囲は夕焼け色に染まっていた。森の中は薄暗く、夜気が奥から/茂みの中から染み出てきていた。

 迷宮区はこの先、森を抜け山脈の谷間からそびえ立っている円塔だ。はるか上空、第二層の底部でもある天井まで真っ直ぐと伸びているその塔の鋒は、薄雲に隠れて見えない。現実世界にあるどんな円塔よりも高く、キロメートル単位で測れるほど、おそらく現実の物理法則や現代の建築工学では建設不可能であろう建物だ。アレが目に映るたびにココが、現実世界でないことをはっきりと思い出される。

 ソコまで直線距離、半日超といったところだろう、途中休んだり街によったりするので1日あまり。現実ならその倍はかかるだろうが、今ならそれぐらいだ。運動部でもアウトドア派でもないオレだが、ここまで息切れ一つなく走ってこれた。初期パラメーターであってもマラソン選手並みの走行力があると見ていいだろう。

 それならばもっと先へ、この森もすぐに抜けたいのだが、一つだけやることがある。森の中でひっそりと暮らしている集落=【ホルンカ村】。その小さな村を物色しながら回っていた。

 

「すごいものだな。こんな小さな寒村、現実では絶滅しているだろうに……」

 

 物珍しそうに眺めているコウイチ、お上りさんのように目をキラキラさせていた。

 周りにいるのはNPCだけ、彼らは一定の反応しか返さない/無視してくれる。だからこちらがどう振舞おうが関係ないのだが、悪目立ちするのはどうにも腰が引ける。視線が気になってしまう。なまじ人の形/自分たちとほぼ変わらない姿かたちをしているから、意識してしまう。ソワソワと居心地悪そうに道具屋を探した。

 それで目を離していた隙に、コウイチが通りを歩いていた老人に話しかけていた。

 

「そこの御仁、少し話を聞きたいのだが、いいかな?」

『……なんだね?』

 

 しわがれ少し掠れてる低音ながらも、余所者への嫌煙は感じない。素朴な田舎の農夫然とした老人。土に汚れ使い古したモンペ姿に所々ほつれがある麦わら帽子/肩に三股に別れた鍬を担いでいる、貧しくはあるが都会ぐらしでは絶対に手に入れられないであろう健康な顔つきをしている。

 何事かと耳をそばだてていると、予想の斜め上をいくことを尋ねてきた。

 

「あなたは、ここがある一人の人間によって作られた仮想世界だということを自覚しているかな?」

 

 一瞬、頭が真っ白になった。思わずコウイチを見返すも、その顔には冗談も悪意も見えない/真面目そのもの。

 いくらなんでもソレはまずい、おそらく意味も通じない。誰もが一度は尋ねてみたいことだが暗黙のタブーだと、慌ててコウイチの口を塞ごうとした。

 

「お、おいコウイチ! それはちょっと―――」

「あんた、そんな格好しているがもしかして……、巡回の神父様かね?」

 

 首を傾げる老人に、また驚かれた。遮ろうとした手を止めてしまった。

 固まるオレをよそにコウイチは、さらに続けた。

 

「学者ではなく神父と言った理由を、聞かせてもらえないだろうか?」

「……学者というのは、一体なんなのかね?」

「なぜそんな当たり前な質問をする?」

 

 質問に質問を返す=自身の常識の根拠を示せ、と。

 AIにその質問は難しすぎたのだろうか、それとも一介の農夫だからか。現実の人間でもハッキリとは答えられそうにない質問。老人は困惑の色を濃くして、コウイチを不思議そうに見返しているだけ。

 しばらく無言で見つめ合っていると、先にコウイチは探る目を閉まった。

 

「こちらからは以上だ、時間を取って済まなかったな」

 

 脈絡なく会話を打ち切った。もう全て聞いたと言わんばかりに、この場から離れようともする。

 

「……おかしな人じゃな。まぁ、客人であることには変わらんか。

 小さくて何もない村じゃが、楽しんでくれ」

 

 かなり失礼に値するような態度だったが、老人は気にせず。通行人NPCらしい締め台詞とともに離れていった。

 呆然と、家路についているであろうその背を見送ると、何事もなかったと言うかのように平然としているコウイチへと振り返った。詰問するように目と声を細めると、

 

「……何がしたかったんだ?」

「ちょっとした好奇心だよ。NPCがどれだけ人間らしいのかを探ってみたくて。ふむ……、興味深いな―――」

 

 アレはただの、村を巡回するだけのNPCなんだから、大したことできないだろうに……。と思っていたが、先の様子を見たあとではその考えは揺らいでいた。普通の/現実でもあるような、言葉は通じる他人と他人との会話だった。むしろ、人であるはずのコウイチの方がおかしかった。

 今後はやめてくれと注意しようと声をかけると、

 

「小さなコミュニティならではのものか? まだ交通網が整備されていなければ、紙なんてものもないだろうに……。

 魔法が代用しているのか? いやしかし、この世界ではソレを使える人間はごく限られているらしいしな。群れ同士の繋がりは微かなものなはず。だから、私たちとは精神構造が違うのかな? あんな不躾な態度でも鷹揚であれる余裕はどこに根拠がある、それとも礼儀だけは行き届いているのか? 信仰がソレを作っているのか、彼が特別に教養深かったからかな? いやしかし、この規模の村と人でソレを育めるのか―――」

 

 コウイチは、自分の思考の中に没頭していた。周りもオレも見えていないかのように、ブツブツと独り言を呟き続けていた。

 どうにもできずただその様子を眺めていると、気づいたのだろう。そこから覚めると、苦笑しながら謝罪した。

 

「……すまない。先を急ぐんだったな」

「え? ああ、そうなんだけど……。いや、そうじゃなくて、だからそのぉ……」

 

 ほぉっとしていた/コウイチに当てられたからか、逆にオレの方がしどろもどろしてしまった。

 喋るたびに慌ててしまうのに気づくと、一旦仕切り直しと息を整えた。

 

「とりあえず、ソレは棚上げにして、だ。ゲーム攻略の方、進めても……いいですか?」

「ああ、頼むよ」

 

 オレの皮肉を含んだ謙遜に苦笑で答えると、先に見つけていた道具屋まで行った。

 

 

 

『―――らっしゃい!』

 

 店の店主が、低いながらも威勢のいい掛け声で出迎えてきた。

 すると自動的に、売店用のウインドウが展開された。種目別や獲得順に並んで整理されている所持アイテム一覧/購入できるアイテム一覧。NPCの売店では基本ソレを操作すれば売買できる、店主と話したり交渉したりする必要はない。

 スクロール&タップタップ、個数と売値を確認、決済ボタンを押した。溜め込んでいた要らない素材アイテムを売り払った。それで稼いだコルで回復アイテム等を揃える。

 

「キリト、ハーフコートだけでいいのか? こっちにある【ブロンズソード】や盾は、必要じゃないのかな?」

「いいんだ、代わりの装備は。ここでやれるクエストで手に入れるから」

 

 テキパキと必要な分だけ買い揃えると/コウイチにも指示を出すと、店をあとにした。何も言わずに離れると、『毎度あり!』との掛け声が背中を追いかけてきた。

 

 

 

 集落から少しばかり離れると、境界線ギリギリに一軒家が建っていた。目的の場所。βと同じそこに在ってくれたことにホッと胸の内で安堵した。

 

「……ここがそうなのかな?」

「ああ、たぶんね」

 

 閉められている木製の扉をコンコン、軽くノックした。

 

「失礼、どなたかいらっしゃいますか?」

『はいはい、少しお待ちくださいな―――』

 

 中年の女性の声が、家の中から聞こえてきた。

 がチャリと鍵が開く音、扉が開かれる前に半歩ばかり下がるも、家の内側へと引き込む形式だった。βでもそうだったことを思い出すも、ついつい見慣れている外開きの対応をしてしまった。気にしないように知らんぷり。

 空いた隙間から、少しやつれ気味の女性が顔を出してきた。オレたちを見て訝しる。害意はないと作り笑いで返事をした。

 

「……どなたですか、見慣れない方のようですが?」

「旅の者です」

 

 簡潔に、当たり障りのない答えを言った。

 当然、その程度では不審者の疑いは晴れないので、βでも使った予め用意しておいた言い訳を出した。

 

「この森の先にある【トールバーナ】まで行きたいのですが、もうこんな時間になってしまった。夜に森を抜けるのは危険なのでこの村で一泊させてもらいたいのですが……、あいにく宿屋は満室で休めないときている。野宿ではこれから身が持たない。そこで紹介してもらったのがこちらでして、そちらのご都合がよければ泊めてくれるかも知れない、とのことで伺ったのです」

 

 正規のルートは、本当に宿屋に行ってこの話を聞き出す。そこで資金不足のため泊まれず突っぱねられ、別の方法はないかと食い下がる。すると、追い出そうとする宿の親父を奥から出てきた女将さんが引き止め、先の提案をしてくれる。ソレを聞き出したあとここに来る。

 

(……キリト、そんな話は初めて聞いたぞ?)

(いいのいいの、ただのフラグ立てだから)

 

 コソコソと耳打ちしてくるコウイチに、任せておけと太鼓判を押した。

 だけど、いちいち宿屋を迂回せずとも、同じようなセリフを言えば通してくれることに気づいた。重要なのはタイミング。扉を開けてもらい最初に「どなたですか?」と聞かれた後、次のセリフが出てくる前に一気にまくし立てる、それらしい窮状を訴えるようにして。セリフを待ってしまうと疑られ中に入れてもらえないのだが―――

 

「そう、ですか……。まぁお二人ぐらいなら、構いませんが―――」

「本当ですか! ありがとうございます、宿泊代は払わせてもらいますよ!」 

「いいですよそんなこと、お気になさらずとも。別段キレイでも広くもありませんし、何もおもてなしできませんが―――」

「お構いなく、無理を言っているのこちらですので。雨風しのげる寝床があれば充分ですよ」

 

 謙遜し続ける女性に、強引に押し入っていった。オレのキャラではないが、ここはこうでもしないと入れない。うっかり戸惑って返事を怠ってしまうと、「やっぱりダメ」との流れに持って行かれてしまう。

 よろしければどうぞ、上がってください……。観念してくれたのか、半開きだった扉が完全に開かれた。中に迎え入れてくれた。

 お邪魔します……。陽気な旅人の仮面を崩さず、家の中に入っていった。しかし、続いてコウイチも入ってくるかと思いきや、扉の前で立ち尽くしていた。入っていいのかダメなのか躊躇っている。

 

「……どうしました?」

「いえ、そのぉ……。土足で上がってもよろしいのですか?」

「土足……?」

 

 女性は、聞き慣れない言葉に首を傾げていた。彼が何を悩んでいるのかわからずキョトンと、だけどそこにはAIらしい不自然さはない。

 ひと拍遅れて、ようやく何に戸惑っているのか察した。慌ててコウイチに耳打ちした。

 

(コウイチ、ここは中世あたりの西洋風の世界観だから、靴のままでいいんだよ)

(そうみたいだな)

 

 女性の反応か家の造りか、躊躇っていなかったオレの態度か。コウイチも察したらしい。

 ただ、どうにも慣れないものだ……。気にしないでくれと女性に言うと、苦笑しながら/靴を履いたまま家の中に入った。

 気持ちはすごくわかる。勝手に入って無理言って泊めてもらうのに、汚してしまうのは気が引ける。何より慣れていない。家の中では靴は脱ぐもの、その赤ん坊の時からの習慣は抜き難い。こういった当たり前の所作でボロが出てしまう。

 中に案内されると、楽にしてくださいとテーブルを指し示した。1、2、3脚。使い古しの木の椅子に座った。

 

「お疲れでしょう。なにか差し上げたいのですが……、今はこれしかなくて―――」

 

 謙遜しながら出してきたのは、お手製と思われる木のカップに入った、水だった。

 ここはお茶かジュースか、少なくとも白湯じゃないのか……。掃除は行き届いてはいるものの、家具自体が少なくどこかどんよりした空気が漂っているこの家は、見た目通り貧乏なのだろう。そう、初めて来た時には哀れんだ。

 だけど今、別の見方が現れてきた。お茶もジュースも白湯ですら、高級品だということが。ガスが通っていないここでは、お湯を沸かすのに半時以上はかかってしまう、保温ポットなど存在しないだろう。飲める水を即座に客に出せるだけでも上等だった。……彼女は困窮に喘いでいるわけではない。

 

「ありがとうございます。ちょうど喉が渇いていたところだったんですよ」

 

 別にそんなワケはなかったけど、折角出してもらったモノを遠慮するのは気が引けるので、ゴクリと一杯飲み干した。

 喉から胸へ、ひんやりとした心地よい感触が流れ落ちると、視界隅に映っていたHPバーがマックスまで回復した=小回復作用。ただの水かと思って当てにしていなかったが、実際に無味無臭の/色合いも透明な水そのものだったのに、まさかの回復ポーションだった。

 予想外の歓待に、コウイチ共々顔を見合わせた。ソレを眺めてか、出会って初めて奥さんが微笑んだ。「美味しい!」とのリアクションはできなかったが、オレたちが驚いた顔がソレ以上の褒め言葉になったのだろう。柔らかく落ち着いた、優しい母親のような笑顔。

 一気に和やかな空気が立ち込めてくると、奥の扉の向こうから、誰かの咳き込む声が水を差してきた。ソレが耳に入るとすぐに、さきの微笑みは消え憂いとやつれを帯びた顔つきに戻った。肩を落とす奥さん。

 すると突然、その頭上に『Q』が立ち現れてきた。

 

(キリト、クエストマークが出たぞ!)

(ああ、見えてるよ)

 

 初めてのクエストに若干興奮気味のコウイチを抑えながら、クエスト受諾手順をこなす。

 

「誰かほかに、いるんですか?」

「え? ……えぇ、娘が一人、病気で寝込んでいまして―――」

 

 言いかけてハッと、口を押さえた。

 オレ達に向き直ると、慌てて訂正してきた。

 

「お気になさらずに! 人に伝染するものではありませんから、ご迷惑をかけることはないですよ」

 

 まるで引き留めるように、害は無いとアピールしてくれた。無理に泊まるのはオレ達の方なのに、伝染病の危険など思っていもいなかった/実際に無いとβで知っていたのに。βでやった手順とは少々違った反応だ。

 不測の事態に戸惑っていると、かわりにコウイチが尋ねてきた。

 

「伝染するかしないのか、貴女に分かるのか?」

 

 医者には見えないのに……。その素朴な質問に今度は、奥さんが戸惑ってしまった。一瞬答えに詰まる。

 会話があらぬ方向に向かってしまいそうな危惧に、耳打ちで止めさせた。

 

(お、おいコウイチ、邪魔しないでくれよ)

(ん? ……あぁすまない、つい好奇心で)

 

 悪気はなかったと、溜息をついてこの話は一旦終わりにしようとしたら、

 

「はい。これでも薬師の端くれでして、大抵の病のことなら心得ています」

 

 村の人たちからも、良しなにしてもらっていますよ……。謙遜しながらも、その芯には実績と誇りからくる揺るぎなさが垣間見えた。

 知らなかった設定に、再度慌ててしまった。顔にも驚きが露に出てしまった。そして次に、納得が降ってきた。だから先の水が回復ポーションだったのか、と。村から少し離れた場所に家を建てているのは、病や傷や死を扱わなければならない医者としての防疫処置/住民への配慮のため、だったのかとも。

 新事実と直感でポカーンとなっていると、また興味が沸いてしまったのか、コウイチが食いついてきた。

 

「しかしそれでも、娘さんの病気は治せない?」

 

 敏腕刑事か名探偵のように、鋭そうな観察眼を向けながら追求してきた。

 悲鳴を上げそうになった/頭の中では上げていた。何でこいつ、こんなにズケズケと他人様の事情に踏み込めるの? 家に土足はダメなのに、心の中は構わないなんて……。彼の倫理観がよくわからない。そしてもはや、方向修正もできなくなった。

 

「はい……。今できるのは病の侵攻を抑えるだけで、治すことはできないんです。西の森に生息している捕食植物の胚珠があれば、どうにかなるのですが、私の腕では危険すぎて行けずじまい。このままではいずれ、娘はし―――」

 

 ハッと、口が滑ったと言わんばかりに止めた。そして、恥じ入るように顔を背けた、自分たちの窮状が思い出され涙をグッとこらえながら。

 哀れみを誘う場面。だけど不謹慎ではあるが、挽回のチャンスだった。コウイチが何か口に出す前に、次の受諾手順を差し込んだ。

 

「よろしければその話、詳しく聞かせてくれませんか?」

 

 少々無理矢理な感は否めないが、早々に流れに乗った。少しでも話題に上りさえすれば、次のステージに行ってくれる。

 

「いえ、そんな……」

「宿のお礼ですよ。それに、オレたちは冒険者の端くれですから、困っている人を助けるのは仕事みたいなものです」

 

 歯が浮くようなセリフを言いながら、さりげなく襟元につけていた【冒険者の証】をチラ見せた。別に必要なアイテムでもアクションでもないが、安心させるための証拠の提示=気持ちの問題だ。

 ソレが功を奏してくれたのか/クエスト依頼の流れに従っているのか、奥さんはオロオロと迷い始めた。

 

「ですが……、出会ったばかりですのに、ご迷惑をおかけしては……」

 

 予想外の躊躇い。βだったらこのひと押しで終わっていたのに、まだ粘ってきた。

 だけど後ひと押し。どう言いくるめるかと悩んでいると、

 

「娘さん、助けたくないんですか?」

 

 コウイチが、強引に押してきた。まるで誘拐犯のような言い様。

 奥さん同様にオレも、目をパチクリして驚かされた。だけど次に、オレは「もう勘弁して下さい!」と泣き喚きそうになるのをギリギリで堪え、奥さんは「簡単に言わないで下さい」と長年の看病の鬱屈であろう暗い感情を含ませながら警告してきた。

 

「……危険なんです。村の猟師たちでも、おいそれと近寄らないような場所にいるんですよ?」

「それなら心配いりません。私たちは猟師ではなく冒険者ですので」

 

 当たり前のことを聞いてくれるなと、自信満々な冷然さで言い切った。猟師よりも冒険者の方が強いという根拠が何処にあるのか、全くわからないけど、そんな気にさせる説得力があった。

 二の句も歯噛みもできずぽかーんと仰ぎ見ていると、コウイチは続けてきた。

 

「胚珠、というのはどういったものですか? 素人目でも見ればわかるものですか?」

 

 もはや行くことが決定しているかのような態度。さっさと情報を寄こせとのせっつきに奥さんは、慌てて説明した。

 

「……赤い、頭に花が咲いている個体が宿しているモノです。他のモノはまだ青く花も開いていませんので、すぐに見分けられるはずです。けど……」

 

 恐る恐る、上目がちにコウイチの顔を伺ってきた。危険過ぎると警告したいが、ソレを口に出したら気に障るかもしれないと、躊躇っている。

 そんな心の機微を無視して、コウイチはさらに続けた。

 

「必要な個数は一つで、よろしいですか?」

「はい、ソレで充分です。ただ……、空気に触れるとすぐに劣化してしまいますので、できるだけ傷をつけずに持ってきてもらえると、ありがたいのですが―――」

「叩いたり落としたりも、避けたほうがいいですか?」

「え? ……あ、はい! できればお願いします。周りについている花弁で包めば、持ち運びに便利なはずです」

「そうですか―――」

 

 いきなりスクッと椅子から立ち上がると、もう聞きたいことは聞いたと言わんばかりに、さっさと家から出ようとした。オレも釣られて後ろに従う。

 

「い、今から行くのですか!?」

「早いほうがよろしいでしょ? 私たちも先を急いでいますので」

 

 それでは……。慌てて引きとめようとする奥さんを他所に、ドアノブに手をかけた。

 

「夜になれば、彼らも活発化します! 危険すぎますッ!」

「ならば尚の事よろしい。こちらから探す手間が省けます」

 

 必死の警告もまるで馬耳東風、ノブを引いて扉を開いた。

 

「そ、それではせめて、こちらをお持ちください―――」

 

 引き留めるのは無駄だと悟ったのか、急いで台所まで戻るとガサゴソ。棚の中を探り、手の平大の透明な瓶を差し出してきた。

 

「……何ですか、コレは?」

「彼らが嫌う【フォレストベア】の体臭に似せて作った【香水】です。自分に振りかければ半時ほどは寄ってこなくなりますし、彼らにかければ錯乱するか逃げてしまいます」

 

 ハァハァと息せきながら、βでは見たことのないアイテムの説明をしてくれた。

 【香水】、奴らが嫌う臭い……。そんなものあったのかと、またまた溢れ出てきた新事実に驚かされるばかり。

 

「よろしいんですか、こんなものまで頂いて?」

「はい……。私には、このぐらいことしかできませんが―――」

「それではありがたく、使わせてもらいますよ」

 

 パシリと、言い終わる前に小瓶を取った。

 いきなり手元から消えて呆然とする奥さん。コウイチはその不躾すぎる振る舞いに注意が向く前、もうここには用はないと身を翻すと、家の外へ出て行った。

 オレも慌ててその背に従うと、後ろから別れの言葉が投げられた。

 

「あのぉ……、どうかお気をつけて。決して、無理だけはなさらないでください」

 

 心配そうに別れを惜しむ奥さんにオレは、何とも言えず会釈だけ返した。……彼の相棒である以上、今更取り繕っても手遅れだった。

 見送ってくれる奥さんの視線から逃げるように、ズンズン先へ進むコウイチの元へと走った。

 

 

 

 

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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ホルンカ村 MPK

 やっぱりコペルはクズだと思います。


 

 

 

「―――何か言いたげだな、キリト」

 

 外れの小屋から出てきた後、森の奥地へと向かっている最中、チラチラと様子を伺っているとコウイチから話しかけてきた。必要もなさそうで/個人の事情に入り込むようで/適当な糸口もないので、黙って歩いていたけど、そちらから話を振ってきたのなら答えるしかない。

 

「いや……。妙に冷たかったから気になって」

「冷たい? 別段そう振舞った覚えはないんだが……」

 

 君にはそう見えたのか……。指摘されて初めて気づいたと、素であの振る舞いをしていたと、呆れと感心が入り混じった驚きで見つめ返した。

 改めて省みると、自分のあり方の一部をこぼしてきた。

 

「……そう、なのだろうな。あの手の女性はどうにも好きになれなくてね。奥ゆかしいと言えば聞こえはいいが、付き合っていると無駄に時間を取られる。さっさと要件を済ませて離れたほうが無難だと思ってね」

 

 気分を害したようなら謝ろう……。無言に含めた謝罪に、大したことじゃない/ちょっと気になっただけだと答えた。オレは別に、フェミニストや騎士道を標榜しているわけではないので、漠然とした世間の常識との違和感しか語れない。

 それに何より、こちらも改めて考えてみれば、彼女はNPCだった=生の人間じゃない。あらかじめ設定されている/決まりきった応答しかできないはずだった、それなのにあの場面では違和感なく話していた、娘の看病に少々疲れている若いシングルマザーそのものだった。作り物とそうではない違いがわからなかった、思い返してみてもコレだとは示せない。

 機械と人間の境という、すぐには答えの出ない抽象問題に悩み始めると、

 

「ターゲットの捕食植物というのは、手ごわい相手なのかな? 名前はたしか、【リトルペネント】だったな」

 

 コウイチが現実問題に引き戻してくれた。

 

「動きは鈍重だけど体力はある。視覚は弱いがそのぶん嗅覚が鋭くて、今の低レベルの【隠蔽】じゃ見破ってくる。

 主な攻撃方法は、幾つもある蔦を鞭みたいに打ち据えてくることだ。時々絡めて捕まえようとする。それに捕まると、かなりやばい」

「やばい、というと具体的には?」

「まず、身動き取れなくなるからほぼ無防備で敵の仲間から攻撃される。そんでもって、解かずそのままにしていると、喰われる」

 

 なるほど、それは最悪だ……。やられたらまず助からない。密閉された狭い空間の中、じわじわ体が溶かされ消化される恐怖を味わうことは、幸いなことにない。その手前で意識はアバターから外れる。

 言葉通り最悪な死に様だ。だけど、なかなか想像できないものではある。食人植物なんて物騒すぎる生き物、幸いなことに現実にはいない。……いないはず。

 

「奴らは植物だから、火が弱点だ。【松明】の火にも近寄ってこない」

「それは熱を嫌ってなのか、それとも光を? 生きている植物なら、よほどの高熱か燃焼剤を使わない限り燃えないものだぞ」

 

 このファンタジー世界で、現実の物理法則を突きつけてくるとは……。呆れて苦笑してしまいそうになるも、確かにソレもありえるのかもしれないとの考えが浮かんできた。植物は火に弱い、だけど生きている植物は燃えないもの、水気が抜けた落ち葉や枯れ枝でなければ。その原則はこの世界であっても通用するはず/しなければおかしなことになるはずだ。そこまで深くは考えてこなかったことに、気づかされた。

 改めて考えてみるも、確かな答えは出てこない。代わりに一応の推測で答えた。

 

「奴らはどちらかというと夜行性だから、光の方が問題なのかもしれないな。ここは湿地でも降雨量も多いわけでもないから、確かにそうだとは言えないけど」

「夜行性か……。この世界において、食人植物はどういった進化経路で発生したものなんだ?」

「進化経路?」

「私たちの、現実世界ではそのような生き物はいないだろう? 少なくともメジャーじゃない、そんな巨大植物が生存できる環境でもない。この仮想世界独自の何かが原因となってソレを生み、この森の中で維持しているはずだ。そしてソレが、火を怖れる習性となって現われたのではないかな?」

 

 話の規模がいきなり壮大になって、ついて来れなくなりそうになった。たかだか第一層の雑魚モンスターの習性が、世界創世の秘密と密接に繋がっているとは……。だけど踏ん張って、答えてみた。問いかけの中に答えの片鱗が見えていた。

 

「……【魔王】が、元凶だった? 超科学技術か魔術かで無理やり作り出したから? 火を怖れるのは魔王がそうだった、だから?」

「あるいは【冥王】かもしれないぞ。説明上はこちらが先で、しかも名前の暗いイメージからも、元凶は冥王の特性だろう」

「今の支配者は魔王なんだから、何らかの手は加えたはずだよ。本来の設計が乱れたことが元凶なんじゃないのか?」

「確かに……。そうなると、二人の敵対心が生んだ歪んだ生物、ということになるかな。その歪みが火の浄化作用を恐れている」

 

 消えてしまうことを恐れている……。どちらも相手を排除したがっているのに、その衝動そのものは消えたくないとしがみついている。宿主の耐性や意思を無視して従わせてしまうほどの習性として根付いてしまった。なんとも、歪んだ話だ。

 

「まぁ、ソレはここで考えても答えは出ないから置いて、だ。とにかく火を怖がって近寄らないのは確かだ。ただし、一度戦闘態勢に入ったら違う反応をしてくる」

「違う反応?」

「火に触れないギリギリまで接近してくるんだ。蔦も伸ばして攻撃してくる」

「武器への攻撃はせずあくまでHPを狩ることに専念する、か。フィールドの通常のモンスターと同じ反応だな」

「そういうこと。下手な盾よりは優秀だよ。ソロでやった時には大いに助かった。なかったらやばかったよ」

「ペアなら、そうでもないかな?」

「群れで来られなければ、な」

 

 結局、ソロプレイの一番の敵は大群だから、特に障害物のない広場で囲まれること。いつも全方位に注意を回せない、ちょっとでも防勢に回ったり手を間違いたりすれば、すかさずダメージを受ける。どれだけ格下でも注意しなければならない状況だ。その気配を少しでも感じたら、迷わず逃げに徹するべき。

 

「なるほど。そのために【油壺】なんてものを、買ったんだな」

 

 さきの村の道具屋で買ったアイテム。小瓶に詰め替えて導火線を付けるなどの細工を施せば【火炎瓶】になるも、今は【工作】スキルはないので形だけしか真似られない=重量は重くダメージ量は少なくそもそもぶつけても火炎瓶の効果を発揮してくれるか確実ではない、油を撒き散らしてそこに松明の火をつけても結果は同じだ。

 

「ソレを使うのは、花付きの個体が現れてからだ。元々出現率が低いし、嗅覚が鋭いからな。近くで仲間が燃やされている匂いが伝わったら、まず目の前に現れてくれなくなる」

「普通は逆ではないのかな? そのような所業を見過ごすことはできないと、復讐しにくるものでは?」

 

 同胞を守るために……。言われてみれば、確かにそうなってもよさそうだ。また頭を捻らされた。行動パターンは知っていても、どうしてソレを選ぶのかの思考パターンまで知らなかったことが、浮き彫りにさせられる。

 

「……実を割ったときはそうなるからな。種族意識よりも子孫を守ることを優先している、とか?」

「その場合、割られる前に反応しなければ意味がない。実の中に詰まっている果汁か何かが、フェロモンのような効果を引き起こしているのかもしれないぞ」

「フェロモンか、無自覚に引き寄せられるだけ……。だとしたら、そんなものを持っている理由はやっぱり、自分の種を残すことかもしれない。自分の子供に、仲間を引き寄せる香りを漬けることでな」

「ふむ、そうも考えられるな……。彼らにとって同族が、生息地や獲物を奪い合う競争相手でないのならな」

「まぁ、それもそうだな。同族なら自分の手のうちは全部知られているし……。でも、だから割られるような危険な時にだけ、集めるようにしたんじゃないのか? 死なば諸共、みたいな感じでさ」

「自分の子孫がダメになるのなら、他もそうすると? それは随分と……、業の深い生物だな、自滅するだけだろうに」

「だからこの森の中には、奴ら以外のモンスターが少ないのかもしれない。結果的に共倒れにはならず、種としての面子の維持と向上につながった」

 

 冷徹な遺伝子による鉄の掟が、厳しい自然界の中で生き残らせた……。もしそうなら俺たちも、ソレを見習うべきなのかもしれない。甘えるだけでは、結局この世界には勝てず死人が増えるだけだ。

 ソレが正しいとは考えられるも、どうも踏み切れない。怖いし悲しいしやるせない。何か、大切な感情を切り捨てるようで/取り戻せなくなりそうで躊躇ってしまう。

 

 雑談しながら森を進んでいくと、いつの間にかあたり一面薄暗くなっていた。鬱蒼と生い茂る木々が空を塞いでいる、僅かな隙間から夜空が覗いていた。昼間には何処からともなく聞こえていた小鳥の鳴き声/涼風が梢や茂みを揺らす音など、今はもう聞こえてこない。そんな静寂の中からシンシンと、森そのものが立ち現れてくるようで/その巨大な懐に入っていることに気づかされて、自然と緊張感が高まっていく。

 

「そろそろ、縄張りに入った頃合いだけど―――」

 

 言いかけてガサゴソと、近くの茂みが鳴った。

 風が揺らしたにしては大きすぎる/不自然すぎる。加えて段々と近づいて来るのは、どう考えてもおかしい。コウイチともども、無言で武器を引き抜いて構えていた。

 そして、来た―――。森の暗がりからオレ達の視界の中へ、一体の巨大なウツボカズラのような植物が現れた。

 【リトルペネント】。この森に生息するモンスター/今クエストの標的、ただし頭頂部に花は咲いておらず実も青さが残っている。通常のペネントだ。

 十何本も伸びている蔦。手足としても用いているのか、器用に折り曲げながら自重を支えて這い進んでいる。オレ達を認識すると止まり、垂らしていた二本の蔦は持ち上げウネウネと威嚇するようになびかせてきた。……やつの方も臨戦態勢に移っていた。

 

「実は割らずに、胴体部分だけ攻撃してくれ」

「逆に、集めるために割るのはどうかな?」

 

 強気な発言に目を見張った。なかなかの攻めの発言だ、初心者とは思えない/慎重に行くつもりかと思っていた。だけど……面白い。

 すぐに、同じような不敵な笑みを返した。

 

「それはかなり面白い作戦だけど、今はやめておこう。

 一度匂いが付いたら数時間はとれないからな。装備もアイテムも頼りないし、レベル上げにきたわけじゃない。今回は慎重にやろう」

「次の予定があると?」

「ああ。強化素材ように乱獲するためだ」

 

 本当は、このクエストで手に入れられる武器を【マテリアル化限界】まで占有したいが、そこまでの時間はない。βテスターならあと数時間も経たないうちにたどり着くはず。ここで稼ぐよりも先に進んだほうがいいだろう。

 こんなデス・ゲームになったのだから占有など、やめた方がいいのかもしれない。かなり不興を買う行為だ。だけど、持っている者と持たざる者の間には超え難い格差がある。トップランカーになりたいのなら、ソレを利用してしかるべきだろう。甘えは断ち切っていかないと駆け登れない。

 パチンッパチんッと、ペネントが蔦で地面を打ちすえた。まるでその音で、こちらを威嚇するかのように、あるいは「私はこういうものです、以後お見知りおきを」と彼らの言葉で自己紹介してるのかも。中世の武士の名乗り上げに似たものを感じさせる。

 

「その話は後で聞かせてもらう。―――来るぞ!」

 

 名乗りは終わったのか、ペネントは、地面を叩いていた蔦をこちらに伸ばしてきた。鋭くしならせ風を切るように打ち据えてくる。標的はオレ。

 打点を見極め危なげなく躱すと、次が来る前に跳んだ。一気に懐まで迫り、袈裟斬りを叩き込んだ。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 何体、何十体屠ったか、いつの頃からか数えるのをやめた。おそらく20は狩ったはずだけど、そこから先はわからない。

 あたり一面には、切り落とした蔦とペネントの死骸。オレが避けた誤爆で蔦に叩かれた梢が2・3本、横倒れている。赤茶けた地面に濃緑の落ち葉の絨毯が引かれた。その頭頂部に実っていたのか、手の平大の木の実が数個転がってもいる。

 さながら、巨人が踏んづけた跡。木が倒れたおかげで空が開け、月か星かはわからないはるか天空にある第二層の底部の煌きが仄かに差し込んできた。松明をたかずとも広場全てを見渡せる。

 その荒れた戦場の中でまた一体、倒した。コウイチが放ったトドメのソードスキルが、ペネントの胴体を深々と貫く、HPを消し飛ばした。

 

「―――ふぅ、なかなか出てこないな」

「もうそろそろ、出てきてもいい頃合なんだけどなぁ……」

 

 汗をかいたわけでもないが、腕で額をこする。筋肉疲労が起きたわけでもないが、肩をほぐし手をブラブラさせた。現実の習慣を露わにするほどには慣れ、そしてダレてもきていた。

 リアルラック頼りの狩り、なかなかに出てこない花付きペネント。おそらく初めてこのクエストを受けたからか、出現率が悪い。それとも今日の運勢は最悪だったのか……まぁソレはそうだろう。おそらく今日以上に最悪な日は、これからの人生で数える程しかないはず。目的の獲物がやってこない。

 コウイチは、倒したペネントを処理すると、展開させていたメニューをみて眉をしかめた。

 

「これ以上戦ってしまうと、アイテムストレージが溢れてしまうな。一旦村に戻って売却したほうがいいかな?」

「経験値だけでいいさ。それに、ストレージに収められない分は、手で持っていけばいい。【竹カゴ】をつかえばあと10体分はいけるはず」

「気づいたんだか、どうも獲得できる経験値が減っているぞ。それも倒せば倒すほど、今は初めて倒した個体の半分しか取れてない」

 

 どうなってるんだ……。オレも初めてソレを知った時、かなり困惑してしまった。今までの苦労を返してくれと、運営に文句を言いそうになった。

 

「レベル上げとか素材集めとかで乱獲するのを防ぐための処置、て言われてる。

 初めて倒した奴の次は8割に、次と次あたりは7割で5体目以降が6割に、10体以降は半分になる。そこにレベル差が加味されて、レベル差の数値分を%にした分だけ減少する。だから、第一層を突破できる頃には、フレイジーボアでレベル上げなんてできなくなる」

 

 するような酔狂な奴なんで、いないだろうけど……。デス・ゲームになってしまった以上、ソレが酔狂なのかどうかはわからない。

 ただ、狩りすぎれば過ぎたでまた厄介な問題が出てくる。恐ろしく凶悪なボス級モンスター=【リベンジャー】が出現する、少なくとも10階層は上まで登れていないと相手にもならないような強さだ。楽して安全に気をつけすぎたら、逆にしっぺ返しを食らってしまう。

 

「だからプレイヤーは、自分の地位と強さを維持するために、上に登り続けなければならなくなる。低階層に留まって怠けていれば、後続にすぐに追い抜かれてもしまう」

「ソレは心強いな。後ろ備えがしっかりしていれば、前にだけ集中できる」

 

 そういう風に捉えるのか……。競争原理に凝り固まっていた自分の考えを戒めた。

 

「ただ、だとするとだ。どうも茅場の考えは矛盾してるな」

「茅場の考え?」

「プレイヤーを全滅させたいのか、それともクリアして欲しいのか。 

 あえて、βテスターとビギナーとの差別化を図って不和の種を仕込んだと思いきや、初期アイテムの【生命の首飾り】で補填している。獲得経験値減少によって、狩場の独占をさせないような配慮もしている。NPCに人間性を吹き込んでいるのは、繰り返しのクエスト攻略による停滞を防ぐためだろう―――」

 

 NPCに付加された人間性の意義……。単純に「できたから」とかリアリティを高めるためとか、自然発生してしまったなどの不測の事態に分類できるものだと思っていた。始めは戸惑ってしまうけど、基本は喜ぶべきものだと、新しい人類の誕生を歓迎するべきだとも。けど、そのような意図が根底にあってもおかしくはない、というか創造主の目的にピタリと重なっている。プレイヤーが機械的にクエスト報酬を獲得し続けることを妨げるためには、相手が生き物である必要がある。疚しさを募らせて心を削れば、報酬以上を徴収できたようなものだ。

 

「どちらを望んでいるのか、バランスを取っているのか。どれほどの比率で保っているのか? どうして手を緩めている、自殺願望? 現実世界に飽き飽きしてたのか? あれだけの才能と金と名誉を持っていれば当たり前か。あるいはそもそも……いや、ソレは早計か……」

 

 オレも考え込まされていると、コウイチはまた別世界に飛んでしまった。ブツブツとつぶやきながら脳内議論している。

 もう慣れたものだ、いちいち戸惑うことはない。しかし、咳払いで呼び戻そうとすると、ガサゴソとの異音が引き戻してきた。

 緩んでいた空気が一気に緊張。コウイチも目を覚まし、武器を強く握り直した。目合わせして確認、互いに気づいているかどうか。

 静かに、相手に気づかれないように近づくと、互いにしか聞こえないボリュームのボソボソ声で言った。

 

(またペネントかな? ソレにしては小さいようだが)

(たぶん、違う。アイツ等に隠れるとか罠を張って待ち構えるとかの行動パターンはないよ。コイツは別のモンスターだ)

(別、強敵か? 倒すのは面倒かな?)

(強くはないけど、面倒ではある。ものすごくすばしっこいんだ。けど、倒せたら良いアイテムか大量の経験値をもらえる、美味しい獲物だよ)

(メタルスライム、みたいなものかな?)

 

 まぁそんな感じ……。目的とは異なるけど、これはこれでラッキーだ。

 そっと、何気なさを装って/靴ひもを直す素振りでしゃがむ。やりながら自分の想像力の無さにがっかりしてしまうが、気にしないように無視。足元に落ちている【小石】を拾う/握った手の中に隠す。目の端で対象の位置を定め立ち上がる。

 そして、ゆっくりと完全に腰を上げきる寸前、急襲した。

 小石の投擲/【投剣】のソードスキル=【シングルシュート】。薄青の光を帯び尾を引きながら、小石が標的の茂みへと突き刺さっていった。

 吸い込まれた小石がガツンと、何かにぶつかる音、茂みの太い枝はか地面にぶつかった音とは違う。その予想通り次に「ホガぁッ!?」とま抜けた悲鳴、同時にHPバーが視界に浮かび上がった。

 茂みの中からボトリと、投げ出されるように転げ出てきた。

 人=プレイヤー/オレたちと同じ/オレと同年代ぐらいの少年。NPCではありえない、今の段階でこの森に来れるのはプレイヤーだけだ、何よりも同じような装備がプレイヤーだと言っていた。小石をぶつけられたであろう頭を抱えながら、地面にうずくまっている。

 

「痛たたぁ……。何すんだよいきなり攻撃するなんて、ひどいじゃないか!」

 

 どうしてくれるんだよ、弁償しろ―――。半べそかきながら非難してきた。

 戸惑う/慌てた、まさか他プレイヤーがいるとは思っていなかった。反射的に謝罪しようと口を開きかけると、

 

「コレが、メタルスライムか?」

「……へ?」

 

 首をかしげながら、トンチンカンなことを聞いてきた。

 

「いやいや、違うよ! どう見たってプレイヤーでしょ?」

「そうなのか? 人型のモンスターじゃないのかな?」

「じゃないって。ここにそんなモンスター、まだ出てくることは……」

 

 言いかけてふと、悪いアイデアが浮かんできた。

 そういうことにしても、いいんだろうか? そうなったらどうなるんだろう、メリットとリスクは? 

 たぶん、ドロップアイテムも経験値もかなり大量にもらえるだろう。二人なら簡単だし確実だ、あのレアモンスターを仕留めるよりも。プレイヤーか人型のモンスターか、一瞥だけでは判断できないものだ。事故だったと言い切ってもいいだろう、オレ達の他に証人はいないし証拠も残らない。疚しさとか罪悪感とか残りそうだけど、さっきめんどくさいこと言ってきたし……

 ちらりとそいつを見た。そのオレの顔を見て、逆に相手の方が慌て始めた。

 

「ちょ……えぇ!? ウソだろ、いきなりッ! 君らマジか!?」

「何慌ててるんだよ?」

「あのチュートリアル見ただろ、ここ今デス・ゲームなんだよ? HP0になったら現実でも死ぬんだよ!?」

「そんなこと、言われんでも知ってるよ」

「ひぃ、ひ……人殺しに、なっちまうんですよ?」

「人殺し? おいおい、なんだってそんな大それたことになるんだ?」

 

 相手の変転ぶりに、こちらの方が驚かされた。泣きながら懇願するようになってきて、いつの間にか命乞いになっていた。

 一体全体、なんだってそんなに怯えているのか? 首をかしげる。オレはそんな強面ではないはずだ、むしろ柔弱で女の子にも見られてしまう、舐められるような童顔だ。

 にじり寄ろうとすると、「ヒィッ!」と抜けた腰のまま後ずさった。だけどコツンと、太い梢にぶつかって阻まれてしまった。

 男の顔からさぁと、血の気が引いていった。絶望の表情。そして、その青ざめた顔でオレを仰ぎ見た、媚びるような引きつった歪んだ笑みを浮かべながら。

 

「……か、金ならあげます。持っているアイテムも装備も全部。だから、だから……お願いします!」

「何言ってるんだお前? てか、なんでオレたちがそんなもの欲しがってると思ってる?」

 

 意味不明な怯えに若干苛立ちながら答えると、男は絶句した。まるで死刑宣告でもされたかのように、顔色は青を越えて白くなっていた。

 陸へ無理やり釣り上げられた魚のように、パクパクと口を開閉する。何かを言わなければならないけど、何を言っていいのかわからない。焦燥感が喉をつまらせ呼吸もままならない様子。それでも、搾り出すようにして、

 

「ぼ、僕は、まだ……死にたくない。死にたくなひんです!」

 

 殺さないで下さい……。ぽろぽろ泣きながら/声も裏返しながら、オレの足にすがりつくような勢いで必死に訴えかけてきた。

 それを見てようやく、相手が何に怯えているのか気がついた。彼とオレとの誤解が完全に解けた、先までのオレの態度をどう捉えていたのかも。オレが頭の中で考えていた妄想を読み取って、これから起きる事実/身に降りかかる暴力と思い込んでしまったのだろう。

 ぽかーんと、開いた口がふさがらなくなった。

 

(……キリト。どうやら彼は、私たちがPKをしたがっているように思い込んでしまってるな)

 

 コウイチの耳打ちで、ようやく戻ってこれた。

 

(らしいな、どうしてか分かんないけど)

(誤解を解いてやるべきか? それとも、利用すべきかな?)

(利用!? なんだってそんなブラックな発想が出てくるんだよ?)

 

 彼はもしや、オレではなくコウイチを見てあんな誤解をしたのかもしれない。黙って少し顔を固くすれば、マフィアの若頭と言えなくもない。使い込まれ血塗れた槍を肩に担いで見下ろしてくれば、縮み上がらない方がおかしい。

 そのことを指摘してやろうとすると、まともな理路が返ってきた。

 

(普通はこんな、命乞いみたいな真似しないだろう? ただ石をぶつけられて、同じプレイヤーを目の前にして、PKされると思い込むなんてな。何か疚しいことがあるに違いない)

 

 言われてみれば、そう考えられなくはない……。ひどい偏見とも言えなくはないけど、オレは威圧的に脅したわけではないはず。……たぶん。

 和解は、内情を探ってからでも遅くはない。

 オレ達の内緒話をビクビクしながら見ていた/おそらくはどんな処刑方法がいいだろうかとの相談だと思っていたであろう男に、向き直ると言った。

 

「名前は……【コペル】で、いいんだよな?」

 

 視界隅のHPバーに表示されている名前を確認すると、ブンブンと頭が取れてしまいそうな勢いで頷いた。

 

「それじゃコペル。だったらまず、やらなきゃならないことがあったんじゃないのか?」

「や、やらなきゃならないこと、ですか?」

「おいおい、そんなことも分からないのか?」

 

 言ってやらなきゃわからないほどの莫迦だったのか……。小莫迦にした調子の溜息もプラスして、理不尽な怒りとガッカリ感をだしてみた。

 ハッタリ/ブラフ、あるいは賢人の知恵。オレ自身よくわかっていないけど分かっているフリ、相手に自問自答させる。隠し事を吐かせるためには一番いい方法だ。

 案の定、コペルは困惑した。必死に何を言えばいいのか悩んでいる。何を言えばこの場から逃れられるのかを。でも……、わからない。チラチラとオレの顔色を伺うもやっぱりわからない。当たり前だ。オレだってわからないんだから。

 だから思惑通り、コペルは隠していた罪を白状せんと……、土下座してきた。

 

「す、すいませんでしたッ! もう二度としないんで許してください!」

「それだけじゃわかんないぞ。何をどうして、許して欲しいんだ?」

「え? そ、それは……も、MPK(モンスターPK)しようとしたこと、です。花付きが出てきたら、ワザと実を割って囮にして、クエスト報酬を独り占めするつもりで……」

 

 まじかぁ……。思わず驚きが顔に出てしまった。なんてこと計画してたんだコイツ、最低のクソ野郎じゃん。

 やっぱりここで始末すべきかと、とりあえず頭踏んづけて土の味教えてもらうかとしたが、寸前でこらえた。冷静に考えてみる。自分だったらどうするか? どうしてこんな行動を取るのか/取れるのか? 人殺しも辞さない理由は―――。思い至った。

 彼はただ、ゲームをしていただけだ。ソレもハンティングゲームの類。殺人なんて考えていない、HPを0にしても現実で死なないと思っている、こちらにいる限り見えないからそう思い込める。誰も証明しようがない、ただゲームマスターたる茅場だけしかわからない。罪など考えなくてもいい、できることを全てやりきって構わない/すべきだ、我が身に降りかからない限りは。

 史上最低な小市民の考えだが、理解できる。自分がそうじゃないとも言い切れない。今ここにいるオレも、傍から見たらそうなっているのかもしれない。そんな不安はありながらも邁進するだろうとわかっている、不安を抱え反省すれば釣り合いが取れているとでも言うかのように。だから今、目下で怯えきっている男の姿は、見たくもない不愉快な鏡像だ。

 

「なるほど。随分と面白い事をしてくれるつもりだったな。だが……、もう悟られてしまったな」

 

 所詮君はその程度だったな……。嘘はいっていないが、相手には皮肉げなセリフに聞こえたことだろう。まるでこのお粗末な顛末に赤点をつけて返品するかのように、コウイチは猛毒がこもった笑みで総評した。

 

「そ、そのようで……」

 

 コペルは、その怒り狂いたくなるようなしょっぱすぎる評価にも関わらず、追従するような引きつった笑いを浮かべてきた。命あって幸いと、生き残れる兆しに目を輝かせていた。

 盛大な溜息とともに肩の力を落とすと、再びコウイチが耳打ちしてきた。

 

(どうするキリト、彼の処遇は?)

(どうでもいいだろう? 結局何もしなかったわけだし、てかこんな醜態まで晒さなきゃならなくなったし、罰ならソレで充分だろう。邪魔にならないうちにさっさと退散してもらうだけさ)

(ほほぉ、なかなかに寛大じゃないか)

(甘すぎる、て言いたいのか? ぶん殴ったりすればいいのか?)

(もらえるものは貰っても構わないんじゃないかな? 先に彼が提案してくれた通りに。その方が彼も納得してくれるだろう)

(いや、ソレは……)

 

 どうなんだろう、悪くないかも……。悪魔の囁きに偏りそうになった。

 頭を振ってその考えを振り払った。却下だ。ここでソレを/有り金全部と身ぐるみはいでしまったら、結局途中でモンスターにやられてしまうかもしれない。もし生き残ったのなら/オレたちの詐術を暴いたのなら、間違いなく復讐される。七面倒臭い未来が待っている。

 ここは寛大な処置でいいだろう。見逃そう。ただ最後に一つ、退散するその尻を蹴っ飛ばしてやろう。

 

「行きなよ」

「……え?」

「今日は見逃す。次にまたやるのなら、容赦しないけど」

 

 いきなりの釈放に、目をパチクリさせた。嘘か本当かクルッと回って冗談か、油断した背中をズドンか……。目まぐるしく頭を回転させていた。

 しかし、オレからそんな意図は読み取れなかったのだろう。恐る恐る立ち上がると、警戒しながら後ずさっていった。

 

「あ! 一つアドバイスがあるんだけど」

 

 ビクンと、跳ね上がった。ベタなやり方だったけど、面白いように引っかかった。思わず笑みがこぼれてしまった。

 

「……何、です?」

「ここで他の人を嵌めるのやめた方がいいよ」

 

 図星だったのか、顔が固まった。たらーんと汗が流れ落ちる。

 まさかとは思っていたけど、本当にやる気だったとは……。懲りないクソ野郎だ。繊細そうな/インドア派&草食系&パソコンオタクな外見でも、中身は図太いのかもしれない。苦笑しながら続けた。

 

「MPKのやり方としては間違ってもいないし、この初期でソレをやる奴がいるなんて中々考えられない。それに、この場所もいいしね。ただ、その計画には重大な穴が―――ッ!?」

 

 説明の途中、森の奥からワサワサと音が鳴った。何かが迫ってくる、その気配に総毛立った。一気に臨戦態勢戻った。

 そして、今度こそペネントが現れた。それも大群、横一列に自身の蔦をウネウネさせていた、まるで森全てが襲いかかってきたかのような不気味な光景。しかし、オレ達が目を奪われたのはソレではない。中央に、仲間たちから守られているかのように鎮座している/煌めいている、花付きペネント―――。

 ようやく本命が来た。一同武器を構えると、凶悪な笑みを浮かべた。

 

「ようやくお出ましか。それに―――」

「なかなかの数だ。二人で捌ききれるかな?」

 

 ちょっと、いやかなり厳しい……。囲まれたら一網打尽で終わる。一手でも間違えれば、あの蔦に掴まれて車裂きの刑か、消化液たっぷりの壺の中に収納されてしまうことだろう。……どちらも体験したくない死に様だ。

 生唾を飲み込むと、罠にかけようとした男に振り返った。

 

「お前はどうする? ここは一旦共闘するか、それとも出直すか?」

 

 どっちか決めてくれ……。一人でも多い方がいいが、期待せずに聞いた。

 コペルは一瞬、驚いたように目を丸くしてオレを見ると、悩む。しかし逡巡は一瞬、怖れ混じり躊躇いがちながらも言った。

 

「ぼ、僕も……やるよ。戦う」

「そうか。

 それじゃコペル、オレ達が正面からタゲ取るから、回り込んで後ろから花付き仕留めてくれ」

「おいキリト、それでは彼に報酬を譲ることになるぞ?」

 

 さすがにソレはやり過ぎだと、今まで苦労してきたのは私たちだと、注意してきた。

 

「パーティー組んでないのを利用しないとな。タゲ取りは二人いないと厳しい。それに、全部倒す必要もない。さっさと花付きだけ倒して退散するのが、一番いいだろ?」

 

 今回は彼に譲る形になるけど……。一度クエストを成功させてしまえば、次をやるにはインターバルがある。β版でもそうだった以上、本製品のここはソレ以上になっている可能性は高い。それに、コペルがここではしばらく、オレ達のようなカモを引っ掛けられなくなる。

 オレの言わんとしていることが伝わったのかそうでないのか、不満を残しながらも頷いてくれた。

 

 ジリジリとにじり寄ってくるペネントの大群。一斉に陣太鼓のように地面を叩くと、地鳴りのように揺さぶられた。伝染してきた振動が足腰をジンジンと痺れさす。そしてシュンシュンと、蔦をくねらせ打ち据え威嚇するペネント。奇妙なことに、一斉にやっているのにどの個体の蔦もぶつかったり絡まったりしていない。絶妙なタイミングで振り回していた。……ちょっとソレを期待していただけに、残念だ。

 オレ達との/互の間合いを計る、激突の瞬間に備えた。視界の端では、コペルが戦域から離れていくのが見えた。まだ警戒範囲だけど、オレ達が攻撃すればすぐに注意が逸れる位置だ。―――準備は整った。

 踏み込んだ=先取先制。

 こちらの間合いギリギリ/ペネントが反応しない枠外、初動モーションをとりソードスキルを発動させる。剣にライトエフェクトが仄めき帯びた。システムアシストが体感時間を加速させようとする。

 その寸前、事は起きた―――

 

 しゅんと、鈍色の尖ったものが駆け抜けた。オレの横を飛び抜けペネントの一体へ、その頂きに鎮座している青々とした実へとブスリ、突き刺さった。

 【投げナイフ】、投剣スキル……。それらの単語が頭に浮かんでくると同時にパシュリと、実が弾けた。中から盛大に、果汁が吹き出した。あたり一面に一気に、甘ったるい匂いが立ち込める。

 ペネント達が、急に凶暴化した。匂いに触発されて怒り狂っている。彼らとの戦いでは、特に大群の時は、一番やってはいけないことだった。

 思わず、ソレをやった張本人=コペルに振り向いた。

 

 

 

「ごめん。でも……、こうする方が確実だろ?」

 

 

 

 囮役として、敵の目を引き付けるには……。あるいは、オレ達がペネントたちと共倒れになってくれるには。

 そりゃ、やっちゃダメだろう……。マナー違反じゃないかと、βの時のような常識をこぼした。あまりにも非常識な今には、全くそぐわない。

 

 ―――それじゃ、頑張ってね。

 

 声に出されることはなかったが、その視線と酷薄な笑みが物語っていた。

 捨て台詞を伝えるとそのまま、茂みの暗がりの中へと身を隠していった。

 

 

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

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ホルンカ村 長い一日の終わり

 どうして奴は、裏切ったのか? 

 不思議とその疑問や怒りも沸いてこなかった。あまりの出来事に麻痺していた、油断していてスッポリと嵌められた。

 オレ達の間には信頼関係なんてものはなかった。敵の敵は味方だという一時休戦/共闘もありえなかった、角突き合う三つ巴のままだった。背後から忍び寄るにしても/報酬を独り占めできる旨みがあっても、直前にオレ達が裏切って逃げ出せば一人で大群と戦わされることになる。そうなれば、確実に殺される。だったら、やられる前にやるしかない。

 コペルは謝罪を込めた捨て台詞を出すと、そのまま茂みの中へ、森の暗がりへと身を潜めた。気配が薄れて輪郭すらぼやけて見える。

 【隠蔽】。ソロプレイには必須のスキル。ペネントたちのタゲがオレ達にだけ向くように、自分は安全な場所へと隠れた。

 

「キリト、避けろッ!」

 

 コウイチの叫びに目を覚ました。ペネントが蔦を打ち込んできていた。

 慌てて回避/蔦が髪の毛を切り裂く、ギリギリで避けた。しかし態勢は崩れた。そこに、別のペネントが同じような攻撃を仕掛けてきた。

 避けられない/吹き飛ばされる―――。そのオレの前にコウイチが立ちはだかった。槍を突き出した=攻撃を相殺した、衝突音。甲高い音が耳朶を刺す、蔦ははじかれた。

 三体目のペネントが襲いかかる前に、体勢を取り戻した。慌てながらも取り出した松明を突き出し結界をつくる。ソレを警戒してか仲間が邪魔になっているのか、様子見でにらみ合う。ちょっとでも隙をみせれば/機会ができれば、すぐさま襲いかかると。ごくりと、唾を飲んだ。

 

「まだ次が来るぞ!」

「わかってる―――」

 

 すぐさま思考停止/気持ちを切り替えると、さらに襲いかかろうとしているペネントに向かって剣を振るった。ソードスキルは使わず通常の斬撃。

 蔦の鞭が放たれる/横薙ぎの攻撃、スライディングで避けながら懐まで飛び込んだ。ガラ空きの胴体に、深々と逆袈裟斬りを叩き込んだ。ペネントの腹がかっ裁かれる、中に溜められていた消化液が溢れ出てきた。浴びてしまう寸前、横スライドでその場から待避した。ジュワッと地面が泡ぶく/ペネントの悲鳴があがった。

 痛みで暴れるペネント、蔦をしっちゃかめっちゃかに振り回し続ける。その数本が仲間にも当たり、非難の声音を上げた。流れ弾にやられるのはたまらないと、僅かに隊列が乱れた。それで統制も崩れるのかもと期待したが、暗に相違し抑制を働かせてきた=ターゲットは未だにオレとコウイチに絞られている。

 再びコウイチの元までバックステップ、背中を守り合う/態勢を整えた。こんな危地では攻勢の手を緩めない方がいいが、あまりにも多勢に無勢過ぎる、途中で息切れして飲み込まれるだけだ。何かひっくり返すだけの策がないとジリ貧だ、いずれ殺されるだけ……。

 ゾゾッと肌が粟立った。不吉な予感が体の芯を凍らせてくる。

 

「どうする、ここは一旦撤退するか?」

「いや、すぐに追いつかれるだけだ。ソレにこの状況で逃げれば、奴らの【戦意】が取り返しのつかないことになる」

 

 【戦意】、戦いの趨勢を決める重要な戦運。現実でも存在しているが電波のように見えない力、ソレをここでは目に見える数値として表してくれている。

 高くなればなるほど、攻撃力や回転率やクリティカル発生率が高くなる。採用される戦術も攻めの傾向が濃くなる。ソレを利用して罠に掛けることもできるが、失敗した時のダメージが大き過ぎる。一旦退いて、熱が冷めるのを待つのが常套だ。

 でも今は、そんな悠長なことを言ってられない。

 

「ならば、焼き払うしかないな―――」

 

 言うやいなやコウイチは、メニューを操作し【油壺】を取り出した。手の中にサッカーボール並みの壺が現れる。ソレを投擲した、前方のペネントへ。

 飛んでくる壺を蔦で迎撃、脆くも砕けた。だけど同時に、中身が四散した、ペネントは全身にソレを浴びた。油でずぶ濡れ、体表が鈍色にテカつく。

 すかさずそいつに、持っていた松明を投げた。ペネントはまた、打ち払おうと蔦の迎撃。火に触れる―――

 ボゥッと炎が上がった。たちまち広がり、全身を覆い尽くした。

 

『ギジャアアァァァァーーーーーッ!!』

 

 赤く燃え上がるペネント、悲鳴を上げた。どこが口なのか/発声器官があるのかどうかもわからないが、悶え苦しむように蔦が暴れる。

 焼かれている姿を見てか蔦を避けてか、その異臭を伴う煙を嗅いでか飛び火を恐れてか、周囲のペネントは逃げるように離れた。陣形に穴が空く、花付きまでの道が開いた―――

 その僅かな活路へ突貫、このチャンスを逃してはならない。同時に、取り出した油壺の蓋を傾け垂らしながら、地面に細い油の線が伸ばされていく。燃えるペネントの横を抜け、奥に隠れていた花付きまで一直線に走り抜けた。

 

 眼前には、他の個体とは明らかに違うペネント。かかるプレッシャーも重く感じさせ、同じ程の体格なのに一回りは大きく見えていた。

 準ボス級モンスター、今のレベルだとタイマンでも難しい。まして取り巻き多数、すぐにでも傍に馳せ参じるのならば、まともに戦っては殺されるだけ。焼き払うしかない。

 油を垂らしていた壺を投擲した。ハエを払うように叩き落とすも油がベットリ、蔦が油まみれに。だけど思ったよりも少ない/全身に浴びてはいない。もう一つ出そうとメニューを操作。花付きはその間隙を見逃さず、追撃を叩き込もうとした。

 しかし、地面を走る炎。まるで地の底かわき上がるように一直線に伸びてくる。コウイチが松明の火を垂らした油につけてくれた。突然向かってきた火気に花付きは、繰り出さんとしていた蔦をひっこめた。

 今度はオレが、その怯みを突いた、壺を投げた。花付きは慌てながらもガード、体の前で交差させた蔦に壺がぶつかる。衝突に耐え切れず砕け中身を撒き散らした、花付きは全身に油を浴びた。―――準備は整った。

 

「おぉ……、りゃぁッ!!」

 

 気合とともに、抜き放った剣で地面の炎を土ごとえぐり掬った。鋒に燃える土。掬い上げたソレを、花付きへと叩き飛ばした。土くれとともに火が宙を飛ぶ。その一つがピトリと、花付きの体に貼り付いた。

 次の瞬間、一気に燃え上がった。火は炎となり、花付きを巨大な松明へとかえた

 

「び、ビギィイイイィィーーーーーッ!!」

 

 耳をつング刺すような悲鳴、燃やし尽くさんと荒れ狂う火柱。かまわず飛び込む、ソードスキルを叩き込んだ。単発水平斬り【ホリゾンタル】。

 全てが焼き尽くされる前に、実だけを切り離した。剣風に巻き込まれたのか、宙に舞い上がると地面に落ちた。表面は少し焼けていたがギリギリセーフ、救出成功。

 同時に花付きも、その場に崩れおちた。

 

「獲ったぞぉ、コウイチ!」

 

 勝利の雄叫びで、相方に伝えた。急襲成功、敵の親玉は討ち取った。くわえて依頼品までゲットできた大勝利。

 その声を聞いてか花付きが倒れたからか、通常ペネントたちに動揺が広がった。打ち据えようとした蔦に迷いがこもる。司令官がいなくなりどう動けばいいのか混乱している/戦術アルゴリズムを再編するためのフリーズ=護衛からのただの集団戦へ。

 攻勢の手が止んでいる間、依頼品を掴むと即座にコウイチの元へとかけ戻った。

 

「よくやったキリト!」

「もうここに用はない」

 

 あとはさっさとトンズラだ……。もう戦う意味はない。尻尾を巻いて逃げ出したいが、見渡した周りはペネントの壁。強引に突き破れそうにない。

 

「しかし、見事に包囲されてるよな。これじゃどこからも……!?」

 

 包囲が乱れた。一部のペネントの注意がオレ達以外に向き、穴ができた。

 願ってもない偶然。何でそんなことが起きるのか、彼らの注意の先を見た。

 わずかに戦域から離れている茂み、遠目からでは何も見えない/戦いに集中しているのなら気に留めることもない。しかしそこには確かに、オレ達を裏切って嵌めた奴が/コペルがいる。隊列が乱れ広がっていったことでペネント達は、奴の存在に気づいた。排除すべき敵として、隠れているそいつへ攻撃を繰り出した。

 叩き出されたコペルが、数体のペネント達を相手取って戦っていた。徐々に集まっていき包囲されていく。同時に、オレ達に対しての包囲は緩んでいった。気づけず奇襲をモロに受けてしまったのか/動揺を抑えられないのか、HPは半減域にまで迫っていた。

 ペネントは視覚よりも、嗅覚でこちらを判別している。現在の低レベルの【隠蔽】では隠れきることができない、そもそも臭いは隠しづらい。ソロプレイに徹するならまず、【索敵】を取るべきだった。

 

(あのままじゃアイツ、殺される)

 

 策略が裏目にでての包囲。その最悪極まるコンディションでは、あの窮地から逃れられない。飲み込まれて終わるだけだ。自然と予知できた、確実に起きる未来。

 ソレを変えるためかただの反射か、ふらりとそこに吸い込まれそうなオレの肩を、コウイチが掴んだ。

 

「彼が囮になってくれてるうちに急ごう」

 

 囮……? 何を言っているのかわからなかったが、すぐに察した。そして、嫌悪感が滲んできた。その言葉に含まれている残酷さとソレをコウイチごと非難するオレのあり方、ごちゃごちゃに混ぜられるも一つには溶け合わない。

 それでも、今は悩んでいる暇などなかった。すぐに決断しなければならない。

 

「……ああ」

 

 絞り出した肯定。無視するような朗らかさも様になる皮肉も出せなかった。

 一人、自ら掘った墓穴でもがくコペル。おそらく殺されるだろう彼を尻目に、薄い包囲網の隙間に突撃していった。

 

(残念だったなコペル。……おつかれさん)

 

 β時代、敗れて消えていった他プレイヤーにかけた言葉。消えた以上相手には聞こえないが、しばらくは傍観モードでその場を見ているはずなので礼儀として。自分も他人から、同じような言葉を添えられた。

 もっと辛辣な言葉を残しても良かったのだろうが、出てきたのはそんなもの。必死であったのに、他人事のようなデス・ゲーム。実感しきれていない遊離した心を表すには、ソレが一番ふさわしいと思った。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 包囲を切り抜け/追っ手を振り払い、もうペネントの姿はどこにも見えなくなった安全圏で、ようやく人心地ついた。

 二人ともボロボロ、HPは危険域にまで迫っていた。装備の耐久値も危険域を越え、壊れる寸前のヒビが走っていた。よくここまで耐え切ってくれたと思う。ただもう、鍛冶屋で修繕するか道具屋で新調するかしないといけない。

 ピンチを脱したとはいえ、どちらも喜ぶことはせず。息切らせながら黙って村への道を歩いていた。目的を達したとはいえ、どうにも釈然としないシコリが残っていた。かと言って黙っているのも気詰まりだ。

 そんな鬱屈した空気などないかのように、いつもの調子でコウイチが尋ねてきた。

 

「ソレを渡せば、クエストは終了かな?」

「ああ、そうだよ」

 

 気のない返事で答えると、懐に収めていた花付きの実を思い出した。通常のペネントのものとは違って熟した色合いの果実、ただその表面には少々焦げ目がついていた。焼き払った時についた痕。握った感触では弾力まで損なわれていないので、表皮があぶられた程度の軽傷だろう。依頼品としては充分に事足りるはず。

 ソレを心配してかと思ったが、別のことをだった。

 

「確か、娘の病を治すのに必要だったな。だが、本当にこんな実一つで治せるものなのか?」

 

 一時、何を言っているのか理解するのに時間がかかった。冗談か気休めかとも思った。だけど、その横顔には真剣な悩みがあった。思わずまじまじと見てしまった。

 

「それは、ただ単に……そういう設定だから、じゃないのか?」

「そう言ってしまえば終わりだが、特効薬にはセオリーがあるだろう? 猛毒は、その持ち主の体か密接に関わっている生物の体内に解毒薬がある、というものだ。勝手に無関係な木の実を薬の素材にしては、生態系まで崩してしまわざるを得なくなる」

 

 人も生物も魔物も環境も全て、繋がっている。無理を通せば何処かで歪みが生じてしまう……。報酬と確実に手に入れられる方法しか考えていなかったので、確かな答えを持っていなかった。問われた今でも/気枯れてる今だからこそ、気のない答えが口から滑り出た。

 

「なら、ペネントに関わりがある病だったから、じゃないのか」

「アレは獲物を捕らえる際に、毒を用いない。自由自在に動かせる強靭な蔦を武器にしているだけだ。もしあるのなら、私たちはもっと苦戦していたはずだ」

 

 真面目な反論に、ようやく気が向いてきた。考えさせられる。

 ペネントにかかわり合いがないのに、なぜその実が必要なのか? 万能薬としての効果があるのだろうか/そんな話は聞いたことがない。食材や換金素材として使われるが、それ以上の価値はない/見いだせていない。どうすれば薬になるのか、まるでわからない。

 

「このペネントの実は本当に、娘の治療のために使われるのか?」

 

 疑念をはっきりと告げてきた。

 そこに含まれている/誘い出そうとしている答えに、思わず眉をしかめた。

 

「勘ぐりすぎだよ。βではそんなことはなかったし、ここは第一階層だ。そんな二転三転するストーリーはまだ早すぎるよ」

「しかしこの報酬の片手剣は、第三層の迷宮区まで使える優れものなんだろう? 凝った脚本と演出を用意しても人は集まってくる。報酬を得るためにも最後まで見届けるだろう」

「……プレイヤーへの贈り物、みたいなものじゃないか? 弾みをつけるためだ。早い段階でそれなりに性能のいい武器を渡しておけば、どんどん先に進んでくれる。とりあえず強くなれば、もう一歩先に進みたがるものだからな」

「ここは、知らなければ来れないような場所ではないかな? この初期の段階でこれなければ、そのメリットを享受することができない」

 

 反論は出てこなかった、呻るだけで答えられない。統計データがあるわけでもない、根拠の乏しい推論でしかないが、間違いだと言い切ることもできない。笑い飛ばすには少々、真面目に対応しすぎてしまった。

 

「用心した方がいいと?」

「私たちは、娘の姿を見ていない。本当に病で寝込んでいるのかも。先に真相を探る手段があればいいんだが……」

「おいおい。その言い方だと、実は娘の病の原因はあの奥さんでしたぁとか、嫌な結末想像させられるんだけど?」

「そうでなければ、いいがな……」

 

 不吉を臭わせるような、含みのある言葉。オレまでそう思ってしまう。先の死闘の後では、ハッピーエンドが想像できない。

 不安を抱えながらも、村まで戻ってきた。

 その森と村との境界付近に一人、女性が立っていた。ソワソワしていて、そのまま森へ向かうべきか留まるべきか迷っている。オレ達にクエストを依頼した奥さん。

 森の中からオレたちが現れると、憂いに満ちていたその顔がパッと明るくなった。

 

「―――よかったぁ。ご無事だったんですね!」

 

 心配していたんですよ……。近づくと、今にも泣き出しそうな笑顔で迎えてくれた。オレ達の無事を我が事のように安堵している。

 もしかして今まで、ここで待っててくれていたのか……。そう思わせる喜び様、実際そうだったのかもしれない。β版にはない振る舞いだった。人間味を越えて優しさまで加味されていることに、コウイチともども驚かされた。

 再び家へと案内してくれる奥さんに、そこでやっと思い出し、懐から依頼品を取り出した。

 

「コレを―――」

 

 花付きの胚珠。奥さんの前に差し出した。

 ソレを見て、頭が真っ白になったかのように驚かれた。信じられないと、実とオレ達とを見比べた。コレは本当に現実なのかどうか、約束通り取ってきたのか。

 

「取ってきて、くれたの……ですね」

「コレで娘さん、助かりますか?」

 

 呆然としていた奥さんは、その一言で目が覚めた。オレ達の仕事はここまでだが、彼女の仕事はこれからだ。コウイチは見込み薄と言ったが、オレはそうでない所を見てきた。きっと今回も、そうしてくれるだろう。

 

「はい、必ず! 助けてみせます」

 

 受け渡した実を大事そうに抱えると、急いで家に戻った。竈に向かい薬を調合する。

 案内の途中で取り残されてしまったオレ達は、その脇目もふらない背に苦笑を向けた。悪い気はしない、むしろ微笑ましい暖かさがあった、それだけ必死に願ったのだろう。

 

「……どうやら、ゲスの勘ぐりだったな」

 

 先の疑念を反省してかコウイチが、自嘲しながらつぶやいた。

 

「後味悪いよりも何倍もいいさ。今日は色々と、あったからなぁ……」

 

 コペルのことが浮かんできた。オレ達を陥れたクソ野郎、だけど結局それが墓穴になってしまったマヌケ、あるいは何処にでもいる臆病者。マイナスのマイナスで倍マイナスだ。危機が過ぎ去った今残っているのは、徒労感だけ。実にくたびれさせてくれた奴だった。溜息がこぼれる。

 

「タバコか酒が欲しいところだが、そんな気の利いたモノはなさそうかな」

「へぇー、意外だな。タバコ吸うんだ?」

「ヘビースモーカーなわけではないが。こんな身に堪える日だけは、一服許している」

 

 おそらくこれからは、そんな日がたて続けに起きるだろうけど……。ゲームクリアした頃には、ニコチンかアルコール依存患者が多数発生するかもしれない。ただ、脳みそがチンされるよりかは、何倍もましだろう。

 この際だ、オレも一服やってみようかなぁ……

 

「もし吸いたくなったのなら、私の見えないところでやってくれよ。未成年の喫煙を見逃せないほどには、現実世界に馴染みすぎてるのでね」

 

 考えを読まれてしまった。だけど、あさっての方向を向いて知らんぷり。

 今はそんな嗜好品は店に置いていないし、自家製を作れないし、楽しむ余裕もない。けど、いずれは出来ることだろう。その頃にはもうドップリこの世界に浸かっているので、常識も書き変わっていることだろう。

 ニタニタした笑いを堪えながら、奥さんが奮闘しているであろう一夜の宿に入っていった。

 

 台所にていそいそと動き回っている、色んな薬草やらを煎じては鍋にいれていく。その竈に置かれて鍋は、グツグツと煮込まれていた。中身がどんな様子か遠目からでは見えないが、家中にたち篭めた匂いは不快なものではなかった。コーヒーに似た、微睡みを誘うようないい匂いだ。

 邪魔するのも躊躇われたので、勝手ながら寝床まで入り込むと、メニューを操作し装備をとった。簡素な布の服だけになる。肩の荷が下りた。重量など感じないほどの初期/軽装備だったけど、まるでソレまでの戦いの時間から解放されたかのように感じる。

 現実ならば、あれだけ一日中必死に動き回れば、着ている服も汗でベットリとしていそうなものだ。シャワーを浴びるか風呂に入るか、少なくとも熱いタオルで体を拭きたくなる、もちろん服一式脱いで。だが、幸いなことにそうはなっていない。替えの服を準備せずとも旅を続けられるのは、ありがたい限りだ。

 コウイチは靴まで脱ぐとそそくさと、ベッドに横たわった。

 

「夜は物思いに耽るには最適な時間だが、深みに囚われて抜け出せなくなることが多々ある。特にこんな、色々とあった日にはな」

 

 さっさと寝てしまうに限る……。言いながら、うつらうつらと瞼を重そうにしていた。そんな様子は微塵も見せてはいなかったが、疲れていたのだろう。本当に、大変な一日だった。

 オレも同じく横になると、何かに気づいたようにコウイチがこぼした。

 

「おかしなものだ。夢の世界にいるようなものなのに、眠るとは……。逆に、目が覚めることになるのかな……?」

 

 そうだったらいいが……。後悔でも焦燥でもなく、それでいてそのどちらでもあるような、胸の底からにじみ出てきたつぶやき。囁き程度でしかなかったのにソレは、オレの胸を打った。急に、やっと思い出せたかのように郷愁が、にじみ出てきた。

 

(オレ今、家にいないんだ……)

 

 おそらくは明日も/目が覚めても、ソレがずっと続く、ゲームクリアがなされるまで。帰れる見通しはない。淋しさに体の芯が凍えていた。

 何か/たわいのない事でも話そうと、口を開きかけた。だけどその時にはもう、コウイチは眠っていた。スヤスヤと寝息を立てている。

 猛烈に、腹が立った。何のんきに寝てるんだと/誰のせいでこんだけ悩まされてるんだと、その鼻をつまんでやりたくなった。実際にやりかけた。だけど寸前、どうでもよくなった。ため息をつくと、ベッドに戻った。

 どうしようもないことを悩んでも仕方がない。そんなのに囚われても疲れるだけだ、寝て忘れるのに限る。ただ面白いことを/幸せだけを、夢に詰め込む。

 そう考えているうちに、いつの間にか、眠りの中へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 原作ではキリト無双の第一弾の場面ですが、今作では簡略化とそれなりの理屈をつけさせてもらいました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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1階層 後
迷宮区 拠点


 

 翌朝、奥さんが深々と頭を下げてきた。

 

「―――本当にほんとうに、ありがとうございました!」

 

 娘は無事、快方に向かっています……。全て貴方たちのおかげですと、目尻に涙を溜めながら感謝してきた。一気に10歳は若返ったかのように、憂いが消え去っていた。

 面映くどう返事をしたらいいかわからない。照れて頬を掻く。

 

「お返しと言ってはなんですが、コレを―――」

 

 お役に立てればよろしいのですが……。家のタンスからゴソゴソと、赤鞘に納められた黒柄の片手剣を大事そうに差し出してきた。クエスト報酬=【アニールブレード】。デザインは少々いただけないが、性能は申し分ない。

 受け取ると一言、感謝でも言いたくなってきた。βではおざなりの返答だけだったが、今回はソレだけでは済まされないように思う。口を開きかけると、

 

「よろしいのですか? 随分と高そうな逸品だ」

 

 横からコウイチが、遠慮を挟んできた。

 

「娘の命の恩人ですもの、むしろこれしきのモノしかお渡しできないのが、申し訳ないほどで……」

「店では見かけないモノですし、よく使い込まれているように見えます。奥さんのものだったのですかな?」

「いえ、以前に夫が使っていたものです。私たちが扱うことはないので、ホコリを被っていたところです」

 

 以前に/夫が/使っていた。過去形……。嫌な予感に息を飲んだ。ちゃんと観ていたのならばそのはずだったと分かっていなければならないこと/どうせNPCだからと考えないようにしていたこと、ソレがいきなり投げ込まれた。無神経にも踏み込みすぎてしまった。

 閉口してしまったコウイチの代わりに、聞かねばならぬことを尋ねた。

 

「それはつまり……形見、ということですか?」

 

 そんなもの、受け取れないです……。予想以上の重たさに慌てた。性能がいいから/やり方さえ心得ていれば簡単にゲットできるからと、気軽に貰っていいものではなかった。

 どうしたらいいものかと/返すべきなのかと、本気で悩まされていると、ソレを察してか奥さんが慌てて訂正してくれた。

 

「いえいえ、夫は生きてますよ! 今は徴兵を受けて【バスティア砦】へ派遣されているだけです。任地からちゃんと、手紙も送ってくれていますよ」

 

 なんだ、誤解だったのか……。ほっと一息、胸をなでおろした。

 そして、改めて感謝を告げようと顔を上げると、奥さんの頭の上にうっすらとクエストマークが浮かんでいるのが見えた。幻かと目を瞬かせるも、ちゃんとそこにある。

 

(キリト、アレはもしや……新しいクエストか?)

 

 コウイチの耳打ちに答えられず、呆然とソレを眺めていた。

 初めてのことだった/知らなかった。この【森の秘薬】クエストは、このエリアで完結する単発のクエストだったはず。なのにどうして、次があるのか……。どう反応していいのかわからず、会話の流れに従った。

 

「任期はまだ、終わっていないんですか?」

「……はい。今からちょうど3年前に行きましたので、あと2年ほどで帰ってこれる……はずです」

 

 躊躇いがちにも説明してくれた奥さんの顔には再び、憂いの暗さが現れていた。

 5年の徴兵期間、βでは探りきれなかった彼女ら家族のキャラ設定/事情。現代では、自分を高めるいい機会だとかいざという時の準備になるとか、どちらかといえばプラスのイメージがある。だけど/やはり、拭いきれないマイナスがあった。働き手が取られる、我が子が/頼れる人がいなくなる、殺されるかもしれない……。奴隷であることをいやが応でも思い出される。ここはのどかで世間知らずな田舎、ではなかった。

 一新された重たい認識に俯いてしまうと、代わりにコウイチが続けてくれた。

 

「これほどの剣をお持ちということは、名のある剣士だったりするのですかな?」

「いえいえ、名のあるだなんて……。普通の猟師ですよ。ちょっと不器用で無口な、どこにでもいる……」

 

 言い切らず物思いに入った奥さんの顔には、そこはかとない寂しさが浮かんでいた。夫がどんな人だったのか/どう見ていたのか、言葉以上に伝わってきた。

 その共感に釣られてだろうか。自然と口からこぼれてきた。

 

「もしお返事があるのなら、届けましょうか? オレたちは旅をしていますので、そちらの砦にもいずれ通ることになると思います」

「え? いえ、そんな!? ですが……。助けていただいたのに、返事まで届けてもらうなんて……」

 

 遠慮しながらも素直には飛びつけない、でも……。躊躇いながらも迷っている様子に、返事を送る術は限られている/こちらからは送れない、との推測は正しかったと直感できた。電信機器の無いこの世界では、国や一部の行商以外に通信を担当することができない。こんな辺鄙な村に手紙が来ていること自体、奇跡だった。

 そしてソレが、新しいクエストを引き出すトリガーでもあったのだろう。おぼろげだったマークがハッキリと輪郭を帯びていた。目に映るとコウイチと頷き合い、押し通す。

 

「ご本人にも、ちゃんと断っておきたいので。自分の娘が流行病で苦しんでいる時に、奥さんが必死で一人で看病しているのに、どこぞの僻地で遊んでるマヌケにね」

 

 皮肉な言い回しに、目をパチクリと驚かれた。オレのキャラでないのはわかっているから、そんな黙って見られると恥ずかしい……。そしてクスリと/そっと、口元を隠しながら柔らかく微笑んだ。

 

「それでは、大変申し訳ないのですが……。お願いしても、いいですか?」

「任せてください。必ずお届けします」

 

 快く了解すると、奥さんはいそいそと家に戻った。そして、大事そうに抱えてきた二通の茶封筒を渡してきた。

 クエスト受諾。封筒を受け取った次の瞬間、胸の前で半透明ディスプレイが自動展開した。そして、『【戦地への郵便】クエストを受諾しました』との確認を告げてきた。

 

(なるほどな、連続で【森の秘薬】ができなかったのは、こういうわけだったんだな)

 

 即座に次が可能だったのなら、せっかく作り上げた雰囲気が台無しになる。特にコレは、病気の娘を助ける感動エピソードでもある、連続で繰り返せたら悪い冗談になる/βではそうなっていた。そのためにインターバルを置いた……と思っていたが、違ったらしい。渡された手紙を見つめると、そんなβからの疑問が氷解していった。

 

「それでは、お気をつけて。旅のご無事をお祈りしています」

 

 別れの言葉を贈ると、離れていくオレ達の背を見送った。森の中、その姿が見えなくなるまでずっと―――。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 朝露に濡れる茂み、サラサラと風の音を奏でる梢、柔らかな木漏れ日のシャワーが降り注いでいる。現実世界ではお目にかかれない森の道。舗装されているわけではないが、人が往来することで開けて均されたその道は、森を抜けるための大通りであり最短ルートだ。この先に、目的地たる迷宮区がそびえ立っている。

 誰も通る道ゆえか/人の匂いが気になるのか、同じ圏外であっても道とそうでない場所ではエンカウント率が違う。モンスターと言えども普段は他の獣たち同様、縄張りのなかで静かに暮らしているだけなのだろう。積極的に人に/プレイヤーに襲いかかっては来ない。第一層ゆえか、魔物というよりは動物が少し凶暴化しただけなのかもしれない。警戒しながら進むも、立ち塞がってきたモンスターはほんの数体のみだった。

 

「パスティア砦というのは、何処にあるのかな? 地図上ではそんな場所はなさそうだが……」

 

 なのでコウイチが、ストレージから地図を取り出し、依頼先の砦を探して頭をひねっていた。

 メニューには、自分の現在位置を示したリアルタイムのマップがあるも、手に持ち見ているのは羊皮紙のような古い紙質の地図=店で買った地図。メニューに載っているのは、今自分がいる周辺と今まで歩いてきた場所のみ、これから行く場所を知りたければ店で地図を買うしかない。【索敵】と【鑑定】スキルで重複している【測量】を習得すれば違ってくるらしいが、今は無理だ。

 

「一層にはないよ。三層にあるはずだ」

「三層? 一層のクエストなのにか?」

「層をまたがる大型クエストなんだよ、層ごとにお使いを要求される。こなさないと先に進めない。だからおそらく、二層で何らかのアクションを起こさないと達成できない仕掛けには、なってるんだろうな」

「直通では行けないものなのかな?」

「行けるやつもあるけど、大概は、飛び越える時には下の階層に戻らされることになる。それにその砦、うろ覚えなんだけど、二層の何処かの街で許可証みたいなものを貰わないと、住民がほとんど相手をしてくれないんだ」

 

 先に許可証を手に入れておけば、戻る手間が省ける……。このクエスト自体はじめてなので、ソレが最適な攻略法とは言えないが、セオリーに従って裏を読めばそうなる。もし許可証が必要ならば/みなこのクエストを受注したのならば、先に手に入れておかないと渋滞してしまう。

 納得してくれて感心するコウイチ。そんな彼とは違ってオレは、鳴りを潜めていた不安が芽を出していたとこに気づき眉をひそめた。

 

(改めてプレイすると、結構穴あいてたな。遊びつくしたと思ったのに……)

 

 βと本製品の違いかもしれないけど、今回のクエストは間違いなくやり逃しだった。自分のロールを理解し話の流れにのっていけば、自然と出てくるものだった。自分の体験だけでなく別のプレイヤーの体験談も集めてはいたが、何ぶん弱コミュ障、ソレに面白すぎて自分のことで手一杯でもあった。知識や経験値はビギナー達よりはあるのだろうが、完璧ではない。自惚れてしまえば取り逃してしまうモノがきっとある。

 もっと正確な情報が必要だ。自分のソレが本当に正しいのか確認したい。他のテスターと意見交換すべきだ。

 

「……アイツならもっと、知ってるかもしれないな」

「アイツ?」

 

 コウイチの相槌に目をしばたかせた。独り言、声に出ちゃってたのか……。

 

「同じβテスターの一人。情報屋やってたプレイヤーだよ」

「このゲームには、クラスや職業はなかったはずだが?」

「勝手に名乗ってるだけ、ではあるけど、そう言えるだけの情報通だったからな。あいつに聞けばゲーム内の大抵のことはわかる、ただし金しだいで」

 

 その金が大問題だけど……。尻の毛まで毟られた嫌な記憶が蘇ってきた。良質で信頼できるからこそ惜しみなく渡すべきだけど、取られすぎだったのかも。……詐術だったかどうか/どんなやり方だったのかの情報は、いくらで買えるんだろうか。

 

「彼の名前は? チームで動いていた?」

「一人だよ、それに女だ。名前は【アルゴ】で、みなは上に『鼠の』をつけて呼んでた」

「鼠? それは……、あまりいい印象を受けない通り名だな。小柄ですばしっこいから、だったりするのかな?」

「当たり。それらしいアバターでプレイスタイルだった、てのもあるけど、顔がちょっと独特でね。それっぽいペイントで化粧してたんだよ」

「化粧……? 髭でも描いてたのかな?」

「何だってそんなことしてたのか、わかんないけどな。アイツにしかわからないこだわりがあったんだろう。

 まぁ、βから名前は変えているだろうし、あの【手鏡】のおかげで容姿も違うだろうから、探しようにも手がかりがないよ」

 

 オレはβテスターです/あの【キリト】ですなんて、言いふらしながら歩くのは嫌だし。お手上げ……。

 肩をすくめて降参していると、コウイチが何やら考え込んでボソリと、ソレを尋ねてきた。

 

「もし、その彼女がだ、ここでも情報屋を開業しようと考えていたのなら、β時の名前と容姿を使うのではないかな? 容姿は【手鏡】の影響で変えられているだろうが、名前はそうならないはず」

「いや、そんなことは……」

「情報屋に必要なのは、信頼と知名度だ。ソレは一朝一夕で手に入れられるものではない、地道な努力が必要だ。一から作り上げるよりも、βで築いたものを援用したいと考えるはずだ」

 

 反射的に否定を出しそうになったが、根拠を引っ張ってこれなかった。逆に頭を捻らされた。確かにそうなのかもしれない、オレが/βテスターがかつてのプレイ体験や知識を利用するように、名前を利用することは充分あり得る。素顔を隠すよりも公表した方が価値があるのなら、情報屋なら。

 

「……だから、名前は同じかもしれないと?」

「おそらくだが、容姿も似ているはず。現実の自分の特徴をトレースしたアバターのはずだ。ゲーム内だけではなく、現実での商売も考慮に入れていたのなら」

 

 リアルトレード……。犯罪めいた臭いに眉を顰めそうになるも、ソレだけではないのですぐに収まった。むしろそっちの方が少数だろう。仮想世界の中では、迅速な対応が出来るとは限らず、盗み聞きを防ぎきることもできない。現実でパイプを繋いでおくことは/利用することは、個人経営の情報屋には必須だ、必ずしも犯罪行為とは言えない。

 ただ、だからと言ってソレは、飛躍し過ぎている気もする。

 

「それなら逆に、全く関係ない姿にしてるんじゃないのか? 同じだってバレたら危険だ」

「だが、信頼される。同じなら、現実で顔合わせをした時も見つけやすい。店の看板みたいなものだよ」

 

 ソレを隠してしまったら、客は寄り付いてこないし、そもそも商売しているのかもわからない……。彼女にとって/情報屋にとって自身の容姿は、商売の広告塔でもある。

 ソロで黙々とプレイしていたオレとは、真逆の考え方だ。言葉では理解できても、どうしてできるのかわからない、やってみろと言われたら遠慮してしまう。性に合わなすぎる。

 

「ここでは皆、多かれ少なかれ素顔を隠している。違う自分を演じようとする、成りたいがためにそうする。だから、他人のソレを暴き立てたりはしない。せっかく作り上げて浸っている異世界の空気を、壊したくないからな」

 

 その暗黙のタブーを逆手にとって、現実そのものを出してしまう。そもそもオンラインゲームは仮装舞踏会ではなく出会いの場であるから、先手は有利に動ける、無理に取り繕わない自然体なのでさらに。現実そのものでも、本当に同じだと悟られることもない、自分がそうだからと勝手に錯覚してくれる。

 

「加えて言うなら、この森にも来るのじゃないかな? 最速でそのアニールブレードを獲得するのは、βテスターなら真っ先に考えることの一つだろう?」

 

 オレが背負っている新しい片手剣を指摘してきた。

 最速で動くということは、ソロで動くということでもある。ならば、武器として万能/平均値である片手剣であるはず、ますますコレが必要になる……。指摘が現実味を帯びてきた。

 

「……βとは地図も変わってるし、ここも一つとは限らない。それに彼女は、もしβのスタイルで通すなら、片手剣は使わないはずだ。ここには用もない」

「重複している可能性は消せないが、数は多くないはずだ。武器としては使わないのかもしれないが、βテスターのここでの容姿を確認することができる。昨日から今日の昼頃あたりまでで、しかもソロでやってくるプレイヤーは、ほぼ間違いなくテスターのはずだからな」

 

 まずはテスターの顔と名前を一致させる。アイテムよりも有力プレイヤーを/常連の顧客になりそうな奴らを知る……。彼女なら、まずはそうするだろう。オレの記憶にある彼女の印象とその推測に、そう違和感はなかった。

 感心しながらコウイチを見た。まだ一度も会ったことがない人物の行動を、ここまで推測してくるとは……。オレはまだまだ、修行不足だった。

 

「だとすると、この森は二つ以上はあるみたいだな。彼女がソレを狙っていたのだとしたら、オレ達と同じかもっと早く到着して待ち伏せしていたはずだから」

「確かに……、そうらしいな」

 

 話を締めくくると、視界の先の光度が上がった。木漏れ日に慣れた目には眩しい、白明で霞む。その奥に薄らと、開けた平原が見えてきた。

 森を抜けた。話し込んでいるうちに、いつの間にか到着していた。

 明るくも広々とした平原フィールドに足を踏み入れた瞬間、視界に映る絶景に目を奪われた。

 

「おぉ……、近くで見ると圧巻だな」

 

 目の前にそびえ立つ迷宮区、天高く頂上がみえないほど。あまりにも高すぎるので、距離感覚がわからなくなってしまう。現実ではこれほど超高度の円塔は存在しない、おそらく構造か素材の問題で不可能だろう。もし未来に、軌道エレベーターができたのなら、このような威容になるのかもしれない。

 感動がひとしお引くと、そのふもとに見える街を指した。

 

「一旦あそこの街に行こう。アイテムの補給をしたら、宿を探さないと」

「予約しておくのかな? もしや、その方が安く泊まれる?」

 

 安くなる……? すぐに反応できなかったが、一考しなるほどと合点。たしかに、現実だとそうだ/早期予約割引がある。宿屋も商売なのだから、そんな仕組みをつくって客を集めようとしても良さそうなものだ、こんな古風な世界にはそぐわないけど。

 

「違うちがう。探すのは宿屋じゃなくて、攻略用の拠点だよ」

「家でも買うのか? さすがに……、今の資金では足りなくないかな?」

「ちょっと無理はするけど、先に取っておかないといい場所は取られるんだよ。せっかくの一番乗りだ、一番上等なやつをとっちまおう」

 

 迷宮区の攻略は早くても1週間はかかる、こんな状況下じゃ少なくとも倍は見積もらないといけない。街の宿屋を拠点にするよりも、一軒家の方が財布も気持ちも楽だ。βだったらログアウトしてシャワーでも浴びればスッキリできるが、今はそうはできない。プライベートを守れる安全なねぐらが必要だ。

 

「郊外にいい物件があるんだ。まずはそこに行こうか」

 

 βでも世話になった拠点。そこに向っていった。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

「……ここが、一番上等な家?」

 

 街からだいぶ離れた圏内ギリギリの場所、のどかな牧場。風車と一体となっている母屋に小さな牛舎、木造の貯水タンクらしきものが横手に備えられている。囲われた柵の中、なだらかに畝ねる丘で数頭の牛がムシャムシャと、草を食んでいた。

 

「そ、ここの二階に泊まれるんだ」

 

 はんば呆れ気味のコウイチを押しながら、居住契約を完了させたそこへと入っていった。

 宿屋に泊まったり/一から作り上げたり/空家を探したり=拠点を探す時にまず調べる項目。空き部屋を借りる/NPCとはんば共同生活するというのは、後回しにされがちだ。だからなのか、格安のいい物件になっている。

 

「街から離れてるし買い物にも不便がある、夜になると圏外との境界線が曖昧になってモンスターが出ることもある。施錠も防犯もできるわけじゃないから、他プレイヤーの侵入も防ぐことができない。牧場主さんは宿屋の店番たちとは違って警備してくれるわけじゃないからな。でも―――、アレがタダで飲める」

 

 牛舎の中に入ると、乳を絞られてる牛、数個の桶の中に眞白な液体がたっぷりと入っている。

 NPCに一言了解を得ると、差し出されたコップでソレを掬いそのまま飲んだ。コウイチも同じく飲んでみると、目を見開いて驚いた。

 

「これは、まさしく……牛乳だ。ちゃんと牛乳の味がする! VRとは思えない出来だ……」

 

 感嘆しているコウイチに牧場主NPCは、どう反応していいのか分からず複雑な表情を浮かべていた。褒められているのだろうが、何処かズレた賞賛/莫迦にしているとも取れなくない。またもやあからさまなメタ発言に、オレもアワアワと落ち着かなくなってしまった。気持ちはすごくわかるけど、自重して欲しい……。

 

「何杯でもいいのかな?」

「ここで飲む分にはな」

 

 おもわず説明してしまうと、振り返った。部外者のオレがなんで我が物顔で許可出してるんだ、失礼すぎる……。だけどNPCは、何も聞いていなかったかのように乳搾りを再開していた。ホっと一息、胸の中で安堵を漏らす。

 NPCには聞こえないよう声を潜めながら続けた。

 

「【耐久値】がほとんどないから、外に持ち出してもすぐに【腐ったミルク】になって、飲めたものじゃなくなる。HPも減るし何より、臭い」

 

 保存用のポットがあれば別だが、今の段階でそんな便利グッズはない。そもそも、ソレがある頃にはこの場所の価値もなくなる。

 

「なるほど、コレで商売はできないわけだ」

「【料理】スキルがあれば別らしいけどな。【チーズ】に変えれば数日はそのままでも持ち運べるし、しっかりと保存して発酵させ続ければ値も上がる」

「料理か……。そういえば最近は、まともなもの食べてなかったな。最後は確か……、アイツの弁当だった」

 

 ボヤくようにそうつぶやくと、げんなりした。ほとんど感情をあらわにしないコウイチが、その味を思い出してなのか、憂鬱そうに顔色を翳らせた。

 

「愛妻弁当、だったりして?」

「いや、妹の実験台だ。高校に入学したら弁当になるから今のうちに予行練習したい、とのことで、犠牲になった」

 

 現実の食の最後の思い出がアレというのは、悲しいことだ……。よほど独特な味付けだったのか/まずかったのか、でもやる気になっている妹に女子力が無いとの痛恨の一撃を食らわすのも躊躇われて/同僚に貶されるのも癪に障るので……忍苦の昼ご飯。ご苦労が偲ばれた。

 どこの兄貴も、妹には苦労させられるのか……。共感が湧き上がってくると、何気ない調子で尋ねてきた。

 

「キリトこそ、妹の弁当の想い出はどうだ?」

「いやぁ、アイツはそんなことするタイプじゃないし、部活が忙しくて暇もないだろうしな―――……て、なんでぇ!?」

 

 なんで知ってるの! オレの心を読んだのか?

 訝しげにしていると、くすりと意地悪げに笑ってきた。

 

「ただの勘だったが、当たりみたいだな」

「……カマかけたのかよ」

「予想通りの面白い反応が見れた。

 さて、アイテムは準備した。拠点も整えたし何より日和もいい。もう迷宮区に行くだけだな」

 

 無理やりに会話の方向を変えられて、拳のやりどころが消化不良ぎみ。上手く逸らされてしまった気がしないでもないが、大したことでもないので今は仕舞っておくことに。気持ちを切り替えた。

 

「武器と防具はダンジョンの中にあるはずだ。回収しながら攻略していこう」

 

 コップ一杯、掬った牛乳を飲み干し喉を潤すと、牧場を後に。戦場へと向かっていった。

 

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字、お待ちしております。


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迷宮区 再会

 

 

 

 迷宮区にたどり着き約一ヶ月、探索と闘いに明け暮れる日々。

 強敵が跋扈している中、慎重に歩を進める、些細なミスが取り返しのつかない結果となる。明け方から登り始めて日暮れには拠点の牧場に帰るの繰り返し。帰れば獲得アイテムの整理と補充それに装備の修理、今日の反省と明日からの計画、武器スキルの向上も兼ねて訓練も欠かさずに、自身を研いでいく。未踏を既知の場所へと変えていった。

 始まりはオレ達二人だけだった。5日ほど経った頃にようやく別プレイヤーの一団を見かけた。それから徐々にプレイヤーの数も増えていく、迷宮区踏破へと参戦してきた。彼らと緩やかに連帯/情報共有しながら、攻略していく。石橋を杖で叩くようにして登っていった……。

 それでもまだ、第一層は抜けられていなかった。門番=【フロアボス】エリアは、見つかっていない。約千人のプレイヤーの命を費やしても、まだ―――

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 磨きぬかれた白の大理石、無限に続くと思わせるような立体迷宮、見上げて目を凝らしても果が見えない。登っても登っても天井には到達しない、逆に底を見失っていくかのような/迷宮に囚われていくかのよう。不気味さにゾッとさせられる。迷宮=巨大な怪物に喰われて抜け出せなくイメージに犯される、そんなことは無いはずなのに……。

 外は雄大で広大な自然、孤独は感じるも孤絶ではなく孤高、異世界の愉しさを教えてくれた。例え作り物だと言われても、本物よりも本物らしいと思わせる豊かさがあった。だけど、ここは違う/正反対だ。見える光景は変わり映えがない。同じような景色同じような無機質さ変化のない空間、時間まで止まっているかのように錯覚させてくる。汚れ一つなく綺麗に整理整頓/キッチリと区画分けされている、まるで機械の街だ。生き物の匂いを完全に殺して生まれたかのような歪な清潔さ、そもそも必要のなかった彼らにはそれこそが目的だったというかのような設計思想。だからか、登っていくたびに悪寒に震えた。寒々しいまでの疎外感に体の芯が削られていくかのよう、自分たちは異物だと/邪魔者だと/穢らわしいと、一刻でも早く砕いて溶かして均さなければならないと、声なきヒステリーがぶつけられる。全方位から問答無用の敵意=タガの外れた善意が叩き込まれてきた。……こんな場所では、夜など明かせない。

 連日探索するために、宿泊用のアイテムを揃えてやってきたが、初日でやめることにした。予想していたよりも遥かに削られた、体力よりも精神の方が、二人で交互に休んでも疲れは取れない/むしろ増していった。はじめはどうしてかわからなかった/何が原因だったのかわからない、でも感じてはいた、ここは戦場だと/ここそのものも敵だったのだと。無理は禁物、目標は大胆に行動は慎重に、地に足をつけながら飛ばなければならない。下手なプライドにこだわってはならない。日帰りで探索しつづけることを選んだ。

 そして、外では正午に当たる頃合い、ただしここではメニューが示すデジタルの数字が示すのみ/陽の光の多寡はなく一定の光量、また一つ戦いを乗り越えた。

 

 【ルインコボルト・トルーパー】=無骨な手斧を振り回すレベル6の獣人型モンスター/この迷宮区でよく出現するモンスターの一種。獲物の骨製のような武装を身にまとった獣人兵に、コウイチの槍が深々と突き刺さった。背中まで貫いたその一撃は、微かに残っていたHPを0まで削りきる。

 コボルトは、手斧を振り上げたその格好のまま固まった。まるで電池が切れた人形のように、今まで機敏に動かしていた何かが消え去った。そして、コウイチが槍を抜き出すと、ソレに引かれる形で顔から地面に倒れた。ぺたりとそのまま、うつぶせになる。

 通常は/圏外の敵はその状態でしばらく保存される、プレイヤーが何らかのアクションをしない限り数十分ほどは。だけどコボルトは、倒れてしばらくすると、その体を溶解させた。ドロドロと溶け始め輪郭を失い、やがて色も混ざりに混ざり真っ黒なタールに変わった。見ているだけで嫌悪感が沸き立ってくる/鼻をつまみたくなる、臭いはないはずなのに腐乱臭が吹き出しているような気持ち悪さ。だけど、それもほんのひと時だけ。地面の大理石の継ぎにあたるわずかばかりの隙間/紙すら入らないようなそこに吸い込まれるように流れ……、消えた。後に残ったのは、手のひら大の水晶のみ。

 

「ふぅ……。だいぶ慣れてきたかな」

 

 全てを見届けると、ほっと一息安堵をついた。槍を肩にかけなおす。オレも剣を鞘に納めた。

 

「相変わらずすげぇな。……本当にゲーム初心者だったのか?」

「だから、ちゃんと予習してきたんだよ。ネットや雑誌で情報集めたり、VRに体を慣れさせたりして」

 

 誰でもやってきたことだろ? ……優等生が自分の凄さを普通だと捉えているように、全く当てにならない理由だった。苦笑するしかない。

 コウイチは、溶けたモンスターがいた場所まで近づくと、落ちていた小さな水晶を拾った。

 迷宮区のモンスターは、外のモンスターたちとは違う。HPを0にして倒したのなら、ポーズを向けるまもなくすぐさま体が溶ける。地面や壁に吸い込まれるかのようにして。あとに残るのは、その水晶だけ。そこに、経験値やアイテムが詰まっている。

 【鍛錬の赤晶石】/その欠片、名の通り赤色の結晶アイテム。そこには、経験値が封入されている。砕くと経験値を獲得することができる。そのままアイテムとして保存しておくこともできる。

 今回出てきたのは透明な水晶=【圧縮結晶】、中にアイテムが保存されている=宝箱と同じ。赤結晶と同じく砕けばゲットできる/自動的にアイテムストレージへ入れられる。どんなアイテムかは水晶の状態でも見てわかるが、時々くすんでいるものがある/種類と形はわかるものの名前が表記されない。識別不可能なアイテム。砕くまで何が出てくるかわからない。ソレが【呪い付き】のアイテムなら、最悪だ。

 【呪い付き】アイテム。やたらと重い/ストレージを圧迫する/持っているだけでコンディションがおかしくなる/呪いを祓わない限りオブジェクト化ができないなどなど、種類は様々。さっさと捨ててしまいたいモノだが、通常のアイテムよりも高値で買い取ってくれる、裏通りにある高級店や専門店だとさらに高額をつけてくれることも。武器の強化とは違って呪いは、プレイヤーではつけられない/少なくとも10階層までの段階ではできなかった。厄介なレアアイテムだ。

 拾い上げると水晶をかざし、中を覗き込んだ。

 

「……どうだ、呪い付きか?」

「いや、普通の【コボルトの牙★1】だな」

 

 確認するとそのまま、ストレージに収めた。

 水晶のままではアイテムとして使えないが、そのぶん圧迫しなくていい。まさにデータを圧縮している状態だ。呪い付きであっても、そのデバフ等は封印されている。素材アイテムは大抵そのままにした方がいい。ただ、解凍させた状態と水晶では、モンスターとのエンカウント率や強さにも若干影響が出てくる。はじめは、よくわからない呪いのせいかと思ったが、どうも様子が違う。臭が出るからかもしれないが、まだ仮説の域は出ていない。

 コウイチはそのままメニューを操作し、所持アイテムを確認した。

 

「ポーションが心許なくなってきたかな。……確かこの近くの安全地帯に、【井戸】があったかな?」

「ああ、ついでに一旦休憩しよう」

 

 迷宮区にある【井戸】、主に安全地帯に敷設されているダンジョンの仕掛けの一つだ。見た目は井戸というよりは人工の泉、大きさは大抵ひと二人が体育座りで嵌るほど。そこでポーションや解毒薬を汲む事が出来る。今の時点は【ウィークポーション】/【弱解毒薬・希釈】、名の通り街で販売されているものより効果は薄い/無いよりマシなレベル。ただランダムでレアなモノもくみ出せる、【識別薬★1・希釈】/【弱洗浄液・希釈】。識別薬は獲得した圧縮結晶のくすみを洗い落とすことができる、洗浄液は呪いを祓ったり装備の【耐久値】を回復してくれる。なので、空いた小瓶も捨てることはできない。

 残念ながら、無限にくみ出せるわけではなく、取りすぎれば質も悪くなり最後には枯れる。時間を置く必要がある。一度枯れれば濁りが清められる分だけ時間がかかってしまう。ただ、第一層でそうなることは少ない/枯れても二時間ほどで全快してくれる。ならコレで商売ができるかといえば、そうもいかない。三回ほど汲めば器である小瓶の【耐久値】が0になり壊れる。井戸と小瓶の二つの回数制限が、独占と枯渇を防いでいる。

 

「それにしても、参ったなぁ。もう一ヶ月は潜ってるのに、ボス部屋が見つからない」

「確かに、だいぶマッピングしたはずだが、まだ先があるとは……」

 

 互いに果てのない天井を見上げ、ため息をこぼした。

 βでも第一層の攻略は手こずった。慣れてなかったこともあるが、それ以上に広大な面積と数多い街やダンジョンゆえに、迷宮区の攻略に取り掛かるのが遅れた。上に登らなくても第一層の中だけで遊び尽くせる、数は少なく危険ではあるが高レベルクエストも受けられる、ソレをドンドン進めていけば10階層でも渡り合えるほどの力を得られてしまう。みな本義を忘れて思い思いに散らばっていった。およそ10日間。期間限定の括りがなければもう少しかかったかもしれないが、それだけで第二層に踏み入っていた。

 しかし一ヶ月、しかもそのほぼ全てを迷宮区に費やしてきた、それでも出口が見えない。慎重を期してのゆっくりだからとか、死にながらの大胆な探索ができないからとか、現実でネットサイトを通しての攻略情報の共有ができないからとか、不利な点はあるだろう。だけど、かかり過ぎている、ありえない……。ボス部屋が見つからないのは、探索が甘かったからとは言い切れない、もっと別の要因があるのかもしれない。

 

「……そうかもしれないな。これだけ探索しているのにマッピングしきれてないのはおかしい、少なくともボスエリアは見つかっていいはずだ。目立たない場所にあるはずがない」

「考えたんだけど、迷宮区に入った人数が関係してるんじゃないか? ある一定数が入ってい探索しなければ、ボス部屋そのものが現れない」

「人数か、確かに……。それなら理屈が通る。

 ただ、そうなると、私たちの思惑はだいぶ狂わされたことになるかな」

 

 ファースペンギンになる……。一番槍の栄光は頂いたが、それだけだ。攻略を率先するトッププレイヤーには、残念ながらなりきれていない。ボス部屋が見つけられないようでは失格だ。

 再び、ため息をついた。無理を通してやってきたというのに、このザマとは……。

 

「まぁ、そこまで気落ちすることもないだろう。全てが裏目に出たわけじゃない」

「レアアイテムはガッツリ頂いたし、レベルもスキルもたぶんトップだろうな。この第一層の迷宮区のことを、オレ達以上に知っているプレイヤーはいないだろうし」

「『ボス部屋は探索によってのみ明らかになるわけではない』、コレはこれからの攻略に活かせる重大な情報だ。【アルゴ】さんに伝えておかないとな」

「急がなくてもいいだろ、次に会った時でもいいさ。まだ『全ての迷宮区がそうだ』とは証明できてないし」

「そう……だな。仮説でしかないことをわざわざ伝えることもないか。第一層だけの条件かもしれない」

 

 ソレはそれで嫌だな……。しかも在りそうでもある。

 現実から救助がくるはずと/圏内の中なら死ぬことはないと、大半のプレイヤーは【はじまりの街】で待機している。そこから一歩踏み出し迷宮区まで来るには、かなりの勇気がいる。そんな条件設定がされててもおかしくはない。

 三度ため息が出そうになり、寸前で自嘲した。笑うと本当に愉快にもなってきた。こちらの思惑は通してくれないが、そこが良くもある。それだけ手強くなければ釣り合いがとれない/デスゲームのしがいがない、そんな気がしていた。

 

「話は変わるが、ずっと疑問に思っていたことがある」

「なんだ、改まって?」

「私の勘違いかもしれないが、外からと内からでは広さがだいぶ違う。どれだけ高いと塔といえども、これだけの日数をかけても踏破できないのはおかしい」

 

 一ヶ月かけても頂上にたどり着けない塔……。それだけの日数をかければ、どんな素人であろうとも世界最高峰のエベレスト山を登りきれるはず。ましてここでは/プレイヤーは、初期値であっても超人といってもいい身体能力を持っている。できないはずがない。だけど……、気にも留めないことだ。あえて無視しているといってもいい。ソレにまともに答えようとすれば、

 

「まぁ、外見はダンジョンのアイコンみたいなものだからな。それっぽく見えて周りの景色に馴染めば、面積とか重さとか構造とかはどうでもいいんだろう」

 

 せっかくの没入感を冷ます言葉を出さざるを得なくなる。

 ここがデス・ゲームでなかったのなら、「空気読めよ」で切り捨ててもいい。だけど、その異界の空気に現実のモノが混入されているのが現状。その比率がどれほどか/そもそも区別すべきなのか、まだ判断がつかない。……つけたくない。

 オレはまだ、コレがただの悪夢でしかないと、思い込んでいたい。

 

「中に入ることで、我々の体が縮んだのかな? それとも異空間に飛ばされている? あるいは両方か―――」

 

 だからなのか、コウイチの在り方が羨ましい。そのバランス感覚に落ち着かされる。こんな話に付き合っているのは/心地よくも感じているのは、そんな憧れがあったからではないか? ……本人には、絶対に訊けないことだ。

 答えのない世界の謎を、己の内側で解き明かそうとブツブツ呟くコウイチ。そんな彼を引き戻すように、苦笑しながら水を差した。

 

「おいおい、そんなもの悩んでも仕方がないだろう。ゲームには関係ないよ」

「いや、大いにあるぞ。

 出入り口以外から侵入・脱出された場合、どうつじつまを合わせるつもりなんだ? 破壊でもされたら? 別空間に飛ばされたとしたら戻れなくなることになる。体が縮まされたのだとしたら、最悪そのサイズから戻れないかもしれないんだぞ?」

「だから、迷宮区そのものは【不死属性】で守られてる。どうしたって壊せないように設定されてるんだよ」

「その『不死』の定義は、私たちがソレから受ける印象ほど定まっていないはずだ。形あるものはいずれ滅するものだ。不滅のものなど、人間の想像の域を超えてしまっている。作り出せない」

 

 例え設定であっても/設定であるからこそ、スカスカの内実が顕になる。むしろ『不死』から最も程遠い妄想になる……。改めて指摘されると、考えさせられてしまう。もしも、この【不死属性】のバリアが素通り出来てしまったのなら、どうなってしまうのか? ソレは言葉ほど『絶対』ではないのかもしれない。いつもは目に見えないソレが本当に消滅してしまったら、無価値にする裏鍵を手に入れてしまったら? 

 

「……ここも壊すことができる、て言いたいのか?」

「やり方はわからないがな。少なくともこの見た目や質感では、壊せないと思う方が難しい。プレイヤーの大半にそう思われたら負けだ。このバリアも―――突き破れる」

 

 言いながら壁に裏拳を叩き込んだ。触ったりノックしたりとは明らかに違う、壊す意思がこもった攻撃―――。壁にぶつかる寸前、その表面に不可視の膜が見えた。衝撃で小さく撓み、波紋を広げていく。ほんの一瞬の出来事だ。それだけで攻撃は無に帰した、壁には傷も凹みもない。

 プレイヤーが、絶対に触れることができない壁、あらゆる攻撃意思を弾く境界線。その先へはまだ誰も踏み行ったことがない。できないものだ/する必要もないと、見ないようにしてきたこと。もしも踏み越えれるのなら……

 ゴクリと、唾を飲んだ。そして、その着想を払い落とすように頭を振った。

 

「そんなこと、もしできたのなら……、ゲーム自体成り立たなくなるぞ?」

「こちらは時間と命を差し出されたんだ。それ相応のモノを返してくれないようでは、プレイしてやる必要はどこにもないだろ? ましてルールや世界観を守ることも、な」

 

 大胆極まる発言ながらも、コウイチは至って平静そのもの。言葉ほどの熱は込められていない。薄ら寒い何かに震わされているオレとは違い、冷静に分析する対象として観測しているだけだ。頼もしさよりも、異質さに戸惑わされる。

 

「本来私たちは、茅場と同じ力と権利を有していた。だけどログインした瞬間、このアバターを稼働させた時から、幾つものルールと固定概念に縛られそれらを封じられた。プレイヤーという役割に閉じ込められた。ソレを否定し束縛を解いていけば……」

 

 管理者と同じ力を振るえる―――。ぞわりと、何かが背筋を撫ぜた。

 思わず振り返るも、そこには何もない。今や見慣れた迷宮区があるだけだ。でも、不気味な名残はこべり付いたままだった。

 

「……まぁ、どうすれば出来るのかは、わからないがな。これから一つ一つ、解明していけばいいことだ」

 

 オレが取り憑かれたモノなど何も感じないと、軽やかにこれからを語り終えた。オレもその身軽さにあやかり、苦笑した。

 

「もしそれができるようになったら、魔法が使えるのと同じだな。チートだよ」

「常識に縛られたままでは、狂人のことは理解できない。まして倒すなど、命懸けでも難しいだろうな」

 

 確かに……。オレ達の敵は一体誰だったのか? 改めて思い出すと、常識論はバカバカしく思えてくる。もっと自由であるべきだと、思い直したくなる。

 ただ、今はそうであるだけではならない。肩をすくめた。

 

「ただでさえ狂人の夢の中にいるんだ。これ以上ぶっこまれたら悪夢になるよ」

「ログアウト不能のデス・ゲームは悪夢だよ、それ以上ないほどの」

「だからさ、そろそろ覚めた現実が欲しいんだ。オレたちはまだレベル10と11で、そろそろ小腹が空いたっていうな。……ついだぞ」

 

 話し込んでいるうちに、いつの間にか到着した。

 安全地帯。十畳間ほどの広場で、出入り口は二つ/天井はオレの背丈の倍ほどで閉じられてる、区画の曲がり角に位置する場所。そのエリアに踏み入った途端、ひんやりとした涼風を浴びたかのような開放感がもたらされた。ギリギリ注意をひかずだけど持続的に心を削り続ける圧迫感、その魔の手が払われた気分だ。

 一望すると、そのワケがわかった。コケがある、地面や壁の隙間から生えてきたソレが染み広がっていた、漂白された迷宮区を色づけていた。水音が鳴っている、今までが無音であったことに気づかされた、急に平面世界から立体世界に戻ってきたかのように音が空間を描いていた。ここには、生命の息づきがあった。

 そんな自然の恩恵に感得していると、予期していなかったものが目に映った。神秘の世界から一転、現実に引きもどる。

 

「おぉ! 【高炉】もあったか。武器の修理もしておくか」

 

 ダンジョンの仕掛けの一つ。そこにあったのは、古き良き時代/今は田舎でも見られないような竈そのものだ。レンガを積み上げて作った台の上に、今は使い古した黒の中華鍋がボンと置かれている/置かれていない方がほとんどだ。その鍋で湯を沸かしたり特殊な溶液を作ったり料理したりもできるが、【高炉】の本分は下の炉にある。そこで金属製の武装の修理と強化ができる。生憎のところ、強化の方は【鍛冶】スキルがないとできないので、今できるのは修理/【耐久値】回復だけだ。

 近づき竈の口を覗き込むと、細かく割られていた薪が山型に積まれていた。ほんの少し訝しるも、すぐさま気にしないことに、火をつけようと火打石を取り出す。

 

「待てキリト、まだ燃料が残ってるぞ。誰か使ってたんじゃないのか?」

 

 コウイチもソレに気づき止めてきた。

 

「ここ拠点にしてるプレイヤーがいるのかな? だとしたら、使うのはやめた方がいいか……」

「マナー違反だから構わないだろ。ここは共有スペースで誰のモノにもできない。モノをおきたいのなら、せめて名前かいて邪魔にならない隅っこにまとめてもらわないとな」

 

 実際、【封箱】という仕掛けもある。子供用の棺桶のような外見をしている、簡易ロッカーだ。

 獲得アイテムをストレージに収められなくなった場合、そこに保管しておくことができる。保管中は【耐久値】の減少が抑えられ生モノでも半日は保存できる/蓋を閉められるまで詰め込むことができる、入れ終えたら【封箱の鍵(保管場所の座標)】が手に入る、ソレを使えばロッカーからアイテムを取り出せる。ただし保管期間は三日間、一秒でも過ぎたら中身は全て消滅する/鍵も同じく消える、そんな事故を防止するためか鍵には残り時間が表記されている。……この安全地帯には置かれていないが、別の場所にはある。

 安全地帯とはいえ、自分のアイテムを捨て置くのは、拾って使ってくださいと言っているようなものだ。そこは自分が占有してるとの印にはならない。ただでさえスペースは限られている、誰かのワガママを受け止めてやれるほどの余裕はない。

 

「それはそうなんだが……、忘れてしまったというのもあるだろう? マナー自体を知らなかったのかもしれない」

「今ここにいるようなプレイヤーがか? 

 燃料持ってきたってことは、長期間潜るつもりだったてことだろ? 何も知らない初心者なわけがないよ。それに……、まぁそんな風に善意で捉えるのなら、『次の人のために残しておいた』て解釈もできるだろ?」

「それは随分と……、都合のいい解釈だな」

「どっちにしてもだ、使い切った方がいいよ。このまま放置してればあと1時間もしないうちに消える。オレ達が有効活用してやろう」

「そうだな……。もし遭遇したら、その時返せばいいことか」

「マナー違反の注意と一緒にな」

 

 使った以上、感謝の方がいいかな? それだと皮肉になって喧嘩になるかも……。どんな対応がベストなのか、ここで悩んでも仕方がない。でたところ勝負しかない。

 カチカチと、火花を散らし火をつけた。オレンジ味の明るい火が灯る。時々パチパキと、燃えた薪が爆ぜる音が鳴った。

 揺らめきながら燃え続ける火を見つめていると、心の中まで暖かくなっていく。見つめている目や皮膚を通して、熱と光が染み込んでくるのだろう。心地よい。無意識に強ばらせていた体の部位が緩んでいくかのようでもある。ごうごうと燃え盛り、火が炎へとかわっていった。

 その炉の中に剣をつき入れた。刃が赤熱するのを確認すると引き抜いた、熱波も同時に引き抜かれ吹きつけてきた。触れれば火傷どこから骨まで溶けそうな高熱具合、思わずウッと呻く。その刃の上にインゴットをのせてハンマーで叩けば。強化することもできる。だが、あいにく【鍛冶】はセットしていない。隣の鍛鉄台に置き、そのまま熱が冷めるのを待つだけ。

 コウイチも同じように槍を赤熱させて冷ました。台の上に置き地面に腰を下ろし直すと、改めて周囲を見渡した。そしてふと、こぼすようにつぶやいてきた。

 

「……存外ここは、拠点として使えるかもしれないな。モンスターも来ることはないし、食事と寝床の用意さえすれば充分だ」

「いや、いくら非戦闘領域と言っても【圏内】とは違って絶対じゃないんだ。

 井戸が干上がってたり高炉の火が消えてたり【宿木】がなかったり枯れてたりすれば、モンスターが入ってくることもある。長時間い続けたらそうなる。数十分程度の仮眠なら構わないけど、本格的に寝たら間違いなくやられる」

 

 眠っている間にモンスターに襲われる。叩かれて起こされた周りは敵だらけ、慌てて戦闘準備する。そうならまだマシだろう。強制的なデバフとしての【睡眠】とは違い、自発的な睡眠は外部刺激に左右されにくい。攻撃されても目が覚めない場合がある/タイマーをセットすると尚更そうなりやすい。眠っている間にそのまま永遠に目覚めなくなることもある。安全地帯は休憩場所ではあるが、宿屋ではない。

 

「そうか……、残念だな。殺風景ではあるが、それゆえの風情があるんだがなぁ」

 

 言うほど残念がってはいないが、幾ばくかは真情だった。……全ては読み切れないが、そんな感じだ。

 オレも無言で頷いていた。同じく周囲を眺める。こんな何もない/部屋とも言えない廃墟のような場所に寝泊りするのも、いいかもしれない。心が調律される。一人何もせず横になっているだけで、清潔な静けさに洗われるような気がする。寂しく怖くもなるだろうが、それが本当に自分のものなのか押し付けられたものなのか、向き合うための空白をくれるから……

 パキりっと、薪の焼き折れた音が鳴り響いた。

 武器の様子に目を向けると、熱はだいぶ冷めたのか、元の鈍い銀色に戻ってきていた。あと数分も経たずに使える様になる。ここに居座っている理由もなくなる……。だけど、立ち上がる気にはなれず、埋めるようにとりとめもないことを尋ねていた。

 

「……知り合い、まだ見つからないか?」

「まだ、何とも。生きてることを祈るばかりだよ」

 

 事情に踏み込んだことだったが、気にした様子もなく答えた。

 

「妹……なんだよな、その知り合い?」

「君と同年代ぐらいのね、背丈も同じぐらいだな。顔は私と違って、美人の部類にはいる……かな?」

 

 兄の身内びいきなセリフだが、言った本人は首をかしげていた。一般論としての意見で、彼自身は違うと伝わってくる。ただ、おそらくはその一般論が正解だろうとも、直感させられた。彼の妹が、不細工だが我が道を征くふくよか体型だったり流行に追い立てられてるギャルだとは、どうしても想像できない。

 

「まさか妹だったとはね、男だと思ったよ。オレの前の姿と似てるっていったからさ」

「私が作り上げたアバターだったんだ。あれだけ似通ってたのには驚いた」

「それじゃ、別のアカウントでログインしたのか? なんだってそんな面倒な……というか、ソレだと二つないとできなくない!?」

 

 販売たったの数時間で売り切れてしまったSAO、限定1万個。β経験者でしかも前日に店の前でスタンバイして何とか手に入れたモノだ、一生の半分の運は使い切ってしまったはずだ、同時に運の尽きになってしまったけど……。ソレを二つ、ありえない幸運だ、ありえないのでタネか仕掛けがあるはず

 

「私の父の会社が【アーガス】の、茅場が作ったゲーム会社の大株主でね。このSAOの開発にも融資してきた。その関係で贈られてきたんだ、私と妹用に二つね」

「なるほど。やっぱり良いとこ出のボンボンだったんだ」

「ムっ……、そんな風に見えるのかな?」

「うん。かなりの変人だけど、見た目はまとも以上だからさ。貧しさとか苦労とか妬みとかの、劣等感のくすみが見えないんだよ。少なくとも、オレが今まで見てきたこの一ヶ月間からはさ。

 でもまさか、アーガスの大株主だったとはね。……て、それならまさか―――」

「ご明察。だが……、黙っていてくれるとありがたい」

 

 しぃーと、口に人差し指を立てながら、答えてくれた。

 その事実にまたもや驚かされるも、これ以上はぶしつけ過ぎだ。聞きたいのは山々だけど、誡言を受け入れることにした。

 

「……そうだったな。リアルの詮索はマナー違反だった」

「あまり意味もないからな。開発チームの一員だったのならともかく」

「金出しただけじゃなぁ」

 

 システムエンジニアの一人だったのなら、裏ワザや裏道をひねり出せそうだけど……。ただおそらくは、このゲームを内側から崩壊させうるコードなどは、茅場だけがにぎっているのだろうけど。

 互いに自嘲するように笑い合うと、コウイチは立ち上がり自分の槍を手にとった。ブンブンとその場です振り仕上がりを確認する。引き戻すと、刃の部分をそっと摘む/刃こぼれなく研ぎこまれている。

 

「うむ、完全に直ったな。……そろそろ行こうか」

「そうだな。今度こそボス部屋が見つかればいいんだけど、な」

 

 よっと、小さな掛け声とともに立ち上がると、剣を手に取った。直ったことを確認しカチンと、鞘に戻す。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 安全地帯から外へ/再び戦場へ。

 マッピングしていた際にまでたどり着いた。その先の未踏エリアに行こう警戒心を研ぎ澄まし直すと、剣戟の音が聞こえてきた。

 さらに耳をそばだてた。金属同士がぶつかり合う激しい音。この先近くで、誰かが戦っている―――

 

「コウイチ」

「珍しいな、ここまで登ってくるプレイヤーは」

 

 久しぶりの他プレイヤーだった。ほとんどがオレ達が踏破したエリアでたむろしているだけ、未踏域にまで進んでいる人は稀だった。

 気づかれないようにそっと近づいた、その姿が見えるまでに。……そこにいたのは、いつも見かけるコボルト兵2体とフードを被ったプレイヤー、二対一だ。

 

「周りにプレイヤーはいない、ソロかな? ……どうする、助けに行くか?」

「アレなら必要ないだろう」

 

 オレが指摘したのを証明するように、フードマンはトドメのソードスキルをコボルト兵に放っていた。幾重にも貫かれながら、後ろに吹き飛んでいく。そして、背中から地面に倒される頃には、HPは0になっていた。

 瞬時にもう一方の兵と向き合う、タイマン/ようやく対等。だけど、すでにコボルトのHPは危険域寸前だった。あと一撃でもまともにヒットすれば、それで終わりだ。反してフードマンは、ほとんどHPを減らしていない。ソロでコボルト兵二体と戦ってきたはずなのに、圧倒していた。

 

「細剣使いか、すごいな……。あんなに早いのに、正確に撃ち抜いてもいるぞ」

「準備動作の溜めもないし、残心がとれてるから技後硬直もほとんどない、たぶん【加速】させてもいるな。あんな細剣使い、βでも見かけたことなかった……」

 

 恐ろしく完成されたソードスキル、【細剣】単発突き攻撃【リニアー】だ。あれだけ洗練された剣技は見たことがない。一筋の残光しか見えず、いつ鋒が貫いたのか見えなかった。まるで流星だ。空を走るモノは願いを叶えてくれるが、そこにあるモノは死を運んでくる。

 その【リニアー】が、再び放たれた。仲間を殺された怒りからかヤケクソからか恐怖からか、手斧を大きく振りかぶって空いた懐、そこに叩き込むように放った―――

 一瞬、フードマンの姿がブレると、次にはもうコボルト兵の懐へと飛びこんでいた。突き出した細剣の鋒がその背から顔を出しているのが目に映ると、遅れて衝撃が兵を吹っ飛ばした。まるで交通事故のように、数メートル先の壁まで叩きつけられた。

 その時点で、勝負は付いていた。まだHPバーに現れていないだけで、すでにHPは0になっているはずだった。しかし、フードマンのコンボは止まらない。追撃とばかりに吹き飛ばしたコボルト兵まで跳び、流星群を叩きつけた。

 体中ダメージ痕の赤みを帯びたライトエフェクトに覆われた敵は、フードマンが剣を引き抜いてもしばらく、壁に磔のまま立たされていた。しかしカチリと、フードマンが剣を腰の鞘に収めると、ようやく解放されたかのように崩れ落ちた。黒のタールと化し壁と地面に染み込んで、消えた。

 ソレを見届けると、ようやく口が開けた。

 

「……随分と、殺伐としているな」

「疲れて雑になった、わけではないよな。アレは」

 

 明らかにやり過ぎだった。例えモンスター相手であっても、見ていて気持ちいいものではなかった。

 ソレはやった本人も、そうだったのだろう。難しい戦いを勝利に納めたというのに、達成感や喜びは微塵も感じさせない、無関心の作業感すらなく絞り尽くした徒労感に襲われているかのようだった。果てのない苦行を強いているかのような痛々しさが、伝わってくる……。

 だから、だったのかもしれない。気づけば、隠れていたその場から踏み出していた。ソレに気づいたコウイチが止めようと注意するもフラフラと、フードマンの元へと近づいていた。そして、オレに気づいたフードマンが振り返ると、

 

「―――さっきのは、【オーバーキル】過ぎだよ」

 

 そんなお節介な言葉を出していた。

 はんば無意識で声を掛けるも、向かい合ったフードマンの顔を見て我に帰った。わが事ながら慌てた、どう言い繕えばいいのか混乱する、アワアワと目が泳いでしまっていた。

 不思議そうに首をかしげていたフードマンは、そんなオレを訝しるよりも、

 

「……【オーバーキル】って、何?」

 

 当たり前過ぎる専門単語の意味を、訊いてきた。

 一瞬ぽかぁーんと、呆然としてしまった。何を言ってるんだコイツは? 遠回りの嫌がらせか? でも初っ端でそんなこと訊いてくるなんて、なんで……。意図が全くわからない。先の達人ぶりの戦いと今の質問は、全く噛み合わない。

 しかしふと、合点が降ってきた。見直したフードマンの顔には、皮肉や冗談の色は見えない。ただ純粋に、わからないから聞いているだけだった。だから、同意を求めようとコウイチへと振り返って……、降ってきた。この男もそうだった。初心者のくせに、すぐにここでの戦いをマスターした。それのみならず、試行錯誤の末に会得できるはずのプレイヤースキルを、センスだけでモノにした。そういうハイスペックな人間は、稀にだが存在する。……フードマンも、その種の一人なのだろう。

 息を整えると、異種間交流を開始した。

 

「……簡単に言うと、やりすぎってこと。止めはソードスキルでなくても良かったはず。あと数ドットしかなかったんだから、通常攻撃でも事足りた。見たところソロで潜ってるみたいなんだから、もう少し温存しておかないと帰り道がきつくなるだろ? 人の集中力は無限じゃないんだから」

「帰り道……」

 

 「余計なお世話だ」「先輩面すんじゃねぇよ」などの罵倒を覚悟していたが、フードマンから零れたのは、聞いていくれているのかいないのかもわからないつぶやき。ボールが投げっぱなしで帰ってこない。大海に溶けたか/暗闇の中に消えてしまったかのようで、不安にさせられる。

 それでも、初めてではなかったので/ここまで踏み込んだのならたどり着くとこまで行ってやるとのヤケクソで、注意を言い募ろうとした。しかし寸前、フードマンの自嘲が切り捨ててきた。

 

「なら、問題ないわ。私帰らないから」

 

 感情を殺しきった落ち着いた声音、しかしその奥にある諦念が滲み伝わってくる。向けてくる同じく無感動な不機嫌顔は、オレの差し出した手を言葉以上に突っ放してきた。

 驚きそして、叱りつけようとしてもよかったが、しなかった。できなかった。不覚にも、その時初めて/その言葉遣いを聞いて、フードマンはフードウーマンであることに気がついた。しかも、そのフードで隠れてしまってはいるが、かなりの美人であることは窺い知れた。あの【手鏡】のおかげで、プレイヤーの男女比が大きく偏っている今、しかも美人ともなればS級のレアアイテム以上に貴重だ。

 しかし、呆然とさせられたのは一拍。気を取り直すと、フードウーマンを引き戻さんと続けた。

 

「……ずっと潜ってる気か?」

「潜ってきたわ、今までずっと。……武器の予備もポーションもたくさん用意しておいたから、まだ大丈夫でしょう」

「そんな、他人事みたいに……」

 

 ぶっきらぼうに、自分の命などどうでもいいと言わんばかりの捨て鉢な態度に、返せたのは一般論だけだった。……自分でこぼして情けなくなる。

 会話の接ぎ穂がことごとく抜かれた。異種間/異星間交流は失敗に終わりそうな予感。それでも、何とか残っているモノへと縋り付いた。

 

「……何時間続けてるんだ?」

「3日か……4日かな? ……忘れたわ。

 もういいでしょ? そろそろモンスターが復活するから、行くわね―――」

 

 もう話すことは無いと、次の戦場に向かおうとするワンダーウーマン。オレのことは通行人NPCぐらいにしか思っていなかったのだろう、素っ気無さすらない赤の他人ぶりだ。

 翻して立ち去ろうとする彼女を、慌てて引き止めた。

 

「ちょ、ちょっと待てって!」

「なに?」

 

 すぐさま返事がきて、逆に慌てた。次の言葉を用意していなかった。どうすれば引き止められるかわからない。

 なので、一般論。浮つきながらも言葉を埋める。……オレは一般論の王様です。

 

「……そんな戦い方したら、死ぬぞ?」

「そうね。でも……、どうぜ皆死ぬでしょ?」

 

 正面から捻り返された。

 

「たった一ヶ月で千人も死んだ。それなのに、まだ一層すら突破できてない。このゲームはクリア不可能なのよ。だったら、どこでどう死のうが勝手でしょ? ……早いか遅いかだけよ」

 

 自暴自棄な言葉の弾丸に、何も言い返せなかった。ただし、その顔/声の調子から、言葉との決定的なズレがみえた。

 軽々しいわけではない/切羽詰っている/落ち着いたその調子は相応しくもあったが、何かをゴッソリと諦めているふりをしていただけだった。必死で繋ぎ留めようとしている矛盾が垣間見える。初対面のオレですら見破る努力もなしにわかったソレに、彼女は気づいていない。あえて無視しているのかもしれない。だからソレは、最も触れられたくない急所だろう。そこを叩けばどうなるか? 間違いなく引き止められるだろうが……、躊躇してしまった。

 黙っているオレに、今度こそ話はこれまでとばかりに、立ち去ろうとした。オレ達も知らない未踏域へと行こうとした。

 

 

 

「―――お前のセリフとは思えないな、【アスナ】」

 

 

 

 突然コウイチが、彼女へ突きつけてきた。

 驚いたオレは/彼女も、乱入者に顔を向けられた。

 

「たったそれだけのことだろ? そんなことで、全て諦めてしまうような奴だったとは、知らなかったよ」

「な、なんで……私の名前、を―――!?」

 

 驚愕していた少女は、コウイチを見て口元を抑えた。ソレまでの不機嫌顔が嘘のように、感情を溢れさせた。

 信じられない―――。

 

「兄……さん? ……どうして? なんで……ここに、いて―――…… 」

 

 詰まり詰まりながら絞り出された声は、最後まで出せず。ふっと、途切れた。

 そして少女は、まるで【麻痺】攻撃でも受けてしまったかのように、倒れた。縛り上げられていた糸が切れたように、崩れ落ちるように。駆け寄ろうとするオレの眼前で、気を失ってしまった。

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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トールバーナ 旅の仲間 閃光

 

 重い瞼を開けるとそこは、見知らぬ家屋の中だった。先まで無機質な立体迷宮の中にいたはずなのに、今は久しぶりにベッドの上で仰向けになっていた。

 その柔らかな感触ゆえか、硬く冷たい石畳の上で細剣を抱えながら横になってきたから、気だるい。まるで徹夜明けに無理やり目覚ましに起されたかのようで、体が重い。

 起き上がる気になれずそのまま、仰向けになりつづけていると、傍らにいた誰かが声をかけてきた。

 

「―――やぁ、おはよう亜沙」

 

 目の前にいたのは、よく見知った人/兄だ。まるで、昼下がりのコーヒープレイクでもしていたかのように、その人の良さそうな顔同様なリラックスした面持ち。記憶にある彼そのまま。

 だからいつものように、

 

「……おはよう、ございます。兄さ―――!?///」

 

 急に、自分の現状を思い出し顔を隠した。かけられていた毛布を手繰り寄せる。

 み、見られた。よりにもよって、こんな無防備な顔を……。顔を真っ赤にしながら恐る恐る、兄の顔をのぞき見た。

 

「ね、寝顔……、見たんですか?」

「おいおい、まずソレなのか?」

 

 呆れたような苦笑を返してきた兄にムッとさせられるも、すぐにその意味を察せられた。恥ずかしい……。寝起きとはいえボケ過ぎてる。

 コホンと一つ咳払いすると、仕切り直すように言った。

 

「……本当に兄さん、なの?」

「お前を探すのに随分と手間取ったぞ」

 

 あっさりと告げられたその言葉には、苦労の色合いは見えなかった。だけど/だから、言葉通りなのだと伝わってきた。そして納得することもできた、この人はこういう人だったと、目の前には確かに兄がいるのだと。

 胸が詰まりそうになった。懐かしさと安心感に目頭が熱くなる。何かこぼしてしまいそうな気分になるも、寸前でこらえた。俯く/水を差す。

 

「でもここは、まだ……ゲームの中、なんですよね?」

「……ああ」

 

 沈鬱を切り捨てるような短い応え。すでにわかっていたことなのに、他人から言われるとずしりと重くのしかかってきた、あるいは今だからなのかもしれない。十二分に覚悟していたはずなのに、まだ何処かに未練が残っていたのだろう。未練タラタラだったから、あんなことしたのかもしれないけど……。

 己の所業を思い返し眉を顰めていると、兄がいきなり頭を下げた。

 

「―――すまなかった、亜沙」

「え!? ……何がです?」

「お前を巻き込んでしまった。私があんなものなど持ってこなければ、こんな場所に囚われることなどなかった」

 

 起こった事実だけを述べるように謝罪してきた。ただその平静さが、私の奥底にあった疚しさ=『私のせいじゃない、そもそも家にあったのが悪い』を引き寄せてきたのだろう、慌てて振り払った。

 

「そんな……、兄さんのせいじゃないですよ。私が勝手に使ったからで、自業自得だから別に―――……て、そうだ!?」

 

 思い出した。本来兄は、ここにいるはずがないことに。

 

「なんで兄さん、ここにいるんですか?」

「? ……ナーヴギアを被って、ログインしたからだが?」

「そ、それはわかってます! ……いや違う、そうじゃなくて……。

 そもそも何で、ログインできたんですか? ナーヴギアもゲームカードも1セットしかなかったはず」

「何言ってるんだ、ちゃんと2セットあったぞ? 茅場がわざわざ、私とお前用に贈ってきたんだから」

「え? うそ……。

 で、でも、私が見たのは兄さんが見せてくれたのは1セットだけで、他にあったなんて……知らなかった」

 

 あの日確かに、1セットしかなかった。仕事人間で、遊びやましてゲームなどやったことなどなかったはずの兄が、贈られたそれを愉しげに披露してくれた。私も同じく、新世代のVR機器にもゲームにも興味はなかったが、兄が歓んでいる姿に驚かされたからよく覚えていた。見間違いがあったとは思えない。

 何が起きたのか訝しんでいる/兄もどこに行き違いがあるのか悩んでいると、突然ソレに思い至った。ポンと手を叩く。

 

「……ああ、そういうことか! 

 もう一つは遅れて届いたんだ。たぶんお前が学校か習い事に行ってる最中だな。お前にも見せてやろうとしたんだが、急に仕事が入ってしまってね。そのまま放置してしまったんだ」

 

 父も母もそんな遊具=時間の無駄、兄から頼まれたとしても私に渡すことなどない。だからこっそり、兄の部屋に忍び込んで借りてきた。それだけだと思っていたけど、実はもう一つあり兄自身が出張先まで持っていった。暇ができて/作って、ほんの少し体験してみようとして……。そういうことだろう。

 

「……そう、だったんですか」

「そう。だから、お前が気に病むことは何もないよ」

 

 自分の不手際のせいでここに閉じ込めれた、わけではない。元々茅場がそう仕向けていた。あの世界から/戦いから、逃げ出したわけじゃない……。

 言外の気遣いに微苦笑した。そんな言い訳に乗っかりたいけど、ただの解釈の違いだ、慰められても現状は変わらない。気持ちだけ受け取ることに。

 

「……兄さんもずっと、迷宮区にこもってたんですか?」

「その方が、お前を探すのに手っ取り早いから……というのは建前か。本音はたぶん、お前と同じだよ」

 

 ヤケクソで、焦ってたんだろう……。そんな気配など微塵も感じないので、笑わせるための冗談かと勘ぐらされる。

 

「私の場合はキリトがいたので無茶も通せたんだが、お前は一人だったからな。それも、何日もあんな最前線に潜って……」

 

 よく無事だったな……。感情の薄いその表情からも、安堵と労わりはハッキリと伝わってきた。

 まともに受け取れず、慌てふためいた。

 

「べ、別に……、ヤケになってただけで……。先のこと全然、考えてなかっただけだったから、それで……」

「それじゃ、今はもう違うかな?」

 

 もう、あんな無茶はしないでくれよ……。私がソレだけで退くなど無いとわかっていながらも言うしかない、苦笑しながらの心配。兄妹でも/だからこそ、踏み越えられない一線がある。……直接注意されるよりも堪えるものがあった。

 だから、話題を逸らした。

 

「……兄さんはこのゲーム、クリアできると思う?」

「できる。時間はかかるだろうけどな」

 

 その時間が問題だが……。にじませた補足に激しく同意した。数ヶ月もこんな場所にいたら、今まで必死に積み上げてきたモノが全てパァになる。もし助かったとしても、その負債を背負った敗残者として残りの一生を惨めに過ごす事になる。……私の今までの計画は全て、オジャンになってしまった。

 そんな絶望に蓋をして/今は見ないようにして、続きを促した。

 

「でも……、もう千人も死んでるのに?」

「このフロアが特殊なんだよ。ほかのフロアとは違って倍以上に広いらしいじゃないか。イベントもクエストも無数に用意されている。ルール変更の混乱も重なったから、そこまでの被害が出てしまったのだろう」

 

 ソレは問題の病根ではないと、言い切ってきた。

 指摘されてはじめて、死人とその数の魔力に惑わされていたことに気がついた。冷静になれるはずがないのに、冷静になっていると思い込んでいた。

 一ヶ月かかっていることや千人のプレイヤーが死んでいることが、問題じゃなかった。皆が皆それぞれ何処か歯車が壊れていた、冷静に現状を観測して対応できていない。ソレに気づいていながらもあえて無視し続けた結果、その狂いが『正常』になりかけていたことが問題だった。

 口を開けたまま感心していると、

 

「それにだ。ようやくボスエリアも見つかったようだしな」

 

 ボスエリア=第二層への道を塞ぐ関門/この第一層にプレイヤー達が足踏みしなければならなかった原因。

 私もその存在は知っていて、探すために迷宮区を彷徨っていたけど、見つけても何をする予定はなかった。いや……おそらくは、そのまま戦っていたのかもしれない。少しでもさきに進んでいる実感が欲しくて、私は決して逃げたわけじゃないと証明したくて、無謀であるにも関わらず一人で戦いを挑んだだろう。誰かを頼るなど考えなかったはずだ。

 どう反応すればいいのかわからなくなっていると、一拍逡巡したあと、提案してきた。

 

「どうだ亜沙、これからも前線で戦い続けるのなら、一緒に会議に参加してみないか?」

「……会議?」

「フロアボスの攻略会議だ。今日、【トールバーナ】の広場で開催されるらしい」

 

 攻略会議……。断る理由など、どこにもなかった。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 迷宮区からホームの牧場まで、モンスター出没エリアにて倒れてしまった少女=コウイチの妹を抱えてやってきた。疲労が溜まり過ぎたのか緊張の糸が切れてしまったのか、あまりにもまずい場所で気を失った。大の男二人がいたとはいえ迷宮区もかなりの奥地、運びながら抜けるのは至難の技だ。……なので、ちょっとした裏ワザを使った。この仮想世界ならではの救急処置だ。

 ソレを使って何とかホームの牧場まで戻ってきた。道すがら、壊れ物を扱うようにとは言い難い運び方だったが、少女は目覚めず。再充電に手間取っているサイボーグのように微動だにしなかった。ソレはそれで助かったわけだが、ベッドで安静にさせても一向に目覚める気配がない。昼過ぎあたりに戻ってきて今はもう日暮れ、それでもまだ眠ったまま。時々苦しそうにうなされてもいる。ここではまだ病気や呪いなどないので、悪夢を見せられているのだと思う。……寝ていても悪夢とは、かなり悲惨だ。

 傍らで看病しているコウイチ。手伝うも二人の側には長居できず、かと言って迷宮区かフィールドで狩りをする気にもなれず、街中をあてどなく散策しながら目覚めの連絡を待っていた。―――そんな最中、一通のメールが届いた。

 コウイチからかと急いで開封すると、別の人物からだった。落胆しつつも、ちょうどいい暇つぶしではあった。迷宮区に篭もりきりで外のことには疎くなっている、色々と面白い話が聞けるかも知れない。

 返信を送ると、指定の場所まで急いだ。

 

 

 

「―――連絡、わざわざどうも」

「気にするなテ、一番の功労者ノお前たちがいないなテ、歯抜けモいいところだからナ」

 

 ホーム近くの街=【トールバーナ】、縦横に走る用水路の側に等間隔で設置されているベンチ、その一つに腰を下ろし背をあずけながら、背後に立っているであろう人物に謝意を言った。

 互い向かい合わない/顔は見ない、スパイ同士の密会のような他人のふり。だから鏡でも使わないと見れないが、彼女はオレよりも頭半分ほどは小柄だ。通称である『鼠』を思わせる雰囲気を醸し出してもいる。その頬に描いている三対の細い髭が、ソレを強調しているはずだ。

 『鼠のアルゴ』。おたがいβからの顔見知りではあるが、何より気取りすぎて若干気恥ずかしいが、【圏内】の公共スペースでは誰がどこから監視しているかわからない。情報屋を自任している彼女=【アルゴ】にとって【圏内】は圏外以上に危険な戦地だ、用心のためにそうしている=周囲を警戒しやすい体勢になる。オレまで付き合ってやる必要はないのだが、小さな背中と話す光景はかなり間抜けに見えるはず、そっぽを向かれ続けているような不快さもでてくる、彼女のプロ意識に付き合ってやることにした。

 

「そういえばキリ坊、なんでこんな所で油売テたんダ?」

「妹さんとの感動の再会だろ? 部外者が邪魔しちゃダメだろうが……て、お前こそなんで知ってたんだよ!?」

 

 メッセージが来たタイミングは、受信可能なフィールドに入って暫らくをしないうちだった。近くで見ていたとしか考えられない。まだ第一層の現段階では、留守用メール預かりサービスはない。受信不可なら即座に捨てられる。迷宮区に篭っているはずのオレには、どんな相手からのメールも届かない。……そもそも、送ってくるだろう数は少ないが。

 不注意だった。知っていることを前提にしていたので、バラしてしまった、オレがここにいる理由を/情報を。

 

「お前たち、いつもこの時間ハ迷宮区の探索だロ? ソレをわざわざ切り上げテきたのだかラ、よほどのアクシデントに遭タと考えるのが、自然ダロ?」

「それって……、俺達をストーカーしてた、てことか?」

「おいおい、偏見に満ちた言い方だネ。『動向をチェックしてた』んだヨ、コウちゃんに渡しタ私の【導】を通してネ」

 

 あれって、GPS発信装置にも使えるのかよ……。他プレイヤーに渡せば、自分のマップに自動的に居場所を指し示すアイコンがつく。【導】の応用的な使い方、ただし信頼できる相手に限る/逆に自分が不利になる。

 

「てか、それじゃやっぱりストーカーじゃん!」

「失敬な、取引だヨ! 妹さんの探索と情報収集のためのネ。迷宮区じゃメッセージ届かないからサ」

 

 ふくれっ面(見えないがそんな感じ)で全面否定するも、疑わしそうにジト目を向けた。

 

「……とりあえず、そういうことにしておいて、だ。役に立たなかったみたいだな」

「だかラ、わざわざ会議のこト伝えに来たじゃないカ」

「それだけ? ……ちょっと割に合わなくないか?」

「キリ坊の分はネ。あとはコウちゃんにだケ、特別サービスだ」

 

 顔をしかめそうになるも、別に構わないと気を取り直した。コウイチに聞けばいいことだ。同盟組んでる/アルゴもそんなこと知ってるのだから、わざわざ直接聞かなくてもいいのに……。ストーカー説の有力な証拠がまた一つ増えた。

 オレの下衆な考えが読まれたのか、嫌な視線を感じるも知らんぷり。話題を変えた。

 

「お前も会議、参加するのか?」

「初めてのプレイヤー主催のイベントだからネ。それにほとんどのトップランカーを誘タみたいだヨ。どんな奴らがいるのカ、どう転がるのカ……。今後の攻略に大きく関わテくるはずだヨ」

 

 確かに、言われてみたらそうだ……。今回の会議は、ただフロアボスの攻略のためだけじゃない。今後、プレイヤー全員を引っ張っていくリーダーを決める会議になる。そこに参加するということは、必然トップランカーになる/ならざるを得ない=期待される。今後開催されるであろう攻略会議のチケットが渡される。否が応でも、何らかの指導的な立場に立たされることになる。

 少しいやかなり、認識が甘かった。未来の重荷に息を呑む。……参加する前に修正出来て良かった。

 

「フロアボス会議て言うんだから、やっぱり……見つけたんだよな。ボス部屋」

「だろうネ。……残念だタね、あんなにがんばテきたのニ」

「お前も知らなかったんだろ、初耳だったか?」

「…………なんでそう思うんダ?」

 

 数拍おいての警戒心、アルゴにしてはわかりやすい反応をしてくれた。

 

「お前にマップデータ渡してきたからな。お前なら、オレたちとは別方向を探索してるんじゃないかと思ってさ」

「だタらなおさら、私が見つけてモ良さそうだけド?」

「だからさ。まさかオレ達がすでに明らかにしたはずの場所にボス部屋があったなんて、思いもよらなかっただろ?」

 

 当て推量のハッタリ、しかし思いのほか的中したのだろう。アルゴから目のパチクリが聞こえてくるような空白がながれた。そして、褒めるような挑むような複雑に絡み合ったニヤリとともに、種明かしをしてきた。

 

「なんだいキリ坊、βから随分といい性格になタじゃないカ。もう知テたなんテ」

「ただの推測だよ。一番乗りのオレ達が見つけられないなんて、さすがにおかしすぎるからさ」

 

 これで裏は取れた。オレ達の疲労からくるであろう不満ではなく、何らかの条件が満たされていなかったからということが。アルゴも同じ罠にかかってしまった。

 

「原因はなんだと思う? 迷宮区の入場人数かな?」

「たぶんソレだネ。ギミックの線も捨てられないけド、まだ第一層だしネ。……色々ト見誤タよ、まタク―――」

 

 そう吐き捨てると、背をあずけていたベンチから離れた。立ち去ろうとする。

 何かを企んでのことではなかった。思わず、振り返って引き止めた。

 

「なんだよ、一緒に行かないのか?」

 

 自然とポロリと出てきた誘いに、アルゴは立ち去ろうとした足を止めた。そして振り返ると、オレをまじまじと見返して、

 

「……こりゃ驚いタ。あのボッチのキリ坊が、こんなに積極的ニ女の子を誘うなんテ」

「え? いや、そのぉ……、そんな流れかな、て思ってだな―――……て、お前『女の子』て柄じゃないだろうが!」

 

 しどろもどろしてしまったことが恥ずかしく、ついつい怒鳴り口調で返してしまった。

 アルゴは全く気にせず、むしろ愉しげに口元を歪めながら、わざとらしいブリッ子を演じてきた。

 

「ヒドイ! どカらどう見てモ可憐な美少女なのニ」

「髭が生えてる美少女なんて、斬新すぎてついていけねぇよ」

「ドラみちゃん可愛いだロ? 頭も良くて兄想いでキュートだロ? アレと同じだヨ」

「彼女は二頭身でしかもロボットだよ。それに、お前猫じゃなくて鼠だろうに。てかそもそも虚構だろうが!」

「ここだテ、虚構みたいな場所じゃないカ。現実がどうのこうの言う方ガ、どうかしてるゾ。……そんな狭い了見じゃ色々ト、チャンス逃しちゃうヨ?」

「ご忠告どうも。でも、オレはこの世界に骨を埋める気はないんでね。見識は、生き延びるのに必要な分だけ広げられればいい」

「実用主義テやつカ? それ『私には何の制限も規制も無い』テいう無法宣言だテ、知テるカ? 特に『生存』が目的の場合ハ」

「それじゃオレのは、修正実用主義だな。ちゃんと制限も規制もあるから安心してくれ」

「その手のメッキが、長く保てたことなんテないんだけどナ。……もう無理せずさサと、認めちまタ方がいいと思うけド?」

「そうだな……それじゃ、何で一緒に行かないんだ?」

 

 無駄なやり取り全部捨てて、話を戻した。強引ではあるが、これ以上続けてやる義理はない。……オレはタフな男を目指してます。

 それで彼女も気分を害したわけではなく、あっさり切り替えに乗った。そして少しだけ悩むも、教えてくれた。

 

「まだ会議まで時間があるからネ。『攻略本』の情報ヲ更新しておこうと思テ」

 

 攻略本。アルゴがプレイヤーたちの為に作った、β時代の知識を満載した自費出版の本。各地の街にある道具屋に置かれていて、誰でも無料で手に入れられる。日々更新を続け、βと本製品の齟齬も埋めている。

 情報と金の亡者だと思っていた彼女の所業とは思えないような、無垢な慈善活動だ。βテスターとして/SAO経験者としての責務を、彼女なりのやり方で遂行しているのだろう。オレとは違って……。

 

「仕事熱心だねぇ、情報屋さん」

「他人の命がかかテるからネ。亡くしてかラ無限に後悔するよりモ、今怠けず働いた方ガ楽だからネ」

 

 キリ坊は何かしてるのかなぁ? ……そんな皮肉を言う奴ではないことはわかっている。しかし、オレの中にあった焦りがその声を聞き取った。先の嘲るようなセリフを後悔した。

 コウちゃんによろしく伝えといてくれ……。ひらりと手を振ると、そのまま立ち去っていた。

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 アスナは「お兄ちゃん」と「兄さん」のどちらを採用するのか? 原作ではどう呼んでいるのかわからないので、勝手にきめるしかない。悩みましたが、かなり年も離れて尚且つ優秀ということで「兄さん」に軍配が上がりました。直葉の「お兄ちゃん」とダブるのを避けたかったというのもあります。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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トールバーナ βの責務 前

 

 

 

 【トールバーナ】の噴水広場=攻略会議の開催場所、そこに繋がる大通りにある商店街の入口付近で、今後の身の振り方について考えていた。ひとり小さく、ぼやくように呟いた。

 

「―――ソロでやること、考えておいた方がいいかなぁ……」

 

 言葉にすると沈鬱にさせられるが、仕方がない。元々そのつもりだった、元に戻るだけだ……。

 今までペアを組んできたコウイチ、ビギナーながらも頭もセンス抜群で相性もいい、戦闘では大いに頼りになる後衛だ。この一ヶ月共に暮らしてきたが、コミュ症を自覚していたオレにも関わらず、居心地悪くなくむしろ楽しくあった。精神面では大いに助けられてきたはず。できればこれからも、共に上を目指していきたいが……。彼の目的は果たされた。

 妹との再会。そのために、無理を押して迷宮区へ直行し最前線で戦い、自分の名を広めた。その命懸けの努力が実ったゆえ、とは必ずしも言えないが/というかむしろハッキリ言ってしまうと偶然だったが、妹=【アスナ】とも再会できた。彼がオレとペアを組む理由の半分以上は、解消された。

 これから先も続けていくかどうか、決めなくてはいけない。もう随分と前からコウイチには、オレの指導も知識も必要なくなっていた、むしろオレの方が助力を借りるほど。これから一人でもやっていけるはず、容姿や性格の気さくさからすぐにでもパーティーを組み直すこともできるだろう。ペアでなくなるマイナスはオレの方が大きい。だからと言って/だからこそ、なあなあで続けたくない。それで負い目など感じてしまえば、保ちたかった居心地の良さは失われてしまう。

 待っている時間が、重く感じる……。相手の出方を待つしかないのは、考えてきた以上にしんどい。不自然にソワソワと、メニューを操作したり背中の剣に触っていた。こんなもの感じたくなかったからソロでやろうとしたのに、デス・ゲームとなればそうも言ってられない。そして、ソワソワがイライラへと変わりそうになった時、

 

「―――待たせたな、キリト」

 

 遠くからコウイチが、手を振りながら声をかけてきた。

 ようやく来たかと振り向くと、その隣には先の迷宮区で連れ帰った少女がいた。一度素顔を確認したために少女とわかっているものの、フードを目深に被ったソレからはどちらとも判別はできない、少なくとも遠目ではわからないはず。彼女なりの警戒心ゆえか、それとも単純に見ず知らずの他人には顔を見せたくないのか、逆に注目されてしまうようなフード姿でやってきた。

 傍まで来ると開口一番、

 

「すまなかった。私の事情に付き合わせてしまった」

「いいって、ソレ込でペア組んだんだから」

 

 簡潔に、謝罪しようとするコウイチを止めた。節度を保ってビジネスライクで留める。その程度で分かり合えるほどには、ペアを組んできた。

 チラリと、隣の少女に目を向けた。

 迷宮区でいきなり気絶してしまった時は、土気色なほどの危険な顔色をしていた。その後、安全なホームまで連れてきて寝かせても、熱病にでもかかったかのように苦しそうに呻きつづけてきた。赤の他人とは言え、心配せずにはいられない疲労困憊ぶりだった。今はほぼ、回復しきったようにみえる。

 そんなオレの探るような視線が、彼女のソレと重なった。目が合ってしまった。

 何か言わねばならない空気、かと言って何も用意していない。黙るしかなかった、お互いに……。ソレに耐え切れなくなりかけた数拍後、いちおうオレは男だから先に声をかけた方がいいのかと、よくわからない常識圧に従って口を開きかけると、

 

「……ありがと、助けてくれて」

 

 少女から、気のない感謝が言い捨てられた。

 気恥ずかしさからではなかった、言わされてる感満載。目は心ここにあらずの不満に濁り、顔もそっぽを向いていた。さすがにコウイチが「言え」と叱りつけたから、ではないだろう。子供っぽい不機嫌は薄い、彼女自身で察しての言葉。

 そんな妹の様子にコウイチは苦笑。オレへの礼儀と彼女の性格の兼ね合い、無事に再会できた安心感もあるのだろう、間に立たされた兄の苦しい立場で弱っていた。

 同時にそれらを見てカチンと、眉をひそめた。彼女に当てられただけではない不満が滲んできた。だからか/よせばいいのに、返事は皮肉になっていた。

 

「あのさ、自殺したかったのなら、何でフロアの縁から飛び降りなかったの?」

 

 そっちの方が確実じゃん。しかも、もしかしたらログアウトできるかもしれないし……。トゲはこめず/見せず、ただわからないから尋ねた風を装って。でも、そんな偽装ではくるみきれないほどのトゲトゲしさがあったのだろう、少女は唖然と言葉をなくしていた。

 フリーズしたのは一時、キッと不機嫌の色合いを濃くして言った。

 

「……赤の他人に、説教までされる覚えはないんだけど?」

 

 冷気をともなった言い様にコウイチが、「よしなさい」と視線で注意してきた。彼女もそれを目に留めたのか、「あいつのせいでしょ」との不満をギリギリ抑えた。

 だから、手打ちにしても構わないはずだったが、一度振り上げた拳は止まらなかった。

 

「単純に、何したかったのかなぁって思ってだよ。すげぇ矛盾してたから」

「どこがよ?」

 

 売り言葉に買い言葉、火に油を注いだ。オレの小バカにした様な口調に、挑むような反発を返してきた。

 そんな彼女をわざと無視して/煽るように、額に手を当てながらため息をこぼしそうになっていたコウイチに尋ねた。

 

「なぁコウイチ、彼女ってリストカットの常習者だったりするのか?」

「……いや、ソレはない」

「だよな! そんな感じはしないもんな、不自由とかしたことなさそうだし」

「何、何なの? もしかしてだけど……、喧嘩売ってる?」

「もしかしてだけど、買えるの?」

 

 宣戦布告。嘲笑を込めて告げたソレが、オレと彼女の間の空気に亀裂を入れた。

 臨戦態勢。訝しむ範囲で抑えられていた彼女の視線が、迷宮区で見せたような鋭さと据わり具合で突き刺さってくる。

 

「命の恩人だからって、手加減されるだろうとか……考えちゃってるの?」

「そんなつもりはないよ。オレは、気分良く出来たはずの自殺の邪魔をしたんだろ?」

「キリト、そこまでで勘弁してやってくれ」

 

 きな臭い空気を察してか、コウイチが制止してきた。だけど、ここまで来てしまったら後戻りはできない。

 止めにかかってきたコウイチへ、突き放すように目を向けた。

 

「コウイチ。彼女を連れて行きたいって気持ちはわかるけど、オレとしちゃ『冗談じゃない』だ。……こんな死にたがりに、足を引っ張られたくないんでね」

 

 先まで悩んでいた返答。コウイチ一人なら歓迎だが、彼女がもれなく付いてくるとなると遠慮する、ソロでやった方が安全だ。……言葉にだしてみると、意外と本心であることに気づかされた。自分の冷徹さにゾッとする。

 あからさまな罵倒に彼女は、怒りに打ち震えるも堪えた。そして、何とか冷静さを保ちながら噛み付いてきた。

 

「……私は、足でまといって言いたいの?」

「頭は一応シャンとしてくれてて良かった。死にたがりは大概ぬぼぉーとしてて、人の話聞かないから」

 

 煽り上げると、続く返答を待たずに畳み掛けた。嘲りの調子を消し、真剣に見極める。

 

「はっきりさせてくれないかな、今ここで。何もかも面倒だから死にたいのか、それとも、何としてでも生き延びてゲームクリアするのか?」

 

 答えられないのなら、【はじまりの街】に戻って救助されるの待ってろ……。おそらくは彼女にとって最大の侮辱、だけどハッキリと白黒つけなくてはならない問題だ。彼女の個人的な/責任が取れる範囲の行く末では、なくなっているから。あやふやの代償はコウイチにおっ被される。

 怒り心頭ながらも、ちゃんと理解はしているのだろう。睨みつけながらも答えられず、奥歯を噛み締める音が聞こえてくるほど。

 しばらく待っても、答えは帰ってこなかった。

 呆れ返る、小馬鹿にするように肩をすくめた。もう興味はないと、背を向ける……、

 突然、背中から殺気が突き刺さってきた。首筋が泡立つ。すぐさま向き直り剣を抜き放とうとする―――

 しかし、相手の方が一歩早かった。

 ピタリと喉元寸前、細剣の穂先が突き出されていた。オレの剣は、鞘からはんばでているのみ。

 息を飲まされた。ごくりと唾を飲み込むと、刃の固く冷たい感触が喉に当たった。

 

(…………反応、しきれなかった)

 

 背後からの奇襲だったから、だけではなかった。殺気はちゃんと感じ取っていた、その直感に従って体は動いていた、あれだけ煽り立てたのだから攻撃されないなんて脳天気に構えてはいなかった。それなのに、間に合わなかった。彼女の抜刀についていけなかった、凄まじい剣速だ。

 凍りついたオレの表情を見て、してやったりと口の端を歪めると、そのまま何もせず細剣を手元に戻した。鞘に納めなおす。

 

「コレで貸し借りはチャラよ。次は、ちゃんとやってあげるわ」

 

 いつでもどこでも、何があろうとも……。傲慢なほど、自信たっぷりに言い切った。

 見事に返されたオレは、引つりながらも面子を守らんと笑った。

 

「……ここは【圏内】だぜ? 突き刺したところでシステムに弾かれるだけだった」

「圏外だったらオレンジカーソルになってたじゃない? ちょっとした手違いだけでね」

「背中を用心しなくちゃならない仲間なんて、勘弁願いたいよ」

 

 降参ですと、負け惜しみをこぼすと、はじめて彼女がクスリと微笑した。

 

「大丈夫、前は守ってあげるから。あなたは後ろで縮こまっていればいいわ」

「冗談、オレの本分は前衛だよ。……オレが正面から引きつけてるうちに回り込んで、トドメさしてくれるだけでいい、さっきやってくれたみたいにさ」

「本当に大丈夫なの? あなた、言っちゃ悪いけど……ヤワそうに見えるわよ? 途中でやられたりしたらたまったものじゃないわ」

 

 悪かったな、男女に見えて! ……オレの琴線に触れる容姿を、無神経にも突いてきた。反射的に癇癪が爆ぜそうになるも、含意のなさそうな/微かに楽しげにも見える相手の様子に堪えさせられた。

 でも、飲み下せはできなかったのだろう。別の形で表出してしまった。

 

「あんた次第だろ? ビビって腰が引けたりヘマでもしたら、そんな失敗もあるだろうな」

「なら代わりましょうか? 私が前衛役ならきっと、そんな失敗は無いから」

「色仕掛けが通用すると思ってるのか、モンスター相手に?」

「…………ソレ、関係ないでしょ」

 

 いきなりムスッと、顔をしかめた。どことなく緩み始めていた空気も、元の木阿弥へ。

 やべ、クリティカル出しちゃったのか? 美人なのに、容姿についてはNGなんだ……。意図せずの大人気ない仕返し。オレがやられたのと同じように、彼女にも同じことをしてしまったらしい。

 気まずい雰囲気。自分から喧嘩を仕掛けたことは忘れて、何とか取り繕おうと言葉を探していると、

 

「よかった。二人共、気が合うみたいだな」

 

 ニッコリと満面の笑みで、コウイチが見当はずれのフォローをしてきた。

 即座に「違う!」と、声がハモってしまった。驚かされると、互の顔を睨みつけた。……そこには、自分が浮かべているであろうと同じような恥ずかしさがあった。

 咳払い。無理やり話題を終わらせると、親指で広場を指した。

 

「行こう、あそこが集会所だ」

 

 ニコニコと笑を浮かべるコウイチを見ないようにして、そそくさと先に行った。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 オレ達が広場に着席してまもなく、攻略会議は始まった。

 

 

 

「―――今日は、俺の呼びかけに応じてくれてありがとう! 知っている人もいるかと思うけど、改めて自己紹介しとくな。俺は【ディアベル】、職業は気持ち的にナイトやってます」

 

 噴水の前に立って自らな名乗りを上げた男性プレイヤー、ディアベルは、爽やかな笑顔とともに会議開始の宣言をした。

 集まった40数人ばかりのプレイヤーの間に、ざわめきが広がっていた。それも当然といえるだろう。今皆の前に立っている男=ディアベルは、なぜこんなやつがVRMMOをという程のイケメンだったからだ。加えて、顔の両側にウェーブしながら流れている長髪は、鮮やかな青に染められている。自称「騎士」だが、それに見合う外見を備えている男だ。

 

(なぁキリト、もしかしてだが彼……、まだあの【手鏡】を使ってないのではないかな?)

(まさか、そんなわけは……)

 

 改めて指摘されると、自信がなくなってきた。あの場面ではありえそうにないことだが、そう邪推してしまう。……イケメンに対しての僻みじゃないよ。

 

(羨ましそうね、キリト君。あんなのが好みだったの?)

(誤解されるような聞き方するなよ。……てか、羨ましくなんかないし!)

 

 ふーんと、まるで信じていないしたり顔。あんまりにも分かりやす過ぎた返事に気づかれてしまった。……ちくしょう。

 

「さて、こうして最前線で活躍している、いわばトッププレイヤーのみんなに集まってもらった理由は、言わずもがなだと思うけど―――

 今日、俺たちのパーティーがあの塔の最上階へ続く階段を発見した。つまり明日が、遅くても明後日には、ついに辿りつくってことだ。第一層のボス部屋に!」

 

 プレイヤーたちのあいだでどよめきが広がった。予想していたこととはいえ、改めて言われると、その重みは違うものがある。

 アイツ等が見つけたのか……。手柄を横取りされた気分だ。けど、もしオレ達が見つけたとしたらこんな会議が開けたか? わからない。オレ達自身は、やることなど考えていなかった。彼らが見つけたことは、結果的に良かったのかもしれない。

 

(最上階への階段て……、あそこにそんなものあったの?)

(勝手にそう名づけてるだけだよ。β版でもそう呼んでたから、ここでも同じ名で呼んでるだけで―――!?)

 

 そこが『最上階』てわけじゃないよ……。続けようとした説明は、唐突に気づかされた罠で止められた。急いで周りを警戒した。

 その単語に反応できるプレイヤーは、βテスターだ。ビギナーは隣のコウイチやアスナのように、何を驚いているのか首をかしげているはずだ。どよめいた空気に合わせてある程度均されてはいるだろう。その差は微かなものだろうが、確かにある、ざっと見渡しても見つけられた。

 やられた……。まずいと分かっても顔が緊張で強ばった。広場の端の方に座っていたアルゴに目を向けると、同じく気づいていたのか便乗して、反応してしまったプレイヤーの顔を確認していた。……抜け目ない鼠だ。

 そんな罠などおくびにも出さず/あるいはそもそもなかったのか、皆の驚きが静まるのを見計らい、騎士様は続けた。

 

「ここまで一ヶ月もかかった……。それでも俺たちは、示さなきゃならない! ボスを倒し第二層に到達して、このデス・ゲームそのものもいつかきっとクリアできるんだってことを、始まりの街で待っているみんなに伝えなきゃならない。それが、今この場にいる俺たちトッププレイヤーの義務なんだ! そうだろ、みんな!!」

 

 熱血的な演説。喝采が起こった―――

 それもそのはずだ、非の打ち所もない、いや非を打とうなどと考える方がおかしいほどの演説だった。全くもって感服だ。

 どうやらあのナイト様は、皆のまとめ役をかって出るほどのリーダーシップが、確かに備わっているらしい。それが、皆のこの喝采に現れていた。

 

(素晴らしい演説だ。力強く明確で、皆に希望と使命感を喚起させ一体感をつくる……。なかなかのカリスマだ)

(だな。さすが『ナイト』様だよ)

(見事な僻みね、キリト君。素直に歓声あげられないの?)

(……悪かったな。うるさいだろうと思って抑えたんだよ)

 

 いちいち嫌味をぶっ込んできて……。睨めつけると、小バカにした様な含み笑いを浮かべていた。

 それぞれの形で感心していると、

 

「―――ちょお待ってんか、ナイトはん」

 

 皆の歓声の中、そんな声が流れた。そして、前方の人垣が二つに割れた。

 現れたのは、小柄だががっちりした体型の片手剣使い。茶色味がかった髪は、ある種のサボテンのように刺々しい。熱狂が沸き起こるさなか、身につけたスケイルメイルをガチャガチャと鳴らしながら、そこに水を差すようにプレイヤーたちの間を歩いて壇上まで来た。

 皆の注目が今度は、そのプレイヤーに集まった。

 

「わいは、【キバオウ】ってもんや。

 こん中に5人か10人、ワビ入れなぁあかん奴が混ざっとるはずや」

 

 キバオウと名乗ったその男性プレイヤーは、広場に集まった他のプレイヤーたちを睨めつけながら言った。

 一瞬、やつが何を言いたいのか分からずほかのプレイヤー同様に呆然としたが、すぐさまその意味を悟って身をこわばらせた。

 それはその時、オレが最も恐れていたことと同じだったからだ。

 

「詫び……? 誰にだい?」

「はっ、決まっとるやろ! 今までに死んでいった千人に、や。奴らが―――元βテスターどもが、なんもかんも独り占めしたから、この1ヶ月で千人も死んでしもうたんや! せやろが!!」

 

 キバオウは、憎々しげに吐き散らした。

 その告発に一同は、押し黙ってしまった。

 

 

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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トールバーナ βの責務 後

 告発は続く。

 

「―――こん中にもちょっとはおるはずやで、β上がりっちゅうことを隠して、ボス攻略の仲間に入れてもらおう考えてる小ずるい奴が。そいつらに土下座さして、溜め込んだ金やアイテムを今作戦のために軒並み吐き出してもらわな、パーティーメンバーとして命を預けとうないわ!」

 

 名前のとおり、牙のひと噛みにも似た糾弾だった。

 

(随分な暴論だが……、耳が痛いかな)

(……ああ)

 

 苦笑も漏らしていないコウイチは、言うほど堪えているようには見えない。オレに対しての皮肉に聞こえなかったのは、聞き取る余裕がなかったからだろう。

 千人……。その全ての責任が、テスターのものだとは言えない。むしろテスターの方が、生半可な知識と経験があるが故に死んでいった。それが、警戒心を薄れさせ、持ちうるそれらに全幅の信頼を傾けてしまうという安易な選択をさせてしまった。その結果が千人だ。

 あるいは、いまだこのSAOがデス・ゲームであると信じきれないからだろう。主催者側のサプライズか何かだと勘違いしている者たちによる、軽はずみな行為の結果なのかもしれない。本当にデス・ゲームなのか、ログアウトできないのか? 未だ俺の中にも確信はない。ほかのプレイヤーにとってもそうだろう。確かめようにも命はひとつだけだ。

 誰もが皆、押し黙らせた。憤慨しように、上手く言葉をまとめられない。

 

「―――発言、いいか?」

 

 そんな沈黙の中、豊かなハリのあるバリトンが響いた。

 体長は、190センチはあるだろうか。立ち上がるとまさに巨人だ。背中に吊ってある両手用戦斧が、実に軽そうに見える。

 

「オレの名前は【エギル】だ。

 あんたが言いたいことはつまり、元βテスターが面倒を見なかったからビギナーがたくさん死んだ。その責任を取って謝罪・賠償しろ、ということだな?」

「そ……そうや!」

 

 キバオウは、エギルと名乗った男性プレイヤーの威容に気圧されながらも、吠えるようにように言った。

 肌はチョコレート色で、頭は大胆にもスキンヘッドにしてある。だが、彫りの深いその顔と合わせると、そのカスタマイズが見事に似合っていた。日本人とはかけ離れた、実際に人種からして違うのかもしれない。キバオウの傍らに立つと、その威容が否が応でもわかる。

 おもむろに、腰に巻きつけてある大型ポーチに手を突っ込むと、手の平だいの一冊の本を取り出し皆に見せた。

 

「このガイドブック、見たことはあるな。あんただって貰っただろ」

 

 巨漢=エギルが取り出したのは、アルゴが作った『攻略本』だった。

 

「……貰たで。それが何や?」

「ここに載っている情報の早さから推測すると、これを情報屋に提供したのは、元βテスターだろう」

 

 再度、ざわめきが広がった。指摘されて初めて気づいたプレイヤーもいるのだろうが、βテスターなら推測できてしかるべき事柄だ。茅場がそんな不自然な便利アイテム、無料で配布するわけがない。

 エギルの言うとおりそれは、βテスター以外にはありえない情報だった。オレですら、忘れていたイベントの攻略方法などを思い出すために使わてもらっていた。中々に重宝している。

 

(アレ、私も貰ったわ。街の道具屋に無料で置いてあった。色々と詳しく載っていてわかりやすくて、随分と助かったわ)

(そりゃよかったな。……オレは500コル取られたけど)

 

 ほかのプレイヤーには無料で配布されたのに……。ソレが情報収集や編集等の活動資金ならば、致し方ないだろう。500コルだと、幾分か懐にも余裕ができた今では返せとも言いづらい。

 言葉に詰まっているキバオウをそのままに、エギルは続ける。

 

「それに―――、これもある」

 

 言いながら今度は、自分の胸元を首の上から突っ込むと、その手のひらに小さなプラチナに輝くモノを取り出した。真白な滑らかな球体、それを囲うようにある銀白色の細い金属製のリング、その下側に吊るされている涙のような三つの雫。

 オレの位置からでは詳しくは見れないが、今オレの首にもそれと同じものがかかっている。そしておそらくは、ほかのプレイヤーにも。

 【生命の首飾り】。茅場晶彦がプレイヤーに与えたアイテムの一つだ。プレイヤーに対する救済処置として渡されたであろうアイテムだ。アクセサリとして装備すると【幸運値】が1ポイント上がる特典もつくが、それ以上に重要な効果は、もし装備したプレイヤーが死んだ場合その場で復活することができる、命の保険だ。

 ただ、あくまで「その場」でだ。フロアの端から飛び降り自殺を試みたプレイヤーは復活できない。効果は発揮したのかもしれないが、すぐさま落下で消滅したのだろう。ここが本当に脱出不可能なデス・ゲームの最中なのか確かめようとしたプレイヤーは、黒鉄宮に置かれた碑文にその最後を刻まれて終わった。

 β版では、このようなアイテムの存在は確認されていない、初めから持たされてもいない。少なくとも10層までは、このアイテムが出現することはないだろう、たぶんその後であっても。あの【手鏡】同様、コレはもともと存在しなかったアイテムなのかもしれない。現実同様のデス・ゲームだと宣言した以上、このような保険を再びプレイヤーが手に入れることは、不可能と考えたほうが無難だろう。

 幾人かのプレイヤーと同様に、胸元に手を当てその感触を確かめながら続きを聞いた。

 

「コレは、全てのプレイヤーに与えられたアイテムの一つだ。デス・ゲームとなった今では、これほど重要なアイテムはないだろう。問題はコイツの効果の方なんだが、おそらく……テスターとビギナーで分かれている」

 

 その言葉に再度、動揺が広がった。オレも今度こそ、皆と同じように動揺していた。

 まだオレは、このアイテムによる復活効果は使っていないが、それでも、効果のことは知っていた。【森の秘薬】クエストにて、MPK(モンスタープレイヤーキル)で嵌め殺そうとした男を通して知った。……奴は今も生きている。

 アイツがこの会議にいなくて良かった……。再会を喜べはしないが腹を立てるほどでもない、どんな顔をすればいいのかわからない/相手次第だ。しおらしく謝罪してきたのならこちらも見捨ててすまないと言えるが、因縁を吹っかけてくるようならもう一度同じ目にあわせてやりたくなる、他人のフリをするのがお互いのためだ。

 

「テスターは1回限り、ビギナーは……少なくとも2回は効果を発揮してくれるらしい」

「なんでそないなこと、お前にわかるんや?」

「ここに来るまで俺は、2回死んだ」

 

 回数制限……。そんなものがあるなんて知らなかった。それも、テスターとビギナーで区別されているなんて。

 容易には信じがたい事だが、彼の言葉には嘘は感じられない。その言葉は、説得力の塊のようなものだったからだ。たとえ嘘であっても、真実だと思ってしまうことだろう。

 

(コレ、本当に効果あったのね……)

(アスナ、もしかしてお前……一度も死んでなかったのかな?)

(え? あ、はい。試すにはちょっと……勿体ないと思って)

(マジか!? よく迷宮区まで来れたな、しかも中で数日間も生き延びて)

(別に……、大したことじゃないわよ。あのガイドブックをちゃんと見ればできるはずでしょ?)

(……ソレだと、あのエギルさんはちゃんと見てなかったことになるぞ?)

 

 見た感じ、猪武者ではなさそうだ。むしろ慎重にことを進めていくタイプだろうに、おばかさんになる……。この兄妹たちには、自分たちが優秀なんだと自覚して欲しい。もし運だと言い切るのなら/ここでも幸運量保存の法則があるのなら、ロシアンルーレットだけは任せられなくなるが……、ズレを調整するのは骨が折れる。

 

「俺は今もこうやって生きているが、パーティーを組んで色々とレクチャーしてもらった元テスターの一人は、2度目に死んだ時そのまま復活しなかった。全く動かないまま20分ほど経ったら、体が砕けて消えた。

 この首飾りは、アクセサリとしては残り続けるが、蘇生効果は回数制限がかかっているらしい。それも、装備しているプレイヤーによって違う」

 

 エギルは、もう一つ首飾りを見せながらそう言うと、一度言葉を切った。

 感情を込めずに淡々と告げた言葉は、重かった、おそらく、取り出した首飾りは亡き人のものだろう。彼が本当のことを言っているのかどうか、確かめようはない。だが、相変わらずそこには嘘の気配はない。嘘を言っているという疑いすら、念頭にも浮かんでこない。

 この巨漢は、世話になった元テスターの死を乗り越えてここに立っている……。それが、目の前のキバオウにすら伝わったのだろう。むき出しにしていた牙を収めて彼の話を黙って聞いていた。

 そのキバオウから一旦目を離して、皆に宣言するように続けた。

 

「いいか、情報はあった。それに、システムによる差別化も図られていた。なのに多くのプレイヤーが死んだ……。だが今は、その責任を追及している場合じゃない。俺たち自身がそうなるかどうか、それがこの会議で左右される……。俺はそう考えてるんだがな」

 

 最後にちらりとキバオウの方に視線を送ると、あとは何も言う必要はないと言わんばかりに、そのまま発言を終えた。

 俺は、不穏な空気が消えていったのを感じて、心の内でホっとため息をついていた。たぶん、誰かは知らないが俺と同じようにここに紛れ込んだテスターも、同じことだっただろう。

 だが、その元凶であるキバオウは、まだ不満を発散しきれていないと言わんばかりに眉をひそめていた。何も言い返せずに黙ったままだが、エギルを睨みつけて剣呑な空気を漂わせていた。

 

「ふむ、ちょうどいい具合に煮詰まったな―――」

 

 何が……。奇妙なつぶやきを尋ねる前に、コウイチはいきなり挙手した。

 

 

 

「私は、そこのキバオウ君の意見に賛成だ。βテスターの責任は今ここで、はっきりさせたほうがいい」

 

 

 

 どよめきが広がった。すぐさま、瞠目した全員の視線がコウイチに突き刺さってきた。

 慌てて引き寄せ、止めようと注意する。

 

(バカか、コウイチ、コウイチ莫迦! せっかくまとまりかけてたのに蒸し返すなよ!)

(だから、マズイと思ってな。エギルさんもキバオウ君も、お互い伝えたいことが噛み合っていなかった)

 

 そんなこと、どうでも―――。言い募ろうとする前に、この場を仕切ってるディアベルが口を挟んできた。

 

「……済みませんが、発言の前に名乗ってもらってもいいですか?」

「【コウイチ】だ。迷宮区に一番乗りしたパーティーの一人、といえばわかってもらえるかな?」

 

 顔は平静そのもの、しかし言葉には皮肉が込められていた。ボス部屋を見つけたのは君たちの功績だが、最も危険を被ってきたのは自分たち。それなのに、本来はこの会議に招待もされていなかった……。周りの観衆はチラホラとざわつくだけだが、ディアベルは苦そうな顔をさせられていた。彼の取り巻きと思わしき仲間たちは、同じような顔をしたり睨みつけたり。

 もう関わりたくないと、若干離れようとし始めた時、真っ向から対立させられたエギルが冷静さを崩すことなく言った。

 

「それで……コウイチさん。あんたの意見を聞かせてもらうか?」

「まず、この場で最も責任を負わなくてはならない人物は、茅場晶彦だ。このゲームで引き起こされた殺人は全て奴に責任がある―――」

 

 皆の顔に一様に、疑問符が浮かんだ。エギルも顔をしかめていた。確かにそうだけど、何を言ってるんだコイツは……。

 コウイチは困惑を無視して、続ける。

 

「だが、奴もまたこのゲームのプレイヤーの一人だ。生き残るためには、ログインした1万人のユーザーを飼い殺しにし続けなければならない。ただし、一万人全員を飼育するのは至難だし、必ずしもする必要はない。能力範囲内まで減らして構わない。味方として取り込めれば御の字だな―――」

 

 『飼い殺し』『飼育』『減らす』『味方として取り込む』……。凄まじい単語が平然と出てきた。誰もが心の奥底では理解していたが、口には出せなかった言葉。その現状を認めてしまえば、重大で根本的な何かが損なわれる不安にかられて、不快感しか呼び起こさない単語だ。

 ゆえに、聴衆から向けられる視線に鋭さと冷たさが混じってきた。傍らにいるだけのオレですら、その余波だけで凍りつかされる。しかしコウイチは気にせず、むしろ穏やかな笑すら浮かべていた、まるで著名な哲学講師が生徒たちを観るように。講義を続ける。

 

「そのためにやるべきことは、私たちユーザーの分断だ。一万人がいや百人であっても、団結してかかってこられたら敗北は必至。だが、バラバラなら容易く勝てる、奴はゲームマスターで唯一の製作者で天才でもあるのだからな。どれだけレベルを上げようがスキルを磨こうがアイテムを揃えようが―――、無意味だ」

 

 真っ向から両断するような断言、ゲーマーとしての行動が全否定された。打ち下ろされたその言葉の鉄槌は、オレの心にもグサリと突き刺さった。

 個人の能力には価値がない、真に必要なのは団結力。プレイヤーの鉄の意志を繋ぎ合わせ強大な竜巻に変える。それだけがこの仮想世界になかったもの/相容れないもの、茅場も手を出すことができない。レベルもソードスキルも武器もアイテムもこの体ですら全て、茅場から借り受けた紛い物だ。もしも、機械仕掛けの神を打ち破れるモノがあるとしたならば、ソレ以外に一体何がある?

 すでに、事の発端たるキバオウですら呆然としていた。そやそやと頷くこともできないでいた。正面から叩きつけられたエギルは、呻くのを堪えながらまとめた。

 

「……テスターとビギナーの違いは茅場が仕掛けた罠、て言いたいのか?」

「そうだ。私たちは見事ソレに嵌ってしまい。貴重な千人もの同胞を失ってしまった」

 

 再度のどよめき、困惑と理解と怒気が入り混じった荒れた空気。ソレが何処に向かって流れるのか誰にもわからない。だけど、一つだけ確かなことは、もうコウイチをただの狂言回しと嘲笑できる奴は誰もいない。

 なぜβテスターとビギナーという差があるのか、あえて不平等をよしとした理由は? =プレイヤーの虚栄心を利用するため。弱肉強食を煽り階級ピラミッドを構築させる、そのブロックの一部として嵌め込み抵抗する気も起こさせないため、分断し各個撃破しながら支配下に治める。猜疑心の虜にさせる、本来味方同士であるのに監視・対立・争わせる、本来滅ぼすべき自分に服従させ崇拝までさせる。太古の昔から変わらない、敵を滅ぼし尽くす戦いの業だ。

 エギルが答えに窮していると、ディアベルが口を挟んできた。

 

「コウイチさん、ソレはさすがに言い過ぎじゃないかな? エギルさんの言うとおり埋め合わせはあったわけだし、テスターに全ての責任を被せるのは妥当じゃないよ」

「もちろん。それはあまりにも理不尽だし、背負う必要はどこにもない。テスターとて自分のことだけで精一杯だろう。だが……、テスター以外に誰が背負える?」

 

 平坦だった調子にほんの少し、皮肉と哀愁を混じらせながら。

 ディアベルも口をつぐまされると、コウイチは聴衆を見渡しながら静かに訴えてきた。

 

「この場に茅場がいてくれたのなら、話は早い。だが、奴は遥か彼方の100層にいる。そこまでたどり着くには、年単位で考える必要があるだろう。それまで皆、そんな理不尽を抱えながら戦えるのか? 茅場が受け持つだろう責任の範囲に『仲間を見捨てて金とアイテムを独り占めした』恥ずべき行為は、含まれていると思うかな? そんな無責任な輩に、背中を預けられるのか?」

 

 先にキバオウが吠えた言葉、しかし改めてコウイチの口から聞かされると、反発心からではない沈黙が広がっていた。己の内にある疚しさを省みるように、それだけではないが言い切れない苦さに呻く、黙るしかない。

 沈鬱な空気が流れる中、そこから抜け出すようにディアベルが言った。

 

「……あなたも、その『無責任な輩』の一人でしょ?」

 

 お前も同類だ、非難する権利なんてない……。辛辣なお返しに一拍口を閉ざすも、まともに応えず別の切り口から続けた。

 

「テスターは、3種に大別できる。

 一つ、才覚や運がなかった弱小プレイヤー。まだここまでたどり着けず、あるいは殺されてしまったテスターだ。二つ、無責任なプレイヤー。βでの経験を他には伝えず金やアイテムや狩場も独占して、ここでの優雅な生活を満喫しようとするテスター。三つ、ゲームクリアを目指すプレイヤー。力と意志がある他プレイヤーたちと団結して、頂上から見下してるだろう茅場を叩きのめさんとするテスター。つまり―――、私たちのことだ」

 

 君も私も含めて、ここにいる全員は違う……。おもわず、胸からこみ上げてくるものがあった。押さえ込まざるを得なかった想いを汲み取ってもらった嬉しさ。周りに目を向けると、他も同様になっていた、中には目を潤ませている奴もいる。

 コウイチは再び聴衆を見渡しながら、

 

「ハッキリさせたい。私たちは無責任な輩とは違う。全ては、一人でも多くのプレイヤーを生かすため、一刻も早く現実世界へと帰還するためだ。ソレを最もわかりやすく表す行為として、キバオウ君が提案した『溜め込んだ金やアイテムを全て吐き出す』というのは、あながち的外れではないと思う」

 

 最後にキバオウへニコリと微笑を向けた。キバオウはドギマギと、いきなりスポットライトを当てられた観客のように慌てていた。

 真剣な平静な顔に戻すと、注釈を付け加えてきた。

 

「ただし『今』ではなく、『フロアボスを倒してから』がベターだろう。

 一ヶ月は長すぎた……。みな多かれ少なかれクリアを諦めかけている、この第一層からすらも抜け出せないとも。ここで私たちがアイテム等を吐き出してしまえば、抜けるにはさらに時間がかかってしまう、今回のような会議を開くことすら難しくなるかもしれない。……強引ではあるが先に、風穴を空けておくべきだろう」

 

 そう言い切ると、長い主張を締めくくった。

 みな呆然と、今引き起こされたモノを消化している間、コウイチの傍に近寄ったアスナが小声で話しかけてきた。

 

(兄さんって、扇動者の才能があったんですね)

(それは……、褒めてくれてるのかな?)

(もちろんです)

 

 苦笑するコウイチに、明るい微笑みをもって答えてきた。彼女と出会ってこの方、見たことがない/できるとも信じられなかった笑顔、驚かされた。気取りなく相手を信頼しているであろうその表情は可愛らしくもあり、おもわず目を背けてしまった。

 兄貴の前だと、アレがスタンダードなのか……。アスナの新たな一面に落ち着かない気分になっていると、エギルが尋ねてきた。

 

「それであんたは……、テスターをどうやって見分けるつもりだ?」

「必要ない。ここにいる44人全員が善意のテスターだ」

 

 驚愕の断定、探す必要がない。もはや冗談を通り越していた。自身がビギナーであると宣言したエギルは、唖然とさせられている。

 皆がコウイチの発言の意図に悩まされていると、たまらずディアベルが横槍を入れてきた。

 

「……ソレは少し、横暴過ぎるんじゃないかな?」

「ここまでたどり着けたのなら、ビギナーであろうが力と意志があることが証明されてる。βの経験値を埋めてしまえるほどの、な」

 

 その答えで、ようやく得心に至った。

 実力さえあえればテスターもビギナーも関係ない。先に上げた三区分の『ゲームクリアを目指すテスター』には、力と意志と実績が伴えば誰でもなれる。新しく作った区分けなので、探す必要がない/認定すればいいだけ。βであることを示す明確な証拠など無いのだからだ、ソレで分けること自体を止める。茅場から与えられた/擦り付けられたものは捨てて、自分たちで作った名を用いる。

 ブルリと、奮えてきた。心なしかウキウキさせられていた。出口のない閉塞された暗闇だと思っていたのに、光明が差してきたかのよう、新しい何かが始まりそうな予感に武者震いが起きていた。

 

「もしこの提案を了承し、フロアボス撃破後にアイテム等を寄付してくれてもいいのなら、そのプレイヤーたちも同様に善意のテスターになる。他は全てビギナーか、無責任な輩だ。……名簿をつくって公開するのもいいだろう」

 

 未熟者と卑怯者と高貴な者/守られる者と邪魔者と指導者、それらを明確に峻別する。どれになりたいのか自分たちで決めさせる。現実世界のあやふやなモノとは違う、この世界ならではの厳しい道徳律。実感と合致していたのか、みな戸惑いを含みながらも頷いていた。

 過半数以上の納得が広がるのを確認すると、皆と同じように頷いていたキバオウに向き直った。

 

「どうだろうか、キバオウ君。私なりの解釈も加えたが、君が訴えたかった想いを表してみた。訂正はあるかな?」

「ほへ……、わいか?

 え、えぇー……、あぁー……そうやな。うぅー……、だいたいあんさんの言うたとおりで、間違うてない!」

 

 エッヘンと、胸を張りながら言った。

 コイツ、ここまで考えてなかったな。ノリだけで吠えやがったな……。我が意を得たりと偉そうにしているキバオウを、みなジト目で見ていた。

 

「だいたいか……、まだ何か不満があるのかな?」

「へ? ……いやいや無いで、全然大丈夫や! お前はんはわかっとったんやな、よぉ言うてくれた!」

 

 隣にいたのなら肩を叩きそうな勢いで、ガハハハと空笑いを上げながら。

 あまりにもワザとらしく必死すぎたので、誰も怒る気にもなれず。ともに苦笑いを浮かべながら肩をすくめていた。

 

「フロアボスの攻略のために集まってもらったけど、中々どうして―――面白い」

 

 顎に手をあて一人考え事に耽っていたディアベルが、そう独りごちると、急にニンマリと不敵な笑を浮かべた。爽やかな騎士然としたスマイルではなく、遠大な陰謀を実行に移そうとしている悪魔のような嗤い―――

 ただし、ソレが目に入ったのは一瞬だけだった。錯覚かもしれないと目をこすっていると、膝を打って宣言してきた。

 

 

 

「いいんじゃないかな、俺は賛成だ。フロアボス撃破後にアイテムもコルも全て寄付しよう」

 

 

 

 皆の注目が、ディアベルに集まった。取り巻きも目を丸くしている。「ディアベルさん、それは流石にやりすぎですよ……」との悲鳴に近い非難がこぼされていた。しかし、ディアベルは気にせず笑を絶やすこともなく、不言実行すると無言で宣言していた。

 取り巻きたちが絶句しているのとは逆に、コウイチはその宣言を歓迎した。

 

「さすが、ナイトだな」

「いやぁ、照れるなぁ……。ここまで来るのに無理したからね、初心に帰って一からスタートするのも、悪くない」

 

 純朴に謙虚に、だけど決して諦めからではなく、不屈の闘志を垣間見せるようにして。照れているディアベル。

 その二人の様子に、「俺もやってみようかな……」とのつぶやきが、躊躇いがちながらちらほらと聞こえてくる。表立って宣言する者はいないが、実行されるかのような空気になっていた。

 そんな和やかな空気の中、一人ピンと伸ばしながら挙手してきた。

 

「すんません! 水差して悪いんッスけど……、すぐにビギナー達に配るよりも、どこかにプールしておくのはどおっスかね?」

 

 逆立てた髪やジャラジャラとぶら下げてる金属製のアクセサリが軽薄そうに見せるが、顔は素朴かつ真面目、ついでに愛嬌がありどことなく小さな柴犬を想起させる少年。小柄な体を勢い込ませながら、まるで早く頭を撫でて欲しいとばかりに提案してきた。

 

「……君は?」

「【レプタ】ッス! 昨日ようやく迷宮区までたどり着けた若輩者ッスが、少しでも力になれればと思って参加させてもらいました!

 ビギナーとの均一化を図るために配るというのは、良いアイデアだと思います。ただ、彼らの中には自発的に【はじまりの街】に留まっている人もいるッス。受け取ってしまった以上、攻略に参加することが期待されてしまう。無制限な配布は、彼らを無理強いすることになりかねないッス!」

 

 そうッスね……。無神経に猪突猛進しそうな少年だと思いきや、オレも心配していたビギナーへの配慮を指摘してきた。

 ディアベルもソレを察していたのか、少し飲み込む時間を置いて答えた。

 

「……なるほどね。確かに配るのは危険かな。

 『プールする』と言ったけど、どこかアテはあるのかい?」

「はい! 【はじまりの街】に残っている人たちのアイテムストレージを使わせてもらおうと思ってます。彼らもただ待つだけより仕事があった方がいいでしょ? 取り出しには不便ですが、第三層までたどり着ければ【ギルド】作れるようになるんで、それまで辛抱すれば―――……あ」

 

 やっちまった……。あちゃーと皆、額に手を当てて仰いだ。自分で告白しちまうとは……。

 当の本人やパーティーメンバーと思わしき少年たちも青ざめながら、カチコチと周りに目を送っていた。誰かに助けを求めるように、しかし誰も手を貸さないとわかっている。とばっちりを受けるだけと、知らんぷりを決め込んでいた。

 

「お前はんら、もしかして―――」

「キバオウさん、今はやめてあげてくれ。おそらくその通りだから」

 

 訝しるキバオウをディアベルがいなした。コレが限界だと、ため息混じり/苦笑しながら。

 しかしキバオウは、案に相違しソレだけで矛を収めた。フンと鼻息をならすだけで後ろに下がった。睨まれた少年たちは、先までの元気はシュンとしぼんで、しおらしく互いに縮こまっていた。

 突発的なコントが収まるのを見計らって、ディアベルが締めの言葉を告げた。

 

「寄付についてはまた今度、フロアボスの撃破後に詰めていこう。やるかやらないかも含めてね。今回は、フロアボスを倒すことに集中しよう」

 

 そう言い放つと、さらに向き直って続ける。

 

「みんな、それぞれ思うところはあるだろうけど、今だけは力を合わせて欲しい。どうしても元テスターとは一緒に戦えないって人は、残念だけど、抜けてくれて構わない」

 

 パシリッとそう言い切ると、最後にキバオウの方へと向き直った。相変わらず爽やかなイケメン面だが、その目には硬いものが見え隠れしていた。

 

 ―――ここまでは譲歩しよう。だが、それ以上は切り捨てる。君はどっちだ?

 

 そんな冷たくも硬い意志が、そこには込められていた。

 

「……ええわ。ここはあんさんに従うてやる。でもな、ボス戦が終わったらキッチリ白黒つけさせてもらうで」

「俺はそのつもりだよ」

 

 言い終えると、今度こそキバオウはその牙をしまった。纏っていた剣呑なものも、その言葉を期に何処かへと霧散していった。

 そして皆、元いた席へと戻っていった。

 

 

 

 それが、この会議のハイライトとなった。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 俺たちと死んだプレイヤーを分けたものは、なんだったのか? 

 大部分が運であることは言うまでもないだろう。人の注意力や努力などこの広大な悪意の中では大したことなどできない。だが、情報収集と分析を疎かにして判断を見誤ったからとも、言えてしまう。そこに皆が責任を求めてしまう。

 俺はまだこの時、その責任と向き合うことをしなかった。今でもそれができているという確信は持てないが、少なくとも見据えて考えていることは確かだ。

 カッコよく言えばそれは、『高貴なる者の義務』とでも呼ぶものだろう。皆平等に死ぬ可能性があると思っていたが、テスターは祝福されているためにそれが少ないと思われているのだろうか。……迷惑な話だ。

 

 プレイヤー達の指導者たれ―――。それが、俺たちβテスターに課せられた責務だった。誰に言われたでもない、暗黙知ゆえの誇り、引き受け果たし続けることで初めて手に入れられる。

 俺はまだこの時、その糸口すら……つかめていなかった。

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 オリキャラの名前は、聖書に出てくる銅貨からつけました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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迷宮区 偵察

 攻略会議が無事に幕を閉じたあと、各々の帰路へと別れていった。休むなりクエストをやるなりフィールドでレベル/スキル上げするなり、それぞれの形で消化するために。大抵は、もう夜も更けていたので、拠点に戻って明日に備えていた。オレ達も流れに従った。

 

 翌日、すぐにボス部屋へと突撃する前に、アスナの装備を一通り見繕った。一目見た時からおおよそ予測していたが、ほぼ初期装備/ノー強化。所持金はメイン武器にほぼ全フリして、【アイアン・レイピア】を数本買うのに使っていた。あまりにも前衛的なので常識人たる格好を指南、武器も彼女の【加速】を活かすためにも軽量の【ウインドフルーレ】を強化したものに変えさせた。予備うんぬんについては、【洗浄液】【ツヤ出しクリーム】【砥石】等の武装の耐久値回復アイテムで解決。教えたら「そんな便利なアイテムがあったのね」と驚かれて、逆に驚かされた。……よく今日まで生きていたものだ。

 

 その後は、団体戦の指南。二人と一人が3人になるので、色々と調整が余儀なくされた。基本はオレが突撃/アスナが遊撃/コウイチが狙撃、という隊列を組んだ。片手剣を使ってるのでオレが遊撃の位置についても良かったが、アスナの方がスピードがあり的であり続けなければならない役割なので突撃を請け負った。戦局が攻勢になったのなら二人とも突撃で構わないが、基本は遊撃でヒット&アウェイをやってもらうことに。

 そのような指示を互の了承のもと取り決めた後、実際にやってみると……ぎこちなかった。

 コウイチとオレ/コウイチとアスナの組み合わせは良かった、連携はスムーズで掛け声無しでも互をカバーし合うことができるようになった。だけどオレとアスナ。いくらやっても前者の連携には及ばない/どうにも噛み合ってくれない、個々で戦ったほうがマシだった。オレはすぐに戦局に応じて変化できるもアスナは頑なに守ってしまう。オレは間に合わないと切り捨てるところアスナの剣速は届いてしまう。彼女のリズムはコウイチよりも早く鋭く強引で、こちらに合わせてくれない。必死で弁明し焦っている所を見ると『合わせ方を知らない』と言ったほうがいいのかもしれない。オレもその気が強い方なので/フロアボス戦には間に合いそうにないので、コウイチの仲介に頼るしかない。

 

 何とかマシな形に落ち着くと、ようやく迷宮区へと向かった。オレ達が見つけられたなかった、ボス部屋へ―――

 

 

 

「―――あのぉ兄さん、私たちだけで行くのってかなり……危険じゃありませんか?」

 

 ボス部屋へ続く階段を登りながら、アスナが至極まっとうな意見を言った。

 

「別に倒しに行くわけじゃない、偵察だよ。フロアボスとの戦いは、実際に戦ってみないとわからないだろ?」

「そうですが……。でも私たちだけというのは、ちょっと―――」

「ビビってるなら外で待ってくれて構わないぞ?」

 

 何気なさを装って横槍を入れると、アスナがキッと睨みつけてきた。

 細剣のような鋭さ、精神上の問題なのに体の何処かに突き刺さったかのようで痛烈。しかし正面から受け止めた。

 

「君は、無理する必要はないよ。君にそばで『無理だ』とビビられるとさ、オレ達にまでソレが伝播する。そうなると本当に無理になるからさ」

 

 冷たく切り返すと、一瞬呆然とするもすぐにギリリッと奥歯を噛み締めた。そして、鋭さに冷たさを上乗せしてきた。

 

「大層な自信ね。経験者だから?」

「デス・ゲームなんてやったことないよ。君と同じにさ」

「フロアボスのこと聞いてるんだけど?」

「同じだろ? ボス戦であっても通常戦闘であっても。遭遇場所がわかってて不意打ちもされない分、ボス戦の方が楽だろ?」

 

 強がりだけど、半分は本心だ。声に出してみるとそんな強気が湧いてくる。オレも存外、ビビっているのだろう。彼女との会話で調子を整えようとしている。

 言い返せずにムスっとしていると、

 

「私たちだけでやるわけじゃない。助っ人を呼んでる」

「助っ人? ……だれですか?」

「彼女だ―――」

 

 コウイチが前方を指さした。

 ボス部屋の手前にある踊り場/厳つい大扉の前、一人の小柄なプレイヤーがちょこんと背を預けていた。フードで顔を隠しているも、そのシルエットからおおよそ判明できた。

 こちらの姿を確認すると、応えるように手を挙げた。

 

 

 

「よォご三方! 遅かタじゃないカ、待ちくたびれたゾ」

 

 

 

 アルゴが、フードの中でニヤリと笑を浮かべながら手を振っていた。

 

「……待ち合わせ時間よりは、早く着いたハズだが?」

「だかラ、もう少シ早く来るべきだタね」

 

 知らない人と待ち合わせした場合、早く行かなくてはと考えるのは当たり前だ。だから、もっと早く着いているべきだった……。常に先んじる情報屋の心得、待ち合わせ時間はほぼ無意味だった。オレは呆れコウイチは感心していた。

 

「一人でよくここまで来れたもんだな、アルゴ」

「なぁニ、私のステは身軽さ重視だからネ。途中のモンスター全部無視できるんだヨ、団体行動とテるお前たちと違テナ」

「なんだ、お前ソロでやってたのか? 知らなかったよ」

 

 そうじゃないかとは思っていたが、コレではっきりした。彼女はソロで活動している。少なくとも、攻略用の情報は自分の頭と足だけで集めている、連れや護衛なしに。

 ほんと、可愛げがなくなったねぇ……。バレたのにどうでもよさそうに、むしろ楽しそうな笑を浮かべながら、肯定とも否定とも言わずお茶を濁してきた。

 子供扱いを抗議しようとすると、すぐさま無視して代わりにアスナへと向いた。

 

「初めましてだネ、アーちゃん」

「……こちらこそ、アルゴさん」

 

 いきなりのあだ名呼びのせいか、ムッと警戒しながらの挨拶。差し出された手をおずおずと掴んだ。

 二人の手前でウインドウが自動展開=【フレンド】登録完了の報告。アルゴは気にせず、アスナは驚き目を丸くしていた。このシステムのことを知らなかったのか、まじまじとウインドウを見つめていた。

 

「へぇー、近くで見るとホント……美人さんだネ」

 

 頭から足先までじっくり眺めながら。外見は同い年以下の女の子に見えるも、中身は小金をもって見せびらかしてるオッサン。お世辞を言いながらもズケズケとスケベ心を押し込んでくる。

 そんないかがわしい臭いを感じたのか、アスナは半歩ほど身を退きながら、

 

「あなたこそ、何で頬にそんな……ペイントを?」

「聞きたイ? 聞きたいなラちょトばかしお金頂くことニなるけド」

 

 指でゼニのマークをチラつかせながら、ニヤニヤと商談を始めた。……新規の顧客に対するサービスは無いみたいだ。

 あからさまな態度にアスナは、嫌そうな顔で答えた。

 

「そこまでじゃないわ。ただちょっと……、疑問に思っただけよ」

「ふーン……。コウちゃんの妹さんにしてハ随分ト、ツンツンしてるんだネェ」

 

 嫌いじゃないけど<この娘は獲物だな、との認識。肉食系鼠。顔は穏やかな笑顔だが目は抜け目なく腹の底まで抉りださんと座っていた。

 アルゴの毒手に気づいていなさそうなアスナ。何を抜き取られるかわかったものではないので、注意しよう口を挟もうとしたら、代わりにコウイチが話を切り替えてきた。

 

「さてアルゴさん。メールで打合せした通り、私はアスナと貴女はキリトとペアを組むということで、いいかな?」

「私はいいけド……、コウちゃん達は大丈夫カ? 二人ともフロアボス戦ハ初めてだロ?」

「問題ないさ。挑戦人数が少なければ出現する取り巻きのモンスターの数も少ないのだろ? 【センチネル】が【トルーパー】と同じならすぐに対応もできる。それに、今回の目的は威力偵察だ。出方がわかっている同士で組んだほうが事故も少ないのではないかな?」

「基本は逃げ回るだけだからな。的にされながらだけど」

 

 捕まったら最後命が取られるリアル鬼ごっこ、主にオレが。

 情報を持ち帰って伝えなければ偵察にはならないので、アルゴが最優先になる。ボスのヘイトは、オレが一人で担当することになるだろう。厳しいが、弱気は顔に出さず。やるしかないと腹をくくる。

 

「できれバ半分まで減らしたいところだけド……、無茶はできないネ。今回は攻め込まズ避けることニ専念、βとの差異を見極めル」

「だな。他のパーティーも大体同じことやってくれてるだろうしな。本番に備えて実感を掴むだけでもいいさ」

「定期テストに備えて予習する、てわけね」

「いやアスナ。その例えでいくなら、予習よりもカンニングだろう。思考の手間を省く」

 

 なんでよりにもよって定期テストなんだ、との疑問はコウイチのマジレスで糸口をうしなってしまった。尋ねそびれてしまうと、別にどうでもいいことだと思えてきた。

 一通り挨拶と戦意の確認を終えると、ボス部屋の大扉と向かい合った。

 まるでその先が、放射能汚染区域であるかのようだった。実際ソレ以上に即効の危険がある。おもわず息を飲ませてる中、アルゴが前に出て扉に触れた。

 

「でハ……、覚悟はいいかイ?」

 

 皆が無言で頷くと、扉を開け放った。地響きのような重低音を鳴らしながら、自動的に開いていく。

 重厚な扉の向こうにあったのは、薄暗い大広間。ひんやりとした風が肌を撫ぜてくる。長らく封じ込められていたであろう空気は、組成は同じものであるはずなのに、外気のモノとは明らかに違っていた。ブルリと身震いさせられる、僅かに鳴っていた微音まで静まっていく。

 一気に緊張を高められるもグッと飲み込んだ。そして、それぞれ飲み下すと一歩、足を踏み入れていった。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 戦域外まで/扉の向こうまで、死に物狂いで走った。すぐにでも引きずり戻そうとする【センチネル】たちの追撃を躱しながら、ギリギリの瀬戸際で逃げる。

 その牙の一つが背中に突き刺さる寸前、最後の跳躍=ソードスキルの発動。筋力とは別物のシステムアシストの救いの手によって引っ張られた。牙は届かず、戦域外へと体を投げ込む―――

 まるで、尻に火が付いたかのような必死の飛び込み。残心も受身もとりようもなくそのまま、つけられた火を消すかのようにゴロゴロと転がされた。ある程度勢いがなくなるとすぐさま膝立ち、まだ三半規管が狂っている中背後に剣を向けた。襲いかかってくるだろう敵を逆襲しようとする。

 しばらくそのまま、平衡感覚と視界が元通りになると、敵は遠間からオレを睨みつけているだけ。大扉があった境界線からこちらへは襲ってこない。それを確認するとようやく、ホッと胸をなでおろした。途端に、全身からも力が抜けていく。

 

「―――あぁ……、しんどかった」

「ほんと、死ぬかと思ったわ……」

 

 オレが安堵のため息をこぼしているとアスナも、近くで愚痴をこぼしていた。見た目は変わらないがどこか、ゲンナリとしている。たぶん、オレも同じだろう。

 ペタリとその場に腰を下ろした。ボス部屋前の広場は、モンスターのエンカウント率は低いが安全地帯ではない、近くでモンスターが沸いてこちらに気づいたのなら襲って来る。完全に安全が確保された場所ではないので気を抜くのは早いのだが、そんな瑣末なことはどうでもいい。とりあえず息を整えない限り、何もする気が起きない。

 普段は息が合わないが、今だけは完全に同感状態。そんなオレ達とは違って、

 

「いやぁ~、スリル満点だタねェ~!」

 

 アルゴは、むしろホクホクと浮かれていた。まるでジェットコースターを乗り終えた子供のように、胸の高鳴りの残響を味わっていた。またやりたいなぁと、無謀な気配も匂わせている。

 ありえない……。オレとアスナが同時に、疲れた吐息をこぼした。

 過半数の賛成を求めてコウイチに目を向けると、

 

「ふむ……確かに、得るものは多かったかな」

 

 お前もかよ、コウイチ/兄さん……。いつもの平静さより若干キラキラしていた、まるで汚れが拭き取られキレイになったかのように。

 二人の底なしの体力が羨ましい。オレ達の方が子供なはずなのに、大人な二人の方が元気いっぱいだ。

 

「あの【センチネル】だけでもかなりの経験値があった。儲けものだったな」

「そっちかよ!」

 

 ついツッコミを入れてしまった。あながち当初通りだったが、そんな現金なものだとは思っていなかった。

 

「何だキリト、反応が薄いじゃないか? コレを利用すれば楽に経験値を稼げるかも知れないんだぞ?」

「楽にって……。ボス部屋を狩場にするつもりか!?」

「【センチネル】が無限湧きするのなら、やってみる価値はあると思う。そうではないのならソレはそれで、いいのでないかな?」

 

 マジか、そんなの考えたことなかった。というか余裕がなかった……。不遜すぎて呆れてしまう。乾いた笑いまででてきた。

 

「アルゴさん。βではどうだったのかな?」

「どうだタかナ……。そこまで苦戦した覚えハなかタかラたぶン……、いやダメだネ、そんなのハ言うべきじゃないカ。

 ごめんコウちゃん、わからなイ」

 

 ハッキリ無理だと言った。

 その断言には驚きを隠せなかったが、アルゴなり/情報屋としての誠実さの表れだろう。金さえ積めばどんな情報でも教える。でも、自分の力量は心得ている/必ずしも『どんな情報でも』とは言えない。さらに、自分の影響力も心得ている/確証のない推測や嘘をついても人を動かしてしまえる。ソレだけはやってはいけない、大抵悲惨なことになるからと。

 オレとは違いコウイチは、別段気にした様子も見せず。ただ「そうか」とだけ受け取った。

 

「ふむ、試してみてもいいが……、その後どんな変化が起きるのかは未知数。何より、早々にフロアボスを倒さねば皆の戦意が弛れる。わざわざ高めたのだから、なおさらやらざるを得ない……。もったいないな―――」

 

 どうにか/何か、利用できないものか……。オレにとってはもういつものことながら、一人考えに耽っていた。

 ソレはアルゴには、珍しいものに見えたのだろう。まじまじと面白そうに見つめながら、

 

「コウちゃん、君は随分ト……変わテるネ」

「貴女ほどじゃないとは、思っていたが?」

「その私ガわざわざ言うんだかラ、そうなノ」

「……情報の売買だけかと思っていたが、捏造も仕事の内かな?」

「それはつまリ、自覚はあるテことだネ?」

「貴女ほどじゃないさ」

 

 噛み合っているような外れているような何とか継っている、間合いの測り合い。好意とも嫌意とも判ぜない微妙な距離感にモヤモヤさせられていると、

 

 

 

「お久しぶりです、コウイチさん! 攻略会議以来ですね」

 

 

 

 爽やかな青年が、仲間を引き連れ近づいてきた。

 

「こちらこそ、ナイト殿」

 

 コウイチは、オレには皮肉に聞こえてしまう挨拶を返した。

 しかしナイト殿=【ディアベル】は、気にした様はなく。むしろ、はにかむような笑顔で答えた。

 オレ達の前までくると、その疲弊した様子を見てとってか、

 

「もしや……、フロアボスの偵察ですか?」

「ちょうど済ませて、今帰るところだ」

 

 簡潔に肯定した。

 ディアベルの仲間たちの間で、どよめきが起きた。驚いたような訝しんでいるようなどっちつかずでオロオロしているような、半信半疑の様子だった。

 そんな仲間たちへ鎮まるようにと小さく手を挙げると、顔つきを真剣に変えて尋ねてきた。

 

「どこまで削りました?」

 

 これから偵察に向かおうとするだろうディアベル達にとっては、当然の聞きたいこと。コウイチはすぐには答えず、オレ達に目配せして教えてもいいものかどうかを聞いてきた。

 問題は、ない……。本来、体を張って得た情報はソレに見合う代価が必要だ。だが、今回のものは違う、すぐに共有されてしかるべき類のものだ。アルゴもソレを重々心得ているのか、すぐさま頷いて了承した。

 

「HPバー一本だ。ソレ以降も攻撃パターンは変わらなかったが、人数とアイテムの兼ね合いもあってね、安全を取って切り上げた」

 

 再び、ディアベル達にどよめきが走った。信じられないと、半信半疑に怯えと畏敬が混ざっていた。

 その様子から、オレ達ほどまで深く切り込めていないことを察すると、アルゴの傍まで近づき耳打ちした。

 

(……奴ら、そこまでやれてなかったみたいだな)

(だネ。あんナ重装備してる奴が多いところ見るト、かなリ……慎重に立ち回タみたいダ)

 

 アイツ等テスターでパーティー組んでると思ってたけど、違ってたか……。オレの独り言を察してか、アルゴが苦笑しながら続けた。

 

(いくら知テたとしてモ、デス・ゲームだからネ。偵察のセオリーを踏める私らの方ガ、どうかしてるんだヨ)

(……だよな)

(え、何? アレって、間違ったやり方だったの!?)

 

 オレ達のヒソヒソ話にアスナが、素朴な驚きを割り込ませてきた。

 正しいけど、おかしなやり方だった……。矛盾してるけどそう言うしかない。何も知らないアスナは幸せだ。知らずにやり遂げたんだから化物だ。……考えてみれば、彼女が一番恐ろしいな。

 

「すごい、たったの4人で……。

 それでは、俺達が偵察に行く意味はほとんど……ないですね」

 

 自分たちの未熟を認めざるを得ない苦さ。爽やかだった笑顔に、陰りが差し込んでいた。

 

「そんなことはないだろ? 情報の確度が上がる。お互いに実感が伴っていればなおさらだ、無意味なことなど何一つ無い」

 

 そうですね―――。萎縮していたディアベルは、その言葉で持ち直した。

 

「この偵察が終わったらもう一度、夕暮れに同じ噴水広場で攻略会議を開こうと思っています。そこで本番での役割や立ち回り方を決めて、明日の正午に……やろうと思います」

 

 決然と、言葉の曖昧さとは違いハッキリと言い切った。

 明日の正午。ソレが、オレ達の命運を決める戦いが始まる刻限。ディアベルの決意が伝染してか、オレも緩んでいた居住まいを正してしまう。

 

「朝集まってから、もう一度意志の確認をするのかな?」

「はい。少ししつこいかもしれないですが、命に関わることですので、臆病であるべきかと」

 

 緊張しながらも明確に、己の決定をコウイチに尋ねてきた。

 まるで教師と生徒、あるいは軍隊の上官と部下。二人の有様に違和感を感じ始めると、

 

「ソレは、リーダーである君が判断すべきことだな」

「……そう、ですね」

 

 至極真っ当な意見を返してきたコウイチにディアベルは、見捨てられたかのようにシュンと、これみよがしにうな垂れていた。

 ソレを憐れんだから、ではないのだろう。コウイチの表情に慰めの色はなく、「ただし」と補足して、

 

「私個人としては、いい考えだと思っている」

 

 その賛意にディアベルはピンと、頭に獣耳があったら立っていたであろうほど、喜びを露わに破顔した。

 コウイチは話はコレで終わりだと、オレ達の元へ戻っていく。ディアベルも仲間たちから、そろそろ行きましょうと促される。しかし、まだ何か言い足りなかったのか、急いでその背に向かうと、

 

「それではまた、会議で!」

「ああ。吉報を待っていよう」

 

 背を向けたまま軽く手を振って、ディアベルたちを見送った。

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

「……何か、私の顔についてるのかな?」

 

 ディアベル達がボス部屋に消えてからこの方/モンスターを避けながら迷宮区から拠点まで戻る道すがら、じぃ~とあるいはチラチラと見続けているオレ達。その視線に耐えかねてか、おそるおそる尋ねてきた。

 オレは答えず、代わりにアスナに尋ね返した。

 

「なぁアスナ、君らの家って……由緒正しい名門だったり? 江戸時代から続いてる武家とか公家の末裔だったりするのか?」

「……リアルの事情を聞くのは、マナー違反じゃなくて?」

 

 こちらの意図を察してのことでは、ないだろう。何かしら不穏なモノを感じながらも、ただ常識を説いているだけ。

 その通りではあるが、話の接ぎ穂は切られた。改めて考えてみれば彼女はコウイチ側だ、オレの意図に気づいても乗ってくれはしなかっただろう。

 ここからどう繋ごうか悩んでいると、アルゴが助け舟を出してきた。

 

「あのナイトさん、コウちゃんのこと凄ク頼りにしてるみたイだタからネ。まるデ、忠誠を捧げてる主君に相対してるみたいニ、指示を仰ぎたかテたからサ」

 

 まさしく、ジャストミートな援護。痒かったところへバッチリ手を伸ばしてくれた。

 その流れにのってオレも、

 

「それにだ、『されて当然』とばかりの態度、しかも違和感なんてこれっぱかしも感じさせないぐらい自然にだ。……聞きたくなるのは当然だろ?」

「ソレは、それだけ彼が『彼の目指しているナイト』である証拠、じゃないのかな?」

 

 追撃したら反撃に遭った。上手くそらされてしまった。ここにディアベルはいないので、コレ以上どうしようもできない。

 協力を求めようとアルゴに目配せすると、小さく肩をすくめていた。早々に手を引くことを選んだらしい。情報屋のくせに情けない……。

 せっかくのこの機を活かそうと再度頭を悩ませていると、

 

「ずっと気になってたんだけど……。何でアナタ、兄さんのこと呼び捨てにしてるの?」

「へ? 呼び捨て……オレが?」

 

 予想外の不満に、ぽかーんとなってしまった。

 

「アスナ、私は別に気にしてないよ」

「私は気にします」

 

 やんわり止めようとする兄を、真っ向から弾いた。

 そして、オロついてるオレに向き直ると、厳しい口調で言った。

 

「別に私は、儒教精神に染まってるわけじゃない。リアルがどうのこうの言うつもりもない。けど、どう見たって兄さんの方が年上でしょ、それもかなり。あの【手鏡】のおかげで、このアバターの顔はリアルのモノと同じになったとも言うじゃない。なら……、どうしてそんな態度でいられるの?」

 

 いくら何でも礼儀知らず過ぎる……。改めて指摘されると、二の句が継げない説教だ。年上に対しての敬意が足りなすぎた。生意気な小僧すぎる。

 ただ、あまりにも無意識な行動だった。どうしてと問われても答えようがない=いつの間にかそうなっていた、宣言や信念が先にあったわけじゃなかった。だからと言って、彼女の言うとおり悪習だったのかと言われたら、そんな感じはしない。互いに上手くやってきた、我慢してもさせてもいなかったはず。なら……ソレが正しいのではないか?

 無礼は君の方だ、自分の価値観を押し付けるなよ……。言い返してやろうかと口を開きかけたが、やめた。兄妹の関係上彼女には、問い質さなければならないことだろう。口調はトゲトゲしかったがまだ、こちらの話を聞くゆとりはあった。

 

「そう言われれば……、そうだよな。いやいや、そうですよね?」

 

 言い直してみると、疑問符を付けざるを得ない。しっくりこない。一般常識はオレの感覚と違っていたらしい。彼女の顔を立てて敬語を使ってみてもいいかと思ったが、コレではどうしようもない。

 何としたものかと頭を捻っていると、

 

「アスナ。私は、外見や年齢に囚われず対等に接してくれてるキリトのことを、快く思っているよ」

 

 コウイチが妹に、前言撤回させようとした。

 

「ですが、コレは流石に―――」

「人が他人に敬意を向けるのは、その振る舞いと行いによってのみされるべきだ。決して強制されてはならない。それにここは、リアルで積み重ねられてきた全ての権威が一新された異世界だ。なおさらそうすべきとは、思わないかな?」

 

 だからお前は、ここに来たんじゃないのかな? ……オレの無礼が、逆にアスナの無反省へと変わった。

 無言の問い詰めを受けた彼女は、突然のこともあり答えられず。ソレが肯定を露わにしてしまったと歯噛みした。コウイチから顔も背けた。まだほんの数日しか付き合いはないが、彼女にとって『逃げる』や『怠ける』類の行動はタブーらしい、ということはわかっていた。彼女自身がオレに告げた、『ちょっとした気の迷いで始めただけなのに、こんな大惨事に嵌ってしまったの(笑)』だけではないらしい。

 周囲の空気がどんよりと重くなった。それでもコウイチは退かずアスナは堪えるのみ、オレはどっちつかず。たえられずため息がこぼれそうになると、

 

「全ク、その通りだネ! 良いこと言うねぇコウちゃん。キリ坊も見習いなヨ」

 

 そんなどんよりなど感じないとばかり、褒め讃えられていたオレを鼠の下にまで引きずり下ろしてきた。

 ナイスカバー! とは思ったものの、ダシに使われた気もしないでもない。改めナイスバカーと、軽く牽制を放った。

 

「何様だよ鼠小僧。お前こそ見習え、阿漕な情報屋め」

「失礼な男だネ。私はいつモ大事な情報を教えてあげてるじゃないカ、『人の世は莫迦では渡れない、騙された方が悪いんだ』テことをサ」

「……コウイチ。コイツにお前の爪の垢煎じて飲ませてやってくれ、今すぐに」

 

 ソレだけじゃ全然足りないけど、一度ぶち壊して新築した方がいいぐらいの欠陥品だけど、ペスト入りの鼠だけど……。明るい日本のためにはまず彼女をシベリア送りにすべきかと、本気で打診したくなった。

 ただ、そんなオレ達の即席漫才が通じたのか、観客二人の顔にクスリと笑がこぼれていた。

 

 

 

 和気あいあいと、時には真剣に/モンスターを警戒することも忘れず、4人仲良く迷宮区を抜けると、

 

「―――それじゃ私ハ、ここで失礼させてもらうヨ。『攻略本』を一新しないトいけないカらネ」

 

 街が視界に入るとすぐに、パーティーから抜けた。アルゴが抜けたとの注意ウインドウが自動展開される。

 名残惜しさなど感じさせず、そのまま離れていこうと背に

 

「編集手伝うよアルゴ」

「オッ、殊勝な心掛け……ト思いきヤ、タダで見るのが目的カ?」

 

 テへべろと誤魔化すオレに、じとぉと猜疑の目を向けてきた。

 全くその通りだったので答えないでいると、くるりと向き直ったアルゴが芝居がかって、

 

「『鼠の情報屋』はいつでモ優秀な人材を探しておりまス、絵心と情熱を持テる方は特ニ。ただシ、盗人ト黒好きのソードマンはお呼びではありませんのデ、悪しからズ」

 

 まるで敏腕のセールスマンのように、慇懃に深々と一礼すると、踵返した。突拍子もなくかつ鮮やかでもあったので、何も言い返せず苦笑で見送るしかなかった。

 そんなオレとは違ってコウイチが、

 

「アルゴさん。徹夜は肌に毒だぞ」

 

 紳士な言葉をその背に投げた。

 あまりにも意表を突かれたのだろう、本当にぶつけられたかのようにたたらを踏んだ。振り返ると、少し恥ずかしそうな顔つきをしながら、

 

「……ホント、キリ坊も見習いなヨ」

「恥ずかしいからって、オレに回すのやめろよな」

 

 ニタニタと、先ほどのお返しをした。

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

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トールバーナ 旅の仲間 鉄犬

 

 

 

 アルゴと別れ、【トールバーナ】の街並みが段々と近づいてくる平原、まだフィールドながらも気負わずに雑談を続けていた。

 

「―――明日は団体戦でしょ。私達が分けられる、てこともあり得るでしょ?」

「そんなのは、無視すればいいじゃないのか」

 

 別に何事でもないと答えた。アスナの危惧は最もだが、ここで心配しても仕方がないことだとも。なるようにしかならないし、なってしまったら身を任せるだけだとも。泰然自若な/無情でもある態度。内心では「そうなったらどうするか?」と不安が沸いてるも、余裕をかましてみせた。

 そんな嘘が見抜かれたのか/すげなく切ったことを怒ったのか、アスナはムッと不満そうにしていた。何か突っつき返される前に、持論を展開する。

 

「6人パーティーじゃなきゃだめ、てわけでもないだろ? 結果さえ出せれば3人だって構わないさ」

「だけど、他は6人組でしょ? 数の少ない私たちは端に追いやられるんじゃない」

「おそらく大半は即席チームだろうな。個々の力を活かすような連携ができていないはず。このボス戦にあわせて組んだだけだろう」

 

 コウイチが参加するとアスナは、なるほどと頷いた。……オレのは随分と違う対応だ。

 

「数が多ければできることも多いけど、その分互いの理解とチームとしての動きを把握してなければならない。βから組んでたのならともかく、運用しきれるとはとても思えない。

 一ヶ月経ったとはいえ、まだ第一層で自分の役割も把握しきれていない。集団で動くというよりも、個の最良で動けるよういかに互いの邪魔にならないか、にかかってる」

「……だとしたら今回の編成は、あまりよろしくないってことになるの?」

 

 何とも答えられず黙った。

 攻略会議で取り決められるであろう、パーティーごとの役割分担/いつもは個人が担当しているものをパーティー全体で受け持つ=レイド全体が一つのパーティーとして運用されるようにする戦術。能力があり信頼関係が築けていればこれほど頼もしいことはないが、今はそうではない。アスナの危惧した通り、お互い気を配りすぎて全力を出しきれないのは目に見えている。最悪事故が起きるかもしれない。ただ、そうする以外の方法も思いつかない。ソレがフロアボス戦の正答であることは変わりない。

 どうしたらのいいのか/不安を消化していると、コウイチが何かを思い出しながら言った。

 

「アルゴさんと組んでのボス戦は、実にやりやすかった……。6人とは言わないが、せめてもう一人は欲しいところだ」

「そうだな。あいつは参加しないだろうし」

「彼女はやらないの?」

「情報屋だからな。何処かの誰かさんのおかげで、ボス戦が終わったら全部寄付するなんて話にもなってるし、来ないんじゃないか」

 

 チラリと皮肉げにコウイチをみるも、悪びれることなく。そんなオレに、意外だとばかりに首をかしげるだけ。……毒気を抜かれてしまった。

 

「キリトは反対だったのかな?」

「いや、いいと思うよ。いきなりだったんで驚いただけさ」

「あら意外ね。あなたは執着しそうだと思ってたけど?」

「惜しいっちゃ惜しいけど、コウイチの言い分もわかるし最もだと思うからさ。今までのネットゲーム感覚で競争し続けたら、間違いなく犠牲者は増え続ける。禍根は今のうちに断っておくべきだろ?」

 

 ただ……。思うとろこがないわけじゃない。ソレだけで済まされるとは考えきれない。そんなキレイにまとまってくれるかどうか……疑問だ。簡単に常識/競争心は捨てられない、他人のことよりもまず自分が大事だ。ちゃんと刀狩りに応じてくれるか、その後差別がなくなるのか……。

 どうすべきか、自分に何ができるのか悩まされていると、いつの間にか街に到着していた。

 獲得したアイテムを売り足りなくなったアイテムの補給。明日の準備を整えてから、夕暮れにやるという会議まで食事でもするかと、「最後の晩餐だしな」との不謹慎なジョークに白い目をむけられたり、ブラブラ散策しようとした。

 その最中、街の入口で消沈しているプレイヤーを見つけた。金属装備に身の丈並みの大剣を装備している少年、見た目のゴツさとは違い少年そのものは小柄な柴犬。途方にくれたようにため息をついている。

 

(……誰かと待ち合わせ、てわけじゃなさそうね)

(だな)

 

 ヒソヒソながら、少々失礼ではあるが気になり過ぎて耳打ち。この世の終わりのような落ち込みを無視できるほど、周りが見えない熱中に犯されているわけじゃない。ただ、肴にして楽しむ程の野次馬根性はなく、なるべく目を向けないようにして通り過ぎようとした。

 近づき横切る。するとふと、少年が顔を上げた。こちらと目があった。気づいてしまった。ぼんやりとした顔に小さな火が灯る。

 

「あ! 会議で演説した人っスね!」

 

 隣のコウイチに反応していた。それで彼が、どこの誰だったのか思い出した。

 ご指名を受けたコウイチは、一瞬悩むも、すぐに思い出したかのようにポンと手を打った。

 

「君は確か……【レプタ】、だったな」

「そうっス! 覚えてもらって光栄っス!

 もしかして皆さん……、迷宮区に行ってきたんっスか?」

 

 ざっとオレ達の様子を一望して、尋ねてきた。

 ここでは激戦をくぐり抜けたからといって、武装や衣服がボロボロになったり体も傷だらけ血だらけになるなどはないが、万全状態とはさすがに違っている。体には異変はないが、着ているものには所々くるんでいたり傷が残ったりする。細かい数値は【鑑定】スキルを使わないとわからないが、耐久値が危険域かどうかは外見で判断できる。

 

「ああ、ボスの下見に行ってきた」

「下見って、もしかして……偵察だったりとか? 後ろの皆さんとだけで?」

 

 コウイチは答える代わりに頷いた。本当はもう一人いたが、そこまで答えてやる必要はない。

 

「マジっすか……、すげぇ度胸。

 ちなみにボスってのは、曲刀振り回すコボルトのでっかいバージョン、だったスか?」

「曲刀ではなく斧、ではあったがな」

 

 本当だったんだ……。微かなつぶやきで気づかされた。

 βと同じだったのか、カマをかけられた。どこまで削ったのかも探ってきた、コウイチがテスターがどうかも。ボスが斧から曲刀に持ち替えるかどうかは、βを経験していない限りわからない情報だ。

 自然にやったのか狙ったのか、後者だったらとんだ食わわせものだ。警戒心を強める。顔からじゃどちらかわからない、純粋に聞いただけに見える。

 当然のこと気づけないコウイチは、何気なく尋ね返した。

 

「君は、仲間との待ち合わせかな?」

 

 少年=レプタは、明るかった調子を急にションボリとさせた。がっくしと肩を落とす。

 

「……違うっス。ついさっき、パーティーから外されちまったっス。連絡取ろうにも【フレンド】からも外されて、それで……」

「帰ってくるのを待ってる?」

 

 濁した言葉をつなぐと、頷いて答えた。

 

「このままじゃ俺、フロアボス戦行けないんで、何とか話つけたいと……思って」

 

 説得の自信は全くないと/懇願に近い形になってしまうと、憂鬱そうに顔を曇らせた。

 

「フロアボスと戦いたいのかな?」

「そりゃ! ……もう知ってるとは思うんスけど、俺βテスターだったんで。だから、無理してでもここで頑張らないといけないな、て思ってっス」

 

 ワガママだし難しいのはわかっているけど……。気負いの真っ当さとは違い、ションボリと消沈していた。

 それで事情はだいたい飲み込めた。得心がいくと、オレのみならずコウイチも顔をしかめざるを得なかった。

 βテスターを恨んでるビギナーの一派。怖れていた事が起こってしまった。先の会議でコウイチが牽制したはずなのに、影ではまだ残っていた。装備等は会議で見たものと同じところから、直接的な暴力にまでは発展していないだろう。だが、目に見えない陰湿な空気の圧力。周りの目を気にした仲間たちが/おそらく彼自身も、自発的に切り離したのだろう。自分はβテスターだと、公衆の面前で暴露されてしまった以上そうするほかない。

 自業自得、といえばその通りだ、オレ達には関係ない。ただ、ここで遭遇してしまった縁がある、彼自身から哀れみを誘うようなこ狡さも感じられない。こ汚いダンボールに入れられた小さな捨て犬を見ているようで、このまま「それじゃ頑張ってね」と通り過ぎるには良心が重すぎる。

 

(……あのぉ兄さん、話だけでも―――)

(待てよ! ボス戦は明日ってこと、忘れてないよな?)

(わかってるわよ、ていうかアナタに聞いてないわよ!)

(オレにも聞けよ! とりあえずパーティー組んでるんだからさ)

(団体行動なんて無意味って言ったのは、アナタでしょうが)

(明日のレイドパーティー戦についてだけだよ。オレ達は結構いいチームだろ)

(どうだか? アナタいっつも私の足引っ張ってるじゃない)

(君が真っ直ぐ前に出すぎなんだよ。もう少しヘイト稼ぐまで待てないのか?)

(ちまちま戦うのは性に合わないの。それに、あの程度の攻撃なら躱せるんだし、正面から迎え撃って何が悪いのよ?)

(何が、だとぉ―――)

 

 無理しているわけではない、最悪なことに実績もある。気負うことなく異常を回避性能をさも当然のことだと告げてきた。

 基本スペックが高い奴はこれだけら困る……。不満を喉元で押さえ込んだ。

 いままで培ってきたパーティー戦のセオリーから外れてる、染みこませた経験は彼女の瞬速にそぐわない。先輩を気取っている立場上、全員の身の安全を図っての選択など考慮しない彼女の横暴もよろしくないのだろうが、オレの分が悪いだろう。

 

(二人とも話がズレてるぞ。彼をどうするかじゃなかったのかな?)

(あ、そうでしたね。で……どうします?)

 

 顔を合わせて、どうしたものかと困っていると、コウイチが決を下した。

 

「君のメインウェポンは、背中に吊ってる【両手剣】かな?」

「そうっスけど……、何か?」

「前のパーティーでは後衛を務めてた?」

「……そうっス」

「両手剣で後衛は難しいだろ? 決め手か迎撃だけだ、サポートはほとんどできないはずだ」

「はいっス。あ! ……今思えば、ソレも関わってたかもしんねぇっス」

 

 再びしょんぼりと、反省していた。

 戦いの終幕を下ろす役目、最もLA(ラストアタック)がとれるフィニッシャー。集団戦や強敵との戦いでは重宝されるも、仲間にサポートを強制するため基本妬まれやすい。裏方や縁の下の力持ちよりも派手な表舞台で活躍したいのは、現実ではできない裏返しの想いが投影されるここならではなの心情だ。カッコイイは正義だ。

 彼は、押しの強いガキ大将のような性格とは、思えない。単に空気を読む機能が低いだけだろう、悪気があって/押し通してやったわけではない。好かれることもあれば嫌われることもある、どちらかに偏りやすい。βの件ですべてが、裏目に変わってしまっただけだ。

 

「どう思う?」

 

 ちょうどいいんじゃないか……。オレに目を配りながら言った。

 コウイチはアスナと同じ意見だった、オレだけが慎重派だったらしい。ため息を一つ漏らした。

 

「……実力見てからなら」

 

 多数決で決まったのなら仕方がない。調整は難しいけど、できないわけじゃない。

 オレが了承すると、コウイチは向き直ってスカウトを始めた。

 

「実は私たちも、一人メンバーを探してたんだ。君が良ければ、一緒にフロアボス戦をやらないかな?」

 

 その提案は全くの予想外だったのか、目を丸くしてこちらを見てきた。

 

「……いいんスか?」

「もちろんだ。ちょうど長物使いが欲しくてね、君にとっては不幸なことだったが、私たちにとっては幸運なことだった」

「でも俺βっスから……、嫌な目に遭っちまいますよ?」

「構わないよ。先の会議で言ったように、君はあの場にいた、これからフロアボスとも戦おうとしている。なら、そんな下らないことどうでもいいだろ?」

 

 悩みの全てを飛び越えて、瑣末なことだと断じてきた。

 一見すると厳しい言い分/「そんなことない」と言い募りたくなるが、代わりに出てきたのは苦笑、そして微かなニヤリ。さきまでしょぼくれていたとは思えない不敵な笑みだ。その変化にオレの方が驚かされた。

 まるで魔法だ。慰め以上の鼓舞、誇りだとも信じ込ませた。この1ヶ月の付き合いで段々と感じはじめ先の会議ではっきりとし今、ようやく確信に至った、コウイチのカリスマ性を。

 もうおちたも同然だったが、オレも援護射撃と前に出た。

 

「オレもβだ。ここまで記憶を頼りにやってみたけど、結構曖昧なところが多かったからな、居てくれると助かる」

「そうだったんスか! それで、何処かで見た名前だと……」

 

 かつての記憶を思い出そうとする姿に、出すぎたのかと後悔した。おそらくはあまりいい記憶ではないのだろうから、忘れたがままにしておいて欲しい。

 君子危うきに近寄らずと、この話題から逃げようとすると、アスナが興味深げに尋ねてきた。

 

「アナタ有名人だったの?」

「オレに聞くなよ。他がどう思ってたかなんて、わかるわけないだろ」

「やっぱり、本人だったんっスね! 同じネーム使ってる他人じゃなくて」

 

 しまった、誘導尋問だったのか……。名前と顔が一致してなかったことを失念していた。やっちまった。

 恨みがましい視線を向けるも、アスナは知らんぷり、だけど少し得意そうにしていた。……いつか見ておれよ。

 

「その話はおいおい聞くとしてだ」

「聞くなよ! マナー違反だろ―――」

「返事を聞かせてくれないかな?」

 

 オレの非難を見事にスルーして、レプタに向かって再度尋ねた。

 ほんのひと拍、悩んだ。おそらく「時間をください」や「もう一度話してから」など、リスクやメリットを鑑みて交渉する、ゲーマーならば当たり前の思考だ。今からでも考えられることには対処しておかなければならない、オレならそうする。

 だけど、彼は違った。

 

「よろしくお願いします。精一杯頑張りまス!」

 

 元気いっぱいに、出会った時の鬱々など感じさせなような、朗らかな笑顔をみせてきた。

 また面倒事が増えた……。胸の内でため息をついた。ソロでやっていたら、こんなことなかったのだろうか? ソレがイイことなのか悪いのか、わからない。ただ、そう不愉快でもないのだからたぶん、大丈夫だろう。

 今はそれしか、わからなかった。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 迷宮区の最奥、ボス部屋の手前/大扉を前にて。整列したメンバーに向かってディアベルは、最後の士気高揚を行った。

 

「―――みんな、いきなりなんだけど……ありがとう。全パーティー44人、欠けずに集まってくれた」

 

 本当は全45人だったが、ここにアルゴはいない。彼女の役目は情報収集と分析で、戦うことじゃない。十二分すぎるぐらいに勤めを果たしてくれた。

 

「今だから言うんだけど俺、実は1人でも欠けたら今日は作戦を中止しようと思ってたんだ。でもそんな心配……、杞憂だったな。すげー嬉しいよ」

 

 素朴な感謝にチラホラと、照れ隠ししている奴らがみえた。オレもその一人だ、どうにか顔色には表さないようにしているだけ。少しばかり高めすぎてるきらいが無きにしも非ずだったが、緊張をほぐすにはちょうどいい。素晴らしいリーダーシップだ。

 

「勝とうぜ絶対に。誰一人も欠けず全員で、第二層に行こう」

 

 そして、抜き放った剣を高々と上げた。

 歓声があがった。

 己を鼓舞するような雄叫び、これより先は未知の危険が待っている。死ぬかも知れないとの怖れを吹き飛ばし、絶対勝って生き延びてやるとの決意を改めて叩き込む。気恥ずかしさがあったものの、流れに便乗してオレも気合を入れ直した。

 一潮静まると、ディアべルは大扉に手をかけた。ゴクリと、誰かが生唾をのむ音が聴こえてくる。

 

「……行くぞ」

 

 小さく告げると、大扉が開いていった。巨大な獣の唸り声のような風音を放ちながら少しづつ、少しづつ……ボス部屋が見えてくる。

 

 

 

 

 

 




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ボスエリア ビギナーの犠牲

 

 第一階層フロアボス【イルファング・ザ・コボルドロード】

 青灰色の毛皮をかぶった、二メートルは軽く超えるたくましい体躯。血に飢えた赤金色に爛々と輝く隻眼。右手に骨を削って作った斧、左手に革を貼り合わせて作ったバックラーを携え、腰の後ろには差渡し1メートルは半はあろうという湾刀(タルワール)をさしている。以前に一度見たことはあったが、改めて見直すとその巨大さは俺の中に畏怖を呼び覚ます。とりわけ、デス・ゲームとなった今では、その巨体が意味している脅威は何倍にも膨れ上がっていた。決死の覚悟で補うには、余りある恐ろしいものだ。

 取り巻きの【ルインコボルド・センチネル】

 獣の王に比べれば対したことのない敵だが、王の体力と時間によって計12体も現れる。装備している武器も異なっているため、囲まれては厄介なことになる。一体一体はそれほど恐ろしくはない敵だが、連携を取られると王よりも危険だ。バラけさせて一体ずつ潰す必要がある。

 その彼らの相手をする部隊に、オレたちのパーティーも参加していた。

 

 

 

「ハァァーーっ!!」

 

 鋭い呼気とともに放たれる、神速の【リニアー】=アスナの細剣。【センチネル】の唯一の隙たる喉元に突き刺さった。

 ソードスキルの意図的な加速/攻撃力上昇。プレイヤースキルなので公式名称はないが、みな【加速(ブースト)】と呼んでる。俺もβで知悉してある程度は体得しているが、彼女には及ばない。

 【加速】を正しく発動させるためには、システムが描くであろう刃の軌道を完璧に先読みする必要がある。その軌道にのみ力を集中する、外れればソードスキルは失敗してしまうリスクがある。知識だけではできない。経験を重ねても体得できるかどうかはわからない、センスの有無が大きく関わっている。

 彼女は、それを難なくやってのけていた。【リニアー】は単純な細剣スキルの一つでしかないが、その一発一発を見事に【加速】させて打ち込んでいる。単発ならともかく連発は俺にとって賭けのようなものだが、彼女にとってはいつものことだ。背筋がゾッとする、羨ましい才能だ。

 

「次、来るぞッ!」

 

 アスナの後ろ姿に見とれながらも、前に飛び出した。迫り来る新たな【センチネル】の一撃を払い除ける。

 金属と金属がぶつかり合う。甲高い澄んだ音色が一面に響き渡る。突進と同時に突き出してきた槍の穂先を、オレの剣が弾き返した。本来ならアスナを貫いたであろう槍の軌道に割り込み、その腹で穂先を受け止めた。

 しかしそのままでは、剣の【耐久値】が激減する。まだ余裕はあるとはいえ長期戦、途中で折れて使い物にならなくなるのは最悪だ。システムにダメージ認定される前/槍の穂先がオレの剣の腹に食い込んで押し通ってしまう直前に、一気に上へと跳ね上げた。釣られて敵の槍も、上へと跳ね上げられる。

 不意にベクトルをそらされた敵は、その場でつんのめり倒れそうにたたらを踏んだ。だが、寸前で踏みとどまった。しかし、放たれた攻撃はキャンセルされ、【崩し(ディレイ)】を課せられた。硬直を余儀なくされる。

 

「【スイッチ】!」

 

 オレが言うやいなや、背後からコウイチが飛び出してきた。長槍を腰だめに/一直線に、突き出してくる。

 リーチは長い槍だが、パリィされると懐が隙だらけになってしまう。一度槍のリーチの中に入ってしまえば、相手は逃げる以外に選択肢がない。片手剣のように剣腹で受ける武器防御へ瞬時には切り替えられない、攻勢か防勢かだ。そして、アスナ同様、生半可な相手にコウイチの槍は躱せない。

 火でもつきそうな空擦音。オレの耳へ届いた時にはもう、敵の喉元は射抜かれていた。コボルト兵も喉元に刺さっているソレを見て、「おや? こんなもの喉に生えてたかな?」と言わんばかりに、致命傷であることすら気づかず不思議そうに思考停止していた。

 急所をクリティカルで貫いたために、敵のHPは激減。だが、まだ出現したばかりの【センチネル】であるため仕損じた。危険域手前の濃いイエローで止まる、レッドには変色していない。

 オレもコウイチも動けない、立ち位置上アスナもできない。【スイッチ】をつかったばかりのオレでは、連続使用=体を半透過させることができない/邪魔になってしまう。ここで決めたいが一手足りない。なので、

 

「レプタ君、仕留めろ!」

「うオォぉぉーーっスぅ!!」

 

 新しくパーティーに加わった大剣持ちの少年が、雄叫びをあげながら横薙ぎの一撃【スラント】を放った。急所や鎧があるなども関係ない、問答無用に超重量の鉄塊をぶつけた。

 敵は切り伏せられくの字に折れ曲がりそのまま、地面に叩きつけられた。HPも0へと変わり動かなくなった。

 

「GJだ、レプタ君」

「いやぁ、皆さんの方がスゲェっすよ」

 

 惜しみなく賛辞してきた。戦いの高揚だけではないだろう、腹の底から言っているのが感じられる。

 昨日、彼を仲間に加えることを心配していた。今日のボス戦に支障をきたすのではないか、せっかくまとまっていたオレ達を崩すことになりかねやしないかと。強引だが、オレ達のやり方についてこれなければ抜けてもらおうと考えていた。……どうやら杞憂だった。

 これで2体。ほかにも数体、別パーティーが倒しており、センチネルの数は少なくなっていた。まだ12体全てを倒しきったわけではないが、このままの調子ならばそれもいずれ果たされるだろう。

 

「グオオホオオォーォォオオォォッ――!」

 

 エリアの中心から、コボルト王の咆哮が響き渡る。苛立ち混じりの雄叫び。

 相手をしているのは、隊長の【ディアベル】率いるパーティーと他二組、壁部隊/突撃部隊/回復部隊とローテーションしながら順調に攻略している。奇抜な部分はないがそれゆえに堅実で隙がない、無理せず慎重に立ち回っている。徐々にディアベルたちは、コボルト王を追い詰めていた。

 

 ―――このまま、なに事もなくいってくれ……。

 

 一抹の不安。順調に行き過ぎて逆に罠に嵌められているのではないかと、これまではβと代わり映えのない。何事も起きなければ倒せてしまう。思っていた以上に簡単だったと、どこか気が抜けているような油断が現れていた。

 だが、そんなわけはあるはずがない。ここまでがそうであったように、ボスがそうでないはずがない。何かしらの変化があるはずだ。漠然としすぎて拭いきれずコベリ付いたままだ。優勢が続くことを祈るしかない。

 

「次、行くよ!!」

 

 迷いを切り裂くように、アスナが叱咤してきた。彼女の視線はすでに、次のセンチネルへと向かっていた。

 両手用大斧を装備した敵。強力ななぎ払いによってプレイヤーたちを近づけさせない。壁部隊が前に出てタゲをとって攻撃を防いでいるが、厚い盾と鎧でそれを防ぐたびにほんの少しだけ後ろに吹き飛ばされる。

 通常のゲームならば、壁に気を取られている隙に遠距離攻撃で攻め立てるのだが、このSAOにおいて遠距離からの攻撃は【投剣】スキル以外にはない。加えてそれは、今の段階のスキル習熟度とパラメーターでは、大したダメージを敵に与えられない。全身に着込んだ硬い鎧に阻まれてしまって、ヘイト値を上げる以外には使い道がない。

 なので、このような敵相手に壁は必要ない。むしろ邪魔だ。先ほど俺たちがしたように、懐に飛び込んで一気に倒しきるのが上策だ。そうしなければ、今攻めあぐねているそれと同じことが起きてしまう。つまり……、ほかのセンチネルと合流される。

 戦況をしっかりと理解していたのだろう。アスナは合流しようとするセンチネルを再度分断するため、攻めあぐねている部隊の援護へと駆けていた。オレも彼女の後ろに続く。

 ふと、俺の顔に苦笑じみたものが浮かんできた。……これではどっちが先輩かわからない。

 

 新たに現れた俺たちを見咎めて、敵の注意が一瞬こちらに向いた。その隙をついて、後ろから忍び寄った曲剣持ちのプレイヤーが、その背中に振り下ろしの一撃を浴びせた。

 コボルト兵は倒れた、事なきを得た。

 周りを見渡すも、すぐに援護が必要な部隊はいない。ほとんどのコボルト兵は駆逐していた。あとは、中央で暴れている王を倒すだけだ。

 

 

 

「ウグルゥオオオォォォーーーっ!!」

 

 

 

 一際猛々しい雄叫びが、エリア全土に響き渡った。コボルトの王の苦痛と、それ以上の怒りがないまぜになった咆哮。

 大音量に気を取られて、コボルド王へと顔を向けた。

 すると王は、初期に装備していた骨斧と革盾を投げ捨てた。代わりに、腰に吊っていた湾刀に手を伸ばし引き抜こうとしていた。4本あるHPバーの3本が、ディアベルたちの攻撃によって削り取られて残りが一本になっている。それがキッカケになり攻撃パターン変更モーションを取り始めた。

 

 淡い金色の光に包まれている王。新たな武器を抜き放つその数秒だけは無敵状態、プレイヤーの攻撃は届かない。こここそが攻撃のチャンスであるはずだが、ゲームの仕様であるが故の悲しいところだ、指をくわえて待っているしかない。王は、自分を倒そうと構えているプレイヤーたちの目の前で、悠々と新たな武器を抜き放つ。

 その間ディアベルたちは、手をこまねいているだけではなかった。次の攻撃に備えるために、陣形を縦列から囲い込みへと変えていた。壁部隊となっている重量級のパーティーは別の部隊と交代する。

 湾刀状態は攻撃力こそ骨斧状態よりも強いが、そのパターンはバーサク状態も加わって振り下ろしと振り上げだけの単調なものだ。怒り狂いながら襲いかかるその姿は恐ろしいものではあるが、囲い込みながら注意を散漫にさせ続ければ簡単に倒しきることができる。前面に力が集中し、側面や背後ががら空きになる。ちょびちょび削って足を止めれば、何ら脅威にならない。

 β時代のコボルド王のパターンそのまま。初見プレイヤーは辛いだろうが、経験者なら対応できる。楽勝だ、誰も死ぬことなんてない―――

 途端、全身に稲妻が走った。

 

(そうか! βのまんまだったからか!)

 

 先ほどの不安が一本、繋がった。再度コボルド王の姿を確認する。

 抜き放たれた湾刀。しかしその刃は、以前見たよりも細く鋭い、刃先は空気に溶けるかのようだ。分厚い鋼鉄で対象を叩きつける無骨な鈍器ではなく、持ち主に己を扱うだけの技量を要求する冷器。

 それは、湾刀というよりもむしろ―――……。

 

「オラァッ! 来いやアァァーーーっ!!」

 

 王の無敵モードが終わるやいなや、一人のプレイヤーがタゲを取った。

 忘れようにも忘れられない、とても印象深い男性プレイヤー。サボテンじみたトゲトゲの頭の先から、小柄ながらがっしりととした体を覆っているスケイルメイルを振動でガチャガチャと揺らしながら、自分と仲間を鼓舞し敵を威嚇するかのように吠えた。【キバオウ】だ。

 その雄叫びが火蓋を落としたのか、コボルト王は撓めた体を勢いよく―――発射した。己を倍するほどの高さを、巨体とは思えない俊敏さで一気に跳躍した。

 その異常行動に皆、呆けたように瞠目した。頭上の王を見上げる。

 

「だ……ダメだ、下がれッ! 全力で後ろに飛べぇ!!」

 

 オレの叫びはしかし、放たれたソードスキルのサウンドエフェクトによってかき消された。

 

 巨大な肉弾と化した王はそのまま、呆然と見上げるだけのプレイヤーたちに向かって落下した。そして地面に激突する寸前、そのあまりの過重ゆえに凹んだ、硬い地面が波打つ。その全ての破壊力が地面に吸収される寸前、今まで溜めてきた力を=巨躯の落下エネルギー+人外の筋力の全てを手に持った湾刀に乗せて、己の360度全域に放った。

 【刀】専用ソードスキル、重範囲攻撃【旋車(ツムジグルマ)】。 

 赤いライトエフェクトとともに放たれた斬風は、さらに真っ赤な6つの血柱を上げた。前線で王を囲っていたキバオウとそのパーティーたち、その一撃で体の各所を切り裂かれた。鮮血のライトエフェクトを吹き出しながら宙に跳ね上げられた。

 空に吹き飛ばされたプレイヤーたち。全員がHPをその一撃でイエローにまで落とされている。今までの骨斧とは比べ物にならない。範囲攻撃といっても、フロアボスが使えばここまで凶悪なものになってしまう。

 

 プレイヤーたちは、受身も取れずに地面に落下した。体の痛みと何よりも突然の攻撃の衝撃に呻き、身動きがとれないでいる。【旋車】の追加効果=【転倒】を越えて【気絶】状態にまで落とされていた。

 一連の暴威をただただ呆然と見ているしかなかった。あまりの想定外に金縛りに遭っていた。すなわち、傷ついた彼らの救出とその間ボスのタゲを引き受けるという役目、速攻で走り出せば間に合ったのかもしれなかった。はんば麻痺していた誰もがなすことができず、致命的な隙をコボルド王に与えてしまった……。

 

 スキルの硬直から解放された王は、次なる凶刃を放とうと初動モーションをとり始めた。

 ようやく他のプレイヤーたちも、心理的呪縛から解放された。助けにはいろうとするが、間に合わない。ボスは既に、【旋車】の残心姿勢から立ち上がることなく、獣としての本性そのままにほぼ四足状態になるほど腰をかがめていた。野太刀を地面すれすれの並行の下段に構えていた。

 戦慄が走った。初動モーションを検知したシステムが、さらなる暴虐の力を付与する。

 王の視線の先には、先程タゲをとってしまったキバオウがいた。その彼に向かって王は駆けた、地面を擦るギリギリに野太刀を走らせる。そして、その突進を直前の踏み込みによって性質変換、刃に収束させ暴力へとかえた。

 刀ソードスキル【浮舟】。刀の振り上げと同時に、対象を身動き取れない空中へと掬い上げてしまう剣技。空中コンボへとつながる初撃だ。彼の今のHPでは続く連撃に耐えられない。【浮船】は、かれの目前へと迫っていた。

 

 ―――だめだ、避けられない……。

 

 脳裏に浮かんだ最悪から、目を背けたかった。だが、奇妙にも時間感覚が加速されていた。まばたきすらしたくてもできない。オレの意識/視線は、次に起こる悲劇を捉えようと今に固着されていた。キバオウは、何が起きるのかわからないのか/考えることができないのか、瞠目しながらソレを眺めているだけ。

 

 数度言葉を交わしただけ、第一印象も悪い。βテスターを毛嫌いしている横柄な態度からも、友人にはなれそうにない奴だった。そんなこともあって、性格というか肌からして合わないと直感してしまった。同じ空気を吸いたくないとまではいかないが、互いの/少なくとも自分の視界に入れないように努力したくなる。それが、オレにとってのキバオウだ。たぶん奴にとってもそうなのだろう。その一点だけは、互いに分かり合えるところだ。

 そんな奴が、目の前で死ぬ……。

 どこか、オレの目の届かない場所でなら、ここまで動揺したりはしなかったはずだ。「ここではよくあること」という分類に投げ込んで、おしまいだ。ネットに載せられている殺人事件の記事と同じだ、流し読みして10分ぐらいしたら忘れる。その程度のものだったはずだ。

 でも、目と鼻の先。ホンの少し足を動かせば届くであろう距離での出来事は、あまりにも膨大な情報量を俺の中に押し込んでくる。それは、本来奴にふさわしいであろう枠から安々とあふれ、予期していなかった分オレの精神の骨格部分をぐらつかさせてくる。

 たぶんオレは、そんな状態であっても、奴のために涙は流さないだろう。それは、悲しみよりも悔しさに近い感情を呼び起こすものとして、俺の中に刻まれる。「どうしてオレはあの時……」そんな後悔の烙印が、これから先ついてまわる。運命に類する何かが、決定的に決まってしまう分水嶺。

 オレは、そんな未来を半ば覚悟した。それ以外に何も、できなかった―――。王の野太刀が、キバオウに叩き込まれる。

 

 その寸前、何かが/誰かが、凶刃の前に飛び出してきた。

 

 

 

「―――【キャスリング】!!」

 

 

 

 静けさを斬り裂くような叫び。ソレとともに飛び出してきたのは―――、ディアベルだった。

 叫んだ次の瞬間、キバオウは後ろへと引っ張られた。自分で動いたのではない、システムによって強制的に動かされた。入れ替わるようにディアベルが引き寄せられ一瞬、キバオウと交差した、【スイッチ】のように互の体を透過する。そして、死地へと飛び込んだ。

 

 連技(パーティースキル)【キャスリング】、あるいは【身代わりスイッチ】。

 βでもその存在自体は知られていた、【スイッチ】同様にパーティーさえ組めばすぐに使える。だが誰も、誰ひとりとしてここぞという時にやったことがない。裏技のような連技だ。

 通常の【スイッチ】は、パリィやスキル発動後の硬直時間を使って/埋めるために、他のパーティーメンバーとポジションチェンジする。クリティカルを取ったりコンボへと続けるための戦術だ。ソードスキルの使用により必然的に高速戦闘が繰り広げられるSAOでは、他のメンバーが割り込める隙はあまりない。むしろ、互いに邪魔し合って衝突事故を起こしてしまう。それを防ぐためにも、【スイッチ】はある。

 問題は、【スイッチ】を行うときに生じるポジションチェンジには、若干ながらシステムアシストが付与されるということだ。

 【スイッチ】自体は、交代するどちらかのパーティーメンバーが口頭で言えば発動する。言わないと発動しない。発動させなくても必要な行動をとっていればクリティカルやコンボは狙えるのだが、後から来るプレイヤーが前のプレイヤーを避ける必要がある。【スイッチ】を発動させると一時的だが、交代するプレイヤーは前のプレイヤーの体を『透過』することができる。相手と自分の体が邪魔することなく位置交換できる。それが、【スイッチ】のシステムアシストだ。

 この【キャスリング】の場合さらに、別のシステムアシストが付与される。メンバー同士の立ち位置を瞬時に交換する。

 ただ【スイッチ】とは違い、いつでも発動させられるわけではない。条件がある。前衛のプレイヤーが何らかのダメージを受けて身動きがとれなくなっている時だけ、発動できる。【崩し】や【転倒】あるいは【気絶】/【麻痺】/【凍結】/【石化】/【衰弱】など、ソロでは致命的なデバフに取り憑かれた時だ。余りにも距離が空いていたり障害物があったりすれば失敗するが、仲間を救出するためにこの上ない助力だ。ただし、副作用がある。成功した場合、前衛のデバフに高確率で伝染させられてしまう。体が透過状態になるためか、装備による保護は効かない/持ち前のステータスと運だけだ。……ソレが、別名の由来だ。

 使い道のない連技だった、このデス・ゲームならなおさら。使っても/使わせてもらならない封印すべき、自滅技だ。

 

 そして今、ディアベルとキバオウの距離はギリギリ許容範囲内だった。

 片手剣スキルの中でも飛距離が長い基本突進技【レイジスパイク】を放ったからだ。10メートル近くの距離を一気に詰める剣技、この【キャスリング】のためにあるような技だ。彼らの立ち位置が入れ替わる。

 【レイジスパイク】は、そのシステムアシストの大部分を長い飛距離に使っている。攻撃力は、その距離を一気に飛んできたというのに、スキル無しの通常の突き攻撃に毛が生えたぐらいのダメージしか与えられない。場所の入れ替えと先制攻撃/奇襲用に使う技だ。コボルド王の一撃を相殺するだけの威力は、これっぽっちもない。

 さらに、【キャスリング】の副作用が襲う。キバオウが患っていた【転倒】がディアベルにも伝染する。コボルト王の前にも関わらず、体が硬直し地面に転ばされる=無防備をさらされる、最悪な硬直時間を課せられた。

 王は容赦なく、剣線上に突如割り込んできた不届き者を掬い取り……、空へ跳ね上げた。打ち上げられる―――

 そして、致命のコンボが始まった。

 

 この場にいたプレイヤーが全てが、固唾をのまされた。

 刀スキル【緋扇】―――。

 上下の連撃のあと、一拍置いて突きの一撃を放つ空中コンボだ。技が決まれば、その名のとおり緋色の扇が宙に開くことになる。そして、その中心として彩られた犠牲者は、それを描く画材にされたあと用済みとばかりに投げ捨てられる。

 中空で王の野太刀に滅多切りにされたディアベルは、最後の振り下ろしで地面に叩き落とされた。受身など取れず、ゴムボールのようにバウンドした。そしてペチャリと、糸が切れた人形のように倒れた。

 その傍で着地した王は、露払いでもするようにひと振り、刀を胸の前で振った。遅れてパラパラと、宙に撒き散らされた鮮血のライトエフェクトが舞い落ちてくる。まるで赤いダイヤモンドダスト。ほんの数滴落ちただけで、ほとんどは中空で霧散し消えた。

 

 先までディアベルがいた場所に、今はキバオウがいる。無理やり引き寄せられ転がっていた。

 【転倒】から回復し、何が起きたのか確認しようとした時には……、すでに終わっていた。

 

「……そんな、ディアベル……はん?」

 

 いつの間にか目の前に転がっているディアベルに、声をかけていた。どうしてあんたは、そこに寝転がってるんだ。それもそんな有様で―――。心が現状について行っていない=放心状態で彼は、もはや物言わぬディアベルに返事を期待していた。

 ここにいるプレイヤー全員、オレの視界の隅にも表示されているディアベルのHPは、すでに0、黄色でも赤でもなく黒。先ほどの空中コンボを、すべてクリティカルにもらってしまった。反撃のためのソードスキルは不発に終わり、防御行動もとれない。

 空中コンボに遭遇してしまった場合の最適な対処は、体を丸めて完全防御でやり過ごす。攻撃によるコンボ相殺は、お地蔵さんみたいに冷静沈着であることに加えて、飛ぶことに慣れている鳥でなければ成功しない。その点ディアベルは、決定的な選択ミスをしてしまったと言えるだろう。ただできたとしても……、焼け石に水だった。

 オレを含めたここにいる全てプレイヤーでも、同じ結果だっただろう。あんな状況下に置かれたのなら、まともな対応などできない。

 ディアベルは静かに、しかし無造作に、その体を地面に横たえていた。

 

 

 

「ウグルアァァォーーーッ!!」

 

 

 

 コボルド王の雄叫びに、空気がたわめられた。これでは足りない。こんなものでは満足できない。もっと俺を奮わせろ! ……そんな野蛮な渇望が聴こえてくる。

 エリア全体をビリビリ震わせると、その赤く染まっている眼光で睥睨した、次なる獲物を仕留めるために、血に飢えた眼差しを差し向ける。……その凶悪な視線に魅入られ、心臓が握り潰されたかのように凍えた。

 そんな王の周囲には、いち早く危機を悟った斧持ちの攻撃部隊が詰めていた。先の会議でコウイチとひと悶着した禿頭の黒人【エギル】。今にも荒れ狂わんとする王のタゲを引き受けようとする。

 オレはその間、王に鼓舞されたのか、急に活気づいたコボルト兵の相手をさせられた。振り下ろしてくる斧の柄元に、横薙ぎをひいて切断。急に軽くなった武器に戸惑っている敵の喉元に、すかさずアスナが【リニアー】を突き込んだ。

 ちらりと見たHPバーは、まだ0には至っていない。仕留めきれていない以上危機は去っていない。しかし、

 

「悪い、ちょっと抜けるぞ―――」

「へ、抜けるって……? キリト君!?」

 

 あとは仲間に任せると、アスナと【スイッチ】で立ち位置交換したまま背を向け、消沈しているキバオウの元へと駆けていった。

 

 

 

「そんな……どうしてあんたが、こんなことに……。こんな……こんなはずじゃ、なかったのに……」

 

 もはや何も語ってくれないディアベルに向かって、キバオウは嗚咽を漏らしていた。

 死の恐怖、驚愕、悔恨、罪悪感―――。それらがドロドロに混ざった感情が、キバオウの胸の内を掻きむしっているのだろう。

 小柄ながら態度は人一倍でかかった彼は、見る影もない。今はその見た目よりも小さく霞んでいた。傍らのオレにも気づかず、ただ懺悔していた。

 そんなキバオウを横目に捉えながら、ディアベルの成れの果てを見た。

 体の各所に、赤い毒々しい輝きを帯びた太い線が引かれている。特にその胸の中心部には、巨人の三白眼とでも言うようなものが横に見開かれていた。コボルド王によって付けられた傷だ。もはやそこから何も噴き出しては来ないが、その痕だけは彼に刻まれ続けていた。

 改めてHPバーを見た。そこにはやはり……、何もない。もう何もかも手遅れだった。

 腹に力を込め直し感傷を吹っ切ると、ヘタリこんでいるキバオウを叱咤した。

 

「ボヤッとすんな! 立てッ!!」

「でも、ディアベルはんが……。ディアベルはんは―――」

「ディアベルは死んだ!!」

 

 はっきりと言葉にした。ここはまだ危険地帯だ/一秒を争う、こうしている間にも新たな犠牲者が出るかもしれない。キバオウの目を覚ますと同時に、オレ自身を前に進めさせるために必要なこと。

 

 死骸……。今はもう動かない/語ることすらもできないソレはしかし、多くのことを観る者に訴える。

 この慌ただしく嵐のような戦場の只中にあるというのに、それだけは静寂を貫いていた。あらゆる音を/意味を飲み込むように、佇んでいる。ただのオブジェクトとは違う、目を離すことができない。腹の奥底からこみ上げる/脳みそを麻痺させるその感情を表す言葉を、オレは持っていない。

 HPが0になったのならば、すぐさま爆散させて消してくれればよかった……。オレは、この死体化というシステムを作ったであろう者を恨んだ。罪などまるでないがその死体をも憎んだ。そうしなければオレは、ここから一歩も進めない。

 だけど、同時にそれは/当たり前だと思っていた行為は、大切な何かを切り捨てることだった。そんな根拠もない直感がどこからか、叩きつけてくる……

 

 オレの叱咤でキバオウは、腑抜けていた顔を引き締め直した。無神経なセリフを吐くオレを睨みつけていた。今はそれでいい……。

 しかしまだ、戦うには足りない。

 

「目を覚ませキバオウ! このままじゃ戦線を保てず総崩れだぞ。

 戦えないのなら邪魔だ、泣きたいのなら後ろに下がってろ!」

「くッ! おんどれは―――」

 

 吐き出そうとした罵倒は寸前で歯噛みし、逡巡した。

 オレの言うとおりにすべきなのか? 戦わなくてはならないのはわかるだけど、こんな場所にディアベルを置いたままでいいのか? ……迷える時間は、あまりにも少ない。

 立ち上がることはできても、その場から動くことはできなかった。

 

「お前は……、お前はどうするんやッ!!」

「決まってんだろう―――」

 

 愛剣を握り締めた。強く、硬く冷たいがブレない確かな感触を染み込ませるように、そうあれる様に……。

 暴虐の中心たるコボルトの王に視線を向けた。そしてにやりと、不敵な笑みを浮かべると、

 

 

 

「ボスのLAを取りに行くんだよ!」

 

 

 

 宣言と同時に、駆けた。ボスの下へと、戦う―――

 後ろを振り返る余裕は、どこにもなかった。

 

 

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 【キャスリング】は、本作独自のパーティースキルです。名前の由来は、チェスからとらせてもらいました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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ボスエリア ビーターの誕生 前

 

 

 そこからは、『血戦』だった―――

 

 

 

「―――全員、出口方向に避難しろ! 囲まなければ、あの範囲攻撃は来ない!!」

 

 指示を叫び、ボスの前と飛び出していく。

 ボスがソードスキル発動の構え、アレは確か……【辻風】だ。高速の遠距離突撃、先の先を取る居合系の技。発動を見てからじゃ間に合わない。

 すぐさま対応、こちらも同じようなソードスキル【レイジスパイク】。相殺してやる―――

 

 甲高い音色、まるで交通事故、ボスの刀とオレの剣が正面衝突。体格は明らかに倍以上にオレが小さいが相殺した。HPも減っていない、完全相殺。

 互いに仰け反る、パリィ成功。しかしオレも動けない。ハタと気づいた。……これじゃ、ダメージ与えられないじゃん。

 やっちまった……。勢いでひとりで突撃してしまったことに青ざめていると、救いの手が駆けてきた。

 

「【スイッチ】!」

 

 背後からアスナの掛け声。振り向いて確認できず、そもそもノックバックしているから無理。だから、ボスを射殺さんと【リニアー】を放ってくれたと賭ける。

 オレの体を栗色の俊風が駆け抜けた。弾丸のようにアスナが、ボスに細剣を突き出した。

 腹が深々と打ち抜かれた。HPも微かに減る。兵隊とは違い王の体力は段違い、けど確かに減っている。倒せる―――

 だけど……、右腕の痺れは尋常ではなかった。

 先の相殺の後遺症、体的には問題ないが精神をビビらせた。ソードスキルを【加速】させてようやく、β時の湾刀とは違い重さがないので相殺できたが、早さが尋常じゃない。【辻風】は真に居合だった。こちらの剣技の発動がほんの少しでも遅れていたら/軌道を読み間違えていたら、相殺叶わずカウンターで大ダメージだ。参戦してくれたアスナにも被害が及ぶ、後ろに下がらせて回復に務めさせているプレイヤーたちも襲われる。

 

(そんなことになったら……、終わる)

 

 最悪な結末に、生唾を飲み込んだ。

 こちらは数で圧倒しているとはいえ、総司令官が打ち取られてしまった。指揮はほぼ崩壊、混乱し各自バラバラにしか動けない。体勢を整える時間が必要。副リーダーを作っておかなかったのが仇になった、あまりにも縁起が悪かったので誰も言い出せなかった。先は勢いでオレが号令をだしたが、ボスと対峙している現在そんな余裕はない。もう、各自の力量に頼るしかない。

 だから、このボスの攻撃も、オレひとりで受けきらなければならない―――

 

 ノックバックから解放されたボスが、ダメージを与えられた怒りとともに、横薙ぎの大振り。すでに離れていたアスナに襲いかかる。細剣でアレは防げない、ここからバックステップで距離を開けたら攻撃の手が届かない。

 同じく回復していたオレが斬線に飛び込み、同じく横薙ぎを放った。

 激突する瞬間、わずかにポイントをずらした。剣の腹に刀を滑らせた。悲鳴のような金切り音と火花を上げながらも、軌道がズレた。刀はオレを真っ二つにできず、そのままほぼ垂直方向に打ち上げられた/全身を込めてはね上げた。

 再び互いにノックバック、オレはギリギリ【崩し】にならず。前のめりにたたらを踏まされたボスに、またアスナの【リニアー】が突き刺さった。

 ボスの苦痛の咆哮が撒き散らされた。

 攻撃が成功し安堵、しかしすぐに苦くなった。愛剣の耐久値がガクンと減っていた、先の一撃をいなした代償。ボスの膂力か刀が優れているのか、何度もやった壊れる、ソードスキルで対処しなければならない。……パリィできなければ追撃が避けられない。

 

 続く三撃目、またもやアスナへとターゲットを据えたボスが、垂直両断のソードスキル【兜割り】を放った。両手に握り締めた刀を、踏み込みと同時に打ち下ろす、ボスのパワーなら両断以上に地面のシミになる。

 キャンセルさせるべきだが位置取りが悪い。間に合わない。ソードスキルをやめさせるほどの威力ある攻撃手段がない。アスナ独力で躱してもらいたいが、軌道を見切ってのステップで紙一重躱しはまずい。ローリングを使って距離を開けなければならない。地面まで刃がぶつかったら、砕けた礫が襲いかかる。近くで喰らえば【崩し】、当たり所が悪ければ【転倒】まで起きる。初見の彼女では間違いなく最悪な事故になる。

 いきなりの危機、叫んで注意させるももう間に合わない。せめて次の攻撃を受け持てるよう跳びこもうとすると、代わりに別のプレイヤーが援護に飛び込んだ。

 ボスがアスナを両断せんとする軌道に割り込んだ彼は、そこに持っていた槍を突き立てた。両手と石突を地面に置いてしっかりと固定、天井に向けた刃で斬撃を受ける―――カーーン。叩き込まれた槍は釘のように地面にめり込んだ。

 しかし、アスナも彼も無事、槍で【兜割り】をうけ切った。

 

「レプタ君、いけぇッ!!」

「うぉーーーッス!!」

 

 大剣持ちの小柄な少年=レプタが、鋒を地面にこすらせながら/飛び込みながら、ソードスキルを放った。横薙ぎの【スラント】―――

 ボスの空いた横腹をザックリと、同時に重量に押されてよろめかされた=【崩し】。裂けた傷口から鮮血のライトエフェクトが吹き出した。血がかかる前に駆け抜けていた。

 

「アスナ、追撃!」

「は、はい!」

 

 目を奪われていた音叉のように微震している槍からハッと覚めて、アスナは【リニアー】を打ち込んだ。よろめいて自重を支えていたボスの足を狙う―――

 深々と突き刺さった。ボスは突然の攻撃に/支点にしていた足に力がはいず、さらに体勢が崩れた。ドスンとその場に横倒れる=【転倒】。アスナはソレに巻き込まれる前に、バックステップで離れていた。

 

 さらなる追撃のチャンス。彼=コウイチに言われる前に動いていた。垂直切りのソードスキル【バーチカル】。片手剣を両手持ちにしての二重ブースト―――倒れたボスの肩から胸へ、深々と叩き斬った。

 悲鳴の咆哮、怒りは混じらせずただ激痛に呻く様に。クリティカルではないがかなりの大ダメージを与えた。しかし、舌打ちした。これで【気絶】まで追い込みたかったが、威力が足りなかった。片手剣では重量が足りず、追加効果があるソードスキルはまだ習得できていない、両手持ちにしても足りなかった。大剣持ちならできたが、彼が【崩し】をしてくれたから今がある。……仕方がない。

 ボスは倒れた状態ながらも刀を振った、噛み付いてきたコバエを振り払うように。先に剣で受けた横薙ぎとは比べ物にならない弱さ。しかし、ソードスキルの硬直時間もあってパリィには持ち込めず、後ろに下がって躱した。

 

 パーティー全員集合=4対1。コレならいける、凌ぎきれる、首がつながった―――。

 しかしふと、自分たちの立ち位置に気づいた。誰もが別方向からボスに向かっている=囲んでいた。先のラッシュでそれぞれが囲むような立ち位置へついてしまった。

 ぞわり……、寒気が走った。コレはまずい、まず過ぎる―――。

 【転倒】から回復したボスは、予想通り/組み込まれているであろうアルゴリズムどおり、重範囲攻撃【旋車】の構え。先に大被害をもたらした刃の爆裂。防ぎようがない、後ろに大きく下がるしかない。しかしそれは、パーティーが分断されることでもある。次の各個撃破で誰かが大ダメージを被る、ロシアンルーレット。

 

「皆、下がれぇ―――」

 

 叫び声が届く前に、爆発しようとした。

 しかし……、寸前で止まった。止められた。

 鋭く、空気を裂く音。ボスに向かって何かが飛ぶ、鋭利な金属製の武器―――。

 ソレが投擲用のナイフであるとわかったのは、ボスの片目に突き刺さったのを見た時。どこから投げられたのかがわかったのは、ボスの悲鳴が上がった後、ソードスキルがキャンセルされた奇跡を目の当たりにした後だった。

 

「おぉっと! いい場所に刺さったな」

 

 コウイチは、自ら投げたナイフが狙い以上の効果を発揮してくれたことに、笑みを浮かべていた。投剣スキル【シングルシュート】の残心をとりながら。

 マジか、GJすぎるぜ……。賛辞とともに飛び込んだ、突進攻撃【ソニックリープ】。ひと拍遅れて仲間も突き刺す、三方同時串刺し。

 

「グギィアアァァァアァァーーーーーッ!!」

 

 悲痛の叫びを撒き散らす、破裂するように撒き散らされた鮮血。大ダメージだ。

 だけど……まだ、HPは半分以上ある。気を抜けない。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆ 

 

 

 

 コボルド王の巨躯が不意に、力を失って後ろへとよろめいた。

 狼にも似た顔から細く高い嘶きをひとつ上げると、地面に倒れた。どスーンと、重々しい地響きに揺らされる。

 残ったのは、静寂。その無音の残響が、戦いは終わったのだということを告げてきた。

 

(頼むよ。これで終いにしてくれ……)

 

 愛剣を杖に息を荒げながら、誰に向かってでもなく祈っていた。おそらくは、この世界の神様気取り=茅場晶彦に対して。

 とてつもない緊張を要求された戦いだった。恐ろしく長い、疲れた……。

 間断なき集中状態、ただ一度も失敗もできないプレッシャー、ソードスキルの【加速】を何度も発現させた。ほぼ全てに付加した。そうしなければ、あのボスの攻撃を凌ぐことができなかった。

 戦いの全てを、覚えてはいない。ところどころ記憶に欠損がある。がむしゃらに戦っていたから、いちいち記憶してなんかいられない。半分以上は無意識で戦っていた、どうして生き延びれたのかわからない。だが……、それも全て終わった。

 

 周りを見渡すと、他のプレイヤーたちも同じように憔悴していた。俯いたり膝をついたりその場にヘタリ込んだり大の字で寝そべる者も、勝利の喜びよりもようやく終わったとの徒労感で沈んでいた。

 ため息をこぼした。それもそうだろう、まさかこんな結末になるなんて、誰も予想していなかったはず……。チラリと、もう動かなくなっていたディアベルに/ディアベルだったモノに目を向けた。その周辺には、パーティーメンバーや慕っていたであろう人が集まっていた。

 その内の一人と、目があった。……あってしまった。

 恨みと憎しみが込められた視線。オレを見つけると、仇をみつけたと言わんばかりにぶつけてきた。

 

「なんで……なんでだよ! なんで知ってて黙ってたんだよ!!」

「…………え?」

 

 シミター装備の軽装備の男性プレイヤーが俺に、ほとんど泣き叫ぶかのように糾弾した。しかし、何を言っているのか分からず呆然としてしまった。

 オレへの糾弾。ディアベルの周りには、数人のプレイヤーが死を悼んでいた。あるいは、もしかしたらただ眠っているだけなのではないかと、目の前の死に戸惑っていた。その中には、あのキバオウもいた。すっかり意気消沈して座り込んでいる、心なしか頭の刺までしょげている。オレの叱咤でどうにか戦線に戻るも、かつての気勢の良さはなかった。

 ボスを倒したあと、彼は虚ろになったようにヨロヨロとそこまで歩き、膝から力が抜けるようにして座った。それが、集まったほかのプレイヤーにも伝染したかのようで、その場だけ暗い静けさ=葬式の空気を漂わせていた。

 

「お前がボスの情報を教えてたらこんな……、こんなことにはならなかったのに!」

 

 喪に服している仲間たちを横目に、シミター使いは非難を浴びせてきた。だが、オレは反応できなかった。

 戦いが終わって集中力が途切れてしまったのだろう。全く頭が回らない。ただポカーンと彼を見つめながら、黙って聞いていた。

 そんなオレの代わりに、傍らのアスナが反発してくれた。

 

「ちょっと! あなた何言って―――」

「コイツは知ってて黙ってたんだ! ボスが最後に使うのは、曲刀じゃないってことをな! 自分が、自分だけで……LA取るためにな!」

 

 ビシリと真っ直ぐ、オレに人差し指を向けながら糾弾した。彼の凄みにのまれて、周りもオレに目を向ける。

 名探偵が真犯人を暴き出す場面、そんな妄想がソレと重なった。その真犯人がオレであると気づくのに、一拍遅れた。

 

「どうだ、答えてみろよ!!」

 

 白状しやがれ―――。皆にざわめきが広がった、オレに不信の眼差しを向けてくる。反論を遮られたアスナは彼を睨みつけるが、不安そうにちらりとオレにも目を向けてきた。

 そこでようやく、ことの状況を理解した。責任の所在、ディアベルの死はどうやって償えばいいのか、誰に償わせればいいのか。……誰もが死人を嫌煙している。

 すると、一人のプレイヤーが前に進み出てきた。キバオウの部隊に属する男性プレイヤーだ。

 

「俺も知ってる! コイツは元βテスターだ。だから旨いクエとか狩場とか、全部知ってるんだよ! 知ってて隠してるんだ!」

 

 積年の恨みのようなモノと共に言った。全くの見当はずれ、ではないがここで非難される謂れもない、オレ一人が背負う咎でもないはず。

 しかしそれで、ざわめきが別の形へと変質し始めた。

 

「でも、もらった攻略本には書いてなかったぞ。元βテスターのものなら、彼も知らなかったんじゃないか?」

 

 進み出た彼に、別のプレイヤーが至極真っ当な意見で水を差した。禿頭の黒巨人エギル率いる壁部隊の一人として、先程ボスのタゲをとってかく乱してくれたプレイヤーの一人だ。

 その反論で先のプレイヤーは答えに詰まった。が、顕になった恨みの感情を吐き出した。

 

「あの攻略本がウソだったんだ! アルゴって情報屋が、嘘を売りつけたんだよ! あいつだって元βなんだから、タダで本当のことを教えるわけなかったんだ!」

 

 まずい、この流れは非常にまずい……。このままでは、被害の範囲がβテスター全域に広がってしまう。

 皆の敵意が、彼らに向かってはならない。そうなればこれから先、テスターとビギナーの間で取り返しのつかない断絶が起こってしまう。それだけは、なんとしても避けなくてはならなかった。だけど……、一体どうすれば?

 救いを求めんとコウイチに目を向けた。彼はこのことを予期して、先の攻略会議で布石を打っていた。誰もが争わず協力し合える第三の道。彼ならこの場を収める何かが出来るのではないかと、そもそも今まで何で成り行きを見守っているだけなのかと、非難も混じえて……観た。

 しかし彼の視線は、別の方角を向いていた。倒れたボスの死骸に注がれている。目尻を上げて見開きながら、まるで襲いかかってこないか最大限警戒しているように、槍まで固く握り締めたまま……。

 だからか、向けられるプレイヤーたちの無数の敵意を無視して、オレもボスに目を向けた―――

 

 刹那。目の端で異常を捉えた。

 石畳の床の継ぎ目からジュクジュクと、黒い液体が染み出してきた。真っ黒なタールのような粘液、見ているだけで胸糞悪くなる生理的不快さ、臭いはしていないはずだが吐き気を催す腐臭が想起された。そして実際、思わず鼻をつまんだ/口も抑える。

 染み出し粘液は徐々に増え、ボスの死骸に向かって蠢いていく/集まっていった。ボスが倒れていた床が真っ黒に水溜りになり、どこかに吸い込まれていく……。ボスの死骸の中へ。

 ビクンッと、ボスの死骸が跳ねた、まるで電気ショックでもされたかのように。そして、ブルブルと振動した。自分の意思で動かしているわけではない/そもそも死んでいるはず、視界の片隅にあるHPバーは確かに0になっていた。しかし、蠕動は収まらず。代わりに体表からブツブツと、吸い込まれた粘液が染み出してきた。最初はただの点、広がり繋がり線となり、何らかの文様を描いていく。ソレが顔に/閉じた瞳にまで這っていき、瞼の中へ/口内へ/耳の中へ入り込んだ。そこでようやく皆も注意を向けるが……、遅かった

 途端、カッと、ボスの目が見開かれた。

 目尻を裂くほど開かれる。そして、酸欠から解放されたかのように大口を開けると、獣以上の悍ましさを秘めた産声を上げた。背筋も折れるばかりに反り上がり、手足も砕けるほど強張り伸ばされた。

 

 

 

「■■■■■■■■■ーーーーッ!!」

 

 

 

 足場ごと吹き飛ばすような咆哮、部屋中を占領すると不気味な異界の空気をつくる。一瞬で魂消された。

 そして、見えない糸で釣り上げられるかのように、ボスが不自然にその身を起こし始めた。

 何が起きているのか、一体コレは何だ……。ただ、戦慄させられていた。明らかに異常事態、βではなかった。そもそもHP0になったのに、どうしてまだ動いている? 反則すぎる。これではもう、ゲームのルールからも外れてる……。

 ふと、ボスに吸い込まれた粘液のことを思い出した。

 どこかで見たことがあった、先までも見てきてオレ自身で作ってもいた。【センチネル】達の死骸だ。彼らはボス=王とは違って、迷宮区のモンスター同様にその死骸がタール状の粘液に変わった。そして、迷宮区の中へ吸い込まれるように消えた。フィールド上のモンスターとは違う迷宮区内独自の在り方=死骸が残らない。いちいち処理せず楽だと思っていた。でも、つまりアレは……【センチネル】だったモノ。

 どうしてボスは復活を遂げているのか? ……朧げながら、答えが見えた。この電子とコードで作られた仮想世界ではありえないことだが、そうとしか考えづらい。現実でもこんなモノは見たことはないが、漫画や映画でいやという身近になっている。

 まるで金縛りに遭ってるかのように、動けない。異様な光景に魅入られていた。

 

 動け、動け、動け、動けぇ―――。麻痺している体に喝をいれる。

 まだボスは変態を遂げ切っていない。入り込んだ異物と我が身が融合するのに手間をかけているのだろう。アレはどんなものであれ、生き物の体とはそぐわない。どうしたって反発しあう/通常なら免疫にはじかれるだけ。でも死骸だったから、侵蝕された。体の運動・生産システムがクラックされている。コンピューターウイルス、似ているものをあげるとするならソレだろう。コボルト王は今、別のモンスターへと変わるよう蝕まれている。

 もしかしたら、無敵モードになっているのか、手斧から刀に変わった時のように? 答え=わからない。そもそも、システムの範疇を飛び越えているはず、防御してやるいわれは何処にもない。……今なら、討てるかもしれない。

 痺れたまま無理やり手を動かす/剣をつかみ直した。あとは初動モーションだけ、ソードスキルを叩き込む。だけど……、間に合わない。仕留められるとも限らない。でもこのままでは、あの復讐の鬼と化しているボスを相手にしては、全滅するかもしれない。死者が増えるのは確実だ―――。それでも動けない。

 

 絶望しそうになると、風を切る音色。流星が空へと走った―――。そのまま、ボスの額を打ち抜く。

 

「――――――カぐァッ!?」

 

 衝突で頭を仰け反らされたボス。その額に刺さっているのは、槍。ボスの巨体と比べると矢にも見える。

 思わず、その持ち主に目を向けた。

 

 

 

「―――チィッ、アレでも殺せないか!」

 

 

 

 投球の残心を取りながら、舌打ちするコウイチ。自らの武器を投げた。ソレも、ソードスキルを纏わせながら。

 一瞬、【投槍】スキルを使ったのかと驚いた。アレはまだ手に入れられる段階にない、【投剣】では槍のような重い武器は投げられない、どんなチートを使ったのかとも……。しかしすぐに、思い至った。彼はアレで飛行型モンスターを仕留めた。

 【急制動(ストップ&ゴー)】。発動させたソードスキルは槍の遠距離突進、通常なら槍を対象に突き出すだけ。しかし、このシステム外スキルを使うことで/ソードスキル自体がキャンセルされない一瞬だけ止めることで、槍を手元から発射させることができる。止まっている最中に手を離せば、再起動した際留め金を失った槍は彼方へと発射される。【擬似投槍】スキルとも言われている。

 

 見事額を打ち抜き変態を止めたが、まだ収まってはいなかった。ボスは苦痛の叫びをまき散らしながらも、仰け反らされる体を支え切った。いや、全身の黒い紋様が引き留めた。体に命じて倒れる一歩手前で引き絞った。……もはや彼の王の体は彼のモノではない。

 コウイチがオレに何かを叫ぶ、その寸前にはもう、金縛りは解けていた。飛び込んでいた。

 

「キリト、首を落とせぇーーッ!!」

 

 激が届くと同時にオレは、横薙ぎの【スラント】を放っていた。仰け反った拍子に曝け出された無防備な喉元に向かって、愛剣を振るった。

 ボスの瞳と対峙する。真っ黒な汚染された虚の瞳、そこから薄らと、赤いモノが滲んでいたのが見えた。頬へ垂れ落ちそうなほどに溜まっている……。一瞬、何かが胸に去来したのか、締めつけられた。

 

 振り抜きは誤たず、まるでチーズでも切るかのように。ボスの首に横一文字を付けた―――

 振りきり着地、そして残心。もはやボスを見ることなく背中合わせ。

 

 ふぅと、小さな吐息を漏らすと、ボスの首級が飛んだ。

 次に、首の切断面から、噴水のように赤黒いライトエフェクトが溢れた。天井にかかるほどに舞い上がる。

 ボスの体は、何が起きたのか自分の頭を触ろうとするも、できず。指先があったであろう場所に届くやいなや、事切れた。サラサラと、体が崩れ始める。

 振り返って見たときには、ボスの脚部は壊れていた。肉団子のような胴体が地面に落ちる。その衝撃が大きな罅を走らせ、パカリと幾枚にも割れた。体はもはや生物の肉質を持っておらず、ガラス塊になっていた。崩壊は止まらず粉砕されていく。そして、ようやくβで見慣れた光景。ガラス塊が落下して砕けたような音色が響き、青白いライトエフェクトが幾重にも舞い上がった。

 それはまるで、縛り付けられていた魂が解放されたかのようで、幻想的な光景だった。

 

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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ボスエリア ビーターの誕生 後

 キリト君、(´;ω;`)


 誰もが皆、舞い上がり消えゆく青白の燐光を仰ぎ見ていた。声も出さずただ見送るのみ。驚愕の連続で頭が麻痺してしまっていた。何が起きたのか/起ころうとしていたのかすらわからないまま、過ぎ去った。

 ゆえに、幻想的な葬送の後に待っていたのは、先送りにしていた現実的な問題だった。見事危機を退けたオレ達への賞賛ではなく、理解不能な化け物を畏れる不審の眼差し。

 ソレはオレも同じだった。はんば無意識の勝利、ただ首を刎ねるだけしか考えていなかった。見送りながら呆然と、己がやったことを思い出していた。―――ゆえにまた、一手遅れた。

 

 

 

「―――やっぱりお前ら、知ってやがったんだな!」

 

 真っ先にオレを犯人扱いしてきたシミター使いの名探偵、今回もまたその灰色の脳細胞から直感を閃かせて糾弾してきた。オレはチートをつかったプレイヤー、己の欲のために重要な情報を隠しディアベルを見殺しにした/もしくは攻略に参加したプレイヤー全員を見殺しにしようとした最低野郎……。

 戸惑っていただけのプレイヤー達が、わかりやすい回答へと誘導された。畏れの空気に怒りと妬みの色が混じってくる=ざわめきが広がっていく。

 周りを見渡しようやく、誤解を解かせてもらえないことがわかった。どんなに言葉を尽くしても/逆にすればするほど、名探偵の結論の証拠になってしまう。……もはやオレ達は、チートプレイヤー以外の何者にもなれない。

 もう一人のチートプレイヤー=コウイチを見た、今どんな顔をしてこの空気に対応すればいいのか参考にするために。そこにあったのは……、オレとあまり変わらない。現状に驚き戸惑い眉をしかめて考え込まされていた、まるで見当はずれの迷探偵にコレは何かの冗談なのかとも悩まされているのだろう。……残念なことに、現実だった。

 

「黙ってねぇで何とか言ってみろよ!」

 

 さらに、追い打ちを掛けてきた。

 残念ながら、何か奥に/別に狙いがあってこんなことをしている、という腹黒展開はない。ソレに付随するであろうほくそ笑みなど見いだせなかった。ただただ八つ当たりをしたいだけ=最も厄介な相手。

 オレは答えられず、ただ黙ってどうしたらいいのかと考えていると、代わりにコウイチが答えた。首をかしげながら純朴そうに、悩みに悩んだ末に搾りだした答えだというように、

 

「……ナントカ?」

 

 一瞬、場が凍りついた。糾弾した相手すら、驚きのあまり口をパクパクさせていた。あからさま過ぎるセリフ……。

 次に/当然のことながら、非難の視線、怒気が吹き荒れた。

 

「お、お……お前、よくもそんなこと言えたもんだな、おいッ!」

「そう言えと言ったのは君だろ? 冷静になってくれ」

「ふざけんなッ! ディアベルさんを見殺しにしたくせに、冗談で済まされると思ってんのかよ!」

「ソレだよ! 一体君らは何の話をしてるのかな?」

 

 名探偵はさらに罵倒しようとするも、ようやく気づいた、自分とコウイチの認識のズレを。先に水を差されてしまったことで、怒り任せの激情で押しきれず見えてしまった、あるべきはずの手応えの無さが。悪意のかけらも見い出せず、言葉に詰まらされる。

 その隙を突くようにコウイチが、さらなる問題発言をねじ込んできた。

 

 

 

「あの程度の勘働きもできないようなプレイヤーが、ここにいるのか?」

 

 

 

 一瞬、皆の目が丸くなった。あポーンと口を広げてしまった。

 アレは知識があったからできたわけではなく、ただ自分の直感を信じて行動したまで、だから説明できる根拠などない。全く保証のない賭けだった、ゲーマーとしての技量の差だ。成功した結果だけからイカサマをしたんじゃないかというのは、言い掛かりでしかない……。オレも言いたかった正論だ。

 さらに、このボス攻略に参加している皆ならば多かれ少なかれそんな賭けに勝ってきたはず、とも。モンスターの攻撃パターンやクエストの行くすえなど、大筋はβと変わらずとも変更が確かにあった、ソレも最悪な『改善』という形で/一見すると同じなのでより惑わされてしまう。そんな罠を掻い潜ってココに立っている/生き残っている=賭けに勝ってきた。オレ達だけが特別なわけではない……。ボス戦の熱にのまれてオレもつい見失っていたが、指摘されれば正しくそうだった。

 察しの良いプレイヤーから徐々に理解が広まると、場の空気の刺がわずかばかり丸くなった。ほどよく自尊心をくすぐられたことで、意見が染みとおっていく。しかし/やはり、まだ足りない。

 

「あの程度でそこまで驚くということは……。君たちは随分と、ディアベル君に依存していたみたいだな」

「なッ!? て、てめぇ……」

 

 私が見殺しにしたというよりは、君らに足を引っ張られたからではないのかな……。元凶をそっくりそのままお返し。コウイチが仄めかした侮辱は、誤たず相手に伝わったらしい。逆に審判台に立たされ狼狽し始めた。

 追い風に乗り、さらに煽り立てた。

 

「君たちは次から、フロアボス戦に参加しないほうがいいと思う。できれば迷宮区にも入らない方がいいだろう。……殺されるだけだ」

 

 上から目線の決めつけ。なれど、教師が身の程知らずの生徒を諭すような助言めいていた。何ら悪意は含まれていない、しかし侮辱以上の憐れみがこもっている。

 ピキリと、こめかみに青筋が立った。糾弾者たちは今すぐ斬りかかりそうな怒気を放っていた。誰もが固唾を呑んだ。しかしコウイチは、彼らと真正面で向き合う―――

 ゾクリと、背筋が凍った。

 彼の顔には、今まで見たことのない冷徹さが浮かんでいた。まるで、視界に映っているプレイヤーたちを命ある者と見ていないかのような、虚。傍から、ソレも味方の側から見ているだけというのに、腹の奥底まで冷やされる。

 

 何もできずに見入られていると、小さくため息をつかれた。落胆までする。

 

「―――口は出せても、剣はぬけないのか……」

 

 せめてそのぐらいの覚悟は、見せてもらいたかった……。斬りかかってこなくて残念だと。あるいは、こちらは素手でチャンスなのにやらないなんて情けないと。ほぼ同レベルで武装も同質だというのに遥かな格上の風格で、見込みなしとの烙印を押した。

 そして、話はこれでついたと、投げた槍を取ろうと背を向けようとした。

 

「ま……待てよ! 話はまだ終わっちゃいねぇぞ!」

「まだ何か?」 

 

 案に相違してちゃんと応えを返してきたコウイチに慌てるも、気を取り直し続けた。

 

「アレがただの勘だって言われても、納得できるか! あんな速攻の連携、起きる前に仕留めるなんてありえねぇよ。あんなの、知らないでできるわけがないッ!」

「警戒を怠らなければできたはずだ。ボスはHPが0になったというのに、死骸が残り続けていた。アレは明らかに異常事態だった。気づけなかったほうがおかしいだろ?」

「お前ら以外に誰ができたんだよ! 誰がアレ以上何かが起きるなんて警戒できた奴がいたんだよ! HP0になって終わったと……、思っちまっただろうが!」

「ソレは―――。そうだった……のか?」

 

 君だけではないのか……。少々ウンザリ気味で説明を続けようとすると、ふと周りを見渡した。思っていたのと違う。相手の言葉に肯いている者たちがほとんどであることに/自分だけが異常だったことに、ようやく気づいた。

 相手はその戸惑いを見て気を取り直したのか、たて続けてにまくし立ててきた。

 

「ハッ、化けの皮剥がれたな! やっぱりお前らは知ってたんだ。勘働きだとか警戒心とか言ってけむに巻きやがって、小賢しい真似するんじゃねぇよ!」

 

 ほんの少しの取っ掛りからまた、強烈な言いがかりにまで盛ってきた……はずだが、多分に皆同じ疑惑を抱いていたのだろう。元の木阿弥。皆自分以外で誰かしらの生贄を求めていた。そして今日のソレは、オレとコウイチだ。

 事ここまで極まってしまったのなら、観念するしかない。ただ元βであるオレはともかく、コウイチはビギナーだ。本来負うべきでない責任を取らされることになる。それだけは、なんとして避けなくてはならない。せめてオレだけに、被害を最小限に留める方法―――

 刹那。ひとつのアイデアが浮かんだ。次に、ものすごい葛藤がおきた。

 ソレを出したらオレは、孤絶する。ほぼ永遠にソロプレイを通す必要がある/パーティーを組むことができない。今のこのSAOでは準自殺行為だ、オレはまだ死にたくない、生きて現実世界に戻りたい。他のβテスターたちのことなど知ったことでもないだろう、見ないふりをしたって構わないはず。だけど……、あまりにも逃げ場がない。迷っている暇はなかった。

 

 ここが、オレの選択の場だった。後回しにし続けたツケはここで支払わなければならない。ただそれだけの……、ことだったんだ。

 覚悟を決めると、瞑目した。後悔を飲み込むと、そのアイデアを実行した。

 

 

 

「元βテスター、だって? オレをあんな素人連中と一緒にしないでもらいたいな!」

 

 

 

 努めて嘲笑しながら、相手を侮蔑するような視線を向けながら、言った。

 

「……キリト、君は一体何を言って―――」

「お前には驚かされたぜコウイチ。まさか教えてやってなかったのに、あんなにすぐに動いたとはなぁ。危うくLA取られちまうところだった」

 

 言葉とは裏腹の思いを視線に込めて伝えた。

 ソレを正しく察してくれたのか、コウイチは続く非難を飲み込んだ。眉間にシワを寄せながらオレを睨む。

 かえって名探偵は、皆同様に怯んでいた。同じようにオレの豹変に目を見張っている。急に何をトンチンカンなことを言い出すんだコイツ、ではなく、やっと真犯人の自供が始まったとの安堵。……重要な第一歩は、うまくいった。

 

「オレはβの間、誰も到達できなかった層まで登った。ボスのカタナスキルを知ってたのは、ずぅーっと上の層でカタナを使うModと戦ったからだ。嫌ってほど散々にな。

 ほかにもいろいろ知ってるぜ、アルゴなんか問題にならないぐらいにな!」

 

 嘲るように/見下すように、戸惑うプレイヤーたちに言い放った。βテスターの経験値など及びもしないレベルにオレはいると、錯覚させる。

 言い終わると、その効果の程を観察した。

 

「なんだよ、それ……。そんなのもう……、チートだ。チートじゃねぇか!」

 

 ざわめきが戸惑いに、戸惑いは怒気へと変貌しエリアの中に広がった。口々にオレへの非難が叩きつけられる。

 これでいい、これでこそだ……。誰にも気づかれないようほくそ笑んだ。オレの求めていた空気が、出来上がってきた。あともうひと押しだ。

 プレイヤーたちの非難に耳を澄ませていると、『ビーター』という奇妙な響きの単語が届いた。βテスター+チーター=ビーター。安易な命名だが、ゆえに伝わりやすい。締めくくりにはピッタリだ。

 

「【ビーター】か。いいじゃないか、それ!

 よぉし、今日からオレは【ビーター】だ! これからは元β如きと一緒にするなよ」

 

 傲然とそう吐き捨てると、メニュー画面を開いた。そこから、先程ボス戦で手に入れたLAアイテム=【コート・オブ・ミッドナイト】なるマントをクリックし、着装した。

 するとふんわり、体全体にかかる重みが増えた。それまで使っていたくたびれた灰色の生地のものではなく、艶のある漆黒の革のコートが身に纏われていた。丈も随分と長いもので、裾は膝下まで伸びている。……欲しかったイメージほぼまんまで、驚く。

 そのコートをバサリと翻した、まるで剣についた血糊をふるい落すように。そして、唖然としているプレイヤーたちを横目に、上層に続く階段へと足を乗せた。

 

「じゃあな。二層の【転移門】は、オレが有効化(アクティベート)しといてやるよ」

 

 最後に、これ見よがしの笑顔とともに言い捨てると、二層へとつながる門を押し開けた。

 

 後ろは、振り返らないことにした。もう気にしている余裕が、オレにはなかった。

 ビーターのオレはただ、前に進むしかないのだから。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 残された攻略組たち。あのビーターに従って前に進もうとするものは、いなかった。

 ほとんどの者が、この場に座り込んで戦いの疲れを癒していた。ホームに戻るにも体力が、数値では表せない精神的な疲労が、まだまだ取れていなかった。

 戦いは終わった。しかしまだたった一つでしかない、それなのにこんな結果に……。予定なら盛大な祝賀会、しかし今は、まだ99も残っている憂鬱に落ち込んでいた。なぜなら自分たちは、勝利以上に大事なリーダーを……失ってしまった。

 

 皆、努めてそれを考えないようにした。楽観的に、前を向くように心を保とうとした。やっと第一歩を踏み出したんだと、この世界の先に進めるんだと言い切りたかった。

 だが、それを言葉にする者はいなかった。ソレをここに居る皆に宣言した彼は、今、数人の仲間たちに囲まれてこの冷たい床に体を横たえていた。

 

 

 

「―――ディアベルはん。わいが……、わいが阿呆なばっかりに……」

 

 こないなことになるなんて……。不思議と、涙は出なかった。悲しくないわけはないが、それ以上に空っぽだった。

 リアルの彼など知らない、本当の名前も知らない。加えて、昨日あったばかりの相手でもある。だが、そんなこと瑣末なことだった、リアルでは決してありえないだろう命を預け合った仲だから、細かいことなどどうでもいい。そのはずなのに……、こうして物言わなくなった彼を見ていると、ソレがとてつもなく重要なことのように思えてしまう。縁を失い大切なその思いすら消えてしまうような不安感。

 

 どうしてわいは、いつもこうなんや……。なにかするたんびに、誰かを傷つけてしまう。皆のためにと思っても失敗ばっかり、どうしようもない阿呆……。

 普段は努めてしないが、その反動でか、このような時には反省の深海の奥底まで沈んでしまう。何度もその度に後悔するが、治らない。自分でもどうしようもない/性格だからとしか言い様がない。悪いなとは思うが、いつもその一言が出せない。出せなくて口か拳が先に出して……、こんな悲惨を呼び寄せてしまう。

 

「あんたも大間抜けやで。わいなどほおっておけば良かったのに、カッコつけおっての……。ナイト気取るんやったら、もっとマシなもんのために命はらんかい」

 

 弱々しく、そんな愚痴が出てきた。

 不意に、目の前のディアベルの姿が、過去の出来事と重なった。

 

 ―――あいつだって、わいが余計なことせな生きてたかもしれんのに。わいが生きとるよりも、あいつの方が何倍も人のためなっとったのにな……。

 

 かつて救えなかった者。救おうと考えて背中を押してしまった弟……。もうどこにも、いなくなってしまった。

 それは、誰にも言えないこと。もう誰も聞くこともない。自分の胸の中にだけ、焼き付いている痕……。誰かに告解する時はもう、失われてしまった。

 

「……ディアベルはん。もうなんもかんも手遅れやけど、礼だけは言わせといてな。

 ありがとな。あんさんがいなかったらわい、ここにはいなかったわ」

 

 もう行くわ……。花向けにそう言うと、立ち上がる。……立ち上がろうとした。

 寸前、目に奇妙なものが飛び込んできた。白い光―――

 

 

 

 眩しいばかりの光がディアベルから、放たれた。

 

 

 

 光に目が眩み、顔を背けた。周りの者も何事かと注視し、同じくその光を遮ろうとした。

 それは数秒の間彼を包むと、何事もなかったかのように消えていった。

 

 静寂が再び、場を支配した。皆の意識は、その中心に吸い込まれていた。

 

「なんだ! 何が起きたんだ!!」

 

 同じく簡易的な葬式に服していたシミター使い【リンド】は、それまでの沈黙を破って目の前の異常に驚きの声を上げた。

 

「こいつは……、まさか―――」

 

 その異変に心当たりがあったのか、黒の巨漢【エギル】が、輪の中に割って入ってきた。

 そしてその手を、ディアベルへと伸ばそうとした。

 

「おいッ! 何さらしとんじゃわれぇ―――」

「HPバーを見てみろ!」

 

 突然割って入ってきた無法者の手を掴み凄むが、エギルは堪えず、逆に切迫した様子で返してきた。

 

「いいから見てみろ、今すぐだ!」

「何を言うとるんじゃ―――」

 

 反射的にソレが目に入り、続く罵倒を飲み込まされた。

 視界の左隅には、自分のものとパーティーを組んでいる他の5人のものが、横並びにある。そして、レイドによってつながっているリンドやエギルたち他パーティーのHPバーは、その頭の上あたりにあるカーソル横に名前とともに表示されている。……『ビーター』の名前もあったが、今はもうない。

 HPや状態変化の有無の情報は、パーティーを組むことによって明らかになる。それを強制的に見る方法は【索敵】スキルに存在するが、今の段階ではその『見破り』は使えないだろう。また、隠すための【隠蔽】スキルもそれほどでもないため、必要もない。パーティーを組んでしまえば、そのプレイヤーの名前と今の状態が自然とわかってしまう。レイドパーティーのメンバーの場合は、ある一定の範囲まで近づくかメニュー画面を開かないとわからない。

 そして今、その範囲にいるレイドパーティーのHPバーは皆、視界に表示されていた。しかしその中でひとつ、ありえないものが浮かんでいた。……あるはずのないものがそこにあった。

 

「こ、こ、こいつは……どうなってるんや!? なんで、こんな―――」

 

 驚愕―――。まさにその一言が、目に映っていた。絶句―――。周りに者たちも、目の前の現象に言葉を失っていた。

 

 

 

 0になった後消えたディアベルのHPバーが再び、彼の頭上に表示されていた。

 

 

 

「……何が、どうなってる―――」

 

 目の前の不可思議にリンドが、皆の意見を代表するかのように呻いた。この中でも唯一平静を保っているエギルに、震えながらも問いかけようとした。

 その途中、静寂を保ち続けていたソレがむくりと―――、動いた。

 再び、皆の言葉は失われた。口火を切ろうとしたリンドは、驚きのあまりバタリと、その場に尻餅を付いた。アワアワと震えている。

 動いたソレ=ディアベルは、仰向けだった上体をお越した。そして、定まらぬ焦点を固定するかのように、その手でふらつく頭を支えていた。まるで寝起きかひどい二日酔いであるかのよように億劫そうで、夢と現実の淡いにいる。―――それもひと時だけ、その目に再び意識の光が戻り始めた。

 

 ディアベルはぼんやりと、現状を認識しようとあたりを見回した。すると急に、ぼけぇと緩んでいたその顔が凍りつき始めた。

 

「……ハッ! ボスは、皆は!? 俺はどうなっ―――」

 

 急に、体を起こして戦闘態勢を取り直そうとするディアベル。その傍らに、周りにいる者たちが添え物として置いた愛剣を掴み、構えようとしていた。

 しかし、立ち上がろうと足に力を入れようとした瞬間、すぐさま体勢が崩れた。

 

「でぃ、ディアベルさん!?」

 

 倒れるディアベルを支えるためにリンドは、腕を伸ばそうとするが、自身も腰を抜かしていたため届かなかった。その手は虚しく、伸ばされたままだ。

 代わりに、ちょうど倒れるであろう後ろにいたエギルが、彼の背をキャッチした。

 

「ディアベル、急に動くな。まだ自力で立ち上がれるほど体の【耐久値】が回復していない。しばらくはそのまま寝てるんだ」

「エギル……さん?」

 

 巨漢の腕に体を支えてもらいながらディアベルは、ようやく危険がなくなったことを理解した。落ち着きを取り戻し始める。

 

「ボスはどうなったんだ? 皆、無事みたいだけど……」

「今さっき倒したよ。犠牲者は、……誰もいない。みんな無事さ」

 

 エギルが、ディアベルに答えた。つとめていたわっている様子は見えないが、その低いバリトンが自然と、聞く相手を落ち着かせていた。

 

「……どうやら、俺だけ置いてけぼりみたいだな。まったく……、恥ずかしいなぁ」

「ハッハッハッ、そいつは悪かったな! でも、こっちだって驚いてるんだぞ。まさかあんたがまだ、【首飾り】の復活効果を残していたなんてな」

「あぁ、ソレか。それは―――」

 

 言いながらディアベルは、体を起こそうとした。まだぎこちなく、エギルはその背を支えてやろうとしたが、なんとか自力で動ける様子を見てその背から手を離した。

 

 上体だけでも起こせた彼は今度は、麻痺しているかのようにうまく動かせないその手を胸元に伸ばすと、首にかけてあるはずの首飾りを手のひらの上に取り出した。

 顕になったそれ=三つある雫のひとつは、輝きと透明さを失って黒く濁っていた=使用済みの証。

 皆ソレを見てようやく、ことの次第を理解した。

 

「まぁ何はともあれ、無事でなによりだ! リーダーのあんたに死なれちゃ、これから先面倒だからな」

 

 答えに詰まったディアベルにその意味を察したのか、エギルはこの話題を切り上げた。

 その心遣いに再び苦笑を浮かべると、今度は自力で立ち上がろうとした。しかしまだ、足は自重を支えるだけも回復していないらしく、よろめきバランスを崩した。そして再び、倒れそうになった。それを、今度こそと身構えていたリンドが支えた。

 「すまない」と一言いうと、リンドの肩と手に持っていた愛剣を杖にして、ようやく立ち上がることができた。

 

「……しょっぱなからこれだと、先が思いやられる」

 

 満足に立ち上がることもできない満身創痍に、ディアベルは自嘲した。

 そして、幾分か外面は弱々しくなるも本質的な爽やかさをもって、周りで信じられないとオロオロしていたパーティーに健在の笑顔を向けた。

 

 それが彼らの中で、この戦いの終わりを告げるものとなった。

 

「ディアベルさん、無事でよかったぁ!」

「本気で死んじゃったのかと思ったぞ、この野郎が!」

「ホント、心臓に悪いですよ。こんなの」

「よかった。本当に、よかったよォーー……」

 

 口々に、彼の生還を喜んでいた。

 そして、その頭や肩に仲間たちの腕が当てられていた。中には少々加減をわきまえないものもあったが、隣のリンドがしっかりと支えていた。

 仲間たちにもみくちゃにされたディアベルは、「もう勘弁してくれよ、こっちは生き返ったばっかりなんだぞ」と言うが、止むことはなかった。ちらりとリンドに視線を送るが、いつもは忠実な彼も、今回ばっかりはそれを見て見ぬふりでやり過ごす腹らしい。それを見て小さくため息をつくと、為すがままにされることにした。

 

「まあ、及第点はもらったんじゃないのか?」

 

 ディアベルと仲間たちを近くで微笑ましく見ていたエギルは、そう言うと自分の横手に指差した。

 そこにはキバオウの姿が、先程からじっと何かを言いたそうに固くなっていた彼が、挑むようにディアベルを睨んでいた。

 

「キバオウも、無事でよかっ―――」

「よかないわい!!」

 

 予想していた答えと違って、ディアベルは、ポカーンとキバオウを見つめるだけだ。

 その怒声に、周りの者も押し黙った。

 

「わいはあんさんがてっきり、死んでもうたと―――」

 

 言い終わる前に、その目からポロポロと大粒の涙が溢れていた。それらは、頬を伝ってゆっくりと流れ落ちるという過程をごっそりと無視して、目尻から吐き出されように外に出た。

 一つ一つの粒は、現実ではありえないだろう指の爪サイズの大粒だ。加えて、液体としての縦横無尽な滑らかな動きはなく、シロップのように緩やかに動いていた。これが、現状最高の解像度を誇るゲームたるSAOの限界だ。少しというかかなりの割合で、液体環境の不首尾がキバオウのその感情を描くのを阻害して、逆に観る者にとって少々滑稽なものだと思ってしまうであろう光景にしてしまった。

 ゴシゴシと、腕を目にこすりつけるかのようにして、こぼれ落ちる涙を拭った。

 

「キバオウ……」

 

 すまない―――。そう続けようとするディアベルを、またもやキバオウの怒鳴り声が遮った。

 

「生きとるんなら生きとると、はよ言わんかい! こんのボケナイトが!!」

「ななッ!? そんなこと、無理に決まってるだろう?」

「じゃかましいわ、根性みせんかい! あんさんナイトやろうが。そいとも……、ちがうんかいな?」

 

 問いかけに含ませたものに、周りの者たちも察したのか、空気が暖かいものへと変わっていた。ソレが、少々芝居じみ過ぎていたと突きつけてくるようで、難しい顔になってしまう。

 しかし、その中で一人ディアベルだけは、意気消沈した。驚きそして己のうちへ何かを問いかけるかのように、呟いた。

 

「そう、なのか……? ナイトだったらできて当然……、だったのか」

 

 最後にガックリと、肩の力を落としながらため息をこぼした。言葉をそのまま、自分の未熟を指すものとして捉えてしまったらしい。悔しそうに恥じるようにうなだれた。

 ドッと、皆の笑いが引き出された。

 

 湧き上がった笑いに、戸惑うディアベル。なぜ笑われているのか理解できずオロオロと、ソレがさらに笑いを引き立てる。

 それで釣られて、しかめっ面を浮かべ続けるのも変だと思ったのか、苦笑した。全く、そんなに笑うなよな……。

 

「あんさんも大概なお人やなぁ!」

 

 そう言い捨てると、笑いの渦に飲み込まれていった。腹を抱えながら大口で笑う。

 そうだそうだ、この半熟ナイトが! ……と、他の者たちがはやしたてる。それがまた、笑いを盛り上げた。その中で一人、ディアベルだけは苦笑し続けた。

 彼らの笑いはしばらく、止むことはなかった。……もう数分前の葬式など、影すら残っていない。

 

 

 

 

 

 第一層フロアボス戦、犠牲者0。

 それがこの戦いにおける、最大の報酬だった。

 

 




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ボスエリア ゲーマーの孤独

 

 

 ボスエリアの奥、怯えと妬みの視線を背に狭い螺旋階段を上がった。コツコツかんかんと、足音が鳴る。不思議にも響いてくる、恐ろしく静かだからか……。

 ほかに誰もついてこない/独りであることを自覚させられる、そうするように仕組んだ……来るはずなどない。俺なりの/βテスターとしての責任の取り方、コレでプレイヤー間の争いの芽は潰した。

 皆の不満と恨みを背負う、そう決めた。だから―――構わず登る。

 

 

 

「―――待って!」

 

 覚悟をきめたのに、声をかけられた。女性の声/よく見知った声音。先まで隣で一緒に戦っていたパーティーメンバー。

 思わず振り返った/振り返ってしまった。

 

 そこにいたのは、こんなゲーム世界にいるはずのない美少女。完璧という言葉を形にしたかのような女性プレイヤー=【アスナ】。

 腰まで届きそうな栗色の髪に、スラリとしたスタイル。立ち姿は絵にして飾っておきたいほど。凛とした風情からタキシードでも着せれば美少年にでもなりそうだが、所々にある女性らしい丸みがそうさせない。今着ているような、長旅用の茶色のフーデッドマントですらそれを匂わせている。フードをとってしまえば、それがいや増して意識されてしまう。

 小さなたまご型の輪郭に、キリリと引き締まった細い眉/意志の強そうな透き通った瞳。この世界の再現限界かもしれないが、彼女なら現実でもきっとそうだと思わせるほど傷もシミも一つもない眞白な綺麗な肌。ほんの少しだけでも微笑まれたら、男女構わずたちまち虜にしてしまいそうな顔立ち。だが今その顔は、不機嫌さを顕にしてしかめられている。会った時からずっと、ハリネズミのように全方位に警戒心を撒き散らしていた。

 

「……来るなって、いったはずだぞ」

「言ってないわ。死ぬ覚悟があるのならついてこい、てだけよ」

「それは『ついてくるな』って意味だ」

「そうだったの? 私にはそう聞こえなかったわ」

 

 それが何? と言わんばかりの無表情。こちらの拒絶など忖度するつもりがない=いつもどおりだ。

 苦笑がこぼれそうになったが、堪えた。今はそんな弱さを見せていい時じゃない/彼女まで巻き込んではいけない=しかめっ面を保った、コレはオレが/オレだけが背負わなければならない責任なのだから。ビギナーの/ネットゲーム自体初心者の彼女が背負う必要のないことだ。

 裏腹に睨んだ。なぜ来た?/今来たらどんな目に遭うかわかるだろ?/何でオレに近づいてきたんだ? ……おおよそ答えがわかっている繰り言を次いだ。

 オレの含みを読み取ってくれたのか/そもそも衝動的な行動だったのか、答えられず黙ってしまった。言わなきゃいけないことはわかっているけど、ソレを言ってはいけないこともわかっている、何と返事をすればいいのか用意していなかったことに気づいた。屹然としていた目が泳ぐ。

 しばらく黙っていると、言い訳がましく/やっと思い出したかのように

 

「……に、兄さんからの伝言」

「コウイチから……。何だって?」

「『こんな結果になってしまって残念だが、利用させてもらう。先の会議で提案したことを実行するよ。君がよりビーターらしく振る舞えるように仕向ける』……て」

 

 伝え終わると、バツの悪そうな顔をした。

 驚かされるも、すぐに理解して苦笑した。実にコウイチらしい……。ありがたいサポートだ、慰めや謝罪よりよほど気は楽だ。

 

「それだけ?」

「『【フレンド】からは外さない、いつでも連絡してくれ』てことも」

「そうか……。そいつは助かる」

 

 オレを【フレンド】から外さなければ、コウイチにもビーター疑惑がかかってしまう。ただでさえ、あの変異しようとしたフロアボスを寸前で倒してしまった功績がある。一応オレがハッキリ否定したが、勘ぐりは抑えきれないだろう。少しでもオレとの繋がりを断ち切って潔白を証明し続けなければならない。なのに、そんな危険を犯し続ける……。

 巻き込みたくないが、協力はありがたい。素直に受け取った。連絡を取り合うぐらいなら上手くケムに巻ける/すぐに【フレンド】を切れば証拠も残らない、との算段もあるが、それ以上の信頼感がある。……こころなしか、これからの不安が薄れた気がした。

 まだ躊躇いが晴れず黙ってしまうアスナに、そっけなく、

 

「それじゃ、もういいだろう? 先に行くから―――」

 

 これで話は終わり……。ちょっとした確認をしただけ、パーティーを組んでいたのだから当たり前のこと、皆への言い訳がたつ。不審がられることは少ないだろう。これで彼女はビーターたるオレと関わりなくゲーム攻略に勤しめる……

 そう思って踵を返すと、

 

「ま、待って! 待ちなさいッ! まだ話終わってないから!」

 

 アスナは追いすがるように、コートの裾を掴んだ/慌てて引き止めてきた。

 急に止められてバランスを崩す。振り返るとアスナの顔が、先よりも近づいた彼女が視界を占領していた。―――心臓が、跳ね上がった。

 息を呑む、顔が赤くなる。ふわりと甘い香りが漂ってきて、思わず顔を背けた。

 こんな近くで女の子の顔を見たのは、初めてだった。何より、無防備な彼女は今までと違って……。あらぬ方向に視線を向けてしまった。しまったと舌打ちするも、訂正するには遅すぎる。

 幸いなことに、彼女も同じようなことをしていた。いつの間にかコートを放している。すぐにいつものしかめ面に戻すも、顔の赤さの残滓を隠しきれていない。

 

 気まずい沈黙が流れた。

 互いに何を言えばいいのかわからない、どちらもコミュニケーション能力が乏しいことを露呈。ボリボリと意味なく頭の側面を掻く。

 それじゃ、サヨナラ……。脈絡はなかろうとも別れる=オレの目的には叶う。少しばかり締まらないが、はじめの一歩なのだからこんなものでいいだろう/諦める。そう言うとすると、アスナがコホンと仕切りなおしてきた。

 再び向き直る、今度は目を逸らさずに相対した。でもどちらも口火を切れない。また沈黙が流れそうになった。するとアスナがフゥーと、長い吐息を漏らし瞑目。そして「よし!」と気合を入れると、真っ直ぐこちらを見据えて、

 

 

 

「―――ありがとうキリト君。色々とレクチャーしてくれて」

 

 

 

 感謝を告げると、微笑みを向けてきた。

 

 拍子を抜かれてしまった……。

 言葉が出てこない。不思議なものを見るような目でパチクリと、ただ見つめ返した。

 

「あなたのおかげで助かった、あなたがいてくれて良かった。あなたがいてくれたから自暴自棄になってたのを止められた。それだけは……、伝えておきたくて」

 

 そう言うと、微笑みが苦笑に変わった。これが今の私の限界……。そう言わんばかりに恥ずかしそうに、だけどスッキリしたかのように満足している。

 何も言い返せずに、黙ったままその顔を見ていた。

 胸に堪えるものがあって、言葉が出てこなかった。そして図らずも、弱音までこぼれそうになった。彼女ならもしかしたら/ここで頼めば、一緒に来てくれるかも知れない……。

 寸前で堪えた。

 それはダメだ、彼女を巻き込んではいけない。コレはオレだけの問題だ―――。弱音を押し殺し、強がりを通した。

 

「……君は、強くなれるよ。剣技だけじゃなくて、もっとずっと大きくて貴重な強さを身につけられる。だから、間違っても一人で戦おうなんてするなよ。ソロプレイには絶対的な限界があるから」

 

 オレのようにはならないで欲しい……。先の戦いで見えた彼女の才能は、そんなことで潰されていいものではないのだから。彼女は、皆を率いるにたるリーダーになれる。それだけの輝きが彼女にはあった。

 アスナは静かに、見つめるだけ。真っ直ぐ射抜くように、オレの胸の内にある本心を抉りだそうとした。そして何かを見取ると、言おうか言うまいか悩んでいるのだろうか、いつもどおりのしかめっ面で恨めしそうに睨む。

 無言の意地の張り合い、先に折れたのはアスナだった。ため息を一つこぼすと肩を落として言った。

 

「……次にあった時、私をどうやって迷宮区から運んだのか、教えて」

 

 いいでしょ、そのぐらいは? そう言わんばかりにムッツリと、妥協できるのはここまでと不満顔で言ってきた。

 

「ああ、それだったら―――」

 

 答えようとしてふと、気づいた。次にあった時……。その言葉の真意が胸の中で谺した。噛み締める。

 代わりに断りを告げようとしたが、やめた。それに意味はない/言っても無駄だ。彼女がこれから前線で戦い続ける限り、オレともう一度遭遇することはありえる。目的地は同じなのだから、再会を避けることはできない。

 

「……わかったよ。次に会った時な」

 

 降参……。溜息とともに、力んでいた肩の力を落とした。随分と強ばっていたことに、初めて気づいた。

 オレのそんな様子に、アスナの顔が綻んだ。

 

「それじゃぁ、またね。キリト君!」

 

 爽やかにそう言うと、戻っていった。皆のもとへ。……心なしかその後ろ姿は、弾んでいたように見えた。

 

 

 

 彼女を見送ると、ようやく踵を返した。再び階段を登っていった。

 ほんの少し小走りに/彼女の残り香を振り切るように。今度こそ振り返らないように……。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 螺旋階段を登りきった先は、扉へと続いてた。踊り場はなく階段が天井まで続いている。この世界で作られた造語=古代エルフ語らしき文様/幾何学的な模様がびっしり書き込まれている天井、上層への扉<魔法陣=【階層門】。描かれた模様が仄かに淡いでいる/エネルギーが充填し待機状態に……アクティベートを待っている。

 そっと、手を触れた―――。

 予期していた硬質な反発はなく、ゼリーのような柔らかい低反発。手のひらを中心に波紋が波打つと、両手が天井にめり込んだ/溶け込んでいく。

 天井に消えた腕=冷ややかな感触/感覚そのものが薄れてしまったかのような……久しぶりの感触。知っていたのに不意打ち+感慨深い=相変わらず慣れない、相反する感情が新鮮な気持ちを保つ=新しい世界に踏み込むワクワク・ドキドキ感―――構わず進む、階段を登っていった。体すべてが、階層門の中に溶けていった。

 眩いばかりな真っ白な光、目を閉じても突き刺してくる/全身の感覚が一時、消え去った……。

 

 恐る恐る、うっすらと目を開けた。強い日差しが目を刺ししかめる/顔を背ける、手をかざした。今まで洞窟内でもあったのですぐには慣れない。

 なんとか持ちこたえていると、光に慣れてきた。しっかりと見開く。

 

 

 

 広大な絶景が広がっていた。

 

 

 

 見渡す限りの山、山、山脈。高原! 

 昔家族と旅行した北海道を思い浮かべた。それよりもなお広大&のびのびとしている。薄い雲かかっていてもおかしくない超高、空気もひんやりカラッと透き通っている。ここが城の中であることを忘れてしまう大自然が、そこにあった。

 うねる赤茶けた山々、所々に緑の草原が引き詰められている。遠くからでは詳しくは見れないが、そこには動く小さな点がいくつも。草原をゆっくりと移動しながら進み、止まりまた進む。美味しそうな草を求めてむしゃむしゃと、牛たちが暮らす。長閑な放牧風景だ。

 オレのいる場所は、山の中腹に切り立ってられた断崖。フロア全体を眺望できる絶景ポイント/βテストと同じ、下から続く階層門は見晴らしがいい小高い場所になっている=この異世界を楽しむための仕掛けだろう。……乗せられたくはないが、粋な計らいと言わざるを得ない。

 振り返ると足元には、先ほど見た天井の魔法陣がうっすらと光を放っている。足先をそこに付けてみると、波紋が再び広がった。水面に雫を落としたかのように、地面がたわむ。一見すると硬い地面があるように見えるが、一階層へと続く階層門だ。……こちらからだと罠にしかみえない。階段踏み外して下まで転げ落ちたりしないんだろうか……。

 心配は一瞬、すぐに切り替えた。ここから第二層にくるプレイヤーは、もういないだろう。

 

 谷間に見える街=第二層主街区【ウルバス】。

 一望したなかでも一際大きなそこまでは、遠くはない。ここから歩いても十数分もかからない。でもここが、【圏外】のフィールドであることには変わらない。気をつけなければモンスターに襲われる。

 フロアボス戦で疲弊してしまった以上、一度第一層の街までもどって回復するのが安全だ。そこで一ヶ月もかけてしまった教訓は、βの知識があるからといって侮ってはいけないということ。生き残ってゲームクリアするには、石橋を叩いて進むぐらいの慎重さが必要不可欠だ。……攻略に参加したプレイヤーは来ることはない。今ここには、俺一人しかいない。

 

「よし! さっさと【転移門】のアクティベートでもしてやるか―――」

 

 気合を入れなおすと、一歩を踏み出した。

 怯えや躊躇い<一人の気楽さを満喫=誰もいない異世界を堪能していると無理やり暗示。ただでさえ孤独なのだから、幸先ぐらいは晴れやかな方がいい。【ウルバス】まで歩きはじめた。

 しかし―――パキンっ!

 何かが砕ける音/不吉な嫌な音が、前進を止めた。枯れ枝でも踏んだのか……。

 踏み出した足を止めると、その上に小さな真珠が3つ、ポロリとこぼれ落ちてきた。赤茶けた地面に生える眞白な真珠。地面にまで落ち、上でコロコロと転がる。

 

「…………何だ、これ?」

 

 つまみ上げたソレを手のひらに転した。

 小指の爪程度の真珠、同じサイズで3つ、オレの何処かからこぼれた。……どこかで見たことがある。

 ハッと息を呑んだ。すぐさま首元を調べる、そこにあるべきアクセサリーの所在を確かめた。装備しているはずのソレを確かめる―――

 

「―――嘘だろ。こんなことって……」

 

 何も無い感触に、がっくりと肩を落とした。

 ウキウキさせた気分が一気に沈んだ。その場にヘタリ込んだ。涙までこぼれてくる……。

 

 首にかけていたアクセサリ=【生命の首飾り】=大事な命の保険。このデス・ゲームの中で最も必要とされる、殺されても復活できるアイテム。それが壊れて、手のひらの三つの真珠に成り果てていた。

 一縷の望みを抱いて真珠のアイテム説明を見るも、【首飾り】とは違う文章/違うアイテム名=【生命の宝珠】。

 食べるとHPの最大値をほんの少し上昇させてくれる消費アイテム。優れものだが、復活の力は失われていた。今のオレにはアクセサリの修復スキルはない、できたとしてもかなり高レベルまでスキルを高める必要がある、そもそも直せるのかどうかすらわからない代物だ。《耐久値》はほぼ無限大に近かったのに壊れた理由、あるいは変化した理由。どうして急にこんなものになったのか? 

 『第一階層でしか使えない』と見て、間違いないだろう。あるいは最悪、『第二階層に誰かが足を踏み入れたから』かもしれない。その場合は、全てのプレイヤーの首飾りが壊れているはず。

 ✕このまま黙って被害を広げる、○確かめる。……いきなり、切ったはずの人の縁を辿らなければならない。

 

「……はぁー、今日は色々とついてないなぁ―――」

 

 手を振って、メニューを展開。このことをいち早く知りたそうな奴に/伝えてくれそうな奴に連絡を入れる。―――【アルゴ】の名前をクリックした。

 

 メニューウインドウの上に、メッセージウインドウが開いた。新規メッセージの入力のためにホロキーボードを出現させようとすると、逆にメッセージが受信されているのに気づいた。

 メッセージを開くとそこには、

 

【大変な迷惑をかけたみたいだな、キリ坊―――】

 

 ……耳が早い、早すぎる。

 もうあのことを知っているだと!? 受信時刻は今からほんの数分も経っていない。ボスエリア前でハインディングでもしていたんだろうか? ……

 驚きが過ぎると、苦笑をこぼした。

 独りであることを覚悟すると、他人の優しさがよく染み込んでくる。真っ先にコレを送ってきてくれたことに、胸の内で感謝しようとした。

 

【お詫びに、情報をひとつタダで売ってやるよ】

 

 ……なんだと!? 無料、あいつが、あの守銭奴が! 見間違いじゃないよな……、確かにある。そう書いてあるぞ! ……今日は鼠でも降ってくるのか?

 こんな機会は滅多にない。是非とも秘匿情報を、個人情報を。できればあいつの弱点になることでも聞き出さねば、このチャンスを逃さず次につなげるためにも。感謝? そんなもんドブに捨てろ、こんなチャンス今度はいつ巡ってくるのかわからないんだぞ。これ以上ぼったくられる前に、今のうちに弱味を握っていれば―――。

 そこまで考えて苦笑した。目的を見失っているぞ……。

 他にメッセージはない。首飾りが壊れたなんて情報はない。受信時刻から推測するにオレが階層門を通る前だから、コレを書いている時点では何も起きていないはず。続いて何らかのメッセージが送られていないところを見るに、階層門を通っただけでは壊れないと推測できる。もし壊れたのなら、その原因であるだろう/トリガーを引いたであろう俺に連絡を取らないはずがない。感謝のメッセージを送ったあと、すぐにそんな確認を取るようなメッセージを送るのは気が咎める。なぁんて内気さ/繊細さは、アルゴらしくはない。

 階層門をくぐっただけで首飾りは壊れない。ならば次に考えられるのは『【転移門】のアクティベート』だ。

 

【《生命の首飾り》は二層に行くと強制的に破壊されて、《生命の宝珠》なるアイテムに変化してしまう。消費することでHPの最大値を微上昇させるアイテムだ。オレはそれを3つ手に入ったが、死亡していたら数は減っていたのかもしれない。登る際には注意するように呼びかけてくれ。

 あともしかしたら、転移門のアクティベート化だけでも破壊されるかもしれない。皆と連絡を取ってどうするか決めてくれ、それから《転移門》を開く】

 

 キーボードをタップし終えると、クリック―――送信。メッセージがアルゴに送られた。……結局こっちが、タダで情報を売ってしまった。

 なにか言われるかもしれないが、まぁいいだろう。今はいい案が思い浮かばない/欲しい情報はない。何より貸しを作っていたほうが、情報を得るよりも何倍もいいだろう。

 

 気を取り直すと、【ウルバス】への道を降りていった。駆け足で。

 『ビーター』を名乗った以上、それ相応の実力を備えておかなければならない。門を開通させるまでの2時間余り、相談する時間も鑑みればもう1時間はプラスだろう、その間このフロアはオレの独占状態にある。他プレイヤーたちと差をつけるためにも、できるだけ情報を獲得しクエストをこなす必要がある。

 新たに手に入れたコートをはためかせながら、山の斜面を駆け下りていった。

 

 

 




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2階層
ウルバス 開門


 

 

 第二層主街区【ウルバス】―――

 直径300メートルほどのテーブルマウンテンを外周部だけ残して掘り抜いて作られた街。第一層の【はじまりの街】とは違って、どこにでもあるようなRPGの街とは趣が異なっている。ある一つのテーマを背負っている街並み。

 『モーモーエリア』……と呼ばれている第二階層、牛の姿かたちをしたモンスターが跋扈しているだからなのだろう。どこかアメリカの西部劇を思わせるような街並み/カウボーイのような格好のNPCがそこかしこで歩いてもいる/木造の物見櫓やらキリキリと軋み音を鳴り響かせている巨大風車やらがニョキりと存在を際立たせている。コンクリートやレンガ積みではなく素材をほぼ加工せずに使っている木造の街並み。その有様はまだ『都市』とは言えないが、補うだけの人々の賑わいで活気に満ちている。自由と野心が入り混じった生き生きとした雑然さだ。

 そんな街の光景を、今だけは独り占め。まだ誰も第二層にはやってきていない=【転移門】が解放されるのを今か今かと待ち望んでいる。プレイヤーの参入で乱されていないこの街そのものの味わいを、堪能することができた。

 

 約3時間=【転移門】を開通させるか否かを議論し結論に達した時間。

 第10層まで(それ以上はβでは経験していないので不明)は、誰か一人でも順路とされている【階層門】から主街区に行き【転移門】を起動させれば、その他全てのプレイヤーがその階層へと転移できるようになる。下の階層の【転移門】と上の階層の【転移門】が繋がる=簡単に行き来できる。それはプレイヤーにとって恩恵ではあるが、できた道を後で塞ぐことができない(すくなくともβの10階層までは)。一度道を通せば自動的に第一層へ影響が波及する。各プレイヤーが持っているであろう【生命の首飾り】に対して悪影響が及ぶかもしれない。

 『復活機能』……保険を損失するのは痛い。

 1ヶ月あまりも第一層でくすぶってきた。クエストやイベントはやり尽くした/どんな危険なモノであっても手馴れてこなせるようになった。だけど、挽回させてくれるかそうでないかの違いはデカイ、精神的に/ちょっとした油断が命取りになりかねないために。アルゴへの伝言でそれを皆に伝えた/相談&対策を練ってアクティベートに備える=オレにはできなかったこと。

 返答が帰ってくるまで黙って待っている必要もないので、クエストをヤリ放題。場所と対策さえわかっていれば簡単にこなせる討伐系&お使い系クエスト、一人ではちょっとばかし危険だが今のレベルと装備なら問題ないお掃除系クエストやら。暇つぶし&実益も兼ねてこなしまくった。『ビーター』なのだから、他プレイヤーと差をつけなければならない。おそらくこれかソロで活動しなければならないのだから、少しでも強化しなければやっていけない。

 そして、ちょうどいいことにお使いクエストの完了間際/採れたての濃厚な牛のミルクを、人気カレー屋の働き過ぎなオヤジに届けるため街に戻ってきた最中。アルゴから連絡が来た。―――【開通OK】

 

【―――わかった。それじゃ今から開通する】

 

 ミルクを得たためか、いっそう威勢が良くなったオヤジの客寄せを傍らに、返信ボタンをクリック―――。送信した。

 「お前さんも食べていけよ、一杯だけならおごりだ!」との嬉しい提案をやんわりと断った。勿体無いが腹はすいていない、何よりここで皆を待たせるだけの度胸の持ち合わせはない。街に中心部にある【転移門】まで駆けていった。

 

 【転移門】。

 数段の階段が同心円状に囲っている噴水/人が寝そべって縦に5人は入れるぐらいだけど今は枯れている。何もない巨大な窪み、その底面には階層門にあったような魔法陣が刻まれている。線が淡く輝いている/中から漏れ出てているかのよう=解放の瞬間を今か今かと待ち望んでいる。プレイヤーが触れれば、たちまち門が開く。開通の有様は、噴出すると言った方がいいだろう。

 ゲートというよりも楕円形のタワー。俺がそこに手を触れれば、枯れた窪みから半透明な光の円柱が空へと伸び上がっていく。巨大な円ではなく円柱なのは、大人数が一斉に出入りしても対応できるように/全方位に出入り口を設けることで渋滞をなくすため。新しい階層の【転移門】が開かれた時は、新しい異世界を楽しむためか何百というプレイヤーがなだれ込んでくる/βテストですらそうだった。今回の場合は何千かもしれない。

 開通させるまえに用意/最終確認=逃げ道の確保。やってきたプレイヤーを観察しながらも見つからないであろう場所をあらかじめ見つけておいた、すぐに隠れられるようように/皆からの罵倒を避けるため。

 支障なし。腹を決めると、床に手を触れた。開通(アクティベート)―――

 

 底から光が、噴き上がった―――。光の薄膜が外周に出来上がる。

 光の紗幕の上、遅れて螺旋を描くように別の光が走り登った。それが幾重にも走り抜け上昇し何十もの光の筋を塗り上げていくと、頂上で合流した。半透明な薄膜は厚手のカーテンへと変貌/滑からな円柱状に固まった。全てはほんの数秒の間―――【転移門】が完成した。

 すぐさま逃走、隠れ家へ一目散―――。

 振り向かず逃げ込んだのは、教会の3階、全貌を見渡せながら見られない絶好のポジション。クエストにはほぼ関わりないためか/神聖な場所故か、おいそれと入ってこず細かく探索もせず長居もしない。ほとぼりが冷めるまで息を潜められる。

 

 門からチラホラと、段々とゾロゾロと、プレイヤーたちが溢れてきた……。

 予想通り大量。初めは何十すぐさま百を超え、気づけば広場いっぱいにプレイヤーが引き詰まった。

 プレイヤーたちは、キョロキョロと周囲を見渡す/まるで田舎出のお上りさんのように目を輝かせて。新たな街の風景を楽しむ、感慨に耽けっているのだろう。恐ろしいデス・ゲームの中とはいえ/仮想世界とはいえ、五感から伝わるソレは今まで見たこともない異世界。まず感動に圧倒されてしまう。皆目をキラキラさせながら、周囲を見渡していた。

 一通り彼らを観察してみると、ボス攻略に参加したプレイヤーがすくないことに気づいた。キバオウやオレをチーター呼ばわりしたシミター使いやアスナたちはいない。βで見かけたようなプレイヤーもいなかった。

 何で来ないんだろう? ……すぐさま悟った。

 それまで拠点としていたホームの撤収やら、フロアボス打破によって解放されたクエストとイベントこなしているのだろう。新しい階層が開放されたとしても/いち早く登ってそこのクエストを占領するよりも、そちらの方が利益が高い。そもそも、クエストの占領なら【階層門】からやってきた一番乗りのプレイヤー=オレがしてしまう。【転移門】の開通を待っている時点で出遅れだ。そこで時間を浪費するよりも、それまでの階層を見直した方が良い……と考えるのが実力者。大半のプレイヤーは物珍しを抑えられず上に登りたがるため、ほぼ衝突なしで効率もいい。

 ほっと一息ついた。まだビーターの役に馴染んだわけじゃない/ぎこちない演技を披露しなくて済む。オレと直接関わっていたプレイヤーが少なくて助かった……。

 後は人気が引くのを見計らって、ここから退散するだけだ。プレイヤーたちの流れに紛れて外へ、、特徴的なこの【コートオブ・ミッドナイト】を取ってしまえば気づかれることはないだろう。支障なく攻略を進められる……。

 

「…………ん? なんだあいつら?」

 

 広場で屯していた集団。そこから走り抜けた一人が、そのままオレのいる教会を横切り。そのまま街の外へと必死に逃げていった。

 その後ろを、数人のプレイヤーが追いかけていた。

 

 

 

「―――待てぇ、待ちやがれぇ!!」

 

 

 

 剣呑な怒声に、広場の集団も振り向いた。だけどギョッとし近づかない、まして止めようとはしない。―――皆武器を手に、怒り狂っていたからだ。

 手荒いことでもやりかねない危険な空気を、男たちはまき散らしていた。

 

「騙しやがって、勘弁ならねぇ!」

「執拗いぞ君たち、いい加減諦めろよ!」

 

 逃げるプレイヤー/おそらく男は、後ろを振り向かず必死に逃げ続けた。

 状況は不明、だけど危険なことは確か、主に追われている一人のプレイヤーが……。

 互いに逃げる/追うの追走劇に必死で、隠れていたオレには気づかずに横切った。だから、無視しても良かった/悪い意味で有名人なのでできるだけ目立たないようにすべきだろうが、野次馬根性だろう。奴らが教会を走り抜けた後/ギリギリ背中を視認できるまで離れた後、追いかけていった。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 【ウルバス】の外、長閑な高原の放牧風景……。【半圏外】だけどモンスターはほとんどでない。

 牛や羊などの家畜が、モンスターらしき似たような動物と呑気に草を食んでいる。オレが傍を走り抜けても気づかない/あるいはフリをして、無視してきた。ちょっかいを出さなければ攻撃しない穏やかなモンスターだ。

 逃げる男=何処かで見たことがあるようなプレイヤーは、高原を抜け正真正銘の圏外フィールドへ。新しいフロアにも関わらず歩みに迷いがない。逃走経路を確保している=初めての場所ではない=βテスター、だろう。……心配は杞憂だったのかもしれない。

 対して追う男たち/かなりの悪相・元はオレと同じような一般ゲーマーだろうに、この一ヶ月で何に遭遇/経験したのか……。だけど、フィールドに出たことで威勢は半減した。初めての場所への戸惑いが現れている/モンスターがいることにビビっている/張り上げる罵倒がなくなった。でも、報復心が勝り追い続ける。何としても捕まえんと突き進み続ける。……こちらの方が心配だ。

 

「皆さぁん! これ以上追ってくると全滅するかもしれないですけど、いいんですかぁ!」

「うるせぇー! もうてめぇの言葉なんて信じるかよ!」

 

 逃走劇は続き、ついには圏外へ=下草が生い茂る草原から赤茶けた岩肌がうねるフィールドへ/その奥の針葉樹が鬱蒼している森へ―――。

 

(ヤバイな。あの森に行くとなると……)

 

 警戒心が好奇心よりも上回ってきた。

 これ以上の野次馬は危険だ=いやがおうでも他人と関わることになる。これ以上近づけばまだ低レベルの【隠蔽】が見破られる。けど……見過ごせない。このままでは誰か死ぬかも知れない。

 一層から直接来たプレイヤーには、少々しんどいフィールドだ。出現するモンスターは動きが早く、森の中ではあるものの隠れる場所が少ない=見通しが良すぎる森=もしもの時に逃げ切れない。もう少し街で装備を整えてから来なければならない。……どちらも死ぬ危険がある。

 立ち止まりそうになったが……、腹を決めた。止まらない/さらに近づく。少し大きめの梢に身を隠してのぞき見た。

 岩壁を背に追い詰められた男性プレイヤー、それを囲む3人の悪相プレイヤー。逃げ場無い/ついに追い詰められた。だけど、どちらも肩で息をしている。

 

「ハァハァ、はぁ、はぁ……。ようやく追い詰めたぜぇ」

 

 囲んでいるプレイヤーの一人が、ニンマリと笑った。獲物を捕食する獣の笑。

 そして、手のひらを上向け差し出し要求してきた。

 

「さぁ、俺たちからだまし取ったアイテム、返してもらおうか」

「なんでそんなことしなくちゃならないんだ、アレは君らの落ち度だろう? 僕はただ、落ちていたモノを拾っただけだよ」

 

 群れからはぐれた草食獣が肉食獣の団体に襲われている図を想像していたが、違ったらしい。肉食獣同士の餌の取り合いだった。

 

「ふざけんな! てめぇのアドバイスに従ってやった結果だろうが。きっちり埋め合わせしてもらいたいねぇ」

「言ったアドバイスに嘘なんて無かったよ、人聞き悪い。ただ……、ちょっと説明を省いただけさ」

 

 そう言うと逃げた男は、おどけて肩をすくめてみせた。臆することなく怒りを煽る。

 見ているオレの方がソワソワされると、案の定ヤバさが倍増。危険な空気がさらにピリピリと張り詰めてきた。悪相の男たちの顔に青筋が立つ=噴火間近。

 ジリジリと囲みを閉じていった。腰に背中に帯びた武器に、手をかけながら。

 

「……どうしても、返さねぇつもりなんだな?」

「もともと君たちのモノじゃなかったからね。アイテムは手に入れた人のものだろ?」

「学校の先生か親に習わなかったのか? 嘘つきと盗人は地獄に堕ちます、てさ」

「おいおい、騙しているのはお互い様だろ? 君らだって、何人かビギナーを嵌めてボロ儲けしてたじゃないか。騙される方が悪いのさ」

 

 そう言うとニヤリ、余裕の/囲む悪相にも勝る底意地悪い笑みを見せてきた。

 逆に追い詰めたはずの男たちから、余裕が無くなった。目を丸くする、言い返せず代わりに息を飲んでいた。

 

「……一体、何のことやら―――」

「MPKなんて質が悪いなぁ。今まで何人殺してきたんだい?」

 

 すかさずの追求に、再び言葉を失った。動揺が広がる、目の前のこいつをどうしたらいいのか……戸惑う。

 だけどその一人、リーダー格と思わしき男が前に出てきた。

 

「お前には関係ない。その一人になるお前にはな―――」

 

 冷たく重々しくそう宣言すると、腰に掃いていた武器を/手斧を抜き出し構えた。

 手下たちもそれに従う。武器を構え、獲物が逃げるのを封じる。―――殺すことを、決めた。

 もはや猶予はない……。背中の剣に手をかけながらその場でしゃがむ=いつでも反撃できるように、空いた片手で転がっていた小石を掴んだ=名無しの第三者の仲裁で殺しをやめさせる。

 もしも、ここで起きたことを盗み聞きしていた誰かがチクったりしたら、今後彼らは永久に犯罪者として名指しされる。全プレイヤーから警戒されてしまう、今後誰の信頼も協力も得られない。どちらにとってもマイナスにしかならない。……そこまで頭が回る奴らであることを祈るだけ。ただもし、ソレを飲み込んででも彼を殺すことを優先する気概があるのなら、直接手をくださなくてはならない。……そこまで恨みを溜め込んでいなかったと、祈るだけ。

 

「どうやって俺たちの手口を知ったのかわからねぇが、構わねぇ。死人に口無しだからな」

 

 オレの祈りはあっさり砕け散った。……【投剣】の初動モーションを取る。

 

「大丈夫、僕も興味があったわけじゃないから。ただ、それが事実だってことを確かめたかっただけさ」

「そうかい、そりゃよかった。これで迷わず死ねるな」

「全くね! 人殺しからなら、遠慮なく奪える―――」

 

 そう言うと、人差し指と親指で作った輪を咥えた。大きく息を吸って一気に吹いた=指笛。

 甲高い音が鳴り響いた。

 森中に反響した笛の音、聞こえないものなど誰もいないほどの音量。例え……森に潜んでいるモンスターであろうとも。

 

 笛の音が収まると次の瞬間、騒々しい羽根音が降り注いできた。バサバサといくつも、舞い降りてくる―――

 恐る恐る見上げると、目を見張った。

 

 

 

 角を持った鷲/牛頭鷲身のキメラ。

 

 

 

 人を丸ごと持ち上げ飛べるほどの巨大さ、力強い羽ばたき。俺の背丈の倍ほどの高度で滞空しているが、真下の地面から土埃を上げている。立派な二つの巻角/機械のプラグのように鋒が前方に向けられている角を生やした牛頭、そこには鷲の鋭さに暴れ牛の重々しさが詰め込まれている。淡い朱色の瞳孔に墨色の強膜の瞳/投げ針よりもレイピアな分厚い鋭さを帯びた視線で、プレイヤーたちを見下ろしている。その口から漏れるのは、重低音の牛の鳴き声ではなく鳥の金切り声。耳を塞ぎたくなる/肝が冷える。何を言っているのかはわからないが、威嚇しているのはわかる。仰ぎ見ているプレイヤーたちを、威嚇している。

 

「な、なんだ! 何なんだよコイツらは!?」

「【ホーネッドホーク】さ」

 

 怯える悪相のプレイヤーとは正反対に、追い詰められたはずのプレイヤーは落ち着き払っていた。余裕を笑みを顔に張り付かせたまま、片手の中指を何もない眉間のあたりで上下させているだけ。

 罠に嵌めたプレイヤーは、感触のなさに戸惑うも、気を取り直し歌うように警告した。

 

「先に言っておこう。コイツらは、こっちの攻撃意思に従って反撃してくるだけなんだ。昼間だと目がよく見えない、音の探知もそこまでじゃない。ここまで近づかれても居場所は特定されない。

 でも、かなり手ごわい相手ではある。君らのレベルと装備じゃやめた方がいい、静かに逃げるのがベストだよ、武器なんて構えたら―――」 

「畜生ッ! またハメやがったな―――」

 

 恐慌した男たちは、警告を無視。逃げ腰ながら剣を構え……向けてしまった。

 チカリッと鋒が照り返す。ソレに気づいたモンスターたちの視線が一斉に―――、定まった。

 体が強張る/息を呑む。体中に緊張が走り抜けた=臨戦態勢を取ってしまった。悪いことはとことん重なる……。悪相たちは完全に、モンスター達にターゲットされた。

 一気に、滞空状態から急降下―――。分厚い鉤爪/鋭利な巻角を振り下ろしてくる。キメラ鷲たちが襲いかかってきた。

 

「わあぁぁぁッ!? く、くるなぁーーッ!!」

「ひ、ひいぃぃーーッ!!」

 

 喚き散らしながら武器を振るう。めたらやたら/ブンブンと、降下してくるキメラ鷲に向かって。攻撃を当てるよりも近寄らせないための牽制。

 だが鷲たちは、ひるむことなく/刃が当たっても構わず爪と角を突き落としてきた。プレイヤーほどの自重と急降下した運動エネルギーは、腰の引けた牽制などモロともせずに突き破っていく―――

 振り上げた武器は弾かれ、代わりに深々と体を抉られた。鮮血のライトエフェクトが宙に舞飛ぶ。HPが一気に4分の1ほど削り飛ばされた。

 弾かれた衝撃で【崩し】からの【転倒】、たまらず武器も【取りこぼし】した者まででた。

 

「……だから言わんこっちゃない」

 

 追い詰めれたはずのプレイヤーは、彼らの有様をニヤニヤと眺めるだけ。戦いに巻き込まれないよう壁沿いをそぉと移動していた。安全圏まで退避する。

 その間も、キメラ鷲たちの猛襲は続いた。

 ロックオン>急降下>鷲掴み/角を使って突進>急上昇、あるいは羽ばたきによる強風攻撃/耳をつんぐさむような【ハウリング】によるステータス減少攻撃。それらをランダムに繰り返す。

 悪相のプレイヤーたちは、ただ逃げ惑うだけ、悲鳴を上げながら必死に。皆で固まって互の死角を埋めるという機転/協力もない。リーダー格のプレイヤーは果敢にも向かい合い続けるが、カウンターは決まらず相打ちにもならず。吹き飛ばされダメージを貰うだけ。キメラ鷲たちの攻勢に為すすべもない。……このままでは、すぐにでも殺される。

 

 彼らは【ホーネッドホーク】の倒し方を知らない。

 この階層の平均から逸脱した強敵であるモンスターで、真正面からぶつかり合えば今のオレたちに勝ち目はない。そもそも、レベルと装備が整ったところで難しい敵。彼らの攻撃を真正面から受けて弾き返すには、少なくとも20レベルは必要だ。二階層で出てくる敵じゃない。

 戦い方を間違えれば勝てない/殺されてしまう。だけど逆を言えば、戦い方/ハメ方さえ心得ていれば今のレベルでも充分倒せる相手。ステータスはこの階層では強敵に位置しているため、経験値稼ぎの獲物になる。肉食ではあるだろうがレベルの高い獣系モンスターなため、そのお肉は食いごたえがあり美味しくもあるだろう。

 

 悪相たちのHPが、危険域の赤に染まってきた。

 もはや猶予がない/逃げることもできない。悪相たちの顔から色が薄れ、絶望に染まる。悲鳴すら上げることができず、来るべき『死』から目をそらすことに必死になっていた。

 このまま傍観し続けてもいいだろう……。オレは初めからここにいなかった=厄介事に関わらずに済む、聞こえてきた話では因果応報でもある=犯罪者が減ればゲーム攻略に集中できる。倫理や善悪を問われたとしても、見なかったことにするのはさほどそれらに抵触することではないだろう。関わるとリスクを背負うだけ、何もしない方がメリットがある。……その考えに、少しばかり心が動かされた。

 だけど、身体のほうが先に動いて―――飛び出した。

 

 【転倒】したプレイヤーを鷲掴もうと急降下するキメラ鷲、掴まれたら死ぬ。瀕死の獲物を仕留めるのに集中している猛禽―――。その隙だからけの横っ腹に、ソードスキルを放った。

 地面を滑るように駆け抜けるリニア感=【レイジスパイク】。掴む寸前のベストタイミング=奇襲カウンターの上乗せ。ぐジュゥッ―――。キメラ鷲の横腹に深々と、刃がくい込んだ。

 分厚い肉の感触、まるで巨人に握り締められているかのようなガッチリとした固定感。ソレが剣越しに伝わって来た次の瞬間……、甲高い/キメラ鷲の悲鳴があがった。

 闖入者に呆然となる全員。何が起きたのか/アイツはいったい誰なんだ/なぜここにいるのかと喚かれる前に、大喝した。

 

 

 

「―――オレが引き付ける。お前らは逃げろ!」

 

 

 

 助ける/逃がしてくれる、よりも、デカイ声が鼓膜を揺さぶったことによる反射行動。この世の終わりと縮み上がっていたプレイヤーたちは、叩き起こされた。

 目が覚めたように、突然の乱入者=オレに驚く悪相たち。何だ誰だと戸惑う。だがソレよりも、鷲たちのヘイトがオレに集まっていた。自分たちに向けられていた攻撃が止め置かれた=九死に一生を得たことにも気づいた。このチャンスを逃してはならない。―――生き延びる!

 感謝も告げず一目散に逃げた、脇目も振らずに。森の薄闇に後ろ姿が溶けていく……

 

 キメラ鷲=仲間を傷つけられ敵意満点。バサバサ羽ばたきケーケー鳴き声。だけど警戒しているのか、睨みつける/威嚇し周りを囲うだけ。攻撃するどうか品定め中。

 オレ=逃げたプレイヤーたちを見て唖然としていた。カッコつけてああは言ったものの、逃げずに共闘して欲しかった/してくれるものだと思っていた。倒し方はわかっているけど、流石に1対複数は怖すぎる。少しでも攻撃パターンを読み誤ればオレが殺される。せめて一体だけでも引き離して欲しかった。

 

(嘘だろ……。本当にこれ、オレ一人でどうにかしなくちゃダメなの?)

 

 ……助けたことをものすごく後悔した。

 だが、悔やんでいる暇はない。何とかしなければならない。……しなけりゃ死ぬ。

 

「き、君はもしかして……、キリトか!?」

 

 隅で観戦していた/MPKを仕掛けたプレイヤー=オレの姿を見て驚愕。幽霊でも見たかのように目をパチクリ、中指で何もない眉間をさするも、今度は何も無いことにも気づけなかった=余裕がない。

 オレ=ニヤリ。活路を見出した。

 

「どうして君が、こんなとこ―――ッ!?」

 

 カァンッと、小気味よい金属音が鳴り響いた。片手に握っていた小石を投げた>突然の投石に腰の剣を抜く>鞘からはんば程抜いた剣身で投石を防いだ。

 避けられない奇襲/ギリギリ対応できる攻撃/当てるつもりの投擲、だけどそこまで攻撃力はない=剣を抜かせるため。

 鷲たちの視線の一部がオレから外れた。……予定通りだ。

 

 石を弾き落としたプレイヤーもそのことに気づき、舌打ちした。罠に巻き込まれた/もう安全圏への退避ができない。

 だけど、すぐに気持ちを切り替えた。

 嵌められた動揺を押し殺しながらも、しっかりと剣を構え鷲たちを見据えた。待ち構えるように硬くならず/強張らず、ステップを駆使していつでも回避できるように膝を弛ませる。だけど、岩壁を背にしたそこからは移動しないように―――突進してきたらギリギリで回避し、壁に追突させ【気絶】させる=対【ホーネッドホーク】の必勝法。

 オレ=再びニヤリ、奴はちゃんと心得ていた。そして今回はちゃんと、モンスターに気づかれた時の対処策を持っていたらしい。

 

 

 

「協力してもらうぞ、【コペル】。一体ぐらいは仕留めてくれよ」

 

 

 

 【コペル】=第一層の【森の秘薬】クエストの最中、仲間を装ってMPKを仕掛けてきたクズβテスター。オレを囮にし楽して褒賞の武器をゲット/ライバルも葬って一石二鳥しようとした。だけど、嗅覚が敏感なモンスターであることを失念したため、逆に囮になってしまい殺された憐れな男……。

 【生命の首飾り】のおかげで、何とか命拾いしたのだろう。その後は別れて行方知れずだったが、まさかまた誰かにMPKを仕掛けているとは……。懲りないクズだ。

 

 コペルは、奥歯を噛み締めながら舌打ちした。オレに恨みがましい視線を向けようとするも、キメラ鷲の襲撃に備えて緊張する。……鷲たちと共闘しようなどという考えは、捨ててくれたのだろう。とりあえず今は、ソレでいい。

 オレを囲っていた一体が、突進のため羽ばたき上昇した。荒々しい羽音をまき散らしながら舞い上がる。

 倍ほどの高度を稼ぐと、そこから一気に滑空した。ソードスキルに似たライトエフェクトを纏いながら=何らかの技。逆放物線を描きながらコペルの元へ、その両の巻角で貫かんと突進していった。

 

 

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 【半圏外】/【半圏内】。
 昼間と夜、天候の変化、モンスターの数やヘイトの量など。特定条件を満たせばモンスターが入ってきてしまう【圏内】。圏外との緩衝領域。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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ウルバス 旅の仲間 烏

 17/11/23、タイトル変えました。


 

 消え入りそうな断末魔を漏らすと、鷲はようやく活動を止めた。最後の一匹。―――何とか撃退した。

 安堵の吐息を漏らすと、緊張が解けた。気づけば空は茜色に染め出していた=攻略に約2時間あまり/連携が取れればこの半分以下でできた=長丁場の戦闘、その場に腰を下ろそうと膝がよろける。膝を曲げようとした寸前に堪えた、剣を杖にして立ち続けた=ちょっとした強がり。

 傍らではコペルが、地面にへたり込んでいる。しぶとくも生き延びてみせた。

 【ホーネッドホーク】の末路=双角を岩壁に突き刺した間抜けな姿、それが計数体ほぼ一列に並んでいる。

 頭隠せず尻も隠さずの晒しもの。何体か経験値を獲得する前に素材アイテム化=鳥肉&鷲羽&巻角へと変貌/分解してしまっていた。終わってみればお笑いな有様だが、戦っている最中は全く笑えず。今もあまり笑えない。

 

 全ての背中に大量の傷跡=必勝法により隙ができた背中を攻撃した時つけた跡が刻まれている。ほんの二・三筋は胸のあたりに=角の突進攻撃を横スッテプ回避ではなく、懐への前方ローリング回避>回転斬りでつけた傷=ハイリスク&ハイリターンのカウンター。タイミングを誤れば大ダメージ必至だったが、何度か成功した。本来ならもう一時間はかかるところ、それで大幅に節約。ただしオレだけ。コペルは堅実に必勝法通りで倒した。……フロアボスのLAアイテムがあるため、オレには防御力に余裕がある。仕方のないことだ。

 長い激闘の末、二人共ボロボロ。今HPは黄色になったばかりで余裕はあるが、何度かポーションで回復。そのポーションは5を切っている。武装の耐久値はどちらも限界/壊れる寸前=鍛冶屋で修繕が必要。何より、長時間の緊張で精神が参っている。どこぞの美人さんではないが、お風呂に浸かってフカフカのベッドの上でグッスリと寝たい。満身創痍だ。

 オレ以上に極限を強いられたコペルは、肩で息をしながら喘いでいる。己が仕掛けた罠に二度も引っかかった不幸。そこからどうにか生き延びたことを、実感していた。

 彼にはマイナスの印象しかなく「ざまぁ!」と言ってしまえる間柄だ。……のだが、その限界ぶりはさすがに哀れみを引き起こす。オレが巻き込み仕掛けたとなると、なおさらだ。

 

 

 

「久しぶりだな、コペル。あの時は世話になったよ」

 

 できるだけ穏便に声をかけると、睨まれた。怯え二:不明四:怒り四。……こっちの腹を探ろうとしている、かな?

 

「……どういうつもりだ。何であいつらを逃がしたんだ?」

「目の前で人が死ぬのは目覚めが悪いだけさ。特に理由はない」

「盗み聞きしてたんだからわかってただろ? ああいう奴らなんだよ」

「お前と同じだな」

 

 できるだけやんわりと痛烈な返答すると、眉をひそめられた。怯え六:不明一:怒り三。……オレに復讐される、今そうなったらどうしようとでも思っているのだろうか? 

 それなら好都合だ。会話の主導権は握るに限る。

 

「……まず、あの時の謝罪のひとつぐらいして欲しいところなんだが?」

「何を謝るっていうんだ? 僕は囮にされ殺されて、君は必要なアイテムをゲットした。謝ってほしいのむしろこっちの方なんだけどね」

「自業自得だろ、策士策に溺れるとも言うかな。お前の知識不足が招いた事故だよ」

 

 残念ながら、愉快な事実ではないだろうけど……。失敗に向き合ってこそ成長できる。今回は死ななかったのだから、ほんのちょっとは前進したんじゃないかと思う。……間違った方向だけど。

 オレの肩をすくめながらの嘲りに、コペルは眉をピクつかせるもすぐさま平静に。何もない眉間を中指でこする。

 

「……で、何の用ビーターさん? 僕への腹いせ? だったらとんでもなく効果があったよ。これから先僕は、あいつらの復讐に怯えてくらさないといけない」

 

 どうしてくれるんだよ?=言外の非難/責任取れよ……。落ち着いて言っているが、含まれている意味はそんなもの。僕には一切の責任はないと、邪魔したオレが100%悪いと非難してくるだけ。

 図太い神経だ、あまりに太すぎて無いのかもしれない。巻き込んで悪かったなんて哀れみは吹っ飛んだ。

 だからオレの答え=知ったこっちゃない。

 

「それも自業自得だ。こんなデス・ゲームでPKなんてするからバチが当たったんだよ。……せいぜい背中に気をつけることだな」

 

 それじゃぁな……。踵返して、さっさと立ち去ろうとした。コイツにもう用はない。

 

「ちょ、ちょっと待て!? 置いてくつもりかよ!」

「そのつもりだけど?」

 

 それ以外に何があるって言うんだ? ……もうここにいる意味なんてない。というか、一緒にいたくないから。

 不思議そうな険悪の眼差しを送った。その拒絶ぶりにコペルは怯んだ。

 

「……そりゃいくらなんでもないだろう? 人の狩りに勝手に割り込んできたんだぞ、あとちょっとで仕留められたのに。責任ぐらいはとれよ」

「お前が人殺しの道に堕ちるのを止めてやった。善意の人助けじゃないか、責任なんて何もない。むしろ泣いて感謝して欲しいぐらいだ」

「PKやってるような人でなしなら構わないじゃないか。それに、奴らはこれからも続けるぞ。僕に罠に嵌められたことでもっと用心深くなる、次に会うときは厄介な犯罪者になっているはずだ。今のうちに切り捨てておいたほうが、皆のためになったんだよ」

「お前が言うと説得力あるな」

 

 まさしくソレはお前自身のことだからなと、最大限の皮肉をぶつけた。しかしコペルは、眉をひそめるも何も言い返さず、ただ交渉の糸口をみつけようとしている。

 少々大人気なかったこともあり、ダメ押しした。

 

「奴らがまずすることはお前への復讐だ。お前はそのことを知っているから、何らかの対策を練る。今回のことで奴らがレベルアップしたとしても、対処できるような何かをな。その二つがぶつかれば、どちらかが終わる。どちらも無傷では終わらないだろう。それでもまだ犯罪を続けようとするなら、その時オレが制裁をくわえればいいだけだ。……どうせ毒蛇同士喰らい合うだけなんだから、皆様の迷惑にはならないさ」

 

 ぐっと息が詰まる音が聞こえた。コペルは二の句が継げないでいた。余裕の笑顔が剥がれて動揺が露になっている。

 ここまでのようだった。別れを告げる。

 

「もういいよな? それじゃ今度こそ、達者でな―――」

「取引だ!」

 

 再びの引き止め。もう立ち去る気満々だったが、必死の叫び声に足を止めてしまった。

 いい加減にしろよ、オレだって暇じゃないんだ……。装備を一新してクエストをこなし迷宮区を踏破しないといけない。けど、これだけ消耗してしまった。すぐに修復しないとヤバイ。今回のコレは寄り道でしかないんだ。お前なんかに関わっている余裕はどこにも―――

 

 

 

「この層でとれる【エクストラスキル】の入手場所を教える。その代わり、僕とパーティーを組んでくれ」

 

 

 

 息を呑んだ/瞠目した。……今コイツ、何て言ったんだ?

 

「……エクストラスキル、だと? この階層に? そんなものβじゃ見たことなかったぞ」

「ほほぉー。ビーターのくせに、そんなことも知らなかったのかぁい?」

 

 コレは君の弱みだよな。……焦りが消えて戻った含み笑いが、そう伝えてきた。

 黙る/咄嗟に言い返せない、奥歯を噛み締めた。気の利いたはぐらかしもできなかった。ソレが真実だと教えてしまうことになってしまうが、エクストラスキルの衝撃がまだ抜け落ちていなかった。オレの知らない重要情報を、コイツが知っている。

 睨みつけた。腰を落とし背中の剣に意識を集中した。……もし、このことを言いふらしでもしたら―――

 

「安心してくれ、バラすつもりはない。バラしたところで意味がないし、テスター全員がまた不利な状況に戻る。君がビーターになってくれているのは、僕にとっても大助かりさ」

「……お前を助けるためにやったんじゃない」

 

 降参と両手を上げるコペルに、敵意を納めた。……理には適っている。一応そういうことにしておく。

 

「…………で、スキルの名前は?」

「【体術】だ」

 

 そう言うとコペルは、にんまりとまた含み笑い。むっつりと顔をしかめた。

 

「【体術】? 武器を使って戦うこのゲームでか? βでも使っている奴なんて見たことなかったぞ」

「知らないのは当然さ。見つけづらい場所にあるし、何より入手に数日単位の時間がかかるんだ」

 

 ふふ~んと自慢げな笑みを浮かべた。

 腹が立つ……。いつの間に形勢逆転、会話の主導権がコペルに移っていた。先まで立ち去る気だったのに、オレから興味以上の引き止めるに足る反応を引き出す=取引の場に引きずり止めた/止められた。

 少し危険な流れだ。釘を刺しておかないといけない。

 

「……情報提供者はいるぞ」

「アルゴだろ。あいつも知らないさ、僕以外では入手したテスターはいないんだから」

「どうかな、彼女ならそんなことでも探り出しているかもしれないぜ」

 

 方法はわからないが、そんな重要情報なら必ずゲットしているはず。このゲーム一の情報屋を名乗っている以上、そうしているはずだ。……入手している根拠は無いが、彼女のプライドとスキルは信頼できる。依頼すればすぐに見つけ出してもくれるはず。

 ただ、問題が一つだけ―――

 

「……まぁもしかしたら、あいつも知ってるかもしれないね。どこにそんな情報源があるかわからないけど。

 でも、知っていたとしてもだ、果たしてタダで売ってくれるのかな? 君がその情報を買うのは初めてだろうから、かなり値を吊り上げてくるかも知れないよ」

 

 ソレが問題だ。大問題だ。エクストラスキルの入手ともなると、尻の毛まで抜かれる可能性がある。

 時間を惜しまずくまなく探せば、見つかるだろう。だから、そこまで法外な値段を突きつけてくることはないだろうが、手痛い出費になることは間違いない。オレか他の誰かに情報を売った後、あの『攻略本』に載せて全公開してくるはず。それまで待つのも手だ。

 だけど、『ビーター』ならダメだ。誰よりも先に入手しておかないとまずい。オレに「知らなかった」なんて言い訳は無い。……出費は避けられない。

 迷っていると今度は、コペルがダメ押ししてきた。

 

「僕はパーティーを組むだけだ、他に何も要求しない。安いものだろ?」

 

 ほぼタダと同じ。こちらの損失はほぼ無い。だが……、だからこそきな臭い。

 コイツとパーティーを組むということが、何を意味するのか? 何故それだけで重要な情報を売るのか? ……アルゴに払うであろう金と同じ程度、あるいはそれ以上の何かがありそうだ。まったく善意を期待できない相手。

 

「……どうだかな? 高くつきそうな気がしてならないんだが」

「ナイナイ、考えすぎだよ」

 

 大げさな振る舞い/何かを誤魔化す素振りは……、無い。今この場では見えない。いたって普通の朗らかな笑顔だけ。

 だが、ソレに一度騙された。騙している現場も見た。二度あることは三度ある/三つ子の魂百まで。……目の前のコペルのアバターを別人が操作しているとでもなければ、変わりっこない。善意の施し/友誼の証のためなど有り得ない。

 九割疑いの目で見つめ続けると、軽くした雰囲気を拭き取るように真面目に言った。

 

「ビーターを名乗った以上、君はこれからソロでこのゲームを生き残らなくちゃならない。ズルしている君なんかを、誰もパーティーに誘おうなんてしないだろうからね」

「それはお互い様だな。パーティーメンバーを罠に嵌める裏切り者となんか、誰もパーティーを組んだりしない」

「アレはそうするだけのメリットがあったからさ。今回はそんなものない。僕らは互いに助け合えるよ」

「つまり、メリットがなくなれば同じことをするかもしれない、てことか?」

「まさか、君に同じ手は通用しないだろ?」

 

 悪びれもせずに言ってきた。誤魔化すことすら放棄しやがった。

 オレが引き気味に睨んでいると、落ち着かせるようなほほえみを浮かべながら言った。

 

「βテスターの一人として、感謝してる。そして申し訳ないとも思ってるんだ」

「……いきなりなんだよ?」

「君は無理して一人で責任を負おうとしてくれた。これから先トップにたち続けなくてはならない、本当は皆を圧倒するような知識なんてないにも関わらずにね。虚勢を張り続けなくちゃならない。

 でもソレ、必ずしもソロでやる必要はないだろ? トップでいればそれでいいんだから。一人では難しすぎるけど、僕がサポートすれば確実だ。同じくテスター同士なんだから、知識を補填しあえるしね。……少なくとも、足でまといにはならないはずさ」

「そのかわり、背中に気を付けなくちゃならないけどな」

 

 じろりと、睨みつけた。情を利用して油断させても無駄だと、警戒心を露に向けた。

 心外だとばかりにムッとされるも構わず、 無理にでもこの場から離れようとした。

 

「いつ裏切るかも知れない奴とパーティーを組むなんて、願い下げだね! まだビギナーと組んで足を引っ張られた方がマシだ」

「わかったわかった、あのことなら謝るよ。ゴメンね、ゴ・メ・ン! ちょっとばかり考えたらずだったよ」

「それは、『次はもっと上手く罠を張ってから仕留める』て意味か?」

「『君とは敵対せずに友好関係を結ぶべきだった』て意味さ。裏切るべきではなく協力すべきだったよ。それだけ僕に対して被害妄想を抱えられるぐらいならね」

 

 一言多い、妄想じゃなくて事実だ……。匂いについて知っていて別の方法を取られていたら、殺されたのはオレだったかもしれないのだから。

 言い返そうとしたが……やめた。責任のなすりつけ合いなど、どこまで行っても平行線/時間の無駄だ。この提案を本気で蹴飛ばしたいわけでもないので、今までの文句はこれで打ち止めでいいだろう。

 

 出された取引の条件を改めて見直してみた。

 悪くはない。エクストラスキルを入手し、さらにはβテスターのパーティーが手に入る。ソロよりもパーティーメンバーがいた方が攻略の効率は上がる、2・3人ぐらいならプラスにしかならない。

 性格が良いわけでも友情か義理があるわけでもない。むしろ恨みや疑いが多分にある。けど、その知識と能力は期待できる。二度のMPKの罠/その末路を見るに、オレなら対処できる。もし裏切って罠に嵌めようとしても、切り抜けられる隙が必ずある。

 吟味した答え=了承。ただし、条件付き。

 

「情報が先だ。お前が教えたその場所で【体術】を入手できたのなら、パーティーを組もう」

 

 報酬を先にもらってから。その後にパーティーを組むかどうかは、オレを信頼するしかない。報酬だけもらって捨てるかもしれない。コペルにとっては不利な条件だろう。だが、これ以上は譲れない/譲るつもりはない。

 

「OK、それでいいよ」

 

 迷わず即座に了解/案に相違した。

 

「……本当にいいのか? お前にとってはかなり不利な条件だが?」

「取引には信頼関係が重要だ。でも僕は、一度君を裏切ったわけだからね。そのぐらいの不利なら飲み込むさ」

「オレがスキルだけもらってサヨナラ、とは考えないのか?」

「そういう奴なら、そんな忠告しないよ。それに何より、あんな奴らを助けに飛び出したりはしない」

 

 君は必ず、僕とパーティーを組んでくれる。絶対に裏切ったりしない。……そんな確信に満ちた声が、聞こえてきたような気がした。

 別の他人ならこそばゆくなるものの、裏切り者に言われると眉をひそめるだけ。言質を取られたかのような/裏切らないような布石を置かれた嫌な気分だ。今のところは条件通りにするつもりではあるが、その気分を一掃するためにスキルだけ貰ってポイッしてもいいんじゃないと思えてしまう。それをやってしまうと、コイツと同じレベルに格落ちするけど。……これがコペルの狙いだろう。

 大きくため息をついた。肩からも力が抜け落ちる。……不承不承だが、了解。

 

「それじゃ、取引成立だね―――」

 

 朗らかにそう言うと、片手を差し出してきた=握手を求めてきた。

 差し出されるも無視、あからさまに拒否した。

 

「馴れ合いたいわけじゃない」

「ビジネスライクの関係、てわけだね。……まぁ、そっちの方が僕ららしいか」

 

 あっさり手を引っ込めた。

 もう「僕ら」なのか? と喉元まででかかってきたが、ギリギリで抑え込んだ。いちいち目くじら立てては、これからやっていけない。

 

「それじゃ、すぐにでも行こうか!」

「待てよ、まずは装備品を修復しにいかないと」

「ウルバスに戻るの? 今はまだプレイヤーたちがたくさんいると思うけど、いいの?」

 

 君は有名人/ビーターで、あそこに行けば大勢のプレイヤーに顔を晒すことになるけど? どんな目に遭うか想像はつくだろう? ……オレの状況を察しての助言。

 ごもっともだ。コイツの前で認めるのは嫌だが、オレの心臓と面の皮はそこまで強くない。今のウルバスは、オレにとって迷宮区以上の危険地帯だ。

 

「ここからそう離れた場所じゃないんだ。入手の際に戦闘があるわけでもない。でも時間はかなりかかる。入手してからウルバスに戻って修復すればいいさ。

 日が暮れる前に行こう―――」

 

 そう言い切ると、先導していった。オレもそれに従う。

 装備がギリギリなのは不安だが、戻って晒しものになるよりかはマシだ。ほとぼりが冷めるまでの間、ほとんど誰も知らないスキルを入手できるのも良い。―――先を急いだ。

 

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 コペルの性格は、拙著の独自解釈です。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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中間層
喪失


 かつて書いたモノを、大幅にリメイクしたものです。


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 デス・ゲームが始まって2年が経とうとしていた。最前線はまだ46層、ようやく折り返し地点が見えてきた時期。

 βとビギナー、スタートラインの不平等は均される仕組みを構築/実行してきた。βで踏破された10階層、フロアボスを倒すたびに攻略参加プレイヤーと一定レベルの希望者に全ての所持アイテムと所持金を『喜捨』させた。レベルとスキルは残るので第一層からやり直し、というわけでは必ずしもないが、皆そこからリスタートする。

 誰もが予想した通り攻略スピードは落ちた/足枷でしかない/先頭で引っ張った方が早かったはず……と思いきや、全体の底上げになった。フロアボス撃破によって何度も何度も始めから往復させられることで、その姿が皆に見えた。始めからスタートさせられる、にも関わらず、そのほとんどが次のボス戦に参加し撃破していった。常識的には「あり得ない」その事実に、何より彼らの攻略姿勢に、全員が奮起させられた。「次こそは彼らの仲間入りをする」と、安全な圏内から飛び出していった。攻略参加総人数/機会が増加した副産物として、攻略速度も上がっていった。ゆえに、10階層を越えて喜捨はつづけられた。

 しかし、25階層=初のクォーターポイントで、ソレは変わった。それまでの常識を超える尋常でない強さのフロアボスとの戦いで、喜捨システムの金庫番を任されていた最大ギルドが変質してしまった。この浮遊城アインクラッドの経済システムを攻撃するための『プレイヤーが独自につくった通貨』を保有アイテムと金以上に大量に発行してしまった。ソレはまたたくまにプレイヤーやNPCたちにも呑まれ流通し、攻略で致命的な傷を受けた最大ギルドは回復した。そして、それ以上の『強権』を持つに至った。プレイヤー皆がその強権の実在を確信し、膝を屈した。

 喜捨システムは25階層で打ち止め。すぐさま対策に乗り出すも、一度走り出してしまったソレは止められなかった……。今までの全てと縁を切り、少数先鋭による攻略が再開された。そして/ゆえに、プレイヤーの中に明確な実力差が区分された。

 

 【待機組】―――

 主に第一階層の【始まりの街】付近で屯しているプレイヤーたち。現実世界からの救援を待ち続けている集団。ほとんど安全な【圏内】から出ようとせず、下層域で生活を続けている。百にも満たない少数派だ。

 【攻略組】―――

 前線の迷宮区の踏破とフロアボスの撃破を目指す、フロントプレイヤー。未知の領域を掻き分けていく危険に満ちている。新しいモンスターとの戦いは死闘と言ってもいい。オレがいる場所。こちらもひとにぎりの少数派だ。

 【アインクラッド解放軍】/通称【軍】―――

 このゲーム内の最大ギルドで、構成メンバーは千に達している。直接のメンバーではないが下部組織として追随しているギルドを合わせれば、三千人は超えている。

 先の25階層の大打撃により前線開拓よりも組織力強化を優先、加えて根城である【はじまりの街】から10階層まで=【転移門】を使ってノーリスクで移動できる範囲を管理/支配すること=何時どんな場所・どんな状況であろうともすぐに手助けできるシステム作りに力を注いできた。その結果、【圏内】レベルとは行かないまでも、モンスターが活性化する夜であっても/適正レベルに達していないプレイヤーでも【圏外】に出られるレベルまで安全になった。流通路の整備・維持やモンスター出現エリアも綺麗に整備されて、物や人の移動が驚く程楽になった。……しかしソレは、かの強権=『通貨発行権』を握るまでの話。

 【アインクラッド解放議会】/通称【議会】―――

 【軍】から独立した数十人あまりの中規模ギルド【議会】……と、言われている。詳しい実態は誰も知らない、わずかに知られている構成メンバーは『沈黙の誓』を強要されているので探ることもできない。影の支配者たち。

 彼らの手により、NPCたちのみならずプレイヤーたちにも支配システムが強要された。【軍】や下部組織全てを支配下に収めている特権階級だ。今までプレイヤーたち全てが積み上げてきた流通システムをまるごと強奪したため、攻略組とはいえその力を無視することができない。実力行使で屈服させようとするも、低階層では攻略組は動きが取れない。その階層の標準を遥かに超えるレベルの身体と装備の維持ができない=低階層は大気や大地に含まれている『力』が薄すぎる、【軍】が握っているモノを使わない限りは。ゆえに/情けないことに、彼らを駆逐するための新たなシステムを構築しているも、目下従わざるを得ない窮状。

 【準攻略組】/【脱落組】―――

 【議会】の支配からはんば独立しているが、攻略組までは届かない尖兵。あるいは、支配の煽りを受けて待機組へと落ち込んでいく敗残者たち。または、危険極まりない最前線での戦いから身を引き/逃げて、【議会】の一員か【軍】の幹部となった元攻略組たち。

 本来は、攻略組が雑ながら切り開いた道を綺麗に均してくれるプレイヤーたち。【軍】の支援を受けつつ攻略組が獲得した情報をもとに、堅実に力をつけていく人々。いずれ攻略組の一員になるか【軍】の開拓員となるかしてくれる。デス・ゲームの危険をスリルとして=通常のVRゲームとして楽しめる場所、前線開拓に嫌気がさした攻略組プレイヤーが、戻ってくる場所……だった。

 

 そんな中層域に位置する一ギルド=【月夜の黒猫団】。

 ソロで前線を戦い抜くことに疲れて=言い知れぬ虚しさを感じて=自分がその一助となって作り出してしまった地獄からわずかでも救い出すためにも、身を寄せてもらったギルド。

 現実でも知り合い同士の少人数、レベルも装備もそこそこでしかなかった。だけど、互の信頼関係はどのギルドにも負けない、アットホームな雰囲気でこのデス・ゲームを楽しんでみせていた人たち。

 ギルドの一員になったオレは、恐れていた虚しさが癒されていったのを感じた。埋め合わせてくれる何かが、彼らにはあった。彼らと共に戦い何かしてあげれれば、ソレは確かなものになる。またゲームクリアまで戦い抜ける力/どんな危険であれ飛び込んでいける勇気/この世界に来て良かったと心より思えていた始まりの純真さが、蘇ってくれるはず。そんな確信があった。

 でも……全ては夢だった。今も頭からコベリついて離れない、悪夢になった―――

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 吹き荒れる風を押しのけ、【ケイタ】の罵倒が突き刺さった。

 

 

 

「―――ビーターのお前が、僕たちと関わる資格なんてなかったんだ!」

 

 

 

 瞳に憎しみと怒りを滾らせながら、そう糾弾した。

 それは全くの事実で、責められてしかるべきで、疑いようもないことだった。オレがもっと早く自分のこと=彼らよりも遥かに上のレベルと装備を持っていることを話していれば、こんな結末にはならなかったのだと思う。

 こんな……ギルド全滅なんて結末は。

 

 最前線で生死の境を綱渡りしている毎日、いずれ訪れるであろう運の尽きを予感しながら、まだオレの番じゃないとタカをくくって一日をやり過ごす。すでに攻略が作業になり始めた頃から、はじめの必死さや奇妙な異世界を冒険している高揚感が薄れて、今日を無事生き延びた幸運にも感謝することを忘れてしまった。残ったのはただ……虚しさだけだ。

 今までとこれから、消費した/消費されるであろう年月と労力を考えてしまうと、オレは一体何をしているんだと疑いたくなってしまう。ゲームクリアして生き延びたとしてもその後、オレに待っているのは何なのか……考えてしまう。

 例え嘘をついてでも、前線に残るのは嫌だった。どんどんこの世界を広げていっているはずなのに、その度にオレは窮屈になっていた。広げれば広げるほどオレの罪も膨らんでいく、歯止めが効かなくなった【議会】が犠牲者を作り続けた/今なお作っている。こんな地獄があとどれほど続く、コウイチは50階層で挽回すると言うが……確証はない。

 うんざりだった。孤独の恐ろしさが身に沁みて/道理の通じないバカどもに嫌気がさして、腹の奥底から叫んでいた。―――こんなのはもう、沢山だ!

 気づけば、ビーターとしての責務を放棄していた。そして、彼らとともに生きようと自分を誤魔化していた。

 しかしその嘘が、彼と彼らを破滅させた。

 

「……君ならば、助けられたんじゃなかったのか? それだけの強さを持っているのなら、助けられたんじゃないのかッ!」

 

 血を吐き出すような罵倒。いや、懇願しているようにも見える。理不尽な現状が受け入れられず、ただ単純な答えが欲しくて。

 何も言い返せなかった……。今オレが口にするすべてが、言い訳にしかならない。

 何もかもオレのせいだったのだ。オレの嘘が全て裏目に出てしまった。正直に話していたら彼らは生きていたかもしれなかった。オレの『悪い予感』に重みがついて、みすみす罠にかかることなどなかったはずだ―――。後の祭り。正体をバラした後が怖かっただけだ。

 

「それなのに、どうしてッ―――」

「ケイタ!?」

 

 最後まで言い切らず、駆け出していた。新しいギルドの新居から、もはや誰も来ないそこから飛び出していった。

 オレも、追いすがるように駆けだした。今は=あんな錯乱状態では、一人にすることは危険だとの経験則と直感から。このフロアは彼にとってそこまで注意を払わなくてはいけない場所ではないが、油断すれば根こそぎに全てを奪ってくる。それがこのデス・ゲームだから。……追いついた後の事など、考えずに。

 レベルやスキルの熟練度からして、スタートダッシュに遅れても追いつけないことはなかった。このような追跡と捕獲のクエストも、数多く受けてきた。だが、例えその背に追いついたとしても、なにを言えばいいのかわからなかった。どうしたいのかもわからなかった。ただ、例え憎まれ恨まれていたとしても、一人になるのが怖かっただけだ。失った命を背負う重責を、少しでもいいから免れたかった。

 その気持ちが、ケイタとの微妙な距離を保たせていたのかもしれない。

 

「待てケイタ! 待って……待ってく―――ッ!?」

 

 そしてそれは、取り返しのつかない距離だった。

 

 

 

 フロアの縁。その背の向こうには、どこまでも晴れ渡った蒼穹が広がっていた。

 

 

 

 浮遊城アインクラッド。

 地上から遥か離れた空に揺蕩うこの鋼鉄の塊は、どういうわけだかどのフロアも開放感に溢れている。閉じられているフロアなど、今のところない。

 βの時、そしてこの本仕様にダイブして間もない頃は、閉塞感を感じさせない気持ちの良い空間だと思ってしまった。デス・ゲームなどというものを仕掛ける倫理感の欠如は置いといて、この世界に無数に存在するオブジェクトや風景などのディティールへのこだわりは、さすが天才と唸ってしまう出来だった。このゲームがもしこんなことにならなかったら、後進のプログラマー/デザイナーたちの頭を抱えさせる不朽の名作になっていたことだろう。プレイヤーがただ見るだけしかない「外」の風景まで現実に見まごうレベル、それ以上の=無機物の『命』が浮かび上がっているほどの明瞭さで作りこまれているのだから。

 だがその時からオレに、ソレを堪能する余裕はなくなった。

 それは監獄に施される、囚人に対する見当はずれの優しさ=生殺しにさせ続けるための心理誘導でしかなかったのだから。ソレと何一つも変わらないものだった。縁には細い縄で作られた進入禁止の動線が引かれているが、それ自体は破壊不能オブジェクトではない。ほんの少し力を込めればちぎれてしまう、取ってつけたような言い訳だ=忠告はしたんだから悪いのはお前らだ。

 そんなものが、最後の歯止めだった。

 

「ケイタ、頼む。……早まるなよ」

「なあ、キリト。最後に答えてくれないか?」

 

 最後に……。不吉すぎる言葉に息を飲まされた。

 先程までの誹りようが嘘のように、穏やかなほど静かな声。底も天井もない蒼穹を背にしながら、そこに半歩足を踏み入れながらまっすぐ、オレを見つめてきた。

 

 

 

 その瞳を、今でも覚えている……

 

 

 

 焼き付いている、といったほうがいいかも知れない。

 ソレは、最前線で戦っているプレイヤーに見られる目。自分のHPが残りわずかしかなく、目の前には凶悪なフロアボス/後ろには仲間が、しかし援護は望めない。彼らもまた、自分と同じような状態になっているのだから。わずか数メートルしか離れていないが、手が届かない長すぎる距離。そこに一人、置き去りにされてしまった。―――そのプレイヤーが、仲間に見せる瞳だ。絶望という言葉を形にしたような瞳。

 ソレを向けられるたびに、何か言わなければならない/しなければならないという切迫感に支配される。だけどできないということは、少なくともオレの中には答えはないということはわかっていた。ウンザリさせられるほど、わからされてきた。

 だからケイタの言葉(ねがい)に、答えてやることができなかった。

 

「もし、あの場にいたのがお前じゃなくて、僕だったら、助けられたのかな……皆を?」

 

 静かに問いかけてきた。たぶん、血を吐くような思いを込めて。

 答えは……今でもわからない。確かなことは何も言えない。オレは、あの迷宮区の情報を知っていてレベルも格段に高かったが、何も言えなかった。だからと言って全てを把握していたわけではなかった/不測の事態だった=自分の嘘をバラしたくなかった。残念ながらあの時、あれ以外の答え方が出来たとは……思えない。

 彼らと一緒に行動すると決めた時から、決まっていたのかもしれなかった。いつかは話そうと思っていたが、彼らが少なくとも上位プレイヤーに成長してからだと決めていた。それならば、お互い少しは戸惑うかもしれないが、最後は笑って受け入れてくれるんじゃないかと期待していたから。対等になれば、嘘をついた事も帳消しになると計算していた。そう……計算していた。

 ソレは甘い見通しだった。オレはこの異世界において絶対不可侵の『強者』だと錯覚していた、こんな低階層ならヌルゲーだろうと見くびってしまった、自分だけならいざ知らず仲間がいるのに。それだけの……ことだ。

 

「僕だったら、助けられたか? 皆を?」

 

 口を開きかけるも寸前、こらえた。沈黙し続けた。

 どんなことが弾みになってしまうか、わからなかったから。いや……正確に言おう。答えられないだけだった。

 オレの代わりにケイタがいたとしても、結末は同じだった。そのときはかなりの確率で全滅しただろう、とは言えなかった。メンバーからの信頼はオレよりも厚いかもしれないが、個人的な技量と指揮能力/情報量が欠けていた。仮にその差を対等にまで引き上げたとしても、オレが生き残れたのは仲間の死骸を盾にしたからだ。死んだ仲間の死骸を【石化】させて壁にした。ソロプレイにおける不意の包囲戦での防御手段。ただの圏外ではモンスターのモノを使えるが、迷宮区では仲間のモノしか使えない=仲間を強制的に壁戦士(タンク)に変えてしまう。その決断(卑劣さ)はケイタには……難しい。

 だから無理だろう、と。そんなこと言えるはずもなかった。

 オレは、事この期に及んでも嘘つきだったから。辛い現実から目を背けていたかったから。……一人ぼっちはあまりにも、寂しすぎたから。

 

「…………話をしたいならこっちに来てくれ、ケイタ。そこは……危険だからな」

 

 言えたのは、それだけ……。

 

 オレのそんな言葉に失望したのか、ケイタはその場で瞑目した。

 卑怯なことに、チャンスだと思った。

 今ならケイタをそこからこちらに引きずりこめる。その後暴れるかもしれないが、それはステータス差でどうとでもなる。そこから少しでも動かすことができれば、それだけでことは足りる。そう―――足りるはずだった。

 再び見据えられたその瞳を、見なければ。

 

「やっぱりお前は、クソ野郎のビーターだな―――」

 

 金縛りに遭ったかのように、見入られてしまった。

 その間隙にケイタはそのまま、背後へ倒れ込んだ。

 

 ふわりと、その体が地面から離れた。何もない青い空へと、踏み出した―――

 

 

 

 頭の中が一瞬、真っ白になった。

 

 

 

「よせ、ケイタァぁぁ―――!!」

 

 出遅れたがオレはしかし、この身に備わった力の限りを尽くして/ソードスキルの爆進力も利用して、その革製の鎧の裾野を掴んだ。

 間に合った―――。

 

 だが、失念していた。ここが仮想世界のゲームの中でしかも【圏外】だということを、完全に失念していた……。

 【盗み】スキル以外で、他人の装備品を直接触ることはできない。それは形を持った物体ではなく、一定のダメージ判定が自分のアバターに届かないように防ぐための、目に見えるが実際には存在しないフィルターでしかないからだ。鎧のみならず衣服もまた同じだ。ここでは「攻撃」という手段でしか、オレたちプレイヤーは触れ合えないようになっている。

 ゆえに、この手は何も掴んではいない。

 

「―――あ……」

 

 だから、掴んだはずのその手は、虚しく空を握っただけ。

 

 後はただ、起こるべくことが起きた。

 

「ケイタァァァァーーーーーッ!!」

 

 ケイタはオレの手をすり抜けて、空に落ちていった。どこまで下に、あるはずのない地上に向かって……落下した。

 はじめの一階層ですら、点になるほどの距離を落下して初めて消滅が確認されていた。その時いた階層では、どの地点でケイタが消滅したのかはさだかでない。

 でも/だからといって、フロアの縁から一歩踏み出した者の末路は変わらない。セーフティーネットなどというものは、どのフロアにも設置されていない。

 

 

 

 奇跡は、訪れなかった……。

 【月夜の黒猫団】は、ケイタを最後に消滅した。

 

 オレはただ、呆然とヘタリこんでいた。フロアの縁で、その先にある余りにも青く綺麗な空を見つめながら、ただただあいつが行ったであろう場所を見つめていた。おそらくは何時間も……。

 そこから立ち去れたのは、ただの習慣だ。自分のアバターの耐久値が減りすぎて、HPゲージを微減少させるまでになっていたからだ。仮想世界だからといって空腹を無視し続けると、色々な状態異常やバットステータスが付加されていく。HPの微減少もその一つだ。……ソロのオレには慰めをかける者など誰もいない。

 変化するHPバーを見て、反射的に体を起こすと、安全圏まで動かしていった。よろよろと、まるでゾンビのように/まさしく『生きた死体』であるかのように。……だからなのか、モンスターに襲われること/殺しにかかってくれることなど、なかった。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 それからは何もする気が起きず、ただ蓄えを減らしていくだけの毎日=引きこもりニート状態。寝て起きて、時々食べて、ぼぉーと時間が過ぎるのを待つ繰り返しだ。

 なにも考えたくなかった……。そんな怠惰な生活を繰り返していても、攻略組として積み重ねてきた懐の金は充分すぎるほどだった。フィールドに出て、狩りをする必要すらなかった。ホームと食材店を行き来するだけだ。

 ゲームクリアすること、ビーターとしての責務を負うこと、あの男に一泡吹かせてやること―――。全てがどうでもよかった。このまま消費し続けて、一階層の広場にいる「待機組」の仲間入りをするのもいいかもしれないと、本気で考え始めていた。

 そこから抜け出せたのは、ひとつの偶然。一筋の希望だった。

 

 

 

 クリスマスに起きる、特殊イベント。そのボス【背教者ニコラス】は、この世界ではもはや存在しない『蘇生アイテム』をドロップする……かもしれない。

 

 

 

 眉唾物の噂かもしれなかった。この世界の創設者の悪ふざけかもしれなかった。プレイヤーたちの願いをあざ笑うための、趣味が悪すぎる趣向かもしれなかった。希望を見せて叩き落とす、食いついたアホウ達の顔をみて馬鹿笑いする。……それらを考えると、かなり腰が引けてくる。

 でもそれ以外に、この苦しみから逃れる術がわからなかった。

 

 出来るだけの準備は整えてきた。

 寝る間も惜しんでレベル上げに従事した。その副作用で頭の奥底でズキズキと鈍痛が響いている。だが、気にしなければ戦闘に支障はない。むしろ今の心理状況だと、そのぐらいの痛みがあったほうが冷静になれる。経験値稼ぎと同時に貯めた金を使って、武装に強化も施した。

 単独だったらもはや誰にも、負けない自信があった。ただ、ソロで年イチのフラグMobを狩るという、無茶を通り越して自殺行為であることを抜きにして。

 『死に場所を求めている』というヒロイックな考えに突き動かされている、わけではない。奪ってしまった【黒猫団】の命の重責を、少しでも軽減したかっただけだ。オレは今でも腹の奥底では、死にたくないと思っていた。他の誰がくたばろうとオレだけは生き残る。どれだけ窮地に追い込んでもオレの生存欲求は、その難所を無事に生き残る方策をひねり出し続けてきたのだから。

 

 

 

 その生き汚さの先にあったのが、この場所だ。

 【背教者ニコラス】が現れるであろう奇妙に捻くれたモミの木。普段は枯れているが今は降雪で眞白な小さな花を咲かせているその大樹の前に、一番乗りでやってくることができた。

 予定されている出現時刻まであと……数分。ほかのプレイヤーはまだ誰も、ここには来ていない=まだボスは誰にも狩られていない。

 うっすらほくそ笑んだ。ただコレは、神様というよりは悪魔の僥倖だろう。気持ちを引き締めて一歩を踏み出そうとした。

 すると背後で、転移時特有の音が鳴り響いた。透明な空気が歪み幾つもの波紋を広げていった。

 

 振り向くとそこには、色とりどりだが同じような鎧武者姿のプレイヤーたちが、戦意をまとわせながら歩みでてきた。装備と振る舞いを一瞥しただけだが、全てが高レベルのプレイヤーであると示している。

 その中心には、赤い武者鎧に身を包んだ野武士=オレがよく見知っている男がいた。

 

 

 

「―――尾けてきたのか、クライン」

 

 

 

 背後に現れたプレイヤーたちを引き連れた男に、趣味の悪いバンダナで赤髪を逆立てているクラインに、言った。オレの数少ない……友人。

 いや、もう旧友と言っていいかもしれない。ここに来たということはつまり、ボスを狩りに来たということだから。もし本当にそうならば、オレのやることは……一つだけだ。

 『ボスは一人で倒す』。それだけは決して、譲れないことだから。

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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49階層/迷いの森 モミの木の前で 前

 

 35階層【迷いの森】―――

 雪積もるその古き森は、幾つもの区画に分かれその結節点は常にランダムで書き換えられている。そのため地図なしでは、到底攻略することはできない。目的の場所にたどり着く頃には、予定された時刻はとっくに過ぎ去っていることだろう。

 その深部にある、ねじれたモミの木。葉や花も生えていない枯れた巨樹だが、パラパラとまばらにおちてくる雪によって、その枝と幹が白く化粧されていた。そこに、今回のイベントボス【背徳者ニコラス】が出現する。……そいつはオレが欲しているモノを、持ち合わせているはずだ。

 

(もうすぐだ。もうすぐ君に……、会える)

 

 たどり着いたこの場所で、ようやくそれを胸の中で吐露した。

 そう。どっちにしてもここまで来れば、あと数時間もかからずに彼女にもう一度会うことができる。オレが行く/彼女に来てもらうか、あまり違いはない。どちらにしても、あの時聞けなかった言葉を聞くことができるはずだ。命消えゆく最中、「守りぬく」と安請け合いしてしまったオレに残した言葉……。きっと恨み言であるはずだ。

 

 再会の謝罪を考えながら、巨樹の前でその時を待っていた。

 すると背後から、テレポート時に鳴る少し低い鈴の音が響き渡ってきた。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 足首にまで届くほどの雪、そこをザシュサシュと音を立てながら踏みしめられていった。

 足音から判別すると複数人だ。しかも皆、雪道用のブーツに換装/通常のブーツを【改造】をしているのか、伝わってくるその音にはブレがない。靴底はちゃんと地面を噛み締めかつ雪に足を囚われることもない、安定を保って歩行していた。

 いくつも鳴り響いていた足音は、オレの後ろ数メートルのあたりでぴたりと止んだ。

 背を向けながらもちらりとそれらを一瞥する。そこには、予想していた闖入者たちの姿があった。

 

 

 

「尾けてたのか、クライン」

「……まぁな、こっちには追跡の達人がいるんでな」

 

 悪びれずもためらうこともなく、趣味の悪いバンダナを巻いた侍姿のプレイヤー、クラインが言った。……かつてオレが見捨ててしまった、親友になれたかもしれなかった男。

 その周囲には、色とりどりの武装を身にまっとった、しかし一様に戦国時代の武者さながらの姿を想像させる出で立ちのプレイヤーが屯していた。

 

 ギルド【風林火山】―――

 クラインがリーダーを務める20人足らずの小規模ギルド。ギルドの【旗章】もかの戦国武将が使ったモノをアレンジしたものだ。『攻略組』の一角を担う前線プレイヤーたち。

 リアルの仲間同士が中核となっているが、途中参加したプレイヤーもいる。加入条件は互いに気に入ったかどうか。レベル差等の審査基準は原則として設けてはいないらしく、かなり実力差があるプレイヤーも『支援要員』として使っている。カラーリング等でほかのギルドと差別化を図っているわけではないらしいが、名前や装備が和風か中華風コーディネートに統一されている、特にクラインを含む『戦闘要員』たちは。

 攻略組の一角を張るだけあって、装備や立ち振る舞いに隙がない。使いこなしてもいれば統率も取れている。わかりやすい指示がされているわけではないのに、どんな場所から攻撃を受けても対応できる布陣だ。それが実に自然体で、常にそうしてきたと言っているかのような雰囲気。趣味と見た目は別として、プレイヤーとしてのステータス・スキル全てが高水準にあることは間違いない。中央に立っているクラインも、一ギルドのリーダーとしての風格を身にまとっていた。

 ただ、リーダーの無精ひげを生やした野武士ヅラ、激戦と苦労が刻まれ【はじまりの街】で会った時の陽気さは影に潜んでいる。ソレと大差ない腹の座った顔つきの仲間たちも含めると、野盗のような社会のはみ出しもの集団みたいにも見えてしまう。2年間も一緒に戦っているとそうなるのか/初めからそうだったのかわからない。だが彼らのリーダーの風貌は、他プレイヤー達からどういうギルドに見られるのかをわかりやすく表していた。……彼らの名誉のために言うが、犯罪集団でもそれを積極的に犯そうとする思想の持ち主ではない/その逆だ。

 

 黙ったまま、クラインの周囲にいる仲間を見わたした。その中の誰が、オレに気づかせずに追跡したのかを確かめるために。

 他の誰かに追跡されないように注意を払ってきた。このモミの木の前=【ニコラス】が現れるはずのここに一人でくるために、誰にも邪魔されたくなかったから。

 ホームに帰らず拠点を転々とさせて、ギリギリ間に合う時間でそこから出発した。ここ【迷いの森】に到着したあとも、どうしても残ってしまう【足跡】を散らすために、あえて遠回り/【足跡】を正確に踏み直しながら逆走/【足跡】がつかない木の上を忍者のように飛び移りながらして目的地をかく乱してきた。細心の注意を払いながら、ここまでたどり着いた。

 だがそこまでしても、分かる者にはわかってしまうものだ。このSAOでは、【隠蔽】スキルが【索敵】スキルよりも劣った効果しかないように、どう認知させない/錯覚させ続ける詐術が追われる者に必要とされるように、逃げ隠れは二の次だからだ。そもそもプレイヤーは『魔王』を仕留めるためのハンター、逃げる敵を捉え戦い勝つスキルと能力が求められている。

 加えてオレ自身、足跡の攪乱は苦手だ。それの効果を試すことなどわずかだった。クエストでそのようなことを要求されたのでやり方は覚えていたが、相手はパターン化された単純なAIだ、【足跡】や体臭などをしつこく追ってくる猟犬を相手どったことはない。教本通りのスニーキングしかできない。

 あの程度だと、これが限界なのかもしれないな……。舌打ちの代わりにため息をついた。追跡者を暴き出すのは諦めた、ここまできてしまったら手遅れだ。

 黙ったまま睨みつけていると、クラインが口火を切った。

 

「キリの字、ソロ攻略とか無謀なことは諦めろよ。俺らと合同パーティーを組め。蘇生アイテムはドロップさせた奴のもので恨みっこなし、それで文句ねぇだろ?」

 

 上等すぎる提案。たぶんギリギリの妥協/さらに下の懇願とでも言うような言葉だ。あまりにも下手に出すぎている……。

 すぐに分からされた。クライン達はオレの『事情』を知っている、泣きついたわけでも誰かにぼやいたわけでもなかったのにどうやって……。彼らに教えた犯人にも、すぐに目星がついた。ここにクラインたちを導いて何をさせたかったのかとも……邪推してしまう。

 お節介だと呆れ/余計なお世話だと怒りも湧いてこなかった、ほんの少し胸が痛んだだけ。それでも、オレの心は変わらない。クラインの妥協は、オレの求めているものではないから。

 拳を固く握り締めながら、塞き止めていたモノをそのまま、吐き出した。

 

「……それじゃあ、意味がないんだよ。オレ一人でやらなくちゃ……ダメだ」

「一人でやれば死ぬぞ。おめぇであっても、な」

 

 オレのわがままに、クラインはさらに眉を引き結んだ。全くの正論が虚しく消える。

 いつものオレなら、自分の子供っぽさに恥じ入って、舌打ちするも抑えきって謝っていたことだろう。冷静にならなければ死ぬ戦場では、否が応でも大人な態度になる。だが今は、ひどく煩わしい、相手の『正しさ』が鼻に付いて仕方がない。クラインの常識的な態度は、オレとは決して分かり合えないという証にしかみえない。邪魔なだけだ。

 どず黒い感情がこみ上げてくる。周囲の風景同様に、全身を冷徹なモノに変えていくのを感じた。すると手が、自然と背負っている愛剣の柄を伸びて、掴んだ。

 一気に緊迫が、軋みを上げるほど膨れ上がった。

 

「―――バカな真似はよせキリト! そいつを抜いちまったら、取り返しがつかないことになっちまうぞ?」

「どっちがだ?」

 

 嘲るように挑発した。オレと同じく、腰に帯びた刀を掴みながら答えたクラインに/彼の仲間たちに向かって。

 奴らは敵だった。同じ獲物を刈り取ろうと狙い定めて、ここに来た。

 

(―――斬るか)

 

 自問ではなかった。物騒な決断が平然と、頭の中に浮かんだ。

 単独では簡単だが数で圧倒されるとか、勝つとか負けるとか、生きるとか死ぬとかどうでもいい。オレの目の前から、邪魔なアイツ等を今すぐ排除したい。

 あまりにも研ぎ澄まされすぎた頭が、オレの中から常識や倫理といったものを根こそぎ排除していた。

 だが、剣を抜き出す寸前―――今一度鈴の音が鳴り響いた。

 

 クラインたちの背後の空間、さきほど彼らが通ったそこが奇妙に撓んだ。静かな水面に小石を落としてできた波紋が、幾つも広がっていく。一つ一つは綺麗な真円形を描いていた波紋だが、互いにぶつかり合うことで歪む。フラクタルな荒立たしさになっていた。

 その震源、降り積もる白の雪に覆われた地面と接してい場所から、一つ二つと人影が現れてきた。みるみる内にその数は増えてゆく。10ではきかず、その倍は優に超えた数のプレイヤーが、出現してきた。

 一人一人、身にまとっている鎧や手に持った武器は違っている。だが、青に近しいカラーリングで統一されている集団。クラインたちとは違って日本や東洋系の武装というよりは、西洋の騎士か傭兵のような出で立ちのプレイヤーたち。ただその誰もが、銀糸で縫われた奇妙なエンブレムが入った腕章を、右腕につけている。

 それらの意味していることは、たった一つだ―――

 緊迫な静寂が、一気に慌ただしくなった。

 

「お前らも尾けられたな」

「……ああ、そうみてぇだな」

 

 舌打ちするクラインに先までの気勢が削がれ、柄を握った手をほんの少しだけ緩めた。だが、さらに混迷してきた状況に対応するため、警戒は怠らない。

 【風林火山】の面々の顔にも、警戒の色を濃くしていた。彼らにとっても闖入者たちは、予期せぬことだったのだろう。動揺で隊列に隙が見えてくる。しかし、流石と言っていいが、致命的と言えるほどのものではない。……オレがこの場から抜け出る隙は、見せてくれない。

 

「頭、まずいぞ! 【聖騎士連合】(ラウンドナイツ)だ。しかもあの腕章は……本隊ときてやがる。奴らが来てるってことは―――」

「んなこった、見りゃァわかるわい!」

 

 仲間の注言ににクラインは、いらだちを隠すことなく答えた。

 

「こいつらがいるってことは、『ナイト』様のご降臨ってわけだろうがよ!」

 

 闖入者たちを威嚇するように吠えると、空間の歪は最後の波紋を震わせた。続々と出現する騎士たちの中でもひときわ異彩を放つ3人が、現れた。

 

 一人は、かの幕末で活躍した壬生の狼とでも言うような出で立ちの武者姿、水色と白の羽織に紺色の袴、その下に胴巻きと足甲・手甲を覗かせている動きやすい軽装。その腰には、クライン同様の刀が一本差してある。無骨で飾り気のない柄と鞘だが、そこに秘められている刃の攻撃力は、俺の愛剣にも匹敵するほどの業物だろう。小さな二つの角が生えているヘッドギアを額に巻き、その上には毬栗のようなツンツン頭が乗っている。そして、喧嘩上等とでも叫んでいるような腹の座った面構えと眼光で、敵のみならず仲間をも萎縮させている。―――【聖騎士連合】副長の一人、キバオウだ。

 もう一人は、頭から足先まで全身をトゲだらけの深いブルーの鎧で覆っている騎士。全身これ武器とでも言う装い、色合いからも「聖騎士」というよりは「暗黒騎士」といってもいいような凶悪さだ。動くたびに関節部から、カチャカチャ・ギシギシと軋ませている。その背には短槍が、鉛筆削りで限界まで尖らせ銛のようにささくれ立たせた刃のソレが、計4本覗いている。槍というよりも巨人用の矢だ。加えて両手にも、同じものが握られている。これ以上ないというほどの重武装だが、今はその兜と面貌が外され頭を外気にさらしている。その顔は、争いなど見たこともない若き神父とでもいうような優男。―――もう一人の副長、リンドだ。

 そして最後は、青と白で彩られた優美な全身鎧を着こなした騎士。その明るめの色合いからも鎧に着られているようにも見えてしまうが、兜なしの鎧から覗くその風貌は、本当に同じ時代の日本で生まれた人間なのかと疑うほどの、中世の若き騎士だった。血筋と家柄も、王家かそれに近しい高級貴族だと言われれば納得してしまうであろう爽やかな美形。腰に履いている両手剣と背中にしょっている盾が先祖伝来の武器だと言われたら、素直に頷いてしまうことだろう。なんで仮想世界にダイブしようとしたのかわからない、くるべき場所を間違えた美男子。―――【聖騎士連合】を束ねる団長、ディアベルだ。

 【聖騎士連合】副団長二人と団長。このSAOにログインしている、今は数千のプレイヤーの中でもトップ10には間違いなくはいるであろうプレイヤーたち。加えて言えば団長は、今の段階では『最強』という形容詞がついてしまうほどだ。かの44階層で手に入れたスキル【降魔剣】を、唯一扱えるプレイヤーだから。

 

 彼らの到着と同時に、先触れとして現れた騎士たちが一堂整列した。

 軍隊並みの統率に、驚かされた。ここは仮想世界で雪降り積もる森深くだが、ひどく現実感に乏しいものに見えてしまう。

 彼らは皆オレと同じように、協調性に欠けるネットゲーマーであるはずだ。しかも、前線で活躍するコアなゲーマーでもあるはずなのにこの規律正しさ。1階層の【はじまりの街】を根城にしている【アインクラッド解放戦線】(通称【軍】)のように、上下関係を矯正/強制させているわけではないだろうに、皆が彼らを中心にしたがっている。そこに躊躇いや恥じらいも見えない。

 そんな、皆が皆目の前の非現実的な風景に気圧されている中、クラインが前に歩み出た。

 

「おうおうおうおうッ! ご大層な人数集めやがって。こんな寂れた場所で宴会でも開こうってのか!」 

 

 彼らに負けじと吠えた。

 その姿は、残念ながら、三十路になっても反抗期を忘れられない大きな子供のように見えてしまった。見た目同様に盗賊の親分の啖呵だ。今にも焦燥感と罪悪感で押しつぶされそうだったが、その姿に唖然とさせられてしまった。……ほんの少しだけ、人心地つけた。

 だからではあるが、彼のその勇ましさには素直に賞賛を送った。……ただし、胸の内だけ。

 クラインに応じるように【聖騎士】側からも一人、キバオウが歩みでてきた。

 

「そいだったらこの3倍は集めとったわ! うちは、お前らみたいなはしっこいギルドと違って、やるんやったら盛大に圧倒的にやるんやで!」

 

 大声で啖呵返しした。

 距離10数メートル離れた雪降り積もる深い森の中、その間には数十人の完全武装のギャラリーがいる中互いに声を張り上げる。その姿は少々、いやかなり前近代的な/むしろ戦国中世的な光景だったが、そもそもココは現代とは程遠い未開発で未開拓な危険な森の中。むしろ様になっていた。

 罵り合いが幸をなしたのか、互いに歩み寄り距離を詰めた。二人に釣られて、互いのギルドメンバーもまた近づいていく。

 そして、互いの顔がはっきりと見て取れる距離まで歩み寄った。ただし、突進技のソードスキルでもギリギリ詰めきれない間合いで、止まった。

 

「こん前はうちのもんが世話になったそうやな、クライン。いい勉強させてもろうたわ」

「おうよ! あのクエストはありがとよ、キバオウ」

 

 キバオウの噛み付きをクラインは、柳のように躱しながら笑って答えた。

 

「お前が送ってきた手下があんまりにも間抜けすぎて、おりゃァお前からのプレゼントかと思っちまったよ。……あんな三下どもで俺たちを止めようなんて、舐められたもんだぜ」

 

 鼻息を鳴らしながら、得意げに言い切った。

 その皮肉は、キバオウよりもその後ろに控えている武者姿のプレイヤーたちが、重く受け止めていた。……たぶん彼らこそが、クラインの言った「三下」たちなのだろう。

 歯噛みし何かを言い返してやろうと牙を立てようとするが、できなかった。キバオウが彼らを制した。そして、いきり立ちながら睨みつける彼らを背に、口元を歪めながら切り返してきた。

 

「全くやな。計算違いやった……。あん程度のクエスト一つ取って喜んでるような奴とは、思はへんやったわぁ」

 

 ピキリと青筋を立てるクラインをよそに、背後の部下たちが隊長の嘲笑をニヤニヤとはやし立てた。

 

「欲しかったのならまたくれてやるわい。ウチみたいな大所帯だと、あんなもん取られても痛くも痒くもないんでな」

 

 そこには、浮かんでいるはずの強がり・ハッタリ等の嘘は見い出せなかった。腕を組みながら気持ちふんぞり返るようにして、クラインを見下すようにしていた。

 

「……減らず口を―――」

「まぁ仕方ないんじゃないんですか、キバさん! コイツら別のところで金かけてますんで、いっつも金欠なんですよ!」

 

 そんなキバオウの余裕を打ち砕こうと再度爪を立てるも、横手から割り込まれてしまった。キバオウの後ろに控えてて、クラインが「三下」呼ばわりしたプレイヤーたちの一人だ。前に進み出て、クラインにわざと聞こえるように言った。その顔に浮かんでいるのは、酷薄な笑み。……ただし「三下」臭いものだ。

 部下の援護に少し眉を顰ませるも、すぐに何か思い至ったのか、口元に邪な喜色を浮かべながら続けた。

 

「……ああ! そうやったそうやったな

 モテへん奴は辛いのぉ、クライン。一体幾らあのアバズレにつぎ込んだんや?」

 

 ピキッと亀裂が走った。

 どこかにヒビが入ったのではなく、クラインの頭の中にある毛細血管かそれに類する何かだ。だからそれは、本来聞こえるはずのない聞こえてはおかしいはずの音だったが、確かに聞こえた。オレだけでなくたぶんこの場にいた皆の耳に、それは届いたはず。

 ソレとわかるほど全身をブルブルと震わせた。ここが雪が降り積もっている深い森の中だからではないことは明白だ。外の寒さというよりも、中の熱が彼の沸点を超えてしまったことによるもの……有り体に言えば怒りだ。

 

「言うに事欠いて、このガキが。俺らのことならともかく、あの人のことをアバズレよばわりたァ……許さねぇ―――」

「頭抑えて、抑えて!」

 

 キバオウを殴りかかろうと拳を振り上げると、仲間の一人=ユキムラと呼ばれたプレイヤーが止めにかかった。他の仲間も続いてリーダーの暴走を留めようとする。

 怒りで沸騰していたクラインは振りほどこうともがく。

 

「止めんじゃねぇよ【ユキムラ】! オメェはどっちの味方だッ!」

「ガキじゃねぇほうだッ! ……頼むから頭冷やしてくれ」

 

 ドウドウと、急いで宥めようとするユキムラと呼ばれたプレイヤー。止めながらも何とか、オレへの警戒もつないでいた、この機に乗じて挟撃されないように。

 既にその頃には、クラインたちと敵対するほどの気勢は削がれていた。柄に伸びていた手も下ろして、この場から抜け出す隙を伺っていた。捻れたモミの木の根元、そこにいるはずのイベントボスに挑む絶好の機会だ。

 【聖騎士連合】がきて三つ巴になったのは、好都合だった。どちらもそれなりに面子を保たなくてはならない有力ギルド、ソロであるオレの身軽さが有利に働く。クラインの冷静さが吹っ飛んでくれたのはチャンスだった。この場にオレが残らなくてはならない理由はどこにもない。……それを読まれた。

 視線で釘を刺され、後ずさる足が止められた。縫い止められる。怯懦ともいえるその体の反射に、思わず舌打ちを零した。

 猪か荒馬のように頭から湯気を出していたクライン。仲間たちの必死の静止で、なんとか正気にまで戻っていた。荒げていた怒気を無理やり押さえ付けながら、平静に言葉で返した。

 

「…………わりぃがお前らは3番手だ、そこで俺らのケツでも眺めてな」

「ケツ? おかしいなぁ、蒙古斑ついてるなまっ白いもんはどこにも見えへんがなぁ―――」

「キバ。もういいだろう?」

 

 再度加熱させようと煽るキバオウを、前に進み出たディアベルが止めた。

 

「それ以上は彼らに失礼だ。控えろ」

 

 短く、一瞥も向けずに命じると、キバオウはなんの気兼ねもなしに鉾を収めた。そして、粛々と後ろに下がる。それまでクラインと言い争っていたのが嘘のように静まった。

 下がったキバオウは何事もなかったかのように、袖に腕を通して胸の前に組んだ。自分の仕事は終わったと言わんばかりに、尊大な無表情を浮かべるのみ。

 

 まるで、猟犬とその飼い主だな……。

 オレはここ最近、25階層での事件の後から、キバオウのみならず他のプレイヤーとも積極的に関わろうとはしなかった。ただ、フロアボス戦では流石に顔を合わせた。キバオウと同じく近距離攻撃・速度特化型であるが故に、時にはそのパーティーに加わることもあった。だがそれ以外では、プライベートの付き合いはない。ほぼ誰とも関わりを持たなかった。―――オレが、卑怯な『ビーター』だったから。

 それは理由の一つではあるが、一人が気軽だからというのももちろんある。【連技(パーティースキル)】が使えず戦力低下は否めないが、元来人付き合いは煩わしく苦手な性格であるため、いちいちそこに不慣れな労力を費やすことがない分が補填されていた。今までそれで問題はなかった。……今までは。

 かつて1階層で見た彼と今は、全く違っていた。まるでスイッチが切り替わったかのように、元からあったカリスマが研ぎ澄まされていた。……何が起きたのか/そうさせたのか、興味を沸かされる。

 

 ディアベルによって場が収められると、同じくとなりに控えていたリンドが進み出てきた。そして、代弁するように宣言した。

 

「単刀直入に言う。そこを通してくれ【風林火山】、それに【黒の剣士】も。君たちに蘇生アイテムは渡せない。俺たちが預かる」

 

 飾りも衒いもない、誠に勝手で横暴な要求。

 余りにも直な言い方に、瞬唖然としてしまった。わかっていたはずなのに、改めて言われると戸惑いを隠せない。

 だがすぐに、腹を引き締めた。それが宣戦布告であるということは、はっきりと伝わったから。彼らもそのためにここまで、やって来た。

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 私の中ではクラインとキバオウ、性格同じの喧嘩友達です。

 感想・批評・誤字脱字の指摘、お待ちしております。


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49階層/迷いの森 モミの木の前で 後

 クラインが進み出ると、切り返した。

 

「寝言は寝て言えよ、リンド隊長殿。図体がでかくなると血の巡りまで悪くなんのかい? ……いいから黙ってそこで突ったって―――」

「55階層」

「……あん?」

「次に犠牲者が出る階だ。防ぐにはもう、ここで出る蘇生アイテムを使うしかない」

 

 ゾロ目の階層=一人のプレイヤーが人身御供に捧げられる階層。それを防ぐための手段はもう、今のオレたちには残されていなかった。

 言われて初めて気づいた、考えもしてなかった……。だが彼らにとってそれは、身に迫る危機なのだろう。

 つい最近、前回の44階層で引き起こされた奇跡が、【聖騎士連合】を今のような団結力へと導く要因となった。それを次の55階層でも期待するのは少々、いやかなり楽観的すぎる。何らかの対策を考えなければならない、どんな障害があってもなにが起ころうとも。それが今回、彼らがここにいる理由。

 彼らの目は、未来に向いている。過去の贖罪を求めているオレとは違って、この残酷な世界の有り様を少しでも良くしようと模索している。……強いわけだ。

 

 己の身を恥じさせる……。ここにオレがいるのは、どんなに言い繕っても私事だ。ゲームクリアには全く関係のない個人的事情だ。他人のことを考えていない手前勝手だ。

 だけど/だからこそ、引き返せない。ここまで来たのなら、あと一歩というところまでたどり付いた今だからこそ、引くわけにはいかない。ここで引くようなら、そもそもこんな場所まで来なかった。

 全プレイヤーに対する貸しなら幾分かある、少しばかりの勝手をやれるだけの責任は果たしてきたはずだ。今回のことは先払いで報酬をもらうだけ。それで文句があるのなら、力で物を言うだけだ。

 不思議なことにオレのその考えは、クラインも同じらしかった。

 

「……だとしても問題はねぇな。俺たちが取っといてやるから、さっさと消えな」

「【マサヒロ】。君らの仲間だったな、40階層のフロアボス戦で死んだ」

 

 その名前にクラインは、後ろの仲間たちも皆、息を飲まされた。リンドの言い分を、無言で肯定してしまった。

 

「信用できない。あなたが方が55階層までにそれを使わない保証が、どこにある? 私的な理由でそんな貴重アイテムを使わない理由が、どこにあるんだ? ……どうせ、彼を生き返らせるために使うんだろうが―――」

「ソレの何が悪ぃんだ! 死んじまったダチにもう一度会いてぇってのが、そんなにいけねぇ事かよ!」

 

 仲間も【騎士団】も皆、クラインの手のひら返しに驚かされた。あまりにも早過ぎる開き直り、だけどそれまでのことを忘れてしまったかのように全く悪びれた様子もない。正論を通そうとしているリンドは思わず、黙らされてしまった。

 オレも驚かされるも、すぐに別の感情が湧き上がってきた。冷え切った暗い感情。

 

 ―――コイツも、敵だ……。

 

 蟻塚でのレベル上げの最中クラインがオレに告げたことは、半分嘘の半分本当のことだったらしい。これ以上仲間を失わないために、これまでの精算ではなくこれからの保険に……。とんでもない嘘つきだ。

 クラインの目もまた、過去に向いていた、オレと同じように。目的は同じ/死者からの許しだ。でも、それができるのはたった一人だけ。誰であっても/クラインであっても、それを譲るつもりは毛頭ない。

 

「……頭。言ってることが矛盾してるぞ」

「んなこったァ、いちいち言われなくてもわぁってるよッ! でも仕方ねぇじゃねぇか。こればっかりは理屈じゃねぇんだよ。……そうだろう?」

 

 むちゃくちゃな問い返しだが、答えられるものはいなかった。押し黙らされた。

 ただそれでも、どちらも引くつもりはなかった。クラインとリンド、互いに無言のままだが視線だけは外していない。一触即発、ソレが端的に現れていた。

 

 ―――話し合いは終わり、これからは剣の出番か……。

 

 凪いで冷えた場の空気に、オレは今一度愛剣に意識を集中し始めた。いつでも何が起きてもいいように、この先にいるボスと対面するために刃で道を切り開く。

 そんな黒い決意を腹に収めていると、沈黙を押しのける声が放たれた。

 

 

 

「―――ここにいる誰もがもう、少なくない戦友を失っている」

 

 

 

 ディアベルのよく通る声が、響き渡った。その声に皆の視線が、彼に集まる。

 数十の、それも一癖も二癖もあるであろう高レベルプレイヤーたちの前に立ってなお堂々と、それでいて自然でもあるかのような落ち着きよう。【トールバーナー】の攻略会議で始めて見た時の弱さは、欠片も見えない。この2年間前線で指揮を執り続けてきた彼は、その立場がひどく板についていたようだ。

 注目の中、皆を見渡すと続けた。

 

「俺たちだけじゃない、このアインクラッドにいる全てのプレイヤーがだ。今もどこかで、誰かが死んでる。殺されているんだ。全てはこの……、イカレポンチが作ったクソッタレのゲームをクリアするためにだ」

 

 静かな、それほど音量があったわけではないのに、咆哮のように響きわたった。この場の空気を揺さぶる/腹の奥底を揺さぶられた。

 システムが定めたスキルやステータスによるものだけじゃない。もっと別で身近な、この仮想世界独自のものではない現実世界にも属しているもの。震えているのは空気だけじゃない。たぶんこの場にいる皆の奮えが、引き出されたためだ。それらが共鳴し合って、彼の言葉を耳が捉える以上の大きさに変えていた。

 

 ―――このデス・ゲームをクリアする……

 

 この場にいる誰もが胸に秘めている目標/プレイヤー全ての願い、無理やり押し付けられたこの難題を解ききって、現実世界への帰還を果たす。

 現実はもっと卑小ではあるだろう。今の自分のステータスを保持したい/仲間に遅れをとりたくない/今まで見下してきた連中に見返されたくないだの、衆から外れる危機感情が大きな要因としてあるだろう。オレもそうだ。だけどやはり、胸を張って言える願いはそれだ。……そうだと思っていた。

 サチたちと会う前までは。

 

 ―――ここでは死にたくない、今は死にたくない……。

 

 誰もが腹の底で抱いているであろう欲求でありながら、それを口にすることができないでいる現状。ゲームクリアという理想のために、留まることを許されない。

 別にシステムや茅場もそれを強制しているわけではない。プレイヤー自身が急き立てているだけ。上に登ることが正義であり、ソレを邪魔するもの/留まることは悪だと。最前線を切り開くために命をかけることが尊いことで、それ以外/己の身を守るだけのことは唾棄すべきことだと。……そんな空気が熟成されていた。

 「死にたくない」という本心を口にするのは、階が上がるたびに難しくなっていった。前線ではもう、冗談以外では誰もそれを口にすることができない。無神経なまでのガッツが/無関心なまでにタフであることが求められている。

 それが息苦しく/一人では到底耐え切れなくなって、下へと逃げた……。あのままだったらいずれ、ボスかモンスターに殺されるか、徐々に失速し続けて皆を失望させていたことだと思う。足を引っ張るところまで落ちていたのかもしれない。そうならないために、降りた。

 その結果が、コレだ。本来起こるはずのない禍を彼女たちの身にもたらしてしまった……。

 

 オレをその禍から逃れさせたのは、「死にたくない」という一念だけだった。ソレを元にして貯めてきたレベルと技術を全て駆使することで、己の身に降りかかってくるものは振り払ってきた。なんとか切り抜けることができた。だから最後に残ったのも、その一念だけだった。決して理想や正義のためではなかった。……オレはそれに殉じられないと、わかった。

 目の前の男とは、違う。

 

「55階層の犠牲者は、俺たちが倒すべきこのゲーム自身の手で殺される。それを防ぐ手段が一つでもあるのなら、残しておかなくてはならない」

 

 ディアベルは、そう言って締めくくった。私事の一切を切り捨て、公に徹すると。

 その言葉には誰も、クラインも否定せず黙したままだ。完全に納得したとは言えないだろうが、反論はできなかった。ディアベルが作り出した、否定するのを許さない空気のために。

 あとはただ、振り上げた拳をどう自分の中で処理するかの問題になっていた。敵対したプレイヤーたちの前で、自分が率いている仲間たちの前でこれ以上、弱さは見せられない。クラインはもう、身動きがとれなくなっていた。―――だけどオレは違う。

 オレは一人だ。今までも/多分これからもずっと、一人でい続けなくてはならない。いくら投げ捨てたと言っても付いて回る=他に誰も担えない。自分で背負った『ビーター』の役割を果たしきらなくてはならない……。

 ゴクリと、息を飲まされた。背筋が凍る。

 既視感があった。かつてコレと同じ感覚に苛まれた=決断を迫られている。選んだのならもう、元には戻れない/進むしかない。しかし、恐れていながらもう、決めていた。―――もう一度、選びなおした。

 

「―――そんなもの、クソ食らえだ」

 

 ボソリと吐露した言葉に、皆の視線が集まってきた。クラインやキバオウ、リンドともに目を丸くしてオレを見た。その顔には一様に、驚きが張り付いていた。「そんなもの」が出てくるとは思わなかったのだろう。彼らは、続く言葉を完全に読み違えていた。

 息を一つつき、伏せていた顔を上げた。するとそこに、ディアベルの厳しくも悲しげな顔が見えた。

 胸に痛みが走る……。オレの中で初めて、躊躇いが生まれた。これから行う裏切りのために激しい葛藤が生まれた。今ならまだ、取り返しがつくかもしれない……。

 でも、頭の中に焼きついてしまった映像が一瞬、目の前に現れた。……オレはまだ、サチが最後に言った言葉を聞いていない。

 目を見開くと、迷いを吹き飛ばした。

 

「オレには関係ないね。誰が死のうが殺されようがどうでもいい、55階層で何が起ころうが知ったことか! オレはオレのことが一番重要だ」

 

 吐き捨てるように言った、言ってやった。……意外にも出し切ると、痛快だった。

 唖然とする周囲を見渡すと、続けた。

 

「オレには、いやお前たちもだろう、この世界で生き続けられる力がある。誰かを殺す力がある。でも、他人を蘇らせる力はない。ここでは超レアな力だ。だからソレが欲しい。……それだけのことだろ?」

 

 大義名分など後付けに過ぎない、奇跡の使用権限が欲しいだけ。それさえあれば、更に富と力を得られる……。皆の心のドブ底を掬って、叩きつけた。

 だから、睨まれた。【聖騎士】たちから不愉快が突き刺さってくる、クラインたちからも戸惑いの視線が向けられてくる。

 ソレをどこ吹く風と、口元を歪めながら畳み掛けた。

 

「アレはオレが貰う、オレのモノだ、オレだけが使う。……使わせて欲しいのなら、相応の代価を用意しておけ」

 

 あるわけないだろうがな……。酷薄そうな笑みを向けると、刃を抜いた。そしてすぐさま踵を返すと、駆けた。

 捻れたモミの木の根元、【背教者ニコラス】が待っている場所へ―――

 前方の空間が歪み、異空間へ飛ばされる。

 

「おい待てキリトォッ!? 一人で行くんじゃねぇーッ!」

「しもうた!? リンド、行かせるなやッ!」

「わかってるッ! 射撃部隊、構えぇッ―――」

 

 背後で皆が、撃鉄を打たれた弾丸のように破裂した。

 視界の端に赤く、敵対者からターゲットされているときに現れる警告が瞬いていた。オレの【索敵】スキルの自動レーダーが、差し迫る遠距離攻撃の危険をがなりたている。

 でも、構うことはない。……何もかも手遅れだ。

 もう、ボスへと向かうテレポートゾーンに入っていた。

 

 

 

「放てぇぇーーーッ!!」

 

 

 

 リンドのその号令を最後にオレは、この場から転移した。

 

 

 

 




 長々ご視聴、ありがとうございました。

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49階層/迷いの森 聖夜祭 前

 

「―――放てぇぇッ!!」

 

 

 怒号とともに【投槍】の雨が降ってくる。だけど、その穂先が自分の体を貫く前に、既に異空へと【転移】していた。

 槍はその先にまでは届かず。代わりにクライン達が引き受ける形になってしまっただろうが、構わない。彼らの無事を祈る余裕は、今のオレにはない。

 

 雪化粧はされているものの、殺風景な森の奥でしかなかった。だが飛ばされたこの場所は、煌びやかな電飾らしき光の玉が幾つも伸び/巻かれて色鮮やかな明るさに満ちていた。

 森の奥であったのに、周囲には木立ではなく木造の家屋が立ち並んでいる。森の中であることは変わらないが、小さな村とでもいう有様だ。何もなかったはずの広場には、遊園地のメリーゴーランドとでも言える遊具と少し小さめの観覧車/うねうねと波打つレールが張り巡らされているジェットコースターのようなものが、誰も乗っていないのに回り続けていた。そのすべてに電飾の糸と球が貼り付けられている。

 澄んだベルとシャンシャンという鈴の音と、今日この日には相応しいあのメロディーが何処からともなく聴こえてくる。今の心境では全く楽しめず/そもそも楽しんだ記憶も少ない、ただ騒々しいだけだ。

 

 想定していたものとは全く違っていたが、驚きはしなかった。今はこの異世界に驚くよりももっと重大な案件で心が占められていたから。冷静に、見える風景が一変したことの理由を獲得した情報を混ぜて溶け合わせ、紡ぎあげる……。

 結論。ここは、今日この日のためだけのインスタンスフィールドだろう。ここ【迷いの森】のかつての姿か桃源郷のような別世界、という設定なのかもしれない。……なんであろうが構わない。

 

 愛剣を抜刀して警戒する。

 ここはもう、ボスとの戦闘エリアだ、姿が見えないからといって油断してはいけない。不意打ちをしてくる可能性もある。周囲に気を張り巡らせて、いつ襲いかかられても対応できるように身構える。

 どうしようもなく気が急いてくる。乱れてしまう呼吸をどうにか平静に抑えながら、待った……。

 

(あれから2ヶ月か……長かった)

 

 思わず、嘆息をこぼした。今になってみれば一瞬だった気もするが、単調で味気なく、何よりも苦しい毎日だった。

 それを振り払うように/糧にするように限界まで鍛え上げた。罪悪感が途中でくじけさせることをよしとさせなかった。何もしていないで部屋に篭っているのが耐えられなかっただけかもしれない、何もせずにいるとどうしても考えてしまうからだ。

 もっと最適な/みんなを救い出す方法があったのじゃないか……。何度も何度も思考した。その計算の結末は、どう考えてもオレの怠惰であり怯えが原因だった。言い訳できない、告解を聞いてくれる人たちもいない。その不在が、オレをここまでせきたててきた。―――それも、今日で終わる。

 

(あと少し、これで……全て終わるんだ。サチ―――)

 

 その名前を胸の中でこだまさせた。

 すると、地面と空気の冷たさが染み込んできた。体が芯から凍えてきた。……今更ながら、ここが真冬の森の中であることが思い知らされる。

 

 この真冬の【迷いの森】の中は、場所にはよってひざ下まで積もっているところもあり足を取られてしまうことが多々ある、プレイヤーが通るであろう道は踵下までに除雪されていた。そこまでしかないからといって、軽装でも耐えられるわけではない。寒さは変わらない。森の中であるため吹雪いてはいないが、空気は冷凍庫の中と同じかそれ以上だ。はぁと息を吐くだけで白く霞む、鼻が吸った空気で冷たく痛む。防寒具なしで長時間歩き回れば、【凍傷】か【風邪】のバットステータスを受けてしまう可能性が高い。

 追っ手を巻くために、長時間歩き通しだった。防寒具を装備し寒さを防ぐ、あるいは取り除くためのホッカイロや熱い柚茶のような消費アイテムをふんだんに使用してきた。だけど全てを防ぎ切ることはできなかった。厚いブーツと手袋に収まっている指先は、半分ほど麻痺していた、膨らんでいるかのように錯覚する。念入りにだけど動きを阻害しないレベルで防寒具を巻きつけていたが、気を抜くとガチガチと体が震えてくる。素肌を晒している顔面は、上下左右に引っ張られているかのようで少し動かすだけでもビリビリと痛みが走る。バットステータスこそ受けてはいないが、これ以上長くとどまっていたらそうなってしまう一歩手前の状態だ=長期戦は不利。

 だけど、こんな苦境の経験がないわけじゃない。情報はあって覚悟もしていた。今の時期だと、ほとんどのフィールドや街中でも冬の寒さに包まれている。大概の場所で雪が降り積もってもいる。寒さ対策にはスキルやステータスとは別の、オレ自身の精神の耐性を付けてきた=慣らしてきた。少しばかりの寒さは気にしない/無視できるようにはなれた。

 だけど今この時、体の芯から震え凍えていた。

 武者震いというわけではない。もしかしたら、これから戦うボスへの恐怖のためか? そう思い、一度深呼吸して目を閉じる……。そして両方の頬をパチンと叩いた。それで気持ちが仕切り直されて、震えは収まってくれるはず。―――だけど今回は、一向に治る気配がない。

 

(……おい? ここまで来てビビるなんてふざけるなよ!)

 

 胸の内で、自分の体に文句を言う。腹が立った。よりにもよってオレの体がオレの邪魔をするとは……。

 ただそれで、胸の中から怒りがちゃんと湧き上がってくるのはわかった。怒りがあれば熱も湧いてくる。幾百ものモンスターたちとの戦闘経験上、今の状態であっても問題なく戦える。目の前の敵に怯えて固まることはない、支障なく動き回ることができるだろう。

 自分が何に凍えているのか、わからない……。わからないままただ体は震えていた。体は冷たく、寒さが取れない。芯にコベリ付いたかのようで、剥がし取ろうとするその手も凍る。凍りついてしまっているため、言葉に表せないでいた。冷静や恐慌とも違っている状態なのに、それらとの区別が付けられない。

 

 訳のわからぬ心理状態を抱えながら、待った……。

 しばらくして、視界の端の時計が零時になった。広場のどこかにあるアナログ時計からカチリと、噛み合う音が鳴り響く。すると―――ソレは現れた。

 漆黒の夜空、正確には上層の底を背景に二筋の光が、もみの木の天辺にまで伸びつながった。その光の道を、奇っ怪な姿のモンスターに引かれたソリが滑り下りてきた。

 そのモンスターは、もみの木まで到達するとソリから飛び降りて、雪煙を盛大にまき散らしながら地面に着した。俺は数歩下がって、その粉塵をやり過ごす。雪煙が晴れると、そのモンスターの異様が明らかになった。

 

 

 

 言い表すのなら、闇落ちしたサンタクロースだ。

 

 

 

 プレイヤーの背丈の3倍はあるであろう巨体を、赤と白の上着で包み、頭には天辺が後ろに垂れた三角帽。左手には肩に背負うように持っている身の丈ほどある頭陀袋で、まさしく子供たちの夢を背負っている彼特有の装備。だが右手には、そんな子供たちを縦に輪切りできるほどの分厚い刃の斧。何がしたいのかさっぱりわからない。よく見るとその顔つきも、首元まで伸びている灰色の巻ヒゲは同じだが、目と口元は覚醒剤でもキメてしまったのだろうか。充血し歪ませ、ヨダレも垂らすままにしていた。

 仲間と共にしこたま酒を飲んで泥酔状態になっていたトロールが、家路の穴ぐらに帰る途中、裸を晒すのはまずいという常識だけを支えに廃屋に脱ぎ捨てられていたそれらの衣装を身につけてしまった。身につけると、ほかにも同じような格好のやつらが現れて「仕事に行くぞ」と急かしてきたのでソリに乗る。不安な気持ちが少しは頭に浮かび上がってきたのだが、元々頭の足りない種族。加えて酒でおかしくもなっているため、空を滑空するソリの素晴らしさと地上の瞬きの美しさにどうでもよくなる。途中で、ソリの動力兼口喧しい相棒のトナカイが「お酒でも飲んでたんですか、シャンとしてくださいよ」と注意してくるのでムッとし、飲んでねぇよと反発した。それを真っ赤な鼻で笑われ呆れられると、やってやろうという気分になってしまった。何をすればいいのかさっぱりわからないはずだがどうにかなるだろうという楽観思考のまま、ついにモミの木まで到着。そこでモンスターたる自分の役割が真っ先に思い浮かんで、まずは脅かしてやろうと派手な登場を決める。そして目の前には俺、モンスターの敵たるプレイヤーが一人。どうやらコイツを倒すのが俺の仕事かと、口元にうすら笑いを浮かべる。……そんな経緯を想像させるサンタ【背教者ニコラス】

 だからといって、容赦などこれっぽっちもない。する余裕もない。そんなフザけた相手を笑えず、怒りすら掻き立てられてしまうほど切羽詰っているのだから。

 

 ニコラスは、クエストに沿った決められたセリフを告げた。モジャモジャのヒゲとくぐもった声で聞き取りづらい。特別仕様のゲームルールや弱点のヒントならば聞かざるを得ないが、ただのイベントでしかなかった。

 だから、

 

「……うるせぇよ」

 

 最後まで聞いてやる筋合いはなく、地面を蹴ろうとした。

 いまにも飛びかかろうとするその瞬間―――、背後からテレポート特有の鈴の音が鳴り響いた。誰かがこのエリアに侵入してきた。

 思わずそちらに、新たな闖入者へと振り向いた。その姿に、驚愕と舌打ちがこぼれた。

 そこいたには、澄んだ空色の髪をたなびかせた、鮮やかな青を基調とした白銀の甲冑に身を包んだプレイヤー。腰元にはひと目で上物とわかる両手剣の柄が伸び、手には半身を隠すほどの盾。そこには、彼が所属しているギルドのエンブレムが意匠されている。中世西洋の若い騎士そのものの威容で、カシャカシャと音を立てながら近づいてきた。

 

 息を飲まされた。近づくのを見るにつれて、猛烈な焦りが生まれた。―――前後からの挟撃。

 とても勝ち目が見込めない。逃げることもできない……

 

 ―――死ぬ……。

 

 ……いや、死ぬことはいまさらどうでもいい。問題なのは、目的のものを手に入れられないことだ。それを誰か他のプレイヤーに、奪われてしまうことだ。

 それだけは絶対、あってはならないことだ。

 

「それ以上近づくな【ディアベル】! コイツはオレの獲物だ!」

 

 射程の中に入る前に威嚇した。背中の剣に手を回して、最終勧告のつもりで/少しでもひるませるために叫んだ。

 だけど、焦りからのものであることが悟られてしまったのか、ディアベルは足を止めることなく近づいてくる。

 

(やるしか……ないな!)

 

 状況はさらに絶望的。しかしヤルと決めたら、先までの焦りはどこかに消えていった。心が暗い静穏に満たされていく。

 状況は極めて不利。ではあるが、彼が障害であることは明白。ならば排除するだけ、ボスともどもに倒せばいいだけ、単純だ……。それがどれだけ困難であっても、オレにそれ以外の道がない。

 すぅーっと頭が透き通っていった。無駄な思考がカットされて、クリーンになっていく。恐怖や怒りすら消えて、ただ無機質な戦闘マシーンに頭の中身が組み変わっていく。意識が奥の奥に退行していくと、暗がりの冷たさに一瞬震えた。ソレを振り抜き闇に溶ける。……それですべての移行作業/自己暗示は完了した。

 オレはただ、刃を振るうだけの機械だ。最短で確実に効率よく、邪魔する障害を切り刻む、それだけの存在……。間合いに一歩でも入ったら、即座に斬りかかる。全身の感覚を内側から外へと集中させると、視界や足音を介さずに空気や地面の感触を肌で直接感じ始めていた。自分が小さくなりながら体は大きくなる、矛盾した感覚。ディアベルの足は、間合いの直前まで迫っていた。

 

 ―――斬る。

 

 そう腕に力を込めた矢先、ディアベルは弾け跳んだ―――

 

 初速からトップスピード、雪面を滑るように跳んで来た。リズムが突然崩れ先手のタイミングを逸する。攻める手が封じられた。

 急に目の前まで迫りくるディアベル、前にかざした盾が壁のような厚みと広さを錯覚させてくる。まるで鋼鉄の壁が迫り来るよう。生半可な防御/回避では餌食になる一撃、紙一重でよけてのカウンターも見込めないタイミング/心理的な先手。磨き上げられた盾が目前まで迫ってくる、相殺するしかない―――

 舌打ちしながら武器を構える=衝突の瞬間、盾の背後にいるはずのディアベルの顔が見えた。その視線が向けられている先/目標は、オレじゃない、オレの背後。

 直感を測りかねながらも、ディアベルの盾の中に目を向けた。するとそこに、薄ぼんやりとだが……見えた。オレの背後で今にも、手に持った斧を振りおろそうとしているニコラスの姿が―――

 何をすべきなのか、理解が降ってきた。

 

 このような直感は時々湧いてくる。積み重ねた経験と生まれ持った才能……と言いたいのだが、偶然と運に多分に由来するものだ。後で思い返してみるとどうしてそんな行動が取れたのかわからない。だけど、その時には全身が確信で貫かれる。疑う余地など微塵もなく答えだと、反射的に体が動く。

 ソレが目に映ったすぐ後、飛び込むように横へとローリングした。転がり、前後の挟撃から脱出する。そして逆に、その二つが衝突した。ニコラスの全身の体重を込めた一撃が、衝撃波として周囲に撒き散らされる―――

 

 地面に肩から倒れ込みながらくるりと回転、すぐに膝立ちになった。だけど直後、吹き荒れた衝撃波によってジリリと地面を擦りながら背後へと押される。

 それに耐え顔を上げるとそこには、巨人の大斧を盾で見事に受け止めているディアベルの姿が見えた。完全に攻撃を防がれたニコラスは、振り下ろした姿そのままで固まっていた。

 

 盾にかかる斧の重さと勢いを凌ぎ切ると、生まれた無重力/浮身状態。軽く横へと振り払うと、釣られて【ニコラス】が大斧ごと横へよろめかされた。体勢を崩される。

 巨体が傾げると、支えるために片足を前にだし踏ん張った。差し出された隙だらけの重心いりの足に、いつの間にか抜き放っていた大剣の横薙ぎを放った。ザシュリッという音と共に、刃が丸太のような足に赤い線を引く。

 体重を支えている足を斬られたためだろう。【ニコラス】は傾ぐ体を支えられず【転倒】した。受身も取れずその場に倒れる。そしてドスーンと、地鳴りが響き渡った……

 呆然と、一連の見事な攻防に目を奪われていると、

 

 

 

「―――俺が壁になってタゲを取る。その間に君が攻め込め!」

 

 

 

 ニコラスが【転倒】している絶好の機会。追撃のチャンスをディアベルは、オレに譲ってきた。

 すぐには、何を言っているのか理解できなかった。だがわかると、歯噛みし葛藤させられた。

 

 もう現状では、一人で戦って勝たなくてはいけないだのとは……言えない。年一のイベントボスと攻略組でもトップクラスのディアベルを相手取って、生き残りながら勝てるとは到底考えられない。無理だ……。オレがそんなことをしでかせば、オレもディアベルもどちらもボスに殺される最悪な結末になってしまう。もし生き残れたとしてもオレは、レッドプレイヤーとして全プレイヤーからお尋ね者扱いされることになるだろう、特に【聖騎士】たちから血眼になって探すはずだ。……どちらにしろ、オレの寿命は短い。

 目的の確認=もう一度サチに会うこと。彼女が最後に言った言葉を聞き届けることだ。

 それが罵倒であっても構わない、憎まれることだって受け入れられる。死人は何も語りかけてこない。それは現実であろうと仮想であろうと同じだ。何も答えてくれない沈黙に夜毎うなされるのはもう……耐えられない。

 このボスが落とすであろう復活アイテムとオレの生存、後者は必須条件ではない。死んでオレの方から会いにいくという選択もあるからだ。

 会えるとは限らないが、今のここよりは近づけることだろう。そのためには、自分を使い切らないといけない。限界を超えて磨り減らして、後には何も残らないようにしなくてはならない。出来ることはがむしゃらに躊躇わずにやりきって、誰からも自分からも文句のない死に様でなくてはならない。年一のイベントボスとタイマンを張らなくてはならなかった。そうしなくては、そこにはたどり着けない……気がする。

 嘘をついてしまった罪滅ぼし……。自己満足でしかないかもしれない。だけどオレには、これ以外の方法がわからない。

 

「―――クソッ!」

 

 舌打ちすると、再度地面を蹴った。

 

 生き残る。生きて彼女にもう一度会う。そして面と向かって謝るんだ。……助けられなくて、ゴメン。嘘をついてしまって、ゴメン。

 死んで終わるなんて逃げ道は、もう、消えてしまった。

 

 

 

 




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49階層/迷いの森 聖夜祭 中

 

 最後の一撃を叩き込んだあと、幾十ものガラス片となり拡散した。雪煙とともに燐光が舞い上がる。

 イベントボス【背教者ニコラス】は倒された。

 

 後に残されたのは、奴が背負っていた宝の山。年一のイベントボスにふさわしい報奨だ。

 目の前に浮かんだウインドウに、獲得したそれらのリストがいくつも並んでいる。スクロールして確認した……

 だけど、その中に欲しいモノがなかった。探してみても、それらしきものが見当たらなかった。

 

(……やっぱり、ただの噂でしかなかったのか)

 

 渇いた笑いが出てきた。一気に緊張がほどけ、虚脱した。

 踊らされただけ……。喉から手が出るほど欲しがっていたアイテムは、なかった。ただ噂だけが一人歩きしただけだった、あるいはこのゲーム製作者のイカレ具合を読みそこねてしまったのだろう。

 

(……そんなことは初めから分かっていた、はずだった)

 

 ドサリと、地面に膝をついていた。留め金が外れてしまったかのように、ガクンと崩れ落ちた。雪原の冷たさが足全体に染み込んでくる。

 

「もう、終わりだ、何もかも……」

 

 頭をたれながらつぶやいた。望みは絶たれてしまった……

 見下ろした真白な地面に、小さな穴が一つ二つと空いたのが見えた。何者にも染められていない白さに映える、紅い穴。溶けて染み込み、縁は桜色の淡いを帯びていた。

 それで自分が今、傷を負っていることに気づかされた。頬と肩口・脇腹にパックリと開いた切り傷、ボスに付けられた重傷=【出血】の警告表示、視界の隅でうるさくがなり立てていた。

 今更そんなことは、どうでもいい……。すぐさま止血治療が必要だと冷静な部分が訴えてくるが、気力が/生きなきゃならない力が湧いてこなかった。流れたまま、流し尽くしてしまったらそれまでと、何も考えられない。考えたくない。

 呆然としたまま、絶望を感じていた。

 

 ふと、小さな鈴の音が聞こえてきた。メニューウインドウの展開時の音。

 見上げた先にいたのは、乱入してきた共闘者/大盾と大剣を装備した重量級の壁戦士、だけど重さを感じさせない爽やかな優男=ディアベル。フルプレートの鎧などの暑苦しい装備は似合わないのに、それでも人並みには着こなしてしまえる若い騎士。

 やつもオレと同じように、今回のボス戦で報酬を得たのだろう。それを確認していた。スクロールしその中の一つをクリックすると、ストレージに入っていたアイテムが実体化した―――

 ウインドウに浮かび上がったソレは、卵ほどにも大きな/七色の煌きを放つ途方もなく美しい宝石だった。

 目を見張った/凝視させられた。その容姿もさる事ながら何よりも、【鑑定】スキルによって自動的に告げられたその名前が全身を貫いた。

 

 

 

 【還魂の聖晶石】

 

 

 

 何のアイテムなのかは、わからない。名前だけでは判断できないが、『ソレ』以外には考えられない。稀少な結晶アイテム特有の煌きを放っているそれは、間違いなくオレの求めていたものだ―――。

 

 動悸が激しくなった、抑えようとしてもできない。絶望して沈殿していたのが、急にがなり立ててきた。全身がブルブルと震えだしてもくる、砕けたはずの足に力が通い始めてきた。

 

「―――そいつをよこせ、ディアベル」

 

 今に炸裂しそうになるギリギリ/抑え込んで言った。同時にムクリと、幽鬼のようにして立ち上がった。

 もう取り返しがつかない、導火線に火がついた。一度消さた上でのソレは、オレの僅かばかり残っていた倫理観をかき消した。呼吸は乱れに荒れ苦しい、視界にはそれだけしか映っていない。

 

「なせ、これが欲しいんだ?」

 

 俺の物欲しそうな様子に気づいたのか、ディアベルがこちらに目を向けてきた。手に持ったソレを向けながら―――

 なぜ、なぜだって……? そんなことどうでもいい、論点をはき違えている。ソレがオレの手に収まっていないことが問題なんだ。

 すぐに沸点を越えた。

 

「お前には関係ないッ! いいからよこせ」

 

 威嚇するように/それだけで圧倒するように/悲鳴のように喚いた。

 どこまでも続くかと思われていた砂漠の中、ようやく見つけた。渇きが心にまで侵食し痛み以外の全てを取り去っていたその時、突然目の前にオアシスが現れた。一も二もなくそれに飛び込んで渇きを潤したい/取り戻したい。それ以外には何も考えられない。……皆を見殺しにしてしまった罪と絶望感から、解放されたい。

 ソレが今、目の前にあった。他人の手に握られていた。……許せない。

 

「……渡す義務はないな」

 

 そう言うと、警戒の鋭い視線を差し向けてきた。

 だけどそれだけ、それ以外に動けない。……動くなど許さない。

 アイテムストレージに収め直させるわけにはいかない。そうなったら、少々ややこしいことになる=奴を無力化させなければならない/殺してはならなくなる。【麻痺】か【気絶】状態にして拘束すること、身動き取れなくなったところでメニューを開かせ奪い取る。【盗み】スキルを使いこなせたら楽できたが、あいにく持っているだけの初期状態。ただ、今ここはボスとの戦闘のために隔絶されたフィールドになっている、【聖騎士】たちの増援はない=できないことはない。

 しかし、奴相手には危険すぎる/そんな手間をかければ逆襲される。そもそも、オレの目標は悟られている=オレがこれから何をするのか予測されてしまっている。……正面切って戦わず逃げられたら/このフィールドから抜けられたら、オレの負けだ。

 ゆえに、逃がさずストレージにも収めさせてはらない。凄まじく不利な勝利条件、頼れるのはこの身と愛剣のみ。強く固く、握り締めた。今までの経験で培ってきた戦闘計算が、冷静に戦術を紡ぎあげる。

 

(アイテムごと奴の腕を切り落とす。あの防御力を突破するのは難しいが不可能じゃない。……『アレ』をつかって攻め続ければ、押し切れる)

 

 自然と、だけど相手にそれと気づかれないようにして、腰のベルトに取り付けていた短刀=副武装に手を伸ばした。

 主武装である愛剣が壊れた時に/狩ったモンスターの死骸の解体などの細かな作業用に、腰の背部に実体化させて装備している。少々重くなるも動きに支障が出るほどではない、いちいちストレージから取り出す手間を省ける方が重要だ。何より、盾を装備していない余裕がある。ほとんど使ったことはないが、用心するに越したことはない。……今のようなことが、起きないこともないので。

 ソレを使って、今まで隠してきた『特殊スキル』を使う。入手経路不明/まだ誰も会得していないであろうスキル。完全に会得したわけではないが、充分に実用可能なレベルには達している。不意打ちとしては効果抜群だ。ボスとの戦闘の際には使わざるを得ないと考えていたが、ディアベルの活躍で隠しとおせた。……皮肉なことに。

 

「……どうしても、渡す気はないか?」

「君こそ、引くつもりはないのか?」

 

 睨み合いながらの最終勧告。にじり寄って間合いを詰めようとするも、動けない=もうギリギリの瀬戸際に立っていた。

 微動だにせず、その時を待つ……。全身の感覚が鋭く尖っていった。

 少しでも異変があれば、それが合図だ。どんな些細なものであろうとも、見逃さない=鋭敏になった感覚が捉えてくれる。邪魔する鼓動と呼吸が細く静かなものへと変わっていった。……抜けた緊張の分、もう少しだけ詰められるかもしれない。

 

 慎重に慎重に、神経を研ぎ澄ませながらにじり寄った/境界を侵していく。

 本来軽いはずの積雪が、今は重い足かせのようだった。進むたびに足が囚われていく。次の爆発時に足がとられてしまう心配が募ってきた。【転倒】などしたら目も当てられない、全てが台無しだ。慎重に慎重に、進み続ける―――。

 そして……ここが限界/これ以上は詰めれない=ディアベルの警戒の剣気が伝わってきた。機械が紡ぎ上げたココにそんな微妙なモノがあるわけないと思っていたが、あった。何度も遭遇すれば認めるしかない、知れば使える/使えれば強くなれる=『ビーター』であるオレには命に関わる必需品だ。迸らされた見えざる架空の刃にグッと、唾を飲み込んだ。

 ソレを押しのけるように、ソードスキルの初動モーションをあからさまにとった。剣気を跳ね返す=不退転の意志を放った。

 もう何も、恐れることなんてない―――。爆発しようと、踏み込んだ前足に力を込めた。その寸前、

 

 

 

「―――【月夜の黒猫団】だったな。君が所属していたギルドの名前は」

 

 

 

 ピクリと足が固まった/固められた。

 絶妙なタイミングで語りかけてきた。ソードスキルが発動する一歩手前、まだノーリスクでOFFにすることができる刹那。その誘導にまんまと……乗せられた。

 勢意を殺され見上げさせられると、ディアベルは続けて告げた。

 

「彼らの誰かを復活させたいのか? 見殺しにした詫びを入れるために?」

 

 さらに呼吸まで、乱された。

 なぜお前がそれを知ってる? ……声に出しそうになるのを、寸前で飲み込んだ。

 今重要なのは、隙だらけの奴の腕を切り落とすことだ。話し合いや交渉の出る幕はとっくに終わっている。だけど、静かに叩き込まれたその一撃は、研ぎ澄ませた殺意を打ち壊すのに充分だった。機先を制されてしまった。

 

「君は攻略には欠かせないフロントプレイヤーだ。最近迷宮区に顔を出さないので気になっててね、動向をチェックさせてもらったよ」

 

 オレの心を読み取ったかのようにディアベルは、解説してきた。……返礼として/焦りを隠すためにも、睨み返した。

 そんなオレの様子にディアベルは、これみよがしに溜息をついた。

 

「残念ながら、今の君にコレは渡せないよ。意味のない懺悔なんかのために使わせるわけにはいかないんだ」

 

 プツリと、何かが切れた。その瞬間全てが真っ白になった。奴は一体、ナニヲイッテルンダ―――。

 ディアベルはさらに、オレの逆鱗にふみこんできた。

 

「キリト、君は間違えている。一度死んだプレイヤーは二度と蘇らないのが、このゲームの鉄則だろう?」

「それができるアイテムだろうがッ! ソレはッ!」

 

 叫んだ、もはや我慢の限界だった。牙を剥き出すように吠えた。

 そして激情のまま、溜め込んでいたモノを吐き出した。

 

「『意味のない懺悔』だと……ふざけんなッ! オレの方こそそんな、無意味な説教なんて聞きたくないね。

 なぁ、一体いつ神父にくら替えしたんだよ、ナイト様? 犠牲にしてきた仲間が多すぎてヒヨっちまったのかな?」

 

 皮肉な言い回しにディアベルは、眉をひそめた。奴にとって=皆の期待を背負ったナイト様の急所。

 ソレで気を整えると、さらに嘲るように肩をすくめた。

 

「そんなくだらないモノは、お前の大好きな【聖騎士】かファンどもに聞かせてやれよ。きっと涙浮かべながら改心してくれるはずだぜ。ありがとうありがとうございます! 貴方にそう言っていただければ死んだ者も浮かばれます……てさ。

 オレが欲しいのは、そのアイテムだけだよ」

 

 優しげでもある声音で/悪魔の囁きのように、差し出された手を払いのけた。今まで『ビーター』の演技としてだけ使っていた嗤いが、オレ自身の本性であるかのように自然と浮かんでいた。

 言い知れぬ恐怖に追いつかれる前に、畳み掛けた。

 

「もう一度だけ言うぞ。さっさとソレよこせ」

「断れば力尽くで奪う、か……」

 

 オレの恐喝にディアベルは、顔を暗くして伏せた。

 何らかの迷いがあるのだろうが、知ったことではない。むしろ悩んでくれた方がいい。それにリソースをかけてくれれば、戦いを有利に進められる、アレを奪いやすくなるから。

 好機かと思い、もう一度踏み込もうと足に力を込めた。しかしそれは、見込み違いだったらしい。

 

 

 

「俺もそれで構わない。―――戦おう」

 

 

 

 顔を上げたディアベルの視線は、強い。固く壊れない意志が秘められていた。容易ならざる敵だと直感させてくる=踏み込ませない眼力。

 再び、踏みとどまされた。

 

「君にも、コレを使わないといけない理由があるように、俺にもある。……次の55階層で死ぬことが定められているプレイヤーを、助けなければならない」

 

 それは先に、リンドが言い放ったこと=大義名分/キレイ事。奪って専有しつつ恨みを逸らす卑劣な言い訳にしかならない……はずだった。

 納得してしまった。ディアベルの口からでたソレは、違ったものに聞こえてしまう。

 

「俺は44階層で偶然助かった。死ねとこのゲーム自身に言われたのに、どういうわけだか生かされた。おまけに【降魔剣】なんてふざけたスキルを押し付けてきて、だ」

 

 誰もが羨む特権だが、心底嫌そうに吐き捨てた。『特別』はプレゼントではなく、ただのレッテルだと断じる。

 

「次もまた、同じなのかどうかわからない。でも、同じであることを見込んで自殺させることになるだろう。皆が新たな【降魔剣】の使い手を望むから、俺もそうあって欲しいとは思う。でも、もし違っていたのなら……その人に申し訳が立たない」

 

 言いながら、厳しい顔つきになっていた。オレが浮かべていたような、罪悪感に苦しまされている/潰されまいとしている表情。

 ソレを見せられると、唐突に理解した。ディアベルの罪=自殺すれば手っ取り早く/誰も不快な想いもせずに先に行ける=自殺を強要させる空気の発端になってしまった。今後ゾロ目の階層で犠牲になるであろうプレイヤーたちの死には、自分が大きく/マイナスに関わってしまう。

 まだ犠牲になっていないそのプレイヤーのことを背負いこんで、なんとかしようともがいてきた。たぶん、44階層で自分が生き残ったその日から今までずっと。その暗中模索の日々が顔に刻まれていた。無視しても誰も責めることはないだろうに、なんという……。

 この仮想世界の中では、自分の感情を他人の目から隠し通すことは難しい。強い感情であればあるほど、表に現れてしまう/感情表現が単純でゆえに強制してくる。加えてオレには、彼のその気持ちはよくわかる/わかってしまう。過去形と未然形の違いはあるが、オレもまた出口のない苦悶の日々を過ごしてきたから……同情が沸いてきてしまう。

 

「俺には、その人を助ける義務がある。自殺から救う手段を持ち合わせていなければならない。―――君にこれを譲るわけにはいかない」

 

 強くはっきりと、だけど覚悟を秘めて宣言した。

 渇いていたのは、オレだけではなかった。蘇生アイテムを喉から手が出るほど欲しがっていのは、彼もまた同じだった。ただのレアアイテム欲しさでここに来たわけではなかった/オレから唯一の救いの道を奪い去ろうとしていたわけではなかった。……それだけは、わかった。

 でも―――、目をつぶってソレを飲み込む。同情しそうになる弱さを/弱さだと断じて、押し殺した。

 ひとつ大きく、息を吐いた。白い靄とともにソレは……消えた。

 

「……遺言はそれだけでいいのか、ディアベル?」

「遺言? ……心外だよ、キリト」

 

 戦える/傷つけられる/叩き斬れる―――殺せる。

 できればしたくない。だが、今この場でコイツには……仕方がない。どちらも退けない/邪魔者だ、排除するしか道はない。ただ……それだけだ。

 愛剣を握り締める。ソレで研がれた鋼鉄と繋がったかのように、全身の感覚センサーが活性したのを感じた。頭もいつになく透き通っていた。

 ゆえに、捉えられた。今までとは異質な、奴の奥に潜んでいたものを。

 

 

 

「立場をわきまえろ。今のお前は俺に、生かされているんだぞ」

 

 

 

 取り巻く空気の質が変わった。ディアベルの表情が豹変していた。

 今までの/爽やかでありながら精悍な若騎士の顔が、残酷で冷徹な暴君のような歪みを帯びていた。背丈はそれほど変わらないはずなのに、遥か高みから見下ろされている気分。

 

(これが、ディアベルの本性か……)

 

 生唾を飲み込むと剣を前に身構えた、引き攣りながらも口元に笑いを浮かべる。

 君子豹変とは、コイツに相応しい言葉だ……。今までこんなものを抱えながら、あんな騎士ヅラをかぶり続けてきた。誰にも悟らせず『コレ』を腹の奥底に押し込め続けてきた。対峙しながらも匂いすら感じさせないというのは……恐れ入る。愛剣の確かな鋭さと硬さを間におかなければ、飲み込まれていただろう。

 

「オレ相手に随分な自信じゃないか。……一体どこからそんな妄想が沸いてきたんだ?」

「初撃を打ち込ませてやる時間をくれてやった。こんな無駄話なんてせず問答無用でやればあるいは……奪えてたかもしれないのにね。随分と舐めてくれたじゃないか、ビーターさん―――」

 

 先ほどのお返しとばかりに皮肉ってくると突然、オレに向かって宝玉を投げてきた。放物線を描きながら飛んでくる―――

 思わず、ソレに注意が向いてしまった。視線が奪われる、間抜けにもキャッチしようと慌てて身構えようとしてしまった。―――その隙を突かれた。

 すぐさま大剣を構えた=初動モーション。光に包まれると、ソードスキルが発動した。大砲のように突撃してくる。

 

「!? しまッ―――」

 

 突進型のソードスキル。大剣のソレは同じ重量系武器でないと相殺できない/オレの片手剣では不可能。先出しされたら躱すしかない/注意が逸らされた今はソレすら難しい、でもやるしかない/やれなければ終わる―――。

 

 迫りきた刃をギリギリ、避けた。ディアベルの攻撃は空を穿つ。しかし、体は弓なりの無理な姿勢。次撃は躱せない―――

 突き出された大剣はそのまま、オレを両断せんと打ち下ろされた。

 

 

 

 




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49階層/迷いの森 聖夜祭 後

 振り抜かれた剣閃/限界まで反らした上半身。避けることなどできず、斬られた。

 一閃、腹から胸にかけて斬撃が走った。

 

「―――ぐぅっ!」

 

 苦悶。しかし、斬られると同時に倒されるがまま、ディアベルから離れた。背中で雪床を削る。

 

 思った以上にあいた間合い/止めの一撃には足りない。ゆえに、踵返し踏み込んでからの、上段振り下ろし。ディアベルの大剣が襲いかかってくる。

 迎え撃つ/今度は躱すも、まだ【崩し】で片膝立ち。動けない/防ぐしかない。だけど、あの一撃は無理だ。こんな力のはいらない姿勢/片手剣では押し切られてしまう。『アレ』を使っても意味がない。なので―――地面の雪を握った。

 無言の気合とともに襲ってくるディアベルの顔に、投げた。雪片がふりかかる/視界を曇らせた。

 イチかバチかの賭け。オレが身動きできないのは変わらない/破れかぶれの足掻きでしかない。顔に特に目への飛来物には反射が働いしてしまう、本能が攻撃の手を遮る。しかし、奴らならそのまま突貫してくるかもしれない。振り下ろせば攻撃は通る、オレは大ダメージだ、本能を押し殺せるだけの強引はあるはず。

 しかし、攻撃の手を止めた。顔を守るディアベル/避ける間ができた=賭けに勝った。僅かにできたその隙を縫って、危地を脱した。

 

「ハァ、ハァ、ハぁ―――」

 

 乱れる息を整えながら/ダメージを確認しながら、ディアベルを睨みつけた。奴も、止められたその場所からオレと対峙する。

 傷は……予想通り深い。初撃の奇襲も相まってHPもかなり削れている。傷口もまだ開いたまま/再度ここを斬られたら【出血】になる。長期戦がますます不利になってしまう。

 奥歯を噛む/自分の不注意を呪った。もしコレが、初撃決殺モードの【決闘】/ここでやる一般的な【決闘】であったのなら、勝負は決まっていた。【還魂の霊晶石】の『所有権』を賭けていたのなら、システム的に手にすることができなくなっていた。例え奪ってもディアベルが「返せ」と告げれば、強制的にオレの手元から消えてしまう。

 オレの動揺が伝わってしまったのか、ディアベルがニヤリと口元を歪めた。

 

「だから言っただろ? せっかく先手をくれてやったのに、てさ」

「ちぃ……。ナイト様とは思えないやり口だな」

「君こそ。ビーターとは思えない脇の甘さだ」

 

 煽り文句の応酬。その間にも次の手を思考。

 初撃は取られた、ダメージも負った。しかし、ソレは問題じゃない/コレは【決闘】じゃない。ルール無用の奪い合いだ、先に【霊晶石】を持ってココから出た奴が勝ち=必ずしも殺す必要はない。先の攻防は奴の勝ちじゃない、オレの注意を逸らせるために【霊晶石】を手放してしまっただけ。

 精神的な傷を無理やり塞ぐと、幾分か冷静さを取り戻せた。自ずと挽回の手が浮かんできた。

 

「……コレが【決闘】だったら、君は負けだったんだ。大人しく退いてくれないかな?」

「残念なことに、コレは【決闘】じゃなかった。先にそうしてたら終わってのにな」

 

 オレがソレを受けるとは思えないけど……。同感だとあっさり、ディアベルは苦笑した。

 愛剣を構えながら、空いた片手はほんの少し握り気味にダランと。ディアベルも、【霊晶石】は拾わず剣を下段に構えた。ソードスキルの初動モーション、大剣から/この距離から/あの構えから繰り出されるのは……。

 

 弾けた、互いに。暴走列車が如く、ディアベルがズームアップしてくる―――

 速度は片手剣が/オレが上、威力はむこう。しかし当たらなければ意味がない/当たったら吹き飛ばされてしまう。なので、正面衝突はさけるべき……。定石ならそう考えるだろう、横をすり抜けてからの後の先の一撃が本命だと。しかしオレは、あえて乗った/アクセルを踏み続ける、【加速】させた。

 狙いは『武器破壊』、武器さえ奪えばあとはどうとでもなる。

 突進系のソードスキルは、ぶつかる寸前に強烈な攻撃を根元などに受けると、どれほどの硬度があろうが耐久値が残っていようが砕けてしまう。使い手のレベル差がありすぎれば起こりえないことだが、オレとディアベルは大差ないはず、必ず成功する/させてみせる。

 高速の中意識は研ぎ澄まされ、狙う一点に絞られていく。

 

 激突の寸前、突然ディアベルが急停止=地面を撫でるように滑らせていた大剣が喰いこんだ、同時に捻り刃の腹を向けた。

 困惑、だが問題ない、むしろラッキー=自分から弱点をさらけ出してくれた。お望み通り砕けばいいだけ。

 だけど―――、続く爆裂を浴びてしまった。

 地面の雪が大量に、振りかかってきた。避けきれず全身に浴びる。

 

 思考停止。異常事態に頭が真っ白に、ソードスキルの【急制動】!? 

 だけど止まらない/止める必要もない。オレの方が早いことは変わらない、そこにあることはわかっているのだからあとは、貫くだけだ―――

 雪煙で視界が奪われながら、剣を突き込んだ。

 甲高い音が鳴り響いた。オレの剣は確かに届いた。しかしソレは、求めていた音色ではなかった。

 

 続いて、雪が削れる音、ディアベルの呻く声。その気配は激突時から離れていた。いや、引き離された。オレの攻撃はクリーンヒットしたらしい。

 しかし見えない、なのですぐさま【索敵】/ソナー効果を利用した音響視界=【心眼】に切り替えた。光情報によらないので目潰しされても『見える』、障害物も透過できる。色が削げ落ちた作りの荒いポリゴンの光景、だけどそこには青色の電飾で象られた人影があった。ディアベルだ。

 見えると同時に追撃。耐え切れず片膝つこうとしている今なら叶う。やられた分はキッチリ返してやる。

 

 体重を乗せての袈裟斬りはしかし、差し込まれた大剣で防がれた。衝突の甲高い音が一瞬、互の剣を通常の視界と同じ映像として見せた。

 そのまま力押しした。ディアベルの足は地面に食い込むも……耐え切った。

 払いのけられる前に、空中で前転、ディアベルの背後に降り立つ。互いに背中合わせ―――

 すぐさま横薙ぎ/ほぼ同時だった。互いに示し合わせたように同じ方向へ、半回転しながら互の首を狙う。

 再び向かい合う/刃が首筋に到達する前に、止めた。空いた左手で互の右肘を押さえた=それ以上振りぬけない。……またもやお互い、同じ反応を示した=斬れない/避けきれないので止める=致命斬撃である『断頭』はフェイク。

 斬撃は中途で止められたエネルギーが、衝撃波として放たれた。二人を中心に円形に、降り積もった雪が吹き飛ばされる。

 

 奇妙な鍔迫り合い/互いに両腕を交差させながら睨みあう。ギチギチと軋む音色=掴まれた腕が軋んでいた。

 隙を見せればそこを喰らって潰す、容赦しない/できる相手じゃない。しかし……ソレもお互い様だった。

 どちらがとも言わず手を離す/仕切り直した。ディアベルの拘束が外れる。睨み合いながらも離れていく―――

 その寸前/ギリギリの接近戦=オレだけの間合い。【片手剣】とともに鍛え抜いたもう一つの攻撃スキル=【体術】の出番だ。蹴り技の初動モーションを作った。ライトエフェクトが瞬く=システムアシストが『乗った』感触。

 

 単発蹴り技【昇月牙】―――。

 後方宙返りをしながら前方の敵に斬撃を浴びせる技。効果的な使い方は、空中コンボへと続ける跳ね上げのための初撃、あるいは怯んでしゃがんでいると錯覚して追撃してくる敵へのカウンター。今回はそのどちらでもない追撃だ。

 突然の足刀の切り上げにディアベルは、慌てて回避しようとした。

 しかしギリギリ、顔をそらすだけ/顎へのクリーンヒット=【気絶】の危険を防ぐのみ。オレの足刀は首筋と頬に大きな切り傷を引いた。鮮血のエフェクトが飛び散る。

 

 たたらを踏まされたディアベル、しかしその目はまだ死んでいない/ちょうど宙吊り状態のオレを見据えていた。

 傷はそのままに、横薙ぎを打ち込んできた。無防備の頭部を狙う。あまりにも不安定な姿勢ながら/体の捻りのみで、迎え撃った。

 カーンと剣撃が鳴り響いた。その振動で持ち手が痺れた、離してしまいそうになる寸前で耐え切る。しかし、衝撃全ては殺せなかった。

 ディアベルはその場で踏みとどまるも、オレは背中から地面に落ちた=受け身が取れなかった。衝撃が内蔵を揺さぶる、思わず肺から空気が吐き出された。

 

「―――がッ!?」

 

 通常ならコレで【転倒】、ディアベルはすぐに動けないと言えども危険。今は一秒も惜しい戦場だ。しかしここは雪床、衝撃はだいぶ散らされた。幸いにも【転倒】は起こらず、すぐさま立ちあがった。

 

 

 

 再びにらみ合い。互いに息を切らしながら/鮮血を滴らせながら、剣を構え続ける。ジリジリと間合いを詰めていく。

 また死闘が繰り広げられる……その前に、ディアベルは笑った。

 

「……死に急いでる割には結構粘るじゃないか、キリト」

 

 嘲るように/褒めるように、何とも言えない複雑な微笑みとともに図星を突いてきた。

 いきなり内心に踏み込まれ固まりそうになるも、やせ我慢を貫く。

 

「オレが、死に急いでる……? お前相手にか?」

「俺は、プレイヤー全員を帰還させるためにもゲームクリアを果たす。一人でも多く生き延びさせてね。けど……ここで死にたがってる奴は、その限りじゃないんだ」

 

 死にたがってる奴の面倒はみない。むしろ、死なせてやる方がいい……。暗にそう、オレに向けて告げてきた。

 反論が……出てこなかった。認めてはならないと焦るも、言葉にできない。ただ強く、奥歯を噛み締める/睨みつけるだけ。

 

「俺は生き延びる、皆も生き延びる。必ずこのゲームに勝つ。だから、邪魔する奴は誰であろうとも―――倒す」

 

 宣言すると剣気が、迸った。チリチリと空気が焦げ付く、雪の冷たさが吹き消された。

 圧倒されそうになるも、腹に力をためて跳ね除けた。

 オレにも譲れないものがある。奴のような誰もが認める大義じゃないけど、大事なことだ。ここから前に踏み出すため、もう二度と立ち止まらずにすむように―――

 

 ふと、気づいた/気づいてしまった。

 オレがここまで頑張った理由は、しつこく思い続けてきたのは結局……自分のためか? サチや【黒猫団】のことは二の次だったのか? まとわりついた罪悪感を取り払って身軽になるために、そうしなければ生き残れないから/食い殺されるだけだから。だから、だからだから―――。

 

(だから……だったのかよ)

 

 足元がぐらついた。肩の力が抜け落ちそうになった。急に忘れていた疲れが全身を侵してくる。

 欺瞞が外された。己を真綿で覆っていた偽りが剥ぎ取られていく。残ったモノは何とも……受け容れがたかった。

 全てが反転していた。オレはディアベルたちが掲げた大義名分を「くだらない」と切り捨てたのに、ことココに至ってソレにしがみついていたことに気づかされた。罪悪感と大義名分は双子の悪魔のようなものだった、どちらも下らない。だから、ソレを根底に据えて動いていたオレの方がずっと……愚かだった。

 

 必死に、ディアベルと対峙した。動揺が剣先に表れブレる、なのに止められない。だからと言ってここで倒れるわけには行かないと、鼓舞する。侵食してくるモノを無視し続けた。

 それでも『納得』したいから、『奇跡』を信じているからここにいる。あるのなら、他の誰でもない自分だけが掴む。だから……頭がお花畑になるのだろう。

 

 オレの動揺をみてか突然、ディアベルは構えを解いた。自然体のまま直立。

 握った大剣に目を向けながら、何かを悩み……決断した。

 

「できれば、この手は使いたくなかったけど……仕方がない。俺がダメージを負った以上、皆が無理を押してでもおしかけてくるだろう」

 

 ハッと、指摘されて初めて気づいた。大ポカだった。

 ソロであるオレとは違ってディアベルのHPは、パーティーメンバーやレイドを組んでいたであろうギルドメンバーに知られている。彼らの視界隅に浮かんでいるはずだ、この異空間であってもソレは変わらない。ボスを倒したことも知られていた。そして今、他プレイヤーから攻撃を受けていることも。

 もう【霊晶石】の奪い合いなど言っている場合ではなかった。【聖騎士】たちが乗り込んできたらオレは、確実に袋叩きにされる。逃げ延びることすら難しいかも知れない。

 

「これからは一方的な惨殺になる。君にまだ生き延びる意志があることを、祈ってる―――」

 

 そう言って、儚く微笑んだ。まるで、今生の別れを告げるように……。

 そして唐突に、その剣の鋒を自分に向け―――

 

 

 

 胸に突き立てた。

 

 

  

 ズブリッ―――。

 音を立てながら、自らの刃を胸の中に押し込んでいく。

 

「―――グブゥッ!」

 

 吐血。口から鮮血が吐き出され、白い雪原に赤い飛沫を撒き散らした。視界隅に映るディアベルのHPバーが、ガクンとイエローへ減少した。

 

「なッ、何してる!?」

「君の方こそ、遺言を考えて……おけ。これを使うと、手加減ができ……ないッ! 最悪、殺してしまうかも……しれないから、な―――ゴフゥぅッ!!」

 

 口と胸から鮮血を滴らせながらも切れ切れに言うと、突き刺したそれを捻り上げた。

 割腹。胸の傷跡から噴水のように吹き出た鮮血が、極寒のこの場所で瞬間に凍らされて赤い雪となって舞い散っていった。減少を続けていたHPが、それで更に赤へと進んでいった。

 

(このままでは死ぬだけだ。奴は一体何を?)

「だけど、君の暴行を止めるにはこれしか……ない。だから―――使わせてもらうぞ!」

「!? 【降魔剣】か!」

 

 狙いに気づくと、愛剣を抜き払って強襲。脇目も振らずにソードスキルを放つ/初動モーションを取った。奴の胸からアレを取り払わなければならない。

 光を纏うのももどかしく、弾けた。発動と同時に【加速】。白い雪煙が、背後で巻き上がる

 

(奴が自殺するよりも早く、殺さなくてはならない。そうしなければ勝てない。発動されたら終わる。今のオレに、アレに勝つだけの力と装備はない―――)

「させるかァ―――ッ!!」

 

 雪をまい散らさせながら、突進していった。

 

(間に合え、間に合えッ、間に合えぇーッ!!)

 

 届け届けと、脳神経が焼き切れるほど叫んだ。今までにないほどの【加速】、全身が刃になったかのような錯覚までしてきた―――

 

 だけど、到達するまでの刹那。首筋の毛が泡だった。

 

 危険な何かが、見えないどこからからやってくる。オレの五感のどれかが、意識に登らないそのかすかな情報を捉え知らせてきた。【超感覚】とでもいうシステム外スキル、隠れ潜む何か・害意や敵意を向けてくる何かの違和感を感じ取る。その警告が最大でがなり立てていた。

 確認しようと振り返る……間もなく、それは―――

 

 

 

 オレの背中を胸まで貫いた。

 

 

 

「―――ゴブゥッ」

 

 腹からせり上がってきた鮮血を吐き出した。不愉快な痛みがそこから、全身に染み広がっていく。弓ぞりになりながら雪原に倒れ伏された。そして、突進の勢いのまま地面を赤く染めながら滑っていった。

 ガクガクと上下に激しく揺すられた、ガリガリと積雪ごと固く凍った地面を削っていった。それでも勢いは止まらず、横転を繰り返していた。

 まるで高速道路での交通事故さながら。平衡感覚が失われて、上下左右がわからなくなっていた。視界いっぱいにかき分けた雪の白が覆って、全く何も見えない。激しい微振動に脳みそが撹拌されて、思考や体の感覚がごちゃまぜになって上手くまとめられなくなっていた。

 それでも徐々に勢いが散らされ衰えていくと、止まった。雪原の中に肩まで突っ込みながら、なんとか止まった。

 

「……なッ、にが―――」

 

 まだグルグルと回り続ける視界の中、状況を確認しようと気持ち悪さを押す。

 

 背後からの突然の飛び道具。今も胸を貫いているソレを見る。

 オレの肩ほどある長さの一本の灰銀の短槍、金属製の棒の先に手の平から肘までの鏃が取り付けられている投げ槍。その刃にはほんのりとだが、何のエンチャントかわからない紅い光が内部で脈打つように淡いでいた。【投槍】による遠距離攻撃。

 飛来してきた先を、今この時には正面にあるそれを見る。先にオレが通ってきたここと向こうを区別する境界、エリアを断絶させている空間の裂け目。飛び出したそこは、小さな波紋がたゆたって広がっていた。だけどそこには、いるはずの誰かがいない。

 

(エリア外から狙って、当ててきた……だと?)

 

 ありえない事実に驚愕させられながらも立ち上がろうとするが、突然、世界が傾いた。

 並行を失って取り戻せない。全身が痺れて動けなくなっていた。

 固まった体をそのままドサリと倒れ込まさせると、雪の中に頭から突っ込まされた。

 

(―――なんだ!? 何が起きたんだ!?)

 

 顔にシミ広がっていく冷たさも気にしてられず、すぐさま異常を確認。視界に映るHPバーを見た。

 そこには、先ほどの不意打ちのダメージと、点滅しながら主張している凶悪なデバフが表示されていた。

 

 

 

「―――ディアベルはん! 無事かいな!?」

「ああ。問題ないよ……」

 

 駆けつけた誰かにディアベルが、苦しそうにだが返事をした。

 そして、今まで貫いていたいた己の剣を、胸から引き抜いた。ギリギリ0になるかならないかの境目。HPバーは、真っ赤なその場所で止まった。

 

「そんなわけないやろが! ―――ヒール、【ディアベル】!」

 

 取り出した黄色い【回復結晶】を取り出すと、叫んだ。癒しの白い光がディアベルの周囲で発した。

 すると瞬く間もなく、ディアベルのHPは満タンまで戻っていった。

 

「……無茶してくれなはんな、あんた一人の命やないんやで」

「俺は大丈夫だキバ。……わかってたことだろう?」

「わかるかいッ! 【アレ】は使わん予定やったやろうがッ!」

 

 心配そうに怒鳴りつけるキバオウを払ってディアベルは、平気だと言い張っていた。だけどその胸からは、今の俺にも以上の傷跡がパックリと空いていた。手で押さえたそこから、ドバドバと鮮血がとめどなくこぼれ落ちていた。

 【回復結晶】が全快させてくれるのは、あくまでHPだけ。身体の損傷や欠損・毒などは治してくれない。それらは街の【施術院】か【医術】スキルをもつ医者に見てもらわなければならない。それもできる結晶アイテムは存在するが、NPC店舗では販売していないモンスターのレアドロップだ。稀少性が高すぎて、今まで攻略してきた中でも十数個しか発見されていない。

 HPを全快した以上、あとは安静にし自然回復で危機的状況を脱するまでの時間は稼げるが、それでも危険な状態であることは変わらない。

 

「リンドが一歩でも遅れ腐ったら、死んでたんやぞ! わいらが駆けつけるまで、待てへんかったんかいな!」

「現場での臨機応変の対応、てやつだよ。―――それよりも、彼のほうが重傷だ」

 

 なおも叱りつけようとするキバオウを差し置いて、オレを指差してきた。

 

「……すまないキリト。もう少し穏便に運びたかったんだが、手荒なことになってしまったな」

 

 何か罵倒してやろうと口を開くも、声が出ない。喉からは掠れた息しか出てこない。出せないことに、その時になってようやく気づいた。

 

「いま君の胸に刺さっているのは、【バジリスクの鱗】を溶かして錬成した短槍だ。付加攻撃として【石化】を与えることが出来る武器だよ」

 

 歯噛みしながら、その事実を聞いていた。……今は最も聞きたくない、実に嫌なアイテム名だった。

 

 【石化】。【麻痺】と同じぐらい最悪なバットステータスの一つ。

 それをソロでモンスターからもらってしまったら、誰か気のいいプレイヤーが通りかかってくれるまで、その場で待ちぼうけを食らってしまうことになる。自力回復には、食らった【石化】のレベルにもよるが一時間は掛かる。あらかじめ対処していればもう少しだけ短くはなるが、最短でも三〇分はロスする。ただその間、身動きが一切取れない代わりに防御力は桁外れに上がるので、大量のモンスターに囲まれ逃げ道がなくなった際には、緊急手段として使われる。……使われてきたものだった。

 高価な【転移結晶】を常備しておくことができないプレイヤーの保険、昔のフロントプレイヤーがとっていた保険。十数分も攻撃して成果が見込めなければモンスターたちも飽きるのか、はたまたそういう仕様なのかプレイヤー救済処置なのか、【石化】は最終防衛手段として充分以上な効果を発揮してくれる方法だった。一箇所にとどまり続けるモンスターやエリアボス・フロアボスには効果は見込めないが、それ以外の攻略や探索では実績を積み重ねてきた戦術だ。

 

(これは、ディアベルの皮肉か? ……趣味が悪すぎるぞ)

 

 染み出してくる罪悪感を押さえつけるように、睨みつける視線を強く尖らせていった。

 

 【バジリスクの鱗】。あるいはバジリスクから取れる全ては、現状において、武装に【石化】の追加効果を付与させる最も優れた素材アイテムだ。あるいは、消費アイテムである投擲武器に毒として付与させるには。

 モンスターの捕獲クエストのためにもオレは、ソレを常備していた。【黒猫団】にいた時も、あの悲劇が起きた時もずっと……。

 だから使った。全員を助けられないから【石化】させた/壁にした。そうすればモンスターの侵攻を制限できるから、今までそうしてきた経験と直感がそうさせた。アレは正しい判断だったのだろう……、オレが生き延びるには。

 モンスターが強すぎた/多すぎた。明らかにあの階層で出現するレベルを超えていた、まるで前線のモンスターたちだった。【石化】させても【黒猫団】たちでは耐え切れなかった。

 考えてみれば筋は通る、あの隠し部屋が今まで見つからなかったのは、まだ前線がそこまで到達していなかったからだろう。そういう隠し部屋がなかったわけじゃなかった、なのに……油断した。

 何も告げられずいきなり【石化】させられた。身動き取れない中、ただ自分のHPが0になるのを見せられ、そして―――。裏切られたと、恨まれても仕方がない。

 ソレが今オレに、突き刺さっている。

 

「じきに指一本動かせなくなって五感もすべて閉じられる。そうなれば、次に目覚めるのは30分以降になるだろう。だけどそうなる前に―――

 

 

 

 【黒鉄宮】の牢獄に送る」

 

 

 

 

 見下ろす目は峻厳に、まるで裁判官にでもなったかのように宣告してきた。

 しかしソレは、あまりにもトンチンカンなことだ。

 

「……は? どうや―――ッ!?」

 

 だが、そうでもなかった。

 気づかされた。今までオレたちは、何をしていたんだ? パーティーも組まず、【決闘】システムも使っていない。ただ【霊晶石】を奪い合うために、圏外で殺し合って/斬りつけ合ってそれで―――。

 ディアベルのカーソルは、イエローに変わっていた。ならば、同じことをしたオレもきっと……そうだ。充分【黒鉄宮】に送還できる。

 加えて、今のオレには―――

 

「残念ながら君には、【月夜の黒猫団】をMPKした疑いがかかっている。【軍】から【逮捕状】を預かっているんだ」

 

 そう言うとディアベルは、メニューを開き魔法スクロールのような羊皮紙を取り出した。そして、巻かれていたソレをオレに見える開いた。

 ソレはまさしく【逮捕状】だった。問答無用で/オレンジカーソルでなくても【黒鉄宮】の牢獄にブチ込むことができる、獄卒長に多額のワイロを贈らなければ獲得できないアイテムだった。街から犯罪者を取り除く【ガーディアン】たちをも徴用できる、名前が書かれたプレイヤーが捕まるまで犯罪者扱いされる。

 

「……本当はこんなもの使いたくないんだが、今の君にはちょうどいい。わかりやすいお仕置きが必要みたいだからな」

 

 システムの【石化】処置を振りほどかんと暴れるも、動く手足はない。指先すら微動だにしない。

 

「次に目覚める場所は牢獄の中だ。完全に【石化】が完了し次第、そちらへ運ばせてもらうよ」

「ちくしょう! くそ野郎、がぁぁ―――ぁ…… 」

 

 肺の中の空気を絞り出しながら、なんとかそれだけ吐き出した。

 だけどそれを最後に、体は完全に凍りついてしまった。見えていた視界も、写真のように固まった。鮮明な色合いと輪郭は持っているにも関わらず、今までと違って奥行きがない。視点の移動もままならない。

 

 

 

「『牢の中で頭を冷やせ』なんて、つまらないことは言わない。むしろ俺への怒りを掻き立てていろ。次は本気で殺しにかかってこいよ、隠してる『奥の手』を使ってね。……でなければ、コレは奪えないぞ」

 

 ディアベルの言葉は、近くでありながら遥か遠くからの木霊のように聞こえた。全ての環境雑音・胸の鼓動すらも遠のいていき、耳が痛くなるような静寂が迫ってきていた。

 

(ちくしょうッ、ちくしょうッ、チクショウっ、ちくしょうがァッ―――)

 

 麻痺してしまった声帯は音を出せず、頭の中だけで反響する声。舌先すら微動だにしなくなっていた。

 

 

 

“―――たとえ君に恨まれたとしても俺たちは、君を失うわけにはいかない”

 

 

 

 最後に耳が捕らえたつぶやきは、懺悔に似た響き。

 もう体は、ただのオブジェクトへと変わっていた。

 

 

 

 

 

 

 それを最後にオレの意識は、底のない暗闇の中に閉ざされた。

 

 

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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50階層/監獄 祭りの痕

 

 

 今日も牛頭の看守NPCが、喚き散らしてくる。

 

 

 

『―――おらぁ、キリキリ運べクズ共!』

 

 囚人たち/一様にボロ切れのような囚人服を着せられた集団が、不満そうに睨む。ながらも働く。逆らえば/口答えしただけでも/ただ目があっただけでさえも、何をされるかわかったものじゃない。労力を無駄使いしたらこの先やっていけない。

 ここでは看守の命令は絶対だ。どれだけ理不尽でも筋が通ってなくても従わなくてはならない。『ここ』に外のような自由はない。

 あらゆる不満を飲み込み、身の丈超える巨大な大岩を押し上げ続ける。この監獄が要求する懲罰をこなす。

 

 急斜面の山道、巨人が作った砂山のようで何もない。

 頂上まで一本坂だが遥か高み、上は薄雲で覆われ見えない。抜けた先は雪が積もっている光景だと言われているが、俺は行けたことがない。

 転がして登るほどに、大岩は大きく重くなる、まるで雪だるまのように。動かすのが段々と困難になってくる。さらには、一本の遮るものがない坂道ゆえに、一度でも力を抜いたり踏ん張りが効かなくなったらやり直しだ。お情けとしてドアストッパーらしきものを渡されているが、中腹を越えたあたりから/一番辛くなる時からは役に立たない代物。

 何とか頂上まで辿りつけたらクリア=『罪』が贖われるのだが……ソレはほぼ永遠にできない。その手前で、筋力・体力・持久力もろもろ全てを使い果たしてしまう。あと少しの頂上を見据えながら、力果て落とされやり直し。何度も何十回も何百回ですら果てしなく、続けさせられる。

 何の実りもない、芽が出ることすらない。あまりにも不毛な、ただただ苦しませるだけの地獄だ。

 今日も無駄に、一日を殺すために登り続ける。

 

『おい貴様! 手を抜いてるんじゃねぇッ!』

「―――いぐぅッ!?」

 

 などと現実逃避していると、すかさず看守が飛んできた。鞭打たれた。痛みで思わず気が抜ける、よろけた拍子で大岩がズシリと押される。

 この脳タリンの牛頭が……。半泣きになりながら、嘲笑うサディストを睨みつけた。

 

 ここは外とは違って、痛覚がかなり鋭敏になっている。現実のソレに近い。なので、無防備な背中を思い切り鞭で叩かれると、骨にまで響く。背中の皮がズル剥けるような容赦のない一打だ。眠気も強気も正気すらも吹っ飛ばすほどの激痛が噴き出してくる。

 痛みとにじみ出てくる涙を必死で堪えていると、何かが気に入らなかったのだろう、牛頭が突っかかってきた。

 

『……なんだぁ、その反抗的な目は? もう一度やられたいようだな』

「い、いえ! もう……充分です、気合入りました」

『そんな余裕こけるのなら、まだまだだな。ホレもう一発だ―――』

 

 不意の連打。背骨までえぐり取られたかのような痛みに、悲鳴すら上げられなかった。

 耐え切れず膝を折りそうになるも、大岩に潰される恐怖から抑えつけ続けた、まるでしがみつくようにして。事実、ソレに意識を逸らし続けていなければ堪えられない。

 何発か打つと満足したのか、喜悦を浮かべながら俺の顔を覗き込んできた。

 

『よしよぉし、その顔だ。ソレでいい。実にお前らしくなったぞ』

「ウウッ・・・・うっうっうっ・・・・」

 

 悔し涙が溢れ出た。さらに悦ばすこととわかっていながらも、こぼれてしまう。

 もう現実に帰りたい。でも、死にたくない……。

 誰も助けてはくれない/逃げ場なんてどこにもない。それなのにただ、こんな無駄な苦行を強いられる。続けろなんて……。俺が一体何をしたって言うんだ、神様よぉ?

 

(こんなの、あんまりだ……)

 

 なんとか、泣き言は胸に納めた。ただただ運ぶことだけに集中する、他のことは考えないようにする。

 人形になりたい/プレイヤーであることを辞めたい。この苦しみから解放されるのなら、見えもしない魂なんて/もうやせ細って使い物にならない肉体なんて/誰も待っていない現実世界なんて、なくなってもいい。全部捨てるからくれてやるから、だから……。ギリギリそれだけは、堪えた。

 

『無駄口叩かず、とっとと運べ! お前らはただこのためだけに生かされてる家畜だ。そのことをよぉく、胸に刻め! ……あの新入りみたいにな』

 

 指し示した鞭に釣られて、看守が褒め称えている新入りを見た。

 俺の遥か先に登っている。他の誰よりも先へ、どれだけ鞭打たれようともへこたれず、頂上へと登り続ける―――。

 その姿に俺は……呆れた。

 

(……全部無駄なのによくやるなぁ、ビーターさんは)

 

 ビーター=チーター+βテスター。第一層のボスエリアにて判明した、あの黒髪の少年を指す別名。今はもう彼のみを指す蔑称ではなくなったが、その名からイメージされる姿は目の前の彼だ。

 ココとは最も縁が深そうであり、同時に縁遠い存在。なので、最もいるはずのないプレイヤーだったが……こうしている。捕らえられ閉じ込められていた。

 

『あれだけの根性と力があれば、仲間を殺さずにも済んだものを……。クズの考えはよくわからん』

 

 看守はペッと、唾を吐き捨てながら軽蔑した。自分は仲間を絶対に裏切らないと確信しているかのように、できない奴らを人でなしと/卑怯者と断罪している。

 

 ここは、【黒鉄宮】が用意している監獄が一つ。パーティーメンバーをPKした/間接的にもそうした犯罪者たちが堕とされる地獄だ。俺もその一人。誤解でも冤罪でもない、間違いなく正しい住人の一人だ。

 看守の言うとおり、その行為自体は唾棄すべきものだろう。だが、後悔は薄い、むしろ清々している。罪悪感は持ち続けるほうが難しいほど。ソレを思い返せば、この苦行も幾分か薄れていく……。殺っても殺らなくても地獄なら、せめて自分の意思を持ちたいから。

 

 取り返したから今、こんな無駄なことができる……。随分な酷い皮肉だ。俺には初めから自由なんてなかった、この仮想世界の中であってさえも、何処にいても……。

 乾いた笑いが漏れた。笑うほど胸が掠れ切り刻まれる、痛いのに痛くない……。もう情けなさも感じない。

 ふと疑念が沸いて、ビーターを見上げた。

 それにしても、なんで奴はここにいるんだろうか? 確かソロプレイヤーのはずだったのに、誰かとパーティーを組んでいたのか……。すぐに答えに至った。

 

(なるほど、嵌められた口か。相当嫌われてたもんな。……バカな奴だ)

 

 ビーターの癖に、意外と脇は甘かったんだ……。間抜けぶりを哂った、自分のことは脇に置いて。

 

 苦行を続ける、ただただ無益な苦行を、何も考えずロバにでもなっているかのように……。

 あぁ、無益ではなかったな。ロバの偉大さを痛感した。俺はこんな風には生きたくないと想っている。

 そんな自分がいることに/どこへでも羽ばたける予感に、少しだけ……慰められた。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 窓一つない、今にも押しつぶされそうな灰色の石室の中、怒鳴り散らした。

 

 

 

「―――どういうことだコウイチ!? なんで【保釈金】を払えない!」

 

 無駄だとわかっていながらも、目の前のガラス板を思い切り叩いていた。

 今のレベルで身体パラメーターならば、そんな薄膜を砕くことなど容易いのだが……できなかった。柔らかくしかし不可侵の見えない壁が、ぼわわんと小さな波紋とともに浮かび上がっていた。

 ソレが地獄と現世の分かれ目、ただ声と映像だけしか通れない。唯一外界と接点を持てるここ【面会室】の防壁に、抜かりはない。

 

「オレの所持品はお前が預かったはずだ、オレにもしものことがあった時用にな。そいつを使えばいいだろう」

 

 イラつきを限界まで抑えながら、確認した。そんなことも言わなきゃわからないかと、できない相手でないことはわかっているがそれでも口から出た。……今のオレに、誰かを気遣う余裕なんてコレっぽっちもない。

 相手は少しだけ眉をひそめるも、申し訳ないと目を伏せながら謝罪してきた。

 

「……払うことはできる。だが相当な金額だ。君が集めたものの大半がなくなるぞ?」

「かまわない、ここから出られるならな」

「ディアベル君たちには勝てなくなるぞ?」

 

 その指摘にグッと、飲み込まされた。自然と眉間にも皺がよる。腹からのわなつきを奥歯を噛み締め耐えた。

 ディアベル―――。その名前はオレにとって、この世で二番目の仇だ。ここを出たら真っ先に思い知らせなければならない相手だ。

 奴は……残念なことに強い。単品でもそうだ、それなのに【聖騎士連合】などという猛者たちまでついている。その全員を相手どるなど、かのクォーターポイントのフロアボスを単独で倒すのと同じほど無謀だ。所持品・所持金の半分を奪われた後ならなおさらだ。

 

「私も協力はできる。が、この金額となると話は変わってくる。今の私には立場がある。君を助けると少々……ややこしいことになり兼ねない」

 

 わかるだろ……。苦笑しながら同意を求めてきた。

 

 コウイチ。かつては攻略組を率いるトッププレイヤーの一人だったが、今は違う。ギリギリ食らいつけるといった有様にまで堕ちている。身につけている装備品も、前線にいるプレイヤーのモノとはランクがおちた粗悪品だ。……ただ一つ、主武装である『呪われた槍』を除いて。

 【軍】の暴走により下層域で支配体制が築かれてしまった。そのことを憂いて指導者の座から退いた。一人でも多く救い出すために/【軍】の支配の手から逃れられるように、力を授ける=後進の育成に尽力している。あるいは、『徴税』を免除させる『免税区域』を構築し認めさせた、そこに戦えないプレイヤーたちを集め保護する。【軍】の横暴を拡げさせないカウンターを作り上げ運営している。

 ゆえに今、その善行にふさわしい二つ名がつけられている。

 

『―――【腹話術】はできるか、キリト? できなければ声には出さず、首を振ってくれないかな?』

 

 耳に直接入ってくるコウイチの声に、驚かされた。向かい合っているその顔/口元は全く動いていないのに、聴こえてくる。

 何が起きたのか瞬時に理解すると、返事を返した。

 

『……何を警戒してる?』

『さすがキリト。アルゴさんに教えてもらったのかな?』

 

 小さくニヤリと笑った。しかし相変わらず口元には、動きはない。

 

 【腹話術(テレパス)】。ゲームにあらかじめ設定されてはいない、システム外スキル。システムの穴を利用した内緒話だ。

 この仮想世界で声を出す時は、喉と舌ベロと唇の動きが連動する、まるで現実世界の肉体と同じように。ソードスキルと同じだ。違いは、初動モーションをほとんど意識せずにとっていること、『動かされている』と感じられないほどスムーズで真に迫っているからだ。通常ソレは、ラグのない動きをもたらしてくれるだけ、ここにリアリティを感じさせてくれるだけだ。

 ソレを崩す。唇を動かさず/他と連動させずに声だけ出す、現実の腹話術のように、ソードスキルを発動せずに通常攻撃を使う。戦闘とは逆をやる。

 すると、不思議なバグがおきる。可聴域にいるプレイヤーには聴こえるのに、モンスターやNPCたちには聞こえない。不思議がられるも人の声として認知できない。またプレイヤーでも、アイテムや【索敵】【聞き耳】で強化した分は聞き取れない。純粋な、持ち前の人間の聴力で聞き取れる範囲内ででしか聴こえない。さらに、舌ベラと口の形を整えて声に指向性を持たせれば、離れていながら耳打ちできる。

 情報屋と/『鼠のアルゴ』との交渉の際には大抵【腹話術】だ。ソレができることが、交渉相手としての最低限のマナーになっている。できない者は、【腹話術】の情報と教授が高値で売りつけられるか、安全な交渉場所を用意しなければならない。

 

『オレは別口だよ。で、答えは?』

『色々だが、わかりやすいのは【軍】かな。ここは彼らの所有物だからね。……そこのNPCを通して、ここでの会話が盗み取られる』

 

 視線で指し示した先/オレの背後で監視している馬頭の看守。何を考えているのか/そもそも何かを考えているのかわからない無表情(そもそも馬の表情の見分けなどつかない)だが、しきりに耳はピクピクと動いていた。何かを聞き取っているようで、でも意味は分からず反応できない、脳みそにまで達していない。まさに馬耳東風の有様。

 胸の内で舌打ちした、注意力が散漫になりすぎていた。ここはオレにとって未知のダンジョン、敵地の真っ只中なのに。

 

『こうやって面会するのも、かなり危険なことなんだ。かつての戦友とのことで来れたが、それ以上の手助けをすると……私を頼ってくれている人たちを危険にさらすことになる』

 

 かつてのように気軽には、と言ってもビーターと指導者とでは表向き敵対関係なので気取られぬように、共闘していた時とは違う。互の道が別れた。全てはあの25階層から狂ってしまった。

 

『私ができるのは、君が保有していたアイテムや金を【軍】に徴収されないよう保管することだけだ。奴らがわざわざ君に【逮捕状】を出したのは、ソレを狙ってのこともあるだろう』

『装備してたモノは盗られたぞ? オレの主武装だ』

『安心してくれ、ソレも回収してある。君が盗られたものは何もない』

 

 その返事にピクリと、燻っていた怒りが反応した。コウイチを睨みつける。

 【石化】させられたオレから装備を剥ぐ? そのまま監獄にぶち込まれたのに、【黒鉄宮】の中は完全に【軍】の縄張りでそんなあからさまな小細工など許すわけがないのに? いつ何処にそんな余裕があったのか? ……コウイチ一人では、ありえないことだ。

 

『……【聖騎士】どもとグルだったのか?』

『協力関係にあるだけさ。ここで生き延びるには、攻略組の有力ギルドとのパイプが必要不可欠だ、【軍】を牽制するためにもね』

『オレが【聖晶石】を取るのを、邪魔したのか?』

 

 話をズラそうとするコウイチを無理やり、強制した。

 敵か味方か? お前は今ここで、オレと会話するのに値する親友なのか? もしそうじゃないのなら……。さらに視線を鋭く/暗く研ぎ澄ました。

 一瞬、重たい沈黙が流れた。

 

『……そうとも、言えるかな。結果的にそうなった。

 それにもし、あの場に私がいれたのなら、同じような行動をとっていただろう。……君にアレは掴ませなかったはずだ』

「オレがここから出ることは、反対か?」

 

 【腹話術】を解いて、静かに糾弾した。

 背後の看守がピクリと反応した。その動きにコウイチは、オレへ非難の視線を向けようとするも、瞑目して飲み込んだ。

 そして溜息をつくと、うつむき気味でぼやくように尋ねた。

 

「……そうでもしなければ、ふり切れないかな?」

「お前はどうなんだ、神父様?」

 

 挑発するように、二つ名を使った。

 

 神父。その二つ名は、【軍】の支配下にいるプレイヤーたちにとって、救いの神に等しい存在だ。窮屈な下層域における唯一のオアシス。ソレが一般が抱いているイメージだ。概ねそれは正しい、攻略組でもそう想っているプレイヤーは多い。

 しかしオレは、オレとでは通じている別の側面で使っている。ソレを形作るための犠牲を/ソレがソレであるための生贄の血を、際立たせるようにして。

 

「あまりにも多く……見すぎてしまってね。アレは、たった一人だけしか選べられないのだろ? なら遠慮する。ディアベル君の使い方なら賛同だ」

 

 挑発には乗らず。しかし、一気に一回り老け込んでしまったかのように、自嘲しながら答えた。

 

「私は、君の出所を助けることはできない。……すまないな」

 

 目を伏せ謝罪してきた。

 しかしすぐに、【腹話術】で継いでくる。

 

『だけど、方法がないわけじゃない。【保釈金】よりも簡単に済ませられる方法がね』

『……どうやる? まさか……脱獄か!?』

 

 そんな方法があるのか……。【脱獄クエスト】。ココが監獄ならばもちろんのこと、設定されているのだろう。ただしこのゲームの神様が、真面目に犯罪者を取り締まろうと考えていなければ。

 

『いやいや、そんな綱渡りなことする必要はないよ。普通に、その【懲罰クエスト】をクリアすればいいだけだ。それですぐに出所できる』

 

 聞きなれない単語に一瞬、疑問符が浮かんだ。アレがクエスト? いつもこなしてきたものと……同じ? クリア条件が/方法があるのか?

 

『アレを、クリアする……? そんなこと……できるのか?』

『見えるものに騙されなければいいんだ』

 

 オレの不安を吹き飛ばすように、確信に満ちた声で告げた。

 

『『絶対に不可能』なんてことの方がありえない。無限に登り続けさせるなんてのは、何らかのトリックがなければ成り立たない。機械には、いや人間ですら、そんな大それたモノを作り出せたことがなかった』

『そりゃ確かに、方法はあるが……他人の協力が不可欠だろ? 複数人で一つの岩を押し上げれば頂上まで行けるだろうが、お一人様限定だ。ここにいる奴らにオレも含めてそんな自己犠牲は……望み薄だ』

『違う違う。もっと簡単に、誰でも一人でできるんだ。仕掛けられてる詐術に気づけばいいだけで、五感を内側へだけに絞れば―――』

「おい、もう時間だ! 面会は終わりだぞ」

 

 看守の割り込みで、コウイチのヒントが中断された。

 何とか続きを聞こうと/教えようとするも、椅子から引きずり下ろしてきた。無理矢理にも引き離しながら、嘲ってくる。

 

「……見つめ合うだけなんて、気持ち悪い奴らだ。貴重な面会時間を無駄にしたな」

 

 思惑通り、【腹話術】での会話は聞こえていなかった様子、ただ黙って見つめ合っている姿しか聞き取れなかった。

 それだけでも確認がとれたと安堵しようとすると、

 

 

 

「―――君ならできるよ、キリト」

 

 

 

 引き離されていくオレに、応援のメッセージを告げた。

 

『さっさとそんな檻から抜け出して、前線に戻って来い』

 

 【面会室】の扉が閉まる寸前/【腹話術】での励ましを最後にオレは、再び監獄に戻されていった。

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 【腹話術】は、拙著独自の設定です。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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断層/空中回廊 決意

 

 

 

 僕と彼女との出会い。それはまだ、最前線が46階層にあった時期、現実の日本では晩夏といった季節だろう。場所は、それよりもかなり下の、多分最下層近くのフロアのヘリだったはず。……詳しい階層と場所は、恥ずかしながら知らない。

 

 キッカケは、日本の有名アニメ映画、かのスタジオジ○リが生み出した傑作『天空の○ ラ○ュタ』の主人公とヒロインの出会いと同じだ。その役柄は、僕らの場合真逆だけど。

 その時僕は、『飛○石の結晶』なる特殊アイテムを装備していなかった(多分そんな便利アイテムこのSAOの中にはどこにもないだろうけど)ため、もし彼女との出会いがなければ地面に叩きつけられて脳みそが焼かれていた。

 彼女は、空の城からメガネ大佐の誇大妄想のために落っことされたかの太っちょ将軍並みの勢いで落下する僕をキャッチするために、同じくフロアの縁から外へ飛び出さなくてはならなかったはず。ロープを体に結って、バンジージャンプをしたはずだ。下手をすれば二人共死んでいた可能性があった。いいやだいぶ上手でも、落下するボクとランデブーするためには神の思し召しがたぶんに必要だった。そうなったのは、奇跡と言って差し支えないだろう。だから彼女は、文句のつけ用もなく命の恩人だ。

 だけど僕は、今振り返ってみても、そのことを彼女にちゃんと感謝した覚えがない。する余裕も雰囲気もなかった。何より僕自身が、それをちゃんと口にしようとする気がなかった。その時の僕は自分のことが頭がいっぱいで、今に至るまではガムシャラに突っ走っていただけで、やっぱりこの期に及んでも自分のことしか考えていなかったから……。

 ただ、今じゃ言い訳でしかないけど、それを口にしてしまったら最後、彼女と僕との絆が失われてしまうんじゃないかと怖かったからだ。そんなものの存在は僕の妄想でしかなかったかもしれないが、それゆえに口に出したくなかった。

 本心はどうだったか全くわからないが、彼女もそれを気にしている様子はなかった。彼女は何も、自分のこと以外を気に病む人ではないから。

 

 だから今、それを話そうと思う。

 あるべき場所に帰った僕と、何処か遠くに消えてしまった彼女。言葉だけでも彼女の元に、届くように―――……。

 

 

 

 

 

 ★   ★   ★

 

 

 

 第一印象は「なんだこいつは!?」という怖れ混じりの驚きだった。

 彼女は僕の出会った人の中でも、一等な変人だった。たぶん、彼女以上の変人には、なかなか出会えないんじゃないかと思う。

 まず第一声からしておかしかった。

 

 

 

 

 

「―――お前と攻略組を分けているのは、一体どんな理由だと思う?」

 

 男にしては少し高めの声。だけど迷いのない声音で、『彼』は言った。……かつて僕自身が、誰かに問うたことそのままを。

 

 僕はつい先ほどまで気絶していたためか、仰向けに横たわったいた。隣で独特の奇妙な出で立ちをした『彼』を見た。

 膝下まで隠れるほどの裾がぼろぼろになっている黒のフード付きポンチョ、そのフードを目元まで被っていたため口元しか見えない。だから始め、『彼』がどんな顔をしていたのはわからなかった。

 目が覚めて、自分がまだこの世界にいた事に激しく落胆した。『あれ』は夢じゃなかったと突きつけられて、沈鬱な思いにとらわれていた。でも/だからだったのかもしれないが、妙に冷静になっていたことは覚えている。隣の人物が、黒い噂の『彼』だったことの驚きは少なかった。

 

 とりあえず、今まで介抱してくれたらしい隣の『彼』には、感謝の言葉をかけなければならない。律儀にもそう口を開こうすると、いきなりそんな質問をされた。

 

「…………情報力、だろ?」

 

 思わず返した答えは、かつてはっきりと宣言した答えとは、違うものだった。

 

 僕のことは何から何まで知っていると言わんばかりの上から目線だった。そんな質問をいきなり浴びせられて、戸惑いを超えて驚愕していた。なんだってそんなこと聞いてくるんだ、それも自己紹介の前に/邪魔した説教をするよりも前に。

 でも、不思議なことだが、彼のその無遠慮な態度はひどく板についていた。思い出してみるとおかしなことだらけなんだけど、あまりにも自然だった。ので、ついついこちらも乗せられてしまった。

 我ながら、このレスポンスの良さには苦笑せざるを得ない。そんなことだったから僕は、こんな結末になってしまったんだ……。

 

 容赦のない現実に叩きのめされて、自分がいかに甘かったのか骨身にしみていた。

 全て終わったと観念して目を閉じてみたら、こうやってまだまだ先があった。僕にとっては世界の終わりだと思っていたものが、実はどこにでもある不幸な出来事の一つでしかないと思い知らされて……涙も出なかった。

 だからもう、かつてと同じようには、答えられなかった。

 

「違う! ……本気でそう思ってるのか?」

 

 そんな諸々が、一蹴された。

 思わず顔色にまで出てしまったけど、そこに込められているのは、僕を小馬鹿にしての嘲笑ではなく叱りつけての訝しりだった。ので、反発だけは喉元でこらえた。でも、考えを改めようとは思えず、黙って睨みつける。

 なぜ彼のような奴に、そんなことを叱りつけられなければならないのか? わからない。お前なんかに言われたくない/何様のつもりだと、腹が立つ。

 何もかも/自分のことすらどうでもいいと諦めていた。そんな僕だったが、不愉快だった。僕の中にまだあった執着が、その言葉で刺激されたのかもしれない。

 

 しばらく黙って睨み合うと、先に彼が折れた。

 ため息をつきながら、今度は心底馬鹿にしながら、

 

「……意志力だよマヌケ。

 絶対に自分が、このゲームをクリアしてあの茅場の鼻っつらを折ってやるっていうやるガッツ! 泥水すすっても生き延びてやるっていうタフさ! 初めての敵・予期せぬ行動パターン・最悪の罠に遭遇しても機転を利かせられるユニークさだッ!」

 

 力強く歌うように、演説された。

 彼の容姿と噂とのギャップに困惑していると、続けて

 

「未来なんて誰にもわからないんだ。全てを見聞きしている監視網が引かれているわけでもない。情報力なんてものは二の次なんだよ」

 

 やれやれこんなことも分からないのか……。そう言わんばかりに肩をすくめて/哀れみすら込めた見下しで、吐き捨ててきた。

 やり込められて僕は、奥歯を強く噛んだ。

 そんなことは分かっている、僕だってそう思っていたさ。それを抱き続けることこそが強さなんだって、思っていたんだ。それを補えば前線プレイヤーの仲間入りが出来るって、できていなかったのはそれが足りなかっただけからだ……。そう、信じてたんだ。

 

(でも、現実は……そうじゃなかった)

 

 知っていたら、あんなことにはならなかった。

 どれだけ強く意思を持とうが、知らなかったら何もできない。知っていさえすれば、何が何でも止めていたんだ。知っていさえすれば……。何も知らなかったから/知ろうともしなかったから、こんな結末になった。

 

 思い返すと、無力感で視界が歪んでくる。嗚咽が漏れそうになってくる。弱音も言い訳も懲り懲りなのに、漏れ出てくる。

 でも、ここは告解室じゃない。相手は神父さんでもない。ここはSAOという仮想世界のデス・ゲームの中で、目の前の彼は史上最悪の殺人鬼だ。そんな相手に、自分の弱さ/罪なんてものを告白するなんて、狂気の沙汰だ。……その時まだ僕は、常識の内にあったから。

 

 拳を握り締めて/その硬さと痛みで、内側から湧き上がってくるものに/しがみついている何かを守らんと耐えていた。

 それすら知っていたのか彼は、さらに踏み込んできた。僕の胸をえぐる言葉。

 

「お前にはそれがなかった。だから―――

 

 

 

 大切な仲間も守れなかった」

 

 

 

 一瞬、頭が真っ白になった。

 

 思い返してみたら、まずなぜ彼がそんな事を知っているのか疑問に思うところだ。

 確か彼とは初対面だったし、何より僕らの身に起きたことがプレイヤーみんなの耳に伝わるには、まだまだ時間がかかるはずだった。どこにでもある中層プレイヤーの一ギルドの存亡は、ゲームクリアやゴシップとしてもあまり価値のないもののはずだ。―――それなのに彼は、言い当ててみせた。

 

「全部お前の責だ。お前の力不足が招いた結末だった」

 

 当てずっぽう……というわけではないだろう。向けられた言葉/視線の中には、確信が滲んでいた。その直感に貫かれていた。

 

「……ち、違う! アレはあいつが、信じてたのに裏切って―――」

「お前、ちゃんとタマついてんのか? 自分のスケをよく知らない他の男に預けてどうすんだよ? 寝盗られ好きのドMな変態だったのか?」

「そ、それは……。僕には、力がなかったから……それで、仕方がなくて!」

「あぁ……本当に変態だったんだなお前」

 

 畳み掛けてきた嘲笑いで、感謝は吹っ飛んだ。奥歯を噛み締める。

 

「それで、意趣返しに自殺ってか? 奴の目の前で飛び降り自殺? ……はっ、こりゃお笑い種だな!」

 

 腹まで抱えそうな嗤いに、僕の何かがキレた。お前なんかに、僕の気持ちが―――。

 そして、沸き上がってきたのは……今まで出したこと/在ることすら知らなかった感情だった。

 

「まぁ、せっかく助けてやった命だ。せいぜい無駄に生きな―――」

「て、めぇーーッ!!」

 

 コントロールできず叫んだ。飛びかかり、『彼』の胸元を掴んだ。

 裾がボロボロになっているフード付きの黒ポンチョ。体当たり気味に掴みかかっため、目元まで深々と被られたフードが、ふわりと跳ね上がった。素顔が見える。

 同時に、もう片方の拳で殴りかかろうとした。そのいけ好かない顔を殴り飛ばしてやろうと、腕を振り上げる……そうしようとした。

 

 だが、そこから垣間見えたものに、勢いが殺された。

 一瞬、思考まで停止した。

 

 小さな卵型の輪郭のうちに、全てが正しい形/正しい位置の元に置かれている顔のパーツが収まっている。腕の良い職人が何十年もの歳月をかけて作った傑作、素材から加工方法・使われている道具まで全てが最高のもので編まれた人形。……有り体に言ってしまえば、テレビの中でしか見たことがない美人だ。

 だがその右半分は違う。爬虫類の鱗のような、醜く歪んだ火傷の跡が刻まれている。眞白な左と比べると、それがいや増して浮き彫りにされてしまう。ただ逆に、黒灰の右が、かつてあったであろう整合の取れた美しさを想像させてくる。実際に目に見えた時よりもそれは、何倍も誇張される。

 そして一番重要なのは、フードの内側に隠されていたもの。男性では決してありえないものだった。……襟を掴んだ腕/手首から肘にかけて感じ取れた奇妙な弾力は、間違えようがない。

 

 ポンチョ越しに伝わってくるそれは、柔らかくそれでいてほのかに温かい。腕が半分ほどその中に埋まっているが、全体の形は崩れたりせずもとに戻ろうと包み込んできていた。そして小さくだが、トクトクと、鼓動が響いてきた。自分の胸に収まっているのと同じ、心臓の鼓動―――

 

「…………女?」

 

 間抜けな質問は、ぐるりと反転した視界で返された。

 そして硬い何かに、叩きつけられた。

 

 

 

 

 

 ★   ★   ★

 

 

 

「―――私の言ったとおりだろ? お前は、武器を持っていない女には簡単に手を挙げられるのに、『黒の剣士』様をぶん殴ろうなんて考えられないフニャ○ん野郎だからだ。

 ちなみに私のレベル、奴と大差ないぞ」

 

 見下しながら『彼女』は、冷静に覆しようのない事実を告げた。……それを今、味合わされたばかりだった。

 

 襟を掴んだ腕を捻られそれを軸にして投げられ、地面に叩きつけられた。まるで古武術か魔法かのようだった。あまりの出来事に、受身は一切取れなかった。背中と頭をモロに叩きつけられて、そのまま気絶させられた。

 そして目覚めると、もう一度地面に仰向けになっていた、無様に……。

 

 頭の奥底にまだ鈍痛が残っていた、意識がはっきりとしていない。だが、声ははっきりと聞こえる。すぐそばに立っている彼女の声は、嫌になるほど聞こえてくる。

 

「私のお前に対する評価は、今のところかなり悪い。だが最低ではない、見込みはある。……見ず知らずの女の胸を初撃で鷲掴む根性は、あるみたいだしな」

 

 本人からの冷静な指摘に、一瞬カァと赤面した。ひっぱたかれる方がまだましだ……。そんなつもりはサラサラなかったのだが、そうなってしまったのは事実なので何も言い返せない。

 それなのに、僕の方にスタスタと近づくと、手を差し伸べてきた。

 はじめその意味を捉え兼ねたが、気づいてもあえて取らなかった。これ以上、惨めな真似は晒したくなかったから。

 

 差し出された手を無視して、自分の力だけで体を起こす。だが、意識がまだはっきりとしていないせいか、手足に上手く力を伝えきれない。コントロールしきれず、上体を起こすのが精一杯だった。

 その必死さを隠すために、掴む代わりに言った。

 

「……何が狙いだ、僕を生かして?」

「そいつも違う」

 

 伸ばした手を無碍にされたことを気にした様子もなく、答えた。

 意味を測り兼ねていると、

 

「お前は死人だ。本来なら、ナーヴギアに脳みそを焼かれて人型チキンになっていたはずだ。……お前は今、生きちゃいないんだよ」

 

 意味不明な暴論に、目を丸くするしかなかった。

 

「お前がフロアの縁から捨てた命を、私が拾った。だからそれをどう始末するかは、私の勝手だ。この場でお前を生かすも殺すも、な。……ここのルールだと、もう所有権は私に移ってるはずだよな?」

「それは……そんなの、あるわけない」

「どうして?」

「僕はまだ、捨て切っていないから。勝手に止められただけだ!」

 

 主導権を取られたくなくて、屁理屈を返した。そして、どうだと言わんばかりに睨みつけた。

 しかし、目があったと途端、威勢は崩された。同時に何かがゴッソリとえぐり取られた。暗い、どこまでも落ちていくような黒の瞳、吸い込まれてしまうほどに―――

 

「―――本当に、そう思うか?」

 

 その声は、耳朶を超えて直接頭に、心臓に響いた。背筋に寒気が、心臓を掴まれたような冷たさが全身を凍りつかせる。

 【麻痺】したように縮み上がっていると突然、

 

 

 

 地面がなくなった。

 

 

 

 先まで確かに踏みしめていた地面が消え失せ、虚空が広がっていた。まるで一瞬で、【転移】したかのように。

 助け出された場所へもう一度、投げ出されていた。

 

「うあ゛ああぁぁああぁぁーっ―――!」

 

 悲鳴を上げながら、落下していく。

 なんだこれなんだこれ、ナンダコレは―――。起こるはずのない異常現象に、頭の中が真っ白になった。

 何かを掴もうと手足をばたつかせるも、空を掴むのみ。突風で髪が逆立つ/肌を薙ぐ、体温をあらゆるものを削ぎ落としてくる。根源的な恐怖が精神を焼き尽くしてくる、慄えが止められない。訪れるであろう絶対的な死に、破裂寸前だった

 死にたくない死にたくない、こんな所で死ぬなんて―――。弾ける寸前、彼女の声が聞こえた。

 

「どうした死にたがり、何をビビってるんだ?」

「だ、だ、だって僕たち、落ちて―――……て、あれ?」

 

 急に、元の平原に戻っていた。確かな地面の感触がある。

 

「悪夢でも見たのかな、こんな昼日中に」

 

 全てを見透かしたような眼差しに、肝が凍りついた。

 『何か』をされた。だけど何をされたのかわからない。あんなこと、このゲーム世界でもありえない。まるで魔法だ。あまりにもリアルな幻覚を魅せられてしまった、あるいは突然別のフィールドに強制転送させるのか? どちらにしても別の方法であっても、一プレイヤーにできるわけがないのに……。息を飲まされた。

 

「言ったろ、お前の命はもう掴んでるんだって。だからこんなことができるんだ」

「な、何か……チートでも、使ったのか?」

「なぁに、ちょっとしたイカサマだよ。コツさえ掴めば誰でもできる」

 

 自慢げに話すも、仕掛けを明らかにはしない。ヒントは与えたあとは自分で見抜けと、挑発するかのように……。

 信じられないが、信じるしかない。見せつけられた力は紛れもなく、事実だったのだから。まだ動悸が収まらない、手足に浮遊感が残って気持ち悪い。圧倒されてしまった。

 

「コレで、お前の生殺与奪は私の手の中にあることが証明された。……何をさせるのもさせないのも、私次第だ」

 

 含みを多大に込めたソレで、逆に引き出された。顔を上げて睨みつける。僕の中で押し殺されていた感情を/怒りを、差し向けた。

 

「殺人の片棒なんか担がないぞ! そんなことするぐらいなら―――」

「安心しろ、私にそんな気はない。お前にそんなことできるとも思っちゃいない」

 

 呆れられながら、はっきりと断言された。眉をしかめる。

 しかし、それなら尚の事――― 

 

「だったら……何をさせるって言うんだよ!」

「証明してみせろ―――

 

 続く命令に、胸を穿たれた。

 

 

 

 あの場にいたのが奴ではなくお前だったら、全員を救えたと。お前の意志をな」

 

 

 

 放たれたソレは、まるで予期していなかった答えだった。

 でも、僕の胸に燻っていた何か/言葉にしてこなかった何かが……奮えた。

 

「飛び降り自殺できるほどぶっ飛んだお前なら、そんなこと簡単だろ?」

 

 顔を合わせると、見えたのはあの冷たい眼差しではなかった。不敵にも笑っていた。いたずらの共犯者に向けるような、嘘を挫く温かいものだった。

 理解できない、説明しきれない。自分のことなのに、どうしてこんなに混乱しているのか……。さっぱりわからない。

 過程がごっそり省かれていた、答えだけが降ってきたようなものだ。ソレと僕とは確かにつながっていることは分かっているのに、どこをどのように通って繋がっているのかさっぱりわからない。直感だ。だから、ただその言葉に奮えるだけ。

 

 どうして彼女がそんな言葉を吐けるのか……わからない。でもそれは、僕にとって一番欲しかったものだった。当てずっぽうで言ってみせたのなら、またもや奇跡を起こしてしまったらしい。先のものなんか比べ物にならないぐらいの。

 ただ、奇跡は立て続けに起きないもの。だから、何らかのトリックがあるはず。だとは思われるも……タネは全くわからない。あるのかすらわからない。

 わからない、わからない、わからない―――。僕には彼女のことがわからない。頭の中は真っ白だった。

 

「必要なものは用意する。レベルや金はくれてやる、戦い方も教えてやる。勝つために必要な全てを与えてやる」

「勝つため……、全て……?」

「そうだ。

 お前に今必要なのはただ、覚悟だ。今までの自分を捨てると決断するだけだ。……仲間を失ったことを、後悔し続けるためにな」

 

 言い終わると、【幻書の指輪】が嵌められている右手を縦に振るった。

 鈴の音と共に、メニューウインドウが胸の前に出現した。そして細い、剣を振り回すよりも音楽を奏でるのに適したような手と指で、何事かの操作をした。

 

 視線が外れてくれたことで、少しばかり正気を取り戻した。いや……常識といってもいいかもしれない。とりあえず人心地がつけた。

 少なくとも、頭の回路が狂ったわけではなかった。僕は今まで、皆がいなくなってしまったあとでも、落下している最中であってさえも頭の調子がおかしくなったりはしなかった……はずだ。狂って壊れるほどの倫理感を持ち合わせては、いない。どこまでも僕は、普通のどこにでもいる一般人でしかなかった。……情けなくなるほどに。

 

 取り戻した常識が、計算だと告げた。彼女が企んでいる『何か』を見極めろと訴える。

 無視して何かをしている彼女に、その通りにした。

 

「……それで、お前にはなんの得があるんだ?」

「それはお前には関係のないことだ。まだ『同志』でもないお前に、教えるつもりはない」

 

 操作を続けながらこちらに一瞥することもせず、一刀のもとに切り捨てた。

 その答えに眉をひそめるも、静かに受け入れていた。それは予期していた拒絶で、その時の僕と彼女の関係を確かめるだけのものだったからだ。今生きて命を握っている彼女と、まだ死んでる僕。……死人に口無し/人形は命令通り動けばいいだけ、ということなんだろう。

 

 手を横に振ってウインドウを閉じた。何事かの操作が、終わったのだろう。

 すると再び、僕と向き合った。

 

「できないなら『できない』と言ってくれ。ウジ虫に付き合うほど暇じゃないんだ」

 

 言いながら腰元に手を添えた。正確には、ポンチョに隠れているがそこに吊ってあるであろう自分の武器に。

 汚れた包帯を雑然と巻いただけの柄が、ちらりと見えた。『彼』の代名詞とも言える凶器。抜き出されるとハラハラと包帯が解け落ち、刃が晒される。

 

「もしできないなら、すぐに……楽にしてやろう」

 

 宣告とともに、色のない眼差しを向けてきた。

 言葉通り、表も裏もない。僕の返事しだいで、それが振るわれる。ドッキリでも冗談でもなく、ソレは起こる……。

 それなのにどういうわけか、僕の心は不思議と静かだった。そんなことで発破をかけられたからではなくて、すでに心は決まっていた。恐怖と怒りとは、別の場所に僕はいた。

 

 しばし目を閉じ、沈黙した。自分の心が、静かであることを確かめた。

 そして最後に、確かめなければならないことだけ口にした。

 

「……本当に、僕にできるのか? あいつに【キリト】に、勝てるのか?」

 

 荒立てないように抑えたが、言葉にするとどうしても抑えきれなかった。ようやく形になってくれたと言うかのように、溢れ出てくる。

 ソレを抑える手は、僕の中に残っていた最後の怯え/目の前の彼女に対する疑い。その道を行くならもう、失敗するわけにはいかないから。

 僕の中にある命よりも大事なモノを賭けて、問いかけた。

 

 

 

「できる。お前にしかできないことだ」

 

 

 

 断言した。それまで同じように/嘲た調子は一切消して、迷いなく応えた。

 その答えを、瞑目して受け止めた。

 そして空を仰ぐと、うっすらと目を開けた。透き通った夜空の天蓋に、上層の輝きが星のように瞬いている。

 

 そこに、失った仲間のことを思い描いてみた。はっきりとその顔を思い描くことができる。

 その顔は皆、幸せな笑顔だった。あの怖がりの【サチ】も笑っていた。現実でもこの仮想の世界であっても、それは変わらない。

 次に、あの事件のことを思い浮かべた。その時の、みんなの最後の顔を思い浮かべる。逃げ場もなくモンスターに追われて、自分の残りHPを見て絶望している顔……。初めに思い浮かべた顔が、醜く歪んだ。

 そして最後に、あいつの顔を思い描いた。一人生き残ったあの男の顔。僕に贖罪を求めて、頭をたれている悲しげな顔。僕より何倍も強いはずなのに、縋り付いてくるような弱々しい泣き顔―――。その顔はなぜか、僕のそれとダブって見えた。

 堪らず、奥歯を強く噛み締めた。ギリッという響きに、全てが砕かれた。

 憎しみを滾らせてくる奴と僕の顔/怒りを掻き立ててくる皆の終わり、そして、悲しみに沈まされた幸せな日々。その全てが……砕けた。

 視界に映っているのはもう、ただの夜空だった。

 

 向かい直ると、僕の心は静寂を取り戻していた。……いや、その時初めて、静めることができた。

 

「―――覚悟、定まったようね」

「ああ……」

 

 短く答えた。それ以上、言葉を重ねる必要はなかった。 

 ただふと、違和感に気づいた。彼女の言葉に初めて、柔らかな温かみを感じたのだ。

 事この期に及んで驚くことなどないと思っていたが、確かめようと彼女の顔を見ると、

 

「ついて来い【ケイタ】。お前のそれが本物か、試してやる」

 

 しかし彼女は、背を向けていた。その顔は見えなかった。それまでと同じように命じると、そのまま離れていった。僕が後ろから付いてくるのを、微塵も疑わない足取りで―――

 僕は一つ苦笑を漏らすと、その背に付いていった。

 

 

 

 

 

 ★   ★   ★ 

 

 

 

 その先にあるのが、真っ赤な荒野でも構わない。僕はまだ、生まれてもいないのだから。もう一度生まれなおすためには、血塗れた産道を逝くしかないのだから。【黒猫団】皆の無念を晴らすには、彼女が示す道を歩むしかなかった。

 そして、僕の中に生まれた、あるいは解き放たれたこの感情を終着させるには、これしかない。

 

 

 

「僕は……俺はキリトを―――倒す!」

 

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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中間層 弐
竜の少女


_

 

 

 

 腕の中、力なく横たわっている小竜を抱いてただ、嗚咽を漏らしていた。

 

「―――お願い。あたしを一人にしないでよ……、【ピナ】―――ッ!?」

 

 祈るようにその身に希うも、ポロポロと涙がこぼれ落ちた途端、ガラス片となって砕けた。燐光が舞い上がる。

 

「……や、やだ! ダメダメェ、いかないで、消えちゃやだぁぁーーーッ!」

 

 急に軽くなった腕、驚き怯える。そして、すり抜け消え去ろうとするソレらを必死にかき集めようとした。

 しかし……手は虚空しか掴めない。

 またたく間に、ピナであったはずの欠片が、消え去っていった。

 

「―――ぁ……。そん、な……」

 

 ガックリと力が抜け落ちると、膝から崩れた。今までギリギリのところで支えていた箍が、外れてしまった。

 後に残ったのはただ二つ、ピナの忘れ形見である一枚の白い羽根と、今にも襲いかかってくるであろう敵=【ドランクエイプ】/倍ほどの体格の大猿の群れ。追い詰められ囲まれ、どこにも逃げ場がない。何よりもう……戦意が消えてしまっていた。

 

(私も、ここで死ぬの……かな)

 

 虚ろな瞳で/心で、やってくる死に震えていた。もうどうしようもない、運が悪すぎた、よくやった方だよ……。大猿の棍棒が、今にも振り下ろされようとする。

 しかし―――、その姿勢のまま固まった、胴体に横一文字の光の線を引かれながら。

 

 直立状態だった大猿たちはその線に沿って、ズレた。上半身が下半身から滑り落ちそのまま……落ちた。

 遅れて下半身も倒れると、地面に落ちる前にガラス片となって砕けた。燐光を帯びたポリゴンが霧散していく。

 

 一連の出来事に呆気にとられていると、その奥に佇んでいた人物が声をかけてきた。

 

「―――すまなかった。君の友だち……助けられなかった」

 

 まるで自分の痛みのような謝罪に、閉ざされていた堰が壊れた。

 とまっていた涙がこぼれだしてきた。そのままピナの形見を抱いて、泣いた。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 気持ちが落ち着き涙を拭くと、改めて助けてくれた恩人を見た。

 急に、恥ずかしさがこみ上げてきた。また俯いてしまう。

 

(見ず知らずの人の前でこんなこと、子供みたい……)

 

 まさしく外見もそうだが、だからこそ見栄を張りたい/面子は保たなければならない。ここで甘えたことなんてしたら、カモにされるだけだ。

 気を取り直すと、おずおずとながら向き直った。助けてもらったのだ、まずしなければならないことがあるだろう……。それまで黙って待ってくれていた相手に、感謝を告げた。

 

「……あ、危ないところ、助けていただいて……ありがとうございました!」

 

 言い切ると、舌を噛みそうな勢いで頭を下げた。

 少し大仰な様子に男性プレイヤーは、頭を掻きながら躊躇いがちに尋ねてきた。

 

「その……羽根なんだけど、アイテム名とか設定されてるか?」

 

 一瞬何を言われたのか分からず、そのまま腕に抱えていモノを見た。ピナが最後に残した羽根……。

 何も考えないように見つめていると、視界に【ピナの心】との名前が浮かび上がってきた。

 見えた次の瞬間、また悲しみがこみ上げきた。どうにも止まらず目尻に涙が溜まっていく、嗚咽まで漏れそうになった。

 堪えながら見上げると、なぜか男性は慌ててとりなしてきた。

 

「わっ、ちが! ちがうんだ、そうじゃなくてだなぁ……。

 ソレがあれば、蘇生できるかもしれないんだよ」

 

 予想だにしない言葉に、一瞬頭が真っ白になった。蘇生できる……。

 すぐさま、かぶりつくように近づいて、

 

「ほ、本当ですか!? ピナを蘇生できるの? でも、どこでどうやって、何をすればいい―――」

「ちょッ待て! 近い、近いって!」

 

 怯えたような制止に、自分が何をしていたのか気づけた。恩人とはいえ、知らない男性の目と鼻の先まで近づいて……。

 すぐに離れた。だけど、顔が赤くなるのは止められない。

 

「……す、すいません。取り乱してしまって」

 

 穴があったら入りたい……。俯いて落ち着かせていると、コホンッと仕切りなおしてきた。

 適度な距離を開けると、中断してしまった説明をしてくれた。

 

「最近わかったことだからあまり知られていないんだけど、50層の南部に【思い出の丘】ていうフィールドダンジョンがあるんだ。名前通り景色はいいんだけど、難易度は結構高くて……。そこのてっぺんに咲く花が、使い魔蘇生用のアイテムらしいんだよ」

「……50階層」

 

 その数値に、改めて絶望が蘇ってきた。

 とてもじゃないが、無理だ。ミイラ取りがミイラになるだけ……。現在のレベルや装備では自殺行為だ。中層域で戦っている身としては、あまりにも上層すぎる。今そんな場所に行けるのは前線プレイヤーたち=攻略組ぐらいだろう。

 一縷の望みを託し、男性を縋るように見つめると、申し訳なさそうに続けた。

 

「実費と報酬さえ貰えれば、オレがとってきてもいいんだけど……。ビーストテイマー本人が行かないと、肝心の花が咲かないらしんだよ……」

 

 やっぱりダメか……。不躾な期待をかけてしまった。

 

「いえ……。情報だけでも、とってもありがたいです。

 頑張ってレベルを上げて、いつかその時に―――」

「それが、そうもいかないんだ」

 

 気を取り直そうとしている私に、追い打ちをかけてしまう。そのことを申し訳なさそうにしながら、続けた。

 

「使い魔の蘇生は、死んでから少なくとも3日以内が限界だった。それを過ぎると、【心】が【形見】アイテムに変化する。そうするとそこでは……対処できなくなる」

「そ、そんな……」

 

 3日以内……。不可能だ/間に合わない。どうやったってたどり着けない。

 

「【形見】を持っていれば、同じ種類のモンスターをテイムしやすくなるらしいけど、それは……まずいよな?」

 

 答える気力も出ず、無言で肯定した。

 同じ姿形でいいのなら、名前を同じにつければそれでいいのか? ……違う、断じて違う。具体的にコレとはいえないがソレは、ピナとは別の使い魔だ。それに、外見や名前まで似ているとなると、ピナを二度殺すようなことをしている気分になる。

 

(そんなの……嫌だ。絶対イヤ)

 

 グッと、【ピナの心】を握り締めた。すると、覚悟が決まった。

 何としてでも行く、現状でもできることはあるはず。途中で死ぬかもしれないけどそれは、ピナだって同じだった。ピナは私を庇って死んだんだ。助けなくてどうする、怖がっている場合じゃない―――。

 

 決死の覚悟を奮い立たせていると、ふと男性を見た。メニューを展開して何かを操作している、映し出されたモノをみては悩み/呟きスクロールし続ける。

 気になって傍らに寄ると、中身が垣間見えた。中層域では見たことのないアイテム/武装の数々……。ソレらを取捨選択し、トレードボックスに移している。

 

「あのぉ……何をしてるんですか?」

「よし! これでいいだろう―――」

 

 そう言ってボタンを押すと、私の前に自動的にトレードウインドウが展開された。そこには、先ほど見えたアイテム名がいくつかあった。

 

「その装備ならかなり底上げできる。オレも一緒に行けばたぶん……なんとかなるだろう」

 

 一瞬、男性が何を言っているのかわからず呆けてしまったが、気づけた。【思い出の丘】に同行してくれると……。一撃で【ドランクエイプ】たちを屠った彼がいてくれるのなら、できるはずだ。

 驚き感謝が溢れそうになったが、訝しりが優った。甘い話には罠がある、疑ってかかった方が身の為だ……。ここで生き延びて学んだ教訓だ。

 

「……なんで、ここまでしてくれるんですか?」

「え? ……あぁ、そうだな。確かにそうだよな……」

 

 そう言って、自分の頭を掻きながら悩んだ。言おうか言うまいか、どこまで言えばいいのか/納得してくれるのか……。

 

「……笑わないって約束してくれるのなら、言う」

「大丈夫です、笑いません」

 

 すでに半ば以上は結論が出ていることは隠して、できるだけ表情を固くしながら尋ねていた。

 どんな理由であっても構わなかった。助けてもらったからかもしれないが、悪い人とは感じなかった、今も変わらない。なのでコレは、ただその証拠が欲しいだけ……なのかもしれない。

 そんな私を見て男性は、躊躇いを押し通して言った。

 

「このダンジョンにはちょっとした……因縁があってね。有り体に言えば墓参り、て言えるんだろうけど……違うな。お礼参りか? なんて言えばいいのかなぁ……」

 

 腕を組みながら/顔をしかめながら悩み続けた。彼の中でもまとまっていないのか、モヤモヤをうまく言葉に括れないことに悩んでいる。

 そんな彼に疑いを深めてもいいのだろうけど、途中で出てきた単語に驚かされていた。墓参り……。さらっと流したので重く受け止められなかったが、予想以上に深い理由だとはわかった。

 

「とりあえず、ゴチャゴチャしたモノがここにあった。ソレがどうにも頭から離れない。だから今日は、ソレを振り切るために来た、実物を見れば何か変わるだろうと思ってね。そこで―――君に会った」

 

 大仰に、ジェスチャーを交えながら説明してきた。何を言っているのかわからないが、必死になっていることだけは伝わって来る。それが逆に、お笑いのコントみたいにみえてしまう……。

 彼の第一印象とのギャップに呆然と/反応できないでいると、ガックリと肩を落とした。

 

「信じられないと思うのは、無理ないけど……信じて欲しい。オレにとってもこうすることがすごく、重要な……気がするから」

 

 ため息混じり、でも芯は抜け落ちていない言葉。理由は私の何らかの特徴でも過去でもなく、未来にある。……直感らしかった。

 まるでアニメか漫画みたいだ……。騙すにしても、コレはない。こんなのじゃ誰も騙せやしない。だけど/ゆえに、一番信じられる。

 

(やっぱり、悪い人じゃなかったんだ)

 

 ふと、肩の荷が軽くなった気がした。

 すると自然と、笑みがこぼれてきた。クスクスと笑いをこらえる。

 

「わ、笑わないって言ったのに……」

「ごめんなさい。ちょっと、安心しちゃって―――」

 

 そう言うと、笑いとともに涙が出ていたことに気づいた。先まで無理に抑え込んでいたモノ。緊張が取れてポロリと、こぼれ落ちたのだろう。泣きながら笑う。

 しかし、涙をながし続けると、止まらなくなってしまった。

 

「うっ、うぅ・・・・ピナぁ、絶対助けるから、だから……ウウッ、ウわぁぁ―――」

 

 盛大に恥も外聞もなく/子供そのもので、泣き喚いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 原作では【思い出の丘】は47層にあるのですが、どうもしっくりこないので50層にしました。
 使い魔蘇生の説明が曖昧だったのは、そもそもそんな検証をやる/できるプレイヤーがいるのかどうか疑問だったからです。そのためにわざわざ貴重な使い魔をモルモットにするなんて、ログアウト不能のデス・ゲームの中でやるのか? ……曖昧にならざるを得ないと思われました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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55階層/風見鶏亭 同行

 

 

 

 35階層主街区―――

 【転移門】から抜けた先に広がっていたのは、白壁に赤い屋根が立ち並ぶ牧歌的な農村の佇まい。『街』というよりは『村』と行ったほうがいいほど、長閑な街並みだ。

 見た目通り、他の階層に比べてもそれほど大きな街ではないが、現在中層域で戦っているプレイヤーたちの主戦場となっている。ので、NPC以上にプレイヤーたちの行き交いが多く、それなりに賑わっている。私もここを拠点に攻略を進めてきた。

 ので必然、顔見知りの人たちがいる。私に声をかけてくる人たちも多い。どこで聞いたのか私がフリーになったのを知って、さっそく勧誘してくる。

 

「あ、あの……お誘いは嬉しいんですけど……」

 

 失礼にならないよう言葉を選びながら、チラリと傍らの恩人に目を向けた。

 【キリト】……。互いに自己紹介した時は教えてくれた、あと大体ソロで攻略していることも。尋ねればもう少し教えてはくれそうだったけど、やめた。恩人なので失礼にあたるもあるが、詮索するのを躊躇わせる空気を漂わせているので、今は『いい人』だとわかっていればいい。

 

「しばらくはこの人と、パーティー組むことにしたので……。また今度、お願いしますね」

「えぇー、そりゃないよ……」

 

 口々に不満の声を上げながら、うさんくさそうにキリトに視線を投げかけた。

 物珍しそうに辺りを見渡していたキリト。その姿はまるでお上りさん、とは逆で、まだ昔ながらが息づく田舎にやってきた都会っ子の様子。黒を基調とした華美とも強そうともいえない武装ながらも、完全に着こなし切っている落ち着きがそう言わせた。ただし……、口の中でコリコリと『チュッパチャップス』らしき飴玉を転がしているギャップを見せられると、判断に困ってしまう。

 プレイヤーたちの不審な視線が集まったのを感じ、ようやくこちらに顔をむけてきた。

 

「おい、あんた―――」

 

 最も熱心に勧誘してきた背の高い両手剣使いが進み出ると、キリトを見下ろす格好で続けた。

 

「見ない顔だけど、抜けがけはやめてもらいたいな。俺らずっと前からこの子に声かけてるんだぜ」

「へぇ、そうなんだ……」

 

 さして興味なさげに言いながら、彼と彼の仲間らしきプレイヤーを一瞥した。

 威嚇に堪えてる様子がない。その不遜とも言える態度で彼らの顔色に苛立ちが現れる前に、私に顔を向けた。

 

「シリカさんって、予約制だったのか? だとするとオレ横入りになるよなぁ……。追加料金払ったほうがいいかな?」

「予約制? 追加料金って…………ッ!? 

 ち、違いますッ!? そんなわけないじゃないですかッ!」

 

 かぁと顔を真っ赤にしながら、不躾なこと聞いてきた年上を糾弾した。……うら若き乙女に何てこと聞くのよ!

 キリトはニヤリと笑うと、戸惑う両手剣使いたちに向かい直った。

 

「だってさ。

 安心てくれ。オレ、君らと違ってそういう趣味ないから。そういうつもりでパーティー誘ったわけじゃないからさ」

「ッ!? ち、違……俺たちだって、そんなつもりで誘ったわけじゃ―――」

「わかってる分かってるって! みなまで言わなくていいよ。……シリカさんって小さくて可愛いよね」

 

 十二分の悪意が含まれたウインクとともにそう言うと、両手剣使いはワナワナと震え今にも殴りかかろうとした。しかし背後からの、同じく私を勧誘してきたプレイヤーたちの好奇なニヤニヤを感じてか、ぐっと堪えさせられた。

 私も、彼への評価が暴落しそうになり「最低ーッ!」と非難したくなったが、やめた。最後の、お世辞か成り行きでしかないのだろうが褒め言葉に、不意打ちを食らってしまった。

 両手剣使いたちが黙らされて晒し者にもされると、今度は真面目な顔に切り替えた。

 

「彼女50階層に急ぎの用があるんだ。あんたらのレベルと装備だと……頼りないんでね。オレが案内人として雇われたってこと」

 

 キリトさん、なんでここで言っちゃうの……。慌てて止めようとするも遅く、男たちは驚き追及を始めてきた。

 

「50階層って……マジかよ」

「なんでいきなりそんな上に?」

「大丈夫かよシリカちゃん、死んじまうよ?」

「てか、お前こそ案内なんてできんのかよ?」

 

 最後の、不満げな両手剣使いの質問にだけ答えた。

 

「ああ、攻略組の一人に伝手があるんだ。ついでにちょっとした貸しもな。そいつに明日、彼女の用事を頼もうと思ってる」

「え!? そうだったんですか、キリ―――」

 

 ここまできて急に見捨てるなんて……と、心配になって尋ねきる前に、シィーと黙らされた。指ではなくチャップスの棒を器用にピンと立てて。そしてそっと、周りには聞こえないように耳打ちしてきた。「とりあえずそういうことにしておいてくれ」と。

 何か事情があるのかもしれない……。そう察し小さく頷いたのを見ると、もう一度勧誘者たちを見渡した。コレでご納得いただけたかなと、笑顔を振りまく。

 難しそうな/釈然としきれていない表情ながらも、何も言えず。その中で代表としてか、また両手剣使いが進み出て尋ねてきた。

 

「その……用事とやらは、何なんだ? 何しに50層なんて上まで行くんだよ?」

「大丈夫だ、遅くても3日以内には終わるよ。

 そのあとは彼女フリーになるから、声かければいいんじゃないかな。なんたってお前ら、一番先に予約したんだろ?」

 

 さきのネタを引っ張り出すと、両手剣使いのみならず私にも飛び火しした。というか、私が一番の被害者だ。周囲の好奇の視線が痛い。

 顔が赤くなってしまう、助けてもらったように見えて私が元凶のような形で収まってしまった。まぁ実際そうなんだけど……。恨みがましい目でキリトを睨む。

 

「それじゃ、そういうことだから。悪いね」

 

 気軽にそう言うと、手をヒラヒラさせながらその場から離れていった。

 慌ててその背に追いすがる前に、勧誘者たちへ振り返り、

 

「あ、あの……本当にごめんなさい! 

 今はちょっと……ダメなんです。どうしても50層に行かなくちゃいけないんです。だからその……ゴメンなさい。でも! ソレが無事終わればここに戻ってきます。その時にまた誘ってもらえれば……嬉しいです」

 

 言いたいことを言い切り深々とお辞儀をすると、そそくさとキリトの下に走った。これで、めちゃくちゃにされた私のイメージが少しは……修復されたと思う。

 後ろから何か言い縋る声が聞こえたような気がしたが、振り返らず。もう何も言うことはない。おそらく、別に聞かなくてもいいことだろう。

 転移門広場を横切り、メインストリートを進んでいった。

 

 

 

 ようやく勧誘者たちの姿が見えなくなると、ホッと胸をなでおろした。

 肩の荷が下りるとすぐに、隣のキリトに不満をぶつけた。

 

「キリトさん。アレは一体、どういうつもりですか!」

「変に勘繰られるよりはマシだろ?」

 

 さして気にした様子もなく、ガリガリと小さくなった飴玉を噛み砕いた。

 残った棒はプッと吐き捨てるかと思いきや、ポケットの中にしまう。そして、新しい飴玉を取り出しまた口の中に入れた。コリコリと転がす。

 

「それはそうですが……、限度というものがあるんじゃないですか?」

「あそこに集まった奴ら、多かれ少なかれそういうつもりでシリカさんを誘ったんだろ? だったらソレも、ああやって大っぴらにしちまえば、変に捻じ曲がることがなくなって良くなる」

 

 そんなわけない……。反論しそうになったがやめた。そうなのかもしれないと思わせる確信が見えたから。何よりソレが、私の今後を思っての行動なのだと想えたから。

 でも、誤魔化されているように/面白がっていたようにも見えたので……複雑だ。ふくれっ面で睨む。『いい人』だとの印象は、少し修正しないといけないらしい。

 

「……逆に吹っ切れたら、どうしてくれるんですか?」

「そういうのって、先出ししたほうが最終的には負けなんだよ。惚れたら負けってアレ。……ちょっとだけ我慢できればリターンは確実ででかいから、頑張って損はないんじゃないかな?」

 

 他人事と思って……。実際は他人事だけど、彼にそう言われるのは何か釈然と来ない。もうちょっと大事に扱ってくれても……。

 不満が顔に出てしまうが、それ以上は何も言い返せず。この件はこれまででいいと、ため息を一つついた。

 

「……『さん』づけはいらないです。シリカでいいですよ」

「そうか。

 それじゃシリカ。君がここで拠点にしてる宿って、もしかして……ここだったりするのか?」

 

 ストリートに立ち並んだ建物の中、一際大きな二階建て=【風見鶏亭】。指さしたその宿は、まさしく私がここで拠点にしている場所だった。

 

「はい、ここです! ……て、なんでわかったんですか!?」

「いや、今シリカが言ったじゃん?」

「そ、そうですけど……。その前ですよ! 何でここって目星つけれたんですか?」

「お、そこに気づけたか!

 ……まぁ、一番さきに目に付いたからって言ってもいいんだけど、それじゃ納得できないよな?」

 

 コクコクと、頭を振った。

 万が一にもありえないことだが、彼がストーカーだったら……との不安が浮かんできた。そういう行為自体はありえないことではないし、必要な時と場合もある。でも、今と彼にとっての私は違うはず。ソレを払拭したい。

 

「……オレがこの階層で攻略していた時、使っていた拠点なんだ。宿代は高いけど【転移門】から近い。何より、ここで朝夕と出てくる食事が旨くて―――」

「やっぱり、そうですよね! キリトさんもそうだったんですね。ここのチーズケーキってすぅっっごく、美味しいですよね♪」

 

 同志を見つけた! あまりの興奮に思わず、彼の手を掴んでいた。

 

「……チーズケーキって? 親子丼の方じゃなくて―――」

「攻略から帰ったあと、お腹減らしてガマンして帰ってきたあとアレを一口食べると、もう……たまんない♪ 口の中だけじゃなくて、体中までとろけちゃうんですよぉ」

 

 思い浮かべるだけでも、ヨダレが出てきてしまう。

 ここじゃいくら食べても太らないから、というか一杯食べないと生き延びれもしないから、めいいっぱい食べられる。アレだけを大量に食べる。お金も虫歯も関係ない。至福の時間だ……。

 しかしキリトは、その感動に若干引き気味だった。加えて、戸惑いの色も浮かべ首をかしげていた。

 

「……あぁー、悪いシリカ。オレ、それ食べたことないや」

「ほぇ? ……正気ですか? なんでチーズケーキ、食べてなかったんですか? 何かの苦行ですか!?」

「近い、近いって! ……そもそもだ、オレがいた頃にそんなデザートなかったよ」

 

 一瞬、何を言っているのかわからなかった。本当にそこは、この【風見鳥亭】なのかとも疑ってしまった。でも、そんな名前の宿屋はここ以外にはない。

 何が違ったのか……。考えさせられた。知らないうちにチーズケーキがメニューに入るイベントを進めてしまったのか? 嬉しい誤算ではある。でも、ここで活動しているプレイヤーなら誰しもお金さえ払えば食べられるものだ。何か特別なことをしたとは思えない。彼にできず私にできたなども、考えられないし……。

 私が悩んでいると、キリトは宿屋の全貌に目を向けながら推察を述べた。

 

「……オレが使ってた頃は、こんなに立派な外見じゃなかった気がする。だからたぶん、店が繁盛してそれで……新メニューが増えたのかもしれない」

「そんなことって、あるんですか?」

「あんまり見かけたことはないけど、時々下の階層に行くと外観がかなり変わってることがある。こことは違って裏寂れていることもね。……そうなってると大抵、新しいNPCがいたりアイテムが落ちてたりクエストが発生してるんだ」

 

 賄い飯に新しいメニューが増えるのは、初耳だったけど……。新たな発見に、その目の輝きが増していた。笑もワクワクと深まっているように見える。

 なぜか惹かれ、その横顔をじっと見つめてしまうと、不意に見つめ返された。胸が躍り上がる。

 

「今日はオレも、ここに泊まるよ。50層には明日の朝でいいかな?」

「え、あ……はい! 大丈夫です」

「一日あればお釣りが来るぐらいだろうけど、いちおう貴重品とかは『ホーム』に送った方がいいよ。少なくとも明日は、シリカが35層にはいないことが知られちゃったわけだしな」

 

 オレのせいでもあるけど……。苦笑ぎみに、忠告してきた。

 先の動揺が収まらず呆然と聞き流してしまったが、数拍おいて理解できた、そこに全く思い至っていなかったことにも。

 盗人の危険性……。嫌なことだが、ここではそんな被害が多々ある。いくら宿屋の個室は、借主以外には入れない設計になっているとしても、どうにかして潜り込んで盗んでいく。そんな理解しがたい執念を燃やしている盗人プレイヤーが、後を絶たない。……特に、レアアイテムをゲットしたと知れ渡ってしまった人や、女性プレイヤーの部屋に入り込もうとする輩は。

 心配になってくると、キリトが安心させるように、

 

「怖がらせて何だけど、ここの宿の警備体制はかなりいい方だ。オレがいた時よりも繁盛しているようだから、なおさらだろう。従業員も買収されるより規律を守る。

 侵入するには色々と下準備があるし、手間も取るからな。一日開けただけじゃまず無理だろう」

「そうですか、よかった……。て、何だか慣れてるみたいな口ぶりですね?」

「けっこうな回数やられたからなぁ、イヤでもやり方を覚えたんだよ。まぁ、仕返しでやり返したことがない……わけでもないけどな」

 

 そう言うと、イタズラっ子のような笑顔を向けてきた。

 一瞬唖然とするも、感心してしまった。そこには、盗むことは悪だと断じる怒りは見えない。むしろ戯れ合いの一環だと、楽しんでいるようにすら見えた。幸いにもそういう目に遭った事のない私には、おそらく知り合いのプレイヤーたちでもそんな心境は、わかりようがない。それまで『楽しい』とは……受け入れきれない。

 ソレが今の自分の位置/彼との距離。それが分かってしまうと何だか……寂しく感じてしまう。

 

「さぁ、いつまでここで突っ立っても仕方がない。宿に入ろう。シリカご自慢のチーズケーキも、食べてみたいしな」

「……そうですね。きっと頬がとろけちゃうこと、間違いなしです♪」

 

 去来した寂しさを無視するように、あえて朗らかに振舞った。宿に入ろうとするキリトの背についていく。

 

 しかし、門扉をくぐる寸前、隣の道具屋から4・5人ほどのプレイヤーが出てきたのが見えた。先に【迷いの森】の中で喧嘩別れしたパーティーだ。こちらに気づかず別の場所へ向かうも/知らんぷりを決め込もうとするも、最後尾にいた赤い髪の女性と目が合ってしまった。

 やばい、と思うもおそかった。私に気づいた/今最も会いたくなかった彼女が、こちらに近づいてきた。

 

「あら、シリカじゃない。森から脱出できたんだ」

「……おかげ様で」

 

 無事で何よりだね/残念ね、くたばってなかったんだ……。かけられた労いとは真逆の副音声/心の声が、同時に聞こえてきた。

 真っ赤な髪を派手にカールさせた女性、確か【ロザリア】と言ったか。スタイルのよさを誇示するように堂々と、眠たげな瞳で見下ろしてきた、うっすらと嘲りも含めて。

 

「でも、遅かったわね。ついさっき、アイテムの分配は終わっちゃったわよ」

「要らないって言ったはずです! ―――急ぎますので」

 

 無理やり会話を切り上げようとするも、相手は目ざとくも気づいた。いつもは私の肩の付近にいるはずの存在がいないことに、今一番触れられたくないことに。

 

「もしかして、あのトカゲ……死んじゃったのかしら?」

 

 ビクリと一瞬、肩が震えてしまった。怯えが露わになってしまった。

 それで気をよくしたのか、ニンマリとそこ意地悪そうな笑みを向けてきた。

 そうだったんだ、残念ねぇ……。そんな、心にもないことを言われる前に、振り返って宣言した。

 

「ええ、死にましたよ。でも……絶対に、生き返せます!」

「生き返らす? それって……【思い出の丘】に行く、てことよね。でも、あんたのレベルで攻略できるのかしら?」

「できるさ」

 

 私が言い返す前に、キリトが前に出てくれた、私を後ろに庇うような形で。

 ロザリアはそこで、初めて彼に目を向けた。そして、値踏みするように見渡すと、赤い唇を歪め再び嘲りの笑みを浮かべた。

 

「あんたも、その子にたらし込まれた口かい? 見たとこそんな強そうじゃないわね」

「フッ、どうやらその目は節穴みたいだな」

 

 ロザリアの侮辱をものともせず、逆に余裕の笑みを浮かべながら真っ向から返した。

 あまりにもあからさまな態度にも、彼女は笑顔のまま。しかしその目はすぅと、鋭くキリトに向けられた。まるで獲物を見つけた蛇のような眼差し、傍らにいるだけでもゾクッときた。

 

「……あら、それはどういう意味かしら?」

「言葉通りだ。そんなものは、オレの彼女への愛でカバーしきれるんだよ。お釣りがでるほどにな」

 

 一瞬、確信に満ちたキリトのセリフが放たれると、すべてが空白になった。ロザリアもポカーンと、斜め上すぎる答えに目を丸くさせらていた。

 誰も何も言えないのをいいことに、さらに熱く語っていく。

 

「彼女が傍にいてくれれば、オレは誰よりも強くなれる。誰にも負けない。例え50層だろうが関係ない! フロアボスだろうが倒すッ! 邪魔する奴は許されねぇ!! ……愛は全てを超越するんだ」

 

 どこか彼方の楽園を見上げながら、己が想いを宣言してきた、感涙に咽びそうな勢いで。彼の周りだけ異常な/余人には近寄れないフィールドが発生している……ように見えた。

 私は、考えることを放棄していた。してはならないとの奥の奥底の命令に従った。燃え尽きた灰のように真っ白に、心を全力で漂白し続けていた。

 

「えぇ……っと、おめでとうシリカ。よかったわね」

 

 ロザリアもアレに圧倒されたのか、もはや蛇ではなくなっていた。一刻もはやくこの場から/特に彼の前から逃げ出したいと、及び腰になっている。

 そんな彼女に善意溢れる眼差しで、いらぬ手を差し伸べてきた。

 

「信じられないようなら、どうだ? 貴女も一緒に行くかい? 歓迎するよ」

「いえ結構よ! 邪魔しちゃ悪いものね」

「いや、証人になって欲しいんだよ。オレの彼女への愛が、いかに強大無比だったということを世に知らしめるためにね。ソレを間近で見られるチャンスだ、貴女はすごく運がいい」

「ゴメンなさい、ほんとゴメンなさい! お二人だけで、頑張って―――」

 

 もうここにはいたくないと、無理に会話を切り上げそそくさと退散した。

 

 

 

 再び、二人だけになった。……なってしまった。

 ロザリアの背が見えなくなると、私に振り返って、

 

「―――さて、行こうか」

「へ? ……ふぁ、はひぃ!」

「どうしたシリカ、面白い返事だな」

 

 クスクスと、私の慌てぶりを面白がっていた。……そこには先ほどの、愛の伝道者らしき面影はない。

 かぁと、顔が真っ赤に染まった。何をされたのかわかってしまった。

 なので、膨れっ面など言ってられない。破裂させるように叫んでいた。

 

「あ、あんな……冗談でもあんな変なこと、言われたらそのぉ……こうなりますって!」

 

 バッと、言いたいことだけ言い捨てて宿屋に入った。―――はいろうとした。

 

「あ! そこは―――」

 

 しかし、ちゃんと前を向いていなかったからだろう。向かったその先は硬い柱で、そのまま―――ゴンッと、ぶつかった。

 思い切り全力での不意打ち、避けることも受け身を取ることもできず。ぶつかって尻餅をついて、痛むオデコを抑えながら、声も上げられず呻いた。

 大丈夫かと心配するキリトに、よけい情けなさが増してくる。何も言えずうずくまった。

 

 




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55階層/風見鶏亭 探り

 

 

 風見鶏亭一階レストラン―――

 

 何も言えずに俯いたまま、キリトがとりなそうとするも逆効果。それでも何とか奥まった席について、出された料理を食べる。思いのほか美味しく感じてしまい、パクパク食べてしまう。

 ほぼ一日中攻略で外出、そういえば昼食もとっていなかった。その前にパーティーから離脱/喧嘩別れして、【迷いの森】をさ迷い歩きつづけた。緊張の連続でそれどころじゃなかった。ようやく勝手知ったる場所に戻ってきたので、ソレも解けたのかもしれない。

 

 無言ながらも食べ続けると、人心地が付いた。先まで怒っていたような気もしたが、満腹感でどうでもよくなる。思わずぷはぁっと声を漏らしてしまった。肩の力も抜けていた。

 

(……はぁ。ひどい醜態、さらしちゃったなぁ)

 

 ため息混じりに自嘲すると、そこでようやくキリトと目が合った。私の顔を見て微笑を浮かべている。

 再び、忘れていた恥じらいが戻ってきた。

 先までとは違い剣呑な気持ちはなくなってので、不意打ちだった。どうも子供扱いされているようで恥ずかしいような、なんというか……こそばゆい。落ち着かなくなる。

 

 モジモジと何も言えず黙っていると、従業員NPCが湯気立つマグカップを二つ持ってきた。

 紅茶のような見た目、でも香りは別物。不思議な飲み物……。一通り店のメニューは試したが、それらしいモノではなかった。

 

「あのぉ……コレ、頼みましたっけ?」

「オレが頼んだやつ。自前の飲み物」

「自前!? そんなことできたんですか?」

「店によってはね。

 あんまり高級そうでもなく、かと言って裏通りの酒場でもない、こういう民宿かペンションっぽいところ。持ち込みの素材で即興で料理もしてくれる、ある程度融通利かせてくれるんだよ」

 

 こともなげにそう言われ、感心してしまった。そんなこと今まで知らなかったし、知ろうともしなかった……。

 今度試してみようかな……。そう思いながらマグカップに目を向けると、キリトも自分のモノでそうしながら続けた。

 

「普段は液体【ポーション】と同じで、入れてあるボトルから直接飲むんだけど、こうやってマグカップに入れて温めてから飲むと、味が良くなるんだ」

 

 普通に温めたり持ち運びが楽な携帯コップに移しても、味は変わらないのに……。不思議さを楽しむようにそう呟くと、温かいうちにどうぞと促してきた。

 いただきますと、そっとひと口飲んだ。スパイスの香りと酸っぱい味わいが、口の中に広がる。どこか懐かしさを感じさせてくる……。

 

「―――美味しい。ホットワインに似てますね」

「実際、果実酒だからな。【ルビー・イコール】ていうお酒」

 

 ニヤリと、笑とともに向けられた説明に、むせそうになった。

 

「……私まだ、10代の学生ですけど?」

「大丈夫、アルコール度数は低いものだ。一気にがぶ飲みしても酔ったりなんかしないよ。シリカぐらいのレベルの【解毒値】ならものともしないさ。……さすがに5本ぐらい一気に飲み干せば、クラクラしてくるけどね」

 

 まさしくソレを体験したと、当時を懐かしむように微笑んだ。

 それ以上は追求せず、ただ苦笑するに留めた。ここで現実の道徳や倫理を説いても仕方がない、何せ毎日が死ぬかもしれない戦場だ、そのぐらいは許容範囲内だろう。私だって、年齢制限上どうしても公にはできないだけで、試してみたい気持ちがない……わけじゃない。

 あと二歳ぐらいだけなのに、『大人』ていいよなぁ……。胸の内で、システムの融通の効かない仕様に文句をたれていると、おもむろにキリトが話題を振ってきた。

 

「―――彼女、君の知り合い?」

「え?」

「ロザリアさん。ここの入口であった女の人」

 

 その名前にビクリと肩が強ばってしまった。が、なんで私がいちいちビクビクしなきゃならないのよと、不満げを隠すことなく答えた。

 

「……知り合い、てほどじゃありません。ただ昨日まで、数日間一緒にパーティーを組んだだけです」

「もしかして、彼女の前に道具屋から出てきた人たちも、パーティー組んでた?」

 

 話が予期していた方向とは別に向かった。そう言えばそんな人たちいたなと、改めて思い出した。

 

「はい。彼らは前から一緒にパーティーを組んでたらしくて、そこに私やロザリアさんが参加させてもらった、て形です」

「どこのギルドに所属してたりとかは、わかる?」

「いえソレは、あんまり興味なかったので……大体どこも同じですから。たぶん、【軍】の分派か提携しているギルドだとは、思います」

「……そうだったな。ここのプレイヤーはそういうのには、あんまり頓着しないんだっけな」

 

 そう言って、苦笑するような/私の迂闊さを注意しているような/でも謝ってもいるような不思議な表情を浮かべた。

 うまく答えられなかったことが恥ずかしく、俯いてしまう。そんな私を気にするでもなくキリトは、何かを思案するようにつぶやきを漏らした。

 

「……ざっと見、彼女とはだいぶ毛色が違ってたからな。たぶん―――大丈夫だろ」

 

 最後にチラリと、私に目を向けると納得した。

 よくわからないながらも解決したように見えたので、顔を上げた。同時にキリトも、ようやくカップに口をつけた。

 

「―――うん、やっぱり店で飲むと旨い!」

 

 向けられた笑に、つられて微笑んだ。

 もう一口飲んでみると、懐かしさの記憶を思い出した。現実で/今より幼い頃、お父さんに少しだけ味見させてもらったホットワインと、すごく似ていることに。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 その後、つつがなく食事を終え部屋に戻った。

 程良い満腹感に心地よくなり、食後のデザートを楽しみながら、何でもない/主にキリトの経験談にクスクスやらホワホワさせられた。どれも新鮮で面白く何より破天荒で、とてもデス・ゲームをやっているとは思えない。楽しんでるのがわかった。彼が体験している世界にはとても……憧れてしまう。

 そのまま雑談に興じ続けていると、食事だけの客がいなくなり、夜の攻略に向かうプレイヤーたちがちらほらと見え始めた。いつの間にかかなり時間が経っていたことに気づき、「明日に備えて早めに休もうか」と部屋へと別れた。

 

 部屋に戻った後は、貰ったアイテムを確認/装備。今までとの違いを確かめた。若干重く感じる……。

 シュンシュンと振り回しながら、新しい武器を体と同期させていった。違和感が薄れていくと、今度はソードスキルの調整。よく使う基本単発技/締めに使う五連撃、空中技も練習練習。現実ならドタバタとうるさいことこの上なかっただろうが、木造の壁とは思えないほどの防音機能が備わっている、どれだけ騒いでも隣や階下に迷惑はかからない。

 しかし、どれだけやっても……集中できない。いつもよりブレを感じる。どうしてかと考えると、すぐにキリトのことが思い浮かんだ。すると止めど無く思わされ続け、意識が散漫になり続けてしまう。どれだけ振っても気になって仕方がなくなる。

 それでもなんとか、一通りのソードスキルは成功させた。達成感よりも疲労感がたまった。武装を外し寝巻きに変えるとそのまま、ベッドに倒れるように仰向けになった。ぼぉっと天井を見上げる。すると……やはり、彼のことが気になってきた。

 

 意を決して体を起こすと、隣の部屋に通じる壁を見た。今その向こうに、彼がいる……。

 胸がドキドキしてくるのを抑えると、ドアと向かい合った。そして、トントン―――。恐る恐るノックした。

 しかし……応えはない。もう一度ノックするも、やはり返ってこない。不安になってきた。

 

「……もしかしてもう、寝ちゃったのかな?」

 

 どうしよう……。緊急の用事ではなく全くの私事、明日に備えて早寝した彼を起こすのは言語道断だろう。そもそも外からでは起ようがない。

 そうは言っても、少しガッカリしてしまった、同時に安堵も。何とはなしに会いたくて来ただけだったので、何を話せばいいのか決めていなかった、きっとテンパってしまっていたことだろう……。

 しばらく佇むと、諦めて自室に戻ろうとした。

 

「―――シリカ、どうしたの?」

「ほへぇ!?」

 

 背中から急に、キリトが声をかけてきた。思わず、飛び上がってしまった。

 振り返ると、確かにキリトだった。私の様子に首をかしげてる。

 

「キ……キリトさん? どうして外に?」

「ちょっとこの宿の中を探検してた。一通り見終わったんで、帰ってきた」

 

 調子はずれだが冗談でもなさそうな答えに、逆にいつもの調子を取り戻せた。

 

「探検って……子供ですか?」

「半分以上はね。夜ふかしできて酒は飲めるから、全部とは言えないけどな。

 シリカこそ、オレに何か用か?」

 

 今度は当たり前の質問に、アタフタが戻ってきた。全く答えを用意していない……。

 

「ええと、そのぉ……50層のこと、聞いておきたいと思って!」

 

 大声になってしまった。

 まるで告白でもしてるみたい……。そう思うとさらに、顔が赤くなってくる。気づかれぬように服の裾をギュッと掴んで、隠しきる。

 しかし/幸いなことにキリトは、気づくことなく。言葉のまま返事をした。

 

「明日話すつもりだったけど……今がいい?」

「は、はい!」

 

 声が上ずってしまった。緊張しすぎだが止められない。

 

「それじゃ……階下に行こうか」

「い、いえ! 大事な情報なのでその、お部屋の中の、方が……」

 

 何言ってんのよ私―――。あまりにも押しすぎていることに気づき、答えが尻すぼみになってしまった。隠しようがなく顔が真っ赤になった。いくら何でもこれでは、疑われてしまう……。

 しかし、私の懸念には気づかず。頭を掻きながら、

 

「それもそうだけど、なぁ……。まあ、いいか―――」

 

 どうぞ……。なんの気兼ねなく、聖域のトビラを開き招いてきた。

 思わずゴクリと、息をのんだ。

 

「……お、お邪魔します」

 

 遠慮がちながら入ると、すすめられた椅子に座った。

 落ち着かずチラチラと、部屋を見渡した。当たり前だが、別段変わったところなどない。何らかのカスタマイズがされているわけではなくフォーマットのままだ。 

 キリトも同じく椅子に座ると、机の中央に取り出した小さな木箱を置いた。蓋を開けると、手のひら大の半透明な水晶玉が見える。

 

「わぁ、キレイ! ……何ですかコレ?」

「【ミラージュ・スフィア】、記憶結晶の一つ。50階層用の立体地図だ」

 

 俺の給料の三ヶ月分の……なぁんて淡い期待を外してくれながら、箱の隅にあった小さなスイッチを押した。

 すると突然、上方に/目の前にバスケットボール大の光球が現れた。箱のギミックにより、水晶玉が巨大化して照らし出されている。

 見たことのない/幻想的なテクノロジーに感嘆を上げると、キリトは光球に触れながら説明を続けた。

 

「スクロールタイプの平面地図と違って便利なのは、こうやって―――ズームアップしたり、ロケーションを指定すればルート検索ができるところかな」

 

 指でつまみんだり広げたりすることで、縮尺が変わる/鳥瞰図から明細図へと。指でそっとスクロールしてみれば、球がくるくると回転する。やんわりとダブルクリックすれば印がつき、そのままツゥーと線を引きながら別の場所をクリックすれば、ルートが自動表記される。

 実演したあと、やってみてと言うかのように促され、おそるおそる触ってみた。スクロールすればクルクルと回転する、ズームアップすると街路樹や建物の細部までみえてくる。

 一通り私が面白がったあと、今度は明日の予定の説明をした。

 

「ここが主街区でこっちが【思い出の丘】。最短ルートはこう―――だな。だけど、明日はこういう―――ルートで行こうと思ってる」

 

 私が見やすいように操作しながら、行動予定図を表した。

 フムフムと頷き、ただただ感心感嘆。わずかな間でもうこんなに調べられるなんて……。私は今まで、ここまで綿密には考えていなかった。反省する。ズボラな性格は自覚しているが、もうちょっとしっかりしないといけないな……。

 

「こっちのこの―――橋を通るルートも短くていいんだけど、落下して川に落ちることがある。中腹で鳥型のモンスターに襲われたらまずそうなる」

「落ちちゃうって……大丈夫なんですか?」

「川底は深いから落下ダメージはそれほどじゃないよ。ただ流れが速いから、一気にここまで流されて戻るのが―――」

 

 急に、説明する手が止まった。顔にも一瞬だけ、硬いものが浮かんだのが見えた。そして、何かを考え込むように黙る。

 不審に思い、おずおずと尋ねた。

 

「どう、しました?」

「……考えてみたら、こっちはこっちでいいかもしれないな。鳥避けの香を使えば、アイツらやってこないし。何よりここ……絶景ポイントなんだよ」

 

 ニコリと、先の曇りが嘘のように顔を輝かせながらそう言うと、メニューウインドウを展開した。そしてポチポチと、何かの操作をする。

 もしかして、調べ直してくれてるんだろうか……。邪魔しちゃ悪いと眺めていると、

 

「せっかく50層に行くんだ。少しは観光していくのも、悪くないだろ?」

 

 朗らかにそう提案すると同時に、私の前にメッセージウインドウが展開された。キリトからのメッセージ―――

 

『話を合わせて。誰かが扉の外で【聞き耳】を使ってる』

 

 示されたソレに息を呑む、緊張が走り抜けた。

 だから思わず、キリトを見返した。コレ、冗談ですよね―――。

 しかし、キリトの顔は変わらず、メッセージとは真逆の観光前夜気分。……それが何より、真実だと物語っていた。

 慎重に、顔面筋肉と脳みそを振り絞りながら、不自然にならない自然な返答をひねり出した。

 

「……間に合うのであれば、その道でも……大丈夫です」

「そうか! それじゃ、このルートの説明をするよ……と、その前に―――」

 

 また唐突に立ち上がると、部屋の壁に備え付けられている【通信魔法陣】に向かった。いわゆる内線電話、違うのはソレらしい機械がないこと/音声ではなく文字のみの通信装置。アインクラッド独自の楔形らしき文字と魔法陣な文様が描かれている呪符のようなモノが、ピッタリと貼られているだけ。

 そのまえに立つと、メニュー操作のように指で操作。コマンド表示/オーダー画面に変化した。

 

「ちょっと長くなるからな、飲み物頼もう。シリカは何がいい?」

 

 尋ねられたことに一瞬、ボケっとしてしまったが察せられた。

 ルームサービス機能=従業員の呼び出し。もしも本当に、誰かが盗み聞きしているのなら、ドアの前あたりで耳をそばだてているはず。そこに突然従業員が来たら、不審がられることになる。正体をばらしたくない/事を荒立てたくないのなら、そこから退散するしかなくなる。

 

「あ……それじゃ、【ホットココア】を一つ」

「それでいいの、快眠用の寝酒もあるけど?」

「お、お酒はちょっと……。夕食のモノだけで充分です」

 

 いくら【酩酊】/前後不覚するほど酔わないとはいえ、まだまだ抵抗がある……。それに、顔のわからないストーカーがすぐそばで張り付いているのにそんなことができるほど、肝は据わっていない。

 そうかと一言、ルームサービスを頼んだ。ふたり分の飲み物が送信される。

 すると、小さくカタリと、ドアの外で音が鳴った。注意していなければ聞き逃したであろう/同じ客が通ったのだろうと気にしなかったほどの足音。ソレがいそいそと、遠ざかっていくのが聞こえる。

 そして……完全に聞こえなくなった。

 

「―――いなくなったな」

 

 キリトの断言に、ようやく緊張が解けた。

 なのでドッと、抑えていた疑問を漏らした。

 

「……誰、だったんでしょうか? それにどうして、盗み聞きなんか?」

「おそらくだけど……、明日オレたちが【思い出の丘】に行くことを知ったプレイヤーだろうな。使い魔蘇生用のアイテムを横取りしたい何者か、てところだな」

 

 ニヤリと、どこかにいるであろう誰かに不敵な笑みを浮かべながら答えた。

 はんば予想していたが、改めて言われると揺さぶられた。でもやはり……理由がわからない。

 

「そのアイテム……ビーストテイマー以外が持ってても意味ないですよね。そんなものに横取りしたくなるほどの高値なんて、つくんですか?」

「つくよ。なにせソレを使えば、使い魔を得られるかもしれないからな。【攻略組】なら所持金全額使っても惜しくはないアイテムだ」

 

 さらりと告げられた情報に、驚愕した。

 

「……どういうことですか? ソレは使い魔にしか、テイマーにしか使えないものじゃないですか」

「いや、通常の敵対するモンスターにも使える。使い魔とモンスターは所属が違ってるだけで同じモノだからな。モンスター専用の蘇生アイテムでもあるんだよ」

 

 さらなる情報に、頭が混乱した。

 『使い魔蘇生用』アイテムなのに、モンスターも蘇生させてしまう。そもそも、モンスターを蘇生させるためのアイテム、使い魔とモンスターの区別はプレイヤーかゲームシステムかの所属の違いだけ……。理解できそうで納得しきれない。

 実物を見ていないから何とも反論できないが、アイテムの説明欄に『使い魔を蘇生する』と明記したされていたのなら、それまでだろう。ただ彼がそういうのなら、明記はされていないのかもしれない。使用したらそういう結果が現れた、その場所やアイテムを知っているNPCがそう言ったから、そういうことになった……のかもしれない。誰もモンスターに、貴重なアイテムを使おうなんて考えられない。

 

「通常は、シリカも知ってるとおり、極低確率でエンカウントした後モンスターの方からアプローチをかけてくる。それに答えれば使い魔になってくれる。今までビーストテイマーになれる方法はコレしかないとされていた。

 だけど最近、別の簡単な方法が発見された―――」

『お飲み物をお持ち致しました。中に入ってもよろしいですか?』

 

 ドアの向こうから、従業員NPCの声が聞こえてきた。

 説明を中断し、展開された確認コマンドで『入室許可』すると、NPCが入ってきた。トレーに乗せた飲み物を私たちの前に置く。私はその間、開けられたドアから通路をそっと覗き見た。もう夜も遅いので、宿の証明は薄明かりになっている。注意していた人影はどこにも……見えなかった。

 業務を終えるとドアまで戻った。そこで一礼しながら「お休みなさい」と退出していった。

 再び二人だけになると、キリトは注文した飲み物を一口つけて、説明を続けた。

 

「特定のモンスターを倒した後、ソレを使って復活させる。すると、使い魔として生まれ変わる……らしい。使い魔になってくれると知られてるモノや、小型のソレらしいタイプならほぼ確実に復活できる。だから、誰でも簡単に、ビーストテイマーになれる」

 

 プレイヤーの生存率を上げる大発見ではあるが、キリトの顔にはソレらしい明るい色は見えない。ただ淡々と、事実を述べているのみ。聞いている私も、やはりか、複雑な表情を浮かべていた。何か、すごく大事なものを、無視している気がしてならない……。

 違和感の正体がつかめぬまま、尋ねた。

 

「でも、そのアイテムを使えばテイマーだった人は……使い魔を失うことになりますよね?」

「そうでもない。【心】が【形見】に変わるのは3日後、て言っただろ? その蘇生アイテムは【丘】の奥の花壇にあるんだけど、一つ取ったら無くなるわけじゃないんだ。一日一人一つだけ……らしい。だから、蘇生させずに集めようとすれば、最大3個は手に入る」

 

 耐久限界ギリギリまで粘れば、貴重なアイテムが三個も手に入る。うち二つで、新しいビーストテイマーを作り出すことができる。

 実に素晴らしいことだけと、やはり……釈然としないものがある。自分の幸運が否定されるとは違う、けどそうでもあるような……何とも言えない。

 倫理的なジレンマに悩まされていると、キリトがおもむろに顔を寄せてきた。そして、挑むように尋ねてきた。

 

「ソレが、オレがシリカを助けるメリットでもある……て言ったら、どうする?」

 

 そしてニヤリと、含みを込めた笑顔をむけてきた。

 私は、少し怯みそうになるも、ソレがすぐにどこかへスっと通り抜けたのを感じた。異常事態に翻弄されてばかりだったけど、これだけは定まっている。

 なのでそのまま、答えた。

 

「そういうことでしたら、むしろ良かったです! 私、キリトさんに助けられてばかりですので、ソレで少しでもお返しになるのなら」

 

 先の釈然としない気分は、なくなっていた。そういうことになら、使っても構わないと思える。おそらくピナも、それでいいと言ってくれる……気がする。

 そんな私にキリトは、目を丸くしていた、不思議なものを見たというように。

 ソレがどんな意図からだったのか思い浮かべる前に、気づいた。教えてくれた行動予定表では、できなくなることがある。

 すこし考えでもすぐに勢い込んで、提案した。

 

「だったら、早く出発したほうがいいですよね! 今日中に一つ取れれば、一つ余分に持てますし……どうでしょうか?」

 

 ちょっとした、でもかなり価値のある強み。この中層域帯から抜きん出ることができる、躍進のチャンスだ!

 言い切ったあと、コレってキリトさんを利用した打算じゃない? とも気づいてしまった。そこまで面倒を見てもらうメリットなんて、彼にはないはず/私にしかない。我ながらかなり厚かましすぎる……。

 が、いまさら引っ込めるのは遅い。どう使うかは、獲得したあとに考えればいいし、提案しただけだし……。

 モジモジと悩んで上目遣いでキリトを見るも、そのことには気づいている様子はなく。むしろ気にせず、改めて計画を練り直していた。

 

「3個取るつもりなら、明け方出発じゃギリギリになる。かと言って、夜の間から進むのはちょっと……危険すぎる。初日だけ急いでも事故が起きるだけだしなぁ……」

「大丈夫です! 私、頑張りますから」

 

 全くもって根拠もなければ、キリトにだだ頼りになってしまうだろうが、覚悟的に宣言した。

 危険は承知、セオリーを無視するのなら当たり前。そうでなければ躍進できないのなら、そうするしかない、【攻略組】たちがそうしてきたように。……今まで私が、できていなかったことだ。

 

(何より、ここでもし3個手に入れたのなら私、キリトさんの隣に立てる……かもしれない)

 

 その本心/明るい未来は隠しながら、鼻息荒げに「いいですよね?」と迫った。

 そんな私に言い知れぬ圧迫感を感じたのか、若干身を引き気味/視線を逸らしながら躊躇いがちに、

 

「どっちにしても、50層には行かなくちゃいけないからな……。オレのホームに着いてからルートの説明して、その後でもう一度聞くよ」

「キリトさんの……ホームで?」

「敵に気づかれたからな。この宿から出れば尾行されるし、逃げれば仲間に報告される」

 

 敵……。一瞬誰のことかと思ったが、すぐに盗み聞きしたプレイヤーのことだと察した。同じ仲間でもプレイヤーですらなく、敵。モンスターを相手取るかのような鋭さが、キリトの顔に垣間見えた。

 

「さっき宿泊者名簿を確認したんだ。そこで、つい一時間ほど前の飛び込みで、素泊まりの客を一人見つけた、しかも宿の出入り口が見られる角部屋に、だ」

 

 本当は隣の部屋にしたかったのだろうが、あいにく埋まっていてできなかった……。そう言って、顔も知らない監視者を皮肉った。

 探検って、まさかソレのためだったのか! ……またまた驚愕、彼には驚かされてばかりだ。「子供みたい」と笑ってしまったことが恥ずかしい。

 自分の至らなさに改めて落ち込んでいると、「そんなのわかるわけないじゃない!」と【ホットココア】に逆ギレ/八つ当たり。マグカップをつかみグビリッと、一気飲みした。熱くてむせそうになったが、ギリギリ飲み干す。

 

「ここはチェックアウトしないでそのまま、【転移】で一気にオレのホームまで飛ぶ。……奴らを出し抜こう」

「はい!」

 

 私の奇っ怪な行動は互いにスルーして、不敵に笑い合った。まるで師弟のように……。

 しかしふと、キリトが何かに思い立ったように、俯いた。眉をひそめ額に手を当てる。そして、申し訳なさそうに私を見つめ謝罪してきた。

 

「……悪い。オレのホームで眠ってもらうことになるけど、大丈夫? 広さは全然余裕あるし、リビングと寝室の仕切りはあるんだけど……?」

 

 一瞬、何を言われたのか分からず黙ってしまった。「ほえ?」と頭が空白になった。

 そして徐々に、思い至った。ソレが鮮明になっていくごとに、顔もまた/それ以上に全身が湯気でも出そうな勢いで真っ赤になっていく。

 

「だ、大丈夫……です。キリトさんのこと、そのぉ……信じてますから」

「そう言ってくれるなら、助かるよ」

 

 苦笑しながらそう言うと、居住まいを正した。そして片手をまっすぐ、まるで敬礼でもするかのように上げながら、

 

「私キリトは、シリカさんに対し、これからの3日間は世界中の誰よりも紳士であることを、ここに誓います」

 

 至極真面目に宣誓すると、おどけた顔を向けてきた。

 私はクスリと、微苦笑を浮かべるしかなかった。紳士であっては欲しいけど、そんなに頑なにならなくても、むしろちょっとは別に……。

 あらぬ妄想を振り払わんと、急いで俯いた。

 

 

 




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55階層/アルゲート 出発

 

 

 

 耳元で奏でられるチャイムの音に、ゆっくりとまぶたを開けた。

 

 しばらくぼぉーとし、自分の居場所を眺めた。見知らぬ部屋のベッドの上、周囲の家具の配置も自分の部屋とは違う。段々と意識が覚めていく。

 ここはどこ? どうして私はここに……。昨夜は【風見鶏亭】にいたが、監視者がいたので転移してここに来て、そのまま寝ちゃって―――

 

「―――おはようシリカ、良く眠れた?」

「あ……はい。お早ようございます、キリ―――ッ!?」

 

 かぁと一気に、顔が赤くなった。彼の顔を見た瞬間、全てを悟った。私あのまま、キリトさんの部屋で寝ちゃったんだ……。

 寝顔見られた……。恥ずかしすぎて顔を上げられない。埋めたシーツの隙間から彼を睨む。気が利いて格好良くて面白くもあるんだけど、こういうデリカシーがない……。

 狙ってやったのかとも疑いそうになったが、少し首を傾げているだけ、察してくれてない様子。逆に見当はずれに、心配そうに見つめてきた。

 

「と言っても、だ。まだ夜明け前だけどな。……やっぱり、もう少し寝てたほうがいいんじゃないか?」

「……え?」

「昨日の今日だからな、無理が祟ったんだろう」

 

 一瞬ほうけてしまったが、すぐに察した。そのためにここにいて、彼の協力を仰いでいる……。慌てて元気アピールをしようとした。

 

「い、いえ、大丈夫です! 目覚ましの時間間違えただけですから……て、あれ?」

 

 合ってる? ……視界隅に表示されている時刻は、設定した数字だった。寝過ごしたわけではなかった。

 でも、ほんの数時間しか経っていない。短い睡眠時間だと今の私のように、寝起きがぼぉっとして低血圧のような醜態になってしまう。逆に体調はマイナスになる。シャンとして身支度まで整えている彼は、もっと短い時間しか寝ていないはず。もしくはそもそも―――

 

「キリトさん、もしかして……寝てなかったんですか?」

「ああ、眠くなくてね。つい先まで散歩してた」

 

 やっぱり……。心配そうに見つめるも、キリトの顔はハツラツとしていた、私と比較できてしまうほどに。

 

「最近、【瞑想】の修行やっててね。結構なレベル習熟すると、三日ぐらい眠らなくても動き回れるようになる。眠っても一時間ぐらいでいい。体休めるだけで眠ったのと同じぐらいスッキリできるようになった」

「ソレは、無理してるわけでは……ないんですよね?」

「元々オレ達、眠り続けているだろ? ここは夢の中みたいなものだ。ソレを思い出せれば、休めなきゃならないなんて習慣に引きずられなくなる。……この体は現実の肉体とは違って、頑丈だからな」

 

 そういうものなのか……。言われてみたらそうだけど、実際は今の私の有様だ。睡眠はどうしたって必要不可欠、短すぎかつタイマーで強制的に起こされれば不快さが募る。三日も動き回って一時間の睡眠時間でいいとは……常人とは思い難い。

 追求したいが寝起きの億劫さで、「はぁ……」とそのまま流した。

 

「さ、かなり早いが朝食に……する? それとも、弁当にして途中で食べるか?」

 

 少々口ごもりながらの提案。まだまだ頭は鈍りすぐに対応できないも、朝食のワードにピクリと反射反応した。

 キリトさんの手料理……。ゴクリと喉を鳴らしそうになったが、グッと堪えた。凄まじく惜しいが、今は食欲自体がない。それに何より、朝食ではあまりにもハードルが高すぎる、今は次点でも全然OKだ。

 

「お……お弁当で、お願いします」

「了解。……て言ってもオレ、【料理】は全然なんだよなぁ。【おにぎり】か【サンドイッチ】ぐらいしか作れないや」

 

 店で買うのもいいけど、この時間じゃ空いてないし……。悪いと先に謝ってきた。

 そんな彼に驚いてマジマジと眺めてしまった。自分から弱音みたいなことを曝け出すのが珍しい、それだけ本当に【料理】は不得手ということなのだろう。

 だったら、それはそれで構わない。そういう形も全然アリだ。

 

「素材は結構いいの揃えてはいるからな、たぶんそう……不味くはならないはず」

「それなら、私に作らせてください! 【料理】には自信あります」

 

 キリトは勢い込む私に驚き、目をパチクリさせた。

 

「……【料理】、鍛えてたりする?」

「はい、ピナのご飯用に少々。

 使い魔になり立ては素材だけで十分だったんですが、それだけじゃ何だか粗末に扱ってるみたいで、料理し始めたんです。そしたらピナ、調理したモノばっかり食べるようになって……いつの間にか結構なレベルになったんですよ」

 

 図らずも、ピナとの記憶を思い出してしまった。悲しくなりかけたが、キリトの負担になるのはイヤで飲み込んだ。もう散々泣いたので、これ以上はいい。

 自信ありと満面の微笑みで答えたが、言い切って気づいた。慌てて訂正する。

 

「ご、誤解しないでくださいね! べつにペット用、使い魔用のご飯ってわけじゃないです。私も一緒に食べてましたし、普通のご飯ですからその、変なものじゃない……ですから、そのぉ……」

 

 モニョモニョと最後は濁して、かわりにチラリと上目遣いで頼んだ。

 

「大丈夫、作ってもらう分際で贅沢なんて言わないさ。何でも食うよ」

「はい……」

「ただ、ちょっとは……期待したいけどな」

 

 頬を掻きながら/視線を逸らしながら、言われた。……期待された♪

 シュンと沈みかけていた心が、一気に跳ね上がった。

 

「はい、任せてください!」

 

 胸をそらす勢いで、ニッコリと任された。

 寝起きはよろしくなかったけど、今日はいい日になるはず。きっとそうなるに、決まってる。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 いそいそと身支度整え、あまり使われていないであろう台所と色とりどりの食材たちと向かい合った。そして気合を入れて、お弁当の制作に勤しんだ。丁寧にかつ適切に丹精に色々と込めてルンルルン♪と、あふれてくる鼻歌を胸の内にとどめながら。

 

 全ての準備が整うと、キリトのホームから出た。

 大通りから少し外れた路地。近代中華風/香港風の街並みの50層主街区、雑多で猥雑にもなりそうなほど色々と詰め込まれた街並みだが、若々しく華やかな賑わいがある。大都市の/一攫千金を夢見ているであろう山師や凄みを利かせている傭兵・ちょっと目のやりどころに困るお姉さん・海千山千であろうおばばやおじじがいっぱい。スリルを感じるほどのパワーに溢れている。

 ソレに圧倒され、まるでお上りさんのように/物珍しそうに周りを見て回った。一度『フロア開き』の際に見学はしたが、転移門から/遠くから眺めるだけで終わった。危険な近寄りがたい空気に気圧されてしまった、中に入って見物するのはコレが初めてだ。

 

 なので、キリトには色々と案内してもらいたいが……どうもそんな楽しげな空気ではなかった。

 ホームから出発してから先、無言で厳しげな顔。何かを警戒してピリピリしている。すぐ後ろの私にも気を回しきれず、足早に通りを行く。置いていかれないようにいそいそと、早足になってしまう。

 大通りからも外れ、どんどん人気のない路地裏の隘路へと進む。さすがに訝しりが募り、「待ってください」と言おうとした矢先、唐突に立ち止まった。思わずその背中に鼻をぶつけそうになる。

 

「―――いるのはわかってるんだ。いい加減出てこいよ」

 

 イライラを極限まで抑えながら、誰にか声をかけた。

 しかし/当然、誰からも応えがない。辺はしんと静まり返っているだけ。

 すると突然キリトは、背後にある二階の半開きの窓へと振り返った。その手には小型の黒いピックがつまみ出されてもいた。ソレを振り向きざまに―――投擲した。

 

 一瞬の早業。驚き/制止する間もない。気づいた時には、振り下ろしの残像が見えただけ。投げられたピックはそのまま、二階の暗がりへと吸い込まれていく。

 しかし、聞こえるはずの/壁にぶつかった衝突音が鳴らない。中にいるかもしれない住民NPCの悲鳴も聞こえない。まるで、どこかに吸い込まれてしまったかのように、掻き消えた。

 それでようやく、私も異変を理解した。そこへと振り向く。唾を飲み込みながら/恐る恐ると……見た。

 

 突然、何かが飛来した。私に向かって飛んでくる。

 ソレが、先ほどのピックだとわかった時には、遅かった。もうよけられない―――。ここは【圏内】だから/当たっても弾かれるだけだから大丈夫、だとわかっていても怖い/目をつぶってしまった。目と鼻の先まで迫り来ていた。

 しかし、私の顔にぶつかる寸前、止まった/止められた。すばやく立ちふさがったキリトがソレを掴んでいた。ピックの鋭い穂先が視界いっぱいに見える。

 

 再びキリトが、二階の暗がりを睨みつけると、その窓の奥からヌッと人影が現れた。

 薄汚れた黒のボロ切れの外套に身を包んでいる/その顔は砂漠仕様のような飛行眼鏡に隠れている。体格と肩から伸びる大剣の握りらしきモノからみて、少年だろう。この路地裏でよく見かける乞食風にも見える貧弱そうな装備だが、佇まいが鋭く怖い、今のキリトのように。……私よりも手練であることは、すぐに察せられた。

 

「―――さすがキリトさんっス、場所まで把握されてたなんて」

「だから、先に警告してやったんだ。コイツを返してもらうためにな」

 

 キリトが気軽に/しかし顔は笑わずに、投げ返されたピックを見せながらそう言い返した。

 観念したのか、隠れていた二階から飛び降り私たちの前に着地。メガネを外し額にかけると、素顔が見えた。

 思ったよりも、純朴そうな少年だった、私と同年代にも見える幼さがあった。ソレに気づいたからか、先の雰囲気は消えていた。

 

「どうやってオレに張り付いてたんだ? 巻いたと思ったんだけどな」

「巻かれったスよ、俺だけじゃなくみなさんも。【転移門】で張っても来ないし、まさか【階層門】つかって降りたなんてわからないっスからね。さすがのアルゴさんにも、リアルタイムの居場所なんてわからない。

 なんで、ホームに張り付かせてもらいました」

「もしかして……今日までずっとか?」

 

 真面目に頷かれるとキリトは、訝しりをほどいて呆れていた。

 私にチラリと目を向けると、今度は彼が訝しんできた。

 

「……その子、例のプレイヤーっすよね? 何でまだ一緒にいるんっすか?」

 

 若干、刺のようなモノを含ませられた質問。

 それゆえか/しかし過剰に、キリトは反応した。少年を睨みつける―――

 

 瞬間、直接睨まれていない私にまで、その余波を感じられた。思わず両手で体を抱いた。冷たく鋭い、この場の空気まで凍りつくほどに……。

 押しつぶされそうな敵意に当てられてか、少年は降参と言うかのように両手を上げた。

 

「安心してください、別にどうこうするつもりはねぇっス。そうしろとも言われてねぇですし」

「それじゃ先の投擲、オレじゃなく彼女を狙ったのはなぜだ?」

 

 嘘も冗談も叛意と断じるような、いつもよりも静かな低音。

 息を飲まされる私と違って少年は、少し悩むと……呟くように答えた。

 

「躊躇ってるのかと思って。俺なりに、キリトさんが何考えてるのか見定めたくて」

 

 そう言い切ると、真っ直ぐと挑むようにキリトに向き直った。まるで返しの刃のようにも、見える。

 

 しばらく黙ったまま睨み合っていると、先に少年の方が折れた。

 肩をすくめながら、大きくため息をついた。

 

「どっちにしても、いずれは誰かがどうにかするしかねぇっスからね。まぁ、俺たちからは手は出さねぇつもりっスけど」

「自分たちの手は汚さない、てことか?」

「キリトさんの自由にさせたい、てことっスよ。……俺は反対っスけど」

 

 自嘲を浮かべながら引き下がるも、再び顔を引き締めて返した。

 

「手間かければ、相手も自分も辛いだけっスよ?」

 

 わかってるのか……。哀れみまでこもった優しげでもあるその糾弾は、一番キリトに堪えたのだろう。揺らがず厳しげだったのに、眉をピクリと顰めさせた。

 瞑目してその動揺を飲み込むと、ソレを無視した/話題を逸らした。

 

「……それで、出てきたのはそんなこと言うためか?」

「キリトさんの方が引っ張り出してきたじゃないですか?」

「そういう駆け引きは時間の無駄だ、オレ達は急いでるんだよ」

「【思い出の丘】ですよね。今の時間からだと、彼女にはすこし……キツくないっスか?」

 

 私を一瞥しながらの、おそらくは助言として言ったのだろう。しかし、キリトには逆効果だった。先に引っ込めた威圧が再び、それ以上のモノが吹き荒れた。

 失言だったと、少しばかり口に手を当てソレらしい真似をするも、さして縮こまることはなく。先ほどのように降参のポーズをとった。

 

「さっきも言いましたけど、俺達から手を出すことはねぇっス。俺がここにいるのは、俺の所感をコウイチさんに伝えるだけっスから」

「……所感? お前がオレに会って何感じたか、てことか?」

「まぁそんな感じです。すげぇ大雑把っスけど『絶対に手を出すな』とは厳命されてます。だから……こうやって話すのは少し、やべぇかもしれねぇっスね」

 

 そのことに今初めて気づいたと、考え込み始めた。あちゃーと失敗に額を打つ。

 キリトも、その様子に毒気を抜かれたのか。肩から力抜くと、シッシと追い払うように言った。

 

「それじゃとっと消えろよ。もうオレ達の前にその顔見せないでくれ」

「そのつもりっスよ。これ以上キリトさん怒らせるのはおっかねぇっスからね。

 それじゃシリカちゃん……サヨナラっス」

 

 軽々しく別れを告げるとそのまま、路地裏の影の中へと去っていった。

 

 

 

 まるで、狐にでも化かされたかのようだった。突然やってきて混乱させ、唐突に去っていった、後にはそこにいたという記憶だけしか残さず……。

 ただ、彼の姿が見えなくなった後ようやく、違和感が一つ形になった。何で彼は、私の名前を知っていたのか? いつの間にか【鑑定】されていたのだろうか……。

 同じく、彼の姿を難しそうな顔で見送っていたキリトに、尋ねてみた。

 

「キリトさん、あの人は……お知り合い、ですか?」

「ああ、【レプタ】ていう奴。かの『神父』様の付き人みたいなことやってるプレイヤーだよ。結構な回数、一緒にパーティー組んで戦ったこともある」

 

 苦々しそうに、けれどもソレ自体は別段嫌な記憶ではなく、今のこの時に遭遇した気まずさを吐露してきた。

 何か、私に隠してることがある……。鈍いながらも内心を察せられた。それもただ隠してるのではなく、かなり重大なこと/それゆえに話すタイミングを見極めようとしている……。考えれば考えるほど、落ち着かなくなる。今は聞くべき時ではないのだろう。

 だけど、踏ん切りがつかない。少しでもいいから何か、突端でも聞き出そうと口を開くと、

 

「……しまった! アイツも引き込んどけばよかったな。そうすれば、シリカの安全は高まってたし、何企んでるのかも探れたのに……。

 悪い。ちょっと考えなしだった」

 

 そう言って、弱りきりながら頭を下げてきた。……そこにいたのは、先の彼と対峙していた強面のキリトではなく、私が見てきた穏やかな姿だった。

 なので/つられてか、私もいつもどおりに反応していた。

 

「お、お気になさらず! 私は別に……大丈夫ですから」

 

 全然不安だったけど、キリトが良い人だというのは揺るがない、頼ってもいい人だということも。ならば何も……問題ない。

 改めてソレを再確認してると、逆にキリトが顔を曇らせてきた。

 

「……シリカのその意気込みは嬉しいし買うけど、ソレだけじゃどうしようもならないことが、ここにはある。―――コレを」

 

 腰に巻いていたポシェットから小さなイヤリングを取り出すと、渡してきた。

 手のひらの上に受け取ったイヤリング。鈎型の貴金属が二本/中心に小さな宝玉が一個で、縦向きにした瞳を形作っていた。目尻にあたるであろう片側にゆるい渦があり、そこに留め金のチェーンが伸びている。

 

「コレ……銀のイヤリング、ですか? でも、こんなモノ見たことないしそれに、名前も……ない?」

「プレイヤーメイドの改造アクセサリだ。だけど、量産されてるモノでもある。だから、いちいち作り手が銘を入れてないんだ」

「……そんなモノがあるんですね」

 

 説明は心はんば、イヤリングの綺麗さに目を奪われていた。シンプルだけど吸い込まれるような/でも落ち着いてもくる、不思議な魅力がある、まだ名前が無いのも華を添えてくるかのよう。

 

「そこにはめ込まれてる宝玉は、【転移結晶】を圧縮精製したモノだ。装備すれば一度だけ、いつでも片手も防がれずに【転移】できる」

 

 続けた説明に、ようやくコレの真価を理解した。

 

 いざ危地に陥ったら緊急退避できる【転移結晶】は、このデス・ゲームでは重宝されている。迷宮区や未踏のダンジョンを行くときには必須アイテムだ。一度行ったことのある街へと簡単にテレポートできる利便性もあるが、55階層まで進めた今でもあっても高価なアイテムでおいそれとは使えない。街から【圏外】へと出たプレイヤーは、必ず一つは携行している。

 便利なアイテムだが、欠陥がないわけではない。まず一つ、大きくてかさばること。片手でギリギリ持てるほど/フットボールをほんの一回りだけ小さくした大きさ。ので、戦闘中に使う場合は必ず、片手がふさがってしまう。二つ目は、その大きさかつ【耐久値】が少ないこと=いつでもは使えない。常に手に持ち続ければできるが、かさばるし落としでもしたら壊れてしまうかもしれない。ソードスキルを発動でもしたら、間違いなく落としてしまう。……本当のギリギリでの緊急退避は難しい

 しかしコレなら、その不便を限りなくなくすことができる。

 

「他にも、腕輪とか指輪とか首飾り・簪なんてタイプもあったかな。オレが他に持ってるのは指輪タイプのものなんだけど、ソレつけると他の指輪を装備できなくなるからな。誤動作もよく起きる。それでピアスにしたけど……いいかな?」

「はい、全然構いません。けど……いいんですか、こんな貴重なモノまで貰って?」

「言うほど貴重なアイテムでもないよ。結晶の圧縮法と力の抽出方法とかを確立しだい、全プレイヤーに向けて配布する予定……らしいからな。すぐに貴重じゃなくなる。

 ついでだ―――コレも」

 

 またポシェットをまさぐって、別のイヤリングを渡してきた。

 

「同じ細工だけど、色が……違う? 【転移結晶】じゃないですね。黄色だから……」

「そう、こっちは【回復結晶】だ」

 

 先の青色とは違う黄色の宝玉が埋め込まれたイヤリング。……【転移結晶】よりもこちらの方が、必要とされている改造かもしれない。

 

「いちおう【解毒結晶】用もある。これから行くダンジョンには、【猛毒】とか【麻痺】させる奴らがいるからソレでもいいんだけど、ソロで冒険じゃないからな。回復の方がいいだろう」

 

 頷きながら、マジマジと貰ったイヤリングを見つめた。

 

(コレって、形とか意味合いとか全然違うだろうけど……プレゼント、だよね? そういうことに……なっちゃうよね?)

 

 おそらく、キリトが言いたいことからは見当外れだろうけど、そっちの方が重大だ。意識してしまうと、顔が真っ赤になってしまう。アタフタしてくる。彼も同じイヤリングつけらたと思うと……。何か大切なモノが吹っ切れてしまう。

 

(コレ、使わずに永久保存できないかなぁ……)

 

 観賞用の保存アイテムを手に入れる算段をつけようとしていると、キリトが居住まいを正し真面目な顔で見つめてきた。

 不意にその目と重なりドキリと、緊張させられた。胸が高鳴る。ハッ、これはもしやまさか―――

 

「もしも、予想外のことが起きてオレが離脱しろって言ったら、必ずソレで、どこの街でもいいから飛んでくれ。オレのことは心配しなくていい」

 

 ……違った、全然違った。胸の高鳴り誤解しちゃった♪ 

 この彼の前で、あんなこと考えてたことが恥ずかしい……。心のHPがレッドゾーンまで打ちのめされた。

 僅かばかりに残った正気で、何とか持ち直す/彼の『頼み』を咀嚼した。彼を見捨てて私だけ逃げる、脳内審議の結果は―――却下だ。

 

「……で、でも、そんなこと―――」

「約束してくれ」

 

 強引に、だけど懇願でもあるように頼んできた。

 何も言い返せず、さりとて了承することもできず見つめ合った。

 力不足で足でまといで頼りないことは重々承知だけど、一度助けてもらった命だ。使うとしたら恩人に返すことを選ぶ。ソレが彼の意に反することでも、私の意に則しているのならそちらを優先する。

 ソレをハッキリと言ってやろうとすると、おもむろにキリトが過去を語ってきた。

 

「……オレは一度、パーティーを……全滅させたことがある。だからもう、二度とあんなことは繰り返したくないんだ」

 

 そうでないかとは、薄々勘付いていたキリトの過去。改めて目の前で言われると、あまりにも重々しい……。言いかけた言葉は、喉元で飲みくだされた。

 真剣なその表情にただ、頷くしかなかった。完全には納得してないけど、彼の根幹そのものでもあるソレを変えさせるだけの言葉は、私には……ない。

 

 約束だよと念を押されソレにも頷くと、考えを一新した。

 そもそも、そういう問題が起きなければ/起こさなければいい。予想外のことがなければいい/キリトに危険だと思わせなければいいだけ。そのために、今の私にもできることはある。冷静に、パニックに落ちないように振る舞えばいいだけだ。

 キリトも切り替えたのか、互いにニッと微笑むと、

 

「それじゃ、行こうか!」

「はい!」

 

 一緒に元気よく、出発を告げた。

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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55階層/思い出の丘 プネウマの花

 

 フィールドを南に歩いて数十分、早速最初のモンスターと遭遇したが―――

 

「い、いやぁぁぁ―――ッ!?」

 

 歩く花に追われていた。あまりの気持ち悪さに悲鳴を上げながら、ただひたすらに逃げる。

 濃い緑色の茎は人間ほどに太く、根元で複数に枝分かれてしっかりと地面を踏みしめている。茎もしくは動のてっぺんにはヒマワリに似た黄色い巨大花が乗っており、その中央には牙を生やした口がパックリと開いて内部の毒々しい赤をさらけ出している。

 茎の中程からは二本の肉質のツタがニョロリと伸び、その腕と口が攻撃部位となっているのだろう。人食い花は大きなニタニタ笑いを浮かべながら、腕あるいは触手を振り回して飛びかかってきた。

 

「大丈夫だって、そいつすごく弱いから! 花の下の白っぽいところ狙えば、簡単に倒せるから―――」

「そういう問題じゃ、ないんですってば!」

 

 とにかく気持ち悪い、悪意に満ちてるとしか思えない。健全な精神では向き合えない、生理的な嫌悪感をもよそうさせるデザインだ。……作った奴は、悪質な変態であるのは間違いない。

 くるなくるなとブンブン短剣を振り回しながら、逃げ惑い続ける。

 

「何なんですかコイツ? 気持ち悪すぎる……」

「そいつで気持ち悪がってたら、この先やっていけないぞ。

 花が幾つもついてるやつとか、食虫植物みたいなやつとか、あとヌルヌルの触手が山ほど生えてる奴とか―――」

「ひいぃ―――!?」

 

 それら怪物たちが目に浮かぶようで、鳥肌がたった。

 あたり一面は色鮮やかでキレイな花畑であるのに、どうして出てくるモンスターたちはそんなのばっかりなのか。恐ろしすぎる罠だ。……観光なんて生ぬるいこと言ってられない。

 キリト曰くまだ初級の変態生物は、そのカテゴリーにたがわぬ執念で追いかけてくる。モンスターとしてプレイヤーを倒す役目を果たしているだけなのだろうが、レベル差体格差未知である以上のおぞましさがある。ほとんど当たっていないとはいえ、短剣を目の前で振り回されているのにビビっていない、むしろ拒絶とは逆の意味に捉えているみたいだった。目と思わしき中に、ハートマークが浮かんでいるような気がする。

 コレが序の口なの……。早くもこのフロア、好きになれなくなっていた。

 

「も……もう! 来ないでって、言ったで―――しょッ!!」

 

 逃げるのをやめて振り向きざま、意識しないように速攻で、ソードスキルを叩き込んだ。

 しかし、外れた。刃を空を切る。狙いを定めていなかったから当然だ。

 それで敵は、ますます付け上がってきた。ニタニタ笑いを深めニンマリと、スキル後の硬直時間の隙間を縫って、二本のツタを伸ばしてきた。

 

「!? 避けろシリカ!」

「へ? ―――わぁッ!?」

 

 伸びされたツタが足に絡みつくと、いきなり引っ張られた。腰をしたたかに打つとその場に、【転倒】させられた。

 痛たぁと腰をさすりながらも、絡みついたものを外そうと短剣を振り上げる。

 

「こ……この! 変なとこ捕まな……いわ、わ、わわゎ―――ッ!?」

 

 短剣がツタを切る寸前、いきなり持ち上げられた。予想外の膂力に短剣は外れる。そしてそのまま、逆さ釣りにさせられた。

 すると当然/どうしようもなく、仮想の重力が働いた。ペロリとスカートが、めくり上がってしまう―――

 

「わわわわぁッ!?」

 

 ソードスキルもかくやとすばやく、スカートを押さえた。……ギリギリ隠しきれた。

 すぐに助けに近づいてきたキリトだが、私のその有様に躊躇していた。やるべきやらざるべきか、顔をそらすべきか無視して早急に問題を解決すべきか……。

 晒し者状態から脱出するため、ツタを切ろうともがいた。なんとしても早急に一秒でも早く、脱出しなければならない。しかし、逆さ吊りかつ片手ではうまくいかない。ツタもこちらを弄ぶようにうねうねと避ける。

 全く当たらない、当てられそうにもない……。顔を真っ赤にさせながら/乙女のプライド半分ほどかなぐり捨てながら、助けを叫んだ。

 

「き、キリトさん助けて! 見ないで助けてッ!!」

「む、無茶言うな!?」

 

 とは慌ててるものの、何とか見ないように顔を逸らしてくれている。ながらも何とか、助けに入る隙を伺う。

 そんな私たちの様子を楽しんでか、変態花はさらにゆさゆさと嬲ってくる。

 

「や、やめてッ!? やめ……このぉ! いい加減に―――!!」

 

 もうこの際、恥も外聞もない。ソレに一瞬ならばいけるはず……。両手でしっかり握り直し狙いを定めるとプチンッ―――ツタを断ち切った。

 開放されるとそのまま、頭から地面に落下した。変態花の悲鳴も上がる。それとほぼ同時に、キリトがソードスキルを繰り出すのが見えた。高速の刃が変態花に叩き込まる。

 ほんのひと拍ほど遅れて、下卑た頭がボトリと切り落ちていった。そして分断された体の方も、遅れて倒れる。

 

 私はその手前あたりで、受身も取れず頭から落下していた。ついでに両足の膝も地面につくくの字の屈伸格好で。ゆえに当然、『丸見え』を越えた『丸見せ』状態。さらにさらに、無事を確かめようとキリトが振り返った/あられもない格好と向かい合った。

 瞬間、どちらもフリーズした。

 

 再起動は数秒後。すぐさまキリトは、顔を逸らし背を向けた。私もすぐさま引っくり戻り、服の乱れを整えた。

 すべてを終えると遅れて、顔が/全身が真っ赤になっていった。まるで、ドラゴンの火炎ブレスを浴びた直後のように真っ赤っかに。猛烈と、記憶消去しようとしたが……当然のことできなかった。なかったことにしたいが、もはや叶わぬのぞみ。

 なので恐る恐る、極限を振り切った恥ずかしさを抑えに押さえ込みながら、ボソリと確認した。

 

「……見ました?」

「見てないですよ」

 

 嘘だ、絶対に嘘だ。顔は見えないが確信できた、反応が早すぎる、言葉遣いもおかしい。

 じと目でその、ほぼ確定犯人の背中を探るも……証拠は見えない。なのでボソリと、引っ掛けてみた。 

 

「…………ワインレッドに黒の花柄レースのローライズ」

「(ビクッ)!?」

「やっぱり見たッ!」

 

 捨て身の追及が功を奏した、隠しようもなく肩が動いた。間違いない、犯人だ。肩はプルプル震えながらも、指先はピシリと突きつけた。

 観念したのか犯人=キリトは、おそるおそると振り向いた。そしていきなり、その場に正座して腰をほぼ直角に曲げながら、頭を下げてきた。

 

「―――すいませんでした! 眼福でしたッ!」

 

 土下座、見事な土下座だった。完全なる謝罪をぶっこんできた。

 二の句が告げずワナワナと、指を突き出した状態で固まってしまった。こんなに真っ直ぐ謝罪されたら、何も言えないじゃない。てか本当に、見られちゃったのアレを……。『シリカは痛恨の一撃を受けた』のにようやく気づいた。

 思考停止/現実逃避しようと、あるはずのない『ログアウト』ボタンを探していると、頭を上げたキリトが頬を掻きながら何とも言えない難しそうな顔を向けてきた。

 

「……オレ、シリカのことずっと年下だと思ってた。けどもしかして、同年代かずっと年上、だったりするの……ですか?」

 

 語尾を無理やり丁寧語に変えながら、尋ねてきた、もしも年上だったのなら失礼が無いようにするために。

 予想もしてなかった追撃にまたまたポカーンとなった。ナニを言ってるのこの人は……。私が彼より年下なのは、見れば分かることではないのか?

 ハッと、自問したら気づけた。『見た』からわからなくなったのだ、と。私が年上の可能性は極々小さいが、ないとは言い切れなくなった。あんなもの常時履いてる女子中学生ならびに高校生でもいなかろう、アレは『勝負』のための戦装束だ。少なくとも彼の視点では、ありえない部類だろう。

 そしてウッと、もう一つも気づけた。ここでもし、誤解を訂正して年下だと正直に教えたのなら、どうなるのか? ……私の乙女心は爆散する、おそらく塵すら残らないだろう。もう二度と彼の顔をまともに見られない。かと言って年上だと嘘をつけば、後で必ずバレる。空恐ろしい二重の罠だった。

 

「……ぷ、プライベートにつき、回答を拒否します」

「いや、無理に聞きたいわけじゃな……ないですから。……で、いいのかな?」

 

 そんな私の懊悩などなかったかのように、キリトはおずおずと尋ねてきた。実際、そんなつもりで聞いてきたわけではなかったのだろう。

 顔を引きつらせながら/曖昧に苦笑しながら、まるで自己紹介し直すように言った。

 

「……今までどおりで、お願いします」

「あぁー……うん! それじゃ……そうするよ。今更変だしなぁ」

 

 そして、互いに誤魔化すように笑った。

 すると、どうでもよかったような気がしてくる、強張りが少しだけ解けた。本当にクスクスと/でもまだちょっと恥ずかしそうに、微笑がこぼれてきた。

 

 先に立ち上がっていたキリトが手を差し出した。その手を取り立ち上がった。

 先は長い、ここはまだ序の口でしかない。それにここは、私にとってはありえない危険地帯だ……。今度は失敗しないと、気を引き締め直した。

 前を進むキリトの背を追いかける。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 ―――と、勢い込んでしまったのが、悪かったのだろうか。

 またもや、このフロアの洗礼を受けてしまった。

 

「うへぇ、べとべとしてるよぉ……。それにちょっと―――臭!?」

 

 気持ち悪い、鼻をつまむ、それでもこみ上げてくる腐った生卵臭。まるで自分の体臭がそうなってしまったかのようで、恐ろしくなってしまう。

 早くお風呂入ってすっきりしたい……。巨大食虫植物の胃袋をカッ捌いてしまった報い、注意されたがその場に留まってしまった未熟のなれ果。それが、全身ベトベトで胃液/溶けきらなかった残留物まみれ。入ったらお風呂まで汚染されそうな凶悪なヘドロだ。

 

「……キリトさん、何で言ってくれなかったんですか?」

「悪い……。浴びたことなかったんで、失念してた」

 

 心配しそうに謝るも、ちゃんと鼻をつまみながら/適度な距離を保ちながら。決して私が触れられないようにしている。

 立場が違ったら私も同じことしそうだけど……。恨みがましく睨む、憂さ晴らしと気持ち近づこうとする。

 そんな攻防を何度か続けると、話を逸らすようにつぶやいてきた。

 

「それにしても、こんなに……臭うとはな。【蟲寄せ団子】制作の素材になれるわけだ」

「感心してないで、助けてくださいよぉ。どっかに小川とかの水場ないんですか?」

「残念ながら、ここら辺は一面花畑だよ。この時期だと雨も降らないだろう。……しばらくはそのままで我慢してくれ」

 

 キリト曰く、あと一時間もしないうちに痕跡も臭いも消えるとのこと。だが、こんな格好をあとそんな長時間晒したくない/こんな臭を引き連れて冒険したくない。せっかく二人きりなのに……。彼は時々、乙女心をわかってくれない。

 盛大に/力なくため息をついた。

 

「……せめて、臭い消し用のアイテムとか、ありませんか?」

「【香水】のこと? 悪いな、今は持ち合わせてないんだ。

 かわりにコレ―――鼻に詰めて、こらえてくれ」

 

 ポーチから取り出してきたのは、二つの小指大のコルクらしきもの。耳栓ならぬ鼻栓。いらんことに片側には、小さな花の彫り物がついている。

 なるほど、確かにコレは香水の代わりになるだろう。匂いをかげる場所を封じれば臭は感じない。しかし―――

 

「……なんですか、これ?」

「【鼻栓】」

「そんなことはわかってます。私が言いたいのは……コレをつけろと?」

「結構効くんだよコレ。ここみたいな臭のきついフィールドだと、御用達のアイテムだ」

 

 ほれほれと、勧めてきた。その顔には悪意の含みは……見当たらない。

 かなり躊躇うも、抑えきれない異臭が促してきた。どうも耐えきれそうにない……。

 えぇいままよ! と【鼻栓】をひったくると、くるり背を向けスッポリと装着した。

 すると―――奇跡が起きた。

 爽やかな春風が、鼻腔を満たす。雲一つない青空の下に広がる大草原、全身が清められていく……。この一瞬で、別空間に転移したかのようだった。

 

「わぁ、ふごひぃ! 全然臭わなくなった!?」

「だろ! こっちの方が消臭剤よりも効果あるんだ、安くて長持ちもするしな」

「こへ良いでふね、キリトさん! しゅごいでふよぉ!」

「そうなんだが、ただ、見た目がちょっと―――プッ!」

 

 耐え切れず吹き出してきた。

 首をかしげていると、こちらを見ない代わりに手鏡を向けて見せた。思わず、ソレを覗き込む―――。

 ブワッと一気に、顔が真っ赤になった。ソレを見てますます笑われる、腹まで抱えられた。

 

「わ、笑わないでくだふぁいよ! キリトさんがやふぇっていったじゃないでふかッ!」

「ぷはっ! しゃ、喋り方までッ!? ……まさかここまで、面白くなるなんてなぁ」

 

 ウガーと怒るも、目尻に涙をためるまで笑われるだけ。

 なので、もう臭いなんてどうでもよくなった。すぐに【鼻栓】を取り去ると、そのままフンとそっぽを向きながら先へ進む。

 

「……臭い大丈夫?」

「我慢できます」

「それじゃ、【マスク】は使わない? 【鼻栓】よりかは効果薄いけど」

 

 ギッと睨みつけた。なんでそっちを先に言わないの……。

 再び喚きたくなるも、やめた。

 

「……結構です、ガマンします」

 

 プンスカと先へ進む私に、ニヤニヤと含み笑いを向けるキリト。……くそぉ、今に見ておれよ。

 悔しさを抑えながら、どうやって復讐してやろうかと頬を膨らまし続けた。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 その後も幾度か戦闘を繰り広げながら、赤レンガの街道を進んだ。

 

「……そろそろ機嫌直してくれよ、シリカ」

「キリトさんもアレ浴びたら、考えてもいいです」

 

 さすがに無言を通しきるのは難しく、「まだ許してませんから」とそっぽを向くだけにとどめていた。

 

「それでいいならやるけど……、そっちにも被害でるぞ?」

「いいですよ、もう慣れましたから。存分に臭くなってください」

「それじゃ、仲直りは後回しだな。―――もうゴールみたいだ」

 

 小川にかかった小さな橋を渡っていると、その先に一際大きな丘が見えてきた。赤レンガの道はその丘を巻いて、頂上まで続いている。

 

「アレが【思い出の丘】だよ」

 

 色とりどりの花が乱れる登り道、ワサワサと這い出てくるモンスターの群れ。頂上は、高く茂った木立に覆われ見えない。

 ラストスパートだ……。もう一度気を引き締め直した。

 

 

 

 一段と激しくなったエンカウント率。同じような敵とはいえ油断ならない……。慎重に立ち回りながら、着実に敵を屠っていった。

 35層とは比べ物にならない強敵、ゆえに経験値も大量、LAをキリトが譲ってくれたのも大きい。ここまで来るだけでレベルが上がっていた。

 基本はバックアップに徹するキリト。ヘイトを稼ぎ引き寄せて、私が危なくなったらサポートに向かう。複数体に囲まれた場合はすぐさま数を減らし、私が常にタイマンで敵と向かい合えるように整えた。かなりのレベル差があるとはいえ、キリトからもらった良質の装備と立ち回り方を覚えれば、それほど危険な相手ではない。時々ヒヤリとさせられたことはあったが、数をこなしてくれば慣れていく。……私の成長を考えての布陣だった。

 至れりつくせりの冒険。故にますます、疑問が募っていく。

 

(なぜキリトさんはあの時、35階層なんて下層にいたのだろうか……)

 

 聞こうと思って聞きそびれた理由。聞かずじまいにここまで来てしまうと、ますます聞き辛くなってしまった。ので、チラチラその横顔をのぞき見ながら、考える。

 墓参り、お礼参り? パーティーを一度全滅させた過去がある。何かしらのケリつけにやってきた。そこに私が偶然いた……。彼の知り合いと思わしき高レベルプレイヤー、私のことをよく知っているような口ぶり。キリトは彼がいることを快く思っていない。なぜ? 彼が告げた言葉「手間をかければどちらも辛いだけ」、キリトの答えには「自分たちの手は汚さないのか?」―――。

 

 何かが噛み合いそうになる寸前、景色が開けた。木立を抜け頂上にたどり着いた。

 思わず駆け寄り、歓声を上げた。

 

「うわぁ、キレイ……」

「とうとう着いたな」

 

 空中の花畑。そんな形容がふさわしい場所だった。周囲をぐるりと木立に囲われて、ポッカリと空いた山頂。その開けた空間一面には、美しい花々が咲き誇っている。

 今日まで随分と絶景を観賞してきたが、中でも指折りの光景だった。五感いっぱいに……見蕩れてしまう。

 

「ここに、その……花が?」

「ああ。真ん中あたりに岩があって、その天辺に生えてる……らしい」

 

 指し示した先にあるのは、白く輝く大きな岩棚。

 息せきながら駆け寄り、胸ほどの高さのソレを上から覗き込むも―――

 

「……えぇと、ここで……いいんですよね?」

「ああ、その……はずだよ」

「でも、そのぉ……ない、ですよね?」

「いや、そんなはずは―――。ホラ、見てごらん!」

 

 視線に即され再び岩の上に視線を戻すと―――

 

「あ……」

 

 柔らかそうの草の間に、今まさに一本の芽が伸びようとしていた。

 視点を合わせて焦点を絞っていくと、細部のきめ細かさだけではない、明らかな成長が見られた。若芽はくっきりと、鮮やかな姿へと変わっていく。そして、二枚の真白い葉が貝のように開き、その中央から細く尖った茎がスルスルと伸びていった。

 息詰めながら見守っている最後、先端に育った純白型に輝く涙滴型の膨らみがほころび―――しゃらんと、鈴の音を鳴らした。蕾が開き、光の粒が宙を舞った。

 

 【プネウマの花】―――

 優しく触れると、ちぎりことなく手の中にこぼれ落ちた純白の花。その瞬間、音もなくネームウインドウが開き、その名を知った。

 

(やっと手に入れたよ、ピナ……)

 

 壊れないように/だけどしっかりと、去来する様々な思いを込めて、胸の中に抱き寄せた。確かにここにあると実感する。

 

「―――これでピナを、生き返らせられるんですね」

「ああ。【心】に、その花の中に溜まってる雫を振りかければいいんだ」

 

 メインウインドウを展開し、その上に花を乗せた。アイテム欄に格納されたのをしっかりと確認し、ソレを閉じた。

 小さくひとつ、吐息を漏らした。大きな肩の荷をようやく下ろすことができた。

 キリトに振り返ると、気持ちを新たなにニッと、朗らかに笑いかけた。

 

「あとは、キリトさんの分と予備にもう一本、ですね」

「時間も十分間に合うしな。……ピナには少し、我慢してもらうか」

 

 【心】の耐久限界値は、まだまだ余裕がある。すぐに復活させてあげたいが、ソレでは【プネウマの花】を手に入れることができない。罪悪感がチラとよぎるも、やりたいことができたのだ。そのためにもコレは、必要なことだ。

 

「それじゃ、一旦帰るか!」

「はい!」

 

 【転移結晶】ならすぐだが、まだ時間はある。それに、もしも同じようなことが起きたのなら、今度は一人でここまでたどり着かなければならない/たどり着きたい。

 空中庭園をあとに、【思い出の丘】を降りていく。

 

 

 

「戻ったらお風呂入って、服と体も洗いたいですよ」

「もう取れてるから大丈夫だろ?」

「見た目はそうですけど、気持ちの問題ですよ。あの感触を洗い流したいんです」

「そういうもん、なのか?」

 

 クンクンと、私を/めくった自分のコートも嗅ぎながら、首をかしげていた。

 

「……別に、臭は残ってないぞ? それにここじゃ、汗臭くもならないだろ?」

 

 やっぱり彼は時々、乙女心を無視してくる……。顔や見た目は中性的なのに、中身は野生児に近いのかもしれない。

 もうさすがに慣れたので、いちいち頬を膨らませるのも面倒になった。ただ呆れるだけにとどめる。

 

「キリトさんはお風呂、嫌いなんですか?」

「嫌い、てわけじゃないけど、現実でもシャワーでざっと流してただけだしな。それにここじゃ、そんなに必要ないだろう? いちいちお湯張るのも面倒だし金かかるし」

「確かに、特別な効果とかはないんでしょうが……。サッパリするじゃないですか。これで一日終わったとかぐっすり眠れるとか癒されるぅとか、そんな感じに」

 

 説得しようとしながらも、段々と自信がなくなってきた。よくよく考えてみれば、そんなこと他で代用できてしまう、別に風呂である必要はどこにもない……気がしてきた。

 

「そうなのか? オレは少し……不安になるけどな」

「不安、ですか?」

 

 よりにもよって、正反対とは……。どうなったらそうなるのか、興味が沸く。

 

「風呂に入ると、その……全部取らなくちゃならないだろ? 別に下着つけて入ってもいいけど、濡れるし何より現実の習慣的にさ」

「それは、まぁ……そうですよね。水着とかあれば使えるんでしょうか、自宅のお風呂に入るのにはわざわざ必要ないでしょうね。で、ソレが何か?」

「いやいや、怖いだろうソレ! ……コレはおそらく、このゲームのシステム上の大問題だぞ」

「へ!? 何が問題なんですか?」

 

 いきなり大事になって、ビックリしてしまった。

 そんな、冗談だと思っている私をみてキリトは、雑談から本腰を入れはじめた。真面目そのものの顔を向けてくる。

 

「いいかシリカ、よぉく聞いてくれ。君にとっても大事なことだ。

 武装は服を身につけてないと装着できない。服は下着を穿いていないと着れない。そして下着は、全身が濡れてたりすると穿けない。バスタオルとかで拭かないといけないんだ、石鹸とかついてたら水で改めて流し落とさないといけないんだ。自然に乾かすには、お湯の種類にもよるけど最低20分はかかる。女性で髪の長い人だったら、もう10分必要なんだ」

「……ソレが何か?」

「まだわからないか? 

 この逆はないんだよ。この工程を一つ飛ばしにすることもできない! いちいちメニューを展開して操作する手間をかけないといけないんだよッ!」

「そ、そういえば……確かに、そうですね」

 

 どんどん迫り来るキリトに、圧倒されてきた。意味不明な熱にあてられ、混乱させられる。

 そんな私に構うことなく、さらなる熱弁をふるってきた。

 

「もしも、バスタオルを用意するのを忘れてしまった場合、裸でうろつきまわなくてはならなくなる。それに服や下着は、武装と違ってほとんどの人は注意を払っていないけど、ちゃんと【耐久値】が設定されている」

「それは私も、たぶんみなさんも……知ってると思いますよ。でもソレは、武装で守られてますし、ステータスにもほとんど関わらない。そんなに気にする必要はないような……」

「甘い! 武装の上からでも攻撃を受ければ、ちゃんとダメージを受けるんだ。戦うたびに服と下着の耐久値は減っている。だから、いつ先に壊れてもおかしくはない。みんな武装は変えても服まで変えようとはしない、まして下着をやだ!」

「……確かに、言われてみればそうですけど……。実際に壊れるなんてこと、起きたことないですよね? それは―――」

 

 ピンと、何かが噛み合った。キリトが恐れていたモノが、朧げながら見えてきた。

 図らずもゾッと、背筋に鳥肌が立った。

 

「そう、コレがSAO超常現象の一つ。服は武装が下着は服を身につけてる限り、壊れないんだ」

「……で、でもソレは、おかしいですよ! もし保留されてるだけなら、武装を解いた瞬間一気に服まで……取れるじゃないんですか? そんな人見たことも、私だってないですよ!」

「ソレも超常現象の一つだな。そもそも身につけている限り、自然に壊れることがない。自分で脱ぐか破るか、他人に(コホンッ)されるかだ。

 服と下着が自然に壊れるのは、ストレージに格納した時なんだ」

 

 繋がった。全て繋がった―――。打ちのめされた。私は何とも平然と、恐ろしいことをほぼ毎日し続けていたのだろうか? 体の芯からブルブルと、凍えてきた。

 お風呂に入るとき服と下着は、その場に脱ぎ捨てるよりもストレージに格納する、そちらの方が手間も少ないし別に洗濯する必要もないから。でも、もしその時、服と下着の耐久値が0になっていた場合……破壊されてしまう。さらにもし、替えの服と下着を用意していなかったら(私を含めほとんどのプレイヤーは、趣味で収集する以外に用意する必要性を感じていなかった)/(新しい鎧を店で購入した場合あるいはドロップでも、大抵専用の服がついているからあえてソレだけを買う人は少ない)、真っ裸で過ごさなくてはならなくなる! 下着までついてる装備は稀だし、そもそも使いたくない/実際使いたくないような装備ばかりだ。デス・ゲーム化したここでは、そんな変わった/使えない/気色悪い装備は真っ先に売り捨てられる。

 なぜ私は今まで無事だったのか……。そもそも稀な事故なんだろうが、ほぼ無限回繰り返せるここでは全てがあり得る。これからどうなるのかは……誰にもわからない。

 

「……わかっただろ。コレが、オレが風呂を怖れる理由だ」

 

 厳かに、限りない畏怖を込めて、キリトは吐露した。

 その怖れに私は、また一つ察するものがあった。

 聞くべきかソッとしておくかべきか、迷った。だが、好奇心には勝てなかった。

 

「もしかして、キリトさんはまさか……そんな目に遭ったことが?」

「一度な。ソレも、7階層にある隠れエルフ里の秘湯で遭った。長くてしんどいクエストを終えて油断しきってたことも、あったがな。……あの時ほどオレは、茅場晶彦を恨んだことはなかった」

 

 グッと涙をこらえるように、まだ良き思い出にするには傷が疼きすぎると、底深い恨みの念が込められた告白だった。

 想像できてしまった。あちゃーと額を打つ。自宅ならまだしも公衆のお風呂で……。その場に自分がいなかったことが悔やまれる。もし時間を巻き戻し、その場にいたのならそのまま―――

 ケフンケフンッと、咳払いした。身の内から沸き上がった何か良からぬモノを祓う。さすがにそりゃ早すぎるでねぇかのぉ……と、今は雲上にいらっしゃるであろうお爺ちゃんの苦笑も聞こえた。

 

 

 

 いつの間にか【丘】を下り、街道をひた戻っていた。手前の橋も渡り、フィールドへと戻る。

 

「……そういえばアイツも、風呂好きだったっけな―――ッ!?」

 

 呑気なつぶやきが突然、厳しい顔つきになった。

 何事かと驚いていると、その鋭い視線が両脇の茂る木立に向けられた。じっと睨み据えると、いつもより一層低く張った声を差し向けた。

 

「―――そこで待ち伏せしてる奴、出てこい」

 

 放たれた威嚇に数秒、緊迫の沈黙が響いた。私もじっと、キリトが睨み方向に目を凝らす。

 

 何も見えなかったがガサリと、木の葉が動いた。そして、プレイヤーカーソルが浮かび出てきた。色はグリーン、犯罪者ではない……。

 しかし現れたプレイヤーは、見知った人物だった。……できれば二度と、会いたくなかった人物。

 炎のような真っ赤な髪/それ以上に赤い唇。エナメル状に照り輝く黒いレザーアーマーを装備し、片手で細身の十字槍を構えている。

 

「ろ……ロザリアさん? どうしてここに……?」

 

 瞠目する私を無視して、ニンマリと口の端を釣り上げながら笑った。

 

 

 

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 もしも現実にフルダイブのVRゲームができた時、このての融通のきかなさ/現実の感覚との齟齬が、色々と問題を引き起こしそう。さらには、超長期ログイン状態なんて想定されていないのに、いきなりデス・ゲームに仕様変更された場合は特に。このての超常現象が問題を引き起こすはず。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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55階層/思い出の丘 黒の剣士 前

 【黒の剣士】の『黒』は、伊達じゃない。


 

 

 妖艶な笑みを浮かべながらロザリアは、驚く私を無視した。

 

「アタシのハイディング見破るなんてね。……侮ってたかしら、剣士さん?」

 

 誘うような声音、しかしその視線は獲物を見定めようとギラついていた。ちょっとした計算違い、だけど誤差の範囲でしかない。容易に覆せる『暴力』を潜ませているとの余裕が、ひしひしと伝わって来る。

 言い知れぬ予感に竦みそうになるも、キリトは平然と/むしろ呆れながら答えた。

 

「一緒に来たけりゃそう言えばよかったのに、わざわざ隠れて追いかけてこないでさ。恥ずかしがり屋さんか、そんな……ケバい格好して?」

「なっ!? コレのどこがケバいのよッ! ……(コホンッ)あなた達二人の邪魔しちゃ悪いと思って、気遣ったつもりだったけど?」

 

 怒鳴り散らす『見た目よりも年上』な素顔が見えたが、すぐに『魅力的な悪女』らしきモノへと修正した。

 先の怯えとは違う困惑に駆られていると、やっとこちらに向き直った。

 

「その様子だと、首尾よく【プネウマの花】をゲットしたみたいね。おめでと、シリカちゃん。

 じゃ、さっそく。その花渡して頂戴」

 

 そう言って手を差し出してきた。ココに【花】を乗せろと/献上しろと。

 察した瞬間、頭に血が上って爆発しそうになった。一体何様のつもりだ、この女は―――。喉元まででかかると、肩にスっとキリトの手が置かれた。

 それで水を差され、何とか堪えきることができた。「もう大丈夫です」とアイコンタクトで伝えると、キリトの手も離れていく。

 冷静になると、視線だけには怒りこめて睨みつけた。

 

「……ビーストテイマーでもないアナタには、不要なはずですよね?」

「使い方は色々とあるのよ。欲しい人もいっぱいいるの」

「一番私が使いたいんですけど?」

「そうね。で、渡してくれるの?」

 

 こちらの言い分など端から聞く耳持ってないと、笑顔ながら/「渡さなければ無理矢理になる」との含みをプンプン臭わせながらカツアゲしようとしてきた。

 先ほど抑え切ったものが、またせり上がってきた。倍するほどに膨れ上がっていたが、頭は明晰なまま。なので、今度は止めるつもりはなかった。幸い、キリトも止めようとはしない。

 なので、積年の憤懣の全てを詰め込んで、撃ち放った。

 

「お断りします! 冗談はそのケバい顔だけにして下さいよ、オバさん」

 

 叫びきると一瞬、空気が硬直した。

 ロザリアの顔もポカーンとなりプチンッと、何かが切れた。そして、もの凄い形相になった。私に負けないぐらい怒り狂ってきた。

 

「だ……誰が、オバさんだっての―――ッ!?」

 

 ズブリと、鎧の隙間に刺さった黒のピックが、ロザリアの喚きを遮った。振り返るとキリトが、投擲の残心をとっていた。

 ほんの一瞬の隙を突いて、ピックを投げた。わずかな隙間を縫って突き刺してみせた。

 ロザリアはそのピックを見て、やったキリトを睨みつけた。犬歯を剥き出しにするようにして何事かを叫ぼうとした―――寸前、ガクリと膝が落ちた。

 そのまま地面に、崩れ落ちていった。

 

 地面の上でピクピクと微震するロザリア。しかし、それ以上は動けない。体の自由が効かなくなっていた。

 

 

 

「―――レベル5の【麻痺毒】だよ。しばらくはまともに動けないだろうな」

 

 

 

 キリトのいつもと変わらない声音、しかし無慈悲なまでに無関心な調子で説明した。他プレイヤーを傷つけたことでカーソルがイエローになったが、ソレも気にしている様子はない。

 ロザリアは恐怖に駆られながらも、恐慌までには堕ちず。自分の身に何が起きたのかを確かめ、キリトのソレが本当だと確認。返答として、怒りと焦りを露に睨みつけた。

 

「あ、姐さん、大丈夫ですかッ!?」

「ウソだろ!? なんでいきなり……」

「てめぇ、正気かよッ!?」

 

 周囲の木立や茂みの陰からアワアワと、潜んでいたプレイヤー達が現れた。

 その数10人弱、おそらくロザリアの仲間。予想はしていたけどこんなにいたなんて……。現れた集団に身を強ばらせた。だけど、啖呵切った手前もうやるっきゃない―――。

 

「……おいおい、せっかく潜んでたのに。自分達から出てくるなんてなぁ」

 

 しかし、決死の覚悟を奮い立たせようとする私とは違いキリトは、ただ呆れかえるように肩をすくめていた。

 あまりに不遜な挑発行為に、恐怖心が振り切れた。今にも泣きそうになりながら/消え入りそうな声で尋ねた。

 

「き、キリトさん……どうして?」

「ナイスヘイト稼ぎだ、シリカ! おかげで楽に仕留められたよ」

 

 親指を立てながらGJと、私の『健闘』を称えてきた。

 オワッタ……。思わずガクンと、力が抜け落ちた。そのまま倒れそうだったが、ギリギリ踏みとどまった。

 そんな私の絶望は無視して、覆い尽くす敵意を一望しロザリアを見下ろした。

 

「見ろよ、奴ら動揺してるぞ。アンタが『人質』になるなんて考えてなかった証拠だな。……初っ端でオレが、こうするなんて思ってもなかっただろ?」

「こ、この……ちくしょうッ!」

「詰めが甘かった。見栄張って前に出るのはいいが、あんな隙見せるから……。コレでアンタは『足でまとい』だ―――」

 

 無機質にダメだしするとおもむろに、腰のポーチからアイテムを取り出した。

 磨かれた大理石にも見える/くすんだ灰色をした結晶アイテム。見たことのない結晶だったが、焦点を合わせると視界に名前が表記された。

 【吸魂の灰晶石】―――。

 

「そ、それは!? やめ―――」

「ドレイン、【ロザリア】」

 

 短く呪文を唱えると、ロザリアの体がボウッと、ライトエフェクトに包まれた。ソレが一気に抜き飛び、【灰晶石】へと吸い込まれていった。

 光を吸収しきった結晶は、くすんだ灰色から鮮紅色へと変色していた。その変貌に驚きながら、もう一度焦点を合わせると名前も変わっていた。

 【鍛錬の炎晶石】―――。こちらは見知っている結晶アイテム。呪文を唱えて砕くか飲み込むかすれば、一定量の経験値を獲得することができる。クエストをこなしたりモンスターを狩ったりする以外でのレベルを上げる方法だ。迷宮区のモンスターが時々ドロップする、プレイヤー間では高値で売買もされている。

 

 ロザリアは悔しそうにキリトを睨みつけるも、それ以上に色濃い恐怖でブルブルと震えていた。周りに集まっている『仲間』を見ないように固まっている、ようにも見える。

 何が自分の身に起きたのか知っている……。注視すると/拙いながらの【鑑定】を発動させると、異変に気づけた。HPバーに表記される数値が変わっていた、先よりも大きく減少して―――。

 ゾッと背筋に寒気が走った/ようやくわかった。……あの結晶は、ロザリアの経験値を奪い取った。

 

「……コレで、【麻痺】が解けても身動きは取れないだろう。自分の武装が重すぎて―――」

 

 言い捨てると、【炎晶石】までポンと捨てた、ロザリアの仲間たちの前に……。男たちの目が、その鮮赤色に吸い寄せられた。

 その隙を縫って/すかさず、新しい【灰晶石】を取り出した。

 再び突き出されたソレを見て、ロザリアは青ざめた。そして仲間たちへ、ヒステリックに命令を喚いた。

 

「アンタたち、何ボサッとしてるんだいッ! さっさとコイツを仕留めち―――」

「ドレイン、【ロザリア】」

 

 呪文とともに再び、ロザリアから経験値が吸われた。奪われた彼女は一段と、小さくくすんでいるようにみえる。

 ロザリアは喪失感に絶句/声にならない呪詛を撒き散らすも、キリトはやはり興味なさげに。【灰晶石】から【炎晶石】となったものも、男たちの前に放り捨てた。

 

「コレでもう、指先も動かせないだろう。自分じゃメニューを開けない、アンタはそこにへばり続けることになった。そして―――」

 

 さらにポーチから取り出してきたのは、手のひらサイズの小さなガラス瓶。【ポーション】に使われているモノとは違い八角ほどにカットされ、蓋も長い菱形のガラス。中には、濃い赤紫色の毒々しい液体が入っている。

 ソレをロザリアも見えるように、冷たくトドメを刺してきた。

 

「この【蟲寄せの香水】を、アンタの上にほんの少し垂らせば……あとは、モンスターたちが勝手に処分してくれる」

「き、キリトさん、そこまでやらなくても―――」

 

 怖いながらも、さすがに止めようと声をかけると、キリトは振り返らず差し向けた指で「静かに」と制してきた。

 今度は周りの男達に顔を向けると、提案した。

 

「オレは彼女の全てがどうでもいい。どんなアイテムを隠し持っていようが、経験値を持っていようが要らない。シリカと無事にここから立ち去りたいだけだ。なんで……そこに捨てたモノは、拾った人が使ってくれて構わないよ」

 

 さぁどうする? ……ゴクリ一斉に、息を呑む音が聞こえた。戸惑いとは違った色合いが、瞳に宿り始めていた。口元にも引き攣りながら、嗤いが染み出してくる。

 ソレをみせられてかロザリアが、今までの態度を振り捨て慌てふためいた。

 

「ま、待ってよ!? ちょっと待ってってば! それ、そんなの……冗談でしょ?」

「至って真面目さ。冗談はアンタの顔だけだよ、みんな結構正直に生きてる」

 

 だろ……。同意を求める声に、男たちの何人かがニヤリと薄く笑みを浮かべて答えた。

 ロザリアもソレを見て、絶句した。そして、キリトに差し向けていた怒りと焦りの矛先を、男達に向け始めた。裏切りやがったな―――。負け犬の遠吠えが聞こえてくる。『哀れな獲物』が私たちから彼女へとシフトしていた。

 その捻じ曲げを嗅ぎ取ってか、髑髏と蛇の意匠で整えた/派手目な装備をした男たちの中でも落ち着いた格好の曲刀使いが進み出てきた。

 

「仲間をコケにされたのに、何もしないで逃がしてやるっていうのに、それだけじゃなぁ……。割に合わないと思うぜ」

 

 そう言って曲刀使いは、薄い酷薄そう笑みを向けてきた。その含みに周りの男たちも察し/同意/『獲物』を見据える、ロザリアの顔からも怯えの色がほんの少し拭われていた。

 私たちごと始末する気だ……。せっかく曲がったと思ったのに、彼らは逃がすつもりはないらしい。

 息を飲まされながら、次に来るであろう袋だだきに備えた。キリトに貰ったピアスに意識を集中する。いざとなったら【転移】して逃げる……。勝算はあった、彼らはコレに気づいていない。

 キリトに目配せしようとすると、男の提案にウンウンと頷いていた。

 

「……そうだな。確かに、お前の言うとおりだな。

 それじゃ、コレでいいか―――」

 

 無造作に/誰かが止めるまもなく、【香水】をロザリアの上に投げた。

 背中にぶつかりパリンッと、中身がこぼれた。全身に液体がまぶされる。

 皆が驚愕し声を失った。その最中、ロザリアのあられもない恐慌の悲鳴だけが響き渡る。

 キリトはそんな彼女を無慈悲に見下すと、顔を蹴飛ばした。いきなりの蹴りにもんどり打つ、痛みに黙らされた。大した力を入れてないのに、彼女のHPバーは半減域のイエローまで削られていた。その減少値を見てさらに恐慌する。

 静かになると周りを睥睨し、死刑宣告をした。

 

 

 

「ロザリアは不慮の事故で死んだ、【黒の剣士】に殺された。【石碑】にもそう刻まれるだろう」

 

 

 

 死神のようにそう告げると、男たちの顔が戦慄に染まった。

 

「マジか!? あの『ビーター』なのか!?」

「監獄にぶち込まれてたんじゃないのか?」

「それじゃ……。ウソだろ、脱獄したっていうのかよ!?」

「あ、あ、あんた本当に……【黒の剣士】、か?」

 

 震え切った問いかけ/嘘だと否定して欲しい確認に、キリトはニヤリと嗤うだけ。……まるでソレが、答えだと言うかのように。

 男たちも恐慌状態に陥ると、歌うようにして曲刀使いを煽った。

 

「どうする、全てご破産か? それとも、コレで手をうって……次のボスになるか?」

 

 アメと鞭/昇進か破滅か、いや、無知にさらに鞭を打ってきた。

 その悪魔の囁きに曲刀使いは、怯えをあらわに青ざめていた。魅入られたようにキリトを見た。自分たちは誰を相手にしていたのか、誰の逆鱗に触れてしまったのか……。激しく乱れる動悸が聴こえてくる。

 

「悩んでんじゃないわよ、バカ共がッ! さっさと殺れッ! 攻略組だろうが一人なんだ、全員でかかれば倒せる!」

「かも知れないな。

 だが、少なく見積もって、3人は殺されるんじゃないかな? たぶん、お前とお前と……お前だな」

 

 指定された男たちがピクリと、顔を引きつらせた/青ざめて言葉を失っている。「お前たちは確実に殺す」との予告に聞こえたからだろう、難を逃れた男たちは一様にホッとしていた。

 何より『3人』、加えて選ばれた彼らの武装具合からの役割は、最も倒しやすい/先に倒しておかなくてはならない遊撃要員だった。通常は盾要員に守られ不可能に近いが、遥か格上の『攻略組』ならばできる。実感を伴っている予告は、もはや必ず訪れる未来だ。彼らの経験則が恐怖を受け入れてしまった、ロザリアの喝は根づけず霧散していった。

 放った言葉が染み渡ったのをみると/表情を少し綻ばせると、トドメを優しく刺してきた。

 

「オレ達が争うのは、お互い割に合わないと思わないか? ……お前らが殺されている隙を突いて、その結晶を取り戻したいロザリアだけが、得をしないかな?」

 

 自分が放り捨てた結晶を指差すと、男たちはハッと気づかされた。そして、ロザリアに疑いと嫌悪の眼差しを向ける。この女、俺達を囮にして自分だけ逃げるつもりだったのか―――。キリトに指定された男たちはさらに、今にも飛びかからん勢いで睨みつけている。ソレを受けて彼女はヒィッと、これまで聞いたことのない情けない声をあげた。

 全体を見渡した曲刀使いは、激しく懊悩するも……覚悟を決めた。目を見開く。

 そしていきなり、腰元のポーチから結晶アイテムを取り出してきた。【回復結晶】に似た黄色だが色合いは薄く形も雑で透明度が弱く鉱石に近い。すぐに焦点を合わせ名前を確認すると、視界に表記される。【盗賊の空晶石】―――

 

「そうよ、それでいいッ! 戦えぇぇ―――」

「スティール、【ロザリア】」

 

 へ? ……ポカーンと口を開けていると、唱えた呪文に従い魔法が発現した。ロザリアの体が瞬きまた、何かが抜け飛んだ。曲刀使いの結晶に吸いこまれていく。

 何かを取り込んだ【空晶石】は、結晶アイテム特有の透明度へと変わった、のみならずキラキラと輝いてもいる。そして、表記される名前までも。

 【宝庫の金晶石】―――。人類種とは違う、力ある亜人種が作り出したダンジョンやフロアの迷宮区に設置されている結晶型トレジャーボックス。通常の宝箱とは違って、中のアイテムを取り出したら砕けて消える。

 曲刀使いは結晶を砕いて、中のアイテムを取りだした。そして、何を盗んだのかメニューを開いて確認する。

 

「……おっ! 結構いいもん盗れた」

 

 ラッキー……。曲刀使いは、喜色を浮かべて言った、知らなければソレが盗んだものとは思えない。

 そして、何ら気負う様子もなく、呆然と眺めている仲間に顔を向けると、残酷な号令を発した。

 

「お前らも、盗れるもんだけ盗っとけ! モンスターが来きまう前にな」

 

 一瞬目を見張るも、すぐにニンマリと笑みを浮かべた。そして、盗賊そのものな野卑な歓声をあげた。

 今にも毟り取らんとギラついた視線を浴びせてくる元仲間たち。その異常な熱気に震え上がるも、だが負けじと叫んだ。

 

「ふ、ふ……ふざけん、なよ……【カサギ】ィッ!」

 

 曲刀使いに向かって、罵倒を放った。

 盗賊たちはその声、特にその『名前』にギョッとした。次に眉をひそめロザリアを睨んだ。直接向けられた曲刀使いは大きなため息をつくと、額に手をあてながら大仰に嘆いた。そのままロザリアへ、哀れみながら言った。

 

「最悪な失態だ、恥ずかしい限りだよ。こんな情けねぇことになっちまうとはな。

 こうなったのも全部、アンタが……頭に血が上りすぎて『そんなことまで』漏らしちまうほど、バァカだからだッ!」

 

 ロザリアに倍する罵倒/唾飛ばす勢いで、跳ね返してきた。まるで積年の恨み辛みを込めたかのような迫力。ロザリアも思わず怯んでいた。

 周りの男たちはその小演説に大きく頷き、賛意の雄叫びをもってこたえた。よく言ってくれたヒーローと、曲刀使いを褒め称える。……ロザリアが彼らにどう思われていたのか、ソレではっきりとわかった。

 皆の興奮がひとしお収まると曲刀使いは、無関心になるまでの哀れみの眼差しとともに、突き放した。

 

「……そんなケバいだけの頭じゃ、ここで生き残ってもどうせ、ヘッド達に殺されるだけじゃねぇのかな? あの人たち、こういうことにはスゲェ厳しいし」

 

 俺にはもう関係ないけどな、たぶんアンタにも……。そう言って曲刀使いは後ろに下がった。そして仲間に、「やっちまえ」と合図をだした。

 男たちは、飢えた犬のようにギラついた視線をロザリアに向け、囲い込んでいく。今にも泣き出しそうに震えているロザリアは、もはや声すら出せず/誰にも助けを求められずに……。

 

 それを機に、無残な強奪劇が始まった。

 

「さ、触んじゃねぇッ!? 返せ! 返して―――」

「おいボスぅ、この十字槍はいいよな? 俺ずっと前から欲しかったんだよ」

「ダメだ! そいつはこの女の手垢がつきすぎてる。売っばらってもすぐに足がつくぞ」

「くぅ、またッ!? 何やらかしてんのかわかって―――」

「なぁ、めんどくせからメニュー開かせていいか? 【盗み】だけじゃ上手く盗れねぇんだよ」

「隙つかれてヘッドたちに緊急コールされるだけだ。せっかく【黒の剣士】様が罪おっかぶってくれんのに、無駄にすんじゃねぇよ」

「ひゃぁっ!? ど、どこ触ってんのよ! や、やめ―――」

「いいじゃんか、最後くらい、どうせすぐに死んじまうんだから。散々誘いやがったツケを払ってもらうか」

「おい、冗談でもやめとけ! コイツ以上のいい女なんてごまんといるんだ。わざわざ墓穴ほるこったねぇぞ」

 

 盗賊たちの饗宴/共食いの儀式。幾人もの男たちがロザリアに集り、身につけている装備以外は何もかもを毟り取っていく。アイテムやお金も経験値も尊厳すらも、躊躇いなく嬉々として……。

 ソレが始まる寸前、キリトがソっと私の前に進み、見せないようにしてくれた。私も、彼らに気づかれないように目をそらす/耳をふさぐ。彼らのおぞましさに吐き気をこらえていた。何より自分が、そうさせた一因であるとの事実にも……。ロザリアの顔はまともに見られない。

 もしも、私の傍にキリトがいなかったのなら、ああなっていたのは私だったのかもしれない。いや、『かも』ではなく『そうだった』だろう。彼らが【プネウマの花】だけで満足するとは到底思えない、それで調子ずいてどんどん要求がエスカレートしていったはず。レベルも装備も格下の私ならなおさらだ。だから、キリトがいてくれて本当に幸運だった。でも……矛盾しているが、『彼がいなかったらこんなことには……』とも思ってしまう。

 目の前で繰り広げられているモノはそれだけ、私の常識から大いに逸脱した光景だった。

 

 

 

 全て喰い尽くした餓鬼たちは、ロザリアから離れていった。それぞれがそれぞれ、満足しきったホクホク顔をしている。

 曲刀使いが進み出てくると、上機嫌にキリトに声をかけてきた。

 

「それじゃ、俺たちは消えるよ」

「ああ。二度と会わないほうがいいだろうな。きっと……不幸な再会になると思う」

 

 キリトが無碍に切り捨ててくると、曲刀使いは緩んでいた顔を引きつらせた。忘れていた畏怖を思い出した。

 しかしニコリと、無理やり笑顔にすると、なんと商談してきた。

 

「そんなこと言ってくれるなよ兄弟、アンタ結構話わかる奴じゃん! 仲良くなろうぜ」

「オレコミュ障だからさ、友達付き合いとか苦手なんだよ。特に、『兄弟』とか言ってくる馴れ馴れしい奴はさ」

「おぉっと、そいつは悪かったよ。『ボス』て呼んだ方が良かったかい、それとも『ご主人様』?」

 

 あからさまに下手に出てきた相手にキリトは、一瞬唖然とするも、すぐに無感動に戻って/微かに軽蔑の眼差しをこめて、

 

「……オレ、犬は嫌いなんだ。使える奴ならまだしも」

 

 拒絶してきた。

 しかし曲刀使いは、ソレを『条件付き』と解釈したのだろう。緊張をはらみながらも表面はフレンドリーさを保ち、別れを告げてきた。

 

「あばよ姐さん! アンタが集めたモノは全部、俺達が有効に使わせてもらうぜ」

 

 愛してたぜ……。心にもないだろう言葉だけ残して、曲刀使いは離れていった。彼に従い元仲間たちも、思い思いの『別れの言葉』を残して去っていった。

 彼らが危険域から離れたのをみてから慎重に、私たちも離れていった。

 痕に残ったのは、ロザリア一人。威勢のよかった呪詛もかすれ、奇妙なすすり泣きとともに地面に縫い付けられたまま。迫り来ているであろう本物の死神の足音を一人、聞かされながら―――

 

 

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

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55階層/アルゲート 黒の剣士 後

 

「―――待てシリカ!」

 

 戻ろうとする私の肩を、キリトが掴んで止めた。

 しかし、もう幾分も時間がない。こうしている間にもロザリアは……。その手を振り払った。

 

「離して、離してくださいッ! あのままじゃロザリアさんは―――」

「わかってる! もう少しだけ待ってくれ」

「もう少しって……」

 

 死ぬまで待つってことか……。信じられないものを見た。今まで知っていたと思っていたことが全て、まやかしに思えてきた。

 真正面に振り返ると、挑むように睨んだ。

 

「なんで、あそこまでする必要があったんですか?」

 

 ここまで残酷な人だったとは思わなかった……。否定して欲しくて問いかけた。

 しかし―――

 

「……『あそこまで』ていうのは?」

「とぼけないで下さいッ! アレはやり過ぎじゃないですか!」

 

 プルプルと震えながら、指さした先にある光景は、今にも殺されんとしている一人の女性だ。なんの抵抗もできず地に這い蹲らせた。それでも足りず、仲間たちを裏切らせて毟り取らせた。空っぽの残骸に成り果てていた。

 そう誘導した【黒の剣士】はしかし、私の糾弾はどこ吹く風。微塵も罪悪感など感じさせずに答えた。

 

「そうか? オレは―――あれでも足りないと思ってるよ」

「なッ……」

 

 意味がわからない、ドウシテ……。キリトのことが本当にわからなくなった。怖くなってジリと、後ろに下がってしまう。

 だけど、寸前で堪えた。ここで逃げたら、加担したことになる。もうどうしようもなくそうだけど、ここまでするつもりはなかった、ここまでの残酷さは自分の中にはない。受け入れがたい。ロザリアのためというよりも、己の心を守るために踏みとどまった。

 そして睨みつけるも、帰ってきた答えはさらに斜め上を行った。

 

「彼女は、【タイタンズハンド】ていうオレンジギルドのトップだ。もう何人も殺してきた。シリカが組んでたパーティーもそうなる……はずだった」

 

 衝撃の事実。一瞬、彼のでまかせかと思ったが……その顔には冗談や嘘をついている雰囲気はない。事実に沿ってる強みに溢れている。

 様相が異なり怯むが、それでも拳はもう振り上げていた。鵜呑みにするわけにはいかない。

 

「……で、でも、彼女のカーソルはグリーン……でしたよ?」

「直接のPKはやってなかっただけだ。ターゲットを調べて仲間のフリをして、殺し屋たちの元に誘導するのが主な仕事だ」

 

 確信をもって断定してきた。もうすでに調べ尽くしたのだと、伝わって来る。

 たしかにそう言われれば、そのような盗賊の集団だった。ロザリア自身はグリーンで周りはほとんどオレンジ、それなのに彼らを統率しているのが彼女……。その事実だけでもう、キリトの言い分は証明されていた。

 だとすると一層、疑念が沸いてきた。

 

「……なぜ、そんなに詳しいんですか?」

「オレが監獄に入ってた時の同居人が、犯罪者たちの内情に詳しい奴だったから。特に、中層域で暴れてる奴らのことは」

 

 監獄に入れられてた……。何気なく言った過去は、言葉よりも重く伝わってきた。入れられ『てた』=過去形。

 盗賊たちは口々に、脱獄という単語を漏らしていた。つまりキリトは……犯罪者。もしくは刑期をちゃんと終えてでてきた元犯罪者なのかもしれない。どちらにしても彼の過去には、何かしらの犯罪が関わっている。あの優しさの奥にはそんな、暗い闇が潜んでいた……。今更ながらゾッとさせられた。

 しかし、第一印象は塗り替えられていない。彼が示してくれたモノが全て偽りだったとも思えない。

 だから……聞いてみた。もし演技だったら隙を見せてしまうことだけど、今さら何を防ごうと遅い。ならいっそのこと……飛び込む。信じ抜いてみる。

 

「もしかして、そのために私を……助けてくれたんですか?」

「いや、それは―――」

 

 顔を曇らせながら言い淀むと、突然、ロザリアがいる方向へ顔を差し向けた。

 鋭い視線。ロザリアではなくその奥を見据えている。何をそんなに警戒しているのか私も見るも、視界にはぼやけた景色しかみえない。警戒するようなものは何も映っていない……。

 そこでふと、違和感を覚えた。おそらくキリトが警戒しているものとは別だが、私には重要なこと。あるべきものがない。いや、もうあってしかるべきものがなかった。

 戸惑って首を傾げていると、キリトが申し訳なさそうな顔で驚くべきことを告げてきた。

 

「……ごめんシリカ。そろそろ気づかれそうだから、始末してくるよ」

「し、始末!? ……気づかれる?」

 

 物騒な単語と、意味不明な単語……。眉をひそめているとキリトは、ポーチからロザリアにかけた【香水】を取り出した。

 

「コレ、【蟲寄せ】じゃなくて【蟲除けの香水】なんだ。だから……あと20分は絶対、モンスターが彼女に襲いかかることはない」

 

 一瞬、何を言ったのかわからなかった。

 そうだと思ったから皆、あんな無残なことをしたのに、私だってキリトのこと責め立てているのに、ロザリアは今絶望しているのに、それじゃ全部……。不安そうに見上げる私にキリトは、ニヤリと笑みを向けてきた。イタズラが成功したかのような、悪ガキの笑顔。

 ソレを見て全て悟った。一瞬呆けて、次にドッと力が抜けた。泣きたくなるような苦笑がこぼれた。

 よかった、本当によかった……。怖くて溜め込まれた分、目尻から涙が滲んできた。こぼれそうになるのをぐっとこらえる/俯いてやり過ごそうとした。それならもう、何も言うことなんてない。いやなかったんだ……。

 そんな私の様子を見てかキリトは、恥ずかしそうに頬をポリポリとかいていた。やりすぎたかなと大人気無さを、「あぁ、そのぉ……なんだ」と口ごもらせながら謝るタイミングに困っていた。だけどついぞ見いだせず、朗らかさで踏ん切ってきた。

 

「それじゃ、ちゃちゃっと全員【気絶】させて、監獄送りにしてくるよ。奴らかなりの重犯罪者だから、クリアされるまで出られないんじゃないかな? ロザリアはコレで懲りたと思うけど……反省しだいだな。

 シリカは先に、オレのホームで待っててよ」

 

 はいと/コクリと頷いた。

 ソレを見てさらに苦笑するも、振り切って真面目な忠告をしてきた。

 

「オレが離れたすぐに【転移結晶】使って帰ってくれ。間違っても歩いて帰ろうとしないでくれよ。一人じゃこのフロアは、まだまだ危険なんだからな」

「はい! キリトさんの帰り、待ってます」

 

 今度は元気よく答えると、キリトも頷いた。

 そしてそのまま、ロザリアの元まで/彼女の『死』を隠れて見物しようとしている盗賊たちの下へと、踵返していった。

 

 

 

「……やっぱりキリトさんは、良い人だ」

 

 その背中を見送りながら、改めて、信じてよかったと思う。彼は決して、残酷な人なんかじゃない……。なので私も、言われたとおり/言ったとおりホームで待っていよう。

 耳につけていたピアスに集中し呪文を唱えようとした。

 

(……これはとっておこう)

 

 青と黄色、両耳につけた二つのピアス。せっかくもらったものだし、記念にとっておきたい……。

 ストレージから自前の【転移結晶】を取り出すと、呪文を唱えた。

 

「転移、【アルゲート】/23612―――」

 

 次の瞬間、体は光に包まれ、別空間へと瞬間移動した。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 『23612』というのは、キリトのホーム名だ。

 

 通常は、主街区などの【転移門】がある街にしか飛べない。しかし、【フラッグ】を立てておいた自分のホームなどには、直接飛ぶことができる。さらに、フレンドかつパーティーメンバーとの繋がりが深いプレイヤーだと、名前さえ知っていれば転移することができる。

 名付け方は人それぞれで、別段センスを競うものではない。が/それでも、淡白なものだ。変わっているので覚えやすいが、数字だけでは自分のホームだと想いづらい。ただ、使い魔とは違い、建物を擬人化しすぎるのは気恥ずかしいし難しい。なので、現実の住所のようなモノに落ち着くのだろう、そう変わり過ぎてるとは言えない。

 

(今度機会があったら、聞いてみようかな……)

 

 少なくとも、あと2日は一緒だから、いつでも巡ってくるだろう。

 そんなことをぼぉっと考えていると、キリトのホームに転移していた。

 

 

 

 もう見知ったホームの中。しかし一人、他人の家に上がり込んでいる……。そう思った途端、ソワソワとしてきた。

 

(キリトさんがいないのに、上がり込んでるなんてちょっと……)

 

 ドキドキしてしまう。

 改めて周りを見渡すと、色々と興味を惹かれる。機能的であまり物が置かれていないけど、ホームだからだろう、キリトの色がそこかしこから見えてくるような気がする。彼のことを知るチャンスだ、悪いことに使うわけではなくただの好奇心だ。今の私たちは、それだけの関係なったのだと……思ってる。もうワンランク上げても……いいのじゃないか。いや、そうなるべきだろう。

 けど/誘惑に駆られるけど、信頼して行かせてくれた。無下にはできない……。騙してまで探るつもりはない。そんなことをしては、最も大事なモノを失ってしまうだけだ。何より、性にあっていない。

 ただやはり……気持ちを誤魔化すのは不健全だ。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ……確認したいことがあった。

 

(キリトさんなら、まさかないとは思うけど、男の人だし……)

 

 ずっと疑問に思ってたことを、ここで解消するチャンスだ。今を逃したらたぶん、これから数年はわからないまま。

 おそるおそる寝室に向かうと、簡素なベッド。意を決してその下を、覗き込んだ―――

 

「…………やっぱり、あるわけないよね」

 

 ホッと安心、ちょっとだけ残念……。なくて良かったけど、あったらあったで覗き見したかった。どんなモノなのか興味があった。自分ではよくわからない男の人の好みが/キリトの趣向が、ソレを通してわかるはず。

 顔を上げると、肩をすくめて自嘲した。そもそもここに、そんな『特殊趣味本』など売っているのかどうかすらわからない。探せばあるのかもしれないけど、少なくとも自分が知っている範囲内ではなかった。そういうものは、それだけ熟成した都市機能と文化を育んだ先に生まれる。ほぼ中世時代、あるいは産業革命前の電気機器のない自然豊かな田舎風のここでは、お目にかけることはまず無理だろう。

 

 ため息混じりに寝室を出ると、手持ち無沙汰に客間のソファに腰掛けた。そこでキリトを待とうとした。

 人様のホーム内で物色もできないとなると、時間が長く感じる。ただ待っているだけでは少し、ソワソワしすぎてる。何かしていたいなぁ……。

 

「お風呂入りたいけど……間に帰ってきたら、まずいもんね」

 

 その時の不意打ちを妄想して、顔が真っ赤になってしまう。色々と冗談では済まされなくなる。…………なんてこと妄想しているのよ、私!

 ブンブンと頭を振って、ピンク色の妄想を振り払った。真っ先にしたいことだけど、さすがにソレはまずい。大いにまずい。……まだ心の準備がでてきていない。たぶん……体の方も。 すると唐突に、お腹がなった。ぐぅ~と情けない音。聞くだけで力が抜けてくる。

 

(お弁当食べたばっかりなのに、もうこんなに……お腹すいたなぁ)

 

 花より団子。食欲がほかの欲を振り落としてくれた。

 かなり激しく、動き回らされた。格上のフロアということで、緊張の連続だった。大先輩がそばにいて安心はしていたけど、別の意味で緊張させられっぱなしだった。気づかないうちに多大なカロリーが消費されたのかもしれない。……その手の不確かな精神論だけでなく、急激なレベルアップが主な原因だろう。

 力なくため息つくと突然、閃いた。明るく顔も上げる。

 

「そうだ! 夕食の準備して待っていよう!」

 

 さきの弁当は好評だった。かなり多めに作ったが、ぺろりと全部平らげてくれた、それも美味しそうに……。今思い出しても実に、ホワホワさせられる。

 よし! と立ち上がった。思い立ったら吉日だ。

 

 キッチンまで行くと、食材保存用のツボと木箱を覗き込んだ。勝手に使わせてもらうことになるけど、食材は大体足が早いから。使えるときに使い切ったほうがいいから、キリトは【料理】があまり上手くないらしいから……ゴメンなさい。

 しかし中には、【料理】にたるものはなかった。

 燻製された小魚や肉が数枚/漬物にされている野菜/ドライフルーツらしき果物、あとはお酒と思わしき瓶が数本置かれてるのみ。……どれも長期保存可能な加工品だ。

 

 ため息つくと、自分のストレージを確認。ここにないのなら自分のモノを使えばいい……。

 しかし、持ち合わせにも【料理】に使えるものはなかった、自分のホームと35層の拠点に置いてきていたことを思い出した。なら、ここで獲得したものが使えるかもしれないが……未知の食材でもてなし料理をつくれるほど、【料理】を極めていない。そんな危なっかしいものをキリトに出したくもない。

 ガックリ肩を落とした/考えた。キリトがあとどれくらいで戻ってくるかは……わからない。あと数十分、というわけではないだろう。『監獄に送る』というのだから、ヘタしたら数時間かもしれない。間を見積もって1時間だ。

 帰ってくるまで何もしないでいるのは、心苦しい。それだけの時間があれば、もっと別のことができる。

 

「街の中だったら別に……構わないよね」

 

 買い物しよう……。食材を買い集める。

 【思い出の丘】までの冒険で、お金もアイテムも溜まった。ここ50層の相場はわからないが、食材の値段はどこもそう変わるものではない。大都市なら安くなる傾向だ。ふたり分の食材を買い揃えられるぐらい、わけない。

 うんうんと納得すると、さっそく出発した。キリトが帰ってくるまでに全部済ませることはできる……。書置きも必要ないだろう。

 ルンルン♪ と楽しげに散策&ショッピングに思いを馳せてトビラをあけた。するといきなり、人にぶつかった。おもわず鼻をぶつけそうになった。

 

「おっと! こんちわっス。また会ったっスねシリカちゃん」

「……ど、どうも」

 

 朝に路地裏であった、飛行眼鏡の少年/名前は確か【レプタ】。

 キリトの知り合いらしいが、私は……あまりよろしい関係を築けそうにない。年齢はほとんど変わらないはずなのに、敬語で嫌煙してしまう。

 あまりにも衝撃的な出会いだったから。当たらないし致命傷にもならないとはいえ、出会い頭にピックを投擲させられるなんて、それも悪びれた様子もなく……。全く身に覚えのない罪を数えてしまった。

 

「今……一人みたいッスね。キリトさんはまだ帰ってきてない?」

 

 尋ねているようだけど、断定しているような、確認している。

 思わず正直に頷いてしまった。

 

「よかった! それじゃ、邪魔されることもないッスね―――」

 

 パッと顔を明るくすると、いつの間にか取り出していたナイフ。

 ソレが目に映った時/『ナイフ』だと認識できた時には、またいつの間にか―――脇腹に刺さっていた。

 刺されて驚愕、おくれて痛みが広がった。

 

「え!? あ……れ? どうし―――」

 

 さらにガクリと、膝から力が抜け落ちた。

 その場に倒れてしまう直前、レプタに受け止められた。

 

「安心してください、【麻痺毒】ッス。動けなくなっただけッスから」

「どうし、て……? ここ、【圏内】なのにこんな……ことが? それにあなたは―――」

 

 見上げると彼のカーソルは、グリーンのままだった。

 色が変わってない……。本来なら、イエローに変色するべき/準犯罪者になるのにそのまま。誤作動が起きていた。

 ブルブルと震える、カチカチと歯がなる。言い知れぬ恐怖に揺さぶられた。

 困惑させられていると、レプタは静かに状況を説明してきた。

 

「【圏内】は、プレイヤーのHPやステータスが、他人から侵害されないようにしてくれるところッスよ。シリカちゃんには当てはまらねぇッス」

 

 そんな特例、あるわけない……。事実そうなっているが、信じられないことだった。何らかの詐術が行われてるわけでもない。というか、どんな手段を用いても【圏内】は不可侵であったのに、なぜ……。

 疑問は募るばかり。混乱で頭が破裂しそう。

 

「ここで、始末つけてもいいんッスけど。俺が手を出したらコウイチさんに迷惑がかかるかもしれない……。なんで、『ナイト』さんに頼むことにするッス」

 

 こちらの事情は省みてもらえず、「よいしょっ!」と私の体を肩に乗せた。

 同じ体格なのに、軽々と持ち上げている……。先に感じた強さは、まさしく本当だった。装備はここでも使えるほどの高価なもので、決して軽くないはず。なのに、それができる【筋力値】を彼は持っている、見たところスピードで翻弄する遊撃タイプなのに……。このフロアの基準レベルを大きく上回っている証拠だ。

 彼はキリトの知り合いでもある。キリトはあの【黒の剣士】だ。ならば彼も―――攻略組だ。

 怯えが顔にまで表れてくると、落ち着かせるようにニコリと微笑んできた。

 

「安心して下さい。死ぬかもしれねぇッスけど、死なねぇかもしれねぇッス。どっちにするかは……彼らに決めてもらうッス」

 

 朗らかに恐ろしいことを告げてくると、ポーチから【転移結晶】を取り出した。

 誘拐―――。全く状況に困惑させられっぱなしだったが、ソレだけはわかった。ソレだけは何としても妨げなければならないことだとも。しかしもう……抵抗は遅かった。

 

「転移、【グランザム】/青馬の館」

 

 何処かへ、私が行ったことのない場所を唱えられた。

 そのまま、光に包まれ転移させられる―――寸前、最後の抵抗を試みた。

 気づいてくれる望みを託し、片耳の/黄色のピアスをもぎ取った。そのままギリギリ……投げ捨てられた。

 

 手から離れ地面に落ちる数瞬、転移で消された。行方はわからない。ソレが残ったかどうかは……祈るばかりだ。

 

 

 

 

 

 




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55階層/グランザム 生贄の少女 前

 

 転移した先にあったのは、見たことのない町並み/鋼鉄の尖塔が立ち並ぶ要塞都市、最前線の主街区―――【グランザム】。

 大通りから外れた小道にひっそりとある、小さな酒場/【青馬の館】。ドアの上に、いきり立つ馬をおしらったであろう鉄製の看板がある。

 

 レプタに担がれたまま、そのドアを潜った。

 酒場の体裁は整ってはいるものの、最低限の照明で音楽もない。しかも店内には一人だけ、ボロ外套に身を包んだプレイヤー。バーテンダーでも店員でもなければ客ですらなさそうな男が、カウンター席に座っていた。

 遠目からは薄汚れたホームレス風。だが、近くで見ると外套の隙間から頑丈そうな騎士風の装備が見え隠れてしている。被ったフードから覗く顔は暗く、しかしこちらを射抜くような鋭さがあった。今だ騎士の誇りを失っていない歴戦の傭兵、といった凄みを漂わせている。この灯が落ち誰もいない酒場の暗がりにピッタリだ。頭上に浮かぶ逆三角錐のカーソルが見えなかったのなら、プレイヤーだとはわからなかっただろう。

 

 突然転移してきた私たちにも驚かず、ただ一瞥をくれるだけ。しかし警戒は解かず、いつでも腰の剣を抜けると言わんばかりに空気を張り詰めさせる。

 助けを求めようとしても、そんな雰囲気ではなかった。身動きできず担がれている私/(可愛い)女の子を見ても、ほんの少し眉を動かしただけ。この人も同じか……。ただゴクリと、唾を呑むばかり。

 レプタも同じくチラリと、周りを見渡すのみだ、そんな空気は慣れたものと。

 

「……ここには、あんただけなんっスか?」

「隊長達なら別の場所にいるぞ。ここと俺は繋ぎ役だ」

 

 そっけない/当ての外れた答えだっただろうが、レプタは気にせず肩をすくめた。

 

「慎重っスね」

「当然だろ。俺たちのホームがこんなボロい小屋な訳ないし、そもそもお前みたいな外の野郎に教える訳無いだろう」

「それもそうっスね。

 だとすると、どうやったらディアベルさんに会えるんスか?」

 

 皮肉をスルーし、直接用向きを尋ねてきた。

 酒場の男は、レプタから私に目を向け……ボソリと、こぼすように尋ね返した。

 

「その子が例の……ターゲットなのか?」

「そうっス。【黒の剣士】が隠してました」

「マジか! あのビーター野郎が……」

 

 うかつだった/またアイツが……。積もり積もった色々を込めて、舌打ちした。

 知り合いの/キリトの話題が出て、一つ確信できた。目の前にいる男はレプタと同じ/【思い出の丘】で襲いかかってきた盗賊たちとは別格、『攻略組』の一人だと。……私では歯向かうことすらできない相手。

 

 怯えさせられていると、男がむくりと立ち上がった。そして顎でクイと、裏口を指し示す。

 

「―――案内してやる。ついてこい」

「よろしくっス」

 

 男に従って、裏口から酒場を出た。

 周りの目をそれとなく気にしながら、人通りの少ない路地裏を行く―――

 

 

 

 互いに無言のまま、ただ目的地に向かうだけ。

 その緊迫を帯びた沈黙から、『処刑』という単語が浮かんでゾッとなった。この先に待っているのはソレだと、直感させられた。

 だから、何か声を出さなければ/何でもいいから止めなければと……焦った。振り絞るように尋ねる。

 

「わ、私を……どうするつもり、なんですか?」

 

 男たちは答えず、黙々と先を行くのみ。いや、あえて聞こえないふりをしているかのように……見えなくもない。

 その手応えを信じて、続けた。

 

「……攻略組、なんですよね? だったら、私なんかからじゃ、欲しいモノなんて何も……ないですよ?」

「そうでもねぇっスよ、シリカちゃん。ビーストテイマーはそれだけでも貴重っスから」

「その子、テイマーだったのか?」

 

 思わず口を挟んでしまった酒場の男は、聞きながらも慌てて口を閉ざそうとした。話すべきではないのに……。

 そんな思惑を無視して/私の代わりに、レプタがつなげてきた。

 

「中層域のプレイヤーの中じゃ、わりかし有名ですよ。『竜使いのシリカ』て、聞いたことありませんか?」

「……いや、ないな」

 

 ぶっきらぼうな答え。

 これ以上話をしたくない気持ちと本当に知らないが、混じり合っているのだろう。相変わらずのしかめっ面だが、無理も嘘も見えなかった。

 攻略組にとっての私の認知度は、無いに等しいのか……。ちょっと傷つく。有名人としてちやほやされるのを少しウザったく思ってはいたが、無関心は無関心で寂しすぎる。

 

「彼女はオリジナルのテイマーっスよ、相当レアじゃないっスかね?」

 

 突き放して黙らせようとする男を無視して、レプタが再度聞いてきた。

 男は空気を読んでくれなさに眉をしかめるも、ため息混じりに答えた。

 

「今じゃテイマー自体は、珍しいわけじゃないだろ? なろうと思えばなれる。ただ、金と飼育の手間がかかるからならずにいるだけだ」

「確かに、そうッスかね。

 それに、下の階層に行かなきゃならないっスからね。今の俺らだとかなり、消耗させられますし……。だから【連合】では、補欠のメンバーに持たせてるんッスね」

 

 どうしてそれを―――。質問ですらない断定に、ギリと、睨みつけた。

 剣呑な空気が漂ってくる……。

 しかし男は、すぐにおさめると答えた。

 

「そうだ。レベリングの手間は減らせて、テイマーも増やせる。攻略の即戦力も増やせる。……他のギルドも同じようなことをしてるだろう?」

「まだオタクほど、勧めてはいないと思いますよ」

「そうか? お前のところなんかはやってると、聞いてはいるんだがな」

 

 ニヤリと/お返しとばかりにバラしてきた。

 レプタは苦笑しながら答えた。

 

「……大っぴらにやると、【議会】の目について【軍】がかっぱらいにきますからね。まだ細々とだけッスよ」

 

 だからまだ、ここだけの話にしてくださいね……。

 男は言いすぎたと、逆に恥じ入った様子。そして代わりに、愚痴をこぼしてきた。

 

「……手助けできないのは、悪いと思ってる。大所帯の俺たちが動けば攻略に響く」

「わかってますよ。攻略は何よりも優先しないと、みなに示しがつかなくなりますから、こちらの問題は二の次ッスよ」

「あんなクズ共、はやく潰れちまえばいいんだ。足引っ張ることしかできねぇくせに……」

 

 あからさまに/唾棄するように【軍】への罵倒を吐き捨てた。

 攻略組は、【軍】のことをあまり良く思っていない。毛嫌いまでしている……。意外な反応に驚かされた。

 【軍】と攻略組はそれぞれ、二人三脚で上手くやってきていると思っていたが、内実は違っている。噂話でしかないが、不仲になっているということはそれとなく知っていた。しかし、本人たち/攻略組サイドの険悪感のレベルがここまでとは知らなかった。予想以上に断絶は根深い、歪な関係で保たれているらしい。

 

 中層域にいてはわからなかった事情。足を止めさせるための話題に関心させられていると、目的地についてしまった。

 崩れた城壁の跡。

 鉄板が所々剥げ落ち中のレンガが露出してしまっている/コケや蔦まで蔓延ってしまっている円塔。もう随分昔に崩れたまま放置されているのだろう、今は廃墟で要らぬ物置きとなっている。ホコリが降り積もり中に入ると舞い上がる、窓から差し込まれる光をパラパラと煌めかせている。

 

「着いだぞ、ここだ」

「ここ……スか?」

 

 誰もいない……。先の『青馬の館』並みの面積のエントランスにあるものは、廃棄されたであろう物や崩れた廃材だけ。

 首をかしげるレプタをおいて男は、何もない空間に言い放った。

 

「【アリス】副長、例の奴をつれてきました!」

 

 男の掛け声が、円塔中に木霊する。

 しかしやはり、何も返ってこない……。静まり返っていく。

 

 もしや騙されたのか……。レプタが疑いの目を向けようとすると、どこからか、声だけが響いてきた。

 

“―――その子がターゲット?”

 

 若い女性の声、微かな声量なはずなのに/不思議にも頭に伝わってくる。

 しかしどこからかは……わからない。音源が特定できない。キョロキョロと見回してみるも、人の姿は見えない。

 右往左往と探す二人は何かに気づいたのか、同じ方向をじぃっと目を凝らし始めた。

 全く端緒すらつかめない私は、二人の焦点が重なる場所に、目を凝らしてみる―――

 すると朧げながら、風景が歪んだ。

 

 何もない空間……。そのはずなのに、水面に揺れる波紋のごとく歪んでいた/歪んでいるのが微かに見える。

 全員が気づくとバサリ―――羽根音とともに、巨大な灰色の翼が大きく開帳された。周囲に半透明な羽が舞う。

 隠されていた中から現れたのは一人、白金の女性騎士だった。

 

 美人だ……。捨てられた廃墟の物置が一気に、神聖な礼拝堂に塗り替えられたかのよう。観ている者たちの現実感を強引に捻じ曲げてしまうほどの、神秘的な雰囲気を纏っている。頭の後ろで結い上げた金髪が月の光のような淡い燐光を放ち、蒼の瞳はこちらに向けながらも遠い彼方を見据えている。装備している白銀の鎧は、彼女をこの世界につなぎ止めている碇であるかのよう。

 人とは思えない……。私よりは上だが、まだ20はいってはいない少女だと思われるも、歳を重ねなければ得られない深い知性がみえる。エルフ族か天使か人形か何かだと思わせられる。ギリギリ、頭上に浮かんでいるカーソルがプレイヤーだと認知させてくれた。

 

 女性騎士は、先まで自分を隠していたフクロウらしき鳥を肩に停まらせたまま、はんば放心している案内の男に声をかけた。

 

「ご苦労でした【デュラン】。戻って休んでください」

「え……あ、はい! それでは―――」

 

 男は慌てて/深々と頭を下げると、そそくさと退出していった。

 塔から出る寸前、こちらに一瞥をなげてきた。何かを言いたげに難しそうな顔をするも、そのまま/振り切るように去っていった。

 

 男が退出するとレプタも、硬直時間が解除されたかのように、感嘆の声を漏らした。

 

「それが例の……『不可視の梟』ッスか? すげぇ【隠蔽】能力ですね」

「そう、【雨依】て言うんです」

 

 嘴を優しく撫でながら、されている梟は気持ちよさげに喉を鳴らす。しかしやはり、彼女はどこか遠くを見据えている目をしたまま。

 とても絵になる光景だった。いつまでも鑑賞していたくなる……。醸し出された幻想的な雰囲気に飲まれる/すすんでとけていく。

 しかし、そんな訳にもいかない。意を決して尋ねた。

 

「……すいませんが、ディアベル隊長はどこっスか? 彼に用があるんッスけど」

「隊長ならここにはいません。来ることもありません。……キバオウとリンドが、そうしてくれているところでしょう」

 

 預言者の託宣のようにそう、告げられた。

 だからか一瞬、納得しかけてしまった。それなら仕方がないと、邪魔をしてまことに申し訳ありませんでしたと、鑑賞タイムに戻ろうとした。ここまで来た用向きよりもそちらの方が重要だと言うかのように。

 そんな不可思議な説得力にハッと気づき、振り払うように頭を振った。そして、腹へ力を込め直すと、笑みを浮かべながらも睨みつけるように言った。

 

「出直したほうがいい……てわけでも、なさそうッスね」

「そう。その子に用があるのは、私だけです」

 

 そう告げてくると初めて、こちらに目を向けてきた。

 

 ドキリと、鼓動が高鳴った―――。

 ただそれだけで、心臓を直接触れられたかのような気分。その指先はとてもヒンヤリと冷たく、体温が一気に吸い取られる。それなのに/どうしてか、心地よさを感じさせられてしまう。その瞳に魅入られていた。

 レプタもそう思わされたのか、同じく固められていた。顔を強ばらせている。

 

「……【霊晶石】がなければ、まずいことになりますよ?」

「今ここには、ない方がいい」

 

 すげない否定に、黙らされた。レプタの震えが伝わってくる。

 

「それが【連合】としての……答え、ですか?」

「そう。隊長以外のね―――」

 

 あなたはどっち―――。無言で尋ねてくるとスラリ、背中から武器を抜き放ち……差し向けた。

 

 【斧槍】。ハルバードとも呼ばれる【両手斧】と【槍】系列が重複している武器。どちらのソードスキルも扱うことができる特殊武器だ。

 彼女が今持っているのは、十字槍に斧がつけられている形状。華奢そうな彼女には不釣合いな凶器だ。装備していること/使っていることに現実味が感じられない、間違っているような気までしてくる。アレを彼女が振り回し/荒れ狂わせながら戦っている姿が、想像できない。

 しかし/だからこそ、『死の天使』を連想させてきた。

 

「……やっぱり、そうなったんスね」

 

 差し向けられたレプタは逆に、冷静さを取り戻していた。

 ソレを了承と捉えたのだろう。女騎士は退出を促してきた。

 

「貴方もここから、出てくれて構いませんよ? 見ていてあまり……気持良の良いことではありませんから」

「それじゃ、後はお任せします―――と、いきたいんッスが。

 さすがに、ここまでお膳立てしてLAだけくれてやるってのは……性にあわないんで。最後まで付き合いますよ」

「……そう」

 

 さして関心を向けずに、協力を受け取った。

 レプタは担いでいた私を床に下ろし、そこから2歩後ろに下がった。

 ソレでレプタにむけていたモノまで、私に集中させてきた。さらに閉ざされる/凍らされるような気分が襲いかかってくる。

 

「あなたのお名前を、教えてくれませんか?」

 

 良好な関係を築くにはまず自己紹介から、と言うかのように。何かの啓発本から抜き出したようなセリフ/ズレた質問だ。

 そう感じとると途端、怒りが沸き上がってきた。硬直を解く/心理の凍結を破るように反発を絞り出した。

 

「……そんなの、見れば……わかるじゃないですか?」

「ここでの名前じゃありません。リアルの、現実世界でのお名前です」

 

 一瞬、何を言われたのかわからず眉を顰めるも、すぐに悟った。

 つまりもう……決まっている、ということだ。だからソレを胸に刻んでおく。冷酷無比な自動人形ではないということは、わかった。

 でも/だからといって、そんな大事なことを彼女には教えたくない。たとえこれで、ここで起きたこと/私というプレイヤーがどう終わったかということが、忘れられても……。

 どうしてか。彼女の行いは、犯罪者に殺されるよりも冷酷な気がしてならない。

 

 唇を引き結び、睨みつけた。視界の端がわずかにボヤけ全身が微震していることから、『心からの拒絶』を伝えられたかは……自信がない。

 そんな私をみて女騎士は、ほんの少し顔を曇らせながら静かに呟きを零した。

 

「……そう。

 教えたくないというのなら、それでも結構です。現実に戻ってから、調べさしてもらいますね」

 

 無機的に/事務的に、だけどこれ以上反論できないほど完璧に、事後処理まで請け負う。そう、確約してきた。

 その意志を証明するかのように、彼方にむけていた視線を初めて、私へと焦点を合わせた。

 

「【シリカ】さん。あなたは恨んでいい。存分に憎みなさい、祟ってきなさい、殺し返してきなさい。

 それでも私たちは、このゲームをクリアする。現実に戻って……生きたいから―――」

 

 宣言すると高々と、斧槍を振り上げた。

 まるでギロチンのように、厳密な裁判の末の判決だと言うかのように、甘んじて受けねばならないような気にさせる理不尽さに、神々しく見えてしまった。ソレがいまにも、振り下ろされる。

 殺される―――……

 

 私の全てが凍りつきそうになる寸前、目を閉じた/歯を食いしばる。そして、ピアス/キリトにもらった改造結晶アクセサリに意識を集中した。祈る―――

 そして全力で―――唱えた。

 

「て【転移】、【フリーベン】/ピナの宿り木!」

 

 その悲鳴に、レプタと女騎士が驚愕に目を見開いた。

 その最中、私の体は燐光に包まれた―――

 

 烈風のように振り下ろされる刃。ソレが触れるか触れられないかの刹那、私は―――その場から掻き消えた。

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

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55階層/迷いの森 生贄の少女 後

 

 

『―――きたぞ、ターゲットだ!』

 

 ホームの【フリーベン】からここまで、逃げに逃げてきた。

 【帰還の秘薬】やら、虎の子の/保存していた【転移結晶】を使い切りながら、追っ手を振り切る。

 

『―――クソッ! 気づかれたか。

 おい、【鍵開け】マスターしている奴いただろ。中に入る、強引に蹴破るぞ!』

 

 まるで、世界中が敵になったかのようだった。

 人狩り……。私を見かけるとすぐに追いかけ、捕まえようとする。ホームの外にはすでに張り込まれていた。

 

『―――チッ! また転移された、勘がいいのか【索敵】鍛えてたのか……。

 だがもう、さすがに弾切れだろう、彼女のレベルじゃ多い方だったな。―――次で仕留めるぞ!』

 

 昨日までの世界が急に、変転してしまった。

 私はただの/ピナのおかげでほんの少しだけ有名になった、中層域の一プレイヤーに過ぎなかったというのに……。今では攻略組を筆頭に、知り合いすべてが敵になった。

 いや―――たぶん、彼らにとって私が『敵』になったのだろう。自分たちの包囲から逃げ続ける獲物。

 

『―――探せ、まだ近くにいるはずだ! 絶対に逃がすなッ!

 ターゲットに次の転移はない。このフロアで終わりにする』

 

 逃げに逃げ続けた……。だけどもう、逃げ場はないらしい。転移アイテムも尽きた。誰を頼ればいいのかわからない、頼っていいのかも……わからない。

 だから今、ここまできた。あるいは追い込まれたのか、望んでいたわけではなかったはずなのに……わからない。運命的に引き寄せられた。

 だからたぶん、私の終わりにふさわしい場所。

 

 

 

 【迷いの森】―――

 鬱蒼と茂る森、空は木々に覆われ見えない。特徴となる風景なく続く、おまけに少し歩けば強制転移させてくる見えない壁がある。

 なので名前の通り、地図とガイドなしでは延々と彷徨わされるダンジョン。

 

 あえて正規ルートを外れ/迷い、追っ手を振り切る。背中にずっと張り付いていた敵意らしいモノが薄れた。

 なので、それなりに身を隠せて見晴らしもいい梢に、座り込んだ。地面に腰を下ろし梢に背をあずけた。するとドッと、抑えていた疲れが染み出してきた。眠気にまで襲われ、いけないと頭を振る。

 なので/気を紛らわすためにも、改めて周囲を見渡した。感慨がわきおこってきた。

 

(あれからまだ、3日しか経ってないのに……。もう、何ヶ月も前のことみたい)

 

 今までの/まだ10年ちょっとしかない人生の中で、最も濃密な3日間だった。神様の気まぐれで与えられた3日間。

 この森/この梢があった場所で私は、殺されかけた。あの大猿たちにピナもろとも、殺された、そうなるはずだった。―――キリトが助けてくれなかったのなら。

 そこまで考えふと、思い出した。急いでメニューを展開し確認する。

  

「……よかった。まだ【心】のままだった」

 

 【ピナの心】―――。ピナの形見。3日間の猶予期間内ならば、蘇らせることができる。そのための特殊なアイテムも揃っている。

 逃げることに必死で、まだ使っていなかった。

 アイテムを見ながら考える。

 せっかくだ。どうせここで終わるのなら、ピナの顔を見てからにしたい……。ここで決意した目的だけは、果たしておきたい。

 

 【心】をクリック。手のひらに白い小さな羽根が現れた。3日ぶりに/ちょうどここで見た羽根。

 続いて【プネウマの花】をクリック。手のひらサイズの白い花が現れた。【思い出の丘】で苦労して/キリトと一緒に獲得したアイテム。

 現れた羽の上にポトリと、花の雫を垂らした。磨かれた水晶のような透明な液体が、羽に染み込んでいく―――。

 しばらく待つと羽から、光が溢れた。

 輪郭が見えなくほどの光量。目を細めながらも見続けていると、光球の中で変化が起こった。手に持っていたはずの羽とは別物に、大きくなっていく。同時にどんどん光量が増していく、思わず目をつむってしまった―――

 

「―――キュッ、キュキュゥ♪」

 

 聞こえるはずのない/でもよく聴き慣れた鳴き声に、胸が高鳴った。うっすらと/恐る恐る、目を開ける……。

 目に映ったソレを見て、視界が潤んだ。

 ふわふわのペールブルーの綿毛で包まれ、尻尾の代わりに大きな二本の尾羽を生やした、小さな飛竜。【フェザーリドラ】。小首を傾げながら無警戒に近づき、愛らしい鳴き声で何かを語りかけようとしている。―――ピナがそこにいた。

 

「お待たせだね、ピナ。ちょっと……遅くなっちゃった」

「キュキュ、キキュゥ♪」

 

 元気な鳴き声で答えてくれた。まるで、この3日間などなかったかのように、ただ眠って今先に起きただけと言うかのように。

 その天真爛漫な愛くるしさに、少しだけ……救われた。胸の重荷が軽くなったような気がする。

 

 いつものように/ダンジョンでの定位置として、私の肩に停まった。やんわりと掴んできた足爪から何か、勇気のようなモノまで伝わってきた。

 

「……大丈夫。私は一人でも……大丈夫だから」

 

 ピナに向けて、自分に言い聞かすよう呟いた。

 ピナを冥土の道連れにする……。そんな情けない終わり方をしなくて済む。絶対にそんなことしないと/やらないだろうと、確信できた。最後が来たら必ず、ピナだけは逃がす。

 ただ、それまでは……一緒にいて欲しい。最後のワガママ。

 

 メニューを閉じてまた、静かにうずくまりながら座った。その時を待つ。

 

(できれば、痛くないといいなぁ……)

 

 他人事のように願った。

 高周波電磁パルスに脳を焼かれるというのは、どういう死に様なのか? さっぱり想像できない。沸騰したヤカンに触れた時のような痛みを、何百倍にしたようなものだろうか? それとももっと別の、悲惨なものだろうか。熱いのか痛いのか苦しいのか、それとも気持ちいい? ……。一人の夜/眠れない夜、ぼんやりとソレを考えるもわからなかった。他の人に聞いてもやはりわからない。端緒すらつかめない。

 だから本番、何が起きたのかわからずに終わるはず。死に戻りで強制ログアウトされてすぐだから、おそらく。熱くも痛くも苦しくもないはず、もちろん気持ちよくなんてない。だからたぶん、眠るのと一緒だ。いつもしていること/この仮想世界でも同じ。

 

(だから、怖くなんてない。怖いことなんて、何も……)

 

 いつの間にかプルプルと、震えてきた。ソレに気づき/抑え込むように膝をかき抱く。

 それでも震えは、収まらない。考えれば考えるほど/意識すればするほど、止められない。体の芯から震えているようだった。

 ガチガチと、歯まで鳴ってきた。まるで雪山の奥地にいるかのようで、何もかもが冷たい、寒い。

 春になったここは、素肌を晒しても寒くなくなっていたはず。今はまだ夜にもなっていない。それなのに……寒い、寒すぎる。体感温度はどんどん冷え込んでいった、止まらない。まるで重要な栓が外れて、体温が抜け落ちていくかのようだった。ソレは熱である以上に、生命力であるかのようだった。

 そう思うと堪らず……怖くなった。か細い悲鳴が、漏れた。

 

 怖くないなんてウソだった。いつもと同じわけがない! 何もかも自覚しながら/させられながら、向かわされるんだ……。

 生殺しだ。介錯すらされず、拷問じみた悪夢に包まれ/削り取られながら、消される。私の中にあった楽しかった記憶/尊い何もかもをも奪い尽くすまで、終わらせない。醜く汚れ不快な搾りカスになった後、捨てられる。……その頃にはもう、それでも/片隅ででもそこに居続けたいと願うだけになっているのに、切り落とされる。

 視界が歪む、嗚咽が漏れる。目に溜まったモノがこぼれそうになった、あまりの気持ち悪さに吐き気がする。

 だけど、落ちるギリギリで、膝に顔をうずめた。

 

 わからない、わからない、わからない、わからないッ―――……。どうして私が? 

 たった一つの疑問/神様への訴え。

 朧げながら/逃げる途中で得た断片的な情報から、答えはわかってきた。だけど/だからこそ、わからない。わかりたくなかった。ソレがわかったとしてもやっぱり……なぜ? 『なぜ?』だ。

 どうしようもない理不尽さ。残ったのは、ただ……それだけ。答えにたどり着けない疑問符だけだった。

 

 

 

 何とかまた、元の静謐へ。

 諦観でくるんで考えることを放棄すると、ピナの警戒の鳴き声が聞こえてきた。

 

「キキュゥッ!? キュゥキュキュゥッ!」

 

 催促され顔を上げると、確認した。

 すると遠くから、獣の雄叫び、ドコドコと何か/太鼓のようなものを叩く音も一緒に聴こえてきた。

 目を凝らしよく見ると……乾いた笑いがこぼれた。

 どういうわけだろうか。なぜ神様はこんな、最も嫌な想いだけは汲んでくれるのか……

 

「ヴオオホオオォーォォオオォォッ――!」

 

 【ドランクエイプ】2体。

 かつてここで/私が、襲われた相手。連携を取られたら/回復行動を取られたら、ピナの援護があっても倒せないモンスター。……本当は3日前に、私を終わらせるはずだったモンスター。

 だから、かつての相手とは違うのだろうが/仲間の不始末を処理するためか、またここに/私の前に現れたのかもしれない。

 

(ああ……ここで私、ゲームオーバーか……)

 

 締まらない最後だった……。

 もっといっぱい、楽しみたかったのに。これからもっともっと、このゲームを/現実世界だって楽しめたはずだったのに。素敵な想い出をいっぱいいっぱい、作りたかったのに……。

 

 ピナが臨戦態勢、毛を逆立たせグルルゥと唸り威嚇する。

 もう充分だ、ここから先は一人でいい/一人がいい。だから、ここから逃がそうと/今まで使ったことのない命令コマンドを向けようとした―――

 寸前、飛びかかっていった。

 

「え……ピナ!?」

 

 驚愕。止めるまもなくピナは、突貫してく。

 今までこんな行動をとったことはなかった。索敵やHP回復などサポートに回ることが多く、その手の能力に特化している。そもそも【フェザーリドラ】自体、好戦的なモンスターではない。自分よりも強い相手に立ち向かうなどありえない。格上の相手を倒すだけの必殺など、持ち合わせていない。

 だけど今/ピナは、無謀な突撃をしている。その行き着く先は……

 

 大猿のターゲットがピナに向けられる。迎え撃つためか高々と、巨大な骨の棍棒を振り上げる―――

 

「だめピナ! 戻ってぇ―――」

 

 制止の中断コマンドは虚しく、大猿とピナが衝突する。

 ダンプカーと三輪車の対決/戦いの前から勝敗は決まっている。ソレが今、現実になろうとしている―――

 

(また私は、私のミスがピナを……殺すの?)

 

 振り下ろされる棍棒でピナは、地面に叩き潰される。そんな結末を避けんと必死に手を伸ばすも、もはや届かず。絶望に顔を青ざめた。

 

 激突の一瞬、見たくないのにまじまじと―――視えた。

 振り上げた格好のまま、大猿の体に横一本、光の線が走ったのを。その線にそってズレていく上半身と下半身。

 振り下ろされた棍棒はあさっての方向/空振り。ソレを不思議がった途端、全てが止まった。そして―――

 ガラス破片を撒き散らしながら、消えていった。

 

 唖然とする中/大猿だった残光の乱舞の奥から、懐かしい人の声が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

「―――すまない。遅くなった」

 

 

 

 

 

 全身黒を基調とした装備と、背中兄背負った一本の片手剣。謎の凄腕ソードマン/『黒の剣士』。

 キリトがそこに、立っていた。

 その姿を見た瞬間ハタリと、その場に尻餅をついてしまった。

 

「…………どう、して?」

「シリカならたぶん、ここに来ると思って」

 

 短く静かな返答。

 抜き放っていた/大猿たちを一撃で倒した剣を鞘に納めながら、近づいてきた。

 その動き/足音でハッと、我に帰った。手に持っていた短刀を握り直し、差し向けた。

 

「こ、来ないでください!」

 

 震えた声音ながら、最大の威嚇として叫んだ。

 彼我の戦力は天と地ほど、私では絶対に勝てない。敵対した時点で負け、ここまで接敵されたら逃げ場などない。……私の威嚇など、ハエの羽ばたき程度でしかないだろう。

 しかしキリトは、足を止めた。そしてソっと、いつも向けてくれた優しげな眼差しを向けながら、言った。

 

「今度は、きみの友だち―――守れた」

 

 一瞬、何を言われたのかわからずにいると、代わりにピナが答えた。

 嬉しそうに、私に対してするようにキリトに向かって、親愛の鳴き声を向ける。彼の傍をクルクルと、飛び回りながら。

 悲惨続きのデジャブ。しかし今回だけは、違った。

 

 自然とほろり、涙がこぼれ落ちた。

 頬の濡れた感触でソレを自覚するとポロポロ、溢れ続けてきた。鼻水まで出てくる。

 そのまま泣きじゃくりそうになる寸前、我慢した。歯を食いしばって/胸を押さえて耐える。すすり泣きになった。

 

 ひと潮、激情の波が収まるのを見計らって、尋ねた。もうどうしたって、聞かずには済まされないこと。

 

「……なんで私を、助けてくれたんですか?」

 

 私たちの出会い、その最初の場所。

 そこでまた、同じ質問をぶつけていた。

 

 




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55階層/迷いの森 竜の少女 後

 空気を読む使い魔


 

 

 キリトは答えてくれず、ただ黙って私をみつめるのみ。躊躇っても誤魔化そうともせず、言葉を探しているかのように。

 だから続けた、私はもう全て知っているんだと。

 

「全部、わかってたんですよね、ここで初めて会った時から? 私が55階層の―――フロアボスだって、ことが」

 

 私の追求にキリトは、眉をしかめ苦しそうに顔を固くし、伏せた。

 その沈黙が、答えだった……。自分で聞いておきながらも、胸の片隅では否定して欲しかった。

 全く意味がわからない、なぜプレイヤーがフロアボスにならなければならないのか? それに、何千人もいるのによりにもよって私が選ばれた理由は? なぜこんな理不尽が……。悲しさ怒りがあふれ出て、やるせなくなる。

 

「だったら……どうしてですか?」

 

 かすれかけた問いかけにキリトはソっと、顔を上げた。

 答える代わりに、尋ね返してきた。

 

「シリカは……死にたいか? 殺されたいか?」

「そんなわけッ! ……ないじゃないですか」

 

 噴出しそうな激情を寸前で、堪えた。

 それでまた黙りそうなキリトへ、最大の自制心をもって尋ねた。

 

「他に方法は……ないんですか?」

「探してる最中だが、おそらくは……な。他のゾロ目階層でも同じだった」

 

 事務的に、努めて平静に。ただ事実だけを偽りなく教えてきた。

 

「前回まではどうやって、回避したんですか?」

「ちょっと待ってくれ―――」

 

 そう言うとメニューを展開し、手のひらにアイテムを現出させた。

 八角柱の結晶アイテム、ただし先っぽは錐となって尖っている。加えて、転移結晶や回復結晶の色とも違う緑色。

 取り出したソレを掲げ「プロテクト、オン」と唱えると、薄緑色の光の紗幕が放った。キリトや私も透過しながら広がり数メートルほど、包み込むと空気に溶けるように消えた。

 何が起きたのか、周りを見渡している私にキリトは説明してくれた。

 

「【結界石】だ。【虫除けの香】のワンランク上のアイテム、ていえばいいかな。これで暫くは、ここ周囲5m半径内でモンスターに襲われることはなくなった」

「……今の私にはあまり、意味のないアイテムですね」

 

 こぼした皮肉にキリトは、苦笑した。

 いつもなら/真実を知らなかった前までなら、ただ興味津々に驚いただけだっただろう。見聞が/セカイが広がってワクワクする。……今はそんな純真に、楽しめそうにない。

 モンスターからの不意打ちへの対処を済ますと、ようやく答えてくれた。

 

「ここにログインした時、【生命の首飾り】ていうアイテム貰っただろ? 一階層内なら3回までは、死んでもすぐに復活できるアレだよ」

 

 【生命の首飾り】。アレにはたっぷりとお世話になった。

 一度目、あのチュートリアルを経ての【始まりの街】の外でアッサリ。二度目、攻略組の人たちがフロアボスを撃破した後、もしかしたら行けるかもと迷宮区まで足を伸ばしアッサリ。三度目、上層から降りてきた時、レベルにもHPにも余裕ができて慢心していところ、強敵に襲われて……。効能は全て使い切った。

 2階層に登った瞬間、【生命の種】となったソレは今、【軍】に徴収された。そしてどこかのフロアに作った『プランテーション』にて育てられ、新しい【種】を作り出している。その【種】の恩恵で最大HPを増加でき、今日まで無事にゲームすることができた。

 アレがそのような目的でも使われていたとは……初耳だった。

 少し感心していると、キリトは続けた。

 

「知っての通りゾロ目階層の……ボスは、特定のエリアやフロアにも縛られない。それまで登ってきた階層全てに行き来できる。ただし、【圏内】の守りはなくなるけど」

「だから、一階層まで降ろしてそこで……復活させたんですね」

「そう。だけどそれは、33階層までの話だ。

 44階層になった頃には、使える【首飾り】がなくなってしまった。注意はしていたんだけど、ソレ以外でもプレイヤーは死ぬからそれで使い切った……というのが、まぁ通説だな」

 

 管理していた奴がいたわけじゃないから、わからない……。最後に含みを持たせた言い方だったが、追求せず。今の私には関係ないことだろうとは、わかった。

 

「なら、44階層ではどうやって回避を?」

「【聖騎士連合】の団長、【ディアベル】ていうパラディン気取りのイケメン野郎なんだけど……聞いたことはあるだろ?」

「……名前だけは、少し」

 

 つい数時間前、誘拐され殺されかけた時にポロリと。

 

「そいつが、44階層で当たった」

 

 衝撃の事実に、目を見開いた。

 そして何かがピンと、繋がった気がした。

 

「みな必死で、別の解決方法を探した。特に【連合】は、文字通り死に物狂いだったよ。

 44階層だけやたらと、情報量が多くてアイテムも何もかも狩りつくされてるのは知ってるだろ? 地図もあそこだけは、全部埋め尽くされてる」

 

 文字通り、余すところなく/もう探索が必要でないほど。

 フロア地図は通常、面積十数メートル単位で区切られたブロックを踏むことで自動的に埋められる。なので、地図の空白を埋め尽くしたとしても穴はある、見せてもらっているがゆえに見えなくなった穴。だけど44階層にその穴はない。実際の足跡でも埋められている。

 あまり気に留めていなかったことに、そんな重苦しいストーリーがあったとは……。唖然としていると、さらにキリトは続けてきた。

 

「44階層に手がかりはなかった。みなソレを悟って下の階層の、43階層の捜査を始めようとした時―――ディアベル自身が決断した」

「……決断?」

「自殺だ」

 

 ドキリと、胸が凍った、あっさりと告げられたのでなおさら。

 

「皆が止めるまもなく、奴は自害した。正しいかどうかはわからないが、あの時はそれ以外にはなかった。だからソレで、終わりだと思っていた。奴は死に、オレたちは上に登る……。

 だけど次の瞬間、奴は―――怪物に変わった」

「か、怪物!?」

「ああ。通常の、大型モンスターとはちょっと……違ったタイプだった」

 

 唐突な急展開に思わず、裏返った声を出してしまった。

 困惑させられている私に構わずキリトは、何事でもないかのように先を続けた。

 

「なんとかその怪物を倒した後、どういうわけかティアベルは……蘇った。【降魔剣】ていう破格のソードスキルを土産にね」

 

 『蘇った』―――。色々とわからないことだらけだが、ただその一言だけは聞き取れた。図らずも目を輝かせてしまう。

 

「だから今回も、そういうことが起きるんじゃないか、なんて考えが……ある。

 前の階と44階との明確な差異は、『復活アイテムが使用されなかった』ことと『自害』であったこと。だから―――」

「私もそうすれば、もしかしたら大丈夫……かもしれないんですね?」

 

 一縷の希望……と思いたいが、キリトの顔は曇ったままだった。

 慎重にだけどはっきりと、希望的推測を排除した事実を伝えてくる。

 

「……可能性はある。だけど、条件があまりにも曖昧なこと、【降魔剣】があまりにも破格なスキルだったこと、何より失敗したら……取り返しがつかない」

 

 『失敗したら』……。その言葉で、全てに水を差された。また冷え込まされる。

 ギャンブルであること/命を賭けることは、仕方がない。圏外フィールドで戦うこと自体、少なからず賭け事だ。成功率を高めるために、レベルを上げ装備を充実させ情報を集めパーティーを組む。だから今回もそれと同じだと、納得できる。

 ただその確率は、あまりにも低い。どうしても上げることができない。超ハイリスクほぼノーリターンのロシアンルーレットを強制的にやらされている気分が、拭いきれない。

 上げられてすぐさま引き落とされた。そんな憂鬱に落ち込んでいると、さらに叩き込んできた。

 

「それに先の二つの条件の方も、現状だと満たしていないかもしれない」

「……どういうことですか?」

「復活アイテムを持っているからだ。【還魂の霊晶石】ていう結晶アイテムだよ。先のクリスマスの時に手に入れた。今それは【連合】が保持している。

 ただし……一つだけしかない」

 

 だと思った……。胸の内で自嘲しながら吐き捨てると、全ての事情がわかってきた。

 なぜ現状、攻略組や色々が私を殺そうと躍起になっているのかが、私がここまで追い詰められたことも……分かってしまった。

 

「だから、私を密かに……殺したいんですね」

「ことが公になれば【連合】は、否が応でも責任を負わされる。それは【連合】だけじゃなくほとんどの攻略組の……望むべきところじゃないんだ」

 

 申し訳なさそうな顔は……してくれなかった。ただほんの少し、そう見えるだけ。外からでは感情は読み取れない。

 安心した。もしも彼にそんな顔をされてしまったら、私は……どうすればいいのかわからなくなったはず。『そんなもの』に応えられないのに、答えを要求させられているような気分だ。……最悪なのは間違いない。

 

「先延ばしにしたとしても、あと数日でタイムリミットだ。……55階層は、あとほんの少しで攻略し尽くされる」

 

 44階層と同じように……。穏やかな心持ちで、その奮闘を受け取れた。諦観とはちょっとだけ違った心境。ありがたいとも、思えた。

 胸の曇が少しだけ晴れると、もう一度、キリトに問いかけた。

 

「キリトさんはどう……されるんですか?」

「シリカ次第だ」

 

 ハッキリと短くそう答えた。

 私がそれに首をかしげてしまうと、補足してきた。

 

「君が殺されたくないのなら、オレの力の限りで守りぬく。どんな相手がこようが関係ない、ゲームクリア云々はもっと関係ない。【連合】から【霊晶石】を奪い取る、シリカに使わせるように仕向ける」

 

 淡々と、フロアボスを倒すよりも困難なことを告げてきた。

 他の誰かに言われたのなら、ただの笑い話だった。だけど彼に言われると、何だか……できそうな気がする。必ずやってのけてくれそうな、気がする。

 胸の奥がじんわりと、暖かくなった。

 そこから何かがこみ上げてきそうになるのをグッと堪えて/逸らすために、聞いた。

 

「もし、ソレができた場合、次の66階層は……どうするんですか?」

「ソレは、その時になって考えればいいさ。またクリスマスまで待つのもいいだろうな。……茅場に情のひと欠片でも残っていれば、あるいは、その前にできるかもな」

 

 まぁ、望み薄だろうけどな……。カラカラと笑いながら、そんなこと何事でもないと言ってくれるかのように。

 また、何かがこみ上げてきた。今度は目尻までジンワリと、滲んできた。

 

「皆さんに、迷惑……かかりませんか?」

「殺されてやるほどじゃないさ。それに、その程度耐えられないような柔い奴は、攻略なんてやめた方がいい。一階層の待機組に入れてもらえばいいんだよ」

 

 あまりの暴論、そんな長期間の停滞への耐久力は攻略とは関係ないだろう。

 だけど―――爽快だった。そんな簡単なことだったのに、難しく考えすぎてバカみたいだった。思わず笑が浮かんだ。

 だからか、もう……耐え切れなかった。視界は滲みすぎて、見えなくなっている。

 だからもう一度、最初の問を告げた。

 

「……どうして私を、助けてくれるんですか?」

 

 私の心からの想いにキリトは、しばらく目を閉じ息を整えた。

 そして、胸の傷を抉るように/だけどまっすぐと、教えてくれた。

 

「『絶対に守る』て約束した女の子を……守りきれなかった。その子をオレ以上に想って託してくれた奴の想いを、無駄にしてしまった。だから、その過去の不始末に―――ケリをつけたい」

 

 もう終わってしまった/取り返しのつかないことだけど、それでも。ここで君を守り抜けたらほんの少しだけでも、救われるから……。たぶん、嘘偽りない彼の答え。出会ってすぐの私を助けたいから助けるなんてことでは、なかった。

 でも、それでいいと思えた。彼には彼の願いがあって、ソレがたまたま今の私の願いと重なった。奇跡みたいだけど、必然でもあるような偶然。

 だからもう……吐き出してしまえた。

 

「わ、私、私は……死にたく、ない……。死にたくないんです」

 

 涙ながら、ちゃんと伝わったのかどうかすら分からずただ、訴えていた。

 私の本心。生きることを諦めたくなんてない、現実世界戻りたいこのゲームだってもっともっと楽しみたい。

 たとえ生きてても、ゲーム攻略には重大な役目は果たせないだろう。足を引っ張っているだけかもしれない、私が知らなかっただけではた迷惑なプレイヤーだったのかもしれない。今回生き延びたとしたら、間違いなくそうなる。一刻も早く帰りたい人たちから、恨まれることだろう。たった一つだけの復活アイテムを、どうでもいいプレイヤーに使うのだからなおさらだ。

 それでも―――生きていたい。生き延びたい、生きてもいい場所が欲しい。殺すの殺されるのも殺させるのだってイヤだ、ただ純粋に……楽しみたい。ソレができて初めて、『生きてる』と思える。

 

「君は死なない。オレが守る。絶対に、守り抜いてみせる」

 

 静かに/確かに、たぶん彼の中の尊い何かに誓って、言った。言ってくれた。

 

 涙を拭う、ゴシゴシと荒っぽく。

 それで、涙だけでなく鼻水もでていたことに気づき、顔を真っ赤にした。だけど構わず/もう格好はつけず、まとめて拭い取った。

 顔を上げて、キリトを見据えた。

 まだ顔は火照っていて、たぶん涙とか色々の跡が残っていて、見られたものじゃないだろう。でもそれが今、私の精一杯の/本当の顔。だから、目の前に鏡があったのならたぶん、私はその顔に、ちょっとみっともないと苦笑しでもすごく―――好きになったはず。

 だからか、キリトは驚いて、面映そうに目を泳がせながらおずおずと、手を伸ばしてきた。

 

「それじゃ手始めに、またパーティー組むことから始めても……いいかな?」

 

 3日ぶりの/改ての挨拶。

 一瞬、何を言われているのかわからなかったが、すぐに理解できた。

 逃亡中/真実を知った時、キリトとのパーティー関係を切っていた。フレンド関係も同じく。まだ確信は持てなくても、信じきれなかったから。いくらキリトでも、フロアボスを助けるとは想えなかった。

 そんな色々がちょっと恥ずかしく、でも今更どうでもいいかと照れながら、その手を握った。

 

「はい! こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 いつものように/出会った頃のように、元気よく握手した。

 パーティー確認のコマンドがたちがあり、了承を告げる。二人の視線がそこに集中した。その瞬間―――

 

 

 

“―――その男に騙されてはいけませんよ、シリカさん”

 

 

 

 何処かで聞いたことがある、冷たい女性の声音。それでいて心地よさを感じさせてくる儚い響き……。

 

 ゾッと、全身が総毛立った。キリトにも聞こえたのか、目を見開いている。

 私は、何処から聞こえたのか探ろうと周囲を見渡そうとした。キリトは、それすらせず私の手を離し/背中の剣を掴もうとした。

 反射的な/目にも止まらぬ速さ。居合の達人が目の前にいたのなら、まさに彼のような動作だったと思えるほど。ソレで私に切り掛られたらおそらく、何が起きたのかわからず地面に突っ伏していたことだろう。

 しかし/それでも……遅かった。

 キリトが剣のこい口を切った時にはもう、腹部から鋼鉄の刃が―――生えていた。

 

 互いにソレを見た次の瞬間、私には鮮血が/キリトには苦悶の声が噴出した。

 真っ赤に浴びせられながら、悲鳴を上げそうになった。おそらくその時、最もしてはいけない遅滞。

 だからか寸前、キリトが思い切り―――押してきた。

 急な押し出しに引き離され/受身も取れず、尻餅をついた。

 

「キリトさん!?」

「にげ、ろ……シリカ―――」

 

 絶え絶えの息ながらガシリと、貫かれた刃を握り締めた。ソレで敵が少しでも身動きがとれなくなるように、縫いとめる。

 しかし―――

 

「いいえ、もう逃がしません」

 

 キリトのすぐ背後から聞こえた声。見上げたそこの風景も奇妙な歪みを見せていた、不出来な光学迷彩のように。

 

「ぐぉ、ぉぅ―――う、そだろッ!?」

「残念でした」

 

 見えない声の主はそのまま、キリトを持ち上げた。宙に足を浮かされる。

 そして、驚愕している間もなくブンと―――振り払われた。

 

 無理やり投げ飛ばされたキリトは、もみくちゃに転がった。だけどすぐさま姿勢を整えていく。

 吹き飛ばし/高所落下からの【転倒】や【気絶】を回避するための身ごなし。ここぞという時に慌てて失敗してしまうが、必要不可欠なプレイヤースキル/受身。体に染みこませたかのように自然と/反射的に、ソレを行っていく……。

 しかし途中、体が―――固まった。不自然な強張り。まるで粘着性の糸に絡め取られてしまったかのように、リズムが狂わされる。

 受身を取ることができずそのまま/地面を削るように、吹き飛ばされてしまった。

 

 【転倒】させられたキリトと、そのHPバーを確認してだろうか。声の主は、すでに見えてしまっている斧槍をひと振りした、刃についてしまった血を払い落とすかのように。

 そしてバサリと、巨大な翼が広がると、光学迷彩が解除された。

 

 半透明な羽舞い散る中あらわれたのは、人形めいた美しさの白金の女性と、その肩に停まっている梟。

 戦慄した。つい数時間前の恐怖が目の前に現れた。

 そこにいたのは、55階層/鋼鉄の街にあるどこかの廃墟の中で襲いかかってきた、死神だった。

 

 人間ではないような白晰の美貌に魅入られていると、近づいてきた。足音は鳴っているはずなのに、滑るような歩み。彼女よりも大きく重いであろう斧槍を片手で、軽々と持ち構えながら。

 彼女の警戒はキリトに、だけど私への注意も怠らず。ソレがわかってか、腰が抜けてしまっていた、逃げるにも逃げられない。

 斧槍の間合いに入ったギリギリあたりで、足を止めた。そしておもむろに、まだ地面に突っ伏されているキリトに向かって、解説し始めた。

 

「【結界石】は、擬似的な【圏内】フィールドを任意の場所に発生させることができる。結界の中にはモンスターは入ってこれない、そもそも近くに出現しなくなる。ただし、他プレイヤーからの攻撃まで防ぐわけではない。そして―――」

 

 そこで初めて、彼女の視線が私に向けられた。

 ゾクリと、心臓を穿たれた。そう思わせるほど無機質で、底知れない/何を考えているのかわからない瞳。

 

「外では自動的に働いてくれる【索敵】や【鑑定】が、【圏内】フィールド内では制限される。ソレは【結界石】によるフィールドでも同じ。

 安全を考慮してだと思われますが……抜かりましたねキリト」

「アリ、ス……」

 

 身動き取れないキリトは苦悶混じりに、彼女の名前を搾り出しきた。

 そのHPバーには危険なデバフが、【麻痺】がつけられていた。

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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55階層/迷いの森 転変

 超展開があります、ご注意を。


_

 

 

 

「―――そう、レベル5の【麻痺毒】です」

 

 身動きとれず苦しがっているキリトに向かって女性騎士/アリスは、先の不意打ちに込めた追加効果を明らかにした。

 

「あなたの【免疫力】や装備は、ソレにも耐えうるだけの数値だと思われます。何発か重ねなければ無理だったでしょう。しかし、初撃のバックスタブならば……この通りです」

 

 どれだけの抗毒耐性を持っていても、完全防御はできない。上層に行けばできるのかもしれないが、現状ではそのようなスキルもアイテムも存在しない。限りなくそれに近づけるだけ。なので、背後からの致命傷ならば、いくらキリトといえども【麻痺】は免れない。

 既におおよその見当はついていたのか、何とか窮地を脱する術を必死に模索している。出会ってから今まで、私が見たことがないほどの焦りを露わにしていた。

 そんなキリトを一瞥し、何かを確かめる。

 

「『烏』さんが作った改造結晶は……それですね。『回復』はありますが、『解毒』は……付けてないみたいですね」

 

 よかった……。探していたのは、ピアスの形に変えた結晶アイテム/私もここまで逃れるときに使わてもらったもの。

 キリトの両耳についていたのは、黄色の回復結晶と青の転移結晶のみ。残念ながら【麻痺】を即効で解除することができない。

 もう脅威ではないと理解すると、私の目と鼻の先まで近づき凶器を/斧槍の穂先を差し向けてきた。

 

 吐息が届くほど近くにある、鋼鉄の刃……。蛇に睨まれたネズミのごとく、逃げ出すこともできずただソレを見つめさせられた。

 殺られる、もうすぐに、容赦もなく―――。息すら飲めないで震えていると、キリトの叫びが割り込んできた。

 

「ま、待てアリス! シリカに、手を……だすな!」

「そんなに【霊晶石】が欲しいんですか?」

 

 そちらには目を向けることすらせず/私を無感動に見固めながら、逆に非難をぶつけ返してきた。

 口を閉ざした/理解に及べないでいるキリトを無視して、私に向かって教えてきた。

 

「シリカさん。彼の目的は、アナタを助けることではありません。アナタを餌にして団長を誘い出すこと。彼が持っている【霊晶石】を横取りするためです」

 

 唐突なキリトの事情に、困惑せざるを得なかった。

 嘘は言っていないだろう、冗談でもないだろう。そんな人らしい感情を目の前の彼女から感じ取れない、通行人NPCに声をかけた時と同じで一方的/あらかじめ用意された文章を読み上げているだけみたいに聞こえる。何かしら真を突いた話なのだとはわかる。

 ただ、それを今聞かされても、私の答えは……『で、だから何?』だ。

 おそらくは翻意を促すためかと思われる。が、その程度では彼への信頼/どん底まで落とされたヤケクソ気分は揺るがない。ただそれを、目の前の彼女に言い返してやるほど強気には……なれそうにない。

 そんな私に呼応してくれるかのようにキリトも、彼女が何を勘違いしているのか察した。

 

「違う! そんなの、見当はずれ過ぎだ」

「そうですか? でもアナタは、アレを独占するために団長を殺そうとしました」

「それは……」

「ソレを阻止され、監獄に閉じ込められた。そして、そこから脱獄までして―――彼女を見つけた」

 

 キリトの私までの経緯。断片として聞かされてきて、おぼろげながらわかってはいたが……中々に、壮絶だった。

 監獄に閉じ込められたのは/そこから脱獄したのは本当だったのか。さらには、【聖騎士連合】の団長と殺し合いまで……。【還魂の霊晶石】/たった一度の復活の奇跡を巡る血みどろの争い。それは今もなお、続いているらしい。

 

「彼女をみて心変わりした? あまりにも可愛そうだと思ったから? 今までの頑張りを全て投げ打つ?

 ……信じられませんね。私の知っている『黒の剣士』キリトは、もうすこし……タフなプレイヤーだと思っていましたが?」

「悪いな、現実はこんな優男で」

 

 互いに皮肉/自嘲を言うも、表情は警戒で鋭くなったまま。

 だが、その淀みない答えに何かを察したのだろう。ソレを確かめるべくもう一度、睨みつけ続けているキリトと相対すると―――ほんの少し、眉を上げた。

 

「…………そう。

 それでは、私だけが……悪者ですね」

 

 彼女の中でキリトの認識を修正した。誤解してすいませんと、自嘲に含ませて言った。

 ただしまだ、私への刃は微動だにせず。

 

「そうだ、極悪人だよ! 超最低だッ! マジどうかしてるぞお前!?」

 

 それまでの雰囲気を壊すかのように、キリトは喚いてきた。

 いつもの彼らしくない……。おそらくは、この場の主導権を奪い取るための行動/わずかにできた隙間にしがみついていてきたのだろう。あからさま過ぎる意図/私ですらわかった。通常なら無視されて然るべきだろう。

 だから/だけど逆に、彼女の興味を引いた。

 

「熟慮に熟慮を重ねた上の、皆の総意も背負った結論でしたが……おかしいですか?」

「ああ、おかしすぎる! そんなのお前にはに、に……似合わない、からなッ!」

 

 言い淀みながらも出された言葉にアリスは、目を丸くした。関係ない私も同じく、一瞬目の前の死神を忘れてしまった。

 あまりにも想像の斜め上だったのだろう。まじまじとただ、キリトを見つめ返してきた。

 そんな無言に彼は、恥ずかしさを堪えるように表情を難しくする。それを隠すようにより強く、睨み返した。

 

 しばらく見つめ合っていると、おもむろにアリスが、顔をかげらせながら呟いた。

 

「……そう、『似合わない』ですか。隊長にも同じこと言われました」

「あ、アイツと同じ……。

 だったら、無理することは……ないんじゃないのか?」

 

 『隊長』との言葉に少し顔を憮然とさせながらも、慎重に促してきた。

 しかし、アリスは変わることなく答えた、あるいは尋ね返して。

 

「しかし、誰かがやらねばならぬこと。不義理を通す以上、私たちが手を汚すべき。隊長にさせるわけにはいかないので、副長の私が引き受ける」

「キバオウとリンドがいるじゃないか? 奴らに任せればいいだろ?」

「彼らは隊長や団員・攻略組たちの引きつけ役です。直接の執行が私なだけ、彼らも同罪になってくれるでしょう」

「……それにしても、手抜かりが多いんじゃないか? 直接お前がやれば、誰だってすぐに気づくぞ。たぶん【石碑】にだって刻まれるぞ」

「そう。だからこれは、言ってみれば……Dプランです」

「Dプラン、下策ってことか? それじゃ本来は―――……あぁ、そういうことか!」

 

 キリトは少し頭を捻り、何かの答えに達した、険悪の表情を浮かべながら。

 そして、出てきた答えを吐き捨てるように言った。

 

「だからレッドギルドが、【タイタンズハンド】がシリカを襲ったんだな」

 

 なんだって―――。聞き知った名前にビクリと、背筋が痺れた。思わずキリトを凝視する、そしてアリスへと。

 容疑者の少女は、それまでと変わらず。ニヤリとも嗤わずムスリとも焦らず、ただ静かな沈黙をもって佇むだけ。

 ただキリトへ、それまで以上に無機質な視線を向ける。どこまで知っているのか/何を知ったのか/軽快に値することはあるのか、抉り出すような硬質な視線。静かに激しくにらみ合う。しかし―――小さく吐息を漏らした。

 また無感動に戻すと、白状しはじめた。

 

「そう。アレは私たちの差金です。……方法は企業秘密です」

「奴らからお前たちまではたどれない、てことか? オレじゃ証拠をかき集められないと?」

「はい。かなり複雑ですので、面倒だと思われます。攻略の片手間にやる作業ではありませんよ?」

「奴らの何人かを捕えて、ちょっと話し合ってみた。そうしたら―――今後一切、オレのために命懸けで働いてくれるって約束してくれた。それでも難しいかな?」

「……明らかにしたところで誰も、あなた自身ですら……喜べない秘密ですよ?」

「どうかな? スッキリはすると思うぞ」

「『スッキリ』ですか……」

「『自己満足』て言い換えてもいいぞ。

 便秘みたいで気持ち悪い、イライラさせられる。他のやつも似たような不満を持ってる。だからスッキリさせる。……コレ、じゅうぶん『大義』になるんじゃないのか?」

「……そう、ですね。

 確かにそれが一番……いいのかもしれない。便秘は辛いですから、あの忌々しさは……。ここではもう、わからない病気ですが」

「……もしかしてアリス、お前……便秘になったことでも、あるのか?」

「え? …………そ、それは―――」

 

 一変させられた話題にアリスは、急にアタフタと目を泳がせた。それまでの『美しき死神』が嘘のように、掻き消える。素の彼女が/体温をもった人としての彼女が見えてくるかのよう……。

 コホンと一つ、大きな咳払いをすると、慌てぶりを律した。

 

「……知り合いから、聞いた話です」

「バレバレだぞぉ、嘘は苦手らしいなお前」

「ッ!? …………う、嘘じゃありません」

「おいおい……。そんなんでよく、この『計画』とやらに参加したな、というか参加させてもらえたよな」

「ッく!? …………確かに、そうですね。

 女性にそんな、下世話なことを嘲笑いながら聞いてくるようなフロントプレイヤーがいるなんて、誰も想定できないことですから」

「悪かったな、あんまりいい育ちじゃなくて」

「育ちは関係ありません、品性の問題です。一般家庭で生まれ、両親や兄弟姉妹に愛され、現代日本の教育を受けれていれば誰でも、身につけられるモノです」

「いやいや、教育あんま関係ないと思うけど……」

「大いにあります! ソレが人と動物を分けること、人がより高貴な存在であるとの証拠ですから」

「…………まぁ、考え方は人それぞれだな。

 それはそうと、だ。今のお前……鏡見せたいぐらいだよ。やっぱりそっちの方が似合ってる」

 

 一瞬、何を言われたのか目を点にさせられた。

 だけど、ニカリと笑うキリトを見てすぐに察した。

 またアタフタと目を泳がせてしまう。カァと顔を赤くし、ソレを抑え込むように固く睨み返してきた。

 

「……意外と、軽薄な人だったんですね、アナタは」

「誤解してくれるんだよ、いつもこんな黒い格好してるから」

「狙ってやっていると?」

「昔、ハロウィンの仮装パーティーでの悪ふざけだったかな、無理やり妹の服着せられて外に出された時があった。そうした本当に……女の子に見られた、妹よりもな。男だって言っても、簡単には信じてもらえなかった。人によっては、むしろその格好のままでいてくれとも言われた。

 だから、その教訓を生かして……区別をな、ちゃんとつけなきゃなと思って」

「……確かに、言われてみればそう……見えなくもないですね。

 よく監獄の中で無事でいられましたね?」

「今思い返せば、それも脱獄の理由の一つだったのかもな……。もう少し長居してたら危なかったかもしれない。

 ソレ込の慰謝料、ちゃんと払ってくれるんだろうな?」

「ソレは私たちとは無関係ですし、そもそも謝るべきことは何一つしていません。むしろ、これまでにあなたが引き起こした数々の迷惑行為に対して、請求したいぐらいです」

「そいつはほぼ全部、結果で贖ってきたはずだけど?」

「ええ、まさに『結果的に』そうなってきましたね。今後はどうなるかわかりませんけど―――」

「なるさ」

 

 オレを信じろ―――。短な返答に込められた、無言の要求。【麻痺】で身動きできず地に伏している人とは思えないほど、言い知れぬ自信がこもっている。

 向かい合うアリスは、それに―――揺らがされていた。揺らいでいるのを律しようと固くしているのが見えた。何の保証もないのに、目の前に最も合理的な解決法があるのに、ソレを投げ捨て彼に賭ける……。

 迷いを断ち切るように、瞑目した。

 しばし乱れを整え、もう一度開けると、

 

「―――あと2分弱。

 惜しかったですね。私でなければ、あるいは……騙しきれたかもしれません」

 

 違う、そんなつもりなんてない―――。キリトはその言葉をぐっと、飲み込んだ。もはや目の前の彼女には、弁解にしか聞こえないと悟らされて。

 だけど/それでも、焦りの全てを噛み砕き……搾り出すように言った。

 

「……今からでも遅くは、ないと思う」

「もうあなたと交わす言葉はありません。私が信頼しているのは、【連合】の皆と、隊長だけです」

 

 切り捨てるように言うと、もはやキリトを見ることなく。再び私に、あの冷たい視線を差し向けてきた。

 そして、構え続けていた斧槍にも、力を込めた。

 

「ま、待てアリス!? 待ってくれ―――」

「さよなら、シリカさん」

「―――ギュキュゥキゥーーーッ!!」

 

 ピナが私を庇うように、割り込んできた。

 

 突然の闖入者にアリスは、寸前……刃を止めた。

 おそらくピナでは、盾にもならなかっただろう。攻略組である彼女の刃の前では、ピナは紙にも等しい。武器に【貫通】機能が備わっていたのなら/槍系の武器には大体備わっている、そのままピナごと貫くことができたはず。でも―――

 

「……退いてもらっても、いいですか?」

「ギュゥッ! キュキュぅ、ギュゥッ!」

「イジメるつもりはありません。一撃で終わらせます」

「ギュギュキギュゥッ、キュッ!」

「……どうしても、退いてくれないですか?」

「ギュッギュッキュぅ、キキュゥッ!」

「…………仕方ありませんね―――」

 

 溜息混じりにそう零すと、突然、一旦引いた。斧槍の穂先を下ろしダラリと、底冷えすような殺意すら掻き消える。

 だからピナは/私ですら、首を傾げるも安心した。無警戒にぼぉと、一連の動作を眺めてしまった。

 その間隙に―――

 

 

 

 ―――ズサッ

 

 

 

「―――エぅッ!?」

 

 刺されて……る? ゲップのような、間抜けな音が出てきた。

 

 刹那の煌き/無拍子の最速突き。

 全く見えなかった、意識すらできなかった……。視界にはまだ、斧槍が下ろされている残像が見えていた。それなのに今/本体は、私の胸元に刺さっている―――。

 

 全てを理解すると同時に、キリトの悲鳴混じりの雄叫びが響き渡った。

 

「シリカァァァーーーーーーッ!?」

 

 HPゲージが一気に減り、危険域の赤へ、さらには……黒く。

 そして、いともあっけなく、0へと削りきられた。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 ガクリ……。体から力が抜けた。

 いや、体の/アバターの操作権を失ったのだろう。文字通り糸が切れたような感覚。

 アリスが斧槍を引き抜く。その拍子に前のめりになりそのまま、うつ伏せに倒れた。

 

 ドタリ……。見開かれたままの瞳から、地面と草が見える。平衡感覚が狂ってきているのか、岸壁に張り付いているような気がしてくる。今にも滑り落ちそうな気分。

 

 どんどん冷えて/溶けていき、やがて―――プチッ。

 何かが切れる音、たぶんスイッチ。キリトの叫びは聞こえなくなっていたから、音ですらないのかもしれない。

 

 視界が真っ黒に染まった。

 そして急に現れたのは、【Your Dead】の赤い文字。視界の中心にデンとのさばり、主張してきた。

 だから、もうソレ以外には考えようがなかった。

 

(あぁ、私……死んじゃったんだ)

 

 怒りも悲しみも諦めもない、ただのどうしようもない事実。

 もう少し格好良い死に様を期待していたのに、あんな様……。ソレが最初の不満として浮かんできた。

 

 もう体はないはずなのにポロリと、涙がこぼれたような気がした。

 同時にそれで、残っていた感情がこぼれてしまった。もうなにも……ない。

 絞り尽くされた今、本当の空っぽの人形になった。

 自他の境界が崩れて溶けて、拡散していく―――……

 ―――…

 ――…

 ―…

 …

 。 

 

 

 

 

 

 私の意識はそこで一旦、掻き消えた。消えるはずだった……。

 しかし―――

 

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」

 

 

 

 次の目覚めは、禍々しい産声とともに放たれた。

 

 私なのに私ではない声。……私から放たれているということだけはわかる。

 女の子の私では到底出しようのない重低音。そもそも人の声帯からは出せないだろう雄叫び。周囲のあらゆる生物のみならず、大気も大地もいるのなら幽霊までも戦慄させるような、荒々しい激震/超常の存在による憤怒。

 現実世界に似ている生物は、聞いたことはない。この世界でのみ/幻想上の生物のモノによく似ていた。

 

 それは―――竜。

 ピナのような手のひらサイズではなく、本物の竜。おとぎ話から/ゲームの世界から飛び出してきたかのようなラスボス。相対しただけで勝てないと、畏怖を超えて畏敬まで感じさせる存在。

 今、私であるものから放たれているのはまさに、竜の咆哮だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 ピナ語はわからなかったので、感覚で書きました。間違っていたら申し訳ありませんm(_ _)m

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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55階層/魔獣結界 赤のビースト

_

 

 

 

 アリスの斧槍が胸に、刺される―――

 止めようと、叫んだ。

 

「シリカァぁぁーーーーっ!!」

 

 叫びは虚しく、シリカは倒れた。

 アリスは、彼女のHPが0になったのを見て、斧槍を抜き出した。その拍子に彼女の体もバタリ、うつ伏せに倒れた。

 

 声にもならず、叫んだ。頭が真っ白になって何も考えられない。

 信じられない光景だった。さっきまで喋って動いていたのに、今はもう……動かない。

 手を伸ばした/まだ【麻痺】が残っていたのでそれだけしか、届けば何かが伝わると信じて。こんなのドッキリだと、冗談だと言ってくれるような気がして

 だけど、彼女は……微動だにしなかった。

 

 ソレは、もう何十人と見てきた、終わりの光景だった。

 前線でフロアボス戦で何度も見せつけられてきた。さっきまで楽しく笑っていた相手、気に入らず争い合った相手、パーティーを組んで一緒に戦った仲間。まだ話したことが山ほどあったのに、あんなこと言うべきじゃなかったのに、失って初めて大事だったと気づかされる……。誰もが等しく迎える終末。

 頭では拒絶しようとしているのに、胸の奥底ではもう、痛感させられていた。力が抜け落ちていく。

 

(オレはまた、こんな……)

 

 倒れたシリカの上を、ピナがくるくる回る。小さく鳴きながら、なぜ動かないのか不思議そうに、眠ってる彼女を起こそうと。……まだ、自分の主が死んだをことを理解していないのかもしれない。

 声をかけられず/まともに見ることすらできず、ただ押し寄せる絶望に耐える。

 

 悲嘆にうつむいていると、アリスが踵返してこちらに目を向けてきた。見上げる、力なく、絶望そのものといった不抜けた顔で。

 だが、その目と合った瞬間、ふつふつと何かがこみ上げてきた。後悔を押しのけ、今にも爆発しそうになっている。

 ちょうど時間が来たのか、【麻痺】は自然解消していた。

 

 睨みつけながら立ち上がる。同時に自然と、その手は―――背中の愛剣へと向かっていた。

 アリスはソレに目を配るも、身構えることもせず。ただ静かに見つめ返しながら言った。

 

「ここでのこと、黙っていてもらうことは……できなそうですね」

 

 何も言い返さず、ただ剣を抜き払った。ソレが答えだと訴えるように。

 そんなオレにアリスは、小さくため息をつくと、臨戦態勢をとった。

 

「……私たちが殺し合う意味は、どこにあるんですか?」

「オレが二度と、お前の顔を見ずに済む」

 

 問答無用……。たぶん、今までの人生で一番冷酷な顔での宣告。

 アリスは怯まず、哀れむような悲しんでいるような色合いが浮かんだ顔で、いちど瞑目した。そしてうっすら開けると、宣戦布告してきた。

 

「……でしたらその剣、自分の胸に刺したらいかが?」

「お前こそ。オレの手を煩わせんな」

 

 どっちも引かず。一触即発―――

 

 火蓋を切ったのは、オレの剣撃。先に仕掛けた。

 体当たりするような/銃弾のような高速突撃、突進上段斬り【ソニックリッパー】―――

 

 金属の硬い音色が響き渡った。

 アリスは斧槍の柄を胸の前に構え、受け止めてみせた。ダメージは極小。ただ、踏ん張った足が数センチほど地面を削ったのみ。

 

 衝突の微震が手に届く前/硬直時間を課せられる寸前、身を捻った、独楽のように空中を半回転。その勢いに乗せて、【体術】の【飛燕脚】/回し蹴りを脇腹に叩き込む。

 【連続剣技(スキルコネクト)】―――。

 システム外スキルの一種/【加速(アクセル)】と同じ。ソードスキル発動後に必ず起きるリキャストタイム/硬直時間、ソレに拘束されるコンマ数秒のタイミングに、別種のソードスキルを繋げる。すると縛られることなくたて続けに、ソードスキルを放つことができる。

 

 横殴りの/死角からの打撃にもアリスは、なんとか対応/斧槍の長柄を割り込ませ防いだ。柄がオレの蹴りに撓み軋む、そのままアリス本体にまで押し込むように―――

 受け止めきれずアリスは、踵を宙に浮かせられた。

 

「くぅっ!?」

「お、らぁ―――っ!」

 

 そのまま強引に、蹴り飛ばした。

 たまらず数メートルほど吹き飛ばされ、地面に片膝をつきそうになっていた。

 

 着地後、すぐに追撃/さらなる【連続剣技】。ただし今度は、【体術】ではなく【片手剣】で。

 単発突進攻撃【レイジスパイク】。突き出した鋒に全ての力をのせ、跳んだ―――

 

 衝突する/交差する。あの人形めいた無機質な顔を吹き飛ばす……寸前、首を捻られてよけられた。

 剣はただ、頬を掠めただけ。通り過ぎていく。ギリギリで衝突を回避された。

 

 そのまま倒れるようにローリングして、体勢を整えた。

 もう一度向かい合うも、目論見を外されたオレは、今まで無視してきた硬直時間が襲いかかってきた。

 

「ちぃッ! ―――」

 

 舌打ちしながら、睨みつけた。あれで仕留められなかったのは痛い……。

 今度はこちらの番だ、防ぎきらなきゃならない。

 

 逆襲に備えて、意識だけでも次に来るアリスの手を予測する。早く拘束よ解けろと焦る。ダメージは覚悟しないといけないだろう―――。

 しかしアリスは、襲いかからず。茫然と瞠目しながらこちらを見ていた。

 いや……焦点はオレではなかった。背後の、殺されたシリカの死骸があるだけのそこに、意識を奪われている。絶好の機会すら手放させる何か……。

 

 思わず、そちらに注意を向けられた。

 すると、クチャクチャがつがつ……咀嚼する音が聞こえてきた。

 この場に不釣合いな異音に振り返ると、そこには、ピナがいた。

 

 

 

 シリカの死骸を食べている、ピナが―――

 

 

 

 一瞬、そのあまりの光景に……言葉が出なかった。

 

「……な、何を……してるんだ、ピナ?」

 

 背後に敵が/アリスがいるのも構わず/かまえず、まともな答えなどできそうにないピナに尋ねていた。

 ピナは答えず、ただ無心で食べ続ける。クチャクチャ、キチャキチャ……血肉を食む。ソレが答えだと、言うかのように。

 その姿はまるで、やっとごちそうにありつけた肉食獣。可愛らしいだけの愛玩動物ではなく、プレイヤーを殺さんと襲いかかってくるモンスター、そのものだった。そのことを今一度、思い出さされた。

 

 放心し続けていると、『ソレ』の牙がシリカだったものの顔に食いかかろうとした。その瞬間、ようやくわれに帰った。

 

「や、やめろ! やめ―――ッ!?」

 

 止めようと伸ばした手をブゥンッと、翼で振り払われた。

 それだけではない。巻き起こった突風に―――吹き飛ばされた。

 ペタリと後ろに、尻餅をつかされる。

 

「なっ!? そんな……」

 

 背後でアリスが、信じられないと声を漏らしていた。

 オレも同感だ、今起こったことが信じられない。

 最前線で戦えるレベルとステータスのオレが、【フェザーリドラ】ごときの振り払いで、吹き飛ばされたなど。あまつさえ【転倒】になっている……? この世界の中では万が一にも、ありえない現象だった。

 

 しかし、仰ぎみせられた異様にな光景に、はんば納得させられた。

 オレの身長の倍はありそうな翼が、ピナの体から伸びていた。ソレが、オレを吹き飛ばすだけの力と突風を生み出した。

 

『ピギィァァァーーーーっ!』 

 

 『食事』を邪魔された癇癪だろうか。耳をつんぐさむような鋭い音色に、頭が割れそうになる。

 今までのピナとは明らかに違う鳴き声。威嚇にするにも、どこか愛らしさが残ってしまう声だったのに、今のソレには聞く者たちの心胆を凍らせる力があった。こちらに向ける視線にも、一切の容赦を感じられない。アリス以上に無機質で、ただどれだけの相手かスキャンするかのような冷たい瞳。

 

 息を飲まされているとソレは、『食事』を再開した。

 そして、さらなる変貌を遂げていく。

 食べるたびにバキゴキと、肉と骨格が膨張していった。肩にちょこんと乗せられるほどのミニサイズも巨大化、食べながらいつしか主よりも大きくなっていく。柔らかな羽毛も硬質な鱗へと作り変わり、皮膚も桃色の可愛げだったのが赤黒い厳しさへ変色する。そして、巨体を支えるだけの筋肉がギチギチと、充填されていった―――。

 全てを食べ終えた後もまだ、巨大化を続けていった。ピナだったものの影が、オレの/数メートルは吹き飛ばされたはずの場所にまでかかる。あまりにも大きく、天井を見上げるような角度で仰ぎ見せられた。

 

 そこに顕現したものに……戦慄した。

 現在、55階層まで登ったこのゲーム。似たようなモンスターがフロアボスに現れたものの、通常フィールドで現れたことはなかった。そのフロアボスにしても、巨体と飛べることだけが同じ、鳥の祖先の恐竜に近いタイプ。コレのような威容などなかった。

 そこにいたのは、まごう事なき竜。マグマのような高熱と火花を纏った―――赤竜だった。

 

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」

 

 

 

 赤竜の咆吼が、空へと打ち放たれた。

 あまりの音量に空気が歪む/脳が処理しきれないのか目眩までしてきた。ソレは周囲のフィールド/【迷いの森】の木々も同じなのか、悲鳴を上げるかのように狂乱のざわめきを震わしてきた。

 

 すると、赤竜の周囲に淡いモヤが生じた。

 強力な電気まで帯びた毒ガスのようにバチバチと、赤竜の輪郭を爆ぜて溶かそうとする。まるで、本来ここにあるべきモノではない異物、故に存在するだけで害なす悪性ウイルスであるかのように。ゲームシステムの免疫体が発生している。

 しかし赤竜は、ものともせず。咆哮を終え大きく息を吸いなおすと、胸の奥から眩いばかりの赤い光が輝いてきた。ソレが胴体へ喉元へ、口の中にまで広がっていく。

 高層ビルのような溶鉱炉が目の前に現れた、あまりの眩しさに網膜が焼かれそうになる。実際、肌が焼けそうに暑い。

 今にもソレが溢れそうになる寸前、赤竜の瞳と目があった。

 その瞬間―――察した。

 

「逃げて、キリトォーーーッ!!」

 

 アリスの悲鳴が聞こえる前にはもう、逃げていた。

 同時に赤竜が、今まで溜めに溜めていたモノを―――吐き出した。 

 その顎から、灼熱の奔流が放たれた。

 

 赤熱したマグマ、あるいは液状化までした鋼鉄。火山口から噴火を目の辺りにしたのなら、こうなっていたであろう怒涛の溶岩流。

 ソレに飲み込まれる寸前/ギリギリで、横に思い切り飛び込んで避けた。間に合わずコートの裾が焼かれた。

 そのまま前転しての受け身を取ろうとするも、続く熱風に押され着地点が乱れた。ゴロゴロと転がされていく―――

 

 

 

 草むらの中、転がりに転がっていくと、何とか勢いが止まった。

 

 視界のフラつきから/平衡感覚も戻って顔を上げると、そこは―――別世界だった。

 

「な……何なんだよ、コレ……は?」

 

 あまりにもあり得なさ過ぎて、笑いがこみ上げてきそうになった。

 

 そこにあったのは、灼熱の地獄だった。

 赤竜のブレスで焼けただれた【迷いの森】の残滓。一直線に伸び徐々に扇状へ広がっていくそこには、一切の木々が焼け飛んでいた。さらに地面は、巨人が鑿で削り取ったかのように抉れ、今だ真っ赤なままな溶岩が煮立っており、所々バチバチと電光を瞬かせていた。あまりの超高熱に、空気がイオン化してしまったのだろうか。……ここでは現実の物理法則が適応されるとは限らないから、空間に負荷がかかりすぎたゆえのエラーかもしれない。

 周りを見渡してみると、やはり一変していた。吹き荒れた炎に【迷いの森】が焼き消されていくのが見えた。空すら覆い隠すほどの緑豊かの森が、真っ赤な焼け野原と黒煙を立ち上らせている。

 

 高熱の空気と舞い上がり続ける煙に、むせる/咳き込んだ。長時間の潜水状態でもないのに、【酸欠】状態になったかのようだった。視界がぐわんぐわん揺れる。

 意識を保たんと頭を振り、しゃんとさせる/立ち上がると、近くの炎の壁から何かが飛び込んできた。

 驚きすぐ、剣をそちらに向けると、転がり出てきたのはアリス。そのまま地面に転がりながら体についた火を消した。

 

 消火したことを確認すると、落ち葉と煤を払い落とした。白の肌や鎧に煤の跡が残るも、あえて気にしていないよう、なのですぐにでも剥がれ落ちそうにみえる。

 まだ剣を差し向け続けるオレの警戒は無視して、安堵の吐息をこぼした。

 

「……よかった、無事だったようですね」

「お互いにな。……残念ながら」

 

 最後に皮肉をこぼすと、ようやく剣を収めた/鋒を外す。

 周囲を見渡し、延焼の被害に遭わなそうな窪地を見つけると、二人とも何も言わず急いでそこに向かった。

 

 体を滑り込ませると、顔を出して安全確認。

 ブレスを放出した赤竜は、輪郭を溶かさんとまとわりついていたモヤを完全に吹き飛ばすも、その場で停止していた。まるで、活動させるだけのエネルギーを回復させるかのように、小山のごとく佇んでいるだけ。

 フィールドを一変させたほどの火炎ブレスは、連発できないのかもしれない。一発放ったらリキャストタイムがあるのだろう、あるいは溜の最中に攻撃していたら不発させることができるのかも。……予断は禁物だが、そう願わずにはおれない。

 

「アレは一体……何だと思う?」

「……【フェザーリドラ】でないことは、確かですね」

 

 今まで遭遇したモンスターのどれにも、当てはまらない……。普段なら、こんな緊急時のそんな冗談には眉を顰めただろうが、困惑し過ぎてるのだろう。たぶんオレも、同じような返答になっていたはず。

 

「ディアベルが変貌した時と、似てるには似てるが……違うよな? アイツの場合は、大剣振ります死神だったし」

「ソレにシリカさんは、自殺ではなく他殺。隊長とは色々と条件が違いすぎる。しかも、最後にあの使い魔が、彼女の死骸を……食べたのも気になります」

 

 言いよどまれると、その時の『食事』が思い出された。吐き気をもよおさせる光景……。

 頭から振り払うように、敵の分析に集中する。

 

「やっぱり【降魔剣】じゃなさそう、だよな?」

「ええ。他のゾロ目のときとも違―――」

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!!」

 

 赤竜の雄叫びが、森全体に轟いた。リキャストタイムから回復し、再始動しだした。

 のそりのそりとゆっくりと、しかしその一歩一歩で、地鳴りが響いた。オレたちのいる窪地にも、その振動がビリビリと伝わってくる。

 自然とどちらも、息を潜めた。

 

 炎と障害物のおかげで、こちらの姿は視認できないはず。巻き起こされた黒煙と生木が焼かれるバキバキとの音がそこら中で響いてもいるので、嗅覚や聴覚レーダーもしくは熱探査にも掴まれていないはず。しかし/それでも、本能的な畏怖が身を竦ませていた。

 赤竜が明らかに、オレ達の隠れ場所から離れていく。それを見てようやく/それでも細心の注意を払って、吐息をこぼした。

 

 ひっそりとアリスが、聞かれて気づかれることはないだろうが、声を潜めながら提案してきた。

 

「―――ここは一旦、撤退しましょう。【転移結晶】は持ってますよね?」

「ああ。そうした方がいいんだろうが……できそうにない」

 

 額から吹いてくる汗を拭いながらそう言うと、眉をひそめられた。

 

「……感傷に浸ってる場合じゃありませんよ? アレを倒すには、いえ生き残るだけでも、私たちの戦力では不十分です」

「わかってるよ、そのぐらい! 

 そういうのじゃなくて……できないんだ。さっきから結晶が働いてない」

 

 耳につけてるピアス/改造結晶を指で弾きながら答えた。

 結晶アイテムの力を注入したソレは、耳に意識を向け発動を念じると、結晶アイテムと同じく淡い光を放つ。『転移』の力を込めたソレは青い光だ。しかし現状、どれだけ念じてみても……起動しない。こちらの命令を受け付けてくれない。

 

「? そんなわけ―――」

 

 信じきれないのか、自分のストレージから【転移結晶】を取り出し、同じことをしてみた。

 しかし結果は―――同じだった。オリジナルですら起動しない。

 ここから転移できない……。絶句させられているアリスに、さらなる推察を続けた。

 

「さきのブレス、この【迷いの森】の環境にまで影響を及ぼしてる。破壊不能オブジェクトのはずの森が全部……この様だ」

「つまり、このエリアからは…………脱出不可能、ということ?」

「たぶんな。

 奴が発生させたインスタンスフィールドが、無理やりこのエリアを塗り替えたんだろう。その過負荷かエリアの混線で、オレ達の座標がおかしくなった。それで転移が使えなくなったのかもしれない。……ありえないことだけど」

 

 とりあえず、それらしい理屈を言ってみたが、信じられない/まともじゃない。オレ自身の混乱を鎮めるための考察。……今すぐゲームマスターに出てきてもらって、納得いく説明が欲しいところだ。

 

「……そう、ですね。

 馬鹿げたことですが、こんなもの見せられてこの状況では……信じるしかない」

「ただ、【結晶無効化エリア】になったわけじゃないらしいぞ。『回復』の方は働いてる」

 

 ヤケクソ気味の乾いた笑いを浮かべながら、さきとは別のピアスを指で弾いて示した。そこにはちゃんと、黄色の光が仄かに瞬いている。

 アリスは微かに苦笑を零す、耳を澄ませ始めた。うっすらと目を閉じながら、今は赤黒く染まっている空を仰ぎ見る―――。

 

「―――私の方も、雨依と通信することができなくなりました。おそらく……このエリアから抜け出せたのでしょう」

「そうか! 空からなら行けるのか……て、オレ達には無理な話か」

「隊長の元へ向かわせましたので、すぐに援軍がくる……はずです」

「来れたとしても、それまで生き残れたらの話だな」

 

 転移ができないとなると、外から徒歩でココに侵入することも、難しいかもしれない。別の隔絶エリアに飛ばされてしまったとしたら、援軍がやってこれるのは無事な【迷いの森】だろう。

 最悪、援軍は来れない……。あの未知の強敵と二人だけで、戦い抜くしかない。倒してか何かしてエリアを正常に戻さなければ、元いた共有フィールドにももれない。最悪このまま、電子の海の放浪者になってしまうかも……。

 

 ナイナイづくしでいっそ、踏ん切りがついた。

 コレが背水の陣なのだろう。腹の奥底からすこぶる変なやる気が出てきた。

 パチンと一つ、頬を叩いた。

 正気と気合を入れなおすと、真正面からアリスと/先まで殺さんとしていた相手と向かい合った。

 

「これからお前と、二人とも生き残るために共闘するわけなんだが……。シリカへの仕打ち、忘れたわけじゃないからな」

 

 吊り橋効果でのうやむやは、期待するな……。オレ自身のための、引っかからないための予防線/宣言。冷たく睨みつけながら、あくまで一時休戦だと釘を刺した。

 得てすれば途中、身代わりにするか足を引っ張るかもしれない。そう懸念されても仕方がない無理難題だが、アリスは顔をしかめることもなく。むしろ、問い返してきた。

 

「私の方こそ……大丈夫なんですか? あなたは、戦力として考えていいんですか?」

「……どういうことだ?」

「アレは、シリカさんの使い魔が変貌したモンスターです。が、おそらく彼女の……痕跡も大きく関わっている。あの巨体に取り込まれているはずです」

 

 そんなモンスターを、斬れますか―――。ナイフのように、鋭く抉る問。

 一瞬、凍りつかされた。すぐには答えられなかった。

 

 考えないようにしていた事実。だけど必ず/いずれ、対峙しなければならない。迷っていられるほど現状は甘くない。ここは一瞬の遅滞が死を招く、灼熱の地獄だ。

 黙っているオレにアリスは、無言ながら答えを強制してきた。是か否か二択、今ここで決断しろと。

 口を開きかけるも寸前、ぐっと堪えた。

 

(まだ……まだ何か、道があるはずだ。考えろ、考えるんだ今すぐ―――)

 

 眉を顰めはじめたアリスを無視して、脳みそを振り絞りつづけると―――繋がった。

 ボソリと、代わりに降ってきた疑問をつぶやいた。

 

「―――あの竜は、55階層のフロアボス……なのかな? それとも……」

 

 別カテゴリーのモンスターなのか……。オレの指摘に目を丸くするも、すぐに言わんとしたことを察した。彼女も、口元を押さえながら考え込んだ。

 

 55階層のフロアボスはシリカだった。その彼女は、目の前の女に討たれた。他のゾロ目階層ではそれで、ボス撃破となった。ここに現れた赤竜は、フロアボスでない可能性が高い。だとすると、何らかのイベントボスモンスターでしかない。それならば―――。

 暗闇の中、光が灯ったかのような気分だ。その導きの先は、オレの求めている未来へと繋がっている……はずだ。

 

「……確認してもらう必要が、ありますね」

「決めるのはそれからでも……遅くない」

 

 とめどなく沸き起こってくる希望。その楽観視に歯止めをかけるよう、顔を上げたアリスが水を差して/再度忠告してきた。

 

「ただもし、フロアボスでなかったとしても、倒さざるを得ませんよ。私たちが生き残るためだけではなく、アレがここより外に出たときの被害を考えれば……わかりますよね?」

「わかってるさ、見逃すつもりはないよ。……話し合いは無理そうだしな」

「なら―――迷わないでください」

 

 下手な希望は持つな……。再度の刺突の言葉にも、やはり……答えられず。瞑目する。

 彼女の意見は、正しい。非常に合理的だ。おそらく同じ立場だったらオレも、同じように切り捨てることを強制しただろう。最前線の攻略戦で真っ先に死ぬのは、その冷静さを失った奴からだから、無情とは違う。

 でも今は、今回だけはそんなモノ―――およびじゃない。

 

 舞い降りてくれた糸をもう一度、掴み直した。合理的などクソッタレだと、たぐり寄せる。

 そして、引っ張り込んだソレを/可能性を、叩きつけた。

 

「―――アリス、お前【プネウマの花】持ってるよな?」

「……ええ、手持ちに一つだけあります、雨依用に。

 それがなにか―――…… !?」

 

 白晰の美貌が、驚愕に染まった。オレの言わんとすることを理解してくれたのだろう。

 ニヤリと、不敵な笑みを向けた。

 

「取引だ。

 今後オレは、お前や【連合】がシリカにした仕打ちについて一切口外しない。文句も言わなければ手出しもしない、ゲームクリアするまで黙っていてやる。その代わり―――【プネウマの花】をくれ」

 

 あまりにも無茶苦茶な条件だ、対等とは程遠い。ほぼ恐喝だしアリスには利がほとんどない。

 しかし、これには/これだけが、オレの求める可能性に繋がってる。どちらも総取りの、第三の選択肢。

 驚愕から覚めると、苦し紛れに忠告してきた。

 

「……成功率は、極めて低いと思いますよ?」

「わかってる。でも、試す価値がある」

 

 オレにとってだけじゃなく、お前にも……。彼女のシリカへの、躊躇いに賭けた。ただの冷酷なマシンでないと信じる。

 

 【プネウマの花】は、使い魔用の復活アイテムだけではない。モンスター達全てに使える復活アイテムだ、敵対していたとしても。ただ、それで復活させることにより高確率で、そのモンスターは使い魔になってくれる。本来は超がつくレアなビーストテイマーを、簡単に量産することを可能にしてくれる。

 ソレは―――あの未知の赤竜であっても、ありえるはず。

 

 こちらの想いが伝わったのか、アリスの目が苦しそうに揺れた。

 しかし―――それでも、天秤は傾けず。問い返してきた。

 

「……もしも、万が一にも【花】の効力が効いたとしても、狙い通りに行くとも限りませんよ? 最悪もう一度……戦わされるハメになるかも?」

「それも含めての取引だ」

 

 どうする―――。命か魂か。

 災厄しか起こさない、悪魔の取引だ。おそらく、今のオレの顔はひどく……歪んでいることだろう。

 

 今にも犬歯を突き出す勢いで、眉間に皺を寄せた。ギリリと、奥歯が噛み砕かれそうな音まで聞こえてくる。

 感情を/怒りを露わにしながら、オレを睨みつけるアリス。こんな彼女を今まで、おそらくは【連合】の仲間たちですら、見たことはないだろう、たぶん見せたこともないはず。

 

 溢れ出た激情は、ほんのひと時……。すぐに落ち着かせようと、目を閉じ息を整えた。唇も引き結ぶ。それでも収まらず、爪が食い込むほど拳を握り締めた。

 そのかいあってか、徐々に鎮まっていった。 

 

「………………最低ね」

 

 最後にそう零すと、オレを恨めしそうに睨んだ。

 そんなもの、どこ吹く風と肩をすくめた。

 

「やったことが帰ってきただけだよ。それにお前、責任取るの好きなんだろ?」

「そんなの好きな人なんて、いるわけないじゃないですか。私だってもっと―――」

 

 漏らそうとした愚痴を寸前、止めた。

 

「……あなたと話してると、少し……調子が狂う」

 

 愚痴とも弱音とも言えない言葉。なんとか軌道修正しよとするも、できずに困惑していた。

 彼女にとってソレは、非常にマズイ事なのだろう。【連合】の副長である彼女には似つかわしくない。だけど、オレにとっては―――

 

「もしも、ここを生き延びれたらさ。もうああいうことは……止めろよな」

 

 不意にそんなセリフが、口からこぼれでた。

 出した自分が、戸惑った。そんな言葉はオレに似つかわしくない。まして相手は、先まで殺そうとした/シリカを殺した相手、情けをかけてやるいわれはどこにもない。黙っていればそれでもよかったはず。

 でも今、ここには……オレ以上に相応しい奴がいない。自滅するのがわかってるのに見過ごせるほど、無情にはなりきれない。

 

 そんなオレ以上にアリスは、目を丸くしていた。

 そして躊躇いがちに/意図を探るようにオズオズと、尋ねてきた。

 

「もしかして……『似合わない』から、ですか?」

「……む、無理は良くないからな。痔になったら最悪だ」

 

 誤魔化すようにそう言うと、アリスは顔をしかめた。そのこと誰かに言いふらしたら酷いことになるぞと、無言の圧力を視線に込めてくる。

 逸れてくれたことにホッと、胸をなでおろす。アリスはそれにムスっとするも、咳を一つ仕切り直した。

 

「……それも、取引の条件の一つですか?」

「いや、これは単なる……頼み事さ」

 

 できることなら一番、聴いて欲しい頼み事……。ソロで自由気ままにゲームしてきた/【連合】の一員ですらないオレには、おこがましいことだが。

 

 アリスは気にせず、フッと微かに笑みを浮かべると、メニューを展開した。ウインドウでその顔を、隠すかのようにして。

 操作しタップするとその手には、純白の花が/【プネウマの花】が現れた。

 それをツイと、差し出してきた。

 

「考えてはおきましょう。おそらく……難しいと思いますが」

 

 ソレでいいさ―――。渡された【花】を大事に掴みながら、出会ってからはじめて、彼女の笑顔を見れたような気がした。

 

 これで蟠りはどっちも、なくなった。

 あとはただ―――戦うのみ。勝って、生き延びるだけだ。

 

 

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 なぜ特定の小型モンスターが、敵であるはずのプレイヤーの下僕になるのか? ソレには何らかの意図があるはず。ただの可愛いだけのペットではないはず。
 今話は、その答えの一つとして、書きました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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56階層/グランザム 決着

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 鳴り響き続けていた怒号と爆音がやんだ。再び静けさが戻っていく。

 ただしアノ、深淵に向かうような悲しみはなかった。ドン底であるのは変わらないけど、そこから徐々にほんの少しづつ、上昇しているのがわかる。元に戻ろうと再生している。

 

 さやさやと、心地の良い風が頬を撫でてきた。くすぐったい/触感がわかる。

 うっすらと目を開いてみた。だけどまだ、ぼんやりとしていてよく見えない。発光している靄か霧に包まれているような光景。天使が住んでる世界というものがあったとしたら、まさにこんな場所なのだろう。

 死後の世界……。浮かんできた不穏な単語にちょっと不安にさせられていると、朧げながら/微かながら声が聞こえてきた。

 

“―――こんなこと……前代未聞、ですね”

 

 驚いている女性の声。ありえないと、私を見ながら零していた。

 聞いたことがあるとはわかるも、誰かまでは思い出せない。記憶にモヤがかかっているようで上手く取り出せない。

 

“ほらな! 賭けてみるもんだろ?”

 

 今度は男性の声、先ほどの女性へ向けての言葉。おちゃらけながら煽ってる。

 こちらもやはり、わからない。顔かたちは思い出せそうな/喉元までで掛かるほどなのに、名前を一致させられない。

 ただ、女性の時は違い、ソレができないことに焦る/悔しく思った。

 

“……運はいつか、切れてしまうものですよ。特に……調子に乗ってると”

“『使いどころを間違えた場合は』な”

 

 減らず口を……。言葉には出していないが、女性が言わんとしたかった声がわかった。よく見えないがおそらく、男性は小憎たらしそうなしたり顔を浮かべているのだろう。

 大きくため息をつくと、真面目な調子に仕切りなおしてきた。

 

“今回は、私たちが間違えていたようですね”

“そうでもないさ。たぶん―――意外と、『神様』て奴が見ていないようで見てるから、じゃないかな?”

 

 曖昧すぎる答えなれど、女性は納得したようで、だけどさらにため息をこぼした。

 

“……だったら早々に、現実世界に帰してもらいたいものです”

“全くだ! 悪趣味すぎて反吐が出る”

 

 二人とも、ここにはいない誰かに向かって、愚痴を吐き散らした。

 あからさま過ぎて周りを気にしてしまいそうになるも、概ね私も同じ気分だったらしい。おそらく顔には、苦笑が浮かんでいたことだろう。

 

“次も同じような方法で、できると思いますか?”

“……わからない。

 コレを検証なんてできないし、させられない。それに、失敗したら色んな意味で被害甚大だ”

“…………そうですね”

“今、自分で試そうとか考えただろ?”

 

 男性からの釘差しに女性は、知らぬふりをするかのように肩をすくめた。

 そんな彼女に呆れるも追求せず、代わりに女性が開き直るように返した。

 

“私がやらずとも、このことが世に広まれば誰かが……試すはずです”

 

 女性の意見に男性は眉をひそめた。

 同時に彼女の意図を察して、確認してきた。

 

“……ここでのことは秘密にした方がいい、てことか?”

“『彼女』も共にです”

 

 そう言うと、二人の視線が私に集まったような……気がした。

 緊張させられていると、男性が溜息混じりにつぶやいた。

 

“死んだと、偽装しなきゃならない……か”

“名前も容姿も、変えなければなりませんね、別人になれるほどに。

 【偽造】と【整形】を使えたり……しませんよね?”

“使える奴には、心当たりがあるけど……厄介なタレ込み屋がいる。そいつの口止めしないと”

“お金でしたら問題なく。言い値の十倍は払ってみせます。いっそ【連合】に雇い入れてもいいですよ”

“……さすが、大ギルド様は懐も面の皮も分厚い”

“面の皮はよけいです。

 それだけの重大事ですから。金にいとめなどつけてられません。それにもう……【軍】の不始末に翻弄されるのは、ウンザリですから”

 

 ポロリとこぼした本音にニヤリと、男性が笑みを浮かべたように見えた。

 女性もソレに気づいたのか、モジモジと居心地悪そうにしている。

 そんな彼女へ男性は、居住まいを正すと、微笑みとともに感謝してきた。

 

“―――ありがとな、アリス。お前のおかげでオレ……守りきれた”

 

 アリス……。ようやく、女性が誰であったのかがわかった/一致した。

 同時に、意識が途絶えていたまでの間で私に何が起こったのかも、思い出されていく。男性が彼女に感謝を捧げるようなこと―――。

 

“………………ズルい人”

 

 小さな/男性には聞こえないような声で、こぼした。

 ソレに気づかれる/確かめられる前にアリスは、いつものような厳しげな顔つきに戻して向き直った。

 

“次からのボス攻略はちゃんと、参戦してくださいよ”

“ああ、必ずな―――と、いきたいんだが……。少し頼みがあるんだ”

 

 聞いてくれるよな……。イタズラの共犯にさせるかのような雰囲気にアリスは、眉をひそめそうになるも耳を貸した。

 ゴニョゴニョと何事かを要求されると彼女は、片眉を上げて男性を睨んだ。そんな彼女に男性はニカリと、イタズラ小僧の笑みを浮かべるのみ。

 しばらく視線の鍔競り合いをしていると、折れたのはアリス。肩を落とすと、盛大にため息をついた。

 

“―――本当に、めんどくさい人ですね、アナタは”

“ケジメを付けたいだけさ。たぶん、アイツも同じだろうよ”

“隊長も……? もしかして、『男の子』だからですか?”

“まぁそんなところだ”

“……私には理解不能です”

“してくれなくてもいいさ。どうせ……下らないことだからな”

 

 でも、大事なことなんだ……。自嘲とは裏腹に、真面目な顔つきで向かい合う。

 不満顔なアリスは、否定するでも理解するでもなく判断保留と、しぶしぶ頷いた。男性の要求を飲んだ。

 ただ、取引成立と、笑みを浮かべながら差し出された男性の手には、あえて答えず。背を向けて遠ざかっていく。

 

 一人残された男性は、その背に苦笑を向けながら見送った。

 そして、私と二人きりになると向かい合い、告げた。ハッキリと、彼の声が聞こえる―――

 

「―――シリカ。これから、色々と大変だろうが……安心してくれ。君への誓いはまだ続いてる、これからもずっとな」

 

 言い切ると、少し恥ずかしそうに/だけど誇らしくもあるようにはにかんだ。

 私も思わず、微笑んでいた。

 同時に、ようやく終わったのだと/嵐を凌いだのだと、わかった。私は今、ここに―――生きている。

 笑顔を浮かべながらもポロリ、涙が頬へと溢れでた。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 55階層の【グランザム市】にある、【聖騎士連合】の宿舎/指令所―――。

 

 56階層の開放に伴って、その拠点をたたんでいた。荷運び等でメンバーが忙しく動き回っている。

 拠点の中は、今日までメンバーたちが集めてきた情報や考え込まれた分析やら予測などなどを記した書類/資料が、所狭しと積まれていた。掃除や整頓が間に合わない/足場もないほどの雑居房状態、どこに何があるのか把握している者などいないかのような混沌具合。持ち込まれたコルクボードやホワイトボードにも、地図やら写真やらが貼り込まれている。

 それらが全て、取り払われていった。

 ボードも、ストレージに戻されるか持ち運びしやすいように折りたたまれている。まるで初期化するかのように、元の宿舎の有り様を取り戻していく。

 

 次に続くプレイヤーたちのためへ、自分たちのプレイ記録。

 10階層を過ぎたあたりからか、攻略組全体で行われるようになった記録保存作業。自分たちが最前線のフロアをどのように攻略していったのか、突破するまでの道筋と思考を、間違いや失敗も含めて余さず記録し残す。

 ただ答えのみを伝えるだけでは、強くなれない/生き残れない。一度クリアしたとしても、クエストの細部/モンスターのパターンは変化することがある。油断して対応できず死ぬことはざらだ。正答へ至る解法を自力で編み出した者以外にとって、その『正答』が正しいものであるとは限らない。何百もの死者達のおかげで、ようやくソレがわかった。

 はじめは面倒くさがられたも、今では習慣となった。大事な仕事なのだとの認識が浸透しきった。【連合】のメンバーたちは段取りよく、資料の分類と整頓を続けていた。

 

 そんな拠点の表扉をバタン―――、勢いよく蹴り開けた。

 同時に、門番をしていた重装備のメンバーを二人、投げ込んだ。

 

「おわっ!?」

「なんだなんだ!? 何事だ!」

「おい、大丈夫か?」

 

 床に転がされた槍持の重装備は、介抱されながら/まだ目を回しながらも、「あ、アイツが急に―――」と震えながら指差してきた。

 それで皆の視線があつまってくるも、気負うことなく/挨拶することもなくズカズカと、入っていった。

 

 驚きもひとしお、【連合】のメンバーたちは瞬時に殺気だち臨戦態勢。各々、乱入してきたプレイヤー=オレに武器を差し向けた。

 【連合】全てから敵意を向けられているにも関わらず、オレは悠々と闊歩、ただ顔は少々剣呑。全員無視しながら、中央で作業の進捗を指揮していた男/ディアベルにのみ視線を定めていた。

 遅れてオレの狙いを察したのか、周囲からの圧力がさらに増していく。

 

 それでもズカズカと進んでいくと、互の間合いが重なる手前で、止まった。

 同時に、ディアベルの護衛が前にでてきた。これ以上の狼藉は許さないと、静かな怒気を滾らせながら。槍を前に突き出したり剣のこい口が切られている……。

 一瞥して戦力を確認。

 隊長殿の護衛を買って出るだけあって、かなりの強敵だ……。こいつらどうしようかと睨んでいると、おもむろにディアベルが口を開いた。

 

「―――二人とも、下がってくれ」

「ッ!? 隊長それは―――」

 

 言い募ろうとした諫言はしかし、向けられた静かな凄みで黙らされた。

 『頼んでる』うちに下がれ……。ソレに当てられてか、周囲のメンバーたちも黙らされた。ゴクリと息を呑む音が聴こえてくる。

 

 コレが【連合】を司る長の姿か……。そんな威圧を放ったとは思えないディアベルは、落ち着いた爽やかさを顔に向けてきた。

 

「久しぶりだね、キリト」

「ああ。クリスマス以来だな」

 

 ずっと会いたかった。会いたくて逢いたくて、たまらなかった……。積年の想いを込めながら睨みつけていると、腹の底に抑えていた埋め火が燃え盛ろうとしているのを感じた。その火が腕にまで伝わってくるのをギリリと、握りつぶしてこらえる。

 ディアベルは、自分に向けられてるモノを感じてか知らないふりか、無視して先ほどオレが投げ込んだメンバーたちへ目を向けた。

 それで何かを/おそらくオレが彼らに何をしたのかを確認すると、ほんの少し口元に笑みを浮かべた。

 

「……腕は鈍ってないみたいだね」

「おかげ様で。他にやることない場所だったんでな」

 

 監獄に閉じ込められてからやれたことは、ただ一つ。報復の想いを募らせるのみ。改心など/諦めるなど絶対にしてやらないと、日々この体に鞭打っていた。……ドラマや映画などでやられている監獄トレーニングは本当のことだったと、実体験できた。

 なので、レベルやステータスには若干差が開いてしまっているだろう。だけど、スキルの習熟度や何より武器の扱いがその差を埋めてくれるはず。気合もプラスしたら負ける気がしない。

 

「なぜここに?」

「ケジメをつけに」

 

 ケジメか……。ため息をつくでもないが、少し憂鬱そうな顔でつぶやいた。その奥で何を考えているのかは、わからない。

 言いたい/確かめたいことは色々とあるが、アリスとの約束がある。こんな公衆の面前ではできない。彼女たちの想いを組んで、『コイツは何も知らなかった』と言うことで話を進める。

 なので、オレがここでやることは一つ―――

 

「今からオレと、デュエルしろ。【助太刀】なしのタイマンでな。それで、オレが勝ったら【霊晶石】寄こせ」

「!? テメェ、黙って聞いてればやりたい放題―――」

 

 プチんと、堪忍袋の緒が切れたように激昴する護衛兵。彼に釣られて周囲もざわついてくる―――。

 しかしまたしても、ディアベルが制した。

 無理やり鎮めると、静かに許諾してきた。

 

「いいよ。ただし、【全損決着】以外でだ」

「ああ、【半減決着】でいい」

 

 互の言葉に、周囲がざわめいた。先ほどとは別の、純粋な好奇心によるもの。

 あの『黒の剣士』と【連合】の隊長の一騎打ち―――。名勝負が見られるかもしれない/ゲーマーとしてのワクワクが、オレの無礼からの怒りを上回った。静かな盛り上がりがフツフツと湧き上がってきているのが、感じられる。

 そんな彼らとは違い、表面上は落ち着いているオレとディアベルは、話を進めていった。

 

「どこでやる?」

「どこでもいい」

「なら……【転移門】の広場でやろう」

 

 そう言うやいなや、サッとその場から立ち上がり移動した。

 話が早くていい……。出し渋ったり日を改めたりしないことに感心していると、オレの傍を通りすがらボソリと―――

 

「―――アリスのこと、ありがとな」

 

 周囲には聞こえないであろう小声で、囁いてきた。

 思わず顔を向けるも、幻だったんじゃないかと思えてしまうほど、ただ通り過ぎただけの背中に見えた。

 だからかなおさら、舌打ちした。

 

「…………やっぱり、知ってやがったんだな」

 

 証拠は無いが、確信できた。

 やっぱりオレは、どうしてもこの男を……好きにはなれないということが。腹の中を隠す奴は嫌いだ。

 

 

 

 

 

 ディアベルの後に従って、【転移門】広場へと向かった。そこで、これまでの全てのことに決着をつける。オレの中にこびりついている【月夜の黒猫団】を葬る。

 そして何より、ここより上へと登るために―――

 

(オレは、生き延びる。生きてこのゲームを終わらせてみせるよ。サチ、ケイタ……)

 

 果たせなかった約束。今はもういなくなってしまった仲間たちに向けて捧げる、新たな誓い。

 今度こそ/コレだけは絶対に、守り抜いてみせる。

 

 

 

 

_

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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断層/空中回廊 転機

前に書いたモノを、大幅にリメイクしたものです。


_

 

 

 

 城の外壁から拾われた後、その当時の僕のレベルでは、少々心もとないと思われる深い森ダンジョンの入口。そこで、僕を拾った彼女/【ホープ】を待っていた。

 

 

 

 ―――私が戻ってくるまでに、暗記しろ

 

 と、投げ渡された立体ホログラム地図=《ミラージュスフィア》を見つめながら、かれこれ数時間は待ちぼうけを食らっていた。

 それだけ待たされると、体を動かしたくなる/剣でも振りたくなる。危険かもしれないが、ここでポップするモンスターを狩ろうと考え始めた―――。

 その矢先、突然、何もないはずの空間からゾロゾロと、プレイヤーが転移してきた。

 

 その時はまだ、《回廊結晶》=任意の場所に転移ポータルを作れる《転移結晶》なんて激レアアイテムのことは、知らなかった。

 システムの異常か、この世界には無いはずの魔法を使ったのかと、思わず腰を抜かしそうになった。……幸いなことに、そうはならなかったけど。

 

 警戒しながら、現れたプレイヤー達を見つめた。

 軽装・重装備、武器も装飾品も各々それぞれ、違っている。ギルドならばあるはずの統一感がない。けど、その雰囲気と顔つきだけはみな一様だった。……一様に静かに鋭く、黒く澱んだ空気を纏っているかのよう。

 

 現れたプレイヤーたちは、僕のことを一瞥するも……何も言わず。無視してきた。

 高度な《鑑定》スキルか、幾つもの装備を見て覚えていたわけでもないけど、現れた彼らが高レベルのプレイヤーだということは肌でわかった。僕らがいた中層域で屯していたプレイヤーとは、一線を画している。鋭さやら重さなどの「何か」を身に帯びていたからだ。

 その時の僕からすれば、鼻につく余裕か傲慢。それを当然のものと、腹の底にまで落とし込んだ腹の据わりように見えた。……僕では到底、たどり着けない境地だと。

 

 何人か現れ続けた後、3人の塊が一気に出現した。

 真ん中の一人は、両手を後ろに組まされながらの、首と胴体を金属製の鎖で束縛されている《バインド》状態。そんな囚人のような格好の一人を囲み/護送するかのように、現れれてきた。

 そして最後に―――ホープが帰ってきた。

 

 

 

 

 帰ってきた彼女は、初めて会った時と同じような、ボロボロの黒のポンチョを身につけていた。フードを目深に被って、顔を半ば隠しながら。―――プレイヤー皆が恐れている、殺人集団の首魁/《Poh》の格好を。

 だけど、中身は……女性だ。

 

 歩くたびに、ひらひらと揺れるポンチョとフードによって、顔の下半分しか見えない。そこだけだと、ゾッとするような美青年=《Poh》のイメージそのもので、通せるだろう。けど、すでに中の実態を知っている僕からすれば、もう女性以外に見えない。

 隠しようがなく、そもそも隠す気がないとしか思えない。

 形の良い卵型の輪郭と抜けるような白磁の肌、何より柔らかそうな頬と唇は……男の持ち物じゃない。改めてよく見れば、手の有り様も違う。男性的な、節くれだち強ばってもいない。生まれてこの方、ペン以外に重たいものなど持ったことの無いような、ご令嬢のモノだ。

 ただ、それでも構わないのだろう。

 そもそも《Poh》とは、『冷酷で残虐な殺人鬼、何十人もの殺人者を従える、美貌の青年』という、吸血鬼のようなイメージが広まっている。つまり、中性めいているということだ、もっと言えば人間でも無いとも。

 噂で広まって、実際対峙したプレイヤー/捕まえられた仲間の犯罪者たちですらも、そのように彼女を見てきた。中身がどちらだろうと構わないのだ。魔的なカリスマ性を醸し出していれば、彼らにとって彼女は、《Poh》でありそうとしか見えない。……そういうことなのだろう。

 

 

 

「―――『走れメロス』は、知ってるよな? 太宰治が書いた小説で、未だ国語の教科書にも載ってる名作だ」

 

 部下たちが自然と左右に退ける中を、当然のごとく近づいてくると、突然告げてきた。女性にしては少し低めのハスキーな声音、男性にしては少し高めで通りの良い声。……先に崖際で聞いた声音が、若干変声されている。

 

 突然過ぎて、何を言いたいのか頭が真っ白に。なので、疑う暇もなく/威圧されるがままただ、コクリと頷いた。

 それを了承と取ったのだろう。続けて、

 

「いまからお前は、そのメロスになる。親友の命を担保に、最後にやりたいことをやり、期日までに戻ってくる。……ただし、やつよりも厳しい条件のもとで、ソレを達成しなければならない」

 

 またわけのわからない説明に、僕はただ、ぽかーんと聞いているだけ。事の重大さを、その時はまだ、理解/実感できていなかった。

 コレが、これから始まる/強制参加させられる『ゲーム』の、()()()()()()()だとは。

 

「これからお前は、俺の指示を()()は無視していい。3回までなら、コイツの命は保証しよう。だが……()()()はない」

 

 後ろ手で、捕縛されている男を指すと、捉えていた部下たちが目立つように前へひったたてきた。

 

 現状についてこれないがらも/だからこそか、的外れだろう違和感が沸いてきた、彼女が使っている『俺』という一人称に。口調も、ガサツなものに変わっていた。

 おそらく、今の彼女/《Poh》は演技なのだろう。架空のキャラクタをロールしている。それを部下たちの前で糾弾すれば、彼女の正体が仲間たちにバレるはず。今までいいように翻弄してくれた分、一泡吹かせてやれるかもしれないが、残念ながらそこまで気を回せなかった。……正直に言うと、ビビっていた。

 

 直接的な敵意や害意といったものは、ない。あるいは控えている。のだが、周囲のレッドプレイヤー達が僕を見る目は―――肉食獣のそれだっだ。

 食える獲物なのかどうか、どこが一番うまいのか吟味している、捕食者/狂犬の群れ。飼い主から「待て」を命じられているため、離れた場所でじっとしている。たが、それが解かれたら容赦なく食いついてくるのは、肌で感じられた。……そうなったら逃げられない。ボロボロになるまで弄ばれて、捨てられるだけ。

 一度は命を捨てた身。大切な仲間も、もういない。生きる意義の全てがない。だから、何も怖いものなどないと思っていた。けど……それは勘違いだった。向けられる数多の悪意の中、ただひとり立たされるだけで、いまにも倒れそうだった。

 直感した/せざるを得ない。僕は―――()()()()()()()()、なのだと。

 

「信じられないというのなら、それもそれでいいだろう。早々に4回ミスを犯せ。そうすれば、こいつもお前も両方とも、くたばるだけだ」

 

 くたばる/死ぬ―――。その言葉に、息を呑まされた。背筋に冷たいものが走る。

 はんば麻痺している頭では、全てを飲み込めていなかった。けど、「死」を連想させる言葉に背筋が凍らされた。それだけは本当のことだと、直感させられる。

 周囲にいる部下達の誰かが言ったのなら、ハッタリか脅しだと、疑ったことだろう。最終的にそのような結末になるかもしれないが、目的はあくまでその過程にある。身の安全か金か、自分の欲求を満たすことに。

 今まではこういった思考は、思い浮かびもしなかった。崖から飛び降りてから、頭のどこかの回路がおかしくなったのだろうか。そんな、薄汚ない考えが止めどなく/嫌でも流れ込んでくる。……それがあるため、大抵の相手の言葉には、無関心を気取れる自信があった。

 だけど―――彼女は違った。別格だった。僕が偶然手に入れたこの思考は、すでに通り越した境地にいるのだと。……彼女の言葉は『決定』であり、コレは『死の宣告』だ。

 そして同時に、思った/思わされる。暗に伝えているようだった。―――【キリト】がいる場所もまた、そこなのだと。

 

「助けは、期待しないほうがいいぞ。

 今、この瞬間から『ゲーム』終了・撤収までの30分間、このエリア全域は俺が()()している。情報的にも物理的にも全てを、だ。お前がこれから行かなくてはいけない道には、お前以外誰もいない。……こいつの命は、お前以外の誰にも救えない」

「へ、ヘッド!? ま、待ってくださいよッ!」

 

 捕縛されていた男が、もう耐え切れないと、慌てて割り込んできた。

 男が口を開いことで、場が一瞬で―――凍りついた。じろりと、冷たい注目が男に浴びされる。

 ごくり……と、男が唾を飲まされる音が、僕の耳にまで聞こえた。

 

「……これ、冗談ですよね? いつものドッキリとか……なんでしょ? 他の奴らもグルで、マジ顔してるだけですよね?」

 

 窒息させるような沈黙を破るように、男はこわばった笑みを浮かべた。そして、おどけながら続ける。

 

「はいはい、わかってますわかってますよぉーだ♪ これでも付き合い長いですからね、いい加減ヘッドの気まぐれには慣れましたよぉ、と。

 ほんと、趣味悪いですよぉ? 今回はちょぉっと大掛かりすぎて、ビビりましたけど! 相変わらずやることなすことデカイですよねぇ。さすがヘッドだ、まじパネェよ! ……でもでも、なぁんたってこんな面倒なことを―――」

「―――俺、お前のそういう能天気なところが、大好き()()()ぜ」

 

 まくし立てる男を中断させるように、優しげに/親しげにホープは告げた。ほほえみを浮かべながら、過去形で。

 男はそれだけで……黙らされた。呼吸まで止められそうに、青ざめた。

 そして、理解した。自分の現状とこれから何が起きるのかを、理解させられた。

 

「……俺も、できればこんなことはしたくなかった。お前はムードメイカーで、いつもハイテンションで楽しませてくれた、いなくなると寂しくなる。お前らもそうだろ?」

 

 ホープの問いかけに部下たちは、直立したまま/静かなまま、小さく頷くこともせず。あるいはできず、ただ漂う暗い空気の一部に溶けているのみ。

 返ってこない答え、しかし気にせず。目元は笑わぬ笑顔のまま、ホープは続けた。

 

「でもな。お前はミスを犯したんだ。どうしようもなく、取り返しのつかない痛恨のミスだ」

「み、ミスを……? 俺が?」

「ああ、そうだよ。

 大抵のことは好き勝手やらせてるし、目だってつぶってやってる。ギルドの金をネコババしようが、その金で《軍》に取り入ろうが、女を見繕ってもらって下っ端数人とお楽しみしようが、だ。アホでも出来る仕事をキッチリこなしてくれれば、俺には何の文句もない。……そんなことしか、お前には頼んではいなかったはずだよな?」

「え……あ! も、もしかして……あのことを言ってるんですね!?

 そ、それだったらちゃんと、指定された場所に誘導したじゃないですか!?」

「ところがだ。一人だけ、生き延びちまった奴がいた。……正確には、二人だったかな?

 俺は確か、『《シルバーフラグス》のメンバー全員を、指定の場所まで誘導しろ』と命じたはずだ―――」

 

 懐かしいギルド名を聞いて、ぎくりとした。

 

 ギルド《シルバーフラグス》___。

 僕ら《月夜の黒猫団》と同じ、中層域で活動していた小規模ギルドだ。リアルでも知り合い同士のメンバーで構成されているギルド、という点でも同じだ。

 僕らとは、何回か交流があった。同じように、学校のコンピューター研究サークルの一員でもあって、出会って早々に意気投合した。……特に【サチ】は、そこの同性のプレイヤーと仲が良かった。

 彼らとはよく、アイテムのトレードや情報交換をしてきた。けど本音は、互いに生きているかどうかの確認をとっていた、だけなのかもしれない。仲がいいとはいえ別のギルド、競争相手でもあるため、離れて暮らすのが互のためだとの暗黙の判断だ。

 だけど、あるときからパッタリと……連絡が取れなくなった。

 《メッセージ》にも返信がない。彼らのギルドホームに出向いても、誰もいない。嫌な予感がして、第一階層の【生命の碑】を確認すると……予感は的中してしまった。

 彼ら全員の名前に、『死』のヨコ線が引かれていた。

 

 悲しいとは思った、どうにかできなかったものかと、後悔もした。でもそれが、ここの現実なんだと思い直し、それ以上は考えないようにした。

 彼らの死は僕らにとって、『このままではいけない』という危機感をもたらし/植え付けてきた。もっと強く、本気で『攻略組』を目指そうと、意識転換をする契機になった。……そして同時に、サチとのすれ違いが始まった瞬間でも、あったのだろう。

 今思い返せば、彼女が戦いを異様に怖がっていたのは、《シルバーフラグス》のメンバーの一人である女子の/身近な人間の死だった。中層域でいると気づきづらい、この世界は遊びではなく、現実と変わらないデス・ゲームなのだと。それを改めて突きつけられた時から、僕はサチの気持ちを理解してあげられなくなった。いや……僕自身が、ソレを受け入れるのに必死だった。

 

 今《シルバーフラグス》の名前を、こんな場所で/こんな奴らの口から聞いて、怒りでも湧いてくるのかと思った。

 けど……何も感じなかった。

 チクリと、胸に痛みが走ったようにも感じたが、それだけだ。何かの、強い感情/衝動をおこしてくれることは、なかった。

 我ながら、すごく冷たいとは思う。こんなにも無関心でいられる関係では、決してなかったはず。けど、今の僕にとっての彼らはそんな、名前だけの存在に成り果てていた。

 

「―――そいつは、お前のお気楽な脳みそでもできるような、ゴクゴク簡単な作業だったはずだ。手順もやり方も、丁寧に教えてやった」

 

 ため息まじり、ヤレヤレと肩をすくめながら。費やした労力と時間が無駄になったことを嘆く……フリをした。

 全くの他人である僕にでも、伝わって来る。そんなことは、ことの始めからどうでもよかったと、限りなく他人事として/無関心に見返している、と。

 しかし男には、伝わっていなかった。いや……そうじゃない。共感したいのに一人だけ省かれている。彼女の無関心の中に一人、自分だけがいると、言い訳をまくし立ててきた。

 

「そ、そいつらは……あとで始末しようとしたんだッ! バカなことにさ、途中で簡単なトラップに引っかかりやがったんですよ! それで急に、仲間と二手に分かれて行動しはじめたんです。

 その時どうするか、めっっちゃ悩んだんですが……。俺隠れてましたし、その時出ていって仕掛けると、ヘッドが立てた計画がご破産になっちまういそうで、見過ごすしかなかったんですよ。だからそいつらは、他の奴に《麻痺》させて運ばせることにしたんです」

 

 悪いのは、そいつらです! 俺じゃない―――。そう言い切ろうとする、寸前、

 

「安心しろ、そいつらはもう()()()()()()。残っているのはお前だけだ」

「………………へ?」

「正確には、まだ骨ぐらいは残ってるかもしれんがな。……どうなんだ、【リオン】?」

 

 そう言うと、後ろに控えていた巨漢に振り返った。

 

 他のプレイヤーと比べても一回り大きい、巨人のように感じる。一応は、プレイヤーの/人間の範疇に収まっている体格、ではあるが、どっしりと構えてる重みと装備や服装の上からでもにじみ出ている筋肉が、さらに一回り大きく見せていた。

 《筋力値》と《体力》にレベルアップのステータス上昇ポイントを多く振っている、脳筋プレイヤー特有のガタイの良さ。その中でも、かなり多く振っているのか、あるいはリアルでもかなりのマッチョだったのか。アメコミのヒーローもかくやというガタイ/衣服の窮屈さだ。首周りなど厚すぎて、それだけで《断頭》を防げそうなほど。

 金属製の装備は、装飾品と腰・脇のホルスターに収まっている短剣以外付けておらず。毛皮製の手甲と脚甲をキツく巻きつけて、胸当てと膝が隠れるほどの腰巻の軽装、加えて猛禽の羽を折り重ねて作ったかのような外套を羽織っている。蛮族系Modの親玉といった風格を醸し出していた。

 錆びた金色の肩まで伸びた蓬髪は、ライオンの鬣とでもいう威容。周りを見渡す赤い瞳は、ただそこにあるだけで睥睨されるかのように重みと鋭さがある。ここにいる彼らを格付けすると、間違いなくホープの次は彼だ。巨体のモンスターと初めて相対した時の畏れ/絶望感を、叩きつけてくる。

 

「確か、お前の持論だと、ゲス野郎ほどうまいらしいんだが……腹もたれたりはしなかったか?」

『一度に3人はきつかったが、ああいう奴らは痛みにすぐ屈服する。そいつを与えた俺にも、な。だからもう、()()した。……頭だけでも、残しといたほうが良かったか?』

 

 その口から出てきたのは、予想通り、ただ喋るだけで足元を揺るがしてくるような重低音。しかし……妙な違和感もあった。とても外見と符号しているのに、何かがズレているような奇妙な声。

 ただその時、その違和感を掘り下げることはできなかった。何気なしに交わされた二人の会話が、あまりにも()()だったから、何を言っているのか理解できなかった/することを拒絶していた。

 

「いや、お前の()()()の方が大事だよ。それに……あの程度のことも出来ないような奴らは、いらない」

 

 最後の一言は、あの巨漢の圧迫感を越えてゾクリと、ナイフを突きつけられたような冷たさがあった。周囲にいる部下たちの強張りが、肌で伝わってきた。

 

 周囲のプレイヤー達の殆どは、頭上のカーソルを黄色かオレンジに変えている、犯罪者たちだ。まだグリーンの者もいたが、本当の意味で『グリーン』であるとは思えない。何らか犯罪に関わっていることは、確かなはず。

 ソレは『強さ』の証にはならない。が、少なくともそうでないプレイヤーたちよりか/倫理観の枷が外れた分は、肝が据わってくるのではないかと思う。そんな彼らでも、ビビる相手。ビビらせるに足る、()()()()()を担っているプレイヤー/【リオン】。

 中でも、拘束されている男の表情は、それとわかるほどの怯えよう/蒼白さ。先ほどの饒舌が嘘のように/今にもショック死してしまいそうなほど、凍りついていた。

 

 リオンから拘束された男に向き直ると、さらにホープは続けた。……衝撃的な事実を。

 

「それと、俺たちの元に渡すつもりだったというのも、嘘だな。【軍】の奴らに引き渡すつもりだったんだろう?

 だから―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、夢中になってな」

 

 …………頭が一瞬、真っ白になった。

 なん、だって……? 奴は、何を……したと? あのサチの友人に、僕も何度か言葉を交わしたあの女の子に、そんなことを―――

 

 沸騰しそうになる―――寸前、「ちょっと待て!」との疑いを止めた。

 伝聞情報を鵜呑みにするのは、危険だ。ソレで手痛すぎる目にあった、気を引き締めなければならない。

 そんなことがあるはずかない、起こるはずがない。そんな酷いこと、やれる人間がいるわけがない。無いはずだから、だから―――。

 僕の中にあった常識が、全力で彼女の言葉を否定した。

 

 だけど―――拘束されていた男は、違った。

 彼女の言葉を耳にして、今までの硬直が少しだけ解けた。口元にうっすらと笑みが浮かぶほど。まるで、()()()()()()()()()()()()かのように、ソレが、僅かに残っていた彼女との繋がり/同じレッドプレイヤー/生き延びれる縁があったと、()()()()()()かのように。

 

「…………へ、へっへっへっへ! 殺す前にちょぉっと、楽しんだだけですよ♪

 ただ死ぬだけなら、あの女だって可愛いそうでしょ? 最後に、()()()()の一つぐらいさせてやりてぇと、思っただけでさ。そうしねぇと、未練て奴が残っちまいますからね、せっかく女に生まれてきたんですし♪ ……ヘッドだってそういう遊び、好きでしょ?」

「『そういう遊び』が好きなのは、【ジョニー】の方だよ。……もっとも、お前と違って奴は、()()()()楽しみ抜くがな」

 

 彼らの会話が耳に入ってくると、視界が斜めに歪んだ。捻れてねじれて……気持ち悪い、吐き気もしてきた。

 ソレは視界の誤作動、ではなかった。はたまた、このアバターに搭載されていないはずの内蔵の不具合、でもなかった。自分の体がよろめきそうになったために、引き起こされたものだった。そのままその場に倒れそうになったが、なんとか持ちこたえる。

 だけど……猛烈な吐き気が、喉元までせり上がっていた。たまらず、手で押さえつけた。

 『ここ』は、今まで僕が居た場所/ぬるま湯とは、かけ離れた場所である。そしてココこそ、これからの僕の居場所だとも。……その事実を、叩きつけられた瞬間だった。

 ()()()()()を、互いに平然と笑いながら話し合える。そんな奴らの場所に、僕は、立ってしまったんだ……。

 

 吐き気をこらえていると、ホープは続けた。……拘束した男に、親しみの笑みを向けながら。

 

「アジトに連れ込んでからやったはいいが、気持ちよくなって寝ちまった。安心しちまったんだよなぁ。だからそのスキに、鍵を盗まれた。

 ……バカ丸出しだな。それで逃げられるともなれば、なおさら」

「で、ですがっ! その後すぐ気づいて、ちゃんと―――」

「捕まえ直した。

 そりゃそうだよな、女には()()()()()()()がたっぷりついてるんだから、どこに隠れたって無駄だ」

「そ……そうです! そうなんですよぉ♪ 

 確かに、気づいたときは『やべぇ』と慌てたんですが、ソレに気づけましてね。すぐに捕まえられたんですよぉ♪ ……全く、馬鹿な奴らで助かりまし―――」

「けど、女だけだった。男の方は捕まえられなかった。

 その女を人質にとって、男をどうにかおびき出そうとした。が……そのまま行方知れずだ」

「そ、そいつは……。だからせめて、女だけでもと―――」

「男は捉えられず、今まで黙って放置してきた。俺に報告も上げやしない。

 まぁ、当然といえば当然だな、お前たちにとって重要なのは、女だけだった。始めから()()()()()が目的だった。軍の『豚将軍』様の【NPC生化装置(ゴーストダビング)】には、必要ことだからな」

 

 これ以上、言わなきゃいけないことはあるか? ―――ホープの締めくくりに男は、目が飛び出るほど、絶句した。

 なんで、そんなことまで知っている―――。男の瞠目が告げる恐怖にホープは、嗤うのみ。―――どうして、この俺が、知らないと思ったんだい? 

 

 顔面蒼白。血の気が0になると……男は、ようやく悟った。

 見透かされていた。全て、手のひらの上だった。何もかも知った上で、見過ごされてきた。……出し抜けると、舐めてしまった。

 それでもまだ、一縷の希望にすがって……搾りだした。

 

「あ……あ、あんな腰抜け野郎一人、逃げたって……。何の問題も、ない……でしょう?」

「ところがどっこい! 逃げたそいつは、厄介な奴を引っ張り込んできた。―――攻略組の《黒の剣士》、あのビーターをな」

 

 その名前が聞こえると、初めて、僕は―――観客であることをやめた。

 驚き同時に、怒りが沸き起こった。今までのことなどどうでもいいと思える程の、燻り続けていたマグマにガソリンを投下したかのように。ただその名を聞いただけで、沸き起こってきた。

 そして、その怒りは、先ほどまで耐えていた吐き気すら、どこかに吹き飛ばしてしまった。コレは、悪魔達のおぞましい饗宴ではなく、僕の/()の復讐の序章だと。

 

「あいつがやってくるとなると、少しばかり考えを修正しなくちゃならない。【タイタンズハンド】の人事を、少し変えないといけなくなった。……ギルドリーダーは、【ロザリア】に任せることにした」

「なッ!? 

 あ……あのクソビッチに―――」

 

 言い切る直前ホープが、音もなく男の目前に迫っていた。

 そして―――

 

「そうだよ【ジャック】。お前は落第だ―――」

 

 耳元でそう、吹き込むように告げると、いつの間にか手に持った短剣で―――プスり、脇腹を刺した。

 すると―――男のアバターの輪郭が、一瞬だけブレた。そして直後、糸を切られた人形のように……その場に崩れ落ちた。

 

 《麻痺》___。

 男の頭上に浮かんでいるHPバーに、その致命的な状態異常の印が、ついていた。

 

 

 

 自分では身動きが取れなくなった男を、両側に立っていたプレイヤーたちが倒れる前に抱えた。

 拘束された男は、信じられないと言わんばかりに目を見開いて、ホープを見上げた。……懇願するかのように。

 しかし、男の願いを断罪するように/裁判官のように、あるいは神様の託宣を告げる預言者のように、宣告した。

 

「―――お前の命は、あと6分だ。

 その時が来たらお前は、この城の外に広がっている空に、墜落死する。その後10秒経ったら、現実でお前の脳みそは、電磁波で焼き尽くされる」

 

 告げられた内容は、明確な死の形。これから起きる絶対の予定。

 ゆえに―――

 

「それまで、お前にできることは、たった一つ―――」

 

 チラリと、僕の方に目を向け、指差した。

 

「―――祈れ。

 そうすれば、ここにいる《ケイタ》が、お前を助けてくれるだろう」

 

 

 

 ホープが告げ終わると、男をかかえていた部下の一人が、腰のポーチから結晶アイテムを取り出した。……濃紺色のそれは、《転移結晶》とはまた別の結晶アイテム。

 それをかざすと、何事かをボソリと告げた。

 すると、男を囲んでいた計3人のプレイヤーが細かい光の粒子に包まれ始めた。テレポートに伴う現象―――

 

 それに包まれると男は、先までの金縛りから一転、暴れてどうにか逃げようとする。

 だが、《バインド》と《麻痺》の二重の縛り。すでに体は、骨のないゴムの塊のようなもの、指先すらピクリとも動かせない状態だろう。……暴れようにも、暴れられない。

 なので代わりに、必死の形相で叫んだ。

 

「ま……ま、待って、待って下さいっ!? 待って下さいヘッド。ヘッドォォォぉぉ―――…… 」

 

 男の叫びは虚しく、ワープ現象によって途中で、かき消された。

 

 彼らがワープすると、後には光の粒子の残滓だけが残った。それも数秒後には掻き消え、跡には何も残らない。

 

 

 

 

 

 ホープは、それを確認すると、くるり―――僕と向かい合った。

 満面の笑みを浮かべながら、

 

「―――さぁて♪ お前のスタートは1分後だ。その間に、この『ゲーム』に参加するかどうか決めろ」

 

 先までの犯罪者の首魁然とした威厳はなく、子供のようにウキウキと、軽やかに告げてきた。

 そのあまりの落差に、呆然と、拍子抜けさせられてしまった。

 

「…………強制参加、じゃないのか?」

「? あたりまえだろ。嫌ならやめていいよ」

 

 何を当たり前のこと、言ってるんだ……と、言わんばかりの邪気のなさ。

 真意がまるで分からず、だけど馬鹿にされたかのような気分になると、全てが壮大なハッタリなんじゃないかと思えても来た。……実は、さっきの男は転移先で生きていて、ここから消えた後拘束を解除されて、密かに僕の間抜けっぷりを覗きに戻っているんじゃないか、とも。

 でも……先ほどの会話が全て嘘だとは、到底思えなかった。

 転移が終わったあと、それまで直立していただけの彼女の配下たちが、機敏に動き始めたのも、要因の一つだ。どこかに《転移》したりメニューを開いて連絡を取ったり、森の中にわけ入って姿が見えなくなったりなど。

 

 ウソかホントか、まるで判断がつかない。不思議の国に転移させられてしまった気分だった。

 ただ一つ、頭に叩き込めと言われた《ミラージュスフィア》の情報は、このためだったのかと、理解が降ってきた。

 

 もしこれが、本当に、彼の『処刑』であったとする。

 約6分後には、彼が死ぬ事になるとする。彼女の言うとおり、墜落死することが『決定』しているとする。そして彼女たちは、彼を助ける気など毛頭ない。僕以外には誰も、助けの手を差し伸べられない……とする。

 

(だからといって、やるのか?)

 

 僕は、聖人君子でも超能力を持っているヒーローでもない。映画のような、特殊な訓練を受けたか、修羅場をくぐってきた軍人でもない。

 誰かを/好きな人達を助けようと頑張ったけど、助けられなかった。終いには自分の命すらも捨てようとした、どうしようもない腰抜けだ。起こった悲劇をただただ嘆くだけの、救いようもない弱者だ。

 だからこんな、致命的な未来の情報を教えるのには、全くもってふさわしくない人物だ。

 

(……どうして僕なんだ?)

 

 考えても仕方のないことだけど、考えざるを得なくなる。

 どうして僕に/ふさわしくない僕に、こんな不釣り合いなことをさせるのか? ……わからない。彼女が何を考えているのかわからない。

 何より僕に、そんなこと出来るわけがない。

 

(あんな奴のために、命なんてかけられない) 

 

 彼とホープが語った話は、事実だろう。……確証はないが、そうなんだと理解させられる。

 あの男が浮かべた醜い笑顔は、自虐的でも露悪的ですらなく、自慢げだった。その感情は、僕以外のこの場にいた全員に共有されていた。一般常識や倫理とはかけ離れたレベルの臭気。男はソレを嗅ぎ取ると、ソレを縁に安堵してまでいた。

 

 もし本当に、()()()()()を引き起こしたのだとしたら、僕は彼を許さないだろう。おそらくは誰もが、彼を許さないはずだ。

 僕にはほぼ、関係のない惨劇。ただ、彼がやったことを僕に/《月夜の黒猫団》にもやったとしたならばと考えると、生き残った《シルバーフラグス》の彼の気持ちは痛いほどわかる。……きっと、あの男が何処かで生きている限り、満足に眠ることすらできないことだろう。

 ただ、誠に残念なことではあるが、犠牲者の彼と僕とは赤の他人だ。同じ境遇、同じ中層域のギルド、仲も良かった。が……復讐に手を貸すには、いささかばかり足りない。他人の命がどれだけ重いかは、身にしみてわかっていることだから、安請け合いはできない。

 だから―――

 

(…………毒蛇同士、互いに食い合えばいい)

 

 僕が手をかけずとも、奴は死ぬ。奴の仲間が、奴を切り捨て殺す。……自業自得だ。

 僕が無理して敵をとってやる必要など、どこにもない。

 

(こんなの、やらないのが当然だ―――)

 

 そう思った、矢先だった。

 

 

 

「―――【キリト】なら、やるだろうな」

 

 

 

 ボソリと、つぶやかれただけだったが、僕の耳にははっきりと聞こえた。ソレが頭に響き渡る。

 

 先ほどの葛藤は、それで、すべて無に帰した―――

 

「……どうする? あと20秒だぞ」

 

 誘い込むように、急かしてきた。……僕がどう答えるかなど、熟知していながら。

 

 

 

 僕は―――俺は、黙って頷いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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長々とご視聴、ありがとうございました。

感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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中間層 参
魔剣探索


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 キィン―――。甲高い嫌な音色が鳴り響くと、金属が宙へとはじけ飛んだ。

 

「―――くッ!? またか」

 

 放物線を描いと飛ぶ欠片、思わず舌打ちした。……装備していた剣が、壊れてしまった。

 あと一歩だったのに、またダメか―――。早すぎる損壊。しかし今、悔しがる暇はない。

 敵が咆哮とともに追撃を放ってきた。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■ッ!」

 

 迫り来るは黒鉄の巨人、繰り出されるは赤鉄の巨拳。まともに目を向けられないほどの輝きと熱を放っているソレは、猛スピードで突っ込んでくる列車にも等しい圧力も迸らせている。

 防ぐことなどできない。それだけの筋力値もなければ頑丈な大盾も装備していない。そもそも、現在最上クラスであろう自分のレベルでできなければ、ステ極振りでもしなければできそうにない。

 なので、迷うことなく避けた。

 転がりながら回避すると寸前、先いた/殴られた場所が爆発、盛大に土煙と瓦礫が舞い上がった。

 

 しかし、これで終わりじゃない。追撃がまだ残っている。

 くるりと膝立ち/すぐさま向かい合うと、鋼鉄の巨人は勢いそのまま踏み込んできた。今度は大砲のようなストレートを発射してくる―――

 ソレは文字通り大砲だった。攻撃判定は振った拳だけでなく、そこから生まれた風圧も含まれる。バックステップの回避は意味がない。しかも当たれば、吹き飛ばしの上【転倒】にまでさせられてしまう。軽装のオレではまず踏ん張りきれない。

 なので、壊れた剣を投擲した。

 巨人の頭へ、目がある場所へと【投剣】―――

 ―――カンッ。小気味いい音がなると、拳大砲が僅かに逸れた。目測を失ったのか、ギリギリ脇へと打ち出された。

 

 敵ソードスキルの終わり/リキャストタイム。反撃のチャンスだが……逃げの選択。

 もう武器が壊れてしまった。正面切っての戦いではジリ貧だ。それに、ソロの自分では回復すらままならない。ここは逃げるしかない―――

 

 即座に踵返し逃げると、遅れて巨人も追いかけてきた。周囲の岩石やら鉱物やらの障害物をものともせず、まっすぐ追いかけてくる。

 動きは鈍重だが、一歩がオレの数倍。しかもどういう理屈か、索敵範囲まで広い。見えない物陰に隠れてもすぐに見つかる、物音を立てないように息を潜めても聞かれてしまう。なので逃げてもすぐに追いつかれる。そもそも、洞窟の中では比較的見晴らしの良い一本道のここでは、隠れる場所もない。

 それでも、先へ奥へと走った。武器が壊れてしまった時のための、次善策へ―――

 

 そして、駆け抜けていった先……目印を見つけた。うっすらと淡い光を放っている魔法陣。

 その手前で、ジャンプ、地面を踏まないよう奥へ着地した。

 すぐに振り返ると、残っているもう一本の剣を構えた、巨人を誘う。もう逃げられない/ここで決着を付けてやると、覚悟を決めたかのように。

 

「■■■■■■■■■■■■■■ッ!」

 

 意味は聞き取れなかったが、おそらく応とでも吠えたのだろう。あるいは、巨人であっても中身は獣でしかないのか……。

 どちらにしても、そのまま爆進してくる。体当たりしようと加速してきた、向ける体表に小さな渦巻きまで発生させている―――

 まともに受ければ大ダメージ必須、最悪死ぬかもしれない一撃。しかし―――ニヤリ。口元に笑みを浮かべた。

 なぜなら奴は、『罠』にかかったから―――

 

 ソードスキルの煌きをまといながら、ロケットのような爆進。一気にオレの間合いを踏み砕き、押しつぶさんと押し寄せる―――。

 しかし―――ガクン。いきなりその巨体が沈んだ。急に地面がなくなった。オレが先に踏まなかった場所を踏んづけたがために、魔法陣が発動。吸い込まれていく/飲み込まれていく=落ちていく―――

 【落とし穴】……。あらかじめソコに仕掛けておいた罠が、発動したのだ。

 巨人はそのまま、奈落の底へと落ちていった。どん底で待ち構えている、強酸の胃袋の中へと―――

 ドボぉん―――と落下、盛大な水しぶきを上げた。

 

 すぐさま立ち上がり抜け出そうとするも……、体の異変に気づいて立ち止まった。

 表面がドロドロに溶けている……。つるりと磨かれていたのに、醜くただれていく。段々と節々も動かなくなっていく。

 

「■■■■ッ!? ■■■■■ッ、■■■■■■ーーーッ!?」

 

 驚愕と恐怖、それにも増した怒りの咆哮。オレに向かって放ちながら、何とか抜け出そうともがく。穴から這い上がろうとした。

 しかし……その手は巨体を支えることはできず。それよりも先に関節が溶けて……切れた。

 

 再び落下。手だけを壁に残して。

 ドぼぉんと、再び全身に強酸を浴びると、今度はそのまま起き上がれず。グズグズと泡ぶくをあげながら溶けていった―――

 

 最後まで警戒。同時に、とあるハリウッドの有名SF映画の一場面を思い出した。強酸とマグマの違いはあるが、同じような光景だった。

 見えなくなってもまだ、剣を収めず緊張していると、強酸の海から淡い薄青色の光球が飛んできた。そのままオレの元へ飛び込み付着すると、取り込まれるように消えた。

 そして、経験値獲得の表示が浮かび上がった。

 

 ようやく倒したことが分かると、剣を鞘に収める。ホッと胸をなでおろす。

 落ち着くと、改めて今回の戦闘を振り返り……すこしガッカリ、ため息をこぼした。

 

「……また、こいつに頼っちまったな」

 

 【謀略の喰晶石】―――。任意の場所に落とし穴を設置することができる結晶アイテム。フィールドを一時的に書き換えることができる。

 罠の種類は様々。ただの深い穴から、幾本の竹槍が突き刺さっている古典的なもの、毒ガスが蔓延していたり、別のフィールドへそのまま強制転移させてしまったりなどなど。どんな種類かは、結晶の中に浮かんでいる文字で判別できる。日本語やアルファベッドではない特殊な/アインクラッド独自の言語だが、単純かつ種類のほとんどは把握されているのでわかる。

 本来は足止め程度、間違って自分や仲間が引っかかってしまう恐れもある。相性によっては大ダメージもあり、今回の強酸と鋼鉄ゴーレムはまさにバッチリの相性だった。嵌めることさえできれば、残り半分以上もHPが残っていようと強酸が溶かし切ってくれる。

 ただしこの強酸は、高ランクの【喰晶石】。店で買えば値が張るし、プレイヤーメイドでも手間賃と材料費込みでやはり値が張る。さきのゴーレムを倒すだけでは割に合わない。しかも、落とし穴で嵌めて倒すため、換金アイテムを獲得することができない/強制的に経験値が加算される。勝っても出費が痛すぎる苦肉の策だ。

 しかし―――

 

「はぁ……まだ3体目だぞ? こんなに減りが早いなんて……堪んないな」

 

 今の自分では、これを使わないと生き残れない……。ここはそれだけの強敵が跋扈している場所だった。

 

 

 

 60階層を過ぎたあたりから、急に通常モンスターの戦闘力が上がった。

 

 それまでのように、たっぷりとレベル差をつけて装備も整えるも、それでも足りない。徒党を組んで全力で向かい合ってやっとだ。通常モンスターがボスモンスター並に強い。なので、複数体現れたら逃げるしかない。……ソロプレイを貫いているオレは、何をかいわんや。

 ただし、パーティーを組んで役割分担して効率化を図るだけでは足りない。決定的に火力が足りない。何か特殊な保護膜にでも守れているかのようで、こちらの通常攻撃やソードスキルですら効果が薄い。【喰晶石】のような特殊兵器でなければ大ダメージを与えられない。またその影響か、特殊な/『呪い付き』のような加工がされていない武器だと、すぐに摩耗し壊れてしまう。補う何かがなければ太刀打ちできない。

 

 対策としてまず一つ目は、ふんだんな財力投入。

 オレがやったように、【喰晶石】などの武器以外の攻撃手段を使うこと。【投槍】による遠距離爆撃もその一つだ。武装に強化や追加効果があるエンチャントを施すこともありだが、これはほぼ武装そのものを守るために使われる。……なのでこれにより、ダメージディーラーは、敵のトドメを刺す花形から翻弄し足止めする脇役に落ちた。

 二つ目は、新たに見つかったエクストラスキル【車輪】を使うこと。

 投擲用の武器とされていたチャクラムやブーメランや鉄球から、【投剣】とは別の力を引き出すことができるソードスキル。微細な筋力の動きか磁力か魔力か、高速回転させることで攻撃力を生む。投げつければ【投槍】並みの破壊力、殴りつければ【両手斧】並みの突破力、大盾並みの防御力ももっている。しかし……あまりにも隙がでかい。回転エネルギーを貯めなければならず、発動に手間がかかる。早さが売り物のソードスキルなはずなのに、初動モーション以外の条件を課してくる。単品ではとても使えない代物だった。

 コレの真価は、パーティーを組んだ時に発揮される。エネルギーをほぼ際限なく集めて貯められる性質、かつソレを味方に伝導させられる。渡された相手は、通常の攻防力をはるかに上回る力を繰り出すことができる。60階層以降の敵とでもまともに戦うことができるほどに。

 この分担作業はさらに、【瞑想】にも新たな光をもたらした。

 心身を落ち着かせ整えるだけと思われていたスキル。戦闘には使えないし日常でもほとんど意味を成さない、はずれスキルだと……。しかし、【車輪】とペアで使うと全く違った。回転力が増大しすぐに規定値まで貯まる、仲間に渡す際に生じるエネルギーロスも限りなく0になる以上にプラスになる。戦闘中たった一人でも鎮座してくれたのなら、ここの敵ですら難なく倒せてしまう。

 いわば、【瞑想】は生成/発電【車輪】は加工/変電といったところ。パーティー戦はより緊密な協力が必要になってくる。しかし……ソロであるオレには使えない。

 なので三つ目、おそらくオレにしか使えない裏ワザ。新たなに舞い込んできたソードスキルを使うことだ。ただし―――

 

「あれもダメとなると、やっぱり……誰かに作ってもらうしかないか」

 

 途中で壊れてしまったもう一つの剣。今持っている業物/【エリュシデータ】とは比べ物にはならないが、それでも今の段階では一級品であることは間違いない。

 せめてコレと対等の奴じゃないと、話にもならないか……。残った漆黒の剣を見つめながら、相方になり得る剣を想像してみた。そもそも業物かつ長年愛用してきたために、『魔剣』となっていた愛剣。なんのエンチャントもせずとも、ここでの戦闘に耐えることができる力を持っている、まだ刃こぼれ一つすらしていない。

 作れそうな鍛冶屋をリストアップするも、あいにくのところオレの交遊録は……

 

「……ここで考えても仕方がないか。とりあえず―――」

 

 帰ろう……。今日はもうクタクタだ。体力のみならず財布の中身も、これ以上は割に合わなすぎる。ホームに戻って一休みする。

 

(……いや、今日はなかなかの日和なんだから、外でのんびり過ごすのもいいかもなぁ)

 

 世間では、迷宮区攻略で忙しいが、こんな日こそゴロゴロ昼寝するのも悪くない。……いろんな意味で優越感に浸れる。

 

 決まりだ。昼寝しよ―――。問題は先送り、まずは疲れを癒してから。

 洞窟から主街区へと転移した。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 街の小高い丘の中腹、日当たりがよくかつそよ風が吹いている。暑くもなく寒くもない抜群の心地よさ。さらに何より、人通りが少ない。街から少し離れた【半圏内】であるからだろう。やっと見つけたオレの憩い場所。

 今の時間はまだ、ここは【圏内】と同じでモンスターに襲われることはない。だけど一応は周囲を警戒、誰かきたらすぐに警告してくれるアイテムを設置。オレンジプレイヤー対策ではあるが、それ以上にこの素晴らしい一時を邪魔されたくない。

 

 環境を整えると、さっそく就寝。ゴロンと仰向けに緊張をほぐす。どんどん力を抜いていきながら、のどかにヒラヒラと飛び回っている蝶蝶を数える。ゆっくりゆっくりと目をつむり、微睡みへ落ちていこうとした―――

 

「―――ちょっと君、なんでそんなところで休んでるの?」

 

 寸前に、邪魔された。

 しかも、よく聞き知った声。誰かはすぐわかった。……今一番会いたくなかった相手。

 

「ねぇ聞いてるの、キリト君?」

 

 なので、だんまり/タヌキ寝入り。本当は眠ってしまいたいものの、あの叱り声で完全に眠気は吹き飛んでしまった。

 恨みがましさがでないように、スヤスヤとわざとらしくない程度の寝息をたてた。

 

「何よ、もう眠ちゃったの……。それじゃ仕方がない、いえ好都合ね! 

 一度やってみたかったんだ。この、油性マジックペンで額に『肉』と書くの―――」

「すいません! 起きてました副団長殿」

 

 やられる前に白状した。

 飛び起きてみると実際、彼女の手にはマジックペンらしきものがあった。

 本当にやるつもりだったのかよ……。恨みがましそうに睨む、どこ吹く風とニコリ。そしてすぐに、お叱りモードへ。

 

「……それで、何でこんなところで油売ってるのよ?」

「昼寝だよ昼寝。休んでるだけさ」

 

 攻略組最強ギルド【血盟騎士団】副団長、『閃光のアスナ』。

 その二つ名の通り、繰り出す細剣は閃光に等しく冴え渡っている。さらに、ネットゲームにはあるまじき異端児、NPCではなく生身の美人。栗色のストレートの長髪も相まって、常に後光のようなオーラをまとっている……気がしなくもない。

 【聖騎士連合】のアリス副長とは別種の、現実世界だったら決してお近づきになれなかった高嶺の花。こうやってお声をかけて下さるだけでも光栄だが、叱られるなどもっての外だがなんのその、色気より眠気だ。

 

「休んでるだけ? それにしては……結構長いんじゃないの?」

「まだまださ。お日様はまだあんなところにいるじゃないか。夕暮れまでは時間があるぞ」

 

 頭上からポカポカ陽気を降り注いでくれる太陽、オレにこの世に二つとない寝床を用意してくれたありがたい存在を示しながら、わかりやすくあくびを加えて答えた。

 

「もしかしてだけど、今日一日休むつもりじゃ……ないでしょうね?」

「ああ、そのまさかだ。

 こんないい日和はめったにないからな。薄暗い迷宮区にいるよりも、ここにいた方が気持ちいい」

 

 むにゃむにゃと、喋ってるうちから目がトロ~んとしてきた。……そう言えばここ最近、まともに昼寝できていなかった。

 そんなオレの態度に副団長殿は、ワナワナと震えていた。

 皆頑張ってるていうのに、あなたという人は……。今にも怒りが噴火しそう。面倒になる前に尋ね返した。

 

「お前のほうこそ、何だってこんなところにいるんだ?」

「……私は、補給に寄っただけよ。武器の耐久度も危ないから、修理してもらうと思って」

 

 ギリギリ冷静さを保たせながら、律儀にも答えてくれた。腰元に穿いている白銀の細剣を見せながら。

 【ランベントライト】―――。アスナが主武装として使っている細剣。オレの愛剣と同じように魔剣となっている武器。60層以降のモンスター相手であっても、刃こぼれ一つしない大業物だ。たぶんこの世界には二つとないはず。……その清楚な色合いやら神秘的な装飾やら何より使い手の気高さから、魔剣というよりも『聖剣』と言ったほうがいいかもしれない。

 他とは違う特殊な武器ゆえに、修理するのにも手間がかかる。法外な値段を吹っかけられるし、【鍛冶】を高レベルに鍛えていなければ扱うことすらできない。そもそもなぜか、NPC鍛冶屋のほとんどは魔剣を忌避する。彼女のような聖剣だろうと同じだ。

 

「ソレ、結構な業物だろ? NPCじゃ無理だよな。ちゃんと修理できる鍛冶屋なんているのか?」

「ええ。修理どころか、コレを作った人だもん」

 

 なんと、プレイヤーメイドだったのか……。作れたとなればかなりの凄腕だ。もう【鍛冶】をマスターしたのかもしれない。

 だったら、懸念事項が解消できるかもしれない。

 

「……なぁ、よかったらでいいんだけど、その鍛冶屋教えてくれないか?」

「いいけど……キリト君のソレ、まだ修理は必要じゃないよね? 強化か変性でもするの?」

「いや、もう一本……スペアが欲しくて。コレと同性能ぐらいの剣が欲しいんだ」

「ふぅん、スペアねぇ……」

 

 何かを疑るような視線を向けられるも、素知らぬ顔で笑うのみ。

 あのスキルのことは、教えるべきじゃない……。彼女のことを信頼していないわけではないが、超有名人だ。何がきっかけで漏れるとも限らない。後ろめたい気持ちはあるも、黙るしかなかった。

 

「確かに、あるに越したことはないけど……誰かとパーティー組んで戦えば、必要ないんじゃない?」

 

 何かを匂わせるように、尋ねてきた。

 その含意を察し、思わず顔を固くしそうになるも、なんとか表さずに答えた。

 

「……時々は、組んでやってるよ。

 別にもうソロにこだわってるわけじゃないし、オレのこと気にしない奴もいる。何より、今じゃそんな余裕も……ないしな」

「そんなこと言っておきながら、未だにソロで凌いでみせてるんだから……なんだかねぇ」

「フリだけさ。結構いっぱいいっぱいで色々とカツカツだよ。みんなについて行くのがやっとさ」

「だったら……ギルドに入るとかは、考えてないの?」

 

 もっと直接に踏み込んできた。

 逃れられそうにないのを悟るも、踏みとどまってかわした。

 

「……団体行動は苦手なんだ。一人の方が、危険ではあるけど気楽でいい」

「それでも……死んじゃったら、元も子もないよ?」

 

 心配そうに、事実心配してくれての提案。そして……全くの正論だ。

 もうソロプレイなど、やっている場合ではない。生き延びこれからも戦っていくのなら、誰かとパーティーを組むしかない。ギルドに加入するしかない。ソロプレイではもう、危険どころか足でまといになる。

 だから、もう答えられない。かと言って無碍に断ることもできずにいると、彼女の方から手を差し伸べてきた。

 

「……キリト君、もしよかったら―――」

「その鍛冶屋の名前、教えてくれないか? ついでに住所も」

 

 最後まで言わせず、笑顔で話をそらした。

 そんなオレの態度にアスナは、何か言い返してやろうとするも……やめた。

 少し悲しそうな怒っているような、複雑な顔を浮かべながらも飲み込むと、打って変わって明るく答えた。

 

「案内するよ。私も彼女に用事があるし、一緒に行こう!」

「いや、それは……ありがたいけど、遠慮しておくよ。情報だけ教えてくれれば、あとは自分で探す」

「……私も、気にしないけど? 別にそのぐらいどうってことないよ」

 

 また顔を沈ませてしまった……。さすがにオロオロと慌てた。誤解をほどかないと、そうじゃないんだと言ってやらないと―――

 

「ま……まだ、昼寝したいんだよ。ていうかコレからだったんだよ、誰かさんに邪魔されなかったら!」

「むぅ……。別に、邪魔してはいなかったよ。ただちょっと、イタズラしようとしただけ」

 

 今度はムッと頬を膨らまされた。

 言い分ははんばごもっともなので、言い返さず。ただソレで調子は戻った。ので、続けて誤魔化した。

 

「それに何よりだ、お前がオレと、いやオレじゃなくても男と一緒に歩いているのを見られたら……困るだろ?」

「? ……別に困らないけど? ギルドの人とは時々一緒に歩くよ」

「ギルドのメンバーは、まぁ……大丈夫だろうな。それに、一緒に歩くっていっても護衛みたいなものだろ? 全然意味が違う!

 オレの言いたいことは、そのぉ……何だ。アレだよアレ!」

「アレって?」

「そ、それは、そのぉ……男女のペアが一緒に歩いていると、だな。周りからは―――」

 

 恥ずかしそうに言いかけると、アスナを見た。

 純真そうな顔からニヤニヤと、笑いをこらえているような本性が垣間見えた。

 

「…………もしかしてだけど、からかってるの? わかってて言ってるだろう」

「え? そんなことはない、かなぁ~……♪」

 

 有罪確定。純朴な男の子の気持ちを弄びやがって……。フンと、そっぽを向いてやった。

 逆にアスナは、拗ねたオレを見ながらクスクスと笑みをこぼした。

 

「わかった。

 私も、その手の噂は色々と面倒だし、ギルドの人たちにも迷惑がかかっちゃうかも知れないしね。教えてあげる」

 

 あっさりそう言うと、本当に教えてくれた。

 もっと面倒な交渉ごとに備えてはいたのに、拍子抜け。なので、ただ純粋な善意に、恥ずかしそうにも感謝した。 

 

「あ、ありがとう……」

「どういたしまして。

 ただ、その代わり! もっと気合入れて攻略に励んでね」

 

 昼寝なんてせずに……。そこだけは譲らず、お姉さん風を吹かせてきた。……実際、オレよりも歳上なのかもしれない。

 そんな態度がしゃくにさわったわけではないが、むしろ好ましく微笑が浮かびそうになるも、気恥ずかしく感じた。ので、ソレを隠すように肩をすくめたながら言い返した。

 

「失敬な。オレはいつだって全力投球だよ。誰かさんを別にすれば頑張ってる方だ」

「……ソレ、私のレベル下げてるの?」

「できればそうしたいよ。こっちはついて行くのがやっとだ」

 

 軽口として愚痴をこぼすと、明るかったアスナが急に俯いた。

 急展開にオロオロさせられると、

 

「…………私、みんなに無理……させてるのかな?」

 

 小さくボソリと、弱音をこぼしてきた。

 そして、縋るような瞳を向けてまできた。それまで光り輝いていた『閃光』が、儚く今にもきえゆきそうな灯火に―――

 その顔に一瞬、言葉を失った。先の軽口を盛大に後悔した。あんなこと、冗談でも彼女に言うべきじゃなかった……。

 

「……た、たまには、息抜きも必要じゃないかな……とは、思うんだけどな」

 

 目を泳がせながらオドオドと出てきたのは、ヘタレな発言だった。出してさらに後悔した。

 これじゃ、ガッカリされたかもしれないな……。彼女の顔を見れず。ならばもう一度と、先の発言を塗りつぶす勢いでパチンッと、手を叩いて答えた。

 

「わかった! この情報の駄賃だ。今度何かメシでも奢るよ」

「え、ホント!

 それじゃ、57層に美味しいレストランがあるの。今度そこに行きましょう♪」

 

 ルンルンと声にまで出しそうな勢いで、約束が成立されてしまった。

 先までの悲しそうな顔がそこには、全くなかった。影も形もない。いつもの通り、いつも以上に女の子しているアスナがいた。

 あまりの変わり身に、あるいはそもそもの策略か、唖然とさせられる。大きく深く、ため息をこぼした。

 

「……食べ過ぎは太る元だからな」

「安心してよ、ちょっと豪華なパフェだけだから」

 

 それじゃね―――。そう言うとさっさと、帰ってしまった。

 

 

 

 再び一人に、午後の素晴らしい昼寝時間を取り戻すも……完全に眠気は飛ばされていた。

 

「―――はぁ……。これじゃ寝られんよ」

 

 エギルでも、からかいに行くか……。ついでに、あのまずいコーヒーでも飲もう。目を覚ますにはピッタリだ。

 よっと立ち上がると、転移門へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

 今作における『魔剣』は、原作のものとは違って『性能の優れたドロップ品』以外の意味合いがあります。ご注意を。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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63階層/アルゲート 商人

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 50階フロアの主街区【アルゲート】、オレのホームがあるフロアでもある。

 中華風の雑多な街並み。転移門へ通じる大通りからはずれ小道へと、入り組んだ路地裏へと進んだ。

 道行の大半は、ゴミゴミとした/危険な香りがする裏路地や貧民窟へと通じている。中には、新たに発見された地下街/歓楽街【アリゲート】へとも通じている。全域が安全な【圏内】である一般の主街区とは違って、所々【半圏内】が発生している。大通りから離れれば離れるほど危険な街。

 

 そんな小道の中でも、大通り並みに整いかつ清潔感ある道行きの中途に、エギルの店があった。

 【ダイシーカフェ】―――。木造のクラシックな二階建ての店構え。大人な雰囲気があるカフェといった風情で、前を通るだけでコーヒーの香りが漂ってきそう、実際いい匂いに誘われる。夜はそのままで酒場に、隠れた名店とでも言われそうな作りだ。そのくせ、【アルゲート】の街の空気にも溶け込んでいるという離れ技もやってのけている。……悔しいがセンスてんこ盛りだ。

 そんな店の中へ入る直前/観音開きの扉の片方に手をかけると、話し声が聞こえてきた。

 

「―――いやいや、そんな値段じゃ割に合わねぇよ!」

 

 男の戸惑った声。周りにも同じような焦る息遣いが聞こえた。エギルのモノではないので、たぶん客だろう。

 そぉっと少しだけ/扉の上部についている鈴が鳴らないように開けて、中を覗いてみた―――

 やはり、客と難しい値段交渉しているエギルの姿が見えた。

 

「これ集めるために、どれだけ苦労したと思ってんだよ!」

「おおよそはわかってるつもりだが、こっちも商売なんだ。悪いが、お前さん達の苦労話には一コルの値打ちもつかねぇんだわ」

 

 突っかかる客達にも、腕を組んだまま一歩も引かないエギル。その禿頭の巨漢/日本人とは明らかに違う悪相/凄みまである重低音から言われると、思わずたじろいでしまう。彼らも今まで、敵意に満ちた巨獣や化物と戦ってきたプレイヤーだろうが、異質の風格がある。

 たじろいだものの譲りきれず、怯えに揺れながらも睨み続ける客達。このまま平行線かと思いきや、エギルから譲歩してきた。

 

「……とは言うものの、あんたらはお得意さんだ。あんたらが頑張ってるから俺も商売ができるしな。このぐらいは譲歩してやろう―――」

 

 すると、自分から買値を上げてみせた。

 その価格に客達も心動かされた。これならいいかも、と。先までのはぼったくりだったがコレならまともな値段だろう、と。これ以上奴から譲歩はひきだせないだろう、とも。千載一遇のチャンス。

 ただ……オレは知っている。ソレがエギルの戦術だったと、元々その値で買い取るつもりだったと、『サービス』をつけたのだと/器のデカい店主だと錯覚させた。……なんともあくどい商法だ。

 客達も無意識にかおかしさに気づいたのだろう、迷っていた。だが、どうすべきか内々で悩んでいる/冷静になろうとすると、最後のダメ出しがきた。

 

「―――皆さんの頑張りは、わてらもよぉわかっております。ほんにいつも、ありがたいと思おております」

 

 エギルの横手/斜め後ろ辺りから奥ゆかしそうに、黒髪の着物美人が進み出てきた。今までずっと静かにエギルの傍で佇んでいたが、膠着状態になったこのベストな間を縫ってきた。

 客たちが、エギルに対するのとは違った動揺を見せていると続けて、

 

「ですが……ここのところ不況でしてなぁ、【軍】からの徴税も厳しい。わてらも少し……困っておるのです」

 

 困った表情を浮かべながら、小さく頭まで下げてきた。どうか、コレでよしなにお願いします。わてらは、皆さんにおすがりするしかないのです……。

 憂いと頑張りをミックスさせた美女からのお願いに、答えられない男はいない。

 客たちの迷いは一斉に晴れた。商談はソレで決まった。

 トレード完了のウインドウ。どちらも全くの合意のもとの快諾、何の後腐れもない。着物美女の顔もほんのりと明るくなった。

 

「―――ほんに、ほんにありがとうございました!

 よろしければ、こちらの小料理屋にもよばれてくださいな。コレを見せてくださいましたら、格安でおだししますさかい」

 

 そう言うと、客たちに一人ずつ、手のひらサイズのカードを手渡していった。入口からではよく見えないが、名刺か招待状のようなものだろう。メッセージを使えばすぐで手間もかからないのに、わざわざ専用のチラシを作るのは珍しい。

 ほんとですか。それじゃぜひ―――。丁寧な対応に/美女からの心のこもったおもてなしに客達はホクホク顔。……料理屋の常連がまた追加された。

 客たちは得した気分のまま、心地よく店を後にした。

 

 

 

 そんな彼らを見送りながら、入れ替わるように店の中へ入った。

 

「お、いらっしゃ―――て、なんだキリトか」

「おすッ! 邪魔するぞエギル。フジノさんも久しぶり」

「ほんにお久しぶりですね、キリトはん」

 

 はんなりと、微笑みを向けながら挨拶してくれた。彼女だけ/いるだけで周りも時間の流れが緩くなるような、純日本製の美人若女将。どこか憂いを秘めた微笑みと目元にうっすらとある泣きぼくろが、男たちのささくれだった心をなごませてくれる。

 フジノさん―――。同じ商人ギルドに所属している、エギルの相棒。オレよりも少し上だけだと思われるが、その独特な奥ゆかしい雰囲気と人格ゆえに自然と『さん』づけしている。他の男たちも大体そうしているが、大半は彼女に好意を持ってもらおうとしてのことだろう。オレはそうではないが……必ずしも。

 時々こうやって店を手伝うこともあるが、いつもはレストランを/彼女と店のコンセプトから料亭を営んでいる。高級感と大人な雰囲気が漂っているので、一見さんでは入りづらい店だが、かなり繁盛している。彼女がNPC店員たちに仕込んだ特製のおもてなしが、プレイヤーのみならず自律型NPCたちにも受けた。ちょっと無理をしてでも行く人が続出。このエギルの店の何十倍も稼いでいる。

 

「今日もサボりかキリト? そんな調子だとそろそろ、あの麗しき閃光殿の叱責が飛んでくるんじゃないのか?」

「もう来たよ……。昼寝の邪魔された。何でかメシまでおごらされることになった」

「なんと! 彼女と食事を共にするとな……?」

「それで目覚ましに、お前のまずいコーヒーでも飲みに来ようかと思ったけど……フジノさんがいるのなら特製の薬湯が飲めるな。一杯ください」

 

 はい、ただいま―――。オレの注文にニコリと、カウンターの奥へドリンクを作りにいった。

 その甲斐甲斐しい後ろ姿を見送りながら、改めて正面の巨漢へと向き直りつぶやいた。

 

「……ほんと美女と野獣、ていうか、ごうつくばりの越後屋と借金のカタに仕方なく結婚した元武家の妻って感じだよな、お前ら」

「なんだ、その悪意に満ちた例えは」

「これでも手心は加えてるぞ。オレ以外の奴らだったら、もっとひどい例えだったはずだ」

「……だろうな。俺も否定はできんな。

 彼女のおかげでこの店もやっていけてる。客もそこそこ入って品の入荷も楽になった、他にも色々と助かってるしな……」

 

 尻すぼみにそう言うと、心なしかシュンと沈んでもきた。

 軽口の応酬を期待していたのに、そんな弱った態度を見せられるとは……。少し動じるものの、悩みの病根には心当たりがあった。

 ちらりと、エギルの手に/薬指に目を向けてみた―――

 

「……なんだ、まだ【結婚】してなかったのか?」

 

 あっさり告げると、エギルがブーーーッ!! とむせた。

 ゴホゴホ咳き込んでいると、フジノさんが何事かと顔を向けてきた。「なんでもない」と手で合図し事なきを得ると、そっと彼女には聞こえないように、顔を近づけながら睨んできた。

 

「…………前にも言ったぞ。信じてもないかもしれねぇが、俺は既婚者だ。現実世界で嫁が待ってるんだよ」

 

 ここで結婚なんてしたら、彼女を裏切ることになる。不倫なんて許されねぇ……。おそらく、赤バンダナをした侍にとっては「爆死しろ」との助言しかない、贅沢すぎる悩みだろう。しかし本人は大真面目、かつ真剣にまいっていた。二人の認識は交わることがない。

 オレはというと、妄想は大概にしてくれと呆れてる、しつこすぎてうんざりし始めていた。ソレを口に出さず「はいはい」と流す程度には対人スキルは向上している。とは言うものの、そんな愚にもつかない言い訳をするなんてと腹を立てていた。オレも他人のことをとやかく言える男ではないが、さすがに情けないと思う、その立派なガタイが泣くぞとも。……幸せになれる/誰かにできる奴は、幸せを掴んだ/与えてあげた方がいい。

 なので、もう一歩だけ踏み込んだ。

 

「もしも、万が一にもそうだったとしても……リアルとここでは、話が違うんじゃないのか? 【結婚】するだけでかなり違うだろ。これから商売続けていくにしても攻略でも何にしても、お互い結構楽になるはずだ、楽させてやれるんじゃないのか」

「それはそうだが……そういう問題じゃねぇんだよ」

「これだけお前に尽くしてくれてるのに、そんなこともできないっていうのは……どうなんだ? 逆にさ、帰ったらガッカリされるんじゃないのか、お前の奥さんとやらに」

 

 おそらく空想嫁だが、ゆえにオレでもわかることだ。

 本当に愛し合って結婚していたのなら、浮気や不倫なんてない。例え傍目からはそのように見えたとしても、心は揺らがない/ソレとコレとは別。金銭関係があろうが肉体関係ですら、気にする必要がないのだ、回り回って最後は自分の元に帰ってくる/総取りできるから。むしろ、株を上げたと嬉しがってくれるはず。

 熱弁を迸らせようと口を開くと、話題のフジノさんが来たのでとじた。

 

「どうぞ、少し蒸らしてからお飲みくださいな」

「はい、いただきいます」

 

 香り立つオシャレなポットとカップを、ありがたく受け取った、先までの話題なんてなかったと笑顔で答えながら。……さすがに、本人の前でする話じゃない。

 エギルがコホンと一つ咳を打つと、今度はオレの話題へと変えた。

 

「人様の事情に口出す前にだ、お前の方こそどうなんだ? いつまでもソロ気取ってる場合じゃないだろ。……例のアレ、上手くいきそうなのか?」

「あ! そうだった。

 そのことで聞きたいことがあるんだけど、お前―――【リズベット】てプレイヤーの鍛冶屋、聞いたことあるか?」

 

 ここに来た理由の一つ、麗しき閃光殿の情報の確認。

 エギルはリストだか備忘録を確認することなく、すぐに答えた。

 

「あるぜ。ちょうどお前と同い年ぐらいの、可愛い女の子だ。48階層の【リンダース】に自前の店を構えてる。どこのギルドにも所属してないし、専属契約をむすんでるわけでもないが、腕はマスタークラスって噂だ」

「へぇ、女でしかも『マスタースミス』か……」

「私も、その子のことなら知ってます。この小太刀も―――彼女に仕立ててもらいました」

 

 そう言うと、腰に差していた懐刀を見せてくれた。

 白を基調として、紫と銀の蔦模様が施されている小太刀の鞘と柄。さすがにここで刃を抜いてもらうわけではないので、【鑑定】を発動させて調べた。エギルたち商人のようにマスタークラスの目利きではないが、【偽造】が施されたり呪いがついていなければ把握できるレベルには達している。

 

「……いい武器ですね。腕前は本物みたいだ」

「ええ、ほんに。……キリトはんのソレには負けますけど」

「ビーターの命を預かって守り抜いてきた相棒だからな。例えフジノさんであろうとも、負けられちゃ困るよ」

 

 苦笑しながら、背中の愛剣に意識を向けて言った。

 口に出して初めて、武装解除し忘れたことに焦った。【アルゲート】には所々物騒なエリアが存在するため、圏内であろうとも完全に武装解除することがない。いつもするのはホームに戻ってからだ。でも、この店の中だって安全は確保されているはずだ。エギルだけの時の感覚でついつい、無作法をしてしまった。

 すぐに取り払おうかと思ったが……やめた。今更しょうがいない。彼女も一応用心しているのなら、構わないだろう。

 

「負け惜しみじゃありませんが、もう少しいい鉱石を使っていったのなら『魔剣』レベルに達したものが作れた……と、本人は悔しがってましたよ」

「どのくらいのレベルのモノ使ったんだ?」

「【玉鋼・★5】です」

「……最高級じゃん」

 

 現状における最高級インゴット。種類は他にも色々とあるが、【★5】が最高級品であることを表してる。加えて、メニュー画面の説明文の表記から、ソレ以上の品は存在しないように見える。なので、作れる武装も頭打ち、鍛冶屋の腕と運に作用されるだけ。

 しかし―――

 

「噂じゃ、59階層の雪山エリアに住んでるクリスタルゴーレムがドロップする、らしいぞ。今までにない【★6】のインゴットをな」

 

 【★6】/表記上ではありえないインゴットが、あるとされている。

 

「ソレ、オレも聞いたことはあるけど……誰もゲットしたことないんだろ? どれだけ狩ってもドロップしない、よくて【霊鋼・★5】だ。……【★6】なんて代物は、麓の村にいるNPCの一人が言ってるだけの戯言だった、てさ」

「まぁな。その老人は、周りから頭がおかしくなったとかボケたとか言われてるし、プレイヤーを嵌めるためのフェイクじゃないか、て話だったな」

「……違うのか?」

「いいや、わからん。

 ただ、『59』というのが引っかかってな。60層以降に備えるために用意されているんじゃないか……とな」

 

 信じる信じないは、お前次第だ……。何の証拠もない思わせぶりながらも、興味をそそらざるを得ない仮説だ。

 ただ、信じたいが信じ切れるほど、この世界は夢と希望に満ちてはいない。

 

「まぁ何にせよ、マスタースミスであろうともだ。ソレ並、魔剣レベルの武器を作るためには、いい鉱石もそろえなきゃならん、できれば【★6】をな。……閃光殿のような幸運が、お前さんにあれば違うがな」

 

 見込み薄だな……。互いに肩をすくめた。悪運なら誰にも負けないんだがな。

 

 魔剣制作―――。その条件は未だ定かではないが、少なくとも【★5】以下のインゴットを使ってや、未熟な腕の鍛冶屋では作り出せないことはわかっている。ただ用意できたとしても、作り出せるか否かは運以外にありえない。幸運値を上げまくっても、できない時はできない、作れた魔剣は今まで確認されている中でも数振りしかない。

 なので、オレも含めた攻略組の大半は、ソレ以外の方法で魔剣を獲得している。

 一つ目は、ドロップ品。ボス級モンスターが極低確率で落とすアイテム、オレの愛剣もドロップ品だ。他にも何人か見かけてはいるが、数は限られている貴重品だ。

 二つ目は、呪い憑き。モンスターを大量に狩りまくることで、発生する現象。付加されたらその時点で武器は魔剣に変わる。ただ、大量の度合いは半端じゃなく、一度二度破損する程度では付加されない。格下のモンスターを狩り続けてもできない。破損した状態/あえて弱い武器で倒し続けると付加されやすいとは言われているが、このデス・ゲームで真似できる度胸のある奴は少ない。ただコレも、やはり希少品。

 最後の三つ目は……あまりオススメできない。犯罪行為に近しい制作法、プレイヤーの命をくべることで作り出す。

 PKをすると、その武器は高確率で魔剣に変質する。また、プレイヤーを刈ったモンスターを倒すのも同じく。この世界では貴重品であるプレイヤーの命ゆえに、魔剣を生み出すに足る素材となる。……かの神父様/あの麗しき閃光殿の兄上が使っている槍は、図らずもコレに似た方法で生み出された邪槍だ。

 ゆえに、【★6】のインゴットは希望になる。ただでさえ少ない攻略組が、武器ゆえに脱落していく現状を止める手立てになる。一縷の望みとはいえ、賭けれる可能性にはかけざるを得ない。……オレ自身もこれから先、戦い続けるために。

 

 暗い現状にため息をつきそうになると、フジノさんが入れてくれた薬湯に口をつけた。ぐびりと、ため息ごと飲み込む。

 口の中に、ほんのりと甘やかな香りが立ち込めた。喉をすぅーと通り抜ける、腹に溜まっていた凝りのようなものも洗い流される気分、落ち着く……。心地よくなっていると、HPバーにリジェネ効果が付加されたのがみえた。

 まったりと、薬湯を味わい続ける。閃光殿に邪魔された穏やかな午後の時間が、またやってきてくれたかのようで心地よい。何だかとても贅沢な時間だ、このままここで一眠りしてもいいかもしれない……。

 

 

 

 気分良く午睡にひたっていると、カランカランと鈴の音。また客が店に入ってきた。

 

「おっと、今度はまともな客だ。―――いらっしゃい!」

 

 入ってきのは、前の客とは一段違う凄味を持ったプレイヤーたち。前線で時々見かけたことのある、攻略組の一員たちだ。

 カウンターまで来ると、オレをチラリと一瞥。いつも通り不穏でトゲのある視線を投げかけるも無視、店主/エギルと向かい合った。

 メニューを展開し、ストレージから売り物を取り出した。ごとりと、カウンターに置く。

 

「……こいつを引き取ってくれ」

「壊れもんか。どれどれ―――」

 

 出されたアイテムは、破損した武器。折れたり刃が削れたり歪んだりしている武器たち。

 無骨で機能重視のデザインながら、秘めてる能力値はかなり高いものだとわかった。エギルも見ている傍ら/客たちにも気づかれぬよう【鑑定】を発動して確かめてみるも、業物だと。もしも彼らが金に困っているとしても、売り払ってしまう代物ではなかった。

 なので、柄でもないがついつい口を出してしまった。

 

「コレ、結構いい武器じゃないか。壊れたからって売るのは、もったいなくないか?」

 

 修理に出してまた使ったほうがいい。お払い箱にするには、まだまだ現役の性能をもっている……。エギルが余計なことをと睨んできたが、見て見ぬふりをしてやるにはあまりにも勿体なさすぎる。知らなかったらなおさらだ。

 しかし客たちは、意を返さず。フンと、小馬鹿にするか自嘲するかのような鼻息を鳴らして、愚痴ってきた。

 

「……前線で使えないんじゃ意味がない。売って金に変えるか、溶かしてインゴットに変えるかしか使えない。あんたのソレとは違ってな」

 

 鋭くそう言われると、敵意めいた視線まで向けられた。

 込められていたのは、嫉妬めいた感情だろうか。オレの背にこの愛剣が収まっているのが、どうにも癪に障るらしい。ただソレだけの違い/自分の能力とは関係な部分で、分けられてしまう格差。60階層以降、魔剣持ちとそうでない者たちとでは明確な差ができてしまった。

 ぐずられても必要なもの、しかし身勝手ながらも、ビーターである以上甘んじて受け止めねばならない世知辛さ。もう随分と慣れてきたので、未だそんな感情を向けられる彼らを逆に尊敬してしまう有様。ただ、現状のような過渡期では仕方がないこととはいえる。

 

 黙ったまま/無視してずずずと、薬湯をすすった。飲みながら「オレも大人になったなぁ」と、一人感慨にふける。

 不満の空振りに客たちは、さらに何か罵倒しようかと口を開きかけると、エギルが大げさに割って入ってきた。

 

「残念ながら、そのとおぉり! 前線は厳しい限りだ、今じゃ武器がパキパキ折れちまう財布泣かせの場所。だからうちは、そんな可哀想な壊れ物たちを高く買い取ってきてる、相場よりもどこの店よりもな。……お客さん、あんたらはラッキーだよ」

 

 ここを選ぶなんて、おめが高いねぇ……。あからさまんおべんちゃらに、客たちの憤懣は尻すぼみになってしまった。またフンと一つ、後ろ足で砂でもかけるようにそっぽを向かれた。

 エギルも営業スマイルで、交渉に入った。前の客とは違う低姿勢で、揉み手でもしそうな勢い。傍からみても、できるだけ安く買い叩こうという魂胆が見え見えだった。

 

 

 

 仕事の邪魔にならないよう、再び剣呑な空気に晒されないよう/逃れるようにそっと、席から離れた。……もうここも、憩い場じゃなくなってしまった。

 そのまま店からも出ようとした寸前、呼び止められた。

 

「ちょいとお待ちを、キリトはん。

 よろしければコレを、お使いください―――」

 

 駆け寄ってきたフジノさんが手渡してくれたのは、手のひらサイズのポーション。通常の試験管ビーカーめいたガラス瓶ではなく、漆のような塗と細工が施された竹筒、一風変わった/古風な水筒だった。

 

「自作のポーションです。わての【畑】で育てましたハープを煎じて作ったものです。一時的ですが、幸運値をかなり上がられる代物です」

「……いいんですか、そんなもの貰って?」

「お収めくださいな。レアアイテムなわけではありませんですし、使いどころに難儀してストレージに入れっぱなしにしていたものですさかい。キリトはんみたいな―――前線で頑張ってくださってる攻略組の方に使っていただくのが、一番いいことです」

 

 最後の言葉は、それとなく周りも/客たちのことも意識していたのか、エギルと交渉しているリーダー以外のメンバーがピクリと反応したのが見えた。同時に、先とは別の嫉妬も向けられたような気がした。

 コレを狙ってやられたのなら少し……怖い。彼女に対する考えを改めないといけなくなる。

 あえて気にしないように、快く受け取った。

 

「それじゃありがたく。使わせてもらいます」

「おおきに。よい巡り合わせがありますように。

 あ、それとキリトはん―――」

 

 今度は、周りには聞かれなように近づいてきて、声をそばだてながら耳打ちしてきた。

 

「わてがここに居させてもろうておるのは、変な虫がエギルはんにつかんようにするためですさかい。なにか間違いが起きんように、ね。ですから……わてが勝手に押しかけてきたようなものですよ」

 

 誤解してくれてありがとう……。そう含ませるとニコリと、奥ゆかしそうな微笑みを向けてきた。

 聞かれてしまったことに苦笑。ソレを隠すように尋ねた。

 

「それって……信じてる、てことですか? エギルがその……なんて?」

「あれま、見てわかりまへんでしたか?」

「……はずかしながら」

「そうですか……。

 簡単に言うと、『女の影』いうもんが見えるから、ですね。プレイヤーさんのほとんどは薄いか無いですし、エギルはんみたいなご年齢の外国風の方で日本語が達者ですと、ご結婚されている以外ありえへんでしょ? ご本人がそう言うてるのなら間違いありまへんな」

 

 女の影が何かはわからないが、言われてみると確かにそんな気がしてきた……。もし彼女の言う通りなら、オレはかなりひどい勘違いをしていたことになる。知らずにエギルの人品骨柄を低く見積もっていた。今更ながら不安になってきた……。

 

「キリトはんも気をつけや。あんさん狙ってる子、ぎょーさんおりますさかいな」

「……まさか。こんな疫病神にお近づきになりたい奴なんて、ありえないですよ」

「無理を通したい想うのが、恋の病ですさかい。……雨に濡れた可哀想な仔犬ちゃんなら、なおさらですね」

 

 オレは仔犬か……。意外と手厳しい評価。はんなり猛毒をぶち込んでくる、彼女らしいスタイルではあるが、苦笑せざるをえない。

 

 

 

 店を出ると一路、鍛冶屋の元へ向かった。

 魔剣を作ってもらえるかどうかはわからないが、行くだけでもいってみるしかない。なにせ一度、魔剣を作った実績があるのだから、見込みは充分にある。

 

 

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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63階層/リンダース 鍛冶屋

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 48階層の転移門から進んだ先、主街区を抜け圏外へ。

 気持ちの良いそよ風が頬を撫でる、なだらかにうねる草原。小川の清流がキラキラと陽の光で輝く、その流れ着く先/主街区のさらに後ろ手には青々とした湖があった。

 長閑なフロアだ。オレは逆方向の小高い丘へ、小川に沿いながら登っていく―――

 

 しばらく歩いていくと、目的の水車小屋を見つけた。

 

「―――ここか?」

 

 教えてもらった座標だ。メニューを開き、送ってもらった写真と照らし合わせるも……確かにここだ。

 鍛冶屋のイメージからかなり、離れていた建物だった。

 もっと山奥に/人里離れた森の中に、でっかい竈を据えた古びた家屋だと思っていた。48階層に来た時点で何かおかしいとは思ってはいたが、現物をみせられるとやはり驚かされる。レンガ造りの西洋風の建物、横手には水車がゆっくりと回っている。高熱の鉄と炎と毎日向き合っている鍛冶屋のイメージは、湧いてこない。これでは、知る人ぞ知るオシャレなパン屋さんだろう。

 少々不安なってしまったが、女の子だからと納得、逆に凄いもんだと見直した。

 『鍛冶屋』で想起される無骨な頑固親父のイメージは、完全に払拭されていた。もっとフレンドリーな、子供でも気軽に遊びに入れるような雰囲気へと塗り替えていた。……商売人としても中々の腕前なのだろう。

 

 一通り外観を観察すると、入店した。

 カランカラン……。入店を知らせる呼び鈴、扉の上隅にでも取り付けておいたのだろう。自分たちだけでなく客にも聞こえるように設定している。中に入るも、しかし―――肝心の店主か店員からの挨拶がない。

 また不安にさせられながらも店内を進んでいくと、カウンターに一人の女の子がスヤスヤ眠っていた。フリフリのメイド服らしきものを着ている、勝気そうな少女。気持ちよさそうに、スピースピーと寝息まで立てている。どこをどう解釈しようとも……寝てる。

 

「い、居眠りしてる……」

 

 大丈夫かこの店? 品揃えは豊富なれど、防犯関係にはやや難あり。このまま商品の持ち逃げができそうだが、さすがにソレはセットしたであろうアラームでわかるはず……たぶん。

 起こそうかどうしようかと悩んだ。

 現在は昼下がりのおやつ後。学校でも眠くなり、やはりここでも眠くなる時間帯。色々と追い立てられていなければ、オレも昼寝の最中だったはず。……思い出すと、むしゃくしゃしてきた。

 これは他人様に押し付けないと、どうしようもないな……。悪い考えが浮かんできた。運が悪かったなと、揺り起そうと手を伸ばした。

 すると、まじまじ少女の寝姿を見てしまった。

 実に気持ちよさそうに眠っている、ヨダレみたいなものまで垂れているような、変な笑顔まで浮かべている。いい夢を見ているだろうことが伺える。

 イタズラ心は、急にしぼんだ。逆に、このまま起きるのを待つかと寛大な気持ちになる。

 

(どうせならオレも、ひと眠りさせてもらうかな―――)

 

 と、手頃な椅子を探した。

 出直してもいいのだが、戻るのが面倒だ。時間を潰すにしても、狩りたいモンスターがいなければクエストもない、そもそもこのフロアでは長居できない。オレのレベルと比べると下層過ぎるので、体がだるくなりやすい、50階層以下だとソレが顕著になっていく。長時間居続けるにはそれなりの装備と、なによりも間食が必要だ。用意して無いのなら、消耗を抑えるしかない。

 そろりそろりと起こさぬように、周りに立てかけてある武器たちを落とさぬように、見つけた椅子に腰掛けた。そして、壁に背を預け腕を組む/楽な姿勢になる。

 すぐには眠気はやってこないので、周りを見渡した。展示されている武装を【鑑定】していく……。

 

 手に取ってもいないざっと見なので、明細なデータは表示できず。だけど、どれも中々の逸品であることはわかった、中層域で頑張っているプレイヤーたちにとっては……。ギルドにも加入せず、こんな街外れで店を構えてもやっていけるのかが、わかる気がした。

 見渡している内にうつらうつら、眠気がやってきた。徐々にコクリコクリとも、今まで押さえ込まれていたものが戻ってきた。

 段々と力を抜いていく/目をつむっていくとそのまま、眠りの中へと沈んでいく―――……

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 心地よい微睡みを破ったのは、少女の騒々しい悲鳴だった。

 

「ちょ、ちょッと、あんた誰よッ!? 何で私の店で寝てるのよ!」

 

 起きなさい起きなさいよ! いい加減に―――。

 その騒々しさは、妹の不躾な覚醒合図によく似ていた。実に不愉快、実に正確/正論。加えて、隠すことなく優越感を撒き散らしてくるのだが、今回はやけに切迫している。

 うるさいな、後もう5分だけ……。とは言うものの、ゆっくり顔を上げながら目も開けた。いったい何事かと、揺さぶられた手をうっとうしがりながら起きる。

 そして、ぼんやりした視界に映ったのは―――見知らぬ少女、妹ではない。しかも、怯えと怒りがないまぜになった表情で、オレをにらんでいた。

 

 首をかしげると、まだ夢の中だったかと合点。夢なら見知らぬ少女が傍にいてもおかしくはない。

 ゲーム世界の中なのに、夢を見るなんてなぁ……。まるで夢の中の夢。不可思議さに苦笑しながらも、だったらもう一度目をつぶればいいだけだと、落着き払う。

 お休み……と、少女につぶやくとそのまま、二度寝を敢行しようとした―――……

 

「な―――なにまた寝ようとしてんよッ!」

 

 寸前、ガツンと―――殴られた。

 

 何の予期もしていなかったので、拳のまま頭がガクンと頷かされた。上下にグワングワン揺さぶられる。

 遅れて痛みがやってきた、殴られた後頭部をさする。

 そして、恨みがましそうにソレをした不躾な野郎を睨みつけた。

 

「い、てぇ……な。

 何するんだよ、おいッ!?」

「ソレはこっちのセリフよ!

 あんた一体どこの馬鹿……? 泥棒? え、痴漢ッ!? 変態ぃ―――ッ!?」

 

 いやぁ―――と、また殴られた。

 システムに守られているとはいえ、痛い。何も悪いことしていないので、さらに痛い。

 それなのにポカポカ、「出てってよ、出てけってばッ!」と殴られ続けた。我を失ってか手がつけられない。

 

「ば……ばかッ!? やめろ、やめろってば! 

 オレは客だ、あんたに武器の制作を依頼しに来たんだよッ!」

「だったら、何でこんなところで寝てんのよッ! それも、あたしが寝ている近くで―――」

 

 今度は思い出してか、かぁーと一気に顔を真っ赤にした。今にも噴火しそうな茹で上がり具合で俯く。

 また噴火される前に、こっちの言い分を差し込んだ。

 

「居眠りしてたのはそっちの都合だろ? だから、起こしちゃ悪いと思って待ってたんだよ! ただ、他に何かすることなかったし、オレも眠かったからついでにと……思って」

「だ、だからって! 普通は……寝ないわよ」

「悪いな、普通じゃなくて。今日は昼寝の予定をことごとく邪魔されてたんだよ」

 

 自分の落ち度ではあるものの、ソレとコレとは話は別。暴力を甘んじて受けるいわれにはならない。

 水を差したおかげか、こっちが正直に打ち明けてるともわかってもらえたのだろう。まだ睨まれてるも、罵倒は収まった。

 

「……誤解、といてくれたか?」

「見たの?」

「へ?」

「『見たの』て聞いてるの? 私の、そのぉ―――よ!」

 

 大事な最後をうやむやにしながら、強引に問い詰めてきた。

 

「……見られちゃマズイものでも、あったのか?」

「聞いてるのはこっちよッ!」

 

 確認しようにも迫力で押されてしまった。

 仕方ないので/全く身に覚えもないが反省してみる。初対面の彼女がここまで怒っている理由……。

 チラリと周りを見渡すと、閃いた。

 

「まだじっくりとは見てないけど……噂通りの人だったかな、と」

「へ? ……噂ッ!? 

 そ―――そ、それって……ど、どういった?」

「中々の腕前かな、て。ここに置いてある武器はどれも、かなりの業物みたいだからな」

 

 物色してしまったことを素直に告白、同時に称賛。伝聞情報はえてして誇張されることが多いが、彼女については許容範囲内だった。

 オレの答えがあまりにも予想外だったのか、アタフタと慌てていた。混乱から立ち直ろうとすると目まぐるしく表情を動かすとコホンッ……、わざとらしいほど大きな咳をついた。

 

「……そ、そうよ。その通りッ!

 あんた、なかなかいい目してるじゃないの」

「どういたしまして。ただ、オレが欲しいレベルのものは無さそうだけどな……。

 ここに並んでいるもの以外にも、置いてるんだろ?」

 

 見せてくれよ……。大概の商人たちは、防犯の都合上からも最高の逸品は奥の蔵にでもコレクションしてる。展示されているものは、見栄えがいいそこそこの性能のモノだけ。一見さんの客にはソレを勧めてくる。なので本来、オレには見せてくれないはず。勢いで正直に先制した。

 なのですぐに、訝しりが返されてきた。

 

「そりゃ、一応は用意しているけど……」

 

 疑わしさを露わに、オレをじぃっと見つめてきた。我ながらも怪しすぎるので、作り笑いで誤魔化す。

 

「武器の種類は?」

「片手剣」

「それじゃ、そこの棚に置いてあるモノよ」

「……置いてる奴以外を、見たいんだけど?」

「あんまり高望みしても、使いこなせなきゃ意味ないのよ?」

 

 素人はこれだから困るのよ……。おそらくもっとマイルドだろうが、ヤレヤレと腰に手を当てながら/呆れながら助言する姿から、そのように聞こえてしまった。

 思わずムッと、顔をしかめた。あからさまに舐めた態度。改めてやろうかと思うも、大人気無さ過ぎるので我慢ガマン。

 黙って見つめ返していると、はぁ~と大きなため息を漏らされた。

 

「……目標値はどのくらい?」

「コレと同性能か、それ以上の―――」

 

 わかりやすい指標として、愛剣をわたした。

 少女は、気のない態度で/オレがしたように片手で受け取ろうとして、ガクン―――重みに傾いだ。

 

「おわッ!? ……重」

 

 そのまま倒れそうになる寸前、両手でしっかりと抱えて事なきを得た。

 そしてゆっくり、バーベルでも上げるかのように胸元まで持ち上げると、愛剣を観察しだした。

 真剣な眼差し、集中している。おそらくは【鑑定】を使って調べているのだろう。先までのお座なりな態度は改め、興味しんしんな/それ以上に挑戦的ともいえる表情を浮かべていた。

 

「……中々の逸品、みたいね」

「まぁ、かなり使い込んできた相棒だからな」

 

 返してもらうと、何を思い立ったのか、黙って店の奥へときえた。

 そして戻ってくると、一振りの白銀色のロングソードを抱えていた。

 

「これが、今うちにある最高の剣よ。たぶん、そっちの剣にも劣ることはないと思う」

 

 手渡されたソレを、鞘から抜き出してみた。

 綺麗な刃紋だ。刀身は磨きこまれているようで鏡のように反射している、刃先は空気との境目が曖昧なほど研がれていた。ただ、抜いてみた感触から何となく分かっていたが、ひと振り二振り素振りしてみると、

 

「少し……軽いかな」

「……使った金属が、スピード系のやつだったから」

「う~ん……」

 

 いちおう【鑑定】を使って、感触と情報をすり合わせてみた。

 確かに彼女の言うとおり、愛剣との重量差がかなりあった。使うとしたらかなりアンバランスになるだろう。だが、ソレはソレとして使える、むしろ軽重のリズム違いで混乱させやすくなるかもしれない。出せる攻撃力や付加能力その他も問題ない。

 なので、あとは―――

 

「ちょっど試してみてもいいか?」

「……試すって?」

「耐久力を―――」

 

 困惑している鍛冶屋少女をそのままに、愛剣を引き抜きカウンターの端に置いた。ちょうど刃が外に出るような形で。

 しっかりと押し付け固定すると、渡されたロングソードを振りかぶった。愛剣の刀身の中腹あたりに狙いを定める。

 

「ちょ、ちょっとッ!? そんなことしたらあんたの剣が折れちゃうわよッ!?」

「折れるようじゃダメなんだよ」

 

 この程度耐えられなければ、60階層以降では使い物にならない。

 握った二つの剣と意識を繋げる。オレに与えられた特殊なスキルの起動を促した……。するとボウッ、火が吹き出るかのようにライトエフェクトを瞬いた。

 そのまま/ソードスキルの導きのまま一気に、振り抜いた―――

 

「セイッ―――!」

 

 掛け声一閃。思いっきりロングソードを振り下ろした。

 まだ耐久値には余裕があるので、折れることはないだろう……。修理費がどれぐらいになるか概算していると、思わぬことが起きた。

 

 パキィン―――。

 振り落としたロングソードが、真っ二つに折れた。

 

「―――あれ?」

 

 おっとっとと、たたらを踏んだ。軽くなりすぎた剣に驚く。

 おかしなことが起きたと気づくと、宙に舞い上がってしまったソレを見た。クルクル回転したソレはそのままグサリと、壁に刺さって止まった。

 あまりの出来事に二人とも、茫然とソレを見送った。

 

「な―――な……に、してくれてんよのッ!? 折れちゃったじゃないのよーーッ!」

 

 ムキィ―――。半泣きになりながらポカポカ叩いてきた。

 動転しながらも何とか防いでいると、言い訳をこぼした。

 

「わ、悪い!? まさか、当てたほうが折れるなんて思わなくて……」

 

 幾らなんでもあんまりな結果。オレの愛剣にダメージがくると思いきや、攻撃した方が折れてしまうなんて。なんて―――

 その言葉が思い浮かびそうになると同時に、ピタリと少女の癇癪も止まった。そして、ジロリと睨みつけてきた。

 

「それはつまり……、私の剣が思ったよりもヤワっちかった、てこと?」

「え? あー……まぁ、そういうこと、かな?」

 

 開き直りやがった―――。ごまかし笑いを浮かべながらも、またムキィーと、怒られそうになるかもと身構えた。

 だが、鍛冶屋としてのプライドが刺激されたのだろう。殴る代わりに、頬を膨らませながら負け惜しみを叩き込んできた。

 

「い、言っておきますけどね! 材料さえ揃えれば、あんたの剣なんかパキパキ折れちゃうぐらいのモノ、いくらでも鍛えられるんだからッ!」

「ほほぉ……。そいつは、ぜひともお願いしたいね。こいつがパキパキ折れちまう奴をな」

 

 流されてこっちも、挑発し返すように煽った。

 少女はウッと呻くも、すぐに奮然とプライドを賭けてきた。

 

「そこまで言ったんなら、全部付き合ってもらうわよ。金属取りに行くところからね!」

「そりゃ構わないけど……。

 そうだ。持ってきたものがあるんだ―――」

 

 まずコレで試してみてくれ……。ゴソゴソと、腰部のポーチからインゴットを取り出した。始めから彼女には、コレを使って製作してもらうつもりだった。

 

「……殊勝な心がけだけど、どうせ大した金属じゃ―――て、ほえぇッ!?」

 

 【聖鋼・★5】―――。差し出したインゴットに少女は、小馬鹿にしていた態度から一転、女の子とは思えない奇声を上げながら驚いた。

 

「たぶんコレでもダメだろうけど、もしかしたら……いけるかと思ってな。作ってもらえるか?」

 

 一度成功させた/その時と同じインゴットを使うことで、もしかしたら魔剣を生み出せるのかもしれない。どういった条件で生まれるのか全くわからないのだが、癖みたいなモノがついてのは間違いない。……リアルラックを使い果たしただけなら、お手上げだ。

 望み薄ながらも縋るように頼むと、今度はオドオド戸惑いながら訝しんできた。

 

「……どこでコレ、手に入れたの?」

「トレードだよ。持ち余してた奴と交換した」

「『持ち余してた』て……攻略組に知り合いでもいるの?」

「まぁ……何人か」

 

 オレ自身がそうなんだけど……とは言わず。別に自慢することでもないし、悪名を言いふらすつもりもない。

 

「最近はそういう奴ら、多いから。金属よりも別のモノの方に需要があるんだよ」

「え、そうだったの?」

「【松脂】とか【鱗粉】とか【獣血】【水銀】とかの強化アイテム、あと結晶つくるための素材なんかが売れ筋だな。【簡易炉】使える奴らは、コーディング用に金属持っておくけど、いちいち溶かしたり合金するのが面倒だから、高レベルの金属は必要じゃない」

 

 なるほど、そんな手があったのか……。少女は悔しそうに歯噛みしていた。

 その本気の悔しがりに、一抹の不安が沸いてきた。

 

「もしかして……知らなかったのか?」

「へ? ……い、いえいえ、もちろん知ってましたとも。アンタなんかに説明されなくってもね!」

「……そうか。そう、だよな。マスタークラスなんだし……」

 

 知ってて当然のことだった、前線がこれまでと違うことぐらい彼女なら。現在の攻略組たちが、【★5】の最高級の金属にあまり価値を置いていないことも。獲得してしまったモノの大半は、後人の育成やトレードに使っている。

 改めて指摘されると、急に恥ずかしさが沸いてきた。

 

「それじゃ、知ってたんなら先に言ってくれよ。わざわざ説明させやがって……恥ずいじゃないか」

「べ、別に、あんたが勝手に喋っただけでしょ? 口挟む間もなかったし」

 

 そりゃそうか……。何か釈然としないながらも、飲み込むしかなかった。

 少女はツンケン/オレは頬をポリポリ掻いていると、コホンと仕切り直してきた。

 

「燃料とか促進材とか、添加素材の持ち合わせは……無いわよね?」

「……悪い、忘れた」

「いいわよ、ただ聞いてみただけだから。こっちで用意してあるわ」

 

 そっけなくもそう言うと、差し出したインゴットを掴んだ。

 

「作ってくれるのか?」

「やるだけやってみるわ」

 

 そう言われると、先までの少女ぶりは何処か遠くに、まさしく求めていたプロフェッショナルな雰囲気を醸し出していた。

 なのでこちらも、思わず居住まいを正した。

 

「料金は前払いの方がいいか?」

「作った後でいいわ。……あんたが納得できるモノだったら、払ってもらうから」

 

 まぁ、できるでしょうけどね……。ニヤリと自信満々に含ませた。同時に、ふんだくってやるから覚悟しなさいよ、とも聞こえてくるようだった。

 金に糸目を使うつもりはなかったので頷いて返すと、奥の工房に消える間際、

 

「一時間ぐらいかかるから、よかったら二階で待ってて」

「二階って―――」

 

 示されて、階段横の壁にたてかけてある看板を見た。鍛冶屋には似つかわしくない、可愛いイラスト付きで描かれてるオーダー表―――

 

「そう、ちょっとしたカフェになってるの。

 まぁ、普段は大体自分用に使ってるだけだけど、待ってもらうお客様用の暇つぶしに時々ね」

 

 それなりに美味しい紅茶とかケーキとかお菓子があるから、適当に注文してよ。お代はいらないから……。気風の良い大盤振る舞いだ。どこかの商人にも見習わせたい。

 

「なるほど。居眠りしてたくせに、ちゃんと客商売はしてるんだな」

「……たまたまよ。今日はもう来ないものだと思ってたから」

 

 睨まれるとソレ以上は言わず、見送った。……心変わりしないように。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 

 用意された二階のカフェ……と言うには、少し狭すぎる部屋。マンションの一室をそのまま改築したかのような、都会の憩い場とでもいう雰囲気。……嫌いじゃない。

 NPCの店員に注文し、それなりに美味しい紅茶と軽食を頂いた。補給用にはいつも使っている飴でも良かったが、せっかくなので食事で済ませる。

 

 食べ終えてしまうと、手持ち無沙汰になったが、まだ時間はある。なので、インテリアとしても使っているであろう本を一冊抜き出して、覗いてみた。

 古びた背表紙からわかっていたが、軽い読み物ではなかった。このアインクラッド独自の言語で書かれた歴史書だ、どこかのフロアにある国の来歴や神話が描かれている。

 字ばっかりで細かいし、いちいち日本語に翻訳するのが面倒ではあったが、なんとなしに何と書かれているのか読めた。ので投げ捨てられず、一枚一枚ページをめくってしまう。単調な講義に浸らされる……。

 

 そうしているとまた、うつらうつらとしてきた。眠気が舞い戻ってきた。

 座り心地のよい椅子に深々と、だらしなくも背を預けながらそのまま、微睡みの中へ。夢と現の境を揺蕩う―――……

 

 

 

 心地よく浸っていると、また、少女の声に目覚めさせられた。

 

「―――おい寝ぼすけ、起きろ!」

 

 コツンと、硬い何かで頭を叩かれた。う~んと唸りながらうっすら、目を開けていく。

 今度は痛くなかったので、頭をさすることなく。だけど、強制的に目覚めさせられた余波で、寝ぼけ眼。ぼんやりしている意識をしっかりさせていった。

 

「あんた、どんだけ寝るの好きなのよ? それとも徹夜でもした?」

「……もうできたのか?」

 

 億劫そうにも尋ねると、急にムッすり眉を顰められた。

 そして、顔を俯かせながらだがハッキリと、

 

「……ゴメン、できなかった」

「え、失敗したのか?」

 

 信じられない……。予想外過ぎて完全覚醒してしまった。まさか、マスタークラスなのに製造失敗なんてあり得るのか?

 何が起きたのか不安がっていると、事の次第を説明してくれた。

 

「モノはできたんだけど、アンタが欲しいモノじゃなかった」

 

 そう言うと、おずおずと見せた。

 渡されたのは、雪色のロングソード、先にオレが折ってしまったモノと似ている。【聖鋼・★5】で作られたためか、神秘的な雰囲気を醸し出している、冷気を押し固めて作られたかのような剣だ。

 だが―――【鑑定】することもなく、わかった。愛剣との違いが、先に折った剣との類似が。

 

「……良さそうには、見えるけど?」

「私としても、悪くないデキだとは思う。けどコレ……アンタが折った剣と、性能的にはほとんど変わらないわ」

 

 アレだけの金属なら、もうワンランク上はいけたのに……。自分の腕の未熟さに歯噛みしていた。

 はんば予想はしていたことなので、落ち込むことなく。予想通りの結果に頷くだけ。

 

「そうか……無理だったか」

「ゴメンなさい……」

 

 オレの独り言に少女が、謝罪をかぶせてきた。

 驚いて見直すと、やはり申し訳なさそうに/悔しそうにもしている彼女がいた。

 

「……何よ? 私の顔に何かついてるの?」

「いや……。君も謝るんだと思って」

「そりゃ謝るしかないでしょうが、客の要望に答えられなかったらさ。しかも……自分の未熟さの責とあれば、なおさらよ」

 

 フンッと、そっぽを向かれた。……謝られたのか怒られたのかわからない。

 

「……君はマスタースミスだって、聞いてたんだけど?」

「ええその通り、その通りですよ! 誰に聞いたか分かんないけど……私はマスタースミスですよ。そのくせにこの体たらくですよッ!」

「いやいや、責めてるわけじゃなくて……。君で無理なら他の鍛冶屋でも無理だろう、てことだよ」

 

 健闘を称えようとしたら、逆に拗ねられてしまった。……なかなか面倒な性格をしている。

 また僻まれるかと身構えてると、

 

「そうね、たぶん無理でしょうね。―――『魔剣』を鍛え上げるなんてね」

 

 ギロリと、しかし真剣そのものの表情で向かい合ってきた。

 

「……なんだ、気づいてたんだ、コレが魔剣だってこと?」

「そりゃ、私の傑作を叩きおってくれたんですもの。ソードスキルを付加させてまでの一刀でね。……魔剣以外にはありえないわよ」

「いやぁ、流石にソードスキルは両方に付加させてたんだけど……」

 

 アノ特殊スキルについては、まだ言うべきじゃない……。モニョモニョと、ただの空耳ですよと口を濁した。

 さすがに怪しまれるかと不安がるも、向こうもゴニョゴニョと目を泳がせていた。……よくはわからないが、問い詰められないに越したことはない。

 コホンと咳払いすると、メニューを展開した。手持ちの金を確認する。

 

「……とりあえず、いくらだ?」

「何のこと?」

「コレの代金。後払いだろ?」

 

 指摘してようやく合点するも、憮然と顔をしかめた。

 

「こんなもの渡せないわ。お金ももらえない」

「え? けど……せっかく作ってもらったし、な」

「『アンタが納得できた剣を』て条件で受けたわ。……コレはソレじゃない」

 

 鍛冶屋としてのプライドに火でもついたのだろうか、きっぱりと言い切った。

 インゴットはこっちで用意したとはいえ、製造には他にも色々と消費する。高レベルの金属ならば相応の高熱が必要なので、カマドやら鉄床の耐久値も激減する、彼女自身の労力やら体力その他も。全てを合わせるとバカにならない出費だ。ソレを0にしてくれるのは、ありがたい限りではあるが、

 

「……あのレベルの金属で作れなかったら、君でも無理だろ?」

「ええ。たぶん百鍛え上げても、一本ぐらいしかできないでしょうね。それだとさすがに、労力とお金がかかりすぎるわ……」

「だったら―――」

「だから、【★6】の金属を手に入れるの」

 

 割り込まされた断言口調に、息を飲まされた。

 【★6】、やはりソレしかないか……。オレに奇跡は似合わない。わずかな希望に賭けるのがお似合いだ。

 

「……そう言えば、まだ名前聞いてなかったわね。

 【リズベッド】よ」

 

 ハキハキと自己紹介すると、手を差し出してきた。

 そんなものHPバーを見ればわかるだろうと、【鑑定】持ちならなおのこと知っているだろうと……大昔のオレなら言っただろう。実際、彼女の名前は居眠りしていた時にはわかっていた、そもそも知っていたからココに来た。彼女も、オレの名前ぐらいはもう知っていただろう。……対人関係スキルが向上した今、ソレがいかに無粋だったかわかる。

 

「【キリト】だ。とりあえずしばらくの間、よろしくな」

 

 求められた握手をすると、こちらも自己紹介した。

 

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

 武器制作は少々手間がかかることにしました。通常のオンラインゲームではなく、ログアウト不能のデス・ゲームなことから、手間暇労力かけてる/コレが私だけの仕事だ感が必要とされるのではないかと。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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63階層/グランザム 細工師

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 噂の59階層の山へ……。魔剣を鍛え上げるための【★6】のインゴットを手に入れる。

 オレ一人で採ってこようかと提案するも、『パーティーにマスタースミスがいる』という条件かもしれないと、強引に押し切られてしまった。マスターメイサーとしての実力を見せてやるとも、渋々ながら了承。

 

 それでは善は急げと、早速向かうことに決めた。

 それについてリズベットが、「他の人に声かけなくていいの?」と文句を言ってきた。「もしゲットしたら最悪くじ引きだから却下」と二人だけで、別段危険は少ないだろうからとも見込んで。「……大した自信だこと」と口を尖らせるも、ソレでOKしてくれた。

 なので戸締り。NPC店員に留守を頼み外出用に装備を整えると、店からでた。扉のガラス窓をカーテンで見えなくし、営業中の看板をひっくり返す。

 

 『本日の営業は終了。

 お手数ですが、御用のある方/ご依頼は、こちらのアドレスまで―――』

 

 鍛冶屋とは思えない/女の子らしい可愛らしい字とイラスト付きで描かれた、Close用の看板。宛先は、彼女のメニューに直接入るアドレスだろうか。外注のメールサービス特有のアドレス表記はみえない。

 来てしまった客が見えるように設置すると、鍵も閉めた。

 

「……店員に任せておくってのは、ダメなのか?」

「残念ながら、鍛冶仕事できる子は今日お休み。週休二日制なの」 

 

 社会保障は完備/手とり足とり何とりでの社員育成、交通費や有休も残業代・障害手当はもちろんバッチリあり、あと美味しい昼食も出してる。皆安心して楽しく働ける職場、引く手あまたのホワイト企業です……。エッへんと自信満々に宣伝されると、苦笑いが出てしまった。

 

「忘れ物はないか?」

「何よ、子供扱いして……。ポーションも結晶も持ちましたよ」

「採掘用の【ツルハシ】と【スコップ】は?」

「大丈夫ですぅ! 【簡易炉】も持ってきたわ、その場ですぐに【精製】できるようにね」

 

 別に【原石】のままでもいいんだけど、【精製】してくれるのならソレに越したことはない。レベルの低い鉱石は要らないし、ストレージも軽くなる。マスタースミスが【精製】してくれるのなら、格落ちも下手な金属になることもない。

 

「あんたの方こそ。本当に二人だけで大丈夫なの? ちゃんとパーティー募った方がいいんじゃない?」

「別にかまわないさ。リズベットが足を引っ張らなかったらな」

「……言ったわねぇ。

 後で吠え面かくの、楽しみにしてるわよ」

 

 一瞬、表情を固くしたのが見えた。強がっているのか……?

 なので、少しかまをかけてみる。

 

「そう言えばリズベットは、『改造結晶』持ってないのか?」

「改造、て……何ソレ?」

「コレ―――」

 

 耳につけてるピアスを見せる。チリンと指で弾く。

 『改造結晶』―――。できたばかりの頃とは違い、目立ってしまうイヤリングタイプではない小型のピアスタイプが開発された。効果は抜群だったので仕方がないと恥ずかしさを押して付けていたが、できたのなら速攻で乗り換えた。大概の男性プレイヤーがそうした。

 

「他にも指輪とか首飾りとかのタイプがあるけど、他の装備と被るからだいたいコレだな。片手塞がれずに結晶が使える」

「へぇ、そんな便利な物あるんだ……

 どこで手に入れたの?」

 

 純粋な好奇心。コレを手にしたことがないプレイヤーが見せるような、今の攻略組では必須の装備とされているのに……。決定だった。

 彼女は強がっている、59階層をソロで突破しきれないと思えてしまうレベルだ。オレが平静なので、合わせようと無理してしまっている。……とてもマズイ状況だ。

 本来なら、神経を逆撫でにさせてでも「来るな」と言ってやるべきだが、そうも言っていられない。今後のためにも、彼女が指摘した条件の確認は取りたい。最悪、護衛しながらの採掘作業になるか……。

 心構えがあるのなら、ソレだけで充分。ハイレベルのフロアなら自然とレベルの上がりも早い。彼女の体面を通せてやれないほどじゃない。

 

「プレイヤーメイドのアイテムだよ。

 そうだな、オレも今余分に持ち合わせてないし……。寄り道になるけど、そいつの所に案内するよ」

 

 欲しいかったら、代金は自分で払ってくれよ……。やんわりと誘導。とりあえずコレさえあれば生存率は大幅に上がる。

 しょ、しょうがないわね、興味もあるし。お願いするわ……。まだ強がりを通さんとする様子に苦笑を隠しながら、案内した。

 

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 リズベットの店から48層の主街区へ、そして転移門で55階層へ/鋼鉄の街【グランザム】へととんだ―――。

 

 鋼鉄の尖塔群。家々も壁も床すらも、金属が張り巡らされている。街路樹すら灰銀色の硬そうな外皮を持つ幹に鈍色の重そうな葉っぱ、まるで金属で作られた人工樹。街というよりは要塞に近い、あるいは不時着した巨大宇宙船の甲板の上だろう。……柔らかいものが足りず、緊張を強いられる街だ。

 その一角、無骨な鉄橋やら配管が幾重にも入り組んでいるエリアへと進んだ。19世紀後半産業革命の時代を彷彿させるような工業団地、そこかしこから鉄を打つカンカンや蒸気だろうジュウジュウなどのBGMが鳴り続ける。……今まで自然豊かで長閑なエリアにいたので、よけいに気が滅入ってしまう。

 

「……こんな所に、その……職人がいるの?」

「店自体は、50層【アルゲート】の大通りのわかりやす場所に構えてる。こっちは『工房』の一つだ。……55層は作るのに必要な素材が手に入りやすいからな。高機能な【カマド】も用意されてるし」

 

 高レベルの鍛冶屋たちが、ここで店を構えてるのはその為だ……。「リズベットもどうだ?」と暗に促してみるも、顔をしかめて首を振られた。効率だけ考えれば、ここは色々と鍛冶屋に都合がいい設備が揃っている。だが、人にとって/たぶん生物全般にとって不健康な街だ。彼女もソレは承知しているはず、あえて健康を選んだのだろう。

 無理には勧めず、目的のプレイヤーの話を続けた。

 

「店の方に顔出すことは、ほとんどない。なのに、一見さんはお断り。奴が許可しないと店員は『改造結晶』を売ってくれないんだ」

「『改造』て言うんだから、全部プレイヤーメイドてことよね。数が限られてるから?」

「そう、まだ量産体制ができ上がってないからな。攻略組に優先的に使ってもらいたいからって意図もあるけど、それ以上に……『改造』品だからな」

「……大っぴらに市場に出したら、消されちゃうかも……てこと?」

 

 言いたいことをまさしく察してくれた。

 使えてしまっている以上、後で修正したりはしないだろう。365日24時間何千人ものユーザーがログイン状態のここでは、大規模なアップデートなどできない。今では【軍】が利用しているプレイヤーメイドの通貨【イェン】が、アインクラッドの通貨【コル】を大いに侵食しているというのに消されずにそのままなので、大丈夫だとは思われる。

 しかし、警戒は必要だ。イェンは蔓延させるまでに、色々と組み込んだ防衛策の中で力を蓄えさせた。売れるからとすぐに市場に出せば、直接はやらずとも搦手で消されてしまうかもしれない。生存率を大幅に上げてくれる必需品ゆえに、慎重にことを進めなくてはならない。

 

「オレがリズベットの分も買えばいいんだが、今後も入り用だろ? だから許可証を作らせようと、な。―――ここだ」

 

 大通りから狭い路地へと入った一角/行き止まり。話し込んでいるうちに、目的地についた。

 一昔前の大型団地マンションに使われているものに似た鉄製扉。呼び鈴はないので、トントン―――ノックした。

 すると、ドアの中央あたりがぐにゃりと変化した。そして、文章とルービックキューブらしきモノが現れた。

 

 

 

 『この扉を越えたければ、このパズルを100秒以内に解くか100万イェン支払うこと、あるいは『コペルさんマジ天才ッ!』と100回叫ぶこと』

 

 

 

「………………何コレ?」

「嫌がらせだよ。無視すればいいんだ―――

 おい、いるんだろ四ツ目野郎! お前が在宅なのは知ってるんだ。引きこもってないで出てこい!」

 

 出ないと、ぶち破るぞ―――。嫌がらせを叫ぶ代わりに、脅しを叫んだ。

 しかし……反応なし。

 

「……よぉし、わかった! 

 それじゃお前のあの恥っすかしい黒歴史、『鼠』に教えてやろうか―――ッ!?」

 

 楽しく言い切ろうとした寸前、地面がなくなった。バタンと大きく口開いた、足が中空に浮く―――

 

「ほげぇッ!? なんでえぇぇ―――」

「しまった!? 下だったかあぁぁ―――」

 

 二人とも予期できず、そのまま落下していった。

 

「いィャあアァァァーーーーーッ!?」

 

 暗闇の中へ、リズベットの悲鳴が尾を引く―――……

 

 

 

 ……落とし穴の深度は、10メートルほどだっただろうか。

 

 底まで落下すると、トタリ……危なげなく3点着地した。急な罠に驚かされるも、高さがあったのですぐに持ち直せた。

 しかしリズベットは、ペタンッ―――隣で尻餅をつかされていた。

 慌ててしまい体勢を整えられなかったのだろう、したたかに腰を打っていた。「アいタタァ……」と痛そうにさすっている。

 

「……大丈夫か、リズベット?」

「い、痛つぅ……。

 何なのよ、コレはぁ―――ッ!?」

 

 糾弾が飛び出すとほぼ同時に、暗闇に電灯が降り注いだ。周囲の様子が明らかに見える。

 

 落とし穴の中には、工房があった。

 ガレッジのような広々とした部屋、しかしそこかしこに工具やら鉱石/素材やら何かの機械が散らばっていて、狭く感じる。ゴミ捨て場とまではいかないが、人が寝泊りするべき場所にはみえない。……片付けが下手以上に、モノたちに包まれて安心感を得ているかのよう。

 驚かされていると、落とされた場所の向かいの壁、その中央に備えられた作業台らしき場所から一人の少年が、じぃっと睨みながら愚痴をこぼしてきた。

 

「キリトさぁ、いい加減そのネタで脅すのやめてくれないかな……。つい手違いで、マグマか強酸の中へダイブさせたくなるだろ?」

 

 平然と凶悪な脅し返しをしてくると、かけていたメガネをクイッと微調整した。

 このゲーム内において、日常生活だけに限るのならメガネなどの視力補正器具は必要ない。どれだけ現実で目が悪かろうと、裸眼でバッチリ見通せる。ステ振りで【感覚値】へ/スキル【索敵】などを鍛えれば野生児並の目を持てる。戦闘時でさらに補強/【鑑定】の代替のために装備するプレイヤーはいるが、安全な圏内のソレも己のホームの中でまで付けている者は稀だ。

 独自のスタイルでもオシャレでもない。彼なりの葛藤から導き出された答えだ。顔のそこにメガネがある方が落ち着くらしい、コレがあって初めて本当の自分になれるのだと。……現実でも裸眼のオレには、よくわからない感覚だ。

 

「何だよ、ついに圏内でも【謀略】の罠が使えるようになったのか?」

「フィールドの効果範囲外まで穴を引き伸ばすだけだよ。55階層のこの場所だと、ここからあとほんの数メートル下が【半圏内】になる」

 

 ソレ以上の引き伸ばしは難しい。けど、時間帯によっては致死性の罠になる……。システムの隙をつく罠。淡々と恐ろしいことを説明してくれた。リズベットはわからないなりも、不穏な気配は察して不安がっている。

 挨拶みたいなものだ……オレはそう思っている。実際やるかもしれないが、ソレも含めての仲だ。つまり、潜在的には敵同士だ。根っこの部分/求めていることは相容れないということを互いに承知しているので、ベターな間合いを測ることができる。……一階層からの腐れ縁ゆえに、わかったことだ。

 

「―――で、今日は何の用? そちらは?」

「新しい顧客だよ。『改造結晶』が欲しい」

 

 偉そうに腕と足を組みながらのつっけんどんな態度はスルーして、端的に用向きを伝えると、まだ他人同士の二人に紹介した。

 

「リズペット。こいつは【コペル】だ。『烏』の細工師って通り名、聞いたことぐらいはあるだろ?」

「ええ。まぁ名前だけは……」

「ふぅん、【リズベット】って君のことだったんだ……」

 

 互いに値踏みするように、好奇心を警戒と無関心で包みながら見合った。

 

「別にいいけど、【軍】か【連合】の許可証は……取ってるわけないか」

「別にいいだろ? 彼女は、お前も知っての通りマスタースミスなわけだし。これから何かと必要な人材だろ?」

「……喧嘩売るような真似は、控えたいんだけど?」

「後で話つけとくよ」

 

 どうだか……。腐れ縁故か、オレの言うことを完全には信じてくれない。そしてその読み通り、嘘はつかないけど思い通りに動くつもりもない。……『すぐに』ではないから、良いタイミングまで待ってもいい。

 ただ、リズベットへの興味は本当なのだろう。作業台の引き出しをあけると、そこから取り出した紙を彼女に渡してきた。

 

「君、【金剛・★3】でこういう形の―――金型作れる、コンマのミリ単位で正確に?」

 

 いきなりのことで、つい受け取らされてしまったリズベットは、不審げな顔つきながらソレを見た。

 オレも横から見せてもらうと、ソレは……設計図みたいだった。コペルが要求してきた金型。その完成図に事細かな情報が書き込まれている。

 

「……何なの、コレ?」

「できるの、できないの?」

 

 リズベットの当然の疑問を無視して、迫ってきた。初対面の、ソレも女の子相手には随分と失礼な態度だ。

 しかし―――テストだ。

 おそらくコペルの意図は、ソレだろう。一見するとわかりづらいが、その上っ面だけで判断してしまう相手なら切り捨てると、たぶんオレが奴でもしたであろうテスト。ギルドの後援なしに攻略組の一人であり続けるためには必要な眼力だ。今の段階で改造結晶を持てるとは、そういうこと。

 ただ、あまりにもいきなりすぎだ。それに彼女の怒りっぽさを知っている身としては、不安しかなかった。それとなく教えようかと、目配せで伝えようとした……。

 しかし……杞憂だったらしい。

 

 口を尖らせムスリとするも、急にメニューを展開し始めた。そして一枚、ストレージから取り出した写真を手渡してきた。

 

「―――コレ、【聖銀・★4】使って自作したアクセサリの写真よ。二セット作って一つは友達にあげた、コレよりも良い方をね。……モノは今、ホームの倉庫に置いてあるわ」

 

 信じられないなら、取ってこようか? 

 コペルは挑戦するようにそう言われ、じっくりと写真を確認した。オレもまた、横から覗き見させてもらう。

 そこには、蝶と思わしきブローチがあった。半透明な白銀色、広げた翅は透けて見える。しかもよく見ると、雪の結晶と思わしき模様が幾何学的に彫り込まれている。触れればすぐに溶けてしまいそうな、儚くも幻想的な雪の蝶。……素人目にも、手間暇と職人技が冴え渡っているのがわかる。

 無関心な態度をとり続けていたコペルだったが、さすがにソレには目を奪われてしまっていた。ムムと唸ってもしまう。その様子にリズベットは、ニヤリとほくそ笑む。

 

 一通り見分すると、態度を改めて

 

「OK。実力は本当らしいね―――」

 

 写真を返すと、引き出しから今度は許可証を取り出した。

 

「できれば、次に僕の店で買い物する時に、ソレを造って持ってきてもらいたいんだけど……できるかな?」

「いいわよ、任せて」

 

 ニコリと満足気な笑顔とともに、許可証と注文を受け取った。

 そんな彼女の様子を見て、何を思ってかまた引き出しをゴソゴソ探ると、

 

「―――コレ、前払いの代金用に。【転移】と【回復】が入ってる」

 

 ピアスタイプの改造結晶を一セット、手渡してきた。心なしか、少し怒っているかのようにムスリとしながら。

 

「二つもあげるなんて、やけに太っ腹じゃないかコペル?」

「その金型があれば、量産スピードも上がるからね。……価値が低くなる前に、さ」

 

 なるほど、そういう訳か……。リズベットが優秀だとわかったから、先に恩を売って繋ぎを付けておく作戦。彼女にとってマイナスなことだったら止めるつもりだったが、その心配はなさそうだ。

 手渡されたリズベットは驚き、ソレを大事そうに抱えると、

 

「ありがと、コペル」

 

 素直に純粋に、感謝してきた。……おそらく素であろう、女の子な笑顔。

 向けられたコペルは、一瞬ぼぉっと見とれ、慌てて頭をふった。

 

「つ、使い方は……キリトに聞くといい」

 

 短くそう言いながら、思い切り顔を逸らした。

 オレでなくても分かる狼狽ぶり、そうしてしまう気持ちもおおよそ察せられる。たぶんマスタークラスのコミュ力かどん底クラスの猜疑心がないと、対応しきれなかっただろう。

 だが―――武士の情けはオレ達には似合わない。コレはチャンスでしかなかった。

 

「補充用の結晶はくれないのか?」

「……必要ないだろ、君の教え方が悪くなければ」

「試しに一度使わないと、いざって時に役に立たないだろ? それに、補充の仕方も教えたいし……な」

 

 コペルに頼みながら、リズベットに目配せした。彼女とはまだ今日あったばかりの仲だが、この手の機微には通じていると推測していた。

 思った通り、すぐにオレの意図を察してくれたのだろう。不審げな態度のコペルにニコニコと笑みを向けた。

 両面作戦は上手くいった……。リズベットのオネダリ笑顔に戸惑わされたコペルは、大きくため息をつくと脱力した。そして観念するかのように、ストレージから結晶を取り出した。

 

「―――はい。【転移結晶】でいい?」

「うん! ほんとありがとね、コペル♪」

 

 貰った代わりと、極上のスマイルを返した。

 落とし穴のお返しは、コレでいいだろう……。随分高くついたイタズラだった。今後は改めてもらうことを祈るばかりだ。

 

「それじゃ、気が向いたらまた顔出してやるよ」

「だったら今度は、クリームたっぷりつけたパンケーキでも用意しとかなきゃ―――と、忘れるところだった!」

 

 帰ろうとするオレ達を慌てて引き止め、隅にうずたかく積まれている器具の山を掘り始めた。

 何事かと見ていると、採掘したモノをオレに手渡してきた。

 

「何だ、コレは……腕時計か?」

「新しい発明品♪ まだ試作段階だけど、君の要望を叶える素晴らしいアイテムさ。

 名づけて―――【剣技の写晶石】」

 

 大仰に目を輝かせながら、渡した腕時計めいた何かの解説を始めた。

 

「全身の感覚を記録して再生できる【記録結晶】あるだろ? アレを応用したものだよ。プレイヤーの脳内じゃなくて別の場所で再生することで、システムを誤認させる。ソードスキルを誤発させるんだ」

 

 かつてオレが要望したことだった。魔剣以外の武器を寄せ付けない60層以降のモンスター達に対抗する手段、ソロプレイのオレでも戦い抜くための道具。予め力をストックしておいて、任意で解き放ち伝達もできる。【車輪】の機能と役割を再現できるアイテム。

 まだアイデア以前の願望の段階で、どう形にするかなどわからなかった。なので、かの特殊スキルを如何に運用するかに焦点を向けていた。……みなにバラしたくないが/今以上に変な噂を立てられても嫌なので、できれば隠し通したかった。

 ゾクゾクと、背筋が震えた。コペルに負けじ劣らず目を輝かせた。まさか形にしてみせてくれるとは、思ってもいなかった。

 

「……どうやって使う?」

「基本的には『改造結晶』と同じ、その腕時計を意識しながら『リプレイ・オール』て唱えればいい。そうしたら、中に記録させた【車輪】の剣技が再現されて、記録させた分の力も自動的に伝導する。

 ただし、まだ……一回限りだけど」

 

 すぐに再補填もできない、仕組み上冷却時間を置かないと壊れる、システムからの修正作用を防ぐ安全装置として必要。それにまだ試作品だから……。補足事項の殆どは、聞こえなかった。ただただ、ソレがもたらす可能性に胸躍らせていた。

 

「本当に作れたのかよ……。コペルさんマジ天才ッ♪」

 

 抱きついてキスしてやりたいぐらいだ……。100回と言わず千回叫んでもいい。今以上に目の前の男を尊敬できたことはない、みなに彼の素晴らしさを演説してやりたい。

 リズベットにも負けないぐらい、激烈に素直な称賛だったが、残念なことに皮肉と取られてしまったのだろう。ムスリと顔を顰められてしまった。

 

「……まだ試作品だからな。使った感触を教えてくれ」

「いつも通りだな。任せてくれ!」

「僕以外での再チャージはまだ試してないからな。たぶん壊れるから絶対にやめろよ。ソレ作るのめちゃくちゃ大変だったんだからな」

 

 大丈夫大丈夫、無事に返してみせるよ……。大船に乗ったつもりで任せてもらいたかったが、かの天才の顔は疑いのまま、暗く沈んでもいる。

 残念なことに、その不安は今までの経験から導き出されたことだ。

 今までオレは、彼の作った発明品のテスターを引き受けてきたが、その大半で試作品を壊してきた。元々無理があってそうなったモノもあったが、無茶な限界実験を課したことで壊れてしまったモノたちも多い。いいデータが取れたから結果オーライじゃないかと慰めるも、丹精込めて作ったモノが一瞬で破壊されるのを目の前にしては、心穏やかにはいられない。

 今回ももちろん、大事に使わてもらうが、やはり限界突破してしまうだろう。仕方がないことなので、タフになって欲しい。

 

「……何なの、その腕時計?」

「ん? まぁ……使ってからのお楽しみ、だな」

「わかってると思うが、下の階層で使っても意味ないからな」

 

 もちろん、60層以降で使わせてもらいますよ……。使わないと意味がない、使えなければもっと意味がない。

 ではあるものの、改造品はメニューのストレージに入れることができない。バグ扱いで修正されてしまう怖れがある。なのでいつもは、腰部の収納ポシェットか服のポケットの中にでも入れておくのだが、どうせならと手首に巻いた。これから行く59層では使わないだろうが、ハメ心地だけは調べられる。戦うのに邪魔すぎるのならば、形を変更してもらわざるを得ない。

 しっかりハメると、居住まいを正した。

 

「それではコペル先生、報告を楽しみに待っていてください」

「……絶対に壊すなよ」

 

 ニカリと、極上の笑顔を返した。

 

 

 

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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63階層/結晶山 採掘師

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 55階層のコペルの工房から、59階層へ移動/転移。

 転移門をくぐり抜け、主街区から目的の村への道すがら―――

 

 いつもガミガミと、何か理由をつけては突っかかってきたリズベットだったが、妙に大人しい。周囲をチラチラと、さらにはソワソワともしていた。

 誰か逢いたくない知り合いでもいるのか……。今この最前線近くで面倒に巻き込まれるのは困る。気づかせない程度に探ってみた。

 

「―――りふへットも、食う?」

 

 主街区の出店で買った、できたてホヤホヤのホットドック。ムシャムシャ口いっぱいに頬張りながら、もう一つ差し出した。

 人間の悩みの大半の根っこは、空腹だ。最後に食べたの何時だっけ?/何か旨いもの食べたいなぁと、お腹の憂鬱が頭に反映されて気分に現れているからだ。娯楽が少ない以上にストレスだらけのここでは、なおさらだ。……この異世界で生き抜いたことで導き出せた真理だ。

 自信を持って出した対応だったが、リズベットは顔をしかめていた。怒っているような呆れているような、ムスリと睨み付けてもきた。

 まさか、爆辛マスタードを知っていたのか……。初心者にはオススメできない珍品/今オレが食べているもの、赤を越えて群青色になっているソースがたっぷり塗られているホットドック。猛毒というか強酸に近い辛さで舌が爛れるが、食べ終えたあとからしばらく蕩けさせてくれる。通常のどこにでもあるモノをあったが、自分用だったので買ったのはコレだけ。

 彼女は知らないだろうとタカをくくっていたが、イタズラ心を読まれてしまったのだろう。気まずい状況だった。しかし、

 

「食う!」

 

 パシリッ、奪い取られるとそのまま、ガブりと食らわれた。

 

「あッ!? マズ―――」

 

 注意するまもなくガツガツと、一気に食らってしまった。それだと舌だけでなく、胃の中までやられるぞ……。

 

 なのでウッ―――と、リズベットの時間が止まった。顔色も一気に青ざめる。

 そして真っ赤に充血していくと、一気に―――火を噴いた。

 

 迸ったのは、ドラゴンの火炎ブレスもかくやの、声にもならない悲鳴だった……

 

 何をソワソワしていたのかは、わからずじまい。しかし結果的に解消/霧散してしまったのだろう。……ブレスと悲鳴がひとしお鎮まると、盛大な倍返しを食らうハメになったが。

 

 

 

 

 

 何匹かのモンスターを退けながら、噂の村までたどり着いた。結晶山の麓にある小さな山村。

 

「―――うぅ……、まだ口の中ヒリヒリするよぉ」

 

 喋りづらそうにそう言いながら、泣き言を漏らしていた。

 ソレがいいのに……。リズベットの態度に肩をすくめるも、はじめは同じような反応だったので流した。食べ続けることでその良さがわかってくるのだ。

 

「ここのフロアが開いた時は、まだ寒かったからなぁ。標高があるここはまだ雪が降り積もってた。アレ食べて寒さやり過ごしたもんだよ」

「今はもう初夏でしょ。あんな凶悪なの必要ないわ」

 

 そう言うと、ポシェットから出した水筒をゴクゴク、時々クチュクチュうがいしながらがぶ飲みした。

 

「……そんな一気飲みしたら、腹冷えて……出るぞ?」

「―――ウップ。

 お生憎様、ここじゃそんなことありえないわよ。万が一あったとしても、あんたの顔面にぶちまけてやるから」

 

 下から出るモノをどうやって顔にぶちまけるんだ……。おそらく口からと勘違いしてるのだろうがスルー、正してもいいことは何もない。

 ついでに、話をそらそうと山村を見わたすと、ちょうど良い目標物が見えた。一際大きな掘っ立て小屋。

 

「―――アレが、例の長老の家かな?」

 

 調べておいた情報通り、リズベットにも確認すると首肯した。

 

 小屋の中に入ると、長老との会話。クエストを開始させるフラグ立てを行った―――……

 

 

 

 

 

 長々話、途中何度も居眠りしそうになってリズベットに小突かれた。彼女もそうなりかけてお返し、さらにお返しのお返しとの連続。内容はほとんど頭に入っていない、予め概要は知っていたので全く問題は無し。

 ようやく解放されると、今度はお使い。村中を行ったり来たり、村人たちから話を聞きまくる。時間が悪かったのか、水汲みに外に出ている人もいたので村はずれの川まで足を運んだ。

 そんなこんなを繰り返し、ようやくフラグ立ては終了。ただいつの間にか、夕暮れ近くになっていた……

 

「……まさかフラグ立てだけで、ここまで時間を食うなんて」

「まったくね……。

 どうする、今日は出直して明日にする?」

「う~ん……。ゴーレムは夜行性って言ってたし、山もアレだろ―――」

 

 村の奥に聳え立つ山。遠近法か何かの錯覚か、とても人が踏破できる山ではないと思ってしまう威容だ。

 しかし、この世界の構造上そこまで標高はない、せいぜい数百メートル/キロはないはず。一日と言わず数時間で踏破できてしまう、ここまで来れるプレイヤー達の身体能力なら数十分も可能だ。山の中で夜を明かす危険など冒すことはない。

 

「そうね、行っちゃおっか。アンタの泣きべそかくとこ、早く見たいし」

「そっちこそ。オレの華麗な剣さばきをみて、腰抜かすなよ」

 

 憎まれ口の応酬。決まりだ。

 山村を抜け頂上へつづく山道へ、登っていった。

 

 

 

 

 

 麓からは険峻に見えたが、思ったほどきつくない。高地ゆえにかじゃっかん空気が薄いような気がするも、高山病になるほどではなかった。むしろ、澄んでいるような気がして心地よく感じる。

 出てくるモンスター【フロストボーン】も大したことがなかった。リズベットのメイスとの相性もよく、ガシャーンガシャーンとぶん殴っては破壊していった。ついでに、破砕した骨と氷を地面に散らかしながら、順調に暢気に登っていった。

 ただ、標高が上がったためだろう。気温が若干低くなっているようだった。

 

「―――ヒッくしゅ!」

 

 リズベットはたまらず、くしゃみを漏らした。肌寒さに体を震わしている。

 さすがにこの時期でも、山頂付近はまだ寒い。道にはまだ残雪がある。48階層の暖かな気候とは違う、彼女のメイド服のような薄着はそぐわない。

 

「防寒着とか余分な服とかは、持ってきてないか?」

「…………ない」

 

 うかつだったわ……。悔しそうにしながらゴシゴシ、肌を摩擦し寒さに耐えていた。

 見ているだけなのも情がないのでメニューを操作、黒革の毛皮のコートを取り出した。そして「ほい、コレ」と、投げて被せた。

 

「……あんたは大丈夫なの?」

「このぐらいじゃ必要ない。精神力の問題だよ、君」

 

 着込むと動き鈍るからな……。チチチと、指を振りながら煽った。

 やせ我慢を含めているものの、概ね気合と慣れでカバーできる寒さ。先のホットドックがあれば、むしろ一枚脱ぎたくなるぐらいだ。

 リズベットはムスリ、しかめっ面をかえしてきた。でも温いのか、しっかりと着込んだ。

 

 

 

 

 

 岩肌を登り続けた先、一際切り立った氷壁に突き当たった。回り込むと、頂上が見えてくる。

 氷とは違う七色の煌き、紫紺の夜空に聳え立つ厳峯、水晶で彩られた魔法の城―――

 

「わあ……」

 

 リズベットは圧巻の光景に、感嘆の吐息がこぼした。

 オレもやはり、見とれてしまった。何度か見てきて慣れたつもりだったが、改めて目にすると違う。初めて見たとき/まだ雪が降り積もっている晩冬あたりの頃は、リズベットと同じように目を輝かせていた。

 

 リズベットはそのまま、引き寄せられるように駆け足気味になっていった。

 当時は同じような反射行動をしたので、直ぐにわかった。離れられる前に、無理やりながら襟首を掴んで止めた。

 

「ふぐッ!? ……何すんのよ!」

「ここからは本当に危険だから、リズベットは後ろ」

 

 笑顔ながら、問答無用に指示した。

 

「ば、バカにしないでよ! 私だって戦え―――」

「君のレベルじゃ無理だ」

 

 その指摘に、息を呑んだ。隠していたのに気づかれたと、ようやく察した。

 リズベットは無理を押してここまでついてきた。彼女のレベルで59階層は早い、装備品がいいので何とか食らいついているだけ。

 だけどここより上は、そうも言ってられない。

 

「メイス自体は、上で待ってる【クリスタルゴーレム】と相性はいいよ。けどソレは、相応の【筋力値】と重量があってこそだ。君のステだと逆に、最悪の相性になる」

 

 状態やレベル差に応じて、相性のいい武器が変わることはある。硬さと重さを誇るゴーレム系のモンスターは、打撃系の武器に弱いものの、己の防御力を下回っているモノでは傷一つつけられない。逆に、刀や槍は弱くてもダメージは通る。

 彼女にとっては嫌な事実だろうが、言わなければならないことだった。戦場は曖昧さを許してくれない。

 

「…………いつから、気づいてたの?」

「君の店から出るときには」

「始めっからじゃない!? 

 なんで言わなかったのよ、バカにでもしてた?」

「逆だよ。カッコつけたかったから……」

 

 最後まで通せたら格好良かったけど……。竦んでしまった。男の子の体面よりも、彼女の命が重要だ。オレにはどちらも通せるほどの力は持ち合わせていないと、嫌というほど痛感していたから。……もう二度と間違いたくない。

 こっちが悪いのに叱るような形になってしまった。恥の上塗りだ……。

 なのに、リズベットはパチクリと、ただ黙ったままオレを見つめてきた。珍しいものでも見たと言うかのように、悪意でもイタズラ心でもなく。

 

「…………なぁ、これ以上言わせる気か?」

「へ? ……そ、それは、そのぉ―――…… 。

 もういいわよッ!」

 

 モジモジとしていたのに、急にフンッと、なぜかそっぽを向かれた。云われもないのに怒られたから気分を害したのだろうか? ……相変わらず、よくわからない女の子だ。

 

「できればもう、転移して帰ってもらったほうがいいんだけど……」

「え、冗談でしょ!? まだ会ってすらいないじゃない!」

「君をここまで連れてきたのは、『マスタースミスが関係している』かどうかだった。……でも今、こんな山の上まで登ってきた。なのにまだ、何もフラグが起きてない」

 

 これから起きる気配もない……。村を出たあたりから、薄々気づいてはいた。

 鍛冶屋が必要なら、鍛冶屋であることを示す何かが無ければならない。わかりやすくは【カマド】と【鉄床】と金槌だ。マスタースミスが必要なら、マスターしなければできない何かを披露しなければならない。超高レベルの金属か何か、それこそ報酬である【★6】が置いてあるとか。……よくよく考えてみれば、ありえない条件だった。

 

「……倒してから、何か起きるのかもしれないわ。それまでは―――……」

 

 言いづらそうに言葉尻を掠れさせながら、上目遣いでチラりと何かを訴えてきた。

 何を言って欲しいのかわからないが、答えは決まっていた。愚痴のようなものだった。

 

「OK、わかったよ」

 

 瞬間パッと、リズベットの顔が華やいだ……ように見えた。

 なので躊躇われるも、言わねばならなかった。

 

「ただし、ここからオレ一人でやる。リズベットは、ゴーレムが現れたらその辺の水晶の陰に隠れること。いつでも転移できるようにな」

「ソレだと……アンタを見捨てて逃げろ、てこと?」

「君は勇敢すぎるからな。そのぐらい逃げ腰の方がちょうどいい」

 

 それが最大の譲歩だ……。ちゃんと仕留めて見せるし、流れ弾程度で死ぬことはないが、用心に越したことはない。コペルのプレゼントを活かす絶好の機会だ。

 説明すると、不承不承ならがも頷いてくれた。

 きっと逃げてくれなさそうなので、胸の内で小さくため息をこぼした。ここまで来たらもう、やりきるっきゃない……。

 

 

 

 

 

 氷壁に沿って回り道、山頂部へ至る橋を渡った。

 

 底が見えないほどのクレバス。落ちたらただ事ではすまなさそうな高さだ。

 さらに、水晶で作られた橋は氷以上に透明で見えにくい。現在、夕暮れどきなので西日により見えやすくなっている。けど、夜になったら境目がわからなくなる。何もない空を恐る恐る歩いていかなければならない。

 リズベットもソレに気づいたのか、ゴクリと息を呑んでいた。「帰ってもいいんだぜ?」と言おうとしたが、逆効果だとやめる。最悪帰りは、互いに縄で繋ぐか手を握っていればいい。

 境目を見極めながら慎重に、水晶の頂上部へと進んだ。

 

 二人とも渡りきった後、オレの感覚/【索敵】が人影を捉えた。

 敵かとすぐに身構えるも、解除。影は数人/先行していたプレイヤー達だ。遅れてリズベットも彼らに気づいた。

 

 視界に写った彼らはみな、パンパンに膨れたリュックサックを背負ったり担いだりしていた。中には/リーダーと思わしき人物は、ふた回りは大きくなっているモノを担いでいる。ゆえにか皆、少し足取りも重そうにしていた。

 互いに認識し合うと、一瞬警戒。しかしすぐに、採掘仲間だと理解、オレ達はこれから行くのだと察せられた。

 さらに、攻略組でもあったので顔見知りだ。しかも、オレをみて顔をしかめる奴らではなく、中立的なスタンスの人達。

 

「よぉキリ坊。これから採掘しに行くのか?」

「アンタらもやってきたのか?」

 

 見ての通り、大量さね……。全てハズレだったと言うものの、カッカと気持ちよく笑った。男よりも男らしい女性。

 ギルド【不死鳥旅団】団長【アカネ】。その名の通り、燃え立つような真っ赤な長髪と具足に描かれた不死鳥がトレードマーク。屈強な男たちを従えている暴走族の女番長か、どこぞの軍隊の猛将といった威厳だ。鞭を持たせたらさらに凄い属性がつくも、主武装は両の拳とスラリと長い脚、極めて珍しい【体術】の使い手だ。

 本人談では、美人じゃないとの評価。確かに、素材やら男勝りな性格やらに儚げもたおやかさはないだろう。しかしその眼、奥の奥底から燃えているような輝きに、惹きつけられるモノがある。絶対に何があろうと/誰が邪魔しようとも生き抜いてみせるとの強い意志が、そこにあるような気がして、人が集まってくる。……タバコがひどく似合いそうな、カッコイイ女性だ。

 彼女ともう一人、【旅団】には有名な副長がいるのだが……今日は一緒に行動していないらしい。

 

「それだけやったのに出ないなんて……ご愁傷だな」

「まぁな。今日ポップする分は全部、取り尽くしちまったかもしれないのにな」

 

 マジか……。最悪なタイミングだった、ここまで来たのに骨折り損。

 

「……これから行っても、取れなかったりするか?」

「わからん。私らは見てのとおり―――所持重量ギリギリまで取り尽くしただけだよ。またポップするかどうかまでは、確認していない」

 

 する気力もない……。「もうさっさと下山してゆっくり休みたい」と言うも、疲れの色は微塵も見えない、周りはその通りだが。

 【旅団】の手馴れた様子から、今日が初めてというわけでもなさそうだった。最近/オレ同様、前線から一歩引いて顔を見せなくなった理由にも繋がる。ずっと採掘し続けてきたのだろう。

 

「そんな大量にあったら、一本ぐらいは……できそうだな」

「だな。

 まぁ、できなくてもいいさ。うちの天才少女が面白いモノ作ってくれたからな、そいつに使える」

「『燕』が……。何作ったんだ?」

 

 秘密だ。これからうちの目玉になるかもしれないからね……。肝心の部分は隠されてしまった。こちらも、例のスキルやらコペル先生の大発明があるので、深くは聞けない。

 

「そっちの子は……アンタの連れかい?」

「ああ。一緒に採掘しに来た」

 

 ども……。かしこまりながら、小さく返事した、誰に対してもゾンザイそうなリズベットが。

 殊勝な態度に驚かされていると、アカネがまじまじとリズベットを観察した。

 

「へぇ~あのキリトが、こんな可愛い女の子とパーティーを……」

「変な誤解はしないでくれよ。こちとらただでさえ悪名が立ってるんだ。アンタに誤解までされたら、大変なことになる」

 

 嫌なニヤつきを向けてきたので、牽制しておいた。彼女はその性格やらスタイルやらか、男性プレイヤー以上に女性プレイヤーに頼られることが多い。なので必然、流行の発信源にもなりうる。彼女に勘繰られると女性全てに悪い噂が蔓延してしまう。

 

「誤解されちまうようなことは……まぁアンタのことだ、心配はないんだろうね」

「もちろん無い、誓ってね。むしろ振り回されてるのかも」

「何よソレ、どういう意味?」

 

 耳ざとく反応された。……アカネには従順そうなのに、オレになれば途端噛み付いてこられる。

 

「珍しいねぇ。アンタにそんなことできる女の子は、一人だけだと思ってたよ」

「もしかして、アンタのことか?」

 

 何気なしに返すと、目を丸くされた。周りの【旅団】のメンバーもリズベットですら驚きを浮かべている。

 皆のあまりの反応に不安にさせられそうになると、アカネの大笑いが吹き飛ばしてきた。大口開けての、まさに呵呵大笑。山中に木霊するかのような笑い声が、響き渡る―――

 

「私を『女の子』てよんでくれるとは……嬉しいじゃないか! 惚れちまいそうだよ」

 

 怖そうな愛だ……。笑いすぎたためか目尻に涙を溜め、肩をバンバン叩かれた。本人には悪気もイジメてるなど露とも思っていないのだろうが、これでは公開処刑みたいなものだ、完全に子供扱いされてる。

 

 笑いもひとしお収まると、もう用事は済んだとばかりに別れを告げてきた。

 

「それじゃ、私らはもう行くわ。

 【リズベット】。もしも、万が一だけどコイツが、アンタに何か少しでも疚しいことしたら、すぐに私に連絡しな」

 

 生まれたこと後悔するほどとっちめてやる……。男より男らしい、頼もしいセリフ。

 それまで傍観に徹しようとしてリズベットは、その時だけ「ぜひ頼らせてもらいますね」と頷いた。……オレにニヤリと、笑みを向けながら。

 

 

 

 

 

 

 

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63階層/結晶山 ゴーレム 前

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 【不死鳥旅団】一行と別れ、水晶満ちる山頂部へ。

 夕暮れの光が乱反射される、水晶の岩肌。見上げても地面を見ても、紫紺色の夜空が広がっていた、数え切れない程の星が煌き反射している。確かな硬質な感触はあるものの、何もない空の上を歩いているようで落ち着かなくなる。

 

「ほんと、キレイな場所よねぇ。現実じゃないみたい……」

 

 リズベットは嘆息しながら、周囲の景色にうっとりしている。

 そもそも仮想世界なんだから、当たり前だろ……。との夢壊す発言は、ぐっとこらえた。気持ちはわからなくもないけど、今は別のことで悩まされている、この幻想的な光景の奥に潜む敵意を……

 

「そろそろゴーレムの警戒域だ。注意して―――ッ!?」

 

 何かが、【索敵】網に引っかかった。

 

 すばやく臨戦態勢、剣を抜きはなち構えた。遅れて気づいた/一気に緊張させられていたリズベットに「その陰に隠れろ!」と指示した。

 不満の一つでもこぼすかと思いきや、素直に従ってくれた。

 

「ええと、ゴーレムの攻撃パターンは―――左右の拳と、タックルしながらのラッシュ、それと周囲に無数の氷柱を発生させることだって! 気をつけて」

 

 わかってる……。口早な助言に、親指を立てて/了解との合図で答えた。

 じっと前方に集中、捉えた影を明らかにしていく―――

 

 するとドスドス、ここまで揺れるほどの足音が鳴り響いてきた。さらに目を凝らし続けると、おぼろげだったゴーレムがハッキリと見えてきた。

 周囲の水晶と同じ材質の身体で、一見だけでは見分けは付けにくい。なれど、内側で駆動エネルギーを循環させているためか、反射しているだけの周囲の水晶とは違う/夕暮れの今だとよくわかる。オレンジと紫紺の中、ソレだけは白虹の光を帯びている。

 破壊をもたらす兵器なれど芸術品でもあろう矛盾した威容。人を模した直立型だが手足は短く太い、胴体と頭の境はみえずほうき頭のドラム缶のようになっている三等身。ので、可愛らしいと言えなくもないだろう、オレの背丈の3倍は無ければ。

 その姿を明らかにするやいなや、いきなり両の拳を振り上げた。そして思い切り、地面を―――叩いた。

 

 衝撃が、震え渡った。弾性などないはずの水晶の地面が、波打つ。

 その波を追いかけるように、幾十重もの鋭い氷柱が生えてきた。その場に立っているものを串刺しにするかのように、地面から隆起していく―――

 だが、出頭の動きから想定済み、対応の手段も心得ていた。

 こちらも、愛剣を両手で/逆手で掴みながら振り上げた。隠れた場所からリズベットがなにか叫んだのが聞こえるも、声まで捉えられない。……たぶん驚いているだけだろうから、無視だ。

 

「オオオオォォォー―――ッ!」

 

 雄叫び上げながら/氷柱がやってくる寸前、地面へ力の限り/深々と剣を―――突き通した。剣の鍔手前まで入り込む。

 一見すると無意味な行為、しかしコレでいい。―――ソードスキルが発動した。

 

 片手剣範囲攻撃【アースハウリング】―――。

 突き立てた場所から同じく、ゴーレムがやったのと同じような波紋が現れた。ソレが氷柱の波にぶつかると緩衝/空間を歪ませる。

 そして―――相殺した。

 発生させた衝撃波は、オレを貫くはずの氷柱達を生まれ出る前に相殺していった。周囲数メートル圏内は微震のみ、変わらず通常の水晶の地面のまま、無理矢理に均衡を保たせる。

 

 本来は、周囲の敵に小ダメージと【崩し】/低確率で【転倒】させる剣技。平地で一対多で囲まれた時に使うと有効、大概足元がお留守になっていることが多いので効き目は抜群。応用として、効果範囲内の敵の剣技を強制キャンセルさせることができる。このゴーレムのような地面を利用した剣技なら、間違いなく無効化できる。

 さらに今回は、システム外スキルも併用。通常使用の均等な円状ではなく、前方へ扇状に広がるよう指向性を持たせていた。

 ゆえにか/ラッキーなことに、衝撃波の余波を食らったゴーレムは、足を滑らせ【転倒】させられていた。どスーンと頭から、すっ転んだ。

 

 機を逃さず、地面を蹴った。

 滑るように/飛ぶように一気に間合いを詰め、剣撃を叩き込んだ―――

 無防備な背中への一撃は、HPを3割ほど奪う。

 

 たて続けに攻撃、さらにHPをガリガリ削っていく。そして半分ほど奪いとると、ようやく起き上がってきた。

 もう一発、叩き込むことはできた。ちょうど剣技のリキャストも終わった頃合だった、いつもなら/この万全の体力なら勝負していただろう。だけど今は、背後にリズベットがいた、無理はできない。

 追撃のチャンスは反撃の備えへ、ゴーレムの死角へと回り込んだ。

 

 ギリギリ目の端で捉えていたのだろう。あるいは後頭部あたりに、別の感覚器官があったのか。

 人間族なら見えないはずなのに、即座に対応。振り向きざま、裏拳を叩き込んできた―――

 予想外の反応、でも大差ない。

 剣を裏拳の軌跡上へ置く、受けて立つ防御の構え。

 いくら格下の敵とは言え超重量級の相手。正面から受ければ吹き飛ばしと【崩し】は免れない、避けるのが無難だ。しかし今回やることは、受け止めるのではなく払い除けること―――

 

 裏拳が剣の腹にぶつかった。衝撃が腕に伝わる/全身が痺れる。ゴーレムの攻撃と自分の防御が混ざり一つに溶け合う―――直後、はね上げた。

 澄み切った鐘の音とともに、ゴーレムの拳が真上に跳ね飛ばされた。

 同時に【崩し】も入って腰が浮く、重心が定まらずフラフラとたたらを踏む。

 すかさず、空いた懐に滑り込み、強烈な一撃を叩き込んだ―――

 悲鳴か部品の軋みか、痛みを訴えるような叫び。HPバーも黄色に染まっていった。

 

 さらにもう一幕。痛みを怒りに変えたゴーレムは、拳を振り回してのラッシュを叩き込んでくる。

 しゃがんだりバックステップで回避、ローリングで股抜けもして回避回避―――。

 ゴーレムのヘイトを保たせながらの紙一重の攻防。いつもなら「鬼さんこちら」とばかりに煽りながら、間合いの外へ下がり続けるだけだった。今日はその手が使えない。右往左往と忙しく動き回らされる。……周囲が沼地か雪原でなくてよかった。

 疲れてしまったのか、ラッシュが鎮まる。

 その間隙を逃さず、踏み込んだ。無防備な腹にもう一撃叩き込む。

 

 

 

 幾度目かの攻防の末、ゴーレムのHPバーは赤く染まっていた。あと一発、二発は入れれば終わるだろう……。

 しかし、踏み込むことはできなかった。警戒を緩めず見据える。―――死の間際に、途轍もない置き土産を残すから。

 【旅団】達のように、高レベルプレイヤーとパーティーを組んでいたのなら、むしろ願ったりの状況だ。採掘やレベル上げにも最適だろう。しかし、今は違う。時間と手間をかけても手堅くいきたい。あの硬い防御にゴリ押ししたら、間違いなく発動してしまう。

 

 睨み合いながら、どうにかまた/じれて隙をみせないかと伺っていると―――予想外のことが起きた。【索敵】が警告する。

 何を思ってか突然、リズベットが隠れていた場所から出てきた。

 

「バカ!? まだ出てくんなッ!」

「な、何よ? もう終わりじゃない。さっさとカタをつければ―――」

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」

 

 ゴーレムの雄叫びが、リズベットの言い訳をかき消した。

 オレにでも誰に向けるでもなく、狼の遠吠えのような、この水晶の山そのものに向けての雄叫び。

 撒き散らされた轟音に反応してか、周囲の水晶が微震。淡く発光し色めき立つ。……傍に仲間がいた事に反応してか、ラストショットを繰り上げてきたのだ。

 

(まずいまずいまずい、まずい―――)

 

 間に合え―――。最速最短、ソードスキルを叩き込んだ。咆哮で無防備になっていた胸元へと、穿つ。

 

 深々と愛剣が突き刺さった。致命に至った手応え、HPバーもガくんと減少し、0になった。

 しかし、キャンセルはされなかった。

 周囲の水晶の共鳴は止むことなく、さらに高まりをみせていく。

 

「くそッ! 間に合わなかったか―――」

 

 舌打ちをつくも即座に、リズベットの元まで下がった。彼女を庇いながら、最大限の警戒を払う。

 貫いたゴーレムが、役目を果たしきったかのように倒れていく。ゆっくり背中から倒れ……砕けた。無理やりつなぎ止めていたであろう手足や関節部が、バラバラに地面へ四散した。ゴーレム特有の駆動の光も消えていく。

 周囲の水晶と代わり映えが無くなっていった直後、ソレが―――発動した。

 

 

 

 周囲の輝く水晶壁から、幾十体ものゴーレムが歩み出てきた。

 

 

 

 先ほど倒した【クリスタルゴーレム】と同じ。しかし……大群。しかも、逃げ場をなくすかのように囲むような形で、隆起している水晶壁から現れてきた。

 

「な……なん、なのよ、これはぁッ!?」

 

 恐慌一歩手前の悲鳴。こっちがぶん殴ってでも聞きたいことだったが、今は不問に処す。

 

 表れたゴーレム達は、機動シークエンスを終えたのか、目の部分やコアと思しき箇所に赤い光が灯った。そして、敵性個体であるだろうオレ達を捉えだした―――

 その無機質な視線にゴクリ、息を飲まされた。騒ぎ立てていたリズベットもヒィッと、引きつけのような悲鳴を上げる。

 すぐに攻撃されるかと身構えるも、睨み合い。代わりにジリジリと、囲みを強化していった、抜けられそうな陣形の穴が補修されていく。……とても嫌な展開だ。

 

「―――て、転移でにげよう!」

「無理だ。ココはもう【結晶無効化空間】だ。転移結晶じゃ逃げられない」

「け、結晶無効化ッ!?

 ……て、何よそれ! そんなことあるわけ―――」

「やめろッ! 使えば奴らの攻撃スイッチが入る。君もソードスキルが使えなくなるだろ」

 

 改造結晶を起動させようとするのをギリギリ、押し止めた。……危ない危ない。

 【結晶無効化空間】になってしまったことに気づかず、いつものように緊急離脱しようとすると、ゴーレム達に先制を取られてしまう。

 結晶アイテムの使用は、ソードスキルと併用できない。さらに発動失敗すると、効果が続いたであろう時間硬直を課せられてしまう。プレイヤーでも気づける者は少ない/ほぼ気にする必要のない現象。なのにゴーレム達は、そのシステムの隙を利用してくる/戦術に組み込んでいた。

 リズベットが「なんで止めるのよ!」と頑なに訴えてくるも、却下。説明してあげる暇もない、僅かながらの隙を探るのに精一杯だ。

 オレの緊張が伝わってくれたのか、渋々ながら保留してくれた。

 

「……どう、するのよ、こんな大群? アンタでも……無理でしょ?」

「一人ならいけないことは無いけど、君が傍にいるとちょっと……厳しい」

 

 ハッキリ言うと無理、だけど強がった。このピンチ下での弱気は、正しい判断であろうと勢いを殺す、起死回生の案も出てこずフン詰まりになるだけだ。……今は博打の時間だ。

 自己暗示の強気発言が幸をなしたのか、一つ閃きが湧いてきた。

 

「リズベット。転移結晶一つ、貰ってもいい?」

「きゅ、急に何よ! てか、使えないんでしょ?」

「いいから出しといてくれ」

 

 早く早く―――。急かすと、不満タラタラながら言うことを聞いてくれた。

 急いでメニューを展開すると、転移結晶を取り出した。青い八角柱の水晶を握り締める。

 

「オレが合図したら、ソレを真上に思いっきり―――投げてくれ」

「な、投げる!? 使うんじゃなくて?」

 

 正気の沙汰じゃないわ……。最もな意見だが、今は最もふさわしくない。

 

「あいつら【クリスタルゴーレム】にとって、結晶アイテムは……同胞らしいんだ。小さくて自分じゃ動けないから、赤ん坊みたいなものだな」

「あ、赤ん坊? ……コレが?」

「オレ達の手にソレが握られている状況は、言ってみれば『人質を取られている』。追い詰められた凶悪な誘拐犯が、赤ん坊を盾にしているように映ってるんだ」

 

 だからこそ、パーティースキルにより【結晶無効化空間】を展開している/結晶の使用は奴らを怒らせるのかもしれない。……みせしめで断末魔も上げさせている、かのように見られているのかもしれない。

 リズベットは、疑り深そうな/「アンタ頭大丈夫?」との視線を向けてきた。モンスター達とプレイヤーとの概念違いについて、詳しく説明してやる暇はないので省略。「ほれ、見てみろ」と周りの様子に目を向けさせて、強引に納得させた、動揺して/怒りを滾らせているゴーレム達の姿が見えるはずだと。……微妙すぎる反応なので気づけないだろうが、切り替えてもらうしかない。

 

「使わずに放り投げれば、奴らの注意が逸れる。そこを突いて……逃げる」

 

 舞い降りてくれたアイデアの概要/リズベットを無事に逃がせる方法。……この世界に爆裂魔法が存在していたら、もっとスマートな解決法があったのだが。

 説明してもリズベットは、半信半疑だった。オロオロと迷っている、今手に持っている転移結晶の誘惑に駆られていた。オレの世迷言なんか信じず使えばいい、いつもそうしてきた/コレが最善だ/ソレ以外にない、【結晶無効化空間】なんてあるわけない……と。

 オレはソードスキルを使わないといけない。彼女にやってもらうしかない。刹那の/繊細な/ミスの許されない職人技なのだ。タイミングを見誤ると檻にぶつかるだけ、包囲から抜け出せずそして―――最悪な悲劇が待っている。

 なので、後はただ……オレへの信頼だけだ。

 

 怯え切っているリズベットへ真っ直ぐ、相対した。

 

「信じてくれ、リズ。必ず君を守る」

 

 ジぃッと挑むように、彼女だけを見据えて宣言した。

 周りのゴーレム達の様子がすごく気になるが、今は彼女の信頼を得るのが大事だ。ちゃんと真っ直ぐ真正面から、向き合わなければ伝わらない。

 オレの誠実さが伝わってくれたのか、震えは止まった。だがボソリ、呟くように―――

 

「―――も、もう一回……言って」

「……へ?」

「もう一回き、き……聞きたいのッ!」

 

 顔を真っ赤にしながら、要求された。

 想像の斜めを上をいく返答に、ポカーンとしてしまった。何を言われたのか、頭が一瞬空白になった。

 

 再び思考が戻ってきた直後、何か言おうとした寸前、

 

 

 

「「「■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」」」

 

 

 

 ゴーレム達の咆哮が、現実に引き戻してきた。

 

 包囲陣形の配置は完了していた。

 あとはただ、網を狭めていくだけの作業。ゆっくりとしかし確実に、絞め殺していく/近づいてくる。全員で発生させた氷柱が檻の中を埋め尽くす間合いまで―――……

 待っていた瞬間だ。

 

「投げろ、リズベット!」

 

 ギリギリを見計らって、叫んだ。……もう信頼どうこう言っている場合じゃなくなった。

 幸いなことにリズベットは、こんちくしょうとばかりに投げてくれた―――

 

 空高く舞い上がる転移結晶……。

 ゴーレム達の目は、全てそこに向いた。舞い上がるソレを目で追い、釘付けになる。

 

(今だ―――)

 

 瞬時に腰を落とし、ソードスキルの構え。ついでに無造作ながら、リズベットを脇に抱えると―――跳んだ。

 地面を思い切り踏み込み、ゴーレム包囲網の間隙へと発射した。

 

 一気に手前まで飛び込めた。

 ゴーレム達は注意が逸れていたので、対応が一手遅れた。再びターゲットマーカーを付け直す。

 その間隙/ほぼ同時にもう一歩、跳んだ。

 

 脇を抜けた。

 傍の両側のゴーレムは目で追ってくるも、まだ攻撃できず/マーカーの設置が不安定。させてやることなくそのまま、走り抜けた。囲みから抜け出る―――

 しかし、別の個体は違った。

 遠距離の間合いであったため、注意が戻るとすぐさま行動。出会い頭にぶつけられたように、各々が地面を―――叩いた。

 

 衝撃波とともに、氷柱が追いかけてきた。

 必死で走るも振り切れない。リズベットを抱えているので速度が足りない。このままでは二人とも串刺しにされる、足止めされてまた囲みに戻されてしまう……。

 なので―――飛んだ。

 前ではなく上空へ、氷柱が届かない高さまでジャンプした。

 

 人ひとり抱えてだったが、ギリギリ。氷柱の穂先は足の裏手前あたりで止まった。

 

「あ……危な―――」

「いのは、これから―――だッ!」

 

 しばしの無重力状態の刹那、思い切りリズベットを―――放り投げた。

 ここからさらに【体術】の【月歩】/空中二段ジャンプを使えば、伸びた氷柱に突き刺さることはないだろう。しかしソレだと、高すぎるので着地時に硬直時間を課せられてしまう。リズベットの体重分も含めると高所ダメージもある。ゴーレムたちに追いつかれるだけだ。

 なので、投げた、彼女だけ戦域から外れてもらうために。

 ついでに/その勢いを使って、オレも足下の氷柱群から逸らした。串刺しにされることはない。ただし―――ゴーレムの檻の中に戻ることで。

 

 真逆の方向へ放物線を描くオレ達。……リズベットは頭から着地してしまったものの、戦域外まで飛ばすことができたのは見えた。

 

 ゴーレム達は、近くで着地したオレにターゲットを向け直した。組しやすさよりも距離を優先する、そこだけは大多数のモンスター達と変わらない。

 このまま戦えばオレにだけ注意を向けてくれる、狙った状況だ。コレなら何とかなる。しかし―――

 

「バカぁ! 何してんのよッ!?」

 

 リズベットの絶叫に、ゴーレムの数体が反応してしまった。

 

 すぐに攻撃すれば、もう彼女に見向きしないだろう。だけど、確実とも全員でもない、タイマンとは違い包囲網の中では舐めてもかかれない。

 なので、ちょうど落下していたリズベットの転移結晶を拾うと―――発動させた。

 

 結晶は煌めくもしかし、効果は発揮せず。瞬く間に輝きも消えた/発動失敗。

 そして、全てのゴーレム達のヘイトが一気に高まった。敵意の視線が降り注いでくる。……これでもう、彼女を襲うことはなくなった。

 愕然としているリズベットに、気軽な調子で伝えた。

 

「今度こそ、絶対に隠れてろ! 手出しなんか一切すんなよぉッ!」

 

 次は流石に、フォローしきれないからな……。リズベットからの罵倒の代わりに、ゴーレム達が拳を叩き込んできた。

 

 

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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63階層/結晶山 ゴーレム 後

一級トラブルメーカー、リズベット


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 一人で十数体ものゴーレム達と対峙する、しかも包囲されている状況。

 多勢に無勢だ……。しかし今度は、後ろにリズベットはいない。気にせず思いっきり戦える。

 

 背後からの個体から、拳の急襲。結晶アイテムを使ったばかりなので、ソードスキルは使えず、足も動かない/躱せない。

 なので、軌線を見定めそこに剣を添えた。

 ぶつかり/撓み/衝突―――。全身へと伝染する寸前、跳ね上げた、

 

 澄んだ鐘の音が響き渡った。

 ゴーレムの急襲をパリィ。攻撃を跳ね上げられ体勢が崩れる/たたらを踏む。別角度から急襲しようとしていた仲間ゴーレムの邪魔する位置へ―――

 割り込んできた仲間の巨体で強制キャンセル、連携を封殺した。

 

 続いて遠間から、氷柱の襲撃。仲間ごと巻き込むような位置取り。ここではモンスターといえども、パーティー間のフレンドリーファイアはないので躊躇うことがない。

 襲い来る氷柱の群れ、上空にしか逃げ場はない。しかしちょうど、硬直が解除されていた。第二の方策。先のように迎え撃った/【アースハウリング】を叩き込む―――

 互の衝撃波がぶつかり合い、対消滅。ただし、オレの方が威力は強いので押し通た。発生していた氷柱もバラバラに粉砕されていく。そして、囲んでいたゴーレムたちの足をもすくい取った。

 どスーンと一斉に、ゴーレムたちによる地鳴りに揺さぶられる。

 

 【崩し】か【転倒】状態に陥ったゴーレム達、即座に行動できない隙だらけ。その間隙をぬって不利な立ち位置から抜け出した。

 しかし、全員ではなかった。ソードスキルの影響外にいたゴーレムが、逃がさんとばかりに追ってきた。拳を叩き込んでくる―――

 また剣を構えて防御。けれど、走りながらなので軌線を捉えきれず/パリィではなくただの防御。しっかりとした大盾や硬い盾ですらないので、重量級のゴーレムパンチならダメージが通る、ついでに吹き飛ばしの憂き目にも。

 ゴンッと重い打撃、ゴーレムの体重の乗った拳が目と鼻の/わずか剣に遮られた先にあった。受け止めきれず腰が浮く。

 そのままでは吹き飛ばされるだけ、最悪【転倒】させられる……。なので、足の踏ん張りを解いた。逆にトンと、合わせて体を浮かす。

 衝突エネルギーはそのまま、吹き飛ばされるがままにふっ飛ばされた。包囲の外へと、飛ばしてもらう―――

 

 包囲の外縁部に着地。【転倒】しないように地面との接触面と重心の微調整、ガラスに爪を立てたかのような摩擦を撒き散らしながらブーツと地面を削った。……水晶であったためか、思ったよりも滑ってしまった。

 殴り飛ばしのエネルギーが消えると即座に、踏み込んだ。反撃のソードスキル。弾丸のように発射し、殴ったのとは別のゴーレムの脇腹を貫いた。不意打ちされたゴーレムは、悲鳴を上げるとともに体をよろめかせる。

 その個体を盾にしながら、別の個体へと跳んだ。……一時の遅滞が命取りになる、忙しくも飛び回ってかく乱し続けなければならない。

 

 ゴーレム達との戦闘はつづく……

 オレの基本戦術は、どうにかしてタイマンに持ち込む/他の個体は黙らせること。【アースハウリング】や【崩し】/【転倒】を引き起こせる突撃/範囲攻撃を叩き込んで眠らせる、漏れた個体へ一撃離脱のヒット&アウェイ。大きく攻め込まずチクチクと、隙だらけだからといって無理に遠間の個体を襲わない/防御されても攻撃を入れる。絶対に守勢には回らず堅実に攻め攻めて、確実にHPを奪っていった。ゴーレム達は翻弄されるがまま、小回りの利かない巨体を右往左往させ続ける。

 巨体のモンスターにありがちなこと。学習能力があまり高くないのも、大いに助かった。

 複数でパーティーを組んで攻めてきているのに、指揮官らしき個体もいなければ役割分担もされていない。包囲は破れたのに、まだソレに固執しているのがいい証拠だ。互いの意思疎通もできていない、数の暴力を使いこなせていなかった。

 ゆえに、ただの群れだ。集団じゃない。場を混乱させれば、個々の能力は通常のタイマンよりも弱くなる。あの巨体群の威圧感と孤軍の焦燥感を飼い慣らせれば、容易い相手だ。

 一体また一体と、打ち倒していった―――……

 

 

 

 

 

 長々と続いた攻防戦。

 最後の個体へトドメを刺した時にはすでに、日はどっぷりと沈んでいた。周りは暗闇に包まれている。

 

「―――ふぅ~。これで終わりだな」

 

 剣を差し貫いていたゴーレムの停止/体がバラバラになったのを確認して、ようやく安堵の吐息をこぼした。

 鞘に収め緊張も解くとドッと、疲労が吹き出してきた。

 ずっと押し殺してきた疲労。そこまで強くない相手だったが、突然の遭遇戦だったので無理やり切り替えねばならなかった。それにココは山頂部だ、気に留めていなかった薄い空気が押し寄せていた。体の芯にシコリが溜まってなのか、いつもより重く感じる。

 だけど……。周りを見渡した。ゴーレムたちの残骸が所狭しと埋め尽くされている。

 ここに来た目的は果たされた。この残骸から金属を得られるはず。……【★6】があるかどうかはわからないが。

 

「おぉ~いリズベット! もう出てきていいぞぉ!」

 

 呼びかけるも、答えは返ってこない。

 そもそも、あの性格だ、戦闘中に何か喚いていたはず。集中していたので声は聞こえなかっただろうが、音は聞き取れた。なのに全く、無反応だった。

 訝しり【索敵】で検索してみると、最後に見かけていた岩陰にはいなかった。近くの隠れ場になりそうな影にもいない。

 嫌な予感に、息を飲まされそうになった。まさか知らないうちに、襲われたのか……。恐る恐るも視界隅に焦点を合わせると、表示されている彼女のHPバーが何事もなかった。ホッと一息、何とか動悸は収められた。

 

(だとすると一体、何処に行ったんだ……)

 

 【索敵】の範囲をさらに拡張した。彼女の足跡を浮かび上がらせる。

 何も映っていなかった地面にぼんやりと、人の足跡が浮かんできた。リズベットの足跡。ついでに中空にモヤも/彼女の臭跡も視覚化し、リズベット精度を高めた。……彼女の体臭パターンはまだ未登録だったが、ここまで来ただろう他のプレイヤーのモノは大体登録済みだったので弁別できた。

 足跡の向かう先へと追跡していく。山頂部から下り氷壁まで、巨大なクレバスを渡す水晶の橋まで降りていった……

 

 なんだって待っていてくれなかったのか? 君一人でここを彷徨くのがどれだけ危険なのか、わかってるのか……。いくらなんでも自由すぎる。今日あったばかりの仲だが、少しぐらい言うとおりにしてくれてもいいと思う。

 説教の一つでもしてやろうとプンスカ、口を尖らせていると―――絶句した。

 

 

 

 橋の中腹あたりでリズベットが、立ち往生していた。

 

 

 

 先にも進めず戻れもせず、ヘタリこんでいる。橋にしがみついてもいた。

 見た瞬間、何が見えたのかサッパリわからなかった。意味不明すぎる現実にポカーンとしてしまった。瞬きしてもこすってもつねっても変わらない。……彼女はそこでプルプル、しがみついたままだ。

 

「あのぉ~……リズベットさん、何してやがるんですか?」

「キ、キリト!? 無事だったのね!」

 

 信じられない、よかったぁ……。オレを見ると/声を聞くと、今にも泣き出しそうな、安堵の吐息をこぼした。

 

 なるほど……。状況は概ねわかった。

 オレを助けるために援軍を呼ぼうと、ここまで必死に降りてきたのだろう。自分じゃ助けにはなれないから、せめて誰かに助けを求める。ダンジョン内ではメッセージは使えないから、走って知らせに行くしかない。

 転移を使えばすぐに呼べるだろうが、あいにくの【結晶無効化空間】だ。ここまで離れれば使えるだろうが、ここまで来たのだから誰か捕まえたい。もしかしたらまだ【旅団】たちがいるのかもしれない。

 その見込みの結果が……コレだ。

 今の時間の水晶の橋は、あまりの透明さゆえに見えない。クレバスの深淵と夜空の漆黒に溶けてしまっている。【索敵】をかなり鍛えているか特殊な装備をしていない限り、手探りながらおっかなびっくり進むしかない。

 

「今そっちに行く。

 絶対に動くなよ。落ちたらたぶん……死ぬからな」

「やっぱり……。

 転移は使えないの?」

「使えるっちゃ使えるんだが……。せっかくここまで来たんだ、どうせなら金属取ってから帰ろうぜ」

 

 健闘を称えると、見えない水晶の橋へと踏み出した。慎重に一歩一歩、渡っていく……。

 

 一歩進むごとに、ゴクリと息を飲まされた、背中に嫌な汗も流れる。

 オレの感覚でもまるで見えない、硬い感触はあるが本当に歩けているのかわからない。【索敵】の音波探索に切り替えた/足音と風の音で編まれた反響像を映す。……ようやく、朧げながら輪郭が見えてきた。

 行きはコレで大丈夫だろう。しかし帰りは、見えないリズベット付きだ。通った後に目印を置ければ、幾分か安心できるだろう。だが―――

 

「ひぃッ!?」

 

 下から強風が、煽ってくる。ゴウゴウと恐ろしい重低音を出しながら、揺さぶりをかけてきた。まるで、早くこっちにおいでと誘うかのように……。

 リズベットは落ちまいと、必死にしがみついた。オレもさすがに、風が止むまでは動けない。バランスを保つ―――

 

 風が緩やかになると、また慎重に進んでいった。……下は見たくないが、見ないと踏み外す。最悪なジレンマだ。

 

(コレを全く見えずに、完全に触覚頼りであそこまで行けたのかよ……)

 

 リズベットの根性は本物だった、助けを呼ぼうと必死だったことに偽りはなかった。……笑ってしまった自分を恥じた。

 

 落下の恐怖と強風の煽りに耐えながら、何とか手が届く場所までたどり着いた。

 

「―――ほら、手を掴め」

「う、うん! ありが―――ッ!?」

 

 急に、驚愕を浮かべた、オレの背後にある何かを見て。……音波探索に集中させていたので、広域探査はおろそかになっていた。

 

 恐る恐るも振り返ると、そこには……ゴーレムがいた。

 倒し残してしまった一体。あるいは、再ポップしたのを気づかずにここまで引き連れてしまったのか。……どちらにしても最悪だ。

 ゴーレムは橋の手前で、両腕を思い切り振りかぶった。氷柱攻撃の初動モーション―――

 

 まずい!? 跳ぶぞリズベット―――。一気に対岸まで渡ろうと、事後承諾でリズベットを引き寄せようとした。

 しかし……ソレがまずかったのだろう。

 彼女を驚かせてしまった。ギリギリ支えていたモノから、注意が削がれてしまった。

 ゆえに―――

 

「―――あ?」

 

 

 

 橋から足を……踏み外した。

 

 

 

 ズルリ―――リズベットが傾いだ。

 伸ばされた手を掴もうとするも、届かず/空を掴んだ。橋から落下していく、深いクレバスの底へと落ちていく……

 

 クレバスの底がどうなっているのか、まだ誰も見たことがない。

 誰もが落ちないように、慎重に橋を渡っていった。オレのように【索敵】を使ったり、ロープで互いに結んだりしながら、決して落下しないように進んだために。……どう考えても即死のトラップだ。そこに踏み込めるほど、無謀極まる豪胆なプレイヤーは現れていなかった。

 なので、落ちたら終わり/この橋の共通認識。あとは転移結晶が働いてくれることを祈るのみだ。一瞬パニクるだろうが、たぶんに高度はあるはずなので持ち直せるはず。改造結晶ならすぐに発動させられる、発動前に手放してしまうなんてポカはない。高所落下を回避する方法はリズベットも知っているはず。大丈夫だ、大丈夫なはず、死ぬことなんて―――……

 

 気づいたら、飛び込んでいた。

 その手を追う、離れてしまった手を追う。安全な足場からダイブしていた。

 

 全身が、冷たい空気に叩きつけられた。頬が/全身が/感覚が擦り切れていく。ただただ、手を伸ばす、とどく/とどける/とどけぇ―――

 

「掴まれッ!」

 

 声にもできない絶叫をあげるリズベット。その伸ばされたままの手をしっかりと―――掴んだ。

 

 そのまましっかり抱き寄せると半回転、上空を仰ぎ見る形。

 同時に、袖口に仕込んでいた特殊ピック/ワイヤー付きの小型クナイを手首のスナップで引き出し、その手で掴んだ。そして、落ちた足場ある場所へと投げる。流れるような動作、反射行動までに染みこませていたのでほぼワンアクション―――

 

 クナイが飛ぶ/ワイヤーが伸びていく。キュルキュルと、脇と背部に仕込んでいた歯車が軋みを上げていた。ベルトに縫い込んでいたワイヤーの糸束が高速で減っていく。

 

(間に合え、間に合え、間に合ってくれ―――)

 

 祈りは通じたのか、もはやジャンプでは届かない距離まで落下した頃合だろう、クナイが足場まで到達してくれた。

 ソレを見込むと止め、足場をクルクル巻き込んでいった。しっかり巻きつくように操作する。

 

 完全に結べたかの確認する間もなく、糸束の放出を止めた。

 直後ガクッ―――と一気に、負荷がかかった。

 

「―――いぎぃッ!?」

 

 あまりの重さに、歯を食いしばった。脱臼しそうだった。

 腕に絡ませ素手でワイヤーを掴んでもいたので、食い込んでもいる/血がツゥーと滴り落ちてきた。何とか肉までで、裂けてはいなかった。……フル装備の二人分は初めてだったとはいえ、腕の負担が尋常じゃない。

 しかし、効果はあった。

 落下は停止、中空でぶら下がることができた。

 

「た―――助かった……の?」

「とりあえずは、な。……リズベットが重すぎて、腕ちぎれそうだったけど」

 

 半分以上事実の愚痴に、リズベットは顔をしかめるも、口に出すまでは控えた。……さすがの彼女も、この状況で文句を言えるほど肝は太くないらしい。

 不満げながらもそっと下に顔を向ける確認すると、「ひぃッ!?」。小さく悲鳴を上げギュッと、抱きつきを強くしてきた。……おそらく赤バンダナ侍が現状をみたら、「お前も爆死しろや」と言われそうだが、そんな気は一切起こせなかった。花より二つの肉饅頭より、命だ。窒息の危機にそれどころではなかった。

 慎重に慎重に、ワイヤーの頑張りを無碍にしないように/だけどできるだけ素早く、リズベットを落ち着かせた。冷静さを/一刻も早くしなければならないことを思い出してもらう。

 

「……転移結晶、使うわね。ここの主街区でいい?」

「ああ、頼む」

 

 初めて彼女と意思疎通できた気がして、笑みが浮かんだ。

 正直、ワイヤーでぶら下がる必要はどこにもなかった。彼女を捕まえたあと、すぐに転移しても良かった。わざわざ腕を傷めることもなかっただろう。ただ……言い知れぬ嫌な予感がして、ひとまずの無事を確保してからにした。

 改造結晶を発動させようと、ピアスに意識を集中した。

 

「………………コレ、壊れてたりして、ないわよね?」

 

 しかし、いつまで経っても煌めかなかった。発動直前の光が出てこない。

 不安そうに見つめてくるリズベットに、オレのモノも働かせてみる。発動発動、頼む発動してくれ―――。

 しかし……結果は同じだった。

 

「………………最悪だな」

「嘘だって、言ってよぉ……」

 

 どうすんのよ……。青褪めるを通り越して、乾いた笑いを浮かべていた。嫌な予感は見事に的中してしまった。

 もちろん答えは決まっている。……どうにかするしかない。

 どうして転移結晶が使えないのか? ここは【結晶無効化空間】だったのか? ……考えても詮無いことだ。今必要なのは、生き延びる手段だけ。転移以外でどうやって橋まで登るかだ。

 

「ロープか代わりになるモノ、持ってたりは……する?」

 

 返事はNO。声には出さなかったがわかった。……ハッキリ聞くと辛くなるので、やめた。

 大概のダンジョン攻略で必須アイテムだから、持ってるのは当たり前だろ……。と呆れかけたものの、オレ自身がコレに頼りきってしまっている始末。ソロ気分/パーティー組んでいることをすっかり忘れ、予備を考えていなかった。

 

「コレだけじゃ……ダメそう?」

「慎重に巻き取っていけば、何とか行ける。だから……。

 リズ、先に【帰還の秘薬】使ってくれ」

 

 【帰還の秘薬】―――。【転移結晶】の劣化版/飲む【転移結晶】。

 飲んでしばらく待っていないと、転移が発動しない。加えて待機中、ソードスキルが使えなければ他のアイテムも使えない。安全が確保されている非戦闘エリアでなければ使えない。……昔は随分とお世話になった。

 今でも、【転移結晶】に比べての安さ故に使われている。ダンジョンからただ帰還するだけならば、こちらがメインだ。【結晶無効化空間】に影響されないのも良点の一つだろう。……ロープその他は持っていなくても、この秘薬は常備しているはず。

 

「いいけど……アンタはどうすんよ?」

「君が転移できたのを確認したら、このまま登れる」

 

 だから、安心してくれ……。安心させるような笑顔とともにそう言うと、しおらしくも従ってくれた。

 ゆっくりとメニューを展開し、目的のアイテムを取り出す。揺れないように気を配りながら、ゆっくりと嚥下していく……。

 その間、祈るようにワイヤーを見ていた。全神経をワイヤーと巻き取り機に集中する。

 慎重は慎重でも、とても繊細な作業だ。神様のごとく崇め奉る必要がある。ちょっとでも機嫌を損ねれば、すぐにプチん……とキレてしまう。ただただ、おすがりするだけだと祈り続けなかればならない。

 

 リズベットは秘薬を飲み干すと、空になった容器をそのまま捨てた。戻す動きすら怖い。

 容器はすぅ……と、深淵に消えていった。割れた音は聞こえてこない。

 嫌な事実に、どちらも頭を振った。……見なかったことにした。

 

「あ、あのぉ……キリト。

 助けてくれて、そのぉ……ありがと」

「…………え、なに?」

「だ、だから! 助けてくれてありがとう、て……―――えぇ、うそぉッ!?」

 

 恥ずかしそうにモジモジしていたのに、急に驚愕していた。仰ぎ見ていた先に、何かを捉えて。

 最悪な予感に、思わず手を止めた。釣られて見上げてみると……その通りだった。

 

 

 

 対岸で待ち構えていたゴーレムが、クレバスの中に飛び込んできた。

 

 

 

 水晶の巨体が舞い降りてくる。玉砕覚悟のダイブ―――

 

 やばい、このままじゃぶつかる……。全身が一気に、凍りついた。

 最悪なことに、今オレ達がぶら下がっている場所は落下コースに重なる。あの巨体がぶつかれば間違いなくワイヤーは切れる、ほんの少し触れられただけでも危ない。もしもそうなれば……共倒れだ。

 決して奴を、近づかせてはならない―――

 

「リズ、手を空けたい! 自分で掴んで―――」

「いやぁぁぁーっ! やあぁぁーッ―――!」

 

 パニックに陥ってしまったリズベットには、オレの声は届かず。どこにも逃げ場がないのに逃げようともがく。……巻き込まれてこちらも身動きできない。

 なので、唯一の助かる方策ができない。愛剣を投擲して迎え撃つ/衝突させてベクトルをずらすことが……できなくなった。

 ゴーレムが飛び込んでくる。オレ達に受け止める余地は微塵も……ない。

 

 もはや仕方ない……。あとは運を天に任せるのみだ。ここまで最悪ならば上しかないはず―――。

 パニクったリズベットは無視、そのまま抱きかかえながら/落下してくるゴーレムにあわせて、また半回転。体の捻りで勢いをつける、唯一空いている足に力を集中―――

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!」

 

 神風特攻に、咆哮をのせた。同時に、仲間を惨殺された怨嗟を込めてか、振りかぶった拳にすべてを集中させる。

 

 そして衝突する―――寸前、思い切りワイヤーを手繰った。リズベットごと自分の体を持ち上げる。同時にプチリと、嫌な音が鳴る。

 僅かなタイミングのずれ。相打ちではなくこちらが先手、さらにはカウンターだ―――

 ゴーレムの拳が繰り出される直前、廻し蹴りを叩き込んだ。

 

「お、りゃぁッ―――!」

 

 渾身のカウンターに、ゴーレムは蹴り飛ばされた。パンチは空振り/ベクトルも曲げられ、クレバスの壁へと叩きつけられていく。

 同時にこちらも、反作用で反対側の壁へと流された。

 ただし同じく、もはや何ものにも吊るされていない状態で……。先のカウンターで、ワイヤーは切れてしまった。

 二人とも再び、中空に投げ出された。

 

「う、嘘ぉ!? コレってまさか―――」

「舌噛むなよ」

 

 一瞬フワリと、無重力状態/蹴りの反動による浮遊。

 しかしそのまま……自由落下。

 重力に従い徐々に、スピードが早くなる。冷たい空気が全身を研ぎ澄ましていく―――

 

 声にもならない絶叫が、風に吹き飛ばされていった。

 耳元で叫ばれているはずなのに、かすかしか聞こえなかった。……同じように泣いている暇もない。

 

 落下しながらも壁にまでぶつかると、両足で思い切り踏み叩いた。

 逆側の壁に飛ぶ、垂直のベクトルを何とか緩やかな角度まで曲げた。

 定石なら上にジャンプするのがベストなのだが、高すぎる/橋までは届かない。おまけに、足がかりも取っ手もないツルツルした水晶壁面では、上手く踏み込めない。底部への軟着陸しかない。

 ジグザグと、壁を踏み叩きながら落下していく。勢いを殺し続けた―――……

 

 なのにまだ、底が見えない/暗がりのまま。リズベットを抱えながらなので、上手く殺しきれてもいない。

 段々と、壁に着地した際の減速力が弱くなる。壁から壁への飛距離時間も長くなっていく―――

 

(まだだ。まだ全然―――止まらないぃぃッ!)

 

 もう次のジャンプは間に合わない……。即座にそう判断すると、空いた片手で愛剣を引き抜いた。

 

 壁にぶつかると同時に、思い切り―――刺した。

 ガキンッと、わずかながら鋒が壁に突き刺さる。そのまま壁沿いに、落下していく―――

 

 耳を劈くような、火花を撒き散らしながら、勢いを殺していった。ジャンプよりは減退させられている。

 しかしまだ、底は深淵のままだ。

 剣の耐久値も気になるが、そのまえに腕が耐えれない。片手では自分ひとりでも手一杯だろうに、リズベットの分もある。そもそも万全にも使えない状態だ。いずれまた落下速度は元通りだ、こんなのは焼け石に水だろう。……でも今はもう、コレしかない。

 だから、あとは……気合だけだ。

 

「うおおぉぉぉッ! 止まれえぇぇぇーーーッ―――!」

 

 雄叫びをあげて奮い立たせた、足りない分を補う。

 ただただ、鋒に神経を集中させる。微かながらの取っ手に全身全霊でしがみつく。

 しかし―――

 

 

 

 パァンッ―――……。剣が弾けた。

 

 

 

 手が耐え切れず、あるいは硬い部分にぶつけてしまったのか、弾かれるように取りこぼしてしまった。衝撃で壁からも離される。

 

(あ―――…… )

 

 最後の命綱が、切れてしまった……。愛剣は遥か上空を舞う。

 

 それでもまだ、終われない/終わってはならない、終わってなるものか―――。

 最後の望みを託し、自分が下になった。

 衝突手前で蹴り上げれば何とか、彼女だけでも勢いは殺せるはず。即死寸前のダメージで抑えられるかも……。

 

 オレのリアルラックはまだ、尽きていないはず―――。そう祈りながら、墜落の瞬間に備えた。

 

 

 

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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63階層/狭間 野営 前

_

 

 

 

 

 ―――アイツとの約束、守れそうにない……かな。

 

 意識が暗闇に飲まれる寸前、思い浮かんできたのはそのこと。

 失敗した……。たぶん/きっと、すごく怒られるかもしれないなぁ。

 未来は突然決まる。問答無用で理不尽に、何が起きるか誰にもわからない。だから考えつく限り、想像力を振り絞って準備するべきだろうが……それでも、唐突すぎる。

 勝ったと思わされた瞬間に、敗北が決まる。勝負の鉄則だ。……せめて遺言は、用意しておかなくちゃダメだったな。

 

 自嘲混じりの苦笑い。そんな冴えない最後とともに、暗闇へと堕ちた。

 ―――……

 ――……

 ―……

 ……

 

 。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

「―――キリト! ねぇ、起きてよキリトぉ!」

 

 リズベットの泣き声。涙ながら、オレを揺さぶってくる。

 無造作にグラグラさせられ続けると、意識がもどった。うっすらと目を開ける。ぼんやりとした中から徐々に、目を覚ましていく……。

 

(……オレは一体、どうなった?)

 

 寝ぼけがほどけ、周囲がクリアになっていく。視覚だけでなく別の/体の感覚が戻ってきて―――つながった。状況も思い出す。

 ハッと、身を起こした。反射的な反応/重大な失態に心底驚愕して、考えるより先に体が動いてしまった。

 なので―――ゴツンッ、互いの額をぶつけ合った。

 涙ながら心配してくれているであろうリズベットに、頭突きをかましてしまった。

 

「い―――つぅ……」

「いきなり、なにすんのよ!」

 

 互いにオデコをさすり/半泣きになりながら、突然の衝突事故に呻いた。

 あまりのダイヤモンドヘッドに当てたこちらも大ダメージだったが、一気に覚醒させてもくれた。痛みで頭が冷える。

 一潮痛みが抜けると、正面からリズベットを見た。……確かに/正真正銘、彼女だった。

 

「……とりあえず、幽霊じゃないらしいな」

「アンタもね! ……心配して損したわ」

 

 プイッとそっぽを向かれた。……確かに、夢でもよく似たNPCでもないらしい。

 ようやく、あの落下を生き残れたことを実感できた。

 なので/恐る恐るも、天井を見上げ確認してみる―――

 

「ココ、クレバスの底……だよな?」

「たぶん、そうとしか……言えないでしょ?」

 

 天井にあったのは、真っ暗闇。夜空よりも黒い深淵だった。

 ここがクレバスの底だというのなら、見上げれば空が見えるはずなのに見えない。あらゆる光を吸収してしまうドームの中のように、天井が覆われているようだった。どれだけの高さ落下したのかわからない。

 周囲と地面へと目を向けると、あるのは磨きぬかれた水晶。ソレ自体でほんのりと燐光を放っているか/くすんだものが混じっているのか、感覚を研ぎ澄まさなくても見える。リズベットも見えていることから、【索敵】の恩恵が無くても見える程度の暗さだろう。綺麗ではあるが硬くツルツルしている、一切の弾力性がない材質。

 全てを確認するとゴクリ、息を飲んだ。

 

「……お互いよく生きてたな」

「ええ、ほんとに。……ギリギリだったわ」

 

 はい……。とりあえず飲みなさいと、ハイポーションを渡してきた。

 受け取ると素直にゴクゴク、飲み干した。赤く危険域だったHPが回復していき……全快した。

 回復しきるとまた、吐息を漏らした。そして再び、天井を見上げた。

 

「天井、見えないな」

「うん……」

 

 これからどうするの……。無言の不安が投げかけられてきた。

 思案中思案中、オレだって聞きたいよ……。ここがクレバスの底なら、たぶんに【結晶無効化空間】だろう。もしできたのなら、リズベットがオレごと転移してくれたはず。

 サッパリわからないなりにも頭を捻ってみると、打開策が浮かんできた。元々用意していた対応策、ここであっても変わらないはず。

 

「【秘薬】もう一個持ってたりするか?」

「あいにく、アレだけよ」

「そうか……

 オレ持ってるから、使えよ。ソレで脱出はできると思う」

 

 メニューを展開し取り出すと、「ほれ」と渡した。

 渡されたリズベットはソレを見つめ、不安そうにオレと見比べてきた。

 

「……アンタの分は?」

「気にせずどうぞ」

 

 無い、てことなのね……。気遣って勧めるも、すぐにバレて眉を顰められた。

 勘の良さに胸の内で口笛を吹くも、嘘ついても/強がっても仕方がないので、肩をすくめた。正直に打ち明ける。

 

「素材は一通り揃ってるけど、【調合】使えたりは……しないよな?」

「……ゴメン」

 

 結晶アイテムとは違い【帰還の秘薬】ならば、【調合】が使えれば作り出せる。自作できるようになれば、ダンジョンに潜るたびにわざわざ買い揃える必要もない。ただ、素材は比較的簡単に揃えるが、自作の【調合】レベルは高く【レシピ】も必要、専用の大型クエストをこなす必要もある。なので、素材を用意して『調合屋』に作ってもらうのが常道だ。

 気落ちするリズベットに、「気にするなよ」と軽く慰めた。攻略や戦闘には直接関係しない/裏方にならざるを得ない【調合】を会得しているプレイヤーなど、ごく限られている。少なくとも攻略組にはいないはず。……【鍛冶】をマスターしているだけでお釣りがくる。

 

「とりあえず、リズだけでも戻ってくれれば、救助も呼べるんだけど……ダメか?」

「アンタのモノなんだから、アンタが使いなさいよ」

「ここはモンスターが湧いてこないとはいえ、君一人じゃ危険すぎる場所だ。オレが居残った方が生き残れる」

 

 他に方策はあるか? ……少しばかり酷な言い方だが、仕方がない。彼女には飲み込んでもらうしかない。

 わかってるわよ、そんなこと! だけど……。踏ん切りをつけない様子、すぐには切り替えられないでいた。

 なので、ダメ押し。

 

「助けられたのに、見捨ててしまうような気がして嫌だ……か?」

 

 ギクリ―――。顔をしかめて睨んできた。痛い所をつけたらしい。

 のでもう一押し、煽った。

 

「もしそんな風に考えてるんだったら、お門違いだぜ。そんな考えはすぐに捨てたほうがいい、バカがよくする感傷だからな」

「……ソレ、どういう意味?」

 

 あからさまに/計算通り、冷たく聞き返された。

 

「『助けられてしまった』のはもう取り返しがつかないんだから、今更どうしようもない。切り替えるしかないんだ。飲み込むのが無理だったら、棚にあげて無視してもいい。ソレができなきゃ、自分だけでなく仲間にも……迷惑がかかる」

 

 最悪、全滅すらありえる……。厳しく突き放すことだが、仕方がない。理想よりも現状に集中してもらわないと危険だ。

 今は/ここはもう、オレが彼女の分も背負ってやれるほど、安全なテーマパークじゃない。命が危険にさらされるダンジョンだ。今二人とも無事に生きているだけでも幸運だった。……自分の力量を見誤ってはならない。

 

「『足でまといだった』とかで悔やむのも違うぞ。オレは君がどれだけのレベルか知っていた、それでもできると見込んだ、足りない分をカバーしきれるともな。……その想定が甘かったんだ。君だけの問題じゃない」

 

 そして幸いなことに、今はBプランが使える……。ここが潮時だ。これ以上無理を通せば、撤退すらできなくなる。……自分の命はこの世界にあるどのアイテムとも、天秤にかけてはならない唯一だ。

 

「……せっかくここまで来たのに、何もできずに……帰るなんて―――」

「その手の無理強いして死んだ奴、結構知ってるぞ」

 

 大体の死因は、安全策を捨てて賭け事をしてしまったからだ。ここがデス・ゲームと忘れてしまった、攻め時と無謀をはき違えた/戦の流れの読解力を無視したから、仕掛けられた罠にかかる。

 だからと言って、オレは当てにならない。リズベットにはそうなって欲しくないし、おそらくできない。……オレの場合は、みなが『正しく』してくれただけだったと、今になってみればわかる。『ビーター』の特権だ。

 しかし―――悔しすぎてだろう、今にも泣き出しそうな顔を見せられた。そこまで言わなくたっていいじゃない……。普段なら吐いたであろう文句すら、飲み込まされた結果だ。

 決意が揺らぐ、押し通せそうにない。……まだまだ、覚悟が足りていなかったらしい。

 

「…………はぁ~、わかったよ。

 今はもう夜だ。どうするにせよ決断は、朝になってからだな」

「……うん」

 

 その「うん」は、何に対しての肯定なんだよ……。まだ消沈している彼女には追求できず、かわりに胸の内で大きくため息をついた。……頼むから、もうゴネないでくれよ。

 

 ひとまず棚上げ、ここで夜を明かす準備を始めた。メニューから必要なアイテムを取り出す。

 

「……なに、してるの?」

「野営の準備」

 

 驚かれる前に、いつもの野営セットを取り出していた。

 携帯ガスコンロを地面に設置/点火し、上に置いた小型の鍋に水と粉末を注いだ。グツグツと煮込まるまで、ゆっくりとかき混ぜ続ける。

 

「はぇ~……準備がいいことで。

 よくこんなモノ持ってたわね?」

「前線じゃ、ダンジョンで一夜明かすなんてザラだからな」

 

 ストレージの所持重量は有効活用しないとな……。皮肉げな忠告。

 はいはい、わかってますよ先輩……。肩をすくめながら、軽口の応酬。……先までの暗さは、いちおう払拭できたらしい。

 言い合っているうちに、湯も沸いていた。入れた粉末もそこに溶け、ホカホカのコーンスープが出来上がる。

 

「美味しそう」

「だといいがな―――」

 

 柄杓をとって味見―――。同じ粉末でも微妙に味が変わるので確かめざるをえない。しかも【料理】をセットしていないとなると、美味がでる確率は低くもなる。

 味見の結果は……まあまあ、オレなら別に気にならないレベル。リズベットはどうかと思案するも……彼女の好みを知らないと、今更ながら気づいた。どうしよう……。

 とりあえず、ここは寒く大変な目に遭ったとの共通項から、元気がでる辛味が必要だろう……。無難にそう考えると、再びメニューを展開し調味料を取り出した。パッパと少々、まぶして混ぜる。

 

「―――ホイ、熱いから気をつけろよ」

「ありがと」

「言っとくが【料理】はからきしだからな。期待しないでくれ」

 

 渡されたカップをフゥフゥ、熱を調整するとズズぅ……飲んだ。

 

「―――温かい」

 

 リズベットの顔には、不味そうな色合いは見えなかった。安堵でほころんでもいる。……よかった。

 自分の分も作ると、またメニューを展開しアイテムを取り出した。

 

「よかったらコイツも使ってくれ、疲れが吹き飛ぶ」

 

 渡された小瓶を見て/張られたラベルに、驚かれた。

 

「……お酒?」

「そ。ハチミツ発酵させて作ったやつだから、甘くもある、ちょっと度数は高いけど」

 

 【酩酊】するほどじゃない……。いつもの料理のお供や寝酒/宴会なんかで飲むのは、少し場違いな感じがある。そもそも、ハチミツの甘ったるさとアルコールの奇抜な組み合わせについてくるのは難しい。でも、今ここ/人知れぬ寒冷地の夜ならばふさわしいはず。

 案の定驚かれたが……過ぎていた。顔が真っ赤にアタフタと、慌てふためかれた。

 どうしてか、オレと手のお酒を交互に顔を向けながらオズオズと、恥ずかしそうに尋ねてきた。

 

「ふ、普通さ、この状況でこういうモノ出すって……どうなの? いいの? 私たちまだ、今日会ったばかり……じゃない?」

「前線じゃ普通だぞ?」

「えぇッ!? ……マジで?」

「飲み過ぎはバカだけど、飲まないと上手く休めないし仮眠なんてできない。こういう、寒くて暗くてすぐに助けもこなさそうな穴の底だったら、なおさらだ」

 

 私が言いたいのは、そういうことじゃなくて……。何か不満が残ったようだが、「何でもないわよ! もう忘れて―――」と、急に瓶のコルクをもぎ取るように外した。

 そして豪快にグビッと、飲んだ。

 

「―――確かにコレ、甘いわね。お酒じゃないみたい」

「ソレに騙されて、グビグビ飲んでへべれけになった奴ら、結構多いからなぁ」

「アンタもその一人だったり?」

 

 いきなりのご指摘にビクリ、沈黙と視線そらしで答えてしまった。ご想像にお任せします……とは格好つかなかった。……なんで気づけたんだろ?

 

 スープとお酒。交互に飲んでお腹を満たすと、調理道具を片付けた。

 そして次に、就寝用具を取り出そうとするが、

 

「寝袋か毛布、持ってたりは……しないよな」

「お構いなく。このコートだけで充分よ」

 

 先に渡した厚手の黒コート一つで、やせ我慢してきた。

 野営セットを一揃え所持しているのは、かなり変わっているのかもしれない……。ソロプレイで攻略組に参加する心構えとして、常に用意してきた。周りでワイワイとキャンプしている中、一人隅っこで膝を抱えて寒そうにしている姿が、ビーターの役どころに相応しいとは思えなかったからでもある。……でなくても、寂しすぎる姿が怖い。

 そうやって習慣づけていったことで、当たり前になっていき……感覚がズレたらしい。中層域のプレイヤー達/前線を一歩離れると、ダンジョンで寝泊りするのは日常じゃなかった、眠るのは自分のホームか拠点にした宿屋なのだろう。今回は日帰りできる/できるだけ鉱石を集めるのが目的だからとは言え、習慣がなかったと言わざるをえない。

 

「さすがにソレだけじゃ、凍えちゃうよ。―――コレ、使ってくれ」

 

 自分用に使うつもりだったシュラフとベットロールを渡した。

 

「高級品なんだぜ。断熱性ともちろん寝心地もバッチリの代物だ。窮屈そうに見えるけど中は意外と広い、手足を思いっきり広げられるぞ」

「それじゃ、アンタが使えばいいじゃない、アンタのモノなんだから。……私は大丈夫よ」

「オレは見張りやるからな。肌寒い方が眠気が覚めていい」

「見張りなら私もやるわよ。てか、ここは非戦闘エリアみたいなんだから、大丈夫じゃない?」

「だと思うけど、侵入できないモンスターがいないわけでもないだろ? 防護膜の揺らぎを見切って攻撃してきたり、効果範囲外の遠間から投擲とかな」

 

 さすがにそんなこと、あるわけないでしょ……。リズベットは笑っていなそうとした。……やはり、先の推測は当たっていた。

 ダンジョンの非戦闘エリアで寝泊りすれば、おのずと持たされる警戒心だ。非戦闘エリアを【圏内】と同じと誤解している、中は完全な防壁で守られているわけではない。プレイヤーの中に潜んでいる犯罪者たちの【圏内】破り同様、モンスターたちも積極的にエリア侵入を試みようとする。

 なので、必ず見張りを置かなくてはならない、できれば周囲の掃討も。ソロプレイの場合は、擬似的な【圏内】を作り出すことができる【結界石】を使う必要がある。ここでも使えればいいのだが……生憎なこと【結晶無効化空間】、見張りを使うしかない。

 

「一度でも侵入されれば、エリアの効果が無くなるのは知ってるだろ? 【圏内】でない限り、安心しすぎるのは危険だ」

「……一晩中、気を張り詰めるのもどうかと思うわよ? ここがどのレベルかわからないけど、正直私だけじゃ……切り抜けられそうにない。途中で倒れられちゃ困るわ」

「攻略組舐めんな、徹夜なら3日ぐらい平常運転だよ。それに、下手に仮眠入れると鈍るんだ。……リズが使ってくれ」

 

 やんわりと論破して返却拒否し続けた。リズベットはソレ以上言い返せず、俯いた。

 また機嫌悪くさせたかと伺うも、帰ってきたのは気弱げな声だった。

 

「私って、そんなに……足でまといなの?」

 

 怒っても悔しさでもなかった。寂しそうにそう、問われた。

 一瞬、言い訳しそうになったが……やめた。

 

「……その自覚があるなら、使ってくれ」

 

 これが今、君のすべきことだ……。越えてはならない一線、オレが彼女に手を貸せるギリギリがコレだった。

 ハッキリと告げられるとおずおず、受け取った、ただし無言で。……先までの和やかな空気は消えてしまった。

 なのでか、いらんことを口走ってしまった。

 

「まぁ、オレが使ったやつではあるけど、ここじゃその手の汚れだかは残らないはずだ。ストレージから出せば新品同様だからそのぉ、気にならなければ―――」

 

 なるに決まってますよねぇ……。自分で言っておきながら、恥ずかしくなってしまった。恥ずかしいことに今更気づいた。

 もちろんのこと、指摘されてリズベットも、顔を真っ赤にした。即座に察せられた。先までと違うジト目で睨んでくる。

 

「も、もしかしてだけど、やっぱりそういう……目的で、てこと?」

「ち、違う! 断じて違うぞッ! オレはそんな……誤解だからな!」

「どぉかしらねぇ~……」

 

 危うく丸め込まれることだったわ……。もはや完全に信頼感0へ、先までオレに付着していたであろう威厳も見事に剥がれ落ちていた。

 かと言って、意見を曲げるわけにはいかない。コレは大事だがソレは命に関わる、何か疚しいことなど一切合切微塵も無い。だから……

 

「……やっぱり遠慮するわ。私、そういう趣味はないんで」

「わかったよ、分かりました! そんなに使いたくなきゃいいよ、もう―――」

 

 どうとでもなれと、リズベットの手から寝具セットをひったくると、ストレージに戻した。

 代わりに、厚手の大きめの毛布を取り出した。

 

「……コレなら、文句ないだろ?」

「まぁ、さっきのよりかは幾分かマシ、か……。これなら二人でくるまれるしね」

 

 ボソリと呟かれると、今度はオレがキョトンとしてしまった。二人でくるまるって……どういう意味?

 オレの視線に気づくと、急に慌てふためいた。しどろもどろ言い訳を吐き散らしていく。

 

「ご、ご、誤解しないでよッ!

 別に、そういう目的だからとかしたいとかじゃなくて、二人だと寒くないし、アンタも少しは寝られるだろうし、だから、だから……だからよッ!」

「いやいや! ソレだと逆にオレ、寝られなくなりそうな気が、しないでもない気が……」

 

 最後はゴニョゴニョと、自分で言って恥ずかしくなってきた。これじゃまるで……。

 このままだと話がややこしくなるだけだ……。お互いそう暗黙知したのか、コホンと話題を切った。

 そしてブワリ、互いに背中合わせになると、一つの毛布にくるまりあう。

 

「あ、アンタのこと、信頼して……だからね!」

「わ、分かってるよ! 変なことなんて絶対……しない」

「ちょっと、今の間はなに!?」

「な、何でもないよ! ……はぁ、もう変に勘ぐりはやめてくれよ」

「な、何で私の責なのよ!?

 私は別にそんな、アンタがする、なんて……疑ってないわよ!」

「いやいや、そこは警戒したほうが……て、いいか」

 

 このままじゃ何もできん……。互いに観念した。

 静かに包まりあうと、互いに互を意識しないように努めた。ただ、ピタリと背中合わせなのでどうしても気になってしまう、特に自分の体のコントロール不能さが。……緊張しているのがモロにばれる。

 コレじゃ、本当に気が休まらないぞ……。自制心をフル稼働させながら、現実逃避の思考を紡いで平静を保つ。羊が一匹羊が二匹、羊が三匹四匹五匹、六匹に七匹―――……

 するとソっと、いきなり声をかけられた。

 

「―――ねぇ」

「ひゃいッ!?」

 

 変な声で答えてしまった。

 訝しられるも気にされず、そのまま続けてくる。

 

「一つ、聞いていい?」

「な、なんだよ、改まってさ?」

「何であの時、助けてくれたの? アンタも死んでた……かも知れなかったのに」

 

 いきなりの真面目な話題に、一瞬言葉を詰まらせてしまった。

 どうしてなのか? ……改めて考えさせられる。

 

「……誰かを見殺しにするぐらいなら、一緒に死んだほうがずっとマシだった。ソレがリズみたいな女の子なら、なおさらだ」

 

 似合わぬ小洒落たセリフを混ぜて、どうにか恥ずかしさを紛らせた。

 実感としての真実は『体が動いた』からだ、理由は後付けだった。あの瞬間、利益とか善悪とか生き死の判別もなかった。過去が想起された気もするが、記憶になった後に付け足されたのかもしれない。だから、全ての理由に証拠がない/ありようもない。それでも、オレが選んだその一つには、オレらしさがあるような気がした。……あまり触れられたくない、生のオレ自身が。

 その答えにリズベットは、はんば驚きはんば知ってたと、静かに納得した。

 

「そういうのって、『バカの感傷』じゃなかったの?」

「そうさ。だからリズには真似して欲しくない」

「……勝手な言い分ね」

 

 自覚はしてるよ……。また同じ問題が吹き出しそうになってか、二人とも口をつぐんだ。

 

 また静かに/今度は緊張少なく、黙ったまま互いに反対方向を向き合った。先とは違い、いたたまれない沈黙ではなかった。宵闇に抱かれるような静寂、このエリア自体の微音が聴こえてくるかのような、五感が染み広がっていく不思議な感覚。

 マズイとは思いつつも、うつらうつらと、心地よくたゆたっていると、

 

「……この毛布、けっこう暖かいね」

「そうか。それは……よかったよ」

 

 リズベットからの返事は、かえってこなかった。

 不思議に思うとスヤスヤ、背中越しに寝息が聞こえてきた。……疲れていたのだろう、もう眠ってしまったらしい。

 

(……おやすみ)

 

 胸の内でそう声をかけると、見張りに専念した。……眠りを妨げないように、調整してあげながら。

 

 

 

 

 

_




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 他人が/気になっている異性が愛用しているであろう寝袋を、使うことが出来るのか、ソレも本人の目の前で? 現実ではなくフルダイブのVRなら関係ないのか?
 原作では、そこのところ突っ込んではこなかったのですが、武装とは違って寝袋は気にせざるを得ないものだと思いました。おそらく、自分の着た服を他プレイヤーに譲渡するなんてことは、いくら利益があったとしても躊躇われるのではないかとも。通常のオンラインゲームなら気にならないけど、全感覚のVRとなれば気にせざるをえない。
 その手の『気持ち悪さ』を払うために、『洗濯屋』なんてモノが必要とされるかもしれない。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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63階層/狭間 野営 後

_

 

 

 

「―――キリト起きて、つぎはアンタの番よ」

 

 リズベットに起こされて、仮眠から覚めた。うっすらと瞼を開いていく―――

 

「……もう、時間たってた?」

「とっくにね。30分オーバーよ」

 

 寝ぼけ眼ながら時計をみると、確かに経っていた。驚くオレに、リズベットは得意そうに笑みをむける。……言いたいことはわかっていますよ。

 徹夜すると決めれば3日はできるのだが、寝ると決めればいくらでも寝れてもしまう、中断されたらこの通り……頭がボォっとする。寝起きは力が入らない。

 

「シャンとしててよ。死因が居眠りていうのは、勘弁だからね」

「わかってますよ。安心して寝てくれ」

 

 軽口を返せないぐらいには、まだシャンとはしていないが……じきに元に戻るはず。

 「それじゃおやすみ、ちゃんと起こしてよ」と、そのままリズベットは目を閉じ……眠りに落ちた。本当に眠かったのか今日は無理を通していたからか、気持ちいいぐらいの寝つきっぷりだ。

 

 熟睡したのを確認するとそっと、気づかれないよう地面へ横たえさせた。互いを覆っていた毛布をその上にかぶせて一人、立ち上がる。

 手足を思い切り伸ばしてコリほぐし。全身に力が再充填されたのを感じると、メニューを展開/周辺マップを提示。周囲を調べる、まずは落としたはずの自分の愛剣を探さないといけない。マップに装備品のロケーションを表示させた。

 【取りこぼし】からかなり時間が経っているので、すでに装備枠から剥がれてしまったのかもと恐れたが……大丈夫だった。簡易周辺マップに一つ光点が浮かぶ/愛剣の座標だ。……けっこう近い。

 目を凝らす/【索敵】で視界を暗視に切り替えた。微かな光も捉える猫の目、モノクロの視界が広がる―――

 周囲は水晶の洞窟、材質は上のものと変わらない、やや透明度は落ちている。ただ猫の目だと、足元が非常に不安定に見える。細かく編まれた蜘蛛の巣の中にいるかのようで、ゾッとしない

 

 慎重に進む、目的の場所へたどり着くと―――あった。愛しの我が黒剣。

 拾い上げて感触を確かめるた。刀身を触る、状態を数値化して表示、軽く素振ってもみた……

 問題はなし。さすがに耐久値はかなり減っているが、折れていなければ歪んでも刃先が欠けてもいない。すぐに使える。……相変わらず、規格外の耐久値だ。普通のモノならボロボロになっていたはず。

 ただし、無理はしたくない。極力戦闘は避けたほうがいいだろう。コレが正真正銘、最後の頼みだ、壊すわけにはいかない。

 

(さて、とりあえず……帰るか)

 

 愛剣の修理もある。時間が経ちすぎているので回復量は微々たるものだろうが、できることは少しでもやっておきたい。他にも準備しなければならないことは山ほどある。

 踵返してキャンプ地へ/リズベットの元に戻ろうとしたら……違和感に気づいた。視界隅に奇妙な影が映った。巨大な黒い水たまり、いや穴か? 水晶がない地面がある。

 訝しりそろり、近づいてみると/覗いてみると―――目を丸くした。

 

「―――なるほど、だから無事だったのか」

 

 奇跡の正体に/嫌な事実に、苦笑した。……だからこんなに深くまで、落下できたのか。

 ため息を一つ漏らした。だからと言ってどうしようもない。今はまだ休んで、朝になってから考えればいい。

 振り返るとそのまま、キャンプ地まで戻っていった。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 グツグツと、煮立つ鍋をかき混ぜる。蒸気とともにいい香りがフワリ、撒き散らされていった。

 

 毎日の食事は、このSAOの中では欠かせない娯楽だ。

 いい食事はいい一日を作る、美味いメシを食えば戦闘も上手くなる。……気分的な問題だが、バカにはできない。前線では些細な支えでも必要だ。モチベーションの維持にも大いに役に立っている。

 この真実は、10階層を越えて/βのアドバンテージがなくなってから気づかされた。

 ほぼ何の支えもなく一人、前線で攻略しなければならない孤独感。頭のみならず全身をフル回転させながらトップをひた走り続ける毎日。寿命を削らなければやっていけない。……パンクするのは目に見えていた。

 それでもギリギリ、何とかここまでやってこれたのは、日々の料理のおかげだ。

 栄養さえ取れればいいなどと、軍人みたいなストイックさはかなぐり捨てた。食欲には忠実になれと律したためだ。毎日そっけないパンかカ○リーメイト/ヴィ○ーインゼリーみたいな栄養補給じゃ、どこかで死んでいたはず。……決して妥協せず/金に糸目は付けず、美味い料理/レストラン探しを課してきた努力の結果。

 できれば自分で/【料理】を習得すればよかったのだが、そこまでは凝れなかった。準備の面倒くささ/ソロプレイの悲しさ/一人暮らしの侘しさ。食事は外食にせざるを得なかった。毎日の食料費はかなり、バカにならない額になっている。……自作していたら今頃、もっといい物件を手に入れていたかもしれない。

 ただ/だからこそ、寝つきと寝起きの一杯だけは譲れない。【料理】なしでも作れる最高級を揃えた。いい食事がいい一日を作る……。

 

 そろそろいいかなと、味見をしていると……ちょうどリズベットが目を覚ました。

 うっすら目を開けゆっくり体を起こし、寝ぼけ眼のまま視界隅を/おそらく時計を確認して―――ギョッとした。

 

「おはよう」

「……何で、起こさなかったのよ?」

 

 恥ずかしそうに/はんば毛布で顔を隠しながら、恨めしそうに睨みつけてきた。

 

「色々作業してたから、忘れたんだ」

 

 悪いね……。悪びれた様子もなく答えた。

 約束ではあったが、起こすつもりはなかった、一回仮眠を取らせてもらったら充分だった/過ぎてもいたから。……事実必要だったのは、オレよりも彼女の方だったらしいし。

 

「それよりも、眠気覚ましだ、どうぞ―――」

 

 彼女用に取っておいたドリンクを渡した。……熱々のスープは、さすがに寝起きにはきつい。

 まだ何か言いたげながらも、溜息一つ。少し乱暴に受け取とると―――ゴクリ、飲んだ。

 飲み干すと、訝しりが顔に広がっていた。

 

「これ……水、じゃないわよね?」

「ああ、【帰還の秘薬】だよ」

 

 専用の瓶からコップに移し替えただけ。色合いでバレてしまうがコップで誤魔化せる、そもそも寝起きだったので警戒心も薄い。

 当然のこと、リズベットは動揺すると、また睨みつけてきた。

 

「―――やってくれたわね」

「吐き出さないでくれよ。ソレが最後の一本なんだから」

 

 そして今度は、スープを渡した。

 まだ転移するまで時間がある。一杯ぐらいは飲めるだろう。

 

「……いらないわよ」

「ふたり分作っちゃったんだ」

 

 せっかくだしな……。大きくため息をつかれると、観念したかのようにグビリ、一気飲みした。

 

「―――すぐに助けに戻るわ」

「その前に、脱出しているかもしれないからな。半日ばかり待ってた方がいいかもしれない」

 

 強がりなんて……。呆れられた。

 はんば冗談ではあったが、そうしたいとは思っている、できる限りを尽くして。……救助しにきた奴らがオレに何を言ってくるのか、目に見えるようだった。

 互いに向かい合い、転移の時間を待った。

 

 ―――……

 ――……

 ―……

 ……

 

 。

 

 ……しかし、リズベットは転移されず、何事も起きず。

 

 さらに確認のため、もう少し待ってみるも……何も起きない。転移特有の淡い光など微塵も現れなかった。

 ようやく悟ると、肩をすくめあった。

 

「……転移、できないみたいね」

「そう……みたいだな」

 

 互いに大きく、ため息をついた。

 【結晶無効化】だけでなく、転移自体を阻害してしまうエリア。フロアボスエリアですらありえない造りだ。……厄介極まりない。

 

「こんなことって……あり得るの?」

「たぶんここが、転移システムでつながっている場所じゃないから、だろうな」

 

 不安そうに尋ねてくるリズベットに、仮説を披露した。……おそらく、ソレ以外にはありえないであろう仮説、できれば外れて欲しい類の。

 

「【狭間】だ。落下し過ぎて到達しちゃったんだ」

「【狭間】て確か、えぇと……何だっけ?」

「各階層の深部と天井部にあって、重力が逆さになっているエリアだ。犯罪者たちだけがいけるはずの場所……だった」

 

 厳密に言えばカーソルの色だけで行けるわけじゃないが、変わっていないといけない。少なくとも、まともな方法では入場できない。

 

「1階層の【監獄】と25階層の【カブラキ】50階層の【アリゲート】は、有名な【狭間】の街だよな。……どれも通行証を確保できたら、犯罪者である必要はないけどね」

 

 ただその通行証をゲットするためには、一度犯罪者になる必要がある。あるいは、持っている奴とトレードするかだが、どちらにしろ犯罪者と関わる必要がある。……ただそもそも、どの【狭間】も攻略にはほとんど関係しない。

 

「でも、私たちはただ……落ちただけ、でしょ? 犯罪者になんか、なってなんか……」

「たぶんだけど、『正式なルートでは必要』なだけかもしれない。侵入するだけならこうやって、落下するだけで事足りる」

 

 あるいは、『自殺』という形でオレンジ認定がされたのかもしれない……。さすがにありえないだろうが、あのクレバスから落ちたのならそう思われても仕方がない。

 ただ、推測を重ねているだけなので、当然のことながらリズベットの疑念が晴れることはない。

 

「……だとしても、本当にそうだって証拠は?」

「向こうに、でっかい穴があった。……夜空を見下ろせるぐらいのな」

 

 たぶん、オレ達が落ちてきた穴だ……。途中で重力が反転して、無事に着地できたのだろう。でなければ、高所落下ダメージで二人とも退場していた。

 

「ちなみに、あっちにも道が続いてた。どこに通じているかはわからないが、オレの【索敵】の範囲外にも続いている」

 

 大穴とは別方向を指さしながら言った。ただのどん底ではなく、水晶の洞窟だった。……オレが知らないとなると、未踏地エリアだ。

 ここまで推測を出してみると、ふとクエストのことが浮かんだ。ここにきた目的/【★6】の金属が手に入るとされている。誰もが未達成だったのは、もしやここが……答えだったのかもしれない。

 

「仮にここが【狭間】でいいのなら、無事に帰れるかも知れない。別の場所に安全な出入り口があるはずだ」

「……どういうこと?」

「あのクエストに必要だったのは、カーソルの色だったのかもしれない、てことさ」

 

 現に、その手のクエストは存在する。……存在してしまっている。

 魔剣を作り出せる金属【★6】。ソレを手にしなければならないプレイヤーは必竟、一人で攻略せざるを得ない状況に追い込まれている。通常は別の方法を模索するものだ、仲間とより緊密に協力し合うという方向へ。『それでも』と、考えるプレイヤーの種類は……限られてくる。

 だとしたら、実にいやらしい条件だ。開示するのもためらわれる。

 いちおう、それなりにはまとまってはいる攻略組だが、誰もが己の腕っ節を信仰している。気性が荒い、個人プレーに染まりやすい。自分より強者だと認めない限り他人からの指示など受け付けない。しかし、【★6】が無いことで協調方向へ持っていきやすくなっていた。……ソレが崩れてしまう。しかも、犯罪を唆すような特典付きで。

 再び大きく、ため息をついた。腹に重いシコリのようなものが沈んできた。……また秘密を抱えなければならないらしい。

 

「……もし、そうじゃなかったから? ここから出られる方法なんてなかったら?」

「毎日寝て起きて暮らす」

 

 それ以外にやることがないし、できればそうしたい。……最近、働き過ぎな気がしてならない。

 

「あっさり即答するわねぇ、もうちょっと悩みなさいよ」

 

 でも、それも悪くないか……。苦笑しながらも、同意を含ませてきた。

 意外なことに、彼女も怠惰が欲しいらしい。バリバリせかせかと、人や競争の中で働くタイプかと思っていたら違った。その点は大いに好感が持てる。……どこかの攻略の鬼とは違って。

 

「まぁいちおう、方法がないわけじゃないよ」

「なんだ、何かできそうなの?」

「ああ。コイツさ―――」

 

 ゆるくなった空気の中、取り出して見せたのは……手のひらサイズの気球だ。

 油をしみこませた布切れと、ちぎれてしまったワイヤーの残りと、携帯ガスボンベから取り出したガス。そして何より、『オレ達はここにいる』とのメッセージを込めた小さな記録結晶を使って自作した。

 

「コレって、もしかして……気球?」

「そ。少しばかり不細工だけど、機能は果たせるはずだ。

 コイツにメッセージを取り付けて飛ばせば、上まで届いて誰かに知らせることができる。この山は高レベルの金属の採掘場でもあるから、人が来ないことはないしな」

 

 途中でガスが切れるか引っかかるかしなければ、上まで到達してくれるはず。障害物も横風も飛行型モンスターの妨害もないはずだから、大丈夫ではある。

 誰かが拾って、興味を持ってくれるのを祈るばかりだ。できれば焦ってもらいたいが、もしも先の条件でクエストが達成できるとなると……考えないといけない。メッセージの内容は慎重に添削する必要がある。

 

「相変わらず、用意がいいことで」

「発想力だよ、君、窮すれば通じるのさ。諦めたらそこで終わりだよ」

 

 ごもっとも……。素直に賞賛をうけとった。

 実は以前、『迷宮区を登らずに上の階層へとショートカットするにはどうしたらいいのか?』という、アホながらも魅力的な試みがされた。その方策の一つとして、気球の制作と使用があった。制作の方は、ヒト一人分ならば完成させることができた。しかし使用に至って……無理だと判定された。【狭間】の責だ。

 実験台にされたプレイヤーが、【狭間】に落ちた後どうなったのかは……わからない。緊急転移は叶わなかった。高所落下死は免れなかっただろうが、【生命の碑】には死亡が載っていなかった、ただし本当に生きているかどうかはわからない。なのでその反省から、気球案は永遠に封印されてしまうことになった。

 

「いいじゃないソレ、飛ばしに行こうよ!」

「……悪い、こいつは保留だ。先に探索してみて、行き止まりだったら使おう」

「なんで、知らせるのは早いほうがいいじゃない? わざわざ後でやらなくても……て、まさかそういうこと?」

 

 何を察したのか、ジト目を向けてきた。

 おそらく言いたいことはわかった。オレの思惑とは微妙にズレているし心外だが、『そういうこと』にした方がいいだろう。

 

「そ。できればココの情報は、オレ達だけの秘密にしておきたいんだ。リズに作ってもらう分も補填したいし、なにより、懐具合は暖かいに越したことはないしなぁ」

「うわぁ……さもしい男ねぇ」

「おいおい、クエスト情報は商品だぜ。【★6】が手に入るクエストの攻略法とあれば、大枚叩いても買い取ってくれるはずだ」

 

 だから秘密を共有してくれたら、分け前ははずむよ……。頭の中でエギルをトレースしながら、ニタニタと業突く張り商人の笑みを向けた。

 凄腕かつ孤高の職人であるリズベット親方は、オレのさもしさに眉をしかめるも、ノーコメント。分け前交渉にはのってこず、『黙っているけどお金は要らない』との態度を向けてきた。……ちょうどいい感じに誤魔化せた。

 

「他の案は、そうだな……せっかくゴーレムの金属あるから、ピッケル幾つか作ってもらうのもありだな」

「ピッケルって、まさか……あの高さ登る気!?」

「高さは問題ない、迷宮区にもその手の絶壁があったしな。

 ただ……この壁、オレの剣でも表面に傷がつくだけだったからなぁ。クライミングは無理だろうな」

 

 【体術】の【壁走り】を使ってみたが、一回では無理だった。数回/最低でも3つほど足場があれば行けたかもしれない。ピッケルを差し込めれば足場は作れる。あるいは/本来の用途として、取っ手として使ってもいいだろう。だが……魔剣を上回れる鋭さなど、ココでは作り出せない。

 

「あとは、そうだな……リズにヘリのプロベラ作ってもらって飛ぶ、てのは面白そうだな。ここには金属は山ほどあるし、あとは【車輪】を鍛えればいいだけだからな」

 

 『迷宮区ショートカット』のアイデア/ボツ案の一つ。人力竹コプター。

 ヒト二人分飛ばすだけの浮力を得るには、どれだけ回転力が必要かわからない。が、そこはソードスキルとシステム外スキルの【加速】、いけないこともない。ただし、二人でこなすには無理だとの結論に至った。もうひとり【瞑想】の使い手が必須、互いに離れすぎては力を送ることができないので、追尾して空中浮遊してもらわねければならない。……ひどい矛盾だ。

 他に使えそうな代案はないか、思案していると……クスクス、リズベットの微笑みが見えた。

 

「……なんだよ? 何かおかしいことでも言ったか?」

「いえね、アンタ見てると、何とかなりそうな気がしてさ。ここは今もの凄く危険なんだろうけど、何だか……可笑しいな、てさ」

 

 心配してるのが、バカバカしくなっちゃった……。裏表ない、力みの抜けた笑みを見せてくる。

 慰めてるつもりはなかったので、反応に困った。どうすればいいのかわからないので、同じく笑ってみた。一緒に笑ってみると、オレも本当に可笑しくなってきた。……確かに今なら、何でもできそうな気がする。

 

 しばらく笑い合っていると、「あ、そうだ!」とリズベットがオレの背中に収まってる剣に顔を向けた。

 

「アンタの剣、大丈夫……だったの?」

「なんとかな、折れても欠けていなかったよ」

「耐久値はどれぐらい?」

「心配いらない。もう一度あのゴーレム軍団と一戦交えても平気さ」

 

 少しばかり強がりだが、慎重に立ち回ればいけないこともない。……それ以上は絶対にもたない。

 

「……見せてもらってもいい?」

「大丈夫ダイジョウブ。気にしないでくれよ」

 

 気軽な調子で誤魔化そうとするも、あまりにも言葉足らずだったらしい。

 

「……ゴメンなさい。【簡易炉】じゃアンタの剣は修理してあげられない」

 

 察したリズベットは、先までの明るさから一気に、顔を沈ませた。

 

「……コイツの扱いづらさは知ってるし、慣れてる。あんだけ無茶したのに、破損してなかっただけでも儲け物さ。

 とりあえずは、【修理粉】使って研ぎ直したから、それなりには回復してる」

 

 強力な魔剣ゆえのデメリット。本格的な鍛冶場がなければ、リズベットであっても完全修復ができない。【修理粉】を使っての応急処置しかできない。ただ、損傷してから時間が経ちすぎてしまった。【粉】で損傷の履歴を消化させるには、戦闘が終わってすぐがベストだ、それ以降だとコベリついて取れない。なので、回復量は無いよりはマシ、微々たるものだった。

 オレ以上に彼女もソレはわかっているだろう。が、あえて追求せず。ぐっと堪えて気持ちを切り替えてくれた。

 

「ここで悩んでても仕方がないさ。とりあえず、先に進もうぜ」

「……そうね。

 それにもしかしたら、ここに【★6】があるかもしれないしね!」

 

 そういうこと、プラス思考でいこう……。新たな一歩を踏み出さんとする寸前、顔を上げてくれたリズベットをみて、思い出した。

 

「あ、そうだ! 忘れるところだった―――」

 

 自分の耳から改造結晶を取って、渡した。

 

「コレ、代わりに使ってくれ」

「え、別にいいわよ―――て、あぁッ!? いつの間に?」

「悪い。寝てるとき、首筋にピタピタ当たってきて気持ち悪かったから、取ろうとおもって……そうなりました」

 

 面目ない……。リズベットの片方のピアスには、小さな涙滴型の結晶部がない。触れた瞬間、チェーンが摩耗していたのか途中で切れてしまった。

 コペルの奴、欠陥品掴ませやがって……。あまりにも不覚だった。

 

「……普通ソレ、【ハラスメント防止】に引っかかるんじゃ、ないの?」

「そりゃ、ココはダンジョン内でたぶん【狭間】でもあって、あんだけ近づいてたら……なぁ」

 

 言いながら、改めて昨夜のことを思い出して、ポリポリ頬をかいた。リズベットも同じく、恥ずかしそうに目が泳がせた。……意識しないように忘れてたのに。

 微妙な空気をコホン、咳払いで変えると、

 

「いいわよ、どうせここじゃ使えないし」

「いや、持っててくれ。コイツはオレのミスだ。

 たぶんコペルの奴、わざと耐久値がほとんどないやつを渡したんだと思う。壊れたら修理頼ませるためにさ」

 

 うかつだった。奴に少しでも善意があると錯覚してしまったオレのミスだ。この『試作品』に気がつかなかったなんて……。よく使われてる手口、初めての客にはたいがいソレを渡してきた。

 

「はぁ……抜け目ないわね」

「そっちは、触らないでそのままつけてた方がいい。ぶら下げてるだけだったら、まだ使えるはずだ」

「アンタはどうするの、片方だけになっちゃうわよ?」

「オレはもう一つ持ってるから大丈夫。アイツから拝借させてもらったものがな」

 

 言いながらストレージから取り出し、付け直した。

 【盗み】の練習も兼ねて、奴自身の改造結晶を奪った際、渡らされた試作品の一つと交換した……。おそらく根に持ってるだろうが、お互い様だ。

 リズベットも、オレのを確認したためか、壊れたピアスと交換した。

 

 

 

「それじゃ改めて、行こうか!」

「ええ。せいぜい足引っ張らないようにするわ」

 

 殊勝なのかふてぶてしいのか、自嘲を込めながらも意気揚々と続いた。

 

 そして二人、まだ誰も踏み入ったことのない【狭間】の洞窟へと、進んでいった―――

 

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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63階層/狭間 鏡の迷宮

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 煌びやかな水晶の洞窟を、奥へ奥へと進んでいく。カツカツこつこつと、足音が響かないよう恐る恐るそおっと、周囲の警戒は怠らず……。

 夜であった時は、さながら宇宙空間にいるかのような真っ暗闇だった。だけど今は、【松明】も【カンテラ】も必要ないほど、光に満ち溢れている、どこにも影が現れないほどに。

 代わりに、自分たちの鏡像がそこかしこにみえた。まるで万華鏡の中にいるかのようで、無限の鏡像がひしめている、目を向ける自分たちと見つめ合ってしまう。

 

(鏡の迷宮、か……)

 

 あまりの透明度ゆえにか、自分と鏡像たちとの区別が難しい。一度離れたらどれが本物かわからなくなりそう。鏡の世界と現実の境界が曖昧になっている。

 リズベットもそれに気づいたのか、オレと握る手を強くしてきた。

 

「……モンスター、出てこないわね」

「幸いなことにな。このまま静かにしてもらいたいよ」

 

 おそらくそうはいかないだろうが、ここは【狭間】だ。通常フィールドとは勝手が違う、非戦闘エリアがこうも広いわけもなし。

 ただ、そう呟きたくなるほどに現れてきてないのは、事実だ。上にいた【クリスタルゴーレム】らしいモンスターすら出てきていない。様子見しているにしても長すぎるきらいがある、焦らされる必然性も思い浮かばない。

 

 不気味な静寂の中、警戒しながらしばらく洞窟を歩いていると、開けた場所にでた。巨大な空洞―――

 

「わぁ、すご……」

「これは……」

 

 初雪でつくられたかのような純白の大空洞。ぱらぱらキラキラと微細な燐光物が舞い落ちている。まるでスノードームの中にいるかのよう。思わず感嘆の声をもらした。

 氷と雪でできているように見えるが、全てが高純度の水晶で作られていた。人工物ではありえないが、天然の洞穴というにはあまりにも磨き抜かれている。人ではない人以上の何者かが作り上げた、魔法の空間。あまりの光景に声が出ない。

 

 感動もヒト潮止むと、今度はゴクリ、息を飲んだ。―――大空洞の中には、どこにも道が見えない。

 今までの水晶とは比べ物にならないほどの透明度、空気と全く区別がつかない。上のクレバスを渡している橋と同じだ。今自分たちがいる場所が、崖っぷちであるかのように見えてしまう。

 でも、目を凝らすとうっすら……確かに何か、橋のようなものがぼやけて見えた。さらに【索敵】で強化することで、ようやく輪郭が浮き彫りになってきた。

 裸眼だけでは全く見えない橋、リズベットは見えていないはず。オレが先導しなければならない。手を離してもしも足を踏み外したら……今度こそ終わりだ。

 腹にグッと力を込めなおすと、メニューを展開。ストレージから目印になるアイテム/大量の【七色石】が入った布袋を取り出した。

 

「コレ、一つずつ落としながらついてきてくれ」

「……わかった」

 

 受け取ると、片手でも取り出しやすいよう腰のベルトに取り付けた。

 互いに準備が整うと、

 

「いくぞ」

「うん……」

 

 意を決して、先に進んだ。

 見えない橋へと踏み入っていく。リズベットもピタリと、オレの後ろから足跡をたどるようにしてついてくる―――

 

 

 

「……私、ここから生き延びれたら絶対、【索敵】鍛えるわ」

「いい心がけだ。メガネかゴーグル使うのもありだけど、戦闘になると視界が汚れるだけだからな。スキルだと邪魔にならないし、調整も簡単だ」

「でも、アイテムの性能を上回る精度って、かなり高レベルじゃないと無理よね?」

「用途を限定するなら、そこまでじゃないよ。この橋を【索敵】で見るだけなら【音波探索】だけでもいい。それにポイントを集中させれば、そう高いレベルまで上げる必要はないよ」

「どのくらいのレベル?」

「最短で300ぐらい」

「……結構かかるじゃん」

「そうでもないだろ。300ぐらいまでのスキルのレベル上げだったら、【圏内】でも、今なら安全な下の階層でもできることだし。難しくはないはず」

「地道に続けていくしかない、か……。

 『スキル共有』とか『伝承』とかあったら、アンタのコピーさせてもらって、楽できたんだけどなぁ」

「だな。ソレがあったら、もうとっくにゲームクリアしてたかもしれないよ」

 

 駄弁りながらも慎重に進んでいくと、目の前の光景に緊張が走った。リズベットが息を呑む音も聞こえる。

 橋の先、ゴーレムが現れ、立ちふさがってきた―――

 驚かされながらも、瞬時に臨戦態勢/剣を抜き放った。

 こんな不安定な足場ではやりたくないが、前に行くには倒すしかない。それに、あの巨体ではあちらの方が不利なはず。誘導するか足払いをかけることができたら、簡単に落下させることができる。

 

 互いに睨み合っているも、ゴーレムは襲いかかってこず。様子見だけで、それ以上近づいてもこない。

 なのでこちらから/ジリリと、近づいていった。間合いを詰める。するとあちらも、同じだけ後ずさっていく……

 

「き、キリト!? 後ろにも」

「ああ、わかってる」

 

 いつの間にかポップしたのか、退路を挟まれる形にもう一体現れていた。

 最悪な展開だ……。【索敵】でいち早く気づいていたのでキョどらずにいられたが、嫌な汗がタラタラ流れるのは止められない。

 ただしあちらも、迂闊には近づいてこなかった。一定の間合いを保つだけ、遠間から観察するのみ。挟み撃ちの利点を使ってこない。

 なので思い切って、先手必勝。足に取り付けたポシェットからピックを取り出し、【投剣】した。手からシュッと、ゴーレムに向かって飛ばす―――

 

 カン……。ピックは弾かれた。ゴーレムが両手を胸の前で交差し、防御された。HPの減少はほんの微小。

 火蓋は切ったはず。攻撃されれば接近してくるのが、モンスター達の基本行動パターン。こんな不安定な足場でも同じはず、だからこそコチラに有利な展開にもなる。

 しかし……何もしてこない。防御しただけで静観は崩さず。背後のゴーレムも同じ。こちらの攻撃の隙を伺うそぶりすら見せない。

 

 訝しりながらも進んでいくと、前方のゴーレムが突然―――飛び降りた。

 危なげなく下の見えない橋に着地すると、こちらを見上げた。……わざわざ自分から道を開けてきた?

 意味不明な行動なれど、有利なことは間違いない。そのまま足早に橋を渡り、対岸へと渡りきった……。

 

 まともな地面にホッと一息、胸をなでおろした。感触の確かさは変わらないが、裸眼で見えるのとそうでないのとでは安心感が違う。

 振り返る確認すると、後方のゴーレムはやはり、それ以上は攻めて/近づいてはこず。ただこちらを観察するのみ

 

「……何なの、あいつら?」

「道案内……てわけじゃ、なさそうだよな」

 

 不気味な静観だ。こちらを攻撃するつもりはないらしいが、意図が読めない。

 

 対岸から今度は、空洞の外郭に沿って登って行くと―――また見えない橋。

 注意しながら踏入り、進んだ。

 するとやはり、前方後方に挟むようにしてゴーレムが現れた。一定の間合いをとり静観するのみまで同じ。

 まるで、オレたちを観察しているかのような……。ゴーレムなりにぎこちなくも、こちらの動きを真似しているかのように動く。嫌な気分だ。おちょくっているのか?

 対岸近くになると、やはり前方のゴーレムは下の橋に飛び降りた。こちらとの接触を避けるかのようにして。

 

 不安は募るも、ドンドンどんどん登っていった。ゴーレムたちに挟まれながら、誘導されているかのような錯覚に苛まれながら、水晶の大空洞の上部へと登っていく―――

 そして、最後の見えない橋を渡り切り対岸にたどり着くと、洞穴が空いていた。

 他に道はなかった、一本道の先にあった場所。この大空洞に入ってきた際の洞穴と同じほどの大きさだ。

 リズベットと顔を見合わせると、中に踏み入った。洞穴の中を進んでいく。

 

「……なんだか、落下しないように誘導してくれたみたい、だったよね?」

「だとしたら、随分と親切な誘導だよな。これまでとは比べ物にならないくらいに」

「さすがにあそこはそうしないとマズイ、とか考えたてくれたんじゃないかしら」

「茅場がか? そんな紳士なわけないだろう。

 それにここ、かなり高確率で【狭間】だってこと、忘れてないか? なんで犯罪者には親切してくれるんだよ」

「……同族相憐れむ、みたいな感じ?」

 

 だったら愉快なことこの上ない……。寂しがり屋のマッドサイエンティスト決定だ。本当にゲームクリアさせてくれるのかどうかも疑わしくなってくる。

 

「まぁ何にせよ、この先に進めば何かがわかるはずだ」

「嫌な想像しかできないけど……。そうでないことを祈るわ」

 

 互いに軽口をこぼしながら、水晶の洞窟を進んでいくと……分かれ道。左右に道が分かれている。

 岐路の前で立ち止まると、【索敵】で調べてみる―――

 

「……どっちが正解かわかった?」

「悪い。何かに阻害されてるのか……よくみえなかった」

 

 風も音の反響でも、差別できず。ここからでは奥に何があるのかわからない。進んで確かめるしかない。

 

「こういう場合、右と左どっちがいいんだっけ?」

「どっちでも同じだろうけど、確か……右だったかな」

 

 どこかで見た人間の心理傾向、同じ条件だったら左を選びやすい。

 なので、右へ進んでいった。

 

 万華鏡の中、しばらく歩いていくと、突き当たった。……【索敵】が阻害された理由がわかった。

 

「なるほど、エリアジャンプの壁だったか」

 

 目の前にあったのは、不自然に揺蕩っている空気の壁。別のエリアへと転移させるための壁だ。

 おそらくは、左右どちらも同じような作りだったのだろう。【索敵】では/どんな感覚であれ、転移先のエリアまで覗くことはできない。入ってみるまでわからない。

 嫌な予感はさらに募るも、立ち往生しても仕方がない。先に進まんと手を伸ばした―――

 

「―――あれ? 弾かれる……」

 

 触れた指先がバチンと、弾かれた。進むことを拒まれる。

 転移の壁であることは確か。使用できない理由がわからない。なぜなのか悩んでいると……リズベットと手をつないでいたことに気づいた。

 つまりは、一人ではいらざるを得ない。

 

「先にオレが行く。大丈夫そうだったら呼ぶよ」

「……そうじゃ、なかったら?」

「30分ほど待っててくれ。ダメそうだと思ったら、落ちてきた洞窟まで戻って、渡しておいた気球を飛ばしてくれ」

 

 もしものために、リズベットに渡しておいた連絡用気球。まさか使ってもらう羽目になるとは……。

 

「道なりに【七色石】があるから、ソレを辿っていけば無事に―――」

「待ってるわ! アンタは大丈夫だから」

 

 最後まで言い切る前に、断言された。

 不安を取り除こうと、何事でもない風を装ったが……逆効果だったらしい。逆にこちらが励まされてしまった。

 なので、ただニヤリと笑みを浮かべると、

 

「それじゃ……行ってくる」

 

 ワープ壁に入っていった。

 見えない壁の中に指が沈む、空間が歪む。どんどん入り込むと波紋が広がっていった。別の場所へ転移する感覚―――

 

 いつも通りの感覚の後、抜けると先には、同じような水晶の洞窟。見た目は前と全く変わらない。

 自分の身にも何も起こらず。……ただのワープ壁だった。

 試しに、もう一度壁に触れてみると……弾かれない。問題なく抜けられそうだ。

 そのままくぐり抜けた―――

 一方通行かとのおそれもあったが、抜けた先にはちゃんとリズベットがいた。ほっと一息、胸をなでおろす。

 

「……大丈夫だった。心配しすぎたみたいだな」

「そう言ったでしょ」 

 

 全くだ……。疑心暗鬼になりすぎてるのか、このダンジョンの意図が読めない。

 今度は二人とも、壁をくぐり抜けていった。

 

 そして抜けた先、さらに先へ進むと―――また同じような分かれ道。左右に分かれた岐路。

 

「…………またか」

「どっちにする? さっきは右だったから、今度は左?」

 

 他に案はなし。

 おそらくは、何らかの規則性を見つけなければならないパズルなのだろうが……ヒントがない。今は進むしかない。

 

「よし、今度は左に行ってみよう」

 

 目印として【七色石】を落とすと、左へ進んだ。

 

 左に行くとやはり、右と同じようなワープ壁。……特に変わった様子もなし。

 

「今度は、私が先に行こうか?」

「いいよ。オレがいく」

 

 ワープ壁を潜り、無事を確かめるとリズベットを呼んだ。

 

 そしてまた、同じような洞穴。

 進んでいくと……また、同じ分かれ道があった。

 

「また分かれ道……。何か法則でもあるのかしら?」

「だと思うけど、特に何も……見当たらないんだよな」

 

 この手のギミックの場合、エリアの何処かに何らかのヒントが隠されているもの。暗号めいたなにかが。

 しかし、右も左も、そもそも最初の分かれ道にも、そんなものは一切なかった。【索敵】で調べてみても変わった様子はない。隠し通路の有無なら【索敵】で明らかになるはず。

 それ以外の条件かと疑るも……却下。情報がなさすぎる。

 

「……もしかしたら、あの大空洞で何か見落としたのかもしれないな。一旦戻るか」

「そうね。特にヒントらしいものは見当たらないし……そうする以外になさそうね」

 

 今度は来た道を戻る。その前にまた、目印に【七色石】も落としていった。

 

 ワープ壁を潜り元の左の道へ―――。

 さらに分岐路へ戻ろうとしたとき……違和感に気づいた。

 地面に置いておいた【七色石】がなくなっていた。

 

「…………確か、この辺にオレ、石を置いたはず……だったよな」

「ええ確かに、そうだった……はずだわ」

 

 不吉な予感が増していく。通常【七色石】は、砕かれるか半日経過するかしなければ消えない。転移したからといって消えることはない。

 だとすると……先とは別の場所に飛ばされたことになる。元々置いてなければあるわけもなし。しかしそうなると、一つ矛盾が……

 

「……とりあえず、戻ってみよう。次で入口に戻れるはずだ」

 

 不安を抱えながらも、来た道を戻っていった……

 

 しかし、今度は―――大空洞への入口そのものが、なくなっていた。

 

「……おいおい、無限ループかよ」

「こういう罠って、あったことある?」

 

 初めての体験だ……。フロア開拓のための迷宮区は、基本的に一本道だ。壁に手を触れながら歩き回っていれば、いずれフロアボスのエリアへ到達できる。一度にボスと対決できる最大人数/48人が迷宮区の出入り口を潜りさえすれば、迷宮区は無限ループとはならない。

 その他のダンジョンについて、全て知悉しているわけではないが、知っている限りにおいてはそのような罠はない。似たようなものがあったとしても、何らかのヒントがエリア内に提示されている。

 

「壁に隠し扉がある、てわけでもなし。ただの罠なら、転移で抜けられるものなんだけど……」

 

 改造結晶はここでも働かず、【結晶無効化空間】のまま。残念なことに【帰還の秘薬】はわからないが、おそらくできないだろう。

 行き詰まった……。意味がわから無さ過ぎる。嫌がらせなら大成功だが、あまりにも致命的過ぎる。かの【牢獄】よりも酷い。

 

「……とりあえず、もう一度だけ戻ってみましょうよ。それで、右か左どちらに出たかで、何かわかるかも知れない」

「そうだな……」

 

 根気のいる作業だが、それでランダムを測ることができるはず。少なくともここが、起点であるはずだから。

 大空洞への道に続くはずだった壁へ、抜けていった。

 

 そして、同じような洞穴を進むと……

 また、分かれ道につながった。同じような左右への道。

 

「…………こうきたか」

 

 確かにあそこの壁は、起点だったらしい。ではあったが……あまり意味のない情報だった。ランダムを捉えるには使えそうにない。

 

「この通路だけは特別……てわけでも、ないみたいよね」

「鏡写し、だな」

 

 大きくため息をつき、ぼやいた。ガックリ肩を落とし、項垂れた。どうすりゃいいんだ、コレ……。

 何気なしに、水晶の壁を見た。相変わらず綺麗に磨かれている/鏡のようにオレ達の姿が映っている。反対側とも反射し合い、無限に広がっている……

 ふと何か、違和感を感じた。

 

「―――なぁリズ、ちょっといいか?」

「なに?」

 

 同じく意気消沈していたリズベットの顔をペタペタ、無造作に触って確認。

 

「へ、ちょッ!? なにす―――つぅッ!?」

 

 両耳のピアスに触れて、握ってみると―――

 どちらも取れなかった、チェーンはしっかり繋がったまま。

 

「い……きなり、何すんのよ!!」

「おっと、悪い悪い。悪夢みてるのかどうか確認したかったんでね」

「それなら自分の頬でやりなさいよ!」

 

 ごもっとも……。しかし幸いにも、悪夢は晴らすことができた。

 ただし、おかしいことはもう一つあった。本当にあり得るのか? こんなにも瓜二つで、全くもって違和感が無かった。まるで本物同然だ……。

 しかし、物証は否と答えている。表面は真似られても内実は疎かになった。

 どちらを信じらなければならないかは……明白だろう。

 

「とりあえず……これからどうする? 二手に分かれてみる?」

「いや、分かれるのはマズイな。一エリア以上離れたあと、合流できるかわからないし」

 

 ただもうひとつ、確かめないといけない。プレイヤーメイド故に、システム障害で逆に補強されるなどもありえる。この異世界では、物証だからと言って信じきるわけにはいかない。

 どこら辺ならダイジョウブか……。とりあえず当たりをつけて、ひっかけてみた。

 

「長丁場になりそうだ。

 どうせなら、主街区のあのサンドイッチ買いだめしておけばよかったな」

「……そうね。そろそろスープ以外の固形物も、欲しいわ」

 

 違和感を感じさせない滑らかな回答。

 当たりだ―――。驚くべきことだった、信じがたい事実だ。

 しかしこれで、ハッキリと確定した。瞳を暗く静かに、沈ませていく―――

 

「―――なぁ」

「なに?」

「お前誰だ?」

 

 え―――。振り返るまもなく、瞬速の抜刀。

 振り返ったリズベットの顔は、まだ疑問符を浮かべているまま。何が起きるのか理解していないその顔を―――斬った。

 

 首筋に一閃、断頭―――。

 剣を振り抜くと、リズベットの首が宙に舞った。

 

 

 

 

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63階層/魔獣結界 金のビースト

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 振り抜いた剣。切り離されたリズベットの頭部が舞い上がり……ボトリ、地面に落ちた。

 コロコロ転がると、止まった。先まであんなにも生き生きとしていたのが嘘のように、まるで時が止まってしまったかのような茫然とした顔のまま、瞳は虚空を見つめる。

 オレもまた、同じように止まっていた。心を/感情を微動だにせず、ただ機械的に見つめた、息も止めて。

 時間にして僅かながらの対峙、しかし数時間にも濃縮されたかのよう。コレでよかったのか? まさか見誤ったのか? 本当はほんとうに、間違っていなかったか……?

 息つまる沈黙に耐え切れなくなる―――寸前、ギョロリとリズベットの瞳が動いた。左右狂ったように動き回ると、オレに焦点を合わせてきた。そして唇まで、ぎこちなくも動かしてくる。

 

「―――ナゼ、ワカッタ……ノ?」

 

 出てきた声は、リズベットとは似ても似つかぬ機械音。女性を思わせる音だが、明らかに人のものではないとわかる。……そもそも頭部だけで喋れる存在など、人以前に生物とも言えないが。

 胸の内でホッと安堵。気づかれぬように不敵な笑みを浮かべた。

 

「うわ……。まだ息あるのかよ。

 悪いけど、先にこっちの質問に答えてくれ」

 

 お前は誰だ……。リズベットに瓜二つながらも、異なるもの。真似しているだけの人形ではあったが、あまりにも精巧にできすぎていた、入れ替わっていたのがわからないほどに。

 気づけたのは、偶然だった。さらに賭けでもあった。証拠は幾つか揃えているが、判断は直感頼り。もしも間違っていたらと思うと……我が事ながら、冷や汗が止まらない。

 

「ワタシハ、防衛プログラムノヒトツ。コノオクニアル【異界接続体】ヲ隔離スルタメノ、番人デス」

「……そんなことだろうと思ったよ。会話できるのにはビビったけど。

 ちなみにその、【異界接続体】とやらが何なのか、答えてくれるとありがたい」

「質問二ハコタエマシタ。今度ハコチラノバンデス」

「……すごいなお前、駆け引きもできるんだ」

 

 頭だけのくせに、生意気な……。答えてやるかどうか悩む、見事賭けに勝った名探偵らしく餞をくれてやるべきか否か。無理やり聞き出そうにも頭だけじゃ難しい。

 なので答えは―――否だ。

 

「それじゃ、次に二つ続けて教えてやるから、先に答えてくれ」

「交渉ニハオウジマセン。質問ニコタエヌカギリ、ワタシノコタエハ沈黙ダケデス」

「……そうか、譲っちゃくれないか。

 それじゃま、仕方ない―――」

 

 ニコリと微笑みを浮かべると―――ガン、頭部に剣をぶっ刺した。

 

「―――じゃあな」

 

 短く別れを告げると、番人のはガラス塊となり……砕け散った。

 遅れて切り離された胴体も砕けて、消えた。

 

 これだけ高性能なAIが相手では、どんな情報を与えても命取りだ。

 遅かれ少なかれ、ここの情報が漏れてプレイヤーがやってくる。その時、対策なしでは被害が甚大なものになってしまう。二人だけだから消去法でわかったものの、3人以上になると特定は困難だ。同士討ちの悲劇が起きる。

 わざわざ試行錯誤の機会を与えてやる必要はない。できれば次も、同じミスを繰り返して欲しい。

 

 完全に消滅するのを確認して、剣を鞘に納めると―――グニャリ、周囲の光景も歪んだ。ひどい頭痛に思わず、額を抑えた。

 グラグラ揺れる地面、まるで【酩酊】したかのような気持ち悪さ。無限に横滑りしていくかのような不安定感に襲われた。まるで、洞穴が写し出している万華鏡の光景がシャッフルされているかのように、本物のはずの自分が鏡像達とごっちゃになっていく。あるべき形へのシフト―――……

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 視界は真っ暗闇。いつの間にか瞼を閉じていたようで、恐る恐るもうっすら開けていく。

 足はちゃんと、地面を踏みしめていた。平衡感覚は正常。ただ、二日酔いに似た気持ち悪さがまだ、頭に残っている。それでも頭痛をおして、開いていくと―――

 目の前には、大空洞への出入り口があった。

 目をこすってもう一度確認するも……ちゃんとあった。頬をつねってもみるも……変わらず。大空洞への出入り口だった。

 

(戻ってきた、でいい……だよな?)

 

 恐る恐るも大空洞を覗いてみるも、前に見た光景と同じ。転移させる壁もなく、別のエリアへ転移することもなし。

 確かに、元のエリアへと戻ってこれた。

 

 洞穴の奥へと踵返すと、再びの岐路。……嫌なデジャブだが、今度は大丈夫なはず。

 右の道へと進んだ。本物のリズベットの元へ―――

 

 

 

「―――よ、リズ! 待たせたな」

「へ……キリト!? なんでそっちから?」

 

 目を丸くしながら見つめてくるのは、先ほどオレが斬ったのと同じリズベットだ。

 違いがわからない……。もう番人は消滅したはずだが、疑心は晴れず。

 なので、先制攻撃だ。

 

「色々あってな。

 それよりも、ちょっと確認を―――」

 

 問答無用でリズベットの元に近づくとヌッ―――と、目と鼻の先まで顔を近づけた。そしておもむろに、ピアスへと手を伸ばす。

 

「ちょぉッ!? なに? な、なんでいきなり、こんなところで―――て、へ?」

 

 ピキッ……。壊れた。簡単にチェーンが外れ、小さな涙滴型の結晶が手のひらに落ちる。コペルに渡された改造結晶/耐久値のない試作品だった。

 ホッと一息、胸をなでおろした。目の前の彼女は本物だった。

 安堵から一気に肩の力を抜いていると、逆にリズベットがワナワナと震えてくる。

 

「な、な……何してくれんのよッ! まだ使えたのにぃ!」

「悪いわるい! これしか確かめる方法がなかったんでな」

 

 怒り心頭のリズベットに謝罪と、これまでの経緯を話した―――

 

 

 

「―――まさか、そんなことが……あったなんて」

「信じられないかもしれないが、事実だ。危うく騙されるところだったよ」

 

 今でもまだ信じられない、目の前のリズベットとアレの違いが。あまりにも精巧な偽物だった。……若干、本物よりも美人に見えたような気が、しないでもない。

 そんな気の迷いは決して口からこぼさず、なんでもナシを装った。

 

「それで、オレが転移した後、変わったことはなかったか?」

「特には何も。入ったきり出てこないから、追いかけようか迷ったわ」

「よく堪えてくれたな。そう言えば、30分はギリギリ……だったかな?」

 

 アウトだった……。時計を見ると、一時間は過ぎてないものの30分は明らかに過ごしていた。そんなに足止めを食らった覚えはなかったが、緊張していたからだろうか……。本当に、よく踏みとどまってくれた。

 

「さっきアンタが戻ってきたちょっと前、いきなり転移の壁が消えたの。それで、何事かと思って覗いてみたら……まさか後ろからですもの。心臓に悪いわよ」

「文句はコレを作った奴に言ってやろう。

 オレを騙した番人とやらが言うには、奥に何かあるらしい。ここはそのための封印だとか」

「封印、て……なんだかヤバそうね」

 

 行ってみるか……。ここまで来たらもう、後戻りなど勧めない。奥に何があるのか確かめるのみ。

 オレからの誘いに少々驚きを浮かべるもニヤリ、不敵な笑みで返してきた。

 二人で、洞穴の奥へと進む―――

 

 するとまた、分かれ道。

 ただ、左右への分岐なれど、戻らされたかのような/かつて見せられた光景だった。

 

「また分かれ道……というか、こっちは左の道に続いてるのかな?」

「たぶん、【索敵】で調べた限りではそのはず。……どっちから進んでも同じだったんだな」

 

 分かれ道だと思っていたのに、すぐに合流した。ただ転移の壁が邪魔をしていただけだった。……苦笑するしかない。

 

 真っ直ぐさらに、奥へと進むと―――また巨大な空洞が広がっていた。

 ただし今度は、色とりどりの金銀財宝宝玉が山のように積まれている宝物蔵だった。

 高さはざっと、オレの背丈の10倍はある。広さはというと、山の麓の村がまるまるおさまってしまうほど。フロアボスのエリアと同等かそれ以上だ。明らかに結晶山のキャパシティを超えてるような大空洞だったが、キラキラしゃらしゃらと、眩しすぎる煌きと心地よすぎる音色の調べにどうでもよくなる。思わず目を輝かせ、思いっきり飛び込んでしまいたくなる夢の光景……

 なので「ひゃほぉ~い!」と、リズベットとともに歓声をあげようとした。ともに宝の山の中へダイブしようとしたが……寸前でこらえた。いや、戦慄させられた。

 はしゃぐリズベットの襟首をつかみ、無理矢理に引き寄せる。そして瞬時に、手短な物陰へと隠れた。

 

「ちょ、なにッ!? 何すんの―――」

「シィッ! 静かに」

 

 手で口を押さえ強引に黙らせると、息を殺した。感覚を研ぎ澄ます、気取られぬよう慎重に【索敵】の網を広げる……。

 モゴモゴと説明を求めるリズベットにそっと、元凶を指し示しながら小声で説明した。

 

(あそこら辺。あの金貨の山が、不自然にボコって膨れてる場所を見てみろ)

(何よ? いったい何があるって言うの―――……ッ!?)

 

 ようやく、事の次第を理解してくれた……。悲鳴を上げられそうになるのを、寸前で止めた。

 その巨体のほぼ全ては、宝の山に隠れて見えづらくなっている。だけど確かに、そこには―――ドラゴンが眠っている。

 

 金銀財宝のひんやりが気持ちいいのか、スヤスヤと/巨大ゆえにブゴブゴと寝息が聴こえてくる、同時にシャラシャラと財宝たちが奏でる音色も。

 リズベットに見せたのは、少しだけ突き出ているドラゴンの鼻の部分。鼻息に吹かれ宝の山が動かされていた。そこからたどっていくと、裸眼であってもドラゴン全体の輪郭がみえてくる。……【索敵】を持っているオレは、ここに入った瞬間に縮み上がらされた。

 

(……ねぇ、ドラゴンってまだ、出てきてない……よね?)

(似たような亜竜(ドレイク)は、フロアボス戦で何回か見たことがある。ただその亜竜であっても、今の前線でもまだ出てきてない。あんなのは至っては……初めてだよ)

(亜竜って、こんなサイズとか凶悪さ……ないわよね)

 

 ないよ……。もしも亜竜であったら、幾らか対策もあったのだが……残念ながら違うのだろう。

 あくまで亜竜は、恐竜に近い/現実世界でもありえるかも知れない存在だ。巨体のモノもいれば小回りが利くモノも、飛行能力を持っている翼竜やらワニを巨大化させたモノもいる。その凶暴な面構えといい、実に厄介な強敵だ。ただしおおむね、その体は現実の重力や物理法則に従っている。翼竜ならば、空を飛ぶために防御力と体力を捨てている/柔で打たれ弱い。

 しかし、目の前のドラゴンには、そのような等価交換は見当たらなかった。

 そんなもので飛べるのかわからないが、翼はきちんと折りたたまれている。鯨並みの巨体をどうやって動かすのかわからないが、手足にはち切れんばかりに詰め込まれている筋肉は是と答えている。そもそも、空を飛べるのにどうして足が重厚そうに発達しているのか、巨木並みの尻尾など邪魔なだけだ……。存在そのものが世界の法則を破ることで成り立っている、まさしく幻想種だ。

 

(ここは一旦、引き返した方が無難なんだろうけど……どうする?)

(どうする、て……まさか戦う気!?)

(いやいや、そこまで向こう見ずじゃないよ。

 あの宝の山の中に、【★6】があるのかもしれないからどうする、てこと)

 

 希望が見えてきた。ここには確実に、目的の金属があるはず。……ここに落ちた時の予感は現実になりそうだ。

 

(オレ【鑑定】はそこまで上げてないからわからないけど、リズはどうだ? あの宝の山、どれくらいの値打ちかわかる?)

(触ってみないことには、判断つけられないんだけど……どれもかなりのモノよ。

 あの一番多く積まれてる金貨は、たぶん【王金・★4】か下手したら【★5】で鋳造されてるのかもしれないわ。だから30枚ほどあれば、私のホームを一括購入できるぐらい)

(マジか……。あの水車小屋って、格安の物件だったの?)

(なわけないでしょッ! やりたくもない営業スマイルとか、食べたいお菓子とか着たかった服とか色々我慢してよぉうやく手に入れたもんなの! 私の宝物よ)

(悪かった、冗談だって……。

 だとすると、全部持ち帰ればフロア丸ごと買い取れるかな?)

(買い取ってどうするのよ? てか、誰が売ってくれるのよ?)

 

 茅場と交渉する……は無理か。100層まで登らないといけないしな。

 一つのフロアだけかもしれないとは言え、土地や家屋の独占を妨げるいい手だと思ったけど……現実は難しい。そもそもまだ手に入れてもいないし。

 

(どれが一番値打ちがありそうかは、わかる?)

(どれも規格外すぎてわかんないわよ)

(それじゃ、【★6】っぽそうなインゴットは?)

 

 ここに来た目的の宝だ。とりあえずは、それさえあればいい。

 

(……ここから見える限りじゃ、なさそうね)

(だとしたら、後ろの方か……)

 

 回り込まないといけない……。気持ちよく眠っているとはいえ、ドラゴンの横をだ。かつて一度だけ、死に物狂いでようやく倒せたドラゴンをだ。しかもその時とは違って、ほぼオレ一人でだ。……無理ゲー過ぎる。

 でも、必ずしも戦わなければならないわけではない、まして勝たなくてはならないわけでも。スニーキングミッションだ、目的の宝さえ手に入れて逃げればいい。やり方は如何ようにもある。

 

(……虎穴に入らずんば虎徹を得ず、ね。ここまで来たんだから、ただじゃ帰りたくないし。

 いいわ、やったろうじゃないの!)

(オーケー、いい根性だ! ……あとは任せたよ)

(ちょっと!? この流れで逃げるって何なのよ?)

(冗談じょうだん。ちゃんと立ち向かいますよ。

 ただ、戦って勝てる相手じゃない。気づかれたらほぼアウトだから、準備が必要だ―――)

 

 メニューを展開するとストレージから、一つの指輪を取り出した。

 

(【静謐の守り手】。付けてるだけで隠蔽率をほぼ100%にしてくれる魔法の指輪だ。コレを使えば気づかれないはず)

(……相変わらず、何でも揃ってるのね。

 ソレがあれば楽勝じゃない!)

(そうなんだが……コイツには弱点がある。相手に触れるか声を聞かれるかしたら、隠蔽効果がなくなる。逆に、一気に周囲のヘイトを集めてしまうんだ。装備すると【威圧】耐性がマイナス補正になるから、逃げるのも難しくなる)

 

 コレを応用して、壁戦士がヘイトを集めることもできる。そんな荒業を使いこなすクレイジーな攻略組もいる。ただ、あくまで応用でしかない。貴重な指輪装備枠を潰すほどの価値はない。必ず先制攻撃で倒す暗殺/電撃戦の場合なら、効果抜群だ。鬱陶しい格下の相手との戦闘を簡略化するのにも使える。

 リズベットに渡すともう一つ、ストレージから取り出した。

 

(もう一つは―――コレだ)

 

 次に取り出したのは、ちょっと変わった/とある獣の足を模倣したブーツだ。

 

(ちょ……なに、この靴?)

(【夜猫の忍び足】。この通りかなり奇抜なデザインだけど、高所落下の耐性が強いこと、何よりどんな地面であっても足音がならないんだ。たぶん、この肉球が超優秀なクッションになってるんだと思う)

 

 さぁ、履き替えてくれ……。ここまで使ってきた登山用のブーツは、頑丈さや【スリップ防止】やら【凍結防止】などの性能があって優れてはいるが、スニーキング用ではない。変える必要がある。

 

(……指輪だけじゃ、ダメ?)

(指輪は装備者の存在感を消してくれるけど、いた痕跡までは管轄外だ。これだけの広さなら体臭の残り香では辿られないだろう。けど、あの宝の山の上を歩くんだから、どうしたって足音が響く)

 

 臭いのきつい獣皮装備やら、損傷して【出血】/返り血を浴びていないのなら、指輪だけで事足りる。あのドラゴンの嗅覚がどれほどの性能なのかはわからないが、もしも超優秀ならば、すでに気づかれていてもおかしくないはず。

 だから後は、足音の始末だけだ。

 

(ソレはわかるんだけど、ちょっと……奇抜過ぎるわよ)

(大丈夫、ここにはオレとリズしかないよ。

 安全第一だ、使ってくれ)

(何よ、もしかして一つしかないの? だったら―――)

(オレは【隠蔽】鍛えてるから必要ない。今履いてるブーツも、それなりに足音鳴らないタイプのものだし)

(……【隠蔽】も鍛えておかなきゃダメみたいね)

 

 嫌いやながらも、肉球ブーツに履き替えてくれた。

 

(もう一つ、コレも―――装備してくれ)

 

 さらにもう一つ、ストレージから取り出して渡した。

 

(…………何なの、コレ?)

(【夜猫の利き耳】。頭装備で、この通りカチューシャみたいなモノだ。

 コレもかなり奇抜なデザインだけど、集音率がすごいんだ。分厚い石の壁越しでもハッキリと聞こえるし、集団戦で混戦になっても誰が何を喋ったのか聞き分けられる)

(私が聞きたいのはそういうことじゃなくて! なんでコレなのか、てことよ)

(指輪つけたら声を上げられない、て言っただろ? オレは【索敵】で周囲を把握できるけど、ソレをリズに伝える術がない。【腹話術(テレパス)】なら聞かれることはないかもしれないけど、危険は犯せない)

(待って! 【腹話術】て……そんなスキルあったの?)

(ん? ……あぁ、システム外スキルだよ。使える誰かがそう呼び始めて定着した。

 名前の通り、口を動かさずに声だけ伝えることができる。どれだけ近くにいても、NPCとかモンスターとか他プレイヤーにも聞こえない、【読唇術】を使えるプレイヤー以外にはね。……リズは使えないだろ?)

 

 【腹話術】と【読唇術】はセットでなければ意味がない内緒話スキルだ。発見当初は使える者は、そもそも知っている者すら限られていた。今では認知度も高まり、攻略組の中では使える者も増えてきた。

 習得が難しいのは【読唇術】の方で、【腹話術】はそうでもない。システムが認識しないよう、ゆっくりと微妙にタイミングをズラして喋ればいいだけだ。システムの介助がないためちゃんと認識していないと、宇宙人の言葉に聞こえたり愉快な伝言ゲームになってしまう。

 

(……教えてくれたら、すぐ使えるようになる、てわけにはいかないのよね?)

(さすがにな)

 

 指南できないわけではないが、フィーリングでやっている所が多々ある。理論づけて説明することができない。そもそも、やり方が合っているのかどうかも不安だ。……多額の講習料を取られるが、鼠の情報屋から教えてもらうのが近道だろう。

 リズベットは、渡された猫耳カチューシャを見つめながら葛藤するも、

 

(……わかったわよ! 付ければいいんでしょ、つければ―――)

 

 はんば自棄になりながら、猫耳をつけた。

 装着するとヘアバンドの部分は髪に隠れ、まるで猫耳が頭から生えているかのようになった。完全に馴染むとピョコピョコ、まるで自前の耳であるかのように動いた。

 

(できればもう一つ、コレも―――つけてくれ)

 

 さらにストレージからもう一つ、最後の装備を渡した。

 

(【夜猫の掃き尾】。アクセサリの一つだから、防具の上からでも装備できる。

 こいつは付けるだけで、自動的に足跡を消してくれる。ソードスキルとか高所落下で強く踏み込んだ跡は消せないんだけど、早歩き程度なら完璧に消してくれる)

 

 反面、強く掴まれたり踏まれたりして傷つけられると、逆に足跡を補強してしまう。アイテムのくせに繊細なので、見つけられたらアウトになる。ちなみに、体にしっかりと纏わせたり血糊がついてから使ってしまうと、足跡の代わりに臭や血痕を擦りつけてしまうことになる。

 

(ドラゴンに気づかれたとしても、足跡から居場所を特定されることがなくなる。暴れまわったり範囲攻撃してくると思ったら、オレがわざと気づかれて囮になるから、リズはそのまま背後の探索をしてくれ)

 

 少しの間なら、囮として機能できるだろう。逃げ回るだけならば、あの巨体相手ならむしろ有利だ。リズベットが背後の状況を調べる時間は充分に稼げる。

 それでもかなり綱渡りになるが、一番可能性が高い作戦。互いに全力を尽くさなければならないので、リズベットの援護はほぼ無理になってしまう。危険を回避したいのなら撤退すべきだが……やるしかない。最悪ここは、秘密のまま閉ざす必要があるから。

 まさか今日出会ったばかりの本名もしれない奴と、心中しなければならないかもしれないなんて……。情けなさ過ぎて自嘲もできないでいると、まさにオレの愚かしさにワナワナと絶句していたであろうリズベットが、ようやく口を開いてきた。

 

(…………ねぇ、何でこんな装備持ってたの? アンタ【索敵】も【隠蔽】もかなり使えてるんでしょ?)

(前線だと、スキルだけじゃどうしようもない敵がいっぱいいるからな。しかも、確度の高い前情報がない状態で遭遇するから。この手のアイテムで補強しないと、安全は確保できないんだ)

 

 その中でも、夜猫シリーズはかなり優秀な装備たちだ。ソロプレイヤーには必須のアイテムと言えるかもしれない。ただ嗅覚補強については、猪鼻か象鼻付きのマスクがベストだ。

 情けなさの裏返し、まるで軍人めいた理屈詰め。彼女のやる気を利用してオレは、死地に追いやろうとしている……。いつも通り罵倒し返してくれるとありがたかったが、それすら甘えだろう。

 リズベットはソレを察しているのか、今のオレに一番効く顔と声を差し向けてきた。

 

(……コレ、つけなきゃダメなんでしょ?)

(できればそうして欲しい。少しでも危険を減らしたい)

 

 悪いな……。その言葉はグッと飲み込んだ。逃げてくれと言えば立ち向かうのが彼女だと、短い付き合いながらわかった。ならばオレのやるべきは、絶対に成功させることだ、二人共生き延びて。

 リズベットは大きくため息をつくと、渋々つけた。つけていたベルトと交換する―――

 装着するとクルン、リズベットのお尻から尻尾がくねる。まるで尻尾自体が意思を持っているようにクネクネ、妙に生き生きしているように動く。

 これだけやれば、問題ないだろう……。本当は、一時的に能力値を向上させる霊薬やら秘薬をやらも欲しいが、ここでは正常に働くかもわからない。さらに、薬の効力が切れた後のマイナスを考えれば、ノーマルのままがベターだ。

 

(さて、準備も整ったし……行くか!)

(ええ。……さっさと終わらせましょう)

 

 準備前の決意はどこかリズベットは、まるで葬列に加わるかのように、ギリギリ乾いた笑いをしてやる気の減退を留めていた。

 気を引き締めないと死ぬぞ―――との喝は、さすがに躊躇われた。逆に今は、死んだような気分の方がいいのかもしれない、心まで虚ろならドラゴンであろうとも騙せるはず。オレの方が見習うべきだな。

 

 息を整えると一歩、隠れていた場所から踏み出した。ドラゴンが眠る宝物の山の中へ、進んでいく。

 

 

 

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63階層/魔獣結界 脱出

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 物陰から、慎重に進み出て行った。宝の山へ/ドラゴンが寝ている傍へと

 

 先行するオレ。ドラゴンを警戒しながら、最短で安全なルートを【索敵】で探しながら進むため。加えて後ろからリズベットが歩いてくれれば、オレの足跡もついでに消してくれる。

 後ろにチラと目を向けると、リズベットもちゃんと付いてきていた。装備の隠蔽効果ゆえに、足音は消され目視するしかない、パーティーでなかったらいるのかどうかすらわからなかっただろう。

 ゆっくりゆっくりと進む。足音が響かないように慎重に慎重に―――

 そんなコチラの配慮などお構いなしに、ドラゴンはブハブハと気持ちよさそうな寝息を立て続けていた。……あのサイズだと、静かにしていたとしてもイビキにしか聞こえない。

 息を殺しながらソロリそろり、ドラゴンの側面を回っていった。あらかじめ【索敵】で確認はしていたが、改めて見るとかなりの巨体だ、学校のグラウンドを占拠できてしまうほどに。……システム的な耐性はついているはずなのに否応なく/生理的に、【威圧】されてしまう。

 

 慎重なルート取りをしながら進んでいくと―――何とか、背後まで到着した。

 到着する手前で、先に全体を視野に収め確認した。目当てのモノがあるのか注目……。

 続いてリズベットも到着すると、目配せで確認を頼んだ。

 二人の【鑑定】の結果―――……。思わず二人とも、顔をほころばせた。

 仄かに水色の輝きを帯びた、純度の高い水晶の塊があった。形は荒削りの岩石だが、加工の補助なしでも周りの宝物と遜色ない、エリアを構成している水晶とは違う何らかの魔力を帯びているのが見て取れた。今まで見たことのない金属の原石、そこかしこにある……。

 まだ加工されていない原石で、どんな金属が取り出せるかはわからない。が、オレの知りうる限りでは見たことがない。高レベルの金属であるのは間違いないはず。

 二人見合わせコクり、ソレへと近づいていった。

 

 そっと手を伸ばし拾い上げた。リズベットも近くに寄ってきて拾う。触れることで明細に【鑑定】する。

 【竜精鉱】―――。提示された名前は、やはり知らない名前だった。

 

(……この原石、見たことあるか?)

(無いわ。まだ精錬しないとわからないけど、私が知らないとなると、確実に……【★5】は作り出せる代物ね)

 

 マスタースミスのお墨付き。驚きとともにニヤリと、顔がほころぶ。

 

(コレを精錬すれば、【★6】が作り出せるかも知れない……てことだよな!)

(たぶん、いえ確実にね! それに、こんなにいっぱいあるんですもの。どれか一つは絶対作り出せるわよ)

 

 作り出してみせるわ……。周りを見渡すと、同じような原石がそこかしこにある。大盤振る舞いだ。

 ここが目的の場所だったらしい。こここそが、攻略組たちが求めていた幻の鉱脈だった。

 ただ、奇妙なことではある。通常の原石は、鉱脈を見つけ掘り出す必要がある。タケノコのように地面から生えてくるわけではない。しかしコレは、地面にばらまかれている/鉱脈らしくない。まるでドラゴンが、無造作に投げ捨てているかのような……。

 細かいことは気にせず、今はできるだけ集めることだけ。

 ドラゴンが寝ている隙、慎重にメニューを展開すると、原石たちをストレージに収めていった―――

 

(ねぇ、この原石って、このドラゴンが集めてきた宝物……てことかしら?)

(どうだろうかな? 他の財宝とは明らかに毛色が違うものだし、ただの綺麗な原石をコレクションする……なんてことは、ないだろうな)

 

 今まで歩いてきた宝の山は、どれも芸術品だった。何かしら細部にまでわたる加工が施されいる、あるいは自然では到底有りないほどの滑らかさや尖り具合があった。……この原石は、素材としては美麗ではあるものの形としては粗末だ。

 

(……まぁそうよね。他はみんな、キラキラしてたり細飾があったりして芸術品、て感じだけど、コレは違うもんね)

 

 どうしてだろう? ……その答えには、見当が付いていた。宝物コレクションの中にありながらも宝物ではなく、ドラゴンの背後にのみ溜まっているもの。幻想種と言えども生物ならば必然の行動。……口にするのは少しはばかれるが、おそらくそうだろう。

 

(たぶん、これだけはもともとこの場所にあったか、それとも……できたものだろうな)

(『元々あった』てのはわかるけど、『できたもの』てどういうことよ?)

(排泄物)

(…………へ?)

(だから、ンこだよ、このドラゴンの)

 

 一瞬、オレに何を言われたのか理解できず、真っ白になって……ようやく理解した。

 その仮説にあまりにも驚いたのか、思わず「ンこぉッ!?」と悲鳴を上げた。その拍子に、原石を手放してしまった。

 あ―――と思うまもなく、原石は大きく宙に軌跡を描き……落下した。

 

 

 

 カン―――……。甲高い音色が、エリア中に響き渡った。

 

 

 

 おそらくは、通常の街中ならばギリギリ聞き取れたほどだったろう。だが、このエリアは静寂に包まれているゆえに、異質なその音は大きく響き渡ってしまった。

 二人、息を呑み背筋を凍らせた。自分たちだけでなく全てが凍りついたかのような恐怖に竦む……。落下した響きは壁に反響して、エリア全体を満たしていく。

 その音色が空気に溶け終わると同時にピタリ、ドラゴンの寝息が止まった。完全な沈黙、一気に緊張が走り抜けた。

 そして―――ムクリと、体が動いた。毛布がわりの財宝たちがシャラシャラ、雪崩落ちていった。

 

 宝物の中から、ドラゴンの全身が顕になった。その威容が目に入ってくる……。

 雪色めいた体表、神々しいまでの美しさの白銀龍。硬くトゲトゲした爬虫類的な威圧感は薄く、艶めかしさを超えて儚さまで感じさせる、誰にも犯されていない雪の結晶のみで作られたかのようなドラゴン。引き込まれるような美しさだ。所々、水晶と思わしき透明な岩石を身にまとっていなければ、ただただ見惚れてしまっていたことだろう。

 音がなった場所を探さんと、その凛々しくも冷徹な顔/瞳で辺りを睥睨する。

 

 やばい―――。息も止め微動だにしないよう必死になるも、体の竦みまでは止められなかった。反射的に足に力が入る。

 ジャリ……。微かな、しかし致命的な足音がなってしまった。

 通常のモンスターだったら聞き逃しただろう音、しかしドラゴンは、急にぐるりと首を捻ると、コチラに視線を定めてきた。

 

 そして―――目があった。始めて互を認識する。

 一瞬、時が止まったかのような緊張に麻痺させられた。しばしの邂逅の後、ドラゴンがその顎を大きく開け放っていくと―――咆哮した。

 

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」

 

 

 

 エリア全てを揺さぶる轟音に、今度は/逆に体が正しく反射してくれた。

 反射的に初動モーションをとり、ソードスキルを発動させると―――突撃した。

 轟音に歪まされている中、弾丸のようにドラゴンの喉元へと跳んだ。

 

 リズベットはまだ、驚きのまま動けない。ドラゴンの強力な【ハウリング】にやられてしまったのだろう。しかしまだ、指輪【静謐の守り手】の効果は継続している、オレだけが見つかったはずだ。……万が一にも解除されていたのなら、すぐオレにヘイトを向けさせなければならない。

 【ハウリング】の途中ゆえ/巨体ゆえの小回りのきかなさか、叩き落されることなく懐まで飛び込めた。先制の奇襲突貫を成功、狙ったドラゴンの体表に剣を突き刺させた―――

 雪色の細かな鱗の奥、刃の3分の1が入った。

 通常のモンスターならば致命傷。しかし、巨体のドラゴンにとっては蚊に刺されたようなものだったのだろう。【ハウリング】を終えるまで気づかす、口を閉ざすとようやく目を向けてきた。

 

 ぶら下がっているオレを振り払わんと、鬱陶しそうに体を震わせてきた。何とか振り落とされないように、しがみつく。

 より傷口を抉ろうとも考えたが、手応えのなさ/あまりの硬さに諦めた。白魚みたいな柔らかそうな体表だと思っていたが、実際は鋼鉄よりも硬いウロコとぎっしりと詰まっている筋肉、刺した剣はガッチリと固定され血も吹き出せない。

 ただ振り落とされないよう、叩きつけられたあとに来るであろう踏みつけ攻撃に襲われないよう、必死にしがみついた。

 

 グワングワンと激しく揺さぶってくるも、どうしても外せない。ソレを理解したのか、方法を改めんと―――翼を広げてきた。

 大きく伸ばし広げた翼をバサリばさりと、その場で羽ばたいた。その度に強風が吹き荒れ、小さな財物たち/金貨がキラキラと舞い上がる、黄金の砂塵。

 羽ばたきは助走ではなく、ただの準備体操だった。

 動かすことに慣れたら、そのまま大きく広げた。そして、まるで見えない巨大な鉄棒でもあるかのように、翼の先で宙を掴んだ。そのまま巨体を持ち上げるよう/引っ張り上げるように、浮かび上がらせた―――

 

(ッ!? このままじゃマズイ……)

 

 空はドラゴンの領域だ。地上で組み付いているのとはわけが違う、振り落とされたら高所落下ダメージまで喰らってしまう。叩き落とされたあとの追撃も、避けるすべがない。

 突き込んでいた刃を今度は、急いで外しにかかった。両足で体表を踏みしめながら、全身で引っこ抜く―――

 

 ドラゴンの体が宙に浮いた直後、ギリギリで外れた。勢い余って逆さに落ちる。

 頭から地面に落ちる寸前、くるりと猫ひねり、全身が痺れないよううまく着地した。

 すぐさま立ち上がり身構えると、ドラゴンは空高く飛び上がっていた。上空からオレを見下ろしているのが見える。

 オレと目が合うと思い切り、空気を吸い込み腹を反らせ始めた。胸から喉元へ、そして口へと何かがせり上がっていく―――

 

 ブレス―――。初見のモンスターではあるが、次に何が起きるかわかった。アレはまともに受けてはならない攻撃だと。絶対によけなければならない。

 しかし……立ち位置が悪すぎた。

 自動的に発動させている【索敵】が、近くにリズベットがいることをつげた。オレは避けれても彼女は直撃だ、逃がしている暇もない―――

 

「リズ! オレの後ろに急げ!!」

 

 叫びながら防ぎの構えをとった。……本当に来てくれたのか確認している暇はない。

 剣を天井に向けながら、握った拳を突き出した。【片手剣】で使える武器防御のソードスキル―――

 

 【スピニングシールド】―――。突き出した拳を軸に、剣が高速回転している。

 まるで、手首から先が義手だったかのように、ありえないほどの回転で盾となる。散弾やブレス攻撃を防ぐことができる武器防御/一時的に大盾を顕現させる。

 しかしこれだけでは、あのドラゴンのブレスは防ぎきれない。おそらくフロアボス並であろうモンスターの最大攻撃だ、オレだけで留まればいいが、背後のリズベットにまで貫通してしまうかもしれない。……ただの武器防御では足りない。

 目安が無いわけじゃなかった。かつて一度だけ、対峙したドラゴンがいる。その時のブレスはギリギリ防ぎ切ることができた。ただし、味方の援護があって。今回は一人だ、どうあっても力量不足だろう。

 だが幸いなことに、オレの右手には腕時計がある。コペルが発明した改造ブーストアイテム/【剣技の写晶石】。60層以降で使うつもりだった試作品だが、目の前の相手なら文句は言うまい、というか言わせない―――

 

 ドラゴンがブレスを解き放った。水晶の洞穴の主らしくアイスブレスだ。吹雪というよりも雪崩、触れる矢先から一瞬で氷漬けにされていく、まるでエリアそのものが氷河地帯に塗り替えられていくかのように。

 迷っている時間はない。こちらも、起動の呪文を唱えた―――

 

「信じてるぞコペル! 『リプレイ・オール』―――ッ!!」

 

 叫んだ直後、腕時計に仕込まれた【記憶結晶】が発現した。腕時計からソードスキルに似たライトエフェクトが煌く―――

 

 本来の【記憶結晶】は、立体映像が空中に投影するだけの映写装置だ。モンスターの攻略法の動画説明やら前線の攻略会議などで使われる。映像として皆で見れるので、明細な情報を共有しやすい。

 しかし今回、映し出されるスクリーンは時計内部に仕込まれたギミック群だ。幾つもの歯車と回線が複雑怪奇に絡み合うことで、極微の仮想世界を織り成すことができる。そこで再演される。

 極微とはいえシステムは、オレ達のいる仮想空間と腕時計内の空間を区別しない/できない、ただ情報量と優先度が違っているだけ。権利を獲得したプレイヤーの初動モーションを検知したら、必要なアシストを注ぐ、どの仮想空間内であっても最優先される項目の一つだ。記録映像と本人の区別は上映される座標によって区別しているらしいので、本人のいない腕時計内の空間では記録体がただ一人のプレイヤーとなる。

 記録された【車輪】は発現する。そして、そのエネルギーは特定のパーティーメンバーへと伝導される。……今回は、オレの中へと。

 

 腕時計を通して【車輪】のエネルギーが、【スピニングシールド】に付加されていった。

 回転スピードが増大、空気を切り裂く唸りは火花に変わっていた。巻き起こされていた風が固形化していく、中心軸に真空を作り出すほどにも。ただの大盾じゃない、空間を遮断する障壁だ、同じようにエリアを侵食している。

 

(これならいける……。いけるはずだ!)

 

 ドラゴンのアイスブレスが、眼前に迫ってきた。激突する―――

 

「ウ、ウオオオオォォォーッ―――!」

 

 雄叫びをあげながら/左手でも支えながら、必死に防いだ。

 重みに全身が押される、圧力に押しつぶされる。雪崩か津波と一人で対峙している気分だ、命を手放してしまいそうで目も開けられない。

 オレはここで死ぬのか、こんな何処ともしれない場所で。何もできずに、何者にもなれず、何も守れないで。ただ、この世界に殺されるだけだったのか―――……

 ―――しかし、

 

 

 

 耐えていた。まだ死んでない。

 

 

 

 うっすらと目を開けて確認すると、それどころでもなかった。ブレスはシールドの内側に侵食していない。防ぎきれずHPは減少しているが、【バトルヒーリング】の回収内だ。 

 ドラゴンのブレスを防ぎ切った。改造ブーストは見事、その機能を果たしてくれた。

 

 最大の攻撃手段だったのだろう。ブレスを吹き終わるとドラゴンは、地面に着地すると動けず固まった。……硬直時間を課せられている。

 攻め時ではあるが、目的は倒すことじゃない。必要な宝は回収した。それにもう、さすがにオレの愛剣の耐久値は……。

 なのでさっさと、逃げるだけだ。

 即座に踵返すと、リズベットに指示を出した。

 

「逃げるぞ、走れッ!」

 

 周囲の異常現象、何よりもまだ自分が生きていることに呆然としていたが、指示を受けると目を覚ました。

 一目散に逃げた、足を砕く勢いで全力疾走、火事場の馬鹿力も総動員して出口まで向かう。……そこまでが、あのドラゴンの管轄内だと信じるだけ。

 しかし―――

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!!」

 

 覚醒の雄叫び。硬直時間から解き放たれるとすぐに、こちらを追尾してくる。

 ドスどすと大股で、追ってきた。当然のことながら一歩の距離が長いので、スタートダッシュのアドバンテージはすぐに潰された。

 

「―――ダメ、間に合わない! 追いつかれるわッ!」

 

 リズベットの悲鳴に答えられず。視界の隅でドラゴンの怒れる顔が見えていた。

 出口までの距離、ドラゴンが追いつくまでの時間、オレたちの走るスピードは―――。考えるまでもない。

 答えの代わりにムンズと、彼女を抱き寄せ、担ぎ上げた。

 

「悪い、舌噛むなよ!」

「ちょ、ちょっとッ!? 何を―――うわッ!?」

 

 驚かれるが無視。……こんな時に紳士的な対応なんて期待してないでくれ。

 担いだまま走り続ける。グングンぐんぐんとスピートを増していくと、壁に踏み込んだ。そしてそのまま―――走り続けた。直立したまま壁を走り抜けていく。

 【壁走り(ウォールラン)】―――。【体術】から習得できる移動用ソードスキルの一つ。天井に向かって直角に走り登ることもできるが、今回は右肩上がりの放物線を描きながら。十数メートル程の壁なら登ってしまえるスキルだ。

 

 眼前まで迫っていたドラゴンは、走った勢いのままオレたちがいた壁に体当りした。

 壁がグワングワンと鳴動した。あまりに強烈なタックルゆえか、硬いはずの水晶の壁が液状であるかのように波打ち波紋が広がっていく。

 まともに食らっていたらどうなっていたことか……。冷や汗が流れ落ちる、危なかった。

 

 波紋の影響で足元が不安定にもなっていた。上手く踏み込めない、このままで【壁走り】が失敗して落下してしまう。

 なので、踏み込めなくなる寸前、そのままジャンプした。ドラゴンの背へと飛び乗る―――

 

「―――よ……とぉッ!?」

 

 リズベットも抱えているのでうまく着地できず、そもそも人が歩くための道路でもなし、ズルリと転けてしまいそうになるも踏ん張った。ドラゴンの背中の上に立つ。

 しかし、ドラゴンはすぐに体当たりから起き上がられた。なだらかだった傾斜が急に滑り台になる、踏ん張りがきかず滑り落ちる―――

 

「い、イヤアアァァーーッ―――!!

 

 リズベットの絶叫が尾を引くように、滑落していった。ジェットコースターの大降下並、ただしレールがなければ安全も確保されてはいない。

 なので、愛剣をドラゴンの背中に突き立てた。滑落をブレーキさせる―――

 

 ガリリと、しばらく滑り落ちるも……止まった。背中は装甲が少し薄いのか、首元よりも刃が通った、滑落のエネルギーで大きく縦一線も引けた。

 ただし、背中を切り裂かれたドラゴンは、怒り心頭だ。いきなりの痛みも相まって、暴れまわり始めた―――。

 

「■■■■■■■■■■■■ッ―――!」

 

 ドラゴンの背の上、差し込んだ剣を握りながら必死にしがみついた。

 今振り落とされたら一巻の終わりだ。突然の状況に混乱しているリズベットだったが、生存本能ゆえかしがみついてくれている。……このエリア内では、ここ以外の安全地帯はない、オレ達が生き残れる場所も。

 

 どうしても離れない害虫に苛立ったドラゴンは、壁に体当たりもし始めた。思い切りドゴンドゴンと、エリア全体が叩き揺さぶられる。

 ぶつけられるたびに、意識と体がズレるような激震を受けた。握力や根性すら関係ないほどの暴力的な荒波にもみくちゃにされた。だが、何とか背中の上/まだ生きている。ただし頭の中がグワングワンとがなりたて、幾つも星が見えてしまっていた。……もしも現実世界だったら、内蔵ごと吐いていただろう。

 ドラゴンは業を煮やしていたが、コレ以外の方法がわからないのだろう。走り回っては何度も、壁にぶち当たり続けた。オレ達も必死に、しがみつき続けた―――……

 

 

 

 

 

 何度も何度もぶつかることで、先に悲鳴を上げたのは……このエリアの方だった。

 

 ドラゴンにぶつけられた水晶の壁にはピキリと、ヒビが走った。ぶつけられるたびに大きく広がっていく。

 体力も気力も握力も、もはや風前の灯だったが、視界の端でソレを捉えた。

 壁にはしったヒビ。何であんな現象が起きているのか、エリアの壁は壊せないのではないのか? もしもできるのなら、アレがもっと大きくなったら何が起きる? 壁の先は一体どこにつながっているのか、別のエリアへ抜け出せるのか? 前回の戦いではやっていない/ソレを防ぐための戦い、だけど今回は話が違う。生き延びることが最優先だ―――。

 起死回生の案が浮かんだ。

 

 麻痺寸前だった手を叱咤し……捻った。

 突き刺した剣で肉を抉る。

 

「■■■■ッ!? ■■■■■■■■ッ―――!?」

 

 すぐにドラゴンへ痛みが伝染すると、暴れだした。……ただし、向きをコントロールさせて。

 グリグリと操作しながら、比較的大きなヒビへとドラゴンを誘導すると―――体当りさせた。

 地鳴りとともに、轟音がなった。パラパラと水晶の破片も降り注いでくる。

 

 もう一度体当りさせると、ひびは亀裂となった。その隙間から、外気の光と空気を呼び込まれる。こことは別の風景が覗ける。……仮説が現実味を帯びてきた。

 さらにもう一度体当たりをさせると、亀裂は深まり繋がりあい、衝撃に耐え切れず―――壊れた。

 水晶の壁が、砕けとんだ―――

 

 

 

 ドラゴンは勢い余って、エリアの外へと飛び出した。オレ達も同時に力尽きて、ドラゴンごと外へと投げ出される。

 水晶の瓦礫とともに、エリア外へ/広大な空へと落ちていた―――

 

 眼下には、太陽に照らされ煌く、水晶の山嶺が見えた。

 

 

 

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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63階層/結晶山 屠竜士

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 ドラゴンの巣窟を抜けた先は、空の上だった。

 体当たりの衝撃のまま、ドラゴンともども、投げ出されるがままに落下していった。パキリと愛剣も折れて、ドラゴンの背からも振り落とされていた。

 

 全身を突風でもみくちゃにされている中、眼下の絶景に思わず息を飲んだ。

 頭上に街並みがある不思議に一瞬、ここは何処だと戸惑った。足場もなく見える風景もガラリと様変わり、陽の光を受けてキラキラと煌めいている山嶺、まるで空を飛んでいるかのように錯覚する。

 混乱したまま周囲を見渡して、ようやく悟った。

 ここは、59階層の空か……。山の中/地下へと落ちたはずなのに、出てきたのは空の上だった、ドラゴンの巣窟の先にあったのは。

 理解に至ると、腹の底から喜びがこみ上げてきた。

 

「イエェーーーッ―――!」

 

 生きてること、この素晴らしい絶景に乾杯……。思わず叫んでいた。吹き付けてくる風が気持ちいい。パラシュートなしで落下してるなど念頭に浮かんでこず、ただただハッピーな気分だ。

 横に目を向けると、リズベットは声なき悲鳴を上げている……と思いきや、違った。オレと同じように目を輝かせて、感嘆の声を上げていた。吹き付ける強風の影響で傍にいても聞こえないが、喜んでいるのは見てとれる。

 

 かえってドラゴンは、飛翔しようと翼を広げ羽ばたくも……できなかった。

 翼はちゃんと風を掴んでいるのだろう、その分厚い皮膜を膨らましてはいた。だが、あの巨体を持ち上げるだけの浮力を生み出せていない、ほんのわずかばかりしか落下スピードを減少させられないでいる。逆に、生まれてしまった浮力に体勢が狂わせられクルクルと、きりもみさせられていた。……巣窟の中ではちゃんと飛べたのに、ここでは用を成せない翼。

 飛べないことに動転しているのか、手足をばたつかせてもがいた。しかし、無意味な足掻きだ。超重量ゆえにか、オレ達よりも落下速度が早い。さきに地面に激突するのはドラゴンの方だろう。

 この高さなら、間違いなく消滅する……。九死に一生、一発逆転、オレ達の勝利だ。飛べないのならもう逃げ場はない。超超高度からの落下ダメージなら、どんなモンスターだろうとも即死は免れない。

 ドラゴンもそう判断したのだろう。突然、足掻くのをやめた。

 代わりにスゥー……と、大きく息を吸い始めた。

 胸がせり出し膨らんだ。背筋まで反らせると、全身が淡く瞬き始めた。まるで、ソードスキルのライトエフェクトのように―――

 

 瞬間、降ってきた直感に戦慄した。

 ブレスだ―――。あの強烈な息吹の噴出力を利用して、落下を相殺するつもりだ。

 ギリギリ間に合ってしまう……かもしれない。ドラゴンは助かる。そして、地上に難なく降り立ってしまうだろう。その後、どれだけ甚大な被害が起きるのか……わからない。

 オレ達は逃げられる。空の上とはいえ、ここはもうただの59階層だ。なので、【転移結晶】が使えるはず。地面に落下する前にそうするつもりだった、というかソレ以外に助かる手段が思いつかない。しかし―――眼下にある麓の村はそうはいかない。ドラゴンのブレスをモロに食らってしまう。攻略組プレイヤーでも厳しいのに、通常の村人/NPCたちでは一環の終わりだろう。

 理解と同時に、行動に移した。リズベットへと顔を向けた。

 

「悪いリズ、先に転移使ってくれ!」

 

 大声で叫んだ直後、ドラゴンの背へと追い落ちていった。

 大の字に広げていた体を垂直に/弾丸のように、空気の抵抗を限りなく0にして、落ちていく―――。戸惑いながらも制止してくれたかのような声が、聞こえたような気がしたが、無視して突貫した。

 

(間に合え、間に合え、間に合えーーッ―――)

 

 祈りながら/人間ミサイルになりながらも、ギリギリ―――ドラゴンの背に着地できた。

 背中の違和感が/オレの着地に気づけたのか、だけど構わずブレスを放とうとする―――

 

 阻止するための武器は、もう持っていなかった。

 愛剣はすでに、耐久値限界を超えて折れていた。着地した足元近くの背に、残った刃が刺さったままだ。手元になる折れた剣では、ブレス攻撃をキャンセルさせるだけの強攻撃を繰り出せない。代わりの武器を用意しても難しいだろう、殴るだけでももっと無理だ。

 なので、刺さった刃の上に片足を乗せた。同時に、腰を落として身構えた、ソードスキルの初動モーション。

 準備を整えると即座に―――踏み鳴らした。

 

 

 

 次の瞬間、ドラゴンの全身に鳴動が走り抜けた。

 

 

 

 ドラゴンは落雷を受けたかのように、体を弓ぞらせながら呻いた。たまらず、溜めていた力も漏らした。

 帯びていたライトエフェクトは消失。ブレスをキャンセルさせることができた

 

 【震脚】―――。【体術】の蹴り技が一つ。地面に衝撃を与えることで、接地している敵に範囲攻撃/【スタン】攻撃。

 ただの踏み込みでは間に合わなかった。

 ブレスをキャンセルさせるには、全身を芯から揺さぶる一撃でなくてはならない。【体術】にはその手の内蔵破壊技はあり、【震脚】でも応用すればできる。ただしソレは、人間大のサイズか格下のモンスターだったらの話だ。このドラゴン相手では、体表面をビリリと、静電気に痺れたかのような違和感ぐらいしかっただろう。衝撃を浸透させるには、パワーも技量も足りない。

 なので、刺さっている刃を伝導体にした。すでに体内に侵襲しているそこからなら、分厚く硬いだろう鱗に防がれることはない/防御力無視の攻撃ができる。

 

(―――よし! これで終わりだな)

 

 いきなりの雷撃に目を回しているドラゴン。後はそのまま落とすだけだ、こっちは緊急退避すればいい。……ただし、リズベットに改造結晶は渡してしまっていた。

 なので急いで、メニューを展開して【転移結晶】を取り出した。青い六角柱の結晶を片手に握る。

 

(あとはコレで、脱出すれば―――)

 

 そのまま呪文を唱え、転移しようとした―――矢先、ドラゴンがきりもみした。風にあおられた。

 その回転に巻き込まれ、空に払い落とされた。

 そして、その突然の衝撃で手から結晶を……落としてしまった。青い結晶が手から離れていく―――……

 

(―――あ、こりゃ……死んだな)

 

 結晶が手の届かぬところへ流れ/離れていくのを見送りながら、なぜか冷静に現状を悟った。……もう、何もかも間に合わない。

 

 地面までもう僅かだ、結晶山の逆さまの山頂部が真横に見える。

 期待していた走馬灯は流れなかった。感情まで諦観に支配されたのか、ただ呆然と空を、届かぬ結晶に手を伸ばしながら落ちていく。他に何も考えられない……

 いるはずのないリズベットの姿が、見えるなんて―――

 

 

 

「キリト! 掴まれェーーッ―――!!」

 

 

 

 オレと同じように、人間ミサイルになって墜落してきたリズベット。何かを叫びながら/風に負けじと必死に、手を伸ばしてきた。

 先に転移してくれたと思ったのに、まだいた。こんな危険な瀬戸際まで……。本当に、どうしようもない奴だ。

 

 伸ばされた彼女の手へ、こちらも必死に伸ばした。指先/爪先にまで神経を集中する。

 距離は徐々に近づいてく、僅か拳大程にまで。だけど……あまりにも遠い。先に地面に到着するのが早い。

 なので―――残っていたワイヤーを、射出した。僅かに残っていたワイヤーが、仕込んでいた袖口から飛び出ていく。

 届いたワイヤーを掴むと、同時に

 

「―――転移、【リンダース】!!」

 

 呪文を叫んだ。二人の体が淡い光に包まれる、周囲の光景が白明に溶けていく―――

 目と鼻の先、地面が間近に見えるギリギリで、転移が発動した。空から脱出する。

 

 

 

 消えた直後/転移のロード空間の中か、地面を揺さぶる轟音が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

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 いつもに比べ短かったですが、ご視聴ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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63階層/リンダース 帰還

イケメンリズベット


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 ―――あれから一体、どうなったのだろうか? 

 

 オレ達は、どうなったんだ……。こうやって考えられているのだから、無事でいいのだろうが、まだどこかフワフワとして落ち着かない。

 体の感覚は……ある。心臓もドクドクと脈打ち、熱に満たされている。呼吸もちゃんとしていて胸が動くのを感じると、背中に硬く冷たい感触が伝わってきた。

 恐る恐るもゆっくり目を開けると―――間近に、リズベットがいた。彼女も同時だったのか、互いに向き合う。

 呆然と、しかし互の手は固く握りながら地面に仰向けになっている姿が、映っていた。

 

「生きてる……のよね?」

「ああ。生きてる……」

 

 ボソリと呟き合うと、徐々に実感が沸いてきた。

 周囲を見渡しても、あの眼下に広がっていた光景はなかった。視界を占領していたあの硬い地表はどこにもない、あるのは晴れ渡った長閑な青空だけだ。

 転移はギリギリ、成功したらしい。オレ達は九死に一生を得た。

 

「は……はっはっ! アハッハッハッハーー―――」

 

 生きてる、生きてる、生きてる! マジありえねぇ―――。

 どちらも、笑い声をあげていた。何がおかしいのかも分からず、ただただ腹の底から笑っていた、とめどなく溢れてくる。

 笑い続けていると、目尻に涙まで溜まってきた。まるで、今更ながら恐怖に締め上げられたかのように、奥底から絞り出された。

 

 気持ちが落ち着くと、よっと体を起こした。隣のリズベットへ顔を向ける。

 どうして先に帰ってくれなかったんだ……。口に出そうとしたが、やめた。言うべきことではないように思った。

 代わりに、なにを言えばいいのか一瞬ためらうも、

 

「リズ」

「なに?」

「助けてくれてありがとう」

 

 素直に感謝がでてきた。

 彼女がいなかったら、オレは今ここにはいなかった。ゲームオーバーだった。

 

「……べ、別に大したことじゃないわ。

 アンタには何度も助けてもらったから、一回ぐらいは返しておかないと、決まりが悪かったから……それだけよ!」

 

 言い切るとフン、そっぽを向かれた。しかし、隠しきれずに見えた横顔は、耳まで赤くなっていた。

 恥ずかしさを自覚してか、コホンと咳払いをすると、話題を変えてきた。

 

「あのドラゴンさ、どうなったと思う?」

「地面に激突したのは、確かだろうな。あの高さからだから、生き残ってるなんてありえない。けど……経験値入ってないみたいだからな」

「え―――あ! ……そうみたいね」

「高所落下とかフィールドの特性使って倒すと、倒したモンスターの所有権は早い者勝ちだからな。直前で転移も使ったし、逃走したとか判断されたのかも」

 

 実際そうなので、文句は届かないだろう。……近くにいた/最初に駆けつけれたプレイヤーの漁夫の利になる、所定時間が過ぎたら何もなかったことになる。

 アレだけのモンスターだったら、レベルアップの一つや二つしてもいいぐらいの経験値が加算されてもいいはずだ。なのに……全くない。ドロップアイテムすらない。……剣折り損だ。

 

「それじゃさ、一旦戻ってみて……確かめてみる?」

「…………やめとこう」

 

 万が一にも生きていたら……。考えたくない。

 さすがにもう、アレの相手は懲り懲りだ。命がいくつあっても足りない。無責任ではあるが、自分の命は最優先事項だ。

 見なかったことにしよう……。リズベットも頷いてくれた。

 立ち上がると、大きく体を伸ばした。

 

「さて! リズのホームまで帰るか」

「うん」

「それじゃ、もう一回転移結晶を使って―――」

「待って! どうせなんだし、歩いて帰りましょうよ」

 

 ストレージから転移結晶を取り出そうとするも、止められた。

 今日は色々と疲れたから、もったいないもののサクッと転移した方がいいのでは……。リズベットの顔を見て、考えを改めた。

 

「そうだな……。そうするか」

 

 確かに、転移だと味気なさすぎる。これまでの濃密な冒険を消化するには、そのぐらいがいいだろう。

 自然と二人、手をつなぎながら、帰り道を歩いていった。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 『Close』の看板をひっくり返すと、扉に設置していたメールボックス/ポストを確認した。

 開封したメッセージを見て、リズベットは眉をひそめた。

 

「どうした、不幸の手紙でも入ってたか?」

「……武器の納品の催促状よ、職人ギルドからのね」

 

 今日来ることすっかり忘れてた……。すっぽかしてしまった割には、別に大したことじゃないと平然としていた。むしろ幾ばくか、せいせいしたとも感じられる。

 

「どういうことだ? 職人ギルドが武器を欲しがるとか、自分で作ればいいものを―――あ、そういこと?」

「そう。ギルドはただの仲介、本当に欲しがってるのは【軍】の人たち。

 どこのフロアか忘れちゃったけど、武器調達クエストにハマってるらしくてね。私たちに何百本も粗末な武器を作らせてるわけ」

 

 武器調達クエストのための、大量発注……。リズベットは、皮肉な笑いを浮かべながら肩をすくめた。見た目とは違い職人気質の彼女には、不愉快な仕事なのだろう。

 

「嫌なら断る、てわけにはいかない?」

「この店を買うのと維持費で、かなり無理してるからね。嫌な仕事でも生活のためには仕方がない、てとこよ」

 

 苦笑をこぼすとそのまま、返事をまたずに扉をくぐった。

 

 

 

「……ただいま」

 

 誰もいない店に向かって、小さくつぶやいた。いつもなら店子NPCが反応してくれるのだろうが、今日は店を閉めていたので誰もいない。声は寂しく霧散していく。

 なので代わりに、

 

「おかえり」

 

 オレが答えた。

 突飛な返事に、思わず振り向くと

 

「……なんでアンタが言うのよ?」

「ただの独り言さ、リズと同じな」

 

 とぼけるとそのまま、なにか言われる前に中に入った。

 一人であることに慣れすぎたのか、この風景はいつもの日常だった。寂しくも辛くもない、他人にとやかく言われる筋合いもない。ただ、同じような他人を見てしまうと、どうしても自分と同じような態度ではいられない。……我ながら、何とも身勝手な振る舞いだ。

 無理矢理な打ち切りに不満そうにするも、すぐに話題を切り替えてきた。

 

「日帰りで終わると思ってたのに、何だかんだ……かかっちゃったわね」

「そうだな。こんだけしんどいなんて、思わなかったよ」

 

 楽勝とは言わないまでも、日帰りは確実だと見込んでいた。なのに実際は、一泊二日の昼帰り、大事な命を3回は落としそうになったハプニングつきだ。おまけに、フロアボスクラスのモンスターとの遭遇戦。……体力はまだ無事だが、精神的にはクタクタだ。

 互いにメニューを展開し、装備を解いて身軽になっていった。

 

「あぁッ!? やだ私、コレ付けたまんまだったの!」

 

 頭から湯気が吹き出しそうなほど、真っ赤に恥ずかしそうにした。

 何を言ってるのか一瞬首をひねるも、改めてその姿を見てポンと、理解できた。

 彼女はずっと、オレが貸した『夜猫シリーズ』を装備したままだった。黒猫メイド姿で街を歩いてしまった。……色々とごたついて/それどころでもなく、ここまで気づくのが遅れてしまった。

 

「気にすることは、ないと思うぞ? 遠目じゃ、誰かまではわからないだろうし。何よりソレ、結構似合ってるしな」

「……それ、慰めてるつもり?」

 

 静かな怒気に、思わず顔を逸らしてしまった。

 

「……この際だ。そういう方面でアピールすれば、新しい顧客をゲットできるんじゃないのか?」

「要らないわよ、そんな客! そこまでガッついてないから」

 

 怒鳴りつけると、すぐさま夜猫シリーズを取り払い、返品してきた。

 

 

 

 機嫌もひとしお。ようやく元通りに戻ると、ようやくここに来た案件に取り掛かった。

 

「もうお昼だし、食べてからにする?」

「悪い、先に修理だけでもしてくれ。折れたままだと落ち着かなくてな」

 

 背中の鞘からスラリ、だいぶ軽くなった/折れた愛剣を取り出した。

 これ以外にも補助は用意しているが、性能差は段違いに低い。愛剣の凄まじい耐久値の高さもあって、補助の剣を鍛えるのを怠ってもいた。

 剣が折れた情報がすぐに漏れたとは思わないが、もしものことがある。オレは幾らか他人の恨みを買ってきた。格下ならば対応してみせるが、団体やそうでない相手なら愛剣が欲しい。いざとなったら戦えないのは、不安だ。

 

「……わかった。

 どうせなら、もう一本も作っちゃおう」

 

 ニコやかにも軽く、言ってくれた。

 

「ありがとう、助かるよ。

 二階で待ってた方がいいか?」

「一緒に来て。椅子は用意してある」

「いいけど……邪魔にならないか? オレ【鍛冶】はそこそこしかないから、手伝えそうにないぞ」

「手伝ってくれなくてもいいの、傍で見てるだけでね。

 ただの耐久値の回復とは違って、『魔剣』の本格修理には、どうしても持ち主が傍で見ている必要があるのよ」

 

 じゃなきゃ失敗する……。どう判断すればいいのか、リズベットの顔をまじまじと見つめた。

 

「……言っとくけど、迷信とか私のやる気の問題だけじゃないからね」

「修理するための必要条件、てことか?」

「そういうこと。……もしかして、折ったの初めてだった?」

「前線だと折れるまで戦ってたら、その瞬間ゲームオーバーみたいなものだからな。耐久値にはいつも気をつけていた」

 

 ここまで酷使したのは初めてだった……。言ってすぐに後悔した。こういう風に言ってしまえば、彼女ならマイナスに受け止めてしまう。

 補足しようと言い直そうとしたら、

 

「そっか。そういえばアンタは、攻略組なのよね……」

 

 私とは違って……。別の意味合いで、落ち込ませてしまった。寂しそうに顔を俯かせる。

 しかしすぐに、何事でもないかのように顔を上げると、

 

「それじゃ、ちゃちゃっと完全修理して、もう一本『魔剣』を作ってやりますか!」

「お、おう! ……最高の頼むぜ、マスタースミス」

 

 任せておきなさい……。ドンと胸を張りながら、自信に満ちた熟練職人の微笑をむけてきた。

 意気込みながら二人、鍛冶場へと向かった。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 カン、カン、カン―――……

 鍛冶場中に響き渡る打撃音。大胆でありながらも繊細な鍛鉄作業。リズミカルに、渾身を込めて打ち込まんでいく。

 

 カン、カン、カン―――……

 金づち一つで、赤熱している未知の金属と戦っている。極度に集中しているのか、それ以外見えていないようなトランス状態。まるでオレが、最前線の初エンカウントのモンスターと戦っているときと同じだ。

 

 カン、カン、カン―――……

 溶かしては鉄床で叩いて、また炉に入れ溶かして。何度も何十も繰り返す……。刃が鍛えられていく打撃音が、鍛冶場に満たされていった。それ以外の全てが消えていく。

 

 

 

 

 

 時間を忘れるほどの時が過ぎたあと、ようやく形が整った。

 

 最後に、水の中へ入れて冷やされると―――懐かしい漆黒の刀身があった。

 傷一つない、折れていたとは思えないほど新品同様。完璧な修繕だ。

 

「―――ふぅ、できた……。

 コレでいいかしら?」

「ああ、完璧だ……」

 

 幾つか褒め言葉を用意していたが、それ以外には何も言えなかった。ただただ、彼女の真剣な作業と完璧な作品に目を奪われてしまっていた、ため息がこぼれてしまうほどに。

 刃を渡すと、服の裾をたぐり止めていたタスキをほどき、髪を保護していた耐熱性のタオルをバサリ、取り払った。そして、傍の棚に用意していた水差しからガブガブと、回復ポーションらしい液体を飲んだ。まるで流し込むかのように、ほぼ一息でカラにしてしまう勢いで飲み干していく。HPバー自体が危険域にまで縮小していたのも、元に戻っていく……。

 

 オレは、大きな誤解をしていた。鍛冶というのが、こんなにも大変な仕事だったとは思いもよらなかった。

 頭のどこかで、生産系の職種をバカにしていた。前線で命懸けで戦っている攻略組こそ最も偉いのだ/皆を引っ張っているのだと、彼らはその安全な後方で商売や趣味に勤しんでいるだけだと、一般的な偏見に染まっていた。

 しかし、一連の作業を見せてもらった今、ソレがとんでもない間抜けな考えだとわかった。彼女たちが日々戦っている金属と炎は、最前線のモンスターにも匹敵する強敵だったと。未知の金属はいわば、フロアボスと対決するようなものだ、たった一人で。

 

 口元から溢れるのも構わず一気飲みすると、ゴン―――叩きつけるように棚の上に戻した。

 ぷはぁ~ッと盛大な吐息をこぼすと、ヨロつきながら椅子の上に腰を下ろした。……やりきった満足感で明るく見えるが、骨から染み出したような疲労感もまた目に付いてしまう。

 

「後は、柄と鍔を付け直すだけね」

「それは自分でやるよ。調整は感覚に合わせてやりたいからな」

「そう……。それじゃ、私はもう一本の製作ね」

 

 さらりと驚くべき発言に、思わず目を丸くしてしまった。

 

「休憩しなくて平気か?」

「大丈夫……ではないけど、先の感覚が手に残っているうちにやりたいの。『魔剣』を打ってる感覚をね」

 

 金づちを持っていた手をグーパーしながら、先の残響を頭の中で再現していた。そしておそらく、まだ誰も知らない未知の『魔剣』の姿を思い描きながら、マスタースミスとしての闘争本能を再び滾らせていく……。

 修理だけでこの有様なのに、製作ならどんな目に遭うのか……。止めるべきなのだろうが、声が出なかった。彼女にしかできないし、今ではして欲しいとも思えない。何より、ソレの生誕の瞬間をオレ自身が待ち望んでいた、彼女に求めていた。

 こと鍛冶については、オレとリズベットの立場は逆転していたらしい。……オレはただ、邪魔にならないよう/どれだけ無茶に見えようが従うだけだ。

 

「オレは、傍にいた方が……いいのかな?」

「製作については必要条件ってわけじゃないから、構わないわよ。柄の取り付けやってて」

「……わかった。邪魔しないように外でやるよ」

 

 そう言うと、修理してくれた刃を持って、鍛冶場から出て行った。

 その背中に、

 

「―――絶対に、作ってみせるわ」

 

 リズベットが真っ直ぐに、宣言してきた。

 オレはただ「頼んだぞ」と、向けられた瞳に無言で託した。

 

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

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63階層/リンダース 徴税官

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 静かに鍛冶場から出ると、店内でコツコツ、柄の取り付け作業をした。

 いつも使っている工具ではなく、リズベットに工具を貸してもらった。他人が使っていたものだと感覚が狂うのかもと不安になったが、そんなことはなかった。むしろ、今まで使っていたものがいかにお粗末なモノだったのかわかった。……後で買い揃えようかな。

 

 とりあえずの形が決まると、握ってみた。そのまま軽く、素振る―――

 切れ味と手からの力の伝導率を上げるために、柄の締めつけはかなり固めに設定した。デメリットとして、武器の耐久値の減りが早くなること、攻撃の反動による腕や体の負担が増すこと、【取りこぼし】やら【部位損傷】が起きやすくなる。ただ、この愛剣については気にする必要はない。耐久値はたっぷりとあるし、蓄積された反動が現象化させるほど長期戦はしないし壁戦士でもない。

 握りと素振りを繰り返しながら、微調整を済ませていった。

 

「……よし! こんなものだろう」

 

 幾度目かの調整の末、ようやく満足いく形が決まった。

 最終確認のため、思い切り/モンスターと戦う勢いで素振りした。風切り音もしない無風の剣線、ほんのかすかなシュッとした擦過音のみ。……腕の/全身との噛み合わせも、良好だ。

 続いて、そのまま剣舞した。

 仮想の敵と戦地を想定しての型。まずはタイマン、真っ向勝負の斬り合い。自分より小さいが縦横無尽に動き回る四足獣戦、同程度の背丈の直立タイプ、体重の軽い相手と重い相手。最後に背の高い巨獣/巨人、一撃も受けてはいけない相手。

 続いて、包囲戦を想定しての複雑な動き。その場でグルンぐるんと回る。しかし淀みなく/速度を増しながら、仮想のモンスターたちが自分に近寄れないよう立ち回った。締め切った店内に、軽い旋風が起きる。

 愛剣と自分の体が溶け合う、剣心一体の境地。己の意識が無限に拡大し、同時に濃密にもなっていく心地よさに浸る―――……。

 

 無心の中、それ故か最後、初動モーションをとっていた。

 腰を落としながら、剣を大きく振りかぶる―――

 

「―――ハッ!」 

 

 掛け声ととともに一閃、ソードスキルを発動させた。今まで溜めに溜めた剣舞の遠心力を乗せた、大上段からの振り下ろし―――

 亜音速の剣撃を振り抜いた直後、斬撃が飛んだ。

 片手剣遠距離攻撃【裂空斬】―――。斬撃を十数メートル射出することができる技、前条件として数度のコンボを決めることが必要とされる。逃げようと後ろに下がった/吹き飛ばした敵への追撃として使う。

 この心地よい舞の締めに相応しい……。そう口元を綻ばせていると、ガシャーン―――飛ばした斬撃が玄関に、衝突してしまった。衝撃で店内が揺れる。

 

「…………あ、やべ」

 

 既に遅し。壁や棚に並べていた商品たちは、ガシャガシャ―――倒れていった。床の上に撒き散らされていく。

 調子に乗りすぎた……。目の前の惨状に頭を抱えた。やっちまった……。

 玄関を狙ったのは、不幸中の幸いではあったのだろう。もしも、【裂空斬】を別の方向/棚に放っていたら、何らかの損傷か最悪破損していたかもしれない。今はただ、散らかしただけだ。……コレだけで済んでよかったと、思うべきだろう。

 リズがここにいたら、激怒してただろうな……。ソレも幸いだった。まだ作ってくれてる最中で、集中しきっているのだろう。鍛冶場の彼女に変化なし、店内の異変に気づいている様子はない。……今ならまだ間に合う。

 急いで証拠隠滅を図ろうと、お片付けを開始しようとしたら、

 

「おい、大丈夫かッ!?」

「何だ、何が起きたんだッ!?」

「慌てるな! 持ち場を離れるんじゃない!」

「畜生、いってぇ……」

 

 扉の外から、複数の男たちの声が聞こえてきた。人の声ではあるのだが、少々くぐもっているように聞こえる。

 いるとは思っていなかった……。剣舞に集中しすぎて、警戒を怠ってしまったのだろう。反省だ。

 すぐさま【索敵】を使って探査―――。

 ……全員、知らないプレイヤー達だ。攻略組でもない、前線で見かけたことはない。

 ただし皆、特徴的な格好をしていた。装備は、メタリックカラーのフルプレートアーマーで統一されている。個々の顔は、ガスマスクのような面包で覆われていて識別できない。だが、ゆえにわかった。

 

 導き出された理解に、顔をしかめた。あまり会いたいと思えない相手。だが、無視すると後々面倒になる。

 警戒心を一層高めながら、ゆっくりと扉をあけてやった……

 突然、店から出てきたオレの顔をみて、男たちは驚きで固まった。

 

「……だ、誰だお前はッ!? 何故ここにいる!」

 

 仲間たちの驚愕を代弁し、リーダー格と思わしき大柄の男が詰問してきた。

 この横暴な態度、やっぱり……。偽物かドッキリかもしれないとの淡い願いは、すぐに打ち消された。

 

「オレは客だ。あんたらこそ、そんな大人数で何しに来た? 彼女の熱烈なファン……てわけじゃないよな」

 

 静かに尋ね返しながら、素早く周囲を確認。彼我の戦力差を分析する―――

 ……全員、かなり高レベルではある。装備は防御力重視で動きは鈍そうだが、それゆえに仕留めづらい。堅実な戦術を好んでいるのだろう。だが、あまりにも偏りすぎている。最前線で求められている不足の事態への対応力は、なさそうだ。個人の力がチームワークに殺されてる。良くて準攻略組といった評価だ。

 オレの格下判定を知らず、リーダーは堂々と名乗りあげてきた。

 

「我々は、【アインクラッド解放軍】の派遣遠征部隊。私は隊長の【コーバッツ】だ。

 職人ギルドから【軍】へ、ここの家主が行ってきた度重なる違法行為に対する苦情がきた。それらについて先日、勧告もしたが無視された。なので、彼らの要請と定められた法に従い、我らが懲罰しにきた」

 

 胸を張りながら恥ずかしげもなく、正義の執行者を名乗ってきた。

 驚かされながらはんば納得。胸の内で、苦笑とため息をこぼした。……大人数の彼らが来ている時点で、ラッキーなことなど起こりえない。

 

「オレはただの客だから、関係ないっちゃ関係ないんだが……。『懲罰』てのはいささか、穏やかじゃないな。いったいどんな目に遭わせるつもりなんだ?」

「無関係ならば黙っていろ。コレは我らの問題だ」

「そんなこと言わずに、教えてくれよ。今後もしかしたら、オレが同じ目に遭うかも知れないからさ、参考に」

「我らが作った法律書は、街の図書館に行けば誰でも見られる。今後の為にもそこで、じっくりと腰を据えて勉強してくれ」

「勉強なんて、勘弁してくれよ。そんな暇ないぜ」

「ならば作れ。我らの懲罰に遭いたくなければな―――」

 

 長引かせようとした会話を無理やり切り、強引に店内に入ろうとしてきた。

 なので直前、愛剣を扉の柱にガン―――と突き刺した。コーバッツの足を止める。

 いきなりの剣に、一気に緊張が高まった。奴の部下たちは飛び上がり、同時に各々の武器に手を伸ばした。

 今にも威嚇される寸前、コーバッツが止めた。そして冷静に、オレを見据えてくる。

 

「……コレは、どういうことだ?」

「別に、ただうっかり、剣がそこに落ちただけだ」

 

 ヤクザじみたいちゃもんを吐くと、ニヤリと口の端を歪めた。

 向こうが強引なら、こちらも不躾だ……。ここは【圏内】なので、こうやって通せんぼされたら、どうやっても店内には入れない。

 

「ならば……どけてくれないか? 我らが用があるのは、ここの店主だけだ」

「奇遇だな、オレもだ。

 そんでもって、オレの方が先客だから、また後日にしてくれないか?」

「緊急の用件だ。それに、彼女次第ですぐに終わる」

「その彼女は今、オレの用件で忙しいんだ。アンタらに邪魔されたくない」

 

 邪魔するのなら、容赦もしない……。笑みを浮かべながらも、無言で威圧した。

 その宣戦布告を受け取ってくれたのだろう、しっかりとオレと向き合ってきた。

 

「我らはこれでも、紳士な方だと思っている。同僚の中には、野蛮に振舞うことを良しとしている者もいるぞ」

 

 そちらがそのような態度なら、こちらも容赦はしない……。静かに睨み合い、火花を散らす。後ろの部下たちも、コーバッツに応じて研ぎ澄ましていった。

 

「……わかっているとは思うが、ここは【圏内】だぜ。アンタらはソレ以上、どうやっても先には進めない」

「そうでもないぞ―――」

 

 返答と同時に、ストレージからアイテムを取り出してきた。

 手に持って見せてきたのは、一枚の羊皮紙。表面に奇妙な文字が書き込まれ、蜜蝋で固められたであろう捺印がされている……。そのアイテムを見て、眉をひそめた。一気に腹の底が冷え込み、息を呑む。

 

「ほほぉ、その顔からすると、コレが何なのかわかっているみたいだな」

「……【冤罪符】だろ」

 

 【冤罪符】―――。一時的にプレイヤーカーソルを、オレンジに塗り替えることができるアイテムだ。コレを悪用すれば、無実のプレイヤーでも監獄に送り込むことができる。

 最悪のアイテムだ。状況が不利に傾いてきた。

 

「君はまだ無関係だが、これ以上邪魔だてすれば共犯者と見做す。……そこをどいてくれないか?」

 

 丁重ながらも命令。引き下がるしかないとわかっていながら頼んできた。

 もしも、ここで犯罪者にさせられてしまった場合、【圏内】を守る《ガーディアン》が奴らの味方になる。彼らは他プレイヤーと違って、オレを引っつかみ無理やり退かすことができる。抵抗でもしようものなら、そのまま監獄行きだ。……【軍】の権勢を支えている兵器の一つ。

 もう通せんぼは意味がない。なので、少しだけ譲歩する。

 

「……今彼女がしてくれてることは、オレの命とゲームクリアに関わる重大事項だ。あんたらの言う法律は、それすらも規制するものなのか?」

 

 ゲームクリアは言い過ぎかもしれないが、少なからず関わるのは事実だ。関わらせてみせる。

 【軍】のお題目を盾にとられ、一瞬だけ言葉に詰まるも、

 

「……最終勧告だ。そこを、どけ」

 

 心動かせず。交渉を決裂させてきた。

 もう、一戦交えるしかないな……。普通ならここで退くべきだろうが、嫌な予感がした。彼らとリズベットを出会わせてはいけない気がする。今ここが/オレが、未然に防げる最終ラインだ。

 互いに黙りながら、コーバッツ達はオレの一挙手一投足に注視する。ただ道を譲るだけなのか、それとも……開戦か。冷や汗が流れる。

 

 柱から抜き出した。【冤罪符】を使われる前に叩き落さんと、コーバッツの腕目掛けて振り上げようとした、矢先―――

 

「―――キリト! できた、できたわよ! 最高の一品よッ!」

 

 鍛冶場からリズベットが、嬉しそうにはしゃぎながらやってきた。……やってきてしまった。

 

「あんたのモノにも負けないだから! みて驚きな―――……て、なんじゃこりゃッ!?」

 

 店内の散らかり具合を見て、仰天された。

 続くお叱りを防ぐために、整理整頓しようとしたが……今はそれどころではなくなった。

 

「悪い、ちょっと散らかした。そんでもってコイツらは、君に用があるんだと」

 

 招かれざる客だ……。無言ながら、含ませた意図にリズベットも気づいた。突然の来訪者達に困惑する。

 すると、動揺はなぜか、コーバッツ達にも広がった。

 

「【キリト】というと、もしやあの……ビーターだったのか?」

 

 その単語で、部下たちもどよめいた。「まさか」や「そんな」などのつぶやきが聴こえてくる。

 ご明察……。『黒の剣士』でないのは、彼らが正義の味方だからだろう。犯罪者たちの大半は『ビーター』と呼ばない。初見で気付かれなかったのは……見た目かな? もっとガタイのいいゴリラか、吸血鬼みたいな危ない奴に想像されているのかも。

 先まで狩る者の雰囲気を纏っていたが、途端に怯えの色がにじみ出てきた。コーバッツはさすがに見せてはいないが……チャンス到来だ。

 

「そいつを使ってくれても構わないが、覚悟しとけよ。最悪PKしたとしても、半日の間に仕留めれば罪状は『冤罪』だけになる。保釈金さえ払えばすぐに檻からも出られるしな。……まぁそれも、【圏内】に隠れていれば安心だがな」

 

 煽るように助言すると、プライドが傷つけられたからだろう、案の定コーバッツは怒気を向けてきた。

 そのまま焚きつけて、身動き取れないようにしてやる……。何もさせずに、ご退場させる流れに持っていこうとするも、冷静さを取り戻された。

 

「……安心しろ、初めから使うつもりはなかった。我らは野蛮ではないと言っただろう」

 

 そう言うと、【冤罪符】まで引っ込めてきた。

 プライドよりも任務を優先してきた……。もうどうしようもない、舌打ちをこぼす。

 コーバッツは、もう用はないとばかりに、オレからリズベットに向き直った。

 

「ここの店主のリズベットだな」

「……何の用?」

「職人ギルドからの要請だ。お前が犯した度重なる違法行為の罰金を徴収しに来た」

 

 違法行為、罰金……。嫌な予感は的中した。【軍】の常套手段だ。

 すぐさま凄味を効かせるも、焦りからの反射だと理解されてしまっているのだろう。コーバッツは無視したまま、続けてきた。

 

「違法行為って……なによ? 私が一体何したっていうのよ!?」

「コレに、全て記されている―――」

 

 そう言うと、部下の一人を呼び寄せ、大事そうに抱えてた小箱を受け取った。そして、その中に丁寧に収められていた一枚のスクロールを、リズベットに渡した。

 不審ながらも受け取り、書かれている内容を見ると―――顔をしかめた。

 

「…………何よコレ? 全然、心当たりないものばっかりなんですけど!」

「最後まで見ろ、職人ギルドとその他数名のプレイヤーが証人となっている」

 

 横からチラリ、覗き見させてもらうと……またまた最悪が的中した。

 【判決状】―――。犯罪者にほぼ一方的な命令を強制することができる、最悪な契約アイテム。本来は、【黒鉄宮】の裁判官にしか発行できず、公平無私のAIの審査を経なかればならない。しかし、【黒鉄宮】を支配下に治めている【軍】は、その審査をほぼ素通りできる。……【軍】の悪政を蔓延らせている元凶の一つだ。

 その凶刃が今、リズベットにむけられてしまった。

 

「もしも、この最終警告を無視した場合、お前には犯罪者の烙印が押される。そして同時に、お前の資産のすべてをいつでも強制徴収できる権利が、我々【アインクラッド解放軍】に与えられることになる」

 

 いつどんなモノを売買した/獲得したか、全て知られてしまう……。『資産』と言う以上、アイテムストレージだけではないだろう。最悪、スキルやステータスパラメーターも適応範囲かもしれない。【鑑定】の無いプレイヤーにも全てが筒抜けになる、【隠蔽】で誤魔化すこともできない。

 これもまた【軍】の常套手段だ。こうやって、プレイヤーからプレイヤーたる全てを取り上げ縛り上げることで、強固な結束を生み出す。……実に、不愉快なやり方だ。

 もはや堪らず、横槍を入れた。

 

「―――相変わらず、いつも横暴なことしてくれるよな、アンタらは」

 

 静かに怒りを滾らせながら、腹の底で渦巻く黒い衝動に身を任せた。

 歪んだ笑みを浮かべながら、踏みとどまっていた一線を越える。

 

「もしもさ、今日ここにアンタらは来てなかった、てことになれば、その【判決状】は無効になるよな?」

 

 一瞬、オレが何を言ったのか、コーバッツ達は理解できなかった。そんな意味不明なこと、ある訳無いだろう……。

 しかし、オレの様子をみてか、すぐに思い至った。

 今、自分たちがここに来たことを知っている他人は、オレとリズベットしかいない。もしも、オレ達が来ていなかったと証言したら、その時彼ら自身がどこにもいなかったのなら……来ていなかったことになる。【判決状】は発動できない。

 皆殺しにする―――。悪いのはオレじゃない、こんな世界にしたお前たちのせいだ。

 部下たちが/リズベットすらもオレの殺意に当てられてか、息を呑まされた。カタカタと震えている奴までいる。

 その重々しい空気の中、コーバッツだけは気丈を保ってみせた。

 

「……確かに、コレは無効になるだろうな。

 だが、代わりはいくらでもあるぞ? それに、すでに本人の目の前で説明した。もしも、我らが殺されたとしても、どうしてそうなったのかが判明すれば、すぐに発動される」

 

 思わず、舌打ちを零した。

 コピーを取ってやがったか……。その場合、皆殺しの意味はない。第一階層を完全支配している【軍】ならば、【生命の碑】もまた占有している。誰がいつどこでどのように殺されのか、すぐに正確に把握できる。

 殺意を退いた。……退かざるを得なかった。

 

 同時に、不審感が募った。何かおかしすぎる……。

 あまりにも用意周到すぎだ。マスタースミスとは言え中層域の女性プレイヤーを捕えるには、過大仕掛けだ。もっとコストの低い方法があるはず。それに、そんなことできるのなら、何故今までやってこなかったのか? なぜこのタイミングで……

 チラリと、リズベットに目を向けた。彼女が大事そうに抱えているモノが映って―――閃いた。繋がった。

 出てきた仮説にすぐに、「あり得るのか?」と自問した、あまりにも早すぎる/予期などできるわけがない。だが、準備はできる。達成されると見込んで、横から掠め取れるように罠を仕掛ける。通常のクエストなら、【判決状】を用いてまでやらないだろうが、今回のモノなら採算は見込める。

 隠しきれず、歯噛みした。なぜもっと早く気づけなかったのか、警戒できなかったのか、ゲームの転換期だと分かっていたのに―――。悔やみきれないが、今すべきことは反省じゃない。

 素早くリズベットの傍までよると、声を潜めて確認した。

 

(……リズ、これだけの金、持ってるか?)

(え、何? こんなもの……払えって言うの!? ありえないわよ!)

(そうだとは思う。だけど払わないと、アイツが言ったとおりのことが起きる。……今後君の資産全ては、【軍】に管理されてしまう)

 

 言葉足らずながら、オレの深刻さは伝わってくれたのだろう。困惑していたリズベットの顔が、戦慄で凍った。

 冗談だと言ってやりたいが、もうどうにもならない……。あまりにも理不尽だ、クソゲーだ、やってられない。でも、そんなことをまかり通してしまう怪物がいる。それが【軍】という最大ギルドだ。……自分の無力さが嫌になる。

 

(……持ってない。商品全部売り払っても、こんな額―――)

「―――この店を売れば、それなりの金になるのではないか?」

 

 コーバッツがこれ見よがしに煽ってきた。まるで、今までの仕返しとばかりに……。

 苛立つも言い返せないでいると、

 

「払わないのではなく、支払い能力が無いということならば、また話は違ってくる。

 その場合、資産の管理権の徴収は起きない。代わりに、残りの額を分割し定期的に払ってもらうことになる。ただし、分割に応じて利息を付けさせてもらう」

 

 利息まで払わせることで、借金漬けにする……。実質支配されているようなものだ。速攻で王手をかけられないのなら、ジワリジワリと絞め殺していく二段構え、店まで取られたらまともに働けなくなる。……趣味が悪すぎる。

 ダメもとで、あがいてみた。

 

「……足りない分は、オレが払う」

「だ、ダメよ! アンタにこんなことまでしてもらうわけには―――」

「どんな名義で? お前は彼女の何だ? 

 ただのパーティーメンバーかフレンドでしかない相手からの金銭ならば、強奪したと判断される。……彼女の罪が増えるだけだぞ」

 

 やっぱり、そうきたか……。贈与/貸与と強奪の境界は、実のところ曖昧だ、当事者たちの思い込みによって決定される。外からはイジメられてると見えても、中身は軍事訓練だったりする。なので、ここの裁判上では全てを『強奪』と断定する。……交友関係を利用することも封じられていた。

 

「……いつまでに、払わないといけないんだ?」

「今から24時間以内だ」

「だったら、明日にでも改めて来てくれないか?」

「ダメだ。逃走しないよう監視させてもらう。

 それと、今日我らがここまで来たのは、彼女の資産状況を正確に調査するためでもある」

 

 わざわざこの人数できたのは、そのためか……。容赦がない、徹底している。万が一にも払いきれたとしても、現在の資産状況は把握してしまえる。普通ならぶっ飛ばされて終わりだが、抵抗すれば反逆行為だ。……公権力はモンスターよりもモンスターだ。

 『調査』しようと土足で入り込もうとするのを、もう一度だけ割り込んだ。

 

「もう一つだけ、聞かせてくれないか?」

「しつこいぞ! そんなに共犯になりたいのか―――」

「もしも、ここで彼女を見逃せば、アンタらが共犯者として裁かれるのか?」

 

 その質問にコーバッツは、言葉を詰まらせた。すぐには答えられなかった。

 【判決状】の裏の効果。刑の執行者もまた、契約に従わなくてはならない。もしも従わなければ、『汚職』の烙印を押される。受刑者より酷い罰が待っている。

 

「……そのような『もしも』がありえないからこそ、我らはここにいる」

 

 なので、裏切ることができない。契約の完遂こそが良心だ。プロフェッショナル以外は人間じゃない。

 ガスマスクに遮られて、どう判断したらいいのかわからない、コーバッツがどういった人間なのか/本心を。ソレも予防策の一つなのだろう……。コチラで勝手に、決め付けるしかないらしい。

 

「では、監査を開始させてもらう。まずは―――その剣からだ」

 

 真っ先に、目的であろうモノを指定してきた。

 あまりの拙速さに驚かされた。ソレが目的のモノだったと知らないからか、ただの嫌がらせか? そもそも、コーバッツには知らされていないのかも……。

 製作したかどうかまではわかるわけがない、ただの偶然だろう。だが……好都合だ。悪運続きだったが、ギリギリで上向いた。

 

「こ、コレは、キリトに依頼されたもので―――」

「―――わかった。ただし、手荒な真似したりモノにケチつけてないかどうか、見届けさせてもらうぜ」

 

 リズベットが真実をバラすのを遮りながら、エサに食いつかせるままにした。……これで、被害は最小限に抑えられるはず。

 

「……好きにしろ」

 

 嫌がる彼女をどうにか宥めながら、せっかく作ってもらった極上の逸品を渡させた。

 

 

 

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64階層/マーテン 顛末、そして事件へ

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 ガヤガヤとそれなりに混雑している店内、57層の主街区【マーテン】にあるレストラン。混む時間帯をワザと外したお昼寝タイムだったが、客が多くて驚かされた。そのほぼ全ては、プレイヤーではなくNPCではあるのだが、やはり落ち着かない。

 なにせ、向かいに座っているのが、あの『閃光』なのだから……。

 

 昨日、強制的に交わされた約束を無理やり果たされている。

 別れてからのいきさつ、リズと何があったのか、なぜ63階層のボス攻略に来なかったのか等々……。色々と詰問/小言を食らわされたので、ちょうどいい。長い話になるのでどうせならと、食事に誘った。

 初めは自分でも、ナイスアイデアだと思った。一度彼女の怒りに火がついてしまうと、何を言っても論破される、「で?」ととにかく押される。なので、前に交わした約束を急遽思い出し、食事へと誘導した。美味しいものを他人の奢りでめいいっぱい食べれば、どんな怒りでも長続きできない。怒りの感情と空腹感は、根が同じだから。だけど……甘かった。こと彼女に対して、特に二人きりという状況設定がもたらす影響力の半端なさを、見誤っていた。

 レストランまでの道のり、やたらと周囲の視線が痛かった。物理的に胃がチクチクした。出会うプレイヤー達は必ずと言っていいほど見てくる、ただし視線は合わせないようにヒソヒソと、彼女とオレを見比べて首をかしげる、あるいは眉をひそめる者も。ハッキリ言われずとも、気持ちはしっかりと伝わっていた。……オレが彼らの立場だったら、同じことを思ったことだろうし。

 精神のHPをガリガリ削られながら、せめてみすぼらしくはないよう背伸びしながら歩いた。

 到着してからも、毒は続いた。店内にはプレイヤーの数は少なく、オレ達の入店を見てさらにいなくなった。なのに、どこかから彼らの視線が突き刺さってくるような気がして仕方がない。あるいは、ただの残像か、NPC達に伝染でもしたのだろうか。……『閃光』の名前はNPC達にも知られているので、もしかしたらそうなのかもしれない。

 

 食事でお怒りを宥めながら、同時に嬉しそうに舌づつみを打っている笑顔を堪能しながら、これまでのいきさつを説明しきった。

 

「―――と、言うわけさ」

 

 情けない話だ……。長々と喋っていたので喉が渇いた、注文していたドリンクを飲む。

 

 【軍】の恐喝に負けた。リズベットが作ってくれた最高の一品を、オレの愛剣にも負けない魔剣を、奪われてしまった。命懸けの冒険を無駄にしてしまった。何より、彼女の大切な想いも……。

 人の命には変えられない。犯罪を楽しむ人でなしならいざ知らず、規則に忠実なだけの怠惰な奴らは、まだ人だと言える。今ここでオレだけが未然に防げるのなら、やるしかない。例えすこぶるマイナスであったとしても、殺人よりはマシだ。

 ただ、オレだけが泥をおっ被るのならいざ知らず、リズベットにも強制してしまったのは悔やまれる。もっといい方法が、もっとオレが用心深かったのなら、もっともっと力があったのなら、あんな悔しい想いをさせずに済んだのに……。思い返すたびに、無力感にしょげてしまう。コレがソロプレイの/オレの限界なのかな……。

 後悔を悟られないように、ズズズと飲み干した。

 

「本当に、ドラゴンはいなくなってたの?」

「というか、クエスト自体がなくなってたよ。どうやっても誰がやっても、再開しない。

 ただ、【狭間】にあった洞窟は残ってた。だから、そこで採石すればあるいは……な」

 

 難しいが、可能性がないわけじゃない。アレがドラゴンの○ンコなら、食べていたのは周りの水晶ということになる。ならば後は、どうやって精製するかだけ、ドラゴンの消化器官で行われたことを再現すればいい。……鍛冶屋と錬金術師たちの奮闘にかけるしかない。

 アスナが顔を曇らせた。薄すぎる可能性に、胸の内でため息をついていた。……彼女もまた、攻略組の一員として/最強ギルド【血盟騎士団】副団長としても、★6の金属は魅力的に映ったのだろう。

 魔剣持ちを多数抱えている彼女たちは、60層以降の攻略に対してそれほど揺るがされてはいない。むしろ、他ギルドが変更を余儀なくされてしまったが故に、攻略組トップの地位をさらに強固なものにしていた。ただそれでも/ソレがゆえに、少数精鋭の中規模ギルド以上への成長が妨げられてしまった。ただでさえ狭き門戸だったのに、魔剣まで加わり実質閉ざされた。今はトップの輝きに覆われているが、長続きできるかどうかは……難しい。魔剣の安定生産は、彼女たちこそ必要だった。

 

(そこの事情をもっと理解していたら、巻き込んでどうにかできたかも、しれなかったのになぁ……)

 

 女々しくもまた、後悔に沈まされる。……まだ暫くは、このまま悶々とさせられ続けるかも知れない。

 オレも胸の内でため息をついていると、すぐに切り替えれたのか、なぜかオレの様子を微笑ましそうに見つめてきた。

 

「それじゃ、そのエリアは、君とリズだけしか知らない秘密の場所、だね」

「……まぁ、そういうことに、なるな」

 

 意図がわからず、ただ頷きだけしか返せないと、アスナはさらにニコリと笑みを深めた。

 不思議な笑顔に何か、ソワソワとさせられる。何か話題を振らねばと、アタフタしていると……アスナの腰の魔剣に目が止まった。

 

「アスナのその細剣、リズが作ったものだったんだよな」

「そ。はじめはただ、ちょっとだけ良い性能の細剣としか思っていなかったけど、まさか魔剣だったなんてね。リズも驚いてた」

「どうやって作ったんだ? やっぱり、偶然の産物だった?」

「そうなのか、と思ってたけど……もしかしたら、使い続けてきたモノだったから、かな?」

「使い続けてきた、て……?」

「コレ、リサイクルして作ったものなの。前に愛用してた細剣を鋳潰して金属に変えてから、新しい金属を継ぎ足したものなのよ」

 

 なるほど、だから使い続けてきか……。わざわざ、手間のかかる方法を取り続けてきた。

 新しくて強いモノを見つけたら、古いものは売って金に変えるのが一般的だ。トレードに使う場合もあるが、そこからプライベートの情報を抜き取られてしまう恐れがあるので、迂闊にはしない。刻まれた履歴を『洗浄』してから、信頼できる商人に処分してもらう。NPCの商人でも構わないが、秘密を守れる信頼関係を築いたり維持することも難しいので、用心深いプレイヤーはやらない。時間がない時は、強酸かマグマの中かフロアの外縁部から空に捨てる。

 今まで使ってきた装備品に、愛着がないわけではない。度々命を救ってくれた相棒だ、無碍に扱うことなどない、常にメンテナンスを欠かさない。だけど、オレ達は頂上を目指さなくてはならない、もっともっと強くならねばならない。何もかも背負っていけば、上になど登れないしすぐに破綻する、進むためには何かを捨てていかねばならない。合理的であらねばならない。……装備品は、取っ替え引っ替えしていく必要がある。

 

「ソレが条件、て確かな証拠はないんだけど……もしもそうだったら、納得できる気がするの」

 

 愛おしそうに優しく、己の細剣に触れながら言った。

 セオリーを無視して、あえて繋げ続けてきた結実。

 彼女のことだ、リサイクルしたのは前のモノよりもずっと前からだろう。もしかしたら、初期装備からだったのかもしれない。攻略のターボエンジンたる彼女は、最も合理的に見えながら、その実/一部においては最も非合理な方法を貫いてきた。矛盾の軋轢を耐えてきた。そのこだわりの賜物が……ソレだったのだろう。

 オレにはオレのこだわりがある、これからもやはり取っ替え引っ替えだろう。彼女のソレを全面的に支持することはできない。が……心情としては、同感だ。最後の最後、神様みたいな奴にどちらが正しいのかと問われたら、間違っていたのはオレの方であって欲しいと思う。

 

「……そうだな。『攻略の鬼』の言葉とは思えないけど」

「やめてよ、キリト君まで! ……私、そんな風に言われるほど厳しくしてきたつもりは、ないから」

「自覚できてないから言われてるんだよ」

 

 おちょくるとムスリ、顔をしかめられた。……先日よりかは少し、受け入れられているのかな。

 

「ところで、何で二本目の剣が必要だったの? 君が今持っているモノの耐久力なら、予備なんて必要ないよね?」

 

 それとなくはぐらかしていたのに、突っ込んできた……。それでもやはり、彼女に真実を告げるわけにはいかない、魔剣を手に入れられなかった今ならなおさらだ。……話したら彼女は、オレよりも早く/どうにかしてでも手に入れてくれる気がして、怖い。

 少し迷いながらも、用意していた言い訳を出した。

 

「……コレ、攻撃力はあるんだけど重さもかなりあって、連撃とか技の繋ぎが難しいんだ。だから、もっと軽くて、刺突に偏らせたモノが欲しかった」

 

 半分ホントで半分嘘……。アスナも「ふ~ん」と同じような態度。……リズから剣のパラメーターを詳しく聞いてくれていなくて助かった、アレはオレの愛剣と似たような作りだから。

 

「剣でなくちゃいけない理由は、何なの? 小盾とかでもいいはずよね、パリィも狙いやすいし」

「パリィについては、それなりにいい篭手付けてるから問題ないよ。片手を開けてるのは、スピードを重視したいってのもあるけど、【体術】混ぜたいからだよ。……対人戦だと、超近距離も考えないといけないからな」

 

 口に出してみると、自分でも納得した。

 モンスター相手にはほぼありえないが、対人戦では鍔迫り合いが起きる。実力が伯仲すれば必ず起きてしまう。通常、武器を使いこなせている相手に【体術】単品の攻撃はほとんど使えないが、その場合は別だ。対人戦を常に想定しかつ勝たねばならないオレとしては、必須の構成だ。

 オレが言外に含ませた意味を察してくれたのか、アスナもそれ以上突っ込まずに下がってくれた。

 

「まぁ、これ以上聞くのはマナー違反だしね。そういうことにしておいてあげる」

 

 助かります……。胸の内でほっと安堵した。

 言い終わるとアスナも、注文していたドリンクに手を伸ばしズズズ、飲んだ。

 

 飲み終えたあと、一瞬ためらいを見せるも、意を決して口を開いた。

 

「……前に話した件については、考えてくれた?」

「ギルドへの参加?」

「君なら、うちの審査は余裕でパスできるし、来てくれると嬉しい」

 

 簡潔ながらも心のこもったお誘いにドキリと、勘違いしそうになった。……個人的な話でなくて残念だ。

 返答は……迷った。前ははぐらかしたが、今回はそうはいかない。誘われている内が華でもあるので、焦らせるのもここまでだろう。【血盟騎士団】に加入すれば、攻略は楽になるし何より身の安全が格段に増す、切り札を十全に使えないのだからなおさらだ。だけど……オレが背負った責任が、ソレを許してくれるとは思えない。

 

「ゴメン、話はすごくありがたいけど、断るよ。オレはソロでいい」

「……もう、君だけが無理する必要は、ないんだよ?」

「そうだな。もう、オレがビーターなんてさ、さすがに皆わかってるだろうからなぁ……」

「だったら―――」

「でも、万が一のことを考えとかないといけない。万が一、誰かが責任をかってでなくちゃ事態を収拾できなくなった場合、『ビーター』がいれば簡単だろ?」

 

 緊急時のための備え……。できるだけ気楽そうに説明すると、何か言い返そうとしたアスナはグッと堪えて、歯噛みした。

 

 オレが本物の『ビーター』かどうかは、もうどうでもいい。それらしい行動をして立場にいればいいだけ、その全てをできるのならばオレでなくてもいい。初期にあった必要悪としての要素は薄れていた。

 代わりに今、『攻略組』という一団にとってなくてはならない柱となっている。ゲームクリアだけに邁進する自己中心的なソロプレイヤー/ビーター像は、攻略組一人一人が内に抱えている業だ。しかし、助け合わなければゲームクリアも生き残ることすら難しいという現実もある。矛盾を抱えてしまうとすぐに破綻してしまうので、誰か一人に象徴になってもらわないといけない。一度壊れたら、たちまち飲み込まれてしまう。この世界に、自分たちの恐怖に、ゲームクリアを阻止する全てに……。

 そんな損な役回りなど、誰もすすんではやりたくないだろう。始めた/今では慣れてもいるオレが、続けるべきだ、できることなら最後まで。

 

「オレには、オレにしかやれそうにない役目があって、ソレを優先したいって話しさ。……アスナが攻略組に、プレイヤー全てに必要とされているのと、同じにさ」

 

 自分にとって、最も自分らしくなれる場所。そこが例え最も辛そうな場所であったとしても、嘘はない。この何もかも偽りの世界を突き破るには、真実を貫かなければならない、オレ自身であり続けなければならない。オレは幸いなことに、ソレを見出すことができた……。ここまで格好はつけられない。

 だが、言いたいことはちゃんと伝わったのだろう。あるいはアスナも、同じ気持ちを内に秘めていたのか。ソレ以上は追求せず、ただ少しだけ悲しそうな顔を垣間見せると、すぐに顔を上げた。

 

「……ゴメンなさい。私、自分のこと棚に上げて、君に背負わせようとしたんだね」

「アスナにそう言ってもらえるのは、光栄なことさ、ここを出たら背中に気をつけなきゃならないぐらいにな。……ただ、今のオレには少し、荷が重すぎる」

 

 口に出してみると、我が事ながら苦笑してしまう。

 自己中心的なソロプレイヤーであるビーターなのに、他人のことを慮って目の前の超美人のお誘いを断らざるを得ない。煙に巻くように、責任を説くなんてどうかしてる。……オレは本当に、ビーターであるのかどうか疑わしい。

 それでも、アスナは納得してくれたのだろう。むしろ晴れやかになったように見えた。

 暗くなっていた空気を、ふたたびの笑顔で一掃した。

 

「あぁ~、美味しかった。ご馳走さま!」

「こちらこそ。お口にあったようで嬉しいよ」

 

 色々と危うかったが、最後は丸く収まったので良かった。……こういう食事だったら、何度奢ってもいいかもしれない。

 

 

 

 約束通り、席を立つと同時に注文表を手に取り、レジに向かった。全額オレ持ち。

 オレの奢りと言いつつも、割り勘にしようと思ってくれたのだろう。お金を払おうとするアスナを遮って、さっさと払った。

 

「……私も払ったのに」

「奢るって言ったろ? それに、君に払わせたら、後で何を言われるかわかったものじゃないしな」

 

 想像するだけでも、恐ろしい……。加えて情けなくもなる。やっぱり男子たるもの、女性を食事に誘ったら奢らないといけないだろう、例え彼女の方がカネを持っていたとしても。

 ふくれっ面に肩をすくめながら、店を出た。

 

「これからどうする? 何処か寄りたいところあったら、付き合うよ」

「いいの! それじゃ―――といきたいところだけど、ギルド本部に戻らないと。まだフロアボス戦の反省会が終わってなかったの」

「今回は、そう被害大きくなかったんだろ? 指揮も連携も悪くなかったって」

「勝ち負けや良し悪しも問題じゃないの。どれだけ次に活かせるものがあるか、それが何度もどの状況でも再現できる強度をもっているかどうか。ソレをすくいあげる為の反省会よ」

 

 【血盟騎士団】の流儀/徹底的な合理主義経営、勝ち負けよりも大事な次……。全くもってごもっともだ、オレも見習わなくてはならない。……ソロプレイに次はないけど。

 アスナに感心しながら、通りを歩く。そのまま転移門へと向かう、

 瞬間―――

 

 

 

「い、イヤアアァァーーッ―――!?」

 

 

 

 転移門の広場から、悲鳴が聞こえてきた。冗談とは思えない切迫した悲鳴。

 耳に入ると同時に二人、即座に駈けていた。広場までいっきに走り抜けていく―――

 

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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中間層 肆
圏内事件


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 悲鳴につられて、やってきた広場で目にしたのは、信じられない光景だった。

 教会らしき石組みの建物の二階から、フルプレートを着込んだ男が一人、首を吊っていた。その胸に深々と、短槍を貫かれながら……

 

 一瞬、何が起こっているのか真っ白になった。目を疑う。広場に集まっている十数人のプレイヤーも、街のNPC達ですら同じく。ただ、ブラブラと吊るされている男を見上げていた。

 アレは本当に、現実なのか……。隣のアスナですら、あまりの異常にポカンとなってしまっていた。趣味の悪い、パフォーマンスかなにかにしか思えない。いったい何やってるんだアイツは……。

 しかし、フルプレ男の苦しそうにもがき呻く様子が目に映って、ハッと我に返った。

 

「何してる、さっさと抜け!」

 

 吊るされている男に向かって、叫んだ。

 現実世界ならば、首吊りは致命的だ、あの高さで自重ならまず生きられない。だが、この仮想世界では/特に【アンチクリミナルコード圏内】では違う。首を締められれば窒息するものの、その先にあるのは死ではなく【気絶】だ。水の中に長く浸かっていても同じ現象が起きる。強烈な衝撃を受けてもHPは微塵も減らないが、代わりに意識がブラックアウトする。その間、本人は強制的に眠らされ人事不肖になる。が、しばらくすれば回復する。

 問題なのは、胸に刺さっている短槍の方だ。

 痛そうな逆刺でギザギザとしている黒い短槍、胸を貫通している。男は今【貫通継続ダメージ】に陥っているはずだ。あのままではHPが危ない……。そもそも、刺さっている現実が異常ではあるのだが、今はとにかく助けなければ。

 男はどうにかして抜こうとするも、力が入らず。手に力をこめると首が締まり、意識が遠のいてしまう。足掻くたびに段々と、力が抜けていく―――

 

(ダメだ、間に合いそうにない―――)

 

 足のポーチから、投擲用のピックを取り出した。買い換えた新品/掌サイズの銛、コレにも【貫通継続ダメージ】効果があるが、重要なのは打点が広いということ。当てることができれば、ロープは切れる。

 しかし、狙いを外したらどうなる? この距離と位置だと精密射撃は難しい。もしも彼に当たったら……。ここは【圏内】だからありえない。が今、目の前でありえないことが起きてしまっている。

 逡巡していると、アスナが行動した。

 

「君は下で受け止めて!」

 

 指示すると同時に、教会の中へと駆け込んでいった。

 ハッと、迷いから覚めた。

 

(オレは何を、現実みたいに考えていたんだ……)

 

 オレはプレイヤーだ、ここは現実世界じゃない、まだ方法はあるじゃないか。

 腰を落として足に力を溜め、息を整える。

 全身の力を収束させると、一気に―――爆発させた。

 クラウチングスタートからのダッシュ、弾丸のように発射した。全速前進―――

 

 群衆をスイスイ抜けながら、助走距離を一気に走り抜けた。そして、教会の壁にぶつかる……。

 衝突する寸前、足を壁に乗せた。無理やり直角にベクトルを変換する、そしてそのまま、駆け上っていく―――

 【壁走り】―――。【体術】の移動技。

 熟練度と助走次第で、十数メートルの切り立った壁すら駆け登れる。この程度の教会/たった2階程度の高さなら、簡単に駆け上ることができる。

 教会の正面の壁を駆け登った。吊るされた男の元まで一直線に、最短距離で救出しに行く―――。

 

 吊るされていた男は、壁を走ってきたオレに驚いた。朦朧としているであろう中、目を丸くしているのが見える。

 駆け上りきると、体当りするように男を抱き掬い上げた。そしてそのまま、ロープが繋がっている室内の中へと入り込む。

 これで窒息は回避だ……。あとは、すぐにこの短槍を抜いてしまえばいい。吊るされていた男のHPはまだ残っているはずだ。

 しかし、

 

 

 窓枠に足をつけ中に入ろうとした直後、第三者と目があった。

 

 

 

 深々とかぶったフードで、顔を隠している。背丈はオレよりも少し高そうだが、男女の区別はつけられない。ゴツゴツとした違和感はないので、コートの下は軽装だろう。

 驚きで一瞬、目をパチクリした。……してしまった。

 完全に虚をつかれた。

 

 そんなオレをみてか、フードの下からニヤリと……笑った。

 

 ゾクリと、背筋が凍った。全身が警告を鳴らす。

 やばい―――。すぐさま臨戦しようとするも、間に合わなかった。

 オレよりも一手早く、フードの誰かは、吊るされた男に刺した短槍と同じモノを取り出していた。そして、ソレを振りかぶり……投げつけてきた。

 オレ目掛けてブンッと、頭を吹き飛ばす勢いの大砲―――

 

 ここは【圏内】だ、ダメージなど喰らわない……。そんな常識が一瞬だけよぎるも、直感が警鐘を鳴らした、顔面攻撃への恐怖もあったのかもしれない。

 たがいに衝突し合ってしまい、硬直してしまった。避けられない……。

 なのでギリギリ、片腕で防御した。短槍がぶつかる間際に、腕を割り込ませた。

 ゴンッと、重い衝撃が腕に揺さぶった。【圏内】の不可視防壁が、敵の攻撃から守ってくれた。しかし、予想していたのはグサリだった。完全に意表をつかれてしまった。

 踏ん張りは効かず。そのまま教会の外へと、押し出された―――

 

(しま―――)

 

 窓の外/空中、足場などないので落下させられるだけ。

 吊るされていた男はどうなる? わからない。もう自力で抜き出せるはずだが、敵がさせてはくれないだろう。アスナが間に合ってくれればいいが……望み薄だろう。

 

(ならせめて、逃がさない―――)

 

 袖口に仕込んでいたワイヤー付き特殊ピック/クナイを、所定の指の動作で素早くセット/握った。投げ飛ばされた不安定な空中なれど、標的は真正面で動いていない。余裕の態度から動く予定もない。当てられる―――

 体の捻りと腕の筋力を駆使して、投げた。シュンと空を切る。

 犯人に向かって、クナイを投擲した。

 

 犯人は、飛んできたクナイ/オレの反撃に目を丸くしていた。避けることはできない。

 お返しとばかりに、犯人の顔面に飛ばしたクナイ。これなら刺さるか、せめて鼻っ柱を折ってやれるはず……

 しかし―――カンッ、小気味よい音が響き渡る。

 弾かれた……。犯人に当たる寸前、オレと同じように/不可視のバリアに阻まれてしまった。

 

 無残に落ちるクナイ、ソレと変わるように、犯人の崩れなかった余裕の笑みを見せつけられた。

 そして、いつの間にか用意していたのか転移結晶を取り出し、呪文を唱えだした。空中では声は微か過ぎて聞こえない、落下中では唇もよみきれない。

 犯人の体がライトエフェクトに包まれ―――消えた。転移されてしまった。

 

「…………くそ!」

 

 歯噛みさせられながらも、空中で猫ひねりした。危なげなく地面に着地する。

 遅れて、犯人がぶつけてきた短槍が落ちてきた。

 

 

 

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 短かったですが、ご視聴ありがとうございました。

 例え【圏内】であろうとも、首を吊って何ともないというのは、リアリティに欠ける気がする。ので、HPは減らないものの【気絶】してしまうと変更させてもらいました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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64階層/マーテン 捜索

_

 

 

 

 無事に広場に着地すると、ぶつけられた短槍を拾い上げた。

 教会の二階を睨みつけた、難なく逃げた犯人のことを思う。あのフード被った奴、いったい何者なんだ……。

 考えにふけっていると、集まった野次馬が事情を知ろうと話しかけてきた。

 

「おい、あんた……て、キリトだったのかよ!?」

「ん? ……ああ、久しぶり!」

 

 話しかけてきたのは、狩人風の軽装なれど斧槍という重武器を装備している男。何度かパーティーを組んだことがあるプレイヤーだ。

 

「相変わらず、無茶すんなお前……。

 あの吊るされてた奴、大丈夫だったのか? それにお前も、何かぶつけられただろう?」

「オレはこの通り何ともないよ。吊るされてた奴は、とりあえず二階に押し込んだから、あとは自力でどうにか……できるはず」

「そうか……。

 それで、あれをヤった犯人はどうした?」

 

 誰もが一番聞きたかったであろう質問に、周りも耳をそばだてた。

 

「……逃げられた。オレぐらいの背丈だったけど、フード被ってたから男か女かわからない」

 

 簡潔に教えると、周りがざわつき始めた。空気に恐怖の色合いが増していく。

 無理もない。正体不明の殺人鬼ともなれば、容易に想像してしまう輩がいる……。こんな公衆の面前で教えたのは、少し失策だったのかもしれない。犯人の思惑に手を貸してしまったような気がして、顔をしかめた。

 気持ちを切り替えようと、もうたどり着いただろう二階のアスナに向かって、声をかけた。

 

「アスナ、どうだ! 彼は大丈夫か?」

 

 窓の奥、返事は返ってこない……。しばらく間を開けても、顔すら見せてこなかった。

 

「……おい、どうした? 返事してくれ」

 

 もう一度声をかけるも、やはり返ってこない。

 一抹の不安がよぎた。まさか、もう一人潜んでたのか―――。

 

「おい、キリト!? どうした急に?」

「悪い、入口塞いどいでくれ!」

 

 急いで指示すると、オレも教会の中へと入った。

 

 

 

 

 

 一階に常駐しているNPCシスターたちの群れを避け、奥にある階段を登る。駆け上る―――

 

 二階には、4つの小部屋があった、どれも似たような扉と作り。

 大都市以外の大概の教会は、信者や貧者たちへの無料宿泊所ともなっている。プレイヤーも使うことはできるが、最低限の寝具で食事なし・防犯機能0なのでほとんど使われない。4つともどれも宿泊用の部屋だろう。だが、犯人たちがいたのは一つだけ

 広間から見えるであろう位置、アスナが無理やり開けたと思わしき半開きの扉。その部屋へと入った。

 

 入った部屋の中には……アスナ一人だけだった。オレを襲った犯人はもちろんのこと、恐れていた伏兵もいない。そして―――首吊り男もいなかった。

 アスナは絶句しながら立ちすくみ、部屋に残っている短槍とロープを見つめていた。

 

「アスナ、彼は……どこにいったんだ?」

「……ゴメンなさい。私が着いた時には、もう……」

 

 最後まで言い切れず、悔しげに歯噛みした。

 今度は、オレの方が絶句した。

 

「そんな……。オレが掴んだときには、まだ生きてたのに……」

 

 あのほんの少しのタイムラグで、HPが尽きてしまったのか……。ヨロヨロと、体が傾いだ。思わず頭を抱える。

 

「掴んだ、て……あ! だからロープは、部屋の中にあるのね」

「ああ……。【壁走り】使って、掴んで窓から中にいれて、それで……」

 

 犯人と遭遇した……。彼を助けられなかった。

 

「それじゃ、犯人の顔を見たの?」

「……悪い。フードで顔隠されてた。それに、ほとんど一瞬だけでコイツを―――ぶつけられて、落とされた」

 

 アスナに、犯人が投げてきた短槍をみせた。

 床に落ちているもの、つるされた男に刺さっていたのと同じ短槍。大していい金属を使ったわけではない/そこそこの品だろうが、ギザギザと返しがいくつも付いている凶悪な外見、【貫通継続ダメージ】をもたらすであろう作りをしている。

 

「ぶつけられた……て、大丈夫だったの!?」

「ああ。【圏内】の防壁に守られたからな」

 

 ここでは当たり前のこと、だけど彼には違った。いったいどうして……。

 後悔に沈みそうになるのをギリギリ、頭を振って払った。

 

「……ここにいた奴が、彼にデュエルを仕掛けてこの短槍を突き刺した。そして、見せしめに吊るした、てところか」

「こんな趣味悪いこと、ただのPKじゃないわよね。……レッドの仕業?」

「おそらく、そうだとは思う。……フード被ってた奴のカーソルは、グリーンだったけどな」

 

 それだけはハッキリとわかっている。【圏内】に不自由なく入っているので当たり前だが、手掛かりの一つにはなる。

 

「なら最近、カルマ回復クエストを履行したプレイヤーが怪しいわね。ウチで調べられればいいけど……」

「【軍】がほぼ独占してるしな。話が通るかどうか……」

 

 わからない……。オレはつい先日もめたばかりから、交渉したくもない。アスナとて難しいはず。彼女が動けば、プレイヤー全体に影響が出てしまう。

 犯人逮捕のためとはいえ、他人のプライバシーを独断で盗み見するようなものだ。クエストを受けたからといって、犯罪者であるとは必ずしも言えない。しかし、ここで彼女がそう判断して強行したら、これから先『前科者』というレッテルができてしまう。例えカーソルがグリーンであったとしても、犯罪者と同じような扱いを永遠と受けてしまうことになる。……ソレが【軍】の狙いでもあるのだろう。

 独占はしているものの、積極的には目的を実地していない。むしろ逆に、プライバシー保護をうたっている。誰かがそうしないように防いでもいる、というのが大義名分だ。しかしソレは、攻略組という一大勢力の牽制があってこそだ。もしも目の上のたんこぶがなくなれば奴らは、犯罪者達をえぐり出すために『前科者』も新設するはずだ、喜々として。

 【軍】に手を貸すようなマネを、するわけにはいかない……。なので却下、次善案でいい。

 

「もしもレッドなら、例え今はグリーンだったとしても、【黒鉄宮】からの捕縛クエストが出回ったはずだ。過去の【ブラックリスト】から辿るのもありだろうな。

 ただ今は、こいつから―――分かることを探る」

 

 証拠物件である、首吊りロープと胸を刺した短槍。これらのアイテムに刻まれた情報から犯人を捕まえることは、充分可能なはずだ。

 もう一つ、この事件現場/この建物自体の履歴を見ることができれば、完璧だが……難しいだろう。そのためには、建物を購入しなければならない、ホームなら履歴を見れる。さらに、この教会を購入するには、【法王庁】からの許可も得なければならない。金だけでは解決できず、やれたとしても莫大な金額だ、得られるメリットも少ない。……現実的じゃない。

 

「どうする? オレはこの犯人を捕まえようと思うけど、君は?」

「私もやる。このまま放置なんてできないわ」

 

 予想通りの意気込みだが、水を差さなければならない。

 

「……ギルドの方はいいのか? 確か君らは、ゲーム攻略にだけ専念して、プレイヤー同士の揉め事には関知しないんじゃなかったか?」

「それは団長のスタンスで、【騎士団】の理念じゃないわ。ほかのメンバーだって、レッドを放っていいとは思ってない。それに何より、このまま副団長の私が何もせずに引き下がれば、ギルドの沽券に関わるわ」

 

 そう、何処かに隠れているであろう犯人へ啖呵を切ると、先までの気弱さから、閃光の/副団長の顔つきになった。どんな難敵すらも駆逐してきた、攻略の鬼の顔。

 終わったな、犯人……。オレもニヤリと、応えた。

 

「それじゃ、解決まで協力よろしく!」

「こちらこそ。絶対に、捕まえてやろう」

 

 差し出された手を握り、固く握手し合った。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 教会から再び広場に戻ると、上で何が起きたのか質問攻めにあった。

 どれかに答える前に、こちらから 

 

「すまない。先の一件、最初から見ていた人はいるか? いたら話を聞かせて欲しい」

 

 呼びかけると、人垣の中からおずおず、一人の女性プレイヤーが名乗りあげてきた。

 前に進み出てきてくれた女性は、これといって特徴のない格好だった、クラスでもあまり目立たたないタイプだろう。武器は片手剣でNPCメイドの装備類、中層域の観光組だろう、ここの料理はどの店も旨い。

 オレを見ると、なぜか怯えられた。心当たりはないので、ちょっと傷つくんだけど……。代わりにアスナに答えてもらった。

 

「ごめんね。怖い思いしたばっかりなのに……。

 あなた、名前は?」

「あ……あの、私は、【ヨルコ】ていいます」

 

 女性の/ヨルコさんのか細い声に、聞き覚えがあった。

 つい口を挟んだ。

 

「もしかして、さっきの最初の悲鳴も、君だった?」

「え? ……は、はい!」

 

 やっぱりか……。なぜか緊張しきっている目の前の彼女から、アレだけの声量がでたとは考えられないが、事が事だったからだろう。人は見た目だけでは判断できない。

 オレが一人納得していると、ヨルコさんが恐る恐ると尋ねてきた。

 

「あ……あの人は、どう……なったんですか? 無事……なんですよね?」

 

 その質問に、オレもアスナも一瞬、詰まってしまった。聞き耳を立てている野次馬たちも、興味を向けてきている。

 どう答えればいいのか、目配せし合った。ただの勘でしかないが、ヨルコさんは被害者と関係が深い人のように思えた。正直に答えればいいのか、だがこんな公衆の面前で? それとも、どうやって……。

 逡巡してしまっていると、アスナが答えた。

 

「……ごめんなさい。間に合わなかった」

 

 そんな―――。声にも出せず震えて、へたり込みそうになるのを堪えた。

 そして徐々に、事実をを理解していくと、純朴そうな瞳に涙を浮かべてきた。彼女の絶望が周囲にも波及したのか、沈鬱な空気も立ち込めてきた。

 見ていられず、顔を伏せていると、入口を塞いでもらった知り合いが小声で話しかけてきた。

 

(マジかよ、死んじまったのか……。

 でもお前、大丈夫だって?)

(……たぶん、掴んだ時点でもうHPがなくなりかけだった、と思う。自力で抜ける時間もなかった)

 

 オレが吹き飛ばされ、アスナが部屋に突入するわずかな時間、大丈夫だろうと見込んだ。けど、実際は……致命的なミスだった。

 掛けられる言葉を見つけられずにいると、またもやアスナが励ましてきた。重々しい空気を断ち切るように、ヨルコさんへ宣言する。

 

「私たち、アレをやった奴を捕まるつもりよ。だから……どんなことでもいい、話を聞かせて欲しい」

 

 真っ直ぐに凛と、復讐の肩代わりを請け負った。

 初対面の人に、これだけハッキリ言い切るなんて……。躊躇してしまった自分が、少しばかり恥ずかしく思えた。

 アスナの本気が伝わったのだろう。ヨルコさんの目にも、ほんの少し光が灯ったように見えた。絶望から起き上がり、声を上げてくれた。

 

「私……私は、あの人と友達……だったんです。今日は一緒にご飯、食べに来て、でもこの広場ではぐれちゃって……それで。そうしたら、こんな―――」

 

 ソレ以上は言葉にならないと、口元を覆った。涙が溢れてくる……。

 

「……ここじゃ何だし、あそこのカフェにでも行こうか」

 

 周りの目を気にして、それとなく提案してきた。

 ヨルコさんも頷くと、そのまま導いていく―――。

 オレも当然、二人の後に従うも、協力してくれた知り合いと、ついでに野次馬たちに向けても、

 

「お前たちはどうする?」

「……閃光とお前が組んで探すって言うなら、俺たちの出番はねぇよな。犯人も捕まえてくれるだろうし。

 ここで退散させてもらうよ。協力できることがあったら連絡してくれ―――」

 

 そう言うと手をヒラヒラ、退散していった。彼らに釣られて野次馬たちも散っていく……。

 無情な態度に顔をしかめそうになるも、仕方のないことだと飲み込んだ。……オレが彼らでも、同じような態度を取ったかもしれない。

 この世界では、誰かの死というのは身近な出来事だ。なので、わざわざ騒ぎ立てたりはしない。ここから去ってホームのベッドでゆっくり眠ったら、忘れる、そうしなければ生きられない。自分が背負える命には限りがあると、多かれ少なかれ痛感している。

 それに、グダグダとついてこられても面倒だ。あれぐらいサッパリした方が、よかったのかもしれない……。彼らを見送りながら、アスナたちの元へとついて行った。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 静かな窓際の席、気持ちも幾分か落ち着くと、話してくれた。

 

「あの人……名前は【カインズ】て、いいます。

 昔、同じギルドにいたことがあって……。今でも、たまにパーティー組んだり、食事したりして……。それで今日も、ここで晩ご飯食べに来て―――」

 

 また悲しみがこみ上げてきたのか、ギュッと目を閉じ、搾り出すように続けた。

 

「……でも、あんまり人が多くて、見失っちゃって……。周りを見渡してみたらいきなり、あの教会の窓から人が、カインズが落ちてきて、宙吊りに……。しかも、胸に、槍が……」

「その時、誰かを見なかった?」

 

 アスナの質問に一瞬キョトンと、顔を伏せながら思い返した。

 しかし、首を横に振った。

 

「……ごめんなさい、わからないです。

 いたようには、思えますけど……カインズのことに驚きすぎて、何が起きてるのか混乱してて、そこまでは……」

 

 ごめんなさいと、謝ってくるヨルコさんにアスナが、気にしないでと。

 確かに、広場からの見上げる位置だと、カインズを押したであろう犯人の姿は見えにくい。その瞬間から見ていたのなら別だが、カインズが吊るされてからなら、隠れる時間は充分ある。そもそも、人々の恐怖を煽りたい劇場型の犯人ならば、隠れず積極的に姿を見せたはず。『圏内PK』の演出のためにも、衆目に晒した方が効果がある。

 期待は少なかったが、犯人の情報を得られなく残念だ。

 これ以上ここで彼女から聞き出せることはないだろうと、アスナは話を終わらせようとした。オレに無言の合図を送ってくる。それに頷くも、ふと……ヨルコさんを見たら口が動いていた。

 

「……オレは、カインズさんのことをよく知らない。だから、気を悪くしたら大変申し訳ないんだけど、聞かなきゃならないことがある。いいかな?」

 

 唐突な問いかけに、ヨルコさんは目をパチクリするも、コクリと頷いた。

 向けてくる純朴そうな顔に、チクリと胸が痛んだ。言おうか言うまいか迷うも……ここまで来たら出さざるをえない。

 意を決して尋ねた。

 

「何かの冗談だと思わなかったか? 例えば、君を驚かすための悪ふざけだったとか? わざと首吊りを演出したとか?」

「ちょっと、キリト君! あなた―――」

「ヨルコさんから見て、カインズさんは、突発的にそういうことをやりそうな人かな?」

 

 アスナの掣肘を無視して、強引に不躾なことを聞いた。代わりにアスナから、凄い目で睨まれる。

 だけど、声として出し切ると、弾みがついた。頭の片隅にコベリついていた、この殺人事件に対する違和感に、名前と形がつきそうな気がしてくる。

 予想通りヨルコさんは、不安と不満が入り混じった顔を向けてきた。

 

「それは……どういう意味、ですか? 何でカインズのことを―――」

「どうして悲鳴を上げたんだ? なぜ真っ先に、カインズさんに尋ねなかったんだ? 『あなた一体そこで何してんのよ?』てな感じで」

 

 オレの質問に、ヨルコさんは言葉を詰まらせるも、アスナはようやく意図を察してくれた。視線の鋭さを緩めてくれた。

 【圏内】では、首吊り自殺なんてできない。公衆の面前でやれば、悪趣味なパフォーマンスにしか見られない。いやそれ以下に、知れ渡っている今では、苦笑されて煙たがられるだけだ。ここは現実世界じゃない。こんな昼日中では、お化け屋敷の仕掛けにもなれない。―――それでも先の事件では、皆が現実みたいな恐慌に陥った。

 どうしてそうなったのか? 第一発見者である彼女が、悲鳴を上げたからにほかならない。冗談事であるとの、一般のプレイヤーの感覚/見解が封殺されたからだ。

 

「それは……だって、あんな槍が、胸に刺さってたから……。それに、HPも減ってて……」

「だとすると、今日はカインズさんとパーティー組んでた、てことだね。

 ちなみに、わかっているとは思うけど。【圏内】だと、パーティーメンバー以外のHPバーは見えないんだ。どれだけ【鑑定】を鍛えても、だ。……必要もないしな」

 

 圏内PKなんてものは、起こりえないものだから……。製作者/茅場晶彦がこのような仕様にしたのは、システム上絶対に不可能だからに他ならないからだろう。でなければ、わざわざ圏外との区別化を図る必要がない。

 そしてもう一つ、予期せず粗が出てきた。パーティーを組んでいたのなら/HPバーが見えていたのなら、もっと違った対応をしたはず/できたはず。悲鳴を上げるよりも先に、アスナがそうしたように助けに行くことが。彼女が即座に行動していたら、間に合っていたかもしれない。……その場合、犯人と鉢合わせる危険があったが。

 ヨルコさんの顔に、動揺が広がっていた。目も泳いでいる。……疑念がさらに深まっていく。

 なので、もうひと押しした。

 

「知ってのとおり、彼女は攻略組のトッププレイヤーだ。オレも、まぁ……末席を汚すぐらいはある。だから、カインズさんの身に起こったようなこと、腹にあんなモノが刺さるなんてことは、日常茶飯事なんだ。そのまま戦い続けることもある。HPに余裕があって対処法さえ間違えなければ、そんなに驚くような事柄じゃないんだ」

「……で、ですが、ここは―――」

「そう、【圏内】だからな。ありえないからこそ驚く。

 でもそれは、少しばかり……特殊な知識に基づきすぎてる。知らなきゃわからない、分からなきゃ無いのと同じだ。驚きとか恐怖とかっていうものは、もっと……本能的なものだと思ってるんだよ、オレは」

「キリト君、ちょっと―――」

 

 さらに追求しようとするのを寸前、アスナが横槍を入れてきた。ヨルコさんから無理やり引き剥がす。

 

(いい加減にして、さすがにやりすぎよ。

 ヨルコさんは、目の前で友達なくしたばかりなのよ。……無神経すぎるわ)

(気づいてないのか、彼女のこと? 何か変だと思わなかったのか?)

 

 オレの道徳観の問題は避け、逆にこの事件の問題点を聞き返した。

 アスナは、何か言い募ろうと口を開くも堪え、代わりに考え込まされた。そして、オレが含ませた疑念を読み取ると、眉をしかめた。

 

(……私、そこまでは疑ってないわ。そうだとも……思いたくない)

(オレだって、そこまで疑り深くないよ。

 ただ、彼女は第一発見者だ。この事件を事件たらしめてる、発端なんだ。……関係ないとは言い切れない)

 

 共犯者……とまでは言わないが、無関係な友達とも言い切れない。……彼女には何かがある。

 

(犯人はもうわかってる。キリト君が見たって言う、フード被った奴でしょ? ……だったら、そいつを探し出せばいいことよ)

(そのためには、彼女の協力が必要だろう。……アスナが思っている以上にな)

(だったら! こんな……尋問するような真似はやめて)

(彼女はただの嘘つきか、それとも何か意志を持ってるのか、それはどのくらい硬いものなのか……。見極めるにはコレが一番だ)

 

 負けじと言い返すと、睨み合った。オレは突き放すように冷たく、アスナは引き戻さんと厳しく、どちらも退かない/交わらない……。

 ビーターと指揮官、いつもの攻略会議の再現だ。

 いきなりの剣呑なオレ達の様子に、当事者たるヨルコさんはオロオロしていた。

 

「あ、あのぉ……。二人とも、どう……なされたんですか? 私なにか、変なことでも……」

 

 不安げなヨルコさんの声にハッと、いがみ合いをやめた。

 言いかけた尋問を続けようとするも、不完全燃焼で/アスナの手前もあり、やめた。代わりに、どうしても聞かなければならないことだけ尋ねた。

 

「カインズさんが、誰かに狙われるような理由とか……わかる?」

 

 すぐにアスナからすごく睨まれたが、無視した。……こればかりは、確かめないと始まらない。

 ヨルコさんはビクりと硬くするも、首を横に振った。見当もつかない……。

 全面的に信じるわけにはいかないが、あのような殺され方をするほどの恨みは隠しきれるものじゃない。安全と程良いスリルを求めている中層域のプレイヤーが、そこまでの大事を抱えているとは考え難い。……レッドプレイヤーと関わっていなければ。

 手掛かりはなし……。後はじっくり、探っていくしかない。

 

「だとすると、ヨルコさんも少し危ないかもしれない。レッドプレイヤーの仕業なら、カインズさんの友人だった君は新しいターゲットだ。絶対に、何か仕掛けてくる」

「な……なんで、ですか?」

 

 絶対との断言に、当然ながら聞かれた。

 なので、レッド達の心理を説明しようと口を開きかけたが、やめた。……これ以上悪印象を持たれた、オレの精神値がやばい。潜在的なレッドと誤解でもされたら、お日様の下をまともに歩けなくなる。

 

「犯人を捕まえるまで、護衛させてもらうよ。……アスナと二人でね」

 

 オレ一人だったら、完全にストーカーでしかない……。その点、閃光殿なら全く問題ない。彼女の傍以上に安全な場所はないだろう。むしろ、別の意味で問題が出そうだが……。

 恐る恐るアスナに目を向けると、頷いてくれた。流れで勝手に決めてしまったが、快い了承でホッとした。……団員とのトラブルも、少しばかりは肩代わりせにゃならんだろう。

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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64階層/アルゲート 調査

 有名人を巻き込んでしまった悲劇


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 少々強引ながらも構わず、ヨルコさんをホームまで送り届けていく。

 近くの宿屋まででいい、とは言われたものの、安全を考えればホームに越したことはない。その点はアスナも同意。

 転移門をくぐり下層へ、ヨルコさんホームへと向かった―――

 

 

 

 

 

 転移門をくぐり抜けた直後、いつものように体が重くなった。

 酸欠状態に似ているが、空気が薄くなったわけではない。一緒に来ているヨルコさんは何ともない、オレとアスナだけが苦しくなっている。

 『下層病』―――。そのフロアの適正レベルを遥かに超えてしまったプレイヤー達にだけかかる病、高山病みたいな症状だが下に降りれば降りるほどひどくなる。現在の攻略組の平均レベルだと、40階層代で体がだるく疲れやすくなり30階層代でまともな戦闘ができなくなる、20階層以下だと歩くのすら困難になる。ただ、どの階層であっても主街区や【圏内】/迷宮区内では症状が幾分か緩和される。……今ここであっても、立っていられるのはそのためだ。

 かと言って……このままではマズい。護衛の意味がない。

 

 下層に降りる際の準備。二人とも、素早くメニューを展開すると、それぞれ親指大の飴玉を取り出し……口に入れた。口の中でコロコロ転がす。

 【兵糧丸】―――。口の中に入れて舐め続けるとリジェネ効果、噛み砕くと大きさ次第でハイポーション並みの回復薬になる。ただ、普通の回復薬とは違い食料扱い、なので同時に腹も膨れる。下層病の原因は、呼吸だけ/下層の空気では高レベルの体を維持するに足るエネルギーを確保できなこと。なので、病の緩和剤にもなる。ポーションでは一時しか効果がなく、他の携行食だと口から零れるのが気になってまともに動けない。

 ただし、あくまで緩和剤。長くても1時間程度しか持たない、戦闘を挟めばもっと短くなる。長期滞在をする場合は、【軍】のメンバーが装備しているようなガスマスクが必要になる。あるいは、【吸魂の灰晶石】の経験値ドレインにて、レベルそのものを下げるしかない。……幸いなことに今回は、その必要はなさそうだ。

 体の調子が普段通りに戻るのを感じると、ヨルコさんに従っていった。

 

 そしてようやく、ヨルコさんのホームにたどり着いた。大通りに面した二階建て/レンガ風の家、こじんまりとしているがオシャレでもある。

 

「ここが、ヨルコさんのホーム?」

「は、はい」

「中を調べさせてもらう」

「はい……て、えぇーッ!?」

「何言ってるのよキリト君!?」

 

 ヨルコさんと、アスナからも驚愕。悲鳴じみた声をあげられた。

 大胆な発言ではあると、自覚はしていたが……少々傷つく。

 

「安全確認のためだよ。

 いちおう、大丈夫だとは思うけど、レッドなら抜け道の一つや二つ心得てるからな。他人のホームの扉を破るなんて、圏内でPKやるほどには難しくない」

 

 決して、いかがわしい目的じゃない……。正当な理由を告げると、言い返されることはなかったが、顔はオロオロと非難をさらけ出してた。

 アスナも理解してくれたが、ヨルコさんの気持ちを力強く代弁してきた。

 

「安心してヨルコさん。私がしっかり、見張ってるから」

 

 アスナからの睨みと念押しで、ようやくヨルコさんも納得してくれた。

 オレ、どれだけ信頼ないんだよ……。というか、男性プレイヤーそのものの信頼度かな。そうであって欲しい。

 

「……そ、そういうことでしたら、お願いします」

 

 許可を得ると、ヨルコさんに続いてホームに入らせてもらった。

 

「キリト君。わかっているとは思うけど、少しでも怪しい真似したら―――」

「やりませんよ! 何しに来たと思ってるんだよ?」

 

 オレは容疑者じゃないのに、短いながら生涯で痴漢なんてやったことないのに……。アスナの厳重な監視の中、ヨルコさんのホームの捜索した。

 ガサゴソがさごそと、家宅侵入者が使うであろう抜け穴をチェック、チェック―――

 今日あったばかりの女性の部屋に、ほぼ勝手に上がり込んでいる。そう思い出してしまうと、知らずドキドキしてしまう。だが瞬時に、仕事だと律した、律し続けた。……オレの情熱よ、今は、今だけは鎮まっていてくれ。

 

 賢者に徹しながら、目星しい場所をチェックした。―――問題なし。

 

「―――大丈夫みたいだな。誰かに侵入された痕跡はないよ」

「そうですか……。よかった」

 

 ホッと安堵の吐息をこぼした。……侵入者がいなかったことか、それとも他人に部屋を荒らされるのが終わったことかは、わからない。

 安心している中、非常に心苦しいが……まだ終わっていない。

 

「もう一つ、コイツを使って、部屋から通りを監視させてもらう」

 

 メニューから取り出したアイテムは、手のひら大の楕円球の水晶。平たい球面に可動性のある小さな台座がある、その底面にはあらゆる素材にくっつく粘着シールが貼られている。

 

「ソレは……何のアイテム、ですか?」

「【義眼の視晶石】。ワイヤレスの監視カメラみたいなものだ」

「待ってキリト君! さすがにソレはやりすぎよ」

「……それじゃ、ここに泊めてもらえる?」

 

 無理だよね……。オレから目を向けられると、ヨルコさんはギクリと顔をしかめた。

 アスナは何か言いかけるも、代わりに大きく吐息をこぼした。諦めたように肩の力を落とした。

 

「オレ達は、四六時中ヨルコさんの傍にいることができない。犯人を追い詰めるためには、色々と動き回って調べなきゃならないこともある。……設置してるだけでも、牽制になるしな」

 

 監視の重要性。護衛として、手抜かりがあってはならない……。理詰めで強引に認めさせた。

 二人何も言えないでいる中、監視カメラを設置する。誰がホームに入ってこようとするのか見れるように、扉と前の通りがハッキリと見れる位置。ホームの中なら壊される心配はないので、偽装処置やダミーの設置はいらない。

 オレが一人作業していると、アスナは何か吹っ切れたように顔を上げた。

 

「……よし! ここまでやるのならいっそのこと、NPCの門番と護衛も雇いましょう!」

 

 オレに触発されたのか、大胆な発言。驚いて作業の手が止まってしまった……。ヨルコさんも、口をあんぐり開けていた。

 

「そいつはいいアイデアだけど……。買収されないような奴は高額要求してくるし、探し当てるのも難しくないか?」

「大丈夫! 【騎士団】で確保している人がいるから、その人たちに頼めばいいわ」

 

 『傭兵NPC』―――。特定のクエストで、プレイヤーを助けてくれるNPCがいる。大抵は攻略期間中のみの関係だが、諸条件を満たせばその後も協力してくれる、クエストの輪から外れ傭兵となる。

 さすが、大ギルドは違う……。信頼できてかつ高レベルの傭兵となると、数は限られる。給金の高さもあるが、それ以上にどれだけ長くパーティーを組んで戦ってきたか/絆を深めてきたが問われる。装備品や持たせるアイテムも揃えてやらねばならない。使い魔以上の金食い虫だ。

 ソロプレイヤーであるオレには、必要なお助けキャラ達だが、お金と手間暇を考えると一人の方が効率がいい。……初期レベルのまま遊ばせたままにしてあるので、護衛には使えそうにない。

 

「あ……あの! そんなことまで、してもらうわけには……」

「いいのよ、気にしないで。命には代えられないから―――」

 

 恐縮を越えて恐慌しているヨルコさんをいなすと、アスナはメニューを開き、傭兵たちへの仕事依頼のメッセージを送る―――

 続々と要塞化してく己のホームに、呆然としているヨルコさん。オレの方の作業は終わったので、彼女の下に戻ると、

 

「あとは―――コレを持っててくれ」

「何ですか、この……イヤリングは?」

「改造結晶だ。転移結晶と同じ働きをもっている。片手を塞がれず使えるんだ、意識を耳に集中するだけでいい」

 

 説明すると、オレとアスナの耳にも同じものがあると見せた。

 そして、簡単な使い方の説明―――。

 そういえばオレ、初対面の女性には必ずコレ渡してきたな……。図らずも/遅ればせながら、改造結晶の営業をしてきたことに気づいた。コペルの奴から給料、もらってもいいかも知れない……。

 

「……こんな便利なものが、あったんですね」

「プレイヤーメイドだよ。攻略組には普及してるんだけど、それ以外にはまだ知られてないのかな。……普通の結晶と同じで、使い捨てだから気をつけてくれ」

 

 オレ達のは最新型の充填式。力を込め直せば、わざわざイヤリングごと変えなくていい。残念ながら予備は持っていなかったので、残っていた使い捨て式を渡した。

 

「―――返事がきたわ、OKだって。30分後ぐらいにここまで来てくれる」

 

 そう告げると、傭兵NPCの外見と名前をヨルコさんに教えた。信頼できる人達であるとも、念を押して。

 まだオロオロと、どうすればいいのか迷っているヨルコさんに、アスナは続けた。

 

「私が雇ったけど、ボスは貴女ということにしたわ。

 身の安全が最優先事項だけど、行動の全部を阻害したりはしない。充分に安全なマージンを取れるのなら、迷宮区でも一緒に行動して戦ってくれるわ」

 

 解説し終わるとニコリと、安心させるように微笑んだ。

 向けられたソレにヨルコさんは、もう返品はできないと苦笑を返すしかなかった。

 

 ホームの安全確保に監視カメラ、おまけに護衛二人も雇った……。今はこれ以上、やれることはないだろう。

 

「何かあったら、いつでも連絡してね。すぐに駆けつけるから」

 

 最後にアスナからメアドを送られると、ヨルコさんは、ただただ恐縮しながら頷いた。

 

 

 

 

 

 ヨルコさんのホームから出ると、

 

「さて、次は―――コイツらを調べるか」

 

 首吊りロープと胸を刺した短槍、殺人の証拠。コレらから犯人を辿れるはず。

 ただし、

 

「アスナは【鑑定】、鍛えて……るか?」

「……履歴見れるほどじゃないわ」

 

 ですよね……。オレも、簡単な目利きができる程度だ。

 

「リズに頼むのが一番だけど、今の時間帯だと……忙しいはずね」

「関わらせるのも少し、躊躇うしな……」

 

 色んな意味で……。昨日の【軍】との一件が、まだ大きく尾を引いているはず。その上レッドのことなど、背負わせたくない。

 

「……NPCの鑑定士は、どう?」

「金次第でいけなくもないが、プレイヤーメイドだった場合は、極端に情報少なくなるからな……」

「銘と製作者はわかるんだし。試してみてもいいんじゃない?」

「うん、ただなぁ……。一回【鑑定】すると、履歴へのアクセス権がほとんど消えちゃうだろ? 使用者とか攻撃対象とか、一番見たいものがさ」

「そりゃ、そうだけど……。かと言って、このまま何もしなかったら、全部見れなくなるわよ?」

 

 ソレこそ本末転倒だ……。まだ短槍には、犯人の使用履歴とカインズさんの【血痕】がついているはず。それらは重大な情報だが、揮発性が極めて高い。あと一時間もしたら消えてしまう、生半な【鑑定】をしたらソレだけでも。さらに、偽装処置が施されていたら、偽の情報を掴まされてしまうことになりかねない。

 熟練の鑑定士が欲しい……。いい考えは出ず、何気なしにアスナの顔を見ると、聞いてみた。

 

「【騎士団】の鑑定士はどうだ? アスナが言えば、ゴリ押せるんじゃないかな?」

「……武装の管理についてだけは、メンバー独自でやってるのよ。だから、ソレを見れるだけの鑑定士はいないの」

 

 頼りになれなくてごめんなさい……。謝られると、逆にこっちが慌てた。部外者かつ潜在的なライバルでもあるオレが、聞いていい内実ではなかった。

 ソレ以上は要求などできず、代わりに知恵を出さなくてはならなくなった。

 悩みに悩んだ末……一人だけ、思い浮かんだ。

 

「……熟練度はイマイチ不安だけど、知り合いの雑貨屋に頼むか」

「それって……エギルさん、だっけ? 大柄で禿頭の、外人みたいな」

 

 良くご存知で……。善は急げ。メニューを展開し、エギルへと連絡する。

 

「でも、雑貨屋さんだって、この時間は忙しいんじゃない?」

「知らん。このぐらいの貸しは充分ある」

 

 ありすぎるほどだ……。メッセージを送りつけた。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 メッセージの返信を待たずにそのまま、エギルの店まで直行した。

 

 50層【アルゲート】―――。一階層【はじまりの街】に次いで巨大な主街区、中華風の街並み。

 雑多すぎて迷宮にもなっている街には今、数多くのプレイヤーがホームを構えていた。土地代の安さといい必要な店が全て揃っているのもいい、残念なのは景観と開放感の少なさだけだ。なので、オレもその一人に入っている。

 

「ここって、キリト君のホームもあるんだよね?」

「……ああ。南の川沿いにあるよ、ここから歩くと少し、遠いかな」

 

 その代わり、水路を使えば楽ちんだ……。街に幾重にも走っている人工水路、水上には大小色々な船が多数。ファストトラベルとして/バスやタクシーとして使われている。とあるクエストを攻略すれば、日が落ちるまではタダで乗れるようになる。

 

「そうなんだ……。

 ねぇ、今度行ってみてもいいかな? 見てみたい」

「……面白くもなければ、綺麗でもないぞ? ほとんど寝るだけの場所だし」

 

 食事は外食、仕事は攻略、時にはダンジョン内で一夜を明かすこともある。別の階層に用事があれば長期間開ける。仮眠室かつ倉庫、といったところ、インテリアなど全く考えてない/ほぼ初期状態だ。

 遠回しに遠慮させようとするも、

 

「良いか悪いかを決めるのは私だし、どんな場所でも文句は言わないわ。いいでしょ?」

 

 粘ってきた。

 アスナの顔をじっと見つめた。どう判断すればいいのか……。わかったのは、引いてくれそうにないということ。

 なので、ハッキリと言うことにした。

 

「代わりに、アスナが来た後すぐ別の場所に引越さなきゃならない、て言ったら……どうする?」

「どうしてそうなるのよ? 私はただ、遊びに行くだけで―――……!?」

 

 オレが言いたいことを察してくれたのか、顔をしかめられた。怒りたいけど何も言えず、ただ眉間にしわを寄せるのみ。その一言で、和やかだった空気が冷たくなった。

 アスナがオレのホームに来た場合、例え彼女に悪意がなかろうとも、後から悪意がやってくる。聞きつけた誰かが寝込みか居留守を狙ってくる、安全なホームは途端に危険地帯になる。

 もちろん、彼女もソレは承知しているだろう。目を光らせてくれるだろうし、そもそも傍にいられる奴らがそんな悪意を向けてくるとは思っていない。怖いのは、彼女自身が自分の影響力をコントロールできないことだ。隠されていたものを明らかにすることは簡単でも、その逆は困難極まる。

 

「先に言っておくけど、君のことは信頼してる。だけど、君の周りの人全てはそうじゃない、君ほどには信頼できない」

「……そこまでいくと、病気か疑っちゃうわよ」

「君こそ。自分が眩しすぎることに、気づいた方がいい」

 

 真っ向から言い返すと、大きくため息をつかれた。頭まで抱えられる。

 仕方がないことだ、慎重さこそが身を救う……。ビーターたるもの、ホームから一歩外に出れば何十人もの敵がいる。組織として動かれれば何百人だ、ヘタしたら千を越えるかも。匿名性を保てれば保てるほど、安全性も増してくれる。

 

 呆れられるも、また喧嘩になりそうな空気が立ち込めていた。

 また剣呑になるのは、心の衛生上よろしくない。平行線以外の決着がついたことがない。どうしたものかと、悩まされていると―――ちょうどよく到着した。

 エギルの店の前。中は予想通り客でゴミゴミ、忙しく商売していた。

 確認してから扉を潜ろうとする寸前、一緒に入ろうとしたアスナを止めた。

 

「……少しそこで待っててくれ」

「何でよ?」

 

 いいからいいから……。説明するとめんどくさいことになるので、強引に押しとどめた。

 不満タラタラながら何とか止まってもらうと、一人先に店の中に入った。

 

「うーっす! 来たぞぉ!」

 

 入店一番、店中に聞こえる声で無遠慮に告げた。

 客たちは何だなんだと、コチラに注目してくるも構わず、真っ直ぐエギルがいるカウンターまで闊歩していく。

 

「何だなんだ? この店じゃ、大事なお客様に『いらっしゃいませ』も言えないのか?」

「……テメェは客じゃねぇからな」

「おいおい、硬いこと言うなよ、オレとお前の仲なのに。寂しいじゃないか」

 

 目はそのまま口だけで笑顔を作ると、ドカリ―――カウンターに座った。すぐ傍でエギルが対応していた客がいたが無視して、むしろこれみよがしにアピールした。

 不躾な態度に唖然と、続いて文句を言われる前に、

 

「悪いな、今日はもう閉店だよ。とっと帰ってくれ」

 

 手をヒラヒラ/追い払うように、隣の客に言いながら店中に聞こえるように言った。

 今度は店中の客が目を丸くした。続いて不満をぶつけられそうになるが、

 

「すまねぇ……。また明日来てくれ」

 

 エギルの謝罪が差し挟まれると、喉元で抑えられた。信じられないという顔を向けてくるも、店主からの頼みなら従うしかない。

 客たちもすごすご、去って行った。……去り際、オレに軽蔑を込めた視線を向けながら。

 

 

 

 

 

 二人きりになると、エギルはメニューを展開し、閉店処理を行った。

 店内中パタパタと、棚に置かれていた商品たちが棚ごと壁に取り込まれていく―――。色とりどり雑多だった店内がスッキリと、伽藍堂にもなったかのように広々となった。

 ひと昔は続いて、ニョキニョキとテープルと椅子を生やすのだが、今は商店として繁盛しているからカフェまではやらず。そのままだ。

 閉店処理を終えると、もう一度店内を確認してから、ようやく口を開いた。

 

「……それで、要件は?」

「待て、外で待たせてる」

 

 もう入ってきていいぞ―――。声をかけると、店内にアスナが入ってきた。……よく今まで我慢してくれた。

 瞠目するエギルに、丁寧に挨拶した。

 

「お久しぶりです、エギルさん。……昨日は、【騎士団】のメンバーが大変お世話になりました」

 

 遅ればせながら、副団長として感謝申し上げます……。ペコリとのお辞儀付きに、エギルの方が慌ててしまった。

 

「お、おう……いやいや、はい! こちらこそ……です」

「敬語なんてやめてくださいよ。エギルさんの方が年上ですし、私なんかよりかみんなの為に働いてくれてます。もっと気を楽にしてくれた方が、こちらとしても助かりますよ」

「そ、そうですか……いやいや、そうかい。そりゃよかった! 俺も堅苦しいのは苦手なんでな」

 

 はっはっは―――と、たがいに相好を崩した。

 予想外すぎる相棒に、なにか文句でも言われるかと思ったが、何も言われず。……目の保養になれたのだから、言われても言い返してやったけど。

 

「とこで……キリト君。ああいうこと、いつもやってるの?」

「ああいうこと、ていうのは、どういこと?」

 

 向けられたアスナの顔から、何を言いたいのかおおよそ察しはついていたが……あえて聞いた。答えを用意し忘れていた。

 アスナもそれを察してか、無言を返してきた。ハッキリと言葉には出さずに済ますが、ゴネるようなそうすると匂わせながら。

 また悩まされる。どう言えばいいのか、言葉を探してみた……。

 答えは、正直だった。

 

「今日みたいな緊急時で、フジノさんが不在の時だけ、だな」

「おいおい、いつも似たようなもんじゃねぇか」

 

 そうだったっけ……。エギルの軽口に肩をすくめて答えた。

 エギルの介入で話の接ぎ穂が見いだせなくなったのか、アスナはそれ以上追求せず。ほんの少しため息をつきながら、

 

「……とりあえず、今は気にしないでおくわね」

 

 ソレでいい? ……オレだけでなく、エギルに向かっても、二人の間に交わされた暗黙の了解に対して。

 含ませた鋭さ/「私は知ってるから」に、オレは苦笑、エギルも若干引きつってしまうも同じく。……アスナ慣れしていないと、大概そうなってしまう。

 

 誤魔化すように/仕切り直すようにコホン、わざとらしく咳をすると、

 

「それで、要件てのは何なんだ?」

 

 改めて、ここにきた要件を尋ねてきた。

 

 

 

 

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64階層/はじまりの街 鑑定

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 マーテンで起きた事件の概要を教えたあと、エギルに犯罪の証拠たちを【鑑定】してもらった。……金にうるさいアコギな商人だが、同時に熟練の斧戦士でもある、レッドの事となれば快諾だ。

 

「まずは、こっちのロープから―――」

 

 カインズを吊るしたロープを渡した。別に怨念が宿っているなどはないはずだが、嫌そうな顔で鼻を鳴らされた。

 受け取ると、意識をロープに集中/【鑑定】を発動させた。瞳と手のひらにソードスキル特有のライトエフェクトが灯り、ロープを覆っていった。オレが使っているような低レベルの【鑑定】ではなく、本格的なモノだ。……さすが商人だけある。

 調査が終わったのか、光を消した。そして、視界に映っているであろう獲得情報を伝えた。

 

「―――プレイヤーメイドじゃないな、NPCの店で売ってる汎用品だ。ランクもそう高くないし、耐久値が半分以上減ってる」

 

 減った理由は、フル装備のカインズを吊るしていたからだろう。よくちぎれなかったと思う。……ちぎれていれば、助かったかもしれなかったのに。

 

「傷は付けられていないようだから、重さだけで減らされたんだろうな。これだけ減るとなると……カインズってのは、壁戦士だったのか?」

 

 エギルの素朴な疑問に、答えられず目を丸くしてしまった。思わずアスナとも目を合わせた。……そういえばオレ達、カインズのことも何も知らない。

 

「そうは見えたけど、オレの【壁走り】で持ち上げられるぐらいだからな。攻略組レベルの体重はなかっただろうが、どうだろうな……。あとでヨルコさんに聞いてみるよ。

 最後に誰が使ったか、わかるか?」

「……カインズ、てことになってるな」

「え!? それって……どういうこと?」

 

 出てきた答えに二人は眉をしかめるも、オレはすぐに得心がいった。

 

「犯人が残らないように細工したんだろう。動けないカインズに持たせながら首にかけた、とかな」

「……確かにそれなら、最終使用者はカインズだな」

「証拠を残さないため……。用心深い相手、てことね」

 

 そういうこと……。証拠は残さず、自殺に偽装する。劇場型の/自己主張の激しいレッドだと思いきや、肝心の部分は隠す慎重さを持っている。……厄介な相手だ。

 ただ、ロープからはあまり期待していなかった。重要なのは短槍の方だ。

 エギルに、問題の禍々しい短槍を手渡すと、慎重に【鑑定】した。コベリ付いた情報を読み出していく―――

 そして、出てきた答えは、

 

「―――プレイヤーメイドだ」

 

 やっぱり……。今まで見たことのない形状かつ、もしもNPCの店で売っているモノだったら、そこは間違いなく裏社会と大きく関わっているはずだ。むしろNPC由来だったのなら、レッドが犯人だとの証拠になってしまう、少なくとも的がぐっと狭まる。

 

「製作者は、誰ですか?」

「名前は【グリムロック】だ。……聞いたことねぇ名前だ。少なくとも、一線級の刀匠じゃないだろうな」

 

 商売せずに、ただ自分のためだけに武器を作る鍛冶屋が、いないわけではないが……。圧倒的少数だろう。それに、高レベルへと成長するためには、どうしても数を打たなきゃならないし他人と関わる必要もある。職人として極めるには、少なからず商人にならざるを得ない。

 聞いたことのない刀匠の姿に思いを馳せていると、エギルはまた首をかしげていた。

 

「……キリト、こいつを現場から持ち出してから、どのくらい経ってる?」

「まだ……一時間ちょっとかな」

「そうか……。微妙なところだな」

 

 どうした……。エギルが抱えている疑念が読めずにいると、教えてきた。

 

「俺の【鑑定】レベルだと、【血痕】から最後の攻撃対象と使用者をよみとれる。一時間だと【血痕】じたいは見えなくなっちまってるが、モノにはまだ残ってる。この手の【貫通継続ダメージ】使うモノならなおさらだ、【血痕】の偽装処置とか洗浄なんて簡単にはできねぇ。

 だから、俺には見えるはずなんだが……おかしんだよ。どっちもカインズになってる」

 

 カインズが自分で、自分の胸を短槍で刺し貫いた……。ロープと同じだ、まるで自殺したかのような証拠になっている。

 しかし、今は自殺するプレイヤーなんていないだろう。そうでなくてもモンスターに殺されるかもしれない毎日だ、絶望したのなら上層を目指す、高みの見物を決め込んでいる全ての元凶に会うためにも。……目的が明確なうちには、自殺など簡単には選べないはず。

 

「……カインズさんに握らせて刺したら、そうなるんじゃないのか?」

「ロープの場合とは違うだろう。アレはただ首にかけるだけでいいが、こっちは腹をつらぬかにゃいかん、おまけに硬い鎧もな。……どうしたって力がいる、握らせながらの無理やりでできるもんじゃないだろう?」

 

 確かに……。簡単に考えてしまったが、言われてみればソレが常識だ。誰だって/痛みの少ない仮想世界であっても、腹を刺されたくない、やらせないように抵抗する。

 よほどのレベル差/筋力値の差があったのなら、できるだろう。ただそれでも、手間がかかる。誤って少しでも触れようものなら、証拠としてバッチリ残ってしまう、握りづらい相手の手の甲ごしながらなおさら危険だ。

 悩まされると一つ、仮説が思い浮かんできた。

 

「カインズさんをその短槍に刺した、ならいけるんじゃないか?」

「……どういうことだ?」

「部屋のどこかに立てかけて固定しておいた短槍の穂先に、カインズさんをぶん投げたんだ。そうすれば、いけるだろ」

 

 これなら証拠が残る危険は少ない、方法としても比較的簡単だ……。逆転の発想、現実世界では色々と仕掛けをほどこさなければ難しいが、ここなら自前の腕力だけでいける。

 オレの仮説に、二人からの反論はなかった。が、その場面を想像してか嫌そうな顔をされた。……ついでに、そんな発想ができてしまったオレに対しても、いくぶんか。

 オレの人間性が疑われる前に/話を逸らしついでに、もう一つの短槍/犯人がオレに向かって投げたモノも見せた。

 

「コイツは、犯人がオレにぶん投げてきたものだ。圏内の障壁に守られたから、【血痕】はついてないけど……。お前のレベルで、前の使用者わかったりするか?」

「……悪ぃな。そこまでは極めてない」

 

 顔見知りで、今では腐れ縁と言ってもいい仲だが、パラメーターやらの命に関わるような個人情報を要求することはできない。ソレを絶対にやらない/守りぬくからこそ、信頼が成り立っている。その無理を押してのギリギリのラインなので、追求はできなかった。エギルも、あえて気にしていないように、簡単に答えただけ。……話の流れでの『図らずも』だったので、少々心が痛んだ。

 話の接穂に迷っていると、アスナが仕切り直してくれた。

 

「となるとまずは、グリムロックさんを探すところからね。中層域の人たちに聞いてまわれば、誰か知ってるかもしれない」

 

 骨が折れるが、地道にやるしかない……。ただ、面倒くさい以上に、時間がない。終わった殺人事件の捜査に手間取っている間に、第二の犯罪を起こされた無意味だ。犯人にその気を起こさせる前に、カタをつけなければならない。

 

「なぁエギル、お前中層域の顔役みたいなものだろ。詳しそうな奴の一人や二人、心当たりあるんじゃないか?」

「そう言えばそうよね」

 

 二人から、特にアスナからのおねだりに、エギルはたじろいだ。……オレ一人だけだったら突っぱねる選択肢もあったが、閃光様のご威光の前ではありえない。

 それでも何とか堪えようと/言いよどみ続けるも……観念した。大きくため息をつく。

 

「……人探しながら、『狐』に頼むのが一番だろうな。あの子なら、大概のプレイヤーを知ってるはずだ」

 

 エギルの口から零れ出たのは、オレも知らない二つ名だった。

 

「そういう情報稼業は、『鼠』の専売特許だと思ってたけど?」

「彼女でもいけるだろうが、人探しとなると『狐』の方が上手だ、個人情報についてもな。なにせ色々と、人の方から……寄ってくるからな」

 

 最後はなにか、奥歯にモノが詰まったような/含みのある言い方だった。とても言い難そうに、複雑そうな顔を浮かべている。

 

「攻略組じゃないわよね……。中層域の人?」

「ああ、詳しいレベルは知らんが、俺よりは低いはずだ。名前は……【ストレア】だ。お前さんぐらいの見た目の女の子だよ」

「ストレア? どっかで、聞いた名前だな―――……あぁッ!?」

 

 一つ思い至ると、思わず大声を上げてしまった。そして、おそるおそるエギルを見た。

 ようやく察してくれたかと、目配せで伝えてきた。本当にそうだったのかと、息を飲まされた。そしてチラリと、まだ何も知らず首を傾げているアスナを見た。……エギルがなぜその名前を出し渋ったのか、完全に理解した。危うく遅きに失するところだった。

 オレ達が以心伝心/暗黙の了解をしていると、さすがにアスナにも気づかれた。

 

「キリト君も、知ってるの?」

「え!? い、いや、まぁ……知ってるっちゃ知ってるんだけど、会ったことはないよ。会ったことはないからな! 噂としてだけだ」

「……有名人なの?」

「アスナほどじゃないよ。……なぁエギル」

 

 わざと話を振ると、余計なことを睨まれた。……彼女とタイマンを張るなんてオレには荷が重すぎる、死なば諸ともだ

 

「……俺も、フジノ経由で聞いただけだぞ。

 一緒にパーティー組んで、開店当初は盛り上げてもくれたらしい。今はどうだかわからないが、まだ繋がりはあるんじゃないかな」

 

 責任逃れしやがったな……。取っ掛りは本当かもしれないが、今でも詳しく知らないわけはない。嫌でも情報が集まる/使う商人ならば、知らないで済まされるはずもなし。

 視線で「この卑怯者が」と伝えると、エギルはどこ吹く風と知らんぷり。……まぁ、バラせばとばっちりを受けるので、オレ達だけの秘密だ。

 

「それじゃ、フジノさんに連絡してもらえば、会えるかもしれないってことよね?」

「まずはさ、ヨルコさんに聞いてみようぜ。そっちの方が早いはずだ。

 犯人がわざわざこの短槍を使ったのには、意味があると思うんだよ。カインズさんの友人だった彼女なら、グリムロックのことも知ってるはずだ。もしかしたら、居場所も知ってるかもしれないぜ」

「……確かに、そうね。ヨルコさんに聞くのが一番だわ」

 

 やったァ、うまく逸らせた……。未来の戦争を見事に回避した。ホッと胸の中で、安堵の吐息を漏らす。

 これで、アスナとストレアがニアミスすることは無いだろう、少なくとも今回の事件については。

 水と油たる彼女たちの化学反応が引き起こす悲劇に、遭遇しなくて済む。彼女たちに夢を魅せてもらっている人々へ事前に警告することができる。ほんの少しは、被害を抑えることができるはずだ。

 

「ただ……このグリムロックさんは、少なくとも、タダで話を聞かせてくれるタイプじゃないだろうな。もし情報料を要求されたら―――」

「交渉する必要なんてないわ。きっと、自分から話してくれるはずよ」

 

 でなければ―――。何も言わなかったはずだが、放たれた凄み/無垢な微笑みに震わされた。アスナさん怖い……。やはり、オレの選択は間違ってなかった。

 エギルも同意見だったのか、再度目配せして意志を固くし合った。

 

「そう言えば……【軍】の奴らが、この手の武器を大量に集めてたな。中層域の鍛冶屋連中にも作らせてるらしい」

「何のためにさ?」

「最近、『大砲』と『機関銃』を開発したらしくてな。遠距離からの射撃と爆撃でモンスターを一掃する。そのための弾丸として、使うらしいぞ」

 

 大砲に、弾丸か……。この剣の世界には似合わない言葉だ。

 それに何より、撃たれても怯まないし傷も少ない強靭な体と、コンマ数秒の反射速度と十数メートルを一足で詰めれる超運動機能の前では、重火器などほとんど役に立たない。盾まで使われたら金食い虫でしかない。……【弓】や【銃】を採用しなかった運営の判断は、間違っていなかった。

 

「へぇ……使えるのか?」

「そこまではわからん。前線じゃ難しいだろうな。

 ただ、魅力的っちゃ魅力的だな。危険は少なくなるし、安全だ」

「それはそうだけど……なんだか、卑怯な気がするわ」

 

 その通りではあるが、安全な方がいいに決まってる。死なないに越したことはない。

 この手の発想については、【軍】が一番進んでいるだろう。攻略組だと個々の力と何より意識が強いので、チームワークやらモノに頼るということが少ない。さらには順当通りに勝ち登ってきたので、安全な遠距離から敵を駆逐するなど受け入れがたい。……その拘りがいつか、悪い結果を引き寄せないことを祈るばかりだ。

 

「【軍】か……。そっちもそっちで、お話したくないな」

「そうだ! 【軍】といえば、お前さんの兄貴に頼ればいいんじゃないか。

 【コウイチ】なら、俺なんかよりも顔は広いし、初対面の『狐』よりはずっと聞きやすいだろう? 犯罪捜査なら進んで協力してくれるはずだ」

 

 名案だとばかりに提案してくるエギルに、オレはあちゃ~と、頭を抱えた。……何という地雷を踏んでくれたんだ。

 恐る恐るアスナへと目を向けると……予想通り、ムッと顔をしかめていた。彼女自身ずっと避けてきた問題。

 しかし、すぐに不満気は消して、丁寧に断ってきた。

 

「……ごめんなさい。この件は、私たちだけで解決したいので、兄さんには関わってもらいたくないんです」

 

 無碍にも却下されたエギルは、しかし、ソレ以上は追及できず。アスナが無言で放っている『これ以上踏み込むな』オーラに退かされた。

 そのあまりの圧力ゆえか、不用意にも地雷原に踏み込もうとしたことに気づいた。

 

(……何か俺、まずいこと言っちまったか?)

(いや、しごく真っ当な意見だよ。お前に問題はない)

 

 アスナが危惧しているのは、コウイチが事件解決以外を求めた場合だ。奴はアスナとは違い、正義を遂行するよりも統治を優先する。プレイヤー全体にとって利益があるか無いかで決定する。なので最悪、犯人を隠すなんてことまでやりかねない。……実際、奴はレッドと繋がりがあるのではないかと、もっぱらの噂だ。

 オレも、どちらかといえばコウイチよりの考えだ。ビーターなんて役目を背負っているのがその証拠になるだろう。ただ、役柄そのものが公共の利益に繋がっているためか、いくぶんか個人的に/勝手に振る舞える。虚仮にしてきたレッドを逃がしてやる道理はない。

 なので、あえて彼女の地雷原に踏み込んだ。

 

「……アスナ、オレもコウイチに聞くのは賛成だ。アイツなら知ってるはずだしな」

「ッ!? キリト君、でも―――」

「たぶんだけど、もう事件のことは知ってるんじゃないか? こっちにその気がなくても、向こうは必ず関わってくる。だったら……な」

 

 知られているとわかっているのなら、先制攻撃するべし……。前線の戦闘の基本スタンスを、思い重ねさせた。

 ギリリと歯噛みされるも、ぐっと堪えた。私情と今やるべきことの区別はちゃんと付けられるからこそ、フロアボス攻略会議の議長にもなっている。

 飲み込んでみせると、

 

「……わかった。でも私、兄さんの思い通りにさせるつもりはないから」

 

 オレに向かっての宣言、だが、ここにはいない兄に向かってだろう。

 オレも同じくだ……。目の前で見殺しにさせやがった犯人を、そう安々と諦めることはできない、誰にも邪魔されたくもない。ヨルコさんのためにも、しかるべき報いを受けさせたい。

 

 エギルから聞きたいことは全て聞けた。後は、足を使って調べるのみ。

 

「手がかりにはならないとは思うが、いちおう武器の固有名も教えてくれ」

「えぇと……【ギルティソーン】だな。罪のイバラか?」

 

 何かしらの病を感じさせる名前だが、しっくりはきている。まさにこの形状の禍々しさを表す名前だ。ただ、本来の持ち主にこそぶつけなければならないモノだろう。

 

「それじゃなエギル、カタがついたら教えるよ」

「忙しいところ、お世話になりました」

「気にすんな、できるだけ早く終わらせてやれ」

 

 最後に感謝を告げると、エギルの店から出た。

 

 そして、次に向かうべき場所/確認すべきこと、第一層へ行くために【転移門】へと向かった。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 エギルの店から【転移門】へ、第一層の【はじまりの街】まで下降転移した。

 幾千もの星々が瞬いている、宇宙空間にも似た【転移門】の中から街へ、一際大きな輝く星の一つをくぐり抜けることで外に出た。

 あまりの白光から徐々に目が慣れていくと、そこは―――懐かしい【はじまりの街】が広がっていた。

 

 一階層/【はじまりの街】。現在のオレたちにとっては、一歩でも外にでたら窒息死してもおかしくない最下層。だが、例外的にここだけは『下層病』が起きない、どれだけレベルが上がっても支障はない。ただし、圏内の中だけだ。

 目的は【生命の碑】の確認、【グリムロック】の生死の有無。生きているか死んでいるかは、簡潔にだがどんな死に様だったのかまで、ここでハッキリとわかる。逆に言えば、その場に遭遇していなかったとしても、ここで明確にわかってしまう。

 必要なアイテムやクエストはなかろうとも、弔いのために頻繁に人が来る。それゆえにか、例外的に『下層病』がない街であり、物価も土地の値段も最も格安だ。どれだけ上に登ろうとも節約のため、ここにホームを持ち続けるなんてことで賑わっていた。しかし今は……

 

「前来た時よりも、寂しくなってるような気がする……」

「一年前まではまだ、けっこう賑わってたはずなのにな……」

 

 人自体が少ない、待機組やリタイア組すらいない。夜の街のNPC達は家の中なので、完全に無人になっている。それゆえなのか、どんよりと重々しい空気が立ち込めていた。街自体の風景も、灰色に染まっているように見えてしまう。その空気が自分たちにも染み込んでくるかのようで、嫌な気分にさせられる。

 理由はわかっていた、最近【軍】が『夜間外出禁止令』を出したからだ。無断で外に出ると、巡邏の軍人たちに補導させれてしまう。元々、無気力気味だったここの人々は、簡単に【軍】の強制に従った。

 

「仕方がない、ことなのよね……。10層以下のフロアはほぼ全部攻略しつくしたし」

「経験値稼ぎができなければ、ここでしか取れないアイテムなんてない。平均レベルも上がったから、『下層病』でますます……か」

「人がいないフロアもいるぐらいだし。むしろ、いるだけまだマシなのかもしれないわね」

 

 誰もいない/NPCだけが徘徊している街は、ここ以上の寂しさがある、かつてプレイヤーがいたとの記憶が残っていればますます。……どんよりとした暗さすら無くなると、生命力を感じさせない寒々しい清潔感が蔓延る。

 【軍】には良い印象を持ったことがないが、彼らがいなかったら下層は、もっと裏寂れた場所になっていたかもしれない。この【はじまりの街】も、ただの墓所になっていたかもしれなかった。

 ここの夜気に当てられてか、互いにしんみりしてしまった。まさに墓参りに来たプレイヤーの気分になっていた。……調査だけのつもりだったが、墓参りするのもいいかもしれない。

 そんな厳粛な静謐を、遠間からガシャガシャ近づいてくる足音がぶち壊してきた。

 

「―――お前たち、こんな時間に出歩くなんて、何してるんだ!」

 

 ダークグレーのフルプレート装備の男達/【軍】の巡邏兵たちが、目ざとくも見とがめてきた。

 

「……ああいう奴らでも、か?」

「居ないよりかはね。……この場所に相応しいかは、別として」

 

 雰囲気がぶち壊されたことにゲンナリし合っていると、巡邏兵たちが傍までやってきた。夜間外出禁止令を破っている悪童たちを補導せんと、ボックスまがいの囲い込みで威圧してくる。

 レベルも装備も圧倒的にこちらが格上、ではあるだろうが、全員が同じようなフルメタルの全身鎧かつ統率されてるっぽい動きには、言い知れぬ威圧感がある。事情を組んでくれなさそうな冷厳さにたじろいでしまう。

 しかしそれは、一般プレイヤーの話。隣にいる攻略の鬼には、通用しない。

 

「【血盟騎士団】のアスナよ。戦友の墓参りに来たわ」

 

 戦乙女然とした凛々しい宣言/ソレらしい嘘に、軍人たちの方がたじろがされた。閃光様のご威光に、オドオドと恐縮してしまっている。

 

「し、失礼しました。攻略組の方とはわからず、つい……」

「わかったのなら、もういいかしら?」

 

 さっさに消えて……。これから3日間は夢に出そうなほど、冷たい眼差しを向けた。怒りと嫌いの沸点を越えてしまい、近づかれるのすら穢らわしいと言わんばかり。

 オレなら、平謝りに半べそかきながら退散するだけだったが、軍人たちはギリギリ踏みとどまってきた。

 

「……申し訳ありませんが、付き添わせてもらいます」

「必要ないわ」

「そ、そうはいきません。なにぶん……規則ですので」

 

 軍人たちの常套文句を告げると、アスナからさらなる絶対零度の視線をぶつけられた。

 思わず、「ひぃッ!?」と悲鳴を上げそうになった。余波のオレですら鳥肌がたった、モロに受けた軍人たちはカタカタ震えていた。

 

「戦友を悼みに来たのよ? 部外者に近寄って欲しくないわ」

「そ、それは……ご心中は察します。ですが、アポイントされていない急な来訪で、しかもこの時間帯ですと、墓参りというのは少し……」

 

 疑わしい……。最後まで言おうとしたが、アスナの視線に耐えられず尻すぼみになった。

 

「私がいつ誰と墓参りしようが、あなた達には関係ない、自由なはずでしょ? それに……申し訳ないけど、ここで取れるようなアイテム、前線じゃ使えないわよ」

 

 軽蔑とも取れる発言だったが、事実でもある、攻略組のアスナの口から出たのなら。

 軍人たちの目の色が変わった。軽蔑であると強く受け止めたのだろう、怯えが幾分か払われてた。

 

「どうしてもと、言われるのでしたら……。ここでの起きた事を報告させてもらいます」

 

 軍人たちの婉曲の脅し文句に、今度はコチラが黙らされた。

 攻略組の代表/【騎士団】の副団長たるアスナが、率先して真っ向から規則を破ったとなれば、【軍】へのあからさまな挑発行為とみなされる。そうなってしまえば今後、【軍】から前線への補給に色々とケチがつく。値段を上げるようなあからさまなマネはしないだろうが、交渉には確実に響く。または、中層域で頑張っている/【軍】の庇護下にある人達に何らかのしわ寄せがされるかもしれない。……どんな影響が出るのかわからないが、悪影響であることはわかっている。

 アスナはその重責に怯みそうになるも、構わず立ち向かおうとした。

 

「構わないわ。好きにすればい―――」

「ああ、わかったわかった! そんなについて来たきゃ、ついて来いよッ!」

 

 オレの方が耐えられず、慌てて横から割り込んだ。

 急な差し手に驚かれるも、軍人たちはホッと安堵を、代わりにアスナから凄い目で睨まれた。……今後の良好な関係が危ぶまれそう。

 なので、オレは味方だと訴えた。

 

「ただし! 彼女は言ってみれば、オレ達攻略組のアイドルみたいなもんだ。いや! プレイヤー全員にとってとも言っていいだろう。

 そんな、超人気のトップアイドル閃光ちゃんにだ、お前らは権力振りかざしてまとわりつくわけだ。彼女はこんなにも嫌がってるのに、強引にな!」

 

 バッと大仰に、アスナへ手を向け注目させた。

 困っているのにみんなの為にも精一杯頑張ってる姿を見ろと、自分たちがどれほどの悪行をしているのかと、リアルで同じような目に遭ってきたはずではなかったのかと、思い出せと、力強く訴えた。……実際の困惑ぶりは、オレの意味不明さが原因だろうが。

 

「……それが、なんだと言うんだ!」

「おいおい、シラばっくれるなよ変態ども。オレには全部わかってるんだぞ!」

「なッ!? なに言って―――」

 

 ピシリッと、今度は軍人たちに指を差し向けた。そして、いきなりの意味不明動作ゆえに、思わず黙らされた。

 その機を逃さずチッチッチと、煽るように口の端を歪めた。

 

「スクショとかも無断で撮る気なんだろう? それで彼女のポスターとか抱き枕とかフィギュアとか作る気なんだろう? ここじゃ等身大で喋るフィギュアだって簡単に作れるからな。NPCを調教してマスク被せれば完璧だ。

 夜には部屋で、あんな事やこんな事して、しまいには興奮のあまり裸になって―――」

「ちょぉ、やだッ!? やめてぇッ!? 何言ってるのよキリト君!」

 

 オレの妄想事を、アスナが全力で止めてきた。そして、両手でしっかり体を抱きながら/身震いしながら、軍人たちへ心底からの恐怖を向けた。

 ソレを浴びせられた軍人たちは、今度こそ言葉を失った。誤解だとの弁解も出せずに固まってしまった。……ただの一方的な偏見でしかなかったが、そんな疚しさが心根に確かにあったのかもしれない。

 

「……報告すれば、オレ達はそんな風に捉えちまうぞ」

 

 怖いぞぉ、アスナのファンたちは、実力持ってる奴ばかりだから惨殺されるかもしれない……。そしてまずいぞぉ、キモヲタのレッテルは、リアルの無力さを思い出してしまうことだろう。公権力の虚飾は、いとも容易く剥がれ落ちる。

 軍人たちは、オレが言わんとしてた未来を理解してくれたのだろう。オロオロと、どうすればいいのか怯えだした。……これでもまだ、組織への裏切りの報いは近しく現実的なのだろう。

 なのでラストアタック、退散させるに足るブラフを放った。

 

「言い忘れてたけど、アポイントは取ってたはずだぜ。でも、お前たちが知らないってことは、何処かで滞ってるのかもしれないなぁ。……明日の早朝あたり、管理部に確かめてみたらいいんじゃないかな?」

 

 きっと、そういうことになっているはずだ……。嘘は真になれる、後で帳尻を合わせればいいだけだ。

 あからさまな規則破りにアスナから眉をしかめられるも、軍人たちコレ幸いとばかりに食いついてきた。

 

「……そ、そういうことなら、仕方がないな。

 くれぐれも、不審なマネだけはするなよ―――」

 

 最後にそう注意してくると、そそくさと退散していった。いそいそと離れていく―――

 

 

 

 

 

 軍人たちが完全に見えなくなると、ようやくアスナが口を聞いてくれた。

 

「別に、あんな嘘つく必要なんてなかったのに……」

「わざわざ波風立てる必要もないだろ? それに何よりだ、コウイチに会わなきゃならない理由ができた」

 

 こうでもしなかったら、アスナは会いに行こうとはしなかっただろう……。偶然だったがでっち上げてみせたオレの意図に、アスナは目を丸くし、続いて睨みつけてきた。

 

「わざわざ、貸りを作りに行くなんて……」

「『貸り』なんて考えんな、『頼む』だけだよ。……兄妹なんだから、そんなことは当たり前のことだよ」

 

 わかってくれない妹に、兄貴の気持ちを代弁してみせた。……兄貴というのは、妹に頼られてこそなれるものだ。対等な関係になられると、存在意義が揺らいでしまう。

 伝わってくれたのかどうかはわからないが、ムスりと顔をしかめられた。

 

「……まるで、妹がいるみたいなセリフね」

「ああ。言ってなかったがオレ、妹いるんだよ、義理のだけどな」

 

 簡潔ながらリアル事情を打ち明けると、アスナは目をパチクリした。

 これでオレの言葉でも、幾分か説得力があるはずだ……。いつものお返し。得意げな顔を向けようとしたら、予想外にも、

 

「そっか……。キリト君、お兄ちゃんなんだ」

 

 怒りを収める以上に、羨望めいた眼差しを向けられてしまった。

 いつもお姉さんぶってくるのに、今は妹めいた可愛げある表情。あまりの落差に、ドギマギしてしまった。「お兄ちゃん」という言葉にも、ゾクゾクさせられるものがあった。何なんだよ、急に……

 

「……じ、邪魔者は消えたし、さっさと用事済ませて上に戻ろう」

「うん!」

 

 素直に頷いてくるアスナをまともには見れず/顔を見せられず、そそくさと先を急いだ。……今はもう、墓参りという気分にはなれない。

 

 

 

 

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64階層/はじまりの街 横槍

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 【黒鉄宮】の前門にそびえ立つ黒曜石の巨岩、表面には一万人のプレイヤー全ての名前が刻まれている。そして、そのうち半数近くのプレイヤーのモノには横線と、日時/場所/簡潔な死因が刻まれている。

 【生命の碑】の前にたどり着くと、ドキドキとさせられていた気分から覚めた、再び厳粛な気持ちになっていった。

 

 調べる前に、しばし黙祷を捧げた……。

 そして、どちらとも言わず心が鎮まりきると、碑文を確認した。『G』のまとまりを調べる―――

 

「グリムロックは……生きてるな」

 

 横線は引かれてない……。とりあえず、生きているなら探すことができる。

 続いて、『K』のまとまりを調べた―――

 

 しかし/やはり、【カインズ】はダメだった。しかも、死因はPK/『他プレイヤーによる殺害』と刻印されていた。

 

「そんな!? PKだった、なんて……」

 

 アスナが絶句させられると、オレも息を飲まされた。

 本当に、圏内PKだったのか……。考えたくなかったが、碑文はウソをつかない。そもそも、犯人は決着寸前に転移/逃げたのだから、【決闘】はその瞬間カインズで決定した/即時終了したはず、たとえ【全損決着】モードであったとしても。オレの目撃が妄想でないのなら、【決闘】で死ぬことなどありえない。

 

「こりゃ……マズイな。最悪だ」

「マズイどころの話じゃないわ! 圏内の防壁が破られるなんて……」

 

 歯噛みさせられているアスナに、すれ違いを指摘しようとするも……やめた。彼女の言ったことこそ大問題だ。

 目撃者たちは皆、『【決闘】による死亡』と誤解したままだ。なまじオレが犯人と衝突して、その場面も目撃されたことでさらに深まった。しかし真実は……違った。圏内の絶対安全神話が崩された。

 確実に恐怖が蔓延する。みな攻略どころではなくなってしまう、ホームの中ですら眠れなくなる……。そんなことになるよりは、このままで/結果として情報統制し続けた方が無難なのかもしれない。大事になれば、生半な解決では後まで禍根が残る、犯人の思うツボだろう。

 オレ達だけで、速攻で終わらせるしかない……。まだほとんど分かっていないのに、タイミリミットを設けられてしまった。重責に胃が痛くなる。

 

「……犯人を捕まえるだけじゃ、ダメみたいね。方法も明らかにしないと」

「だな。

 色々と最悪だらけの事件だけど、前向きに考えれてみれば、一つだけラッキーだったな」

 

 オレ達が初動捜査を担当できたことが……。不遜な/不敵な笑みを向けると、アスナは不謹慎だとは咎めず、逆に同じような表情を返してきた。

 

 グリムロックの生死以上の重要情報を獲得した。もう碑文から読み取れそうなモノはない。ので、さっさと去ろうした。

 長居してしまうと、そこに刻まれてしまった名前を見てしまう/過去に沈んでしまう。今の犯人逮捕に逸る気分では相対したくない。逮捕した後、カインズに報告する時まで取っておきたい。

 振り返ると二人、そのまま次の目的地へと行こうとすると―――

 

「こんな夜遅くに、墓参りかい?」

 

 野太い男の声が、聞こえてきた。カツカツと近寄ってくる。

 また【軍】の夜警かと警戒した。同僚への情報伝達しっかりしてくれと、溜息もこぼしそうになった。また同じ芝居しなけりゃならんのか……。

 近づく大柄な男に警戒を向けるも……違った。【軍】特有のユニフォームではない。金属は左右の手甲と身の丈を頭ひとつ越える/オレの倍はありそうな錫杖のみ、後は分厚そうだが布製の墨色の道着と白の袴に一つ一つが拳大の数珠の首輪、そして下駄だ。……妙な足音だったのはそのせいか。

 目の前に現れたのは、旅の僧兵/入道と見れるような格好の男だった。

 ニカリと、凶悪だが友好を示そうとだろう向けられた笑顔に一瞬、ポカーンとしてしまった。まさかこんな時間/場所で、こんなバッチリ決めたコスプレ野郎に遭遇するなんて……。とは言うものの、その威圧感ある体格と角ばった山男な顔とは相性が良すぎたので、頭の上のプレイヤーカーソルがなかったらNPCだと誤認していたはず。

 どう返事をすればいいのか、アスナと二人顔を見合わせようとするも……目の端で見えた。入道男が背負っている多種多様な武器たち、頑丈そうな葛籠に一緒くたに入れられているので、装備品ではないだろう。しかし、ソレらを加味した姿を改めて見ると、記憶の中から警戒心が呼び起こされた。

 

「……あんたこそ、ここで何してるんだ『刀狩り』?」

「ん? 嫌な二つ名言ってくれるな―――……て、なんだ『黒の剣士』かよ!? 夜だと全然わかんねぇな!」

 

 相手もオレのことを認めると、カカとオレの肩を叩きそうな勢いで笑いかけてきた。

 まるで警戒していない様子に、一瞬気が抜けそうになるも、すぐに引き締め直した。

 

「オレ等の武器賭けて【決闘】か? なら、今日の特にこの場所はやめておけよ。せっかくの気分が台無しになるからな」

 

 そう啖呵を切ると、同時に背中の愛剣の濃口も切った。

 それでさすがに、オレの警戒心を察したのだろう。笑顔をひっこめ慌てだした。

 

「待てまて、落ち着け!? ただ話しかけただけだろ? なんでそう殺気立ってるんだ!?」

「ソレはあんた自身の胸に聞くことだ」

「そ、そんなの言われてもなぁ、心当たりなんてまるでねぇのに……。て、もしかしてあれか? 『刀狩り』のせいか?

 だったら、そいつは間違ってる! その二つ名には、かなり誤解がこもってるからな」

「そうなのか? でも案外、噂は正しいからな。その通りかもしれないぞ」

 

 疑り深くさらに警戒を鋭く差し向けると、刀狩りは降参とばかりに両手を挙げた。そして、弁解をまくし立ててきた。

 

「どっかの馬鹿タレ共のせいなんだよ!

 弱ぇ奴らから脅して奪ったり、死人から引っペがしたりなんてくだらねぇことしてるのを、叱りつけてやったからだ。で、そいつらが仕返しに俺の悪評を吹聴してできたのが、『刀狩り』だ。……テメェのコレクション欲満たすためにやったわけじゃないよ」

 

 あらぬ疑念に弱りきった声/表情。

 だったら、その背中の武器はなんだよ―――。そう追求しようと再度口を開こうとしたら、アスナが止めてきた。

 

(キリト君。彼のことは初対面でよくわからないけど、そう悪い人には見えないけど?)

(ああ。オレもそう思うよ)

(え!? ……だったら、もういいんじゃない?)

(でも、オレよりも演技が一枚上手な奴かもしれない。あるいは、事件の犯人だったりとかな)

(…………やっぱり、病気なんじゃないの? 疑心暗鬼になりすぎ)

(このぐらいはまだ平常運転だよ)

 

 ああ言えばこうと言い返し続けると、大きくため息をつかれた。呆れられた。

 続けようとしたが、アスナが向こう寄りになってしまった、やめざるを得ない。敵意を収めた。

 

「……とりあえずは、そういうことにしておくよ」

「お、おう! そういうことだから助かるよ。そっちの人もわかって―――……て、おいおい? まさか『閃光のアスナ』ッ!?」

 

 安堵も束の間、オレの隣にいたアスナを見て仰天した。

 

「こんばんわ。……お名前聞いてもよろしいですか?」

「え? ……あ、はい! 【ベンケイ】ていいます!」

 

 居住まいを正して告げられた名前を聞いて、アスナは目をパチクリさせた。オレに顔を向けてくると、「だろ」と肩をすくめて答えた。

 

「……その名前でその格好だと、『刀狩り』は仕方なくないですか?」

「ソレを言われちゃ、そうなんですけど……。

 でも本当に、テメェのためにやったわけじゃないんですよ。背中のコイツらだって、ほとんどが預かりもんですし。戦闘狂でもねぇし……。それに俺、あんたら相手取って戦えるほど強かねぇんですよ」

 

 見た目上は、オレが3人いて束になっても勝てそうにない厳つい大男だ。でもこの世界では、見た目から身体パラメーターを予測できる時期はとっくに過ぎてしまった。

 二つ名は知られているが、攻略組で見かけたことはない。準レッドプレイヤーとして注意を払っていた。相対して見ても/【鑑定】で調べるも、噂通りの脅威だとは判定できない。アスナと二人がかりなら余裕だ。

 完全に敵意を収めると、できるだけ穏やかに尋ねた。

 

「夜間外出禁止令はいいのか?」

「俺もいちおうは夜警の一人だからな。この時間この辺りに居て、碑文を見ようとしているプレイヤーを監視するのが仕事だ」

「【軍】に所属してたのか?」

「いや、雇われてるだけだ。……ちょいと、土地とカネを借りるためにな」

 

 最後にモジモジと濁されたので、追求しようとするも、トゲが出てしまわぬよう迂遠した。

 

「監視の仕事には、話しかけることも含まれてる?」

「いや、コレは仕事とは関係ねぇよ。俺個人の、ちょっとした提案をしようかと思ってたんだ。けど……あんたらには要らなそうだな」

「気になる言い方だ、続けてくれよ」

 

 促されると、ベンケイは少し恥ずかしそうに頬を掻きながら、

 

「ちゃんとした『墓』を作ってみないかな、て話だよ」

「墓って言うと……あの長方体の石の?」

「別にソレにこだわらなくてもいいさ、十字架でも銅像でも好きな形でな。なんなら植物でもいい。

 【生命の碑】だけだと、味気ないだろう? それに、全員一緒くたにされちまって気持ちも込めずらい。ココだと【軍】の目が気になるし、もう少し静かな場所がいい。だから個別に棺桶作って、遺体が無理なら遺物を収めて埋葬する。そんな墓地があるから一つどうだい、て話しさ」

 

 攻略組には、要らないかもしれないがな……。外見とは真逆のセンチメンタルな話。驚かされた/考えを改めねばならなかった、彼は僧兵ではなく僧侶だった。

 現実ではよく見知った、しかしココでは目新しい。今から用意しておかないか、となったら墓のセールスかつ不謹慎だったが、この個人的な提案ならギリギリセーフだろう。……予想外過ぎてアスナ共々、言葉を失ってしまったが。

 

「墓参りと墓守は、生活とか攻略に追われていると負担に感じちまう。けど、全く無視しちまうのも何か違うだろ? これから先、言っちゃ悪いが……増える一方だ、どう頑張ったってな。死者を背負いすぎて身動き取れなくなるのはマズイ。だからソレを、分担する」

 

 いらんお節介では、あるんだろうけど……。苦笑しながらも、自論には胸を張っていた、必要なことだからと。

 茫然とさせられるとオズオズ、アスナが尋ねた。

 

「すごく、ありがたいことですけど……。そうするとベンケイさんは、分担された人たちは、攻略に参加できなくなりますよ?」

「いいんだ。『もう攻略するの疲れちまった』て奴らにやってもらうことにしてるんだ。……あんたらが言うところの、リタイヤ組だな。

 時間の無駄だ、て言われると反論しずらい。けどそういう奴らは、俺も含めてだが、芯の部分が削れ過ぎちまったか折れちまったからな。そいつを回復させたい、しなきゃならないと思ってはいるが……うまくいかない。頑張れば頑張るほどおかしくなっちまうんだ」

 

 弱音の吐露に、聞いているこちらが沈みそうになる。アスナに目を向けると、眉を顰めていた。……攻略組の実質の指揮者たる彼女には、嫌な心当たりがあるのだろう。

 しかし、話している本人からは、憂鬱さはみえない。

 

「死んだ人間は、もう変わらないし、変われない。そいつは悲劇ではあるけど、別の視点から見れば、もう絶対に折れない芯を持ってる奴らってことだ。だからさ、触れ合ってみれば、磨り減っちまった力を取り戻せるんじゃないか、と思ってさ」

 

 死者の鎮魂のため、ではなく、生者の衰弱を治すため……。またまた異質な考えに、どう答えればいいのかわからなかった。

 ただ一つ、察せれたものがあった。

 

「……もしかして、墓地をつくるために【軍】で働いてる?」

「墓地自体はあるんだが、手狭になってきたんでな。拡張するか、別の場所を作り変えようと思ってな。……あいつら、いい場所は大体取っちまってるからなぁ」

 

 全く、面倒な話さ……。カカと笑いながら、愚痴をこぼした。何事でもないと笑っていなす。

 再び、何も言えなくなってしまった、今度は恥じ入って。

 オレもアスナも、おそらく攻略組全てが、上に登ることしか考えてなかった。どうすれば早く確実に登れるのか、ソレに頭を悩ませ続けてきた。その最も簡単かつ確かな方法の一つとして、邪魔な/不要な荷物を切り捨てる効率化がある。人としては間違っているが、前線に人はお呼びじゃない。だからドンドン切り捨て、鋭く硬くなって、空だけを見つめる……。ソレが正しいことだと言い聞かせてきた、今ではもう誰も異論など言わない、ただ自分から脱落していくから……。

 そんな、取りこぼしてしまったモノを受け止めてくれた。……オレ達には、彼を非難する言葉などありはしない。

 

「……ワリィ、変な自分語りしちまいましたね」

「い、いえ! とても興味深い話でした」

「アンタにそう言ってもらえれば、ありがたい限りですよ」

 

 逆に恐縮してしまったアスナに、ニコリと微笑みを向けた。……見た目は鬼が無理やり笑顔を作ったようなモノだったが、仏を想起させた。

 

「もしも、それっぽい奴を見かけたら、俺のこと教えてやってください。この時間あたりにここに来れば、大体いますから―――」

 

 そう言うとベンケイは、去っていった。別の場所の見回りにいく……。

 

 

 

 

 

 ベンケイの背が完全に見えなくなると、アスナがぼそりと呟きを漏らした。

 

「墓参りの効果か……。考えたことなかったなぁ」

 

 そう呟き、考え込まされたアスナの横顔をじぃ~と、珍しそうに覗き見た。

 

「……なによ?」

「いや、ちょっと意外だったな、て思ってさ。

 君はあの手の弱音は嫌いそうだし。『そんなことしてる暇があったらもっと鍛えろ、戦え!』とか、よく噛みつかなかったな」

「何よそれ、心外だわ! 私、そんなマッチョ思考じゃないわよ」

 

 プイッとそっぽを向かれた。……これこそいつもの彼女だ。

 オレも調子を戻すと、【生命の碑】から離れた。

 

「さて、コウイチの所に行くか! 

 確か……ここから反対側の教会だよな?」

 

 勢いづけて出発の合図をすると、アスナは驚いたかのように見つめてきた。

 

「……キリト君も、来てくれるの?」

「……二人きりの方がよかった?」

「え? いえ、そういうわけじゃなくて、そのぉ……。

 ごめんなさい、なんでもないわ」

 

 慌ててかぶりを振ると、教会へと先行した。……いったい何だったんだ?

 

 

 

 

 

 途中でまた、【転移門】広場にやってきた。教会はさらに先にある。

 

 そのまま通り過ぎようとすると、【門】の前で重武装の集団が屯していたのを目の端で捕らえた。何かを/誰かを探しているのか、キョロキョロと周囲を見渡している。

 

「……【軍】の人達、よね? 何してるんだろう?」

「装備からしても、夜警じゃないよな。なかなか質も良さそうで、フルプレートの鎧で統一されてないし……『遠征部隊』だな」

 

 【軍】の『遠征部隊』……。前線に派遣された【軍】のメンバー。そしてつい先日、最悪なカツアゲをしてきた奴らの別集団だ。

 主に低階層で活動し、攻略では物資の調達と輸送を担当してきたが、最近は兵隊まで送ってきた。ただし、自前で育ててきたメンバーだけではない。見込みある中層域のプレイヤーや攻略組の補欠達をヘッドハンティングして雇い入れている。なので、【軍】の制服たるメタルグレーの重武装とガスマスクをいつも身につけてることはない、各々が動きやすいよう装備に幅がある。……代わりに、専用の腕章が代用している。

 それなりに優秀ではあるが、攻略組の風土には合わない規律がある。加えて、【軍】が前線に介入するための尖兵だとの懸念もあった。気の置けない戦友とは言えない溝がある、かつては友だが今もそうだとは断言できない。それはオレにも、それ以上にアスナにも共有されている。

 なので、できるだけ関わりたくない、特に【軍】の本拠地たるここでは。……日頃の不満をぶつけられたら堪らない。

 足早に去ろうとすると―――目があった。見つけた一人が、リーダーらしき大男に知らせる。

 ヤバい……。すぐに目を逸らすも、遅かった。

 

「おいお前ら、止まれ!」

 

 制止を命じながらガチャガチャ、重武装と肩に担いだ馬上槍らしき武器を鳴らしながら、近づいてきた。仲間たちも後ろに従ってくる。 

 無視して逃げてもよかったが、アスナが立ち止まってしまった。仕方なしにオレも止まった。

 教会に逃げ込めれば、コウイチのテリトリー/【軍】も迂闊には手を出せない治外法権だ。どんなちょっかいを出そうとも程度を弁えさせることができる。最悪な話し合いは回避できる、この敵地で取れうるベストな場所だ。しかし、ソレをしてしまうとアスナの『貸り』がますます重くなる。既に背負っているモノもあるので、これ以上は願い下げだろう。

 観念して待ち受けていると、リーダーらしき大男に挨拶した。

 

「【シュミット】さん、だったよな。何の用?」

「あんたらに話があってな」

 

 この世界/プレイヤーには珍しい体育会系の大男。馬上槍部主将と言われたら即座に納得してしまう。ただ、騎士風の格好をしているものの、顔つきからも若大将と言った風情だ。敵意未満だが友好には程遠い威圧感を放っていた。

 

「尾けてた……わけじゃないよな。ここに来るってアタリつけてた?」

 

 先手で探りを入れると、ムスリとした無言で返された。……大体合ってるといったところか。

 何度か前線で顔合わせして、互いに名前は知ってはいるものの、ソレだけだ。アスナはもう少し知っているだろうが、二言三言話をしたことがある程度だろう。どちらも、因縁をつけられるような間柄ではないはず。いったい何の用なのか……。

 

「57層で起きた圏内PK騒ぎについて、詳しく聞かせてくれ」

 

 告げられた要件に、思わず目を見張った。まさかあの事件、こんなに食いついてくる奴がいるなんて……。

 偶然とは思えず、アスナと顔を合わせた。互いに小さく頷くと、用心深く返した。

 

「……詳しく教えられるほどには、まだ何もわかってないよ」

 

 やんわりとした拒否に、シュミットは眉間をきつくしてきた。

 あからさまな反応だ……。彼の性格か/何かの事情かもしれないが、沸点が低そうな短気ぶりだった。叩けばホコリ以上の何かが出そうだと伺える。

 オレの挑発には乗らず/堪え切ると、無視して続けてきた。

 

「殺されたプレイヤーは【カインズ】といったそうだな。間違いないか?」

「事件を目撃していた友人は、そう言っていたよ。【生命の碑】にも……横線が引かれてた」

 

 何なら自分の目で確かめるといい……。疑われたらそう言い返してやろうとしたが、ソレ以上は聞かれず。代わりにゴクリと、息を呑む音が聞こえてきた。

 過剰な反応に訝しんだ。ただの興味本位とは、思えない……。

 

「知り合い?」

「……アンタらには関係ない」

「ちょっと、一方的に聞いてきてソレは―――」

「無関係なら、何故聞いた? 好奇心か?」

 

 アスナの叱咤を/放たれそうになったシュミットの逆ギレも制止ながら、同じことを尋ね直した。

 捌け口を奪われたシュミットは、凄い顔で睨みつけてくるも……飲み込んだ/飲み込まざるを得なかった。

 無理やり鎮静させると、

 

「アンタらは警察じゃない。一方的に情報を独占する権利はないぞ」

 

 平静ながら無茶苦茶な言い分を叩きつけてきた。

 警察……。怒るよりも新鮮さに驚かされた。久しぶりに聞いた、懐かしい響きなのに……。

 この二年あまり/この世界に来てからとんとご無沙汰だった。もしもいてくれたのなら、どれだけ心強かっただろう。どうしてこの無法地帯にいてくれなかったのか、レッドを取り締まってくれなかったのか……。いない事の自由も謳歌してきたので、責め立てるだけではいられないだろうが。

 

「確かにオレ達は警察じゃない。だけど、そういう権利はあるぜ。【カインズ】さんの友人から犯人を見つけ出してくれって、頼まれたからな」

 

 仇討の依頼/代理……。それこそが警察権の根源だ。ヨルコさんからの依頼ゆえに、一時的に/この事件についてだけオレ達は、警察になることができる。……そんなハッキリとは頼まれていないが、そもそも半ば無理やり請け負ったが、彼に今ソレを教えてやる必要はない。

 真っ向から論破すると、シュミットは目を丸くし、続いて反論しようとしたが……できなかった。悔しげに歯噛みする。

 激昴で振り切るにも時期を逸し、オレの横にはアスナがいる。後ろの仲間は、見たところ詳しい事情を聞かされていないのだろう、一様に戸惑いの色が見える。冷静な話し合いしかないが、焦りで上手く頭が回らない。……シュミットには次の手がなかった。

 なので/さらに、こちらから手を出した。

 

「ただ、協力してくれるのは大いに助かるからな、独占するつもりはないよ」

「なら、犯行に使われた短槍をよこしてくれ」

 

 すぐさま、食いついてきた。

 マナー違反にアスナが顔をしかめるも、交渉はオレに委ねてくれるのだろう。隣で黙って、援護に徹してくれた。

 

「なんで協力してくれるんだ?」

「……渡さないつもりか?」

「情報の独占はしないはずだろ。お互いにな」

 

 正論を叩き返すと、シュミットは何も言い返せず。しかし、怒気を露わに睨みつけてきた。

 

 しばし睨み合っていると、先に/わざと折れた。

 メニューを展開し、短槍を出す―――

 犯行に使われた凶器を現れると、シュミットの顔に恐怖の色合いが浮かんだ。

 凶悪かつ忌まわしい外見に眉を顰めることはあっても、恐怖までには至らないはず。事実オレ達はそうだった、鑑定を頼んだエギルも同じく。……ますます疑念がつのる。

 

 そのまま渡し、シュミットも手を伸ばし近づいてくると―――寸前、止めた。

 そして、寸止めされて驚くシュミットにボソり、訊ねた。

 

「あんたは【カインズ】さんを殺した犯人、じゃないよな?」

 

 教会内で見た犯人とシュミットの外見は、明らかに別人だ。彼ほどガタイがよくなかった。言いがかりでしかない質問だろう。

 しかし、ソレはオレしか知らない情報だ。【マーテン】の広場で目撃していたプレイヤー以外は全員、犯人の可能性がある。……当然、シュミットも被疑者の一人だ。

 心外だ、以上に『何言ってるんだコイツは?』との顔を向けられたが、疑り鋭くなったオレの目を見てだろう。考えを改めた、不愉快そうに答えた。

 

「……俺は事件の時、こいつらと一緒に前線の迷宮区に籠ってた」

「単独犯なのかどうかもわかっていない。共犯者がいたかもしれない」

 

 即座の切り返しに、シュミットは言葉を詰まらされた。

 まさか、俺を疑ってるのか……。しかめた顔には、そう書かれていた。事実を知っているオレには、彼の不快は当然に映った。……ただのブラフだから当然でもある。

 煽ってみても……見覚えはないらしい。彼がカインズ殺害に加担した揺らぎは見えなかった。あるいは、オレの観察眼をくぐり抜けれるほどの俳優かも知れないが、その場合はお手上げだ。ヨルコさんには諦めてもらうしかない。

 シュミットが犯人である疑いは薄れた。しかしまだ、抉り出さなきゃならないモノがある。……やっぱりお預けだ。

 

「……悪いが、犯人かも知れない奴らと協力することはできない。コイツは重要な証拠だ。オレ達が預かっておくよ」

「なッ!? ま、待て―――」

 

 思わずシュミットは、奪い取ろうとしてくるも寸前、周りを気にして止めた。

 しかし……遅すぎた。焦った顔が/伸ばした手が/正しさがなかった問答が、シュミットと仲間たちの間に亀裂を入れた。

 コレで奴は独りだ……。数の利を消し去り奪い取ると、止めの終撃を放った。

 

「コイツが欲しいのなら、明日の正午【マーテン】の教会に来い、一人でな」

 

 話は終わった。最後にそう命じると、アスナともども離れていった。背を向ける……。

 背後でギリリと、歯ぎしりが聞こえた。どうにもできずシュミットが焦っているのだろう。

 明日も一人で来れないようだったら、奴に話すことは何もない……。守ってくれることを願いつつ、そうでなかった時の対策を考えていると―――ガンっ、威嚇音が鳴り響いた。馬上槍の石突を地面に叩きつけた。

 

 

 

「俺とデュエルしろ、その短槍を賭けてなッ!」

 

 

 

 いきなり喧嘩をふっかけてくると、デュエル承諾のウインドウまで叩きつけてきた。

 あまりの行動に、思わず振り返ってしまった。呆然とシュミットを見る。いったい何考えてるんだ……。アスナも奴の仲間たちも、同じように奇異の視線を向けていた。

 緊張で固くなりながらも、仁王像のようにオレを睨みつけている。自分の言っている無茶も周りからどう見られているのかもわかって押し通している。

 確かなことは何も言えないが……一つだけ。彼は本気だということだ。

 

「……【初撃決着】でいいか?」

「ああ!」

「【助太刀】なしのタイマンだよな?」

「もちろんだ!」

「それじゃオレが勝ったら、アンタが何を隠してるのか、教えてもらうぞ」

「ッ!? …………そ、それでいい!」

 

 攻略組の流儀。とことん納得を欲すること、その最終手段として【決闘】がある。言葉で通じないなら剣で語れ、勝負に二言はない。……シュミットも確かに、攻略組の一員だった。

 短くも必要な確認を取ると、承諾のボタンを押そうとしたが……寸前、アスナに止められた。

 

「ちょっとキリト君!? ……本気なの?」

「少なくとも、シュミットさんの方はな。それに―――試したいこともある」

 

 違和感の正体、なぜシュミットはこんなにも食いついてくるのか? この事件とどんな関係があるのか? ……コレでわかるはずだ。

 承諾ボタンを押すと、しっかり向き直った。

 

「……準備は、いいか?」

「いつでも」

 

 怯えを奮起して弾きながら、馬上槍を/彼が最も得意としているだろう構えを向けてきた。両手で握り腰を落とし鋒をしっかりと定めると、コベリついていた凝りが洗い落とされていく……。

 オレも応じて、武器を構えた。ただし―――手に持っていた短槍を。

 

「……そいつは何の真似だ? ふざけてんのか!」

「いや、至極真面目だよ。どんな武器使おうがオレの勝手だろ?」

「賭けの対象は違うだろう!? もしも、壊れたりしたら―――」

「なら、壊さないように勝たないとな」

 

 ルール上は問題ない、互いに了承すれば主武装も賭けの対象にする。なので、この短槍とて同じだ。

 ただ、オレの主武装は背中の【片手剣】だと知られている、事実そうだ。【槍】は手慰み程度にしか鍛えていない、前線で戦っているプレイヤーとの【決闘】で使えるレベルではない。……勝負を投げてるのかと疑われるのも、仕方がないだろう。

 しかし、オレの狙いは勝敗の先にある。

 カウントは始まっていた。開始の間に、意図不明さ/侮辱にも取れてしまう行動に苛立っているシュミットに、説明した。

 

「……カインズさんは、コイツに胸を貫かれて死んだ。【圏内】だとどんな武器でもHPに干渉できない。それなのに、だ」

 

 思い出せ、コレは殺人を犯した凶器だ……。改めて指摘すると、シュミットの顔が再び引きつった。まるで短槍から、カインズさんの怨念を浴びせられたかのように……怯えた。

 

「コイツには、見てわかるだろうが【貫通継続ダメージ】がある。一度刺したらなかなか抜けない、抜けるまでHPは減り続ける。だから、もしもコイツに貫かれてしまったら、圏内であったとしてもHPはどうなるのか……」

 

 試してみたいと、思わないか? ……カインズは【貫通継続ダメージ】によって殺された、ジワジワと嬲り殺された。でも本当に、そんなことできるのかわからない。ここで/シュミットで検証してみよう……。

 引き攣りをこえて、カタカタと震えだした。もはや目の前のオレが見えていない、彼にとって恐ろしい何かに囚われていた。

 

 5、4、3,2、1―――。カウント0。

 同時に、突貫した。突進攻撃のソードスキルを放った―――

 

「う……うあ゛あ゛ああぁぁああぁぁーっ―――!」

 

 弾丸として迫るオレに、シュミットは悲鳴を上げた。後の先も防御もない。ただこの場から逃げたい一心だ、溜め込まれた恐怖が爆発した……。

 構わず、その無防備な懐に飛び込み、刺した。思い切り、鋒に力を込める―――

 

 衝突をモロに受けたシュミットは、そのまま吹き飛ばされた。受身も取れずにドスンと、倒れる……。

 そのすぐ後、オレの目の前に『WINNER』のウインドウが展開した

 

「……オレの勝ちだな。けど―――」

 

 パリィン―――。短槍が砕けた。刃の部分から半ば粉々に、残ったのは握っていた下半分のみだ。

 

「うわぁ……想像以上に脆かったな。それとも、シュミットさんの鎧が硬すぎたせいかな?」

 

 予想はできたが、ここまで壊れるとは……。60層以降の通用する武装は、どれも格が違いすぎる。苦笑いするしかない。

 見た目は凶悪なれど、武器としては三流品の短槍。オレが込めた攻撃力と、何よりシュミットの武装の防御力に耐え切れなかったのだろう。

 尻餅ついたまま茫然としているシュミットに近づくと、

 

「景品壊しちゃったからな、アンタの隠し事はいいや」

 

 悪びれずに肩をすくめた。

 

「それでも、まぁ……話してくれるんだったら、明日の正午に【マーテン】の教会でな。一人で来てくれると助かるよ」

 

 立ち上がらせようと、手を差しだそうとしたが……やめた。払われるか無視されるのがオチだろう。それに何より、コイツ……重いし。10mは吹っ飛ばして家の壁に叩きつける気合で放った突貫だったのに、尻餅つかせるのが精一杯だったなんて……。

 これ以上敗者に鞭打つのはやめよう……。話は終わったと、今度こそ立ち去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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64階層/はじまりの街 誘拐

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 広場から離れると、家屋の角に隠れた。

 そっと後ろを振り返り、確認した。……シュミット達が追いかけてくる気配は、なし。

 ほっと安堵の吐息、とりあえず思惑通り。

 すぐに準備した。メニューを展開し、必要な情報と装備を取り出す。

 

「……悪いアスナ、コウイチの所には一人で行ってもらってもいいか?」

「尾行する気?」

 

 直截な指摘に、キョトンとさせられた。

 まさにその通りではあるが、まさか彼女に悟られていたとは……。今まで黙って付いてきたのは、知っていたからか。

 

「……気づいてた?」

「まぁね。わざと壊して、破片をシュミットさんの鎧の中に忍ばせたんでしょ。300秒は所有者は変わらないから、GPS発信機代はりに使える」

 

 驚いた、まさかアスナがそこまで見抜いていたとは……。彼女に対する認識を改めないといけない。

 ただ、今回に限り補足事項がある。ソレは完全に手放したアイテムに限る話だ。

 分離した破片/まだ手元に本体が残っている状態だと違う。300秒で自動的に所有権は移らず通知されるだけ、無視すれば本体の修復と同時に消滅してしまう/耐久値の限りGPS発信機でいてくれる。通知自体は、シュミット本人がソレに触れて、【鑑定】で/ストレージに入れてのクリックで確認するかしなければ見えない。……アレだけ意気消沈していたら、まずわからないはず。

 

「ちなみに、壊したのはオレにぶつけてきた方ってことも……お見通しだった?」

「そうじゃなかったら、流石に止めてたわよ」

 

 そこまで気づいてたか……。彼女をかなり侮っていたかもしれない。もう少し気を引き締めておかないとな……。

 ここまで悟られると、興味が沸いてきた。

 

「アスナも、他プレイヤーの尾行とかやるんだ?」

「逆よ、やられたからわかってたの。……アルゴさんにね」

 

 当時を思い出してか、悔しそうな顔を見せた。

 アルゴから聞いたのなら納得だ……。尾行方法は商売道具なので、半分だけ正しいやり方を教えたのだろう、アスナが納得してくれそうな程度を計って。……オレ以上のスニーキングの化物なので、一割程度でしかなかったかもしれないが。

 

「明日の朝、マーテンの転移門前で会いましょう」

「寝坊するなよ」

「そっちこそ。……どうにかして、仮眠とっときなさいよ」

 

 カインズや事件との関わりまで探れればベストだけど……さすがに難しいだろう。ホームの所在地を知るだけで良しとする。寝たら【義眼の視晶石】を設置すればいい。……徹夜は必要ないだろう。

 肩をすくめて「まぁできる限り」と伝えると、渋られるもため息/保留。

 オレと別れ/一人教会へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 アスナを見送ると、取り出していたマントと【隠蔽】によって存在を隠した。この夜中の時間帯なら、近寄らなければ視認でも看破されることはないだろう。

 破片の現在位置をもう一度確認すると……まだ広場に残っていた。

 物陰からそぉっと/足音が響かないように、シュミット達の元へと近づいていった―――

 

 手頃な暗がりに滑り込むと、覗き見た。

 まだ意気消沈していたシュミット……。彼の事情を知らなかった仲間たちから説明を求められているも、答えず/答えられず、ただ項垂れたまま。

 心ココにあらずな態度に苛立ち、「俺達はもう帰るからな!」との捨て台詞で、仲間たちは去っていった。【転移門】へと入っていく……。

 少々無情な気がしないでもないが、何も知らずに巻き込まれた。おそらく体育会系のノリで/主将の号令に従って、無理やり連れてこられたのかもしれない。ソレがオレとの【決闘】で、化けの皮がはがれてしまった……。今後のシュミットが気になる。

 

 一人になったシュミットはのそり、立ち上がるとフラフラ……何かに操られているかように歩いた。

 方向からして……【生命の碑】だ。カインズの生死を確かめるためだろう。

 前すらちゃんと見ているのかわからぬ様子だ。心配いらないだろうが、気づかれない一定の距離を保って尾行した。

 

 石碑の前までやって来ると、仰ぎ見て探した。【カインズ】を探す……。

 そして、オレが言ったことは本当だと確認してか、項垂れた。

 

「……何で今さら、こんなことに……」

 

 クソッ―――。舌打ちを吐き出した。

 冷たく身勝手な態度だ……。カインズが殺されことよりも、連鎖して引き起こされるだろう何かが重要なのだろう、ソレが自分の身にも降りかかるかも知れないとの恐怖で。

 腹立ちが過ぎると、再び石碑と向かい合った。

 

「お前が犯人だった……わけじゃないよな。一番疑わしいのは俺だもんな。何せ、あの時のメンバーで一番出世したのは、俺だしな」

 

 狙われるはずだったのはシュミット……。あの事件は、彼らが関わった過去の因縁が引き起こしたものだったのか? 

 ただの行きずりの知り合い、ではない二人、さらにはもっと人数がいる。となると、パーティー以上の関係……ギルドだろう。かつて同じギルドに所属していた、そして今は袂を分かっている、シュミットは出世した/そうでないメンバーがいる。……元凶はソコにありそうだ。

 シュミットの懺悔は続く―――

 

「俺はチャンスをモノにしただけだ! 誰だってこうするだろ!? それに、俺は犯人じゃないし、別に手を貸したわけでも……ない。

  …………俺のせいじゃない」

 

 臓腑から搾り出すように、もうここにはいないカインズに向かってだろう、告白した。

 彼らのギルドに起きた『最悪な何か』……。十中八九、殺人が起きたのだろう、ソレも仲間の裏切りが臭ってしまう形で。戦闘中の指揮ミスや想定以上の強敵に対処できなかったから、などのゲームらしいわかりやすい間違いではなく、もっと醜悪な誤ちだろう。ゆえに、今日まで/このような禍根が残った……。気が重くなる。

 とりあえず吐き出せて落ち着いたのか、最後に突き放すように、

 

「……恨むならそいつを恨め。とばっちりなんて、ゴメンだからな」

 

 吐き捨てると、去ろうとした。もう過去に用は無いと、踵を返す。

 ばったり遭遇しないよう、進行方向から隠れようとした。しかし―――

 

「―――そこの騎士の旦那、もしかして……【シュミット】さんですかい?」

 

 【黒鉄宮】の端影から、乞食風の男が声をかけてきた。

 蓬髪かつ薄汚れたボロ布を重ね着した姿、ニカリとの追従の笑いで見せた歯まで黄ばんでいる。オレの位置は離れているが、それでも臭ってきそうなほどの存在感。

 あまりの格好なのでプレイヤーではないだろう、待機組であってもここまで貧窮していないはず、もしもそうならかなり自虐的なコスプレ趣味をしている。実際、頭の上にプレイヤーカーソルはなかった。NPCだ。

 『伝言用NPC』―――。指定した特定の条件を満たした他プレイヤーに、情報やアイテムを渡すために雇ったNPC、仲介してもらうことで匿名性を確保できる。乞食タイプの他にも、遊んでいる子供や散歩している老人タイプもいる。通行人や住民にも頼むことはできるが、行動ルーティーンの幅が狭く家や店などに縛られているので、別の『店員用』などで雇うのが主だ。

 シュミットもその存在は知っていたのか、馬上槍から手を離した。警戒を解く。

 ただしすげなく、

 

「…………人違いだ」

「え……?

 そ、そんなことねぇはずですよ!? ちゃんと似顔絵通りですし―――」

 

 ほら、見てくださいよ……。乞食は慌てながら/立ち去ろうとするシュミットに、懐から取り出した『似顔絵』をみせた。

 さすがに覗き見ることはできないが、見せたモノが似顔絵なら、どこかで撮影したものを印刷した写真のはず。このゲームの/どこのフロアの世界観にもそぐわない科学文明の産物だが、絵心がありかつ写実が得意な人など稀なので仕方がない。プレイヤーにとっては写真だが、NPC達にとっては精巧な似顔絵との認識違いを引き起こしている。

 シュミットはソレを確認して、ますます訝しりを強めた。乞食の自信を取り戻した様子から、確かに自分の顔だったのだろう。

 

「アンタに会ったら、コイツを―――渡してくれって頼まれたんですよ」

 

 そう言いながら懐から、何の変哲もなさそうな封筒を渡してきた。

 パシリと無造作に受け取るも、安易には中を開けず。差出人の宛名か何かわかるサインを見つけようとするも……何もなかった。

 

「……誰からだ?」

「教えるな、とは言われてねぇですが……。お恵みいただけねぇことには、どうにも」

 

 卑屈な笑いと手もみをしてきた。

 伝言用NPC特有の反応、追加料金を払えば依頼できる。対象が尋ねなかったら発生しないが、図らずもだろうがシュミットは条件を満たした。

 ため息を一つつくと、ポケットから二枚ほど銀貨を取り出した。

 

「ホラ―――これでいいだろう?」

「おっとっと!?

 ありがとうごぜぇやす。が、できればもう少し……いえいえ、コレで結構ですよ!」

 

 ひと睨みされるとすぐに屈した。追従笑いしながらも、もらった銀貨は素早く懐奥深くにしまう。

 

「【グリセルダ】って名乗ってましたぜ。……分厚いフード付きのコート着てたんで、男か女かまではわからなかったですが、冒険者様だったのは間違いねぇです」

 

 その名前に、シュミットは驚愕した。そしてなぜか、もう一度石碑を仰ぎ見た。その名を探す……。

 オレも【グリセルダ】を探してみると―――あった。しかし……横線が引かれていた。ちょうど一年ほど前、死因は『他プレイヤーによる殺害』。

 シュミットも確認できたのか、しかし恐慌は収まらなかった。疑念に震わされている。

 また一人、新しい名前が/情報があがった。それもかなり、事件の核心に近いモノだろう。シュミットの怯え具合からおそらく、前に所属していたギルドのメンバーだったに違いない。さらに、袂を別れざるを得なくなった原因でもあるだろう。死因がPKであるのなら、仲間に殺されたのかもしれない、少なくとも疑うしかない状況証拠があった。レッドの仕業だと言い切れず/復讐心で再団結できず、ギルドが分解してしまうほどの何かが……。

 シュミットともども、推理に頭を悩ませていると、

 

「それじゃ、確かに渡しましたんで、あっしはこれで―――」

 

 別れを告げると、乞食は去っていった。シュミットが制止の声をかけるも聞かず、聞こえていない様子。

 伝言用NPC特有の無反応だ。依頼が終われば通常ルーティーンに戻ってしまう。いくら声をかけても/脅しても反応せず、依頼のことはキレイさっぱり忘れてしまっている。まるで、急性の痴呆症にかかってしまったかのように……。彼らが運び屋として有用な理由だ。

 

 また独りになると、おそるおそる封筒を開いた。ビリりと封を切る……。

 そして、中から出てきたものをみて―――戦慄した。

 

「そ、そんな、バカなッ!? どうして、コレが―――」

 

 カタカタ震えながら、手のひらのソレを凝視した/させられた。

 指輪……。遠目からではどんな性能なのかはわからないが、どんな指輪でも売れば高値が付く、何らかのパラメーターを向上させてくれる魔法の効果があるからだ。ここではオシャレの為とはいえ、貴重な指輪装備枠をなんの変哲もない金属の指輪で埋めるプレイヤーは少ない、鍛冶屋たちが作ることも稀だ。

 一体アレが何だというのか……。シュミットの青ざめた顔色に、次なる反応に注意していると―――突然、彼の目前に光の柱が現れた。

 

 さらなる急転/瞠目、何が起きているのか驚かされるも……すぐに似た現象が想起できた。

 転移だ―――。誰かが転移してくる。

 しかし、【転移門】ならいざ知らず、こんな何の目印も無い場所に転移なんて……。【回廊結晶】用のマーキングがされていた? しかしあまりにもピンポイント、しかも目の前は【軍】の本拠地だ。巡邏している軍人たちに見咎められずにできはしない、そもそもする意味もない、レアドロップでしか手に入らない代物なのに……。先の指輪?

 さらに繋がった。【回廊結晶】を使わなくてもできる。

 アレは、フラッグに偽装処置を施したものだ―――

 

 シュミットの目の前/光の柱から、フードを目深に被ったプレイヤーが現れた。

 腰を抜かしてしまったシュミットは、震えながら仰ぎ見た。オレも、我が目を疑った。

 

(カインズを殺した奴―――)

 

 背丈やシルエットは間違いない。何より、奴が今関わらないはずがない。

 殺人鬼は現れるやいなや、怯えるシュミットにそっと触れた。竦んでしまって動けないシュミットはなすがまま。そして触れた直後、フード越しでもわかるほど、耳元あたりから光が漏れでた。

 再び、殺人鬼をライトエフェクトが包みだした。さらに、触れた手を通してシュミットまでも―――。

 

 狙いを察すると、即座に隠れていた場所から飛び出し、叫んだ―――

 

「離れろ、シュミット!!」

 

 オレの叫びと身にまとわる異常現象で、シュミットはようやく我を取り戻した。

 そして、何が引き起こされるのか理解できたのだろう。触れている殺人鬼から離れようとするも……遅かった。ライトエフェクトは消えない。

 転移の『便乗認定』がされてしまった……。もうあと数秒もしないうちに、殺人鬼とともに何処かへ転移させられる。

 

 もう手遅れか、なら―――。片手に仕込んだワイヤー付きクナイを取り出し、投げ飛ばした。今ならまだ、ほんの少しでも接触できれば、オレも便乗できる。

 

 間に合え間に合え、間に合えぇぇ―――。クナイは音を切りながら、飛んでいく。殺人鬼へと真っ直ぐに―――。

 しかし……転移が早かった。

 接触する寸前、二人の姿が掻き消えた。どこかへ転移してしまった……。

 クナイは空を射抜く。

 

 

 

「―――クソッ!」

 

 舌打ち、何て失態だ。まさかこんなことになるなんて……。

 クナイを引き戻しながら、後悔に苛まれた。しかし、やるべきことに切り替えた。反省は棚に上げろ。

 まだGPS発信機は残っている……。メニューを展開、所持アイテムの位置情報を検索、持っているだけの地図を調べた。どこに転移しやがったんだ……。

 急げば間に合う、まだ最悪じゃない。気づかれる/取り除かれる前に、探し出さないと―――

 

 シュミットの居場所を特定すると、【転移結晶】を取り出した。近くのフロアまで転移する……。

 同時に、今呼べる最大の援軍/アスナへと連絡した。通話する手間も惜しいので、メッセージで。

 

(シュミットが犯人に攫われた。追いかける。すぐに来てくれ―――)

 

 送信すると、返信も待てず、そのまま結晶を起動させた。

 

 

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

 シュミットは、【カインズ】の正しい綴りを知っていたはず。トリックは通用しない。【生命の碑】を確認すれば、一発でやらせだったと気づいてしまう。
 なので、どうにかして見せないよう誘導する。それか、【生命の碑】を偽装するために、さらなるトリックも仕掛けなければならない。圏内PK並の何かを。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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64階層/ラーベルグ 罠

 シュミットの災難、その2


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 19階層【ラーベルグ】―――

 【はじまりの街】の転移門から飛び出た次の瞬間、息が詰まった。体が重い……。酸素が行き届いていないかのようで、苦しくなる。

 下層病……。今のオレでは20層以下は水中と同じだ。【兵糧丸】を取り出し口に放った。

 口の中に味が広がっていくに従い、体も軽くなっていった。だけど、普段と比べて七割程度でしかない。しかも、ここはまだ圏内だ、外に出たらどうなるのか……。

 街中を一気に走り抜け、特定していた場所までダッシュした。圏内を突き抜ける―――

 

 直後、視界が歪んだ。

 目眩でぐらついた、膝から力抜け落ちていく。同時に胃の中が焼けてるように気持ち悪い、猛烈な吐き気をもようしてきた。なのに、出す力が足りずに詰まっている、自分のゲボで窒息しそう……。

 走った勢いのまま、地面にこけてしまいそうになるも……寸前で堪えた。徐々にブレーキをかけ膝立ちへ、何とか【転倒】は免れた。

 しかし―――

 

(―――やばい、予想したよりずっと……きつい)

 

 下層病が猛威を振るう。全身から冷や汗と油汗が溢れ出ているのがわかった、指先や末端の感覚も怪しい。きっと顔色は、蒼白になっているに違いない。

 走るどころか/歩くことすら、立っていることすらままならない。ギリギリ気絶しないでいられるだけ。

 コレが20層以下か……。レベルを上げすぎた末路だ。皮肉すぎて苦笑してしまう。

 前線よりもきつい。フィールドの脅威がこれほどの暴威とは……。これではミイラ取りがミイラになる、たどり着く前にへばってしまう。

 急いで/震えた指でメニューを展開し、【呼吸器】を取り出した。シュノーケルのような管と浄化フィルターがついているマスク。顔に叩き付けるように装着し、息を整える……。

 

 気持ち悪さが引いた。指先にも神経が通い始めるとヨロヨロ、仕方なしに圏内に戻った/今は戻るしかない。……戻ると幾分か負担が緩和された。

 【呼吸器】は最終手段だった。備えとして一応いつも用意していたが、長期滞在や戦闘を想定したものではない、迷い込んでしまった時の緊急脱出のためのモノだった。シュミットの分はもちろんのこと 自分の分すら足りない。買い足すにしても、ここ【ラーベルグ】では売っていない。【はじまりの街】には置いてあるが、【軍】の管轄下にある商人の手の中だ。

 【吸魂の灰晶石】によるレベルドレインはできる。だが、犯人と対峙した時を考えれば、今のままのレベルでなければ逮捕できない、あの超重量のシュミットを動かすのも無理だ。道行だけドレインでやり過ごすのはアリだが、直前で戻せばどうしても目立ってしまう。

 

 かと言って、このままでは圏外を移動できない……。悩まされると、目の端に映った。どのフロアの主街区にある、境界近くか【半圏内】にある店。

 【騎獣屋】―――。いわゆるタクシー。フロア中を高速で移動することができる乗り物をレンタルしてくれる。

 大抵は馬だ。ソレを標準にすると、他にはガチョウ型/長距離も短距離も瞬足だけど積載量がわずか、大犬型/短距離は瞬足で積載量もあるが長距離は苦手、象型/積載量は最も大きいが鈍足、がある。この【ラーベルグ】にあるのは、馬だけだ。

 【騎乗】を鍛えていれば、どんな騎獣でも乗りこなしかつ最大のポテンシャルをひきだせる。モンスターに攻撃されても/一度降りても、振り落とされることはなく/店に帰ってしまうこともなく待ってくれる。しかし、残念なことにオレは鍛えていない。欲しかったが、鍛えるのには金がかかるので致し方なかった。騎獣を買い揃えたり一から育てたりなど、前線で頑張ってるソロには難しすぎる。

 なので、店子に大枚を渡し、従順な馬を見繕ってもらった。

 

 一番上等な馬をレンタルすると、その背に乗った。格好よく飛び乗れたらよかったが、よじ登るようなぎこちなさ。だが、未熟な乗り手に苛立たれることはなかった。……注文通りの従順な馬だ。

 鞍にまたがると、すぐに走らせた。

 発進するとグン―――と、上体がそらされた。そのまま通りを走り抜けながら、徐々に加速していく。

 オレの全力疾走より少し遅いぐらいの早さ。だけど、馬にとってはソレが通常。ムチを使えば/轡を通して命令を送ればさらに加速する、倍は早くさせられるはずだ。

 再び圏内を抜けると、また気持ち悪さがやってきた。吐きたくてたまらない……。急いで【呼吸器】を付け直した。

 下層病は馬にまでは伝染せず。そのまま走り続けていく―――

 

 

 

 

 

 主街区から馬を急がせ続けたのは、小さな丘の上だった。膝ほどの草が生い茂っている草原の中、一本の捻くれた樹が伸びている。

 

 コレといった特徴のないロケーションだ。何かのクエストがあるわけでもなし、重要な通過点/目標点でもなし。NPCと遭遇できるわけでも、モンスターの狩場でもない。ただ、気持ちの良い風がソヨソヨと吹く/昼日中では明るい日差しも降り注ぐ、圏外でなければ絶好の昼寝ポイントなれど、どこか寂しさも感じさせる場所だ。

 発信機の場所を地図で見た時、なぜココだったのか、首を傾げた。『盗賊村』でも迷宮区でもよかったはず、犯人の意図が読めなかった。

 でも、樹の根元にあるモノを見て、繋がった。ここでなければならなかった理由が、この事件の元凶が全て、そこにあった。

 ソレから目を逸らし続けてきたであろうシュミットは、今、固く縫いつけられてしまっていた。

 

「―――あぅ……うぅっ!? が……があぁぁッ!」

 

 樹の根元にひっそりと建てられていた小さな石碑。そこにシュミットは、あの【罪の茨】に喉を貫かれながら/血をまき散らしながら、悶え苦しんでいた。

 あまりの光景に茫然と立ち竦んでしまった。

 オレの姿が目に映ってか、シュミットの助けを呼ぶような絶叫に目を覚まされた。

 

「ッ!? シュミット―――」

 

 馬から降りると、急いで近づいた。

 喉を貫かれていたので助けを呼べない。おまけに下層病だ。己の体と何より装備が重すぎて動けない、指先すら動かせないからメニューも開けなかったのだろう。さらに【出血】もひどい。あの短槍ではどれだけの使い手であっても、固くて重いシュミットにはそこそこもダメージを与えられない。防御力が少ない/【出血】を狙える首だからこそ、ダメージは半減域を越えて減少を続けていた。……シュミットは、オレが間に合ったことに心底の安堵を見せていた。

 ひどいありさまに眉をひそめた。えげつない拷問だ。殺しだけでは飽き足らない異常者の仕業だ……。しかし、目をそらさずに看た。

 【貫通継続ダメージ】をなくすためには、すぐに抜き取る必要がある。少々痛かろうが、他人のオレがやれば簡単に取れるはず。しかし、首を貫かれた不運、今無理に取ってしまえば【大量出血】で大ダメージだ。現在のHPだと危ない。シュミットもソレはわかっているだろうが、声を上げられない状態、息も苦しそうに血泡を吹いている有様から【酸欠】に陥っているのかもしれない。……知らずに/慌てて抜いてしまえば、逆に殺してしまう最悪な罠。

 なのでまず、HPの回復だ。喉がやられているので、ポーションや丸薬を飲ませることはできない。振りかけるだけでは【継続ダメージ】と【出血】の相殺程度の回復量/速度なので、別の手段しかない。

 

「……シュミット、まずはHPを全回復させる。取るのはそれからだ」

 

 意識も朦朧と怯える彼を安心させると、腰のポシェットから【回復結晶】を取り出そうとした。これで一気に全回復させれば、安全に抜き取れる……

 寸前、【索敵】が警告を鳴らした。背後の草むらから投擲物―――

 

 避けようとするも、位置取りが最悪だった。躱せばシュミットに当たる、当たれば止めになってしまう。……よけさせない為の二段構えか。

 かと言って、叩き落とすには集中が足りない。瞬時に、剣を抜き放ちながら背後から飛んでくるモノを叩き落とすなど、極めていない。

 なので―――ズシュり、そのまま受けるしかなかった。

 

 背中に刺さった、鋭い痛みが走る……。

 せめて背中の鎧部分に当てたものの、相手の技量と武器も良かったのだろう/軽快さを求めた革製の鎧だったのもまずかった、体まで突き破られた。

 痛みをグッと堪えた。そしてすぐに、反撃とばかりに振り返った。同時に背中の愛剣を抜く、方向はわかっているので一気に踏み込める、叩き伏せるだけだ。

 しかし―――ガクン、いきなり膝から力が抜けた。腕も固まり、全身が痺れていく……。

 そのまま、膝立ちのまま動けなくなった。持っていた結晶もポロリ……落としてしまった。

 

(【麻痺毒】が塗られていたのか……)

 

 ソレもかなり高レベルの毒だ。二弾ではなく三弾構えだったことに歯噛みしていると、

 

 

 

『―――ワン、ダ~ウン♪』

 

 

 

 飛びかかろうとした先から、急襲者の楽しげな声が聞こえてきた。

 睨みつけていると、敵の姿も見えた。昨日【マーテン】の教会で見た犯人と酷似した姿。【隠蔽】と偽装用装備で潜伏していたのだろうが、オレがこうなってはもう隠す必要がないと現れたのだろう。近づいて来る。

 

『まさか『遠征部隊』のリーダー様だけじゃなく、あの『黒の剣士』まで釣れるなんてなぁ♪』

 

 上々上々……。愉快げな声音は、よく聞き知った/耳に焼き付かせておいたモノ。いずれは【監獄】以上の『冥府』につなぎ止めなければならない、最重要指名手配のレッドプレイヤーの一人だ。……少々くぐもって聞こえるのは、オレと同じように何らかのマスクを装着しているからだろう。

 

「……『ジョニー・ブラック』。お前が犯人だったのか?」

『犯人? ……ああ、そういうこと!

 うん、そいつを仕掛けたのはボクちゃんだよん♪』

 

 『ジョニー・ブラック』―――。このゲームに蔓延るレッドギルドを束ねる頭目の一人。彼の号令の下/本人手づからによっても、既に確認されているだけでも三桁の死者がいる。ただ当の本人は、そんな大悪党とは思えないほど、無邪気かつ享楽的なガキんちょな雰囲気しかない。普段は被っている汚れたズタ袋がないと、いっそうわからない。

 

「バカ言うな! お前みたいな低脳が、こんな面倒ごと仕掛けられるわけ無いだろうが。……黒幕は【Poh】だな」

『失礼なこと言うなよ、ゴキブリ野郎♪ ヘッドがこの程度なわけないだろう?』

 

 煽ってみても肩をすくめていなされた。……わかってやっているのか本心からか、それすら読めない、フードとマスクらしきモノに隠されていっそう。

 

「それじゃ、何でお前が関わってるんだ? 」

『とある顧客から依頼されたんだ。もう一度、あなた様方のお力を貸してくださいってさ。

 ヘッドは他にやることあって忙しいからって断ったんだけど、ボクは面白そうだと思ってね。手を貸してあげたわけ♪』

 

 ただのアドバイザー、あるいは裏方でしかない……。それならもっと、影に徹すれば/舞台に上がるなどしなければいいはず。こうやって証拠を残してしまうことなどなかった、オレに接敵されるなんて不始末も。……【Poh】が黒幕ではない裏は取れた。

 まだ【麻痺】は取れない、シュミットのHPも危ない。早々にジョニーを片付けなければならない。少なくとも、撤退させるぐらいの威嚇を……。

 

「それじゃ、ラッキーだったな。シュミットだけじゃなく、オレもついでに殺れるかもしれないんだからな。……こんな状況じゃなきゃ、返り討ちでしかないからな」

『確かに、君も釣れたのはラッキーだったけど……悪いね、コレ以上は近づいてあげないよ♪』

 

 ギリギリ、オレの間合いの外で近づくのをやめた。

 クソッ、読まれてたか……。胸の内で舌打ちした。

 【麻痺】しているとはいえ、鎧通しされての直接に毒を刺し込まれたわけじゃない。若干動きが阻害されている程度の【麻痺】でしかない。集中すれば抜刀からの斬りかかりはできる、簡単なモノならソードスキルも使えるだろう。ただし、【加速】などの手を加えれば失敗してしまう、武器も【取りこぼし】/【転倒】までしてしまうはず。

 焦りを隠しながら次の手を考えていると、ジョニーがシュミットに話しかけてきた。

 

『【シュミット】さんだったけ? いい表情するねぇ~、ゾクゾクするよ。保存しておいて繰り返し見てあけたいぐらいだよ♪ ……紛い物には絶対真似できない、真実がにじみ出てる』

 

 ぞわりと、怖気が走った。隠れて見えないはずなのに、シュミットに向けられた陶酔の眼差しが観えた。必死で生きようともがき苦しんでいる姿を/赤くなり始めたHPバーに絶望している有様を、心底からウットリと眺めている……。確かに奴には、頭目の一人にたるネジの外れ具合があった。

 言葉を失っていたオレに向き直り、その気色悪い眼差しを浴びせてきた。

 

『でも―――君の表情は頂けないね。よくないよぉ、そんな反抗的なお目めは』

 

 含まれた蔑視と猜疑に、揺らがされていた正気を取り戻せた。

 ついでに、起死回生の手も飛び込んできた。ジョニーには/オレにしか見えない網膜ディスプレイに、相棒からのメッセージの受信通知が映った。

 来てくれたか―――。ギリギリセーフだ。ジョニーに気づかれないよう、顔を必死に作った。

 

「仕方ないだろうが。こんな三流演出家の三文芝居みせつけられたんじゃ、あくびを噛み殺すのに必死だよ。しかも、本人は一流なんだって錯覚してるとあっちゃな」

『余裕ぶっこける暇なんてあるの? あと少しでシュミットさん見殺しにしちゃうのに……。

 あッ! それとも君、本当にボクらと同じ人種なのかなぁ♪』

 

 嗤い声に、先とは違う怖気が走った。奥底をえぐり出そうとするかのような触手、いや、本人は友好の握手のつもりか……。

 全くもっての見当違いだ。

 

「おいおい、冗談でも笑えないぞ。ついに頭の中に虫でも沸いたか?

 人でなしの欠陥品のくせに、『人種』なんて分を弁えろよ。二足歩行できるからって自惚れんな!」

 

 純粋な腹立ちとともに放った罵倒は、しかし、突こうとしたのとは別のツボを突いてしまったらしい。

 一瞬だけ目を見張られると、大口を開けて笑われた。

 

『アハッハッハッハ! 面白いね、こういうのが負け犬の遠吠えっていうのかな?

 それじゃさ、今その二足歩行すらできない君は、一体何者なんだい♪』

「なぁに、今はちょっと休憩中だよ。すぐに這い蹲らせてやるから、首洗って待ってろ」

『いいねいいねぇ♪ そこまで虚勢見せてくれると、尊敬しちゃいそうだよ。ボクが女の子だったら惚れてたかもね! さすがビーター様だ♪』

 

 あまりの噛み合わなさに頭が痛くなってきた。このような処刑をしているとは思えない、純粋無垢で楽しげ、まるでお遊び感覚だ……。すぐに覆せなければ、発狂しそうだ。

 さらならメッセージの通知が、網膜に映った。ジョニーに気づかれぬよううつむき加減で内容を確認し―――顔を上げた。

 【索敵】でソレらを確認するとニヤリ、笑みを浮かべた。

 

「わかってないようだから教えてやろう。

 この手のバカ話を偉そうに聞いてる悪党はな、大概が返り討ちに遭うんだよ」

 

 次が無いのはお前だ―――。オレの渾身の捨て台詞に今度こそ、ジョニーは目を丸くした。

 そしてすぐに、鋭く尖らせた。その悪意の塊でできた嗅覚で察したのだろう、【索敵】で警戒を最大限に高めた/危険な何かを探り出そうとする。

 だけど……遅すぎた。

 

 

 

「―――行け、【シリウス】!」

 

 

 

 第三者の号令とともに放たれたのは、漆黒の闇を纏った狂犬。遠間の草むらから飛び出し、ジョニーまで一直線に疾走―――

 瞬時に気づいたジョニーは、迎撃しようと振り返った。何処からかダガーが魔法のように抜き出され、両手に握られていた。……ジョニーでなければ、賞賛したくなるほどの凄まじい対応速度だ。これではどんな相手であろうと奇襲は不可能だっただろう。

 しかし、黒犬の方が早かった。

 弾丸のように飛びついてくると、ジョニーの喉元に食らいついた。

 

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

 ジョニーの性格は、原作と違っております。【Poh】以外の悪党にも華を持たせたいとの勝手な考えからです、ご容赦の程を。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております


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64階層/ラーベルグ 仮面

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 飛び出してきた黒犬は、ジョニーの喉笛に噛みついた。そのまま押し倒し、噛みちぎる勢い。

 だが同時に、取り出していたダガーで黒犬の首筋を突き刺していた。押し倒されながらもしっかり喰い込ませ、抉る。相討ち―――

 ジョニーが地面に倒されると、黒犬は霧散して消えた。瘴気のような黒い煙となって、消え去る……。残ったのは、首からドバドバと血を噴き出しながらも、すぐさま膝立ちの臨戦態勢を整えたジョニー。

 しかし、【大量出血】により著しくHPを損耗させられていた。それでも敵を/黒犬の主人を/コウイチを睨みつける―――。

 霧散したはずの黒犬は、いつの間にかコウイチの足元で再生していた。

 

 ジョニーの警戒が外れたことで、すぐに落とした結晶を拾った。

 

「ヒール、【シュミット】!」

 

 急いでシュミットのHPを全回復させた。危険域だったHPがたちまち全回復する。……ギリギリセーフだ。

 真っ赤だったHPが元に戻り、安堵するシュミット。あとは短槍を抜いてやるだけでいい。

 一息つくと、オレも睨みつけた。

 

『―――あれあれぇ~、神父様ぁ♪ こういうことするのは、契約違反じゃないですかぁ?』

 

 ヘッドに言いつけちゃうぞぉ……。ドバドバ出血し続ける傷口を押さえながら/それでもニンマリと凄惨な笑みを浮かべながら、煽ってきた。

 鉄板を打ち込んだ濃紺色のカソックに身を包んだ/武装神父なコウイチは、呻る猟犬を鎮めながら肩をすくめた。

 

「確かに、私たちは自己防衛以外では君らとは争わない。そういう契約はしたよ。これまでも今も、そしてこれからもそうするつもりだよ。

 だが……ソレは目の前の君とではない」

 

 意味深なセリフにジョニーが何も言わずにいると、続けて、

 

「加えてだ。今の私は、彼女からの依頼を受けて力を貸しているだけの代理人さ。欲する者に力を貸し与えているだけだよ、……君らがそうしているようにね」

 

 コウイチが指し示した後ろには、アスナが控えていた。

 ジョニーへの警戒のためか、すでに細剣を抜き放っての臨戦態勢。そのためか、ムスリと憮然とした表情をむけていた。

 

『……詭弁っぽく聞こえるんですけど、気のせいですかぁ?』

「そう取られたしまったのなら……残念かな。

 諦めて欲しい。なにせ彼女は、君も知っての通り実の妹だからね」

 

 苦笑しながらそう言うと、ジョニーよりもアスナが嫌そうな顔を向けてきた。

 

『……神父様に嫌われちゃうと、色々と面倒になるからなぁ。兄貴からも小言いわれそうだし……仕方ないか。

 あぁあ! コレ、けっこう気に入ってたのになぁ……』

「随分と余裕ね。見逃してあげるとでも思ってるの?」

 

 にじり寄りながら/逃がさないように威嚇されるも、ジョニーの態度は変わらず、

 

『まさか! さすがにこの状況からの脱出なんて、無理ゲーでしょ♪ ―――援軍でもない限りね』

 

 不敵な笑いとともに発したセリフに、アスナはハッと周囲へと警戒を分散させた。

 だが、オレとコウイチは、そのままジョニーを見据え続けた。

 

「見え透いたハッタリはやめろ、『いない』て言ってるようなもんだぞ。……往生際が悪いなジョニー」

『……てへ♪ さすがにバレたか』

 

 ペロリと舌ベロまでだしながら、悪意しかない純粋な笑みを向けてきた。

 子供だましの悪ふざけだ、【索敵】で探査するまでもない。そんなものがいるなら、とっくにオレ達は包囲殲滅されていたはずだ。こんな状況まで静観しているマヌケなど使い物にもならない、そもそもレッド達がこんな窮地に飛び込むはずがない。……オレへの仕返しのつもりだろう。

 一人引っかかってしまったアスナは、目を丸くし、すぐにジョニーを睨めつけ直した。

 

『はぁ~、ヘッドの言った通りになっちゃったなぁ……。まだまだ精進が足りないや♪』

「ソレは【監獄】の中でやるといいわ、私達がゲームクリアする日までずっと、独りで」

『そんなのやだよぉ♪ アイデアも試したい事もいぃっぱいあるんだから、もっとお外で遊んでいたいの♪』

「悪いが、オレはお前の親でも大人でもないんだ。……駄々を捏ねるようなら、もっと別な方法で黙らせたくなるぞ」

 

 例えば、HPを0にするとか……。含ませた凄みに、アスナの方が眉をしかめてきた。

 彼女との意見の相違。レッド達は【監獄】に押し込めるだけでは足りない、殺す覚悟を持たないとつけ込まれる。……自分の命すらオモチャにしてしまう相手には、どんな理屈も正義も意味がない。

 

『アハッ、怖い怖いぃ♪

 さすが『黒の剣士』様、頭の中身も黒いみたいですねぇ♪ 『閃光』様とは大違いだ』

「だったら、観念しろジョニー。別にお前を尋問する必要なんて、無いんだからな」

 

 お前が持っている情報には何の価値もない……。できれば搾り取りたいが、生かし続けるデメリットを考えると、さっさと始末した方が無難だ。少なくとジョニーを退場させれば、それだけこの世界は平穏になる、ゲーム攻略もしやすくなる。……いるよりもいない方が皆のためになる奴だ。

 ジョニーへの牽制と同時に、アスナとの対立を予防するための処置だった。そのためか、何か言い募ろうと歯噛みし、オレへのしかめ面を深めていた。

 

『そう言われちゃうと、させたくなる……なんて思わない?』

「そうか。ならやってやろう―――」

 

 くだらない時間稼ぎだ、付き合いきれない……。コイツとはとことん馬が合わない。

 何かあると思わせて翻弄させる手だ。本当は何もないことを露呈しているようなものだ。……お遊びに付き合ってやる義理など一切ない。

 オレが無造作に近寄っていくと、ジョニーはすぐに身を引いてきた。

 

『……君、付き合い悪いよ。友達少ないでしょ?』

「少なくとも、お前なんかとは友達になりたくない」

『ソレって、タフガイでも気取ってるの? ……そんなの今時流行らないよ?』

「時流以前に人道からも外れてるお前には、言われたくないね」

『酷い言い草だなぁ……。おセンチなボクちゃんには耐えられそうにないよ♪』

「じゃ壊れろ。邪魔しないからさ」

 

 冷たく突き放し続けると、

 

『そう? ソレじゃ遠慮なく―――』

 

 軽くそう言うとジョニーは、持っていたダガーをグサリと―――首に刺した。

 そして思い切り―――横に引いた。

 傷口から鮮血が、噴水のように吹き出していく。

 

「なッ!? 何を―――」

 

 急いで近づくも……間に合わなかった。

 二度目の【大量出血】、ジョニーのHPは一気に減退していった。同時に、大量の出血でガクンと、立っていられなくなっていた。

 顔は蒼白を越えて死相が出ていた。それでもニヤリと、口元を綻ばせながら、、

 

『―――また今度ね、キリト君♪』

 

 笑いながらそう言うと、そのまま倒れた。見えない糸が切れたように、自分の血だまりの中へ……。HPも0になっていた。

 ジョニーは地面に倒れたまま、動かなくなった。

 

 まさかの自殺に声を失った。レッドの頭目の一人が、こんなにあっけない幕切れ……ありえない。

 何かしらの騙しかもしれない……。不用意に近づいたら起き上がり、致命の攻撃か人質に取るかも、と遠巻きに警戒した。

 しかし、HP0は揺るぎない。このことについてだけは、システムを騙す方法などありえない。……ただし、仮死状態にさせてやり過ごす方法はあるかもしれない。

 息つまる緊張の中、ジョニーの死体を見つめながら時間が過ぎるのを待った―――

 

 

 

 しかし/やはり、奴は死んだまま。起き上がる気配すら感じさせない。

 あまりの結末に茫然としていると―――ポトリ、ジョニーの顔から仮面が剥がれ落ちた。

 コレといった特徴もない、能面のような仮面、金属製ですらない木製。口元に【呼吸器】のようなモノが見えたことから、下層病をやり過ごすための装備だろうとは推測できた。

 近づいて拾い上げようとすると―――パァンッ、弾けて消えた。耐久値が0になってしまったのか、光の粒になって霧散していく。

 証拠品の喪失を残念がるも、致し方ない。まだ残っているジョニーの死骸に近づいていった。うつ伏せの体をひっくり返す。

 

「……コレが、ジョニーの素顔か?」

 

 そこにあったモノを見て、驚かされた。

 日本人離れした美形。中性的以前に、まだ性差が起きていない子供。それでも、静かに目を閉じている姿は、人形めいた美しさと可愛らしさがあった。将来はきっとイケメンだろうと、あるいはこのまま保存しておきたい気持ちも沸かなくはない。

 しかし/だからこそ、違和感があった。オレが感じていた『ジョニー・ブラック』のイメージとだいぶ齟齬がある。年齢的には合っているが、顔の造形が美形過ぎる。それにどこかで、見たことがあるような気が……。

 アスナたちも近づいて覗き込むと、オレの疑念を言葉にしてくれた。

 

「……うそ。この人、エルフ族の傭兵じゃない! なんでこんな―――」

 

 合点がいった。そうだった、傭兵NPCにこんな奴がいた……。フードを捲し上げると、プレイヤーではありえない、エルフ族の特徴たる尖った長耳があった。

 ジョニーではありえない誰か。でもそうすると、疑問が出てくる。なぜジョニーの真似などしていた? それ以上に、ジョニーそのものだったのは? 声は奴そのもので、動きもNPCではとても真似できない高度なものだった。いったいどういうことだ……。

 謎の影武者に訝しんでいると、近づいてきたコウイチが、

 

 

 

「―――コレが、レッドプレイヤーたちの正体だよ」

 

 

 

 このことを知っていたかのように、告げてきた。

 

「彼らは、NPCをクラックして乗っ取って、自分のもう一つのアバターとして自在に操ることができる。誰でも、何度でもね」

「『NPCを乗っ取る』て、そんなこと―――」

 

 できるわけがない……。だけど、事実は目の前にある。この傭兵はジョニー以外の何者でもなかった。

 だけど、納得できない。

 

「……どうやってこんな事ができるんだ? 理屈は、どんな仕組みだ? どうしてこんなバグが―――」

 

 もしも本当にこんなことができるのなら、いったいどれほどのことができるのか……。まくし立てられたコウイチは、ただ苦笑するのみ。わからないと肩をすくめた。……聞いても詮無いことだった。

 

「残念ながら、まだ方法はわかっていない。

 仮説は幾つかあるが、プレイヤーカーソルまで誤魔化すとなると……本当にチートなのかもしれない。あるいは、私たちが知らないだけの隠された何か、システム外スキルのようなものかもしれない。生身の人間とさほど変わらない応答ができるとしても、NPCであることは変わらない。その間隙を突けば、あるいは―――」

 

 顎に手を当てながら、延々と自分の考察の中に嵌っていった。

 いつものコウイチだ。異常な現象だらけの中、ようやくのいつも通りに人心地つけた。

 誰かが止めなかったら延々とハマり続ける。さすがにもう止めてやろうかと口を開こうとしたら、

 

「……本当に、兄さんは知らないんですか?」

 

 代わりにアスナが、別方向からの疑念をぶつけてきた。

 本当は知っていて、私たちに隠しているだけでは……。指摘されてようやく、オレも気づかされた。アスナに同意するようにコウイチに目を向けた。

 

「彼らが教えてくれると思うかい、こんなとんでもない技術を?」

「でも、使えることは知っていたんですよね?」

 

 コレが初めてではない。ソレは、先の発言と態度からわかることだ。コウイチは以前にも、こういったレッド達と対峙している……。

 

「だからこそ、彼らとは互いに不干渉の条約を結んだ。この情報を非公開にすることも含めてね」

「なんで秘密にもした?」

 

 公開してくれたら、今頃分析も対策もできていたはずなのに……。黙ってまでいてやる理由もない。

 含ませた非難に、コウイチはどう説明しようか黙っていると、

 

「―――あ…ぁ…うぅっ…」

 

 シュミットの泣き声が割り込んできた。……まだ喉にささったままなのを忘れてた。

 

「とりあえず、先にシュミット君を助けてからにしようか」

「はぐらかすつもりですか?」

 

 シュミットの危険に慌てるも、グッと堪えて兄を問い詰めた。

 

「……彼を助けに来たんじゃないのかな?」

「何を隠してる?」

 

 オレも参戦した。……シュミットには悪いが、ここで退くと話が聞けなくなる可能性が高い。

 二人からの問い詰めに、さしものコウイチも肩をすくめる……ことはなく、小さくため息をつくのみ。

 

「君たちは攻略に専念してくれ。コチラのことは、私が対処するよ」

「できるのか? 圏内PKがされたとあっちゃ、一人じゃ対処なんてできないと思うがな」

「問題ないよ。圏内PKなんて起きてないからね」

 

 断定に言葉を失った。なぜお前がそれを言える……。

 だが、すぐに察した。

 

「……もう全部お見通しだったのか?」

「まさか。ただの消去法だよ。

 レッド達が主犯だったのなら、こんなあからさまで中途半端な真似はしなかった。犠牲者がカインズ君に限られているのもおかしい。もしも彼らの仕業なら、少なくとも【マーテン】にいたプレイヤー全員が対象だったはずだからね」

 

 奇襲で虐殺することはできた……。規模が小さいので、レッドの仕業でないことはわかった。奴らと深く関わってきたコウイチだからこその断言だった。

 その指摘に、今更ながらゾッとした。なぜその可能性を考えられなかったのか……。確かに奴らなら、そんな裏ワザを発見したのなら目撃者などいらない。喜々として一つの街程度は、最悪目の上のたんこぶの攻略組を全滅させたことだろう。奴らの被害規模は個人では収まらない。

 レッド達でないのなら、バグ技を発見したのではなく何らかのトリックだ。圏内PKなど起きていない。そして動機は、極めて人間じみた真っ当な/個人的な怨恨だろう。……確かに、消去法からわかることだ。

 

「詳しい事情は、このシュミット君が話してくれることだろう」

 

 もうそろそろ、助けてあげたほうがいい……。もうそろそろ、本当に危ないことになる。

 痛みで暴れないよう押さえつけながら、短槍を抜き取った。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 短槍を摘出、【大量出血】による大ダメージを【回復結晶】にてすぐさま補填。【出血】を消すための血止めと縫合/包帯を巻き、下層病を緩和させるためのマスクをつけてやった。

 シュミットはようやく、磔状態から解放された。

 

 完全に危機から脱出すると、大きく吐息を漏らした。全身から力が抜けているように放心して、地面にヘタりこんだ。

 そして、助けにきたオレを見上げると、

 

「……なんで、俺の居場所がわかったんだ?」

 

 第一声は疑念だった。

 予想はしていたが、苦笑するしかない……。確かに、シュミットにとっては都合が良すぎる状況だ。

 

「【決闘】でつかった短槍の破片を、お前の鎧の隙間に埋め込んでおいた。その位置を追跡してきた」

「ッ!? ―――」

 

 説明してやると、すぐさま鎧を調べ出した。

 あれこれ自分の体を探り、メニューまで展開して―――ようやく見つけた。

 

「…………俺を尾行してたのか?」

「気に障ったか?」

 

 売り言葉に買い言葉。プライベートの侵害だろうが、今回においては正しかった。……正しいことになった。

 それ以上は何も言えず、ムスリとされると、

 

「シュミットさん。まず、言わなきゃならないことがあるんじゃなくて?」

 

 進みでたアスナが、彼に冷たい視線を差し向けた。

 プライドやら借りを作りたくないやら、事情は色々とあるだろうが、全くもっての正論だ。謝ったほうが負け理論/攻略組の風土など、今のオレ達の間では通用しない。特に、目の前のアスナに対しては。

 叱られて萎縮させられると、しぶしぶながら

 

「―――ありがとう、助かったよ」

 

 小声で感謝してきた。

 どういたしまして……。言葉には出さず肩をすくめただけで答えた。……声が小さくて聞こえないなど、ほじくらないだけマシだと思ってもらいたい。

 

 いちおうの礼儀は果たすと、本題に移った。

 

「色々と、聞きたいことがあるんだけど、いいよな?」

「……ああ」

「その人は、お前が殺したの?」

 

 背後の墓を指し示しながら尋ねると、ビクリと身を竦ませた。

 先の覗き聞きで知ってはいたが、改めて確認……。まだ事情を知らないアスナは、目を丸くしてオレを見据えてきた。

 

「……違う、俺じゃない」

「それじゃ、共犯者か? 直接手を下してはいなかっただけ?」

「お、俺はただ、指示通り動いた……だけだ。ソレでまさか、あんなことが起きちまうなんて……」

 

 思いもよらなかった……。無意識の共犯者だ。知らされずに利用されたのだろう。

 それじゃどうなると思ってたんだ……とは、問い詰めることはない。オレの目的は事件の解決であって、シュミットの罪悪感を晴らしてやることじゃない。それに、半年も前のことなら充分な罰になっているはず。……アスナがどう考えるかは、わからない。

 悔恨は無視して、必要なことだけ尋ねた。

 

「犯人に心当たりは?」

「……わからない。ただ、やるとしたらグリムロックだろうな。アイツは、グリセルダさんと【結婚】してたし、リアルでも関係が深かったみたいだしな」

「【結婚】て……二人は夫婦だったの?」

 

 思わずアスナが確認すると、頷かれた。

 確定だな……。動機が充分すぎる、犯人はグリムロックだ。アスナも同じ結論に達した。

 しかし、まだわからないことは残っている。

 

「グリムロックの復讐……なら話は早いだろうが、ジョニーとの関わりがわからないな」

「殺しの依頼、なんてものをできるツテがあるってこともね。そうなると、『復讐』て話も疑わしくなってくるわ」

「そうだよな……。

 目的がわからないな。ジョニーが扇動したからかな?」

「そうね。自発的にしては、積極性が足りないものね……。何か弱味でも握られてたのかな?」

「弱味か……。もしかすると―――」

 

 グリゼルダさんを殺したのは、彼か……。口にしようとして、やめた。無茶苦茶が過ぎる仮説でもあった。『前の殺しの依頼』が弱味ならば話は通るが、そもそもやる理由がわからない。あまりにも復讐からかけ離れている。

 色々と考察できるが、証拠が足りない。ここではここまでだろう。

 

「コウイチ、【グリムロック】の居場所、わかってたりするか?」

「残念ながら、私が把握していたのは2ヶ月ほど前までだ。そこから先の行方はわからない」

 

 それでも、把握はしていたのか……。どういった情報網なのか気になるが、確実だとはわかっている。そして、そんなコウイチですら把握できなくなった。中層域のプレイヤーならば、【軍】の幹部でなければレッド以外にありえない。……グリムロックが犯人である証拠がまた増えた。

 ただ、一番知りたいことはわからなかった。代わりに、シュミットに聞いていきた。

 

「もしも、グリムロックが犯人だとしてだ、次に誰を狙うか見当はつくか?」

「……わからん。俺自身が最も狙われると思ってたから、もう一度……来るかもしれない」

 

 おどおどとしながらの指摘に、気づかされた。……その可能性は考えていなかった。確かにまた、シュミットを狙ってもおかしくない。

 

「それじゃ、二番目はどうだ? カインズさんの他に狙われそうな人は?」

「……ヨルコだと、思う。あいつも売却反対派だったから」

 

 まさか本当に、彼女が狙われていたとは……。防御策を講じておいて良かった。

 狙われている二人を一箇所に集めておけば、犯人の方から姿を現してくれるはず……。追いかけるだけから、罠を仕掛けるまでに至った。あとは待てばいいだけ、事件解決は目前だろう。

 犯人逮捕の見通しが立つと、部外者を決め込んでいたコウイチが口を開いた。

 

「もう、君らだけで解決できそうかな?」

「……見届けたくないのか?」

「個人的な怨恨、らしいからね。コレ以上は私が関わるべきじゃない」

「それは、もう結末を知ってるから、てことか?」

「君までもか……。買いかぶり過ぎだよ。ただ、私が対処すべき事案ではなさそうだ、というだけだよ」

 

 これ以上首を突っ込めば、解決できる事件が解決できなくなる……。コウイチが絡めば、必然【軍】やレッドの暗部とつながってしまう。ジョニーも関わっていることから、関わりは0ではないだろうが/ゆえに、落とし所を失ってしまう。……オレ達の目的はゲームクリアであって、事件解決は寄り道だ。

 暗に諭されると、眉をしかめるが飲み込んだ。アスナも、知らないでいてくれたのか、兄貴を睨みつけただけだ。

 

「何かあったら連絡してくれ。私のできる範囲で、いつでも助けになろう―――」

 

 そう別れを告げると、オレ達から少し離れ、耳に取り付けていた改造結晶を発動させた。

 光の柱に包まれると、何処かへ転移していった。

 

 

 

「…………あッ!? 聞き出すの忘れた」

 

 上手いこと流されてしまった……。後の祭りだ。

 アスナ共々、頭を抱えさせられた。

 

 

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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64階層/はじまりの街 偽装

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 グリゼルダさんのお墓から【マーテン】へと戻る。ヨルコさんと合流する。

 現在はまだ深夜、大部分のプレイヤーは寝静まっているはず。ヨルコさんも例外ではないだろう。相手は会ったばかり/友人を亡くしたばかりの女性でもあるので、少なくとも朝にするのがマナーだろう。

 だけど、護衛対象が増えた。シュミットも放ってくことはできない、一箇所に集めておいたほうが不測の事態に対処しやすい。……それにもう、オレ達自身も対象だろう。

 

 幸いなことにダンジョンではないので、ヨルコさんへと《緊急メッセージ》を送った。

 通常メッセージとは違い、着信通知は視界だけでなく鼓膜にも伝達される。浅い眠りなら起こしてくれる仕組みだ。【絆度】が高ければ、首筋皮膚へのバイブレーションも行ってくれる/24時間で一回でもないが、出会ったばかりの《フレンド》ではコレが限界。……あまり褒められたことではないが、危急とのことでアスナも見逃してくれた。

 返事を待っている間に、移動した。【ラーベルグ】の街へと移動する―――

 寸前、気づいた。……気づかざるを得なかった。

 

「……アスナ。馬3匹、連れてきたりは……してないよな?」

 

 ふらつく体で/情けない声で、一縷の望みで尋ねた。……ここが19階層だったことを忘れていた。

 

「キリト君が乗ってきた馬は?」

「乗り捨て用だよ。もう帰ったはず」

 

 《帰還の秘薬》でも使えばいいのだが、敵が転移門前で待ち伏せしていたら奇襲に遭う。レッドが相手では圏内だろうと安全ではない、事実シュミットは見事に誘拐され串刺しにされた。

 かと言って、ここまでなりふり構わず急いで来てくれたはず。そんな余裕などない。望み薄だが……

 

「兄さんが乗ってきた馬は残ってるけど、それだと―――」

「俺は【騎乗】そこそこ鍛えてるから、一人でも平気だ」

「……他人の名義の馬だけど、大丈夫?」

「問題ない。荒っぽいことをするわけじゃないならな」

 

 シュミットの答えに、オレの方が驚いてしまった。……さすがは【軍】の派遣部隊、【騎乗】を鍛えられるだけのお金と手間をかけられる。

 だとすると、ちょっと嫌な/恥ずかしい事実が浮かびあがってしまう。

 

「それじゃ、キリト君は私と《相乗り》ね」

「……アスナも【騎乗】鍛えてたんだ?」

「そこそこね。前線じゃ全く使えないレベルだけど」

 

 強敵が蠢いている前線のフィールドでは、《騎乗戦闘》や《竜騎兵》/騎獣に乗りながらの攻撃ソードスキルができるだけでも足りない。騎獣用の装備を整え、敵の威嚇や攻撃にも怯まない強さを身につけさせなければならない。自分ともう一人分の負担を背負わなければならない。使いこなせれば頼もしいことこの上ないが、己だけに集中した方がレベリングの効率はいい。……攻略組の大半は、後者を選んでいる。

 思わず難しい顔をしてしまったが、致し方ない。ここには知り合いなどいないはずだし、背に腹は代えられない。

 気づかれないよう小さくため息をつくと、アスナが乗ってきた馬に相乗りさせてもらった。

 

 

 

 

 

 行きとは違って急ぐことはなく。かと言ってのんびりするわけでもなく、【ラーベルグ】までたどり着いた。

 

 圏内に入ると、すぐさま降りた。あまりアスナと近すぎるのは心臓に悪い。……それに何より、必然的に触れなければならない状況から逃げたかった。

 内心動揺しまくっているオレと違い、アスナは全く意に返していないとばかり、颯爽と下馬した。シュミットも後ろで続く。

 チラリともう一度確認してみるも、彼女の横顔には全く揺れが/赤面なんてモノは見えなかった。何もなかったかのようにトコトコ歩くだけ。……さすがは【血盟騎士団】の副団長様/攻略の鬼、状況をわきまえて完全に切り替えられるのか。

 感心しながら、後に続いた。 

 

 

 

 【転移門】の前の広場にたどり着くと、周囲を警戒。【索敵】で不審な奴や動きがないか探る。……【隠蔽】や隠れんぼの達人相手なら晦まされてしまうが、そこまで身を削った相手なら不意打ちでも怖くない。

 調べた結果は……オールグリーン。杞憂だった。

 そのまま、転移門をくぐろうとする時、もう一つ確かめないといけないことを思い出した。

 

「悪い。【はじまりの街】に寄っていいか? いちおう、ジョニーのことを確認しておきたいんだ」

 

 おそらく生きているだろうが、自分の目で確認したい……。オレの提案に、アスナは了承してくれたが、シュミットが尋ねてきた。

 

「別にいいが……奴の本名はわかってるのか? 【ジョニー】は偽名だろ?」

「いや、本名だ。奴は改名なんてしてない。【生命の碑】は死亡理由について何もかも記録してるからな、殺し過ぎたアイツはどうしたってわかる」

 

 直接のPKは、碑文にハッキリと残ってしまう……。罪は明らかなのに白昼堂々としている、捕まえられないでいる。……虚しい世の中だ。

 オレの説明に納得してくれると、みなで【はじまりの街】へと転移した。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 困ったことになった。

 

(どうしようぉ……)

 

 『閃光』のアスナから貸してもらった二人の傭兵に、ガッチリ守られている現在。安全ではあるのだろうが、身動きがとれない。

 彼らはしっかり自分の仕事をこなしているだけ、何の落ち度もない……。周囲を警戒しながらも、護衛対象である私にはソレを気づかせないよう配慮もしてくれている。プロフェッショナルだけでなく社交性も備わっている。……NPCとは言え、申し訳無さ過ぎてまともに顔を見れない。

 

 一人は、いつもムッスリ顔で無口な両手斧使いの《ハイランダー》の山男/通常人よりも一回り体格が大きく肌の色合いも赤味が強い。もう一人は、気さくに話しかけてくれる狩人風のエルフの紳士。【血盟騎士団】が抱えている有名な傭兵達だ。

 見たことのない/どこのクエストで手に入れられるのかすらわからないキャラ達だったが、一流と感じさせるに足る風格を持ち合わせていた。レベルや装備的にも、二回りは上回られているとわかった。何より、外見と力量とが合致しているからわかりやすい。……プレイヤーではこうはいかない。

 頼りがいがあるボディーガード達だ。さして美人でも強くもお金持ちでもなく/ただのいちプレイヤーでしかない自分が、VIPになったような気分にさせてくれる。……ただし、どちらも熟成された大人の男の魅力ムンムンだと、私がここに居ていいのか不安になってしまうが。

 しかし今、そのような特別扱いはいらなかった。

 

(カインズ、無事かなぁ……)

 

 まだ連絡が取れていない。迂闊には、メニュー画面を展開できない。

 着信通知だけでも分かればいい。だが、それすら来ない。折を見て合流しようとした際、私の危機的な状況を察したのかもしれない。良い判断だけど、不安で仕方がない、これからどうすればいいのか/本当に続けるべきなのかもわからない、修正は各自臨機応変にするしかないだろう。……是非ともこのまま続行したいが、意思疎通できないのは苦しすぎる。

 何かあったのかもしれない……。私に起こったような『不慮の事故』が、彼にも起きたのかもしれない。そうなれば、さすがに計画は全て水の泡だ、玉砕覚悟で真正面から突貫する以外なくなる。

 

(……はぁ。あの人たちが関わらなければ、上手く行く予定だったのになぁ)

 

 この日のために用意していた計画だ。頑張って練り上げた計画だった。半年前の事件の真相を明らかにするには、このチャンス/タイミングを逃せない。なのに実際は……この通りだった。これほど過剰に反応されるとは想定外だった。出鼻からくじかれてしまった。

 気づかれないよう、深くため息をついた。それでも、どうすれば計画を完遂できるか、頭を動かし続けた。

 

 有効そうな打開策が見つからず、落ち込んでいると―――着信がきた。視界に通知が映る。

 

(―――カインズからだ!)

 

 求めていた共犯者/恋人からの連絡。思わず目を輝かせてしまった。

 

「……どうしました、お嬢さん?」

「え!? ……あ!

 えぇと、そのぉ……友人からの《遠話》です」

 

 目ざとくも変化を察せられて慌てるも、無難な対応を返せた。……変な嘘などつく必要はないはず。

 プレイヤー同士では通信で通じるが、NPC/このゲームの住人達には《遠話》と言い直している。太古の昔に忘れ去れられた技術/今ではごく限られた者にしか使えないが、現実の電話と同じような機能を可能にする魔導具と呪いが存在するためだ。プレイヤーは誰でも指に嵌めている《幻書の指輪》、ソレに搭載されている機能だと。

 一年以上前/今でも低階層では驚愕されてしまうが、さすがに攻略組の傭兵達、慣れているのか「そうですか」と簡単に納得してくれた。

 

「もしかして、我らが姫騎士様から、ですかな?」

「姫騎士……? あ! 

 【アスナ】さんじゃないですよ。別の……古くからの友人です」

 

 名前は伏せてしまった……。追求されるかもと恐る恐る見上げるも、あまり踏み込んでもらいたくないプライバシーと捉えてくれた。

 エルフの紳士は「どうぞ」と促すと、注意を逸らしてくれた、無口なハイランダーも周囲に集中してくれている。……気まずいが、仕方がない。

 メニューを展開し、【音声通話】の《プライベートモード》をタップ。そして、片耳に指をあてがうと、口を動かさず声を/脳内音声で話し始めた。

 

『もしもし、カインズ? 今どこにいるの―――』

『やあ、ヨルコ』

 

 電話に出た声は別人だった。

 一瞬呆然としてしまったが、よく知っている声だった。もう一人の共犯者。だから、聞こえてもいい声だったが、今ここではない。

 

『……グリムロックさん、ですか? どうしてカインズの通話で?』

『君と通話をするには、彼経由でないと出来ないからね』

 

 そういえば、そうだった……。もうかつてとは違うんだ。

 ただの【フレンド】では、音声を添付したメールの送受信が限界だ。だけど同じ【ギルド】に所属すれば/メンバー同士なら、リアルタイムの音声通信ができるようになる。かつてはグリムロックともできたことだったが、ギルドは解散した/ここ数ヶ月【フレンド】まで絶っていた。……過ぎてしまった年月が思い出され、やるせ無さがにじんでくる。

 

『計画を少し変更したい。直接会って話したいんだが、いいかな?』

 

 温和ながらも有無も言わさぬ提案。

 驚かされた。こんな人だったかなと首を傾げるも、この計画の大部分を練り上げた人でもある。頼もしそうなのは良いことだ、特に計画が破綻しそうな現状では。……少しだけ、カインズにも見習って欲しい。

 

『……カインズはどうしてるんですか?』

『私の隠れ家にいる。君の周囲にピッタリ張り付いている奴らを見て焦ってたよ。

 彼らには聞かれたくない。ので、どうにかして巻いてもらいたいだが、できそうかな?』

『…………難しい、です』

 

 ハッキリ言えば無理だ。追跡者を巻くなど、映画かゲームの中でしか知らない。……ここはゲームの中だけど、ほとんど現実と変わらない。

 それに、傭兵NPCとは言え、おそらく私よりも総合ステータスは強いはず。強引な手段に出れば雇い主にも伝わってしまう。……打つ手なしだ。

 

『OK。ならば、コレを―――使うといい』

 

 隙を見て使ってくれ……。そう言うと、《ギフト》通知が表れた。カインズ経由で何らかのアイテムが渡される。

 私とカインズの【親密度】はかなり深い(MAXまであと少しほど)。なので、おそらく遠方かつ別フロアにいる相手とだろうと、メニュー間同士だけで《トレード》を済ませること/アイテムやお金の受授ができる。今回のような相手側からのみの送信/《ギフト》でも同じだ。ただし受け取ったとしても、実際にオブジェクト化したり使えるのは、速くて三分/遅くて三日後だ。プレイヤーのレベルや【親密度】・モノの相場などで決まってくる。

 《ギフト》をタップ、渡されたアイテムを確認してみると―――目を丸くした。

 

『コレは……何ですか?』

『高レベルの睡眠薬だよ。

 無味無臭で、水にまぜてもすぐに溶けて無色になってくれる。三滴ほどで攻略組も【睡眠】にさせられる。ただ、効果が出るのは早くても3分ほど経ってからだ』

『ほ、本当ですか!? そんな代物とはとても……』

『今はまだ、ただの《混ぜ薬》でしかない。けど、ストレージから取り出せる頃にはそうなっているはずだ』

 

 またまた驚かされた。まさかそんな裏ワザを使ってくるなんて……。

 私のレベルでは、高レベルの睡眠薬など半日はかかってしまう。それでは玉砕コースだ。しかしコレは、わずか5分足らずだ。最低レベルの回復ポーションと同じ扱いを受けている。あえて【識別不能】でラッピングする/ガラクタだと貶すことによって、システムの関門を誤魔化した。

 どうしてこんなアイテムを持っている? 凄腕の調合師の知り合いでもいるの? ……聞きたいことは山々だったが、

 

『気をつけて使ってくれ。……間違っても、君自身で試さないでくれよ』

『やりませんよ、そんなこと。グリムロックさんを信じます』

 

 全て後回しでいいだろう。気にはなるが、この状況を打破すのが先決だ。……コレは間違いなく私の求めていたモノだ。

 

『それじゃ、健闘を祈る。カインズ共々待ってるよ』

 

 簡潔に激励してくると、通話を切った。

 

 改めて一人になると、ゴクリとつばを飲んだ。そして、まだ耳に手を当てたまま/音声通話の最中のフリのままチラリ、護衛達を見た。

 歴戦の戦士たる風格と、油断なく警戒を行き届かせている眼差し。どんな不意打ちがあろうとも/モンスターが襲ってこようとも耐え切り、逆に返り討ちにしてしまう自信がみなぎっていた。……私の付け入る隙など、どこにも無い気がする。それ以上に、この企みまで看破されている気までして怖くなる。

 だけど、やるしかない。

 

(今日で、全ての決着をつける!)

 

 かつての【黄金林檎】の/グリゼルダさんのために―――。

 意を決すると、弱気を叩き出すように―――パチン、自分で頬を張った。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 【転移門】を通り抜く、再び【生命の碑】の前にきた。

 ジョニーの名前を確かめる―――

 

「……やっぱり、死んでないな」

 

 ジョニー・ブラックは生きていた。奴の名前には何の変化も起きていない。……わかっていたことだが、顔をしかめざるを得ない。

 

「本当に、どうやったのかしら? NPCを乗っ取るなんて……」

 

 未知への怖れと、それ以上の怒りで厳しい表情をにじませながら言った。

 確かに、どうやったのか気になる。たまたまジョニーと全く同じ性格/同じ技能を持っていたNPCだった、あるいは熱心なモノマネなわけではない。ジョニーそのものだった。本来与えられていた人格を消し去り、ジョニーを流し込んだかのような所業。洗脳では生ぬるい、憑依か遠隔操縦というしかない。……おぞましいだけでなく、オカルトじみている。

 直前までつけていたあの仮面に、何かヒントがありそうだが……調べようがない。注意を払うだけしかできそうにない。ただ、コウイチとは違いオレ達は、この情報を広めても何の問題もない。

 

「なぁシュミット、お前【鑑定】鍛えてたりするか?」

「……なぜだ?」

「碑文の《人物相関図》を見たいんだよ。読めたりできる?」

 

 【鑑定】を使いこなせれば、この【生命の碑】を見るだけでPKの犯人が誰か一発でわかる。場所も何フロアかだけでなく、街やダンジョン名はては座標までピンポイントでわかる。情報の質が高くなり、捜査も簡単になる。……迅速かつできるだけ秘密裏に解決することにこだわらなかったら、ここで事件は解決できたかもしれない。

 カインズが直接PKで殺されたのなら、ジョニーが殺したことになる。ここで確認しておきたい……。その意図を察してくれたのか、少し悩まれるも話してくれた。

 

「スキルは鍛えてないが、代用品がある」

「本当? 《相関図》を読めるとなると、相当な【鑑定】レベルが必要なはずだけど……」

「もしかして、《識別の解晶石》か!?」

 

 最高レベルの【鑑定】を発現させることができる結晶アイテム。ストレージに収まっている全《識別不能》や誤魔化しを一括で/他人名義の建物の記録すらも解読してしまえる、最高の暴露アイテムだ。通常【鑑定】や【索敵】などの情報検索ツールは、【偽造】や【隠蔽】などの暗号処置よりも弱い、追いかける側よりも逃げる側の方が有利に設定されている。疑り深くなれば、どうしても偽物の疑惑を拭いとれない。しかしこの結晶は、ソレを唯一解消してくれる。……ただし一回限り。それも/ゆえにか、ドロップでしか手に入らない。

 超激レアなアイテムだ。体格の良さに似合わずケチそうなイメージを被せてしまったが、改めなければならない。

 

「いや、そんなご大層なものじゃない。【軍】が抱えている鑑定士に書き写させたモノを見るだけだ。ギルドの共有ライブラリに保存してあるから、専用のアイテムを持っているメンバーなら誰でも見られる」

 

 説明されると、別の驚きがあった。思わずアスナと顔を見合わせた。……【軍】の奴ら、そんな記録作業までしてたのか。

 確かに、信頼できる高レベルの鑑定士が情報を公開してくれたのなら、自分で【鑑定】を鍛える必要性はほとんどない。密な連携を取れなかったり、互いに自分の情報を秘匿する習慣、騙されたほうが悪い/無知は罪であるとの状況を是とした結果、生まれるものだ。……効率を重視していたはずなのに、全くもって非効率極まりない。【軍】のスゴイところだ。

 

「書面としてか? それだと、探すのがかなり面倒そうなんだけど」

「安心しろ。拡張現実っぽく碑文の上に貼り付けてある。この―――レンズ越しで見れば、わかる」

 

 そう言って、シュミットがストレージの奥から取り出したのは、手のひら大の透明なレンズ。摘めるほどの取っ手が付いているので虫眼鏡だろうか。プレイヤーメイドの《鑑定レンズ》だ。既製品とほぼ変わらないが、取っ手の対角線上に縫い針程度のアンテナらしきものが取り付けられているのが違う。

 

「昨日の事件後の状況だけど……見れるの?」

「毎日18時あたりが観測時で、翌日のちょうど0時に更新されてる。担当している鑑定士の観測結果も含めてな」

 

 このレンズで見れるのは、鑑定士たちが互の観測結果をすり合わせて編集した、現状最高レベルの【鑑定】結果。ただ、ライブラリには一次情報が保管されている。

 カインズのことも載っているはずだ……。頼もしすぎて、感心するしかない。

 

「使わせてもらっていいか?」

 

 助けてやった対価として……。暗にそう含ませてねだると、渋い顔を見せるが、

 

「……誰にも言うなよ」

「もちろん」

 

 いい笑顔で答えた。……オレは約束を守る男だよ。

 アスナも見せて欲しそうな顔を向けてくるも、ぐっと自制していた。彼女の頑張りを無駄にしないように無視して、ウキウキ気分で覗き込んだ。

 

「おぉ! すげぇ……確かに見える。よく作ったもんだ!」

 

 レンズから見える映像は、碑文に刻まれた全プレイヤーの名前がほんの少し前方の空中に浮かんでいる。基本設定なのか、誰がどのギルドに所属してるか、糸で繋がり網目状になっている/ギルド別に色分けもされている。まるで、もう一つアクリル板の碑文があるかのような錯覚を覚える。

 一人の名前に焦点を合わせると、ギルドの網目は消え他のプレイヤー名が薄くなった。代わりに、明細情報の網目へと変貌した。死人となったプレイヤーの情報も見ることができ、死亡原因がPKの場合は、殺人犯へと糸が伸びている。

 

 試しに/確かめたいこともあって、Sの行にいる少女を調べた。【軍】がどれほど把握しているのか探る。

 結果は―――安堵。ちゃんと【偽造】されていた。【軍】の鑑定士よりも高いレベルの偽装処置が施されていた、さすが天下の【聖騎士連合】だ。……これなら、次の66階層まで持ちそうだ。

 ほっと一息つくと、注意されないうちにKの行へと目を向けた。

 

「おい、他所見するな! 【カインズ】はそっちじゃないぞ」

「? 失敬な、ちゃんと調べてるよ」

「本当か? 【カインズ】はCの行だぞ」

 

 ジト目とともに指摘された言葉に、目を丸くしてしまった。

 オレの困惑を、アスナが代弁してくれた。

 

「……Kの行じゃないの?」

「? アイツの綴りはCから始まってるはずだが?」

 

 綴り違い……。呆れてしまう、気付かなかった。

 首をかしげるシュミットを他所に、改めてCの【カインズ】を探すも―――

 

「……コレ、壊れてたりしてないよな?」

「ストレージに入れっぱなしの無機物が、壊れる訳無いだろ」

「碑文に刻まれてる文章と、このレンズの映像が一致しないのにか?」

 

 今度はオレからの指摘に、シュミットが困惑顔をみせてきた。

 レンズを帰し確認させてみると、

 

「……どうなってるんだ? PKされたはずなのに、相手が映っていない……」

「システムが間違えた、わけはないよな」

 

 何か仕掛けがある……。アスナにもCの【カインズ】の現状を見せると、驚き顔を浮かべていた。

 

 考え込むと途端、気づいた。

 その直感のまま、おもむろに愛剣を抜くと、伸ばした鋒で【カインズ】の上を小突いた。カリカリともしてみる。

 すると―――ビリぃ、破れた。硬い黒曜石に刻まれていたはずの文字が歪みペロリ、剥がれる。

 

「「なッ!?」」

 

 アスナとシュミットが同時に驚愕した。

 剥がれた何かは、そのままポロリ、石碑に貼り付いていられずに落ちた。

 地面に落ちたモノを拾い上げると、苦笑した。

 

「……シールを貼っただけ、か」

 

 こんな単純な仕掛けに気付かなかったなんて……。お粗末な偽装処置だ、なんて子供だましに引っかかったんだ。

 いや、逆だろうか。墓標ではあるが公共物でもある石碑を、わざわざ触ろとするプレイヤーなんていない。システムが絶対とも保証しているので【鑑定】を使うことも稀。見た目さえ同じ模様に仕立てればごまかせてしまえる。【偽造】のコストすら払わずに、あからさまに嘘を通してみせた。

 犯罪者たちの飽くなき挑戦に、大きくため息をつくと、改めて確認した。レンズ越しでなくてもわかる。

 そこには、【カインズ】の正体があった。

 

「……カインズさん、死んでないらしいぞ」

 

 暴かれた正体に、シュミットはあんぐりとしていた。

 形は全く違えど、死んだはずのプレイヤーが生きていた。殺人など起こってはいない、まして圏内PKなども、さらには事件ですらなかったのかもしれない。……オレ達の一人相撲でしかなかった。

 

「こりゃ是非とも、ヨルコさんに話を聞かないとならないな」

「……そうね」

 

 互いに、頭を抱えそうになるのをグッとこらえながら、難しい顔を浮かべた。

 彼女も被害者なのか、それとも嘘つきだったのか? 何を隠したくてうそをついたのか、何を企んでいるのか? ……決めつけるのは速い。明らかにしなければならないことは、まだ残っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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64階層/マーテン 疑惑

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「本当に、ごめんなさい」

 

 【睡眠】に落とされた護衛二人に向かって、謝っていた。

 

 

 

 

 

「―――よろしかったら、どうぞ」

 

 休憩を兼ねて……。内心バクバクさせながら、差し出した紅茶。ちょうどこだわって色々な種類を集めていたこともあって、唐突感は少ないはずだ。

 私が淹れた紅茶を、護衛たちは快く受け取ってくれた。……グリムロックから渡された薬を混ぜた紅茶を。

 

 効果が出るまでの数分間、バレたらどうしようか冷や汗を流しっぱなしだった。

 そして唐突に、失敗したと気づかされた。慌ててしまう。

 効果が出るのが別々だったら、どうやって誤魔化せばいいんだろうか? ……【免疫力】の値を把握し忘れた。敵の襲来など無いのだから、間違いなく私の紅茶が原因だったと悟られてしまう。

 

(どうしようどうしよう!? 何か、上手な言い訳を考えないと―――)

 

 刻一刻と過ぎる時間、本当なら早く来て欲しいゴールが、時限爆弾のスイッチになってしまった。泣きそうになりながらも、必死に頭を回転させ続ける―――

 しかし……何の知恵も湧かず、ただ焦っただけだった。

 何事も起きないよう祈りながら、その瞬間を迎えた。

 

 ―――ドタリ……。

 

 二人はほぼ同時にウツラウツラし始め、床に倒れた。寝息もたて始める。

 

 杞憂だったことにホッと、安堵の吐息をこぼした。そして恐る恐る、確認する。

 本当に【睡眠】になっているのかどうか……。そぉっと近づいて覗く/HPバーを見る。

 

 狸寝入りでもなく、浅い眠りでもなかった。

 だらりと指先まで弛緩してしまった手、ぶつけた拍子にひっくり返したままのカップ、決定的なのは頭上に表示されている「zzz…」のアイコンだ。

 まだ傭兵になってくれる前の名残。プレイヤーとは違い、NPCにかかっているバフや状態異常のアイコンは、HPバーだけでなく頭上にもわかりやすく表示される。クエストの最中共に戦ってくれることはあるが、ちゃんとパーティーを組んでくれることは稀、ある程度【鑑定】を鍛えてるか看破アイテムを装備していないとわからない。なのでか/救済処置としてか、頭上に表示される。

 

 緊張が一気に解けた。強張っていた肩の力が緩む……

 すると突然、着信通知がきた。

 

「ひゃッ!?」

 

 心臓が跳ね上がった、思わず悲鳴を上げてしまった。すぐに口を手で押さえる。

 そぉっと確認すると……護衛たちは熟睡しているのか、起きる様子はない。

 

 また安堵を/音が出ないようゆっくり長くこぼすと、不意打ちの通知を確認した。

 通知者は……【カインズ】からだ。おそらくはグリムロックさんからだろう。

 何でこのタイミングで通信してくるのよぉ……。不満を押さえながらも、通話ボタンをクリックした。

 すると、挨拶する前に相手側から喋ってきた。

 

『―――護衛を眠らせることはできたか、ヨルコ?』

 

 確認の電話!? ……驚いた。

 

「……はい」

『そうか。よくやった』

「どうして今だと、わかったんですか?」

『君のアイテムストレージと身体情報を見させてもらっているからね。時間的にちょうどいいのではないかと思ってだ』

「……えぇ!? 

 な、なんでそんなことでき―――」

『君とカインズの【親密度】なら、そのぐらいはできて当然だろ?』

 

 一瞬ポカーンとなるも、すぐに気づかされた。顔を赤らめる。

 

(な、なッ!? 何でそこまで知られてるのよぉ!)

 

 カインズのバカ! いくらグリムロックさん相手とは言え、私に一言断ってからでしょうが……。ソレができない状況ではあるが、ソレとコレとは別の大問題だ。今後の二人の関係に大きく関わってくる。

 無言で非難を訴えるも、伝わらず、代わりに別の指示が飛んできた。

 

『それでは、すぐに移動してくれ。このフロアの座標まで―――』

 

 説明される最中、別の着信音が遮ってきた。視覚野だけでなく、鼓膜まで震わされる。

 この感覚は……《緊急メッセージ》だ。誰かが急ぎの用件を叩き込んできた。

 グリムロックにもソレが伝わったのか、指示を中断した、通信越しながらも緊迫感が伝わってくる。

 このタイミングで、いったい誰が……。二度目なので衝撃は少なかったが、嫌な予感に冷や汗を感じた。誰からなのか確かめる―――

 確認するとゴクリ、息を飲んだ。あの人たちからだ……。

 

(……ま、まさかバレたの!?)

 

 差出人の名前/【キリト】。私たちをここまで追い詰めている張本人から……。もう気づかれてしまったの?

 メールの中身まで見れず、ただブルブルと、恐慌を抑えるのが精一杯だった。

 

『その様子だと……彼らからか?』

「…………はい」

『何と書かれていた?』

 

 通信越しながらも冷静な声音に、こちらも少しばかり落ち着きを取り戻せた。

 おそるおそるも……読んでみた。

 

 (夜分遅くにすまない。

 至急、尋ねたいことがあるので、【マーテン】の教会まで来てくれ)

 

「……至急、聞きたいことがある。だそうです」

 

 バレたんだ―――。もうダメだ、絶望に染まる。

 しかし、グリムロックは冷静だった。

 

『ふむ……。わざわざメッセージを送ってきた、ということならば……まだバレてはいないな。護衛の状況も伝わっていない』

「……そう、なんですか?」

『もしもバレていたのなら、メッセージなど送らず直接会いに来るはずだからね』

 

 脅しなど無意味なことはしない。護衛たちに何かあったと伝わっていたとしても、共犯者だったとは繋げられない。犯人に攫われたか、護衛が守りきれなかったと考えるはず……。確信に満ちた言葉遣いに、まだ安全なんだと安堵できた。

 こちらが落ち着きを取り戻したのを見計らい、今度は対応策を伝えてくれた。

 

『返事は、簡潔に『わかりました』とだけ送ればいい。後はそのまま、コチラと合流してくれ』

「いいんですか? ココの状況を見たら、バレてしまうんじゃ……」

『問題ない。証拠など何処にもないから、捕まらなければ共犯者だと断定することはできない。君が扉の鍵を閉めれば、中に入って確かめることもできない』

 

 他人のホームの《鍵開け》はできないことはないが、かなり難しいはず。プロの錠前師ならやれてしまう。だけど、時間をかけたり/人に目撃されたり/警報に引っかかってしまったりでもしたら、プレイヤーカーソルは犯罪者色になってしまう。リスクが高すぎるので、ほぼ誰もやらない/引き受けない。

 残念ながら裏の世界のことは、一般人に毛が生えた程度の知識しかない。それでもやってみせる錠前師や別の方法があるのかもしれない。だけどもしそうなら、もはやどうにもならない、正直に玉砕するしかない。

 

「……わかりました。すぐにそちらに向かいます」

『万が一、鉢合わせるとマズイので、【転移門】は使わず結晶で飛んでくれ。

 あと念のため、護衛たちの鼻先か胸元あたりに、残った睡眠薬をこぼしておいてくれ。効果時間が延びる。……叩かれでもしなければ、丸一日は熟睡状態だ』

 

 頷くと、通信を切った。

 すぐさま、指示された通りに処置した。睡眠薬の残りをたらす。

 

 処置を終えると、ホームから出ていった。

 そして、振り返り扉を閉める間際、

 

「―――本当に、ごめんなさい」

 

 小さく、眠らせてしまった護衛に詫びるとガチャリ、扉の鍵を閉めた。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 【はじまりの街】から【マーテン】に戻ってきた。それぞれに抱えている疑惑を解消するために……

 

 ヨルコさんのホームへと突撃する、のもありだった。

 もはやただの被害者とも言い切れなくなった。共犯者とは言い切れないが被疑者ではある、呼び出しでは前者だった場合、後手に回ってしまう。……そして何より、こんな夜更けに女性宅へ押しかけることを、アスナが渋ったからだ。

 何を悠長なことを、と思わなくはないが、押し切るには少々色々ありすぎた。ここらで一息つきたかった。オレはもう少し大丈夫そうだが、シュミットはガス抜きしないと危ない。……死線に遭遇した反動は、すぐに露わになることがない。ジワジワと気づけない奥底で蝕み続け、何かの拍子で一気に噴出する。必ず、とてつもないミスをやらかしてしまう。

 かと言って、当然のことながら反対派のシュミット。前線で戦っているプレイヤーは大概、強がって/ヤセ我慢をして/弱音を吐かない。……わかっていたことだが顔をしかめてしまう、まるで自分の歪んだ鏡像を見せられているかのようで。

 説明すればますます頑なに突っ走りそうだったので、『恩人』の強権で決定。事件の発端たる教会にて、洗いざらい話してもらうことにした。

 しかし―――

 

「―――遅い! もう時間は過ぎてるぞ」

 

 何やってるんだアイツは……。待ち合わせ時間が過ぎて、イライラを募らせていた。鉄巨人めいた巨体でカチャカチャ、夜の教会を歩き回る。……他に信者か修道女か神父NPCがいたら、さぞ礼拝の迷惑になっていたことだろう。

 大半の建物や店が閉じられている中、数少ない開いている場所だ。誰でも/いつでも/無料で泊まれる宿泊場として、扉が閉められることがない。いちおう、表の礼拝堂へ直結する大門は閉められているが、脇にある裏門は空いたまま。……ヨルコさんに伝え忘れてしまったが、今日まで生き延びてきたプレイヤーだ、教会の在り方は心得ているだろう。

 

「この時間帯だから……。もう少し待ちましょう」

 

 アスナが宥めるも、シュミットの焦る気持ちは収められなかった。文句こそ言わないが、イライラを撒き散らすことをやめない。

 小さく溜息をついた。判断を間違えたかもしれない。……ガス抜きさせるよりも、突撃訪問した方が良かったのかも。

 今さら言っても仕方がないことに悩まされていると、アスナがそっと近づき、尋ねてきた。

 

「……どう思う、キリト君?」

「もう少し落ち着いた方がいいと思う。戦いでは、動じないことが彼の仕事だろうし」

「シュミットさんじゃなくて、ヨルコさんよ。……やっぱり共犯者だったのかな?」

 

 疑いたくないけど、疑わざるを得ない……。

 驚いた。彼女ですらそう考えていたのか……。

 

「護衛たちに話は聞ける?」

「彼らの実力なら安心だと思って、通信用の無線機渡してなかったの。ヨルコさん経由で知らせればいいとも思って……」

「それじゃ、コチラからは連絡できない?」

「……ごめんなさい。

 私が彼らのホストだったら、方法はあったんだけど―――」

「おいおい!? それじゃアンタら、アイツが今何してるのか把握してないのか?」

 

 耳ざとく聞こえていたのか、シュミットが非難とともに割り込んできた。……無遠慮な声音にアスナ共々顔をしかめた。

 なので、無視しながら続けた。

 

「そうだな……。オレも《トレーサー》付けるの忘れてたし、お互い爪が甘かったな」

「まさかこんなことになるなんてね……。認めるわ、油断してた」

 

 あなたの過剰反応、間違いじゃなかった……。ソレは上々だ。彼女が認めてくれれば、今後すごく楽になる。……ほんの少しであろうとも。

 互いに反省し終わると、次へと切り替えた。

 

「アスナ、今度は君から《緊急メッセージ》を送ってくれないか? ソレで返事が変なものだったら、送信元まで行こう」

「アドレス調べられるの?」

「暗号か欺瞞処置が施されてなかったらな。……彼女のホームにはソレらしいアイテムか設備はなかったし、一流の偽造師じゃないはずだ」

「……わかった」

 

 了承すると、すぐにメニューを展開しメッセージを打ち始めた。

 その間/ようやく、おいてけぼりにしていたシュミットへと振り返った。

 

「もしもヨルコさんが共犯者だった、としてだ。その動機がオレには、何となくわかりそうなんだが……お前はどうだ?」

 

 もちろん、わかっているよな……。突然問われて呆然とするも、すぐに察して、顔をしかめた。睨み付けてもくる。

 マナー違反になるプライベート領域、他人が土足で踏み入れば怪我をする。しかしそんな常識はもう破られていた、シュミットはもうオレ達を他人だと突っぱねられない。……残念ながら、オレ達もそうなっている。

 なので、さらに踏み込んだ/明らかにえぐっていく。

 

「お前の半年間あまりのツケに、オレ達は付き合わされる形になる。場合によっては、お前を弁護しなければならなくなる。……覚悟はできてるんだよな?」

 

 曖昧にはできない、その場限りの言い訳ではやり過ごせない。何らかのハッキリした答えにならなきゃならない……。死線がえぐり出した恥と罪悪感を、もう一度露わにさせた。

 シュミットの罪/ヨルコさんの動機、ギルドの崩壊/グリゼルダさんの死。半年間も逃げ続けた裏切りへの報復は、まだ完遂されていない。……部外者でしかないオレは、冷徹に接するべきだろう。

 ギリィと、奥歯を噛み締める音を滲ませると、腹の底から搾り出すように答えた。

 

「……何か寄越せ、てことか?」

「そうじゃない、ソレはもう決まっている。

 オレが言いたいのは、ちゃんと決着させることができるのか、てことだよ。この事についてオレ達は、脇役ですらない裏方だ、主役はお前なんだから」

 

 ちゃんと終わらせられるかどうかは、お前の手腕にかかってる……。おそらくその責任は、長く続くことになるだろうが、意義ある重荷だ。逃げ続けた今までよりも、ずっと良いはず、何よりスッキリするはずだ。

 今のうちに自分の気持ちと向き合って、固めてろ、できれば言葉も用意して。イラついている暇があるのならな……。続けてそう諌言やろうかとしたら、さすがに察したのか。決まりの悪そうな顔を浮かべると、そっぽを向いた。

 

「そんなのは……言われなくてもわかってるさ!」

 

 なら、いいんだ……。ハッキリ宣言した以上、最悪な結末は起きないだろう。それ以上は何も言わず、任せることにした。

 レッド達が絡んできた以上、グダグダと流されるのが一番まずい。最悪、関係者全員を破滅させてくる。被害を最小限に抑えられるのは、シュミットの勇気だけだ。……とりあえず/今のところは、問題ないだろう。

 

 話を終えると、ちょうどアスナから、

 

「―――返信きたわ」

 

 その答えは少し想定外だったが、眉をしかめている様子から察せられた。見させてもらうと……さらに納得できた。

 アスナが書いたであろう文章が、そのまま返信されていた。

 《緊急メッセージ》の特徴その2。一定時間経過後までに返信されないと、返信されなかった事実が伝えられる/自動返信メールが送られる。そこには、既読か未読かの情報も載せられる。緊急時に使うモノのため、文書を打ち込めない状況が想定されている。……今回、アスナに帰ってきたメールは既読状態。

 考えられるのは一つだ。……誘拐されたり監禁されていたら、既読すらできない。

 

「……決まりだな。

 メールが送信された場所まで行こう」

 

 おそらくは、彼女のホームじゃない。何処かへ移動中だろう……。十中八九、カインズさんとの合流だな。あるいはグリムロックか、その両方かもしれない。

 護衛達がどうなったのか/どうやって振り切ったのか? 気になるところだが、まずは行き先を把握しなければならない。二手に別れれば各個撃破の怖れがあるので、どちらか一つしか選べない。……人手が足りない。

 

「……ヨルコのホームは、知り合いの『徴税官』に確認させる。奴らなら、閉めきられた他人のホームであっても、中の覗き見ぐらいはできるからな」

 

 シュミットの提案にオレは頷いた。こういう時、大組織/【軍】は頼りになるな……。

 しかしアスナは、顔をしかめていた。

 

「それって、かなりセクハラじゃない。それも女性のホームよ? 【ハラスメントコード】には引っかかないの?」

「下層域の主だった街には、【軍】が大量の『寄付』をしてる。プレイヤーを優遇してもらうためにな。だから、通常よりも格安で建物を購入することができる。その特典としてだ」

 

 悪びれることなく説明されると、アスナともどもアポーんとしてしまった。まさか、そんなことまでしてたなんて……。【軍】は想像以上に支配圏を広げていた。

 街の中心を掴めば、そこに住んでる人々や建物全てに影響力を及ぼせる。ホームのセキュリティさえも無視できる……。【索敵】の《音波探索》か《聞き耳》だとばかり思っていたが、違った。ただの公権力……。レッド達とは違う恐ろしさだ。

 

「……それなら、任せていいか?」

 

 もちろんだと、シュミットは頷いた。同時に尋ねたアスナも、不承不承ながらも頷いてくれた。

 

 

 

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

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64階層/ラオール 生捕り

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 護衛たちを振り切りやってきたのは、44階層主街区【ラオール】

 街の中心から少し離れた入江、巨岩を鳥居の形に組み立てた転移門から外に出るとそこには、一昔前の東南アジアの島国を思わせるような、常夏のリゾート地があった。

 サンサンと降り注ぐ太陽と、キラキラとした貝殻らしきものが散りばめられている白浜、青々とした空と海がどこまで広がっている。しかし一度島の奥へ踏み込めば、様々な樹木が鬱蒼と茂っているジャングル。むせるような湿気と生命力旺盛な虫の洗礼をうける、『下層病』とは違う意味でプレイヤーに優しくない環境だ。

 密林と海が大部分を占める未開状態のフロアだが、人も街もある。バナナかヤシの木と思わしき素材で作られた円錐円筒状の家屋、海岸沿いの港町である【ラオール】の町並み。密林内部にも街はあるが、巨樹同士を吊り橋で結んだ上に建てられている。地面には凶悪なモンスターやら『蛮族』が蔓延っているので、それを避けるためだ。

 健康的に焼けた褐色肌に、麻布らしき麻白な一枚布で身を包んだ人の群れ。時には半裸状態か褌だけの人も。湿気と日差しの暑さ、海と密林の民であるためか自然と軽装にさせてるのだろう。活気は溢れているが、長閑な街だ……。

 私の現状の逼迫ぶりには、そぐわないお気楽な空気。少々面食らってしまうが、だからこそいいのかもしれないと無理やり納得させた。

 街を通り抜け、目的の地点まで行った―――。

 

 転移門とはほぼ対角線上にある、人里離れた入江の崖際。街と海を一望できるそこにあったのは、一塔の灯台、根元には増設されたと思わしき住居も。

 豪勢な別荘ではないが、オシャレな物件だ。眼下にはプライベートビーチまで広がっている。

 

(ここが、グリムロックさんのホームか……) 

 

 憧れるなぁ……。こんな場所で喫茶店を開いたら、さぞや人気が出るだろう。改築してペンションにするのもいいかもしれない。全てにカタがついたら、カインズと一緒にやってみたいなぁ……。

 ぼおっと妄想を膨らまされるも、ハッと、現状を思い出した。振り払うと、扉を開けようと手を伸ばした。

 トントン―――。ノックすると数秒後、がちゃり……扉が開かれた。

 

「―――よく無事で来てくれたね、ヨルコ」

「ヒヤヒヤしましたよ」

 

 銀縁の丸メガネをかけた柔和そうな男/グリムロックの出迎えに、思わず軽口を返した。ようやく緊張をほぐすことができた。

 

「さぁ、入ってくれ」

「カインズは中に?」

「ああ。出迎えに行かせても良かったが、安全を考慮して待機してもらった」

 

 招き入れられるがまま、グリムロックのホームに入った。

 すると、

 

「あら、またお客さんですか?」

 

 奥の部屋、おそらく居間だろう部屋から、一人の女性が現れた。

 一瞬ドキリとさせられるも、頭上を見て安堵。プレイヤーではない。それに見た目も、現実ではあまりお目にかかれなそうな美人で、何より人間種ではなかった。……色白の肌と尖った耳が、それを表している。

 

「ああ。前に同じギルドで冒険してきた仲間の一人だよ」

 

 まぁ、こんなに可愛い女の子なのに……。私を見て驚きを浮かべた。

 舐められているのかと身構えそうになるも、そうではなかった。そういう世界とは無縁の人なだけだった。ただ、グリムロックと共に暮らしているからだろう。私のような/戦士も傭兵ともみえない外見であっても、そういう世界で生活していることは理解している様子だった。……端的に言うと、よくできた若奥様だ。

 一目見ただけで、奇妙な既視感が舞い込んできた。今日が初対面なはずなのに/NPCのはずなのに、なぜか懐かしいと思えた。そして無性に、泣きたくなる気持ちにさせられた。沸き上がってくる感情にと惑わされる。

 

「……グリムロックさん? このN……女性は?」

 

 どういうわけか、言い直した、今ではもう割り切って考えれるようになったのに……。この人をNPCと言ってしまうのは、躊躇わされる。

 

「そうだった、ヨルコには初めてだったね。

 【ユウコ】て言うんだ」

「はじめまして、ヨルコさん」

 

 そう言うとニコリ、素敵な微笑みを向けてくれた。

 先に覚えた既視感が、またせり上がってきた。言葉が詰まってしまう。目尻が熱く喉が震え、抑えるのに精一杯になる。

 女性は私の混乱には気づかず、グリムロックへと口を尖らせた。

 

「もう……先に言ってくれたら、色々とご用意できたのに……」

「ゴメンごめん。彼女に来てもらうのは、明日か明後日になると思ってたんだ」

 

 仕方がないですね……。そう言ってしまうとあっさり、何とかしてみようと頭を巡らせ始めた。

 その声の調子/仕草の一つ一つに、魅入られた。漠然としていた既視感から、形と名前が浮かび上がってくる。ありえないと視覚が訴えてくるも、それ以上の/醸し出している何かが酷似していた。まるで『本人』しか見えない、外見が変わっていることに彼女自身が気づいていない/気にもしていないような……。

 侵食してくる妄想からハッと、目を覚ました。頭を振って振り払う。

 

「……お、お構いなく。長居するつもりは……ないですから」

「あら、遠慮はなさらないで。二人だけでは少し広い家なの。お客様が居てくれれば楽しいわ。それも、この人のご友人とあれば」

 

 色々と、お話を聞かせてくれると嬉しいです……。やんわりとした押しの強さ。引っ込み思案の私の苦手なタイプだったが、彼女のソレは気にならなかった。むしろ、そうしてくれることを望んでいた。引っ張ってくれる頼もしさに安心できる。やはり『彼女』なら、そうしてくれただろうから……。

 今度こそ涙が出そうになるところ、グリムロックのおかげで助かった。

 

「これから私の書斎で、彼女と話したいことがある。少し長くなると思うから、先に眠ってくれて構わないよ」

「……お夜食は用意しなくても、よろしいんですか?」

「大丈夫、客間を整えてもらうけでいいよ」

「ですが―――」

「代わりに、君の最高の朝食をお願いするよ」

 

 気取ったセリフに、ユウコは目を丸くした。

 そんな様子に耐えかね、グリムロックが恥ずかしそうに苦笑していると……クスリ、微笑で返した。

 

「わかりました。腕によりをかけて作らせてもらいます。

 それではヨルコさん、ごゆっくりしていってくださいね」

 

 そう言って、自分の部屋に戻ろうとしたユウコを、慌てて引き止めた。

 

「あ、ユウコ! 寝る前に、薬を飲むのを忘れてはいけないよ」

「……別にもう、どこも悪くはありませんよ?」

「ソレも薬のおかげだよ。またぶり返してしまったら大変だ」

 

 大げさですね……。苦笑をこぼすも「わかりました」と、安心させてくる微笑をむけた。

 

 ユウコと別れ/その懐かしげな背を見送りながら、グリムロックと二人、彼の書斎へとむかった。

 

 

 

 グリムロックの書斎に入り……パタン、扉が閉められた。

 それでようやく、【ユウコ】の衝撃が頭から抜け落ちた。冷静さが戻ってきた。

 

「あの女性は……メイドか何か、なんですか?」

「『何か』の方だよ。

 とりあえず、一息ついたらどうかな?」

 

 どうぞ。君の舌に合えばいいんだが……。部屋に備えていたポッドから、良い香りのする紅茶を差し出してきた。

 まだ困惑は晴れなくも、焦りで平静になりきれていないとは自覚できた。受け取ると、「いただきます」……グビリと飲んだ。

 

(―――結構美味しい。やっぱり、いい趣味してる)

 

 グリムロックは鍛冶屋なはずだが、『家事』の方も得意だったことを思い出した。かつて【黄金林檎】ではいつも、彼のこだわりの紅茶が楽しみだった。迷宮区やダンジョンで一夜を明かさざるを得なくなった時、随分と助けられた、メンバー同士の言い争いも鎮めてくれた。ソレがきっかけになって、今は私にもこだわりが伝染したのだ。……かつての楽しかった思い出を、忘れないためにも。

 紅茶のおかげで一息つくと、おもむろに説明してくれた。

 

「……君の目には、奇妙に映ったかな?」

「え?」

「グリセルダという妻がいながら、あんなNPCの女にいれ上げてるなんて」

 

 私の内心を読んだように、自分を抉るような言葉を出してきた。

 

「いえ、そのぉ……。非難するつもりは……無いです」

「ほほぉ、そう言ってくれるのかい?」

「それは……もう、半年も前のことですし」

 

 促されると、自分でも思ってもみなかった言葉が出てきた。

 

「グリムロックさんが一番お辛いのは、確かです。前に進もうとするのは、決して悪いことではありませんし。どう乗り越えるかは、人それぞれですから……。だから、彼女とのことも……えぇと、そのぉ―――」

「ハッハ、相変わらずヨルコは優しいな」

 

 慰めようとして、逆に慰められてしまった。上滑りした言葉だとも、見抜かれてしまった。

 恥ずかしい……。それでも鷹揚でありつづける彼に、失礼だった。

 今度こそ本音を告げた。

 

「…………ごめんなさい。少しだけ、軽蔑してます」

「だろうね。君ぐらいの年頃だと、受け入れがたいことだろう」

 

 苦笑するグリムロックに、申し訳ない気持ちが湧いてくるも/だからこそ、本心は偽れない。……やはり私は、ずっと彼女を想い続けていてもらいたかった。少くともまだ、喪に服してもらいたかった。

 まともに彼の顔を見れないでいると、口調を改め真剣に答えてきた。

 

「でも私は、彼女と出会って救われた。居てくれたことに感謝している。……妻を失って空いた穴を、埋めてくれたんだ」

 

 自分の胸に手を添えながら、まるで傷跡を撫ぜるように/今では愛おしめるように、告白してきた。……余人には、理解しがたいだろう想いを。

 聞き入って顔を上げると、グリムロックと目が合ってしまった。

 

「だから、これからもずっと、傍にいて欲しいと思ってる」

 

 真正面からの告白に、ドキリ―――胸が高鳴った。私のことでは無いのだが、まるで私に愛を告げられたかのように錯覚してしまった。顔が熱くなってしまう。

 

「……で、ですが、彼女はそのぉ―――」

「わかってる。ゲームクリアをしたら、離れざるを得ない……」

 

 一緒にいられるのは、そんなに長くないだろう……。今の調子で攻略していけば、早くて2年、遅くても3年といったところだろう。……先が分かってしまう以上、短いと言うしかないだろう。

 なんと声をかければいいのか分からず、俯いてしまうと、

 

「……でもね。一つだけ方法があるんだ、彼女とずっと一緒にいられる方法が」

 

 予想外の言葉に、思わず顔を見合わせた。

 そこには、妄想とは違う何らかの確信が見えた。

 

「そんなの……あるんですか?」

「ある人が教えてくれたんだ。微々たる可能性で、かなりのリスクもあるけど、賭けてみる価値はある。

 そのためにヨルコ、君の協力が不可欠なんだが……頼めるかな?」

 

 私が……? 手まで握ってきそうなほどの懇願に、気圧されそうになった。

 ここまで頼んできたのなら、協力するのはやぶさかではないが……。ここに来た目的を思い出した。情に流されるだけではダメだ。まずは過去の清算を済まさなければならない。

 

「……私でよければ、力を貸します」

「よかった! それじゃ―――」

「でも、先にグリセルダさんです! 彼女を殺した犯人を見つけないと」

 

 ソレが今の私とグリムロックとを繋げている、共に置き去りにした過去を取り戻すために戦うと決めた。彼は先の未来を見ているも、今の問題を解決しない限りたどり着けない。だからと言って、ここで逃げて欲しくもない。

 鈍りそうになった復讐の念を、新たに焚きつけた。目を丸くしていたグリムロックはしかし、すぐに鷹揚さへと戻った。

 

「そのことなら、安心してくれ―――」

 

 ガタン―――。急に体から力抜けた、自由が利かなくなった。目眩でクラクラする。

 何とか立ち上がろうと机をまさぐると……パリィン、カップを落としてしまった。まだ中に入っていた紅茶が床に溢れる。

 

「こ……コレ、は? 何が、どう……なって―――」

「【睡眠薬】だよ。君に渡したのと同じね」

 

 グリムロックの視線に合わせ、こぼした紅茶を見た。

 まさか、この中に仕込んで―――。私がやったように、毒を盛られた。全く気づけなかった。

 だけど、どうしてこんなことを……? 私の困惑を先取りするように、答えた。

 

 

 

「グリセルダを殺したのは、私なんだ。シュミットは何も知らない、ただ協力させただけなんだよ」

 

 

 

 一瞬、何を言っているのかわからなかった。意味がわからない、冗談としか思えない。わからないが……こんな現状だ、否定し切ることもできない。

 ただ茫然と、グリムロックを/真犯人を見上げた。納得いく説明が聞きたくて、嘘だと言って欲しくて……。

 でも、帰ってきたのは別の言葉だった。

 

「ちなみに、カインズは無事だよ、別の場所に監禁してるだけだ。彼にも、協力してもらうことになるからね」

 

 そんな……。カインズの現状よりも、初めから騙されていたことよりも、もうどうでもいいと流してしまう無慈悲さに打ちのめされた。グリムロックこそ、誰よりも/私よりも強く復讐を望んでいたと思っていたのに……真逆だった。グリセルダさんはもはや、彼の中ではどうでもいい存在になっていた。

 彼が告げたことは全て真実だと、痛感させられた。

 

「……本当に、すまない。許して欲しい」

 

 恨むなら、こんな世界に閉じ込めた『彼』にしてくれ……。そんなセリフが滲んで、聴こえてくるようだった。

 向ける言葉と視線は、私に対しての限りない謝罪で満ちていた。本当にそう想っていると/それでもやり遂げなければならないとの覚悟まで、伝わって来る。しかしそこには、やはり……グリセルダさんはいない。彼女への謝罪だけはスッポリ抜けていた。

 

 肯定する直感と証拠がないと否定しようとする理性とで、意識が混濁する。どうにかしなければと焦るも、なんのまとまりもつかず眠りに落ち続けていってしまう。

 そして最後、必死に誰に向かってか声を絞り出すも―――闇の中に落ちた。【睡眠】に陥ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

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64階層/シェオール 接敵

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 夜はまだまだ続く……。【マーテン】から一路、ヨルコさんからの自動返信メッセージの場所まで向かった。

 

 転移門を抜け別のフロアへ、44階層【ラオール】へ―――。四十段ならば、まだ下層病も軽度だ。飴玉一つ/《兵糧丸》だけでやり過ごせる。ただ、シュミットのことがあったばかりだ。どうしても神経質になってしまう。門をくぐり抜ける前に各々、《呼吸器》を装着しておいた。

 

 転移した先にあったのは、南国のリゾート地。文明化に汚されていない未開の生き生きとした美しい港町/【ラオール】、街から離れた場所に別荘でも持ちたくなる街だ。……お金さえあれば。

 一夏のヴァカンスを楽しむのにはうってつけの街。だが、オレ達にとっては苦い思い出が詰まっている。ある『ナイト様』を助けるために奔走させられたフロア、文字通り必死になって隅々まで探索した。このフロアだけは攻略組によって全てが明らかにされた、地図も全て埋め尽くした、今でもほぼ鮮明に覚えているほどに。それでも―――。

 今では懐かしさと共に思い出せる。だけど、もしもそうでなかったのなら、今どうなっていたのか……考えたくない。攻略組存亡の危機でもあった。ああなって本当に良かったと思う。

 お互いに似たような感慨に浸らされながら、懐かしい街を抜けた。目的の座標まで進む―――。

 

「―――あそこが、メールの発信地点だ」

 

 そして街の外れまで、オレが指さした先にあったのは……灯台と住居がミックスされた変わった邸宅。

 ギリギリ気づかれないだろう位置の茂みに隠れ、様子を伺う。

 

「カインズさんか、グリムロックさんのホーム……かな?」

「だとしたら、グリムロックになるな。カインズのホームは、【軍】の管理下の土地にあるから、把握できてる」

 

 ここは知らない……。シュミットの断定に、アスナと顔を見合わせた。今日何度かわからない驚きだ。

 

「……カインズさんのホーム知ってたの?」

「いや、【軍】の『不動産管理部』に問い合わせた。表の看板は偽名表記でも許しているんだが、戸籍にはしっかり本名を登録させている」

 

 それに、ヨルコがあの階層でホームを見繕っているのに、カインズがこんな上層の物件を買うわけがない……。つけ足された推察に、おもわず納得してしまった。二人が友人以上の関係であることは、もう間違いないだろう。

 

(それにしても、【軍】は戸籍管理までしてるのか……)

 

 恐ろしや……。その支配欲には、気持ち悪さを感じてしまう。自分が対象だったら、きっと耐えられなかっただろう/だからこそ前線で戦う矛盾を抱えている。だけど、ソレで助かっている人々がいるのは事実。『安全』のためには、プライバシーを犠牲にするのはやむ無い。了解を求めている暇はない、ズケズケと土足で踏み入っていくしかない。

 

「この日のために共同で借りた、にしては、少々値が張りすぎる。ここである必然性もないだろうし」

 

 グリムロックで間違いなさそうだな……。視線でアスナに聞いてみるも、概ね肯定との頷きが帰ってきた。

 第3の人物の可能性は、無くはない。もちろんそこには、レッドは含まれてはいない/奴らがこんな足がつくヘマをしてくれるわけがない、そもそもアドバイザー/ちょっかいを出しているだけだろう。考えられるのは、元【黄金林檎】のメンバーだ。だけど、グリセルダの死が事の発端である以上、グリムロック以上の動機を持っているメンバーがいるとは思えない。半年も前の事件など忘れる/風化するのに任せ、今とこれからを見据えたいと思うのが人情だ。……この計画は、三人だけで行われた可能性が高い。

 

「ただ……オシャレな建物よね。見晴らしも良さそうだし」

「……まぁ、そうだろうけど……今関係ある?」

「お金随分かかっただろうな、と思ってね。あの建物には鍛冶場なんてなかったはずだし。このフロアは、良い燃焼材とか金属が格安で大量に手に入るわけでもないし」

 

 どうやって購入したのか、どうやって生計を立てているの? ……なるほど。指摘されると、確かにその通りだった/考えさせられる。

 

「グリムロックが、【軍】から金を借りたとか、鍛冶屋として専属契約を結んでいるとかは、無いんだよな?」

「……無いはずだ。

 借金だけならともかく、鍛冶屋として関わっていたのなら、派遣遠征部隊の俺が知らないわけがない」

 

 いちおう事務処理の人に確認を取ってもらいたいが、シュミットが言うのなら間違いはないだろう。【グリムロック】の名が気にならないわけがない。

 一流の鍛冶屋では無い以上、攻略組相手に商売することは稀だ/【軍】以外に大物取引相手がいない。それと、借金と専属契約はほぼ同じことなので、やはり知られずにいられることはないだろう。

 

「アナタが【軍】の派遣部隊に加入できたのは、半年前の事件で何か……得たモノがあった、からよね? 特に、アナタだけが」

 

 気を悪くしたらゴメンなさい……。いちおうは謝りを補足するも、随分と直裁的な質問だ。関係ないオレでもドキッとしてしまう、シュミットは顔をしかめざるを得なかった。

 

「……ソレだけじゃないが、キッカケには……なった」

「そいつは、ほかのメンバー達、特にカインズやヨルコさん達から半年間も疎まれてしまうほどのモノ、だったんだな?」

「ああ、そうだよ! そうですよ! 装備一新できて、しばらくはソロで活動できるほどだった」

 

 この話はもう終いにしてくれ……。自棄っぱちになりながらも、何とか告白した。

 

(そうなると、宝クジに当たったでもなければ、スポンサーは……)

 

 レッド達との繋がりが見えてきてしまった、奴ら以外にあり得ない。

 だとすると、そこまでしてシュミットに復讐をしたかったのか……。にしては、少しばかりおかしい。危険すぎる、悪魔に魂を売るのと同じだ。何より回りくどい。犯人はシュミットだとわかっているようなものだから、『殺人の依頼』をすればいい、ついでに犯罪の証言を告白させるようにも依頼すればいい。……金さえ揃えれば、奴らは喜んで引き受ける。

 順序が逆だ。レッド達を動かしたいのに、奴隷にさせられている現状。まるで、もう『依頼』が達成されてしまったかのようで―――。

 導き出した仮説に眉を顰めていると、目の端でアスナも同じような顔をしているのが見えた。

 

(……嫌な予感がする)

 

 この事件、思っていた以上に複雑なものだったかもしれない……。急いで深入りしすぎてるのかもしれない。

 漠然とした不安を晴らすため、メニューを展開した。

 

「急にどうしたの?」

「いちおう、援軍を呼んでおこうと思ってね」

「……大丈夫、この時間よ?」

「大丈夫、夜型の奴らだから。ちょうど今頃、体が温まってピークになっているはずだ」

 

 レッド達を討伐できるとわかってくれれば、応えてくれるはず……。オレも日陰の存在なので、陽が出ている時間帯よりも夜に活動することが多い。なので必然、『彼ら』との関わりも深い。

 

「夜型って、もしかして……【コドクの防人】の人たち!?」

「あの『虫野郎』達か!?」

「そうだ。ちなみにその言葉、本人たちの前ではあんまり言わないほうがいいぞ。喧嘩売ってきたと勘違いされたいのなら、かまわないけど」

「ちょっとキリト君、彼らに連絡するのはマズイわよ! レッド達が関わってるんだから、情報が漏れて―――」

 

 最後まで言い切れず、飲み込んだ。……それ以上は禁句だった、彼女自身が嫌う差別につながる。

 

 ギルド【コドクの防人】―――。攻略組の一角を占める有力ギルドだ。特徴は、主な活動の時間帯が夜であること、一つのパーティー/小隊を任されているリーダーのコードネームが『昆虫』の名前であること、そして多かれ少なかれ加入しているメンバーは『曰く』がついている。アウトローな風潮のギルドだ。

 中層域からの成り上がり者/他の攻略組からあぶれた者達など、ほぼ無制限に受け入れ続けることで、巨大化していった。前線で戦えるだけの実力と意志を持っているか否か、それだけが選別理由だ、意志が強ければ実力は二の次でもいい。公助団体であり続けたことが発展の原動力となってきたが、同時に毒も引き寄せることになった。【軍】からの引き抜きと前線への足がかりにされたり、プレイヤーカーソルや過去すら気にしないので、レッド達の温床にもなっている……と言われている。

 実際は、ただの風評被害だ。ギルドには加入していないが、関わりの深いオレから言わせれば、一番攻略組らしい攻略組だからだ。レッド達の動機から一番離れてる。確かに、少なからず潜り込んではいるのだろうが、ギルドの操縦権など持っていない/そもそもそんな権限など無い。入れ込み過ぎればこのギルド色に染まるか、耐え切れず出ていくことになる。そして何より、今後ともこのギルドの風潮を保ってくれるだろう、ギルドマスターへの信頼だ。

 そして今回、そのマスターへと援軍のメールを送る。……何らかの良い返事が帰ってくるはずだ。

 

「【騎士団】か【軍】で、すぐに援軍来てくれそうな奴らは、いるか?」

「……2・3人は心当たりあるわ。けど、レッドを確実に捕らえるには3倍は欲しいわよね」

「俺の方は、残念ながら実力不足が問題だな。それに、この時間帯で活動している隊への命令権もない」

 

 どちらも難しい……。消去法でも、【コドクの防人】しかない。

 簡潔な檄文を書くと、クリック。送信した。

 

 しばらく待つと、返事はすぐにきた。返信通知が視覚に舞い込んできた。

 届いたメールを読むと……納得の内容だった。

 

「12人、2パーティーも送ってくれるらしいぞ。装備とアイテムを整えてからだから、あと20分ぐらいでココまで来てくれる」

「……信頼できる人たち、なんだよね?」

「実力は問題ない。それに、リーダーの二人は攻略会議にもよく顔を見せてる。アスナも知ってるはずだ」

 

 悪い奴らじゃないよ……。ちょっと変わってるだけだ。少なくとも、レッドの一員であることはない。

 名前と特徴を教えると、何とか納得してくれた。

 

「どうする、その援軍を待つか? それとも……確認するか?」

 

 どうする……。二者択一で尋ねてくるも、シュミットの顔色は前者寄りだった。

 嫌がらせではないが、オレの意見は後者だ。

 

「先に確認しよう。ただの杞憂かもしれないしな」

 

 もしもその場合、逃げられる心配はある。だけど、人数が多ければ防げる問題でもない。障害物のない平原ならいざ知らず、狭い室内ではむしろ邪魔になってしまう。何より、直感以外の根拠のない不安が原因だったので、合流せずに終わらせるに越したことはない。

 シュミットは渋い顔を作るも、全員の意見が一致。

 茂みから抜け出て、グリムロックのモノらしき住居へと近づいった―――

 

 

 

 扉の前につくとトントン、ノックした。

 

「夜分遅くすいませーん! 誰かいますかー!」

 

 返事なし……。かなり不躾な大声だったから、聞こえていないはずがない。居留守を使われている。

 しかし、【索敵】の《音波探索》を発動していた。声とノック音でソナーのように中の状況を『視れる』。

 基本建物は、防音処置が施されている。壁や窓を叩こうが《音波探索》で中の様子を探ることはできない、プレイヤーのホームとなった建物ならさらに処置が強くなる。他人のプライバシーを守るためだと思われる。しかし、何事にも例外はある。ソレがドアだ。声やノックをすれば住人に聞こえる、唯一外界と接点を保ち続けなければならない箇所であるために。なので、《音波探索》が使えてしまう。……ただし、他は防音されているので、【索敵】や感覚値を鍛えてないと探りきれない。

 

 耳を澄ませていると……扉の近く/玄関で、息を潜めている男が一人見えた。背丈はオレより高くシュミット並、ただし装備を含めてもオレ並の軽さだ。カインズの重量は知っている、おそらくはグリムロックだろう。

 さらに、澄ませると……もう一人の生体反応が見えた。奥の部屋にいるらしいので、外からでは詳しく読み取れきれない/ぼんやりとした形しか見えない。ヨルコさんだろうが……確信を持てない。

 二人に合図で、そのことを伝えた。

 居留守は看破したので、さらに突っ込んだ。今度はドンドンと叩きながら、借金取りをイメージしながら。

 

「ここ【グリムロック】さんのホームですよね。【グリセルダ】さんのことでお話があるので、開けてもらいませんか?」

 

 また無視……。《音波探索》では、このままやり過ごそうと息を潜めているのが見え見えだった。

 

 仕方がない。強行突破するか……。背中の愛剣に手を伸ばすと、シュミットが手で制してきた。

 

「グリムロック、俺だ、シュミットだ! お前らの望み通り来てやったぞ!」

 

 シュミットが叫ぶと、ようやく返事が帰ってきた。

 

「―――何の用だい?」

 

 聞こえてきたのは、柔和そうな男の声音。警戒してるのだろう、若干低く抑えられていた。

 グリムロックだろう。シュミットに確認すると、頷いた。

 

「久しぶりに、昔の仲間同士で話がしたくてな」

「なら、後ろの二人は?」

 

 警戒が露な質問に、軽口混ざりな返事で答えた。

 

「お節介焼きだよ。偶然目撃したことから、首を突っ込ませてもらった。

 そのついでに、あんたらの話し合いを仲裁しようと思ってる、これ以上こじれ過ぎないようにな」

 

 自分でも迷惑千万な奴だと思うが、お節介焼きとはそういう者だ。それに目の前で、何らかのトリックとは言え殺人紛いなことが行われたのだ。見過ごせるほど情のない人間じゃない。

 無言を帰されるところを見ると……残念ながら、伝わってくれなかったのだろう。続いてアスナが、説得してくれた。

 

「グリムロックさん。あなた方の事情は、こちらも大体把握しています。調べさせてもらいました。

 どうか、彼の話を聞いてやってくれませんか? あなた方の誤解も解けるはずです」

 

 丁寧ながらも問答無用に納得させてくるような説得、他人には/オレには真似できそうにない力強さだ。

 さぁ、これで答えざるを得ないだろう……。期待して返事を待っていると、

 

「―――いいでしょう、わかりました。

 少しだけ、そこで待っていてください。ヨルコとカインズにも話しますので」

 

 そう一旦断ると、グリムロックの気配が消えた。《音波探索》でも、奥へと歩いていくのが確認できた。

 これでようやく、事件解決だな……。シュミットにとってはこれからだが、オレ達の役目はほぼ終わりだ。

 アスナ共々、ほっと一息、安堵をこぼしそうになった。後はお前次第だと、シュミットの尻を叩いてやろうかとした時―――気づいた。

 

(……おかしい、何か変だ)

 

 頭の片隅に、言い知れぬ違和感が掠めた。

 悩まされると……気づけた。

 なぜ奴は、ここにいないはずの人間と話しなどするのか?

 

 直感がもたらした戦慄のまま、【索敵】を再展開/全開。感覚を研ぎ澄まし全てを見通す。

 

(―――ッ!? あの野郎!)

 

 確認するとすかさず、愛剣を抜き放った。

 

「ちょッ、キリト君!? いきなり何―――」

「どいてろッ! 突き破る―――」

 

 驚く二人をそのまま、剣を身構えた。ソードスキルを発動させる。オレが今持ち得る最大の重単発攻撃、《ヴォーパルストライク》。

 ライトエフェクトを煌めかせると同時に、発射した。システム外スキル【加速】も付加した最大火力、全身の力を伸ばした鋒に込めた。ドアの鍵穴を目掛けて―――

 強烈な打撃音/金属音に次いで、破砕音。木製と思わしきドアは、過重な攻撃に耐え切れず粉砕。幾つもの破片に裂かれながら、吹き飛んだ。

 

 他人のホームへの強制侵入方法の一つ、ドアの破壊。

 ただ、建物自体はほぼ壊せないオブジェクト、ドアの大部分もその範疇に含まれている。しかし、鍵穴とドアノブは違う。そこだけは別の役割を担っているためか、強度が脆い。ピンポイントで狙い打てば破壊することは可能、そこが壊れればドア自体も壊れてしまう。

 しかし……副作用はある。明確な犯罪行為、オレのプレイヤーカーソルはイエローに染まってしまった。この街や関わりの深い街では、ペナルティを受ける事になる。

 しかし、これで中に入れる。

 

 急いで建物の中に侵入、グリムロックが逃げたと思わしき奥へと走った。

 しかし……遅かった。

 奥の書斎らしき扉の前に来た時、【索敵】で捉え続けていた二人が消えた。

 

 舌打ちしながらも、扉を蹴破った。綺麗に整頓された、隠居した紳士を思わせる書斎。

 しかしそこには、似つかわしくないモノがあった。人型大のブラックホール―――【転移門】が開いていた。

 

 《回廊結晶》によるポータルポイント……。その先が、どこへ通じているのかはわからない。だが、奴が通ってしまったということは、もはや用済みだろう。すぐにでも閉じられてしまうかもしれない。

 その恐れの通り、縮み始めようとしていた。

 

「キリト君、グリムロックは!?」

「追いかける!」

 

 躊躇している暇はない―――。そのまま飛び込んだ

 

 入ると同時に、視界がぐにゃりと歪んだ。

 転移特有の異質な空間蝕。視界だけでなく体までも歪みに歪み、どこかへと吸い込まれていく―――……

 

 

 

 ポータルエリアを抜け出る寸前、グリムロックの慌てた声が聞こえた。

 

「このポータルは閉じてくださいッ!」

 

 誰かに懇願していた。

 しかし、そのポータルから飛び出した―――

 

 

 

 抜け出た先は……常夏のリゾート地、とは真逆の場所だった。

 地底に作られた古代の洞窟、あるいは先住民の黒ミサでも行いそうな祭祀場だ。暗くジメジメと、おどろおどろしい雰囲気に思わず顔をしかめた。匂いも、没薬と思わしき骨を犯すような異臭で、気持ち悪い。

 

 いきなり現れたオレを見て、グリムロックは瞠目。驚きのあまり腰まで抜かしていた。

 傍に目を向けると、ホームにいたもう一人の人物。ヨルコさん……ではなく男。おそらくはカインズだろう。【麻痺】なのか【睡眠】なのか、自力では動けない状態。【寝袋】に包んでグリムロックが運んでいる。

 ひと目見て、状況はわかった。……最悪だ。

 

 これは一体、どういうつもりだ……。グリムロックに問い詰めようとした瞬間、全身が総毛立った。

 【索敵】が表示してくれる前に、体が動いていた。反射的に利き腕が動く―――

 

 そこへ―――キイィッ! 強烈な刺突がぶつけられた。ギリギリ刺し貫かれる寸前。

 しかし、態勢があまりにも崩れていた。体が動かされる、足が宙に浮く。

 受け止められずそのまま―――押し飛ばされた。

 

「ぐぅおッ―――!?」

 

 吹き飛ばされながら、その敵の姿を見た。

 深々と被った黒のフードで顔は見えない。だが、それでも垣間見えた真っ赤な瞳。まるで死霊のような、禍々しい煌き。そして、オレに突き出してきた鋭利な刺突剣。アスナの細剣とは真逆な凶器だが、モノの質だけは肩を並べられるかもしれない代物だ。

 

(『赤目のザザ』ッ!?)

 

 まさか奴までも、絡んでいるなんて……。最悪のさらに先があった。

 

 吹き飛ばされた勢いの先は、ポータルだ。踏みとどまれない、押し戻される―――。

 しかし寸前、何かに衝突した。

 

「―――えッ? て……きゃぁッ!?」

「何? て、うおぉッ―――!?」

 

 駆けつけてくれたアスナ達に、ぶつかった。抜け出た矢先、飛んできたオレの背中をモロに受けてしまった。

 玉突き事故。オレはなんとか内側に留まれた。しかし彼女たちは、ポータルの外へと押し戻されてしまった。

 

 

 

 突然の衝突事故で受身を取れず、叩きつけられた形だ。地面に頭から倒されると、瞬時には動けない状態へ。呻く……。

 揺れる視界の中、それでも反射的に身構えた。くるだろう追撃に備える。

 しかし……いくら待っても、やってこなかった。

 訝しんで敵を見据えていると、代わりに、背後のポータルが閉じた。

 

 しまった―――。焦る、何てポカをしたんだ。

 これで援軍なし。敵陣にたった一人になった。

 

 

 

『―――やはり、ヘッドの判断は、正しかった』

 

 

 

 見据えた敵から、特徴的な重々しい言葉遣いが響いてきた。

 ソレは、実に残念なことに、頭に刻み込んでいた声音そのものだった。……ザザで間違いなかった。

 

 

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

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64階層/ラオール 分断

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 オレへの警戒をそのまま、グリムロックへと命じてきた。

 

『行け。ここは、引き受けてやる』

「あ、ありがとうございます!」

 

 言われた通りそのまま、カインズ入りの寝袋も引きずっていこうとすると、

 

『そいつは、諦めろ。間に合わなく、なるぞ』

「し、しかし……。彼がいなければ、彼でなければ私は、彼女と―――ッ!?」

 

 食い下がろうとするも、ひと睨みされて黙らされた。

 

『コイツを、始末したら、俺が、連れて行って、やる』

 

 今度は何も言い返せず、名残惜しそうにもカインズを手放した。

 そして一人、足早に洞窟の奥へと去っていった。

 

 

 

 グリムロックの姿が見えなくなると、ようやく訝しりを声に出した。

 

「―――何が目的だ? なぜ奴に手を貸す?」

 

 グリムロックが何をしたいのかもわかってはいない。……勘を頼りに、突っ込みすぎたのかもしれない。 

 なので、レッド達との繋がりが見えてこない。関わらなければならない利益はどこにあるのか? ジョニーは『興味本位』だと言った。奴の言葉を信じれば、Pohは興味を示さなかった。ならば、レッドが本腰を入れているわけではない。だとしたら、ザザの動機はどこにある?

 

『茅場晶彦への、報復。この世界がもたらす、祝福を、啓蒙してやる、ためだ』

 

 …………なるほど、意味がわからん。もっとわからなくなった。

 ただ、改めて再確認はできた。

 コイツはそう言う奴だった、狂信者めいた怖さがある。ジョニーとは違う意味で、相互理解を拒絶させる虚しさを感じさせてくる。……同じ言語を話しているはずなのに、話が通じない。

 なので、こちらもサラッと流した。今必要なことだけ聞き返す。

 

「これもPohの差金だったのか?」

『そうだ。お前が、関わってきたから、ジョニーだけでは、荷が重すぎると』

「へぇ~、『ヘッド』はお優しいことだな。それとも……一人じゃ何も任せられないぐらい、頼りないと思われてるのか、お前は?」

 

 最後にわざとらしく声を大きく、誰もいないはずの方向を睨みつけた。

 ちょうどオレの死角にある薄暗がり。加えて、オレが迂闊に動けば攻撃の間合いに入ってしまうギリギリの位置。この場所で取り得る、最高最悪な【隠蔽】ポイントだ。……奴が隠れているとしたら、そこしかない。

 そして予想通り、しばらく睨み付けていると、

 

 

 

『―――あらら♪ やっぱり、バレちゃってたのかぁ』

 

 

 

 観念したのか、ジョニーが姿を現した。

 ただ、雰囲気と声は同じでも、背丈はひょろ長だった。外見は前とは別人だが、ジョニーであることは間違いないだろう。

 二対一か……。奴ら相手では、かなり厳しい。それに嫌な立ち位置でもあった。ジョニーがカインズを人質に取れる位置だ。

 

(……最悪な展開だ)

 

 冷や汗と震えで気持ち悪くなりそうだったが、焦りは見せず。頭をフル回転させた。

 何か……何でもいい。少しでも状況を好転させる手立ては―――

 

『ねぇ、なんでバラしちゃったの? サプライズしたかったのに』

「……ソレは―――」

 

 時間稼ぎに、軽口でも返そうとかとしたが……やめた。

 閃いた。

 

「お前の兄貴に、聞いた方がいいんじゃないのか?」

 

 代わりに、ザザを巻き込んだ。

 ザザがここにいる理由……。本来ならジョニーだけで事足りたはずだった。なのに、呼び出されてしまった、不測の事態ゆえ/ジョニーだけでは状況をコントロールできないと判断されたために。ならば、ザザはジョニーとは違う意図を持っているはず、遊びではなく仕事としてここにいる。

 知っているかのような不遜顔で、そう煽ると―――予想的中。

 フッと、微かに笑みをこぼすと、

 

『賭けは、お前の負けだ。……手は、出すなよ』

 

 ジョニーを制してきた。

 舐めやがって、賭けだと! ―――反射的に顔をしかめるも、すぐにゾッとさせられた。

 こうなると予測していたのか? 奴らの手の内で踊っていただけか? ……オレ達の即決即断は、奴らの想定を越えられていなかった、読まれていたなんて。

 何とか焦りを隠していると、

 

『……ちぇッ! 仕方がないか……。

 それじゃ、決着がつくまでアイツと―――遊んでいようかなぁ♪』

 

 カインズに目を向けながら、舌なめずりしてきた。

 やっぱり、そうなるよな……。二対一で戦うことは避けられたが、最悪な状況に代わりはなかった。

 しかし、そうではない/そうであってはならない。

 今度は演技少なめ、下らないとばかりに肩をすくめた。

 

「おいおい……心にもないこと言うなよ。

 カインズは、何も手を加えずただそこに座らせ続ける。それが、お前にとって一番愉しいはずだろ?」

 

 煽るように指摘すると、ジョニーは黙った。仮面越しで見えないが、眉がピクリと上がったのが見えるようだった。

 ヨルコさんはすでに、この奥まで連れてこられたのだろう。そして、何かをされる、よろしくない何かを。ソレをカインズが、知っているかはわからない、勝利を確信できたとは言えグリムロックが喋ったとは限らない。だけど、ジョニーは教えたはず。これから自分の身に起こる不吉を、何よりもヨルコさんの身に起こる最悪を。

 いい所を突けた……。今度はオレが賭けに勝った。ので、何か口に出される前にさらに踏み込んだ。

 

「それと、痛めつけるとしたら、兄貴がオレにトドメを刺されそうになる前にやるべきだな。……彼の悲鳴を聞かされれば、さすがに剣が鈍るだろうしな」

 

 助っ人に来てくれたお兄ちゃんが、逆にやられるなんて不名誉なことを防げるはずだ……。先手を打った。

 ジョニーだけでなくザザをも揺らす口撃。無言ながらも、そのような事にはならないとの矜持と怒りを向けてきた。なので、ジョニーはこれ以上何もできない。

 

『…………ほんと、面白くないね君は』

 

 ありがとう、褒め言葉だよ……。肩をすくめて返してやった。

 そもそもジョニーに、やる気はほとんどなかったはず。ザザは悪党だが、戦いにおいては真摯な所がある、特にオレのような歯ごたえがありそうな相手では。無類の決闘狂なのだ。

 人質を利用するのは戦いに引きずり込むまで、勝利のためには利用しない。もしもそんなことをすれば、後でザザからお叱りを受けてしまう。なので、オレを当て馬にして余地を作ろうと、煽ってきただけだ。……ここまでザザの前で明らかにすれば、もう手はない。

 ジョニーの封じ込め成功。これでジョニーは、正真正銘のピンチ以外には手を出さない。だけど……結局ザザとの殺し合いは避けられない。引きずり込まれたようなモノだ。

 

『援軍が、来るまで、最速でも……10分、だな』

 

 それまでに決着をつける、充分すぎる時間だろう……。告げられた宣告に、顔をしかめた。

 制限時間まで粘ればいい戦い、必ずしも殺し合いにはならない。だけど、カインズがいる、傍にジョニーがいる。オレがあからさまに逃げ回れば、ジョニーに命じることは吝かではないと……。

 なので10分間以上、まともに殺し合い続けなければならない。ザザの殺意を受け流し続けなければならない。さらに、ジョニーがザザの信念を破ってでも兄貴を助けるために、カインズを痛めつけ無いように注意も払いながら。

 

(…………無茶苦茶だ)

 

 あんまり過ぎる難易度に、逆に笑いがこみ上げてきた。

 反射的にもそうすると、勇気が湧いてきた。根拠など何もない。ただ、今がドン底なら、あとは這い上がるだけだ……。

 

 もう問答はなしだ。そう言わんばかり、武器を構えだしたザザ。自然とオレも応じるも、最後に煽ってみた。

 

「そう言えば、お前のソレも借りモノなんだよな?」

『……かもしれない。だが……教えてやる、とでも?』

 

 だよな……。訊いただけだよ。どうせすぐにわかる。

 ただ、人形化したNPCであるに越したことはない。人形が本人よりも強いはずがない、無理矢理動かしているのなら尚更だ。ソレでオレと殺し合いをするなど、随分と舐められたものだ。

 だけど……あの刺突の強さ、打ち込んだ箇所の精密さも。操っているだけの人形でできる強さではない。……人形だと舐めてかかったら、痛い目を見るのはオレの方だろう。

 

『自分で、確かめてみる、ことだな』

 

 できるものならな―――。踏み込むと一気に、飛び込んできた。

 

 まるで弾丸、初速が最速の意表抜き。……今ではセオリーだけど、やられると辛い。

 タイミングを逃した、躱せない/躱しても態勢が崩れてしまう。どんどん攻め込まれてしまう。ならば―――迎え撃つのみ。

 構えは青眼に、衝突に備え剣を強く握り締めた。……殺し合い、開始だ。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 急いで《回廊結晶》のポータルを潜ると、突然、キリトが吹き飛ばされてきた。

 いきなりのことで避けることもできない。

 驚く暇もなくそのまま、正面からぶつかると、押し戻された。

 

 再びグリムロックのホームへ、シュミットともども床に腰をしたたかに打った。

 

「あたたぁ……。

 いきなり、何なのよ……て―――ッ!?」

 

 腰をさすっている間に、ポータルが閉じてしまった。

 キリトと分断されてしまった……。迂闊。今彼は一人、見知らぬ敵陣の中で孤立させられている。

 

(そんな……)

 

 キリト君―――。すぐさまメニューを展開すると、キリトの安否を確認した。

 

「おい? アイツは……無事なのか?」

「……ええ。大丈夫よ」

 

 今はまだ……。これからどうなるかわからない。彼なら大丈夫だと思うも、何が起きているのか把握できないのは不安だ。

 居場所を特定しようとした。が……できなかった。マップに座標が表記されない。

 キリトとは、かなりの【親密度】かつ【フレンド】かつパーティーメンバーでもある。転移で分断されたとはいえ、居場所の情報が送られてくるのは当たり前だ。フロア越しでもわかるはず。それなのに……わからない。

 

(だとすると……私がまだ、知らない場所にいる?)

 

 あり得ない……とは思ってしまうも、絶対ではない。

 これまでプレイヤーが歩んできたマップ情報は、全て集めてきた。自分の《幻書の指輪》の携帯ストレージ収まりきれない分は、ホームやセーフハウスの外部ストレージへ。ギルド/【血盟騎士団】の共有ストレージに貯められているモノも使えるので、明細なマップ情報をいつでもリアルタイムで見ることができる。今の最前線までの全てのフロアの情報を検索できる、といっても過言ではない。

 誰も言ったことのない未踏エリア……。あるいは、発見したのに公開せず秘匿している、私や【血盟騎士団】の情報網から逃れるほどに。……グリムロックだけでは不可能だ、相手はレッド達だろう。

 

「……どうした? まさか……居場所がわからないのか!?」

「……アナタの方では、わかりそう?」

 

 いちおう確認。【軍】の情報網ならどうだろうか?

 シュミットにも確認してもらった。

 

「―――だめだ。俺の方でもわからん」

 

 どうする? ……頭を抱えさせられた。

 

 まず、簡単な方法がある。

 《次元蝶の鱗粉》―――。不活性状態になっている【転移陣】や【転移孔】を起動させるアイテム。隠し通路を通り抜ける時にも使える。

 そしてもう一つ、《転移結晶》を使った場所に振りかければ、同じ場所に飛ぶことができる。ただし時間制限あり。【魔素】の低い場所や向かった先が【転移門】とは別の場所だったら、使えない。さらにソレは、一度《回廊結晶》を使った場所にも適応される。再び転移の通路を復活させることができる。こちらに時間制限はなし。痕跡を消さない限りいつでも利用できる。

 残念なことに、今手元にはない。レアアイテムではないが、モンスタードロップかダンジョン内のトレジャーボックスの中にしかない。あるいは、迷宮区内でランダムで現れる不気味なNPC商人のみが取り扱ってる。【調合】を使えばプレイヤーでも作り出せるが、マスタークラスの腕が必要。ただし、耐久値が低すぎる。ストレージの中に入れてもすぐに劣化し、別のアイテムへと変化してしまう。

 それでも、【血盟騎士団】の金庫にはいくつかストックがある。隠しエリアへの痕跡を発見したら、誰でも使えるようにするため。しかし、その金庫番は今就寝中のはず。副団長とはいえ勝手な持ち出しは厳禁、率先して規則を守らなくてはならない。ただ、無理やり起こすか、団長に掛け合えればできなくはないだろう。

 だけどそもそも、痕跡を消されてしまったのなら無意味だ。警戒心の強い相手ならそうする。そして今回、ソレは……大いにありえる。

 

 なので次点、《導きの霊針》―――。探し人/プレイヤーに限らずNPCまでへのルートを、マップと視野に表示してくれる。ナビゲーションアイテムだ。……これなら、キリトまで導いてくれるはず。

 ただ、私が知り得る限りの場所にはいない。マップにルートは表記されず、ただ視野に映る針に従うしかない。時間がかかりすぎる……。さらに、ただの未踏地ならいい、近くのエリアまでたどり着けばマップに表記されるから。だけど、場所自体に【追跡阻害】がかけられていたら《霊針》は役に立たない。数は少ないが、いくつかそのようなエリアは存在している。そしてレッド達なら、そのような場所をゴマンと知っているはずだ。

 

(もしもそうだったら……お手上げね)

 

 キリトだったら、もっと別の方法を知っているのだろうが、私にはコレが限界。【索敵】を鍛えていればと、悔やまれる……。

 後悔してても仕方がない、時間は一刻を争う。……今はただ、そうでないことを祈るだけだ。

 踏ん切りをつけると、シュミットに向き合った。

 

「私とアナタがわからない、てことは……【狭間】にいる、てことよね」

「……おそらくは、そうだろうな」

「だったら―――使わせてもらえるかしら?」

 

 何を……と首を傾げられるも、すぐに察した。難しい顔を浮かべてくる。

 

「【監獄】の《デビルレイ》……か」

 

 話が早い……。もちろん、使わせてもらえるよね?

 《デビルレイ》―――。【狭間】間を行き来するための【転移門】。一度誰かが発見し、通常フロアに戻る帰り道も見つけたら、アクティベートされる。……名前が違うだけ。仕組みとしては、通常フロアと同じだ。

 【監獄】である必要はない。他の【狭間】の門でも使える、50層の【アリゲート】なら比較的安全だ。しかし、場所が入り組んで遠い。さらには通行許可証の提示や、税まで取られてしまう始末。【軍】の支配下にある【監獄】ならば楽に行ける。……シュミットならば。

 了解の返事の前に、話を進めた。

 

「援軍と合流できたら、すぐに向かうわ。使えるように話をつけておいて」

「……わかった。任せてくれ」

 

 声音の調子から、かなり越権させることになるだろうけど……知ったことではない。今は横紙破りが必要だ。後でフォローすればいいことだ。……キリトの悪影響を受けてしまってる気がするが、今は気にしないでおこう。

 

 

 

 決断すると、すぐさまグリムロックのホームから出た。

 援軍との合流ポイントまで、来るであろう【ラオール】の転移門まで行った。そこで……待つ。

 

(―――キリト君、私が行くまで……死なないで)

 

 今はただ、祈るしかできない……。どこかにいるであろう神様に、彼の無事を祈り続けた。

 

 

 

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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64階層/シェオール 死合

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 剣と剣が弾け合う。金属の硬質な音色が響き渡る。

 

 アスナに匹敵するほどの高速の連撃、くわえて一撃一撃に殺意が込められている。まるで針の壁だ。

 主導権を取られんと攻めていくも、一進一退。いや、守勢に回らされていた。オールマイティな片手剣ゆえだろう、あるいは斬撃主体の大味な戦い方に慣れていたからか。回転率の早い突き主体の相手では、持ち前のスピードを活かせない。小さいながらも、切り傷が刻まれていく。

 さらに、詰将棋に追い込まれているようで、焦らされた。正確に確実に、こちらの逃げ道を封じ囲んでくる。無理やりザザのリズムに合わせられ、誘導させられる。体力も気力も十分なのに、処刑台を登らされているような錯覚に襲われる。何か一つでも間違えれば即座に刺殺される、そんな恐怖に侵食されていった。

 隙を見つけては、ジョニーを払い除け/カインズを助けて逃げるつもりだった。殺し合いなど真っ平御免だ。しかし、そんな余地などなかった。戦いに集中させられる。

 

『―――どうした? お前の力は、この程度、だったか?』

 

 鋭い突きを打ち込み続けながら、煽ってきた。

 途端に、負けん気が起きた。それまで余裕などなかったが、それこそ錯覚だった。

 なので―――賭けに出ることにした。

 

「……お前こそ、そんな爪楊枝みたいな刺突じゃ、いくらやってもオレは倒せない―――ぜッ!」

 

 混ぜっ返すと同時に、無理矢理パリィさせた。

 キイィン―――ザザの剣が跳ね上がる。攻撃が止む。

 だけど、オレも懐が空いた。動けない。

 

 この場合、武器の特性上/刺突メインのザザの方が立ち直りは早い。オレは手痛いダメージを食らうことになるだろう。

 セオリー通り、ザザはすぐに手元に剣を引き戻した。オレよりも早い。そして、無防備を晒しているオレへ突き込んでこようとした。

 だが寸前―――オレは剣を手放していた。

 

『ッ!?』

 

 驚かれるもつかの間、いち早く空いていたザザの懐に踏み込んだ。体をすべり込ませる。

 そして、その無防備な懐に掌底を添えると……叩き込んだ。

 

「ハッ―――!!」

 

 小さな気合と同時に、雷鳴が鳴り響いた。

 直後、ザザはたまらず体をくの字に曲げられると、吹き飛んだ。

 

 【体術】単発重攻撃《獅子戦吼》―――。互いに組み合うほどの、超接近戦用のソードスキル。触れた掌底へ全身の力を集中させ、爆発させる。

 体格が違いすぎる巨人や獣型その他のモンスター相手では、使いどころが難しい。対人型の技。ただしこの世界では、誰もが少なかれ武器を持って使いこなせてもいる。懐になど入り込ませないし、踏み込むには勇気がいる。誰も好んでは使わない格闘術だ。

 しかし/ゆえに、奇襲になる。それまで武器を印象づけていれば、なおさらだ。

 

 普通なら、これでダウン。運がよければ【気絶】も入るカウンター、勝負すら決まりだ。

 しかし―――

 

(ッ!? 浅いか!)

 

 打ち込んだ感触で、異常に気づかされた。

 衝突の直前、ザザは瞬時に切り替えた。後ろに飛んだ。カウンターにはならず、さらにバックステップ中でもあったので、見込んだダメージの半分以下まで緩和された。加えて、衝撃も拡散させられた。

 ザザは壁に叩きつけられることなく。そのまま地面を踏ん張りきってしまう……

 

(なら―――)

 

 システムにより硬直させられてしまう寸前、無理やり体を動かした。別の技/【投剣】の初動モーションをとる。

 【剣技連結(スキルコネクト)】―――。システム外スキル、瞬時に別のソードスキルへ移行させることで、本来ソードスキル使用後に起きるリキャストタイムを先送りする。ただし、高位の連撃技との連結はタイミングがシビア過ぎる。ここぞという時には使えない。

 

 振りかぶりながら、袖口に仕込んでいた改造クナイを取り出し/掴んだ。ワンモーションに集約するためのバネ仕掛け。通常なら、持っている武器以外不可能だった【投剣】との連結を可能にした。

 発現させると、そのまま投げた。

 【投剣】単発射撃《スパイラルシュート》―――。メジャーリーグの名投手さながら。手から弾丸のように、射出した。

 吹き飛ばしたザザの顔面/被っている仮面を狙って―――

 

(アレを破壊すれば、奴は行動不能になるはず)

 

 仕組みは全くわからないが、あの仮面が重要な役割をしているはず。外すか壊してしまえば、操られていたNPCは解放されるはず。すくなくとも、何か変化/今のオレに利する何かが起こるはずだ。

 

 クナイが、ザザの仮面へとぶつかる/壊す。仰け反らされる―――その寸前、ザザも同じ事してきた。

 【投剣】単発射撃《スワローシュート》―――。吹き飛ばされながら、空いた片手を振り上げながらの投擲。

 白いナイフのような刃が、飛んでくる―――

 

『ッ!? ―――』

「ッ!? ―――」

 

 まさかの追撃/反撃。互いに驚愕する。

 

 『コネクト』後による硬直時間、身動きがとれない。下半身が石化したように固まっていた。……避けるには間に合わない。

 

 なので―――グサッ、防御力の薄い/利き手の二の腕に刺さった。痛みに歯を食い縛る。

 しかし同時に―――パキぃッ、ザザも仮面を撃たれた。頭を仰け反らされる。

 

 

 

(……痛み分けか)

 

 刺さったナイフはそのまま、視線だけザザからジョニーへ向けた。来るであろう奇襲に備える。

 しかし……恐れていた攻撃はこなかった。

 

 なぜ撃ってこない? ……訝しる。

 ジョニーに限って、タイミングを逸したのではないだろう。この手の嗅覚と行動力は恐ろしいほど冴え渡っている奴だ。なので、ただ約束通りにしただけ、なのだろう。それに、ザザが/兄貴が致命傷を受けたとは思っていない、のかもしれない。

 

 再度ザザが接敵する前に、急いで落とした剣の下まで退いた。

 視線はそのまま/臨戦態勢は怠らず、足と爪先で器用に跳ね上げ、拾い上げた。……粗末な扱いは嫌だが、今は仕方がない。

 刺さったナイフも、一気に抜く―――

 

「―――つぅッ!?」

 

 思わず、痛みに呻いた。

 刺さっていたのは、獣の牙を削ったかのような刃。ギザギザとし過ぎているので、ナイフとしては使えないだろう。

 しかし/やはり、【貫通継続ダメージ】があった。さらに、抜いた拍子にギザギザが幾つか欠けていた。腕の中に残ってしまったのだろう、本体を抜いたのにまだ【貫通】の表示がHPバーに貼り付いていた。……最悪だ、イイ趣味をしている。

 

(……ほかにも、毒が塗られているかもしれないな)

 

 焦りを抑えながらも、警戒していると、

 

『―――ふっふ、ふはははッ!

 やはり、お前は、いい。いいぞ! こうでなくては、なッ!』

 

 狂気じみた高笑いを上げていると、ぽろぽろ―――顔から破片がこぼれ落ちた。

 割れた仮面の奥から、ザザの悦しそうな笑が見えた。

 

 思わずゾッと……させられた。

 狂気に侵食されそうになる。その毒々しいまでに真っ赤な視線に、オレの『何か』が射抜かれたかのようで、竦まされる。後ずさりしそうになった。

 

 嗤いを収めると、ザザは何事も無かったかのように立っていた。オレへのさらなる戦意を滾らせながら。

 そこでようやく、気づいた。

 

(やっぱりアイツは……本人だったのか?)

 

 人形なのかと疑うも、本人だろうとは思っていた。ザザの性格上でも、自信満々にオレと対峙したのでも。

 ただし、本当かどうかは、まだわからない。あの仮面は関係なかっただけだったのかもしれない。洗脳だか憑依を強化/補助する装置でしかなかったのか。もしくは、無くても動かせる特別製だったのかも。……今は仮説の域を出ない、調べようもない。

 胸の内で舌打ちした。このままでは飲まれる一方だ……奴のペースから外れなければ。

 なので無理やり、話題を変えた。

 

「グリムロックは、お前らは何をするつもりなんだ?」

 

 先に聞きそびれた問い。尋ねてみると、驚かれた。目を丸くさせられる。

 続いて訝しり、何の意図があるのか探られ……ようやく答えた。

 

『……まさか、知らずにここまで、来たのか?』

「あいにくと、調べる時間も惜しかったんでな」

 

 肩をすくめながらも、正直に教えた。……強がってもよかったが、なぜか嘘をつくのはためらわれた。

 ソレが功を奏したのか。また疑られるも、すぐに本当だと察せられた。

 

『アハッハッハッハ! うそだろ、マジありえねぇ……』

 

 オレ達の会話を聞いてたのか、ジョニーが笑い声を上げた。愉快そうに/腹を抱えながら笑っている。

 

『……あぁ~あ! なんて様だよ、全く♪』

 

 馬鹿にされたのかと顔をしかめるも、一人腹を抱える姿を見せられると、自嘲しているようにも感じた。

 さらに困惑させられていると、急に態度を変えてきた。

 

『―――止めたやめだ! ボクちゃん一抜けた、もう退散しまぁす♪』

 

 そう言うと、降参とばかりにハンズアップまでしてきた。

 何のパフォーマンスだと、今度はオレが訝されていると、ザザまで同意してきた。

 

『そうだな。少し、興が冷めた。……どうせもう、終わってること、だしな。

 それに―――』

 

 時間も頃合だろう……。そう言うと、剣まで引いてきた。鞘に収めてもしまう。

 そしてくるりと、踵まで返した。

 

 突然の戦闘中断/退散に、呆然とさせられると、

 

『この先に、行けば、わかる。……自分の目で、確かめると、いい』

 

 そう言い残すと、そのまま転移してしまった。ジョニーともども、《転移結晶》を発動させる。

 待て―――。追いすがろうとしたが、やめた。帰ってくれるぶんにはありがたい/わざわざ危険を背負い込みたくない。それに『答え』も、教えられたとおり行けばわかることだ。

 転移の光の中に消える二人を、見送った。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 完全にいなくなるのを確認すると、ようやく剣を収めた。

 途端にドッと、緊張が抜けた。疲れが噴き出してくる。

 

 いったい、何だって突然……。先ほどの不可解な行動。吐息を一つ漏らすと、落ち着けた。

 切り替えると、解放されたカインズの下へ向かった。

 

「……カインズさん、だよな。これで二度目だけど……わかるか?」

 

 簡単な自己紹介に、頷きで答えられた。……やっぱり知ってたんだ。

 解放されたのに、倒れたままのカインズ。口には猿轡が巻かれていた。

 状態を診ると―――【麻痺】。

 もうしばらく時間を置けば、自然回復するだろうが……その時間はない。

 

 メニューを展開、《解毒ポーション》を取り出した。

 

「【麻痺】用の解毒薬だ。飲めばすぐに治る」

 

 説明し頷かれると、猿轡を外した。代わりに瓶の先を突っ込む。

 【麻痺】した仲間を回復させるには、振りかけるのが常道。本人だけでは飲めないし、まともに振りかけもできない。しかし、飲ませた方が効き目は速い。……やってもらうには少々、信頼関係が必要だけど。

 

 ゴクゴク―――体に染み渡っていくと、【麻痺】が解けた。

 ようやく完全に解放された。

 

「―――あ、ありがとう、ございました」

「礼にはまだ早い。ヨルコさんを助けないと」

「え……あ!?

 そ、そうだ、早く行かないと―――」

 

 慌てて立ち上がると、奥へと急いだ。

 呼び止めて、ザザに聞きかけた答えを貰おうとしたが……やめた。

 

(この先に行けば、否が応でも分かるはずだ)

 

 少なくとも、あまり愉快な答えではないだろう……。ゲンナリさせられるのは、今じゃなくてもいい。

 もう、さすがにいないだろう敵を警戒しながらも、カインズの行く手を護衛していった。

 

 

 

 

 

 ―――そして、洞穴の奥までたどりついた。

 

 そこには、グリムロックと二つの石の祭壇。その上に横たわらされているのは……二人の女性。

 一人はヨルコさん、もう一人は……見知らぬ女性だ。耳の尖りや肌の白さ、何より人間離れした美形から、エルフ族のNPCだと判断できる。

 二人は今、同じようなヘルメットを被せられていた。どこかで見たような形だが、刺のような電極が伸びており、そこから幾つもあるコードで繋げられているのが違っている。さらに、頭頂部あたりから、太い銀色のホースのようなコードが伸び、二人の間にある巨大なシリンダーへと繋がれていた。

 赤みを帯びた液体に満たされたシリンダー、ブーンという小さな機械音を鳴り響かせ、時折ゴボゴボと泡が舞う。その中身を見て―――固まってしまった。

 

(な、なんだアレは……?)

「グリムロックゥ―――ッ!」

 

 カインズの怒りの雄叫びで、疑問が吹き飛ばされた。

 突然の/いるはずのないオレ達の登場にグリムロックは、振り返させられた。 

 

「ッ!? ど、どうして?」

 

 な、なぜここに―――。驚愕の表情を浮かべる。

 一目散にカインズは、駆け込んでいった。前しか/グリムロックしか見えていない。

 

 しかし、今にも殴りかかろうとする寸前―――邪魔するように立ちふさがってきた。

 黒のコートに身を包んだ/フードを目深にかぶった誰か、レッドの一味なのかもしれない。

 死角から現れ、カインズへと急襲しようとするのが見えた―――

 

「ッ!? 下がれカインズ!」

「え? なにをぉ―――ぅッ!?」

 

 警告やむなく、吹き飛ばされた。

 慌てて受け止める。

 

「―――つぅ……ッ」

 

 痛みに呻くカインズ/オレも受け止めてダメージを軽減させた反動に呻いた。

 受け止め切ると、瞬時に見上げた。確認する―――

 

 襲ってきたのは、スラリとした長身の女性だった。

 黒の目隠しの布越し、微かに垣間見える顔は、女性を思わせる柔らかな輪郭だった。中性的な美青年という選択肢もあるが、黒いコート越しではあるが、胸の部分が盛り上がっているが見えた。フードからこぼれている艶やかな髪の筋や丸みを帯びた体のラインも、女性であることをうかがわせるものだった。それも、少女ではなく大人の女性を。

 

 長剣らしき鋒を向けてくる『彼女』。しかし、敵意を表しているのに意思を感じさせない無機質さ。

 なので一瞬、戸惑わされた。反応が遅れる……。

 その隙に彼女は、さらなる追撃を浴びせようとした。足に力を込め、ふみこんでくる―――

 

「下がれ【エイリス】! ……そこまででいい」

 

 寸前、グリムロックからの指示が飛ぶと、彼女/エイリスの動きも止まった。

 そして急に、態度を変更した。命じられたとおりそのまま、オレ達へ警戒態勢を維持するのみ。

 

 突然の出来事に混乱させられるも、この一時危機は去った。

 背中の愛剣に伸ばした手を戻すと、慎重に尋ねた。

 

「ヨルコさんは無事なのか?」

「……この通り、傷一つないよ」

 

 そう言うと、寝かされたヨルコさんを見せてくるも……どう判断したらいいのかわからない。

 確かに傷一つない、ただ眠っているだけにしかみえない。しかし、本当に無事なのか、確信を持て無かった。

 

「カインズには、傷つけるつもりなんてないと、教えたはずだが……」

「ふざけんなッ! 同じことだろうがッ!!」

 

 カインズはいきなり激昴すると、ふたたびグリムロックの下へ殴り込もうとした。

 

「おっと! それ以上は近づかないでくれ」

 

 グリムロックの制止に、エイリスが反応した。カインズとの間に割って入る。そして、それ以上近づいたら斬ると、威圧してきた。

 先ほどの一撃で思い知ったのか、カインズは体を竦ませた。勢いを/足を止められてしまった。……ギリリと、歯噛む音が聞こえてきた。

 

「準備はもう済んでるんだよ。あとは、この―――ボタンを押すだけだ」

 

 そう言うとグリムロックは、シリンダーに付属しているコンソールらしき機械に、その中央にあるボタンに手を乗せた。

 これで動けまい……。脅しは効果的だった。カインズは顔を青ざめさせた。

 

「そう邪険にするなよ。ヨルコにとってもきっと、幸せなはずさ。……『彼女』の方が優れてることは、ヨルコが一番理解しているからね」

「そんなの!? だからって……あり得ないッ!」

「証明してあげることはできるよ。これから、すぐにね」

 

 ボタンに乗せた手に力を込めようとすると、「やめてくれ!」―――

 カインズが全身で懇願した。

 その願いを聞き届けるようにグリムロックは、「冗談だよ」とばかりに力を込めるのをやめた。

 

 二人の、真剣を越えて切実までの空気から、置いてけぼり。何が起きているのか、何が起きようとしているのかもわかっていない。

 なので今一度、尋ねた。

 

「―――何をやらかすつもりだ、グリムロック?」

 

 予想はつきそうだったので、幾分か声は低めに、脅すような声音で言った。

 しかし返答は、苛立ち混じりの非難だった。

 

「君こそ、何のつもりなんだ?」

「……なに?」

「何故首を突っ込んできた? なぜこんな場所にまできた!?

 君らさえいなければもっと、完璧な形になれたのに……」

 

 どうして放っておいてくれなかった、どうして関わったりしたんだ。どうしてなんで、部外者のお前が―――。腹の奥底からにじみ出てきたような怨嗟。まるで全ての責任はオレにあると、恨みがましそうに睨んできた。

 心当たりなどさっぱりない。どころか、どんな『罪』を犯したのすらわかっていない。ソレを訊きたいのに……。

 

 顔をしかめる、腹が立ってきた。何だコイツの態度は……。もう真相などどうでもよくなった。

 おもむろに、カインズを脇に寄せた。そのままズカズカ、愛剣も引き抜きながら、グリムロックの元まで歩いていく―――

 

「―――う、動くなと言ったはずだ!?」

 

 オレの激怒に気圧されたのか、グリムロックは声を裏返させた。先ほどのボタンにも手を乗せる。

 しかし……オレには関係ない。何が起きるのかも知らない。なので/当然、全ての責任はグリムロックにある。

 やるならやれよ、何をするつもりか知らないけど―――。脅しを無視して、そのまま護衛のエイリスごと、グリムロックを叩き切ろうとした。

 

「き、キリトさん……お願いです」

 

 どうか、言うとおりにしてください……。寸前、カインズが止めてきた。縋り付くように……。

 その必死かつ底深い悔しさに、怒りを収めた。収めざるを得ない……。

 シュミットにも言ったばかりのことだ。この事件の主役は、オレではなく彼らだと。

 

 剣を収め足も止めると、気持ちも鎮ませた。そして、改めて尋ねた。

 

「……もう一度だけ聞く。何をするつもりなんだ?」

 

 最終警告だ……。カインズが止めたとしても、返答次第では爆発させる。そんな威圧感を込めて問い詰めた。

 オレが止まって安堵したのか、ホッと胸を撫で下ろすと、自慢げに答えてきた。

 

 

 

「ヨルコを【ユウコ】に、私の最愛の妻に書き換えるのさ」

 

 

 

 高らかにも告げられた真相。書き換える……?

 そのとんでもなさに一瞬、呆然としてしまった。

 

 

 

 

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64階層/シェオール 儀式

 身勝手の極意!


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 ―――死んだ人間は、生き返らない/甦させられない。どんなことをしても…… 

 

 現実世界と同じように……。ソレが、このゲームのルールだった。

 誰も犯すことはできない。オレもついぞ、諦めて受け入れた絶対法則……。

 しかし、グリムロックは告げた。

 

「―――確かに、【グリセルダ】は死んだ。生き返らせることなんてできない。しかしユウコは、現実世界のユウコはまだ、わからない」

 

 現実世界に戻れない以上、確かめようがない……。確かにその通りだが、皆もうとっくに結論を出していた。

 確かめようがないからこそ、自殺したり殺人を犯してはならない。

 このログアウトできない現状が示しているように、あの茅場晶彦が愉快犯であってくれないように、オレ達は不死身ではなくなった。命はたった一つだと諦めて、生き延びなければならない。

 この諦観を否定しているのは/目をそらしているのは、レッド達だけだろう。否定しているからこそレッドになっている、とも言える。

 ただ、だからと言ってまだ、胸の奥底から鈍い痛みがにじみ出てくる。いわゆる黒歴史、というものだろう。ソレも込めて突っ返した。

 

「……本当に、殺すと思っているのか? ここでゲームオーバーになったら数分後、ナーヴギアの電磁波を使って、脳を蒸し焼きにすると?」

「さぁな、オレには答えられない。誰にも、おそらくお前にも無理だろうな」

「いいや、私には答えられるよ。ユウコはまだ生きている、とね。

 この【ユウコ】……エルフ族のNPCが証明してくれた」

 

 祭壇の上に眠らせている女性を示して、はっきりと断言してきた。

 妄想は大概にしろよ……。呆れ返りそうになるも、グリムロックの自信は揺るぎなかった。

 

「【ラフィン・コフィン】の方々が、NPCをまるで自分の分身のように操っていたのは、見たかな?」

「……そういう性格のNPCだったのかもしれない。奴らと意気投合して騙されて、洗脳された。あるいは、人質でも取られて脅されて、強要された」

 

 少し弱い仮説だった。だからと言って、ジョニーがさせたように、自殺まで強要できないはず。何人もすぐに代わりを用意できるなど、もっと難しいだろう。

 ただ、できなくはない。個人の枠内では不可能でも、同じ情熱をもった集団では可能になることがある。技術のみならず、倫理観の枷も含めて。

 オレの正当だろう反論には、まともに答えず、代わりに手を変えてきた。

 

「……ではカインズ、【ユウコ】をみてどう思った?」

「ど、どう……て、何がだよ?」

「【グリセルダ】に似過ぎてなかったか?」

「ッ!?」

 

 瞬時に否定しきれなかった様子に、グリムロックはニンマリと笑を浮かべた。

 初耳だったのでオレも驚かされた。あのレッド達が、自分たちのためではなくグリムロックのためにわざわざ、人形を用意した? 

 

「もちろん、外見は全く違う。パラメーターだって違うし種族も違う、プレイヤーですらない。【グリセルダ】の記憶もないので、君やヨルコとは初対面だった。

 だが、もっと根幹の……『魂』と呼べる何かは、オリジナルの、ユウコのモノだった!」

 

 熱を込めてそう、飛躍気味に演説してきた。

 実感できてないオレには、誇大妄想にしか聞こえない。が、隣のカインズは違った。否定の言葉が見当たらない様子。

 

「お前やカインズ達が、そう錯覚してしまうように、演技させただけかもしれない。……人の心の暗部は、レッド達の大好物だからな」

 

 言いながらチラリ、黙したまま立っている女性に、目を向けた。

 わざと煽るような言い方をしたが……反応なし。寡黙な護衛に徹し続けていた。あまりの人間味のなさに、人を模した機械のように見えてしまう。

 彼女とグリムロックは、一体どんな関係だ……。疑問がもたげてくるも、グリムロックの熱弁が返ってきた。

 

「だが、【ユウコ】は告げた、私の本名を、リアルの私の名前を!」

 

 どうだ、と言わんばかりに証拠を示してきた。ソレが本当かどうかはわからないが……嘘や冗談を言っている気配はない。

 ならば、他人には/NPCには絶対知りえない秘匿情報だ、『本人』である可能性はでてくる。このゲーム世界の記憶のない、『ログイン前までの本人』である可能性が。

 

「……お前と会話している内に、引き出したのかもしれない。あるいは、【グリセルダ】さんの遺品から読み取れたのかも」

「本名をここの何かに残すなど、私はしたことがない。グリセルダもしていない」

「なぜ言い切れる?」

「当たり前だろ? 何せ私たちは、【結婚】していたんだしね」

「だがお前は、彼女を殺した。殺すだけの不満を募らせ、実行した」

 

 彼女が、自分の妻がそれに気づかないとでも……。グリムロックも殺意は隠しただろうが、夫婦は身近過ぎる。仲間として共に戦ってきたのならなおさらだ。隠しきれるものではないし、知らないで済ますこともできない。……だからこそオレは/ビーターのオレは、ソロであり続けなければならなかった。

 オレの打ち込んだ疑念に、グリムロックは若干ひるんだ。そんな不安を抱えてはいたのだろう。しかし、

 

「……もしも、万が一にも察していたとしても、だ。そんな重要な遺品を預けれる信頼できる相手は、限られてくる。例えば、そこのカインズや、ここに眠ってもらっているヨルコのような仲間だろうね」

 

 もちろん、彼らはそんな遺品は受け取っていない……。カインズに目を向け確認すると、悔しそうな顔を浮かべていた。……グリムロックの言う通りらしい。

 仲間すら信用せず、どこか自前の金庫に預けていた……。言い返そうとしたが、やめた。そこまで殺伐としたギルドではなかったのだろう。あるいは、そこまで猜疑心と行動力のある人だったら、そもそも殺されることはなかったはず。

 さらに、自前の金庫の情報を預ける相手には、心当たりがあった。オレも万が一の時のために、頼んである。もしも『彼女』なら、殺された死後、確実にヨルコさん達に遺言を伝えてくれるはず。そもそも彼らが、こんな事件を起こそうとしなかったはず。

 

「これで、君の疑惑は晴れたかな?」

「全く。何一つ疑わしいままだ」

 

 呆れられた。……どうしようもない。

 レッド達と対決する時の心構えだ。そもそもオレは、グリムロックの言葉を何一つ受け入れないと、決めていた。例えどれだけ真実そうに聞こえても、必ずや我と大切な人達の身を滅ぼす悪意が込められている。……こちらが受け入れなければ、呪いは本人に帰る。

 心に決めていると、反論はとめどなく湧いてくれる。

 

「お前の言うとおり、現実のユウコさんは生きてるとしてだ。なぜそんなマネをする?」

 

 ヨルコさんを犠牲にする必要などないはず……。グリムロックが奥さんの何を気に食わず、殺すまでに至ったのかはわからない。がソレは、このゲームに巻き込まれたから引き起こされたものだろう。クリアさえできれば、また現実では元の夫婦に戻れる、悪夢だったと苦笑いで済ませられるはず。……そこまで都合がいいのかは、わからないが。

 わざわざ、ヨルコさんをユウコさんに塗りつぶす必要がない。現実では二人の『ユウコ』さんが生まれてしまうことになる。……改ざんの証拠は、直ぐに見つかってしまう。

 

「……確かに、まだユウコは生きている。だけど、ゲームクリアしてしまったら、わからない」

 

 クリアした直後に、一斉に殺されるかもしれない……。その怖れに、一瞬目を丸くし、すぐに眉をしかめた。

 あり得ない―――。最悪の結末だ。さすがに茅場でもしないだろうが……嫌な想像をさせてくれる。

 

「『シュレディンガーの猫』は知ってるかな? あるいは、ちょっと難しいが『二重スリットの実験』でもいい」

 

 量子力学だよ……。量子はあらゆる可能性を内包しているが、観測者の観測行為が、量子を一つの形に決定してしまう。……茅場関連の情報を集めまくっていたので、おおよそは知っていた。

 なので、言いたいだろうことも察せた。

 

「……現実世界で、オレ達を観測している人達はいる。本人がどうこう願おうが、すでに決まってるはずだ」

「確かに、そうかもしれない。

 だけど、願いの強さはどうかな? 一万人の人間と、こんなにもリアリティあるファンタジー世界に、私たちを2年間も閉じ込め続けることが可能なAIだったら?」

 

 願いの強さ、誰が最初に量子の決定権を持てるのか……。考えたことのない発想だったので、悩まされた。始まりの形や流れは、後の全て/未来を決定することにも繋がる。

 

「塗りつぶすもなにも、もう観られてるんだ。決定してるはずだろ?」

「いや、まだだ。決定するのはゲームクリアした後、私達がログアウトした直後だよ」

「だから、何でそう言い切れ―――」

「だからこそ、生かし続けてるんじゃないか」

 

 最初の結論とつなげてきた。

 どういうわけだと、顔をしかめてしまうも……気づけた/気づかされた。言葉に詰まる。

 

「タイミングの問題なんだ。

 ゲームクリアした直後なら、一万人の真なる願いが一点に集約される。それだけの力があれば、その瞬間だけは、現実世界の何よりも凌駕するはず。世界を想いのままに変えられる瞬間なんだよ!」

 

 そんなことができるのに、わざわざ力を/数を減らす意味がない―――。茅場の/狂気の天才の欺瞞を暴いたかのように、誇らしげに。

 息を飲まされた。「妄想だ」「今すぐ病院に行け」と、切って捨てることができなかった。……あるかもしれないその可能性に、魅せられてしまった。

 

「おそらく、茅場晶彦の狙いはそこだよ。私はソレに、便乗させてもらうだけさ」

「……便乗、だと?」

 

 訝しるも……繋がった。ようやく、奴の自信の源にたどり着けた。

 だがそうなると、もっとおかしな問題が起きる。

 

「……お前の奥さんとユウコさんは、別人だろ? 見た目だって違うだろうし、年齢だって……」

 

 犯罪だよ。変態行為だよ! ―――真面目な科学の話からの落差にクラリ、頭を抱えそうになった。……大人っていうのは、茅場然り、オレの想像をはるかに超える存在だ。

 

「だから、そこのカインズが必要なんだ」

 

 変態扱いしたのに気にせず。さらなる変態発言をぶっ込んできた。

 グリムロック自身も、カインズと入れ替わる……。なんて気持ち悪さ。思わず寒イボが立った。

 ただ、カインズはそれだけでは収まらない。もはやモンスター以上の『怪人』として、グリムロックに震えた視線を差し向けていた。

 

「別に良いだろ? 君らは恋人同士だ。

 お互い好きあっているんだろ? 現実に帰っても交際を続けていくつもりだったんだろ? いずれは結婚できたらいいなとか、想っているんだろ?」

「そ、それは……」

 

 唐突にプライベートを/胸に抱いていただろう淡い欲望を抉られ、言葉に詰まらされていた。……聞いてるだけのオレでも、そわそわさせられてしまう。

 そんなこと、アンタに何の関係があるんだ―――。正当すぎる文句を叫ぼうとする前に、

 

「私とユウコは夫婦だったし、ここでもそうだった。これからも、現実に帰ってもそうあり続けられるだろう。……関係を維持できるだけの地位や財産も、何より経験値を持っているしね」

 

 君らニュービーとは違って……。大人の余裕を見せつけてきた。

 唖然とさせられ、怒り心頭になるも……反論できなかった。強く言い切れない。……それだけは、奴が正しいだろう。

 そして、カインズが断言しきれなかったからだろうか、

 

 

 

「ヨルコがユウコであった方が良いように、君も君ではなく、私であった方が良いだろう」

 

 

 

 そんな、手前勝手な結論を下してきた。

 さらに告げた、心を抉ってきた。

 

「ヨルコが、私に穢されるような気がして、嫌だと思ってるんだろ? わかるよ、一人の女性を好きになれた男としてもね。自分以外の男に触れられるなんてことは、許しがたい。それも相手が、知り合いであればね」

「だ、だったら―――」

「だからこそ、君は私であるべきなんだ」

 

 グリムロックは、未熟な生徒に教え諭すように、続けた。

 

「若いうちの恋愛感情というのは、流行病のようなものだ。のぼせ上がって『この人が運命の相手だ!』と思ってしまうも、現実を生きてくうちに変わっていく。最悪『騙された』とも想いが変わってしまう。

 それは全て、相手の表面だけ、雰囲気だけを見ているからだ。だから、有り体に言ってしまえば―――セ●クスできただけで満足してしまう」

「なッ!?」

 

 本音を言えば、そういうものだろ……。途轍もなく強烈な結論に、オレまで呻かされた。なんてこと暴露しやがるだ、この野郎は……。アスナがここにいなくて、本当に良かった。

 憤慨しようにもできずにいると、

 

「体は君らのものだよ。だから君も、現実のヨルコとセ●クスできて、気持ちよくなれるはずだ。彼女にもそうしてやれるし、してもらえるだろう。……君らがするよりも、上手にね」

「ッ!? こ、この―――」

「どれだけ好き合っても、初めてというのは上手くいかないものだ。特に若いうちは、急いで()をなしたがるから、相手を充分に満足してあげられない」

 

 苦笑交じりに、経験値とレベルの隔絶を述懐してきた。

 カインズは言い返せない。そもそも言い返したら、負けてしまう罠。……ただ歯噛みと睨みを向けるしかない。

 

「傍目からも、君らが付き合っているように見えるだろう。仲睦まじくね。他のカップル達よりも成功する確率は極めて高い。私達が残していたモノも引き継げるから、成人したらすぐに結婚できるだろう。いや……学生結婚もいけるな」

 

 マイホームだってすぐ持てる、いいこと尽くめじゃないか……。己の善意を疑うことのない満面の笑みで、提案してきた。

 あからさま過ぎる現実問題に、そのあまりにも簡単な解決方法に、カインズもオレも空いた口がふさがらなくなってしまった。……ただ、常識の範疇にないことを除いて。その時カインズがカインズでいられる保証はどこにも無い、ということを除いて。

 

「―――私は【ユウコ】に出会って、外見など関係なかったことに気づけた。彼女の、ユウコの魂に惹かれたのだと、実感できた」

 

 そう言うと、祭壇に眠るNPCへ、愛おしむような熱い眼差しを向けた。……その人に宿っているであろう、『何か』を見据えながら。

 そして、もう一度カインズへと向き直ると、

 

「……どうだろう? 私たち全員が全員とも幸せになれる方法だ。考えてみてくれないかな、カインズ」

 

 誠実に頼んできた。きっと答えてくれると、子供のように……。

 

 なんて身勝手な願い……。目の前にいる男は、本当に同じ人間なのか疑わしくなった。姿形は同じでも、中身は全くの異種、この世界のモンスターよりもモンスターだ。

 あまりのおぞましさにゾッと、背筋が凍りつく、鳥肌が立った。カインズは口をパクパク、どこに向けるべきかわからない憤怒に喘いでいた。

 慣れてない優しい奴は、そうなってしまう。自分の方が間違っていたんじゃないかと、ただ言葉で表現できなかっただけなのに。そうやって……踏み台にさせられる。

 だけどオレは……違う。同じであってはならない。

 

(……コイツはもう、レッドだ)

 

 カーソルなど関係ない。本能が警告した、心が訴えた、頭にも否定の論理がある。……グリムロックは、取り返しがつかない一線を、越えてしまった。

 ならば―――やることは一つだけだ。

 

 

 

「聞いてやる必要はないぞ、カインズ。こんな―――色ボケ変態オヤジの戯言なんてな」

 

 

 

 レッドの言い分など、何一つ受け入れてはならない……。結局のところ、対決する時の心構えだ。

 優しさは主役の領分だ、脇役のオレは冷徹でなければならない。

 

「悪いが、ここでのお前のご高説は全部録音させてもらった。あとは、アルゴにでも送信して、全プレイヤーに伝えてやるよ。……お前の代わりに布教してやろう」

 

 きっと、信者たちでわんさか溢れかえるだろうな……。もちろんそんなことはしないが、会話は後でも《記録結晶》で吸い上げられるが、暗闇に潜まなければ生きられないレッドの限界だ。脅し文句としては抜群だろう、きっと同族同士で揉み消してくれる。

 脅しは効果的で、グリムロックは怯んだ。まるでイジメられたか子供のように、「なんでそんなことするの?」と涙目にもなりながら……。

 ソレはこっちのセリフだ。

 

「お前がまずしなきゃならないことは、お前の奥さんを、グリセルダさんを殺した償いだ。ソレを棚に上げたままで、全部リセットして、幸せになろうなんて……虫が良すぎるんだよッ!」

 

 最後は、こみ上げてきた怒りのまま、吠えていた。

 すると、改めて気づけた。オレ自身の怒りの正体を、胸の奥底に宿っていた灯火を。

 気に入らない。コイツだけは認められない―――。オレだけの話じゃない。諦めて生き抜こうとしている全てのプレイヤーにとって、侮辱に他ならない。今までの全てを/苦しみを/戦いを、無かったことにさせられてしまうから。……嘲笑われるなんて、冗談じゃない!

 

 オレの意気の余波か、カインズも呼応してくれた。揺らがされた迷いから醒めて、グリムロックを強く見据えた/敵対を決めた。

 グリムロックは、まさか拒絶されるなんて思いも寄らなかったと、オレ達の完全拒絶にオドついていた。

 どこまでも身勝手な奴だ……。もはや止めるモノなどない、語る言葉もない。背中の愛剣に手を伸ばした。奴の性根ごと叩き切るのみ―――

 抜刀する、その寸前、

 

 

 

「―――贖罪に、何の意味があるのですか?」

 

 

 

 いきなり、エイリスが喋った。

 綺麗すぎて人間味の無い声が、遮ってきた。

 

「…………なに?」

「幸福よりも、大事なことなのですか?」

 

 問いかけながら装置へ歩み寄り、驚かされている隙にポチリ……ボタンを押した。

 直後、装置が唸りを上げた。転移時によく似たライトエフェクトが煌く―――

 

 突然の行動と、何よりも意思表示に、グリムロックですら唖然としていた。

 エイリスは装置から手を離すと、グリムロックへと向き直り―――謝罪してきた。

 

「グリムロック様。ご会談に割り込む形になってしまい、大変申し訳ありませんでした」

「え? い、いや……構わないよ」

「お心遣い、ありがとうございます。

 少々時間がたてこんできましたので、僭越ながら、始めさせてもらいました」

 

 その言葉でようやく、現実味のなかった空気が晴れた。

 息を飲まされた。カインズはゾッと、顔を青ざめさせられてもいる。

 

「予めご説明はさせてもらいましたが、プレイヤーへの上書きは少々時間がかかります。ご希望により、被験者の記憶を消す作業も追加されていますので……あと2分ほど、お待ちください」

 

 2分―――。たったそれだけ。それだけでヨルコさんは……いなくなってしまう。

 彼女の説明が本当に正しいのかは、わからない/確かめようもない。だが、見た目からも瞬時に終わるモノではなかった。……まだ助かる可能性はある。

 隣に目を向けるとカインズは、この世の終りとうわ言のように「ヨルコ……そんな、ヨルコが……」と絶句していた。

 なので、無理やり肩を揺って、正気に戻させた。

 

(カインズ……カインズッ!)

「へッ!? ……な、なに―――」

(気をしっかり持て! まだ大丈夫だ)

「で、でも……そんなこと、わかるわけ―――」

(だから、お前の力が必要なんだ。……それと声は潜めろ)

 

 全く根拠などないが、ここは言い切るしかない。

 強く断言したことで落ち着けたのか、敵対心を取り戻してくれた。……よし、これならいける!

 

「カインズさんについては、改めて後ほど、ということでよろしいですか?」

「ッ!?

 そ、そこまで、ヘッドはしてくださるのか?」

「ソレが、グリムロック様の願いでは?」

 

 小首をかしげて返した。不思議なことを訊かれたと、罪悪感など微塵も感じさせない純粋さで―――

 思わずゾッと、背筋が凍った。異常なモノを見せられた。

 こいつは敵だ―――。それも、予想をはるかに上回る難敵だ。ジョニーやザザに匹敵するかも知れない。……クソッ! 全くのノーマークだった。

 襲撃計画は下方修正しなければならない。

 

(オレがあの女を抑えるから、お前はグリムロックを、あの装置を破壊してくれ)

 

 かなり無茶な指示を出すも、頷いた。……やるしかない。

 

 愛剣を掴み直すとそのまま/納刀のまま、ソードスキルを放った。

 剣全般スキル・特殊技《抜刀術》―――。鞘のこい口から剣を抜かず、横から透過しながら抜刀、そして急襲する。相手の意表をつける技だ。

 突進しながら、背負い振り上げた。グリムロックを狙って―――

 

 しかし―――キインッ、寸前にエイリスが立ちふさがった。

 

「―――キリト様、でしたね。何か御用ですか?」

「ああ。今すぐ消えてくれ」

 

 返答と同時に―――パァンッ、鍔迫り合いからエイリスの剣ごと、はね上げた。

 戦闘開始だ。

 

 

 

 

 

 

 

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64階層/シェオール 狂気

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 奇襲からの鍔迫り合いで―――パァンッ、弾けた。

 剣で押しながら飛び下がる、互いに距離を開けた。

 

 間髪入れず再び、踏み込んだ。両断する勢いで斬りかかる。

 しかし、エイリスは予期していたのか、剣の腹で受け止めた。さらに斜めへ、衝撃を流してもくる。

 跳ね上げられ、懐がガラ空きにさせられる前に、即座に切り替え/引っ込めた。

 

 再び膠着状態。ただし初めて、彼女の武器を見た。……【片手剣】と【片手斧】の間の子、鉈だ。

 女性の武器には、それも箱入り娘そうな色白で細腕には、似つかわしくない。アスナのような細剣か、フジノさんのような小刀ならまだ枠内だった。だけど逆に、その不釣り合いが鉈の凶器の側面をより引き出していた。もしも刃に血が滴っていたとしたら、気にせざるを得ないほど強調される、不気味なまでに。……最も嫌な相手も、思い出してしまう。

 不釣合いな不気味さに目を引かれるも、実際問題としても気を引き締めさせられた。間の子系の武器は、使い勝手が悪く性能も今ひとつ、特にソードスキルの威力や回転率が落ちるので、ほとんどのプレイヤーは好んで使わない。しかし、システム外スキル【剣技連結(スキルコネクト)】を使いこなせるプレイヤーにとっては、違う。単発攻撃であろうとも、同系統のスキルは連結が難しい。なので、オレや大半のできるプレイヤー達は、主武装と【体術】を混ぜながら連結させている。それが間の子の武器だと、簡単に切り替えることができる、【体術】以外の幅を持つことができる。

 武器の種類から、彼女はデキる方/使ってくるとも察せられた。ソードスキルの持続時間と威力は彼女が上だ、隙を作ったら呑まれる。……厄介な相手だ。

 

 なので、先手必勝。再び距離を詰めた、斬りかかる。

 息付くヒマも無い/力押しの連撃で、エイリスに防戦を強要する―――

 攻勢に次ぐ攻勢こそが、オレの本領だ。打ち合い続ける接近戦ならば、ソードスキルを出す暇もないだろう。……そもそも、時間が無い今はそうするしかない。

 それでも、尽く捌かれ、防がれた。カインズの下へ駆けつけられない。

 焦れそうになる心を抑えながら、必死で隙を抉りだそうしていると、

 

「―――借金は全て返済すべきなのか? どんな高利であっても? そもそも、『貸す』という行為そのものが浅ましいとしても?」

 

 唐突にエイリスが問いかけてきた。

 

「利息を払わせているのは、破産されるのを折り込んでいるからではありませんか?」

 

 見る目がなかった相手が悪い……。キンキン撃ち合う中、涼しげに自問自答してきた。

 立場は自分が上、スポンサーはごまんといる。もっと良い相手を選び直すだけ……。何の話なのか察するも、黙ったまま剣を振った。

 ソレが答えだと受け取られたのか、続けて語った。

 

「この世界・ゲームは、プレイヤーに多大な心理的負荷をかけている。毎日が生存競争です、他プレイヤーだって信じきれない。いつ・誰に・何に殺されるか、わかったものではありません。

 ただの遊びのつもりだった。こんなこと望んでいなかった。なのに、無理やり強制させられている」

 

 プレイヤー皆の気持ちを代弁するように、しかし無機質に言った。

 無口だと思ったら、よく喋る……。おおよそ狙いは読めてきた。付き合うのは癪だが、ここらで釘を刺すしかない。

 

「悪いのは全て、茅場晶彦か?」

「そうは言い切りませんが、大部分は彼の責任でしょう」

 

 まともな返答は少し、意外だった、まだ冷静さが残っていたのかと。

 しかしすぐに、改めた。……エセ宗教の勧誘と同じだ。

 

「もちろん、グリムロック様がグリセルダさんを手にかけた責任はあります。しかし、その責任範囲は、牢屋のような場所で一生涯を潰しながら鬱々と過ごさなければ務まらないモノ、では決してないと思われます。―――貴方も、そうであるように」

 

 瞬間、ゾクリと、首筋が泡立った。気が飲まれそうになった、斬撃まで鈍りそうになる。

 その奇妙な引力に、確信させられた。コイツ、オレの過去を知ってやがる……。どこかで調べたのか、奥底のまだ癒え切っていない部分にまで触れてきた。

 何とか声は出さずも、眉をしかめたのが見られた。

 

「この世界に歪まされたプレイヤー全員、幸せになるべきです。特に、グリムロック様のような、本来ならやるはずのない行動へと誘導されてしまった方々は、そうあるべきです。

 己が幸福を追求する。ソレこそが、お亡くなりになったプレイヤー達への本当の弔いになると、愚考します」

 

 そう言い切ると、古風な淑女かメイドがやるような礼をするかのように、目礼してきた。……外見だけならば、思わず顔を赤くして目を逸らしてしまいそうな、素敵な微笑みだ。

 彼女の言い分は、ある程度はその通りだ。誘導させられたというのは、あながち間違いではない。牢獄の中で鬱々と自罰するよりも、周囲に振りまけるぐらい幸せになった方がマシだ。しかし/だからと言って、今やっていることは許されることじゃない。

 やはり、彼女はレッドだった。聞く耳など持たなくていい。―――もうお喋りは、終わりだ。

 

「なら、オレの幸せのためにも、さっさと―――くたばれ!」

 

 啖呵を切ると、切り札をきることにした。

 腰に巻いたポシェット/追加アイテムストレージに、空いた片手を突っ込んだ。必要なアイテムを呼び出すコマンドを念じた/脳内入力。すると、手のひらに硬い/馴染んだ感触が現れた。そのまま握りしめると、抜き出した。

 二本目の剣/リズベットに用意してもらった剣を、抜き放った―――

 

「ッ!? ―――」

 

 瞠目も刹那、漆黒の愛剣に雪色の斬光が、重なった。

 そして、二本でエイリスの鉈を挟み込むと―――パキィンッ! 砕いた。

 澄んだ破砕音が、刃の欠片とともに響き渡る。

 

 【二刀流】―――。装備した片手で扱える二本の武器から、ソードスキルを引き出すことができる。入手経路や条件は不明、気づいた時には手に入っていた。なのでおそらく、エクストラではなくユニークスキル。……オレの切り札だ。

 さらに【武器破壊(アームブレイク)】―――。システム外スキルの一つ。タイミングとポイントを合わせることで、武器の耐久値を無視して破壊してしまえる技。本来の使い方では、もう少しシビアな状況が必要とされるが、二本装備している今では鍔迫り合いでも使える。

 やられたエイリスは、驚愕の表情を浮かべていた、信じられないと。……当然だ。切りたくもない切り札を二枚も、切ったのだから。

 

 エイリスは、破壊されたことで驚くも、すぐさま武器を手放し後退。距離を開けようとした。

 しかし、即座に愛剣を手元に寄せての、追撃の突進。体当たりしながらの突き/順手に持ち直した二本目も合わせて、追いかけた。逃がすか―――

 

 目を見開かれるも、すぐさま転身/横にスライド移動。先に突き出した二本目の突きは躱された。

 突き出した腕の影に隠れる位置だが、体勢は崩れていた。……もう躱せない。

 すかさず、愛剣の突きをお見舞いした。

 

 しかし、突き刺した/肉の柔らかい感触ではあらず。固くなおかつ逸らされような感触だった。

 腕を引いて確認すると……わかった。

 エイリスは自らの腕を使って、刃を受けそして致命傷から逸らした。その代償として、傷口からは鮮血が吹き出ていた。片手はほぼ皮一枚でつながっている状況だ。

 

 普通のプレイヤーなら、これで止まるだろう。仕切り直しになるはず。あるいは最悪、今度は態勢が崩されたこちらが、反撃を受けるかも知れない。

 だけどオレは、ソロでしかもビーターだ。敵は完全に沈黙させる。それまでは止まらない/止めたら生きていなかった。生存本能として染みこませていた。だから―――繋げていた。

 突き出した勢いはそのまま、軸足を切り替え回転し―――蹴った。今度はこちらが死角だ。

 

 さすがに対応しきれなかったか、残った片手を割り込ませただけだった。

 衝撃は散らせず。ゴキッとの鈍い音ともに、エイリスは吹っ飛ばされた。受身も取れず背中から地面に倒れ、転がされていく―――

 

 足を着地させると、まだ止まらず追撃/仕上げ。

 吹き飛ばした彼女を追いかけ、止まりかけを狙ってもう一度―――肩を突き刺した。地面に縫い付ける。

 さらに、反対側を足で踏みつけながら抑えると、もう一本、痛みと呻きで思わず開けてしまっていた喉に―――ピタリ、鋒をあてがった。

 

 

 

「―――お前はレッドの一員、だよな。なぜグリムロックに協力してる?」

「【ラフィン・コフィン】ということでしたら、そうです。おっと! 自己紹介がまだでしたね」

 

 自分の状況などまるで頓着していない/笑みを絶やさぬ様子で、遅すぎる挨拶をしてきた。

 

「大頭目より、グリムロック様夫妻の真なる願いを叶える手伝いをするように、遣わされました。【エイリス】と申します」

 

 以後お見知りおきを……。このような格好で申し訳ありませんと、苦笑に込めながら。

 あまりのネジの外れ具合に、意気が押されそうになった。ので、無視した/睨み直した。

 

「……今すぐヨルコさんを解放しろ」

 

 でなければ―――。喉に突きつけていた鋒に、力を込めた。……これでも強がれるなら、強がってみろ。

 意図はちゃんと伝わったのか、黙って剣を/オレを見つめ返すと、おもむろに答えた。

 

「ご安心を。コレはただの人形ですので、貴方が罪を犯すことにはなりません」

「元よりそのつもりだよ」

 

 どっちであってもな―――。脅しを越えて、殺意にまで研ぎ澄ませた。……コイツは生かしておくよりも、ここで始末したほうが安全だ。

 

 剣をそのまま突き刺す―――寸前、引き戻した。殺意も引っ込める。

 

「…………やらないのですか?」

「お前には、これから聞くことが山ほどあるからな」

 

 やるのはその後だ……。視線にそう込めると、完全に殺意を引っ込めた。

 本人なのか、操られただけのNPCなのか、判別できない。プレイヤーカーソルも当てにはできない。現に今、彼女の頭上にあり、【決闘】以外で攻撃したオレのカーソルはイエローになっている。……ジョニーの件もあり、本人である証拠にはならない。

 何より、NPCであろうとも人間だ。少なくとも命だ、むやみに傷つけたりまして殺してはならない。システムのルールに抵触する以上に、オレの倫理観による制限だ。容疑者だから/邪魔だからといって殺害することは、越えてはならない一線だ。……レッド達とは違うと言い切れる根拠でもある。

 説明してやる気や義理もないので、黙ったまま/訝しがれるままにした。

 

「もしかして……『ドール』の製造法、ですか?」

 

 まさしくその通りだったが、反応は返さず。

 しかし、ソレで肯定だと察したのだろう。一瞬亜然と、目をぱちくりさせられた。

 

「―――驚いた。知らないのですか、貴方が?」

 

 こんな単純で、簡単なことを……。予想外のエイリスの反応に、オレの方が訝しがられた。……何のつもりだ、ここにきてハッタリか? 意外と往生際が悪い奴だ。

 しかし、様子を伺うも……嘘は感じられなかった。彼女は本当に驚いている、互の認識が食い違っていることに。

 

 どうなっているのか? オレはコレを知っているべきだったのか、オレ/レッド達以外の『誰か達』が知っているように? ……さらなる疑念が沸いてきた。

 訊きだすかどうするのか、悩まされていると……目の端に、転移の光が映った。

 光源へ振り向くと、祭壇に捉えられていたヨルコさんともう一人だった。ライトエフェクトに包まれると、燐光をまき散らしながら―――消えてしまった。

 二人はどこかに、転移させられてしまった。

 

 

 

 突然の出来事で、唖然とさせられた。ただし……エイリス以外。

 カインズにしがみつきながらも、必死で押さえ付けていたグリムロックすらも、思いもよらなかったらしい。消えた祭壇を凝視していた。

 

「な、ど……どういうこと、だ? なんで―――」

「ご安心を、グリムロック様。施術のための最後の仕上げでございます」

 

 怯えるグリムロックを、エイリスが宥めてきた。

 

「最初が肝心なのです。せっかく奥様として仕上げたのに、目覚める場所がここでは……具合が悪いでしょう?」

「!? ……そ、そうだな。確かに、その通りだ」

 

 説明にグリムロックは安堵の吐息をこぼすも、カインズは顔を青ざめさせていた。

 

「それじゃ、何処に……転移したんだ?」

「ご自宅てお待ちになってるはずですよ。……今の時間でしたらまだ、お休みになっているはずです」

 

 間に合わなかったか……。遅かった、カインズは止められなかった。……2分とは、ソレも含めた時間だったのか。

 カインズは敗北にガクン……と、力を抜き落とした。立っていられないのか、茫然と膝立ちで絶句させられた。逆にグリムロックは、勝利から満面に喜色を浮かべ始めていく。

 

「そうか……そうだな。そっちの方が好都合じゃないか!」

 

 ひとり言を呟きながら、何かを納得すると―――ニンマリ、嗤った。

 

 

 

「さぁカインズ、今度は私たちの番だよ!」

 

 

 

 消沈しているカインズへ、狂気を浴びせてきた。

 

 やばい―――。本能が警告してきた。このままで最悪な事が起きる、起きてしまう。今すぐ奴を止めなければ……。

 しかし……今は動けない。エイリスを抑えておかないといけない。身動きがとれない。

 

「君のヨルコは、もうどこにもいない。私のユウコの一部になった。……君にとっては、悲しい現実だね」

「ッ!? ……お、お前が―――」

「私を痛めつけても無意味だ、辛いだけさ。もうヨルコは、戻ってこないのだから!」

 

 絞め殺さんとまで掴みかかってくるカインズに、高笑いまで浴びせてきた。天井知らずの歓びが/底抜けの悦びが、カインズの殺意を掣肘していた。

 しかし……無くなってはいない。どんどん高まっていく、グツグツ煮えたぎり続ける、危険なほどにも。

 グリムロックも、消すつもりなどないのか、さらに焚きつけてきた。

 

「君のおかげだ、君のおかげなんだよ。君が全てのお膳立てをしてくれたんだ!」

 

 ありがとう、ありがとう、アリガトウ……。見当はずれの感謝が、カインズを黙殺してくる。

 さらに、オレへと視線で意識を誘導させると、

 

「彼から猶予をもらったのに、止められなかった。私を殺せば届いたのに、躊躇った。君がヨルコを見殺しにしたんだ」

 

 それなのに、のうのうと生きている。本当に助けたいとは想っていなかったから……。時間や戦闘力も関係ない、決断力の無さを抉ってきた、偽善者めと。

 奥歯を噛み砕くような音が、カインズから聞こえてきた。

 

「君はその程度の人間なんだ。誰かを本気で愛することなど、いや何かを成し遂げることすらできやしない。

 ただ生きて死ぬだけの、下らない半端者だ。この世界に住んでいるNPC達と、何も代わりはしない。いや、プレイヤーであるだけ最悪だよ!」

 

 熱狂に浮かされながら、言いたい放題に罵倒し続けた。

 カインズはただ黙って、しかし項垂れることはせず、睨め上げていた。沸き起こってくる黒い感情を、さらに暗く鋭く圧縮させながら、顔つきにまで憤怒が滲みでていた。まるで段々と、別人に入れ替わってしまうかのように……。

 

 臨界点まで、もうわずかしかない。オレがやるしか―――

 その焦りを、掴まれた。

 

 

 

「―――キリト様。あの戦い……いえ()()()()を、止めたくはありませんか?」

 

 

 

 エイリスもまた、焚きつけてきた。己の命を賭け金にのせながら、底のない虚そのもののような嗤いを浮かべながら。

 思わずビクリと、眉を上げてしまった。剣にまで震えが伝わってしまった。

 

「援軍が来るのを待っているんですね。あと少しの辛抱だと。

 ですが……その程度で止まりますか? どちらかが死なずに、終われるんですか?」

 

 ここで止めても、殺し合いは続く、双方が滅びるまで……。今度はカインズが復讐に走る。憎悪を滾らせながら/世界を呪いながら、ひたむきに誰も何も巻き込んで、崩壊まで願い続ける。

 

「現実でしたら、もしかしたらカインズさんの器量で、アレを受け止め切ることができたかもしれませんね。……そのような聖人には見えませんが」

 

 グリムロックに向けている顔は、明らかに殺意が乗っていた。激憤が顔を歪ませ、傷として刻みつけていた、決して忘れない/忘れるなとばかりに。……傍目でもゾッとさせられるような、彼にそんなモノがあったのかと戦慄させられる。

 

「ですがここでは、不可能です。ゲームシステムによって、人の微細ながらも大切な感情は切除されてしまうから。今のカインズさんなら、グリムロック様への『憎しみ』と『怒り』以外何も、浮かべられない」

 

 その結果生まれる『殺意』が、これ以上膨らまないうちに……。殺意を止めてくれる黄金の架け橋など、この0と1の世界では生じない。誰か/まだ汚染されきっていない第三者が、止めるしかない、伝染してしまう前に。

 そして今/ここで、ソレができるのは―――

 

「貴方だけです。貴方だけが止められるのです、今ここで」

 

 まるで預言者のように、託宣してきた。

 

 息をのまされた。拒絶できない、否定しきれない。引きずり込まれる……。

 だからか、勝手に『最適解』が浮かんできた。そのために、オレがやるべきことは―――

 

「……お前を殺し、グリムロックも……か?」

 

 オレの答えにニンマリと、禍々しい笑みを浮かべた。まるで厳格な教師が、優秀な生徒を褒めるかのように。

 

 運命のイバラが、逃れられないよう絡みついてきた。引きずり込まれる……。

 そして最後に、オレを駆動させてしまう呪文まで、唱えてきた。

 

 

 

「『ビーター』たる務めを、果たしてください。さすれば……貴方の疑問にもお答えいたしましょう」

 

 

 

 天使のように悪魔のように、そのどちらでもあるかのように囁いてきた。

 貴方はもう、『脇役』には逃げ込めない……と。

 

 

 

 

 

 

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長々とご視聴、ありがとうございました。

感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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64階層/シェオール 逮捕

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(どうすれば、どうすればいい……?)

 

 エイリスを抑えながら、思考をフル回転させた。彼女に引きずり込まれるの拒否し続ける。 ビーターたる務め……。オレに課せられた、みなから託されている役目。プレイヤー達がゲームクリアを諦めてしまうことを防ぎ、引っ張り上げるためのアドレナリン。今回の件は個人的な問題の枠内に収まっていたが、もう違う。巻き込まれて取り込まれ、足を引っ張ってくる。

 彼女の言うとおり、オレの案件だ。……なってしまった。

 だが/だからと言って、そうすべきだとはどうしても思えない。言葉にはできない直感の警告。切り捨てれば終わりなわけがない、新しい根の深い問題の始まりに過ぎない。それこそが彼女の/レッド達の狙いだ。……信じきるにはもどかしくて辛いが、オレにとっては正しい指針なのだと信頼している。

 

(考えろ、考えろ! 何かあるはずだ―――)

「―――さぁカインズ、もうどうしようもないんだ。さっさと済ませてしまおう」

 

 グリムロックの扇動が、オレの思考を中断させてきた。

 感情を黒く凝らされたカインズは、臓腑から搾り出すように吐きつけてきた。

 

「お前をここで……ぶちのめす。そして、引きずってでも連れていって、洗いざらい白状させる」

「そんなことをして、何の意味があるんだい?」

 

 虚しいだけじゃないか? ……呆れながら、ため息をこぼしてきた。みっとも無いとも、嘲りを越えた哀れみを込めて。

 それでも変わらず/より深く睨みつけてくるカインズに、大人としてか諭してきた。

 

「……君はそれで、私に復讐できて満足できるだろう。でも、()()はどうだ? そんな真実など知ってどう思う?」

 

 真実は残酷なものだ。傷つけるだけなら、(うそ)であった方がいい……。突き通し続けられると、自分の望みでもあるからだと。

 そこで初めて、カインズは怯まされた、自分と奴との絶対にわかり合えない壁に。

 

「今の彼女を幸せにできるのは、私だけだ。君では決して、無い」

 

 お前は邪魔なだけだ―――。そしてグリムロックもあからさまに/傲慢に、敵意を差し向けてきた。

 

「君の後悔は全て、私が引き継ごう。必ずや幸せにしてみせる。……勇気を出したまえ」

 

 今度こそな……。助けられなかった事実を蒸し返しながら、最終勧告をした。

 これ以上言葉を交わすことはない。後はただ、暴力の出番だ。どちらかが潰れるまで、止まらない。……この世界では/今日まで生き延びたプレイヤーならば、泣き寝入りなどしない。

 

「―――いくら待っても、状況が好転する事はありえまえせんよ」

 

 エイリスからもまた、促されてきた。早くして欲しい/何時でもいいよと、優しげで淫らでもあるような誘い……。

 ゾッとさせられた。

 両手を使い物にならないほどに痛めつけられ、肩を刃物で貫かれ、踏まれながら地面に押さえつけられている。そして喉元には、致命の刃を差し向けられてもいる。そんな女性とは、とてもじゃないが思えなかった。ソレをやっているオレ自身の現実感覚/罪悪感まで狂わされる。取り込まれて、肯定されてしまう……。 

 今すぐ振り払いたい/逃げ出したいが、できない。するわけにはいかない。

 気持ち悪さをグッと飲み込む。腹に力を込め直した……。

 

 すると、おぼろげだった疑念が、形になって浮かんできた。

 見過ごしてしまった疑問。どうして、ヨルコさんだけでなくもう一人も、転移させる必要があったのか? グリムロックにとってはもう無価値なはず、ヨルコさんさえいればいい。それなのに、彼女までここから転移させなければならない理由は? ―――レッド達の思惑……?

 ことの始まりの疑問。ジョニーはザザはエイリスは、なぜグリムロックに手を貸した?

 何がが一本繋がりそうな予感、オレが本当にやるべきこと。状況をひっくり返せるだろう何かが、浮かんできそうだった。

 しかし、エイリスに問いただそうとすると、

 

「―――お前が、お前さえ……いなければ。いなければ……いなければぁァァーーーッ!!」

「ッ!?」

 

 急いで振り向かされると、カインズが爆ぜてしまったのが見えた。

 激情のまま武器を抜くと、そのままグリムロックの元へと駆けた。ライトエフェクトをまといながら、呼応するような紅蓮の煌きで、突進型のソードスキルを放つ。

 先までとは違い、明確な殺意を込めて―――

 

「やめろ、カインズゥーーー!! ―――」

 

 叫びながら咄嗟に、片方の剣/エイリスの喉に当てていた剣を投擲した。

 剣はブンブンと回転しながら、カインズとグリムロックの境界へ。グリムロックを殺そうと突撃するカインズを……寸前、割り込めた/止めた。

 

「―――ッ!?」

 

 突然飛んできた/地面に突き刺さった剣に、カインズは突撃を中断させた。

 ギリギリ、彼が罪を犯してしまうのを止めれた。

 

 しかし、その隙をつかれた。

 エイリスがいきなり、上体をはね上げてきた。オレの剣で地面に縫い付けられているのに、無理やり。自分から縫い付けられた体を切除するように、片腕を強引に引きちぎりながら―――

 

 わかってはいた、こうなるとは……。だけど、対応が遅れた、遅れざるをえない。

 気づいた時には、エイリスの顔が目の前にあった。色を感じさせない、捕食者の顔。

 無防備を晒している硬直時間の中、口を大きく開けられると、その犬歯でオレの首筋を―――噛み付いた。

 

「つぅッ!? ―――」

 

 噛まれたまま、押し倒された。

 背中を地面に強打。その衝撃がわからなくなるほど、すさまじい力で噛み付いていた。首の皮だけでなく肉まで歯が突き刺さってくる―――

 奇矯すぎる攻撃に混乱させられるも、本能的な恐怖から瞬時に振り払う。転げた勢いも使って、蹴り上げようとした。

 

 その寸前、察せられてよけられた。蹴りを空を叩いた。

 パッと飛び去られた。同時にブチリ、血肉を噛みちぎりながら……。

 

 急いで立ち上がり、剣を構えた。

 そのまま追撃しようとするも……クラリ、力が入りきらなかった。倒れそうにもなった。

 気づけばプシュリと、噛み付かれた傷口から鮮血が吹き出していた。さらにはドボドボと、半身を腰まで赤く染め上げていく。

 思わず手で押さえた、傷口を抑えつけた。それにほとんど/HPの減少の停止や【大量出血】の対処療法としても意味は無いのだが、現実の危機感覚が抜けきらない。まだ綺麗なゾンビにはなりきれてない。……首が一部でも破れているのは、生物として死を感じさせる。

 

 

 

「ウフフフ……。甘い甘い、なんて甘すぎるんでしょう♪」

 

 

 

 オレの血で汚れた口のまま/気にすることもなく、恍惚な笑みを浮かべていた。ウットリしながらオレの血を堪能し、淫らな吐息を漏らす……。

 息を飲まされた、図らずも全身に鳥肌が立った。

 その姿はまるで―――吸血鬼だった。

 

「でも……まだまだ。まだこんなにも青いまま、熟しきってない。これからもっと、なのですよねぇ……」

 

 悩むわ……。今すぐ食べてしまいたい。けど、もっともっと味を追求したい。今は我慢するしかない。

 おぞましさに戦慄させられるも、頭は彼我の戦力差を計算していた。その確かな数字が、怖れるなと励ましてくる。

 HPは半減域を下回り、主武器は破壊され、両手は使い物にならない。おまけに、片腕を引きちぎった際に【出血】のデバフまで付いている。客観的にみても、まだ余力があるオレにそんな瀕死の彼女が勝てるはずがない。例えどれだけ狂気で補填しようが、このゲーム内では切り捨てられる。

 

「……大丈夫か、エイリス?」

「ええ、ご安心を。―――もうカタはつきました」

 

 グリムロックを安心させるように、口元の血を拭い取ると、いつもの微笑みを向けた。

 ただのハッタリ……とは言えなかった。直感が警告してきた。オレは何かをされた、致命的な『何か』を―――

 ハッと、傷口に目を向けた。気づかされた。

 

(ッ!? やばい―――)

「うぐぉッ―――!?」

 

 急いで処置しようと、足のポシェットに入ってる丸薬を取り出そうとしたが―――ガクンッ、膝から力が抜けた。指先や手にも力が入らず……ポロリ、つまんでいた丸薬を落としてしまった。

 脱力は一気に全身へと伝染し、立っていられず……崩れ落ちた。

 そのまま地面へとうつ伏せに、倒れてしまった。

 HPバーを見ると、そこには……【麻痺】の警告があった。

 

(……歯に、毒を仕込んでいた……のか)

 

 どうやってかはわからない、詰め物か義歯にでもしたのだろう。使い方を誤ったら自分が【麻痺】してしまうのに、いつ染み出して飲んでしまうかもわからないのに……。

 そもそも、モンスター相手には使えそうにない暗器だ、人/特に他プレイヤーとの敵対を想定しなければ。

 

「き、キリトさん!? 大丈夫ですかッ!」

 

 心配して駆け寄ろうとするカインズにすかさず、エイリスが接敵した。まるで瞬間移動でもしたかのように、目の前に立ち塞がる。

 

 驚きながらも、武器を振るおうとした。寸前―――決まっていた。

 いつの間にか、取り出していた短刀をスっと、カインズの鎧の隙間に刺した。まるでそこに嵌めるべくして、磁石に引き寄せられたかのように自然と。

 

「え? な―――」

「お休みなさい。カインズさん」

 

 耳元で囁くと、短刀を引き抜いた。細い針、ペーパーナイフのように見える短刀。

 その直後、武器を振り上げた姿勢のまま固まり、カインズもまた倒れた。

 一体何をされたのか? 倒れてから、艶然と微笑むエイリスを見上げた時、ようやく気づけた。……その時にはもう、遅すぎた。

 何とか身震いさせながら保とうとするも、徐々に鎮められていき……止まった。目も閉じられる。コトリと、握っていた武器もおちた。

 急いでHPバーを【鑑定】で確認してみると、【昏睡】のデバフがついているのが見えた。

 

「自決用に使おうかと思いましたけど、せっかく機会を頂いたので、使わせてもらうことにしました」

 

 キリト様、感謝致します……。そう言うかのように、礼を込めて視線を向けてきた。

 歯噛みする、噛み砕くように強くギリリと。なんてバカなことをしたんだオレは……。

 こうなるとおおよそは、わかっていた。わかっていながら選んだ、コレこそ正しいのだと。でも、後悔している。ちゃんと始末しておけばよかったと、間違っていたのではないかと、自分の力量を見誤ってしまったと。

 自分だけの問題ではなかった。カインズまで賭け金に乗せていた身勝手さを、改めて突きつけられた。

 

「グリムロック様。このままカインズさんの件、進めさせてもらっても……よろしいですか?」

「え? あ……ああ! 頼む」

 

 心構えはとうにできている……。グリムロックの快諾に、エイリスはニコリと/「それでこそです」との微笑みで答えた。

 

「キリト様、恐縮ですがしばらく、そこで大人しくしてくださいませ」

「やめろ、やめさせろ! カインズを離せ!」

「申し訳ありません」

 

 礼儀正しく聞く耳持たず。……もうエイリスとの交渉は無理だ。

 

「グリムロック! そんなことをしても、無駄だ。オレ達は全部知ってるんだぞ!」

 

 割り切って、グリムロックの動揺を誘ったが、すぐにエイリスに遮られた。

 

「真実が知れ渡るには時間がかかります。奥様と再会して記憶を定着させ、互いに新しいお体に馴染むのには、充分間に合います。

 その後、魂を凍結処理して深部に保存。ゲームクリアまでは、本物のヨルコさんとカインズさんが、お体を動かすようにします」

 

 もちろんクリアしたら、現実の彼らの体に戻るのは、グリムロック様達です……。ぬかりなど何一つないと、余裕の微笑みで安堵させてきた。

 

「と、凍結処理!? そんなのは聞いていないぞ?」

「保険でございます、秘密裏に行えなかった場合の。……ご不便をおかけしますが、ご容赦ください」

 

 お前の責任だぞと、含めるかのような言い知れぬ威圧感に、グリムロックは不満を飲み込まされた。

 

「眠ってもらうようなものです。その間、カインズさんがお体を動かしているのを夢見ているような感覚になります」

「それは……ぞっとしないな」

「申し訳ございません。ただ、カインズさんの意識が薄れたり眠った場合は、意識の表層に上がり体を動かすことができますよ」

 

 あまり頻繁にはやめた方がいいですが……。苦笑しながらの忠告。

 周りに不審がられる。あるいは、カインズ達に悟られでもしたら、どうなるかわかったものではない。……その後、当然起こるだろう悲劇を、はっきりと指摘してやった。

 

「騙されんな! 二人に気づかれて、自殺でもされたらどうするつもりだ!」

「そうならないよう、キリト様にもご協力頂きたいものです」

 

 なんでオレがそんなことしなくちゃならない―――。睨みつけるも、万が一にもそうなってしまったら……考えてしまう。オレはどうするんだろう? 

 真実を告げるのか、それとも誤魔化してしまうのか? ……わからない。だが知ってしまった以上、二者択一しかない。そしておそらく、オレとして立ち往生してしまうのなら/選択を放棄してしまったら、『ビーター』としての苛烈さが決める事になるだろう。

 

「君のような攻略組とは違うんだよ。

 ヨルコはわからないが、カインズはそこまでの決断ができる男じゃない。カインズが迷えば、ヨルコもまた躊躇うだろう、さすがに一人では逝けないしね。『もしかしたら嘘かも知れない』と、クリアまで思ってくれるはずだ」

 

 グリムロックが、オレが次に指摘するだろう言葉を封殺してきた。

 見当はずれだったが、それもまた一つの可能性/計画の綻びだ。今までのカインズがそうであっても、これからもまたそうだとは限らない。

 オレには命綱なしの綱渡りにしか見えないが、グリムロックにはバラ色の未来が見えているのだろう。あるいは、見続けたい/見ようとしないのか。……もうどうしようもない。

 

「それではグリムロック様、お手数ですが、カインズさんをお願いします」

 

 腕がこうですので……。指示されたとおり、カインズを彼女の元まで引っ張っていく。

 させじと、何とか体を/腕だけでも動かそうとしたが……できなかった。

 かなり高いレベルの【麻痺】が決まってしまったらしい。末端だけでなく全身が、分厚いゴムのスーツでも着ているかのように微動だにしない。ジョニーの一件から防御を強めたつもりだったが、傷首筋からの直接の注入では、どんな防御も無意味だ。

 

(くそッ! もうダメなのか……)

 

 オレが止めてしまったせいで……。選択を間違えた、やるべきだった。

 そう疑いかけた時―――視界に着信が見えた。

 親密度の高い【フレンド】同士でできるショートメール/アインクラッド版SMS。伝えられる情報量はごく限られているも、通常メールよりも確実に早く届く、レスポンスも早い。おまけに、わざわざメニューを展開してから確認などの手間がなく、意識を/焦点を合わせるだけで読める。

 すぐさま確認すると、そこには……求めていた助けがあった。

 やっと来てくれたか―――。ギリギリ過ぎるが、間に合った。

 

「別の場所をご用意しております。ここは廃棄して、そちらに転移を―――」

 

 

 

「そこまでよ!」

 

 

 

 突如、エイリスを遮ってきたのは―――援軍を引き連れてくれた【血盟騎士団】副団長。アスナだった。引き抜かれていた美しい麗白な細剣を指揮棒に、号令を告げてきた。

 再会を喜ぶよりも何よりも/エイリス達が虚を突かれている今、まっさきに警告した。

 

「アスナ、その女はレッドだ!」

 

 唐突ながらも教えると、すぐに意図を察してくれた。

 躊躇うな―――。やらなきゃこちらがやられる、犠牲者が出る。

 

「カインズ!? そんな……」

 

 グリムロック、お前―――。同じく駆けつけたシュミットも、状況を見て驚愕/理解、怒りに顔をしかめていた。……まだ大丈夫なはずだが、今はそれでいいだろう。

 

 形勢逆転、敗色濃厚。

 察したエイリスはすぐさま、グリムロックに指示を飛ばすも―――見えた。微かに視界に映った/映せた。アスナと援軍の派手さに目を奪われた死角、先行していた尖兵の姿が。

 

「……グリムロック様、今すぐ転移を。ここは私が引き受け―――」

「―――てやる暇など、与えん!」

 

 凛々しげな一声と同時に、首を刈り取る一閃―――

 墨染の道着に黒曜の軽甲冑を身にまとい、頭には鉄板入りの額当て、口元はピッチリとしたマスクで縛っている忍者姿。そして何故か、真紅の長いマフラーをたなびかしている。

 【コドクの防人】の幹部の一人【グゼ】、通称『蜻蛉』だ。

 死角からの突然の忍者刀に、エイリスは避けきれず―――パックリと、喉を切り裂かれた。

 

 鮮血が噴水のように溢れ出た。二度目の【大量出血】。声も出せずよろけて、そのまま地面へと倒れてしまう。

 現実世界では致命傷だが、ここではギリギリ殺さない程度。本来なら【断頭】してしまえたが、捕獲するために加減してくれた。……全部説明せずとも、何をして欲しいのかわかってくれた。

 しかし―――

 

「……ちッ!」

 

 蜻蛉は舌打ちしていた。

 倒れたエイリスは、切られるとほぼ同時に、自らの左胸に自らの短刀を突き刺していたからだ。……自殺した。

 加減が仇となり、HPは0へ。倒れた彼女はそのまま、動かぬ屍となった。プレイヤーカーソルも消える。

 

「ひぃッ!?」

 

 怯えて腰を抜かしかけたグリムロックだったが、しかし、すぐさま転移結晶を取りだした。

 そのまま離脱しようと、呪文を唱えるが、

 

「て、転移、【ラオ―――」

「―――させるかぁぁーーーッ!!」

 

 寸前、シュミットが突進とともに突き出した馬上槍で、遮られた。

 正面からまともに受けてしまったグリムロックは、体をくの字に曲げられ、吹っ飛ばされた。そのまま岩壁へと叩きつけられた。……握っていた結晶は、たまらず落とし、あらぬ方向へと転がっていった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、おまちしております。


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64階層/ラーベルグ 転生

これにて、章終わり


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 まっさきに駆け寄ってきたアスナが、【解毒結晶】を使ってくれた。

 

「―――キュア、【キリト】」

 

 呪文を唱えられると、全身が光に包まれた。そしてフッと、のしかかっていた重みが抜け、心地よさが広がる。

 光が消えると同時に、【麻痺】から回復した。

 

 ようやく体の自由が戻ると、ゆっくり立ち上がった。パンパンと、ついていないだろう土埃を払う。

 恥ずかしさ隠しながら、感謝をつげた。

 

「……別に、結晶まで使ってくれなくてもよかったのに」

「はい。コレも飲んで」

 

 文句の代わりにぐっと、高レベルの回復ポーションを押し付けてきた。

 飲め……。無言ながらの圧力に、受け取らない選択なんてなかった。

 手に取るとゴクリ、飲ませてもらった―――

 喉から腹へ、ひんやりとした感触がこぼれ落ちていくと、節々の疲れも洗い流されていくようだった。

 同時にHPも、グングンと全快していく。エイリスに噛まれた傷跡も消えて……

 

「―――アレ? なんで【出血】消えてないの!?」

「へ? ……あ! 本当だ」

 

 指摘されて首筋を触ってみると……確かに、傷口が残っていた。無造作に触ってチクリ、微かな痛みが走った。

 小さくなってはいるものの、傷跡は回復してない。まだジンワリと、緩やかな流血が起き続けている。

 本来【解毒結晶】は、【死亡】以外の全てのデバフを一瞬で/一括で打ち消してくれる、頼りになる万能薬だ。【出血】とて例外にはならないし、体の傷口も修復してくれる。現状はありえない状況だ。

 ただ、傷口が残ってる/血は流れてるとはいえ、見た目だけだ。全快したHPは減っていない。傷口がある方の腕には若干、力が入りづらく感じるも、気にならないレベル/傷口があるとの認識が生んだ錯覚と区別できない。

 

 なので、驚くも無頓着に、時間が経てば治るだろうと気楽に構えていた。が、アスナの方が慌てた。

 腰の外付けポーチから《救急セット》を取り出すと、「看せて」と有無も言わさず治療させられた。【破傷風】を防ぐための薬剤やら、傷口を埋め合わせる粘着性の軟膏、キレイかつ肌触りも良さそうな包帯をグルグルと―――

 

「―――これで一応、大丈夫でしょう」

「サンキュー」

 

 どういたしまして……。そっけなく応えるも、満足はいったのだろう、安堵の色を浮かべていた/ポーチを戻しながら隠すように顔を逸した。

 首にしっかり固定、だけど呼吸が苦しくならないような絶妙な具合だ。触ってみても、簡単には取れそうにない、戦闘でも支障なさそうだ。伸縮性の高い包帯なのだろう、オレが使っているものよりも明らかに高級品だ。

 

「羨ましい限りでござるな、黒の剣士殿」

 

 あの閃光殿に看病してもらうなど……。いつの間に近づいていた忍者/蜻蛉が、ニヤニヤと笑いかけてきた。

 

「来てくれて助かったよ。後ちょっとでも遅かったら、ヤバかった」

「うむ、急いだつもりだが……ギリギリだったようでござったな」

 

 むしろ、ベストなタイミングだったかもしれない……。律儀にスマンと目で謝罪してきたので、小さく苦笑した。……それでは忍者ではなく、侍になってしまうのでは?

 蜻蛉/【グゼ】との出会いは、まだオレがビーターに成り立てだった時だ。彼もまた『蜻蛉』ではなく、忍者のコスプレをしているだけの一プレイヤーでしかなかった時だ。……そしてまだ、もう一人の相方が生きていた頃。

 

 旧交を温めていると、黙って見定めていたアスナが、複雑な表情を見せながら質問してきた。

 

「……蜻蛉さん。あそこまでする必要は、あったんですか?」

「ん? 『あそこまで』というのは……殺したこと、でござるか?」

 

 ダイレクトな/衒いもない物言いに、アスナの方が言葉を詰まらせた。

 踏み込み過ぎな危険な話題に、さきに釘をさした。

 

「アスナ、アレはあの女の自殺だ。彼は捕まえようとしてくれたよ」

「それでも、一歩間違えれば危なかったわ。実際……ああなった」

 

 ムスリと返してきたアスナに、また彼女の頑固病かと眉を顰めそうになったが……違った。

 どうしてあんなにも、躊躇いなく首を掻っ切れたのか……。話し合いで解決しようとする段階をすっ飛ばした横暴さ。普通なら忌避するであろうPK/殺人を、一切躊躇しなかった理由。

 蜻蛉も言いたいことを察したのか、少し悩むも……真っ直ぐと見据え続けてるアスナを見て、口を開いた。

 

「……あの女とは、浅からぬ因縁がありましてな。我らの仲間の何人、いや何十人もが冥土送りにさせられた。拙者のこの鼻も、あの女に―――」

 

 喰われた―――。マスクをずらすとそこには、あるはずの突起がなかった。かわりに、のっぺりと削がれた、目を背けたくなるような/痛々しい穴が二つ見えた。

 その異貌に思わず、アスナは/見たことがあったオレですら、息を飲まされた。後ずさりしそうになった。

 

「……その鼻は、なんで……治さないんですか?」

()()()()のでござる。

 もう【出血】はないのでござるが、元の形にまで戻らない。それに、長く晒していると痛んで、息を吸うのも辛くなるのでござる」

 

 その代わり、あの女の臭はハッキリとわかる……。その説明/静かな執念にハッと、自分の首筋を触った。

 この傷も、もしかしたら……。嫌な想像に、顔をしかめた。それではまるで呪いだ、吸血鬼の所業だ。最悪なマーキングをつけられた。

 

「あの女は貴女とは真逆、毒蜘蛛でござる、ゆえに」

 

 退治するのに、躊躇いなど持ってはいられない……。ソレを隙だと襲いかかる相手だ。悪逆の限りを尽くしてきたから、警戒心も強い。先手必勝でなければ、生き残れない/仲間を守れない。

 理由を知ってアスナは、やはり難しい顔を浮かべていた。

 今日まで前線で生き延びてきた彼女は、青臭いわけではない。その手の非常識は充分心得ているし、身を持って味わってもいる。蜻蛉やオレのようなプレイヤー達が、そうしなければと決断している意義も。……だから問題は、彼女の強さの根源に由来している。

 

「……もう一度見かけたときは、ぜひ私を呼んで下さい。協力させてもらいます」

 

 やめろとは言わず、監視するために……。どうするのかは、現場に立ち会いながら決める。おそらくは止めるのだろうが、そこでなら/そこでなければ、蜻蛉を止めることなどできないから。

 細剣の鋒のような決意表明に、蜻蛉は「そうでござるか」と、マスク越しにもわかるほど優しげに微笑んだ。嘲笑するでも独り閉じこもることなく、受け入れるようにして……。

 あまりの大人な眼差しに、アスナは決まりが悪くなったのか、オレに話を振ってきた。

 

「ヨルコさんは見当たらないけど、ここには……いなかった?」

「いや、いたよ。今は多分……【ラオール】だ」

 

 詳しくは、グリムロックに聞けばわかる……。シュミットに縛り上げられているグリムロックへ、目を向けた。

 

 

 

「離せ、離せシュミット! 私は……私が行かなければならないんだッ!」

 

 彼女のもとに―――。暴れながら喚き続ける。

 こちらは、呆れてしまうほど子供だった。ガキの癇癪そのものだ。

 

「シュミット、そのまま縛り上げててくれ。そいつの話は聞かなくていい」

「ああ、元よりそのつもりだ」

「……シュミット。誰のおかげで、今のその地位にいられると思ってるんだ?」

 

 お前とて同罪だろうが……。腕を縛り上げられながら/頭を下げさせながらも、睨めつけるように吠えてきた。

 何のことはわからないも、息を飲まされているシュミットを見て、察せられた。

 

「……やっぱりアレは、お前の差金だったのか」

「感謝されるならともかく、こんな目に遭わされる謂れは、無いと思うがね?」

「煩かったら黙らせてもいいぞ」

 

 お節介ながら牽制しておくと、グリムロックは舌打ちしながらも黙った。……この手の話は、当人同士だけだとラチがあかない、悪くなる一方だ。傍からみて気分が良くなるものではない。

 

「……いくらでも喚けよ。俺もそのほうが、スッキリできていい」

 

 今のお前には、それぐらいしかできないのだから……。嘲りを含めた決別/先の返答。……そのぐらいの責任、背負ってみせる。

 今度こそ言葉を詰まらせたグリムロックへ、さらに宣言した。

 

「もしもお前が、まだ続けるつもりなら、カインズ達の手は煩わせない。俺が―――始末をつけてやる」

 

 それがあの罪に対する、俺の贖罪の形だ……。怖れながらも底には、強い決意を見て取れた。今度こそもう、迷わないと。

 

「……私の前で口に出している分際では、無理だろうね」

 

 負け惜しみの呪い。底意地の悪い歪んだ嗤いを向けられた。……お前なんかに、できるわけがない、きっと同じように逃げるだろう。

 しかしシュミットはぐっと、飲み込んだ/飲み込んでみせた。瞑目し息を整えるのみ。言い訳を重ねたりはしなかった。

 オレも、それ以上は助け舟を出さなかったが……感心していた。シュミットがこうもハッキリと決別してくれるとは、考えていなかった。―――胸に溜まっていた心配を、撫で下ろせた。

 あの時、カインズを止めたのは/代わりにグリムロックを手打ちにしなかったのは、間違っていなかった……。図らずもだろう。けど、そう確信させてくれる後押しだった。ようやくあの女の呪縛から開放された気分だ。

 

「シュミット。俺達はこれから、カインズと一緒にヨルコさんを……迎えに行く。お前はそいつをブタ箱に押し込んでおいてくれ」

「……わかった」

「蜻蛉、来てくれたばかりで悪いんだけど、お前らにも護送を頼んでもいいか?」

「承知してるでござる。……その男からは、聞きたいことが山ほどあるでござるからな」

 

 蜻蛉はそう悪戯げに、しかし半分以上は本気でグリムロックへ視線を向けると、顔を青ざめさせられた。これから自分の身に降りかかるであろう悪い予感に、身をすくませていた。……この調子なら、あまり面倒なことになる前に吐いてくれることだろう。

 アスナは眉をしかめるも、黙認してくれた。

 

 せっかく来てくれた援軍達にも、挨拶と感謝を送った。……活躍の場を作ってやれずに申し訳なかったが、何事もないに越したことはない。

 援軍改め護送団がグリムロックを引っ立てていく。

 

「私が、私が迎えに行かなければ意味がない! 君らが行ったところで無意味だ!」

 

 無意味なんだよ―――。連れ去られながらも、叫び続けた。グリムロックの悲痛の/狂気じみた叫びが、洞穴中にこだまする。

 その姿が見えなくなるまで、わめき声は響き続けた。

 

 

 

 護送団の姿が見えなくなると、ようやくホッと一息つけた。

 しかし……まだ重大な問題が残っていた。

 

「これで一件落着……てわけには、いかないわよね」

「ああ……」

 

 互いに耳打ちするように小声で言うと、残った問題へと目を向けた。

 そこには、【昏倒】から目覚めたカインズが、力なくヘタリこんでいた。周りの空気までも暗く、沈んでいるように見える。

 

 その絶望の姿をみて、怯みそうになったが……やるしかない。踏み込まなければならない、あの瞬間に立ち会ったオレが。

 意を決すると、、カインズの元へと近づいた。言うべきことを告げる。

 

「カインズ、ヨルコさんを迎えに行こう」

「……ヨルコかどうかも、わからないのに?」

 

 力なく、自嘲までしながらこぼした。

 気持ちはわかる……。当たり障りのない慰めが出そうになったが、喉で抑えた。今は一番言われてたくない定形文句だろう。

 わかるだけではダメだ。今は、発破をかけるしかない。

 

「決めるのはお前だよ。……グリムロックの言うとおりにしたいのなら、別だけど」

 

 元凶の名前にムクリと、カインズの気が顔をあげたが……また沈んでしまった。

 

 これでもダメか……。確信が無いことは言いたくなかったが、仕方がない。例え淡くとも儚かろうとも、希望が必要だ。

 チラリと、アスナの顔に目を向けた。許可を/同意を/納得を、それ未満の反応が欲しくて、でも否定もして欲しいような複雑な頼みを込めて。

 しかし……期待とは裏腹。彼女は察することなく首をかしげているのみ。なぜ見られているのか不審がっているだけ。……当然だ、オレは何も言ってなんかいないのだから。察してもらえるなど甘えだろう。

 胸の内で苦笑すると、逆に踏ん切りがついた。

 

「―――自信が無いのなら、別の方法があるぞ」

「!? 本当……か?」

「あまりオススメしないし、確実とも言い切れない」

 

 それでも―――。縋るように見つめてくるカインズに、怯みそうになった、口にすべきではなかったと。

 でも……一度出してしまったからには、後に引けない。

 

「眠らせ続ける、ゲームクリアするその日まで」

 

 あるいは【石化】でもいい……。教えた強引な方法に、カインズはポカーンと口を開けていた。理解できていないのだろう。

 

「上書きされたとしても、表にでなければ定着できないはず。体との調和をとれなければ、齟齬に気づいて修正できる、自分を取り戻すキッカケになる」

 

 自分なんて、そう簡単に忘れられるものじゃないだろ? ……体に備わっている、記憶と意識の修復作用に期待する。……口に出してみると、我ながらも随分と自然任せすぎる。

 しかし、おぼろげではあるが、カインズの顔に意図が伝わってくれたのが見えた。

 

「ようは、()()()()()()()()()()()()()()()か、だ。

 今は無理やり変えているけど、現実では違う。ここですら一回も使わなければ、現実で本人が錯覚してしまうこともない」

「……そうじゃなかったら?」

 

 言葉に詰まった。断定口調で説得しきろうとしたが、それでもカインズの不安は払拭させられなかった。……これ以上、オレの手は無い。

 あとはただ、信じてもらうしかない……。結局のところ行き着く文句を口に出そうとしたら、今まで静観していたアスナが一歩進み出てきた。

 

「支えてあげなさい。彼女が自分を取り戻せるように」

 

 好きならできるはずよ―――。静かに/厳かにも、命じてきた。

 突き放すような強引さだ、何より無茶苦茶だ、ソレに確かな/必ず治せるだろう保証は何処にもない。

 だけど……ソレも結局行き着く答えの一つ。全てはカインズの覚悟次第だ。

 普通ならムスリと、あるいはピキリと頭の回線が弾けてもおかしくはない。続いて罵倒の連打を浴びせられるが……さすが『閃光』のオーラだ。カインズには衝撃が強すぎたのだろう、亜然と/ポカーンとさせるだけ。

 

「それに、アナタたちの話を聞く限り、グリセルダさんは高潔な人なんでしょ? なら、きっと協力してくれるはずよ」

 

 私たちも協力するから……。一転したアスナの励ましに、暗く沈んでいた空気が吹き飛ばされるようだった。

 そのためかカインズは、ようやく立ち直れた。現状を飲み込んで、頷いてみせた。

 そして何とか、自力で立ち上がると、

 

「……行くよ。会いにいく」

 

 小さくも強く、決意を口にした。

 

 覚悟を決めてくれたカインズに従い、この災厄を生み出した場所から/【狭間】の洞穴から抜けた。

 三人で、ヨルコさんが待っているであろう【ラオール】の家へと、立ち向かっていく―――

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 

 19階層の【ラーベルグ】。その主街区から少し離れた圏外にある、寂れた森を抜けた先にある小さな丘。年経てるであろう捻れた大樹が一本、佇んでいる。

 その大樹の根元で、とある一人の女性が、目を覚ました。

 

 静かに/深く、眠っているように目を閉じていたのが一転、ガバリと―――起き上がった。まるで電撃でも食らったかのように、叩き起された。

 

 あまりの急転に頭が、ガンガンと悲鳴を上げていた。心臓もバクバクと、不整脈を起こしているかのように暴れている。目眩でクラクラさせられながらも、気持ち悪くて吐きそうになった。

 しかし、寸前でこらえた。

 もう慣れた、いつものことなので、慌てることなどない。ただ静かに/落ち着いて、不快さを受け入れるだけ。今はもう残響しか聴こえない、『彼女』の怨嗟を/断末魔を受け入れていく……。

 ()()()()()()()()()()()()()()など、先刻承知だ。始めこそ不快感が勝っていたが、今はそうでもない、そうじゃないことに気づけたから。

 だから―――深く細かく、咀嚼しながら。丹念にゆっくりと、味わいながら、消化していく。染み渡って溶けて、一つになっていくのを感じる……。コレこそが、本当の【経験値】だと再確認させてくれる。

 

 残響が薄れていくに従い、浮き立っていた心も落ち着いていった。そして、満腹感の幸せを噛み締める。

 悦びに自然と、吐息がこぼれた。同時にいつもの如く、感謝を溢れだした。

 

「……ごちそうさま」

 

 『彼女』に向けて、そのつもりで言ってきたが……最近それだけでも無いような気がしてきた。もっと根源的な、大切な何かに向けての感謝なのかと思う。

 これもいつものこと。絶頂の瞬間を越えた虚脱感から、妙に思索的になってしまう。あるいは……別れていく淋しさから、だろうか?

 フッと、自嘲とともに切り捨てた。……実に私らしくない。

 でも/だからこそ、消化は成っていた。

 

 

 

 余韻が完全に消えた頃合、近くからよく知っている声が聞こえてきた。

 

「―――目が、覚めたよう、だな」

「あれれ、ちょっと早いんじゃない?」

 

 振り向くと傍らには、汚れたずた袋を被った少年と、髑髏マスクから鮮血色の眼光を覗かさせる青年。―――『ジョニー・ブラック』と『赤目のザザ』の姿があった。

 

「その様子だと……『ショックアウト』だよね。

 あは♪ 【リオン】ちゃんも、失敗しちゃったのかな?」

「はい……。後ちょっとのところで、邪魔されちゃいました」

 

 とても残念なことに……。食べ残してしまったみたいで、ちょっとだけ悔しい。結果的に散らかすだけにもなってしまった、マナーも悪い気がする。

 でも、()()()()()()()()()を食べれたので、あまり心残りはない。……ごめんなさい、グリムロックさん。

 

「『黒の剣士』、にか?」

「はい。直接は、援軍の一人にですが」

 

 予想より早く援軍がきた。優秀だったのか、運が良かったのか……。ふと、私だった『彼女』を殺した相手のことを、思い出した。

 どこかで見たことがあるような気はしたが……一瞬過ぎた/背後でもあったのでわからない。それに、あんなに食べ頃の匂いをさせていなかったような気もする。……これも、残り香なので確かなことじゃない。

 

「それじゃ……グリムロック氏は、捕まっちゃった?」

「おそらく。その可能性は高いと思われます」

「放置しちゃっても構わないの?」

「はい。重要な情報は一切、持たせておりませんので」

「ヘッドの、許可は?」

 

 勝手な判断は許さない……。ザザからの鋭い視線に、ゾクリと肌が泡だった。

 普段のザザからは向けられることのない/無関心なのに、とても熱のこもった視線だった。お腹の虫が騒いでしまう。悪いイタズラ心が沸いてくる、藪蛇をつついてみたい……。

 でもギリギリ……抑えた。今は抑えるしかない。

 もしもそうするなら、最後の最後まで、ヒト欠片も残さずにしたい。全部余さず一切の無駄なく、活かしたい。そのためには、特別な晴れ舞台が必要だけど……今に至ってもソレを掴めていない。最高の演出がわからない。

 だから、我慢するしかない。……いつかヘッドが、教えてくれるその日まで。

 

「もちろん、大頭目もご承知です。むしろ、()()()()()掴ませました」

 

 ちゃんと偽の情報を掴ませている……。わかりやすいのは私の名前、【エイリス】は彼女につけた/相応しい名前だ。

 そして何より、これから起きるだろう一大イベントへ向けての、布石だ。あるいは、招待状と言ってもいいかもしれない。……想像するだけでも、ゾクゾクしてしまう。

 

 ザザはそれでも納得せず、ジッと見つめ続けてきた。

 そこに含まれているであろう感情は……やはり測りきれない。だからと言って、無機質とは言えない力がある。

 なので/いつも通り、わかりやすいモノをつついてみた。

 

「気に入らないというのならば、仕方ありませんね……。『彼女』に頼んでみますか?」

 

 そう言うと視線で、そちらを示唆した。

 私がここに戻ってくる前に、転移してきたであろう彼女。エルフ族の、プレイヤーではありえない綺麗な女性だ。……かつての名前は知っているけど、今の名前は知らないで『彼女』としか言いようがない。

 その彼女は今、大樹の下にある小さな墓石の前で、佇んでいた。ただぼんやりと、喋らない墓石と静かに対話している。

 

「……不要だ。俺が、言わずとも、自分でやる」

 

 断定してきたことに、驚きを隠せなかった。

 

「彼に()()()()()()()()のは、彼女の願いだったのでは?」

「そうだ。()の彼女の、な」

 

 匂わせるような言い分に、首を傾げざるを得ない。

 

「どうするかは、運次第、彼女次第♪

 ……そうだ! みんなで賭けでもしない? どっちを選ぶかでさ」

 

 ジョニーからの無邪気な提案フッと、自信ありげに答えた。

 

「申し訳ありませんが……賭けになりませんよ。

 手を下さないわけないじゃないですか。古い因縁なんて、さっさと断ち切ってしまわないと」

「おりょ? リオンちゃんはそっちか。

 兄貴も……違うみたいだね」

「仮にも、()()()()()()()。なら、過去などもう、無いのと、同じだ」

 

 生まれ変わったら、0からなのか……。寂しい考えだ。潔癖すぎてやるせなくなってしまう。ちゃんと自分の手で断ち切ってあげるから、繋がれるのに……。

 きっと彼は、私とは違うのだろう。心残りなど一切せず/これからもこれまでもなく、この世を去るのだろう。

 

「兄貴はさすが、ストイックだねぇ♪ 皆がみんな、僕らと同じようにできるとは、限らないのに」

「ジョニー君は、どっちにします?」

 

 きっと彼なら、『面白い方♪』に決まっているが……違った。

 

「僕か……。僕ちゃんは……どうしようかなぁ?」

 

 う~んと、頭を悩ませていた。

 単純だと思っていたけど、当てが外れた。彼なら悩まないと思っていた。

 

 ……やはり私は、まだまだだ。まだ全然足りない。

 この二人については、ヘッドに相談しなければならない。

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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64階層/黒鉄宮 議会

m(_ _)m これにて本当に、章締めです


_

 

 

 

 第1階層【はじまりの街】にある特殊エリア、【黒鉄宮】。

 【アインクラッド解放軍】により独占された建造物。その幾つもある部屋の一つ、【軍】のほとんどメンバーが存在すら知らない空かずの間/情報的に密閉されたエリア、外からは一切中の様子を探ることができないプライベートルームだ。ここに入るためにも、入念に/しつこくも枝を落とされる。……愛用してる槍のみならず、衣服に仕込んでいた武器すらも、取り上げられた。

 

 いくつもの監視の関門をくぐった先、最後のトビラを開けた先にあるのは―――古めかしい荘厳な、巨大な円卓。

 既にそれぞれの席に、皆が着席していた。

 

『―――遅いぞ【ビショップ】』

「すまない【キング】。【ジャック】の仕出かした火消しに、手間どってしまったよ」

 

 暗にイヤミを込めるも、肩をすくめられただけ。……予想はしていたが、狙ってやったことだったのだろう。

 

『無理に足を運ぶ必要はなかろうに……。そのための《ドール》じゃないのかね?』

「《ドール》だらけになってしまったら、いったい誰のためにこんなことをしているのか、わからなくなってしまうでしょ? 【ジャッジ】」

 

 あなたも少なからず、噛んでいることでしょうに……。それとなくイヤミを込めるも、意に返さず。鷹揚とした雰囲気を崩すことはない。

 部屋の一番奥/入口からの対角線上に座っている、赤と黒のローブに身を包んだ/かつて【はじまりの街】の広場で見たような魔術師風の男=【ジャッジ】。フードを目深に被られているので、顔はほとんど見れず男かどうかもわからないが、声と体の輪郭からして中年の男だ。《ドール》を/NPCを使って匿名性を維持しているのに、ソレすらも隠している。実に信用できない相手だ。

 しかし、彼こそが首魁。この【アインクラッド存続議会】の創設者であり、支配者だ。円卓で平等を演出しているが、誰も彼に逆らえない/逆らえないので座らされている、『ルール』に縛られている。……実に、残念なことに。

 

「その程度で揺らぐプレイヤーが、ここに座っているとは思えませんがね」

「そう言う君だって、《ドール》を使っているところを見たことがないよ、【エース】」

 

 【ナイト】からのやんわりとした釘差しに、睨んでかえした。

 【エース】がそうしているのには、わけがある/皆知っている。わざわざ本体で会議にやってくるメンバーに対しての牽制、特に私と【ナイト】との繋がりを監視するためだ。ジャッジの番犬としてここにいる。……あるいは、その役をさせられているだけかもしれないが。

 ゆえに、二人は必然ぶつかり合う。どうあっても分かり合えない。

 しかし、剣呑になりそうな空気に……ふぁぁ、可愛らしい欠伸が鳴った。

 

『―――ごめんなさい。こんな時間に急に呼び出されたから……眠くて』

『もう正午だよ【プリースト】』

 

 剣呑さなどどこ吹く風と、暢気な彼女にもまして、穏やかにたしなめてきた。……彼女のこと以外は、どうでもいいと思っている男/守護者。

 

『え? ……あぁ、そうだった。ありがと【ルーク】。

 どうもいけないわね。最近は、昼と夜がわからなくなってしまう』

『アナタは半分寝ているようなものなんだから、どちらであっても同じでしょう?』

『そんなことないよ【クイーン】。私はずっと起きてるわ。みんながぐっすりと眠り続けられるように……夢を見続けているの』

『悪夢を、な』

 

 まさに夢見るように謳う彼女へ、【ジャック】が茶々を入れてきた。歪んだ、底意地悪い嗤いを向けながら。……いつもどおりの冗談ごとだが、【ルーク】が静かにも目を鋭くしたのが見えた。

 こちらはこちらで剣呑になりそうになると―――ため息が鳴った。

 

『……いつからここは、仲良しクラブになったんだ? さっさと本題に入ってくれ』

 

 黙し続けていたが、痺れを切らしたとばかりに咎めてきた。……【キング】とは真逆に、落ち着いているものの、似たように苛つかされているのがわかる。《ドール》越しでも伝わってしまう。

 なので、私でも察せられるので、ジャックにはより深く見透かされる。……抉りだそうと、舌なめずりした。

 

『いつも通り無愛想だな【キーパー】。そんなにここにいるのは嫌かなぁ?』

「よせジャック。『ルール』を忘れたのか?」

 

 私がたしなめる前に、ナイトが言ってくれた。

 メンバー同士の直接の争いは御法度……。機会が巡ってくるまでは。ソレを獲得するためには、この席に座っていなければならない。

 なので、ジャックはすぐに手を引いた。「冗談だよ」と、はんば以上は本気だっただろうに肩をすくめながら。……揺さぶりをかけられた当のキーパーも、気にしている風もなく、巌のようにムッツリとし続けていた。

 

 ようやく場が落ち着くと、おもむろにジャッジが議題を唱えた。

 

『確かに、彼の言う通りだな。みな忙しいようだし、要件だけ伝えよう。

 次の『侵蝕点』、66階層についてのシナリオだ』

『【ラフィン・コフィン】を壊滅させる、だろ? 予定通りに』

 

 よく気軽に言えるものだ。自分が作ったギルドのくせに……。呆れてしまうも、納得もできた。

 ()()()彼が作ったものではなかったのだから、()()()たまたまそうなっているだけ。できるだけ同じようにも仕立ててるらしいが、私には違いがわからない。……把握しているのはたった一人だけだ。

 

『その通りだが、同時に、地下階層の【大墳墓】へも生贄を捧げなければならない』

 

 告げられたシナリオにピクリと、キングが眉をひそめた。

 

『……吾輩にソレを、用意しろと?』

『あなたなら簡単でしょ? ちょうど反対派を粛清する良い機会ね』

 

 クイーンからの嘲るような提案に、何か言い募ろうと唸るも……やめた。

 彼も、同じような解決法に至ってはいたのだろう。躊躇うことや情に流されることはない。ただ交渉の常として、ジャッジに対して渋ってみせただけだ。……クイーンやおそらくは他の面々から、時間の無駄だからやめろと

 

『人選は君に任せよう。ビショップと相談して決めたまえ』

「……生贄ということは、殺す必要はない、むしろ生かしたままに留めおけ、ということですね?」

 

 確認事項。何より、キングに対しての牽制も込めて。……生贄=命の供物と解釈されるのを防がなければならない、人殺しの免罪がされているわけではないのだと。

 

『どちらでも構わない。その時その場所でそのようなことが行われたのなら、ソレでいい』

『となると、だ。俺も自由にしていい、てことだよな?』

 

 ジャックが挑発するように、ジャッジへ目を向けてきた。

 次の66階層では、彼に機会が巡ってくる―――ジャッジを倒す機会が。……シナリオの進行を司っている彼には、避けては通れない道だ。

 公に殺される危険。しかし/むしろ、受け入れるように鷹揚と微笑んだ。

 

『もちろんだ。万が一にも成功したら、君が次の【ジャッジ】だ』

 

 できなければ―――。ジャックに次の機会はない。全てと引換の挑戦権だ。

 ソレを恐れた風ではなく/ジャッジの堪えなさにか、ギラつきを引っ込めた。

 

『……願い下げだね、ジャッジなんて。俺はプレイヤーの方がいい』

「負け惜しみですね。アナタはいつもそうだ」

『エース、君にまでルールを説かなければならないかね?』

 

 ジャッジからの直々のたしなめに、番犬は不満を押し込めながらも下がった。

 

『それで、私まで呼び出された意味は? 彼らのサポートをしろと?』

『君らは、次の『侵蝕点』になるだろう69階層への予防だ』

 

 クイーンへの質問の答えに、エースの方が訝しんだ。

 

「なぜ69階なんです? その階層では特に、危険なイベントはなかったはず」

()()とはねぇ……』

 

 ジャックの暗に含ませた嘲笑を、凄んで黙らせた。……彼にとっての禁忌だが/ゆえに、ジャックの大好物だ。

 

『簡単な話だ。システムは6と9を区別しない。……『侵入者』たちはそこを突いてくる』

 

 一瞬唖然としてしまうも、大真面目な様子に信じるしかなかった。……そんな単純なミス、起こすのだろうか?

 もしもその通りなら、96層も『侵蝕点』となるはずだが……今からは必要ない、心配する必要もないだろう。……その時にこの【議会】が続いているのか/必要なのかどうかすらも、わからない。

 

『何をすればいい? 侵入ポイントを全部封鎖するとか?』

『それも必要だが、完全である必要はない。コチラで用意した《器》へ誘導できればいい』

 

 そう告げられると、プリーストへと目を向けた。

 

『……私の出番、てことですよね。

 でも……相手は『侵入者』ですよね。どういう人かわからないんじゃ、用意したくてもできないですよ?』

『完全な特定はできないが、問題はない。『喪失者』の中から選ばれる』

 

 『喪失者』か……。意外な呼び名だ。ジャッジならもっと別/明るいイメージを持たせるためにも、『移住者』とでも言いそうだった。……どちらであっても、同じだが。

 振り返ってみれば私も、ジャックの仕出かした火消しとして『彼女』を、『喪失者』ではなく『移住者』として扱った。奪われた/失ってしまった、のではなく、生まれ変わったのだと励ますように。……もっとも、無理に私がそうせずとも、彼女の芯の部分は現状を受け入れていた。歓んでいるようにもみえた。

 

『男女どちらですか? できれば年齢層も』

『わかっているのは1人、君ぐらいの年頃の少女だ。他は不明だが……侵入できる限界人数は6人までだ』

 

 その1人も合わせてだから、他5人分の男女の器を作ればいい……。簡単に無茶な注文をつけてくると、彼女の庇護者が顔をしかめた。

 

『……今から11人分も、ですか?』

『細部にこだわる必要はない。むしろ、向こうが用意してくるので、フォーマットの方がいい』

『その少女分は、どうします?』

『彼女も同様の扱いで構わない。

 侵入者が器に入ったら、クイーン、君が支配したまえ。……どう使うかは任せる』

 

 ソレが君の機会となるだろう……。明確さをもった予言にクイーンはニンマリと/隠すことなく、捕食者の笑みを浮かべた。

 彼女の様子にわれ知らず、顔をしかめてしまった。ギリギリ表には出さずに、胸の内だけにとどめた。

 本来【クイーン】となっているのは、別の女性だ。彼女は代理として座っている。本来の権利者が覚醒したら、すぐにでも座を退かされる運命にある。今の【キング】同様に、身分違いのプレイヤーが座っているのだ。

 しかし……身分とは一体何のか? なにを私は偉ぶっているのだ? 何より、改めて考えさせられた。そもそも、クイーンになるべき女性がそうならないようにするために、私は/彼女もクイーンに納まっている。それは対となっているキングにも言えること。……現状を歪ませている元凶の一人は、私だ。

 そして、不思議なことにその歪みが、ジャッジが描いているシナリオになっている。ここまで支障なく/スムーズに運んだ。……本物よりも偽物の方が正しかったと、言うかのように、私をそのように錯覚させてきた。

 

 私はずっと、彼の手のひらで踊らされているだけか……。いつもの癖で、思索に耽ってしまっていると、ジャッジから尋ねられてきた。

 

『ところで……【ポーン】の様子はどうだったかね、ビショップ?』

 

 その名称にギクリと……固まりそうになった。なんとか、おそらく気づかれてはいないだろう喉元で、驚きを抑え込んだ。

 

「……まだ何も、気づいている様子はありません。通常のゲームを遂行中です」

『でも、《ドール》の実在は知っちまった。気づかれるのは時間の問題だな』

 

 それは君のせいだろう……。くつくつと愉快そうに笑うジャックに、素直に顔をしかめた。

 また彼女に嫌われるようなことをしてしまい、これでも傷心中なのだ。かなりの綱渡りもさせられた。要らぬ時限爆弾まで仕掛けられてしまって、無いはずの胃腸の調子が悪い。次はさすがに……我慢できそうにない。

 私の静かな殺意を察してくれたのか、代わりにジャッジが答えてくれた。

 

『もしもそうなったら、【リセット】だ。また初めからやり直しになるだろう』

 

 リセット、全て台無しになる……。ここまでの手順がわかっている彼からしたら、別に大した問題ではないだろう。そもそも今、その【リセット】が行われていなかったとは、誰も確かめようがない。

 ジャックだけでなく、私の頭も冷えた。浮つきそうになる心を定め直す。

 

「そうならないためにも……最善を尽くします」

 

 期待している……。無機質な激励に、言い知れぬ不快さを感じるも……顔には出さず。あまり動じない性格が功をなした。そうでなかったら一体、どうなっていたことか……。それとも、だからここにいるのか/座らされている? そもそも私は、本当にこのような性格だったのか―――

 

『私からは以上だ。

 それでは各々、その座に相応しい責務を果たしてくれたまえ。この世界の存続のために―――』

 

 ジャッジからいつもの解散文句を告げられると、各々『リンクアウト』をした。……《ドール》から本体の意識が抜けると、抜け殻となった人形が円卓に残った。

 

 力なくダラリと、椅子にもたれかかった人形/元NPC達は、本来の固有のアルゴリズムを復活させることはなく。動かなくなったまましばらくすると―――パリィンッ、砕けて消滅した。

 幾片ものポリゴンの欠片となり舞い上がり、ガラス塊を砕いたような音色とともに、空気に溶けていった……。跡にはただ、着せられていた衣服や装備を残すのみ。

 

 《ドール》の消失からしばらくすると、掃除婦たるメイドNPCが部屋に入ってきた。人間の少女と蜘蛛を混ぜ合わせたような異形のメイド。椅子の上に残った衣服やらを片付けると同時に、この場に残留している『記憶』も掃除する、【黒鉄宮】そのものへと移行/蓄積される前に。

 小さなポリゴンの形にしながら拭き取り/吸い上げ/捏ね上げて―――食べた。カリカリがつがつと、無表情で食べ続ける。消化して別の記憶領域へと送っていく。

 

 

 

 もくもくと行われるいつもの消去作業を眺めながら、残っていたエースがボソリとつぶやいた。

 

「審判ではなく、一兵卒がゲームを支配しているなんて……おかしなことだ」

 

 憎しみを込めて、あるいは自嘲するように、底深い妬ましさを感じさせながら。

 

「だが、そこが私たちの付け入る隙だ。……いや、救いと言ったほうがいいかな」

 

 気持ちは幾分か、わからないでもない……。慰めは逆効果なので、事実を織り交ぜながらのほんのひとさじ程度、まだ若い同僚に向けて言った。

 エースは突っかかることはなく、ただフン……と、しかめっ面を浮かべるのみ。……彼もなかなか、素直じゃない。

 

「……【コウイチ】さん。俺もここで失礼します」

「ああ。急に前線から、足を運ばせて済まなかったね」

「いえ、俺はどうも……《ドール》は苦手てすから」

 

 苦笑しながら【ナイト】/ディアベルはそう言い訳すると、エースに向き直り「それじゃまた」と別れを告げた。……エースは答えることなく、ただ円卓の間から去っていく彼を/本当に離れたのかどうか見送るのみ。

 

 警戒網/ルールの範囲外まで離れたのを確認すると、私へと向き直り警告してきた。

 

「あまり【ポーン】に深入りするなよビショップ。あんたもいずれ、()()()()()になるってことを忘れるな」

「それは……難しい注文だね。もう深入りしすぎてるよ」

 

 トゲトゲしい警告に、微苦笑しながら返した。

 すこしヒネクレた優しさは嬉しいが……言ったとおりだ。もう深入りしすぎてる。きっとその時になったら、後悔することになるだろう。……結果がどのようになったとしても。

 なら、覚悟だけはしておけよ……。ぶっきらぼうにもそう助言をこぼしてくると、彼もまた円卓の間から去っていった。

 

 

 

 最後に、一人の残された私も立ち去ろうとして……ふと、振り返った。

 そこにはもう、消去作業を終えようとしているメイド達。プレイヤー全員を、しいてはこの鋼鉄城アインクラッドすべてを牛耳っている【議会】の痕跡は何も……残ってはいなかった。全てどこか、闇の中へと消えていた。

 あるいはただ、私の記憶の中だけに……。抱えなければならない秘密。

 

 

 

 

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長々とご視聴、ありがとうございました。

感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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OrderⅠ ラフィン・コフィンを壊滅せよ
愚者の結末


プロローグのようなものです


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 計画の最終段階。

 本来は必要なかったが、確認のためにやってきた。ただの寄り道……いや、本当にそうだったのかは、わからない。自分でも自分の行動に説明をつけられない。

 

 

 

『―――ねぇ、アニキ。神様っているのかな?』

 

 

 

 唐突に弟は、弟の()()()は尋ねてきた。

 

「……ここには、いるぞ」

 

 答えてやる必要などなかったが、答えてやった。醸し出されてる奇妙な空気に、口が勝手に動いていた。

 

『僕がやったこと、楽しんでくれたかな? 参加できなくてさ、悔しがってくれたかな?』

「会って、確かめてきて、やる」

 

 ソレが気持ち悪く、遮るように被せた。約束していた。

 

『アニキも頂上を目指すんだ?』

「これからは、もう、やるしかない、からな」

 

 言い訳ではない、はずなのに、どこか上滑りしてるように感じた。

 この塔の頂上を目指すとは、必然ゲームクリアを目指すことであり、今まで敵対していた攻略組その他たちと協力し合うことになる。……別に、妨げてきたわけではないので問題はないだろう。俺は今まで、俺のルールで戦って生き残ってきただけ。今までは摩擦して、これからは協調しそうだというだけだ。そもそも何より、仲良しごっこをするつもりなど毛頭ない。気に入らないなら殺しにくればいい。何時でも何処でも歓迎だ、強者なら大歓迎だ。

 ソレが俺の理由。俺が定めた、俺だけのルールだ。……ソレ以外は全て、不純物だ。

 

『……だよね。

 あ~あ! 上手くいくと思ったのになぁ……』

「ツメが、甘かった。攻略組を、奴を、舐めすぎた。ゲームに、没頭、しすぎた。……お前らしい、ミスだ」

 

 ゲームの状況は、断片的ながら伝えられてきた。それらを組み立ててれば、自ずと全体像は浮かび上がり、粗も見えてくる。……ソレ以外にはすることなどない場所で、何より、次にあるだろう俺のゲームへの糧にするため。

 辛辣ではあるが正確だろう総括に、フッ……と苦笑してきた。紛い物ながら/人間の有様から大きく外れた姿ながら、そのように見えた。

 

『僕らしい、か……。こんなに()()()()()()のに、まだ保ててるんだ♪』

 

 自嘲とも取れるが、ソレすら楽しんでいるような口ぶり。

 羊水にも似た赤色の液体に満たされた巨大なシリンダーの中、プカプカとたゆたっている肉塊―――片目と鼻をえぐり出された()()。……本来なら、この世界ですら生きられないはずのその有様で、弟の片鱗を宿すモノは嗤う。

 さらに言えば、『細切れ』はこの程度ではない。いちおうは弟であるとわかる欠損した生首の大半も、別のモノを変換して構成されている。外部の状況を把握するため、終わりを告げるコードと生存本能とのせめぎあいの結果だ。……本当に弟のモノと言える部分は、小指の爪ほどにも、無いかもしれない。

 いつもなら、動けるだけの体を再構成させられるが……できていない。それだけもう、コードに抗らえ切れなくなった。現状の有様は、弟の瀕死を表している。

 

「だが、もうじき……消える」

『うん♪ あと2体ぐらいの《ドール》が壊されたら、僕は溶けちゃうと思う』

 

 溶ける……。つまりは、本当の終わりを迎えること。この世界で意識を保つことができなくなる。

 ソレは、現実世界にある肉体に戻される、ということを意味しない。そうするにはあまりにも、コードを蔑ろにし続けてきた。戻される手前で/この世界で、消滅することだろう。……まさしく、溶けてしまう。

 

『いったいどんな奴になるのか、楽しみだなぁ♪ ……僕よりもずっと、楽しい奴だったら最高だな♪』

 

 ソレをできることが楽しくて、でもソレを見ることができなくて残念。……ジレンマだが、仕方がない。創造者とはそういうものだ。完璧だと確信できたのなら、バックドアなど造らない。

 

 そんなことを言ってやろうと口を開きかけると、紛い物がピクリと硬直した。

 そしてブルリと、震えだすと―――顔半分の皮と肉が、剥がれて落ちた。頬も削げ落ち、歯と顎骨まで露わになった。

 

『―――ラスト1体。……アレもすぐに壊されそうだ』

 

 ニンマリと、壊れた顔で不敵に嗤う。……悪意を持ったゾンビのようで、なかなかの迫力だ。

 振り払ったと思った空気が、また立ち込めてきた。腹の奥底に不快な瘧が溜まっていく、顔までしかめそうになった。……一体何なんだ、これは?

 自問自答。気持ち悪さに言葉が当てはまりそうになった時、

 

『それじゃアニキ、『コレ』を壊してもらってもいいかな♪』

 

 不意に、紛い物から頼まれた。

 

『本当は、僕自身で始末をつけたかったんだけど……もうコレじゃん? ちょっと難しすぎる。それに、こっちで【転化】するよりもあっちでした方が楽しそうだし、最後のサプライズは必要でしょ? フロアボスとしてもさ。

 せっかく来てくれたんだから、やってくれないかな?』

 

 何の気もなしに、まるで何事でもないと言い切っているかのように、軽々しい。常識はずれな発言。

 それは、実に弟らしく、【ラフィン・コフィン】の流儀にも沿っている。

 当初の計画では、こうなる前に【転化】が起こるはずだったが……想定外のしぶとさ。あるいは、本来いるはずのない俺がここに来たこと/話していることが、楔になっていしまったのかもしれない。だとすると、弟のゲームを穢したのは俺になる、不始末をつけなければならない。

 

 だから、腰の帯びた柄に手をかけるも―――固まった。抜けずただ、止まってしまった。

 すると、腹に溜まっていたはずの瘧が、胸までせりあがってきた。

 

『―――アニキ、0と1だよ』

 

 吐きそうになる寸前、不意に、弟が告げてきた。まるで、俺の怯懦を嗜めるように。……俺がいつもそうしてきたように。

 

『所詮は全て、電気信号が作り出した幻さ。僕もアニキも皆みんなぜェ~ん部、そう♪ 現実がそうであるように、ここだって……ね♪』

「言われ、なくても……わかっている」

 

 その通りだ、幻なんだ。ただ解像度が高いだけだ。……囚われてはいけない。すべきことはもっと別にある。

 俺はNPCではなく、プレイヤーだ。そのことを証明しなければならない。証明し続けなければならない。

 

 改めて意を決すると、震えは止まった。柄を握っている手からも、無駄な力が落ちていく。……今ならすぐにでも、抜ける。

 そして、その通り―――スラリ、抜き放った。

 

『……それで、いい』

 

 ニヤリと、皮肉げに頷いてきた。……俺がやってきたことを、真似してきた。

 嫌味なシンクロだが……もはや何も言わず。心を研ぎ澄ます。

 言葉は不要。ただ身構え、鋒を定める、力を込める。

 そして―――

 

『神様と新しい僕に、よろしく!』

 

 差し込ま込まれた言葉の返答に、ソードスキルを叩き込んだ。

 

 

 

 

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 短いですがご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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66階層/迷宮区 供物への選択

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 最前線の迷宮区を登る、フロアボス部屋まで。

 一歩一歩、進み続けるたびに、腹の底に憂鬱が溜まっていくも……止まらず。ソレを紛らわすように、ポップしてくるモンスター達を狩る/ぶつける。

 

 道順はわかっている、すでに開拓されている。まだ完璧とは言い切れないも、とりあえずの舗装や糧道の確保も整っていた。……その場合、次にやることは偵察部隊の派遣だ。

 しかし現在、メンバーの選抜は行われていない。攻略組全体の意思統一やら、下層にいるプレイヤーたちへの情報統制もやられていない。

 なぜなら皆、ボスエリア手前のエントランスで待機しているから。……まだ誰も、門番の姿すら拝んでいない。

 

 近づくに従い、他プレイヤーの姿が目に映った。数人のパーティーの塊が等間隔で配置されている。

 プレイヤーの通行を守るための警備員。周囲への警戒を怠らず、みなピリピリと険しい顔をしていた。加えて、傍まで寄ると、独特な匂いか音波に眉をしかめてしまう。エンカウント率を低下させるアイテムだ。常時発動させることで、迷宮区であろうとも安全な通行を約束している。

 見知った顔をみつけ挨拶しようとするも、警備の邪魔になるので控えざるを得ない。ここは、システム的に安全が約束されている【圏内】ではなく、最大限の危険地帯なのだ。駄弁っていいところじゃない。……そんな気分でもない。

 いつも通りの緊張感と高揚感、最前線の迷宮区攻略にはつきものの光景だ。花形の仕事ではない裏方であるものの、重要な使命だとの理解が仕事の質を高め維持している、各ギルドでの訓練の賜物でもあるだろう。しかし若干、奥に進むにつれて沈鬱な空気が漂っているのを、感じた。オレが抱えているのと同じ、彼らであっても、隠しようもなく……。

 

 その空気感で、ようやく違和感に気づいた。―――なぜ今、彼らまで同じになっているのか?

 

 嫌な予感に、立ち止まった。

 そのまま急転。踵返して、帰ろうかとすると―――

 

 

 

「―――よオ、キリ坊! 遅かタじゃないカ」

 

 

 

 突然、独特な口調の挨拶がぶつけられた。

 

 形を持ち始めた嫌な予感。無視したいも振り返らずをえず、確認してみた。

 すると―――予想通りの人物が、そこにいた。

 

 『鼠のアルゴ』―――。

 このゲームきっての情報屋。その二つ名が示すとおり、すばしっこく捕まえられそうにない体格に、頬につけている髭のペイント。……すべての化粧を取り外したらきっと、異性のみならず同性からも可愛がられることだろう。

 

 やられた―――。ニヤニヤと、朗らかすぎる笑顔を向けられているの見て、確信してしまった。

 どうしてオレが、今こんな状況下に来てしまったのか? わざわざ集合時間をズラしたのに、皆とバッティングしないようにしたのにも関わらず……誘導させられた。彼女に仕向けられた。

 

 何か言い返してやろうとするも……ため息。それしか出せない。

 彼女とこの手の勝負をしたら、勝ち目がない/勝った試しも数える程。すでに決してしまっている。証拠すら思い当たらないでは、お話にすらならない、恥の上塗りになるだけだ。……結局のところ、緩みすぎていた自分が悪いのだ。

 なので、()()()()()()()()()とするしかない。

 

「…………遅刻したかったんだよ。前回は早すぎたんでな」

「顔を合わせたくナイ理由でモ、あタのカ?」

「そいつは……あの状況を見れば、わかるだろ?」

 

 そう言ってアルゴの先、オレが行こうと/彼女が行かせようとしたボスエリア前のエントランスを示した。

 今オレが、あそこで屯している集団の中へ入っていけば/気づかれるだけでも、どういう行動をしなければいけないか決まってる。……さらなる敵を増やすことになるのは、目に見えている。

 

 ボスエリア手前のエントランスに屯している集団。彼らは、剣呑な空気を漂わせている二つの集団に分かたれていた。

 一方の中心は【聖騎士連合】、率いてるのは……予想通りリンドだ。砲火・支援大隊を率いる副長の一人、大隊長殿に次いでのイケメンなプレイヤーだ。他方は【血盟騎士団】、率いているのは……やっぱりアスナだった。騎士団の副団長にて、『閃光』の異名を持つ美女だ。

 いつも通りの意見の対立、ゾロ目の階層特有の。……ただし今回は、前回までのことを引きずって。

 議論の話題は、このフロアの『調査』についてだろう。ギルド合同会議で何度か話題に上ってきた。今回のフロアについてソレは、無駄なのではないか/もっと『正しいこと』に人員を割くべきではないか、と。

 前回は、【聖騎士連合】の大隊長ナイト様/ディアベルの一喝で、調査に全フリすることが決定した。実際にほとんどの攻略組たちが、そうした。……ただし、実態は真逆だったが。

 なのでか、今回は静観していた。リンドの後ろで黙然と、議論の行く末を見守っている。

 さらに付け加えれば、調査は無駄だったと証明されてきた。フロアの中に解決方法は存在しない。ので、アスナであってももはや、押し切ることができない。例え、人命尊重の大義があろうとも、茅場の思惑に乗ってしまうことになっても……。

 

「はハ! またアーちゃんニ嫌われちゃうナ♪」

「……なんだ、嫌わせたかったのか?」

 

 ポロリと口から、溢れ出てきた。アルゴの思惑だろう動機。

 唐突だったのか、はたまた図星だったのか、アルゴはすぐに笑いを引っ込めた。

 

「…………言うネキリ坊。

 どうしテそんなふうニ思タんダ?」

「べつに、ただの推測さ。

 もしも、今ここにお前がオレを呼びせたのなら、必然、オレは彼女とマズイ事になるからさ。距離を置かざるを得なくなるだろう?」

 

 そこまで見込んでの仕掛けだろう。根拠など何もないが、説明した通りのことを自然に起こすことができる。

 ただ……仮説であることは変わらない。ので、曖昧に、肩をすくめられるだけだった。

 

「どちらにしてモ、遅かれ早かレそうなるだろうネ。だタラ、早い方ガいいんジャないカ?」

「タイミングぐらい、自分で決めたいね。被害おっかぶるのはオレなんだから」

 

 不満げに皮肉をこぼすも、アルゴはただ、肩をすくめるだけ。

 その彼女の様子、自分で言葉にしてもみると、ふと……新たな仮説が思い浮かんできた。

 

 もしかすると―――。尋ねようと口を開きかけるも、やめた。

 証拠は何もない。それに、もしも()()()()なら、明らかにするべきことでもない、気がする。いくら彼女とはいえ、いや彼女だからこそ、胸の内に収めている方が良いこともある。……彼女もオレと似たり寄ったりの、恥ずかしがり屋だ。

 

 マズイな、ガキはオレだったか……。何を言っていいか分からず、ただムズムズと、居住まいが悪くなっていると、

 

「―――キリ坊ノそういうとこロ、嫌いニなれないヨ」

 

 微苦笑交じりに、独り言のような答えが溢れでてきた。

 どう捉えていいのか分からず。ただ、もしも想像通りだったらと、少し目をそらしながら返した。

 

「だったら、形にしてくれると助かるけどな。例えば……いつものバカ高い情報料を、1割でも値下げしてくれるとかな」

「はハ! そいつハ難しいネ。下一桁なラ考えてやテもいいけド」

 

 言ってみただけだ……。無理な相談なのは分かってましたよ。

 真実混じりの冗談を言い合うと、居住まいの悪さは解けていった。……いつも通りの、アルゴとの距離感だ。

 

「それジャ、頑張テナ。陰ながラ応援してるゾ」

 

 区切りよく/さっぱりと、別れを告げてきた。オレもつられて、「それじゃな」と離れていった。

 しかし、互いに背中を向け合うと、突然―――

 

「―――おト! そういえバ……

 前回のシリカちゃんハ、元気かイ?」

 

 何気なく自然に/油断した死角へと、ぶっ込んできた。

 

 ギリギリ答えず、喉元で押さえ込めたが―――ギクリと、図らずも体が反応してしまった、バッチリと見られてしまった。……答えてしまったようなものだ。

 しかし、言質まで与えてはならない。

 無理やり/引きつっていることは自覚しながらも、無知の仮面をかぶり続けてみせた。

 

「…………彼女は、死んだんじゃないのか?」

「碑文にハ、そう書いてあるネ。でモ……本当にそうだタのカ?」

 

 そうじゃないよな―――。穏やかな詰問に、胃が痛くなった。つい堪えられず、告白しそうになった。

 しかし……その彼女の態度が、教えてもくれた。証拠など何も掴んでいないのだと、ハッタリで叩く/出たとこ勝負を仕掛けてるだけなのだと。……アルゴにしては、泥臭い手を使ってくるな。

 奇襲からも立ち直ると、仮面の奥で笑みを浮かべた。

 

「何故オレに訊く?」

「ちょト、小耳に挟んだことガあテネ。

 あノ事件の後、アリスちゃんの隊ニ、それまデ聞いたこともないようナ新しいメンバーが入隊しタ、らしいじゃないカ。有力候補だタ二軍メンバーを差し置いテ、サ」

 

 思わせぶりな揺さぶりにも、動ぜず、いなす。

 

「そういうことなら、オレよりも直接、アリスに訊いてみたらどうだ?」

「訊きたいンだけド、なかなかガードが堅くテ……。【連合】全体デ隠してるみたいなんダヨ」

 

 コイツでも、忍び込めないほどにね……。そういうと、アルゴの懐からチョコンと―――白黒の縞模様をした小さなネズミが、その可愛らしい顔を出してきた。

 アルゴの使い魔/【ゼブラクローンマウス】―――。戦闘ではほとんど使い物にならない、現実のネズミそのものといってもいいほど弱いモンスターだ。しかし、その体格と使いやすさ、加えて『とある特殊能力』が、敵対モンスターとして圏外に生息していた時にはなかった猛威を奮ってきた。

 諜報活動/特に街中での情報収集能力。他人のホームであろうとも、条件が満たされれば覗き込めると言われている。情報屋としての彼女の生命線と言ってもいいだろう。

 

「何度アポを取テモ無視されるシ、アポ無しで行けバ強面達が門前払イ。強引ニアタックをかけれバ、すげなく躱されル……。忍び込ませコイツらモ全部、潰されちゃタヨ。

 そこまデする理由、気になテこないカ?」

 

 すでに連合がクロなのはわかっている、クロだから隠すために暴力で守っているとも言える。だから、足りないのは証拠ではなく、その壁をこじ開けるための協力者だ、できれば内部告発者が。……オレがソレだと、暗に脅しかけてきている。

 アルゴの威圧感に、少し悩まされるも……約束は果たさなければならない。連合は/特にアリスは、今日まで彼女を守り抜いてくれた。オレの口から暴露するわけにはいかない、守り抜けたらかこそ今日までアルゴのこの質問を躱してきた。

 なので、誤魔化し抜く。

 

「……確かに、何か怪しいな。

 よし! それじゃ今度はオレも協力しよう。聞き出せるかどうかは、わからないがな」

「……あくまデシラを切ル、テ言うんだネ。私とキリ坊の仲でモ……。

 OK! それだけでモわかタかラ、いいヨ。訊いてみタかいはあタ」

 

 カラッとした捨て台詞に、胸の内でホッとため息をこぼした。

 彼女のこういう、禍根を残さないような淡白なところには、いつも助けられている。人によって冷たさと捉えるかもしれないが、オレにとっては気楽だ。

 

 今聞きたいことは全て聞いたと、去っていこうとした。

 その背中に、今度はオレが、

 

「―――アルゴ! お前は、どっちだ?」

 

 アスナか、リンドか? ……調査し尽くしてからか、それとも『狩り』に専念するのか?

 オレを呼び寄せたということは、後者だからと思うも……そうではない気がする。そこまで単純に結論をだしていいものか、とも思う、こと彼女においては。

 何より、コレが最もだが、興味があった。この正解の無い/どちらの答えにも傷のある哲学的命題に、彼女はどう答えるのかと。……意趣返しにしては少々、意地が悪いのかもしれない。

 

 予想通り、すぐには答えられず。微かに眉をしかめられた。

 そして、少し間を置くと……無難な答えを返してきた。

 

「……攻略組全員デ探索してくれた方ガ、手取り早くテ楽だネ。編集にだケ労力ヲ注げばいいからサ」

 

 どちらかといえばアスナに賛成。情報屋の立場としては……。個性の在り方についての問いかけなのに、うまくはぐらかされた。

 それ以上は聞き出せず、オレ自身もはぐらかすしかないので、引っ込めた。

 

 別れを告げると今度こそ、ボスエリアとは別方向へ、帰っていった。

 実際に、皆と実物を確認する必要は無い、との判断だろう。あるいは、対象者の情報を集めるための準備だろうか。……アスナを支持すると言っても、『狩り』から目を背けるわけにはいかない。

 見送った、独り流れに逆行している後ろ姿に、言い知れぬ共感を覚えた。

 

 

 

 

 

 アルゴと別れたあと、そのまま対立に割り込もうかとするも……調子が整わない。その後に襲いかかってくるだろう憂鬱をこらえ切れそうにない、気がする。……オレの許容量は無尽蔵じゃない。アルゴに騙すような真似をしてしまったことからも、心配になる。

 

 立ち止まってキョロキョロ、辺りの様子を伺ってみると―――ちょうどいい相手を見つけた。

 群衆の中でも、一際目立つガタイと、ガチガチに硬そうな全身鎧の重厚感。そそり立つ身の丈の倍はある馬上槍とのコラボが、ここの門番ではないかとの威圧感も出している。

 文字通り/見た目通り大物。頼りがいのありそうな/後ろにいれば絶対の安全を約束してくれる壁戦士。だが、中身までそうではないと、つい先日に知った相手。

 

 

 

「―――よぉ、シュミット! 久しぶりだな」

 

 

 

 声をかけるとギクリ、身をすくませるも……無視された。周りの/仲間と思わしきプレイヤー達は何だなんだと注目してくるも、気づいていないと、顔すら向けない。

 あからさまな拒絶だった。そこまで嫌われる覚えもない。

 ので、改めて―――

 

「お~い、そこの派遣遠征部隊の方。【アインクラッド解放軍】随一の壁戦士、シュミットさぁん! 聞こえてますかぁ~?」

 

 わかりやすく/言い逃れできないよう大声で名指しすると、もはや無視は叶わず。ガックリと肩を落としながら、大きなため息がこぼされた。

 そして、やっと振り向くとズカズカ―――近づいてきた。

 

「…………何の用だ?」

「無愛想だなぁ。ついこの間、一緒に苦難を分かち合った仲じゃないか♪」

「だったら! 今の俺の立場を少しは、心得てもらいたいものだがな」

 

 苛立ち混じりの返事に、目をぱちくり。何のことだかわからん……。

 改めて確認してみると―――確かに、トゲトゲとした視線が見えた。

 異物であるオレに向けられているものだけじゃない。シュミットと仲間たちとの間に、不協な空気が立ち込めているのがわかった、オレの傍に来たことでさらに深まってもいる。

 

「……あんな『功績』があったのに、どうしてこんな……邪険にされてるんだ?」

「【軍】としては不始末だったからだ。色々と、越権行為もしたしな」

「それは……妬っかまれてる、てことか?」

「有力な攻略組とのコネを持っていること、とかがな」

 

 そんな大それたものではないのに……。複雑な過大評価に、自嘲した。

 

 先の事件。一人の男の妄執が生み出した、過去から続いた人災。

 誰もが大きな痛手を受けてしまったが、禍根までには至らず。復讐の連鎖を断ち切り、絡みついてきた悪意は振り払った。皆それぞれ、未来への一歩を踏み出せる結末を迎えられた。目の前のシュミットも、抱えこんだ罪悪感にケリをつけれた。

 損害だけしか無かった、わけではなかった。精神上の問題だけでなく、現実問題/抱えていた別の重大な問題を解決するための糸口にもなった。―――ようやく、かのレッドギルドの尻尾を掴むことができた。

 そのことから、率先して事件解決にあたったシュミットは、功績を受けてしかるべきだった。数々の越権行為も、先見性があったとの評価に裏返る。図らずも【軍】の株を上げてくれた。現状の冷遇は、おかしな現象と言わざるを得ない。……最も、厚遇されていたらそれはそれで、眉をしかめていたことだろう。

 

「……大変だな、組織人は」

「時々、お前みたいなソロになりたいと、思うことがある」

「指南してやろうか? 授業料は安くしとくぞ」

「また今度頼むかもな。少なくとも……『借り』を返してからだ」

 

 借り……。その単語に、思い出した/出さざるを得なかった。彼と彼女らのその後について。

 

「……カインズ達は、あの後……どうしてる?」

 

 非常に繊細な問題なので、曖昧な言葉遣いになってしまった。……彼らが抱え込まされた『負債』には、オレにも少なからず責任がある。

 

「……解決した、とは言えないが……混乱は収まってる。俺たちよりも、彼女のほうが順応してるぐらいにはな」

 

 むしろ今は、彼女が俺達を引っ張ってるぐらいだ……。暗くなる話題だと思いきや、予想外の現状。本当なのかと、耳を疑う。

 しかし、呆れ顔まで浮かべ肩をすくめてるシュミットに、嘘も慰めも見えなかった。……本当だったのか。

 

「……そっか。そりゃ……すごいな。

 話に聞いたとおり、タフな人なんだな」

「ああ。改めて、そう思ったよ」

 

 手放しの賞賛を、こぼすように言った。

 短いながらも付き合ってきた経験から、シュミットにあるまじき言葉だとは思った。ただ、その奥に、彼の彼女に対する複雑な想いがみえてもいた。おそらく自分の口から、彼女自身がいなくなってしまった経緯/己の罪を、告白したのかもしれない。……尋ねてみたい気はするが、野暮な奴になってしまうのだろう。

 

 なので、この話題はこれまで、無事なことが分かればオレはいい。

 仕切り直すように、目前の話題をふった。

 

「お前は、【軍】はなんで、ここに来たんだ?」

 

 ふった質問で、先までの和やかな空気が反転した。

 

「……来ちゃまずかったのか?」

「今ここにいる、てことは、『狩り』に参加する意思がある、てことだからな」

 

 お前は/【軍】は、どっちだ? ……二者択一。たとえ知り合いといっても/だからこそ、ハッキリさせとかなければならないことがある。特に、個人と組織人の境で綱渡りされられている奴には。

 言葉少ないながら、言いたいことは伝わったのだろう。一つ、小さな溜息をこぼすと、答えてくれた。

 

「残念ながら、俺たちは傍観者だ。『狩り』には不参加だよ。上からも、『手出しせずに観察しろ』と命じられてる」

「観察、ねぇ……。

 もしかして、ここに来たのも、『詳しく内情が知りたいから』とかか?」

「……まぁ、そういうことだ」

 

 歯切れの悪い答え。

 まだ何か、隠していることがあるのかと疑うも……止めた。追求は控えたほうがいいだろう。シュミットとの良好だろう関係維持のため、何より、耳をそばだてているであろう彼の仲間達をこれ以上刺激しないように。

 胸の内でため息をこぼすと、忠告した。

 

「あまり褒められたことじゃないな。

 他との間合いには、充分に気をつけろよ」

「だから、ココで控えてるんだ」

 

 そうだったのか……。一応は考慮されているようだ。このまま、いらぬお節介だったで終わって欲しい。

 

 別れを告げると、さらに奥へ/戦場へ。厄介な哲学的命題の下へと歩み進んでいった。……憂鬱を飲み込める体力は、回復していた。

 

 

 

 

 

 気合を入れ直してスタスタと、直前で待機しているプレイヤー達の輪の中へと進んでいった。すると―――珍しい人物/集団たちを見つけた。

 全体的に和風テイストなギルド、思い思いの武者姿のプレイヤーがズラり。その中心には、赤を基調とした武者甲冑に身を包んだ、ホウキ頭の野武士がいた。

 

 なんでここに? ……意外だった。できれば今日、来て欲しくなかった奴らだ。……真逆の意味で、アルゴと同じほど厄介だ。

 目の端にでも映ったのか。オレに気づくと、すぐさま振り向き―――声をかけてきた。

 

 

 

「―――よう、キリの字! 久しぶりだな」

 

 

 

 気のおけないような挨拶/今までの軋轢など忘れてしまったとの有様に、返事を詰まらせてしまった。……いきなり、間合いの内側にまで踏み込まれた気分、落ち着かない。

 

「……なんだよ、そっけねぇな。

 また何かあったのか?」

「……別に、いつもどおりさ。

 ただ、お前らがここにいるのがすこし……意外だっただけだ」

 

 何でよりにもよって、ここに来てしまったのか……。責めるわけではなく、もちろん侮っているわけでもない。攻略組の戦力の一角として認められているギルドだ、来れないわけがない。加えて、おおよその答えも既に知っている。

 向けただろうしかめ面で、伝わったのだろう。相手の/クラインの返事は、苦笑しながら肩をすくめる/「立ち会わねぇわけにはいかねぇよ」、だけだった。

 追求すれば詰問になってしまうので、強引ながら切り替えた。……クラインもオレ自身も何より、この場に漂っている空気が求めていない。もうロールプレイングの最中だ。

 

「……何でまだ開けてない? オレを待っててくれた、てわけでもないよな」

「相変わらず頑張んな……と言いたいが、あながち間違っちゃいないかもな」

 

 やっぱりか……。淡い期待は、儚く潰れた。

 

「白黒付けなきゃならん問題だが、どうしたって……平行線になっちまう。どちらの言い分もわかるから、なおさらな」

「個人プレイでどうにかなる問題でも、ないしな」

 

 暗に、オレよりももっと相応しい調停者がいるんじゃないか。いて欲しいと……。周りを見渡しても、相応しいだろう『神父』はどこにも見当たらない。最前線で戦うよりも、後方支援/【軍】との折衝に尽力しているのだから当たり前だ。

 なので次点/オレ以外の攻略組にとっては本命か対抗だろう、銀髪の『聖騎士』の姿を探してみた―――

 

「【血盟騎士団】の団長殿は―――いない、のか?」

「そうらしいぞ。今回に限って、なぜか欠席だ。

 そいつのせいで、アスナさんが少し……不利になっちまってる」

「それで平行線、か……」

 

 バックれる奴も大概だが、アスナの強引な粘り強さも呆れてしまう……。彼女のポジションはアタッカーか遊撃手だけど、実は壁戦士が性に合っているのではないかと思う。

 ただ、二つ名にあるまじきマナー違反だ、眉をひそめるよりも首を傾げた。いくら奴でも、こんな無意味で無責任でもある行動をするとは思えない。いったい何のために……。

 現状の平行線、奴の不在で生じた不安定な分裂状態。誰も舵取りができないでいる。……奴の狙いが、わかったような気がする。

 

 かの聖騎士の裏の顔に思いを馳せていると……クラインが顔を沈ませ、申し訳なさそうに言ってきた。

 

「―――悪ぃなキリト。またお前さんに頼っちまうことになる」

 

 頭まで下げそうな謝罪か感謝。ギリギリ目礼と顔だけで済ませてくれたが、周りの目を気にせざるを得なかった。……予想はしていたのに、実際に面と向かって言われると、揺さぶられてしまう。

 だけどグッと、堪えきってみせると―――話題を変えた。

 

「……意外だな。クラインはリンド寄りだったのか?」

「リンドって……? ああ、そのことか!

 どちらかといえば……そうだな。本人たちの前じゃ言いたかねぇが」

 

 だろうな……。クライン達【風林火山】と【連合】は、相性がいいとは言えない関係だ。そもそも【連合】は、自他の区別を優劣として見るところがあるので、小規模かつ成り上がり者のギルドを/最古参の誇りも相まって蔑視する傾向がある。さらに個人的にも、幹部メンバーとの諍いがあるので、今後良くなるのは望み薄だ。

 

「やるんなら手早く済ませたい。相手のためにも、ダチのためにも。何より、俺自身のためにもな」

 

 鼓舞するかのように強く、宣言してきた。……浮かべてる厳しい顔つきは、クラインらしいが、同時にクラインにあるまじきものだ。

 なので、その強ばった肩をたたくように、

 

「無理しなくていいぞ。ソレはオレの、『ビーター』の役目さ」

 

 そんなモノ背負うのはオレ一人で充分だと、あえて言ってくれた決意に感謝した。……気持ちだけで充分なことは、この仮想世界でもある。

 

 それじゃ、行ってくる……。あえて気楽に/無理してる気分でもなく、別れを告げるとクルリ、背を向けた。

 その背に―――

 

「―――キリト! 俺はお前のことを、ダチだと思ってる。ムカつくほどイカした、な」

 

 だから、独りで背負い込まなくていい……。クライン流の励ましの言葉が、押しかけてきた。

 

 一瞬、振り返りそうになるも……答えず、立ち止まっただけ。……今の顔は、見せられないだろう。

 ただ、後ろ手をヒラヒラと、感謝を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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66階層/ロブノール 狩人の煩悶

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 あまりの異常事態により、即決することができなかった。攻略組みなの総意が必要だった。

 迷宮区から一路、主街区へと戻ることにした。

 見渡す限りの砂礫と砂漠の中、忽然と現れたかのようなオアシス都市。黄昏色の海に揺蕩う豪華客船、蜃気楼のように現実感のない砂上の楼閣。66階層主街区【ロブノール】へ―――

 

 

 

 貸し切られた【教会】の講堂の中。50階代の中華風味/仏教・儒教的な造りの教会から一変、中東風/イスラム的な作りの教会にて、攻略組メンバーが一同集合した。今後の方針について決定するため、いや『決断』するための会議だ。覚悟を共有するための決起集会。

 しかし皆、憮然とした表情を浮かべたまま。叩きつけられた議題に沈黙し続けていた、先に知っていたメンバー達であっても、沈鬱な空気が流れた。……無理もないことだ。

 

 動揺と困惑の波が沈黙へと溶け込んだ後/しばらく、ボソリと……誰かが口火を切った。自嘲混じりの小声で。

 

「―――まさかのご指名、だったな」

 

 誰もが心に浮かべていた声の代弁。独り言の呟きながらも、伝わったその声はきっかけとなれた。

 

「都合がいいことは、確かだな。いずれは、片付けなきゃならない問題だった」

 

 続いた声に、理解の頷きと不快の顰めが波立った。どちらか片方に振り切れてる者はひと握りなので、賛同も反発もない。……オレもその一人だ。

 なので、いつもの/特にこのような時の進行役として、【聖騎士連合】のナイトが『決定』を再確認した。

 

「……そうだね。ここで本腰を入れて、対処するべきだろう」

 

 今まで見ないふりをしてきたツケとしても……。言葉の端から、罪悪感が滲んでいるのが聞こえてきた、あえて抑え込んで平静さを保っているかのように。

 

 『その問題』は、今まで何度か議題にのぼってきたが、いつしかタブーになっていた。全く問題でないわけではなかったが、主な被害者は中層域のプレイヤー達だったから。見過ごすか個人的に力を貸すのみで、攻略組としては静観を決め込んできた。

 彼らのことは、物資の供給や必要素材の収集やらで世話になっている。が、内心で侮辱していた。自分たちが、命懸けの犠牲と苦労で切り開いた道を進んでいるだけ。自分たちがいる『戦場』とは違うぬるい場所で生きていると、中途半端さが許せなかった。まだ一階層で、今だに救助を待っている待機組の方が、マシだと思えるほどに/同情だけを向けられる。……全てでないことはわかっているが、一括りで解釈すると、ソレが大勢を占めてしまう。

 しかし今日、問題と向き合わなくてはならなくなった。『力ある者達の義務』という、迷惑だが拒絶しきれない請求に、応えなくてはならなくなった。

 

「奴らがどう出るかが、問題だろう? 仲間意識なんて皆無な連中だぞ」

「ソレは俺達だって同じだ。『ゲームクリア』て目的以外は、共有できていない」

 

 したこともないし、これからもするつもりもない……。だから今まで、討伐には及び腰だった。

 改めて指摘されると眉を顰める。しかし/残念ながら……その通りだった。

 仲間意識がないのは/利害関係でしかつながっていないのは、攻略組とて同じだ。仲間ではなく競争相手、できるのなら足を引っ張るのは吝かじゃない。……その点では、攻略組の方がもっとシビアなのかもしれない。

 

「奴らの目的、ていうか、徒党を組めてる理由ってのは……何なんだ? 殺されるとか脅されてるだけじゃ、無いはずだよな?」

「ソレ以外に何があるってんだよ?」

 

 小馬鹿にしたような合いの手に、返答に窮するも……なかなか的を得た疑問だった。問題を解決するには最も重要なことだと言っていい。

 オレは個人的な経験上、ソレを理解はしている。だけど、納得はできていない。腹の底ではまだ、そんなことアリエナイと踏み切れていない。その境界では、頭と体が互いに拒絶反応を起こしてしまう。どうしてもぬぐい去れないし、踏み込む理由も宣言できるほど言葉にできない。

 おそらく、その中途半端こそが大問題になるのだろう。最後の最後で取り返しのつかない間違いを犯すことになる。が、解決方法がわからない。この会議でソレがわかれば/端緒だけでも掴めれば、良いのだが……。

 

「奴らの主張だと、『とことんゲームを愉しむこと』だったな。ここで起こされる何もかもは、茅場がおっかぶってくれるから、何をしたって許されると」

 

 それこそPKも、猟奇的なこと/変態的なことですらも……。所詮は仮想世界/ゲームの中、そのために作られた箱庭でもあるのだから、存分に鬱憤を晴らして何が悪い? そうじゃない目的でココに来た奴らなんているのか? こんな所まで来て、デス・ゲームにまで巻き込まれて、『良い子』を演じる必要はどこにある? どうせ遅かれ早かれ死ぬんだぞ。

 正直になろうぜ―――。悪魔の囁きのように、引き込まれてしまう。……抗するにはただ、あるのだと信じるだけだ、引き込まれてはならない理由が。

 

「言い分自体には一理あるが、やってることは頂けないな」

「貴重な一般論、ありがとうございます」

 

 すかさず返された皮肉に、ムッとさせられるも、何も言い返せず。……ソレはただ、オレ達の状態を説明しただけだったから。

 

 言い争いに発展しそうな空気に、ディアベルの横にいるリンドが、一喝した。

 

「論点がズレ始めてるぞ。

 今は、『狩るか狩らないか』だろう? やらない奴やれそうにない奴を、この場から排除することだ」

 

 できれば穏便に/自主的に、な……。ここは議論するためにあるのではなく、覚悟を決めるため/共有するためにあるのだと。

 無意識にか、おざなりにしてしまった決断へと引き戻されると、また沈黙が蔓延ろうとした……。

 なので、もあるが別の理由からも、リンドが続けようとしたかったであろう言葉を先んじだ。

 

「なら、そこの【血盟騎士団】の大多数は排除だな、特に『閃光』殿は」

 

 オレの言葉に、本人のみならず皆からも驚かれた、特に【連合】の面々からは。

 オレの立場は、攻略組のエンジンたる【連合】寄りではあるが、一定の距離を開けている。不仲といってもいいギスギスさがあった。なので、先の『圏内殺人未遂事件』を共に解決して回ったこともあり、彼女とは仲が良いと思われていた。……妬まれていたと言ってもいいだろう。

 なので、意外がられた、虚をつかれた。裏切られたとも。……彼女の賛同者からの睨みが、チクチクと痛い。

 ゆえに、今一度みな、オレの『立場』を思い出し始めた。

 

「……アナタから言われるとは思わなかったわ、『黒の剣士』さん」

「オレは【騎士団】のメンバーでも無ければ、君のファンですら無い。この階層をさっさと突破したい一人だよ」

 

 さらにいち早く、覚悟を表明しておいた。……閃光のアスナとは決別しているとも。

 オレの宣言にどよめきが広がっていく中、彼女は、歯噛みしながらキッと睨みつけてきた。何かを飲み込み、それでも食い下がろうと口を開こうとした。

 

「先に言っておくが、『反対意見も必要』なんて食い下がるのはやめてくれ。必要じゃないどころか、邪魔なだけだからな」

 

 そう言う奴がいるだけで、危険が増す、人死が出るかもしれない……。混乱を招くだけ、冷静になれなくなる。奴らはそこを突いてくる、ただの『隙』だとしか思っていないから。

 先んじられて目を丸くすると、さらに凝視してきた。まるで、彼女の繰り出す細剣の刺突が如き敵視。……流れ上無視しなければならないが、心情上では怖くて見られない。冷や汗が止まらない。

 その視線ビームの照射に耐えていると、さらに絶対零度の言葉を浴びせてきた。

 

「……それが一番、合理的ってわけ?」

「相手は理屈が通らない怪物だからな。少なくともまだ人間であるオレ達は、徹底したい」

 

 負けじと真っ向から跳ね返した返答に、場の空気が凍りついた。次は互いに、剣を抜くしないような睨み合い―――

 

 しかし、極まった鍔迫り合いは、鋼鉄の男の仲裁で幕がひかれた。

 

「―――確かに、今回の攻略については、アスナ君は最も不適当だろう」

「ッ!?

 だ、団長ッ! それは―――」

 

 言い募ろうと迫り出してくるも、ほんの少し挙げられた手と視線で、制された。……ギリリと、拳か歯を食い縛る音が、聞こえてくるようだった。

 

「かと言って、ソレが我々の総意ではない。この機会に、レッドギルドをも排除しようとすることには賛成だ。

 狩りに参加を希望する【騎士団】メンバーは、私の名をもって支援しよう」

 

 はっきりと宣言されると、どよめきがさらに広がった。……反対派の旗頭でもあるアスナが退かされた今、趨勢は決した。 

 皆が各々、この会議の主題に向き合っていく。決断の先に背負い込むだろう、コストとリスクに思いを馳せる、どうしたら最小限に止められるか―――。

 

 話題の中心から外れる気配を察すると、その寸前に確認した。……今この男の口から、言わせなければならない。

 

「そうなると、アンタは参加できないな」

「……ソレが最も合理的だろう、今後のことも考慮すれば」

 

 ここで狩りに不参加なら、今後【騎士団】が攻略に参加するのは難しくなる。取り仕切ってきた副団長が不参加ならなおさらだ。さらに、彼女を押しとどめるために団長も不参加なら、発言力は相当弱くなるだろう。

 だけど、【騎士団】そのものは必要だ。その戦力は欠かせられない、例え心情的には認められなくても、合理的判断を優先するのが攻略組だ。だからこそ、ヒースクリフもあえて/失望の眼差しに晒されても不参加を選んだのだろう、絶対にアスナを押しとどめておくと保証するために。あるいは、万が一の全滅を考えてのことか……。オレの狙いは少し違うけど。

 

 会議の目的には叶っている流れだが、あとは個人的な問題。どうしようもなく抱えてしまうだろう負債と、どう向き合うか/備えるか/本当にやりきれるのかどうか。……誰も全部を最後まで、背負い込んではくれない。してもらわないことに、攻略組たる自負がある。

 ただ、ほんの少しだけ、独りの時間が欲しい……。そんな空気に応えるように、ディアベルが立ち上がると、

 

「―――強制はしない。覚悟のあるメンバーだけでやろう。……一時間後、もう一度ここに集まってくれ」

 

 その一言で、会議に一旦、休憩が挟まれた。

 集まったメンバーは各々、教会の外へと出て行った―――……

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 人波に流されて、教会から外へと出て行った。

 ただ、目的の人物への注意はそらさず、されど気取らせないよう距離は保って、【索敵】によって拡張/鋭敏化された感覚に集中する。波を壁にしながら流されて、一定の間合いのもと追跡していく―――。

 

「―――おいキリの字。キリト! 待て、待てってば!?」

 

 大声で呼びかけながら近づいてくる顔なじみに、足を止めざるを得なかった。

 

 こんな忙しい時にいったい、何の用だよ? ……そんな非難がましさを若干顔に出しながら、追いついてきたクラインを睨んだ。

 そんなオレの態度に戸惑うものの、用意していたであろう苦言をこぼしてきた。

 

「お前、アスナさんに対してのアレ。少し……不味かったんじゃねぇのか?」

 

 フォローした方がいいんじゃね? ……オレが向かっていったのとは逆方向を視線で示すと、そこには、アスナの背中が見えた。遠間からでもわかる、その凛とした後ろ姿に今は、苛立ちの色がピリピリとまとわれていた。

 言いたいことは、それだけで分かった。心配してしまうのはわかる、オレが彼の立場だったら同じように助言したことだろう。だけど―――

 

「……どこが?」

 

 あえて簡潔に/素っ気なく。興味ないとばかりに切り捨てた。

 腹を立てられても仕方がない態度。なので予め、受け入れて返す言葉を用意していたが……クラインの顔色は変わらず。むしろ/どこか、悲しそうな色合いを滲ませていた。

 オレのほうがと惑わされた。すぐに振り払って追跡を開始するつもりが、縛られてしまった。

 

「気持ちはわからんでもねぇが……ソレでお前が無理してちゃ、元も子もねぇだろうが」

「そんなことは―――」

 

 ない……。言い切ろうとしたが、澱んでしまった。

 自問自答してしまった。本当にオレは、そんな奴だったのか? 無理してないと言い切れるのか? 

 立場上許されないこと。だけど……自信がない/確信を持てない。確かなモノが何も見いだせないまま、見切り発車している不安があった。

 だからか、ついポロリと、 

 

「……オレは今、そんな風に……見えてるのか?」

 

 弱音がこぼれてしまった。……言葉にしてしまうと、ギリギリ保たせてくれていた何かまで、抜けていくような気までしてくる。

 そんなオレをみせられてか、クラインは一瞬だけ目をつぶって、腕を組み考え込むと―――忠告してきた。

 

「―――キリト、お前も待ってろ。今回は辞退しておけ」

 

 そんなこと、できるわけがない……。反射的に出そうになった言葉を、喉元で抑えた。そして同時に、悟らされた。

 そんなセリフが出てきてしまった以上、参加すべきじゃない。遅かれ早かれ、足を引っ張ることになる、アスナ以上に。……心が折れてしまったら、いくらパラメーターが高かろうが経験値があろうが、死ぬ。殺される。

 奴らと戦うとは、そういうことだ。

 

「こればっかしは、お前の手に余る。いや、誰であっても同じだろうな。……やれば潰れちまうぞ」

 

 言われて一瞬、真っ白になった。

 兄貴ヅラふかすな―――と、負けん気を起こせなかった/しきれなかった。【麻痺】してしまったかのように、口は/舌は痺れて動かない。

 ここぞという時はいつもそうだ。嘘を突き通せない。

 

 答えられず、目まで逸らしてしまいそうになる―――寸前、通りがかった知り合い達が、代弁してきた。

 

「―――おぉい、ビーターさんよぉ! 今回も期待してるぜ」

「あんたの腕の見せどころだな!」

「いつも通り、ささっと解決してみせてくれよ!」

 

 今回だけは、LA(ラストアタック)ボーナス譲ってやるからさ……。囃子ことば。悪口に聞こえるも、根は応援だ。かなり際どすぎるけど。

 いつもなら無視するだけ、内心で苦笑いを浮かべるだけ。だけど今は、弾みをもらった。

 

「―――クライン、いちおう礼は言っとく。ありがとな。

 だけど、オレは大丈夫さ。こんなことで潰れるなんて、ありえない」

 

 ありえちゃならない……。だからたぶん、大丈夫だ。大丈夫になるんだろう。

 先のことはわからない、どんな終着点になるのかも、逃げ道の確保もできていない。でも、今のこの選択だけは、間違っていないはず。飛び込まなくては現れてくれない答えがある。……オレが目指す答えはきっと、そこにある。

 

 覚悟が固まっていくと、今度は/お返しとばかりに、クラインに尋ねた。

 

「お前らこそ、辞退したほうがいいんじゃないのか? 参加するとなれば、【連合】とか他のギルドと組まされるだろうしな」

「お礼参りしなくちゃならねぇ奴がいるんでな。そのぐらいは飲み込んでやるし、そもそも、俺達だけだったとしてもやるつもりだった」

 

 やらなきゃならねぇ―――。静かにそう宣言したクラインの顔には、不釣り合いな暗い色が漂っていた。瞳も、冷たく黒くなっていく。……それでおぼろげながらも、事情を察せられた。

 

「……オレからも忠告だ。少なからずレッド達と対決してきた先輩として、な。

 怒りとか怨恨てやつで、奴らと対峙しないほうがいい。利用されるだけだ。……その手のリベンジ野郎と戦うのが、返り討ちにするのが、奴らにとって最も『愉しい』ことだから」

 

 ついでに言えば、そういった復讐者の扱いには慣れてもいる……。忠告するも、今だに理解しきれない性だ。いや、したくないと言ったほうがいいのかもしれない。……どうしたらそんな、怨念の中で生きていられるのか?

 そんなことをし続けた結末は、破滅しかないはず。爆弾のような生き様だ、後には悲惨しか残さない……。実に迷惑この上ない。空に吹き飛ばして、花火にしてやる他ない。

 

「ならいっそう、退けねぇな。

 奴らがソレを手にする寸前で終わらせてやるのが、俺らの目的だ。指くわえて、歯噛みしながら消えていくのを、眺めるのがな」

 

 そう言ってニヤリと、酷薄な笑みを浮かべてきた。

 その似合わない/落ち着き過ぎた殺意に、クラインの本気度が伺えた。もう何を言っても止められない、生半可な力づくじゃ怪我するだけ。そして何より/残念なことに、オレ自身が、そうしてやれるほどの情熱の予備を持ち合わせていない。

 大きく/これみよがしにため息をついた。

 

「……オレの忠告は無視するのに、そっちは通したいのか?」

「わがままなんでな、お互いに」

 

 悪あがきも通らず、沈黙。目で語りあった。これからやること/起きること、どんな負債を抱えることになるのか、抱えながら登ることになるのか/できるのか……。

 再び大きく、ため息をついた。

 

「……パーティー編成した時、枠が余ったらオレを入れてくれ。役に立つよ」

 

 諦観混じりの、最大の譲歩。……あるいは偽善心か、責任回避か。

 それは指摘されず、ただ穏やかに微笑まれると、

 

「他にアテがなかったら、入れてやるよ」

 

 頼むよ……。互いに緩く/曖昧な、肯定とも否定ともとれない中間に着地させた。……今はコレが、限界だろう。

 

 じゃあな……。軽く挨拶を交わすと、別れた。……ここで語り合うことはもうない/できない、後はギリギリの戦場で問うしかないこと。

 仲間の元へと帰るクラインの背を、見送った。

 

 

 

 

 

 予想外に重たいモノを背負い込まされたが、得るものもあった。それなりに意義はあった寄り道。

 

 さて、今度こそアリスを見つけないと……。いつの間にか人波もなくなっていた、彼女の影もない。

 仕方がない。【連合】の住処を当たるか―――。再度追いかけようとすると、また呼び止められた。

 

「―――キリトさん、少し、いいですか?」

 

 話しかけられた相手は、【血盟騎士団】のメンバーだった。

 奴ら特有の白を主色とした装備/威圧感あるが馴染んでもいる背中の大曲剣。しかし、奴ら特有の/腹の奥そこまで突き刺さってくるような強者の雰囲気は、感じられない。団長たるヒースクリフに似ていて、落ち着かされるような重さを感じさせる。奴を縮小/若年化させたらこうなるだろう男だ。

 

「確か……分隊長の一人、だったよな。名前は……【エイジ】だったな」

「覚えていただき、光栄です」

 

 ヒースクリフ似であろうとも、アスナの共感者/『探索』に賭ける一派の一人だ。

 おそらくは、先の一幕だろう。あからさまに旗頭を攻撃した、何らかの報復でもされるのかもしれない。

 警戒していると―――深々と、頭を下げてきた。

 

「先程は、ありがとうございました!」

 

 意外な感謝に目を丸くした、どう反応すればいいか迷わされる。

 

「…………感謝されるようなこと、した覚えないけど?」

「キリトさんがああ言ってくれたおかげで、副団長を今回の狩りから遠ざけることができました」

 

 そのことか……。面と向かって言われると、ムズ痒くなってしまう。言葉通りの辛辣さもあったけど、言い訳する必要もないだろう。

 

「どうだろう、余計な口出しだったんじゃないのか? オレが言わなくても、アンタか仲間の誰かがが言ったんだし」

「……俺達が言っても、聞く耳もってはくれなかったでしょうね。ああも穏便に、ことを収めることもできなかった。団長も動いてくれたかどうか……」

 

 あれで穏便か……。本当に彼女は、厄介な性格をしている。いつも傍にいるとしたら、さぞウンザリすることが多いだろう、あの美貌と器量でも鬱憤が貯まるほどには。

 一人苦笑していると、その様子をじぃ……と見られた。

 

 観察された―――。つい緩んでしまった心に、つけこまれた。

 引き締め直そうと、逆に視線を鋭くすると、

 

「―――意外でした。アナタがこんな、心遣いができる人なんて」

 

 ボソリと、独り言のようにこぼしてきた。本当に意表をつかれたと、目をぱちくりさせながら。

 その裏表なさそうな驚きに、毒気を抜かれてしまった。オレの一人相撲になっている。……何とも、やりづらい相手だ。

 なのでオレからも、観察結果をつげてやった。

 

「……オレも意外だよ。あの【血盟騎士団】に、それも分隊長の一人がこんな、甘そうな奴だったなんて」

 

 挑発行動。こちらかも揺すってみるも……予期していた怒気は見られず。また驚いたような顔をして、目を瞬かせるのみ。

 オレも今更退けず、睨みながら見つめ合うと―――フッと、呟いてきた。

 

「……あくまでアナタは、そのスタンスを取り続けるんですね」

 

 そういうところが、副団長の気に障るのか……。こぼした声に初めて/微かに、エイジの感情が見えた気がした。

 

 もはや、剣呑になりかけのギスついた空気。

 相手は全く悪くない。感謝するために会いに来た。友好関係を結べたはずなのに、オレが空気を悪くした。オレが一方的に悪い。

 だからと言って、謝るつもりはなかった。その空気のまま続けた。……元々オレには、友好関係など存在しない。

 

「お前はアスナの信者らしいが、今回の狩りには……不参加か?」

「いいえ、参加します。……だからこそ、と言った方がよかったですかね」

 

 今回のことで皆の心証を悪くしたアスナや仲間達が、次の階層からも支障なく攻略に参加するために……。信念よりも大義、時と場合と相手による。ゲームクリアの為には何が必要なのか? ……時には、訴え続けてきた信念を曲げる必要がある。

 やっぱりヒースクリフか……。この柔軟さ、感情がないかのような臨機応変、正しいのにどこか欠けているような気がしてならない相手。距離を置きたくなるほど、言い知れぬ不快に苛立ってしまう。……きっと彼とは、上手くやっていけない気がする。

 

「もしも仲間が必要でしたら、ぜひ私たちの元に来てください。力になります」

 

 ディアベル並みの爽やかさで勧誘してくるも、偽物感がぬぐいされない。……本性が見えない/見せようともしない相手とは、付き合っていけない。

 なので、できるだけ穏便に、お断りした。

 

「この格好のままでいいんだったら、考えておくよ」

 

 その白のコスチュームは、ちょっと……。オレの二つ名が泣いてしまう。まるで、ゴシゴシと洗われ漂白されたかのようで、みすぼらしさが際立ってしまうだろう。

 

「もちろん。ソレがあなたのスタンスみたいですから、善処します」

「……いや、それはそれで、困るな」

 

 悪目立ちしすぎる……。白の集団の中ポツリと、真っ黒がいる、まるで染みか汚れのように。……ただでさえ目立っているのに/これでも弱コミュ障なのに、無茶ぶりさせないで欲しい。

 

 

 

 

 

 エイジと穏便に/勧誘にはお茶を濁して、別れを告げると、ようやく本来の目的に戻れた。

 

 街はずれの砂漠。今の時間帯は安全だが、日が落ちればモンスターが出没するかもしれない【半圏内】。その広々とした土地に幾つもの大型のテント、遊牧民が使っているようなゲルに近い移動式住居が、建てられていた。

 【聖騎士連合】の『幕営地』―――。現地の宿や家屋を貸し切るだけの財力を持ち合わせているのに、あえて持ち込み。エリアの特徴に合わせて外面や色合いは変えてきたが、転用してきただけだろう、何度も見せられれば【連合】のものだとわかる。そこだけが街とはそぐわない、侵食までするかのような異質さがあった。

 

 この幕営の一つに、彼女がいるはずだ―――。【索敵】は使わず/使えば警戒されるので、鍛えた五感だけで探した。……幸いなこと、副長たちの幕営には、わかりやすいマークがある。

 ソレを思わしきモノを見つけると、さっそく近づいていった。何度か【連合】の面々とすれ違うが気にせず、別に立ち入り禁止までしていない/不法占拠しているのは奴らなので、堂々と歩く。

 

 目的のアリスの幕営。これといって他との差別化が図られているわけでも、女の子らしさを表してもいない。ただ屋台柱の天辺に、彼女の相棒たる梟が描かれている旗が、はためいているだけ。

 オレが近寄ってくると、門番らしき体格が良すぎるプレイヤー達が、露骨に威嚇してきた。

 

「―――何の用だ、ビーター?」

「ここ、アリス副長さんの幕営だよな?」

 

 中に入れさせてもらうぞ……。穏やかにだが強引さをにじませて、許可される前に入ってしまおうと、進んでいこうともした。

 その不躾/先制攻撃は、しかし―――読まれてしまった。

 踏みはいろうとする寸前、握っていた両手斧で通せんぼされた。……潜れはいけそうだが、ギロチンになりそうで怖い。踏みとどまらざるを得ない。

 

「……副長は不在だ。出直せ」

「先の会議には見かけたぞ。それに、あと一時間もないのに、何処に出かけるってんだよ?」

「お前には関係ないことだ。【連合】のメンバーでもないお前にはな」

「なるほど、【連合】としての用事、てわけか?」

 

 ひるまずに追求すると、図らずも答えてくれた。

 そんなオレの様子に、答えてしまった門番は、一瞬顔を真っ赤にするも、すぐに今までを倍する警戒度へと高めてきた。

 

「そう怖い顔してくれるなよ、『その通りです』て言ってるようなものだぞ」

「ッ!? お前―――」

「でも、アンタはそれ以上知らないってわけか。何も聞かされていないけど守ってる」

 

 いいガードだな……。プロ根性、というよりは信頼関係の成せる技だろう。あるいはただ、好奇心の薄い奴なだけかもしれないが。

 どんどん踏み込んでくるオレに、口を閉ざしてきた。次に何か探ろうとすれば暴力に訴えると、危険な敵意を放っていた。……こう頑なになってしまったらもう、聞き出せることはない。

 しかし、オレの狙いは別。もう片方の門番へと目を向けた。

 

「ただ、アンタの方は違うよな。知らないけど、察しはついてる。調べてしまった」

「ッ!?」

 

 ビンゴだ―――。目が泳いでしまっている、バレバレだ。巨体で頑強ゆえの弊害、心の内が外に漏れやすくなっている。腹の探り合い向きのビルドじゃない証拠だ。

 

「いったいどんな用事なんだい? わざわざアンタらを立てなきゃならない理由は―――」

「おい! それ以上無駄口叩くのなら―――」

 

 ドンと―――威嚇してくると、斧を握る手が強くなった。敵意が殺気に変貌していた。

 そしてさらに、【決闘】申請までをも、叩きつけてきた。

 

「いつかのお礼を、返してやる」

 

 そう啖呵を切ってくると、猛獣のような顔つきで睨みつけてきた。……あまりの性急さに相方は、止めようか見ぬふりかを迷っている。

 最終勧告を叩きつけられるも、冷静に/あえてそうせずとも冷めたまま。殺意に満ちた視線を受け止めた。そして、彼とは反対の静けさで、助言を返した。

 

「…………アンタ、血の気が多すぎるな。そんなんじゃ、遅かれ早かれ死ぬぞ?」

「かもな。少なくとも、お前の後だ」

 

 どうした、怖気づいたのか―――。もはややる気満々、役目も忘れかけているのかもしれない。

 ここが限界だろう。これ以上つつけば、否応なしに【決闘】せざるをえなくなる。どちらかに致命的な傷が残ることだろう。

 

 溜息とともに肩をすくめると……降参のポーズをとった。

 

「…………ま、居ないなら仕方ないさ。

 伝言だけ、お願いしてもいいか?」

 

 『鼠』が接触してきたぞ―――。

 口頭での伝言。本来なら、情報を抜かれないよう別の方法を取るのだが/彼女のような情報屋を警戒中ならなおさら、あえて防衛処置は取らず、相手の反応を見るため。……そもそも、もう知っている可能性だってある。

 門番たちは、怪訝な表情を浮かべた。【決闘】を仕掛けてきた方は、出鼻をくじかれたかのように/仕事方面からの奇手に、舌打ちを漏らしていた。……こちらは予想通りだ。

 狙いはさらに奥、幕営の中で聞き耳を立てているであろうもう一人に、注意を集中する。警戒が逸れている門番たちを脇目に、【索敵】の見えない感覚触手を飛ばした。

 そこには―――確かにいた。感触があった。不在ではありえない、リアルタイムの生体反応が。

 ただし、それ以上は探れなかった。さすがに門番たちに気づかれるだろう。

 

 すぐさま【索敵】を閉ざすと、何事もなかったかのように捨て台詞を吐いた。

 

「それじゃ、確かに伝えたぞ。後はそっちで対処してくれな、()()()()()殿()

 

 気づいているぞ―――。無視するなんていい度胸じゃないか。【連合】とは共同歩調をとってるわけじゃないから、いいけど。

 隠し事したいなら、こっちも好きにやらせてもらうよ……。差し当たっては、もう一度アルゴに会いにいくことだろう。何もしなくても、それだけでプレッシャーになってしまう。予測できてしまう頭の持ち主なら、コレだけでも充分だ。

 

 後ろ手をヒラヒラ、要件は終わったとばかりに去っていこうとした。踵返す―――

 

 

 

『―――待ちなさい、キリト!』

 

 

 

 寸前、テントの中からアリスの制止が聞こえてきた。

 帰ろうとした足を止め、振り返った。……かかったと、内心ほくそ笑みながら。

 

 戸惑う門番たちの傍ら、続いて指示を命じてもきた。

 

『通して上げてください』

「ッ!? しかし副長―――」

『大丈夫です。どうせ後で、皆にも知らせることですから』

 

 頼みごとのような命令に逡巡させられるも……肩を落とした。

 通せんぼしていた斧が、手元に戻された。

 

「……それじゃ、悪いな」

 

 そう思ってるんなら帰れ―――。無言の苛立ちを浴びせられながら、門番たちの脇を抜け、入っていった。

 

 

 

 幕営の中。外からと中からでは明らかに面積が違うよう見える、拡張居住空間。くわえて、個室にしては少々広すぎる気もするが、大幹部ならコレでもいいのだろう広さ。調度品も、現実の軍人ばりの味気なさ/ストイックさを基調に、預かり物だと/粗末に扱ってはならないと言わんばかりにインテリアが綺麗に並べられていた。

 アリス専用の幕営。しかしそこには―――彼女の姿はなかった。

 代わりに棚の上、遠隔通信用のインコのような小型モンスターが、籠の中で佇んでいた。……先に感じた反応は、これだったのか。

 

『中央付近に次元の歪みがあります。《鱗粉》の持ち合わせはありますか?』

 

 なければ、この子の下の棚からおとりください―――。挨拶も説明も抜きに要件だけ。……インコと話しても仕方がないので、指示に従った。

 《次元蝶の鱗粉》は、ホームの当座金庫に保管してあるので、【圏内】にいる今なら引き出すこともできるだろう。けど……貴重品だ。できるなら使いたくない。

 せっかくなので探ってみると……確かにあった。しかし―――

 

「―――なんだ、この……霧吹きは?」

『スプレーしていただければ、同じ効果が出せます』

 

 怪訝になりながらも、言われたとおり試してみた。シュッシュッ―――

 ただの霧にしてキラキラと煌く飛沫が、次元の歪みがあるであろう場所にまぶされると―――溶けるように消えていった。

 そして次の瞬間―――虹色の黒い楕円球体/転移ポータルが発生した。

 

「おぉ!? ……本当だ」

『中にお入りください。そちらで待っています』

 

 自家製であろう特殊な霧吹きに驚かされながら/自然を装い拝借しながら、ポータルの中へ入ろうとした。

 しかし一瞬、その手前で……ためらってしまった。

 前の事件の後遺症が、まだ残っていた。扉の向こうに何があるのか、入ってみなければわからない。……ここが安全な【圏内】であろうとも、向こうにはおぞましい殺人鬼がいるかもしれない。

 

 だけど……このまま立ち止まっても仕方がない。こんなことで舐められてしまうのも、癪だ。

 意を決すると、踏み込んだ―――

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 転移特有の空間が歪み。虹色、というよりはごちゃまぜの色彩空間。

 無重力でもあり、吐き気がこみ上げてきそうになる寸前、通り抜けると―――白光。ウッと、痛すぎて目を閉じた。

 

 

 

 ……うっすらと、光にやられた視界が戻っていくと、そこは―――堅牢な要塞の内部。

 資料で見たことがある。【連合】の本拠地だ。名前は確か―――

 

 

 

「―――ようこそ、我らが【屠龍の塔】へ」

 

 

 

 もう聴き慣れた、感情を抑制しきった声音、あのインコとは違う本物から。

 周囲の厳しさとは真逆、淡く仄めいているかのような白銀の美少女が/アリスが出向けてきた。

 

「……歓迎してくれる、てわけじゃないよな」

「ええ、正式な客人ではありませんので」

 

 調子を整えるための軽口を、あっさりと切り捨ててきた。無理やりやってきた苛立ちすら感じ取れない。

 コレでこそだろう……。逆に、本物だと確かめられた。立ち上がる。

 

「観光案内もしてくれない?」

「独房でよければ―――」

 

 そう返すとサッと―――先に進んでいった。

 予想はしていたので慌てず、あとに従っていった。

 

「ここ、そんなものまであるのか?」

「自作しました。【監獄】は【軍】の所有物ですから」

 

 おまけに、脱獄の方法も解明されてしまった―――。睨みつけるような言葉だが、やはり無機質に/ただ事実だけを告げるかのように。

 解明したのはオレじゃないんだけど……。ソレは契約上/心情からも言えないので、肩をすくめるだけ。できたことだけ、『公表』はしてないんだからいいじゃないか、と。

 

「そう大した罪じゃなければ、懲役までいた方が懸命さ。外でサポートしてくれる奴か金が無けりゃ、脱獄なんてリスクしかない」

「その支援者が、かの神父様だった、というわけですか」

 

 そういうこと……。あの時は、なりふり構っていられなかったんだ。奴の力を借りることも/貸しを作らざるをえなかったことも。

 ただソレは、お前たちのせいでもあるからな……。言外に含ませた非難で、この話題はそれまでになった。

 

 なので、一番聞きたかったこと。アリスに会いに来た目的を尋ねた。

 

「シリカは、元気でやってるか?」

 

 かつて助けることができた少女、竜使いシリカ。

 先のゾロ目階層での被害者だったが、何とか生き延びれた。ただ、かなり異質な/おそらく仕様から外れているであろう『裏道』を通ったがために、陽の下を歩けなくなってしまった。これから歩むのも、難しいことだろう。……そういう意味では、やはり殺されたも同然だろう。

 納得しきれない感情/罪悪感に沈みそうになる手前、同じ思いからだったのか、微かに嬉しそうな色合いをにじませながら答えた。

 

「中々筋がいいですよ。ビーストテイマーとしては、私より上かも知れない」

 

 言われた高評価に、「そうか」とだけ。その通りなのかもしれないし、励ますための過大評価だったのかもしれない。その手の気遣いなどオレにはしそうにないアリスなので、本当なのかも知れない。

 どちらにしても、前向きでいてくれてるとわかった、それだけで充分だ。

 

「お前の他とは、上手くやれてるのか?」

「ええ。初めこそ戸惑いはありましたが、今では妹みたいに、可愛がられてますよ」

 

 そうか……。何となく、想像がつきそうだった。……あまりに構われすぎて、鬱陶しく思っていないことを祈るだけだ。

 

「もしかして……あの幕営で門番やってた男も、その一人だったり?」

「……よくわかりましたね。

 彼には、前衛としての戦闘訓練を担当してもらっています」

 

 彼女のポジションには不必要だろう。けど、前線で戦うには全てを一通り網羅している必要がある。場合によっては/仲間が戦線離脱してしまったら、穴を埋めなければならない、孤立したらなおさらだ。壁戦士の知識も必要だ。

 何より、自立しやすくなる。たった一つの/プロフェッショナルだけでは、前線では買い手は少ない。安く買い叩かれるか、容易には抜けられないような契約を押し付けられてしまう。……そういう意味では、彼らの善意は本物だろう。

 

「『いつかアナタに恩返しがしたい』と、張り切っていますよ」

「……あんまり気にするな、て伝えてくれよ。お前らと上手く付き合えてるだけで、十二分に恩返しはできてる」

 

 そうですね……。気にせず相槌をうってくるも、少々言い過ぎたと後悔した。……それだけのことをしてくれたのに、大人気無さ過ぎだ。

 胸の内でパンッと、自分で頬を張ると、切り替えて言った。

 

「―――ありがとな、アリス。約束守ってくれて」

 

 純粋に感謝。彼女たちは、いざという時は冷酷な狩人になるが、ソレが全てじゃない。ギリギリの瀬戸際で、人間性を保ってくれている。レッドプレイヤーとは違う。

 ソレがわかっただけでも、おそらくはオレも似たような中途半端だったからか、安心できた。

 

 そんなオレの様子を見て、なぜか眉をひそめられると……ボソリ、

 

「…………また、ズルい言い方ですね」

 

 ぼやくように、呟きを漏らしてきた。

 聞かなかったふりをして、苦笑だけ浮かべた。……確かに、そうかもしれない。

 

 ながれそうになる沈黙を、ハァ……と、大きくつかれため息で吹き飛ばすと、

 

「あれだけ格好つけたのに、結局私に丸投げしたアナタとは、違いますから」

 

 その程度の感謝じゃ、足りないですよ……。そう言うとプイッと、そっぽを向かれた。

 苦笑い。今度こそ何も言い返せない、まさしくその通りだ。……埋め合わせを考えておかなければ。

 

 

 

 和気あいあい……とはいかないが、話し込んでいるうちに、目的地へとたどり着いていた。

 

「―――ここが、その独房とやらか?」

「いいえ、ここは隊員用の懲罰房です。犯罪者用の監獄はこの奥です」

 

 踏み入ると、急に―――室温が下がった。ゾクリと、首筋が泡立つ。

 反射的に、背中の愛剣に手が伸びそうになると、

 

 

 

『―――なんのつもりや、アリス?』

 

 

 

 どないしてその男を連れてきた―――。

 闇の奥から、腹の奥に直接響くような声が響いてきた。相手にとってはただの確認だろうが、込められた重みは詰問として伝わってくる、まるで尋問でもされているかのように……

 

(何……なんだ? これは―――)

 

 背筋にたらりと、冷や汗が流れる。口の中も一気に干上がって、ゴクリと唾を飲んだ。潰されそうになっている肺に、空気を押し込む。

 ここには居たくないと、早く逃げ出したい/逃げ出さねばと、体が全力で逃避行動を取ろうとしていた。なのに、金縛りにあったかのように動けなくなっていた、目線すら逸らせない。……奥に潜む何か/誰かに、完全に呑まれていた。

 

「『鼠』に悟られる危険があったからです。……刀を収めてください、キバ」

 

 アリスの言葉で、金縛りが一部だけ解けた。何とかまともに呼吸できる。そして、誰が相手なのかもわかった。

 しかし、言われてなお驚いた。口調と声音から何となく察しはついていたが、それでもアリエナイと。

 

(どうして奴が、これだけのプレッシャーを纏えてるんだ……?)

 

 こみ上げてくる疑問。しかし表には出せず、事の成り行きを見守る。

 相手はすぐには返さず、彼女の声が闇に消えていくと……おもむろに答えてきた。

 

『……悪いが、ソレはできへんな。

 こんのバケモンを前にして、【剣域(ソードフィールド)】を閉じる暇などありはせんのや』

「私たちが来たからには、一息つけるはずですよ」

 

 重ねてアリスが言うと、しばし沈黙が流れた。

 そして―――大きくため息。

 

 カチリ……鞘鳴りが響いた。

 するとようやく―――鎮まった。開放された。あの異質なプレッシャーなど、どこにもなかったかのように、ただオレの中にこびりついてる残響のみ……。

 

 

 

 刀を納めると、元凶たるプレイヤーが姿を現してきた。暗がりから、特徴的なトゲトゲ頭がみえてくる。

 

「―――なんや、呆けたような顔しよって。わいの顔になんかついとんのか?」

 

 元凶/キバオウが、普段通りの/腕組みしながらの喧嘩腰な口調で尋ねてきた。

 その姿を見て、嘘ではなかったと確認できたが……それでも、疑念はぬぐい去れなかった。今と先までの違いは、いったい何だったのか?

 しかし、尋ねようと口を開きかけたが……やめた。

 ココは【連合】のホームで、いわば敵陣だ。くわえて、目の前の二人を相手取ってでは、逃げ延びるのも困難だろう。ここは独房なのだから当然、転移無効化処置を施しているはず、絶望的だ。

 なので、挨拶がわりに軽口を返すのみ。

 

「ああ。人相悪い目と、潰れた丸っ鼻がな」

「……相変わらずの減らず口やな、キリトはん」

「お前こそ、そんなに殺気()()()()のは、なんでだ?」

 

 あえての過去形。先の異常なプレッシャーについてほのめかした。

 キバオウは、眉をピクリと動かすも、無視してきた。隣のアリスも、何の反応も示さない。……怪しさは消えないものの、これ以上は探れない。

 互いに/オレは内心だけでため息をつき合うと、キバオウは観念したかのように、

 

「……もう来ちまったんやからな、しゃーないか―――」

 

 コイツのせいや―――。そう吐き捨てるように言うと、通路の電灯をONにした。暗かった一面がパッと、明るくなる―――

 

 ただの暗がりなら、鍛え抜いた【索敵】や振ってきた感覚値だけでも事足りる。見えなかったのは、スキルや能力値を遮断させるためだろう。あの【監獄】でも同じだったように、この独房でも同じ監禁処置を施していた。

 なので、明るみに出された目の前の人物に―――目を剥いた。

 

「ッ!? な……なんで、お前が?」

 

 

 

 

 

『―――待って、いたぞ。黒の剣士』

 

 

 

 

 

 独房に捕えられていたのは―――赤目のザザだった。

 

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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66階層/屠龍の塔 狩りの号砲

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 監獄の前で、ザザと対峙している。

 本物か……。思わず目をこすりそうになった。疑うも……確かに奴だった。壁越しでも伝わって来る、この独特な臭気は間違いない。

 

「……なんやワレ、ちゃんと口ついとったんやな」

 

 嘲りを含ませながら凄むキバオウは無視し、オレだけを見つめてくる。現実世界のヤクザ並の凶悪さだが、まるで意に介していない。

 やはりそうなのか……。確信させられた。疑いようもない。

 しかしそうなると、別の疑問が沸いてくる。

 

「……なんでコイツが、ここにいるんだ?」

「自首してきたんですよ。今回の『狩り』についての情報と交換で」

「情報? そいつはつまり……【ジョニー】を売る、てことか? 弟を?」

 

 普通に考えたら、ゲスすぎることだ。人としての最低限の情もなくしてしまったのかとも。しかしレッドなら、特にコイツならありえてしまうと、納得できてしまう。

 

「にわかには信じ難いことですし、そもそも、そこの彼が『本物』であるとも限らない。何らかの罠ではないかと」

 

 本物……。確かに、それもあり得るだろう。警戒しなければならないことだ。

 目の前の人物が、ザザ本人にしか思えない雰囲気をまとっているとしても、ソレの完璧な模倣を可能にしている技術がある。この目で見た、NPCを自分色に上書きしてしまう技術を。……今思い返しても、信じられないことだが。

 

「それでも、『情報は魅力的だった』てところか……。

 ところで、この処置は誰の指示だ? 【連合】としての総意、て捉えていいのか?」

「そう捉えてくれ構いません。

 別に、情報を独占つもりだったわけではありません。皆にも、次の会議で知らせるつもりで―――」

「ああ、そこのところは大丈夫だよ。その手のことでは、お前らのことを信頼しているつもりだ。

 オレが言いたいのは、なんでコイツが()()()()()()()()てことだよ」

 

 冷静に事も無げなに告げた指摘に、一瞬キョトンとされるも、すぐに察すると顔をしかめた。つづいて、そんな感情を恥てか、口元に力が入ったのが見えた。

 

「罠だろうが計画だろうが関係ない。ソレを聞き逃したことで被害が増えるとか、ラフコフを一網打尽にできるかも、とかもだ。そんなものは、コイツが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に比べれば、大した戦果にならない」

 

 大事なのはソレ。ザザを見逃してしまう危険を抱えるよりも、スッパリ『解決』した方がいい。……何を一番重要視しなければならないのか、ズレている。

 舐められてはならない。もしもコイツが、そんな甘い見込みで投降してきたのなら……思い知らせられる。わざわざ処刑されに来たのだと。犯罪や悪意が元凶ではなく、ソレを生み出している奴こそ絶たねばならない。……奴が更生できるなど、おとぎ話でしかない。

 オレのレッドに対する基本スタンス。アスナと仲違いしてしまう、意見の隔絶。現実世界では彼女が正しいのかもしれないけど、ここでは違う。……やはりオレは、現実世界でも同じ判断を下すのだと思う。

 

「―――さすが、キリトはんやな」

 

 ワイもほぼ同意見や―――。アリスが何か言い募ろうとする前、キバオウが割り込んで賛意してきた。

 接ぎ穂を失って顔をしかめられていると、続けざまに、

 

「『人殺し』を躊躇ってるんなら、お門違いだぜ。コイツは、人の皮をかぶって人の言葉を話すが、中身はモンスターだ。フロアボスと同じぐらいの、厄介な『敵』なんだよ」

 

 諭すように、問いかけた。それでもまだ、コイツを生かし続けている意義はどこにあるのか? お前たちは/【連合】は、何を考えているんだ?

 

 言葉に詰まり/言いよどみ、沈黙が流れそうになると……唐突に、嗤い声があがった。

 

『―――ふっふ、フハッハッハっは!

 いいぞ、その通りだ! それが、正解だ』

 

 やはりお前は、見込み通りだ―――。その特徴的な赤目を爛々とさせながら、ザザからの手放しの賞賛。……この世で最もされたくない、賞賛の一つだ。

 なので、隠すことなくあからさまに顔をしかめて睨むも、やはり意に介さず。

 

『……殺し合いが、できないのは、残念だ。が……まぁ、いいだろう。

 お前が、手を下すのなら、俺も、確実に、【魔人化】できる、からな』

 

 いつでもいいぞ―――。むしろ誘うように、煽ってきた。

 

 その態度に、どう反応すればいいのか一瞬迷った。常識が否定してくる。

 しかしレッドに、特に奴に対して常識など、厳禁だ。常に斜め下をみなければ、足元をすくわれてしまう。

 ジッと観察して確かめてみると―――

 

「…………ハッタリじゃ、なさそうだな。

 その【魔人化】とやらが、お前たちがためらう理由なのか?」

 

 代わりにアリスへ、尋ね返した。

 

「……『彼女』の例を、知ってるでしょ? 

 彼らが、精神支配か何らかの方法で使役しているNPCたちは、使い魔のようなものです。それも、自分と感覚を共有できるほどの」

 

 そんな奴を殺してしまったら、一体どうなるか……。考えるまでもない、答えは一つだ。

 彼女と/シリカと同じ事が起きる。

 

「ここで殺したりしたら、より厄介なことになるかもしれんのや。コイツのほざく【魔人化】とやらに、や」

 

 はた迷惑なことにな……。本当にその通りだ。呆れて反吐しか出ない。

 

「ただ、コイツがココにきた目的は『ソレ』じゃないよな。……本当に、『狩り』の情報をリークするためか?」

『だから、そう言った』

 

 独り言のような問いかけに、はっきりと/躊躇いもなく、言い切ってきた。……言い切りやがった。

 おそらく狙われた通り胡乱げに、顔を向けざるを得ない。牢屋に縛り上げた男に翻弄されている。

 癪に障るが飲み込むと、もう既に慣れていただろうキバオウが、改めて尋ねた。

 

「そいじゃそろそろ、話してくれへんか?」

「待ってください! 先に聞かなければならないことがあります。

 そもそも、なんでアナタは、今回の『狩りの対象』について知っていたんですか?」

 

 どこからの情報ですか―――。あまりにも早すぎる。ボス部屋をくぐってからまだ数時間も立っていない。限られた人数だけで、情報統制もしっかりしていた、アルゴや有名な情報屋たちには口止め料が払われている。……内通者がいるのか?

 最もな質問だ。できれば答えが欲しい/スッキリしたい。しかし―――

 

「……アリス、ソレはコイツに訊いても無駄や。

 きっと喋らへんし、確かめようもない、みなを疑心暗鬼にさせるだけや。それにわいらも、()()()()()()()()でここまで来たはずや」

「それはッ―――わかっています。わかっていますが……」

 

 簡単には納得できない。仲間にそんな、裏切り者がいるなんて……。歯噛みしながら、沸きでてくる不満を抑制していた。

 ソロのオレには、わからない悩みだ。パーティーメンバーとの信頼関係なんて、ソレを維持し続けるなんて……。おそらくこれからも、わかることはないかもしれない。

 なので、慰めにならないよう、取りなした。

 

「少なくとも、ここにいる3人は裏切り者じゃない。お前らが選んだコイツの監視人達もな」

「……だといいとは、思うんやがな」

 

 看守を買収するか成り代わるのは、脱獄のセオリーやからな……。腕組みながらも平然とつぶやかれた。

 驚かされた。キバオウは、仲間に対して結構ドライな考えを持っているのか……。もう少し、情に寄った考え方をする奴だと思っていた。

 

 再び、沈鬱な空気が流れそうになると、話題の中心人物が重々しくも口を開いた。

 

 

 

『―――教えて、やれるのは、あと10分ほどで、始まる、だけだ』

 

 

 

 意味深ながらも明確な数字。続きが気になる答えだ。

 何らかの誘導だとわかってはいる。ものの、乗らざるを得ない。

 

「何が、始まるんや?」

『戦争だ。お前たちと、弟との、な』

 

 物騒な単語と断言にピンッ―――と、つながった。予想のはるか斜め上をいく最悪が。……本当に、そこまでやるのか?

 

 思わず詰め寄っていた。傍にいたのなら襟首をつかみあげる勢いで、詰問した。

 

「―――どこだ? 誰に何をするつもりだ?」

 

 抑えようにも、語気は荒くなってしまった。……相変わらず、こちらの神経を逆なでにすることに対しては、天才的な奴らだ。

 そんなオレの動揺を見てか、ニンマリと、悪意たっぷりの嗤い顔を浮かべてきた。

 

『戦争は、いつも、無垢なる者の、犠牲をもって、始まる』

 

 そして、無垢なる者の命をくべることで、贖われる―――。また意味深ながらも、不吉さは叩きつけられてくる答え。

 やはりオレの直感は、間違ってはいなかったか……。できれば外れて欲しかったのに。

 さらに詳しい内実を聞き出さそうとすると、

 

『黒の剣士。それに、【連合】の騎士ども。

 此度、試されるのは、お前達だけでは、ない』

「……なに?」

 

 続けざまの情報に、翻弄されてしまった。

 対象はオレ達だけじゃない? 無垢なる者の犠牲で始まる、戦争……。曖昧な情報が導き出す答え。目まぐるしく頭を回転させていると、

 

「わけわからんこと、偉そうにほざきおって……。

 結局、何も教えてくれへんのか?」

 

 呆れながら/苛立たしげにも、キバオウが突っ込んできた。まるで尋問官さながらの無関心/冷徹さで、お前の病気に付き合っている暇は無いと、さっさと吐けと、さもなければ……。

 危険な暴力の空気を嗅ぎ取って、ではないだろう。

 

『……すぐに、わかることだ。

 お前達が、お前達の務めに、潰されぬことを、祈ってる』

 

 そう答えを返すと再び、沈黙の中へと閉じこもっていった……。それ以上は必要ないだろうと、全くもって不明瞭な情報しか喋っていないのにも、かかわらず。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 ―――先に戻りや。わいは、コイツを縛り上げてから行くさかい

 ―――わかりました。くれぐれも、気をつけてください。

 

 

 

 監獄から地上へ、アリスに連れられ元きた道を戻っていった。互いに無言ながらも、先ほどのリーク情報を反芻しながら……

 

 そして、転移ポータルの前へとたどり着いた。

 

 まだ半ば推理の中、流れのままくぐろうとした―――寸前、止められた。

 

「ところで、そろそろ返してくれませんか?」

 

 急な返却要請。いつも通り事務的な顔色だが、若干ながら呆れられているようにも感じる。

 

「…………何のことだ?」

「ここの牢屋にぶち込まれたいんですか?」

 

 さっさと返しなさい……。手まで差し出されての問い詰め。心ここにあらずだったので戸惑わされるも―――返す/ここで/片手で持てる何かを/彼女に、オレが盗んだもの……!?

 つながった。ようやく、思い出した。

 

 肩をすくめると/観念して、ガメていた特殊スプレーを渡した。

 

「どうせ、そいつの製法は公開してくれるんだろ、近いうちにさ? だったら、今くれてもいいんじゃない?」

「……まだ試作段階です。それに、公開するかどうかは、私たちが決めることです」

「きっとそうしてくれるんだろ? みんなが喜ぶことだし」

 

 【次元蝶の鱗粉】を使わずに/染みこませた何かの液体を噴霧させることで、閉じていた転移ポータルを再展開できるアイテム。【鱗粉】ならば一回限りで消費してしまうところ、何回か使用できる、充填させた液体が尽きるまで。……実に魅力的なアイテムだ。【連合】産としては、久方ぶりのヒット製品なんじゃないかと思う。

 なので、最大公約数的な感情論でオネダリするも、

 

「あなたのような図々しい人がいなければ、喜んでそうするでしょうね」

「おいおい、オレほど謙虚な奴はいないと思うけど?」

 

 混ぜっかえすと、鼻で笑われた。……残念ながら、魔法のスプレーはお預けだ。

 

「先に戻ってください。私は、先ほどのことを隊長達に知らせてから、戻ります」

「……わかった」

 

 これみよがしにため息混じり/肩を落としてみせるも、気を取り直して、

 

「それじゃ、また会議で」

 

 互いにスッパリ、ザザとの面会でまとい付いた淀みを払い落とした。

 

 そして/しかし、オレがポータルをくぐり抜けようとした―――寸前、アラートがが鳴りたてきた。思わず眉をひそめる。

 メニューで設定した最も緊急性の高い警告、【緊急メッセージ】の通知だ。

 目の端では、アリスも眉をひそめていた。オレとほぼ同時に、何かを受け取ったらしい。

 

「……誰からだよ、いきなり……て―――ッ!?」

 

 確認するも、その内容に目を奪われた。

 信じられない。まさか、まさかこんな―――

 

 

 

「―――あ、アスナさんが……攫われた!?」

 

 

 

 アリスの口から同じ、信じがたい内容が、こぼれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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66階層/ロブノール 救出劇の開幕

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 急いで到着した現場/商店が立ち並ぶバザールは……酷いものだった。

 

 まるで戦場跡だ―――。

 斬られ砕かれボロボロになった石の建物、遊牧民や個人経営者のテントは潰されてもいた。店頭に並べられた商品/食品類も道路に散乱している。ソレら以上に、傷ついた住民・商人NPCたちが痛みで蹲ったり、倒れたりもしていた。

 

 ただし、その悲惨さはオレ達プレイヤー目線からのもの。

 同じ/無事なNPC達は、ほぼ気にせず通常通りの行動をとっていた。傷ついた仲間も壊された町並みも気にせず/さすがに通行の邪魔なら避けるも、昨日と変わらぬ今日を繰り返し続けていた。……まるで、何事も起きていなかったかのように。

 よく見れば、傷ついたり倒れたりしているNPC達ですら、同じだ。電源が切られたか、修復のための休眠モードであるかのよう、決められた応答の一つを消化しているにすぎない。きっと完治したらまた、無事なNPC達同様のルーティーンに参加するのだろうと、直感させてくる。

 どこのフロアや街でも起こる、同じような異常性。現実なら、同情心やら不満やら怒りやらの感情が吹き荒れてるのだろうが、ここでは無い。

 この光景を見せられるといつも、ココはゲームの中/仮想世界なのだと思い出してしまう、自分たちの方が異物なのだとも。……ほぼ大部分のプレイヤーが、横暴やらぞんざいに/まるで特権階級にでもなったかのように振舞ってしまうのは、仕方のないことだと思えてしまう。常識やら道徳を固守するほうが、間違えている気がする。

 

 唯一、慰められる/つなぎ止めてくれるのは、傭兵NPCたち。クエストの枠を超えて、プレイヤーに協力してくれるようになったNPCたちの存在だ。……一部のプレイヤーから【自立型(バトラー)】と命名され、酒場やクエストなどで雇える傭兵NPCとの区別化している(ちなみに彼らのことは【半自立型(フットマンorメイド)】と)。

 ルーティーンから外れている彼らだけは、負傷したNPC達/仲間たちの下へと駆け寄り助けていた。その彼らの行動に、通常のNPC達の行動にも変化が及ぼされていた。何をしているのか不思議そうに眺めているだけの者、助けられていることを恥ずかしがって遠慮し続けている者、あるいは怒って手を振り払うまでする者も。……性格が善良に傾いていない者/救助にまでむかわない者/雇い主から釘を刺されて動けない者でも、現状に眉をひそめたり心配しているのがわかる。人間らしい。

 しかし今、そんな彼らこそが問題になっていた。

 

 

 

 

 

「―――すいません。私達のせいで、アスナさんが……」

 

 ただただ泣きそうになりながら、謝り続ける女性プレイヤー。

 白と赤を基調とした装備類から【血盟騎士団(Kob)】の一員とわかるが、二軍か補助要員なのだろう。奴らの戦闘員独特の、突き刺すような鋭さを感じない。……あるいは、オレを欺くほどの演者なのかもしれないけど。

 それも含めて、何があったのか聞き出したいが……後悔に苛まれているのだろう。まだ混乱状態で/助けられただろう現実に心が追いついていなくて、それどころではない。

 オレの他にも集まった面々ともども、どうしたらいいのかと肩をすくめていると、

 

「君達だけの責任ではない、()()()責任だ。強いては、私の責任といったところだな」

 

 警戒が甘すぎた……。Kobの団長様/ヒースクリフが団員を慰めた。同時に反省のつぶやきを漏らすも、感情の色は見せず。なので、周囲への非難にも聞こえてしまい、眉を顰めたものがいた。

 ただ……たった一言。ソレだけで、混乱状態の女性プレイヤーに落ち着きが戻ってきた。後悔から離れ、現状に向き直ってくる。

 奴の声/雰囲気には、他人を持ち直させる安心感がある、あるいは鎮圧か。あやかりたいものだけど、真似するのは癪だ。……オレはオレのままがベターだ。

 

 空気が一変すると、仕切り直すようにため息と愚痴がこぼれてきた。

 

「……はぁ。

 まさか、NPCたちが裏切るだなんて―――」

「おい! ……気をつけろ」

 

 別のプレイヤーが注意を促すと、こぼしたプレイヤーもハッと気づいた。こんな公の場所では口に出してはいけない禁句だ。

 思わず見返すも……傍で控えている傭兵たちは、聞こえていないように無視しているのみ。あるいは逆に/冷静に、

 

「心遣いは感謝する。が……気にせんでもいいさ。君らがそう呼ぶのには慣れているし、事実違っているのだからな」

 

 本人たちからハッキリと/そう告げられると……こちらは黙るしかない。

 

 自分たちがこの鋼鉄の城の囚人であり、さらには作られた存在であること/プレイヤーは別の世界からやってきた異邦人であることは、承知の上だ。全てを、ある程度わかりやすく脚色して伝えた。その上で協力してくれるかどうかを選択してもらっている、共に城の囚われ人として/看守たる魔王を倒す協力者として。だから、疚しさなど感じなくてよくはなったのだが……一つだけ、黙っていることがある。

 魔王を倒した/ゲームクリアした後、この世界は/彼ら自身もどうなるのか―――。

 証拠はない、倒したあとでないと証明もできない。でも皆、わかっていた。おそらく『全消去』されるだろうと。あるいはそこまでいかなくても、今までの全てがなかったことだと『リセット』はされるだろうと。

 今までと同じになどならない。魔王の居なくなったココの続きなど、用意しているとは思えない。……かの天才ならばあるいは、用意しているのかもしれないが、ソレを継続させてくれるほど現実は甘くないだろう。オレ達ですら、帰る/居なくなるために戦っている。

 彼らは有能だ、今では攻略に不可欠な存在だ。システムとは別/プレイヤー独自のスキルは使えないが、ソレを補う高い身体能力値。さらには、積み重ねてきた/書き込まれた人生の厚みがある。……彼らと協力することで、『ただ生き延びるため』のゲーム攻略が、『皆を解放するため』の大義に変わる。モチベーションを保たせてくれる。

 いつかは言わなくてはならないことだが、まだ誰も口に出せないでいた。信じてもらうことも難しいだろう、何より、信じられたらどうなるか……考えるだけでも怖い。……オレ達プレイヤーは彼らにとって、魔王とあまり変わらない害悪なのではないかと、判断されかねない。

 

 沈み込みそうな空気を仕切り直すためか、別のプレイヤーが口を開いた。

 

「ありえないことじゃなかっただろ? レッド達がそういう技術を使いこなしているのは、すでにわかっていたことだ」

 

 だから、スパイを潜伏させるなど、簡単なことだった……。もっと早く気づくべきだった。

 その通りだ。ヒースクリフが言うとおり、警戒が甘すぎた。

 

「わかってるよ、んなこと! ……そう簡単に割り切れねぇ、てことだよ」

「それじゃ、愚痴を吐きだした今ならもうできる、てことだよな?」

 

 期待してるぜ……。ポンと肩を叩きながらの、傍らのNPCからの励ましに、何も言えなくなっていた。

 今回の事件で、直接の被害を受けたのはプレイヤー側だが、最も恐怖を感じているのはNPC側のはずだ。

 同僚の中に裏切り者が潜んでいる、だけではなく、自分が裏切り者に変えられてしまうかもしれない……。知らぬ間に植え付けられた寄生虫、あるいは時限爆弾みたいなものだ。自分自身を信じぬけなくさせる状況。

 ソレを押し殺しての平静さ、さらにはシニカルながらも励ましの言葉。……相変わらず彼らには、頭が下がる、まだまだ未熟なのだと思い知らされる。

 

 暗い話題はそれまでに、今度こそ、現状打破へと一歩進んでいく。

 

「『今から48時間以内に100億コル用意しなければ、お前達の閃光を消す』……か」

 

 現場に残されたレッド風味の要求より―――

 

 なんとも、むちゃくちゃな要求だ……。そんな大金、【聖騎士連合】ですらギリギリのはず。攻略組そのものが瓦解してしまう金額だ。

 なので、そもそもできないことを前提にしてるとも、取れなくはない。これから交渉をはじめましょうと、先に/大胆に吹っかけてきた。あるいは、ただの『遊び』なのかもしれない。何しろ、カネよりも大事なもののために生きている奴らだ。交渉できる/まだ人間らしさが残っていると、思わせてるだけなのかもしれない。

 

「奴らのことだから、本気……なんだろうな」

「でしょうね。けど、レッド達とは交渉しない」

 

 そもそも、約束を守るかどうかもわからない相手……。この要求も、真実かどうかわからない。なので、アリスの言うとおり、『レッド達とは交渉しない』のが基本スタンスでなければならない。こちらがやられてしまう。

 ソレは攻略組みなの共通認識、だが、人としては常識はずれだ。

 なのでだろう。皮肉じみたことを挟んできた奴がいた。

 

「それにしても……どうして我らがナイト様は、ここにいらっしゃらないのかねぇ?」

 

 お姫様が攫われたっていうのに……。唯一来ているアリスへの皮肉。無関心すぎる【連合】の対応を非難してきた。

 

「私を派遣しただけでも、充分だと判断されたんです。事実……そうみたいですし」

 

 チラリと、ヒースクリフに目を向けた。

 あなた達の問題です。自分たちだけで、解決できますよね……。言外の突き放しに、さきほど愚痴をこぼしたプレイヤーが反応した。

 

「おいおい、コイツはKobだけの問題じゃないぜ! 攻略組全体で当たるべき問題だ」

「攻略組が一丸となるべきことは、『フロアボスの撃破』だけです。そして、アスナさん他誘拐された人達は、討伐メンバーから外れることは決まっていた」

 

 攻略組全体としては、救出しない……。あくまで手を取り合うのは、ゲームクリアのため、最前線やフロアボスの攻略のためだけ。個人的な問題や一ギルドの問題は、自分たちだけで解決する。ソレができることが『攻略組』の条件であり、馴れ合いで手を取り合っているわけじゃない。

 冷徹な言い草だが、最もなことでもあった。ここで、アスナのためとはいえ/そのルールを曲げてしまえば、今後の運営に響く。攻略組のゆらぎは、プレイヤー全体に波及する。最悪、ゲームクリアそのものが瓦解する可能性すらある。

 理屈はわかる、わかっているが……納得しきれない。オレはそこまで冷たく断じることができない。

 そんな大多数の心情を汲み取ってか、おそらくは掠め取ってだろう、さきほど皮肉をぶつけた男がさらに突っかかってきた。

 

「だから見捨てる、てことかい? ……冷たい言い草じゃないか、さすが『蒼の処刑人』だ」

 

 アリスに対しての禁句―――。一瞬場が凍りついた。

 

 しかし本人は、気にせず

 

「信頼している、と言うことですよ。仲間のことは自分たちだけで解決できると」

 

 そうですよね……。皮肉をいった男とは向き合わず、ヒースクリフに投げ返した。

 

「ソレは光栄なことだ。

 是非とも、期待に応えてみせよう」

 

 奴にしては少々芝居がかった言い方で、返してきた。……皮肉をぶつけた男の舌打ちが聞こえてくる。

 

「それでは、今回の攻略については、残念ながら傭兵たちは全員、解雇した方がよさそうですね」

 

 Kobの団員の一人が、団長へ進言。同時に、ここにいるNPCたちに向けての忠告。……勝手なことだけど、構わないよな?

 NPC達は顔をしかめるも、肩をすくめるだけ。了承とは言わないまでも、不承知とも言わず、好きにするといいと。……コレを不名誉だと感じて撤回を要求するNPC達は、住民を助けるために離れているため、聞こえていない。

 ヒースクリフも何も言わず、目を向けるのみ。ソレを了解と捉えてか、お節介な他プレイヤーが口を出す前に、

 

「至急、ほかのギルドにもそう忠告してきます―――」

 

 言うやいなや、さっそく触れ回りに行こうと踵返した。

 

 突然の急展開。ヒースクリフのやり方を見物しようと、静観に徹するつもりだったが……さすがに不味過ぎる。

 何も言わない団長殿に代わって、今にも触れ回ろうとする団員を引き止める。

 

「おい、ちょっと待てッ! そいつは逆効果に―――ッ!?」

 

 止めようと手を伸ばしかけた寸前、伝達しに行こうとしたプレイヤーは、羽交い締めにされた。仲間のKob達に無言で、取り押さえられた。

 

「な、何するッ!? 何のつもりだ?」

「まさか、お前だったとはなぁ……」

 

 取り押さえた団員が、皮肉げにこぼすと、

 

 

 

「―――まずは一人、確保だ」

 

 

 

 彼に賛同するように、ヒースクリフが冷たくも言い放った。

 

 事此処に至って、ようやく現状においついた。怯えた眼差しで団長殿を見上げてくる。

 

「…………どう言う、ことですか、団長? なんで僕を―――」

「残念だよ、【クリプト】。

 この状況で、()()()()()を触れ回るなど、スパイ以外の何者でもない。君自身に、自覚があろうとなかろうとも」

「そ、そんな……」

 

 連れて行き給え―――。唖然とする一同の中、命じると、部下たちが無実を喚き続ける男を引っ立てていった。

 

「ち、違うッ!? 僕じゃない。僕じゃないんです団長ッ! 

 団長? 団長ぉぉ―――…… 」

 

 悲痛な訴えの尾を引きながらも、退場させられていった。

 

 

 

 突然の急転に圧倒される面々。

 何も言えず、ただ事の中心人物/ヒースクリフに目を向けていると―――

 

「先はああ言ったが、クリプトは無自覚なスパイでしかないだろう。本物の裏切り者は、【ジョゼ】の方だ」

 

 そう断言し、指さした、クリプトを引っ立てさせた団員の一人を。

 

「彼がこの情報をどこにリークするか。そこから辿っていけるはずだ」

 

 調べろ―――。静かに控えていた団員に命じると、頷き一つで即座に仕事に取り掛かり始めた。ジョゼに気づかれないよう、気配を絶ちながら尾行する者、あるいは情報源を調べる者。

 それぞれが自分の役割を自覚し、詳しく命じられることなく遂行する……。不測な非常事態なはずなのに、ソレを感じさせない冷静な対応だ。当然のことだろうが、アスナが率いている時よりも凄味を感じさせた、Kobの異質さが際立って見えてくる。

 ただただ、圧倒されるばかりの組織力だ。軍隊を名乗っている【アインクラッド解放軍】よりも軍隊らしい。

 

「…………流石です、ヒースクリフさん。

 この調子なら本当に、大丈夫そうですね」

「ああ……と言いたいところだが、協力者が欲しい。追跡の達人が」

 

 そう言うと、オレに目を向けてきた。釣られて皆も顔を向けてくる。

 すぐに意図を察するも、あえてそっぽを向いた。……無駄だと分かってはいるけど。

 

「我々Kobは、単独での戦闘を重視している。だがそれでも、チームとしての擦り合せで偏りが生まれている。同レベルの敵地に、しかも罠を張っているだろう危険地帯からの救出ミッションには、力が足りない。シーカーや本物のソロプレイヤーが必要だ」

「どうだろうねぇ、アンタならやってのけそうだけど? ……その目立つ格好さえ変えれば」

 

 反発心から口に出すも、本当にできそうだから困る。

 だから、でもある。わざわざ部下に/オレに見せ場を譲っているだけな気がして、癪に障ってしまう。そんなに余裕があるなら、自分でやればいいのにと、オレはいつもカツカツでギリギリなのに……。ヒースクリフと対峙する時、いつも感じてしまう不愉快さだ。

 渋るオレに、ヒースクリフに代わって別のプレイヤーが説得してきた。

 

「ヒースさんには、動いてもらっちゃ困るんだ。俺たちの大半や青のナイト様までラフコフ狩りに出撃するとなれば、殿に控えてもらわねぇと……背中が痒くて戦えねぇ」

 

 わかってるよ、そんなことは……。駄々をこねただけ、奴の思惑通りになるのが嫌だっただけだよ。

 これみよがしに大きく、ため息をついた。

 オレ自身に舞い込んできた厄介事しかり。本当は率先して救出しに行かなければならないのに、攻略組全体の都合から留められている不条理/見捨てると言い切った集団からの要求、ソレについて不満は一切言わずに従ってくれている男からの頼みだ。……断れるわけがない。

 

「……確かに、【索敵】や【隠蔽】も鍛えてるけど、それだけじゃ足りないだろ? レッド達の巣窟に潜入ともなれば、専門家が必要だ」

 

 最後の抵抗として、もう一人の人柱を要求した。

 オレにアテはあるけど、あんたのアテは? ……ただの先遣隊経験者だけじゃ、務まらない重役だ。フロアボス相手とは別のスキルが必要になる。レッド相手とはいえ、同じプレイヤー相手でも敵意を維持できる/決してなびく事のない執念を持っている者。

 

「心配ない。すでに依頼済みだ」

 

 当然とばかりに、そう告げると―――ガサリ、物陰からその人物が現れた。

 

 

 

「―――久方ぶりでござるな、キリト殿」

 

 

 

 急にでてきた相手/【コドクの防人】の忍者に、目を丸くした。

 いつの間に、そこにいたんだ……。全く気配がなかった、感じ取れもできなかった。

 アスナを拉致された重大事やら周囲の悲惨な光景やら、これからの話に気を取られてはいた。だがそんなことは、攻略組にとって言い訳にしかならないだろう。オレや他のプレイヤー達の警戒網を騙しきったステルス技術、【隠蔽】がもたらす以上のシステム外スキルがなければ成立し得ない凄技だ。……ステルスに関しては、アルゴより上なのかもしれない。

 

 素直に感嘆したい/ビビりたいが、そうもできないのがビーターの辛いところだ。

 内心の動揺を隠すためにも、挨拶を返した。

 

「……いいのか? こっちについたら、討伐にはいけないぜ?」

「構わんでござるよ。拙者の狙いはあの女だけでござる。それに、『赤の聖騎士』殿からの依頼とあれば、断る理由もなし」

 

 ヒースクリフのことだから、【防人】の組長との話もつけているのだろう……。善意からの助けの手、だとは信じたいが、何かしらの密約を交わしたのだろう。あるいは、今までの借りを消費したのかもしれない。……奴のことだからおそらく、後者だろう。

 

 彼なら、問題あるまい……。さきほどのオレからの返答。

 大いに問題ない、心強い限りだ。何より、ただでさえ神経すり減らされるミッションにおいて、人間関係で苦労しなくて済むのはありがたい。……その点では、オレのアテよりも断然に良い。

 

「他にも、救出隊を選抜しておいた」

「救出隊……?」

 

 

 

「―――ご協力感謝します、キリトさん。それに、蜻蛉さんも」

 

 

 

 会議のすぐ後に話した、若かりし頃のヒースクリフ/【エイジ】だ……。それに数人、Kobの猛者たちが進み出てきた。

 

 一瞥して確かめてみるも……大丈夫そうだ。オレの【鑑定】や常備してる看破アイテムでは実力を測れない以上には、警戒心も高い。

 わずかながら秀でてるだろう経験則と観察力から、少々不安は残るが、ヒースクリフの選抜だ。大丈夫なのだろう。……そう信じるしかない。

 こちらについても問題はない。無いのだが―――

 

「さすが、赤の聖騎士殿だ。やけに手際がいいじゃないか」

 

 まるでこうなるのを、見込んでたみたいじゃないか……。込めた皮肉に、救出隊の方が眉をひそめてきた。

 当のヒースクリフは気にせず、説明してきた。

 

「彼女はKobの、強いては攻略組全体にとっても要の人物だ。レッド達が我々と全面戦争するのであれば、当然狙われるだろう」

 

 予め対処策を用意していても、おかしくはない。用意しておかない方がおかしい……。そう指摘されれば、確かにそのとおりだ、正しい危機管理能力だろう。ただ、それを実行しきってしまうと、違和感を感じざるを得ない。……ソレはただの、嫉妬なのかもしれないが。

 

「……だったら、そもそも誘拐されないようにすべきだったな」

「それは……その通りだな。彼らが一枚上手だった」

 

 オレの言いがかりに、苦笑した。周囲からも、さすがに言い過ぎだとの視線を向けられたが、無視した。……お前らだって、たまには奴に説教してやりたいだろう? こんな絶好の機会を逃さない手はない。

 

 やり込めて、少しばかり胸がすいていると、静観していたプレイヤーが結論を出してきた。

 

「そいじゃ、お姫様の救出は、任せちまってもいいんだな?」

 

 俺らは討伐に専念しちまうぞ……。突き放すようにそう言うものの、助けてくれと頼んだら、頼まれてくれそうだった。

 助けの手は幾らあっても助かる。『狩り』をするよりも救出する方が、よほど健全でもある、目標がアスナなら尚の事だろう。参加できるのならしない手などない。

 だが、事は個人的な問題にとどまらない、Kobと攻略組のこれからにも波及する。部外者かつ助っ人でしかないオレに、口出しする権利は……ないだろう。追加メンバーを決めれるのは、全責任を負ってくれるだろうヒースクリフだけだ。そして奴には、そんな気がない。

 さらには、含みを察したのだろう救出隊も/代表のエイジが、

 

「僕らの副団長だ。絶対に、助け出してみせる」

 

 そもそも、あなた方の協力など期待してない……。傲慢じみた矜持。Kobらしい、他を寄せ付けぬ鋭さを持った言い回しだ。

 ただ少々……侮蔑さの色合いも見えた。

 彼の提案に、皆がアスナに向けてるだろう下心を見てしまったのかもしれない。もしもそうなら、この機会にハッキリと、そんな理由はお断りだと宣告したのだろう。……あるいは、ソレは俺達だけに許されたモノだと。

 

 初顔わせながら、意外と楽しそうな奴らなのかもしれない……。との妄想で、コミュ障の不安は減少した。

 まだ始まったばかりだが、やり切れそうな気が湧いてくると、

 

「あ、あのぉ……。私も、救出隊のメンバーにいれてもらっても、いいですか?」

 

 アスナに助けられた女性団員からの提案。

 弱気そうだけど、言葉の奥に芯の強さを感じる。後悔を払拭しようとの意思が垣間見えた。

 

 どうすべきか……。判断に困る。能力的には不安だが、やる気でカバーしてくれるはず。危険かつ未知の探索行には、パラメーターやスキルよりも気合こそ重要だ。……そういう意味では、彼女こそ一番救出隊にふさわしい人物だろう。

 判断をヒースクリフに委ねると、

 

「……いいだろう、許可しよう」

「あ、ありがとうございます団長!」

「ただし、キリト君やエイジたちの指示は絶対だ。撤退しろと言われたら、かならず撤退しなさい」

 

 ソレが最低条件だ……。助けられた女性はブンブンと、振り回すように強く頷いた。

 

 

 

 

 

「―――それでは各々方、善は急げでござる。すぐに出立を」

「悪い……。オレは少し寄らなきゃならないところがある。

 《フラッグ》預けとくから、後ですぐに合流するよ」

 

 そう言うと、ストレージから取り出した《フラッグ》を手渡した。

 

「【コウイチ】君のことなら、心配いらないだろう。もうすでに動いているはずだ」

 

 すかさずヒースクリフが助言してくるも、残念ながら的外れだ。……それもあったけど、もう一つあるから的外れだ。

 

「……奴の心配なんてしてない。オレの準備の方だよ」

 

 こんなに突然、戦いに行くとは思っていなかったんでね……。もうほとんど、準備は整っているけど、ラフコフ相手ではもう一味必要だ。切り札を切り札として切れるように仕立てるために、たっぷりとケレン味がついたモノが。

 

「……一刻以上かかるようなら、諦めて欲しいでござる。キリト殿のお力は不可欠でござるからな」

「依頼したモノを取りに行くだけから、そうはかからないよ」

 

 約束するとさっそく、目的地へと急いだ。

 

 

 

 

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66階層/グランザム 捕虜の連行

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 ―――大人しく、従ってもらえるよね? そうしてくれたら、解放してあげるよ♪

 

 さもなければ―――。彼らを殺す。

 捉えた団員たちの首元に、鋭利な刃をあてがいながら。ジョニー・ブラック以下仲間たちによる卑劣な脅し。……子供っぽい楽しげな口調とは裏腹。残酷な悪魔の顔も見せてくる。

 

 ここは【圏内】だから安全……。そんな常識が、対応を遅らせた。

 なんで『彼ら』が裏切ったの……。そんな想定外に、全てが食われた。

 何もかもが突然で/異質すぎて/意味がわからなくて、ただ、見ていることしかできなかった。

 

 チャンスを伺うも……できなかった。隙も見当たらない。

 舌打ちが顔にまで出た。脅しではなく本気だからこそ、退かざるを得ない。奴らは一切躊躇わないことは知っている。

 だから、

 

 ―――副団長! 俺たちに構わず倒し―――ッ!?

 

 団員の一人、最後まで言い切る前に―――首をかき切られた。

 真っ赤な鮮血のライトエフェクトが、傷口から噴出する。

 

 瞬間、現れた感情は……怒りではなかった。

 まるで、赤い光で煌く花火のようで、綺麗ですらあったから。『無残に殺されたのだ』という現実は、遅れてやってきた。……猛烈な後悔とともに。

 

 噴き出す激情のまま、吼えようとするも―――となりの女子団員の悲鳴に、遮られた。

 喉から飛び出る寸前、唇を噛み締める/何とか抑え込んだ。……とどめた怒りが我が身を焼く。

 

 しかし無理やり、頭だけでも冷静さへとパージ/今日まで前線で生き残ったことで身につけざるを得なかった精神コントロール技術、観察させる。

 現れた違和感。ソレをやった男には……なんの変化も見られなかった。無抵抗な他人の首を掻き切るおぞましさへの無頓着然り、なぜ【圏内】で攻撃できるのか然り、頭上のカーソルまで変色していない異常事態。

 なんで―――。すぐに自答、相手は()()()()()()()()()のだから。【圏内】のルールはプレイヤーやプレイヤー同士にしか働いていない。……そもそも『彼ら』は、自発的にこんな所業はしない。

 

 ―――従ってくれるよね♪

 

 ……返事は、持っていたレイピアを投げ捨てるしかなかった。カシャカシャンと、愛剣が虚しく地面に転がる。……なぜか、酷く非難されたような、失望させられたように感じた。

 

 地面に組み伏せられていた瀕死の団員たちは、「ダメだ……」と悔しげに漏らしてくれた。

 だけど……仕方がない。今はこうする他に、名案が浮かばない。

 黒ずくめの『あの人』なら、もっと上手くできたんだろうけど……。心の内で助けを求めるも、来るわけがない。幾らなんでも期待しすぎ。そしてすぐさま、頼ってしまう甘さを叱咤した。

 そんなことで【血盟騎士団(Kob)】の『副団長』なんてやっていけるの? 『閃光』なんて呼ばれてるけど、名前負けしてるわね……。不安を押し込め、気丈に顔を引締め直した。

 

 ―――よかったぁ、話が早くて助かるよ。さすが『閃光』♪

 ―――どこへ連れて行くの?

 

 着いてからのお楽しみ……。期待はしていなかったけど、やっぱりはぐらかされた。

 

 完全に武装解除すると/そもそも【圏内】なのでどうしようもないけど、仲間だろう男の一人が進み出てきた。

 その手に、眉をしかめざるを得ない結晶アイテムをかざしながら、

 

 ―――へへ、それじゃ早速―――『ドレイン・アスナ』!

 

 【吸魂の灰晶石】―――。他プレイヤーの経験値を奪う/『レベルドレイン』を引き起こす結晶アイテム。

 捕まえた犯罪者が逃亡しないようにするため、基本的な拘束処置の一つ。【麻痺】や【石化】よりも先に行う/免疫力を落としてからの方がかかりやすくなる、といった意味合いもある。……話には聞いていたけど、まさか体験することになるなんて。

 でも―――ソレは想定内。ちゃんと対策はしている。

 

 呪文とともに飛び出た悪霊らしき黒い霧が、私に飛びついてきた。そして、めいいっぱい経験値を奪って結晶の中に戻っていくのだけど……違う反応。

 予めしていた『対策』による防御の光膜が―――バチンッ、悪霊を弾き返した。

 そして逆に、術者本人へと跳ね返った。

 

 ―――ほえッ! あ…………あれぇッ!? 

    な、なんで俺にかかんだよッ!?

 ―――ぷはッ! あっはははは! 

    お馬鹿な奴♪ 対策ぐらいかけてるのに、決まってんじゃん♪

 

 先に言ってくださいよ……。私のレベルドレイン対策=体に直接刻んだ《呪法反射の聖痕》により、自分自身の経験値を抜き取ってしまったマヌケな男は、戻そうと/落とした結晶を拾い上げようとするも―――仲間に阻まれた。寸前で踏まれた。

 

 ポカーンとするも、すぐに「おい、この足どかせ!」とドスを効かせるが……横合いから、割り込んできた仲間から蹴り飛ばされた。

 

 突然できごとに、衝撃のまま倒れ尻餅。何が起きたのか/なぜこんなことをしたのか見上げると、他の仲間も参加し始めた。―――袋叩きにされた。

 みな笑いながら、楽しそうに、仲間だった男を容赦なく痛めつけていく。まるでただ、遊んでいるだけのように、無邪気な狂気の儀式……。

 

 異常過ぎる光景に慄然とした、目を奪われてしまった。

 なんでそんなこと、仲間のはずでしょうが……。非難虚しく。袋叩きにされた男は、徐々に、動かなくなっていった。恨みの悲鳴すら聞こえなくなる。むしろなぜか、楽しげな笑い声が聞こえてきたような……。

 改めて、彼らの異常性を認識させられた。……コイツらは本当に『人でなし』だ。

 

 ―――さてさて! これで『メッセンジャー』は決まったね♪

    つぎは誰がやってくれるの?

 ―――はいはーい! 俺がいきまーす♪

 ―――? 何するつも―――ひゃぃッ!?

 

 強気に振る舞い返そうとするも、奴の仲間から……汚い手で触られた。身動き取れないように縛り上げてる最中に。

 思わず振り返り、睨みつけると、「へへ、けっこう可愛い声で鳴くじゃん♪」。ニヤニヤと下劣さを隠さぬ笑みを向けてきた。

 生理的に拳を握り締めた。そして反射的に振り上げ、振り抜こうとまですると……沸いた疑問が止めた。

 なぜハラスメントコードが発動しないの?

 

 ―――ちゃんとした身体チェックはね、NPCにしかできないんだよ♪ 知らなかった?

 

 こちらの心を察したかのように、ジョニーが答えた。

 本当かどうかはわからないが、納得だ。【圏内】同様、ハラスメントコードもプレイヤーにのみ作動するメタ的な処置だ。

 と同時に、新たな疑問。そうなるとコイツは……

 

 ―――ただし、()()がどちらかは関係ない。

 ―――……そういうことに、なるわよね

 

 あれ、驚かないんだ? ……キョトンとした、イタズラが不発に終わったかのようなムクレ顔を向けてきた。

 残念ながら、すでに知ってた。『先の事件』から、こんなこともあるだろうとは、想像できた/心構えだけはできていた。……ただ、実際に向き合ってみると、ゴ○ブリに触れられた並みの不愉快さだけど。

 

 そんなことを思っていると、また不快な手が差し込まれてきた。今度はもっと、大胆になって、「ちゃぁんと調べないとなぁ♪ 女は隠すところがいっぱいあるし」と……。

 あまりの露骨さに/その感触の気持ち悪さに、理性が振り切れそうになる―――寸前、

 

 ―――おい! 続きは後にしろ。先がつかえてる。

 ―――……ちッ。わぁったよ!

 

 仲間から忠告に、舌打ちながらまさぐりを止めた。……不愉快な晒し者も、最後の臨界点を越えずに数分のみで終わった。

 そして、ただの身体チェックだったと言わんばかりに、下衆な笑みを向けながら離れていった。……コイツの顔は、しっかりと覚えた。

 

 ―――それじゃ、出発進行♪

 ―――ちょっと、約束が違うでしょ! 彼らは解放するって―――ぐッ!?

 

 最後まで言い切る前に―――首枷を引っ張られた。

 

 ―――そんな約束、した覚えはないよ。……そうだよね?

 ―――ええ、全く記憶にございません♪

 

 ニヤニヤと笑い合う、あからさまに約束を反故にしてきた。

 歯噛みするも……理解が降ってきた。

 『約束』は対等な者同士だから守る。強者は、あとで幾らでも塗り替えることができる。そして今の私は……そうじゃない。今私が対峙しているのは、決闘やスポーツじゃなく『戦争』だ。

 だから、悔しさは全て飲み込んだ。今だけは、奴らが定めたゲームに従うしかない。……来るだろうチャンスのため、臓腑の底にしっかりと貯めておく。

 

 科せられた身体束縛の鎖に引っ立てられながら、奴らのアジトまで連行されていった―――……

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 救出隊から別れた後、『例のブツ』を取りに急いだ。

 

 55階層の主街区【グランザム】―――。通称『鉄の都』。

 その名のとおり、全体がほぼ金属でできている機械の街並み、街路樹すら金属製との徹底ぶりだ。現在【Kob】の本拠地が置かれている街でもあるが、今はそちらに用事はない。

 向かったのは、この鉄の都にホーム/『工房』を据えている職人達の一人だ。

 良質な金属素材が格安で手に入り、加工するための竈も一級品、おまけに雇える職人NPCの腕もいい。職人/特に鍛冶屋を志しているプレイヤーならば、誰もがここに工房を持ちたがる。……そんな憧れを叶えた者の一人/あまり嬉しくない腐れ縁の男の工房だ。

 

 【転移門】から先、本通りから外れ、裏路地へと。狭い道を縫うように進む―――……

 

 

 

「―――くそ! やっぱりダメか……」

 

 急いでるってのに……。あるはずの目的地にはたどり着けず、つい先ほど通ったはずの道に戻されていた、いつの間にか。……前回来た時よりも、さらに徹底してやがる。

 

 ホームの《迷宮化》―――。訪問者の選別/侵入者を追い返すための、プレイヤーメイドの防壁。

 建物だけでなく、周囲の土地や道路まで買い取ることで、そこに簡単な『迷宮』を敷設できる、訪問者を限定し簡単には出られないようトラップを仕掛けることまで。HPにダメージを与えたり状態異常を引き起こすなどの直接攻撃は【圏内】の制約にて不可能だが、それ以外の邪魔は可能だ。特にこの【グランザム】のような、ほぼ完全な人工の街だと、改築は簡単かつ効果抜群。

 今回奴が仕掛けた罠は……残念ながら、解明しきれていない。あと何回か試さないと見えてこないだろう。ただ、一般論としてわかっているのはある。《道路のエスカレーター化》だ。

 

 よぉく目を凝らして地面を見てみると……うっすら、継ぎ目のようなモノが浮かんできた。構成素材も少し違っている。

 プレイヤー全員に標準装備されている/このゲームを運営するために必要な演算力を最小化するためのディティールフォーカス機能=注目しなければ細部は視覚野に映らない。さらに、ステータスの感覚値による情報制限で、ある一定の数値に達していない者には見えない二段構え。ただそこを通るだけでは、周囲の特徴のないのっぺりとした風景も相まって、微速過ぎる誘導処置に気づくこともできないだろう。……これだけでも、かなり選別されてしまう。

 

 大きくため息をつくと、予め教えられた所定の行動をとった。渡されていた指輪/奴のホームに入るための許可証/迷宮に嵌めてくるAIを作動させないための印に、はめ直す。まずはコレからだ。

 今まで装備した指輪と交換した―――途端、体に見えない重荷が乗ったような感覚。実際視界にも、装備変更によるステータス変動値が表示されていた。

 自重が重くなった=敏捷値が下がった分、防御力が上昇している。ただし……それまでの指輪の効果とは雲泥の差、そもそもそんな交換条件など無い。低階層でも手に入れられる/NPCの店でも買えるほどの安い指輪だ。ソレを改造して、入場パスを組み込んだプレイヤーメイド品。

 工房に入ってくるプレイヤーの力を削ぐための処置だ。【圏内】では防御力などほぼ無意味だが、敏捷値のマイナスは大いに効く。加えて、貴重な指輪装備枠を一つ潰すこともできる。さらに他にも何か、仕掛けてるのかもしれない、前回は小型爆弾が組み込まれていた。ダメージは無効だったが、猛烈に臭かった。……相変わらず、病的を疑ってしまう心配性だ、ぜひ見習いたい。

 指輪の他にも、まだある……。頭の装備を特性のゴーグルに、ヘッドホンのような耳あてにも付け替えた。……迷宮の欺瞞誘導から目的地までの正しいルートを示してくれるナビ/入場者の感覚値を削ぐための枷だ。

 

 準備を整えると、再度挑戦。戻された道を行く―――……。

 

 

 

 ナビを頼りにようやく、玄関らしき場所までたどり着いた。……今度こそ間違いないはず。

 

 ドアノブに手を伸ばすと……中から怒鳴り声が聞こえてきた。中にいる誰かが、いがみ合っている声……?

 何事か!/まさかレッドの手がここまで伸びてたのかと警戒。

 ノックもせず押し開けるようにして、急いで入ってみると―――

 

「―――信じられない……。どうして君はそう、いつも適当なんだよ。

 もっと精密にさ、設計通りにできないの?」

「いちいちうるさいわね……。ちゃんとできたんだからいいじゃない! 

 アンタこそ、それでも職人の端くれなの? もっと自分の勘を信じなさいよ」

 

 僕はそんなものになった覚えなんかないよ……。諦め混じりの嘆息。噛み合わなさにガックリと肩を落としていたのは、この工房の主人=【コペル】。

 対しているのは、

 

「……それで? ノックもしないでさ、何の急用なのキリト?」

「へ? キリトって―――…… ッ!?」

 

 入る前から気づいていたかのようなコペルと対照、いがみ合っていた少女=【リズベット】は今ようやく気づいたかのようで、慌てていた。

 『魔剣』制作の素材集めの際、紹介してから今日まで、付き合いを深めていった二人。

 互いに一級の鍛冶屋と細工師であり、仕事仲間として協力するようになった。『魔剣』制作の依頼があのような結末を迎えてしまった傷心からも、より仕事に入れ込むようになったリズベットは、積極的にコペルとの共同作業を請け負ってきた。奴が攻略組御用達の発明家でもあることから、リズベットがほぼフリーの凄腕鍛冶屋であることからも。

 なので、仕事仲間以上にも発展してそうに見えるが……憶測でしかない。本人たちには聞くこともできない。コペルの特殊すぎる性格に首を傾げざるを得ないし、リズベットの癇癪に至っては、触らぬ神に祟りなし。

 

 実に間の悪い時に割り込んでしまった。

 どうしたものか……! 閃いた。

 

「今日の迷宮がヌルかったのは、痴話喧嘩してたからか?」

「ち、痴話喧嘩なんかじゃないわよ!?」

 

 慌てて/怒るようにリズの方が訂正してきた。

 そんな早過ぎる返事だと、否定じゃなくなるだろうに……。とは返さず、勘違いでズレた調子を整えると、急用をつげた。

 

「『攻略会議』が早く終わったんだ。だから、先に取りに来ようかと思ってな」

「あと3時間と4分経てば、届けてあげたのに、わざわざ?」

「直接仕様を訊きたかったからな、できれば微調整もやってもらいたくて」

 

 あと、お前を驚かせたくてな……。当たり障りのない/真実も織り交ぜた言い訳に、一応は納得された。リズに至っては、『攻略会議』との婉曲表現に引っ掛かったのか、黙って眉をしかめていた。

 まだ二人は、何が起きたのか知らないのか……。当然といえば当然だろう。【聖騎士連合】以下攻略組全体での情報規制だ、【軍】とてそれなりに協同歩調をとっている。口さがない情報屋とて、事の重大さに口をつぐんでくれるだろう/喋ればレッドと関わった罪で問答無用で犯罪歴がついてしまう。なので、今日限りは皆、『いつも通りの日常』に留まってくれるはずだ。

 

「もしかして……まだでき上がってなかったのか? それで痴話喧嘩してた?」

「もうでき上ってるよ。……先のことは、コレについてさ―――」

 

 それとなくプライドの刺激誘導に乗らせると、奥の作業台に乗っているものを示した。

 

「……なんだ、そのぉ……変なベルトは?」

「『変な』とは失礼ね! めちゃくちゃカッコイイじゃない!」

 

 リズの鼻息の荒い激オシに、若干引いてしまった。

 何事かと思いコペルに目を合わせると……肩をすくめていた。

 

「あの腕時計の改良版さ。

 あっちは一回限りの消耗品だけど、コレは装填したクリスタル分の『強化』ができる。腰元についてる弾倉に新しいクリスタルを込め直せば使える」

「私はバックルにつけるべき、て言ったんだけど……」

 

 変なこだわりをみせてきたが、無視。新しい発明品/オモチャに目を光らせた。まさか、そんな物まで作ってくれていたとは……。

 

「面白そうだけど……装備とタブらないか? 下半身がそのベルトだけになるなんて嫌だぞ?」

「大丈夫よ、システム的には問題なし! ズボンの付属品になるように調整したから」

「むしろ下半身装備で守ってもらわないと、すぐ壊れる。耐久性に難あり。……これからの研究課題だよ」

 

 クールに説明するも、端々からいつもの特殊性癖がにじみ出ていた。オレにテストさせて早く次に進みたいと、もっともっと新しいモノを作りたいと鼻息荒く……。まさかリズが、図らずもだろうが、だれかの抑え役になれるなんて。

 新しい人間模様に感心するも……現実は忘れず。これから行かなきゃならない危険地帯のことに切り替えた。……少しでも、使えるものはあった方がいいかも、

 

「―――よかったら、そいつも使わてもらっていいか?

 使い方は、前のモノと同じだろ?」

「え……? ちょ……だ、ダメよ!? 絶対ダメ!

 まだ実戦で使えるかどうか―――」

「「やってみなくちゃわからない!」」

 

 ハモった……。おもわず、顔を見合わせてしまった。

 気恥ずかしい空気になりそうになる前に……コホン、

 

「……コイツが、オレの目につくところに新しいオ……発明品を置いておく場合はさ、誤作動なんて起きない代物ってことなんだよ」

「そういうこと。キリトの手癖の悪さは、もうどうしようもないからね」

 

 ひどい言い草だな……。苦笑するしかない。前歴がないわけでもないから、強くは否定できない。それに、テスターとしても、余すところなく使い切らなきゃならないし。

 

「装填数は3発で、予備はこの2発だけ。

 弾は消耗品だから、すぐに新しいのは作れるけど、ベルトはそうじゃないよ。十分注意してくれ」

「『すぐに』てのは、まだ手元にある、てことだよな?」

「……ご期待には沿えずさ。中身を詰めてないのしかないよ」

「いいよ、それでも。中身は他のやつに頼むよ」

 

 これから『攻略』するなら、できる奴がいても自然だ……。やり方は心得ているし、オレの他にも『コペル印』を使ってる奴もいるから、話は通りやすい。……救助隊の中にも、【瞑想】や【車輪】を使えるプレイヤーはいた。

 こちらの意図は悟られず、呆れ気味に肩をすくめられると……残していた空弾/《改造記録結晶》もゲットした。

 

 予期せぬ切り札を手に入れると、用意してもらった方も確かめた。

 オレの切り札の一つ、今のところユニークスキルな【二刀流】のための、二本目の愛剣。仄かに燐光を煌めかせる、雪色の直刀型の片手剣《アビストレイサー》。作者はもちろん名工リズベットだ。

 一級品の業物、だけど……古株の愛剣には及ばず、『魔剣』じゃない。60階層以上の敵に使えば、すぐに磨耗し切るか折れてしまう。現状で持ち得る最高の素材で打ち出すも、コレが限界だった。……残念ながら、これからの死闘にも使えそうにない。

 だからこそ、改造を施した。柄頭から、オートマチック拳銃のカートリッジのような金属棒が見える、スライドして抜き出せる。

 

 《擬似魔剣》―――。まだ正式には決まっていないので仮名、でも効果はわかりやすく示している。

 新しく取り付けた/中を空洞化した柄に入れ込んだ金属棒には、武装用の《修理粉》を液状化したモノを詰め込んでいる。刃が破損し耐久値が一定数に減少したら、すぐに/自動的に注入して回復させる。魔剣の不死身じみた耐久値を擬似的に再現してみせた。……ただし、あくまで擬似的だ。

 自動回復によって耐久力は大幅に増大するも、戦闘継続数が2・3体から10体ほどにあがっただけ。一回分の《修理粉》の限界。交換すればまた使えるも、通常の《修理粉》とは違う特殊かつ液状タイプなので、ダンジョンの中で自作して補給することができない。加えて、柄を空洞化ほか色々と削ったので、そこの耐久値は限りなく減衰している。激しい鍔迫り合いや高硬度の物体への攻撃などを行えば、すぐに全壊してしまう。柄が壊れれば、《修理粉》の注入も止まる。……攻勢の時しか使えない。

 だけど……構わない。メリットに見合うリスクだ。【二刀流】で防勢などありえない。ただ目の前の敵を殲滅するのみ、攻勢しかないソードスキルだから。

 

「―――うん、こっちもいい感じだ。

 二人とも、いい仕事してくれたじゃん!」

「私としては、あんまり褒められたくないけど……。次までの繋ぎとしては、マシなものができたと思うわ」

「『繋ぎ』とは失礼な言い方だね。コイツの可能性は素晴らしいよ、まだまだ改良することもできる。それに、何よりさ、魔剣がなくて苦渋を舐めさせられた奴らが、待ってた武器だと思うけどね」

 

 そうだろうけど、気に食わないの……。鍛冶屋としてのプライドだろうか、完璧な魔剣でないことにリズベットは不満げだ。が、オレとしてはコペル寄りだ。理想の魔剣よりも、現実的な魔剣だ。

 

「それじゃ、試し斬りでもする? 微調整したいんだろ?」

「え? あ! あー……やっぱり、いいよ。

 【二刀流】自体、そう使う場面もないだろうし」

 

 例えレッド相手でも、他に頼れる猛者たちがいるのだから、わざわざ無理する必要もなし。……その猛者たちにもできれば、見せたくないし。

 誤魔化ように言い訳すると、追求される前に/早々に退散した。

 

「それじゃ、いつもどおり、使用データは《記録結晶》に保存しておくよ」

 

 喧嘩せずに、仲良くやれよ……。つけたした軽口に、リズの恥じらいともとれる憤慨が反射。それを背で受け流しながら、コペルの工房から退出した。……少し強引だったけど、現状がバレるよりはマシだ。

 

 もらったアイテムを《指輪》のストレージに保管すると、一路、救出隊のもとへと向かった。

 

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてきお待ちしております。


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66階層/トルファス 暴食の街 前

色々とオリ設定ありです、お気をつけて


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“―――今からそっちにワープするぞ”

 

 予告のメールを送信すると、《転移結晶》を使った。

 蜻蛉に渡した自分の《フラッグ》の元へ、救出隊と合流する―――……。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 ―――転移した先。

 転移先に体感覚が一致しきるとそこは、圏外の荒野。遮るものもなければ草木も少ない、黄土色の岩と砂が広がる枯れた大地の上。そして、目の前のオアシス街を見つめながら、険しい顔つきと雰囲気を漂わせている救出隊たちがいた。

 状況が読めず、一瞬どうすべきか迷うも……皆の注目が集まってしまっていた。

 仕方がないので/おそるおそるも、傍らにいた蜻蛉に尋ねた。

 

「……悪い、遅かったか?」

「構わんでござるよ。

 ちょうど、キリト殿の意見を聞きたかったところでござる」

 

 そう言われて、あらためて皆の顔つきを見渡し、周囲を確認してみると……なんとなしに、これまでの経緯を察した。

 

「あの街をアスナ達が、通ったのか?」

「はい。【ロブノール】から続く痕跡と、転移によるこのフロア内の空間歪曲反応からも、間違いないかと」

 

 エイジのよどみない答えに、驚きを隠しつつも頷いた。……『空間歪曲反応』て、そんな微妙で面倒なものまで観測してたのかよ、それもこの最前線で。

 想像以上のKobの力に驚くも、ビーターとしては平然としていなければならない。『そんなことは当たり前』との態度を保っておいた。

 

「奴らが《転移結晶》を使うわけもないしな。予め《回廊結晶》のポータルを作っておいた、てところか」

「単独なら《フラッグ》で事足りるでござろうな。しかし集団で、しかも捕虜を連れてとなれば、そうするほかないでござろう」

「確かに、《転移結晶》はないでしょうね。各フロアの転移門は、全てマークしていますし」

「事が起きてからか?」

「予めです。転移門の周辺には、雇った観測手NPCと、近くの建物に設置した監視カメラがあります」

 

 いつ・誰が・どこの転移門を使ったのか、どういうルートでも……。みなさんやってることでしょ? とも。

 恐れいることだ、全て監視していたとは……。きっとKobのトップは、病的な心配性だ。全てコントロール下に置かないと気がすまないタイプなのかもしれない。……オレとは気が合いそうにない。

 

「ちなみに、歪曲反応の観測も、事の前から?」

「いえ……すぐ後からです。しかし、追跡してきた道すがらには、反応の残響はありませんでした」

 

 つまり、二手だかに別れた可能性を、確かめる方法がない……。もっと広域を調べれば判断はつくが、時間も人手もない。蜻蛉の追跡である以上、本体は捕虜をつれてここまで来たのだろうが、一部は抜け出した可能性は残る。援軍を呼びに行ったのか、伏兵として潜んで罠に嵌めようとしているのかも、わからない。

 ただ、そこまで目くじらを立てる怖れでもないだろう。心構えさえあればいい/奇襲でなければ伏兵の価値は激減だ。そうすれば、わざわざ少ない戦力を分散したとの、相手の戦略ミスになる。

 別れたかもしれない別働隊は、今は棚に置いて、本隊について。転移していないということは、まだこのフロアにいる、ということだろうか? 情報を信じれば、そう考えるしかない。

 しかし……何か引っかかる。本当にそうだろうか?

 【階層門】を使った可能性/かつて自分がそうした経験から、再考してみたが……蜻蛉の嗅覚がある。ここまで連行したと言うのなら、ソレは除外でいいだろう。

 

「……なんで、街中なんだ? ポータルを設置するなら、もっといい場所があるだろうに」

 

 というか、ここまで捕虜を連行する必要もなかった……。【ロブノール】から少し離れた圏外で、ポータルを展開すればいいだけだ。時間と危険をかける必要がない。

 ここ最前線の圏外は、レッドの奴らには/攻略組であっても、危険地帯だ。それも、NPCに偽装しているのならば、何らかのレベルダウンを受けてるはずだ。一匹でもモンスターに遭遇したら、捕虜の連行などできるわけもなし。そのスキに逃げ出すか、何かしらの抵抗をしてくれるはず。アスナなら、レッド達と立場を逆転させることまでやったかもしれない。

 

「それは、拙者も気になっていたでござるが……エンカウント率を下げる薬剤の臭いもあった。今ここでも、残り香がプンプンしてるでござる」

 

 ……わざわざここまで来るだけの価値がある、ということか。

 

「そして、ソレに気づかれるのは、奴らも重々承知のはずでござる。

 なので必ずや、罠を張っている」

 

 だろうな……。それも、オレ達を殲滅できるだけの罠が。

 

「心構えだけあれば充分です。大事なのは、時間ですよ」

 

 自分たちの戦闘力なら、食い破ってみせる―――。エイジが、救出隊に選出されたKobのメンバーを代表して言った。

 ここで足踏みするつもりなら、自分たちだけで突破するだけです……。ただの猪とは違う、実力と経験に裏打ちされた自信だ。自分の力だけでなく、仲間の力をも信頼しての力強さを感じさせる。頼もしい限りだが……今ここでは、厄介なだけだ。

 なので、ただの諌めでは聞かないだろう。

 居住まいを正し、向かい直した。

 

「―――先に、ハッキリさせておくぞ。

 オレと蜻蛉は、お前たちのアドバイザーだ。Kobの団長殿から協力を要請されて、ソレを受諾した形になる。だから、最終決定権はお前たちにあるだろう。

 しかしだ。同時にオレ達は、攻略組全体からの要請でも動いている。『アスナ他、捕虜になったメンバー達は、これからのゲーム攻略に必要な人材』、そう判断されたからだ」

 

 つまり、オレ達を蔑ろにするつもりなら、今後は攻略組からの援助は期待しないほうがいい。お前たちのみならず、【Kob】も連帯責任として……。オレ達のバックには、攻略組全体の意思がある。わかりきっている立場を、もう一度鮮明に/言葉に表してみただけ。

 しかし、効果はあった。

 エイジの後ろに控えているメンバーから若干、先走りの熱を冷やせた。勢いが減じる。……ただアスナを救出すればいい、だけではなく、やり方も問われている。オレと蜻蛉は余分な付属品ではなく、厄介な監視者でもある。そのことを思い出してくれた。

 

「そいつを踏まえて、オレの意見は―――『進め』だ。

 ただし、オレと蜻蛉だけでな」

 

 お前たちは、街の外周を囲んで待機だ……。そう指示すると、当然のことながら/あからさまに不満げをぶつけられた。

 予期していたことなので、無視して説明を続けた。

 

「あの街には、確実に何らかの罠が張ってある。追跡してくるだろうオレ達のような奴らを撃退、あるいは充分な時間足止めするほどのだ。

 あのアスナを、苦労して捕えたんだ。腕の立つ奴をそれなりに揃えてくることは、想定されているはずだ。あの街には何か、『複数人を一気に殲滅出来るだけの罠』が仕掛けられている。全員で進むことは、必ずしも安全だとは言えない」

「だからと言って、斥候を選抜して、ただちょっかいを出すだけならば、食われるだけでござる。

 閃光殿達を助けることは大事でござるが、我らの命もまた大事でござる」

 

 だから、対応力があるオレ達だけがベターだ……。もっと人数と物資があれば、別の/より安全な方法はあったが、今できる最高はコレだけ。

 

 オレ達の冷静な説得に、エイジ達は言葉をつぐんでいた。

 自分から毒見役を立候補し、なおかつソレが当然とばかりのプロフェッショナルな態度には、胸に来るものがあったのだろう。オレ達の、『アスナ達を救出したい』との心意気の強さが、自分たちと比べても劣らないものだとも、理解してくれたのかもしれない。

 厄介な選抜がまとまりそうになると、意義ありとばかりに、メンバーの一人が押し出てきた。

 

「―――気に入らないですねぇ。

 まるで、アナタたちの方が、私達より強いみたいな言い振りじゃないですか」

 

 進み出てきたのは、団員その一。細身長身のKob特有の白騎士姿だけど、差し向けてきた三白眼の視線には黒いモノが混じって見えた。

 隊長のエイジに目線で釘を刺されるも、言わないでは引けないと、居座った。

 そしてソレは、他の団員も同じ気持ちだったのだろう。先までの空気が、男への同意の後押しへとひっくり返っていた。

 

 ため息をついた。……せっかくすんなりいけると思ったのに、足を引っ張られる。

 ただ、それも仕方がないことだ。

 実力で相手を測るのが攻略組、コネや小賢しさだけで居座れるほど生ぬるい場所じゃない。衆を使うことはあっても、最終的には個の強さで軍配は決まる。そしてそれこそが今、オレ達とKobメンバーの間に埋めがたい溝を作っている。

 いつもなら/どちらが強いかを知らしめたいのなら、【決闘】で白黒つけて終わりだ。けど、今ここではできない。所詮は感情論だ、理や利で説き伏せることは逆効果でしかない、攻略組の本能を呼び寄せるだけだ。

 なので、別のやり口で返した。

 

「……わかった。

 それじゃ―――エイジ、お前だけついて来い」

 

 更に指示を追加。

 あまりに唐突だったのか、蜻蛉までもが眉を動かした。

 

「!? ……僕が、ですか?」

「そうだ。

 お前は、エイジの代わりに隊の指揮をしろ」

「え……はぁッ!? 

 ふ、ふざけんな! 何で俺じゃくて、隊長を―――」

「【クラディール】! もういい加減にしとけ」

 

 さらに突っかかってきそうになったところ、別のメンバーが/文明化した猪型の獣人のような大男が諌めてきた。

 本人にしたらただの注意でしかないだろうが、聞いてる周り、特に向けられたクラディールには一喝に聞こえるほどの声質だった。……突っかかろうした勢いは、萎められた。

 

「隊の指揮は、俺が取るよ。いいだろ?」

「アンタは?」

「【ヴォルゴ】だ、この隊の副隊長を任されてる。

 隊長にもしものことがあったら、副の俺が引き継ぐ。そういう決まりなんでな」

「……そういうことなら、アンタに任せるよ、ボンゴさん」

()()()()だ。……以後お見知りおきを、ビーター殿」

 

 やべ、婉曲的な皮肉だと思われたかな……。スマン、本当にただの言い間違いだった。心の内で謝った。

 ちらりと確認するも、苦笑すらせず面白そうにしてるだけ。あまり気にしてる様子は無し。大らかな性格なのかもしれない。……よかったぁ。

 

 

 

 ―――それじゃ、あとは任せるぞ。

 

 安全を確保した際のサインを取り決めると、蜻蛉とエイジをつれて、街へと侵入した

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 結論として―――……なんの異常もない。

 

 

 

 警戒しながら街に入って今まで、何の障害もなく、待ち伏せもなかった。ただの安全な/どこにでもあるような【圏内】の町並みそのもの。レッド達が紛れ込んでいるとは到底思えない長閑さだ。

 

「―――なにも、起こらないですね?」

「……今のところはな」

 

 気が緩みそうになっているエイジを諌めた。

 嫌な感じは続いている。街の外よりも、中に入ってからもっと強く、ジワジワと締めつけられているような気持ち悪さがまとわりついている。

 ただ、ソレをわかりやすく説明してやれない。直感でしかなく、共感できない人間にはパラノイアと疑われても仕方がない。エイジには信じて付いてきてもらうしかない……。

 だが、今ここにはもう一人、共感してくれる奴がいる。

 

「油断はしない方がいいでござる。

 この街に入った時から、凄まじく―――臭う。奴らの穢れた腐臭が、そこかしこから漂ってきてるでござる」

 

 言葉遣いも様子もいつもどおりだったが/ゆえにか、ピリピリと張り詰めているのが伝わって来る。何か少しでも異変を感じたら、背中の忍者刀で斬りつけるほどに。

 

「…………本当に、そんな臭いが―――あるんですか?」

 

 そう言うとクンクンと、周囲を嗅いでみていた。……オレも蜻蛉に言われた時、同じ反応をしてしまったが、今は知らぬ素振り。

 

「オレも、臭いはわからないし、ハッキリと言い切れないが……首筋あたりにな、ピリピリする感じがある。『首の毛が逆だってる』ていうやつだろうな。危険なことが降りかかってくる前に、よく起きる反応だ」

 

 お前にも、そんな直感あるだろう……。同意を求めると、肯定のような否定のような沈黙。

 断言できない/そもそもオレに訪ねてきた以上、直感よりも論理型なのかもしれない。……ますますヒースクリフに似てる。

 

「ソロのオレや、単独任務専門の蜻蛉とかだと、自分のこの身体と武装だけが頼りだからな。ほんのわずかな反応でも、気になるんだよ」

 

 直感を信じて育てて、確かな『直観』にしたてた……。蜻蛉の場合は、また別のやり方/不慮の呪いを自分の才能に変えたのだろうが、オレはそうしてきたつもり。

 

「……凄いものですね。さすが、『ビーター』を名乗るだけあります」

 

 エイジからも言われた……。苦笑。『ビーター』はオレ自身が名付け親なわけでないものの、名乗ってはしまった。……それが良かったのか悪かったかは、未だにわからないままだ。

 そう胸の内で思っていると、訂正。オレもまた、呪いを祝福に変えただけだったのかもしれない。ビーターの重責が、こういった危険察知能力を引き寄せたのだろう。蜻蛉と違うのは、呪いの対象が明確な個人じゃないことだけ。

 

 あてどない考察を浮かべながら、そのまま大通りを進む、【転移門】の広場まで進んでいった―――

 すると、門前に、異常なオブジェがそびえ立っていた。

 

 

 

 二人のプレイヤーが、巨大な十字架にかけられているのが、見えた。

 

 

 

 ソレが目に映ってしまった瞬間―――固まってしまった。吐き気をもようしそうな光景だ。

 

 手足を縄で縛り上げられ上で、荒削りな杭で縫い付けられていた。腹には、【貫通継続ダメージ】つきであろう槍まで差し込まれている。打ち込まれたそこから、真っ赤な液体がとめどなく流れ出ている。黄土色の地面には、赤い血だまりができていた。

 悲鳴や助けを叫ぼうにも、猿轡のような粗布まで口に押し込まれていた。かすかな嗚咽だけが、呼気/赤いものが混じったヨダレとともに漏れ聴こえてくる。

 しかも、ソレは太った騎士風の一人だけ。もう一人/軽装の浅黒い男の方はグッタリと、動きがなかった。頭が下げられているので様子も見えないが、となりと比べると静かすぎる。おそるおそるも、彼らのHPバーに目を向けると……全て察せた。

 

 まだ息がある太った方が、オレ達を/救助にきた者たちの姿を目に止めると―――見開かれた。そして同時に、何かを叫ぼうとした。

 ソレで金縛りが解けると、エイジが声を上げた。

 

「【デネブ】、【ヤン】!? 

 待ってろ! 今助けて―――」

「待てエイジ!」

 

 駆け出される寸前、エイジをとどめながら/睨みつけられるのを無視しながら、蜻蛉に確認のアイコンタクト。

 

「―――大丈夫でござるよ。狙撃手はいない」

「爆弾等の罠は?」

「その手の悪意の臭も無いでござる」

 

 自分でも【索敵】で探るも、同じ結論だった。蜻蛉の嗅覚で裏が取れた。

 とりあえずほっと一息、警戒を解くと、留めていたエイジを放した。共に救助にむかう―――

 ただ、先を急ぐエイジを追いかけながらも、頭の片隅では疑問がのこっていた。

 どうして狙撃手がいない? なぜ罠も仕掛けられていない? まだ首筋はピリピリとしているのに……。こんな趣味の悪いモノを見せたかっただけか?

 最大限注意を払いながら、仲間を十字架から下ろすエイジを手伝った。

 

 

 

 まだ無事な太め騎士を、十字架から下ろした。

 少なくなりすぎたHPが怖いので、槍と杭は後回し。まずは【回復結晶】にてHPを全快させると、猿轡を解いてやった。

 すると、ようやく解放された太めの騎士の口から出てきたのは、

 

「……遅くなってすまない。ヤンはもう―――」

「なんで、来ちゃったんですかッ!?」

 

 非難だった。唾まで飛ばしてきた勢いの、溜めに溜めた怒号。

 

 突然のことでアポーんとし、直後あまりの無礼さに腹を立てそうになるも―――気づいた。直観の現象化。

 すぐに、周囲に注意を配ると―――そこにあったのは、紛れもない異常事態だった。

 

 おそらく『ソレ』は、当たり前のことだろう。

 むしろ、今まで反応しなかったのがおかしかった。なぜ素通りし続けることができたのか? なぜ気にせず普段通りの行動を取ることができたのか? 疑問に思うべきだった、もっと探り込むべきだった。

 答えは―――NPCだから。

 ただ決められた行動をするだけの人形だから。目の前で人が磔にさせられ、地面に血だまりができても/今にも死にそうな人間を横目にしても、何事でもない。本気でそうだと『日常』を過ごせる存在だから。……プレイヤーとは、本物の/魂がある人間とは違うから。

 でも、そんなことはありえない/ありえないはずだった。製作者のリアリティの追求度/緊急時の対処法に、今日まで何度も驚かされてきた。

 そんな異常が起きれば、NPCであっても普段とは別の行動をとり始める。動揺し混乱し恐慌状態に陥ると、散り散りに家屋や街角に逃げ込み消える、外には誰もいない状態になる。ほとぼりが冷めるまで/プレイヤーが全員一定期間抜けるまで、街はフリーズし続ける。……コレが、大概の街で起きる対処法。

 しかし今、目の前で起きている現象は、全く違う。

 

 

 

 住人たちが一斉に、立ち止まり、オレ達を見つめていた。

 

 

 

 正確には、オレ達の傍だ。まだ聳えていた十字架と、磔にさせられているプレイヤーを凝視していた。

 老若男女子供さえも。まばたきすらせず、何の感情すら浮かべない無機質さ。まるで、【トルファス】の街全てが、オレ達を見つめているかのよう……。その異物が突然現れたかのように、最大限の警戒を向けている。

 

 あまりの異常事態/静かすぎる重圧に、声も出せない。身動ぎですら命取りになりかねない緊迫感に、息まで飲まされていた。がなり立てている無音のアラームが、音を塗りつぶしていた。……街からの威嚇による金縛り。

 

 

 

 締め上げられた硬直効果は、しかし……数秒足らずだったのだろう。

 解けると同時に/解くように、声を搾りだした。

 

「―――この街に、こんなイベント……あったか?」

 

 誰に向けてでもない自問だったが、ソレで他の硬直も解けたのだろう。

 解放されたのを確かめるように、エイジが答えてきた。

 

「……なかった、はずです。い、いえ! あったとしても、です。ここまでのことは―――」

 

 ありえない……。そうだ、今までの経験からも、ありえないことだった。

 こんなホラーじみた演出を、こんな長閑な町並みで突然始めることなど、ありえなかった。あの茅場がこんな、仮想世界のリアリティをぶち壊すような/メタ的な所業を仕込んでいたとも思えない。……あるとしてもそれは、最後の最後だけだろう。

 

「や、奴らの攻撃スイッチは、『戻ろう』とした時だ。ここから一歩でも、外に向かって戻ろうとしたら……」

 

 一斉に襲いかかってくる……。太っちょの騎士/デネブが、レッド達から教えられたであろうルールを説明してきた。

 一人や数人だけではなく、街の住民全てを操っている……。信じがたいことだが、鼻で笑い飛ばすには命が危なすぎる。そもそもこの異常な重圧感、コレが明確な敵意に変質して、オレ達にぶつけられると考えただけでも……ゾッとしない。爆発するだろうパニックが生み出すものが、オレ達にハッピーな結果をもたらすなど、決してないだろう。

 

(……いや、むしろ()()!?)

 

 いくら何でも、住民すべてを操作するなどおかしい。逆ならば/磔た二人の()()()()()()()()()()だけの方が、実行可能だ。

 

 それに思い至ると、すぐさま調べた。この場に残っているだろう、トリックの残滓を。ストレージから取り出した、高レベルの【鑑定】アイテム/特殊なレンズをもって、見極めていく―――

 

「―――やられた、【偽装の虹晶石】だ!」

 

 露わになったのは、地面に転がっている微小な結晶片。おそらくはオレ達が接触したことで、魔法が解けた際に砕けた残滓。ほとんどは砂地に混じって見えづらくなっていたが、血だまりの中では虹色の燐光は目立つ。

 【偽装の虹晶石】―――。対象者に偽りの姿をもたらす/相手の認識を変えることができる結晶アイテム。モンスターに偽装することで、エンカウント率を下げることもできる。

 今回使われた偽装は、周辺ともに不可視化で、対象者はこの街の住民だろう。通常は他プレイヤーの認識を変えるものだけど、NPCにも適応は可能だ。全対象から限定対象することで効果時間を延ばせるし、『看破』条件を難しくもできる。『看破』されたことに偽装処置を施せるのも、その一つだ。

 証拠をつまみ上げて、見せた。

 

「……迂闊。

 スマンでござった」

「お前だけの責じゃないさ。それに、【虹晶石】使われちゃ仕方がない」

 

 特殊な嗅覚であっても、システム的に/認識そのものを曲げられてしまったらどうしようもない。……結晶アイテムの怖いところだ。

 

「だ、だから、来るなって言おうとしたのに……」

 

 もはや後の祭りだ。太っちょ/デネブには伝える術はなかったし、オレ達も読みきれなかった。

 なので、起きてしまったことはしょうがない。後はただ、この危機を乗り切るのに集中するだけだ。

 

 意識を切り替えると、おそらくは不愉快極まるだろうレッドの意図は脇に置いて、蜻蛉がルールの精査をしてくれた。

 

「デネブ殿、でござったな。

 『戻ろうしたら発動』であるならば、前に進む分には問題はない、ということでござるよな?」

 

 このまま、あの転移門を通ればいい……。罠の可能性しかないが、ルール上はそうなるだろう。ここまで何事もなく来れたことからも、『進む』方角になるのだから、襲われることはないはず。

 

「……わからない。僕はただ、そう聞いただけだから」

「重要なことだぞ、問いただしてなかったのか?」

「いいさエイジ、ソレだけでも。

 奴らにとって『ゲーム』は神聖なものだ。だから、ルールもあやふやなものじゃないし、まして曲げたりもしない」

 

 意味不明なこだわりだけど……。奴らはソレを美学というのだろうけど、オレからしたらカルト以外の何物でもない。勝手に自惚れていればいい。

 

 確認がとれると、あらためて自分たちの目的を思い出した。アスナ他囚われたプレイヤーの救出、できれば一刻も早く。ソレを加えての結論は―――『別にかまわない』。

 罠ごと食い破るだけ、問題はない。あとはどうにかして、包囲してくれている仲間に伝えるだけだ。全くもって簡単な話になってしまう、そもそも現状は罠ですらなかった。……よほど、次の罠で仕留められる自信があるのだろう。

 肩透かしな気分で、警戒まで解きそうになると、

 

「…………《メッセージ》が送れない、です」

「? どういうこと―――」

 

 直後、目の端で捉えた。この異常現象の、核たる異常が。

 

 

 

 空が、止まっていた―――。

 

 

 

 自然に流れていた雲が、止まっていた。風が止まっていた。圏外の自然風景まで、止まって見える。まるで、天球にピッタリと貼り付けられた写真を見せられているかのように……。

 地面を見渡しても、異常があった。ゆらゆらと揺れていたはずの草花も、ピタリと/不自然に固まっている。一瞬で凍りついてしまったかのように、空間に縫い止められたしまったかのように……。それまでは繋がっていた何かから、絶たれていた。

 この異常現象には、見覚えはあった。

 

「―――【インスタント・領域(フィールド)】で、ござるな」

「ああ……。切り離されたようだな」

 

 【インスタント・フィールド】―――。共有フィールドから一時的に切り離された、見えない密室空間。

 圏内やダンジョン内/囲われた一区画内で、クエストが開始される時に起きる現象。共有フィールドから固有の/他プレイヤーからは見えない一時フィールドに送られることで、クエストの専有や渋滞を防いでいる。MMORPGには必須な処置だ。

 ただ、今回のコレは、用意されたクエストによるモノではないはず。プレイヤーによる混乱行為ならば、共有フィールドのままでもいいはず。今までも対処しきってきたように、同じような処置だけですませられるはず。

 それでも今回は、このような切り離し処置が断行された。それはつまり―――

 

「『プレイヤーによる、この世界への過干渉による波及被害を防ぐため』……ですよね。あの【バニッシャー】と同じような防衛処置、だと思われます」

「だろうな……。全く! やってくれたよ」

 

 【バニッシャー】―――。【圏内】において、プレイヤーによる過度な犯罪・異常行為がなされた際、何処からともなく現れる特殊な警察。そのプレイヤーを圏外へと放逐して、街が修正されるまで立ち入り禁止してくる。

 通常、彼らが出張ってくることはない。その前に、NPC達が街の何処かに隠れきってゴーストタウン化してくれる。だけど、積極的にテロ行為をしようとの意思をもち、ソレを遂行出来るだけのレベルと武器の持ち合わせのあるレッド達の場合は、違う。逃げようとするNPC達を捕まえて、隠れられないようにしてしまえる。『壊れる』ことで消えることすら防がれる。そういったレッドな輩のために、【バニッシャー】が出張ってくる。

 今回は、そんな彼ら/防衛処置ですら対処しきれない悪影響、ということだろう。避難誘導が実行される前に/【パニッシャー】の対応能力を超えるほどの大規模なテロ行為を爆裂させることで、召喚させた。……名付けるなら、【インスタント・監獄(ジェイル)】か? あまりにも強制的なので、『領域』とは呼べない。

 

 ここはもう、共有フィールドじゃない。切り離された亜空間の中だ。しかも、【インスタント・フィールド】と同じものならば、閉じる条件も同じになるはず。

 となると、もう一つ……恐ろしすぎる懸念が出てきた。

 

「『制限時間』があったら、この空間は拙者らごと消去されてしまう……ので、ござるよな?」

 

 できれば否定したいが……その可能性は、ある。

 クエストによって生まれる亜空間は、次へのフラグを回収しきるか消失してしまうことで、消えてしまう/共有フィールドへと自動転送してくれる。そのフラグ回収条件として、制限時間が設けられている。明記されていない場合でも、他のクエストとの兼ね合いで、自然消滅してしまうことがある。

 今回のこの『監獄』は、発生条件が『プレイヤーによる大規模なテロ行為』。【バニッシャー】と似たような/拡大した防衛処置。であるのなら、消失条件は自ずと見えてくるだろう。……自主的に出て行かなければ、街ごと消滅させることも辞さないはず、そのために共有フィールドから切り離しているのだから。……もしもそうなら、『監獄』では生ぬるかった。

 

「この【転移門】が出口、ではない……ですよね?」

 

 ほぼ絶対、違うだろう。共有フィールドであったのならいざ知らず、本当に【転移門】なのかどうかすら不明だ。何より、レッドの奴らがそんな安易さに仕立ててるとは思えない。だけど……惹かれてしまう答えだ。

 

 なら、試してみるか……。そうエイジを茶化そうとしたら、蜻蛉が腰のポーチからアイテムを取り出してきた。手のひらサイズの、穴の空いた円盤に十字の刃ついた投擲武器=【手裏剣】を。

 輪に指を入れると、構えながら高速回転させて力を溜めた。そして、一定上のスピードに達するとそのまま―――投擲した。

 シュッと、軽い擦過音とともに手裏剣が転移門に投げ込まれた。黒光する虚の中に、溶けていった―――……。

 そしてそのまま、なんの反響もなし。

 

「―――やはり、戻ってこないでござるな。ダメージを与えられなかったら絶対、手元に戻ってくるモノであったのでござったが……」

 

 オレが、袖内に仕込んだワイヤー付きのピックでやろうとしたことを、代わりにやってくれた。

 無線のヨーヨーでは、まだ確信しきれないところはあるが、今はそれで充分だろう。あの転移門の危険性は証明された。むしろ有線だったら、ワイヤーを伝ってオレ自身にも伝染した可能性があった。……先に試してくれて、助かった。

 そうなるとアレは、出口というよりはむしろ、球体型のシュレッダーだろう。時間とともにどんどん膨張することで、プレイヤーを追い立てる、この一時的な空間を消去するブラックホール。その先で、命を保ち続けることは……難しいだろう。

 

「つまり……戻るしかない、でござるな」

 

 あえて、地雷を踏まなくてはならない……。爆発して足が吹き飛ぶ前に、駆け抜ける必要があるが、足でまといがいる。最小限になるようにしながらも、耐え続けなければならない。絶望的な縛りだ。

 全員がソレを理解し、青ざめかけると、

 

「後ろ向きなのは頂けないな。進むだよ、()()

 

 あえてニヤリと、不敵に笑った。

 そう、こういう絶望的な状況こそ笑うのだ、笑い飛ばしてやる。ただの面白いイベントなのだと、仕掛けた輩を鼻で哂ってやる。……そうやって今日まで/ここまで、可能性をつなげてきたのだから。

 

 オレの焚きつけが伝わってくれたのか、皆の顔にも色が戻ってきた。

 その、空元気ながらの勢いを背に、不安な心を叱咤すると、前へと一歩―――踏み出した。

 

 

 

 

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長々とご視聴、ありがとうございました。

感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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66階層/トルファス 暴食の街 後

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 定刻になり、開催された攻略会議/レッドギルド殲滅会議。しかし、主要人物の何人かは欠席。

 憶測やら疑念が沸いている中、主催者の【聖騎士連合(ラウンドナイツ)】の連中が説明するも……ため息混じり。

 

「―――なんかコソコソやってると思ってたら、そういうことかよ」

 

 腹立ち紛れにそうこぼすと、睨みつけた。自分と同じように、知らされていなかった者たちの気持ちを代弁してでもある。

 何時だってお前たちは、勝手をやって振り回してくれるよな……。【聖騎士連合】の横暴ぶりには、嫌気が差してくる。いつも頭ごなしに無理やり従わされている、癪に障る。しかし―――

 

「必要な処置です。それに、時間との勝負でもあります」

 

 黙念としている騎士団長殿の代わりに、副長のアリスからの説明。

 その通りだ。攻略組の一員として、その判断は理解できる。だけど―――

 

「全員で助けに行くことは得策じゃない。むしろ、それこそが敵の狙いだろう。彼らだけに任せるのがベストだ」

「本当にそうか? もっと人数割いてやっても良かったと思うがな」

 

 代わりに詰問してくれた。

 先走りしすぎたんじゃねぇのか? ……こうやって場を設けて、メンバーを選抜してからのほうがよかったはず。

 『閃光のアスナ』は、それだけ攻略組に不可欠な存在だ、プレイヤー全体にとってと言っても過言じゃない。彼女を失うリスクは大きすぎる。……個人的な心情からも、助けたいと思う。

 

「アホなこと抜かすなや。

 知っとったのに、即座に助けに行けん。そいなのにこうやって、わいらが説明会開いてやるまでボーとしとっただけ。そんなおまはんらじゃ、お話にもならへんな」

 

 ミイラ取りがミイラになるに決まってる……。キバオウの煽り文句に、皆が一斉に睨みつけたが、キバオウは気にせずどこ吹く風。

 相変わらずムカつくいがぐり頭だ。だが……言い返せる言葉はない。

 攻略組にはチームワークなんて存在しない。ソレは個人プレーの結果生じる偶発的なものだ。誰にも従う必要がない代わりに、自分の確信を信じ切らなくちゃならない。必ずしも【連合】の音頭に従う必要はないし、本当に助けたいのなら強行すべきでもあった。……危機感が足りなかったのは、俺たちの方だ。

 

「救出に向かうのは罠に飛び込むのと同じだ。覚悟が足りない者達が行けば、必ず犠牲がでる」

 

 覚悟が足りない……。耳に痛い言葉だ。

 アスナ達を助けることは、重要なことだ。攻略組としてもひとりの人間としても、付き合いが長ければなおさら。しかし、自分やダチの命を危険にさらしてもやることかと言われれば……頷ききれない。

 加えて、復讐……。レッド達への報復のチャンスと天秤にかけられたら、躊躇いが生じてしまう。リアルの現実社会と違う。馴染み深い死者の弔い合戦は、馴染み薄い生者の救出よりも優先されることがある。相応しい弔いをしてやらない限り、俺たちは頂上を目指せない。

 

「―――とは言われても、援軍は必要だな。助けることができても、こちらと無事に合流できなければ無意味。

 だからわざわざ、こんな説明会を開いてくれたんだろう?」

 

 プレイヤーが黙らされていると、傭兵NPCの一人が訊いてくれた。

 

「その通りです。さすが【ヤンパン】の《黒鬼衆》だけありますね」

「元だよ()。今はしがない傭兵さ」

 

 プレイヤーからすれば皮肉にも取れる褒め言葉。NPC本人にとっても、あまり気分の宜しくない過去なのかもしれない。……その胸中、どう推し量ればいいのか、未だにわからない。

 あまり考え込みたくない問題が頭に登ってくる前に、騎士団長殿が仕切りなおしてくれた。

 

「『第二陣の救出隊の選抜』。ソレが、今会議の題目の一つでもある。

 いちおう、我々【連合】と【Kob】それに【軍】の派遣遠征隊で、推薦するメンバーは固めている。だが、立候補者がいれば優先して編入させる」

 

 どうして【軍】のやつらが、しゃしゃり出てくるんだ……。【連合】とはまた別の横暴要因。不満げな視線が集まると、【軍】の代表/コテコテの重武装の男が説明してきた。

 

「今会議の主眼である『狩り』について、我々【軍】は傍観の立場を取らせてもらっている。が、『救出』ならば話は別だ。ぜひとも協力させてもらう」

 

 言外に、「割り込んでくれるな」と釘を刺しているのだろう。お前たちには他にやるべきことがあるだろう、とも。……テメェらの勝手は棚に置いて、よく言ってくれる。

 誰もが沸いてきたであろう不満を、誰もが各々飲み込んでみせるも……このままでは飲み下しきれない。あえて、誰も口にしてこなかった疑念を口に出した。

 

「……さっきから黙り続けてるが、アンタはこれでいいのかい、Kobの団長殿?」

 

 【血盟騎士団】団長、ヒースクリフ……。今回の騒ぎで一番慌てなければいけない男が、最も落ち着いている。まるで、自分こそ傍観者だとでも言うかのように、いつものように泰然とまで。

 いつもなら、その姿勢は大人物然としたものに映る、頼りになる守護者とも。が、今回については逆だ。ただ無関心なのかどうか、聞かずにはいられない。

 俺の詰問に、皆も同意なのだろう。全員からの注目が集まると、ようやく重い腰を上げた。

 

「私たちが優先すべきなのは、一刻も早く仲間の身の安全を確保することだ。援助は多いに越したことはない」

 

 簡潔にそう言い切ると、再び泰然と黙した。

 プライドよりも効率を優先すべき……。彼なら言いそうな決断で、たった一言で全て解決させられた。これ以上は何も問い詰められない。

 Kobが【軍】の援助を認めてる……。もはや、外野がどうこう喚いても仕方がない。あとはただ、救出隊に立候補するかどうかだ。

 

 どうするか迷うも、この場に立ち会ったのが運の尽きだ。 

 ため息一つ、立候補しようと手を上げようとする寸前、

 

「―――頭、情に流されるのは、悪い癖だぜ」

 

 ダチの【ユキムラ】が止めてきた。

 コイツ、俺の心でも読んでるのかよ……。機先を制されてしまい、上げられなくなっていた。

 

「アスナさん達のことは、任せていいことですぜ。わざわざ俺たちが手を貸す必要はない」

「わぁってるよ! 前線にいくならチャンスもあるが、後詰じゃ見逃すだけだ」

 

 キチンとお礼参りしないとな……。ダチの前で言葉にしてしまうと、先までの考えとは一転、再び復讐の道へ。最初にそう決めていたように、最後までやりきらないと終われない。

 

(……すまん、キリト。アスナさん)

 

 俺はやっぱり、復讐を選ぶ。こっちのダチを優先させてもらうわ……。改めて踏ん切りをつけた。上げようとした手は、そのまま握りこむ。

 

「それでは、救出についてはここまでにしよう。

 ここからは、『狩り』についての話だ―――」

 

 今会議の主眼、本来の目的。

 先までとは違う。迷いに揺れていた目や空気は、何処かに消えてしまっていた。……あるのはただ、仄暗い狩人たちの目。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 一歩踏み出した瞬間―――世界が変わった。

 

 

 

 今まで静止していた住民NPCが、一斉に視線を向けてきた。

 その無機質すぎる威圧に、ゴクリ……つばを飲み込まされた。総合戦力では負けないはずなのに、言い知れぬ不気味さが足を止めようとする。

 しかし、立ち止まるわけにはいかない。

 

 さらにもう一歩、踏みだす―――その前に、

 

「―――悪いがエイジ、ソレは置いていけ」

 

 すでに動かなくなってしまった仲間/【ヤン】だったモノを運び出そうとするエイジとデネブを、窘めた/眉をひそめられた。……あえて物扱いしたことに、嫌悪感を隠しきれず。

 

「……仲間の遺体の回収は、我々の優先事項の一つです」

()()()のじゃない。……《認識票(ドッグタグ)》だけにしてくれないか?」

 

 《認識票》―――。攻略組に属してるほぼ全プレイヤーが持ち合わせている自作アイテム。自分のリアルの名前等が刻み込まれている小さな金属板。リアルの現実世界の軍隊で使われているアクセサリと同じ。いつ・どこで・どうやって野垂れ死んでもいいように、生きた証を記録して、他の誰かに伝えてもらう。

 誰が始めたかは、わからない。不吉だと/盗まれたらどうする/誰がそんなお人好しなことするのかと、険悪されたこともあった。しかし、『最悪の事態』を想定しなければならないのが、最前線で戦い続けることでもあった。どんなプレイヤーであっても、そうならないのは運次第だ。……効率優先のプレイヤー達から生まれた、不可侵の絶対ルール。

 そして今では、誰もが身に付けることになった。ギルドによっては、ギルドホームの金庫に厳重に保管するまでしているが、Kobはそうではなかったらしい。

 

 タグだけと譲歩するも……エイジたちは引かず。「……軽量化させますので、ご心配なく」と運び出すことを固持した。いそいそと、ヤンの遺体に処置を施していく―――

 胸の内でため息をついた。

 気持ちは凄くわかる。自分が同じ立場なら同じことをしただろう。しかし、現状ではその余裕がない。ほぼ無関係な死人よりも、生きている自分たちを優先したい。

 助け舟と、蜻蛉に視線を送るも―――我関せずの沈黙。

 繊細な問題なので、口出しを控えているのだろう。エイジ達の運び作業も、手馴れてる様子があった。背負い込んでいける程度だとも判断したのかもしれない。……オレだけが嫌な役回りか。

 

「―――お待たせしました。いつでも行けます」

 

 先までの議論は黙殺。

 こちらも無かったことと、いちおう飲み込んでやった。

 

「……それじゃ、行くぞ―――」

 

 仕切りなおして/意を決して、踏み込んだ。

 すると、一斉に―――襲いかかってきた。

 

 まるで、ゴングでも鳴らされたかのようだった……。

 たったそれだけの合図。

 ただのそれだけで、今まで案山子然としていたNPC達が、一斉に動いた。ただの肉弾頭にでもなってしまったかのように、爆走してくる―――

 

 

 

 ……まるでゾンビ映画だった。

 恐ろしさがこむら返りして、引きつった笑いがこみ上げてくる。

 

 そのゾンビ達の一体が、オレに触れる/ぶつかってくる……手前、ゾワリと首筋の毛が逆立った。本能的な危険を感じた。

 アレに触れられるのはマズイ―――。流れるような/慣れた動作で、太もものポーチから投擲用の《ピック》を取り出すと、『ソレ』に投げた。

 

 人の形をした、かつてNPCだったもの。オレの投擲攻撃が当たれば一撃だろう。しかし……ためらいなく/躊躇する暇もない。

 投げたピックは、真っ直ぐに。NPCの額へと―――刺さった。

 

 ここ/【トルファス】は圏内だった。

 圏内のルールとして、プレイヤーのHPにはダメージを与えられなくなる、例え自分自身の手であっても/それまで継続ダメージを受けていたとしても。……このデス・ゲームの中で、安全なシェルターとして機能し続けてくれている。それは、NPCにも適応されているが、少し事情が違う。

 『プレイヤーからNPCへの攻撃ははじかれるが、逆はありえる』―――。機能としては一方的な攻撃ができる。ただ、彼らに組み込まれたルーティーンゆえ、そもそもそんな気が起きないだけ。しかし今、そんな万が一が起きている。

 ただ、今ここは、圏内であるとは必ずしも言えない。クエストのイベントによって、強制的に飛ばされた【一時空間】は、場所は同じでも圏内ではなくなることが多い。……おそらくこの場所も、そうなっているはずだ。

 

 予想は……的中した。

 見事、一番乗りゾンビの額に刺さって、仰け反らせた。爆走してきた勢いにも足を取られ、その場にくるりと転んだ。

 ズデンと、背中から思い切りコケたゾンビは、そのまま動かなくなった。

 

 一連の反射行動に、皆から目を丸くされた。法律的に/倫理的にもアウトな事案だったが、今は許される……はずだ。……そう願う。

 全て棚上げにすると、そのまま通り過ぎようとした。

 その寸前―――異常事態発生。

 

 コケたNPCの体は、カクカクと動きが鈍くなっていた。まるで、壊れたからくり人形のように。

 そして、人間と全く区別が付けられなかった外見まで粗くなり、輪郭も崩れていくと……ポリゴンの塊になった。

 耐久値が0になって崩壊するアイテムの有様と同じだ。あとは、ガラス塊が砕けたような光の破片になって、空気に溶けていくのみだろう……。しかし、次の光景は初めてだった。

 ゾンビの体内から、虹色が散りばめられた漆黒の塊がせり出してきた。まるで殻を破るように、ポリゴンの崩壊とともに溢れ出て―――その場に定着した。

 

 見たことのない異常事態に、目を丸くした。いったい何だこれは……?

 疑問が吹き出ると同時に、連想/不穏。さきほど見ていたモノと重なった―――【転移門】の有様と。

 さらに推察/危惧。ならばアレは、空間の歪だろう。触れればどうなるかは……先程検証済みだ。

 そして結論/ヤバイ。直感は正しかったが、少し訂正だ。『アレ』は、触れただけでアウトな()()()()()だ。

 

「―――これは……かなり、マズイですね」

「ああ……。ただ、触れなきゃ問題はないだろう。動きはあの程度だしな」

「それはそうですが、この数は――――ッ!?」

 

 おしゃべりしている間に、接近してきたゾンビ一匹。

 慌てて迎撃しようと手を動かすエイジの前に、蜻蛉が手裏剣を飛ばしてくれた。

 手裏剣はゾンビの額に刺さり、そのまま倒した。

 

「―――お喋りしてる暇も、ないでござるな」

 

 ここはさっさと、走りぬけるしかない―――。同感だ。

 ただし、まっすぐ行くだけが脳じゃない。

 

 取り出していたピックを左手に持ち替えると、メニューを展開しアイテム/《縄束》を取り出した。縄先にカギ爪がつけてある特殊な投げ縄。

 結わえてあるカギ爪ごとグルグル、その場で回転させる。力を貯めていきながら構え、狙いを定めた。

 標的/活路。地上を走り抜けるのは危険すぎる、全員が無事に抜け出せるルートは他にもある。

 1ブロックほど離れた建物の屋根に向かって―――投げた。

 

 ヒュんっ―――と、真っ直ぐ投げ飛ばすと、カギ爪が建物の縁にひっかかった。ガチリッと爪が噛む。

 縄をグッと引っ張り伸ばし、ピンと張り詰めさせた。その状態を保ちながら、先に取り出していたピックを地面に差込み、巻きつけた。―――《簡易縄橋》。

 

「―――《イム蜘蛛の糸》より強度はないが、あそこまで走りぬける分には保つ」

 

 さっさと走れ―――。誰かが不満を垂れる前に、即した。

 綱渡りの曲芸を要求。装備重量やら【敏捷値】はあまり関係ない、《綱渡り》なんて便利な/ありそうな【体術】技も存在しない、度胸と運と滑らない靴だけだ。

 落ちたら助からないだろうが、攻略組ならできるはずだ。……たぶん。

 

 即すやいなや率先して、蜻蛉が縄ハシゴに飛び移った。そしてそのまま、タッタッタ―――と、走り抜けていった。……外見そのもの、忍者そのものだ。

 その姿に後押しされてか、他の二人も意を決した。綱橋に飛び乗る―――

 

 オレは彼らの最後。無事の到着を見守りながら、近づいてくる/狙える範囲のゾンビたちに投擲/ピックを打ち込みつづける。空間の歪みがそこかしこで爆生する。

 エイジはヤンを抱えてか、デネブはポッチャリな外見通り曲芸が苦手なのか、覚束無い足取りながら/落ちないよう慎重に進んでいった―――……。

 

 

 

 全員が渡りきったのを確認すると、オレも綱渡りに飛び乗った。綱の上を全力疾走―――。

 この程度の曲芸なら、忍者でなくてもできる。……できなきゃビーター失格だ。

 

 しかし……ゾンビを倒しすぎた。

 近寄ってしまったゾンビの一匹が、空間の歪みとなった他のゾンビに誘発されて、破裂。ピックで止めていた伸したワイヤーが、その歪みに巻き込まれてしまった。歪みに飲み込まれた瞬間―――パツンッと、弾けた。

 途端/踏み落ちる寸前、上空へジャンプした。

 

 飛んだ上空で、目を見開く面々を見下ろせた。

 このままだと落ちる、下のゾンビ沼に飲み込まれてしまう―――。最悪な展開だ。そんな結末なんて嫌だ。

 コレが他の面子だったら、確かにそうなってしまったのだろう。この縄ハシゴの持ち主である、オレ以外だったら―――

 

「蜻蛉ォォォーーー―――!!」

 

 叫ぶと同時に/即座に、腕に仕込んだワイヤーつきクナイを、投げた。

 皆がたどり着いた建物の屋上へ/蜻蛉の元へ―――

 

 突然の指名に驚愕されるも、応じてくれた。

 投げた命綱は、蜻蛉へと届くと―――ガシリ、掴まれた。しっかりと両手で絡ませ、その場で踏ん張る。

 それが目に映るやいなや、巻き取り機を起動した。

 途端ギュルルと、空に投げ出されていた体を引っ張り飛ばしていく。弾丸のように/吸い寄せられるように、皆がたどり着いた屋上へ―――……

 

 

 

 ―――シュタリと、ひと回転しての受身で勢いを減じさせると、屋上の確かな感触が伝わってきた。……無事に着地できた。

 

 ほっと胸をなでおろすも、ソレを悟られぬように/服についたホコリをパンパン、払いながら立ち上がった。 残ったワイヤーも回収する。

 

「……随分な無茶ぶりをしてくれたでござるな」

「ん、そうだったか?」

 

 呆れられるもスルー、周囲の状況を確認した。

 

「建物の屋上はまだ、大丈夫みたいだな」

 

 かといって、絶対じゃない。立ち止まったら逃げ場がなくなるだけだろう。

 

 さっさと行こうか―――。戸惑われるのもつかの間、すぐさま先導した。

 屋上越し、屋根の上を走りながら/飛び移りながら、街の外を目指していく―――

 

 

 

 屋上では、ゾンビ達に邪魔されることもなかった。

 順調に障害なく走り抜けていくと、ゴールが/圏外フィールドが見えてきた。

 

「―――あと少しで、抜けられそうですね」

「かもな……」

 

 何かトラブルでもなければ……。レッドの仕掛けた罠だ、このままタダで返してくれるとは思えない。

 不安に思った矢先―――気づいた/気づけた。

 直後、すぐに急ブレーキした。

 

「ッ!? ……どうしたでござるか?」

 

 皆の足も止めると、振り返って確認する。

 

「―――この空間が消滅したら、奴らの痕跡は……どうなる?」

 

 消えてしまうんじゃないのか? リセットに巻き込まれて……。言葉にしてみせると、皆も青ざめた。その可能性に気づいてくれた。

 今ココから逃げ延びてしまったら、奴らの後を追えなくなる。アスナ達の救出ができなくなってしまう……。コレは、自分たちの痕跡ごと消し去れる、最悪の罠だった。

 

「そ、そうだったとしても、ここに長居しては……」

 

 死ぬだけ……。厳密にはどうなるかわからないが、何事も起きないなんてことはないはず。オレ達はすでに、この仮想世界に取り込まれてしまっているのだから。

 任務は失敗、途中放棄せざるを得ない……。追跡は断念、アスナ達を見殺しにするしかない。

 

 焦りを隠しきれず舌打ちを鳴らすと、すぐさま踵返した。

 まだこの空間に/あの【転移門】付近には痕跡/記録が残っているはず。現場まで行ければ、その情報を吸い出せるかも知れない。……このどうしようもないミスを挽回できる。

 その寸前―――肩を掴まれた。

 

「―――離せよ、蜻蛉」

「無理でござる」

 

 何がだ―――とは、問わなかった。

 どちらもだった。もはやゾンビだらけの場所に戻って痕跡を探ること、制限時間内に/無事にこの街から抜け出すこと、ソレらを両方やり遂げることは、今のオレ達には不可能だった。

 人には、できないこととできることの限界がある。その見極めを誤れば/できないようなら、この世界に食われるだけ、命がいくらあっても足りない。……命はたった一つだけなのに。

 

「……ココを生き延びた後、他の方法を探るのが上策、ではござらんか?」

「違うな。『なりふり構わない速攻』だからこそ、奴らの計画に食らいつくことができた。奴らが人質に危害を加える余裕を与えさせなかった。……そいつを捨てたら、全部終わりだよ」

 

 オレたちは今、ギリギリの/人質たちの無事を確保できている瀬戸際にいる。実感しづらいが、だからこそやらなければならない。なぜなら敵であるレッドたちは、統計なんかでは動いていないから。自分たちの妄想で、新しく行動を/クエストを生み出しているのだから。……実に腹立たしいことに。

 蜻蛉の手を振り払うと、エイジ達も止めてきた。

 

「待ってください! 

 そもそも、ココがリセットされたからといって、痕跡まで消えるとは限らないじゃないですか。直前までのセーブデータがあって、ソレを再現してくれるのかもしれない。……わざわざ危険を冒してアナタを失うほうが、よほど痛手ですよ!」

「かも知れない。だが、そうじゃないかもしれない。どちらになるか、やってみないとわからないだろ? なら……保険をかけておくのは当然のことだ」

「だけど、あそこはもう虫食いだらけになってるはずだろ? 戻ったところでどうせ、飲み込まれてるだけだって。何か痕跡が残ってることなんか……」

 

 無駄骨に終わるだけ……。一番最悪な展開だ。痛いところを突いてくれる。

 だけど、現状ではソレを確定できない。確かめなければならないことには変わらない、アスナ達の無事を確保し続けるためには。

 議論は平行線、どちらも曲がらない。

 なので改めて、皆に向き直ると―――

 

「決断してくれ。このまま蜻蛉とともに街の外に出るか、それとも、オレと一緒に痕跡を取りに戻るか」

 

 時間はない、今すぐにだ……。あえて、蜻蛉の行動だけは決めつけた。

 全員で戻る必要はないし、誰かは確実に戻らなければならない。どうせ二者択一ならば、答える人数も減らす。

 

 二人は息を飲まされ、戸惑い迷うも……エイジはすぐさま切り替えてくれた。

 

「―――デネブ、お前はヤンを連れて戻れ」

「ッ!? 

 隊長 でも―――」

「キリトさん一人には、任せておけない」

 

 Kobの誇りがある―――。言外の意思。アスナを/副団長を助け出すのは、俺たちでなければならない。どんな危地であっても、誰にも頼らない/おもねらない強さがあることの証明。

 ニヤリと、笑みで返した。……そのぐらいの気概は、持って欲しかったんだ。

 

「……襲われても、助けてやれないぞ?」

「ソレはこっちのセリフです」

 

 互いに強気なセリフ/覚悟はあるとの確認。……修羅場に挑む際の儀式のようなもの。

 

 気合だけは充填させた。準備万端だ。

 

「それじゃ蜻蛉、あとは頼んだ―――」

「その前に、確認したいことがあるでござる」

 

 ? この期に及んで何を……。寸前チラリと、アイコンタクトのようなもの。何かを伝えてくる。……なんだ?

 意図を解き明かそうとしていると、さらに蜻蛉は続けた。

 

「別に、後で確認しても良いことではござった。が、キリト殿の言うことにも一理あり。わずかな可能性に賭けるのも、現状では必須―――」

 

 そう言うやいなや、手品のように手裏剣を表した。手に握られている。

 そして瞬時に/流れるようなワンモーションで、投擲した。デネブへと渡された、ヤンの死骸へ向けて―――

 

 オレも含めて皆が、不意の異常行動に驚愕した。蜻蛉の投げた手裏剣は、ヤンの額に突き刺さる―――

 その寸前、()()は動いた。

 

 

 

 死んでいたはずのヤンが、背負われているデネブを引っ張り、盾にした。

 

 

 

 投げた手裏剣は、デネブの肩へと突き刺さった。

 

「え―――痛ッ!?」

 

 ソレは、蜻蛉の急襲を防ぐとすぐ、デネブを蹴り飛ばしてきた。

 ほぼ同時に、飛びつこうと駆け出していたオレにむかって―――

 

 デネブが邪魔になってソレまで届かない、捕まえられない……。反撃は封じられた。

 

 そのまま一目散、ソレは逃げようと踵返す―――かと思いきや、追撃。

 まだ呆然と固まっているエイジに向かって、片手斧を投擲してきた。デネブの腰に装備されていた武器。

 

 投げつけられたソレが目に映ると、さすがは攻略組だろう、反射的に防御姿勢をした。投擲を防いでみせた。

 ガキン―――と、重い衝突音が鳴り響いた。

 防ぎきるも、ぶつけられた衝突で動けなくなる。

 

 オレとエイジは封殺された。このままでは奴を取り逃がしてしまう……。

 しかし、詰めが甘い。まだ蜻蛉がいる。

 蜻蛉は、手裏剣が防がれるとすぐに奴に向かって飛び出していた。背中の忍者刀を抜き放ちながら、一直線に走る。ソードスキルの光とともに―――。

 

 ソレは、奴も承知だったのだろう。迎え撃つように身構えていた。格闘家然と、ヤンの腰元にあった短剣を抜きながら。

 たがいの攻撃が交錯する―――

 

 

 

 走り抜けると―――スパンッ、血しぶきとともにヤンの腕が舞い上がっていた。

 

 

 

 得物の長さと、何よりソードスキル。スピードも攻撃力も蜻蛉が上だった。……もしコレをさばききって見せていたら、ビーターの名はソレにくれてやったことだろう。

 

 腕が斬り飛ばされて驚くも/崩された体勢を整えるも、追撃に備えようとした―――

 つかの間、蜻蛉はすでに背後に回っていた。

 

 即座に反撃/裏拳をお見舞いしようと、振り抜くも……遅かった。

 蜻蛉の手刀が、首筋に落とされるのが早かった。

 

「――――――がァッ!?」

 

 うめき声が一つ、吐き出されるとともに、奴はその場に倒れた。まるで糸が切れた人形のように……

 【断絶(リセット)】―――。強制的に【気絶】を引き起こす、システム外スキルの一つ。

 瞬間、首筋のある一点に強い衝撃を受けると、どんなプレイヤーであれ【気絶】してしまう。どれだけレベルを高めても無意味、プレイヤーに与えられた仮想の肉体の弱点、あるいはプレイヤー自身に由来する何かだ。NPCや人型のモンスターでは必ずしも【気絶】することはない。

 

 見事にきまった【断絶】。

 たまらずソレは【気絶】に陥ると、地面に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

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長々とご視聴、ありがとうございました。

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66階層/トルファス 悪意の種

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 急に襲い掛かってきた【ヤン】を捕えると、そのままゾンビ達の街から脱出した、誰一人も欠けることなく―――。

 

 

 

 街の外で待機していた救出隊と合流。

 

 中で何が起きたのか説明、街の外ではどうなっていたのかも。情報の共有、内と外の別視点を総合して何が起きたのか考察した。

 その結果、敵のイカレ具合を上方修正した。油断はしていなかったが、想像以上だったことを認めざるを得ない。

 思い返すだけでも戦慄させられるが、気合いを入れ直す。目を逸らすわけにはいかない、しかと見据えなければならない。……これから先も、こんな罠が仕掛けられているはずだ。

 

 そして話題が、次の目的地についてになった頃合い/ちょうど、死んだはずの男が目を覚ました。

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

「―――ようやくお目覚めか、クソ野郎」

 

 寝起きの男は、最悪の目覚めとばかりにぼんやりとした顔つきながらも、周囲と自分の状態を把握した。

 その結論―――ため息、肩をすくめた。

 

 【麻痺】に陥らせながら、両手を後ろにきつく縛り上げている厳重さ。おまけに、首には《傀儡の首枷》をガッチリと嵌めさせてもいる。……これでいつでも/気に入らなければ【気絶】させられる、不快な目覚め付きで。思い通りに体を動かせてもやれる、まるで自分の体ではないかのように。

 逃がさないため/捕え続けるために必要な処置。しかし……レッド達と同じだ。理由はどうあれ本質は変わらない。そう思うと、自分に嫌気がさす、コレにしか至れなかった力不足に。

 だけど……仕方がない。今できるのはコレだけだ。

 自罰感は腹に留め冷徹を装うと、尋問を開始した。

 

「……いちおう確認するが、お前は【ヤン】じゃないな」

 

 どうかな……。口には出さず、オレを試すかのよう不気味に笑うのみ。

 予想はできる。直感は答えを出していたがいちおう、エイジ達に確認させると―――クロ/絶句していた。【ヤン】とは明らかに別人の振る舞いらしい。

 

「それじゃ、自己紹介してくれないか?」

 

 『ソレ』の返答は……無言の嘲笑。しかし目だけは、こちらの死角/弱みを探るよう、悪意を蠢かせていた。

 喋れないのかもしれない。との考えは浮かんできたが、こちらの言葉はちゃんと聞こえている。声では無いがちゃんと応答もして見せている。……ただ、おちょくっているだけだ。こちらの微かな不安を大きく膨らまそうとしている。

 なので、無言を貫こうとするソレに、今度はこちらが試すように告げた。

 

「……そうかい。

 それじゃ、勝手に呼ばせてもらうよ―――【ジョニー】」

 

 その名前に、救出隊の面々の方が驚きをあらわにした。

 『ソレ』自身は、無言を貫くのみだったが……無表情ではいられなかった。かすかに眉が動いたのが見えた、動揺させられた険しさがあわれてしまっていた。……ビンゴだ。

 沈黙こそ答えだとばかりに、続けて煽り文句をぶつけた。

 

「このあと、どういった三文芝居を用意してくれていたかは、知らない。が、ここで終わりみたいだな。お粗末なクソ脚本のせいでな。

 残念無念、はいサヨウナラ―――」

『おいおい、そんなわけないでしょうが』

 

 ……やっと口を開きやがった。

 ただ、声が奇妙だ。ジョニーの声に似ているも、少々こもって聞こえる、まるで電話越しに話しているかのよう。加えて、口の動きと声音が微妙にズレてる。口の形が決まってから声が出るのが通常、しかし、声に口が追随しているかのようだった。……上手く誤魔化しているのか、ただの錯覚か。

 視線でエイジ達に確認を求めると……正しかった。【ヤン】の声ではない。

 

『……ちょっと調子乗りすぎでしょ、ビーター様。()()()()()捕らえただけで、いい気にならないでよ♪』

 

 ゲームはまだまだ始まったばかりだよん♪ ―――。ジョニーからの煽り文句/正真正銘の奴だ。くわえて死者への冒涜、救出隊/Kobの面々が怒気をあらわにした。

 気持ちはわかるが、爆発されると面倒なことになる。そのための交渉役だ。なのですぐ、轡をたぐった。

 

「喋れるのならさっさと喋れ。前にも言ったはずだったよな? お前の遊びはウンザリするだけだって」

『仕方ないでしょ、君とボクだけじゃないんだから。他の皆さんにもちゃぁんと伝わるように、手順を踏まないとね♪』

 

 そう言うと、お茶目……だと思われる表情を向けてきた、イタズラは冗談だったと甘えてくる子供のように。

 Kobの面々はさらに怒りたけるも……堪えてくれた。

 

 十二分に身勝手に振舞うと、今度は司会者にように/道化師のように、大げさに賞賛/宣言してきた。

 

『おめでとうございます、救出隊の皆さん♪ あの第一の関門を、()()()()()()()()の犠牲だけで終わらせられるなんて!』

 

 思わせぶりな不穏なセリフ、拘束されてなかったら大げさにジェスチャーも加えたであろうほど。

 ハッタリか悪ふざけか、それとも……。何かあるのだろう。

 わからないが、ジョニーの一手だ。乗ってはいけない/乗ってやるものか、一緒に破滅してやれるほどオレの懐はデカくない。……本当にコイツには、ウンザリさせられる。

 

「……それで、『第二の関門』とやらはどこにあるんだ?」

『焦らない焦らない♪ ボクが答えを言っちゃったら、つまらなくなるでしょ?』

「ヒントぐらいでも……とでも期待してるのか?

 あいかわらず往生際が悪いな。お前が()()()()()()()()()()()から、聞いてやってるんだろうが」

 

 気絶していた間、【ヤン】の体からすでに情報は抜き出していた。死んだ直前と直後のできごと。あたりは付けている。……死体は多くを語ってくれる。

 これは尋問ですらない。ただの確認、よしんば追加情報を漏らすのではないかとの余剰。もしくは百億万に一つ、奴が抱くかもしれない罪悪感と改心だ。手間の悪さはセンスの悪さ/ダサいは格下の証明、共犯者たちから見下されないためには話すしかない。……主導権はこちらがずっと握っていた。

 何より、拉致の主犯もジョニーだと判明した今、アスナたちの救出はオレ達だけの仕事ではなくなった。攻略組全体の事業になった。もうがむしゃらに突っ走る必要はない。オレ達はここで止まって、後続を待つだけでいい/報告するだけでクエスト達成だ。

 

 ジョニーもソレを察したらしく、少し眉をひそめるも……まぁいいか♪ 『コレ』を捕まえたボーナスもあるし。

 

『コレのお腹の中に、《フラッグ》が入ってるんだ。その先に行けばわかるよ』

 

 瞬間、軽口も返せなかった、顔をしかめる。

 やられた、そう来たかのかよ……。すみずみまで調べたつもりだったが、甘かった。腹の中までは調べていない。本来の/ただのプレイヤー相手ならありえない隠し場所、盲点だった。

 

「…………吐き出せ」

『無理だよん♪ 生きてたのなら、お腹殴って無理やりひねり出せるけど、死んでるんじゃ、帝王切開するしかないね』

 

 もちろん、そんなことすれば壊れるけど……。ニヤリ、口の端を歪めた、死体だとは到底思えないほどの憎たらしさ。攻略組にとって、死体は生者よりも繊細だ。

 死体操作―――。腕の傷口からも想像はできたけど/時間経過でも治る気配すらなかった、まさか本当だったとは……。おぞましい技術だ。レッド達の気など知りたくもないが、もっと知りたくなくなった、できれば近寄りたくもないほど。

 

 そんなジョニーの横暴さに、ついに堪忍袋の緒が切れたのだろう。

 進み出てきたエイジは、オレが止める間もなく、

 

「―――お前らは、絶対に許さん。必ず見つけ出して、報いを受けさせる!」

 

 臓腑からの怒りをぶつけた。おそらくは、Kobの面々の総意も込めた。

 ぶつけられたジョニーは―――ニンマリ、ただ嗤うのみ。そして、「頑張って、応援してるよ」……。無言の煽りを返した。

 憤怒が明確な殺意へと変わった。

 

 胸の内でため息をこぼした、ため息で一杯だったので。

 胸糞悪いが……仕方がない。この期に及んで嘘はないだろう。くまなく身体検査をしたので、腹の中というのにも信ぴょう性がある。

 今は少しでも時間が惜しい……。速攻の直通で行きたい。《フラッグ》は魅力的だ。

 

 いいぜ、やってやるよ帝王切開―――。不愉快な役回りは、オレがやるべきだろう。……オレは彼らの/誰の仲間でもない、ビーターだ。

 いつも通り。もはや決心するもなし、職務のような惰性のままに汚れ役を引き受けた。

 そしてそのまま、手を伸ばしかけると―――寸前

 

「―――キリト殿、()()()でござる」

 

 蜻蛉から忠告がなった。手を止める。

 

 水を差されたが、できた空白。止まっていた思考が回る―――

 奴はこうなることを、予測していたはず。オレ達に囚われてしまうことも、どうしようも抜け出せない結末を、全てがご破算になる最悪を。しかし、それでは終われない、まだまだ続けたい/続けさせたい、用意した終着まで引きずり込むまでは。

 ならば、いったいどうすべきなのか―――

 

 思考が推理を紡いでいく中……ふと、異音が耳に伝わった。続いて、ジョニーの顔が視界に映って……舌打ち?

 そこにはチラと、険を浮かべた残滓・舌打ちの残像があった。思わず隠しきれなかったのだろう、見抜いた蜻蛉への険悪感/焦りがにじみ出ていた。

 そして、「あと少しだったのに!」―――ギリリ、奥歯を噛み締めもした。

 

 瞬間、全身に電撃が走った。

 ようやく気づけた、なんて遅い。ヤバイやばい、やばい―――

 直後、降ってきた直感のまま/生存本能のまま、叫んだ。

 

「離れろッ!!」

 

 皆に叫びながら、後ろに飛び退いた。

 反応できたのは……嗅ぎ取っていた蜻蛉のみ。他のメンバーは、オレの突然の奇行に驚くのみ、訝しりの硬直時間(リキャストタイム)。……もう、間に合わない。

 

 そして―――ガチンッ。

 離れているはずなのに、鼓膜が直接叩かれたかのように、聞こえてきた。ジョニーの口元から何かが噛み合わされた音、噛み合わされてはならないナニカが……押された。

 

(だめだ、間に合わない―――)

 

 飛び退きながら、着ていた外套を盾にした。

 

 

 

 直後、ジョニーから/【ヤン】の体から、爆発が起こった。

 

 

 

 目がくらむような閃光/鼓膜を破るような爆音とともに、強烈な爆裂が放たれる。囲んでいた皆を吹き飛ばすほどの強範囲攻撃。

 自爆―――。

 奥歯に仕込んでいたであろうスイッチを機に、自らの体を爆散させた。

 

 爆風に押されるまま/飛び散ってきた何かの圧迫を外套越しに感じさせられながら、後ろへと叩き押されていった。

 ゴロゴロごろごろと、転がされる。地面にもみくちゃになる―――……。

 

 

 

 ―――……ようやく止まると、顔を上げた。

 同時に急いで、確認した。

 

「みんな、無事か!?」

 

 叫びながら、瞠目させられた。

 

 先ほどいたところには、巨大な爆発痕。半径10メートルはあるだろうクレーターが、現出していた。

 救出隊の面々は、その外円まで吹き飛ばされていた。各々ウンウンと、うめき声をあげながら倒されている。

 ただし……無事だ。

 見た目は煤けたりしてひどいが、HPへのダメージは軽傷。動けなかったり返事もおろそかなのは、軽い脳震盪でも起こしているだけだろう。どれだけレベルを上げても/装備を整えても食らう、システム的に保護されるのはHPと身体の耐久値のみ、どんな爆発現象でも油断できない理由だ。

 

 ホッと、いちおう安堵。とりあえず犠牲者はいなかった……。

 しかし、すぐに疑念。本当にそうなのか?

 これでは自爆損だ、ただの嫌がらせにしかならない。瀕死でもない相手にそんなことをすれば、こんな結末は目に見えているはず。くわえて、ここにいる全員は攻略組だ。対個人用の接触自爆ですら耐え切ってみせるのに、対複数への範囲自爆などでは……。

 

「くそッ! 最後にやってくれた―――て、うぉッ!?」

 

 救出隊の一人が、自分の有様を見て驚いていた。体に付着した『モノ』に。

 【ヤン】だった体の一部が、コベリついている様に……。

 彼だけではなく、大なり小なり皆同じ。オレも、外套にべっとりと、表現したくないナニカがついていた。

 

 吐き気を催すような光景だ。

 おそらく現実世界だったら、当たり前の悲惨さだろう。ずっと晒されていたら、胃の中のものを吐き出さずにはおられなかっただろう。

 しかし、その悪夢はつかの間だった。

 飛び散ったモノは、すぐさま消えていった。耐久値が0になり、存在を保てなくなったのだろう。ココではシステムが、すぐに/自動的に洗浄してくれる。……頼もしすぎる掃除屋だ。

 無理やり漂白された自爆現場。残るは爆発痕のクレーターのみ。

 

 異常の重ねがけに、不快感と倫理観は置いてけぼりだ。

 なので、不満は全て棚上げにした。

 汚れてしまった外套はそのまま、特別枠/未鑑定品用のストレージへと投げ込んだ。気にせず着れる勇気も、捨ててしまう大胆さもないので。……コレ、着れなくなったら絶望しそうだ。

 

「敵ながらあっぱれな最後、と言ってやりたいが……。虚仮威しにしかならなかったでござるな」

「そうだな。……そうであればいいんだが」

 

 本当にそう願う……。これ以上のサプライズはいらない。腸が煮えくり返りすぎて、盲腸になりそうだ。

 

 

 

 自爆のグランドゼロへ―――。

 

 ……いちおう、約束通りだった。

 腹に収まっていたであろう《フラッグ》は、そこにあった。あんな爆発があったというのに、損傷もない。しかし……見慣れぬもの/布切れらしきものが巻かれていた。

 

 警戒して視認、【鑑定】と【索敵】で罠の有無を。なんともなかったが、それでもおそるおそるも、手に取って確認した。

 本当に《フラッグ》だ……。コレに罠はない。何かが仕掛けられてるわけでもない。

 嫌な予感がしながらも、布切れを解いた。

 そこにも、罠はなかったが……もっと最悪なものが刻まれていた。

 

“救出隊の皆さまへ―――

 これより先、死なないようにご注意を。死神は、アナタ方の魂を守ってはくれないでしょう”

 

 警告文。何かを仄めかしているような……。

 意味を考察していると、救出隊の面々も集まってきた。そして覗き込んでは、顔をしかめて困惑を浮かべる。

 

「『死ぬな』て……お前に言われんでもそうするさ」

「死神? 魂を守る? ……なんのことだ?」

「これは……どういうことですか?」

 

 いや、オレに聞かれても……。オレはレッド達の専門家なわけではない。そんなのになりたくもないし、縁を切りたくてたまらない。

 ただふと、思い浮かんでしまった。

 奴の自爆の意味、誰も殺せないはずなのに実行した。嫌がらせ以外の意図とは……

 

「もしかして……()()()()でか!?」

 

 それでもう、()()してしまった……。最悪な予想。外れて欲しいが否定しきれない、異常な現状が肯定させてくる。

 

 陰鬱になった。ただの憶測だから口にすることでもない/したくもない。

 しかし……言わざるを得ないだろう。

 確証はないが可能性は高い。心構えだけは、今からしておくに越したことはない。それだけでも未来は/悲惨は回避できる。

 口を開きかけると―――思わぬ割り込み。

 

「ぼ、僕たちも、ヤンみたいになる……のか?」

 

 青ざめ/震えながらのデネブが、オレと同じ結論に至っていた。

 その怖れに皆、困惑/驚愕するも……すぐ同じように、戦慄。

 理解した/してしまった。すでに/もう/たったのアレだけで、致命的な病にかかってしまったと、少なくとも疑いは濃厚に。

 

 沈鬱な空気、押し黙らされた。……無理もないだろう。

 だが、そんな気分に浸っても意味はない。慰めよりも解決策だ。

 

「……少なくとも、生きている間は何もないだろうさ」

「だが! そんな保証はどこにも―――」

 

 ないだろうが―――。最後は声に出せず、己の内を引っ掻き回された。

 自分でも信じたくない苦悶、毒づきながら顔をそらした。

 

「本当に()()()()()のかは、わからない。もしもそうだったとしても、オレ達のやることは変わらない」

 

 アスナの救出―――。その過程に、ジョニーの抹殺が追加された。

 いや……元々そうだった。奴はここのフロアボスなのだから。順序が正されただけだ。

 

「……僕たちは、死ぬこともできない、てことか」

「もともと、そのつもりはないでござるがな。このゲームをクリアするまでは」

 

 もちろん、その後もでござるが……。強気でもハッタリでもない、単なる事実として。これまでそうだったように、これからもそうするだけだと、思い出させた。

 オレ達の大目的、ゲームクリアだ。そして生きて、現実世界に帰還することだ。……こんなところで野垂れ死ぬつもりなど、毛頭ない。

 

「行こう、時間が惜しい。……これ以上無理な奴は抜けてくれていいぞ」

 

 煽り文句だが、真実も含めた。

 ここは分水嶺、おそらく最後の休息地だ。ここを逃せば、もうレッド達との対決だろう。……殺すか殺されるかの修羅場になる。

 心が挫けてしまった者から、殺される。そして、奴らの手駒にされる。文字通りの操り人形。残った者たちは、吐き気をこらえながらも止めを刺さないとならない。すると、さらに心挫ける者が生まれる、悪循環……。ここで抜けてくれた方がありがたい。

 

 言いたいことは伝わったはずだが……効果なし。

 むしろ、戦意が高まった/眼光が引き締められていた。「ソレがどうした?」と、頼もしいまでのタフさを湛えながら。……誰も降りてはくれなかった。

 複雑な気分だ。自分で焚きつけておきながら申し訳ないとも思う。もしも誰かが殺されたとしても、責任などとりようもないのに……なんて身勝手だ。

 

 皆の決断に、どんな顔をすればいいのか迷ったが―――ニヤリ、不敵に笑いかけていた。おそらくは梟悪な、まさしく『ビーター』らしいタフガイoftheタフガイ。……オレ自身の意思は、追いかけるだけで必死だ。

 でもたぶん、コレが扇動した者の務めだろう。……そうあってくれることを、切に願うのみ。

 

 

 

 改めて意志を一つにすると、各々《転移結晶》を取り出し―――唱えた。

 次なる目的地を。

 

「転移、【ウルムチ】」

 

 直後、全身が光に包まれた。転移特有の空間の歪みと光波が、幾柱も立ち上る。

 そして視界から、砂漠とトルファスの光景が消えると―――目的地へと転移していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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66階層/ウルムチ 境界線の生贄

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 ―――ボトリ……。

 

 突如、地面に落ちた右腕が、私の正気をギリギリで保たせてくれた。

 レッド達が押しつけてくる狂熱に、水が差された。

 その首魁にして元凶の狂人は、ただ、己のちぎれた肩・落ちた腕を見下ろし―――ニンマリと、哂った。

 

 不気味な含み笑いが、響き渡る。

 

 まるで気がふれたかのような振る舞い。同じ狂人であるはずの部下たちですら理解不能な/共感が及ばない、男の行動。

 どうすればいいのか、判断に迷った部下たちがオロオロ、手を止めていると―――

 

「―――あれ、何で止めちゃってるの? チャッチャとやっちゃいなよ♪」

「え……あ、はい。そうっスが……」

 

 何事でもないと、普段通り過ぎる男にチラリと、問題へと視線を向けると……ようやく気づけさせれた。

 しかし―――

 

()()()()()()()()()()()()()()、なんてことには、ならないんだよ♪ 

 僕らが今やるべきことは変わらない、この『ゲスト達』の結末も変わらない。僕らの計画は、順調そのものさ♪ ただ―――」

 

 少しだけ、面白くなっただけ……。強気でもハッタリでもない、ありのままの事実の一つとして。聞かれた部下達だけでなく、囚われた私たちに向けても。

 そう言い切った男はまた、その『何か』を思い出してか哂う。

 

 男の哂いに、今度は部下たちも追笑した。……自分たちのリーダーのイカレ具合に、安堵したのだろう。

 

「それじゃぁ、改めて。

 イッツ・ショウ・ターイム! と行きましょうか―――」

 

 手を止めていた部下が、器用にクルクル、メスを指先で回すと、『作業』を再開しようと捕虜の一人に/頭に、手を伸ばした―――

 その寸前、

 

「やめて! もうやめてぇッ!」

 

 お願い―――。今まで耐えに耐えてきた悲鳴が、溢れ出た。……懇願していた。

 もう耐えられない、見るに耐えない……。もう限界だった。

 例え『ソレ』が、命に別条はないとしても、今後に甚大な後遺症など残らないとしても、痛みなどほとんどないとしても、この借り物の体はすぐに元通りにしてくれるとしても……壊れてしまうものがある。

 自分達が、()()()()()()()()()だと、突きつけられて/突き放されてしまうから。

 それは、取り返しのつかない一線でもあった。例えゲームクリアしても、現実世界に帰れなくなってしまうような、致命的な背徳。……後で振り返ってみれば、ソレが理由だったのだろう。

 

 泣きながらの懇願。頬には、絶対に人前では出さないと誓っていた涙が一筋、『閃光』にあるまじき情けなさ……。しかし、ソレが功をなしてくれたのだろう。

 奴らが欲しがっていたモノの一つ/私のプライドがズタズタになること。だからか/面白い見世物が、ギリギリで作業を中断させた、ニヤニヤとした嘲笑いとともに。―――私とともに囚われたKobのメンバーへの、解体手術が。

 四肢を切断した次、頭蓋を開頭しようとあてがわれていたノコギリを。

 

 狂気の手術/拷問が執行されている同僚からは、一時的にでも止まった安堵か私の軟弱さへの叱責か……。目隠しと猿轡がされているので、分からない。……分かりたくもない。

 私にはそれだけで十分過ぎた。遅すぎるぐらいだった……。

 感情の堤防は、一度決壊すると止まらない。

 

「こんなの、こんな所業は……人間のすることじゃないッ!」

 

 

 

「―――だから、()()()()人間であるかどうか、調べてるんじゃないかね?」

 

 

 

 狂人たちの傍らに控えていた/監督していたかのような、初老の男性。

 しかし、影から進み出てきたその姿は―――着飾った猿。豪華そうな外套と軍服らしき衣服で身を引き締めた大猿。

 ソレはまさに、()()()()の異様。無理のない直立体勢・二足歩行だけは人間らしい、黒々とした猿人/ゴリラだった。

 

「君たちのような【無毛種(ケムト)】が、言葉や道具まで扱えるのは、実に興味深い。世紀の大発見だよ! どのような環境が・教育が、それを可能とさせたのか……是非とも知りたい。

 だが、恐れ多くも―――『人間(ヒムト)』を主張するともなれば、話は違う」

 

 亜人種特有の高い身体能力が乗った重低音と、厳父のような重々しさを込めて凄んできた。……着ている衣装がなければ、獰猛な亜人以外の何者にも見えない。

 彼もソレを心得ていたのだろう。出した凄味はすぐにしまった。

 

「私は、学究の徒でもあるが、敬虔な信徒でもあるとは自負している。君らのような、()()()()()()()()()()()()()を見過ごすことは……できん!」

 

 叩きつけるような宣言、意志の強さに気圧される。だけど……自分を鼓舞しているようにも、聞こえた。

 この異常すぎる拷問風景/壊されようとしている同僚達を前にしては、彼の大義は泣き言にしか聞こえない。もはや共犯者としか見えない。

 その怒りのまま、ゴリラに罵倒を浴びせようとする手前、狂人たちを束ねていた男/ジョニー・ブラックが、口を挟んできた。

 

「ご安心ください、【アルフレッド総督】閣下♪ あなた様は正しい。

 この頭蓋を開き中をご覧になられたら、たちまち、ご納得されることでしょう。彼らがヒムトではありえないということが。それ以前に、ケムトですらないということが!」

 

 外見だけは似ている、全くの別物/おぞましい悪魔だと……。悪魔の囁きのように、ゴリラに吹き込んでいく。

 ジョニーの演説に唖然としてしまっていると、

 

「そしてこれから、この聖都【ウルムチ】に、このような者たちが大量に押し寄せてくるでしょう、もう幾泊もしないうちに……」

 

 ご決断を―――。『戦い』に備えるための。

 

 それを聞かされうぬぬと、厳しい表情を浮かべるゴリラ。自分だけでなく、大多数の命運を決断しなければならない者の顔だ。

 それを見て、ようやく理解した。そして戦慄させられる。

 コレが、ジョニーの策略か―――。ここのNPC達を、私たちの争いに巻き込む。

 圧倒していたはずの彼我の戦力差は、コレで逆転することになる。……この情報を知らずに挑めば、返り討ちに遭ってしまうことだろう。

 しかし……肝心のゴリラはまだ、迷っている。戦争を渋っている様子。

 そんな彼にジョニーは、さらに、優しげながら決断を即してきた。

 

「……やめるなら、今しかありませんよ閣下。

 コレを見て、知ってしまえば貴方はもう、戻れない」

 

 戦う以外の選択肢は無い、初めから……。悪魔のような微笑、運命を握っている者の残酷さを滲み出していた。

 突きつけられた選択にゴリラは、まるで見えない巨人に押しつぶされているかのように、後ずさりしそうになっていた。……ギリギリで押し止めようと、歯を食いしばって睨み返す。

 そんな彼の逡巡を嘲笑うように、煽り続けた。

 

「そのままただ、彼らを受け入れればいいだけですよ♪ この聖都の主として、不思議な客人達をもてなすだけ、()()()()()()()()()()()()

 彼らがどれだけ、《聖書》の記述に反した危険な存在であろうとも、先君たちが代々伝えてきた警句を無視すればいいだけです。その報いとしてやがて、ケムトたちに支配されていた古代に戻るとしても、()()()()へと戻るとしても―――」

「そんなことはッ! 

 …………それだけは、あってはならんことだ」

 

 激昂を押しとどめて、絞り出した言葉。すると、その目からもスっと、堪えていた迷いも薄れていく。

 ジョニーはそれを見抜くと、最後のダメ押しをした。

 

「閣下をご納得させられる証拠が、確かにこの中にございます。この者たちが、如何に異形なる存在かが♪」

 

 どうか、勇気をお奮いくださいませ……。そう言うと、深々と頭を下げてもみせた。部下たちもジョニーに倣う。

 ゴリラから、最後の歯止めが消えていった。

 

 馬鹿げだ芝居。現実とは思えない/思いたくない、大切な何かが抜け落ちてしまった異空間。そんなものに私の懇願は、飲み込まれてしまった……。

 繋がなければならない言葉/制止は出ず。ただ焦燥だけが口からこぼれる。

 止まっていた拷問者の手が、おぞましい行為を再開する。それをただ、黙って見送るしか……なかった。

 

 

 

 耳を塞ぎたくなるような悲鳴が、私を切り刻んでいった。

 

 

 

 

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長々とご視聴、ありがとうございました。

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66階層/ウルムチ 開幕の鬼火

『鬼リト』、降臨!


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 ―――どうして、こうなった?

 

 自問せざるを得ない。

 ……が、答えはすぐに沸いてきた。

 

 ―――奴らを滅ぼすと決めた時、こうなるのはわかっていたことだ。

 

 全ては自業自得、己の力量不足。そこに帰ってくる。

 でも……だからと言って、だ。愚痴はこぼれる。

 

 ―――オレに『万能』を、求め過ぎてはいないか?

 

 オレはどこにでもいる、プレイヤーの一人でしかない。特別な力もチートもあるわけではない、ログインの始まりから平等だ。……そう見せかけてるだけ、みなを騙しているだけだ。

 ただ、その嘘はもう、暴かれている。

 もはや誰も、オレが『ビーター』だと信じている者はいない、少なくとも攻略組の中では。―――知らぬフリをしているだけだ。

 これから降りかかってくるかもしれない、崩壊の危機。ゲームクリアは絶望的だと痛感し、現実に戻ることを諦める怠惰。ソレを退けるためのセーフティネットとして、オレは『ビーター』の役柄を背負っている/背負わされている。その共犯関係を成立させるために、まだ信じている者達を信じ抜かせるために、『ビーター』に相応しき力が与えられている。

 だからもう、オレの意志は関係ない。かつてそう志した想いが、今とおそらくこれからも矯正してくる、オレ自身だけでなくその志を信じた者達によっても。オレは万能で常に正しく、『ビーター』でなければならない。

 

 だから今、この目の前の事実/()()()()()()N()P()C()()()()()()()()非現実感も、受け入れなければならない。【ウルムチ】の転移門へとワープした直後に、あらかじめ仕掛けていたであろう()()()()()で焼き殺されんとしているのも、当たり前のものと余裕の笑を浮かべなければならない。……戸惑って誰かに助けを求めるのは、ビーターの役目ではないから。

 だからオレは、この逆境を/ゼロの瞬間を突き破らなければならない。オレだけでなく、救出隊のみなも共に、マイナスではなくプラスへと転じさせるために―――

 我が身が燃えるまま、一目散に炎の壁を突き破り、包囲していた敵NPCの一人に突撃を/【ヴォーパルストライク】を叩き込んだ。

 

 

 

 炎で塞がれた視界では、細かなことは見えない。誰にどうヒットしたのかは/そもそもヒットしたのかすら、運任せだ。……ほぼ反射的に、突撃しただけなのだから。

 でも、ソレが功をなしたのだろう。

 まさかいきなり、反撃してくるなど思ってもみなかった。突然の火攻めに慌てるはず、その混乱に乗じて攻め滅ぼすなり捕縛なりするつもりだった。……その一拍が、なかった。

 見えないながらもわかった、愛剣から伝わって来る感触からも。突き飛ばされていった敵兵の姿が、その光景に驚愕し呆然としている敵兵たちも。

 

 ―――ありえない……。

 

 彼らの心の悲鳴が、聞こえてきた。

 

 生じた間隙、起死回生のチャンス。……救出隊の皆はまだ、突然の火攻めに混乱させられているまま。炎の壁も勢いを増してくる。

 さきほどの突撃から感じた、奇妙だがよく知っている違和感。ソレに舌打ちする間も放下して、全身全霊を研ぎ澄ませた。

 

(司令官はどこだ―――)

 

 まだ燃やされている視界は、当てにできない。さきほどの反撃で起こったどよめきを頼りに、探っていると、

 

「―――う、狼狽えるな!? 

 我らには《神の盾》があるぞ! 例え悪魔(ガラン)であろうと、破れはせぬ―――」

 

 ―――見つけた!

 どよめきを押しのけ鼓舞してくる、一際大きな掛け声。

 その声を端緒に、導き出した。全開にしていた【索敵】と【鑑定】が、位置のみならずその姿すら割り出してくれた。……奴が司令官だ。

 知ると同時に、跳んだ。踏み込む。

 奴の元まで駆け抜ける―――

 

 戸惑い乱れている隊列の隙間を、縫うように走った。

 遅れて腰を抜かすか、叫んだり武器を構えるのを横目に、走り抜け―――たどり着いた。目の前には、先に見えた標的、司令官だろう毛もくじゃらの大男。

 

 相対した直後、大男は目を見開いた。突然現れたオレの姿に、驚いているのだろう。

 同時に、腰に刷いていた武器を抜いた。豪華な飾りつけがされている両手剣のような武器を、片手で鞘から抜こうとした。

 良い反射神経だ。さすが、雑兵とは違う反応をする。

 しかし―――遅い。

 

 完全に抜刀される寸前/すでに、オレは彼の脇から背後へとすり抜けていた。

 死角でもあったので、大男はオレを見失う。視界からいきなり消えたように見えたことだろう、オレがいた正面に顔を向け続けているのがその証拠だ。

 背後へと滑り込むと、オレの倍はあるであろう背中を蛇のように駆け上った。そこでようやく、大男はオレが背後にいたことに気づき、振り返ろうとする。―――その回った首を、片手で固めた。

 同時に目隠しもすると、もう片手に握っていた愛剣を逆手に持ち直した。そして振り上げ、鋒をガラ空きにした首筋へ向けると、そのまま―――突き刺した。

 

 しかし―――ガキンッ!

 首を貫こうとした鋒は、寸前、()()()()()()に遮られた。

 

(チッ! ……やっぱりか)

 

 先の違和感の正体は、コレだったのか……。この頃の予感は、必ず悪い方があたる。

 すぐさま切り替える。まだ大男は混乱の最中、先制奇襲の効果は続いている。

 

 首を捻って、捩じ切るか? 

 できるかもしれないが、時間がかかる。それに、かなり太くて頑丈そうだ、人のソレとは思えないほどに。オレの筋力値では難しいかも知れない。……暗殺はもう、選択肢に入っていない。

 

(だったら―――)

 

 目隠しから大男の襟元を掴むと、そこを支点に/大男の背中から―――前転した。足を伸ばしての、宙に大きな弧を描くようにして。

 大男は、体幹を崩されよろめいた、前倒れしそうになる……。その手前、地面に着地すると、倒れこむ大男を背負い込む形へ。

 地面から足が浮く、重量あるだろう体が一時、無重力状態になった。そのタイミングでおもいきり―――投げた。

 

「おぉ……りゃぁぁァァ―――ッ!!」

 

 【体術】対人格闘技《回天投げ》―――。

 吼えた気合と同時に大男を、宙に投げ飛ばす。

 向かう先は……火攻めの罠だ。オレ達を焼き殺すため、自ら仕掛けた罠の中。

 大男を炎の中へ。そして、救出隊が待っているであろう敵陣内へと―――投げ飛ばした。

 

 墜落した、地鳴りが響き渡る。

 敵陣内に一人残されたオレ。技の発動直後で硬直もさせられている、非常に危険な状況だ……。しかし、周りの敵兵たちは襲いかからず。自分たちの司令官の有様に目を奪われていた。

 その直後、野太い悲鳴が響き渡った。

 大男が、炎に焼かれ踊らされているのが目に映る。苦しみ悶え、それでも逃れられない炎熱地獄。―――それを端に、敵兵から恐慌が噴出した。

 

 理想的な展開だ。窮地は好機になった。

 だけど……まだ足りない。あともうひと押しだ。

 

 硬直が解けるとすぐさま、大きく息を吸った。体を弓反らせるほど、限界まで空気を詰め込む。

 そして、臨界のさらにもう一息まで吸い込むと……一止。所定の初動モーションを取った。そして、システムアシストを/ソードスキルの発動を感じると―――吼えた。

 

 

 

「■■■■■■■■■■■■ッ!!!」

 

 

 

 オレの口から、猛獣の雄叫びが放たれた。

 

 【体術】範囲特殊攻撃技《鬼士戦吼》―――。

 周囲の敵のヘイトを一気に集める技。こちらを警戒していない状態だと《混乱》の追加効果もあり、敵の隊列を乱すことができる。自分より低レベルだったり耐性が低い場合は、《怖気》に陥らせることも。戦意を喪失させ、逃走を促すこともできる。

 放たれた直後、こちらの意図通り、敵兵たちは一様に《怖気》に陥っていた。ヘナヘナとその場に座り込んでしまう、武器を落としてしまうものまでも。……司令官を失った直後でもあり、戦意までも喪失していた。

 

 通常なら、これ以上の攻撃/こちらから攻めることはしない。ソロであってもチーム戦であっても、さして変わらないだろう。

 《鬼士戦吼》は、強がりでしかない。

 手札が弱いからこそ大きく見せる詐術だ。敵が縮み上がってくれたのなら、さっさと逃げるに限る。撤退戦にこそ有効な技だ。

 だけど……今は少々、違う。逃げるわけにはいかない。ここまで準備万端に待ち構えていた敵が、見逃してくれるとも思えない。これからの先も見据えないといけない。―――追手は必ずくる。

 

 

 

 ―――禍根はここで、断ち切らないといけない。

 

 

 

 湧き出てきた考えに/今にも果たそうと力がこもる手足に、憂鬱になる。我が事ながら怯える。

 

(……いつからオレは、そんなことができるようになったんだ?)

 

 ……わからない。いつも考えているのに、答えは出ない。

 ただ、わからないはずなのに……衝動だけはある。そうしなければならない、それこそが『オレ』だと、脳みその深淵に潜んでいる虫が、駆り立ててくるかのよう。

 だから、だろうか……。迷いとは裏腹、愛剣を握り締めた手は/腕は/全身は、()()()()()をとっていた―――

 

 近くでヘタリこんでいた敵兵のもとへ行くと―――むんず、襟首をつかみ上げた。

 外見からの想定でしかなかったが、オレの片手でも持ち上げられてしまうほどには軽かった、あの大男/司令官だけは別格だったのだろう。

 急に近づき、しかも片手で持ち上げてみせた腕力に/締まる首に、敵兵は怯えた。逃れようとパタパタ手足を動かし、暴れる。意味がわからない言葉の悲鳴を出した。……その声はなぜか、猿の鳴き声に聞こえた。

 先までとは違い、ひどく冷えて/落ち着いている頭。改めて観察してみると……人ではなく猿に似た姿の何かだと、ようやく見えた。

 似たモンスターを見たことがあったが、思い出せない。ただこんな、人間らしい服やら武装を身につけてはなかったはず。……あとでしっかりと、検証しなければならないだろう。

 

 掴み上げた敵兵をそのまま、無造作に振り回し、かぶると―――投げた。

 力任せの投擲。彼らの司令官と同じ、燃え盛る炎の中へと……。

 悲鳴の尾を引きながら、敵兵は、炎の中へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 ―――事が全て収まったのは、始まりから数分も経たないほどだった。

 

 

 

 

 

「―――き、キリトさん!? 何を……してるんですか?」

 

 オレの手を止めたのは、救出隊の誰かの声だった。……誰だったかは、しばらくしてから思い出せた。

 転移門に仕掛けられた火攻めの罠から焼け出され、体についた炎を転がりながら消火した後。先に飛び出していたオレの姿を見かけ、声を掛けようと……絶句していた。

 オレ達を罠に嵌めようとした猿兵たちを、炎の中に/自分たちが仕掛けた罠の中へと投げ入れている姿に。泣き喚き懇願されている傍ら、ただ無機質に無慈悲に、掴み持ち上げ炎にくべていく姿に……。

 

 手を止め声の主を確認し、また周囲も見渡した。……ほかにも、罠から脱出した仲間がいたのが見えた。

 とりあえず、危機は去ったか……。ほっと一息、張り詰めていたモノを緩めた。ついでに、今にも投げようとしていた猿兵も下ろした。

 

「……悪いエイジ。こいつらの司令官は、あの火の中だ。たぶんもう……焼け死んでるだろう」

 

 オレ達とは違って、あの炎に耐え切るだけのHPと耐火性能を持っているとは、思えない。ここ【ウルムチ】のあるフロアは、攻略組のオレ達が【下層病】を患い始める中堅層でしかない。

 まだ炎は燃え盛り、中にはまだ救出隊の面々が残っているはずだ。その彼らのHPは、半減域にまでになっている者もいるも、全員まだ生存している。……この猿兵たちの基本能力値は、そこまで弱く、装備も貧弱だ。

 

 簡単ながらの説明にエイジは、納得してくれるかとおもったが……さらに声をなくしていた。信じられないモノを見たかのように、見つめてもくる。

 首を傾げるも……心当たりはない。たぶん何かに驚いているのかもしれないが、ソレがわからない。まだ頭が、状況についてきていないだけかもしれない。

 わからないものは、気にしても仕方がない……。いつものスタンス/棚上げ。ここはまだ非戦闘区域/安全地帯じゃない、考えるよりも決断だ。

 

「こいつらを全員拘束する、知ってることは洗いざらい吐いてもらおう。……少しでも逃げようとしたら、あの火の中に投げ入れてやればいい」

 

 だから、ちょうどこの辺りでまとめて、拘束しよう……。淡々とそう提案/はんば命令気味に言うと、エイジは眉をしかめた。

 

「……まだ、全員の無事を確認してませんよ?」

「そうだな。同時並行でやろう。

 アイツとアイツ、それに……アイツもだ。こいつらの拘束に手を貸してもらう。他は、まだ残っている奴らの救助に当たってくれ」

 

 救助の方は、お前が指揮してくれ……。人手が増えたことで、やれることも増えた。代わりに、やらなきゃならないことは減ってくれた。

 さらなる指示に、エイジはまだ不満を残すも……瞑目、呑み込みやるべきことに切り替えた。脱出できた仲間へ指示を伝えようとする。

 

 その振り返った背に、ふと、違和感が浮かんできた。

 おかしい、何かが足りない。今ここにいるべき何かが、欠けている。居てもいいはずの何かが、()()()―――

 沸き上がってくる不安から、さらに連想。そしてすぐに、確かめた。

 メニューを展開し確認する。先は無事だと思っていたが、もしかしたら―――

 

「―――エイジ! 気をつけろよ」

「? ……何をです?

 あのぐらいの炎なら、耐火処置も必要ないですよ、心構えさえあれば。こちらが手を出さずともみな、すぐに抜け出してくれるは―――」

「人数が()()()()()()()。死んだわけは無いのにだ」

 

 オレ自身の驚愕は押し殺し、示唆を伝えた。

 メニュー画面に映っている、パーティー登録されている救出隊の名前とHP。誰一人欠けていなければ、HPも0になっているわけでもない。ただ、そのHPの減少具合が違っていた。―――一部の者のHPは、()()()()()()()()()()

 比較的少なめの焼かれ具合だったオレよりも、残っている。まるでオレ達とは違い、()()()()()()()()()かのように。あるいは、炎の中ですぐに転移して、別の場所へワープしたのかもしれない。……その中には、オレが最も頼りにしていた男/忍者、【蜻蛉】もいる。

 

 言われて、目を丸くするも……すぐに理解してくれた。

 自分たちが陥っている危機的状況に、青ざめる。声を失う。

 

「平静でいてくれ。余計なことは考えずに、ただ、今いる仲間の無事だけに集中してくれ。……できるよな?」

 

 念を押して確認した、言外の意味を。……自分のことだけでなく、気づいた部下たちの不安も同時に飲み込め、と。

 ココはまだ、敵地の中だ。司令官は倒し、兵たちの戦意もくじいたが、それでもまだ征服しきってはいない。いつまた、反逆されるかわからない。コチラが不安になり怯えれば、猿たちにも伝わる、ソレを隙だとみるはず。

 理解してくれたのかどうか、返事のかわりにゴクリと、唾を飲む音が聞こえた。

 

「心配するな、まだ最悪には程遠い。

 してやられちまったが、そんなことはハナから織り込み済みだ。どうということは無い、オレ達にはいつものことさ。それに、何よりだ……お前がいる」

 

 オレ一人だけだったら、最悪だったよ……。落ち着かせついでに、弱音混じりの苦笑をこぼした。こんなことはビビる悲惨でもない、笑ってやり過ごすが吉のドッキリでしかない、と。……パーティーレベルはほぼビギナーのオレ、これ以上の上手い言い回しは、思いつけない。

 その努力はいちおう……叶ったのだろう。

 エイジの顔から、不安の色が薄れていった……ように見えた。

 

「それじゃエイジ、そっちは任せたぞ」

「はい!」

 

 心なしか、色良くなった返事とともに、救出へと向かっていた。―――

 

 

 

 そんなエイジの背中を見送ると、オレはようやく……ため息をこぼせた。

 

 そして次には、抑え続けていた怒りが、全身を沸かしてきた。

 先までの機械的な衝動とは違う、頭で抑える必要のない怒り―――

 

(ジョニー。お前の三文芝居など、すぐに食いつぶしてやる!)

 

 沸き立つ怒りを言葉にすると、心も定まった。……ずっとそうだったことが、さらに強固になった。 

 

 目的は定まった。だから今は、やるべきことに集中するのみ―――。 

 エイジに指示された救出隊の面々が、オレの元に集ってきた。

 

 

 

 

 

 

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66階層/ウルムチ 孤独の追跡者

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 指揮官と仲間の大半を失った猿兵たちは、実に素直だった。オレたちの疑問に、ペラペラと答えてくれた。

 

 この【ウルムチ】について、指揮系統について、かつての有様と今との違いについて。どうしてオレ達が転移してくることを知っていたのか、ほぼジャストのタイミングで? レッドたちとの関わりは? 何より、拉致されたオレ達の仲間の居場所について―――。

 いわゆる一般兵である彼らが知り得る範囲では、満足いく答えは得られない。特に、どうして人間種ではなく、彼らのような猿人/()()()()()()()()()()()()()()()()ような者たちが、この街の中を自由に闊歩しているのか。あまつさえ、人間のように道具や武装を使いこなし、言葉まで使い社会を作れているのか、は。

 オレ達にとっては非常事態。しかし、彼らにとって日常であるため、説明できないのだろう。ただ首をかしげるだけだ。

 

(……指揮官は、生かしておけばよかったかな)

 

 少し後悔した。緊急時だったとはいえ、早まった判断だったのかも。

 ただ、おそらくは、あまり大差なかったと思う。知能を持った以上、猿も人も変わらない。こんな危険な現場には、『知らないからこそ』進んで派遣された/立候補もしたはず。

 

 聞きたいことは聞き出し終えると―――最後に、選ばせた。

 炎を鎮火させた【転移門】、ソレを指し示しながら、

 

 

 

 ―――あそこに飛び込むか、それとも、オレ達の【使い魔】になるか。

 

 

 

 どちらかを選べ―――。無慈悲な二者択一に、猿たちは、青ざめた。

 

 聞き出した情報の一つと、オレ達もよく知っているこの世界のルールの一つに、合致しているものがあった。

 『モンスターは、フロア間を移動することができない』___。つまり、転移ができない。

 ただし、無効化される、わけでもない。【圏内】における『不可視の盾』とは違う。【転移】をもたらすアイテムや設置型の罠等の効果は、有効だ。【転移門】をくぐれる。ただし、その先には……。

 どうして、外見や知能レベルが上げられたのかは、不明。ここでは判断できない。しかし/だからといって、『モンスター』とのカテゴリーは健在だった。……転移門はまさに、奴らにとって鬼門になる。

 そしてもう一つ、モンスターであるのなら/言葉が通じるのなら、【使い魔】にさせることは難しくない。

 契約に必要なのは『互いの了承』のみ。通常のモンスターなら、ほぼ逃走か闘争しかないが、知能を持たされた奴らには『服従』の選択肢が生まれる。使い魔の強制は、可能なはずだ。何より猿兵たちは、【使い魔】を知らない。ソレが意味する重大さを理解していない。

 さらに致命的なのは、自分たちこそ『人間』だと思っている。決して『モンスター』ではないと。……ソレは、目の前のオレ達のことだと。

 

 不平等な選択。強いることに若干良心が痛むも、オレ自身の選択。彼らよりもプレイヤーを、仲間を助けると……。

 生き残った猿兵たちは皆、【使い魔】になることを選んだ。

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆ 

 

 

 

「―――それって……俺たちの中に裏切り者がいる、てことだよな?」

 

 

 事後処理を終え、直接な脅威が消えると、降りかかった出来事を省みる余裕ができた。

 予想していた/あえて無視させてきた恐れ……。誰もが抱えていた恐れでもある。

 だから当然、皆の注目が集まってきた。オレに答えを求めている。

 だが……オレが答えられるのは、

 

「……かもしれないな。

 で、これからのことだが、まず部隊の編成については―――」

「て、おいッ!? 無視するつもりかよ!」

 

 無視したら、食い下がってきた。

 あらためて周りを見渡すと、やはり同調していた。

 大きく、ため息をこぼした。

 どうしても、避けられないらしいな……。詰問してきた男に、向き直った。

 

「……それで、どうしたいんだ? 

 まさか、()()()()()()なんて下らないこと、するつもりじゃ……ないよな?」

 

 ギクり―――。言い当ててしまったのだろう、オレを問い詰めてきた男が顔をこわばらせた。周囲の幾人かにも、同じような反応。

 またため息をついた。……当然だと思っていたことを改めて説明するのは、辛い。

 気を引き締め直すと、厳しく言い返した。

 

「―――オレ達は、友達じゃない。このゲームも遊びじゃない。

 自分の腕っ節と度胸と、何よりも幸運に恵まれてここまで生き延びれた。()()()()()()()()()()()()()()()、その決意と行動の対価としてだ」

 

 攻略組としての心構え。最前線で戦うプレイヤーには、最低限にして最も必要不可欠な、当たり前のモノだ。

 だから本当は、こんな説教など言いたくない。常識をあらためて口にするなど、恥ずかしいいし何より、相手を猿扱いしているようなものだ。……すぐそばに猿がいるとなれば、なおさらだ。

 でも今……ソレが必要だ。身に受けた手痛くも見えざる衝撃は、オレたちの芯の部分にまで響いていた。ソレを鎮める必要がある。

 

「『この中に裏切り者がいるかも?』 ……そもそも、その考え方が間違ってる」

「……どういうことだよ?」

「簡単なことだ。

 裏切り者などいない、オレ達は全員()()だから。()()()()()()()()()()()()()()ような奴が、こんな最前線にいるはずがないからだ」

 

 もちろん、その中にはお前も含まれているぞ……。視線とともに投げかけた指摘に、詰問してきた男はぐっと、黙らされた。

 なので続けて、止めの言葉を放った。

 

「だから、今後の発言には気をつけたほういいぞ。そんなことを臆面もなく言ってしまう()()()()が、『裏切り者』だと疑われてしまうからな」

「……ッ!?」

 

 男の顔に、怒りと焦りが浮かんだ。

 論破されたことと、オレの忠告への危機感。プライドのせめぎ合いでギリギリ、視線キツく眉間のしわが寄るのみ。……オレにわかるのは、ソレだけだ。

 

(もしもここに、【蜻蛉】がいてくれたのなら……)

 

 そう考えずにはおられない。

 蜻蛉の超嗅覚___。

 この脅しだけで、残っているかもしれない裏切り者を炙りだす/嗅ぎ分けることができた、かもしれなかった。……いないのが悔やまれる。

 

(……まぁ、過ぎたことは仕方がない)

 

 これからのことに、集中しなければならない……。まだ罠の渦中、そしてこれからもっと、突っ込んでいくのだから。

 危険だからこそ、懐深く入り込む。拉致された仲間を無事に救い出すためには、相手が仕掛けた『ゲーム』に乗ってやらねばならない。

 

「さて、この話はコレで終わりだよな?

 これからのことについて、詰めていこうか―――」

「―――いいえ、まだです!」

 

 切り替えを遮ってきたのは……予想外の相手。エイジだった。

 驚きに目を見張るも、すぐに睨み返した。

 

 何が問題だ? ―――。

 無言で尋ねると、その威圧を弾き返すように答えた。

 

「アナタと俺達は、決定的に違う。

 アナタの言い分は全て、ソロプレイヤーの……いや、()()()()としてのものだ!」

 

 第二の驚き。品行方正そうなエイジの口から、その単語がでてくるとは……。

 黙って聞いていると、続けて言った。

 

「俺達は、アナタほどには……強くない。強くないから手を取り合った、徒党を組むことにした」

 

 オレから顔を逸らしそうになるのを、堪えながらの答え。

 その伝わってくる苦しさに、また驚かされた。ソレを知っていながらも、共感する側にいない/対立までしている自分の立ち位置に……。オレ自身の、芯にある何かが、揺さぶられた。

 言い知れぬ不安に、我知らず戸惑わされていると、

 

「俺達がアスナさんを、副団長を助けようと危険を犯しているのは、()()()()()()()()を守るためです、彼女が必要不可欠だからです。

 けれど―――アナタは違う」

 

 アナタにとって、彼女は必要じゃない―――。エイジの糾弾じみた断言に、オレは……押し黙らせれてしまった。

 そんなことはない……。その一言が、口から出てこなかった。

 できたのは、ただ一つ、その不安を『ビーター』の仮面で覆い隠すだけ……。

 

「アナタは独りでも戦える、生き残れるし生き残ってきた。誰も必要とはしていない……。だから、俺はこう疑っています―――

 ()()()()()()()()()()()()()、のではないかと?」

 

 オレの嘘を裁くように、判決を下してきた。

 

 その言葉に周囲も、目を見張りながらも、同調した。そしてオレに、疑いの眼差しを向けてくる。

 思い返せば、どうして奴はこんなにも―――。察せられる次の詰問、オレがビーターであれる所以への追求。かつてはβテストで乗り切ったが、折り返し以上にも階を進めた今回は、もっと現実的かつ最悪な方法が、自然と浮かんでくる。

 オレが、()()()()()()()なのでは、ないかと……。

 

 反論はできる。冗談にしては笑えないとも、思う。腹を立ててしかるべき邪推だ。その疑いは今すぐ/【決闘】してでも、払拭すべきだ。

 しかし―――やらない。

 そもそも、できないだろう。エイジ以外の者たちが求めているのは、『裏切り者』のレッテルを引き受けてくれる生贄だから。そして、ビーターたるオレの役目は、ソレを飲み込んでこそ果たされる。

 だから今、やるべきことは……一つだけ。

 

「―――そいつをこの場で口に出した、てことはだ。()()がこれからのお前()の方針、てことでいいんだな?」

 

 エイジの顔から、白く、血の気がひいた。……オレの返事を、理解してくれたのだろう。

 彼の察しの良さに、少しだけ、救われた。

 

 エイジの理解は、他の数名にも伝播したのだろう。何人かの顔色に、やましさからの揺れ/目の泳ぎが見えた。

 ある程度に伝わったのなら、オレから言うべきことは、もう無い。

 

「……わかった。

 それじゃ、オレは先に行かせてもらう。……後からノコノコついてくるといい」

 

 捨て台詞のように付け加えると、くるり……背を向けた。彼らとの縁を断ち切るように、これから独りで、この先を突き進むために。

 その決意とともに、【使い魔】にした猿兵を先導させ、立ち去ろうとすると―――

 

「キリトさんッ!! ……独りじゃ、死にますよ」

 

 エイジの言葉に引き止められた。

 立ち止まり、少しだけ自問。……確かに、そうかもしれない。この選択は間違っているかもしれない、ただ意固地になっているだけ。いや、おそらくそうだろう。

 だけど……もう止まれない。

 

 顔だけ振り返ると―――ニヤリ、不敵に告げた。

 

 

 

「そいつはお前だけだ、オレには当てはまらない。『ビーター』のオレにはな」

 

 

 

 そう、捨て台詞を置き去りにすると、もはや振り返らず。

 救出隊の皆の下から、立ち去っていった―――……。

 

 

 

 

 

 

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66階層/ウルムチ 旅の仲間・恋人

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 エイジたちと別れ、使い魔にした猿兵に案内させた先……驚かされた。 

 

 【ウルムチ】の街を抜けた小高い丘、そこから見えたのは……かつて見た光景とは違う。地平線まで枯れ果てた、一面黄土色の砂礫の荒野ではなかった。

 緑豊か花とりどり、澄んだ小川が縦横に流れせせらぎを奏でている。見える家々も各々、一本の大樹を囲いながらも成育を損なわない様な不思議な設計。森と街とが見事に融合している、奇跡の街並みだった。

 

 樹楽街【サイパン】___。メニューに表示された名前すら、違っていた。

 かつてココは、圏外フィールドの一つでしかなかった。モンスターや野盗たちが跋扈する、渇ききった見放された荒野。とても、目の前のような、自然豊かな光景とは重ならない。まして、街並みまで整えられているような場所ではなかった。

 加えて、転移門がある主街区【ウルムチ】よりも、繁栄していた。一方ウルムチは、人気も薄れて、かつてより寂れたような印象があった。主街区が一番の街ではないのは、無いことはないが数は少ない、そもそもこのフロアでは一番の街だった。……今は、こちらが一番だと言わざるを得ない。

 

 どうして、こんな異常事態が起きてるのか……。説明不能な現実に、言葉を失う。茫然と、ありえない光景に目を奪われてしまった。

 もしもコレが、こんな緊急事態でなければ、次に沸き起こってくるワクワクに従って探索に励むだけだろう。一人だから尚のこと止まらない。……しかし今は、そうは言ってられない。

 冒険心をグッと堪えると、新しい使い魔に尋ねた。

 

「……ここに、オレたちの仲間がいるんだな?」

 

 再度確認すると、猿兵は、こくこくと頷いた。

 

 猿兵は、使い魔にした途端、喋れなくなってしまった。

 口から出てくるのは猿の鳴き声だけ。人間らしい振る舞いもなくなり、自分が着ている鎧や服すら不思議がり、邪魔そうにしている、持っていた武器は捨ててしまう始末。まさにモンスターの有様、原型だろう【シーフズエイプ】そのものだった。まるで突然、自分の本来の姿を思い出したかのように。

 どうしてこうなった? ……理由は色々と考察できるも、今は必要ない。会話はできなくなったが、こちらの意図の大筋は伝わっているらしい、それで十分だ。

 

 もう一度街を一望する。鍛えた感覚と【索敵】【鑑定】を最大限に拡張し、集められるだけの情報を集める。

 同時にストレージから、かつてのここの地図を取り出し、現在と見比べた。

 外観はかなり変わったものの、地形の骨格部分や面積などは変わっていないはず。攻めやすいルートも似ているはず。ゆえに、有効な攻略もみえてくる/最短ルートを導き出せる。

 だけど―――

 

(―――ダメだな、こりゃ。わからん)

 

 全くアテにならなかった……。

 当然といえば当然だ。かつてと今が違いすぎれば、未踏区と同じ。むしろ、先入観を持たず、対応することに全フリしたほうが事故は少なくなるはず。

 

(かと言って、正面突破はなぁ……。一人じゃ厳しすぎる)

 

 仕掛け人がジョニーなら、ソレも一つの手だが……驚かすだけでおわるだろう。地形やら物量やらで攻められ包囲されたら、逃げることすらできず終わる。……コレがソロプレイの限界、正攻法では勝ち目がない。

 なので順当に/救出作戦らしく、スニーキングミッションになるが……どう攻めればいいか悩む。

 感知した範囲には、要塞めいた厳重警備があるわけではない。が、巡回している警備兵らしき存在と、何より賑やかな住民達の目が警戒網となっている。おそらくは、この猿兵と同じ容姿の住民だろう、オレでは目立ち過ぎる。……残念ながら今は、変装のためのアイテムを持ち合わせていない。

 加えて何より、手探りする時間もない。アスナたちの無事を思えば、ここで立ち往生しているわけにもいかない。強引に突き進むしかない。……八方塞がりだ。

 

 どうしたものかな……。

 考えあぐねていると、呼び出し音。目の前にウインドウが立ち上がた。

 他プレイヤーからの通信___。番号は非通知。メニューを通した通常の通信ならば、相手の名前は表示される、そもそもフレンドとしか通信できない。通話用の特殊アイテムを使ったのだろう。

 

 誰からか警戒する。オレに通話/このタイミングで―――疑問はすぐに、解消した。

 コマンドを押すと、耳にイヤフォンをつけられたような圧迫感、通話開始。……小指と親指を立てて口と耳に当てれば、小声でも集音してくれて秘匿性は高まるが、ここにいるのは使い魔だけ。そこまで気を使う必要なはないだろう。

 相手からの挨拶も抜きにして、

 

「―――連絡くると思ってたよ、【コウイチ】」

 

 いきなり通信相手の名前を呼んだ。

 今オレに、この見計らったかのようなタイミングで通話をしてくる相手は、奴以外にはいないだろう。

 

『私もだよ、キリト。……連絡できるのは、もう少し後だと思っていた』

 

 通信相手/コウイチもまた、驚くことなくつなげてきた。……やっぱり奴だったか。

 

「ちょっとトラぶってね。予想していたより早く別れられた」

『蜻蛉君が、攫われたようだね』

 

 暗にカマをかけてみると、やっぱりだった。……こちらの状況はもう、把握しているらしい。

 いや……違うか。オレの性格/二人で作り出した『ビーター』の行動原理から、推察したのかもしれない。……どちらにしろ、現状説明は省ける。

 

「できれば、アンタと合流したいんだが……。今どこにいる?」

 

 もう到着して、喉元まで迫っているはず……。オレも奴の性格から推察して/期待も込めて、合流ポイントの相談をしようとした。

 しかし……帰ってきたのは、沈黙だった。

 その返答に驚く/虚をつかれた。……まさか、外した?

 自問すると、浮かんでくる答えに眉をひそめた。

 

「……おいおい、嘘だろ? 

 実の妹が危険なんだぞ。契約だの筋だのなんだのなんて、全部うっちゃらかせよ」

 

 アスナが攫われたのに/知っているはずなのに……。奴は、助け出そうと動いてない。

 それでも沈黙。……ソレが、答えのようなものかもしれない。

 しかし、信じたくないので、沸いてくるモノは抑えながら続けた。

 

「今回の『狩り』で、奴らは力を失う。ラフコフは大打撃を受ける。

 もう縛りは無いはずだろ? 『孤児院』に手を出してる余裕なんてないはず。ここで一気に殲滅すべきだ」

『だからこそ、私は動けない。……まだ首魁の『彼』が残っている』

 

 『彼』が何をするのかわからない……。それは、確かにそうだ。指摘されてはじめて、その危険に思い至れた。

 しかし/だからと言ってだ、納得しきれない。実の妹の危険を前に、大局を優先するのは認め難い。人として、あってはならないことだと思う。

 でも……オレは、そうしなければならない。

 自分勝手でありながら、最大効率で突っ走る/合理を貫く。ソレが『ビーター』だから、理屈で感情を抑え込む。……オレ以上にそうしているだろうコウイチが、オレの心の平衡をギリギリ保たせてくれる。

 

「それじゃ……今のアンタにできるのは何だ?」

『情報提供だ。10時の方向を見ろ―――』

 

 言われてすぐに見てみると、おかしなことにも気づき苦笑した。……そこまで、筒抜けになってるなんて。

 いったいどうやって情報を抜き取ってるのか、ぜひとも知りたいが……今は目の前のことに集中。指摘された方向に、目を凝らす。

 

『そこにある竹林の山道を抜けた先に、入口がある。そこの住民たちは知らない、秘密の地下の監獄へのね。アスナ達はそこで囚われているはずだ』

「……どうやって、そこまで知ったんだ? どうしてそこまで知りながら―――」

 

 アンタ自身で、助け出そうとしない―――。最後まで言わず、喉元でとめた。

 今は情報が先、非難は全てが終わってからだ。だと言うのに、我が事ながら苦笑してしまう。……どうにも、奴の前では愚痴がこぼれやすい。

 

『レッド達の動きを監視してくれてる人達からの情報だよ。あと、協力者からもね』

「!? ……潜入させてた、てことか?」

 

 あるいは、取り込んだのか……。呆れてしまう。相変わらず、なんて手腕だ。

 オレにもいちおう、使っているスパイはいるが、そこまで深くは探らせられていない。オレ一人で監視できる範囲、奴ら自身の安全保障を考えると、探れる内容は限られてくる。……ジョニーの懐までには、潜らせられなかった。

 

「……どうやって、奴らの懐まで潜入させたんだ?」

『ラフフとて一枚岩じゃない。真に殺しと盗みが好きな者はわずかだよ。足抜けしたい人間だっているのさ』

「こっちには、攻略組にはそんな話、されたことなかったぞ」

『止むにやまれぬ事情があって、奴らの一員になった。あるいは、いつの間にかそうなってしまった……では、君らは納得しないだろ? 罪滅しとして、前線で使い潰されるのも怖かったんだろう』

 

 ……確かに、十中八九そうなるだろう。

 事情はどうあれ、レッドの一員になった。ソレだけで『弱さ』だと断罪するのが、攻略組なのだから。償いは滅私奉公だけ。最前線のさらに前は、自滅必須の特攻以外にない。……体裁がいいだけ、処刑と同じだ。

 

「その協力者の名前と顔、教えてくれるか? 間違って切りたくない」

『今送った―――』

 

 言われてすぐ、メールの受信通知がきた。

 

 開いて確認してみると―――わかった。

 少し驚かされるも、すぐに納得できた。彼女なら、これまでの全てにつじつまが合う。……嫌な事実だけど。

 

「……孤児院の有力援助者の一人、てのは聞いていたが、まさかそういうわけだったのか?」

『協力者になったのは、その後のことだったよ。何度目か、院に立ち寄った際に、【マリエ】さんに自白した』

 

 そこから徐々に、協力者になった……。最後はぼかされたが、聞きたいことは聞けた。

 善人の面を保つため……と言ってしまえば、あまりにも穿ちすぎる。協力者になったということは、己のしてきたこととの釣り合いを取りたかったから、だろう。攻略組の厳しい空気、何より罪悪感とのせめぎあいの中で生き続けるには、息が続かなかった。……できれば、断罪などしたくない、立会いたくも。

 

『……警戒は、十分にしてくれ』

「わかってるよ」

『もう、君も実感しているように、ソコはかつてのそのフロアとは別物だ。似ているようで違う。油断すれば、足元をすくわれる』

「おいおい、誰に向かって言ってるんだ? 

 こちとら、ほぼ毎日最前線で戦ってるんだぞ。油断なんてするわけないし。そもそもココは、前線より格下なんだか……ら――― ッ!?」

 

 緊張で一気にこわばる。……言ったそばから、警戒網に何かが引っかかった。

 場所は背後の草むら、身を潜めてこちらを見ている。体格は……オレと同じぐらいだろうか。武装もおなじほどの身軽さ。

 

 気づいたことを悟らせないよう、強張りを解いていった。……背後から見ている以上、通話してる内容まではわからないはずだ。

 

「…………悪い、もう切るぞ」

『ああ、君の無事を祈ってる』

 

 コウイチも察してくれたのか、返答短く。

 アスナのこと、頼んだよ―――。最後にそう、聞こえたような気がした。……たぶん、オレの勝手な妄想だろう。

 

 

 

 

 

 コウイチとの通信を切り、メニューを閉じると……ひと呼吸。

 全身の力を抜くと、自然と片手をレッグポーチに重ね、中の投擲用ピックを一つ、指に引っ掛けた。

 

 そして、振り帰りざま、一気に―――投擲した。

 狙いは、隠れている草むら。ピックは一直線に飛んでいき―――入った。

 

「ウキッ!?」

「―――ひゃぁッ!?」

 

 突然の行動に驚いた使い魔に続き、小さな悲鳴が聞こえてきた。……男にしては少し高い声音。

 同時に、【隠蔽】も剥がされたのだろう。目視でも姿がはっきりと見える、腰を抜かして慌ててる様子が。……残念ながら、ピックは命中しなかったみたいだ。

 

 視認と同時に、踏み込む/跳んだ。跳びながら背中の愛剣を抜き出す。

 そして、草むらに入る寸前に、振り下ろした。

 追跡者の脳天を斬り下ろす、寸前―――ガキンッ、止まった/止められた。

 

 直後、遅れた剣風が草むらを吹き飛ばした。隠れ蓑が消え、追跡者の姿が露わになる。

 

 そこにいたのは、恐怖と驚きを戦意で押し殺した、女性の姿。救出隊に参加した/レッド達の誘拐から唯一助かったKobのメンバーの一人、オドオドと弱気で目立たなそうにしていた少女だった。

 そんな彼女が/恐慌からすぐに覚め、オレの奇襲の一閃をギリギリ、目と鼻の先で止めていた。腰元から抜いたであろう、特殊な形の短刀で、その峰の部分の鋸歯に絡めさせながらしっかりと固定していた。

 

 ソードブレイカー___。

 武器を絡めとり、あわよくば破壊するための武器、攻撃力よりも頑丈さに重きを置いた、盾としての武器でもある。

 彼女が今使っているのも、その一種だ。形状はまだ短刀を保っているので、武器破壊は難しい、つばぜり合いからの切り返しを防ぐだけだだろう。

 ゆえに、次の一手の推測。彼女が行うだろう反撃が、読み取れた。

 

 なんとか受けきったオレの振り下ろし、唯一のその武器は絡め取った。

 ゆえに―――捻った。受け止めながら横に回転。ぶつけた愛剣を通して、オレの体勢を崩そうとした。

 しかし寸前、オレは愛剣から手を離していた。捻らるがままに、愛剣はその場で回転させられる。―――驚愕と目を丸くしたのが見えた。

 

 同時に、オレ自身もその場で回転、ただし片足を軸に。彼女の捻りを利用しての半回転。

 その遠心力を、最大円周の片手に乗せて―――ぶつけた。

 呆然としていた彼女の頬に、裏拳を叩き込んだ。

 

 ガくんと、意識が体から外れるのを感じた―――その瞬間、地面に叩き飛ばされていた自分に追いついた。

 しばらく地面に擦られた彼女はそのまま、止まった後……昏倒した。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

「―――何のようだ? なぜオレをつけた?」

 

 両手を拘束/縛り上げ、刃も喉元に突きつけたまま、静かに詰問した。

 

 目覚めたばかりの彼女は、現状についてこれてない様にアワアワと、答えられずに固まったままでいた。……この期に及んで。

 

「エイジたちの指示か? 『裏切り者』のオレを、消しに来たとでも?」

 

 凄味に殺気を混じらせると……ビクンっ、彼女は弾かれたようにブンブン、顔をふった。

 

「ち、違います!? 違いますッ!

 隊長達は関係ないです。これは私の独断で、キリトさんを追いかけてきただけなんです!?」

「そいつは、ここで潜伏してた理由にはならないな」

「そ、それは、その……。

 ……どう、声をかければいいのか、わからなくて。キリトさんも、誰かとお話してたみたいですので、そのぉ……」

 

 話しかけるタイミングを見計らってた……。肩透かしさせる、もっともな誤解だ。今の彼女のおどつきを加えれば、完璧だ。

 しかし、警戒は緩めず。さらに刃を首筋に近づけながら、酷薄そうな笑みを浮かべると―――

 

「―――【フィリア】。アンタのことはもう、調べがついている。

 嫉妬ていうは、自分じゃどうしようもないよな。相手があのアスナなら、尚更だ」

 

 ギクリ―――。彼女の/フィリアの顔が強ばった。

 それでもギリギリ、表面に出てくるまでは押さえ込んで見せたが、その目は隠しきれなかった。先の攻防でみせた、鋭くも冷たい殺意が露わに、オレに向けられている。……予想通り、最悪だった。

 

「…………何を、言ってるんですか?」

「なぁに、くだらない事さ―――」

 

 一言、そう吐き捨てると―――ブンッ、一閃した。

 振り抜いた剣は、彼女の肩を浅く切り裂いた。そして……パラり、手甲と服が斬り落ち、肌が露わになる。

 装甲の継ぎ目だけを狙って損傷を与える、手の込んだ準ハラスメント行為。だが、もちろん別の目的。その白い肌に刻まれているモノを、白日に晒すため―――

 

 ―――棺桶の上で笑う骸骨/【ラフィンコフィン】のギルドマークを、露にするためだ。

 

 

 

 ソレが理由だ―――。

 暗に告げるとフィリアは、すぐにソレを手で覆い隠した。そして、殺意から一転、怯えたようにオレから顔を逸らし……俯いた。

 まるでソレを、恥じ入っているかのように。強く、引きちぎらんばかりに握り締めながら、腹の奥底の何かに耐え続けていた。

 

 胸の内で、大きくため息をついた。……何で最悪なことは、すぐに実現してしまうんだろう。そんなに悪いことしたのかな?

 どこかで眺めてるだろう神様に悪態をつきながら、受け入れる。仕方がない/もう慣れた、すべきことをするまでだ。

 ゆえに今度は……フッと、小さく嘲笑を向けた。

 

「仲間の前じゃ、哀れな被害者ぶっていたがな、そいつが証拠だよ。

 アンタは悪魔に魂を売った。たった一人の男のため、下らない嫉妬のため、信頼してくれていた仲間を売った―――」

「ち、違う!? そんなつもりじゃなかったのッ! こんなことになるなんて―――」

「それじゃ、どうなると思ってたんだ?」

 

 弁明を切り捨て、断罪した。……オレにそんな権利はないだろうが、ここにはオレしかいない。あまりにも、間が悪いことに。

 フィリアはまた、何かを言い募ろうとしたが……言えず/飲み込んだ。奥歯をギリリと噛み締めている、自制の効いた強い女性。ただ、ワナワナと震え青ざめながら、今にも泣き出しそうにもなっていた、偽装通りのか弱い少女。

 二つの相反する顔、どちらが本当の彼女なのか……。どちらも、彼女/フィリアなのだろう。

 

 そんな彼女の様子に、同情しそうになったが……息を整えた。引き締め直すと、

 

「―――もう一度だけ聞くぞ。なぜ、オレの後をつけてきた?」

 

 今一度、鋒を差し向けた。今度は間違いなく、その心臓を刺す覚悟で、冷たく静かに……。コレが、今のオレとお前との関係だ、と。

 ゴクリと、息が飲まれた。

 十二分に伝わってくれたのだろう。目を泳がせながら/逡巡しながらも、絞り出した。

 

「…………あなたに、ついて行ったほうが、助けられる可能性が高いと思ったから。あの人を」

 

 迷いながら/囁きにも似た小ささながらも、強く/確かに、オレを見返しながら答えた。

 他の仲間はどうでもいいのかよ……。彼女の身勝手ぶりを非難しようとしたが、やめた。それはオレの知ったことではないし、おそらく、帰ってくるだろう答え/本心にウンザリするだけだろう。……オレは、カウンセラーでも神父でもない。

 ただ、だからこそ信じられた。……彼女には、オレについてくるだけの理由があった、頭ではなく心に響く理由。

 しかし/だからこそ、言わなければならない。……オレは、正義の味方でも青色の騎士でもない。

 

「……もう殺されてると思うぞ。奴らなら、ジョニーならそうするだろうな、()()()()()()()さ」

 

 皮肉など込めず淡々と、告げた。……たぶん、最も酷い言い方。

 証拠はないがおそらく、高い確率で起こる事実/未来だ。オレが奴ならきっと、そうしてあげることだろう、彼女と交わした契約を遵守するために。

 

 絶句―――。

 ソレは彼女もまた、恐れ続けてきたことゆえ、だったのだろう。血の気が一気に失せていた。

 そしてガクリ……と、その場にヘタリ混んでしまった。ワナワナと、地面に俯く。その瞳からハラハラと、涙がこぼれ出てきていた。

 

 絶望しきってしまったその様子に、剣は下ろした。……もう必要ないだろう。

 何度か見かけたことがある、心折れたプレイヤーの有様だ。彼女はもはや、味方でも敵でもない。ただ、そこにいるだけだ、悲しげな音色を響かせるオルゴールと同じ。

 

 

 

 背を向け、そのまま立ち去ろうとした。

 もう彼女には用がない。ここまで心折った以上、追いかけてくることもないだろう。事が終わるまでただ、ここで嘆いていればいいだけだ。他に誰もいないココなら、誰の迷惑にもならない。そもそも、オレの邪魔にならなければソレでいい―――

 余分は切り捨て、目的に切り替えた。今必要なのはソレだけ、コレが正しい行い……だが、大きくため息をついていた。

 

(……我ながら、まだまだ甘いな)

 

 いつになっても煮えきれない。ここまで来てしまった/追い払ったのに、まだ求めてる。

 

 胸の内で苦笑すると、もう一度振り返った。

 

「―――まだ、そうと決まったわけじゃない。オレがそう考えているだけだ。

 それでもいいなら、自分の目で確認するといいさ」

 

 付いてきたいなら、止めはしない……。慰めにはならないが、選択肢が/行動できるだけましだろう。

 声をかけたことで、顔を上げてくれたフィリアに、続けて、

 

「ジョニーの奴も、ギリギリまで待つのかもしれない。アンタの目の前で()()()()()()()楽しみが、残っているからな」

 

 彼を過去形にしてしまうのは、まだ、いつでもできることだから……。嘘にはならないギリギリの推察。今の彼女に必要な『希望』だろう。

 その予想通りパッと、顔を上げた。瞳にも光が灯る。

 乱暴に涙を拭い取ると、

 

「……はい。それでも……お願いします」

 

 その返事を、無表情に受け止めると……一閃、手の拘束を切り捨てた。

 拘束していた手縄が、外れた。

 

 そして、手放してしまっていた彼女の武器/短刀型ソードブレイカーをボトリ、足元に落とした。

 解放するだけでなく、武器まで渡す。その行為に目を丸くされるも、オレの意図は伝わったのだろう。

 ソレを拾い上げようとした―――寸前、ぼそりと、

 

「―――きっとアンタは、今日どこぞかの場所で、野垂れ死ぬだろうな。ここが、そうならないための最後の分かれ道だと思う」

 

 ささやいた死の宣告に、武器に触れたその手がぴくり……怯んだ。

 最悪な未来予測、おそらくは決定事項。彼女が彼女である限り、ここから先は奈落の底だ。……人によっては、天国に見えるかもしれないが。

 わざとタイミングを合わせて吹き込んだのは、結局同じだったから。オレは攻略組の権化で、彼女に指し示せれるのは一つだけしかない。―――体裁は良いだけの、死刑だけだったから。

 

 言わず含ませもせず、無機質に冷たく。

 しかし―――しかと、そんなオレを見返してくると、

 

「……今の私は、どちらでもないわ。生きてるわけでも、死んでるわけでもない、目をつぶり続けてきただけの愚か者。そんなもの……NPC達と、なにも変わらないから」

 

 そう言い返すとすぐに、「……いいえ、モンスターだったわね」と自嘲をもらした。

 その返事に/後ろ向きながらもの覚悟には、オレの方が言葉を失った。……なんとも、重たいものを背負わせてくる。

 

 だからオレは、一人が良かったんだ―――。

 すぐに背を向けると、舌打ちをひとつ、ツカツカと先をいった。……吐き捨てようとした何かに、追いつかれないように。

 そんなオレの後を彼女は、静かに従っていく。

 

 

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66階層/サイパン 破竹の射手

 

 フィリアをつれて、くだんの竹林へ―――

 

 無言で進む。顔も見ないように、先導する形。

 裏切り者の彼女から情報を聞き出し、案内役をさせるのがセオリーだろう。しかし、一切合切聞かない/いない者のように無視。そしてソレは、フィリアも同じく、ただ黙って付き従うのみ。

 使い魔にした元猿兵が、ちらちら。時折ちゃんとオレたちがついてきているか目配せしながら、進み続ける。……まるでリーダーのように。

 猿に従っている攻略組プレイヤー二人。別に彼に案内してもらっているつもりはないが、そんな隊列になってしまっていた。

 

 サラサラと、風に揺れる梢の音色。木漏れ日がチラチラきらめき、日差しを散らしていく。奥に進むごとに、消沈と静かに、光も薄れ影のできない薄クモリへと変わっていった。

 ここは、山に建てられた寺の参道に似ていた。人工的なはずなのに、人の匂いを感じさせない。自然と調和しているのに、生命の躍動を感じさせない。息苦しくなるほど/肌に張り付くほどの湿気がない。悟りの境地とやらを、体現させたものなのだろう。

 だから、なのだろう。

 ここはとても……居心地が悪い。

 急き立てなければならない頭が/心が、無理やり鎮められる不快さ。調子が狂う。……今は、悟っている場合じゃない。狂うことを恐れず、突っ走らなければならないのに。

 

 

 

「―――ねぇ、私はこれから……どうすればいい?」

 

 漠然と/遠慮ぶかげにか、フィリアが問いかけてきた。

 

 少し背後に意識を向けるも、無視。

 ムッとされると、続けてきた。

 

「私も一応、戦える、そのつもりでここにいる。足でまといにはならないわ」

 

 だから……。含ませた続きに、言いたいことはおおよそ察せられた。

 

 でもやはり、無視。視線も向けない。

 なのでかキッ、と眉をひそめられた。なにか吐きつけようとしたが―――こらえた。無理やり落ち着かせる。

 

「……私のこと、まだ信用していない、てことね。

 当然といえば当然だけど、ソレじゃ互いの目的を果たせないわよ? 陣形やら敵の奇襲への対処やら、今できることはすべきだと思うけど?」

「なら、黙ってろ。自分の身は自分で守れ」

 

 簡潔にはっきりと、告げた。これからの行動指針を。

 

 普通なら、彼女の言うことが正しいだろう。一人より二人、背中を任せあったほうが生き残る確率はグッと上がる。元レッドプレイヤーの彼女からなら、より詳しい敵の内情もわかる、そこから対策を練ることも。

 だけど今、ソレは逆効果だ。

 オレが彼女を信用することは、ない。彼女もまた、できない。この短期間で、背中を預ける信頼など築きようもない。なら、話し合いなど無意味だ。

 それにもし、話し合いをするとしたのなら、オレはたぶん……口にしたくないことを強制する。結末を予想できてしまった。

 

 無碍な返答に彼女は、肩をいからせるも―――大きく、ため息をこぼした。

 そして、何かを諦めたかのように、一方的に明かしてきた。

 

「……私の主武装は、あなたも知ってると思うけど、鞭よ。中距離を保ちつつ、かく乱しながら削っていく。こっちがミスしたり無理に踏み込んできた敵には、こっちのサブ、ソードブレイカーを使って防御―――」

 

 それでも、相変わらず知らんぷりを続けるオレに構わず、続けた。

 

「―――でも本業は、【体術】よ。ダメージ覚悟で接近して、間合いの内側に潜り込んだと思った相手に、一発かます。

 鞭での攻撃は、相手の行動を誘導するための罠。この特徴的な短剣も、その一つ。周りが敵だらけになって、冷静さを欠いてくれば、目に見える記号的な敵意にしか注意がいかなくなるの―――」

 

 だから、【体術】が生きてくる……。初耳な情報だが、予想はしていた。

 鞭と短剣。奇抜な組み合わせなれど、使いこなせれば中々にハマる戦術。しかし、それだけでは攻略組には一歩足りない、まして【血盟騎士団(Kob)】ともなれば二軍でも怪しい。必ず、何らかの奥の手があることは、予想して然るべきこと。ソレが、超接近戦用/忌避されやすいも効果的な【体術】だとも、導くのは容易い。

 

「―――鞭の武器としての本質は、囲い込みと拘束にあるわ。めたらやたら暴れる軌道と、パチパチ打ち据える痛そうな破裂音が、その本質をごまかしてくれる。……こんな種明かしをしても、すぐに対応できた人はいなかった」

 

 本能的な、人ととしての恐怖に根ざした攻撃法……。つまり、バレても問題ない。明らかにしたフリをしながら、何も喋っていないと同じ。

 

「だから、私もあなたと同じ、ソロプレイがベスト。だから、私のギルドでの活用法は、戦運の挽回や撤退戦での殿。相手が先手を打ってくれることが、勝利条件の一つだから」

 

 そこだけは、オレとは真逆だ……。オレの場合は、先の先こそ重要。予想はできたとしても、後手に回れるだけの守りと余裕が薄い。

 爆弾……。おそらくソレが、オレの戦術を表す端的な言葉。敵陣に一人、投げ入れてこそ効果的、できれば気づかれる前に。

 

「……それともう一つ、切り札があるわ。ラフコフの一員に、このギルドマークの入れ墨を刻まれてから、できるようになった。

 対プレイヤー用で、通常のモンスターたちには、発動そのものが難しいけど――― !?」

 

 話の途中、片手を上げて、中断させた。

 オレの気配が変わったのも察して、口を閉じると、そっと指し示した先に目を向ける。……前、オレが睨みつけている彼方、これから進む道の先。

 注意を向ける/【索敵】を高めた。

 

 するとそこには―――、一匹の大猿が、直立していた。

 黒々とした毛もくじゃらの巨体を、中華風の鎧で覆っている。太く黒い竹でできた長槍を持ちズンっと、待ち構えていた。

 まるで門番のように、ここから先は通さないとの厳つい表情/不動の構え。

 

 互いに確認すると、再び歩を進めた。……気づいたことを気づかせないよう、自然と。

 大猿門番はまだ、こちらに気づいてはいない様。だが、奇襲するには地の利がない。

 何より、この竹林に入ってからというもの、見えない敵意を向けられ続けていた。笹の揺れる涼やかな音色と洗浄されたような静かな空気が、警戒心を鈍らせる/その位置を悟らせない。……気づけば、圏外では常時発動状態の【索敵】の一部が、無効化状態にもなっていた。

 いわば、警戒できない危険。感覚鈍麻/隠匿の結界だ。……ここは敵陣真っ只中だと、痛感させてくれる。

 ゆえに、はじめての目に見える敵、向こうから姿を現している。ゲリラ戦を仕掛けられないでいる何かが、そこにあるのだろう。

 だったら―――行くしかない。

 

 フィリアも静かに、臨戦態勢を整えながら、オレの後ろで。

 ともに備えるだけ/何もせず、接近していくと―――ついに大猿兵も、こちらに気づいた。視線が合う。

 すると―――ガンッ、地面に槍の石づきを叩いた。

 

「ここより先は、総督閣下の私有地。何びとだろうが入る事ならずッ!

 即刻立ち去るでござる!!」

 

 威嚇混じりの警告。腹にまでビリビリくる大音声。フィリアが後ろで……ジリ、後ろ足を強張らせた。

 オレは立ち止まったまま、大猿兵の対応をみて……小さくホッと、安堵をこぼした。

 

 ―――これならもう、躊躇う必要はない。

 

 無視して歩を進めながら、自然と背中の愛剣を、掴んだ。

 

「……押し通るつもりならば、容赦はしない。振り払うのみでござる」

 

 適当な距離に達すると、重心を落とし弛緩、膝を軽く曲げていく―――

 

「三度目は無いでござる。

 命が惜しくば、そのまま立ち去った方が身の為でござ……て――― ッ!?」

 

 ―――直後、ソードスキルを発動した。

 遠距離一気に詰められる突撃技【レイジスパイク】___。

 

 亜音速の踏み込み、一足飛びで大猿兵の眼前に迫った。……敵は仰天してるだけの無防備。

 ヤれる、このまま―――。そのまま上段振り下ろし、相手を縦に割る勢いの斬撃を放った。

 

(初撃の奇襲だ。もらった――― ッ!?)

 

 ―――突然、大猿兵がバックステップ。ギリギリで躱された。

 

 ……いや、違う。引っ張られた。

 驚きの表情のまま、眼前を通り過ぎた斬撃に青ざめているのが見えた。そしてそのまま―――中空へと引っ張り上げられていった。

 もうこちらの手が届かないほど。鬱蒼と茂っている、笹の暗がりの中へと見えなくなっていく―――……。

 

 

 

 奇襲失敗。おもわずチッ、舌打ちが出てしまった。

 判断ミスだ。ソードスキルでなければ/硬直を課せられなければ、続くピックの投擲で撃ち落とせたかもしれなかった。もう少し接近してから通常攻撃で切りかかっていれば、仕留められた。

 

 すぐさま切り替える/戦闘の大事な心得。全方位へ警戒、【索敵】による見えない観測網を撒いた。

 これでもう、戦いの火蓋は切って落とされた。少しでも敵集団の情報を集めなければ―――

 すると一つ、微かな風切り音を捉えた。

 

 投擲攻撃!? ―――

 音の大きさから小さい凶器、攻撃よりも威嚇用だろう。オレたちのレベルや装備なら、嫌がらせにしかならない。

 しかし……上空からだ。落下させるのなら、投剣以上の投槍カテゴリの凶器でも、音はごまかせる。……無視するには危険すぎる。

 狙いは、オレの頭上……ではなかった。もっと後ろ。そこにいるのは―――

 

 瞬時、身を翻した。

 同時に、ピックをつまみ出すと―――投げた。

 

 落下の軌道を読んでの相殺……では、流石にない。残念ながらオレの【投剣】は、そこまで極まっていない。それにそもそも、精密射撃など許されてない現状だ。

 なので狙いは、衝突予定地。―――フィリアだ。

 叫ぶでは遅すぎる。パーティーは組んでないので、フレンドリファイアができてしまうが、仕方がない。彼女の生存本能/今日まで培ってきた反射に、賭ける―――

 

 その賭けには―――勝った。

 突然のオレからの攻撃にフィリアは、驚きながらも反応、緊急回避してくれた。

 

 すると直後、彼女がいた場所に、先ほどの異音の元凶が落下した。地面に深々と―――突き刺さった。

 そして、ペエェェぇ―――。奇妙な音色を鳴らしながら、左右に微震し……静まった。

 

 

 

 落下してきたのは、オレの身の丈ほどの竹槍だった。

 さきほど、門番として待ち構えていた大猿兵が持っていた長槍とは、違う。太く頑丈そうで、色も若干黒かった。こちらはいわば、当適用の短槍/若い青竹といったところだろう。……オレぐらいの体格からすれば、長槍の部類だけど。

 

『―――こちらの忠告を無視して、いきなり斬りつけてこようとは……。やはりお前たちは、無毛種(ケムト)ではない、悪魔(ガラン)だったな』

 

 何処からともなく、重低音な声が響き渡った。先の門番とは違う声音。

 すかさず、【索敵】で音源を特定しようとすると―――「ガランッ! ガランッ! ガランッ! ガランッ! ―――」。複数の声が唱和しだした。同時にカンカンカンと、硬い何かを打ち鳴らしあった打音、鹿威しに似ている。

 おもわず顔をしかめた。鋭敏にした耳に/脳髄に、怨嗟のような声/音が突き刺さってきたことしかり。ソレが竹林にも共鳴して、どの声の音源もたどれなくなった。

 

 また、後手になるしかないのか……。次の手に思考を巡らせていると、フィリアが近づいてきた。

 傍まで来ると、臨戦態勢を整え直すと、

 

「―――ありがとう、て言うべきかしら?」

 

 何で助けてくれたの? ……体が勝手に動いた、としか言いようがないので、黙ったまま。

 

『生かしたまま捕えろ、との勅命を受けたが……貴様らは危険だ、危険すぎる。ここで始末させてもらう』

 

 静かな低音/冷たい殺気。

 再び声を出してくれたが……まだ耳がおかしくなっていた。上手く位置を特定できない。

 

 ……仕方がない。ここは強引に―――

 

『―――我が名は【蜘蛛猿衆の長・ヒエン】、樹楽街(サイパン)の西の守護者、四神将が一人。

 貴様らガランを討ち滅ぼす者の名だ。とく、その穢れた魂に刻み……消え失せろッ!』

 

 ―――攻める!

 敵の名乗り上げと同時に、跳び出した。……背後で、驚いた表情を浮かべているフィリアが見えたが、気にしてられない。

 

 向かった先は、傍に密集している竹林。

 片手剣である愛剣を両手持ちに、強く握り締めると、全身が光に包まれた。

 

 ソードスキル発動、片手剣重斬撃【グランスラント】___。

 さらなる加速/力の収束。無言の雄叫びとともに、竹林へ―――横薙ぎを放った。

 

 横一閃―――。振り抜いた斬撃は、倍ほどに延長し、扇状に広がった。通り過ぎていった竹たちを、輪切りにしながら。

 振り抜き残心。ソードスキルの斬光も霧散すると……ガラララッ、斬った竹たちが音を立てながら倒れていった。

 

 居場所が特定できなければ、その居場所ごと叩き斬るのみ―――。強引かつ面倒な攻め方だが、効果は確実。樹上にいるだろう敵は、徐々に安全な足場を失い、地上に降りてくるしかなくなる。……そこを叩けばいい。

 贅沢を言えば、爆弾かナパーム弾でもあればよかった。手っ取り早く丸坊主にし、なおかつ炎熱と煙で焼き出せる。爆弾は、似せたアイテムが既に制作されてるも、ナパームはまだ見たことがない。……今度コペルに、作れるか提案してみてもいいかもしれない。

 

 倒れた竹たちは、他の無事な竹に支えられて、横倒しになるまでに至らず。そして……残念ながら、その竹の上には、敵影はなかった。

 だけど、別にかまわない。落ちてくるまで、伐採するのみだ。

 加えて、幸いなことに、先の斬った感触で把握できた。ソードスキルを使わずとも/片手でも、一撃で切り落とせる硬度だと。

 硬直が解け、次の伐採のため愛剣に力を込めた。

 

 すると―――鋭い擦過音。

 先にも聞こえた音、空気を突き裂く微かな音、上空からの殺意。それも一つではなく、複数。……全てオレに向かっている。

 遠間から、フィリアの叫ぶ声が聞こえた。うまく聞き取れなかったが、おそらく「避けてッ!」だ。

 ギリギリ間に合う/ちゃんと知覚もしてる、緊急回避は可能。未知数の攻撃は避けるが常道だ。それもほぼソロ攻略、援軍は見込めない。ここは通過点でしかないとすれば、なおさらだ。

 でも/だからこそ―――避けなかった。無視して伐採を優先した。

 

 その結果―――グサグサグサッ、グサッ!

 体中に、竹槍が刺さった。……体表ほぼ一部の隙間もなく、竹の剣山になった。

 直後、鋭い激痛が全身を走り抜け、脳髄へと収束。頭の中が一気に燃え上がった。

 しかし……案の定、耐えられる痛みだった。目をひん剥き奥歯を噛み締めれば、飲み込める。

 

 この程度では、ショック死などしない。プレイヤー全員に与えられたゲームシステムの恩恵/【ペインアブソーバー】の力だ。現実なら三度はショック死していただろうコレも、タンスの角に小指をぶつけた程度に緩和されている。……コレが、この仮想世界での『死に至る激痛』の実感。

 大事なのは、視界の端に表示されてるモノ/HPバーの減衰値だ。

 条件反射的に見てみると……ホッと一息。こちらも予測の範囲内だ。

 半減域/イエローにすらなっていない、全体の2割強程度の減衰で収まっていた。……無防備の直撃でコレなら、ほぼ脅威にはならない。

 痛みを噛み砕きながら、そのまま、竹を伐採した。

 

 再び竹林の伐採に成功すると、そのまま/剣山のまま、次の伐採を続けた。愛剣を横薙ぐ―――。

 樹上から、戦慄の臭いが噴出してきた。……敵たちの動揺が伝わって来る。

 次の伐採を成功させた時、竹の雨は降ってこなかった。

 代わりに、倒れる竹の樹上から慌てて、逃れ飛び移る敵影を捉えた。―――すかさず、ピックをつまみ出すと、予想した着地点に投擲した。

 

「ギィッ!?」

 

 投げたピックは、敵の悲鳴を叩き出した。

 その直後、一匹の猿が竹から落ちてきた。……門番の大猿兵と同じく、独特な中華風の防具に身を包んだが、小柄な猿兵。

 受身も取れず、背中から地面に落下すると、声にもならない悲鳴/その場で悶えた。

 しかし……訓練していたのだろう。激痛だろう痛みをこらえると、すぐにその場から離脱しようと身を起こした。

 

 させずとさらに、ピックを取り出し打ちつけようとすると―――パチンッ、蛇のように飛んできた鞭が叩き込まれた。

 目の端で捉えた、フィリアの攻撃。こちらの意図を読み取ってか、追撃を代行した。

 横手から鞭の直撃を受けた猿兵は、先の落下ダメージに加え、一気にHPが0になった。

 打ち据え吹っ飛ばされた先、転がり止まった先で猿兵は、ピクピクと蠕動し……動かなくなった。

 

 さらなる戦慄、恐怖の猛臭。笹鳴りとは違うざわめきが鳴り響く。……樹上から、恐慌が聴こえてきた。

 ソレは、竹林の隠匿結界の許容量を越えた異音。ゆえに、もはや【隠蔽】ははがされた。隠された姿を露わにしていく―――。発動させていた【索敵】が、敵たちの位置と姿まで捉えた。

 

 瞬時に、愛剣を地面に突き刺した。両手でつまめるだけのピック/6本を取り出すと、胸の前で交差させ、構えた。

 直後、全身が光に包まれた―――。

 ソードスキル発動。投剣範囲攻撃【ニードルウェーブ】___。

 そのまま溜めた両手を、開放。扇を開くようにピックを、樹上へ振り撒いた―――

 

「「ギィェッ!?」」

「「ギイィッ!?」」

 

 複数の猿たちの悲鳴が絞り出されると、落下してきた。……その数4体。

 

 2本外したか……。精密射撃ではない範囲射撃、くわえてまだ【投剣】マスターではない。上々の結果だろう。

 それに―――大物は釣れた。

 落下してきた猿兵の中、他とは一回りは大きな個体。先の門番と同等の体格、ただし黒々とした中に金糸が混じった艶やかな毛並みに、幾分か重厚感のある装備類。―――奴がボス猿、【ヒエン】だろう。

 ひときわ大きな落下音、なれど―――クルリと、中空で身を翻すとなんとか四足で着地。他の三体は先の猿兵と同じく、背中から落ち、痛みに悶えていた。

 

 落下ダメージ/ソードスキルによる硬直時間。

 双方、ほぼ同時に解けると―――瞬時に動いた。

 

 ボス猿は、側方へと大きく跳んだ。四足全てをバネに使った、人間ではありえない跳躍力/横スライド。一気に、まだ立っている竹に飛び移ろうとした。

 態勢を整える、逃げの一手。また樹上へ戻るつもりだろう。

 ゆえに―――竹槍を一本、抜き出した。

 串刺しのままにしていた一本。もう警戒されている、手持ちのピックでは間に合わない/耐え抜かれてしまう。ゆえに竹槍。おおきく振りかぶって投げ槍の構えを取った。……前線では使えない/ほんの手慰み程度だが、【投槍】を鍛えておいて良かった。

 全身が光に包まれた。同時に、傷口から噴出した鮮血のライトエフェクトが混ざり、奇妙な色彩の光靄に包まれた

 ソードスキル発動、投槍単発攻撃【シングルシュート】___。

 ブゥンッ―――。鈍い擦過音とともに、オレの鮮血がコベリ付いた竹槍を、射出した。

 

 

 

 ―――ソレはまるで、赤い稲妻のようだった。

 

 

 

 地面を走る雷電。

 予想外だった……。自分でも驚くほど、手から離れた竹槍は瞬速に、片手剣の重攻撃もかくやと思える威力がこもった、一射になった。

 なので不思議にも、必中を確信した。

 

 ボス猿がいきなり/予想着地地点寸前、まるでこちらの追撃を読んでいたかのよう、急ブレーキをかけて静止した、にも関わらず。その読み以前に、急な行動キャンセルを起こせる技術/システム外スキル【急制動(ストップ&ゴー)】を、プレイヤー以外が使えた驚愕事実にも関わらず。オレの投げた竹槍は、ソレすら見越したように、飛ぶはずの()()()()()()

 まるで、予め決められていたかの様に。ボス猿の胸へ、引き寄せられるようにして/運動法則を捻じ曲げながら―――穿ち抜いた。

 

 投げた竹槍は、ボス猿を射抜くとそのまま、押し飛ばしていった。

 並立つ細竹をバキバキ、押し砕きながら、勢いを殺していき―――奥に鎮座してた巨岩に、縫い付けた。

 直後、衝突の轟音とともに、ボス猿の口から血泡が吐き出された。

 

  

 

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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66階層/サイパン 隷属の印

 

 

 

 串刺しになっていた竹槍をスブリスブリ―――カランコロン、抜き落とし/捨てながら、岩に縫い付けたヒエンの元へ行った。

 

 致命的なダメージは入れたが、まだ死んではいないはず。

 焦点をあててHPバーを確認しても、なんとか生きているのがわかった。……奴から色々と、尋問できるだろう。

 ポタポタと、鮮血が地面にまで垂れ落ちていくも、構わず歩いた。

 《貫通ダメージ》を取り去っても、傷口を塞がなければHPは減り続ける。今すぐにも治療すべきだが、あえてやらず放置した。……この程度なら【バトルヒーリング】で相殺できるだろう。HPにも余裕はある。

 それに―――

 

「―――あ、兄者ぁーーーッ!?」

 

 上空の笹茂みから、大猿の動揺の悲鳴。

 ほんの少し、意識だけ向けるとソレは……他の猿兵とは違う、一番先に見た門番だった。

 隠れていた場所から迫り出し、今にも飛び出そうとするのを、部下だろう猿兵に止められていた。

 居場所は割れた、指揮官だろう敵は倒した。逆転の目は潰した。もはや彼らは、脅威ではない。―――あとはトドメだけ、戦意を踏み砕くだけだ。

 ヒエンの元にたどり着いた。

 

 串刺しにされた大猿/ヒエンは、荒く苦しそうに、生死の境を彷徨っていた。

 刺さった竹槍を抜こうとするも、瞬間、激痛が脳髄を焼く。腕から力を奪った。それがまた、激痛を継続させる。胸を貫いたので、呼吸も難しくなっているはず。噴き漏れた大量の血が肺を汚染する。……ますます脱出は困難になっていた。

 色が混濁している瞳、焦点も合わせられていない。とめどなく流れ溢れる血のせいで、顔は青さを越えて漂白されていた。声にもならない苦悶を上げ続けている。……まさに虫の息、ほんの少し触るだけで、消えてしまう瀬戸際だ。

 一瞥してソレを確認すると、ポーチから一つ、アイテムを取り出した。半透明な液体が詰まった小瓶。

 

 《改復ポーション》___。プレイヤーメイドの回復ポーション、【回復結晶】に次ぐだろう回復量/回復速度の優れもの。かつては、値がはり大量生産もできなかったが、今では改善された。攻略組以外でも愛用されるほどの必需アイテム。

 指だけで蓋を―――ピンッ、開け捨てると、中身をそのまま……ヒエンにかけた、頭からドボドぼと―――

 ポーションをかけられると、すぐさま、真っ赤だったHPバーが黄色になった。僅かだったHPが急速に回復していく。同時に、死に際だった顔色にも赤味が戻っていった。

 しかし―――

 

「い……イギャアアァァアアァァーーーーッ!」

 

 ヒエンの口から、苦悶の絶叫が放たれた。

 

 コレは、治療のためじゃない。

 これから行う事のため。死なない程度に生きていてもらうための応急処置、瀬戸際の無痛の微睡みから叩き起すための呼び水だ。

 ヒエンの絶叫が竹林中に響き渡る。

 

 無視して、HPバーを確認した―――

 ポーションによって急速に回復し、レッドゾーンからイエローゾーンへと戻っていった。しかし、まだ竹槍は貫通状態、おまけに【出血】もある。回復量はすぐさま継続ダメージと拮抗し、また……減少し始めた。

 なので再び、ポーションを取り出した。

 しかし、浴びせることは無し、蓋を取りいつでもかけられる準備だけ。……意識を取り戻したヒエンの様子を、注意深く観察した。

 目から混濁は消えていた、取り戻せたハッキリとした色彩。焦点も現実に戻り、現状を映し/認識した。そして、オレの姿を目前に捉えると―――怒りと恐怖。現状は最悪だとの理解が、息を詰まらせたその顔から噴き出されていた。

 そして/ゆえにか、吹き出す全ての感情を喉元で抑え込み―――覚悟。死の絶望を越える何かを秘めた決意が、その顔/全身からもにじみ出てくる。

 

 ―――ソレはかつて、何度も見せつけられた光景だった。

 

 オレを/オレ達プレイヤーをここまで導いた、道しるべ。金よりも力よりも命よりも、尊いものがあると教えてくれた、刹那にして永遠の輝き。

 なぜ戦うのか/戦わなければならないのか? この鋼鉄の城を、駆け上がり続けなければならないのか? ……その答え/原点でもある。

 そして今、オレを、ここに立たせている、原動力/元兇だ。

 

 ゆえに/直後、オレは行動していた。

 重心を落とし拳を腰だめに構える、呼気を鎮めると―――全身が光に包まれた。

 

 ソードスキル発動、体術単発打撃技【崩撃】___。

 ゼロ距離から/全身の捻転力を集約した拳の一撃。カウンターや追撃としてよく使う技の一つだが、普通に使っても充分威力がある優れもの。レベルや体格が一回り低い相手なら、吹き飛ばして距離を引き離すこともできる。

 ソレを、ヒエンの口に向けて―――放った。……正確には、今まさに噛み合わせられようとしている、奥歯まで。

 

「ガバァ――― ッ!?」

 

 システムの強化を受けた拳は、剥き出された奴の前歯を砕き、上あごを押し上げ―――()()()()()()が押されるのを、阻止した。

 

 欠けた犬歯に腕の皮膚を切れ、血が滴る。反射なのか最後の抵抗のなのか、噛み付かれてもいた。

 構わずそのまま、生ぬるい口内、まさぐりながら探すと―――見つかった。

 自爆スイッチ___。思っていたとおり、奥歯に仕込まれていた。摘んで引き抜き……ガギィッ、砕いた。

 

 くぐもった呻き。口内で起こった違和感を察したのだろう、焦りを滲み出しながらオレを睨みつけてきた。

 ソレにも構わず/無言の応答、舌らしき柔らかい肉の塊をグッ……掴むと、静かに告げた。

 

「―――【蜘蛛猿衆の長・ヒエン】。お前はこの、黒の剣士【キリト】の【使い魔】になることを、承諾するか?」

 

 驚き訝しり、気づくと―――戦慄した。

 

 【使い魔】契約の文言___。などというモノは、システム上存在しない。モンスター側からの無言?の提案がされ、コマンドが立ち上がり、『yes』と答えるだけだ。プレイヤー側からできることはない。

 それでも―――目の前にコマンドは展開された。ただし、【使い魔】ではなく【従士】という表記で。……NPCを/()()()()()()()()M()o()d()を味方に雇い入れる際と、同じ表記。

 名前が違うだけで、本質はどちらも同じ。ただ【従士】の場合は、プレイヤー側からの提案をシステムが許可してくれる。例え外見が/おそらく元々モンスターであろうとも、この『契約』の拘束力を保証してくれる。……生半可な知性を持ってしまったがゆえの、落とし穴。

 

 ヒエンも、ソレの恐ろしさを熟知していたのだろう。すぐさまハッキリと、拒絶の意を示そうとする―――寸前、掴んでいた舌ベロをギュッと、引っ張った。

 すると―――「ウゲェッ!」、自然と頭が上下に振られた。無理やり嘔吐かされた結果。

 亜人種といえども、二足型歩行生物、プレイヤーや人間型NPCと身体構造は大差ない。摂取した毒物を吐き出させる応急処置、舌ベロ奥にある【緊急リリースボタン】は同じく、存在した。

 ハッキリと/どんな相手にも伝わる身体言語=yes。ゲームシステムは無機質にそう判断すると、ヒエンとオレの前に展開されていたコマンドに『契約成立』を伝達した。

 すると、さらなるコマンド。自動的に展開された自分のステータス画面の隣に、ヒエンのだろうステータスが表記されていた。右上隅にある自分のHPバーの下にも、ヒエンのHPバーが浮かんでいた。……【従士】とのカテゴリーが嵌められた状態で。

 

 目だけで確認、おおむね納得/少し意外だった。先に従わせた猿兵は、ちゃんと【使い魔】カテゴリーだったが、このヒエンは【従士】扱いになっていた。……どちらであろうとも、大差は無いだろうが。

 握っていた舌ベロを解放してやった。

 

「―――契約は成された。

 これでお前はもう、オレの【使い魔】だ」

 

 そう言うと、口内からも腕を引き抜いた。

 ヒエンはただ、茫然自失と蒼白に、我が身に起きた呪わしき契約に言葉を失っていた。

 

 入れていた腕をパッパッ、軽く振ると、コートの端でゴシゴシ拭った。……別に、唾液や血糊で汚れたわけではない/ここではその手のリアルな不快物質は即座に自動的に洗い流してくれるが、気分だ。

 それでも、まだ取れた気はせず。嫌な気分に胸の内でため息をつくと、張り詰めていた気まで抜けかけた。

 なので、仕切り直すように/ヒエンに現実を自覚させるために、もうひと押しした。

 

「お前の新しい名は、そうだな…… トビ、【トビ】だ」

 

 使い魔の名前変更……。元々、個体名など持っていないモンスターには、新しく名付ける。NPCの【従士】であっても、同じNPCを仲間にした別プレイヤーと分けるためにも、名づけ直す必要がある。

 今回も、そのケースが適応されるだろうと言ってみたが……当たった。

 システムはオレの言葉を拾うと、すぐさま変更許可を認めた。展開されていたステータス画面も、【ヒエン】から【トビ】へと書き換えられた。

 茫然自失だったヒエンの顔が、突然―――針に刺されたかのような痛みにしかめられた。そして、何が起きたのか確かめ―――目を剥いた。

 奴自身にも、システム的な何らかの強制力が働いたのだろう。顔を上げ、オレを睨みつけてきた。

 歪んだ嗤い顔……で、応えてやることはせず。ただ事務的に冷徹に、感情がこもっていないような低音で、告げた。

 

「【トビ】、はじめての命令だ。

 お前が知っている情報、オレが知りたい情報を全て、()()()()()()()()

 

 先までの仲間を裏切れ……。あるいは、ソレ以上の存在なのかもしれない。進んで自爆を決断できる精神は、生半端な繋がりでは鋳造できない。……オレの知ったことではないが。

 なので、当然―――

 

「……ふ、ふざけるなッ!? 

 誰が! この俺がそんな裏切りを――― いぎぃッ!?」

 

 再び、鋭い頭痛に顔をしかめた。

 

「無駄だよ。いちど契約を交わしたら、モンスターからの破棄は不可能だ」

 

 【使い魔】/【従士】の情報公開義務___。いわば、スパイ防止処置。使えるべき主人は、契約を交わしたプレイヤーだけ。それまで別の組織/人に仕えていたとしても、システム的には最優先される、思考や感情を備えているが故に矯正力を働かせる。

 契約システムの悪用法___。通常、契約成立の段階で、『互いに良好に近い関係に達していた』とも判断されている。今のオレと奴のように、敵対関係から無理やり成立させるのは想定の範囲外/無視されている。なので、通常なら使われないだろう、システムによる矯正力が発動してしまう。……システムにとっては、『矯正』だと思ってはいない。

 激痛に耐えながらも拒絶しているヒエン/使い魔トビ、とは裏腹に、欲しい情報がメニュー画面に自動送信されてくる。ここのマップ情報や敵の情報その他が、更新されていった。

 

 

 

(―――よし! だいたい知りたいことはわかった)

 

 まだ穴はあったが、概ね埋まった。アスナ達を救出するには、充分すぎるぐらいだ。……さすが、敵の幹部は違う。

 

(後はこれを、ほかのやつらにも、送信―――)

「う……うがあァァァーーー―――」

 

 不意の襲撃―――。情報に気を取られている隙に、串刺し状態から抜け出し、鋭いカギ爪をオレに差し向けようとした。

 目を向ける、今からでは対応はギリギリか……。深手ではないがダメージは負う。体勢も崩されるので、次に『逃げ』を選択されたら厄介なことになる。……なかなかに抜け目のない奴だ。ソレだけ必死ということでもあるのだろう。

 しかし―――

 

「――― ィッ!?」

 

 寸前/オレの目と鼻の先―――無慈悲にも止められた。

 まるで、空間そのものが凍りついたように、ピタリと、突き出した手刀のまま固められた。……そこから指一本/毛筋すらも、微動だにできない。

 

「―――ソレは正しい。

 【使い魔】はパーティーメンバーではなく、装備品の一つみたいなものだ。だから、パ-ティーでは適応されてる同士討ち禁止には、当てはまらない」

 

 自傷行為と同じ扱いに、なるからな……。だから、こちらの意識が向いていない隙を狙えば、殺害できる。契約を強制的に終わらせることもできる。

 しかし、気づかれてしまえば、ほんの少し意識しただけで、止められる。力量差が歴然だった/おそらく心理的にも圧倒していたならば、なおさら。……【調教】なるスキルが存在しない代わりに、ステータスメニューに明記されている値とされていない何かの値が、関係してくる。

 

「……今後、オレを殺したいのなら、もっと慎重に狡猾にやった方がいい。お前にはまだ、思考できるだけの頭と知識が、残っているらしいしな」

 

 もっともソレも、今後どうなるかわからないが……。使い魔にしたことで、現状の異常はフォーマットされるのかもしれない。先に使い魔にした猿兵はそうなった。ならば、このトビもまた元のモンスター/【シーフズブラックコング】に戻るはず。

 

「それと……もう気づいているかもしれないが、お前の能力値は全体的に向上している。オレの【バトルヒーリング】の影響で、傷口もほぼふさがりかかっているしな」

 

 自分よりも高レベルの主人を持つと、使い魔は飛躍的に能力が向上する___。【バトルヒーリング】まで伝導するのがわかったのは、先の猿兵のおかげだ。

 ソレは、外見にも影響をおよぼしてもいた。契約前に見た時と比べて、金毛の割合が増えていた。前はうっすら見える程度だったが、今はハッキリと遠目でもわかる。……別種に進化した、とまではいかないだろうが、レベルが格段と上がったのは読み取れた。

 そしてそのことは、やつ自身も実感していたのだろう。

 致命傷なはずの胸の貫通痕があるのに、まだ生きている。意識も保ち、少し不自由があるものの体は動く/むしろ力がみなぎっている。明らかに、先までの自分の能力を超えた力が、この身に宿っていると。

 

「…………ならば!」

 

 オレを刺し殺そうとした爪を、今度は自分の胸/心臓があるだろう左胸に向け始めた。

 そしてそのまま、自害しようとしたが―――

 

「――― ぐぅッ!?」

 

 その爪先は、先と同じ、寸前で停止させられた。

 ただ今度は、意識してはいなかった。あえて止めようとせず、どうなるか確かめた。……システムは、使い魔の自殺を封じてくれるのか、否か?

 結果は、止めた。少なくとも今回は、そう見える。オレの無意識に呼応してしまったのかもしれない。……判断は保留しなければならないが、関与してくれることはわかった、何らかの条件を満たせば。

 

 自害までできない……。もはや自分には、自分の意思で行動できる権利が、何もない。

 全てを実感させられると……諦観。罵倒や呪詛すら上げられずに、意気消沈。……完全に敵意も崩れたのか、システムの拘束は解除されていた。

 そしてガックシと、その場にへたり込むと、何もかも放りだすように、うな垂れた。

 

「………… 殺せ、殺してくれ」

 

 そして絞り出せたのは、そんな懇願/負け惜しみ。首まで差し出してきた。……ひと思いにやってくれ、という意味だろうか。

 

 その姿を見せられると、初めて……憐れみが浮かんできた。

 自然と手が、愛剣に伸びていく。その首に振り下ろしてやろうかと、思った。暗に/オレにもわかるように示されたように、ひと思いに……。これ以上をコイツに要求することは、オレにとっても大事な何かを、傷つけるような気がした。

 しかし―――止めた。グッと堪えた。せき止めた感情が胸の内を焼くのを、耐える。

 

 そして……全て押さえつけてみせると、睨みつけた。

 

「―――四神将とやらは、その程度だったのか?」

 

 つぶやくように言うと、トビの襟首を掴み―――グィ、掴み上げた。

 そして、絶望に染め抜かれたような顔へ、ぶつけるように近づけると……囁いた。

 

「トビ、オレが次に命令しようとしたことを、教えてやろう。

 お前に、お前自身の手で、ここにいる蜘蛛猿衆とお前の弟【ウエン】を、()()()()

 

 ビクンッ……。その仮の命令に顔を上げると、そこには―――恐怖の色がにじみ出ていた。

 唾を飲み込み息を止め、起こるだろう見えざる矯正力に、戦慄。オレに何かを懇願しようと口を開きかけ……止めた。

 何も起きなかったことに、隠しきれずに安堵。しかし、震えはもはや止められず。オレに怯えた視線を向けてくる。

 

「……お前たちが力を借りた奴らなら、そうする。何のためらいもない、()()()()()()で、だ」

 

 歪みすぎたレッドたちの心……。口にするだけでも吐き気がする。わかってしまう自分の精神構造には、奴らと同じ病がとりついている気がして、ゲンナリしてしまう。

 加えて言うなら、上の命令は、レッドでなくてもできる。力と効率を求めている攻略組ならば、同じようにできてしまうはず。実際、自意識らしい思考能力を持ち合わせていない普通雨の使い魔になら、命じられてきた。……そうすれば、使い魔の能力が上がるから。どれだけ使えるのか/力が上がったのか、テストにもなる。

 愉しみながら強要するのと、事務的に強制する。どちらが残酷なのか? ……五十歩百歩なのかもしれない。

 

 だから―――それでも、確かな違いはある。大切な差異。

 だから―――トビに向けて、それ以外の何かに向けても、宣言した。

 

「オレは、オレの仲間を助け出す。邪魔する奴らは容赦しない! どんな手を使ってでも、必ず―――」

 

 ソレは、()()()()()も同じだ……。どちらも、障害という点ではかわりない。この危機的な現状を理解していない/妥協を選択する者は、全て足でまといだ。

 『テロリストとは交渉しない』、かつて某国の誰かが言ったセリフ。まさに、今のオレの行動原理を端的に表してくれる言葉だ。……妥協と交渉は同じだ。

 

 わかったな……。言い切ると、突き放した。

 トビはなされるまま、その場で尻もちをつくと、力ない目でオレを見上げる。……その姿にはもう、威厳と呼ばれるものはなかった。

 

「……全て済んだら、考えてやる。それまではオレに従え」

 

 静めた声でそう命じると、是とも否とも言わず、俯かれた。

 

 

 

 戦意は完全に挫いた。もう、自害することもないだろう……。消沈し続けるトビを見て、これ以上の言葉はいらないと判断。

 背を向け少し離れると、メニューを展開した、得た情報をもう一度確認する。これからのプランと対応策を、今のうちにできるだけ想定しておく。……考えうる限り、最悪なことも。

 ポーションも取り出しゴクゴク、飲みながら/HPと体を回復させながら、これからについて考えていると、

 

「―――あなた、たぶん良い死に方、しないわよ」

 

 傍に寄ってきたフィリアが、皮肉げにそう言ってきた。

 思わず眉をひそめた。

 ギリギリの死闘に、心を麻痺させての隷属化。これからもう一人、潜在的な敵を抱えながら進まなければならない苦労を思うと、普段なら耐えられることも敏感になってしまう。

 

「アンタだけには、言われたくないセリフだ」

 

 そう愚痴を返した後、目を丸くさせているフィリアを見て、迂闊さに気づいた。

 そしてさらに、舌打ちまでこぼしてしまい、確信までさせてしまった。……あまりの自滅ぶりにドッと、自嘲のため息をこぼした。

 

「それで、他の猿たちはどうするの? まさか……全部使い魔にする?」

「……コイツだけで十分だ」

 

 というか、できないしな……。プレイヤーが使い魔を保有できる数は、限られている。ただ、システム的な絶対ではない。調伏できるだけの能力差があるか、離反させずに維持できるだけの財力があるか、指揮能力の限界値などなど。自分が主要な戦闘要員なら、多くても3匹が限界だ。……ちなみにオレの場合、一匹でもかなり負担なので、先の猿兵君はお役御免にするつもりだ。

 プレイヤー自身の能力値が高く、ソレ以上の/大量のモンスターを捕獲・操縦する『魔法』が存在しないココでは、魔獣使い(モンスターテイマー)はお呼びじゃない。少なくとも、前線では活躍できない役どころだ。

 

 知りたい情報は得られたし、有効戦術も破ったので脅威も少ない。何より、指揮官を欠いた部隊など、烏合の衆だ。その指揮官/トビを、案内役兼できたら人質としても使える。

 なので―――()()は余ってしまう。

 

 

 

「――― 話は、聞こえたはずだな。

 オレは、こいつをお前たちに()()()のを、止めてやったんだぞ?」

 

 オレ達の前で正座している、竹上に潜んでいた猿兵たち/蜘蛛猿衆一同に、「邪魔だから退け」と言った。……できるだけ優しく。

 

「……頼む、お頼み申すッ!!

 わしらの長を、兄者を、解放してくだされ―――」

 

 そう訴えかけてくると、門番だったゴリラ兵/トビの弟は、地面を陥没させる勢いで()()()してきた。……弟に続いて、猿兵たちも同じく土下座する。

 

「何でもするでござるッ! どんな恥辱だろうと受けます、わしらの財は全てお譲りします! この命を欲するのであれば、この場で腹カッ捌いてご覧に致しまする―――」

 

 なのでどうか、どうかお情けを――― 。そして続いて、猿兵たちも訴えてきた。

 

 地面に向けているのに、それでも響き渡るデカい声。混じりけのない悲痛な懇願、いや哀願だ。もはやオレの情けに縋るしかないと、重々承知しての頼みごと。……顔は見えないが、嘘ではないとは、わかる。

 驚き戸惑う。それ以上に、怯えた。オレの方が後ろに、ヨロめきそうになった。

 モンスターだと思っていた奴らが、こんな人間らしいことをしたこと、然り。オレを含めたプレイヤー達の誰が、ここまでできるのか? 誰かの為に土下座を/命まで差し出せるのか? 少なくともオレには……できそうにない。そもそも、やれるだけの何かを/誰かを、オレは知らない。……オレは()()()()なのだと、突きつけられたような気がした、よりにもよってゴリラと猿たちに。

 何も答えず/内心の動揺を必死に隠していると、

 

「……やめろウエン、お前たちも! これ以上俺に恥をかかすな」

 

 代わりにトビが、彼らを黙らせた。

 それでも、言い募ろうと口を開きかけるも……堪えていた。歯を食いしばる。

 なので、ただ黙って、オレに土下座を向けてくるのみ。

 

 膠着状態……。

 破るのは簡単だ。なのに、その一歩を躊躇ってしまう。オレが大切にしてきた、レッドたちとの明確な差異が崩れてしまう、瀬戸際だから。

 それでも、もう()()()()()()()()()()()()()。オレがやるべきことは、ただ、突き進むのみ/立ち止まらないこと。……迂回路を選んではいけない。

 なので後は―――祈るのみ。

 コレでオレが、潰れませんように、走り抜けられるように……。この道の先、皆が納得できる大団円がありますように、と。

 

(……退かないのなら、踏み砕くだけだ)

 

 ビーターの義務に、覚悟を追いつかせた。

 

 意を決した。

 背負わなければならない重罪に、立ち向かおうとすると―――寸前/突然、着信音が鳴った。

 特定プレイヤーからの通話通知___。オレの脳内にし聞こえない音、しかし直後、通知コマンドが視界に浮かんできた。

 訝しるも、その名前が映ると反射的に、通話をオンにしていた。

 

「―――なんだよ? 今取り込み中だ」

『その件で、私の力が必要だと、思ってね』

 

 普段以上に苛立っているオレとは違い、いつも通り平静なコウイチの声が、聞こえてきた。……聞こえてきたその声に、フィリアが目を丸くしていた。

 またまた、完璧すぎるタイミング/横槍。どうやってオレの現状を監視しているのか、是非とも聞き出したいが、フィリアがいる。あまり親密に話しているところを、見られたくない/臭わせる程度で済ませたい。……また次にするしかない。

 そう判断すると、してしまうこと/させられる状況に、ため息をついてしまう。……これもまた、アイツの意図なんだろうなぁ。

 

『ちょうど、子供達の戦力強化がしたかったんだ。色々と、話も聞いてみたい。もし彼らが了承してくれるのなら、【使い魔】になってもらいたいと思う―――』

 

 そう一方的に要望してくると……さらに通知がきた。

 【フレンド】からの【メッセージ】___。すぐに通知コマンドをクリックし、中身を確認した。

 そこには……意味不明な文字が羅列されていた。

 日本語でも英語でもイスラム語でもない、現実世界に存在するであろうどの言語とも違う、このSAO/浮遊城アインクラッド独自の言語。しかも、一般通用語でもなく、古代にあったとされる言語だ。

 特徴的なのは、一つ一つの文字ではなく、文章の書き方だ。縦書きでも横書きでもなく円形、渦巻き状に文字を連ねていく。しかも、一つの渦にまとめるだけでなく、幾つもの渦を作り連ねるときもある。なので必然、そんな特異な文章フォーマットが用意されていない【メッセージ】では、何を書いているのかサッパリわからなくなっていた。所々エラー表示にまでなっている。……そもそも、実物を見せられても、カタコト程度にしかわからない。

 細かい内容はわからない。しかし、()()()()()()()はわかる。

 

 送られてきたメッセージを全文、ホールドしながら、自分のアイテムストレージに移動。スクロールして、目的のアイテムへ―――

 【空白の鏡晶石】___。何の効力もない結晶アイテム、ただの透き通った大きな水晶。このままでは、観賞用か投擲用・換金用にしか使えない。実際、()()に気づくまでは、そういうハズレアイテムだと認識されてきた。

 だけど、先ほどのメッセージを【備考欄】/ストレージに入れたアイテムを分別するためのメモ帳に貼り付けた。あの意味不明な文章が【備考欄】を埋め尽くす。【メッセージ】に在った時よりもさらに、文字たちが紙面を圧迫、もはや()()()()が何らかの文字にみえてくる。その文字列にも規則性らしきものが見えてくる。まるで、()()()()()()()()()()()()ような…… 。

 

 すると突然、【鏡晶石】が消えると―――目の前に、強制的にストレージから出てきた。

 しかも現れたのは、透明な水晶/【鏡晶石】では、なかった。同じ結晶アイテムではあるものの、色と形が違うモノ。それもよく見かけるモノ。レア過ぎて滅多にお目にかけられないが、それゆえにそのアイテムの外見を知らない者はいない。

 【回廊結晶】___。任意の場所に転移ポータルを設置できる、モンスタードロップでしか手に入らない激レア結晶アイテム。……似たようなことは【フラッグ】を活用すればできるが、コレでしかできないこともある。

 

『今贈った【回廊結晶】を使ってくれ。その先で、契約を交わさせてもらう』

 

 モンスターの転送___。モンスターはフロア間を移動できない。もっと言えば、特定のエリア外にもでられない。【使い魔】登録していれば問題ないが、通常のモンスターには制限が掛かっている。それでももしも、無理やり転移させれば……消滅してしまう。どんなモンスターでも一撃即死で倒せる。

 しかし【回廊結晶】は、そんな無理を通してしまえる。モンスターを別のフロア/エリアに送っても、消滅しない。……ただし、通ってきた転移ポータルが存在する限り。ポータルが閉じれば即座に消滅する。

 彼らにもソレが適応されるかは、わからないが、用心に越したことはない。

 

「……随分と、用意が早いことだな」

『君なら、そうしてくれるんじゃないかと、思ってね』

 

 嘘か真か、見透かしたように言われた。……奴の手のひらの上で踊ってただけ、てことか。

 思わずムッと顰めた。

 なので、お返しにひとつ、皮肉をぶつけてみたが、

 

「これで、()()()()()()()()()貸しは、チャラか?」

『そうなるね。……残念なことに』

 

 よく言う! ……チャラだと思わせるために、そうしたんじゃないか。

 オレの性格を熟知している、コウイチならではの配慮。いや……少し違うか。『ビーター』という役柄を熟知しているから、だろう。守るべきはオレよりもソレ、プレイヤー/特に攻略組の分裂を防ぐためのセーフティ。今はオレにその配役を充てがわれているが、他のどのプレイヤーでも構わない、複数ある条件を全て満たせれば。

 一人を犠牲にしてでも、大勢の命を救う……。誰もが『正義』と理解しながらも、実行は躊躇ってしまう合理性。ソレを自他ともに徹底してしまえるところが、妹に/アスナに嫌われてしまう……のかもしれない。

 

「……わかった。後はアンタに任すよ」

 

 でも/だからこそ、奴は信じられる。

 『ビーター』にとっては、不可欠な裏方。運命共同体ならぬ、共犯者だから。

 

 

 

 通話を切ると、【回廊結晶】を発動させた。

 すると、オレと猿兵たちの間に、七色を秘めた黒い渦孔/転移ポータルが発生した。

 

「―――飛び込め。全員、今すぐに」

 

 突然の、魔法じみた現象に戸惑っている彼らへ、端的に命じた。

 ゴクリと、唾を飲み込む音/顔をこわばらせると、恐る恐るも尋ね返してくる。

 

「……あ、兄者の、解放は?」

「オレの目的が無事に済んだら、逢わせてやろう」

 

 信じて飛び込め……。対等でないので、保証など必要ない。

 マフィアとの取引と同じ。後で良い条件を思いつけば、足していけばいい。……これから一生、足抜けできないように。

 

 理解されると……瞑目。躊躇いを飲み込むと、部下たちにも合図。

 そして、意を決すると―――飛び込んでいった。

 猿たちは次々と、黒の渦孔へと落ちていった。

 

 

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字の指摘、お待ちしております。


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66階層/サイパン 扇情の牢獄

一枚、二枚、三枚……
おしまい


 

 

 

 

「―――今日は、ここまでにしてあげよう♪」

 

 よく出来ました……。ニッコリと満面の笑み、悪意などまるで感じられないほどに。

 しかし、こちらはトコトン叩きのめされた。

 

 どうしようもなく弱音がでて、こらえようもなく涙がこぼれ、何もできなかった無力感に苛まれた。いや……そうやって自罰し続けなければ、心まで屈してしまいそうだった。

 見せつけられ続けた仲間たちへの拷問は、私の心を折るための所業だから。

 

 観ていただけ……。ジョニーはなぜか、仲間への容赦ない拷問の最中、私には何もさせない/しないことを徹底させてきた。

 ソレが悲惨で苦痛に満ちたものであればあるほど、実感できなくなる。徐々に遠く隔たっていき、今日まで紡いできた絆がちぎれていく気がした。ゆえに/あろうことか、()()()()()()()()()()()()()()()が芽生えてくる。何もせずどこも傷つかず誰に汚されることもない、安全なところからただ見ていただけの観客/自分も、コレに加担しているのではないかと……。

 ガチャン―――。鉄格子の扉が閉められた。

 

「―――逃げようなんて考えちゃダメだよ、副団長さん。でなきゃ、君を慕う仲間たちがどうなるか……わかるよね?」

 

 言わずもがな……。わかってるわよ、そんなこと。

 およそ四畳一室の狭い個室。3方向は分厚い壁、壁に備え付けの硬いベッドはないのに、蓋をされている陶器製の壺が隅に置かれていた。何の用途かは……考えたくない、ので蓋も開けたくない、できれば近づきたくもない。コレぞ中世の牢屋、のフォーマットというべき内装。

 部屋中ほぼ隙間なくライトアップされてる。ので、鉄格子先で控えている看守には隠し事などできない。装備は剥ぎ取られた(ほぼ明け渡したような形)ので、メインメニューやホームの保管庫にあるアイテムストレージにもアクセスできない。それでも、この体に積み込んできた技力をフルに使えば、脱出できないこともないだろうけど……先の脅し。すぐに報告され、みんなが苦しむことにんる。

 私の消沈ぶりから、重々承知していると確認できたのだろう。含み笑いを残しながら、何処かへ消えてしまった……。

 

 

 

 残されたのは、私と、看守として置かれているラフコフのメンバーだろう男。そして、男の使い魔だろう灰色の/背中と肩から骨の太牙を生やした魔犬のみ。訓練された猟犬のように、主人の傍で鎮座しながら私を監視しているが、イバラに似た真っ赤な首輪/モンスターに服従を強いるアイテム。……正規のモンスターテイマーでは、無いのかもしれない。

 がちゃん……。遠くで、この地下牢の出入り口がとじた音。

 ソレを聞くと看守の男は、通路に備え置かれていたパイプ椅子に―――どかり、座った。両踵は机に投げおきながら、大きくため息をついた。

 

「……あーあ、嫌になるぜ。

 せっかくあの閃光を捕まえたってのに、お預けなんてよぉ……」

 

 溜まっちまうぜ……。不満タラタラでそう愚痴ると、傍の棚から焼き菓子らしい食べ物と赤みを帯びた飲み物を取り出した。そして、メニューを展開し何やら操作すると―――アイテム。細いアンテナみたいな棒がついた、手のひらサイズの長方形の鏡。現実世界のスマートフォンを連想させるようなアイテムだった。

 ソレを指先だけで、器用に何かしらの操作をすると……ニンマリ、看守の顔にだらしない笑が浮かんだ。

 看守が何を見ているのか、コチラからは見えない。けど、想像に難くない。いつの頃からプレイヤー間で出回って広まった、とある写真集・動画。はじめは、特定のプレイヤー間で《メッセージ》を利用して広まったが、そのネットワークが摘発された後、【記録結晶】等の記憶媒体の取引へと変わった。それも潰されると、別の方法が編み出されまた蔓延していった。そのイタチごっこの先に現れたのが、いま看守が手に持っているアレだろう。

 普段なら、大きなため息をつきながら軽蔑の眼差しを向けるも、今はそんな気力すらない。そもそも、彼らにそんな注意をしても無駄だろうけど……。

 パリパリがりがり、カスがこぼれるのも気にせず菓子をつまみながら、スマホに映し出されたモノを楽しんでいた。

 

 

 

 牢屋の壁までトボトボ、打ちひしがれながら歩くと……ズルズル、壁に背をあずけながら、床にへたりこんだ。

 そして、膝を抱えた体育座り。顔を両膝の中に埋もれさせ、しばらく静かにしていると……暗い考えが浮かんできた。

 

 ―――私は、もっと早く、自害すべきだったのではないか? 

 

 こんなことになる、もっと前に……。そんな考えが、頭の片隅で沸き起こってきた。

 元凶が私なら断つしかない、まだ断ち切れる内に……。ソレが正しい行いだと、否定しきれないほど、膨らんできた。

 

 ―――それでも、命を保てたのは……どうしてだろう?

 

 わからない……。それは、浮かんでは来てくれなかった。

 けどおそらく、答えはもうある。ソレをえぐり出し/言葉にしてしまえるほどには、打ちのめされきってはいないのだろう。

 だから次、明日もまた繰り返されれば、ソレは表出することだろう。止められない、留めることを許されない怠惰としてきた今までの自分が、許さない。……許してしまえば私は、私でなくなってしまう。

 だから―――

 

(……冗談じゃないわ!)

 

 こんなところで、終われない、終わらせてなるものか―――。ギュッと、両手を握った。

 まだ私は、やれることをやっていない。全てやりきってもいないのに、それ以上を絞り尽くしてもいないのに、何も成し遂げてない。まだゲームクリアすらしていない。そんな体たらくなのに、なに甘ったれたことほざいているの?

 頭の中でパシンッ、気合を入れ直した。

 

 それで、頭の中の暗いモヤが少し晴れると、一つのアイデアが浮かんだ。

 いつもの私なら、絶対にやらないだろうこと。たぶん今も、ソレが浮かんできただけで顔が赤くなった。体にもブルり、震えがおきていた。だけど/それゆえに、効果は絶大だ。……そうでなかったら、大爆死だ。

 そうならないため/最大限活用するためには、覚悟、先に灯った執念の火種を燃え上がらせること。水ではなく油を指すことだ、ガソリンならもっと良い。……考えられる以上に/異常に、()()()()()

 もう一度パシンッ、気合を追加した。

 

(…………よし、やってやろうじゃないの!)

 

 弱気と自罰感を振り切る様に、顔を上げると―――立ち上がった。

 そして、看守を見据えながら鉄格子の前まで行くと、右手を動かしメニューを展開した。半透明なディスプレイが胸の前で浮かびあがる。……《幻書の指輪》は強奪される前に、【融体化の秘術】で今は手のひらの入れ墨として変換/保護している。ので、大半の機能は使用不可/ほぼ自分のステータスの閲覧のみになっているが、今は必要ない。

 

 すると、看守の男は急に、こちらに警戒の視線を向けてきた。猟犬もグルルと、低い唸り声をあげ始めた。

 スマホに夢中になっていたと思いきや、しかと目の端で捉え続けていたのだろう。あるいは、【索敵】の警戒網をひいていたのか。即座に、だらしなく投げ出していた両足も地面につけ、椅子からも立ち上がり、臨戦態勢。……しかし武器は持たず、かわりに、机に置いてあった呼び鈴をつまみ上げた。

 

「おい! それ以上はやめとけ、副団長殿。

 何するつもりかわからねぇが、あとほんの少しでも妙なことしやがったら、コイツを鳴らしてやるぞ」

 

 地下牢外の仲間に知らせるための鈴……。現実ならば/その小さな鈴の音では、瞬時に知らせることなど不可能だろう。けど、ココでは可能だ、魔力か超常の力がこもったアイテムゆえに。

 

「コイツがひと吠えしても、同じだ。そんでもって、その鉄格子にも同じようなもんがついてるからな。一定以上の衝撃を受けると、鳴るように仕掛けたもんがな」

 

 その脅しにゴクリ……内心で唾を飲み込むも、おくびにもださず。

 代わりに強気に―――笑ってみせた。

 

「あら、そうなの―――」

 

 そして、ためらうことなく、とあるコマンドを押した。

 看守は、私のためらいの無さに少しばかり眉をひそめるも、宣言通り死刑宣告を奏でようとした。

 しかし―――…… 息を飲まれた。

 

 唖然と、目をあらん限りに丸くしながら、私を注視した。……正確には、私の姿に/ありえざる光景に。

 ()()姿()()()でたたずむ、私の姿に。

 

 

 

 数拍の静止の後、ようやく我を取り戻すと、

 

「―――おい、そいつはいったい……なんのつもりだい?」

「別に、少し……暑かったから」

 

 何事でもないと、肩にかかっていた髪を……フワリ、梳き払った。

 すると―――ゴクリ。かすかなはずの喉の鳴る音が、看守からきこえてきた。

 

 作戦成功、充分に効果あり……。ニヤリとほくそ笑む。コレは『戦い』だと意識を集中させることで、羞恥心を圧殺した。

 ソレは今、手のひらに隠し持ったモノの感触からも、心強くさせてくれた。

 髪の中に隠していたモノ/この作戦の要。ココでの女性の嗜みだと教えてもらった小さな(カンザシ)、即効で強力な麻痺毒を塗った暗器。梳いた何気ない仕草と同時に、つまみ取った。

 看守は、そんな私の思惑には気づかず、ただ好奇な視線をみせるのみ。

 

「―――ハッ!?

 い、良いもんみせてもらったが……その手にはのらないぜ。残念ながらな!」

 

 足掻らうように/唾を吐くように、詰ってきた。自分に課せられた役目を全うする意思。まだ理性が残っている証拠だ。

 当然だ。つい先ほどまで、大切な仲間を拷問された。泣きくれて絶望までしていた私、彼らのことを忌み嫌ってもきた。それが一転、こんなあからさまな媚びに出たら……疑わない方がおかしい。

 でも、構うものか。そんなことはわかっている。だからこそ、()()()()()()()()ならない。

 逡巡は一時。さらにもう一歩、踏み込んだ。

 

「『良いもの』ていうのは、このことかしら―――」

 

 背中に手を回すと……パチリ、ホックをはずした。

 すると―――はらり、ブラジャーが胸から外れた。そのまま、剥がれ落ちていくに任せる。

 隠されていたモノが……ポロリ、こぼれ落ち、看守の目が釘付けになる―――……

 

 その手前、サッと/すぐに腕で隠した。

 今日まで培ってきた戦闘の勘、敵が攻めてくるタイミングを見計らってのカウンター。見せるか見えないかのギリギリで、素早く隠して見せた。

 看守の顔が、期待のギラつきから一転、ひどく残念そうな表情を浮かべたのが見えた。……成功にニコリ、羞恥心がいくぶんか慰められた。

 

「―――ハッ!?

 ……わ、悪いがな。罠と分かって飛び込んでやるほど、バカじゃねぇんだよ、俺は!」

 

 これでも、まだなの……。なかなかしぶとい。レッドというのは、自分の欲望に忠実な犯罪者だと思っていたけど、少し甘かった。

 なら、こっちだって―――

 

「そうなの? それじゃ―――」

 

 強気にもう一枚/最後の砦、下履きにも手を伸ばし……少しためらった。

 ソレをしたらもう、恥ずかしいだけじゃ済まされない……。完全な痴態だ。頭がおかしい痴女だ。

 でも、()()()()()()()()()。ソレを憂慮することは、今の私には―――許されない。

 今にも泣き出しそうなためらい。そんな震えを振り切るよう/看守に見破られないように、指先に力を込めた。

 そして―――プつん、腰のゴムをちぎった。

 すると……はらり。下履きが股から、剥がれ落ちていく。

 

 これでもう、耐久値は0になり、すぐに消滅してしまうことだろう。……今ここですぐに、代わりのモノを用意することも、できない。

 下履きが完全に剥がれ/同時に消滅、ガラス片の光の粒子となった。

 その僅かな光のモヤの後、隠していたモノが看守の目に触れそうになる―――ギリギリ、内股と手で隠した。

 

 

 

 看守の顔には、先と同じ落胆の色。今度は声まで漏らしていた。……しかしながら今度は、同じようには喜べない。

 もはや、何も身につけていない、ハレンチ極まりない姿/真っ裸―――。

 自分が最も嫌っていた女性たちと、おんなじ事をしている皮肉。ソレをほんの少しでも意識するだけで、全身が真っ赤になる、泣き叫びたくなってしまう。この場に知り合いが一人でも立ち会っていたら、脱獄できたとしても後は、引きこもり生活は確実だった。

 しかし…………堪えた。

 背筋はシャンと、自分の体を誇っているとも、顔を上げる。むしろ、「恥ずかしがるのはアナタの方」との余裕をもって、艶然と微笑んでも見せた。

 

「これで私は、丸腰よ」

 

 両手もこのとおり、ふさがってる……。隠しているのではなくクネリと、色っぽく誘うためのポーズだと見せているが、無防備を装った。精神のHPが、0になる寸前の真っ赤になっているのだけは、隠した。

 ゴクリ……。看守は生唾をのみ、もはや何も言い返せずただ凝視していた、ドクドクとの鼓動の高鳴りまできこえるほど。……彼の中の理性を、圧倒してみせた。

 ゆえに―――追撃。この機を逃さず、さらに一手攻め込んだ。

 

「このまま、眺めてるだけでいいの? 先見てた人達と、同じように」

 

 飛び込んでみない……。看守のプライドを刺激した。スマホ越しに覗き見てるのではなく、()()()をしてみたら?

 

 良識ある人ならば、遠慮する選択肢もある。しかし……彼は違う。レッドプレイヤーには、そんな選択肢はない。もしも、そんな選択をしてしまったのなら、後に仲間たちから何と揶揄されるか……想像にかたくない。

 ()()()()()()―――。あの閃光を目の前にして、しかもこれ以上なく無防備で、さらには誘ってまできた。そこまでお膳立てされて、飛び込めない奴は、『男』とはいえない。例え、罠があろうとも命令があろうとも、だからこそ飛び込まなければ。

 自分を物/商品として見る視点。甚だに不愉快だけど、彼らと交渉するための唯一のコミュニケーション手段だ。

 そして、こちらの思惑通り。看守はついに、折れた。……瞳から、戸惑いの色が消え、代わりに好色なニヤケ顔を露わにした。そして、危険な臭気まで漂わせはじめてきた。

 

 そのままズカズカ/鼻息荒く近づき、牢屋の中に入ってくる―――その手前、ゴソゴソと腰元のポシェット/サブアイテムストレージをまさぐった。

 そこから……ポイッと、取り出したアイテム、短い鎖に繋がれた二つの金属の輪を投げ込んできた。

 

「て、手錠だ。そいつをつけろ」

 

 興奮気味に投げ込まれた命令。しかしながら、不意をつかれたことは、否めない。

 足元のソレを見下ろしながら、どうしたらいいのか考える。……コレがあっても、問題はないか?

 考える時間を稼ぐため、適当な言い訳をかえした。

 

「……コレつけたら、どっちかが先に……わかっちゃうわ」

 

 誘うような拒絶、だが……看守はひかず。

 もしもやらなかったら、どう暴走してしまうのか、予測できない。呼び鈴を鳴らされてしまったら、アウトだ。おそらく高確率で、公開ストリップショーをさせられるかもしれない。……それだけはゴメンだ。

 

 仕方がなく/仕方がなげにしゃがみ、手錠を拾うと―――カチャリ、はめた。

 同時に、髪留めの紐を解いた。

 ゆっくりと立ち上がると同時に……パサリ、流れ落ちた髪が胸を隠してくれた。

 その私の囚人姿に、看守の口から、興奮の呻きとため息がこぼれた。

 

 もはや、自棄っぱちになっているのだろう。恥ずかしすぎて心が麻痺してくれたのかもしれない。奇妙にも、冷静さを保てていた。

 なのでか、すこしばかり暴言。

 

「……どうする? 足かせもした方がいい? でも、そうしたら……難しくなっちゃいそう」

 

 くすりと、微笑みを浮かべた。媚びるように、この状況を楽しんでいるかのように。……浮かべて見せた、はずなのに、とても無理がなかった。もう自分でも自分が、よくわからない。

 そしてソレは、看守にも伝播したのだろう。彼の中にあった、最後の一線がプツリと、ちぎれとんだような音が聞こえた。興奮で荒れていた顔色から一転、腰が座ったような顔つき/どす黒い凶悪さに変貌していた。

 

「……【ハラスメントコード】を期待してるんなら、無意味だぜ。

 ここは監獄で、アンタは犯罪者だ。この都市の法律と司法権を握ってる奴が、あんたをそうしてくれた。だから―――」

「言ったでしょ? 私は丸腰よ、てね」

 

 これ以上は、さすがに寒いはよ……。焦らし続けた今、こんどはコチラがすげない答え。そうしてもいいのだと、直感させられたままに。

 

 看守は、これだけ確認して、ようやく満足/観念できたのだろう。今や私を守る最後の壁となっていった鉄格子に手をかけると―――がチャリ、入ってきた。

 ガウガウと、猟犬が主人の浅はかな行為を警告するも、すでに耳にはいっていなかった。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 竹林の先、簡素な土壁の門の奥、和風な木造り屋敷があった。その中へ、丸石が引きつめられた道を進んだ先、玄関らしき土間をくぐるとそのまま、土足で上がり込んだ。

 その行為に、トビが一瞬顔をしかめるも……オレに従うことに。

 

 トビから得られた情報。奥の間までズカズカと、襖や障子らしき扉を開け放ちながら進むと、奇妙な台座があった。大人一人が入れるほどの棺のようにも見える、人が住むための部屋には不自然な家具。

 近づくと、台のカラクリ仕掛けが見えた。幾つものパネルをスライドさせながら、一枚の絵を完成させるようなパズル。今はソレが、バラバラに混ぜられていた。

 チラリ……視線でトビに命令すると、それまで影のように傍に控えていたが、無言で/俯きながらも仕掛けを動かし始めた。

 

 

 

「―――私、あなたのこと少し、誤解してたみたいね。

 無口で無愛想で、そうでありながら大胆でもあって、何考えているのかわからない人だと思ってたけど……そうじゃなかった」

 

 トビが仕掛けを解く間は、手持ち無沙汰。沈黙を通すのも限界があるので、フィリアのお喋りに付き合うことにした。

 

「……そいつは、褒め言葉として貰っていいものか?」

「ふっふ。そうそう、そういうところ。……けっこう意外だったわ」

 

 軽い皮肉は気にせずクスリと、笑っていなされた。

 その余裕な態度に、少しムッとさせられた。子供扱いされているような気がした。

 

「オレも、あんたのこと見くびってたよ。そんなに猫かぶるのが上手いとは、思ってなかった」

「もしかして……Kobのみんなの前と、アナタの前との違いを言ってるの?

 ソレだったら、猫をかぶるほどじゃないわよ。ギリギリ私のキャラの範囲内。一人でも別グループの人間が混ざってる時は、そうする。そういう暗黙の了解があるの、油断してもらうためにもね。……わざとらしくはなかったでしょ?」

 

 アレが全部、演技だっていうのか? ……信じられないが、信じるしかない。理屈は通っている。仲間以外には実力と正体を欺くのは、戦術の基本だ。

 

「……ソレ、成功率は高いのか?」

「かなりね、男相手なら特に。……わかってても、どうしようも足掻らえないことだから」

 

 男なら、誰しも大小持ち合わせている、ヒーロー願望……。コレも、あまり認めたくないが、認めざるを得ない。現にオレも、メッセンジャーとして一人生かされた彼女を見て/それでも奮起して救助隊に参加したことで、何かしら応援したいとの気持ちが湧いたのは、事実だ。

 心の奥の柔らかい部分を土足で踏み込まれたようで、じつに嫌な気分だ。

 

「先に言ってた、アンタの戦術と似てるな」

「あら? ちゃんと聞いててくれてたんだ」

 

 そう言うとまた、微笑まれた。……よくわからないが、楽しそうだ。

 柳を相手にしているような手応えのなさに、眉をひそめていると、目線を遠くに、独りごちるようにつぶやいた。

 

「私、女であることを、恥とも弱点とも思ってないわ。例えこんな、デス・ゲームの中であっても。むしろ強み、使いこなさないといけないもの。……活用法さえ心得ていれば、無理に男勝りになることなんて、全然必要ない」

 

 その経験則からだろう独白に、ピンと一つ、つながった。

 

()()()()()ソレがよくわかってない。わかってないくせに……か?」

 

 推測をそのまま口にすると……当たったのだろう。はじめて言葉に詰まった。

 そして、しばらく黙っているとおもむろに、尋ねてきた。

 

「……アナタも、彼女のこと、魅力的だと思う?」

 

 突っ込んだ質問に、こちらもすぐには答えられなかった。

 自分の気持ちを反芻しながら/言葉を選びながら、慎重に答えた。

 

「どうだろうな……。『危うい』とは思ってる。あまりパーティーを組みたくはない相手だ」

 

 無難な答え、たぶんビーターらしいだろう。本当に聞きたがっているだろう答えとは、少しズラした。

 

「危うい……か。みんな似たようなこと言うのね。

 ただアナタは、『支えてあげたい』とは、思っていないんだ?」

 

 自然な軌道修正、躱した分を含めてのカウンター。

 呻きそうになるも……堪えた。また言葉を選んでの無難な答え。

 

「そういうのは、後ろに残してきた奴らが、やってくれてるはずだろ? オレの出る幕はないだろうな」

「あるのなら、立候補する?」

 

 また突っ込んできた……。今度は強引で、さすがに見とがめた。

 

「……何が言いたい? 何を()()()()()()()?」

「アスナさんのこと、好き?」

 

 どストレート……。思わず言葉が詰まった。

 オレがフリーズしていると、さらなる爆弾を投下してきた。

 

「彼女はアナタのこと、好きらしいわよ」

 

 皮肉でも冗談でもなく、真面目な調子。騙そうとしている気配は微塵もなかった。……もはやこちらも、正面から受けなければならなくなる。

 でも、この話題は/オレには、重すぎる。……ただのお喋りだと思って油断していたら、不意打ちもいいところだ。

 胸の内で大きくため息をつくと、自分でもヘタレたと思う答えを返した。

 

「…………彼女がそんなこと、アンタに言ったとは思えないな」

「ハッキリとはね。でも、傍で見てればわかるわ。特にココだと、隠しきれるものじゃないでしょ?」

 

 このSAO内の感情表現は、単調かつオーバー気味になるため、腹芸をするのがとても難しい―――というのは、一般の話。

 実のところは、逆だ。

 その仕組みを知っていて、作動してしまう閾値を熟知していれば、常に冷静さを保たせてくれる『感情抑制装置』になってくれる。ソードスキルと同じだ。作動する条件を満たさなければ、どれだけ内心は動揺しようとも、表出したりはしない。見た目だけは、冷静沈着を装え続けられる。そして不思議なことに、内心もソレに引きづられ、平坦に冷たくなっていく。

 アスナは、それを知っているか? 使いこなしているか? 

 確かではないが、できていないのではないかと思う。彼女は理性的ではあるが、同時に感情の人でもある。特に『怒り』に関しては、隠したり誤魔化したりしたところに遭遇できていない。……ソレが、数多くのファンの心を掴んでいる魅力の一つ、なのだろう。

 だけど―――オレは違う。

 

 一蹴するよう肩をすくめながら、一連の狙いだろうモノを明らかにしてみせた。

 

「なら、オレじゃなくて()()()に、直接教えてやればいい。アスナはお前なんかに、振り向くことはないだろう、てさ」

 

 フィリアの狙い、『彼』の心をアスナから引き剥がすこと。その当て馬として、オレを引っ張りこもうとした。

 言ったことに嘘はなかったのだろうが、すでにオレは彼女を知っていた。衝撃的な事実と話題で煙に巻いて混乱させ、引き釣りこもうとした。……なんとも、抜け目のないことだ。

 しかしソレは、一面の事実でしかなかったのだろう。

 彼女は、さして動揺するわけでもなし。その通りだと、すぐに/暗に認めて引き下がった。そしてふと、答えを求めてない独り言のように、迷いを吐露してきた。

 

「……そこが、私にはわからないところなの。

 察せないほど、思い込みが激しい子じゃないとは、思ってた。ただ、他のみんなにあわせて、付き合っているだけだと。それなのに、どうして……?」

 

 わからないんだろう……。そうこぼすと、己の内面に沈んでいった。

 叶わないことはわかっているのに、それでも。捧げた対価には見合わないのに、それでも。もう自分でも、本心からだったのか義務感だったのか惰性だったのか、わからなくなっているのに、それでも……。 

 その結末が―――。そんな心の声が、聞こえたような気がした。

 

 沈黙したまま、ただ冷静に/罪悪感すら遠く、己を見つめ続けている。

 そんな姿に、奇妙はシンパシーが沸き起こりそうになると、

 

「―――解けたぞ」

 

 仕掛けに格闘していたトビが、最後の一枚をはめ込んだ。

 すると―――カチリ、何かが噛み合う音。ソレとともに内部からギコギコと、いくつもの歯車が軋み動く音が響いてきた。

 その振動とともに、台が少しずつ横にスライドしていくと―――地下へ通じる秘密の階段が現れた。

 

 

 

「この下に、お前たちの仲間がいるはずだ」

()()だと? 

 どこかに運ばれる予定でも、あったのか?」

「……いいや、誤解を招く言い方をした。

 俺が最後に確認できた時は、いた。運ばれる予定も、聞かされてはいない」

 

 ……嘘は言っていない。

 使い魔契約の経路から伝わって来る情報、使い魔の現状を正しく把握するために与えられた情報の分析結果だ。……そもそも、今さら罠にはめるとは思えなかったが。

 

 全て開く/仕掛けが止まると、そのまま階段を降りていく―――

 寸前、フィリアに呼び止められた。

 

「ん? え―――ちょ、ちょっと待った!?

 そのまま行く気? 罠とか警戒してないの!?」

 

 当然の質問。

 しかし、「だから何?」と返そうとしたが……ふと、気が変わった。

 

「……それもそうだな。

 それじゃ、お先にどうぞ―――」

 

 代わりに、フィリアに道を譲った。

 

「…………私いちおう、女の子、なんですけど?」

「だから、レディーファースト」

「……ソレ、意味知って言ってるの?」

「もちろんさ。

 『ダンス会場』に上がるのは、女性が先だろ?」

 

 紳士の嗜みさ……。冗談交じりのブラックジョーク。当然、眉をひそめられた。

 これから行く場所が『ダンス会場』なのには、確信があった。華やかで煌びやかな会場ではなく、死と隣り合わせの中で踊る、苦痛と鮮血で彩られた舞台。……途中参加であって、すでに終わってしまっていないよう、祈るのみ

 なので「どうぞ」と、悪ふざけをかましてみた。

 

「ねぇ? アナタ達の風習だと、こういう場合どっちが正しいの?」

 

 呆れたフィリアは、トビに話題を振ったが……首を傾げられた。

 

「…………どっちとは、何のことだ?」

「男か女か、てことよ?」

「『男と女』とは、何のことだ?」

 

 一瞬、何を言われたのか呆然としてしまったが……驚き。思わずオレも、目を向けてしまった。

 

「……もしかして、アナタたち……性別とか、無いの?」

「セイベツ……?」

 

 はじめて聞いた単語のように、カタコトで答えられた。

 その表情は、猿なので少し読みづらいが、嘘でも冗談でもなかった。……驚きの事実だ。

 

「わかんないとか……嘘でしょ?

 それじゃ、どうやって個体数を増やすの? 子供はどうやって―――」

「ストップだ! ……そういう無駄話は、ここじゃない場所でやってくれ」

 

 脱線したので修正、ここは敵地のど真ん中だと。……今はまだ、互いに事務的なほうが気軽だ。トビへの思い入れが必要だとは、思っていない。

 修正してため息、事の発端は自分だと反省。……結局は、なるべくしてなるだけだ。

 

「……オレが先に、エスコートすればいいんだろ?」

 

 時間を無駄にした……。譲ろうとした地下へ、自分から降りていった。

 

 

 

 カツカツ、カツカツ、カツ―――。地下へと続く階段を降りていく。

 意外と長い/深い階段。一本道ながらも、何度か踊り場があり、曲がり回っていった。そして当然ながら、陽の光が差し込まない地下階段、少し降りていっただけで辺は暗闇に包まれた。

 鍛え上げた【索敵】と感覚値の恩恵により、赤外線カメラばりに見えるが、ソレでも限度がある。このまま潜り続ければ、いずれ完全な暗闇になるはず。オレですらそうなので、後ろの二人は言わずもがなだ。

 腰のポーチ/サブストレージをまさぐると、【松明】を取り出し―――ボッ、火を灯した。辺り一面に、暖かな光と揺らめく影が広がる。

 

 ソレで映し出された光景を見て、思わず……目を丸くしてしまった。

 先の和風な造形から一転、石造りだが明らかに自然のモノとは違う、コンクリートのような材質で作られた近代的な光景。都市の地下を縦横に走る、暗渠に似ていた。……古い鉱山の坑道か、よくて地下墓地(カタコンベ)のような粗雑さを想像していたが、意外や意外。

 驚きはひとしお。目的地はまだまだ下、先を急いだ。

 

 そのまま黙々と、ただ下へ下へと降りていくとふと、フィリアが感嘆をもらした。

 

「―――すごいわよねぇ、ココ。こんな場所、あるわけなかったのに」

 

 チラと意識を向けるも、聞き流した。……先の轍は踏みたくない。

 しかし構わず、続けてきた。

 

「地面掘り抜いて作った、てのも驚きだけど、ちゃんと舗装されてもいる。隙間もピッタリしてるし、すごい技術だわ。……どうやって作ったの?」

 

 オレではなくトビへの質問。他意を見出しづらい、何気ないお喋り。

 しかし、トビも同様、チラと視線を向けただけで、無視した。

 

「人間の手でも、こんなスゴイの作れるとは思えないわ。少なくとも、とんでもない手間暇がかかる。スキルの加護があったとしても、元々の器用さまではカバーできないはずだし」

 

 そう言って、トビの手に注目させた。

 人間の/プレイヤー達のソレとは違い、微細な動作や複雑な物作りができそうとは、到底思えない手の構造。彼は戦士だろうから、一般化することはできないが、それでも人間の指先に敵うとは思えない。

 ソレなのに、こんな建造物がある……。理屈が通らない。

 

「あの【サイパン】の町並みとかをみると、地面を掘って穴蔵で暮らすような生活スタイルじゃないはず。そんなことにスキルの習熟を費やすよりも、地上生活で必要なモノに振るはずだもんね」

 

 さらなる考察で、問いかけ続けていくも……無視され続けた。

 それでようやくフィリアは、しかし腹立ち紛れでは決してなく、逆に面白がると、琴線にふれるようなことを聞いてきた。

 

「……お喋りが嫌いな性格は、ご主人様と同じ?」

 

 ピクリ……。その一言に込められた皮肉に、さすがのトビも立ち止まり、向き合った。

 そして、

 

「―――俺は、主の鞍替えなどした覚えはない」

 

 ハッキリと断言した。フィリアに向けたようにみせて、オレへ叩きつけてきた。

 

 まだ反抗心が残っていたことに、驚くも……それだけだ。

 むしろこういった、暗に込める形でしか表せないことが、服従している証拠でもあった。わざわざたしなめてやる必要はない。

 フィリアも知ってか知らずか、気にせず続けた。

 

「なるほどね、アナタには仕えるべき主がいたんだ。

 でも、今のあなたの状況を見て、その人は……どう思うかしら?」

 

 気軽な調子だが、抉るような問いかけ。

 トビは何かをグッとこらえ、噛み締めると……また沈黙した。

 その拒絶の様子から、さらに何かを読み取ったのだろう。訳知り顔を浮かべながら、得た推察を述べてきた。

 

「……なるほどなるほど。ちょっと誤解したわ。

 あなたが仕えているのは、特定の個人ではなくて、かと言ってもう、己の信念でもない。自分たちを超える全知全能の超越者、私たち風にいえば『神様』、みたいなものなのね」

 

 ピクリ……。再びトビは、彼女の言葉に揺れ動かされた。

 あながち的はずれではない、どころか、正中を射られたかのように―――ブルブルと、毛を逆立て始めた。

 

「もしもそうだったとしたら、今のあなたは、ソレに仕えているというよりも、()()()()()()方が、正しいわね」

「それ以上! 下らんことを言うのなら―――」

 

 ガッと、振り向きざま、牙を剥き出しに威嚇してきた。そして、爪を鋭く、そのまま彼女を黙らせんと細首に掴みかかろうとして―――留めた。……おそらくは、意識の端で捉えていた、オレへの警戒のためだろう。

 ただオレは、事の成り行きを見守るのに徹していた。もしもためらわず、彼女に襲いかかったとしても、止めはしなかっただろう。不意打ちであろうとも、奴の奇襲ごときで倒されてしまうはずはないと。……その程度だったのなら、今ここにはいないだろうとも。

 そしてソレは、煽りに煽ったフィリア自身が当然、心得ていたことだった。

 臨戦態勢になる代わりに、哀れむような眼差しを返していた。

 

「……やめた方がいいわよ、そういうの。

 そんな、どこにいるのかわかんないようなモノにすがるより、アナタを慕ってくれる人たちを大切にしたほうが、まだ……理解してあげられる」

 

 彼女自身からの助言、同時に、オレが投げかけるだろう戒めでもあった。……どういう意図か、いずれオレがやらなきゃならないことを、代行してくれた。

 含まれた多大な本心に、トビは振り上げた拳の置き所にさ迷った。

 

「……悪魔(ガラン)の分際で、俺に説教でもしてるつもりか?」

「いいえ、ただのゲン担ぎよ。ちょっとアナタが哀れに思ったから、私の目的のためにもね」

 

 そして「はい、ご馳走でした♪」と、怒りに迷うトビへ、微笑み返した。

 

 ソレは奴にとって、あまりにも訳のわからない感情だったのだろう。むきだした牙も逆だった毛も鎮まると、いつの間にか、怒気は霧散していた。

 そして戸惑うように、もどかしげな沈黙にそわつかされていると―――終点に到着した。

 

「お喋りはそこまでだ」

 

 ついたぞ―――。仄かに見え始めた灯火の光に、【松明】の火をフ……と、吹き消した。

 長い長い階段の底、ようやく目的地にたどり着いた。

 

 

 

 目的地―――アスナたちが捕われているだろう、地下牢。

 のはずだが……少しだけ、趣きが違っていた。

 

 たどり着いたソコは、現代的な刑務所と酷似していた。

 コンクリートと鉄筋で作られた、息苦しいまでに無機的な牢獄。2階建てにさらに地下2階がある4階建て、電球に似た光を発する鉱石が床や壁に埋め込まれているので、地下であるのに光で満たされ、通路にはほぼ影がなくなっていた。定規で測ったかのような真四角な牢屋群の中だけ、暗がりができていた。

 唯一だろう出入り口から中に入ると、側面の牢屋群の中を調べながら進んでいった。拉致されたメンバー達がいるとしたら、ここだろう。

 しかし―――

 

「―――誰も、いないみたいだけど?」

 

 牢屋の中には、プレイヤー達はいなかった。

 

「……いや、そうでもないみたいだぞ」

 

 よく見てみろ―――。中の暗がりへと、促した。

 代わりに、同じような人型のNPC達は囚われていた。が……プレイヤーではない。視界の中に表示されている識別票が、彼らをNPCだと判断していたから。ただ、ソレがなかったとしても、見誤ることは少なかったはず。

 囚われているNPCたちは、皆一様に、虚ろな表情を浮かべていたから。

 ただボーと、佇んでいるだけ。立っている者もいれば座っている者もいるが、誰もが意思なく茫洋とした表情を浮かべていた。横をオレたちが通り過ぎても、気付いた様子もない。随分前からずっとそうしていたのか、服や全身にも汚れや埃が目立つも、全く気にしている様子がない。……鉄格子などなかろうとも、脱走しないだろうと思えてしまうほど。

 その有様は、人型の植物を連想させた。

 ゾンビとも思えたが、あまりにも動きが少ない、オレ達への脅威も無さ過ぎる。ただ、マネキンと思うには、まだ微かに生きている痕跡があった。新陳代謝の証だろうカビのような汚れとすえたような臭気に微かに混じる甘い香りが、その体内から染み出したものだと直感させてくれた。

 

 ソレらを確認するとフィリアは、息を呑んで、黙った。

 そして、トビもまた、この光景をみて、眉間にシワをよせているのが見えた。……知ってはいたが、あまり眺めていたい光景ではないのだろう。

 ふと、浮かんできたことがあったので、声をかけてみた。

 

「なぁ、ここにいる彼らは、もしかして……昔このあたりに住んでいた、人間たちだったのか?」

 

 本来、ここに住んでいたはずのNPCたち。正確に言えば、この辺り一帯を縄張りにしアジトを構えていた、盗賊たちだ。

 外見通りの監獄。猿たちは見当たらないところから、人間タイプの者たちを捕らえておくための場所、ソレも不服従なモノたちを。それなのに、女子供の姿が見当たらない。少ないのは予想できたが、いないのには首を傾げざるを得ない。さらにもっと言えば、男たちの年齢層が似通より過ぎていることも。

 猿たちが、ここに自分たちの都市まで建てたということは、彼らは駆逐されたということになる。しかし本当に、()()()()()が可能なのか? 歴史を塗り替えてしまうような所業は、どこまで許容されるのか? 彼らに当初、実装されていたであろう役割やコードが、書き換えられてしまうことはあり得るのか? ……

 問いただしたいこと。だけど、ソレを問うには、オレ達の『出身地』を説明しなくてはならないので、コレが限界だ。

 

「……そうだ。

 先に言っておくが、ココは『アレら』を捕らえておくための牢獄じゃない。研究と保護のための施設だ」

 

 保護施設……。あまりにも似つかわしくない単語に、目を丸くしてしまった。

 

「それにしては、すこしばかり……作りが雑じゃないのか? こんな場所に居続けたいとは、到底思えないぞ」

「アレらは気にしない」

「彼らて、アナタ達の言うところの無毛種(ケムト)とは、違うの?」

 

 割り込んできたフィリアが、オレも気になっていたことを聞いてくれた。

 アレら……。まるで、彼らが人ではないと、それ以上にも生物ですらないと、言わんばかりの扱いだ。

 

「そうだ。アレらは虚人形(ムムト)。……俺たちが【サイパン】を作り上げる際、障害となったケムトたちの成れの果てだ」

 

 盗賊たちの成れの果て……。始まりは納得だが、目の前までの過程とは繋がってこない、『保護施設』とも。

 足りない説明を求めようと、無言で続きを促すと、

 

「建国した後も、ケムト達の中から時折、ムムトは現れた。ある日突然変異する、まるで宿痾のように……。

 ケムトは従順だが、ムムトは手がつけられない。あたり構わず壊すだけ。何より、殺せば、まだ無事だったはずのケムトがムムトに変異してしまう。さらにあろうことか、ヒムトすらも……」

 

 そうこぼすと、上階の牢屋へと促した。

 見上げてみると、そこには―――猿たちが、人型達と同じように、茫洋と囚われているのが見えた。

 だから、拘束するしかなかった……。説明しながら、苦虫を噛み締めたような表情を浮かべた。同族を捕まえなければならない苦痛。その捕獲作業に、大いに辛酸を舐めさせられてきたのが、伺えた。

 

「捕えたとしても、近くにいるだけで変異させてしまう。奴ら自身が、流行病のようなものだった。……なので、ココを建設し、閉じ込めることにした」

 

 隔離施設……。殺しきれない疫病は、凍らせるか地中深くに埋めるしかない。宿主ごと、焼き払うことができないのならば。

 

「予期してなかったことだった。奴らを、ある一定深度の地下まで連れて行くと、途端に暴力性が失われた。代わりに、今のあのような案山子になることは、な。……ムムト化の伝染すらも、なくなった」

「なるほど。だから保護施設、てわけね。

 はじめは牢獄として作った。けど、連れてきたら全くの無害になったから、そのまま援用した」

「それでもまだ、解明はできていない。だから、研究施設でもあるわけだ」

 

 つながった……。理屈は通った。かつてモンスターであった彼らが、そこまで理性的に問題に当たれること、ココのような設備を作り上げるだけの知識と技術の在り処を除けば。

 ただ、その答えは、おおよそ推測できるものだ。この刑務所に酷似した保護施設しかり。レッド達が大いに関わっていることは、確かだろう。

 そしてさらに、その秘密工作を敵であるオレに見せている現状がある。潜入した成果ではなく、成り行きで見せられたもの。そこから推測できることは―――

 

「……いいや、すでに解明はできている。解決方法すらも」

 

 やはりか……。ココはもう、用済みだった。追いかけてくるオレ達に、自慢するために残したものだろう。あるいは―――

 オレの推測に当てられて……ではないだろう。そうこぼしたトビもまた、にじみ出ているのは、誇りとは違った/忸怩たるものだった。

 

 ソレがなんなのか、尋ねようとし口を開きかけ……目の前の光景に、目を奪われた。

 突き当たりにある牢屋。他とは一回りほど広いそこの鉄格子は、なぜか開いたまま。自然と気が向き、覗いてみると―――

 そこには、一人のプレイヤーが、手術椅子らしきモノに座っていた。

 装備品や衣服、下着すら剥ぎ取られた全裸の男。両手両足が鉄の枷にはめられ固定されながら、脇にある点滴台と背中にある何かから伸びる幾つもののコードが、その体に繋がれていた。それだけでも重病人の有様だったが、それ以上に意識が見受けられなかった。まるで、糸が切れた人形のようだった。

 

 はじめ、NPCかと思った。けど視界には、『プレイヤー』と表示されていた。それでかろうじて、判断できた。しかし/それでも、あまりにも……生気がなさすぎた。

 ハメられている枷は、攻略組なら難なく捩じ切れる類のものだ。装備は取られているが、鍛え上げてきた身体能力までは奪いきれない。なにより、鉄格子は開け放たれたまま。それなのに、逃げようとしていない、あまりにも異様だった。彼に今なお注ぎ込まれている何らかの薬液や処置が、ソレを阻止しているのだろうが……

 近づいてソレを止めようとしたが……先に遭遇した、プレイヤーの死骸を操る趣味が悪すぎる罠を警戒した。だが、彼はまだ生きている。HPは充分に残ったまま。生きている人間すら操れるのかとも、疑ってみるも……答えは『ありえない』。ソレはいくらなんでも、ゲームを逸脱しすぎている。茅場やこのゲームシステムが見逃すとは思えない。

 

 それでも訝しりながら、確認しようと牢屋の中に入ると―――隣のフィリアが、息を呑んだのが聞こえた。

 そして青ざめ、目を閉じ、こみ上げてくる痛みに耐えると……ポロリ、力なくこぼした。

 

「―――こんなことにならないように、頑張ったのになぁ……」

 

 そしてガクリと、その場に膝をついた。張り詰めていた糸が、ちぎれてしまったかのように……。

 

 さすがにオレも、冗談も慰めの言葉すらも、返してやれなかった。そこにいる彼が、彼女の目的である、()()()()()()()()()だったから。

 涙が流れることはなく、自嘲するわけでもなくただ、ただただその成れ果てを、見続けていた……。

 

 

 

 しばらく憮然と、悲嘆の波が収まるまで待つと、声をかけた。

 

「アレは……助けることは、できないんだな?」

「……ええ。

 だってもう……()()()じゃない?」

 

 空っぽ……。そう、空っぽだったから。どう判断すればいいかわからなかった。

 ()()()()()()()()()()()彼は、本当に生きているのか否かが……。

 現実なら脳みそがあるだろう頭蓋が、えぐり取られている姿。生きられるはずはない。この仮想世界ですら無理だ。《頭部欠損》はほんの少しであっても、重度の《麻痺》と同じ最悪のデバフをもたらす。その割合が大きくなればなるほど、《即死》を引き起こしやすくなる、絶対に避けなければならない負傷だ。彼ほどの欠損なら、間違いなく《即死》が起きているはず。だが……HPバーは『生きている』と告げている。

 

「……《死骸》、てことか?」

「いいえ」

「それじゃ、その……生きてるのか?」

「ええ、ギリギリね。……『分離』させただけだから」

 

 分離……。その短い単語に秘められているだろうおぞましい内実を、詳しく知りたくはなかった。でも……尋ねざるを得ない。知らなければ生き残れないのなら、選択の余地などない。

 どうして彼は、あんな姿のまま、生きていられるのか?

 

「前衛的すぎる芸術じゃない、てことはもっと、最悪な意味があるてことだな?」

「……ええ、アレは―――」

 

 

 

『―――喰魔人形(ガランドウ)だ』

 

 

 

 不意に、彼の口から声が出てきた。

 すぐさま見直すと、彼は顔を上げオレ達を見据えていた。……ただし、その瞳や表情には、生きている気配はない。出した声も、彼の外見や喉/性格情報とは不釣り合いなほどの重低音。フィリアの様子からも、別人だと判断できた。

 オレ達が驚愕していると、声の主はさらに続けた。

 

『お前たちの脳髄を切除し、代わりに《偽心の楔晶石》を接続することで作り上げた―――』

 

 彼はそこで口を止めると、カツカツカツ―――。

 牢屋の暗がりから近づいてくる足音。声の主だろう存在が、彼の横に/オレ達の前にその姿を現すと、続けた。

 

「―――肉人形だ」

 

 声の主/トビによく似た大猿が、その横に立つと―――ガチャリ、彼を拘束していた枷が外れた。そしてプツプツと、コードも外れていく。

 

 現れた大猿は、その毛もくじゃらの巨体を、道着と軍服を融合させたような、動きやすさと厳しさを両立させたような装備で包んでいた。トビの装備よりも高価なモノだと推察できる代物。さらに、その毛色の具合も同じだった。黒の中に金糸が、まるで隈取のようにマダラに走っている。

 目の前のオレ達を睨みつけ、隠すことなく敵意を放射してくる。ソレがビリビリと、肌を泡立ててくる。この牢屋の中の空気を、息苦しくもさせてもきた。……醸し出すプレッシャーからも、トビよりも格上の敵だと判断できた。

 そして、おそらく―――

 

「……閣下。なぜここに? それに、そのお姿の変わりようは……まさか!?」

「貴様こそ。なぜここにいる?」

 

 静かなれど鉄槌のような問い。向ける視線は、困惑ではなく糾弾。

 トビはそれだけで、うな垂れ黙った。

 

「……ふん! 四神将の中でも、特に目をかけてきてやったお前が、ガランに取り込まれるとはな……。

 せめてもの情けだ。そこなガラン達を滅ぼした後、我が【獅子猿衆】の一兵に、組み込んでやるわい」

 

 吐き捨てるようにそう断罪すると、こちらに向き直った。敵意を戦意へと、みなぎらせて―――

 

 

 

 その直後、弾けるようにして行動/飛び出した。

 

 

 

 背中の愛剣を掴みそのまま、突貫。抜き放たつず鞘に入れたまま、間合いに入るまでそうするつもり。通常なら返り討ち必至の凡ミスだが、コレでいい。

 ソードスキル発動【抜刀術】___。背負っている鞘が光に包まれた。

 納刀状態から鞘を透過して、斬撃を繰り出せる奇襲技。知っていたとしても、刃が見えないことで間合いを測れない。……高レベル同士の【デュエル】の《初撃決着モード》における、セオリーな戦術の一つ。

 備えていようが否か、かまわない。コレで終わらせる―――

 

 愛剣をそのまま袈裟斬り、大猿を真っ二つにせんと、抜き放った。

 しかし/寸前―――虚脱していた彼が突然、間に割り込んできた。

 

「―――ッ!?」

 

 防具も防御すらもしていない、丸腰のまま/虚ろな表情のまま。致命傷だろうオレの奇襲斬撃の前に、割り込んできた。

 

 刃が彼に触れる、寸前―――ピタリ、なんとか止めた。……危なかった。

 しかし、剣技後の硬直時間(リキャストタイム)。全身が麻痺したように固められた。

 

 ソレはほんのわずかな、数秒以内の硬直。しかし、敵を目の前にしてのソレは、致命的だ。

 止められている最中、虚ろな彼が、腰だめに拳に力を込めていくと……ソードスキルの光。

 何らかの剣技を発動させると、突き出してきた。オレの腹に、掌底を打ち込んでくる―――

 無防備に受ける/受けざるを得ない。舌打ちしながら衝撃に備えた。

 

 ただ、わずかながらのタメに助けられた。両足だけは硬直が解けかかっていた。……衝突にあわせて、体を宙に浮かせた。

 腹にめり込まれてくる拳。そのまま内臓まで貫かれるのを、腹筋を固めてガード。衝突のベクトルは踏ん張らずにそのまま、飛ばされるままに―――

 

 吹き飛ばされている最中/【転倒】を受けるかの瀬戸際、課せられた硬直から解放された。再度両足を床に押し付けると、ズザザザァ―――踏ん張り抜いた。

 吹き飛ばしが止まると、顔を上げ、敵を睨みつけた。……虚ろな彼の後ろでニヤリと、嗤っている大猿を。

 

「―――なかなか、良い決断力であった。が……爪が甘い」

 

 そう大上段から皮肉を告げると―――ガチャン。

 遠くから、どこかの扉が閉まる音が刑務所中に鳴り響いた。

 さらに―――ガラガラ。

 鉄格子が開く軋み音が、そこかしこからが鳴りたった。……刑務所中の牢屋が、自動的に解放された。

 

「コレでお前たちには、勝ち目も逃げ場もなくなった。捉えた後は……コヤツと同じ、肉人形に仕立て直してやろう」

 

 冷酷に居丈高に、死の宣告をしてくると……ペタペタ/ゾロゾロ。

 牢屋から、先まで微動だにしていたなかった囚人/患者たちが、歩み出てきた。

 

 

 

 

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66階層/狭間 獣の脱獄

ドライブシュート!


 

 

 

 

 刑務所中からゾロゾロと、集まりゆくゾンビたち。何体いるのか見当もつかない。

 まるでもう、勝利を確信したかのように、その正体を突きつけてきた。

 

「貴様らガランを滅ぼす不死身の戦士たち、【獅子猿衆】だ。……二匹だけしかいないのは誤算だったが、まぁ試運転にはもってこいだろう」

 

 不慣れな初見地、閉ざされた空間、完全にコントロールされた大量のゾンビたち。一体一体がどれほど強力かは不明だが、その自信から厄介なことは間違いない。……ここまで詰まれたら、もう逃げの一手しかない。

 ただし、ピアス型の《改造転移結晶》。それに意識を向けて発動させようとするも……できなかった。

 【転移無効化空間】か……。いや、その手の場がもたらす罠の圧力は感じなかった。機能全開にしていた【索敵】が警告してくれないのもおかしい。地下を深く潜りすぎたのが原因だろう。上下のフロアの境に存在する地下階層/【狭間】。いつの間にか、そこに到達してしまったのかもしれない。

 同じく、その危機的な現状を理解したフィリアが、努めてか平静のまま声をかけてきた。

 

「―――閉じ込められた、みたいね」

「そうだな」

「……余裕ね?」

「やりそうなことだと思ったからな。レッド達然り、ソイツらも」

 

 呆れるフィリアをよそに、大猿閣下を睨み返すと、余裕たっぷりにダメ出しをしてやった。

 

「ただ、こんな罠よりも、生き埋めにした方が確実だったろうにな」

 

 詰めが甘い……。そんなことをしたら、目の前のソイツも共倒れだろう。けど、敵を抹殺するには一番効果的な罠。こんなおぞましい研究が陽の下に曝されるリスク、それも同時に解消できる一石二鳥の古典的解決法。

 いや―――なるほどな。……嫌なことは妙に当たる。

 改めて大猿閣下を観察すると、気づかされた。手痛い指摘なはずなのに、むしろニンマリとほくそ笑みを返していた。ちゃんとソレも、考慮にいれていると。

 しかし、口には出さず。かすかな残滓も塗りつぶすように、罵倒を返してきた。

 

「ふん! 知ってて、わざと降りてきたというわけか? ……傲慢なガランだ」

 

 だとすると、逆転の芽もでてくる。生き埋めで圧殺するのなら、自分だけは脱出できる手段を持ち合わせているはず。ソレを奪い取ればいい。

 ただ……望み薄だろう。

 周囲に居るのは、ゾンビたちだけ。奴の部下の姿がない。どれほど完璧な兵器であろうとも、生きている者を守りきれるのは生きている者だけ。信頼の置ける腹心達がいないのは、ありえない。共倒れ覚悟の特攻も考えられるが、指揮者が犠牲になる損失と釣り合いが取れない、それこそ腹心を使うのがベターだ。

 つまり、考えられることは、目の前の奴もまた『肉人形』。もしくは、映像と音だけをリアルタイムで送信している『虚像』だろう。機械化が進んだ現実世界であっても、まだそのような拡張現実技術を開発できたとは知らないが、ココ/仮想世界ならばありえるのだろう。もし後者ならば、礫の一つでもぶつけてやれば判明する。

 結論―――脱出の手段はない。

 

(……オレの命運は、ここまでようだな)

 

 胸の内で自嘲するも、不思議と心は落ち着いていた。

 いずれ訪れるべきことに、出会っただけ。今まで何度か横切られてきたので、遭遇だとは思わない。迎え入れる準備はできていた。……できてしまっていた。

 だからか、まだできていないだろう存在/戸惑っているトビに、情が湧いてきた。

 

「―――コレが、お前の信じている『神様』の姿か?」

 

 お前もこうなりたいか……。チラリと視線だけ向けて、語りかけた。こんなゾンビ達みたいになりたいのか? こんな哀れな者たちを操り悦に浸っている下衆になりたいのか? コレを許容している何者かを許せるのか?

 オレは違う―――。暗に含ませた刺にトビが、大猿閣下まで眉をひそめた。

 

「お前は、死にたいか? それとも、生きていたいか?」

 

 生存欲求……。NPCに、ソレも擬似的だろう彼らに問いかけるのは、甚だ間違っているだろう。あらかじめ書き込まれたコード群に従って、入力された言葉の意図✖/意味○を検索し検出し、正しい唯一の返答を排出するだけだ。ソレは、己の内から湧き出てくる欲とは真逆だ、聞くだけ虚しくなる。

 それでも……想ってしまう、()()()()()()と。ココの創造主/茅場晶彦の策略にまんまとハマってしまっただけかもしれないが、確かめずにはいられない。お前は人間らしい思考を持たされた人形でしかないけど/それでも、『生きたい』と思えるのか?

 

「コレでお前は、お前に課せられた役割を果たした。いや、『使命』と言ったほうがいいか。

 だから()()()()()は、お前の自由だ。お前自身で、何もかも決められる」

 

 決めなきゃならない―――。オレ達もろとも自滅するのも良し。前身はモンスターであろう彼らの原初のコード/『プレイヤーを抹殺しろ』は、ココに連れ込んだ時点で達成された。軍人としての義務も果たされた。だから、もう何も、正答を示してくれる命令は無い。

 状況がソレをもたらした。被せ与えられたトビの意思は、置き去りのままに。だから、ソレが今、根を張ることができたのか、ただのメッキで終わったのか? 確かめなければならない、『生きたい』想いになれたのかどうか。

 ぞくぞくワラワラと、ゾンビたちが集結してくる。……もう出入り口は、見えなくなっていた。

 

「お前は、オレたちのことを悪魔(ガラン)と呼んでいるが、オレ達は自分たちのことを、祈る者(プレイヤー)と呼んでいる」

 

 あるいは、遊ぶ者(プレイヤー)……。どうして、こんなにも違う意味が、一つの音で表現されているのか? 定義した者の意図が知りたい。

 ただ今は、勝手に解釈させてもらう。ソレらは同じものだと思える確信が、湧いていたから。

 

「自分が自分らしくあれる、最もふさわしいと願った決断を下す。その結果、誰も彼もがそうなってくれるように、祈るから」

 

 腹が立つほどの身勝手、甘ったれすぎ理想……。でも、たった一つの生命を賭けているんだ、そのぐらいじゃなければ割に合わない。

 そして―――ソレは叶っていた。

 

「お前はそうなってくれた。だから、次は―――オレの番だ」

 

 そう宣言すると、下げていた愛剣を構え直した。これから克服しなければならない敵に、差し向けた。

 

「……もしも、お前がお前自身の在り方を決められないのなら、オレが決めてやろう」

 

 オレの願いのために働かせる……。少し残念なことだけど、仕方がない。作られた人形にできる、コレがもっとも妥当な答えだろう。

 

「ぬかせ、ガラン!

 コレは、お前たちを滅殺するには充分すぎる暴威だ。ココから生き延びるなど、万に一つもありはせんッ!」

「悪いが、お前に言ってない。このトビに聞いてるんだ」

 

 真っ向から無視すると、一瞬唖然となり、すぐに顔を真っ赤にして激怒した。

 それでも無視して、トビと向かい合うと、

 

「……お前が、ここから無事に生きて出られる姿など、想像できん」

「オレが、お前たちを打ち倒し、お前を隷属させている今の姿は、想像できたか?」

 

 そういうことだ……。大部分が偶然と運の成せる業だった、けど、オレの力と誇示してみせた。トビの芯に住み着いているモノを圧倒するため、何より、今にも慄えそうな自分自身を鼓舞するため。こんな絶望の場所にも光はあると、ハッタリをかます。

 根拠のない自信、逆転の策など持ち合わせていない。しかし/だからこそ、ゾクゾクするものがある。この『慄え』は、『奮え』でもあった。……たぶん今、オレの瞳は、ギラギラと煌めいているのかもしれない。

 ソレが裏付けになってくれたのだろう。大猿閣下からは戸惑いの警戒心が、トビからは目をパチクリとされ反論が帰ってこなかった。

 

 誰もオレの嘘に飲まれそうになる中、フィリアだけはそっと側に寄ってくると、耳打ちしてきた。

 

「……随分自信満々だけど、勝算あるの?」

「さぁね。9割がた、ダメだろうな」

 

 軽くそう返すとポカーン、呆れられた。

 

「…………先まで、あんだけカッコイイこと抜かしたのに、いきなり?」

「ああ、そうさ。オレはいつだってそうさ。ヤバい時こそハッタリかまして、笑うんだ。……そうやって生き残ってきた」

 

 我ながら不思議なことだと思う。けど、そうなってしまっているので仕方がない。

 泣すがっても助けてくれないのに、強がって哂い返すとその通りになる。軽口の一つでも叩けば、コロッと逆転する。……とても歪で、残酷なことだ。

 しかし今、それを愚痴っても仕方がない。

 フィリアに向き直ると、

 

「生き延びたいのなら、オレに協力してくれ。そうすれば、絶対に生き残れる。ここで死にたいのなら……仕方がない、最後まで付き合おう」

 

 どちらにしても、一蓮托生だ……。相手がオレだったのは、ココじゃない本物の神様に文句を言ってくれ。

 一方的に言い切ると、答えも聞かず構え直した、彼女に背中を預ける形で。

 

 ガシャン―――。ゾンビたちの一体が、ココの鉄格子を押し壊し、入り込んできた。

 

「……そろそろ遺言は終わりか、ガラン」

「ああ、待たせたな―――」

 

 もう、出し惜しみなどしてられない。全部でいく。

 コペルとリズベット合作の改造ベルト/《擬似合技(アレイド)発生装置》。その腰元にあるホルダーにカチリ、スイッチを入れた。

 そして―――唱えた。

 

「―――《リプレイ・オール》」

 

 その呪文の直後、ホルダーに収められた結晶から、力の奔流が流れ込んできた。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 ようやく牢獄に入ってきた、武装している看守。裸で、しかも手錠までされている自分。

 でも―――

 

(……まだ、その時じゃない)

 

 看守は警戒しながらも、抑えることのできない下衆な感情に従って、近づいてくると……奇形の曲刀、半月型に大きく湾曲したシャムシールと思わしき武器。

 近づきながら腰元から、ゆっくりと抜き出したソレを突然、シュ―――私の喉元に突き出してきた。

 

 刺される!? ……と、体が強ばりそうになるも、恐怖を押し込めた。後ずさりも我慢した。

 その勘は正しかった。―――看守の曲刀の鋒は、寸前で止まった。

 ただ、首の皮一枚。その向こうから、冷たく尖った曲刀の感触が伝わって来て、息も飲めない。

 

 そんな私の様子にニンマリと、嗤いを深めると、スゥ―――と下へ/胸元まで鋒を滑らせていった。そしてそのまま、横にゆっくりと動かしていくと……隠すために下ろした髪がパラパラ、切り落とされていった。同時に、隠していた肌も……露わになる。

 ()()を見た看守は、「おほぉ♪ 近くで見るとけっこうデカいな」と感嘆の声を呟き、さらに嗤いを深めた。……下衆な色合いを、隠すことなく。

 

 怒りと恥辱で、沸点を超えてプラズマ化まで上昇しそうだった。

 けど……耐えた、顔にも仕草にも出さない。高まりすぎて逆に冷静になってしまったのだろうか。「まだ早い」との戦術的思考を優先できた。

 なのでニコリと、微笑んで見せた。……おそらくは、艶然と蠱惑的に。

 

 ソレが功を成してくれたのだろう。

 看守は、曲刀でいたぶる選択肢を選ばず、そのまま胸を突き立てるようにして「ゆっくりと、後ろに下がれ」、命令してきた。

 従ってゆっくり、看守から目を逸らさぬよう、壁際まで下がっていった。

 そして―――ぺたり、カカトが壁に触れた。

 さらに追い立てられ、背中も張り付く。そのまま壁際を横移動させられ、部屋の角まで追い込まれた。

 

 完全に追い込まれた……。看守もそう思ってくれたのだろう。肌に突きたて続けていた曲刀を離した。空いていた片手で私を壁に押さえつけようとする―――……

 

(―――ここだ!)

 

 チャンス到来―――。

 看守の汚い手が触れる……寸前、膝を()()()

 ガくん―――まるで糸が切れたように/落下するように、予備動作なしでしゃがんだ。

 伸ばされた手は空をつかみ、そのまま壁にベタッ、体勢も崩れた。

 

 システム外スキル【再起動(リセット)】___。この体/アバターに恒常的に働いているシステムアシストを、強制的にオフにする技。コレをすると、体のコントロール権を放棄するので、筋力を仲介して行う運動法則から外れる。周囲の環境がもたらす自然法則のみに従うことになる。

 なので、しゃがんだのではなく、()()。足の筋力の支えを取り払って、落ちた。だから、まだ運動法則にしたがっている看守には、目の前の私が、急に消えたように見えてるだろう。『視る』という動作すら運動法則に縛られている。真下の死角から、私を見失っている看守の間抜け面が見える。

 再び/ギリギリ、『オン』に切り替えると、そのまま勢いよく立ち上がった。

 

 ガツンッ―――。私の頭頂部が、看守のガラ空きの顎を、打ち抜いた。

 看守は呻き声すらあげられず、顎を/頭をはね上げさせられ、後ろにのけぞっていった。カラン……と、握っていた曲刀も取りこぼして。

 

 そのまま1歩2歩3歩と……後ずさりするも、踏みとどまた。

 何が起きたのか混乱、しかしすぐに理解すると、狂わされた焦点を元凶に/私に差し向けようとする。

 その間隙―――隙だらけ、立ち上がっていた私はそのまま、看守へ走り向かっていた。

 そして手前、踏み込んだ片足を軸に、もう片方は大きく振りかぶり―――振り抜いた。

 ガラ空きの股ぐらへ、看守の股間へと―――

 

 ―――ドゴォッ!

「おごぅぅッッッッ――― !!?」

 

 あらん限りの力を込めた蹴りは、看守のそこを蹴り上げるのみならず、全身をほんの少し浮かせた。

 

 モロに喰らった看守は、着地と同時にプルプルと、まるでオシッコを猛烈に我慢しているかのように、内股に両手で患部を抑えていた。

 鈍い呻き声を絞りあげながら/私を睨みながら、前のめりに蹲っていきヨロヨロと、言葉にならない罵倒を吐き出そうとして……バタン、頭から倒れた。

 床に倒れた看守は、その場でピクピクと蠕動すると……動かなくなった。

 

 警戒しながらもそのHPバーを覗いてみると、《気絶》とのデバフが見えた。あと、どうでもいいけど《局部損傷》も。……あの一撃で看守は、ノックダウンしてしまった。

 

「―――ほ、本当に……《気絶》しちゃうんだ」

 

 我が所業ながら、びっくりだった。

 

 男性プレイヤーは、股間に強烈な衝撃を受けると、《気絶》してしまう___。女性プレイヤーには無い、男性特有の弱点だ。

 女子同士の他愛のないお喋りの話題の一つ、対男性用の護身術。

 話にその効果は聞いていて、現実世界でもありそうなリアリティで、納得していたけど……実行したのはコレが初めてだった。まさか実行するとも考えてはいなかった。本当にできるかどうかは、半信半疑だったので、手のひらに隠し持っていた暗器の追撃を身構えていた。

 でも、目の前の看守は……完全に撃沈していた。お尻を突き出した何とも形容しがたいポーズのまま、すぐには目覚める気配すらない。

 

 おそる恐る近づき、そばでしゃがむと、その無防備な首筋に―――ぷすり、毒塗りの針をはした。

 少しだけピクリ、動くも……目覚めるまでにはならず。すぐに毒はまわり、HPバーに《麻痺》が追加された。さらに、《気絶》と《麻痺》が同時にあることで、《石化》へと融合/自動変換した。

 これで本当に、看守は一切の行動を封じられた。

 

 ようやくホッと……警戒を解いた。

 すると一気に―――せき止めていたモノが溢れてきた。

 恐怖怒り憎悪、羞恥心無力感罪悪感、それでも死にたくない……。その場に蹲りブルブルと、震えるままに嗚咽を漏らし続けた。

 

 

 

 ひとしお荒波が収まると、遅ればせながら自分の現状を再認識し―――両手で隠した。ここにはもう、看守の飼い犬しかいないはずだけど、それでもこの格好は……恥ずかしすぎる。

 メニューを展開し、すぐに衣服を戻そうするも……気づいた。指輪の無い今では、アイテムのオブジェクト化ができない。

 再度周りを見渡してみても、いるのは動けない看守と、オロオロと様子を伺っている魔犬のみ。牢屋にも見張り番にも、衣服どころか布すらない。

 胸の内でチッ……舌打ちをこぼした。

 

「……仕方ない、わね」

 

 今は緊急事態、何より至急に解決しなければならない。……手段は選べない。

 再度看守のそばにしゃがみ込むと、そのダラリと動かぬ右手を掴み上げた。そして、指を所定の形に整えると……縦一線、メニューを展開させた。

 目の前に、看守のメインメニューが露わになった。

 そのまま指を動かし、アイテムストレージを表示させた。中をスクロールさせ、探す。何か着れるモノ、できれば防具や武器も、細剣があれば言うことなし―――

 

「―――て、な……何よこれ!?

 ちょっとアナタ、なんでこんなもの持ってるのよッ!」

 

 そこに映っていた、探していたはずのアイテムを見て、おもわず罵倒してしまった。

 明らかに女性物の衣服類。しかもかなり、過激なもの、特殊すぎるフェティズムの塊だった。……どういう状況で使われるのか、嫌でもわかってしまう。

 

 絶対にこんなものは、着ない。外にも出さない―――。看守に対してのマイナス評価が、さらにドン底を突き破った。……もう、触れているのすら不快になってきた。他のアイテムすら、汚らわしく見えてしまう。

 それでも今は、使うしかないのか……。自分が今いる場所を再確認させられると、再び「仕方がない……」ため息をついた。

 適当な装備をオブジェクト化させると、着込んだ。衣服や下着すら身につけていない肌に直装備ゆえ、警告表示/音が鳴り続けるも、無視。……さすがに、コイツの服など身につけたくない。

 

 一通りの武装、隙間がなく肌が露出しないような全身鎧タイプのもの、ついでに面ぽうで顔も隠せる兜を身につけ、身支度を済ませると、ようやく人心地がつけた。腰元に佩いた細剣の重みから、勇気と力も湧いてくる。

 それなりに業物な細剣があったのだけは、よかった。曲刀使いだと思っていたけど、細剣使いだったのだろうか、それとも武器集めの趣味があったのか? それとも……奪ったものか。

 どちらであっても、彼のストレージにあるよりは何倍も正しい。そう確信できる。そうしたいとも、思う。

 ただ少しだけ、スースーひんやりと冷たい着心地が、どうしても気になってしまう。そのワケを思い出しそうになり……ブンブン、寸前で振り払った。……考えるな、考えちゃダメよ私。

 ついでに、看守の武装はすべて剥ぎ取り、両手両足を手錠でガッチリ拘束。ストレージ内のアイテムやお金も全部、没収。ソレをギルドへ/【血盟騎士団】本部へのギフトメールに添付して、送信しておいた。

 

 ことを済ませると、牢屋から出た。……できれば、他のメンバーを救い出さないといけない、囚われている場所を把握しないと。

 いき込んで地下牢を上がっていこうとすると……「クゥン」、犬の鳴き声。

 振り返ってみると、看守の飼い犬が所在無げにしていた。ついていきたそうに近づき、でもビリビリ、首輪が光り軽い電撃が流れた。ついていくにも縛られウロウロと、どうすればいいのかとコチラに目を向けている。

 そのショボくれた姿に、哀れな気持ちが湧いてきた。

 

(……この子には、何の罪もないわね)

 

 魔犬のそばまで行くと、目線の高さにあわせてしゃがむと―――カチリ、その首輪を外してやった。

 

「―――さあ、コレでもう自由よ。何処へなりとも、好きな場所に行きなさい」

 

 魔犬はキョトンと、不思議そうに首をかしげるのみ。首輪が取れたことへの驚きでそれどころではないのだろう。

 伝わったかどうか……。苦笑するも、これ以上できることはない。今度こそ立ち去ろうとした。

 すると―――トコトコ、その背に従ってきた。

 おもわず振り返ると、犬は背筋よくお座り。ハアハア口を開けながら、つぶらな瞳で見上げてきた。……まるで、何かを待ち望んでいるかのように。

 何となく察すると、もう一度犬の前にしゃがみ、語りかけた。

 

「……一緒に、行く?」

 

 私の提案に、犬はまたキョトンと目を丸くするも……ひと拍だけ。

 すぐに「ワン!」と、小気味いい返事をかえした。

 

 

 

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66階層/狭間 屍を越えて

 

 

 ジメジメとした苔むした地下牢から、クネクネと緩く蛇行している階段を登っていった。

 等間隔に設置された壁の灯台。うっすらと周囲が照らされることで、レンガやコンクリートとは違う、濃緑色のツルツルとした壁面であることがわかった。……触ってみると、硬いながらも弾力があった。

 そんな奇妙な大筒の中、たどり着いたのは、分厚いタイヤのような革扉。中央に一線、左右から押しつぶされてできた裂け目の中心には、錠前形にくくられた鍵穴が一つ。看守から奪った鍵束を取り出すと……カチリ、開けた。

 拘束から解き放たれるように、革扉がグググゥ……と左右に引っ張られ/縮んでいった、まるで瞼を開けるようにして。

 

 そうして開け放たれた先には―――別世界が広がっていた。

 

 絡まり合いながらも、伸び広がっている、太古の大蔦。大人3人は簡単に飲み込める緑の大蛇にも似ている。幾十本もあるそれらが、視界いっぱいにのたうち絡まり広がっていた。

 その先、上左右も見渡してみると、薄青色があった。うっすらと白い靄/雲のような濃い霧も、フワフワと漂い泳いでいた。さらに見下ろしてみれば、絡まり茂る蔦の群れの真下、人の街並みらしき景色もあった。……地下牢だと思っていたけど逆、天上牢だった。

 おもわず感嘆と、見とれてしまった。

 

 引き込まれるような、ムズ痒くなる超高度。落ちたらひとたまりもないのに、ずっと眺めていたくなる。他では中々味わえない、幻想的な景色……。

 つめたい風がピュウゥ……とひと吹き、肌を撫でると、ようやくわれに帰った。自分の現状を思い出し、パンパン……引き締め直した。

 伸び広がっている大蔦の道、あまり下を見ないよう/周囲を警戒しながら、進んでいった。

 

 

 

 恐る恐るも進んだ先、隠れるところのない通路/幸運にも巡邏兵らしき人影は見当たらず、茂った草むらで覆われた交差路にたどり着いた。

 そこにはまた、先の天牢と同じ革扉。ただし、錠前はかかっておらず締め付けられているのみ。

 どうしたらいいのかしら―――。立ち往生していると「ワンッ!」と、ついてきた犬が声をかけてきた。同時に鼻先を左右に動かし、何かしらを伝えようとした。

 残念ながら、くわしくは伝わらなかった……。けど、ニュアンスだけは何となしに。物は試しと、とりあえずそっと、手を触れると―――ブルリ、革扉が微震した。

 すると、先ほどと同じ現象。微震が全体へ/縁まで波及すると、革扉がグググゥ……と自動で開放されていった。

 

 驚きながらも開放された中。覗き見るとそこは、ただの交差路ではなく建物の内部だった。

 床は細かい網目状が重ねられただけ、大きな竹籠の中でしかないように見える。ただし……コツコツ、不思議にも硬い反発感があった、まるで石畳のような感触だ。……抜け落ちる心配はなさそうだった。

 

(……いちいち気にしていられないわね)

 

 奇妙すぎる造形にと惑わされるも、棚上げ。今重要なのは、ここはどこなのか、だ。

 息を殺しながらも、慎重に内部を探索し始めた。

 

 

 

 交差路の内部には幾つか、区切られた部屋があった。その全ての扉は、入口のような革扉ではなく蔦のすだれのようなカーテンのみ。

 その一つから、植物だらけのここにはふさわしくない、ヴぅンヴぅンとの機械の唸り音が響いてきた。

 気になり近づくと、そっと中にはいった。

 

 カーテンをくぐり抜けた先は、この交差路の主要な部屋だと思わしき広さ。

 そこに、透明で巨大なウツボカズラが幾本も、等間隔に立ち植え並んでいた。子供ならちょうど一人は、まるごと収めてしまいそうな巨大さ。機械の唸り音はそれらからだった。

 そこに詰まっていたのを見て、おもわず顔をしかめた。吐き気まで出てきそうになった。

 ウツボカズラの中、赤みを帯びた/血を水で薄めたような液体。その中心にプカプカと―――()()()()()が浮かんでいたから。

 

(なッ!? ……何なのよこれ?)

 

 あまりにもリアルな作り。まるで、まだ生きていると言わんばかりに、養殖しているかのように、プニプニとした肉感と不気味なほどツヤのあるピンク色……。自分の頭にもコレがあると、生理的な嫌悪感が沸く。

 生々しいのに清潔に保たれている環境、人の意思や情が一切関知していないような無機質な空間。異常が正常であるとする無言の暴力に満ちている……。何の施設なのか、何の目的でこんなことをしているのか? 分からないがコレだけで、おおよそわかる、自分とは相容れないモノだと。……こんなモノを作っている人間たちとは決して、分かり合えないだろうと。

 吐き出したい唾をぐっとこらえながら、先に進んだ。

 

 奥―――進んだ先は、手術室らしき場所だった。

 医療服らしき、白い割烹着のような着物をきた……猿人たち? 明らかに人間ではない姿かたちの亜人種たち。頭上からのライトを当てられた中央の台の上には、全身麻酔か眠らせたかした一人の人間が、全裸で横たわらせていた。……頭上に浮かんでいる逆三角錐のカーソルから、プレイヤーの一人だとわかった。

 囲む猿人たちの手には、メスやら注射器などの、外科手術用の道具。そんな彼らの円陣の外には一人、頭をターバンのようなモノで覆っているレッドプレイヤーの男が、酷薄そうな笑みを浮かべながら監督していた。その男の指示のもと、猿人たちは機械的に、寝かせたプレイヤーへと手を動かしていった。

 様々な器具の取り付け、注射で薬品を注入する。そのあとようやく、猿人の一人が頭部にメスを当てて円を引いていくと……カパリ、その頭蓋を開いた。そして、その中から―――()()()()()()()()()()()した。

 取り出したそれはすぐさま、そばに置いてあった専用の容器にちゃぷり……入れかえた。

 

 一瞬、何が行われたのか、わからなかった……。あまりにも事務的で異状で、頭が考えることを麻痺していた。

 猿人たちの話し声、安堵の吐息やら緊張の強張りが解けていったのが分かる、手術成功にホッとしているのだろうと。

 その様子から、先ほどの施設が何なのか、理解できた。―――捉えたプレイヤーたちから、脳みそを摘出しているのだ、と。

 

 おぞましさに、思わず吐きそうになった。悲鳴も上げそうになるもギリギリ、こらえた。

 手術を終えた猿人たちは、後始末に取り掛かっていた。脳みそを入れた容器を、先ほどの施設へ運ぼうとする。さらに、残された体にはもう一つ、別の手術を施そうとした。何かしらの結晶アイテムらしきモノを、開頭させられた場所に埋め込み、接合させていく―――……

 

(……だめ。もう無理―――)

 

 我慢の限界だった。……こんなもの、させるのも見るのも堪えられない。

 レイピアを抜きながら、隠れていた場所から飛び出した―――。おぞましい手術をしている猿人たちへ、一足飛びで詰め寄った。

 

 突然の襲撃者、驚愕で硬直している猿人たち、レッドすらも……。

 接敵するとすばやく、そのすべてを叩き伏せた。

 

 手術道具しか持たない猿たちを一気に制圧。その間、何とか武器を引き抜き反撃しようとしたレッド。けど、飛びかかった魔犬がその手に噛み付いた。

 痛みに呻いたレッドは、思わず武器を取りこぼしていた。

 猿たちの次、レッドに目を向けると、また一気に飛び込む/接敵した。武器を《取りこぼし》たレッドは、拾うか素手か、判断に迷いながらも構えようとするも―――遅い。

 何もさせず、噛まれた腕をスバン―――切り落とした。そして、ガンッ―――その勢いで蹴りつけ、壁に叩きつけた。

 軽い脳震盪の最中、さらに詰め寄ると喉元へ、鋒を突きつけた。

 

 

 

「―――元に戻しなさい!」

 

 有無を言わせぬ命令。できるだけ怒りを抑えた声。

 しかし……レッドはただ、ニヤニヤと嗤うのみ。

 

「驚いたねぇ……。どうやって牢屋から抜けてきたのさ?」

「3度目はない。元に戻しなさい」

 

 キン―――。鋒をあご先にもあてた。立場を再確認にさせる。

 しかし/それでも、レッドの余裕は崩れず。

 その顔を見て、内心で舌打ちした。気づかされる。……こんな脅しをしても殺せない、交渉しようとしているのが証拠、こいつの優位には立っていない。逆に、姿を現してしまったことで不利になっている。

 だけど……これ以上のことは、考えられない。何もできないなんて/何かしてあげられないなんて……認められない。

 そんな内心の焦りを読まれたのか、しかし/それでも、レッドは説明してきた。

 

「摘出手術よりもさ、再接合は難しいんだよね。ちょっとした手違いだけで、殺してしまいかねないぐらいにさ」

 

 それはもう、簡単にね……。楽しそうに告げられたその説明に、絶句してしまった。

 それでも、探った。奥の奥そこまで見通す勢いで、睨みつけた。

 しかし、嘘をついている様子は……見えない。なにか他の代案も……浮かばない。

 隠しきれず、奥歯をギリッ……と噛み締めた。怒りとやるせなさがこみ上げてくる。どうにか/何か/なんとしても、落とし前をつけたい。

 そんな激情のまま、断罪してやろうと力を込め直すと「クゥン……」、傍らからの鳴き声に止められた。

 

 冷静になれ、今必要なことは何? 何をしなければならないの? 

 頭の片隅に確保している、冷静な打算をするのためのリソース/激情から引きずり戻す冷却装置。攻略組として今日ここまで生き延びさせてくれた、もう一人の私。

 冷やされたことで回る歯車/繋がる糸。ここで/コイツから引き出せることは―――。

 握り締めた力を緩めた。

 

「―――何が目的? なんでこんな趣味の悪いことしてるの?」

「コイツのためさ。それと、プレイヤー全員の願いを叶えるため、でもあるね」

「望んでこんなことされているとは、到底思えないけど?」

「まあ、確かに……ちょいとだけ、無理強いしたかもしれない。頑張って少し上の迷宮区にチャレンジしているところを、仕掛けた罠で分断して、麻痺毒を浴びせて無抵抗になったところを、拉致ったり……とかさ。

 けど、後できっと感謝してくれるだろうさ。自分はラッキーだったと、受け入れてくれると思うよ」

 

 勝手なことを―――。そう罵倒してやろうとしたら、おもむろにレッドは、残った手で頭部のターバンを掴み、解き取った。そして、隠していた頭部を見せてきた。

 

 そこにあった光景に、思わず息を飲まされた。

 

 先ほどのプレイヤーと同じく、()()()()()()()()()()()()()()手術後の姿。その凹みの中にはキラリ、光る小さな結晶アイテムのようなモノが植えつけられているのが見えた。

 そのレッドもまた、同じ外科処置を受けたのだと、わかった。

 

「見た目はパッとしないけどさ、思ったほど不便はないし、ヅラでも付ければわからなくなる。何より、良いことをしてやってるんだしさ。……もうコレで、()()()()()()()()()()()()()んだから、さ」

 

 レッドはそう言うと……ニンマリ、不敵で不気味な笑みを見せつけてきた。

 

 ゾクリ―――肌が泡立った。首筋が逆立つ。

 言い知れぬ危険な気配に、射すくめられてしまうと……カチリ、何かが噛み合わされたかすかな音が、耳に伝わった。レッドが奥歯を噛み締めた音が、聞こえてきた。

 

 あ―――。止めるまもなく/察する間もなく/目だけは見開いたまま、間抜けな声が漏れ出た。何もできずに……

 

 

 

 次の瞬間―――爆発が起こった。

 

 

 

 強烈な閃光と爆音―――。耳と目を占領した、ホワイトアウト。

 続く瞬間、叩きつけてきた爆風と爆熱―――。肌が炙られ押し飛ばされた、ノックバック。

 レッドの体内に埋め込んでいた爆弾が、爆発したのだろう。目の前で一気に展開されたそれらに包まれ、吹き飛ばされていった。

 そして、避けきれずそのまま、室内の壁へと叩きつけられていた。

 

 

 

 キィーン……と、甲高い耳鳴りが耳を刺し、起こしてきた。

 ノイズのような/グワングワンと混ぜゆれる視界。平衡感覚を失った三半規管が、狂った上下左右を徐々に徐々に、正常へと整え直していく―――。

 

 目が覚めると、爆発は終わっていた。

 目の前に広がっていたのは、様変わりした光景だった。煙とガレキと残り火だらけになった、元手術室だ。……そこには、まだ息の根があったはずの猿人たちは、いなかった。

 

 すぐに無事の確認。直撃したとはいえ、範囲攻撃の自爆だった。ダメージは受けたものの損傷は軽微なはず。―――HPバーを確認すると、その通りだった。ギリギリ半減域でもない。

 まだ少しクラクラしながらも、立ち上がった。すぐに逃げなくては……。コレで、全員に警戒されてしまったはず。私の脱獄もすぐに、気づかれるだろう。

 ヨロヨロとも急いで、手術室から逃げ出した。

 

 

 

 アラームがが鳴り響く中、警邏の猿人兵が慌てている中、逃げ続けた。

 先に見たおぞましい光景、レッドの意味深な捨て台詞、決死とも思える躊躇いのない自爆。そしてまんまと、脱獄まで知られてしまった……。

 まだ何も、何もかも解決していないのに、逃げなければならない。生きなければならない。ただそれだけに集中しなければならない。憤慨している暇も嘆いている暇も後悔している暇すらも、ありはしない……。混乱しているのか集中しているのかわからない、ただただハイな状態。

 がむしゃらにも的確に、幸運なのか計算なのか、何とか猿人たちを躱しながらも突き進んでいく―――。

 しかし、そんな偶然もすぐに、終りを告げた。

 

「ッ!? いた―――」

 

 ぞォ―――。最後の大声が発せられる前に、レイピアで喉を刺し貫いた。

 曲がり角。抜けようとしたその先で、見つかりかけると、叫ばれる前に倒したからだ。……瞬時に踏み込み突進すると、喉を貫き声を塞いだ。

 

 何が起きたのかまんじり/口はあんぐりと、レイピアを見下ろしている猿人。

 そんな哀れな彼の後ろに回り込むと、抱きかかえながら、近くの部屋に押し入っていった。……これでなんとか、仲間に位置は悟られなかったはず。

 息を殺しながら警戒。そっと通路を覗き込み、確認した。―――ソレに気づかされ、絶句してしまう。

 通路の床には、抱えた猿人の鮮血が、ありありと残っていた。

 

 そして、たてつづけの最悪。すぐに見回りの猿人が二人やってくると、その鮮血に気づいたのか、近づいてきた。……もう隠れることはできない。

 鮮血を確認しようと立ち止まり、見下ろす猿人兵達―――。そのわずかな隙を見計らい、抱えていた猿人兵とともに抜け出した。

 

 突然の侵入者。飛び出し見えたのは、首の重傷から鮮血を流している虚ろ目の仲間。

 動転し目を丸くする。そんな混乱の中、それでも異常を/仲間を呼ぼうと口を開いた。―――その隙に、抱えていた猿人を押し投げた。

 投げ渡される仲間の体、思わず受け止めようと構えてしまう猿人兵。―――そんな彼らごと、タックルした。

 後からきた猿人達は、受け止めきれず仲間の死骸に、押し倒されていった。

 

 その背を踏みつけながら、すかさず、逃げ出した。通路を走り抜けていく。

 死骸を脇に避けると、すぐに追い立ててきた猿人兵たち。仲間への連絡もされてしまった。

 しかし/それでも、逃げ続けた。通路を走り回り続ける―――

 

 そして、さらなる不運が襲った。……袋小路にハマってしまった。

 逃げ場のない/壊せそうにもない壁、行き止まり。後ろからは、今にも追い立ててくる猿人たち。それでも頭を/目を動かすと、脇の部屋へ滑り込んだ。

 すぐに見渡す。小さな研究室だ……。少しばかり散らかってはいるものの、隠れてやり過ごせそうな場所は……見当たらない。

 焦燥感。乱れた鼓動のまま、グッと目を閉じると―――諦念。

 

(……もう、ここまでね)

 

 意を決すると、クルリ―――振り返った。そして、レイピアを構える。

 もはやここまで、追っ手は全部倒しながら進むしかない。……今の装備でそんな無茶は、通しきれないだろう。

 それでも、やるしかない―――。覚悟を決めると、まずは追ってくるだろう猿人兵達へ、先制攻撃を叩き込むために狙いを/力を込めた。

 

 そんな臨戦態勢の中、いきなりニュッ―――と、背後から口を抑えられた。

 

 恐慌状態―――。

 飛び上がりそうなほどの驚きの中、抑えられるとそのまま、部屋の隅まで引っ張りこまれた。

 混乱は一瞬、すぐに我を取り戻すと、むぐーむぐー……取り外そうと暴れた。

 女性用護身術が一つ。大きく前に引きあげた肘鉄に、全身の力を込める。そして、背後の不審者へ、その脇腹/腎臓だろう場所に―――ゴスッ、突き込んだ。

 

「うぐぅッ……!?」

 

 背後の人間が呻いた。……男の声、どこかで聞いたような声だ。

 しかし……離すことはせず。痛みも声もわずかにしか漏らさず。

 

 ならばもう一発―――。今度は片足を上げて、相手のつま先へと狙いを定め始めた。踵で踏み潰す。

 その寸前、バサリ―――背後の男は大きな風呂敷らしきものを翻すと、二人を覆った。

 

 突然の奇異な行動に、追撃の戸惑いが生まれると、背後の男から懇願された。

 

(し……しばし! しばしの間だけ辛抱してくだされ、アスナ殿)

 

 苦しそうにもそう囁き告げれると、たゆんでいた風呂敷がピンッ―――と、張り伸ばされた。目の前に、半透明な薄膜ができた。

 その直後、HPバー下、《隠蔽》状態を表すアイコンが現れたのが見えた。……何の目的かどんな人物なのか、それだけで察することができた。

 

 風呂敷のカーテンの中で息を殺していると、研究室に猿人兵達が追い詰めてきたのが見えた。息せき興奮状態で、辺りを警戒している。

 しかし……猿人兵達は、こちらを見失っている様子。訝しがりながら辺りを調べ始めるも、気づかず/見えていない。

 これは、大丈夫なのかも……。そう安堵しそうになるも/しかし、クンクン……鼻を引きつかせ始めた。臭跡をたどるつもりだ。

 胸の内で舌打ち。まさか、鼻も利くなんて……。残り香をたどりながらウロウロと、隠れているだろう場所へと徐々に迫ってきた。

 そしてついに/目前に、探り当ててきた。

 

 その寸前―――物陰に隠れるように命じていた魔犬/新しく使い魔にした犬が、飛び出した。研究室から外へと駆け抜けていった。

 突然の騒音/侵入者の影。猿人兵たちはそちらに振り返ると、逃げる犬を慌てて、追いかけ出ていった。

 

 

 

 危機がとりあえず去った後、背後の男の手から/覆っている布からも、解放された。

 

 振り返ると、そこには……知り合いの姿があった。正確には、キリト経由で知り合った仲。

 蜻蛉【クゼ】___。フロアボスで斥候や先遣隊を担当してもらっている、自他ともに認める忍者さん。ただし今は、いつもの忍者姿ではなく、猿人兵たちが身につけているとの同じ中華風の鎧/服装。黒いマスクだけは、いつも通りだ。

 

「蜻蛉さん、でしたよね。あなたも……捕まっていたの?」

「恥ずかしながら、敵のスパイの罠にかかってしまい……このザマでござる」

 

 肩をすくめながら、自嘲した。……マスク越しなのでか、はっきりとは読み取れきれなかった。

 

「混乱に乗じて、どうにか牢からは抜け出したのでござるが、装備と指輪が取られてしまいましてな、難儀しておったところでござる」

「私もよ。取り戻さないといけないけど、今は逃げるのが先決ね」

「ですな。……このまま暴れて、救出隊に知らせるのも一興でござるが、いささか無茶がすぎますな」

 

 過激なことを……。冗談に笑みを返すも、なかなかに捨てがたい選択肢に思えた。

 

「今持っているのは……それだけ?」

「何とか死守した隠しポーチに、回復薬と解毒剤・《兵糧丸》に《煙玉》が数個。この装備は、猿兵どもから奪ったものでござる。

 アスナ殿は、その装備と……先の魔犬でござるか?」

「魔犬て……あ!? そうだった!

 ど、どうしよう! あのままじゃあの子、死んでしまう―――」

 

 言われてようやく気づけた。背筋が寒くなる……。

 考える前に、足が動きそうになると、

 

「落ち着くでござる!

 敵の狙いは我々でござる。そばにいないとなれば、追い立てるのを辞めるかも知れぬ。最悪死んだとしても、あとで【心】を取り戻せば復活させられる」

 

 重要なのは、自分たちがここから生き延びること……。冷静な言葉、正しい判断だろう。

 理屈はわかる、いつもならそうするのに躊躇いはない。けど今は、そんな気分にはなれない、気持ちを抑えきれない。『アノ光景』をみた後では、どんな犠牲も無視できない。

 ダメ、自滅行動よ―――。そんな制止を冷静な私が訴えてくるも、もう決めた。

 

「―――蜻蛉さん、計画変更よ。逃げるのはやめる」

「ッ!? ……それは―――」

「できるだけ暴れて、ここをめちゃくちゃにしてやるの。囚われてる人たちも見つけて解放して、全員で」

 

 この不愉快極まりない場所を、木っ端微塵にしてやる―――。言い切ると、それだけでも清々しい気分になった。

 

「……レッドたちに見つかったら、ほぼまちがいなく殺されますぞ?」

「先に二人、レッドたちと遭遇したわ。けど、どちらも大した使い手じゃなかった」

 

 強がりではあるが、事実でもある。

 改めて振り返っても、拍子抜けするほど……とはいかないまでも、もっと厳重に警備してもよさそうなものだった。人員が少ないわけではないだろうに、中途半端感が否めない。

 ただし、これからも同じだとは、さすがに考えられない。もっと手練が/何のブレーキもないような冷酷なレッドが、襲いかかってくることは間違いない。そんな相手に、こんな場当たりな装備と携行品では……勝ち目はない。それ以上に、命もないだろう。

 けど―――もう決めた。

 考え直す必要はない、止めるなんてありえない。

 

「……了解でござる。

 実は拙者も、そうしたかったところでござる。ここはあまりにも……臭すぎるゆえ」

 

 そうこぼすと、ニヤリ―――マスク越しでもわかる、不敵な笑みを向けてくれた。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 《擬似合技発生装置》の力にて、襲いかかるゾンビたちを切り伏せていった―――

 

 

 

 あらかじめ抜き放っておいた、二本の片手剣。一本は愛用している黒の魔剣で、もう一本は用意してもらった雪色の《擬似魔剣》。

 ベルトから流れ込む【車輪】の力が、両手の剣に伝導し、青白いライトエフェクトをまとわせ煌めかせる。

 十二分に力がのったと感じ取ると、【二刀流】のソードスキルを発動させた。片手を上段に、他方を下段の構えに。

 

 二刀流・範囲連続攻撃、【ブレイクブレイドサイクロン】___。

 

 直後、両剣を回転させながら―――舞った。

 光風をともなう竜巻が、あたり一面を微塵切りにしていった。

 

 周囲に描く斬線は、波打つよう柔らかく/軟らかく/ソフトに、ゆえに早くも/鋭くも/硬さも重みすら、感じさせなかった。

 しかし/だからこそ、切り裂いていた、まるで抵抗を感じずに。

 両剣が纏い引く光風が通り過ぎれば、瞬く間にゾンビたちはその体をスライスされていく。引かれた斜線にともない、上下左右が別れ滑り落ちていった。浴びるたびにどんどんめくれ飛び、地面に落ちる間もなく燐光となって消えていった。

 人の形をした暴威。踊るように死の斬風を撒き散らしていく最中、青白かったライトエフェクトも変わる。吹き上がる血しぶきを巻き込み、紅蓮の旋風へと変わっていった―――

 

 何十もの回転、高速状態による世界との隔絶感/擬似的な傍観者視点に漂わされていた。見える景色は光線の乱舞のみで、すぐに数えるのはやめた。

 心地よくも不快でもない、微睡み感。いつまでも続くかに感じるも、徐々にシステムアシストが抜けていくのがわかった。そして、思っていたよりも早く、ソレは訪れた。

 ソードスキルの終息―――。連続の回転斬りは、天を睨む大虎のような残心姿勢をもって、終わりを迎えた。両の腕は始まりと同じ、地面にギリギリつかない上下段の卍構え。止まるとすぐに、紅蓮の斬風も掻き消えていった。鮮血色が抜け落ち、青白さへと戻ると、空気に溶けていく……。

 残心している/硬直を課せられている中、改めて見わたすと、そこには―――上半身が消滅していたゾンビたちの群れがあった。接近していた者は腰部まで消滅し、両足だけになっていた。

 ゾンビたちの第一陣は、全て、斬り消し飛ばしていた。

 

 

 

(……我ながら、とんでもない威力だな)

 

 自分がやったことだが、それでも驚きを禁じえない。

 ただでさえ強力なユニークスキル【二刀流】、そこに、擬似的とはいえ【車輪】との【合技(アレイド)】により、大魔法じみた破壊兵器になった。おそらく、同レベルプレイヤーに対して使っても、即死級の攻撃力があるはず。……範囲連撃ですらコレなので、直接連撃ではあらゆる防御を無視できることだろう。

 まさに、ビーターの所業だ……。本来なら、【合技】として合わせられないだろう【二刀流】と【車輪】、リズムとスピードが違いすぎるので共鳴が上手くいかない。最高度の《絆値》のパーティーでようやく前提条件をクリアだろう。けど、共鳴はできても増幅には到れない、【二刀流】の速度の中ではただ追随で終わってしまうだろう。それを、アイテム化と装置を媒介することで減衰するものの、『装備』というカテゴリに収めることで無理やり成立させた。

 

(でも今は、コレが必要だ)

 

 生き延びること、ゲームクリアはどんなことよりも優先される―――。チートなど、デス・ゲームでない通常のゲームでの反則行為だ。ここではそんなものなど、無い。強さは、飽くなく際限なく躊躇うことなく、求めるべきだ。

 

 唖然としている、フィリアとトビ。オレ以上に、目の前の光景が信じられないのだろう。

 もうコレで、終わったも同然なんじゃ……。そんな余裕まで沸いてきそうになるも、すぐに訂正した、せざるを得なかった。

 下半身だけになったゾンビたちは、パタリとその場に倒れた。その仲間の屍を踏み越え、第二陣がやってきたからだ。

 

 再び、武器を構えた。……今度は、装置の力を借りずに。

 本当ならば、連発して消滅を繰り返したい。ゾンビの波を力尽くで押し返せるコレは、生き延びるには欠かせない。でも、回数は限られている。まだ試作品でもあるので、いつ壊れるかもしれない、最悪暴発するかもわからない……。現状の絶望を蹂躙できないほどには、チートじゃない。

 でも、まだ首の皮一枚は、つながっていた。

 先の力をみせたことで、二人の中にかすかな希望を灯すことができた。か細いながらも、生き延びれる道が存在している……。そう信じさせることができた

 各々、手持ちの武器を構え/握り締め、目前の絶望に相対してくれた。

 大猿閣下は、そんなオレ達の抵抗の意思に、眉根をひそめていた。 

 

 

 

 フィリアの鞭で打ち据えられ、押し砕かれる。

 その鞭の結界からこぼれたゾンビ達を、オレの【二刀流】が切り裂き、五体不満足にする。間合い外のゾンビは、トビの【投槍】と【投擲】により、暴風域へと叩き戻していった。

 誰が指示したわけでも無しに、即座に/自然とできた連携。互の武装と技を上手く発揮し、噛み合わせることができた。即席かつ友情も経験も無い3人には、できすぎなほどのコンビネーションだ。迫り押しつぶさんとするゾンビ達は、3人でつくった防波堤を越えられないでいた。

 しかし―――それも時間の問題だろう。

 

 頭部を失うか甚大なダメージを負ったゾンビ達は、しばらく停止状態になる。しかし、すぐにまた動き出した。何事もなかったかのように、襲いかかってくる。……傷つきちぎれた体をそのままに。

 いや……少しだけ違う。山のように切り伏せ続けてきたから、見落としてしまった。

 少々のダメージ、あるいは手足を失うまでの傷だったのならば、確かにそのまま。這ってでも近づこうとする。しかし、致命的なダメージを与えた場合/いわゆるHP0だろう状態だと、違った。一時的に停止し、安定を失えばその場に倒れてしまうことはある。しかし、しばらくするとすぐに、ムクリと立ち上がってくる、まるで糸人形のように引っ張り上げられるように。―――その時、叩きつけた重傷を修復させながら。立ち上がり向かってくる頃には、完全修復している。

 気づかされると、思わず舌打ちがこぼれた。

 崩れない大猿閣下の余裕の態度から、予想はしていた。が……実際に目の辺りにするとゾッとしてしまう。ただでさえ数の暴力、HP0にしたら修復させられるおまけまでつくとは……。勝ち目が見えない。

 

 ある程度傷を負わせるに留めるしかない。手足を切断して、身動き取れなくさせるのがベターだろう。《気絶》か《麻痺》させられる方法があったのならベストだった。……それでも、そのまま放置すれば死んでしまうので、時間稼ぎにしかならない。 

 フィリアと目配せして、切り替えようとの無言の合図。―――対応してくれた。

 頭ではなく、下半身を重点的に狙う。それで《転倒》させられきれなかったゾンビ達を、オレが切断で強制的に這い蹲らせた。トビの方も、投げてきた竹槍を手元で構え直し、脚部を叩き払って横転させていった。……『死に返り』に対しては、何とか対処できた。

 しかし―――再び舌打ちを漏らした。

 

 こかしたゾンビ達を使って、迫るゾンビ達の勢いを削ぐ。倒せば倒すほど増築/堅固になっていく、ゾンビの猪鹿垣。

 再び完全に封じられたゾンビの群れ。瀕死の仲間が邪魔をしてくる……。その仲間に対して、別のゾンビが急に―――攻撃してきた。トドメを刺してきた。

 今まで、仲間同士で攻撃したりはしなかった。助け合うことはしないものの、避けようとはしてきた。「そうあれ」とのアルゴリズムを元に動かされていると思っていた。それなのに……驚かされる。

 仲間に殺されたゾンビはやはり、しばらくしてすぐに、蘇った。―――そしてまた、戦線に復帰してくる。

 ゾンビの猪鹿垣作戦は早くも、瓦解してしまった。

 

「これじゃキリがないわ!」

 

 どうするの―――。抑えに抑えてきた弱音。どうにもできないとわかっていても、尋ねざるを得ない。

 オレは答えられず、ただそれまで通り/作業的に切り伏せ続けた。この死の津波の先にあるだろう、活路を見出そうとして。

 しかし……もはや詰んでいた。逃げ場もない。ゾンビたちに殺されるのは、時間の問題でしかないだろう。

 ゾンビの大波の後ろ、フィリア弟のゾンビに守られている大猿閣下は、高みの見物で笑っている。……オレたちがどれだけ踏ん張れるか、賭けでもしているのかもしれない。

 

 しかし―――そんなことは百も承知だった。

 これまでの無駄とも思える抵抗。ソレを続けてきたのは、大猿閣下への最初の接敵、そこからずっと頭にコベリついているある疑念を確かめるためだから。

 

「アイツを捕えましょう! 

 私がどうにか道を開くから、あとは任せるわ」

「いや、無駄だ! アレはホログラムみたいなものだろうさ。

 希望を持たせて賭けをうたせて、終いにする。質の悪い罠だよ」

「それはッ!?

 ……そうかもしれないけど。でも―――」

「やってみる価値は、あるかもな。ただ―――」

 

 言い切る前に、ひと呼吸おいた。出してしまえばもう、後戻りはできない。

 瞬時、自分に問いかけた。これまでの自分とこれからの自分、今の自分はその二つを繋げていけるのか? 抱えて生きると身軽なまま死ぬ、どちらが正しいのか……?

 後悔はあった。けど、覚悟はもう―――決まっていた。

 

「―――あんたの弟を、殺す事になる。それでもいいんだな?」

 

 返事はない。しかし、フィリアの息を呑む悲鳴が、聞こえてきた気がした。

 当然、大猿閣下を捉えようとすれば、フィリア弟がたちふさがる。ソレをどうにか振り払わねばならない。……殺すしかない。

 自分が提案したこと、しかしあえて考えてこなかったこと。こんな絶望の状態でもまだ、迷いは振り払えないでいた……。

 そんな彼女をみて、また、少しだけ後悔が増えた。

 あえて言葉にする必要は、なかったのかもしれない。決断できないことなど、わかっていることなのに、意地が悪かった。……ソレをやらねばならないのは、オレなのだから。

 

 答えを聞かず、目標へ意識をシフトした。

 ベルトから空になった結晶を排莢し、新しい結晶をセットした。……準備完了。

 

「少しの間、一人で踏ん張ってくれ―――」

「え……? あッ!?

 だ、だめッ! だめえぇぇぇーーー――― 」 

 

 追いすがるフィリアの絶叫。しかし/ゆえにか、突然で唐突な突撃に、背後からの鞭撃は……飛んでこなかった。

 今までのジリ貧の抵抗戦線が活きた。彼女を()()()()()ことができた。どうしても背中/隙を晒してしまうこの窮地を、乗り越えれた。

 

 弾丸のように飛び込む。ゾンビたちの壁を突き破り、一気に総督大猿の下へ。―――すると/当然、フィリア弟が立ちふさがってきた。

 突進してくるオレに、カウンターの一撃をぶつけようと、脇腹への肝臓打ちの拳を打ち込もうとした。

 しかし―――ソレは予測していた。

 今のオレの状態/ライトエフェクトを纏って突進してくる姿は、手持ちの武器のソードスキルから発生したものに見えるも、違う。発生装置からの付与だけだ。【二刀流】ならびに武器が放つ光と【車輪】のソレとでは、色合いが違っている、攻略組ならば一瞥で識別できるはず。しかし、ゾンビと化してしまっている/思考が停止しているだろうフィリア弟には、違いを判別できない。

 なので、切り替えられる。システム外スキル/【加速】も【急制動】も必要ない、もちろんキャンセルによる硬直も課せられない。即座にくるりと身をひねった。

 そして、難なくボディーブローを避けると―――その勢いのまま、逆カウンターの回し斬りを、その無防備な首筋に滑り走らせた。

 

 スパンッ―――。

 交差し通過すると同時に、剣を振り抜いた。

 その勢いをピタリと、残心して止めると……背後で/外したボディーブローの格好で、フィリア弟もまた止まったのを感じた。

 

 直後、目の前にオレがいないこと/カウンターを決められなかったことに気づいたのだろう。さらに追撃しようと振り返ると―――ズルリ、回れたのは首から下だけだった。

 上はそのまま、僅かに斜めになっている断面から滑り落ちて……ポトリと、地面に落下した。

 そして下の方も、しばらくグラグラとするも、バランスが取れずにそのまま倒れ……動かなくなった。

 背中越し、フィリア弟の最後を見送った。

 

 目の前でソレを見せつけられたフィリアは、ただ茫然と。目を見開きながら/息を呑みながら/絶句しながら、ただ、目に映すのみ……。

 そんな彼女に一瞥もかけることなく、すぐさま大猿閣下へと振り返った。……これでもなお、余裕の笑みを崩さないでいる元凶を。

 

「―――素晴らしい剣技だった。そなたがヒムトで無いことが悔やまれる。

 だが……わしには届かんだろうな」

「笑っていられるのも、今のうちだぞ。―――もうコレで、()()()()()()だ」

 

 そう言い切ると、構えまで解いてみせた。放ち続けていただろう殺気も、消えているはず。

 まだ気づいていない大猿閣下は、そんなオレを訝しんだ。……侮っているとでも、思ったのだろうか。

 

「……負け惜しみを。

 そんな肉人形が壊れたところで、わしは何の痛痒も感じ――― おぐぅッ!?」

 

 突然、威厳を保ち続けていた大猿閣下が、呻いた。内側からせり上がってくる何かに悶える。

 思わず笑みがこぼれた/安堵も込めて。……仕掛けられた『毒』が、ようやく発動した。

 

「な……何だコレは!? この衝動は……なぜ、こんな―――

 ウグゥッ!? ウウゥゥ、アアァアァアアァァーーーーッ!!」

 

 叫び悶え苦しむ大猿閣下、元凶を掻き毟りとらんと暴れるその姿が、歪み()()()。……予想通り、遠距離からのホログラム映像だった。

 まるで、己の体内が焼かれているかのよう、あるいは毒虫がのたうっているのか……。頭の方も、今にも爆発してしまいそうな恐怖からか、割砕かんばかりに歯噛み/握りつぶさんと掴んでいる。内側から生まれ出でようとする何かに、耐え切れずうずくまった。

 そして、ふたたび顔を上げると―――

 

「ヴッ、■■■■■■■■■■■■■■■ーーー―――」

 

 獣以上の怪物の雄叫び。聞き取ることができない異音を放つと―――プツン、映像は途切れた。

 その最後の映像。瞳は爛爛と赤く輝いており、口からは鋭利な牙が伸びていた。全身から血煙にも似た何かを吹き出し、別の何者かに変貌しようとしていた。……完全に理性を失い、獣性に支配された姿だった。

 

 映像が途切れた直後、ゾンビたちの動きもピタリと―――止まった。

 襲いかかろうとした手も、急に下ろした。そしてぼおっ……と、その場に立ちすくむ。牢屋に収まっていた時と、同じように。

 ゾンビの攻撃もまた、止んでしまった。

 

 

 

「―――な、何が、どう……なったの? どうしていきなり……?」

「使い魔の性、てやつかな。

 テイマーが死ぬと、残された使い魔は……ああなる」

 

 説明しながらも周囲を警戒、それでもまだ襲いかかってくる者がいないか、臨戦態勢のままに。

 

「指揮者が正気を失えば、止まるのものだと思ったが、正解だったな。……自動操縦じゃなくてよかったよ」

「総督になにをした?」

 

 睨みつけてくるトビ、答え次第では今にも斬りかかると言わんばかりに。

 ゾンビたちに動きはない。ここに他には、敵はいなくなった。

 

「……力を得ようと、彼の使い魔になった。その彼が死んだから、残された力は全て、奴に流れ込んだ」

 

 そして正気を失った……。さらに言えば、『怪物』にもなっているはず、考えるだけでも億劫になるほどのバケモノが……。

 

 かつて/前回の人狩りにて、ビーストテイマーの少女を襲った悲劇―――。

 実際の仕組みは、少しばかり違うだろうが、概ねは合っているはず。全て説明するとなると、この世界の成り立ちやら諸々も説明しなければならないので、端折った。……そもそもオレ自身も、証明されきっていない仮説の段階でしかない。

 剣を鞘に収めると、ようやく肩の強張りも解けた。

 

「オレが死ねば、お前もああなる。……望むも望まざるとも、な」

 

 最後に意味深に、嗤いかけた。

 トビはそんなオレに、舌打ちでもこぼす/犬歯でも突き出すかと思いきや……何もせず。ただ、眉間をキツくさせただけだった。滲みだしていた殺気も、徐々にだが鎮めていく……。

 ソレでいい。ソレがオレ達の関係だ……。仲良しなど期待しない。命令するオレと従うトビ、しかしながら全力で、トビが獲得しただろう自意識を無視し続ける。本来のテイマーと使い魔の関係に嵌め込みつづける。

 そうしなければ……危うい。飲み込まれてしまう。剣が鈍ってしまう。

 

 不安は棚上げ/前線で戦い続けるための心の切り替え、果断な取捨選択。……考えても解決できない問題は、考えても仕方がない。

 それに今は、敵こそ去ったものの、まだ危険地帯だ。反省やら後の不安よりも、目先の障害を打倒しなければならない。

 

「―――さて、一旦危機は去った。

 あとはここから、脱出するだけだな」

 

 内と外の不安を払拭するようニヤリと、現れてくれた活路に笑いかけた。

 

 

 

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 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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66階層/狭間 喰らいつく生者

 

 

 

 ―――油断してしまった。

 あの危機的状況、集中しすぎていたのだろう。この結末まで頭が回っていなかった……。

 

 

 

 残心とともに愛剣を背中の鞘に納めると、緊張の糸が僅かに緩んだ。胸の内でもホッと安堵をこぼすと、臨戦態勢が解かれてしまったのを感じていた。棚上げさせていた疲労感が体にのしかかる。

 だから―――

 

「―――ねぇ、こうなるってわかってたの?」

 

 背後からそっと、フィリアの一言。

 何気なしに振り返ると―――ヒュンッ、微かな風切り音が耳に届いた。

 そして、ソレが目に映った時にはもう……遅かった。

 

 バチンッ―――。左手に、鞭の一撃。

 

「ッ―――!?」

 

 強烈かつ正確な打撃にそのまま、左手が背後にはじけ飛んだ。つられて半身にさせられ、よろけ倒れそうになった。

 ギリギリ/偶然だろう、寸前に踏ん張れたので【転倒】は免れた。

 しかし―――握っていたもう一つの剣までは、そうではなかった。

 弾け飛ばされた衝撃で手放し、遠く背後へと落としてしまった。……武器の【取りこぼし】。

 

 落とされたソレを見送りながら/突然の出来事に驚愕しながら、それでも、体は今必要な行動を取っていた。―――すぐさまの臨戦態勢。

 愛剣を握り直し/ギリギリ四足になるほどの腰を落とし、突撃タイプのソードスキルを放とうと身構えていた。速攻の反撃―――

 しかし……ソレは読まれていた。

 顔を上げフィリアに/敵に視線を定め直すと、目の前には―――鞭。すぐさま放たれていただろう鞭撃が、オレの顔面を襲おうとしていた。

 

 反射的に避けた。反撃を強制キャンセルし、追撃の軌跡から頭部を外す。ついでに歯を食いしばり、くるだろう衝撃に備えた。

 強引ながらもソレは、功を奏した。

 鞭撃は、わずかに頬をかすったのみ。耳朶を通り過ぎた時、焼けるような摩擦音を脳髄へと刺し込みながらも、それだけだった。ただ、あまりにも強引すぎた。体を支えられずそのまま、横倒れになっていく。

 それでも、仕切り直し。奇襲を凌ぎ切ったとなれば、結果は上々だろう。後はただ、喰らいつきに行けばいいだけだ。組み伏せてやるのはそう難しいことじゃない。彼女は早まったことをしてしまっただけになる。

 しかし―――甘かった。

 ギリギリで避けたはずの鞭撃の影、もう一撃が隠されていた。

 

 ソレはオレの目に映ることはなく、ただ―――バチンッと、顔面を叩いていた。

 もろに受けてしまった鞭撃。しかも、予想だにしていなかった……。床に横倒れた後、横転からの切り返しのプランは、潰された。

 そのまま倒され、後ろに弾け転ばされていった―――

 

 

 

 転ばされた後、わずかに途切れていた意識を繋ぎ直し、顔を上げられた時にはもう……フィリアに陣取られていた。

 オレが首を切り落としたプレイヤー/彼女の弟、その事切れ虚ろな表情を浮かべている頭部を、悲しそうにも愛おしくか、腕に大事そうに抱えていた。

 その佇まいに―――ゾクリと、首筋が粟立った。

 同時に、彼女の目的が思い出された。共に戦ってきた仲間を売ってまで果たそうとした目的。何のためにここまで/こんな死地まで、オレについてきたのか……わかってしまった。

 

 頭が痺れ、喉が強張る。言い知れぬ躊躇いの金縛り、レッドライン/危険域に踏み込もうとしている警告。

 今すぐとっと逃げろ―――。ソレが正しい選択だ。誰だってそうする、誰かに責められることもない、ここにはその誰かすらいない……。

 しかし/それでも/だからこそ、()()()()()()()()()()()()()()

 腹の奥底からこみ上げてくる何かが、金縛りを突き破って……言った。

 

「―――馬鹿な真似はよせ。考え直せ」

 

 戻ってこい―――。今ならまだ、引き返せる。

 最後の警告、今オレができる最大の譲歩。ただの気の迷い/冗談で終わらせられる最終ライン……。

 しかし―――フィリアは踏み込んでしまった。

 

「55階層での噂、本当だったのね」

 

 オレに向けてきた瞳は、底冷えするほどに……虚ろだった。

 まるで、その腕に抱えている頭部と同じように―――レッドプレイヤー特有の禍々しさ。

 微かに繋がっていただろう、オレと彼女を結んでいた線は、その虚ろに飲み込まれてしまっていた……。

 

 胸に確かな、痛みを感じた。奥の奥までに射し込んでくる、鋭く致命的な痛み……。

 そんなことはあり得ないと思っていた。そんなことオレには通じないと思っていた。自分が考えている以上に無神経で無遠慮なんだと自覚していた。何の痛痒も感じずにどんな犠牲もものともせず目的を遂行できる、最高にタフなプレイヤー/ビーター。

 しかし……そうじゃなかった。なりきれていなかった。……オレはまがい物だ。

 でも、意地だけは残っていた。

 ソレが顔にまで表れそうになる寸前、唾と一緒に飲み下した。

 

「…………何のことだ?」

「ターゲットだったビーストテイマーの女の子は、実はまだ生きている」

 

 再び迫りきた衝撃にも、何とか耐えた。……耐えれたはずだ。

 オレの前でソレを口に出すということは、確証が無い証拠。【聖騎士連合】の奴らがキッチリと約束を守ってきた証、レッド達にすら漏れていなかった。……ブラフに引っかかるほどお人好しじゃない。

 ただ、時間は必要だ。これから彼女が何をするつもりなのか? この難問を打開する解決策を導き出す時間、今オレにできることは―――

 

「……【生命の碑】にはちゃんと、横線が引かれてただろ?」

「ええ。でも、誤魔化す方法は幾つかあるわ」

「どんな方法だよ? システムにクラックしてダミー情報でも割り込ませる、てか?」

「『碑文に横線が引かれてる』と見えればいいだけ。その時確認した数人が、後から再度確認した数人にも、そう錯覚させればいいだけ。

 個人でその全てを騙しきるのは、不可能かもしれない。けど、()()()()()()でなら、難しいだけで不可能じゃない」

 

 大方の目星は付けられている……。そこまで悟られているのなら、逆に話は早い。

 

「……仮に、そうだったとして。何でソイツらは、()()()()したんだ?」

「それは――― 」

 

 無表情のまま口に出そうとして……止まった。僅かばかり蘇った、フィリアのためらい/心。

 しかし……すぐに虚ろが覆い尽くしてきた。

 その突端を引き戻さんと、すかさず言葉を差し込んだ。

 

「万が一、お前の妄想がすべて当たってるとして、だ。彼女と()とでは、状況が違いすぎるぞ」

 

 後生大事に抱えているソレ、彼女にとってはまだ彼。……糸口はやはり、そこしかない。

 

「もしも、復活させられるとしても。蘇るのは彼なのか、それとも、使()()()()()()()()なのか。はたまた、二人が織り交ざった全くの別人なのかも……わからない」

 

 シリカの場合とは違う。彼女のピナは、普通の使い魔でしかなかった。『自分』というものを持っていたとは、少なくともシリカに匹敵するだけの自分を持っていたとは、思えない。

 しかし彼の場合は、違う。

 あの大猿は明確な自分を持ち合わせていた。しかも、一国の指導者としての強烈な自我を。かえって彼は、限りなく自分を薄められていた、使い魔に操られてしまうほど薄れた自我。さらに致命的なのは、彼とあの大猿の仲はすこぶる最悪だった。……シリカのようになれる可能性は、極めて低いはず。

 それでも―――

 

「―――私にとって重要なのは、()()じゃないの。私を苦しめ続けてきた中身なんてどうでもいい。……どうでもよかったの。

 現実の世界で、あの子の姿をした人が傍で、生きていてくれることだけ。……それだけだったの――― 」

 

 ―――ヒュンッ。

 言い切られるとほぼ同時に、投擲していた。袖口に仕込んでいたワイヤー付きクナイ。

 

 しかし―――パチンッ。

 鞭一蹴、弾かれた。

 呼吸を読んでの奇襲。しかも狙いは、彼女ではなく彼女が守りたいもの/頭部となき別れた胴体部だ。……ダメージを与えればすぐに消滅する。少なくとも/それだけでも、彼女は目的を果たせなくなるはず。

 タイミングは掴んだはずだったが……読まれていた。

 

「……チィッ!?」

「させないわ」

 

 すかさず、二の手―――。愛剣を握りながら、突貫。……少々のダメージは覚悟の上だ。

 真っ直ぐ跳び込んでいった。

 そんな無謀な突貫に、予想通り/予測不能な多方向から鞭撃が、叩き込まれてきた。

 

 不意打ちでしかも不安定な態勢だったのなら、吹き飛ばしも【転倒】もありえた。しかし、覚悟をまとっての突進では不可能だ。そんな攻撃では、オレを妨げることなんてできない―――

 構わず突っ走っていった。そんなオレを遮るように、一本の鞭撃が胸元まで迫り来た。―――鞭の色合いとは異なる何か、『赤白の短冊のような板切れ』が巻きついていた鞭撃が。

 《ソレ》に気づいたときには、もう……遅かった。 

 胸にソレが触れた時、鞭の衝撃が体奥へと突き響いた直後―――()()した。

 

 《爆砕符》___。貼り付けた箇所に小規模な爆発を引き起こす、魔法の短冊。見た目と音の派手さとは異なり、与えるダメージは極微小。しかし、高確率で態勢の崩しと【転倒】を、タイミングが合えば【気絶】まで引き起こせる攻撃・消耗アイテム。

 時限爆弾か千切れる・水に濡れる等、スイッチの入り方は様々にある。今回のソレは、強い打撃にゆらいするものだったのだろう。……鞭の打撃のような。

 

 仕込まれた/引き起こされた爆発に、突進は殺された。仰け反らされその場に、縫い止められてしまった。

 さらに、その無防備の中、繰り出されていた多数の鞭撃が叩き込まれてきた。

 避けることも防ぐこともできず、為すすべもなく叩き続けられていくと―――いつの間にか、元の場所まで押し戻されていた。

 

「―――つぅッ!?」

「近づかせない」

 

 連続打撃から立ち直り/顔を上げると、今一度フィリアと相対し直した。

 しかし今度は、踏みとどまった。……止まるしかない。あまりの鉄壁さに近づくこともできない。

 

 このままじゃ―――。そう焦りが噴き出してくると、気づいた。

 ジリ貧なのは、彼女の方ではないか……? 

 このままオレと戦っても、にらみ合いの持久戦に持ち込むだけ、現に今そうなろうとしていた。援軍がここまできてくれるのは見込み薄だが、来てしまったら彼女の負けだ。オレと援軍達を相手取って逃げ延びれるはずがない。しかも、時間も無い。あの大猿に彼を食べ尽くしてもらわない限り、復活の可能性は0だ。

 ならどうして今、行動にでた……? 

 ここから、今すぐにでも、逃げ出せる算段があるからだ。

 

(でも、どうやって……?)

 

 ここは【狭間】、フロアとフロアの間にある、どこにも所属しないエリア。

 だから、全域が【転移無効化空間】になっている。ここから抜け出すには、歩いてエリア外まで出るしかない。しかし今、その唯一の出入り口は塞がれている。……完全な牢獄だ。

 しかし/だからこそ、【狭間】はレッド達の巣窟足りえた。奴らが拠点を持つとなれば、【狭間】以外にありえない。【狭間】のことはオレや攻略組以上に、奴らの方が知悉しているはず。

 ならば……ありえるだろう。

 この牢獄から抜け出す、奴ら独自の脱走方法が―――

 

 

 

 ―――トゥルルルル、トゥルルルル……。

 突然、奇妙な電子音が、あたり一面に広がった。

 

「―――やっぱり、仕込んでいたわね」

 

 ソレは、彼女が手を突っ込んでいた()()()()()()()()()()()()が、原因だった。ソレに触れることで、この奇妙な鳴動が引き起こされていた。

 そして―――

 

「さぁ、約束は果たしたわ。……今度はそっちが守る番よ」

 

 もう誰もいないはずの頭部に向かって、そう命じると―――()()()()、嗤い声がかえってきた。

 頭部だけになった彼から突然、嗤い声が鳴った。

 ソレは、本来の彼のモノとは明らかに違うだろう。異質な邪悪さがこもっていた。

 

 その不気味な現象に、一瞬真っ白に/眉をひそめてしまうも直後、浮かんできた。その声音の持ち主が、いったい誰なのか―――。

 ソレが喉元まででかかった寸前、フィリアが向き直ってきた。

 いや……オレではなかった。

 

「ねぇ、お猿さん。

 今ほんの少し、その人を止めてくれたら、あなたの兄弟と部下たちは助け出してあげるわ」

 

 ハッ―――と思わず、振り返ってしまった/視線を逸らしてしまった。

 今まで、状況が分からずだろう、静観していたトビ/無理やり使い魔にした猿たちの幹部の一人。……反旗される考慮は、していなかった。

 その心の隙を、突かれた。

 

 マズい―――。やられた。

 見えた呆けていたトビからすぐに、フィリアへと向き直るも……遅かった。

 

()()、【ジョニー・ブラック】――― 」

 

 聞いたことのない呪文が唱えられると―――光の柱。転移時にしか発生しないはずの現象、ここでは発生しないはずの現象。

 ソレがフィリアと周囲を包み込むと……次の瞬間、ポリゴンの欠片を残し掻き消えてしまった。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 ―――ソレは、偶然がつないだ奇跡だった。

 

 ここまで計算していたわけでは、なかった。

 もう生き埋めの上の手詰まり、何とか生き延びれただけのイッパイイッパイで、次を考える余裕などなかった。ただの偶然、九死に一生。……原因不明は、チートで片付けられることだろう。

 だから、勝手に思うことにした。―――まだ繋がっていたと。

 ちぎられてもなお、絡まっていた。微かにつなげてくれていた。腐れ縁というには短すぎるけど、そんな奇妙な繋がりだろう。

 だから、ソレを残してくれたのが神様とは、言いたくない。きっと/もっと別の何かのおかげだと、信じている―――

 

 

 

『―――おかえり、フィリアちゃん♪

 また随分と、キレイになったね♪』

 

 あぁ、やっぱり『コイツ』だったか……。最悪な予想は、いつだって当たってしまう。 

 

「……アレはどこにいるの?」

『アソコに、総督府に隔離されてるよ♪ 部下のお猿さんたちが一生懸命、()()()を鎮めようと頑張ってる』

 

 そう言うとくっくと、含み笑いをこぼした。

 自分たちの戦況が不利になっているというのに、余裕な態度。舞台に参加しているはずなのに、観客であるかのように楽しんでいるだけ、相変わらずの/いつもながらのムカつかせる態度だ……。けど、今はさすがに訝しまざるを得ない。

 その自信の源は、いったいなんだ……?

 

『急いだほうがいいのは……わかってるか。

 ソレの耐久値もギリギリだろうけど、あっちの方も攻略組たちが攻めてきちゃってさ♪ こっちは指揮官がいなくなって混乱しちゃってるし、もうすぐにでも―――』

 

 バンッと、崩壊すると茶化してきた。

 自分たちの敗北。それは同時に、奴自身の『死』でもある。なのに―――

 

「それにしては、随分と余裕じゃない。何か策でも……て、いいわ。

 そんなこと、どうでもいいことだったわね」

『そう、()()()()()()()()だよ♪ どう転ぼうか、どうなろうが、ね』

 

 僕には関係ない……。すでに/もう、目的は果たしている。

 そう言わんばかりの含みに、改めて考えさせられた。奴にとっての目的/際限のない愉しさ、最高にノれる遊びに興じること。しかし、死んでしまったらそれまでだ。今日以降も生き続ける他のプレイヤーたちを尻目に、途中退場……。そんなみみっちい終幕など、求めていはいないはずだ。

 死なば諸共、巨大な花火でみなを巻き添えにする―――。そんな最低最悪な自爆なのか? 思い浮かんできた仮説に、ゲッソリと呆れ返りそうになると、

 

『……とこで()()、フィリアちゃんなりのお茶目なのかな♪ どう反応したほうがいいものなの?』

「? ……なんのこと?」

『君の後ろにいる人のこと』

 

 ようやく奴から、切り出してきた。

 ココに転移してからすぐに/ずっと、互いに警戒し合っていたが、そんなことはおくびにも出さず。フィリアとの会話に興じてきたが、ようやく指摘してきた。おそらくは/本当に、フィリアがどっちの側についているのか、判断できなかったからだろう。

 なぜなら―――

 

「何をいって―――…… 。ッ!?」

 

 振り返って確認したフィリアが、ようやくそこに、オレがいたことに驚愕していたからだ。あの狭間の地下牢の中、置き去りにしてきたはずのオレが、自分とともにココにいることが。

 彼女が驚くのも、無理はないだろう。当のオレ自身も驚いていた。この偶然がつないでくれた奇跡に、鞭に絡まっていた()()()()()()()()()の存在に。

 けど、そんなことはおくびにも出さず。ニヤリと、不敵な笑みを浮かべながら返した。

 

「―――悪いなフィリア。アンタの願いは、叶いそうにない」

 

 どれだけ犠牲に/切り捨ててきても、叶わない願いというものはある……。そうしてしまったからこそ、叶わないとも言える。

 たぶん、オレがここにいるのは、ソレを彼女のど頭に叩きつけてやるためだと……信じている。

 

 切り返せず/動揺のまま、後ずさりしそうになっていたフィリアの代わりに、

 

『―――ようこそ黒の剣士! やっぱり君が一番乗りだったね♪』

 

 フロアボス以上の黒幕然と、心底愉快そうな顔つき/大げさな身振りも加えて歓迎してきた。

 けど、当然オレは、そんなこと嬉しくともなんともない。

 あるのはただ、ココに転移してから奴を観察し続けての違和感/疑問/仮説。ソレが確信に至っただけだ。

 

「ということは、お前が本体……てわけじゃ、ないな」

『ご明察♪

 ただ……あんまり壊したくない一点モノ、ではあるよ』

「……はぁ。

 相変わらず、お人形遊びが好きみたいだな」

 

 いい加減、卒業したらどうだ? ……ついでに、人生からも。

 事此処に至っても、本体は現さず隠れ続ける、呆れるほどの用意周到さ/臆病さ。いい加減、覚悟を決めて欲しいものだ……。遊びの範疇を越えてしまった遊びは、ただ、ドン引きされる冷めたものにしかならないのに。

 

 胸の内で盛大なため息をつくと、ふと疑念がわいてきた。どうして奴は/ここまで、人形であることにこだわってる……?

 問い詰めてやろうと口を開き直した―――寸前、フィリアが割って入ってきた。

 

「―――ここは、私が受け持たなくちゃならないところね」

 

 自分の不始末は自分で取らなきゃならない……。主武装の鞭とサブのソードブレイカーを両手に、いまいちどオレと相対してきた。虚ろに染まった視線も、再びに―――

 すぐさま、気を引き締め直した。

 浮かんだ疑念は棚上げ、この目前の難敵を/突き崩せなかった障害をどうにかしなければならない。……先の戦いは、オレの敗北だったから。

 

(それに今は、先よりも状況が悪い……)

 

 どうすれば越えられるか……。守りに徹した彼女は、強い。空いた片手からの冷たさが、嫌な汗をもたらす。

 臨戦態勢をとりながら、フル回転で頭脳を働かせていると、

 

『5分ぐらい稼いでくれれば、大丈夫かな。

 それじゃフィリアちゃん、頑張ってね♪ ――― 』

 

 そう残すとジョニーは、彼女が持ってきたソレを抱えて、部屋から退出していった。

 

 第二ラウンドは、その扉の音をゴングに、始まった。

 

 

_




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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66階層/樹楽宮 善悪の彼岸

あけおめです。


 

 

 状況を確認、オレの目的は何で、今何が必要か? ……思考を巡らす、計算する―――

 

 答えは―――愛剣を握ろうと、肩まであげよとした手を下ろした。……戦意を閉ざした。

 そして逆に、胸元にある鞘の留め金をパチリ、外して―――投げた。

 フィリアの足元近くに、愛剣を投げ転がしていく……。

 

 さらに、戸惑いを見せる彼女の前、手のひらを前に両手を挙げた。これみよがしの降参ポーズを、見せつけた。

 そして―――

 

「―――なぁ、オレと手を組まないか?」

 

 説得することにした。

 

 今のオレではもう、彼女の鉄壁は越えられない……残念ながら。

 怪物が生まれるわずかだろう猶予を、そんな分の悪い強引な手で消費するのは、ナンセンスだ。……別の手で攻めるしかない。

 自分でもかなり強引な切り替え、突拍子も無さ過ぎる。なので当然、フィリアの重い口が開かれた。

 

「…………どういうつもり?」

 

 第一段回突破……。説得の糸口はつながった。

 だけどまだ、細い細い糸。わずかでも間違えば、すぐにでも切れてしまうだろう。内心にほくそ笑みと冷や汗を隠しながら、平静極まる強気を被って続けた。

 

「言葉通りだ。

 ジョニーと手を切って、オレと手を組む」

 

 簡潔にそう告げると、当然、訝しがられた。

 いや、理屈は通っているはず。まだ筋道が通っていないだけだ。

 

「オレにとって重要なのは、奴を始末することだけだ。あんたとアンタの弟さんがどうなるかは、二の次だ」

 

 先までの敵対の言い訳。言葉にすると、自分でもそうじゃないかと自信が湧いてくる。

 それが好循環を生んだのだろう、強気の泊をつけてくれたのかもしれない。フィリアの戸惑いがより強まったのを感じ取った。

 

「……単純な計算だよ。ここでアンタと戦えば、もし制限時間内に勝てたとしても、ジョニーに返り討ちにされる可能性が、非常に高くなる、残念ながらな。

 だから手を組む。だから、あんたの願いにも付き合う」

 

 一緒に怪物を倒してやる……。ついでに、これまでしでかしたこと全てを黙っていてやる。

 おそらく、彼女が思い描き続けただろう理想の展開だろう。真相は闇の中/オレ達の胸の中のみ、贖罪はひっそりと人知れずに果たし続ける。オレに彼を殺されたことで動転してしまったが、まだ掴み取れる瀬戸際だ、全てを丸くおさめられる。……困難きわまりないだろうが、可能性は残っている。

 

「アンタも、食わせるだけじゃダメなのは知っているだろ? 一度怪物になったそいつを倒さないと、弟さんが再生される可能性は絶望的だ」

 

 最後のダメ押し、オレの切り札。あえての強い言葉で背中を押した。

 ここでの敵対は、無意味以上に有害でもある。どちらにしても彼女一人では、彼女の目的は果たし得ない……。まだ計算できる、頭までオシャカになっていないことを信じて。

 結果は―――

 

「―――アナタが約束を守る保証は?」

 

 成功だ……。何とか繋ぎ直せた。

 ほっと一息、胸の内で安堵をこぼすと……ニヤリ、不敵な笑みを浮かべて答えた。

 

「あんたがそいつを尋ねてくれたことだよ。

 オレとアンタの目的は、重なっている。協力し合える。……本当にはまだ、自暴自棄になっていない証拠だ」

 

 その言葉が、決定打になった。

 フィリアは目に見えて戸惑い、目が泳いだ。定め続けていた視線まで、わずかばかりだが外れた。意識が逸れる……。

 殺意が迷った。致命的な隙―――

 

(―――ここだッ!)

 

 瞬間、切り返した。

 静から動。予備動作なしに踏み込むと、その勢いのまま一気に懐へ、腰だめに構えていた拳をそのガラ空きのみぞおちへ―――叩き込む。

 

「ッ!? ―――」

 

 瞠目。しかし反射的に、迎撃しようとソードブレイカーを引き抜こうとした。……さすがの反射速度だ。

 しかし……遅すぎだ。近づけすぎた。

 鞘走る寸前。オレの拳は、短剣の払い除けを受けることなくフィリアのみぞおちへと、抉りこまれていった。さらに捻り込みも。全身の暴力をその拳の一点へと収束させる、体表ではなく内蔵への攻撃―――

 

「―――ガはっ!?」

 

 驚愕/吐血/悶絶……。口から苦悶/血潮を噴出しながら背後へと、吹き飛ばされていった。

 そして壁へと―――ドゴンッ、叩きつけられた。

 

 直撃かつ受身を取れずの叩きつけ。

 脳天まで揺さぶられたのだろう。意識は朦朧としながらズリリ……壁からズリ降りていくのみ。

 しかし、武器は手放さず。殺意も途切れず。……攻略組の基本は忘れていない。

 なのですぐさま行動。まだ定まっていないだろう朦朧さの中、反撃の鞭撃を振るおうとしてきた―――

 

 だが、ソレは読んでいた。

 さらにもう一歩、飛ぶ様に目前まで跳び込んでいくと、壁にもたれてしまっている彼女の顔へ蹴りを―――叩き込んだ。

 容赦なく割砕く勢いで、足と壁で彼女の頭を圧壊。

 ふたたびドゴン―――と、壁に頭をめり込ませた。幾筋のヒビが壁に広がった……。

 迫る勢いと全体重を集約させた飛び蹴り―――。

 女性に対して以上に、他人に対して使ってはならない危険な攻撃だが、ココでは/攻略組相手ならば仕方がない。毒以外ではこうでもしなければ、戦闘不能にさせられない。

 

 なので、今度こそポロリ……その手から武器がこぼれた。そしてパタリと、腕も力なく床に垂れ落ちた。……彼女の意識は途絶えた。

 突き出した足を外すと、そのまま顔から床にベタン……倒れていった。すぐにHPバーも確認すると、そこには確かに【気絶】のデバフが表示されていた。

 

 

 

「……悪いなフィリア。しばらくそこで寝てろ」

 

 言い訳か謝罪か、冷たくそうつぶやくと、投げ差し出した愛剣を拾い装着し直した。

 ベルトを締め直すと、足元に転がっていた彼女の武器/鞭を拾い上げた。まとめるとそのまま、腰のポーチに押し込んだ。

 もう一つ、ソードブレイカーの方も回収しようとしたが……やめた。鞭さえ取り上げれば問題なし、最低限の自衛手段は必要だろう。

 

 後始末を終えると、彼女が守っていた/ジョニーが去っていた扉まで向かい、手すりに手をかけた。

 そのまま開こうとした時……ビリリと、首筋が泡立った。それが指先まで走り渡り、止めてきた。

 最悪な危険に踏み込もうとする寸前、警告してくれる直感。

 理屈も何に遭遇するかもわからないが、いつもこの警告には助けられてきた。信じ続けることで、こうやって確かな感触を示してくれるまでになった。……だから今度も、信じる。

 【索敵】をもって精査、扉の向こうにひそむ何かを探る―――

 すると……やはりだった。

 扉の向こうには、罠が仕掛けれていた。開けると同時に襲いかかる【麻痺毒】付きの投げナイフ……。 【隠蔽】で気配を殺しながらナイフを構えているジョニー・ブラックが、そこにいた。

 

 危うく、騙されるところだった……。おそらくは、殺されるところでもあった。

 フィリアのことを信頼し任せたようにみせかけて、自分で仕留める。彼女を倒して油断したところをかっさらっていく。先のやりとりはブラフだった。

 奴の演技に舌を巻かされると同時に、安堵もした。―――これでオレが、総取りだ。

 腰を落とし脱力し、気息を整えた―――

 深く深く息を吐き、吸う。まるで血脈が走り巡ったかのように、普段を意識してない内蔵部や手足先にまで意識が通うと……煌めいた。全身を輝きが覆う、力が流れ込んでくる。

 ソレを捉えると、一気に跳びだした。いや引き寄せられるかのように、開けようとした扉へ、渾身の掌底を叩き込んだ―――

 

 体術・単発重拳撃【雷帝震掌】___。

 全身の力を集約した掌底が扉に触れると一瞬、すべてが静止した。それまでの津波のごとき暴威が全て、接触したその一点に圧縮。溜められ固められ捩じ込まれていき……臨界を越えた。

 そして―――決壊した。

 

 ガガーン―――と、雷のような爆音とともに扉が吹っ飛んでいった。

 蝶番ごとえぐり取られ真っ直ぐと、ジョニーが待ち構えているだろう場所へと、叩き飛ばされる。巻き込んでいく―――

 

 

 

 パラパラとホコリ舞い落ちる、開け放たれた扉、その先に広がる通路。掌底を突き出しながらの残心をとりながら、その有様へ鋭く視線を定め続けた。

 そこには……狙い通りだ。吹き飛ばされた扉に巻き込まれたジョニーの姿があった。

 突然のソレに反応しきれず、避けることも払いのけることもできず受けてしまい、床に転倒させられ呻いている姿。……ソードスキルの硬直時間、ニヤリと間抜けな有様を嘲笑ってやった。

 

 硬直が解けるとすぐに、奴の下まで跳びだした。同時に、愛剣に手を伸ばし抜き放ちながら、のしかかっている扉の残骸ごとガンッ―――と、踏み抑えた。

 そして、振りかぶった鋒を―――グサリ、おもいきり突き立てた。扉ごと、奴の顔面へと。

 

 愛剣から伝わって来る柔らかな肉の感触。それとともに、くぐもらされた悲鳴がきこえてきた。……それはまるで、杭打たれる吸血鬼の断末魔に似ていた。

 突き立てながら奴のHPバーを確認すると、どんどんと色味が変化。数値も減り続け……やがて0に至った。同時に、抜け出そうと暴れもがく抵抗も弱くなりパタリと……収まった。

 直後に、ソレの【死亡】が視界に表示された。同時に、殺人の/カルマ値が上昇した警告も叩きつけられた。オレのプレイヤーカーソルが緑から、オレンジに染まった警告が……。これでオレも、立派な犯罪者だ。

 しかし、そんなこと気にしてられない。気にする必要も、今はないだろう。

 

 

 

 剣を抜き出すと、辺りを見渡した。目的のモノを見つけると、そばまで行き拾い上げた。……フィリアの弟だった脳無し生首を。

 もう一つ/胴体部の傍まで行くと、メニューを展開しストレージから運搬用のアイテム/《寝袋》を取り出した。……簡易版『死体袋』だ。

 その中に頭部と胴体部を投げ入れ、口を縛り上げた。余った紐を伸ばし尻尾に結んで大きな輪を作ると、よいしょ……肩に担いだ。

 ストレージに入れられたり手のひらサイズまで圧縮できたら便利だが、プレイヤーが関わっているためかそんな便利アイテムは存在しない、少なくともオレの知る限りは。ただ、袋にいれれば持ち運びはぐんと楽になり、耐久値の心配もしなくてよくなる。

 ずしりと肩に重みがかかった、約一人分の重量。

 現実世界なら特殊部隊員でもたいへんだろうが、ココではそうでもない。背負っている愛剣がすでに、半人分の重量はある、他の装備と合わせれば一人分になるぐらいだろう。それでピョンピョンと、軽快に超人的に動き回れる。なので、さすがに戦闘は難しくなるが、背負って走るぐらいならわけはない。戦いになったら、脇に投げ捨てればいいだけだ。

 

 しっかりと背負い込み、そのまま立ち去ろうとした時……ガサゴソと、背後で気配が動いた。

 驚くも慌てることなく。【索敵】の必要もない、すでに誰かはわかっていた。

 振り返ることなく/気づかないフリをしながらそのまま、立ち去ろうとすると―――ダンッ、襲いかかってきた。

 無言の/ガムシャラな殺意……。オレの背後の間合いに踏み込まれる寸前、ぐるり―――振り返った、死体袋を振り回しながら。短剣を腰だめに突貫してきたフィリアが、ソレにためらい踏み止められていたのが視界に写った。

 同時に、抜き放っていた愛剣。死体袋との【二刀流】の要領。横薙ぎしたソレを、ためらい/急静止させられたフィリアの腕へと、走り抜かせた―――

 スパンっ――― 。

 完全に振り返るとそこには、驚愕に目を剥いたフィリアの姿。短剣ごと手首を切り落とされながら、背後に転がされている姿が目に映っていた。

 

 

 

 遅れて痛みに呻く彼女を見下ろしながら、計算。反撃の可能性、罠の可能性、仲間を呼ばれる可能性……。

 それもすぐに終えるとくるり、背を向けた。そしてそのまま、離れていく……。今の彼女はもう、何の脅威でも無い。

 

「―――どうして、なの……?」

 

 その背に、弱々しい声が追いすがってきた。

 立ち止まって聞いてやろうか/一言いってやろうかと、一瞬迷ったが……やめた。そこまでしてやる義理も価値も暇すらも、無い。

 そのままスタスタと、離れ続けていった。

 

「私とアナタ、どこが違うって言うのよッ! ―――」

 

 叩きつけられてくる哀哭。身勝手な非難だったが、オレの冷え切った胸にも突き刺さってくるものだった。

 けど……無視した。背中のこの死体が全てを物語っている。

 

 何の痛痒も感じていないかのように、彼女の視界から離れ離れていき……差し掛かった曲がり角にて、消えた。

 

 

 

 

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66階層/樹楽宮 絶たれた者達

アスナさんは、乙女よりも漢女


 

 

 ステータスウインドウ展開。スクロールして、目的の項目をタップ。確認用のウインドウが出るも、すぐにタップした。

 承認と準備に数秒……。読み込み合図のような、クルクルとまわる記号を見つめる。

 

 すると―――目の前に光柱が、現れた。

 突如現れた光柱。輝きは徐々に、格子状の光線へと終息し、それすらも……消えていった。

 後に残ったのは、柱の中に収められていたモノ/者。鎧武装した一匹の猿人だった。……使い魔にした【トビ】だ

 

「―――執務室まで案内しろ」

 

 それを確認すると、トビの驚きも戸惑いも無視して、命じた。 

 

「……先まで、地下牢にいたのに……どうして?―――」

「お前がオレの【使い魔】だからだ」

 

 【使い魔】もアイテムと同じ。離れたら呼び出せる、所有権が消えない限り。……オレがあの地下牢から脱出できたので、必然トビも脱出できたカラクリ。

 

「総督の元まで行く。案内しろ」

「…………どうするつもりだ?」

「殺す」

 

 端的にはっきりと、答えた。……おそらくそうなるだろう。

 その答えにトビは、何かを言おうと/何も返せず飲み込んだ。そして、俯きながら搾り出すように、

 

「―――俺には……できない」

「なら、弟と部下たちは死ぬ事になる」

 

 今はオレのコントロール下には無いので、すぐでも確実でもないだろう。預かってもらったケンイチに決断してもらう必要がある。

 しかし、そんなことはトビにはわからない。教えるつもりも悟らせるつもりもない。

 

「それに、お前抜きでも問題ない。手間がほんの少し増えるだけだ」

 

 【索敵】を使って探りながら進めば、たどり着ける。攻略組も攻め入っているようなので、うまい具合に混乱している敵情。戸惑っている敵兵でも捉えれば、確かな情報が得られるだろう。……トビを使役しなければならない理由はない。

 

「加えて言うなら、お前を一度殺し【心アイテム】に変える。ソレをもって後で復活させれば、忠実な人形になってくれるぞ」

 

 たたみかけたトビの現状に、苦しそうに瞑目した。

 一度死んだら、自分の姿をした自分が、敵のオレに忠実に従う下僕になる。おそらく、どんな命令でも有無もいわずに遂行できる、弟や部下たちをその手で殺されることすらも……。そんな悲惨な未来を、想像してしまっているのだろう。

 

「お前には選択の余地なんか無い。オレに従うしかないんだよ」

 

 そうなるかは定かではない。自意識をもったモンスターなど前例がない。けど/だからこそか、「そうなるかも」と怖れることが重要だ。……怖れは弱みになり、己で己を縛る鎖と変わる。ソレをしかと掴むことで支配できる。

 無機的に告げたであろうオレにトビは、やはり苦い何かを堪え飲み込みながら、負け惜しみを絞り出してきた。

 

「―――やはりお前たちは、悪魔(ガラン)だった」

「そうだな。そしてお前は、その悪魔の下僕だ。……これからずっとな」

 

 行け……。もうお喋りの時間は終わりだ。

 先導させたトビの後ろから、プレイヤーの/オレの進む道を阻む敵を、叩き潰しに行く。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 隠れ場所から打って出た。

 すぐに見つかるも、はじめは奇襲成功。……ワンちゃんが上手くかき乱してくれた。

 背後からの一撃、混乱している最中の襲撃。反撃される前に……終わった。

 ワンちゃん/魔犬は、幾分か傷を負わされているものの、なんとか無事。再会できた。……よかった。

 だけど、再会もつかの間。追っ手に気づかれてしまった。

 

 施設内を暴れまわる。逃げ回りもしながら、追手たちを仕留めていく、自分たちに引き寄せていく。

 蜻蛉さんとの即興のペアパーティー。はじめての共闘だけど、なかなかに上手くいった。

 槍とレイピアの組み合わせだろうか。比較的狭い限定空間な戦場、もちろん気合の入り様もだろう。互いに互いのスキを補填し合いながら強化する、追っ手のリズムには狂わされない、自分と状況をコントロールできてる心地よさに高揚する。……ワンちゃんの遊撃/立体機動による噛み付き突撃も、上手く絡み合ってくれてる。

 でも……それでも、生き延びるのが精一杯。

 予期していた敗走。生きるか死ぬかの綱渡りではなく、自滅までのチキンレースだ。……もう体力も、武装すらも、残り僅かだった。

 

 だけど、神様というのは、見ていないようで見ているらしい。

 追い込まれてたどり着いた一角。私が囚われていた場所に似ていた場所。もしやと思い、飛び込んでみれば―――当たりだった。

 仲間と出会えた。牢屋に囚われていた【血盟騎士団】のメンバーたちとの再会。……ただし、全員とじゃなかったけど。

 待ち構えていた/慌てて武器を構えた看守猿兵を一蹴、脱獄にとりかかった。

 

「―――蜻蛉さん、出入り口をお願いします!」

「心得た―――」

 

 返事と同時に、腰元のポシェト/簡易アイテムボックスからアイテムを取り出した。―――【煙玉】。

 出入り口につながる狭い通路。襲いかかってくる猿兵たちに投げつけると―――爆発、一瞬で通路中が煙に包まれた。

 戸惑いむせる猿兵たち。その混乱と煙の中、蜻蛉さんは一人突撃していった。……囚われた仲間達を開放するための時間稼ぎだ。

 

 私も急がないと―――。牢屋を破壊し、仲間を開放していった。

 

 

 

 

 

「あ、ありがとうございます、副団長!」

「よくぞご無事で―――」

 

 私たちが、特に私だろうか、ココまで助けに来たことに驚愕。そして……感涙ッ!? 涙流しながら感謝されてしまった。

 辛かったのは、私なんかよりも彼らの方だったのに……。おもわず遠慮/逆に謝ろうとしたけど、飲み込んだ。今はもう、一人の無謀な攻略組じゃない/彼らの副団長だ。しっかり威厳を保たないといけない。

 開放した仲間たちに、道すがら奪ってきた猿兵たちの武装を渡した。彼らもやはり、指輪と武装を取り上げられてしまっていた。おまけに―――…… 

 

「あ……。///

 す、すいませんッ!? ―――」

 

 何も見てない何も見てない何も見てない、ワタシはナニモミテナイ―――。全力で顔を背けた。できるだけ見ないように頑張った。

 「こ、コレで前だけでも隠して!」と、武装服装一式を投げ渡した。……自分が置かれてた状況から予期すべきことだったけど、現実は衝撃的だった。威厳のことなんて考えられない。

 

「……着替えたら、出入り口で戦ってる忍者の援護に回って」

「はいッ!」

「私は他の皆を解放していく。

 すぐにこんな場所から脱出するわよ!」

「了解ッ! ―――」

 

 気合の入った短い返事。虜囚状態で磨り減っているはず、無茶な命令だけど文句など言わず。私が命じなくてもそうしていた勢いだ。

 牢屋を周りながら囚人を解放。解放した部下には蜻蛉さんの援護をしてもらいながら、どんどん戦力をふやしていった―――。

 

 そうして、最後の一室。

 牢屋の錠前をバキンッ……壊し、壁に手錠と足かせで繋がれた仲間の少年を解放した。

 解放された少年は、外されると同時にペタリ……と、床にしりもちをついた。まるで全身に力が入らなくなっているよう、他の仲間と同じ【麻痺】にかけられたかのように、あるいは手足の腱がきれてしまったかのように。ぐったりと力無い。私たちが牢屋に入ってきた時から、ほとんど反応らしき反応をしていなかった。

 しかし……それもそのはずだろう。彼の後頭部がベッコリと―――凹んでいたから。

 彼は、あの()()()()()()()を受けてしまった、らしかった。

 

(……間に合わなかった)

 

 高ぶっていた気分が、いっきに冷え込んだ。無残な現実に引き戻される。

 忸怩たる想いに奥歯を噛み締め、しかしグッと、飲み込んだ。落ち着け落ち着け、今はまだ堪えろ……。今できること/できないことをちゃんと見極めろ。この怒りはそれまでとっておけばいい。

 一つ大きく深呼吸すると、無理やり落ち着かせた。

 冷静を装えると、ヘタリこんでる彼の横にしゃがみ、肩を貸し立ちあがらせる。……生きてるならまだ、希望はある。治療することはできるはずだ。

 

 牢屋を出ると、さきに助けていた隊長の一人。猿兵装備はサイズが合わなかったのか仲間に譲ったのか、上半身裸のままでの徒手空拳、虎のような大柄の男性が報告してきた。……気にしてはいけない気にしてはいけない。

 

「―――副団長。追ってきた奴らの第一波は、蹴散らしてやりました」

「ありがとう」

「またすぐに群がってくるでしょうが、問題ないでしょう。脱出路は、【ロト】が見つけてくれていました」

 

 なんと―――。それは助かる。

 

「……少しばかり不快かもしれませんが、正面突破よりかは確実かと」

「今はみんなで生き残ることが重要よ。安全な方法があるならソレが一番」

 

 よく見つけてくれたわね……。行き当たりばったりでここまで突貫してきたのに、この僥倖、なかなかについてる。いや、「さすが」と言ったほうがいいだろう、彼らも血盟騎士団のメンバーだった。

 私のねぎらいに、後ろで控えていた影の薄そうな少年が、恥ずかしそうに頷いた。

 

「副団長。そいつは…… ッ!?」

「大丈夫。まだ生きてるわ」

 

 驚く隊長から何か言われる前に、先んじた。……あるいは、自分を鼓舞するために。

 

「それじゃさっそく、ロトの脱出路を使わせてもらうけど……すぐに皆が通れるものなの?」

「え、あ……はいッ!

 俺一人だったら、あと数時間は負荷かける必要がありましたが、皆でやればすぐ開通できる……はずです」

「そう。それじゃ、すぐに開通の方に取り掛かって。

 後は――― 蜻蛉さんッ!?」

 

 【煙玉】によって充満した濃煙の中から、解放した仲間の一人の肩を借りながら、蜻蛉が傷だらけの体で運ばれていたのが見えた。

 思わず近づき、HPバー/無事を確かめると……ホッと、安堵を漏らした。

 

「……無茶してくれてありがとうございます」

「何のなんの! まだまだ行けるでござるよ」

「そうですね。ですが……少しだけ、休んでください」

 

 後は、ここから脱出するだけですから……。自分のことも大切に。それにここにはもう、仲間がいる。

 まだ全員を助けてはいないが、ここが潮時だろう。これ以上無理を重ねれば、誰かが死ぬことになる。……勢いと幸運に頼っていいのは、ここまでだ。

 

「仲間が脱出路を見つけてくてました。そこを通って、帰還しましょう」

「……わかり申した。閃光殿の判断に従います。

 ところで、その者とは何処かで―――…… ッ!?」

「え?」

 

 何を―――。目を剥く蜻蛉の顔に、何事かと驚き振り向くも……気づくのが遅れた。

 肩を貸していた/施術を受けてしまった少年、まともに動くことも喋ることすらできないと……思い込んでいた。全くの盲点。

 

(ッ!? しまった―――)

 

 全ては一瞬、完全に虚を突かれた。

 だらりと力なくぶら下げていたはずのその手が、蛇のように俊敏に動いた。私の片手を背中にねじり上げながら拘束/膝抜き、腰に装備していたレイピアも同時に抜き取られ、首筋に当てられる。

 そして―――

 

 

 

『―――全員、その場から動くな! この体には爆弾を仕込んでるぞ』

 

 

 

 少年の恫喝が響き渡った。

 ノイズのようなものが混じった奇妙の声音。つい先刻遭遇したレッドと同じような、かすかな違和感を感じさせる声だった。

 

 誰も彼をも吹っ飛ばせる爆弾。もちろん、一番ダメージを受けるのは―――

 

「……そんなハッタリ。誰が信じると思ってんだ?」

『スイッチは、この体が機能停止するか、奥歯に仕込んだボタンを押すかだ』

 

 隊長の疑念/時間稼ぎを無視しながら、私には伝わるだろう脅しを続けてきた。

 その確信に満ちた表情から、直感できた。彼がレッドの一員であると。そして、どういった方法かは分からないが、仲間から私が脱走したことを教えられたのだろう。……自爆して果てたレッドから。

 

 私を助け出そうと、機会を伺っている部下たち。ジリジリと間合いを詰め、一気に畳み掛けようとの画策。自爆などハッタリにすぎない、自分たちから逃げるためのブラフにすぎない。濃煙が晴れれば猿兵たちも躊躇いなく侵入してくる窮地。即座に決断しなければならない、攻略組として正しい行動を。……だけど、今回だけは間違いだ。

 部下たちを止めるため、わかりやすく手で制止した。ついでに、「大丈夫よ、心配しないで」と、微笑んで。……止められて戸惑わされて/堪えてくれた部下たちを見て、胸の内でホッと一息。

 部下たちを鎮めると、かわって睨みつけた。

 

「―――あなたが裏切り者、だったのね」

『裏切り? ……とんでもない言いがかりだな。 

 俺は正直になっただけさ。皆が心の奥底で抱えている恐怖に、逃げずに、向かい合った結果さ』

「その結果が、その()()()の姿? ……似合いすぎて笑えるわね」

()()()はアンタだよ、副団長殿。俺みたいな裏切り者()を見抜けずにさ、こんな結果に皆を導いちまったんだからな!』

 

 他にもいたのか……。良い情報ありがとう。

 

『俺は、そこいらで睨みつけるしかできんアホどもと違って、あんたのミテクレなんかに騙されはしないね。ココじゃそんなもの、そこら中にあるからな!』

「……確かにね。ココには私以上の美人なんて、そこら中にいるわね。

 でもね、アナタごときが手に入れられるような美人なんて、どこにもいやしないわよ」

『ハッハ! 吠えるね吠えるね、負け犬はよく吠えるッ!

 ところで、この時間稼ぎに何の意味があるんだい?』

「時間稼ぎ……? 

 ―――はぁ……。やっぱり脳無しだったのね。()()()()()をあげたのに、無駄にするなん……てッ ――― 」

 

 啖呵を切るやいなや思い切り、頭をぶん回した。

 私の腰までの長髪が、半月を描きながら宙を裂いていく。

 しかし……刃ではなく髪、ほぼ何の攻撃力もない。予期せぬ攻撃になっただろうが、嫌がらせ以上の効果などない。なので当然、顔全面に受けてしまっても問題ない。……けど、それでいい。

 目的はその中/髪の中―――麻痺毒入りの簪にあったのだから。

 振り回して弧を描く髪、その中にあった簪が、裏切り者の顔に小さな傷をつけた。

 

 思わぬ/わけのわからない反撃に、裏切り者は驚きと怒りに縛られた。

 しかしすぐに戻ると、そんな抵抗をしてきた私に相応の報いをくれてやろうと、睨みつけながら、何かしらサディスティックなこと/首筋あてがっていたレイピアを動かそうとか、やろうとする―――寸前、止まった。動かない……。

 毒が回ったのだ。

 

『―――なにッ? コイツは……麻痺毒かッ!?』

「そのとおり……よッ ―――」

 

 言うやいやな/振り返るやいなや、【麻痺】で動けなくなった裏切り者の口に、手刀を突っ込んだ。そして、上顎ごとムンズと掴む。……これでボタンは噛めない。

 裏切り者も、噛みしめようとしたが「ふガッ!? ホがァッ!」……ギリギリセーフ。私の手に阻まれて自爆できない。

 

 

 

 絶体絶命のピンチは、起死回生のチャンスになった。

 

 

 

「みんな! 物陰に伏せて……ねッ! ――― 」

『ッ!? ――― 』

 

 裏切り者の上顎を掴んだまま、ダイナミックな投球モーション……からの―――ブン投げた。

 裏切り者の体が、宙に弧を描いて飛ぶ。投げ飛ばされていく―――。薄れてきた濃煙の中/その奥に集合してるだろう猿兵の群れの中へと、裏切り者が着弾した。

 そして―――カチンッ……。

 

 一瞬、そんな音が鳴り響いた気がした。

 その寸前にはもう、皆は緊急避難してくれていた。

 

 

 

 

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66階層/樹楽宮 戦士の一分

 

 

 参加者全員に配られた通信機越し、青の聖騎士様の冷徹な檄が飛んできた。

 

『―――全部隊、攻撃の手を緩めるな。向かってくる者たちは全て敵だ、徹底して叩け』

 

 竹槍のような長物を差し向けてきながら、決死の形相と雄叫びをもって突貫してくる猿たちの群れ。……この街の住民たち。

 

「……まったく! 勘弁しろよな。こちとらレッドを狩りに来た、てのに―――ッ!?」

 

 その一匹の槍を叩き切りながら、返す横薙ぎでかっ飛ばした。……猿は対応しきれず、まともに太刀を受けてしまう。

 

「なんで()()()()()がレッド扱いなんだよッ!」

 

 叫ぶ愚痴とともに放たれた太刀は、しかし、猿の体を輪切りにすることはなかった。

 装備していた中華鍋のような鎧が硬かったわけではない。その程度の防具など無いのと等しいほど、こちらの武器の性能と戦力のレベル差は圧倒的に開いているからだ。しかし現実、できていない。鎧に触れるか触れないかのわずかな空隙に、刃が阻まれ弾かれてしまったからだ、まるで魔法の防御障壁でも纏っているかのように。

 太刀から握り手に響く反動に舌打ちしながら、しかし、振り切ってそのまま吹き飛ばした。初見だったら驚いて手は止まっていただろうが、すでに知らされていたこと。何より、コレと同じ現象をよく知っていたから。

 

『こちらで展開した【結界】内ならば、敵のダメージ無効の障壁は消滅する。吹き飛ばしきれないのなら、放り込め』

 

 【圏内】のダメージ無効障壁―――。【圏内】の中では、どんなことをしてもHPが減少することはない。例え圏外で持続ダメージを受けたとしても、圏内に入ればすぐに停止する。そのゲームシステムによる絶対の加護が、なぜか今/圏内であるはずのないこの場所で、向かってくる猿たち全てに与えられている。

 エラーだろうこの現象には大いに文句をつけたいが、あいにく対応しなければ声すら無視するクソ運営だ。おまけに命も一つにされたのならば、どうにかするしかない。幸いにも、擬似圏内発生アイテム/《結界石》を用いれば、どうにかできることは探り当てていた。その『結界』内では猿たちの防御障壁は消滅する。吹き飛ばして無力化しきれない敵は、味方が展開した結界内に放り込んで……始末する。

 そうやって今まで、かつて荒野だったはずの緑豊かな街の中、襲いかかってくる猿たち/住民たちを蹴散らしながら進軍を続けていった。……いや、侵軍と言ったほうがいいだろう。

 

「ぼやいたって仕方がないですよ、リーダー。

 正義なんてものは、立場が変わればいくらでもかわる。殺人鬼が英雄になれる場所だってありますよ。それに―――」

 

 今俺たちがやっていることは、奴らとそうそう変わらない……。隣で同じく猿たちを捌いていた侍姿の仲間が、自嘲混じりに返してきた。実に奴らしい、直情径行気味の俺とは違うニヒルな奴らしい回答だ。

 なのでか瞬間、カッと、腹から噴き出してきた。

 

「ふざけんな! 同じであってたまるかよ。

 俺たちはこんな外道じゃない。コイツらの背に隠れながら、嘲笑いながら刺しにくる奴とは……なッ! ―――」

 

 吹き飛ばして壁や地面に叩きつけて、気絶させた猿たちの山、注意を逸らしたことで発生した死角。ソレをうまく縫いながら接近してきた本当の敵、脇の死角から奇襲してきたレッドプレイヤーに振り向きざま、一太刀浴びせた。

 猿たちと同じような装備と化粧まで施していたが、誤魔化しきれなかった。戦闘モードで過敏になっていた俺のセンサーと、何より、隠しきれない殺意の腐臭は。

 完璧だと思ったのだろう。深々と袈裟斬りされたレッドの表情は、ギラついたゲス顔のまま固まり、そのままバタリと……地面に倒れていった。

 

「……それにこんな、脳無し野郎なんかじゃねぇし」

 

 一撃で絶命させた敵/レッド。顔面からうつ伏せに倒れているその死骸を見下ろすと、吐き捨てるように言った。……その抉り凹んでいた後頭部へ向けた、軽蔑と嫌悪の眼差しとともに。

 レッド達が操作している遠隔操縦の人形。例えHPが0になっても死には至らない、仮初の不死の所業。レッド本人の体なのか、別人の/NPCのモノだったのかは、わからない。……わかりたくもない。

 

 残心して、次に備える。気持ちも切り替えると、また通信が入ってきた。

 

『―――敵の本隊に異常あり。撤退してる……?

 全部隊、この機を逃すな! 一気に突き破るぞ――― 』

 

 号令とともに、雄叫びがなった。つられて俺も、「よっしゃァ!」と声を上げていた。

 果敢に攻め進まんとする青の軍団に続いて、仲間とともに突貫していった。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 トビとともに、総督がいるであろう後宮へと向かった。

 その途上で―――

 

「―――お前たちさえ来なければ、我々は幸せに暮らせていた」

 

 先行させているトビから、非難のような独り言がこぼれた。

 無視していると、さらに続けた。

 

「我々にとってお前たちは、常に敵で、悪魔(ガラン)だった。

 ソレは、全ての樹楽の民が等しく共有している感情だった。だからそのために、備えなければならないとの焦燥感も生まれた―――」

 

 視界隅に映しているミニマップ、【索敵】で得られた情報で構成された周辺俯瞰図に注意を払いながら、話を聞いた。

 いや逆だ。地図を確認するフリをしながら、話を聞いていた。

 すでに周辺のことなど、強化されている感覚で把握済みだ、後宮までの道のりもおおよそ掴めてる。道案内などもう、ほぼ必要なくなっていた。そもそも、道案内などさせる必要すらなかった。

 

「平和なはずの、敵対する者達などどこにもいないはずの我々に、『軍隊』などというものが存在するのもそうだ。あのような非道な研究を行えたのも、その衝動ゆえだったのだろう……。

 今をもっても、悪いことだとは思えない、必要なことだったと割り切れるがな―――」

 

 まるで他人事のように言い切った。規律正しい軍人のなせる、感情を抑え付ける技だろうか。

 いや、違う。そんな強張りなど感じられない。沸き起こってもいいはずの感情が、スッポリと抜けてしまっているだけだ。大切な何かを諦めてしまっている心境に、酷似してる。……かつてどこかで/大切だった誰かが、見せつけてきた有様がダブる。

 

「俺は、物心付いた時から総督閣下に育てられた、根っからの軍属だ。いずれやってくる悪魔(ガラン)達を滅ぼすため、鍛えてきた。どんな過酷な訓練にも耐えてきた。耐えてきた、はずなのに―――」

 

 自問のような述懐。何かがこぼれそうになる前に、いったん口を閉ざした。同時に足も止めた。ちょうど目の前、目的地の扉にたどりついた。

 チラリと一瞥してくると、視線で命令「開けろ」と。

 固く閉ざされている扉、そこにソっと手を当てた。その周辺が青く淡くまたたくと「カチリ」、鍵が外れる音がした。

 

 扉を開けさせ中に入る。

 寺院の仏殿に似た広々とした大部屋。その奥の中央には、仏像の代わりに、人の背丈ほどある巨大な香炉が置かれていた。天井からも幾つも電飾のように、小さな香炉がぶら下がっている。

 それゆえだろうか。部屋に入った時に感じた異臭が、線香に似たような匂いだと気づくと―――ガチャリ、いきなり背後で扉が閉まった。

 

「……どうしてなんだ? なぜ、あれだけこの胸を熱くしていた使命感が、今では……感じられないんだ? お前のような悪魔(ガラン)に従っている、この屈辱的なはずの状況で、あの熱を感じてしまっているんだ……?」

 

 告解とも聞こえる独白。背中越しから語られたソレは、とても不安げで寂しげで、いまにも消えてしまいそうに聞こえた。

 その奥/壁の柱からも、どこからともなく現れた何十もの猿兵達。全てがトビほどの体格で鋼鉄だろう中華風の鎧に身を包み、怒りを表しているのだろう京劇の面頬を被っている。そんな巨体の猿武人たちから敵意を向けられている背景と合わせると、なおのことだ。

 

 罠にハメられた……わけではないだろう。

 総督の反応は、確かにこの部屋にあった、あの巨大香炉の奥あたりに。そして、伏兵も潜んでいることもわかっていた。誤算だったのはその数と、強敵そうな風貌だけだ。さらにそれすらも、何かしらの仕掛けがあるとも踏んでいた。……致命的な罠など、はりようがないほど追い詰めてきたから。

 だから……だろうか。振り返り/相対し、あろうことか武器まで差し向けてくるトビに、裏切りを詰問するより―――

 

「―――オレからすると、羨ましい限りだよ。

 オレ達はそこまでハッキリとは、切り替えられないから」

 

 今の自分の中にある、もっとも誠実だろう言葉を返していた、ゆっくりと愛剣を抜き/構えながら。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 倒れ伏しているトビを見下ろしながら、ひとりこぼした。

 

「―――苦しめるつもりは、なかった。なかったはずだけど……そうなった」

 

 周囲には、いくつもの斬痕/破砕痕、粉砕された調度品の欠片が撒き散らされている。静謐な神聖さを醸し出していた大部屋が、荒れ果てた廃墟へと変わっていた。……オレが変えた。

 この部屋に仕掛けられた『幻覚装置』を破壊するために、そうした。そうすることで、何十もいたはずの大猿兵達は煙のごとく霧散し、代わりに3匹、僧衣のような衣服をきていた小猿たちが露になった。……その小猿達も切り捨て、HPを0にし、今は物言わぬ死骸へと変わっている。

 

「悪かった。次は、そんな矛盾(エラー)なんて抱えなくていいようになれるよう、祈ってる―――」

 

 別れの言葉とともに―――グサリと、その胸に刃を突き立てた。

 僅かだったHPも0になり、微かに残っていた生命も灯も消え……静かになった。

 愛剣を抜き去ると、その死骸は光の粒子を霧散させながら、消滅した。この世界のあらゆるオブジェクトが消滅する時の光景。

 そのトビだった場所に残ったのは、一つの手のひら大のガラス玉/《心》アイテムだけだった。

 

 

 

 残心して納刀すると、その《心》を拾い上げた。アイテムストレージに収納する。

 全てを無機的に、できるだけ何も考えないように行っていると、不愉快な笑い声が邪魔してきた。

 

『―――相変わらず、ビックリするほど酷いことできるね♪』

 

 ケタケタと嗤うその声は、切り捨て倒れている小猿僧の一匹/指揮官らしい猿から聞こえてきた。すでに全員、HP0にした死骸のはずなのに動けている不思議。……すでに、レッド達に仕込まれていたとしたなら、不思議はない。

 その小猿僧は、文字通り操り人形だった。総督の傍で仕えているだろう側近、監視役かついざという時の保険にはピッタリだ。使い魔にしては悟られる危険があるので、その全ての機能を乗っ取り人形化。これまで悟られずに、総督の傍で仕えさせ続けた。―――ジョニー・ブラックの手によって。

 驚ける点は、元モンスターでも可能だったこと、人間タイプのNPC以外はできないのだと思っていた。……レッド達の飽くなき探究心には、呆れるばかりだ。

 

「……なら、そろそろコレで打ち止めにしてくれないか? さすがにもう……腹が立ってきた」

 

 翻弄されっぱなしのこれまで、付き合って突っ走ってきたけど、そろそろ限界だ。色々と境界を踏み外しすぎて、大切な何かまで壊してしまいそうな予感がした。まるで、いつの間にかレッドの仲間入りをしてしまったかのような、曖昧になりすぎたオレの立ち位置。……払拭するにはもう、決着をつけるしかない。

 

『安心してよ♪ ココに仕込んだ人形は、コレで終わり♪

 あとは、ボクの本体だけだよ♪』

 

 そんなオレとは違って、ひどく楽しそうに笑いつづけるジョニー。……聞いているだけで、頭が痛くなる。

 

『……でも、ちょっとだけ残念♪

 先に、怪物になるとどうなるのか、見ておきたかったんだけどなぁ……』

「そんなもの―――」

 

 足のポーチからピックをつまみ出すと、そのまま―――投擲した。

 狙いはあやまたず、小猿僧/ジョニーの分身の頭蓋へとブスリ、貫いた。

 

「―――鏡でも見れば、済むことだろうさ」

 

 だよねぇ♪ ……。死骸に攻撃されたため、霧散し消滅していくその口から最後、そんな余裕に満ちた笑い声が聞こえたような気がした。

 

 

 

 そんな残り香も消え去ると、ようやく緊張を解いた。

 

「……さて、これで終いだな。

 あとは―――」

 

 御簾に覆われた奥の間、飢えた獣のような声/ガチャガチャと金属を軋ませる音が聞こえてくるその場所へと、相対した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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66階層/屠龍の塔 法の隙間

 

 ―――ラフィンコフィン討伐隊、出陣前。

 【聖騎士連合】のギルド本部、【屠龍の塔】の地下獄舎にて

 

「―――それでは、後は我々が、責任を持って護送させてもらう」

 

 捕らえた/自首してきたレッドの一人、【ラフィンコフィン】の幹部の一人である【ザザ】

 できうる限りの拘束具を被せ、デバフを引き起こす《呪刻印》を刻みまくり、武装もアイテムも何もかも剥ぎ取った囚人服姿、おまけに視覚と聴覚を完全遮断するヘルメットも被せた。どんな抵抗も逃走も口答えすら許さない、そんな格好にさせられたザザを、引き渡す。……引き渡さなければならない。

 【アインクラッド解放軍】の《律令部隊》へ。彼らが(勝手に)定めた『法律』に従って、犯罪者プレイヤーの権利と刑罰を執行するために。

 

 歯がゆいことだが、受け入れなければならない。

 【連合】は【軍】に頼らずとも自活できる、独自の補給線を確立している。下層へ降りる際も、その整備された補給線が融通を利かせてくれる。こと攻略において、【軍】の干渉を無視できる力がある。……そうだと思っていた。

 甘かった……。お助けNPC/『傭兵』の補給を、独占されてしまった。

 クエストをクリアするか、特定の条件を満たすことで味方になってくれるNPC達。同じクエストでも、同一人物の傭兵が味方になるとは限らず、幾通りかのバリエーションがある。その全てのルートで手に入れられる傭兵達を、【軍】は独占した。

 『自力こそ最良』との攻略組。傭兵や使い魔を育てるよりも、己を鍛え上げることを優先しがちになる。事実、そちらの方が攻略も早くなり安定もする。……そこに隙があった。

 傭兵たちを手当たり次第に味方にひきいれ独占することで、最大人数を誇っている【軍】は、さらに巨大化した。しかも、基本的に同格である同プレイヤー/ギルドメンバーよりも、規律に縛られてしまうNPC達。巨大化とともに、『軍隊』としての不気味な様相を帯びれるようになった。

 攻略組たる【連合】は、「ゲームクリア」という大目的がゆえに、一度達成したクエストを繰り返さない傾向がある。特に、フロアを跨ぐ長期クエストとともなれば、中断することすらありえる。……後方支援に従事している【軍】には、ソレがない。

 結果、【軍】はさらなる力を手に入れ、『プレイヤー法』などというルールまで矯正してくることになった。

 攻略組であっても逆らうことはできない。一分は納得できるルール内容であることから/「必要だ」とは言われ続けてきたことでもあったので、受け入れるしかない空気が蔓延してしまった。空気は権威となり、無根拠なプレイヤー法に正義を与えた。……例えソレが、このザザを引き渡すという、ルールのマイナス面であったとしても。

 

 牢屋から出されるザザ。見えず聞こえずの拘束状態にしているので、手枷から伸ばした鎖を引っ張って誘導させようとするも、独自で歩き出てきた。

 ゆっくりとだけど、決して暗闇への不安をにじませてはいない/牢屋に閉じ込められ続けた疲労すらも感じさせない歩調、まるでVIP待遇の権力者のように。……事実、そのとおりではある。

 そんなザザを静かに、けど最大の警戒心を込めて見送った。

 看守の一人として任じた【連合】のメンバーが、律令部隊の中でも体格の良い/壁戦士だろう男に、ザザの鎖手綱を明け渡す、互いに最も緊張しただろう瞬間。規律で鬱憤を押さえ込んだ【連合】の睨みを浴びながらも/それゆえか、ニヤリと、勝ち誇ったかのような笑みを口元に浮かべたのが見えた。……本人達は隠しているつもりだろうが、この異世界では詳らかにされてしまう。

 冷静を保つつもりだったけど、おもわず顔をしかめた。程度の低い劣等感の臭気が鼻につく。……【軍】の上層部はたいてい、こんな人間ばかりだ。

 私は、胸の内でため息をついてやり過ごそうとしたけど、キバオウは違った。

 

「―――考え直せんのか? お前らじゃ、手に負えん奴やぞ」

 

 やんわりと、けど直截に、彼らの力不足を助言した。

 あまりにも露骨だったので、一時言葉をつまらされたが、すぐに表情をキツくしながら言い返してきた。

 

「これから『攻略』に向われる皆様に、少しでも助力したいとの心遣いでしたが、不要でしたか?」

「不要やな。ここで始末すればいいことやから」

 

 さらにの切り返しには、さすがに聞きとがめた。琴線を掻き毟るタブーを言ってしまった。

 なので、一気に【軍】のメンバー達の表情が硬くなった。特に、相対していた指揮官の男は、その視線を刺のように鋭くした。

 しかし、キバオウはどこ吹く風と、気にせず/真面目に警告を続けた。

 

「わいらが作ったこの監獄の中で、わいらにずっと監視されてるから、大人しくしておるだけやぞ。一応はそないな拘束具で固めておるが、無駄やろうな。

 ココから一歩でも外に出れば、何をしでかすのかわからん。逃げられるならまだしも、最悪誰か犠牲者がでるかもしれ―――」

「だから、殺すんですか?」

 

 汚らわしいとばかりに割り込み、今度はあちらが直截に追求してきた。

 そのカウンターには、すぐに言い返せなかった。

 言葉にしていい問題ではない、それぞれの胸の内で処理すべき事柄……。そう言い訳してフタをし続けて/考えることをやめてきたことを、指摘されたかのようだった。

 私は、そのように受け止めてしまった/無言を通すのがベストだと思ったけど、キバオウは少し違ったようだった。

 引き結ばされた眉間、僅かばかりの動揺をみせながら、言葉を探す……けど、見つからない。結局、ため息をひとつこぼすと、観念したかのように答えた。

 

「……生きてるより死んでる方が皆のためになる奴がおる、て話や。そこにいるザザは、まさにその典型の一人で、もうどうしようにも選びようのない問題なんや。『改心してくれるはず』なんて考えは、見当はずれの甘えでしか―――」

「キバ、もういいでしょ」

 

 地雷原を突っ走り続ける彼を止めた。これ以上は、『個人的な話』の容量を越えてしまう恐れがある。……もう遅い気もするけど。

 恐れたとおり、青筋をたてて憤慨しそうになっている指揮官。けど、先に止めたので振り上げた拳の下ろし場所を見失っている。―――そのまま、『問題はなかった』と強引に締め切ってしまう。

 

「せっかく捕らえたラフコフの幹部。充分以上に警戒して、事にあたって下さいね」

「ご心配なく! 万全に万全を重ねて、遂行させてもらいますので」

「そうですか。

 護送プランを教えていただければ、コチラでもサポートできます。危険は少しだけ減るのですが―――」

「お構いなく! あなた達は攻略にのみ尽力して下さい」

 

 叩きつけるような拒絶とともに、律令部隊一行は監獄から出て行った。

 

 

 

 そんな背中を見送りながら、予期していたこととは言え、ため息をつかざるを得ない。……余裕なさすぎ。

 あるいは、アレが【軍】の在り方なのかもしれない。

 自分に与えられた仕事に干渉されることを嫌う、だから他人の仕事にも干渉しない。支持されたマニュアル通り、きっちりし過ぎた仕事の区分け、情はもちろんのこと合理すら入り込めない頑迷さ。そんな、機械みたいに決められたカビの生えた手順をなぞるだけで、レッドの大物を相手取ろうとは……。危機感が麻痺しすぎてる。

 

「―――きっと奴は、逃げるやろな」

「……でしょうね」

 

 ここにキリトがいれば……。愚痴らずにはいられない。もしかしたら、あのザザも始末できたかもしれないのに。

 『ビーター』である彼は、『法律』などに縛られることなどない。合理的な判断を敢行できる。……私たちも、それに便乗することができる。

 

(でもそれは……)

 

 彼にまた、重荷を背負わせることになる。たぶん十字架に類する負担。

 それでなくとも今、【血盟騎士団】の副団長さん達を救出するのに、命をかけている。きっと危険など省みていないだろう……。簡単にその光景を想像できてしまうところには、笑うしかない。

 彼は攻略組の切り札、だけど一人しかいない。頼りすぎてはいけない、切り方も選ばなくてはならない。……救出に向かわせたのは、正しい判断だ。

 

「―――…… ハァ。

 脳筋やと思うてたのに、こないな政治仕掛けてくるとは……ぬかった」

 

 キバオウの口から、珍しい愚痴がこぼれた。少し驚かされるとともに、頷いていた。

 【連合】に自首する前に、【軍】にも情報が伝わるように設定しておいた、律令部隊が割り込んでくることを見越して。……だからこそ、あの傲岸不遜ぶりだった。

 ザザの人物イメージ、噂や捕まえたレッド達からの情報によるプロファイリングから、今回のような頭脳プレイを仕掛ける可能性を割り出すことはできなかった。ただ省みれば、彼も組織の幹部の一人だ、考慮すべきではあった。けど、『自首』のインパクトがあまりにも大きかった、目先のエサに見事に釣られてしまった……。

 他の可能性、組織の長【Poh】の関与。今回の討伐作戦において、あまりにも存在感が無さ過ぎるのが不気味だった。奴が知恵を貸したのなら、ありえないことにはならない。貸す理由/頼る理由にも、目星はつけられる。

 ……どんな理由にしろ、もう手遅れではあるけど。

 

「どうせ人形です。引き取ってもらえて助かりました」

「……そうやな。奴との決着は次でええ。

 今日は、ジョニーの奴を冥土におくる。確実にや」

 

 そう静かに宣言すると、浮ついていた空気にズッシリと重くなったような圧迫が生まれた。……それでコチラの切り替えも、できた。

 

「期待しておるで、アリスはん。

 プレイヤー刈りは、慣れたもんにしかできんことやからな。ワイらが皆を先導してやらんとならん」

「……そうですね」

 

 かけられた激励に、チクリと刺さるものがあったけど、無視した。……生娘を気取るつもりは、もう無い。

 自分が今までしてきた所業を省みる、特にその負の面を。ソレを投げ捨てて逃げてしまえば、正しい面まで壊してしまう、一体不可分の過去。

 わかっているから、受け止める。全てはゲームクリアと、何より戦友達のために……。

 

 お腹の奥底で気持ち悪さが疼くも、無視した。無視できるのならまだ、大丈夫だから……大丈夫なはず。

 いつもどおり、一抹の不安を抱えながら、成すべき事のためにすべきことを果たす。隣のキバオウがそうであるように、私も倣う。

 

 

 

 今日、私は、一人の人間を殺す―――。

 たとえ根っからの犯罪者だったとしても、許されることではない。取らなければならない道は他にある。

 その罪深さを肝に銘じ直しながら、『人狩り』に赴く人々の群れへと加わっていった。

 

 

 

 

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長々とご視聴、ありがとうございました。

感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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66階層/樹楽宮 極限の反転

 

 

 時間はなかったけど……言わざるを得ない。

 

「―――本当に……大丈夫、なんだよね?」

「わかりません」

 

 そんな……平然と言わないでよ。

 

「けど、理屈上じゃ大丈夫です。無いなんてことの方がおかしすぎる」

「……タンクに溜めておいて、後でまとめて捨てる、とかは?」

「そいつは…………、ありかもな」

 

 うわぁ……。 考えただけでも気持ち悪い。

 最悪な死に様だ……。今まで考えたこともなかった。

 

「ま、どのみちココしか無いんで、行くしかないですね。

 確実にココからは、抜け出せるでしょうし」

 

 ……すごいなぁ。どうしたらそこまで楽観的でいられるんだろう?

 リアルじゃないからマシ、とは言うけど、フルダイブだと大した違いがない。肌触りとか臭いとか気持ち悪さとか、けっこうマジものだから。……超過剰な不快感で、ショック死するかもしれない。笑い話じゃ終わらない。

 ……ま、でも、私も/副団長としてはそうしなくちゃ、なんだよね。もうココ以外に道なんてないし……、辛いなぁ。

 

「―――副団長、俺が先に行きます」

「え! ……いいの?

 それじゃ―――」

 

 どうぞ、どうぞ―――。まさに男の中の男! スっっっゴイ格好良い! ……ここで『レディファースト』とか言う奴は、○んだ方がいい。

 本心からその勇敢さを称えると、なぜか他の皆も称えはじめて、ちょっと驚かれてしまった。

 副団長としての威厳、とかなんだろうけど、今回に限っては棚上げで。いちおうまだ10代のか弱い女の子だし、頑張る男の子を支えるのも乙女の嗜みだし……いいと思う♪ たぶん、絶対に! ……誰も文句なんて言わないでしょ?

 

 皆から推薦された男の中の男は、「こんなハズじゃなかった…」と微苦笑するも、やはり男の中の男。

 宣言通り/ためらわず―――、ダイブした。

 

 

 ―――

 ……

 

 

 そして今、天上の牢獄から脱出できた一行。みな生還できた。

 しかし―――、みな汚れきっていた。なにより……、非常にやるせなくなっていた。

 なにせ全身が……汚れてるから。茶色の『アレ』まみれになってる。

 そして、本当に激本当に要らないリアリティな作り込みで、も~~~~~~れつに! 臭いから、嗅覚が自殺するぐらいに。

 

 あまりの状況に、誰もが閉口していた。笑い飛ばすこともできず、ただただ身にへばりつく不快感と戦っていた。

 あの最悪な囚人状態から、無事に脱出できたのは、これまでの攻略生活の中でも指折りな難易度だったはず。だけど……、誇りとして/冒険譚として思い出になるのは、だいぶ先のことになるだろう。

 

 トボトボと、見た目も相まってゾンビみたいに歩いていると……、とても清潔(に見える)な水場が見えた。

 砂漠の中のオアシス♡! ―――。皆、特に私は、それまでが嘘のように/一目散にソコへと猛烈に駆けていくと―――ジャブンッ! フルダイブした。

 

 やっと水で全部洗い流せる♪ ―――。

 熱いシャワーやお風呂、とまでは当然いかなかったけど、この世界に来てから一番気持ちよかった水浴びだった。ベットリ張り付いていたものが流れ落ちていくたびに、心まで清らかになったかのような爽快な気分になっていく。

 心地よさもあいまって/童心に返って、水掛け遊びにまで興じる―――。参加したかったけど、臭くなった装備ごと外したほぼ半裸の野郎どもをみて、ハタと思い出した。……ヤバイ、忘れるところだった。

 首まで浸かった水の中、全集中で周囲に注意を払いながらの高速早着替え。超速攻で臭いものを削ぎ落としていった―――

 

 

 

「―――まず……みんな無事でなによりよ。

 ただ、ここはまだ敵地。油断せずにカバーし合って、仲間と合流しましょう」

 

 肌にまで染み付く臭いも無くなって一通り、というか念入りに念を重ねて/張り付いてしまった記憶ごと洗い流すと、ようやく本調子/【血盟騎士団】副団長の『閃光』な自分を取り戻せた。

 皆も、「悪い夢を見てたんだ…」と無かったことにしてか、いつも通り/隊員としての規律と自信をもって静聴していた。

 そんな顔見知りな仲間達の中から一人だけ、同乗してくれた忍者がソッと傍に寄ってくると、

 

「アスナ殿」

 

 近くに人が―――。忍者の【索敵】。

 他にも、【索敵】に優れたメンバーも気づいてか、全員の了解事項になっていく。

 

「人数は……目視圏内に5人ほど。みなプレイヤーでござる」

「レッド?」

「いや、今の拙者の【索敵】で捉えて、この動き方だと……仲間の方でござるな」

 

 レッドプレイヤー/犯罪者達の場合、常に周囲への警戒心で気を張ってる。ので、【索敵】を鍛えてたり強化する装備を身につけてる、もしくは【使い魔】なんてものまで用意している者達もいる。その精度は、他人からの【索敵】行為にも反応できるほどだ。

 なので、わずかながらも緊張の強張りが出てしまう。ほぼ意識の死角からのアラームなので、臨戦状態でもなければ隠しきれるものじゃない。……今回の相手には、ソレがなかった。

 

「ん? 一人には……気づかれたな」

「!?」

「でござるが……、コチラの場所までは把握できておらん様子」

 

 私には見えない、高レベルの【索敵】を持つ者だけが見える異界……。もどかしいが、信頼するしかない。ソレができる相手だ。

 もっと探ってみて下さい―――。息を潜ませながら目で合図、次の/もっと正確な索敵情報を待っていると、

 

「まどろっこしい!

 レッドじゃないなら、顔見せれりゃ済むことでしょう―――」

 

 仲間の一人/壁戦士(タンク)を担当してる体格の良い岩大男が、痺れを切らせて進み出て行った。

 あ、待って―――。止める間もなく、進み出た岩大男は、大声で叫んだ。

 

「おーい、そこにいる奴ら!

 俺は【タイタン】、捕まっちまった【血盟騎士団(KoF)】のメンバーだ! なんとか脱出してきたぞぉっ!」

 

 そこにいるのはわかってんから、顔見せてくれや―――。無遠慮ながらも豪快な挨拶。体育会系のノリを超えて蛮族戦士めいてる。

 一年半ほど前までネットゲーマーだったのが、嘘のような変態ぶり。レベルやステータスが上がることで外見は引き締まる、理想的だろう細マッチョ体格になっていく。さらにタンクなら、体力や筋力値を底上げするので、一回り大きな筋骨隆々/レスラー体型になっていく。

 タンク特有の精神変容、気が大きく開けっぴろげな性格になっていく。加えて、戦闘やフロア攻略の実績も加わったら、マ○チョくなりやすいのかも。……DV男にまでならないなら、別に気にしないけど。

 

 突然なタイタンさんの挨拶に、索敵で捉えていた人達は……当然仰天。ビクリと跳ね振り向いては、警戒の訝しりを向けてきた。武器にまで手を伸ばしている。

 互いに目配せしながら、どう対処するか検討し―――おずおずと、代表として進みできた騎士風の装備を身につけた男が、尋ね返してきた。

 

「……本当に、本当に脱出できた……のか?」

「おうよ! このとおりだぜっ!」

 

 クソまみれだったが、ピンピンしてるぜ! ―――。ドンッと自分の分厚い胸を叩きながら、豪快に示してみせた。

 タイタンさん、ソレだけじゃ伝わりきらないよぉ……。もっと決定的な証拠を見せるべきだったが、彼は自信満々な様子。こちらは不安になって、どうカバーすればいいのか考えを巡らせる。

 だけど……杞憂だった、いくぶんかは納得してくれた様子。若干ながらも警戒心が緩んだのはわかった。

 

「俺だけじゃないぜ。他にも捕まっちまった奴らと、なにより―――副団長殿もだ!」

「副団長が!?」

 

 後ろに控えていた仲間たちも、身を乗り出しきた。

 宣言したタイタンさんは、その大きな腕を、ニカッとした邪気はないけど荒っぽい笑顔とともにこちらへ向けてきた―――

 ……やっぱり、『ソレ』しかないのかぁ。

 用意していたシチュエーションとは違ってたけど、仕方がない。不測な事態の連続だ、及第点さえ取れればいい。

 タイタンさんが(強引に)作ってくれた花道に従って、隠れていた場所から進み出て行った。

 

「……ハロー皆。なんとか脱出できたわ」

 

 このとおり、あんまり見て欲しくない格好だけど……。

 普段の装備とはかけ離れた、でゴテゴテでセンスの欠片もないツギハギ装備。【Kob】のカラーと細剣使いとしての実用と何よりオシャレを、絶妙なバランスで組み合わせた逸品装備群/『閃光』特注仕様、とは比べ物にならない。……マジマジ見られると恥ずかしい。

 こんな格好なれど、頭部装備は外していたので私だと認識してくれた。ので、

 

「おおぉ……本当に、本当に副団長だ!!」

「よくぞご無事で! ―――」

 

 ちょっと仰々しすぎるけど、やっと再会できた安心感が伝わってきた。図らずもジンとくるものがあった。

 私、こんなに大事にしてくれる人達がいたんだ―――

 感心して呆けそうなるのを、軽く頭を振って正した。そしてキリッと、普段の/副団長な調子に戻すと、

 

「もしかして……、ここにいる全員、私たちを助けに来てくれたの?」

「はい! あともう6人ほど、【エイジ】隊長と別の場所で探してます」

 

 【エイジ】君が指揮を取ったんだ……。実力はあるけど、元来の性格か我の強いメンバー達に配慮してか、調整役に回ることが多い参謀役。最前線の開拓やフロアボス戦など、【Kob】が活躍しなければならない清水舞台では、どうしても一歩遅れてしまいがち。なので、こんな非常事態/救出隊の指揮を任せられたとは、意外だった。

 しかも、私たち自身が脱出したのは想定外だろうけど、結果ちゃんとこなしてみせた。この敵地ど真ん中まで、救出隊の面々を引き連れてこれたとは……。私の人物鑑定眼は、まだまだ甘かったらしい。

 ギルドメンバーの意外な頼り甲斐に感心していると……、忍者が水を差してきた。

 

「ココに探りに来たのは……偶然、でござるか?」

 

 キョトンとしてしまったが、すぐにハッと、気を引き締め直した。……彼らへの警戒心を蘇らせる。

 偶然にしては、タイミングが良すぎる。万が一、ココで待ち構えていたとしたら、ソレは……嫌な想像が浮かぶ。

 私以下、脱出メンバー達も同じ警戒を抱きだした。その僅かながらの空気の違いを察したのだろう、少し不快感を浮かべながらも説明してくれた。

 

「……ここの猿人たちに尋問して、捕まった奴らは『上』に連れてかれたとわかった。よくわからん場所に準備なしで突っ込むのは危険すぎるから、水道を使って探りをいれていたんだ」

 

 水道を使う? ……何を言っているのかわからなかった。

 けど周りに目配せすると、特に斥候担当のメンバーを確認してみると、思い当たる節があったように納得顔をしていた。

 ……それでも繋がらないけど、彼が納得したのならそうなのだろう。何かしらの理屈が通ってる。私も納得した風を装った。

 そして忍者も、当然のように理解していて、

 

「見事な機転でござるな。どの御仁の発案か?」

「そこの【クラディール】だよ」

 

 そう言って代表の騎士は、後ろに控えていた長髪三白眼男を紹介した。

 【クラディール】___。顔と名前は知っていたけど、親交は薄かった。副団長として同じギルドメンバーとして、事務的な会話は何度かした覚えはあるけど……、それだけだった。『ちょっと危ない雰囲気の男』程度の、あまり良くない第一印象しかもっておらず/同メンバーに対して失礼でもあるので、それ以上深めようとは思っていなかった。

 まさか彼も、こんな有能だったなんて……。危機に際してようやく、人の本性はわかる。第一印象に囚われるのは、愚か者のすること、他人を指揮する立場の自分が最もしてはならないことだ。……私の人物鑑定眼、ますます当てにならなくなった。

 

「いえ、俺…コホン、私はただ、NPCの斥候がよくやってるスカウト技術を、思い出しただけです」

 

 種明かしをしてくれて、ようやく思い至れた。……確かに彼ら、そんなことやっていた。

 『水にはあらゆる情報が詰まっている』―――。川なら、流れ通る大地・街/エリア全ての情報が詰まってる。湖なら、時間の流れ/歴史まで詰まっている。

 ソレを汲み取り情報を抽出すれば、たちまち大半のマップ情報が明らかになる、クエストやプレイヤーの通行情報までも。下流にあるここら辺の水場なら、この街のみならず、天上の牢獄エリアのマップ情報も詰まっていることだろう。事前に未踏領域の情報を得るには、最適な方法だ。

 ただ問題なのは、【索敵】スキル自体にそんな情報抽出が存在しないこと。たぶんもう、マスター近くまで高めているとある黒い人から聞いたので、間違いない。別のスキルを援用するか、あるいはシステムに頼らずの経験と感性か、NPC達の助力・知識を借りるしかない。……どれにしろ、体得するには並外れた努力が必要になるはず。

 

「助かったわ【クラディール】」

「い、いえッ、このぐらい! 当然のことですから」

 

 謙遜しつつも、鼻の穴が大きくなっていた。……そんな自慢げな様子は少し、微笑ましい。

 もっと褒めてあげたいけど、私の培ってきた副団長キャラじゃない。

 忍者にそっと目配せすると……、彼もソレで十分だと納得。次に必要なことに切り替えた。

 

「来てもらって、さらに悪いんだけど……、誰か【写本の指輪】持ってる?」

 

 【写本の指輪】___。【幻書の指輪】を転写・複製することができる/それだけの指輪アイテム。一度複製すると、その【写本】は【幻書】となり、【幻書】だった指輪は自壊してしまう。【幻書】を無くしてしまった時のための緊急対策アイテム。

 もちろん、ただで複製はできない、リスクがある。指輪の中のアイテムストレージに収めていたアイテム/メモ帳/マップ情報/フレンド登録者名簿も、使用頻度の少ない順に幾らかは消滅してしまう。激レアアイテムをコレクションとして収めていたら、たぶん消滅してしまう。

 幸い私には、そんな心配は無い。【幻書】を取り戻すのが最優先だ。

 

「用意しておきました」

「ありがとう! ……人数分ある?」

 

 もちろんです―――。ストレージから人数分の指輪を用意してくれた。

 捕虜を囲い続ける心得/大原則の一つとして、【幻書の指輪】を没収する。やらないのなら、何か意図があるんじゃないかと警戒されるほど必須事項。だから逆に、救出する時は【写本】を用意しておくのが鉄則。……ちゃんとしてくれていてよかったぁ。

 

 脱出メンバーたちに配られていくのを見届けてると……、もう一つ余分にもらった。ソレを、所在無げに眺めていた忍者へと渡した。

 

「はい、蜻蛉さんの分」

「拙者の? ……よろしいので?」

「もちろん! 一緒に生き残った仲間ですから」

 

 ……かたじけない。

 背に腹は変えられない。いつもながらの古風な礼を言うと、受け取ってくれた。

 

 受け取った皆、指輪を嵌めると、必要とされるコマンドを入力。指輪の効果を発現させる。……パキンッと、小さな砕けような音が鳴った。

 【写本】が【幻書】に変わったのを視認、確認のためにもメニューを展開する動作をとって―――現れてくれたウインドウ、ようやくホッと安堵がこぼれた。パチパチめくって/スクロールしては、保管していたアイテム等も確認。

 装備画面、現在の/レッドから奪ったツギハギ装備がセットされている。普段の装備は、レッド達に奪われないようスキを見て【凍結(ロック)】しておいた。ボタン一つで即座に装備できなくなるも、奪われるより何倍もマシだ。解除のためのパスコード/身体認証要求コマンドに応え……、解除した。

 

 そして久方ぶり(といってもまだ一日ぐらいしか経っていないけど気分的)に、着慣れた装備に着替え直そうとして―――慌ててストップ。……下着、つけてなかったことを思い出せた。

 周りの目からそれとなく隠しながら、ストレージに保管してあった衣服/下着をクリック/再装備した。あまり気にいってないけど、贅沢は言わない。ツギハギ装備の中/肌の上、その布地の感覚をしっかり/念入りに確認すると、ようやく装備を整えた。

 ツギハギ装備が消え/ストレージの中へ、一瞬中身(ちゃんと衣服を着ている)の姿に戻り、普段の白を基調にした軽武装に転換された。

 

 いつもの装備に身を包むと、さらに『帰ってきた』安堵で力が沸いてくるのを感じる。脱出メンバーたち全員も、整え終わっていたのを確認した。

 号令するでもなく、皆と目が合うと―――、宣言した。

 

「さてと! 装備も戻ったことだし―――、反撃といきましょうか!」

 

 当然のように、落ち着いていながらも怒りはしっかり胸に、たぶん肉食獣っぽい微笑みとともに言った。

 皆の、特に脱出メンバー達の応えは―――、強い共感。ほぼ無言の頷きなれど、その鋭い眼差しがすべてを物語っていた。

 ただ……、救出メンバー達は、少し違っていた。

 

「……戻らなくて、よろしいので?」

「どうして? まだ生きてるかも知れないのに?」

 

 真正面から、本当に不思議そうに問いかけた。

 そんな私の本気に、救出メンバーたちは二の句が告げなくなっていた。……ただし/それでも、納得しきってはくれてない。

 胸の内で溜息。今は過保護よりも、背中を押して欲しい場面だけど……仕方がない。

 

「……皆は戻って。私だけでいいわ」

「まさか! 行くに決まってんでしょうが」

 

 やられっぱなしは、性に合わないしな……。まさに私の心情、しっかりと代弁してくれた。

 脱出メンバー全員がその気になっているのを確認され、救出メンバーも呆れながらも同意してくれた。

 方針が決まったので、指揮を執る。

 

「私たちが降りてきた道は、たぶん……上りには使えない。

 エイジ君たちと合流して、他の登り道を見つけましょう」

 

 やる気十分な頷きが返ってくると、皆さっそく準備に取り掛かり始めた―――

 

 

 

 心地よい連帯感、どんな敵がきても返り討ちにできそうな充実感、皆の間に普段以上に気が巡っている。

 そんな臨戦の高揚の中、ふと救出メンバーの一人が「そういえば……」と尋ねてきた。

 

「副団長、黒の剣士と何処かで遭遇したりは……ないですよね?」

「キリト君? 

 ……彼も来てたの!?」

 

 意外だ……。攻略会議の時、あれだけ反発し合った/レッド達を倒すことに賛同していたのに、救出隊に志願した? どんな心変わりがあったの?

 とは思うも……どこかで期待はしていたのだろう。図らずも笑みまでこぼれそうになるのを、寸前で抑えた。

 

「はんっ! 格好つけて独りで突っ走っていった挙句、見当はずれの場所とは……お笑いだぜ!」

「しかもすれ違い! 副団長が一人で脱走までしちまってたなんて、な」

 

 それは、俺らにも言えちまうがなぁ……。自嘲混じりにも、彼への批判を吐き出してきた。

 反射的にムッとしかめそうになるも、すぐに「…彼ならありえる」と納得もしてしまった。

 すれ違い……。小気味よい気分になるかと思いきや、そうでもなかった、ちょっと残念……。

 胸の内に尋ねてみたら、我が事ながら驚かされる。助け出してもらえるお姫様シュチュエーションを、少なからず……望んでいたらしい。

 ブンブンッ、慌てて妄想を振り落とした。

 

「……彼、独りでこんな場所に入っていったの?」

「いえ、仲間が一人追いかけていったんですが……どうなってるのか、連絡が取れないんです」

「ココは見た目は街だが、ダンジョンみたいですからね。通信できなくなってるのかも――― 」

 

 

 ドドーン ―――……。

 

 

 どこか遠くの方から、地鳴りとともに重低爆音が鳴り響いた。

 突然のことで驚くも、すぐに周囲を確認/見渡した。

 

「……何の音? どこから―――」

「あそこだ!」

 

 仲間の一人が指さした先を、見た。

 そこにはモクモクと、巨大な土煙が立ち上っている。まるで、原子爆弾でも爆裂したかのような、キノコ雲―――

 

(……一体、何が起きてるの?)

 

 皆が同じく浮かべているだろう疑問。

 ココはどうやら、予想している以上に異常な戦場だったらしい、と。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

(―――さてと、後はコイツをどう処理するか……)

 

 邪魔者は、もういないはず。

 運んできた死体入り袋を背負いなおすと、先から聞こえる飢え狂った獣の声の方へ/御簾に隠れた奥の間へ、進んでいこうとした。

 

 

 

「―――キリトさん! 探しましたよ」

 

 

 

 その背中に、声をかける奴がいなければ。

 

 振り返り再確認、いちおう今気づいた風を装う。……すでに【索敵】で把握はしていた。

 目の前にいたのは、救出隊の指揮官【エイジ】だった。

 

「【フィリア】から連絡がありました。アナタが危険だと」

 

 敵意が無いことを示す笑顔と無手で、近づいてくる―――。演技してるような緊張は、見られない。まだ『仲間』だと考えているのか、押し通してるだけか……。思ってたよりも肝が太い奴だった。

 

「でも……さすがですね。独りで切り抜けられるなんて―――」

「それ以上、近づくな」

 

 でも、無駄だ。すでに知っている。

 ココのトラップとトビを倒した後、ジョニーの操り人形を始末している最中、すでに目視圏内で潜伏していた。腰に佩いてる剣を握りながら/できるだけ息を殺しながらも、オレの動きを/隙を見出そうと集中していたことを、知っていた。……まかり間違っていたら、殺されてたかもしれなかった。

 オレの拒絶に当てられて、しかし僅かにためらうのみ、歩みは止めない。

 

「……アナタを疑ったことは、申し訳ないと思っています。ただ、あの時はあのようにするしかなくて―――」

「三度目は、斬るぞ」

 

 だから今度は、敵意をぶつけた。……必死なので、殺意にまでなっていたかもしれない。

 いつもなら、忠告なんてせずに斬りかかる/奇襲になりやすいからだけど……今回はそうはいかない。先までの戦闘で、かなり体力や装備までももっていかれた。おまけに、死体袋まで背負っている。【Kob】の幹部クラスとタイマンを張るには、あまりにも不利すぎる。……だからこれは、恫喝の皮を被せた戦慄だ。

 そんなハッタリの効果は―――、覿面だった。

 ゴクリと、小さく息を呑む音……。ようやく強張りを露わにしたエイジは、そこより先へ、接近せず/できずに止まった。

 

「―――何時、わかったのですか?」

 

 代わりに、投げかけられた問答。

 コチラも時間が欲しい。どうにかして対処する方法をひねり出さなければ……。好都合だ、付き合ってやるよ。

 

「お前が救出隊のリーダーに選ばれた時、【ヒースクリフ】の奴がおまえを任命した時だ」

「ッ!?

 ……はじめから、だったんですね」

 

 少し誤解を含んでいたが、そのまま無言で通した。……驚かしただけ、ぜんぜん決定的な隙じゃない。

 

「事前に団長から教えてもらってた、ですか?」

「いや、証拠なんてない。オレの勝手な推測だよ。

 この機に乗じて、ギルドを一新する。レッドと関わりあるメンバーを炙り出し、排除する。……できれば、自分の手は汚さずに」

 

 オレならそうする……。超一流の組織を運営する長としての役目。改革の汚れ仕事/掃除屋として、『ビーター』のオレはうってつけの人材だった。そして/だからまるで、天が与えてくれたかのような好機でもあった。

 

「わからなかったのは、どうして今、こんな荒っぽい方法をとったのかだが……。今になってようやくわかってきた。

 たぶん、75層だ。次のクォーターポイントに向けて、あえて一線から身を引くため」

 

 【Kob】なら、フロアボス攻略の陣頭指揮を取る立ち位置にある。75層では、どれだけ準備しても/指揮が優秀でも、確実に犠牲者が出てしまう。その責任を取らされる……。次の100層/最終フロアまでの主導権は、他に譲らざるを得なくなる。

 指揮を取ることのメリットが、ほぼ無い、むしろマイナスになる。50層でヒースクリフ自身がそうしたように、期待されていないサブメンバーとして大活躍した方が/そうでなければ、利益は得られない。

 ……証拠なんて全く無い。ただの直感/言いがかりでしかないけど、奴ならあり得る。全てが解決した暁には、結果としてそうなるはず、最終的に利益を得られるのは奴だけだ。ギルドメンバーすらも犠牲にして……。未来の罪を、今償わせられないのは残念だ。

 

 全てヒースクリフの手のひらの上―――。ジョニーの三文芝居以上に不愉快極まる。手駒として動くしかない自分の無力も相まって、顔が険しくなってしまうのが止められない。

 そんな、たぶんエイジにとっては明後日の思考に悩まされているオレを訝しると、現状に引き戻してくれた。

 

「……どうして僕なのかの答えには、なってないですよ?」

「全員疑ってた。今ここにいるから、お前は確定になった」

「ッ!? ……それじゃ―――」

 

 ただの容疑者、だけだった―――。オレのゲスの勘ぐり、だけで済んだ。

 でも……、そうならなくなった、()()()()()()()()

 

「そうだ。お前の弱さが、お前を自滅(ここ)に導いたんだ」

 

 もっと正確に言うなら、フィリアも関係してるだろう。彼女の起死回生の手段として、彼を巻き込んだ……。とてつもない執念だ。

 絶句しているエイジに、さらに追い打ちをかける。

 

「今、おまえにできる選択は、二つだ。

 自分の犯した罪が明らかになるのを、慄えながら待つか。それとも、今ここで、オレを殺して証拠隠滅するか」

 

 正確には、隠滅し続けるかだ……。オレを殺すだけではもう、隠しきれない。ゲームクリアされるまでずっと、胸に抱えて生きていかなければならない。

 そんな奴はもう、この先では足でまとい―――。団長のヒースクリフが、そう断じている中で。清廉潔白な仲間に頼り頼られなければ生き残れない、過酷すぎる最前線では……命は幾つあっても足りない。

 最悪すぎる二者択一、どちらを選んでも地獄だ。

 だから、だろうか―――

 

「―――罪? 僕の罪て……なんですか?」

 

 今にも崩れそうに震えながら、ピクピクとひび割れそうになるのを必死で保ちながら、問いかけてきた。たぶん、臓腑の底からの。

 真っ黒な汚泥の予感に、何も答えず/黙っていると―――

 

「罪なんて、僕は、僕は……犯してなんてないッ!

 僕はただ、副団長の…皆のためを思ってやっただけで。それがこんなことに―――」

「告解したいのなら、良い神父を紹介してやろうか?」

 

 興味ない。聞いてやる気なんて欠片も無い―――。茶化すようなセリフだったが、嘲笑って肩をすくめてやることまでは、できなかった。……そんなタフガイには、いつになっても届かない。

 この巻き込まれた現状。オレがこれからやらなければならないことを考えると……、余裕なんて持てない。

 

(フィリアといいトビといい、ジョニーといい……。狡い奴ばっかりだ)

 

 大きく、胸の内でため息をついた。

 今/目の前のそこに、立っている。それだけでエイジは、オレを追い詰めていた。もう生きるか死ぬかの二者択一しか無い、ギリギリの瀬戸際にまで。ソレを本人も熟知していながら、無垢な被害者でいつづける偽善ぶり。……狡すぎる。

 けど……、オレに言い返す権利は、無い。

 なぜなら、その筆頭が―――オレ自身だから。

 

「……わかった。オレがなんとかしてやる」

「!? 

 …………本当、ですか?」

「ああ、すげぇやりたくないけど……【コウイチ】と話をつけてやる」

 

 コウイチなら、どんな難問だろうとも、事を丸く納めてくれるだろう……。奴の得意分野/奴にしかできない魔法。どうしても真実を、いや自分の感情を優先してしまうオレとは、違う。腕っ節は強い厄介者、とは真逆、敏腕の政治家だから。

 オレの口から【コウイチ】の名前を出したから、だろう。オレが奴と昵懇の間柄との情報/探らなければ分からない情報を、知っていたからでもあるだろう。そしておそらく、『丸く納めた』ことで生き延びれた何人かのことも。

 顔の疑心暗鬼の険が、ほんの少し……ほぐれた。見えざる『信頼の手』が、伸ばされてくる―――

 

(ここだ!)

 

 決定的な隙、掴んだ。

 あとは―――、引きずり込むだけだ。

 

「……貸一つだ。後でキッチリ熨しもつけて取り立てる」

 

 それで良いよな?

 オレはこの件、どうとも思っちゃいない。レッド達を倒さればそれでいい、何なら攻略できればそれだけでも。取引して終われるのなら、それが一番だ……。そんなニュアンスは、きっちりと伝わった。

 断れるはずもなく、怯えながらも……頷いた。

 

「コウイチには、ココを出たらすぐに連絡する。

 だから、さ。今はそこから……、下がっちゃくれないか?」

 

 気楽に/下手に笑みを浮かべながら、『もう仲間だろ』との印象のままに、頼んだ。

 先までの緊迫感から、一転しての緩んだ空気感。うまく揺さぶられてくれたエイジは、そのまま/理想通りに一歩、後退しようとしてくれた。

 しかし―――……、邪魔が入った。

 

 

『―――ハハッ♪ 

 ほら見ろ、教えたとおりになっただろう♪』

 

 

 ジョニーの嗤い声―――。

 音源は、背負った死体から。フィリア弟だった生首だ。

 

 しまった!? ―――

 ビクリッと、痺れたように止められたエイジは、すぐにハタと正気に戻ってしまった。……魔法の時間は終わった。

 もう後の祭りだ。気づけなかったオレの負け/隠しとおせたジョニーの勝ちだ。……ギリギリ、生首に肘鉄を食らわすのだけは、堪えれた。

 

『今そこから下がれば、彼は約束を反故にするよ。ただの口約束でしかないんだから、ね♪』

「ッ!?」

「―――というふうにアイツが言うのは、ビビってる証拠だよ。

 ジョニーには、ここでお前に下がってもらっちゃ困る理由がある」

 

 被せて、修正した。まだ持ち直せる道はある。……無駄だろうが、オレは諦めが悪いほうだ。

 

「オレとお前を同士討ちさせる。それが目的だからな。あわよくば、お前がオレを殺してくれることを。

 オレと手を結ぶ。それが、一番やって欲しくない結末だ」

 

 ジョニーの目的を暴露した。エイジにも明らかだっただろうが、言葉に/表に出すことで、水を指せる。……奴の邪術に引っかからなくて済む。

 

 その抵抗があってか、ジョニーは沈黙。言い返さずに黙っている。

 けどソレは、ソレが最適答だからだ。……ジョニーの含み笑いが聞こえてくる。

 エイジの疑心は取れない。胸の内で舌打ちした。……やはり焼け石に水でしか、なかった。

 

「……とは言ったものの、『だからオレを信じれる』かどうかは……違うよなぁ」

 

 なにせオレ、ついさっき、口約束を最悪な形で反故にしたから……。オレ自身、オレのことを信じきれない。

 そしてたぶん、ジョニーはソレを突いてくる。どうにかして、フィリアの証言を出してくるだろう。あるいはもう、またはフィリア自身が、エイジに教えていたのかもしれない。

 

(……因果応報、か)

 

 自分の不始末が帰ってきただけ。ただ、それだけのことだ……。

 

 

 

 ―――ボスンッ!

 

 背負っていた死体袋からあるモノを、エイジとの間に投げた。

 

「?

 ……何ですか、ソレは―――ッ!?」

 

 ……ダメか? 

 決定的じゃない。奇襲するには隙が少なすぎた。

 

 フィリア弟の生首―――。その生々しさ/おぞましさにギョッとさせられるも……、それだけだった。

 でも―――、衝撃はあたえた。かなり動揺している。

 なら―――、当初の予定通りで行こう。

 

「フィリアの弟、だった『モノ』だ

 そしてコイツも……、そう―――だッ!!」

 

 投げた―――。袋ごと首なし死体を、先とは反対/後方へと、飢え狂った獣の声のする方へと。

 突然背中を向け、死体袋を投げる……。どうしても隙だらけになってしまう行為だった。動揺していなければ、奇襲されていたかもだったけど……やり過ごせた。

 

 投げた死骸はそのまま、奥の間へと入り―――……、見えなくなった。

 

「……いったい、何のまねですか?」

「コレで、オレ達が抱えさせられている問題は―――、吹っ飛ぶ」

 

 

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――ッッッ!!』

 

 

 

 オレの嗤い声を後押ししてくれるかのように、獣の雄叫びが響き渡った。―――フィリア弟を喰らった、猿人達の頭領の成れの果てが。

 

「あとは、生きるか死ぬかだけだ」

 

 ソレが問題だ―――。いつだってソレが、問題だ。

 ただ時には、解決の手段になる。……この問題の前では、何も問題にならないから。

 

 

 

 

_

 




長々とご視聴、ありがとうございました。

感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。


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66階層/樹楽宮 夕暮れの狭間

 

 脳髄を揺さぶるような咆哮とともに、御簾を跳ね飛ばし奥から現れたのは―――、巨大な4本腕のゴリラだった。

 その外見は、野生のままの姿でもなかった。

 古代インド風の楔帷子を身にまとい、炎をまとった両刃直剣/黒色の荒縄の束/丸鋸のようなチャクラムに青色の巨大な杯のようなモノを装備してもいる。そして何より、その顔には、狂うほどの憤怒を示すかのような真っ赤な隈取が描かれていた。消して癒えない傷口のように、滲み続ける鮮血が焼き続けてるかのようで。

 不動明王___。初見に思い浮かんできた単語。

 毛もくジャラのゴリラであることが気にならないほど、むしろ本物よりも凶暴さが増しているように感じさせる。

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■!!」

 

 

 ふたたびの威嚇に、ハッと我に返れた。

 

「な……な、何なんですかコイツはッ!?」

「さあな―――」

 

 戦慄している/警戒が外れたエイジを他所に、間に落としたフィリア弟の生首をサッと、拾い直した。

 さらに、ようやく気づいて振り向くエイジ/でもまだ無防備な背中に、回し蹴りを叩き込もうとした。あのゴリラ明王の下へ、蹴り飛ばす―――、囮にするために。

 

 

 やろうと足に力も込めたが……寸前、躊躇った。

 遅れて、エイジと目があった。

 何をされようとしたのか、その邂逅で悟れたのだろう。一瞬真っ白になるも、すぐに思い至り、青ざめていた。

 

 そんな怯えたエイジに、ただニヤリと、歪んでるだろう嗤いを返すのみ。

 そして、未遂の言い訳の代わりに、

 

「―――よそ見するな、構えてろ!」

「え? あ……は、はい!?」

 

 警告してやると、後ろでゴリラ明王が、背後から生えてる手のチャクラムを―――ブンッと、投げてきた。

 

 とてつもない威力。一目見ただけでも「ヤバい」と直感できる、戦車砲のような爆撃。……おそらく、直撃すればHPの3分の1は喰われるはず。

 けど、あさっての方向だった。

 チャクラムはオレ達からかなり離れた横の壁へと投げられ、巨大な穴を抉り広げて通過していく。……断面は削れてるというより、高熱で溶けているかのよう。ドラゴンのブレス攻撃の破壊痕によく似ていた。

 建物オブジェクトの破壊―――。この仮想世界において大体が『破壊不能』となっているソレが、いとも容易く破壊されていた。

 

 

 ターゲットが合っていないかった。いや、合わせることができてない……。両眼と額/鼻部分、顔の中心部分に十字の穴が空いていることが、原因だろう。

 ちらりとエイジを見ると、チャクラムの威力に戦慄しながらも、同じく敵の状況を把握していたのが伺えた。

 

(このままゆっくり、後退するぞ)

 

 喋らずの手話指示するとコクり、ともに後退する。

 一歩一歩慎重、音たてないように後退していった。背後の出入り口まで―――

 

 

 パキリッ……なんていう不幸なミスはせず、なんとか扉の前まで戻れた。

 あとは気づかれても、ダッシュすれば逃げ切れるはず……。だけど、コイツをこのままにしておくわけにはいかない。

 

(どうしたものか……)

 

 倒すにしても二人では自殺行為だ。そもそも、このエイジを/お互いに信用もできていないから、なおのこと。

 すでに撤退しようと構えているエイジ。止めるかどうするか、もう決断を迫られている。常道として正しい彼を止める決定的な何かが、無いのならば―――

 

 ブルリと突然、耳の奥辺りが振動した。……顎の付け根まで響いて、少々気持ち悪い。

 他プレイヤーからの着信の合図だ。それも、予め設定しておいた特別な相手からの。

 すかさず、指で耳を触れた。通話開始の合図。

 

『―――キリト、今話せるかな?』

「……ちょうどいいところだ」

 

 いつもながらの見計らったようなタイミングに、今だけは苦笑するだけに留めた。

 訝しむ/早く逃げようと焦るエイジに、手話で「今大事な話をしてる」と教えた/足止めさせた。

 

()()()の潜伏場所がわかった。マーキングした地図を送信したので、向かってくれ』

 

 メニューを展開して、送信された地図を確認した。

 

「……意外と近かったな」

『この都市を維持するためだろう。ソコならうってつけの場所だ』

 

 なるほど……。NPCを操作するだけなら、遠隔地からでもできるのだろう。けど、都市そのものをリアルタイムで運営するとなれば、話は違ってくるはず。中心核となるポイントに居なければ、務まらない。

 そしてその場所は、目の前のゴリラ明王が鎮座していたココ、この都市の中心地である総督府から、そう離れた場所では無いとも。

 

 周辺地理と所定ポイント/ルートを脳みそに焼き付ける。わざわざ展開して再確認しなくて良いように、体中にも浸透させた。……ココで今日まで生き抜く上で、自然と身に付いた瞬間記憶術。

 

『邪魔は入らない。存分に処理してくれ』

 

 そう言い切るや、一方的に通話が切れた。

 

 

 相変わらず、不気味な優秀さだ……。もう2年の付き合いになるのに、今だによくわからない男だ。

 今は「頼りになる」ので、それでいい。それだけでいい。

 

「…………何の話ですか?」

「これから俺達が向かう場所だ」

 

 付き合ってもらうぞ―――。そう命じると同時、足のポーチからピックを取り出し、投擲した。

 ゴリラ明王の足元へ―――カンッと、音を立てて刺さった。

 

 直後、明王が振り向いた。視覚も嗅覚も無いだろうが、耳は健在/聴覚は機能している。

 先の一撃で仕留めたと向けていた注意を、すかさず戻してきた。まだオレ達はココに生存してると、教えてやった。

 

「ッ!? 

 なんでこっちに向かわせ―――」

「コイツも連れて行く」

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■!!」

 

 

 再び咆哮を轟かすと、投げて空手になっていた腕に、先のチャクラムを発生させた。

 始まりは旋風のように、すぐさま竜巻のような空気の歪みをつくり、ヂヂヂと焼き軋ませる擦過音を鳴り響かせた。……本能からも、危機感を掻き立ててくる暴力の塊。

 だが、二度目なことが幸い。恐怖で金縛りに遭う前に動いた、通過するだろう軌道からわずかでも横に離れるように―――

 

 突然、音が止んだ。この場のあらゆるモノが静止した。

 明王の豪腕だけがその中で、動いた。手のひらで発生させた暴力の塊を、投げつけるために―――

 再び、巨大なチャクラム竜巻が、オレ達の真横を走り抜けていった。

 

 

 破砕音は僅かに遅れて、耳に届いた。……あまりの爆音に、鼓膜が破れてしまうほど。

 だけど、直撃もしなければカスリもしていない。無傷なまま、やり過ごすことはできた。

 目の前には、先にできた大穴と同じものが、できあがってもいる。

 

「……ちょうどいい穴を開けてくれたぞ!」

 

 あそこから飛び降りるぞ―――。すかさずそこに向かった/駆け出した。『例の男』が潜んでいるだろうポイントへの最短ルート。

 

「ちょ、まッ!?

 ここの高さから飛び降りれば、ただじゃ済まな―――いぃッ!?」

 

 ブゥンッ―――と、明王の巨大直剣がエイジの横に振り落とされた。

 鋒/刃を壊れるはずのない床に喰い込ませると、纏っていた炎がわずかに遅れて振り落ち、周囲に小さな爆発をも引き起こした。

 

 視界の隅で確認すると、ゴクリと唾を飲み込まされた。……紙一重で躱すことを許さない、爆炎の追加効果の斬撃。初見だったらほぼ必ず痛恨の一撃に繋げられたはず。

 幸いなことに、エイジは無傷だった。ダメージ範囲から離れた場所に振り落とされたらしい。……だけど、メンタルまで無傷ではいられなかった。

 

 もう飛び降りるしかない……。黙って確信/共有。

 すぐさま切り替えると、息を合わせて―――ダッシュ。

 二人飛び込むように、駆け抜けていき―――、飛び降りた。

 ソレを捕まえるよう、ゴリラ明王も突進してくる―――

 

 

 二人空中に身を投げ出すと、隣で声なき悲鳴をあげるエイジ。なんとか冷静さを保って、すぐに来る落下の衝撃に備えようと必死。……この高さの落下ダメージをまともに受けたら、HP0は無いだろうが致命傷は確実だ。

 そんな彼の腕を固く掴むと、コチラに気づかせた。

 キュルキュルきゅるきゅると、摩擦音を鳴り響かせている自分のベルト/改造バックル部分。そして、落ちてきた上空に伸びている、細いけど強靭な一本のワイヤーを―――

 

 グンッ―――と、いっきに止まった。急に落下が止まり/重圧が片腕をおもいきり引っ張り、ワイヤーに吊るされた。

 直後、振り子の要領、飛び降りた建物の壁へと振られて―――、衝突した。

 

 背中と足を使って、衝撃を緩和。

 けど、ハンマーで殴られたような圧力に、「うぐぅッ!?」うめき声が漏れてしまう。

 拍子にエイジを落としそうになったけど、ギリギリ保てた。

 

 さらに直後、つづいて落下していたゴリラ明王の巨体が、通り過ぎていった。……地面がなくなっていたことに気づかず、そのまま突進してしまったのだろう。

 何の命綱もつけていない奴はそのまま、頭から地面に叩きつけられた。

 地鳴りのような轟音が、あたり一面に響き渡る―――

 

 

 

「―――や、やった……のか?」

「いや、まだだ」

 

 そんな柔じゃ困る―――。オレの【鑑定】の未熟さゆえだろう、まだHPバーは見抜けていないけど、0になっていないのは肌でわかった。それも、半減域すら達していない軽傷だということも。……不完全とはいえ、さすがの化物ぶりだ。

 だけど、しばらく【気絶】気味なのは良いことだ。この落下衝撃をうけて/受け身も取らずの直撃からすぐさま攻勢に移れるほど、システム異常な存在じゃなかった。

 

「ワイヤーを戻す。

 何処か掴むか、壁に剣を突き立てるかしてくれ」

「へ……ちょッ!?

 そのままワイヤー伸ばして、地面に降りればいいじゃないですかッ!?」

「落下攻撃したいんだよ、アイツに」

 

 ついでに、『首輪』をつける―――。ニヤリと不敵な笑みを向けると、なぜか青ざめた顔をされた。

 承服しかねるけど、全権は今オレにあるとは理解。……ガンッと、剣を壁につきたてた。「…いつでもいいですよ」

 

「俺が落ちたら、伸縮性があって切れづらい縄の束、落としてくれたら助かる―――」

 

 そう言うや、壁に喰い込ませていたワイヤーの先端を外した。

 

 ふわりと、しばしの浮遊感の後に―――、急速落下。

 全身が風に叩きつけられながら、背中の愛剣を抜き出し両手で握り締めた。そして、全体重に落下ベクトルの全てを鋒の一点へと収束していった。一本の長槍のごとく―――

 

 狙いは一点、巨人の首筋だ。死角にしておそらく弱点。

 受身を取れない恐怖を圧殺しながら/それすら鋒に集中させるよう、鼓舞する雄叫びも風切り音も消え視界すらも狭まっていき―――、その一点へ。

 今にも起き上がろうとする巨人へ、追撃の落下攻撃を―――グサリと、深々と貫いた。

 

 

 巨人は殺意の落下物を避けきれず/堪えきることもできず、持ち上げようとしていた頭部をふたたび地面に強打した。

 その衝撃は俺にも伝わった。

 痺れてしまう前、ギリギリ切り替えた。落下重力にペシャンコにされる寸前、地面と平行方向へと強制ベクトル変更―――、そのまま全身を投げ飛ばした。

 

 ゴロゴロ―――と、しばらく落下の衝撃を散らす。転がるがままにしてから、一気に/その勢いを借りて立ち上がった。……全身土砂まみれだ。

 あらかじめ愛剣に巻きつけておいたワイヤーは、片手にある。……作戦成功、簡易首輪はできた。

 

 

 もう少し補強しようと、せめて首を一回りはさせるかと足を踏み出そうとして……、気づいた。ずっと持っていた『頭部』がなくなっていたことに。……落下の衝撃の際に手放してしまった。

 急いで辺りを見回すと……、幸いなことにすぐに発見できた。

 【気絶】してる巨人から少し離れた地面、すぐに拾える位置だ。落下攻撃の衝撃じゃなく、転がっている最中に落としてしまったのだろう。……巨人の口元じゃなくて、本当に幸いだった。

 

 巻きなおすのは後、拾い直すのが最優先だ―――。即座に行動、巨人が目を覚まさないうちに確保しておかなければ。

 頭部を拾おうと、そこへと歩いていくと、

 

 

「―――キリトさん、危ないッ!!」

 

 

 エイジからの警告とほぼ同時、【索敵】が強烈なアラームをがなり立ててきた。……脳震盪でも起こしていたかのようにはんばボンヤリしていた頭を、一瞬で目覚めさせてくれるほどに。

 けど……、遅かった。ずっと酷使し続けたためか、いつものように反射神経も働かない。

 どうにか顔を上げて、ソレを目に写した―――直後、顔と胸に『強烈な打撃』が叩きつけられていた。

 

 

 不意の襲撃―――。全くの無防備だったので、その打撃で背後へと吹っ飛ばされてしまった。

 仰け反らされる、そのまま背中に倒れてしまう―――ギリギリ、ズズズと両足で踏ん張って何とか【転倒】は耐えた。

 

 痛み/ダメージを堪えながら、のけぞっていた上体を無理やりにも正面に向き直らせた。

 そしてすぐさま、頭部を拾おうと駆ける―――

 彼我の間にまた、『鞭撃』が放たれた。

 

 今度は正面からの打撃ではなく、横薙ぎの巻撃。……長々と切り裂くソレに、近づけない。

 近づけず、その場で足止めされた。舌打ちしながらも、襲撃者へと顔を向ける。

 そこには―――

 

 

 

「―――これ以上、その穢い手で彼に触れないで」

 

 

 

 騙し打ちして無力化したはずの女/【フィリア】が、殺意と怒気で真っ黒になってる瞳を俺に向けていた。

 

 あまりの驚愕に、一瞬頭が真っ白になった。……なぜ今、ここにいる?

 けどすぐ、頭をフル回転させた。

 絶体絶命なこの状況、困惑し続けてなどいられない。見て取れる情報をかき集める、現状を把握し打開策へとつなぐ。いつものように、ビーターに相応しい答えは―――

 

「―――取引だ。

 全てが終わったら、俺をアンタの気が済むようにしていい。だから今は、『彼』を持って俺に付いて来い」

 

 強気な交渉。けど中身は、彼女に譲歩しまくった降参だ。

 彼女の『手』にその頭部が握られている現状で、オレにできるのはコレしかない。……コレ以外に、今の彼女が耳を傾けることは無いだろう。

 オレに切断された両腕の代わり、主武装の()()()()()()()()()しているその異様な姿に届く言葉は、あまりにも少ない。

 

 今出せる渾身の答え。届くはずだけど……、反応は無し。

 不安に/訝しんで、言葉を重ねるも、

 

「俺の他にも『殺したい奴』がいるだろ? 俺は今、そいつを処分しにいく最中だから―――」

「アナタはもう、信用に値しない」

 

 バッサリと、拒絶してきた。……交渉は、はじめから不可能だった。

 

 

(……バカ野郎が)

 

 沸き起こる激情に歯を食いしばっていると、フィリアは【気絶】中のゴリラ明王を妖しく見つめながら、

 

 

「彼を今、私の使い魔(モノ)にする。……協力してもらうわ」

 

 

 自らの狂気に、オレを/皆を巻き添えにしようとした。

 彼女は今、『レッドライン』を超えてしまった。オレが/プレイヤー皆が定義している、殺人集団(レッドプレイヤー)の一員になった。……彼女はもう、排除対象だ。

 

 理解してしまうと、カチリと切り替わった。心が真逆に変わる。……少なくとも表層上は。

 変わってしまえば、やることは一つだけ。―――切り捨てるだけだ。

 

「……そんなこと―――

 

 すかさず/ほぼワンモーションで、ピックを取り出し&投擲した。彼女が大事に抱えている『頭部』を狙って―――

 

 ―――ゴメンだね」

 

 けど直後―――パチンッ、弾かれた。……彼女に読まれていた。

 けど構わない。同時に背中の剣を掴み/抜く。彼女ごと両断する勢いに―――、すかさず追撃の鞭。 

 

 エクストラスキル【抜刀術】___。鞘と体を透過しての抜刀。

 現実ではありえない最短軌道にて、鞭撃に応戦/弾き断った。

 

 

 けど……あちらも仮想ならではだ。

 本物の鞭ではなく、実体をもたない鞭撃の塊の一つ。断たれて手元に戻されても、本物には傷一つついていない。【鞭】スキルならではの超現象だ。……限りなく【武器破壊】が困難だ。

 

 だけど、関係ない。

 その時にはもう、駆け出していたから。

 手元に戻されるのに合わせて、一足飛びにて間合いを詰める―――

 女は、避けられないと判断したのだろう、背後へバックステップした。オレの方をしっかり向きながら、次の一足飛びがきたらすぐに鞭で弾き飛ばす構えだ。

 

 思わず、嗤いが浮かんだ。

 ()()()()()()()()()()だったから。彼の頭部を投げつけてくれなくて/守ろうと執着してくれて、本当に良かった。

 

 ―――本当に、最後まで愚かで……

 

 跳んだ全身の勢いをそのまま、腰だめの剣の刃に収束して―――、投擲した。

 

 プレイヤースキル【擬似投槍】___。本来【投槍】でしか投擲できない武器を、突進攻撃に合わせての投擲で再現する。

 彼女の胸部へ、必ずどこかに突き刺さるだろう必中の一撃を、放った。

 狙いはあやまたず/真っ直ぐ、彼女の胸を貫いていく―――

 

 驚愕しながらも、反射でガード。今日まで培ってきた戦闘経験値からの直感/即断。

 しかし、肝心のその防御の腕は……()()

 切り落とされていたことに、気づいて改めようとするも―――、遅かった。

 グサリッ―――と、投擲されたオレの愛剣が、その胸を貫いていたから。

 

 

 

 ぶつかった衝撃/自分でパックした勢いもあって、そのままガクンッとノックバック。

 はるか背後へ吹っ飛ばされると、受身も取れずに【転倒】させられていた。……その拍子に、大事に抱えていた頭部を手放しながら。

 

 スキル後硬直が解けるやいなや、落とされた頭部の下へ走り、拾い直した。

 そして、【転倒】と愛剣による地面縫い付けで動けなくなって/苦しんでいる彼女を見ると、ふと、

 

 

「―――悪いな、こいつは俺の使い魔(モノ)にするよ」

 

 

 そう吐きつけていた。……言葉にしてから、自分でも驚かされる。

 

 システムに止められているはずの彼女の口から、怨嗟の叫びが聞こえたような気がした。地獄の底から噴き出してくるかのような呪いの言葉。

 架空のソレに痺れてしまう前、走り去っていった。……もう振り返ることなく。

 

 

 

 

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66階層/樹楽宮 機心の叫び

 

 爆発現場があるだろう場所まで、急いで向かった。

 

 魔法が無ければ科学技術も発展してない、ほぼ近接戦闘しかないこの仮想世界では起こりえない、大破壊現象。……嫌な予感しかない。

 レッドプレイヤー達が仕掛けた切り札……とは連想できるも、信じきれない/認めたくない。なぜよりにもよって彼らが、彼らのような人間に、そんな権利/暴力が許されているのかを。

 

「―――副団長、この先は市街地です。殲滅部隊の奴らも、そこで戦ってるはず……」 

 

 あの爆発に巻き込まれていなければ……。言下に抑えた説明が、より不安感を伝えてきた。

 歯を食いしばって耐える/耐えるしかない。ソレが自分の務めだ。……今はただ、一秒でも早く現場にたどり着くことだけ。

 

 

 

 戦火で慌ただしい街を走り抜けていく中、何人もの猿人兵士たちに遭遇した。あるいは、ただの住民だろう猿人たちにも。

 皆、その顔に浮かべていたのは、恐怖からくる敵意ではなかった。それを上回る困惑だ。あきらかに敵だろう私たちの姿を目にして、急いで構えた竹槍だろう武器の穂先が震えていた。突撃できないで腰が引けているのが証拠だ。中には耐え切れずか、その場から逃げ出している者たちもいた。

 なので幸いにも、余計な戦闘はしなくてよかった。現場までほぼ一直線に向かえた。……近づくにつれ増えていく、瓦礫や倒壊した家屋など/壊れるはずの無い景観オブジェクトの変わり果てた障害物を除いて。

 

 沸きでてくる疑念と怖れを押し殺しながら、それでも前へと急いだ。

 けど……、手前までだった。

 先を見据えながらも立ち尽くしている殲滅組の一部が、私たちに気づいて振り返ると、いきなり制止してきた。

 

 

「―――よせッ! それ以上先に入るな!」

 

 

 何を言ってるの―――。反射的に怒りが沸いてくるも、向けた警告の様子があまりにも切羽詰まっているのを観てとり、抑えた。

 警告通り足も止める/皆にも止まるよう指示すると、

 

「……この先に何があるの?」

「ほぇ!? 【Kob】の閃光ッ!?」

 

 どうしてココに? ……予想していた驚きだったので、無視させてもらった。

 ただ、集まってくる安堵と好奇の視線。私たちが無事なことを喜んでくれてる……。予想よりも邪険にされてはいなかったことにホッとするも、今はそれどころじゃない。

 

「いきなりだった。見たことない巨人型モンスター達が出現して、大規模な範囲攻撃を放ったんだ―――」

 

 大規模な範囲攻撃か……。遠目からの観測だけど、その範疇はゆうに超えているだろう。けど、ココではそう表現するしかない。

 

「その範囲圏内…だろうけど、アソコから先にいた奴らと外の俺達が、分断された」

「分断……て?」

「――インスタントフィールドだ。ちょうどアソコから先が、そうなってる」

 

 別の目つきの鋭い男性プレイヤーが、代わりに説明を引き継いできた。

 その指さした先/進もうとした先に目を向けると、何もないはずの空間が奇妙に揺らめいたのが見えた。その微かながらの空間の揺らめきは、淡い虹色を帯びてもいる。

 その先は別の空間、僅かながらのロードが挟まれる境界面だとの証だ。ココと先の空間の差異は余りにも無さ過ぎる、ので必然とインスタントフィールド/特殊モンスターとの対戦フィールドだと推察できる。

 

「外から中へは簡単に入れる。でも、中から外には出られない。たぶん……、あの巨人達を倒さない限りは」

 

 一度入ったら、倒すまで強制戦闘……。「【転移結晶】を使えば?」とは、聞くまでもなかった。できるのならとっくにやっていただろうから。

 だから、別の違和感を尋ねた。

 

「どうしてアナタ達は、ココにいるの?」

「……ビビってる、て言いたいのかよ?」

 

 ピリピリと、静かな凄みを込めながらぶつけてくる。

 現状は戦闘中、こうやって乱入してきた私たちに説明しなければならないのは、迷惑極まりないはず。それでも平静さを保って付き合っているのだ、短気になってしまうのは仕方がない。

 無言ながら、「そんなつもりは無いわ」と受け止めてみせると、隣の男性プレイヤーがそっと仲間の肩に手を置いて宥めてくれた。

 

「中の奴らとはまだ繋がってる。体力等の情報は把握できてるし、出れないだけでメッセージは受け取れる、パーティー内・ギルド内で共有してるアイテムボックスもちゃんと使用可能だ」

「でも、全員中に入っちまったら、アイテムを供給してやれない。……冷静な判断だな」

 

 私が言う代わりに、一緒に脱出した仲間が引き継いでくれた。こちらには争う意思など全くないと、伝わるように。

 ソレでピリついていた空気が、ほんの少しは揺るんだからだろう。先ほどの目つきの鋭いプレイヤーが、

 

「お前たちも、病み上がり…みたいな状態だろ? この先には入らない方がいい」

 

 改めて「入るな」と、念を押してきた。

 

 その言葉/彼らの態度に、言い知れぬ違和感の正体がさらに浮き彫りになった。

 なぜそんなにも、私たちが先に進むことを拒むのか? ……ただ未知の強敵への脅威を伝えるだけでは、止まらない。ソレを読み取ってのか、懇願に近い制止命令。

 思考を巡らせ続けると……ふと、ココにいなければならない存在に気がついた。

 

「―――ディアベル総隊長殿は、中に閉じ込められてるのね」

 

 私の指摘に、彼らは一様に緊張を高めた。

 やっぱりか……。中は未知で脅威で危険地帯なれど、対処しきれてないわけじゃない。どうにかしきれる/みな勝利して生き残れる信頼感は、確かに共有しあっている。それでも、大隊長達を助けるため、援軍があるならなお良しだ。……私たちを引き止める明確な/納得させられる理由が無い。

 そのことをさらに突こうと口を開くと……、少し予想外だった人物の登場に止められた。

 

 

「―――そうだ。だから君たちが入れば、指揮が乱れる。足でまといになるだけだ」

 

 

 リンド―――。まさか副総隊長殿が、こちら側に残っていたなんて。

 

「何処かに潜んでるレッド達は、僕らを狙ってくるはずだ。猿兵たちに襲わせるかも知れない。……ココに留まって、防衛に勤めてほしい」

 

 いつでも援軍として参戦できるようにも……。そう言外に含ませているように説明するも、実際はどうか?

 リンドがココに現れて説明してからの数瞬、【連合】メンバー達の様子を観察すると、何かしらの暗黙の了解が交わされただろうことが見て取れた、何かを隠しきろうとする固い意志を。……ほんの些細な微表情や素振りでしかなかったけど、直感がそう囁いてくる。

 さらに直感は囁く、ソレは必ず暴かなければならないものだとも。

 なので、別方向から攻めることにした、……そっちがその気なら、こっちだって。

 

「その『巨人型モンスター』てのは、どんな外見をしているの?」

 

 何気なく当たり障りなく、至極当然のことを尋ねた。

 どうすればいいのか……。互いに戸惑いを見せるも、説明しないわけにもいかない。

 なので誰かが答えようとするも、何かを察してか、リンドが先んじて説明してきた。

 

「……詳しくは分からない。僕もココにいる皆も、急に現れてからほんの数秒しか見てない」

「中からの情報は?」

「戦闘中だ。詳しいことまで送れるわけないだろ?」

「――()、でござるな」

 

 話を打ち切ろうとする空気を、私の意図を察してくれたからだろう、蜻蛉さんが差し止めてくれた。

 彼らからしたら言いがかりに近い言葉だろう。けれど私は知っている、彼の嗅覚は人の嘘を嗅ぎ分けられると。

 そして/ゆえにもう一つ、突然の図星な指摘には露になってしまうものだ、秘密を隠しているかいなかが。―――全員が息を飲まされ、表情を固くしてしまっていることで。

 

 秘密があることは、もう皆にもバレた。嘘を重ねればソレが証拠にもなる。

 あとはただ、ソレを追求するのみだ―――

 

「中で指揮してるのがディアベルで、外で貴方が待機してくれてるのなら、そんな手抜かりなんてしないわね」

 

 なぜ隠すの? ……実際には抜いてないも、愛用の細剣の鋒を差し向けるように、嘘をつくなら容赦しないと。

 

 一気に緊張が走った。空気が痛いほどピリつく。

 私の尋問にリンドは……、ただ無言。何かをグッとこらえ続けている、表情すら押し殺して。

 【連合】の長としてのプライド、だけじゃない。暴こうと詰めている私自身に、関係する何かが……。次々とつなげてくる直感の先行きに、言い知れぬ不安がよぎった。予想していたよりも重い何か/致命的でもある真実が、そこにあるのだと……。

 

(それでも……、もう退けない!)

 

 こちらも腹に力を込めなおすと、

 

「……隠してるのは認める、てことね。私たちには言えないような『何か』を」

「今は戦闘中だ! 難癖つけるよりも、やれることやってくれよ」

「――なら、中に入ってその巨人達と戦うてのも、アリだろ?」

 

 別の仲間が、再度フォローしてくれた。……私だけじゃなく、みな同じ想いだとの意思表示。

 

 二極化した/一触即発な現状。次の一言で全てが決まる。……いや、もう言葉なんて届かない。

 できるのはただ、始まりの合図だけだ。観念するしかない。

 なのに―――

 

 

「……頼む。中に入らないでくれ」

 

 

 君たちには見せられない……。出てきたのは、正直な懇願だった。

 

 本心からなのは、見れば分かる。……分かってしまう。

 だからもう、退くのは私のほうだった。これより先は、ワガママ以下の横暴、皆を巻き込むわけにはいかない道行き……。

 だから、でもある。彼がここまでさらけ出さなければならない理由は、限られている。何度も意見ややり方が食い違ってぶつかり合ってきたけど、互いに正々堂々だった。同じくゲームクリアを目指す同志だ、死んでしまった仲間達を背負いながら登り続けている、確かな善意と誇りをもった戦友だとも。そんな彼が、私を心配してくれないはずがない。

 つまり、ここより先は死地。私だけでなく、誰かを殺してしまうかもしれない分水嶺。あの境界の先には、私の心を殺すような『何か』が待ち構えている―――

 

(……ッ!? まさか!)

 

 一つ、思い至った。……その仮説に、怖気が走った。

 けど同時/振り切るかのように、脚は境界へと―――駆けていた。

 誰かに制止される前、滑るように駆け抜けていく―――

 

「―――待て、閃光ッ!?」

「クソッ!?

 ほかの奴らは止めろ!! ―――」

 

 絶対に―――。

 背後で、リンドと【連合】の仲間たちが、せき止めていた。私も引き戻そうとするも……、もう間に合わない。

 

 無心のまま/駆けていった先、もはや戻ることのできない境界を……踏み越えていた。

 虹色の煌きをくぐり抜けた奥、別空間へと侵入していった―――

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 ___殺してくれ……。

 

 『彼』と目があった時、そう懇願された気がした。

 

 

 

 気のせいだと、思った。そんなことありえないと、全力で頭から振り払った。

 でも『ソレ』は、疑いようなくそこにいた。

 

 目を背けたかった……。けど、できなかった。

 してはならない、との無意識の義務感だろうか。心はみっともなく逃げ出したがってるのに、体が無理やり『ソレ』へと向けさせ続ける、見ろ! 見ろ! 目を逸らすなッ! と命じてくる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()―――

 

 

 ―――

 ……

 

 

「―――アスナさんッ!? なんでここに!?」

 

 突然現れた/侵入してきた私の姿を見てか、見覚えのある真っ赤な侍武者が、驚愕と目を見開いていた。

 その大声に反応してか、周囲のプレイヤー達も気づき/振り向いては、同じく驚きを露わにした。

 私は、彼らのその困惑に応えることもできず、ただただ目の前の怪物に魅入られていた。戦場のココでは、決してやってはいけないような、両膝を地につけ見上げる無気力な有様で。

 

 

 

 半開きの口から溢れ出てくるのは、とめどなくこみ上げてくる『何か』、言葉にしてはいけない『ナニカ』。……堪えきれないので吐き出してるのに、言葉以前の呻きでは、いっこうにその猛毒はぬけていかない。

 けど、そうするしかなかった。『ソレ』をありきたりな言葉でくくってしまうことが、どうしてもできなかったから、私の中の何かが許してくれなかったから。

 だから、無防備極まってる私に、その怪物は目をつけたのだろう。ドシドシと踏み鳴らしながら、急速に近づいて来る。……周囲に散開しながらヘイトを集めていただろうプレイヤー達を、無視して。

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!』

 

 

 

 

 通常のモンスターでは、フロアボスですらあり得ない異常行動―――。仮説でしかなかったものに、証拠が上乗せされてしまった。

 頭の片隅で、アラームががなりたててる。ゲームシステムが提供したものとは別、今日までの戦いで培ってきた経験則が、「目を覚ませッ!」と喝を入れてきた。

 でも、返したのは「うるさいッ!」だ。

 

 ソレでどうする?

 目を覚まして何をする?

 

(…………逃げるの?)

 

 あり得ない―――。許せない、許されない、許したくない。

 私の責であんな酷い目に遭ったのに? 

 命あずけ合った戦友なのに?

 『彼』のことまだ知らないことだらけなのに? ―――

 

(…………できるのは、ソレだけなの?)

 

 

 

 ___ふさげんな……。

 

 今まで口にしたこともない罵倒が、こみ上げてきた。―――同時に、全身を犯し抜いていた『なにか』に穴が空いた感触。

 熱のような光のような、炎のような……。私から力を奪い尽くした『何か』を、焼き払うような―――閃光。

 

 その力のままに、身体は―――動いていた。

 私を叩き潰そうと振り下ろされる、鉄塊のような無骨な極大剣の……鍔元へ/足元へと、滑り込ませていた。

 

 

 

 すぐ背後で、小規模なクレーターができあがるほどの大爆音。

 ソレすら後押しに、最後まで離していなかった愛剣をもって、構えた。今の私ができる、最善の選択/報いを―――

 刃に煌き、身体から見えない束縛が解けた。……システムが初動モーションを認知、ソードスキルを発動させる。

 

 【フラッシング・ペネトレイター】___。細剣の最上位剣技の一つ。三回の突進攻撃を一度に集約させて放つ突進貫通攻撃。

 無防備になっている足元から懐へ、背後の衝撃波を背に乗せながらの二段【加速】も込めて、渾身の絶技を叩き込む―――

 

 

「てやアアァァァーーーーッ!! ―――」

 

 

 咆哮すらも置き去りに、光の尾のように纏うソニックブーム。

 意識まで鋭く鋭く、どこまで貫けていくような―――閃光のように。

 

 ただ無心のまま、湧き上がる光だけを頼りに、己の罪と対決していった。

 

 

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66階層/魔獣結界 心剣抜刀

 

 わずかな隙へと縫って細剣奥義をぶつけても、当然のことながら……とどめの一撃とはならなかった。

 でも、効果はあった。

 かの巨体を数メートルほど後ろに押しのけ、尻餅をつかせるほどには。

 技後の硬直時間で、その場に金縛りにされる。けど、起き上がる前には解放されることだろう。……追撃を狙える。

 

 私一人で必ず仕留める―――。

 そんな決意で、解放されたらすぐさま動けるよう『彼』を直視し続けていると―――ポンッ、後ろから肩に手を置かれた。

 

 

「―――わりぃ、すぐに繋げてくれアスナさん」

 

 

 顔を向けるとそこには、赤い野武士=【クライン】さんと、『パーティー加入』のメッセージ窓だ。彼のパーティーに参加するか否か。

 咄嗟に拒絶しようとした。あくまで『彼』は自分一人の手で介錯してやりたい/すべきだと、ソレが副団長としての務めでもあるとも。

 けどすぐ、冷静さ/今日までの戦闘経験値が、却下してきた。目の前の『敵』を一人で倒すなど、自殺行為でしかない。彼とパーティーを結ぶしかない、ここにいる全員の力を借りるしかない。

 

 罪悪感と命の天秤は……、答えるまでもなかった。

 システムによる金縛りが終わるや直後、『参加』を選択した。

 

 

「コイツは俺らが請け負う! そっちは任せるぞ【ユキムラ】ッ!」

 

 周囲で戦ってる人たちへ、特にクラインさんのギルドの副リーダーへの無茶ぶりだ。……共に持ち場を離れやってきてくれた彼の仲間の顔色も、厳しく強ばってる。

 

 急な隊列配置の変更、勝手に持ち場を離れるのは、ボス戦闘において最も慎むべきことだ。犯した部下には厳罰を下して分からせるほどにも。特に今のような、ちょっとしたミスが全滅に繋がるような盤面での勝手は、後にMPKと詰られても仕方がない。……私自身が、部下たちに諭してきたように。

 けど同時、臨機応変な柔軟性が必要な盤面でもある。自分の持ち場を離れ、即座に私を全体に組み込む決断。クラインさんのこの行動の是非は、この戦いが終わってからでしか裁けない。……決して間違いじゃなかったと、証明しなくちゃならない。

 

「俺と【サイゾウ】がタゲ取る。アスナさんは、隙見つけてぶっこんでくれ」

「……分かった」

 

 気をつけて―――。私の了解を聞く間もなく、二人は前に駆けでて行った。……簡単すぎる指示だけど、ソレだけで理解できるとの信頼。

 自分のプライド/罪悪感よりも、仲間たちの命だ。胸の内でパンッと頬を叩く、まだ頭に上っていた熱を急冷凍させた。

 

 すると直後、またメッセージ窓が展開された。

 コマンド要求ではなく報告。ただしそこにズラリとあったのは、パーティーメンバーからのアイテム供与だ。回復ポーションやら結晶アイテムやら、この戦闘で必要になるだろうアイテム群―――

 文字よりも雄弁に語ってくる。思わず、送信主だろう青い騎士団長殿を目で探そうとしたけど……、やめた。そんなことよりもまず、やるべきことがある/暗に込められている直言。まだ揺らいでいた気持ち/集中力を、いっそう引き締めることを。……独りで背負ってはならないと。

 

 

―――

……

 

 

 私が乱した戦場が、瞬く間に整え/再編されていく。

 

 

 クラインさん達は、絶妙な間合いで翻弄しながら、敵の注意を引きつけ続けてくれている。

 初見でかつ強敵なはずなのに、死と隣り合わせのその役目を見事こなしている。のみならず、同ギルドだろう仲間との連携の素晴らしさだ。掛け声なく目配せすらほぼなく、互いが必要としているだろう『次手』を補い合えている。もしかしたら、さらに次手まで考慮しての最適行動も。

 【血盟騎士団(Kob)】のメンバー同士で、ここまでの連携ができる人達は稀だ。彼ら【風林火山】の強味/少人数なれどリアルでも友人同士のギルドが、存分に現れているかのようだ。

 

 そんな彼らのおかげで、私が常々欲していた最適な前衛の行動ゆえに、大いに動きやすい。……ただ躊躇わず/フォローも考えず、ありのままを放てばいいだけだから。

 こじ開けた、あるいは注意を寄せて開いてくれた死角へと、強烈な一撃を射し込んでいく―――

 

 

 もちろん、【聖騎士連合】たちも活躍してくれた。

 私の乱入で、いきなり敵のタゲが変わり乱れてしまった戦闘のリズム。ココで戦っている大半は彼らで、総指揮もリーダーの【ディアベル】だろう。戦局のリズムまでも乱れてしまったはず。その心理的負荷はどれほどのものか……、私も嫌と言うほど分かっていたはずなのに。

 ほぼ即座に、調整し直してみせた。

 ディアベルの決断力もさることながら、【連合】メンバーはもちろんのこと他の攻略組プレイヤーたちですらの、彼への信頼感。この急場でかつ未知の窮地であっても、「彼こそ自分たちのリーダーだ」との共通認識だ。彼が今日まで積み上げてきた『徳』の高さが伺える。……思わず、嫉妬してしまうほどに。

 

 

 ……どうしても納得できなかった、今回のレッドプレイヤー掃討作戦。

 

 たとえ相手が犯罪者だろうとも、人命。ソレを率先して奪うのは『悪業』なのだと、レッド達と同じになってはいけない/『正義』で誤魔化し扇動するようなマネすらも……と。殺人は絶対に間違っている。

 「キレイ事だ!」と嘲笑されてしまうのは、分かっている。ソレが何の解決にも繋がらないとも、知っている。けど、誰かが言わねばならない道徳、誰かが貫かなきゃならない常識だ。コレを見失ったら/捨ててしまったら、ゲームクリアして何になるの? 帰らなきゃいけない『現実』に、戻れるの……?

 その時は、答えを出せなかった怖れ。今でもまだ迷ってる。我が身大事の怯懦か、己を切り捨て大多数を救う合理か……。私はまだ、都合の良い幻想に縋っている。

 

(ディアベルは一体、どう思ってるのかな……)

 

 直に聴いてみれば良かった。

 あの時は/互の立場上、そんなことできなかったのは分かっているけど、それでも。……こんなにも皆から信頼されている彼は、何を持って『コレ』に挑んでいるのか。

 

 皆とももっと、話し合いたかった、とことんまで……。単純明快な回答なんて、要らない。言葉でなんて表しきれないモノだから。

 けど、独りで押し殺していいモノでは、決してないはず。『弱さ』で押しつぶすには、あまりにも個性的すぎる。あまりにも個人的で、とてもプライベートで、恥ずかしすぎて目を背けてしまいそうだけど……、ソコにこそ本物の『強さ』があるはず。

 

(……ああ、そうか。私が示したかったのは―――)

 

 ()()()()()()だったのかも……。今更ながらに、気づけた。

 

(だったら私は、今も/これからだって、胸を張って行ける)

 

 どこまでだって、戦っていける―――。胸の奥底に、輝く『炎』が灯った。

 

 

 

 直後、握る細剣が白く―――燃え上がった。

 

 

 

 幻視ではなく、実感を伴う炎だ。……かといって原理も、焼かれる恐れも沸いてこないけど、暖かさだけは確かにある。

 ただ傍にいる、ただ見ているだけでも、勇気が湧いてくる。何でもできるような全能感が湧き上がってきては、全身に氣力を横溢させていく。身体を軽やかに柔軟に/力強く、それでいて舞い上がっているような視界の狭さなど微塵もない、絶好調の時の体感へとシフトしていた。

 

 驚く間もなく/必要も感じず/直感に導かれながら、燃え続ける剣を振るって―――突貫。

 空いた脇腹/空けてくれた死角へと―――、叩き込んだ。

 

 

『■■■ッ!? ■ィ……、ギィビャァァァァァーーー――――ッッ!!』

 

 

 『敵』のおぞましい絶叫が、響き渡る。

 先までに繰り出してきた攻撃と変わらないはず。上位剣技ですらなかったのに、激痛で苦しんでいる様子をみせてきた。

 

「おぉっ!? クリティカルか!」

「ナイス一撃!」

「さッすがアスナ氏! キレてるぅ!」

 

 共に相手取っている仲間から、口々に賛辞がおくられてくる。

 

 

 命懸けの戦いの最中、仲間を無意味に罵倒し合うのは、映画かフィクションの中でのファンタジーだと、ココで戦ってみて気づけた。そんな体育会系のノリ/虚勢が通用するのは、中堅どころのプレイヤーたちで、最前線の攻略組ではただ呆れられるだけ。……自信が無いメンタルの弱さを押し付けるのと同じ、自分の世話もできないのかとウンザリするだけ。

 全ては行動と結果で示すのみ。邪魔なら黙って無視すれば、すぐにボロが出る、手も口も下さずともこの世界が『排除』してくれるから……。だから出てくるのは自然と、仲間への賛辞と応援・助言だけだ。

 今回のコレらも、そういった小気味よいいつも通りだけど……、だからこそ違和感。

 先の一撃は、偶然のクリティカルではなく、必然の結果だったから。

 

(……見えてなかったの?)

 

 打ち込んだ懐からすぐ飛び退って、全体の/仲間たちの様子を確認してみると……、必ずしもそうではなかった。

 一部、声かけせずただ驚きの表情でコチラに目を向けていた人たちが特に、何が起きたのかハッキリと認識していたのが見て取れた。

 そんな彼らをもっと観察してみると―――やっぱりか、その手に握られてる武器は()()()()()

 

(彼らも『使える』てことね)

 

 そう言いながらも、コレについては何一つも分かっていない。ただ『力』だと、この戦地を切り抜けるために必要な『力』とだけしか。

 

 

 たとえ良質な武器、今使っているモノより性能が良いと分かっていても、すぐに取り替えたりはしない。見た目や数値では把握しきれない信頼感、手に馴染んだ道具のほうが信頼できる/自分の命を預けられる。……道具は使い手と結び合わせてはじめて『武器』になるのが、持論だ。

 だから、この『炎』もいつもの私なら、信用ならざるモノと脇に置いていた。はずだったけど……、すぐに飛びついていた。改めて考えてみると、不安が滲んでくるけど……、やっぱり信頼感が勝る。

 基本的には持論通り、だけど直感は例外だ。全て計算通りとはいかない、たまには自分を信じて飛び込まなくては、戦いには勝てない。

 

(……とは言うけど、ぜひ教えてもらいたいものね)

 

 この戦いに生き残れたら、ぜひとも教授してもらいたい。全てとは言わないけど、知っていることは全て。……どうして今まで、公には黙っていたことも含めて。

 この力の可能性と危険性について、じっくり話し合わなくてはならない。

 

 

 

―――

……

 

 

 戦いは佳境に、より一層の厳しさに染まっていった。

 

 

 発現した『炎』のおかげで、前よりも優勢に事を進めてる実感はある。与えるダメージ量も格段に増している、動きのキレも常に絶好調だ。

 けど……、形勢を変えられない。『彼ら』の強さはいまだ異常で、その巨体も合わせて圧倒してくる。

 さらに最悪なのは、彼らが連携を使い始めたことだ。はじめは個々がバラバラに暴れていただけなのに、ソレでは倒されると察したのか/組み込まれていたアルゴリズムなのか、互いに背中を預け始めた。背中などの死角を補い合うよう、陣形を組んできた。

 加えて厄介なのは、回復魔法……とでも呼ぶしかないHP回復技。ただ仲間の隙をカバーするだけでなく、手当てすることでか削られたHPを回復させてきた。

 

「ふざけんな! ソレは反則だろうがッ!」

 誰かが皆の不満を叫んでくれた。

 プレイヤー側はいくら回復してもOK、けどモンスター側は許されない、というかどうかやめて下さい……。ただでさえ硬くて動き回って大量のHPがあるのに、回復されると心が折られる。

 という、切実な弱音には非常に共感できるけど、仕方がない。理不尽だと思うけど、ルールやら世界法則を無視しているわけでは無いのだから。上階に登ればいずれ、そんなフロアボスに遭遇することは分かっていたはず。……だから、次へと対処していかなくてはならない。

 

「奴が回復させた時、耳元が光ったぞ―――」

 アレてもしかして……。冷静さを失わなかった誰かが、さっそく回復魔法の仕組みに気がついた。

 元攻略組プレイヤーに、ここのゴリラ型モンスターをどうにかして融合させたのが、『彼ら』だ。その際、ただ二つの身体だけを融合させた……とは思えない。衣服やら武器やらはもちろん、二つには無いはずの新しい器官も生えている。新しいモンスターだとも言える。けどもし融合の際、装備品やアイテムも共に混ぜ合わせたとしたら? 耳にはピアスがあったはず。今まで遭遇したゴリラたちはしていなかったので、プレイヤー側の影響が強いとしたら? 彼らがするピアスはほぼ全て、ただのオシャレじゃない。私や周りの仲間たちが装備しているのと同じような改造アイテムが―――、結晶アイテムが組み込まれたピアスだったはず。

 

「まさか……【回復結晶】かッ!?」

 ほかの誰かが、皆が至るだろう答えを叫んだ。

 厳密には違うモノなはず。全回復させているわけではなかったし、一度使用したら砕けてもいない。あの仏様の長い福耳の先にぶら下がっているのは、確かにピアスらしき装飾品だけど、皆が/私もつけてる改造ピアスとは形が違ってる。そもそもサイズが違う。

 アレは何か? どんな変化が起きたのか……。確かなことは何もわからない。

 

 耳を切り取れば、また回復されることは無くなるのか? ……。わずかながらの光明、試してみる価値はある。

 けどもし、そうではなかったら? ただランプのようなモノでしかなく、回復効果は無くならないのでは……? 耳を切除するのは、ただダメージを叩き込むより、殺される危険が高い。

 

「―――私が、耳を斬る!」

 だから皆、協力して―――。宣言するやいなや、行動に移した。

 いつものHPを削るルーティーンとは違う、仲間がつくった隙に差し込む遊撃手ではなく、自ら敵の眼前に出て隙をこじ開ける攻勢へと躍り出ることで―――

 

 

―――

……

 

 

 真っ先にイメージしたのは、あの『黒の剣士』だった。

 

 彼はいつも、この危険極まりない役目をすすんで背負ってきたと、思い出せた。ほぼいつもそうだったので、いつしかソレが当たり前のことだと、気にしなくなっていたほどに。

 

(今日は私が、ソレを背負う―――)

 

 怖くて体が震える、動かなくなりそうになる。

 こんなのは賭け事ですらない、ただの蛮勇だ。自殺行為も甚だしい、もっと効率よく安全な戦い方はいくらでもある。チームが一丸となって、それぞれの役目をこなして連携すれば、ただただ無駄な行為にすらなる。……最前線では、ソロプレイは要らない。

 それでも彼は、戦い続けられた。

 

 

 こんな死に様望んでなかった、こんな無意味なことのために―――……、なぜ? どうして? どうして私がやらないといけないの……?

 理不尽に押しつぶされそうになる。自業自得でしかないけど、強制されたようなものだ。責任すら抱え込んでの特攻、英雄気取りの自分の愚かさに、惨めさが溢れ出しそうになっていた。

 けど……なぜだろう。彼を想うと少しだけ、暖かくなれていた。体も、思った以上に軽やかだった。

 

 だから、だろう。地面ごと真っ二つにしようと袈裟斬りされる大刃も、前方中空を軸に全身を半回転/普段なら絶対にやらないようなアクロバティックな体の使い方で、紙一重の回避をしていた。

 

 そして、叩き割れる地面―――の直前、ついでにその大刃の背面へと回転切りを打ち込んだ。

 大刃は、予定していただろう地面とはズレて衝突。敵は自分の大刃に引きづられて……、たたらを踏んでいた。体勢が崩れた。

 

 

 

 地面が砕けて衝突爆音。目の前には、何とか踏ん張って転倒は防ぐも、無防備な半身を晒している敵。

 5メートルはあるだろう巨体ゆえ、ただ膝をすこし曲げさせた程度では届かない。私の【敏捷値】のジャンプであっても、できるかわからない高度だ……。

 けど、太ももと二の腕と肩のラインなら、駆け上っていける―――。狙うべき耳への道は、できあがっていた。

 

 ただし―――、もう一つの凶刃、脇から生えてる細長い猿の腕。

 体勢は崩れながらも、ソレだけは独立して動かせるのか、弓から放たれた矢のように突き伸ばされてきた。5指並べた鋭利な爪で、私を貫き殺すがために。

 猿の手刀が、眼前にまで襲いかかってきた―――

 

 

 突き殺される―――寸前、逆に飛び込んだ。

 

 細剣剣技【リニアー】―――。さらに、システム外スキルの【加速】も込める。

 手刀にも勝る突進をもって、紙一重ですれ違わせた。

 

 背後へと、敵の手刀が滑り外れていくのを感じながら、無防備な足へと突進攻撃を突き込んでいった。……崩れた体勢を支えているであろう、自重が乗っている足に。

 

 

 深々と突き刺さると、狙い通り、敵はその巨体を支えられなくなった。

 ガクンッと落ちてはそのまま/その場へゴロンッと、尻もち/【転倒】した。

 

 こちらの半身が隠れるほどの土埃が上がる中、晒された敵の頭部。仏像のような長い福耳の下先、小さな青い宝玉のイヤリングがぶら下がっているのが、ハッキリ見えた。

 

 剣技後の僅かな金縛りが解けるやいなや、そこを大上段から思い切り―――、切断。

 シュンッと剣を振りおろした直後、ズルリとズレていき……ボトリと、猿の片耳を切り落とした。

 

 

―――

……

 

 

「すげぇ……、本当にやっちまいやがった」

 

 急いで味方の元まで戻ってみると、誰かから感嘆の声がかけられた。

 けど、警戒は解かず。仮説の証明の結果に注視する。

 耳を切断され、そこから血を噴き出している猿巨人。痛みでわめき声も叫ぶも、致命傷ではないのだろう、怒りを沸騰させているのが分かった。

 

 耳切断の副作用=【転倒】からの即時回復。すぐに立ち上がってくるやいなや、私めがけて/怒りの咆哮を上げながら、かの大剣を振り落としてくる。……禍々しいライトエフェクトをまとった。剣技を込めた大剣を―――

 

「ッ!?

 アレがくるッ! 散開―――」

 

 戦慄と同時、号令/警告を叫びながら、その場から飛び退いた。

 近くにいた仲間たちも察知してくれたのだろう、すぐさま退避していく。

 

 直後、獣の雄叫びとともに、眞白な炎の奔流が解き放たれた。

 振り下ろした大剣の前方扇状に、敵の範囲強攻撃が蹂躙していく―――……

 

 

 

 ……寸前/ギリギリ、範囲外まで退避できた。 

 

 先までいた場所に目を向けると……、息を飲まされた。

 まるで熱核兵器が爆裂したかのよう、周囲一帯が焼かれ煮えたぎっていた。

 

 猿巨人が繰り出す、おそらく最凶の攻撃だ。

 正面からまともに喰らえば、ただでは済まない。おそらく、軽装備のプレイヤーならほぼ即死の一撃だけど、幸いなことにまだ3人ほどしか食らっていない。……私が参戦する前に、やられてしまったらしい。

 その犠牲者がまた二人、増えてしまった。

 

 

 一人は、重装甲の壁役だ。その場から逃げるよりも、防御を固めて耐えることを選択した結果だろう。一気にHP半減域の黄色にまで削れるも、まだ次はある。ギリギリ膝を着くことなくブスブス焦がされているも、瀕死というわけではなかった。

 問題はもう一人の方だ。比較的軽装備の遊撃役で、居場所が悪すぎたのだろう、他の猿巨人を相手にして不意を突かれた形でもあった、HP危険域の赤色/致命傷をもらってしまっていた。おまけに、【転倒】と【火傷】のバットステータスまでかかっていて、その場に倒れたまま自力で逃げることもできない。……すぐに、救助しなくちゃならない。

 

(でも……、ここからじゃ)

 

 間に合わない/離れすぎてる……。攻撃圏内から退避できたことがアダになった。近場にいる人でも、戦線離脱させるにも回復させるにも、時間が足りない。

 

 それでも! ―――と、駆け出していた。

 

 

―――

……

 

 

 普段ならやらない、というか立ち会うことすらなかった危地での決断。いや、愚挙といってもいい自殺行為だろう。

 自分は動かず、救助は誰かに任せるのが最適解。動けば全体のバランスが崩れ、新しい犠牲者を増やすだけだ。……全体指揮を取っていたいつもなら、見捨てる選択をしていた。

 だから……、丸っきりのノープランだ。

 間に合ったとしても、救助できるわけじゃない。救助しにきた誰かと鉢合わせて、邪魔するだけの最低になるのかもしれない。そもそも慣れてない選択肢なので、本能しか頼るものがない。……頭はとっくに、フリーズしていた。

 

 混乱しながらも身体はまっすぐに。途中、驚かれたり制止してきたりの叫び声が耳を掴んできたけど……、もう知ったことか!

 そうやって脇目も振らずに駆けたかいは、あった。奇跡的にも、彼の前へとたどり着けた。

 

 けど……、本当にギリギリだった。

 別の猿巨人が、彼を始末しようと大剣のなぎ払いをする直前。かえって私は、全力疾走してきたばかり。剣技で迎え撃てない。……壁役として、受け止めなければならない。

 

 私の今の装備構成ならびステータスは、壁役には不向きだ。スピードで翻弄しながらならいけるだろうけど、主武装の細剣が不適合だ。現在就いている遊撃役が一番ふさわしい。まして、正面から攻撃を受け止める壁役など、やってはならない役目だ。

 けど今、私しかいない。できないことをやり遂げなければならない―――

 暴風のようななぎ払いの大剣を、差し込んだ細剣の腹で受け止める。

 

 

 結果―――……、当然のことが起きた。

 

 刃を斜めにしてベクトルを逸らす。地面に立てた鋒を片足で押さえることでの、全身の力を十全に使える受け止め方。発現した『炎』をよりいっそうに猛らせることでの、細剣の強靭度/防御力の底上げ……。全て、焼け石に水だった。

 大剣を叩き込まれた衝撃で、真横に吹き飛ばされた。HPもゴッソリと削られながら、ゴロゴロと地面に転がされる……。

 けど幸いなことに、攻撃の軌道だけは僅かにそれた。瀕死の彼にも被弾するはずの斬撃は、地面に伏した彼の頭上へ外れ/逸れていった。

 

 

 初撃はやり過ごした。けど……、次はない。

 そして今度は、私も救助対象だ。

 さらに次は……、すぐにやってくる。

 

 

―――

……

 

 

 朦朧としている意識、全身の神経がバラバラになったかのような浮遊感。脇腹を思い切り大剣で叩きつけられたのに、痛みを感じてない。……【気絶】状態だ。

 

(やばい。すぐココから……逃げなきゃ―――)

 

 できないのに、反射行動のままもがく。……頭まで混乱している。

 ソレもその筈だ。猿巨人の大剣が、今度は私めがけて振り下ろされようとしているのだから。

 先の割り込みで、ターゲットが私に移ったのだろう。今度こそもう……、何もできない。

 

 

(……あぁ、ココで私……ゲームオーバーなんだ)

 

 たぶん優秀な成績取り続けてきたけど、何のことはない。終わりは誰しも平等で、全てが無意味になる。……成績などクソの役にも立たない。

 あまりにも無意味だったけど、求めていたラストシーンには到底及ばない不始末だったけど、わりと納得できた。……誰かを助けようとして終わるのなら、誇れる意味があるはず。

 でも、これから起きることを考えてしまうと、申し訳なさでそんな価値は消し飛んでしまう。私にはもう関係ないことだけど、だからこそいっそう辛い。

 

(もう少し、もう少しだけでも……頑張りたかったなぁ)

 

 ゲームクリアまでとは、言わない。

 でも、誰かがたどり着くための、礎にはなりたい。次に繋げられるよう、背負ってきた責任をきちんと果たして、ソレを引き継いでもらいたかった。……私がココで、生きてきた証を。

 

(…………こんな最後でも、自分のことばかりかぁ)

 

 嫌な女だ……。たぶん求められてきた皆のイメージ像とは、真逆な本当の私。自分よりも他人を優先するような勤勉な聖人にみえて、まるで無頓着なエゴイスト。他人のことなど知ったことじゃない。例え、そんなイメージ像のためにか、無償で力を貸してくれたとしても。

 今日殺されてしまった人達は、変えられてしまった彼らは、そんな私が元凶だったのに―――

 

 猿巨人の大剣が、私を断罪する、ギロチンの刃に見えた。

 

 

 途端、先まで灯っていた『炎』は……、消えていた。

 

 絶望させられていた私の上に、絶死の刃が叩き下ろされる。

 笑って受け入れることも、みっともなく泣き叫ぶこともできないまま、ただスイッチが切り替えられるように消される……。

 まるで、単純なNPCにでもなってしまったかのように、茫洋と眺め続けていた。誰かの悲鳴が聞こえた気がしたけど、ただの可聴音の羅列だ。無感動に記録するのみ。

 殺される前に、もう魂のない人形となってその時を迎える―――……

 

 

 

『ギ■■■■■■■■■■■■ーーー―――ッ!!! 』

 

 

 

 そんな諦観を、どこからか飛び込んできた巨人が、叩き壊した。

 新たな同体格の猿巨人が、私を殺そうとしている猿巨人の横っ腹に、タックルを叩き込む―――

 

 いきなりの急襲に、処刑はキャンセル。のみならず、そのまま横手に吹き飛ばされた。

 

 

―――

…… 

 

 

(…………一体、何が起きたの?)

 

 ありえない出来事に、今度こそ放心してしまった。

 

 見上げたそこにいたのは、猿巨人の背中に乗っていた()()()()()()だった。その両手から、ワイヤーらしき鋼線を幾重にも絡めてつなげている。まるで、糸人形遣いのように、猿巨人を操ってきたかのようにして。

 彼はタックルさせた直前飛び降りて、着地するや、

 

 

「さぁて、ご褒美だ! 存分に喰え―――」

 

 

 その猿巨人へ、抱えてた/布に包まれているサッカーボール大の何かの塊を、放り投げた。宣言通り、欲しがっていたエサを与えるように。

 

 投げられると中空で、包んでいた布がほどけ剥がれた。……その中身が、誰の目にもハッキリと見えた。

 何処かで/確かに見たことがあった()()()()()が、宙を舞っていく―――

 そしてパクリッと、待ち構えていた猿巨人の大口の中へと、飲み込まれていった。

 

 ガツガツと、肉を咀嚼するおぞましい音があたり一面に響き渡り……ゴクリッと、嚥下された―――……

 

 

 直後、その猿巨人の全身が紅いライトエフェクトに包まれた。

 

 

 輪郭が見えなくなるほどの発光現象。その体内で危険すぎるパワーが暴れ渦巻き―――、臨界に達した。

 

 

 途端―――、爆発した。

 

 

 白い光の激流が目に見える全て/何もかもをも、染め上げていく。

  

 

 

 

 

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長々とご視聴、ありがとうございました。

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