【完結】ムシブギョー 十二ノ刀 (一ノ原曲利)
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一太刀目

 蝦夷。

 日ノ本の国の本州から遠く離れた蝦夷地では年中雪が吹き荒れる『壱級災害指定地域』である踊山と呼ばれる山が存在する。かつて、唯一集落を作っていた凍空一族が棲んでいた筈だが、今となっては遠い昔のこと。存在するはずの無い一族として、どの文献に記されることはなかった。

 集落は豪雪に埋もれ、なだらかな新雪の山肌を吹雪が滑る。

 そんな、平らな新雪に足跡を残す者がいる。

 大の男でも踏ん張らなければ吹き飛ばされるか、足を止めて埋もれてしまうような吹雪をものともせず、おおよそ雪山登山に臨むとは思えないような絢爛豪華な着物を羽織り、舞子が履くようなきらびやかな下駄で降り積もった雪の上をからんころんと鳴らしながら歩いている。

 被った編み笠にしんしんと雪が舞い降りていくが、積もることなく右へ左へと揺れ落ちてははたはたと雪の大地の一部と化した。

 吹雪がいっそう強く吹き荒れると、被った編み笠からこぼれ落ちた異国人のような輝かしい金髪が雪風に掬われるのをおっと、とほっそりとした片手で押さえた。

 

「あらあらあら、これではまた鬢が乱れてしまうわね。下山したらすぐに櫛で梳かさないと」

 

 手櫛は用いない。髪を傷めてしまうから。

 少女はそう、祖母から教えて貰った。もう随分前に祖父と旅立ってしまったけれど、祖母と過ごした日々は昨日のことのように思い出せる。高飛車で高慢、やたら人の事を否定する-まるで自分が世界の中心であるとでも言うような、一度出逢ってしまったら忘れられそうにないような人だった。対して祖父は、そんな祖母と噛み合っているのかいないのかわからない、でも何か大事なものを無くしてしまったような伽藍堂な人だった。

 凸凹ではあったけれど、まるで水と油のように混じることは無かったように思える。

 そんな凸凹の、どちらかというと凹にあたる祖父から見様見真似で剣術を習ったーーー否、倣ったのだが大層驚かされた。「まるで姉ちゃんみたいで怖え」と言われたが正直微妙なところだ。一通り祖父が継いでいたという剣術は修得したが、いまいち私の体には合わなかった。ということで父方の方の祖母が継いでいたという剣術を習おうかと思ったのだが、もう既に床に伏していたのだという。実に残念だ。かつては日ノ本の国最強の剣士と言われてたらしいが、その最強の座は祖父の姉ーーつまり、先ほど供述した件の私似の姉に取られたらしい。奇妙な因果である。

 母方の祖父の剣術は体に合わない。父方の祖母の剣術は既に途絶えてしまっている。母は祖父の性格とそっくりではあるが運動音痴なので論外。父の剣術は、あれは大陸の妖術の類かと疑うほど奇異なもので修得できそうもない。とくればーーー

 

「…あらあら、こんな雪山に生き物? 珍しいわね」

 

 視界の端で何かが蠢いた。針葉樹林の根元の影にいて全容は伺えないが、兎の類だろう。冷えた土地での兎の肉は美味しい。捕まえて食べよう、そう思っていたところで背後からぼふん、と物音が鳴った。

 下駄を走らせ前方へ身を投げる。倒れたところで雪の絨毯なので怪我は無いが、これからのことを考えるとそうはいかない。祖父から教えてもらった剣術の足運びで姿勢を保ちながら距離を取る。

 先ほどまでいたところには深々と化け物の首が雪に埋もれていた。後少し遅ければ今頃噛み砕かれていたかもしれない。突然襲いかかってきた化け物に後退りながら木陰に蠢いていたであろうものを確認すると、純白の雪原を血染花のごとく染め上げて横たわる兎の死骸がそこにあった。あの化け物にでも喰われていたのであろう。

 そして今度はこちらが化け物の餌になってしまった。

 改めて化け物と対峙する。埋もれた雪から這い出た化け物は、六本足。その内一際発達している後ろ足の腿節が印象的だ。恐らく跳躍に適しているのであろう。後ろでの物音は着地音だ。吹雪いていたせいで上空を確認出来なかった。

 この化け物には見覚えがある。飛蝗(ばった)だ。サイズはこれほど大きくなどなかったけれど。

 

『ジ……ジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジ!!!!!』

 

 飛蝗が低音の大音量を発する。警戒音だ。また飛んで襲うのだろう、後ろ足が力むのが見える。

 殺られる前に、殺る。

 母方の祖父が継いでいる流派の開祖が編み出した奥義がそれだ。だが今回は使わない。代わりに私の剣術を披露しよう。

 左足を半歩下げ、右手を二本貫手で構える。

 そして、放つ。

 

不斬(きらず)ーーー」

 

 ぱすっ。

 空気が抜けたような音。それは飛蝗の体に大穴が空いたことを意味する。

 

「ーー斬らぬこと『銃』の如し」

『■■■■■■■■ーー!?』

 

 飛蝗が声に成らない苦しみの鳴き声をあげる。それはすぐに吹雪にさらわれてしまった。だが致命傷ではない。

 

「あらあらあら、これで御自慢の脚で飛べませんわね。蟲は蟲らしく、這い蹲るのがお似合いよ」

 

 両後ろ足を撃った。関節三ヶ所が二本、合計六ヶ所に大穴が空いている。穢らしい体液が零れ落ちるのも束の間、踊山特有の氷点下の気候によって瞬間冷凍された。とても痛そうだ。

 だから、すぐに楽にしよう。

 今度は左手を構える。五指を並べてぴんと伸ばし、平手にして刀のように見立てて上段へ。

 そのまま、振り下ろす。

 

不砕(くだかず)不見(みえず)

 

 縦に、一閃。

 不快な鳴き声は止み、吹雪の音さえも消えた。

 

「ーー砕かぬこと『鈍』の如し、見えぬこと『針』の如し」

 

 飛蝗、そしてその背後にあった針葉樹林の数々と踊山の内の一つの小山。それらが、母方の祖母に見せて貰った『かすていら』のように綺麗に斬れた。真っ二つに斬れた飛蝗その他諸々がぱっくりと二分されて左右に転がった。

 

「あらあら、つまらぬものまで斬ってしまったわーーあら、この台詞良いわね。決め台詞にしようかしら、決め顔で言うのも悪くない」

 

 ーーー十二使刀流。

 これが、私こと錆 九散(くちる)が編み出した剣術である。

 十二使刀ーー九散の母方の祖父がかつて対峙した十二本の幻の剣のことを指すらしい。なぜ見たこともないような刀を知ってるのかは九散本人も不明ではあるが、九散と容姿がそっくりな母方の祖母は、祖父がかつてその身に刻まれた経験が九散に伝わったのではないかと仮説を立てた。

 実際のところは不明である。だが知っているのならば仕方ない。

 かつて、この日ノ本の国でも伝説とされていたというある刀匠が生み出したとされる十二本の刀。

 千本作った中でも習作と言わしめた、誤りの歴史に生まれそして忘却の彼方に散った十二本の刀。

 

 絶刀『鉋』。

 斬刀『鈍』。

 千刀『鎩』。

 薄刀『針』。

 賊刀『鎧』。

 双刀『鎚』。

 悪刀『鐚』。

 微刀『釵』。

 王刀『鋸』。

 誠刀『銓』。

 毒刀『鍍』。

 炎刀『銃』。

 

 それらの全てを体現させる流派が、十二使刀流である。

 

「あらあら、御先祖様のお墓参りも済んだことですしそろそろ向かいましょう」

 

 九散の手元には文が握られている。それは松ノ原 小鳥という人からの江戸への招待だった。

 『江戸の蟲奉行所に勤めて欲しい』と。

 現将軍徳川吉宗公の署名と徳川家の家紋。母方の祖父が以前大変幕府に迷惑をしたことから行きにくかったが、こう呼ばれては仕方ない。

 

「穢土ーーいいえ、江戸に参りましょう」

 

 

 

 

 

 




はい、これは昨日のTwitterでも設定暴露してたやつです
なんとこれ初のスマホ投稿。電池がやばい
最近アニメやってたので短編書いてみました
……続かないよ! これ続かないからね振りじゃないから続かないよっ!

「七花の嫁が否定姫なんて認めない!」って人にはあまりオススメてきません。現時点では主人公含め四名のオリジナルキャラクターが出てきてますが、九散以外は名前しか出てきません

八穂(やつほ)
七花と否定姫の子供。大ざっぱな性格は七花譲りだが運動神経の無さは否定姫譲り。ここで一度虚刀流が途絶える

凍空 淡雪
昔蝦夷から抜け出して途方に暮れていた凍空一族の男。錆 黒鍵の婿となる

灰徒(はいど)
黒鍵と淡雪の子供。気体や液体を刀のように扱う不刀流の使い手

九散(くちる)
八穂と灰徒の子供。虚刀流限定の見稽古を持ち、記憶に無いはずの変体刀十二本を知る。変体刀十二本を元に十二使刀流を編み出す

こんな感じですね
……感想とかくれて「続きがみたい!」って方がいましたら短編で書くかもしれません


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二太刀目

割と続けてくれという方が多かったので一日更新
まだ原作の方々と会ってないのでそこまではちゃんと続ける予定です


 江戸。

 鎖国していても日ノ本の国の港は栄えている。特に『将軍のお膝元』と呼ばれるほど栄えている江戸の町とくれば至極当然のことと言えよう。

 多摩、隅田、江戸、養老、小櫃、小糸など多くの河川が流入した江戸湊では、1657年に遭った明暦の大火後に大きく整備され築地から高輪に至る外港部と、隅田沿いの内港部が整備された。お陰で日ノ本の国のほぼ全域から船によって物資が届けられ集まっている。現在日ノ本の国の西全域が機能停止してしまっている為、『天下の台所』たる大阪湾が使えないことも起因しているのだろう。

 そして全国の船が物資の運送や航海に備えての補給所として使われている広い江戸湊に一隻、新たな船が港に着いた。

緻密に木板で組まれた船体。帆に描かれた将棋盤模様。極めつけは船首に彫られた王将の駒。それらを見て江戸湊にいた男の衆は感嘆の声を上げた。

 出羽の天童将棋村。将棋の棋士達が一度は必ず訪れるという聖地の一つだ。無論、訪れる者は棋士に限らず武士を志す者も多い。心王一鞘流と呼ばれる、現在はそこそこ門下生がいる木刀による剣術は将棋村の名と共に有名で、心王一鞘流の教えを受けた者は心が洗われるようだと晴れやかな人柄になるという。一時期門下生が0という事態に陥ってしまったようだが、最近は人殺しの大罪人を門下生として受け入れ更正させたことで有名になりなんとか道場を維持しているとかなんとか。

 その将棋村からの船。いったいどんな人が乗っているのかと湊にいる全員が注目する。もしかしたら心王一鞘流の師範でも乗っているのかもしれない。期待が集まる中、群衆は船から降りてきた人物に目を丸くした。

 一人は、切りそろえられたおかっぱに近い黒髪の、ちょっと軽薄そうな男性。彼が汽口 慚愧だ。

 そもそも汽口 慚愧とはその代の心王一鞘流を継ぐ者が名乗る名であって時代によって人となりは異なる。

 だが群衆が目を丸くしたのは、その汽口 慚愧であろう男が綱によって飼い犬のように異国風の女の手によって繋がれていることであった。

 

「あらあらご到着ね」

「九散さん人使い荒いっすよマジで」

「黙りなさいな変態さん?」

 

 異国風の女性の迫力に慚愧は怯えたように肩を竦めてみせる。もうこの時点で驚いていたのだが、その異国風の女性の美しさへの驚嘆と日本人離れした金の髪の色という西洋かぶれの外見に対する驚愕の二つが渦巻いていた。

 ――異人だ。誰かがそう口走った。

 江戸は徳川幕府によって外来の貿易を拒否し、鎖国状態となっている。つまりこの日ノ本の国に外来の者が来るはずがない。となれば―――

 

「密入国者か!?」

「まさか日ノ本の国に名高い出羽の船を用いて密入国するとは、なんたる無礼!! 恥を知れぃ!!」

「であえであえぃー!! 直ちに密入国者二人を取り押さえろー!!」

「女はおそらく亜米利加の者だ!! 言葉など通じん!!」

 

 驚愕と疑念が一気に殺意へと変貌し、湊にいた者達は手頃な武器を掴むと一斉に異国風の女性へと襲い掛かる。首を綱で繋がれた男は情けなさげにひぃっ、と悲鳴を漏らし、対して女はあらあら、と金襴緞子の着物の裾で口を押さえながら笑っていた。

 

「あらあら、なんだか勘違いされてしまったわね」

「どうするんすか!! ああぁ…どうせ僕らはこれで捕まって幕府の牢屋で拉致監禁され拷問された挙げ句惨たらしい死を……拷問!? ということは九散さんがあーんなことやこーんなことをされて喘いでる悲鳴が聞こえるってコトっすね!?」

「あら、ここに名も無き変態さんがいるわ。あの迫り来る市井共に投げつけてしまおうかしら?」

「マジすんませんお礼なんて要りませんので助けて下さい!!」

「いいわよ」

 

 はい、と女性は握っていた綱を投げた。男と一緒に。

 

「ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああぁぁぁぁあぁぁぁああぁあぁああぁぁぁあぁ!!!!!!」

「うわっ、なんだ!?」

「先程の汽口 慚愧っぽい男!?」

「犬のような扱いを受けていた汽口 慚愧みたいな人!?」

「君たち随分具体的な名前出して僕を遠回しに貶してるよねぇ!?」

 

 女性に投げ飛ばされて宙を舞った汽口 慚愧だと思いたい男はさっき乗っていた船の看板に叩き付けられながら湊の者達に毒を吐いた。酷い扱いである。これでも心王一鞘流の現当主なのに。

 

「あらあら、でもお陰で抜け出せたわ」

「!?」

「どこから声が…!?」

「あっ、あそこだ!!」

 

 皆が汽口 慚愧っぽい男に気を取られてる隙に、女性は着物をはためかせて湊に立てられた船員休憩用の家屋の上に立っていた。豪華そうな下駄でどうやってあそこまで登れたのだろうか。

 

「変態さん、一応出羽から江戸まで送ってくれたことは感謝しておくわ。ありがとう」

「ぃやっほうツンデレキター!! 九散さんのツンデレマジツンデレ!! あ、さっきお礼はいいって言ったけどやっぱそのオパーイ揉ませて!!」

「あらあら………調子に乗らないほうがいいわよ。また尻穴撃たれたいの?」

 

 女性がにっこりと見惚れるくらい美しく、純粋な笑みを浮かべながら右手で貫手二本の構えを見せる。それを見た男はひやぁああぁっ!! と悲鳴染みた嬌声を上げて両手で尻を押さえる。恐らくやられたときの痛みを思い出したのだろう。

 

「滅相もございませんお礼なんて結構です命があるだけで自分、幸せ者です!!」

「あらあら、いつになく謙虚でよろしいこと」

「(デュフフ、後で見てろよぉ…俺のソハヤ丸で泣かしてやらぁ)」

「あらあらあらあら、邪念を感じ取ってしまったわ。去勢が必要かしら?」

「ひいいいいいぃぃぃぃぃいいぃぃぃいぃぃぃ!!!!????」

 

 棒を模した指に手刀を喰らわせて斬り落とす仕草を見せられ、男のみならず湊にいた男の衆全員が股間を押さえた。笑顔で仕草をするという残酷さのあまり、まるであたかも自分が味合わされたような悪寒と激痛が走る。

 この女、容赦無ぇ。全員の思考は満場一致した。

 

「さて、と」

 

 異国風の女性はとん、と手のひらを船に向けて押し出す。するとどうだろうか、帆が張られ陸からの風を受けて船が江戸湊を離れていく。首を縄で縛られた情けない男を乗せて。

 

「えっ!? 船が勝手に出て行くぞ!?」

「何だと!? 追え、追えーっ」

「無茶だ! こんな風も無いのにどうやって……!」

「おかしい…風も吹いていないのに何故……」

「あっ、お頭!! 女が消えました!!」

「んだとぉ!?」

 

 気付いた一人の男の叫びに反応して皆が家屋の上を注目するが、いない。してやられた。

 するとからんころんとあの高級そうな下駄の鳴る音と楽しそうな女性の声が聞こえる。町の方からだ。

 

「いかん、あちらは吉宗公のいる江戸城!!」

「まさか暗殺を企てていたのか!? すぐにあの女を捕まえねば!!」

「早急に連絡しなければ吉宗公が危ない!! すぐに応援の手配を!!」

 

 江戸湊にいた男の衆は大慌てで異国風の女を追い始めた。かくして、異国風の女――九散は知らない内に追われることとなる。日本語を話していたということは、誰一人気付くことなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




二話追記
 汽口 慚愧
 王刀『鋸』所有者であった者の孫。蟲が蔓延る前に薩摩の海賊がこちらに住み込み造船技術が出羽で発達。船は特注品
 先々代の誠実さ、生真面目さの欠片もなく若干どこぞの全裸バカと似て無くもない
 門下生を増やすべく大罪人の矯正という博打を張った張本人。意外と柔軟な発想を持っているようだ
 色目目的で九散に近付くも一蹴。以来完全に隷属されている。もう出番はないと思う




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三太刀目

一日投稿!
やっと原作キャラが出た


 からんころん。下駄の音が聞こえる。

 江戸――新中町蟲奉行所長屋の近くの茶屋『春夏秋冬』には、数日前蟲奉行所に入った新入りこと月島 仁兵衛は看板娘であるお春と団子を食べていた。

 

「そういえば仁兵衛様、今朝の湊での騒動は御存知ですか?」

「湊? 蟲…の出現とかですか?」

「いいえそれが……」

 

 お盆を脇に抱えながらお春は話そうと口を開くが、それは突然茶屋に乱入してきた男によって遮られた。男は湊で働いているらしく、茶屋に似つかわしくない海の塩と魚の匂いが鼻腔を刺激した。

 

「オイ、今こっちに異人は来なかったか!?」

「えっ…い、いえこちらには来てません」

「そうか…お春ちゃん邪魔したな! お春ちゃんも見つけたら下手に近付こうとはしないで誰かにちゃんと知らせてくんな!」

「ハイッ、わかりました!」

 

 店内にいないことを確認すると、男は暖簾をくぐって店から出ては走り出した。余程切羽詰まっていると見える。

 

「お春殿、『異人』とは?」

「先ほど申し上げた湊での騒動です。大御所様のような豪華な着物を着た金の髪の女性だそうで……」

「金の髪!? そのような女性がこの世にいるんですか!?」

 

 元来、日ノ本の国の人間は黄色人種であり大半が黒髪、あとは茶髪が地毛である。ただし染料などて髪を染める者もいれば、白子(またの名を鬼子)と呼ばれる忌み嫌われた白髪の者も存在するらしい。老成した者も大半が白髪だ。

 だが、日ノ本の国に金の髪を持つ者は存在しない。金といったらあれだ、寺社で見る豪華な装飾や小判の色だ。砂金を溶かして塗れば金の髪になるだろうが、不思議と固まってしまうが故にそのような莫迦な真似をする輩はいない。

 つまり、日ノ本の国の外側から来た者だということだ。

 

「えぇ…でも現在江戸幕府が取った対外政策によって1639年から続いている鎖国――それにより外の方が来るなんてまずもってありえないはずなんですけど……」

「なるほど……外の者とは一体どんな御人なんでしょうか! 俺も一目見てみたいです! お春殿もそう思いますでしょう?」

「そうですね…言ってしまえば私達の世代は外の方なんて誰も見たことありませんし」

「よし、心得た!」

 

 皿に残っていた最後の団子を食べきり串を置くと、仁兵衛は鼻息荒く気合いを漲らせて立ち上がった。その顔には笑顔が浮かんでいる。好奇心が抑えられない――まるで子供だ。

 

「この月島 仁兵衛めにお任せを! 必ずやその異人とやらを捕まえてきますので!」

「えぇっ!?」

「いよっ、お兄ちゃんよく言った!」

「捕まえたら褒美になんでもご馳走してやらぁ!」

「だが娘はやらん」

「じいちゃん、かってぇコト言うなよぉそろそろお春ちゃんも所帯を持ったっていいだろぅ!」

「代わりに異人を見つけたらこの場の全員に団子を奢ろう」

「「「よっしゃああああああああああ!!!!」」」

 

 一斉に沸いた。物欲激しい野郎共である。

 

「お前達は西区を回れ! 俺達は東区を回る! 二手に別れて探した方が得策だ!!」

「俺みたらし10本な!」

「あんこ!」

「きなこ上等!!」

「バッカヤロウ、そこは蕨だろ!?」

「無駄口叩いてねえで足動かせやおまいら」

 

 『春夏秋冬』の団子は絶品のようだ。タダでくれるのならば貰える物は貰っておこう精神がモットーらしい。

 蜘蛛の子を散らすように出て行った人達を見て仁兵衛と春はポカンとしていたが当の仁兵衛はハッとして駆け足になる。

 

「しまった遅れをとってしまった!! それではお春殿行って参ります!!」

「あっ…ハイ、行ってらっしゃいませ! お怪我の無いように!」

 

 言い切る前に、もう仁兵衛の後ろ姿は見えなくなってしまった。本当に子供のようだ、と春は思わず笑みを漏らしてしまう。

 

「仁兵衛様って本当に面白いお方ですね。それより爺さま、なぜあのようなことを?」

「……何、見たかっただけさ」

「?」

 

 からんころん、音が鳴る。

 その音に合わせて春の祖父が串に通した団子を回して焼きながら、懐かしそうに目を瞑った。

 

「…春よ、この茶屋は儂が始めたということは知っているな?」

「はい、両親から聞きました。昔爺さまが建てたんですよね」

「理由は?」

「……知りません」

 

 そうか、と春の祖父は頷いて台所から出た。春のお盆に乗せられていた湯飲みを一つ手に取ると、座敷に座って茶を呷る。

 旨い。良い茶葉だ。わざわざ駿河の国から貰ってきただけのことはある。

 

「……あれは、儂が子供の頃に両親と能登へ旅行に行ったときのことだ」

 

 からんころん、懐かしい音色。

 茶の水面に僅かに広がる波紋を見ながら、遠い昔を思い出した。

 

「星砂街道という場所があってな、土なんぞではなく踏み固められた石で出来た街道でね。それなりに名所なんだ。ただ子供だった儂にはまだ体力が無くて、脇にある茶屋で休憩したんだ。そのとき団子を食べてたんだが…それが美味くて美味くて」

 

 疲れた体に茶と団子。あまり家計に恵まれていない当時は最高のご馳走だと思っていた。

 

「そのときにな、儂の隣に体中傷だらけの大男が座ってきたんだ」

「傷だらけ…蟲奉行所の春菊様のような御人ですか?」

「あぁ…ぼさぼさの頭でかなり大柄な男だった。そいつは戦で負傷してたんかもしんねぇ…団子を咥えるなり絵を描き始めたんだ」

 

 まるで武士のような外見だっただけに絵を描いていたということは印象に残った。 

 

「その絵がまた下手くそでなぁ、子供だった儂は派手に笑い飛ばしてやったよ。そいつは「うるせえよ、まだ始めたばかりの趣味なんだ」って言ったんさ。するとな、男と一緒に旅をしてた女が後から来たんだ」

 

 からんころん。あぁ、彼女が現れたときも、こんな下駄の音がしていた。

 

「その女も絵を見るなり儂と一緒に大笑いしてなぁ、「こんなの駄目駄目ハイ没没ぼーっつ!」ってその場で紙を破って捨てたんだよ」

「わぁ……傍若無人な方ですね…」

「あぁ…だがそれ以上に美しかった……その女はな、金の髪の持ち主だったんだよ」

「えっ!? じゃあもしかして異人!?」

「どうだろうなぁ…そいつは普通に儂等と同じ言葉だったからわからん。だがな、そん時その女に惚れたんだ。あれが初恋かもしれんなぁ」

 

 所詮は子供の頃の初恋。だがもう一度会いたいと思った。

 

「死ぬ前に一度でいいから、また会ってみたくてな…出会ったのが茶屋だったからもしかしたら茶屋やってれば会えるんじゃねぇかと思ったんだよ。今となっては…なんでそんなことをしたんかねぇ」

「……会えますよ」

「えっ」

 

 春は祖父の隣に座ると晴れやかな笑顔を見せる。恋する乙女の笑顔だ。

 

「絶対会えますよ! 茶屋ですから旅の方の休憩場所として立ち寄りますし、ひょっとしたら今来てるっていう異人さんが来るかもしれません!」

「…そうだなぁ、そうかもな」

 

 店を始めた子供の頃の夢。遠い昔に抱いた夢だけれど、彼女の顔は鮮明に思い出せる。

 陽光に照らされ輝く金の髪。

 澄み切った海の碧を閉じ込めたような青い瞳。

 障子紙の如く透き通るような白い肌―――

 

「ごめんくださいませ」

「あっ、お客様。いらっしゃいま…―――!?」

「どうした、春?」

 

 からん、ころん。目の前で、下駄の音がした。

 

「あらあら、そんなに慌ててはお茶を零してしまうわ」

 

 春が取り乱して落としてしまったお盆を、やってきた着物の女性が受け止めた。お盆にはお茶が入った湯飲みがいくつか置かれていたが、女性はその全てを零すことなく絶妙なバランス感覚で揺れを静止してみせる。

 その拍子に、被っていた編み笠が落ちた。すると編み笠の中に隠れていた眩しい金の髪がはらりと宙に落ちる。

 

「!?」

 

 思わず、息を呑む。 

 何という運命。何という因果。

 孫に初恋を話したかと思えば、まさか。

 こんなことがあっていいのだろうか。

 

「あらあら、でも都合良くお店に人が少なくて良かったわ。お嬢ちゃん、このことは黙ってて貰えるかしら」

「え…ええと……えええええええええええ…!?」

「あら? どうしたのかしら…もしかして混乱させてしまった? あなた、この子の祖父さんよね? 落ち着けさせて貰える?」

「……夢では…ないのだな……」

「?」

 

 春が混乱している原因こそ、いま現れた九散にあるのだが理由が異人を見たからという訳ではない。そのことが当然分かる筈のない九散は首を傾げて春の祖父らしき男に助けを求めるとぽかんとした。

 大の男がぶわぁっと涙を流していたのだから。

 

「……あらあらあら、これはどういう状況なのかしら」

 

 話に出て来た異人とそっくりな女性が現れて驚くお春。

 子供の頃に見た初恋の女性に再び会えて感極まる祖父。

 混乱してる女の人といきなり涙を流す男性を前に戸惑う九散。

 この場を治めるには、だいぶ時間が掛かりそうだ。

 

 

 

 

 




 ※お春さんの祖父とのフラグは立ってません。祖父ルートは無い!!
 そもそも三話目でまだ主人公と接触してないってどういうことなの。血の気盛んな読者は戦闘シーンがお求めなのに!!
 いきなり原作でも出番の無い(と思う)お春さんの叔父が過去を語り出しちゃったよ……
 ど う し て こ う な っ た 。


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四太刀目

先日は東京行ってたので投稿出来ませんでした。ごめんなさい<m(__)m>


「あら、そうでしたか。それはそれは祖父母共々、なんとまぁ後世に恥じる振る舞いをしたものです。不肖ながら、孫である私めより謝らせて頂きます」

「いっイエイエ! とんでもない、錆様がわざわざ頭を下げる必要無いですよっ! ほら爺さまっ」

「儂ぁー幸せモンだぁ…いつ何時(なんどき)死んでも構いやせん…」

「(あぁ…完璧に骨抜きにされてる……!!)」

 

 いつになく惚ける祖父の醜態に呆れながら、春は差し出した茶と団子を傍らに膝を突いて頭を下げようとする―――いわゆる土下座をしようとしている金髪の遊女のような女性-錆 九散の頭を抑えた。無論土下座なんてさせない為に。

 あれから春自身の記憶にも無いのだが、後に効果音として「ズキュゥゥゥゥゥゥン!」と出そうなことをされて混乱していたであろう自分を九散が介抱したらしい。唇に感じるむず痒い温もりに体の内がほんのり温かくなりながら、春はその違和感を振り払うように大急ぎでおもてなしの準備に取りかかった。

 因みに春が覚醒した後二人掛かりで祖父を起こそうとしたが、既に意識が黄泉の川を渡り掛けてるのか昇天してしまったのか、いずれにしろ再起不能状態と化してしまったため覚醒は断念した。

 そして今回の件を春が説明するなり、茶を啜りながら黙って聞いていた九散は土下座しようとし、今に至る。

 

「あらあら、歳甲斐もなく土下座なんてことをしてしまい申し訳ありませんわ」

「ハハハ…そうですよ、ましてや錆様みたいな美人さんが私達に頭を下げるなんて…」

「あら、本当にお春ちゃんの言う通りね。武士たる者、切腹しなければならないわ」

「いえいえいえいえそのような意味ではありませんっ!! お願いですから本当に止めて………武士?」

「ん? どうかしたかしら?」

 

 九散の口から出た「武士」という単語に春が首を傾げる。話の流れからすると、九散はまるで己が武士であるかのように語った。だが春には芸者として出てもおかしくないような目の前の美しい女性が武士のようには到底思えなかった。

 第一に、帯刀していない。

 そもそも女性が帯刀しているというのも、そうそう見かけたことが無い。確かに(ひとえ)に武士と呼ばれても帯刀する事が原則というわけではない。数々の武勲を修めた者を武士と呼ぶこともある。だが彼女が切腹と言うからには刃物、つまり刀を所持している者――武士と言っているのだろう。

 第二に、九散本人が女性である。

 それは圧倒的に女性より男性の方が力が勝っているのが世の(ことわり)と言っても差し支えないのが現実であり、現に過去女性が(いくさ)に参加したという話など聞いたこともない。この日ノ本の国では古くから男性が戦場(いくさば)で戦うのが常であり、戦う男性の妻や他の女性は拠点で一日千秋の思いで帰還を待つのがもはや当たり前なのである。

 以下の点を踏まえても、春の目から見た九散が武士のようには到底思えない。金襴緞子の衣から伸びる腕は細くすべすべで色白く、当然傷があるはずがない。履き物だって歩くよりもお洒落に重点を置いているきらびやかな下駄は走るどころか歩くことすら容易では無いように見える。

 

「あらあら、そんなにまじまじと見られてしまっては困るわ。恥ずかしいじゃない」

「あっ…! ふ、不快に思ってしまったんでしたら申し訳ありません!」

「いいわ。別にお春ちゃんみたいな可愛い娘に見られるのは嫌じゃないもの。ふふふ……それより何か聞きたそうな顔をしていたわね、当ててあげましょうか」

 

 ぱちり。九散の片目の瞼がウインクした。

 吸い込まれるような碧色の瞳から香る色気に気恥ずかしくなった春は、顔を真っ赤に染めながら土産物屋に売っている玩具のようにコクコクと頷く。

 

「あらあら、素直でよろしいこと。そうね、お春ちゃんは私が武士には見えないって思ったのでしょう?」

「は……はい、そうです。失言でしたらお許し下さい」

「そんなに怖がらなくていいわよ、基本的に女の子には手をあげない主義だもの。それにこんな(なり)だからそういう疑いの目にはもう慣れたわ。でもこうして説明するのは初めてよ」

「そうなんですか…」

「ええ。……そうね、まず何から話せばいいかしら……私の流派が「刀剣を用いない流派である」ってところからかしらね」

「刀剣を…使わないんですか!? それはもう刀の流派でも何でもないんじゃ…」

「常識に囚われない、この世で唯一の刀剣を使わない流派があるのよ。かつて歴史上に存在していた幻の流派…虚刀流という流派がね」

 

 

 

▲ ▲ ▲

 

 

 

「私はその虚刀流の九代目頭首……いえ、どうなのかしら。正確には八代目と言うべきなのかしらね、正統後継者であった母は運動音痴で剣術どころか走ることさえ出来なかったもの」

「そうなんですか……」

 

 春の目から見れば、目の前にいる麗人も到底運動なんて出来そうもない(なり)なのだが、それは黙っておいた。

 刀を使わない剣術。聞いたことがない。

 春も江戸に長く住んでいるが、今となっては帰らぬ人となってしまった両親はおろか、そこで呆けている祖父もそんな話をしたことはなかった。

 

「あらあら、つい長話してしまったわ。ところでお春ちゃん、この文に書かれている場所はどこだか教えて頂けないかしら」

 

 スッと九散は着物の裾から文を取り出し春に手渡す。紙の手触りからかなり上等な質の良い紙であることがわかる。手に取った春は三つ折りにされていた文を綺麗に広げた。

 

「(新中町奉行所…蟲奉行所!? 仁兵衛様と同じお勤め所!! しかも御上直々の署名に印!! まさかこの人本当に……?)」

「見ての通りこんな身なりだから、何かと面倒なのよ。普段なら別にそんなこと気に留める必要は無いのに……湊での噂、聞いているでしょう?」

「あぁ…ハイ、異人とかなんとか」

「会話による意思の疎通、周りと遜色のない言葉。この二つを聞けば普通はそんな発想には至らない筈なのにねぇ。あ、一応言っておくけど私はこの日ノ本の国の者よ。ご先祖様はどうだったか知らないけれど」

「そうなんですね…そうそう、新中町奉行所はここから出て左へ行けばすぐですよ」

「あらあら、意外と近場だったのね。失念していたわ。ついでなんだけど、良かったらあそこまでの近道とか教えて下さる?」

 

 と、九散は茶屋の暖簾を押し退けて外へ出る。疎らにいた通行人がギョッとして異国風の珍しい金の髪をした九散に注目するが、気にしない。春も後を追って外へ出て、九散が指差す方角を見た。

 江戸城。

 現在の日ノ本の国で全ての中心と言っても過言ではないこの国の心臓部を指した。

 

「え…江戸城ですか!?」

「あらあらさっきから驚き過ぎよ。安心して頂戴、祖父のような城破りをするつもりなんてないから」

「城破り!?」

 

 道場破りならまだかわらないでもないが城破りとは一体何なのか。嫌な予感しかしない。

 

「そもそも江戸城へはちゃんと御上からのお許しと申請が無ければご入城できないんですよ?」

「問題無いわ、その文に「来い」って書いてあるから」

「ええっ!?」

 

 御上直々の招待!? そんなの、聞いたこともない。

 確かに手渡された文には入城許可申請の一文が書かれていた。異人――ではない、異人紛いを入城させるなんていままであっただろうか。御上の心中が知れない。

 

「あったでしょう?」

「ええ…ありました。そうですねぇ…ここからですとこちらからあの大きい長屋を回り込んで―――」

 

 そこで、言葉が途切れた。

 

「ぎゃあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁ!!!!!!!」

「!」

「!?」

 

 すぐ近くで男の絶叫が空気を裂いた。それと同時に家屋がバキバキと軋みながら倒壊する音が響いた。丁度、さっき道案内で言った正面の長屋だ。連鎖して通り沿いの横一列の家が物々しく破壊され、瓦礫の向こう側からぬっと異形の頭部が現れる。

 薄い粉に覆われたような全身の白。所々見受けられる黒い斑点。幼虫らしきウネウネした全身。(かいこ)だ。

 数体が群れを成して現れた。大きさは人間程度であれば人呑み出来る程度。下町の用水路から流れ着いたのだろうか、まるで武士のように編隊を組んでいる。となると奥には恐らく成虫に成り掛けている繭が存在しているはず。

 

「えっ、今の悲鳴……」

「お春ちゃん道案内ありがとう。お春ちゃんはお爺さんと家の中で隠れてなさい」

「錆様は!?」

「この蟲共を退治するわ」

「駄目です!! ここは虫方が来て下さるまで待った方が…!!」

「あらあら、でもそれではお春ちゃんの家が危ないわ。あなたの所の茶、もしかして駿河の国のものじゃない?」

「…ハイ、祖父が質の良いものをお客様に飲ませたいと…」

「あの蚕…茶喰蚕(ちゃばみかいこ)というのだけれど、普通の蚕は桑の葉を食べるのにあの害虫は茶葉を食べるのよ。ほら見て」

 

 九散が指差した先では。壊した家の台所にあたる場所で蚕が何かを啄んでいる。よく目を凝らして見ると、茶葉らしい緑の葉を壷から食べているようだ。

 

「蚕は草食なんだけどね、厄介なことに茶の香りを一度感じたらそのまま一直線に進む傾向があるから目の前の障害も大口開けて纏めて食べてしまう癖があるのよ。駿河の国でもかなりの被害に遭ったと聞くわ。となるとあなたの家が危ない」

「だったら尚更避難しないと!!」

「この距離ではもう遅いわよ。でも安心しなさい」

 

 九散は涙目になって引っ張る春の手をやんわりと解いて払い、優雅な足運びで茶喰蚕の元へ向かう。すると茶葉を食べ終えた蚕の内の一匹が春の店向かって一直線に駆けてきた。蚕と店の間には金の髪を靡かせた九散の姿がある。必然、全速力で駆け出す蚕は九散と激突した。春とその周囲で逃げ惑っていた民衆は目の前で起こるであろう惨状に思わず目を瞑った。

 だが、九散の悲鳴は愚か、血飛沫舞い鮮血が地を濡らす音さえも響くことは無かった。春は恐る恐る目を開ける。

 

「―――あなたの店は、お爺さんの夢の結晶なのでしょう」

 

 鈴のように凜とした声が、もくもくと舞う土煙から聞こえた。

 

「そんな赤裸々な告白(ハズバナ)聞いてしまったら、守るしかないじゃない」

 

 風が吹き荒れる。

 舞った土煙の中心から旋風の如き風が吹き荒び、土煙が瞬く間に晴れた。すると其処には、腕一本で蚕の全身を受け止めて不敵に笑う九散の姿があった。

 

不効(きかず)―――効かぬこと『鎧』の如し」

 

 がしっ、と頭を乱暴に掴み上げると蚕はその巨体を浮かせて無様にも暴れていた。だがそんな脆弱な抵抗が九散に効く道理が無い。再び腕に力を込めて、そのまま手首のスナップを効かせて()()()

 宙を舞った蚕の幼虫は、まだ茶葉を食べていた幼虫の頭上に投げ飛ばされその自重(じじゅう)で下にいた蚕の一匹が潰れた。

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッッッッッ!!!!????』

 

 不快な呻き声が耳を劈く。目の前で何が起こっているか理解出来ないでいる春や町の者はその悲鳴に耳を塞いで涙を浮かべた。一方でそんな音をものともしない九散は、芸者のようにゆっくりと蚕の群れに歩み寄る。

 

「あらあら、その醜い身に相応しい悲鳴ですわ。私がこの場に居合わせていたことを後悔なさい。そして―――今までの行いを、是正なさい」

 

 

 

 

 

 

 

 




茶喰蚕はオリジナルです。蚕って気持ち悪いよね
次回、第一次江戸怒りの日勃発!(半分嘘)
まぁ蚕如きでそこまでいかない…よね?
次回もお楽しみに!


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五太刀目





 

 江戸の城下町を見下ろす存在がいる。

 天守閣の屋根の(いただき)に立ち、まるで帝の様に君臨し無感情な瞳で市井が住まう江戸の町を見下ろす白髪の男が一人。

 無涯(むがい)

 姓も名も捨てた生『涯』『無』き男、新中町奉行所でお勤めを果たす同心の中で最強に君臨する男である。

 手入れのされていない伸び放題の白髪が藍色の着流しと共に揺れる。肩には本人の細身では到底扱えるようには見えない程の大きな刀『塵外刀』を担がれていた。そんな(なり)が民衆でもウケがよく、最近新しく蟲奉行所に入った新人のように憧れを持つ者が少なくない。蟲対峙専門の部署である新中町奉行所でも最も蟲対峙において特化した男とも言えよう、以前『蟲狩』と呼ばれる集団に加わっていたことも起因しているのだろう。

 普段と何ら変わりなく流れる雲を仰ぎ見て、ふと何かに気付き城下町を眺めた。

 

「(いる)」

 

 いる。蟲が。

 この日ノ本の国を跋扈し巣喰う蟲共が。

 無涯の感知能力は江戸町の蟲来訪による警鐘の音よりも速い。かつて『蟲狩』として湯水を浴びるように蟲の血を浴びてきた経験が功を奏しているのだ。お陰で無涯によって江戸の蟲による被害が減ったとも報告されている。だがそんなことは正直無涯にはどうでもいい。

 蟲がいるなら、斬るまでのこと。それが彼の使命なのだから。

 だが、

 

「(……! 既に誰かが戦っている?)」

 

 奇妙な気配も感じ取った。蠢いている蟲共の気配と共にもう一つ、人間らしきそれは蟲と相対しているようだ。だが、今まで感じたことのない気配。少なくとも市中見廻り組の者ではない。寺社見廻り組でも無ければ武家見廻り組でも無し。残るは接触の少ない公家見廻り組、関八州見廻り組の二つだが、これにも該当しない。無論江戸の民衆など論外。なれば、

 

「(部外者か)」

 

 江戸湊での騒ぎは既に無涯の耳にも入っている。金髪碧眼の異人。将軍暗殺の刺客。後半はともかく元『蟲狩』として全国を巡っていた無涯は金の髪の持ち主を全く見かけたことが無い。同心であった蜜月もそれに似たような色をしてはいたが、あれは染料で染めていたらしい。

 天守閣の屋根を蹴り、家屋の屋根の棟を駆けながら気配を探りつつ接近する。その者の気配がどんどん強くなるが、この時点で既に無涯の中では気配を放つ者が相当の手練れであると肌で感じた。

 まるで人の皮を被り、人の形を保っている『何か』。到底生身の人間が放つ存在感とは思い難い。平静を保ちつつも、払いきれない胸騒ぎを感じて江戸の城下町を駆け抜けた。

 

 

 

▲ ▲ ▲

 

 

 

 最初に動いたのは蚕の方だった。

 

『■■■■■■■■■■―――ッ!!!!』

 

 同志に潰された屈辱感によるものだろうか、怒り狂った蚕の大軍は耳障りな鳴き声を上げながら、金髪碧眼の麗人・錆 九散へ突進する。だが蚕も馬鹿ではない。前衛と後衛に軍隊を分断して前衛が突進、後衛が糸を吐くという牽制をして九散の退路を減らしに掛かった。

 

「あらあら、中々考えてますのね」

 

 九散は口角を釣り上げて袖を余した腕を振り上げながら、揺らした袖で糸を上空へ払った。

 糸はご存じの通り粘着性の高い巣を作る為の糸。なのにその糸は九散のにへばり付くことなく弾かれて宙を舞う。常人には分からないが、九散が着物で弾く速度は粘性を持った糸の先が付着するよりも速い。糸は付着するよりも速く弾かれ、糸先には何かが付くことも叶わず地に這う。その気になればわざわざ弾く必要は無く、糸を吐くという行動を取っている間に蚕の懐に回り込み、致死の斬撃を一体につき十二回は放てただろう。それをしないのは、九散の後ろにいる春や民衆、そして彼等の家があるからだ。

 後ろに、守るものがある。故に九散は決め手が打てない。

 守るものがある者は強い、とは誰が言ったのだろうか。 守るものがある者はその専守防衛が為に弱くなるのが悲しい現実だ。

 そして、糸を凌いで足止めに成功しているこの瞬間を蚕が逃さない筈がない。

 

『■■ッ――』

 

 その巨体からは想像もつかないほどの速度で編隊を組んでいる前衛の内の三体が、九散の正面三方向から大口を開けて突進してきた。一方向ならば腕を二本持っている人間ならば十全に対策を取れる。だが三方向同時はどうだろうか。人間の腕は二本しかない。一体に付き腕一本で対処すれば止めることが出来るのは先程の光景から見て取れる。

 

「あらあら、蟲とは言っても頭が働くのね、学習をするだなんて。でもその程度では―――片腹痛いわね」

 

 未だ後衛から放ってくる糸を、今度は慣れた手つきで片手で払いながらもう片方の手を平手に水平に構え、そして横に一閃した。

 

不砕(くだかず)―――砕かぬこと『鈍』の如し」

 

 三匹の蚕は、横一文字に剥離し上下が永遠に離ればなれになった。その光景は見る者全てを驚かせた。

 くっついていると思えるような鮮やかな切り口。暖簾を払い退けたような力の籠もっていない腕の払いでやった所業とは到底思えない。砕かず、斬る。刀は切るものとはよく言うが、実際岩を切ろうと思えば綺麗に斬ることは出来ず岩肌を砕いて終わるのがほとんどだ。

 半人前ならば割る。

 一人前ならば砕く。されど、切るに至ろうとも真の意味で『斬る』には至らない。

 そして砕かず刀本来の性質を余すことなく『斬る』というただその一点にのみ特化した斬刀『鈍』。その切れ味を本質通り――否、本質以上に体現した結果である。ただ、九散自身に殺人衝動が無いが故に『斬刀狩り』は出来ない。確かに人を斬らずとも蟲を斬れば斬った際に付着する蟲の体液が腕を濡らすが、九散の腕にはそれがない。これが斬刀『鈍』の本質以上を引き出している証拠である。

 これが(じゅう)()使()()(りゅう)の力、完成系変体刀の性質の()()()()()()

 完成系変体刀十二本の一つ一つが持つ特化した性質を更なる段階にまで発展、及び昇華させた。それは九散本人の戦力がかつて七花と対峙した十二本の刀以上であるということを指す。そして、それは何も戦力だけではない。

 

『■■……■■■■―――!!!!』

 

 激怒。蚕達が仲間の死に嘆き悲しみ、そして怒りに燃える。証拠として、吐く糸が色を変えた。

 

「糸が違う……? いえ、これは―――!」

 

 迫り来る糸を袖で上空に弾こうと振り袖を振るう。前と変わらず糸は九散の着物に付着することなく上空を舞う。だがすぐに違和感に気付いた。弾きやすいのだ。そして、

 

「くっ……イタタタタ…そういうことね」

 

 片眼を瞑って腕に走る痛みに耐える。余した袖から覗く腕には幾つもの痣が出来ていた。

 糸の硬度が増したのだ。感じた違和感は糸をあまりにも弾きやすくなったこと。それは糸が粘着性を放棄して硬度を増幅させたからに他ならない。このまま持久戦に持ち込まれれば、先に九散の腕が壊れてしまう。かといって短期決戦に持ち込んで後ろの人々を巻き込むのも気が引ける。だから、

 

不絶(たえず)―――絶えぬこと『(つるぎ)』の如し」

 

 手数を増やす。九散の姿は一人から二人に、二人から四人に、四人から八人、十六人、三十二人と瞬く間にその身を増やした。その数、合計千人。

 千刀『鎩』。かつて出雲の三途神社にいた敦賀 迷彩が所持し、そして家鳴将軍家御側人十一人衆が一人・巴 暁が使った文字通り千の刀。『鎩』の特質は刀を消耗品として切り捨て、いくらでも代えの効く刀になったということである。九散がそれを体現した結果だ――分身である。だがただの分身ではない、それならば一介の忍でも出来る。

 不絶(たえず)。それは消えないということ。

 

『■■■■■■ッッッッッ!?!?!?!?!?!?』

 

 瞬く間に同じ人間が眼下を埋め尽くしたことに蚕達は驚愕を禁じ得なかった。いままで一人で蚕総員を相手取っていたのにその数が蚕の総数の倍以上。勝てる訳がない。

 

「あらあら逃げちゃうの?」

「大人げない……いいえ、蟲らしからぬ、かしらね」

「勿論、私達が逃がす訳がないわよねぇ」

「蚕なんて焼いても煮ても不味そうだわ、細切れにして差し上げましょう」

「あらあら甘いわね、砂糖水のように甘いわ。そんなんじゃ蟻が寄って来ちゃうわよ」

「塵も残さず芥子飛ばしてしまうのがいいわ、スッゴク快感」

「私の腕、結構痛められたのよねぇ。まあすぐ治るのだけれど」

「でも痛いと感じたものは痛いのよ。この苦痛…千倍にして返して差し上げましょう?」

「そうね、それがいいわ」

「簡単には殺してやらない。いくら抵抗しても無駄だと言うことをその醜い全身に刻み込んでから殺しましょう」

「二度と畜生道に来たくないって思わせるくらいいたぶるのがいいわね」

 

 後退した蚕の後ろを九散の文身体が塞ぐ。その人数に思わず足止めしてしまった蚕の群れを、千人の九散が逃す筈がない。

 

「是正して―――其の命、差し出しなさい」

 

 

 

 

 

 




ということで、九散ちゃん×1000人!! そりゃあ蚕もビビるわぁ……それほど九散もキレてたってわけですね
なんか書いててそこまで戦闘シーンが面白くない。ちょっと戦闘描写の書き方学ばないと……!!
あ、一応更新はツイッターでやってますからフォローお願いします(ぺこり)
曲利って検索すればでますよ~


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六太刀目

げほっ…風邪をひいてしまった
家に籠もって外出令が出ず困っている最中に半日くらい使って書き上げました
いやー、刀語の新OP聞きながらだとはかどるねぇー





 風と共に消えた。それが、見た者達の率直な感想だった。

 千人に増えた金髪碧眼にして絢爛豪華な着物を羽織る異人・錆 九散の手によって、人々を脅かし、喰らう巨大な蟲は物質の耐久力を超越した連撃によって崩壊していた。九散が『(つるぎ)』の力を鞘に納め、解いた頃には蚕の大群は分子レベルで崩壊し芥子粒に成り果てていた。ひとたび一陣の風が吹けば、それらは跡形もなく消し飛んだ。同時に千人いた九散の分身体が、まるで時間を越えたとでも言わんばかりに瞬きの間も無く消失した。

 

「さて、と」

 

 だが、まだ対峙は終わっていない。それをわかってかわからずか定かではないが、周囲で九散の様子を伺う民衆の顔は晴れない。

 繭。

 九散は蚕の幼虫の殲滅は完了した。だが、幼虫達が守っていた繭にだけは手を出さなかった。否、出せなかったのだ。

 

「幼虫は駿河でよく相手取ってたけど、蛹以降はまだ手合わせしてないのよね」

 

 蚕は元来幼虫でいる期間が他の蟲よりも幾分長いのが特徴だ。いや、(せみ)のことを考えるとそうでもないのだが。鱗翅目カイコガ科に属する蟲である蚕は幼虫の時期で四度もの(みん)を経て脱皮を繰り返し成長する。そして絹糸を吐き蛹となり、中で最後の脱皮を行い成虫になるのだ。幼虫から成虫への過程が長い為、見つけて即刻斬り刻む九散は蛹状態と成った蚕と相対したことがない。故に、蛹状態で手を出して良いのか微妙なところだ。となると蟲奉行にいるであろう専門に任せるのが一番なのだろう、が。

 

「(成虫になると厄介だから幼虫の内に殺してしまうのが通例。でも蛹状態となってしまった時、もし幼虫から成虫への進化過程で超高密度な力が循環し蓄えられているのだとしたら、蛹の繭を割ればいずれにしろ周囲に被害を及ぼしてしまう可能性もある…か…はてさてどうしたものかしら)」

 

 手遅れになるかもしれないが、かといって手を出せば事態が悪化する恐れもある。故に手を出し辛い。こうして悶々と考えている間にも危険へと近づいているのか、それとも安全へと近づいているのか、それすら分からない。

 

「蟲の通報があった場所は此処ね!」

「……あれ? 家が壊されてるのに蟲がいない…?」

「カカッ、なんだなんだぁ? いんのは女じゃねぇか。ありゃ上玉だぜ」

「ハァ…ハァ……!! い、いやー皆さん足速いですね!! 自分は追いつくので精一杯でしたよ!!」

「……!」

 

 ふと、後ろから声が聞こえた。若い女一人に男が三人。九散はくるりと振り向いて屋根上にいる彼等を視界に捉える。

 まず一人目。二つに分け結んだ黒髪、露出の多い忍び装束、そして香る火薬の匂い。

 二人目。背丈は誰よりも低く、公家のような上等な着物、妖術の気の気配。

 三人目。全身の傷、散切り頭、獲物の複数の刀、血生臭さと酒気。

 四人目。歳は一番近いだろうか未成熟ながらうら若き少年、柄の長い一本の刀、鼻頭の斬傷。

 最後に五人目。五人の中で唯一異質にして稀有な白髪と不鮮明な気配、見たことは無いが感じたことはある禍々しい刀。

 

「なんかこっちをじろじろ見てる……アンタ誰? ここで何してるの?」

「あらあら、そういうのは自分から名乗るのが礼儀ではなくて?」

「……火鉢よ」

「そう、火鉢ちゃんね。覚えたわ」

 

 九散はそう微笑み――自然な、そして認識困難な足運びで瞬く間に彼等の背後へ回る。

 

「!?」

「あらあら、そう驚かないで下さる? 私如きに刀を向けられては困りますわ、お兄さん?」

「お兄さんじゃねぇ……俺ぁ恋川 春菊ってんだ。覚えなくていいぜ」

「春菊さんね。なんだかときめいてしまいそうな名前だわ」

「なっ」

「冗談よ、そう真に受けないでくださいな」

 

 九散の発言にギクリと肩を揺らしながら春菊は後退る。その隙を逃さず九散は生身の手で脱刀術を行使、白く細い手が蛇の様に春菊が握っていた刀を絡め取ってはその全てを屋根に突き刺した。これで瞬時に襲えまい。

 

「んなっ!? いつの間に……!?」

「あなたはなんていうの?」

「ぼ…僕は……一乃谷 天間…」

「あらあら照れちゃって……でも、妖術の気配を感じるわね。陰陽道かしら? 御門家の分家…さしずめ土御門家の者かしら」

「……!? な…なんでそんなこと…!?」

「だってあなた達、蟲奉行所の者でしょう?」

 

 蟲奉行所の者であれば、このような小柄で筋力はおろか体力も無さそうな子供だろうと妖術使いならば戦力としては十分だ。名前を聞き出した三人を看取れば、各々役割分担が見えてくる。少女火鉢は中遠距離の火器系。男春菊は見ての通り近距離刀剣系。少年天間は支援もしくは防御といったところか。叔母ほどではないにしろ、九散の見稽古発展版はその人間の分析も不可能ではない。

 残るは二人。かたや殺意と警戒心を放ち、かたや驚愕となぜか羨望らしき視線を感じる。まぁ警戒心云々は他の三人からも感じられるのだが。恐らく髪の色と振る舞い故だろう

 

「で、アンタの名前は?」

「あらあら性急ね。私の名前は(さび) 九散(くちる)と言います」

「錆…ヘンな名前だな。お前さんが噂の異人だろ?」

「そうね、湊ではそう呼ばれたわ」

「ほ…本当に来たんだ………!!」

「あ――――っ!!!!」

 

 そこでふと、名乗っていない若い少年が大声を上げて九散を指差した。九散はその声の主に笑顔で近付きまっすぐ指す指を掴む。

 

「自分、『春夏秋冬』のお春殿とお爺さんに異人殿の…えーっと、九散殿に会わせる約束をしてたんです!! まさかこんなところで会えるなんて…!!」

「人に指を向けてはなりませんわ」

「あ゛」

 

 ぎゅっ。少年の指を掴むと、涼しい顔で万力の様に締め上げた。傍から見れば金髪の麗人が指を包んでいるようにしか見えないが、だらだらと汗が垂れる少年の顔を見れば相当の苦痛なのだと分かる。

 

「おわかりで?」

「はっはいはい分かりましたっ!! 分かりましたから離して下さい痛いです折れるどころか潰れて……ア゛――――っ!!!!」

「分かればよろしい」

「「「(鬼だ……)」」」

 

 ぱっと九散は手を離した。解放された少年―月島 仁兵衛は放心したようにへなへなと座り込んでは力尽きたように俯せに倒れた。九散はその様を見て満足したように笑った。

 

「さて、ところで蟲奉行の方々、茶喰蚕(ちゃばみかいこ)の蛹はその場で処理した方がいいのかしら?」

「茶喰蚕…? そんなのいないじゃない、ってあの繭茶喰蚕の繭なの!? もっと早く言いなさいよ!!」

「だって火鉢ちゃんが名前と何をしていたか聞いてきたじゃない。私は礼儀として応えただけですわ」

「そもそもアンタ何者なの!? っていうか繭があるなら幼虫もいる筈なんだけど…」

「あら、それでしたら私が消しましたよ」

「「「……は?」」」

「………」

「うぐおぉぉぉぉ…指が痛い痛い…って、この空気はなんですか?」

 

 三人が驚く最中、白髪の男―無涯は鋭い眼光を向けていた。

 こんな若い、そして力も無いような女が蟲を退治した? ありえない。

 

「ちょっと…冗談はほどほどにしてよ」

「カカッ、嘘はいけないぜ錆さんよ」

「別に疑うのはいいですけど…よろしいので? こう話している間にもあの繭、孵化するやもしれませんよ」

 

 九散は袖で隠れていた手を出して繭に指を向ける。すると丁度その繭の表面が割れた。

 

「「あ」」

「げっ」

「あら、やっぱり放置はマズかったかしら」

「マズいも何も無いわよ!! いい!? 茶喰蚕は幼虫から成虫になる際に繭でその体を守るの!! だからその強固な繭を壊して本体を叩けば万事解決ってわけ!!」

「あらあら、すぐに壊せばよかったのね」

「ただここからが危険! 孵化直前の時点で茶喰蚕は成虫になってるからもう既に…!!」

 

 斬。

 火鉢が九散に説明している間に、繭が真っ二つに裂けた。

 九散、火鉢、春菊、天間、仁兵衛が目を丸くしてその光景を見て、唖然とした。繭は一刀両断されてずるりと片割れが地に落ち、大きな地響きと共に強固であった繭は硝子のように割れ粉塵と化した。

 

「即刻、斬るまでのこと」

 

 無涯だ。繭の罅割れに気付いた無涯はすぐに『塵外刀』を抜き放ち、その大きな刃で一直線に一刀両断した。ただ、それだけ。

 

「あら、お見事」

「さっすが無涯さん!!」

「カカッ、もう俺等の出る幕無ぇじゃねえか。さっさと酒飲み直そ」

「…昼間っから酒飲んでたんですか…道理で酒臭い…」

「流石です無涯殿ォ!!」

 

 蟲奉行所の者達は勿論、民衆からも大きな歓声が上がった。当然だろう、無涯が来れば蟲なんぞ退治されたも当然の運命。江戸の町でも無涯の実力を疑う者はおらず、その強さ故にそう噂されている。かつて『蟲狩』と呼ばれる蟲退治専門の流浪の討伐部隊に所属していたという経緯もあり、現蟲奉行所中でも最強と謳われている。彼の活躍は歌舞伎ものでも取り上げられたほどであり、それにより江戸の町で無涯を知らぬ者は無しである。

 だが、民衆達が歓声を上げて拍手する中で当の本人である無涯だけは浮かない顔をしていた。

 

「(……おかしい。繭を斬った感触はあるのに、蟲を斬った感触が薄い……本体は斬った。だがその本体の中身が無い……?)」

 

 斬った。殺した。そう自分の中でも感じた筈なのに拭いきれない違和感。蟲退治専門としての勘が警鐘を鳴らしている。

 その違和感は、的中した。

 

「!!」

 

 未だ晴れぬ粉塵から、空を裂くような鋭い(やり)のようなものが飛来してきたのだ。それに無涯が気付くが時既に遅く、千枚通しのように尖った先端は蟲奉行所の―――

 

「避けろ火鉢!!」

「っ!?」

 

 いつになく焦った無涯の声に火鉢が慌てて振り向く。だがもう遅い。そして振り向いたのが仇となった。振り向いて、そのまま静止していれば横向きで鎗に対して的中面積を減らせたものの、振り向き過ぎて無防備な体を差し出してしまった。鎗は火鉢の成長途中の決して小さくない胸、つまり心臓部へと迫った。

 そして、鮮血が舞う。

 

「………あ…」

 

 震える声は、火鉢のもの。

 だが火鉢の視線は己の胸ではなく、目の前に注がれていた。

 

「……九散…!?」

 

 錆 九散。

 ついさっき出会った、湊で騒がれていた異人紛い。風で波打つ綺麗な金髪に、思わず見惚れてしまいそうな海の蒼のような碧眼。香る香水のような匂いに頭が刺激されたようだった。そんな彼女の胸元に鎗のような何かが突き刺さり、鉄が錆びたような血の臭いが充満した。

 庇ったのだ。火鉢を。

 無涯の次に蟲の異変を察知したのが九散だった。迫り来る鎗を手刀で断ち切ることは出来た。だが斬ったところで鎗の運動は止められず火鉢を貫くだろうと判断した九散は狼狽える火鉢を押し退けた。ただほとんど身投げのような勢いだったが為に自身を踏み留めるには至らず、その鎗は九散の胸元に深々と突き刺さった。

 栓を抜かれた器のように九散の胸元から並々と血が溢れ、絢爛豪華な着物を血で赤く染める。九散が刺されたことに気付いた春菊は悔しさに奥歯を噛み締めながら刀を振り下ろし、晴れぬ粉塵から繋がっている鎗を斬り落とした。

 

『ギギギギギギッギギギギギギギギギギャアアアアアァァァァァァ!!』

 

 蟲の叫び声と共に粉塵が晴れる。そこにいたのは茶喰蚕では無く―――蜂だった。

 宿蟲蜂(やどむしばち)。蟲の体に寄生する蟲の一種だ。幼虫時の蟲に、鎗の様に長く鋭い尾を突き刺し、卵を植え付ける。そしてそのまま幼虫の胎内で孵化し、蛹になったのを見計らって中から蟲の体を喰らい、成長する。

 九散を射たのは宿蟲蜂の尾だった。それは本来蟲の表皮を貫通し卵を植え付ける為のものだが、成虫と化したばかりの蜂に産卵機能は無くどちらかと言えば相手を突き刺す刺突の武器として使うことが出来る。

 

「蟲め…!! 九散殿っご無事ですか!?」

「不用意に動かさないで!! まずは止血剤を使って血を止める…!! 一乃谷、アンタの式神で傷口を塞ぎつつ血をある程度拭って!!」

「わ…わかった…!! 急々如律令!!」

 

 天間の手元に居た紙が瞬く間に巨大化し人形となってはその両手で九散の体を縛った。火鉢は済まないと思いながら九散の着物の前を肌蹴て胸元を晒し、傷口を確認する。

 

「鎗が貫通してる…月島、アンタは九散の体を抑えて! 恋川は合図に合わせてこの鎗を抜いてっ!!」

「しょ、承知した!!」

「応っ!!」

 

 ――何故だろう。何故、こんなにも必死になって九散を助けようとしているのだろうか。血の気が引いてただでさえ真っ白だった肌が不健康そうに白く、蒼く染まってく。血が足りない証拠だ。

 ――何故だろう。火鉢も蟲奉行にお勤めしてそう短くない。目の前で蟲に殺される人なんか数え切れないほど見てきた。死に体の人を救うなら、その時間を蟲討伐に使ってこれ以上被害が出ないようにしよう――そう心に決めて。

 なのに、何故――ついさっき会ったばかりなのに。少ししか話していないのに。まだお互い名前しか知らないのに。どうして、どうして―――彼女(九散)の笑顔が、頭から離れられないんだろう――。

 

「準備できたわね!? いくわよっ…!!」

「「「せぇー…の!」」」

 

 春菊が鎗を抜く。それにより更に溢れる血を、天間の式神と仁兵衛で止める。慎重に止血剤を傷口に塗らして包帯で応急処置を取れば、ギリギリかもしれないが一命を取り留められる。そう思ったその時、思わぬ衝撃が火鉢達を襲った。

 

「!?」

「くぅっ…!!」

「無涯殿!!」

 

 仁兵衛の声にはっとした。衝撃が来た方向を振り向くと、見慣れてしまった憧れの存在である無涯が蟲と交戦している。宿蟲蜂は成虫に成り立てだとまだ産卵機能が無い為主に人間に襲い掛かる。そして成虫から成熟する為に、餌が必要だ。

 

『キキキッキキキキキキキキキキキキキキキキキキ!!!!』

 

 蜂が嘶き、羽根をさらに羽ばたかせて無涯を押す。『塵外刀』を口で挟み押さえ込まれているせいで無涯も容易に刀を振るうことが出来ず苦戦を強いられているようだった。

 

「(くそっ…このままでは無涯さんの邪魔になる!! どこか別の場所で治療を…!!)」

 

 悔しさを滲ませながらも火鉢は九散を探した。衝撃で飛ばされてしまい天間の式神の手から離れてしまったからだ。天間の力が込められた式神は先の衝撃で吹き飛ばされ、腕から先が削られた。羽根によって巻き上がる砂煙の中を探す。どこだ、どこにいる。

 いた。

 自分たちと蟲から等間隔に離れた別の家屋の屋根の上。鎗を抜いてしまったせいで夥しい量の血が屋根を濡らしていた。

 

「九散!!」

「火鉢殿、そっちは危ない!!」

「アンタは黙ってなさい!!」

 

 火鉢は忍の里に生まれた者だ。身体能力は普通の女の引けを取らない。無涯と交戦中の蟲と目と鼻の先を飛ばなくてはならないが、それでも。

 

「(彼女(九散)は絶対死なせない!!)」

 

 跳んだ。跳躍した。

 問題無い、家と家との間は自分の身長程度だ。その程度ならば越えていける。大丈夫、大丈夫だと心の中で何度も繰り返して――ふと、横を見た。見てしまった。

 

『ギキ…ギキキキキキキィィ!!』

「(最っ悪……!!)」

 

 見てた。こちらに蜂特有の眼を覗かせてギョロリと捉えていた。見れば、『塵外刀』を取り戻した無涯が刀を構え直している。だが、一歩。一歩遅い。蟲狩『塵外刀』が火鉢へ振り下ろそうとしている足を切り落とすよりも速く、火鉢は押しつぶされてしまうだろう。火鉢は最早助かるまいと、眼を閉じた。

 しかしそこで、影が生まれた。

 誰かに肩を抱かれてる。まるで空を走っているかのような浮遊感。己を押しつぶす死の感覚ではない未知の感触に火鉢はあれ? と首を傾げて瞼を開いた。そこには、

 

「あらあら、火鉢ちゃんまるで眠り姫ね」

「……へ?」

 

 眼前にあの綺麗な碧の瞳があった。

 丁度その時ずばん、という音と共に蜂の足が無涯によって断ち斬られていた。

 

「へ…ええぇ!? 怪我は!? 傷は!? 大丈夫!?」

「あらあら落ち着きなさい火鉢ちゃん」

 

 視界が九散の顔でいっぱいになると同時に唇になにか温い感触を感じた。人肌のようだ。その温もりはすぐに離れたが、温もりがまるで電気の様に全身を駆け巡ったかと思うと全身が急に熱くなった。

 

「(え……何…何? 私今何されて―――)」

「あら、そういえば今回復中だったわね。ちょっと流れ込んでしまったかもしれないけど――ごめんね? あとは私がやってあげるから」

 

 そういって真っ赤になって動けない火鉢を無事な民家の屋根に座らせると、自分を串刺しにした蜂を正眼に据えてニコリと笑う。とても――邪悪そうに。

 

不死(しなず)―――死なぬこと『(びた)』の如し」

 

 傷が癒える。胸を貫通していた鎗の傷が、まるで傷口が癒えていく過程を早送りしたように無くなっていく。着物と肌に濡れた血は凄まじいものだが、それ以上に傷が消えていく様は異常だ。その光景にあの無涯までもが眼を見開く。

 悪刀『鐚』。かつて九散の叔母にあたる鑢 七実が陸奥の死霊山から奪い、所持者となった完成形変体刀十二本の中でももっとも凶悪とされる、所持者の肉体を強制的に活性化させる刀である。九散の十二使刀流でもその性質はまざまざと顕れ、致命傷を負い文字通り虫の息だった九散の体は何も無かったかのように元に戻った。

 ただ、一つだけ。

 

「あらあらそこの蟲さん―――この着物、どうしてくれるのかしら」

 

 着物。九散の金髪と同じくらいに派手で、九散自身を際立たせる象徴とも言えた豪華絢爛な服に付いた血。

 肉体を治し怪我を無かったことにすることは出来ても、傷口から流れ出た血によって汚れた服はなかったことに出来ない。お気に入りの服を台無しにされても我慢できる女性なんて、いるのだろうか。否、いる筈がない。それは九散とて変わらない。

 

「覚悟は出来てるかしら」

 

 邪悪そうな微笑みと共に、再び襲い掛かってきた蜂の尾の鎗を九散は半歩ずれることで回避する。そして伸びてきた尾を掴み、そのまま引っ張ってぴんと一直線にさせる。凶悪な鎗が眼前で一本の橋に成り下がったのを確認し、九散は一気に駆け上がり蜂の背中に到達した。羽根と羽根の間に足を下ろせば、羽根の羽ばたきによって生み出される突風は最小限にまで防げる。完全に無防備な背中に降り立った九散は片手を開き、手のひらを背中に押し当てる。

 

「電気はね、細胞を活性化して『生かす』ことも出来るけど使い方を誤ると『殺す』こともできるのよ。知ってた?」

 

 ――人間であれ蟲であれ生き物であれば、一定量以上の電気を浴びてしまえば絶命する。元来悪刀『鐚』は己にしか作用せず、そしてその活性化電流の量は悪刀『鐚』にしか操作出来なかった。だが十二使刀流によって会得した九散の場合、それは適用されない。

 

不生(いかざす)―――生きぬこと『(びた)』の如し」

 

 全ての者の視界が閃光で塗り潰される。白にも紫にも見える(いかずち)は電流による感電どころか発生する熱量によってその身を蒸発しかねない。大気に舞っていた砂埃は爆ぜて、連鎖爆破の如き爆風が蜂に襲い掛かった。

 死の文字が入った死なない『鐚』。

 生の文字が入った生きない『鐚』。

 対照的で、どこか真逆で、しかし的を射たような九散の祝詞(のりと)は、稲妻の如く落ちては焼き焦がした蟲の悲鳴と轟音に掻き消された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今回ので刀一本につき言葉一つという可能性は無くなりました。やったね九散ちゃん呪文が増えるよ!
そして火鉢さん、さっそく九散ちゃんの色気に当てられました。やったね九散ちゃんヒロイン増えるよ!
なんか曲聞きながらだと小説の文中にBGMコレダヨ!って書きたくなる。曲名くらいなら書いても大丈夫かな






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七太刀目

投稿一日延びてしまった…しかも明日明後日バイトだからまた駄目かも!!?
……ということで投稿。久々に刀語アニメで見たけどやっぱ七実んいいなぁ……あの悪笑みがふつくしい
そして今回、刀語のみならず我が家にある西尾維新様の作品のほとんどを改めて読み返すことになりましたwww
それでは、どうぞ


 

 

 

 武蔵国豊嶋郡江戸―――その中心。

 荘厳で厳格、派手にして煌びやか。まるで日ノ本の国の贅沢を一点に集めたような城、将軍のお膝元である江戸城。明暦の大火による焼失によって経費削減のため本丸富士見櫓というとても大きいとは言えないものを代用しているものの、江戸の威光を示すには十分。その最上部、江戸城で一番高いところ――現日ノ本の国で人間が作り出した構造物の中でも最も高所に位置する部屋に、二人の影がある。

 一人は徳川御三家の紀州藩第二代藩主徳川 光貞の四男にして江戸幕府の第八代将軍こと徳川 吉宗。増税や質素倹約による幕政改革、新田開発、そして市民の意見を取り入れるために設置され今の蟲奉行所を設立するきっかけとも言える目安箱など、のちの世で享保の改革と呼ばれる政策を施行した張本人である。現在幕府が財政難であるからか、吉宗本人の着物も公家のような煌びやかなものではなく、一介の藩主が羽織るような簡素な着物を着ている。

 そしてもう一人―――日ノ本の国ではまずもって見ることのない金の髪、碧の瞳。異国風の、どこか日ノ本の国の者とは歩む次元がズレているような雰囲気を放つ女性こと錆 九散。身分、素性は勿論のこと、異形の美貌にして金襴緞子な和服がこの上なく似合う――似合ってしまう九散はどんなに着飾ろうとも、このような上座に座れるような身分では無い。決して。因みにいま着ている着物は数ある九散のお気に入りの着物の内の一つだ。先日鮮血で染め上げた着物は江戸城で洗って貰っているが、はたして綺麗になるのだろうか。

 佇まいも格好も、仕草は勿論放つ気配も全く正反対な二人が、江戸城の最上部でしかも吉宗にお付きの者が全く居ないという異例の事態で向かい合っている。何も無いはずが――無い。

 

「改めまして――」

 

 正座になった九散が手と頭を畳にぴたりと付けて、頭を下げる。

 

「虚刀流九代目当主にして十二使刀流開祖、錆 九散と申します」

「これはこれは―…いや、楽にして下され。与が江戸幕府八代将軍、徳川 吉宗だ」

「存じ上げております」

此度(こたび)はこの江戸城への登城感謝いたす」

「いいえ、御上のご命令とあらばこの身、何処へでも馳せ参じましょう」

 

 頭を上げてニコリと微笑む。当然、悪意など微塵にも感じない純朴な笑顔である。吉宗は小さく肩を揺らしたように笑った。

 

「こちらこそ、人払いをしてくれてありがたい」

「いいや、これからする話はとても他の家臣には聞かせられないものであるからな」

「その話とは」

「―――無論、()()のことだ」

 

 すると、今度は吉宗が頭を下げた。徳川幕府将軍――つまり、この日ノ本の国で最も偉い人間が九散に頭を下げているのだ。

 

「――この場に家臣が同席していれば、わたくしめは即刻打ち首となっていたでしょう。おやめください」

「それはならぬ。本来高々与が頭を下げるなどでは感謝しきれぬ(くだん)なのだ。そなたの祖父――鑢 七花殿によって正された歴史の改竄というのは」

 

 歴史の改竄。

 それはかつて徳川ではなく尾張と呼ばれていた時代という過ちの歴史を正すというものであった。その未来を予見していたかの伝説の刀鍛冶・四季崎 記紀は己が手で歴史を改竄し、後の世に訪れる海外からの侵略、そして日ノ本の国の崩壊を防ごうと企んだ。それは知って知らずか奥州の顔役・飛騨 鷹比等により引き継がれ、尾張幕府八代将軍・家鳴 匡綱(まさつな)の時代に生きし九散の祖父にして虚刀流七代目当主・鑢 七花の手によって意外な方向へ向かった。

 それが、()()()()()()()()()()()()()へと修正されたのだ。

 

「皆、気付いている者はおるまい」

「ええ、本来は我らが一族四季崎の血―そして鑢家、錆家、他かつて四季崎 記紀が持ちし完成形変体刀十二本を所持していた者達以外は」

 

 だが、歴史の修正に気付く者はそういなかった。民衆とて、将軍の今の代が死んだところで自分たちの生活にどんな問題があろうか。それは確かにお上より下される政治、改革、制度いろいろあるだろう。だがそれはあくまでもお上という自分たちでは到底及ぶことのない地位に就いている者から下されるという意識しか無く、自分達の頭が変わろうとも興味など毛頭無いのだ。

 では、大名はどうだろうか。

 大名も変わらなかった。かつての将軍・家鳴 匡綱の死は正史でいう五代将軍・徳川 綱吉の死と認識させられ、尾張にあった城はまるで何もなかったかのように消失し、代わりに江戸の城が建っていた。尾張を取り巻いていた城下町や周囲の城もこぞって江戸へ移動しており、劇的な歴史の修正の有様は九散が言った者達にのみ認識できていた。だが、

 

「………将軍様だけではありませんね。何人か家臣達も既にご存じなのでは」

「察しが良いな」

 

 道理で、と九散は内心溜息をついた。九散が江戸城へ登城した時、普通異人紛いが何の礼儀も無く不作法に江戸城へ行けば取り押さえられて即刻首を刎ねられていただろう。だが九散が江戸城の門をくぐり、城内を歩こうとも特にこれといって怒鳴られることはなく、むしろ吉宗の部屋までの道を教えたのだ。

 

「…まず端的に申し上げます。この日ノ本の国が尾張幕府から()げ変わるように元の江戸幕府へと、まるで自然現象のように変遷していったのは―――我が祖母の手かと思われます」

「そなたの祖母……否定姫と名乗られたお方ですな」

「はい。彼女は尾張城から祖父を逃がす道中、城に保管されていた四季崎 記紀が作りし完成形変体刀十二本以外の九百八十八本の刀を塩水で錆びらせて破壊したのです。それによりこの世に残っていた四季崎 記紀の分身…否、断片とでも言いましょう。それらが消え去り――歴史が、元に戻ったのです」

 

 最も歴史の改竄を求めていた男、四季崎 記紀。彼が生み出した刀はその所持する本数によって国の強弱が決すると言わしめたほどである。であるが故に――彼の刀は歴史を大きく歪める結果となった。

 

「四季崎 記紀は歴史を改竄し、この日ノ本の国を守ろうと考えました。しかしそれは水泡の泡に帰し、それどころか自身の生み出した刀によって正史を大きく歪める結果となりました。ですが、彼が最後の最後に生み出した完了形変体刀真打(しんうち)、虚刀『鑢』と完了形変体刀影打(かげうち)、全刀『錆』によってその目論見は崩れ、この日ノ本の正史へと戻したのです」

 

 それにより、後の世に知れ渡る筈だった完了形変体刀二振りの存在は四季崎 記紀の刀全てを失ったことによりこの世界に維持し続けることが困難となり、いまとなっては虚刀流も歴史に残らない流派に成り下がってしまった。まぁその事実を知った七花は「まぁいっか」ということで済ませ、否定姫も「そんな結果も良くなくも無いわね」と否定的に嘯いていた。

 

「………二つ、聞きたいことがある」

「なんでしょう」

「…もし、そなたの祖父の手で尾張幕府を崩し、正史へと戻さなかった場合…この日ノ本の国はどうなっていた?」

 

 もし、尾張幕府がそのまま徳川幕府の代わりに日ノ本の国を支配していたら。

 もし、完成形変体刀がまだ残っていたら。

 もし、虚刀流が完了していなかったら。

 もし、七花がとがめと出会わなかったら。

 この日ノ本の国は、どうなっていたのか。

 

「……二通りの未来があります」

「二通り?」

「ええ。もし祖父が尾張幕府を崩壊させていなくても錆家でもなんでも、どこかの誰かがそれを為し得ていたという未来」

 

 後の世で人類最悪と呼ばれた男が提唱した二大理論が一つ、代替可能(ジェイルオタナティヴ)

 

「あるいは、家鳴 匡綱の代でなくともその次の代でも、十年後でも百年後でも、時と場所は大きく変わってしまっても行為そのもの、つまり尾張幕府に終止符を打ち徳川幕府に成り代わっているという未来」

 

 それがもう一つの理論、時間収斂(パックノズル)

 いずれもその流れが世界の意思のようであり、この世界の構造とも言えよう。やらなければならない、やるべきことを先送りにしようとやるまいと、その行為が成されるのは歴史という道筋で決められた事柄であって遅かれ速かれ誰かがやっていたということ。歴史は運命的に、そして自然的に修正するのがこの世界での必然であり、何をしたところで結局は修正され、元に戻ってしまう。つまり、

 

「考えても詮無きことです。結局は、尾張幕府など過ちの歴史であって徳川幕府こそがこの世界における正しい歴史ということです。繁栄も、衰退も」

 

 もしも、なんて考えるのは無駄ということだ。結果が結果だけあって、それは吉宗の心に響いた。

 

「そうか……分かった。では二つ目だ。百年前からこの日ノ本の国を跋扈し始めた蟲達――それらはこの国における正史で存在すべきものであるのか?」

 

 原因は不明だが、この世に現在蟲と呼ばれている存在が日ノ本の国を巣喰っている。吉宗が懸念しているのはその蟲が日ノ本の国の正史に居るべき存在であるか否か。もしいるべき存在であるならば、もう日ノ本の国に未来はないということに他ならない。その心中を察して、九散は眼を細めてふと立ち上がる。

 

「どうなされた?」

「ああ……そういえばこの江戸城、とても面白い構造をしていますよね」

 

 複雑怪奇にして詳細不明。もし外敵に攻められてもいいように江戸城は複雑な造りになっていて、その様はまるで迷路。その構造故に、将軍は当然だが、江戸城を出入りする家臣達も江戸城の構造を把握し覚える必要がある。必然、記憶力が必要なのは国を治める者としては必須技能であり、城の構造を覚えられない者は親藩へと流される者が少なくない。

 

「さて、吉宗様の人払いを命じられてなお、こうして盗み聞きをしている輩は――どなたかしら」

 

 唐突に、九散が襖に手刀を繰り出した。まるで槍のように鋭く突いた手は綺麗に襖を貫通しそして、襖の向こう側にいる者を捉えた。がしりとその手が相手の頭を掴んだのを確認すると、九散は強引に腕を引き襖を外してその者を引っ張り出した。

 

「ひいいいぃぃぃぃぃぃいぃぃいいいぃぃぃ!!?? な…何をする!? というか貴様、この俺に何をしている!?」

「あらあら、とんだ面妖な方が釣れましたわ。いかがなさいます?」

「その声…家重(いえしげ)か?」

 

 どうやら吉宗の知り合いらしい。顔を伺ってみると、将来的に納豆の容れ物にでも描かれてそうなおかしなお面を被っていた。試しに剥いでみると、なるほどなるほど、微かに吉宗の顔の面影が無くもない。最近見ない眉目秀麗の男だ。

 徳川 家重。またの名を長福丸(ながとみまる)。吉宗の長男として江戸赤坂の紀州藩邸で生まれ、吉宗の将軍就任と時同じく江戸城に登城している。

 

「……あなた」

「な…なんだ、っていうかいいから頭掴んでいる手を離せ!! 俺の持つ知識が潰れてしまうぞこの異人紛いめ!!」

「……よくお面を被るお方ね…そういう宿命なのかしら? 片眼が光ったりとかしない?」

「…は?」

「あらごめんなさい。独り言よ、忘れて貰って良いわ。私もどうしてそう思ったか分からないし」

 

 とんだ気の迷いである。それは九散本人にもよく分からない。いわゆるお約束というやつだ。

 突然の息子の登場に驚き…ではなく呆れを隠すことなく、吉宗は溜息をついた。

 

「家重…どこから這入ってきた。いや、どこから聞いていた?」

「全てだ! ハハハ驚いたか! しかし尾張幕府とは一体何だ!? 誤りの歴史とはどういうことだ!? そして女っいい加減手を離せぇ!!」

「あら、そういえばまだ離してなかったわね」

 

 どうぞ、と言わんばかりに離した。襖から腕を抜き取ることで。

 当然抜き取るまで掴まれていたわけで、家重の顔面は襖に見事ぶち当た鼻を痛めた。だがそれだけでなく九散の腕力によって体を持ち上げられていたこともあって、離した瞬間足の指を突き指した挙げ句尻餅をつき腰に痛みが走った。正に三重苦。

 

「っっっっっっっっ……!!」

「あらあら……さて、どうなさいます?」

「…仕方ない、仕切り直しだ。また後日、話すとしよう」

「あら、もう話すことなんて無いでしょうに」

「そんなことは無い、そなたの話は大変役に立つ。今度は畏まった相対などではなく腹を割って気軽に話し合いたいものだ」

「あらあら、お口の巧い将軍様ですこと」

 

 悶絶する家重を傍らに二人はほくそ笑み、九散は一礼して部屋を出た。その際ふと敷居で振り返り、

 

「将軍様」

「なんだ?」

「改めて、虚刀流九代目当主にして十二使刀流開祖・錆 九散。この江戸……否、この日ノ本の国を守るべく精一杯蟲奉行所でお勤めに励む所存にございます」

「うむ。そなたの活躍、期待しておるぞ」

 

 ―――こうして、九散と吉宗との邂逅は終わった。

 

 

 

 

 

 




今回は普通の長さ。というより前回が頑張りすぎて長かったんですよねぇ…
いやだって三話も蚕討伐の戦闘やってても進まないでしょ? ちんたらしてるよりすぱっと終わらせたくて……
さてさて次は第二次江戸怒りの日!!(半分嘘)

そういえば自分、刀語の竹様画集の刀語絵巻のナンバーは0958でした。あと300人限定の否定姫賞も当たってたぜ!! いぇい!! 5人限定の真庭忍軍賞も欲しかったけど、個人的に否定姫愛してるからいいや(笑)


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八太刀目

…当初完成形変体刀十二本になぞらえて十二話で終わらせようと思っていたんですけど…思ったより長くなってしまうかも
てなわけで、少し短いですが感想の多さに興奮を隠せない曲利が張り切って投稿しました! これが私のファンサービスだ!
※ちゃんと筋書き通りに書いてます


 

 江戸下町・新中町奉行所――又の名を、蟲奉行所。

 現在この日ノ本の国を巣喰う蟲を最前線で戦い、退治に努める日ノ本の国の生命線とも言えよう。蝶の翼をあしらえた家紋と鉄門。それを(くぐ)った先は武家屋敷の様な造りになっており、木組(もくぐみ)によって構成されたこぢんまりとした城が建っている。

 

「………あの…九散君?」

「何かしら小鳥さん?」

「………蟲奉行様とはお知り合いなのかい? 就任前に直々に招集を受けるなんて」

「あらあらそんなまさか」

 

 新中町奉行所の全てを束ね、指揮している総監督、従二位・別格老中である蟲奉行様。そんな大物が居住まう部屋へ向かう屋敷内の廊下で、市中見廻り組与力・松ノ原 小鳥は九散に小声で話しかける。だが九散自身、生涯一度たりとも蟲奉行様たる者に出会ったことはなく、ついでに言うならば蟲奉行様に呼ばれる蛮行に及んだことも無い。多分。だが蟲奉行様に呼ばれる理由は分からないが、二人の後ろに居る者達の雰囲気を見ればわかる。

 

「わたくしとて蟲奉行様に呼ばれる謂われなどありませんわ。それより……小鳥さん、わたくしの新中町奉行所へのお勤めは公認済みなんですよね? 将軍様直々に」

「あ…あぁー…えーっと……その辺どうなんでしょうね~…?」

「………」

「………」

 

 さりげない牽制と皮肉混じりの九散の文句に流石の小鳥も苦言を漏らし、こっそりと後ろを伺う。今、彼等の後ろには二人の与力が難しい顔をして着いて来ていた。一人は鍔の無い刀―大鉈を腰に納める壮年の大男、尾上(おがみ) 影忠(かげただ)。旗本や大名の護衛に務める「武家見廻り組」の与力だ。もう一人は公家のような、九散の豪華絢爛な和服とはまた一味異なる煌びやかな着物を纏い、落語家が使うような小洒落た扇を手に持つ線の細い男、白榊(しらさかき) 夢久(ゆめひさ)。神聖なる寺社仏閣の警護にあたる「寺社見廻り組」の与力である。

 紛れもなく、今回わざわざ九散が蟲奉行様に呼ばれる原因を作った張本人達であることは勘付いている。それを九散はあえて黙って、廊下を歩いていた。苦笑と冷や汗という芸達者な小鳥の案内によって蟲奉行様がいる一室に到着し、小鳥を筆頭に部屋へ這入る。周囲には囲うように部屋が配置されているため外部から隔離されており、日の明かり一つ差し込まない暗い部屋。奥に仕切られた御簾(みすだれ)の向こうに唯一提灯による仄明るい光が部屋を照らす。その光を背後に構え、御簾に浮かび上がる影の者こそが蟲奉行様だ。左から小鳥、九散、夢久、影忠の順に正座しては頭を下げる。当然、御前の前なのだ。

 

「市中見廻り組が与力、松ノ原 小鳥。只今参りました」

「寺社見廻り組が与力、白榊 夢久」

「武家見廻り組が与力、尾上 影忠」

「虚刀流九代目当主、錆 九散。御初にお目にかかります」

 

 九散が名乗る時に右から強い視線を感じたが為、まだ「市中見廻り組」とは言わなかった。悪くない判断だったと九散は自負している。すると御簾の向こうから感嘆の声が聞こえた。女の、まだ若い声だ。

 

「……ほぅ…お主がかの虚刀流の」

「ご存じで?」

「勿論だとも、将軍吉宗様から話は聞いている。日ノ本の国最強の流派だとな」

「御冗談を」

 

 ふ、と頭を上げた夢久が鼻で笑った。まるで見下すような言い方だ。

 

「有りもしない記録にも無い流派だというのに日ノ本最強を(かた)るとは……おこがましいにもほどがある」

「まったくですな、それにこの者はまだ年端もいかぬ生娘。いくら最強と騙る流派とは言えど、小娘如きでは話にはなるまい」

 

 続くように、厳格な態度はそのままに、夢久のような小馬鹿にした言い方ではなく心の底から疑う様に影忠が言う。

 

「しかし…語られざる偽りの歴史を正し、日ノ本最強であった錆 白兵を斃し見事その座を奪った鑢 七花の孫なのだろう? ならば、その実力は本物なのではないか」

「それはなりません蟲奉行様。親の七光りの様に、なんの実績も持たぬ小娘に蟲奉行所など到底勤まりませんよ」

「仮に、いくら流派が最強と言えど蟲の猛威を知らぬ者を蟲奉行所に務めさせてはなりませぬ。吉宗殿はああ言いましたが現場の過酷さを知る我らに、彼女の任命は受け入れられん」

 

 ――つまり、夢久と影忠の二人は九散の蟲奉行所への勤務を容認出来ないということだ。年齢は勿論のこと。市中見廻り組の紅一点である火鉢のように火薬や忍術に富んでいる訳でも無ければ、天間のように陰陽道など法力に恵まれている訳でも無い。筋肉の無さそうな細い腕は町の小娘となんら変わり無く、どちらかと言えばその美貌は遊郭の花魁が天職なのではないだろうか。そして何よりも金の髪に碧の瞳、日ノ本の国には無い大変珍しい容姿は良い方にも悪い方にも目立つ。かといって将軍吉宗公の勅命を反故するわけにもいかない。そこで蟲奉行所の全てを任されている蟲奉行様に直談判をしに来たのだ。

 因みに先日茶屋の前で起きた茶喰蚕(ちゃばみかいこ)宿蟲蜂(すみむしばち)の討伐はでまかせであって全ては無涯によって治められたのだと思っている。当然だろう、茶喰蚕一匹だけでも討伐には時間が掛かるにもかかわらず、ましてや数十匹を半刻と経たず跡形も無く消し去り、宿蟲蜂を雷で焼き殺したなんて妄言としか言いようがない。事象が事象だけに、二人には信じられなかった。それは現場に居合わせなかった小鳥も同様なのだが、仁兵衛や火鉢、春菊、そしてあの無涯までもが同じことを言ったのだ。上司である小鳥としては、彼等の言葉を信じる他ない。

 九散と小鳥が無言の中、夢久、影忠の二人による蟲奉行様説得の弁が続く。その間九散は涼しい顔のまま眼を閉じており、虚刀流や七花、否定姫、白兵を馬鹿にするようなことを言われても眉一つ動かすことが無い。その佇まいに小鳥は後のことを考えて滝のような冷や汗をかいた。勿論まだ会って数日ではあるが、九散の性格は小鳥も十分に理解している。主に怖いほうの。

 蟲奉行様もなお、九散の弁護に掛かるが常に現場で善戦を尽くしている二人に言い返す言葉が見当たらない。ふと、九散に声を掛けた。

 

「……錆、先程から何もしておらぬようだが、何か言いたいことはないか?」

「…そうですね、要するにお二方はわたくしの実力を見たことが無い。故に蟲奉行様の元でのお勤めは容認出来ない、ということですね」

「なんだ、わかっているではないか。ならばさっさとここから立ち去り、遊女にでもなっているのが幸せだ。お前も(おなご)、痛い思いをして傷物になりたくはないだろう?」

 

 くすくすと夢久はからかう様に言った。だがそんな言葉に動じること無く、九散は含んだ笑みを漏らしながら瞳を開いた。爛々と、妖しく輝く瞳を覗かせて。

 

「…蟲奉行様」

「なんだ」

「蟲奉行様は虚刀流をご存じ、と申しましたが実際に眼にしたことは無い。そうですね?」

「…うむ。刀を使わぬ剣術だと聞くが、(わらわ)は未だに見たことがない」

「では、わたくしめにこの難航している問題を一気に解決させる名案がございます」

「……九散君?」

 

 すく、と隣で立ち上がった九散を見て焦ったように肩を揺らした小鳥。こっそりと九散の顔を盗み見ると、それはそれはもう清々しすぎるくらいに晴れやか過ぎる笑顔を浮かべていてとても怖い。嫌な予感しかしない。

 

「これより蟲奉行所の見廻り組五つとわたくしで御前試合をしてみては如何でしょうか」

「!?」

「何を…!」

「(ええぇぇえぇぇぇぇ~…!?)」

「ほう…御前試合か」

「ええ。組の益荒男共が集い、尚武の心を取り戻し兵を鼓舞する撃剣の神楽でございます。わたくしの実力を計るのは勿論のこと、蟲奉行様がお抱えする益荒男共が如何ほどのものであるかを今一度お目にかかるのも、悪くはないのでは」

 

 これには夢久も影忠も反論出来ない。一本取られた、見事な手際だ。

 九散が提案したのは蟲奉行様に蟲奉行所の実力を見せるというものであり、それを拒否するということは蟲奉行様に組の実力を見せられない(やま)しい事情があるということに他ならない。

 

「組の内で与力を含めた最も強き者を一人輩出し、わたくしを含めた六名で御前試合を行いましょう。蟲奉行様は勿論、他の組の方々も観戦出来ます。当然ながら殺生は禁則で」

「なるほど…それは名案であるな」

「無論のことながら、武術でも剣術でも刀術でも妖術でも銃術でも法術でも何を用いようとも、(おの)が武勲を挙げられるのであれば如何様に用いても構いません」

「…勝算でもあるのか?」

 

 夢久は眉をひそめる。夢久が蟲退治において用いるのは銃や大砲といった火薬を武器にした銃火器。他の組とは違い(いくさ)で使われる兵器という斬新な発想が幸を奏し、いまでは蟲奉行所の組の中でも群を抜いて蟲討伐数を増やしている。だが銃術や砲術はあくまでも火薬に頼っただけであり、純粋な力という評価は得られない。凡夫だろうと一騎当千の剣客を撃ち殺すなど容易い兵器であるが故に、この御前試合では使えないと思っていたのだ。

 夢久の問いに九散は首を傾げる。

 

「夢久さんは砲術を用いて蟲を退治するのでしょう? 蟲退治に適正か不適正かを決する試合で、人間程度に苦戦していては話にならないでしょう」

「答えになってないな」

「銃や大砲など遠距離戦術はなにも人間のみならず種によっては蟲でも扱う筈。問題ありませんわ」

 

 問題無い。それはつまり九散にとって遠距離戦術は効かないということに他なら無い。誇張のようにも思えるその発言は、夢久を唸らせるには十分であった。

 

「…ふむ、わかった。ならば錆よ、妾にお主の実力を見せてくれ」

「畏まりました」

「白榊、尾上、松ノ原。異論は無いな」

「…ありません」

「是非も無し。わが武功、とくとご覧にいれましょう」

「……わかりました。こちらで他の組からも通達致します」

「頼むぞ」

 

 蟲奉行様の御前で武勲を挙げられるのならば断る組は皆無であろう。九散はそういった面も含めてこのような提案をしたのだ。

 あくどい。悪巧みは否定姫譲り、奇策はとがめ譲りと言ったところか。

 かくして、御前試合は決行される運びとなる。この時点で既に「寺社見廻り組」は夢久、「武家見廻り組」は影忠に決定しており、「市中見廻り組」は満場一致で無涯に決まった。残る枠は、二組。

 

 




本作は原作と多少流れがズレています
蟲奉行所重臣の二人と仁兵衛が出会うのは益荒大兜出現後になりますが、今回の話は益荒大兜が出る少し前の話です


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九太刀目

さてさて一日空けての投稿。今回はまさかのあの人が登場!?



 

 

 翌日。江戸町内に大盆と呼ばれる建築物が建てられた。一辺三尺(約一めぇとる)の正方形に削り取られた石畳が中央に敷き詰められ、直径十丈(約三十めぇとる)はあるであろう円形の敷地を取り囲むように、腰の高さほどの木製格子が打ち立てられている。割と簡素な造りなのはつい先日取り決められた神楽という名の御前試合の開催が決定したので急遽作られたものだからだ。当初、舞台の設置を一任されていた松ノ原 小鳥はあまりの人手不足と場所の見つからなさに困っていたところ、何処から聞きつけたのか、九散を出羽から江戸へ送った屈強で筋肉質な船員達に任せろと言われ、徹夜で四刻(約八時間)掛けてここまで仕上げたのである。資材はどこから持ってきたのだろうか。

 兎に角、ついでと言わんばかりに祭壇までこしらえ上座と下座まで丁寧に用意、観客がちゃんと入れるように敷地も設けてある。なぜ闘技場の部分が高いかと言われれば、なんでも有りの戦闘であると聞かされ飛び道具を使っても直線上にいる観客には当たらないようにと配慮されたからである。一見脳筋そうに見えて結構考えてる…と思ってはいけない、これは全て小鳥からの指示である。

 そして現在、大盆には江戸の町衆のほぼ全員が観客として集まってきている。なんでも、先日町内を大声で宣伝する大(うつ)けがいたとかなんとか。その観客の中には当然蟲奉行所にお勤めしている者達もおり、「市中見廻り組」の面々もいた。その内の一人、月島 仁兵衛は春から貰った団子を頬張りながら、いまかいまかと子供のように試合開始を待っていた。

 

「いや~、まさか蟲奉行様の企画で蟲奉行所精鋭のゴゼンジアイが見れるとは…まるで夢のようです!!」

「カカッ。まぁ無涯のダンナがささっとキメちまうんじゃねぇの? もしくは九散の嬢ちゃんか」

 

 酒の入った徳利を傾けながら、酒気で顔を赤く染めた恋川 春菊は笑い飛ばした。彼は九散の強さを間近で見ているのだ、そうそう敵う者はいないだろうと思っている。その横で酒の臭いに鼻を摘んだ火鉢が呆れた様な視線を向けた。

 

「月島…アンタ御前試合の発音しっかり言えてない。…ていうか、これがただの御前試合じゃないって知らないの?」

「……? 自分は特に何も…そもそも何で御前試合なんかするのでしょう?」

「…聞いた噂じゃ、蟲奉行所で九散の実力を疑う奴がいてそいつが九散の就任に待ったをかけたらしいわよ」

「………まぁ、あんなカッコじゃ…蟲退治なんて出来そうにないって思われちゃうよね…」

 

 小さい式神の紙を弄りながら、火鉢の隣にいた一ノ谷 天間が小声で言った。顔色が優れないのは普段味わうことのない人混みに酔ったからのようだ。その様子を見て冷えたおしぼりを頭に掛ける春も難しい顔をしている。

 

「確かに、錆殿は綺麗ですし同性の私でも惚てしまいそうで…」

「そっそうねっ! 金の髪とか碧の眼とか赤い唇とか……ア―――!!」

「何叫んでんだよ…ま、九散の嬢ちゃんにゃ蟲奉行所で蟲を相手にするよか、吉原で男相手にする方がイイけどな! 今回負けてそっち方面行くんだったら相手でもしてやるかね、いい躯してるしよォ」

「吉原? 男を相手にする…って、どういうコトでありましょうか?」

「おう、兄ちゃんントコは田舎だから無ぇんか。吉原ってのは江戸の…」

「恋川っ変なこと言ってんじゃないわよ!!」

「うぅ~…暑い…」

「大丈夫ですか……あ!! そろそろ始まるみたいですよ!」

 

 天間の看病の傍ら、春は大盆内に人が出て来たのを見かけた。その声に伴い雑談していた皆も注目する。

 すでに大盆に設置された祭壇には与力である小鳥や江戸に居住まう次期将軍・徳川 家重、他にも老中の方々が座っていた。上座には御簾(みすだれ)が掛けられた駕籠が鎮座しており、そこに蟲奉行様がいるのだろう。すると、祭壇の傍らから法衣を着て顔を黒い布で隠した男が現れた。大盆の中央に来るなり、恐らく審判か祭事なのだろう。男が現れるなり皆静まりかえり、それを見かねた男は大きく息を吸い、詠った。

 

【BGM:『Einherjar Rubedo』】

 

「掛けまくも(かしこ)き吾が皇の大前に畏み(もう)さく

 御世 神州に化外有りて月日佐麻弥(ひさむね)病臥(やみこや)せり

 故是(かれここ)を以って益荒男に事議(ことはか)りて惟恐

 吾が皇の大前を(いつ)き奉りて蒼生(あおひとくさ)を恵み給う

 恩頼(みたま)を乞い祈奉(のみまつ)らむとして 今日の吉日(よきひ) 吉時(よきとき)こそば

 神州に礼代(いやしろ)(みてぐら)を捧げ待ちて 恐み恐み称辞(たたえ)寛え 奉らしむなり」

 

 流暢な祝詞(のりと)だった。男の声だと思っても侮れない、詠い上げれば上げるほど、言の葉を紡げば紡ぐほど、大盆内の空気が浄化され、神聖化されていく。観客側の敷地にいた天間はその祝詞を聞いて眼を見開いた。祝詞に込められた法力が尋常ではないのだ。ただ法力とは攻撃性の無いものは術者でも無ければ感知しにくい。それに気付いてか、大盆の端で待機していた九散はその声を聞いて微かに眼を細めた。

 

「掛けまくも畏き皇

 ()(さま)を平らける安らけく聞こえし召して

 御国が悩む病を速やかに直し給い 癒し合い 堅盤(かきわ)常盤(ときわ)に命長く

 夜守(よもり)日守(ひもり)に守り給い(さきわ)い給えと畏み畏みもうす」

 

 祝詞が終わり、男が上座を見上げる。上座の駕籠にいた蟲奉行様は小さく頷き応えた。

 

「では御組の益荒男共よ、でませェいィィィ!」

 

 先程とは打って変わり、空気を裂くような一喝を放つ。それは開戦の狼煙だ。その声に応じるように、大盆の端で待機していた代表()()が一斉に中央へと躍り出た。観客が注目する中でも一際、九散への視線が多い。

 

「おお…とんだ別嬪さんじゃねぇか」

「馬鹿言え、異人紛いだぞ見ろあの髪と眼!」

「だが俺の嫁よかええわ…あ、済まん冗談だ冗談真に受けんなよ痛ェって!!」

「おい嬢ちゃん、そんな試合なんかより俺等と遊ばねぇかい!」

 

 やはり九散の美貌は日ノ本の者からすれば常人離れしているとは言えど、絢爛豪華な着物を押し上げる豊満な胸とそそるような流線型を描く(くび)れた腰、黄金律とも言えよう整った顔は眼を惹く。その歓声を予想してか、九散は花のような笑みを浮かべて会釈する。それだけでも絵になるのか、男の衆女の衆両方の黄色い歓声が聞こえた。そして次に注目するは、

 

「おぉ~あれこそがァ~、我ら歌舞伎一座の千両役者ァ無涯のダンナだァ――!!」

「キャー無涯様! 今日も凛々しい!!」

「おぅ無涯の旦那、今日は人間相手だがいっちょひねらしておくんな!!」

「無涯殿ォー気合い入れて下さァ――い!!」

「バッキャロウ、江戸最強の無涯に敵う奴なんざいねぇだろう!!」

 

 仏頂面の無涯だった。どの歓声にも応じること無く、『塵外刀』を持ちながら黙って歩くという――普通の人ならばいちゃもんのひとつでも付けられるような態度だが、無涯に限ってはそれこそが最強たらしめる強者の佇まいであると皆が理解している。故に、目前の敵を見据える眼に惚れる女子(おなご)も少なくない。

 

「おぉ…「寺社見廻り組」の白榊(しらさかき)様だ!!」

「「武家見廻り組」の『剛剣』影忠(かげただ)殿もいるぞ!!」

「おいおいおい…こいつぁ蟲奉行所の最高戦力総結集じゃねぇか!」

「こんな光景滅多にお目にかかれねぇぞ!?」

 

 二人の武功は江戸町でも遺憾なく知れ渡っている。特に与力であるが――否、だからこそ(おの)が力を誇示している二人、小鳥のように奥手な与力ではない。そして最後に、

 

「いやぁ~ドーモドーモ。へへっ」

 

 五人目、これがまた意外だった。五人目として大盆の中央へと歩むのは、腰の木刀に紺色の胴衣というまともな出で立ちではあるが、何を勘違いしてか観客の奇異な視線を注目の的、正にこの御前試合の台風の目だと自覚して陽気に手を振っている。その様子に下座にいた家重が眉を釣り上げた。

 

「……おい与力、あいつは誰だ?」

「…出羽の天童将棋村にある道場、心王一鞘流の十四代目現当主の汽口(きぐち) 慚愧(ざんき)殿だ。本名は坂上…刀利(とーり)だったかな?」

「聞いたことがあるな。たしか以前死刑間近に迫った極悪人を更正して見せたとかなんとか」

「そう、どんな人間だろうと道場に受け入れる懐の広さと活人剣術は見事なものだと聞くよ。そして先日――今回の神楽、御前試合の代表として輩出された「公家見廻り組」と「関八州見廻り組」の二つを破ったそうだ」

「何だと!?」

 

 これには家重も驚いた。「公家見廻り組」と「関八州見廻り組」の中での代表格は無涯ほどではないにしろ、いずれも相当の実力者であることは相違ない。それを同時に相手取り、ものの見事に勝ち取った慚愧の実力は嘘では無いのだろう。

 

「…で、代表倒しちゃったから代わりに出ているんだよ。というか、それが目的で二人を倒したらしいけどね」

「なぜそんなことを?」

「おぉ、よく聞いてくれたねそこの二枚目!」

「「!」」

 

 こちらの会話が聞こえたのか、大盆の中央へと歩んでいた筈の慚愧は足を止めてこちらを振り返ってニヤニヤしていた。地獄耳か。

 

「そう…僕がこの御前試合に出たには理由がある……そう、九散さんだ!!」

「なんだって?」

「九散君…?」

「………」

 

 おい、どういうことだ…と観客内でざわめきが生まれる。誰もが訝しげな視線を投げかける中、唯一呼ばれている張本人の九散だけは涼しい顔をして歩んでいた。

 

「この御前試合…聞くに、九散さんが蟲奉行所でお勤めさせるかどうか力量を見定める為の神楽だそうだ。―――その通り、僕も彼女が蟲奉行所に入るのは反対だ!!」

 

 派手な効果音でも背景に付きそうな格好と大振りな動作で慚愧は演説してみせる。自己陶酔に浸った傾奇者のようだ。

 

「彼女は口では勝てな――じゃない、硬いから…そう、頑固者なんだ。だから御前試合っていう武士(もののふ)の実力をはっきりさせるにはうってつけの舞台で引導を渡してあげるよ!!」

 

 腰の木刀を抜き放ち、まるで宣戦布告でもするように言葉を叩き付けた。その益荒男振りに観客達も沸き上がり、誰もが慚愧を讃え、激励の声を掛けた。

 

「(…くくくくく、今に見てろよ錆 九散、この御前試合で地面に這いつくばらせて負かして、あとで俺のヌキヌキポンの餌食にしてやンよ。その為にお前に船で流されてから一回もヌいてねぇ…つまりだ、つまりだぜ? 俺の精力は溜まりに溜まってンだよ!! 一晩掛けてじっくり調教して俺好みの女に仕立て上げてやるぜ…グヘヘヘヘヘヘェェェ…)」

 

 かっこいいこと言っといて中身は真性の下種だった。そう、彼が御前試合への参加を希望し「公家見廻り組」と「関八州見廻り組」の代表を破ったのは他でもない、九散が狙いだ。どこから聞いたのか、蟲奉行所にお勤めにならなければ遊郭で働くのだと勘違いしたらしい慚愧は御前試合で己が直々に手を下せば九散を我がものに出来るのではと思った。その瞬間、慚愧の中で幼い頃から九散にパシリの如く使い回されて影で恨み言を吐きつつ、それを聞かれて更にしごかれた苦渋の過去が蘇り「これって下克上じゃね」と考え、今に至る。

 一瞬不穏な空気を感じ取った祭事の男は全員が大盆の配置に付くのを確認すると大きく咳払いをする。それにより盛り上がっていた大盆は静まりかえり、代表者各々も準備を進めた。

 

「ではこれより、御前試合による神楽を始める。各人、名乗り給え」

 

 顔を隠した男の手が九散を指す。それを視界の端に捉えた九散は息を吸った。

 

「虚刀流九代目当主十二使刀(じゅうにしと)流が開祖、錆―――」

 

 ―――突如、鈍い轟音。

 九散が己の名前を言おうとしたがそれは赦されず、突如左肩を打ち据えた感覚と共に発声は防がれ、叩き付けられた衝撃で大盆に土煙が舞った。何が起きたのか分からず観客、そして夢久と影忠、祭壇にいた者達、無涯を除いた全員が眼を見開いた。その中で唯一動じない――否、張本人である慚愧は土煙舞う光景を見て、手応えを感じた木刀を振りかざし哄笑した。

 

「ははははははははははははははははははははははははは! ――開始の合図? 対戦相手? 知らぬ知らぬ聞こえぬ見えん! 此処を何処だと心得ている!? 戦場であろう、死に場所であろう、命を賭して武心を燃やす、晴れの舞台であろうがよ! そうした場に立ちながら油断だ卑怯だ笑止千万! 九散も他愛無いなぁオイ!!」

 

 完全なる不意打ち。まだ開始の合図もしていないで、そして九散の完全な意識外からの奇襲。慚愧はこの一瞬、この一撃に全てを籠めていた。この奇襲はまずもって避けられなければ防がれないと確信していたのだ。蟲の侵略によって出羽に来た薩摩の連中の内、島津と名乗る武士一家がおり心王一鞘流の道場の傍ら、彼等から剣術を教えて貰っていたのだ。中には組み手甲冑術とかいうえげつないものもあったが、何よりも全身全霊乾坤一擲の一撃というものを放つ剣術は魅力的だった。

 土煙からは九散が動く気配すら無い。それはそうだろう、回避も防御もない、反応不可能な状況下で打たれた一撃だ。いくら九散と言えど、起き上がることはできない。

 

「ま、所詮九散も武士以前に女でしかなかったってこったァ。安心しろよ御三方、もうこんな茶番おしまいにしようぜ。九散はたっぷり女に仕立て上げてやっからよォ」

「―――卑怯だぞ!!!!」

 

 慣れた手つきで木刀を腰に差し戻して硬直している無涯、夢久、影忠を尻目に九散回収へ向かおうとしていると、静寂の中で糾弾の声が慚愧に突き刺さる。かなり遠い所からの声の筈なのに、鼓膜を破るような声。振り返ると観客の中で唯一こちらを睨み付けて怒りに燃える男が見えた。仁兵衛だ。

 

「試合開始の合図も無しに不意打ちなんて、なんたる愚行!! 武士とは正々堂々と戦う者!! 自分の親父殿はそう言っていた!!」

「五月蠅っ……あの距離でよくこんな聞こえるなぁ…」

「そうね、あの子は元気が取り柄みたいだから」

「「市中見廻り組」だったっけ……って、え?」

 

 耳元で聞こえる声の主は誰だ? それは一瞬にして結論に達し、信じたくないけど疑いようもない事実を確かめるべく大量の冷や汗を掻きながら振り向く。

 

「私を女と、侮ったわね」

 

 五体満足な九散の手が伸び、慚愧の頭と股間を掴み握り締めた。上と下を同時に、しかも強烈な痛みが全身を駆け巡り慚愧は顔面蒼白になり、指の隙間から見える九散の悪意に満ちた笑みに戦慄した。

 

「ねぇ、この世で男が強いって…誰が決めたのかしらね」

「さ…さぁ誰だろう~……」

「そうね、誰が決めた訳でも無いわ。でもおいそれと決めつけるものでも無いわよね。そうよね? 変態」

 

 ギリギリと掴む手に力が掛かる。性欲に埋め尽くされた頭と男の象徴が万力に掛けられているようだ。慚愧の喉から情けない悲鳴が聞こえる度に、大盆にいた男性全員が股間を押さえる。男にしか分からない痛みだ。

 

「変態…あなたもしかして私を斃した挙げ句犯そうなんて考えた? まさかそんな…ねぇ」

「ええそうです考えてもいませんだから僕のヌキヌキポン握らないで締め上げないでそんなんじゃ興奮しないからやめてやめてマジごめんなさい!!」

「そうね……今回はほんの出来心だったのかもしれないわね」

 

 赦してくれそうな雰囲気が漂い慚愧はほっと一安心の溜息をついた。だがその安堵とは裏腹に、絶えず送られる激痛がどんどん増していく。過去最悪の危険値を打ち出した。

 

「ああああああああの九散さん!? ななななななんかまままだ手が離れてないどっこっろかっっっ痛みがあぁぁぁぁ!! 増してるような気がしないでもおおおおおおおおぉぉぉぉぉ!!??!!??」

「ええ。今回はコレで許してあげるわ」

 

 ぷちゅん。さくらんぼが潰れたような音がした。大盆にいた男の衆全員が真っ青になる。なんてことしたんだ。

 その音と共に口から泡を吹き気絶した慚愧は九散が弛めた握力によって重力に従い落ちていく。だがそれを九散が許す筈もなく、戦闘ではおおよそ向いていない下駄を跳ね上げて慚愧の股間を蹴り、落ちては蹴りを繰り返して最終的に頭から落ちた慚愧の無防備な背中を蹴鞠のように蹴り飛ばし、大盆を取り囲んでいた観客の頭上を滑空して江戸湊の海に落ちた。

 一仕事終わったとばかりに満足そうな笑顔を浮かべ、仕切り直しと言わんばかりに拍手をして九散は笑顔を浮かべる。

 

「あらあらさて、私を侮るとああなるから―――本気で来てね?」

 

 

 

 

 




てなわけで、試合開始。あれ…パシリ? 知らん、そんなのは俺の管轄外だ
まぁ今回戦闘でブァーっと血の雨でも降らせる予定だったんですがいつのまにかパシリの息子喪失に…どうしてこうなった
…まぁ、ノリだね!! そもそもパシリは登場予定なかったんだからいいよね!! もう本当に出てこないけど!!
もう一度言う、ど う し て こ う な っ た(大切なことだから二回言いました)


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十太刀目

どうもどうも、前回のおふざけはさておき試合開始です
しかしどうやら一日でこの御前試合を書ききるには無理があった…か?


【BGM:唯我変生魔羅之理】

 

 

 ―――駆ける。掛ける。賭ける。

 足早に、迅速に、一瞬に。その全てを(もっ)てして、白榊(しらさかき) 夢久(ゆめひさ)は駈け抜けた。大虚けの変態に先を越されて固まってはいたものの、九散の宣戦布告とも言える一言は夢久の戦意を駆り立てるには十分だった。同時に、夢久の中で九散に対する認識を改める。

 

「(フン…確かにそうだ、此処が戦場である以上女子供に容赦はしない)」

 

 なかなか衝撃的な第一陣ではあったが、夢久の眼を覚ますには十分だった。慚愧(ざんき)の一撃は見事也、だがしかし九散はその一撃を無防備に受け止めた筈だが骨折は愚か脱臼――否、痣の一つも見当たらない。つまりは、無傷。

 

「(妖しき妖術か、それとも法術か? いずれにせよ―――)」

 

 走りにはおおよそ適していないように見える着物を、舞うように扱うことで駆ける速度を昇華させる。これが夢久が対蟲戦において鍛え上げられた夢久の技能だ。その速度はこの場で誰よりも速く、そして鋭かった。初期動作から全速力への移行においては随一と言えるだろう、それは退治する蟲の急所に銃弾を当てやすくするため。そして今回は、

 

「我が愛銃『叢雲(むらくも)』改良型を喰らえぃ!!」

 

 人間に放つ。銃を人に向けるなんて久方ぶりではあるが、生態系の特定が初見では難しい蟲より人体急所は把握している。主に体の中央に沿い、頭・鼻・顎・頚椎・心臓・水月など。そして致命傷には至らなくとも急所と言えるのはこめかみ・左脇・膝頭など。当然、定めるは胸の中央。中央に狙いを定めれば、反動が掛かり銃身が跳ね上がったところで頭部へ直撃する。九散がどの方向へ逃げようとも、胸を中心とした体の何処かには必ず当たる。つまり、この時点では絶対不可避の攻撃ということに他ならない。そして、引き金を引く。

 どん、どん、どん。

 三連続発射。それがこの時代における銃においていかに特殊であるか知れよう。全てが全て、まるで吸い込まれるように放たれた銃弾は妖しく笑う九散へと向かった。だがしかし、

 

「――他愛無いわ」

 

 鎧袖一触。袖の一払いに終わった。

 その光景は正に鎧の袖とも言えよう、人間の眼では捉えることすら敵わない速度で吐き出された銃弾はしかし、九散が気まぐれと言わんばかりに振った袖によって搦め捕られ、薙ぎ払われた。風によって凪いだ袖からは、ぽろぽろと放たれた筈の銃弾が溢れ、地に落ちる。

 

「その程度、この我が予想せんと思うてか!!」

「!」

 

 突如、九散の視界が何かによって遮られた。

 扇子だ。駆け込んだと同時に銃を構えて見せて注目させ、夢久は豪華な着物によって隠れた左手を後ろ手に構え扇子を前方上空へ投擲した。九散の視線が迫り来る夢久を捉えていたが為に、己の上空からはらりはらりと落ちてくる扇子の存在に気付かなかった。

 落ちた扇子が九散の視界を遮るのは一瞬。だがその一瞬が命取りであり、同時に十分過ぎた。

 

「覚悟はいいな」

「!」

「容赦はせんぞ」

 

 目の前。まさかの目の前に無精髭を生やした大男が上段に鉈を構えていた。そして背後から鋭利な斬撃の気配を感じる。尾上 影忠(かげただ)と夢久だ。イの一番に切り込み隊長として駆けた夢久の策略に気付いた影忠は己の内に眠る戦意を叩き起こし、闘志を全身に漲らせた。市井百姓では到底到達できないであろう武の極地に至っている影忠の筋肉は蟲との力比べを臨めるほど大きく、そして強靱に発達している。全身の筋肉を蠕動させ、鞘ではなく布に巻かれている大鉈を抜き放った。そして時期を見計らい一気に駆け込み、上段に大鉈を構える。そして九散の直前で止まる制動力からの反発力、駆け込みからの慣性、己の持ち得る筋力という爆発的な力を解き放ち、九散へと叩き込む。

 時同じく、扇子によって視界を防ぐことを見据えた夢久は旋回し九散の背後へ至近距離に回り込む。至近距離では遠距離戦術の要である銃は役に立たない。故に、九散も夢久は遠距離からじわじわと攻める戦法に走るのかと思っていた。そう思うだろうと既に予測していた夢久は、嘲るように至近距離で九散の背後を取り、そして銃刀を槍の様に突き付ける。

 そう、銃()。後の世でこの日ノ本の国に降り掛かる二番目の戦争においても多用されていたものだ。銃の先端に、銃身に沿って刀を当て、固定し、遠距離武装でありながら近距離で人を討つ兵器へと改良したものである。進言したのは影忠だ。だから、『叢雲』()()()

 前方と後方からの挟撃。普通であれば左右へ逃げられるがオチなのだろうが、不幸にも九散は構えを取っていないがこちらへと歩んでいたが為に、足が前後に開いていたのだ。故に左右への移動はこの時、この一瞬だけ不可能である。

 

「乾 坤 一 擲 ――一握の 剣」

「優 美 華 麗 ――朗詠(ろいえい)の舞」

 

 『斬る』ことではなく『潰す』ことに特化した大鉈と、的確に脊椎急所を狙う太刀の突きが九散に炸裂する。たとえ相手が強固な殻に覆われた蟲であろうとも一撃で瀕死に至る衝撃が九散の体を駆け抜け、特に上方から掛かる重力の何倍もの圧力が九散の足場の石畳を()()した。

 

「―――お見事、と褒め称えるには少々足りないかしら」

「なんッ…!?」

「馬鹿な――!?」

 

 だが、九散は斃れなかった。凡夫であれば確実に死に瀕しているであろう一撃を、前後に伸ばした腕で受け止めていた。

 大鉈は真綿で包み込むように、親指と人差し指の間に刃を滑り込ませて。

 銃刀の先は壁のように、手のひらで銃刀に対して完璧なる垂直面を維持して。

 たかだかそれだけで受け止めたことに二人は驚愕を禁じ得ない。それは観客も同じくあんぐりと口を開けていた。唯一、無涯は九散の一挙一投足を見逃さぬよう眼を細め、御簾にいた蟲奉行様はほう、と感嘆の息を漏らした。

 

不効(きかず)――効かぬこと『(よろい)』の如し」

 

 瞬間、夢久と影忠は目の前で巨漢の鎧武者が刀を抑えている様を幻視した。

 完成系変体刀十二本が一振り、賊刀『鎧』。完成系変体刀の中で最も防御面において突出した刀だ。当時その様は刀というよりも西洋甲冑のそれと酷似しており、かつて薩摩にいた海賊頭領・校倉 必が所持していた。旧将軍――この日ノ本における天下統一を初めて行った雑兵関白――が賊刀『鎧』の蒐集に挙兵したが、乱世を乗り越えた屈強な軍隊は敗残の一途を辿り、三年間のうちに十二回連続で奪取に失敗した。つまり、文字通り一騎当千の力を持つ。その刀を体現した九散に、やれ大鉈だの銃刀だの奇をてらった戦力が通ずるだろうか。

 

「もう終わり? なら、こちらからも行こうかしら」

 

 くすりと見惚れるような微笑みを浮かべ、大鉈を抑えていた手を離し影忠の前に差し出すと、手刀を高々と掲げる。それは先程影忠が九散へと構えた上段の構え。

 そして、振り下ろす。

 

不浮(うかず)――浮かぬこと『(かなづち)』の如し」

「ぐ――うううぅぅっ!!!!」

 

 得体の知れない危険信号が影忠の全身を走り、全身全霊を以て大鉈で防御に入った。避ける隙はなく、かといって受け止められる子遊びの手刀とは訳が違う。受け止め切れるものではない、そうは分かってても刀を持っているならば己の力を信じて応戦しないわけにはいかない。

 

「ッ、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」

 

 腕が軋む。大鉈を掴む手が悲鳴を上げる。それに応えるように吼える。

 押し返してもぴくりとも動かない。迫り来るは乙女の細腕なのに、影忠には落下してくる大岩のように感じられた。みしみしと大鉈に罅が入るのが見える。それは恐らく影忠にとっては何十分もの力比べだっただろう、しかし現実では数秒にも下らない一時(ひととき)。ばりん、という音と共に影忠の大鉈は破壊され、圧倒的重量を纏った手刀が影忠の頭を直撃する。

 

「っく、お前の思い通りにはさせんぞォォォォッォォ!!」

 

 だが九散の手刀が影忠の頭蓋を砕き、脳漿をぶちまけるという惨状に至るよりも速く、夢久の愛銃『叢雲』が火を噴いた。九散が影忠へ仕掛けた時で既に『叢雲』の拘束は解かれ、影忠が持ちこたえたほんの数秒間は九散に狙いを定めるには十分だった。

 『叢雲』。その名が冠するは、三種の神器が一つ『天叢雲剣』に他ならない。だが、

 

不斬(きらず)――斬らぬこと『(じゅう)』の如し」

 

 所詮は名を借りただけの贋作。振り下ろしていた手刀は解かれ、瞬時に薬指・小指の二指を丸め込んで人差し指・中指を突き出してはばん、ばん、ばんと銃声を鳴らし、『叢雲』の銃弾を全て撃ち落とした。

 完成系変体刀十二本が一振り、炎刀『銃』。もはや完成系変体刀内に刀ってあるのに刀じゃないという理論は存在しない。中でも刀のように『斬る』という特性を失いかつ殺傷性のある刀に仕立て上げたのがこの炎刀『銃』だ。それは回転式連発拳銃と自動式連発拳銃という二対一組の刀であるが、九散が体現した炎刀『銃』はわざわざそんな区別なんかしない。曰く、

 

「回転式連発…と、自動式連発? なぁにそれ、銃ってわざわざそんな区別をしなくちゃいけないの? 連射性? 速射性? 正確性? そんなの全部あればそれでいいじゃない」

 

 後の世で銃を開発し発展に切磋琢磨する連中に謝れと言いたくなる一言だが、まさにそうだ。銃は金属という固定化した器によって銃撃による衝撃からなる破損を防止する。速射性の高い銃、連射性の高い銃、戦場によって適した銃を持てば問題無いだろうが、不足の事態が起こる場こそ戦場なのである。故に、九散は連射性、速射性、正確性の向上を指三本で為し得た。いや、親指は完全に飾りでしかないのだが。

 九散の『銃』は実弾がない。だが常人の目にも映らぬ速度で指を前後させることによって指先に漂う空気を弾いている。これにより、気弾を形成した弾はもはや銃弾と遜色のない威力を持つ―――と九散は思っている。だが実際には少々異なり、空気云々もあるのだがそれ以前に、九散は指先から無自覚に放出された法力を籠めているのだ。法力とは仏教用語であり神道では神通力とも呼ばれているが、西洋で言い換えれば『魔法』に近しいものだろう。

 九散の父、錆 灰徒(はいど)。彼は生まれ持っての京の陰陽師負けの膨大な法力を持っている。ひとたび腕を振れば何も無いところから水が溢れ、柄を握るように持てば水が刀を型取り、天を指せば雷が降り注ぎ、手を仰げば突風を巻き起こす。どこぞの仙人も平安以来見たことが無い膨大な法力を持つ男の娘とあらば必然、生まれ持っての法力の容量は計り知れない。

 法力を纏った不可視の銃弾が相殺する。だがもう何が起きても驚かないと腹をくくっていた夢久は取り乱すことなく『叢雲』によって牽制を入れつつ銃刀で突く。九散も斬らずに撃ち抜く『銃』で応戦しながら、ひらりひらりと銃刀によって繰り出される突きを躱す。そして、

 

「ぐっ…!!」

「これで、もう抜けないわね」

 

 複雑に、幾重にも重なった九散の衣が銃刀を搦め捕る。余した右の振り袖によって搦め捕られた『叢雲』は引き抜くことも押し切ることも出来ない。夢久は肩で息をしながら奥歯を噛み締めた。

 

「くっ――このままで終わって…たまるかあああああああぁぁ!!」

「――あら」

 

 夢久は『叢雲』に施された拘束を解く。その拘束は改良型と名付けた所以(ゆえん)である刀の固定具。最後に一矢報いるべく、夢久は奥の手を使い銃と刀を切り離した。これにより九散の衣による拘束を解かれた『叢雲』は解放され、九散が驚くのをよそに夢久が『叢雲』の銃口を突き付ける。そして満身創痍でも忘れることなく扇子を片手に、舞った。

 

「優 美 華 麗 ――催馬楽(さいばら)の舞!!」

 

 総弾数八発を一気に放つ。くしくもその銃弾は九散へと命中する線であり、これは決まったかと観客達も手に汗握り歓声をあげた。が、

 

不斬(きらず)――斬らぬこと『(じゅう)』の如し」

 

 ――斃れたのは、夢久だった。

 致命傷にこそ至っていないものの、豪華な夢久の着物を血が濡らし怪我を負っているのは誰が見ても明らかだった。

 

「くぅ……貴様…手加減したな」

 

 穿たれた弾の数は夢久が放った八発。九散は夢久の銃口から放たれた銃弾の全てを捉え、その(ことごと)くを『銃』によって貫通させていたのだ。だが先程までは相殺に終わっていた。それは何故か。

 

「……なる、ほどな…貴様は我の一発に対し、二発撃っていたのか……」

「花丸」

 

 もはやこの時点で生身で銃を撃てるなんて突っ込みはしない。九散は己の行動を看破して見せた夢久に花丸を送った。純粋に凄い、と思えたのだ。当然九散の『銃』の体現は弾切れが無いことと見えないこと。それは銃弾そのものでもあるが同時に九散の発射態勢、構えを見抜かれないということでもある。

 確かに九散は過去、ここまで銃撃戦を繰り広げた益荒男はいない。同時に、九散の『鎚』の力に数秒でも耐え抜いた益荒男もいなかった。夢久と影忠、彼等は市井百姓の凡夫としての域を踏み越えた益荒男達なのだ。その実力に嘘偽りが無いことは戦いを通して伝わった。

 同時に、女子(おなご)だといっても容赦無く戦った夢久と影忠も九散の強さを認めた。二人とも、己を地に伏せたのは紛れもなく九散によるものなのであり、虚刀流――否、九散の実力は蟲奉行でお勤めを果たすには充分だと理解した。

 だが、

 

「あらあら、それでは最後と致しましょうか」

「……ああ、そうだな」

 

 戦いが終わった訳ではない。

 既に三人の戦闘によって荒れた大盆には二人しかない。審判役を務める顔を隠した男が負傷した二人を担いで大盆の外へ運んでおり治療も受けている。いままで手を出していなかった無涯はいつもと変わらず、冷めた眼差しで九散を見据えながら、しかし己の内に込み上げてくる闘志の炎を燻らせていた。戦闘を行った張本人である九散は無傷、そして夢久と影忠によって事前に手を出すなと忠告されずっと三人の戦闘を避けていた無涯も流れ弾を喰らうことなく無傷。つまり、事実上万全の状態で九散と無涯の一騎討ちが為されるのだ。それが自然と読み取れた観客は静まり返り、あの仁兵衛でさえも固唾を呑んで食い入るように見ている。

 

「虚刀流九代目当主、十二使刀流が開祖……いいえ」

 

 九散は口上を述べるのを止めて祭壇を見る、上座には蟲奉行様、下座には上司である小鳥と、そして治療を終えた夢久と影忠がいた。視線を投げかけると、御簾の向こうで蟲奉行様が小さく頷き、小鳥が微笑み、夢久と影忠が肩を揺らして苦笑しているのが見て取れた。無涯に向き直るとはやくしろ、と眼が催促を語っていた。九散は満足げに息をつき、口を開く。

 

「―――蟲奉行所市中見廻り組が同心・錆 九散、参る!!」

「同じく、蟲奉行所市中見廻り組が同心・無涯、行くぞ!!」

 

 そして、最後の神楽が幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 




さてさていよいよ神楽も大詰め
九散対無涯、勝利の栄光は、蟲奉行所最強の頂は誰の手に―――ということで、いつになく本気の戦闘シーン如何でしたか?
個人的には割と短くて呆気ない…(ごめんなさい)感が漂ってます。こんなんで次回の撃剣の神楽描けるかなぁ

因みにこの流れだと「これ最終回じゃね」って思う方もいるでしょう。自分もその内の一人です
しかし!! 残念でした、まだまだ終わりません!! まだまだ短編の癖に連載しますので、どうぞよろしくお願いします


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十一太刀目

三日間も投稿出来なくてごめんなさい!!
いやぁ…新作ゲームが来まして……じゃなくて、土曜は友人との集まり会、日曜は半日バイトって感じで大変だったんですよ!
そのせいでゲームが出来なかった…!! はやく攻略したいのにぃー
それでは、どうぞ




 両者は地を蹴った。石畳をへこませるには些か弱い踏み込みであるが、それとは対照的に両者の速度は尋常ではない。あっという間に大盆の中央で両者は肉薄する。上段から無涯が『塵外刀』を振り下ろし、下段から掬い上げるように九散の手刀と交差した。

 ガキンっ、とおおよそ人体と衝突した時に発する音ではない金属音が鳴り響き、両者は再び距離を取る。

 

「(……先程の奴の防御…)」

 

 無涯は再び駆けだしながら、九散が先刻見せた夢久と影忠との戦闘を振り返る。

 

「(……いくら何でも何の仕掛けも無しに全てを無傷で捌き切ったとは考えにくい…とすれば……)」

 

 無涯は九散と一合、二合、三合と剣撃をぶつけ合う。時に九散の魔手とも呼べよう二振りの手刀を凌ぎ、時に隙を突いて九散の懐へ太刀を叩き込む。その全てがすべてぶつかり合い、速度は瞬時にして音を超え始めた。無涯は九散の猛撃に拮抗しながら思い出す。九散が防御したそのときを。

 

「(あの時たしか―――)」

 

 第一陣、慚愧(ざんき)の不意打ちを受けた時。九散は碌な防御態勢を取っていなかったにも関わらず粉塵舞う中、生還していた。第二陣、前後からの挟撃を喰らい足場が崩れはしたものの九散は無傷で受け止めていた。この二つの共通点は、九散自身ではなくむしろその周囲――。

 

「(そういうことか)」

 

 二つの異なる状況と結果は無涯の仮説を僅かながら裏付けた。まだこれから行うことが通用するかは分からないが、試してみる価値はあるだろう。故に、無涯は即座に実行した。

 

 ―じ ゃ ら ら ら ら ら ら ら ら ら ら ら ら !!

 

「持ち手が…!」

 

 交戦中、突如『塵外刀』の長い柄が分裂したことに九散は警戒心を抱いた。なるほど、柄が普通の刀と違って長めに設計されていたのはそういう使い方をすることも出来るのか。ばらばらに崩れた柄の中心部には、数珠のように連なった鎖が繋がれていた。それによって中距離戦闘も可能にしている。そして今回は。

 

「!」

 

 柄の一番先を、石畳に突き刺した。否、正確には満遍なく敷き詰められた石畳と石畳の隙間。同時にそれは九散の足場でもある。

 ガクンっ。突如、九散が乗っていた足場の石畳が揺れた。九散の攻め手を防ぎつつ足を使って柄を撃ち込み、まるで梃子の様に踏み抜くと石畳が大盆の地から離れた。九散の表情が強張る。

 

「しまっ――」

「喰らえ」

 

 足場が崩れ体勢を崩した所に無涯の『塵外刀』が迫る。狙うは、左脇。人体の中でも限りなく心臓に近いそこは強打しただけでも大きな痛手を負う。咄嗟にそう判断した九散は勢いに任せて左肘を垂直に下ろした。

 

不折(おれず)――折れぬこと『(かんな)』の如し!」

 

 その目的は刀の腹への肘鉄――ではなく、肘による『塵外刀』からの防御であった。いつになく切羽詰まった口調で祝詞(のりと)を詠い上げ、無事『塵外刀』を受け止めた九散はそれでも無涯の腕力には敵わず、そのまま吹き飛ばされてしまった。

 

「――く、」

 

 ほんの少し顔を歪めながら、九散は空中で一回転しながらなんとか体勢を維持し、大盆の淵ぎりぎりで着地した。表情こそ歪んでいるが、そこには苦渋と歓喜が混濁していた。

 観客も観客で、あの九散を吹き飛ばしたという事実に驚きを隠せなかった。

 

「やはりな」

「あら、あら……鋭いのね」

 

 九散が防御に使った左肘に横一閃の斬り込みが刻まれており、ツーッと血が垂れていた。つまり、看破されたのだ。九散の絶対防御を。

 

「からくりが分かればどうということはない。お前の『(よろい)』は単なる防御ではなく、衝撃の伝播だったんだな」

「ご明察。花丸よ、無涯君」

 

 そう、九散が体現した完成系十二本が一振り賊刀『鎧』には――いまだ改善仕切れない弱点が存在する。それは七花が二度目に対戦したときにもこの弱点を突かれたのだが、賊刀『鎧』は空中では扱えないのだ。賊刀『鎧』の力は完全なる絶対防御。だがそれはありとあらゆる貴金属を駆使したところで実現することは敵わず、ただ衝撃を受け止めるのではなく受け流すことで絶対防御を維持した。それは九散の戦闘でも見て分かる通り、慚愧の木刀による攻撃は文字通り九散の足場を砕いた。だがそれは九散がその攻撃を受けていたからではなく、足下の石畳へと衝撃を伝播させていたからである。影忠の大鉈と夢久の刺突においてもそれは遺憾なく発揮され、無事な石畳を足場にしていただけに衝撃を逃がすには十分であり、九散へと降り注ぐ衝撃はすべて石畳へと伝播された。故に、足場を無くされては衝撃を逃がす場所が存在せず九散は先程のように吹き飛ばされてしまった。もし、九散が判断を誤り『鎧』を体現していた場合――外部へ放出される筈だった衝撃は体の皮膚外装で反射して体内を蹂躙していただろう。

 だが九散も転んでもただでは起きない。その賊刀『鎧』の下位互換とも言える、折れない刀こと絶刀『鉋』。完成系変体刀十二本が一振りの中でもかなり初期に作られたものであるが為に他の刀より見劣りするものはあるが、折れず曲がらず錆びることのない刀は仕掛けもからくりもない刀の中では一番の頑丈さを誇る。だが今回の九散の傷口は純粋に無涯の力量が『鉋』に勝ったということもあるが、九散の十二使刀流の発現がほんの少し遅かったということもある。

 伯仲する実力。これには観客も沸いた。

 

「――ぉぉおおおおおお!! やるじゃねぇか無涯の旦那ァ!!」

「凄ぇ…あの美人さんが血を流すトコなんて初めて見たぜ!」

「いやいや、この前胸をグサーって刺さってたから完璧じゃないみたいだぜ」

「無涯殿―――!! 頑張れ―ッッッ!」

「おい負けんな別嬪さんよォ!」

「そんな奴畳んでしまえ九散! 合い言葉は『ちぇりお!』だぞ!」

「えー先程まで前哨戦での無双っぷりから七:三で九散氏が勝つ相場だったが今ので四:六になったな。しかし引き分けに賭けてる者はいない…つまり! 勝者皆無となればこの私が総取りで大儲けできるということだ!」

「し…シロ君こんなとこでもお金に眼がない所とか素敵!」

「アレ、止めなくていいのか…いやいいか、この場の連中のほとんどがやってるみたいだしな」

「わかってるなら、言わなくていい」

 

 途中不穏な発言をする観客もいたようだが容認されているようだ。仮にも蟲奉行様の御前なのに…と下座で胃を痛めながらも券を握っている男もいるが。

 大盆からでも賭けの券が見えてしまい、九散は血を振り払って落としつつ苦笑した。だが僅かに腕に電流を走らせて傷口を塞ぐと再び無涯に向き直った。

 

「まさか『鎧』をこんな方法で破るとはね、恐れ入ったわ」

「考えてみれば分かることだ。…初見でなければな」

 

 その通り、九散が防いだ技が初見であったらもう少し攻略に時間が掛かっただろう。それが無かったのは九散が防御した際に生まれた違和感のある石畳の破砕。通常見落としそうな部分に着眼点を置き、発想を飛躍させる。それならば、あり得ないことも無いと。

 

「でも、『鎧』一つ破っただけで勝とうだなんて――甘過ぎるわ、よっ!」

 

 言い切った途端今度は九散が仕返しとばかりに駆け込んだ。だがただの駆け込みではない、超低空走行だ。蛇行する様は蛇のよう、縦に躍動する様は獅子のよう。履いている下駄と女性という体躯ではおおよそ実行できないような走行。だが虚刀流を会得している九散にとって牽制の足運びは造作もないことだった。そしてその体勢への迎撃に、無涯に一瞬の迷いが生じた。

 

「(振り下ろすか、袈裟斬りにするか)」

 

 この場で横凪の切り払いは選択に値しない。狙うならば影忠の領分である乾坤一擲の一撃。だが無涯はその思考をさらに加速させた。

 

「――『塵外刀』大瀑布」

 

 振り下ろした。しかしそれは速すぎる攻撃。振り下ろされた『塵外刀』は九散の前方で石畳に直撃し――破片が土砂の奔流に変貌した。これが狙いだった。牽制を入れて遅くするにしろ速くするにしろ、振り下ろせばいいという結論へと至ったのだ。速ければ一刀両断、九散の頭から背中まで真っ二つに断ち切られてしまっていただろう。遅ければご覧のように、衝撃で巻き上げられた石畳の破片が無数の弾丸となって九散の眼を潰す。しかし、

 

不捕(とらわれず)

 

 空に舞い上がる。見方によってはまるで障子紙のような細さ、薄さ、儚さといっても差し支えの無い九散の身体。瀑布のように迫り来る土砂の奔流を、しかし九散は躱すのでもなく跳ね除けるのでもなくそのまま流した。奔流に身を任せ、極限まで力を抜いた。それにより奔流と共に押し寄せる風――無涯が叩き付けた『塵外刀』から放たれた圧力は九散を軽々と吹き飛ばし、それによって土砂の奔流に巻き込まれることなく大空を舞った。

 現在、九散の体重は零に等しい。観客の中に真庭忍軍の一人でも居ようものならば『忍法足軽』と評価していたことだろう。だが残念なことに九散は真庭忍術『忍法足軽』を会得していない――だがこれは会得し得なかったのではなく、会得する意味がなかった事を示す。

 

「――捕らわれぬこと『(はり)』の如し」

 

 完成系変体刀が一振り、薄刀『針』。九散の叔父にあたる前々日本最強の剣聖・錆 白兵が所持していた刀である。この世に存在する刀の中でも最も『軽い』刀である。刀を抜けば、まるで刀身が硝子のように透き通っており向こう側が見られるほどと言わしめた、非常に扱いづらい刀である。『軽い』ということは同時に『脆い』ということ。つまり、軽ければ軽いほど刀としての頑丈さは歯抜けしていき、防御どころか太刀筋を誤ってしまえば自壊してしまうほどである。

 つまり、現在の九散の強度は零。

 

「『塵外刀』(さい)の型――飛水」

 

 地上から真上へ刀を撃ち込む。それはまさしく登竜門を昇り天翔ける竜の如く。柄が分裂し鎖によって延長された間合いは空へと舞い上がる九散を射止めるには充分であった。剣圧による衝撃には煽られようと、刺突によって繰り出される圧力は無に等しい。面ではなく点で天を突くとは正に針、『針』を体現している九散を針の様に射止めるとは、これまた皮肉か意趣返しか。

 

「――他愛、無し」

 

 迫り来る『塵外刀』の刀の腹を手のひらで側面からたたき落としながら、九散は残念そうにそういった。別段防御力が零になったからといって九散が弱体化した訳ではない。むしろ防御力を零にしたことで九散の中での力の振り分けは攻撃10、防御0になったことを意味する。これは――

 

不捕(とらわれず)不定(さだまらず)――捕らわれぬこと『針』の如し、定まらぬこと『(はかり)』の如し」

 

 完成系変体刀が一振り、誠刀『銓』。十二本ある完成系変体刀の内で最も異質の刀であり、刀と名目されてはいるものの刀身そのものが存在しない異様の刀である。なにしろ刀とは本来出来た時点で強さが一定値に制限――否、設定されるものだ。多少持ち手によって前後するかもしれないが、それは差ささいな違いだろう。人によっては。だが誠刀『銓』の場合それが無く、持ち手によって千差万別有り様を変質させてしまう刀なのだ。『誠実さ』に主眼が置かれているこの刀は己自身を測る刀であり、自分を試し切る刀でもある。その誠実さは己を知るという事に他ならない。己を知る、とは己の性格、弱点は勿論のこと、力量や手の内を知れるということでもある。

 九散はそれと『針』を組み合わせた。

 『針』の脆さと『銓』の誠実さを組み合わせ、防御力を一切持たない状態で刀をはたき落とした。かつて誠刀『銓』の所持者であった仙人・彼我木(ひがき) 輪廻(りんね)は攻撃を放棄して防御に徹する専守防衛こと『誠刀防衛』を駆使した。九散はそれを正反対でありながら見事体現し、応用した。つまり、防御力の無い『針』でありながら完全なる攻撃性を持った防御力という矛盾を両立させたのである。九散の祝詞で『銓』は定まらない。それは攻撃性と防御性の振り分けの急激な変化を可能にしたことを意味する。

 

「!」

「あらあら、懐まで接近を許すなんて惚けてるのではなくて?」

 

 『塵外刀』の柄から伸びる鎖を滑るように伝い、あっという間に目と鼻の先に迫る。鼻頭同士がくっつきそうなほどの接近に無涯は戦慄し急いで後方へ飛ぼうとする。だが、少し遅かった。右肘を曲げ、手刀を構えた九散は詠い上げながら一閃する。

 

不砕(くだかず)――砕かぬこと『(なまくら)』の如し」

 

 全てを断ち切る斬撃は無涯の胸元をばっさりと引き裂いた。横一文字に刻まれた斬り口からは鮮血が噴き、九散の顔を染め上げた。だが同時に、

 

「がッッッ……はぁっ……!!」

 

 聞こえたのは、九散の呻き声だ。息と共に吐き出された血は倒れた無涯の顔を穢す。観客は何が起きたのか分からず瞠目していた。地に倒れ伏す無涯も胸元の痛みに顔をしかめながら、苦悶の表情を浮かべる九散を見上げた。

 

「くっ……手元が…器用なのね…」

 

 血を吐く九散の背中には、深々と『塵外刀』が刺さっていた。九散が躱し、迫り、間合いを詰め、斬り払う。それまでの時間は常人からすれば瞬時と呼ぶに相応しいが、無涯にはある程度時間があったと言える。躱された瞬間、こちらへと攻めてくると予期していた無涯は『塵外刀』の柄から伸びる鎖を手元で器用に動かして操り、剣先を落とした。それは無涯が宙へと放った勢いを失うこと無く、今度は空から落ちる雷のように落下し、九散を串刺しにした。

 

「いたたたたたた…不思議な刀ね、懐かしささえも感じるわ」

 

 幸い『塵外刀』の剣先は地面を貫くには至らなかったため、思いのほか楽に抜いた。それはもう、ずっぽりと。左胸を串刺しにしていた血濡れの『塵外刀』を放ると程なくして出血も途絶えた。無涯も筋肉を収縮させて傷口を塞ぎ出血を抑えながら、その様を見て訝しげな表情を見せた。

 

「出血が少ないな…」

「ああ、悪いけど私は身体の中を好きに弄れるのよ。だから大動脈や心臓は退かしたの」

 

 つまり、必殺には至っていないということ。九散を本気で殺すならば首を切断しない限り、致命傷には至らないという証拠だ。無涯はその事実を冷静に鑑みて捉え、把握しながら『塵外刀』を手元に引き寄せて立ち上がった。僅かに『塵外刀』が反応している。それは、貫いた九散が異形であることを示していた。

 

「……貴様、人間か? それとも蟲人(むしびと)か?」

「あらあら…あなたがそういう蟲人とやらは聞いたことが無いけれど、想像はつくわね。でも私は違う」

 

 『鐚』による自動回復で傷口が塞がったのを確認し、血濡れた顔を無涯へと向ける。すると無涯ならず観客、祭壇にいる者達全員がギョッとした。凄惨な笑みを浮かべる九散の顔面の半分が漆黒に染まり、髪は血の雨を受けたように真っ赤になっていたからだ。黒に染まった顔面の眼球も反転し、白目の部分は墨汁を零したようにどす黒く、黒目の部分は鮮血のように爛々と紅く輝いている。端正な唇が、開いた。

 

化外(げがい)…穢土の夜都賀波岐(やつかはぎ)―――

 

 ―――なんてね」

 

 花のような笑みと共に、色が元に戻っていく。まるでさっきまでの重圧が嘘のように消え去り、華やいだ空気に全員の肩ががっくりと傾いた。緊張の糸が限界まで引っ張られて、耐えきれずに切れてしまったようだ。そんな肩すかしを喰らいながら、無涯もその笑顔に見えた真意に苦笑を零した。

 

「あらあら、笑えばもっといい男じゃない」

「…興味ないな」

「そう、でもあなたと戦っていると愉しいわ。あなたもでしょう?」

「俺は……」

 

 胸から沸き上がるものは血だけではない。刀を交えれば交えるほど、己が昂ぶっていくのを無涯は自覚した。蟲を斬ることが全てであり、蟲を殺し続けることにのみ生き甲斐を感じていた無涯にとって、それは未知の領域であった。もとより人間と比べ物にならない戦力を誇る無涯からすれば実力が伯仲する相手はかつての同心であった『蟲狩』の中の数名。それでも、手合わせをして昂ぶることは無い。だが、九散と相手をしていると戦意が溢れ出る。

 

「…ふっ、そうだな。俺も……愉しい!」

 

 同時に石畳を蹴った。走り込みながら『銃』を撃ち込まれ、最低限の損害で弾幕をかいくぐる。『塵外刀』を下から逆袈裟気味に斬り上げると上段から振り下ろされる手刀と衝突する。それに収まらず横に一回転して強引に振り抜き、再び交差する。烈火の火花が無数に飛び交い、滴り落ちる血飛沫が二人を濡らす。刀と手刀が衝突する度に剛風と衝撃波が石畳を砕き、弾く。速くて重くて強か。矛盾していながらその全てを持ち合わせた剣撃が神楽を至上まで昇り詰める。

 

「ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!!!!!」

「はぁアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!!」

 

 獣のような雄叫びを交わし合いながら、大盆を蹂躙し衝突し合う。もはや大盆は既に崩壊していた。それによる被害は観客全員を覆うような法術を展開した、顔を隠した祭事によって防がれたものの、果てには大盆を越え大地を削り、隣接していた海を抉るにまで至った。

 

不砕(くだかず)不見(みえず)――砕かぬこと『鈍』の如し、見えぬこと『針』の如し!」

「『塵外刀』(さい)の型――風壁!!」

 

 距離を無視した不可視の斬撃が海を引き裂く。その直線上にいた無涯は空中で全方位に『塵外刀』の斬撃を飛ばして防御する。背後で大きな鯨ごと真っ二つに割断されているのを見た無涯は再び九散に肉薄し、火花を散らした。

 

 

 ―――この御前試合は三日三晩続き、江戸近海の魚を喰らいながら戦闘を続けていた両者は最後、海に浮かんで気絶していたところを小鳥達によって発見されて終焉を迎える。御前試合の結果は全て見ていた祭事にも勝敗は分からず、引き分けという形で幕を下ろす。かつて無い死闘は江戸の民全員を沸かせ、同時に半数以上がその裏で(金銭的に)涙を流した。この神楽では不思議と蟲のよる被害が無いという奇跡的な記録を残したものの、それらは全て九散と無涯の戦闘の巻き添えを喰らい塵も残らず消し飛んだらしい。

 これにて神楽は終わり、錆 九散の正式な蟲奉行所へのお勤めが決まった。

 

 

 

 

 

 




これにて神楽終了。よかったね江戸の町が無くならなくて!!
しかし更新停滞は【評価1】を食らうなぁ…気をつけねば

※6/19訂正


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十二太刀目

一週間経つのにまだゲームが全員クリアできない…!!
家だとゲームする時間限られてくるなぁ…ゲームという雑念が振り払えず、今回の話は難産だった!
ネタ会だっただけに詰め込み過多www


【BGM:時すでに始まりを刻む】

 

「…そいじゃあいくぞ、お前等」

「オイ、ちゃんと息揃えろよなお前…って先に飲むなよ飲むなよ!? 絶対飲むなよ!? これフリじゃねぇからな!?」

「カカカッ、わぁってるって」

「それではっ九散殿の蟲奉行所御就任を祝して――」

「「「乾杯!!」」」

 

 カカカンッ。お酒がなみなみと注がれた徳利同士が鳴る。仁兵衛の音頭を合図に徳利を鳴らした皆はひと思いにぐいっと酒を呷った。喉に染み渡る熱が心地よい。

 茶屋『春夏秋冬』―――の、前通り。そこはかつて九散が茶喰蚕(ちゃばみかいこ)と戦闘を繰り広げた場所であり、九散によって特にこれといった損害も無く済んだ場所でもある。そして、蟲奉行達もここで九散と邂逅を果たした。

 本日は大盆での神楽を観戦していた江戸の住民のほとんどが祝いの場に集まり、九散の就任を祝っていた。既に祝うというよりただ宴をしたかっただけのようだが――無理もない。いまは残っていない歴史の内の一つであるが、かつて巌流島で行われた二度の決戦を遙かに凌駕するような大接戦が見られたのだ。寝ても覚めぬ興奮ならば、いっそ宴会の場で発散させてしまおうという魂胆である。江戸城にいる吉宗公も神楽を見て歓喜し、無涯と九散に武勲を魅せてくれた褒美として千両もの大金を頂いたので資金としては充分。江戸町でひっそりと営んでいた料亭に九散自身が声を掛け、大金を渡す代わりに宴会での料理を振る舞ってくれることとなった。桜は既に散り、葉桜が夏の夜風に揺れて心地よい。だがそんな風さえものともせず、江戸の者達は宴会におおいに盛り上がっていた。

 酒の席には「市中見廻り組」は勿論のこと、「寺社見廻り組」の夢久(ゆめひさ)と「武家見廻り組」の影忠(かげただ)他、二つの組の武士達がいた。普段ならば市井百姓と飲むなんぞ言語道断、と礼節を重んじる夢久が一喝するのだが、治療済みではあるものの未だに痛みを残す身体を九散によって半強制的に引き摺られて仕方なく同席している。

 

「フン…我を笑い者にでもするつもりか」

「いえいえ滅相もない。ささっ、お酌いたしますわ」

 

 明らかに九散の方が重傷を負っていた筈なのに、もともと傷の治りが速いのかとても三日間死闘を繰り広げたとは思えないような動きに夢久は思わず後退った。だが追い打ちをかけるように九散が迫り、体勢的に上目遣いされながらついつい視線が顔の下、着物から零れるほどたわわに実った双丘の谷間に目移りしてしまい赤面する。悲しいかな、それが男の(さが)

 

「ごほんッ! …ま、よかろう。腹立たしいことに貴様がこの我を打ち負かしたのだからな…乗ってやる」

「あらあら~いい飲みっぷりですこと」

 

 夢久の趣味と合う朱塗りの大皿に注がれた酒は瞬く間に夢久の喉の奥に消えた。その飲みっぷりに「寺社見廻り組」の者達が眼を丸くして見つめながら、触発された影忠が胸を躍らせて手頃な酒瓶を掴む。

 

「夢久殿がこれほどいい飲みっぷりをしているとは…ならば拙者も乗らせて頂こう」

「お酌しますよ」

「うむ、(かたじけ)ない」

 

 酒瓶を受け取った九散が簡素な杯へと酒を注ぐ。注がれた酒からは芳醇な香りが漂い、鼻腔でそれを感じつつ一息に呷った。喉をカーッと焦がすような味わいが堪らない。

 

「流石だな…振らないのか? それは濁り酒だろう」

「濁り酒は最初は振らずに飲んだ方が楽しめるものですので」

「わかっているではないか」

 

 はははははは、うふふふふふふと哄笑が響く。普段仏頂面の影忠も酒の席ではついつい破顔してしまうようだ。

 

「おお~尾上様いい飲みっぷり!」

「よォし、んじゃこれから飲み比べすんべ?」

「オッ、いいねいいね~」

「カカッ、俺に敵う酒豪はいねぇだろ!」

「かーっ、やっぱお酒と焼き肉は最高ね! あ、点蔵お酒おかわり」

「こちらでござるな」

「うっわ、相変わらず犬みたいに命令こなすわね……別に先生との需要無いわよ? ねぇマルゴット」

「そうだよねぇガッちゃん。あ、この山椒味付けいいね」

「オホホホホホ! 折角の酒の席なんだから、この賢姉様が踊ってあげるわ!! 感謝しなさいよこの愚民共!」

 

 誰かが発言したことを発端に飲み比べ大会が始まった。それを見た小鳥は「みんな飲み過ぎないでねー…」と尻窄みに言ったが、誰も相手にされなかった。当然だろう、この宴会で酒を飲んで溺れない奴はいない。普段下戸の武士達も顔を真っ赤にして酔っぱらっていた。

 

「小鳥さん」

「おお、九散君」

 

 一息ついていると主催なのにお酌をしていた九散が小鳥の隣に腰掛けた。

 

「此度は正式な蟲奉行所への就任、おめでとう」

「こちらこそ、これからよろしくお願いしますわ小鳥さん」

 

 お互いに酒の入った杯を掲げて乾杯し、呷って一飲みする。

 

「よく飲まれるので?」

「まぁね。よく同僚にはザルとか言われてるけど。九散君は?」

「祖母にはよくワクと言われてましたね」

「え」

 

 どたんっ、と九散の背後で倒れる音がして思わず小鳥は視線を向けた。すると九散が歩いてきたであろう道にはお酒の飲み過ぎで突っ伏している益荒男達が倒れていた。

 

「これ…」

「あぁ、飲み比べして負けたら閨に付き合えと言ってきたものですから、飲んで飲ませて払いましたわ」

 

 ――九散は強い以前に美しい。日ノ本の国の者離れした容姿が逆に魅力を引きつけ、無涯との交戦中に見えそうで見えなかった筈の絶対領域から計算された胸囲は春と同等か、もしかしたらそれ以上なのではと言われていた。一体誰が計算したのだろうか。そして九散が第一陣で吹き飛ばされた変態の証言によれば、九散は未だ生娘。つまりは、処女。これに落ちない男はいない。

 だが、そのほとんどが返り討ちに遭ってしまった。一対一ならば負けるかもしれないと予想して徒党を組んで挑んだ筈なのに、まるで蟒蛇(うわばみ)の如くあれよあれよと飲んでいく様は凄まじかった――とのこと(火鉢談)。いま九散の背後で倒れている男達の数は十人強。つまり十連勝以上しておいて未だ正気が保ててるのだ。なのに九散の近くにいる小鳥には酒臭さが感じられない。相当の飲み手らしい。

 

「(…恐ろしい娘っ!)」

「それで―――ひとつ訊ねたいことがあるの。いいかしら?」

「何だい?」

「―何故、祖父ではなく私に蟲奉行所への推薦状を出したのですか?」

「そこか……」

 

 日本最強、鑢 七花。語られざる歴史における流派、虚刀流の使い手にして完了形変体刀真打虚刀『鑢』そのものである。彼は九散がこの歳になってなお現役らしく、神出鬼没にして住所不定ではあれど旅の者達がよく噂にしている奇妙な拳法の使い手。いまや西半分が蟲によって占領されているにも関わらず普通に乗り込み、無傷で帰って来るというのだから驚きだ。

 

「――単純に、キミの方が足取りが掴みやすかったということもあるね」

「あらあら、確かに祖父は根無し草で浮浪者、気分屋と三拍子揃ってますものね」

「凄い言われようだね……でも、それだけじゃない。九散君の噂を蟲奉行様が聞いて推薦したんだよ」

「まぁ……」

 

 初耳だった。

 御簾の向こう側にいたせいで顔までは拝見出来なかったが、普通の人とは違う何かを持っていたようにも感じられた。そして、高齢。声こそ少女のそれではあるが、年齢と容姿の不一致によるものだろう。もしかしたら、語られざる歴史を知っているのかもしれない。だから彼女の周りの者達は語られざる歴史を識っているのか。

 

「蟲奉行様のご期待に添えられるよう、尽力しますわ」

「有り難い。…ところで、僕も質問がある」

「なにかしら」

「いやなに、キミは語られざる歴史を知っているのだろう? 酒の肴に聞きたくてね」

「あら、そんなことでしたか」

 

 可笑しそうに微笑む。だが視線だけは鋭く、背後にある襖を睨んだ。そして一瞬にして襖に手刀を添えて戻すと人型に切り開かれる。人型に斬られた襖の向こうで、冷や汗をかいて絶句している家重が呆然と突っ立っていた。

 

「な、な、な、な、な」

「な?」

「ななななななにをするっ!? 危うく斬られるところだったのだぞ!?」

「あら、人の話を盗み聞きするのは殿方のやっていいことではありませんわ」

「そうですよ家重様、いくら次期将軍様といえどやっていいことと悪いことがあります」

「…おい与力…なんか俺よりこの小娘に対する優先順位が高くないか?」

「え?」

「え?」

「え?」

「………」

「家重様、取りあえず席についた方がよろしいかと」

「う…うむ」

 

 無かったことにした。ひとまずこれ以上九散の機嫌を損ねると間違いなく切り捨てられてしまいそうだったので、慌てて腰を下ろした。具体的にナニを切り捨てられるかは明言しないが。

 

「酒の肴といっても……私もいくつかの話しか出来ませんよ? それにお世辞でも愉しいとは言い難いですわ」

「構わないよ……って、いくつか?」

「はい」

 

 口直しのお茶を漱ぎながら頷く。

 

「今のところ、私が話せるのは三つ。一つは『婆娑羅(BASARA)』と呼ばれた乱世。もう一つは祖父の刀集め…徳川ではなく家鳴が幕府を治めていた時代。そして最後に―――」

「ま、待てっ!!」

 

 そこで、いままで黙っていた家重が声高に止めをかけた。

 

「なんですか、盗み聞き名人家重様」

「そんな名前で呼ぶな! 俺のことは長福丸でいい! それよりお前が言うその家鳴とやら! そんなものはこの国のどの歴史書にも記載されていなかったぞ…それに『婆娑羅』だと!? そんなもの、南北朝時代の社会風潮や文化的流行を表した流行語ではないか!」

「あら、ご存じで」

「……馬鹿にしているのか」

「いいえ、長福丸様の博識に感動しただけですわ」

 

 婆娑羅とは南北朝時代の身分秩序を無視して公家や天皇といった時の権威を軽んじて反撥し、奢侈な振る舞いや粋で華美な服装を好む美意識の一つであり、後の世で戦国時代における下剋上の風潮のきっかけともなった。

 

「だが婆娑羅は本来時代を指すのではなくただの流行語だ」

「そうですね…私が話す婆娑羅では、正史通り『独眼竜』伊達政宗が六刀流だったり『若き虎』真田幸村が二槍流の熱血漢だったり、『第六天魔王』織田信長が死んでまた蘇ったりと波瀾万丈にして奇想天外なものですわ」

「なんだそれは!?」

「なるほど…名だたる武将達の話か…興味深いね。特に乱世だから明細な記録が残されていない分、そういった話があってもおかしくない。それで、三つ目は?」

「ええ。今は蟲が西半分を制圧している世だけど、かつては東半分が穢土という到底人が住めないような人外魔境の巣窟となっていた時代で行われた『東征』と呼ばれる歴史ですわ」

「…なぜ、そうも俺の知らないことばかり知っている?」

 

 聞き慣れない単語群に頭を抱える家重。心なしかその視線には恨みがましいものも感じられる――が、九散は気にも留めず笑い飛ばした。

 

「あらあら、書物に書かれていることがこの世の全てではなくってよ」

「ぐぅ……!!」

「そもそも九散君はなんでそこまで歴史に無い話を知っているんだい?」

「趣味よ。語られることのない歴史を調査して識る……生き甲斐を感じるわ。よく蟲に邪魔されるけど」

「なるほどねぇ…趣味か。いいね。因みに今はどんな歴史を調べているんだい?」

「今は……現将軍吉宗様が生まれた1648年に起きるとされていた『末世』と極東の地『武蔵』を取り巻く歴史ね。まだ生き証人捜索が困難で……」

 

 ―――そうして宴は夜通し行われた。初夏の晩の涼しさを塗り潰すような宴は、まだ醒めない。

 

 

 

 




まだ終わりではありません。あと4~5話くらいやるつもりです
しかし前回のバトルシーンがよかったせいか今回は見劣りするッッッッ…!!
なんか前回のでバトルシーン中毒になってしまったようだ…


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十三太刀目

すこし短め。スマホ執筆&投稿だからかもです
先日ゲーム5人√攻略しました! あとは裏√…!


 錆 九散就任祝賀会から数日---江戸の町に、夏が訪れていた。

 いくら江戸が東日本とはいえ、真夏ともなれば暑い。関東地方でも南に位置し、そして人口密集度において最も高い都市であるが故に、江戸町の暑さはたまったものではないのだ。火事用に設けられたら水路や川の水位は下がり、唯一ときおり吹く風に揺られる風鈴の音が、人間独自の共感覚によって涼やかな気分にしてくれる。

 

「ホンッッット…夏は毎年あっついわねぇ…」

「僕もこんな服だから熱が籠もって……」

「カカッ……酒が無くなんのが早ぇよ…」

「じ、自分津軽出身ですがこんな暑さ屁でもありませ……ん…」

「あらあら、無理しては駄目よ」

 

 夏の暑さは万人平等、つまり蟲奉行所「市中見回り組」の者達にも降り注ぐ。

 火鉢の忍装束は防御を完全に削いだ機動力特化型であるためかなりの薄着なのだが、肌が露出している分太陽の日照りが直に当たっている。肌に滲み出た汗が蒸発して塩が出たっておかしくない。

 天間の法衣は蟲奉行所お勤めの証として、陰陽道の流れを汲む者として着衣義務がある。十二単とまではいかずとも、四重にも着重ねられた法衣は体から放出された熱を滞留し、体力を奪う。

 春菊の服装は中でも一番夏場に適した格好であるが、やはり流れる汗を止めるのは至難の業らしい。飲めども飲めども乾く喉は、手持ちの酒瓶では足りないようだ。

 仁兵衛は元より出身が比較的年中涼やかな津軽であり、江戸の気候は少々応える。津軽内でも最も暑苦しい親子と呼ばれた片割れではあれど、自慢の我慢強さも江戸の夏には適わないらしい。頭を下げながら地面に突っ伏している。

 しかし、九散は別格だ。

 

「く…九散ぅ…アンタなんでそんなに涼しい顔してんのよ…」

「ついさきほど町を見て廻った際にこんなものを貰いまして。美味しいですよ」

 

 九散は手に持っていた桶を皆の前にどかりと置く。桶には塩漬けされた胡瓜(キュウリ)、茄子、トマト、オクラが水に浸かっていた。九散はその一本である胡瓜をかりっ、と噛んでは咀嚼する。

 

「これは…何なんですか九散殿?」

「夏野菜よ。美味しいからみんなで食べましょう」

「でかしたぜ九散ちゃん!」

 

 春菊を筆頭におのおの桶から野菜を手に取りかぶりつく。水に浸けていただけに、取れたての瑞々しさが口の中に広がり野菜独自の美味しさが染み渡る。

 

「お、おいしい! 胡瓜の塩漬けがここまで美味しいなんて…!」

「僕っ野菜嫌いだけどこれは美味しいっ!」

「ついさっき取ったような新鮮さがあります!」

「いい酒の肴になるぜこいつぁ! 酒が無いのが残念だ…」

「あら、でしたらこちらはどうかしら。さっき届いたものだけど」

 

 九散の着物の裾からスルリと一升瓶が出てくる。銘柄には『明星』と書かれていた。

 

「(ど…どうやって隠してたの…!? 遁甲…かな…!?)」

「ン…知らねぇ銘柄だな」

「信州にいる知り合いから送られてきたものよ。味は保証するわ」

「カカッ、じゃあ頂くとするか」

 

 栓を抜くなり一息で四割まで飲み干した。だが口に含み飲み込むなり、春菊の表情は驚愕に満ちる。

 

「んおおっ、こいつは…!? ……九散ちゃんよ、とびっきりヤベェ酒持ち込むじゃねえか。もう他の酒飲みにくくなんぜ」

「あらあら、しばらくはその酒をご贔屓に。まぁ夏だし、飲んで二日三日もすればまた他の酒も飲めるわよ」

「くそー…もっと味わって飲むべきだったぜ。あといくつある?」

「届けられたのは五本。内一本は将軍様に、一本は蟲奉行様に、もう一本は小鳥さんに献上するとして、あとの二本はお好きにどうぞ」

「小鳥ちゃんのは要らねえから俺に寄越せよ」

「僕がどうしたって?」

 

 ギクリと春菊の体が強ばる。ふと蟲奉行所の宿舎を振り返ると糸目眼鏡に鳥頭こと松ノ原 小鳥が悠々と歩いてきた。

 

「あら、小鳥さん。実は先日信州から送られてんぐぅっ」

「信州? 信濃かい? …春菊くん、なんで九散くんの口塞いでるの?」

「ななななななんでも無ぇぜ小鳥ちゃん!! そ、それより野菜どうよ!? 最近暑いから体にいいぜ!?」

「おっ、胡瓜に茄子…いろいろあるね。これどうしたんだい?」

「こちらは九散殿が先ほど江戸の下町を見回りした際に町内の方々がくれたみたいです! とても美味しいですよっ!」

「(いい加減離しなさいよ)」

「(わ、悪ぃ)」

「(代わりに後で何か一つ私の言うことを聞きなさい。『明星』と交換よ)」

「(うげっ…わぁったよ)」

 

 九散と春菊の間に密約が交わされた。これも酒の為だと思い、春菊も渋々了承する。顔では嫌がっているが、九散の着物の裾から新たに出てきた一升瓶を貰うと喜色満面になる。

 

「そっか…九散くんが就任してからもう二週間経つけど、すっかり奉行所とも江戸のみんなとも馴染めたみたいだね」

「あらあら、私も皆さんが優しい方で安心しましたわ」

「ま…私たちはともかく、町のみんなはアレじゃない? 前の御前試合で盛り上がったこともあるでしょ」

 

 御前試合。九散と無涯、夢久、影忠の四人が大盆で繰り広げられた撃剣の神楽。誰もが心躍り魂を奮わせた一戦でもあった。因みに五人目の変態は観客達の中では(主に男性陣が)暗黙の了解としていなかったことになっている。何故だろうか。

 

「まぁそれもあるかもね。おっ、この胡瓜美味しい。兎も角、江戸に馴染めてくれてなによりだよ。それにそろそろ…」

「…そろそろ?」

 

 言葉を濁す小鳥に首を傾げたが、ふと西から感じた何かに気付き、九散は西の向こうを睨みつける。そこに見えたのは、巨大な蟲。江戸城が小さく見えるほど巨大な蟲の姿。視認するなり、その蟲が起こしたであろう地響きが江戸に襲いかかる。

 

「あらあら…大きいわね」

「しまった…去年より早いとは…みんな! 行くよ!」

「わかったわ! ってあれ、仁兵衛は!?」

「颯爽と突っ込んでいったよ……」

 

 う お お お お お お お お お !! と蟲がいる方向から仁兵衛の雄叫びが聞こえる。程なくして、雄叫びが悲鳴に変わって江戸の空に響き渡った。

 

「あら、あっという間ね」

「あンの馬鹿が……!!」

「……まぁ仁兵衛くんなら大丈夫だろう! 早い内にあの蟲の足止めをしないと!!」

 

 小鳥の号令と共に駆け出す。だがその内でただ一人、春菊だけは動かなかった。

 

「…春菊くん?」

「……クソが…」

 

 ただならぬ雰囲気を感じ取った小鳥は心配して駆け寄ると、背筋も凍るような声が聞こえた。怨嗟や呪詛にも似た呟きが零れる。

 

「……俺の酒を…俺の楽しみをォーーーーー!!!!」

「……あらあら、見事に割れてるわね」

 

 春菊の足下には二本の一升瓶が破砕していた。ばらばらになった硝子には、至高であったであろう『明星』の酒がばらまかれていた。蟲の地響きによって手が滑り、落としてしまったのだ。かつて『九十九斬り』と呼ばれていた彼の血が騒ぐ。背中に背負っていた二振りの刃こぼれした刀を抜き放ち、狂気を纏って駆け出す。

 

「身に腐りやがってあのクソ蟲がァ…上等だ、ブッ殺してやるよ…酒の怨みってモンを見せてやらァアアアアアアアアアア!!!!」

「春菊さんいい空気吸ってるわね」

「いつもより凄い怖い……! 目が血走ってるよ…!?」

「あ、多分それお酒飲んでたからよ」

「春菊くん気合い入ってるなぁ」

 

 

 

 

 

 




今回はちょっとした日常話(!?)春菊さんが刑士郎枠に入りましたね。高津神出せるかな?(嘘)
益荒大兜登場ですね。少々本編とは異なる可能性大…というか、スーパー九散ちゃんタイム?

※6/19訂正


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十四太刀目

先日の少なかったんで今日張り切っちゃいましたwww
なかなかいいBGM無いなぁ…他作品の挙げるかな?


 

 江戸町蟲奉行所――夏の陣。

 人、獣、蟲、命あるものすべてが最高期も盛りを増す頃に襲来する城塞級巨大蟲に対抗する措置である。数年前から度々襲来する巨大蟲こと『益荒王兜(ますらおおかぶと)』こそ、江戸の民にとって恐怖と畏怖の権化であり、夏の訪れを強制的に知らしめるものであった。九散は小鳥からことのあらましを聞きながら『益荒王兜』の行進による地響きの中を疾走していた。人混みが流れる反対方向へ走っているが、『市中見廻り組』にとってはなんら問題無い。

 

「城塞級の巨大蟲が出現した際には、僕たち蟲奉行所にある規則が適用されるんだ」

「具体的には?」

「蟲奉行所最大にして最高の個人戦力を保有する無涯くんを除き、他の者達は町の人たちの避難や退路の確保、怪我人の治療など、市中見廻り組の名の通り町の人たちを守るんだ」

「ふぅん……」

 

 冷や汗をだらだら流しながら答える小鳥を一瞥し、九散は不満そうに鼻を鳴らして正面にいる『益荒王兜』を見据える。江戸の民が阿鼻叫喚の地獄に巻き込まれて逃げ惑う中、喧しく思った『益荒王兜』がその巨大な足を振り下ろす。足の長さは江戸城の高さを遙に凌駕し、足裏の大きさだけでも民家数十…否、数百軒分の広さがある。この大きさでは踏んだ際に巻き起こる風圧だけでも相当な被害となるだろう。だが、それは敵わなかった。

 

「末吉! 為吉! 全力つっぱり!!」

 

 巨大化した天間の式紙がそれを防ぐ。二週間前の時点で天間の法力による式紙の力は蟲奉行所一と言われていた。その実力を遺憾なく発揮し、自分たちの何千倍もある巨大な蟲の足踏みを真正面から受け止めた。

 

「うぐぐぐぐぐ…! こいつ…去年より強い…!」

 

 だがそれもいつまでも続かない。小鳥も気付いていたが遠目でも確認できた様に、去年江戸に襲来した『益荒王兜』より一回り大きい。それはただ身体が大きいだけでなく、力もあるということだ。法力が籠められた二体の式紙に皺が入る。だがそこに。

 

「〝紫陽花(あじさい)〟玉!」

 

 火鉢の爆弾が炸裂する。通常の花火で打ち上げられる火薬の何倍もの威力を持ち、火鉢が生まれ育った忍の里で独自に開発された爆弾は『益荒王兜』の脚力を僅かに上回り、押し返す。『益荒大兜』からすれば、足踏みをしようとして少し強い風が吹いて止まった、くらいだろう。だがその一瞬の静止が、いけなかった。

 

「懺斬り!!!!」

 

 天を覆う程の足の先が、斬撃で埋め尽くされた。足の全壊とまでは言わずとも、『益荒王兜』の足の一節の、更にその先を木っ端微塵に斬り裂いた。蟲特有の体液が僅かに流れ、それが斬撃を放った主である春菊の頬を伝う。その感触を味わった春菊は狂気に顔を歪めた。

 

「オイそこのデケェ図体した蟲さんよォ……覚悟はいいか」

 

 更に斬撃が飛ぶ。それは二重、三重と数を連ねるごとに少しずつ木っ端微塵となる層を増やしていった。

 

「懺斬り!! 懺斬り!! 懺斬り!! 懺斬り!! 懺斬りイイイイイイイイイイイイイイィィィィィィ!!!!!!」

「小鳥さん、あれどうなのかしら」

「怒りに燃えていて完璧に周りが見えなくなってる…!!」

「コラ恋川! アンタの仕事はそんなんじゃなくて江戸の町民の避難誘導!」

「酒の恨みィ……晴らさせてもらうぞォオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!」

 

 話を全く聞いていない。そのせいで春菊が分解した蟲の足が二次災害となって下にいる民衆達に降り注ぐ。

 

「あああああああやっぱり駄目だってやめなさいって…!!」

不斬(きらず)――斬らぬこと『(じゅう)』の如し」

 

 ぱんぱんぱんぱんぱん、と小鳥の耳元で火縄銃が連続で発射されたような銃声が響いた。鼓膜が破られそうで思わず耳を塞いでしまったが、その銃声は民衆の蟲の欠片を(ことごと)く粉砕した。隣で九散が両手の人差し指と中指を口元に寄せてふぅ、と息を吐いていた。

 

「結果的に助けてくれたのはいいけどなんで僕の耳元でやるのかな……!?」

「あらあらごめんなさい、何分喧しかったものだから」

「わざと!? それ絶対わざとだよね!?」

「春菊さん止めた方が良いかしら」

「僕のことそっちのけ!?」

 

 ガン無視である。耳のことでがみがみ五月蠅い小鳥より、怒りに狂っている春菊のほうが気に掛かった。

 

「正直止めた方が無難なんだけど…ただでさえ人数の少ない『市中見廻り組』じゃ、猫の手も借りたいくらいだわ」

「そうね、このままだと江戸町への被害と春菊さんの危険度も増すわ」

「アイツ自身の?」

「と、いうより無事に生きて帰れるか」

 

 二人の視線の先では未だ春菊が斬撃を飛ばして『益荒王兜』の身体のほんの一部を斬り飛ばしている。だがそのせいで下の江戸町が半壊、『痒み』を感じた『益荒王兜』が痒みの源泉である春菊を潰そうと足や角を振り回している。そして、空中で刀を振り下ろし終えた技後硬直時に横凪に角が振るわれた。

 

「ヤバッ――」

「いけない」

 

 それに気付いた春菊だが既に遅い。否、遅すぎた。怒りから僅かに目が覚めてハッとしたが、もう角は自分と三間の距離も無い。風圧で飛ばされれば万々歳だが、角の振り方からして直撃は免れない。一瞬、走馬燈のようなものが過ぎった。だが。

 

「しばらく寝てなさい」

「おごっ」

 

 頬に膝が刺さった。九散だ。いち早く危険を察知した九散は地上から舞い散る瓦礫を『針』の特性を利用して駆け上がった。そして僅かに吹き上げる上昇気流を使って空を舞い、空中で硬直している春菊の頬に飛び膝蹴りした。

 衝撃で頭を揺さぶられた春菊は一瞬で気絶。だがそのおかげで『益荒王兜』の一蹴を避け、そして九散も飛び膝蹴りの衝突を利用して後方へ飛び回避に成功。気絶した春菊は再び宙を舞い接近した九散の踵落としで横腹を直撃し(その時悶絶したような呻き声があがったが無視)民衆が逃げている丘の方向へ飛んでいった。

 一名脱落。

 

「なんとかなったわね」

「いやいや他にやりようがあったんじゃないの!?」

「いいじゃない、一名脱落でも一命を取り留めたんだから」

「…うまい!」

「関心してる場合じゃないと思うよ小鳥さん……」

 

 避難誘導しつつ、最強こと無涯が春菊と入れ替わるように『益荒王兜』と対峙し始めたことに小鳥は安堵した。どうやら春菊が邪魔で戦いに参加できなかったらしい。春菊が飛んでいった方向に謝罪をしながらも内心ほっとしていた。あのまま戦闘していたら江戸町に更なる被害が出たかもしれない。

 

「……でも一人抜けて僕含めても四人かぁ…人手不足が否めないな」

「仁兵衛は?」

「…最初に…吹っ飛ばされて多分、瓦礫に埋まってるかも……」

「なにやってるのよアイツ……」

「人手不足でしたら―――これでいいかしら」

「………え」

「…は?」

「…………へ?」

 

 急に、九散の声が大きくなった。いや、正確には大きくなったというより同じ声がたくさん聞こえたというべきか。尋常ではない人気の空気を感じ、小鳥、火鉢、天間が振り向く。

 

不絶(たえず)―――絶えぬこと『(つるぎ)』の如し」

 

 九散が三人の視界を覆い尽くす程の人数に膨れあがっていた。それは組というより既に戦乱における軍規模にまで到達している。さきほどまで話していたであろう本体(?)の九散が涼しげな笑みを浮かべた。

 

「錆 九散総勢千人――皆さんと合わせて千飛んで三人。小鳥さん」

「あ、はい」

「指示を」

 

 思わず敬語で返してしまった小鳥。指示をと言われても…と頭を抱えるが、思い返せば九散はまだ江戸に来て一月も経っていない。自分たちと違ってまだ江戸全土は把握仕切れていないのだ。小鳥は頭の中で江戸町全土の地図、そして女や子供、年寄りの者や怪我で動けなくなっていた者達が何処にいるかを思い出し、描く。

 

「……よし、九散くんの分身…で、いいのかな?」

「その呼び名で問題無いわ」

「わかった。九散くんの分身は独立で動けるね? なら二百から三百を西区に、百ずつ北区、南区、東区に。特に女子供や負傷者を優先的に避難させてくれ! 火鉢くんは彼女達の道案内を!」

「合点承知!」

「よろしくね♪」

「わ、わかったわ…ついてきて!」

 

 振り分けられたおよそ六百人の九散が散開してちりぢりになる。ぴょんぴょんと屋根を越え、空を舞い、家屋を覗き、速くも人命救助に動き出した。

 

「二百人は現在避難場所であるあの丘へ続く道の確保に専念してほしい。無涯君との戦闘で飛んできた落下物や破片の破壊を! 天間くんと一緒に頼む!」

「さぁ行きましょう、天間くん」

「ぶっとばすわよー」

「う、うん……!」

 

 同じ顔の人がたくさんいることに若干恐怖を覚えながらも、御前試合で見た実力を持つ者がいればこれほど頼もしいものはない。早速吹き飛ばして来た家屋一棟がまるまる飛んで来たのを確認した天間は式紙で食い止め、その隙に九散達が文字通り木っ端微塵に斬り裂き塵芥(ちりあくた)に変貌させる。下で民衆達の歓声が上がった。

 

「残りの二百人は僕と一緒に避難場所に運ばれている怪我人達の治療をして欲しい! 着いてきてくれ!」

「人海戦術ね、一人頭三人やれば上出来よ」

「はーい充電できてない人いるー?」

「いませーんみんないつでも問題無いわー」

「充電…?」

 

 二百人の手の内に紫電が走る。九散の『(びた)』による治療はなにも己だけではない。怪我の程度にもよるが、九散の手で患部に触れて電流を走らせれば応急処置は可能だ。あくまでも細胞の活性というこの時代では解明されていないことではあるが、無闇矢鱈に完治させることは身体に良くない。致命傷を抑え、大出血を止める程度であればなんら問題は無いのだ。

 ――こうして、千人の九散と小鳥、火鉢、天間による救助と無涯による『益荒王兜』の討伐によって『夏の陣』は終焉を迎えた―――

 

 

 

 

 はず、だった。

 

 

 

 

 些細な疑問は時に残酷な答えとして現れる。避難場所にいた長福丸は、そう思った。

 それは二百人の九散が避難場所に押し寄せ、その内の一人が長福丸の元に来たことから始まる。

 

「あら」

「おっ…」

「………」

「………」

「……えーっと、盗み聞き変態仮面さん?」

「家重だっ!! …じゃなかった! 俺のことは長福丸でいい!」

「あら、血が流れてるわよ」

「何っ!? この高貴な俺の血が何処から出ているのだっ!?」

「高貴かどうかはどうでもいいけど、膝」

 

 袴をずるずると引き上げると、転んで擦り剥いたのだろうか膝小僧に血がべっとり着いていた。巨大な蟲を目の前にして、いつになく混乱していたのか気づかなかった。

 

「(イヤ待て…コイツはどうやって俺が怪我していることに気付いた?)」

「歩く時にすこし足を引き摺っていたのよ。無意識だろうけど」

 

 九散は家重を適当な場所に座らせると治療に取りかかる。ほんの少しビリッと身体を何かが走って情けない悲鳴が上がるが、出血は抑えたので問題無い。手桶にある水で血と汚れを洗い流し、包帯を巻いた。手際こそ見事だが、家重の悲鳴は何処吹く風である。

 

「はい、おわり」

「貴様…後で殴ってやる…」

「出来るのならばどうぞ? な・が・と・み・ま・る・さん」

「ぐぬぬぬぬうううううう……!!!!」

「ところで聞きたいことがあるのだけど」

「ハンッ、誰が答えてやるか」

「博識にして江戸随一の物知りである長福丸様の知恵をお借りしたいなぁ」

「何でも聞け!!」

 

 チョロイな。着物から覗く胸の谷間を強調させて上目遣いさせれば男なんて一発だ。学問に明け暮れる家重といえど、男の性に逆らえる筈がなかった。ご褒美とばかりに隣に座り、腕を組んで胸に押しつければあっという間に赤面した。コイツ女性耐性無さ過ぎじゃないだろうか。家で艶物書ばかり読んで悶々しているんだろうな。

 

「実はあの巨大蟲のことなんだけど…」

「ああ、『益荒王兜』のことだな」

「『益荒王兜』……つまり兜虫(かぶとむし)のことよね」

「そうだ! この日ノ本で最も大きい蟲でありなんと言っても特徴的なのがあの頭部の角だ、無涯の奴に斬られてしまったがな。あれは己の重さの二十倍もの重さを軽々と持ち上げることができ、雄同士の格闘となれば胴体を泣き別れさせるほど強靱な力を有している!!」

「……格闘は同種だけなの?」

「いいや、一説によれば兜虫と対を為す蟲が存在するらしい。その名は―――」

 

 その後は、続かなかった。いきなり顔面に柔らかな弾触と甘い香りが押しつけられたかと思えば、耳元で轟音が鳴り響き全身を浮遊感が襲った。窒息と浮遊感による吐き気という二重苦が家重を苦しめるが、ふと拘束から解放されたかと思えば地面に落とされた。

 

「おぶろぺっ!! ……ってぇ…オイ貴様!! 下ろすならもっとゆっくり下ろせ!」

「家重様、ここから逃げてください」

「何?」

 

 慇懃無礼な態度から様変わりして、目の前の九散は丁寧な口調で告げた。突然の変わりように首を傾げると、ふと自分たちに影が落ちていることに気付く。はて、無涯が『益荒王兜』を討伐した時はそこまで日が暮れていなかった筈。そう思い空を仰ぐと、自分たちの目の前に巨大な蟲が屹立していた。自分たちがいたであろう場所には蟲の巨大な足が振り下ろされていた。自分たちの背後――ということは、西から来た『益荒王兜』とは反対側の東。

 

「んな…」

「……そういえば、兜虫と対を為す蟲がいるって言ったわよね。なんていうのかしら、アレ」

「……角一本に対し、挟み込む様に存在する一対の鋏のような角……間違いない…!!!!」

 

 その威圧感は『益荒王兜』か、それ以上か。がしいいいぃぃぃぃん、がしいいいぃぃぃぃんと両刃を開閉させながら金属音にも似た不協和音を響かせる蟲、その名は。

 

「……『干城鍬形(かんじょうくわがた)』だっ…!!!!!!」

 

 

 




干城と益荒男は同義語です、ということで
本日は九散ちゃん×1000と長福丸さんへお色気。書いてて「おいそこ代われ」と叫んだ私は間違ってない


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十五太刀目

前回は家重君ブーイング炸裂!
さてさて今回は…?


 

 背後で喚く次期将軍の首根っこを掴んで投げ飛ばす。涙と鼻水で濡れて台無しになったイケメン仮面は空中にいた分身体であるもう一人の九散によって見事確保。そしてまた投げ飛ばす。扱い酷いと言われそうだが緊急事態という大義名分で誤魔化せそうだ。

 ()()()()()()()()かのように襲撃してきた『干城鍬形(かんじょうくわがた)』だが、既に避難は再実行されている。避難場所で治療に専念していた分身体二百人に加え、負傷者や女子供を抱えてきた六百人の内半分の三百人ほどが、避難場所にいた全員を抱えて避難させている。『全は一 一は全』という言葉があるが、九散の分身体は思考が全てと同調されており、一人の五感はすべて伝播される。いわば『(つるぎ)』によって増殖した千人の九散は全てが全て生物としての触覚でありながら本体、手足でありながら心臓なのである。故に、千人いる中で最も速く『干城鍬形』を発見した時点で既に避難行動は開始されていた。九散の全力疾走は押し寄せる土砂に勝る―――が、避難場所にいた者達の数は江戸の下町のほとんどの人数だ。つまり、人手が足りない。最高でも一人あたり四人運ぶのが限界である。だが九散は人を見捨てたりはしない。故に、

 

「はいはいはいはいはいっ五人投げたわよォー!」

「よぉーし中継三つー!」

「あ、そこのおじさま助平だから脳味噌グラグラに振っといて!」

 

 投げる。もう容赦無い。だが九散とて鬼畜ではない、妊婦や怪我人は運ぶことにしているし投げるのはあくまでも五体満足な男ばかりだ。地上から投げられた人を空中に飛び上がった九散の分身体が捕らえ、そのまま振り抜いてまた投げる。その繰り返しをすることで『干城鍬形』襲来による被害者を出さないようにした。

 

「あらあら、避難具合は上々ね………さて」

 

 眼を僅かに閉じて千人の動向を確認する。幸い怪我人は出なかったようだ。九散と『干城鍬形』との戦闘領域からの避難が完了したことを確認し、眼を開いた九散は金の髪を梳いて『干城鍬形』を見上げた。

 

「正直、無涯さん一人で全部終わらせちゃうっていうのも物足りなかったのよね。私としても手合わせしたかったのよ」

 

 『干城鍬形』が唸る。九散の軽口を挑発と受け取ってくれたのかは不明だが、視線の交差から九散を敵と見なしたようだ。心の中で歓喜と闘争心が膨れ上がる。全身を巡る血が沸騰しそうな高揚感が支配する。己の数百倍の大きさはあろう蟲との対峙なんて滅多に無いだろう。かつてない強敵を前に胸が躍った。

 

 

▼ ▼ ▼

 

 

 江戸下町・新中町奉行所――又の名を、蟲奉行所。

 蟲奉行所の象徴である蝶の意匠を拵えた武家屋敷の中枢。御簾(みすだれ)の奥で、現江戸幕府従二位別格老中である少女・蟲奉行様は家臣からの報告を聞き溜息をついていた。

 

「(……今年は、異例づくしだな)」

 

 月島 仁兵衛及び錆 九散の就任。御前試合という名の神楽。早い時期での『益荒王兜(ますらおおかぶと)』の襲来。そして、その対である『干城鍬形』の襲来。

 

「(……過去、『益荒王兜』と『干城鍬形』の喧嘩は江戸を中心に行われておった。だが四十年ほど前から『干城鍬形』は姿を消し、我が蟲奉行所の夏の陣は『益荒王兜』一体の討伐となってしまった……)」

 

 幸い、『市中見廻り組』新戦力である九散の手によって被害者は出なかったらしい。だが、

 

「(……城塞級巨大蟲の討伐が現状可能なのは無涯のみ。しかしいくら無涯と言えど、『益荒王兜』の討伐で体力はほとんど無い……それに塵外刀変化)は刀そのものが痛んでしまっている……)」

 

 無涯が動けない。それはつまりこの江戸に城塞級巨大蟲を討伐出来ないことを意味する。そうとなれば『干城鍬形』の進撃、江戸の崩壊は避けられない。

 

「……頼むぞ」

 

 からんころん。

 昔聞いた下駄の音が、蟲奉行様の記憶に蘇った。かつて尾張幕府と言われていた時代の終わりに聞いた音色、そして出会った大柄の男と金髪碧眼の少女。その少女と瓜二つの容姿の少女に、望みを託した。

 

 

▼ ▼ ▼

 

 

 動かない。啖呵切って挑発したにも関わらず、九散は動かなかった。不敵な笑みは絶やさぬまま、お供どころか分身一人たりとも傍らに寄せず、ただ不動を維持して『干城鍬形』を見上げる。見上げられている――筈なのに、『干城鍬形』にはそれが見下している、舐めているようにしか見えなかった。九散は――己が天下最強絶対無敵不撓不屈の剣士だと驕っているわけではない。だが、九散はあえて仕掛けられる立場でありながら何もせずただそこに立っているだけなのだ。そう、『干城鍬形』は直感で九散の意思を読み取った。

 

 ― 掛かってらっしゃい  一撃目は、受けてあげるわ ―

 

 それは己を慮り、侮っていることに他ならない。それを即座に理解した『干城鍬形』は怒りに燃え、米粒如きの小さな九散を踏みつぶす。ぐしゃあぁ、と全てを押しつぶすような音が夕日の江戸に響いた。現実、振り下ろされた足の周囲は風圧で広範囲にわたり家屋が吹き飛び倒壊している。だがここで『干城鍬形』は異変を感じた。己が足で踏みつぶした足裏の感触は、ごく表面積の小さいものだった。

 

不効(きかず)不浮(うかず)――効かぬこと『(よろい)』の如し、浮かぬこと『(かなづち)』の如し――上位駆動」

 

 受け止めた。ただ空を仰ぐように掲げられた右手は『干城鍬形』の足裏に的確に貼り付き、そのまま受け止めていた。それはさながら巨大岩石を受け止める一本の樹木のように、巨体に見合う多大な重量を受け止めた。これはかつて賊刀『鎧』を手にした校倉 必と未熟ながらも双刀『鎚』を使いこなした凍空 こなゆきの剛力に他ならない。九散の十二使刀流はなにも刀そのものの特性を体現するのみではない。通常駆動として完成系変体刀十二本の各性質を、比較的広い定義で体現させている。だが上位駆動の場合、その刀をかつて所持していた()()()()()の技術、技能、才能を体現できる。顔も名前も知らない、だがうろ覚えながら『刀』と、その刀を扱うために必須であろう『技能』『性質』は読み取れる。

 九散を覆うように、『鎧』を纏った男と『鎚』を危なげに持つ少女の姿が一瞬姿を見せる。

 

「この程度? 存外たいしたこと無いわね、巨大蟲さん?」

 

 『干城鍬形』自身の自重もあって足に九散の指先が食い込んでいる。九散は凍空一族特有の怪力を駆使して『干城鍬形』を()()()()()。たかだか足の一部だというのに蟲全体を浮かせるという難行は、歴代賊刀『鎧』所有者に不可欠な技術、指向性と均衡性が取れた力の制御という点で可能になった。宙に浮いた身体を、一気に叩き付ける。勿論、町の被害が既に手遅れな地へ。

 背中から派手に倒れた『干城鍬形』はあまりの事実に身動いだ。自分の目にも見えないところで何が起こっているのだろう、と。四十年前に兜に負けて力を溜めた筈の己に何が起こっているのか、と。だがそんな時間を九散は与えない。

 

不生(いかさず)――生かさぬこと『鐚』の如し」

 

 『干城鍬形』の腹――つまり、足の根の全てが集約されている場に、閃光が走った。翳した手から放たれた電撃は視界を光で埋め尽くし、触れた物はたちまち熱によって焼かれ、蒸発していく。だが九散は『鎩』による分身体が治療に電気を使ったことによって電力が減少している。自己再生用の電力は残っているものの、これほどの巨大質量ともなれば掛かる時間は勿論のこと、電力不足が否めない。

 

「(……コイツ硬いわね。全ての電気を叩き込んだほうがいいかしら)」

 

 皮膚外装が他の蟲の比ではない。九散には知らない事実だが、四十年もの時を経て上塗りを何度も繰り返し鍛え上げられた『干城鍬形』の皮膚は硬い。あの『益荒王兜』の一撃を受けてもへこまないほどと想定した強度だ。兎に角硬い、それを理解した九散は全身の電力を駆使して焼き払う作戦に決行。

 普段九散の『鐚』としての電力は効率の悪い体内自家発電と空気中の静電気を無意識に集めることで賄われている。この時代の者には分からないが、よほど電力が枯渇していた場合は空気中で起こっている化学反応から検出される電力も採取しているほどである。一番効率がいいのは雷を実際に浴びることなのだが、ここ最近雷は江戸に落ちていない。

 『鐚』の使用用途は様々だ。『鐚』本来の傷を癒し続ける力から身体能力を飛躍的に上昇させる、敵を電熱で焼き殺すなど多種多様。多様性があるが故に重要であり、この場での九散の決断はあまりに安易過ぎた。

 

「な、!?」

 

 全身の電力を全て手に集約させ、放とうとした瞬間に六本の足が閉じた。九散が立っていた場所は蟲の腹のほぼ中心部――つまり、六本の足先が集う場所だ。

 

「っぐあああああああ!!」

 

 巨大にして鋭利な六つの足先が九散の全身を六方から蹂躙する。それは御前試合で影忠が振り下ろした大鉈の倍はあるであろう大きさと、力。巨大な断頭台を錯覚させる六つの足が九散を斬り裂き、致命傷を与えた。

 

「くっ―――!!」

 

 苦し紛れに迫り来る六つの凶刃の内一本を『鐚』で焼き切る。一節分が跡形も無く消えた痛みが『干城鍬形』に伝わり、その巨大な全身の身をもって暴れ出す。

 

「う、わっ」

 

 『干城鍬形』に乗っていた九散は暴れた拍子に宙へ投げ出された。いや、正確には怪我を負った身体で中途半端に『針』を使い風圧に乗っただけだ。全身を走る痛みで集中出来ず、持続性は持たずにすぐその効力は失ってしまう。そして、暴れたことで身体を起こした『干城鍬形』の目に止まった。獲物が目と鼻の先に文字通り止まって、動かない捕食者はいない。四十年間鍛えに鍛え上げ、一本の刀の如く研ぎ澄まされた二振りの鋏が絶好の機会を逃すこと無く九散に襲い掛かる。

 

「ぐぎぎぎぎぎぎぎぎぎ……!!」

 

 幸運なのか不運なのか、鋏の一番先に挟まれた九散は両の手を目一杯広げてつっかえ棒のように鋏が閉じるのを防ぐ。だが今は『鎧』と『鎚』の力しか使えない。否、無意識に『(かんな)』も使っているのだろうが、何分空中である。『鎧』の防御力は半減したと言ってもいいだろう。

 

「(…こ…このまま手を離して落ちれば助かるようには全く思えないわね! 落ちる前に首キーリされるのがオチよ!)」

 

 かといってこのまま状態を維持し続けるのも難しい。折れず曲がらず錆びることの無い『鉋』は最早命綱に等しいが、悪く言ってしまえば少しでも重心がずれた場合つっかえとしての役割は無くなり、九散の胴体は切断されてしまうだろう。これは持久戦か、と思ったがそれは全身を襲う下からの風によって裏切られた。

 鍬形蟲は戦闘において、相手を挟んでから二通りの戦い方が存在する。一つは、力任せに鋏で相手を切断すること。もう一つは、挟んだ相手を地面に叩き付けること。

 

「がはぁっ……!!」

 

 力任せに振り下ろされ、本領発揮できる筈の地面に叩き付けられた衝撃が九散を絶命にまで追い込む。振り下ろされた鋏は地面に叩き付けただけでは飽き足らず、地中にまで深く突き刺してからまた持ち上げ、叩き付けることを繰り返した。二回、三回とそれは繰り返され、往復が八を越えた時には九散の意識がほとんど飛んでいた。頭もぼんやり虚ろになり、全身から力が落ちる。九回目の振り下ろしから振り上げの時に九散の『鉋』が解け、僅かに空いた隙間から勢いに乗って投げ出される。美しかった金髪は血と泥に穢され、絢爛豪華な着物はぼろぼろな布切れに化していた。見る者すべてが目を覆いたくなるような惨状だった。その姿はまるで川辺にうち捨てられた人形のよう。

 激痛で意識が途切れ、地に落下した衝撃で再び覚醒する。しかし全身の致命傷は治ること無く痛みとして残る。僅かに残された電力はすべて意識をつなぎ止める為の信号としてしか使えない。久しく己の治らない怪我を見て軽く自嘲した。

 

「…まだ…、まだ…ね……」

 

 力の入らない腕を支えに起き上がり、再び『干城鍬形』と対峙する。震える腕は恐怖心からくるものではない。世界は広いんだと、改めて自覚させられたことへの歓喜だ。完全に己の勝利を信じて疑わない瞳を見た『干城鍬形』が、哀れみも慈悲も無く最後の突進を仕掛ける。僅かに開いた羽根を振動させて加速力を加算し、最速にして最大の威力で九散をねじ伏せる。それは本来『益荒王兜』に喰らわせる必殺の一撃。己と同じ大きさの巨大蟲を相手に想定した攻撃、凡夫ならばその肉体は砕け散るだろう。だがそれを分かって、九散は真正面から挑む。

 

 ― 来なさい、自慢の鋏もへし折ってあげる ―

 

 そんな挑発で狂う『干城鍬形』ではない。怒りに冷静を注いで己を制御する。鋏の先と先を擦り合わせる様に閉じ、全身の強靱な筋肉と羽根を使って突っ込む。衝突と共に鋏を開き、縦ではなく横に相手を斬り裂く奥義とも言えよう。駆けだした『干城鍬形』を止める者は無く、九散の身体に鋏の先端が突き刺さった。

 

 だが。

 

 

【BGM:祭祀一切夜叉羅刹食血肉者】

 

 

 死ね。死んでしまえ。

 死なぬなら殺す。何度でも殺す。殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して―――殺す。

 殺す。何度でも殺す。生きても殺す。死んでも殺す。殺す為に殺す。

 

 ――『干城鍬形』を襲ったのは、圧倒的殺意。純粋にして純朴、単純にして愚直な殺意。億万の民の怨念を集めても到底追いつく事のない猟奇的領域。目の当たりにする生命を枯渇し、見るだけでも死に耐えてしまいそうな殺意。本来方向関係無く放たれ周囲一帯を死の大地と化す筈の殺意は『干城鍬形』にのみ注がれた。だが『干城鍬形』を()()()に止めてみせたのは何も殺意だけではない。

 巨人だ。

 『鎧』ではない。殺意、敵意、害意――そのすべてを優に上回る化外(げがい)。否、あれは人なのか。人という存在の形をしているのかどうか――蛸や烏賊の様な足が触手の如く『干城鍬形』の影に潜り込み、動きを封じている。九散の背後を、九丈ほどの背丈の巨大な巫女が姿を現していた。

 

「 神咒(かじり)神威(かむい)無間黒縄(むげんこくじょう) 」

 

 殺意は『干城鍬形』の動きを制限する鎖へと、影から浸蝕しその自由を奪う。何十、何百、何千と枝分かれした触手は『干城鍬形』の動きを一切許さない。巫女は静かに笑みを浮かべた。

 随神相(かむながら)

 ある特殊な人種が一定の領域に至った際に発現する使い手の本性が具現化した姿だ。それはかつて『東征』と呼ばれた出来事が行われていた時代に現れた『夜都賀波岐(やつかはぎ)』と呼ばれし化外が顕現させていたものである。

 九散の外見も変貌した。金髪は血に紅く染まり、眼の色相は逆転して白き眼は黒く、黒き瞳は真っ赤に輝き、肌は浅黒くなっている。それは御前試合の最中に垣間見た九散のもう一つの姿だった。

 

不狂(くるわず)――狂わぬこと『(のこぎり)』の如し――解除」

 

 九散の殺意は故意に発生させたものではない。むしろこれこそが九散の本質であり、本物と言えるだろう。完成系変体刀の中でも唯一毒を――殺意を持たない刀、王刀『鋸』。その作用は所持者が持ちし殺意の浄化と抑制という刀という武器を握ることにおいて対極に位置する刀だ。九散は本来膨大な殺意をため込んだ化け物だった。だが生まれてすぐ『鋸』の性質を理解し己に暗示を掛けていた。そうすることで、殺人衝動を無くし合理的に蟲のみを調伏し討伐することが可能となった。

 それを、解除した。

 

「全て腐れ。(ごみ)となれ」

 

 頭足類のような巨人の影が薄れる。続いて現れたのは背中に大剣を背負い壮絶な腐の気配を散布した巨人だった。醜悪さを比べればまだ蟲の方がマシだと言われるかもしれない。巨人は凄絶な笑みを浮かべて『干城鍬形』の鋏を根本から両手で鷲掴みにした。殺意は殺意を重ねて膨れ上がり、背後の随神相が膨れ上がる。随神相から放たれる殺意の風に煽られ、同時に九散の祝詞が流れた。

 

畔放(あなはち) 溝埋(みぞうめ) 樋放(しきまき) 頻播(ひはなち) 串刺(くしさし) 生剥(いきはぎ) 逆剥(さかはぎ) 屎戸(くそへ)

 許多(そこは)ノ罪ト(のっと)リ別ケテ 生膚断(いきはだたち) 死膚断(しにはだたち)

 白人(しらひと)胡久美(こくみ)トハ国津罪(くにつつみ)

 

 かつてどこかで誰かが叫び、忘却の彼方に散った言語が響く。日本語(ひのもとことば)だからこそ復声音混じりにかろうじて聞こえるが、その言葉の真意は誰一人として理解できない。殺気は殺意へ、殺意は猛毒へと変貌し始める。膨れ上がった殺意は周囲一帯の生命を犯し、死へと至らせる。それはもはや毒の伝染。崩れた家屋は汚泥と化し、地が腐の沼に埋め尽くされる。

 

(おの)ガ母犯セル罪 己ガ子犯ス罪

 母ト子犯セル罪 子ト母犯セル罪

 (けもの)犯セル罪 ()フ虫ノ(わざわい) 高津神(たかつかみ)ノ災

 高津鳥(たかつのとり)ノ災 蓄仆(たお)シ 蠱物(まじもの)セシ罪

 種種(くさぐさ)ノ罪事ハ天津罪(あまつつみ) 国津罪(くにつつみ)

 許許太久(ここたふつ)ノ罪出デム 此ク出デバ」

 

 随神相の両の手に力が籠もる。同時に九散の腐毒の瘴気を纏った『銃』の弾丸が鋏の根本に炸裂し、腐敗して折れた。逃げようにも影からの触手が掴んで離さない。そして更にその触手から腐毒の浸食が始まった。五本に減っていた足は先からじっくりと腐毒が進行していき、じわじわと己の一部が欠損していく様が見えた。

 

「 神咒神威・無間叫喚(むげんきょうかん) 」

 

 随神相の背中から大剣が抜き放たれる。同時に九散の手刀に腐毒が纏わり付く。藻掻き苦しみ恐怖に逃げようとする『干城鍬形』だが足は既に腐敗し、触手と腐毒による浸食は飛翔する羽根まで届いていた。すでに強固であった皮膚外装は見るも無惨に腐り落ち、四十年掛けて鍛え上げられた肉体は崩壊を始めていた。そして、巨人の大剣と九散の手刀が『干城鍬形』を一刀両断した。太刀筋の先から零れる腐毒はあらゆる障害を腐滅させ死へと導く。真っ二つに別れた斬り口から腐毒が急速な浸蝕を始め、次の瞬間には大質量の泥に成り果てた。

 

「くっ………不狂――狂わぬこと『鋸』の如し…」

 

 全身から力が抜け、随神相が霧の如く消える。髪の色が元に戻り声が戻ったことを確認できたのは、意識を失いかけている九散からすれば僥倖と言えよう。視界が真っ暗に埋め尽くされ倒れる直前にすべてを封印する祝詞を唱えて、九散は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 




家重は開始4行くらいで消えましたwww
今回は割とガチな戦闘パート。やりきった感があるぜ…!!

※6/19訂正


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十六太刀目

 前回は装甲悪鬼屑兄さんとルサルカちゃんが大活躍!
 今回はかなーり長くなっちゃいました説明パートです
 前回バトルパートだったからいいよね!


 

 夢を、見た。

 数年前、一家親戚一同全員が集まって執り行われた会議があった。話の内容は、一人の少女。会議を提案したのも、一人の少女。信濃にある山中の一軒家、かつて完成系変体刀十二本が一振りである炎刀『銃』が納められていた禅寺を改装した平屋である。ひとたび森に這入れば天然の迷宮が侵入者を阻む。ここに来れるのは根城にしている鑢一家と錆一家の生き残りのみ。御堂のような広い造りの中枢、座禅を組むであろう大広間に五人の人影があった。

 一人は祭りの時にでも着るような華やかな浴衣を纏う異国風の女。薔薇の簪を差し、『不忍』と書かれたお面を手元で弄っている。

 一人は手入れがあまり行き届いていない伸び放題のぼさぼさ頭を強引に一本でくくっている傷だらけの大男。正座をしようとしているが慣れてないのかすぐ崩してしまう。

 一人は市井百姓となんら変わりない粗忽な着物を羽織る黄土色の髪の女。頭が船を漕ぎ、瞼が閉じかけては開き、また閉じかける。眠いようだ。

 一人は腕を組み顔を黒衣のように隠した灰髪の男。黒づくめが本来の黒衣であるが、修行僧のような服装も顔を隠す幕も全て灰色だった。まるで灰そのもの。

 そして最後の一人――最初の一人目と瓜二つの金髪の少女。正座をしながら全員の顔を見渡している。

 五人全員は中央に立てられた燭台の明かりを取り囲むように座していた。炎が揺らめき、少女が口を開く。

 

「――以上が、私が立てた仮説です」

「ちょっと待ってくれ。俺には何がなんだかさっぱりなんだが」

「アンタ本当に頭悪いわねぇ」

「え? ×××は分かったのかよ」

「………」

「眠い~~…」

 

 あぐらをかくことに徹した大男の待ったを異国風の女が嗜める。灰色男は腕を組んだまま何も言わず、黄土色の髪の女はもう少しで夢の世界へ行きそうだ。

 

「つまりですね、私がこの一族…否、この世界で異端ということです」

「いやいや、異端っつーんなら俺達みんなはぐれ者じゃねぇか」

「馬鹿ね、そういうことではないのよ」

 

 『不忍』と書かれたお面の内側から扇子を取り出し、妙齢の女性はパンっと広げた。

 

 

「ここにいる……かつて四季崎 記紀が作りし十二本の刀集めに関わっていた私達の代で四季崎の呪いは消えた。ここまではわかるわよね? そこで寝かけてる八穂がいい証拠だわ」

「おい八穂…眠いのは分かるけどもうちょい起きてくれ。折角家族全員集まってんだから」

「んにゃー…」

「灰徒ー、お前の力で起こしてくれよ」

「………」

 

 腕を組んだまま動かない。ガン無視である。

 

「続けるわよ、七花くん達鑢一族に掛けられた四季崎の呪いは『刃物を使えない』『体こそが刀である』。この二つね。でも八穂は違う」

「――ええ、包丁は普通に使えますし触れれば切れるなんてキチガイ染みた肉体ではありません。むしろ運動には適さず、走ることだって母には相当なものです」

「運動イヤーっ」

「……こんな感じです」

「そう、八穂の代で四季崎記紀の呪いは解けた。まぁ、錆一族の子孫である灰徒くんは未だ解けてるのか解けてないのか微妙だけど……」

「でもよ、灰徒の不刀流は灰徒自身の研鑽の末に出来たんだろ? それなら解けたってことでいいんじゃ…」

「否定する。私は七花くんの戯言を否定するわ」

「錆一族に掛けられた呪いは『天才的剣客』。七花おじさんこと虚刀『鑢』が『刀を用いない最強剣士』ならば全刀『錆』はその対極の『刀を用いた最強剣士』が呪いなんです。確かに刀を使わなくなったという点では灰徒父さんの呪いは解けたように見えますが、刀成らざるものを刀として扱う不刀流は形はどうであれ、やはり剣術なのです」

「花丸」

「ありがとう」

「………」

「……えーっと、つまり灰徒は中途半端に呪いが残ってるわけだな」

「むしろこれで分からなかったら絶交よ」

「おじさんはホント馬鹿よね」

「……なぁ、おれなんか悪いことしたか? 二人ともセメントなんだけど…!」

「セメントって?」

「あ、やべっ」

 

 時代は江戸です。

 

「………」

「話を纏めると、私が四季崎記紀の刀を塩水撒いて壊したからか〝この時代〟に存在する四季崎記紀の因子が消え、尾張幕府が跡形も無く消失した」

「因子?」

「時代に意識として繋ぎ止める楔のようなものだと思ってくれればいいと思う。毒刀『鍍』の四季崎の意思? みたいな『所有すると斬ってみたくなる』症候群よ」

「ああ、共感覚みたいなやつか」

「ぐー」

「あ、もう寝てるわ」

 

 共感覚。それは七花が刀の蒐集をしていた時期に感じた同じ四季崎記紀によって生まれたものとしての共鳴である。もっともそれはいまになって言えば、四季崎記紀の意思を継ぐ者が円滑に刀集めをさせる為に施したものと考えるのが打倒だろう。奇しくもその事実を知らなかった大乱の首謀者・飛騨鷹比等の娘であるとがめが刀を集められたのは、四季崎記紀の作りし最後の一振り虚刀『鑢』こと鑢 七花を

迎え入れたことが原因とも言えるのだが。

 

「楔の崩壊によって時代は根本の部分が削除、修正されおそらく今の世は未来における正しい歴史――正史の道を歩み始めたわけよ」

「それに伴い私達一族である虚刀『鑢』、全刀『錆』は血族による呪いを維持出来なくなり、普通の、ごく普通の、歴史にも残らないような普遍的存在に戻り悠々自適に過ごす……はずだった」

「…そこで、九散の話になるわけか」

「否定するわぁ~。その前にここ最近出現したへんてこりんなでっかい蟲の話ね」

 

 蟲。いまから約百年前にこの日ノ本の国に出現したと言われている巨大昆虫。だがこの百年というのが問題だった。

 

「ねぇ、百年っていったら私達まだ生まれてなかったわよねぇ。じゃあなんで百年前に蟲が出現したってことになってるのかしら」

「えーっと…」

「………」

「すぴー」

「ウチの両親は……。おそらく、そこで歴史の食い違いが発生したのではと思われます」

 

「食い違い?」

「はい、四季崎記紀が生み出した歴史を壱だとします。壱が変遷し弐になったとき既に壱の未来は途絶され、弐の未来がこの世界では移植され始めている……つまり、この蝋燭の継ぎ足しみたいなものです」

 

 九散は部屋の中央にある蝋燭に近寄る。既に蝋燭は燭台間近にまで燃え切っており、九散は傍らにあった火が灯っていない新しい蝋燭の頭に乗せる。これでわざわざ火を付けなくても当分の間は蝋燭が灯ったままだ。

 

「蝋燭の一本一本を一つの歴史に見立てれば、寿命が尽きた歴史は根幹も丸ごと次の歴史に移り変わるわけか。わかりやすい例えだな」

「花丸。だから四季崎記紀の刀に関わった鑢一族や錆一族、出羽の心王一鞘流師範とか薩摩の海賊とか出雲の三途神社の巫女とかは歴史の食い違いに違和感を感じるかもしれないわね」

「なるほどな」

「わたしはまだはたらくときではないー」

「………」

 

 感心して頷いて――頷いて、うん? と首を捻った。七花の中でこの話の全容が分からなくなってきたのだ。

 

「ちょっと待てよ、それってなんかおかしくないか?」

「さーて七花くんの質問責めよぉ。心して聞きなさい」

「いや、そこまで期待されても困るんだけどさ……一個気になるんだけど、時代が元から変わっちまったんだろ? だったらなんで九散は虚刀流が使えるんだよ」

 

 ―――そこが、今回の話の要だった。時代は変遷し歴史が根幹から移り変わった。八穂の様子からわかるように四季崎記紀の呪いは解け、灰徒が患っている錆一族の呪いも薄れている。だが、二人の娘である九散は四季崎記紀の呪いが蘇っている。

 

「……それが最初の話よ。九散はおそらくこの世界で異端なの。それがもし蟲の出現によるものなら――二通りの仮説が立てられる」

「一つは、私がなんらかの縁で蟲発生の原因に関与していること」

 

 蟲の被害は九散達にも届いている。田畑を荒らし、山を削り、川を穢し、人々を蹂躙する。過去の記録から遡っても被害は惨たらしいものばかりだ。その原因が、自分かもしれない。

 だが別段己の存在に罪悪感を感じることは無かった。もし己の存在が蟲を出現させる引き金で一萬人死んだのであれば、これから一億人救えばいい。

 

「もう一つは、その蟲を対峙するためには四季崎記紀の刀の力が要るってことね」

 

 武力。四季崎記紀が占星術師であることはこの場にいる五人には周知の事実だ。来たる外海からの侵略に対抗すべく、未来の技術を行使してこの日ノ本の国を守ろうとしたこと。その未来技術の結晶とも言える刀が蟲に有効なのではないか、と。

 

「九散は――虚刀流だけじゃない。かつて七花くんが相対し蒐集し破壊した完成系変体刀十二本と、その所有者の知識もあるの」

「え、マジか?」

「――はい」

 

 このあと九散は疑いの目を向ける七花に、四刻掛けて七花しか知らないような刀集めの全容を話した。懇切丁寧に、である。

 

「~~わかったわかった! っていうかなんでとがめと寝たこととか接吻の時の気持ちとか知ってんだよ!?」

「やはり恋愛を知らない初心な男を弄ぶのは愉しいですね」

「過去の女の後ろ姿を追い掛けてるんだったら離婚するわよ」

「してねぇよ!」

 

 散々である。

 

「でも知識と記憶があったところで作れんのかそれ」

「無理ね。でも使う(すべ)はあるわ」

「へ?」

 

 す、と九散が立ち上がり背後から鉄板の残骸を持ってきた。ぽい、と垂直に投げ込み手刀を構えた。

 

不砕(くだかず)――砕かぬこと『(なまくら)』の如し」

 

 手刀が鉄板に叩き込まれる。だが大広間に響いたのは打撃音ではなく鍔鳴だった。

 しゃりん。

 手刀が収まっている。程なくして鉄板が落ち、真っ二つに割れた。そして九散の身体が浮かび上がる。

 

不捕(とらわれず)――捕らわれぬこと『(はり)』の如し」

 

 鉄板が地面に落ちた際に発生した風が九散の肉体を吹き飛ばした。蒲公英の綿毛のように浮いた身体はしかし、重力に従い急降下する。

 

不浮(うかず)――浮かぬこと『(かなづち)』の如し」

 

 羽根のようにふわふわ浮いていた九散の足が落ちていた鉄板を貫通する。あまりの重量に耐えきれず床が沈んだ。

 

「――と、このような感じです」

「凄いでしょ」

「いやいやいやそんなドヤ顔されても困るって! しかも今の衝撃で起きねぇ八穂もすげぇ!」

「ほめてほめて~」

「あれ、起きてる?」

「………」

「ともかく、正史から外れた歴史の副産物は存外役に立つものなのよ。そして九散がこうであることは、歴史は未だ正史ではないのかもしれない」

「え?」

「あくまでも七花おじさん達の時代よりは正史に近いですが、正史の流れならば私という存在――いえ、四季崎記紀の因子は消えてもおかしくないんです。ではなぜ残っているのか。それは、この歴史に四季崎記紀の因子が必要とされているからなんです」

 

 歴史に必要とされる。それがどれだけ奇抜で奇異で自己中心的な意見だか、九散自身にもわかっている。だが七花達の時代に存在しなかった蟲と呼ばれる存在は明らかにおかしい。もし百年以上も前に蟲が存在していたならば、疾うにこの国は滅んでいるからだ。生物として、そして人類の歴史として異端の存在であることは間違いない。

 

「現在七花おじさんの故郷…というか、不承島が含まれた領域である西日本は蟲に支配されています。二人はそこで蟲の発生原因を調査して来てください」

「俺と?」

「私よ」

 

 うふふと×××が笑う。だがそれと対照的に七花は絶望していた。

 

「老害の俺に、しかも障子紙程度の防御力もない女を侍らせて行くのかよ……!」

「否定するわ。掛け軸程度の防御力はあるわよ」

「対して変わらねぇ!」

「あらあら、じゃあ日本最強の座はもらっていい?」

「九散に渡すなんてごめんだ……わーったよいつかあげるから泣きそうな顔しないでくれよー!!」

「泣き落としって効くのね」

「九散んるんー」

「………」

 

 こうして、鑢・錆一族合同会議は終了した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………あれ、おかしい。

 夢の内容は終わったのに、九散の視界は真っ黒で埋め尽くされていた。目が覚める気配が無い。ではまだ夢が終わっていないということになる。漆黒の空間を漂い、夢の中で寝ようと瞼を閉じる。だが目の前に明かりが灯り覚醒を余儀なくされた。なにより、

 

「…なんで、いるの」

「………」

 

 蝋燭が灯る向こう側で、灰被りの父が座っていた。

 

 -思い出せ

 

 コエが聞こえる。声無き父の声に相違ない。だが何を思い出せというのか。

 

 -思い出せ

 

 わからない。動物個体間情報伝達障害者まがいの父が今更何を言っているのか。

 

 -お前がこの世界にいる理由は、()()()()()()無いはずだ

 

 ---………………………。

 

 明かりが、消えた。

 

 

 

 

 浮上する。意識が覚醒していくのがわかる。次第に定着し始めた感覚が全身の痛みを訴える。熱い。まるで釜戸に放り込まれているような気分だ。だが同時にその痛みは癒しへと変換されていく。そして、

 

「九散殿オオオオオオオオオオオオオオオォォォォ!!!!!!」

「…………五月蠅いわ」

 

 耳元で喧しい声が聞こえたので振り払う。まるで寝ている時に飛ぶ蚊を叩くように。すると声が止まり、代わりに壁にめり込む音と蛙を踏みつぶしたときに聞こえるような呻き声が聞こえた。

 

「大丈夫かい九散く…って仁兵衛くん大丈夫!?」

「うわ壁に埋まってるし…!」

「怪我無ぇか九散ちゃん!」

「あ、め、目が覚めてる…!」

 

 続くようにずかずかと『市中見廻り組』の全員が入り込んできた。平屋の布団に寝かされていたところから、どうやら九散は『干城鍬形(かんじょうくわがた)』との戦闘後ここで寝かされていたようだ。

 

「大丈夫よ。心配掛けたわね、ありがとう」

「いやいやいや! 医者からは全治一ヶ月らしいからあと三週間は…ってそれじゃなくて!」

「さっきここに雷が落ちたのよ! 感電とかされてない!?」

「雷…?」

 

 ふと、天井を見上げる。そこには木組の天井は無く、雲一つ無い青空が覗いていた。現象的に、晴天時に落雷が起こるなど聞いたことがない。

 

「晴れてるのに…急に空が光ったかと思ったら雷がっ……!」

「無涯さん、いる?」

「…ここにいる」

 

 開いた天井の端から白髪が覗いていた。おそらく屋根伝いに駆けつけてきたのだろう。

 

「下手人は」

「…すまない。逃げられた」

「あの無涯様から逃れた!?」

「ってオイ、下手人たぁどういうこった」

「……まぁいいわ」

 

 下手人の目星は着いている。恐らく予想通りだろう。先ほど流れ込んできた過去の記憶と全身の完治。前者はともかく、後者は九散を狙ったというより九散を助けたと言うべきだろう。悪刀『鐚』の力が作用し全身の傷は全て癒え、充電満タン状態にまで溜められている。だが下手人が予想通りの人だったとして、

 

「(…何を思い出せというのかしら)」

 

 刀のことか。

 『干城鍬形』との相対でやむを得ず出した天魔の力か。

 それとも---

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 

 江戸の中に未開拓地がある。人口増加による町の開拓と食料確保のための新田開発で土地の割り振りが大変なのに、である。だがそれには理由があった。かつて語られざる歴史で『第壱級災害指定地域』と判断され、この世のありとあらゆるがらくたを掃き溜めたような塵の要塞。

 名を『不要湖』。

そんながらくたの山々に覆われた中央部に、修行僧のような衣を羽織る一人の男がいた。その姿は驚くことに、大盆にて行われていた御前試合の神楽の審判役を務めていた男だった。顔を黒衣のように灰色の垂れ幕で隠している。その男の方に、一羽の鴉が留まった。

 

『真庭忍法口遷し--相生忍法声帯移しのパクリですねん。来ましたで、灰徒はん』

「………」

 

 鴉が鳴く--のではなく話した。人語を使って。ややクセのある口調さえも鴉の声帯は発音が可能のようだ。それに無言で応えた男---九散の父である灰徒だった。

 

『蟲狩総勢は蟲奉行様の尻尾掴んで八丈島に向かおうと動いとります。--で、ウチらは何すりゃええん?』

「………」

『…へ、へ、へ。ええんですかい? 仮にも灰徒はんの娘やろうに』

「………」

『まぁ、そないなことやったら承りましょうか。灰徒はんはウチら真庭忍軍の救世主やもんなぁ、その頼みは無碍に出来へん』

「………」

『言うておきますけど、ウチら真庭鵺組総出で掛かれば娘さん圧殺やで? 死体は---』

「………」

『はいはいはい、わかりましたよ。ほな、失礼します』

 

 ただ一方的な会話。だが鴉の声を借りた者には灰徒の沈黙がわかっていた。沈黙は沈黙ではなく、一つの会話としての会話で。鴉が一鳴きしてばさりと羽ばたかせて空へ消えると、灰徒は溜息を漏らした。疲れたように手を団扇に見立てて振れば、ひとたび疾風が吹き荒れる。不要湖の中央で巻き起こった竜巻はあっと言う間に消え、灰徒の姿も消えていた。まるで、風に吹かれて消し飛んだ灰のように。

 

 

 

 




ちなみに七花の否定姫の外見はあまり変わってない想像で構いません。というか想像できない(^_^;
 そして九散はロリ九散。年齢としては13歳くらいですかねぇ
 このあと、七花と否定姫は今の蟲奉行様と相対しますが、本編では出せない…というか出すスペースが無い…!

 次回は八丈島の変です。そしてまさかのまにわに登場
 次回もお楽しみに!

※6/19
 「関わっていた」の方が良いと思いそのままにしました


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十七太刀目

更新が遅れてしまった理由……それは作者である私が乱心して先に最終話の下書きっぽいのを書いてしまったことである!!(ヲイ)
今回はわりとつまんないです。でもバトルオペラ作家(?)としても連戦前の小休止は必要でしょ!


 

 

 江戸――太平洋海域。

 伊豆にある数百の島々には現在大島・利島・新島・式根島・神津島・御蔵島・三宅島・青ヶ島の七つの島が有人である。そして数百ある内の一つの島に江戸幕府お抱えの島がある。その島の名は――八丈島。島全体が活火山であるが故に人が住めず、しかし活火山という割にはあまりにも生命力が枯渇した島だ。それは島古来からの状態であるが、()()()()ではそうらしい。

 

「ふぅん……そこに蟲奉行様がいるのね」

 

 江戸湊から出された江戸幕府が持つ最大規模の帆船に乗っている九散は金髪の毛先を弄りながら呟いた。浴びた潮風を鬱陶しげに払いながら、青い水平線を見つめる。現在帆船には『寺社見廻り組』の者と『市中見廻り組』の者が船の整備と航路の確認に奔走していた。

 ――数刻前、江戸幕府新中町蟲奉行所より一つの伝令が下された。蟲奉行様が潜伏している八丈島に、刺客が向かっているそうだ。その刺客の集団名は『蟲狩』。全国に蔓延る蟲を殲滅する為だけに存在している流浪の戦闘集団だ。実際九散はその集団と会ったことが無い。だが、蟲を殲滅するだけに存在しているという点では『市中見廻り組』の無涯と通ずるところがある。無論、それは気のせいではないだろう。波風に揺らされてぎぃぎぃと木組の帆船が軋む。まるで揺り籠の乗っているような気分だった。『干城鍬形(かんじょうくわがた)』との戦闘からまだ数日と経ってはいないが傷は完治しており、波に揺られる気分もそう悪くない。

 『干城鍬形』との戦闘後の町だが、九散の腐毒は『干城鍬形』を腐らせるに留まり町にはそこまで被害が及んでいなかった。腐った『干城鍬形』は大量の汚泥となり、更なる腐滅によって空気中に分解され霧散した。まるで蚯蚓が落ち葉を分解した様な感じだった。それほど九散の腐の力が強大であったのだろう。よって江戸町の被害は最小限に留まり、今では倒壊した家屋の立て直し作業に入っている。出来れば蟲奉行所の者達も手を回したいのだが、不運にも九散達が八丈島に向かった直後に蟲の襲来があり、断腸の思いで力仕事なら一番の猛者『武家見廻り組』が船を下り討伐に勤しんでいる。つまり、九散達の今回の任務はかなり切迫しているのだ。『蟲狩』が何故蟲奉行様を狙うのか分からないが――だいたい見当は付く。

 必要とあらば『蟲狩』と戦闘しつつ蟲奉行様を救出、その後すぐに江戸へ帰還して蟲の殲滅。人手不足が否めない。だがそれよりも―――

 

「………」

 

 後ろを振り向く。そこには来た時と変わらない江戸の町が見えた。だけどそれはもう二度と見られないだろうと、非常に不思議ではあるが予感がしていた。それは一種の予知に近いものなのかもしれない。確信とでも言おうか。もしそれが本当なのだとしたら非常に惜しまれることだ。まだ江戸に来て一月と経ってはいないが、あまり一所(ひとところ)に留まって過ごすことのなかった九散にとっては第二の故郷と呼んでもよかったかもしれない。

 

「……ん」

 

 ふと、航路先に奇妙な気配を感じた。さっきまで考えていたことを頭の中から排除し戦闘態勢に切り替える。船頭にいた無涯もそれに気付き身構える。既に塵外刀は抜かれていた。同じく、異変を察知した手練の者達が船首へ振り返る。

 船が向かう先――八丈島。その行く手を阻むように、波風立つ水面に一人の男が座り込んでいた。不健康そうに細く、白い身体は生と死の狭間を彷徨っているようで、それだけに男から放たれる殺意は酷くおどろおどろしい。細く開いた目が無涯を捕らえる。

 

「裏切り者が、船頭してらぁ」

 

 別段、驚く事ではない。この船を遮るという時点で蟲奉行様の暗殺を目論む『蟲狩』であることは知れていたし、無涯が元『蟲狩』である以上裏切り者呼ばわりされるのは至って自然だ。そして水面に座り込むという芸当も、かつて七実が相対したとされる真庭忍軍の拳法のように見えるが、決してそれは完全版ではなく水面に浮かせた薄い茣蓙の浮力を利用しただけである。

 この程度、誰にでも出来る。

 

「いやいやフツー出来ないわよ」

「あら、そうなの?」

「まぁ…ね。アタシは忍の家系だから出来ないこともないわよ」

 

 隣にいた火鉢が苦笑気味に溜息を付く。刺客が行き先を遮るという場面であるにも関わらず冷静に相手を分析し、あまつさえ冗談を言ってしまうほど落ち着いているというのも妙な話だ。いや、本人からすれば冗談では無いのだが。しかし、

 

「きゃあ!?」

「あら」

 

 斬撃の通過を感じたと思ったら、帆船が解体されていた。雑談に興じている暇は無さそうだ。火鉢は即座に風呂敷を広げて空へ飛び、九散は適当な帆船の破片を見つけて足場にする。船頭が傾いて天を指すのと同時に、無涯と不健康そうな男――未那蚕(まなこ)が斬り結んでいた。無涯は塵外刀を駆使し、未那蚕は鎖に繋がれた二振りの鎌を操り対峙している。幾重もの剣戟が散り――なるほど、伊達に『蟲狩』に所属していない。腕はそんじょそこらの剣士より上のようだ。お互い遊んでいるというか、じゃれ合いにも似たおふざけの戦闘のようだが他の皆は見上げて唖然としている。それだけ、彼等との実力の差があるのだろう。

 重心を安定させて水面に浮き、冷静に分析していると二人の剣戟が止み船頭に鎌を引っかけてぶら下がった未那蚕がこちらを見た。

 

「お前さん美人だなぁ……ひょっとして錆 九散か?」

「あら、私の名前をご存じで? 『蟲狩』さん」

「ハハッ、そう警戒すんなって」

 

 ふりふりと手を振って敵意が無いことを示し水面に降りる。敵対しているのに九散にだけは敵意が無い――むしろ、九散にだけは手を出す気が無いようだ。それは実力を知っているが故に手に負えないからなのか。

 

「実はウチの…『蟲狩』にな、お前さんに用がある奴がいるんだわ」

「……コイツに用だと?」

「おっと、裏切り者が知らないのも無理無ぇよ。だってソイツ等はお前が抜けた後に入ってきたんだからな。……まぁ一人くらいは顔見知りかもしんねーけど」

「どういう意味だ?」

「その刀」

 

 未那蚕は無涯が持つ塵外刀を指した。

 

「その刀を作った奴…知っているか?」

「………」

「だんまりか…んで、ソイツが戦闘要員として入ってきたんだよ。おや、お嬢さん心当たりあるんかい?」

「……なるほど、ね」

 

 頷く。無涯の刀、塵外刀を拵えた者。それには興味がある。もしかすると、九散が蟲奉行所からの推薦状が送られるまで探していた人物に該当するのではないかと思ったからだ。それは、かつて存在していた伝説の鍛冶職人の血筋。

 

「…皆さんごめんなさい。その人、私も用があるみたいなの」

 

 軽く腕を振り下ろし、海を割る。『鈍』と『針』の合成によって生み出された斬撃は八丈島へ続く道をつくった。左右を滝の如く落ちる海水を横眼に見つつ、海底が浮き彫りになった道を歩く。その様を見た未那蚕は流石と言わんばかりに口笛を吹いた。

 

「ヒュウ、おっかねぇな」

「九散くん!?」

「小鳥さん、恐らく私を誘っている人は放置しておけば簡単に蟲奉行様を暗殺出来る人でしょう」

「んな……!?」

 

 その言葉に小鳥のみならず、『寺社見廻り組』の夢久も驚愕していた。夢久は九散の強さを間近で見て、そして完敗した。己を圧倒的戦闘能力で負かした九散が言う言葉だけに、危険性があった。

 

「……ならばそいつ、貴様ならば打倒し得るか?」

「………さあ」

「ならば駄目だ」

「何故かしら…理由を聞いてもよろしいかしら? 夢久さん」

 

 歩みを止めて返答を待つ。いままで九散は何度か『寺社見廻り組』と蟲退治をすることはあったが、ここまでムキになることは無かった。それは初戦で夢久を負かした上に九散の歯に衣着せぬ性格上言い合いになることはあったが、決して仲が悪い訳ではない。それは馴れ合いでもなければ喧嘩でもない。単に、相性がまずまずなだけだ。

 

「貴様がそいつと戦いに行くというなら、勝つつもりで行け」

「……あはっ」

 

 可笑しそうに笑う。それは九散の疑念を一気に吹き飛ばし歩みを再開させるきっかけにもなった。そうだ、榊原夢久とはそういう男だった。己の心配などしない。気遣いなどもっての他だ。だが、妥協は赦さない。実に彼らしい。

 

「ええそうね。勝利を我らが御大将―蟲奉行様のため、この地を凱歌で染め上げて見せましょう」

 

 前に進む一歩を貰った気がした。勿論足を止めたのは夢久の言動が聞き捨てならなかったということもあるが――なにより、これからの戦いに己が切り抜けられる気がしなかったということもあった。下手に予知してしまったが故の、恐怖。二度と江戸に帰れなくなる…それはこの身に想像だにしない災厄が襲うことに他ならない。そもそもそのような予知をいままで感じたことがなかったのも原因の一つ。

 既知のようで、まったく体験したことの無い未知の領域。その一歩に踏み込むことへの恐怖。それが一切消え去った。やはり持つべきは友――いや、下僕だ。

 

「貴様いま失礼な事を思わなかったか!?」

「あら~そうだったかしら? ま、私にそこまで言ったんですから…当然、夢久さんもあの程度はやっつけてくださいよね」

 

 あの程度かよ、と九散に指された未那蚕が溜息を付く。同時に夢久の顔が強張った。ざまあみろと心中ぼやいて、それを尻目に一気に駆け出す。駆け抜けた道を即座に海水の濁流が押し寄せる。断たれた退路は振り返らない。前に進み続けると決めたから。

 

 

 

 

 

 

 

 




なんか今回は書く手が拙かった……あれ、もう完全にバトル一色に染まってやがるなぁ
そして追記としてやっぱりタグにめだか入れといて正解だったと自負しているナリ


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十八太刀目

さてさて今回より短めですが「新生真庭忍軍真庭鵺組の章」のはじまりです!
あっ、封獣ちゃんではありませんよ?


 

 

「いらっしゃーい」

 

 八丈島について開口一番がそれだった。背後から濁流の如く押し寄せる津波と競争するように割断してできた海底の道を全力疾走すること半刻、ようやく島の砂浜にまで到達し道が消えていく様を感心しながら見ていた矢先のことだった。どうやら九散の手刀による割断は砂浜まで抉っていたらしく、そのまま着いてすぐ足を止めていれば抉れた溝に海水が流れ込みそうだったので脇に逸れる。すると、

 

「きゃーきゃーきゃーきゃー!?」

「えー。無いわ、それ」

 

 波に巻き込まれた。恐らく九散を待ち構えていたであろう女は流れ込んで来た海水に呑まれて必然、海の方まで流される。泳げないのか演技なのか分からないが、取り敢えず見殺しも後味悪いので海に飛び込む。あめんぼのように海上を走り抜け、溺れかけている女の首根っこを掴みこんで岸へ放り投げた。だが当たり所が悪かったらしくその砂浜にある唯一の岩礁に頭を打ち付けて、女は陸に起き上がった魚の如くびたんびたんと身体を跳ね上げさせていた。因みにわざとである。先手必勝は勝負の世界では大事だ。外道? それは神父様に言って欲しい。

 

「アァァァァ――割れたァ! 私の頭が真っ二つに割れたァー!!」

「大丈夫よ、大きなたんこぶが出来てるだけだから」

「貴女さっきのわざとよねぇ!? しゃーっ、赦さないわ!」

 

 砂浜に降り立った九散を見るなりシャー、フシャーと蛇だか猫だがなんだか分からないような威嚇の声を上げる。だが、こいつは蛇だ。九散は直感でそれを理解していた。いや、知覚でいい。なぜなら露骨に彼女の服装が蛇を意識した格好だからである。背丈は推定五尺―九散より頭一つ分小さいが、青と緑を基調とした半袖の()()()、露骨に再現された蛇の鱗、大蛇の頭をそのまま斬って貼ったような被り物。青みが掛かった長い髪が一本に纏められているのが蛇の尻尾を思わせる。そして全身を締め付けるように巻かれた鎖。

 

「新生真庭忍軍真庭鵺組が一人、真庭海蛇(うみへび)よ」

「………驚いたわ」

「へへん、驚いたでしょ? まさか貴女達鑢一族や否定姫の部下だった右衛門左衛門、そして真庭鳳凰を乗っ取った四季崎記紀によって絶滅し歴史から排除されたと思っていた真庭忍軍が生き残っているなんて、ね!」

 

 えっへん、とさして大きくもない胸を張る海蛇。

 その通り、数十年前に祖父である鑢七花の刀集めの旅において真庭忍軍十二頭領は落命し、乱心した真庭鳳凰――現実では四季崎記紀の意識に乗っ取られた――が真庭の里で真庭忍軍の残党を駆逐した。つまり、文字通り全滅したのである。それは否定姫や現場に居合わせた七花からも聞いている上、鑢一族と錆一族は共通見解として真庭忍軍は絶滅したと結論付けるには充分であった。

 だが、生きていた。

 

「ああ、そのことを言ってるのではないわ」

「じゃあ何?」

「――あなたみたいなちびっ子が真庭忍軍に入っていることに驚いていたのよ」

「なんッ……」

 

 余裕ぶっていた顔が怒りの赤に染まる。

 実際、九散は真庭忍軍の生存に驚いていた。だが狼狽は敵の流れに呑まれる可能性があったし、加えて先程の言葉は九散の本心だ。いまだ頭領と名乗っていないだけマシとも取れるのだが、それでも自分より六つは幼いであろう。そんな彼女が真庭忍軍と名乗り、そして九散を待ち構えていた。それは九散との相対に相違ない。

 

「ふ、 ざ、 け、 ん、 な、 ぁ、 !!」

 

 だから、激昂させた。

 しかし九散は海蛇を慮っている訳ではない。むしろ警戒しているのだ。もはやこの際絶滅したと思われていた真庭忍軍の現存という今明かされる衝撃の真実は置いておいて、幼いながらもこうして九散と相対するということに対して危険性があったのだ。

 かつて、完成系変体刀の蒐集において現役であった真庭忍軍十二頭領の中に、歴代最年少で頭領になった者が居た。その名は真庭人鳥。真庭忍軍十二頭領が一人にして真庭魚組所属。彼は別名『増殖の人鳥』と呼ばれており、真庭忍軍を影で支える情報収集の専門家であった。それは彼が持っていた天賦の才能と忍術を掛け合わせた『忍法・運命崩し』によるものでもあるかもしれない。幸運。彼が生まれ持っていた、天から愛された証とも言えよう。

 つまり、そういう生まれ持っての特殊才能を有している可能性があったと判断した――だからこそ、幼いが故に引っかかりやすい挑発を仕掛けたのだ。子供は扱いやすい。

 

「しゃー! その減らず口すぐ塞いでやるっ!」

 

 不意に、九散と海蛇の周囲の砂が飛び跳ねた。二人を中央にして砂浜から出て来たのは――鎖。即座に確認しただけで十本はあるであろう鎖が天に舞い上がっていた。

 

「真庭忍法・蛇輪縛鎖(じゃりんばくさ)!」

 

 地に手をついた海蛇が吠える。同時に舞い上がった鎖は霰の様に九散へと降り注いだ。即座に迫り来る鎖の霰から逃れようと砂浜に踏み込むが、動けなかった。

 

「な――」

 

 砂浜に埋もれていた足が上がらない。いや、むしろ砂浜に引きずり込まれていると言ってもいい。それは九散の足に巻かれた鎖が原因であった。いつの間に、と思った九散は間違いではない。なぜなら九散の様な猛者は例えいかなる状況であっても足下を疎かにしない。それは九散自身刀であり剣士であり武士なのだ、戦う者として踏み込みに大切な足下の注意を怠る訳がない。それはつまり――海蛇が九散にも気付かずに拘束出来る技術を持っているということだ。だから、

 

不生(いかさず)――生かさぬこと『(びた)』の如し」

 

 最初から、全力で挑む。動けない、腕を振るう時間がないとなればこの状況を乗り越える手段は限られている。

 故に、主に足下を中心に放たれた雷光が視界を白く塗り潰す。あまりの光量に耐えきれず眼を瞑る海蛇。だが光が止んで眼を開けば、拘束していた筈の九散が居ないことに気付いた。

 

「あーくっそぅ、抜けられちゃったかぁー!」

 

 悔しそうに地団駄を踏む。だが手は砂浜に付けたまま。逃してしまったことに憤慨しつつ、宙へ打ち上げた鎖を地中へ戻して考え込む仕草を見せる。そしてその背後に――九散が襲い掛かった。

 

「なんてね」

「ッ!?」

 

 背後から必殺の一撃で屠ろうとした腕が、どこからともなく飛来してきた鎖に捕縛されて封じられる。同時に投網のように組まれた鎖が背中を押し出し、飛び掛かった勢いを更に加速させてそのまま海中に引き摺り込まれた。砂浜から出ていたであろう鎖は海を経由し再び砂浜から出ていたことが、九散の『鐚』による雷撃を無効化したのだ。

 

「(コレは…まずいっ!!)」

 

 海中に入ったと同時に雁字搦めになった鎖が九散の全身を締め付ける。鎖に拘束された手足が速くも青白んでいる。解こうとすればどんどん拘束力が増し、動きが制限されていく。海中に引き摺り込まれた際に目一杯息を吸ったはいいが、鎖による圧迫で速くも息切れを起こしている。

 九散は当然人間だ、戦う環境における得手不得手が存在する。中でも『鐚』が扱えない海中では、水分を多く含んだ着物と水中の浮力など様々な力によって満足に身体を動かすことが出来ない。腕を抜こうと鎖を押し退けようとするが、そこに別の鎖が絡み付き動きを封じた。周囲が次第に昏くなっていくことから海底へと引き摺り込まれていくのがわかる。急いで抜けようと足掻くが―――

 

「ごぼぉっ」

 

 喉に絡み付く鎖が酸素を絞り上げ、息を殺される。更に深度が下がったことにより水圧に圧迫されて全身が悲鳴を上げた。少しでも上へと手を伸ばすが、それは新たな鎖によって叶わない。あれほど当たり前だった太陽の温もりが、もう遠い過去のように感じられた。

 眼球が痛む。骨が軋む。血が逆流したように熱い。感覚というものが麻痺していく。身体が、動けない。

 

 

▼ ▼ ▼

 

 

 海面から気泡が消え、代わりに真っ赤な血で染まっていくのを確認した海蛇は万歳した。

 

「やったぁー死んだ! 死んだ! 死んじゃった!」

 

 指先に繋がれている鎖をじゃらじゃらと鳴らしながら、大道芸のように飛び跳ねては全身で今の気分を体現する。勿論気分は、超絶頂。若干十三歳にして仕草こそ年齢に相応しい振る舞いだが、言動は異常だった。

 

「ぃやったー! これでまた蒐集物が増えるー♪ 焼死体、皮剥ぎ死体、細切り死体ときたらここは水没死体だよねー」

 

 海蛇は――収集家である。主に人間の死体というものの。よく死体は語らず多くのことを遺す、とあるが、海蛇はそれとは関係無く死体を集める。基本的には殺したらそのままにしておくものだが、海蛇本人が個人的に気に入った標的がいた場合は様々な殺し方をし、己の蒐集物として保管する。死んだ人間は死体となって腐ってしまう。だから海蛇は防腐剤として常に塩を持ち歩いている。集めた死体を巨大な箱に詰め、敷き詰めるように塩を撒く。これで死体の腐敗は防げるのだ。

 

「ああ、しかし美人だったあぁ。やっぱり水没死で正解ね! あーんな綺麗なんだもの、水死だったら見た目もそんな変わらないし……あっ、内臓抜く時に傷付けないようにしなくちゃ」

 

 黙々と脳内でこれからの計画を練る。まずあと半刻したら死んでいるのを確認して引き上げる。次に苦無で腹を掻っ捌いて臓器を摘出し瓶に詰める。その後塩を敷き詰めて箱に入れて、保管。一月経ったら箱から出して好きに装飾して出来上がり。

 

「でも…私なんかで死んじゃうなんて案外弱かったなー。ま、これでも鵺組(ちゅう)けっこー強い方なんだけどね!」

「あら、そうなの。小さいのに凄いわね」

「うんうん、私は組の中でも『触覚』を司ってるの! だから指先一つで鎖を操れるし遠くの獲物の状態も把握出来るんだー!」

「へぇ、それはまた凄いわね。因みに組の中でってどういうことなのかしら?」

「えっとね…鵺組は全員で三人構成なんだけどね、それぞれ感覚器官をいくつか支配して………」

 

 あ、駄目だ。と海蛇は口をつぐんだ。海蛇は組の上司から「絶対他人に組のコト教えたらあかんで」と言いつけられている。間違って任務先で口を滑らせてしまい(ちゃんと聞いた連中は殺したが)上司に数日間逆さ吊りと無期断食を命じられてしまったのだ。それほど、情報というものは大事なのである。特に自分たちはこの時代でも特殊な部類であるとかなんとか言われたが、要するに秘密にするに越したことはないのだ。

 ―――と、

 

 今、誰と話していた?

 

「うわ―――っ!!」

「おっと」

 

 手を振りそれに追随するように鎖が海蛇の背後へ振るわれる。だが紙一重、側で聞き耳を立ててあまつさえ会話をしていた犯人――九散には届かなかった。有り得ない、鎖を伝播して伝わる指先からは先程と何ら変わらない。つまり、いま目の前にいる九散は本来いない筈である。

 

「どうやったの……なんでいるの!」

「あらあら、そんな眼をぎらぎらさせて……ご覧の通り、冥界から帰ってきたわ」

「嘘っ、嘘っ、嘘!! どうやって私の鎖から抜け出せたのよッ、だって私の手になんの感触もないのにィ! それに貴女の力はほとんど封じた筈よォ!?」

 

 海蛇は事前に上司から九散の身体技能を聞いている。手を振れば斬撃が飛び、身体から電流を流し、並大抵の攻撃は無効化される。傷を負ったところですぐさま回復し、先日は謎の巨人の虚像を浮かべながら相手を拘束し、腐らせる技能もある。だが真正面からの戦闘ではなく絡め手を得意とする海蛇からすれば付け入る隙があった。まだ試していなかったからなんとも言えないが、動きを封じて電流を抑え、その状態で死に至らしめれば勝てるのではないか。

 実際海蛇の予想通りだった。本来指先に関わる感覚技能に富んだ技術は如何様にも応用できる。中でも今回のは上司が作ってくれた細い鎖だ。細く、頑丈で、それでいて切れにくい。その上締め付けた相手の肌に跡が残りにくいというのだから、満点だ。『すてんれす』という聞いたことの無い単語ではあったが、その性能は保証する。

 しかし、目の前で九散が不敵に微笑んでいる。煌びやかな着物こそずぶ濡れになっており、血を吐いたのか唇が朱に彩られていて背徳的な美しさを表していた。

 

「まったく驚いたものだわ。真庭忍軍が生きていたこともだけれど、こんな子供が私をあと一歩の所まで仕留めるなんてね」

「五月蠅いっ!!」

 

 ぶん、と再び九散の全方位から鎖が飛び交い、全身を拘束する。だがそれは驚く形で破られた。

 

「うっそ………」

 

 絶句した。九散が鎖から抜け出したのは、鎖を斬った訳でも熔解させた訳でも無い。

 純粋に、ただ抜け出した。言葉でその行為を指すなら簡単だ。だがその過程で九散の肉体が大変なことになっている。

 

「あぁん…やっぱりコレは慣れないわね。自分の身体を弄くることには慣れてても、コレばっかりは駄目だわ」

 

 間接が、あらぬ方向に曲がっていた。否、間接だけでない。骨がある部分も、筋肉がある部分も、まるですべて粘土のようにどろどろな軟体になって、鎖から抜け出していたのだ。海蛇にはこの現象を見たことが無い――が、聞いたことはあった。

 かつて刀集めに狩り出された真庭忍軍十二頭領には二人、一時的に目的を達成した人物がいた。一人は『神の鳳凰』と恐れられた真庭狂犬に次ぐ長命にして実質当主、真庭鳳凰。毒刀『鍍』を手に入れるも『鍍』に宿る四季崎記紀の汚染を受けて乱心し、鑢七花の手により命を落とす。そして二人目、『冥土の蝙蝠』と称され()()()()()()()()()に化ける忍法を持ち、その技能故に奇策士とがめより絶刀『鉋』の奪還をするにまで至ったのだ。そう、名を真庭蝙蝠。

 

不折(おれず)――折れぬこと『(かんな)』の如し――上位駆動。別名『忍法・骨肉細工』といったところかしら」

 

 流動的に変異していく九散の肉体が元に戻る。それはさながら氷が水になり、また凍って氷に戻り形を取り戻した様だ。

 上位駆動――それはかつて完成系変体刀を所持した歴代所有者の力の活用である。つまり、九散は絶刀『鉋』の上位駆動によって真庭蝙蝠の忍法を扱えるということだ。流動的な肉体は間接もろとも拘束する鎖の締め付けから抜け出すことが可能――それによって水中の鎖からも抜け出した。

 

「さて、質問があるのだけれど」

「ひぃっ」

「そう怯えないで頂戴」

 

 それはすぐさま接近して両手を拘束し、喉元に親指の爪を食い込ませる人の台詞じゃない。そう言いたいのは山々だが、海蛇に愚痴を言う権利は赦されていないようだ。無駄口をいおうとするとどんどん喉に爪が食い込んでいく。

 この外道め。

 

「一つ目。あなた…いえ、貴女達は『蟲狩』の一味で間違い無いわね」

「そ…そうよ、蟲奉行っていうのを殺す為に」

「じゃ、なぜ蟲奉行様を殺す目的で来た貴女達が私を狙っているわけ?」

「上司からの命令よ」

「その上司の名は?」

「――言うと思う?」

 

 海蛇の目がぎろりと光り、顎に力が籠もる。だがそれを見越していた九散は即座に顎間接に電流を流して麻痺させる。

 

「あがががががががががががががががが!」

 

 ガクガクと痙攣を起こし、バタリと力なく倒れた。気絶してしまったらしい。どうやら力加減を間違えてしまったようだ。

 

「あら…いくら忍といってもまだ幼いから電撃への耐性が無いのね。殺すのも忍びないし、このままにしてあげましょう」

 

 流石に殺害は止めた。確かに舌を噛み切って自害するまでの覚悟はあるのだろうが、それでもまだ若い。それに、立ち向かって来るのであればまた迎え撃てば良いだけの話だ。それに、幼いながらここまで九散自身を追い詰めた点に関しては評価に値する。力無き者の戦い方というものも味がある。

 

「……でも、あの子が刀鍛冶なわけ無いわよねぇ……矢張り彼女が言う上司さんかしら」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




一話で退場する海蛇ちゃん素敵!
過去登場した真庭海亀と毒蛇の子孫という裏設定があったりします
ちなみにこの物語ではカタカナを余り使えないので書けませんでしたが、彼女はネクロフィリアです。どっかのチンチクリンを思い出すね!


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十九太刀目

 さてさてじめっぽい季節でモチベだだ下がりです!でも午後は晴れたので即席で書きましたうおおおおおお!
 それではどうぞ



 

 

 

 八丈島にて最初の刺客、真庭海蛇を打破した九散は浜の向こう側――つまり、森の方へ足を運んでいた。索敵を行った結果、隠れている真庭忍軍は見つからなかったが今回の護衛対象である蟲奉行様の居場所は把握できた。どうやら九散がいる場所とは反対側の本島中枢、旧火山口の家屋に一人でいるらしい。他にも『蟲狩』らしき人影も見つかった。目測で戦力換算してみたところ、全員無涯と実力伯仲といったところだ。つまり、現段階で『市中見廻り組』の者の中で対抗できる者はいない。

 

「(…仮に無涯さんを十点とすれば、現『蟲狩』頭領と思われる無涯くんと体格そっくりな人が十点。お面を被ってる男が六点、線の細い男も同じく六点、眼鏡の女性は脚力に優れてそうだから八点、大きい槍を持ってる大柄な大男は膂力あるから七点、鎚を持ってる人は…これは凄いわね九点、小さい子は三点だけど武器も合わせれば五点ってところね)」

 

 そして、

 

「(対する私達『市中見廻り組』は…春菊さんが六点、火鉢ちゃんが五点、天間くんが三点…ジリ貧ねぇ。どう組み合わせたところで全滅は免れないじゃない)」

 

 辛口採点だが、九散の人を視る眼はいい。各個人の筋力、体力、戦闘技術はもちろんのこと、咄嗟の機転を生かした上での余剰分も籠めての採点だ。それは短期間ではあるが同じ部署で働く同志として蟲の討伐に励んでいるのだ、その測定は目測で測った『蟲狩』よりも寸分違わずと言ったところだ。ただ、

 

「(……で、小鳥さんが十点相当。仁兵衛くんが()()()では零点)」

 

 これが驚くことに、普段皆の後ろで指揮している小鳥が無涯とほぼ同等の戦力を有しているのだ。未だに小鳥が刀を抜き戦った所を見たことが無いのだが分かる。彼は強者という器でありながら指揮に委ねているのだと。九散の戦力測定は戦ってこそわかるものだがそれはあくまでも成長ありげな格下の者のみだ。だがその点小鳥とは会ったときから強者の資質を持っていた。居合わせただけで分かる、強者としての風格。そしてそれは普段の生活でも見受けられた。

 

「(最低限負担を掛けない足運び、常に刀を抜けるように…そして相手に見せない袖の中の手、居合いの達人決定ね)」

 

 かつて七花が相対した斬刀『鈍』の所持者である宇練銀閣、宇練金閣と良い勝負かもしれない。そう判断を下せるほど彼の実力は高かった。だから思う。なぜ『市中見廻り組』如きの頭で収まっているのだろうか、と。

 

「(そういう時代の流れなのかしらね…無能な上司を部下が諫める……)」

 

 腐った世の中だ。実力ある者が下で腐って、家系に恵まれた始めから腐っている無能な上司が民衆の税を貪りのうのうと生きている。近代では有り触れた情景だ。

 

「(さて、それで仁兵衛くんのことだけど―――)」

 

 と、ふと周囲に異変を感じた。それにより九散の思考回路を一気に洗浄し穢れを払い、臨戦態勢に追い込む。微かに匂う燃焼系液体、空気中に散布された微細な燃え滓。火事だ。そして火の手が上がり周辺の木々が一気に燃え上がるのと同時に茂みから人影が飛び出した。

 

「――新生真庭忍軍真庭鵺組が一人ぃ、真庭ああああぁぁぁぁぁぁあぁぁあぁぁああぁぁぁぁあ!!」

 

 白く染め上げた忍装束。三角に尖らせた耳を頭に付け、白い体毛を至る所に付着させている。全身に巻かれた鎖は勿論真庭忍軍であることを明白にさせているが、名乗ってしまった時点で色々台無しである。

 襲撃者に対してそんな駄目出しをしながら、九散は刀身に見立てた腕を振り上げて襲い掛かる大太刀に対抗した。

 

貒狸(みだぬき)!! 推して参るっぜぇぇえぇぇぇぇええぇえぇぇ!!!!」

 

 突如、その太刀から炎が爆ぜた。その勢いで腕を跳ね上げられ、空中で巧みに操られた大太刀の柄尻が九散の胸元に突き刺さる。さきほど水圧で痛められたものの『鐚』で回復した肺を突かれ、息が詰まると共に少量の血が吐き出された。同時に、柄尻から火が立ち上り胸を焦がす。当然、比喩ではない。

 

不砕(くだかず)不見(みえず)――砕かぬこと『鈍』の如し、見えぬこと『針』の如し」

 

 すかさず九散の距離度外視の斬撃が縦一直線に襲い掛かる。向かいの山、天上の雲、水平線の海までも両断する不可視の斬撃が貒狸を斬り裂こうとするが、読めていたと言わんばかりにほんの少し身体をずらすことで回避された。

 

「チッ」

「おっとぉ、乙女が吐くとは思えない舌打ちじゃねぇか」

不斬(きらず)

 

 ぱんぱんぱんぱん。指先から放たれる法力の塊が至近距離から貒狸を射貫く。音こそ火薬の発砲音より小さいものの、籠められた銃弾は片手だけでも十を超えて結界のように逃げ場を無くした。

 刀剣の『線』で駄目なら銃弾の『面』。初撃は単純な一撃だっだために避けられたのだと判断して即刻、面制圧で対象を排除する。

 

「――斬らぬこと『銃』の如し」

「甘ぇ!」

 

 必殺必中の銃弾はしかし、貒狸が操る炎を纏った大太刀によって弾かれることにより失敗する。すべて、こちらの技を見抜かれている証拠だ。なるほど、海蛇の執拗なまでの搦め手から予測はしていたが真庭忍軍は九散の技を看破しているらしい。

 これはマズイと上半身を後ろに反らして追撃の手から逃れつつ、跳ね上げた両足で貒狸の顎を蹴り上げて牽制しながら爆転を繰り返して距離を取る。しかし、十分な距離はとれなかった。

 

「熱っ…!」

 

 背中に火の気を感じて即座に下がる足を止める。貒狸から眼を離すこと無く周囲を伺えば、自分たちを中心に半径三丈辺りを円を描くように炎が広がっていた。両手で仰いで袖と胸元、背中の着物に付いた火を払う。

 

「忍法・延々炎円」

「すっごいツッこみたい忍法名ね。でも…炎か……」

「苦手だろぉ? 特にお前みたいな玄人さんにはよぉ」

 

 ――いや、そういうわけでは無いのだが。

 別段九散はともかくとして、他の(何の玄人を指してるかは分からないが)玄人が炎に弱いとか、苦手かどうかは不明だ。だが有利か不利かと言われれば、九散からすれば不利かも知れない。何故ならば九散が放つ斬撃も銃弾も、炎を周囲に巡らせれば()()()しまうからだ。決して不可視の理が失われた訳ではない。ただ単純に、揺らめく炎を強引に突き進む空気の塊があればそこに何かがあるのは明白だ。

 風の如く走り抜ける馬も、風を斬って突き進む矢も避けることも容易ではない。それは飛んで来るものが速いからに他ならない。どんな生き物だって己より速いものを避けることはできないだろう。だがそれは前提条件の違いで覆される。高速で飛来してくる物体が事前に来ることが分かっていたら? 速く飛ぶものほどその動きは極めて直線的であり、読み易い。鳥のように予め高速で動く環境下で自由に方向転換できるのは太古から脈々と受け継がれ、進化していった生物の肉体によるものだ。それこそ特別な機構や構造でも無い限り高速で動く物体は方向転換出来ず、直線的になる。だから直線的になって読みやすいからこそ、より速くしなければならないのだ。

 しかし、その理論は貒狸を目の前にしては功を奏さないようだ。

 

「俺に小細工は通用しないぜぇ? あぁ俺は小細工披露しまくり使いまくりだけどなぁ!」

「あら、別にあなたを斃すことなんて簡単よ」

「はっ、何を言うかと思えばこのアホンダラがぁ!」

 

 ぶん、と力任せの横凪が振るわれる。大太刀は振り抜く際に刀身に強烈な風圧が掛かる筈だが、貒狸はそれをものともせずに悠々に扱う。細身の割には存外力があるようだ。名前に貒狸とあるが、狸の文字が入っているからといって狸というわけではない。どちらかと言えば貒狸はイタチに近い。そして、

 

「(火が消えないということは、刀身に燃料材でも撒いているのね)」

 

 振り抜いても刀身に宿る炎が消えることはない。その様は空間という空間を浸蝕し喰らっていくごとに勢いが増しているようだ。これでは無闇に刀を避けても、

 

「くっ…!」

「ひゃは!」

 

 斬り刻まれていく。大太刀の長さを避けるのは容易だが、振り方によって間合いを変化させる炎から逃れるのは難しい。間合いを計って避けて迎撃しようとしても、空間を喰らって成長していく炎の刀が九散の肉体に届く。剣士ゆえのギリギリの間合い詰めがかえって九散の枷となった。致命傷こそ避けてはいるものの、発火すれば着物は焼けてしまい火の手が伸びる前に仕方なく切り落とすしかない。

 

「ひゃっはぁ! オラオラ乙女の柔肌が見えてきたぜオイィ!」

「あらあらこんなので興奮しちゃうの? 意外と純情なのね、器の小ささが計れるわ」

「んじゃこんなのはどうよ!」

 

 炎と共に袈裟斬りが繰り出される。頸動脈を狙うような一閃を逃れるべくさきほどより長めに目測して避ける。が、

 

「ばぁん」

「!?」

 

 目の前の空気が爆散した。強制的に収縮されていた空間がばねの様に弾け、それが炎の拡散となって九散を襲った。太刀筋に沿うように繰り返された爆散の連鎖は初撃の段階で九散の足下を吹き飛ばしていたからか『鎧』による衝撃から逃れられず、面白いように吹き飛ばされた。爆散により上半身は全焼し、炎の結界を突き進んで飛ばされたことにより全身が炎に包まれた。身を投げ出され落下した場所も既に火の海であり、程なくして九散の全身は灰に同化するように消失した。悲鳴も上げることなく。

 

「忍法・火舞太刀(かまいたち)――ひゃはははははははははははははははははははははははは!!!! やっぱこうじゃねぇと! こう…そう、こうなんだよ! 必死で抵抗する相手を火の海に落として灰にするこの時が快感なんだよなぁ! これぞ灼熱地獄ってやつだよなぁ!」

 

 ぶんぶんと玩具で遊ぶように大太刀を振るう。すると空気中に漂っていた燃え滓――否、半透明な小粒が着火して爆発を産んだ。

 ――粉塵爆発。

 後の世でそう語られる爆発だ。空気中に漂う微細粒子の集団が火気に触れることで着火し、強烈な爆発を生み出す。即席にして高破壊力の爆弾と言える。空気中に漂う微細粒子は一つが爆発すれば密集している同物質に着火し連鎖的に燃え上がる。急激な酸素の消費と瞬発的速度での着火が強烈な爆発力に変わるのだ。

 

「しっかしなんかこう…そう、悲鳴が欲しかった! もっと火力を弱めた方がよかったなぁ…こんなんじゃ火の海に入ってすぐ灰になっちまうもんなぁ!」

 

 日本最強の座を持つ虚刀流の現当主である九散を殺したとて、貒狸は満足しなかった。真庭忍軍の使命こそ錆 九散の殺害だが貒狸の中では殺意がまだまだ収まらない。これも持っている刀のせいだろうか。

 

「ああそうだ、蟲奉行とやらでも殺すかぁ。正直『蟲狩』の連中じゃぁアテにならねぇんだよなぁ」

 

 そう言って刀を納めて火を鎮める。忍法・延々炎円は貒狸の刀の抜刀と同時に現出し全てを焼き焦がす。別に刀自体が特別というわけではなく、要は意識の問題で抜刀と納刀を忍法の引き金にしているのだ。忍法・延々炎円で生み出された炎は自由自在。だがそれには制約があり、貒狸には一定量の炎しか操れないのだ。操れないし収容出来ない。これは純粋に彼の実力である。

 

「……あぁ?」

 

 だがそこで、貒狸は妙なものを眼にした。炎の回収をしているにも関わらず、未だに草葉を焼いている火が残っているのだ。生み出して消火した分の差はあるが、基本的に収容出来ないという事態は吸収容量が多い意外有り得ない。そしてまだ己の中では火が吸収できる筈である。それは何故か―――

 

 

 

【BGM:祭祀一切夜叉羅刹食血肉者】

 

 

 

「かれその神避りたまひし伊耶那美は

 出雲の国と伯伎の国 その堺なる比婆の山に葬めまつりき

 ここに伊耶那岐 御佩せる十拳剣を抜きて

 その子迦具土の頚を斬りたまひき」

 

 猛る。強く、強く燃え上がる。業火の奥底から脳まで響くその詠唱が火を炎に、火炎に変えていった。広がり続ける炎は触れない限り熱いとも冷たいとも感じられない。ここで貒狸はようやく火種がある場所が九散が焦土と化した場所だと気付いた。同時に、悟った。まだ九散は生きていると。不思議な炎の海に円が生まれ、その中から炎を纏った九散の姿が現れる。

 同時に、陽炎のように頭上に女神の巨人が姿を現す。炎を司りし邪神、九散似の金髪に忍びのような口当て、額の鉢鉄。鎧武者のような姿の随神相だ。焔火を纏った太刀が握られており、九散同様全身が炎に包まれている。そして、続けた。

 

「私が犯した罪は

 心からの信頼において あなたの命に反したこと

 私は愚かで あなたのお役に立てなかった

 だからあなたの炎で包んでほしい」

 

 二重詠唱。

 これがどんな意味を持っているかは分からない。それは唱えている九散も同様だ。だが真庭忍軍に入ってから幾千もの戦場を渡り歩き修羅場を潜り抜けてきた貒狸には分かる。これは危険だと、危険すぎると、全身が脳に警鐘を送っている。九散の外見の変貌と巨大な人の出現は話に聞いていたが、いざ貒狸も目の前にしては畏怖と恐怖に身が竦む。見つめられただけで全身が燃え上がりそうな幻覚さえした。でも、だからこそ。

 

「燃えるぜああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 大太刀を抜き放ち炎を全力で解放する。炎が喰い、喰われ合い鬩ぎ合う。それは炎のみに限らず九散も背後の随神相から繰り出される焔火の太刀と貒狸の大太刀が鎬を削った。愉しい、愉しい。その感情が炎から伝わってくるのか、愉悦に顔を歪める貒狸に伝染するように九散も笑った。そして、幕を引く。

 

「さらば 輝かしき我が子よ

 ならば如何なる花嫁にも劣らぬよう

 最愛の炎を汝に贈ろう

 我が槍を恐れるならば この炎を越すこと許さぬ」

 

 女神の随神相の腕が増えた。その手にはもう一振りの刀が握られており、バチバチと空間が爆ぜるような音と共に雷鳴が迸った。九散の全身にも焔に重ねるように紫電が走る。雷光を纏った刀と獄炎を纏った刀が炎の大太刀を押し退け、浸蝕されかけた炎を雷が焼き焦がす。

 

「 神咒神威・無間焦熱(むげしょうねつ) 」

 

 九散の手刀の軌道と共に二本の太刀が振り下ろされ、貒狸の大太刀を真っ二つに切断する。炎さえも断ち切った雷光と獄炎の斬撃は貒狸の胸元に×(ばつ)状の軌跡を描いて斬り裂いた。

 

「ひゃ…は……は………!」

 

 雷と炎を浴びた貒狸はゆっくりと地面に倒れて、笑いながら気絶した。それを見届けた九散は元の状態に戻り巨人を霧散させてから驚くように後退った。

 

「すごいわね…手加減したとはいえ生きてるなんて」

 

 無論、九散はまだ『鋸』を解除していないため殺意がなかったから殺す気は無かった。だから随神相を解放したあとでも気絶しないだけの体力はあるし、随神相の規模も小さかった。以前までは『鋸』を解放しなければ随神相を出せなかっただろうが、先日夢を見てからなんとなく感覚が掴めてきたのだ。そうでなければまた死滅の狂気が全身を支配し、下手すれば八丈島が蒸発していたかもしれない。随神相が持つ二振りの太刀はそれほどの威力を秘めていた。

 それに敵の構成人数が推定三人だというのだから、あと一人残っているはずなのだ。ここで全力を出し切ってしまっては元も子もない。とはいえ、

 

「理解できたかしら? これが本当の灼熱地獄よ。……いえ、焦熱地獄、だったかしら」

 

 ぼろぼろになった服を見ながらげしげしと貒狸の頭を踏んづけてやった。服の恨みは恐ろしいのである。

 

 

 

 




 ルサルカちゃん張りの辛口採点。でもマイナスが無いだけいいよねっ
 さてさて実は何故か予定にない無間焦熱地獄をだしちゃったよあわわわわどうしよう(汗)
 ……まいっか! 本領発揮したら都どころか次元を焼き焦がしちゃうもんね! 因みに最後のシーンでは九散ちゃんほぼ全裸で(殴)


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二十太刀目

 本来だったら金曜日にでも投稿出来たのにおかしいねっ!
 なんでだろうねっ!
 あ、ヒントがデリケートだなんてことは無いからね?(チラッチラッ)






 

 着物は遁甲の内に仕舞っていたもので代用した。気絶した貒狸(みだぬき)や浜辺に置いていった海蛇の忍装束をひん剥…拝借して忍法・骨肉細工で変装するという手もあったが、あくまでもそんな手を使うのは普通ならコソコソ隠密任務に明け暮れる忍がやることだ。決して真庭忍軍とかではなく。どちらかと言えば伊賀や甲賀が有名か、幕府お抱えの正式な忍だ。勿論前の時代では真庭も十二分に幕府お抱えの有能な忍集団であったが、お金に眼が無くって里ごとトンズラしちゃうような連中だからあまりアテにはならないと思う。というかならない。なぜなら、お金で左右されるわけだから依頼主である幕府が納める依頼金より多く相手が提供してしまえば裏切りなんて容易だからだ。お金ほど信用できないものはない(真庭忍軍談)。

 ……ならば何故、今の真庭忍軍は『蟲狩』にいるのだろうか。

 考えられることは三つ。一つ目は単純にお金。先代のお金好きもとい拝金主義が醜くも継承されて『蟲狩』から多額の報酬を得ていること。流浪の民といえば定住地が存在しなことだ。今のご時世、定住していれば御上や地主から税を請求される。その枷が無い分安定した収入がないこともまた事実ではあるが、組織的自由度が高いことも事実。

 二つ目は戦闘狂。戦の中でしか生きられず必要とされないのが忍だ。惰性にも似たこの比較的太平の世では忍は生きていけない。ましてや貒狸のような血の気の多い連中ばかりだとすれば身内殺しが起きたっておかしくない。つまり、『蟲狩』と共に蟲をひと狩り行けば精神的衝動は解消されるということだ。一番単純で助かるのがこれ。

 三つ目、これはあまり考えにくい上に非常に読みにくいことではあるのだが――四季崎 記紀の意思。自分自身も含め、四季崎 記紀の手によって螺子曲げられた歴史の狭間に生み出された虚刀流や全刀流が残留している時点で、なんらかの方法で未だに四季崎 記紀の意思がこの日ノ本の国に根付いている。鑢家、錆家、心王一鞘流当主、鎧海賊団、三途神社含め絶滅したと考えられていた四季崎 記紀の遺産の中に四季崎 記紀の意思を受け継ぐ者、あるいは継承する者はいなかった。だがこの世の過去未来全てを予知し予期していた彼に、己の道標や意思の代替品を遺さないだろうか。もし遺していたとすれば、それを継いでいるのは九散達が確認していない―――

 

「こんにちわー」

「……あら」

 

 唐突。実に唐突。オマケに声こそ聞こえたものの姿は現さない。声が聞こえた方角も前なのか後ろなのか、右か左か見当も付かない。これは純粋に相手の技量だと褒め称えるべきだ。癖のある、いまはあまり聞かなくなった関西訛りではあるが。漸く幾分はまともな忍に出会えたと九散は心の底で安堵していた。

 だいたいお前達、忍ばなすぎなんだと。

 

「あらあら、やっとまともな忍に出会えたわね。最近堂々と姿を現したり、奇襲にしては派手だったり忍らしい忍に会えなくてうんざりしていたところなのよ」

「あららー…っちゅーことは海蛇ちゃんに貒狸くんはやられちゃったんやね。お姉ちゃん強いわぁ」

「お褒め預かり光栄ね、姿も現さないビビリに褒められたところで嬉しくなんかないけれど」

「まぁまぁそうカッカせんなや、な? ハイハイこうすればいいんでしょっと」

 

 とん、と小さな木の葉を舞わせて目の前に降り立った。木の上にいたらしい忍は上空からの落下による衝撃を綺麗に納めるべく柔らかく膝を曲げることで解決させた。動物を思わせるような身軽さに若干驚きを隠せない九散であったが顔を上げた忍を見るなりその驚愕は頂点に達する。

 まず、全身を茶色い薄地の肌着で着込み、間接部の稼働領域を阻害しない程度の具合で全身に鎖が巻かれているが、ここまではどの真庭忍軍とも変わらない。問題なのは、顔だった。

 

「………とても直球ね、突っ込む気力さえないわ」

「おっ、気に入っとくれたか? このお面」

 

 猿のお面を被っていたのだ。そう、お面。お猿さんのお面。それも矢鱈目鱈彫刻に凝った木彫りのお面なんかではなく、目と鼻をただ木に穴を開けることで見せ、申し訳程度に猿らしく二重の弧を描いた口元が彫られている。ぶっちゃけ即席で作ったようなお面だ。

 

「でもな九散ちゃん、このお面は蟲と戦ったとて傷一つ付いこと無いんやで? そらすごいやろー」

「……ああ、うん。よく分かったからもういいわ。何故か貴女を見ているとすごく違和感を感じるのよ」

 

 そう――違和感。こんな面妖で奇抜な格好をする存在なんてそう居ない。それはこんなはきはきした流暢な関西弁を宣う活発な子では無くて、もっとおどおどしててぎこちないしゃべり方をする人格なはず。そんな人格とあまりにも掛け離れた性格に頭を悩ませて――悩ませ、て?

 

「ウチの存在に違和感感じんのな」

「……え?」

「本当はもっとおどおどしてんもんなぁ、ちーっこくて可愛くて、そんでようわからん実力持ってそうな。あ、最後んはウチ合っとるわな」

「……!?」

 

 頭を覗かれたような――いいや違う、もっと根本的なことに驚かされた。何故ならば九散の趣味は誰にも知覚出来ないし記憶にも残らないよく分からない産物の蒐集だ。祖母や祖父の冒険譚のような到底有り得ないような荒唐無稽で破天荒にして支離滅裂、それでいてでもどこかであってもおかしくないと断言出来るような――そんな歴史。語られざる歴史。それを――その一部を、目の前の人間が話している?

 

「貴女……!!」

「おっとっとお、イカン、いらんコトに口滑らしてしもたわ。反省反省。今回ウチが九散はんを訪ねた――いや、暗殺しに来たんはそないなようわからん話をしに来たわけやないんや」

「…貴女、何者?」

「おぉ、せやせや名乗っとかんかったなぁ」

 

 お猿のお面を被った忍は実に忍らしくない態度で恭しく頭を下げた。

 

「新生真庭忍軍()()()()、真庭鵺組が一人――真庭 参猿(まいざる)や。以後お見知りおきを、やな」

 

 

 

 ▼ ▼ ▼ 

 

 

 

 実質頭領。

 その言葉は九散の警戒心を煽るに充分であった。

 元来――というか、通常の世間一般の忍びではない真庭忍軍の最大の特徴は多数頭領による単独任務制である。忍とは常に少なくとも二人組(ツーマンセル)、小隊規模で四人組(フォーマンセル)、中隊規模で多くて十五から二十の人数で組んで行動する。だがその点真庭忍軍は集団ではなく独立独断独占で行動するという一風変わった集団なのだ。それにより忍軍内での集団を四組に分け、その四組からそれぞれ三人ずつ頭領を輩出する形で成り立っていたのだ。頭領とはそう簡単になれる訳ではない。無論別れた組内でも一位二位を争うくらいに実力がある忍でなければ務まらないのである。

 今現在新生真庭忍軍の規模がどれほどのものであるかは鵺組しか出て来ていないため不明だが、これが真庭忍軍全盛期の様に四つの組に十二人の頭領がいたとして、その中でも最も強い忍が――いま目の前で実質頭領と名乗った真庭 参猿らしい。

 

「すまへんなぁ、ウチ個人としては九散ちゃんになーんの恨みも無いんやけど、黙って暗殺されてくれや」

「暗殺――ねぇ。どちら様からの依頼かしら?」

「錆 灰徒。九散ちゃんの父さんやね」

「………へぇ」

 

 父の夢を見たのが先日――これは、未来で父の刺客によって死ぬことでも意味していたのだろうか。妖術の詠唱以外に言葉を口にしない上に、人との相互理解というものを露とも考えていないあの父が、ましてや真庭忍軍に暗殺を依頼するなんて。

 だが、考えられない訳ではなかった。語られざる歴史の中では鑢一族も同族殺し、家族殺しは認められていた。一子相伝の流派だからこそ試し切りが出来る最初の相手が家族であり、最初に越えるべき相手であるからこそ、だ。子は親を越え、親になった子がまた親を越える。そうして脈々と受け継がれ、血に血を重ねて鍛え上げ、強化されていくことで虚刀流は強くなり完了したのだ。

 

「あまり驚かんのやね」

「あの人が考えていることなんて誰にも分からないわ。必要なことさえも語らない自閉症の塊みたいな人だから」

「アハハ、そらエライ言われようですわなぁ」

 

 愉快そうに身を震わせて笑う。鈴のような声でからからと笑っているが、そこまでツボにはまることだったのだろうか。

 

「ま、ウチらでも灰徒はんの考えとることはわからへん。せやけど――予想はできる」

「あらあら、それは凄いわね」

「そうおだてるんやないで。そうやなぁ――九散ちゃん、いまなんでウチが攻めてこないのか考えとるやろ」

「どうしてかしら、根拠は?」

「九散ちゃんの戦闘能力を見て、真庭忍軍のみんなに伝えたんはウチや。せねんけど――ウチが見る限り、九散ちゃんは相手の初撃をほとんど許しとるんよな。そして攻め込まない限り反撃もしないし先手必勝というものもそう無い。これは――アレか? 反撃を狙うとかそういうこと以前に、相手の心を揺さぶる為なんやないか? 先手必勝、己が信じる乾坤一擲の一撃に耐えることで『そんなものでは私は殺せない』みたいな。『鎧』ちゅう衝撃伝播の技や『鉋』ゆー身体硬化の技もあるようやし、防御には困らんちゅうことか」

 

 それは、自分自身もわからなかった。合理的に相手の出方や攻め方を伺うべく初撃は受けるようにと思ってはいたが、まさか己の行動をそこまで考察されるとは思いもしなかった。己の知らない部分を勝手に覗かれたようで、あまり気分は良くない。

 

「せやから、この状況でも手を出さないんやなぁー納得納得。オマケに『鐚』っちゅう自己再生技なんてエライもんもあるようやしな。鬼畜やわぁ~」

「そう言われても、元々そういう奥義だから仕方ないじゃない」

「自己再生、か。なぁ九散ちゃん。九散ちゃんは『鐚』の力を……具体的にどんなもんやと思うとるん?」

「どんなもの……それは当然、肉体の細胞を活発化させて怪我の治療を高速化させるものなのはなくて?」

 

 悪刀『鐚』の正統な所持者であった九散の叔母、鑢 七実は歴代最悪の使い手だった。生まれた時から蝕まれていた持病で激しい運動ができず戦闘に不向きであったが、『鐚』の恩恵により永遠に戦える肉体を手に入れたのだ。『見稽古』と呼ばれる驚異的観察眼によって相手の技を全て盗み見て、奪い、使う力を持っていたこともあり一時期は無双状態だったらしい。しかし結局のところ、他人の技を盗むことは己の強大過ぎる力を節制させる為の末端でしかなく、そして刀を使わないからこその虚刀流が『鐚』を使ったことによって概念的に弱体化し、最終的には七花によって討たれたのだ。七実は最後の最後まで虚刀流だったのだ。

 このことから解る様に――というより、七実の観察眼によって『鐚』の性質は活性化と判断された。それは決して間違いではないし、現に十二使刀流によって体現している『鐚』の力も電力による細胞の活性化だ。

 

「せやな…そう、語られざる歴史の中での『鐚』の定義はそうやった。けどな、もうこの時代は語られざる歴史やないんや。永遠に変化をしない存在なんて無ければ変わらなくて良いもんも無い。そして、九散ちゃんの『鐚』の定義も変わっていかなあかんのや」

「定義?」

「九散ちゃん…いまのままやったら九散ちゃんは一生思い出せへん。ウチとて自分が何言うとるんかようわからへんけど、このままやったらあかんのや。下手したら――この日ノ本の国が滅ぶ。いや、この世界全てが滅んでまう」

「…なんですって?」

「九散ちゃんもウチの正体は薄々勘付いとるんやろ? おんなじ、四季崎 記紀の血を継ぐものやと」

「……さて、どうなのかしらね。でもまぁ――貴女が、『蟲狩』が言っていた刀鍛冶でしょう?」

「ご明察の通りや」

 

 九散は早い段階で参猿が刀鍛冶であることに気付いてた。肩の筋肉の付き方、手に出来た小槌タコ、時折におう焼いた鉄の香り。忍として臭いを残しておくのはどうかと思うが。

 そして、四季崎の血についてはあまり共感覚を感じ取れなかったが、なるほど四季崎が遺した道標は参猿だったのか。確かに外国との交渉をし易いように金の髪を持つ者を子孫として受け継がせてきただけが四季崎の目論見ではないだろう。ただ一人が子孫である必要は無いのだ、血筋というものは木の枝のように幾重にも枝分かれし、それぞれ別々に花を咲かせる。その内の一人が参猿であったわけだ。

 

「海蛇さんの鎖や貒狸さんの刀、そして無涯さんの塵外刀を拵えたのも貴女ね」

「その通り、どれもこれも未来の技術の逆輸入によって作り上げたもんや。すごいやろ、この時代でも材料あるから大抵のもんは作れるんやで。それで本日の目玉はコレ」

 

 そう言って、参猿は手を握ると指と指の間から複数の釘のような物が飛び出してきた。その数、八。

 

「現代版完成系()()刀――穿刀(せんとう)(くぎ)』」

「千刀?」

「ちゃうで、音を引っかけてはいんねんけど『穿つ』の穿刀や」

 

 そう言って、参猿は見せつけつつ牽制するように指との間から飛び出た『釘』を振り翳す。形状は忍がよく使う棒手裏剣のそれと似ている。見るからに斬りつけるというより投擲に適した形状だ。特にこれといって目立ったものは見受けられないが――気になることはあった。

 

「完成系番外刀? 変体刀ではなくて?」

「せやな…完成系変体刀は全部で十二本。せやけど、四季崎 記紀の頭ン中にあった設計図はその十二を遙に上回る量やったんや。四季崎 記紀はその設計図の中からいかに刀らしく、そして同時に刀という概念から外れて、己の真の到達点に至るまでの最短距離の道筋を描いた軌跡が完成系変体刀十二本や」

「つまり、その変体刀十二本から外れた未開発の刀、というわけね」

 

 四季崎 記紀は完成系変体刀の制作過程を経て完了形変体刀への足掛かりにしたと言われている。刀としての完成に一歩踏み出したのは『鉋』からだが、完了への道筋が見え始めたのは『釵』辺りかららしい。その辺りの定義は否定姫にも九散にも分からなかったが。

 

「――音が千刀『鎩』と同じと言ったわね。そもそもその刀は一本ではないのかしら?」

「当たらずとも遠からず――やなっ!」

 

 そして、その八本が投擲された。海老反り体勢から腕を大きく振って放たれた八本の釘は空中で一直線を描いて迫る。速度は『銃』以下、重さは『針』以上『鎚』以下、殺傷能力は――未知数。ここで全弾とまでは言わずとも、一、二本は受けておくことも一つの手かもしれない。握られてから投げるまで何も無いということは、恐らく四季崎 記紀の刀としての特性を発揮するのは的中時もしくは的中後だと判断した。

 だがここで、一抹の疑問が脳裏を過ぎった。

 参猿は九散が初撃を受ける性格であることを知っている。九散でさえも理解無いし自覚さえもしていない癖を見抜いているのだ――ならば、わざわざ受けると分かっていて無闇に刀を投げるだろうか。もし『釘』が避けることで特性を発揮する刀であったならば――参猿の行動は理に敵っている。

 しかし、ここまでの予想が出来ないと参猿が思っているだろうか。

 先程の会話でもあったように、参猿は四季崎 記紀の子孫だ。そして四季崎 記紀のように完成系変体刀ならぬ完成系番外刀を作り上げられるということは、四季崎 記紀並の未来予知能力を保持していることに他ならない。であるならば、九散が参猿の予知能力を考慮して避けないだろうか。

 

「ッッッッ…!!」

 

 嵌められた。卑怯だとは言わない。だが普段本能のままに、思うがままに戦ってきただけに思考が挟むと身体が己の意思に逆らっているのか従っているのかさえ分からず硬直してしまった。

 避けるか、受けるか。

 たった二択の選択なのに、様々な思惑と推測が交錯しているせいで答えが出せない。参猿は九散がどうすることを予測しているのか、どうすることが最善の手なのか―――。

 だがそれは、九散の判断に構うことなく結果として表れることになる。

 

「ぇ――」

 

 ふと、視界が揺らいだ。

 頭からしきりに痛みが響き、平衡感覚が保てない。視界が定まらず、喉も渇きを訴えて満足に呼吸と発声が出来ない。耳に響く音が急に乱れ始め、動悸がしっかりしない。動こうにも足がもつれてしまい、その隙に八本の釘が九散の全身に命中する。途端、全身が痙攣を起こした。

 

「っつがぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!!!」

 

 渇いた喉が潰れんばかりに絶叫を発した。

 激痛――というわけでもない。刺されたとて骨に到達したものはないし致命傷を負った訳でも無い。だが、刺された釘から発せられる何かが九散の体内に溜まっている電力を強引に引き出し、その身を焼き焦がしている。

 

「忍法・口留(くちど)目眩(めくら)耳塞(みみふさ)ぎ」

 

 投擲し終えて新たな『釘』を取り出しながら、参猿は言う。

 

「仲間からは『三感の参猿』と言われとってな。将軍家康公が奉られとる日光東照宮っちゅーとこにある三猿(さんえん)から名付けられてんねんけどな」

 

 三猿――全世界でも有名な三つの叡智『見ざる』『聞かざる』『言わざる』を意匠とした彫刻である。日光東照宮に彫られた木彫りの三匹の猿はそれぞれ目を、耳を、口を塞いでいる。三感というのは、この場合視覚、聴覚、味覚を指すのだろう。

 口留め。目眩み。耳塞ぎ。この三つを続け字にした忍法こそ――参猿の忍法。三感を、奪う。

 

「『釘』もな、現代じゃよーわからんけどそいつん中には電気を熱に変える機構が備わっとんのや。傷口を塞ぐなり『釘』を焼き切ろうと本能が動くやろうけど――それが、己を死へ追い込むんやで」

 

 膝を付いた九散の身体の至る所に煙が立ち上り、それは瞬く間に人体発火の火種となった。三感を失われてままならぬ九散の身体に、無慈悲にも再び『釘』が突き刺さる。

 

「そもそも穿刀っちゅーんわな、他ならぬ千刀『鎩』の千と掛けとるんや。それ即ち千刀にして穿刀、『鎩』の如く千本の『釘』があるっちゅうことやで」

 

 途端、参猿の全身の至る所から『釘』が生えてきた。否――間接部を避けるように巻き付いている全身の鎖から隆起するように、総数九百八十四本の『釘』が生え出した。そしてその全てが九散へと向けられる。

 

「魅せてみぃ、■の■よ」

 

 九百八十四本の『釘』が、九散の肉体に突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

 

 




 まさか対参猿戦が一話で終わらなかった……コイツ…強い…!!
 




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二十一太刀目

 前回から一週間…申し訳、ありませんでした…!!(昨日見た半沢直樹さんみたいに)
 先週一週間は一貫して体調が悪く、バイトでも碌に力が出ず燻ってましたね
 それでは、どうぞ!


 

 

 

「魅せてみぃ、■の■よ」

 

 砂嵐の渦中にいるような壮絶な雑音が聴覚を支配されている中で、九散の脳に微かにその言葉が明確に響いた。

 おそらく、今の言葉は参猿本人の意思で言ったわけではない。確証はないが、そう感じる。痛みが脳内許容量を超越しているせいか、不思議とそんなことを考えることが出来た。全身の皮膚感覚が麻痺している分、千の釘から立ち昇る血煙が唯一生きている嗅覚を否応なしに刺激していたが、正直それすらも曖昧になってきた。手足のみならず鼓膜、頭蓋骨、眼球すべてが釘に貫かれているせいで生きているという心地さえない。継続的に引き出される電気がかろうじて意識を繋ぎ止めているが、それも時間の問題だろう。

 血が蒸発して死ぬのが先か。

 電気が枯渇して死ぬのが先か。

 それとも―――?

 

「(ここは――)」

 

 どこだ?

 真っ赤に塗り潰された視界が純白に染まっている。否、恐らく肉体はまだ八丈島の麓だろう。とすれば、非ィ現実的ではあるが精神もしくは魂なる物が違う場所へと飛ばされた、というのが正しいだろう。

 黄泉か。

 天国か。

 はたまた地獄か。

 未だに人間を殺めたことは無いが、自然と己が天界へ昇る器ではないと自覚している。人という理から若干外れている自覚があるだけに、少なくとも真っ当な死に方も真っ当な死後も送れないだろう。潰されている喉は精神体でも同じなのか、はたまた精神体には声帯がないのか発声器官がないからなのか定かではないが、声が出ない以上思考するしかない。

 白い光景の眼下には、黒い影があった。この世界に太陽か何か光源たり得る物があるかは不明だが、確かに目の前には影が地を染めていた。己から伸びる訳でも、其処に何かがある訳でも無い。水面をたゆたう月の様に静かではあるが、その影が何者かであることは分かった。

 生気は感じられない。

 ただ、()が己を招いたということは理解していた。

 

「諦めるかね」

 

 影が、語りかけた。だから私は思考で答える。何を? と。

 

「無論、生きることをだ。貴女をこの世に繋ぎ止める最大の要因は生きる意思であり、意志であることに他ならない。素晴らしい…あぁ素晴らしい生き様だ、それは生物としても人間としても原初の渇望だ。しかし――貴女は人間でも生物でも、ましてや化け物ではない」

 

 人でも無く生き物でもなく化け物でもないと来た。では問おう、私は何だ?

 

「刀だ」

 

 ―――刀。

 

「然り。斬るものは選ばず、しかし持ち主は選ぶ。されど貴女に持ち主は必要無い。さてここで一つ問おう、何故貴女は虚刀流の継承者でありながら鑢ではなく錆の姓を賜ったのか」

 

 それは、父が錆の姓だから。

 

「確かにそれは今の時代では必然の(ことわり)と言えよう。母方の姓より父方の姓を得るのは至極当然のことだ。それによって断たれていく名も少なくない、いやはやこれはすなわち盛者必滅の理――実に小気味良い。しかし、貴女にそれは該当しない。なぜなら貴女は刀を扱わない剣術の使い手虚刀流の継承者でありながら唯一、錆の姓を賜り刀を扱かうことが出来る虚刀流の中でも例外中の例外となったのだから」

 

 それは、違う。なぜなら虚刀流は刀を使わない剣術であって刀を扱ってしまえばそれは虚刀流とは言わなくなる。叔母である鑢 七実が悪刀『鐚』を用いた時の様に、四季崎記紀の呪力は末

裔まで延々と呪い続ける。初代も、二代目も、三代目も四代目も――そして、九代目も。

 

「そも、果たして貴女は本当に虚刀流九代目当主と言えるのかね。貴女が語る十二使刀流は確かに虚刀流の通り、己を刀のように扱うという点では共通したいわば分家だ。しかし、完成と完了の融和。これが何かを起こすと思わなかったか? そう、それは造り手さえも予測できなんだ事態であったか――否、これは必然有り得たことだろう。そしてその思想その理念その発想全てが電子回路の如く直結した瞬間こそが、貴女に課せられし使命の発露と言えよう」

 

 使命? それは、父が言っていた『思い出せ』という言葉と関係あるのかしら。

 

「然り然り、その使命こそが貴女の魂に刻み込まれた記憶だ。そも、貴女が十二使刀流を編み出す経緯云々はともかくとして完成と完了の融和はすなわちこの次元における■■の誕生に対抗すべく生み出された対の存在でありながら同一の存在に他なら無い。――だが、私は此処までしか知らない。微力にも及べぬ私を罵ってくれたまえ、■の■よ」

 

 ――何故、貴方はそこまで私のことを知っているのかしら。それに、会ったことなんて一度たりとも無いのに昔から知っている気もする。

 

「かつて貴女は言った、何事にも止ん事無き世界は絶妙な均衡によって保たれているのだと。ならば己が使命を思い出すまで白痴のままで世界に呑まれてからでも遅くはないと。世界に溶け込んだ上で、世界の特異点を――■■を退治するのが最も歪み無く世界を正せるのだと。嗚呼、貴女の輝かしさは正に我が女神のようだ。魂のあり方こそ、進んだ道のりこそ異なるがそれは同時に我が盟友の如き至高の存在であることに変わりはない。故に、八人の中でも()()()に貴女に会えたことを光栄に思う」

 

 二番目?

 

「おや、常日頃我が息子とその配下に相見えているではないか。自覚が無かったかね? 貴女も刹那を愛するわが息子――そう、()()の名を賜った者達に」

 

 ………まさか。

 

「未だ刹那と会った自覚が無いと仰るならば、私としては好都合だ。何せ私が一番に貴女と出会い、我が法を授けられるのだからな。貴女はさきほど忍に悪刀『鐚』の定義を問われたであろう? 定義――ふふふ、実に奥ゆかしくも人の身で決めつけるには甚だしきものだ。しかし……定義、定義か。雷の吸収から全身へ電流を流すことによる細胞活性、超回復。貴女は肉体の活性化と再生、瞬発能力の向上こそ『鐚』の真髄だとお思いではないかね。では――こう考えるのはどうだろうか? 卑しき畜生共によって貴女の傷付いた御身は『鐚』によって再生したのではなく、戻ったと。肉体活性による治癒速度の向上ではなく、御身が傷付く前の状態に戻ったのだと。未来への加速ではなく過去への巻き戻しが行われたのだと。そう即ち――回帰だ」

 

 回帰。つまりは――時の逆行。

 何故、貴方はそこまで私に助言をしてくれるのかしら。強いられているのならば謝罪の場を設けるわ。

 

「否――私は可能性の追求者だ。力添えにはならずとも、誰かの礎になれるのであれば嫌はない。ましてや至高の女神に準ずる魂とあらば本望なのだよ」

 

 そう言って、真っ黒だった影から一人の男が実体を現す。水面にたゆたう影から出てきた男は実に細身で、まるで絞り滓。輝かしき者の背後に指す影のそれという印象だった。舞台袖に佇む黒子でもなければ観客でもない。指揮する者でありながら常に影から出ることの無いような男だ。そして、背後を指し示した。

 

「さぁ戻り給え――否、戻れというのは的確ではないな。()きたまえ、貴女はまだここに来るべきでは無い」

 

 ――ありがとう。

 

「礼には及ばぬよ。これでも私はよく詐欺師だの魔術師だのと囁かれている身だ、あまり私の言葉を信じなさるな。あぁ――恐らく、貴女はこの後二番目の試練が待ち受けているであろう。唯一注意点があるとすれば、未知なるものこそ疑え、ご都合主義をいつまでも過信なさるな。貴女に、幸多からんことを」

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 

 ()()に気付いたのは参猿だった。全身から飛び出た千の『釘』は思いの外、肉体に負荷が掛かっている。一対一でも一体多でも、この圧倒的弾幕を目の当たりにすれば、大概の敵は殲滅し得るからだ。参猿も曲がりなりにも忍、格上であろうと九散にしてやったように心理戦に追い込み不意打ちを喰らわせればなんてことはない。全身骨格、肉体に歪みが無いことを確認し、絶命しているであろう九散を見て目を見開いた。

 

「―――は?」

 

 『釘』が、刺さっていなかった。

 それどころか、己の肉体に千本の『釘』がある感覚がある。肉体の歪みは修正されたのではなく、始めから無かったことになっているのだ。満身創痍どころか、まるで貒狸(みだぬき)と戦闘する以前――否、海蛇と戦闘する前の状態に戻ったようだ。

 

「不死――死なぬこと『鐚』の如し――()()()()

 

 死んだと思っていた筈の死体が蘇る――まるで悪夢のような光景だ。三日月の様に裂けた笑みを浮かべた九散は両の手を左右に広げて参猿へ迫る。それは雄と雌の求愛行動の一環にある生易しい抱擁なんかではない、処刑人の如き断罪の一撃への布石だ。

 

「まったくゥ…ある程度予想してはいてもいざ目の前で起こるとビビるもんやなぁ!」

 

 恐らく、これが己の中に住まう四季崎記紀の残留思念が言った■■■■の理――しかし、参猿の手で引き起こされた『釘』による負傷の巻き戻しを行ったのであれば、必然己の肉体内に『釘』がまだあるのであって。

 

「今度こそ正直に標本にでもなっとれや、穿刀貫体(せんとうかんたい)!!」

 

 全身から生えた『釘』は火中の栗の如く参猿を基点に全方位に放たれた。通常では有り得ないような複雑で多角的な軌道を描いた千の『釘』は弾幕の嵐となって九散の全方位を取り囲む。上下左右を千本の『釘』が飛び交い逃げ場を無くし、徐々に動きを制限していく。まるで『釘』そのものが結界だ。そして回避不可の千撃が殺到する。

 が―――九散は、静観して軽く腕を凪ぐ。

 

「不砕――砕かぬこと『鈍』の如し――超過駆動」

 

 ――弾幕の中心に、九散はいなかった。代わり、真っ赤な血の涙を流した九散が参猿の眼前に迫っていた。

 

「嘘…やろ…」

 

 九散の背後では獲物を逃がした『釘』が互いに衝突し合っていた。

 漆黒に染まった肌、反転した眼球、血の雨を受けたような深紅の髪と瞳。目の前に迫り必殺の一撃を屠らせようとする九散の姿は二度、見覚えがあった。一度目は御前試合の神楽において無涯との戦闘においてその異形の姿が見受けられた。二度目は城塞級巨大蟲『干城鍬形』との戦闘において破格の拘束力と無秩序な腐毒を出してみせた時の姿だ。だが、同じ姿ではあれど先の二件とは比べ物にならないほど異常だと肌で伝わった。全方位、蟻でさえも逃れることの出来ない『釘』の結界を、どうやって破ったのか? それこそまるで、時が止まったとしか――。

 

「(嗚呼――)」

 

 なんや、満足なんか。コレをあんさんは待っとったんやね。

 本懐を成し遂げた、その一端でもみれただけで満足だと、そんな感情が伝わってくる。己の内にいる四季崎記紀の残留思念が歓喜に打ち震えているのだ。徐々に残留思念が抜け消えていくのと、目の前に迫る死の塊を見て、参猿は笑った。

 

「――よかったなぁ」

 

 両腕が、鋏のように交差した。

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 

「やっぱりね」

 

 倒れた参猿の胸元を見て、九散は呟いた。参猿は、息をしている。殺していないのだ。胸元の忍装束をばっさりと斬り裂かれて大の字に倒れた参猿は、ぼーっと空を眺めていた。

 

「……ちょい待ちぃ、なんでワレ生きてんのや」

「確かめたかったことがあるのよ、貴女も薄々()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「はて、なんのことやら」

 

 シラを切ってみせた。元の姿に戻った九散に先程の威圧感が無いのか舐めた真似をしてくれる参猿の態度にカチンと来た九散は後の世で大成される反則柔道技・足がらみを喰らわせた。参った参ったと名前を掛けたように参猿は手で地を叩き付けた。

 

「参った、参った――って参猿ちゃんが言っちゃっとうでおっかし…ってあ痛ぁ――!? わかった、わかったからお情けで許して~!!」

「全く…反省の色も無いわね。聞きたいことが幾つか――いえ、これはもう答え合わせでいいでしょう」

 

 技を掛けつつ九散は仏頂面で言う。

 

「やれやれ…『三感の参猿』とはよく言ったものだわ。海蛇ちゃんが皮膚感覚、貒狸さんは…嗅覚かしら? それで、三人目である貴女が視覚、聴覚、味覚だったわよね。なんとまぁ嘘をヌケヌケと付いたものだわ」

「それがどないしたん? 真庭鵺組全員、五感を操る専門家の忍やで?」

「それが本当に三人なら、でしょう?」

 

 九散は斬り裂かれた参猿の胸元を指す。そこには九散が先程の戦闘で付けたにしては深過ぎる×(ばつ)字の斬撃痕があった。まるで、電熱にでも焼き切られたような。

 

「鵺とは確かに『平家物語』源 頼政が紫辰殿上で射抜いたとされる頭は猿、身体は狸、尾は蛇の姿をした妖怪のことを指すわ。でも、妖怪ではなくその人の有り様を指すのであれば――また意味合いは変わってくる」

「ほうほう、どんな?」

「――転じて正体不明なものであり、そして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。これを解釈と唱えるならば、真庭鵺組は三人でありながら一人、一人でありながら三者三様の姿を見せる忍ってことよ。その胸の傷が決定的ね、それは貒狸さんに付けた傷よ」

「半分、正解やな」

 

 降参~、と言いたげに両手を挙げて宙に泳がせる。足がらみから解放させると、神妙な顔をして観念したようにぽつりぽつりと言葉を零した。

 

「ウチは――じゃない、()は一つの身体で三つの精神を生まれながらに持ってた訳じゃないのよ。生まれて戦国の世を三人で生きてきて…途中事故に巻き込まれて、それぞれ大けがを負った……でも、三人の身体がそれぞれ足りない部分を補うことで生きることが出来たの」

 

 恐らく三人の中で一番幼い末っ子に当たるであろう海蛇は、無邪気に笑いながら言った。

 

「私は――じゃねぇ、俺達ぁ過去、真庭忍軍の忍法の中にあった真庭鳳凰の忍法『命結び』を三人同時で使ったんだよ。生きる時も死ぬ時も三人一緒だ、ってのが俺達の中での誓いっつーか、約束事でな。……オイ結構恥ずかしいんだから笑うなよテメェ!」

 

 次男に当たる、溢れんばかりの殺人衝動を持つ貒狸は恥ずかしそうに言った。

 

「俺――やない、ウチ等の中に残留していた四季崎の力か、それとも真庭忍軍としての血なんか知らんけど…『忍法・命結び』は三人の生命力を束にしてようやく一人分の生を生み出したんや。勿論分化は可能やけど範囲は限られとるし、持続時間も無い。代わりに――」

「思考を統一化、もしくは伝播出来る。だから三人は共通して私に関する情報を得られたし、そして私を罠に嵌めることができた」

 

 三人が別々であったとしても出来過ぎだと思った。それは参猿戦の時、■■■■の理で己の時間を巻き戻した時だ。考えてみれば、『鐚』の再生能力は今まで傷や怪我のみであり、病気や症状までは治していなかった。それはつまり、海蛇戦で潜水病を、貒狸戦で熱中症を患ったことで参猿戦において『忍法・口留(くちど)目眩(めくら)耳塞(みみふさ)ぎ』なんていう偽りの忍法で九散を前後不覚に追い込んだのだ。いや、参猿との心理戦における知恵熱も関わっているのだろうか。

 いずれにしても、見事な手際だったと言える。天晴れだ。

 

「せやけど、九散ちゃん一個見落としてるで」

「何をかしら?」

「鵺は――いや、ウチ等鵺組は確かに三人で一人、一人で三人の忍や。けどな、鵺は蛇と狸と猿の他にもう一匹いるんやで」

「………え?」

 

 それは、すぐにやってきた。茂みを掻き分け木々を薙ぎ倒し全てを蹂躙して迫っていた。派手で、強大で、存在感がある存在なのに気付いてもすぐには動けなかった。

 そのとき、九散は生まれて初めて『恐怖』というものを体感した。

 

「鵺の()()は――虎なんよ。()()だけに、な」

 

 そして、ただ力で奮われた手が参猿の片足を掴み上げてそのまま九散へと振るわれる。ただただ暴力その一つによって、まるで参猿を棍棒のように叩き付けられた九散の肉体が抉られた。その感触を参猿の身体から伝わる衝撃で感じ取った異形の襲撃者が、言う。

 

「新しい」

 

 

 

 

 




 タグにめだかボックスがありますよね?(確信犯)
 次回、八丈島の変最終話になります。これが終わって最終章が4~5話…長かったなぁ
 刀語は先々週見ましたが…何度見ても七花vs右衛門左衛門の戦闘シーンはアツい!
 さて、もう梅雨晴れで猛暑、いよいよ夏の到来となりましたから、九散ちゃんみたいに熱中症にはならないでね!(あれは貒狸のせいか)


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二十二太刀目

 漸くここまで来たかって感じですね。しかし皆さん、まだ襲撃者の身なりさえも書いてないのに「新しい」が誰であるか分かりすぎですよ!? 私はただ「めだかボックスってだいぶ前からタグにあったよね?」って言っただけで……あれ、これだけで充分か(笑)
 そんなわけで、八丈島の変最終話、どうぞ




 

 

 

 真庭 剣牙虎(けんがこ)

 代々真庭忍軍は決まって名前が漢字二文字なのに対し、剣牙虎に関しては唯一の例外である。それは真庭忍軍の構成において一組三名という大原則を破った、いわば部外者による助っ人的存在であることが起因する。そもそも新生真庭忍軍は生まれた時から真庭忍軍である旧代真庭忍軍と異なり、生粋の真庭を名乗る者などいない雑種にして寄せ集め、しかし結束力だけは他の忍に引けを取らない集団だ。だがその雑種の中でも剣牙虎だけは別だった。

 元服を迎えて早数年、不知火と呼ばれる誰にも知られていない村の中で最も優秀であった不知火 半壊(はんかい)は不知火の村で代々受け継がれる存在の器として最適であり、歴代でも最高の逸品であったそうだ。そして受け継がれる存在の器となってから数日――『蟲狩』が八丈島へ向かうつい数日前に、新生真庭忍軍頭領である参猿が狙い澄ましたように半壊の身柄の一時的拝借を要求した。知る人ぞ知る真庭忍軍の名声は外界から途絶された不知火の村にも聞き及んでいる上、多額の褒賞を前払いとして差し出され、半壊本人も久々に俗世を見てみたいと愉快そうに嗤い了承した。つまり、一時的な真庭でありながら真庭ではないという()()()忍。それが真庭 剣牙虎である。そして不知火 半壊に受け継がれた存在そのものを知る者は彼をこう揶揄していた。

 人外が初めて勝てなかった人間。

 不可逆の破壊者。

 御伽噺の英雄。

 英雄失格。

 英雄の残滓―――獅子目(ししめ) 言彦(いいひこ)

 

「新しい」

 

 出で立ちは正に修羅。真庭忍軍の一員としてのせめてもの慰め程度に身体に巻かれた一本の鎖、相撲取りよりも大きい注連縄、全身から滲み出る闘志と殺意を纏った巨大な身体。その巨漢に見合った大きな手には振り抜いた衝撃で握り潰された一本の足から流れる血で濡れていた。千切られた足を持った鬼の様に()が生えた男の顔は愉悦の一色に塗り潰されていた。

 

「げ げ げ げ げ げ げ げ げ げ げ げ げ げ げ げ 

 げげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげっげっげっげっげっげっげっげっげっげっげっげっげっげっげっげっげっげっげっげっげっげっげっげっげっげっげっ!!!!!!

 あ た ら し い !

 新しい…新しいぞこの感触!! 儂も今の今までこれほどまでに新しい感覚を味わったとは滅多に無い!! いつもそこら辺に立っている棒で刀のようにあれこれ叩きのめすことはあるが、まさか叩きのめした相手が本当に刀のようだったとはな!! これは新しい!!」

 

 まるで玩具を与えられた児戯。いままで生まれて一度たりとも味わったことの無い感触に感動を抱く。

 ―――剣牙虎はかつて太古、漸新世後期から更新世にかけて栄えた獰猛な食肉獣のことを指す。最大の特徴は何と言っても独自に発達した上顎犬歯。賊が持つ匕首より大きく頑丈な牙は常に己より大きい獲物を狩るのに適したものだった。確かに成る程、額から生えた鬼の様な角はまるで牙のようである。もっとも剣牙虎と名を一時的に与えられた存在――獅子目 言彦にとって、己より大きい獲物なんてこの世界には存在しないだろうが。

 

「ぬぅ……しかし勢い剰って足が千切れてしまったな。これだから棒は好かんのだ。やはり振るうのは刀や剣、槍が一番なのだがな……いや」

 

 興味を無くしたと言わんばかりに血塗れの足を投げ捨て、剣牙虎は空を眺める。空中に僅かに残る血霧の痕、それは参猿を棒の様に振るわれて飛んでいった九散の方角だ。音速にも近い振り抜きは見事九散という名の球の芯を捕らえ、運動の法則に従い――否、運動の法則を遙に凌駕するような速度と軌道を描いて千切れた参猿と空を跳び、そして落下した。まだ八丈島の外を出ていないことから剣牙虎が己の力を一割どころか一分一厘も出していないだろう。もし一割でも出していれば、振り抜いた衝撃波で九散と参猿の肉体は衝突時に爆散するか、片方が爆散し地球を一周、又は大気圏を飛び越えてまだ見ぬ星が彩る世界へと旅立っていただろう。これも、まだ剣牙虎が半壊の肉体を依り代としてから一度たりとも本気を出したことがないからである。

 

「……あの一瞬で儂の一撃を五体満足で受け切り、更に棒の足を切断し、果てには後ろへ跳んで衝撃を減らすとはなかなかやるではないか! いや実に新しい! それに刀のような肉体…新しいな! 本当に新しい!! よし、儂が直々に相手をしてやろう」

 

 四千五百年前に手合わせした万能な女とは一億回の勝利を収めた。

 三千五百年前に相手取った蛮勇なる少年とは禍根無き終わりを迎えた。

 二千五百年前に競い合った優秀な策略家とは知略謀略の限りを尽くした。

 千五百年前に対峙した老いさばらえた魔女とは誉れ高き聖戦を繰り広げた。

 五百年前に雌雄を決した二刀流の義賊とは死闘を愉しんだ。

 土を踏み、跳躍したかと思えばその巨体は瞬く間に空へ舞い上がる。彼女が、己の記憶の片隅に残る英雄となるか否かを問いながら。

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 

 それは仁兵衛が蟲奉行を蓋骨の手から救い出し、気絶したその直後だった。空に響く、砲弾が遙か遠方から放たれたような耳鳴りを訴える音がその場の全員の耳に届く。段々近付いていることから全員が身構えて空を仰ぐと、蟲奉行様が咄嗟に仁兵衛を庇い引き寄せた瞬間、その場にそれは落下した。

 

「!?」

「ゲホッガハァッ……!!」

「ウェッ…ゴボォッッッッ!!」

 

 大地に花が咲いた。だがそれは植物の花びらではない。真っ赤な血、血染めの徒花、血染花だ。飛び散った血が蟲奉行の色白の肌を彩り、その感触に身体が震える。花の中心にいるのは二人の人間。一人目は血に濡れて真っ赤に染まった猿のお面を被り、右足が付け根あたりから丸々消失している忍装束を着た女――

 

「おい、まさか…!?」

「参猿!? 大丈夫か!?」

「嘘でしょなんで参猿がこんな…!?」

 

 『蟲狩』の頭を筆頭に至胴、真白達が駆け寄る。

 そして二人目、血で汚れてはいるが見紛う事なき金の髪、左足は見るも無惨に折れ曲がり、右半身に至っては喰い破られたように胸辺りからごっそりと抉られた、豪華絢爛な着物を羽織る女――

 

「な……!?」

「……九、散……殿……?」

「九散君!?」

「マジかよ……!?」

 

 無涯、蟲奉行、小鳥、春菊達が血相を変えて集う。大怪我している二人の距離が圧倒的に近いから自然と争っていた二つの集団は鉢合わせとなるがそれどころではない。皆一同駆け寄りそれぞれを確保すると急いで止血作業に掛かった。

 

「参猿!? 聞こえるか!? オレだ、何があった!?」

「……お…お頭はんか…すまへん、あいつ暴走してるっちゅーかなんちゅーか、好き勝手やっとるみたいですわ…」

「クソッ!! おい血が止まらねぇぞありったけの布寄越せ!!」

「九散…九散殿!? なぜお主のような猛者が……一体誰が…!?」

「駄目だ、右の肺が潰れてる…!! 九散君、喋らないでくれよ!?」

「嘘でしょなんで……なんでこんなっ…!?」

「おいおいこれじゃ血が足りなくて失血死しちまうぞ!? なんとかなんねーのかよ!?」

「あわわわわわわ…止まらない、止まらないよぅ…!!」

 

 天間の目から涙が溢れる。九散は天間の式神によって包まれているが、元から式紙に傷があったからなのかそれとも出血が多いのか、どちらもかもしれないが白の紙からじわじわと赤が溢れてくる。僅かに意識がある参猿と違い、右腕を丸々抉られ肺を潰されたせいで意識を失っている。

 剣牙虎の攻撃の際に『鎧』と『鉋』は当然発動させていた。しかしこの二つの堅剛な防御力も完全ではない。それこそ地に足を着いていて万全な効果を発揮する『鎧』だが、今回は無涯戦や『干城鍬形』戦と異なりしっかり地に足をついていたにも関わらず九散は剣牙虎の攻撃を無効化出来なかった。そもそも『鎧』は無効化というより衝撃の伝播による防御術。茶喰蚕の突進、慚愧の一撃必殺、江戸一番の力を持つ『剛剣』影忠の乾坤一擲、『干城鍬形』の足踏み――それらの全てを防ぎ、凌いで見せた『鎧』であるが、剣牙虎の一撃は訳が違った。

 圧倒的力量。

 『鎧』で受け止めるといっても限界がある。だが九散自身いまだ『鎧』で受け切れない一撃というものを体験したことが無かったこともあり、どのくらいでどの程度のものが受け止められないのかが分かっていなかった。九散がいままで生きてきた中で最も重く、速く、強く、硬い一撃であったのは、剣牙虎――言彦の力が有象無象の人間達の力とは一線を引いて強大で、異なる次元の領域にいることに他ならない。所詮いくら強大といっても常識内の一撃程度ならば『鎧』に防げない衝撃は無い。だが根幹から、次元自体が異なっているのであれば九散の防御は意味を成さない。

 

「あれ…足の出血が止まった…?」

「これは……九散ちゃんがキレーに斬ってれたんよ……ほれ、切れ味えーから塞がりやすいんや……血はさっきアタマ打った時のと、九散ちゃんの血や……な…」

 

 加えて、剣牙虎の連撃から逃れるべく最善の手としてやむなく参猿の足を斬った。あの一瞬にそんな判断ができたとは思えない――勿論、無意識だ。ただ、目から耳から肌から、九散の肉体全神経からそうすることが最善であると本能が判断したのだ。お陰で剣牙虎の二撃目から逃れ、更に振り抜いた際の遠心力によって引き起こされた膨大な力により、剣牙虎との距離がある程度開かれた。『鎧』でなく『針』によって防御――もとい、いなしてみせられればこれまで被害を被らなかっただろうか。それは否、攻撃に乗せられる風圧よりも先に剣牙虎の一撃が九散の肉体を貫いていたであろう。

 

「………っ゛…」

「九散!?」

 

 天間を筆頭に気絶した仁兵衛を除いた六人の手によって、血こそ止まらないものの出血量を格段に減らしたことで九散の体温低下を防ぎ、漸く九散の意識が戻る。目を薄く開いて、己を囲む皆の顔をゆっくりと眺めた。身体を起こそうとするが、右半身無き今となってはそれは叶わず、全身を駆け巡る痛みに目を見開いた。

 

「ぐが…ぁあ……!!」

「ダ、ダメダメ九散君まだ動いちゃだめだよ!!」

「九散殿!? 大丈夫か、まだ動いてはならんぞ!」

 

 聞き慣れない声が痛覚に蹂躙されている九散の脳に響き、声の元を見る。九散は蟲奉行と会ったことはあれど顔合わせをしたことが無かった。白磁の如く美しい肌に己の紅い血が付いているのを見て、苦しそうに溜息を付いた。

 

「…いけ、ないわ……私の血で…貴女を穢して、しまう…なんて……」

「九散殿っそんなことを言っている場合ではない! 口を開いてはならん!!」

「……貴女が…蟲奉行様……ご無事で、何より……」

「っっっっ…!! そうだ…妾が蟲奉行だ、お前達に守られる、顔も知れぬ者だっ…!!」

 

 顔も本名も知らないような人に、命を賭けて守ろうとする人間がいるだろうか。人でなき者である蟲奉行の心は冷え切り、人を信じるという行為を忘れていた。だがついさきほど助けられた仁兵衛の愚かしくも勇ましき武士道を見た蟲奉行は涙を流した。そして目の前にも、己の身よりも名も顔も知らぬ護衛対象である蟲奉行の身を案じる者がいる。それだけで、冷え切っていた蟲奉行の心を解かすには充分過ぎた。

 

「……おい、自己回復は出来ないのか?」

 

 間を割って無表情な、しかしその裏に焦燥が見え隠れしている無涯が言った。その言葉に九散が顔をしかめる。

 

「……さっきから全身の電力を、ありったけ使って『鐚』を行使してる……けど、一向に治りそうに…無いわね……」

「そやろ……剣牙虎の攻撃は、不可逆……自然だろーと超自然だろーと、決して治らんのや……」

「なんだと……?」

「…………そう…」

「だからあんな訳わかんねぇ奴引き入れたくなかったんだよ…!!」

「つうか、なんで猿面の奴もやられてんだよ。仲間じゃねえのか?」

「あんな奴仲間と思ったこともないわよ、っていうかつい最近入った助っ人だし」

「アンタ達の仲間の結束力って、所詮そんなものなのね。だからやられちゃうのよ」

「ンだとこのアマ…串刺しにしてやろうか…!!」

「こらこら君たちこんなところで喧嘩しないで! 一時休戦だよ一時休戦!」

 

 今更ながらに双方が睨み合う。お互い満身創痍で十全に動くことは出来ないがそれでも売られた喧嘩は買う。今にも衝突しそうな雰囲気の中、無涯に肩を借りていた九散の目が全開に見開かれた。

 

「みんな逃げてェ――――!!!!」

 

 その瞬間、星が堕ちた。

 

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 

 

 己が揺さぶられている。突然の衝撃に途切れていた意識が、次第に浮かび上がる。目を開くと、周囲の景色が全て視界の中心から両端へ風のような速さで流れていくのが見える。そして、視界の端を掠める金の髪が肌を擽った。

 駄目だ、また眠くなる。

 目覚めようとしていた意識が再び沈み、深海より深く深くへと堕ちていく。目が、覚めない。

 

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 

 

 

 八丈島麓。数刻前まで『市中見廻り組』七名及び蟲奉行一名、『蟲狩』六名及び真庭忍軍一名(正確には三名)がいたその場所には、二人しか残っていない。まるで火薬庫そのものが爆発したような爆心地。その中心に立っている二人の内の一人、真庭 剣牙虎は向かい合うもう一人を見て感慨深げに頷いた。

 

「げっげっげっげっげっげっげっげっげ、貴様は本当に新しいな。まるで瞬間芸の達人だ、儂が着地するのを察して分身するとは新しい! お陰で振る棒が見当たらん!」

「………お褒め預かり、光栄、ね……」

 

 不断(たたず)――断たぬこと『(つるぎ)』の如し。

 上空から流星の如き風圧、化け物の如き威圧を感じ取った九散は直ぐさま『鎩』でいま出来るだけのありったけの五体満足の分身体合計十四体を形成し、剣牙虎が着地する寸前に全員を確保。背後から伝わる着地の際の衝撃を壁にして蹴り抜き、全員の戦闘領域脱出を成功させた。着地によって生み出された規格外の衝撃は分身体でも負傷し、飛び散った岩石が足腰や背中を破壊し、その場にいた九散を除く全員が怪我を負い瀕死の状態に追い遣られた。だが、死んではいない。

 九散の分身体も怪我はすれど傷口の拡大は無く、徐々に分身体を維持出来なくなるがそれまでには各々が乗ってきた船に届けられるだろう。

 

「しかし貴様も満身創痍だな、まさかこの儂を食い止められると思っているのか?」

「……本来、貴方の相手は私で、しょう……邪魔者を…退席、させただけよ……」

「げっげっげっげっげっげっげっげっげっげげげげげげげげげげげげげげげ! そうかそうか、いやしかしその技その気概その心意気その肉体全てが新しいな! 死なれる前に名前を教えろ、死んでも儂が覚えておいてやる!」

 

 右半身を抉られ、左足を破壊されてもなお、立ち向かい立ち向かい続ける目の前の女。いままで壊れれば逃げ出すかいつのまにか絶命していた軟弱な人間共とは訳が違うと、剣牙虎は胸の中で確かな高揚感を感じていた。今にも崩れ落ちそうな、しかし覚悟と決意を目に宿してしかと剣牙虎を見据え、片足で立つ九散は可笑しそうに嗤った。

 

「あら、あら……私の名前は錆 九散。しがない剣士、よ」

「儂の名前は真庭 剣牙虎――この身体の名は不知火 半壊と言っていたな。儂自身の本名は獅子目 言彦だ。どうだ、新しいだろう」

「……たくさん、名前を持っているよ、うね………いいの? そんなに教えて…」

「貴様を殺す相手は名を知るに相応しく新しい存在であり、儂に殺される貴様は決して語られる事無き名誉ある新しい英雄となるからな」

「……わ、たしに……斃される、とは…思えないかしら…」

「新しい冗談だな!!」

 

 踏み込み一歩で初速段階から九散との間合いを詰める。異常な踏み込み。次元外れな速さ。しかしそれに対応した九散は無事な右足を僅かに後ろに下げつつ腰を捻り、左回転に回して使えなくなった足で剣牙虎の顎目掛けて踵を叩き込む。剣術でも拳術でも何でも無い蹴り。それは剣牙虎の接触と共に破裂した。

 

「ぬぅ!?」

 

 これに驚いたのは意外にも剣牙虎だった。なぜなら既に破壊された左足をまた棒のように振るって己に叩き付けたとしてもまた破壊されるだけで、少なくとも()()()()()()()()()()()()()()()なんてことは無いからだ。

 

「不生――生きぬこと『鐚』の如し」

 

 ――九散が己の足に放った『鐚』の電磁波で、足の中に未だ残留している血液を超振動させて暴発させた。まるで満杯まで水を含んだ革袋に針を刺すが如く破裂した足はしかし、当然剣牙虎からすれば蚊の残骸が降り掛かったとしか感じられないだろう。だが、この時だけは違った。

 

「っぐうううううううううぅぅぅ……! 貴様、儂の目に血を……!!」

 

 血。そう、爆散した足から飛び散った、電熱によって温められた灼熱の如き血が剣牙虎の顔面に降り注いだ。目潰し。稚拙ながら悪くない案である。一時的にではあるが、完全に視界を失ったこの時こそ好機。

 

不折(おれず)不砕(くだかず)不断(たたず)不捕(とらわれず)不効(きかず)不浮(うかず)不生(いきず)――『鉋』から『鐚』まで強制混合接続奥義」

 

 戦闘系技から防御系技、完成系変体刀十二本の内前半の七本を一度に体現した奥義。己を刀化身として、刀そのものとして究極的に追い求めた九散が今放てる全力にして最高の奥義。残された左腕腕一本、右足一本という不釣り合いで全力にはほど遠いが、今ではこれしか無い。どの技よりも速く、どの技よりも強大で強力な一撃。

 『鉋』の如く強固で。

 『鈍』の如く切れ味が良く。

 『鎩』の如く大量で。

 『針』の如く曖昧に。

 『鎧』の如く伝播し。

 『鎚』の如く鈍重で。

 『鐚』の如く凶悪。

 白とも黒とも、赤とも青とも黄色とも見紛う極光の輝きを纏った左腕が、振り下ろされた。

 

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 

 

「………見事だった」

 

 土煙の中から、剣牙虎の賞賛する声が聞こえる。目の前では、剣牙虎の鋭利な右腕によって左胸を貫かれている九散の姿があった。重々しくその腕を引き抜くと栓が抜けたように血が溢れ出し、瞬く間に血の水溜まりを形成する。しかし腕を引き抜かれてなお、九散は膝さえ付かずに屹立していた。そう、屹立して――死んでいた。

 

 ――九散が放った一撃は、八丈島を割断した。空前絶後の奥義を放った跡地は言彦の着地点を垂直に走り、九散の()()一直線に大地を抉っている。九散の全力の一撃は剣牙虎の肉体に到達し――到達して、全反射されていた。その一撃は直線上ある全ての物体を消失させるに等しい一撃であり、それでも九散の全身が蹂躙されてなお形を保っていられたのは奇跡に等しかった。そしてその全力の一撃を賞賛した剣牙虎はせめてもの救いとして、普段使うどこにでも有り触れた仮初めの道具ではなく相対者である己の腕で九散を殺し、この戦いに幕を引いた。

 

「……死して尚、倒れんとするその生き様…真に新しき生き様ぞ。この儂が永遠に貴様の勇姿を忘れることはないだろう」

 

 一時的にではあるが視界を殺された剣牙虎は生まれて初めて――否、人と戯れる時において、初めて()()()()()()()()()()。普通、正面にいるならば身体の前部分を防御すれば済む話だった。だが実際、九散の全身全霊の奥義は剣牙虎を全方位から襲っていた。これは『鎩』による全方位からの千の斬撃によるものである。そして、硬く鋭くそれでいて軽くて重い一撃――ではなく千撃は、筋弛緩していた状態であれば皮膚を引き裂いていたかもしれない斬撃の嵐そのものであった。

 

「まるで己の次元を無理矢理引き上げて、儂の次元に追いつこうとした新しい奥義だった。成る程成る程、策を弄し奇を衒った妙技より純粋な力をぶつけることこそ唯一己より上にいる次元の者を打倒する方法という訳か――実に新しい発想だ」

 

 そう言って、剣牙虎は背を向けつつ己の背中に手を伸ばす。その手には、背中に僅かながら刻まれた一太刀の斬撃から流れる血が付いていた。切れ込みは皮膚薄皮一枚程度。だが、今まで剣牙虎が戦ってきた中で()()()()のはこれが初めてだった。久方ぶりに見た己の血を見て満足そうに笑った剣牙虎は何度も感心したように頷き、見納めと言わんばかりに首を捻って九散の最後の勇姿を視界に捕らえ―――

 

「…………何?」

 

 その姿を見て、驚愕する。確かに血塗れだ、左胸には風穴が空き虚ろの空洞を生み出し、爆散した左足はまるでもう一本の足を形成するような一滴の血が流れ続けている。そしていの一番に剣牙虎が抉り取った右半身――なのだが、ここで解説しておけば右半身を失ったと言うことは同時に右腕もろとも消失していることを意味する。抉られた右半身から除く潰れた肺、ひしゃげた肋骨、捻じ曲がった鎖骨――先刻までは、それが見えていた。だが今は。

 

「………げっげっげっげっげっげっげっげっげ、腕が生えるとはこれまた新しくもないものを」

 

 腕が、生えていた。着物の袖こそもう無いが、右胸の乳房の横合いから生えている肩、そしてそこから伸びる腕は紛れもなく右腕である。

 

「―――だが、()()も生やすとは実に新しいぞ!! 九散よ、貴様はどこまで儂を悦ばせてくれるっ!?」

 

 そう、四本生えていた。生えた右腕の脇から二本目に加え、()()()が自生していたのである。それは右のみならず左側も同じであり、破壊されたとはいえ未だに形を保っている左腕の脇から二本、腕が伸びていた。

 

不人(ひとにあらず)――人あらぬこと『(かんざし)』の如し――上位駆動」

 

 まるで絡繰人形が話すような合成音声が九散の口から漏れた。その瞼は塞がれ、心臓も止まったその姿はまるで人形だった。右に二本、左に三本。もし右腕一本が顕在していれば一面六手の人形が完成していたであろう。芸術品と思わせるような、血の朱に塗られつつもその輝きを失う事なき金髪、朱が塗られたことで一際映える白磁の肌。()()()()()()()()()()()九散によって仕込まれた、十二使刀流の中でも通常駆動を持たない二振りの刀の内の一つである微刀『釵』は、死んだ九散を屍人形にする死を前提にした技であった。

 

「げっげっげ、一面五手とはこれはまた新しい身体ではあるが……それだけか? いくら肉体を人形化しようと、その肉体を操る者もしくは操る何かが無ければ――意味が無いだろう」

不律(りっせず)――」

「お……?」

 

 剣牙虎が呆れを口にしたそのとき、意志を持たぬ人形と化した九散の口が再び開く。

 

「――律せぬこと『鍍』の如し――上位駆動」

 

 途端、伽藍堂であった九散の全身から並ならぬ殺気が迸った。そう、空っぽになってしまったのであれば、何かを詰めればいい。それはまるで麻袋に藁を仕込んで膨らませる様に、器に米を盛る様に、杯に酒を注ぎ満たす様に。そして人形に殺意を、詰め込むように。

 完成系変体刀十二本の中でも最も刀を所持する点において基本的な『所有すると人が斬りたくなる』という刀の毒がもっとも閉じ込められた刀。通常駆動が存在しない二振り目のそれは『鋸』とは対照的に殺意を増幅させる結果に至った。並々ならぬその殺意はかつて九散が『鋸』の解除と共に解放された九散自身が持つ殺意と同等である。有象無象、森羅万象へと向けられたこの世全てへ全方位に殺意がばら撒かれた。

 そして、周囲一帯の生命を死滅させんとする溢れ出た殺意に目覚める様に、九散の瞼が開いた。しかし、それは()()。右眼と左眼、そして新たに額に縦一線が走りそれが瞼となってゆっくりと開いていく。

 

 

 

 

 

 

          滅

 

 

          尽

 

 

          滅

 

 

          相

 

 

 

 

 

 

 

 ここに、刀を司る三眼六手の邪神が降臨した。

 

 その出で立ちは阿修羅か、はたまた印度の破壊神か。

 

 この時、剣牙虎の身が危険を訴えた。かつて戦った万能な女でも、蛮勇な少年でも、優秀な策略家でも、老いさばらえた魔女でも、二刀流の義賊でも感じられなかった危機感。目の前から流れ出る純度の高い高密度の殺意、威圧感から感じる強さ。それら全てを感じ取り、そして剣牙虎は吼えた。

 

「げっげっげっげっげっげっげっげっげっげっげっげっげっげっげっげっげっげっげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげ!!!!!!!!

 ああああああああああああ新しししししししししいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!

 まさか…まさか人の身でこんな短期間に()()()()()()()()()()()()までに至るとは新し過ぎて感極まったぞ! さぁ続きをしよう、儂はこの戦いを一生忘れることはないであろう!!!!!!」

 

 二人を隔てる空間が砕け散った。魂を罅割る視線を乗り越え、宇宙を砕かんとする呪詛をはね除け、神さえも殺さんとする指を押さえ付け、次元を断つ手刀を受け止める。不可逆の拳をいなし、迫り来る拳圧を砕き、風に乗る爪撃を破り、特大声量の咆吼を弾く。

 英雄と邪神が、衝突した。

 

 

 

 

 

 ――八丈島が消滅したこの日、九散が江戸へ帰還することは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 




 八丈島の変もとい新生真庭忍軍相対篇、完
 いやー、書いてる時に感想に最強スレがなんだのってあったんで試しに見てみましたが……見なけりゃよかった(汗)なんですか、あれ…あーもうノーコメントで! なんか要らないこと書くとどっかから苦情が来そうで怖い。ですから書くなよ、書くなよ!?
 とまぁ、これにて最終章が幕開けとなります。物語は加速し原作とは多少ズレが生じます
 何故か当初予定していなかったオリジナリーキャラも順次出てくるのでお楽しみに!

追記1、言彦って何気に身体に鎖巻いてるんだよねwww

追記2、真田幸村が諏訪部さんとかマジ止めて。切実に!


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二十三太刀目

 今回も遅れた…というか、なぜPCから投稿できなんだ?
 いやまぁ新番組に見入ってたわけですが、前回のでほとんど力尽きちゃったんですよねコリガ(^^ゞ
 


 

 

 『市中見廻り組』及び『寺社見廻り組』合同での蟲奉行の救出、『新中町奉行所』と『蟲狩』の相対、『武家見廻り組』の江戸進行中の蟲退治―――これが、一日の間に起こった案件である。語られない事実として『新生真庭忍軍』の復活、八丈島の消失が挙げられるが、そのすべて諸々は当然のことながら将軍・徳川吉宗公の元に聞き及んでいる。江戸城の最上階、将軍の位に就いた者だけに代々宛がわれる執務室で今回の案件を整理した吉宗は疲労と焦燥で額に汗を滲ませていた。

 

「(くっ……なんてことだ…)」

 

 心底舌打ちしていた。苛立っている訳ではないが、この状況にまで追い込んでしまった己の不甲斐なさに失望していたのだ。別段吉宗自身に責も咎もありはしない。だが、将軍として部下の負傷は軽んじてはならない。

 

 まず、江戸で二つの見廻り組が席を外している間に江戸町で孤軍奮闘していた『武家見廻り組』。最後まで戦い抜いた尾上影忠を筆頭に全員が負傷。中には重傷者もいて武士としての生命を絶たれた者も少なくない。死傷者がいなかったことと、江戸町から一般市民の被害が無かったことが唯一の救いではあるが、その代償は大きく最低でも一月は『武家見廻り組』は動かせない。背中に守るべき市民を構え正に背水の陣で蟲討伐に勤しみ、普段の倍はいたであろう迫り来る蟲の大群を『武家見廻り組』一つだけで退けてみせただけでも幸運だ。

 

 次に、『市中見廻り組』と共に八丈島へ向かった『寺社見廻り組』。以前無涯が所属していたとされる流浪の蟲専門戦闘集団『蟲狩』の一味と相対し、榊原夢久を中心に『寺社見廻り組』の大半が負傷、もう数名は行方不明。『蟲狩』の一味との戦闘の際に乗っていた大帆船が大破、何人かは海で遭難してしまったらしい。現在幕府から派遣された船団による捜索活動に専念している。救助された何名か、そして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()夢久は口々に「島からの得体の知れない衝撃によって吹き飛ばされた」と供述していた。今現在夢久もその衝撃の際に全身を打ち付け重体、『武家見廻り組』同様に一月は動かない。

 

 そして、『市中見廻り組』。

 

「(………まさか…実質蟲奉行所に機能停止とは……)」

 

 機能停止。そう、江戸町を蟲から守る五つの見廻り組の内三つは完全に機能不全を訴えていた。特に『市中見廻り組』の()()()()がそれを浮き彫りにさせている。

 

 『市中見廻り組』が与力・松ノ原 小鳥。江戸城屈指の実力者であり居合いにおいては右に出る者は居ないと言われていた彼だが、夢久同様砂浜に打ち上げられていた状態で発見されるも利き腕を骨折し左肩を脱臼、肋骨を四本骨折し臓器がいくらか傷付いており吐血が絶えない。推定完治日数、不明。

 

 『市中見廻り組』が同心・一ノ谷 天間。幼いながら朝廷お抱えの御門家の血を引き継ぐ者として法力に富み、法術において江戸では随一の陰陽師。夢久同様――というか、『市中見廻り組』と『寺社見廻り組』全員が打ち上げられていたのだが、力の源だった法力が消失。一欠片の法力すらも感じられない真人間になった挙げ句両目を失明。全身打撲でそうそう動ける状態ですら無い。推定完治日数、不明。

 

 『市中見廻り組』が同心・恋川 春菊。かつて『九十九斬り』と呼ばれ江戸町を震えさせた大罪人でありながら剣術に優れ、石の切り口が鏡と見紛うと言わしめる腕を持つ剣客。背後からの衝撃か攻撃があったのか、背骨がへし折れ首から下が動かせなくなってしまった。元から全身にあった斬り傷を上塗りしていくように新たに付いた傷から流れる出血は止まらず、一日に数十回は包帯を取り替えなければならないとのこと。推定完治日数、不明。

 

 『市中見廻り組』が同心・火鉢。幕府お抱えの忍軍よりも頭一つ飛び抜けて隠密活動と火薬使いを得意とする忍。忍として――否、人としても最も使うであろう両腕が、肘から先を千切られていた。頭が衝撃を受けたのか言語がはっきりしないらしく、目覚めたとしても満足に話せる状態では無いだろうと言われている。推定完治日数、不明。

 

 『市中見廻り組』が同心・月島 仁兵衛。『市中見廻り組』の中でも錆 九散についで新人、未熟な所はあれど尚武に燃え自己研鑽を怠らず日ノ本一の剣客を目指す侍。『市中見廻り組』が負傷する前から『蟲狩』の一味との戦闘と不可解な覚醒によって気絶。利き腕である右肩がざっくり抉られており二度と武士として生きることは出来ないとのこと。腕こそあるが手に力が籠めることが出来ず握力が付かなくなってしまった。推定完治日数、不明。

 

 『市中見廻り組』が同心・無涯。『市中見廻り組』ならず『新中町奉行所』の中で最強と謳われている元『蟲狩』の一味にして最強の武士。身体こそ数カ所の怪我で済んではいるが、全員が被害を被った存在の気に当てられたのか全身を呪いのように覆う黒と白の刺青が精神を蝕んでいた。そして致命傷として手にしていた塵外刀が真っ二つに折れてしまい復元はおろか折れた刃を利用することすら出来ない。推定完治日数、不明。

 

「(ここまでで死傷者が出なかった、そして今でもまだ死者が出ていないのが本当の救いだ。だが……)」

 

 吉宗はある一人の少女の顔を思い浮かべる。金の髪、端整な顔立ち、誰よりも着物が似合って見えて、それでいて無涯と実力伯仲の戦闘力を持つ驚異的少女。

 

「(彼女一人でも助かっていれば、なんて言わぬ。だが何故彼女だけがいないのだ……!?)」

 

 『市中見廻り組』が同心・錆 九散。前々日本最強の錆 黒鍵と前日本最強の鑢 七実、日本最強の鑢 七花の血筋でありその流れる血に応えるように遺憾なくその実力と猛威を振るった少女。彼女だけが、八丈島から戻らなかった。八丈島消失の件でどうやら謎の爆発で島が消え去った際に同じ被害に遭ったのではないかという死亡説が九散の消失の暫定的仮説としてあがっている。他にも『蟲狩』に入った裏切り説や敵前逃亡説もあったが言った己が反故するようだった。当然だ、いくら気分屋に見えても『享保の神楽』を演じて見せた九散を見れば、自然とその可能性が無いことに行き着く。

 結果、件の蟲奉行は確保出来たが一人の命を失い、蟲奉行所の実質壊滅と同時に九散を除く全員の命を救えた。

 だが、まだ油断してはならない。

 

「(………報告では、一向に傷が治らないそうだが……)」

 

 そう、治らない。

 八丈島に向かった者の全員が推定完治日数はおろか、傷が塞がる見込みさえ無いらしい。精神的なものやちょっとやそっとでは治らない大怪我ならまだしも(といっても殆ど大怪我同然なのだが)、些細な傷一つさえも塞がらず絶えず血は流れ痛みは持続するなんて想像を絶する。これならばいっそひと思いに死んでいれば、などと思ってしまった。

 

「……吉宗公、おるか?」

「その声……入って良いぞ」

 

 襖の向こうから聞こえた声に勘付いた吉宗は、己の額を濡らす汗を拭うと入室を許可した。襖が開き、足音立てず静かに入ってくるのは白磁の肌と髪を持つ幻想的な女性、蟲奉行そのひとである。姿は二十歳も行かぬ幼き少女に見えるが吉宗は知っている、彼女が己が生まれるよりも前から生きていたことは。

 八丈島から戻ってきた者達の中で唯一怪我が少ないが故に動け、そして同時に口が効く者である。だが袖口から覗く包帯が、負傷した蟲奉行所の同心達と同じく傷が治らないことを証明している。

 

「容態はどうだ、蟲奉行」

「芳しくないが…妾のことはいい、皆は……一向に回復の兆しを見せん。そして………九散殿は、まだ見つからないのか?」

「………彼女は、殉死した。そう伝えた筈だが…」

「だったら、なぜ捜索者の一覧に九散殿の名があるのだ……お主も…いや、皆信じておらぬのだろう? 錆 九散の死を」

「………」

 

 そう、誰一人として錆 九散の死を信じるものはいなかった。暫定的結論は、あくまでも暫定的だ。つまり如何様に覆す――否、覆してみせるということを暗に示しているのである。故に暫定的。そもそも、満身創痍とはいえ九散と神楽を交えた無涯が身体を残して帰って来たというのに九散が帰って来ないなんて有り得ない、有り得てなるものか。

 

「……しかし、彼女が帰って来たとしても当分蟲奉行所は瓦解状態だ。八丈島からの帰還から一週間が経過し奇跡的に蟲達の襲撃が無いから良いが、こんな状況では数日と経たず江戸は崩壊する」

「………分かっておる」

「…本当か? 蟲奉行、貴女の救出で想定外の被害が出ただけでなく、『蟲狩』によって蟲としての能力も奪われているのだろう。年端もいかぬ小娘に成り下がった貴女にこの江戸町を守る力は…」

「分かっておる!!!!」

 

 凜とした声とは掛け離れた怒声が響いた。その声に怯むことなくしかと蟲奉行の恨みがましい視線を、吉宗は受け止めた。

 

「分かっておる…分かっておるよ!! 妾のせいで多くの人が傷付き、妾が無能なばかりにこの江戸を窮地に追い込んでいることなどな!! だからといって元凶である『蟲狩』が悪いなどと責任の押

し付け合いをしている場合ではない……!!」

 

 瞼に溜まっていた雫を零しながら、言う。

 

「ただ……何も出来ない妾が恨めしい…!! 傷付いた者に何も施せない妾が、誰も守れない妾が憎いのだ……!! このまま、何も出来ぬなんて赦せぬ!!」

「そんじゃ、どーにかしましょか」

「……何!?」

「貴様っ…!?」

 

 突如、その声は天井から聞こえた。吉宗と蟲奉行が仰ぎ見れば、猿のお面を被った袖の無い忍が天井に貼り付いていた。片足を失って尚その体勢を保てることこそ驚きだが、正体の知れない忍の侵入に吉宗は警戒し刀を抜く。そして侵入者の正体を知る蟲奉行は怒りの眼差しを向けた。

 

「貴様…『蟲狩』の一味だな…!? 九散殿と戦っていた…!!」

「おう、よー覚えてくれたんかい。そら感謝の極みやな」

「蟲奉行…知り合いか?」

「…報告にあった、忍だ」

「おっとととと、今回は蟲奉行とやらの暗殺でも将軍様の暗殺でもあらへんで」

「…何だと?」

 

 よっこいしょ、と天井に貼り付いていた忍――真庭 参猿は片足で床に降り立つなり封書を差し出し、頭を下げた。

 

「今日はお二人にお話があんねんな」

 

 

 

 

 

 

 

 




 てなわけで新章開幕!新章のタイトルは次回明かします!
 今回の話…薄いなぁ、前回のが効いたかぁ…(いろいろな意味で)
 今忙しいので前回の感想は後々返信します! おい我がPCよ、ログイン何回すれば感想書けるのだァー!?


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二十四太刀目

ようやくPCが治ったというか、データ引っこ抜いて復活しました!
ただ文章を打つときの変換が酷過ぎて書くのにも時間かかりましたよ…泣
それではお待たせしました、どうぞ!


 

 

 

 新生真庭忍軍真庭鵺組が一人、五感の内の一つである皮膚感覚を司り、縛刀(ばくとう)(くさり)』を駆使し死体集めを生業(なりわい)とする屍体愛好忍にして真庭の里の歴史上最年少記録である真庭 人鳥(ぺんぎん)に並ぶ最年少である『死釣(しづり)海蛇(うみへび)』こと真庭 海蛇。

 新生真庭人軍真庭鵺組が一人、五感の内の一つである嗅覚を司り、大太刀爆刀(ばくとう)(ちょうな)』巧みに操り空間を燃焼し、たちまち火の海を作っては人を燃やす焼死体生産機にして真庭忍軍中最も惨たらしく慈悲のない性格である『爆炎(ばくえん)貒狸(みだぬき)』こと真庭 貒狸。

 上記二人とも九散の弱点や盲点を突きつつも、ものの見事に返り討ちにされたと報告が上がっているが要注意人物であることに変わりはない。何故ならば九散に撃退されたからといって現在揃っている江戸の兵力で太刀打ちできるかと言えば、そうではないからだ。九散より弱いからと言って、江戸の(つはもの)より弱い理屈は通らない。

 そして新生真庭忍軍真庭鵺組が一人、真偽は未だ不明であるが五感の内の視覚・聴覚・味覚を司ると言われており、上記二人の他に過去元『蟲狩』の一員であった無涯の塵外刀――別名吸刀(きゅうとう)(はばき)』真打、現『蟲狩』頭領である無涯の兄の塵外刀――吸刀『鎺』影打を拵えた『語られざる歴史』における歴史的刀鍛冶の血筋にして占星術師の力を持つ四季崎 記紀の子孫である『三感(さんかん)参猿(まいざる)』こと真庭 参猿。異例である真庭 剣牙虎(けんがこ)の存在を除けば一組三人編成の鵺組の中でも最も危険であり、過去最も九散を追い詰めた存在の五指に入る存在こそ彼女なのである。九散本人の供述ではもう一度場を改めて戦ってしまえば勝敗はわからないと言わしめるほどの猛者であり、報告を受けた吉宗と蟲奉行が真庭忍軍中二番目に警戒している人物である。一番は――言わずもがな、剣牙虎である。

 

「ずずず………」

「………」

「………」

 

 吉宗と蟲奉行は、その二番目に警戒している相手と、

 

「……ごくごく、ぷはぁーええお茶ですわー…あーいやいや、結構なお手前、やったっけ」

「……どうなのだ、蟲奉行よ」

「妾に振るでない」

 

 お茶を飲んでいた。

 護衛一人すら呼ぶことも叶わず突如現れた参猿の手によって、口を塞がれた二人は茶室へと強引に引き摺り込まれて今に至る。途中から礼儀作法として嚥下をあからさまにするという無礼講となってしまっているが、当然誰一人咎めようとは思わない。それよりも、護衛一人呼べずに相対している参猿の一挙手一投足を見逃すまいと二人は警戒していた。

 

「里から突っ走ってきたんでよぅ喉渇いとったんよな。満足満足。これでなんとか喋れるぅ」

「…余から言うのもなんではあるが、その面は取らぬのか?」

「このお面外しても意味無いで。他のお面がいつの間にかついとるさかい。何か問題か?」

 

 柔和なお面なんか被っていると、緊張のきの字も無いんだよ。

 とは流石に言えず、二人とも横目で合図し悟られぬようため息をついた。

 

「さて、そんじゃま早速本題に入りましょか。足かたっぽ無いんで無作法は勘弁な」

「その前に一ついいか?」

「なんや? 蟲奉行はん」

「……九散殿…錆 九散は何処にいる?」

 

 市政百姓ならば気絶してしまいそうな眼光が参猿に注がれる。九散失踪の件に関わっている――否、関わる発端を作ったであろう人物が目の前にいるのだ、警戒しないわけが無い。いくら『蟲狩』の刀によって力を失ったとはいえ、戦う意思まで失われたわけではない。もし殺したとあらば一矢報いて首根を掻っ切るか喉を潰すか、目を潰すくらいのことは出来る。

 

「九散はんは……九散はんに関しては、何も言えへん。ただ、未だにあの八丈島にいるとだけは言っておく」

「何だと?」

「八丈島は…もう消え去ったのではないのか?」

「うん? まぁ、一般人には消えたように見えるやろな。厳密にちゃうけど」

「厳密…?」

「厳密っちゅーか正確っちゅーか、神隠しっちゅーか公主隠しっちゅーか」

「公主隠し?」

「あ、ちゃうちゃう神隠し。島ごとどっぷり神隠しに逢ったみたいなもんよ」

「なぜ貴様にそれがわかる?」

「ウチがその神隠しに逢った島から、命辛々()()()()んを確認したからや。蟲奉行はんも体感したやろ? 島を中心に引力…の逆っちゅーか、斥力言うんかアレ? みたいなんを感じたやろ」

 

 そういえば、と気絶する直前のことを思い出す。気絶する瞬間と気絶から目覚めるその前後の記憶が曖昧だったが、参猿の言葉に記憶を揺さぶられて僅かに蘇った。そう、おそらく九散の分身体に抱きかかえられて島から抜け出そうとして海岸に辿り着き、駆け寄ってきた夢久の切羽詰った声を聞きながら――突如、背後から押し寄せてきた膜のようなものに押されて、気絶したのだ。そして目覚めたときには江戸湊の海岸線に流されていて、自分よりもその膜の影響を受けた『市中見回り組』の面々を見て絶望したのだった。

 

「まぁ、次元を歪める歴史の英雄と目覚めたばかりの邪神がぶつかればそうなるわな。むしろ神隠し程度で済んだほうが奇跡。そして死人は次元に漂流された者が一人もいないことなんか更に奇跡。いいことずくめ過ぎて悪い予感しかせぇへん」

「ほう……貴女がいる『蟲狩』にも死人は出なかったか」

「いんや、そっちの松ノ原ちゅう奴に殺された者がいる。他は致命傷を負った者ばかりやけどな…唯一例外で体を動かせるウチが特使として派遣されただけやね」

 

 ぴ、と片足で胡坐をかいている参猿が二人の目の前に置いた封書を指す。

 

「読んでみぃ。別に真庭忍軍お手製の視認呪文とか書いてへんから安心しぃや」

 

 そう促されて、目配せした二人は頷き吉宗が代表して手に取った。赤黒く書かれた筆跡が血で書かれたものであることはすぐに察した。封書から匂う錆の香りに気圧されながらも開き、書かれた文字を読み上げる。

 

「……拝啓、江戸の皆様。私は蟲奉行所改め新中町奉行所所属、市中見回り組を辞職する旨を伝えます。直に話せなくて申し訳ありません、此度の辞職につきましては様々な声があるでしょうが、ご理解ください。そして、この封書をお読みになっているであろう将軍吉宗公、そして老中蟲奉行様に一世一代をかけたお話があります―――……!?」

「どうした?」

「……これは、――!? ……九散殿は、本気か!?」

「貸してくれ………――!?」

 

 開かれた封書の内容を読んだ蟲奉行も、吉宗と同様に目を見開き悶絶した。開いた口が塞がらないとはまさにこのことだろう。まぁそんな反応するわな、と空笑いして参猿は肩を愉快そうに揺らす。

 

「それは――ウチら真庭忍軍及び『蟲狩』も了承や」

 

 書かれていた内容は、以下の通りだった。

 

 

 ―――八丈島消失の日より()()()、日ノ本の国に住まう全軍で蟲によって()()()()()西()()()()()()()()()()()を行う。

 現在残している日ノ本の国の東側に住まう全戦力として、虚刀流九代目現当主錆 九散の名の下より以下に召集を掛ける。

 出雲の三途神社から移転してきた遠江(とおとうみ)黄泉神社(よみじんじゃ)の武装巫女集団。

 薩摩の濁音港(だくおんこう)から拠点を移した磐城(いわき)撥音港(はつおんこう)の鎧海賊団。

 近江の伊賀を離れ甲斐(かい)に里を置く新生真庭人軍。

 棋士の聖地・出羽の天童将棋村の将棋武士及び心王一鞘流道場。

 流浪の蟲退治集団『蟲狩』。

 そして、関東在中全町奉行所本部・支部すべては吉宗公の名の下より召集を依頼する。

 各代表は半月後、信濃の古禅寺に集合し会議を開き、『西征』の計画を執り行う。

 全軍進撃は一月後、蟲共の最盛期である白露の侯。

 百年の支配に終止符を打つか否か、人間の未来を決める最大にして最後の決戦を行う―――

 

 

「馬鹿げている!! よりにもよって白露の候だと!? 三年前大阪遠征を行った時でさえ蟲達が最も弱まっている大寒の侯だったというのに…!!」

「……『寺社見回り組』と『武家見回り組』も回復の見込みこそ一月後だが……そして余の軍の要である『市中見回り組』は、回復の目処が立っておらぬ故、実質解散している。無理だ」

「んー……そろそろやね」

 

 封書を見て憤慨している蟲奉行、項垂れている吉宗を横目に参猿は茶室の窓枠に腰掛けて空を眺める。そんな行動に疑問を抱いた二人だが、吉凶の前触れにも見える暗雲が江戸の空だけを覆っていることに気付いて空を仰いだ。

 

「なんだこの雲は……?」

「……まるで、白紙のような雲に墨汁をこぼしたような色だな…」

「………来るで」

 

 その声は、銅鑼を打ち鳴らしたような轟音に潰された。

 黒い稲妻。

 黒雷。

 その雷霆は江戸の人を、町を、大地を揺るがし恐怖に陥れた。

 地震とも大噴火とも受け取れる激震は静かに収まり、人こそ吉凶の前触れを垣間見たが如く慌てふためき混乱の渦中にあるが、軒並みたった江戸の町に傷一つ無く、倒壊した家屋さえ存在しない。

 耳を押さえるような轟音の後、吉宗達がいる茶室に江戸城にいた家臣が掛け付けて来た。

 

「将軍ご無事ですか…って、あ!? く、曲者!?」

「げ」

「今更言うか」

「いいや、彼女のことはいい。それより余と蟲奉行は無事だ」

「そ、そうですか……」

「ほ、報告があります!!」

 

 すると重ねて大勢のの家臣が大慌てで茶室へ飛び込んできた。全身に汗水垂らし、口元を白の布で覆った者――たしか、付きっ切りで『市中見廻り組』の者を見ていた者達の筈。

 

「『市中見廻り組』が同心、松ノ原殿が雷に直撃……直後、傷が塞がり目を覚ましました!!」

「同じく『市中見廻り組』が同心、一ノ谷殿も失明を回復!」

「『市中見廻り組』が同心、恋川殿も覚醒後全身を難なく動かし……これ、夢じゃないですよね? 流石に酒はまだ飲ませない方がいいと思うのですが…」

「『市中見廻り組』が同心、火鉢殿の肘から先が生えて……うわぁあああああああああああああああああああああああ!?」

「『市中見廻り組』が同心、月島殿も目覚めてそうそう茶屋の小娘に……クソ、この助平めぇ!!」

「『市中見廻り組』が同心、無涯殿も全身の文様が消えて起きて……あぁまだ蟲退治蟲退治とかいそいそと行くのやめて下さいよ!? そもそも刀折られててどう蟲と戦うんだよ!? しかもまだ江戸に蟲来てないのにっ!!」

「……これは、どういうことだ…?」

「妾に聞くでない」

 

 そう、ただ二人はいままで『市中見廻り組』を纏めていた小鳥に同情した。よくまぁこんな自由人たちを、纏め上げたものだと。

 

「よーやくウチもウチ等も治ったようやね。英雄の不可逆を戻したとは……ハハハ、相も変わらず九散はんには恐れ入るで」

 

 生えている片足の調子を確認し、満足げに笑った参猿は懐から九散から預かった、吉宗に見せた封書とは別の六つの封書を折り曲げて江戸城から放った。四季崎の血を継ぐ者としては否定的に、参猿は運命というものを信じていない。ただ、運命はそこに在るだけなのだと理解している。風に乗り風に煽られ風に沿い風に吹かれゆく封書は、自ずと差出人である九散が望んだ相手の下へと届くということが、必然的に参猿にはわかっていた。

 

「ほな、ウチ等も行こか」

 

 己の体に入る二人の家族に告げ、参猿は江戸城から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 




 というわけで最終章『西征篇』開始
 そして市中見廻り組看護の方々、ご愁傷様です
 小鳥、天間の対応は比較的楽
 春菊は起きて早々酒屋で血=酒を摂取。後日アル中になって再び看護
 火鉢は腕がニョキニョキ生えるというSAN値直葬コース
 仁兵衛は起きてすぐ看護していたお春ちゃんの胸が飛び込んでくるというラッキースケベ
 無涯は某首オイテケーみたいに虫オイテケーのテンション
 うん、オマエラじっとしてろ(モノクマ)


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二十五太刀目《前半》

 前半と銘打ってあるのは単に書く時間が無い…というか私自身が書くスピードが遅すぎて、急遽『西征』までのお話を二つに割ってしまったからです
 おまけに一週間も経過しかけているというのにこんな内容で短い文しか書けずに申し訳ありません
 重ねていつしか言った七月中に完結できなくて申し訳ありません(ぺこり)
 それでは、どうぞ


 

 

 

 江戸、町奉行所総本部診療所。

 蟲などという超大型巨大生物との戦闘において、余程の手練でも無い限り怪我一つせずに退治するなんて不可能な話である。従って百年前に出現した蟲に抵抗すべく創設された蟲奉行所本部には当然の如く蟲奉行所専用の療養所が設けられている。部屋数ざっと百はあり、五つに分かれた奉行所の役人の三分の一は収容出来る大きさである。その部屋も個室完備ながら一部屋二~三人はいれば少々窮屈な思いはするが全員収容出来るほどだ。

 つい先ほど、吉凶の前触れかと疑う黒い雷が空を裂き、運悪く療養所に的中したのである。幸い感電による死者は出なかった――どころか、瀕死の重傷を負った者、武士としての命を絶たれた者、永遠に傷が癒えない者、彼等全員が一夜にして完全復活を遂げたのである。

 そして全快とまでは言わずとも、致命傷の大怪我を負うより前の状態になるまでに回復した元『市中見廻り組』が与力、松ノ原 小鳥もいまだ絶対安静を言いつけられ、集中治療室の布団に横たわっていた。

 ただ、一人ではなかった。

 

「松ノ原さん松ノ原さん元気ですか? 起きてる? あ、起きてるならお目覚めの接吻が必要だよね私たち前世から夫婦なんだから当たり前よ当たり前! でもそこは落ち着け私、ここで今あえて『恋人』と言わなかったのは恋人だったもしても結婚して夫婦になった訳じゃないという裏が存在して他の人に誤解とツッコミを与えてしまうからなの私って超賢い! そう…前世では三度失敗した挙げ句松ノ原さんを誑かした泥棒猫を何匹も駆除したから大変だったの! だから今回は松ノ原さんとはまるで何も知らずに運命という名の赤い鎖によって導かれたウブな恋人達として始めていく必要があるよね、だから最初は節度を持って距離を()りながらつき合っていこうと思うの。じゃあ早速…ああ水が欲しいなら今すぐ外の井戸水から汲んで口移しで飲ませてあげるよ。ご飯がほしいなら江戸城の食料貯蔵庫から掻っ払って丹精と愛を込めた満漢全席を作ってあーんしてあげる。自分で食べたいなんて贅沢は言わせないわ、だって完治推定日数不明の重傷人だったんだもん。まるで草双紙に出てくる悲劇の主人公のようだよね素敵! 今は私の好意に気付いて貰えないだろうけど日々の積み重ねと外堀埋めを続けていればきっと私の松ノ原さんへの愛情を理解してくれるよねっ。だから起き上がりから食事、排便、体の洗浄何から何まで全部お世話してあげる。松ノ原さんも嬉しいよね有り難いよねそう思うよねっ?」

 

 怖いくらいに迫って世話をしてくる色白の童女を見て、小鳥は背もたれにもたれ掛かりながら冷や汗をかいて答えた。

 

「……えぇ、そうですね」

 

 突如奉行所の看護係の人と代わって現れた―――凍空 しらゆきと名乗る少女。どうやら今現在行方不明である錆 九散の要請によって遠江の黄泉神社から派遣された見習い神主らしい。

 色白の素肌と幼女と見紛うほど小さく幼そうに見えるが、これでも九散より年上らしい。拙く危なっかしい動きではあるが、料理洗濯家事全般すべてにおいて完璧であった。そこまでしてくれるのは有り難いが執拗なまでに向けられる愛情からして良い予感がしない。

 関係者以外立ち入り禁止として木製の扉ではあるものの鉄の閂で施錠されていた筈だが、箸を割るような感覚で手を捻っただけで開けられた辺り、九散同様に半分人間をやめてる。小鳥も平均的元服男子程度に体重はあるつもりだが、指一つで布団ごと崩すことなく持ち上げたときは驚きに腰を抜かした。

 この子、今まで会ってきた人の中で一番厄介すぎる。

 小鳥は布団の中に隠された手紙を盗み見て、鼻歌を歌いながら料理しているしらゆきにばれないように溜息をついた。その手紙は小鳥宛に送られてきた九散からの血文字で書かれた手紙であり、ある一文が書かれていた。

 ――『暫くしらゆきちゃんの相手をして、貴方に足りない自主性と自己主張を身につけなさい』――

 

「ところで松ノ原さんは祝言を上げる前に子供が欲しいかな? それとも祝言を上げた後? 確かに子供が出来ると母親と父親との間に緩衝材が出来るから困るかもしれないけれどやっぱり夫婦の愛を確かめるのは性交が一番だと思うの。個人的には相手を気遣って慎重にしてくれるのも嬉しいけれど野獣のようにがつがつ攻めてくれるなんて普段の姿とは懸け離れた仕草もぞくぞくして堪らない! 松ノ原さんはまだ童貞なのかしら彼女がいない歴と年齢は同じなのかなっ? 嗚呼でも松ノ原さんに過去の女がいようがいまいが関係ないよね、今は私のことだけを見て私だけを感じて私だけを愛してくれるんだから。今や周りの女なんて道端に生えた蒲公英でしかない…嗚呼でも九散さんは別かもしれない、あの人の紹介でこんな素敵な殿方を見つけ出せたんだもんっ、桜程度には意識してくれてもいいかも。糸目で眼鏡でそれなりの細身、几帳面で実力主義で厳しいところもあるけどさり気なく他人を気遣い他人を立てるまさに影の功労者と言っても差し支えない私好みの品行方正な人! 正しき人ほど甘やかして毒を少しずつ盛ってずるずると自堕落街道に追い込んで私が付きっ切りで一緒にいてあげないと生きていけないような駄目人間に仕立て上げたいなぁ」

「(なんて置き土産をしてくれるんだ九散くん!?)」

 

 これ以上にない試練だった。

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 ―――酒。

 酒、酒、酒、酒、酒。

 酒酒酒酒飲酒飲酒飲酒飲酒飲酒飲酒飲酒飲酒飲酒飲酒飲酒飲酒――っっっっっっっ!!!!!!

 

「ぷへぇ、そりゃ一週間も飲んでねぇと全身干乾びちまうに決まってんだろカカカッ!!」

 

「へへへ、確かになぁ。一週間も恋川の旦那の顔を見て無ぇといい予感がまるでしねぇから酒の仕入れ量増やしておいたんだよ。いやぁ他の客に出せる余裕が出来てよかった」

「ンだよジジイ…俺ァ疫病神か」

「飲み屋一軒なら余裕で潰す貧乏神さ」

「違ぇ無ぇ」

 

 あっはっはと豪快な笑い声が江戸の下町に木霊する。下町の中でも貧困層に位置する飲み屋は春菊が最もよく出入りしている店だ。『九十九斬り』と呼ばれる以前から江戸にいた、春菊が子供の頃から世話になっている飲み屋で、不本意ながら死んだ父親の伝手で紹介され、元服祝いに飲んだ飲み屋でもある。以前『寺社見廻り組』と『武家見廻り組』の手でたかだか見えない蟲一匹のために吹き飛ばされかけた町の一角に位置し、職を失い落ちぶれた者達にも酒や肴を奢ってくれる業腹な老人が店主だ。

 

「……包帯のことは聞かねぇのか」

「どうせ蟲退治だろう? そうでなくても別に聞きゃしねぇよ、それこそ野暮って奴だしな。流石に包帯から飲んだ酒が漏れたら笑ってやるけどよぉ」

「カカッ、言ってろ」

「お前の傷なんぞ聞かん、男の怪我なんざ眼中に入らねぇからな。それより……前に来た金髪の姉ちゃんはどうした?」

「………」

 

 聞かれたくないことを、聞いてきた。

 この店の店主は聞いても聞かなくてもどうでもいいようなことは聞かない。ただ、勘が良過ぎる。『寺社見廻り組』による町内掃討作戦があったときだって一番高い酒だけ抱えてこっそり逃げ出していたとか。

 ――錆 九散と共に飲み屋へ来たのは夏の陣が終わった数日後だった。信州銘酒『明星』を台無しにしたツケとして、春菊が梯子している飲み屋の中でも一番味がよくそれでいて高い酒を出してくれる店を紹介しろ、といつの間に解いていた包帯を鞭のように操って叩きながら脅してきたものだから、仕方なく応じるしかなかった。その紹介した店こそいま春菊が飲んでいる飲み屋なわけだ、当然店主も九散の顔くらいは覚えている。挙句の果てには「春菊って名なのに春が終わるのが速いな」なんて嘯くものだから喧嘩腰になって当たり前だった。

 

「…あいつは、奉行所を辞めたよ」

「別れ話か? 縁切りか?」

「いい加減三枚にオロすぞてめぇ」

「そりゃ怖い」

 

 そもそも――九散とは、そういう間柄ではない。

 確かに同心の火鉢よりは人間関係の距離が近いという実感があった。だがそれはあくまでも親愛の情であって恋慕の情ではないのだと自覚している。あくまでも同心、あくまでも仕事仲間。だが、無涯や天間、小鳥、仁兵衛、火鉢達とは何かが違う。そして、そのことを考えるたびに飲む酒が不味く感じる。

 

「ん……?」

 

 改めて、己と九散との関係はなんだったのか――それを考えようとしたそのとき、視界の端で自分を看護していた人が走ってくるのが見え、同時に頭の上に何かが落ちてきた。

 

「なんだこりゃ」

「手紙かぁ? ははぁ、頭の上に落ちてら。なんとも間抜けな姿だな」

「うっせ」

 

 よくもまぁ口が回る店主だ。春菊は悪態をついて頭に乗った手紙を手に取る。そこには――微かに香る錆付いた血の匂いと、『錆 九散』と書かれた文字が躍っていた。

 

「は!? なんであいつの名が……!?」

「へぇ、あのお嬢ちゃん錆って名前なのかい。金髪なのに日ノ本の国出身なんだなぁ。で、なんて書かれてたんだ?」

「『市中見廻り組』恋川春菊ー!! 探しましたよこんなところでお酒なんか飲んでないで戻ってくださいよ絶対安静なんですかふげっ」

「黙ってろ」

 

 おっかけの人を足蹴にして急いで手紙を開く。血の匂いこそ不吉な予感しかしないが、それでも何も言わずに奉行所を去った九散からの手紙とあらば、読まずにはいられない。糊か何かで接着されていた部分を千切り、慌てて内容を確認する。

 

「で、なんて書いてあったんでぇ?」

「………悪ぃ、俺学無ぇんで読めねえわ」

「仕方無ぇなぁ……ホラ、ちょっと借しな」

「テメェ読めんのか」

「少なくとも商業やってりゃ身につく」

 

 ふふんと自慢げに鼻を鳴らす姿が腹立たしい。一発殴ってやりたいところだが肝心の読み手が気絶してしまっては世話が無い。だから読ませてから殴ることにしようそうしよう。そう心に決意を固めながら店主を睨む。そんなこと露知らずに読んでいた店主はいきなり高笑いをし出した。

 

「なんだ!? なんて書いてあった!?」

「ははははははははは!!!! こいつはあれだよ、その九散っていう金髪嬢ちゃんの新しい許婚かなんかの名前だよ!」

「はぁ!? なんでそんなことわかるんだよ!? 確かに人名なんだろうけどよ……えっと…なんて読むんだ?」

「はっはっはっはっはっはっはっはっは、馬鹿なこと言うんじゃない。俺ぁこの手紙に込まれた書き手の気持ちを代弁して読んでやったのさ! なんて読むかはさっぱりわからん!」

「ドヤ顔で言うことじゃ無ぇだろ」

 

 とりあえず鉄拳制裁して黙らせた。しかし困った、読める人がいないのでは仕方ない。手紙も読めなくてはただの落書きが書かれた塵屑でしかない。

 

「あ、それ北奉行所の長の名ですね」

「はぁ!?」

 

 突如、足蹴にしていたおっかけの看護人が言った言葉に本日二度目の驚きを見せた。今度こそ空振りに終わってくれなければいいが。

 

「いやーさすがに江戸勤務の武士様には読めるんですねーありがたいありがたい。で、なんて名なんだ?」

「変わり身速っ! 忍以上に変わり身速っ! つい先ほどまで私を足蹴にしてた人とは到底思えませんよその対応!」

「カカッ、有益な人とあらば媚を売るのが俺の信条でね」

「気をつけろよ、こいつ役に立たないとあらば俺みたいにぶっ飛ばすから」

「黙れクソ狸ジジイ」

「お? やんのかコラ」

「あ~はいはい落ち着いてください二人とも! っていうアンタはついさっきまで大怪我負ってたんですから暴れないでくださいよまた傷が開いたらどうするんですか!?」

「いいからさっさと読めよ」

「『練』って字は読めたんだけどよ、練り物とおんなじ字だし」

「ええーとこれはですね、」

 

 と、追っかけの看護人が口を開いた瞬間。

 

「………え」

「は?」

「……あぁ?」

 

 その紙が、真っ二つに切れた。

 そして鋭利な殺意を感じた春菊は慌てて刀を抜き、斬撃が放たれたであろう方向に懺斬りを叩き込む。

 だがしかし。

 

「ぬるいな」

 

 斬撃を放ったであろう刺客は、春菊の懺斬りをまるで微温湯に掛けられたとでも言いたそうに手を振った。遅れて聞こえる鍔鳴りの音と共に、懺斬りが刺客の左右の建物を切り刻んでいくのが見えた。

 

「手前ェ…人様に斬りかかるたぁどういう了見だ」

「何、大方試験といったところだ。わざわざ錆に催促され上野(こうずけ)から来てやったんだ、武芸も学もへったくれも無い糞餓鬼に稽古つけてやる腹いせに切ったっていいだろ」

「あ…あなたは……!?」

「知り合いか? 坊主」

「カカカッ…オイオイ折角出てきたところでいいけどよ、手紙に罪は無いだろ読めなくなっちまったじゃねぇか」

「元より俺様が来たんだ、その手紙なんざ読む必要なんざ無ぇだろうが」

 

 女のように髪を伸ばした、線の細い若い男。一応将軍に仕えているのか武家の服を着ているが、本人に着る意思が無いのか着崩しているだけなのかだらしない格好で着込まれた黒の袴。眠そうな声に覇気と生命力というものが微塵にも籠められていない出で立ち。とても先ほどの殺気を放ったようには思えない男だった。腰には一本の脇差があるが、とてもじゃないが春菊の懺斬りを退けたとは考えられないほど刀身が短い。

 

「申し遅れたな。上野で何と無しに北奉行所の頭を勤めてる―――宇練(うねり) 鈴閣(れいかく)ってんだ。挨拶はいらないぜ。錆の奴に頼まれてな、やる気ってもんがからきし無いけどお前を調きょ……じゃなかった、鍛えてやんよ」

 

 しゃりんという鍔鳴りと共に、頭上から火を纏った特大の岩石が落下してきた。

 

「………は?」

「修行第一段階、星を斬れ」

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 

「……眼が、見えるようになったのはいいですけど」

 

 ざぶん、ざぶん。波の音が聞こえる。それは眼が見えるからわかる、眼下に海が見えるのだから当たり前だ。当たり前――なのだが――

 

「………ここ、どこ……?」

 

 ――あれー? 眼が覚めたときはまだ、江戸にいた『市中見廻り組』のみんなと江戸にいたはず。死んではいないが親の形見として後生大事に持っている式紙を握って、法力が全然籠もらなくて項垂れてて、すると布団の上に自分宛の手紙が届いて、しかも九散さんのだから当然見るしかなくて、それで――

 

「……ここ、どこぉ…?」

 

 天間はもう一度、同じ言葉を繰り返した。若干言葉尻が歪んでいるのは泣いているせいだ。眼が覚めれば――否、眩んでいた視界がはっきりして、いつの間にか江戸ではないどこかに飛ばされていた。

 式紙を持つ手に力を籠める。だが己の内に法力を失ってしまっている今、握ったところで己を守る盾になってくれはしない。仕方なく式紙を法衣の中に仕舞い、おそらくこんな元凶を招いたであろう手紙を取り出す。そこには御門家分家の土御門家に組する天間ほどの法術使いでも一部分だけだが理解できる術式が書かれた一文があった。まるで日記のような文体ではあるが、漢字や言葉の一つ一つを摘んで纏め、複数の規則性を挙げて繋いで行くことで一つの術式として作用しているようだ。そして最後の文に、術式とは関係なく書かれている文章を読み上げる。

 

「……『一度法力を失った術師に未来は無い。神の奇跡を信じるのと、悪魔の契約をするのと、どちらがいいか』……か。この『神』なら神格を持った者という意味合いなんだろうけど…『悪魔』ってなんだろう。地獄の閻魔みたいなものかな」

 

 どっちもいやだなぁ、と天間ははにかんだ。

 天間が九散と話した回数は数えるほどでしかない。だがその僅か数回でも貴重な体験であったことには変わりない。だが、九散と出会う前までの己との差異が今の天間にはわかっていた。

 御門家からの教えだと、神こそがすべてだと言った。人が生きているのも神様のおかげ。ご飯が食べられるのも神様のおかげ。幼い己が法力を身につけているのも、神様のおかげ。だから、神様は崇め、敬わなければならない。

 

『いいえ、それは違うわ』

 

  だがそれを、彼女は否定した。

 

『じゃあ蟲なんていうわけのわからないものに蹂躙されるのも神様の贈り物? それとも与えられた試練? 人は死んだらそこでお終いよ、昔は踏み潰しさえしていた小さな虫によって呆気なく一生を終えて、来世が約束されている保障でもあるのかしら。それは宗教によって異なるかもしれないけど、死んで蘇った人なんて名乗りあげた人が今の今までいない以上、死んだらそこで終わり。大人になってお酒を飲む、恋に生き恋を結び恋に破れる、大金持ちになるもよし、海の向こうへ渡るもよし、生きている間にやりたかったこと全部、死んだらできなくなってしまうのよ。神様を拝めば――それは、確かにご利益の一つや二つもあるかもしれないけど、だからって己の人生が何事もうまくいくかといえばそうではないわ』

 

 そう、胡乱気に言った。

 

『結局、人生は己が決めて己が進むものであって神様はただ気休め程度にそこにいるだけの存在なのよ。神代の世界なんかじゃ信仰無しに生きられないのが神様らしいけど、実際どうなのかしらね。あら、別に神を崇拝するのをやめろと言ってるわけじゃないわ。ただ、神様は万能でもなければ全知全能でもない。人よりもすこし大目に物事を知っていることを知ってるだけ、何でもは知らないわよ。だからあまり神様なんていういるかいないか、手を差し伸べてくれるかもわからないような存在を妄信しすぎちゃ駄目ってこと。わかった?』

 

 ――まるで、彼女こそ神に近い存在のような、神様の親戚のように神という存在について語っていた。一般人とはかけ離れた存在であるが――なるほど、彼女が神様のような存在に位置していると言われれば納得せずにはいられなかった。なのに――いやだからこそ、彼女は神といういるかどうかもあやふやな存在を妄信するなと、すべては己に決める権利があって、己が選ぶ義務と責任があることを教えてくれたのかも知れない。それだったら、

 

「……奇跡なんて望まない。あと一月しかないんだ、鬼だろうが悪魔だろうが、なんだって契約してみるさ」

 

 己の内で決心をつけて、天間は後ろを振り返った。そこには、土御門の現当主から唯一警告されていたある山が見えていた。

 曰く、法術を見に付けし者でも近寄ってはならない。

 曰く、生霊悪霊霊魂の有象無象が蔓延る、蟲とは一線を引いて関わるべき存在ではないものが跋扈している。

 曰く、それこそ悪魔に呪われた山。

 

「……死霊山……」

 

 陸奥・死霊山。からからと無数の風車が不吉気に廻りながら音を立て、侵入者を早くも呪い始める。壱級災害指定地域に指定されているここはかつて、死霊山神衛隊が山頂で鑢 七実が所持したこの世で最も悪性が強い悪刀『鐚』を奉り納めていた曰くつきの地である。今となっては誰も住まない枯れた山になっているが、天界にも冥界にも行けない怨霊達が住まい、日に日に霊力を増していく温床に成り果てていた。とても、良くないものが集まる死の山。普通ならば立ち入ることさえ許されない。ましてや法力を失った天間に己の身を守る術は無い。

 だが――いや、だからこそ。

 

「……ここで、何かを得ろってことだよね」

 

 霊――とくれば、霊力。失ったものを取り戻すのではなく、別の何かで補填するという博打策。いままでの天間だったら、臆して泣いて喚いて逃げていただろう。しかし、今は違う。

 

「…もう…もう、みんなの足手まといなんか嫌だ!」

 

 九散だけではない、無涯、春菊、火鉢、仁兵衛、小鳥――『市中見廻り組』のみんなを守るには、どんな力であろうとも必要不可欠であることには変わりない。耳元で囁く聞こえない呪詛が己を蝕む。だがそれを気合で跳ね除けて天間は前に進んだ。

 

 

 ――天間が山に踏み込んでから十の月が昇った晩、夜摩閻羅天と呼ばれるあらゆる冥界の裁判官たる存在と出逢うのは、また別のお話である。

 

 

 

 

 

 




 凍空 しらゆきちゃんの一族は松ノ原家に嫁いでから明治に入り『江迎』という姓を賜ります(爆)

 というわけで、小鳥の元にはヤンデレヤバイ系女子凍空一族

 春菊の元には隕石を斬る関西弁を言わない『13kmや』な宇練家の長男

 そして天間の元にはTON☆JI☆TI降臨

 ↑修行経過はもう書きません、だって漫画でも修行回なんてつまらないし

 あと三人+三組…!! 


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二十五太刀目《後半》

 大変遅くなりましたー(実際あと二組書くつもりだったけどそんな事実は無かったぜ!)
 ↑(意訳:書くスピードが遅かったつまり「速さが足りない!」から書けなかった)

 それでは一話っきり修行篇どうぞ





 

 

 

 ひぅんひぅん。風鳴りが耳に届く。それは強風が吹き荒れているかではなく己が風に向かい疾走しているからである。

 

「くっ…!」

 

 逆風へ向かうという苦痛に耐えながら、『市中見廻り組』唯一の忍にして最も機動力に優れた火薬使いこと火鉢は江戸郊外の森の中で疾走していた。木々から木々へ、人が踏んでしまえば容易に折れてしまいそうな小枝さえも足場にして背後から追って来る存在から全力で逃げ出す。汗水流し肩を上下させながら、火鉢はつい最近生えたという新品同然の腕で額から視界を邪魔する汗を拭って悪態を付く。

 

「し つ こ い ってのよっ!!」

 

 背後の状況を確認するべく振り向くのと同時に、懐に隠し持っていた爆薬を放ち弾幕を張る。最初に炸裂した爆薬によって舞い上がった木々の粉塵を更に引火させて広範囲に爆撃を繰り出す――いままで火鉢にはそんな発想は無かったが、自分が怪我で気絶している間にも頭の中では火薬のことでいっぱいだったのだ、新たなる発想を生み出す時間はいくらでもあった。

 だが、そんな火鉢の新たなる爆撃技術を嘲笑うように爆炎の影から無傷の人影が飛び出す。総数、二人。

 

「アッハッハッハッハ、まるであたし等には湯気でも当てられたような温かさだ。風呂焚きに転職することを勧めるよ!」

 

 黒い爆炎を手の内に集めては散らすという異行を見せながら、額に二本の角を生やした鬼面を被った、袖の無い忍装束を着込んだ小柄な女は言った。

 

「随分と軟い弾幕だねぇ、こりゃ酒呑みながら疲れるのを待つのもいいかもしれないけど案外殴ればさくっと片が付きそうだ」

 

 拳一つ爆炎に風穴が開く。そこから額に一角獣の如く一本の角を生やした鬼面を被った、同じく袖の無い忍装束を着込んだ大柄の女は懐にある大きな朱塗りの杯と火鉢を交互に見ながら言った。二人とも余裕の表情で火鉢をじわじわと追い詰めている。

 ――ことの発端は、火鉢が奉行所特設の診療所の一室で目覚めてから一刻、枕元に届いた手紙を開いたことが始まりだった。八丈島消失の日より姿を見せない行方不明現在目下捜索中の九散名義で送られてきた封書であり、すぐさま周囲を確認したがそれらしき人影は見つけられず意気消沈。一週間も動かしていない体を無理に動かしてしまったことが祟って全身あちこちが痛みながらやむなく個室の布団に這いずるように戻り、一眠りしてから改めて読もう――読もうと、思ったのだが。

 さぁ疲れも取れたし覚悟を決めて読むとするか、と気合を入れて手紙を手に取った瞬間――治療室が、吹っ飛んだ。

 それは比喩でも大げさに言ったわけでもなく文字通り吹っ飛んだのである。そして、大鋸屑舞う屋根壁すべて吹き飛んだ個室の入り口に当たる場所に、見覚えのある服装を纏う二人を見つけた。袖の無い忍装束、己が所属する組と名を意匠に拵えた模様――八丈島で九散と交戦していた真庭忍軍である。

 あとは容易に想像できるだろう、一目見て襲撃者の獲物が己であることを悟った火鉢は一瞬で装束を着込んで封書を仕舞い、〝紫陽花〟玉を至近距離で撃ち込んで全力で逃げ出したのである。

 

「ホラホラホラホラ、可愛げに尻振ってないでお得意の火薬でもぶつけてみなよ!」

「あんまり手応えないと、一瞬でケリつけちゃうぞーっと」

「(だからアンタ等には全然爆薬とか効かないんだっての!)」

 

 苦虫を噛み潰したような顔を浮かべながら、懐に仕舞っていた手紙の文面にもう何度目になるかわからないほど目を走らせた。そこにはおそらく九散が書いたであろう血文字で書かれた火鉢宛の文章が書かれていた。

 ――『派手さが足りない』――

 

「ふざけんなああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 火鉢の怒りをそのまま表したような爆発が二人を襲う。だが当然人より丈夫な部類に入る彼女達にそれが効かないのは先ほどから証明済みである。

 

「おぉ、なんかあの子怒ってるみたいだよ。えーっと、真庭 赤鬼(あかおに)だっけ?」

「最近の子は短気っつーか沸点が低いっつーか。えーっと、真庭 青鬼(あおおに)だよな?」

「最近名前をもらったばっかだから慣れないねぇ」

「ははははは、違いない」

 

 彼女達は新生真庭忍軍――の結成よりも後、九散の『西征』宣言を受けて参猿が急いで声を掛けたつい最近入った新しい真庭忍軍である。新生真庭忍軍になってから一族ぐるみで形成されていた忍集団ではなく、適性さえあれば誰にでもなれる募集形の忍軍に変わっていたのである。しかも秘密を守るならばいつ抜けようがいつ入ろうが自由とのこと。大変自由度が高い忍軍である。だがそのおかげで最後まで揃わなかった真庭忍軍真庭(おに)組三人全員が揃い、真庭忍軍全盛期の一組三人制四組十二頭領全員の頭数が揃ったのである。勿論、『西征』が無事終われば抜ける者もいる。

 そして今回、参猿に下された入団試験として火鉢という少女を()()()()()()()()()()()()()()()()とのことだ。もっぱら二人は火鉢を追い立てる役として――真庭隠組に前からいた二人の先輩にあたる人物である真庭 牛鬼(うしおに)が、この場にいる()()()として、火鉢を幻術によってばれない様に誘導している。

 

「牛鬼のお兄さんも凄いけどさ、別にこんなまどろっこしいことしないでぽかりと拳骨殴って気絶させて掻っ攫っちゃえばいいのにねぇ」

「ま、参猿さんにも考えがあるんだろうさ。あまり深い詮索はしないに限る。どうせこれが済んだら牛鬼さんと手合わせできるんだからいいじゃないか」

「そうだな! 法力とはちょっと違う空間を操るみたいな……なんだっけ、創法とか咒法とか使ってくるなんて珍しい人もいたもんだ。俗世じゃ神祇省なんていう祭事を仕切ってた集団の一人だって言うし」

「というか、アタシ等を除いて隠組の下の連中ってそこから連れてきたそうじゃないか」

 

 ――と、火鉢の爆撃を払いながら雑談に興じる鬼面を被った二人の女忍。まさか彼女達が平安時代に荒らしまわっていた酒呑童子そのものであることを参猿は知ってのことだろうか。

 

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 ――物語には、必ず主人公というものが存在する。それは強く、男らしく、頼り甲斐があり、愛に生き、努力家で、小気味よく、爽やかで、剽軽で、純粋で、懸命で、仲間思いで、漢気に満ち、冷静で、型破りで、勇気を持ち、機転が利き、友情に厚く、熱血で、優しく、(かぶ)いた存在であることは明白である。誰よりも人間味があってそれでいて己に生き、周囲の仲間と手を取り助け合い、戦いの中での強さというものを持ち得ている。幾千も負けて負けて負け続けても最後にどこかしら勝つ、そんな運命を手繰り、引き寄せる体質を持つ存在こそが主人公なのだ。中には真なる悪を演じ討ち滅ぼされる破滅の運命を持つものも()()存在していたようだが――それはまた、別の話である。

 小鳥が生涯最大の難関に直面し、春菊が地獄の猛攻を受け、天間が悪霊と立ち向かい、火鉢が二人の忍と恐怖の鬼ごっこをしている中、本作でいう『主人公』に最も近しい存在である仁兵衛はというと。

 

「ぷはぁ~お茶と団子が相も変わらず美味いですっ!! お春殿ありがとうございます!!!!」

「いえいえ、たくさん容易してありますので召し上がってください~」

 

 彼女とお茶してた。

 いや、数話前の吉宗達と蟲奉行、そして参猿との対面を思わせる冒頭であるがまさにその通りだ。永遠に直らないと思われていた完治不明の状態から一週間が過ぎ、突如江戸を襲った謎の黒雷によってそのほとんどが回復したのは前述の通り。当然仁兵衛もその恩恵に与っており、しかし完治までには至っていないのか未だに全身が包帯で覆われている。

 危篤状態だったせいで一般人であるお春には一週間仁兵衛の治療はおろか、顔を見ることすら出来ず毎晩祈っていたが、つい先日面会許可が下りたおかげで我先にと仁兵衛が眠る集中治療室へ駆け込んだのである。

 

「いや~、目覚めて早々『春夏秋冬』の出張版団子が食べられ、それにお春殿の顔が見れて嬉しいですっ!」

「私こそ仁兵衛様のお顔を一週間ぶりに見れて幸せですよっ! 一日千秋の思いでずっと江戸で待ってたんですからね!」

「一日千秋……えーっと、一日が千だから…千が七つで、七千!? そ、そんなに待っててくれたんですかっ!?」

「あ、いえ実際七千日も待ったわけではなくてですね…あくまでも比喩です。ちなみに一日千秋の『秋』は三ヶ月、または一年くらいという意味だそうです」

「ほほーうお春殿も物知りですな!」

「いえいえ、これは錆様が教えてくれて…」

 

 そう言って、お春は慌てて口を噤んだ。傍らで毛布を握り締める仁兵衛を見てしまったと思ったときにはもう遅い。九散の名が出たせいで一気に室内の空気が重くなった。

 

「……錆様、まだお戻りになられてないのですね……」

「……はいっ…自分が不甲斐無いばかりにっ……!!」

 

 歯を食い縛り、恥辱に震えながら仁兵衛は枕の横に置いてある開封済みの封書を掴んだ。少々錆び付いた血の香りはその手紙が何よりも九散から送られたものであることを証明していた。

 『錆』 九散の『錆』付いた血。一応名前として書かれているが、彼女らしい目印だ。

 ――『その場で待機』――

 手紙の内容は実に残酷だ。事実上の仁兵衛への戦力外通告が出されたのとなんら変わらない。仁兵衛には手紙から伝わる九散からの諦観と己に対する失望が感じ取れた。だがそれでも、

 

「く…九散殿はっ……自分を、心配してくれているんですっ!! 自分にはまだ蟲を十分に倒せる力がないからっ、蟲に無残に殺されてしまうであろう自分を考慮して、こういう手紙をわざわざ送ってきてくれたんですっ!!!!」

「仁兵衛様……」

「でもっ自分はぁっ……!! 自分はっ、戦いたいです! この江戸を守るために! 江戸のみんなを守るために! 蟲奉行所のみんなと、そして九散殿と一緒に戦いたいッッッッ!!!!!!」

 

 力が足りない己が憎い。

 腕が未熟な己が恨めしい。

 『市中見廻り組』の解散は仁兵衛の耳にも届いていた。そして与力であった小鳥を除いて全員はもう既に江戸を遠く離れ何処かへ行ってしまったのだという。ばらばらに四散した『市中見廻り組』には当然、『西征』への参加は認められない。御上の計らいによって今回の進軍計画は厳重に執り行われており、出兵する人数から一人一人の名前まで記録されている。それは自殺志願者とまでは行かないが殉死した者の家に事前に金一封を与える契約がなされていると同時に、『西征』を無事終えた場合は此度の『西征』における戦死者を幕府が用意した同じ一つの巨大な石碑に名を刻むためである。 

 

「こうしてはいられない…自分、鈍った体を鍛えなおすべく走り込みと素振りをして来ます!」

「待って下さい仁兵衛様ッ!」

「お春…殿…?」

「どこに行くおつもりなのですか…? ここで安静にしていてください。そうすれば、もう貴方は傷付かなくていいんですよ…心も、体も……」

「…お春殿」

 

 立ち上がって颯爽と部屋を出ようとする仁兵衛の背中に離すまいとしがみ付くお春。仁兵衛は縋り付きたいような希望と甘え、そしてそれでもお春が懸命に己を心配して気遣ってくれる言葉をかみ締めた。

 

「……申し訳ありません、お春殿」

「仁、兵衛様ぁ……!」

「自分は、行かねばならぬのです……確かにいまここを出なければ、自分はお春さんと幸せな日々を過ごせるかもしれません。別に、自分はお春さんと一緒にいることが嫌じゃありません…むしろ、ずっと一緒にいたいくらいです。でも、みんなが頑張ってるのに自分一人だけが幸せを味わうなんて許せません!」

 

 父から賜った一本の刀。何度折れようとも何度割られようとも、九散や江戸の刀鍛冶の者によって直されてきた。それは、己がいままで生きてきた道のりみたいなものだ。何度も倒され、何度も負け、何度も討たれてきた――でもその度に立ち上がる。その姿まさに『常住戦陣』。己の武士道、生き様、在り方、夢――そのすべてが詰まっている刀を腰に挿し、仁兵衛は威風堂々と立つ。

 

「……自分は、みんなと共に戦いたい……でも一番の願いは、お春殿がいつまでも無事でいてくれることです」

「わ…私……?」

「はい……自分には、もう蟲に永遠に怯えたまま生きるなんて許せないんです。だから、此度の『西征』で蟲共を根絶やしてお春殿に楽をさせたいんです」

 

 蟲という存在がいる限り、この日ノ本では安全というものを永遠に保障することは出来ない。山賊や海賊に殺される、野犬に襲われるなどもあるだろうが、そんなことは些細なことだ。蟲がこの日ノ本を跋扈している限り安息は訪れないのだ。

 

「自分はこの日ノ本位一の武士になるためにいままで生きてきた! でも今ばかりは、今回ばかりは許してください……自分には、守るものがある! それを守るために自分は刀を振るいたい!」

「いいだろう!」

「「!?」」

 

 突如、治療室の戸が吹き飛んだ。お春に破片が当たらないように庇いながら、粉塵が舞う治療室の入り口の人影を捉える。聞こえた声、粉塵越しに見える姿、突拍子も無い行動――仁兵衛の知る人物の中で該当する者が一人だけいた。

 

「よぉ、元気か仁兵衛!」

「親父殿!?」

 

 八年前まで津軽藩で剣術指南役として勤めていた月島流道場道場主――月島 源十郎。

 仁兵衛の父である。

 

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 

 

「………」

「やぁやぁやぁやぁ何処かであったかと思えば神楽で会った無涯じゃん超ひっさしぶりー!」

 

 入室してきた存在に、無涯は剣呑な眼差しを向けた。そこまで親しくなった覚えは無い、というように睨まれているのはあの神楽でまさかの試合開始宣言前に九散に不意打ちを放つという外道染みた所業を犯したが、その後ものの見事の九散に倍返しされた挙句その場にいた男の衆に心的外傷を植え付けたきっかけとなった男――心王一鞘流の十四代目現当主・汽口(きぐち) 慚愧(ざんき)である。

 

「おげっ! 引っ掛かった…」

「何をやっているんだ貴様は」

 

 部屋に入ろうとしたが肩に掛けていた荷物が扉で引っ掛かってしまいつっかえてしまった。麻袋に包まれたそれは扉の対角線に沿っても通せる大きさでは無く、仕方なく一度外に出た慚愧は肩から外してやっとこさ部屋への侵入に成功した。

 

「いやーコレ重いのなんのって、こんな小間使いに僕を呼び出すなよなぁー九散も真庭のねーちゃんも」

「二人から頼まれたのか?」

「おう、アンタの刀がぽっきり折られてるだろうってな」

 

 そういって慚愧は部屋の片隅に置かれている刀身の中心から亀裂が入り――真っ二つに折られた、無涯の塵外刀を見遣る。蟲奉行所の希望であり救済へと導く星のような存在であった彼を最も象徴する刀――塵外刀。数多の蟲を斬り、突き、裂き、殺し、息の根を止めてきたこの刀は無涯にとっても人生を今まで共に歩んできた相棒であったことに他ならない。だが八丈島の変で島から吹き飛ばされた際に無涯が全身を呪詛で覆われることと引き換えに怪我や傷を負うことなく戻ってこれたのは、一重に身代わりとなった塵外刀であったと言われている。

 

「んで、真庭のねーちゃん…参猿だっけ? 昔無涯の刀打った人らしいけどまた作ってくれてさ、渡して来いって頼まれたんだよなぁ全く、僕だって半月後合同会議に参加しなくちゃいけないしさっさと里に戻ってみんなの鍛錬なり準備もしなくちゃならないのにさぁ」

「……『西征』か」

「そぅ」

 

 『西征』――西にいる化外、蟲共を殲滅する日ノ本の国の未来を掛けた大規模掃討作戦。昨日、現将軍吉宗公が宣言したことによりそれは瞬く間に江戸中の民商人武家全員が戦に向けて準備を開始する羽目になった。だが、これでいいのだ。蟲は人の生活を脅かす根源であり害虫であることに他ならない。だが西日本が征服されて百年余、いまだ蟲の侵略や侵攻に怯えて生活をしていくのも限界だろう。いくら奉行所が誠心誠意万進して蟲退治に勤めたところでそれは蟲達の侵攻を一時的に緩和しているに過ぎず、もし今の均衡状況が敗れるようなことがあれば疾うに人間は滅び、この日ノ本の国は蟲の大国に成り果てているだろう。

 だからこそ、今しかない。

 聞けば、現在行方不明の九散の伝手によって東日本全土の全戦力が集結しつつあるらしい。彼等は以前九散がほんの少し語った『語られざる歴史』に生きていた者たちのようで、戦に備えて湊から着々と食料や軍事兵器、大陸のからくりも運ばれている。

 

「なのにアンタが入ってた市中見廻り組は解散宣言しちゃっててさぁこりゃ笑えるよなぁ! しかもよりにもよってこの日ノ本の国で一番蟲を駆逐したがってる奴が刀も折られちゃって戦えないなんて滑稽で見てらんないねー!」

「殴るぞ」

「ぼう殴っでるじゃだいが……」

 

 見てらんねーのあたりで既に拳は振り抜いていた。避けられないとわかって避けるのを諦めたのは潔いが、なぜ台詞を全部言えるよう最後辺りを速めて言ったのだろうか。

 顔面を正拳突きされて鼻を赤くし目から涙を垂らした慚愧は痛む顔面を手で押さえながら器用に持ってきた刀の麻袋を外す。袋から現れたのは――真っ赤な大剣だった。

 

「完成系番外刀・覇刀『(しのぎ)』。もともと僕の為に打った刀らしいんだけどなぁ、譲れってさ」

「何?」

「二人から言われたんだけど、僕にはその剣を握る資格があるみたいなんだよなぁ。曰く、他の僕なら意気揚々と使いこなしてるだろうってさ。わけがわからないよ」

 

 そんな――預言者染みた、運命論者染みた言葉を言われても仕方ない。無涯は改めて剣を確認し、そして手に取る。剣の側面には独鈷杵を思わせる意匠が拵えてある。なるほど手に取れば破魔の力らしきものは籠められていそうだ――だが、特にこれと言って特別なものは感じられない。少なくとも塵外刀とはまた違う刀なのだろう。

 

「あ、ソレ受け取るんならちゃんと手紙読んで従えよ?」

「手紙……ああ、コレか」

 

 そう言って無涯は枕の横に置いてある封書を開いて見せた。

 ――『富士樹海』――

 富士樹海…ということは文字通り、富士にある曰く付きの樹海――否、呪海へ行けという意味だろう。その文字を見た慚愧はうげぇ、と露骨に顔を顰めた。

 

「うわ、ほんとアンタ後愁傷様だよマジで。まさかよりにもよって一回這入ったら骨になって出てくるっつー呪われた樹海に行くなんてな…」

 

 そういえば以前、富士の樹海には二つの呪いがあると聞いたことがあった。一つ目は一度這入れば生きては帰れない迷いの森。二つ目は骨までしゃぶり尽くす化け物が棲む魔物の海。いや、二つ目は別に富士に海なんてなく少し雑木林に隠れた湖があるだけなのだが、樹海と呪海の言葉合わせの為にそう吹聴されているようだ。もしその化け物が蟲なのだとしたら――駆逐する。

 

「行くか」

「お、行くの本気で逝くの地獄街道真っ逆さまだよ大丈夫か頭ちゃんと働いてる?」

「そうだな、貴様はまず試し斬りの犠牲になれ」

「死亡旗立ったぁー!!!!」

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 

 そこは、混沌だった。

 周囲は砕け散った空間と瓦礫が重力というものから開放されて浮遊している。空は紫と漆黒のうねりが渦を巻いては雫のように垂れ落ち、泡のように膨らんでは萎む。海が死の灰と汚泥で埋め尽くされ腐毒と蠱毒が混ぜっ返して形あるものすべてが死骸に成り果てている。外界から隔絶された異次元と化したその場所は――かつて、八丈島と呼ばれていた。

 

「………んギィッ…ぐぐぐぐぐぐうぐうぐうぐうぐうぐう………ハッ、うっかり寝込んでしまったなすまないすまない」

 

 次元違いの空間にいる一人、真庭 剣牙虎(けんがこ)は腹を切り裂かれ絶命していた状態から覚醒し、この場にいる己の相対者に詫びた。この場にいる剣牙虎の相対者――つまり、

 

「別にいいわ。こちらの用も済んだから」

 

 空間で寝そべるという暴挙に及んでいた剣牙虎を嗜めながら、剣牙虎の相手である九散は鼻を鳴らして見下ろしていた。何を隠そう、剣牙虎の腹を掻っ捌いたのは九散本人なのだから。それも、半刻程度ではあったが。

 

「用だと? この儂と戦う以外に用なんかあったのか? ――勝手に閉じ込められたこの結界(なか)で」

 

 閉じ込められた――そう、二人は閉じ込められたのだ。三眼六手の邪神と化した九散と永遠の英雄である剣牙虎の衝突によって生じた歪み、二人を中心に拡散していくそれをまるで押さえ込むように、八丈島周辺一帯は不可侵領域と化し二人を閉じ込めた。

 無論、二人の仕業ではない。ならば誰か。

 二人には当然わかっている。なぜならば、二人でさえも破れないその結界を展開した張本人が、かつて島があった場所のその中心地に立っているのだから。

 灰色の法衣、黒子のように顔を隠す灰色の布、右手に構えた長い金の錫杖、左手に印を結んでいる。

 錆 灰徒(はいど)。九散の実の父親である。

 

「あ奴は何者だ? 儂でさえも破れぬ結界を作るとはなかなか新しいではないか」

「私の父親よ。自慢の父親」

「そうか、自慢か」

 

 瞬間、剣牙虎は急降下して灰徒に殴り掛かっていた。不可逆の拳は確かに灰徒の横腹を捉え破壊する感触が伝わったが、しかし灰徒はなんともないように身動き一つすること無く――印を結んでいない手で、指を振った。

 

「ぬううぅぅぅううぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!!!!!」

 

 今度は剣牙虎が吹き飛ばされた――否、急降下する前の位置に()()()()。それは剣牙虎が灰徒を認識してもう十数回目となるが、一向に灰徒は動じない。

 

「儂の攻撃が効かないのはもう新しくもなくなってしまったが……何故だ?」

「そうね、彼の場合は元々私達と棲んでいる次元が異なるのよ。簡単に言えば三次元的に角度の違う平行線ね、境界線の存在しない」

 

 たとえば、一般人を満天の夜空に散りばめられた星のような一点一点だとしよう。永遠の英雄の残滓である剣牙虎や邪神となった九散のような神格を持った存在は己が存在を確立させた一本の線だ。実力が拮抗したりするのはその線がどこかしら交わり交差しているからだ。となれば、神格を持っているのかもわからないのに剣牙虎のような英雄の攻撃が通じないのは、決して交わることの無い一本の線になっているからに他ならない。たとえ九散や他の者が灰徒に攻撃を仕掛けたところで灰徒に通じることはないし、攻撃した分の労力が無駄に終わるだけである。

 かつて己を殺すべく参猿ら刺客を放った張本人であるが、不思議と九散の中で憎悪や怒りを抱くことは無かった。それはまるで灰徒が、こうなることを予想していたと知ったから―――

 

「全部知っていたんでしょう? お父さん」

「………」

 

 聞こえていないわけではないだろう。確かに島の中心地と九散達がいる場所とでは高さも距離も相当離れているが、灰徒ならばこの程度の距離、無いに等しい。聞こえていて、それで相変わらず黙っている。なんと人付き合いの悪い父なのだろう。

 神格の衝突は己達以下の存在を弾き、場合によっては消し飛ばす。それはお互いが強大過ぎる存在故に感覚が飽和し、他が宙に浮いている塵程度にも捉えられないから起こる現象であり、それをやめろというのは呼吸をするなといわれているようなものだ。だから、こうなることを見越していた灰徒は八丈島に侵入し己を中心点に結界を張り不可侵領域にした。出なければ一呼吸で日ノ本の国は滅んでいただろう。それだけ、未だに己の力を制御できていない。

 

「でも、さっき私破っちゃったわよ。一瞬だけどね」

 

 そう言って九散は――天を指す左上腕二手に咒法(じゅほう)『射』の印を、真横に伸ばす右上腕一手に創法(そうほう)『界』の印を、胸の前で十字に交差させる左下腕一手と右中腕一手にそれぞれ解法(かいほう)の『崩』と『透』の印に結んだ手を見せる。そして最後に、右下腕一手に手に取った『刀』を真正面に差し出していた。

 

「九散よ、貴様いつからその新しい刀を持っていた? 隠し持っていたのか?」

「いいえ違うわ……いえ、()()()()という点では間違いないわよ」

 

 驚くことに、その刀は()()している。まるで小さく短い刀身はまるで忍が使う棒手裏剣、または苦無のそれだ。

 悪刀『鐚』。九散の祖父・鑢 七花によって()()()()()()()()完成形変体刀の一振りである。

 咒法『射』の印を結んだ左上腕二手の指先からは未だに『鐚』から抽出された黒雷が迸っている。■■■■の法が籠められた黒雷は結界を突き破り、空間を超え、時間を跳躍し九散が望む者たちへと降りかかっただろう。しかし剣牙虎の不可逆の破壊はもはや全次元に通ずる呪いのようなもので、いくら■■■■の法でも治すことは叶わなかった。だから、九散はまず第一に剣牙虎を一瞬だけでも気絶させることだけに専念し――二百十一日経過し、五十七回死んで漸く致命傷を負わせ絶命させた。

 気絶すれば、剣牙虎の不可逆の破壊は根源である主の一時的生命活動の停止によって解かれる。かといってもそれまで破壊が続き再生しなかった傷が一瞬で癒えるかと思えばそういうわけではない。だから、『鐚』を使った。

 

「げっげっげっげっげ、何度も殺して漸く一回儂を殺すとは成長の見込みがある新しい邪神だな。しかしどうやって蘇生しているのだ?」

「別に難しいことじゃないわ、自ら進んで己を壊しているのよ」

 

 こうやって、と己の顔面に六手ある内の一本の腕を叩き込み、衝撃で顔面と腕が消失する。そしてすぐ――元に戻った。

 

「怪我が治らないのは貴方の攻撃限定よ。だったら死ぬ前に自分で殺せばいいんだわ、それだったら不可逆の法が無いから()()()

「とんだ新しい発想だな……だが、貴様に勝ち目は無い。故に儂に勝てる見込みは無い」

「随分と短絡的で結構なこと。確かに死に数は私の方が上ね、それにまだたかが一回仕返したくらいだし。でも、知っている?」

 

 ―――貴方、全盛期の半分しか実力出せてないのよ?

 

「なん…だと……? 冗談にしては不気味なくらいに新しいが……どういうことだ?」

「不用意に自分の名前を言ってしまったのがいけなかったわね。貴方は確かに過去一騎当千の英雄様だったでしょうね、それも数々の神格を打破出来るほどの。でも今の貴方は所詮英雄の残滓……しかも、いくら器が優れていようとその名に架せられた呪いは永遠に貴方を蝕むわ」

 

 碧い三眼が妖しげに光る。ここで漸く、三眼六手の邪神となった九散の顔に初めて笑みが浮かんだ。

 

「不知火 半壊――確かにそういったわね。そう、『半』壊。ただの名前だけなら無視していたけど、貴方がいままで傷付けた人たちの容態を見て確信したわ。貴方、人を()()()()壊せないのよ」

 

 左腕は千切れど右腕は動ける。左足は斬れど右足は立てる。心臓は打ち抜かれど、右の肺は僅かに活動する。

 剣牙虎の出現と規格外の強さに混乱していた九散だったが、邪神になり何度も殺されたことで不思議と頭が冴え渡り、いままで見てきた剣牙虎の攻撃をじっくり分析したのだ。結果、確かにどれも大怪我の致命傷ばかりだが――どれも、片方だけ。

 そして、

 

「気絶してる間に、貴方のいままでの依り代を調べさせてもらったわ。不知火 半欠(はんかけ)、不知火 半鐘(はんしょう)、不知火 半腹(はんぷく)、不知火 半眼(はんがん)……ものの見事に『半』の字があるわね。不知火の里の優秀な輩はみんなそうなのかしら…?」

「馬鹿な……儂の力が、半分だと!? あ奴らはこれを知ってるのか…!? ならば、あ奴らは儂を嵌め――」

 

 九散の口から出てくる驚愕の真実に剣牙虎は慄いていた。

 そして、剣牙虎はこのとき失念していた。

 死を何度も経験し、二百十一日前とは明らかに向上している九散の実力に。

 

「はい、二回目」

「がはぁっっっ……!?」

 

 懐に潜り込んでいた九散の左中腕が、剣牙虎の左胸に深々と突き刺さっていた。

 

「な…何いぃぃいいぃぃぃぃ…!!??」

「馬鹿ね言葉に惑わされちゃって。嘘に決まってるじゃない」

 

 嘘。

 それは、九散がいままで口にした剣牙虎の力の半減説。実際のところ九散にも真偽は定かでは無いが、傷や怪我が肉体の半面にしか付いていなかったのは事実だ。だがだからといって剣牙虎の全盛期に生きていない九散が半減していると言い切れるわけではない、事実無根の仮説――否、油断させる為の戯言(ザレゴト)に過ぎない。

 

「さて、試さなければいけない刀はあと()()あるわ。それまでどちらも壊れてくれなければいいけど………ね」

 

 六本の腕の内、先ほど扱った『鐚』を持つ左下腕を除く五本の手に、それぞれ『刀』が握られる。その姿はかつて清涼院護剣寺にあった刀大仏を思わせるものであった。五本の刀を構える三眼六手の邪神・錆 九散は結界の中心点に立つ灰徒にうっすらと微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

   「そうよね、()()()

 

 

 

 

 

 

 

 




『東方』タグなくてごめんなさい、あくまでもイメージです!

 というわけで、火鉢さんは鬼と鬼ごっこしつつ真庭の里へご招たーい

 無涯はまさかの変態と今大人気の富士樹海珍道中

 仁兵衛はまさかの主人公しつつ親父さんと(ここは同じ)

 そして我等がアイドル九散ちゃん三話半ぶりのふっかあああああつ! お待たせしましたぁ!


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閑話 等級項目

 最終決戦前に今までのまとめを含めたパラメータをどうぞ。ちなみに下のみんなのパラメータは八丈島の変の前までの実力です


 

 等級・初伝

 

 (さび) 九散(くちる)

 

 身長・六尺二寸

 体重・■■■

 等級・陽の陸、陰の陸

 神咒・無し

 宿星・虚宿司非

 

 筋力・三 □□□

 体力・六 □□□□□□

 気力・六 □□□□□□

 咒力・七 □□□□□□□

 走力・五 □□□□□

 歪曲・七 □□□□□□□

 

 

 

 

 基本

 

 陽の陸はほぼ無双足りえるものの、如何せん戦闘経験が乏しいことから咄嗟の判断が鈍い。陰の陸というのも相当の歪みを有していることは日ノ本の国でも頂点に立つ程であるが、あくまでも『刀』という一般的知識の見解を見出したものに準えている分周囲がその異常性を感じ取るのは難しい。

 ここでの咒力、歪曲は霊感や歪みのみならず、常人が如何に化け物である蟲を打倒し得るかという数値を表している。つまり、蟲には理論云々はともかくとして何らかの霊的加護があることを暗に示しているのだが、真偽は不明。

 筋力、体力、気力、走力が低いのは歪曲によって引き上げられた結果が現在の九散の超人的身体能力を生み出しているのであって元々はこの程度。

 『語られざる歴史』における四季崎家、占星術師の末裔でありそれ故か『語られざる歴史』の変遷における記憶を誰よりも保有している。

 九散の宿星は宿曜二八宿における虚宿は北方を守る霊獣玄武の亀の甲羅。祭事、祈祷を意味し、印度では財宝を表す。十二宮の中では冷静沈着で不屈の精神を備えた「磨宮」に二足、論理的でありながら奇矯な「瓶宮」に二足属し、この2つの宮の影響を受けている。七曜では厳格を象微し、自己研磨の精神を表す『土』の影響を受けており、位が高いものに対する礼節がなっているのはここに由来する。

 司非は是非や罪過を司る神を示すが、未だ本人自身が何を裁くのかは分かっていない。ただ、父である錆 灰徒と九散の己の中にいた水銀の幻影はそれに気付いている様子。

 口調は「あらあら」という某火星の水先案内人のような気がしないでもない。金髪碧眼巨乳こそ祖母である否定姫譲りだが、容姿は七花の姉である鑢 七実そのもの。否定姫のようにつり目でなく、七実のように無表情でないことから某黄昏の女神様を彷彿させる容姿だが決してそれは間違っていない。それを逆手に以前作者によってR-元服並の仕打ちを作中における変態にさせようと画策していたらしいが現在は不明(神楽篇におけるBAD√)。要望があればやるかもしれない。

 

 

 

 

 技能

 

 虚刀流

 旧世界――九散達が言う祖母・否定姫や祖父・鑢 七花がいた『語られざる歴史』における異端の剣術。己の肉体を刀に見立て、刀として扱い主に武器破壊を目的とした。虚刀流九代目当主となっているが、母の鑢 八穂が虚刀流を継がなかった為か本来なら八代目。しかし『九』散なのに『八』代目はかっこ悪いので虚刀流のきの字も知らない八穂に暫定的に八代目を名乗ってもらい(ちゃんと本人の了承を得た上で)九散は『九』代目を名乗っている。だが道中そんな苦労話があったものの、九散本人は虚刀流が体に合わないと告訴した挙句虚刀流から新たに派生し大成させた『十二使刀流』を扱っている。

 

 十二使刀流(じゅうにしとりゅう)

 『語られざる歴史』において奇策師とがめの国家安寧の大義名分の元に蒐集し、従者鑢 七花の手で破壊された四季崎 記紀の傑作とも言える完成系変体刀十二本を体現した流派。絶刀『鉋』から炎刀『銃』まで全てを体現し、各刀に『通常駆動』『上位駆動』『超過駆動』の三段階がつけられている。現時点で『超過駆動』は■についた者の内二人の力を二振りの刀が体現しているが、詳細は不明。技名の頭文字に『不』が籠められているのは一重否定、現実に対する否定の意味が籠められており、かつて祖母である否定姫に唯一使えていた忍の意思が感じられる。

 

 

・絶刀『鉋』

 

不折(おれず)――折れぬこと『鉋』の如し」

 

 通常駆動では『鉋』の特性である『柔軟さ』を見事体現した技。身体硬化は硬化時に己の動きを制限してしまう欠点が存在するが、技に磨きを掛けたことにより部分的かつ『鉋』の発現時間を一瞬に切り替えることによってその欠点を補った。防御力だけならば『鎧』のほうが一枚上手だが衝撃の発生しない、咄嗟の攻撃ではこちらを使う。

 上位駆動ではかつて『鉋』を保有していた真庭忍軍真庭獣組、真庭 蝙蝠の『柔軟さ』を体現している。忍法・骨肉細工という肉体の軟性を高め、挙句の果てに骨格まで作り変えてしまうほどの術であるが肉体から響く粘性のような感触の悪さからあまり多様されていない。

 

 

・斬刀『鈍』

 

不砕(くだかず)――砕かぬこと『鈍』の如し」

 

 通常駆動では『鈍』の特性通り『切れ味』に長けている。本来腕を刀のように扱う手刀が虚刀流であるが、さらにそれに上乗せして『砕く』のではなく『斬る』という現象を実現している。上位駆動と通常駆動が加減の違いでしかないことから上位駆動が存在しない四刀の内の一振り。

 

 

・千刀『鎩』

 

「不断《たたず》――断たぬこと『鎩』の如し」 

 

 通常駆動ではまさかの『多さ』を九散本人で体現した忍顔負けの千人分身。しかも各千人が自立した個体であり意思を持ち、そして互いが見た聞いた情報はすべて一人から残りの九百九十九人へと伝播されるという某妹達張りの情報網が形成されている。上位駆動では所持者であった敦賀 迷彩の『千通りの計略』。その名の通り千の戦略を考案する技能であるがいまだ物語では登場していない。

 

 

・薄刀『針』

 

不見(みえず)――見えぬこと『針』の如し」

不捕(とらわれず)――捕らわれぬこと『針』の如し」

 

 一本の刀につき一つの個性というものをものの見事に打破した一振りでやはりそこから『錆』に対する愛が伝わってこないでもない(原因は『語られざる歴史』における扱い)。上は『針』が有する『曖昧さ』を体現しており、見ている者たちからも距離を無視した斬撃という印象が強いが、あくまでもこの技は『鈍』と共有しなければ意味を成さない技である。なぜならばこの『曖昧さ』は距離を言い表しているのであり、九散と対象物への距離、間合いを『曖昧』にしているが故に斬撃が遥か遠くまで直撃するのである。下は『針』刀身そのものが何よりも『軽い』ことを体現しており、頑丈さをかなぐり捨てる肉体に成り果ててしまう代わりに攻撃が絶対に当たらない防御力を身につける。ただ攻撃から来る空気抵抗を先んじて受けることによる回避であり、刺突など空気を裂いた攻撃は的中してしまう可能性が高い。上位駆動は九散本人の潜在能力の範疇であるため上位駆動が存在しない四刀の内の一つになっている。

 

 

・賊刀『鎧』

 

不効(きかず)――効かぬこと『鎧』の如し」

 

 本編において最も九散が絶対の防御手段として用いている一振りであり、『鎧』の『防御力』を体現している。原理、利点欠点に関しては無涯戦と剣牙虎戦にて詳細に明記されているので省く。上位駆動では本編では所持者であった校倉 必の力の制限力、つまり巨大な『鎧』を中で操る力の配分、調節を体現しており後述される『鎚』での怪力を制御する役目を担っている。pixiv版で追記しているがもう一つ、上位駆動では『鎧』の防御力の秘訣である衝撃の伝播を体現している。通常駆動では防御の為の衝撃の伝播であるが、上位駆動では攻撃性を持った衝撃の伝播であり、斬撃を拡散し伝播させありとあらゆる方向から炸裂させることや相手が放った攻撃をそのままそっくり相手に返す技である。くしくもそれは剣牙虎を前にした最終奥義の中に含まれ、常人であれば塵も残らず消えていた攻撃だが剣牙虎にまったく通じることなくその技の凄みを伝えられなかった。

 

 

・双刀『鎚』

 

不浮(うかず)――浮かぬこと『鎚』の如し」

 

 通常駆動は何よりも注目すべき『重さ』。己の体重を倍増しすることによって『針』とは真逆に地に沈み『鎧』と組み合わせることにより絶対的防御力を発揮することが出来る。しかしこの技も地形によって使用を左右される繊細な技であり使いどころが難しいことに変わりは無い。上位駆動では地の筋力値が三である九散の力を補う技であり、代々受け継がれてきた凍空一族の比肩無き怪力。『語られざる歴史』において圧倒的、それでいて膨大な力を遺憾なく振るい七花に黒星をつけたこなゆきの力だけではなく、代々所持していた成人した凍空一族の怪力も体現しているため測定値は不明。

 

・悪刀『鐚』

 

不生(いきず)――生きぬこと『鐚』の如し」

不死(しなず)――死なぬこと『鐚』の如し」

 

 最も生物の生死を左右する一振りであり上は体内に溜められた電流を多種多様に放ち絶命させる技。下は溜められた電流を己に流し込むことによって治癒を促進させたり己以外のものの傷を治癒する救命の技。完成系変体刀十二本の中でも命を司る悪性の高い一振りであり、九散の親戚に当たる七花の姉の七実が持っていたからか好き好んで使う技である。上位駆動は『針』と同じく七実の一番の強みである見稽古は既に九散の技の一つであるため上位駆動としては存在しない四刀の内の一振りに入っている。

 

 

・微刀『釵』

 

不人(ひとにあらず)――人にあらぬこと『釵』の如し」

 

 通常駆動が存在しない一振り。存在しないというより、この技は九散自身が死ななければ発現出来ない仕様になっていたため本人も実現できるか分かっていなかった。結果、心臓は止まれども血色のいい死人形として数百年後にどこぞの誰かが完成させる言葉使いと、同じく他者は己を人形にする『人形師』原点になる。ただこの技はあくまでも肉体の稼働一点に絞った技に過ぎず、結局死人形になり未来永劫戦い続ける代わりにそこの本人の意思は存在しないのである。だがそれを、後述する『鍍』によって補うことによって克服させた。非人(ひとにあらず)のほうが字的に正しいとか言わない。

 

 

・王刀『鋸』

 

不狂(くるわず)――狂わぬこと『鋸』の如し」

 

 十二本の刀の中である意味異端の刀でありその効果は毒気の浄化。上位駆動が存在しない四刀の内の一振りであり、赤子の頃に一番最初に無意識に習得していた技である。元来原因こそ不明ではあるが九散には後の殺人鬼岡田 以蔵も顔負けの惨殺癖を持っていたが、幼子の時点で既に母親さえも殺さんとする殺戮衝動は『鋸』によって抑えられ、今日まで九散が人を殺したことは無い。だがそれは同時に九散の強さの制限にも繋がり、やむなく枷である『鋸』を解除し蟲だけを殺せたのは僥倖であった。

 

 

・誠刀『銓』

 

不傾(かたむかず)――傾かぬこと『銓』の如し」

 

  『誠実さ』そのままに体現し、時場所場合にとって己の内の力量の振り分けを瞬時に、そして意識的かつ自動的に行う技。戦闘経験が誰よりも少ない九散にとっては大きな役割を担っており描写こそ少ないが幾度も九散を助けている。上位駆動はいまだ本編でも明記されていないが、所持者であった仙人・彼我木(ひがき) 輪廻(りんね)の力の通り、相手の苦手意識を鏡写しで姿を変える千変万化というものである。だがこの技は誰にでも苦手な存在になれると同時に己を見失う技であり、九散自身の存在を消しかねない危険な技であり使用は控えていた。

 

 

・毒刀『鍍』

 

不律(りっせず)――律せぬこと『鍍』の如し」

 

 通常駆動を持たない一振りであり己に内包する狂気は殺意を爆発的に増す技。九散自身この技を使うにはある程度条件が揃っていなければ使わないと誓約した技であり、死んだら発動する『釵』とちょうどいいと思い組み合わせた。誓約の一つとして「己より強い存在でなければ使わない」。これは純粋に己より強い存在がそういないであろうという慢心から生み出されたものであるが実際それは間違っていない。二つ目としては「退くに退けない時」であり、強大な敵を前にしていわば背水の陣で特攻するべく立てられた誓いである。結果として■■のような存在にまで神格を有してしまったが因果関係は不明。

 

 

・炎刀『銃』

 

不斬(きらず)――斬らぬこと『銃』の如し」

 

 通常駆動としては指先に籠められた法力を放つ銃撃。刀でありながら斬らずに穿つという皮肉を籠めた技名であり、『鈍』と『針』の組み合わせの技より早く小さいが小回りが利き、点と面どちらでも使える利点がある。威力こそそのときそのときに籠められた法力に比例するが、基本的に数が多いから一つ一つは弱いという常識は通じ無い。

 

 

 

 

 異能

 『語られざる歴史』に潜んでいたとされる『天魔』六柱の技能を使役できる。それが何を示しているのかは未だ不明であるが、随神相(かむながら)の発現と詠唱が出来ることから『本人達』の祈り、願い、渇望を理解し共感している節がある。

 

 

 

 

 その他本編における等級早見表

 

 月島 仁兵衛

 筋力・五 □□□□□□

 体力・五 □□□□□

 気力・七 □□□□□□□

 咒力・零 

 走力・五 □□□□□

 歪曲・零 

 

 火鉢

 筋力・四 □□□□

 体力・五 □□□□□

 気力・四 □□□□

 咒力・二 □□

 走力・六 □□□□□□□

 歪曲・零 

 

 恋川 春菊

 筋力・六 □□□□□□

 体力・六 □□□□□□

 気力・六 □□□□□□

 咒力・零 

 走力・五 □□□□□

 歪曲・零 

 

 一ノ谷 天間

 筋力・二 □□

 体力・三 □□□

 気力・四 □□□□

 咒力・六 □□□□□□

 走力・三 □□□

 歪曲・一 □

 

 松ノ原 小鳥

 筋力・七 □□□□□□□

 体力・七 □□□□□□□

 気力・八 □□□□□□□□

 咒力・二 □□

 走力・六 □□□□□□

 歪曲・零 

 

 無涯

 筋力・八 □□□□□□□□

 体力・八 □□□□□□□□

 気力・八 □□□□□□□□

 咒力・三 □□□

 走力・八 □□□□□□□□

 歪曲・二 □□

 

 

 

 




 若干ネタばれや製作秘話っぽいのがかかれてましたがいかがでしょうか?
 さてあとは最終決戦、ちょい突拍子に始まりますがそこは勘弁をば(汗)


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二十六太刀目

 いよいよここまで来ましたねぇー
 というわけでだいぶキンクリですが『西征』開始、どうぞ


 

 

 

 白露の候。夏が盛り上がり一気に最盛期を向かえ、終われば秋口が顔を覗かせる――もっとも蟲が繁殖と氾濫と暴食を起こす侯と恐れられ、ここ百年各地の奉行所でも厳重注意を呼びかけてきた侯である。その日は外出はおろか、ましてや今となっては蟲共が跋扈し征服している地である西へ近付こうと思う者などいないであろう。

 

 それが、赦せない。

 

 嗚呼、なんということであろうか。本来この日ノ本の国は我ら人類共が自由に生き、時に自然を享受し時に争い時に文明の波を伝えてきた地。かの米の文化だって九州から伝来し、鉄砲は種子島から南蛮人が伝えてきた。かの邪馬台国も西にあったと言われており、京の地はかつて(まつりごと)だってしていた。

 赦せるだろうか? 我らが数百数千と築き上げてきたこの日ノ本の国の半分を、畜生共に蹂躙され我が物顔で闊歩する様が。

 赦せるだろうか? 神聖なる地が、我らが争いそして散った過去の英霊達が鎮むその地が踏み潰されるのが。

 それは否――否だ! この日ノ本の国に生まれたものならば尚武の心を、日出処(ひのいずるところ)の国に生まれた誇りを、信念を! 老若男女問わずその胸にしかと宿っている筈であるッ!!

 

 ならば―――

 

 なればこそ―――

 

 奪い返そうではないか、我らが地を。

 蹂躙し返してやろうではないか、愚かなる畜生共に。

 屠って、狩って、捻り潰して、引き裂いて。

 抉って、突き刺して、焼き焦がして、ばら撒いて。

 改めて証明してやろうではないか、人類が蟲共より上であることを。

 教えてやろうではないか、百年苦渋を飲み続けてきた人類の倍返しを。

 

 さぁ武士達よ。己の信念と武士の誇りを胸に刀を抜け。

 さぁ農夫達よ。畑で害虫を駆除するが如く鍬を鎌を犂を馬鍬を手に取れ。

 さぁ工夫達よ。己が得物たる金槌を振り下ろし、釘を吐き、角材を投げろ。

 さぁ市政百姓よ。己の生き恥晒して今なおその胸に日ノ本に対する愛があるならば―――拳で殴れ、腕が無いなら足で蹴飛ばせ、四肢が捥がれようものならば歯を以ってして噛り付け。

 命の一滴が零れ落ちる最後の瞬間まで蟲共を殺して殺して殺して殺して――人類の為に、一矢報いるのだ。我らは死兵、永遠に死してなお蟲共に恐怖を与えしものなれど、最後の最後に勝ちを掴み取る絶対にして唯一無二の人類(われら)だ。

 此度の大戦(おおいくさ)を『西征』と名付ける。人類の明日を築く(いしずえ)となるならば――心臓を捧げよ!

 

 

 

 

 ―――錆 九散の召集状が出された翌日。江戸の重鎮や老中達の意見を纏めて説得し終えた徳川 吉宗は公に姿を現し、こう語ったのだ。その演説は瞬く間に日ノ本の国全土に広がり、半月後にあった代表者の合同会議を境に一気に膨れ上がり日に日にその数を増していった。その数およそ九十万。かつて日ノ本の国の国取り合戦に終止符を打った天下分け目の大戦(おおいくさ)、大阪の陣での両軍兵力合計数の約三倍である。文字通り老若男女問わずと言ったところか、中には兵役を大怪我で引退していた片足の武士、町で大工として働いている何の変哲も無い普通の若者、道場で剣術を指南している女性、常日頃握り飯を二百は握る女将。役職も身分も年も疎らながら、全員の心にはしかと大和魂が籠もっていた。

 ここから半月は幕府も私兵も大忙し、兵糧生産力に兵糧運搬に関わる街道整備や必要数の武具の製造その他諸々。なんとここで多種多様に集めた兵達の長所が生かされた。大工は街道の整備、農家はかつて先祖が兵役に勤めていたお古の武具と自分の田畑での農産品、百姓はその町のものにしか知らぬ裏道や危険な場所の案内、女性はそんな働く者たちへの食料の支給と経費計算。これに加え、各地の親藩、譜代、外様問わず大名の力を借りることで、何とか中継地点である紀州行路までの整備が終わった。

 

 そして訪れる決戦の日、白露の候。

 この日、人類の未来を賭けた大戦の刻限が迫っていた。

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

【推奨雅楽:厭魅凄艶】

 

 

 

 

「総軍を四つに分ける?」

 

 これは半月前、各代表者たる者たちが一斉に召集されたときのことである。そのうちの一人、蟲奉行は視線の先にいるまどろんだ眼を覗かせる女性に言った。

 古びていながら内装は広くしっかりと、そして外部に漏れぬよう壁に漆喰がある禅寺。そして知らず知らずに這入れば目的地へは辿り着けぬであろう迷宮の森。なるほど、いつどこで誰が盗み聞きしているかも分からないような場所より余程いい。

 

 

 

 ――新中町奉行所中央代表・【老中】蟲奉行。

 

 ――新中町奉行所北部代表・【城主】宇練 鈴閣(れいかく)

 

 ――新中町奉行所南部代表・【幕臣】大岡 忠相。

 

 ――黄泉神社代表・【神主】凍空 こなゆき。

 

 ――鎧海賊団代表・【団長】校倉 (かなめ)

 

 ――蟲狩及び真庭忍軍代表・【頭領】真庭 参猿。

 

 ――東北志願兵代表・【当主】汽口 慚愧(ざんき)

 

 ――鑢・錆家代表・【無銘】鑢 八穂。

 

 

 

 半月後に行われるであろう大戦の代表者面々が、そこに集っていた。先の疑問の声を上げる原因となったのは、此度の『西征』を計画した九散の母、錆 八穂である。訝しげに睨む蟲奉行の眼光に、八穂は肩を揺らして諌めた。

 

「まぁまぁ落ち着いてくださぁい。正確には今集まっている代表を中心に()()に分け、蟲を四方から攻めて徐々に中央に追い込み、この日ノ本の国から蟲を根絶やしにする作戦なんですよぅ」

 

 ――言ったじゃないですかぁ、()()()()だぁって。

 

「撫で切りぞ! 根切りぞォ! 蟲ン共は皆殺しじゃあ!」

「黙れや」

「ぁひィッ!!」

 

 鼻息荒げて興奮し声を荒げる変態を隣にいた大柄な好青年が叩いて止めて見せた。相変わらず変態は場所を選ばないのである。

 ――大柄な好青年の名は校倉 要。かつて薩摩の鎧海賊団を束ねていた校倉 (かなめ)に拾われ、必が身を挺して全船団を蟲から逃がす際に団長と校倉の姓を賜った若き(かしら)である。以前蝦夷に行きたがっていた九散がちょうどいい船を持っている、と慚愧の紹介で団長たる要の存在を知り乗せてやったことがあるのだ。勿論、好青年ながら気性が決して穏やかではない要に女一人、しかも何の物資の運びも無ければ儲け話の一つも無い蝦夷に行くなんて許可が下りるわけなかった。

 だから、武力行使。

 九散一人とその場にいた鎧海賊団の荒くれの精鋭達。諸外国から来る連中と幾千もの死線を交えた船員を踏み込み一つで吹き飛ばし、要を指先一つで伸ばしてみせたのだ。要は仕方なく乗せてやったが、これを一度と言わず二度、三度と送り出している道中に船上で戦い、結局蝦夷に着くまで要は一度も九散に黒星をつけることが出来ず降ろせなかったのである。送ったら即撤退――なんかしてしまえば、当然九散は怒って要に報復するだろう。それを見越して要は九散が帰ってくるまでの間に贈り物として慚愧に船をあげる代わりに置いていき、要たちは戦闘で傷付いた船の改修工事に本部である磐木へ這う這うの体で戻ってきたのである。

 先日空から降ってきた手紙を開いてみれば驚いた。主に恐怖の傾向が強いが。脅しとばかりに『そちらに殴りこみます』と一文が書かれていて大の男として情け無い声を上げ――上げて、手紙を読んで、要は大戦の準備を始めた。

 決して脅されたからではない。

 かつて己達を守るのと引き換えに父同然であった必を失ったのは無論、蟲のせいである。父の仇を討つべく、要は鎧海賊団のみならず何度も手合わせしてきた日ノ本の国近海を縄張りとしている他の海賊団にも呼びかけ、総勢九百の兵と七十の船を集めた。

 九散に対して義理も無ければ恩も無い。だが集った理由に恐怖の感情は無く、父の敵討ちをすべくこの『西征』へ駆けつけた。

 

「んー、でもあれー? 八穂さんの言い方ですとまるで総軍がうちっちらだけじゃないみたいな表現ですよね? うちっち達を三つに分けるって」

 

 八穂の言葉に別の意味を感じ取ったのはあどけなさが残る童顔、雪女と見紛う色白の美女、凍空 こなゆきである。蟲が跋扈して百年――なんて信じられない、と同じく思っている己の同心である三途神社の巫女達と一緒に上信越の廃寺をふらふらしていたところで、こなゆきは九散と出くわした。九散曰く、同じような匂いのする者たちを感じたとあるが、行き場を無くし歴史の変遷に巻き込まれて混乱しているところを助けてくれた彼女は、こなゆきにとって命の恩人に等しかった。同じく歴史に迷った巫女達もいたが、歴史から弾き出されたような孤独感はかつて己を残して凍空一族が全滅したあの夜に近しい感覚だった。

 その後九散と共に未知の地である関東を横断し、道中不幸に遭った女性を助けては次第に巫女を増やし、最終的に遠江にあった古びた神社をみんなで改修して拠点に――みんなの『家』にしたのだ。神社の整備を終えて数ヶ月過ごした九散は神社から出て何処かへ行っては、何度か足を運んでくれた。それから数年余り経っていきなり九散からの『西征』召集の旨が届き、こなゆきは『西征』への参加を決意したのだ。

 その心にあるのは、九散への恩返し。

 九散のお陰で心の傷を癒した者たちも沢山いたことから大勢集まり、そして武芸の基礎ではあれど護身用にと嗜んでいた武術を有しているが故に呼ばれていた武装巫女集団の名の通り、手錬の巫女達総勢三千人超の兵が集まった。

 

「そぅそぅ。東軍に新中町奉行所全てと――集まった志願兵を。北軍に蟲狩さんと新生真庭忍軍を。西軍に鎧海賊団と黄泉神社の武装巫女集団をそれぞれ配置させまぁす」

「成る程なぁ、要んとこやったら船ぎょーさんあるし昔使(つこ)てた航路あるから西から攻め入れられるっちゅう寸法なわけか。よう考えてんで」

「要言うな、校倉でいい。だが八穂殿、俺達が使っていた航路はもうだいぶ古い上にその航路に蟲がいるかも分からんぞ。加えて言うならば北からの航路は地にいる蟲たちとの睨み合いになるから避けたいところではあるな、日数は掛かるがみ南からの航路が望ましい」

「だからぁ、西軍にこなゆきちゃんたちを乗せるんですよぉ」

 

 眠たげな顔で、しかしちゃんとした声で八穂は言う。その言葉にこなゆきの背筋がピッと伸ばされる。

 

「怪力持ちのこなゆきちゃん率いる武装巫女集団三千人はかなりの戦力ですぅ。これならば陸から飛来してくる蟲たちを退けられるし、飛行系の蟲ならば船にある大砲を撃つなりこなゆきちゃんでなげさせれば問題ありませぇん」

「な、投げる?」

「あ、はい。うちっちなら砲弾を投げて当てられるかもです……試したことはありませんけど」

 

 蟲奉行は驚いた。だが隣にいる大岡も顔には出していないが内心驚愕しているだろう。他の連中が驚かない辺り、改めて周囲の者たち――九散の知人が人外であることを証明している。

 

「(類は友を呼ぶ――か。いや、妾と大岡を除いてこやつらはかつて『語られざる歴史』にいた者たちと、その関係者か血筋、ということじゃったな)」

 

 どれだけ『語られざる歴史』の益荒男たちは異常だったのかと思うと思わず身震いしてしまいそうだった。

 

「北海航路を取って貰う海賊団さんには北軍である蟲狩さんと新生真庭忍軍を乗せてきて、適当に降ろしてくださぁい。まぁまにわにには海流を操れる程度の忍くらいいるでしょぉから問題ないでしょぅけど」

「まぁいるっちゃあいるなぁ……っちゅーかなんでそないな忍法持っとる忍のこと知ってんねん」

「私には全てが()()()んですよぅー。この程度くらいちょちょいのちょいやっさーです」

「なぁ、俺もう寝ていいよな? 出来と覚えの悪い弟子につき合わされてるせいで碌に寝れてないんだが」

「だーめーでーすぅー」

「満足できねぇぜ」

 

 そう言って、観念したかのように鈴閣は胡坐をかいて寝るのを止めた。だが完全に眼が寝ているのは八穂も同じである。ある意味似たもの同士だ。鈴閣はそのまま不満げな面を八穂に寄越し、 

 

「一つ気にかかるんだが、なんで東側にそんな戦力を集中させてるんだ? 俺等奉行所の連中の力舐めてんのか」

「そうですねぇ、半分正解半分不正解でぇす。確かに東軍に戦力を集中させてますけどぉ、東軍は攻めであると同時に守りであって、東へ蟲を一匹たりとも逃がす訳にはいかないからなんですぅ。ホラ、守るものが背中にあるほうが頑張れるでしょ?」

 

 ――ましてや家族がいるんなら、嫌でもね。

 

 そう言う八穂の顔は酷く穏やかだった。穏やか過ぎた。だが、眠気を感じるその細く開かれた瞳は残酷と非情を覗かせていた。

 

「……(さんかく)ですね。各軍を三つに分ける話は分かりましたが、南はどうするのです? 全ての蟲が海を渡れるかは知りませんが、三方から攻め込んでぽっかりと開いた南側から蟲を取りこぼしてしまいますよ。ならば海上戦が得意な賊方めに任せるべきでは?」

「それなら心配には及ばないですよぅ」

 

 待っていましたとばかりに、八穂がにんまりと笑顔を浮かべた。

 

「南軍はそこで気絶してる変態さん一人に任せるつもりですからぁ」

「「「は!?」」」

 

 今、禅寺内にいる変態を除く六名の心が見事に合致した。別に合致してほしくないことではあるが。

 

「え…ええええええええええぇぇええぇぇぇぇぇぇ!? 八穂さん本気ですか!? うちっち的には冗談であってほしいんですけどッ…!!」

「俺的にも反対だ。確かにいくつか兵力を割けば問題ないんじゃないか?」

「せやで! なんならウチの秘蔵の忍達も出張らせるから!」

「少なくともこんな変態には任せられんな。やるなら徹底的に、だ」

×(ばつ)×(ばつ)×(ばつ)です! そこが貴女の計画の一番の穴ですよ!!」

「いま一番八穂殿を不安に思ったぞ……」

 

 つい先ほど前までの緊張張り詰めた中での会話が嘘のように、全員が心配して各々反論を述べる。だがそんな中でも八穂は眠たげな顔のままだった。

 

「大丈夫ですよぅ、だって彼は特攻みたいなものですからぁ」

「「「(なんだ生贄かぁ……)」」」

 

 ホッとした。気絶中の変態には悪いがその命は粉骨砕身で散って貰おう。だが安心するといい、その犠牲は(多分)無駄にはならないだろうから。

 

「……じゃなくてですね!?」

 

 ここで一番の常識人である大岡がホッとしかけて我に返った。だが八穂はそれをただ流すばかりで一向に応えようとはしない。まるで、別の真意があるような――

 

「さぁて、あらかた計画は話し終えたけどまだ質問ある人ぉー」

「……八穂殿」

「なぁに? 蟲奉行様」

 

 こてんと首を傾げる。その様はもう話し終えたから寝ていいよね? と暗に言っているような気がした。

 

「……その、解散してしまった奉行所があるのだが、それは数には」

「入ってないわ」

 

 きっぱりと。

 今日一番の――いや、その場にいた誰もが想像だにしないような声色で、八穂は言った。一気に禅寺内の空気が重く、圧し掛かる。大気が震え上がり壁が軋む。吸い込む空気が無くて喉が涸れてしまう。空間を一瞬で支配し変えた八穂からは、僅かに神気のようなものが溢れ出ていた。

 

「幕府側で認めた者たち以外、此度の『西征』に参加することは赦されない。そもそもその奉行所は全員戦力外通告が出ている筈でしょう、ならばなおさら」

 

 そう言って、八穂は絶対零度の如き冷めた眼で蟲奉行を捉えた。これが人が浮かべる表情なのか――何の慈悲も、何の憎悪も、何の諦観も、何の気概も籠められていないような断罪の眼光は蟲奉行の心を鷲掴みにした。

 

 

 

    「この大戦に、戦う力と意思を持たぬ者は邪魔なだけ」

 

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 

「……妾が、甘かったのかもしれん」

「は? 何か仰いましたか?」

「いな、なんでもない」

 

 いま蟲奉行がいる城の主である徳川(とくがわ) 宗直(むねなお)が心配そうにこちらを伺っている。だが心配は無用、とその旨を伝えて窓際へ歩んで空を見上げた。漆黒に染まったその夜空を仰ぎ、かつてその空で沢山の華を咲かせそれを共に見た者を思い描く。

 彼は、江戸に残してきた。

 まだ修行中だと言い張り颯爽と駆け抜けていったその背中が、蟲奉行が見た彼――仁兵衛の最後の姿だった。血汗を流してまで取り組む仁兵衛の修行は、それは確かに日ノ本一の武士になる為の鍛錬かもしれないが、なによりこの大戦『西征』にある筈だ。なのに、刀を振るうどころかその参加さえ赦されていない。こんな理不尽があっていいのだろうか。

 

「いや、これで良かったのかもしれんな」

 

 そうだ、これで良かった。これで良かったのだ。大戦になんか出て下手に戦死してしまったら、仁兵衛の夢が叶わなくなってしまう。それは仁兵衛が戦に出れないことよりも胸が締め付けられるような苦しみだ。彼が、仁兵衛が死んでしまったらなんて考えられない。気が狂ってしまいそうだ。

 

「! ………いよいよか……」

 

 東の地平線に、太陽が顔を出し始めた。地平線から覗く太陽光が蟲奉行には眩しく、つい手で眼を覆ってしまいそうだ。 

 日の出が、作戦開始の合図。

 宣戦布告なんてしない。太陽の全体が地平線から姿を現したそのときこそ開戦の号砲だ。西日本を四方から全戦力で襲い、次第に包囲網を狭めて巨大な繭が存在する大阪城まで追い詰める。

 各地から、益荒男たちの雄叫びが上がった。遂に、開戦だ。

 

 

 

 享保六年 葉月 白露の候

 

 

 日ノ本の国の明日を決める戦いが、始まった。

 

 

 

 

 

 

 




 微妙にアニメと情報を混在してます
 いやぁしかし宗直さん=ハンネス=ヒロシの声合い過ぎ
 加えて真田=トム・クレノーズさんジャスト過ぎてダメェ!


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二十七太刀目


 えぇ一週間も更新できず申し訳ありません(ぺこり)
 お盆は家族で関西、一日目に出雲、二日目に大阪、三日目に京都と三本尽くしで楽しんできました。くわしくは活動報告でいずれかのサイトに書くかと思われます
 お盆旅行もとい、最後の家族旅行終了後もお目付け役の兄が未だにわが家に居座り、さらに週末には検定もあるからいろいろとどたばたな日々です。おまけにバイトも復活してしまいましたからさぁ大変、休み寄越せ俺正社員じゃないんだぞ
 そんなわけで、大変お待たせしました最新話『西征篇』前半、どうぞ






 

 

 

【推奨雅楽:我魂為君】

 

 

 ――東軍。

 此度の『西征』において『攻め』と『守り』のどちらもをこなさなければならないのが東側に配置された兵達である。最も兵力を集めた方角であり、最も蟲達を侵攻させない方角。なぜならば彼等の背中には蟲共の猛威に怯える彼等の家族達がいるのであり、まさに背水の陣であることに他ならない――心理的作用として通常の責務に倍の働きをしてくれる、と八穂は言っていた。『西征』よりすこし遡った話ではあるが、『西征』が行われ『東の防壁』と名高い紀州藩に到達するまで行進した全軍で道行き跋扈する蟲共を皆殺しにしたのである。もとより蟲撲滅を掲げた『西征』、江戸から本州の太平洋と日本海を一直線に並ばせる長蛇の列で行進し取りこぼしの無いように関東、中部、東北――東日ノ本全土における蟲を根絶やしにした。これにより軍隊の背後から奇襲されない、東日ノ本にいる家族が安心して暮らせる、『西征』への肩慣らしという三つの利益を得たのだ。

 当然、幾度と無くその猛威を目の前で見てきた、立ち向かってきた一般人とはいえどまだ蟲退治に慣れた訳ではない。ならばと手始めに未だ東日ノ本に跋扈している蟲共を片付けられる程度の気概でも見せねば、人ではなく蟲が棲まう魔界である西日ノ本へ攻め入ることは出来ないであろう。故に、特に農村や町人など一般から来た志願兵や新米の町奉行所の侍達を向かわせ、夢久・影忠・忠相・鈴閣の監視下の元になんと犠牲者無しで事を成し終えた。

 東日ノ本の蟲撲滅ということで一気に祝杯を上げんと盛り上がりを見せたがあくまでも本命は『西征』。つまり日ノ本の国全土の蟲を根絶やしにするのが目的であることに相違ない。従って祝杯は全てを終えてから、と将軍吉宗公が進言し皆は明日に備えた。

 そして、翌日。

 朝日と共に『西征』が幕を開けた。

 

 

 松坂和歌山城の門を開錠し飛び出した兵は一気に北上する。現在蟲共が支配している地の境界線は畿内の摂津・和泉・河内、山陰道の但馬・丹波、そして彼等がいる南海道の紀伊である。総勢九十万の全軍を更に三分割しそれぞれの藩に設置された対蟲進入防止用に組み込まれた防柵をくぐれば、そこは人外魔境の蟲の国。封鎖されて以来二度と開かれることは無いであろう防柵の門を持ち上げれば、幾重にも重ねられた城塞級の蟲でも突破できない程の分厚い壁がせり上がり、大人数十人が並べるほどの門が開く。

 

「うおおおぉぉぉっぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」

「お前ら気合入れていけやぁオラァ!」

「最後決めた奴が討伐数入れるって規則忘れんなよ!? あ、でも全員手加減とかすんなヨ!!」

「一番殺しつくした奴が千両だぜ死ぬなよ!?」

「ああそうだ、帰ってさっさと酒飲もうぜ酒!」

「ええい小童共真面目にやらんか!」

「一匹残らず殲滅せしめろォ!!」

「これ終わったら…俺、告白するんだ…!」

「ひゅーひゅー! 全員で祝言上げてやるぜヒャッハー!」

「ってお前まだ告白段階なのかよさっさとくっついちまえよ!」

「これが終わって生き残れたらなぁ!」

 

 ――志願兵と奉行所の侍達を胡麻塩のように軍に織り交ぜて突撃。

 

「飛行型の蟲共を優先的に撃破しろ! 味方に当てようとはするなよ!!」

「了解!」

「砲撃よぉ――いっ!」

「俺の震える手が引き金を引くぜ……!」

 

 ――その補佐をすべく防護柵越しに夢久が率いる寺社見廻り組を中心とした砲撃部隊が砲撃。前線を広げつつ砲台ごと前進させる。

 

「だりぃしここじゃ星なんぞ落としたら迷惑か……あーだりぃ。だりぃけど蟲を()()()方がだりぃから――目障りだから、逝ねや」

「大×(ばつ)ですね。貴様等の相手は私ですよ害蟲共」

「蟲ケラどもがぁ……! ここがお前等の墓標だ、わが剣の前に沈むがいい!」

 

 ――万が一一般の兵でも手に負えない大型蟲が現れた場合、北奉行所率いる鈴閣、南奉行所率いる忠相、武家見廻り組率いる影忠達が率先して討伐。

 三段重ねの策を弄し、蟲共を殲滅する。

 

「まず我らが目指すは巨大繭がある大阪城! 前進あるのみッ!」

「全員、生きて帰って来いよぉっ! 生きるのを諦めるな、逃げるな!」

「「「おうっ!!!!」」」

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 

 ――西軍。

 蟲共が最も跋扈している地、畿内から最も離れた地である西海道を薩摩に縁を持つ鎧海族団達が担当つするのは至極当然の流れと言えた。築州、豊州、肥州、日州、薩州、対州、壱州の七つの国を擁する本州から切り離された島国は現在の江戸幕府でもその全容を把握仕切れていない。否――記録は残ってはいるのだが、蟲共に支配されて百年余り経過した今となってはいくら万全を期して向かったとしてもとても攻略は出来なかっただろう。特に、近年江戸幕府は外海からの脅威よりも陸地に棲まう蟲共の討伐に勤しんでいたわけであって、海上戦を得意とする水軍を持っていなかったのだ。

 ならば――得意な連中に任せるのが無難であろう。海の略奪者と言えども、蟲によって日ノ本の国が滅んでしまえば奪うものも無くなってしまう。ここは一時停戦を張り、あくまでも人間と蟲との全面戦争に臨むことで互いの利益を獲得しようというのだ。海を支配する賊と太平を築く幕府が手を結んだのは前代未聞の出来事であった。

 道中北軍の船を切り離して西海道に西海をぐるりと囲むように、鎧海族団の大船団計七十隻が海上で配置していた。陸地からは既に蟲共が暴れまわっているのが海岸線から見え、数里も前進すれば大型の蟲ならば噛み付けるほどの距離である。

 

「おーおーおー、もう夜明けかぁ」

 

 背後から陽光を浴びた鎧海賊団団長こと校倉 要は自慢の鎧甲冑を着込んだまま腕を組み、仁王立ちで船首に立つ。その方角こそ要の因縁の地・薩摩であり、団長である彼自らが最も攻略困難かつ超長距離である薩摩から一番槍に攻め込むのである。

 手始めに肥州、薩州から攻め入り徐々に東へ詰め、西海道の蟲を殲滅したら残っている船と蟲の死骸で長州へ橋渡しをして東へ突き進む計画だ。道中海上からの砲撃を頼りに陸地を支配するのが最も困難と言えるが、そこは彼等と共に来た武装巫女集団の出番である。

 仁王立ちする要の後ろから、ひょっこりと黒白の巫女服を羽織った色白童女――凍空 こなゆきがにんまりと笑顔を覗かせた。

 

「あららららら要お兄ちゃん、そろそろうちっちらも準備しなくちゃですかね?」

「おぅ……いやしかし、激しく心配なんだがその……本当にやるのか?」

「はい!」

 

 えらくいい笑顔で言いやがった。

 『西征』を――ではない。もとより要は義父である校倉 必の仇を討つべくしてこの『西征』に参加したのだ、今更及び腰になっているわけではない。では何故、鎧甲冑を着ているのに分かるほど動揺しているのか。

 

「だぁって、ほら…八穂さんが言ったじゃないですか。これが接岸しないで有効的に攻め入れられるって」

「そうなんだが……いやそこで流されちゃあいけない様な空気なんだが……」

「じゃあいっきまっすよー」

 

 悶々と悩んでいる内に、後ろから鎧ごと要を()()()()()。その光景におおっ、と後ろから歓声が上がる。同時に要と同じように鎧を着込んだ船員が腰を引かせているが、背後に立つ巫女に捕らえられていた。

 

「うっわ…ホントに持ち上がったよ…」

「団長の鎧は特別製なんだぜ? その重量をなんとまぁ…」

「ヤベ、早速俺ブルってきたわやめていい?」

「大丈夫、全員私達が逃がしませんから」

「鬼待遇だマジやめてぇー!」

 

 背後から徐々に船員達の阿鼻叫喚と巫女達の妖笑が木霊する。蟲と戦う前から危機に追いやられている気がする。

 

「案外軽いですね要お兄ちゃん。まぁ砲丸よりは重いかもしれないけど」

「あーあー…段々怖くなってきた。こなゆきさんよ……今から普通に攻め込むってアリでいいか?」

「無しです」

 

 きっぱりといい笑顔で宣告されたと同時に、鎧甲冑を纏う巨体の要は()()()()()()

 

「うぅおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」

「がーんばってくださいねー!!」

 

 こなゆきの手で投げられた要は天高く舞い上がり、やがて放物線を描いて落下していくと落下地点に蟇盆(たいぼん)に蠢く蛇の如く群れを成して跋扈していた蟲共を押し潰し、無事に薩摩の地へ着いた。

 至極簡単なことだ。こなゆきの腕力によって海上から兵を投げて送り出し、陸地の蟲共を粗方片付けてから海岸の安全を確認して接岸、総勢約四千という東軍の次に多い大軍を安全に陸に上がらせ進軍させるのが今回の作戦である。

 原則として、今回の作戦は発案した八穂が誓約として道中作戦配置につくまでにこなゆきが()()()発射させた砲弾が全て蟲を撃ち落していなければ通常通り砲撃で牽制しつつ接岸し各個攻め入る作戦になっていた。だが今回は珍しく気合を入れたこなゆきのありがた迷惑な行動によって船団に近付く飛行型の蟲を全て撃ち落してしまったがために、今回の作戦は決行せざる得なかった。

 

「さぁて次の人、いっきますよぉー!」

「嫌だァ! 俺、普通に蟲ぶっ殺してぶっ殺してぶっ殺すから投げるのだけは止めてェ!!」

「大丈夫ですよ、落下してたら十体くらい潰してますか―――らッ!」

 

 ぶぉん、とおおよそ色白童女の細腕が鳴らすとは思えないような振り抜く音と共に次の鎧甲冑を着込んだ男が投げ出された。先陣を切って部下達を安心させようと、団長である要自らが一番に投げ飛ばされる順番であったが――実に逆効果であった。

 

 ――余談ではあるが、今現在『西征』に備えて要達が着用している鎧はいままで着用していた鎧と全く異なる。半月前に行われた会談後、真庭 参猿の提案により四季崎 記紀のキチガイ技術をふんだんに盛り込んだ鎧を売り込みに掛かったのだ。要はしばしそれを拒否していたが参猿が次々と挙げる性能に眼が眩み、遂に真庭忍軍特製鎧甲冑合計七十着を買い取ってしまった。なんと、『西征』を無事に終えたら代金は要らないとのことだ。業腹である。

 だがここで、一つ思い返して欲しい。

 金にがめつい真庭忍軍が見返りを求めないなんてことはあるだろうか。鎧が頑丈さよりも空気抵抗を軽減する流線型に作られている点、高所から落ちても中の人には衝撃が来ない点、腰の辺りに鎹状の取っ手がついている点を見れば、おのずと参猿と八穂が結託しているのが分かるだろう。

 

 ――男は、弾幕張ってればいいのよ。

 

 扱いが酷すぎである。 

 

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 

 ――北軍。

 山陽道と山陰道の一部を任されたのは『語られざる歴史』から生き残り、尚且つ先代とは全く異なる変革を遂げた新生真庭忍軍とこの時代における蟲殺しの専門家である流浪の戦闘集団蟲狩だ。西軍の船を借りて配置に付くものの、船の数は五つにも満たないほど少数である。西軍のように大軍に大軍をぶつけて蟲を殲滅するのではない上に、担当する範囲だけで言えば一番広いのである。戦力の多さで言えば東軍、西軍、北軍の順であり幕府側の見解では最も困難とされている。

 だが、それはあくまでも幕府側の見解であって本作戦の発案者である八穂は最も早く片がつくと予想しあらかじめ殲滅し終えたら二手に分かれて攻め入る算段までつけている。なぜならば―――

 

「あややややややややや、海岸線にわんさかいますよ。あたしの黒い旋風(つむじかぜ)でも一掃は無理ですねコレ」

 

 船の上空、人間にはまず無い黒い翼を羽ばたかせる少女は、手元の紙に筆で山陰道の石州辺りの蟲の配置図を記帳しながら呆れ気味に方を揺らす。

 ―新生真庭忍軍真庭(くろ)組頭領・真庭 文丸(あやまる)

 蟲共と並んで人外魔境の妖怪の国から来たとまことしやかに囁かれている少女である。背中から生えた黒翼を羽ばたかせて自由に滑空するその姿はまさしく鴉天狗。真庭忍軍の中でも情報収集と現状確認を担当する文丸だが、小さな旋風一つで蟲を一刀両断出来る点から足手まといになることはまず無い。

 

「また文様はあんな高く舞って…もう少し落ち着いて欲しいものですねってと……直進すれば最低でも大型蟲五匹の手で接岸は阻まれるでしょう、ここから二里西側と一里五分離れた出雲の先の島ならば上陸は容易いかと」

 

 船首に立ち親指と人差し指で作った輪を覗き込むは白髪の少女。的確に指示を送り、上陸先の変更を伝える口調には一分の迷いも無い。

 ――新生真庭忍軍真庭烏組頭領・真庭 走犬(そうけん)

 椛の盾と刀を背負っているいかにも時代錯誤な格好ではあるがなんといっても眼に惹くのは頭に生えた耳。彼女も上空で自由気ままに空を舞う鴉天狗と同じ妖怪、白狼天狗と言われている。千里先まで見通す程の能力を持つと言われている彼女も同じくその能力から情報収集役に抜擢されている。だが当然ながら妖怪であるからでして、天狗の中でも随一の剣の腕を持つ走犬にとって蟲との相手は難しくない。

 

「ふむふむ出雲の離れ小島と西側ね……えーっと、蟷螂っぽいのと百足っぽいの。あと…蜂? 蚊? 分かりづらいわね、あとで蟲狩の人に聞こうっと」

 

 走犬の指示を聞いて船板上に敷いた紙に地名を書き記す。すると書いた地名の上に空いた余白に蟲の絵が克明に写し出された。何も無いところからじわりと浮かび上がる黒の墨汁がその地周辺にいる蟲共の全容が映し出されるなんて、まるで妖術だ。

 ――新生真庭忍軍真庭烏組・真庭 海姫(うみひめ)

 唯一三人の中で最も人間らしい人間の容姿をしており共通点といえば奇妙な帽子(頭襟(ときん))を被っている点か。しかし当然ながら海姫も二人と同じく妖怪の類であり文丸と同じく鴉天狗ではある――が、戦闘力は皆無である。だが文丸や走犬とは違い得た情報を紙媒体で絵として抽出出来る術は重宝されており集団戦闘においては遺憾なく効果を発揮する。なぜならば蟲に関する知識があまり無い真庭忍軍でも絵を蟲狩達に見せればその蟲が何なのかが判明し、効果的な対抗策を練れるからである。

 

「相変わらずあの三人は気楽よなぁ、物見遊山のつもりか」

「さてね、だが我等もそろそろ出陣さ。今のうちに用意するさね」

「私はもう行くぞ。海ならば私の領域だからな」

 

 ――新生真庭忍軍真庭(れい)組頭領・真庭 青龍。

 ――新生真庭忍軍真庭霊組頭領・真庭 白虎。

 ――新生真庭忍軍真庭霊組頭領・真庭 玄武。

 青、白、黒と三色揃いそれぞれの名に乗っ取った意匠を身に着ける三人は新生真庭忍軍でも創始者である真庭鵺組よりも古い。なぜならば彼等こそ、『語られざる歴史』に存在していた真庭忍軍の生き残りであり最古参なのだ。

 青龍、白虎、玄武とくれば大陸の伝説上の神獣、四神四獣を思い浮かべるだろう。日ノ本の国でも平安・平安京は四神相応の都といわれておりそれほど歴史は深い。東の青龍、西の白虎、北の玄武――とくれば、彼等の中にいないのは南の朱雀。そう、朱雀は真庭忍軍では永久欠番となっているのである。それもそのはず朱雀に位置する人物は『語られざる歴史』において殺されてしまったからにほかならない。元来、朱雀はもとより空想上の神獣とされているが朱雀は今でも、他の神獣と同一視されている。それは――鳳凰。

 それこそ、真庭忍軍十二頭領の中でも唯一神と謳われた男――真庭 鳳凰なのである。

 

 新生真庭忍軍真庭(ぬえ)組『三感(さんかん)参猿(まいざる)』『死釣(しづり)海蛇(うみへび)』『爆炎(ばくえん)貒狸(みだぬき)』。

 新生真庭忍軍真庭(おに)組『奔放(ほんぽう)青鬼(あおおに)』『乱神(らんしん)赤鬼(あかおに)』『創界(そうかい)牛鬼(うしおに)』。

 新生真庭忍軍真庭(くろ)組『虚偽(きょぎ)文丸(あやまる)』『千里(せんり)走犬(そうけん)』『迷画(めいが)海姫(うみひめ)』。

 新生真庭忍軍真庭(れい)組『蒼帝(そうてい)青龍(せいりゅう)』『地神(ちしん)白虎(びゃっこ)』『矛止(むし)玄武(げんぶ)』。

 

 これにて、真庭忍軍最高戦力が整ったのである。少数精鋭ながら間違いなく全員が人間の枠を踏み外した超人であることに代わりは無く、だからこそ八穂は真庭忍軍と蟲狩合同軍である北軍こそ最も最初に攻略せしめる軍であると確信している。

 

「しかし鳳凰殿も惜しかったのよな、もし生きていればこんな愉快な戦で金を手に入れられたと言うに」

「そうさね、だがまさか歴史がこんな風に変遷してしまうとは思わなかったさ。忍法・命結びで散々延命し続けた甲斐があったってもんさ」

 

 忍法・命結び――それこそが、彼等に神獣の名を名乗る名誉の証だ。真庭 狂犬のように精神を永遠に伝達することで生き永らえるのではなく肉体的に生き永らえるというある意味邪法に近いそれは、忍の世界でも禁忌の術であった。永遠に生き続ける不死の忍を目的として術の奪い合いが起きてしまっては世の摂理が狂ってしまうと判断した真庭忍軍創世記の狂犬、朱雀、青龍、白虎、玄武はあくまでも表立つ存在を真庭 朱雀から名を改め真庭 鳳凰と名乗り、残りの三人は真庭忍軍の栄枯盛衰を陰から見守り、伝承し続ける忍の忍になったのだ。

 

「あれ、真庭霊組のお二人さん」

「おお、参猿殿か」

 

 すると二人の前に参猿が落ちてきて看板に着地するなり辺りを見回す。此度の戦における助力を乞い、代わりにこの戦の指揮を任された彼女こそ、『語られざる歴史』から消えかけた真庭忍軍の希望だ。

 

「おや、まだ霊組は全員揃って無いんやね」

「む? いや……」

「玄武殿ならここに……」

 

 二人は振り返るが玄武の姿はどこにも無い。そういえば、途中から会話に参加していないことに気付いた。三人は玄武の暴れん坊加減を思い出し戦慄し、丁度海岸で爆音が聞こえて嫌な予感が的中したことを悟った。

 

「何事や!?」

 

 取り合えず分かりきってはいるが叫ぶ。すると蟲狩の一人である蜜月が走ってきて息を荒げながら言った。

 

「アンタんとこの黒い忍がすいすい海泳いで殴りこみに行ったんだよ! 百姓一揆じゃないのよ畜生!」

 

 ああ、やっぱそっかぁ。

 大体分かっていたので三人は冷静に対処した。玄武とはその名の通り亀――臆病で、いつも殻に籠もって外敵からの攻撃に耐える生き物ではあるが、真庭 玄武はなぜこんな奴に玄武の名を賜ったのかと思えるほど好戦的で野蛮な男だった。例えるならば、亀が甲羅を脱ぎ捨ててその甲羅で外敵を殺すといったところか。

 

「え~…じゃあ、戦闘開始っちゅうことで。海蛇、鎖で陸地と繋いで乗り込むで」

「はいッ!」

 

 忍ばない忍、それがいつもの真庭忍軍。

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 

 ―南軍。

 以下省略。

 

「いやいやそれ無いだろ!? こんな広地に一人だけとかもっと言うことあるんじゃね!?」

 

 と、ぐんと呼ぶにはあまりにもお粗末なまさに孤軍、ぼっちの南軍として南海道の阿波、伊予、土佐、讃岐の四つの国を連ねる本州とは切り離された島を担当とするのが――変態剣士、汽口 慚愧(ざんき)である。

 此度の戦における唯一の欠点であり汚点とも言えるのがまさに南軍。だが和を乱し混乱させるような足手まといの元凶を一人だけ別の配置に付かせるのが最善と判断した八穂は正しい。確かにコイツはウチに来て欲しくない、と半月前の作戦会議で全員が感じた。

 

「あーあ。ったく…死ぬ前に九散ちゃんでヌキヌキポンしたかったぜ……俺、これが終わったら結婚するんだぜ! なんて死ぬ奴が言う台詞だよなぁ」

 

 人はそれを死亡旗と呼ぶ。返答してくれる人さえいない事実が一層慚愧の気持ちを急降下させた。南海道の南の海にぽつんと浮かぶ一人乗りの一艘の船の上で、慚愧は溜息をついた。

 

「暇だ暇だ暇だ……なんでこんな目に遭うんだろうなぁ……」

 

 こつん、という音と共に船先が岩場とぶつかる。落ち込み肩を落として木刀を担ぎ、ぶつぶつ言いながら慚愧は岸へ乗り込む。一歩足を踏み入れた瞬間――島中の蟲共が彼の存在を感知し一点に集結し始める。し

 

「だから一人ぼっちはやなんだよなぁ…だってさぁ」

 

 二歩、三歩と歩くごとに比例して慚愧の周囲一帯に蟲が集まる。だがそれに気付いているのかいないのか定かではないが、慚愧は俯いたままとぼとぼと歩く。そして丁度十三歩目を踏んだそのとき――取り巻いていた蟲共が一斉に慚愧へと喰い掛かった。何十もの巨大蟲に埋め尽くされて慚愧の姿は見えない。

 

「手加減が、きかねぇもんな」 

 

 だが、群れを成して殺到する蟲の山から聞こえる声が、彼の生存を告げていた。同時に蠢いていた蟲共の動きが静止し、次の瞬間には額から尾まで一直線に罅割れ慚愧を喰い殺さんとする蟲共を全滅させていた。木刀を握る手は今の一撃で既にボロボロで血が溢れるが、断続的に、そして常に彼の全力を出し続けるのが彼の戦い方である。蟲共の体液で濡れた木刀をぶんと振り回して払う。そして再び肩に担ぎ、死骸に成り果てた蟲を足蹴に様子見として取り巻いていた蟲共を眺めた。

 

「九散ちゃんとのきゃっきゃうふふでにゃんにゃんにゃんな人生を送る為に――お前ら全員鏖殺してやる」

 

 ――彼は、()()()()()彼の地にたった一人で送られてきた訳ではない。むしろ、誰かの邪魔さえしなければ本州から切り離されたこの島を制圧出来るほどの実力の持ち主だからこそ、彼は一人で蟲共を相手にするのである。

 孤影悄然。

 孤軍奮闘。

 一騎当千。

 誰かといれば誰かの足を引っ張ることしか出来ない変態侍は、一刻も早く一人という状況から脱却すべく全身全霊で蟲共と対峙した。

 

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 

【推奨雅楽:修羅残影・黄金至高天】

 

 

 

 蟲共が巣食う日ノ本の国の西側の総本山、巨大な繭に占領された大阪城内で一人の男が腰掛けていた。

 燃え猛る炎のような真紅の髪。紅の衣を身に纏い、左頬に己が掲げた六紋銭の旗印を刻むその姿は見紛う事なき英傑・真田幸村である。かつては武田信玄に仕えし国衆であったが、織田軍との敗北を機に織田信長に降る。後に上杉の下にその身を引き取られ紆余曲折するも大名として独立し、豊臣家の下へ降った。過去の彼の戦歴は凄まじいものであり、其れ故の武勲によって広まった知名は計り知れず遂に『真田十勇士』たる精鋭まで手中に収めたほどである。

 だが彼は、今世の時代を気付く分岐点であった大阪夏の陣で落命したはずだ――ならば何故、彼は因縁の地である大阪城の座椅子に、優雅に腰掛けているのだろうか。死人であれこそ足はある。それだけではない、彼の体は人間のそれよりもむしろ蟲のような強固な素肌と緻密な間接、そして鋭利な四肢が存在していた。

 『蟲人(むしびと)』―――人間達は彼らをそう呼んでいる。

 蟲の肉体をもってして蘇りし死者。歴史に呑まれたはずの敗残者。生きている訳が無い英傑。そのような存在が、何故――

 

「幸村様」

「なんだ」

 

 ふと、座椅子の傍らから唐突に、そして何の前触れも無く声がした。だが瞼を閉じ眠りに入っていた筈の幸村は何一つ動じること無く返答する。足音も無く近付いてきたのは彼の部下、真田十勇士の一人であった――由利鎌之介である。

 否、蟲の肉体となっている今となっては『真田十傑虫』というべきか。蟷螂のような姿をしている彼もまた、蟲人であることに相違ない。

 

「猿飛佐助からの情報です、人間共が一斉に我らが棲まう地へ攻め入りました。東の地は拮抗状態ですが北、そして西の地は徐々に押されつつあります」

「――そうか」

 

 フン、と愉快そうに鼻を鳴らした。傲岸不遜、そして高慢に、しかしその仕草一つだけでも鎌之介は目を奪われる。まるで荘厳なる御神のような黄金の後光は彼が蟲の中で特別な蟲人とは一線を引いて上位の存在であることに他ならない。鎌之介ら真田十傑虫のみならず日ノ本に跋扈する全ての蟲共は、この真田幸村という名の獅子の髭に過ぎないのだ。絶大なる魅力を持つ男こそ、蟲共を統べる王なのだから。

 

「いや、私は王ではない。あくまでも我らが王はまだ眠っている」

「ッ……申し訳ありません、失言でした」

「いや、良い」

 

 そう言うと彼はゆっくりと座椅子から腰を上げる。組んでいた足一本を振り下ろしただけで、僅かに室内の装飾品に皹が入ってしまった。周囲の装飾品は劣化してなおその芸術性を失っていなかったがその芸術性は幸村を前にしては霞んでしまう。だが――否、だからこそ装飾品は刹那の輝きを見せて崩壊する。

 

「そうかそうか――遂に、人間共が攻め込んできたか」

「はい――それも、かつて無い大部隊です。いかがなさいますか?」

「変わらんよ」

 

 羽が開く。その拍子に部屋中に風が吹き荒び、家具は荒れ装飾品がすべて砕け散った。幸村は尚も目を閉じたまま腕を組み闊歩する。

 

「何も変わらぬ。我らが人間の頃よりやってきたこととも、我らが死に冥界でやってきたこととも、我らが今一度現世に黄泉還りこの蟲の肉体をもってしてやってきたこととも。嗚呼、いつの世も世界も変わらぬ。人と世は儚くも脆い。だが崩れ去るその一瞬こそ最も美しくそして光輝いているのだ。故に愛しい。なんと愛しく愛して止まぬのだろうか――卿も、そうは思わんかね」

「その通りです、わが(あるじ)

「ならばわかっておろう。我が軍靴に降りし真田十傑虫よ――丁重に持て成してやるが良い」

「「「ハッ」」」

 

 虚空から鎌之介以外に九人の声が響き、そして瞬く間に気配は消失する。鎌之介も同様に目にも映らぬ速さで城を出て、戦場へ向かった。彼らの楽園、幾戦もの血が流れる王道楽土たる戦場へ。

 

「嗚呼――」

 

 そうして誰もいなくなり、幸村は羽を動かす。一度目の羽ばたきと同時に大阪城の一部が爆破し崩れ去り、二度目の羽ばたきで粉塵と土煙を消し去りふわりと宙に浮かびその身を躍らせる。

 眼下に浮かぶは四方から燃え上がる戦火の炎。血湧き肉踊る闘争と混沌に満ちた戦場を肌で感じ取り、全身を焦がしかねない甘美なる感覚に歓喜し、漸く幸村は瞳を開いた。

 光り輝くは黄金の瞳。この世界で唯一覇道の頂点に立つ男は真紅の髪と漆黒の羽を携えて大阪の空に君臨した。

 

「私は全てを愛している」

 

 

 

 

 

 





 はい、いろいろとはっちゃけました
 まず東○キャラ。名前を逆さにするとあら不思議。本作では江戸に時代より生きし妖怪という設定です……天狗と鬼って仲いいからまちがってないよね?
 次に…プロットではこんなんじゃないつもりだったんだけど漫画でキャラ的に見て脳内修正、更にアニメ見て完全修正といったところですか。いやぁ真黒兄さんも夕方アニメに出るなんて出世しましたねぇ……元はエロゲ出身(だったような……)なのに(笑)
 


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二十八太刀目

 感想少なくても書くよ、八月中に完結させるよ
 なんだか九月こそ大学生の夏休みの本懐だからって毎日バイト入りそうで内心ビクビクしてます
 そんなわけで、最終話にの二話手前。怒涛と動乱と混沌入り混じったちょっとどころかかなり詰め込んだ感と酷い文体になってますがどうぞ






 

 

 

 

【推奨雅楽:禍津血染花】

 

 

 

 ――戦況が変わり始めたのは、まさに天が血のように真っ赤に燃える紅蓮の空を彩った夕刻だった。

 天が夕焼けの茜色に染まり、まるで鏡合わせの様に西日ノ本の大地が人と蟲の死体と鮮血で埋め尽くされる。

 全軍が物量作戦と策を弄して快進撃を始めて約半日、少数部隊である北・西・南を除いた東軍は後部の部隊と交換し医療部隊による休息と治療によって疲労した肉体を癒し、その応酬が三回目に突入したときのことだ。先端を開いていた最前線部隊が漸く遠目で旧大阪城の視認報告を伝えた矢先――伝達が途絶えた。

 これに気付いたのは東軍部隊の影忠だった。

 

「む……?」

 

 百足型城塞級巨大蟲の脳天を砕いたところで進行方向を見下ろせば、進行中の大阪城方面に進んでいた筈の地域に兵がいないことに気付いた。そして別の一角で血溜りが大地に池を形成しているのを見て戦慄した。

 その中心に、限りなく人に近い大きさの蟲がいるところを目撃して。

 

「(馬鹿なっ……!? あの範囲は確か、三千の兵がいた筈だぞ!! それを我が少し目を離した隙に……!!)」

 

 影忠の脳裏に率いてきた兵達の顔が過る。その中には影忠がいままで共に戦ってきた武家見廻り組の同心もいた。だがそれと関係なく率いてきた者達とは『西征』という戦への戦友として仲良くやってきた。緊張を解すべく冗談を言い合ったり、帰ったら酒呑み明かそうぜ、とか後で呑み比べしようぜ、とか戦後の話に華を咲かせた。その同胞の笑顔は、もう見ることができない。

 

「くっ…!!」

 

 怒りに身を任せて飛び掛ろうとする衝動を抑えて、影忠は息を殺して討伐した蟲の死骸の影に身を潜める。ここで先走っては駄目だ、非常な時こそ冷静になれと何度も心で反芻して大鉈を構えた。死骸に背凭れし息を整える。

 

「フン、他愛ない連中だった候。陸地にいる我でもここまで殺せるとなると…所詮塵の集まり候」

 

 パキパキパキ、と血塗れたタガメの背が破れて隻眼の男が顔を出す。

 

「おやおや、甚八殿血を被りすぎましたか。早速脱皮とは節操無い」

「人、人ヴマイ。人もっど喰う」

「五月蝿く候、六郎共」

 

 ぴしゃりと隻眼の男が二体を諫める。痩身の蜻蛉型と団子蟲型の二体の蟲が言っていることが確かならば、タガメの肉体から姿を現した隻眼の男は甚八という名らしい。同時に馴れ馴れしく話す点からして甚八は人間ではなくむしろ蟲側の立場であることは明確なようだ。

 甚八。

 六郎の二人組み。

 この二つの言葉から導き出される答えは、

 

「(まさか…真田十勇士の海野 六郎と望月 六郎、根津 甚八か!?)」

「…どうやら、そうみてぇだな」

「!?」

 

 隣に声がして影忠は驚いて振り向いた。そこには腹部から血を流した鈴閣が苦笑を浮かべて影忠と同じように背凭れていた。手に握られた刀から夥しいまでの蟲の血が滴っていることから、相当の数の蟲を屠ったであろうことが読み取れる。

 居合いの達人として知られる元下酷城の城主であった宇練 銀閣の血筋である鈴閣も居合いにおいては松ノ原 小鳥と同様に居合いの達人である。腕こそ蟲奉行所随一の持ち主ではあるが、 だらけ癖も受け継がれてしまいサボリがちな業務態度から罰せられて上野の国の城に左遷されたらしい。一度たりとも刀を振るい励む姿を見たことがないのに、刀を一度抜けば首が落ち、二度抜けば十里先の大樹が叩き切れ、三度刀を抜けば炎を纏った星が堕ちてくるらしい。

 そんな手練である鈴閣が息絶え絶えになっているということは相当な相手だったのだろう。

 

「あの候候ばっか言うタガメ野郎にやられてな、つぅか何だよあいつ刀抜く前に柄尻押さえてその隙に腹ぶっ刺すとかだる過ぎてやってらんねぇ。だから俺はこう言ったんだ、俺は早漏じゃねぇぞって」

「お主が言っていることはいまいちわからんのだが……」

「兎にも角にも我々は追い詰められている、ということですね。大×です」

「!?」

「おっとぉ、大岡の旦那もかよ」

 

 鈴閣がいるのとは反対側では、忠相が左腕に付いた巨大な歯型の傷口を切り裂いた布で止血しながら僅かに呼吸を乱して背凭れていた。眼鏡が外れているということは彼に眼鏡を外させるほど実力がある存在と対峙したということに他ならない。

 

「ハハッ、なんだ…俺等全員お休み中かよ」

「我は連中を一気に殲滅すべく息を潜めていただけだぞ」

「○ですね、向こうは真田だかなんだか知りませんが三体に対しこちらも三人。各個撃破の望ましいですね」

 

 各個撃破。つまり一人に付き一一体を確実に仕留めろというのだ。向こうは何千人もの兵を一瞬で皆殺しにするほどの実力を持つまさに一騎当千の蟲人。反則級の実力相手に勝ち目はあるのか。

 

「増援無えのか」

「×です、元よりこちらの兵は先ほどあの三体の蟲人によって壊滅状態です。それにいくら兵を向かわせたとしても誰一人として彼らに触れることすら叶わないでしょう、我々を除いては」

「我等でやるしかないのか……!」

 

 思ったよりも芳しくない状況に影忠は歯噛みする。漸く敵将がいる重要地点が見えたというのに早くも兵の損失を出してしまった。もしもっと早く大型を片付けて蟲人と対峙していれば、戦死者もそこまで出なかっただろうに。

 

「……!? だ、だがこのままだと後方の中列部隊と狙撃部隊がここを通るぞ!」

「素通りさせりゃ、皆殺しで最悪全滅ってか。かったりぃなぁ…あぁ眠ぃ」

「×です、ここで寝たら本当に死にますよその出血量ですと。せめて最後に我等人類に立ち塞がるあの者共を倒さなければ。その為には適材適所に相手しなければなりませんね」

「俺ぁ抜いて斬ることしか脳が無ぇ」

「我は叩き潰すことしか出来ん」

「私は手数が武器です」

「あのタガメ相当な野郎だぞ、居合いさせる前に爪で柄尻突いて抜刀防ぎやがる」

「痩身の蟲は速くて捕らえ切れんだろうな」

「×でした…団子蟲型は数を打ち込んだところで硬い表皮に覆われていますが故、こんな歯形をつけられましたよまったく…」

「……じゃ、決まりだな」

「うむ」

「精々、三人共花(まる)が貰えるよう頑張りましょうか」

 

 しゃりん。

 鈴閣が刀を弄って鍔鳴りを起こす。それが合図となって三人は一斉に動いた。

 まず、鈴閣が鍔鳴りともに背凭れている背後の巨大蟲の死骸を切り開く。二辺に分かれた死骸を忠相が居合いで細切れにし、そして影忠の豪腕によって薙ぎ払い、風を起こして破片を蟲人共がいる方向へ吹き飛ばした。

 

「む!?」

「おやまぁそんなところに潜んでいらっしゃいましたか!」

「ごろず、ごろずぅぅううううう!!!!」

 

 弾幕となった眼眩ましを浴びた蟲人は各々眼前を払いのけて視界を確保した。だが掻き分けたときにはもう三人の姿は無く、蟲人達はその広い視界を保有する眼で周囲をぐるりと見回す。だが、

 

「上に決まってんだろぶぁーか。終 閃(しゅうせん)

「人であれば空に飛べないと思いましたか? 天 ×(ばつ)

「ま、普通は飛べんがな。 一 握 の 剣 」

 

 上から二人、地上に一人。蟲の死骸を目隠しの弾幕にしている内に、影忠の大鉈の峰の部分に乗った鈴閣と忠相を打ち上げて上空へ、上下二方向からの攻めは効果的だった。加えて言うならば影忠の一丈にも満たない低空疾走が功を奏し巻き上がる肉片と土煙による隠蔽で見つかりにくかった。

 邪魔がなければ刀に手を掛けた時点で決着がつく居合い斬り『終閃』。

 二刀による連続の居合いで敵を切り刻む二双居合い斬り『天×』。

 巨大な大鉈による一撃で快刀乱麻を断つが如く一刀割断する『一握の剣』。

 

「ぐぅぉおおああああああああああああああああ!?」

「くっ……我等は決して油断など候……!!」

「あーあ、言い訳入ってやんのこの早漏野郎、面倒臭ぇ」

「きっ貴様ァアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 眼帯に覆われていない方の眼が真っ赤に燃え上がる。怒りの印だ。とても人間の見た目では再現出来ないような複雑な足運びで腹の傷を抑える鈴閣に迫り、間合いを詰める。そして人外であることを証明するタガメの名残であった両手に生えた鋭利な手甲で鈴閣を突く。しかも単調な突きではない、満身創痍になってなお人間時代に培ってきた経験則に基づいた足運びで複雑に、より多角的に攻める。だが、

 

 しゃりんしゃりんしゃりんしゃりんしゃりん!

 

「刀さえ抜ければだるくても勝てんだよ、俺はな」

 

 その攻撃の一撃一撃全てに鈴閣の斬撃が叩き込まれる。一撃一撃が既に甚八の中で決定打に値した渾身の一撃であり、明らかに甚八が打ち出す一撃より遅く出された斬撃を前に、その拳を止める術は無かった。結果、

 

「が……は…ぁア……!!」

 

 拳を一度の斬撃で砕かれた。二度目の斬撃で手甲が叩き切れ、三度目以降はすべて全身に降り注いだ。柄尻を押さえるだけで嬲られる侍など雑魚以外なんでも無いと過信した甚八が悪かった。どこかしら特化した侍はそれこそ弱点突かれれば虫けら以下だろうが、枷一つ外れれば超人に値する実力を持つ。

 全身を切り刻まれわざとらしく綺麗に切り離された頭部が鈴閣の足元に転がり、納刀した鈴閣はそれを拾い上げる。伊達に蟲人と名乗ってはいない、生命力も底知れず生首でもまだ生きているようだ。

 もう死ぬが。

 

「よぉ、いままで見下してきた人間様に生首捕まれる気分はどうだい早漏」

「候だ痴れ者! フン…この程度の屈辱など屁でもない…我への侮蔑などどうでも良く候。だが真田様の名を汚すようなことをほざけば生首だろうが貴様の首に噛み付く候」

「手足も無いのにか、ご苦労なこった。俺ぁ手も足も無かったら今以上にだらけてそのうち呼吸すら面倒になるよ」

「それはもう死んでおるだろう候」

「ごもっとも。だが先にアンタが死ぬぜ」

「それはどうかな候」

「何?」

 

 ずしん、という音と共に三人の背後が揺れる。いやな予感がしてゆっくりと振り向くと、大口を空けた海野 六郎がこちらに迫っていた。勿論、明らかな敵意を持って。

 

「ごろずうううううううううううううううううう!!!!」

「うぉああああああああああああああああああああ!?」

 

 自慢の巨体を倒れこませて圧殺しようとしたが見つけて即座に三人は走り出したことで事なきを得た。だが六郎も倒れこんだだけでなくその巨体を丸ませて団子蟲がするように球になり走り始めた。体中の棘を突出させて。

 

「オイなんでアイツ仕留め損なってんだよ!?」

「我はてっきり貴殿がやるものと思っていたぞ!?」

「私は力自慢の尾上さんがやるものと思ってましたがね、×です」

「俺もそれに一票だ。内訳は俺が細いの、影忠の旦那がでかいの、忠相の旦那が早漏野郎」

「だから我は早漏などではなく候!」

「そいつ連れてきたのか…我は鈴閣殿が団子蟲型、忠相殿がタガメ型を斬り伏せるものとばかり…!」

「……大×ですね、やはり即席の連携などアテにならないことが判明しましたよ。てっきり私は鈴閣殿が蜻蛉型、影忠殿が団子蟲型をやるものとばかり思ってました」

 

 いくら喋る気力も無いほど体力が少ないにも関わらず目配せで作戦を理解することなど出来なかった。結果として各々最高にして最大の一撃を繰り出したせいで団子型蟲・海野 六郎を仕留める手立てが無い。

 

「……ならば、我が一瞬あいつを止める! その隙に二人掛かりで斬り掛かれ!」

「んな無茶言うなよ…!」

「×です、私の居合いが貫通しないことは証明済みですが」

「貴様等本当に息が合ってないな候」

「生首のオメーに言われたかねぇよこの早漏野郎が」

「だから我は早漏などではないと――」

「鈴閣殿! 後ろ後ろ――!」

「おろぉ?」

 

 すぐ真後ろに回転する球体の存在が迫っていることを察知したが、鈴閣は一歩遅かった。

 ぐしゃり。

 気味の悪い音と共に大地がへこみ、転がりから緩急をつけてきた六郎の肉体が大地を爆ぜた。

 

「!?」

 

 ひ う ん。

 

 そんな風斬り音が耳に届いた鈴閣は、まだ己が生きていることを悟った。瞼を開ければ、六郎の肉体が開き横転しているのが分かる。ならば――先ほどの爆発音は何だったのだろうか。

 

「火柱紙震爆!」

「ぐおおおおおおおおお!」 

 

 仰向けになった六郎の周囲が爆破の渦で埋め尽くされる。上空から聞こえる声は女性――蟲奉行所で解散してしまった市中見廻り組の一人、火鉢だった。衣を凧のように広げ、手にした小さな爆薬を継続的にかつ小規模に暴発させることで空中を自由に飛んでいるようだ。

 

「今よ月島!」

「はいっ! いきますっ!!」

 

 そして宙を飛ぶ火鉢の背中から一人の男が飛び出す。刀一本を上段に振りかぶり高所から一気に振り下ろそうとする少年――彼もまた、市中見廻り組の一員であった若侍・月島 仁兵衛だ。

 

「常住戦陣!! 月島流富嶽三十六剣が一つ――富 嶽 鉄 槌 割 り !!」

 

 団子蟲の丸まった状態が解除された六郎に防ぐ手立ては無い。せめてもの抵抗に大口を空けて噛み砕かんと待ち構えるが、当然仁兵衛の渾身の一撃を受け止められるはずも無く前歯ごと砕かれて一刀両断された。

 どごーん、ずどーん、と目の前で次々と起こる惨事に鈴閣はぽかんと口を開けることしか出て来なかった。土煙が晴れて蟲の死体の上で刀を掲げながら「討伐数、一体目!」と武勲を示す仁兵衛を見て、漸く「ああ、おめでとう」と言えるくらいに茫然自失状態から抜けた。

 

「急転直下過ぎる展開にやや驚きが隠せんが…あらかた片付いたな、空から降ってきた助っ人に感謝だ。っつーわけでいくつか質問いいか? ちなみに拒否権はだるいから聞かねぇ」

「答えられる範囲で候」

「――あんたら一体何者だ?」

 

 それは、彼ら蟲という存在そのものに対する疑問。ただ蟲が自由奔放に跋扈する世の中ならば鈴閣は何の疑問も抱かなかった。ただ蟲がでかくなっただけで暴れまわっているだけ。それが人類にとって害だから殺す、ただそれだけ。

 だが三年前の大阪遠征時に現れた、過去存在していた武将・毛利 勝長と名乗る蟲――俗に言う蟲人たる存在が現れてから、蟲はただ人類といがみ合う敵対同士という関係だけではないと直感した。しかし直感はすれど常時だるい鈴閣からすれば調べたくても途中でだるくてどこぞの若将軍のように根気よく調べられない。

 だから、本人達に聞く。

 

「―――」

 

 その問いに、甚八は蟲の姿であれば気付かなかったであろう微かな動揺を見せた。

 

「――まさか、そんな疑問を持つ輩が現れるとは思わなんだ候」

「いや結構いるんじゃねぇか? まぁ何人かは既に答えでも知ってそうだけどなぁ」

「それは怖い――ごふっ……さて、生首だけの我もそう長くない。単刀直入に言いたいところだが―最後の余興だ、我の遊びに付き合い候」

「いいから言えよ」

 

 

「…――このままの世が続けば、()()()()()()()()()()()

 

 

「………は?」

 

 その言葉を最後に、甚八は砂となって崩壊した。いわゆる蟲人なりの『死』なのだろう。今の一言では分からなかった鈴閣はもう一度聞こうとしたが既に当の本人は砂に消え手から失せた重みがそれを証明していた。だが、いつも思考そのものがだるいと感じる鈴閣でもこのときばかりは稼働した。甚八が言った言葉をよく吟味して、答えを導き出す。

 

「……大岡の旦那」

「なんですか?」

「…お前さんが覚えている範囲でいい、二つの質問に『西』か『東』で答えてくれ」

「内容次第ですね」

「いいや、南奉行所とはいえ江戸幕府の記帳係を勤めていたお前さんにゃわかるだろうよ。一つ目――ここ百年、蟲の出現率は西と東とどっちが多い?」

「……×です、漠然としてますね、江戸の西か東ですか? それとも」

「ああ、西日ノ本の国と東日ノ本の国だ」

「そんなの分かりきっているでしょう、蟲共に占領されたのは一個体の力が大きい蟲ばかりだったこともありますが常識的に考えて数です。つまり西日ノ本の国の方が多かったからです」

「そうかいそうかい……じゃあ二つ目だ。お前さんが覚えているまでの過去の記録でいい。戦で死んだ人間の人数は西と東、どちらが多いか?」

 

 その問いに忠相は形のいい眉を顰めた。何故――戦で死んだことが死因の人数なのだろうか。別に死因ならば戦のみに限らず大噴火や大火災、大水害など自然災害や殺人などあるだろう。なのにその数多ある死因から戦死のみに厳選するのは、何故か。

 

「△です、いくら私でもそこまでは分かりません。が……」

「が?」

「……そうですね、大昔に行われていた倭国大乱から壬申の乱、天慶の乱、保元の乱、平治の乱、建仁の乱、承久の乱、応永の乱、山城の国一揆、敦賀城の戦い、厳島の戦い……この太平の世を築くまでの前時代は何百もの戦がありました。そも、はるか昔この日ノ本の国の政治の中心は西――つまり当然ながら、西の方が戦が多かったことは明らか。従って戦死者が多い地は西、ということになります」

「……だよなぁ」

 

 それを聞いた鈴閣はがくりと肩を落とす。

 

「それが何か?」

「……多分、コレを知った連中はみんな絶望してんだろうなぁってよ」

 

 

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 

 

 同刻、戦況の異変は西軍でも起きていた。

 

「南無阿弥陀仏」

「南無阿弥陀仏」

 

 二匹揃って阿弥陀仏に帰命する意を唱える念仏を口々に言う目の前の蟲人。そんな存在の前では、鎧甲冑を着て腕を組む校倉 要となんとも形容しがたい表情を浮かべる凍空 こなゆきが相対していた。そのこなゆきの脳内で「じょうじ!」と叫び声を挙げる蟲人の姿を思い描いてしまっているのはあくまでも不可抗力だと思いたい。

 

「我こそ真田十傑蟲が一人、五番手の三好青海入道なり」

「我こそ真田十傑蟲が一人、五番手の三好伊佐入道なり」

「我等が主、真田 幸村様の地を荒らしし輩よ」

「我等の前に、骸と成り果てるがよい」

 

 血濡れの両手を合わせて催促する蟲人。彼らの背後には鎧海賊団の者たちの死体が点々と散らばっていた。屈強な肉体を持つ鎧甲冑に身を包んだ海賊団でさえ、その鎧を押し潰す怪力を持つ三好青海入道と伊佐入道には叶わなかった。既に彼らの脅威を目の当たりにしたこの戦場を仕切る実質的頭である二人は兵を一旦引かせ、二対二で相対する旨を伝えた。万が一己の身に何かあった時のために全指揮権の移譲を部下に済ませ、二人で彼らを挑発しつつ軍隊から引き離した。

 戦場は既に占領を済ませ蟲と人の死骸が散らばっていた大きな山の山頂。足裏では地熱が伝わり、未だに活火山であることを裏付けている。

 

「で。どうする、こなゆきさんよ」

「ここまで来たならば決まっているでしょ――こちらはお願いします。私は」

 

 ざっざ、と土を蹴り目配せする。その合図に肩を落としながら頷いた要は深く息を吸い、腕組を解いて一歩足を引く。完全に走りこむ態勢だ。

 

「貴様等も我らが死者の参列に加えてやろう」

「丁重に名を名乗れ」

「五月蝿ぇ蟲だな。ゴキブリだからそんな五月蝿いのか――少し黙れ破戒僧」

「それに、うちっちらに死ぬつもりは無いので名乗る必要性なんかないですよ」

「「――ならば一息に潰して差し上げよう!」」

 

 そう言って二人の蟲人は腰を捻り拳を繰り出す。人間を遥かに上回る巨体から繰り出される打撃はまるで鋼鉄の鎧を打ち砕く砲弾。しかもそれが二人同時に――つまり、最低でも二倍の威力はするだろう。彼らの拳に潰れない人なんて、

 

「「何っ…?」」

「ハハッ、二人掛かりでこの程度たぁ高が知れてるぜッ!」

 

 いない――筈の一撃を、受け止めていた。受け止めたのは鎧甲冑に身を包む要。助走無しからの駆け出しで彼らの拳撃が最大の威力を発揮する速度に達する前に、その巨大な拳の中心に両手で一個ずつ拳を繰り出して止めてみせた。殊更筋力と力の制御に詳しい要ならではの対処法だ。

 

「ほほう、我等の拳を止めるとはなかなかやるな」

「だがそれがいつまでも続くかな?」

「阿呆が、そんなん一々続ける意味なんて無ェ!」

「「何だと?」」

 

 先ほどと同じ様に疑問の声を上げる青海入道と伊佐入道。そういえば、と二人は要と一緒に居なかったもう一人の巫女服の女が居なくなっていることに気付いた。

 

「あの啖呵をきった小娘はどこへ行った?」

「さては怯えて貴様一人差し置いて逃げ出したか」

「馬ァ鹿、そんなんじゃねー……よっ!」

 

 罵倒と同時に一瞬拳を引き、刹那の踏み込みと同時に青海入道と伊佐入道の顎に拳を叩き込む。鎧越しでもかなりの硬度を感じたが問題ではない。

 

「ぐおおおお……!!」

「ぬぐぅううううう…!!」

 

 いくら蟲人とは言えども――否、蟲人だからこそ弱点はある。確かに凡夫の拳程度ならば蟲の強固な皮膚外装をもってすればあっという間に打ち砕かれるだろう。だが、要のような超人に値する存在の拳撃を、人体急所の一つである顎に強打させれば脳震盪は免れない。脳を揺す振られた二人の足元はふら付き、視界がぼやけて平衡を保てなくなる。次第に膝を突いた頃には二人の前に要の姿は無かった。

 敵前逃亡した要はその体躯と鎧甲冑を身に着けているとは思えないような動きで疾走し山の斜面を滑り降り、ようやく山の丁度山腹辺りに陣取っているこなゆきを視認するなり叫んだ。

 

「やれぇこなゆきいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」

「はいっいっきますよぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 掛け声と共に怪力においては人類随一の一族、凍空家の鉄槌が山の大地を叩いた。大地を引き裂かんとするこなゆきの拳から放たれた衝撃が山の中心まで伝播し、次第に山の中心から地鳴りが木霊する。

 

「走れ!」

「うっ、わわ!」

 

 激動する山中を身を転がすように駆け下りる。次第にその揺れの幅が増幅していくのと同時に山が胎動を始め地が熱を持つ。

 漸く脳震盪から回復した青海入道と伊佐入道は今度は大地を揺るがす地鳴りに揺られて眼を回した。

 

「今度は何だ?」

「落ち着け……む、心なしか足元が熱いような……」

 

 伊佐入道の言っていることは正しい。人間と違い蟲の肉体ではあれど熱感知機能は有している。

 山頂。

 地鳴り。

 地熱。

 この三つの単語から連想される事柄を模索し、遂にその結論に至った瞬間冷や汗を流し羽を広げるが――遅かった。

 足元が、極限に熱い。そう感じた瞬間、二人の足元から炎が噴出し火柱となって二人を焼き、果てには天を突いた。次々に溶岩が溢れ出し、夕焼けの茜色と共に赤色の溶岩が吹き上がっては大地へ落下する。とめどなく湧き出る灼熱の液体は山肌を焦がしては木々をなぎ倒し燃え上がらせ、炎海の山を築いた。

 

 『西征』が行われたと同年、西海道の一角で火山の噴火が確認された。

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 ――西海道で確認された噴火が『西征』に関わる人間の眼に映るよりも少し前、同じく北軍でも異変はあった。新生真庭忍軍と蟲狩全員が上陸を果たしてから止めるもの無し、次々と蟲共が木っ端微塵にされて続けていた快進撃が――突如、止んだのだ。

 あたり一面ただただ蟲の腐毒が撒き散らされた大地の中心で、新生真庭忍軍と蟲狩は三匹の蟲人と相対していた。

 

「真田十傑蟲が一人、二番手の由利 鎌之介。はじめまして、人間共」

「真田十傑蟲が一人、三番手の筧 十蔵だ。ゲハハ、テメェ等みてぇな奴等は初めてだ! 楽しく殺ろうぜ!」

「真田十傑蟲が一人、一番手の霧隠 才蔵。さぁ貴様等の様な忍軍など寡聞にして聞いたことなど無いが、それでも忍なのだろう? ならば忍術対決といこうではないか」

 

 挑戦的な才蔵の挑発と共に彼を中心に幻術結界が広がる。空間の歪みにより幻術結界の波を感じ取った参猿は焦り声を上げて指示を飛ばす。

 

「牛鬼!」

「承知」

 

 (おに)組の頭領である牛鬼が前に出る。般若と狐面を半々に付けた面を被った牛鬼は隠れた袖から轆轤首の男女が書かれた両手を出し、創法《界》の印と咒法《散》の印を結ぶ。すると牛鬼を中心に空間の歪みを示す波が静まり、それが才蔵の幻術のを解いたことを物語っていた。

 牛鬼の腕に才蔵はほう、と感嘆を零す。

 

「人間の癖になかなかやるではないか、よもや空間系の忍術を使うとは思わなんだ――これでは広域に幻術を放てんな」

「一人一人ならば出来るとでも?」

「ああ、そうさ!」

 

 踏み込み、駆け出す。確かに幻術使いとして有名な才蔵だが別段幻術だけが彼の取り柄ではない。幻術と忍術、体術を折り合わせた彼の戦闘こそが才蔵を真田十傑蟲筆頭足らしめる実力であり、事実上最強を謳う忍なのだ。広域にかつ、一人一人が全く異なる幻術に嵌めることは出来なくとも対象を一人に絞れば訳が無い。才蔵は牛鬼から一番離れた存在――眼帯を嵌めた蟲狩の頭領へと奇襲をかけた。

 

「見え見えなんだよその程度ッ!」

 

 だがそこは仮にも現蟲狩頭領。蟲退治においてもはや専門家の中の専門家と謳われる彼が黙って殺されるわけも無く、一瞬で幻術を見抜いて完成系番外刀・覇刀『(しのぎ)』影打を手中で滑らせ反撃の一撃を入れる。

 空振る拳。

 直撃間近な刀。

 明らかに決定打に値する一撃はしかし――手に伝わらない感触が、それを裏切った。

 

「何っ……!?」

「蟲狩の頭とは笑わせる、この程度の幻術も見抜けぬとは」

(かしら)ァ逆だ!」

 

 逆――そう、右から左へと振りかぶった太刀筋の外側。腕を伸ばすように振る左腕の逆――右腕側に、才蔵はいた。ニタリと蟋蟀の姿をした才蔵の口角が厭らしく持ち上がり、隙だらけな頭領の腹部に手刀を繰り出す。

 人の肌はいかに筋肉で鍛え抜き、硬質化していようが蟲人からすれば紙屑同然の強度でしかない。一度突き刺されば重傷は免れないであろう一撃が、人間の急所の一つである肝臓を捉える――

 

「お頭ッ!」

「心配すんな、蜜月」

 

 生死の狭間で停滞する時間の中、縁起でもなく蜜月は頭領が自分を宥める声を聞いた。生きるか死ぬか――どちらかと言えば死に限りなく近いこの状況、いくら手を施したところで間に合う筈も無い中で、蜜月は確かに聞いた。

 

「いい加減出て来いよ、無涯」

 

 

 

 

「悪い、遅くなった」

 

「―――!?」

 

 頭上から聞こえる声、それはかなり近く同時に才蔵の真上に居ることを告げた。蟋蟀の広い視野で漸く奇襲の襲撃者を捕らえたときには既に己に刀を突き立てんと迫っていた。

 一人一殺なんて冗談じゃない。即座に腕を引いた才蔵はその全身をバネのように駆動させてその一撃から逃れる。だが、

 

「覇刀『鎬』真打第二形態――(じゃ)

 

 それはその名の通り――蛇。バキン、と無涯が持つ紅の大剣が自ら自壊し――否、分離して見せたそれは刀身を組み替えた、刃が二十にも渡る連結剣―蛇腹剣が空間をのた打ち回って才蔵に肉薄していた。

 

「く、っ!」

 

 即座に幻術を掛けて僅かに狙いをずらさせて回避する。頬を掠り切ったそれは破魔の術でも籠められているのか、ただの掠り傷に過ぎないのに信じられないような激痛が走った。

 

「な、んだそれはああっ…!」

「お前等、蟲共を屠る為の道具だ。なぁそうだろう――兄よ」

「覇刀『鎬』影打第三形態――(りゅう)!」

「ガギィッ!?」

 

 後退し咄嗟に散布した霧で距離を取ろうとした矢先――無涯と同じく姿を変えた、そして先ほどとは異なる形態の大剣が才蔵の肉体を挟み斬っていた。

 大鋏。刃と刃を交錯させ、対象を永遠に断ち切る龍の(あぎと)

 幻も偽りも無く断ち切ることを約束された大鋏は、その宣言通りに才蔵の強固な肉体を断ち切った。

 

「才蔵殿…!?」

「ゲハハ…おいおい()()かよ」

 

 二分に分かれた幻ではない正真正銘の才蔵の死体が砂となって消え入る様子を見て、鎌乃介と十蔵が僅かにうろたえた。一息付いた無涯と頭領は顔を合わせるなり不敵に笑う。

 

「ほー…やはりお前が真打持ってやがったか。塵外刀といい覇刀『鎬』といい――弟のお前が持つとはどういうことだ! 普通は兄である俺だろう!? しかもさっき俺のことを兄者と言ったな! 言ったな!?」

「ふん、単純にお前よりも俺のほうが剣の腕が立つからに決まっているだろう。しかもその年で難聴とは()()()()として実に心配だ。あとその能天気な頭とかな」

「心配した!? 心配したって言ったか今!? 遂に兄弟である俺にデレたなそうさ…俺達こそ心と魂の兄弟さ! そうだろ兄弟!」

「頭領と無涯は一応血筋でも兄弟なんだけどねー…」

 

 蜜月が傍らで呆れた様に吐く。頭領が頭領として勤めている間こそ誰もが頼れる冷静沈着な実力者で憧れる者も多いが、こと兄弟に関してとなると残念系になってしまうのが頭領の悪い癖だ。そう…いつもならかっこいいのに、いやいつもかっこいいのに兄弟に関する会話となると殊更暑苦しくなるのが玉に瑕だ。

 

「ところで戦況はどうなってる。手短に話せ」

「俺等を心配してくれるんだな兄弟。それに心配してくれたから俺のところへ真っ先に来たのだろう兄弟! ああ戦況だったな、先ほどまでは楽勝だったが……蟲人が現れた」

 

 ふざけていた態度から一変し真剣な顔つきになった頭領は空を仰ぐ。そこには鴉天狗である文丸と白狼天狗である犬走がこちらに合図を送っていた。

 

「それも、東と西からも出現したらしい。四国のほうは山に阻まれて確認を急いでいるようだが…恐らく、俺達と同様だろう」

「蟲人――真田十傑蟲による一斉攻撃か。随分と速いな」

 

 新生真庭忍軍と蟲狩で鎌乃介と十蔵が目の前で相対している様子を見ながら、二人は情報交換と考察を繰り返す。

 

「兄弟よ、そもそもお前はどうやってここまで来た? あ、いや別に俺達を心配して来てくれたのならばそれでいいがな」

「ふざけたり真剣になったりいい加減軸ぶれ起こすのはやめろ。俺は――いや、俺達は……与力の手でここまで来た」

「俺()?」

「来るぞ」

 

 ひ う ん 。

 

 空を裂く音が頭領の鼓膜に僅かに響く。そういえば先ほども、蜜月と話していたせいで気付かなかったがそんな音が聞こえていた気がする。するといつの間にか脱皮していた蟲人――鎌乃介と十蔵が真庭忍軍と蟲狩達を相手取っていた丁度その時、頭上から唐突に二人の人間が姿を現した。

 

「懺斬り昇華系――流星斬り!!」

「超全力つっぱりぃいいいいいいい!!」

 

 幾つもの刀を持った傷だらけの益荒男が刀を振り下ろし、それと同時に天から烈火に燃えた数多の隕石が落下してきた。その隕石は敵味方問わず一斉に流れ落ち――しかし、式神を操る小さな少年が顕現させた相撲取りの式神によって軌道をずらすことで、味方への巻き添えを未然に防いだ。

 それが、命取りだった。

 

「仲間の手助けとはご立派なことだな」

「ゲハハ、法力こそ見事なモンだがここまで近付けば分かる。お前自体は酷く弱ぇ」

 

 式神で軌道をずらすそれは確かに被害収縮に繋がりはしたが、同時に蟲人にとって確実に仕留める好機であった。これを逃す理由が無い。

 しかし――時としてその慢心は仇となって帰るのである。

 

 

「喝采せよ、あらゆる存在の救世主」

 

 

 瞼を閉じ印を結んだ天間が唱える。その呪文はたった一文だけなのにもかかわらず、蟲人たる鎌乃介と十蔵の全身を縛り射止めた。

 

 

「今こそこの地に降りたまえ

 

 汝ら我の蓮座にひれ伏すべし

 

 我はすべての苦悩から汝らを衆生を解き放つ者

 

 我はあまねく万象の、現在過去未来を裁く者

 

 中臣の、太祝詞言い祓え、購う命も誰が為になれ」

 

 

 その言葉から籠められる恐怖の力の根源に、十蔵は漸く法力などという生ぬるいものではないことが分かった。

 それは、霊力――己達が現世に現界している力の源である。

 祝詞が紡がれるごとに己の肉体から力が抜けていく。元凶である天間を止めようと手を伸ばすが、それは上空から飛来したボロボロの刀に縫い付けられることによって阻止された。

 

 

「東嶽大帝・天曹地府祭――急々如律令奉導誓願何不成就乎

 

 オン・ヤマラジャ・ウグラビリャ・アガッシャ・ソワカ

 

 ナウマク・サマンダ・ボダナン・エンマヤ・ソワカ」

 

 

 唱えるは天間が生死の狭間で見出し、そして死霊山の頂上に安置されていた古井戸の奥底――黄泉の国を牛耳る魂の裁判官に教えてもらった一度きりの詠唱。裁判官のもとで修行を積んできた天間は勿論人ならざる力――霊力を身につけたがそれでも蟲共が跋扈する西の地では役に立たない。そう進言した裁判官は己自らが魂を裁く秘儀の呪文を授け、現世へと戻された。

 その呪文は迷える魂を解放し、各々の魂が正しき世界へと生まれ落とす。

 

 

(とん)()()――我、三毒障礙せし者、断罪せしめん」

 

 

 貪・瞋・癡とはすなわち仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つ。貪欲(とんよく)瞋恚(しんに)愚癡(ぐち)――この三つこそ人間の諸悪の苦しみの原点である三毒であり、根源だ。それを解放することが、蟲に宿りし者達を呪縛から解き放ち次の世界へと誘う。苦しみの果てに、蟷螂の肉体に宿っていた鎌乃介の魂とカメムシの肉体に宿っていた十蔵の魂が抜け落ち、絶命した才蔵同様に砂と成り果てた。

 

「……流石だな」

「いや、俺もさっき奴と再会したばかりだ。もっとも…別れる前までは何も出来ぬ坊主だったがな」

「そうか……話を戻そう。その与力の手とはどういう意味だ?」

「俺もよく分からんが、俺達と目的地を結ぶ距離を割断してみせたそうだ。侮れん」

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 江戸――西側で行われている『西征』の戦とは遥かに離れた血も死体も無い太平を象徴する都。その江戸町は当然人も少なく、しかし不思議なことに蟲一匹見当たらない。当然だ、『西征』を行う直前に東日ノ本の国

 町と森の境界線に位置する開かれた鉄扉の前で、蟲奉行所()市中見廻り組の与力である松ノ原 小鳥は僅かに抜刀した刀を戻し、鞘に収まったことを確認すると定位置である腰紐に戻した。眼鏡の向こう側で細められた眼のせいで表情は読み取りにくいが、少なからず緊張していたようだ。

 

「……ふぅ、みんなちゃんと目的地に着ければいいけどなぁ」

「大丈夫ですよ小鳥さんの腕ならばこの程度朝飯前でしょう! いやぁまさかこの一ヶ月私と戸共に同棲生活をしていたお陰で生まれた修行の成果……いいえ愛の結晶がこんな素晴らしい物になるなんて! さすがわが婿である小鳥さん! そこに痺れる憧れるゥ!」

「(耳元で喧しいなぁこの子)」

 

 尋常ではない力で小鳥の頭にしがみ付いているしらゆきは一見頭に乗っているように見えて肩車をしているだけである。体格的にも子供に相当する小ささなので残念ではあるが、そこは割愛させて頂こう。

 

「(…取り合えずこれで大阪に近い東と北の大部隊に送り込むことが出来た……でも正直、彼等には精々幹部級の蟲人を倒すくらいがやっとだろう。となれば……)」

 

 小鳥が先ほど居合いによる距離の割断で送り出した元市中見廻り組の連中は五人。技の性質上自分をまだ自由な場所に移動させることが出来ないのは未熟なせいでもあるが、それでもあと一人は送れた――

 

「(……でも、君ならもうそこにいるんだろう?)」

 

 もう姿を見なくなって一月は経過するが、一月前に満身創痍の瀕死状態を救ってくれた不可思議な黒雷が、小鳥の脳裏に浮かぶ彼女の存命を確信していた。そして、彼女ならば出来ると――そう、錆 九散ならばこの日ノ本の国の地に蔓延る呪いから解放してくれると信じている。

 

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 

 東軍、西軍、北軍と来て此度の戦『西征』における唯一の汚点にして弱点とも思われていた南軍。

 地形の関係上西軍よりも情報が入りにくく攻め入り難い島――四国。既にこの島に跋扈していた蟲の大群のおよそ九割が討伐されているというどの軍よりも進撃している事実は誰も知らない。そして、その残された一割に担当として派遣された自重しない変態剣士・汽口 慚愧(ざんき)は全身に血を滴らせて、それでも木刀は離さず敵を見据えていた。

 

「ブ…ブブブブブブブ……よもや一人でこの地の蟲のみならず、我が分身体を悉く破壊してみせるとは恐れ入る……」

 

 元々四国にいた蟲の総数を遥かに上回る分身体を率いる蠅型の蟲人――猿飛 佐助。伊賀忍であった彼は生前、類稀なる忍法の使い手であり才蔵の幻術とはまた異なった点で秀でている。それはたった一人でも億万の軍勢に太刀打ちできるほどの秘伝の分身術によるものだ。

 

「孤軍奮闘と聞いて捨て駒扱いかと思ったが……これは少々評価を変えねばならんな」

 

 飛蝗型の蟲人――真田十傑蟲の四番手に君臨するは穴山 小介。飛蝗ならではの異常な跳躍力を生み出す機構を備えた各関節から蒸気を噴出すことで、熱放出している。ついさきほどまでその自慢の跳躍力とそれに重ねて繰り出す拳撃を慚愧へと見舞っていたが、決定打が打てず一時後退を余儀なくされた。

 

「ははは……僕ぁなんでこんなところで死に掛けてんだろうなぁ……」

 

 蟲人共々高評価を得ているにも関わらず、既に蟲共に一撃目を屠ってから瀕死の重体でフラフラな慚愧は現実逃避に専念していた。もはや体力が零に近い中でも危なげなく木刀を全力で振り下ろし続け、果てには木刀を満足に握れないような手を脱いだ血濡れの服で縛ることで漸く振るうことが出来るようだった。

 元々一般人以上に鍛えている筈なのに大して体力が無い――訳ではない。

 むしろ、体力だけならば市中見廻り組最強の無涯にも匹敵する程である。それなのになぜこんな序盤から憔悴しているのかといわれれば――一重に、彼の戦闘に問題があった。

 確かに体力だけなら無涯並みだと言ったが――所詮木刀剣術である心王一鞘流はそこまで筋力を必要としていない。それ故に未発達な慚愧の手ではいくら木刀を振り下ろしたところで蟲を殺すには値しない威力しか出せない。だからこそ、薩摩の鎧海賊団と共に来た島津家の剣術を活用した。

 

 一撃一撃こそが渾身の一撃。

 

 次のこと、未来のことなど省みない無謀で乱雑、それでいて強かな一撃を断続的に打ち出す剣術。

 

 次の一手を考えるという行為の放棄による迷い無き一撃。

 

 それは筋力の無い慚愧とこの上なく相性がよく、従ってこの四国の島の蟲の実に九割をたった一人で殲滅せしめたのである。

 だが同時にこの剣術は諸刃の剣であり己を省みないということは容易く致死傷を負う機会を増やしてしまうことと直結している。故に、彼は全力を常に出す疲労と蟲からの追撃によって全身血だらけ傷だらけの満身創痍になっているのだ。

 

「ブ…ブブブ……だが、流石にもう持たぬだろう」

「最後に、我の一撃で眠らせてやろう」

 

 佐助が出した分身体が雪崩のように慚愧へと迫る。そして同時に慚愧の背後から挟み撃ちの如く跳躍し拳を構える。慚愧はそれが来ることが分かり、迫り来る分身体を叩き落すべく木刀を振りかぶる。だが、

 

「あ」

 

 すぽん、という音と共に手から抜け落ちた。何度も叩き付けていたせいで結び目が解け、手と木刀の接続がゆるくなっていたようだ。

 ここまで、か。

 手から木刀が抜けると共に全身の力が抜けた。木刀を手に持つという行為こそ、瀕死の慚愧の意識を繋ぎ止める要であり力の源でもあった。それが抜け落ちた今、慚愧の意識を保つ手段が無い。

 次第に黒く染まっていく視界。崩れ落ちる肉体。感覚が鈍くなっていく中でしかし慚愧は、ある声を聞いた。

 

 

 

「虚刀流最終奥義『七花八裂(乱)』」

 

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 

 

 虚刀流一の奥義『鏡花水月(きょうかすいげつ)

 虚刀流二の奥義『花鳥風月(かちょうふうげつ)

 虚刀流三の奥義『百花繚乱(ひゃっかりょうらん)

 虚刀流四の奥義『柳緑花紅(りゅうりょくかこう)

 虚刀流五の奥義『飛花落葉(ひからくよう)

 虚刀流六の奥義『錦上添花(きんじょうてんか)

 虚刀流七の奥義『落花狼藉(らっかろうぜき)

 

 上記七つは虚刀流が持つ七つの構えから繰り出される奥義であり、そのどれもが相手に致命傷を負わせるである。『語られざる歴史』において伝承し受け継がれてきた鑢一族が保有する剣を全く使わない一族相伝の剣術であり拳術。現在それを実力的に扱うことが出来るのは――二人。

 一人は、虚刀流九代目現当主・錆 九散。

 だが九散は一度極めはしたものの本人の肉体に不適正な流派だと判断したため使われることは滅多に無い。特に家を出るまでは親族以外誰とも出逢うことが無かったため九散が刀流そのものを扱った場面は何人たりとも見たことがないという。

 そして、二人目。

 虚刀流七代目当主にして九散の祖父。

 『語られざる歴史』において完成系変体刀十二本を見事蒐集せしめた張本人。

 『語られざる歴史』の呪縛を解き放つと同時に歴史の変遷を引き起こすきっかけ。

 歴史の変遷から生き残ってなお、九散から一度たりとも遅れをとらず日ノ本最強の座に君臨し続ける絶対的覇者。

 身長六尺八寸。

 体重二十貫。

 趣味は「無趣味」。

 日本最強・鑢 七花。

 

「面倒だ、ったな」

 

 慚愧を押し潰さんと迫る蟲人を一瞬にして殲滅し蟲の死体だらけにした七花は、至極面倒そうに息を吐いた。『語られざる歴史』から数十年経った今も現役である七花の防御力は健在らしく、あの嵐に揉まれる様な佐助の分身体と津波のように押し寄せる小介の拳撃をまるで柳のように流し、既に死にかけだった慚愧と己の身に傷一つ付けることなく決着をつけた。ものの見事に絶命した佐助と小介には、一体何が原因で、何が己を殺したのかさえ分からなかっただろう。

 

「そんなこと言って、相も変わらず規格外の強さよねぇ」

「×××」

 

 七花が拳に付いた血を振り払っていると、豪華そうな着物を羽織り、豪華そうな下駄を履き、これまた豪華そうな傘を差す金髪碧眼の美女が肩をすくめていた。

 

「お陰でお気に入りの傘が台無しじゃなーい。これ高かったのよ?」

「面倒臭ぇなぁもう。っつってもお前が着てるその着物のほうが高かったじゃねぇかよ。結果的に高額なほうが無事に済んだんだからいいだろ」

「否定するわ。私はどちらが高かろうがどちらが安かろうが関係ない、私の私物が汚れて使い物にならなくなるなんて言語道断よ」

 

 ああまた始まった、と七花はうんざりといった表情を浮かべて倒れている慚愧を背中に背負った。かつて否定姫と名乗っていた彼女は、七花の戦闘によって生まれた血の雨で濡れた傘を汚いものを扱うようにぞんざいに投げ捨てる。

 

「……これで多分、全員死んだな」

「ええ、彼の幹部である上位の蟲人は全員絶命。内二名は既に解き放たれたでしょうけど他の八人の魂は彼の王の下に向かった――と、思ってるでしょうね」

「……なぁ、やっぱ俺達行かなくていいのかな」

「やめなさい――見に行ったところで■の闘争を前には何の意味も無いわ」

「……でもよ、俺達の孫だろ? それに×××が一番九散を――」

「否定する。私は七花君の主張を否定するわ。だって……所詮私達は過去の歴史に引き摺られて来た遺産なのよ。これからの時代に、世界に――この表舞台に、現れるべきではないわ。それに――お別れはもう、済ませたもの」

「……そっか。まぁまたいつか何処かで会えるかもしれないな。それこそ九散が言うみたいな輪廻転生とやらの世界にでも」

「そうね。その時は八穂の母じゃなくて九散の母がいいわ」

「八穂も可愛かったぞ」

「やぁねぇこんな最後に親馬鹿見せなくてもいいのに」

 

 あはは、と二人して笑いあった。

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

【推奨雅楽:第六天・畸形嚢腫】

 

 

 ――大阪城。

 かつてその存在だけで威光を振るい示した戦国時代の名残であったが、それは今となっては巨大な蟲の一成長過程の寝床として繭を張られている。その前に立つ真田十傑蟲ら蟲人を束ねる長――真田 幸村は、腕を組み繭の前に立ちながら歓喜を露にしていた。

 

「く。くくくくくくくくくく……はははははははははははははははは! これは驚いた、我が真田十傑蟲がものの見事に人間どもに撃破されてしまうとは思わなんだ! だが感謝はすれど恨まんぞ、卿らよ。なぜならば真田十傑蟲の死こそが我の望みを叶える足がかりとなるのだからな!!」

 

 そう――別段、幸村が十傑蟲等をないがしろにしているわけではない。むしろ死後もよく己の配下として付き添ってくれたことに礼を言っても言い尽くせないほどだ。だが、あくまでもそれは幸村が信捧する王の前にすれば贄でしかない。

 そも、幸村のような英霊が蟲に宿り、しかも生前の記憶を有して蟲人に昇華するなんて奇跡に等しい。この地では悔やみや憂い、怨嗟を残して死んだ者達が蟲の肉体となってこの世界に現界する世。つまり、戦で大勢死んだ数が比較的多い西日ノ本の国こそが蟲の温床。

 とはいえ恨みなどただ負の感情を持った存在が蟲になったところで自我は無く、ただ蟲の肉体のままで日ノ本の地を荒らし回るだけだ。だが黄泉の世界から負一辺倒の感情のみならず限りなく人に近い存在のまま蟲の肉体を持つことが出来る。蟲に成り果て自我も無く暴れまわるか、蟲人となり生前の記憶と自我を持つか否かは蘇る人間の魂の質の善し悪しが関係しているらしい。つまり、死んでもその人間の魂の質によって左右される。だが幸村は己の配下であった真田十勇士が蟲人として蘇らせた際にもう一つの法則を知ったのだ。

 それは、たとえ魂の質が劣る存在であろうとも現世に住まう人の魂を捧げれば蟲人として蘇る、ということだった。

 となれば話が早い。幸村には生前信捧していた王がいた――ならば王を蟲人として蘇らせよう。

 結果として幸村は手勢として真田十勇士改め真田十傑蟲らを率いて西日ノ本の国を支配してみせた。人を殺す度に別の魂が蟲として宿ることが多々あったが、京の都にいた人間全てを一掃したその時大阪城に異変が起きた。巨大な蟲が繭を形成し眠に入った――そして、その魂が幸村が心身を捧げる王の魂であると知り歓喜した。それから勢い付いて西日ノ本の国のみならず東日ノ本の国まで手を伸ばしたが、ここ数十年蟲共は攻めあぐねているようだった。

 これでは王に捧げる魂が足りない、さてどうしたものか――と思案した幸村は、己の目の前に最高の生贄がいるではないかと心のうちで哄笑した。

 そう――魂の質が優れた真田十傑蟲達の魂を捧げれば、王は蟲人の更に上を行く至上の存在として現界するのではないか―――。

 故に、愛すべき部下の死を幸村は悲しみではなく歓喜として迎えた。そして、

 

 びしり、という音と共に繭の殻が破れる。

 

「おぉ……我が王、我が王よ…!! そのご威光を今一度、世に知らしめるのだ……!!」

 

 両手を抱擁するように掲げて王の復活を待ちわびる。だが、何に気付いたのか――不意に、幸村の表情が曇った。

 

「……? なんだ? この違和感は――」

 

 違和感。

 そう――ふと、目の前の存在に違和感を感じ取ったのだ。

 違う。何かが違う。これはそんなものではない。我が王は――こんなにも、狡猾で悪辣な魂だったか?

 

「!」

 

 どん、と。

 

 硬質化した繭を、外部から叩き割る音が聞こえた。思考に入っていた幸村の意識の隙間を縫った奇襲だ、違和感を拭えず、しかし突如攻撃を仕掛ける存在がいては興が冷める。従って、幸村は己の羽を羽ばたかせて襲撃者の下へ飛んだ。幾重にも支えとして張られていた繭の柱を水を得た魚のようにひらりひらりと交わして突き進む。そして繭が安置されている大阪城の、かつて天守閣が聳え立っていた辺りの地にその襲撃者は居た。即座に背後に着地し、首筋に五指の尖った爪を添える。

 

「何者だ、名を名乗れ」

「――あら、そういうのは殿方が名乗るものではなくて?」

「……我は真田十傑蟲を統括する長、真田 幸村だ」

「そう」

 

 得心いった、とでも言うように頷いた襲撃者は、その長い金髪の髪から掻き分けて首を狙う幸村の手を掴む。

 

「(女……?)」

 

 間近で冷静になって観察すれば、その者が女性であることが見取れた。同時に、女性とはいえどただの人間でないことは明白だった。添えられた手を掴んだまま、金髪の女性は振り向いて――澄み切ったような碧眼でしかと幸村を捉えて、言った。

 

 

「虚刀流九代目当主、錆 九散よ。初めまして、歴史の敗残者さん」

 

 

 

 

 

 

 

 






 まさかの一話で真田十傑蟲殲滅。まにわにでももうちょい粘ったぞ。個人的には最後に七花くんが出てきたのと天間くんのTON☆JI☆THI☆が出来たところがよかったと思う
 随分と長ったらしい一話になって申し訳ありません、じつは本来ならばこの話は二話に分けて、「真田十傑蟲襲来でピーンチ」な場面が一話、「市中見廻り組の助太刀ナニソレキャーカッコイー(棒読み)」がもう一話な予定でした。それに関してはあとがきで
 そして蟲狩の頭領って名前が無いんですよねぇ……あと中の人繋がりで人格はまるっきり天元突破なアニキです

 とまぁ、この作品の世界観と蟲の秘密についてこの話でほとんど解けましたね。さぁ舞台は整った、最後の祭りだぁ……!!


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二十九太刀目


 ついにいよいよここまでキマシタァ…!
 まさかの次回で最終話!
 いままで生きてて一度たりとも物語を完結できなかったのに遂に…遂に……!

 ではいよいよ物語は大詰め、明かされる九散の存在…そしてこの世界の真実を、どうぞ!

 (注意:8月終わりまでタイムリミットなので感想返信と誤字訂正は後回しとさせていただきます、ご容赦ください)




 

 

【推奨雅楽:神心清明】

 

 

 江戸から遠く離れた小さな島、八丈島。

 蟲奉行の救出、九散と剣牙虎の衝突という主にこの二つの出来事が起こった舞台であり、今現在は常人ならば入り込めぬ不可侵領域となっている。件の原因は九散の父・錆 灰徒によるものである。

 人という域を超越した存在同士の衝突――特に覇を持つ者同士――は■の落下へと繋がりその時点で世界に風穴を開け、有象無象の全てを飲み込む。その時点で誰かがこの世界の■に居座ってしまう可能性があり、同時に九散自身が己の使命と己が持つ力の全てを把握し切れなかったが故に、灰徒は八丈島を中心に結界を築き覇の流出と世界の崩壊を抑えた。それは同時に二人を永遠に閉じ込める檻の形成と夢幻の闘争を繰り返す戦場(いくさば)に成り果ててしまったのである。だがそれはむしろ灰徒には都合がよく、■に値する神格を持つ者同士の闘争は年単位で続けられる為に結界の内と外との時間の流れに違いがあり、それによって外での■に辿り着きかねない存在の覚醒に間に合わせるべく九散の修行場として大成した。

 

「るるるるるーるるるるるー、るるーるるーるるるるるるー」

 

 その不可侵領域に、現在三人の存在が確認されている。

 一人、何百日も九散の『理解』に付き合わされ何度も何度も生と死を行き来した英雄の残滓、真庭 剣牙虎。彼はこの世界でも最も()(じゅん)に近しい存在でありながら英雄という器であったために()(じゅん)の狂信的自己愛に犯されること無く次元違いの力を有していた。存在が確認されているといっても彼は瀕死の重傷であり今は海にぷかぷか浮き目を剥いて気絶している。

 もう一人――と、加えて最後の一人。先ほどから崩れ果てた八丈島の中心で鼻歌を歌う女性。黄土色の髪を地に垂らして空を見上げる彼女こそ――此度の『西征』の全作戦を創案した九散の母、鑢 八穂。そして八穂と共に横たわり、編み笠を顔に被せて横たわる男――九散の父、錆 灰徒だ。

 

「…()()漸く逢えたねぇ、私達」

「………」

 

 思い出すように言う言葉に、灰徒は答えない。

 

「……私が■につく前に別れて、それっきり。あれからどれくらいの歳月が過ぎたのかなぁ……一万と二千年だったら一瞬、って思えてる辺り…相当長いよね」

「………」

「そう、永遠に近い歳月。万でも億でも兆でも京でもない…まさに那由多の果てだよね、きっと」

「………」

「普通だったら相手の顔なんて忘れてるよね? ■の人が変わるたびにあなたの因子を宿す人に度々会ってきたけど…やっぱり、本人じゃなきゃ駄目だわ。あーあ、私って思ってる以上にぞっこんね、もしかしてあなた以上かも? それは無いか」

「………」

「え…そんな愚かしいから愛してるとか今更言われても反応に困るな……まぁ、お互い駄目駄目なんだよねきっと。でも…ここまで本当に長かったよね。何を血迷ったのか大戦争引き起こして、たくさんの人を殺して、結局争いの果てに救いを求めて、そんな私を馬鹿にして大笑いしたのがあなた。でもそんなあなたが、私が生み出し初代の■に就いた(しん)()と一体になって支えてくれたのよね」

 

 遠い世界の、今居る次元よりも遥かに発達した文明に居たことを思い出しながら、八穂は言った。灰徒は編み笠の鍔を弄ることで返答する。

 

「そこから二代目のオジサンが入ってくるなり「お前は間違ってる!」って論破されたり、三代目の細っちょろい色白男に間を取って納得させられて、四代目には劇的びふぉあーあふたーされて■がでっかくなっちゃうし……ああでもそこから死んだ後のことを考えるようになったんだよね」

「………」

「あんな変態に関心すべきじゃない? あなただって負けず劣らず変態な癖に。おまけに四代目より面倒臭くて理屈っぽくてウザい。でも…そのあと四代目の自滅因子、五代目、五代目の守護者って来て……()(じゅん)なんて頭可笑しい奴が六代目になって大変だったわぁ、私なんて投げ飛ばされたのよ? こけしみたいに。三代目と四代目の間くらい溝が在り過ぎて本当に困ったよ」

 

 とてもそんな簡単に済ませられるようではない話。だが、彼と彼女だからこそ成立する話であり理解できる話でもある。

 

「……まぁ、そんなこんなでいろいろ大変だったけど…結果的にいい方向に■も進んだから結果おーらいだよね。まったく…なのに、そんな中に■も知らない存在が乱用し始めちゃって……でも、そのお陰で私達は巡り合わせられたんだよね」

 

 那由多の時が流れて――もう一生擦れ違い、振り向くことなんて在り得る筈がなかった存在同士が再び出逢う。

 そんなまさか。

 ありえない。

 でも、本物だ―――そう、意気投合した二人は結ばれ、そして愛しい子を産んだ。

 

「……■の統治者、管理者かぁ…私達の子供だから普通じゃないっては思ってたけど、ここまでくるともう運命だよね運命。でぃすてぃにー。これが終わればまた、違う世界に旅立つんだろうなぁ。これもぜーんぶあなたが考えたんでしょ」

 

 哀愁を漂わせる表情。特に何を考えるまでも無く見上げた空は、東の方角から次第に天の星が輝きだしていた。ここまできて漸く編み笠を取った灰徒はゆっくりと八穂の手に手を伸ばす。いきなり掴まれて驚いたが、今更になって触れてくる理由を理解し、ああ、と嘆息しながら微笑んだ。

 腕が、徐々に消えていた。

 

「そっか。もうすぐ終わるんだね、九散」

「………」

「行くなって…そりゃ無理だよ。呼ばれているんだから行かなくちゃ。え…最後にもっといちゃらぶしたい? まぁいいじゃない」

 

 ぽん、と灰徒の頭に残っている手を載せ、八穂はにんまりと笑いながら言った。

 

「今度は恒河沙の果て辺りで会えるといいね、ナラカ」

 

 そう言って、八穂は灰徒の目の前から姿を消した。灰徒は残滓も残さず消えていった、しかし彼には見える彼女がいた証をしかと握り締めて――彼もまた、空間に溶けるように消えていった。

 

 もうすぐ、この世界に蔓延る一つの歴史が終わりを告げる。

 

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

【推奨雅楽:此之命刻刹那】

 

 

 

 決戦の舞台・大阪城。巨大な繭が胎動を始め、孵化間近であるその時――この世界でも異端分子である黄金の獣と同等の資質を持つことを許された男・真田 幸村の前に錆 九散が姿を現した。

 幸村が心から待ち望んでいた王の復活を前に現れた九散の真意は幸村には読み取れない。だが少なくとも味方ではないということ、己とほぼ同等の力を有していることは分かっていた。

 その二つが分かれば、十分だった。

 

「我の邪魔立てをするならば――死ぬるがよい」

 

 羽を薙ぐ。

 背中から生えた羽の羽ばたき一つで繰り出される烈風は巨大な瓦礫をいとも簡単に吹き飛ばし、天の気流を乱す。王が眠りし繭から離れさせるように放たれた烈風は効果的らしくまるで破られた障子紙の如く九散は宙を舞った。

 

不捕(とらわれず)――捕らわれぬこと『針(はり)』の如し」

 

 否、いまの九散はまさしく障子紙だ。

 嵐の中でもただ流されるだけでその身にひとつの傷さえ残すことの無い柳のような身のこなし。まさしく、九散が扱う十二使刀流に他ならない。だが『針』の体現は防御力の無さに繋がる。

 

「空中戦で蟲人である我に勝てると思っているのか?」

 

 当然、その隙を逃す蟲人ではない。再び羽を広げて羽ばたかせては一気に急上昇し九散へと迫る。己が引き起こした風よりも速く、空気を裂くようにして飛んだ幸村は貫手を九散へと繰り出す。

 だが、九散はただ風に煽られていただけではない。

 

不斬(きらず)――斬らぬこと『(じゅう)』の如し――超過駆動」

 

 なんと宙に見えない足場があるとでも言うように、九散は風に乗っていた状態から静止して宙に佇んでいた。羽も無しに空中で停滞してみせるとはまさに妙技。だが九散が人外であると確信している幸村にとってその程度で驚きはしない。

 九散の両手が馬上筒のように親指を火縄ばさみに、人差し指を銃身に、中指を台木に見立てて構える。従来ならば指先に籠めた法力を銃弾のように放つ技であるが、今回は違った。

 

 超過駆動。

 

 人外にして規格外。怨嗟の如き渇望の末路に顕現されたそれは世の理を捻じ曲げる邪法。極地に到達した魂を燃料に世界を己が決めた法則で塗りつぶす力。()への到達に至らない『銃』の刀ではあれど、九散の指先から収束していくそれが神格の領域に達していることを告げる。

 

 

 ――欲しいのは温もりではなく、炎。私を焦がす輝きに、永劫焼かれたいだけだ。

 

 

 幸村は九散の右側に女性の幻影を捉えた。黒髪か赤毛か、明確な色の筈なのに判断がつかないのは何故だろうか。葉巻を咥えた彼女は嘲るように全てを見下し、しかしやれやれ仕方ないと言う様に九散の腕に手を添え着火する。

 

 それは紅蓮の焔。

 紅と漆黒に輝く炎球は、今はまだ小さな球でしかないが想像を絶する熱量が偏り無く収束されていることから九散の技量が読み取れる。第七地獄・大焼炙の獄炎を宿した炎は九散の両手の指先に収束し、その砲口は幸村へ向けられていた。

 

 

 ――真面目に生きていない奴のことを、オレは絶対認めねぇ。

 

 

 女性とまるで鏡合わせの如く、九散の左側に男の幻影が姿を現す。蜜柑のような橙色の髪。半面に鬼の面を下げた傾奇者の姿をした彼は、快楽と愉悦に顔を歪ませ幸村を指しては嗤いながら九散の背中をとんと叩いた。

 

 増えたのは腕と、その手が持つ銃。

 二本の腕から四本に、そしてまたその腕が増え六本になった手にはそれぞれ馬上筒がしっかりと握られている。これにより砲口は二つから六つに増え――別に数が増えたと言ってもどうということは無いのだろうが、問題は紅蓮の炎球に籠められたもう一つの理だった。

 それは神の奇跡さえも打ち消す魔弾。

 姿形、外見こそ奇矯なれど誰よりも真面目に人の世を歩き続けた彼の、唯一にして絶対の渇望だった。神になんか縋らないし祈らない。ご都合主義なんて信じるに値しない、人生なんて自力で生きてナンボのモンだろ。

 

『しっかり狙えよ、小娘』

『外すなよ、一直線だぜ』

 

 九散だけに聞こえる彼らの小言が耳に響いた。己の中で生き続ける彼らの変わらない態度に肩を揺らしながら、九散は引き金を引く。

 

 それはまさに地獄。放たれた六つの炎弾は大阪一面を覆い尽くす炎海の波となって幸村へ押し寄せる。高さ五百由旬、横幅二百由旬を超えんとする炎はまるで生き物のように躍動しては蛇の如く炎の鱗を晒し、幸村の眼前を炎で染め上げた。これは受け止めきれないと悟った幸村は己が引き出せる全速力で羽を羽ばたかせて獄炎の魔弾から逃れる。

 だがそこで幸村は己の愚かさを恥じた。なぜならば、己の背後には幸村が信慕してやまない復活を待ちわびていた王の繭があったからだ。

 はじめから、九散は繭を狙っていた。ただその直線状にいたのが幸村であり、まさに偶然と言わんばかりに幸村はその事実に気付くまで己を狙っているのだと勘違いしていた。

 

「貴っ様ぁあああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 大口開けて怒りを叫んだところでもう遅い。炎が幸村の喉を焼き焦がすよりも速く、六つの紅蓮の魔弾は大阪城を寝床にしている巨大な繭に的中した。

 

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 

 大阪の大地は、激痛を生み出す炎の海に埋め尽くされた。どこを見ても炎、炎、炎。未だ大阪への侵攻を果たしていない『西征軍』には九散の炎による被害を受けていない。しかしきっちり大阪全土のみを大焦熱地獄に染め上げたせいで誰一人近付くことは叶わず、ただこの炎を生み出したであろう九散にすべての運命を委ね、『西征軍』はひたすら大阪の紅蓮の空を見続けた。

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 九散が放った獄炎の魔弾は大地を焼き焦がし空気を塵に変え、ありとあらゆるものを焔の燃料と化して永遠に燃え続ける。それは狙いであった大阪城も例外ではなくかつての面影どころか欠片一つ残らず焼失していた。

 だが、神格級の獄炎の中で、大阪城を寝床にしていた繭は辛うじてその形を保っていた。驚異的な硬度が繭の蒸発を防いでいる――と、それが真実であればよかったが、繭の中で覚醒したそれを感じた九散は身構えた。

 同時に、必中と謳われた獄炎から逃れて見せた幸村は首を絞め殺さん勢いで九散に掴みかかる。

 

「卿よ、我に殺される覚悟は出来ているか」

「あらあら、もう少し落ち着きなさい。一応申し開きを聞いてもらってもよろしくて?」

「聞く価値も無い。いまこの場で――卿を屠ってみせよう」

「私の話は貴方にとっても無益ではないはずよ」

「ほう、ならば申せ」

「貴方が展開したこの世界の理に従って復活させたい貴方の王――それは誰?」

 

 貴方が展開した理、という言葉に疑問が浮かぶがそれはひとまず置く。

 

「無論、我が生前に忠誠を誓った王である豊臣 秀頼の娘――常世の蟲、天秀尼(てんしゅうに)様だ」

「そうよ、ええそうよねぇ。でもね、あの繭に居る存在はそんな存在ではなくなってしまったわ」

「…何だと」

 

 幸村が疑問を投げかけたその時、バキリと繭がある方で罅割れる音が響いた。空中にいた二人は一斉に振り向き繭を凝視する。

 次に聞こえてきたのは――咀嚼音。繭の中の本体が肉体の急激な肥大化と共に何かを喰う音がする。それが、幸村が復活を(こいねが)っていた常世の蟲の成れの果てであることに気付くのはそう掛からなかった。魂と血肉を喰らうごとに、次第に膨れ上がる肥溜め。糞と尿と蛆と蠅と、ありとあらゆる汚物の集合体――否、最早究極体に達した存在。

 それがいま、この世界に生れ堕ちた。

 

 ――塵が

 

   塵が塵が

 

   塵が塵が塵が

 

   塵が塵が塵が塵が

 

   塵が塵が塵が塵が塵が

 

   塵が塵が塵が塵が塵が塵が

 

   塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が

 

   塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が塵が―――

 

 極悪にして極大の殺意と嫌悪以外に抱くことの無い罵倒。そしてそれに乗せられた吐き気を催ほどのす自己愛。

 王の復活へと捧げられた市政百姓凡夫――この百年間でざっと億万にも達する数の魂は、突如として生まれ堕ちた全次元上史上最悪の破片を宿した邪神によって喰い散らされた。

 否、これは決められた定めだ。

 剣牙虎との闘争と死の果てに得たもの――そも、その争いが引き起こされたという過去が今日びの邪神の降臨を確実なものにしていた。そう遠くない未来でかつて()に君臨した史上最悪の邪神が現界するという避けられない未来が、九散という存在をこの世界へ導き、そして限りなく()(じゅん)に近い素質を持つ剣牙虎を引き合わせることで『肩慣らし』として九散の己の使命を見出させた。

 それは、闘争を終え終息した神座(しんざ)の機構から零れ出た欠片――それらが無数にある確率の内のたった一つに宿ってしまった、いまとなってはその次元の歴史に停滞を掛ける要因となる腫瘍になった存在の殲滅。それが第一天と座の間に生まれた、人格化した座の機構そのもの――錆 九散の使命である。

 

「ああ……」

 

 血を啜り、肉片を貪り、魂を喰い散らかした第六天波旬の因子をその身に宿す名も無き神は、繭から身を乗り出して九散と幸村を見つめた。

 

「塵が」

 

 息を吐くように言う。たったそれだけで宇宙を砕きかねない呪詛となるそれは空を引き裂き空間の断崖を作り出した。

 

「塵が塵が塵が塵塵塵塵塵。この塵屑どもが。消えろ、消え失せろよ。宇宙(ここ)には俺だけ在ればいい、俺を一人にしろや」

 

 誰がいてくれと頼んだ? 誰が近寄れと頼んだ? 誰が触れてくれと頼んだ?

 いらない。俺以外の存在なんざいらない。この世界は俺だけであればいいんだ。

 だから―――

 

 

 

 

 

 

                「  滅 尽 滅 相  」

 

 

 

 

 

 

 だから塵共は、消えてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それは了承しかねるな」

 

 この場に神格は三人居る。

 その内の一人、第四天の自滅因子である黄金の獣の理を身に宿した蟲人・真田 幸村は名も無き神の願いに反した。死すれば後悔を背負った魂は蟲として転生する理を、黙する死者の魂を己のものとする理――修羅道至高天をこの世界に敷いた張本人である幸村も同様に九散の殲滅対象である。

 

 

 

「我はすべてを愛している」

 

 

 

 黄金の獣の因子、その欠片を身に宿す幸村は宣言した。

 

「敵であろうが味方であろうが、ましてや蟲・人関係なく我はこの世界の全てを愛している。故に我はその全てを壊す――卿が糞だの塵だのと断じた存在も、我にとってはすべて愛しき存在でしかない。それは卿も例外ではない――故に、まず卿らを壊そう」

 

 黄金に光り輝く瞳が名も無き神と九散を捉える。卿『ら』ということは九散も含まれていることに他ならない。分かってはいたがままならぬ、しかし完全に予想通りの展開へとことが運んでしまった状況に思わず笑みが浮かぶ。

 

 

 

 

 

 

「貴様等は存在してはならない」

 

 

 

 神座の創始者である第一天とその(つが)いから生み出された断罪者。零れ落ちた理を乱用する存在を排除すべく人格を持って生まれた座の統括者は、宣誓した。

 

「貴様等はこの世界の歯車を止める無知なる稚児だ。己が持つ理の、その力も理解せず思うが侭に振るう――それは座を束ね、管理する私への侮蔑と受け取った。故に滅びよ、ありのままの歴史を紡ぐべく消え去るがいい」

 

 額に開く三つ目の瞼を開いた三眼六手の神は言った。三つの合掌を捧げて神気を放つ。

 

 

 

 名も無き邪神は己以外の塵を殺す。

 

 黄金の獣の因子は愛を証明するために壊す。

 

 神座の統括者は歴史を紡ぐべく異端分子を断罪する。

 

 

 

 三神三様。

 

 己が持つ目的のために、降臨した三つの神は三つ巴となりて激突する。

 

 

 今ここに、三柱によって繰り出される神域の闘争が幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 やっと…書けたぁ!
 書きたかったところが書けたぁ! これこそ二次創作の醍醐味ですよね! 自分が考えてあっと驚かせるようなのを書くというのが!

 最後のシーンはDiesの三神三つ巴シーンを思い出していただければ幸いです♪
 まぁラインハルトさんは定位置、今回はニートと練炭の代わりに波洵と九散ですがwww




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三十太刀目

 ぐああああああああああああああああ九月になっちゃったよぉ~(泣)
 ……申し訳ありません、ほんっとスンマセン!!
 何分今日は十時までバイト、しかも波洵並の糞に遭って頭ン中グッチャグチャ……あと昨日の家に帰ってバタンキューが痛かった。あれで書けば23時に投稿できた
 本当に申し訳ありません…でも、

 ついに、完結です!

 それでは、どうぞ!






 

 宇宙(そら)が軋む。時間軸が撓み、空間が綻びる。覇道を持つ神々の衝突は世界に穴を形成し座への(みち)へと繋ぐ。

 そうして世界は崩壊し、それを引き起こした三柱だけが取り残されて特異点への落下を開始する―――

 筈、だった。

 ぱん、ぱん、ぱん。

「!」

 それに気付いたのは幸村だった。もとより理性すら欠片も残されていない無名の邪神が気にかける、という思考すら無い。

 九散は己に生える六つの手で三度の拍手を打ち鳴らす。それにより周囲の空間が歪み、九散を中心に放たれた神力が展開し周囲との空間層とは異なる世界へ変遷した。

「これは―――」

「これが、人格化した座の機構本体である私が無知なままで世界に生まれた理由」

 獄炎に燃え上がる世界は変わらない。だが本来大阪で焔の手の侵攻が止まっていたはずであった炎ははるか地平線の彼方――否、この世界全てを飲み込んでいた。そして奇妙なことに、人の気配がしない。

 明らかに先ほどまで居た世界とは違うことを確信した。

 だが神格級――つまり、座になる素質を持つ幸村と無名の邪神を隔離させるなんて本来不可能に等しい。それは隔離させる存在が二人の力の総数に匹敵するか、もしくは凌駕していることに他ならない。

「『私が貴方達を斃す』――という共通見解を元居た世界の人々に植え付けることが目的だった。それが世界の意思であり歴史の迂回路なのよ。本来貴方達さえいなければこうして私が出張る必要も無く死んでたでしょうけど」

 一度生み出された腫瘍は無理に切り離してはならない。血管に生まれた腫瘍はそのまま触れてしまえば破裂し血の海を築き、もう元には戻れない。ならば、腫瘍を避けるように迂回路を生み出して血流を確保してから安全に処置するのが一番だ。

「第六天の時まではそうやって何度も何度も世界を破壊していたせいで――いくら無量大数であっても世界に負荷がかかる。寿命がガリガリ削られていつしか世界が生まれなくなるわ。そうなってしまうと座が在る意味が無くなる。貴方達みたいないるだけでハイ世界ぶっ壊しました座になっちゃいました、な二番煎じの連中が悪戯に生まれては困るの。だから」

 溢れ出る神力を解放し、碧の三眼で二柱に微笑む。

「壊されなさいな、()のために」

 ▼ ▼ ▼

 

【推奨雅楽:波洵・大欲界天狗道】

 

 

「我が討ったのは悪しき者。滅ぼされてしかるべき邪な者。ならば我は正当なり」

 開幕と同時に九散の六手の一本に刀が握られる。それはもはや刀と呼んで良いのだろうか――柄と鍔はあれど、人を斬る為の刀身が見つからなかった。刀無き刀。向ける刃無き刀。この世で最も誠実なる刀、誠刀『銓』―――

「 第一天――二元論 」

 刀の背後に、一人の女神の幻影が現れた。座を組んだ黄土色の彼女か九散の生みの親にして座の創始者。閉じた瞼が浮かべる笑みに応えるように、女神の祈りを口にした。

「 まず感じたのは『悪』――求めしものは己が救い

  ああ何故、何故争いは止まぬのか

  何故血は流れ、何故人は死に、何故屍が満たされる

  死の果てに救いが欲しい 死が無でない証が欲しい

  覇を吐き唱えし強者は善に非ず 敗残の淵で嘆き悲しむ弱者は悪に非ず 」

 瞬間、祝詞から感じられる神力を無意識に感じ取った名無しの邪神と幸村はそれを阻止すべく動こうとして――身体が硬直した。発現した原初の祈りはあまりに愚直で杜撰で、それでいて誰彼訪わず人の心に浸蝕し、浸透する。

「 我が誠刀は定まる事なき善悪の銓。されど(かぶ)くは常に悪 」

 己を斬る、己を試す誠実なる刀が鍔よりに傾く。本来鍔の先にある刃は強者を象徴していたものである。この世を善悪で分かつことは出来る。滅ぼされる者は悪者で、滅ぼす者はちゃんとした正義の味方。わかりやすすぎるほど単純なことだ。だが実際には善側の人間は善であるが故に幾つもの制限を強いられる。それは悪人に蔓延らせるに十分なものだった。

 そうであるがゆえに抱える矛盾。元が知性を持った人という存在であったからこそ感じ取れる原初の苦悩。

「ああああああああああああ何だ何だ何なのだコレはァ!? 煩い穢らわしい這入ってくるな身体の中を這いずり回って来るみたいで嫌なんだよオオオオオォォォォ!!!!!!」

「ぐっ……ぬううううううううううううううう……!!!!」

 一気に二柱の神格が第一天の侵食に掛かる。苦悩とは侵食、犯されれば第一天の法則に従い討つ者と討たれる者、正義と悪を決定付けてしまういわば運命を決める毒。二人とも神格こそ第一天より遥かに上位に君臨する存在ではあれど、座の管理者である九散が扱うとなれば話は別だ。そも、己が持つ座の理を完全に理解しきれていない二人と全ての座を統べる九散とでは圧倒的な差がある。

 このときこの一瞬、三柱の争いは二柱と一柱の二つに分かれた。

「ふっ…は、はははははははははははははははははははははははははははははは!!!! 善い、実に善いぞ! 我をここまで追い込むとは卿もなかなかやるではないかッ!! 生まれてこの方一度たりとも窮地とやらに陥ったことが無くてな…嬉しいぞ、卿のような強者と相見えるとは!!!!」

 脳に渦巻く苦悶を振り払い、今までの鬱憤を晴らすような全力の一撃が叩き込まれる。羽の煽ぎによって生み出された速度は神速を凌駕し、それはまさに北欧の雷神の鉄槌を上回っていた。都一つを滅ぼさんとする一撃は、しかし九散から放たれた強烈な悪の波動に押し退けられた。六手に握られた二本目の刀から流出された悪意の塊が膨張して拡散し幸村の一撃を拒む。そして、強烈な打撃が無名の邪神の全身に突き刺さった。

「我と我が民たちは善ゆえに、縛る枷が無数にある。犯せぬ非道が山ほどある」

 握られた刀は毒々しいまでに塗り固め、(めっき)の如く幾重にも悪意を重ね塗られた毒。当初滲み出ていたそれは四季崎記紀の残留思念では無くなった。四季崎記紀の因子ではなく、それとは関係無しに単純なる殺意の塊が、悪そのものが宿っていた。この世で最も毒性を持つ刀、毒刀『鍍』――

「 第二天――堕天奈落 」

 膨張し膨れ上がった悪の波動の後ろで、荘厳な風格の老人が姿を見せる。その男はこの世の善が善であるが故に縛られることが赦せなかった。善であることは悪くないが、善が滅ぶのは許容出来ない。だからこそ悪を討つには己が悪に染まるしかない、そう願った。

「 我が毒刀は悪の化身。目には目を。歯には歯を。殺意には殺意を。悪には悪を 」

 悪に対抗するは善に非ず。善が救えぬなら己を悪の化身として対抗しよう。己が悪に染まることは悪くないのだと、その祈りは極大化した汚染濃度の高い邪念となって襲う。黒く輝くという矛盾を孕んだ塊は爆弾の如く拡散し無名の邪神の身体を少しずつ削っていった。

「触るなぁ触れるなぁ、臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭うんだよ糞がぁ――!!!!」

 無名の邪神の肉体が再生されていく。削られた肉が盛り上がるように埋め合わせられ、さらにそこから蜘蛛を思わせる長く鋭い足が伸びていた。八本の足が拡散させた悪の波動を弾き、足先が紅の処刑刃に変わり波動を斬り刻む。まるで時が止まったとばかりに全ての波動を斬り刻み消滅させた無名の邪神は刃先から悪意を垂れ流す。傷口から滴る血玉のようにこぼれ落ちた悪意の塊こそ、第二天の力に他ならない。

 悪に悪を返すぅ? ならば倍返しにしてやる。

「死ね」

 八つの刃から消滅と停滞、憎悪が込められた光線が全方位に放たれる。大気が罅割れ、衝撃で取り囲んでいた炎が――砕け散った。一直線に突き進む暴虐の光線が九散と幸村に迫る。だが一面六手の女神と蟲の王者は動じなかった。

「我はなんと罪深い悪なのか。我のような者を生んだ存在は、なんと底知れぬ痴愚なのか」

 六手に握られた三本目の刀が現界する。鍔も刃も無い木製の刀。この世で最も毒性というものが欠如した一振りであり、むしろ人が持つ悪、殺意、毒素を浄化し霧散させ消し去る刀だ。人を正して心を正す。精神的王道を歩ませる教導的解毒の法を有する刀、王刀『鋸』――

「 第三天――天道悲想天 」

 木刀を持つ手に寄り添うように、白髪の線が細い男の幻影が映し出される。張り詰めた空気が流れ出し、硝子細工のような美貌から象られる微笑は見る者の背筋を震わせるほど完成されていた。もし本人が現界していたなら発狂していたであろう美しさを有する男はかつて、罪を持たない完全なる生命体を創造しようとしていた。結果として彼自身は神格を会得し、森羅万象を彼が望む電子で構成された無機なる機械の(ことわり)を実現した。

「 まず感じたのは『悲嘆』――求めしものは救済

  何故奪い 何故殺し 何故憎む人の子よ

  ああ何故 私はこんなに罪深い

  ならば清めん 原罪浄化せよ 」

 解毒の法、原罪の浄化が幸村から放たれた悪意の波動を押し返した。悪意とは己の内の罪の肯定である。人を死へと導く為の媒介である。悪の波動は己を悪に染め上げてこそ放てるものであり、故に悪に染まっていた無名の邪神の一撃は浄化現象を目を見張るほど進行させて消し去る。

「我が王刀は罪科の浄化。生まれ埋め込まれし人の原罪は無く、欲も無く」

 茶でありながら眩い白に輝くそれは、■■■■■の願いを叶える端末に他ならない。放たれた暴虐の光線は九散の周囲で塵に変える。球体状に形成されたそれは九散を覆うように展開され、九散に近付く存在全てを拒む。

「その程度」

 幸村も黙っていない。日ノ本の国全域を覆う蟲への反魂術を展開してみせた力は紛れも無く黄金の獣の魔城と同等であることに他ならない。死者の渇望――特に、己に使えていた真田十傑蟲の渇望を忘れる筈も無い。

「 我は幻。掴める者などありもしない

  届かない。触れない。霧に映し出されし幻影

  狩人は待つ、得物が油断するその時を――胡蝶の夢

  惑い踊れ旅人よ――蟋蟀の夢幻 」

 幸村に仕えていた中でも最強に位置する才蔵の幻影が姿を現す。その幻影さえも煩わしく感じた邪神は即座に貫くが所詮幻。感触などあるはずも無く空を切る。しかしそれは実体と思われていた幸村も同様で、一体目が消されれば二体、その二体が潰されれば四体と次第に分身を増やしていった。当然、その中に本体がある筈も無く―――無名の邪神の視界一杯を濃霧が覆っていた。

「目に障る、失せろ」

 邪神の言葉一つで空気が爆ぜ、一瞬で濃霧は消える。だが濃霧出現と消滅による僅かな硬直を――女神が見落とすはずも無い。

「抱かれたことが無いから――なら、抱いてあげる」

 ヌッと邪神の視界の左右から両手が差し出され、その両手が邪神の両目を覆う。後ろから掻き抱いた九散の四手は邪神の全身を舐めるように触れる。

 じゅ、という音が――それがただの抱擁ではないことを告げた。

「っがああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!! 熱いぃぃぃぃ…熱い熱い熱い熱い熱いィィィィィィィィィ!!!! 止めろ目障りなんだよ消えろ消え去れ俺だけしか要らない俺以外要らないんだあァァァァァァァァァァァ!!!!」

 触れるだけで浄化される王たる刀は陽光の如く邪神の身を焦がす。それを煩わしく思い、熱し腐食していく肉体を強引に引き千切った邪神はその肉塊を全力で投げつけた。己から離れたものは糞。その他諸々全て糞。隕石のような速度で空を裂く糞は、九散の心臓を穿った。だが、

「ああ、嫌だ。認めない。このような終わりなど許せない」

 苦無のような小さな刀が九散の手に握られる。苦しみ無き刀は全ての傷を癒す。それはすなわち時の巻き戻しに他ならない。最も悪性を孕んだ癒しの刀、全てを永遠に生かし、永遠の回帰を実現させる凶悪な刀、悪刀『鐚』――

「 第四天――永劫回帰 」

 全てを『無かったことにする』刀の影で、ボロボロの衣を纏った痩身の男が(こうべ)を垂れた。演技役者は、はたまた道化にも見える軽薄そうな男は虚無的な冷笑を浮かべて両手を掲げ、指揮者のように腕を振った。

「 まず感じたのは『諦観』――求めしものは未知の祝福

  飽いている 諦めている 疎ましい 煩わしい

  ああ何故 総てが既知に見えるのだ

  輝く女神よ 宝石よ どうかその慈悲をもって 喜劇に幕を引いておくれ

  あなたに恋をした()()()()()() その抱擁に辿り着くまで 那由多の果てまで繰り返してみせん 」

 同時に九散を囲む様に電流が走り、時の逆行が始まった。貫通した糞が戻り、九散の胸元に空いていた孔はみるみる内に塞がっていく。時を巻き戻し都合の良い世界を送るべく、再び時が動き出す。

「 我が悪刀こそ無限なる回帰なり。唯一無二なる者よ、繰り返し給へ 」

 ――だが時間が戻ったからと言って全てが万事解決するわけではない。むしろこれは幸村にとっては好機であり、夢幻の理から抜け出しては一気に踏み込んで接近し、鱗粉から形成された刀を振り下ろす。同時に、八方向から邪神の身体から生えた斬首の理を持つ処刑刃が繰り出された。

 もう、逃げられない。

「私は総てを愛している。故に総てを破壊する」

 だがそれは九散の全身から映えた刀によって迎撃される。『鐚』の裏から現れた一振りの刀は全てが全て全く同じ刀であり、消耗品として、ただ圧倒的物量が名刀たらしめる刀、千刀『鎩』――

「 第四天が自滅因子――修羅道至高天 」

 黄金の獣が顔を出す。絶対的な存在感。現れただけで全ての眼を惹き付ける、黄金律に最も近い男。

 獣には全てが出来た。それ故に達成感が無い『餓え』が己を巣喰っていた。全力というものが出せず、愛そうと思い伸ばした手は森羅万象全てが砕け散る。だから――求めた。壊しても破壊されない何かを。何度砕け散っても蘇る軍勢を。その全てを愛し、破壊し続ける為に。

「 まず感じたのは『礼賛』――求めしものは全霊の境地

  嗚呼何故だ 何故耐えられぬ

  抱擁どころか 柔肌を撫でただけでなぜ砕ける なんたる無情――

  森羅万象 この世は総じて繊細にすぎるから

  愛でるためにまずは壊そう 死を想え 断崖の果てを飛翔しろ

  私は総てを愛している 」

 黄金の獣が指揮を執る。全身から飛び出た千の刀は千に千を重ねて千々に膨れ上がる。刀はかつて獣の爪牙として使えた英霊の魂が、獣が愛した者たちが宿り、一群となって襲い掛かる。黄金の獣は九散を一瞥して満足そうに微笑み、己の獲物である聖なる槍を取り出して構えた。目標は無論、己の断片を持つ真田 幸村。

「 我が千刀こそ願いを叶えしものなり。千に千を重ねし千々の軍勢よ、馳せ参じ給へ 」

 黄金の獣の雄叫びが上がる。同時に獣に従えし軍勢が歓喜に打ち震える。それは幸村にとっても同じであり、己の源流ともいえる黄金の存在を目の前に笑みを浮かべた。

「そうかそうか…卿が我であり我が卿なのだな。だが同じ覇道を歩むものは二人も要らぬ――勝つのは我だッ!! 我が王に手向ける華となれ!!!!」

 同じ資質を持つ黄金同士の衝突。

 かたや、数百万の骸骨の軍勢と肉体・魂共に超人に達した渇望を抱く十三騎士団。

 かたや、日ノ本の国の歴戦の死者と黄泉の果てまで共にした十勇士。

 圧倒的物量を保有する軍勢同士の衝突。

 決着は、一瞬だった。

 ▼ ▼ ▼

「……オォ」

 死魂同士の衝突が骸骨の山を築く。

 白狼が蜻蛉を貪り、鬼が飛蝗を吸い、終焉が団子蟲を潰す。

 紅蓮が蠅を焼き焦がし、死喰いと大淫婦がゴキブリを壊し、炎剣と魔女が蟋蟀を爆ぜた。

 そして、心臓を聖なる鑓に貫かれた幸村は同志の最後を見届けて――笑った。

「皆の者、大義であった……また、黄泉の果てで逢おう…ぞ……」

 その言葉を最後に、幸村は瞳を閉じ最後を迎えた。

 黄金軍勢を解いた九散はまるで聖人のように鑓に貫かれて死んだ幸村の死体を抱きしめ、再び詠を紡ぐ。 

「抱きしめたい。包みたい。愛しい万象、我は永遠に見守ろう」

 九散の手に鉄色の太い刀が現れる。あまりの重量と見た目から刀だと判別し難いそれに鞘は無い。見方によれば柄尻も刀の刃として扱えそうだ。この世界における物質において最も重いとされる刀、双刀『鎚』――

「 第五天――輪廻転生 」

 首に刻まれた斬首痕、襤褸切れの布一枚を纏った金髪の少女の幻影が浮かび上がる。幻であるのに、貧しい姿をしているのにも関わらず美しく見えてしまう彼女は第四天が恋をした女神。九散の腕の中で事切れた幸村を見下ろし、女神は祈りを捧げた。

「 まず感じたのは『慈愛』――求めしものは触れ合い

  触れば首を刎ねてしまう 愛し愛されることができない

  ああ なんて罪深い罰当たり

  だから願う 来世の果てにある希望を

  それはきっと 遍く総てに降り注ぐべき光だから

  私がみんなを抱き締める 生まれていく命たちを 永久に見守ろう」

 ありとあらゆる(いのり)は決して綺麗事では済まされない。しかし――だからこそ、それは尊く何にも勝る輝きであると信じるがゆえにその総てを抱きしめたい。希望と絶望に狂った渇望はそれでも人類という存在そのものを愛していることに他ならない。無条件で全てを愛する女神の祈りは、果たして何を――。

「 我が双刀に知らぬ重み無し。故に我は総てのものへの幸せを希う。命の重さ、魂の重さは同じなのだから 」

 死体の山が、十傑蟲達の魂が、幸村の肉体が光の粒子となって崩れ去る。それはすべて九散の肉体へと吸収され、九散の手に幸村を象徴する六文銭の家紋が彫られた鉢金だけが残った。それが、真田 幸村の魂を昇華し黄金の獣の末端を繋いでいたのだろう。九散はそれを力強く握り締め、片手で握り割る。

「自分以外が死ぬと隙が生まれるのかこの塵は」

 物思いに耽る九散の背後を、邪神が目を光らせて突貫してきた。

 そも、戦いの最中に背を晒し動きを止めるなど愚の骨頂。空を踏み鳴らすだけで超質量の空気の層が第六天の無量大数の理と重なり九散を押し潰す。

 

 

「時よ止まれ。君は誰よりも美しいから」

 

 だが、先にも言ったように座の全てを統治する九散と座の断片をたまたま宿した程度の存在では雲泥の差であることは明確だ。それが九散がいくら油断したとしても無意味であり、座の断片程度の実力で見出せる隙の瞬間は九散にはどうということは無い。

 冷静に手を伸ばし、刀を形成させる。もう目の前に全てを圧殺する暴力が迫る――

 手に握られたるは鞘を纏った拍子抜けするほど(まっと)うな刀。自己愛の渇望からなる重圧と、肉薄している――

 だが一度(ひとたび)刀を抜けば、刀身は愚か抜刀の様子さえ目に映らぬ速さで納刀される、森羅万象を切断する刀、斬刀『鈍』――

 

 邪神の足が、九散の頭を潰す。

 

 

「 第五天が守護者――無間大紅蓮地獄 」

 

 

 停滞した。

 時間が。空間が。ありとあらゆる全てが停滞し氷像のように凍て付く。並みの神格ならば気付く間も無く踏み潰されるであろう一瞬は、しかし九散の背に佇む赤銅の肌を持つ紅髪の神の幻影の力で止められた。

 無間の刹那と呼ばれていた彼は第五天の女神に絶対の愛と信頼を注ぐ存在。強者を食らう唯一座の機構に逆らえる可能性を持つ彼は白の装束を身に纏い、全身を幾何学的模様に染め上げて両の手に持つ処刑刀を胸の前で交差させた。

「 海は幅広く 無限に広がって流れ出すもの 水底の輝きこそが永久不変

  永劫たる星の速さと共に 今こそ疾走して駆け抜けよう

  どうか聞き届けて欲しい 世界は穏やかに安らげる日々を願っている

  自由な民と自由な世界で どうかこの瞬間に言わせてほしい

  時よ止まれ 君は誰よりも美しいから――

  永遠の君に願う 俺を高みへと導いてくれ」

 

 

 後に第五天となる三柱の守護者の中でも最も神々しく、気高く、それでいて邪悪。第六天の欠片を宿す存在を、まるで親の仇を見つめるように今にもその首を叩き切ろうと睨む彼は、第六天とは切っても切れない縁があるからに他ならない。通常九散が座の神格を出現させ流出する出力の倍以上が溢れ、本来ならば実力としても勝るはずの第六天が身動ぎどころか思考すら停止されているのはこのせいだ。

 

「 我が斬刀に斬れぬ物無し。故に空よ、時よ、断たれて止まれ。あなたは美しき人だから 」

 

 

 斬刀の一振りが解き放たれ、永遠の刹那の中で億万の斬撃が邪神を切り刻む。しかし並の神格ならば一太刀一太刀が切断する威力を有しているはずだが――第六天の防御力は伊達ではない。かつて第六天の欠片を有さずとも第六天の存在に最も近かった剣牙虎も、その強固なる肉体に宿る無量大数はあらゆる攻撃を反射させていた。

 そして、浅く斬られた肉体から流動的な液体――血が垂れるのを契機に邪神の目がぎろりと動く。いくら刹那の理が絶対でも、ほんの少しでも動く要素さえあれば邪神にとってはそれを跳ね除けるには十分だ。

 

「痒い」

 

 虫唾が走る。刹那に放たれた消滅の斬撃をそう評価して見せた邪神は、肌を引っかくように爪で掻く。掻くという何気ない動作から、邪神はお返しと言わんばかりに刹那の斬撃を生み出す。流石のこれには九散でも対応できず、全身に消滅の斬撃が走った。

 

「くぅッ…!!!!」

 

 ここで今、九散は初めて手傷を負った。刹那を発動している今の九散に第四天の永劫回帰は扱えな――いや、扱えるかもしれないが、九散はあえて第四天の力を解放することなく受け止めた。

 

「歴史を戻すぅ? 座の為に死ねぇ? いらない存在だぁ? なんだよなんなんだよそれ、まるっきり俺じゃねぇか。ああそうだ俺にとってお前は塵で屑で糞だ。だから死ね逝ね気持ち悪いんだよ消えてくれ」

 

 倒れた九散に畳み掛けるように足が何度も振り下ろされる。既に六手は根元から潰され、端正な顔は見るも無残な肉塊となって血の海に沈む。何の信念も抱かない、無価値で糞にも劣る究極的自己愛の渇望が九散の肉体を崩壊に追い込む。

 

 自分以外どうでもいい俺だけがこの世界の法だ消え去れいなくなれ煩わしい汚らわしいうっとおしいあぁでも死ぬなら惨たらしく死ね。

 

 何百、何千と踏み潰される。もはやそれがなんであったかなど分からないほどにぐちゃぐちゃになったそれを見て漸くすっきりした表情を浮かべる邪神は天を仰いだ。やった、俺だけになれた、もうこの世界に糞は無くなった。歓喜に酔いしれ遂に欠片のみであったにもかかわらず邪神の神格が底上げされ座へ到達する力を得る。

 だが、座は潰してしまったのになぜまだ邪神は邪神として君臨しているのか――

 

「あ?」

 

 違和感は足の裏。目が届きもしないそこは踏み潰した糞の体液がびっちりとこびり付いている。ああ往生際が悪いな汚らしい。そう思って真っ赤に染め上がった足を振るおうとして――止まった。

「死にたくない、生きたい。見つかりたくない、この恐怖から逃れたい」

 

 

 きぃん、と邪神の脳内を揺さぶる。それは単なる痛みでなくまるで病のように全身を呪い始める。歩くようにゆっくりと、しかしまるで坂を転げ落ちるように邪神の力が減衰していく様が目に見えた。 嘔吐を零して転げまわる邪神は、苦しみの中でまとわり付く正体を知った。

 それは『鎧』――ありとあらゆる攻撃を無に帰すそれこそ密着し侵食して完成していく絶対防御。伝播というそれ一つで全てを受け流す、まさに臆病なる座にふさわしい刀、賊刀『鎧』――

 

 

「 第六天が腫瘍――畸形曼荼羅 」

 

 それは腫瘍。かつて大欲界天狗道の完全なる完成を邪魔し続けた畸形嚢腫は波洵の片割れである。灰徒のように顔を隠したそれは紛れも無く畸形嚢腫本人の幻影だ。誰よりも生きたいと、そして波洵に見つかりたくないと、殺されたくないと渇望する酷く臆病な神。だがそう思っている半面誰よりも波洵と会い、殺されて解放されたいと願う自壊衝動を宿しており、九散の血が染み込んだ足から崩壊を開始する。

 

「嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼お前かお前かお前かお前かお前かお前かお前かお前かお前かお前かお前かお前かお前がずっとへばり付いてたのかいい加減消えろ離れろうっとおしいんだよ滓がぁ!!!!」

 

 錯乱した邪神は己の足ごと鎧を切り落とす。だがそれでも既に寄生した畸形嚢腫の自壊衝動は侵攻し続ける。誰よりも生きたいと願うからこそ第六天の因子を宿す邪神から離れるわけにはいかず残留し、誰よりも壊れたいと願うからこそ邪神と共に崩壊を続ける。

 だから、気付かなかった。

 己の目の前に、座を統治する断罪者がいるということに。

「俺はただ、一人になりたい。俺は俺で満ちているから、俺以外のものは要らない」

 

 先程の屈辱染みた暴虐の痕などまるで無い。いまなおその御身に神格の輝きを宿す九散は凄惨な笑みを浮かべて口を大きく開けた。そこから邪神目掛けて射出されたのは――刀。五尺の刀身、二筋桶の意匠が彫られた綾杉肌の刀には『鎚』と同じく鍔や鞘が無い。この世でも最も頑丈とされる切刃造の直刀、絶刀『鉋』――

 

 

「 第六天――大欲界天狗道 」

 

 

 倍返しにしてやる。と生まれたばかりの白痴の自己愛を誇る邪神は言った。だからそのままそっくり言葉を返そう。

 凄惨な笑みを浮かべる理由は九散の背後に現れた本物の邪神の幻影が物語っている。まさに三眼の彼こそ無名の邪神を生み出した根幹の原因であり諸悪の根源。生半可な力ではなく圧倒的な無量大数を有する彼こそ本物の邪神・第六天波洵である。

 

「 罨 有摩那天狗 数万騎 娑婆訶

  罨 昆羅昆羅欠 昆羅欠曩 娑婆訶

  下劣畜生――邪見即正の道ォォ理」

 

 本物の自己愛を前に無名の邪神がうろたえる。全身を襲う崩壊の理と目の前に迫る究極的自己愛が圧倒し、初めて無名の邪神の赤で恐怖という感情を習得した。しかし残念なことに無名の邪神が覚える人間らしい感情はそれが最初で最後、九散にとって得てから死んで欲しかった『後悔』の感情は、ただひたすら恐怖だけに押しつぶれ生み出すことは叶わない。

 

「 滅 尽 滅 相 」

 

 座の中でも最強最悪の理が九散を中心に展開する。四季崎記紀が生み出した完成形変体刀の最初の一振りである『鉋』こそ唯一にして絶対の法を宿しており第六天波洵の理の触媒としては最適すぎた。足を失ってなおその場から逃れ生きようとするのは寄生してしまった畸形嚢腫によるものだろうか。

 

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない助けて助けて助けて助けて」

 

 だが、どんなにみっともなく這い蹲る存在であろうとも容赦はしない。それが座の管理者としての断罪。

 

 

「 我が絶刀こそ始まりの刀にして絶無の法なり。世に無き永久物質にして完全なる一振りなり。故に他のものなど要らぬ、滅べ、滅び去れ 」

 無量大数の質量を誇る一撃が星を貫く。天まで焦がす炎を一瞬で消し去り星の裏側まで貫いた一撃は宇宙空間に風穴を開ける。地球に最大の穴が形成されたと同時にまるで風廟のようにごうごう、と耳を潰しかねない轟音が響く。これはいけない、と九散は印を結んで六方に六手を広げた。

「 胎蔵曼荼羅――解 」

 

 背後に巨大な陣が浮かび上がる。九散の手には完成系変体刀の全てが握られており、背後の陣はそれに対応した座が書かれていた。

 

 

 

 第一天・二元論に誠刀『銓』。

 

 第二天・堕天奈落に毒刀『鍍』。

 

 第三天・天道悲想天に王刀『鋸』。

 

 第四天・永劫回帰に悪刀『鐚』。

 

 第四天の対・修羅道至高天に千刀『鎩』。

 

 第五天・輪廻転生に双刀『鎚』。

 

 第五天の対・無間大紅蓮地獄に斬刀『鈍』。

 

 第六天・大欲界天狗道に絶刀『鉋』。

 

 第六天が対・畸形曼荼羅に賊刀『鎧』。

 

 

 

 そして、

「第七天――天照坐皇大御神」

 

 

 最後の座、九散が生まれる原因でもあった座が解放される。

 目の前に掲げられるは才色兼備な意匠を凝らされたる儚き刀。抜けば向こう側が見えてしまいそうなほどに薄い刀身を持つどの刀よりも軽い刀、薄刀『針』――

 

「 阿謨伽尾盧左曩 摩訶母捺摩 鉢納摩 人 鉢韈野吽

  地・水・火・風・空に偏在する金剛界尊よ、今ぞ遍く光に帰依し奉る

  天地玄妙神辺変通力治――」

 

 

 幻影は転生された今となっても顔を隠し続ける畸形嚢腫に他ならない。だか彼が振るう座の力は紛れも無く本物であり事実、伊邪那岐・伊邪那美として天照らす光を生み出す。

 

 

「 曙光曼荼羅・八百万 」

 

 それは座の模倣と融合の理。八百万の大極を統べ認める受け皿。停滞も消滅も無く常に魂の増殖を図る座こそまさに楽園。全ての人の死後を、その人生に準じた世界へと送り出す安寧の座。

 

 

「 我が薄刀こそ曖昧にして不鮮明なるものなり。境界線の消滅と総ての融合を叶えし一振りなり。故に座よ、混じり交わせ 」

 座の境界を曖昧にする力は『針』による采配に依存している。座と座を溶け込ませ、魂を仕分ける理によって向こう側の世界に敷かれていた幸村の畜生道天道蟲による蟲への転生は解除された。これによってもう二度と蟲が生まれることは無いであろう。

 

 

 

 第七天・天照坐皇大御神に薄刀『針』。

 

 

 

 現在の世界を占める最後の座が中心に刻まれ、大極図が完成する。九散は円環に配置された座を指差して。九散の背後に形成された陣は大悲胎蔵界曼荼羅。中央に位置する天照坐皇大御神は八葉の蓮華。各蓮弁に全ての座が配置されたそれの前で、九散は指揮者のように腕を振るった。

 

 

「 ()()(まん)()()――解」

 

 

 

 座の機構・九座曼荼羅――微刀『釵』。

 

 

 

 九散本人が刀であり座の機構。だから『九』座曼荼羅。

 世界を渡る最初の一歩として座の管理者に目覚めた証――座の整序が始まる。

 

 もう人が悟り、座へと進む時代はしばらくの終息を向かえた。たとえ八百万の座を統べようともいつか器は溢れ出る。過去の座を悪戯に乱用すれば歴史と世界を再び歪める要因になりかねない。だから第一歩として――神座の整理。胎蔵界曼荼羅では全ての座が隔離されていたが今度は違う。

 

 

「中央――二元論」

 

 

 新たに書き換えられた座の図の中央に誠刀『銓』が配置される。

 

 

「中央下部――堕天奈落、左下部――天道悲想天」

 

 

 その下に二つ、毒刀『鍍』と王刀『鋸』が連続で配置を確認した。

 

 

「左中央部――永劫回帰、左上部――修羅道至高天

 

 中央上部――輪廻転生、右上部――無間大紅蓮地獄

 

 右中央――大欲界天狗道、右下部――天照坐皇大御神」

 

 

 王刀『鋸』、悪刀『鐚』、千刀『鎩』、双刀『鎚』、斬刀『鈍』、絶刀『鉋』、薄刀『針』――

 それらが順々に配置される。

 これにより『九』の名を冠する座の統括が正式に認められ、九つの刀による座の再配置図が完成した。大極図は完成と共に九散の体に入り収容される。全ての座が入ると同時に体が輝き、九散は形成した隔離空間が崩壊した綻びから見える世界に手を振った。

 

 

「ばいばい、みんな」

 

 

 別れの言葉は誰かに届くことなく、閃光の瞬きと共に掻き消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 その後の話をしよう。

 

 九散が守った世界に蟲という存在は消え、日ノ本の国の連中は大賑いで連日連夜宴を繰り返した。

 

 蟲人であった蟲奉行も蟲の消滅と共に己の体にあった蟲の資質が消え、一般人として仁兵衛達と過ごしている。

 

 蟲の消滅により新中町奉行所――もとい、蟲奉行所は解散した。だが蟲によって生み出された被害は数多く、特に西側は五十年経ったとしても人が住める地になるのは難しいと断定され、将軍吉宗公と次代将軍家重が復興企画を練り、蟲奉行所改め復興奉行所として被害地の再興を始めている。

 

 真庭忍軍は蟲の消滅を確認するなり表舞台から姿を消した。噂では江戸幕府の役人に成りすましていると聞くが定かではない。

 

 九散によって集められたこなゆきや要達も二月の絶対安静を解除されてから各々の帰る場所へ帰った。一度は味方としてと共に戦ってきた間柄なだけに、海で出会うと対処に困るのが今の幕府の悩みの種だそうだ。

 

 鑢一族と錆一族。いまとなっては七花と否定姫と呼ばれていた女しかいないが、彼らは要の船によって外国まで運ばれていったのが最後だった。日本最強の次は世界最強でも目指すつもりなのか、いまだ負けなしらしい。

 

 

 そして――錆 九散。

 『西征』第一功労者として崇められる彼女は記録には残されていない。まるでそれこそ消えていった彼女の意思と言わんばかりに誰一人彼女がいた証を残そうとは思わなかった。

 だがせめてもの証に、一番最初に復興した大阪の大阪城痕の地に石碑を建てた。年号のみが書かれた石碑は未来、誰に捧げたものであったかを示す手がかりを探すがついぞ特定はできなくなる。

 でも――彼らは知っている。

 

 

 金髪碧眼の容姿。

 

 天気のようにころころと変わる気分屋。

 

 細い体躯では想像もつかないほどの強者。

 

 拳法『十二使刀流』の使い手。

 

 あらゆる意味で江戸一の女。

 

 日ノ本の国の救世主、錆 九散―――

 

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 

 どこかの世界。

 

 いつかの過去未来現在。

 

 その何処かで胎動し続ける■。

 

 それを殺し滅するべく、今日も彼女は―――

 

 

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 

 

 

 みんみんみん。蝉が鳴く。

 うっとおしいほどに熱い最中での蝉。勿論人を一呑みできるほどの大きさではなくごく普通の蝉が啼く通学路。誰もが熱い暑いと白の制服をはためかせて少しでも涼しくなろうと画策する生徒の中で、一人歩きながら読書に耽る男子がいる。

 印象は真面目系。インテリ風の眼鏡を掛け、『南総里見八犬伝』のタイトルが書かれた本を片手に読む。読書と歩行を同時にこなしていてかつ障害物に当たらないとは器用だ、だがそれは――障害物が自ら突進してきたらどうなるのだろうか?

 

()()()――ッ! よしよしヨッスィヤ――!! おはおは!」

「ゴフッ」

 

 オレンジ馬鹿が来たと、四四八と呼ばれた少年は倒れながら毒付く。後ろから四四八にダイナミックタックルをして――勢いあまって自分も倒れてしまうオレンジ髪のチャラ男は可笑しそうにあははと笑った。

 

「ヘイ四四八ー、今日も自重しないシャイニングに輝いてるエイコー様のお通りだぜ」

「慣れないタックルなんかするからだ、栄光」

 

 エイコー――栄光と呼ばれた男は朝っぱらからタックルに失敗して大恥――否、もう既にこれはネタ化してる。自重していないことには賛成だ、と四四八――(ひいらぎ) 四四八は制服に付いた汚れを落として立ち上がる。

 

「んだよー折角特ダネ情報を持ってきてやったのにさぁ」

「お前そんなキャラだったか?」

「まぁいいじゃん! それでさそれでさ! なんと今朝一番のビックニュース! 我らが通う千信館學園になんとぉ――どぅるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる、ダン! 転校生が来ちゃいまーす!」

「もう知ってる」

「は!?」

 

 もし漫画の世界だったら背景に「ガーン!」の文字が付きそうな落胆フェイスを浮かべる栄光。だが知ってるものは知っているのだから仕方ない。

 

「昨日芦角(あしずみ)先生から聞いた」

「あんにゃろう無駄に仕事しやがって…!!」

「いや、仕事はしてない」

「なんで?」

「俺に教えたのはその転校生の案内役を押し付けらられたからだ。ほら、よく最初に「はいってきてくださーい」とかするだろ?」

「お前は先生か!」

「先生代理だな、世良(せら)さんと合同だけど」

 

 多分あとで先生に叩かれるだろうな栄光、と考えて歩き出そうとすれば、愛読書である『南総里見八犬伝』の本が見当たらない。どこだどこだと道路を探して漸く見つければ結構距離あるところに飛ばされていた。エイコータックルの一番の被害者だ。

 

「――あ」

 

 やれやれ、と未だ後ろで馬鹿騒ぎしている馬鹿を放って拾いにいけば、先客に拾われていた。

 屈めば地に着きそうなほどの金髪。顔に掛かった金糸を耳元へ掻き分ける仕草が様になっている。豪華そうなレース入りのハイソックスにこれまたレース入りの手袋を着用していて、しかしこの夏の暑さで汗をかいていない。白い制服は千信館學園のもの。しかしこんな生徒は見たこと無い。つまり――

 

「これ、貴方のですか?」

「え? あ、はいそうです」

 

 はいどうぞ、と本を渡されて頭を下げて受け取る。柄にも無く緊張で口がもごもごしているがちゃんとお礼は言えただろうか。

 

「あの」

「は、はい?」

「千信館學園って――どちらですか?」

 

 ぱちくりとまばたきする碧眼を見て、四四八は彼女が転校生であると確信した。

 

「あら、自己紹介がまだだったわ。私の名前は錆 九散っていいます。赤錆黒錆の錆に漢数字の九、花が散っちゃうの散で錆 九散。よろしくね♪」

 

 

 

 ――そして、物語は動き出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 11492文字! かなり詰めたなぁ……

 これにて短編のつもりで長編になっちゃった『ムシブギョー 十二ノ刀』は最終回です。ヤッター、初の完結作品だ! そしてもう続かない(真顔)
 後々あとがきにいろいろ書きますので、よろしければ見てくださいー、お気に入り解除しないでくださーい


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あとがき

 

あとがき

 

 どうもこんにちは、曲利です。

 今年の二月に誕生日と共に様々な絶望を体験してからはや七ヶ月、漸く仮作家としての人生のステータスの一つである『完結』をすることが出来ました。こうして完結できたのも感想と応援と活力をくれた読者様のお陰です、ありがとうございます(ぺこり)。

 

 小説を書き始めたのは中学二年、まさに厨二ですね(笑)アニメ化されてからちょくちょく買っていつの間にか全巻揃っている兄の書庫に存在した『ネギま』を書き始め、『Angel Beats!』『戯言シリーズ』『めだかボックス』と様々な作品を手掛けてきました。中には『エア・ギア』『フェアリー・テイル』『とあるシリーズ』『リボーン』『パンプキンシザーズ』などアニメや雑誌、お気に入りにしているサイトのものや好きな漫画など不出の作品もありますが…どれも公開未遂ですね。『ネギま』に関してはかなり続けてきたつもりですが、いくら原作沿いといっても一コマ一コマを丁寧に書くよりも原作との相違点にクローズアップして書くほうがだらだらしないし効果的だといろいろな作家さんの作品を読んで学んだときには、大学受験に突入していました(汗)。

 

 高校に入り携帯を持ち始めて数ヶ月、一学期終業式に帰りの電車で揺られながらサイトをあれこれ探し『小説家になろう』を発見し、犬吉様の『IS』やてんぞー様の『ソードアート・オンライン』を読んで感動し、それから自分のサイトから『なろう』で『IS』を書き始めました。これが『ヘカトンケイル』ですね。

 実は『ヘカトンケイル』には元ネタがあって、当時ハマっていた『TUBASHA』の二次創作のファイにドハマりしててこんなぽやぽやしてるのがいいなぁ、『白山さんシリーズ』でたくさん手があるツバヒロ便利そうだなぁ、『エア・ギア』のヘカトンケイルって名前ぴったりじゃね、と様々な思惑が重なり能天気兄キャラ『織斑 希空』が出来ました。

 当時のIS二次創作では主人公が一夏と同じく()()()ISが使えるとかいうご都合主義的展開で話を進めるのが(作品によっては)嫌いでした。だから『整備師』としての話ならいいんじゃないかということで書き始めました。

 

 しかしそれも今年の二月の絶望によって破壊されしばらく書く気力どころか生きる気力を失い(リアルで)死にかけたりしましたが、新たな活力を得て生活、ある程度余裕が出来て見つけたのが『ムシブギョー』です。

 実は原作なんて全くといっていいほど読んでなくていわゆる「乞食乙www」なんですよね。そもそも『短編』と銘打っておいてここまで長引かせられるとは思いませんでしたが(汗) ま、まぁ終わりに近付くにつれて盛り上がる癖に序盤はかったるいから途中からどんどん読者が読むのをやめていくんですけどね…。ただ、やはりそこは沢山感想を頂いたこともありちょっと頑張っちゃおうかなぁとやる気を出した結果がコレです。本当にありがとうございます(ぺこり)。

 しかし…完結しといて言うのもなんですが、『ムシブギョー』に関しては連載をする前も完結した今でもそこまで興味が沸いてません(笑) 何故かと言われれば、原作沿いをこうして書いて身で言うのもなんですが……

 

 ぶっちゃけ、江戸時代に『スペシャリスト』も『死亡フラグ』も無いだろ

 

 つまり、時代蟲(誤字)した単語の活用があまり好ましくなかったからです。だから今回の『短編(という名の連載)』では「カタカナこそあれど江戸時代に存在しない外来語、英語の活用は禁止」という自分ルールを設けて執筆してました。ちょこっと七花が言った節もありましたがあれは割愛。そして八穂ママもとい第一天は……第一天だからね、出身世界が超高度科学文明だから仕方ない。

 『ムシブギョー』と『刀語』のクロスオーバーを考えたのは2013年上半期の『刀語』の再放送と『ムシブギョー』の放送が重なったからです、本当にそこから書き始めました。どちらも江戸時代だし、ちょこっと話を弄ったら繋げられるんじゃね? と思ったが吉、どんどん書き始めお試しで書いてたらあらびっくり(これが後の『語られざる歴史』)。最初は否定姫似の孫娘でしたがいつの間にか七実ん似の金髪碧眼巨乳という容姿に。原因はおそらく七実並の戦闘力故。

 

 ここでいくらか各話でも気になったことをお話します。

 

 まず十一太刀目。本来ならここで完結のつもりでした。pixivでも明記してますが丁度ここが神楽篇の最終話なんですよね。でもここで終わらせるとなんだか不完全燃焼…と私の中での作家魂が五月蠅かったのであれよあれよと書き続けました(笑)。そもそももとよりこのときから『刀語』の完成系変体刀十二本と『神咒神威神楽』の座の合一を画策してました。

 

 十七太刀目。江戸から八丈島への航路ですが、ここでは『蟲狩』の連中と遭遇する前に『神咒神威神楽』でも登場した「白鳥YO☆」の海坊主さんに出張ってもらう予定でした。話の流れとしては水棲型蟲の存在の発覚と『市中見廻り組』の結束力の増強、そして男のアツいバトルを目論んでましたが…あってもなくてもいいと判断したので割愛(ヴァレリア「え」)

 

 十九、二十、二十一太刀目。割と重大なようでそうでないミス。実は母禮化は貒狸戦ではなく参猿戦で扱う予定でした。なぜならば貒狸戦で母禮化をしてしまうと全身が炎になっちゃってるわけですから状態異常もリセットされる仕組みだったのです。しかし執筆中に何をトチ狂ったのか「炎と炎をぶつけるっていいよね! 最後雷でトドメだけど! アホタルの健気な渇望をここで出張らせようよ!」と最悪なことを考えてキーボード上で指が踊り狂ってました(笑) 結果的に割りと早い段階で(ニートによる)『座』との関係性を暴露しました。どうも曲利、やはり閲覧数はお気に入りの減退を気にする臆病鳥(チキン)野朗なようです。

 

 二十二太刀目。ここは計画通り(悪い顔)。いやぁ、読者様のアドバイスで初期に『めだかボックス』と『言葉使い(スタイル)』のタグを追加した効果がここで出るとは思わなかった…。

 

 

 そして、丁度この時期に真田幸村の声優が諏訪部さん(ラインハルトさん)と発覚し大幅に物語を修正。本来は三つ巴三柱の争いなんかではなく、大阪城に攻め入った『市中見廻り組』を幸村が一掃するも、繭から孵化してしまった波洵の因子が寄生することで幸村が波洵化するというシナリオでした。声優に左右されるなんて……でも『神咒神威神楽』も何も知らなかった当初は波洵がラインハルトの転生体だと思ってましたが(笑)

 

 二十五太刀目全部。ここは本来どんなにページ数長かろうと一話に収めるつもりでした。そして後半最初にも書かれていますが実はあと二組書くつもりでした。一つは真田幸村一軍、もう一つは西日本で真田達に見つかることなく蟲相手に無双している七花達。……まぁいいよね!

 

 二十七太刀目。ここでまさかの真庭忍軍に東方乱入(いや、もう少し前か)。兎に角タグ無しの作品投入という暴挙に出た曲利、どうした!?

 解答・丁度その時ニ○動での遊戯王×『東方』動画にハマってたから。

 ……なーんて冗談ですよ冗談! 実際新生真庭忍軍相対篇執筆時、「鵺組のまさかのドッキリ四人目! だけじゃインパクト無いよなぁ…」と思い、鵺組に加え(おに)組、霊組、(くろ)組を設定。『おに』も『くろ』もちゃんと造語でなくそう読むそうです。

 そして霊組の朱雀の永久欠番設定ですが…ぶっちゃけ鳳凰と朱雀、加えてエジプトのラー、ソロモンの悪魔の一柱の同一視論に関しては『ネギま』連載の重要なファクターだったからかなり調べていたので覚えています。

 あと、姫海棠ほたて(本当ははたて)の真庭化では『姫海』か『海棠』かで悩んでましたが結局そのどちらでもなく『海姫』に(どうしてこうなった)

 

 二十八太刀目。真田軍がまにわに以下なのは仕方ない。ですが実際には『西征軍』が真田軍に苦戦してから次話に市中見廻り組の乱入を計ってました。あと『神咒神威神楽』から取った『西征』ですが、実際辞書にもある通り正しくは『征西(せいせい)』が字では正しいです。

 

 二十九太刀。冒頭の八穂の鼻歌はバッハの『メヌエット』ト長調です。小さい頃はよく弾いてました(本当)。まぁ本当はバッハが作曲したものではなく『()()()・マグダレーナ・バッハのための音楽帳』に書かれた家庭内限定楽譜であり、メヌエットの()曲であるBWV.Anh.114とBWV.Anh.115はクリスティアン・ペッツォルと言われています。ですが確固たる証拠が不十分な為『作曲者不明の二曲』と言われていますが。

 

 炎刀『銃』にのみ神座が継承されていない理由について。

 作中では超過駆動は神座ではなくDiesでお馴染みの司狼と正田卿の嫁エレオノーレさんが発現しています。『神咒神威神楽』を知っている人ならば知っていると思いますが、この二人は表側での関係としては敵対ですが『東征』の真の黒幕という点では協力関係にあります。ということで二人に友情(笑)出演させて頂きました。

 後に『銃』はいずれ訪れる第九天の座に就く構想ですが……そこは想像ということで一つ。

 

 そしてサンデーでの最新話で繭の中の人が出るまでは豊臣秀吉公――旧将軍でしたが天秀尼(てんしゅうに)に変更。特に物語の流れに支障なし。

 

 三十太刀目。最終回ですね、ここでは戦闘シーンが九散と波洵化した幸村の二柱の争い前提で先走って書いていたので幸村枠を増やしました。そして千刀による黄金変生までを書いていたのでそこからちょっと考えて書きました。本当にちょっとだけ。

 というのもだいたい物語の道筋はバイト中に最終考案をしていたので。ただ…丁度波洵との戦闘シーンでバイト中に波洵並の糞なお客様が現れて「ヤベェ、こいつ波洵(くそ)だ」と思い予想外にその後のラストスパートの執筆に支障が出るくらいの精神的ダメージを負った訳ですが(笑)

 そして座持ちの存在との戦闘後、当初の予定では仮座の抹殺という使命を終えて力を失うと共に消失する前に、無涯と決着をつけるつもりでした。座の力の消滅――つまり十二使刀流が使えないということは必然的に虚刀流を使う運びとなりまして……最終的には、悪刀『鐚』のラストシーンを彷彿させる結末となります、生憎そこまで書く力が残されていませんでしたが(汗)

 ラスト、まさかの今年の冬に発売される正田卿の最新作『相州戦神館學園八命陣』の世界。まるで『神咒神威神楽』の最後を思い出せるような最後ですがこれも計画通り(悪い顔)。まぁ戦神館に関してはCVが出るまでは『境界線上のホライゾン』であるアリアダスト教導院に入学する予定でしたが(ナ、ナンダッテー)。戦神館絶対予約する(発売延期しないでくれ…)。

 

 そして最後に『ムシブギョー』の世界観について。

 背景としては江戸時代ですが、江戸時代にしては現代的な単語を用いることから『境界線上のホライゾン』のような現代を一周した世界で偶然現代に記された歴史どおりに歩んだ中での異端分子『蟲』の出現、としています。そして質問にもあった『ナラカは座の深層だから出て来れないんじゃね?』ということですが……

 

 ぶっちゃけ、『ムシブギョー』の世界が異質です

 

 『ムシブギョー』の世界は世界の支配構造や機構をまるで本に書かれた物語を読むような世界という頭おかしい世界です。つまり『座』というものを客観的に捉えられる世界なんですが、『神咒神威神楽』で波洵がナラカを僅かに認識できたように剣牙虎(言彦)レベルの高次元存在がなんとなく座を認識出来る世界です(後に黒箱塾が出来るので『めだかボックス』の過去)。それが客観的に見られる錆 九散という――正確には『()()(まん)()()』なわけですが……これですと、九散がいたからナラカが存在できたという話になるんですが(汗)

 座の機構の現界、つまり九散の誕生までは八穂も灰徒も座なんて知らない一般人でした。それが九散という観測者と座の子供の生誕により灰徒の中でナラナに、八穂の中で第一天に目覚めた訳です。

 

 

 と――まぁ、こんなもんでしょうか。

 

 こうして九月に入り大学生である自分はまだ休みがありますが毎日バイト三昧地獄に陥ります。

 そのためこうして完結できたというのは私の中でも非常に嬉しく、達成感と充実感に満たされています。戦神館の話を最後に完結なわけですが、来年第二期を書くかもしれませんね(笑)

 ひとまず私の二次創作は不本意ながらこれにておしまいです。ISに関してはしばらくの間永久凍結、公開こそしますが更新に関しては未だ目処が立っていません。これから本格的にゲームシナリオや文庫への応募を考え活動を開始する予定です。

 つまりこの『ハーメルン』での活動が終わる――

 

 

 

 訳では、ありません。

 

 

 

 現在の予定では最初に記述した『とあるシリーズ』の長編を考えた話(数話切り)と『ネギま』で有名な赤松先生の最新作の一話読みきり小説を予定しています。

 それでは『ムシブギョー 十二ノ刀』ご拝読ありがとうございます。初の連載完結本当に嬉しいです、これからの執筆の活力と大きな自信になります。

 

 本当に、ありがとうございました!

 

 

 

 

 



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