私の名前 (たまてん)
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私の名前

注意・サンタイベ開始前に書いた作品なので、リリィの多少性格が異なります。

そのことを了承の上、読んでいただければ幸いと思います。

ではどうぞ、よろしくお願いします。




Pr.

 

 

 

ーー何故だ。

 

 

「ーーさぁ行くわよトナカイさん。さっさと種火を集めて、私に貢いてください」

 

そう言って少女は、自らを肩車してる少年の頭をぺしぺしと叩いた。

 

「ーーはいはい。わかったよジャンヌ。けど少し待ってね。まだちょっと準備必要なんだから」

 

しかし少年は、馬のような扱いをされているというのに、ただ苦笑するだけで怒るような素振りも見せなかった。

 

ーー何故なんだ。

 

「まったく、ほんとにノロマですね。こんなんだったら、貴方なんかに召喚されてやるじゃありませんわ」

 

「まぁまぁ。そう気を悪くしないでくれよ……よし、準備ok。じゃあ行こうかジャンヌ」

 

そう立ち上がって、彼はマイルームの扉を開けた。

 

すると彼は振り返って、不思議そうな顔をしてこちらを見る。

 

ーーそうしたのは、私が部屋の壁に寄りかかったまま、まったく動こうとしなかったからだろう。

 

「どうしたの?」

 

そう、私に問いかける。

 

……いつも通りの、腹立たしいくらい能天気な顔で。

 

けど、いつもと違うのは、その彼の頭の上に、別の誰かの顔があったこと。

 

ーー自分によく似た顔をした少女は、ただじっとこちらを見つめる。

 

ーーああ、ほんとうに。

 

「……何でもないわよ。今行くわ」

 

ぶっきらぼうに、彼女は答える。

 

ーー私じゃない『ジャンヌ』。

 

その名を彼が呼ぶ。

 

それがどうして。

 

……こんなにも、胸をざわつかせるのだろう。

 

わからないわ。

 

そう心につぶやく彼女ーージャンヌ・ダルク・オルタは、小脇に立て掛けていた旗を手に取った。

 

ーー災いをもたらす、竜の御旗を。

 

 

 

 

■ ■ ■

 

「ああっもう!あの小娘、ほんとにムカつく!今すぐ串刺しにしてやりたいわ!」

 

「……ああそうかい。別に誰を串刺しにしようが構わんがな。執筆中の俺 の邪魔をしないでくれるかな」

 

ダンダンと机を叩いて抗議するジャンヌに、アンデルセンは手元の原稿用紙から少しも目を離すことなく淡々と言った。

 

しかし、ジャンヌはアンデルセンの言葉などまるで聞こえず「ムカつくムカつく……」と言葉を繰り返していた。

 

「……そうは言ってるがな。アレは一応お前に相当するんだろう?それを串刺しにするってどうなんだ?」

 

「仕方ないでしょ。ムカつくものはムカつくんだから。あーほんとぶちのめしたい……」

 

机に頬をあてながら物騒きわまりない台詞を吐くジャンヌに、アンデルセンはやれやれとため息をついた。

 

 

「……あいつもあいつよ。なんであのガキばかり優先するのかしら。ロリコンなの?」

 

「ひどい言い掛かりだな。ただ単に育成しているだけだろう。アレはまだここに来て日が浅い。マスターがより多く運用しようとするのも頷ける……そう邪険にすることもないだろ。他でもない、お前自身なのだから」

 

「……あんなのと、いっしょにするな」

 

ガンっ!と一際大きく机に額を打ち付けて、ジャンヌオルタはそう言った。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

一週間ほど前だ。

 

このカルデアに、新しいサーヴァントが召喚された。

 

そのサーヴァントが召喚される際、たまたまジャンヌもその場所に居合わせたが……そこで、彼女は目を疑うような者を見た。

 

ーー真っ白な体に、華奢な手足。

 

まだまだ成長仕切れてない肢体に、金の髪と瞳。

 

……見間違えようがなかった。

 

 

ーー召喚された少女の名は、 ジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィ 。

 

他でもない、ジャンヌ・ダルクの過去の姿であった。

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

「……それが、何が悲しくてあんなわけわかんないサンタのコスプレなんてやってんのよ」

 

 

「俺に聞かないでくれ」

 

うつむき、どんより落ち込むジャンヌに、アンデルセンはそうばっさりと斬った。

 

……幼少気のジャンヌが召喚された。

 

それはいい。

 

百歩譲ってまだいい。

 

問題なのはその服装だ。

 

「ーー黒ビキニにサンタ帽って、どこの風俗よ……?」

 

「本人は中々気に入ってるようだが」

 

「それが余計に不味いのよ……」

 

 

……あのヤヴァイ服装をドヤ顔で着る彼女。

 

それが自分であるという真実。

 

「……死にたい」

 

両手で顔を覆った彼女に、アンデルセンは御愁傷様と一言言った。

 

「まぁそう落ち込むな。あれはいわば若さの暴走というやつだ。そういう時期なのだろう」

 

「……その暴走した時期が現在進行形で一般公開された挙げ句、永久にあのままで私の目と鼻の先にい続けるという地獄が待っているのよ。ああ、ほんと。どうにかしたい……」

 

「……おまけにマスターまで取られたわけだな」

 

「そうよ!一番の問題はそれよ!あの小娘、レベルが低いからってことをダシにして彼にべったりなのよ!前までずっとずーっと私が傍にいたのになんなの!?アイツが来てから全然、とゆうかマスターもマスターで私がどう思ってるかなんてさっぱり!!いつもジャンヌジャンヌってあの娘のこと呼んでばかりで。ついこの間までそう呼んでもらえたのは私だけだったのに……」

 

そこまで言いかけて彼女はハッとなる。

 

原稿用紙しか興味のなかったアンデルセンが、いつの間にかにやにやとした顔でジャンヌを見ていた。

 

「ーー熱いな。とても心震える言葉であったよ。ペンの進みが止まるぐらいにはな」

 

「……忘れなさい。でないと殺すから」

 

善処しよう、と答え苦笑するアンデルセンに、ぐっ、とジャンヌは歯噛みする。

 

気の毒なことに、彼女の耳はゆでダコのように真っ赤であった。

 

「しかしあれだな。そうなってくるとなおさら厄介なことになると思うぞ」

 

「……何がよ」

 

「だからな。あのサンタ幼女はお前自身なのだろう?ならーーお前と同じ思いを抱いていてもおかしくなかろう?」

 

言われてジャンヌは一瞬ぽかんとする。

 

それからさぁっと一気に青ざめた。

 

口元を手で覆い、「やばいかもしれない……」とつぶやく。

 

「……考えてみればそうよね。一応あのガキ私なんだから、マスターを好きになるに決まってる。あのボンクラも、鈍いちゃっ鈍いけど割りとちゃっかりしてるし、私に夢中だったし、いつ関係が出来てもおかしくないわ……」

 

「自分への評価が低かったり高かったりで忙しないな」

 

「ええ本当。自惚れすぎではありませんこと?」

 

 

唐突に入ってきた第三者の声に、二人はぎょっとする。

 

……いつの間にか、机にもうひとつの人物が腰かけていた。

 

「……清姫。いつからいた?」

 

アンデルセンが問うと「ちょうど今来たところですわ」と彼女は答える。

 

「暇をもて余していましたので辺りを散策していたらなにやら面白げなお話をしていましたから。わたくしも混ぜてくださる?」

 

清姫がそう訊ねると横にいたジャンヌが鼻で笑った。

 

「ーー病気持ちの女と話したって何も面白くないわ。時間の無駄よ。貴女の会話って壁に話しかけるのと大差ないから。じゃあね」

 

「まぁひどい言い草……けれどわたくし、貴女のことをとても評価していましてよ」

 

清姫の唐突な台詞に「はぁ?」と疑問符を浮かべるジャンヌ。

 

清姫は透き通った眼でジャンヌを見つめながら、まるで心の内を吐露するかのように語りだした。

 

「ーーええ。私は知っています。貴女がどれだけますたぁに尽くしたか、どれだけますたぁを思っていたかを。ますたぁを命懸けで守りその傍に居続けた。ますたぁが助けを呼んだとき貴女はすぐに駆けつけた。雨が降ろうが槍が降ろうが、林檎を砕かれ、令呪を使われ、貴女は戦い続けた」

 

「なぁ。後半やけに生々しくないか?」

 

「そんな貴女を清姫は知っています。だからこそ、わたくしはわかってしまいました……ますたぁの真の理解者は、貴女なのだと」

 

 

……これ以上ない、見え透いた嘘だとアンデルセンは思った。

 

だって言いながら頬に青筋立てまくっているし。

 

ものすごい殺気を感じるし。

 

これで騙される方がどうかしてる。

 

流石にこの嘘に意味があるのかと、彼は呆れていた。

 

 

「……ごめん清姫。私、貴女のこと勘違いしてた。私の気持ち、こんなにもわかってくれていたなんて……」

 

……前言撤回。

 

どうかしていたらしい。

 

涙ぐむジャンヌを、清姫が(表面上は)やさしく抱き止める。

 

「……清姫。どうしよう。このままじゃ、マスターとられちゃう。あのロリ美少女な私にとらちゃう……」

 

「……安心してくださいまし。わたくしにいい考えがございますわ。わたくしたちあだるてぃでせくしーな大人にしかできない秘策が」

 

涙を拭ったジャンヌが、すがるような瞳で見つめる。

 

清姫はにっこりと笑っていった。

 

「ーー夜這いです」

 

「……何だ。お前の十八番かって、ごほぉっ!?」

 

鼻で笑ったアンデルセンの鳩尾を清姫の強烈な一撃が襲った。

 

対してジャンヌは『夜這い』という単語を聞いた顔を真っ赤にしておろおろとしていた。

 

「夜這いって、あ、あ、貴女の正気なの?」

 

「正気です。狂化してますが正気です。大丈夫ですよ。字面は中々ですが勢いでやれます。いけいけごーごーです。では早速いってらっしゃっい」

 

「え、今から!?」

 

「当たり前でしょう!?思い立ったら吉日。この時間なら部屋にはますたぁしかいませんし。それともーー幼女な自分に先を越されてもよろしくて?」

 

 

「………………わかったわ。このジャンヌ・ダルクの名にかけて、やってやろうじゃないっ!!」

 

 

「……い、いや。やったら不味いだろう史実的に……」

 

 

呻きながらもアンデルセンがそう警告したが、すでにジャンヌは脱兎の如く駆け出していた。

 

彼女の姿が完全に見えなくなったあと、清姫がくつくつと笑い出す。

 

「……まんまと引っ掛かりましたね。我ながら、断腸の思いの名演技でしたが大成功のようです」

 

「『名』ではなく『迷』だろうがな……しかし、お前から焚き付けておいて大成功とはどうゆうことだ?」

 

「まぁまぁよくお考えください。まずはあの女がますたぁの貞操を襲います。次にこのらぶりーなきよひーがますたぁをお助けします。最後にますたぁと一夜を遂げます。お分かりいただけましたか?」

 

「ああ。どうして最後に繋がるかわからない」

 

「吊り橋効果というものでございます。邪魔者を排除してますたぁもげっと。まさに一石二鳥の作戦」

 

「……そもそも、お前がアレに勝てるのか?」

 

「そこは愛でなんとかします。さぁますたぁ。待っててくださいまし。今まいりまーー」

 

言いかけたところで、清姫は背後から猛烈な殺気を感じた。

 

反射的に跳躍してその場を離れると、ドンと鈍い音が聞こえた。

 

振り替えると、さきほどまで自分のいた場所は深く地面が抉れ、そこには大きな槍が突き刺さっていた。

 

 

「……何をなさいますの、ブリュンヒルデさん」

 

清姫は目を細めて、突き刺さった槍を引き抜く彼女に問いかけた。

 

清姫と同じく、いつからいたのかとなるブリュンヒルデ。

 

彼女は「ええ、それはですね……」とつぶやくと、引き抜いた槍を清姫に向けて構え直す。

 

「ーーお姉様の邪魔はさせません」

 

「……なるほど、そうゆうことですか。ですがよいのですか?このままでは貴女のお姉様は想いを添い遂げてしまうのですよ?貴女の手元から、さらに遠のく。それは貴女の本意ではないのでは?」

 

「……確かにその通りなのでしょうーーですが清姫。それでも、私はお姉様の幸せを望むのです……」

 

そう言い切るブリュンヒルデに「まぁお優しい」と清姫は笑った。

 

……恐ろしいほど、冷たい微笑みで。

 

「……ですが、生憎と私はそこまでやさしくなれませんーー再会できたこの愛を見過ごせるほど、私は私に嘘はつけません。それを醜いと、病的であるというなら結構。それでこの愛が叶うなら、この身は喜んで蛇となりましょうーー!!」

 

その掛け声と共に、二人の戦いが始まった。

 

互いに一歩も譲らぬ、迫真の切り合い。

 

その喉元に届くのは清姫の爪か、ブリュンヒルデの槍先か。

 

ーーその光景を見ていて、アンデルセンはふとつぶやくのだった。

 

 

「ーー部屋で書こう」

 

ーーそうして、原稿用紙をまとめた彼は、踵を返すのであった。

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「……落ち着きなさい。ジャンヌ。大丈夫、貴女ならやれるわ……」

 

ーーマスターの部屋についたジャンヌを、そう自分自身に言い聞かせていた。

 

この扉開ければ、恐らく眠りについたマスターがいる。

 

私はそれにただ、よ、よ、よ……いを掛ければいいだけのことだ!

 

 

「……っよし!行くわよ」

 

そう意気込んだ彼女はいきよく扉を開けた。

 

「さ、さぁ。マスター!この憎悪、生半可なことでは収まらないわ。今宵は私の相手に、なっ、て……」

 

ーー言いかけて、やめた。

 

そこにあるものを見て。

 

マスターが寝ていた。

 

それは予想通り。

 

けれどその腕の中で、もう一人の誰かが寝ていた。

 

「…………」

 

……すぅー、すぅー。

 

聞こえるか、聞こえないかの本当に小さな寝息。

 

自分と同じ顔をした少女が、気持ちよさそうにマスターの腕に抱かれて眠っていた。

 

マスターの手には、一冊の絵本。

 

ーーなんとなく、想像がつく。

 

きっと、一人じゃ眠れないと『私』が駄々をこねて、彼を困らせて。

 

仕方ないなと、笑って寄り添って寝てくれた。

 

それでもまだまだ眠くないからと、『私』はせびって、彼に絵本を読ませた。

 

そうして彼の声を聞いてるうちに、いつしか『私』は眠ってしまって。

 

それでも、彼は『私』に寄り添ったままでいてくれる。

 

「……バカみたいだ」

 

そう、思わず呟いた。

 

さっきまて抱いていた感情なんて、どこかへ消えてしまった。

 

単純な話だ。

 

……私は私には出来ない、純粋な甘えかたが出来る『私』が羨ましくて、それを見ていたらジャンヌ・ダルク・オルタという存在まで甘くなってしまいそうだから、彼女を必要以上に遠ざけたんだ。

 

どうしようもない、私の見栄を守るために。

 

……そんな見栄、この二人の寝顔を見たらこんなにも簡単に揺らいでしまうほど、とっくにどうにかなってしまったというのに。

 

本当に、しょうがない。

 

彼女はベットの傍に歩み寄ると、そっと、二人を起こさないように横になった。

 

……吐息がかかるほど近く。

 

鼓動を聞こえてしまうほど、近く。

 

そんな近くに、貴方の顔がある。

 

……その腕に抱き締められるなんて、とても想像できない。

 

目の前の小さな自分の豪胆さに、感心してしまう。

 

「…………うらやましわ。ほんと」

 

そう言って、彼女は起き上がろうとする。

 

 

「ーーなら君も混ざる?」

 

ーー予想だにしなかった声に、彼女は目を見開いた。

 

いつの間にか、マスターは片目を開けていて、彼女を見つめていた。

 

「……起きてたの?」

 

まぁね、とマスターは頷く。

 

いつから、とジャンヌが聞くと「君が入ってきたあたりから」と彼は答える。

 

「なんだ。かなり前から起きてたのね。趣味が悪いわよ、貴方」

 

「悪いね。半分寝ぼけてて。ちょうどオレが寝たタイミングで君がきた感じかな。いや子供ってすごいよね。ついさっきまでこの子すごいぱっちり起きてたし」

 

「……迷惑かけたわね」

 

「そんなことないよ。むしろ新鮮で……あれ。今なんか夫婦みたいな会話になってない?」

 

「なってないわよバカ」

 

そっか、と彼は苦笑する。

 

……本当に、呆れるぐらいに能天気。

 

ーーああ、でも。

 

だからこそなんだろうか。

 

 

 

「ーー邪魔したわね。部屋に戻るわ」

 

「あれ。いいの?せっかくだから一緒に寝てけばいいのに」

 

「冗談。子供と寝るなんて御免よ。うるさいし」

 

「辛辣過ぎないかい、仮にも君なんだよこの子」

 

「ーーだから、空けておきなさい」

 

え、とマスターは怪訝な顔をする。

 

 

ーーこんな人だからこそ。

 

 

扉の前に立った彼女は最後に、ほんのりと、その頬を赤く染めながら、彼に言った。

 

 

 

 

「ーー明日の夜は、私だけをジャンヌと呼びなさい」

 

 

 

 

ーー全てを、委ねてもいいと思えたのは。

 

 

そう言って、彼女は部屋を去った。

 

 

 

……しばらくの間、彼はぽかんと呆けていた。

 

何度も、何度も、頭の中で彼女の言葉をリピートする。

 

そしてようやく、その意味を理解する。

 

すると彼は、片手で顔を覆い、ぽつりとつぶやいた。

 

 

「ーーそれは、さすがに卑怯だよ。ジャンヌ」

 

 

 

ーーああ、どうやら今夜は。

 

 

 

もう、眠れそうにない。

 

 

 



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私の痕

私の名前の続きです


Ex

 

ーーリンと、軽やかな音が聞こえて彼女は目を開いた。

 

まずはじめに見えたのは、天井。

 

けれど、それにあまり見覚えはない。

 

何故だろうと目覚めたばかりの朧気な頭で考えていたら、またとリンという物音を耳にする。

 

音のしたほうに首を回してみると、彼女の視界に肌色のものが映った。

 

ーー細く、華奢な曲線。

 

それでいて力強さを感じる、その背中。

 

……見覚えがなくて当然だ。

 

ここははじめから、彼女の部屋ではなかったのだから。

 

「……綺麗なものね」

 

それを見た彼女がぽつりとつぶやくと、その声に気付いた彼がこちらに振り返る。

 

彼女の眠たげな目が自分を見つめているのを知ると、彼は「悪い、起こしちゃったか」と申し訳なさそうな顔をする。

 

「……こんな時間に、どこに行くのよ」

 

彼女ーージャンヌがそう尋ねると、マスターは「ロマニのところ」と答えた。

 

「……なんでよ?」

 

「急遽、確認してもらいたいことがあるんだってさ。だからちょっと行ってくる」

 

「……空気の読めない奴」

 

そう言って、彼女はばふりと頭から毛布を被る。

 

なんだか、大きなまんじゅうみたいだ。

 

まぁタイミングは悪かったかもね、といいながら、そんな仕草が可愛らしくて、マスターは苦笑する。

 

……が、彼女としてはそんな愛想笑いすら浮かべてやれない。

 

せっかくの機会に水を差されたのだ。

 

ふてくされたくもなる。

 

「ーーたぶん、このまま今日は起きるけど、ジャンヌは気にしないでもう少し寝てなよ」

 

「……言われなくてもそうするわよ」

 

着替え終えた彼に、無愛想な声で、そう彼女が答えた時だ。

 

またリン、という高い音が聞こえた。

 

外出する準備をしているには、似つかわしくない音。

 

それの正体が気になったジャンヌは、ちらりと、毛布から顔を出して彼を見る。

 

そして気付く。

 

彼の腰元に下げてある、あるものに。

 

「……それ。何なの?」

 

「え、なんのこと?」

 

ん、とジャンヌは無言で彼の腰元にあるそれを指差す。

 

ーーそれは、緑の葉と赤いリボンが飾られた、ベルのようなものだった。

 

彼女の言うそれに気付いたマスターはああ、と頷くと嬉しそうに笑みを浮かべた。

 

「これのことか。これは昨日ジャンヌちゃんからもらったんだよ。プレゼントだってさ」

 

「……通りで派手な装飾だと思ったわ」

 

クリスマスカラーというわけか。

 

がしかし、何で昨日?。

 

昨日はそれこそ、クリスマスでもなんでもないというのに。

 

そう尋ねると、マスターも「さぁ?」、と首を傾げる。

 

「ただアレだって。私のトナカイならこれをつけておくのが通りだとかなんとかは言ってたね」

 

「…………」

 

ーー合点がいった。

 

あの小娘の意図がよくわかった。

 

……つまり名札だ。

 

これは私のトナカイだと、私のものだというマーキング。

 

まったく、見かけに反して随分とませた考えをする少女である。

 

……それが自分だというのも、またなんとも言えないが。

 

でもそんなことより、彼女が気になっていると言えばーー。

 

「ーー付けるのね、それ」

 

「まぁね。せっかくの貰い物だし、なによりジャンヌちゃんの贈り物だから、ありがたく使わせて頂きます」

 

ーーその意図にまるで気付いていない彼が問題である。

 

……いや別に構わない。

 

名札だろうが、マーキングだろうが、それがマスターと自分の関係にヒビをいれるようなものだとは思わない。

 

だがそれでも。

 

その意図に気づかず、能天気に笑うマスターというのは。

 

……あまり、おもしろくはない。

 

「じゃあ、行ってきます」

 

そう言ってマスターが背を向ける。

 

……その服を、まんじゅうから伸びた手がつかんだ。

 

引き止められたマスターが振り返ると、彼女はくいくいと、彼の服を引っ張る。

 

曰く、もっとこっちにこいということらしい。

 

なんだろうか、とマスターはそのまんじゅうの近くで膝をつき、「何かご用ですか、お姫様」とわざとらしく声をかける。

 

すると布団から、にょっきりと、ジャンヌが顔を出した。

 

それからじぃーっと彼を見つめたのちーーがばりと、彼女はマスターに抱きついた。

 

いきなりのことで、マスターは目を大きく見開く。

 

そして自分の首筋に、ペタリと彼女の肌が触れる感触がして、その頬が赤くなる。

 

マスターの目には、雪のように白い彼女の背中が見えた。

 

彼女に抱き締められているという柔らかな感覚が、胸の鼓動を早める。

 

何が起きたのか、わからなかった。

 

ーーそのあとの、かぶりという音を聞くまでは。

 

「……ん?」

 

 

一瞬の間。

 

それから後に、がじがじがじがじ、と歯を立てる音が聞こえ始めた。

 

「あだだだだだだ!!ジャンヌ、ちょ、待って!痛い痛い本当に痛いからタイム!」

 

マスターはそう叫ぶが、彼女は噛み締めることをやめない。

 

一頻り噛んだあと、ジャンヌはようやく首筋から顔を離す。

 

そして自分の上唇をぺろりと舐めると、ぽつりと一言つぶやく。

 

「……意外に不味くないのですね」

 

「何がっ!?」

 

マスターが目を白黒させたが、ジャンヌはアハハと笑う。

 

まったく意図がわからず、ヒリヒリする首元を抑えぽかんとするマスターに、ジャンヌは本当に愉快であると言わんばかりな笑みを浮かべる。

 

「……痕、残ってしまいましたね」

 

「そりゃあれだけ噛まれたらね」

 

「当たり前です。そうなるように噛んだんですから」

 

「えっと、それは何のために?」

 

「さぁ?なんのためでしょうねぇ……そんなことより、貴方呼ばれているのでしょう。さっさと行ってくださいーー傷痕、バレたら大変そうね」

 

言うとジャンヌはさっさとマスターに背中を向けて、布団を被ってしまう。

 

呆然とするマスター。

 

しかししばらくして、彼はやれやれと困ったような笑みを浮かべた。

 

それから彼も、眠る彼女に向けていってきます、と一言かけて部屋を後にした。

 

部屋を出ると、マスターは閉めた扉に背を預けた。

 

しばらくの間、彼は虚空を見つめる。

 

 

それからくすりと、わらって言った。

 

「……強烈だな、ほんと」

 

ーーさて、それではこの傷痕。

 

果たしてどうやって隠そうか。

 

むしろバレてもいいかもしれない、なんてしょうもないことを考えながら、彼は歩き出す。

 

……心なしか、その足取りは軽かった。

 

■ ■ ■

 

 

ーー彼が部屋を出ていくまで、ジャンヌは笑いを堪えるのに必死だった。

 

そして彼が部屋を出ていったあと、ようやく大きく息を吐き出した。

 

「ーーいい気味です」

 

いいながら、頬が緩む。

 

あの、マスターのきょとんとした顔。

 

これ以上なく愉快だった。

 

「これで少しは、自覚が出ればよいのですが……」

 

だが、鈍いあの人のことだ。

 

それは望み薄そうだ。

 

今回は、あの顔が見れただけでよしとしよう。

 

そう考えたとき、またあの驚き顔を思い出してくつくつと彼女は笑う。

 

……一番の驚きは。

 

そんなことで一喜一憂する自分自身なのだと、ジャンヌはまだ気付いていなかったが。

 

「……もう一眠りしますか」

 

幸い、まだ時間に余分がある。

 

再び眠りにつこうと、彼女は目を閉じる。

 

……そのときむぎゅっ、とした何かを布団の中で伸ばした足が蹴った。

 

しかもそれは「あん」と声まで上げる。

 

 

「ーーうふふ。ひどいですわますたぁ。わたくしを足蹴にするなんて。でもその分、きっと可愛がってくれますよね?さぁますたぁ……わたくしとますたぁの、忘れられぬ一夜をはじめましょう!」

 

その声とともに、布団が弾けとび、中に潜んでいた清姫はがしりと抱き締める。

 

もう離さない逃がさないと、きつく抱き締めた彼女はうっとりと熱のこもった瞳で見つめるのだった。

 

ーー青ざめた顔をしたジャンヌを。

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 

長い沈黙が続く。

 

そして、互いに大きく息を吸ったあと、彼女たちは叫ぶのだった。

 

 

 

「「ーー何でここにいる(のっ!?)(んですかっ!?)」」

 

 

 

ーーどうやら。

 

ただ彼に痕をつけただけでは。

 

ぜんぜんまったく、足りないらしい。

 

 

 



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チョコより甘く

ホワイトデーネタです。


「ーーはい。ジャンヌにプレゼント」

 

 

ーー言って、彼はその包みを差し出した。

 

赤いリボンの巻かれ、手のひら一つに収まるぐらいの大きさの、黒い立方体。

 

差し出された彼女ーージャンヌはしばしの間じっとその黒い塊を見つめ、次にその視線を笑みを浮かべる青年へと移す。

 

「……なによこれ?」

 

ジャンヌの問いかけに、彼はきょとんとした顔になる。

 

分からないのかい?とでも言いたそうな顔。

 

そんな様子に、ジャンヌは「あのねぇ……」は呆れたようにため息をついた。

 

「……いきなり呼び止められて、はいこれ。なんて渡されても何なのかわからないじゃない。ちゃんと説明しなさいよ」

 

「あ、ごめん。てっきりわかっているものだと考えてたよ。ーーこれはバレンタインのお礼。今日はホワイトデーだからね」

 

「……ああ」

 

言われて、納得するジャンヌ。

 

ーー今日の日付は三月十四日。

 

世間でいうところのホワイトデー。

 

さして気にしてもいなかったので、存在すら忘れかけていた。

 

そして、このプレゼントはバレンタインにジャンヌがあげたアレのお返しということらしい。

 

すると、趣旨を理解したジャンヌは彼の『お返し』を見て「へぇ……」と小馬鹿にしたように笑う。

 

「……この私がせっかくプレゼントしてあげたって割りには、随分と貧相な品を渡すのね。呆れちゃうわ」

 

その言葉を聞いたマスターはむっ、と顔をしかめる。

 

「……確かに、君に比べたらだいぶインパクトのない品と渡し方だとは思うけど。でもこれでも一生懸命作ったんだけどなぁ……」

 

「ーー貴方が作ったの?」

 

 

こくり、と頷く彼女のマスター。

 

すると、ジャンヌは少し考える素振りを見せる。

 

それから仕方ないわね、と言って男に手を差し出すのだった。

 

「……貴方のその健気な努力に免じてもらってあげるわ。仮にも私のマスターであるわけだしね、貴方」

 

「やった!ありがとうジャンヌっ!」

 

「ほら、令呪を使って渡しなさいな。そうしたら嫌でも受け取って上げるわ」

 

「そんなご無体な……」

 

冗談よ、と彼女は笑い、マスターの手からひょいと包みを取り上げた。

 

受け取った包みをしばらく眺めたのち、ジャンヌはマスターに振り返る。

 

「……まぁ、一応ありがとうとは言っておくわ。一応ね」

 

「それは光栄であります……じゃあ、オレはそろそろ行かなきゃ。またね」

 

「……何よ。もう行くの?」

 

「うん。ダ・ヴィンチちゃんがやってもらいたいことがあるって言ってたから急がなきゃ。あ、あとそれは今日中に食べてね。絶対だよ!」

 

言いながら、彼はさっさと廊下の向こうへと消えていってしまった。

 

残されたのはジャンヌ一人。

 

「……何よ、あいつ」

 

少しぐらい待ったらどうなのよ、と少女は愚痴る。

 

ーーでなきゃ貴方みたいに、感想の一つだってすぐに伝えられないじゃない。

 

しばらくの間、廊下の向こうを睨んでいたジャンヌ。

 

それから、フンだ、とつぶやきをもらし、再び歩き出すのだった。

 

 

■ ■ ■

 

 

「……本当に空気の読めない奴よね。最近全然会わないと思ったらコレだけ渡してさっさと帰るし。まったく、チョコ渡して損したわ」

 

「ああそうかい。そいつは気の毒に。同情するよ。だからな……婿自慢なら他所でやってくれ」

 

げんなりと、心底疲れきった顔でアンデルセンは言った。

 

カルデアにある休憩室。

 

そこで彼は、優雅に紅茶を飲みながら執筆活動に勤しんでいた。

 

ペンを綴る音だけが響く至福のひととき。

 

けれどもそんな幸福は長くはなく。

 

唐突に現れたジャンヌという少女によって。

 

いつの間にか彼の執筆活動は、少女のお悩み相談へと切り替わってしまったのだから。

 

婿自慢という言葉に、ジャンヌは露骨に顔をしかめる。

 

「……誰が婿自慢なんて。めんどくさい奴だって言ってるだけよ。このチョコだって、仕方なく受け取ってあげただけ。そう、仕方なくよ仕方なく」

 

「三度も言わないでくれて結構ーーしかしそうか。そんなに気に入らないのなら俺がもらってやろう」

 

言ってアンデルセンはテーブルの上に置いてる黒い包みに手を伸ばした。

 

しかし、それを見たジャンヌが慌てて包みを取り上げる。

 

ほぼ反射的な行動だったのだろう。

 

ジャンヌ自身が、ハッと驚いた顔になっていた。

 

「ーーま、まぁせっかくの好意なわけですし!もらったものをたらい回しにするのは私のポリシーじゃないから、今回だけは特別なのよ!」

 

あからさまにあわてふためく彼女の弁明に、アンデルセンはやれやれ、と頬杖をつく。

 

「……何が『仕方なく』だ。ノロケるのも大概にしろよ」

 

「……うるさい」

 

頬を赤らめ、ぷいと顔を反らすジャンヌ。

 

ーー確かに。

 

(面と向かって言うことは死んでもないが)嬉しくなかったといえば、嘘になる。

 

いやむしろ手作りと聞いた瞬間、顔には出さないが小躍りせんとばかりに喜んでいた。

 

だがしかしだ。

 

ーーあのあんまりにもあっさりした態度。

 

渡したからおっけー、なんて言わんばかりの様子には、納得がいかない。

 

……だってそれじゃあ。

 

私だけが待っていたみたいで、不公平じゃないか。

 

「……もう少し察しなさいよ、あのボンクラ」

 

「気持ちはわからんでもない。だが他所でやってくれ。だるい」

 

「……ノリ悪すぎじゃない?」

 

「語るまでもないことに付き合わされているこちらの身にもなってくれ。あと付け加えるとだ……リアルに充実した話なんぞ聞きたくないわ」

 

「ーー貴方も大概ね」

 

苦笑するジャンヌに、アンデルセンは不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 

その時だ。

 

「ーーおやおや。何やら楽しそうなお話のご様子。私も混ぜてくださいな」

 

ーー突如として背後から響く、透き通った声。

 

それを聞いてしまった二人は思わず、げ、言葉を漏らした。

 

振り返ると、着物をまとい、楽しそうに笑みを浮かべて、少女は歩み寄ってくる。

 

「……清姫、貴方いつも唐突に現れるわよね。妖怪か何かなの?いや妖怪だったわね」

 

するとその言葉を聞いた清姫は「まぁ」と頬を膨らます。

 

「妖怪とは失礼な。いくら思ったこととはいえ、そこは口にしないのが礼儀というものでしてよ?」

 

「あーはいはい、わっかりあしたー。……ところで清姫。貴方、今日が何の日か知ってる?」

 

にたり、と笑ってジャンヌは問い掛けた。

 

……ここぞとばかりに自慢しに行ったなコイツは、とアンデルセンは肩を竦める。

 

ジャンヌの問いかけに、きょとんとなる清姫。

 

「ーー何とは、ふぉわいとでーのことでしょうか?」

 

「……え。あ、うん。そうよ……」

 

さも当然とばかりに返されて、ジャンヌは少々狼狽える。

 

ーー先刻まで、その存在をきれいさっぱり忘れていた自分とはえらい違いである。

 

「……じゃ、じゃあ貴方ホワイトデーがどんな日か知ってるかしら?」

 

すると清姫は「はい」と笑顔で答えた。

 

「ーー殿方がばれんたいんのお返しをお渡しになる日、でございましょう?先程ますたぁにお聞きしました」

 

「そ、そうなのよねぇ!もうまったく困ったものよね!お返しなんてされても嬉しくないのにあいつったらーー待った。今『マスターに聞いた』って……」

 

はい、と頷いた彼女はごそごそ自らの着物の袖に手をいれた。

 

「ご説明とともにお返しも頂きました。ーーこちらになります」

 

言って、彼女はソレを見せた。

 

ーー瞬間、二人は無言になる。

 

しばしの静寂が空間を支配する。

 

「……これはなんだ?」

 

そう言って、沈黙を破ったのはアンデルセン。

 

その問いかけに、清姫はそれこそ満面の笑みで答えた。

 

「ーーますたぁ人形(三分の一すけーる)です。ヴラドさんの御指南のもと、ますたぁ手ずからお作りなってくださって……わたくし、もうこれなしには寝られませんわ」

 

うっとりと、熱っぽい視線をその人形に向けて語る彼女。

 

……それぐらい渡さなきゃ収まりがつかないのはわかるかもしれんが、それでもこの妖怪娘にこんなものを渡す我がマスターの神経を疑うアンデルセンであった。

 

「……へ、へぇ!よ、よかったじゃない清姫。ま、まぁ私はそんなウザ人形なんかもらっても、ちっとも嬉しくないけど!もらえなくても、ちっとも悲しくなんてないんだけどっ!!」

 

後半、やたら怒気の高まった声。

 

あからさまな強がり。

 

そんな見栄を張る魔女に、清姫はさらに追い討ちをかける。

 

「あ、あとますたぁからおまけでちょこれーとも頂きました。こちらも手作りだそうで」

 

「なっ!?」

 

彼女が見せた水色の包みに、今度こそ絶句するジャンヌ。

 

ーーいやはや、見事な死体蹴りである。

 

「ーーしてジャンヌさん。ふぉわいとでーがどうかしましたか?」

 

にこり、と尋ねる清姫。

 

まるで勝者の余裕とさえ見えてしまったソレに、ぷちんと、ジャンヌの何かがキレた。

 

「な、何がふぉわいとでーよっ!馬鹿にすんじゃーー」

 

「みっなさーんっ!!見てくださーいっ!!」

 

「ごふっ!?」

 

唐突に、黒い塊がジャンヌの頭上に落ちてきた。

 

避ける暇などなく、彼女はその塊の下敷きになる。

 

そしてその塊の上から、ひょっこりと顔を出す一人の少女。

 

「どうですかみなさんっ!トナカイさんからホワイトデーに頂きました!すっごく可愛いでしょう!?」

 

「……かわいいと言うかまずでかいな」

 

「ええ。まず大きいですね」

 

アンデルセンの言葉に、清姫が頷く。

 

ーー目の前に現れたのは、大きなそり。

 

カルデア施設の天井まで届くほどの、ジャンヌ一人を余裕で押し潰せるほどの巨大なそりだった。

 

その上から少女ーージャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィはにこにことひどく上機嫌な声で言った。

 

「はい!とっても大きいです!今年のクリスマスはもっともーっとたくさんの人にプレゼントを渡せます。こんなものを手作りするなんて、トナカイさんはさすがです!」

 

「まぁ。ますたぁったら本当に器用な方ですね」

 

「器用で済むのかこれ?」

 

「……んなことより、さっさとこれを退けなさいコスプレ幼女」

 

荒い息を吐きながら、巨大そりに押し潰された隙間から上半身這いずって出たきたジャンヌはそう言った。

 

するとリリィは、ちらっと足下に視線を向け、「いたんですか?」と声をかける。

 

「ええいたわよ。そんで現在進行形でものすごく痛いわよ。だからさっさと退けなさい、このちみっ子」

 

「……はぁ。相変わらず口が悪いですね未来の間違った私は。悲しい限りです」

 

「安心なさい。性格の悪さじゃ貴方も負けてないわよ」

 

「ーー失礼します」

 

真顔になったリリィが、そう言ってジャンヌの望む通りに巨大そりを退ける。

 

ただし重いので引きずりながら。

 

無論下敷きになっているジャンヌの体を巻き込みながら。

 

めきめきめきという生理的に拒否反応を起こしそうな音と、いだだだだだ!という少女の悲鳴が室内に木霊した。

 

数分後、引きずられた腰をさすりながら壁にもたれるジャンヌの姿。

 

死ぬほど痛かった、と彼女はつぶやく。

 

「……一瞬、座が見えたわ。いろいろ危なかったかもしれない」

 

「残念。そのままもどってくださって結構でしたのに」

 

「……本当、いい根性してるわ」

 

き、と睨んだがリリィはべ、と舌を出し返す。

 

……可愛いげないことこの上ないわね。

 

てゆうかこんなのあげるあいつもあいつだけど、とジャンヌは巨大そりを見上げる。

 

「……しかしそりは大変嬉しいのですがこのチョコは困りました。虫歯になってしまいます」

 

「っっっ!?」

 

がばり、と振り返るジャンヌ。

 

……なんということだろうか。

 

自分と瓜二つの少女の手にも、同じく水色の包みが。

 

「あら。リリィさんもますたぁから頂いたのですか?でも、今回ぐらいはいいのではありませんか?ちゃんと歯を磨けば、そうそう虫歯にはなりませんよ」

 

「……そうですね。じゃあ、素直に頂かせてもらいましょう!」

 

そう割りきると、嬉々とした表情になるリリィ。

 

対して、ジャンヌの顔は段々と赤い色に染まっていく。

 

それは羞恥か、はたまた怒りか。

 

「……どうかなさいましたか、ジャンヌさん」

 

様子を伺う少女二人。

 

同情するかのような少年の視線。

 

そして無知だった己に向けて、彼女はついに耐えられなくなった。

 

「っっっ何でもないわよ!!貴方たち、覚えておきなさいよね、バカ!!」

 

 

そう顔を真っ赤にし、少し上擦ったかのような声で、少女は走り出すのだった。

 

ぽかんと呆ける二人。

 

「……なんだったのでしょうか?」

 

「さぁ?」

 

「……聞いてやるな、二人とも」

 

首を傾げる二人に、さすがのアンデルセンもそう語るのであった。

 

■ ■ ■

 

 

「ーーなんなのよ、あのバカっ!」

 

ぼすっ!と自室に戻るなりジャンヌはベットの毛布に顔を埋めた。

 

むかつく。

 

むかつく。

 

むかつく。

 

心のなかでつぶやくたび、彼女は腹いせに枕を殴る。

 

それでも、この苛立ちは止まらない。

 

この憤怒は、とめどがない。

 

ーー清姫にもリリィにも、チョコに加えてプレゼントがあった。

 

それはたぶん、他のメンバーも同じこと。

 

だったら、ひとつだけなのは私だけ。

 

あからさまに、貰えてないのは私だけ。

 

……仲間はずれは、私だけ。

 

「……はん。どうせそんなことだろうと思ったわよ」

 

自分は災厄の魔女。

 

こんなものと関わろうなんて、まともな奴ならまずいない。

 

ーーそう。

 

この結末だって、わかりきったこと。

 

だから驚きもしない。

 

私は何事なく、この事実を受け入れられる。

 

ーーなのに。

 

この、胸にうずく感情はなんだろう。

 

怒りでもなく、嫉妬でもなく。

 

冷たい風が吹き抜けるような、この空虚な感情。

 

ーー落胆。

 

それは落胆と呼ばれるもの。

 

あの嬉しさから、この悲しみへと切り替わったための結果。

 

ーー彼女にとっての特別が、彼にとっては特別ではなかったという事実に、落胆しているのだ。

 

ああ、だとするなら。

 

彼一人の行動が。

 

彼一人の言動で。

 

私をこんなにも、悲しみを抱いているのだろうか……?

 

 

「っ!」

 

ーーぎり、とジャンヌは奥歯を噛み締める。

 

言い様のないくやしさを、その身に感じる。

 

……そんなこと、あってたまるか。

 

そう思って、彼女は手にもっていた黒い包みを放り投げようと振りかぶる。

 

 

 

ーー 今日中に食べてね。絶対だよ!

 

 

……同時に思い出すのは、彼の笑顔。

 

あの無邪気で、屈託のないーー可愛らしい笑顔。

 

ぴたりと、その腕が止まる

 

「……まぁ。これに罪はないしね」

 

言いながら、彼女は乱雑に包みをとく。

 

……我ながら、バカなことをと思いながら。

 

 

パカリ、と蓋を開く。

 

中には丸い形をした、チョコがひとつだけ。

 

「ーーほら、なにもない」

 

チョコレート以外何も。

 

少女だけの特別なんて、何も。

 

……何を期待していたんだか、と彼女は自嘲した。

 

けれどその時、ひらりと何かがベットに落ちた。

 

見ると、それは一枚の小さな紙。

 

蓋のほうについていたのだろう。

 

なんだろう、と疑問に思いつつ彼女は拾う。

 

ーー真っ白な、二つに折り畳まれた紙。

 

メッセージカード、のようだ。

 

それにしても味気ない、なんてため息をつきながらジャンヌは開いた。

 

そして、書いてあるのその言葉に目を通す。

 

……一瞬、なんて書いてあるのかよく理解できなかった。

 

けれどその意味を理解した瞬間、ボン!と彼女の顔が火を吹く。

 

「な、な、な……」

 

……言葉にならない。

 

ただただ、顔だけが熱くなっていく。

 

その熱さについぞ耐えられなくなって、少女は毛布をがばりと頭からかぶる。

 

それからぐるぐるりとベットの上でもがき出す。

 

「~~~~っっ!!」

 

声にならない叫び上げながら、彼女は転がり回る。

 

しばらくして、散々転がったあと、ようやくジャンヌはシーツから顔を出す。

 

頬にはまだ赤みが残り、その瞳は少し潤む。

 

……恥ずかしさと、嬉しさ。

 

認めたくはないが、その二つの感情が、非情の魔女をこんなにも『乙女』にさせる。

 

忌々しそうに、彼女は再び件の紙を見る。

 

本当に小さな、その一枚。

 

そこにはただ一言、彼からのメッセージ。

 

 

 

 

ーー今夜は空いてるよ。

 

 

 

 

 

「ーー本当に。いい根性してるわあいつ……」

 

ああまったく。

 

こんなもので一喜一憂する自分が恥ずかしい。

 

だけど。

 

ーー実際に嬉しいのだから、仕方ないか。

 

 

くすり、と少女は笑みを浮かべる。

 

しょうがない、と割りきって。

 

困ったやつだ、とつぶやいて。

 

ーー少女は、幸せそうに笑うのだった。

 

 

 

 

今日は、三月十四日。

 

世間でいうところ、ホワイトデー。

 

これはそんな日の、彼女の出来事。

 

ーーそして恐らくは。

 

チョコレートよりも甘い、一夜の出来事でした。

 

 



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私の罪 上

続き物です。
今回は一人のオリキャラが出ます


Pr.

 

 

ーー私の前に立つ者。

 

行く手を阻み、私を殺そうとする。

 

だから敵。

 

容赦なく、慈悲など与えず、私は切り捨てる。

 

ーー私の後ろに立つ者。

 

そいつらは私のあとについてこようしたり、私を関わるのを避けようとする。

 

だから、私はそいつらを無視した。

 

ついてこようが、避けようが、前を向いて歩く私には関係なかったから。

 

独りでいる私には、関係ない。

 

ーーだからわからない。

 

どう接すればいいか。

 

どう思えばいいのか。

 

ーー私の隣。

 

肩を並べて歩こうとする、貴方の気持ちが。

 

この御旗を取り上げようとも、ついてこようともせずに私の傍にいてくれようとする貴方の存在が。

 

……私には、わからない。

■ ■ ■

 

 

「ーーやりましたよトナカイさん!ついに私のステータスが最大になりました!さぁ、存分に誉めてください!」

 

えっへん、と両脇に手を当てて胸を反らすジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィ。

 

そんな自慢気な表情をする彼女に対して、マスターはそうだね、と屈託のない笑みを浮かべながらその頭を撫でた。

 

「オレとしても、思ったより君が早く成長してくれて嬉しいよ。よく頑張ったね、オルタちゃん」

 

とーぜんです!と彼女は答えながらも、マスターに頭を撫でられてまたご機嫌なご様子であった。

 

それからマスターは振り返り、「みんなもありがとう」と頭を下げた。

 

すると、「礼を言われるまでもないさ」とアンデルセンが肩を竦める。

 

「サーヴァントとして当然の仕事をしたまでさ。これで戦力増強になるなら万歳だ。人手が増えて、私の労働時間も削れるなら万々歳だな」

 

「はい。ますたぁが喜んでくださるならこの清姫、例え恋敵を増長させることなろうと構いません……あとでまた潰せばよいだけのこと、ふふふ」

 

「はい。先輩とオルタちゃんのお役に立てて、私も嬉しいです」

 

「……リリィお姉さまのためなら、私は全力を尽くします」

 

清姫とマシュ、ブリュンヒルデも同意する。

 

……一部追及したいことはあるが今は見逃してもいいだろう。

 

せっかくめでたいことがあったわけだし。

 

……けれど、一つ問題なのは。

 

あと一人から反応が返ってこないことである。

 

ーー最後のパーティメンバーであるジャンヌ・ダルク・オルタは、そっぽを向いてマスターである彼と目を合わせようとしなかった。

 

すると、マスターはリリィのもとから離れて彼女に歩み寄る。

 

「ーージャンヌもありがとう。君のおかけで本当に助かったよ」

 

そう話しかけて彼は彼女の顔を覗きこんだが、ぷいとまた視線を反らす。

 

「……さっさと帰るわよ」

 

そう、彼女はつぶやいて、それ以上のことは言わなかった。

 

……どうやら、今日は相当虫の居所が悪いらしい。

 

さてどうしたら機嫌がなおしてもらえるかな、と考えつつ「わかったよ」と彼はマシュにカルデアへの帰還準備を始めてもらうようにお願いした。

 

「……これはまた初々しいものを見せてもらったな。可愛らしい嫉妬だな」

 

「あらそうでしょうか。私は先程から胸焼けが少々。これがいわゆる『砂糖を吐く』とでもいいますか……とにかく、まじきれそうです」

 

「馬鹿め。それがよいのだろうが。ああゆうのが近頃の流行り、『ツンデレ』というやつさ。いや奴の場合『ツンギレ』か」

 

「アンデルセンさん。『ツンデレ』とは何ですか?私にはよくわからないのですが……」

 

「普段は素っ気ない、むしろ嫌うような『ツンツン』した態度だがいざとなると砂糖菓子並みに『デレデレ』と甘い態度になる性格の総称だ。覚えておくことだな、リリィ」

 

「なるほど。勉強になりました」

 

「そうでしょうか。私には年中『でれでれ』に見えますが」

 

「どちらにせよ、お姉さまは素敵です」

 

「ーー貴方たち。それ以上くだらないこと喋ると殺すわよ」

 

 

ジロリと睨むと、小声で話し合っていた彼らは素知らぬ顔をして離れていった。

 

「ーーみなさん、準備完了しました。こちらにお集まりください」

 

マシュの掛け声で、サーヴァントたちが集まる。

 

すると、辺りが光で包まれ、彼らの視界も白く染まる。

 

そうして次の瞬間、彼らはカルデアに帰還を果たす。 

 

ここまでいつも通り。

 

ーーただ一つ違うのは。

 

ところどころ破壊され、見るも無惨な光景が広がっていたことだ。

 

■ ■ ■

 

 

「ーーなんですかこれは!?」

 

あまりの光景に、リリィがそう声を上げる。

 

「なんかあちらこちら壊れてませんか!?こう、なんか爆破されたあとみたい!?あ、あれですか、ステラですね。きっとアラーシュさんがステラったに違いありません!きっとそうなんです!!」

 

「そんなわけあるか。とゆうかまず騒ぐな馬鹿者」

 

急展開に追い付けなくなって目が回りだしたジャンヌにを、アンデルセンが勇めた。

 

まぁ彼女の慌てる気持ちもわからなくない。

 

何せここにいる全員の予想外の出来事であろうから。

 

だが、慣れというのもあってか、あとのメンバーは冷静な様子であった。

 

辺りを見回したあと、ちっ、と舌打ちをするアンデルセン。

 

「……敵襲か。まぁいつかはあるかもとは予期してたアクシデントだがなーーマスター、ロマニとやらに連絡はとれたか?」

 

その問いかけに、マスターは首を振る。

 

「ーーダメみたいだ。まぁダ・ヴィンチちゃんが着いてるから無事だとは思うけど……」

 

「ーーますたぁ。失礼します」

 

 

そう断りを入れると、清姫はいきなり彼の身体を抱えて、その場所から跳躍した。

 

同時にダン、と大きな音を立ててソレが落ちてきて、地面に亀裂を作る。

 

間一髪で回避をしたマスターは清姫に抱きかかえられながソレを見た瞬間、目を見開いた。

 

ーー全身が黒く染まった影のような存在。

 

人の姿をしながらも、顔も自我もない出来損ないの亡者。

 

ソレは、シャドウサーヴァントと呼ばれるもの。

 

だがそれよりも、マスターである彼が驚愕したのはその姿だ。

 

ーーそのしなやかな体つきは、一目で女性だと分かる。

 

けれどそれにしては短い切り揃えられた髪を持ち、似つかわしくない鎧を纏っている。

 

そして何より一番の特徴はーーその右手にもった大きな旗。

 

ーー斬、と空気が引き裂かれる音がした。

 

同時に、シャドウサーヴァントの首も宙に舞う。

 

「ーーなるほど。そういうことね」

 

ーー剣を横に振るったジャンヌが、そう呟く。

 

「ーージャンヌ。今のって君の……」

 

そうマスターが尋ねようとしたときだ。

 

突然、ジャンヌは走り出した。

 

「ちょ、いきなりどうしたんですか私!?マスターを放置してどこに行く気ですか!?職務放棄ですか!?」

 

「ぴーぴーうるさいわね。ただの野暮用よ。マスターには貴方がついてなさいーーマスター。悪いけど一人で行かせてもらうわよ」

 

断りはしたが、彼女はマスターの返答も聞かずに走り去っていった。

 

「……なんなんですかあの態度!?横暴過ぎませんか、未来の間違った私!?」

 

「まぁそうは思うが……どうするマスター。追いかけるか?」

 

そうアンデルセンが問いかけたが清姫から下ろしてもらったマスターは首を横に振る。

 

「……それよりまずはドクターたちと合流したい。こんな状況になった原因を聞き出さないと。それに他にもシャドウサーヴァントの気配があるし、たぶん留守番してたサーヴァントたちが応戦してくれてる。それの援護もしないとね」

 

「ーー先輩。それでも一人はジャンヌさんについて行くべきだとは思いますが……」

 

ーーマシュのいうことはもっともだ。

 

突発的過ぎる彼女の行動に不安がないわけじゃない。

 

何を気づいたかはわからないが、それがあまりよくないことだというのかなんとなく分かる。

 

けれど……。

 

「ーー『一人で』行かせてもらう、って言われちゃったんだよね。たぶんあの様子だと下手に君たちを向かわせるとむしろ返り討ちにされそうな気がする」

 

「それはご遠慮願いますわ……まぁ恐らく大丈夫でしょう。一応強いですし、あの方。そう簡単にやられたりはしないかと。むしろやられてくれたらどれだけ楽だったことか。とゆうかやられてください、本当に」

 

「息をはくように淡々と言うよな。お前は……」

 

さらりと告げる清姫に、アンデルセンはげんなりとした表情をする。

 

「ーーとにかく、まずはドクターたちと合流だ。途中、状況に応じて君たちにもオレとは別行動をとってもらうかもしれない。そのときはよろしくお願いしたい」

 

了解、と頷いて一同は行動を開始する。

 

……ただ、少し気がかりなのは。

 

なるほど、と頷いたときの彼女の表情。

 

まるで、はじめて自分に会ったときみたい。

 

ーー面倒くさい、なんて言葉をいいそうな、気だるげな表情だった。

 

■ ■ ■

 

 

ーー呼ばれてる気がした。

 

カルデアに戻ったときから、そんな錯覚を抱いた。

 

でもそんなのは気のせい。

 

主から見放された私に語りかけるものなど、もういるはずはないのだから。

 

……だがその疑念も解決だ。

 

自分を呼ぶとしたらジルとマスター以外に、あと一人ぐらいの心当たりを思い出す。

 

そして、あの自分の姿をしたシャドウサーヴァントを見てそれは確信にかわる。

 

ーー呼び声に従って、彼女はたどり着く。

 

自らの部屋の前に。

 

……いる。

 

確かにいる。

 

忌々しくも、覚えのある気配。

 

ーーああ、本当に面倒だ。

 

けれど、止めないわけにいかない。

 

だから意を決して、彼女は扉を開けた。

 

ーー本来なら、誰もいないはずのそこに。

 

彼女ではない誰かが、椅子に腰かけていた。

 

そいつは、部屋に入ってきたジャンヌを見て、少し驚いた顔をする。

 

「ーー少し見ないうちに、また随分と様変わりしたな。確か君は、剣よりも旗の方が四十倍好きだと話していたが……あれも嘘だったのかな」

 

「ーーさぁどうかしらね。少なくとも、貴方に語ったときは本当にそう思っていたわ。今は、この重みもなかなかいいとは思っているけどね」

 

「ふむ。後になって意見をコロコロと変えてくる。実に君らしいよ、ジャンヌ」

 

そう言うと、彼は口端に笑みを浮かべる。

 

……その笑み一つで、苛立ちが臨界点を越えそうになる。

 

ーーやっぱりか。

 

この時代の姿に見覚えはないが、その卑しさを含む笑みを見るだけでーーあの男本人だと嫌でも思い知らされる。

 

「ーー何故、貴方がここにいるの?」

 

ジャンヌが訊くとさぁどうしてかね、と彼は首を傾げる。

 

「それこそ私が聞きたいくらいだーーだけど、今の君を見て納得した。私がここに喚ばれたのは……君を裁くためだとね。なら、私に与えられたこのクラスにも合点がいく」

 

そういうと、彼は立ち上がり、ジャンヌと向き合う。

 

ーー白い法衣に、胸元には十字の首飾り。

 

その手には主の教えが記された聖書。

 

向かい合う二人……それは、あのときの法廷のようで。

 

 

ーーそうして彼は、ジャンヌに告げる。

 

「ーーサーヴァント、ピエール・コーション。主より賜りしこのクラス、ルーラーを以て、ジャンヌ……君を、今一度裁こうじゃないか」

 

ーー厳かに。

 

けれど、どこか楽しげに。

 

かの裁判官は、罪深き少女へ告げた。

 

 

 



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私の罪 中

2.

 

 

ーー無垢な私は、神を信じていた。

 

清く祈り続ければ、主はきっと私たちを愛してくださると。

 

……けれど、その思いは日に日に歪んでいく。

 

貧困、飢餓、奇病、強盗、殺人。

 

ありとあらゆる『不幸』を見た。

 

ありとあらゆる『悲しみ』を見た。

 

それらを見るたびに私は涙し、そして祈った。

 

主よ。

どうか彼らを、人々を救ってほしい、と。

 

ーーだけども、その祈りは叶わなかった。

 

どれだけ貴方に祈れど。

 

どれだけ貴方に尽くせど。

 

ーーこの世界から、『苦しみ』が消えることはなかった。

 

 

ーーそしていつしか、私は恐怖を覚えるようになる。

 

あの『不幸』が、あの『悲しみ』が、私を襲うのではないかという恐怖。

 

私も彼らのように、『苦しみ』に沈むのではないかという恐怖を。

 

ーーだから、私は必死になった。

 

そんな地獄に落ちないように。

 

私だけは助かるように。

 

無垢なるものたちの、数多の祈りを糧に、私はかの地位を手にいれた。

 

ーーそんな時、ふと鏡を見た。

 

そこに映っていたのは、かつての無垢な姿の私ではなく。

 

 

ーー醜く歪み欲望に肥太った、法衣を纏う化け物のソレであった。

 

■ ■ ■

 

 

「ーーなんだ。この程度か」

 

そう呟いた彼は、落胆混じりの視線で荒い呼吸を繰り返す少女を見る。

 

ーー少女は、全身傷だらけで満身創痍のていであった。

 

今にも倒れてしまいそうだが、地面に剣を突き刺し、なんとかそれを支えにして持ちこたえている。

 

彼女は顔を上げ、自分を見下ろす男を睨み付けた。

 

そして、剣を引き抜き、掛け声とともに再び、男に斬りかかる。

 

「……残念」

 

男がにやりと笑いを浮かべる。

 

少女が振るった剣先は、男の体に触れることはなかった。

 

その直前で黒い影に覆われた者のもつ剣が受け止めていたから。

 

それからさらに、男の背後に控えていたもう一騎のシャドウサーヴァントが少女に斬りかかる。

 

仕方なく彼女は後退し、また彼から距離をとる。

 

先程からこの繰り返しだ。

 

目線は彼からは外さず、彼女ーージャンヌはいまいましそうに舌打ちをした。

 

「……反吐が出るわ。何回切り刻めば消えてくれるのかしら?その使い魔」

 

 

「おや。割りと君に似せたのだと思ったのだがな。お気に召さなくて残念だ」

 

 

肩をすくめるわざとらしく肩を竦める彼ーーピエールに、ジャンヌは「どこが」と吐き捨てた。

 

……内心、腸は煮えくり返っている。

 

ピエールが先程から召喚してくるシャドウサーヴァント。

 

その格好、所作は剣を交えればいやでも自覚させられる。

 

ーー自分自身に、そっくりであると。

 

だがそんな事実、口にするなんて死んでも御免だ、吐き気がする。

 

 

ーーいや。

 

そんなことよりも、もっと吐き気を催す出来事があった。

 

何よりも、今一番彼女が知りたいこと。

 

それはーー

 

「ーーどうして、貴方がここにいるのかよ。ピエール・コーション司祭」

 

「……これは驚きだ。その理由を君が問うのか?他でもない君自身が?」

 

彼はからかうように笑った。

 

……その不快な笑い声。

 

いますぐ焼き捨ててやりたかった。

 

けれど、彼自身にもなかなか隙がない。

 

元来、ルーラーの彼に対してアヴェンジャーであるジャンヌが優勢のはずである。

 

けれども、それは彼と戦闘できたらの話である。

 

彼の召喚してくるシャドウサーヴァント、しかも同一のアヴェンジャーのクラスにはなんの補正もない。

 

さらには、斬れども斬れども彼は代わりを補充召喚してくる。

 

認めたくはないが、状況はかなり悪い。

 

長期戦はこちらに不利になる。

 

なら特効をかけるか、と思ったがそれつまこちらが生存している確率が低すぎる。

 

それでは駄目だ。

 

私は、勝たなければ意味がないんだから。

 

……本当に面倒くさい。

 

そう心のなかで嘆息する。

 

それから勝機を見いだす意味も含めて、彼女はピエールに会話をうながすのだった。

 

心の底から湧き出そうになる、憎悪を抑えて。

 

「……ええ 。私がいるのに、貴方みたいなのがカルデアに招かれると考えにくいもの。さすがのあの人参頭もそこまで空気の読めない奴だとは思えないわ。それにカルデアに招き応じたサーヴァントがカルデアを攻撃してるなんて、あり得ない話よね。だから訊いてるのよ」

 

「ーーふむ。自覚なしか。まぁだからこその召喚なのだろうがな……いいだろう。罪人の前でその罪を読み上げるのも、裁判官としての責務だ。ならば君の罪を代弁してやろうーージャンヌ・ダルクよ。君は、抑止力という言葉を知っているか?」

 

「……ええ、知っているわよ」

 

ーー抑止力。

 

それは、修正の力。

 

世界の根本を変えてしまうような事象に干渉する、人類、または世界の意志そのものの具現。

 

ーー例えば、世界を壊そうとする怪物がいれば、それを倒す英雄が現れたり。

 

また例えば、崩壊の危機に貧した国を救うため、天の声を聞く少女が現れたり。

 

そんな滅びを回避すらための防衛本能。

 

これを、魔術の世界では抑止力と呼称される。

 

「ーー抑止力が起動するのは、対象が世界、または人類にとって排除するべき要因だと断定された時だ……九九もできない無知な君にも分かりやすくいうなら、体に入った細菌に対処する抗体のようなものだ」

 

「お生憎さま。九九ならもうマスターしたわよ……それで。その話が、貴方がここにいるのとどんな関係があるのよ?」

 

「……愚鈍なのもここまでいくと不快なだけだな。ここまで聞いてまだわからないのか?いや、わかっている上で君はそう訊くのかな?……ああ、そうに違いない。君は嘘つきだからな。自分だって、簡単に騙せるはずだ」

 

「……相変わらず、貴方は人の話をまったく聞かないのね。コーション司祭」

 

苛立ちを募らせながら、彼女はたずねる。

 

ーーけれども。

 

なんとなく、その答えには辿り着いていた。

 

それは、たぶん……。

 

そうだ、と言って彼は笑った。

 

彼女の予想を、ピエールはそのまま口にする。

 

「ーー私が呼ばれたのは他でもない、その抑止力としてだ……おめでとうジャンヌ・ダルク・オルタナティブ。これが、君の待ち望んだ『天罰』だ」

 

 

ーーその微笑みはまさに、敬虔なるクリスチャンに、教えを諭す慈母に満ちた神父のソレであった。

 

 

■ ■ ■

 

ーー『天罰』。

 

そう彼は告げた。

 

それを聞いたジャンヌはしばし茫然とした。

 

「……今の君の姿は、本来ならあり得ない存在。ジャンヌ・ダルクからは逸脱し過ぎたものだ。いや、むしろそれ以上に……聖処女たる『ジャンヌ・ダルク』という存在を、地に貶める恥ずべき悪だと、世界に、人びとに認識されたんだ。まったく滑稽な話だ。人類史の修復より先に、君への修正力が働くとはな。よほど世界に嫌われたと見える」

 

「ーーその抑止力の具現が、貴方だというの?」

 

ジャンヌの言葉に、ピエールはああ、と頷く。

 

「……ジャンヌ・ダルクを裁いた者として、私が選ばれたのさ。だからこの通り、これだけの魔力供給があるのも抑止力の代行者としての特権だーーさぁ。それでは懺悔してもらおうかジャンヌ。聖処女と唱われた君が、世界の悪となった、その罪を……」

 

そう、ピエールは語りかける。

 

うつむき震えるジャンヌに。

 

沈黙が続く。

 

彼女は口許に手を当てたままなにも喋らない。

 

目の前に現れた、裁きを与える存在に、おののいているからだろうか。

 

まぁ、無理もないだろう。

 

これは、彼女の信じるものから受けた裏切りに等しいのだから。

 

戦意を失っても、それは仕方ないこと。

 

「……どうやら、君にも自覚が出来たようだな。ならばこの裁きを、しかと受けてもらおう」

 

 

ピエールが厳かに告げる。

 

ーーそれが、彼女の我慢の限界だった。

 

 

 

ーー高らかな笑い声が、室内に木霊する。

 

 

 

風船が割れたみたいに、唐突に。

 

ピエールは、大きく目を見開いた。

 

ーー笑っていた。

 

腹を抱えて、黒装束を震わせながら。

 

おかしくて堪らないと、目尻に涙を溜めながら。

 

ーー彼のよく知る少女は、彼が見たこともないような笑い方をしていた。

 

 

ひとしきり笑ったあと、彼女はふぅ、と息を吐く。

 

それから彼女はピエールの顔を再び見る。

 

先程とはうって変わった、不敵な笑みを浮かべながら。

 

「……『天罰』ね。ならお尋ねするのだけど、『天罰』とはいったいどうゆういみなのかしら、司祭」

 

「……主が貴方に与える『罰』のことだ」

 

「なら『罰』とは?」

 

「貴方の罪に対する『報い』だ」

 

「ええ。確かにその通り……けれどそれだけではないでしょう?『罰』とは、与えられる者に悔い改めさせるもの。反省を促すためのものでしょう?なら、一つはっきり言えるわ……貴方に罰せられたところで私はーー反省する気にはまるでなれない」

 

「……なんだと」

 

ぴくりと、彼の眉が上がる。

 

そんな様子のピエールを、クスクスと彼女は楽しそうに笑った。

 

 

「当たり前でしょう?泥が泥水をかけられて綺麗になるとでも?貴方に裁かれたところで、怒りは増せど更正するなんて思いもしないわよ。主の御心を代行するには、貴方は汚れすぎてる。若返って自意識過剰なのかしら?なら鏡をよくご覧なさい。そこには貴方のよく知ってる、醜く歪み、肥太ったら化け物の顔が見えるだろうから」

 

……そう、きっと『天罰』が下るなら。

 

せめて貴方よりも、『誠実な人間』がよこすでしょう。

 

そう魔女は言った。

 

彼女の答えに、ピエールはしばし沈黙する。

 

それから、彼はフッ、と笑った。

 

けれど、それは先ほどまでの笑みとは違う。

 

侮蔑したわけでも、哀れんだわけでもない。

 

ーー本当に、楽しくてしょうがない、と言った笑い。

 

「ーーまったく。相変わらず、人の気にしていることばかり見抜いてくる。だから君は魔女と呼ばれるんだ……いいだろう。君が認めぬというなら構わない。私はただ、主のご意向を代行するだけのことだ」

 

告げると同時に、彼の回りに次々とシャドウサーヴァントが召喚されていく。

 

数が増えていくそれらの光景を見ながら、ジャンヌは「単純な男ね」と嘆息した。

 

……けれど、はいそうですかと言えるわけはない。

 

さっきも言った通りだ。

 

勝たなければ意味がない。

 

それは、私が帰ることも含まれている。

 

ーーただ一人、私が契約を交わしたあの人もとへ、帰ることも。

 

「ーーいいわよ。お相手致しますわ、司祭どの。でもーー」

 

ーーだから、彼女は剣を向けた。

 

ボロボロの体になっても。

 

どんなに惨めでも。

 

……たとえこれが、本当に『天罰』でも。

 

「ーーこの憎悪、貴方に受け止めることができて?」

 

ーー今はただ、交わした契約を果すために。

 

彼女は剣を構え、少女は走り出した。

 



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Go to the New World!

グランドオーダー二次創作、ジャンヌのあのすごくかわいい新衣装ネタです。
だいぶふざけてます。思いつき&不透明な部分がある状態で書いてますので、色々間違うところがありますがどうかご容赦を。
それでもよろしければ、どうぞ読んでやってくださいませ。
あと新衣装のジャンヌ本当に可愛かったですね!
今日から新宿開幕。
みなさん精一杯がんばって、思う存分楽しみましょうっ!
私も楽しみます!


「ーーマスター、こちらを見なさいな」

 

廊下を歩いていると、後ろから声をかけられる。

 

透き通っていて、それでいて気の強そうな少女の声。

 

聞き間違えたりはしない。

 

「ーーちょうどよかった。周回に行くから君を呼びに行こうと……」

 

だが振り返ると、マスターは言葉は止まってしまう。

 

そこに見えたものが、彼の予想外の光景だったから。

 

ーー真っ黒に染まったチューブドレス。

 

股下から続いているファスナーを、彼女は自身の首元まで閉めている。

 

そしてそのうえには、いつも着ているマントを彷彿とさせる黒いジャンバー。

 

現代風の装束を身に纏った彼女ーージャンヌ・ダルクは、得意満面の笑みでマスターに語りける。

 

「……どうかしらマスター。感想を聞かせなさいな」

 

「ーーあ、うん、その……かっこいいと思う」

 

お世辞なしの、本心からの賞賛を、彼はジャンヌに送る。

 

しかしその返答を聞いたジャンヌはその綺麗に整った顔に青筋を立てる。

 

「……それだけ?」

 

「え?あー他には、その可愛いし、綺麗だし、COOLだし……」

 

言う度に、青筋の数が増えていく。

 

……そんなにまずかったのか、今の台詞。

 

すると痺れを切らしたジャンヌが「あーもうっ!」と苛立たしげに足踏みをする。

 

それからギロリと

 

「だ・か・らっ!なんでアンタは嫌がらないのよっ!」

 

「……ああ、そういう意味ですか」

 

真意を察すると、やれやれと彼は額に手を当てる。

 

その姿にまたジャンヌは怒りを示した。

 

「当たり前でしょう!この私が、こんな姿をしていたら、誰だって嫌がるわよ!現にジルは泣いてたのに!」

 

「あ、うん。それに関しては同意するよ」

 

たぶん君が思っているのとは違う意味だろうけど、と内心彼は呟く。

 

しかし、とマスターは今一度少女の姿を見る。

 

ドレスにより確かになる、その艶やかな曲線。

 

服装とは対称的に、真っ白に光る太もも。

 

僅かに見えるがゆえに目を引き寄せられる、彼女の鎖骨。

 

凛々しくもあり、扇情的でもあるそのバランス。

 

ーー誰かは検討がつかないが、グッジョブ!とサインを送りたい気持ちだった。

 

「……バレンタインもそうだけど、嫌がるなんて土台無理な話だよ」

 

にっこりと笑うマスター。

 

その反応に、ジャンヌは露骨に「気持ち悪い」と嫌悪の表情を示す。

 

「……理解不能だわ。むしろ嬉しそうにされるし。私は嫌々ながら来てやったって言うのに。こんなんだったら着替えるじゃなかったわ」

 

「……そうか。俺には随分と興が乗った様に見えるがな」

 

「っ!?」

 

ぎょっとして、ジャンヌは振り返る。

 

いつのまにか、彼女の背後には一人の男の姿。

 

ジャンヌと同じく、黒を貴重とした服装。

 

深々と被る帽子。

 

黄色がかったその瞳が、ジャンヌの姿を写していた。

 

「あ、エドモン。ごめん、待たせちゃった?」

 

あんまりにも軽やかな態度に、かの恩讐の化身も嘆息する。

 

「……呼び出しておいて当のお前が遅れてどうする。セイバーを含め、他は準備出来ている。ソレの遊びになど付き合ってないで、さっさとお前もこい」

 

「な、誰が遊びよ!?」

 

抗議するジャンヌに、エドモンは「遊び以外の何だと言うんだ」と呆れた表情を向ける。

 

 

「……服装の変化など我々には関係ない。特にお前は、マスターに見せたいがためだけに変えただけだろう?なら、なおさら無駄だ」

 

「べ、別にそれだけの意味じゃあないわよ。それに、こいつだって時々服を変えるじゃない。私だって変えるときがあってもいいじゃない」

 

「マスターの服装にはれっきとした意味がある。術式補佐という意味がな。対してお前のそれにはなんの意味がある?センスもなにもない」

 

「全身青タイツの槍使いとか、マスターの戦闘服に比べたら断然マシよ!あんなダッサイの着た奴の隣で戦うとか信じられないわっ!」

 

「……そっか。やっぱダサいか、これ」

 

ふと、こぼれた呟き。

 

はっ、となって振り返るとマスターは自らの服装をじっと見ていた。

 

すると、彼はジャンヌたちに背を向ける。

 

「……悪い。ちょっと部屋に戻る」

 

「あ、ちょっと待ちな……」

 

ジャンヌが声をかけるより、前に彼はスタスタと廊下の向こうに消えてしまった。

 

残されたのは、二人の復讐者。

 

「……怒った、のかしら?」

 

「まぁ、聞いていて喜ばれるような台詞ではなかったな」

 

エドモンが答えると、ジャンヌは深いため息をついた。

 

ーーいやおかしいだろう。

 

普段はあんなにへらへらしてるのに、こんなことで怒るなんて。

 

いったいどんな感性してるんだ、あいつは……。

 

「……何をしてる。さっさと連れてこい。時間がもったいない」

 

「何で私が行かなきゃならないのよ」

 

お前以外の誰が行くんだ、と煙草に火をつけながら、エドモンは答える。

 

彼は燻るそれを口につけ大きく吸う。

 

それからふぅ、と吸い込んだ煙を吐き出した。

 

吐き出した煙を溶けていく様を見つめながら、彼は言った。

 

「ーーお前の蒔いた種だ。ならお前に責があるのは条理。私は広間で待つ。早くしろよ」

 

「ーー面倒くさいわね、ほんと」

 

いうと少女は走り出す。

 

仕方がないと、嫌々そうに。

 

ーーそれでも、少女は少年のあとを追った。

 

その後ろ姿を、巌窟王はじっと見つめた。

 

それからぽつりと、最後に呟く。

 

「ーーつくづく、喚ばれる場所を間違えたな」

 

……ここは幸せ過ぎる。

 

生きにくい場所だ、と彼もまた広間へと歩きだす。

 

ーー歩いた世界を、白く染め上げながら。

 

■ ■ ■

 

 

ーー別に、本気で怒らせようとしたわけじゃない。

 

ただあいつの、嫌がる反応が見たかっただけだ。

 

なぜって、それはあの男が私を拒絶しないから。

 

嘘の塊の私を、悪性の根元みたいな私を、彼は否定しない。

 

……それが堪らなく不快だった。

 

だってそうでしょう?

 

私は疎まれるもの。

 

私は憎まれるもの。

 

嫌悪の対象でしかない私を、彼は少しも不快であるとは言わない。

 

……だから言わせてやりたかった。

 

そうじゃなきゃ、面白くない。

 

そうじゃなきゃ、私らしくない

 

ーーそうじゃなきゃ、私だけが。

 

ーー気がつけば、扉の前。

 

マスターの、部屋の前だった。

 

……何て話しかけようかしら。

 

ここにきてやっと、ジャンヌはそのことを考え出した。

 

……謝る気には、やはりなれない。

 

てゆうか、あの程度でふてくされるアイツが悪い。

 

けれど恐らく謝らなければ彼は出てこない。

 

だけどやはり頭を下げるのは気にくわないから……。

 

頭を悩ませ、唸る少女。

 

彼女が葛藤しているその時、開くことはないと思っていた扉が、カシャリと音を立てた。

 

 

「……え?」

 

驚きは、少女の声。

 

開かれた扉の向こうに立っていたのは、一人の少年。

 

ジャンヌが頭を悩ませていたマスター。

 

けれど、それよりも驚くべきは彼の姿。

 

ーー彼が着ているのは、漆黒のスーツ。

 

シャツもズボンも上着もネクタイも、全てが黒一色。

 

ジャンヌと同じ、真っ黒だった。

 

彼は目の前にいる彼女を見て、「あれ?」と首を傾げる。

」と首を傾げる。

 

「どうしたの?もしかして迎えにきてくれた?」

 

「ち、違うわよ!?そんなんじゃ……てゆうか、それ…何?」

 

おずおずと指差すジャンヌ。

 

彼はああ、とうなずいて自らの体を改めて見回した。

 

「ーー確かに、君の言うとおり隣で戦うにはカッコ悪かったからね。似合う服装に変えてみた。変じゃないかな?」

 

「……それだけ、なの?」

 

うん、と頷く彼に、少女は目を見開いた。

 

ーー彼が部屋に戻ったのは怒ったからではない。

 

不機嫌になることも、拗ねることもなく。

 

ただ単に、服を変えに行っただけ。

 

ジャンヌの服装に合うように。

 

隣に立てるぐらいにはいさせてもらえるように。

 

本当に、ただそれだけだった。

 

……なんて、馬鹿げた理由。

 

貴方はマスター、私はサーヴァント。

 

私に合わせる必要なんて、これっぽっちもないのに。

 

私を気にかけることなんて、しなくていいのに。

 

ーーああ、でも。

 

貴方はそういう人だった、少女は思い返した。

 

……いつもそう。

 

そうやって、貴方は私を『嫌な』気持ちにさせる……。

 

「じゃあ、行こうかジャンヌ。またエドモンたちに怒られる前に」

 

言って、マスターはジャンヌの手を掴む。

 

彼女の手を引いて、二人は駆け出した。

 

「ちょ、貴方ねぇ……!」

 

文句を言おうとしたが、少年の楽しそうな笑顔を見て、彼女は言葉に詰まる。

 

……なんでよ。

 

どうして、貴方はそんなことが出来るの?

 

私は嫌なのに。

 

貴方が私にすることは、全部嫌。

 

優しくすること、プレゼントをくれること、探してもらうこと、笑いかけてくれること。

 

全部全部、本当に嫌。

 

だって、貴方がそんなことをする度に、私の胸が熱くなる。

 

心臓は早鐘を打って、呼吸は苦しくなる。

 

貴方の笑顔を見るたびに、私はいつも、ぐるぐると目眩に襲われるんだ。

 

……はじめての、感情。

 

こんな不快なものを、『嫌』にならないわけがない。

 

もどかしく思わないわけがない。

 

……なんて言葉を返せばいいか、わかんない。

 

だから、貴方にも味あわせてやる。

 

困らせて、悩ませて。

 

貴方と同じことをして、私と同じように、『嫌』な気持ちしてやらなくちゃ。

 

でなければ、私ばかりで不公平だ。

 

……なのに、貴方は笑うだけ。

 

ありがとうと、笑うだけ。

 

貴方は何度も笑って、私は何度も空振る。

 

悔しいのに、ムカつくのに。

 

そのたびに、貴方は私を『■ ■ ■ ■(いや)』な気持ちにさせる。

 

……ああ。

 

私はこんなに想っているのに。

 

貴方はあんまりにも平然としてる。

 

……それが、やっぱり悔しい。

 

 

「……バカじゃないの」

 

そう呟くジャンヌ。

 

それは目の前を走る彼に向けてか、うっすらと頬に熱を感じる自身に向けてか。

 

どちらにせよ、悪くないと思える自分自身に、余計苛立ちを募らせる彼女であった。

 

 

■ ■ ■

 

ーーさて。

 

少女が真にその感情を理解する日はいつぞやか。

 

どうなろうと、時の流れは止まることはない。

 

ーーさぁ。

 

次の物語はもうすぐに。

 

黒々とした第二幕が、今宵始まりを告げるのであった。

 

 

 



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少女な彼

グランドオーダー二次創作です。
注意・新宿編ネタバレを含みます。
推奨はパーティ行ってから、です。
それでもよろしければどうぞよろしくお願いします
そして最後に、一言。

……ドレス姿のジャンヌに撃沈しました。


 

 

ーー人生、何が起こるかなんてわかったもんじゃない。

 

何せ必然ばかりで出来ることはないからだ。

 

偶然の積み重ねが、人生という物語を完成させてゆく。

 

だから常に、未来は人の予想を裏切るだろう……。

 

ーーしかし。

 

「……流石に、これは予想外だった」

 

そうマスターはため息をつく。

 

本当に、気だるげに。

 

すると、彼の傍らに立っていた白髪の紳士が「応とも」と朗らかに笑っていった。

 

「……人生とは奇々怪々の物語。予測できなぬこともまた一興。これが君の予想を裏切れたというのなら、私としても嬉しい限りだ。実際私も超楽しいからネ!」

 

「ーー確かに。『予測外』あってこその人生だと思うが。だからこその推理だとわかっているが……まさかその顔からそんな言葉を聞くとは思わなかった。ワトソンくんがいれば、もっと気の利いた言い回しをするのだろうが……単刀直入に言って寒気がする」

 

傍らに立つ名探偵のセリフに、「そうだね」とあっさり同意する新宿のアーチャー。

 

「言いながらものすごく違和感を私も感じるよ。だがまぁ仕方がない。何分素材が良すぎた。彼の衝撃も相当だが、私も電撃が走ったよ」

 

「……そうですね。本当、衝撃的過ぎます……」

 

言いながら、マスターは今一度鏡に映る己の体を見る。

 

そこに見えるのは、いつもよく見る少年の姿ではなく。

 

ーードレスを身にまとった、一人の少女の姿だった。

 

「ーーなんでこんなことに……」

 

仕方がないさ、と新宿のアーチャー、もといかの有名な犯罪紳士はマスターの肩を叩いた。

 

「新宿のアサシンに顔を覚えられた以上、変装はあって叱るべきだ。それに生半可なものではすぐバレてしまう……ならいっそ、性別ごとやってしまえ、ということさ。あら、実に合理的結論……付け加えるとだ、彼女たちには実に受けがいいようだな」

 

ちらりと、アーチャーは視線を残る二人に向ける。

 

「……ああ。よく似合っているぞ、マスター…フフ」

 

ーー黒く大きなリボンが特徴のドレスを纏ったアルトリアは、そう腕を組んで言った。

 

しかし、いつも無表情なその口元はヒクヒクと痙攣しており、声も震えていた。

 

笑うまいと、必死にこらえているのがまるわかりである。

 

……しかし、体裁を保とうとしていた彼女のほうがまだマシだったかもしれない。

 

「……もう、ダメ。笑いすぎて死ねる……」

 

残る一人は、それ以上にひどかった。

 

ドツボにはまりすぎた彼女ーージャンヌはソファに身を投げ出して 、先程から散々笑い転げている。

 

ーー彼女が纏うは、アルトリアような「少女」とは対照的に白い肌を惜しげもなく露にした大胆な「女」のドレス。

 

その大人びた肢体も相成って、魔女の名に相応しい妖艶さを醸し出していたが、今となっては形無しだ。

 

……最初この美女二人をエスコートできるとなって、男として少々浮き足だったマスターであったが、今はため息しかでない。

 

ーーまさか三人目の少女になるなんて、夢にも思わなかったのだから

 

「そう、気を落とすなマスター。よく似合っているぞ。私があと十年若ければ口説いていただろう……いやしまった。十年若返ってもアラフォーだ、私」

 

「それは同意しよう。私から見ても君は可憐な少女に見える。誇るといい、カルデアのマスターくん」

 

「何をですか……?」

 

むしろ誇りとか投げ捨てた姿じゃないのか、これ。

 

しかし、落ち込む彼の真意など気にも止めず、二人の紳士は「さて……」と話題を切り替えた。

 

「……そろそろパーティ会場に向かうとするか。我々も準備があることだし」

 

「然り。ではお嬢さん方、参りましょう」

 

しかし、促す彼らを待ちなさい、とジャンヌが制止する。

 

「……貴方たち甘すぎ。こんなで騙せるわけないでしょ?まだ足りないものがあるわ」

 

「ほう?それ何かね?」

 

アーチャーの言葉に、「それはねぇ……」とジャンヌは笑う。

 

……あ、これ絶対ろくでもないやつだ。

 

そして、マスターのその推察は正しかったのか、彼女はこれよ、と言って差し出す。

 

ーーその手には、白くそこそこ大きな二つのかたまり。

 

「……あの、ジャンヌさん。これはいったい……?」

 

恐る恐る、マスターは尋ねる。

 

すると、少女はこういうときに限って満面の笑顔を向ける。

 

「ーー何ってパットよパット。貴方のその貧相な胸じゃあ、すぐに男だってバレちゃうから。使い方わかる?」

 

 

ぶんぶんぶん!とマスターは首を横に振った。

 

わからないし、知りたくない。

 

てゆうか、使いたくない。

 

その反応を見て、ますますジャンヌの表情は歓びに満ちていく。

 

「しょうがないわねぇ……なら私が教えてあげるわ。仕方ないから、嫌々ながら教えてあげるわ」

 

ジャンヌはわきわきと指を動かしながら近づいてくる。

 

背後に後ずさったがガタリとすぐ後ろの鏡につかかった。

 

退路はない。

 

終わった、とマスターが思った瞬間だった。

 

斬、と空を切る音。

 

「……別に胸などなくても構わないだろう」

 

二人の間に黒剣を振りかざしながら、アルトリアがそう言った。

 

すると、ジャンヌは邪魔すんじゃないわよと彼女に毒づく。

 

「ある程度なきゃ不味いのは確かでしょうがーーああ、でも大丈夫か。元からマスターよりも絶壁な奴がいたからねぇ」

 

「黙れよホルスタイン女。それ以上口を開けば火薬燃料にしてやる……無駄にいい脂が乗っているからな。よく燃えるだろうさ」

 

「……殺んの?」

 

「殺る」

 

「やめて!私の(胸の)ために争わないで!?」

 

 

マスターの制止など聞くことはなく、狭い地下室でドンパチを繰り広げる二人。

 

「いやはや若い。私もあんな青春が送りたかった。渡り合えるライバル、なんとも結構。そうは思わないかホームズくん」

 

「お望みとあらばご一緒しよう。ところで教授。滝はお好きかね?」

 

「本当に私には容赦ないネ君はっ!!」

 

ーー大丈夫かな、この人たち。

 

これからやっていけるかな……?

 

行く先が不安で仕方ない、とか弱く悩む彼女(?)なマスターであった。

 

 



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『私』と踊れ

グランドオーダー二次創作です。
注意・新宿編ネタバレを含みます。
推奨は本編を終了してからです。
それでもよければ、どうぞよろしくお願いします。
最後にまた一言。

……新宿最高でした、本当にありがとうございます。


「……それで。新宿で何があったのよ?」

 

 

ーーそうにらみをきかせて。

 

目の前に立つ白髪の英国人に、ジャンヌは尋ねる。

 

廊下を歩いていると、彼ことジェームス・モリアーティの姿が見えた。

 

先日カルデアにきたばかりの新人サーヴァント。

 

新宿では、同じくそこにいた別のジャンヌと途中までは共闘、最後は敵対したという犯罪界のナポレオン。

 

そんな男に、ジャンヌは尋ねたのだ。

 

新宿で起きた出来事のあらましを。

 

しかし、先日起きた事件の犯人様は「はて?」と首を傾げるだけ。

 

その反応に、少女はさらに苛立ちを露にする。

 

「だ・か・ら!私がいない間、新宿でマスターに何があったんだって聞いてんのよこのアラフィフ!」

 

「……何と言われても困るな。第一、新宿の私と今の私は違うわけだし、そこについての記憶はあやふやだ。そもそも、マシュくんからあらかた聞いているのではないかね?」

 

モリアーティの指摘に、ジャンヌは「ええそうよ」と頷く。

 

「けど、絶対それだけじゃないのよ。なんか他にあったのは確かなのよ」

 

「ほうほう。ーーしかし、何故そんなことを君が知りたがる。私から見た君という人物は『終わりよければ興味なし』という感性の持ち主だと思っていたが」

 

「勝手に人を観察して勝手に貴方の基準で判断すんなーー新宿の件自体に興味はないわ。私が気になるのは他のことーーここ最近の、マスターの行動が変ってこと」

 

「変、とな。それは具体的にどういった行動を指しているのかネ?」

 

モリアーティが尋ねると、そうねと顎に手をあて、ジャンヌはマスターの近況を報告する。

 

ーー大きな変化は二つ。

 

まず一つ目。

 

本を読むことが多くなった。

しかも何故かダンスに関するものばかり。

そのせいで、マスターと会話する機会が少し減ったという。

 

ーー二つ目。

 

自室でステップの練習をする。

しかも練習をするとき、ジャンヌは追い出されるかいれてもらえない。

 

しかもどちらからといえば、彼女から隠れてやっていることが多いらしい。

 

 

以上を聞いた教授はなるほど、と頷く。

 

それからジャンヌに向き直り、えらく真剣な面構えで言った。

 

「ーーつまり、マスターに構ってもらえずさみしいというわけかネ?」

 

「なんでそうなるのよっ!」

 

顔を赤く染める少女が放った一閃を、紳士は慣れた動作で受け流す。

 

……何故かは知らないがこの少女の攻撃(あとアルトリア)を避けることに関しては身体が勝手に動くのだ。

 

どうやら霊基に染み付くほどの思い出があるらしい。

 

「ーーてゆうか隠れてやるくらいならもう少しうまくやれっての。半端にわかるから気になるじゃない」

 

「それは君が彼のプライベートルームにさも当然のように踏み込んでいくから隠すもなにもないのでは?」

 

「あぁ?何か言ったかしら?」

 

「別に何も言ってないヨー」

 

ぎらりと刃物をちらつかせる少女に、老人はそう答える。

 

ーー今時の若者こわい。

 

「……まぁそれらはおいといておくとしてだ。彼の不可解な行動の原因には、少々心当たりがある」

 

「へぇ?なら聞くけどその原因はなにかしら?」

 

「……ではお答えしよう」

 

すると、彼はぴっ、とジャンヌを指差す。

 

それから自信満々な風に、彼女に告げるのだった。

 

 

「ーー犯人は君だ」

 

「…………はぁ?」

 

 

何言ってんのアンタ?と彼女は顔をしかめる。

 

しかし当のモリアーティはジャンヌのことなど気にせず「一度は言ってみたかったんだよネ!」と一人で勝手にご機嫌だった。

 

「ちょっと!?ちゃんと説明しなさいよ!」

 

「別に説明するほどのことではないと思うのだがネ。理由は単純なことだ」

 

「……アンタやっぱり知ってんの?」

 

「いや知らん。だが概ね検討はついた。マシュくんから聞いたのだろう?少しの間、彼がモニターに映らなかったと。それと君の話を照らし合わせれば……いやこれ以上は私が語るべきではないかナ。あとは彼に聞きなさい、オルレアンの竜の魔女。まぁ安心なさい。どう転ぼうが、『ジャンヌ(きみ)』は悪い思いをしないだろうさ」

 

それだけ言うと、かの紳士はさっさと立ち去っていった。

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

……確かに、あの紳士のいう通り、回りくどいのは面倒だ。

 

気になるなら直接聞きにいこう。

 

そう思い立ったがゆえに、現在ジャンヌはマスターの部屋の前まで来た。

 

……一応何度か聞いてはみたのだ。

 

だが彼は「ひみつだよ」と答えるだけ。

 

しかし、今回ばかりははぐらかせない。

 

必ず、問いただしてやる。

 

 

「……入るわよ」

 

そう一言断って、けれど返事などは待たずにジャンヌは部屋の扉を開ける。

 

「……あれ?ジャンヌだ。いらっしゃい」

 

ーーそこには、予想通り能天気な顔。

 

自身のマスターが、椅子に腰掛け本を読んでいる姿。

 

……相も変わらず、緊張感がないわねよねコイツ。

 

いきなり入ってこられても慌てることはなく、彼はむしろ嬉しそうにジャンヌを歓迎した。

 

「……また読んでるのね、それ」

 

「え?ああ、うんまぁね……」

 

言いながら、彼はちょっと目をそらす。

 

……やっぱり言うつもりはないみたいね。

 

そうは行くか、と彼女は口を開いてーー直前に、あることを思い付いた。

 

「どうしたの、ジャンヌ」

 

「ーー教えてあげましょうか?」

 

え、と彼はポカンとする。

 

こほん、とジャンヌは咳払いをする。

 

「……だから、ダンス。私も多少は出来るから、教えてあげるわ」

 

 

……言え言えと脅すよりは、この方が効果的だろう。

 

それに彼と踊るのだって……まぁ悪くはない。

 

ジャンヌは提案に、マスターはしばし呆然となる。

 

それからにこりと、彼は笑った。

 

……ここまでは、ジャンヌの予想通り。

 

「ありがとうジャンヌーーでもいいや。自分一人で練習するよ」

 

ーーこれは予想外。

 

まさか断れるとは思っていなかったジャンヌは、唖然として固まった。

 

「……ってちょ、冗談でしょう?私が踊ってあげるって言ってるのよ!?」

 

「うん。すごく嬉しかったけど、まだ駄目だ。だって、もっと上手くなったらって約束だし」

 

「けどアンタねぇ……『約束』ですって?」

 

聞き返すジャンヌに、彼はあ、と口を開けた。

 

しまった、という顔。

 

「……ねぇ貴方。この間の新宿で何があったのかしら?ーー主に、新宿の私とだけど」

 

「ーーひみつなので、これ以上は語りません」

 

汗を流しながらも、目をそらす少年。

 

……それが答えみたいなもんでしょう。

 

そうジャンヌは嘆息した。

 

ーーなるほど、大体読めた。

 

具体的なことは無論わからないし、何があったのかは彼が語らない限り想像の域を出ない。

 

ただひとつだけ確かなのは。

 

ーー新宿の私も、相当コレが気に入っていたらしい。

 

……まったく、まさか二人して骨抜きにされるとは。

 

いささか以上に恥ずかしさを感じる少女であった。

 

ーーそんでもってこの男は。

 

ご丁寧にもそっちの私との『約束』とやらを守っているわけだ。

 

「……馬鹿ね、ほんと」

 

思わず、少女は言葉を漏らす。

 

だってそうとしか言いようがない。

 

 

あっちはあっち、こっちはこっちと区別しているのに、それでいて二人のジャンヌ・オルタとも両方と仲良くしようとしてる。

 

 

なんてお人好しで、強欲な男。

 

 

……だがまぁ、あの紳士のいう通り。

 

ジャンヌ・オルタ(わたしたち)』という存在が大事にされてるのは事実だから、悪い気分ではない。

 

「……いいわよ。なら、貴方が上手くなったら踊ってあげるわ。それでいいんでしょう?」

 

すると、途端にぱぁと明るくなるマスターの顔。

 

ーーコイツは子犬かなにかなのか。

 

一言一言でコロコロとテンションが変わる。

 

しかし、とジャンヌは思う。

 

ーーこれでは少々、こちらのジャンヌに対する扱いがおざなりに感じる。

 

同じと定義するなら、こっちももっと大事にするべきだ。

 

ーーつまり、何が言いたいのかというと。

 

新宿の私ばかり優遇されるのはおもしろくないってこと。

 

だからーー。

 

「……その代わりマスター、こちらに来なさい」

 

「え。あ、はい」

 

歩みよってくるマスター。

 

近づいて立ち止まる男の頬に、少女は手を伸ばす。

 

やわらかくて、ほんのり暖かい、彼のほっぺた。

 

「ーー私を敬うのはいいことよ。これからも、それぐらい謙虚でいなさい。……だけどね」

 

ぐい、と少女は彼の胸元を引っ張った。

 

思わずマスターの姿勢も崩れる。

 

そうして、少女は彼の顔を寄せる。

 

ーー自らの口元へ。

 

 

「ーーここにいるのは『私』だってこと……忘れるんじゃないわよ」

 

 

ーー改めて。

 

彼を守ってくれてありがとう、新宿の私。

 

そしてどうやら、その『何か』についてはそっちに先を越されてしまったみたいね。

 

けど、ざんねぇん。

 

それでも、『私』は負けてないわ。

 

だってほら。

 

 

やわらかくて、暖かな彼の感触は。

 

 

 

ーーこの『私』だけの特権なんだから。

 

 

 

 



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かわいらしい貴方

「ーーお、マスターはっけーん!ねぇねぇ、ちょっといいかなぁ?」

「ん?どうしたの?」

 

食堂で昼食をとっていると、桃色の髪をした少年が声をかけてきた。

 

アストルフォ。

 

その美少年にも美少女にも見える中性的な美しさを持った彼は、ぴょんぴょんと跳びながらマスターの側までかけてくる。

 

「あのね、マスターに一つ聞きたいことがあるんだ」

「何を?」

 

すると、彼はその『聞きたいこと』を口にした。

 

 

「……マスターって、もしかしてバイ?」

 

 

……飲んでいたコーヒーを吹き出した。

咳き込むマスターをアストルフォは「うわわ、大丈夫!?」と心配そうに覗きこむ。

いや、大丈夫とか以前に今すごいこと言われた気がする……。

 

「ーーアストルフォちゃん。ちなみになんで、いきなりそんなことを聞いたの……?」

 

なるべく落ち着いて、彼は聞き返す。

すると少年は「それはですねー」と手に持っていた一冊の本を差し出す。

 

「ーーさっき拾ったこれに書いてあったから」

 

恐る恐る、マスターからその本を受けとる。

そしてその表紙を見て……彼は絶句した。

 

そこには思い出したくもないあの忌々しい記憶の姿。

 

……ドレスをきた、自身の姿と。

 

目を疑うような、タイトルが刻まれていた。

 

『うちのマスターがこんなにかわいいわけがないっ!(R18)』。

 

……それが、その薄い本の、頭が痛くなるようなタイトルだった。

 

 

■ ■ ■

 

「……結論から言おう。俺は悪くない」

 

そう、アンデルセンは言い切った。

すると隣にいたシェイクスピアがなんと、と声をあげる

 

「はじめから責任逃れですか貴方は!?今回に関しては、貴方も一枚どころか相当噛んでいるでしょうにっ!」

「違うわ!元はといえば、黒髭なんぞが『拙者、マスターの女装ちょーストライク。そうだ、次のサバフェスのネタにしましょうぞ!』などと言ってネタを持ち込んだのが原因だ!おかげで嬉々として添削してしまったではないかっ!」

「まぁお互い酒は入ってましたからね。添削していくうちにノリに乗ってしまいました。そして気づけば傑作を綴りだしてしまう我が才能がおそろしい……」

「……要するに、マスターを同人ネタにしたのがバレて絶賛追いかけられてるって話ね」

 

その通り!と、息を揃えてる二人の作家に、ジャンヌは頭を抱えた。

 

……自室で仮眠をとっていると、突如ドンドンと力強くノックされた。

何なのよ、と苛立ちながらも扉を開けるとシェイクスピアとアンデルセンがいきなり転がり込んできた。

そして二人は言った。

 

マスターから、かくまって欲しいと。

 

「……いやはやとんだ誤算でした。酔いから覚めて見れば同人誌はアストルフォくんに『これなんかおっもしろーい』と持ち去られ何処かへ。探してみれば、無表情のマスターに出くわして太陽王、船長、美少女(男)のキャスター絶対殺すパーティに追い回されるという悲劇に相成ったのです。このシェイクスピア、おかげで生前でも類を見ない走りをご披露致しました……」

「まったくだ。相性以前に宝具封印と貫通要員を配置してるのがまたなんともやらしい。休暇は欲しいが永久休暇はごめんだ」

「……ところで気になっていたんだけど黒髭はどうなったの?」

「彼は相性以前にかのにアストルフォ氏にスタンされていたので捨ててきました。おかげでなんとか逃げ切れましたが」

「いわゆるコラテラルダメなんとかだ。尊い犠牲というやつだ」

 

つまり蜥蜴の尻尾ね、と容赦のない解釈をするジャンヌ。

ーー今回話題となっている黒髭の同人誌。

内容は、新宿で女装したマスターを題材にしたものらしい。

……当然、彼にとってはトラウマものだ。

そもそも、写真データとして残ったそれをカルデアに帰還するなり真っ先に消しにいったマスターだ。

あれ以上の拡散は防げたと安心していたのだろうが……そう甘くはなかったらしい。

 

「……こりゃその同人誌関係の奴全員消されるわね。証拠隠滅的に」

 

そうジャンヌが呟くと「でしょうなぁ」とシェイクスピアも同意する。

 

「ぶっちゃけて申しますと先程のマスターを見て謝って許してもらえるとは思えませんでした。マジギレ、というやつです」

「ああ、このままでは黒髭と同じく、いやそれ以上の末路になるぞ。だからな……」

 

ちらりと、二人はジャンヌを思わせ振りに見る。

 

「……どうして欲しいのよ?」

 

と、尋ねてやると「助けてください」と彼らは言った。

即答である。

はぁ、と彼女は煩わしげにため息をついた。

 

「アンタたちねぇ。もう少しかっこつけたらどうなのよ、男として」

「格好など、物語でもないのにつけてどうします?かっこよく見せるのはキャラクターの役割。その役割をふる我らは作家はただ正直に生き、正直に書くだけ生き物なわけでありーーつまりですね、体裁など気にもしませんから助けてくださいということなのです」

「身体的罰則、断固反対。その信念だけは最後まで貫くぞ、俺は」

 

「威張るなバカども……まぁいいわ。お望み通り助けてやるわよ」

 

……途端、信じられないものを見たかのように、目を見開く二人。

 

「……何よ。助けてほしいんじゃないの?」

「……ええ。助けてほしいのは事実なのですが、その、貴方が素直過ぎて……失礼、逆に気味が悪いのです」

「頭大丈夫か?」

「殺すわよ」

 

ジャキリと剣をかざすとごめんなさいと二人は即座に謝った。

まったく、と言いつつ剣を納めるジャンヌ。

 

「……まぁこれは借りみたいなものよ。ここで返しとけって言われてる気がしてね」

「はて?我々が何かしましたっけ?」

「さぁね。けどそのおかげであいつも『新宿』の私も助かった気がするから……要は自己満足よ。気にしなくて結構。ああ、あとあれよ。久しぶりにアイツの嫌そうな顔が見れるからそのお礼ってことでいいわ。他人の不幸、マジ最高」

「なるほど。流石の畜生だ」

 

くすくすとやらしく笑う顔に、アンデルセンは心からの称賛を送った。

すると彼女は懐から携帯端末を取り出す。

それからボタンを押し、ある場所へとコールをする。

数回のコール音のあと、「……もしもし」という答えが聞こえる。

ジャンヌは「私よ」と答えて、こう言葉を続ける。

 

「……バカ作家共なら私の部屋にいるわよ。はやく来なさいな、マスター」

 

「「魔女めっ!!」」

 

声を揃えて叫ぶ二人であった。

 

 

■ ■ ■

 

「ーーやぁ」

 

ーーにっこりと。

 

ものすごくいい笑顔で、マスターは入ってきた。

 

……やばい、思った以上にキレてる。

 

笑顔と共に放たれる尋常ならざる殺気に、ジャンヌは唾を飲む。

 

「ありがとうジャンヌ。おかげで探す手間が省けた。さぁ、二人をこちらに寄越してもらえる?」

「……そのことだけどマスター。今回は多目に見てあげたら?」

 

その言葉に、てっきり素直に渡してもらえると思っていたマスターと、あっさり素直に渡されると思っていた作家二人が目を見開いた。

 

……そう、逃げてばかりじゃらちあかないし。

 

素直に謝って許してもらうしかないのだ、こうゆうのは。

だから、ジャンヌは彼を呼んだのだ。

 

「それにねぇ。一応だけど貴方こいつらには新宿で借りあるんでしょう?ならその対価ってことでいいんじゃない?」

「……確かにね。それが道理なんだと思う……だけど、やっぱりだめなんだ。どうしても許せない。我慢しようとするたび、あの本の内容が脳裏を掠める。俺はーー耐えられない」

「ーー何が、書いてあったの……?」

 

恐る恐る、ジャンヌは尋ねた。

温厚なこの少年をそこまで掻き立てるもの。

その正体が、彼女には皆目検討がつかなかった。

少年はふ、と儚げに笑い、そして言った。

 

「……女体化したオレが、自称美形のティーチとくんずほぐれつーー」

「わかった。もういい。私が悪かった」

 

目尻に熱いものが込み上げた。

というか別次元でトラウマになるわね、それ……。

真の意味でジャンヌはマスターに同情する。

しかし当の原因を作り出した元凶二人はここぞとばかりに抗議する。

 

「あのヒゲにそちらの方向性で頼むと言われたから仕方なくだ。普段の俺ならあんなもの書かん。そもそも最後にゴールインなどさせず、ヒロインには喉元かっ切らせてデットエンド持っていく。その方がより現実的だろう」

「確かに。ミスター黒髭の欲望丸出しにしてしまったのは事実。やれ■ ■ ■だの×××だのマニアックなのが多かったですからな(不適切な表現のため伏せ字に致しました)。しかーしっ!どうかご安心くださいませ。エロシズムも立派な文学。このシェイクスピア、酔いながらも全力で執筆しましたので最高にラヴい話だと保証いたします」

「あ、マシュ聞こえる?至急ジャンヌの部屋にさっきのライダー編成送ってきてくれないかな?」

「「何故!?」」

「何故じゃないでしょまったく……」

 

 

げんなり、ジャンヌは答えた。

……助ける気ががた落ちしたが、守るとした約束を放棄するのは彼女の道理に反する。

仕方ない、とジャンヌは再びマスターに向き直る。

 

「こっちが悪いってわかった上でいうけど、やっぱり貴方やり過ぎ。だから止めるわ」

「……それは、オレたちとやるってこと?」

 

ええ、とジャンヌは頷く。

すぅ、とマスターは目を細めた。

 

「悪いけど、加減しないよ」

「怒り狂ってる今のアンタに、そんなもの求めないわよ……それに、私に加減して勝てるとでも?」

 

確かに、とマスターは進めた。

 

「ーーならこうしよう。負けた方が勝った方の言うことを聞く。それでいい?」

「ええ。わかりやすくて最高。それでいいわ」

「おっけー。ならルール成立だ……さて、何してもらおっかなー?せっかくだし水着で何かしてもらおうかな?」

「もう勝った気みたいね」

「そりゃあね。いくらジャンヌでも流石にこの戦力で負けはしないよ。バーサーカーの毎ターン回避だって通じないし、君を一番に理解したオレなら負けるはずがない」

「あら意外に絶望的ね私……まぁ、それは戦ったら、の話だけどね」

 

え、とマスターはぽかんとした顔になる。

ジャンヌはふふふ、と笑い、手元の携帯端末をいじりだした。

そして、その画面を、彼に見せつけた。

 

「ーーさて問題。これはなんでしょう?」

 

「っ!?」

 

瞬間、マスターは目を剥いた。

……それは、一枚の写真。

女装したマスターの、写真だった。

しかも最悪なことに、彼がまだ見たこともない角度からである。

 

 

「な、なんで君が持ってるのっ!?」

「さぁねぇ、なんででしょう?……時にマスター。あと少しでマシュたち来るわよねぇ」

「……あ、あのジャンヌさん。果たしてその写真はどうなさるおつもりで……?」

「さぁどうしましょうかしら?ライダーたちに見せるもよし、カルデアに拡散するもよし……どちらにせよ、私に選択の自由があるわねぇーーさぁ、マスター。貴方、どうするの?」

 

にたり、と少女は笑う。

がくり、と項垂れるマスター。

 

「……魔女だ」

「魔女ですね」

 

頷きあう二人の作家。

たかだか幾度かの言葉の交わし合いの果てに。

 

勝敗は、かくもあっさりと決したのであった。

 

 

■ ■ ■

 

「……まさか君が犯人とは」

 

はぁ、とマスターはため息をついた。

しかしジャンヌは違うわよ、と首を振る。

 

「一番の犯人は、これも物的証拠だとかいってバックアップとってた名探偵さん。そのデータを嫌がらせとばかりにクラッキングしたのがあのアラフィフで、私はそのおこぼれをもらっただけよ。黒髭あたりはそこから入手したんじゃない?」

「……出来ればそのクラッキング自体を止めて欲しかったんだけど」

「まさか。こんなに愉快なこと、止めるわけないじゃない」

 

さいですか、とマスターはうなだれた。

 

……とりあえず、アンデルセンとシェイクスピアは今回についてはお咎めなし。

あの本は刷らないことと、他言無用なことを約束をさせてよしとした(先に捕まった黒髭についてはノータッチ。ぶっちゃけどうでもいい)。

 

さぁこれにて万事解決。

解決、なのだが……。

 

「あのジャンヌさん。いつまで『コレ』してなきゃ駄目かな……?」

 

彼の言う『コレ』。

それは、彼が纏っている黒いドレスのことだ。

さらに加えてその頭には黒く長いエクステ。

 

……奇しくも、新宿のときと同じ格好である。

 

それを聞いたジャンヌは「あら?」と意地悪く笑った。 

 

「勝った方の言うことをなんでも聞く、て話だったわよね。なら貴方に反論なんて出来ないのではなくて?」

「ーーそうですね」

 

とほほ、と項垂れるマスター。

 

……しかし、これは想像以上の破壊力ね。

頬を赤らめ、涙ぐむ彼を見て、ジャンヌは思った。

これといっしょに写真を取れたなんて、『新宿』の私が羨ましい。

 

……なので、私も撮ることにした。

携帯端末をかざし、マスターの体をジャンヌは引き寄せる。

 

「ほらマスター、にっこり笑いなさい」

「いやだ……」

「我が儘言わないの。それに似合ってるわよ貴方。本当に可愛い」

「可愛いと言われても男子は喜べません……」

「ふふふ、貴方がいつも私に耳が痛くなるほど言う言葉じゃない。この際だから、言われてる身の気持ちを味わいなさいな」

 

そういって、彼女はマスターの耳元に口を寄せる。

そして、彼に囁くのだ。

 

かわいい。

 

かわいい。

 

かわいいわ……私の、マスター。

 

 

「……勘弁してください」

 

恥ずかしそうに、真っ赤に顔を染めるマスター。

 

……やばい。

 

嗜虐心をそそられるわ、これ。

 

「本当に可愛いわね貴方。もういっそ女の子になったら?」

「嫌です……それにだ。ジャンヌの隣に立つなら、かっこいい方がいい」

「あら。私は構わないわよ」

「オレが嫌なんです……なんというか、男として」

 

ぷくり、と頬を膨らませる貴方。

 

……ああ、これまずい。

 

所謂、ギャップ萌えというやつか。

 

どきり、と心臓が高鳴る。

 

とろとろの甘さが、胸の奥から沸き上がる。

 

「……確かに。普段の貴方の方がかっこいいわね。いまの貴方に任せるじゃあ、頼りないわ」

 

……思い出す、貴方の立ち姿

あの凛々しい立ち姿も、あれはあれで悪くない。

 

けどね、とジャンヌは笑う。

 

……今こうして、私の腕の中にいる貴方は。

 

私以外に誰も知らない姿をして、私しか知らない表情を浮かべてる。

 

それを思うと……もう少し、こうしていたいと思ってしまうのだ。

 

……まったく。

 

我ながら、相当である。

 

「じゃあおれそろそろ着替えて……」

「ダァメ。私は満足してないわ。今日は朝までとことん可愛がってあげる」

「え、いやそれはちょっと……」

「嫌かしら?」

「……その言い方はずるい」

「素直でよろしいことーーじゃあ、楽しみましょうか」

 

ーー可愛らしい貴方。

 

いつもかっこつけてばかりの貴方なんだから、たまにはこういう姿を見せなさいな。

 

だって。

 

そうじゃないと、私ばかり可愛がられて不公平でしょう。

 

……言葉にしてなんて、あげないけどね。

 

少年の体をゆっくりと倒しながら、心の内に少女はつぶやくのだった。

 



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ちょっと黒い私のマスター 前編

ーーどうして。

 

見渡せば、それは屍の海。

 

それはかくも可憐な乙女たちが散っていった花の残骸でもあり。

 

哀れにも霧散していった、漢どもの夢の跡でもあった。

 

そんな退廃とした世界に彼女ーージャンヌ・ダルク・オルタは一人佇む。

 

ーーどうして。

 

そう、問いを投げる。

 

無論、答えなどない。

 

「……あとは君だけだよ、ジャンヌ」

 

代わりに聞こえる、背後から響く声。

 

馴染み深くもあり、けれども初めてでもあるようなその声に、ジャンヌは振り替える。

 

 

……そこに立つのは、見慣れたはずの彼の姿。

 

けれども同時に、それはいつもの彼ではないのだ。

 

漆黒の衣装。

 

黄金色にそまった瞳。

 

日頃の少年とは、真逆に見えるそれ。

 

ーー自分と同じ、反転した姿。

 

目の前に立つ少女を見て、彼ーーマスターはうっすらと微笑む。

 

ーー本当に、心そこから嬉しそうに。

 

「ーーさぁ始めようジャンヌ。君とオレの、二人だけの話を」

 

 

ーーああ本当。

 

どうして、こうなった……。

 

それに意味がないと理解しつつも。

 

問いかけ続けずにはいられなかったジャンヌなのであった。

 

■ ■ ■

 

ーー事の発端は、一時間ほど前まで遡る。

 

「……先輩。どこに行っちゃったんでしょうか?もうすぐ作戦開始なのに……」

 

きょろきょろと、辺りを見回しながらマシュはそう呟く。

 

「ーーはん。まったく、私にここまで手間をかけさせるなんてね。いいご身分ですこと」

 

隣を歩いていたジャンヌが、そう悪態をついた。

 

すると、マシュが「申し訳ありません……」と頭を下げる。

 

「その、私一人で探すのは時間がかかりすぎると思いまして……」

 

「違うわよ。アンタじゃなくてあのバカマスターに言ったの。集合時間になっても来ないアイツが一番悪いわ。これは、きっついお仕置きが必要みたいね」

 

ははは、と渇いた笑いを見せるマシュ。

 

……しかし、先程から本当にマスターの姿を見ない。

 

入れ違い、だとしたらマシュの端末に連絡がくるはずだし。

 

どこにいるだろうか、と二人が頭を悩ませていたときだ。

 

突如、ガシャンガシャンと重く、やけにうるさい音が聞こえてくる。

 

二人がそちらに視線を向けると、廊下の向こうからある一人の女性が走ってくるのが見えた。

 

 

「……あ、自称天才女だ。やけに慌てて走ってくるわね」

 

ジャンヌの言う自称天才女ことダ・ヴィンチちゃんは、彼女にしては珍しく必死な様子で走ってきた。

 

すると、彼女もこちらに気づいたのだろう。

 

おーい、と両手を振った。

 

「……いやぁよかった。やっと他の人たちに会えた」

 

「……ダ・ヴィンチちゃん。どうかしたんですか?」

 

マシュがそう尋ねるが、ダ・ヴィンチちゃんは「その前にちょっと休憩……」とマシュの両肩を掴んで、しばらくの間、息を整える。

 

それから彼女は顔を上げて、きりっとした顔でこう言うのであった。

 

「……あとは頼んだよ」

 

「「……はい?」」

 

ジャンヌ、マシュ、双方が首を傾げる。

 

しかしダ・ヴィンチちゃんはそれ以上説明することはなく、「じゃあねー」と手を振って去っていくのだった。

 

「ちょっと!?ちゃんと説明しなさいよ!」

 

そう言ってジャンヌが声をあげたときだ。

 

ーーまた一つ、誰かの足音が聞こえた。

 

けれども先程と違い、その足音はゆったりとしていて、落ち着いて感じられる。

 

徐々に、近付いてくる足音。

 

二人はじっと、その足音が響いてくる向こうを見つめる。

 

そして、一人の少年が姿を表した。

 

「……あれ。マシュに……それにジャンヌも。ちょうどよかった」

 

「先輩……もう、どこにいらしてたんですか」

 

ほっ、と安堵の息を吐いて、マシュはマスターに駆け寄った。

 

彼はごめんね、と彼女に頭を下げた。

 

「……ちょっと野暮用があってね。それで遅れちゃった」

 

「そういうときは事前に連絡をくださいっ!ほら。ジャンヌさんだって怒っていま……どうしたんですか?」

 

そう、マシュは佇む彼女に声をかける。

 

対して、ジャンヌはその目を大きく開いて唖然としていた。

 

ーー廊下の向こうからやってきたマスター。

 

彼は少し、いつもと違う様子に見えた。

 

衣装の根本的なデザインは変わってないが、全体に黒を貴重とした色合い。

 

そして、青かったはずの瞳が、黄色がっかたものへと変化している。

 

ーーいやそれ以前に。

 

この気配は……。

 

「……貴方、まさか」

 

「ジャンヌさん、どうかしまーーっ!?」

 

マシュの言葉は、終わる前に遮られた。

 

その頬を、くいと捕まれたから。

 

「ーーマシュ」

 

「せ、先輩……?」

 

彼女の目と鼻の先に、マスターの顔があった。

 

知らず、マシュの頬が熱くなる。

 

心臓の鼓動が早まる。

 

いつも見慣れたはずの彼の表情。

 

なのにどこか、艶やかに感じてしまう。

 

すると、マスターは優しく微笑む。

 

それから蕩けるような声で、彼は告げるのだ。

 

「……ああ。やっぱり君は可愛い」

 

「ーーは?」

 

ーー想像を斜めゆく発言に、ジャンヌは眉を潜めた。

 

しかし反対に、マシュはその言葉に顔を極限まで赤く染め上げられるのだった。

 

「か!かかか、かわいい、ですか?」

 

ゆでだこのように、真っ赤なマシュ。

 

マスターはああ、と一もにもなく頷いた。

 

「当たり前じゃないか。マシュはいつだって可愛い。その眼鏡姿だって、よく似合ってる……ただちょっと悲しいかな。サーヴァント姿もオレ結構好きだったから、仕方がないけど少し寂しい」

 

「……せ、先輩がお望みでしたら、その、ダ・ヴィンチちゃんが私の鎧のレプリカを持っていらしたと思いますので、格好だけなら出来るかと……」

 

「本当に?そしたらすごく嬉しいなぁ……やってくれるかな、マシュ?」

 

彼女の手を握りしめ、首を傾げるマスター。

 

マシュはおろおろとあわてふためいていたのだが、やがてこくりと、首を縦にふるのだった。

 

マスターはなおさら嬉しそうに笑った。

 

すると、彼は彼女の顔に自らをさらに近づける。

 

一瞬、マスターの顔が視界から消える。

 

それから一瞬、ほんの一瞬だけ、短い音と頬を吸われるような。

 

彼は顔を離して、変わらず優しげな笑みでこう言うのだった。

 

「ーーありがとう、マシュ。君がオレのサーヴァントでよかった」

 

 

ーーその頬の感触を、口づけだと理解した瞬間。

 

マシュの忍耐も限界を迎えた。

 

ボン!と顔から湯気を出してその場に座り込む彼女。

 

両手で顔を隠してうつむいたまま動かない。

 

……完全に、ショートしていた。

 

「……よし。次はジャンヌだね」

 

 

そうマスターが振り向いたとき。

 

……すでにジャンヌは背中を向けて全力で走り出していたのだった。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

「……結論から言おう。これは私が悪い」 

 

「ええ、何となく想像ついたわ……」

 

……マスターから逃げ切ったあと、ジャンヌは先に逃走、もとい自分達をスケープゴートにしたダ・ヴィンチちゃんと合流した。

 

互いに壁に手をついて息を整えながら、彼女たちは会話する。

 

無論、先程のマスターについてだ。

 

「……あれなんなのよ。なんであんな気色悪いことになってるわけ?説明なさい」

 

「その前にだ。一つ質問するのだが……君は、彼に対して何か感じなかったかね?」

 

「……そりゃあもう、感じまくりよ」

 

ーー相対したときの彼の纏っていた雰囲気。

 

黄色の瞳。

 

黒々とした覇気。

 

それはかの騎士王や槍使い、そして己を染めあげた衝動。

 

……オルタ化した者の気配だった。

 

つまり、その論法でいくのなら……。

 

「……マスターがオルタ化したってことなの?」

 

大正解、とダ・ヴィンチちゃんは頷く。

 

ーーいや、冗談じゃない。

 

大体なんで、マスターが反転している?

 

オルタ化は原則としてサーヴァント特有の現象。

 

そもそも、どこにそんな要因があったのだろうか?

 

「……それを作ってしまうのが、私という天才の長所であり、悪いとこでもあるだよねぇ」

 

「自惚れてないでさっさと説明しなさい」

 

がん、とその頭に拳をおろして、ジャンヌは先を促した。 

 

痛かった、と頭をさすりながらダ・ヴィンチちゃんは言葉を続ける。

 

「……実は、ひそかに入手したアルトリアちゃんオルタとかクーちゃんオルタとか君の一部を使ってある薬を開発したんだ。その名も『インスタントオルタ化キット』」

 

「……前提からしてだいぶ突っ込みたいんだけどこの際それは置いておくわ。それで、その薬の症状は何?」

 

「言葉通りだよ。あの薬は精神を反転させる。まぁ霊基を揺るがせるほどの効果はないけどね。仮にこの人がオルタ化したらどうなるのかな?というのを知る目的で作ったんだ。役に立つかもだろう?……それがなんの手違いか、彼が誤って接種してしまったらしい。いやはや厳重に保管しといたんだけどなぁ、あれ」

 

「……ちょっと待て。なら本当に……あれがアイツがオルタ化した姿って言うの?」

 

こくり、とかの天才は頷いた。

 

ーーあの歯の浮くような台詞。

 

キザッたらしい態度。

 

背筋の凍るようなわざとらしい笑顔が、全部。

 

ーーマスターが反転したがゆえに出た現象だとでもいうのか。

 

 

「……やだ。私のマスター、キモすぎ」

 

「はっきり言うねぇ君は。まぁ恐らくは反転したことによって遠慮とかそういったものの箍が外れたんだろう。彼なかなか謙虚だし」

 

「どこがよ。割りと遠慮なし、ていうか無自覚を装ったタラシの天才よ。むしろ今のアイツの方が軽薄に見えるわ」

 

「ほほう、君の目にはそう映るのか……まぁそれは置いといてだ。ああなった彼はマシュよろしく女性たちを片っ端から口説きまくってね。しかもそれが百発百中で凄いのなんの。これは私の手に負えんと撤退してきた始末さ」

 

「手に負えんとか割りきり良すぎでしょう貴方……薬の効力はどのくらいなの?まさかあのまま一生とか言ったら私、契約書破いてでも座に還るわよ」

 

ジャンヌの問いかけに、彼女は首を左右に振る。

 

「ーー正直にいうとわからない。そもそもマスターの摂取量を知らないからね。だがまぁ長くて半日だろう。放っておけば自然に鎮火するよ、おそらく」

 

「それで全焼してたらもとも子もないと思うのだけど……」

 

……ともあれ、彼女の言うとおり自然鎮火を待つのが確実らしい。

 

それまでに何人の少女が、彼の毒牙にかかるのか。

 

ーー止めてやるのが情けだろうが、あのマスターに体が拒否反応を示してそも近づきたくないジャンヌであった。

 

そのとき、ダ・ヴィンチちゃんの端末が鳴り響く。

 

 

「はいはーい私だよ……あ、そう。分かった。まぁ、みんな気を付けて」

 

 

ぴ、と終音ボタンを押す彼女。

 

それからしばし、無言になる。

 

「……今度は何があったのよ?」

 

そう尋ねると、「それがねぇ……」とダ・ヴィンチちゃんは若干目を反らしつつ告げる。

 

「……どうやら彼、大抵の女の子たちは攻略したみたいでーー今度は男を襲い出したみたいだ」

 

 

「止めにいくわよっ!!」

 

 

ダ・ヴィンチちゃんの首根っこを掴んで、ジャンヌは走り出した。

 

……最悪、正気に返った時に彼が首をつりかねない。

 

自らのマスターに生命とその他もろもろの危機を感じ取った少女は、カルデアを駆けるのであった。

 



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私の罪 終

私の罪、最終話です


 

 

――斬と、音が響いた。

 

途端、空には鮮血が飛び散る。

 

紅に染まっていく法衣。

 

傷口から、全身に広がるその痛みに、ピエールは思わず喘いだ。

 

その苦悶の声を聴いて、彼女は嗤う。

 

「あらあら、どうしましたか?使い魔が居なくなった途端これとか、さすがに萎えるわよ。さぁ、さっさとお立ちなさい。断ずるべき咎人は、確かにここにいるのですから」

 

赤く絡み、滴る剣を振りかざしながら、かの魔女はそう謳う。

 

……ほんとうは、そんな気概などとうに枯れ果てているだろうに。

 

否、本来なら立っていることすらままならないはずなのだ。

 

抑止力より賜った魔力。

 

それは、眼前に立つ少女、ジャンヌ・ダルク・オルタを断罪するには十分すぎるほどのものだった。

 

……なのに、結果はそうはならなかった。

 

無限と言えるはずの分身。

 

鏡写しといえる罪の化身の群れが、ジャンヌを襲い続けた。

 

――それは、罪の自覚。

 

シャドウサーヴァトとは、対象のサーヴァントにとっては自らの内面、その影を映した存在。

 

それは闇であり、後悔であり――己が罪の証明。

 

自らの罪を見つめ直し、その姿に糾弾され続けることによって対象に悔恨を与える贖罪。

 

ルーラーとなったピエール・コーションに与えられた唯一の宝具。

 

……けれど彼女は。

 

穢れ堕ちたはずの聖処女は、決して屈指はしなかった。

 

薙ぎ払われていく影の群れ。

 

振りかざす正義に、圧倒的な正しさの前にあっても、少女は……ジャンヌ・ダルクは、己を、黒く染まった自分を否定はしなかった。

 

「っ何故だ!?何故屈しない!?何故後悔しない!?何故……何故そんな自分に耐えられる!?」

 

そういって剣をふるうピエール。

 

傷負いの彼が振るうソレは、シャドウサーヴァントの攻撃に比べれば大したものではない。

 

ただ同じく負傷し、連戦を重ねたジャンヌにとっては堪えるものがある。

 

……ついでに言うなら、彼の気迫にほんの少しだけひるんだのも事実。

 

なぜならジャンヌにとって、ピエール・コーションという人物が――こんなにも感情をあらわにする人間だとは、想像できなかったのである。

 

「何故だ!?何故生きている!?何故死なない!?何故死んでくれない!?お前が死ねば、お前の心が折れとくれれば……私が、正しかったと証明できるのに!!」

 

――ああ、そうか。

 

必死になって剣をふるってくる彼を見て、少女は悟った。

 

――この男は、自分と同じだと。

 

かつてのオルレアン、その場所であの憎き自分自身を殺せば、自分の正しさを証明できると思えた。

 

あの絶対的な正義を、力でねじ伏せてやれば、私が正しいと証明できると幻視した。

 

この男も同じ、なんの因果か呼ばれた抑止力の代行として。

 

その機会、この好機に、まがい物の私を断ずれば――過去のすべてを帳消しできるなんて、考えているのだ。

 

――なんて。

 

なんて、おろかなこと……。

 

「……バカな人」

 

思わず、声に漏れた。

 

別に言っているやる必要はない。

 

そんな義理はないし、それに意味はない。

 

だけど……言ってやらなきゃ、気が済まない。

 

いくら取り繕うが、いくら御託を並べようが。

 

今の必死に剣を振る彼の姿は。

 

……たすけてーたすけてーと泣いていたあの醜い姿と、何にも変わってないという事実を。

 

「――よく聞きなさい。コーション司教――過去は、変えられない。選択したことに、後悔はしても無しにはできないわ。そう、例えあの導きが間違いだったとしても、それを人々に振りまいた事実は、私は忘れはしない、忘れたくてもできない……けど、貴方のやっていることは、ただの逃走。正しさが欲しいと言って、正義だといって自分のことを正当化しようとする。しかも性質の悪いことに、『自分が悪いことをした』なんて自覚をしてるから、中途半端なことこの上ないわよね」

 

「間違いなど、していない。私は……」

 

「――ならばもう一度、私の問いかけに答えなさい。ピエール・コーション司教」

 

――ぞくりと、背筋に悪寒が走る。

 

鍔競り合う剣、その先にある黄金の瞳。

 

その水晶体に、彼の姿が映る。

 

少女は、その白い唇を開く。

 

そして語るのだ。

 

――あの時、最後に彼に残した、その言葉を。

「――司教さん。私は貴方のせいで、死ぬのですからね」

 

 

 

――淡々と、少女は告げる。

 

「――あ」

 

 

――見つめてくる瞳は、無常。

 

憎悪も嫌悪も、何も感じられない。

 

そんなもの、少女は寸分も抱いていなかったのだ。

 

ただ少女は、事実を口にしたまでのこと。

 

――貴方の行いで、人が死ぬ。

 

それを決して、忘れないように。

 

……まるで、他人事みたいに、少女は残すのだ。

 

「っっ化け物が!!」

 

叫んで、ピエールはジャンヌから離れた。

 

構え直した剣先は、カクカクと震えている。

 

けれども、決して少女――の姿をした何かからは眼を逸らさなかった。

 

……逸らせなかった。

 

震える彼を見て、ジャンヌもそうねと肩をすくめる。

 

「……貴方の言う通り、確かに化け物じみてる。献身的にもほどがあるわよね、私……けれど、その言葉に貴方が震えたというのなら、それは紛れもない貴方の迷いであり……そして、貴方の罪よ、司教さん」

 

「っっ『宝具解放』!!」

 

瞬間、彼の周りにあふれ出すジャンヌの幻影。

 

しかし彼女はその黒い群れを鼻で笑う。

 

「そんな自棄で、しかも迷いまくりの奴に負けるわけないじゃない……それじゃ、いつまで経っても私には勝てないわよ」

 

 

黙れ、とピエールは叫ぶ。

 

瞬間、シャドウサーヴァントたちはジャンヌに襲い来る。

 

……大口を叩きはしたが、割ときついのは事実だ。

 

迫りくる影の首をはねながら、だんだんと息が上がってくる我が身にあとどのくらいもつかと考えてみる。

 

――もとより、この戦いの勝ち目は低い。

 

自分と同一個体と何体もやりあっているのだ。

 

ここまで持っていた方が、不思議。

 

……だから、こんな風に目まいがして、手がしびれて、剣を取り落として。

 

脚に力が入らなくなって、ぐらりと体がゆれることだって当然のこと。

 

絶好のスキ、迫りくる無数の刃。

 

私には、もうそれを防ぎきる手段はない。

 

――ああ、でも。

 

絶対的なピンチだっていうのに、私は……。

 

 

「――はい。おつかれさま」

 

……これっぽちも、心配してないのよね。

 

背中から抱き止まられる感触。

 

聞き慣れた彼の声。

 

振りかざされた刃は、キンと音を立ててはじかれる。

 

――目を開ける。

 

そこに見えるのは、黒い髪と、蒼い瞳。

 

よく見慣れた、見慣れすぎた、少年の姿。

 

その予想通りの光景に、ジャンヌは微笑んだ。

 

「……遅いわよ。マスター」

 

すると彼――マスターは「ひどいなぁ」と唇を尖らせる。

 

「一人で行くっていったのは君じゃないか。こっちは超特急で施設内に奴ら処理してきたっていうのに」

 

「そうです!トナカイさんと頑張ってはやく来てあげたのに、なんて恩知らずなのでしょう。未来の間違った私は!」

 

「アンタはお呼びじゃないわよ」

 

何ですって!?とモノ申して突き出してきた頭を、ジャンヌは嫌そうに抑える。

 

すると先ほどの攻撃を防いだマシュも「大丈夫ですか」と盾を構えたまま尋ねてくる。

 

「ひどく反応が弱っているの見て急ぎ駆け付けたのですが……でも、間に合って本当によかったです」

 

「ご心配どうも。アンタが思っているほどやわじゃないわよシールダー……けどまぁ、助かったわ。ありがとう」

 

「またまたぁ。素直じゃないんだからいだだだだだだ!!」

 

「やめるのです間違った私!マスターの頭を万力のように締め上げるのを今すぐやめるのです!」

 

少年の頭をぐりぐりと両こぶしでひねりあげるジャンヌをぽかぽかと叩くリリィ。

 

それからはぁと、ため息をついたあと「もういいわ」と、身体を起こす。

 

「――じゃ、ここからは私の仕事だから。貴方たちは下がってて」

 

「またそう言うこという……どうぞ、お姫さま」

 

文句を言いつつも、そう素直に従うマスターに、ジャンヌはフンと鼻を鳴らした。

 

再び剣をとり、歩き出す彼女。

 

ボロボロの背中に、マシュは声をかけようとしたが、マスターはそれを片手で制した。

 

止めないであげて、とマシュに微笑む。

 

傍らに立つリリィもしかり、その後ろ姿をじっと見つめている。

 

歩みゆく彼女は、再度ピエールに対峙する。

 

が、相対した彼の表情は驚きに目を見開いていた。

 

「……なんだ。それは」

 

短い問いかけに、さぁねとジャンヌは肩をすくめる。

 

「何だと言われても困るわね。勝手に私の後ろについてきて、勝手に私の隣に歩いてきて……私のことは嫌いじゃないとか宣う、ただの馬鹿どもよ」

 

いってくすりと彼女は苦笑する。

 

……あーあ。

 

ついに、マスターの前で言ってしまった。

 

けどまぁ……そんな悪い気分じゃないか。

 

しかし、ピエールはますます困惑した表情を浮かべる。

 

「……嫌いじゃない?そんな馬鹿な。ありえないだろう。間違いだらけのお前が、誰かに求められるなんて」

 

「ええそう。私も思ったわよ……けどこんなんでも、案外需要があるみたいね」

 

――はじめはジル。

 

次はマスター。

 

敬愛だの好きだと、何回も連呼された。

 

うっとうしい、うざい、そう初めは拒絶していた。

 

……けど、いくらか言われてみれば。

 

案外、自分のことも嫌いではなくなっていた。

 

贋作でも、罪深くとも。

 

――それでいいかなと思えてきた。

 

「だから、私は負けないわ。少なくともそういう契約だし。仕方がないから、ね……ゆえに、もう一度言うわ――その罪から、忌むべき過去から、決して目をそらすな。ピエール・コーション……認めてこそ、貴方ははようやく聖人としての一歩を、踏み出せるのです」

 

「…………」

 

――厳かに少女は言った。

 

自らの罪を否定せず、自らが間違いであると分かったうえで、彼女は抗う。

 

ジャンヌ・オルタでありたいから、そう認めてくれる人があるから。

 

――なんて、わがままで、横暴で……純粋な願い。

 

外見だけは清廉たろうとした自分がほんとにみじめに思えてくる。

 

……変わってない。

 

その純粋さも。純朴さも。

 

白が黒に反転しただけで、彼女はあのころのまま。

 

そして、自分にはない素直さでもある。

 

――本当に。

 

「――つくづく生意気な娘だ」

 

その言葉に、ジャンヌは笑う。

 

今更なセリフだと。

 

……認めよう。

 

生前の自分の行いを、聖人にはほど遠い、はるかに冒涜的な行為を。

 

――ああ、でもだからこそ。

 

今度こそ、本当に。

 

聖職らしく、燃え尽きたい。

 

いつかの、若かりし頃に見た、理想のように。

 

「――ゆえに、お前を認めるわけにはいかない。私の理想、私の聖道に、お前は不要だ、ジャンヌ・オルタ」

 

「――ようやく、妄執以外の理由が出来ましたか――ええ、その通りです。ピエール・コーション。これなるは悪の祖、全ての邪悪の根源――ジャンヌ・ダルク・オルタナティブ。聖道を歩まんとするなら、そのすべてをもって――裁いてみなさい、黒檀の我が身を」

 

「――了承した。なればこそ、お前を裁こう――我が宝具の、真名を以て」

 

言って彼は眼を閉じる。

 

そして思い浮かべる、彼の望んだ理想の体現者を。

 

 

 

――かつて、ただひとりだけ、憧れた人間がいた。

 

それはまさしく彼の理想の体現。

 

救国の使者であり、その心は無垢で無色。

 

まばゆいほどの、笑顔。

 

……その輝きが、うらやましかった。

 

純粋に、ただ信仰できるその姿に嫉妬した。

 

かつての我が身を見ているようで、けれど終ぞ私のようにならなかった君。

 

白き御旗のたなびく世界。

 

……私の、ユメ。

 

その名は――。

 

 

 

 

 

「――『かの者の祈りは、まことの信仰なり(La Pucelle d'Orléans)』」

 

 

 

 

一瞬の光。

 

そしてその輝きがやんだ後、そこに現れたもの。

 

それは先ほどのシャドウサーヴァントではない。

 

 

――白い装束と、白い御旗。

 

金の髪と青い瞳。

 

いつかみた、一人の祈りの少女の姿がそこにあった。

 

「――へぇ。これは驚いた。もしかして貴方、私のファンかしら?」

 

そう茶化すジャンヌに、戯けとピエールは言った。

 

「――さぁ。これが私の裁きだ。超えられるか、お前に」

 

挑発的に笑う男。

 

その仕草に、ジャンヌも笑う。

 

……ああ、どうせなら。

 

それぐらいの素直さがあれば、あるいは――。

 

「ーーいいえ。それは無駄なこと。意味がないわね」

 

かぶりを振って彼女は再び剣を構える。

 

黒の少女は剣を。

 

白の少女は旗を翳した。

 

――そして、黒は走る。

 

目指すは過去。

 

白い己の姿と、そんな姿に夢を見る一人の人間に向かって、剣を振り下ろす。

 

……結末までは、ほんの一瞬。

 

瞬きするよりも早く、終わりを迎えるのだった。

 

■ ■ ■

 

 

「――最後に、一つだけ教えてくれ」

 

そう、青年は問うた。

 

……心臓を刺し貫かれてるというのに、よくしゃべれるものだ。

 

「――何故、私を恨んでくれなかった?」

 

しかし問われた内容は脱力するほどつまらない内容。

 

はぁあと深いため息をついて、私は言ってやった。

 

――それに苦悩するのが、貴方の罰だと。

 

すると、彼はふ、と笑う。

 

心のそこから可笑しそうに。

 

「――ああ。まったくだ」

 

満足そうに、そうつぶやいて。

 

彼の身体は、空へと溶けていった。

 

■ ■ ■

 

「――お疲れさま」

 

ぽんと、腕の中で眠るジャンヌの頭を撫でるマスター。

 

するとその横でリリィがまったくですとむくれた顔をする。

 

「カルデアをこんなに散らかして、や、やっぱりこの私はだめだめです。ま、マスター、に、迷惑かけ、す、すぎでず!」

 

「……無理しなくていいよ、リリィちゃん。泣きたかったら泣いていい」

 

「な、泣いてません!」

 

赤く眼を晴らしながら、ぼろぼろと涙を流していく彼女のことを、横からマシュが抱きしめる。

 

かすかに聞こえてくる嗚咽に、マスターは苦笑する。

 

それからもう一度、彼はジャンヌを見る。

 

すやすやと寝息を立てる少女。

 

――この存在が罪と、彼はいった。

 

 

ああ確かに。

 

このかわいさはあまりに罪だ。

 

――でもそれ以前に、感謝している。

 

こんな罪を犯しているからこそ、この子に会えるという事実に。

 

――だから、こんな罪を犯している君といっしょにいる自分も。

 

「――同罪だね。これからも、ずっと……」

 

なんて、幸福な罪。

 

抱きとめるその感触。

 

その隣を歩くのが禁忌と言われるのなら。

 

……喜んで、咎人になろう。

 

そう、契約者は笑った。

 

――地獄の焔に焼かれる、その時まで。

 



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ちょっと黒い私のマスター 後篇

「――やぁ。二人ともやけに急いできたみたいだね。もしかして、そんなにオレに会いたかった?」

 

 

息を切らし、やってきた二人の来訪者に、にんまりとその黄金の瞳を歪める男。

 

 

「……遅かったか」

 

 

ぜーはーと肩で呼吸をしながら、ジャンヌは男の周りに転がっているものを見て舌打ちする。

 

 

黒衣の男――オルタ化したマスターの周りには、骨抜きにされたであろうサーヴァントたちの残骸。

 

 

……ちらほらと、女以外の姿も見えて、ますます彼女は深いため息をついた。

 

 

「――うん、通信で聞いた通りだったね。あそこら辺見えるかい?たぶん黒髭くんやスパルタクスくんも転がってるよ」

 

 

「やめて。見ないように目をそらしてるんだからほんとやめて」

 

 

傍らで同じように息を整えているダ・ヴィンチに、ジャンヌは顔を覆いながら答えた。

 

 

……うちのマスターがあんながたいのいい連中を口説いてる光景なんて、想像したくない。

 

 

「おやおや。そんな邪険にすることないじゃないか。オレはただ、日頃お世話になっている人たちに感謝の念を込めてお礼を言ってるだけさ」

 

 

「それがすでに対人宝具レベルでやばいことになっているのよ……で、自称天才女。あいつの止め方はどうすればいいの?」

 

 

「いや止めようと言ったのは君じゃないか……時間がたてばもとに戻るように作ったから、特に解毒剤とかはないよ」

 

 

「おーけー。ならやることは一つね……ぶん殴って、止める」

 

 

「君は鉄拳聖女の親戚かな?」

 

 

バキバキと指を鳴らす黒の聖女に、げんなりとした視線を向けるかの聖女《マルタ》。

 

 

するとその殺る気満々の姿を見て「おお怖い怖い」とマスターは肩をすくめた。

 

 

「相変わらずやることが派手だなぁ君は……でもそういうとこが好きだけど」

 

 

「その軽口、今すぐ閉ざして差し上げますから覚悟なさい」

 

 

言ってジャンヌは走った。

 

 

……オルタ化したとはいえ、所詮は人間。

 

 

戦闘に持ち込めば、マスターに勝ち目はない。

 

 

だからこの振り上げた拳は、なんら問題なく、マスターの顔に炸裂するだろう。

 

 

――空中に光り、迫りくる、その凶器さえなかったなら。

 

 

「っ!?」

 

 

駆けていた脚を止める。

 

 

同時に、その眼前の地面にタタタンとリズムよく刺さるものが見える。

 

 

それは漆黒のクナイ。

 

 

そして次に感じたのは猛毒の気配。

 

 

「――なるほど。つまり貴方が、黒幕ってわけね」

 

 

――ひらりと、青のリボンをたなびかせ、マスターの前に降り立った影を、ジャンヌは忌々しげに睨んだ。

 

 

「――はい。その通りです、お二方」

 

 

そうこくりと頷くのは彼女――静謐のハサン。

 

 

黒に染まる彼女の姿を見つめながら、なるほどとダ・ヴィンチは頷いた。

 

 

「――確かに、気配遮断スキルを持つ君なら、あるいは工房に入れたかもしれないね。…ま、どちらにせよ私の落ち度なんだけど」

 

 

「……この際それはどうでもいいわ。今一番聞きたいのは――なぜこんなことをしでかしたかってことよ。静謐」

 

 

――ダ・ヴィンチの工房からオルタ化の薬を持ち出して、それをマスターに使った真意。

 

 

答えなさい、とジャンヌは腰に下げていた剣をかざした。

 

 

返答の次第によっては、斬ると。

 

 

すると静謐のハサンは首を振った。

 

 

ひどく、嘆かわしいといわんばかりに。

 

 

「……よりにもよって、貴方がそんなことを言いますか。マスターを独占してる、貴方が」

 

 

「……は?」

 

 

何言ってるの、という顔をして口を開けるジャンヌ。

 

 

しかし静謐はある種の憎悪――羨望のまなざしを向けながら、彼女に語る。

 

 

「……マスターはずっと、貴方といてばかり。貴方がずっと、マスターを一人で囲おうとするから。私やほかの方々が入り込む隙間がまったくありません……そんなのは、不公平。だから、マスターにもっとみんなを見つめてほしくて――この薬を使いました。オルタ化は、自身の本心をさらけ出す行為。だからマスターはきっと、みんなに優しくなってくれるはずだと思ったのです」

 

 

「……いや別に、独占なんてしてないし」

 

 

「言ってるわりには、目が斜め上を向いてるよ。ジャンヌくん」

 

 

冷や汗を流すジャンヌに、ダ・ヴィンチはそう指摘をした。

 

 

――しかし次に聞いた言葉に、彼女の虚勢も消し飛ぶ。

 

 

ぽつりと、静謐はつぶやいた。

 

 

「……おとといだって、朝帰り」

 

 

「ブホォッ!?ちょっと待ちなさい!!」

 

 

――一瞬意識が飛びかけた。

 

 

予想外の一言すぎて、頭をハンマーで殴られたのかのような衝撃。

 

 

顔を真っ赤にしたジャンヌはぱくぱくと口を開いたが、うまく言葉にならずしどろもどろ。

 

 

そんな反応に、当のお相手さまはやれやれと肩をすくめた。

 

 

「そう恥ずかしがることないと思うんだけど。だっておとといどころか休みの日って大抵――」

 

 

「わー!わー!黙れ!黙りなさいそこのすっとこどっこい!!」

 

 

ぶんぶんと剣をふるジャンヌ。

 

 

その姿を見て「かわいいなこの子」と内心呟くダ・ヴィンチちゃん。

 

 

「……私だって、負けてません。貴方がいないときはいつだって、清姫さんとの戦いを勝ち抜いて、ベットの下に潜り込んでるんですから」

 

 

「いやいや、張り合うとこ違うよたぶん」

 

 

「……そうだね。オレの安眠が守られているのは静謐ちゃんのおかげなんだね。いつもありがとう」

 

 

「マスターくんも……なんかもういいや」

 

 

説得をあきらめる自称天才であった。

 

 

マスターの言葉に静謐は頬を赤らめる。

 

 

「いえ、ただ私はマスターを想ってのことで……」

 

 

「それがうれしいんじゃないか。誰かに思ってもらえるほど、幸せなことはない。だから静謐ちゃん――本当にありがとう」

 

 

す、と口を吸う音。

 

 

自らの頬に確かに熱を感じた静謐は、歓喜のあまり口元を覆う。

 

 

「――イける」

 

 

「何が?」

 

 

ジャンヌの問いに答えることもなく、最後にそう一言を残して、静謐も転がる躯の海に沈むのであった。

 

 

「……ねぇ。ひょっとしてオルタマスターってただのキス魔?」

 

 

「さぁどうだろうね……ちなみに、そんなキス魔は黒髭くんたちといっしょに――」

 

 

「それは聞きたくない」

 

 

がっちりと、耳を覆うジャンヌ。

 

 

どうかそんな事実はありませんように、と静かに願った。

 

 

「……あとは君だけだよ、ジャンヌ」

 

 

そう、マスターは告げる。

 

 

振り返る彼は自らと同じ黄金の瞳を光らせる。

 

 

……本当に。

 

 

「おや、私はカウントされないのかい?」

 

 

「まさか。さすがにオレもダ・ヴィンチちゃんにちょっかいかけるとか命知らずな真似はしませんよ」

 

 

「んーっと……これは、女性として怒るべきかな?」

 

 

「――どうでもいいわよ。そんなこと」

 

 

――しんと、ジャンヌは言った。

 

 

かつんと、靴を響かせ、彼女は歩む。

 

 

……本当どうでもいい。

 

 

原因がどうとか、情けないからとか、そんなんじゃない。

 

 

――私が苛立っているのは、もっと単純なこと。

 

 

それは――。

 

 

「――私以外に、そんな気やすく接するな。バカ」

 

 

「……なるほど。ツンデレ、ここに極まれり、だね」

 

 

ふむふむ、とダ・ヴィンチは頷いた。

 

 

――後ろの外野も焼き殺してやりたかったが、この際それは置いておこう。

 

 

今は目前の標的の方が重要。

 

 

……その、いかにも人の好さそうな笑顔。

 

 

それがあんな風にいろんな奴らに振りまくられるのは。

 

 

はっきり言って我慢ならない。

 

 

しかし、対してマスターはぽかんとした顔になる。

 

 

それから次は、その眉を顰める。

 

 

心外だといわんばかりに。

 

 

「……そうは言うけどねジャンヌ――好きだって言ったのは、君に対してだけなんだけど」

 

 

「……え?」

 

 

途端唖然とするジャンヌ。

 

 

だってほら、とマスターは人指し指を立てて思い出してと語る。

 

 

「マシュに対しても、他のみんなに対しても、オレは『好き』という言葉は一言も言っていないはずだよ?――俺の中での一番はもう決まっているしね」

 

 

口元に人差し指を立て、彼は笑う。

 

 

……その言葉の意味がわからないジャンヌではない。

 

 

ぼっと、瞬間的に赤くなる彼女。

 

 

「まぁ……それなら文句ないけど」

 

 

「いやちょろすぎだろ君!?」

 

 

がっくりと、ダ・ヴィンチは肩を落としていた。

 

 

――いつの間にか、マスターはジャンヌの前まで歩んできていた。

 

 

すっと、その手を頬にあてる。

 

 

「――ジャンヌ」

 

 

呼ばれて、見つめられた視線のすぐ先には彼の顔。

 

 

――早鐘を打つ心臓。

 

 

フ、と彼が微笑んだら、もうそれだけで蒸発しそうになる。

 

 

「――好きだよ」

 

 

――ただ、一言。

 

 

それだけで、どうしようもないとどめ。

 

 

「――な」

 

 

漏れ出た彼女の声。

 

 

ん、と彼は耳元に近づける。

 

 

「――な、なに言ってんのよ!バカ‼」

 

 

「ぐお!?」

 

 

バン!とこれはまたいい音が響く。

 

 

遠慮なしの一撃を食らった彼は、ものすごい勢いで地面に打ち付けられた。

 

 

そのままぴくりとも動かなくなったマスター。

 

 

そろりそろりと近づいて、ダ・ヴィンチちゃんはマスターの脈を診る。

 

 

――一応、生きてはいるようだ。

 

 

無事ではないが。

 

 

「――まぁとりあえず予定通り彼の確保には成功かなジャンヌくん――ああ、でも相打ちかな」

 

 

「――うっさい」

 

 

顔から、白い湯気を出しながら。

 

 

ジャンヌ・オルタは、顔を覆ってその場に座り込んでいた。

 

■ ■ ■

 

 

 

「――何、これ…?」

 

 

 

絶望、といったまなざしで。マスターはその手に握る手帳を見つめた。

 

 

すると横からにょっきりと首を出してみたジャンヌが「あらあら」と口を手で覆った。

 

 

「……一か月先まで、予定びっしりね。貴方の手帳」

 

 

お気の毒に、と少女は笑う。

 

 

――無事事態も収束し、マスターも正気に戻ったその後。

 

 

彼は手に握るもの、その予定帳を見て、愕然とするのであった。

 

 

そこに予定がびっしり詰まっていることは、あまり珍しいことではない。

 

 

……問題なのは。

 

 

「――全部デートの約束なんだけど」

 

 

「自業自得ね…ああ、でも巻き込まれたってのもあるか…」

 

 

「巻き込まれた?……ってよく見たら男とのデートの予定まである」

 

 

「……ご愁傷様」

 

 

はぁ、と特大のため息をつくマスター。

 

 

――正気じゃなかったからといって和解できる範疇は超えている。

 

 

多少の同情はするが、まぁ頑張れとしかいいようがない。

 

 

……男同士でのデートは、ほんと同情するけど。

 

 

「――唯一の救いは、この第二日曜日だけか」

 

 

「――あら。空きがあるの?なら決まりね」

 

 

え、とマスターは口を開ける。

 

 

そのすきに、横から手を伸ばして、ジャンヌはその唯一の空白にペンを走らせた。

 

 

「――これでよし」

 

 

そう言って、書き終えたその場所にある文字は一言。

 

 

――『私とデート』

 

 

「――逃げたら承知しないわよ」

 

 

「……了解」

 

 

がっくりと肩を落としながらも、嬉しそうにそう答えてくれる彼。

 

 

――まったく。

 

 

だからこそ、独占したくなるというものなのだ。

 

 

そう想って、くすり、と魔女は微笑んだ。

 

 

 

 



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どうか、貴方の傍に

――それも、いつもと変わらぬ日常のはずだった。

 

誰もいない廊下を、少女は歩く。

 

集合時間まで、あと十分。

 

遅れるくらいなら、早めについた方がいいと思う彼女。

 

だから必ず、五分前集合で現地につく。

 

――大広間への扉が開く。

 

そして目にする、青く大きな球体。

 

……その下にいる、一人の人影。

 

白い上着に、黒のズボン。

 

跳ねた黒髪が特徴の彼。

 

「……おは、よう」

 

 

そう言って、少女は歩み寄っていく。

 

……少々歯切れが悪いことを除いて、これもいつも通り。

 

名を呼ばれたら少年はこちらに振り向き、笑みを浮かべる。

 

間抜けと言えてしまうほど、屈託のない笑みで、少女に微笑みかけるのだ。

 

 

――しかし。

 

今回、返ってきたのは、針のように鋭い視線。

 

微笑みからはほど遠い、敵意にも似た瞳だった。

 

「……どうして、ここにいるの?」

 

――淡々とした声。

 

責めるような声音で、マスターは少女に問う。

 

「え、いや……出撃すると、思ったから……」

 

普段とは違う少年の態度に気圧され、少女はしどろもどろになりながら答える。

 

そんな彼女に、さらに畳み掛けるように彼は「必要ない」と言い切る。

 

「……君には待機をお願いしたはずだ。だから、君は出なくて構わないーーいつも面倒くさいって言ってたろ?よかったじゃないか。願ったり叶ったりで」

 

「それは、確かに言いましたが……」

 

――反論出来ない。

 

マスターが口にしたことが全て正論であると、よく理解しているから。

 

目を泳がせて、かけるべき言葉を必死に探す少女。

 

少年は目を閉じて腕を組み、壁にもたれたまま、それ以上口を開かない。

 

表情豊かな彼を目にして来た彼女には信じられないほど、全てに無関心な姿。

 

「――わかり、ました…」

 

……絞り出すような声で、俯く少女は言った。

 

そのまま、来た道に踵を返す。

 

最後にちらりと、扉を出る前に彼女は振り替える。

 

遠く離れた場所に、マスターの姿を見る。

 

見える距離なのに、その姿は、あまりに遠い。

 

――まるで、今の二人の関係を、再現しているかのようで。

 

「……バカ」

 

ぽつり、と最後につぶやいて、少女――ジャンヌ・オルタは広間を後にする。

 

……果たしてそれは、誰に向けた言葉だったのか。

 

■ ■ ■

 

「……それでだ。マスターと何があったんだ?」

 

――筆を綴る手は止めず、羊皮紙からも目を離さずに、アンデルセンは向かいの席でうつ伏せになっている少女に尋ねた。

 

「……別に。何でもないわよ」

 

カルデア施設内にある食堂。

 

マスターたちも出撃して、そのサポートに施設役員が出払ってるのもあって、その場所は閑散としている。

 

そこにいる二人の影は、ジャンヌ・オルタとアンデルセン。

 

いつもの高慢な物言いとはほど遠い抑揚ない少女の答えに、「嘘をつけ」と彼は一蹴する。

 

「普段の小生意気な態度からは想像もできないほど萎れているぞ。加えてだ……あの超がつくお人好しが、よりによってぞっこんのお前を無視していると来た。何もないというほうがおかしいだろう」

 

「うるさい。貴方には関係ない。てゆうか、なんでこーゆー時だけやけにしつこいのよ」

 

「愚問だな。こんなおもしろ珍事件、訊かずしてどうする。ぜひ小ネタの一つとして使わせてもらおうじゃないか」

 

「舌噛んで死になさい、マセガキ」

 

びっ、と立てた中指をアンデルセンにむけるジャンヌ。

 

やれやれ、と青い髪の少年は肩をすくめた。

 

「……しかしだ。あのマスターがああなると言ったら相当だぞ。オレもここにいて長いが、あんなのは初めてだ。本当に、何をしたんだ?」

 

「……だから、何もしてないわよ」

 

再度、ジャンヌはそう答える。

 

……だがその本心では、何が原因でこうなったか、検討がついていた。

 

――きっかけは、おとといマスターと出撃した時の出来事。

 

そのときの戦闘は、いつもに比べたら苦戦を強いられて、油断が許されない戦いになっていた。

 

そして終盤、あと一撃で敵を全滅させる展開を向かえる。

 

問題はそのあとで、ジャンヌは特攻に近い形で、敵に止めを差したのだ。

 

――マスターの、指示を無視して。

 

ぎりぎりではあっだが、ジャンヌは敵の撃破に成功した。

 

しかしマスターは怒った。

 

びくりと、その怒号で背筋が震えてしまうほど。

 

どうして指示に従ってくれなかった、と彼は怒りを露にした。

 

……その怒声に、ついジャンヌもかちんと来てしまった。

 

だから、彼に言った。

 

倒したんだから、別にいいじゃない。

 

――瞬間、彼の顔から表情が消えていた。

 

怒りも何もなくなった、彼の顔。

 

瞳は冷たくて、氷のようだった。

 

……それ以降、マスターは口を聞いてくれなくなった。

 

廊下ですれ違おうが、話かけようが、ジャンヌのことを冷めた視線を投げて、去っていく。

 

「……怒り過ぎよ、バカ」

 

拗ねたように、彼女は呟く。

 

そんなジャンヌの仕草に、「めんどくさい奴だ」とアンデルセンとため息混じりに言った。

 

「拗ねるぐらいならさっさと謝るなりなんなりしたらどうだ。事情は知らんがそうすれば万事解決なのだろう?」

 

「嫌よ。だって私、…そんなに悪くないし」

 

「ほうほう、『そんなに』か……つまり、多かれ少なかれ非があると認めているわけだな」

 

「…………」

 

途端、押し黙るジャンヌに「本当にめんどくさい奴だ」と彼は再度呟く。。

 

――こうなっては、子供のダダと大差ない。

 

それを正してやる義務はアンデルセンにはないし、してやる義理もない。

 

あってもしない、無視する。

 

どうにでもなってしまえ、と作業に戻ったときだ。

 

「……嫌われたかもね、私」

 

――そんな囁きを、少年は耳にする。

 

ちらり、と視線を前方に向ける。

 

机に額をつけたソレは、剣を握り、旗を振り、幾千の戦場を駆け抜けた竜の魔女。

 

そんな苛烈さを秘めた彼女が、ただ一人の青年の態度に、心を悩ませている。

 

……恋に煩う、乙女のように。

 

「……お前はバカか?」

 

――そんな、珍しいものを見てしまったからだろう。

 

つい、そう口が滑っていた。

 

「――この程度で好き嫌いを言うぐらいなら、アレはお前なんぞに手を差し伸ばしたりしない。そこ抜けのお人好しで、オレやお前など及びもつかないバカ……だからこそ興味深い。人理焼却を阻止してなお、観察していたいと思えた……お前も、そんな物好きのうちの一人だろう?」

 

「……自分が変わり者だっていう自覚はあるのね。貴方」

 

余計なお世話だ、と自称三流作家は答える。

 

それから彼は、嫌々ながら(と見えるように)その言葉に続きを口にする。

 

「……結論を述べるなら、うじうじ湿ってないでさっさと謝ってこい。以上だ」

 

「……意外ね。まさか貴方から激励をもらうなんて」

 

「仕事の邪魔だから消えてもらいだけだ、さっさと行け」

 

くすりと笑うジャンヌに、アンデルセンはそう吐き捨てる。

 

……らしくないことなど、するもんじゃないと、内心後悔しながら。

 

――ちょうどそのときだ。

 

「――お、いたいた。ジャンヌくん、ちょっといいかな?」

 

自分を呼ぶ声に、ジャンヌは頭を上げる。

 

見ると、長い杖を携え、茶色く長髪の女が来るのがわかる。

 

――ジャンヌやアンデルセンと同じ、それ以上の物好きかつ変人、ダ・ヴィンチが二人のもとに歩んでくる。

 

「……何よ。貴女が私に用なんて珍しい」

 

「まぁ今回はちょいと事情があってね。ほら君、おとといの戦闘に出ていたろう?そのときのデータが欲しくてね。だから君にレポートを書いてもらいたくて」

 

げ、と思わず声に出た。

 

――この女のレポートは、とにかくめんどくさい。

 

細かく訊き出したいからと、量が半端ではないのだ。

 

さながら、夏休みの宿題を最終日に片付けるような気分みたいだ、とマスターがぼやいていたのを耳にした。

 

「本当はマスターくんにお願いしたいんだけど、彼出撃中だし、帰ってきてこの量をお願いするのは忍びなくてね――とゆうわけで、明日までよろしくね、ジャンヌくん」

 

ガンっ!どこから取り出したのか分からない謎の書類タワーが出現する。

 

その束を心底嫌そうに眺めながら「なんで私が……」とジャンヌは愚痴る。

 

それに対し、ダ・ヴィンチは「だって暇だろう」とこれまた失礼な言葉をかけてくる。

 

「それにだ……やってあげたとなれば、君の株も上がるんじゃないかな?」

 

――最後に、そんな囁きをジャンヌに耳打ちして、かの天才は去っていった。

 

呑気に鼻唄をなんかを歌いながら歩いていく後ろ姿に、ジャンヌは舌打ちする。

 

 

「……相変わらず食えない女ね。なんかこう、足元見られてるみたい」

 

「実際にそうじゃないのか……で、どうするんだお前は?」

 

「……やるわよ。仕方ないからね」

 

束の一枚を手に取り、早速取り組み始める彼女。

 

勤勉なその姿に、アンデルセンは思わず。

 

――まったく。

 

『何が』仕方がなくて、そんなことをしているんだか……。

 

そう、胸の内でつぶやいた。

 

■ ■ ■

 

「……終わんない」

 

いっこうに減らない書類の山を見て、呻くようにジャンヌは一人つぶやく。

 

――時刻は零時を回った。

 

アンデルセンも部屋に帰り、かれこれ三時間ぐらい、わずかな光しかない暗い食堂に一人で、ジャンヌは作業をしている。

だが、彼女が字が苦手なこと、デスクワークをやりなれていないことを鑑みても、渡された量が果てしなく多かった。

 

……こんなの、明日の朝までに終わるわけがない。

 

徹夜してぎりぎりいけるか、と言ったところか。

 

あの女史の無茶ぶりに、殺意を抱きそうになる。

 

――けれど。

 

「……これを、一人でやってるのね」

 

……思い返してみる。

 

彼が、こんなモノをやっている姿を、ジャンヌは目にしたことが少ない。

 

あったとしても、すぐに終わらせていた。

 

……今になってわかる。

 

マスターは、意図して見せないようにしてくれていたんだと。

 

彼女に心配をかけないように。

 

彼女と過ごせる時間を、少しでも多く出来るように。

 

……それも知らずに、私は。

 

「――なら、今度は」

 

――今度は、自分の番だ。

 

これをしっかりと終わらせて、彼の役に立てば……それでようやく、マスターと話し合う土台に立てる。

 

よし、と気合いを入れて、彼女は筆を取る。

 

単純作業の繰り返し、という眠気と戦いながら、ジャンヌは作業を進める。

 

 

■ ■ ■

 

 

――ひゅうと、首もと冷たい風が撫でる。

 

机にうつ伏せて寝ていたジャンヌは、思わず身じろきをする。

 

ぬくぬくとした心地に微睡む彼女は、それから再び眠りつく――その寸前で、がばりと起き上がった。

 

――完全に寝ていた。

 

寝まい寝まいと思っていたのに、いつのまにか睡魔に負けていた。

 

しまった、と思いながら手元の書類を確認する。

 

案の上、書類は空欄だらけ――。

 

「……え」

 

――ではなかった。

 

手に取った書類にはびっちりと文字がかかれている。

 

確認してみたが、他の書類も同様でーー終わらせるべき課題は、全部終わっていた。

 

……ちゃんと終わらせられたのか。

 

いや違う、と彼女は首を振る。

 

手に取ったものに目を通すが、読んだ覚えのない事柄ばかり。

 

さらに綴られた文字は、ジャンヌのものではない。

 

――そして何より。

 

彼女の肩にかけられている、この暖かな毛布。

 

それには微かに、彼の匂いが香っていた。

 

……ああ、そうか。

 

その香りで、ジャンヌは察する。

 

同時に、自分の幼稚さ加減に、恥ずかしくなった。

 

――怒っているのは、彼も同じ。

 

だけど私は、自分のことしか考えてなかった。

 

怒りたいように怒って、拗ねていただけ。

 

相手が何を考えてたなんて、頭が回らなかった。

 

――対して彼は、怒りながらも私を想ってくれていた。

 

冷たい態度をとりながらも、こんな風に……私に、優しくしてくれてた。

 

「……バカなのは、私だ」

 

肩にかけていた毛布を握りしめながら、絞り出すように彼女は言う。

 

子供みたいに、駄々をこねた自分が本当に恥ずかしくて、情けなくて。

 

……この優しさに、泣きそうになった。

 

――その時、かつんと響く音を耳にする。

 

瞬間、熱くなった瞼を、ジャンヌは上げる。

 

ジャンヌが座っている場所から少し離れた、開きになっている食堂の入り口。

 

その場所に、一人の人影があった。

 

――マスターの青い瞳が、ジャンヌの黄金の瞳と合わさる。

 

一瞬の間、それからマスターは、振り返って来た道を戻り始める。

 

「っ、待ってマスターっ!」

 

慌てて立ち上がり、ジャンヌは駆ける。

 

食堂を出ると、その廊下の、ジャンヌのいる位置から少し離れた場所で、マスターは背を向けたまま立っている。

 

「……マスター。私、あの……」

 

――声が詰まる。

 

言わなきゃいけないことは、わかってる。

 

なのに、喉が震えて、上手く言葉にならない。

 

「……目が覚めたなら、部屋に帰った方がいい。風邪引くよ」

 

こちらを向かないまま、マスターはそう言って、再び歩き出す。

 

――違う。

 

そんな言葉で、終わりにしたくない。

 

だから、だからだからだからっーー!

 

「ーーごめんなさいっ!!」

 

 

――叫ぶように、彼女は頭を下げた。

 

その一言を絞り出すだけで、精一杯。

 

……神様にですら、許しを乞わなかった。

 

そんな自分が、誰かに許してもらいたいだなんて……なんて、滑稽なんだろう。

 

――でも。

 

どうか、伝わってくださいと、願う私がいた。

 

――沈黙が続く。

 

頭を下げているから、彼がどんな顔をしているかなんつ分からない。

 

……やがて、かつんと、靴音が響く。

 

音は連続して響いて、こちらに近づいてくる。

 

「――顔を上げて、ジャンヌ」

 

頭の上から聴こえる、彼の声。

 

言われた通り、少女は頭を上げる。

 

すると、ぽすりと、鼻先が柔らかいものが触れる。

 

その柔らかいものは、全身を暖かく包む。

 

――抱き締められたのだと、しばらくしてジャンヌは気づいた。

 

「……マス、ター?」

 

不安そうに、少女は彼を呼ぶ。

 

その声に、少年は答える。

 

「……オレも言い過ぎた。ごめん」

 

――そう、優しく抱き締めてくれながら。

 

彼は、そう言ってくれた。

 

――途端、溢れそうになる。

 

胸の奥、瞼の中が熱くなる。

 

……知らなかった。

 

許してもらえるのが、こんなに嬉しいことだなんて。

 

――貴方に抱き締めてもらうことが、こんなに素晴らしいことだったなんて。

 

指先は震えて、涙を堪えるのがやっと。

 

か細く、掠れた声で「うん……」と辛うじて頷けた。

 

「……君を、思い通りにしたいとは思わない。そんな権利、オレにはない。だけど覚えておいて欲しい……オレは君以上に、君のことが好きだ。だから……もうあんな、怖いことはしないで」

 

――そうして、少年は胸の内を吐露する。

 

人理焼却を阻止した後、てっきり還ってしまうと思っていた。

 

それが当たり前だと、覚悟していた。

 

なのに――彼女は、ここに残ってくれた。

 

傍にいてくれた。

 

愛しく想う君が、笑いかけてくれる。

 

……どんなに、嬉しかったことか。

 

だから、どうしても許せなかった。

 

彼女を貶すもの、危険に晒すもの全てが、許せなかった。

 

……たとえ、それが彼女自身であっても。

 

「――大人げないよね。本当に、ごめん……」

 

髪を撫でながら、マスターは苦笑する。

 

――大人げない、と彼は言う。

 

でも裏を返せば……なりふり構わずに考えてもらえるほど――大好きなんだよという告白。

 

……ああ、もう。

 

恥ずかしくて、死にたいぐらい――嬉しい。

 

――この身体は、もう私だけのものじゃない。

 

帰りを待ってくれる人がいる。

 

だから、面倒くさいけど――私は、私を守らなくちゃ。

 

わかった、とジャンヌは頷く。

 

「……だけど、貴方も約束して」

 

少年の顔を、まっすぐな瞳でジャンヌは見る。

 

……大切に思っているのは、貴方だけじゃない。

 

物好きだから、とあの作家は言った。

 

けれど、それは違う

 

――貴方が好きだから、ここにいる。

 

大好きな貴方がいる場所にいたいから。

 

貴方の近くで、笑い合いたいから。

 

……だから、私は言った。

 

「――もう、一人では頑張らない……今度は、私にもレポート…手伝わせなさい」

 

……そう、微笑みかける。

 

言われた彼は、驚いたように目を丸くする。

 

けれどそのあと、くすりと笑う。

 

「……ああ。でもその前に、誤字脱字は直さないとね。さっき見たけど――うん、ひどかった」

 

「……善処するわ」

 

神妙な顔立ちで答えるジャンヌに、マスターは微笑む。

 

……本当に、こうゆうところが可愛いんだから。

 

「――さて。夜も遅いし、今夜はもう寝よう、オレももう眠いし……」

 

欠伸をしながら歩きだそうとするマスター。

 

その背中に「あ、待って!」とジャンヌは声をかける。

 

何?と振り返るマスター。

 

「えと、その……」

 

ジャンヌは目を泳がせて、言葉に窮しているよう。

 

首を傾げるマスター。

 

葛藤する彼女であったが、やがて意を決す。

 

肩にかけたままの毛布を両手で握りしめ、その顔は恥ずかしげにそらす。

 

……ほんのりと頬を染めて、彼女は言った。

 

 

「――今夜は。いっしょに、いさせて……」

 

 

――片言の、君の言葉。

 

上目使いの、赤らめた顔で答えを待つ君は……正直、破壊力が絶大だった。

 

……真っ赤な顔を手で覆い、よろめくマスター。

 

大丈夫!?と本気で心配して寄ってくるジャンヌ。

 

……ああ、これだから。

 

これだから……堪らなく。

 

「……いいよ」

 

そう呟いた彼は、心配そうに見つめてくる彼女の腰を抱く。

 

……吐息がかかるほど、すぐ傍に。

 

青い瞳を近づけて、マスターは言った。

 

――決して、彼女が聞き漏らさないようにと。

 

「……ずっと、傍にいるよ」

 

そう微笑むマスター。

 

その笑みに、驚いたように目を開いていたジャンヌも――ふっ、と笑い返す。

 

彼女らしい、不敵な笑みで。

 

「――ええ。ずっと、地獄の底まで……傍にいてね」

 

……煉獄の焔は、熱く痛く、苦しいものだろう。

 

けれど、それも耐えられる。

 

だって――。

 

……この唇に触れた温もりの方が、ずっと、ずっと――熱く切ない、優しさに溢れているから。

 

 



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君の手入れ

 

「……ジャンヌの髪ってさ、すごくきれいだよね」

 

――唐突に。

 

廊下を歩いていると、マスターはそんな台詞を口にする。

対してそう言われた彼女は「いきなり何よ?」と怪訝な顔をして振り返った。

 

「いや。ただ単に感想を述べただけ。滑らかで艶があって綺麗だなぁ、って思ってね」

「……つまり、特に意味のないってわけ?」

「はい」

「呑気なものね……」

 

呆れたように言うと、マスターは「おっしゃる通りで」と苦笑する。

 

……まぁ。

 

誉められたことに関しては、別段悪い気はしないのだけれど。

少々照れくさそうに、彼女は己が髪の一房を指に絡める。

すると「ああそういえば」と、マスターは思い出したように手を打った。

 

「……前から気になってたんだけどさ。ジャンヌってどうして最終再臨状態にならないの?」

 

――最終再臨。

 

サーヴァントの、真なる力が引き出されたことの証として、サーヴァントの外見自体が変貌を遂げるという現象。

 

だがジャンヌは、依然として第一再臨状態のままだ。

 

スペック上は何の不備はなく、その姿でも全力を出せるのはわかっている。

 

が他のサーヴァントたちの多くが最終再臨状態でいるのに対し、敢えてその姿を貫く彼女の姿勢が、少し気になった。

 

しかし問われたジャンヌは「ああ。なんだそんなことか」とこれまた淡白な反応。

 

「別に深い意味はないわ。ただ強いて理由を上げるなら……それこそ髪ね」

 

「髪っていうと、長いのがダメってことなの?」

 

「ええ。手入れが面倒なのよ」

 

「……そんな理由なの?」

 

予想していたのよりずっと俗っぽい理由に、マスターは思わず聞き返してしまう。

 

対してジャンヌは「そんな理由で悪かったわね」と拗ねたように頬を膨らませた。

 

「長い髪っていうのは貴方が考えている以上に手間がかかるものなのよ。重いし絡むし、お風呂なんてそれこそ大仕事よ。普通に生活していくなら、あんな姿ほど非効率的な格好はないわ」

 

「……頑なに実体化状態維持しようとする君も君じゃないかなぁ?」

 

徹夜ゲームやら間食やら、ひたすら現代生活をエンジョイしている復讐者の行動を思い返しながら、マスターはつぶやく。

 

するとそれを耳にしたジャンヌに、ぎろりときつい視線を投げられて、やっぱり何でもないですと彼は両手をあげさせられるのだった。

 

やれやれ、と少女は首を振る。

 

「……まったく。男って長髪好きよね。あんなのどこがいいの?」

 

「全ての男が長髪好きなのかは一旦おいといて……オレだって、何でも長髪が好きってわけではないよ。単純に君のあの姿が好きなだけ。勿論、今の君も十分可愛いけど」

 

けろりと、歯の浮くような台詞を言ってのけるマスター。

 

恥じらいなどなく、それが素直な彼の本心だと、嫌でもわかる。

 

――ゆえに、その効果は絶大。

 

「……本っ当、バカ」

 

……真正面から直撃を受けたジャンヌは、真っ赤に茹だる顔に手を当てて、廊下の壁へともたれる。

 

辛うじて漏れでた言葉ですら、「そうだね」と笑顔であしらわれてしまう。

 

……絶対確信犯よね、貴方。

 

「……とゆうわけで。最終再臨姿、見せて」

 

「い・や・よっ!!」

 

カッ!と目を三角に尖らせて、全身全霊で拒否される。

 

それは残念、と心底がっかりした風に、マスターは肩を落とした。

 

――ちらりと、上目使いのにジャンヌに視線を向ける。

 

「……本当にダメ?」

 

「当たり前よっ!誰がするもんですか!」

 

まだ頬に熱を残したまま、ふんと彼女は鼻を鳴らす。

 

――すると、その時。

 

「――可哀想なますたぁ。ささやかなお願い事すら踏みにじられまして。けれどご安心くださいませ。長い髪がお好き、というのでしたら、ぜひわたくしの髪に触れてくださいまし」

 

……凛とした、もうひとつの声が、辺りに響く。

 

「……相変わらず。気配消して背後とるの好きだよね、君」

 

――ひたり、と自身の右腕に抱きつく第三者に、マスターはさして驚いた様子もなく呟く。

 

同様にジャンヌも「またか」と苦い顔で黒い着物を纏う少女を見る。

 

「……ここまで来ても気づかないとか、もはやアサシンね。座からやり直してきたら?もっとも、それで貴方の頭の病気が治るとは思わないけど」

 

辛辣な彼女の言葉に、まぁ、と清姫は目を見開く。

 

「……なんて冷たい御方なのでしょう。こんな人にますたぁを任せるわけには参りません――ですのでますたぁ。どうぞわたくしをお抱きになってください。貴方の大好きな、白髪ろんぐの撫子を」

 

「結構です。あと無理矢理頭撫でさせようとするのやめて」

 

ぎぎぎ、とマスターの腕を自らの頭に触らせようとする清姫。

 

それを見たジャンヌは、「アホらし」と一言呟いた。

 

「……結局力業じゃない。テンプレート過ぎて、代わり映えないこと」

 

「あら。ますたぁの好み一つに答えられない貴方には言われたくありませんわ……振り向いてもらえるような努力もしない、貴方になんて」

 

その言葉に、む、とジャンヌは眉を潜める。

 

清姫はマスターの身体に手を回しながら、話を続ける。

 

「……愛した人の、微かなお願い事すら叶えられないなんて。なんて高慢な御方――ますたぁ。やはり正妻は、このわたくしこそ一番……」

 

「だから、首をがっちりホールドするのやめてください」

 

頭を捕まれ、口元に近づけさせようとする力に必死の抵抗を続けるマスター。

 

ぎりぎり、と徐々に距離が詰められてゆく。

 

けれど、ジャンヌは何もしてくれなかった。

 

「ちょっとジャンヌさん。見てないで助けてくれま――」

 

「――マスター」

 

助けを求める声が遮られる。

 

何?と彼は視線を横に向ける。

 

……そして、言葉を失う。

 

――ふわりと、棚引くスカート。

 

艶やか曲線が顕になる、漆黒のドレス。

 

そして何より――腰元まで伸びる、白く輝く、その御髪。

 

ゆらりゆらりと揺れるその姿は……まるで、一輪の華。

 

――かの復讐者の真なる姿に、二人は言葉を失う。

 

「……これで、いいでしょ?」

 

腕を組み、恥じらうように顔をそらす、竜の魔女。

 

……ああ、もう本当に。

 

「――可愛い」

 

――気がつけば

 

がしりと、いつの間にか清姫の拘束をすり抜けて、マスターはジャンヌを抱き締めていた。

 

「なっ!?貴方、そんな人前で……!?」

 

慌てる少女、けれど容赦なく少年は抱き締める。

 

仕方がないだろう?と彼は言葉にする。

 

「――可愛い君がいけない」

 

「どーゆー理屈よっ!?」

 

バシバシ!と頭を叩かれながらも決して離さないマスター。

 

それに、ジャンヌは内心焦りに焦る。

 

……まずい。

 

この格好は、それなり肌を見せてる。

 

だから、こんな風に抱き締められると……ものすごく、彼の熱を感じてしまう。

 

「――ほら。やっぱり可愛い」

 

そう優しく微笑まれ、耳元に吐息がかかる。

 

――だから、それは駄目なんだ。

 

そんなことを言われたら、嫌でも熱くなってしまう。

 

赤くなった顔を隠せない私は何も言えなくなって……恥ずかしくて、死んでしまう。

 

……そんな、二人だけの世界を隣で見ていた清姫は「なんて、こと……」と口元に手を当て絶句する。

 

「――ちょろい。ちょろ過ぎます……けれど、そのちょろさがわたくしにございません……それが、このたびの明らかな敗因なのですね……」

 

「ちょろい言うな!」

 

一喝するが、ぐぐぐ、と悔しそうに拳を握りしめる清姫の耳は届いていない。

 

「……今日のところは引き上げます。ですが、次回は負けませんから!」

 

清姫、ふぁい!の掛け声と共に、少女は退散していった。

 

「……なんだったのよ。あの子」

 

清姫の去ったあとを、ジャンヌは半開きの眼で見る。

 

対してマスターは「いつも通りじゃないか」と、これまたどうしようもない返答をするのだった。

 

■ ■ ■

 

 

「……ああもう!本っ当に邪魔くさいわ!」

 

苛立たしげに、ジャンヌは己の髪をガシガシと掻く。

 

そんな彼女を隣に見て、「ご立腹だねぇ」とマスターは他人事のように呟いた。

 

「……誰のせいだと思ってるのよ」

 

恨みがましい視線に、少年は肩を竦める。

 

――確かに、今回は少年の我が儘。

 

謝らなきゃいけないし、謝りたいと思う。

 

けれど……。

 

「……めんどい」

 

深くため息をついて、脱力する少女。

 

……そうまでして、少年のお願いを聞き届けてくれた事実。

 

――嬉しくないわけが、ない。

 

「――大丈夫だよジャンヌ。その心配は要らない」

 

――だから、彼は言う。

 

彼女が答えてくれるなら。

 

……彼もまた、彼女の想いに精一杯の返礼を。

 

少し先を歩いていたマスターは振り向いて、ジャンヌに笑いかける。

 

――屈託のない笑みで、こう告げる。

 

「――オレがずっと、君の代わりに手入れをするから……だから、問題ない」

 

――ああ、やっぱり。

 

こんな告白で、そんなに真っ赤になる君が。

 

……本当、大好きだ。

 

 



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ここは、ぬくもる貴方の場所

「――あれ?ジャンちゃんジャン。やっはろー!」

 

――自分の名を呼ぶ快活な声を、彼女は耳にする。

 

手元の本から視線を上げる。

 

するとその黄金の瞳は、紅色の髪を揺らし、軽やかな鈴の音を鳴らしてこちらに近づいてくる人影を視認する。

 

「……その呼び方はやめなさい。なんか腹立つ」

 

「えー。別にいージャン可愛くてさー」

 

「どこがよ……?」

 

わけがわからない、と突っ込みながらジャンヌは彼女――鈴鹿御前を呆れた目で見る。

 

……最近カルデアに来たばかりの、セイバーのサーヴァント。

 

実力はあるし、戦力としては申し分ないのだが……何分この性格だ。

 

「ねーねー何読んでんのー?気になる気になる―」

 

「ああもううっさい!ちょろちょろ構わないでよ!あっち行ってなさい」

 

しっしっと手を振ると、ぶうーと不機嫌そうに頬を膨らませる少女。

 

……この、天然とも陽気ともいえる性格は、ジャンヌ・オルタという少女にとって扱いづらいことこの上なかった。

 

「てかさぁ。ジャンちゃんこんなトコで何してるの?しかも一人でさ」

 

訊きながら、よいっしょ、と鈴鹿はジャンヌの向かいの席に座る。

 

どこにも行く気ないのね、と内心つぶやきながら、ジャンヌはため息をつく。

 

それから彼女は手に持った緑色の背表紙を掲げて、「暇つぶし」と端的に現状を述べる。

 

「……マスターが今出てるから、帰ってくるまで適当に過ごしてたわ」

 

「あ、マスター今出てんだ。てか、ジャンちゃん置いてきぼり?うわ、珍しー」

 

「うわって何ようわって……まぁ、今回はそういう編成にしなきゃならなかったしね」

 

――ムーンキャンサー。

 

アヴェンジャーを有利クラスとする敵を攻略するこのミッションに、ジャンヌを連れて行くわけにはいかないという彼の判断は、合理的かつ極めて適格だ。

 

だから、この待機の指示にも文句はない。

 

――そう。

 

これは、作戦を有利に進めるために、仕方なく選んだ行動。

 

だから――。

 

「……だから、あの『白い私』連れていって私を置いていったことぐらいなんとも……なんとも、思ってないから」

 

みしり、と握りしめている本がきしむ。

 

ぷるぷると震えている彼女の両肩を見ながら「わっかりやすいなーこの人」とつぶやいた。

 

口に出したら、それこそ大火事になること必至だから、無論胸のうちでの話だ。

 

「……しっかし、ここのマスターも大変そうだね。いろいろと」

 

「そうね。特にここ最近はめまぐるしい勢いで出撃してるわ。また倒れたりしないといいのだけれど」

 

「ぷっはは。なんかおかあさんみたいなセリフじゃん、それ」

 

からかい気味に言った言葉だが、意外なことに「そうかもね」とジャンヌは頷いた。

 

おやおや、と目を見開く鈴鹿御前に、「何よ……」とジャンヌは問うた。

 

「いんにゃ。割と素直だなーって思って……もしかして、結構ぞっこん?」

 

「さぁどうかしらね……まぁ少なくとも、アイツは私にぞっこんなんじゃない?」

 

「わお。すごい自信」

 

冷やかしは結構、と平然とした顔でジャンヌはテーブルに置いてあった珈琲カップに口を付ける。

 

……喉を下りてゆくソレはもう冷たく、赤みがかった彼女の頬の方が、まだ熱く思える。

 

「……ま、とりあえず相思相愛ってことでおぼえておくね」

 

「なんでそうなるのよ」

 

苦々しい顔でそういうジャンヌに、そりゃねーと鈴鹿はクスクスと笑う。

 

それから彼女は、ピっと本を指刺した。

 

「……結局はそれ、『暇つぶし』なんでしょ?」

 

にやりと笑う、赤の少女。

 

対して、黒の彼女はその意味が一瞬理解できなかった。

 

――しかし、その意味が理解できると、ボン!顔が赤くなる。

 

「そ、そういう意味じゃないわよ!これも私の趣味なわけだし。決して繋ぎとか、他にやることなかったから仕方なくとか、そんなんじゃないから……」

 

しどろもどろになりながら弁明していく様に、よりにやにやと笑みを浮かべていく鈴鹿。

 

……だめだ、言い訳する方が余計みじめになる。

 

「と、とにかく!貴方には関係のないことです!」

 

そう言ってそっぽを向くジャンヌに、はいはいと鈴鹿はおざなりな答えを返しながら、席を立ちあがる。

 

「……けどさ、ジャンちゃんの気持ち、ちょっちわかるよ」

 

――去り際に、彼女は語る。

 

少し――ほんの少しだけ、切なげな微笑みを浮かべて。

 

「……一人ってさ、結構退屈だよね」

 

……そう謳い残して、少女は去っていった。

 

寂しげな鈴の音と共に。

 

テラスに残ったのは、ジャンヌ一人。

 

再度、コーヒーを口に運び、それからふと、鈴鹿の去ったあとを眺めながら、こう漏らした。

 

「……まぁ。それに関しては、同感ね」

 

――手に持った本。

 

マスターからもらって……マスターに字を教えてもらいながら、いっしょに読んだ小説。

 

それはあんなにも夢中になって読んでいたものなのに。

 

懐かしさに開いてみたら……驚くほどつまらなく、退屈だったのだ。

 

■ ■ ■

 

 

――結局のところ、本を読むのも飽きてしまったジャンヌは、特に何をするのでもなくカルデア施設内を歩きまわる。

 

……いや、割と真面目に、これ以上ないほど退屈だった。

 

そもそも、マスターとこんなに離れて過ごすこと自体久しいのだ。

 

ことあるごとに共に出撃をしていたのに、最近ではすっかりご無沙汰である。

 

朝と夜、顔を会わせ、夕食をいっしょにできればまだいい方。

 

……ああ。

 

本当に久しい……『独りぼっち』の時間である。

 

「……何を萎れてんだか」

 

そう、皮肉気に少女は笑う。

 

――独りになんて、今に始まったことじゃない。

 

元から自分は独りだった。

 

ただ最近、余計なのがついてくるようになっただけ。

 

だから、大丈夫。

 

こんなのは慣れてる。

 

……慣れてるのに、なんで。

 

「……弱くなったのかしら」

 

そう、彼女は問うた。

 

無論、答えなど返ってこない。

 

――聞くまでもないか。

 

そんな迷いを口にするくらいだ。

 

私はとっくに――。

 

「……いい、香り」

 

――思考の途中で、彼女は気づく。

 

かすかに漂ってくる、甘いにおい。

 

それは廊下の向こう、その曲がり角にある食堂から香るものだった。

 

……興味を引かれた彼女は、少し歩調を速めて、その曲がり角へと足を運ぶ、

 

そっと、陰から食堂内をのぞき込む。

 

――ずらりとテーブルの波。

 

それらの先にある調理場から、その甘い香りと作業の音が流れてきていた。

 

すると、その調理場にジャンヌは赤い外套を目にする。

 

同時に、その赤い影もわずかばかりはみ出たジャンヌの頭に気づいたようだ。

 

「……おや。いつもに比べてお早いご到着じゃないか。夕食ならまだだぞ。あと少し待ってもらえれば準備できるが?」

 

「……別に。ただ暇つぶしで寄っただけよ」

 

ぶっきらぼうに、少女は答えながらも調理場へと足を運ぶ。

 

この、甘い香りの正体が気になったからだ。

 

何の香り、とジャンヌは赤い弓兵――エミヤに問うた。

 

「ん?ああ、この香りのことか。そこのを見てみたまえ」

 

調理場奥の右手を指さす弓兵。

 

隔ててある机に、少し身を乗り出して差し示された方向を見るジャンヌ。

 

そして、言葉を失った。

 

――目に見えたのは、ピンク色の塔。

 

渦を巻いて立つソレはピンクのほかに白などが織り交ざり、さらには赤く瑞々しい果実がふんだんに盛られている。

 

赤いソースがたらりと垂れたその塊――その輝かしいものに、思わず感嘆の声が漏れる。

 

「……これは、何?」

 

取り繕ってはいるが、少し震える少女の声。

 

期待に膨らんだその声に、エミヤは少々自慢げに微笑む。

 

「何、今日はいい材料が入ってね。『苺パフェ』なるものを作ってみた。数は少ないので、先着順だがな」

 

「……食べられるの?」

 

「無論だ。だが今言った通り先着順だ。十人限定、頼んでおいたもの勝ちだ」

 

「なら今から並んでやるわ」

 

即答する彼女に、弓兵は苦笑する。

 

……どうやら、よほど『苺パフェ』なるものが気になるらしい。

 

まだ用意するまで、時間は相当かかるというのに。

 

だが、存外悪くないという気持ちで、エミヤは調理を再開しようとしたその時――調理場に設置されているとあるアラームが鳴り響いた。

 

「……なんのアラーム?」

 

一定時間鳴って止まったそれを、ジャンヌは尋ねる。

 

ああ、とエミヤは手元から目を離さずに答える。

 

「――マスターたちが帰ってきたようだ。そのためのアラームだよ」

 

「――え?」

 

ぽかんと、ジャンヌは一瞬呆ける。

 

それから少し、顔が明るくなった。

 

――彼が帰ってきた。

 

なら行かなきゃ、と足を踏み出そうとして、ぴたりと止まる。

 

――『苺パフェ』は、先着順。

 

もしここで走ったら、食べられないかもしれない。

 

いや、あんなに素敵なもの、売り切れないわけがない。

 

でも……。

 

一瞬、彼女は葛藤する。

 

――けれど、それは本当に一瞬のこと。

 

『……一人って、結構退屈だよね』

 

 

――思い出されるのは、その言葉。

 

……ああ、そうか。

 

やっぱり、そうなのよね。

 

――想うと同時に。

 

足は、前へと駆けだしていた。

 

「あ、おい待ちたまえ!どこに行く!?」

 

「マスターのところに決まっているでしょ。あと赤のアーチャー……」

 

最後に、食堂の出口で、ジャンヌは振り返る。

 

びっ!と、人差し指と中指を立てて、少女は言った。

 

「――二人分、取り置きお願いね」

 

そう言い放って、少女は駆けていった。

 

「……まったく、手のかかることだ」

 

――そう、笑みを浮かべて。

 

いってらっしゃいと、弓兵は言葉をかけた。

 

 

 

■ ■ ■ 

 

 

――懸けて行く。

 

廊下をかけていく、両手を振って。

 

息は荒くなるし、汗はかく。

 

必死になってバカみたい、と彼女は自嘲する。

 

けど同時に――とても心地がよかった。

 

 

「――あれ?ジャンヌだ」

 

驚いたように、蒼い瞳は見開かれる。

 

思ったよりも早い再会。

 

廊下でマスターに会うと、ジャンヌはその手をがしりと掴んだ。

 

「へ?」

 

急ぐわよ、と快活に笑って、ジャンヌは手を引いて、来た道を戻り始める。

 

「ちょ!?いきなり何!?」

 

「いいから黙ってきなさい。すっごくおもしろいものがあるから!」

 

――楽しそうな声が聞こえる。

 

他でもない、私の声。

 

……戻れるわけがない。

 

独りでいた、あの頃に。

 

だって、私は知ってしまった。

 

誰かと過ごす時間を、孤独でない楽しさを。

 

……貴方といる、幸せを。

 

貴方といっしょにすごして、楽しさを分かち合いたい。

 

悲しい時もずっとそばにいたい、傍にいてほしい。

 

貴方といなければ、もうつまらないことばかりで、仕方がない。

 

……だめだ。

 

熱くなって、溶けてしまう。

 

これじゃまるで、告白みたいだから……。

 

「……わかった。なら、楽しみにしてるよ」

 

そう、貴方が笑う。

 

笑って合ってくれる。

 

……優しい貴方に、泣きそうになる

 

握る手のひら、握り返される指。

 

――ああ。

 

私は弱くなった。

 

どうしようもなく、不甲斐ない。

 

だけど……もう、それでいい。

 

そう思えてしまうほど……。

 

「……ええ。期待してなさい」

 

――だから。

 

離さないでね、と彼女は語る。

 

……胸の内で、ひっそりと。

 

少女は微笑んで、手を引いてゆくのだった。

 

 

 



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君に振り向いてもらいたい今日この頃

――こんこん。

 

扉をノックする。

 

けれで返答はない。

もう一度鳴らしてみたが、同じく返答はない。

 

その無反応に、ジャンヌ・オルタはため息をつく。

 

……出撃までの待機時間。

 

一時間という短いようで長いひと時を、自室で浪費するのもアレだからと、彼女はマスターの部屋に足を運んだのだった。

 

「……ノックはしたわよ」

 

そう念を押すように言って、ジャンヌは小脇のパネルに指を走らせる。

部屋の解除コードなら、とっくに知ってる。

ただ礼儀として、確認してやっただけのこと。

 

……そんなもの、払ってやる義理なんてないんだけど。

 

「マスター。入るわよ……ってうわ」

 

開かれた扉の向こうを見て、彼女はそう一言、感想を漏らす。

 

そこには、驚くほど憔悴しきった様子で、机の上に突っ伏す我がマスターの姿があった。

 

その机には、なぜかトランプの束が散乱している。

 

「……なにばかやってんの」

 

さして心配している風でもなく、一応形式として、ジャンヌはそう訊いてやる。

 

どうせしょうもないことでしょうけどと察しながら、マスターの傍らまで歩んでゆく。

すると彼は、「トランプ……」とだけつぶやいた。

 

「トランプがどうしたの?」

 

もう一度訊いてやると、彼は頭は上げず手だけを上げて、二枚のトランプをぱちぱちと、櫓のように合わせる仕草をした。

 

さらに「あともうちょっとだったのに……」とまた一言。

 

――要するにだ。

 

時間つぶしに作っていたトランプタワーが寸でのところで崩れて落ち込んでいたというわけだ。

 

……私の声すら、無視できるほどに。

 

はぁあと、怒りにも呆れにも似たため息を吐くジャンヌ。

本当にしょうもなさ過ぎて、どっと疲れる。

 

「……どうでもいいけど、そんなんで無視しないで欲しいわね」

「失敬な。結構難しいんだよ、これ」

 

むくりとそこだけ顔を上げて、唇を尖らせて反論するマスター。

そーですか、と少女は投げやりに応答した。

その態度に、彼はますます不満そうな顔になる。

続いてこんなことまで言ってきた。

 

「なら、ジャンヌもやってみなよ。本当にむずかしいから」

 

はぁ?とこれまた嫌そうな顔をするジャンヌ。

嫌よ、と一蹴する。

 

「そんなくだらないことする暇があるなら寝るわ。貴方もさっさとやめてしまいなさい」

「ほうほう……つまりしっぽを巻いてにげるわけだね」

 

ぴくりと、その言葉に彼女の耳が反応する。

ふ、とそれにマスターは微笑む。

……これだけいっしょにいるのだ。

彼女の乗せ方ぐらい、心得ている。

 

「……ずいぶん舐めた口をきいてくれたわね――いいわ。お望み通り、やってあげる」

「よし。じゃあ競争だね。交互にやって先にできたほうが勝ち。無論、先攻はお譲りしますよ。お嬢様」

「お黙り……勝負ってことは、当然勝てたらそれ相応の対価を要求できるのよね?貴方は何を支払えるのかしら」

 

お望みのままに、と少年はその胸に手を当て、頭を垂れる。

その答えに、少女は嗤う。

 

――こんな単純な作業、造作もない。

 

一瞬で終わらせてやるわ、と意気込んで、ジャンヌはマスターが招く席に着いたのだった。

 

 

■ ■ ■

 

 

――それから、数十分後。

 

パサリと、静かな音を立てて塔は崩れる。

 

もう何度目かの崩落。

 

「はい終了。次、オレの番ね」

 

……その、イラっとする彼の声も幾度目のこと。

 

ぴくぴくと眉間を震わせながら、「……どうぞ」と静かにジャンヌは席を譲った。

 

よし、と裾をまくって少年は制作に取り掛かる。

 

ずっと、この行為の繰り返し。

 

一瞬で終わるかと思えたタワー建造は難航を極めた。

ほんの少しのずれで起こる崩壊。

 

繊細さを要求されるこれは失敗するたびに苛立ちが増し、比例して難易度も上がっていく。

まったく進まない鈍足なこの戦いに、ジャンヌもいつしかのめりこんでいた。

崩れろ崩れろ、なんて心の内で唱えながら、彼女は机の真横に顔を付けてにらみを効かせる。

すっごい視線を感じる、とそのプレッシャーとひしひしと耐えながら少年もくみ上げてゆく。

 

――作業は、思いのほか順調に進んでいった。

 

それは今までの比ではなく、なんと最上段完成一歩手前までくるのであった。

 

マスターの胸は躍る。

 

しかしジャンヌの鼓動は別の意味で昂る。

――この一段が完成したら、自分は負けてしまう。

 

いや、完成する絶対に。

 

直感でそれはわかってしまった。

 

けれど、それがいいとは思えない。

だってこんなので負けてしまったら、さっきまで豪語した己の言葉の恥ずかしさで死んでしまう。

どうすれば、と必死に頭を巡らせるジャンヌ。

 

カードが、あと少しで噛み合う。

 

その直前のこと。

無意識の行動だった。

 

――ふぅっ、とそのピラミッドに、彼女は息を吹きかけた。

 

あれもあれよと瓦解するカードたち。

残ったものはなにもなく、ぴたりと固まったマスターの指先がそこにあるだけ。

 

「――ジャンヌ」

 

静かに、少年は小脇の少女を見る。

 

しかし彼女は「あらま残念」としらじらしい態度をとる。

 

「ま、まぁ。崩れてしまったものは仕方ありません。おとなしく交代してください――あと、カードに息吹きかけたりしないでくださいね」

 

――念を押すように、少女は言った。

 

ため息を吐きながらも、マスター再び席を譲る。

 

……よし。

 

ものすごく卑怯だとは思うが、とりあえずしのげた。

これで終わりにしましょう、とジャンヌはカードを合わせてゆく。

 

――しかし、背後で見ているマスターは無論おもしろくない。

どうにかして、お返ししてあげたいなぁなんて考えていた。

けれど、露骨に邪魔はしてはフェアプレーに反するし、何より品がない。

どうしようかなと首を捻り――はたと、思いついた。

 

そしてそんな少年の心情など知らず、ジャンヌはタワー建造を着々と進めていく。

 

やがて、少年と同じ最上段のみを残してトランプタワーは組みあがる。

 

勝った、とジャンヌは確信する。

 

同じくここだ、と少年は笑う。

 

――ふぅと、少年は息を吹きかける。

 

けれどそれはトランプに対してではない。

 

そんなのはおもしろくない。

 

だから吹きかけた。

 

――白く小さくある、少女の耳元で。

 

甘く温い吐息で、撫でるのだった。

 

きゃっ!と可愛らしい声が響く。

がたん!と大きな音を立てて、少女は跳ね上がる。

 

バラバラと、トランプは地面に流れてゆく。

タワーは崩れたが、そんなことどうでもいい。

撫でられた耳を抑えて、顔を火のように火照らせながら、うっすらとにじむ瞳で、少女は彼を見る。

 

その、あまりに初々しい反応に、少年は微笑む。

 

――それから、蠱惑的な声音で、こう語るのだ。

 

「……お返し。気にいってもらえた?」

 

それに、艶を感じてしまったらおしまい。

 

今度こそ、本当に耳の先まで真っ赤になってしまった少女。

 

腹いせ紛れにガンガンと少年の足を無言で蹴るぐらいしか、抵抗するすべがなかった。

 

「痛い痛い!わかった悪かったから!ほんと痛いからやめてくださいジャンヌさん!」

「うっさい!何がっ!何がお返しよ!あなたってほんともう……!」

 

――途切れ途切れにしか、声にならない。

 

恥ずかしくて悔しくて、本当に溜まらない。

でもやっぱり、こんな意地悪をされても。

……嫌いになれない私がいるから、どうしょうもない。

 

「――もう、やだ」

 

かろうじて出た言葉はそれだけ。

涙がぐみながら、そう言うジャンヌに、マスターは息をのむ。

 

「……ジャンヌ」

 

少女の名を呼ぶ。

震えるその肩に、手を伸ばそうとする。

抱きしめようと、そうした時だ。

 

「――ふん!」

 

「あだっ!?」

 

――抱えようとした頭が、少年の頭に直撃する。

 

唐突なことだったので、受け身もままならず、そのまま背後に吹き飛ばされるマスター。

倒れるマスターに、びしりと、ジャンヌは指を差す。

 

そして、こう叫ぶ。

 

「――そんなことしてる暇があるなら、もっと構いなさいよ!ばかっ!!」

 

そんな、自爆大爆発な捨て台詞を、枯れた声を張り上げて叫んで。

 

黒い魔女は、少年の部屋から脱兎の如く走り去っていった。

残されたのは、地面に仰向けに転がる少年だけ。

 

「……これ以上、君にどう夢中になれっていうんだ?」

 

そう、彼は口端を緩める。

 

……君がオレの気を引きたいのと同じくらい。

 

オレだって君に夢中になってもらいたい。

だから、オレは君の部屋にあまり行かない。

君ならきっと来てくれると信じてるから。

おっしゃる通り、意地の悪いマスターだ。

 

でも――。

 

「――お相子さまだよね」

 

――走り去っていった、彼女の姿。

 

恥じらいと切なさに満ちた、その顔。

 

……そのすべてが、心の底から可愛らしいと思って止まない我が身に呆れながら、マスターは自嘲した。

 

――さて。

 

あんなにも機嫌を損ねてしまったお姫様。

 

どうやって謝ろうかと少年は思考する。

 

真剣に、けれど楽しみながら、悩ませる。

 

地面に散った、彼女と過ごしたこの刹那の断片を集めながら。

 

――宝物のように、大切に拾っていった。

 

 

 



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君のいない世界

……こんこんと軽いリズムが響く。

 

扉をノックする音。

 

どうぞ、と少年は促した。

 

「失礼します」という一言のあとに、ドアの開閉音。

 

歩んでくる誰かに、少年は「やぁ」と晴れやかな笑みを浮かべる。

 

「……遅かったじゃないか。新宿のときみたいにまた迷子なのかと心配したよ」

 

からかい気味に、マスターは笑う。

 

こうやって軽口を叩けば、彼女は拗ねたように「そんなことないわよ」と唇を尖らせて返してくるとわかっていたからだ。

 

それがいつもの、二人のやりとり。

 

――けれど。

 

「……あの、マスター」

 

……けれど、変わりに聞こえたのは、弱々しく、どこか遠慮がちな声。

 

彼女に良く似ていて、それでいて正反対の声音。

 

それを耳にした少年は、ああ、とため息をついた。

 

それからごめん、と短く謝る。

 

「……やっぱり足音がすごく似てるなぁ。ほんとダメだなオレ……何度も間違えてごめんね、ジャンヌさん」

 

いいえ、と少女――ジャンヌ・ダルクは首を振る。

 

――ここ数日、忙しいマシュたちの代わりマスターのお見舞いに来ている彼女。

 

調子はいかがですか、とジャンヌは問いかける。

 

いつもと変わらぬ、いつもと同じ問いかけ。

 

……それしかできないことが、悔しくて堪らない。

 

その問いかけに、少年はこくりと頷く。

 

「――大丈夫。元気だよ」

 

……虚ろな瞳は、ジャンヌ・ダルクを写しながらも、その姿を捉えられてなどいない。

 

――ただ、何もない世界を見つめながら、少年は微笑むのだった。

 

……その笑顔が、痛くて堪らなかった。

 

 

■ ■ ■

 

 

「――結論から述べるとだ。マスターくんの目を治すことは可能だよ」

 

――そう、かの天才は断言した。

 

その一言に、共に作業をしていたマシュは胸を撫で下ろす。

 

しかし、ダ・ヴィンチ女史は「一つの問題を除いてね」と付け加えてきた。

 

「問題とは?」

 

マシュがそう訊き返すと、彼女は「マスターくんの体調」と端的に答える。

 

「……彼が魔眼でも持ってたら、もう少し楽だったんだけどねぇ。いやそもそもその場合は失明しなかったか。どちらにせよ、義眼にするとなると身体に負担がかかるからしばらくは無理だろうね」

 

「……具体的には、どのくらいなのでしょう?」

 

一週間、という言葉をダ・ヴィンチは口にする。

 

その短そうで長い期間に、マシュは深いため息をつく。

 

「どうしたんだい?君がため息なんて、らしくないじゃないか」

 

「……いえ。ただ、ちょっと、心苦しくて……」

 

――今は、ジャンヌさんに代わって貰っている。

 

初めはマシュ自身がお見舞いに行っていた。

 

ただ、決してショックではなかっただろうに、それでも気丈に振る舞う彼の姿は、かなり堪える。

 

大丈夫だよ、と安心させようとするマスター。

 

その優しさに、瞼が熱くなって、でも泣いてはダメだと必死に耐えていた。

 

そんな姿を見かねて、ジャンヌ・ダルクが代わりを申し出たのだ。

 

「……情けないです」

 

ぎゅっ、と手のひらを握りしめるマシュ。

 

震える彼女の頭を、そっとダ・ヴィンチは抱き締めた。

 

それからその耳元に囁く。

 

「……大丈夫。ここなら、別に泣いても構わないよ」

 

 

――嗚咽が、聞こえる。

 

涙に濡らしながらも、必死にまだ耐えようとする少女。

 

その頭を撫でながら、ダ・ヴィンチは心の内でため息をついた。

 

……こうゆうとき、君ならどんな慰め方をするんだい?

 

――いつか共にいた誰かに、そんな愚痴を溢しながら。

 

自身の人間味の低さを、彼女は嘆いた。

 

 

■ ■ ■

 

――三日前のこと。

 

マスター、及び複数名のサーヴァントがレイシフトを行った。

 

目的はただの素材集め。

 

何事もなく、終わるはずだった。

 

……だがその道中、エネミーの大群に遭遇する。

 

何者かの意図か、はたまたただ偶然か……どちらにしても、六名のサーヴァントで対処しきれないほどの数が発生していた。

 

それまでにも連戦続きで疲弊していたのもある。

 

だから、あれも本来ならあり得ない痛恨のミス。

 

その戦闘の最中、マスターは両目を負傷したのだ。

 

サーヴァントのカバーが間に合わず、敵からの呪いが彼に直撃した。

 

それゆえ戦闘の指示が出来ず、戦線は一時混乱状態になったが……その中で一人、彼女は決断した。

 

『……私が囮になるわ。だからさっさとマスターを連れて帰りなさい』

 

そう一言だけ残して、少女は走る。

 

片手に剣を、もう一つに旗を握り、彼女は敵陣に斬り込んだ。

 

……止めることなど出来ない。

 

成すべきことがなんなのか、全員がよく理解していたから。

 

――かくして、他サーヴァントたちはマスターを連れてカルデアに帰還する。

 

たった一人のサーヴァント……ジャンヌ・オルタを、置き去りにして。

 

■ ■ ■

 

――時刻は、深夜十二時を回った。

 

誰もいない廊下を、マスターは壁つたいに歩く。

 

外出をするには、あまりに遅い時刻。

 

でもこんな時間に出なければ、みんなに怒られてしまうから、仕方ない。

 

……目が見えなくなっても、歩き慣れていた場所は意外に移動できるものだった。

 

途中何度か転んだが、それでも彼は目的の場所にたどり着く。

 

……少し大きめの扉が開く音。

 

かつんかつんと、靴音が反響していく。

 

肌に纏う空気から、カルデアスのあるあの大広間にこれたのだと実感する。

 

――ここで、彼女と出撃した。

 

何の問題もなく、何の疑問なく、いつも通りに二人は出た。

 

なのに、帰ってきたのは彼一人だけ。

 

君がいない日々が、ただ流れて行く。

 

……君の笑顔が、見れない。

 

熱が、匂いが、味が。

 

段々と、消えかけていく。

 

化石のように、風化して崩れてく。

 

――驚いた。

 

彼女がいないだけで……世界は、こんなにも寂しくなるのか。

 

「……会いたいなぁ」

 

そう思い返していたとき――けたたましいサイレンを、少年は耳にする。

 

普段のカルデアからは絶対に聞こえない音。

 

何かがおかしいと気づいたと同時に、「先輩!」と自らを呼び声を耳にする。

 

「何があったマシュ?」

 

そう尋ねると、彼女は「敵襲です」と答える。

 

「手段は分かりませんが、現在大量のエネミーがカルデア内に浸入してきています。マスターも逃げ――」

 

マシュの言葉が終わる前に、爆風が響き渡る。

 

鼻腔とのどを焦がす熱気に、二人は咳き込む。

 

そして耳にする。

 

無数の、からからという足音を。

 

剣をかちならす、人ではない大群を。

 

「……囲まれたかな」

 

マスターの言葉に、マシュは悔しそうに歯噛みした。

 

……二人を囲む骸骨兵。

 

段々と包囲を狭めてくる。

 

応援は間に合いそうにない。

 

でもどうか、先輩だけでも……!

 

そう必死になって、マシュは突破口を模索する。

 

「……大丈夫だよ」

 

――けれど。

 

けれど彼は、穏やかな笑みを浮かべる。

 

いつものように、柔らかな笑顔でマシュに語りかける。

 

「――ちょうどよかった。いい加減呼ばないと殺されそうだしね」

 

――彼の言っていることが、わからない。

 

首を傾げるマシュ。

 

すると、マスターは右手の平を頭上にあげた。

 

同時に、迫り来る骸骨たちも駆ける。

 

刃をかざして、二人の首を狩ろうと走る。

 

絶対的な死のカウントダウン――だけど、びっくりするほど怖くない。

 

手の甲に刻まれた赤の一画が輝く。

 

鮮血の証を溶かして、少年は告げる。

 

マスターとして、サーヴァントに。

 

……君の名を、唄った。

 

「――おいで。ジャンヌ」

 

――瞬間、世界は炎で包まれる。

 

赤く赤く、染まる世界。

 

何もかもを焦がす煉獄で、マシュとマスターの二人だけが唯一の例外。

 

……灰となって崩れ行く骸骨たちの群れ。

 

その紅の中に、一人の黒い影が揺れる。

 

――漆黒の甲冑、真黒のスカート。

 

右手に剣を、左手には竜の御旗。

 

……白金の髪を揺らし、歩み寄ってくる少女。

 

その姿に、マシュは息を呑む。

 

その気配に、マスターは微笑む。

 

「……おかえり。ジャンヌ」

 

まるで、何事もない日常の一コマみたいな声音で。

 

マスターは気さくにそう言った。

 

――ジャンヌ・オルタは、マシュに肩を担がれ、やっとの姿で立っている少年を静かに見下ろす。

 

しばらくしたあと――ごちんと、その黒い頭を殴った。

 

ぐーで。

 

「……痛いです」

 

「痛いです、じゃないわよ!貴方ねぇ、いったいどんだけ待たせれば済むのよ!?三日よ三日!いくらなんでも遅すぎでしょうが!?」

 

「だってさぁ。令呪使って呼べるのはわかってたけどダ・ヴィンチちゃんに止められててさ。今令呪を使えば君の体が持たないって。呼びたくても呼べなかったんだよ」

 

痛む頭部をさすりながらそう弁明するマスター。

 

しかしジャンヌはうっさい!とその言い分を一蹴した。

 

「とにもかくにもよ、貴方たちの対応が遅過ぎたせいでカルデアの座標もバレてる。まぁ幸いバレた相手がただの雑魚だったから良かったけど、いかんせん数が多いわ。さっさと駆除するわよ」

 

「やっぱりあのときと同じ敵か……君が倒しきってくれてたら、こんなことにもならなかったんじゃないかなぁ?」

 

「次耳障りなこと言ったらその舌引き抜くわよ」

 

びし!と中指を立てるジャンヌ。

 

見えてはいないがその気配を感じ取ったマスターは「くわばらくわばら」と唱えた。

 

「……しょうがない。マシュ、君はダ・ヴィンチちゃんのところに行って状況報告を頼む。オレとジャンヌはここに残った奴を処理しとくから」

 

「え、いえでもそれは……」

 

あまりに危険なのでは、とマシュが言いかけて、それを言い終わる前に「安心なさい」とジャンヌがマスターの首もとをつかんで寄り添ってたマシュから引き剥がした。

 

「これ一人ぐらいだったらちゃんと守れるわ。それより今は状況把握が先決。あっちも混乱してるだろうし、さっさと行きなさい」

 

少し躊躇う素振りを見せたマシュだったが、やがてこくりと頷き「先輩をよろしくお願いします」と言って駆けていった。

 

その後ろ姿がドアの向こうへと消える。

 

それを確認してから「……行ったわよ」と彼女は告げた。

 

――途端、背後から重みを感じる。

 

ジャンヌの背中にもたれ掛かったマスターは、額に大粒の汗を浮かべながら荒い呼吸を繰り返す。

 

「……空元気も大概にしなさいよ」

 

向き直り、抱きかかえてやりながら、ジャンヌはそう言った。

 

ははは、と腕の中から渇いた笑いが響く。

 

「……案外平気、だと思ったんだけどなぁ。結構、堪えたみたいだ」

 

「……目、結局ダメだったのね」

 

こくり、と彼は頷いた。

 

……ああ。

 

これは予想以上、と少女は空を見上げた。

 

その事実を認識しただけで。

 

……どうしようもなく、腹立たしい。

 

「……でもまぁ。どちらかと言えば、君がいなかった方が辛かったかな」

 

「冗談もほどほどにしなさいよ」

 

苛烈さを感じるジャンヌの声。

 

けれどマスターは本当だよ、と苦笑する。

 

……君がいないこの三日間が、本当に辛かった。

 

探したいのに、この目を動かない。

 

手を伝い、耳で聞き、香りを辿れど、感じられなかった。

 

……君の存在が感じられないことの、さびしさに死にそうになった。

 

そして、なによりも。

 

帰ってくるって、信じてたけど。

 

その時、あの笑顔が見れないという事実が。

 

……果てしなく、悔しかった。

 

――からんからんと、響き渡る。

 

残っていた兵隊が動き出す。

 

もっと、彼女がここにいるって感覚に浸ってたいのに。

 

周りはこんなにも、二人を急かしてくる。

 

「……どこにも行かないわよ」

 

……ぎゅっと、手を握りしめてくれる温もりがあった。

 

さきほどの苛烈さから、うってかわって優しい囁き。

 

――柔く暖かい手が、握りしめてくれた。

 

「……離さないから。貴方の感覚がなくなって、私の存在を何一つ感じられなくなっても――絶対に、傍にいるから……だから、安心なさい」

 

……精一杯の、言葉。

 

どんな契約よりも、安心できる。

 

そんな約束を、無償でしてくれる君。

 

――好きなんて、言葉じゃ、足りない。

 

「……うん」

 

力強く、頷いた。

 

それしか、声が震えてできなかったけど。

 

それぐらいは、はっきり伝えたかったから。

 

「……よし!ならさっさと片付けるわよ!でも手を引いてる最中に死なないでよね。鬱憤たまってるから、かなり激しいわよ、私」

 

「……お手柔らかに」

 

どうしようかしらね、といたずらっぽい声。

 

……ちくしょう、やっぱり悔しい。

 

きっと今目を開けたら、最高に可愛い笑顔が待っているだろうに。

 

――ジャンヌは駆け出す。

 

剣を握り、マスターの手を握り返して。

 

強く繋がれた手は、どうあっても離してくれない。

 

そんな強引な優しさが、愛しさに溢れてる。

 

……君のいない世界。

 

それは本当にさびしかったけど。

 

――もう、そんな世界に会うことはないでしょう。

 

指先から伝わる確かな熱に、少年は微笑みながら。

 

少女は、久方ぶりの握手に笑いながら。

 

――赤く揺れる焔の中で、躍り合うのでした。

 

 



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ぐだぐだ料理教室 前編

――ほかほかと、白い湯気を立てるソレ。

 

黒塗りのお椀にとくとくと注がれているのは、薄茶色の液体。

 

白い豆腐の塊が二、三個と、香りづけの葱が少々。

 

薄桃色の唇をつけて、こくりと飲んでみれば、絶妙な熱さと風味が喉を伝ってゆく。

 

「……やっぱり美味しいわね、これ」

 

唸るような声で、ジャンヌは自らの両手に収まったモノ――その味噌汁の味を評価した。

 

するとその感想を耳にしたマスターは「それは何よりで」と微笑みながら台所より戻ってくる。

 

「素直にほめてもらえるのは嬉しいよ。特に君の場合、作り甲斐のある反応が見れる」

 

「……それって、想っていることが顔に出やすいって嫌味?」

 

「さぁ、どうだろうね?」

 

くすりと、マスターはいたずらっぽく片目を瞑る。

 

むすーと不服そうな顔をするジャンヌ。

 

ふんと鼻を鳴らして、かつかつとやや粗い仕草で白米をかきこみ始める。

 

……彼女のなりの意趣返しのつもりなのだろうが、そもそもやめずに食べ切ろうとしてくれる辺りが、本当に愛らしい。

 

「じゃあオレは先に出るよ。今夜はくるつもりはないけど、冷蔵庫に作り置きがあるからよかったら食べてね」

 

「……余計なお世話よ。ごはんぐらい自分で作れるわ」

 

「そうは言うけど君、めんどくさがってほとんど食べないじゃないか。それかポテチとかお菓子にいくじゃない。だめだよそういうのは」

 

窘めるように少年は言った。

 

対してジャンヌは「何がダメだっていうのよ……」と煩わしそうにため息をつく。

 

……そもそも、サーヴァントに一日三食なんて必要ないじゃない。

 

むしろ、こういうのは――。

 

「じゃ、オレ行くから。ちゃんと食べるんだよ」

 

再度念を押して、部屋を出ようとする彼。

 

しかし、出る直前に「――マスター」と呼び止める声がする。

 

振り返ると、変わらず見えるのは椅子に座ったままの少女の後ろ姿。

 

でも、しばらくたって、聞き逃してしまいそうなほど小さな声を、彼は耳にする。

 

「――ごちそうさま。あと……いってらっしゃい」

 

――それは、彼女なりの最大限のエール。

 

思わず、頬が緩んでしまう。

 

「――うん!行ってきます!」

 

顔なんて見なくてもわかるぐらい、快活な声を響かせて、マスターは少女の部屋を出て行った。

 

――瞬間、へなへなと机に突っ伏す彼女。

 

「……朝から声でかいのよ、バカ」

 

……あの真っすぐさ加減は、もはや毒である。

 

白い頬に熱を灯しながら、ジャンヌはそう愚痴を零した。

 

■ ■ ■

 

「……実際のところなんだけど。彼氏の方が料理が上手いってどう思う?」

 

――開口一番のジャンヌの発言。

 

それを聞いた瞬間、彼女と共にティータイムを過ごしていた二人のサーヴァントはぶほっ!と露骨に音を立てて吹き出す。

 

アンデルセンは読んでいた本に顔を埋めてくつくつと笑いを堪えている。

 

しかしもう一人の客人に比べたらまだマシな方。

 

鈴鹿御前は、机に前のめりに突っ伏しながら「彼氏……彼氏だって……」と繰り返し机を叩いていた。

 

……まぁ、大方予想していた通りの反応だが、それでも苛立ちはしたのでぶっきらぼうに「笑うな」とだけ言い放つ。

 

「いやいやいや。笑うなって言われても……やばい、マジウケる……」

 

「……まぁ、無理があるな」

 

一向ににやにやが止まらない二人。

 

……相談相手を間違えたわね。

 

その空気にしびれを切らして「……もういいわ」と言ってジャンヌは立ち去ろうとする。

 

そこまでしてやっと「待って待って待って!」と鈴鹿御前が止めに入った。

 

「ちゃんと真剣に話聞くから!だからもっかい!もっかいお願い!」

 

……若干ふざけが残っているようにも聞こえるが、振り払うほうが手間をとりそうだと悟った彼女はしぶしぶと席に戻る。

 

ティーカップに残っていた紅茶に口を付け、一度喉を潤したあと、再度ジャンヌは先ほどの問いかけをする。

 

「……で、実際のとこどう思う?」

 

すると鈴鹿御前は首を捻りながらも「別にいいんじゃないかな」と答える。

 

「できないからって問題はないけど、逆に言えばできても問題はないわけじゃん。てゆうか、むしろ彼氏が作ってくれたものが美味しいなんて最高じゃん。気にするほど要因とかないと思うけど?」

 

「……まぁ、それが一般回答よね――そっちの作家はどう思う?男として?」

 

しかし先ほどの笑いから持ち直したアンデルセンはその質問に「知るか」とそっけなく答える。

 

「朝目が覚めたら飯が用意されてるだけ御の字だと思うが?何せ俺には作ってもらえる人間がいないのでな」

 

「夢も希望もない答えね、貴方……」

 

「あれ、でもキアラっちいるじゃん。作ってもらえないの?」

 

「アレに俺の部屋の床を踏ませてたまるか」

 

そう童話作家は即答する。

 

相変わらず、あのアルターエゴもどきへの警戒心は全開である。

 

ある意味賢明、と内心同意する二人。

 

……しかし、思った通りの返答しかないのはいろいろと落ち込む。

 

悩ましげにため息をつく黒の聖女。

 

「そんな悩む必要なくない?確かに女子力的にへこむのはわかるけどさ。それでもいいことだと思うよ、私は」

 

とりなす鈴鹿御前。

 

しかしジャンヌは首を振る。

 

「……でもそれじゃあ――って…やれないじゃない」

 

「え?ごめん聞こえなかった?」

 

耳を少女の口元まで近づける鈴鹿。

 

俯き頬を赤らめるジャンヌだったが……もう一度だけ、小さな声でつぶやいた。

 

「……私がごはん、作ってやれないじゃない」

 

……サーヴァントは、基本食事はいらない。

 

娯楽で食べる程度。

 

中にはそれを生きがいみたいにしてる王様もいるけど、それでも余分なことには変わりない。

 

……そんな余分なことに、マスターは全力を尽くしてくる。

 

毎日毎日出撃だの報告だの忙しいだろうに、朝は必ず私より早く起きて、朝食の支度をする。

 

私が好きだと言ったものを律儀に覚えて、嫌いだといったものを克服するために私以上に悩んでる。

 

朝の時間、二人でいられる数分を、穏やかに過ごすたためだけに。

 

――ああ、そんなことされたら。

 

……私だって、お返しがしたくなるじゃないか。

 

嬉しくないわけがないんだ。

 

だからその分、貴方にも笑ってほしい。

 

でも、それで彼よりクオリティの低いものを出すのは嫌だし、恥ずかしい。

 

食べさせるならもちろん、美味しいと驚く顔が見たい。

 

――だからジャンヌも、苦悩していた。

 

柄にもなく、他人に相談するぐらいに。

 

……想いは、本物であった。

 

――二人の沈黙が長い。

 

少し不安になってちらりと、ジャンヌは横目で見る。

 

そんなにも、おかしい話をしてしまったのかと。

 

けれど、実その心配は杞憂だった。

 

とゆうか、むしろ逆。

 

――ジャンヌの向けた視線の先には、獣耳をぱたぱたと震わせ、ぶんぶんと元気よく尻尾を揺らし、無垢な瞳をキラキラと輝かせる少女の姿が見えた。

 

……どうやらJK的に、ドストライクな甘さだったらしい。

 

まずった、と思ったがもう遅い。

 

「よおおしっ!ジャンちゃんの悩みはよーくわかったよ!なら私、全力で協力しちゃうもんね!まーじ上がるー!」

 

「抱きつくな!あと、その呼び方やめなさいよほんと!」

 

乙女ゲージマックスの鈴鹿に頭をわしゃわしゃと撫でられて顔を真っ赤にするジャンヌ・オルタ。

 

隣にいるアンデルセンは「騒がしい奴らだ……」とため息をついていた。

 

「……それでだ。手伝うも何も具体的には何をするんだお前は?」

 

「それはこれから考える?的な感じ?みたいな?」

 

「私に訊くな」

 

ぎぎぎと力込めて全力で鈴鹿を引き離しながらジャンヌは言った。

 

「まぁ具体的な話するならジャンちゃんに私のレシピ教えるぐらいかなー。あ、肉じゃがとかできるのよ私」

 

「それぐらいなら私もできるわよ。まぁ手っ取り早く料理教室でもあればねぇ……」

 

「あるぞ、料理教室」

 

え、と二人はぽかんと口を開く。

 

そう言ったのは、他でもない青髪の少年。

 

もう一度、彼は「だからあると言っている」と語った。

 

「……一か月ぐらい前から確かあの赤い弓兵が開いていたはずだ。なんでも熱心に教授を願いたいと申し出るものが多くてな。ちょうど、明日がその日だと思うぞ。場所は食堂だ」

 

「……あの褐色、いつのまにかそんなことしてたのね。まぁ行かないけど」

 

「行かないの?」

 

「当然でしょ。アレに頭下げるなんて死んでもご――」

 

「ちなみに、明日はスイーツ作りの日らしい」

 

「暇だから顔ぐらいは出してみようかしら」

 

「変わり身はやいなー」

 

いつものことだ、とアンデルセンは紅茶を飲む。

 

……そこまできて少年はふと、ある一つの疑問に気づく。

 

「おい、そこのまっくろくろすけ。一つ確認させろ」

 

「人をカビみたいな名前で呼ぶんじゃないわよ!」

 

カッと目を三角に尖らせるジャンヌ。

 

しかし彼はそんな彼女の反応を無視して、質問をする。

 

「……先ほどお前はマスターの方が飯が上手いと言っていたな?」

 

そうよ、とジャンヌは頷く。

 

「加えて、それが朝飯も含めてなんだろ?」

 

「回りくどいわね。何が言いたいのよ?」

 

そうか、と首肯した彼は最後に一口喉に流した後、指を絡み合わせて、問いかける。

 

――おそろしく、淡々とした声で。

 

 

 

「――そもそも、なぜマスターが朝からお前の部屋にいるんだ?」

 

 

 

――ものすごく、長い沈黙が続いた。

 

ジャンヌの表情に変化はない。

 

すぅっと金色の瞳は、少年を見つめ返す。

 

――くるりと、身体を反転させ、背を向ける。

 

そして――脱兎の如く駆けだした。

 

「ジャンちゃんジャンちゃーん!今のどういう意味ー?もしかして昨晩はお楽しみ、的か何かだったりー?」

 

「うっさい!ついて来るじゃないわよ!あと、覚悟してなさいよマセガキ!!」

 

――顔を真っ赤に染めながら走っていくジャンヌと、それを尻尾を左右に大きく振りながら追いかける鈴鹿。

 

「……理不尽なことだ」

 

そうぼやきながらも、アンデルセンは読書に戻るのであった。

 

 

■ ■ ■

 

 

そして翌日のこと。

 

「……結局ついて来るのね、アンタ」

 

「暇だったしねー。それにJK力は日々磨いてかないと錆びちゃうから」

 

「JK力って何よ……」

 

額に手を当ててため息をつくジャンヌ。

 

……まぁ、こういうのは一人で行くのもなんか気が引けるし、連れがいる方が楽なのは事実なんだけど。

 

「てか今日も朝ごはんマスターくんに作ってもらったの?いいなー」

 

「お生憎様。アイツは今日は朝から用事あるとかで昨日は泊まってないわ」

 

「ほうほう。つまりご無沙汰であると?」

 

「次変なこと言ったら本気で吠え立てるわよ……」

 

じゃきりと剣をかざすジャンヌに、きゃーとふざけ半分に両手を上げて逃げていく鈴鹿御前。

 

――そうこうしているうちに、食堂への入り口が見えてくる。

 

がやがやと人の声も響いてきていた。

 

「結構人いるのかもねー」

 

「そうね、面倒くさそう。帰りたくなってきたわ私」

 

「ここまで来たんだからそれはナシナシ!ほら行くよ」

 

「わかったから背中押さないでよ!」

 

ぐいぐいと彼女の背を押してくる鈴鹿。

 

当然、先に食堂に入ったのはジャンヌ。

 

だから、鈴鹿より先にソレを見るのも当たり前のこと。

 

――絶句する。

 

黒い髪と、蒼い瞳。

 

いつもの白い上着と黒ズボン。

 

その上から、より黒いエプロンを羽織る少年の姿。

 

その来訪は、彼にとっても意外だったのだろう。

 

目を大きく見開いて、少年――マスターは少女を見下ろす。

 

「――ジャンヌ。こんなところでどうしたの?」

 

「……貴方こそ、どうして?」

 

そう問いかけると彼は「あーっと、それはですねぇ……」と頬を掻く。

 

が、少し照れくさそうに笑いながらも、彼はその理由を告げる。

 

「実は、ちょっとエミヤさんに頼まれてね――今日だけ臨時で、ここの講師を務めることになりました」

 

にっこりと、微笑む彼。

 

……同時に、へなへなと崩れ落ちるは幾たびの焔を超えた竜の魔女。

 

トンカチで殴らたみたいな衝撃が脳髄に走る。

 

気を失わなかった自分を、褒めてやりたいぐらいだ。

 

「……どんまい。ジャンちゃん」

 

ぽんと、鈴鹿は崩れ落ちたジャンヌの肩を叩いた。

 

かろうじて、「……うっさい」という声だけが出る。

 

――いや本当に。

 

なんで、こうなるのよ……。

 

そんな少女の胸の内など知らず、変わらずにこにこと能天気な彼に、ますます腹が立つ。

 

――かくして。

 

貴方と私の、料理教室が始まりました。

 



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ぐだぐだ料理教室 中編

追記 ご指摘がありましたので、少し内容を補足させて頂きました。
ご助言、ありがとうございます。


――きゅっと、布の擦れる音。

 

しっかりときつくリボンを結んだあと、彼女は鏡の前で今現在の自らの姿を確認する。

 

「……似合わないわねぇ」

 

いつも着ている衣装とはまるで対照的。

 

黒とは正反対の純色。

 

汚れのない、真っ白なエプロンを纏う己が姿に、ジャンヌは苦笑する。

 

「いや、そうでもないよ。似合ってる似合ってる」

 

そう背後で笑うのは、彼女と同じエプロンを身に付けているマスター。

 

しかしお世辞は結構よ、とジャンヌは軽くあしらう。

 

「私に白なんて似合うわけないじゃない。てゆうか、こんな色着ること事態吐き気がするし。もう絶対に着ないわよ」

 

「そんな大袈裟な……でもまぁ、気に入らないなら仕方ない。とりあえず一枚はもらうよ」

 

ぱしゃり、と一瞬の光と共にシャッター音。

 

ぎょっとして振り返ると、携帯のカメラをこちらに向けて立つ少年の姿が目に入る。

 

「ちょっ、貴方勝手に撮らないでよ!寄越しなさい!」

 

「だーめ」

 

「だーめじゃないっ!!」

 

慌てて奪い取ろうとするがひらりとマスターは慣れた動作で回避する。

 

顔を真っ赤にして手を伸ばすジャンヌ。

 

それを優しげな笑みでかわし続けるマスター。

 

端から見たらほほえましい限りである。

 

「……とゆうか、正直意外だったよ。君が料理教室に来るなんて。どんな心境の変化だい?」

 

「それはこっちの台詞よ。貴方こそ、最近やたら朝食を作ると思ったら、こうゆうカラクリだったわけね」

 

――マスターの料理が上達した理由。

 

それはこの料理教室に通い、あの赤い弓兵直伝の調理スキルを会得したためだ。

 

よく一人で出掛けるとは思っていたが、まさか隠れてこんなことをしているとは。

 

しかし、現在はその事実よりも気になる事柄がある。

 

「……どうして貴方が講師なんてしてるのよ?エミヤはどうしたの?」

 

「いやそれが話すと長くなりまして……かいつまんで説明すると、本日限りの代理です」

 

頬をかきながら少し恥ずかしそうに笑うマスター。

 

――ことの顛末は、エミヤの病欠から始まった。

 

その時点で、「はぁ?」とジャンヌは怪訝な顔する。

 

……英霊ともあろう存在に対して、病欠などという単語は、あまりに違和感がある。

 

「……この料理教室、実はかなり人数が参加しててね。オレが入った時はリップとかメルトたちがいたし……で、つい先日の話、また新しく参加した人が二人いてね。エミヤさんも熱心に教えてたんだけど……その二人の作品を試食さた途端、霊基を損傷するほどのダメージを負ってしまいました」

 

「……一つ訊くわよ、マスター」

 

「どうぞ?」

 

「――その二人、全体的に赤くない?」

 

「うん。ついでに料理も真っ赤だった」

 

そう、とだけ言ってジャンヌは頷いた

 

……事情は理解した、同時に納得もした。

 

あのドラクル娘と暴君のお手製を食べたのだとしたら、霊基の損傷も合点がいく。

 

 

ノリのよい二人だ。

 

同じ場にいたのだとしたら、その傍若無人っぷりにさらに拍車がかかったのも想像できる。

 

むしろ、よく座に還らなかったものだと感心したぐらいだ。

 

「……まぁ、そうゆう経緯があってエミヤさんは一旦休憩。その際に代役を頼まれたので、今に至るというわけです」

 

「代役って、貴方ねぇ……」

 

「大丈夫。これでも人に教えられるぐらいには上手になったんだよ」

 

そうじゃないわよ、とジャンヌはため息をついた。

 

……相変わらず、しなくてもいいことをするのが好きな《魔術師らしくない》マスターである。

 

「……で、その赤組二人は今日も来てるわけでしょ?貴方どうするの?」

 

 

「まぁやれることはやるよ……それに、君の前でかっこわるい姿は見せたくないしね」

 

そう言って片目をつむる彼。

 

……ほんと、こうゆうのが嫌だ。

 

あっそう、と淡泊に答えたジャンヌだが、その頬にはほんのりと紅色が差していた。

 

すると、背後から「二人ともおっ待たせー!」と快活な声が響く。

 

同じく着替えに言っていた鈴鹿の声だ。

 

まったく、エプロンを着るだけだというのに時間をかけすぎである。

 

遅いわよ、とジャンヌは振り返り――そして絶句した。

 

確かに、鈴鹿はエプロンを着けて帰ってきた。

 

……エプロンだけは、である。

 

白い布地の下から除くものは彼女の肌そのもの。

 

少女の豊満な肢体の輪郭がくっきりとあらわれ、艶かしい、というより眩しい。

 

「どうどう?こうゆうのってマスターくん喜ぶっしょ?」

 

――俗に言う裸エプロン姿の鈴鹿は、そう体をくねらせてくる。

 

対してジャンヌの顔は火を吹いたように赤くなった。

 

「ば、バッカじゃないのっ!?さ、さっさと服着なさい!」

 

「えージャンちゃん連れないなーでもでも、マスターくんはどうかな?」

 

ぱちり、とウィンクする鈴鹿御前。

 

見るな、とジャンヌはマスターを叱咤しようとする。

 

……が、それよりも先に。

 

ばふりと、鈴鹿の両肩に触れるものがある。

 

それは黒い法衣。

 

元来ならマスター魔術礼装として纏っているものだ。

 

「……うん。オレもジャンヌと同意見。ちゃんと着てこなきゃ駄目だよ」

 

にっこりと、人の良さそうな笑みを浮かべて。

 

彼はすたすたと歩いていってしまった。

 

……ぽかんと、取り残された二人。

 

しばらくして、「……おっどろき」と鈴鹿の呟きが漏れる。

 

「――まさか、あそこまでスルーされるとは。ちょっと、女として自信なくしたかも」

 

「……気にしなくていいわよ。貴方が思ってるほど真剣に考えてないから、アレ」

 

ジャンヌはそう付け足した。

 

……そう。

 

彼は、興味があるものとそうでないものとの差が激しい。

 

年相応の恥じらいを見せるわけでもなく、ただ単に流してゆける。

 

確かに、人理救済なんてものをこなしたともなればそんなものかと言えるかもしれない。

 

いささか、最近はいきすぎている気がするが。

 

それに何よりだ。

 

……傍にいる人間ほど、そのあっさりとした態度は答えるものがある。

 

貴方にとって何が良いのか悪いのか。

 

貴方に興味を失われたら、どうすればいいのか。

 

そんな不安にかられるのだ。

 

――まったく。

 

「……身勝手なのは、変わらないわね」

 

そう囁くジャンヌ。

 

……このときばかりは、確かにその通りだと、鈴鹿も首肯するのだった。

 

■ ■ ■

 

「――それでは。ますたぁとの料理教室、はじまりはじまりです」

 

「……その前に質問してもいい?」

 

はい、と少女は頷く。

 

にこにこと、無邪気な笑みに若干推されたが、それでもマスターは勇気を振り絞って向き直る。

 

そして、尋ねた。

 

「……なんで君しかいないの?清姫」

 

薄緑色の着物を揺らしながら佇む少女――清姫に、彼は問いかける。

 

すると彼女はなんら変わらぬ笑顔のまま「病欠です」と答えた。

 

「皆様、全身に大火傷を負ってしまって。今はわたくしだけになってしまいました」

 

「……嫉妬もここまでくると清々しいわね」

 

げんなりとしたジャンヌの声。

 

あら、と清姫はマスターの影から除く黒い者に、今気づきましたわ、といった反応をする。

 

「いらしたんですねジャンヌさん。珍しい……ものぐさで面倒くさがりで怠惰な貴方には、本当に珍しい」

 

「相変わらず敵意ばりばりだこと。そんなに分かりやすいんじゃ、嫌味にもなりやしないわよ」

 

「まさか。嫌味など申しておりません。ただ事実を述べているだけですから」

 

……ばちばちと交じり合う目線が火花を立てる。

 

険悪な二人のムードに、鈴鹿は苦笑する。

 

「話には聞いてたけどすごいねぇあの二人。確かに、あれは混ぜちゃダメかも」

 

「の割りには実は相性抜群だったりするんだけどね。とゆうか、このメンバーならオレが教える必要性ないかもしれない……でもまぁ、用意はしときますか。鈴鹿も手伝ってくれる?」

 

はいはーいとマスターのあとについていく鈴鹿御前。

 

わたくしも、と清姫も追いかけようとする。

 

その背中に、待ってとジャンヌは声をかける。

 

なんですか、と彼女は振り返る。

 

「……一応お礼言っておくわ。貴方が赤組たちを退場させてくれたおかげで、アイツの胃が守られたわけだし」

 

「……ああ。そんなことですか。別にお礼を言われることはありませんーー恐らく、無駄なことでしたから」

 

え、とジャンヌは顔を上げる。

 

しかし清姫はそれ以上は何も言わず、からんからんと音を鳴らして駆けてゆく。

 

ーー無駄なことでしたから。

 

何故、そんなことを彼女は口にしたのだろう。

 

分からない、けれど一瞬見えたのは。

 

……憂いに満ちた、その眼差し。

 

――疑念は残ったままではあるが、また予定よりずっと少ない人数ではあるが。

 

ぐだぐだ料理教室、ここに開幕である。

 

 



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ぐだぐだ料理教室 後編

「――それでは、今日はミネストローネを作っていきたいと思いまーす」

 

「はい!承知いたしましたわますたぁ!」

 

「かしこまりっ!」

 

「……は?ちょっと待ちなさい。ミネストローネなんて聞いてないわよ。スイーツって話だったでしょ?」

 

意気揚々と手を上げる三人に対し、ジャンヌはそう言った。

 

するとマスターは「その件についてですが……」と彼女に向き直る。

 

それからにこっと、お日様のような笑顔を向けるのだ。

 

「――オレの調理スキルじゃあ無理」

 

「……帰る」

 

エプロンを脱ぎ捨てて、背を向ける少女。

 

鈴鹿が抱きついて止めるが、逆に引きずられて遠ざかっていく。

 

しかし、その背中をくすりと、緑髪の乙女が笑う。

 

「――たかだか料理の品が変わるというだけで帰ってしまうなんて、狭量な方。ですがわたくしはそれで一向に構いませんわ。ますたぁと二人っきりだなんて、とても幸せですから。ますたぁもそう思うでしょう?ジャンヌさんがいない方が都合がいいと、ね?」

 

「……さぁ。どうだろうね」

 

清姫の問いかけに、マスターあいまいな回答を返す。

 

――瞬間、ぴたりと、聖女の行進も止まる。

 

彼女は振り返り、少年を見る。

 

マスターはこれといった反応は見せず、淡々と調理器具を準備していた。

 

普通の……普通すぎるほどの、仕草。

 

じっと、しばしその様子を見つめていたが、ふぅと息を吐いたあと「……気が変わったわ」と再び白衣を纏いなおす。

 

「ふぅ。よかったよかった。ここまで来て帰るとか、マジ勘弁だったし。がんばろうねジャンちゃん!」

 

「だからその呼び方やめろって言ってるでしょうが……それに、今はもうそんなことどうだっていいわ」

 

え、と鈴鹿はジャンヌの顔を見直す。

 

少女はそれ以上口を開かなかった。

 

黄金色の瞳。

 

その眼差しは、彼の姿を追い続けているだけだった。

 

 

 

 

■ ■ ■

 

――ミネストローネといえば、イタリアでは有名な田舎料理である。

 

トマトスープを主にし、細切れにした野菜やベーコンなどを一緒に煮込んで完成。

 

日本でいえば、みそ汁のようなものだ。

 

……さらにいえば、今ここにいるメンバーが作るには、いまさら過ぎるほど簡単なメニューである。

 

まぁ、それをチョイスした理由はおおむね見当がついている。

 

恐らく、例の二人組対策であろう。

 

下手に自由メニューにすれば、競い合ったエリザベートとネロが隠し味だの芸術性だの工夫を凝らしてケイオス状の何かが出来上がるのは目に見えてる。

 

ゆえに簡単かつボリュームあるこれならば、二人も大人しく作るであろうとマスターは考えたのだ。

 

色も赤いし。

 

「……でもあのトカゲは隙あらばタコとか入れそうですね」

 

「そうね。あの子何故かタコには謎の執念抱いてるし」

 

互いに割り振られた野菜を細かく刻みながら、清姫とジャンヌはそんな会話をする。

 

ちらりと、ジャンヌは視線を逸らす。

 

少し離れた場所で、二人がたまねぎを炒めているのが見える。

 

マスターがヘラを動かすのを、鈴鹿は尾をゆさゆさとふり、わくわくとした様子で見守る。

 

イタリア料理なんてものに縁がなかったのだろうか。

 

好奇心溢れる彼女の眼差しに、「……のんきでいいわね」と言葉を漏らす。

 

とゆうか、もし私を応援する気があるんだったら、まずそこに私を立たせるべきじゃないのかしら?

 

完全に忘れてるわね、と半ば呆れ気味にため息を吐く彼女だった。

 

「ええ。ついでに言えば、貴方も呑気で大変よろしいことで」

 

――対して、こちらはギスギスしているどころの騒ぎじゃない。

 

会話こそあるが、殺気にも似たとげとげしい空気が充満している。

 

ここでとり繕うような気づかいがあれば、もしかしたら話は変わったかもしれない。

 

だがそんなもの、ジャンヌの辞書にはなかった。

 

向けられた敵意と同等の、鋭い視線を黒の聖女は返す。

 

「……ほんと、面倒くさいやつね。回りくどいのよ。言いたいことがあるならさっさと言いなさい」

 

「特に何も。貴方こそ、さっさとおかえりになられたら如何ですか?」

 

「自分から焚きつけておいてよく言う」

 

「焚きつけてなどおりません。事実を言ったまでです」

 

「アレが私と居たくないなんて言うわけないでしょうが。どれだけいっしょにいると思ってるのよ?」

 

「まぁ、なんてずうずうしい……けれどその言葉に嘘をまったく感じられないことが、なおのこと恨めしい」

 

「それはご愁傷様でした……でも、さっき確かに、アイツは言葉を濁した。嘘を許さない貴方の目の前で言葉を濁すってことは、イコールNOってことでしょ――アイツが私と居たくないって言うとしたら、それは決まって私に見られたくないものがあるってことなのよね、経験上……それを私に見ろってこと?」

 

しかし、清姫は「さぁどうでしょう?」とこの上なく白々しい答えを返すだけ。

 

……声音は変わらず至って穏やか。

 

しかし、まな板に打ち付けられる包丁の音が一際高く鳴り続ける。

 

……本当に陰険ね、この蛇。

 

「お互い様ですわ」

 

――こちらの心の内を読んだかのような言葉に、びくりとジャンヌの肩が震える。

 

「……いえ。私から見ればなおひどい。何も考えず、ただ今を享受してるだけの貴方になんて、何も言うことはありません――私が一番言いたい人は、貴方なんかじゃありません」

 

「……どういう意味よ」

 

容量を得ない清姫の言葉。

 

しかし、その声音からそれがただの八つ当たりなんかじゃないことは嫌でもわかる。

 

なのに、それ以上の返答はない。

 

続く沈黙にしびれをきらしたジャンヌが、詰め寄ろうとする。

 

――その時、きゃぁと、甲高い声が上がる。

 

「ちょ、マスター!それダメだって!?てか血っ!血が出てるよ!?」

 

ぎょっとして、顔を上げる双方。

 

視界に入ったのは、包丁を片手に持ち、もう片方の手を見つめている少年の姿。

 

――見つめているその指先から、どくどくと濃い赤が流れ落ちていた。

 

「ちょっと!貴方何やってるのよ!?」

 

慌てて駆け寄るジャンヌ。

 

彼はあはは、と恥ずかしそうに笑う。

 

「いやぁちょっと失敗しちゃったな。でも大丈夫だよ。気にしないで」

 

「気にしないでって、かなり深いよ。医務室とか行かなくていいの?」

 

わたわたと心配そうに見る鈴鹿に大丈夫と再度言い聞かせるマスター。

 

……その姿に一瞬、ほんの一瞬だけ、ジャンヌは違和感を覚える。

 

理由はわからない。

 

ただ、何かが変だと、彼女は思う。

 

「――ますたぁ」

 

――しんと、静かな一声。

 

優しく、諭すような、その声。

 

振り返ると、清姫がゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。

 

こんな時、いの一番に走り寄ってきそうなのに。

 

緩慢な動作で、下駄を鳴らす。

 

それからにこりと、彼女は笑う。

 

涼やかで、清々しい笑顔。

 

……なのに、その微笑みは何故だか――怒っているようにも見えた。

 

「――痛くは、ございませんか?」

 

そう、彼女は尋ねる。

 

何の深みもない、ただ一言。

 

イエスかノーの、単純な質問。

 

その問い掛けに、マスターは少し目を見開く。

 

一瞬で済むはずだったやりとり。

 

けれど、彼は少しためらう素振りを見せる。

 

……だが、変わらず笑みを向けてくる少女の意図を察し、はぁあと観念したように物憂げなため息をついた。

 

それから、少年も微笑み返す。

 

――ぎこちなく、少々恨みがましい声で。

 

「……うん。痛くないよ」

 

――そう、貴方は語る。

 

ただそれだけ、貴方は頷く。

 

――それだけで、私は気づいてしまった。

 

「――なんて、バカ」

 

奥歯を噛みしめて、漏れ出た声がある。

 

誰でもない、自分に向けた言葉。

 

――気づけば、少女は少年の腕をがしりとつかんで。

 

その手を引いて、走り出していた。

 

「え、ジャンちゃん!?いきなりどしたの!?」

 

鈴鹿の声など気にも留めず、走り去ってゆく二人。

 

ぽかんと、取り残された鈴鹿だったが「おそらく医務室ですよ」の一言で正気に返る。

 

「え、うん……でも、今めっちゃ怖い顔してた気がするんだけど、ジャンちゃん」

 

「さぁどうでしょうね。でも気にされずにいて結構だと思いますよ。それよりも調理の続きをしてしまいましょう。鈴鹿さん、そちらの箪笥の二段目に胡椒がありますからとっていただけますか?」

 

「あ、かしこまり。てか、きよひー詳しいね、ここに」

 

「ええ。わたくしもますたぁといっしょに通ってましたから、料理教室」

 

「そうなの!?」

 

通ってただけですよ、と再度清姫は言った。

 

――そう、通っていただけだ。

 

あの人が来る日を狙って、あの人と同じ班になれるように細工して、いっしょに料理をしてただけ。

 

だって、それぐらししかなかったから。

 

あの人は寄り道をしない。

 

いつも真っすぐ、ミッションが終わったらすぐに帰ってしまう。

 

あの不愛想な、魔女の元に、嬉しそうに踵を鳴らして走ってゆく。

 

その人といるとき、貴方は幸せそうに笑っているから。

 

そんな貴方の、邪魔をしたくなかったから。

 

……こんな機会ぐらいでしか、貴方の傍に居られなかった。

 

ああ、なのにどうして。

 

そんなささやかな時間なのに、そんな大切な刹那なのに。

 

貴方に微笑んでもらいたくて、いっしょに作ってたのに。

 

『お味はいかがですか?ますたぁ』

 

……その一言を、お尋ねすることすら許して頂けないのでしょうか。

 

「――恨みたくも、なりますわ」

 

――ぽつりと、絞り出すような一言が。

 

真白い唇から、流れ落ちた。

 

 

 

 

■ ■ ■

 

「――いつからなの?」

 

――静かに。

 

そして驚くほど冷たい声で、ジャンヌはそう尋ねる。

 

誰もいない廊下。

 

その壁にマスターを押し付け、吐息がかかるほど顔を近づけて。

 

黄金色の双玉は、少年を見る。

 

……こんな状況じゃなきゃ、きっと最高にときめくシチュエーションだったろうに。

 

「……ひどく残念である」

 

惜しむように、マスターは言葉を漏らす。

 

しかし答えはなく、代わりに襟首を締め上げる力が増しただけ。

 

――どうやらごまかしも、許してもらえないらしい。

 

深く憂鬱そうに息を吐く少年。

 

……正直恨むよ、清姫。

 

言ってもしょうがない愚痴を内心こぼしながら、彼は「……半年前から」と答える。

 

「兆候が出たのがそのくらい。一か月前くらいからあったりなかったりの繰り返しだったんだけど……今は、ない時間の方が長い」

 

「……なんで、言わなかったの?」

 

――気づかなかった。

 

まったく、これっぽっちも、気づけなかった。

 

だってあまりにも、その仕草は自然だったから。

 

これ以上なく今まで通りで、何の面白みもなく普通だったから。

 

――感覚がなくなってたなんて、気づきもしなかった。

 

それはつまり、ないことが『日常』になるまで、振舞い続けたことも同じく意味する。

 

……先ほどの清姫の問いかけがなければ、永遠に見抜けなかったかもしれない。

 

『……痛く、はございませんか?』

 

――その問いかけは、彼女の、せめてもの意地悪だった。

 

今までずっと、そう言いたいのを堪えていた。

 

マスターが隠したがっているのを知っていたから、あえて尋ねなかった。

 

嘘を許さない彼女が聞いたら、隠し続けることが出来なくなってしまうから。

 

誰よりもマスターを、想うがゆえに。

 

……けれどそれもう、限界を迎える。

 

平然としている彼に、腹が立って。

 

同じく平然と無知な魔女に、殺意は募るばかり。

 

――事実、私が逆の立場だったら、そう思う。

 

「……本音を言えば、今ここで貴方をくびり殺してしまいたいぐらいよ」

 

「それはまた、悲しいことを言ってくれるね君……でも、言っても仕方なかったんだよ。こういうことは前からよくあった。そもそもオレは生粋の魔術師じゃないし。何かしらの反動があって当たり前なんだ。特に、マシュの加護が薄れている今なら、尚更だ」

 

真っ赤になって固まってしまった指先に目を向けながら、彼はそう語る。

 

――今までが、あまりにも都合が良すぎただけのこと。

 

だから、触覚を持っていかれることぐらいなら安いものだ。

 

そう言って、彼は笑う。

 

……その割り切りのよさに、吐き気さえ覚える。

 

「……ふざけないでよ。何がなくなってもいいっていうのよ。じゃあ何?貴方は自分がどうでもいいって思ってることを私に押し付けてたわけ?味わえもしない料理なんか懸命に作って、私に嫌味を言いたかっただけなの?ずいぶん回りくどいことするわね、貴方も」

 

――君の喜ぶ顔が見たい。

 

その一言に、胸が震えた。

 

だから、返してあげたいと私は思えた。

 

なのに、肝心の貴方は、その幸せを放棄しようとしている。

 

……昨日まで悩んでいた私が、あほらしくて仕方ない。

 

小馬鹿にしたように、ジャンヌは鼻を鳴らす。

 

しかし、マスターはそれは違う首を横に振った。

 

「……失って、初めて気づいた。いつもあるはずのものがなくなってしまう恐怖を。寂しさを。だから君には、オレの分まで楽しんでほしかったんだ……君が笑ってくれると、オレも楽しかったのは事実だしね」

 

「……貴方は、諦めたっていうの?元に戻らなくて、本当にいいと思ってるの?」

 

「まさか……けど、そういうことも考えなきゃいけないってのは事実なんだ。ダ・ヴィンチちゃんにも対処してもらってるけど……そろそろ腹をくくらないと――オレも、つらくなってくる」

 

――馬鹿。

 

そんなもの、諦めたって言っているようなものじゃないか。

 

暗い顔をして、泣き出してしまいそうな目をして。

 

それが、まだ希望をもっている人間のする表情なの?

 

――腹が立つ。

 

割り切りの良い彼に、隠してきた彼に。

 

気にしなくていいと、貴方は笑う。

 

けれどそれは、私に心配させないためだってわかる。

 

……心配すら、させてくれないのか。

 

貴方が悲しんでいるのに、慰めることすら許してもらえないのか。

 

私だって、大事にしたいのに。

 

悔しくて、寂しくて、怒りでどうにかなってしまいそうなぐらい。

 

恥ずかしさのあまり、私を殺したくなるぐらい。

 

……貴方に、惹かれているのに。

 

何食わぬ顔して、暖かな声をかけて近づいて。

 

勝手に笑って、勝手に優しくして、勝手に手をつないで……勝手に、離れてしまう。

 

……なんて、ずるいひと。

 

「――目、開けてなさい」

 

――だから、これはそんな貴方に対する仕返し。

 

私の言葉に、ぽかんとする貴方に、もう一度言葉を繰り返す。

 

「……絶対に、目を閉じるな。瞬きすらするな。いいわね?」

 

「え、いやちょっと待って。意味が――」

 

少年が語ろうとした言葉は、それ以上声にはならなかった。

 

――ぬくもりが、口先を覆う。

 

しっとりと滑らかで、手折れそうなほど柔い感触……なのだろう。

 

何故なら、触覚のない少年に、そんなものは感じようがない。

 

――口づけの味なんて、わかるわけがない。

 

ひどく長い時間、彼女は唇を重ねていた。

 

少年には目を開けてろと言ったのに、自分はきつく目を閉じてしまっている。

 

――見つめあってのキスなんて、できるわけないじゃないと言わんばかりに手が震えている。

 

……そのいじらしさに、死にそうになる。

 

ようやく、温い息とともに、彼女は唇を離す。

 

少年は自らの何も感じない唇に触れて、呆然と少女を見る。

 

対して、ジャンヌの方は満身創痍。

 

口元を手で覆い、くまなく赤く染まってしまった顔。

 

まともにマスターの顔見れず、目をそらしたまま。

 

……けれど、それでも。

 

消え入りそうな声だったけど……確かに、君は語る。

 

「――この熱が、もう二度と伝わらないというのなら……キスなんて、二度としないわ」

 

――やめてくれ。

 

そう呻きそうになる。

 

その顔と、声と、台詞は……あまりに、卑怯だ。

 

 

「……ごめん、なさい」

 

 

――譲るつもりなんてなかったのに。

 

割り切れていたはずなのに。

 

いつの間にか、彼はそう口にしていた。

 

「……清姫にもよ」

 

付けくわえられた言葉にも頷いてしまう。

 

……なんて、単純なんだ、オレは。

 

「――心配してるのは、貴方だけじゃないわ」

 

――最後に、ジャンヌはそう告げる。

 

「……貴方の周りはこれぽっちも諦めてない。なのに貴方が諦めるなんて、おかしな話でしょ……強がってないで、寂しいんだったらさっさと言いなさい――その時ぐらい、傍にいるわよ」

 

「……うん」

 

――感覚なんて、とうになくなってしまったけど。

 

この言葉が、すごく暖かいものなのはよくわかってたから。

 

思わず、声が上ずる。

 

「――じゃあ、さっさと戻るわよ……あと、顔を拭いときなさい。私が泣かせたなんて思われたら、清姫に殺されるわ」

 

「――泣いてなんかないよ」

 

あらそう、と少しおかしそうに君は笑う。

 

……ほんと、情けない。

 

教えるはずの料理教室で、逆に教えられてしまった。

 

料理よりもあったかくて、大切なものを。

 

――想ってもらえるという、幸せな灯火を。

 

■ ■ ■

 

――エミヤ師匠へ。

 

ちょっと忙しいため、留守電で申し訳ありませんが、先日の件についてご報告させて頂きます。

 

料理教室はつつがなく終わりました

 

死人も出ず、怪我人は多数でしたが、とりあえずオレは無事です。

 

清姫に怒られたり、鈴鹿に絆創膏貼ってもらったり、そしたらいつの間にか完成してたミネストローネを頂いたりで。

 

先生らしいこと、何もできなかったなと自身の未熟さを嘆くばかりです。

 

次回があるなら、もっと頑張りたいかな。

 

……ああ、でも。

 

一つだけ、確かに言えることがあります。

 

その時、みんなといっしょに食べたミネストローネは。

 

――すごく、美味しかったです。

 

 

 

 

 

 

 



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かえりみち

今回はソロモン終了直後のお話です。


 

「――それでは先輩、私は先にダ・ヴィンチちゃんのところに行ってきます」

 

「……ああ。オレも一通り回ったらそっち行くから」

 

はい!と元気な声で頷くと、マシュは廊下の向こうに走ってゆく。

 

その後ろ姿が見えなくなるまで、少年は彼女を見送る。

 

――独り、廊下に佇む彼。

 

しばらくして、深く息を吐きだすと、バチン!と自らの頬を両手で叩いた。

 

ヒリヒリとした感覚が、肌に伝う。

 

「――よし。行きますか」

 

そう自らを鼓舞するようにかのように言葉を発して、マスターは歩き出す。

 

……淡い希望と、不安を抱きながら。

 

少年は歩みを進める。

 

■ ■ ■

 

 

――今日のカルデアは、恐ろしく静かだった。

 

いつもなら聞こえてくるはずのにぎやかな歓声は何処かへ消えてしまって、まるで祭りのあとのような寂しさが漂う。

 

それも当然のことか。

 

……人理救済は成された。

 

だからそれまで協力してたサーヴァントたちも、己があるべき座へと還っていった。

 

それが普通、本来英霊は常世に長居するべきではない。

 

だからマスターも、いつかはこうなると分かっていた。

 

――こんな風に、別れる日があることなんて、とっくに理解してる。

 

そう考えていると、ふと前方に曲がり角一つが見えた。

 

奥は、少年もよく使っていた食堂へとつながっている。

 

任務の終わりには必ずここによって、いっしょに夕食を摂っていた。

 

『貴方ねぇ、前から言ってるけどバランスよく食べなさいよ。自分のマスターが栄養失調でお陀仏とか、絶対嫌だから』

 

――偏食気味な自分を見て、やれやれと嘆息していた君の言葉を思い出す。

 

……同時に彼の、足は食堂内へと向いていた。

 

かつかつと歩いてゆき、中を覗き込む。

 

……そこに、思い描いていた彼女の姿はなく。

 

「――なんだマスター。ずいぶんと早い到着だな。だが申し訳ないが、朝食の準備はまだ出来ていないぞ」

 

「……なんだ、はこっちのセリフなんだけどな――エミヤさんこそ、こんなことで何をしてるの?」

 

――期待とは別に、調理場に立つ弓兵の姿に思わず苦笑するマスターであった。。

 

すると彼は「無論夕食の準備だ」と答えてくる。

 

「ようやく山場を越えたからな。今夜ぐらいは奮発しようと全力を尽くさせてもらっているところだ」

 

「それは大変うれしいんだけど……エミヤさんは、こんなところに残ってていいの?人理修復は終わったっていうのに」

 

「いいもなにも、これからが私の仕事だと思っているが?」

 

手元の作業を一切止めることなく、エミヤはそう答える。

 

「生憎、私は正義の味方というより『掃除屋』だ。散々暴れておいて後片付けはしないというのは性分じゃない。イシュタルの奴はさっさと帰ったがな……だからマスター、またしばらく世話になるぞ」

 

「……こちらこそ、お世話かけます」

 

ありがとう、とマスターは優しくも不愛想な騎士に微笑んだ。

 

その言葉に、彼も小さく笑って返す。

 

……むずかゆくもあるが、悪くないと思える心地よさだった。

 

「――というわけだ。また時間を改めてきてくれたまえマスター」

 

「了解しました――ああ、あと一つ訊いていい?」

 

何だ、と青年は聞き返す。

 

――少しだけ、マスターは躊躇う素振りを見せたが……意を決して、彼は尋ねる。

 

「――ジャンヌ見かけなかった?」

 

「……いや。まだ見かけていない」

 

そっか、とマスターはあっさりと答える。

 

それからありがとうね、と手を振って少年は食堂を後にするのだった。

 

「……頑張りたまえ」

 

――最後に。

 

その後ろ姿に語りかけて、弓兵は己がマスターを見送った。

 

 

■ ■ ■

 

「――還る?何を馬鹿な。まだ俺は満足してないぞ。少なくとも、ここにある本をすべて読破するまで還らんからな」

 

「……ほんと。自分に正直に生きてるよね君」

 

積み上げられた本の山を見上げながら、マスターはそう言った。

 

するとそれを聞いた青髪の少年は「それの何が悪い」とふんぞり返る。

 

「いや悪くはないけど……けどここにいる限り、それなりに働いてもらうけどいいの?」

 

「そうだな。それが唯一の問題だ。まったく、まったくもって面倒で面倒で仕方がない……が、本の貸し出し料と考えるなら、まぁ割り切ってやるさ」

 

不本意であることこの上ない、と繰り返し言いながらため息をつくアンデルセン。

 

――やっぱり素直なのかそうじゃないのかよくわかんないな、とマスターは苦笑する。

 

そのにへらとした少年の笑顔を「気色が悪い」と彼はばっさり言い切る。

 

……うん、どちらにせよ辛辣なのは確かみたいだ。

 

「……というより、お前はどうなんだマスター?」

 

オレ?とマスターは自らが指差すとこくりとアンデルセンは頷く。

 

「……元の生活に戻りたいとは思わないのか?」

 

「……なるほど。そういう意味か……うん、もちろん家族には会いたいよ。友達にも……でも、なんかね……」

 

言いながら、マスターは今自分のいる部屋――図書室を見渡す。

 

今はアンデルセンが独占してしまっているが、いつもならそれなりの出入りがあるこの部屋。

 

マスターも読書がしたくなったら部屋よりもここに本を持ってきていた。

 

静か、というのも理由の一つ。

 

けれど、彼の立つ場所から少し離れた場所、そこにはテーブル一つと椅子が二脚がある。

 

その場所で――『彼女』は一人、黙々と文字の勉強をしていたから。

 

つい、足を運んでしまうのだ。

 

『だから!貴方に教わらなくても一人で勉強できます!余計なことしないでください』

 

――手伝おうとしたとき、べ、と舌を出す君との思い出が蘇る。

 

……その行為を、何度繰り返したことだろう。

 

それが『日常』となるまで、通い続けた日々。

 

――ずっとこのままだと、錯覚さえしていたあの頃が、懐かしくて仕方ない。

 

「――今更、『元の生活』に戻れる気がしないんだ、オレ」

 

――絞り出すような声で、マスターは言った。

 

その言葉に、アンデルセンはそうかとだけ返す。

 

それ以上続くことはない。

 

……静寂が、辺りを支配する。

 

「……用がないならさっさと行け。遅いとどやされるぞ」

 

「はは、マシュもダ・ヴィンチちゃんもそんなおっかなくはないよ」

 

そう笑い返しながら、マスターは歩き出す

 

……けれど、その前に。

 

マスターは最後に、アンデルセンに尋ねる。

 

「……ジャンヌって、ここに来た?」

 

「――まさか。来るはずがないだろう」

 

ふんと、彼は鼻で笑う。

 

そんなこと、あり得るわけないと作家は笑った。

 

……確かに、その通りだね。

 

そう同意して、マスターは去ってゆく。

 

遠ざかってゆく靴音を、アンデルセンは聴き続ける。

 

それからはぁあと、深いため息をついた。

 

「――馬鹿か……お前がいないのに、アレがここに来るわけないだろう」

 

……呆れるような声。

 

そのつぶやきは、誰の耳に入ることなく。

 

彼しかいないこの部屋に、ただ空しく響くのみ。

 

■ ■ ■

 

 

「――おかえりなさいませ、ますたぁ」

 

――にっこりと、清らかで透き通るような笑み。

 

緑色の髪を揺らし、金色の眼を光らせて、彼女は微笑む。

 

「……ああ、うん。君は絶対残ってるって確信してた」

 

げんなりと、マスターは答える。

 

まぁ、と感嘆の声を上げ彼女――清姫はマスターの言葉に、頬を染めた。

 

それから彼の胸元に体を預け、そっと白い指先で愛おしそうに撫ぜる。

 

「ますたぁにそこまで想っていただけてたなんて、わたくし、嬉しさでどうにかなってしまいそうです。焦がれて焦がれて焦がれて……ようやく、祝言を上げるときがやって参りました」

 

「そういう約束した覚えはないんだけどなぁ……それよりも清姫。一つ訊いてもいい?」

 

どうぞ、と胸板に頬ずりをしたまま、清姫は先を促す。

 

「……なんで君、ジャンヌの部屋の前にいるの?」

 

すると、清姫は顔を上げて、うっすらと唇を歪める。

 

それから一言、マスターにこう言った。

 

「……もちろん、ますたぁにお会いするためです」

 

きっぱりと、断言する着物の少女。

 

……なんというか。

 

本当、心の底から敵じゃなくてよかったと思うばかりだ。

 

「……ますたぁがお考えになることなんて、わたくしには全部分かります」

 

唐突に、清姫はそんなことを口にする。

 

一瞬今思ってることがばれたのかと焦った。

 

が直後に、少女の柔らかな瞳を見て、言葉を失う。

 

「――わかってます。わたくしは、ますたぁが好きなものをを全部知ってます。好きな食べ物、好きな音色、好きな色、好きな花――そして、あなたが好きなひとも、わたくしは存じております」

 

――息をのむ。

 

ひどく寂しそうな、その表情に。

 

胸が締め付けられて苦しかった。

 

「――それを否定するつもりはありません。ますたぁのその想いは、まぎれもない本当。否定させるということは、それすなわち嘘……そんなこと、他でもないわたくしが許せるはずがはずありません」

 

――悔しかった。

 

妬ましくて、うらやましくて、憎らしくて。

 

想えば想うほど、彼の焦がれる相手が自分でないのを自覚させられる。

 

……歯噛みすることしかできない自分に。

 

どうしようもなく、腹が立った。

 

「――だから、わたくしは決めました……なら今度は、あの人よりも魅力的なわたくしになって、ますたぁに振り向いてもらおうと。何せこの通り、時間はたっぷりありますし。ですから、その……」

 

――不安げな眼差しが、マスターを見上げてくる。

 

揺れて揺れる、その瞳。

 

彼女は精一杯の勇気を振り絞って、少年に問いかける。

 

「――わたくしも、ここにいて構いませんか?」

 

赤らめた頬。

 

震える唇。

 

きっと、怖くて張り裂けそうなくらい、胸の鼓動は早鐘を打っているのだろう。

 

……忘れていた。

 

過ごしてきたのは、『彼女』だけじゃない。

 

多くの人たちがいたから『今』があるんだ。

 

そんな単純なことを忘れてたなんて。

 

……これじゃ『彼女』に呆れて還られてしまっても、仕方がない。

 

「……ますたぁ」

 

首を傾げる清姫。

 

静かに、少年の言葉を待ち続ける

 

……全く駄目駄目だ。

 

このままじゃ、マスターとしても、男としても三流以下。

 

しっかりしなきゃな、と彼は頭を上げる。

 

――蒼い瞳が、真っすぐに清姫を見据える。

 

真剣な気持ちであることが伝わるように、真っすぐに。

 

……けれど怖がらせたくないから、ふっとその鋭さを和らげ、少年は口元を緩めた。

 

そっと、優しい声で、マスターは語る。

 

「――こちらこそ。これからもよろしくね、清姫」

 

そういうと、少女の顔はぱぁと明るくなる。

 

無邪気な子供みたいに、純粋な感情。

 

……こういう素直なところは、決して『彼女』が見せないココロの在り方。

 

「……はい。よろしくお願いします」

 

恭しく、清姫は頭を垂れる。

 

それからもう一度視線を合わせたときには、さきほどまでの初々しさはなく、元の清姫らしい楚々とした大人びた振舞いに戻っていた。

 

「ではますたぁ。わたくしはこれでお暇させて頂きます。長い間お引きとめして申し訳ありませんでした」

 

「全然。気にしてないよ……ああでも、清姫。一つだけ、訊いてもいい?」

 

はい、と清姫は頷く。

 

問いかけようとマスターは口を開いたが……少し、戸惑う。

 

――部屋にいるかと尋ねようと思っていたが、いい加減尋ね続けることも疲れた。

 

ずっと、『彼女』のいる場所を歩き続けた。

 

その残り香を追いかけ続けた。

 

……このかえりみちは、少々遠すぎる。

 

だからオレも、そろそろ。

 

――向き合わなくちゃ、いけないから。

 

「――ジャンヌって、かえっちゃった?」

 

そう、マスターは尋ねる。

 

……声が震えてしまったのが、不覚。

 

せめて表情だけは普通でいられてますようにと、少年は願う。

 

問いかけられた清姫はしばし無言のまま、マスターを見つめる。

 

吸い込まれそうな黄金色の水晶が、少年の姿を映し続ける。

 

やがてしばらくして、少女は表情を崩す。

 

マスターの言葉を、「ええ」と肯定して。

 

「……お先に。あの方は帰られてますよ」

 

そう、少年に答えをくれた。

 

――喉が、熱くなる。

 

吐く息が、何かに震える。

 

できるだけ平静を保って、「そっか」と答えても、わずかに滲んでしまう。

 

……三流役者もいいところだろ、まったく。

 

「――了解。ありがとね」

 

答えると、彼はそれきり黙り込んでしまう。

 

清姫はそんな見るからに強がりを見せる彼にすると儚げな微笑を、ぺこりと頭を下げて何も言わずに背を向ける。

 

……今の彼に、自分が語り掛けるわけにはいかない。

 

慰めをかけようにも、あんなもろい虚勢を見せる少年に語る言葉なんて、嘘を許容出来る自分なんて、いない。

 

だから――。

 

「――羨むことしか出来ないのは、やはり悲しいことですね」

 

――ますたぁを慰めることも、悲しませることもできる『貴女』。

 

マスターには聞こえないように、でも我慢するのはあまりに悔しかったから。

 

……それぐらいの文句は、言ってやる。

 

幼さの消えない我が身に落胆のため息を吐きつつ。

 

清姫は、廊下の向こうへ去っていった。

 

 

 

■ ■ ■

 

――プレートを鳴らす。

 

自分の部屋より使い慣れたキーナンバーを打ち込んでゆく。

 

そしてピ、という音ともに、扉が開いた。

 

いつものならこの瞬間に『ノックもしないで勝手に開けるんじゃないわよ!』という君の怒声が飛んでくるのに。

 

……今は、君の姿すら見えない。

 

誰もいないその部屋に入って、辺りを見回す。

 

もともと、モノを多く持ちたがらない気性だったから、室内は驚くほど殺風景。

 

光景はいつも通りなのに……君の熱だけが、ここにはない。

 

――ああもしかしたら。

 

こういうときが来るのをわかっていたから、持ち物を増やしたくなかったのかもしれない。

 

だとしたら、君は驚くほど残酷な魔女だ。

 

……これだけの君との想い出を残しておいて。

 

君を想い返せるような品を、一つたりとも残しておいてくれないんだから。

 

「……意地悪だ」

 

こんな風に、愚痴りたくもなる。

 

……君と過ごした時間が、忘れられない。

 

初めは敵、次も敵。

 

何度も敵対して、カルデアに来てからも煙たがられて。

 

その背中に追いつけるように、肩を並べられるように努力を重ねた。

 

……だから、いっしょに地獄に連れてってもらえるなんて台詞に、泣きそうにもなった。

 

「――結局、殺してさえもらえなかったけどね」

 

乾いた笑いが漏れる。

 

そのまま、ベットに倒れこむ。

 

――手に絡んだ毛布はひんやりとしていて、温もりなんてものはありやしない。

 

引き寄せて抱きしめてみるけど、あの肌の柔らかさには程遠い。

 

……せめて、彼女の香りぐらい残っていたら。

 

もう少しだけ、強がれたのに。

 

「……きっついなぁ」

 

――会いたいという感情に、殺されそうになる。

 

そんな感覚、初めて知った。

 

けれどここで喉を切り裂いても、迷惑そうな君の表情が目に浮かぶから、堪えてみる。

 

……困ってくれることすら、ないかもしれないけど。

 

――結論を述べよう。

 

今更だけど、この自分の人生は。

 

……君がいたからこそ成り立っていた、張りぼての物語だったらしい。

 

「……安い人生だ」

 

女々しくて、嗤えてくる。

 

頬を流れる熱に、くすりと口の端を吊り上げる。

 

――少年が、そう自分の人生を結論付けたとき。

 

ぴろり、と軽快な音が響く。

 

聞き慣れた、その音。

 

端末にメッセージが届いた音だ。

 

……きっと、マシュからだろう。

 

さすがに寄り道が過ぎた。

 

今すぐ向かうから、と返信を返そうと彼は端末を開く。

 

案の定、そこには新着のメールが一通。

 

メッセージは、端的に短い一文だ。

 

 

 

 

 

『おそい、はやくかえってこい』

 

 

 

 

 

……なんて、不愛想で、身勝手な言葉。

 

思わず絶句する。

 

漢字変換が出来ないくせに、書いてあることいっちょ前に生意気。

 

いつもと変わらない、マスターをマスターとも思わない命令文。

 

……こんなもの、泣きたくなるに決まってるじゃないか。

 

――気が付けば、少年は部屋を飛び出していた。

 

息をきらして、廊下を駆ける。

 

――はやくかえってこいと言われてしまったんだ。

 

走らなかったら、怒られてしまう。

 

あとはどうか、目的地があっていますように願うばかり。

 

……ただいまと、言える場所は一つしかない。

 

でも君に言わせてもらえたことなんて、一度もない。

 

オレが待ってはいても、君に待っていてもらえたことはなかったから。

 

……なんだ、意外に捨てたもんじゃない。

 

こんないいことがあるなら、オレの人生だって。

 

――神様がいるって、信じられるかもしれない。

 

……そんなこと言ったら、君にぶんなぐられそうだけど。

 

殴ってもらえるなら、なおそれでいい。

 

そう笑いながら、彼は走る。

 

……いつもの通ってる、自室への帰り道は。

 

この時ばかりは、ひどく長く感じられた。

 

■ ■ ■

 

 

 

――ぱちんと、端末を閉じる。

 

ふぅ、と息を吐いた後、らしくもないことをしたものだと、彼女はため息をついた。

 

……もしこれで帰って来なかったら、ほんと還ってしまおうかと思わず考えてしまう。

 

なんたって一日近く待たせれているのだ。

 

いら立つのは当たり前だろう。

 

……ああ、全く私らしくない。

 

いつもなら忘れてさっと行ってしまうのに。

 

……約束を、してしまったばっかりに。

 

いっしょに地獄の焔に焼かれてもらう、なんて言ってしまったから。

 

連れて行かなきゃ、復讐者としての面子が立たない。

 

けれど生憎、私の剣は貴方を斬ってあげられる余裕なんてない。

 

私の剣は仇なす敵を屠るための刃。

 

それに……あんなにへらとした男の血を吸わせるなんて、言語道断。

 

わざわざ殺してやるなんて、それこそ面倒だ。

 

……だから、しょうがない。

 

それ以外に方法がないから。

 

――貴方が死ぬまで傍にいると、私は覚悟を決める。

 

その時は絶対、嫌だと言っても連れて行くけど。

 

……言わないでしょうね、貴方は。

 

やがて、彼女のサーヴァントとしての聴覚は、外から駆けてくる足音を耳にする。

 

ちゃんとどこに来るべきかわかっていたようでとりあえず一安心。

 

……しかし、いざ今になると恥ずかしくなってくる。

 

いつも出迎えられる側だったし、来てもらう側だったから、たまには驚かせてみようとと考えてみた。

 

――それが、こんなにもこそばゆいものだとは。

 

若干の後悔はある。

 

……でも、今日だけは。

 

本当にほんとに今日だけは、きっと特別な日だから。

 

――気まぐれの一つとして、やってあげるわよ。

 

ナンバープレート押す音が聞こえる。

 

焦るあまり、何度も押し間違える。

 

……それがいじらしくて、どうしようもない。

 

そしてようやくして開いた扉の向こうには。

 

――息を切らして、今にも泣き出してしまいそうな貴方がいたから。

 

なんて手のかかる奴だという呆れと……求めてもらえてるという嬉しさから、私の頬も緩んでしまう。

 

でもなるだけ、それを悟られないように取り繕って。

 

両手を広げて、私は笑ってやる。

 

 

 

「――おかえりなさい、マスター」

 

 

 

――驚いた。

 

こんな優しい笑い方、私にも出来るのか。

 

……いつも、散々そばで見せられ続けたおかげかもね。

 

 

両腕に抱きしめた温もりを愛おしそうに撫でながら、少女はそんなことを考える。

 

 

――愛おしそうに、大切に。

 

抱きしめ返してくるその熱に、黒の聖女は答え続けるのであった。

 

 



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微熱の痕

……熱い。

 

切り融かされる肌。

滲み流れる血液。

黒ずんでいく全身を、暴力的なまでの熱さだけが支配する。

 

……次に来るのは、痛み。

 

指が、足が、徐々に崩れてく。

脳髄を痺れさせる感覚に、少女は歯を食い縛る。

 

でもこれぐらいなら、まだ耐えられる。

身体が壊れていくことぐらい、まだ笑っていられる。

 

……けれど、こっちはきつい。

 

鼓膜を震わせる音。

燃え盛る炎の向こうから響く、無数の声。

 

――私を魔女と呼ぶ、怨嗟の呪いたち。

 

焼かれて、焼かれて、焼かれて。

 

身体は炭になって、もう跡形もないけど。

このココロとも呼ぶべきものの表面には。

……あのとき焦がされた焼傷が、今でも燻り続けている。

 

■ ■ ■

 

 

――そこで、彼女は目を覚ます。

 

視界に入る無機質な白い天井。

なんの変鉄もない自室の天井を見て彼女は、今のが夢だったことを再認識する。

むくりと、体を起こすと、ねっとりと不快な感覚を全身から感じとる。

 

……気づけば、身に付けていた寝間着はびっしょりと汗で濡れていた。

まるで全力マラソンをしたあとのように、繰り返す呼吸が苦しい。

その荒い息づかいを整えつつ、少女は洗面所へと足を運ぶ。

 

流石にこのまま寝る気にはなれない。

シャワーを浴びてリフレッシュでもしてからまた寝ようと、彼女は衣服を脱ぎ始める。

……同時に、脱ごうとした衣服が擦れた肌に、痺れるような痛みを覚える。

 

「……またか」

 

忌々しい、という声で彼女は風呂場の鏡を見る。

――鏡を映ったのは、プラチナブロンドの髪。

次に光るのは睨むような黄金色の瞳。

最後に見えるは、一糸纏わぬこの肉の手足。

毎日毎日、いやでも見る己の顔と身体。

けれど今は、その万雪ような白さを誇る肌に、普段は目にしない色が混ざる。

 

……赤。

 

鮮やかな、かつ痛ましく腫れ上がった赤色たち。

水玉模様のように、手や足、胸や背中に跡を成すそれら。

 

まるで、全身を丸焼きにされた見たいな熱傷に、少女は嘆息する。

しかしそれはひりひりと焦げるような痛みに対しての嘆きではない。

 

そんな繊細な感性は、とうの昔に捨ててしまった。

 

「……かっこわる」

 

斑模様に色づく己の身体。

その姿に、自らの弱さを浮き彫りにされたようだったから、少女はため息を吐いたのだ。

 

――ジャンヌ・オルタという、一人の魔女の、心の弱さを。

 

 

■ ■ ■

 

……かつんかつんと、廊下を歩く。

 

寝間着の上に肩掛け一つを揺らしながら。

誰もいない深夜のカルデアは物音一つしないから、ジャンヌの足音は異様なまでに響く。

まるで、ドールハウスにでも放り込まれたような静けさ。

けれど、いまはこの静寂が心地よい。

焦げるような痛みを紛らわしたい今なんて、特にそう。

 

……召喚されてから、もう一年近くは経つ。

 

交わした契約のため、奔走する日々。

忙しくも、面倒くさくもあるが……悪くはない毎日。

そしてそんな生活の最中、時折悪夢共に現れるこの焼傷。

 

……まぁ、悩むほどのことはない。

原因なら、もう十分にわかっているのだから。

 

――聖痕。

 

原理で言えば、それに近い。

主から与えられるもの、という解釈もあるが、もう一つとして要因として人の強い感情によって身体に現れる『傷つかずにつく傷跡』。

一種の催眠暗示、思い込みによる自傷痕。

ジャンヌの場合、あの夢がその原因だろう。

 

……魔女として全身を焼かれた、あのときの追憶がトリガー。

特にサーヴァントなんて霊体的な存在は自身の感情に左右されやすい。

自分の思う、自分らしい姿が形成されてゆくのが常。

腕がないと思えば腕のない身体が出来上がり、それを 治すのだって、自分の気の持ち方次第。

だから実体化してる彼女の肢体に現れるこの傷跡たちは、まさにジャンヌの悪夢の体現に他ならない。

 

――つまり、これはまごうことなき『トラウマ』というわけだ。

 

「……ま、忘れないって意味じゃあ便利よね」

 

曲がらない指。

引きずる両足。

この不自由さと苦痛が、思い返させてくれる。

 

『ジャンヌ・オルタ』の根源となる感情――尽きることのない『憎悪』を。

 

時々忘れそうになってしまうから、思い出す分には丁度いい。

 

……忘れそうに、なる。

 

その言葉に、自分自身が一番驚いてる。

こんなにも痛い思いをして、あんなにも憎んでいたのに。

それらの全てが、ずるりと零れ落ちてさまいそうな時がある。

 

……『彼』といる、あのひとときに。

 

何も考えずに、ふと頬を綻ばせる私がいる。

 

「……あんなのの、何がいいんだって言うんだ」

 

思わず、そう声に出てしまう。

 

……思い出すは、あの能天気な声。

 

屈託のない笑みで、ジャンヌの手を引こうとするアイツ。

 

しかし、彼はまだこの指を知らない。

無惨に溶けた醜いこの身体を、あの少年はまだ知らない。

 

――もし仮に、彼が今の私の姿を見たとしてだ。

 

それでも、私の手を引けたのだろうか?

少しも顔をひきつらせず、いつもみたいな笑顔で。

 

なんの嫌悪もなく、手をつないでくれただろうか。

 

 

「……まぁアイツに見せるつもりなんて、まったくないけどね」

 

同情なんてまっぴら。

そんなもの、犬にでも食わせてしまえ。

自分には、永遠に不要な施しだから。

意味のない思考をした自身を嘲笑いながらジャンヌはつぶやく。

誰もいない廊下なのだから、答えはなくて当然。

言葉は孤独な世界に反響するだけで終わる……はずだった。

 

「――それは残念。ま、何を見せてもらえるかわかってないから、残念かどうかなんてわからないけどね」

 

……恐らくは。

 

それは今一番耳にしたくない音。

幻聴であれ、と願ってはみたが生憎そこまで少女は気が触れちゃいない。

ゆっくりと、彼女は振り返る。

 

そこには予想通り、黒い髪と青い瞳を輝かす一人の少年の姿。

 

「やぁ。夜の散歩とは、お互い奇遇だね」

 

そう、彼は朗らかに笑う。

 

……ほんと、どうしてこいつは。

こうゆう微妙なタイミングのときに顔を出すんだろう。

疫病神か何かなの?と、少女は本日何度目かわからないため息をついた。

 

 

■ ■ ■

 

……ガチャンと、大きめの音が響いて落ちる。

 

「はい。どうぞ」

 

言ってマスターは自販機から手にとった二つの缶のうち、黒色をした片方を少女に差し出す。

珈琲と記されたその一本を、ありがとうとジャンヌは受けとる。

 

「本当に珈琲でよかったの?しかも冷たいやつだし。寝れなくならない?」

「別に。そうゆう貴方も、寝しなにオレンジジュースなんて飲んでると虫歯になるわよ」

 

ちゃんと歯みがきするから大丈夫です、とマスターは笑いながら、パチンと蓋を開く。

 

……正直、味とかどうでもいい。

 

ただそれが、握りしめると楽になるものなら何でもよかった。

滲むような痛みにアルミ缶の冷たさが染み込んでゆく。

気休め程度の和らぎだが、ないよりはましだった。

 

「……飲まないの?」

 

少年が不思議そうに顔を寄せてくる。

好きにさせなさいよ、と少女は不機嫌そうな声を出しながら、肩に掛かっていた布地を再度整える。

 

……今が夜で助かった。

 

明かりとなり得るのは足元の非常灯と自動販売機の光ぐらい。

でなければこの首もとから覗きでていた焼傷なんて、すぐにバレてしまっていただろう。

 

「――貴方っていつも人の顔色を伺ってるわね。もう少しびしっとしたら?マスターとして、弱気なのはどうかと思うわよ」

 

そうやって話題を反らすために、ジャンヌはマスターの態度を咎める。

少年は「そういうつもりじゃないんだけどなぁ……」と首を捻る。

 

「でもまぁ自然とそうなっちゃうんだよなぁ。英霊なんて人たちと会話するとなると、堂々とした態度って難しいよ。ギルさんとかオジマンさんとか特に」

「……そのわりには私に対しては異様に気安い気がするけど気のせいかしら?」

「いや、気のせいじゃないよ。だってジャンヌだもん」

「あっさり肯定するじゃないわよ。あと私だからって何?」

 

じろりと睨み付けてやったが、少年は「ごめんごめん」と笑うだけ。

 

……本当に、調子が狂う。

 

「――でも貴方、最近私に近づき過ぎよ。少し距離を置いときなさい」

「どうして?」

 

間髪入れずにそう訊いてくる彼に、ジャンヌは「あのねぇ……」と息を吐く。

 

「……こんな私といっしょにいるなんてことが、良いことなわけないじゃない。魔女なのよ?だから今すぐ帰って寝なさい」

「流石に雑過ぎる追い返し方だなぁ。とゆうか、地獄まで連れてくって行ったの君だろう?」

 

……コイツ、普段はあんなにふにゃふにゃしてるのになんでそうゆうのだけはきっちり覚えてるんだ。

 

若干顔を赤らめながら「うるさいわね」とジャンヌは突っぱねるように言った。

 

「……軽々しくそんなこと言わないことね。堕ちてから後悔しても遅いのだから」

 

……らしくもない台詞を語っているものだ。

竜の魔女とは思えない、気遣うような言葉。

けれど、仕方がない。

 

どうしても気にくわないから。

自分といっしょに、この少年が地獄の炎に焼かれる。

あの笑顔が、苦悩に歪むそのイメージ。

 

……そんな未来を想像するだけで、何故かひどい目眩を覚えてしまうから。

 

しかし、そんな少女の悩みを馬鹿にするかのようにマスターは「まさか」と肩を竦める。

 

「……覚悟ならとうに出来てるさ。君といっしょにいられるなら、地獄に堕ちたって構わないよ」

 

少年は語る。

何事もなく、当たり前のように。

ジャンヌの気がかりなど全く知らずに。

平然と、簡単なことみたいに彼は語った。

 

……そのあんまりな態度に、カチンときた。

 

なにも知らない、痛みもわからないような貴方の言葉に苛立ち過ぎてしまって。

 

――ふざけるな、と彼女は叫んでいた。

 

からんからんと、握っていた缶が落ちる。

 

「――貴方に、何がわかるのよ!?なんにも知らないくせに、偉そうなことばかり言って!殺されたことも弾劾されたことも、焼かれたことも貴方にはないっ!!偽物だと迫られたことも、作り物だと嘲笑れたことない!!……そんな貴方に、私の何が分かるのよ!?」

 

言葉は、滝のように流れ出した。

壊れた水瓶のように。

ひび割れた器から、こらえてきた感情が溢れ出す。

呆然とする少年の前で、ジャンヌは袖を破れる勢いでまくりあげる。

それからしっかりと、マスターが目をそらせないように近づけて、自らの腕を見せつけた。

 

……焼けただれた腕を。

 

見せたくないと隠してきた、自身の醜い闇を。

 

「……ほら、見なさいよ。これが私よ。一ヶ月に一回は必ずこうなる。焼き殺された時の記憶が、私じゃない私の記憶を思い出す度に身体までこうなるの。痛くて痛くてどうにかなりそう。ここまでされてアイツらを憎まずにいられるんだから、ほんと女神様よねあの白い私はっ!反吐が出るぐらい尊敬するわ!けど、私は許さない。妥協も、忘れもしない。だってそうゆう存在だもの!そう望まれたんだもの!ジャンヌ・オルタであるかぎり、この痛みはずっと付きまとう……泣いたって、それは変わらないんだから」

 

……憎むだけでよかった。

 

それしか知らなければ、この痛みも割りきれた。

でも……私は、それ以上を知ってしまった。

楽しいこと、優しくされること、笑い合えること。

余分なことを、貴方は私に教えていった。

『憎む』ことよりいいことを、教えてくれた。

そのせいで、板挟みにされた。

貴方に会いさえしなければ……こんな辛くはなかった。

 

――憎い。

 

こんな光を教えてくれた、貴方が憎い。

いっしょに笑ってくれた、貴方が憎い。

ずっと手を握ってくれた、貴方が憎い。

憎い、憎い、憎い、殺したいほど、憎いのに。

 

……嫌いにだけは、なれなかった。

 

「……ねぇ、マスター。教えなさいよ」

 

涙に声を枯らしながら、ジャンヌは絞り出すように問いかける。

 

……いっしょにいようとなんて、しなくていい。

 

どう足掻いても、災厄の魔女としての在り方を変えること出来ない。

私は貴方を不幸にしかできない。

 

だから、お願い。

 

「……こんな姿の私と、まだ手を繋いでくれるの?」

 

……もう、近づかないで。

 

そう、少女は懇願する。

この言葉に、決して頷かないでと。

私一人ならまだ耐えられるから。

だけど、こんな光をくれた貴方が苦しむ姿だけは。

 

……耐えられそうに、ないから。

 

 

 

――沈黙が続く。

 

ジャンヌの荒い呼吸音だけが響く。

対面してるマスターの表情は、恐ろしいほど何もない。

つき出された少女の指先を、じっと見つめている。

 

やがて、その唇が「……そうだね」と言葉を紡ぐ。

 

「……確かに。これじゃあ手を繋げないかな」

 

その言葉にジャンヌはほっと胸を撫で下ろして、同時に、どうしようもなく落胆する。

でもこれでいいんだ、と少女は言い聞かせる。

 

これが、一番いいことなんだと。

 

……けれど。

 

「……だってさ。今のオレの手は、君以上に醜すぎるから。君を汚したくは、ない」

 

「……え?」

 

――何を、言っているの?

 

マスターはすっと手を差し出す。

暗がりの中、僅かな光に照らされる彼の右手。

目を凝らして見てみると……その手のひらはぐるぐると白い包帯が巻かれていた。

 

「……痛い、か。確かにそうだね。内側から焼かれるみたいで、息をするだけで肺が千切られるみたいだった。でも一番辛かったのは……責め立ててくる、みんなの声かな」

 

驚愕するジャンヌに、マスターは思い返すように語る。

……闇に目が慣れてきて、ようやく認識できた。

その包帯は、彼の腕だけでなく。

彼の全身に、巻かれているものだと。

――ジャンヌの焼傷と同じ場所を、隠しているのだと。

 

「……マスターってさ。実はサーヴァントと同じ夢を見たりするだよね……同様に、君に出る影響と似たようなことも、体感できるみたいだ」

 

……聞いたことは、ある。

実際に、ジャンヌもマスターの過去を夢に見たこともあった。

だけど……こんなことに、なってるなんて。

なら、私が焼傷を負ったときは。

 

彼は、いつも……?

 

「……どうして、言わなかったの?」

 

震える声で、ジャンヌは問いかける。

すると少年は「だって君、怒るじゃない」と口を尖らせる。

 

「当たり前でしょ!黙っているわけないじゃない!」

「ほらやっぱり。でも言ったところで

解決策なんてないじゃないか。だから内緒にしてたの」

「なら私との契約を切りなさい!そうすれば、もう痛まなくてすむわ!」

「やだ」

「どうしてよ!?」

 

悲痛な声で、彼女は叫ぶ。

 

そんな痛みを耐える理由、どこにあるのかと。

するとマスターは、やれやれと肩を竦めた。

まるで聞き分けの悪い娘を相手にしてるかのように。

 

「……ならこの際、はっきり言うよジャンヌ」

 

そう告げると、マスターはジャンヌの身体を引き寄せる。

焼傷だらけの身体を、包帯まみれの手が抱き止める。

 

……吐息がかかるほど近く。

 

海色の眼差しが、黄金水晶を見つめる。

決して、少女が聞き漏らすことがないようにと、その耳元に口を寄せて。

 

マスターは、少女に告げた。

 

 

「……いくらでも不幸にしてくれて構わないから、君の傍にいさせてくれ」

 

……抱き締めてくる。

私の身体を、彼の指が包んでくる。

痛くないわけがないのに、力強く、優しく。

決して離さないと、確たる決意を持って。

 

――本気なんだと、嫌でもわかってしまう。

 

「……ばか」

 

――さんざん悩んでいたのが、ばかみたい。

あっさりと、彼は簡単なことみたいに言い切ってしまう。

 

……でも。

 

それが堪らなく嬉しくて。

 

抱き締め返す私がいるから。

 

……本当のばかは、きっと私なんだ。

 

「……迷惑、かけるわよ」

 

少女は尋ねる。

いつものことだ、と少年は答える。

 

「……いいことなんて、何もないわよ」

 

君がいるのに?と彼は笑う。

 

「……もう離さないわよ」

 

喜んで、と貴方は頷く。

 

……負けだ。

 

私の、負け。

 

止めはした、何度も警告した。

それでもやめない言うなら……私だって、もう我慢しない。

 

「……なら、もう止めないわ」

 

好きにしなさいと、ジャンヌはより一層抱き締める。

我慢してたぶん、強く、強く。

 

……きりきり焼傷が痛いけど、構いはしない。

 

その痛みこそ、たしかな証だから。

 

――これが現実だっていう、証拠なのだから。

 

「……子供だな、君は」

 

意地っ張りな少女の行為に、少年は微笑む。

可愛らしくていじらしいその独占欲に。

……でも確かに、『形ある』証みたいなものはほしい。

 

二度離さないわと、君が抱き締めるように。

 

――君はオレのだと、自慢できる何かが。

 

「――なら。痛くない焼傷、教えてあげるよ」

 

マスターはそうキザったらしく語る。

顔を上げると、目と鼻と先に彼が見える。

それからすっと、その顔が近づいてくる。

 

……ああ。

 

なんて、ベタなことを。

使い古され過ぎて、そんなのにときめきなんてないわ。

テレビの観すぎ、夢みすぎ。

やり直し、と言ってやりたい。

 

だけど、まぁ。

 

……私と同じように、耳まで真っ赤になってみたいだから。

今回だけは、特別に許してあげるわ。

 

――そして、少女は知る。

 

痛む以外の焼傷を。

 

……唇の先から始まる。

 

口づけという、微熱の跡を。

 



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業火のぬくもり


微熱の痕の後日談をイメージして書きました。
どうぞよろしくお願いします


――痛い。

 

ズキリ、と指先が軋む。

 

血みどろになった包帯。

 

それをはずそうとした時、わずかに擦れるだけで歯を噛み締めるような痛みに襲われる。

 

……構わないとは言ったけど、やっぱりちょっと辛いかな。

 

斑に赤に滲む自らの腕を見つめながら、マスターは重い息を吐く。

 

――サーヴァントと違って、マスターの体についた傷は簡単に治りはしない。

 

こうやって、こまめに治療していかなければ傷口は膿みもするし腐りもする。

 

普通の人間のように。

 

……そうだ。

 

例え、幾ばくかの魔術が使えど、この身はただの人間。

 

悲鳴を上げる体、苦痛を訴える精神、長く残る疲労。

 

どれもこれもが、並みであり過ぎる自分。

 

特別と誇れるようなものが、何もない。

 

まぁ、周りがあんまりにも特別過ぎるから。誇ろうにも何を誇ればいいのか、わからないのだけれど。

 

……けれど、本当に嫌気が差す。

 

少し前なら、仕方ないと割り切れた。

 

ただの人間なりに、努力を積み重ねていこうと、少なくとも役立たずは卒業しようと。

 

でも今は。

 

……彼女の背中を見つめてるだけの自分に、嫌気がさしてたまらない。

 

「……大丈夫かな、ジャンヌ」

 

彼女のことを思い出して、ふと少年は心配になる。

 

こんな風に、自分の体に痕が浮かんでいるということは、彼女も同じような焼傷を負ったということ。

 

きりきりとしたその記憶の残滓に、呻いているのだろうという予感と確信。

 

「……泣いてないといいだけど」

 

言いながら、「いやあり得ないな」とマスターは苦笑する。

 

……彼女は決してそんなことを言いやしない。

 

痛みに呟くということは弱さだから、それを他人に見せることは絶対にしない。

 

黙って堪えようとする、それが彼女だ。

 

……まったく、意地っ張りなお姫様だ。

 

いくら頼っていいと言っても根本の仕草は変わらない。

 

――君は優しいから。

 

人間であるマスターに心配させまいとしてくれる。

 

高慢な笑顔を受かべながら、その仮面の下で苦痛に顔を歪めているのを知ってる。

 

だから不安になる。

 

焦り、動揺する。

 

もっと自分が強ければ、君に頼ってもらえるんじゃないかって

 

――そんなどうしようもない妄想を、夢にさえ見てしまう。

 

「……あとで、お菓子でも持っていてあげようかな」

 

何がいいだろうと、彼は考えを巡らせよう。

 

まるで、子供をあやすかのような慰めだなと、笑いながら。

 

――そのれぐらいしかできない幼子のような己が非力さを、嘲笑いながら。

 

彼は傍に置いてあった消毒液のケースを手に取る。

 

それからガーゼに染み込ませようと傾けたが……再びズキリという痛みに、顔を歪める。

 

同時に、力の抜けた指からケースが滑り落ち、盛大な音を立ててエタノールを地面にぶちまけた。

 

……なんて、無様。

 

追い打ちをかけるように非力さを強調してくる現実に、マスターはため息をついた。

 

ちょうどその時だ。

 

コンコンと、扉をノックする音が聞こえる。

 

鉄の扉越しから聞こえる、人の有無を確認する音。

 

――外には呼び出しボタンがあるから、大抵の人はそれを押してマスターを呼ぶ。

 

それをしないということは……来客は、必然的にただ一人の人物に絞られる。

 

だとしたら、なおのこと現状は見せたくない。

 

わざわざこんな痛ましいもの、彼女の視界には入れたくないなから、少し待ってと少年は声をはって制止する。

 

その間に手袋のような覆えるようなものがないか辺りの捜索をしようとする。

 

……けれど、その前に。

 

制止の声が、確かに聞こえていたのにも関わらず。

 

ぴ、という音がなって彼の部屋の扉は開いてしまう。

 

「……これはまた、ずいぶんとやらかしてるわね貴方」

 

そう言って扉の前で佇むのは、予想通りの彼女。

 

毎日見慣れて、焦がれていた彼女。

 

――ジャンヌ・オルタは、呆れたようなに放ったセリフと共に、マスターの部屋にずかずかと入ってくる。

 

その手に一袋の紙袋を抱きしめながら。

 

「……ずいぶんとやらかしてるからこそ。お待ち頂きたかったのですがね。ほんと、人の話聞かないよね」

 

「あら。別にそこまで邪険にされるようなことはしなくていてよ。貴方が勝手に私の背後に立ったりするのと、あまり変わらないんじゃないかしら?」

 

……どうやら、前回のことはそれなりに根を持っているらしい。

 

そんなに怒ることか、と心の中で愚痴を垂れつつ「そうですね」といやいやながら相槌を打つマスター。

 

それからこぼしてしまった消毒液を拭こうと、掃除用具入れまで歩こうとする。

 

しかし、彼の背中に待ちなさいとジャンヌは声をかける。

 

「……こうしたほうが楽よ」

 

言うと、、パチンと少女は指を鳴らす。

 

同時に、消毒液の散った床の表面がごうと燃え上がる。

 

煌めく橙色の光。

 

それからジャンヌは鳴らした右手のひらをぎゅっと握りこむ。

 

その行為につられるように、燃えていた焔はしゅんと消えてしまう。

 

幻のように、あっさりと。

 

散っていた消毒液を、一滴も残さずに。

 

「――はいおしまい。どう?なかなか頭いいでしょう?」

 

「確かに、頭いいとは思うけどね、でも今後は控えてほしいな。床が焦げるんじゃないかと冷や冷やした」

 

けちくさい男ね、とジャンヌは唇を尖らせる。

 

……本当は、少し怖がってしまった。

 

あの橙色の焔が。

 

夢の中で見た業火を、思い出させたから。

 

……いくらなんでも女々しすぎる。

 

そう自分を叱咤する。

 

だって、これを怖がっているようじゃ。

 

――目前に立つこの少女を、怖がっているのと同じことなのだから。

 

「――てゆうか貴方。まさかと思うけどその焼傷に消毒液なんて使おうとしてたの?」

 

「……そうだよ。別に間違っちゃいないだろう?」

 

少年の言葉に、ジャンヌは目を見開く。

 

それからやれやれと大きく息を吐いた。

 

「十分間違っているわよ。その状態の焼傷に消毒液なんて使ってちゃ、むしろ治りが悪くなるわ……持ってきて正解ね」

 

すると、彼女は持っていた紙袋をごそごそ漁りだす。

 

そして、次に少女の腕を見たとき、その手のひらには、白い箱のようなものが握られていた。

 

腕を出しなさい、とジャンヌは言った。

 

「……え、なんで?」

 

首を傾げるマスター。

 

いきなりそんなこと言ってどうしたの、と不思議そうな顔をして。

 

しかし少女は変わらず腕を出しなさいと苛立ち交じりに口にする。

 

それから続けて、少しその白い頬に赤みを差しながら、彼女はつぶやく。

 

「……でないと、治療してやれないでしょうが」

 

「……はい?」

 

恥ずかしそうに、照れくささを隠しながらも。

 

少女は、確かにそう口にする。

 

……彼女のつぶやきに、少年は無言だった。

 

詳しく言うなら、絶句していた。

 

その言葉は、彼が想像もしてなかったような言葉で。

 

耳にした瞬間、金づちで殴られたかのような目まいさえした。

 

「……ほら、早くしなさいよ」

 

「……え、いやその……自分で出来るから、大丈夫だよ」

 

安心させるために、少年はそう少々に笑いかける。

 

――しかし、それは一番言ってはいけない言葉。

 

ぶちんと、何かが切れる音がした。

 

続けてガン!と、地鳴りが響く。

 

……ジャンヌの足元に、小さなクレーターが出来ていた。

 

その中心で、少女のヒールが煙を放っている。

 

影を宿した瞳で、青ざめた顔のマスターを見つめる。

 

ゆっくりとした口調で、三度目の語りを少女はつむぐ。

 

「……いいから、さっさと、私にやらせなさい」

 

――絶対的な力をかざしながらの言葉は、すでに命令。

 

抗う術などあるはずもなく、はいと少年は震えながらも頷くしかなかった。

 

■ ■ ■

 

――パチンパチンと、はさみが鳴る。

 

切り刻んだ肌色の布。

 

その一枚一枚を、少女は少年の傷跡に丁寧に貼り付けてゆく。

 

そっと、静かに。

 

沈黙の中、白雪のような指先が動くだけ。

 

……どうして、いきなりこんなことをしてくれるんだろうか。

 

少年はそんなことを考える。

 

いや、語るまでもないか。

 

――君が優しいのは、よく知ってる。

 

きっと、自分に焼傷が現れたのを見て、マスターも同じ目に遭っているのではと心配してくれたんだろう。

 

でなければ、こんな治療セットまで持って、ここに来るはずない。

 

……ああ。

 

ついに、強がることさえ出来なくなった。

 

役立たずにだけはなりたくないから、戦闘では君に頼るしかないから、せめてこうゆうときぐらいは笑っていられるようにと思ってたのに。

 

……ばらさなければよかった。

 

君にこんな心配をかけるぐらいなら、この傷を見せなければよかった。

 

遅すぎる後悔が、マスターの心を犯してゆく。

 

「……はい。終わったわよ」

 

ジャンヌが言ってくれた時も、「……ありがとう」と顔を引きつらせた言葉しか吐けない。

 

……好きだった君の瞳が、後ろめたくて真っすぐ見れない。

 

「……君は大丈夫なの?」

 

尋ねると、少女は「ええ」と答える。

 

「もう治ったわ」

 

そう一言、少女は言う。

 

……だめだ。

 

今日はとことんだめだ。

 

それによかったねという言葉さえ返せずに。

 

……まだ治ってない自分への嫌悪しかわかない。

 

――わかってる。

 

彼女はサーヴァント。

 

すべてのステータスが、少年を遥かに凌駕する。

 

こんな傷、その気になれば立ちどころに回復してしまうだろう。

 

いつも通りの日常に、何事もなく帰れてしまう。

 

一週間がかりでやっといつも通りに動けるようになる自分とはえらい差だ。

 

……結局のところ、追い付こうとするだけで精一杯。

 

彼女の背中を見失わないよう、走るだけでいっぱいいっぱいなのである。

 

「……じゃあ、もう帰ってもいいよ。わざわざ来てくれてありがとうね」

 

言って、少年はこの時間を終わりにしようとする。

 

無礼なこの態度なら、きっと彼女も不機嫌な顔をしてさっさと帰ってくれるだろう。

 

そう、祈りながら、少年は語る。

 

――しかし帰ってきた答えは、予想外。

 

「何を言ってるのよ。今日は泊まるわよ」

 

……おそらく、最悪の一言を、君は口にする。

 

「……なんで?」

 

ジャンヌに問い返す。

 

そう言った理由を。

 

恐ろしいほど、淡々とした声で。

 

しかし、ジャンヌにその感情が伝わっていなかったのか。

 

「さぁね」と、ただそれだけを返す。

 

――その答えを、笑えなくて。

 

いつも通りだね、なんて耐えらなくて。

 

つい――ふざけるな、なんて言葉を、オレは吐いていた。

 

「……わかってるよ。君がオレを心配してくれてることぐらい。だからいつも、いつだって、君の前で笑っていようと思ってた……何にもできない、追いつけやしないって知ってるから、せめて強がっていたかったんだ」

 

――君の前では、『いい』マスターでいたかった。

 

かっこよくて、強くて、頼りになる男でいたかった。

 

……現実がそうじゃないってわかってたから。

 

でも、自分のせいだってわかっているけど。

 

……せめて保っていた虚像すら打ち砕かれてしまっては、もう立つ瀬がない。

 

「……ジャンヌ。悪い」

 

絞り出すような声。

 

懇願するように、少年は語る。

 

「……今夜は、帰ってくれ」

 

――これ以上、こんなかっこ悪い姿を見せたくない。

 

少年は、そう少女を突き放した。

 

――無音の時が連続する。

 

永遠のようなときの流れ。

 

……畜生。

 

傷つけたかったわけじゃないのに。

 

こんな口調でしか、言葉を吐けない。

 

――何が頼りになるマスターだ。

 

最低だ、とマスターは自身に唾を吐く。

 

……すっと、ジャンヌが息を吸う音が聞こえる。

 

どんな罵倒も、少年は受け入れる覚悟だった。

 

目を閉じ、少女の言葉を待つ。

 

……しかし、次の瞬間聞こえたのは、人間の声なのではなく。

 

ごちんという、鈍い音。

 

急転直下、脳天激震。

 

――グーで固められた少女の拳が、少年の頭を揺らした炸裂音であった。

 

ぶ、と口からいろいろなものを吐き出しそうになる衝撃を、なんとか耐える。

 

ジンジンと痛む頭頂部を抑えながら、涙目でマスターは「何をするの!?」と食って掛かる。

 

するとジャンヌはただ一言、「馬鹿への気付け薬よ」と答える。

 

「何を言うかと思えば……知ってるわよ。貴方がかっこわるいことぐらい。非力で、無力で、弱弱しいことぐらい……そのくせ分を弁えないぐらい諦めがわるいのだって、よく知ってるわ」

 

思い返すように、魔女は語る。

 

……いつかの記憶。

貴方が私の夢を見るように。

 

私だって、貴方を何度も夢に見る。

 

それこそ、毎夜のように。

 

傷だらけの拳を握り。

 

震える足で立ち上がり続ける。

 

その果てに、世界なんてものを救ってしまった、私よりもよっぽど英霊らしい少年の姿。

 

そんなボロボロな姿、みじめで、みっともなくて、汚らしい彼を、どうしてかっこいいなんて思えるだろう。

 

あり得ない、ありえるわけがない。

 

……けれど。

 

かっこよくもないし、冴えもしない貴方だったけど。

 

――汚れた貴方の背中に、私は確かな恋をした。

 

「……言ったでしょう。私はもう我慢しないって。だからいたいときに貴方の傍にいる。それは貴方がどう思おうと関係ない。貴方だって、自分の好きなようにしてるじゃない。私のしたいようにする。優しいから傍にいる?馬鹿じゃないの?自分勝手、自由横暴がこの私のモットーよ……ただ驚きね。私が泊まりたいと思った今日が、まさかの、本当に、たまたま……貴方にとって、誰かが傍にいてほしい日と重なったみたい」

 

すごい偶然、と漆黒の君は笑う。

 

……何がすごい偶然だ。

 

そんなの、やっぱり。

 

……君がすごく優しいだけじゃないか。

 

「……改めて、貴方に言ってあげるわ」

 

くいと、少年の顎を指で掬いながら、黄金の瞳は蒼い水晶を映す。

 

決して、ひとつぶやきすらも逃すなというように。

 

君は、オレを釘付けにしながら、囁いた。

 

「……先には行ってるわよ。けど……待っていてはあげるから、必ず追いついてきなさい」

 

なるだけ早くねと、君はそんな意地悪を言ってくれる。

 

――来るなとは言わない。

 

努力をやめることも、諦めることも決して許しはしない。

 

無論、進む速さを鈍足なマスターに合わせてやることなんて絶対しない。

 

……けれど。

 

もし仮に、少女が進み過ぎて、少年が遅れてくるのなら。

 

全くもって、仕方ないから。

 

――振り返って、待っててあげる。

 

そう、彼女は言ってくれたのだ。

 

「……だから、これ以上無茶したら、今度こそ本当に怒るわよ」

 

……こんなセリフ、普段の私ならまず言わない。

 

べた過ぎて、恥ずかしすぎて、死んでしまうから。

 

……でも、これはあの時の借りだ。

 

少年が、例え不幸になってもずっとそばにいてくれるなんて、べたなセリフを言ってくれたあのときみ。

 

そんなセリフを言ってもらえただけで、こびりついて離れなかった焼傷が、あっさりと治ってしまった自分がいたから。

 

その当然の対価を、少女も払ったまでのこと。

 

……守ってもらうだけのお姫様なんて、私の柄じゃない。

 

肩を並べて、胸を張って歩く姿こそ、私らしい私。

 

だから……こういうときぐらいは、優しくしてあげるわよ。

 

そう言って、ジャンヌはマスターの体を引き寄せて抱き締める。

 

君の身長はオレより小さいから、君の頭を埋まってしまう。

 

暖かくて、柔い心地。

 

まるで、オレの方が抱かれているような感覚。

 

――事実、そうなんだろうな。

 

……優しくて、涙が零れそうになる。

 

ここでかっこつけなきゃ、きっと一番かっこ悪いってわかったる。

 

……だけど

 

その体を、抱きしめ返してしまうオレがいるんだから。

 

――この嬉しさが、オレの本心なんだと、呆れてしまう。

 

「……君に、甘えるよ」

 

少年は確認する。

 

構わないわ、と少女は答える。

 

「……情けない姿を、君に見せるよ」

 

むしろいつかっこよかったのか聞きたいわ、と彼女に笑われる。

 

「……こんな自分でも、いいのかな?」

 

嫌よ、と断言する。

 

それはもう、きっぱりと

 

――けれど続けて、君は耳元でこうささやく。

 

「……だから、無理のないよう、頑張んなさい」

 

ずっと、傍で見てるから。

 

そう、君は微笑む。

 

……まったく。

 

相変わらず、容赦のない一言だ。

 

――そんな優しい、愛の言葉を言われてしまったら。

 

頑張る以外の選択肢なんて、あるわけない。

 

「……うん。頑張る」

 

頷いて、少年は抱き締め返す。

 

自分を包んでくれる、小くてか細い少女の体を。

 

強く抱き締め過ぎて、痛いはずなのに。

 

仕方ないと、君は笑って許してくれる。

 

……それが、どうしようもなく、嬉かった。

 

「……ねぇ。今すごくしたいこと、あるんじゃないかしら?」

 

そんな挑発的なことを、君は尋ねてくる。

 

ずいぶんと、自信たっぷりに。

 

偉そうに、上から目線で。

 

……だけど。

 

意地を張るよう態度と、やんわりと頬を赤らめて、目を閉じて待つ君を見たから。

 

微笑んで、マスターも顔を近づける。

 

その白い、少女の唇に向けて。

 

……ああ、でも。

 

やっぱり、今は。

 

触れ合う直前に、彼は思う。

 

迷い悩んだそのあげく。

 

――その細い人差し指を、ジャンヌの口先に落とした。

 

「……今回は、我慢する」

 

目を見開いて、驚く彼女に、マスターは言った。

 

その柔らかさに、触れたいという衝動を抑えながら。

 

「――頑張るから、そのあとの御褒美にね」

 

そう、彼は笑う。

 

すると少女はまったく、といった様子で肩を竦める。

 

いつまでそんなことにこだわるんだと。

 

……けどまぁ、悪きはしないから。

 

「……あんまり、待たせないでよね」

 

それまではお預け、と君は笑う。

 

でも、それだけで終わらないのが魔女。

 

もっと、ご褒美が欲しくてたまらなくなるようにと、呪いをかける。

 

……最後にそっと、その唇を。

 

おとしたかった場所から少し離れた、少年の頬に向けて。

 

微かな音を立てて、触れ合わせる。

 

……本当に、意地悪なひとだ。

 

マスターは、わずかに熱が残る頬を撫でながら、そう苦笑する。

 

――そして、少年は焦がれる。

 

痛む以外の焔を。

 

いつか、君と肩を並べて歩ける自分になるたったときに、今度こそは。

 

……その業火のぬくもりを、この唇に。

 



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断末魔は、貴方の傍で

「――チェックメイト」

 

カツンと、コールが響く。

 

白と黒の、モザイク模様の盤上。

そこに佇む、唯一の白色の王。

王冠を担ったその駒へ、一騎の黒き歩兵が剣を突きつける。

右を見れば、大きくはだかる一対の城壁。

左を向けば、闇より深き黒を纏う女王陛下。

逃げ場などなく、例えその兵を刈り取ったところで、結末は変わらない。

 

……それでも、少女は駒を進める。

 

無駄だと分かっていても、無意味な遅延だとしても、その一手を惜しむような真似はしない。

一つでも、道連れに出来るものがあるならと、白色の王を前進させる。

その行動に、少年はくすりと微笑む。

 

……確かに、意味のないことかもしれない。

 

しかしそれは、一秒でも勝利に縋りつこうとし、決して諦めようとしない覚悟の一撃。

いかにも彼女らしい、誇りたかき食らいつき。

だから彼は――マスターは、心からの敬意を表して最後の詰めを打つ。

 

黒のナイトが、白のキングを倒す。

 

――その瞬間。

 

本日九回目の決着がつく。

 

それは同時に、彼女の――ジャンヌ・オルタの九回連続の敗北を意味していた。

 

「……勝てない」

 

ガンと机をぶつけるジャンヌ。

 

打ちひしがれる聖女に、マスターは「これでも玄人ですから」と言って傍らにある皿の上から、切り分けられた林檎の一欠けらを手に取る。

食べる?とジャンヌに翳して訊いてみたが、彼女は「他人のものにまで手を出すほど意地汚くはないわよ」と断った。

そんな気にすることもないだろうに、とつぶやきながら、林檎を口に含む。

……さわやかでみずみずしいその舌触りが、新鮮の失わされたこの体に生きてる時間をくれる。

 

「でも正直びっくりしたよ。いきなりチェスの相手しろだなんて。どういう風の吹き回しだい?」

 

尋ねてみると、「別に」とそっけない答えを返される。

 

「……ジルにやり方とかコツを教わったから、試しに持ってきてみただけよ」

 

相手は誰でもよかった、都合のいい貴方がいただけ。

そう彼女が答えると、それはなんとも残念だとマスターは肩を竦める。

白い天井、ベットに腰かける彼と、テーブルを挟んで向こうの椅子に座る彼女。

二人きりで打ち合う、静かなこの時間。

……軽いデートのような気分でうきうきしていたのが、当の彼女には深い意味はないらしい。

 

「非常に残念である」

「なんで二回も言うのよ?」

 

大事なことですから、とマスターは少しむくれた様子で返答する。

唐突に不機嫌な様子になった少年にジャンヌは首を傾げる。

その細い指で、白き己がキングを手の上で廻しながら。

 

「……しかし、ここまで勝てないとなるとさすがに凹むわね。てゆうか疲れてきた」

「なら休憩にする?」

「そうね。次私が勝ったら休憩にしましょうか」

 

言いながらこつこつと駒を盤上に並べていくジャンヌ。

 

……まったく、相変わらずの負けず嫌いである。

 

むんすと鼻息を吹かす少女の様子に微笑みながら、マスターも同様に駒を並べてゆく。

 

「……けど一つだけアドバイスするなら、もう少し攻めを躊躇ったほうがいいとだけ言っとくよ。君の手は攻撃特化過ぎて、何も考えてないのがまるわかりだ」

「余計なお世話よ。それに守るなんてして暇があるなら攻めたほうがいいに決まってるじゃない。昔から言うでしょ。攻めこそ最大の防御だって」

「それにしたってやり過ぎだよ。さっきなんか、キング単騎で特攻してきたじゃないか。あんな危ない王様、どこいるって言うんだい?」

「そうでもないわよ。例えば、今私の目の前にいる奴とかね」

「……別段そんな無茶してる気はしてないんだけど」

 

本気で言ってるのかしら、とジャンヌの視線がきつくなる。

 

「どーでもいい一般市民助けるために敵陣へ突っ込んだり、魔力の使い過ぎで気を失った挙句私の背中に担がれて帰ってきたのは……いったいどこの誰なのかしら?教えてくださる?」

「……すみませんでした」

 

にっこりとした笑みと青筋を浮かべて腕を組むジャンヌに、マスターは申し訳なさそうに体を縮こまらせた。

 

……わかってる。

 

それらすべてが必要なことで、マスターがやるべきだった事柄だと、ちゃんと黒の少女は理解はしている。

その指揮と無茶があったからこそ、勝つことが出来てるのだと。

 

……それでもだ。

 

ああゆう行動は、横で見ていて気持ちよくはない。

それが他ならぬ、自分たちのためだとあっては、なおのこと後ろめたくなってしまう。

だから、ついついきてしまうのだ。

 

毎度毎度、こんな風に。

 

――わざわざ医務室までやってきて動けない貴方の暇つぶしに、今日も付き合ってしまう。

 

……ほんと、甘すぎる。

 

自らの行動に、ジャンヌはため息をつく。

 

「……けどまぁ。無茶しても大丈夫だって、安心しちゃうんだよね」

 

なんでよ、とジャンヌは苛立ち交じりにマスターを見返す。

 

すると彼は、盤上に立つ一つの駒を手に取って、にこりと笑った。

 

「――なんたって、うちには心強い女王様がいるからね」

 

黒のクイーンを見せながら、少年は微笑む。

 

誇らしげに、自慢そうに。

 

よりによって、この私に向かって。

 

……まったく。

 

まったくもって、腹立たしい。

 

冗談まじりの、何気ない一言だってわかってるのに。

 

……頬ぺったが、熱くてたまらない。

 

卑怯者、とジャンヌは胸の内で罵倒する。

 

「……なら、ポーンは清姫が妥当ね」

「なーんかかすかに悪意を感じるぞ、その采配」

 

さぁどうでしょう、とジャンヌは肩を竦める。

 

それからちらりと、視線を横に向ける。

目に映るのは、ベットのすぐ横にある戸棚、その上にある丁寧に切り分けられた林檎。

優しく飾られた、華のような一皿。

 

……そんなものを見れば、妬ましくもなるものだ。

 

「……それに、案外的射てるんじゃないかしら?」

「どうして?」

 

首を傾げるマスター。

くすりと、少女は不敵な笑みを浮かべる。

それからこう、続けるのだった。

 

「――私が獲られたとき、きっとあの子が変わりのクイーンでもなるんじゃない?」

 

そう、少女は嗤う。

 

……チェスでは、一度獲られた駒は二度と使用できない。

 

一回限りの命。

もう一回なんて、ありえない。

だからきっと、もしジャンヌが負けたときは代わりのクイーンが補充されるだろう。

 

何ものに代えることのできない、キングという彼を守り続けるために。

 

……不満はない。

 

それが真実であり、そうでなければゲームが終わってしまう。

そうならないために戦う。

負けないために剣をとる。

……貴方を死なさないために、私が死ぬ。

 

それが、「人理修復」という名の一局だ。

 

――沈黙が続く。

 

元から答えなんて求めちゃいない。

 

水臭い話をしてしまったものだ。

 

さっさと話題を変えようと、ジャンヌは口を開く。

 

「……確かに、君の言う通りかもね」

 

――その前に。

 

マスターの言葉が響く。

続いて、くすくすとした笑い声。

 

「……何がおかしいの?」

 

少々かちんと来て、ついぶっきらぼうに訊いてしまう。

思い詰めている自分が、バカにされてるみたいで。

けれど彼は彼女の鋭い視線があるにも関わらず、まだ笑みを浮かべてる。

 

だってねぇ、と彼は頭を上げる。

 

蒼い瞳が、黒い少女を映す。

 

細い、男性にしては細く長いその指をジャンヌに向けて。

 

彼は少女に答える。

 

 

「……君が負ける未来ってのが、まるで想像できない」

 

 

あっさり、マスターは断言した。

 

……絶句したのは、彼女の方。

 

あんまりにも自信ありげに、さも当然のようにマスターが言うものだから。

 

呆気にとられてしまうジャンヌであった。

 

「それとも。まさか君は不安なのかい?」

 

するとジャンヌが呆けているのをいいことに、マスターはそんな生意気なことを言ってくる。

 

……言わせておけば、偉そうに。

 

よくもまぁぬけぬけと。

こんな私を信じ切って。

 

……ほんと、貴方はずるい。

 

「――冗談。何言ってるのよ」

 

馬鹿じゃないの、とジャンヌは自らの髪を指で撫でる。

 

――やめだ。

 

やめだやめ、先のことなんて、そんな可能性なんて考える暇はない。

 

私は動く駒なんだから、ただ指示通りに動けばいいだけ。

 

考えるのは、キングの仕事。

 

だから……。

 

「――最後まで、かじりついてでも残ってやるわよ……だから貴方も、ちゃんと守られてなさい」

 

貴方を、信じて傍にいるわ。

 

そう言って、黒の女王は笑う。

 

クイーンの微笑みに、キングもほくそ笑む。

 

……君だけが消えるなんて、ありえない。

 

だってキングだけじゃ、チェックメイトは語れないから。

だから君が討たれるときは、素直に。

 

「……ああ。しっかり頼むよ、お姫様」

 

……いつかの約束通り、地獄に連れていかれるとしよう。

 

握りしめた黒のクイーンに唇を落としながら、マスターはそう笑う。

 

さぁゲームを再開しようと、少年は言った。

 

白の駒を操る彼女と、黒の駒たちと手をつなぐ彼。

 

自信に満ち溢れたその瞳は、勝利以外の結果は見えていない。

 

……これは負けるわね。

 

無意識にジャンヌは確信する。

 

自らの敗北を。

少年の常勝を。

でも不思議なことに、少女は何の不満もなかった。

むしろ彼女でも驚くぐらい、どこか安心したように頬を緩めている。

 

……きっと、貴方のキングが堕ちるときは。

 

クイーンの私も堕ちるとき。

 

ゲームが終わるLast Callは、誰よりも近く、すぐ傍で。

 

――私の断末魔は、貴方と共に響くだろう。

 



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真黒の三つ葉はまだ傷を知らない

幕間とか、漫画化ありがとうございますとか、そういった記念投稿。
とりあえず、おめでとうございます。


「――欲しいものだって?」

 

寝耳に水、といった風に。

思わぬ単語に驚いたマスターはそう尋ね返す。

するジャンヌは「そうよ」と腕を組みながら頷いて、さきほどの言葉を肯定する。

 

「アクセとか本とか、なんかないの?」

「いやなくはないけど……なんでいきなりそんなことを訊くんだい?」

「つべこべ言わずにさっさと答えなさい。燃やすわよ」

「いくらなんでも横暴すぎないか……?」

 

げんなりと、マスターはため息をつく。

 

……まぁジャンヌが横暴なことは今に始まったことじゃないが。

 

意図は読めないが、とりあえず欲しいものとやらを考えてみる。

 

下手なことを言ったらまた地雷を踏み抜きそうだから、慎重に考える。

 

「――お礼よ」

 

え、と少年は振り返る。

 

黒の甲冑を纏う彼女は、少年の視線から顔を逸らしつつ、もう一度「この前のお礼」と口を開く。

 

「……本、探してくれたじゃない。借りたままは嫌だから……なんか、お礼させなさい」

 

「……ああ」

 

本、と言われて合点がいった。

 

――先日、ジャンヌから頼みごとをされたのだ。

 

気に入ったシリーズもの小説を見つけたから、その続きが読みたいと。

 

ただ、ジャンヌが立ち入りを許可されてるまでの資料室には紙媒体の蔵書がなかった。

 

それではつまらないだろうと思ったマスターがわざわざカルデア内の倉庫を探し回って発行されたものを見つけ出してくれたのだ。

 

……マスター的には、少女がそう言ったものに興味を持ってくれたのがうれしくてノリノリで探していたのが、当の彼女ははいそうですかは頷けない。

 

この忙しい時期に、休憩時間を使ってまで探してきてくれた彼の行為を、流せるほど礼儀知らずではない。

 

「――さっさと言いなさいよ」

 

そう急かす彼女に、少年は微笑む。

 

……正直、その気持ちだけでもう十分なのだが、何も言わないとそれはそれで睨まれそう。

 

けれど、いかんせん急すぎた。

 

欲しいもの、と尋ねられてもとっさに思いつかない。

 

あるにはそりゃあるが、さすがにソレ言ったら顔の形が変形する。

 

……いや、待て。

 

これなら構わないか、と少年はその考えにたどり着く。

 

――うん、きっと大丈夫、行ける。

 

こくりこくりと、頷くマスターに、少女は「遅い……」と踵を鳴らす。

 

「やっぱあと五秒以内に答えなかったらこの話はなし。行くわよ、いーち……」

 

「――クローバー」

 

は?と思わず声に出る。

 

マスターはもう一度「クローバーがいいな」と告げた。

 

「……クローバーって、あの四つ葉とかやつ?」

 

おそるおそる尋ねるとそうだよと彼は頷く。

 

「ああでも四つ葉じゃないよ。三つ葉がいい。あと、叶うなら今日もらえたら嬉しいかな」

 

「いきなり急いた注文になったわね……でも、三つ葉ぐらいならすぐ見つけてこれるしいいか。いくつ欲しいのよ?」

 

一つだけ、とマスターは答える。

 

……うすうす感じていたことだが、もしかして適当なもの言われてるだけじゃないのか。

 

怪訝な顔をする少女にマスターは「本気だよ」と苦笑する。

 

「それに、君にお願いしたいのは普通のクローバーじゃないから。だからといって実現不可能なものでもない。君がオレにプレゼントできる現実的な品だよ。ある意味、四つ葉を探すより簡単だ」

 

「もったいぶってないで早く言え」

 

……けれど、四つ葉以上に特別なクローバーなんてあるのだろうか。

 

首を傾げるジャンヌ。

 

それをみて、当の彼はくすりと頬を緩める。

 

――どんな顔をするんだろう。

 

今からする問い掛けに、彼女がどんな答えを返してくれるのか。

 

どんな反応を見せてくれるのか。

 

……わくわくして、仕方ない。

 

だから、少年は問いかける。

 

楽しみで、たまらないと言った声で。

 

魔黒の少女に、今一番望むものを告げた。

 

……手に入るなら、もうなにも入らないと言えるほど、渇望するそれを。

 

「――黒いクローバー……真っ黒な三つ葉のクローバーが、今一番欲しい」

 

 

 

■ ■ ■

 

 

「……で、散々探した挙句それらしいものが何一つ見つけられなかったわけか。無様だな」

 

――ハン、と彼女は鼻で笑う。

がぶりと、右手に握ったハンバーガーに白い歯を突き立てながら。

 

目の前で机に額を打ち付けて全身全霊を出し切った魔女の骸を、黒き王は見下ろす。

 

「……うっさい。てゆうか、なんでここに貴方がいるのよ」

 

もっきゅもっきゅと音を立てて咀嚼を繰り返している彼女――アルトリア・オルタを睨み返すジャンヌ。

王は「ただの暇つぶしだ」と答える。

 

「……少々口さみしいと思ってな。ふらふらぶらついてみたら、抜け殻みたい疲弊しきった女を見つけたわけだ。ゆえに、貴様の前に座ってる」

「口さみしいのと、私の前でその頭の悪そうな飯を食べるのと何が関係あるのよ?」

 

おおいにあるとも、とアルトリアは頷く。

 

ちらりと自分を見上げてくる黄金水晶を、同じ輝きの瞳で見つめ返しながら、少女は嗤う。

 

「――他人の、特に貴様の不幸とあらば、恰好のスパイスだ。さっきから食が進み過ぎて仕方がない」

「いつものことでしょうが腹黒王。そんなんだから人の心がわかんないとか言われんのよ」

 

き、と睨み上げてくる瞳に、アルトリアは愉快な笑みを返す。

 

……が実際、見上げてくる殺意はどこか物足りない。

 

この突撃女には珍しく本当に疲れ切ってるようだ。

 

「いったい何をしてきてたんだ貴様。やけにドタバタしてたのは見えてたが」

「特に難しいことはしてないわよ。ただいくら検索かけても黒のクローバーなんて出てこなくて。よくてトランプぐらいかしら。あんな長い時間パソコンとにらめっこしたの初めてだわ」

 

すっごい痛い、とジャンヌは瞼をさする。

 

……あの少年から頼まれたものを、今夜までという期限を律儀に守って、誠心誠意探しまくっていたらしい。

いそいそと、ただ一人のために奔走する黒の魔女。

その色に反して、本質は乙女のそれだ。

健気なことだ、と頬についたケチャップをナプキンで拭いながらアルトリアはひっそりとつぶやく。

 

「……ああ、ほんとにわかんない。黒いクローバーって何?あるわけないじゃないそんなの」

「枯れたクローバー、というオチかもな」

「それもらってアンタ嬉しいの?」

「全く」

 

でしょうね、とジャンヌは大きく息を吐いて天を仰ぐ。

……どんな変種を探しても、真っ黒なクローバーなんて見つかりはしない。

それこそ先ほども言ったがトランプの絵柄ぐらいしか思い当たらない。

そんなものが欲しいなんてことはない。

 

――そんなものを、よりによってこの私に望むはずがない。

 

「けど、もうそれ以上思いつかないのよね。隠語って可能性も考えたけど」

「隠語……ああなるほど。花言葉か」

 

パチンとアルトリアは指を鳴らす。

花それぞれにある、おとぎ話のようもの。

確かに、花言葉としての意味を含めるならまだあり得そうだ。

 

「で、調べたのか?」

「はぁ?調べるわけないでしょ。あんな幸運とか恋愛とかそういう意味しかなさそうなやつ」

「自ら可能性を潰してどうする……通りで見つからないわけだな。まずその偏見はどうにかしたほうがいいぞ。それに、ああゆう綺麗そうに見える花こそ裏に何かあったりするものだ」

「へぇ、さしずめ貴方のところの湖の騎士サマとか?」

「否定はしない」

 

あっさり首肯する王様。

 

ばっさりと一刀両断。

 

敬う上司にすらこうも軽く言われるとは。

 

お気の毒、と一片の同情もなくジャンヌはお祈り申し上げた。

 

「まぁいい。とりあえず調べてみよう」

 

言って今日何十個目かのハンナーガ―を食べながら、アルトリアは携帯の端末に指を走らせる。

 

調べても無駄よ、とジャンヌは手のひらに顎を載せながらけだるげに語る。

 

「どうせ見ても砂糖吐きたくなるようなセリフしか載ってないでしょうから」

「むしろそのほうがあのロマンチストらしいだろ。私の予想が当たったらハンバーガーおごれ」

「まだ食うか」

「まるで足りん……おっと、これは」

 

ぴたり、とアルトリアの動きが止まる。

興味深そうに、その瞳は手元の液晶画面を見つめてる。

どうやら『何か』は見つけたらしい。

 

……まさか、本当にわかったのだとでもいうのか。

 

だとしたら半日近くパソコンに食いついていたのが、ほんとの本気でバカらしくなる。

憂鬱な気分になりつつ、のそのそとゆっくり立ち上がって、かの魔女はアルトリアの端末画面を覗き見る。

案の定、そこにはクローバーの花言葉を載せたサイトが開かれていた。

 

花言葉の意味としてまず一つ目に見えたもの、それは『幸運』。

 

予想通りだ。

 

予想通り過ぎて、なんの感想もわかんない。

だが、その花言葉にはまだ続きがあった。

どうせ同じような意味合いだろう、とタカをくくって目を通す。

二つ目、ジャンヌの視界を横切って見えた詩、それは――。

 

「……はい?」

 

――目を見開いた。

 

驚いた、予想外過ぎて。

 

ジャンヌが想像したものとはあまりに違うイメージ。

 

けれど、意味は単純明快。

 

一目見れば、勘違いなどあり得ないほど確かな真実。

 

……ちょっと待って。

 

もしこれが本当だとしたら。

 

これの、黒ってことは。

 

アイツが欲しいものって……。

 

「……ハンバーガー、とりあえず十個だな」

 

淡々と、アルトリアはつぶやく。

特にこれといった感情は見せず、そう黒の騎士王は言葉をつむぐ。

しかし、そんな言葉など耳には入らず。

 

……その瞬間には、ジャンヌは一気に駆けだしていた。

 

走り去ってゆく後ろ姿。

アルトリアはそれを止める気はない。

止めようにも、あんな形相を止まられるような感情ではないと十分理解していた。

 

……ああ、それにしても。

 

再び端末画面に目を通す。

そこには変わらず、あの魔女を赤面させた単語が残っている。

三度あるうちの二つ目。

 

『幸運』とは離れた、クローバーの花言葉。

 

――『復讐』という、ただ一単語が。

 

「……つまらん」

 

そう一言、黒の王は発する。

もっと一波乱あればよかったものを。

でなければ、こんな物語。

 

――ハッピーエンド以外、あり得ないだろう。

 

最後の一口を頬張りながら、黒の王はそんなことを考えていた。

 

■ ■ ■

 

――廊下を走る。

 

急ぎ足で、一気に駆け抜ける。

 

胸が苦しい。

きっとその理由は、速足過ぎて呼吸を忘れてしまったせい。

もしくは、この踵よりも早鐘を響かせる心臓のせい。

ズキズキとした躍動のせいで、頭の芯まで痛みは滲んでくる。

 

それでも、ジャンヌは走るのを止めない。

 

……だって、一秒でも彼に会う時間を早めたいから。

 

会って、馬鹿野郎と文句を言ってやらなきゃ、気が済まない。

 

黒のクローバー。

真っ黒な、『復讐』。

 

――真っ黒な、『復讐者』。

 

誰を意味して口にしてたなんて、嫌でも分かる。

 

それが欲しいと、少年は言った。

 

それしかいらないと、彼は言った。

 

……くどい。

 

回りくどいのよ、貴方。

その言葉を、その単語を、まさかとは思うけど。

 

――私が待ってたとか、少しも考えなかったの?

 

一秒一瞬の刹那ですら、恋しい。

足を縺れさせながら、転びそうにも早さを緩めずに息を切らすこの身は。

……きっと、砂糖を吐きたくなるほどの大馬鹿者に見えたことだろう。

 

――走って、走って、走って。

 

一瞬でつくはずなのに、無限にすら感じる道筋。

 

それを越えて、ようやく見える彼の部屋の扉。

 

果たしてここにいるだろうかと不安に思う。

 

が、それは一瞬のこと。

 

……探し求めていた人は、その扉の傍らにいたのだから。

 

何をするでもなく、ただ腕を組んで。

目をつむり、耳を澄ませて。

楽しそうに鼻唄なんか歌いながら。

扉に背を預け、佇むマスター。

 

――待ってる。

 

律儀に、私が気づくかどうかもわからないあの問いかけの答えを、彼は待ち続けている。

 

 

「……この、ばか」

 

思わず、声に出る。

これで黙っていられる奴がいるならこっちが聞きたいぐらいだ。

走る必要もなくなったから、少女は歩調を緩める。

けれど、踵は高く鳴らした。

カツンカツンと、感情に任せて。

この昂ぶりが、あの能天気な少年の顔を一欠けらでも多く貫くようにと、念を込めながら。

当然、彼もジャンヌの存在に気づく。

今自分がどんな顔をしてるかわからないが、少なくとも視線だけで相手を殺せるぐらい凄みは利かせてるつもりだ。

なのに貴方は、これっぽちの怯えも見せずに、「やぁ」と気軽に手を振ってくる。

 

……ほんと、貴方って人は。

 

どんな私でも、軽々と受け入れてしまうのね。

 

「意外に早かったね、もう少しかかるかと思ってた」

「……ええ。ぶっちゃけ無視してやろうかとさえ思ったわ」

 

そしたら貴方どうするのよ、とジャンヌは問いかける。

 

……そんなつもり、毛頭ないが。

 

だけど彼はそう言われても焦る様子なんか見せず、「その時は直接言うまでだよ」と笑う。

 

「……なら最初からそう言いなさいよ」

「やだよ。だって恥ずかしいじゃないか」

「あんな歯の浮くような花言葉を探しといてよく言う」

 

へぇ、と少年は目を見開く。

少しかがんで、少女を見上げた彼は、思わせぶりに首を傾ける。

 

「……ときめいた?」

「全然。むしろ殺意なら俄然沸いたわ」

 

そりゃ恐ろしい、とからかい気味に笑う。

 

……ああもう、調子が狂う。

 

開幕と共になんか言ってやろうと思ったのに。

そんな気が、一気に消え失せる。

やはり、このふにゃけた微笑みは、危険極まりない恐ろしい兵器だ。

 

……主に、この私に対してだけだが。

 

「――それでなんだけど、君はオレにプレゼントをくれるのかな?」

 

――そう、貴方は私に尋ねてくる。

 

彼の話の切り替えはいつも唐突だ。

気まぐれに長く思考させたり。

悩む暇とか、そういうのを無視して答えを求めてきたりする。

……困り果て、言葉に詰まる私の所作を、貴方は楽しんでいる。

普通のなら腹が立って仕方がないはずなのに、私を見つめてくる瞳にまったくの悪意が何のだから。

怒ろうにも、憤怒の火はしゅんと消えてしまう。

 

……でも、やっぱり悔しいから。

 

嫌よ、とジャンヌは顔を背ける。

 

負けず嫌いの性格は、私の本心なんだから変えようがない。

 

「……第一、対価が安すぎるわ。たかだか本一冊ぐらいで私が手に入るだなんて、ひどい侮辱。まずそのお気楽な思考回路を直していらっしゃい」

 

そう突っぱねてやる。

するとマスターは「それは残念」と肩を竦める。

それ以上は、何も言わない。

 

……それ以上、言ってはくれないの?

 

あんだけ引いておいて。

 

あれだけ想わせておいて。

 

それでこの話はおしまい?

 

……意気地なし。

 

ジャンヌはそう罵倒する。

胸の内で、誰にも聞こえない叫びを、吐露する。

 

「……そういえば。四つ葉のクローバーの意味って、君は知ってる?」

 

――でも、返答はあった。

 

要領を得ない、的外れな問いかけだったけど。

 

「……知らないわよ」

 

少女は答える。

 

すると少年は続けて語る。

 

――『真実の愛』なんていう、甘い響きを。

 

「……確かに、君からもらえるなら四つ葉の方が嬉しいさ。でも、それじゃあだめだ……だって、『真実の愛』を教えるのは、オレじゃなきゃ、意味がない」

 

――三つ葉が四つ葉になる要因は一つ。

 

成長の過程で、葉に傷をつけてやればいい。

 

それが四枚の葉と成長して、『真実の愛』なんてクローバーに姿を変える。

 

それは、人に対しても同じことが言えるだろう。

 

……だから、どうかお願いさせてほしい。

 

膝を折り、少年は少女の前にかしずく。

それぐらいの敬意を払わなければ、到底叶えてもらえないから。

その白い手を取り、真っすぐな瞳で、ジャンヌを見つめながら。

 

……この申し出が拒絶されてしまったらという恐怖に震えながら。

 

それでも、マスターはジャンヌに願った。

なるべく、いつも通りの、彼らしい笑みを浮かべながら。

 

「――今夜、君の時間を……オレにちょうだい」

 

――『初めて』君に『傷』をつける権利を。

 

そんな愛の『シルシ』をつけることを、許してください。

 

そう少年は、乞うた。

指先は震えて、強がってはいるけど、不安そうな貴方の瞳。

普段の余裕綽々とした貴方が、まるで幻みたいに。

 

仔犬ような様子で、覗きこんでくる。

 

……まったく。

 

本当に、下手な告白だ。

やりようならいくらでもあったのに。

よりによって、一番かっこ悪い結末なんか選んで。

 

「……馬鹿じゃないの」

 

思わず、声に出た。

貴方が払った勇気には見合わないこのへたっぴな告白を、私は嗤う。

 

「……ほんと馬鹿。これならさっきのままの方がずっとロマンチック。こんなんじゃ、時間なんて作ってやる気にはなれないわ」

 

本心からの言葉を、ジャンヌは口にする。

そうだ、こんな告白に払ってやる対価はない。

まだまだ、こんなものじゃ足りない。

 

……だから、私はこう答える。

 

もっと貴方から搾り取るために。

 

その骨の髄まで、貴方に『私』を染み渡らせるために。

嗤いながら、馬鹿にしながら……震えながら、彼の耳元でささやく。

後戻りの聞かない恐怖を振り払い。

 

精一杯の、勇気と共に。

 

――答えを、告げる。

 

「……貴方が、私の部屋に来なさい」

 

そう、少女は謳う。

 

つくづく甘いと、我が身を笑いながら。

 

……一瞬、少年はぽかんとした顔になる。

 

でもそれからすぐ、少女と同じような笑みを浮かべる。

 

くすりと、緊張に膨らんだ風船に穴が空く。

 

「……君も、たいがい下手じゃないか」

 

「……アンタほどじゃない」

 

唇を尖らせる彼女。

拗ねたような、可愛らしい反抗。

 

……本当、だからいつまでも惹かれるんだ。

 

決してブレないクセに、こうやって優しく触れてくれる君だから。

 

魅力的過ぎて、息が詰まるぐらいにいとおしい。

 

「――じゃぁ、また今夜……」

 

そう言って、マスターは手を離そうとする。

 

名残惜しいけど、彼の一存で引き留めるわけにはいかないから。

 

――けれど、彼女は待ってとまた指を絡める。

 

「ジャンヌ……」

 

「……まだよ」

 

言って少女は、少年の手を自らの頬にあてる。

 

そうして、彼の熱を芯まで伝わるように、包み込むように触れる。

 

――私を求めて止まない、このぬくもりを。

 

私が求めて止まない、この熱を。

 

……脈打つ命ともに、少女は感じとる。

 

「……私がいいと言うまで、このままでいなさい」

 

目を閉じたまま、ジャンヌはぶっきらぼうに言う。

 

自分勝手で、わがままな君の台詞。

 

……知ってる。

 

良く、知ってるよ。

 

それが、自分と同じくらい不器用な、彼女なりの甘え方だって。

 

「……はい」

 

だから、待っていることにした。

 

少女がいいと言うまで、ずっと。

 

どんな命令だって、聞いてあげる。

 

……何せ、もう十分に。

 

払いきれないプレゼントを、もらってしまったから。

 

■ ■ ■

 

――クローバーの花言葉、三つ目。

 

『私を、幸せにしなさい』。

 

ええそうよ、その通り。

 

私が貴方にあげるものなって、何一つない。

 

この復讐者が貴方に譲るものなんて、万に一つもない。

 

それを変えるつもりはないし、そんな身勝手な私が貴方は好きなんでしょう?

 

――だから、貴方は払い続けなさい。

 

私を幸せにするために。

 

惚れた貴方は私のものなんだから、そんなのは当然。

 

サーヴァントしての礼は尽くせど。

 

それ以上なんて、私は支払わない。

 

……でも。

 

私を幸せにする方法について、指図はしないわ。

 

考えるの面倒くさいし、何もする気ないし。

 

……だから。

 

それだけは、許してあげるから。

 

――全部、貴方の好きにしなさいな。

 

この身の一滴に至るまで。

 

……貴方の熱に、傷つけられてあげるから。

 



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『特別な』貴方と、私と、私で、前編

グランドオーダー二次創作。
今回限り、真っ白い方のぐだジャンで書かせて頂きます。ツイッターでネタを頂いて、それを元にさせて頂きました。


「…ねぇ。ジャンヌさんがいたころのフランスって、どんなとこだったの?」

 

――何気ない日々のひとこま。

 

唐突に、彼はそんなことを訪ねてくる。

 

「……フランス、ですか?そうですね……他の方々にどう思われてるはわかりませんが、とても心地のいいところだったと思います」

 

そう、ジャンヌ・ダルクは答えを返す。

すると彼は、「どんなところがよかったんだい?」と重ねて問いかける。

……その問いかけに口を開きかけて、けれども言葉にならず、少女は口を閉じてしまう。

 

――言われてみれば、何がよかったのか、具体的にはよくわからない。

 

自分が知っている穏やかな世界は、村娘だった頃のあのひととき。

それ以降は、戦火の中に身を投じてしまって、『心地のよい場所』とは、あまりにかけ離れてしまってる。

 

……でもそれでは、あまり狭すぎる。

 

特に目の前の少年に母国のよさをわかってもらうには、なんとも情けない根拠にしか聞こえない。

どうしましょう、とジャンヌ・ダルクは首を捻って悩ませる。

その一生懸命な姿を見て、少年はくすりと穏やかな笑みを浮かべる。

それから彼は、「ならいっしょに行こうか」と言葉を続けた。

 

え、とジャンヌは振り返る。

言われたその台詞の意味が、よく理解できなかったからだ。

ぽかんとするジャンヌに対し、彼はもう一度語る。

 

変わらず、穏やかな微笑と共に。

 

「……今度の休み、二人でオルレアンに行こう。その時思い出したら、君が好きだった場所のことを教えてね」

 

 

それじゃあ、と少年は手を振って去ってゆく。

あっさりと、けれど確かに残る約束だけ残して。

ぽつんと、廊下にただ一人残された救国の聖女は、呆気にとられて立っている。

いつもならまだマシな思考速度が、このときばかりは牛の歩みより遅い。

 

……だが、意味が理解できなかったわけではない。

 

「……二人で、行こう」

 

少年の言葉を、復唱する。

その言葉の深さが、理解できないほど鈍くはない。

……ほんのりと、雪のような白い肌に紅の熱が宿り始める。

そして早鐘を打つ、この鼓動。

胸の奥で混ざる、二つの感情。

ああ、本当に。

 

「……参りました」

 

――そう、聖女は天を仰ぎ見る。

 

それは本心からの呟き。

少年の、マスターとの約束に。

 

……かつてないほど、苦悩した彼女の言葉だった。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

「……というわけなのですが、正直マスターが喜でくれるような場所が思い付けません……貴方ならどんな場所を紹介しますか?オルタ」

「そうね。まずよりよってその相談を私にぶちかましてくる貴方の豪胆さにびっくりよ」

 

テーブルの向こうで頬杖をつき、心底げんなりとした表情で、ジャンヌ・オルタは答えを返した。

すると聖女は頭を抱えながら「他に相談出来る方がいなかったんです……」と消え入りそうな声でつぶやく。

 

「んなわけないでしょう。ジルとかに相談なさいよ」

「ジルたちには何故か非常にほっこりとした微笑みを返されただけで何も教えてくれません。まるで『子供はどこからくるの?』と尋ねたときのお父さんにされたような笑顔でした」

「完全にお茶を濁されてるじゃない。てゆうか、その見守るような父親気取りしたカオってのが簡単に想像出来てなんか腹立つわね……じゃああの王女サマは?アンタら仲いいし、そっちに話振りなさいよ」

「マリーには確かにいくつか場所を教えて頂きました。ただ、私が行ったことがないところばかりで。というよりも、やはり少し生活水準が違うと言いますか……流石に、堂々と正門から他城に上がるなんて私には出来ません」

「上がったのか、アイツ」

 

まぁやれそうな気はする、とつぶやきながら、ストローに口をつける。

ちゅうと、透明な筒がオレンジ色へ染まる。

 

「……どう、思いますか?」

 

上目使いに、白いジャンヌはそう尋ねてくる。

対して黒のジャンヌは、「知るか」とこれ以上ない斬れ味の返答をする。

「そもそも、私がアンタを助けるような真似をすると思う?ここで仲良しごっこし過ぎて頭イカれたのかしら?……第一、アイツの思いに答える気なんてこれっぽちもないのに、何を頑張ってるのよ」

 

「……やめてください」

 

はぐらかすな、とオルタは鋭い声を出す。

金色の眼光が、聖女を睨む。

まるで仇でも見るような、憎悪に燃えたその瞳。

 

「……これに深い意味が感じられないなんて言ってみなさい。今度から二枚舌の聖女サマって呼んであげるわ……アイツは、明らかにアンタに好意を持ってる。シールダーに対する先輩後輩の好意でも、他サーヴァント全員に向けてる信頼として好意でもない……異性として、『ジャンヌ・ダルク(あなた)』に惹かれてる。それがわからないほど、『ジャンヌ(わたし)』 はバカかしら?」

「……いいえ」

「なら改めて尋ねましょう――貴方、その好意に対して、『女』として答えるつもりある?」

 

――まっすぐに見つめながら、ジャンヌ・オルタは問いかける。

 

その問いかけは、オリジナルの心にずきりと杭を差す。

誤魔化しきれない、そんなつもりはないが目をそらしたいと思えるその現実を、黒の映し身は投げ掛ける。

……しばしの沈黙のあと、ジャンヌ・ダルクは首を横に振った。

でしょうね、とオルタは頷く。

 

「……『聖処女』たらんとするなら、アイツの想いに答えるわけにいかない。そう覚悟決めたんだもんねぇ、貴方……ならどうして、断りに行かなかったの?」

 

……期待があるからに決まってる。

 

誘っていっしょに出掛けてもらえるとなったら、誰だって期待する。

だから本来なら、例えその時に出来なくても改めて断りに行くべきだ。

その方が、無駄な期待もさせず、ずっと優しい。

 

……少なくとも。

 

こんな風に、どこに連れていけばいいかなんて悩むのは、自己満足でしかない。

 

「……全部捨てずにいられると思ってるの、貴方?」

 

凄みをきかせて、オルタはそう語る。

言葉の端に、滲み出る殺気を纏わせながら。

魔女と畏れられた、その圧力。

しかし、聖女は臆することなく「思っていません」と言い切る。

「貴方の言う通り、私は『少女』ではなく『聖処女』としての己を選びました……初めは、断るつもりでした。ですが……」

 

……恐かった。 

 

その後に起こる結末が想像できなくて。

彼がどんな反応を示すのか、まるでわからない。

 

だって、私は……。

 

「――こんな感情、知らなかったんです……」

 

絞り出すように、呻くように、聖女は声を出す。

……まっすぐな好意。

それが嬉しいと、心から思えた。

他の誰でもない。

ただ一人の、貴方の微笑みが、輝いてみえた。

……特別な『誰か』なんて、『ジャンヌ・ダルク(わたし)』は知らない。

唯一なんて言葉、わからない。

慈愛とは違う、手に入れたい、手にいれて欲しいという欲求からなるこの衝動。

 

……『聖処女』を名乗る彼女には、この『愛』は重すぎて、理解が追い付かない。

 

「……断ったらどうなるのか、今までと同じ日々に戻れるのか、まったく違う明日を迎えるのか……マスターに、憎まれてまうのでは。そんな不安ばかりが、頭の中をよぎるんです……だから、何も言えなくなりました」

 

震える肩を、抱き締めながら。

まるで、懺悔でもするかのような声で、ジャンヌ・ダルクを名乗る彼女は胸の内を吐露する。

 

……その告白に、オルタはしばらく無言だった。

 

深く息を吸い、同じぐらい息を吐き、そして口を開く。

 

――甘えるな。

 

そう、断言する。

 

「……知らない、理解できないなんて時期はとっくに過ぎたわ。子供が言うならまだしも、今の貴方が言ってもただ問題から目を背けてるだけの我が儘よ……それならさっさと、余計な覚悟なんて捨ててしまいなさい」

 

目障りだから、とオルタは切り捨てる。

うつむいた聖女は、それ以上何も言わない。

手は強く握っていても、反論すらしてこない。

変わらず理性的でいようとする彼女に、忌々しげに魔女は舌打ちする。

 

「……変わらないわね、ほんと」

 

荒々しく席を立ち、聖女に背を向ける魔女。

 

――本当に、腹が立つ。

 

わからないと悩めるその幸せが。

どちらかを選べるという白の幸福が。

だって、私はそもそも。

 

……選んですら、もらえなかったんだから。

 

「……大っ嫌い」

 

 

――これが、幼稚な嫌がらせだと、醜い負け惜しみだとわかっていても。

 

そう言わずには入られない黒なのであった。

 

 

 

 



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『特別』な貴方と、私と、私が 中編

真っ白いぐだジャン、とか言ったけどごめん。
中編、ジャンヌ・ダルクは出ません


――腹が立つ。

 

ガン、と廊下の壁を殴る彼女。

 

一発、二発、三発。

何度殴ろうとも、指先がしびれるだけでこの苛立ちは紛れはしない

行き場のない荒々しさが、吐きそうになるほど脳の血管を脈打つ。

焼き殺されたあの時よりも、はるかに痛む熱が、ジャンヌ・オルタの心を焼き焦がしてくる。

 

……わかってる。

 

先ほどまでオリジナルにぶつけていた言葉の全部、ただの八つ当たりだ。

 

……わかってる。

 

聖女がわからないと途方に暮れていたあの感情が、どんなものなのか。

彼に微笑まれるだけで、胸は早鐘を打つ。

少年に必要としてもらえるだけで、言いようもない嬉しさを覚える。

自分の在り方とか関係なくなるぐらい、その存在に惹かれるんでしょう?

 

知ってる、イヤってほど理解してるわ。

 

なぜ知ってるかって?

決ってるでしょう。

 

……その感情と同じものが、今でも私の胸の内で暴れてるんだから、無視しようがないのよ。

だから、余計に腹が立つ。

あの聖女サマは、持ってる。

マスターと深く繋がれる権利を、その機会を、よりによって彼からもらえた。

でも、彼女はそれを放棄しようとしてる。

 

それについて、私にとやかく言う権利はない。

 

……でも、何も思わなかったわけじゃない。

私が欲しくて堪らなかったものを、よりによってアンタが奪うのか。

そんな妬ましさを、抱かなかったわけでもない。

そして、そんな思いを抱きながら、迷いを見せてる贅沢なアンタの姿を見せられて。

 

……何も言わないでいられるほど、私も人間ができちゃいない。

 

「――バカみたい」

 

そう言葉が漏れる。

他でもない私自身に向けて。

 

……ほんと、情けなくて仕方ない。

 

こんなの私じゃないって、泣き叫びたい。

きっとリセットボタンなんてものがあったら、迷いなく押したろう。

 

――いいや、迷いはするか。

 

リセットボタンを押して、彼と過ごしてきた日々がすべてきえてしまうというのなら。

……結局、私はそんなボタン押しはしないのだろう。

 

「――ほんとバカ」

 

どうあがいても逃れようのないカルマ。

それで納得してしまう自分がいたから、一層強く壁を殴るジャンヌ。

 

「――そこまで。さすがにそれ以上君の力で殴ったら穴が開いちゃうよ」

 

呆れたような男のため息が、耳に入ってくる。

……いや確かに、廊下でこんなことをしていたら目立つし鉢合わせする可能性はあったろうけど。

いくらなんでもタイミングが過ぎでしょうが。

 

「……空気読めないわね、貴方」

 

 

じ、と睨むと彼――マスターは「そりゃ申し訳ない」と肩を竦める。

その手には白い紙束を握りしめ、加えて黒縁の眼鏡をかけている。

 

「……仕事終わったの?」

「うん。で、今からダ・ヴィンチちゃんに提出しにいくとこ」

「相変わらずのワーカーホリック。いい加減死ぬんじゃない貴方」

「はは。そしたらエレちゃんにまた会えるかな。怒鳴られるだろうけど」

 

からかい交じりにそう笑うマスター。

普段通りの、代り映えのしない貴方。

けれどそうやって幾度か言葉を交わすだけで、胸のうちにすくっていた重いものが、風に吹かれた煙みたいにすっと消えてしまった。

 

……我ながら単純すぎて、ため息しか出ない。

 

「……そのワーカーホリックが、珍しく休みを取るらしいじゃない。しかも、どこぞの聖女サマとフランスへお出かけなんですって?なかなかしたたかね」

 

言うと、マスターはえ、と口を開く。

まさかそんな話をオルタから振られるとは思っていなかったらしい。

少し辺りを見回した後、「そんな話題になっちゃったの……?」と小声で尋ねてくる。

 

「さぁ。ただ少なくとも私の耳には入ってるわね」

 

何せご本人様がばらしてくれましたら、と心の中で付け加える。

すると彼は「うわぁ……」と手のひらで顔を覆う。

 

 

「さすがに、これは恥ずかしいかも……けどまぁ、バレちゃったものは仕方ないし。おとなしく諦めるか」

「……本気なのね?」

 

静かな声で、オルタが尋ねると、うんとマスターは頷く。

 

――その答えに、落胆する私がいる。

 

「……無駄に終わるかもしれないわよ」

 

もう一度、そう尋ねると彼は「知ってる」と言葉を返した。

 

「……オレの自己満足なところがあるしね。正直、無理言ったから出かけること自体断られると思ってたよ」

「貴方自身が諦めてるってわけ?嘘おっしゃい。少しの期待もせずに待てるなんてほど、聖人には見えないわよ」

「まぁほんの少しぐらいは、なんて考えなかったわけではないけど……うん、やっぱ期待はしてない」

 

だってさ、と少年は言葉を続ける。

 

「……そういう女の子を好きになったんだから、しょうがないよね」

 

――本当に、仕方のない奴だといったふうに自嘲しながら。

 

マスターは、そう言った。

……愛してる、と言って欲しいわけじゃない。

見返りもいらない、期待もしない。

ジャンヌ・ダルクの生き方を、変えてほしいわけでもない。

永遠の片思いでも、構わないから。

ただほんのちょっと……思える人との時間が作りたかった。

囁か過ぎる、子供じみたその願い。

彼らしい、平凡極まりない欲望。

 

 

「……だったら、私でもいいじゃない」

 

……あんまりにも割り切られた決意を言われたからだろう。

 

少女の口から、思わずそう零れていた。

 

え、と目を見張る少年。

 

……ここまで言ったのだ。

 

もう構わないと、オルタは最後まで言い切る。

 

「……私はアレと違って、やっかいな縛りもない。掲げる理想だの、重しになるようなものもないわ。それにほら、顔だって声だって体だって同じなのよ……だから。あんなの面倒なの好きになるぐらいなら、私にしときなさいよ」

 

そう両手を広げて、魔女はいざなう。

自らの腕の中へと、魅了する悪魔のように。

 

――いや違うか。

 

どちらかと言えば、これは乞いているのか。

震える手、唇、瞳。

少女のなけなしの必死さが、よく伝わってくる。

きっと答えは変わらないってわかってるけど。

それでも、彼女は言い切った、自分の本心を。

 

……ほんとうに、惚れ惚れする。

 

貫こうとするその姿勢は、正直男の自分から見てもかっこいい。

 

――でも、だからこそマスターも答えねばなるまい。

 

言い切った彼女のために、最大限の敬意と共に。

 

「……ごめん。それは無理かな」

 

かつんと、歩み寄る。

自らより小さいその立ち姿。

なのに自分よりずっと、煌々と輝く眼差しをまっすぐ見つめながら。

彼はその理由を続ける。

 

「……叶わないってわかってる。でもね――この感情に、そういう妥協はしたくないんだ」

 

君にも失礼だしね、とマスターは苦笑する。

 

――『ジャンヌ・ダルク』と『ジャンヌ・オルタ』は違う。

 

それをいっしょにしたくないし、それでいいなんて嘘を人にも自分にもつきたくない。

 

だから、ごめん。

 

そう、彼はもう一人のジャンヌに告げた。

……答えを聞いてもなお、オルタは視線を逸らさない。

それに倣って、マスターも目を逸らさなかった。

見つめあう視線が、刹那の時間に流れる。

 

「……ほんと、子供染みた意地ね」

 

――やがて、先に目を逸らしたのは黒いジャンヌの方。

かろうじて、出た言葉はそれだけ。

らしくないほど震える、少女の声。

歴戦の魔女といえど、意外に堪えるものがあったのだ。

泣かなかっただけ、褒めて欲しいぐらい。

 

……失恋の味というものは。

 

思いのほか、痛い。

 

「……なら、頑張んなさいよ」

 

――本音を言えば、まだまだ言ってやりたいことがあった。

 

でも、すべてを承知してるマスターにとって、それは余計なお世話だ。

この場で私が言えることはもう何もない。

だからそう言って手を振って、さっさとオルタは立ち去ろうとする。

 

……ああでも、これだけは言ってやろうか。

 

悔しいのは本当だし、このまま引き下がるのは性分じゃない。

言ってやっても罰は当たらないだろう。

まぁ当たっても、別に構わないが。

すれ違いざま、「マスター」ーと少年に呼び掛けるジャンヌ・オルタ。

蒼い眼を見つめ返して、にたりと笑ってやる。

 

「――もし振られたら、特別に慰めてあげるわよ」

 

不敵な笑みと共に、少女はそう口にする。

 

一瞬、呆ける彼だったが、くすりと苦笑する。

 

それから「やだよ」とはっきり断った。

 

「だって君、慰めに行ったら行ったで情けないとかだらしないとか言うんだろ。そんな傷口に塩をぬるような真似致しません」

「なんだバレたか」

「そりゃ勿論。君とも長い付き合いだからね……けど、ありがとね」

 

最後に、そう微笑みを残して。

 

じゃあね、とマスターは去っていった。

 

独り、廊下に取り残される彼女。

 

「……ああもう。ほんと便利よね、あれ」

 

そう愚痴を零す。

……ありがとうと、言ってくれたあの笑顔。

それを見ただけだというのに、なんか全部チャラにしてもやってもいいかななんて思えてしまった。

 

「……まったく、ほんとにしょうがないわね」

 

全くもって不本意である、と口にしながら、少女は歩き出す。

……余計なこと、わかっているが。

 

ほんの少しは、手伝ってやる。

でもそれは、絶対あの聖女サマのためなんかじゃない。

ただ、私が見たいだけのことだ。

 

――例えそれが私に向けられたものじゃなくても。

 

あの笑顔を、一回でも多く見れるなら。

それぐらいはしてやるわ、なんて冗談みたいなこと、さらりと言えてしまうのだ。

 

……本当に。

 

「……面倒な奴を好きになってくれたわね、『ジャンヌ(わたし)』」

 

恨むわよ、と魔女は笑う。

 

……けれど言うほど、憎らしくもない彼女なのであった。

 



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『特別な』貴方と、私と、私で  後篇

グランドオーダー二次創作、真っ白いぐだジャンです
これにて完結、よろしければお読みくださいませ


――きゅいと、ノズルを捻る。

 

同時に、頭上から降り注いでいた小さな豪雨もぴたりと止んだ。

ぽたりぽたりと、濡れた髪から滴る雫たち。

タイルに大きく跳ね返り、どくどくと排水溝に流れて行く音。

何気ない日常の行為なのに、かつてないほど鮮烈な印象を受ける。

それもきっと、この憂鬱な気分のせい。

 

……ついにきてしまった。

 

金糸の髪、蒼い瞳、真白の肢体。

自らの全身を写す鏡に手をつきながら、かの聖女、ジャンヌ・ダルクは物憂げなため息をつく。

 

――結局、断ることが出来なかった。

 

機会がなかったわけでない。

何度も顔を合わせた、廊下でもすれ違った。

けれど、断ろうと口を開くといつも、声は喉奥から出てきてくれなかった。

幾度も言葉に詰まり、視線を反らし、話題をはぐらかして……気づけば、今日という当日を迎えていた。

 

――何がしたかった?

 

そう自らに問い掛けながら、シャワールームを出る。

うやむやに時間を浪費し、答えを出せぬままここに至るこの身は。

なんのために、誰のためにこんなことをしたのだろうか。

 

……彼のため、というならば答えははっきりとさせておくべきだったはずだ。

 

私は、『聖処女ジャンヌ・ダルク』を捨てるつもりはない。

これからも、その生き方を貫き通す。

なのに、明らかな好意があると理解していたのに。

ジャンヌは、マスターの誘いを断れなかった。

どころか、心の奥底では、その好意に堪らない嬉しさを感じていた。

 

「……本当に、卑怯者ですね」

 

彼女の、黒い私の言う通りでした。

 

……甘えていた。

 

あの時、マスターに誘われたあの瞬間。

少女は嬉しさと共に、激しい焦燥に刈られていた。

目を背けていた感情に、向き合わなければならないと恐れた。

 

…… 微笑まれるだけで、胸は早鐘を打つ。

 

必要としてもらえるだけで、言いようもない嬉しさを覚える。

自分の在り方とか関係なくなるぐらい、貴方に惹かれる。

そんな毎日が、幸せだった。

この小さな手のひらで握り込める程度の、ささやかな幸福で十分だった。

 

……なのに、マスターは私にくれる。

 

それ以上の、『聖処女(わたし)』の手に収まりきらない幸福を。

嬉しくて、どうしようもなく悲しくなった。

どうしてそんなことを言ったんですかと、貴方を恨めしく思いそうになる。

 

……黙っていてくれたなら。

 

あの曖昧な瞬間を、ずっと続けていられたのに。

 

「……八つ当たりですね」

 

未練がましいと、自分の考えを少女は嘲笑う。

 

――これは、いずれはくるはずだった終局。

 

それがたまたま、今日であっただけのこと。

仕方ない、と割り切るほかは、ない。

自らの髪を乾かしながら、聖女はそう言い聞かせる。

 

……ああ、それでも。

 

断ったときの、貴方の悲しそうな顔が目に浮かぶから。

その時こそ、これまでの日々にちゃんとさよならをしなければ。

ぱちんと、指を鳴らせば、全身を魔力で編まれたいつもの装束が包み込む。

 

……重い。

 

きっと質量は何一つ変わっていないはずなのに。

『ジャンヌ・ダルク』の衣装は、鉛のように重かった。

ふぅと、長く息を吐いたその時。

 

――軽いコールが、室内に鳴り響く。

 

それは来客者を知らせるチャイム音。

そう認識した途端、びくりと体が震えた。

 

……待ち合わせはカルデアスの前だったはず。

 

もしかしたら、迎えにきてくれたのだろうか?

だとしたらまずい、情けない話だがこの期に及んでもなお、心の準備が出来てない。

おそるおそる、ジャンヌは扉近くにあるモニターから部屋の外に立つ人物の画像を見る。

 

……すると、そこには予想外の人物の画像が映っていた。

 

ロックを解除し、思わずジャンヌの方が扉の外に飛び出す。

 

「……いきなり何慌ててんのよ」

 

猫かアンタは、とあきれた声で語る来訪者。

 

「いえ、その……貴方が私の部屋にくるとは、正直思っていなかったので」

 

言うと「そりゃそうでしょうね」とジャンヌと同じ顔をした彼女も同意する。

 

――ジャンヌ・オルタが、ジャンヌ・ダルクの部屋の前で立っていた。

 

服装は彼女がよく着ている黒い私服で、その手には白い紙袋が一つ。

 

「……どのような御用ですか?」

 

かつてない現象に、少し構え気味に尋ねるジャンヌ・ダルク。

しかしその問いかけに答えず、オルタはじっと目の前に立つ聖女を見つめていた。

 

頭の先からつま先まで、じっくりと。

それからものすごく深い、ひどく呆れたようなため息をついた。

 

「……予想はしてたけど、まさか本当にそんな格好でいこうとしてたなんてね」

 

額を抑えながら、やれやれと首を振る。

そうしたのちに、彼女は手に持っていた紙袋を聖女に差し出す。

無言のまま、ぐいと差し出す。

 

「……これは?」

 

首を傾げる聖女に、魔女は「受け取んなさい」とただ一言告げるだけ。

言われた通り、その紙袋を受け取るジャンヌ。

ちらりと、見えた紙袋の隙間から白い布のようなものを確認する。

 

「……開けてもいいでしょうか?」

「いちいち確認するな。うっとうしい」

 

顔を背けながら、冷たく黒い少女は言い放つ。

紙袋を開けて、ジャンヌは中身を手に取る。

そして取り出すと、ふわりと『純白』が目の前に広がった。

 

――それは、ワンピース。

 

白百合を連想させる清純さを備えて輝きを放つ。

フリルのついた、可愛らしいワンピースだった。

 

「……どうせ、ろくなの持ってなかったんでしょう。だから、ものすごくしょうがないから、それはあげるわ」

 

目を見張る少女に向けて、オルタはそう言った。

 

――ほんと、らしくなことをしたと思う。

 

わざわざ新宿まで出向いて買ってきてやるとか、正気じゃない。

 

でも……。

 

「まだ着替える時間ぐらいあるでしょう。それとそのスカピンの顔。化粧しないとかアンタさすがに意識低すぎよ。準備しなおしていらっしゃい」

「……止めない、ですか?」

 

思わず尋ねていた。

てっきり行くなと、引き留められると思っていたから。

するとジャンヌ・オルタは「なんでよ」と逆に尋ね返してきた。

 

「行くも行かないも貴方が決めることでしょう。私には関係ない話。それとも、その判断すら私に投げるつもりかしら」

「そんなつもりは……」

「ええ。そして貴方は拒絶する。彼の想いを、『女』として答えらえないから『ジャンヌ・ダルク』は否定する。アイツ意外とセンチメンタルだから、今回は泣いたりするかもね」

「…………」

 

何も、言えない。

 

おおむねその通りになる未来が想像できたから。

そうはならないと、他でもない自分自身が言えないから。

ジャンヌ・ダルクは無言のまま俯いた。

 

「――でも、それで終わりにしなければいい話でしょ」

 

そう、魔女は付け加えた。

 

え、と聖女は顔を上げる。

 

「まさかそれで終わりにする気?冗談じゃないわ。私も、貴方も、アイツも、みんな生きてる。目を閉じれば今日が終わり、開ければ明日が始まる。その繰り返しの中に私たちはいる。だったらこれから貴方はマスターと付き合い続けなきゃいけない。毎回顔を会わせるたびに、あの男に悲しい顔をさせるつもり?気まずくなって目を逸らして終わるの?バカじゃないの。『聖処女ジャンヌ・ダルク』としての生き方を変えられないんだったら、『聖処女ジャンヌ・ダルク』として、彼の傍に居続けられるように貴方が努力をしなさいよ」

 

――これは、告白をして終わる物語ではない。

 

その続きを、登場人物である彼女たち自身が紡いでいかなければならない。

だからそれをハッピーにするかバットにするかも、私たち次第。

 

「――マスターの笑顔が見たいなら、貴方がマスター笑顔にしなさい。楽しい日々にしたいなら、貴方が楽しい日々を作りなさい。崇められて盆暗ども先導してた聖女サマにとって、そういうのは十八番でしょ……それと言っておくけど、あんまりうちのマスターを甘く見ないことね――たかだか一回振られたぐらいで、アイツは貴方のことを嫌いになったりしないわ」

 

それぐらい簡単な人だったら、まだよかったぐらい。

そうしたら少なくとも、私はこんな片思いを抱かなくて済んだのだから。

 

「……最後に、貴方に言っておくわ」

 

――シャンと、風を斬る音。

 

真っ黒な剣が、真っ黒なジャンヌの手に握られていた。

そしてそれを、真っ白なジャンヌの喉元へ向ける。

本気の殺意を纏わせながら、神に愛され、彼に愛された少女に告げる。

 

「――諦めたら、許さない」

 

 

……もしも、貴方が彼に愛されて嬉しいと思ったなら。

 

貴方が貴方のまま、少年と共にいたいなら。

そういられるように、努力を続けなさい。

これからも、ずっと。

 

――決して、その願いを諦めないで。

 

そう、魔女は語る。

力が及ばなかったなんて言われたくなかったからこんな衣装まで整えて。

何より、マスターの泣き顔なんて、私も見たくないから。

だから悔しさに震えて、こんな風にみっともなく涙を流しながらも。

 

確かに、そう言い切った。

 

……それがせめてもの反抗。

 

マスターに好きになってもらえた『ジャンヌ・ダルク(わたし)』へ向けて送る、『ジャンヌ・オルタ(わたし)』からの意地悪。

 

――情けない。

 

聖女は自分を叱咤する。

 

本当に情けなくて、仕方なかった。

……そんな言葉、決して言いたくはなかったろうに。

死んでも、言いたくはなかったろうに。

 

――でもそれで、マスターが笑ってくれるなら。

 

その一心で、オルタは口にしてくれた。

この願望を叶える、理由をくれた。

 

……言葉では言い表せないほど、胸がいっぱいになる。

 

「……ありがとう、ございます」

 

言って、ジャンヌは抱きしめた。

 

剣をのけて、もう一人の己を。

自分よりもはるかに優しさを持つ、この少女を。

ぎゅっと、抱きしめた。

 

「……アンタに言われても、嬉しくない」

 

オルタはそう苦笑する。

でしょうね、とジャンヌも声を枯らしながら笑い返す。

 

――それでも、振りほどきはしなかった。

 

静かな朝の廊下。

 

二人の少女の泣き声が、響いて消えていった。

 

 

■ ■ ■

 

――答えが欲しかったわけじゃない。

 

ただ単に、伝えたかっただけ。

 

この気持ちを、この熱が一度でも、君に触れてくれるようにと願っただけ。

 

「……なのに、どうしてこうなったのかな」

 

つぶやきながら、マスターは空を見上げる。

見えるのは蒼い大きな球体、カルデアス。

待ち合わせ場所に三十分以上も前から待機していた彼は、ただ何をするわけでもなくぼうっとしている。

 

……ここ一週間、ジャンヌに声をかけてもらうことがなかった。

 

ミッションのときにいっしょになったとしても、気まずそうに眼を逸らされて、接触を避けられていた。

 

――当然の反応だろう。

 

彼女は聖女ジャンヌ・ダルク。

 

一人の男の恋慕など、迷惑極まりない。

 

それが自分を従えるマスターだとしたら、なおのこと。

この待ち合わせだって、無意味で終わるかもしれない。

 

……そんな反応が見たかったわけじゃないのに。

 

 

こんなことなら何も言わなければよかったと、マスターは自嘲する。

そうすれば、あやふやのままの幸福を続けられていたのに。

 

「……でも結局、我慢できなかっただろうけどね」

 

――この終わり方に文句はない。

 

引き金を引いたのは自分だし、それで撃たれるのなら本望だ。

 

……ただ一つ心残りなのは。

 

こんな自己満足に付き合わせてしまった彼女のこと。

優しい君だから、きっと罪悪感を抱いていることだろう。

違うと言いに行くべきなのに、未練がましくまだここにいる。

 

「……最低だな」

 

そう少年が吐き捨てたときだ。

 

――かつんと、踵を鳴らす音が響く。

 

誰も来ないと思っていたこの場所に、誰かの足音が反響した。

がばりと、マスターの頭が上がる。

 

そして、彼は目を見開いた。

 

……純白の裾を翻し、息を切らす存在に。

 

少年が待ち望んでいた、金と青を併せ持つ彼女。

 

……いつもとは違う年相応の少女らしい姿の君――ジャンヌ・ダルクに、マスターは見惚れる。

 

「……ちょっと、準備が遅れて……申し訳ありません」

 

普段よりも鮮やかな色をしたその表情に、どぎまきしながらも「ああ、大丈夫だよ」と答える。

 

「それよりも来てくれて嬉しいよ。じゃあさっそくだけど行こうか」

「――マスター。その前に、貴方に伝えたいことがあります」

 

しんと、空気が静まり返る。

 

青い瞳が、自分を見る。

 

――ああ、これは。

 

少年は悟る、同時に笑みを浮かべる。

まったく彼女らしい、素直な視線だと。

 

……その視線で何を言われるのか、すぐに理解できてしまった。

 

「――私は、『ジャンヌ・ダルク』です」

「……うん」

「その生き方を、変えることはできません」

「……うん。その方が、オレもいいと思う」

 

だから、と少女は口を開く。

 

――覚悟を持った。

 

迷いはしない。

はっきりとした声で、ジャンヌは――聖女は、その心を告げる。

 

「――貴方の想いに、お答えできません」

 

――予想通り。

 

一言一句違わず、想像した通り。

 

だからマスターもわかったとあっさり頷けた。

そうして、この物語はおしまい。

イエスノーの答えは出たのだから、幕引きだ。

 

……ああ、なんて滑稽な終幕だ。

 

「――でも、それでも言わせてください」

 

――でも、これは予想外。

 

幕を引いた物語に、まさかの続き。

少年がさじを投げた台本に、少女が筆を綴る。

 

たった一言の言葉を。

 

 

「――貴方だけは『特別』です。私にとってマスターは……貴方以外、有り得ません」

 

 

そう、聖女は告げた。

 

たった一言の、宣言。

 

……もう、それで十分だった。

 

口元を抑える。

 

でなければ、情けない嗚咽が漏れてしまう。

ただでさえ、視界がにじんでしまってるえいうのに。

 

――こんなの、想像できるか。

 

こんな幸せな解答、唯一と君言ってもらえる幸福。

 

……もう、死んでもいいくらいだ。

 

「――ありが、とう」

 

かろうじてだた言葉。

 

それ以上は、うまく音にすらならない。

 

「……はい」

 

その言葉に、聖女は頷く。

 

変わらず優しく暖かな微笑み。

 

――でもそれは、ただ一人だけに向けたもの。

 

愛してくれた彼にだけみささげる、笑顔だった。

 

「……一つ、提案があります」

 

にじんだものを手で拭っいながらマスターは口にする。

 

何でしょう、とジャンヌは聞き返す。

 

「今回のこれ、デートとして誘ったわけなんだけど君に断られてしまったわけです。つまり何の変哲もない、ただのお出かけになったわけだ」

 

「はい……ああ、なるほど」

 

くすりと、ジャンヌは口元に指先を振れる。

 

ちらりと、背後に目をやりながら。

 

察しが良くて、助かる。

 

それからマスターは声を張り上げた。

 

「――ということで。大人数の方が『お出かけ』は楽しいですし、よければご一緒にいかがですか?そこの人」

 

少し離れた、ジャンヌの後ろにある扉に向けて……その影に隠れてる少女に向けて、マスターは声をかけた。

 

いきなり呼ばれた焦ったのだろう。

 

びくりと体が揺れて、足がもつれた彼女がびたんと倒れる音が響く。

 

痛そう、とマスターとジャンヌは顔で手を覆った。

 

それからマスターは、とことこと近づき、うつ伏せに沈む黒い影にもしもーしと再度呼びかける。

 

「ずっと陰にかくれてた可愛いジャンヌちゃん……貴方はどう思いますか?」

 

「……どう思う、じゃないでしょうが!!」

 

がしりと、マスターの襟首を捻りあげるジャンヌ・オルタ。

 

顔は真っ赤になっているのは、ぶつけたせいか、それともはずかしいせいか。

 

「こっちが気を使ってるのに、なんで貴方そんな呑気なのよ!?さっさと二人で行きなさいよ!!」

 

「だって、振られたから『デート』じゃないし。そうなるとそこまで二人きりになる必要ないし……ジャンヌさんもそれでいいよね?」

 

「はい。もちろんです」

「ほらね」

「ほらね、じゃないわよっ!!二人そろって何で……」

 

ばっかじゃないの、とオルタはため息をつく。

 

……心配して見に来ただけだ。

 

別に邪魔するつもりはなかったのに。

 

いっそのことダッシュで逃げるか、とオルタは思考を巡らせる。

 

「……それに、約束したろ」

「……何をよ」

 

問い返すと、マスターは微笑む。

 

……やめろ。

 

その優しい笑い方は、大抵逆らえなくなるから。

甘えたくなるから、やめてほしい。

 

「……振られたらなぐさめてくれるんだろう?だから慰めてほしいな――君に、ね」

 

そう片目を閉じる貴方。

優しくて愛しい、貴方。

 

「――私からもお願いします」

 

気づけば、その隣に『私』もいた。

同じく優しい表情をして、私に笑いかける。

 

「……私は振ってしまった本人ですから、マスターの慰め方がわかりません。このままでは気まずくなってしまいます。だからどうか……私たちを、助けて頂けませんか?」

 

そんなふざけたことを言いながら、『私』は私に微笑む。

 

差し伸べられた、二つの手。

 

……誰が。

 

誰が貴方たちなんか助けるか、そんなことするもんか。

 

……でも。

 

「……しょうがないわね」

 

――それで、『ジャンヌ・オルタ(わたし)』も救われるから。

 

今回だけは、貴方たちの優しさ(わがまま)に乗ってあげるわ。

 

 

差し伸べられたその手を、オルタは握り返す。

触れたその指は、暖かく柔い。

振りほどくにはあまりに硬い手だろうけど。

不思議と、居心地は悪くなかった。

 

 

 

 

――そうして、物語は始まる。

 

終わりを迎えて、始まりを迎える繰り返し。

本当の行き止まりに至る、その日まで。

 

貴方と、私と、私が紡ぐ、この日々を。

 

また、私たちは綴ってゆく。

 

 

 

 

 

 

 



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振り回すのは、貴方だけ

いつも通りのぐだジャンです。
でもごめん、今回たぶん甘いだけで終わる。
よろしくお願いします



「――だるい」

 

「先ほどからそれしか言ってないわね、貴方」

 

机にうつ伏せて愚痴を溢すマスターに、ジャンヌは作業の手を止めることなくはそう言った。

 

「だってねぇ。こーんな量があるとなっちゃあ、流石に嫌になりますよ」

 

机に山積みにされた書類の束をペラペラ捲りながら少年はまた深いため息をつく。

 

「真面目にやんなさいよ。この書類、戦術データとしてあの自称天才女に出さなきゃなんないんでしょう?さっさとしなさい」

 

「別にジャンヌが全部やってくれても構わないんだよ?」

 

「へぇ?手伝ってやってる私にそういう口きくの?じゃあお望み通り綺麗さっぱり片づけてあげるわ……塵芥にしてあげて、ね」

 

「真面目にやります……」

 

凄みを利かせた少女の視線に、背筋をピンと伸ばし直して、マスターも作業に戻る。

 

ここのところ出撃が多くなっていたため、デスクワークがおろそかになっていた。

 

気がつけば、もろもろの提出書類の期限が明日……いやすでに今日となっている始末である。

 

「ジャンヌ。もう遅いから帰っていいよ。あとはオレがやる」

 

「貴方がさぼらないためにもまだいるわよ」

 

「さぼらないって。真面目にやるよ」

 

「あら?私じゃご不満かしら?役立たずは出て行けってこと?」

 

「まさか。すごい助かってます」

 

「なら私を帰らせるんじゃなくて、早く終わるよう尽力なさい……今日は泊まる」

 

「――ありがとう」

 

ふん、と鼻を鳴らすジャンヌ。

 

……それに、こういう仕事はマスター一人でこなすことのほうが多い。

 

手伝えずに歯がゆい思いをしていた自分には、ちょうどいい機会だ。

 

……ま、そんなこと口が裂けても言わないけどね。

 

それきり、二人は言葉を交わすことなく作業に集中する。

 

遥かに高くそびえていた資料の山はみるみる小さくなってゆく。

 

そしていつの間にか、永遠に続くかと思っていた作業は終わりを迎えることとなる。

 

しかし、終わった時間は午前五時。

 

早朝特有のしめっけが、指先から伝わり始めている。

 

「終わった……でもかつてないほどに眠い……」

 

「貴方ってほんと貧弱ね、たかだか一徹ぐらいで……しょうがないわね。いったん休憩してきなさい」

 

「いや待って待って。まだ誤字脱字が……」

 

「それぐらい出来るわよ。一分一秒でも大事なんだからさっさと寝ろ」

 

「うう……ごめん」

 

言うと、机にマスターの頭が落ちる。

 

一直線に、ズドンと。

 

それからすぐに小さな寝息が聞こえてくる。

 

「せめてベットまでは歩きなさいよ……」

 

すぐ目の前でしょうが、と呆れながらジャンヌは立ち上がる。

 

そして実際に目と鼻の先にあったベットからシーツを一枚取り上げ、バフリと、うずくまる塊に頭からその毛布を掛けてやる。

 

「……お疲れさま」

 

ポンと優しく頭を撫でてやる。

 

……素直じゃない私には、これが精一杯。

 

さて、気を取り直してやるかと意気込んだジャンヌは書き上げた書類を見直し始める。

 

しばらくの間、整理を続けていると、一枚だけ手のつけられていないものを見つけてしまう。

 

内容は、書類に予め記されているある作戦地域の制圧作戦を立案せよというものだった。

 

……これはさすがに、ジャンヌがどうにか出来る内容ではない。

 

申し訳ないが起こすしかないだろうと考えていると、書類のしたに「提出不要」小さく手書きしてあった。

 

よく見慣れた、マスターの字だった。

 

――なるほど。

 

これはできたらやる程度の、特に気する必要はないものらしい。

 

ひとまずよかったと胸を撫で下ろす。

 

……けれど、同時にちょっとした興味が沸いた。

 

ほんとにちょっとした、無邪気な出来心。

 

そしていつの間にか、ジャンヌは何か書けるものを探していた。

 

■ ■ ■

 

「――やらかした」

 

ばかやった、とマスターは大きなため息をついた。

 

ちらりと、視線を向ける。

 

そこにはソファに横になって可愛らしい寝息を立てている我がサーヴァントの姿があった。

 

どうやら作業を終えたあと、そのまま寝てしまったらしい。

 

右手には、眠りながらもペンをしっかり握っている。

 

「……カメラ用意しとくんだった」

 

割と真面目に、この世の終わりにみたいに落ち込んでいるマスター。

 

……けどまぁ、見れただけ幸運か。

 

少なくとも今だけは。

 

この無防備な笑顔は、自分だけのものなのだから。

 

「――ありがとね」

 

少女にかけてもらった毛布を、その肩にそっと掛けてやり、握っていたペンをとる。

 

そう呟いて微笑んだ彼は、ふとテーブルに一枚の紙が置かれているのに気付く。

 

それはダ・ヴィンチちゃんから時間がなかったら別に書かなくてもいいとよと言われた書類だった。

 

白紙だったはずそれだが、今はびっしりと細く繊細な字で埋まっている。

 

上手くなったなぁと感心しながら、少年はざっと目を通す。

 

――沈黙の時間が、思いのほか長い。

 

そしてしばらくして、マスターはぽつりと呟く。

 

「――いい出来だ」

 

■ ■ ■

 

「――というわけで。あまりにもいい出来だったんで試しに提出してみたら、見事賞賛されました。次の作戦立案に使わせてもらうってさ。おめでとう、ジャンヌ」

 

パチパチとマスターが拍手をする。

 

対してジャンヌは完全に固まっていた。

 

……何を言っていたのか、理解が追い付かない。

 

けれど幾度か少年の言葉を頭の中で反芻していくうち、状況をだんだんと理解していく。

 

「な……何をやってるのよ貴方!?」

 

そうしてバンっ!机を叩いて声を張り上げる少女に対して、マスターは相変わらず涼しい顔をしている。

 

「そんな大声上げない。よかったじゃないか。日頃の勉強の成果が証明されたってことだよ。教えてた人間として、オレも鼻が高い」

 

「そういう問題じゃありません!何であれを提出したんですかっ!?」

 

「だから出来がよかったからだよ。それに一応オレの名義で出しているから大丈夫だよ」

 

「それならなおのことよっ!貴方が出したのと偽って私が出した戦術資料が使われるなんて……絶対に駄目よ!!」

 

それが何よりの問題だった。

 

マスターから教わった知識しかない、まして半分遊びのような感覚で書いたものが流布していいわけがない。

 

――なぜならサーヴァントたちは信じているからだ。

 

自分が信頼するマスターが考えたものだと、だからこそ命を懸けられるのだと、他ならぬジャンヌが知っている。

 

だから、それらすべてを裏切る行為だと分かってるから、ジャンヌは必死になったのだ。

 

「――そういうのはあんまり関係ないと思うけどな」

 

俯いているジャンヌに対して、マスターはそう言った。

 

「誰が書いたとか、どんな気持ちで取り組んだとか、そういうのは関係ない。こうゆうのに求められるのは『役立つもの』であるかだ。それにこれ、ちゃんと全員が生き残る作戦になってる。夢見がちなく、でもそういう考えを持つような指揮官だったら……従ってもいいなって、オレは思えるよ」

 

「……でも、それでも駄目よ」

 

「そうだね。確かにこれに答えるべきはオレ自身だ。これじゃあまず前提条件を満たしてない――だから、選ばれたけど採用はちゃんと断っておいたよ。訳も話して、ちゃんと怒られてきました」

 

「え?」

 

マスターは立ち上がり、呆然としてるジャンヌを見つめ返す。

 

そして――ぺこりと、頭を下げた。

 

「勝手なことをしてごめん。ただ、君の実力を第三者視点で確かめたかったんだ。オレが日常の中で教えてたことがためになってるのか確認したかった。でも嫌な思いをさせた。ごめん」

 

「……なんで、そんなことしたのよ」

 

「オレがいなくなった時のため。仮にオレがいなくなったときに、君が代わりに指示してくれるかなって思ってね」

 

「……次縁起でもないこと言ったら殴るわよ」

 

ごめんごめん、とマスターは苦笑する。

 

――ほんと、馬鹿なことを言うなと罵ってやりたい。

 

そんなのは杞憂、よく考えなさい。

 

……いっしょに地獄に落ちるって約束したんだから。

 

貴方が死んだとき、私が生きてるわけないじゃない

 

……ほんと、鈍い奴。

 

そう呆れるジャンヌ。

 

――でも少しだけ。

 

心配されて浮足立ってしまった自分を自覚してしまったから、本当に不覚。

 

「さてと――じゃあせっかくいい点とったわけだしジャンヌにご褒美をあげよう。何がいい?好きなもの言ってみて」

 

「いや別にいらないわよ、ご褒美なんてそんなもの……」

 

「ラーメンとかハンバーガーとか馬鹿食いしてもオッケー。今回は特別にお店を梯子してもいいよ」

 

「……待ちなさい。何故、食べ物前提なんですか?」

 

「え?そりゃだって君、結構大食らいなところあるじゃん。ご褒美と言ったらそれかなって」

 

さらっと少年に言われると、ガンとフルスイングで殴られたような衝撃が走る。

 

……確かに、新宿を出てからあれこれ食べ歩きをするようにはなってたけれど。

 

まさかこの少年の中で腹ペコ属性が付加されてたなんて夢にも思わなかった。

 

つまり今自分の立ち位置はあの黒王と同列なのである。

 

ショックを受けないというほうが難しい。

 

……いやそれ以上に、心底腹が立つ。

 

その能天気に笑う顔に向かって、強烈なのを味合わせてやりたい。

 

食い気以外にもいろいろあるのだと、分からせてやりたかった。

 

――だからだろう。

 

あんないたずらを思い付いてしまったのは。

 

「――そう。なら決めたわ」

 

そう言ってゆっくりとした動作で、マスターの側まで来た彼女は、ドサッと彼の胸に身体を預ける。

 

そしてそのまま少年をを押し倒すように椅子に座らせた。

 

いわゆるマウンティングポジション、という形になる。

 

「……ジャンヌ?」

 

「マスター。私ね――」

 

熱い吐息を、その耳に吹きかけながら。

 

ジャンヌなりの、精一杯艶やかな声を出して。

 

こう、甘いおねだりをした。

 

 

「――貴方のこと、食べてしまいたいわ」

 

 

――勝った。

 

今回ばかりは勝った。

 

我ながらかなり捨て身な戦法、でも効果は抜群のはず。

 

何せ言った本人がすでに熱さのあまり死にそうになっているのだ。

 

さぁどうかしら、とジャンヌは熱を持った頬のまま、顔を上げる。

 

すると。

 

――ちゅ、っと軽い音が響く。

 

熱をもった頬に、一点の感触。

 

離したはずの彼の頭が、すぐ横にあるまま。

 

……何をされたのか、いやでもわかる。

 

「――ああ、それで構わないよ」

 

そう言って、少年は少女の顔から頭を離す。

 

蒼い視線が、赤面した少女を視る。

 

しゅるりと、首元の留め具を緩めて。

 

くらりと、首を傾けて。

 

――にこりと、妖しく微笑んで、貴方は語る。

 

「――どうぞ、召し上がれ」

 

 

……白々しい。

 

召し上がれ、とか言ってるけど。

 

――召し上がられるのは、いつも私じゃない。

 

 

「……ほんと、卑怯者」

 

負け惜しみだと分かっていても、そう言わずにはいられない。

 

少年の胸に顔を埋めながら、半泣きのジャンヌはつぶやく。

 

「……ま、これでも君のマスターだからね」

 

そうやって、何事もないことのように笑いながら、貴方の手は私の頭を撫でる。

 

――その通りね。

 

悔しいが、認めるしかない。

 

きっと、こんな風に私を困らせて、振り回すことが出来るのは。

 

……貴方しか、いないでしょうから。

 

柔らかな感触、優しい温もり。

 

落ち着いていく自らを愚かだと嗤いながらも。

 

――私は、その手を拒みはしなかった。



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これはお礼、でありますように

真っ白いぐだジャン、また短編書かせて頂きました。
たまに白もちょくちょくあげます。
どうぞ、よろしくお願いします。


「ーーマスターにお礼がしたいですって?」

 

そう、オルタは復唱する。

 

昼下がりの食堂。

 

昼食ラッシュ時には波のように行き交う人々であったが、若干ずれたこの時間帯ともなると、ぽつぽつとわずかにいる程度。

 

閑散とした食堂で、合間の休憩ということでティータイムを過ごしていた二人。

 

紅茶を一杯、クッキーが一枚というもの寂しい内容ではあったが、悪くはない。

 

他愛ない雑談をしていて過ごしていたが……唐突な発言に、黒は少し驚いた様子を見せる。

 

その発言をした本人、ジャンヌ・ダルクは「はい」と首を縦に動かし、肯定の意を示した。

 

「日頃からマスターにお世話になっていますから、お礼がしたくて……何を差し上げたらよいと思いますか?」

 

「貴方の処女」

 

――飲んでいた紅茶を吹き出しかける。

 

けほけほと咳き込むジャンヌに、「初ね……」とからかい気味にオルタは笑う。

 

「冗談に決まってるじゃない。まったく、これだからマセた聖女サマは」

 

「……まったくなのは、そういう発言をする貴方ではないですか?」

 

恨みがましそうなジャンヌの視線に、「聖女サマがお堅いだけよ」とオルタは肩をすくめる。

 

「ま、真面目な話するならたぶん貴方があげるものならなんでも喜ぶと思うわよ。たぶん死ねるほど」

 

「そう、なんですか?」

 

「ええ。じゃあ逆に聞くけど、貴方がマスターから本なりなんなり貰ったらどうなの?」

 

「嬉しいです。大事にします」

 

「それといっしょ。マスターもおんなじ気持ちになるわよ……だから、うじうじ悩むぐらいだったらさっさとあげたほうがずっといいわよ」

 

……くれたという事実だけで、もう幸せ。

 

その気持ちだけで十分と。

 

そんなことで満足してしまえる、凡庸な人間なんだ。

 

あの少年は。

 

……特に、この真っ白な彼女がくれたものなら、尚更。

 

「……でも。それでも、やっぱり喜ぶものを差し上げたいです」

 

赤く揺れるティーカップ、それに映る己の顔を見つめながら、ジャンヌ・ダルクは思いを告げる。

 

――確かに、マスターならば何をあげたとしても喜んでくれると思う。

 

でも反対にあの人なら、私が喜ぶものを渡してくれる。

 

本であれ何であれ、私が好きなものを、好きになりそうなものを差し出してくれる。

 

それらが、無償で手にはいるようなものじゃないことも、よく知ってる。

 

考えて、悩んで、探してきてくれて。

 

苦労なんて欠片も見せず、微笑みながら渡してくれる。

 

……その想いが、本当に嬉しかったから。

 

貴方に好いて貰えることが、堪らなかったから。

 

だからこそ、あの人に恩返しがしたい。

 

適当になんてこと、出来ない。

 

「……頼ってばかりで申し訳ないのですが、よければ知恵を貸しては貰えないでしょうか?」

 

そう頭を下げるジャンヌ。

 

誠心誠意、嫌みなんてこれっぽちもない。

 

健気で律儀なその姿を、オルタはじっと見詰める。

 

……ああ、もう。

 

こう素直な態度を見せられると、納得せざる得ない。

 

――『ジャンヌ・オルタ(わたし)』では駄目だった理由。

 

真っ直ぐで、純白。

 

『黒』(わたし)が下らないと一蹴するようなことを、『白』(わたし)は大切にする。

 

一回死んでも、その優しさは直らない。

 

ここまでくると、バカというか……。

 

「……一周回って可愛いわね、貴方」

 

額に手をつけながら、ジャンヌ・オルタは呆れ半分でオリジナルを見る。

 

言われてる意味がよくわからず、キョトンとしてる真白の写し身。

 

……ほんと純朴、てゆうか天然。

 

これが彼の好みなのかしら?

 

ならもう少し素直になれたら私にも可能性が……なんて、しょうもないことを夢想してしまう。

 

……まぁ、この際そんなことを気にしても仕方がない。

 

大事なのは今、ジャンヌ・ダルクがマスターに差し出すべきプレゼントについてである。

 

……そして、これ以上ないほど切り札を、実は知っている。

 

本来ならば、自分がやってやろうと考えていた企画だ。

 

しかし眼前の少女がやれば、間違いなくより喜ぶ。

 

それこそ死ぬほど。

 

譲ってやる悔しさはあるけど……そんなものより、少年の笑顔の方が遥かに価値があると無意識に理解している己がある。

 

「……面倒な奴に惚れたわね、ほんと」

 

はぁあ、と一度ため息をつく。

 

しかし、それから顔を上げ、オルタはジャンヌの顔を見据える。

 

「……いいわ。今回までの特別よ。マスターの喜ぶプレゼント、教えてあげる」

 

真剣な面構えをしているためか、ジャンヌもまっすぐに黒い自分を見つめ返す。

 

その真面目さにくすりと笑う。

 

……ただ教えるだけじゃ、つまらない。

 

だからせめて、このプレゼントで二人がどんな反応を示すのか。

 

じっくり観察させてもらおうかしら。

 

楽しみね、と胸のうちで呟きながら、オルタは口にする。

 

……恐らくはこれは最高の、手向けの花だ。

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

「……どうしようかな」

 

かつんかつんと、靴音が響く。

 

廊下を歩く少年の速度につられて、ぺらぺらと手に持つ書類を捲りながら。

 

マスターは首を捻る。

 

……予想以上に、ミッションの進行度が悪い。

 

もう一週間も終わるというのに、資材も目的の量まで程遠い。

 

出撃回数は決して少なくない、がそれにして戦果が振るわない。

 

原因は……やはり、指示を出している自分のモチベーションなんだろう。

 

疲れのせいか、今の自分はサーヴァントたちの支援に的確さが欠けている。

 

無駄が多く、むしろ皆にミスを助けてもらってることがしばしば。

 

気持ちを切り替えなきゃと思いつつ、どこか引きずり続けてしまう悪循環。

 

「どうしよう……」

 

同じ言葉を繰り返しつぶやきながら思案するマスター。

 

――そんな悩める彼の背中に向けて、「マスター」と呼ぶ声がかかる。

 

涼やかな声は、よく聞きなれたもの。

 

誰なのかは一瞬でわかる。

 

振り返った背後に、予想通りの人影を見つけて、マスターは微笑む。

 

「――やぁジャンヌさん。何か、オレにご用事ですか?」

 

そう優しく問い掛けるマスター。

 

割りといつも通りな、彼の挨拶。

 

けれど、問われたジャンヌの様子は普段とは違った。

 

「……えっと。マスター、その……」

 

紡がれる言葉は、どうにも歯切れが悪い。

 

頬は少し紅葉し、両手は胸の前で握り会わせている。

 

目線は左右を泳いでいるし、いざ合わせるとびくんと少女の体は震える。

 

まったくもって彼女らしからぬおどおどした仕草に、マスターは怪訝な顔をする。

 

「……どうしたの?もしかして、体調悪い?」

 

「い、いえ!そんなことは……ただ、その……マスターに、お礼がしたくて……」

 

「お礼?」

 

首を傾げる少年に、こくりと頷く少女。

 

……まだ緊張があるせいかゆっくりとした口調。

 

しかしその言葉を解釈していくと……どうやら、日頃お世話になっているマスターにお礼がしたい、ということらしい。

 

――そんなこと、別にしなくていいのに、と彼は笑った。

 

何せ、こっちはしたくてしてるだけなのだ。

 

見返りなんて、自分が望むのは図々しい限りである。

 

「だから気にしなくていいんだよ」

 

「それはいけません!頂いたからにはお返しをしなくては……させて、ほしいです。だから、マスター……ご無礼を、御許し下さい」

 

まるで、懺悔をするかのように。

 

少女はそう言い切る

 

――かつんと、靴音が鳴る。

 

一歩進んで、ジャンヌの顔が近付く。

 

吐息がかかるほど、近くに。

 

次に、彼女の白い手が伸ばされる。

 

マスターの頬からその首に向けて、指先を囲うように回す。

 

……待って。

 

これ何?

 

これはいったいなんなのだと、マスターは焦る。

 

近づいてくる頬、瞳、髪、そして唇。

 

永遠に近い刹那、少年の頭の中がぐるぐるまわりだす。

 

けれど、彼の思考が答えを出す前に、頬の感触が全てを語る。

 

――ちゅいと吸った、その感触で。

 

何が起こったかは、瞭然。

 

次に顔を話したとき、ジャンヌの顔は耳まで真っ赤に染まっていた。

 

熱さのあまり、湯気まで立つほど。

 

思考の凍結したマスターとは反比例に、聖女の頭は沸騰中。

 

 

「……こ、これはビズです」

 

震える声。

 

燃える体、からからの喉、恥ずかしさの限界に耐えて堪えて。

 

目は回りうねるのに、うまく回らない舌を懸命に動かしながら、少女は語る。

 

「で、ですからっ!とくに深い意味はございません!ご、ございませんが、その、これはマス、マスターだけに特別といいますか……でもっ!!いつもありがとうございますっ!!」

 

 

――それが臨界点。

 

そう叫ぶと同時に、ジャンヌ・ダルクは脱兎の如く駆け出していた。

 

もうまともに、少年の顔を見続ける理性など残っていなかったから。

 

かつてないほどの速さで、かつてないほどの熱を残しながら、聖女は走り去っていった。

 

……マスターは、それを追いかけなかった。

 

ぽかんと、前を向いて立っている。

 

思考が、遅すぎて追い付けない。

 

「……一回で終わらせたらビズじゃなくてただのキスでしょうが。まぁ、オリジナルにしては奮闘したほうか」

 

多目に見てあげるわ、と背後で誰かが笑う。

 

なんでいるのとか、突っ込む気はない。

 

そんな余力は残ってないから、ただ一言こう尋ねた。

 

あれは君の入れ知恵なの、と。

 

すると黒い影ことジャンヌ・オルタは「ええもちろん」とそれを肯定した。

 

「ちなみにビズっていうのはフランスにおける挨拶みたいなもの。友人や親しい知人に対する『ごく平凡な』意志疎通手段。無論恋愛感情なんてものは絡めなくても『できる』行為。ええ、やましい意味なんてなーんにもない。けど……どう解釈するかは、貴方次第ってわけ」

 

ま、あの子もさっきまで知らなかったけど。

 

言ってにやりと、黒の魔女は笑う。

 

……ああもう、そんなのずるい。

 

なんて奴だ、とマスターは壁にもたれながらつぶやく。

 

そんなこと、あの健気な姿を見せたあとに言うなんて。

 

――破壊力が、尋常じゃない。

 

「……死にそう」

 

「あらお気の毒。もう虫の息ね。お手をお貸ししましょうか、我がマスター?」

 

 

はい、と手を差し出すジャンヌ・オルタ。

 

けしかけておいて、白々しい。

 

 

「……君のせいだぞ」

 

恨みがましく手をとるマスターに、む、とオルタは眉をひそめる。

 

「助けた相手に失礼ね……ならやーめた。トドメ刺してあげる」

 

なんだって、と聞き返そうと思った。

 

それより前に、黒の少女はささやく。

 

ぐいと、彼の体を引き、その耳元で。

 

絶対に、聞こえるように。

 

決して、聞き逃さないように捕まえて。

 

その猛毒を、艶やかに謳う。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――あの子、アレがはじめて(ヴァージン)よ」

 

 

 

 

 

 

――本人(わたし)が保証するわ。

 

魔女はそう謳った。

 

 

その後じゃあねと口ずさみ、ひらりと体を翻して、廊下を歩き去ってゆく。

 

愉快なスキップと共に、ご機嫌な様子でオルタは去った。

 

――残されたのは彼一人。

 

呆然と立ち尽くしていた彼だが……ついに膝が砕けた。

 

ばさりと、手に持っていた紙束が散らばる。

 

散乱した書類を拾おうにも、震えるこの指じゃ無理だ。

 

どころか足も使い物にならない。

 

……いやもう、そんなことよりもだ。

 

頬の名残、耳の残響。

 

忘れない、忘れられない……忘れたく、ない。

 

超ド級の、この爆弾。

 

 

「――納得。これ以上ない、トドメだ」

 

 

茹で蛸みたいに赤くなりながら、辛うじて漏れ出た負け惜しみを口にする。

 

 

――ありがとう。

 

確かに疲れなんて吹き飛んだ、素晴らしいプレゼント。

 

おかげさまで、体が熱くてしょうがない。

 

明日からまた頑張れそうだ。

 

でも、その代わり。

 

しばらく間、君の顔。

 

……きっとまともに、見れないな。

 

 

 

 

 



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甘いケーキの味わいかた

グランドオーダー二次創作。

ぐだ邪ン短編です。

今回は普通です。


――それはまるで、踏みしめられたことのないような新雪。

 

そっと先を下ろせば、なんの抵抗もなく沈んでゆく未知の感触に、かの魔女の胸も高鳴る。

銀色に掬われた、桃色と赤の混じる一塊。

不安と期待、双方を胸に少女――ジャンヌ・オルタはぱくりと、その一掬いを口に含む。

 

――瞬間、口内に弾けるようなみずみずしさ。

 

続いて舌先から伝わる甘さと酸味。

相反するもの同士の絶妙なバランス、そのハーモニーに、彼女は震える。

生まれてはじめて口にしたそれの名は、「ショートケーキ」。

 

その蕩けるような甘露に、ジャンヌはうっとりとした声で「美味しい……」と漏らした。

 

「――それは何より。ぎりぎり間に合ってよかったよ」

 

その様子を、マスターは微笑みながら見つめている。

呟いてしまったことを自覚していなかったのだろう。

はっ、となったジャンヌは途端きりりとした表情に変わる。

 

「……まぁ、そこそこいいわね。そこそこ」

 

つんとした態度で、さも興味がないように見せるジャンヌ・オルタ。

けれどマスターにはそうですか、と笑ってあしらわれてしまう。

 

……なんだか、子供のような扱いをされてる気がする。

 

「……貴方は食べないの?」

 

机に乗ったものは二皿。

一つは無論ジャンヌのもの、何だかんだでもう半分まで減っている。

もう一つはマスターの前に置かれてる一皿。

ジャンヌが食べているものと同様の、白いケーキが盛られている。

 

「ああ、別に気にしないで。結構今満足してるから」

「……こっち見るな」

 

ぶんぶんと蠅を追い払うかのように手を振られて、マスターは「ひどいなぁ」と苦笑する。

 

「……てゆうか、いきなりなんでこんなもの買ってきたのよ」

 

――今日の出撃場所は新宿。

だが編成上の理由、今回ジャンヌは出撃させられなかった。

マスターの後ろ姿を見送ったあと、特にやることもなく自室に戻る彼女。

本を手にとったりゲームを起動したりと色々試したが……物足りなさを感じて、結局やめた。

なにも語ることがないくらい、虚無的なまでにつまらない時間というものを、久々に体感した。

息がつまるほどの暇、もやもやとした虚しさ。

 

……傍にいないというのが、こんなにも不安になるなんて、はじめて知った。

 

退屈に殺されそうになっていた時、こんこんと扉を叩く音で、少女は一命をとりとめる。

がばりと起き上がって、ドアまでかけるのは一瞬。

はやる気持ちを抑えて、落ち着いた動作でロックを解除し、がしゃりと扉は横に開く。

 

そしてその先に見えたのは、見送ったときと同じ、少年の立ち姿。

彼は右手に持った白い箱をかざし、にっこりと笑って少女に言った。

 

いっしょに食べよ、と。

 

――その、『いつも通りの景色』に、ほっと胸を撫で下ろした。

 

だが無論、その事実を言ってやる気はないけど。

 

ジャンヌの問いかけにマスターは一度首を捻るが、「まぁ、強いて言うなら胡麻すりかな」と笑って答える。

 

「本日は寂しい思いさせてしまいましたし、その返礼をばと思ってね」

「別に寂しいなんて思ってないわよ。被害妄想甚だしわね」

「これは失敬……ちなみに、明日オレ暇なんだけど、君空いてる?」

 

ごっほとむせた。

 

とんとんと彼女は自らの胸を叩く。

数回咳き込んだ後、滲んだ瞳で恨みがましそうに、ジャンヌは少年を睨む。

射殺しそうなぐらい鋭い視線を向けられても、涼しげな顔をしているマスター。

 

「……とゆうわけで、掛け金追加で」

 

すいと、彼は自らの皿をジャンヌの前に差し出した。

にこにこと、晴れやかな笑みを浮かべたまま、こちらの回答を待っている。

 

……なるほど。

 

つまりこれは賄賂か。

私を誘うための、ご機嫌とりのために。

……たかだかケーキ二個で、この私をものにしようなんて。

 

「馬鹿げてるわね」

 

さらりと、髪を揺らしながらジャンヌは言い切る。

愚かしい限りだと、嘲笑って。

 

「……どっかの王様と違って、私はそう安くはない。ケーキ二つで私が欲しいですって?話にならないわ。出直してらっしゃい、マスター」

「――そっか。じゃあ残念だけど、このケーキもなしで……」

 

ため息と共にそう言って皿を下げようとする。

 

しかしだ。

 

つかんで引いたはずの皿が、まるで動かない。

ぴくりとも、うんともすんとも。

 

――反対からジャンヌが引っ張ってるから、動くはずがない。

 

「――ジャンヌ」

 

じっ、とマスターは淡々とした瞳で見つめる。

見つめられた彼女は、気まずそうに目を反らしながら「……これは前金」と早口につぶやく。

 

「いや。そうゆうのはちょっと。返して」

「どうせ貴方食べないんだから私に寄越さしなさいよ」

「君にあげるために食わなかっただけで本当は食べたかったし。ていうか高かったんだよこれ」

「ならそのまま私に渡しなさいよ。ケチよ貴方」

「あげたらデート行ってくれる?」

「やだ」

「なら渡さない」

 

……互いに一歩も譲る気がなく、皿が割れそうになる勢いで引っ張り合う二人。

かたかたと揺れる机。

刹那の拮抗。

 

――最中、ジャンヌは傍らにあったフォークを手に取る。

 

それから隙あり、とばかりにそのフォークをショートケーキの頭部にそびえていた赤い頭――シンボルの苺を突き刺した。

 

「あっ」

「もらっておくわよー」

 

からかうように笑って、少女は頬張る。

もう興味を無くしたとばかりに、皿からあっさり手を離して。

 

「ジャンヌっ!ショートケーキから苺とったら何も残らないでしょっ!」

「知ってるわよ。だからとったんじゃない」

 

バカねぇと頬張りながら笑う。

 

……しめしめ。

 

いい気味ね、とジャンヌは頬を歪める。

悔しそうに自分を見るマスター。

それぐらいの顔を見せてもらわなきゃ、魔女は満足出来ない。

ようやくすっきりした、と深く息をはいた。

 

「ま、取り返したかったら好きに取り返しなさいよ。もう食べちゃったけどね」

 

トドメとばかりに言ってやる。

 

……ああでも、彼女は知らなかった。

 

トドメというのが、彼にではなく。

 

――他でもない、自分自身に向けてだったのだと。

 

「――そう。なら、好きにしようか」

 

――ふわりと、黒が揺れる。

いつ距離を積めたのだろう。

膝を抱えて笑っていた黒の少女の目の前に。

少年の顔が、すぐそこまで近づいていた。

 

「――え?」

 

――理解が追い付かない。

 

笑っていた彼女の思考では、間に合わなかった。

近づいてくる顔から、背けることも。

接近する吐息を、払うことも。

 

――触れる唇に、抵抗することも。

 

……焼けるような感触。

 

熱くて熱くて、熱い。

 

なのに……どうしようもなく、甘い。

 

――水音が、口の中で響く。

 

自分の舌に絡む何かを感じる。

 

「っ!?」

 

顔を離そうしたが、突き放せない。

固められたからというのもあるけど。

 

……本気で逃げられない、私がいた。

 

一分という、長い刹那。

 

ようやく口を離したとき、少女の顔は真っ赤に染まっていた。

 

……苦しい。

 

頭がくらくらする。

 

酸素を取り入れられなかったせいじゃない。

 

――爆弾みたいに脈打つ心臓のせいで、今にも胸が張り裂けそうだった。

 

顔が熱を持ちすぎて、不覚にも泣きそうになる。

 

なのに、さらに悔しいのは。

こんなにも満身創痍なのに。

 

してきたはずの少年は、少しも動じてないこと。

 

その親指で、彼は濡れた自らの唇を拭う。

ゆっくりと、しっかりと。

唇についた赤い果汁を拭い……そして舐める。

それから少女に向き直り、微笑みを向ける。

 

――ごちそうさま、と。

 

そう、少年は笑った。

首を傾げて、妖しげに。

 

……もう、それだけで、この紅潮は止まらなかった。

 

「――じゃあ、明日十時集合でよろしく。あとこれ、もう食べていいよ」

 

 

――本当に食べたいものは、ちゃんと口に出来たから。

 

耳元でささやいて少年は手を振り、部屋を去っていった。

 

あんまりにも呆気ない幕引き。

 

少女だけの室内は、沈黙に支配される。

 

……が、余韻は絶大だった。

 

ばん!と、少女は大きな音を立てて机に突っ伏した。

 

じんじんと痛む額。

 

けれどそれ以上に。

 

……唇を拭う仕草に色を感じた悔しさとか。

 

少年の味が残った口内の羞恥とか。

 

溜まりに溜まった感情に……焦げるような甘さに、焼き殺されそうだった。

 

「……食えるか、馬鹿」

 

そう、絞り出すように、残った白いケーキを睨みながら少女は語る。

 

……食えるわけがない。

 

こんな甘さを知ってしまったら、もの足りなくて仕方ない。

 

 

――貴方(いちご)がない日々(ケーキ)なんて。

 

今さら、戻れるわけないじゃないか。

 

――時刻は、午後九時。

約束の時間まで、あと半日以上。

 

あんまりにも長い……『食休み』だった。

 

 

 

 



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暑中お見舞い、申し上げます

支部の方で素敵な表紙を頂き、書かせて頂きました。
少し大人向けのぐだ邪ンです。


「……あっつ」

 

ぐでんとソファに全身を預けながら、ジャンヌはそう言った。

 

額にうっすらと汗を滲ませ、疲労に満ちた顔で天井を見上げる。

 

「……だね。流石に夏場並みのこの気温で、しかもエアコン壊れてるってのは本気で辛い」

 

死にそう、と枕に顔を沈めてベットにうつ伏せているのは彼女のマスター。

 

いつもならそれなりの体裁を気にしてかっこつけようとしていた彼だったが、この蒸された自室に抗うことは叶わず、干しものように両手足を投げ出していた。

 

「だいたい、なんでこの時期の深夜ぶっ続けて映画見ようとか言い出したのよ?もう四時過ぎよ?しかもあと三時間したら出撃なのよ?馬鹿みたい……」

 

「そうは言うけど後半君のほうが活き活きしてなかった?むしろDVD 率先して取り替えてたよね」

 

「仕方ないでしょ、続きが気になったんだもの」

 

それってどうなの?というなかなかずれた答えだったが、マスターもマスターで、「そっかぁ」とつぶやいて納得してしまう。

 

お互い、暑さにやられて完全に頭が回ってない。

 

「……喉渇いた。麦茶もらうわよ」

 

どうぞ、とマスターが手だけで促した。

 

立ち上がったジャンヌはとてとてと覚束ない足取りで冷蔵庫まで歩いてゆく。

 

がちゃりと扉を開いたあと、屈んで中身を覗いた彼女は「げ」と声をあげた。

 

「お茶切れてるじゃない。なんで新しいの作っておかなかったのよ」

 

「最後に飲みきったのジャンヌじゃん。君が淹れておいてくれよ。とりあえず、今は水でも飲んどいたら?」

 

「やだ。味のついたものが飲みたい」

 

「なら廊下にある自販機で買ってきなさい」

 

「面倒くさいわね。貴方が買ってきて」

 

「とことん働く気がないのね君……」

 

はああ、と深いため息をつくマスター。

 

それからがそごそとポケットを漁ると、その手に黒い財布をつかんでジャンヌに差し出してきた。

 

しかも今時、がま口である。

 

「……これで好きなの買ってきていいから、君が行ってきて。ついでにオレの分も」

 

「あら。やけに羽振りがいいじゃない。なら今回はありがたく使わせてもらうわね」

 

自覚しながらも高慢な物言いを続ける彼女。

 

そういう態度を見せることで、彼は拗ねるような仕草を見せてくる。

 

それが子供っぽいというか、いじらしいというか、たまらなく好きなのだ。

 

……我ながら、なんともぞっこんであると苦笑しながら。

 

それでも期待して、ジャンヌはマスターの反応を待つ

 

――しかしだ。

 

今度返ってきた反応は予想したものより素直な答え。

 

構わないよ、とジャンヌに手渡しながらあっさり頷く彼の応答。

 

特に文句はないから、好きなものを買ってきてねとまで囁かれるのだった。

 

意外な反応とジャンヌは内心驚き、だがつまらないと愚痴りつつ、しぶしぶ財布を受けとる。

 

……けれど、最後に。

 

枕からわずかに頭をあげた彼は、にやりと頬を歪める。

 

「……その分、あとできっちり返してもらうから」

 

――たまには趣向を変えてみて、ね。

 

そう、何か企むような笑みを浮かべて。

 

どこか楽しそうに、マスターはつぶやくのだった。

 

 

■ ■ ■

 

――出来れば甘いものでよろしく。

 

そんなおねだりを背中に受けながら、彼女は部屋を出た。

 

「……何をさせられるのかしら」

 

そう、首を傾げるジャンヌ。

 

おそらく、この手に握る財布以上のなにかを奢らされるとかはないだろう。

 

少なくとも金銭面で訴えかけてくることはない。

 

今日を越えれば明日は休みだから、それを絡めたことをしてくるはず。

 

ゲームの素材集めとか、テーブルゲームの連チャンとか。

 

そういう性格なのだ、彼は。

 

「……なんにせよ、夜になればわかることか」

 

悩んでところで仕方がない。

 

今は自販機から甘いものを買ってくるという使命だけを果たせばいい。

 

このドアから右手に進んだところに、一番近い自販機があるから、そこを目指そうと考える。

 

だから、彼女は右を向いた。

 

それが当然の行為だったから。

 

……それゆえに、その赤い瞳と目があった。

 

「…………」

 

――無言。

 

紡ぐ言葉はない。

 

互いが互いに見つめ返して、沈黙が二乗されてく。

 

何も語り合いはしない。

 

けれどジャンヌの表情だけは、明確な変化を見せていた。

 

額から滲み出てくる汗は、先ほどまでの暑さによる発汗とは違う。

 

逆に冷水を浴びせられたかのように冷えて、意識は見事に覚醒している。

 

焦り、戸惑い、困惑から流す冷や汗。

 

現在の状況がよく理解できているからこそ、心臓が早鐘を打っているのだ。

 

――早朝から、(マスター)の部屋から(ジャンヌ)が顔を出す。

 

それを見られることの気まずさが、理解できないほど間抜けではない。

 

例えやましいことがなくとも、勘違いしてくれと言っているようなもの。

 

……でも本来なら、馬鹿じゃないのと一蹴して強引に押しきる方法もあった。

 

何せ彼女は竜の魔女。

 

多少の強引さは、少女のデフォルメのようなものだから。

 

だが……今目の前に立つ相手に、その方法は通用しそうにない。

 

――ミルク色の髪。

 

紅の瞳と同じく、鮮血の赤を纏う姿。

 

痛みすら感じさせる見た目に反して、一切の心が感じられない能面のようなその表情。

 

――この、ナイチンゲールという女は、間違いなくジャンヌ・オルタの中では『苦手』と分類される存在だった。

 

無機質な眼光は、まさに鋼鉄のような鋭さと無感情さ。

 

掴みようがない思想、という面では病気女と同格。

 

けれど清姫と違って、必要以上は無口な分だけ理解不能度が増している。

 

何を思って自分を見つめているのかまるで読めないから、ジャンヌは嫌味の一つ吐けやしない。

 

淡々とした瞳に何故か申し訳なさを思って、たじたじになってしまうのだ。

 

……最悪。

 

なんでよりによって、今会うのがアンタみたいな奴なのよ。

 

胸のうちで愚痴るが、そんなことで状況は変わらない。

 

ごくりと生唾を飲み込み、せめてもの意地で、ジャンヌは瞳をそらさずその見つめ合いに応じ続けた。

 

……しばらくの沈黙の後。

 

先に変化があったのは、赤い彼女のほう。

 

頭を少し下げて、「おはようございます」と一言、ナイチンゲールは挨拶をした。

 

「……お、おはよう」

 

若干逃げ腰ではあるが、ジャンヌもそう応える。

 

するとナイチンゲールはそのまま「お早いのですね」と言葉を続ける。

 

「何か御用事でもありましたか?」

 

「いえ別に……ただ飲み物が欲しくて、自販機行こうかなって」

 

「左様ですか。最近は蒸し暑い気候が続いていますからね。水分補給はいいことです。ただし、寝しなの糖分は好ましくないので程ほどに」

 

「……了解」

 

ならよろしい、とナイチンゲールはつぶやく。

 

……会話が成り立ててることに、びっくり。

 

言葉を吐けば返事が来ることに、これほど新鮮さを感じたことはない。

 

――だから思わず訊いていた。

 

あんまりにも珍しい状況だったから。

 

貴方は何してたの、なんて尋ねている己がいた。

 

するとナイチンゲールは「カルテの整理です」と素直に応える。

 

「また何人か新しく入った子たちがいましたので、その健康資料のチェックを。なにぶん数が多いもので、そのために私も早起きしました」

 

「それは、まためんどうそうね……」

 

手に握るカルテを翳すのを見てジャンヌはげんなりとつぶやく。

 

デスクワーク系統の面倒くささは、マスターの手伝いできっちり体験済み。

 

だから知っている。

 

積み重なる資料の山というものは、見るだけでかなりくるものがあることを。

 

容易に想像できてしまって、思わずジャンヌまでもが落ち込んだ雰囲気になる。

 

「いいえ。カルデアの衛生向上のためなら、これぐらいのことは苦でありません。それに業務をこなすたびに成果を実感できますから、私にはむしろ喜ばしい作業です」

 

――思ってたものと、正反対。

 

どこか得意げに、彼女は語る。

 

それは子供が自分の成果を自慢するかのような、そんな無邪気さを含んだ声音色。

 

あの作業の何がああまで嬉しいのかまったく分からないが。

 

……それでも、こう喜びを奏でる機関が彼女に存在したことに、魔女はただただ驚いていた。

 

そして遅ればせながら気付く。

 

無表情イコール無関心ではないことを。

 

強い意思、曲がらない信念。

 

鋼鉄女なのは確かだけど。

 

話しかければ答えの返る、『生きた』鋼鉄ではあるのだと。

 

……なんて、しょうもない事実にようやくたどり着けた。

 

「……では、私はこれで。ジャンヌさんもあまり夜更かしをしないように。マスターにも、そうお伝えください」

 

「あ、ちょっと待ちなさい」

 

立ち去ろうとした背中を、ジャンヌは引き留める。

 

振り返ると、なんでしょうかとナイチンゲールは首を傾げる。

 

「……他の奴らには、言うんじゃないわよ」

 

歯切れ悪いが、ジャンヌはそう口にする。

 

言ってどれほど意味があるかわからないが、一応は釘を刺しておく。

 

対するナイチンゲールは、問いかけると口元に指をつけ、少し考える素振りを見せる。

 

それから再びジャンヌに向き直り、「それは治療に関係ありますか?」と逆に問いかけられた。

 

「え。いや、ないとは思うけど……」

 

「なら私が誰かに話すことはありません。これが貴方たちの健康を守るためにするべきことなら話は別でしたが……それにです」

 

――ふ、と婦長の口元が緩んだ。

 

恐らく、黒の少女には初めての光景であろう。

 

……柔らかな、彼女の笑顔。

 

共に告げられたその言葉はより鮮明に鼓膜を震わせた。

 

「――私はこれでも女ですから……そのような野暮は、致しません」

 

……ギャップ、という単語の重みを、ジャンヌは今よく知ることとなった。

 

なにせ普段あれだけ疑り深い彼女が。

 

ナイチンゲールのその言葉一つで、十分と思えてしまったのであるから。

 

……食わず嫌いも、やめた方がいいわね。

 

今後は気を付ようと、胸のうちで少し反省をする魔女。

 

「……ありがとね」

 

そう手を振ると、こちらこそと丁寧に彼女も下げる。

 

……はじめ見つかったときはどうなるかと思ったけど。

 

なんとか事なきをすんだ、とジャンヌは胸を撫で下ろす。

 

――このまま終わったらの話、だったのだが。

 

頭を下げたナイチンゲール。

 

しかし同時に、彼女は何かに思い当たったかのようにはっとした顔になる。

 

「……ちょうどよかった。実はマスターに届け物を依頼されてまして。よろしければ、私の代わりにお渡して頂けないでしょうか?」

 

「届け物?」

 

はい、と頷きながらナイチンゲールは自らの小脇に取り付けた救急袋に手を入れる。

 

しばし袋を揺らした後、茶色い紙袋を一つ取り出す。

 

「今晩までにとのことでしたが……ものがものですし、衛生面でも万全を期すにはお早めにと思いまして」

 

「ふーんそうなの。ならわかったわ。私からマスターに渡しておく」

 

……口止め料と思えば安いものだ。

 

ちょうだいと差し出した手に、ありがとうございますとナイチンゲールは預ける。

 

「じゃあ、飲み物買ってきたらすぐに渡しておくわ。それで構わなくて?」

 

「はい。よろしくお願いします……あと、最後に一つだけ」

 

なにかしら、とジャンヌは聞き返す。

 

ナイチンゲールは少しジャンヌに近づき、その耳元に唇を寄せる。

 

そして、小さな声でささやくように、彼女は語る。

 

「――あまり力まず、ご無理をなさらないように……それとしっかりお休みをとられて、お体を大切にしてください」

 

――そう言い残して。

 

鋼鉄の天使は、魔女の前から立ち去っていった。

 

「……なんだったのかしらね、あれ」

 

力むって何が?とナイチンゲールの去った後の廊下を眺めながら、ジャンヌはつぶやく。

 

そしてちらりと自らの右手に目をやった。

 

……紙袋は、思っていた以上に軽い。

 

それこそ中身が空じゃないのかと思えるほど。

 

「……なぁにかしらねー」

 

どうせ見ても怒られないだろう。

 

好奇心に押されて、ふふんと鼻唄混じりにジャンヌはちらりと紙袋の中身をのぞく。

 

――それからぐしゃりと、彼女は両手で紙袋を握りしめた。

 

とても、直視出来るような物ではなかった。

 

わなわなと、指先が小刻みに震える。

 

それ以上の速さで、ドドドドと心臓が脈打つ。

 

苦しさを覚える激しい躍動。

 

耳まで一瞬で赤くなったジャンヌは、なんとか呼吸をするのがやっと。

 

……見えたのは、長方形の小箱。

 

今までの見たことはないモノだったが……それが何なのか、一瞬で悟れた。

 

 

――衛生面で万全を期すためにもと、ナイチンゲールは言う。

 

確かに、衛生面の問題にはコレをつけることが大切である。

 

――マスターに昨晩頼まれたので、と婦長は語る。

 

なるほど、コレを持ってそうなのは彼女ぐらいだろう。

 

『お体を大切にしてください』

 

心配そうに、顔を覗くあの淑女を思い出す。

 

――もはや、語るまでもない。

 

湯気が出るほど、顔が熱い。

 

悶えて回るほど、恥ずかしくて仕方ない。

 

意味がわかってしまったら、もう誤魔化しがきかない。

 

これならばまだいっそ、勘違いされたままのほうがマシ。

 

だって、こんなものを受け取ってしまったら。

 

……言い訳なんて、もうできるはずないから。

 

『……その分、あとできっちり返してもらうから』

 

悪戯っぽく、貴方は笑う。

 

ええ、理解しましたとも。

 

その意味、そのわけを。

 

今さらカマトトぶることもないし。

 

ぶっちゃけ魔力供給という名目でこなした回数が多いわけだから、本当に今更。

 

――しかしだ。

 

少なくとも、こんなものを持たされて、顔色一つ変えずにいられるほど。

 

……私もまだ、少女を捨てちゃいない。

 

 

「……この、馬鹿マスタぁっっ!!」

 

――甘いものなんか買ってられるか。

 

ただでさえ甘いのに、これ以上なんて堪らない。

 

紙袋を握りしめながら、バンと扉を蹴破って、ジャンヌは部屋へ戻る。

 

恐らくは外の話に聞き耳を立てて、くすりと微笑んであろうあの意地悪なマスター。

 

烈火赤面の魔女は、生半可なことでは収まらぬこの羞恥をはらすべく、声高に叫ぶ。

 

その不届きものの……惹かれて止まない、貴方の名前を。

 

 

■ ■ ■

 

――さて。

 

暑さが増す今日この頃ですが、本日もまた然り。

 

どころか、より一層深みを増すこととなるでしょう。

 

ただし、今夜は暑い夜ではなく。

 

――熱い夜と、なるわけですが。

 

 



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私だけの砂糖菓子

グランドオーダー二次創作。

甘い甘いと皆様からコメントを頂けましたから、今回は本当に甘くしてみたよ(作者談)
実際にあまいかどうかはわからん。そしていつも感想ありがとう。
たくさんコメント頂いたのでテンション上がって書いた。内容はあまりないかも、すまん

前回宣言した通り、これ以降は十月までしばらく更新しないからごめんね。

拙いですが、どうぞよろしくお願いします


「――ねぇマスター。私、ギモーヴが食べたいわ」

 

 

――唐突に、前触れもなく。

 

黒の聖女はそんなことを口にしてきた。

 

「……ギモーヴって、何?」

 

そうマスターが返すと、彼女は「はぁ?」とその金色の眼を丸くする。

 

次いで「まさか貴方知らないの?」と意外そうに再度問うてきた。

 

「生憎、そんなお洒落な名前の食べ物に心当たりはないよ。そういう名前ので知ってるお菓子って、マドレーヌぐらいだ。あとプディング」

 

「ほんとにザ・王道的なお菓子しか知らないのね……まぁいいわ。なら、世間知らずな貴方に、この私が教えてあげる」

 

えっへんと誇らしげに胸をそらすジャンヌ・オルタ。

 

どうやら久方ぶりに自分が優位に立てる状況になっていることに、かなりご満悦のようである。

 

「……ギモーヴとは、煮詰めた砂糖にメレンゲやゼラチンと香料を合わせて混ぜた生地を成形し、仕上げにコーンスターチをまぶして作られるフランス発祥の砂糖菓子よ。ふわふわとした不思議な食感、優しい甘さと口溶けが特徴。素敵だと思わない?」

 

「へぇ詳しいじゃないか……君が今読んでる、その雑誌」

 

うるさいわよ、と少しとげのある声で言って、ジャンヌはテーブルに雑誌を投げ捨てる。

 

開いたままの雑誌の一ページには、『今月はスイーツ特集!!』と派手なペイントででかでかと記載されていた。

 

「とにかくよ、私は今すぐにでもギモーヴが食べたいわ。一分一秒でも早く。だからマスター、新宿行って買ってきて」

 

「かつてないレベルでも無茶ぶりかましてきたね君。けど残念でした、今は御覧の通り部屋の片づけで忙しいの。とゆうか、君も手伝ってくれないか?」

 

嫌よと一言、片づけをしている最中ズカズカと部屋に上がり込み我が物顔で椅子に座っている竜の魔女は即答する。

 

「たまたま私が足を踏み入れた部屋が偶然部屋の掃除をしていただけなのに、どうして手伝わなきゃいけないのかしら?」

 

「たまたまでも偶然でもないでしょ……とにかく、今は忙しいからあとにして」

 

「つれないわね……なら言い方を変えるわ」

 

ばっと、その両腕をジャンヌは開く。

 

それから彼女はちょいと首を傾げて、少年を上目遣いに見て、こう言った。

 

「……構って」

 

――不覚にも。

 

その、ねだるような仕草にくらりとノックアウトされそうになった自分がいた。

 

筋金入りかよ、と自身のぞっこんさ加減にマスターは息を吐く。

 

揺らぐ意思をぐっとこらえて、彼は絞るような声で「駄目です……」と答える。

 

するとジャンヌは唇を尖らし、ケチと拗ねるように言った。

 

……ほんと、そういう仕草は卑怯だと思う。

 

「と、とにかく。掃除終わったら構ってあげるからそれまで待っててくれ。頼むから、ね」

 

「はいはい。わかりましたよ……それにしても気になるわね、ギモーヴ」

 

どんな味なのかしら、と机に顎を乗せ、少女は広げたページをじっと見つめだす。

 

……彼女がここまで興味を持つと言うのは、なかなか珍しい。

 

「……フランスのお菓子って言ってたけど、ほんとに食べたことないの?」

 

「ないわよ。そもそも時代が違うし……まぁ、あの動乱の最中にオリジナル様がこんなの食べてる光景自体が思いつかないけどね」

 

自分が食べず、嬉々として他人に分け与えてるでしょうよと皮肉げに彼女は笑う。

 

バカじゃないのと、頬を歪める少女。

 

無言のまま、マスターはそれを傍らから見つめる。

 

少し陰鬱な表情を浮かべる少年の視線に気づいて、「何気にしてるのよ」とジャンヌは苦笑する。

 

「アンタが悩んでも仕方のないことよ」

 

別に気にしてない、とマスターは首を横に振ってごまかす。

 

それから話題を変えようと目を泳がせていると――ふと、あることを思い出す。

 

「……そういえば。今思い出したけどギモーヴ食べたことがあるかもしれない、オレ」

 

「え、本当?」

 

こくりとマスターは頷く。

 

……あれは先週、マリーさんにお茶会に呼ばれた時のこと。

 

紅茶と、色とりどりの茶菓子で飾られたあのティーパーティーで、紅く柔らかい、一口大にカットされた砂糖菓子が混ざっていた。

 

透明なグラスに盛られたそれはまるで宝石のようで、口に入れた途端フルーツの風味がふわっと広がり、口内温度であっという間に消えてしまう。

 

「あれマシュマロだと思ってたんだけど、今考えるとギモーヴなのかもしれないな……ってジャンヌさん?」

 

見ると、漆黒の彼女はむすうと頬を膨らませている。

 

それからふんと鼻を鳴らして少年から顔をそらした。

 

「あーはいはいいいわねマスターさまは。私に隠れてこそこそいい想いしてて。本当に良い御身分ですこと」

 

「……一応君にも声かけたよ」

 

「そんなおきれいな場所いけるわけないでしょ」

 

バかじゃないのと、ジャンヌは罵倒する。

 

……その言い方に、なんだかカチンときた。

 

結構気を使っているのに、遠慮なしな彼女。

 

生意気をいうお姫様。

 

怒った猫のように背中を向けるこの少女に、どうしてやろうかとマスターは怒りをふつふつ煮えたぎらせる。

 

『――ねぇマスター。ご存知かしら』

 

――瞬間、ある言葉も同時に思い出す。

 

ギモーヴを食べたとき、確かかの王妃はあることを語った。

 

自分がいなかった時代に生まれたその砂糖菓子といえど、お客様に振舞うのならもちろん自身が熟知してなければ礼儀に反す。

 

今のままで抜け落ちてしまっていたが……このタイミングで思い出してくれて、ちょうどよかった。

 

「……ねぇジャンヌ。ギモーヴの食感って、何の感触に似てるか知ってる?」

 

知らないわよ、と少女は答える。

 

――こつんと、少年は足音を鳴らした。

 

「食べてみたいけど、どっかの誰かさんが買ってきてくれないし内緒で食べてきたりしてるから無理みたいなのよね。あー本当にうらやましいわねー」

 

わざとらしい大声を出す彼女に、申し訳ないと苦い笑いをマスターは向ける。

 

――その不機嫌な背中は、もう目前。

 

「――でも、代わりのものなら教えてあげられるよ」

 

何よそれ、とジャンヌは不可解なそうな表情で振り返る。

 

――刹那、ふわりと、その唇に触れる感触がある。

 

やんわりと暖かく、何もないように軽いけど、確かにあるそのぬくもり。

 

貴方の熱が、染みてゆく……。

 

やがて遠ざかる、彼の顔。

 

再び目を合わせたとき、少年はにこりと、いたずらっぽく微笑む。

 

「――キスの感触に似てるんだってさ」

 

いかがでしたか、とからかい気味にマスターは笑う。

 

呆然と頬を染める少女に、よしと彼はガッツポーズを決める。

 

一本取ったと、確信をする。

 

……しかし、今回かぎりは。

 

 

そう考えるのは甘かった。

 

「……そう。なかなかいいわね」

 

――にやりと、頬を染めた魔女が微笑む。

 

艶やかで魔的な笑みに、どくんと少年の心臓が高鳴る。

 

――すっと、彼女の手が回る。

 

マスター頭を抱えるようにして。

 

それから再び、少女の頭が近づいてくる。

 

「え、ちょ、ジャンヌ?何を……」

 

吹きかかると息に、頬の紅葉を止められないマスター。

 

そんな茹蛸みたいな彼に、少女は「おバカさん」と微笑する。

 

……動揺する彼が、可愛らしくて。

 

にやけが止まらない。

 

私も相当だなと、ため息を吐く。

 

――それが嫌じゃないから。これまたしょうがない。

 

「……まだたったの一口よ。満足できるわけがないじゃない。だから――」

 

触れるか、触れないかの距離。

 

その赤くなった耳に、よく聞こえるように。

 

直前まで、引き寄せて。

 

そっと、魔女は宣言する。

 

「――おかわりよ」

 

それが、二口目のコール。

 

……そう。

 

生憎、私はあの聖女様とは違う。

 

出来損ないの、劣化品。

 

恵まれてないから、あさましくもかき集めるし、譲る気はない。

 

――絶対に譲ってなんかやるもんか。

 

この砂糖菓子の甘さだけは。

 

……私だけの、デザートだ。

 

 

 

 

 



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『貴方』のいない裏話

「……面白いわね、これ」

 

ぽんと軽い音を立てて、少女は本を閉じる。

それからその本のタイトルを眺めながら、彼女――ジャンヌ・オルタはつぶやいた。

 

――マスターから渡された本。

 

絶対に気に入るからとしつこいぐらいに推してきたので、ものは試しにと借りてみた第一巻。

それで、たまたま現在暇だったから、しょうがないから開いて目を通してやったのだが……確かに、おもしろくはあった。

ぺらりぺらりとめくり続け、一時間もしないうちに読み終わってしまったぐらいには。

 

「……気になる」

 

ベットに寝そべり、天井を見上げながら少女は一人語る。

……けれど、こんなにもあっさり読み終わって早速借りにいくというのは、なんとくなく面白くない。

少年の予想通りハマってしまった、と認識されることが少しどころか相当気にくわないと思えてしまうジャンヌ。

しかし同じくらい、今後の展開が気になるのも事実。

うーんと唸りながら左右に体を揺らして苦悩する竜の魔女。

 

……最終的に、好奇心の方に負けた。

 

「……呼んで持ってきてもらおうかしら」

 

それがせめてもの意地、と少女は懐から携帯端末を取り出す。

元来サーヴァントとマスターの間では無用だろうが、もしもの時のためにと彼が持たせてくれた。

主に、日常のなにげない遠距離のやりとりに使用してる。

ポチポチとパネルに指を走らせ、スピーカー部を耳元に着ける。

響いてくるコール音が途切れる瞬間を、足をパタパタと揺らしながら待った。

 

……しかし、いくら待とうともその気配はない。

 

彼の声が聞こえてくる雰囲気が、これっぽっちもない。

繰り返される電子音に、だんだんと苛立ちが募ってゆく。

 

「……ああもうっ!!遅いのよ!!」

 

一分以上の無反応にはじけた彼女はぱんと枕に端末を叩きつけた。

……呼べば絶対行くよとか言っておきながらこういうことをする。

意味がないじゃない、と大きく息を吐きだす。

しばらくの間、少女はその呼吸を繰り返す。

コール音もなければ、振動もない端末を見つめながら。

沈黙の中を、散々悩んだ挙句、仕方がないと彼女は後頭部を掻く。

 

「……直接行くか」

 

出ないんじゃ仕方ないしね、と再び自分に言い聞かせながら、ジャンヌはベットから起き上がる。

それからマスターに借りた初巻を手にとり。

ぱちんと指を鳴らせば、身なりはラフな部屋着からいつもの黒装束へと早変わり。

そして、高い踵を一層高く鳴り響かせて、魔女は部屋を後にする。

 

……しょうもない、どこぞのマスターを探すために。

 

■ ■ ■

 

――時刻は午後三時。

 

この時間だと、マスターが必ずいる場所というものはなかなか特定できない。

なのでまずは彼の自室を目指すことにした。

かつんかつんと白い廊下に靴音を響かせて、ジャンヌは歩く。

まだ昼頃だというのに、すれ違う人はわずか。

見かけるのは少年と呼ぶには少々更けすぎた大人たちばかりで、しかもどこか遠巻きにされている。

彼らは一瞬目が合うとすぐに目を逸らして、足早に去ってゆく。

 

……当然だろう。

 

かつて敵だった者が、我が物顔でここを闊歩してるのだ。

時間が経ったからといえ、私に慣れる奴と相容れない奴がいることに、私自身なんの不思議もなく納得してる。

……ただあの少年が、とびぬけて異質なだけのこと。

そうこう考えてるうちに、少女の目指していたマスターの部屋の前へとたどり着く。

無機質な灰色の扉、その傍らに備えられているナンバープレートを、ジャンヌは一つずつ順番に押し込んでゆく。

 

押し出すリズムは軽快。

 

彼女にとっては慣れた動作だ。

ピロンという正解のメロディと共に、閉ざされていた扉は横なぎに開かれる。

これも、普段通りの光景。

あとは開かれた部屋に立つ、そのふにゃけた面構えに声をかけるだけ。

 

……しかし。

 

 

「――あら。ジャンヌさんではありませんか。こんにちは」

 

――そこに立っていた人物は、黒の彼女が思い描いていた人物ではなかった。

マスターよりも一回りも小さい身長と、はるかに高く透き通るような声。

緑色の長髪と着物、その上から覆うように纏った白い三角巾とエプロン。

 

動きやすいようにとまくり上げた袖からは真っ白く細い少女の腕が見え、右手に草箒、左手に塵取りを握っている。

 

「……なんで、アンタがここにいんのよ」

 

がしがしと髪をかき乱しながら、ジャンヌは苦々しげにそうつぶやく。

 

……正直、この問いかけ自体なんの意味を持ってないと重々承知してはいたが、尋ねずにはいられなかった。

 

すると緑の少女は「それはもちろん……」とやわらかに微笑む。

――ジャンヌとは、似て非なる黄金の瞳を歪めて。

少女はさも当然のように答えた。

 

「――わたくしでございますから」

 

「……あっそう」

 

慣れとは怖いものだ、と魔女はつくづく実感する。

何せ今の一言に対して、何の疑問もなく納得できてしまう自分がいたのだから。

 

……本当、末恐ろしい女性である。

 

■ ■ ■

 

「――もっ一回訊くけど、なんでマスターの部屋に当たり前のように貴方がいるんですか?」

 

ぎこぎこと、座っている椅子を傾け揺らしながら、ジャンヌは再度尋ねる。

対して清姫は「お掃除ですよ」と答える。

 

「ますたぁがご不在の今、お片づけをして差し上げることこそ、わたくしに出来る最大の御奉公です……あらあら。屑籠が溜まっていますね。袋に纏めておきましょう」

「思春期男子のゴミ箱漁るとか貴方もなかなか鬼畜ね……てゆうか毎回思うけどそもそもどうやって入ってるのよ?」

 

ふと気づけば近くにいる。

まるで幽霊か何かのようだ。

すると彼女は「いえいえ、そんな難しいことではありません」とちょいちょい手首を左右に振る。

「……開くぱすわーどになるまでぷれーとを連打してるだけでしたので、簡単な作業です」

こともなげに、さらりと述べる蛇の化身。

むしろこちらの汚れの方が難敵ですとさえ言ってのけ、念入りに雑巾で床を磨く彼女。

 

……前言撤回。

 

幽霊なんて生易しいものではなく、もはや怨霊のごとき執念。

ただもくもくとボタンを押し続けてる清姫の姿がイメージ出来てしまって、背筋がぶるりと震える。

 

「……ご苦労様ね、本当に」

 

乾いた笑いと共に漏れでたジャンヌの言葉に、清姫はむっと眉を顰める。

その言い方は腹が立ちますと、むくれながら文句を言ってきた。

 

「ますたぁを独占してる貴方に言われますと皮肉にしか聞こえませんわ」

「独占って、んなことしちゃいないわよ。貴方たちと同じ距離感だから。気のせいよ気のせい」

「気のせい、でございますか」

 

そうよ、とジャンヌは断言する。

それを訊いた清姫は特に反論した様子を見せることなく、「左様でございますか……」と首肯する。

思っていたよりも、あっさりとした幕引き。

拍子抜けかもとさえ、ジャンヌは思いもした。

 

「――ちなみにそこの箪笥の三段目。無造作に投げ込まれていた可愛らしいふりるの肌着はわたくしがきっちり畳み直しておきましたので、どうかご安心ください」

 

――ぽつりと囁かれたそのつぶやきに、かの竜の魔女もたまらず吹き出す。

けほけほと激しく咳き込む漆黒の彼女を、清姫は呆れた目で見降ろした。

 

「……なぁにが同距離ですか。ご自分は隠れてこそこそますたぁと仲良くなさってるくせに。貴方も十分したたかでいらっしゃいますね」

「……てか、勝手に人のプライベート探る奴に言われたくないし、このストーカー」

「恨み言なら、日頃から整理整頓を怠けているご自分の生活態度をお恨みください。むっつりすけべさん」

 

むっつりすけべ、という言葉がぐさりとジャンヌの心を抉った。

それはそれは深く深く。

思いもよらぬその不名誉極まりない仇名は、彼女の精神にクリティカルを叩きだす。

ずーんと落ち込でしまう魔女の姿にやれやれと齢十二歳の少女はため息をつく。

……粋がるくせに、叩けば簡単にしなびてしまう。

その姿はまるで乙女そのもの。

案外、『本物』よりもよっぽど敏感な感性を持っているのかもしれませんね。

 

「……まぁそれはさておき、貴方がお借りしたかった本はこちらですよね」

 

てってと小走り本棚近づき高めの棚に置いてあった赤い表紙の一冊をぴょんとひと跳ねして、清姫は掴みとる。

 

ジャンヌが求めていた二巻目。

 

どうぞと緑の少女はそれを差し出す。

鮮やかな深紅の外装に包まれた一冊。

しかし少女はすぐにそれを手に取らず、しばらくじっと見つめた。

 

「……いや。やっぱいいわ」

 

いらない、と少女は断って立ち上がる。

そのまま机に置いてあった一巻をひったくるように手に持って、部屋の扉へと歩いてゆく。

 

「いらないって、これを借りにきたのではないのですか?」

 

違うわよと、ジャンヌは否定を口にする。

……いや、実際には合っている。

だが気づいてしまったんだ。

あれだけ欲しかった続き。

けれどすっと冷めてしまった。

彼がいないとわかった途端、冷めてしまった。

……まったく、我ながら本当にわかりやすい。

扉の直前まで来て、彼女はくるりと顔をこちらに向ける。

そしてそのやんわりとした白い唇は、次にこう言葉を紡ぐ。

 

「――貴方に、借りに来たわけではありませんから」

 

――そう、言い残して。

ぴしゃりと音を立て、真黒の影は扉の向こうへと消えていった。

……こちこちと、室内に秒針が時を刻む音のみが響く。

しばしの時間が経ってから、はぁあと一際深く重々しいため息が、少女の口から吐き出される。

 

「……つくづく、面倒な方ですね」

 

――初々しく健気に、一心にかの背中を追いかけるあの姿。

……まるで、いつかの誰かを見ているようで。

そんな風に共感してしまう、女々しい自分にも呆れながら。

か細い指先を額に当て、清姫は大きくかぶりを振ってつぶやく。

 

だがまぁ……案外気分は悪くない。

以前の彼女なら、それを嫌でも認めようとしなかった。

しかし今は、その事実に向き合おうとしてる。

認めて向き合おうと思うだけの……『余力』が出来た。

そしてその成長を認められるだけの『気持ち』をくれたのも……まぎれもない『あの人』。

 

「……やはり最高ですね、わたくしのますたぁは」

 

くすりと、少女は笑う。

 

 

――これは『貴方』が決して知らない裏の物語。

知られてはいけない物語。

だってもし、『貴方』が知ってしまったら。

真っ赤になって、魔女は嬉し笑いする『貴方』の頬を打ち鳴らすだろうから。

 

……そんな甘い展開は、彼女だって羨ましく思えてしまうから。

 

あのささやかな魔女の変化は、少女だけの語らぬ物語である。

 

 



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Trick or Sweet time

ハロウィンぐだ邪ンです。ただひたすら甘そうな話を書きました。
よければ読んでやってくださいませ。
どうぞよろしくお願いします。


「――見てください間違った私!トナカイさんから昨日のハロウィンでお菓子を頂きましたっ!」

 

 

じゃん‼と声を上げて差し出してきたのは、一つの小さなかご。

かごの中にはこれでもかとばかりに飴やらチョコやらがぎっしりと詰められていた。

そんな色鮮やかな宝箱を差し出してきたのは、えっへんと誇らしげに胸を張る幼き少女、ジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィ。

対して差し出した相手は自らと瓜二つの顔を持つ真っ黒な少女、ジャンヌ・ダルク・オルタ。

彼女はしばらくその差し出されたものを見つめていたが、そのあと「よかったわね」と淡々とした口調だけを告げた。

 

「むぅ……間違った私、反応が薄いです……」

「むしろそれにどんな反応しろっていうのよ。ガキじゃあるまいし羨ましいとか思わないから。あと、いい加減その呼び方やめなさいな」

「間違った私がいい子になったらやめてあげます」

「あら残念。それじゃあ一生かかってもやめてもらえそうにないわね」

 

そう返すとリリィはむくーと不満そうに頬を膨らます。

……なんというか、自分自身の幼稚な抗議方法に頭が痛くなった。

 

「もういいです!間違った私にはお菓子分けてあげません!……昨日の貴方の姿が見えなかったから、せっかく多めにもらっておきましたのに……」

 

最後につぶやいたリリィの一言に、黒のジャンヌは目を丸くした。

それからくすりと、彼女はわずかに頬を緩める。

……突っかかってくるわりには、彼女なりに気を使ってくれていたらしい。

チビのくせに、と苦笑したジャンヌは、自分より一回り以上小さなその白い頭を、わしゃわしゃと撫でてやった。

 

「な、何するんですか!?やめなさい間違った私!?」

「はいはい。とりあえず気遣いだけは受け取っていてあげるわよ……でも悪いはね。それがアイツのお菓子ならなおのこと受け取れないわ――昨日、わざわざ顔を出さなかった意味がない」

「……え?」

 

――その言葉に、リリィは目を見開く。

驚いた表情を見せる己が分身に、ええそうよとジャンヌは笑った。

 

そして魔女はにこりと微笑む。

 

ふふふと企みに満ちた表情と共に、だってそうでしょうと彼女は語る。

 

「……お菓子なんてもらったら、せっかく用意した『悪戯』が出来ないじゃない」

 

 

■ ■ ■

 

「……つっかれたぁ」

 

吐き出すようなつぶやきとともに、ぼふんとマスターの身体がベットに沈む。

自室に戻るなり、完全に脱力しきったマスター。

今日のレイシフトの内容がハードだったのもあるが、この鉛のように思いけだるさは、恐らく昨日のハロウィンでのものだろう。

 

一言でいうと、すごかった。

 

リリィのような可愛らしくお菓子をねだるものもいれば、解体するよと迫ってきたりお友達よと言って逆にお菓子を投げつけられたり。

果ては王様勢まで登場してピラミッドやらウルクの壁やらが林のように跋扈したりと魔的に過ぎる一夜となっていた。

まあ一番危機を感じたのは、きわどいケモ耳をつけた清姫が「とりっく・おあ・せっ(以下自重)‼」と謳いながら走り迫ってきたことだろうか。

何にせよ、忙しい一日ではあったが……それでも楽しかった。

 

ただ一つだけ、残念なことがあるとしたらそれは……彼女の姿が、一度だって見えなかったこと。

きっと彼女のことだから、自信満々出来てお菓子をねだりに来ると思った。

そうやって、遊びにきてくれるんじゃないかって、期待をしてた。

でも、待っても待っても来てはくれなくて、どんどんと用意していたお菓子は消えていって。

結局、ジャンヌの顔を見ないまま、十一月一日の朝を迎えることになった。

別段不満はない。

でもやっぱり、カルデアのメンバーも増えて会う機会が減ってしまったから、こういう機会ならという希望は持っていたりもしてたから。

……ほんの少しは、寂しかった。

 

「……だったら、さっさと会いに行けってことなんだろうけどね」

 

女々しいやつ、と少年は自嘲する。

――そんな時だった。

 

「……何よ。もしかして、私に会うのが怖かったりしたのかしら?まったく意気地がないわね、貴方」

 

突然響く、君の声。

少したりとも動くことはないと思っていたこの体が、一瞬でがばりと起き上がる。

そして視界に見えたのは、いるはずのない真っ黒な少女。

――ジャンヌ・オルタと名乗る、竜の魔女の姿だった。

 

「……なん、で?」

「あら、マスターがそれを尋ねるのかしら?私がノックをするような人間に思えて?部屋の暗証番号を教えたのは他でもない貴方のに?……てゆうか、理由もなく貴方の部屋に入り浸ることなんて、しょっちゅうあったでしょうが。今更過ぎるわよ」

 

そうくすりと微笑むジャンヌ。

不遜で高慢な、その笑顔。

いつも見ていた、その微笑み。

それだけで、マスターはなんだか十分だった。

……理由なんていらない。

ただ久しぶりに会えたことが、嬉しかった。

そういう日々に生きていた。

だから彼も「そうだね」と笑う。

微笑みには微笑みを、それが今まで通りの二人。

……けどやっぱり、一つだけ気になることがあったから、少年は尋ねてみる。

 

「……あのさぁ。そのエプロンは、何?」

 

――真っ白なエプロン。

真っ黒とは対極のその色を、ジャンヌ・オルタはまいつもの甲冑の上から羽織っている。

あまりにもアンバランスな色彩に、マスターといえど戸惑いを隠せなかった。

 

するとジャンヌは、より一層笑みを深くして「もちろん仮装よ」と自信満々に答えてきた。

 

……仮装だって?

 

「……ハロウィンは昨日で終わりだよ?」

 

そう言うと、ジャンヌは「ばかねぇ」と嘆かわしそうに頭を振る。

 

「十月三十一日は終われど、十一月一日までお化けとかは闊歩しているものなのよ。つまり、実質今日が終わるまでハロウィンは続いているの。ちゃんとネットで調べたんだから、間違いないわ」

「調べたんだ。わざわざ君が……」

「うっさい――とゆうわけでマスター。改めて貴方に言いましょう」

 

言うとジャンヌは右手を少年に向けて差し出す。

それから小首をかしげて、少女はこう告げる。

 

「――トリック・オア・トリート。お菓子くれなきゃ、悪戯するわよ」

 

そう、彼女は宣言する。

言われたマスターはぽかんとしたが、そのあと「ごめん、品切れた……」と答える。

 

「それはいけないわねぇ。なら私は貴方に悪戯しくてはなりません。ええ。全く不本意ではありますが、仕方ありません。ルールですから……」

「……わざと狙ってたろ、君」

 

さぁどうかしら、とジャンヌは舌を出す。

……同時に、絶対そうだと彼は確信した。

 

「全く君ってやつは……てゆうか、その仮装さすがに適当過ぎるでしょう。まさか自分は魔女だからーとか言ってそれで済まそうとしているのかい。ならやり直す、オレはそんな雑いの認めません」

「やけにこだわり深いわね。けど安心なさい。そういう意味じゃないし、ならエプロンなんていらないでしょ」

「だったらなんなのさ?」

 

それはね、とジャンヌは微笑む。

いかにもいかにも、楽しそうに。

腰をくいと曲げ、白い胸元に手を当ててながら。

 

かの竜の魔女は、こうやってその姿の真名を明かした……。

 

 

 

「――貴方の、新妻のコスプレよ」

 

 

――瞬間、ぶほぉっ‼と大きく声を上げてマスターが噴き出した

それから急いで口元を抑えたがそれでも間に合わず、震える両肩とくぐもった声が出てしまう。

そんな様子の彼を、ジャンヌが冷めた目で「どうして爆笑されるのかしらね……」とつぶやく。

 

「そこは赤面するのが男子ってものじゃないの……?」

「だ、だって……新妻って君、らしくなさすぎっていうか……」

「あっそう。ならもういいわ。これ、受け取んなさい」

 

未だ笑い続けるマスターに、ジャンヌはぴらりと一枚の用紙を差し出した。

緑色の文字が印刷されたそれを受け取ると、マスターは何だろうかと首を捻る。

 

マスターがそれに目を通すと同時に、ジャンヌはその用紙の名前を告げる。

 

「……離婚届よ」

 

――今度は、違う意味で噴き出した。

笑いもぴたりと収まり、マスターは慌てた様子になる。

それを見ていたジャンヌは、当然でしょうと鼻を鳴らした。

 

「……ずっと会いに来なくて。ずっと話しかけてもくれない奴なんて……待っていても、悲しいだけよ」

 

ぽつりと、少女はそうつぶやく。

――わかってる。

それがわがままだってことくらい。

でも忙しくたって、仕方なくたって。

マスターが他の女の人と話してたら、悔しい。

マスターと誰かがいっよにいたら、羨ましい。

……待ってても、貴方が会いに来てくれないのは、寂しい。

 

柄にはないってわかってるけど。

 

――私が貴方の一番だって、安心したいから。

だから、こんな回りくどい真似をした。

 

「……だから、それを渡されたくなかったらお菓子をよこしなさい」

 

ジャンヌはそう言って、彼に背を向ける。

妥協なんてしない。

ないからなんて言い訳は聞かない。

こんなのは嫌だと思うなら、その誠意を見せてみなさい。

 

――お願いだから。

 

貴方に愛してもらえてるんだって、信じさせて。

 

そう祈りながら、ジャンヌは自らの肩を抱いた。

震えるほど強く。

 

その背中を、マスターは沈黙して見つめていた。

申し訳ないという思いに浸りながら。

けれど同時に……安堵もした。

自分だけじゃなかったんだと。

会いたいと思ったのは、彼女もなんだと。

もしかしたらもう、どうも思われていないんじゃないかって怖くて話しかけられなかったけど。

確かめることすら、おびえていたんだけど。

待っていてくれたんだと気付けて――たまらなく嬉しかった。

 

だから、ちゃんと伝えなきゃいけない。

自分よりも先に、こうやって勇気を振り絞てくれた彼女に。

 

「――ジャンヌ」

 

そう言って彼は、少女の両肩に手を回す。

後ろから抱きしめた背中は、ひどく冷たくて。

「何よ」とぶっきらぼうに答える君の声は、どこかかすれて響いた。

 

「……トリック・オア・トリート。ってオレも言ってもいいかな?」

「……ふん。仮装もしないで、何言ってるんだか」

「仮装はしなくても別にいいんだよ。元からだし」

「あら。だったらアンタは何のお化けなのかしらねぇ……?」

 

からかい気味に尋ねるジャンヌ。

対してそれはね、とマスターは彼女の耳もとに囁いた。

 

 

「……狼男だよ」

 

……一瞬の沈黙のあと。

 

溜まらず、ジャンヌは笑い声を漏らした。

おかしいおかしいと、ころころに笑って。

 

ひとしきり笑った後、彼女は振り返る。

赤く腫れた、悪戯っぽく輝く瞳が少年を見上げた。

 

「……確かに、貴方はケダモノね。でも大変だわ。悪戯することしか考えてなかったから、お菓子なんて持ってきてないの……だから私、大人しく貴方に悪戯されるわ」

 

さぁ何をしてくれるの、とジャンヌは挑発的に微笑む。

悪戯を期待して待つなんて、なんてやりがいのないことをするんだろうと少年は苦笑する。

……そのわずらわしささえ、今は愛おしい。

 

「……なら狼男だからね。もちろん君を『食べる』に決まってるだろ……でも一つだけ、保証する」

 

――そしてマスターは誓う。

これ以上、彼女を不安にさせないように。

示してくれた想いに、答えるために。

抱きしめる、少女に向けて……。

 

「――お菓子よりも、甘くしてみせるから」

 

――その宣誓に、魔女も微笑む。

彼女が求めた、ようやく欲しかった言葉が手に入ったから。

ココロからの安堵と、喜びを感じたから。

 

だから、苦笑しながら少女も答える。

 

「……しょうがないわね。今回は、これで多目に見てあげるわ」

 

……そんな言い方をしなきゃ、もう枯れた声がごまかせないのだから。

つくづく困ったものだと、魔女は己も嗤う。

お互いに嗤い、笑いあいながら。

……幸福な暖かさの中に、二人は漂った。

 

 

 

……そうだ。

 

お菓子なんていらない。

 

私が本当に欲しいものは、もっと深くて濃いもの。

 

チョコレートみたいに甘くて。

 

キャンディみたいに蕩けて。

 

――切なくぬくもる、貴方の口づけをください。

 

 

 



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私の名前 (リメイク版)

グランドオーダー二次創作ぐだ邪ンです。過去作品のリメイク版で、結構違うかも。どうぞよろしくお願い致します。
それと二代目オルタちゃんイベント復刻おめでとうございます。




――何故だ。

 

「さぁ行きましょうトナカイさん。今日もきりきり素材を集めです!」

 

快活な声が響く。

白と黒の服を着て、赤と緑のリボンを揺らす幼き少女は、自らを肩車している少年のことをそうやって急かした。

 

「わかってるよジャンヌちゃん。けど少し待ってね。もうちょっとだけ準備必要なんだ」

 

はしゃぐ彼女を窘めるような声で、少年はその名を口にする。

穏やかで暖かな、優しい音色。

 

……どうして。

 

「もうトナカイさんってば。すぐに出るって言われてたんだから、ちゃんと準備していないと駄目ですよ」

「まぁまぁ。そう気を悪くしないでくれよ……よし、準備完了。じゃあ行こうか、ジャンヌちゃん」

 

言うとしゃがんでいた少年は、少女を肩に乗せたまま器用に立ち上がる。

それから慣れた仕草で扉の前まで歩んでゆく。

だがその直前でふと振り返り、こちらを怪訝な様子で見つめてきた。

 

理由は恐らく、私が部屋の壁に寄りかかったまま、まったく動こうとしなかったからだろう。

 

「どうしたの?」

 

そう、貴方は私に問いかける。

いつも通りの、腹立たしいくらい能天気な顔で。

 

でもいつもと一つ違うのは、その彼の頭の上に、別の誰かの顔があったこと。

――自分によく似た面影をした少女は、ただじっとこちらを見つめる。

 

――ああ、ほんとうに。

 

「……別に。どうもしてないわ」

 

ぶっきらぼうな答えが、私の喉奥から発せられた。

自分で言っててもよくわかるほど、苛立ち交じりの返答。

でも仕方がない、これでも結構堪えているのだから。

 

――私じゃない『ジャンヌ』。

それが、優しげな彼の声に呼ばれるたびに。

……どうしようもなく胸の奥がざわついて、仕方がない。

 

……本当、何でなのかしらね。

 

そう心の内でつぶやいた彼女—―ジャンヌ・ダルク・オルタは、歩を進めると同時に小脇に立て掛けていた旗を手に取った。

 

――災いをもたらす、竜の魔女の御旗を。

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

「ああっもう!あのチビほんとムカつく!今すぐ串刺しにしてやりたいわ!」

 

――昼下がりの食堂。

そこに在る一席でダンダンと机を叩いきながら、ジャンヌ・オルタは抗議する。

 

「……別に誰を串刺しにしようが構わんがな。とりあえず執筆中の俺の邪魔をしないでくれるな」

 

その抗議に対し、返ってきた答えはこれまた冷たいの一言。

アンデルセンは手元の原稿用紙から少しも目を離すことなく淡々と言った。

しかし、ジャンヌはアンデルセンの言葉などまるで聞こえず「ムカつくムカつく……」と言葉を繰り返していた。

—―いきなり目の前に座ってきて愚痴の聴き相手にされるとはな。

まったくついていないと、彼はため息をつく。

 

「いっそマスターに内緒で闇討ちしてやろうかしら……?」

「だから勝手にしてろと言っているだろう。俺を巻き込まずにな……だがそもそも、アレは確かおまえ自身に相当するんだろう?それを串刺しにするとは如何なものなんだ?」

「仕方ないでしょ。ムカつくものはムカつくんだから。あーほんとぶちのめしたい……」

 

机に頬をあてながら物騒きわまりない台詞を吐き続けるジャンヌに、アンデルセンはやれやれと肩を竦める。

 

「……あいつもあいつよ。なんであのガキばかり優先するのかしら。ロリコンなの?」

「ひどい言い掛かりだな。ただ単に育成しているだけだろう。アレはまだここに来て日が浅い。マスターがより多く運用しようとするのも頷ける……そう邪険にすることもないだろ。他でもない、お前自身なのだから」

「……あんなのと、いっしょにするな」

ガンっ!と一際大きく机に額を打ち付けて、ジャンヌ・オルタはそう言った。

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

一週間ほど前の話だ。

このカルデアに、新しいサーヴァントが召喚された。

召喚される際、たまたまジャンヌもその場所に居合わせたが……そこでまさか吐き気さえ覚えるほどの光景を目にすることとなる。

――真っ白な体に、華奢な手足。

まだまだ成長仕切れてない肢体に、金の髪と瞳。

……見間違えようがなかった。

召喚された少女の名は、 ジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィ 。

 

――他でもないジャンヌ・ダルク・オルタの、ありもしない過去の姿である。

 

 

■ ■ ■

 

 

「……それが、何が悲しくてあんなわけわかんないサンタのコスプレなんてやってんのよ」

「言い出したのはお前じゃなかったか?」

 

うっさいとうつ伏せのままジャンヌは言った。

……あのオリジナル様は、妹が出来たみたいだと小躍りせんばかり喜んでいたが、魔女たる彼女はそうもいかない。

……なにせあの頃の自分ともなれば、綺麗ごとばかりに夢を見るだけの小娘だ。

まして堕ち切った自分なんぞ見ようものなら、煩わしいことこの上ないだろう。

現に今だって事あるごとに突っかかってくる。

……それにいちいち腹を立てる、私も私かもしれないが。

 

「てゆうか、服装があの暴食真っ黒王とおそろいで、腹も肌も真っ黒神父を師匠とか呼んでいる時点でもう色々耐えられない……」

 

苦々しい声を吐きながら両手で顔を覆うあたり、本当に堪えているのだろう。

嘆くジャンヌに一応は「御愁傷様」と言葉をかけるアンデルセン。

だが大して同情した様子もなく、本当に他人事だった。

 

「まぁそう落ち込むな。あれはいわば若さというやつだろう。そういうこともある」

「……その『若さ』とかいう地雷の塊を現在進行形かつ目と鼻の先で見せつけられ続けなさい。殺意しかわかなくなるから」

「そしてさらにはマスターまで取られたわけか」

「そうよ!一番の問題はそれよ!あのチビ、レベルが低いからってことをダシにしてアイツにべったりなのよ!前までずっとずーっと私が傍にいたのになんなの?アイツが来てから全然いっしょにいない、てかマスターもマスターで私がどう思ってるかなんてさっぱり‼いつもジャンヌちゃんジャンヌちゃんって気持ち悪いぐらい構いまくって。ついこの間まで、私だけだったのに……」

 

そこまで言いかけて、彼女はハッとなる。

いつの間にか、原稿用紙しか興味のなかったアンデルセンが、にやにやと心底楽しそうな表情でジャンヌのことを眺めていた。

 

「――熱いな。とても心震える言葉であったよ。ペンの進みが止まる程度にはな」

「……忘れなさい。でなきゃ殺す」

 

善処はしよう、と答え苦笑するアンデルセンに、ぐっ、とジャンヌは歯噛みする。

気の毒なことに、彼女の頬はほんのりと熱く赤くなっていた。

 

「しかしあれか。そうなってくるとなおさら厄介なことになると思うぞ」

「……何がよ。これ以上の面倒事が他にあるとでも?」

「だからな。あのサンタ幼女はおまえ自身なのだろう。ならば—―おまえのような『想い』を抱いている可能性をあるんじゃないのか?」

 

言われてジャンヌは一瞬ぽかんとする。

だがしばらくしてから、さぁっと一気に青ざめた。

口元を手で覆い、「確かにやばいかもしれない……」と震える声でつぶやく。

 

「……考えてみればそうよね。一応あのガキ私なんだから、マスターを好きになるに決まってる。あのボンクラも、鈍いちゃっ鈍いけど割りとちゃっかりしてるし、私に夢中だったと言っても、いつ関係が出来てもおかしくないわ……」

「自分への評価が低かったり高かったりで忙しないな」

「ええ本当。少々自惚れすぎではありませんこと?」

 

……唐突に響く第三者の声に、二人はぎょっとする。

いつの間にか、机にもう一人の人物が腰かけていた。

 

「……清姫。いつからいた?」

 

アンデルセンが問うと「ちょうど今来たところです」と、やんわりと微笑みながら返ってくる。

 

「散歩をしていましたらお二人が楽しげなお話をされてらしたので。よろしければ、わたくしも混ぜてくださいまし」

 

清姫がそう頭を下げたが傍らに座るジャンヌは「馬鹿じゃないの?」と鼻で笑った。

 

「――頭に病気持ちの貴方と話したって何の意味もありません。時間の無駄。ぎゃーぎゃー喚かない分、まだ壁に話しかける方がマシよ。だからどうぞ、さっさとお帰りなさい」

「まぁひどい言い草……けれど実はわたくし、貴方のことをとても評価していましてよ」

 

清姫の唐突な台詞に「はぁ?」と疑問符を浮かべるジャンヌ。

少女はその透き通った眼でジャンヌを見つめながら、まるで心の内を吐露するかのように語り始める。

 

「ええ。わたくしは知っています。貴方がどれだけますたぁに尽くしたか、どれだけますたぁを思っていたかを。ますたぁを命懸けでお守りし、その傍に居続けた。ますたぁが助けを呼んだとき貴方はまっさきに駆けつけた。雨が降ろうと槍が降ろうと、ひたすらに林檎を砕かれ、貴方は戦い続けた」

「なぁ。後半やけに生々しくないか?」

「そんな貴方を清姫は知っています。だからこそ、わたくしはわかってしまいました……ますたぁの真の理解者は、貴方なのだと」

 

……これ以上ないほど歯が浮くような台詞を、とアンデルセンは耳にした。

しかして、それが清姫の心の底から言葉であるとはさすがに思えない。

なんたって言いながら青筋立てまくっているし。

口に出さずともゴゴゴと音が経ちそうなほど背後からものすごい殺気を放っているわけだし。

これで裏がない方がおかしい。

流石にはいそうですかと頷けるほど、あの竜の魔女もどうかしていないだろう。

 

「……ごめんなさい清姫。私、貴方のこと勘違いしていたみたい。私の気持ちを、こんなにもわかっていてくれたなんて……」

 

――素晴らしい。

予想をはるかに凌ぐのちょろさである。

かの作家の涙腺が、思わず緩るほどだ。

涙ぐむ魔女を一匹の白蛇が「構いませんわ」とやさしく抱き止める光景を、アンデルセンは呆然と眺めていた。

 

「……でもどうしよう。このままじゃ、マスターとられちゃう。あのチビな私にとらちゃう……」

「ご安心してくださいまし。わたくしにいい考えがございますわ。わたくしたちあだるてぃでせくしーな大人にしかできない、とっておきの秘策が」

 

その言葉に、黄金色のすがるような視線が返ってくる。

対して清姫はにっこりと笑って、その秘策を口にした。

 

「――夜這いでございます」

「……何だつまらん。お前の十八番かってごぼぉっ‼」

 

そう鼻で笑ったアンデルセンの鳩尾を清姫の強烈な一撃が襲った。

瞬きする間もないほどの刹那で、青髪の少年は沈黙の像となる

逆にジャンヌは『夜這い』という単語を聞いた顔を真っ赤にしておろおろと挙動不審になっていた。

 

「夜這いって、あ、あ、貴方正気なの?」

「正気です。狂化してますがばっちり正気です。大丈夫ですよ。字面は中々ですが勢いでやれます。いけいけごーごーです。では早速いってらっしゃっいませ」

「今から⁈」

 

「当然です!思い立ったら吉日。この時間ならマイルームにはますたぁしかいませんし。それとも幼女な自分に先を越されてもよろしくて?」

「うぐっ……わかったわ。こうなりゃやけよ。この竜の魔女の名にかけて、やってやろうじゃないっ‼」

「あ、明らかに破滅的に動いてるぞおまえ……」

 

呻きながらもアンデルセンがそう警告したが、すでに時は遅し。

ジャンヌ・オルタは、脱兎の如く駆け出していった。

彼女の姿が完全に見えなくなったあと、清姫がくつくつとくぐもった笑い声を上げる。

 

「……上手くいったようですね。断腸の思いでしたが大成功のようです」

「……まさかおまえが嘘をいう日がくるとはな。しかしだ。あのままだと本当にマスターを襲うぞ、アレ」

「まさか。嘘など一言も申してはおりません。認めたくはありませんが、あの方がなしてきたことは事実です。……初めから、ますたぁ自身がジャンヌさんをどう思っているのかも含めて、否定するつもりはありません。けれど同時に……わたくしは、諦めるつもりもないというだけのことです」

「……で、おまえの狙いはなんだ?」

「まずはジャンヌさんがますたぁの貞操を襲います。次にこのらぶりーなきよひーがますたぁをお助けします。最後にますたぁと高まったところで熱い一夜を遂げます。いかかでございましょう。わたくしのぱーふぇくとぷらんは」

「ああ。一言で言ってセコい」

「心外な。吊り橋効果という心理を巧みに利用した乙女の戦略でございます。邪魔者を排除してますたぁもげっと。まさに一石二鳥の作戦」

「心理を巧みに利用という時点で『乙女』から遥か遠ざかっている気がするのだが……そもそもおまえ、アレに勝てるのか?」

「そこは愛でなんとかします。さぁますたぁ。待っていてくださいまし。今まいりま――」

 

言いかけたところで、清姫は背後から猛烈な殺気を感じた。

反射的に跳躍してその場を離れると、ドンと鈍い音が聞こえた。

振り替えると、さきほどまで自分のいた場所は深く地面が抉れ、そこには大きな槍が突き刺さっていた。

 

「……これはこれは。変わった御挨拶をなさいますね。ブリュンヒルデさん」

 

すぅと目を細めて、彼女は突き刺さった槍を引き抜く少女に問いかけた。

清姫と同じく、いつからいたのか聞きたくなるほど一瞬で姿を現したブリュンヒルデ。

引き抜いた槍をかかげ、彼女は再び清姫にその先を向けて構え直す。

それからただ一言、こう告げる。

 

「――お姉様の邪魔は、させません」

 

静かなる闘志に、清姫は「おやおや……」と少し面食らったように、目を見開いた。

 

「……驚きました。それはてっきり貴方の偽物さんだけの感情かと思いましたが……けれどよろしいのですか?このままでは貴方のお姉様は想いを添い遂げてしまいますよ?貴女の手元から、さらに遠く。はるかに遠のいていく……それは、貴方の望むところではないと思いますが?」

「……確かに。貴方がおっしゃる通り、このままではお姉さまは遠くに、私の傍から離れていってしまいます。それはとても、とても寂しいことです……」

「ご理解いただけましたか。でしたら、そこをどいて頂け……」

「――ですが」

 

その言葉の先を、清姫はあえて最後まで続けなかった。

槍を構えているブリュンヒルデの纏う闘気が、一層深みを増したのを、その肌に感じ取ったゆえである。

雪のように白い肌をした、人形のような彼女だったが、その紫色の瞳に確かな熱を揺らしながら、小さくはあるがはっきりとこう言った。

 

「ですがそれでも—―私は、お姉さまの『笑顔』を望みます……」

 

淡々としながらも、確固たる決意の宿した、彼女の言葉。

すると清姫は「それはお優しいことで」と微笑みを返した。

……背筋が震えるほどの、冷たい微笑。

 

「けれど生憎、はいそうですかと頷けるほどわたくしはやさしくございません。そうやって容易く諦められるような『愛』を、持ち合わせた覚えもまたございません。このような足掻きを醜いと、病的でおっしゃるならというなら、それでも結構。その程度の侮辱でこの『愛』が叶う可能性が万に一つでも拾えるのなら……この身は喜んで蛇となりましょう‼」

 

清姫のその掛け声を皮切りに、二人の戦いが始まった。

はじけあう火花。

互いに一歩も譲らぬ迫真の斬り合い。

かの喉元に届くのは清姫の爪か、あるいはブリュンヒルデの槍先か。

――その光景を、傍らで外野として見ていたアンデルセンは、ようやくこうつぶやくのだった。

 

「――部屋で書こう」

 

――至極まっとうな、撤退を。

そうと決めたら、ぱっぱと原稿用紙をまとめた彼は、自らの部屋へと即座に踵を返すのであった。

背後で鳴り続ける蹴る鍔迫り合いなど知ったことか。

……無論、どっかの魔女の恋愛事情も、同様である。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

「……落ち着きなさいジャンヌ。いいからまずは落ち着きなさい私……」

 

そうやって、マスターの部屋についてからジャンヌは自分自身に言い聞かせていた。

……やることは決まっている。

この扉開ければ、恐らく眠りについたマスターがいるはず。

無防備に横たわる彼に対して。

私はよ、よよよ……いを仕掛ければいいだけのこと‼

……いや駄目だ、それでも暴れる心臓は収まらない。

どくんどくんとノックする鼓動は、これ以上なく苦しい。

ためらいがどうしても、拭い去れなかった。

でも……同時に脳裏には、小さな『私』の顔をした『誰か』と、彼が笑いあう光景が再生される。

それを頭に思い描くほうが……よっぽど苦しい。

 

「……っよし!行くわよ」

 

そう意気込んだ彼女はいきよく扉を開ける。

軽く自暴自棄の特攻だったが、ここで諦める方が、もっとずっと嫌だ。

そして開け放ったのちに、彼女はたどたどしくはあるが懸命にいつものような『ジャンヌ・オルタ』らしい高慢な物言いをしてみた。

 

「さ、さぁ。マスター‼この憎悪、生半可なことでは収まらないわ。だから、今夜は私の相手に、なっ、て……」

 

—―言いかけて、やめた。

そこにあるものが、はっきりと見えてしまったから。

 

—―マスターが寝ている。

それは勿論予想通り。

けれどその腕の中で、もう一人の誰かが寝ていた。

 

「…………」

 

……すぅー、すぅーと聞こえるか聞こえないか、ジャンヌが無言であったがゆえに耳に出きた、本当に小さな呼吸。

それは自分と同じ顔をした少女の、マスタ—の腕に抱かれて眠るジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・りりィの、心地よさそうな寝息だった。

そしてマスターの手には、開いたままにある一冊の絵本。

それらを見て、なんとなく想像がついてしまった。

 

……きっと、一人じゃ眠れないと『私』が駄々をこねて、彼を困らせて。

結局仕方ないなと笑って寄り添って寝てくれた。

だけどまだまだ眠くないからと、小さい『私』は少年にせびって絵本を読ませた。

そうして彼の声を聞いてるうちに、いつしか『私』どころか彼まで眠ってしまってたという顛末。

……それでも、貴方は。

眠ってしまってもまだ、わがままな『私』を傍にいてくれる。

優しく、大切に抱きしめてくれてる。

 

「……バカみたいだ」

 

思わず呟いた。

さっきまて抱いていた感情なんて、どこかへ消えてしまった。

単純な話だ。

……私は私には出来ない、純粋な甘えかたが出来る『私』が羨ましくて、でもそれを見ていたら魔女としての己が存在まで甘くなってしまいそうだったから、必要以上に嫌悪した。

嫉妬しながら見栄も張り続けたいという、なんて矛盾した願望。

……そんなもの、この二人の寝顔を見たらこんなにも簡単に揺らいでしまうほど、とっくにどうにかなってしまったというのに。

子供みたいな拗ね方をしたのは、他でもない、私自身。

ジャンヌはベッドの傍に歩み寄ると、そっと、二人を起こさないように横になった。

ふんわりとした、やわらかな毛布の感触。

そして目を開ければ、確かに彼女には見える。

 

――吐息がかかるほど近く。

 

鼓動を聞こえてしまうほど、近く。

熱さえ漂い伝うほどの距離に、安らかな貴方の顔を見る。

……その腕に抱き締められるなんて、とても想像できない。

目の前の小さな自分の豪胆さに、我がことながら感心してしまう。

 

「……うらやましわ。ほんと」

 

ぽつりと、できもしない愚痴をつぶやいて、彼女は再び起き上がる。

……なんて女々しいやつと、自嘲しながら。

 

「――なら君も混ざる?」

 

――予想だにしなかった声に、少女は思わず振り返る。

いつの間にか、鮮やかな青色の瞳が、彼女を見上げていたのだ。

 

「……起きてたの?」

 

まぁね、とマスターは頷く。

いつからなの、と再度ジャンヌが尋ねるとなんと、「君が入ってきたあたりから」と彼は答えた。

途端、ジャンヌは顔を顰めた。

 

「……趣味が悪いわよ、貴方」

「悪いね。半分寝ぼけてたもんで。いやでも子供ってすごいよね。ついさっきまでジャンヌちゃんすごいぱっちり起きてたし」

「……迷惑かけたわね」

「そんなことないよ。むしろ娘が出来たらこんな感じになるのかなって新鮮に……あれ。今なんか夫婦みたいな会話になってない?」

「なってないわよバカ」

 

そっか、と彼は苦笑する。

まったく、呆れるぐらいに能天気。

張り詰めた空気さえ、一瞬で抜いてしまう柔らかさ。

 

――でもきっと、そんな柔らかな貴方だから。

あんなに強張ってた私の頬すら、こう容易く緩んでしまうんでしょうね。

 

「――邪魔したわね。部屋に戻るわ」

「あれ。いいの?せっかくだから一緒に寝てけばいいのに」

「冗談。子供と寝るなんて御免よ。うるさいし」

「辛辣過ぎないかい。妹出来たみたいだって喜んでたジャンヌさんとは大違いだ。仮にも君なんだぜこの子」

「アンタもそのセリフを言うか。流石に聞き飽きたわそんなの……第一、ガキの取り分をとろうと思うほど、私もがめつくないわ。だから今日は帰ります」

「さいですか。じゃあ、本日はおやすみなさいということで。また明日――」

「……でも代わりに。明日はちゃんと空けておきなさい」

 

え、とマスターは怪訝な顔をする。

 

……その先を告げるのに、まだ若干の迷いはあった。

 

竜の魔女としてのプライドとか在り方とか、悩みは消えない。

……でもやっぱり、この小さな『私』にしてやられたままなのは悔しかったから。

だから最後に、扉の前に立った彼女は、マスターに、こう告げる。

 

……精一杯の、彼女なりの勇気を奮って。

 

 

 

 

「――明日の夜は。私だけを……『ジャンヌ』って、呼びなさい」

 

 

 

――ほんのりと、その頬を真紅に染めて。

高慢ながらも、初々しい恥じらいを漂わせて。

そんな『おやすみなさい』を、君は残して、ジャンヌ・オルタは扉の向こうへと消えていった。

 

……しばらくの間、少年はぽかんと呆けていた。

何度も何度も、その頭の中で彼女の言葉をリピートする。

そしてようやく、その意味を理解すると、少女同様にマスターの顔にも赤みが差した。

それはもう、耳まで染めるほど一瞬で。

熱くなった顔を片手で覆いながら、ぽつりとマスターはつぶやく。

 

「……それはさすがに卑怯だよ。ジャンヌ」

 

そう、彼は言葉を漏らす。

 

『ちゃん』でもなく、『さん』でもない。

 

他でもないたった一人の『真っ黒な君』へ愚痴を零す。

 

……文句の一つだって、言いたくはなるさ。

 

だって今夜は、恐らくもう。

 

 

 

――待ち遠しくて、きっと眠れやしないから。

 

 

 



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覚めぬ酔い心

いつも通りの、ぐだ邪ン短編になります。
よろしくお願い致します。


――無機質で軽快。

単純なリズムを繰り返すアラーム。

幾度も鳴り続けていたそれだが、ただ一度パンとその頭を叩いてやれば、すぐに静かになる。

七と十二の数字を指したそれを見て、マスターはため息をついた。

……本日は久方ぶり休日。

普段目まぐるしく働く彼にとって、やっと手に入れられた安息の一日である。

 

が、しかしだ。

 

せっかくの息抜き日和だというのに起き上がった彼の表情は晴れやかとは言い難い。

といのも、昨晩は作戦終わりに、他サーヴァントたち(主に酒飲み)に強引に連れらて夜遅くまで酒宴に付き合わせられたのである。

無論、マスターは酒ではなく水を飲んでいたが、同席していた酒呑童子が何を思ったのか、羅城門で放ったものと同等とも云える酒気を宴の席で広めてきたのだ。

本人曰く、「いい肴になるやろ?」と非常に楽しそうに語ったが……素面のメンバーは阿鼻叫喚。

酒に酔ったサーヴァントたちの暴走を泊めるために奔走し、挙げ句マスター自身もあの毒気飲まれる始末。

お陰さまで、彼本人も昨日の出来事があやふやな状態である。

まぁこうして自室に戻れてる辺り、大事には至ってないとは察せられるが。

 

……それにしても、まったくひどい疲労感だ。

これが俗に言う二日酔いだとするなら大人になっても酒は呑みたくはないな、とマスターは重い首を回す。

そして気つけにシャワーでも浴びよう、と焼けるような感覚のある胸元をさすりながら、彼は風呂場へと足を運ぶ。

かつんかつんと足を響かせて風呂場へつく。

それから洗濯籠へ向けて、ばしばしと来ていた服を投げつけていった。

 

――当然の話だが、彼はここには一人で住んでる。

マスターのためだけのマイルーム、他の誰がいるはずもない。

 

だから、気づけなかった。

 

まどろむ頭の回転では、それに気づけなかった。

少し暖かい脱衣所の空気とか。

浴場内からわずか響いてくるシャワー音とか。

……自分より先に籠に抜き捨てられてた、黒い衣服とか。

 

だから、少年は構わず開けてしまった。

その扉を――。

 

「……え?」

 

思わず声に出る。

そこには誰もいないはずだった。

空っぽのシャワールーム。

なのに……マスターよりも先に、彼女がいた。

 

――すらりと伸びた足、滑らかな臀部、そして艶やかな胸回り。

真っ白な色に染まった、むせかえるような色香を放つ肢体を、滔々と立つ湯気の向こうに少年は見る。

そしてさらに――少し頬を赤らめた、彼女の表情も。

 

「……あ」

 

小さくつぶやかれた、一言。

はじけるあたたかな雨の下で滴るのは、乱雑に切りそろえられた白金の髪。

胸元に不安そうに手を添え、少年の瞳を見つめ返す黄金色。

普段と色とは、あまりにも対照的な魔女の姿。

……ジャンヌ・オルタはしばらくの間をマスターと見つめあった。

お互いに、一糸まとわぬ姿で。

 

「……なんで、君がいるの」

 

辛うじてマスターが発せられた一言。

 

けれど瞬間ジャンヌの頬の紅葉が一気に増した。

彼女の眼にもうっすらと光るものがあり、右腕は大きく振りあがる。

そしてマスターは理解してしまう。

 

……これ、絶対ぐーで来るやつだ。

 

彼の予想は悲しくも見事的中し。

 

その頬に、ぐぎりと嫌な音が響くほど、これ以上ない全力の一撃が加わるのであった。

 

 

■ ■ ■

 

「――それで。どうして君がここにいるの?」

 

真っ赤に晴れ上がった頬をさすりながら、マスターはそう尋ねる。

しかし、対面に座る彼女はふんと鼻を鳴らすだけでこちらを見ようともしない。

とりつく島もないほど不機嫌極まりない少女の姿に、少年は深いため息をつく。

 

「あのねぇ。確かにあれは悪かったけどさすがにあれは予想外すぎたでしょ。そこは大目に見てよ……それにオレからしたら、我が物顔で此処使ってる君の方がおかしいと思うんだけど」

 

不満げにそうつぶやくマスター。

するとジャンヌは「はぁあ⁈」と額に青筋を立てて、ようやく振り返った。

 

「昨日あんだけ迷惑掛けておいて散々世話になった私によくそんなこと言えるわね⁈昨日の泥酔したアンタほんと最悪だったんだから‼」

「……ごめん。それについてなんも覚えてない」

「はぁああ⁈」

 

一際大きく声をあげられ睨まれる。

が、もうそれについては反論のしようがない。

本当に何もおぼえていないのだ。

まさか酒を飲んでもいないのに泥酔のような醜態をさらすとは、なんとも悲しいとゆうか情けない。

もう一度「悪かった」とマスターは頭を下げた。

 

「……けどどうやっても思い出せないんだ。君に何を言ったのか、何をしたのか……だから申し訳ない、教えてほしい。それをわかったうえで、君に謝らせてくれ」

 

頼むと深く頭を垂れるマスター。

その姿に「何を都合のいいことを……」とジャンヌは舌打ちをする。

 

「――貴方はそうやって忘れられるのかもしんないけど、こっちはあんなの、忘れるわけ……」

 

独り彼女はそこまでつぶやいたとき――はたと、ひらめいた。

唐突に脳裏に飛来したそのアイデア。

……ああ、これはいい。

マスターには気づかれぬように、こっそりとジャンヌはほくそ笑む。

 

「……ええ。忘れたじゃ済まされないわよ、貴方。それぐらいのことをやらかしてくれたわ」

 

そう言うと、少年はごくりと生唾を飲み込む。

からからに乾いた喉。

真剣な面構えで、マスターは少女の言葉を待つ。

対してジャンヌは、口元を手で隠す。

それは端からみれば、涙をこらえる可憐な少女の姿に見えたであろう。

――本当は、歪み切った口の端を隠すための仕草だと、彼は考えない。

そして上ずった声で、魔女は語る。

笑いを堪えすぎて、目じりにいっぱいの涙をためていたのがさらに功を奏して。

 

最高の演技を魅せながら、ジャンヌ・オルタはこう語る。

 

「――私を傷物にした責任、ちゃんと取りなさいよ……」

 

■ ■ ■

 

 

――どうやら、うまくいったみたいね。

 

ふふふ、と呆然としてるマスターを見てジャンヌは内心ほくそ笑む。

……もちろんさっきのは嘘。

 

そんな不祥事、昨日の夜には起きてない。

実際に起きたことと言えば、宴で酒気にあてられて酔いつぶれたマスターをジャンヌが部屋まで運んできてやったこと。

もう一歩も歩けないほど泥酔した彼を、しょうがないからとずりずり引きずりながら運送してやった。

そして、さらにもう一つ付け加えると。

……朝になるまで酔ったマスターが自分を抱きしめたまま離さなかったことである。

がっちりと、ジャンヌの細い肩を覆うように抱きしめたまま、彼は離さなかった。

しかも……時折寝言で耳元に囁いてくるのだ。

その指で、少女に頭を撫でながら……『かわいい』とか。『好き』とか、いろいろ。

最初は逃れようと暴れてはいたが、だんだんそんあことをされてるうちに嫌な気がしなくなってしまって。

彼の心臓の鼓動とか、温もりが愛おしく思えてしまって。

でもやっぱり、自分の心臓は警報ベルのように高鳴り続けて。

……結局一睡もできないまま、真冬のこの時期に汗だくになるという結果に。

 

そこまできてようやく腕の拘束が緩んだから、彼女は汗だらけの一旦さっぱりしようとこっそりシャワールームを使った……というのが今回の真相。

 

やましいことは、一応起こってない。

だが……それを今のマスターに教えてやるつもりは少女になかった。

……昨晩は、気が狂うぐらいあんなことをされたのだ。

少し、いやたくさん困らせてやらなきゃ、収まらない。

彼の吐息が耳に吹きかかるたびに、どれくらい胸が破裂しそうになったことか。

忘れたなんて簡単に言う奴には、これがよいお灸だ。

 

……ふふふ、焦れ焦れ。

普段の能天気顔がいい気味だ。

昨日の私のように、もっともだえるがいいわ‼

 

高らかに、ジャンヌは心の内で笑う。

 

――しかし、彼女は知らない。

ゆえにこの後に起こる事象を、予想すらしえなかった。

 

「……そうか……なら、もう遠慮はしない」

 

言うと、彼は椅子から立ち上がり、ジャンヌの元へ歩んでくる。

それから椅子に腰かける彼女の前までくると……かくんと、その膝を折った。

地に足をつけ、ジャンヌの前で膝まずく

 

「どうしたの⁈」

 

いきなりのことに、むしろジャンヌの方が慌てた。

けれど少年は無言のまま、あたふた慌てるジャンヌの指を、その手に取った。

じんと少女の指先に、彼の熱が伝わり始まる。

それが他でもないマスターの熱だという現実に、ジャンヌの頬が一瞬で熱を帯びる。

風呂上がりのこの体はいつも以上に敏感で、撫でられただけでよく染みてしまう。

……好きな人の体温と、脈を。

ジャンヌ、と呼ぶ優しい声がして、彼女はハッと真っ赤な顔を上げる。

するとそこには……今まで見たことがないくらい、柔らかに笑う少年の笑顔があった。

その、優しい色に染まった唇が、今度はこう言葉を紡ぐ。

予想もしなかった答えを。

けれどどこかで、夢想した言葉を。

 

「……どうか、オレと結婚してください」

 

――そうだ、これが彼女の誤算。

 

これが片思いなら、少年を困らせられた

けれども……両思いだから、賽は思わぬ方向に転がった。

そしてその結果……ジャンヌの頭が、猛爆発をした。

ぼすんと大きく、雪の肌を紅一色で染め上げた。

まるで彼女の頭の熱を発散するかのように、空気中に火花すら散らせて。

 

「ば、ばばばばば、馬鹿じゃないの⁈だだ誰が、アンタなんか、とっ……⁈」

 

絡まった舌は、正常に言葉を紡いではくれない。

よろめきながら立ち上がり、マスターから距離を取ろうとしたが、彼は彼女の動作に倣って指を握ったまま同じく立ち上がる。

遠ざかるどころか、彼の顔が一層近くへと迫った来た。

 

「……確かに、オレは君を傷つけた。それはどうあっても取り返しがつかないと思う……でも、ジャンヌ。その責任は、必ず取ってみせる。傷をつけた分、君のことを大切にする。そのための努力を惜しまない。だって、オレは君のこと……」

 

にっこりと、彼は微笑む。

はかなげに、ガラスみたいに透き通った笑顔を見せらながら。

少年は吐露する、その、心の奥底の想いを。

 

「……大好きだから」

 

――ぎゅんと、心臓がつぶれたような音がした。

これこそ必殺。

予想なんてできるか、こんなこと。

まさか……嬉しいという感情だけで、人間とはこんな容易く死ねてしまうものだなんて。

あまりのことに、ジャンヌはもう言葉すら発せられないほど。

肌の熱は、最高点を優に超えて燃え続ける。

 

「……やっぱり、だめかな」

 

不安そうに見つめてくる彼。

その子犬ような目に、反射的に「そんなこと言ってないでしょ‼」と叫んでしまった。

はっとなったがもう遅い。

……ここまで来たなら、もういうしかない。

燃える熱に溺れたまま、ジャンヌは小さくつぶやく。

消え入りそうな声だったが、確かに。

 

「……私も。嫌じゃ、ない……」

 

それを聞いた時の、貴方の顔。

もう、どうして貴方はそんなにも。

――素直に嬉しそうに、笑ってくれるのよ

恥ずかしがってる私がばかみたいに思えてしまうぐらい、ころころとした顔。

……なんて、かわいい奴。

 

「……ねぇジャンヌ。一つ、お願いがある」

 

するとずいと、彼は顔を近づけてくる。

今度は息がまじりあうほど近く。

どきどきとしながらも「な、何よ……」となんとか答えて見せる。

 

「……今度は絶対に忘れない。嫌な目にも合わせない。だから、君にお願いしたい」

 

そう言って、彼は少女の髪を撫でる。

……いや待て、この先の展開はなんか見当がついた。

鈍い私でも、続きがわかる。

待って、待って、タイム。

 

「マス、マスター、ちょっとタンマ……」

「……ジャンヌ」

 

けれど、彼は止まらない。

たきつけたのは、他でもない彼女。

その責任は、最後に己へと帰ってくる。

ゆえに、少年は言った。

そっと、茹る少女の髪に唇を落としながら。

 

「――昨日の続き、してくれないかな?」

 

 

……限界を、越えた。

気づけば、ジャンヌは頭を大きく振り上げて。

ぐんと、勢いをつけて。

――がちんと、マスターの頭に頭突きをかましていた。

 

恐ろしく鈍い、音が響く。

 

思わずマスターも頭を押さえるほど。

けれど、ジャンヌの瞳ににじんだそれは、決して痛みによるものではない。

恥ずかしさと怒りと――なんだかわからない嬉しさによるもの。

 

「っっシラフになってから出直しなさいよ‼この酔っ払い‼」

 

そう叫んで、ジャンヌは走り去る。

うずくまるマスターなんて知ったことか。

もう一分一秒だって、もう……耐えられないから。

嵐のように、姿を消してしまったジャンヌ。

 

すると取り残されたマスターは、くすりと苦笑する。

 

「……やっぱり、そこまで上手くはいかないか」

 

……あれが嘘なんて、とっくにわかってる。

見抜ける見抜けないじゃなくて、オレにはわかる。

それぐらい長い時間一緒にいたんだ。

それぐらい長い時間、君を見てた。

――好きだったのは、本当だ。

だから本当は、飛び跳ねたいぐらい嬉しいのは事実。

でも残念なことに、出直して来いと言われてしまったので、あとで謝りに行かなきゃいけない。

どうしようかと頭を捻るマスター。

楽しそうに、嬉しそうに。

でも同時に、ああそうかと少年は納得する。

 

……確かに、彼女の言う通り自分はただの酔っ払いだ。

でもこの酔いは、決して覚めない。

覚めようにも、覚ませられないから。

 

――そうだ、きっとこれからも。

 

ジャンヌ・オルタという君に酔い続けて。

 

この恋は、ずっと覚めてくれはしないだろう。

 

 



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彼女の令呪

極甘ぐだ邪ン短編です。
繰り返します、今回極甘いと思ってます。まぁ私の思い込みでしたら大丈夫かと……。
どうぞ、よろしくお願い致します。

そして話変わりますが今掲載しているぐだ邪ン育児シリーズ最終回ですが、すみません。
内容が長くなりすぎたので来年一月に「準備編」と「挙式編」を上げさせて頂きます。あと二部の展開が読めない怖い(震え声)
ご迷惑をお掛けします。
それではみなさま、よいお年を。


 

「……やっぱり、ずるいと思うわ」

 

ぽつりと、彼女はつぶやく。

心底不満そうな声を、少女は白い背中に投げ掛ける。

すると「いったい何がさ?」と振り向きもせず、彼は尋ね返す。

……その無関心さに、またかちんとくる。

枕を抱えてベットに寝そべり、ぷくーと頬を膨らませながら、彼女――ジャンヌ・オルタはもう一度「ずるいわよ」と口を尖らせた。

 

「なんでも言うこと利かせられるとか、反則じゃないの?しかも三回も。いくらマスターとはいえ甚だしいことこの上ないシステムだわ」

 

ジャンヌの言葉に、それを言っちゃおしまいだとマスターは苦笑する。

 

「けど令呪なければ、サーヴァントとマスターの関係はそもそも成り立たない。だってそうだろう?……凶暴のワンちゃんに、首輪をつけない飼い主はいない」

「誰がワンちゃんよ」

「勿論、他人のベットで勝手に寝そべるような厚かましい魔女さま、とかね」

「よしわかった。燃やしてやる」

 

こわいこわい、とそこまで言ってようやく少年は振り向いた。

 

――きらりと光る銀色の眼鏡。

書類作業のときにはいつもそれをかける。

普段とは違う、少し大人びた彼の姿。

でもレンズの向こうには変わらない蒼が広がっていて、ジャンヌのよく知る柔らかな笑みがそこにある。

 

「でも実際間違いではないんだぜ?ダ・ヴィンチちゃんも言ってたけど、うちで令呪を使うことがあるとしたらよくも悪くもジャンヌだろうってさ」

「失礼な奴ね……」

 

ふんす、とジャンヌは鼻を鳴らす。

マスターも「悪かったよ」と頬を緩ませながらも頭を下げた。

 

――令呪。

 

マスターだけが持つ、サーヴァントとの絆の証。

同時にサーヴァントに対し、三画限り有効な絶対命令権でもある。

 

それはサーヴァントを強化することも出来れば、従わない者を屈服させることも可能。

ゆえによく考えて使うようにと、ドクターからもダ・ヴィンチちゃんからも口を酸っぱくして言われていた。

特に、敵だったジャンヌ・オルタに対しては細心の注意を払い、場合によっては躊躇うなとさえ忠告を受けている。

……少々、おおげさに忠告をされていたとは思う。

が、二人がどうしてそこまで心配しているのか嫌でも自覚があったから、文句は言えなかった。

何故なら……。

 

「あーあ本当に不名誉だわ。あんまりにも腹が立つからこーんなカルデア、デュヘってやろうかしらー?」

「本当に悪かったって。君がいい子だってのはオレはよく知ってるから。だから、令呪も使わずに済んだし……本当、ありがとうね」

 

拗ねて転がりまくるジャンヌへ向けて、マスターはひたすらご機嫌を取る。

それはもう、楽しそうな様子で。

 

――このように。

 

上記を見てわかると思うが……完全にお熱なのである。

マスターが、ジャンヌに対して。

 

それはそれは、度を越した猫可愛がりっぷり。

ことあるごとなジャンヌに押し掛け、構いまくる毎日。

その姿を少年は隠そうともしない。

ゆえにまわりから心配されたのだ。

……この竜の魔女に、手玉に取られるのではないかと、はらはらどきどき。

 

けれども……いつしか、絶対にそうはならないと誰しもが確信するようになった。

この魔女も、マスターを陥れるような真似はしないと。

理由は簡単。

 

「ふん。いい子になったって、私に得なんてありません。だったら私の好きなように行動させて頂きます」

「得ならあるさ。ちゃんとね」

 

言うと彼は椅子から立ち上がり、ジャンヌの寝そべるベットへと足を向ける。

そしてぼすんと音を立てて座り込むと、枕に顔を埋める少女にくすりと微笑む。

 

「……ご褒美として、君がほしいものなんでもあげるから」

 

晴れやかな笑顔、一点の曇りのない笑み。

純粋さと綺麗さと……そして艶やかさを兼ね備えたマスターの視線に、ジャンヌの頬を熱くなる。

 

「……マセガキめ」

 

言いながらぷいと顔を背けたが、そんな幼稚ささえも笑われている気がして、なおのこと腹が立つ。

 

――そう。

ジャンヌがマスターの心を利用しないのは、単純な理由。

 

だって、こっちにも『気』があるのだから、利用したくても出来ない。

嫌われたくないからと、魔女はいつの間にか芽生えた『心』のどこかで、そう想ってしまうのだ。

……死ぬほど悔しいから、一生誰にも明かさない気持ちではあるが。

 

マセガキと言われると「だってまだガキですから」とけろりとした反論が飛んでくる。

ぴきぴきと眉間に皺が入るが、言い返してやろうにも上手い言葉が見つからない。

 

どうしてやろうかと頭を捻り続けた果てに……ピンと来た。

 

「……いいわよ。私のほしいもの、なんでもくれるでしょ?」

 

途端、にやにやと頬を歪ませる魔女。

ぴょこりと起き上がり、これはいい案だと、自らの考えにご満悦なお顔である。

可愛いなこの子と心の中で呟きつつ「何かな?」と少年は問い返す。

 

そして魔女は告げる、自信満々の様子で。

今世紀最大の、意地悪を。

 

 

「――貴方の令呪、私に寄越しなさい」

 

 

 

 

■ ■ ■

 

――ぽかんと、マスターは口を開けている。

言われた意味が理解できず、呆然としている。

反応のないマスターに、ジャンヌは「何よ」と唇を尖らせる。

 

「なんでも言っていいって言ったのアンタじゃない。まさか、今更約束を違える気?」

「いやそんなこと……てゆうか。令呪って、あの令呪?」

 

ほかに何があるのよ、とジャンヌは腕を組んでマスターを呆れたように見た。

 

「ほら、さっさと寄越しなさい三画全部。もらったあと、私がアンタのマスターとしてこき使ってやるから」

「三画全部!?いや、ちょっとタイム!そもそも、令呪の譲渡方法なんてオレ知らないし……」

「そんなこと気遣ってやる義理はない。早く渡せ」

 

びっと腕を伸ばして宣言するジャンヌに、珍しくおろおろと慌てふためくマスター。

焦りの色を見せる少年の姿に、少女は心の中でくつくつと笑った。

 

……本当に令呪が欲しいなんて考えてない。

そんな譲渡方法があるとも思ってない。

ただ単に、これは意地悪。

無理難題を言って、この少年の困る顔が見たかっただけ。

嫌がらせというには、あまりにちゃちなうえに幼稚であると自覚している。

でもなんと語ればいいのかわからないが……そうやって、頭を悩ませる少年の姿。

……たまらなく、愛しく思えてならないのだ。

まったく私も相当だなとジャンヌは苦笑する。

 

――悩み初めて数分間。

変わらず、マスターは頭を捻り続けている。

 

「……しょうがないわね。今回は多目に見てあげるわ」

 

もうそろそろ勘弁してやるかとジャンヌは肩を竦めてそう語る。

――しかしだ。

 

「……いや、約束はちゃんと守るよ」

 

返ってきた言葉は、予想外。

いつの間にか凛とした表情になっていたマスターに、ジャンヌは思わず「えっ?」と声を漏らす。

 

「守るって貴方……そもそも、どうやって譲渡するのよ?」

「いいから、手を出してジャンヌ」

 

有無を言わせぬ少年の声。

その勢いに若干気圧されながら、ジャンヌは恐る恐る言われた通りに手を差し出した。

……本当に、令呪をサーヴァントに譲渡させる手段などあるのだろうか? 

いやそれ以前に、そんなことしたらマスターとしての彼の立場はどうなる?

でも、言い出した手前後には引きたくないし……。

悶々と、頭の中でぐるぐる問答を繰り返すジャンヌ。

対しては少年は特に気にした様子は見せず、差し出されたジャンヌの手に自らの指を伸ばす。

 

ぴたりと、冷たい感触が少女の指先に伝う。

少し前ならこれぐらいの感触でもどぎまぎした彼女だったが今となってはへのカッパ。

 

「……で、どうするのよ?」

 

平静と、そう尋ねるとマスターは顔を少し上げる。

蒼い瞳が一瞬ジャンヌの姿をうつして……ふっと、口元を歪めた。

……それは、企みが成功したマスターの勝利の笑みだと、ジャンヌはよく知っている

 

しまった、と思ったがもう遅い。

 

ジャンヌが止めるよりも早く。

 

マスターは――少女の手の甲に、唇を落とした。

 

「なっ!?」

 

瞬間、ぶわっとジャンヌの髪が逆立つ。

 

雪の肌は刹那で、紅色ただ一色に染まる。

口づけから伝わる熱は、少女の頭を容易く沸騰させる。

やがて、深い接吻からようやく唇を話すと、そこには赤く紅く彩られた、小さなうっ血の痕。

 

「……まずは一画目」

 

少年はぺろりと唇を嘗めとりながらつぶやいた。

 

――同時に少女はこれでもかと顔を真っ赤にして絶叫する。

 

「……ジャンヌ、もうちょっと静かに」

 

出来るか馬鹿っ!!と魔女は怒鳴り返した。

 

「ななな何すんのよアンタは!?こ、これっ!いったいなんで……!?」

「だから令呪の代わりだよ。その痕が残る限り、オレはなんでも言うこときいてあげる君のサーヴァント……ただし、期間限定だよ」

 

ぱちんと片目を閉じるマスター。

……そんな姿に、思わずどきりとしてしまってぼぼぼと頬を染める竜の魔女。

怒りとときめいたことによる、二重の頬の熱。

 

「このっ!からかうのもいい加減に……きゃっ!?」

 

殴りかかってやろうと腕をあげたが、少年はそんな彼女の襟首を器用に引いて、再びベットに転がす。

そして暴れようとするジャンヌの手首をしかと握り押さえながら、彼女の上に覆い被さる形をとった。

 

「……まだだよ。あと二画残ってるじゃないか」

言うと、今度は少女の首もとに、少年は顔を埋めてくる。

 

「アンタ、いい加減に……んっ!」

 

それ以上先が、言葉にならない。

さっきまで手の甲にあった熱が、今は首もとにある。

柔らかい鎖骨の辺りに、あぶられような感触。

呼吸が荒くなる、足がびんと張ってしまう。

それは思わず涙が出るほど、熱くて堪らないのに。

……どうしようもなく、幸せな感触。

 

ちゅいと、吸い取るような音がして、彼はようやく唇を離した。

 

……鏡を見なければわからないがきっとこの首もとにも、忌々しい赤い痕が出来てしまっているに違いない。

 

「……さて。最後に、三画目と行こうか」

 

色めく声が響く。

とろけるような貴方の声。

近づいてくる顔を素直に受け入れれば、この心地よさは永久に続いてくれるだろう。

それはたぶん幸せなこと。

 

……だけど、私は。

 

「……ざっけんな、駄犬」

 

ぱちんと、少年の口許に手をおいた。

 

涙に濡れた瞳、朦朧とした頭。

そんな状態でも……ジャンヌ・オルタは、キッとした眼差しで盛るマスターを睨んだ。

 

「……令呪なんでしょ、これは。だったら貴方は私の命令、従うのよね……?」

 

荒い息のまま、そう尋ねる。

するとマスターは「勿論さ」と笑って頷いた。

 

「今オレは確かに、君の奴隷さ。なんなりとご命令下さいませ……出ていけなり、舌を噛んで死ねなり、お好きなように」

 

恭しく頭を垂れる少年。

だが、変わりはしない。

不遜な笑みを、決してやめはしない。

だって、こいつはわかってる。

私がそんな命令をしないって。

……私が離れてほしくないって弱点を、よく熟知してる。

 

悔しい、悔しい、悔しい。

 

涙が出るほど、悔しい。

なめやがってと地団駄踏む。

だって……本当に、その通りだから。

貴方のことが大好きな、私自身が憎らしかった。

 

「……だったら、命令よ。ちゃんと聞きなさい」

 

……だから、これはせめてもの反撃。

言って私は、彼の襟首を掴む。

驚いたような貴方の顔に、私は笑いを浮かべる。

そう、わずかながらの私の意地。

 

全力をもっての反抗。

 

くらいなさいと心で叫びながら、私はその体を引き寄せる。

落ちゆく体、間近になる顔と顔。

 

――最後に。

 

魔女は精一杯の、呪いを吐いて。

 

 

 

 

「――初めから、ココにしろ。バカ」

 

 

そうやって、私は熱を味わった。

舌先から伝わる感触。

絡むような甘さ。

 

 

……令呪なんてものは、はじめから要らない。

 

だってそんなものよりも、ずっと熱く切ないものが。

 

――貴方と私だけの絆が、この唇に触れていたのだから。

 

 

 



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魔女のいる生活

さぁ、邪ンヌガチヤを回そう!
だけの短編です。
よろしくお願いします。

初投稿は残骸でしたが、本年もよろしくお願い致します。う


――結論から言うと、鈴鹿はここにこれてよかったと思っている。

何せご飯はおいしいし、寒さ暑さに悩まされる心配もない。

ちゃんとふかふかのベットもあって、やることさえやれ超快適空間

何よりここにいるマスターは、単純に人間性が好ましい。

だから不満はない、不満はなかったのだが……。

 

「……だけど。なんか今はすこぉーしばかり後悔してるかも」

 

言いながら鈴鹿は大きなため息をついた。

すると隣にいるマスターが「なんでさ」と顔をしかめる。

 

「……君だってのりのりで満喫してたじゃないかここのカルデアライフ」

「いやそうなんだけど……流石に。アレは怖すぎるし」

 

言葉をきって、少女はちらり、と隠れてる物陰からソレを盗み見た。

……ガシンガシンと、まるで怪獣のように一歩一歩を重く響かせて。

絶え間なく辺りを見回し、何かを――隠れている自分たちを血眼に探している。

そしてソレは、見つからない苛立たしさを吐き出すかのように呪うように声高に叫んだ。

 

「――マスタアアアアアアアアアアアアアアアっ!!」

 

 

「……ほんと。どうしてこうなったし」

 

そこにいたのは、普段の冷静沈着な彼女から想像もつかない。

 

件の竜の魔女、ジャンヌ・オルタの変わり果てた羅刹の姿だった。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

「……で。マジで何があったし?」

 

尋ねてもマスターは分かりません、の一言。

 

見も蓋もない

 

「いやさマスターさぁ。何かなきゃあれはおかしいし?ジャンちゃんがおがおになってる意味不明だし。実際なにやっちゃったの?」

「わからないものはわからない。本当に心当たりないんだって……」

 

首を捻る彼はしわを寄せて必死に考えている。

その様子だと、本当に心当たりがないようだ。

でもそうだからといってこの状況が好転すわけではないだよねーと鈴鹿は目頭を抑える。

 

――時をさかのぼること一時間前。

ここのところ、びっくりするぐらい平和な毎日が続いていたカルデア。

鈴鹿はマスターから借りていた漫画を返そうと彼の部屋に顔を出しにいった。

 

……がその時、部屋に着い鈴鹿が見たもの。

 

それは、まるで台風でも来たように無惨に散らかされた室内と。

 

「……いい加減にしてよ、ジャンヌ」

 

そう言って完全に構えに入っているマスター。

 

そして最後に、彼に対峙して立つ一人の少女。

 

暇があればマスターの近くにいる、それでいて別に何かするわけでもなくいっしょにいるという事実に満足しているという彼女。

なんともいじらしい、と思えていたが今はそんなことは微塵も考えられない。

 

何故なら少女はその可愛らしい顔にこれでもかと青筋を立てていて、かつ反比例して驚くほどスマイルでいたからだ。

 

「……そういう貴方こそ、いい加減にしてくれない?いいから早く返せ。返しなさい。返してくださいお願いしますマスターさま」

「……何の話?」

 

本当に彼女言うものに心当たりがないらしい。

困惑するマスターに、ジャンヌはふふふと低く笑う。

まるで壊れた人形のようにかたかたと笑いだす彼女。

その目から徐々にハイライトが消えていき、空虚な瞳に変わっていく。

 

そして魔女は「……ならいいわ」と呟く。

……ちょっと顔を赤らめ、若干半泣きになりながら。

 

「あくまで惚けるならそれで構いません。だったら――貴方殺して、私も死ぬから」

 

おうこれぞ修羅場だね、と鈴鹿は手を打った。

 

……というより、ここで逃げておけば関わらずに済んだんだろうな、と今になって思い返す。

けどジャンちゃんがわりとガチに見えてしまったため、ついついマスターを援護してしまう。

おかげで二人仲良く、彼女の抹消対象へと認定されてしまったというわけだ。

そして現在、二人はこのカルデアの地下倉庫まで走って逃げてきたわけである。。

 

「……いや。途中から明らかにジャンヌに誘導されていたね。人のあまりいない道にくるよう逃げ込まされ、退路のないここに追い込まれた……ああ、やっぱりうちの子頭良くてかわいい」

「だから、そんなクールに分析するならちゃっちゃっと謝るなりなんなりしてよ!とばっちり受けてる私からしたらたまったもんじゃないもん!」

「謝って済むのか、アレ?」

「知らんし」

 

言いながら、再び物陰の隙間からジャンヌを覗き見る鈴鹿。

火を吹かんばかりに荒れ狂って倉庫を闊歩する彼女の姿を視認する。

……確かに謝ってすみそうには見えないな、と鈴鹿は頬をひきつらせた。

 

そう思うと同時に、再び彼女の咆哮が響く。

 

「マスターっ!!隠れてないで出てきなさい!!あと返しなさい!!読まずに私に返しなさい!!読んでたら……もう殺るしかない!!」

「……だってさ。あの言い分だと、マスターが何か持ってるらしいよ?読めるようなもんで」

「別にジャンヌからとったものなんて……あ、待てよ」

 

そういうと、マスターは胸元のポケットから一冊の赤い手帳を取り出す。

……何度か見たことがある。

それは、マスターがよく使っているスケジュール帳だ。

確かに読むものではあるだろうが、恐らく違うだろう。

 

「他にはないの?」

「ない。けどさ、実はこれと同じのジャンヌにも買ってあげたんだ。オレと揃いにしたくて新宿で買ってきたの」

「やることがまさに女子のそれ」

「乙女なんですー……ま、それはさておき。もしかしたら入れ替わってたりするのかなぁなんて。まぁ中身確認すれば一発だよね」

「乙女とか言ってた人が躊躇なく乙女のモノを見るなし」

「こうゆうときの男は捨てられないんだよねーって、うわ」

 

 

真偽を確かめるべく手帳を開いた途端、マスターの顔が凍てついた。

それから横からみてもわかるほど、少年の頬をから血の気が引いていくのがよくわかる。

 

「……どうしたのマスター?」

 

尋ねると応答はなく、以前固まったままの彼。

あんまりにも意外な反応だったので好奇心に勝てず、鈴鹿もちらりと横から手帳を覗き見る。

――瞬間……予想だにしなかった内容に、彼女の顔も凍りついた。

 

 

 

○月×日

 

今日はマスターのとこに遊びに行ったよっ!

だけどマスターは会議で大忙し。

遊びに行って五分で追い出されちゃいましま(T_T)

でも私めげないわO(≧∇≦)O

明日も一日がんばるっ!

 

○月△日

 

相変わらずマスターは作業作業で私に冷たい……( ノД`)

結構アピールしてるつもりだけど軽くあしらってくるだけ。

まるで子供を宥めるみたいに私を嗜めてくる。

正直腹が立つ。

けど……頭ナデナデされたのはすっごく嬉しい!( 〃▽〃)

明日も誉めてもらえるように、レッツでゅへいんっ!

 

○月□日

 

マスター好き、大好き!

髪とか目とか肌とか、あと膝の――!

 

 

パタリ。

 

 

全部読み終わる前に、マスターが閉じた。

その顔から表情は相変わらず消えている。

思わず唸る。

 

――いやなんかもう。

なんて言えばいいかわかりません……。

ああ、でも一つだけ確かなのは。

 

「ジャンちゃんまじごめん……」

 

心の底からの謝罪を口にする鈴鹿

反対にマスターはなるほどねぇと合点が言った模様。

 

「贋作の時から乙女っけあるのわかってたからねー。そういえば、昨日ジャンヌの部屋泊まったときに机の上の二冊同じ手帳があったんだよね……間違えて持ってきちゃったかーオレ」

「マスター。ちょい冷静過ぎな気がする」

「まぁ実は結構喜んでる」

「そっかー」

 

駄目だねーこのひとーと、呟いて鈴鹿は空を仰いだ。

その時である。

 

――ぬぅ、と二人の背後から飛び出してきた白い手が、マスターの握っていた手帳を掴んだ。

 

さらに二人の耳元に、「見つけたわよ……」と地に響くかのような声が聞こえた。

振り替えると、いつの間にか銀色の髪をした少女が立っていた。

……目にいっぱいの涙を貯めながら。

 

「……ふ、ふふ。ふふふ。見られてしまったからにはしょうがないわね。悪いけど二人にはご退場願いましょうか――現実からのフライアウェイ」

「待つし!確かに見たの悪かったけどこれは不可抗力だし!やるならマスターだけにしてし!」

「さっすが才知の祝福、変わり身がはやい。サーヴァント失格な気もするけど」

「乙女の純情さらりと踏み潰すマスターも男失格だし!」

「それもそうだね……ところで、実はちょい古い女子高生の絵文字を多用してる竜の魔女さんや」

「え、もうわざと!?わざとなのマスター!?」

 

 

何考えてるし、と叫びながら半泣きになる鈴鹿。

しかし構いなしに、彼は立ち上がってジャンヌに向き直り、彼女の目をまっすぐ見る。

 

「……改めて、君に一つ尋ねたい。ジャンヌ・オルタ」

「な、なによ。急に改まって……」

 

その雰囲気に若干気圧されながらも、ジャンヌは言い返す。

ごくりと生唾を飲み込んで、そんな彼の様子を見守る鈴鹿。

 

――次の瞬間、彼の口から発せられた言葉は予想を遥かに越えていた。

 

 

 

 

「――ジャンヌは、オレのことが大好きなんだよね」

 

 

 

淡々と、でも満面の笑みで。

少年ははそういい放った。

 

――絶句。

 

開いた口が塞がらないとはこのことだった。

だけれど一番の見物は彼女。

ジャンヌは一瞬ぽかんとした表情をし、その意味を理解した途端、顔が真っ赤に染まった。

林檎よりも赤い紅色に。

そしてマスターを指差し「な、な、な……!?」と言葉にならない声を出す。

 

その反応を見たはふむ、と頷く。

さらに彼は続けてこうも言うのだった。

 

「……そうか。なら君はオレに日頃からの気持ちを知られてくやしいわけか。ほうほうなるほど……じゃあ、今回は痛み分けにしよう」

「い、痛み分けって何するのよ……?」

 

ぐっと身構えるジャンヌ。

すると簡単なことだよとマスターはジャンヌの傍に近づきながら語る。

そして告げた

その解決方法を、少女の耳元で……。

 

「……今から、ジャンヌの日記に書いてあったのと同じ日数分、いつもジャンヌに抱いてるオレの想いを囁いてあげる。そしたら、オレも恥ずかしんだから許してよ」

「……は?アンタ、何言ってんのよ!そんなの聞くわけ……」

「はい開始」

 

するとマスターはごにょごにょとジャンヌの耳元でささやき始める。

小さすぎて鈴鹿には聞こえなかったのが、大体内容は察せた。

なにせ雪のように白いジャンヌの肌が、着々と赤色に染まっていくのである。

まるで沸騰したやかんのように、しゅーしゅーと煙を吐き出しながら。

止まらない熱膨張、しばらくしてようやく耳元から顔を離した彼はにこりと、紅の少女に微笑みかける。

 

「……まだ二日目だけど、大丈夫?」

 

とどめとばかりに、ちゅいと頬に唇を落とした彼。

 

……それが、限界。

 

次の瞬間、竜の魔女は走り出していた。

逃げるように全力疾走。

「覚えておきなさいよ、このばか!!」と、半泣きになりながら捨て台詞を残して。

 

「……本当、かわいいよねジャンヌって」

「……私ジャンちゃんが気の毒になってきた」

 

しみじみと語るエモいマスターに、はぁと肩を落とす鈴鹿。

マスターも確かにねと苦笑する。

 

「まぁとりあえず、あとでケーキでも持ってご謝りに行くよ。実際に悪いことはしちゃったし。鈴鹿の分も誤っておくから」

「……何言ってんのマスター。私も行くに決まってんじゃん」

 

いうと鈴鹿はマスターの前に顔を出す。

そしてにこりと、少年に微笑んでこう言った。

 

「……だって友達だからね、ジャンちゃんとは」

 

にこにこと、微笑んでいう鈴鹿。

マスターは一瞬目を見開いたが、すぐに同じように目を細めて「……じゃあよろしく」と笑う。

 

「それに乙女心のわかんないマスターじゃあまたジャンちゃん怒らせちゃうじゃん。やっぱ私が適任っしょ!」

「ははは、ひどい言われようだな」

 

そう言って、二人は歩き出す。

きっとぷっくりと膨れてしまった、彼女に頭を下げに。

 

……そうだ、ここにきて本当によかったと鈴鹿は確信する。

だってここに来れた私は、こんなにも愉快な日常と。

 

―――二人のすごくおもしろい友人に、出会えたのだから。

 



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二人の『傷痕』

温泉回なのに邪ンヌちゃんいなくて泣きながら急遽書いた作品です。割り込んでごめんね。

追記・諸事情ありまして、2月24日に育児準備編投稿に変更です。
何度も予定を変更してしまってすみません……

改めてよろしくお願い致します!


「――オルタっ!いっしょに温泉に入りましょう!」

 

――とても、とてもとても快活な声が背後から響く。

それはもううんざりするぐらい、元気な声。

ゆっくりとした動作で振り返ると、そこに見えた光景は彼女の予想通り。

……自分と瓜二つの顔をした少女が、にこにこと満面の笑みを浮かべて立っている。

 

「……行きませんよ。勝手に一人で入ってきなさい」

 

しっしと払うしぐさをすると、聖女は「連れないこと言わないで下さい!」と唇を尖らせた。

 

「せっかく温泉に入れる機会なんですよ!いっしょに行きましょう!ほら、オルタの分のたらい桶も用意しましたから!」

「どこからそんなものを調達してきたんですか貴方は……?」

 

嬉々として木製の桶を見せつけてくる真白に、真黒は呆れたとばかりにため息をついた。

どうやら温泉なるものに聖女様はえらくご執心らしい。

「いっしょに行きましょう行きましょう!」と瞳をきらきらと輝かせている。

 

……が、そんなことにほだされる魔女ではない。

 

熱心な姉の勧誘も「結構です」ときっぱり断った。

 

「どうしてですか!?絶対に楽しいですよ!」

「楽しいわけないでしょう。『こんな状態』で他の奴等と湯船に浸かるなんて、想像したくもないわ」

「ですが、マスターもおっしゃっていたじゃないですか?『疲労状態』回復のためにもぜひ浸かってくれって」

「それで回復させられたらまたあのばかみたいに高い塔を上らされるわけ?冗談じゃないわ。そんなことさせられるぐらいなら、私は帰って寝ます。だから貴方となんて行きませんさようなら」

 

べっ、と舌を出して次女は顔を背けた。

すると長女はがっくりと肩を落として「わかりました……」と小さくつぶやく。

 

「では、今回はリリィといっしょに入ってきます。ですが……本当にダメですか?」

「くどいわよ聖女様。さっさと行け」

 

しゅんと見るからに落ち込んだ様子で、かの乙女はとぼとぼと帰っていった。

まったく、普段の凛々しさはどこへ行ったのやらなんとも情けない姿だ。

一瞬傾きかけたが……やはり、行けるわけがない。

行ったら最後だ、そう確信している。

 

――すっと、黒はおもむろに自らの首もとを抑える。

指先に触れた感触はぺたりとした肌のものではなく……ふわりと沈む、ガーゼのやわらかさ。

そしてわずかに伝ってくる、他よりも高い熱。

 

「――アンタらに見せられるわけがないじゃない。『こんな状態』の、私なんて……」

 

くらくらと捉えどころのない熱さに揺れる身体を抱き締めながら。

そうつぶやいた魔女は、踵を返した。

 

 

■ ■ ■

 

――その日の夜のこと。

 

塔攻略のまだ途中でいるマスターたちは、温泉近くの竹林で夜営をとった。

カルデアにわざわざ戻るよりも、幾分か効率的に動けるからだ。

時刻は深夜一時。

昼間まで祭りのように騒がしかった陣営も、ほとんどが休息に入った今となってはしんと静かに。

 

――だから、誰も気づかない。

夜闇に紛れて、こっそりと忍び足で歩く人影に。

その黒い影はきょろきょろと辺りを見回しながら細心の注意を払う。

そして自らの存在に誰も気づいてないことをようやく確認して、それはするりと入り込んだ。

 

――かの温泉の続く、脱衣場へと。

 

 

 

■ ■ ■

 

「……流石にこの時間じゃ、誰もいないわよね」

 

言いながら黒い影の正体ことジャンヌ・オルタは一人言葉を漏らす。

忍び込んだ脱衣場は予想通り藻抜けのカラ。

よしとうなずいた彼女は自らの鎧を脱ぎ捨てる。

魔力により編み出した衣装は一瞬の光を放ち、そして同じく刹那に消滅する。

一糸纏わぬ艶やかな肢体が露になる……はずだったのだが、そうはならなかった。

何故なら露になったジャンヌの身体には、テープでとめられたガーゼや巻き付けられた包帯が所々に点在していたからだ。

はぁとため息をついて、ジャンヌはそれらをピリピリと剥がして行く。

魔力で紡がれたモノではないためいちいち手順を踏まなければならないこの動作は、なんと面倒なことか。

そして何よりと、ジャンヌは包帯をほどいたその場所に視線を向ける。

 

――白であるが故に余計浮き彫りになる、肌に刻まれたその色は……まぎれもない『赤』。

一目瞭然、明々白々。

誤魔化しようがない、未だ熱を帯びたその痕。

 

「……ほんと最低」

 

忌々しく、吐き捨てる魔女。

それから彼女は持ってきていた白いバスタオルで前身を隠しながら、浴場へと足を運んだ。

 

■ ■ ■

 

――真っ黒な天井に散らばるのは、無数の光たち。

再現なき星の灯火の群れとそれらを滑る白い月の輝きは、きっとここ以外の場所では見ることは叶わない絶景であろう。

ささやかな月光が照らす中、ジャンヌは濡れた石畳を歩く。

もくもくと立つ白い煙を掻き分けて、彼女は進み続ける。

やがて、少女は目にする。

数多の輝きに照らされて、闇の中で反射を続ける水面の光景を。

ふんわりと頬を撫でる湯気に、思わずジャンヌは頬を緩めた。

足早に駆け寄ると、まずは少女は湯気の立つ水面に己が手を落とした。

指を包む感触は熱すぎずそして温すぎず、丁度よい。

大丈夫だと確認したジャンヌはゆっくり、ゆっくりと足先を湯に浸し始める。

そして肩まで浸かったあとに、止めていた息を彼女は吐き出した。

 

……全身に染み渡る、このじんわりとしたぬくもり。

爪先から頭の芯まで、深く深く滲んでゆく。

疲労回復に入れと進めてきたマスターのわけもよくわかる。

これは癖になるわね、とあふれでる多幸感に揺られながらジャンヌは大きく伸びをする。

そのままほかりほかりと、夜空を眺めながらそのぬくもりを楽しみ始める。

まるで飽きない、この幸せ。

ただ一つ欠点をあげるなら……少し喉が乾いたことだろうか。

 

「……何か飲み物でも持ってくればよかったわね」

 

こんなにも開放的だとは想像してなかったのだ。

飲み物どころか菓子もいっしょにあれば贅沢出来たろうに。

失敗したと少女が肩を落とした――その時。

 

「――コーヒー牛乳で良ければあるよ」

 

言葉とともに、ジャンヌの目の前にあるものが流れてきた。

それは昼間にも見た、木製の盥。

その中にはコーヒー牛乳とラベルの貼られた一本の瓶が横たわっていた。

 

「あら、気が利くわね。ありがたく頂き……え?」

 

瓶を手にとって、ぴたりとジャンヌは固まった。

……誰もいないはずのこの場所に、誰かの声。

しかもそれは、よく聞き慣れた声で。

ぎりぎりと、錆びたネジを捻り回すように歪に首を回す魔女。

そして彼女の視界は、あるものを捕らえてしまう。

 

――白い光に照らされ、艶かしさを増した肌。

湿り滴り、水面に波紋を作る黒髪。

そして闇の中でも変わらず色を失わず、我が身を見つめる蒼い瞳。

 

ちゃぷんと片手に握る牛乳瓶を揺らし、彼は――マスターは微笑む。

こんばんは、とその唇で言葉を紡ぎながら赤き顔の乙女に挨拶をする。

……対して、黒き乙女も挨拶をする。

それ至極当然のこと。

にこやかに笑う少年へ向けて、ありったけの思いを込めて、ジャンヌは返す。

 

――ばちこんと高鳴り響く、ビンタという挨拶を。

 

 

■ ■ ■

 

「……痛い。めっちゃ痛い」

 

言いながらマスターは頬を擦る。

紅葉腫れした、己が頬。

それから恨みがましそうに「もうちょっと加減とか出来ないの……」とつぶやく。

 

しかし睨まれてるジャンヌはそんな視線気にもせず、ぐびぐびとコーヒー牛乳を傾けて喉を潤している。

そしてぷはっと一本空にしてようやく口を離したあと、じろりとマスターをにらみ返した。

 

「……なんでアンタがここにいんのよ?」

「一応ここ男湯なんだけどなぁ。咎めるべきは看板をよく見なかった君自身だよ」

「う、ぐっ……!じゃ、じゃなくてよ!なんで貴方がこんな時間にお風呂入ってるんですか!?」

「そりゃあ昼間は塔攻略で忙しいからはいる暇がないしオレだって温泉に浸かりたかったからね、そして何よりこういう温泉は一度でいいから広々一人で使ってみたかったからねーこうゆうとこ。だからこの時間に来てみたんだけど……まさか野良猫が紛れてくるとは思わなかったなぁ」

「誰が野良猫ですって……?だいたいねぇ、アンタが昨日――」

「そういや持ってきてた冷凍ミカンいい感じに溶けたんだけど食べる?」

「食べる」

 

ぱしりとマスターに差し出されたミカンを奪い取り、そのままもしゃもしゃと少女は凍てついた果肉を咀嚼し始める。

しゃりりと鳴るほどよい歯ごたえに、爽やかな果汁。

そして心地のよい冷たさが食道をゆるやかに伝ってゆくのが分かる。

中はひんやり、外はぽかぽか。

相反する快感に、ほわんと幸せそうな顔を浮かべるジャンヌ。

 

「……ご満足頂けたようで何よりでございます」

 

くすりと少年が笑う。

途端はっと正気にかえったジャンヌは、軽く咳払いをしてきりっとした顔に戻す。

そして頬を少し染めながら「全然、全然満足なんてしてませんから……」と早口に言った。

 

「左様でございますか……しかし、君は贅沢ものだな。昼間にも入って、夜にも入って。そんなに気に入ったのかい?この温泉」

「はぁあ?貴方ばかなの?今の私が昼間に入れるわけないじゃない。今日だって、しつこく絡むオリジナル様追い払うのに精一杯だったのよ!」

「え?なんで?なんで昼間入れないのさ?」

「……は?」

 

わけがわからない、とこてんと首を傾げるマスター。

――同時にぶちんと、ジャンヌの堪忍袋の緒も切れた。

 

……なんでですって?

それ訊くの?他でもない貴方が?

そんなのは許さない、許されないわ。

ふざけるな、と少女は心の中で叫ぶ。

 

だから、少女は立ち上がった。

阻む煙を掻き分けて、両手を振って闊歩する。

バシャバシャと水面が弾ける音に、マスターも何事かと身構える。

だが逃がさない。

退こうとする彼の頬を、少女は両手でがしりと掴む。

 

――月の明かりが照らす中、煙さえ払われて、もう互いを隠すものは何もない。

水も透き通り、少年は少女の裸体を直視する。

白く雪のような肌、肉感的な曲線。

 

そして彼は気づくであろう。

 

雪原のような全身に点々と染まる、その『赤色』たちに。

 

長湯のせいか、それとも少年の視線のせいなのか。

 

どちらにせよ熱さに頭をやられたのは確かだ。

でもジャンヌは、構わず言葉を告げる。

言わなきゃもう収まらないから。

絡む舌を懸命に動かして、燃えるような熱に頬を染まながら。

 

竜の魔女は、その言葉を語る。

 

 

「……こんな身体を見られてみなさいよ――昨日アンタに『ナニ』されたか。すぐにバレちゃうじゃない……」

 

 

――見せられたそれは赤く腫れた無数の『傷痕』たち。

うなじ、腕、腹部、太もも。

ジャンヌの隅々、あらゆる場所につけられた楕円型の鬱血。

 

……今目の前にいる少年の唇と、ひどくよく『誰か』の似たマーキングだった。

 

上目使いのジャンヌの言葉に、その『誰か』はきょとん呆けた顔をする。

しかしすぐににやりと笑った。

火照る少女の頬を指先でなぞりながら「そりゃあそうだ」と語る。

 

「――そのためのキスマークだからね。見せつけてこそなんぼだろう?」

「……ド変態ね」

「かわいいお嫁さんの自慢ぐらいさせて欲しいな」

「私には何の得もないわよ」

「それもそうか。だったら交換条件にしよう……『今夜』は、君の番でいいよ」

 

お好きなだけどうぞ、と少年は笑う。

 

……ああ、いつもそうだ。

 

こうやって貴方は私を手玉にとる。

私がしたいことを逆手にとって。

貴方がしたいことを重ねてゆく。

腹立たしい、悔しい、ぎゃふんと言わせたい。

けれどもだ。

 

……そんな姿を見れるのは、恐らくこの世界の『私』だけ。

他の誰でもない、この『私』だけ。

 

 

――なら改めて私も刻み付けよう。

これは躾だ、調子に乗りすぎたマセガキの。

そう言い聞かせれば、私は何でもできる。

貴方が誰のものか、私が誰のものか……他でもない、貴方自身にわからせるために。

 

だから私は不敵に笑ってやる。

 

そして魔女として告げる。

生意気でむかつく……愛しい貴方に。

 

 

「……朝までのぼせるんじゃないわよ、マスター」

 

 

――疲れを取ろうとして、より疲れることをするとは何事だろうか。

 

だがまぁ、朝風呂というのもまたよきものだろう。

 

きっとこの心地のよいぬくもりたちは。

 

……お互いに刻まれた真新しい『傷痕(キスアト)』に、よく染みてくれるだろうから。

 

 



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貴女の知らない熱

ぐだ邪ン小説、甘くしたいほう。
新宿編配信一周年おめでとうございます。
邪ンヌ一生大好き。
改めてよろしくお願いします。


「……つまらないわ」

 

むすっと頬を膨らませて、心底不機嫌な様子で、ジャンヌ・オルタは愚痴を溢す。

目の前には無数の数字と黒線が規則的に並んだ画面が一つ。

それには、物語の鍵を左右するような仕掛けはないし、秘密の暗号なんてものは無論隠されてない。

……単純に計算式が入力された、ただのまとめグラフである。

何の面白味もない画面を睨むように見つめていると、その傍らに座っていた少年は「文句を言うじゃありません」とむくれるジャンヌを諭した。

 

「……まだはじめて三十分も立ってないじゃないか。これぐらいで音をあげられたら困るよ。教えなきゃいけないことが、山ほどある」

「嫌よ飽きた。だいたい、こんなことが何の役に立つっていうの?」

「オレの仕事が手早く終われるようになる」

「貴方が私のぶんまで働けば問題ないわ」

 

身も蓋もないな、と苦々しい顔をするマスター。

それからつんと顔を反らし、腕を組んだまま手を動かそうとしない我がサーヴァントに、まったくこの子はといった様子で肩を落とした。

 

――現在行っている作業は、端的に言えばパソコンの基本システムの操作法を、ジャンヌに教授しているというものだ。

 

パワーポイントやワード、資料作成に必要な機能について、一からマスターが教えている。

少年曰く、覚えてもらうことで仕事を手伝ってもらおうということらしい。

……実際の話は、仕事している少年の横でひたすらゲームをしてた彼女に、ちょいと苛立ちを覚えたことによる八つ当たりなのだが。

ま、先日あげた携帯端末のように、知っていて損なことはない。

 

「損なことはないですって。バカ言わないで。こんな下らないこと覚えてる間に、私の貴重な余暇がどんどん潰れてるのよ。特に今日はレベリングと素材集めで忙しいっていうのに。この憎悪、生半可なことでは収まらないわ……」

「最近の君、デュへる沸点が低すぎないか……?」

 

呆れ呆れ、マスターは首を横にふる。

魔女の名に相応しい、傍若無人ぶり。

この小生意気なお姫様をどうしてくれようか、と頭を悩ませていると突如軽快なメロディが彼の懐から鳴り響く。

ポケットに入ってる端末をとりだし、少年はその液晶画面に標示されたメッセージに目を通した。

それから重々しい、ひどく疲れきったため息を、彼は吐き出す。

 

「……ちょっと、ダ・ヴィンチちゃんにお呼ばれされたので行ってきます」

「何よまた仕事?そのうちどこぞの賢王さまみたいに過労死するわよ」

「まさか、ダ・ヴィンチちゃんに限ってそれはないよ……過労死する寸前で休暇とらせて、最低限の余暇を与えてまた働いてもらう。そういう案配が絶妙なんだよ……」

「怖すぎるでしょ。アンタの上司……」

 

青ざめるジャンヌに「冗談だよ」と彼は軽く笑った。

 

ぱちんと、慣れた動作でパソコンをスリープさせてマスターは席を立つ。

 

「じゃ、ちょっと顔出してくるから。それまで大人しく待ってること。いいね?」

 

諭すような彼の言葉に、ジャンヌははんと鼻を鳴らす。

 

「子供扱いしないでもらえるかしら?貴方の言うこと聞く義理なんて、私にはないのだけれど」

「それは残念。帰ってきたら、素材集め手伝ってあげようと思ってたのに」

「結構よ。別に必要ありません。さっさと行ってきなさい」

 

ぷいと顔を反らし、ジャンヌはマスターに背を向ける。

 

……とりつく島はなしか。

 

やれやれと少年は肩を竦め、彼もまた扉へと足を向ける。

 

「――気は長くないわよ、私」

 

 

――ぽつりと、背後から聞こえるささやき。

 

ぶっきらぼうで、無愛想で、まったく君らしい声音。

思わず、頬が緩んでしまった。

だから「善処はします」と、そう手を振って、マスターは部屋を後にする。

心なしか、その足取りは早く、そしてうきうきと弾むんでいた。

 

「……甘いわね、私も」

 

あきれたように少女は息を吐く。

自分でも、柄でもないことを言ってるんだと自覚はしていたが。

……それぐらい言っとかないと、待っていられる理由の誤魔化しが効かないから。

 

「っああもう!腹立つからアイツのデータ漁ってやるっ!!」

 

耳の裏の痒むような、こっ恥ずかしいのを誤魔化すために、彼女はそう声を張り上げる。

マスターだって男だ。

見られたら恥ずかしい秘密の一つや二つ、あるはずに違いない。

特に、彼の私物たるこのノートパソコンになら断然あり得る。

私がこれだけ恥ずかしい思いをしてるんだ。

帰ってきたらに恥ずかしい思いをさせてやる、と企んだ笑いを浮かべながら、ジャンヌはパソコンを再起動させる。

ビン、と音が響き、真っ黒な画面に光が差す。

それからユーザーアカウントをジャンヌのものからマスターのものへと変更させる。

普段は彼しか使わないパソコンだから、パスワードなんてものはなく、すいとたやすく入れた。

なんて、緩みきった我がマスター。

さぁ漁り尽くしてやろうと、舌なめずりをした時。

びよんと、電子音が響いてパソコンの待ち受け画面が露になる。

 

――すやすやと安らかに眠る、己が顔の大アップが。

 

「……やられた」

 

初っぱなから大爆撃。

ふしゅうと赤くなったジャンヌの頭から湯気が昇る。

まさか、こんなトラップを仕掛けているなんて、誰が想像しようか

てゆかいつこんな写真を撮ったんだアイツは。

だんだん!と不平不満な思いを込めて机を連打する。

……若干のうれしさを覚えてしまうのが、なおのこと腹立たしい。

だから、俄然やる気が出てしまった。

このやり場のない感情を発散するために、ジャンヌは気を取り直してフォルダを漁る。

今度こそ、マスターのあられもないようなモノを見つけてやるために。

 

……だが一時間後、打ちひしがれることになるのは他でもない竜の魔女自身であった。

てっとり早く保存されている画像を漁ろうとしたのが運の尽き。

きちんと整理されたフォルダには、ちゃんと名前が書いてある。

 

――ジャンヌフォルダ・その一。

ジャンヌフォルダ・その二。

ジャンヌフォルダ・その三。

ジャンヌフォルダ・かわいいの。

ジャンヌフォルダ・すごくかわいいの、などなどと……自分の名前がずらりと並んでゆくこの恐怖。

 

とゆうかそれしかないというのは人として如何なものだろうか。

喜ぶべきか慄くべきか迷い、そしてどっと襲ってくる疲労感と闘いながら、ジャンヌはそれでもスクロールする。

もうそれはすでに義務的な作業な気分であった。

永遠続くかと思えたジャンヌフォルダの大群。

……けれども、その中のある一つを見てぴたりと、ジャンヌの手が止まった。

 

――ジャンヌフォルダ・新宿

 

ごくりと、喉がなった。

強張った表情、けれども彼女はフォルダを開く。

 

……中にはたくさんの写真があった。

食事の風景、寝ている風景、散歩の風景。

新宿で過ごした時間が切り取られ、敷き詰められている。

その一枚一枚に、彼女は笑ってる。

必ず映る姿は……まぎれもない『ジャンヌ・オルタ』。

私の知らない、『私』の記録。

 

……向こうで別の私に会った、というのは耳にしていた。

その時ははいそうですかで済ませていたし、そういうこともあるだろうと納得していた。

だが改めて彼女は目にしてみる。

新宿で過ごしている違う己を。

 

……そんな己と楽しそうに笑う、彼のことを。

ちょうどその時だった。

 

「……ただいまー。いやごめん。思ったよりも時間かかったって、がぃ!?」

 

笑いながら入ってきたマスター。

最後に奇声を上げてしまったのは、胸ぐらをつかまれぐいと押し倒されたせい。

勢いが強すぎて、ベットの上であっても鈍い痛みは走った。

少し涙目になりながら少年は目を開ける。

すると眼前には……冷たく見つめてくる黄金の闇があった。

ある種の殺意すらにじませるほどの深い瞳。

普通なら恐怖ですくんでしまう圧ではあったが、彼は「おっかないな」と苦笑するだけだった。

 

「……新宿の私と、何をしてたの?」

 

低い声で彼女は問いを投げる。

唐突な質問に首を傾げるマスター。

が、ぎりぎり目に入ったパソコンの画面に、ああと頷いた。

 

「……あのときは、べつにどうでもいいって言ってたじゃないか。なのに今日はやけに積極的だね……ひょっとしてやきもち?」

「うるさい。ただ……なんか、気に食わない」

 

自分じゃない誰かと笑いあうあの姿。

それを見て、胸の奥で渦巻く感情は確かにある。

……子供らしいひがみとはわかっているけど。

でも無視できるほど、鈍くもいられない。

何よりも……新宿にいた私がどんな気持ちで貴方と笑っていたか、よく解っていたから。

 

「……それで。何をしてたかはっきり言いなさい」

「やだ」

 

その端的な否定に、彼女の髪はぶわりと逆立つ。

まるでいかる獅子のよう。

大人気がないと、マスターはため息をついた。

 

「……気になるって気持ちはわかるしなんか嬉しいけど、そういうのはマナー違反だよ。逆の立場だったら、絶対君怒るだろうし。だから言わない」

「マナーなんて知るか。そんなことを気にする道理なんて、この私にあるとでも本気で思って?」

「わがままだなぁ君は……まぁそうだな。どうしてもっていうなら、一つだけ教えてあげようか」

 

何よ、と彼女が問い返す。

……なんだかマスターの冷静さを見ていると、自分の必死さが馬鹿になってくる。

もうどうでもいいかもしれないと少し冷めていた彼女は……ある意味完全に油断していた。

ぐいと、手をからめとられる。

それからくるんと回転し、ジャンヌとマスターの一は一瞬で反転した。

見下ろす側が、逆に蒼に見下ろされて。

なにするのよと噛みつこうとして……逆に甘く噛みつかれた。

 

……ふさがれた唇から、ジャンヌのモノではない熱が混じる。

溶けた砂糖のようにどろっとして、焼傷しそうで……何より甘い舌ざわり。

胸に押し返される息すら、甘露と変えてゆく。

 

秒針が一周してもなお続く深い触れ合い。

ようやく唇を離した時、雪のように白かった少女の肌は、燃える炎のように真っ赤に染まっていた。

 

ついと、何かが糸を引く。

見下ろしてくる彼はにこりと微笑む。

その表情はさっきの写真にはどこに乗ってない、純粋さからは遥か遠い……蠱惑的な、魔性の笑み。

そして悪魔は語るのだ。

 

「――この『熱の味』は、君だけにしか教えてないよ」

 

言った彼は片目をつむる。

 

……ちくしょう。

なんだこれは。

私は竜の魔女なんだぞ。

恐れひれ伏す、災厄の根源なのに。

どうして、どうして。

 

……その笑顔が、たまらなく愛しい。

腹立たしいのに溶かされてしまう。

切なさに胸が燃えて。

――うれしさに、おぼれたくなる。

 

「……ならしなさい」

 

……もう、しょうがない。

溺れてしまったのだから、しょうがない。

だから私は割り切る。

だから私は彼の胸をつかんで引き寄せる。

そして吐く、これは呪い。

……絶対に、貴方を逃がさないための、熱の呪いを。

 

「――向こうの私にできなかったことを、ここに刻みなさいな」

 

……もう一人の私に対して、一つだけ勝ち誇れることがある。

恥も外聞もないが、確かに断言できる勝利がある。

 

だって貴方は知らないもの。

 

――共にこの夜を越える、指先からのぬくもりを。

 



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彼と彼女の夢の前

「……ジャンヌ」

 

――名前を呼んでも、返事はない。

眠っているのだから、それは当然のことだ。

そうでなくとも戦闘のあとは部屋に篭って、食事より娯楽よりまず休息を取りたがる彼女なのだから。

 

まして今日の戦いは過酷だった。

あと一歩対応を誤れば……もしかしたら全滅だってあったかもしれない。

 

無事帰還することができたのは、すべて彼女のおかげ。

体力の限界ぎりぎりまで持ち堪え、味方を守り、敵を全力で叩き伏せて。

 

だから今の彼女が疲れ果て、自室のベッドで身動き一つすることもなく深い眠りに陥っていたとしても、それは当然。

むしろ感謝すべきことだった。

 

彼女は今もここにいる。

息をして形を持って、彼との繋がりを失わず、今もこの場に在ってくれる。

 

そっと伸ばした指先に、いつもより少し冷たくはあるものの白磁の肌がぬくもりをくれる。

嬉しくてありがたくて少しでもその健在を確かめたくて、彼女が包まったシーツ越し黙って肩を包み込んだ。

 

強く半身を抱き締めてやれば、少し苦しかったのだろうか。

むずかるように、彼女の眉宇が引き寄せられる。

不服そうに尖らせられた唇に彼は思わず笑みを零した。

彼女の背中を宥めるようにポンポンと撫でる。

 

とたん、ほわりと緩むその可憐な目許。

不機嫌だった今が嘘のように、淡くであるが見慣れた笑みが刻まれる様を目にして、彼は安堵の息をつく。

真っ白と言えるほど生気を失っていた横顔にも、僅かであるが血気が戻った。

安心のあまり、そっとこめかみに唇を落としてやれば、再び彼女が嬉しげに笑う。

すり寄せられる彼女の身体。

抱き込んだ胸へとぐりぐりと猫のように額を押し付けられて、彼の唇が無意識に上がった。

日頃高慢な女神のように孤高を保つ気高い彼女。

そんな彼女が夢現であれ見せてくれた、自分への甘えが嬉しくてならない。

同時につい先ほど部屋に戻り、彼女の姿をこの目で確認するまでは

どうしても振り払うことのできなかった

破格の恐怖と焦燥が霧散するのを自覚する。 

……たかが、マスターとサーヴァント。

彼女との関係はそれだけであるはずなのに。

そもそもが差し替えの効くもの同士であるのだから、執着するなど意味はない。

それは常々、他ならぬ彼女自身からはそう言い習わされているけれど……。

 

「……困ったことに。オレの方は、もうそれじゃあ収まらないみたいなんだ」

 

彼は小さく呟いた。

ふと見ると、開いたままの衿元から、細い鎖骨が覗いている。

華奢なラインに、うっすらとではあるけれど汗と土埃がまとわりついていて。

 

「……シャワーも浴びずに寝たのか」

 

そう言って彼は苦笑する。

そしてどうにも申し訳なくて指先でそれを遠慮がちに拭ってみたものの、到底それでは追いつかなくて。

……汚れたままでは気持ち悪いだろう。

ああそれに、こんなに沢山汗をかいたまま眠ったら、身体が冷えてしまうかもしれない。

気づいてしまえばそのままにして置くのもできなくて、そわそわと落ち着かない気持ちになった。

――彼女の物ではあるけれど、何と言うか……『それなり』のつきあいになって長いから、着替えのある場所は知っている。

それに意識のない彼女の身体を整えたり、服を着せたりするのも慣れていた。

いや、大っぴらに言っていいことではないのだろうが、これは事実であるのだし。

色々と自身にもっともらしいい言い訳は浮かぶけれど、やはりいつもとは違う彼女をどう扱っていいのかは考えてしまう。

だが彼女がこう言った不自由な状況に陥ったのは、明らかに彼女のマスターである自分の判断ミスであるわけで。

 

「……やっぱりこのままにはしておけないよね」

 

ごめんね、と彼は一人囁く。

着替えと濡れタオルを用意して、先程までしっかり両手で抱きしめていた彼女の身体を再び片腕に支え上げる。

今更だが、あまりしげしげと見るのも失礼に当たるだろうと少し視線を逸らしながら手探りでさっさと服を脱がせる。

温めてきたタオルでざっと出ている肌を拭ってのけた。

 

「ん……」

 

衣服を着せかけようとした刹那、彼女から吐息混じりの声が漏れる。

目が覚めたのかと驚いて、視線を合わせて見たけれど、どうやらそうではないらしい。

先ほどと同じく深い眠りに落ちたまま、健やかな呼吸を繰り返す彼女。

しどけない肢体を無防備に晒し、ベッドに横たわる彼女のさまを目の当たりにすれば視線がどうしても宙を泳ぐ。

 

「マスター……」

 

何か楽しい夢でも見ているのだろうか。

呟いたジャンヌが艶やかな笑みを浮かべる。

その顔は、いつも彼の腕の中で見せてくれる特別な表情に似ているように感じられた。

熱い吐息と閉じられた瞳。

薄く開かれた唇と紅潮した頬が、嫌でもそのときの彼女を想起させ、不埒な妄想を掻き立てられる。

開けばしっとりと潤んだそれが、彼を囚えてくれるだろうか。 

手を伸ばして、彼女の頬を引き寄せる。

いつもより少し冷たい柔らかい頬。

心配と不安、それを上回る利己的な感情がせめぎ合う。

手のひらを通して彼女の体温が伝わって、それをもっと感じたくて無意識に指先を下降させる。

唇からあごの先、喉元を通り過ぎて鎖骨の上、そして開いた胸許へ。

汗で湿った素肌の上を目で追って、無抵抗な彼女にこんなことをするのは良くないんじゃないかなどと今更の罪悪感がほんの少しだけ彼を浸した。

でも逆を言えばこう言ったことができるのは、無意識に彼女が自分を信用してくれている為と言うこともわかっている。

 

だからこそ嬉しい。

 

だからこそ……したい。

 

「――悪い、ジャンヌ。今日だけだから」

 

シーツを剥ぐと、彼女が小さく身を捩った。

 

「……ぅ、ん」

 

やめろと言わんばかりに腕の中、彼女の肌が彼を振り払うように翻る。

呼吸の合い間に不満の声が入り混じる。

でもそれですら、いつも彼女が彼の為に発してくれる煽られる艶声を思い出させて。

……そう言えば、ここ数日彼女を抱いていなかった。

何もこのタイミングで思い出さずとも良いものを。 

……基本彼らのこう言った関係は、なんだかんだで彼女が主導権を持つことが常だったから、彼の方から言い出すことやそもそも要望を示すことはほぼないと言っていい。

言ったところで却下されるのがオチだろうし、言わなくたってほどほど間が空きさえすれば彼女の方から求めてくれる。

それは作戦立案等が重なって不眠不休の数日が続き、ようやくベッドに横になれた途端、気が向いたからしようのなんのと押しかけられて馬乗りになられ、服を奪われて目が覚めるというのは、ちょっと……謹んで、お断りしたい場合もあるけれど。

――十回が十回とまでは言わないまでも、彼女の希望は彼の希望だったから。

ある意味相性がいいのではないかと呟いてみたら、みぞおちに一発入れられた。

それを思えばこんな風に、まるで欲求不満の犯罪者のように彼女を欲するなど、過去あった試しがない彼なのだ。

 

戦闘が終わりさえすれば体力が戻るわけではないのだし、

実際そうでないからこそ、今の彼女はこのような状態に陥っている。

しばらくはゆっくり休ませておくべきだろう。

それなのに……恋しいと思う切なさが、止められない。

 

起きたらきっと叱られる。

こっぴどく、それこそ殺されるじゃないかというぐらい怒鳴られる。

でも今彼女に触れなければ……最早、僅かに残る己さえ保てなくなりそうだった。

……つまりはそれほどまでに。

自分は、彼女を失うことを恐れていると言うことだ。

 

「……弱いって、君はきっと呆れるだろうね」

 

失笑とともに自嘲する。

でも仕方ない。

少なくとも今は、こんなどうしようもないこれが自分なのだから。

いずれは強くなるから、と言い訳めかして口づけて彼女の左胸に手のひらを重ね直接鼓動を確める。

 

――脈打つ心臓。

 

規則正しいリズムを刻む力強いそれに、彼はほっと息をつく。

 

「…ん…」

 

喘ぎに漏れる、彼女の声。

情欲を連想させるのは変わらなかったはずなのに、先程より穏やかにそれに微笑む自分が居る。

……てっきり男としての劣情だとばかり考えていたけれど、文字通り触れるだけでこんなにも簡単に心が落ち着いてしまうなんて。

本当に単純だと、思わず笑いがこみ上げる。

 

「……マス、ター?」

 

彼女が声が小さく自分の名を呼んで、彼は慌てて彼女の方へと視線を向けた。

うっすらと開いた金色の瞳が、寝起きの茫洋とした意識のままに、じっと彼のみを見つめている。

 

「……なに、して……?」

 

まだ目が覚めきっていない為か、それとも体調の為なのか、自分が置かれている状況を把握し切れないらしいあどけない彼女。

左胸に彼の手が重なっていることに気ついてから数秒後、ようやっといつもの彼女らしい反応が彼に返った。

 

「なっ!貴方、人の了承もなくどこを触って……っ!」

 

ただでさえ半分眠った状態で赤くなっていた頬が、怒りと驚きで更に真っ赤に染まっている。

……元気そうでよかった、なんて言っている場合じゃないのだろうが、彼の唇が喜びと安堵で笑みの形に引き上げられた。

慌てて起き上がろうとする彼女の肩を力尽くで押さえ、ベッドの上に押し戻す。

 

「落ち着いて。着替えさせようとしてただけだから」

「き、着替えさせるのに、胸は関係ないでしょう?!」

「ああほら。疲れてるのに暴れちゃ駄目だよ。すぐに終わるから大人しくしてて」

「馬鹿を言うのも大概になさい!大人しくしてたから、貴方が好き勝手してきたんじゃない!!」

 

どうやらまだ本調子ではないらしい。

力の入らない身体で必死に抵抗してくる彼女が酷く可愛く感じられて、既に抱く気など欠片もなくなっていた癖についつい悪戯心が湧き上がる。

それと同時に肌を重ねて彼女を確かめたいと言う不安からくる焦り自体は消えたけれど、それよりももっと本能的な……『君が欲しい』と言う確かな飢えが頭をもたげる。

 

「そんな風に思われているのは心外だな。オレはジャンヌを心配して、様子を見に来ただけなのに」

「その……心配して様子を見に来たはずの相手を……はぁ…っ……意識がないのをいいことに、全裸に剥いていたのはどこの誰よ……っ。んっ!」

 

先程まで、あの無慈悲な宝具を使いこなしていた割に、見た目こんなに細くて折れそうなしなやかな腕。

それを突っ張って彼を押し返そうと頑張っていた彼女の身体から、不意にくたりと力が抜けた。

 

「……どうしたの?」

「……も……どうして……疲れてるのに……なんだってこんな」

 

……乱れた呼吸。

その隙間から、悔しげに小さく訴えてくる彼女の声に、彼は押さえ付けていた肩を慌てて開放する。

 

「ごめん!ふざけすぎた。大丈夫っ!?」

 

それほど強く押さえていたつもりはなかったけれど、やはり今日はいつもと勝手が違うらしい。

普段何気なくしているじゃれあいも、現在の消耗しきった彼女には負担が大きかったと思い知る。

負けず嫌いの彼女だから、少しのことであればこんな風には弱みを晒すことはない。

それほどまでに辛い状態の彼女を襲う気になるなんて……自分も大概どうかしている。

 

「……本当にごめん。もう何もしないから。だから、服だけ着させて?」

 

頭を下げて懇願すると、彼女は彼を睨み上げる。

逆らう気力もないのだろう。

辛そうに息を長く吐いて彼へを両手を延べてくる彼女を抱いて、彼はタオルでもう一度丁寧に、シーツから出ている部分に浮いた汗を拭い取った。

彼女はすでに意識が沈みかけているものか、今にも眠ってしまいそうなぼんやりとした表情で彼の動きを見つめている。

 

「眠い?眠かったら寝てていいよ」

 

頷いて目を閉じる彼女の腕に着替えの袖を通してやって、

もう一度抱き上げて背中を経由して反対側の袖を通す。

そのまま身体をベッドに横たえようとすると――ぎゅっとシャツの胸を掴まれた。

 

「……どうしたの?」

 

寝ぼけているのかと考えて、

一回はそのまま振りほどこうかと思ったけれど、彼女の視線はしっかりと彼に向いていた。

じっと見つめて物言いたげに唇を開き、

数秒躊躇ってから結局何も言わずに視線を逸らす。

そのまま彼へと背中を向けた。

 

「ジャンヌ……?」

 

促すように名を呼ぶと、彼女がころりと転がって、腕の中へと舞い戻る。

シャツ越しでもわかる熱せられた身体、戸惑う彼がどうしたものかと両手を上げる。

 

「ジャンヌ、もう本当に余計なことはしないからちゃんと眠って……」

「馬鹿」

 

シャツの胸元に額を付けたまま、くぐもった声を彼女が上げた。

 

「え?」

「……抱いて」

 

は?と、我ながら間の抜けた答えが湧いて出て、彼は思わず真っ赤になった。

 

「……眠るまで……こうしてここで抱いててって言ってるの……」

 

引き寄せるように掴まれていた手が解かれ、そのまま腕が彼の広い背に回される。

まだボタンを留める前の裸の胸が押し付けられて、

馬鹿すぎることに心臓がまたもおかしな鼓動を刻む。

 

「……駄目なの?」

 

返事がないのが不服だったらしく、抱きついたまま睨みあげてくる負けん気の強い愛らしい瞳。

拗ねた表情と甘える口調。

反則技の二段攻撃に、それが無意識と分かっていても……いや、だからこそ

余計に気持ちを煽られる。

 

「……いいよ」

 

ため息をつき、短く応える。

……手を出したくても出せないだなんて。

それなのに強請る瞳を向けてくる彼女。

壮絶に可愛い。

最早笑うしかないような状況で彼は彼女に腕を回し、ゆっくりと熱い身体を傍らに倒した。

 

「前のボタン留めるから、手……離して貰える?」

 

絡めた腕を不承不承解いて、大人しくされるがままの状態になってくれる

彼女の艶かしい肢体を出来るだけ見ないようにして、彼はとりあえず目に付くボタンを慌てて留めた。

 

滑らかな曲線を描く真っ白な胸、綺麗なみぞおち、それに続く平らな腹部。

全部知り尽くしているだけに、強いて覆い隠すように左右を合わせる。

がっちりと全てのボタンを留め終えると、彼は我武者羅に彼女を抱いた。

 

「……マスター」

 

こんな状況でなかったら、誘っているのだと間違いなく錯覚してしまうだろう蠱惑的な声。

今の彼女にはありえないことだから、考えても仕方のないことではあるけれど。

 

「……なに、ジャンヌ」

 

たどたどしく掠れる声は許して欲しい。

差し出された細い手首を掴み、彼女の身体を引き寄せる。

 

「ありがとう。貴方もゆっくり寝て頂戴」

 

それを受け思わず笑った優しい人に、彼女が柔らかな笑みを零した。

 

「……治ったら、ちゃんと襲ってあげるから。それまでは我慢しなさいな」

 

恐らくは彼女への心配が勝ち過ぎて、彼自身思い至ることもなかったのだろう。

自らも先の戦闘で疲れ果てていたはずのマスターが、その言葉を聞き終わることなくぱたりと、瞬時に寝落ちしてしまった。

……まったく、駄々をこねたりべそをかいたり、まるで子供みたい。

けれどまぁ……可愛くはある、かな。

 

そんなうっかりな彼が熟睡した頃を見計らい、そっと大切にその唇へ口づけた彼女。

 

それからもう一度収まりのいい場所を腕の中に探すと、魔女は微笑みながら、安らかに目を閉じた。

 



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隔てて響く貴方の音色

グランドオーダー二次創作、ぐだ邪ンです。

どうぞよろしくお願い致します。


「……最悪」

 

吐き捨てるように、少女はつぶやく。

静かに、けれども非常に凄みを孕んだ声。

廊下に響き渡る靴音の荒々しさから、その苛立ちの深度がうかがえる。

普段から不機嫌な顔をしているジャンヌ・オルタではあったが、本日は正真正銘『最悪な気分』である。

 

……あの女のせいだ。

 

ぎろりと、黄金の瞳がソレに睨む。

彼女の右手に握られたもの。

薄い長方形の形をした、白い電子機器一つ。

この広いカルデア施設内で円滑に遠距離通信をするために配布されている携帯端末である。

主にカルデア職員たちの間で使用されているが、一応サーヴァントたちにも配られている。

仮に魔力を頼る連絡手段が不能になったときのための保険としてだ。

けれど今手にしているこれは、かの魔女のものではない。

この端末はジャンヌ・オルタに対してではなく……オルレアンの聖女、本物の『ジャンヌ・ダルク』へ送る品である。

それを何故こんな魔女が持っているのかといえば、どこぞの自称天才画家さまが『ついでに』渡してきてくれと無理やり押し付けたからだ。

彼女はカルデアにきたばかりだから先輩としていろいろ教えてやってくれ、なんて台詞まで付け足しながら。

――冗談じゃない。

なんでよりにもよってあのオリジナルさまの面倒なんて見なきゃいけないんだ。

他の奴にやらせなさいと言い返そうとしたが時すでに遅く、ダ・ヴィンチの姿はもう見当たらなかった。

忌々しいと盛大に舌打ちするジャンヌ。

けれど、任されてしまったとなっては仕方ない。

今すぐにでも捨ててやりたかったが、そのツケは巡り巡ってアイツの元にいく。

……しょうがないとため息をついて、ジャンヌ・オルタは歩き出す。

面倒くさいおつかい。

どこぞにいるであろう、聖女さまを探す旅路……だったのだが。

 

「ったく、どこに行きやがったあの白いの。部屋にもいないし……」

 

探し続けて空振り空振りの連続ともなると、さすがに我慢の限界。

ここでもし、どこかで呑気にお茶でもしていようものならその首をへし折ってしまいそう。

溜まりに溜まった苛立ちに頭を揺らされながら、なんとか平静を保とうと息を吐くジャンヌ。

……でも、怒りたくもなる。

むしろ今ここではじけないようにしてるのを褒めて欲しいぐらいなんだ。

だって、そもそも。

 

――私は、もらってない。

 

みんな持っているのに、あの聖女さまだってもらえたのに。

私だけが、持ってない。

彼と、マスターと話すことができる、このつながりを。

……滑稽としか、言いようがないじゃないか。

 

「……なんでよ」

 

ぎしりと、端末が悲鳴を上げる

あともう少し力をこめれば、きっとガラスみたい砕けて壊れてしまうだろう。

でもそんなことしたら、絶対に彼が困る。

悲しそうな貴方の顔がただ一瞬頭をよぎる,ただそれだけで……しゅんと、この指は力を失う。

 

……本当に、滑稽。

 

嗤えてる、とつぶやいて少女は再び歩を進める。

――震える肩を、きつく抱きしめながら。

 

 

 

■ ■ ■

 

――結局、見つからなかった。

ちょくちょく目撃情報をきいて行ってはみたが見事に入れ違い。

おそらく来たばかりのカルデア散策とばかりに練り歩いているのろうが、ジャンヌ・オルタからしてみれば迷惑な話だ。

追いかけていた彼女だったが……しばらくして、あの聖女さまの行動を真似しているかのような錯覚に襲われて、嫌気がさした。

仮に必要になるようだったら、あっちの方から尋ねてくるだはず。

だったらもうそれでいいじゃないかと腹をくくって、魔女は己が部屋と戻ってきた。

……初めからこうすればよかった。

無駄な時間を過ごした、と落胆のため息をつきながら少女はベットに横になる。

ぼすんと音を立てて、身体が沈む。

今のジャンヌの気分と同じぐらい、深く深く。

 

……何故、こんなにショックを受けているのだろうか。

 

力の入らない指、抜け殻みたいに軽すぎる体。

魔力が枯渇したわけでもなく、風邪を引いたわけでもない。

これはただ、ある事実を知ってしまっただけで起きた異変。

……私だけが独りぼっちだっていう現実が、全てを奪っていった。

きっと昔の私なら、こんなもの軽く流せていただろう。

魔女だったころの私なら、当たり前だと思えた事象。

でも、今は変わってしまった。

――声をかけてもらえる温もり。

待っていてもらえる幸福。

いないだれかを想う寂しさ。

それらはすべて、私が知らなかったもの。

それらすべてが、貴方にもらったものだ。

 

余計なものだと、いらないものだと拒絶していたのにしつこく絡んできて、事あるごとに話しかけてきて。

しょうがないからと嫌々話を聞いていた日々だったけど……いつしか、待ち遠しくなってしまった。

心臓が早鐘を打つ。

吐息にが熱を帯びる。

蒼い瞳に映る私の姿に、頬が染まる。

微笑む貴方のことが、たまらなくなった。

……これが好きなんだっていう真実に、もう気づいてしまった。

なのに貴方、今頃になって距離を置いてくる。

だったらいっそもう、はじめから道具としてつかってくればよかったのに。

みんな持ってる端末、私だけがもらえない仲間外れ。

それは要するに……貴方は、私に期待なんかしてない。

期待していた私とは、正反対。

 

「……ばっかみたい」

 

漏れ出た声に、滲みは隠せなかった。

嗚咽交じりの濡れたこの声。

女々しくて、情けなくて、しょうがない……。

彼女がそうやって唇を噛みしめていた、その時。

 

――りりりと、軽やかで無機質なコールが響きだす。

 

予想だにしなかった機械音に、びくりと少女の両肩が震える。

頭をあげてみると、さきほどベットの上で放り投げた端末が震えているのが見えた。

誰からの着信だろうとのぞき込んでみて……そのまま彼女は固まる。

 

質素な画面には端的に表示されたもの。

――『マスター』という文字の羅列。

 

私が持ってない電話を通して、私じゃない私に向けてかけられたであろうこの一本。

一瞬の間で、さまざまな思考言語が頭の中で駆け回る。

ぐるぐると、ぐるぐると。

その末に少女がとった行動は――震える端末の通話ボタンに己が指を押し当てるという行動。

 

おそるおそる耳に手を当ててみる。

するとその薄く小さな端末は、確かに機械越し音を発してくる。

『もしもし』という言葉を、嫌というほど聞きなれた音声で。

 

『ちゃんと出てれたみたいでよかったよ。無事、ジャンヌさんのところに届いたみたいだね。どう?使い方はわかりそう?もしわからなかったりしたらすぐに言ってね』

 

明るい声音が言葉を紡いでく。

こっちの話なんか聞いちゃいない、相変わらずのマイペース。

……かくも愛しい、貴方の声。

 

『……どうしたの?』

 

不安げな問いが向けられる。

無言のままの私に対する訝しみ。

……一瞬の迷い。

けれど、それは本当に刹那のこと。

息を少し吐いたあと――少女はにこりと、晴れやかに微笑んだ。

 

「――ええ。問題ありません。さきほどちゃんとオルタに届けて頂きました」

 

ご心配をお掛けして申し訳ありません、と謝罪を口にする。

するとマスターは「なるほどね……」とこちらの言葉に納得したようだ。

……正直、自分でも驚いている。

 

私の予想以上にこの喉は……あの忌々しい女の声を、再生出来ている。

――吐きそうだ。

 

「……ところでマスター。一つお尋ねしたいことがあるのですがよろしいでしょうか?」

『どうしたの急に?いいよ、なんでも聞いて』

 

軽薄な声音に苛立ちを覚えながらもなんとか平静を保ちつつ、少女は問いをかける。

 

「先ほど、オルタとも番号を交わそうという話になったのですが、彼女は持っていないとのことで……何故、彼女には渡さなかったのですか?」

 

――さぁ、どう答える?

 

貴方が私に渡して、この『本物』に渡した理由。

きっと私が聞いてもはぐらかされてしまうから。

答えてみなさいと、少女は待つ。

 

けれど、返ってきた言葉は予想外。

 

……そんなことか、の一言。

 

「……そんなこと、ですか?」

 

愕然としながら尋ね返すと、うんと頷くマスター。

――瞬間、ぶわりと全身の毛が逆立った。

ぎゅっと拳を握りしめ、震わせる。

……そんなことなわけ、ない。

だって、『本物』にはあげて『贋物』にはくれないなんて。

貴方の声が、いつでも聞けるもの。

貴方とずっと、繋がってられる証。

それで私が、どれだけ思い悩んだのか。

……泣きたくなるぐらい、悔しかったのか。

お前にわかるのか、と唇を噛み締めた。

でも少年は少女の心のうちなんて気にも止めず『やっぱりそうだよ』と軽く笑った。

 

『――ジャンヌにこんなものは必要ない。あっても邪魔なだけだ。だってさ……』

 

そこで、彼は言葉を切る。

刹那の無音。

それからくすっと、笑う音が聞こえて。

 

彼は、その先を告げる。

 

『――オレが毎日会いに行くんだから、電話越しの声なんていらないよ』

 

――電話越しと、扉越しに響くコンコンというドアノックに包まれて。

 

貴方の告白は、優しく告げられた。

 

……情けない話、そのリズムはまったくの予想外だったから。

きゃあと悲鳴を上げて、少女はベットから転げ落ちた。

 

『……かわいいね。君は』

 

笑い声が端末の向こうから響く。

起き上がったジャンヌは顔を赤く染めて、若干涙目ながら「……いつから気づいていたの」と恨みがましそうにつぶやいた。

 

『そりゃあはじめからだよ。君は騙せたとか考えてたみたいだけどまだまだ甘いね。オルタちゃんファンクラブ名誉会員を舐めちゃいけない』

「いつ誰がそんなの発足したのよ……?」

『さぁ誰でしょうか?……それにしても、相変わらず負けず嫌いなんだねジャンヌって。ジャンヌさんが貰ったからって張り合いすぎ』

「べ、別に張り合ってないわよ!私はただ、アンタといっしょに……っ!」

 

言葉の途中で気づく。

自分がとんでもない墓穴を掘ろうとしていることに。

マスターもそれは重々承知していたようで『なになに?』と訊き返してくる。

 

『……その言葉の続き、すっごく聞きたいな』

「っっ!?だ、誰が……教えるかばかっ!!」

 

それは残念、と少年はからかいぎみにつぶやいた。

けれど残念である以上に、今の私の有り様をとくと楽しんでいることだろう。

……ああ、もう。

ほんとに、くびり殺してやりたい。

 

『あとでちゃんとジャンヌさんに端末渡しといてよ……てなわけでジャンヌ。そろそろ寒いから部屋に入れて』

「誰がいれるか!!そこで凍えて死んでなさい!!」

 

かっと吠えるように叫ぶと『えーひどー』と電話の向こうから聞こえる。

眉間の皺がびきびきと入りまくる。

するとマスターは「なら仕方がないね」と少年は息を吐く。

 

『端末上げられない代わりに、実はジャンヌにプレゼントがあったんだけど会えないんじゃ仕方ないなー諦めて帰りまーす』

「……何を寄越そうとしたのよ」

『おや?気になるのかい?……けどたぶん君に喜んで貰えると思うよ』

「勿体ぶるな。早く言え」

 

こわいなぁとからから笑う。

それから貴方は告げる。

私が今すぐ貴方に会いたくなってしまう魔法を。

電話越しじゃ、満足できなくなってしまう呪文を。

 

優しく蕩けるように唱えた。

 

 

「――オレの今夜、君にあげる」

 

ぶつんと、通信が切れた。

ツーツーと、無機質な電子音が流れる。

あれだけ長引かせておいて、あれだけ焦らしておいて。

 

たった一瞬、これっぽちの飴を与えて彼は別れを告げる。

ただし与えられた菓子は……少女を病み付きにさせる、耽溺な甘露であって。

 

……何が、あげるんだ。

遠回しなおねだりなんかしやがって。

悪賢い犬め。

 

故に、少女は立ち上がる。

そして一息に駆ける、扉へと。

開け放たれたその向こう。

そこでにやりと笑う、悪魔に向けて。

 

紅蓮の肌をした魔女は、声高に吼え立てる。

 

 

「――もう好きにしなさいよ!!こっんのケダモノっ!!」

 

がしりと、自分よりも大きな身体に抱きつく。

すると貴方は微笑んで「毎度ありがとございます」と語る。

機械越しじゃない貴方の声と機械越しじゃ伝わらない、貴方の熱。

ぎゅっと指に力を込めたら、同じく力でぎゅっと優しく返してくる。

……なんて、ぬくもり。

 

「……あぁやっぱり。最高の抱き心地だね」

「……黙ってなさい。この変態」

 

けれどやはり、端末は必要だと魔女は確信する。

だってそうだろう。

機械越しなら伝わらないけど、顔を合わせてしまったら最後。

 

……この頬を染める朱い微熱と、早鐘を打ち続ける心の音。

 

隠したくても隠せなくなってしまうのだから。

そんなの、恥ずかしくて燃えてしまいたいぐらい堪らない。

 

……けれど、まぁ。

 

そんなこと、今はどうでもいいか。

 

そう苦笑すると、ジャンヌは彼の胸元に顔を埋める。

例えこれがどんなに恥ずかしくても、仕方がないと割りきろう。

今はただ聞いていたいだけ。

私だけが聞こえる、私だけに刻むリズム。

 

――衣服越しで脈打つ、貴方の鼓動を。

 

 

 



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感染のしかた

ぐだ邪ン、一応甘めです。
よろしくお願いいたします!


「……私、悪くないわよ」

 

――ぽつりと、かの魔女はそうつぶやいた。

ぷっくりと頬を膨らませて、いかにも不服と膝を抱えながら。

真っ黒な乙女さまは今日も絶好調にご立腹。

けれど、そんな爆発寸前な危険物に対して「まだ何も言ってないよ」と、軽くあしらってしまうのが彼の日常。

がちゃがちゃと自室の戸棚を漁るマスターは、少しも振り向きもしない。

 

「でも、悪くないっていうぐらいには悪いことをしたって自覚があるのかな?」

「はん。そんなわけないでしょう。ただいわれのないことに怒られるような理不尽が無いように、今のうちに言っておいただけです」

「よくわかってるじゃないかジャンヌ。さすがはオレのサーヴァント……じゃあ勿論、オレがその程度で誤魔化されないっていうことも、ちゃんと知ってるよね?」

 

そう言うと、途端に静かになる背後。

困ったものだと少年は苦笑しながら、取り出した救急箱を抱えて立ち上がる。

そして少女の傍らに座ると彼は「腕を出して」と促した。

……その右手には、消毒液の瓶を掲げながら。

開いた蓋から香るエタノールに、ジャンヌはひどく顔をしかめる。

 

「……そんなの必要ないし」

 

ぷいと、ジャンヌは顔を背けると、今度はマスターがしかめた。

 

「駄目だよジャンヌ。火傷は放っておいたら余計に酷くなるんだから、ちゃんと腕出して」

「サーヴァントに治療行為は不要です。それに、アンタみたいな初心者さまに治療なんてお願いしたら余計にひどくなるわ」

「それもそうか……じゃあ婦長呼んでくるね」

「ほら何してるんですかマスター早く私のこと治療しなさい今すぐに!!」

 

必死の形相で訴えてくるあたり本当に怖いのだろう。

了解と頷き、差し出された腕を手に取るマスター。

……赤く腫れ上がったその腕に、彼の表情が険しくなる。

予想通りの反応に、少女は内心落胆する。

……その顔が見たくなかったから、見せたくなかったのに。

少年は何をいうのでもなく、治療行為を継続する。

じんわりとエタノールが染み込んで痛みが走ったが……それよりも、この沈黙の方がジャンヌには痛い。

黙々とした作業時間。

包帯を巻き終わったあとになってようやく、彼は長くて深いため息を吐き出した。

 

「……清姫と何があったの?」

「……向こうが悪いのよ」

 

気まずそうに目を反らす竜の魔女。

見つめてくる視線に、ちくちくと針に刺されるような感覚を抱いた。

 

――ことの発端は、食堂での些細な口論だった。

ジャンヌと清姫の間柄では、よくある話。

いつも通りのいざこざで終わるはずだった。

……が、今回ばかりは事態が悪化。

ヒートアップを繰り返し、最終的には互いに焼き合う殺し合いにまで発展した。

ジャンヌのこの火傷は、そのときのもの。

 

「本当に自分は悪くないと思ってる?」

「う、ぐ……」

 

変わらずじぃーと圧をかけてくる蒼い眼。

言葉に詰まり、目を左右に泳がせるジャンヌ。

すると、少年は「……わかったよ」と頷き立ち上がった。

 

「……じゃあ今から清姫を叱ってくるね」

「え?ちょっと、なんでよ……?」

 

目を見開く少女に、当たり前だろうとマスターは言葉を返した。

 

「君が悪くないんなら、悪い清姫を叱るのが当然だろう……オレが大好きなジャンヌは、こうゆうみっともない嘘は絶対つかないし、何より君のことを心から信じてる。だから、もうこうゆうことが内容に、清姫さんを叱りに行きます」

 

言われながら見事にざっくざっくと胸に言の葉が刺さってゆく魔女。

じゃあねと少年は背を向けた時……少女は、己が敗北を自覚した。

くい、と彼女は歩き出そうとしたマスターの袖を引っ張る。

彼が振り返るとジャンヌはうつ向いたまま、そして消え入りそうな声ではあったが確かにつぶやく。

 

――ごめんなさい、と。

 

意気消沈とは、まさにこのことでさっきまでの威勢はどこにもない。

しばらくマスターは見下ろしていた、がやがてやれやれと肩をすくめる。

 

「……それは、オレに対していう言葉じゃないだろう?」

 

膝を折りながら、マスターはジャンヌに語りかける。

見上げた彼女は「……うん」と弱々しく頷く。

 

「……やりすぎた、と思う」

 

ようやく口に出た、反省の言葉。

するとマスターは「よかった」とジャンヌの頭を撫でる。

――君が反省できる子で、本当に安心したと。

 

「……ジャンヌの言い分もわかるし、清姫の方にはオレからも言っておく。だからちゃんと、後でいっしょに謝りに行こう?」

「……行けるわよ、私一人で。あんまり私を甘やかすと今度は貴方が焼かれるわよ」

 

それは困ったな、と少年は苦笑する。

……こうゆう立ち直り方こそ、彼女らしい魅力だ。

けれどそこでふと、マスターは「あれ?」と彼は首を傾げる。

 

「……ジャンヌ、唇に血がついてるけど大丈夫かい?」

「え……ああ、大丈夫よ。清姫と殴りあったときに口の中切れたのかもね」

「君らどんだけアクティブな喧嘩をしたんだい?」

「うるさいわよ。こんなの唾つけとけば治るし」

「へえ。唾つけときゃ治るんだ」

「馬鹿ね、物の例えに決まってるでしょうが。てか、貴方ニッポン人で――」

 

 

――ふんわりと、柔らかかった。

 

言葉を塞ぐようにして触れたモノ。

私の唇に触れた――紛れもない貴方の熱。

でも、今回はそればかりでは飽きたらず

……くちゅりと、脳内に響き渡る水音。

雄々しく荒々しく、舌先はジャンヌの口内を犯してゆく。

普段の能天気さから考えられないほど、その口づけは暴力的。

抵抗などできない、したくない。

だって……その熱はどうしようもなく、心地がいい。

吸うわけでもなく舐めるわけでもなく……ただ、理性をとろかされる。

たっぷりと『された』あと、ようやく

口を放されたときには、ジャンヌは完全に出来上がっていた。

口の中には、耽美な甘さが充満していて。

潤んだ瞳で、熱っぽい視線を少年に向ける。

その彼はというと、先程までの暴力さはどこへやら無邪気な笑顔。

それから濡れた少女の唇を撫でて、にこりと微笑んだ。

 

「……早く治るといいね、ジャンヌ」

 

――ぬけぬけと、そう言い放って。

じゃあまたねとだけ、貴方は手を振り立ち上がって。

余韻の熱を残して、扉の向こうへ消えていった。

 

魔女はしばらく座ってはいられたが……耐えきれなくなってどぼんとベットに身を沈める。

耳まで真っ赤に染めた少女は、声にならない呻きをあげる。

 

「……治るか、馬鹿」

 

そう、意味のない愚痴を溢してしまう。

 

けれど、言いたくはなってしまうものだ。

何せ例えこの傷は治り癒えようとも、そこからウィルスが入ってきたら意味がないのだ。

あの能天気なバイ菌に唾をつけられたら最後、感染は免れない。

瞬く間に全身に広がり、心臓を高ぶらせ、肌を内側から焼いてゆく。

酔ったように思考を鈍らせ、舌もろくに回らない。

治せても、治したくないと溺れてしまう中毒性。

なんて、わずらわしい不治の病。

忌々しくは、唾液感染。

なのに、どうしてなのか。

 

……嬉しいと思ってしまうのだから、少女は既に末期である。

 

「……ほんと、ばか」

 

つぶやかれる最後の一言。

貴方へか、それとも湯だる私に向けてなのか。

どちらにせよ、それは彼女の精一杯の反抗。

そして同時にまごうことなき降伏宣言。

 

……『傷物』にされた乙女を侵すこの病は。

 

治らず冷めない、甘美な微熱である。

 

 

 



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落ちぬ色

正月に掲載していたぐだ邪ン。
流石に時期ずれすぎてる?私もそう思うよ、すまん。

改めてよろしくお願い致します。


 

 

「……ぶっ飛ばす。絶対ぶっ飛ばす」

「新年早々物騒だねぇ……」

 

ぶつぶつと呪詛のように言葉を繰り返す少女を見て、マスターはやれやれと首を振った。

からんからんと、廊下には下駄の音を響かせながら、二人は並んで歩く。

 

「しょうがないでしょ!腹立つもんは腹立つのよ!」

「とは言っても、せっかく可愛い晴れ着姿なんだから少しは控えたほうがいいよそうゆうの。いろいろと台無しだ」

「はん。それ以前に私の正月気分はこれのせいで台無しよ!」

 

言ってジャンヌはびしぃ!と自らの顔を差し示した。

そこには黒々と、そしてでかでかとした字で「自爆女」だの「チョロイン」だのと塗りたくられてる有様だった。

……正直、マスター自身も笑いを堪えるのにやっとだった。

震える声を何とか抑えつつ「挑む相手を間違たかもね……」と少年はつぶやく。

 

「だいたい鈴鹿はともかくなんであの暴食王さままであんなに羽子板強いのよ!?本当に英国出身者なの!?」

「アルトリアさん曰く『やり慣れてる』らしいよ」

「全く持って意味わかんない……そんでもってこれ何!?全っ然落ちないんだけど……!?」

「ああそれね。葛飾さんが用意したとと様一番搾りだってさ」

「とと様言う割にはこれっぽっちも敬意を感じないことやってるわねあの絵師……」

 

ああもうヤな感触、と彼女は頬をそででごしごしと拭っていた。

……つい先ほどまで、ジャンヌさんやジャンヌちゃんと三人並んで正月の華となっていた面影は、今やどこにもない。

短い命だったなぁと彼は嘆息する。

 

「……てか、なんでアンタはいつも通りなのよ?」

 

むすっと頬を膨らまして、ジャンヌは己が主人を睨む。

彼女の言う通り、マスターは普段と変わらない制服のまま。

正月で浮かれ切っているあちらこちらとはまるでムードが違う、一歩下がっているようなテンション。

すると彼は「需要がないからね」とさらりと言ってのけた。

 

「別にオレの晴れ着とか誰も喜ばないし、そもそも面倒くさって、痛い痛い痛い!!」

 

ぐぐぐとジャンヌに思いっきり耳たぶを引っ張られ、涙目になるマスター。

反対にジャンヌは額にびしりと青筋を立ててにっこりとした笑顔をマスターに向けた。

 

「こちとら慣れない着つけに一時間近く奮闘したっていうのに、面倒くさいの一言で片づけられちゃ溜まったもんじゃないわねぇ……」

「嫌だったはじめから着なければよかった気がするんですが……」

「何か言った?」

「いえ何も」

 

ばきばきと物騒な音を奏でる拳を見て、マスターは即答する。

正月早々流血沙汰は御免である。

 

「……けど羽子板か。小学校以来、全然触ったことないや」

「あら、マスター興味がおありかしら?よければ付き合ってあげるわよ」

「嬉々としてオレで鬱憤を晴らそうとするのやめてください。フルボッコにされる未来しか見えない……」

「負けたら勝った方の言うこと何でも訊くっていうのはどう?」

 

令呪で間に合ってます、とマスターは右手をかざす。

するとジャンヌは不満げにぷくりと頬を膨らませた。

 

新年早々かわいいなこの子。

 

「……別に勝たなくたって言うことぐらい聞いてあげるよ。何が欲しいの?お年玉増額以外なら受け付けます」

「まず貴方の中にある私の想定年齢が訊きたいわね」

「まず二桁は言ってない、待ってタイムぐーは無しぐーは。他に何かございませんかっ!?」

 

ぶんぶんと肩を暖め始める魔女に、額に汗を光らせながらマスターは慌てて言う。

必死に制止するマスターに呆れて、ふーふーと荒く唸っていた魔女も「……アホらしい」とため息をつく。

 

「アレ、他にないの?」

「あるちゃあるわよ。でもどうせ面倒くさいとか言われるわ」

「そんなことないさ。ちゃんと言うこと聞くよ。無理難題以外はね」

 

ぱちりと目をつむる彼に「信用ならないわね……」と苦い顔をするジャンヌ。

……しかし、今はどちらかといえば『願い』が勝る。

1年一回限りの機会、今回だけの特別な機会なのだから。

 

「ほらジャンヌ。言ってごらん?」

 

にこっと笑いながらマスターはジャンヌの顔を覗き込む。

少女の気持ちなど、少しも知らないで。

……よく、理解した。

 

「……い」

「え、ごめん聞こえない。もう一回言って?」

 

マスターは耳を近づける。

消え入りそうな声。

けれど口元に近づけば、確かに聞こえた。

少女のお願いは、経った一言。

 

――おそろいで歩きたいと、それだけで。

 

「…………」

 

少年はしばし無言のまま少女を見る。

彼女はぷいと顔を反らしたままこちらを見ない。

墨の上からでもわかるほど、頬は熱を帯びていると言うのに。

……これを、微笑まずにいられる方がどうかしてる。

 

「……待ってて。すぐに戻るよ」

 

言って彼は走り出す。

着物の着付け、ちゃんと出来るかなと不安に思いながら。

――その顔を、いっぱいの幸せ緩ませながら。

 

「……アイツの顔にこそ、墨を塗りたくってやるべきね」

 

言いながら彼女は大きく息を吐く。

そして同時に、今年初めの教訓を身をもって学ぶ。

 

――顔に着いた真っ黒な墨は、これでもかというぐらいにこびりつく。

 

だが正反対に、この『色』は落ちやすくて叶わない。

 

……頬を染める『色恋』は、果たしてどこまで堕ちることだろうか。

 

壁に背を預け微笑み待つ乙女にすら、わかりはしなかった。

 

 



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飼い犬に『てい』を食まれる。

盛りごろなぐだ邪ンです(直球)
改めてよろしくお願い致します。


 

……大丈夫、今ならまだ大丈夫。

 

そう、少女は自分に言い聞かせる。

早朝のカルデア。

静かで少しさむく、誰もいない廊下。

そんな寂しい道を、こっそりと足音を立てないように、そろうりそろりと歩いてゆく。

決して、誰にも気づかれないように。

だが、時刻午前四時で人とすれ違うほうが難しいか。

やはり早めに出てきてよかった、と彼女が安堵の息を吐く。

 

……そんな風に油断した、まさにその時。

 

「――あれ?ジャンちゃんじゃん。はろはろー!」

 

背後から軽やかな声が響いて、びくりと彼女の肩が震えた。

予想なんてできなかった、突然の気配。

叫び声を上げなかったのが奇跡なくらいだ。

恐る恐る少女は振り返ると、自分の頭一つ分低い場所にぴょこぴょこと動く二つの紅い獣の耳を目にする。

 

「す、鈴鹿。なんでこんな時間に……」

 

にこりと、さわやかな笑みを浮かべて、マスターは見つめてくる少女に手を振った。

すると彼女――鈴鹿御前も「さんぽー!」とこれまた元気な声で返事をする。

 

「いやぁなんか自然と目が覚めちゃって。部屋にいてもやることないしねー」

「そ、そうなの……せっかくの休みだし、まぁ好きなように堪能すればいいんじゃない……?」

 

――そう。

本日カルデアは施設員全員含めての、久方ぶりの休日である。

いかに優秀といえど所詮は人間、適度な息抜きは必要だ。

もちろん、それはサーヴァントとて例外ではない。

精神的な休息、特に作家系のサーヴァントたちは毎日でも休暇申請してくる。

王様系ともなると、断りもせず勝手に休みを要求してくるが。

 

「そーれーでー……ジャンちゃんこそ、こんな時間に何してたの?」

 

――それはそれ、これはこれといった風にきっぱりと切り替えてきて。

 

……話題をそらせたと思って安心したのに。

ジャンヌは上ずった声になりながらめ「なんのことかしら」と平静を装いながら訪ねた。

 

「そりゃあ気になるし。なになにー?もしかして言いづらいことだっだり?」

 

にぱーと微笑みながら悪戯っぽく首を傾げる鈴鹿。

……嫌に鋭いわね、コイツ。

だが生憎、鈴鹿の思い通りに応えてやるつもりはない。

何せはっきり言おうものなら――少女の沽券そのものが危うくなってしまうのだ。

どうしたものかと少女は顎に手を当てて思案する。

すると鈴鹿は「アレ?」と声を上げて首を傾げる。

 

「ジャンちゃん、何か首に赤いのついてるよ?虫刺され?」

 

 

――戦慄した。

おかげでらしくもなく、びくんと体を震わせばちんと首を抑える。

 

「こ、こここれはその、でですね……」

 

情けないことに、声がまとまらない。

鈴鹿は「虫刺されなら薬塗らなきゃ駄目だよ」と鋭いんだが鈍いんだかわからない心配をしてくる。

 

「あ、なんか手首にある感じだし。やっぱ薬塗ろうよ。私持ってるし」

 

言いながら近づいてくる鈴鹿。

絶体絶命、高速回転でジャンヌの思考は巡り出す。

そしてふと――ソレは脳裏に飛来した。

同時に大きく声を上げていた。

 

――『犬』に噛まれたんだと。

 

「……犬って、何?」

 

鈴鹿は怪訝そうな顔をする。

……こうなればヤケだ。

ジャンヌは思いきって、畳み掛けるように言葉を紡ぐ。

 

「実は私、みんなに内緒で『犬』を飼ってるのよ。だけどそれがまた凶暴なの。事あるごとに噛んだり引っかいたり『襲って』きてもう体の節々痛いのなんの……で、この傷はその『犬』に昨日噛まれたてできたモノよ。わかったわね。わかりなさい!」

 

腕と首を隠しながらそう言い切るとと、鈴鹿は「それは災難なことで……」と同情の眼差しを送ってくる。

……うん、嘘は言ってない。

まるっきり嘘ついてないわ。

 

「でもなるべく早めに治療した方がいいし。膿んだりしたらマジヤバいし」

「それは自分でやるから気にしないで……とにかく、今話したことを含めて今貴方と会ったことは皆には秘密よ。いいわね?」

「うーん……ラジャ。じゃあ、あとはよろしくするし。またねジャンちゃん!」

「ええ。さようなら」

 

あとはよろしくするという言い方に多少違和感があったが、既にどうでもいい。

別れを口にするとジャンヌはすぐに駆け出そうとする。

もうこの際、見つかろうが関係ない。

一刻でも自分の部屋に帰ろうと彼女は振り返る、その場所に……。

 

「――わん」

 

笑顔。

ものすごくいい笑顔が、そこにはあった。

それは昨晩散々見た……マスターの、笑顔。

 

「……あの、違うのよマスター。今のは方便と言うか……」

 

つい、口から言い訳が出た。

しどろもどろになりながらジャンヌは語り出す。

しかしマスターは「いや間違ってないよ」と逆に頷いていた。

 

「確かに盛りがついてるし『犬』には違いない……ただジャンヌ。飼い主なら、ちゃんと『お散歩』もさせなきゃ駄目だろ?それは君の責務だ」

 

だからね、と彼は肩を叩く。

ひきつった彼女に、一層笑みを深めて語る。

熱い吐息を、その耳元に絡めながら……。

 

「――朝の『お散歩』もちゃんと付き合ってよね?『御主人様』」

 

ただただ悦を浮かべて、『犬』は『飼い主』に『おねだり』をする。

 

「……とゆうわけで、オレたぶん今日一日ジャンヌに付き合ってもらうから。みんなには内緒にしといてね」

「ラジャー。ごゆっくりー」

「鈴鹿ぁっ!!頷いてないで助けなさい!昨日からこの馬鹿にぶっ続けでされてもう体力ないのよ!体ひりひりするし今日一日やられたら本当に座に還る……!!」

「ぐわー。助けてあげたいけどマスターの命令には逆らえないー」

「棒読みひどいわね!?」

「大丈夫だよジャンヌ。優しくするし、還ってもまた呼ぶから心配ない……けどオレワンちゃんだからさ、多少『激しくても』怒らないでね?」

 

いやあああ!!という半泣きの悲鳴と共にずりずりと魔女は引きずられてゆく。

端から見れば人拐いのそれ。

けれど二人にとっては、それは日常茶飯事。

だからその姿を「がんばれー」と鈴鹿は微笑んで見送った。

 

果たして、かの魔女は明日を平和に迎えることは出来るのか。

どちらにせよ、へとへとになって帰ってくる彼女の愚痴くらいは聞いてあげようと。

 

紅の乙女は楽しそうに鼻唄を鳴らしながら、今日も平和なカルデアを歩き出すのだった。

 



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魔女は迷いて、鳥籠に死ぬ

グランド―ダー二次創作。
まだ好きになる前のぐだ邪ンです。時間軸は贋作の後。
全五話です
あらためてよろしくお願いします。


――ない。

 

ポケットの中、甲冑の下、マントの内側。

何度探しても、何処を探しても、見つからなかった。

となると、考えられる結論を一つ。

……どこかに落として来てしまったという、単純で最悪の事実。

 

「……参ったわね」

 

呟いて、深く息を吐く。

佇む場所は、硬い金属で作られた分厚い扉の前。

その一枚の向こうには、少女が腰を下ろせる唯一の居場所があるというのに。

……たかがその一枚が、どうしても越えられない。

恨みがましそうな目で、彼女は睨む。

視線の先はただ一点、扉の傍らに備え付けられている小型機械。

それにはただ一つの穴がある。

横に広くて縦に薄い、小さな挿入口。

再度身体をまさぐってみたが、結局見つからないという事実は覆られない。

だかどうやっても、開かない。

 

……そうだ。

 

かの竜の魔女ことジャンヌ・オルタは、たかが一枚の小さなカードキーを失くしてしまったせいで。

 

――自分の部屋に、帰れなくなってしまった。

 

 

 

■ ■ ■

 

――喉が渇いた。

そう思ったのは、夜も更けた午前二時。

長い作業を終え、ふと時計を目を向ければ予想よりもはるかに時を刻んだ二本の針。

そりゃあ喉も渇くはずだとマスターは苦笑した。

立ち上がり、体をうんと伸ばせば節々がばきばきと音を鳴らす。

それから何かあったっけと冷蔵庫を開いてみたが、真っ白なその寂しい光景にため息が漏れて。

戸棚漁っても、空になったインスタントコーヒーの瓶がほっぽり出されている事実に、だらしなさを自覚させられるばかり。

でもだからと言って水道水で済ませるというのもまた物悲しい。

ゆえに彼は部屋を出た。

目的地は、きっとなにかしらあるであろう食堂へ向けて、廊下を歩く。

――暗い世界に、かつんかつんと靴音が木霊する。

朝とは正反対、無音に過ぎる静けさを以前は怖いと思っていた。

けれど今となっては。

……こんな暗闇よりももっと『怖いもの』を数限りなく見てしまったせいか、特に何も感じなくなっていた。

むしろこの程度に恐怖を感じていた昔の自分が可愛らしいと嗤えてくる始末。

 

――変わったな。

 

端的に、マスターは現在の自分をそう結論付ける。

環境、知識、力量、そして人間関係。

自分にあったすべてが変わって、自分が持っていなかったものが増えていった。

想像を超えてゆくばかりの毎日。

けれど確かに実感する。

支えてくれる人、道を教えてくれる人たちがいることを。

そんな世界を守りたいと思う、自分の気持ちを。

だから、まだ不安は消えないけれど。

この足はまっすぐ、道を歩いてゆく。

取り戻したい、未来へ向けて……。

 

「……だけどやっぱり、いつどこだってデスクワークっていうのは大変だ」

 

手が痛いと、両腕を摩りながら少し愚痴る。

でもそれぐらいの『普通』がちょうどいい。

それぐらいの『普通』が、何よりも心地よくて、常人の自分には程よくわかりやすい。

微笑んで、彼は道を曲がる。

そこはカルデアの中でもおそらく一番広い廊下。

施設の外円部であり、傍らには天井まで届くほど大きな窓がずらりと並んでいる。

まるで美術館。

白い雪景色を切り取った絵画が彼方まで続く道。

けれど、その白く強大な絵の一枚にただの一点だけ……黒い染みが滲んでいた。

 

――床まで滴るローブは、闇よりも深い漆黒。

反対に露出している肌は、雪をも超える白磁。

同じ色をしているのに決して周りに同化しない唯一。

それは明らかに『普通』を超える『異質』。

腕を組み目を閉じ、混ざらないけれども確かにそこに在るのは、まぎれもない彼女。

 

――『竜の魔女』が、そこに在る。

 

……息が、止まった。

それは予想外の邂逅に対する驚きではなくて。

 

単純に、目の前の『鮮烈さ』に言葉を失ったゆえのこと。

 

――壁にもたれ掛るのは、ただの少女のはずだ。

自分と同じ十代、子供といっても差し支えないはず。

なのに……アレはなんだ。

ただ立っているだけなのに、ただ生きているだけなのに。

その姿は、どうしようもなく……。

 

「……鍵を失くしただけよ。気にしないで」

 

――そう声が響く。

決して開くことがないと思っていた白い唇が、言葉を紡いだ。

思考の外からの言葉に、思わず「え?」とマスターは尋ね返す。

すると少女の瞼が持ち上がった。

白と黒しかなかった景色に、黄金色が混じる。

その光はわずらわしさを漂わせながら「……さっさと行け」ともう一度つぶやいた。

 

「……失くしたって、もしかして部屋に入れなかったの?」

 

恐る恐る、マスターが尋ねる。

だが今度の彼女は無言のまま。

代わりに「わざわざ訊くな」という視線を送ってくる。

 

……どうやら、解釈は間違っていないらしい。

 

「ダ・ヴィンチちゃんに新しい鍵をお願いしたらどう?」

「行ってきたわよ。けどあの女、いくらノックしようが工房にこもったきり全然出てこなかったわ」

「あーそっかぁ……」

 

ダ・ヴィンチちゃん、夢中になるとひたすらのめり込んじゃうからなぁ。

過去自分も似たような経験をしていたマスターは苦い笑みを浮かべる。

だが忌々しげ舌を打ち鳴らす音が聞こえたような気がして、すぐにその笑みを引っ込めた。

……沈黙が訪れる。

ジャンヌは目を閉じたままでそれ以上語ろうとしない。

逆にマスターはなんと声をかければいいかわからず目を左右に泳がせている。

 

「……いつまでそこにいるの」

 

呆れた声。

思わず「あ、いや、ごめん……」としどろもどろな答えしか口から出なかった。

……我ながら、情けない。

 

「……ジルさんのところには、いかないの?」

 

もう一度、問いかけてみる。

が、今度は本当に「馬鹿なひと」とせせら笑われた。

 

「生憎、ジルにこれ以上の迷惑はかける気はないの」

「いやあの人は迷惑だなんてこと……」

「知ったような口を利かないで頂けるかしらマスター……貴方はそんなことが断言できるほどジルのことも、私のことも知らないでしょう?」

 

……言葉に詰まった。

 

贋作騒動からしばらくは経った。

それから彼女のこともカルデアに呼ぶことは出来た。

でも、そうだとしても……まだ、足りていない。

彼女と、ジャンヌ・オルタと分かり合うにはまだ、『何か』が足りない。

その『何か』の正体を知りようにも……少女についての知識が、あまりにも『無い』。

 

「――さっさと行きなさい。私は、別に大丈夫ですから」

 

言うと彼女は一層体を強く抱いて、壁にもたれかかる。

……そう、それだ。

彼女の鮮烈さの正体。

容姿が美しいからじゃない、色が鮮やかだからじゃない。

自分を抱いているその姿。

呼吸すら危うくなるほど、胸が苦しくなるほどに。

 

……寂しげに、見えた。

 

――これは憐憫なのか。

胸の中にあるのは、刺すような冷たさと蒸せるような熱さ。

はじめて抱く、ぐちゃぐちゃな激しさ。

わからない、わからない、わからない。

けれど、確かに言えるのは……こんな感情、目前の少女以外に想うことはなかった。

彼女だけだった、こんなモノは。

 

だから声が出たのは、本当に無意識。

そこに意図はなく、計算もない。

感情をのままに動かされ、口にしたこと。

 

 

 

「……だったら、今夜はオレの部屋に来る?」

 

 

……なんて、たわごとを一つ。

 

 

「……はい?」

 

途端、ぱちんと魔女の瞼が上がった。

黄金の双眸が驚きに大きく見開かれ、そしてこの時になってようやく――彼女は、マスターの存在を認識した。

 

「あ、いや、別に他意はないしなんかするつもりもない!迷惑じゃないし、ほんとにほんとで何もすることはない!ただ、えっと、よければ、なんだけど……どう、かな?」

 

……言いながら、なんて悲しくて薄っぺらい言い訳だろうかと、彼は心で泣く。

けれどここまできたらもう成るように成れだ。

早口に一気に言い終わった後、マスターはぐっと噛みしめて返答を待つ。

けれどしばらく反応はない。

まじまじと見つめられて、むしろマスターの方が火を吹き出しそうだった。

 

「……貴方って意外とませたことを言うのね。まぁ……あのときも、そうだったかな」

 

ぷすっと、空気の抜ける音がした。

それは張り詰めていた風船に、穴が開いた音。

同時にマスターは目にする。

 

……柔らかに、緩んだ頬。

丸くなった目じり。

向けられたその表情は、まぎれもなく……笑顔。

先ほどまでとは、明らかに違う。

けれど、あの時と……いつかの美術館でみたの時と同じ、満足したような微笑みだった。

 

かつんと、彼女は踵を鳴らす。

踏みだした足は、軽やかで美しいメロディを奏でる。

思いもしない笑顔にやられてしまったマスターはしばらくその演奏の後ろ姿に魅入ってしまった。

 

「……何をしてるの?」

 

声をかけられ、マスターは正気に返る。ジャンヌの横顔は見つめる。

改めて見れば、わかる。

寂しさや憂い、いろんなものがあるけれど。

でもやっぱり単純明快な真実がある。

それは……。

 

「……明日まで生きていられるといいわね、マスター」

 

……そう笑みを浮かべる少女は、どうしようもなく。

 

輝いて、歪で……美しかった。

 

「……本当に何もしないよ」

 

唇を尖らせるマスター。

すると彼女はくすりともう一度笑って、前へと歩き出す。

……闇の中を歩く黒。

その背中は追いかけるには……きっと、今まで以上の覚悟が必要だろう。

それはどれほどの苦悩なのか。

どれほどの痛みなのか、わからないけど。

 

「……結局、放っておけないんだよな」

 

そう笑って、少年は走る。

つかづかと、自分のペースで歩いてゆく彼女の後ろ姿を。

嬉しそうに笑いながら、廊下に足音を響かせて。

 

……お節介なこの感情。

それの名前を少年が知る、そのときは。

……もう少し、あとの話である。

 

 



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魔女は迷いて、鳥籠に死ぬ2

グランド―ダー二次創作。
まだ好きになる前のぐだ邪ンです。時間軸は贋作の後全
二話目です。
あらためてよろしくお願いします。


――気まぐれだった。

 

それ以上でも、それ以下でもない。

ただ単に、ほんの少しの興味があったから来てみただけのこと。

けれどやってきてみれば……どうだ、この差は。

 

焦がれていた外は、台本通りの景色ばかりで。

心ときめくアドリブもなければ、胸をざわつかせるハプニングもない。

淡々と上映されてゆく日々。

ここでもし、私がその舞台の役者であったならまだ楽しみはあっただろう。

しかし現実は……『彼』との距離を、実感させられただけ。

 

……手を伸ばせば、届くと思っていた。

 

あの柔らかくも頼もしい、温もりある指先。

けれどそれは違う、私の指が届いていたんじゃない。

あの偽物だらけの展覧会で、優しい『彼』が差し伸べてくれていたから、掴むことが出来たんだ。

錯覚に溺れ、バカみたいについてきてた挙句に私が見た光景は……たくさんの人に囲まれた『彼』と、たった一人きりの『私』。

いろんな人に、いっぱいの微笑みをささげる『貴方』。

それはあの時、私に向けられたものと同じ、優しい笑顔。

……私だけだと、勘違いしてた。

なんて、無様。

 

けれどもう、これ以上はダメだ。

『私』はもう救われた、ならこれ以上求めるのは単なる我が儘。

だから、『貴方』のいる舞台に上ることは許されない。

この身動きの取れない観客席から、『貴方』の毎日を眺めてゆく。

 

……まるで鳥籠だ。

 

力もある翼もあるのに、思うように飛ぶことも出来ずに籠の外に思いを馳せる。

飼い殺されるその瞬間を待ち続けて。

 

――ああ、ようやく理解した。

 

肌を焼かれるのぐらい、どうってことない。

だって焼かれていたら、そのうち身体は消えてくれるだろう。

だけど……胸にともったこの焔だけは。

 

すごく痛いくせに――『私』のことを、いつまでも殺してくれはしないのだから。

 

■ ■ ■

 

「――いっしょに夕食に行こう」

 

――相も変わらずにこにことした笑顔。

レイシフトから帰ってきたばかりで疲れも相当だろうに、何の暗い様子も見せずにそうやって少年は声をかけてくる。

……その気遣いが、苛立つ。

 

「……わざわざここまで来たのは、それが理由ですか」

 

自らの部屋の扉に寄り添いながら、ジャンヌは尋ねる。

するとマスターは「うん!」とこれまた快活な表情で、即座に答えを返してくる。

……その素直さに、吐き気がする。

 

「君っていつも部屋で食事を摂ってるだろう?たまには場所が変わってみるのもいいものだよ。結構味が変わってみたりするかも」

 

少年は語る、屈託のない笑みと共に。

……でもそれはきっと、他のサーヴァントたちにもやってることなんでしょう。

社交辞令、世渡りの方法の一つ。

そんな気遣いを……こんなひねくれ者にしてること事態、間違いなのだ。

 

余計なお世話です、と魔女は一蹴する。

 

「そもそも私に食事なんて必要ありません。現状なら、貴方からの魔力供給があれば十分に賄えます……私は私のやりたようにやる。だから貴方の指図なんて、受けません」

 

そう冷たく突き放す。

……こんな言い方をすれば、ふつう誰だって嫌な顔をする。

それが当然、そうでなければ貴方は『おかしい』。

なのに……貴方は「そっか」と少し残念そうな表情を浮かべるだけ。

そこに嫌悪はなく、侮蔑もない。

 

「じゃあまた明日誘わせてもらうね!それじゃ今日はおやすみ!また明日っ!」

 

言うと彼は手を振って廊下を走りだす。

嵐のように唐突にきて、瞬く間もなくさようなら。

ジャンヌが引き留める隙なんてなく、その背中は彼方へと消える。

 

「……何なの、アイツ」

 

彼の消えた廊下を、呆れた目を見つめるジャンヌ。

ほんの少し前なら、こんなことはなかったというのに。

だがそうなってしまった原因には心当たりがある。

 

――以前、ジャンヌが自分の部屋の鍵を失くしてしまってことがある。

 

そのとき、行く場所がなかったジャンヌに対して偶然通りがかったマスターが「オレの部屋にこないか」とことを言ってきた。

……なんの迷いか、私はその誘いに乗った。

だがそのあとこれといって色めいた話はなかったし、するつもりは毛頭なかった。

強いて言うなら、どっちがベットに寝るかという話で互いに譲りあった挙句双方が床で一夜を越すという自分でも首を捻る結論になったことぐらいか。

 

しかしそれ以降、マスターの距離が近づいてきたのも事実。

……どうせ、すぐに飽きる。

何せマスターは自分以外にも多くのサーヴァントと関りを持たねばならぬのだ。

こんなものに時間を割いてないで、他のサーヴァントに心を砕いた方がよほど理に叶ってる。

それでマスターもハッピー、私もハッピーの大団円。

 

……ああ、まったく本当に。

 

「……面倒くさい女」

 

誰に語るでもなく、魔女はそうつぶやいた。

 

 

■ ■ ■

 

――次の日。

宣言通り、夕刻時になるとマスターはジャンヌの部屋の扉をノックした。

扉を開けると昨日と同じような笑顔がそこにはあり、また「ごはんを食べよう」と誘ってきた。

対して私の返答も昨日と同じもの。

丁重にお断り申し上げて扉を閉め、すぐに布団に潜り込んだ。

 

――三日目。

また来た。

扉をノックする音、開けてみればバカみたいな笑み。

何も言わずに閉じる。

苛立ちのせいか、その日の寝つきは悪かった。

 

――四日目。

またノック。

今度は無視した、対応するだけ無駄だと悟った。

布団を大きくかぶって、それ以降の音は無視した。

 

――五日目。

ドアノック、無視。

 

――六日目。

いつもどおりのドアノック、いつもどおりに無視。

 

――七日目。

日常と化したドアノック。

 

さすがに、きれた。

 

 

■ ■ ■

 

「――しつこいですよ。縊り殺されたいのですか?」

 

ぎりりと襟元を掴む指に力をこめ、彼女はマスターを睨む。

纏う殺意は、間違いなく本気。

きっと他の人間が見れば、恐怖に震えが止まらなくなる。

けれど……流石『おかしい』人間。

少年は何事もなくて「ごめんね」と微笑むだけ。

……襟をつかんでいてよかった。

首を直接持っていたら、おそらく今のでねじ切っていた。

 

「……何度も言いますが、私は私のやりたいことをやります。貴方に割いている時間はありません」

「うん。それは聞いた」

「ならば何故、私に話しかけるんですか?」

「オレがそうしたいから」

 

ガン!と、彼女はマスターの身体を壁に叩きつけた。

流石のマスターも背骨に響く痛みに顔を歪める。

 

「……同情なんて、いらない」

 

絞り出すような声。

視点の高さからマスターは少女の顔は見えない。

でもきっと……それは『笑顔』からは程御遠い表情のはずだ。

 

「……アンタにはいるでしょう?友達、後輩、先輩、先生。仲間仲間仲間っ!ならそれでいいじゃない。それで満足しなさいよ……私もこれで満足してんだから、期待をさせるな」

 

……貴方は、私にとっての『唯一』になれる。

こんなもの手を差し伸べられてくれた、ただひとり。

でも私は……貴方にとっての『唯一』にはなれない。

だって魅力ないもの、私には。

他の誰かにあるような才能も美しさもない。

むしろ醜さを集めたような泥の塊。

いれば周りを不幸にする。

好きになんてなれるわけない。

……私でさえ、嫌いなのに。

だからせめて、距離を置きたかった。

私にとっての『唯一』を、こんな汚い私自身が汚さないために。

眺めてるだけの幸せ。

この鳥籠の中でもきっとそれぐらいなら許されるだろう。

 

……伝えはしないこの想いは。

伝わらなからこそ、せめてもの幸せが享受される。

だから、もう。

 

「……必要以上に、私に近づくな」

 

……全く、なんで召喚に応じてしまったのか。

 

あの想いでだけ抱いて眠るのなら、きっと安らかなままだったろうに。

己が未練がましさに、彼女は自嘲した。

もう語る言葉はない。

手を離して、ジャンヌは距離をとる。

……あとはさっさと消えろと、無言で促して。

 

「……確かに、君の言う通りだ」

 

しばらくの沈黙の後、少年は語る。

それでいいと、少女は笑った。

……それでいいや、と少女は心で納得する。

真っすぐな目をしたマスター。

ようやくへらへらとした雰囲気がなくなった彼は言葉を紡ぐ。

 

少年の出した結論を……。

 

「……じゃあ今度は、オレが食事を持ってくるよ。それならいっしょに食べてくれるでしょ?」

 

……ずっこけた。

ガツンと、膝が壊れる。

大丈夫?と、頭のおかしい人が少女をのぞき込んできた。

――大丈夫じゃないのは、むしろ貴方の頭の方だ。

 

「アンタ……話聞いてたの!?」

「うん。ちゃんとしっかり」

「じゃあなんで!?」

「なんでも何も……オレは一度だって、同情で君のことを誘ったことはないよ」

 

……言葉に詰まった。

目を見開いた彼女に、彼は微笑みながら続ける。

 

「……同情だけならさすがにここまで通ったりしないさ。それこそ、仲良くなろうとする気がないのにしようとするのは間違ってる。今オレがここにいるのは……間違いなく、オレのわがまま」

「……なんで、そんなことしたがるのよ」

「さぁ?実はオレもよくわかってない……でも全然、苦じゃなかった。むしろ明日はいけるんじゃないかって思ったりしてたら、なんか楽しくなってきちゃって……だからきっと……君のためというより、むしろオレのためだ」

 

迷惑かけてごめん、と彼は頭を下げる。

……間違いない、これは紛れもないマスターの本心。

嘘偽りなどなく、ただの無意識。

なのに、いやだからこそなのか。

 

「……そういうところ、どうにか成る前に治しておきなさい」

 

……ダメージがでかい。

素直な感情、まっすぐな想いがこうもじかにくるとなると。

嬉しさを通り越して、勘違いしそうになる。

いやなのに……悪くないと思うから、一層やだ。

でも絶対、他の奴にも言う。

むしろコイツの今後が心配だと、ジャンヌは頬を隠しながらつぶやいた。

 

「そういうところって、どんなところ?」

 

ほら見ろ、完全に無自覚。

きょとんとした顔に頭痛を覚えたが……ここで誰かが言わないと、絶対痛い目に遭うのは目に見える。

清姫とか、静謐とか。

やれやれと肩を竦めながら、仕方がないからジャンヌは口にしてやる。

 

――告白みたいに聞こえると、はっきり。

 

「アンタ無意識だろうけど、そういうのって勘違いされやすいだろうからやめなさい。恋仲でもない相手に、どうかと思うわよ」

 

……まずいな、まともに顔が見れない。

でもしっかりと言ってやった。

これならばさっきよりは響くはず。

このあとマスターは「それもそうかもしれない。気を付けるよ」と微笑むだろう。

その返答を聞いたらおしまい、解散だ。

 

……なのに、なぜか静かになった。

 

無音の時が続く。

何があったのか、いつも通りに笑って返せばいいだけだろうに。

 

おそるおそる、彼女は目をやる。

何も言わぬマスターのことを。

いったいどうしたのだと、不安に思いながら……。

 

 

――真っ赤だった。

 

一部の隙間もなく、朱色。

もともとマスターは血色がよい。

だが今の彼の顔は……それこそゆでられたタコのように赤く染まっていた。

 

「……好きな、ひと」

 

あえぐように、少年はつぶやく。

少女のことを、真っすぐに見ながら。

 

「……え。いや、ちょちょっと待って。待ってタイム、確かに、そうかもしれないけど……待った待ったタイム……」

 

支離滅裂に音を吐きながら、手を口元にあてる。

頬には汗が流れ、目は泳ぎ湯気まで登り始める。

完全に出来上がってる状態に、さすがのジャンヌも焦る。

「アンタ大丈夫!?」と近寄って肩を持つ、

すると少年はうるんだ瞳でジャンヌを見た。

泣き出しそうな光と赤い頬。

それはまるで、恥じらう乙女のようなたまらなさを纏っていて……どきりと、ジャンヌの心臓が高鳴る。

 

「……マス、ター。貴方……」

 

かすれる声。

自分の鼓動の方がはるかに忙しなくて、かき消される。

辛うじて動く唇を動かす。

喉の震えが声になる、その直前。

 

「――ごめんっ!今日はその……帰るっ!」

 

――脱兎の如く、マスターは走り出した。

悲鳴のような声、今までよりはるかの速さで離脱する。

……自らの熱だけを、わずかに残していって。

 

「……冗談でしょ?」

 

呻くように、ジャンヌは一人つぶやいた。

マスターの見せたあの初々しい反応。

それはまさに……いつかの己の姿を連想させられるものであって。

 

「……なんてこと」

 

言いながら彼女は自らの身体を抱いた。

熱く、熱く染まってしまった己が体を。

心の底に沈めていた感情があふれ出しそうになって、ひたすらに抑えながら。

でも、どうしても耐えられなかった。

愚かしいが、ある意味それは人間の性。

わかっていたのに、そんな希望は蒙昧に消えるというのに……止められない。

 

――熱した頬が緩んでしまう、その嬉しさを抱きながら。

 

彼女はまた、鍵の緩んだ籠の中で夜を越える。

 

 

 



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魔女は迷いて、鳥籠に死ぬ3

グランド―ダー二次創作。
まだ好きになる前のぐだ邪ンです。時間軸は贋作の後。
三話目です。
改めて、よろしくお願いします!


 

「……眠い」

 

――どんよりとした空気を纏って。

彼はよたよたと、おぼつかない足取りで廊下を歩く。

その目元には、大きくて黒いクマが出来ていて、一目で寝不足なのだと推察できる。

 

……寝不足にもなるさ。

あんな熱を、知ってしまったいまならば……。

 

――彼女の白い肌はまるで雪のようで。

棚引く髪は絹糸のように細く滑らかに揺れる。

黄金色の双眸、その光は琥珀を越える煌めきと透明を以て。

纏う漆黒は、これ以上ない耽美なる香りを漂わせる。

 

全てが、瞬く間に変わってしまった。

何気なく見つめていた光景、普通だと思ってしまっていた少女が、鮮やかに色に満ちゆく。

たった一つの言葉を耳にしてしまっただけで。

 

――好きな人。

 

何気なく語られた一言。

言われるまでその可能性にすら至れなかった。

……恥ずかしい話だが今までの人生、そんな経験とは皆無の場所に生きていた。

それがどんな感情なのか、どんな思いなのか、まるで知らない。

けれど……確かに違うのだ。

 

マシュに抱く親愛とも違って。

ダ・ヴィンチちゃんに預ける信頼とも異なって。

ドクターに向ける敬愛とも、同じではない。

 

だってマシュと話すときは、胸が高鳴らない。

ダ・ヴィンチちゃん近くにいても、頬は熱くならない。

ドクター目を合わせたって、見惚れるようなことはない。

 

全てが初めての、鼓動と熱と……滲むような、甘さ。

小説や漫画でしか知らなかった、でも確かに感じ取れる、これは切なさ。

この感情に名前を付けるならば、それは間違いなく――。

 

「……流石に、唐突過ぎる」

 

かぶり振りながら、マスターはつぶやく。

……確かに、少年にとってジャンヌの存在は特別だと言うのは事実だろう。

でもそれを『恋』と断言するには、漠然とし過ぎている。

そもそもジャンヌを好きなった瞬間はいつだ。

何が他と違った?何がそんなに惹き付けた?

頭を捻り考えてみても……脳裏によぎる彼女の姿に、少年は一層頬を染めるだけ。

一夜寝ずに過ごしてもこの始末。

加えて腹もぎゅるぎゅると空腹を訴えだしてくるのだから……本、我が身の情けなさに涙が出てきそうだ。

 

「……今日どうしよう」

 

……昨日の宣言通りなら、今度は夕食を持って尋ねに行くという結論に至る。

だがしかし、あんな風に逃げ出してしまった後だ。

気まずさが残るし、正直またあんなことになるんじゃないかとすくんでしまって乗り気には慣れない。

が……そのことについて謝らないと言うのも、失礼極まりないとよくよく自覚している。

 

「……せめて昨日みたいなことだけはしないでくれよ、オレ」

 

言いながらこれっぽちも信じ切れない自身に嘆息して、マスターは食堂に入る。

夜更かしのせいで、マスターが食堂に来た時間は普段よりも一時間ほど早い。

そのせいか人も少なく、部屋の隅まで見渡せるほど閑散としている。

並ぶのが常だった配膳もすんなりと通り、余裕をもって席に座れる。

 

……たまにはこういう早起きもいいかもしれない。

 

そんなささやかな幸せに彼は笑みを浮かべて割り箸をぱきりと二つに割いた。

 

「――おはよう」

 

傍らから聞こえてきた挨拶。

何も考えず一番座りやすい席に来たと思ったらどうやら先客がいたようで。

おはようございますと笑顔で少年も返して――そしてその微笑みを貼り付けたまま永久凍土と化す。

 

――真っ黒な鎧。

平常時であろうとその身を鋼につつみ剣を携える少女。

彼女はマスターの一席開いた場所に出して、白いカップに注がれたコーヒーに口を付ける。

かつんとわずかに音を立てて、ソーサーの上にカップが置かれる。

そして金色の目は硬直したマスターに向けられて、「どうかしましたか?」と少女は首を傾げる。

 

「……いや全然。どうもしてないです」

 

縺れながらも辛うじて答えらると、彼女は「そうですか」とあっさり頷いた。

 

……正直、全然大丈夫じゃない。

だってそうだろう、予想できるか。

彼の隣に座るはまごうことなく竜の魔女――ジャンヌ・オルタその人。

マスターの頭を悩ませる本人との、早すぎる再会であった。

 

■ ■ ■

 

「……朝早いんだね」

「ええ、そうですね」

「……いつもこの時間にくるの?」

「そうですね」

「……コーヒーだけで、足りる?」

「そもそも食事の必要がありませんから。これは単なる目覚ましです」

 

そっかとマスターは頷く。

……気まずいとか、そういうレベルじゃない。

投げかけた言葉が、全部空ぶってゆく感覚。

まるで手応えがない、壁と話しているような虚しさ。

勿論朝食の味なんてわからないし、飲み込むのがやっと。

 

――無関心。

完全に、ジャンヌはマスターへの興味がない様子だった。

 

……それもそうか。

多少強引でしつこい誘い方をしていた、という自覚は大いにある。

数をこなしていれば、

怒られた時も、当然の反応だと納得していた。

それに加えて勝手に真っ赤になって勝手に退場。

 

呆れられても文句は言えない。

……嫌われても、何も言えない。

 

「……それじゃ。先に失礼するわ」

 

いつのまにか空になってしまったコーヒーカップを持って、少女は立ち上がる。

その背中に思わず彼は「ちょっと待って!」とマスターは声をかけてしまう。

ぴたりと、少女の動きが止まった。

振り返った彼女の瞳は虚ろで深くて、ぞくりと背筋が震える。

 

「……何?」

 

そう小さく尋ねられた時、マスターの声は詰まった。

……何を言えばいい、この瞳に対して。

何を言ったとしても、その深い闇に飲み込まれる気がする。

喉は絡み、目は泳ぎようやく口に出来たのは。

「……昨日はごめん」なんて、みすぼらしい台詞。

 

「昨日は、その……気が動転しちゃってて……言い訳しかできなくて、ごめん」

 

――言いながら、自分を殺したくなった。

どうしてそんな曖昧な言い方しかできないのか。

ごめんさいの一言すら、情けない。

それらは全部……自分の気持ちの整理すらできない、マスター自身の不甲斐のなさ。

 

俯いたまま彼は少女の返答を待つ。

呆れられて罵倒されるか、無視されるかどちらかか。

どっちにしても、また改めて謝りなおそうと少年は唇を噛みしめる。

 

「……心臓が早鐘を打つ。ただ見つめてるだけなのに」

 

――かつんと、足音がなる。

ソーサーを置き、少女は少年へと向き直る。

 

「見つめているだけなのに、顔は火照って汗が止まらない。どんどんと熱だけが増してゆく。甘さだけがにじみ出してゆく……」

 

少女は語る、謳うように。

少年は目を見開く、奏でられる彼女の調べに。

驚くのも無理はない。

何故なら少女が今噛んでる歌は……昨晩少年が少女に感じていた事象そのもなのだから。

 

「――ねぇマスター。それが何なのか、教えてほしい?」

 

漆黒は、そう無垢なる少年に語る。

……その問いかけは、言い知れぬ誘惑。

無意識のうちに、少年は首肯する。

すると黒は微笑む。

にっこりと、満足そうに。

微笑みながら、彼女は――その唇を、少年の口へと当てがった。

 

――焔を飲み込んでいるみたいだった。

焼けるように、口の中が熱さに満ちてゆく。

痛みさえ伴うのに……どうしてか、甘さが満ちる。

甘美は、空気に滲んでゆく。

早朝の人の少なさでなければ、その甘ったるさですぐにばれてしまっただろう。

舌を絡めた、二人の接吻を。

 

顔を離すと、マスターの顔は紅蓮に染まっていた。

燃える焔のように、けれど蕩けきった表情。」

吐きだした息は白く、行為の激しさを物語る。

 

「――溜まってるのよ。私なんかに飢えるぐらい見境なしに……けど、いいわ。私もちょうどよかった」

 

言うとジャンヌは頬を歪ませる。

それはまさしく……人を堕落させる魔女に相応しい笑み。

耳元に、吐息を吹きかけ、ソレは囁く。

 

「――昨日言った通り、今夜私の部屋に来なさい。そしたらちゃんと……相手をしてあげる」

 

またねと彼女は手を振って去ってゆく。

あっさりと、すぐに。

残ったのはマスターと、彼女が残した熱の痕。

 

……すいと、彼は唇を撫でる。

そして見つめる、湿った指。

 

「――そうか。やっと、わかった」

 

――その言葉は、誰に届くことはなく。

宙へと消えて、霧散した。

 

■ ■ ■

 

――嬉しかった。

 

貴方が同じ気持ちを抱いてくれて。

同じように悩んでくれて。

そしてそれが他でもない……私への『想い』になってくれて。

 

……本当は、それに応えたかった。

でも何度考えても、思いつかない。

思い描けなかった。

 

魔女と少年、二人が手を取ってゆく『幸せ』な未来というものが……どうしても。

 

……私は変われない。

魔女として、復讐者としてこの憎悪を忘れることなんてできない。

結果として訪れる未来は……貴方を巻き込んで、不幸にする現実だけ。

それは少し……嫌だ。

 

だから終わりにしましょう。

その芽生えた感情を摘み取るために。

もう二度と芽吹かぬように焼き尽くそう。

 

訪れる夜、それを貴方と越えたら最後。

 

――この『恋』は、ただの『行為』となり果てる。

 

 



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魔女は迷いて、鳥籠に死ぬ4

グランド―ダー二次創作。
まだ好きになる前のぐだ邪ンです。時間軸は贋作の後。全五話です。
四話目です。
改めて、よろしくお願いします!


 

――しんしんと降り注ぐ。

重力にならって、水滴たちは地を目指す。

けれどそれは垂直な流れではない。

最中、立ち尽くす彼女の肌に触れ合って、伝いながら滴り行く。

跳ねては消えて、弾けては消えて、染み込んで消える数多。

濡れて包まれゆく全身。

熱くもなければ、冷たくもない。

そんな感性に浸るほどの余裕なんて、今はない。

自らの心臓で脈打つ

 

……終わる。

 

すべてが終わる。

貴方が抱いた感情を、私が抱いてきた感情を、ただの『欲情』と変えてしまえば。

もう二度と、夢を見ることはない。

……貴方の隣で歩くなんて、馬鹿げた夢を。

 

ノズルを捻る。

激しかった雨も、その一動作だけでぴたりと止んだ。

ぴちゃりぴちゃりと水を引き連れて、バスルームから彼女は歩く。

一糸纏わぬまま、自らの部屋まで闊歩する。

けれどパチンと指を鳴らせば、その湿りは瞬く間に消えて、代わりにガシャガシャとかち鳴る鋼を身に纏う。

魔力で編まれたその漆黒の鎧は、いつも通りの固さと冷たい肌触り。

どうせまた脱ぐことにはなるだろうけど、それでもこの感触には安心させられる。

 

……上手く出来るかはわからない。

 

けれど下手で幻滅されるというのなら、それでいい。

何はともあれ、彼が離れてくれることこそが一番大事なのだから。

 

――優しい世界だった。

貴方に呼ばれて降り立った世界。

そこには想像以上のぬくもりがあって、私は笑うことを覚えた。

楽しいと、くれた私は素直に言えなかったけど……大切にしたいと思えた。

 

でも……だからこそだ。

大切にしたいと思うから、関わっちゃいけない。

理由は語るまでもない。

サーヴァントとマスター、この関係ならば、この距離ならばまだやれた。

 

だけど……。

 

『……好きな、ひと?』

 

そう言って頬を染めた彼。

焦りだす少年

逃げるように背を向けた、貴方。

 

……本当は嬉しかった。

口許が綻んでしまうほど、声が漏れてしまうほど。

恥ずかしさに、白い肌が真っ赤になってしまうぐらいに、嬉しかった。

でも駄目だ。

何故ならこの手は…貴方に触れるには、『朱』過ぎる。

――十分だ。

あんなにも優しい世界を、見つめることが出来た。

こんなにも優しい貴方に、ほんのひとときでも……『想い』を向けてもらえた。

そういう意味では、鍵を無くしたあの日に感謝をしてる。

でなければきっと、この部屋という鳥籠から出ることもなく、あんな一時すら、見ることはなかったのだから。

 

――こんこんと、扉がノックされる。

 

それはここ数日で聞きなれた音。

けれどわずかばかり、その響きはぎこちない。

 

……来ないかと思ったけど、来てくれた。

 

かつんと、深く踵を鳴らす。

力強く踏み出さなければ、倒れてしまいそうだったから。

一歩一歩確かめて、彼女は踏み出してゆく。

扉の前に立ったとき、一度大きく彼女は息を吸う。

この向こうに立つ彼が、どんな顔をしているのかはわからない。

けれど例えどんなに沈んだ顔をしていても……もう、迷いはしない。

 

そして少女は鍵を開く。

開かれる扉。

すべてを受け止める覚悟を持って。

その先にいるマスターを、迎え入れた……。

 

「――やっほージャンヌ。約束通り、今度は二人分の差し入れ持ってきた。出来立てだよ」

 

にかっとした微笑み。

白いビニール袋を掲げて、少年は自慢げに見せつけてくる。

……呆気にとられる。

けれど少年は呆けるジャンヌのことなんて気にもせず、マスターはずかずかと入り込んでビニールの中身を広げ始める。

 

「えっとね、とりあえず一品メニューだけどグラタン貰ってきたんだ。ただ蛯とほうれん草で味違うからどっちがいいか訊きたくてさ。ジャンヌはどっちがいい?」

 

言って差し出してきた二つの容器。

まだ湯気が立っていて、まだ暖かい。

少女はしばらくそれを見つめたあとに、少年へ視線を戻す。

それから彼女は指を伸ばして――。

 

「――ふざけるな」

 

そう言って彼の手首を握った。

ぎりぎりと、音が鳴るほど締め上げる。

痛みのせいか、それとも筋肉の反応の限界か、マスターは容器を取りこぼした。

 

「……昼間の話、忘れたとは言わせないわよ。分かっていてここに来たんでしょう?なら、私も貴方も求め合うことはたった一つ……しろ」

 

言って彼女は腕を引き、少年をそのままベットに引き倒す。

軋んで揺れる白い布。

倒れ込んだマスターの上に、そのまま少女は馬乗りになった。

 

「……強引だね」

 

見下ろしてくる金色に少年は苦笑する。

対してその闇は「嫌なら出ていけばいい」と答える。

 

「別に嫌ってわけじゃないさ……けど今は、なんか嫌なだけ」

「あらそうなの。でもやりはじめたら、案外いいかもしれないわよ」

「それもないと思う」

「何故?」

「そりゃあもちろん……そんな顔の君に抱かれたところで、強姦しているみたいで寝覚めが悪い」

 

……頬が強ばった。

胸の奥をつかれたような痛みが走る。

見上げてくる瞳はまっすぐな蒼。

反らしたいのに……反らせない。

 

「……昨日君に誘われた時、実は全然嬉しくなかったんだ。初めてのキスだっていうのにドキドキもしなかった。あれだけのことされたら、普通男の子って少しは喜ぶだろうに……むしろいつもより冷めてた。で、試しに考えてみたんだ?どんなときに、何をされたときに君に惹かれたんだろうって。考えて考えて……ようやくわかった」

 

いうと少年は手を伸ばす。

まっすぐジャンヌに向けて。

固まった魔女は、それを避けることは叶わない。

伸ばさた指先は頬へと触れる。

そして彼は微笑み、その頬を――くいっと引っ張ってやる。

 

「っ!?何をしゅんのよ!?」

 

たまらず声をあげるジャンヌ。

歪んだ口許のせいで情けない声しかあげられず、ほんのりと頬が染まる。

反対にマスターは朗らかに笑った。

そしてこうも語る。

 

――そうゆう顔の方が、百倍かわいい。

 

……言われたジャンヌは、言葉に詰まった。

 

「……君が笑うのが好きだった。ただ単に楽しそうに笑う姿が。何も縛られず幸せな君の姿が、もっと見たいって。最初は焦ったよ。これがどんな気持ちなのかってわからなくて……でも今ならわかるよ。やっとね」

 

――幸せそうな顔をしていた。

言葉を語る貴方は、夢を見るような顔をしていて。

聞いている私すら、幸せになってくる。

心地のよい音に、酔いそうになる。

 

「――ジャンヌ、オレはね。君のことが……」

 

わかる、その先の言葉が。

駄目なのに、抑えきれなくなる。

聞きたい、聞きたいと思ってしまう。

期待に少女の白い手が、真っ赤に染まるほどに。

 

――真っ赤な、手。

 

「……馬鹿か」

 

つぶやいた言葉は、まぎれもなくその白い唇。

そして向けられたのは貴方にではなく……『私自身』だ。

 

「……ジャンヌ?」

 

言葉を途中にして、マスターも異変に気付く。

見上げる空は、彼女で覆われてるはずなのに。

 

……ぽたりと、彼の頬は湿る。

 

「……マスター。ならアンタも味わってみなさいよ――この、地獄を」

 

……どういう意味だろうか。

首を傾げ、少年はその疑問を口に使用とする。

けれどその前に……少女の唇が、言葉をふさいだ。

昨日と同じキス。

けれど……脳裏に過る世界は、昨日を越えた。

 

 

■ ■ ■

 

 

――泣き叫ぶ老人がいる。

 

許しを乞い、膝まづく。

端から見れば、なんて哀れ。

 

私はその同情すべき姿を……手を振ってあぶり始める。

 

途端、絶叫が響く。

肉を焼く香りが漂う。

もがき苦しむ火だるま。

 

その姿を見て、その光景を見て、私は。

 

 

……タノシカッタトオモッタ。

 

タノシイ、タノシイタノシイタノシイ!

モットコロシタイモットイタブリタイモットシイタゲタイ!!

コノテイドジャタリナイ!モットアソバセロ!モットイケニエヲヨベ!

 

ワタシノゾウオヲナグサメルタメ二!!

 

……憎悪は再現なく続く。

人をひたすら焼いてゆく、なんて悪夢。

けれど……それがたまらない。

ああもっと生け贄を、もっと嗜虐を。

なのにもう焼ける相手がいない。

どうしようつまらない。

 

……ああ、そうだ。

仕方ないわ、ほかにいないんだもの。

この復讐をするには、これしかないから。

 

だから――貴方を殺してもいい、マスター?

 

 

■ ■ ■

 

「……貴方が嫌がろうと、関係ない」

 

……静かに、魔女は語る。

かつての魔女の回想。

それを見て青ざめたマスターに語りかける。

 

「――私は復讐者。役目を忘れることはない。そして実際に……楽しかったわよ。あの司教さまが焼けただれる瞬間なんて、もうたまらない……マスター。改めて訊くわ。貴方は……私が貴方を殺さないって、何を根拠に信じられるの?」

 

 

……この手は、白かった時なんてない。

いつだって血にまみれて赤かった。

なんて都合よく忘れていたことか。

彼も……彼女自身も。

 

「……ねぇマスター。キスをしましょうよ。もっと深く」

 

唇を落としてくる彼女。

静かに近づいてくる。

……胸のざわめきが激しさを増す。

それはどきどきなんて生易しいものじゃない。

ただの警告。

それはつまりこう語る。

――逃げろ。

 

「――それが正しいわ」

 

少女は語る。

胸に当たる少年の手に、目を落として。

押し退けようとしていた力は、少年すら無意識だった。

 

「……違う、ジャンヌこれはっ!!」

「けがわらしい」

 

――息が詰まる。

言葉を許さぬ拒絶。

見下ろしてくる目は無情。

おののく少年に、彼女は静かに告げる。

 

「――よらないでください」

 

 

――別れの挨拶を、彼女は告げる。

 

それは少年にとって、果てしなく重すぎて。

 

……最後の優しさだとも、気づけないままだった。

 



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魔女は迷いて、鳥籠に死ぬ5(終)

グランド―ダー二次創作。
まだ好きになる前のぐだ邪ンです。時間軸は贋作の後。
最終回です。
皆様本当にありがとうございました!
改めて、よろしくお願いします!


 

――ただ見つめる。

視線の先にあるものは、一つの白いカップとその中で揺れる黒。

気分が晴れるかと思って淹れてはみたが、結局一口も飲むことが出来ないまま。

水面はぬくもりを忘れ、もはや無表情な彼の顔を映すだけの鏡と化す。

ふと、彼は視線を傍らに向ける。

暗く広いこの食堂だが、非常灯のわずかばかりの光と少年以外の人がいないおかげか、遠く離れた時計の刻みもはっきりと見える。

時刻は零時を少し過ぎたばかり。

彼女の部屋を出てここにきてから、おおよそ三時間といった程度。

……まだ、たったの三時間前。

それとももう三時間前と言ったほうが適切か。

どっちかなと頭を捻って……すこぶるどうでもいいと思考を放棄した。

先ほどからずっとこんな感覚。

何かを考えようとして、途中どうでもよくなってやめる。

実感がわかない。

呼吸すら、あやふやに繰り返して。

まるで水の中に漂っているような不確か。

何もかもがおぼろげなのに……彼女の声だけが、ずっと鮮明に反響してる。

 

――けがらわしい。

 

そう言って見下ろしてきた目には何もなかった。

深い深い黄金、その深淵に果てはない。

同時に思い知らされる。

自分は彼女のことを……まだ何も、わかってはいなかったのだと。

 

……よらないでください。

 

その言葉が胸を貫いた。

深く、深く……深く。

吐きそうになる、そんな言葉を言わせた自分に。

殴りたくなる、そんな言葉を言わせた自分を。

 

……泣きたくなる。

 

あの震える背中に……何も、言ってやれなかった現実に。

 

「……ほんと、殺してやりたいな」

 

ぐしゃりと黒髪を握りつぶしながら、マスターは嗤う。

心の底からの侮蔑を内に向けて。

無力な自分に対する、殺意を募らせてゆく……。

 

「――それは、ちょっと困るな。今キミにいなくなられちゃうと……ボクの唯一のサボり友達がいなくなってしまうからね」

 

……その声は唐突に、マスターの耳元を流れてくる。

ちらりと、うつむいていたマスターは目を前へとむけると……その視界に入るのは、真っ白い皿に盛られたイチゴのショートケーキ一つと、もくもくと湯気の立つ新たなコーヒーカップ。

そしてそれらを飲み食す、二つの手袋だった。

 

「……幽霊みたいに出てくるんですね、貴方は」

 

つぶやくとその人は「まだ死んじゃいないよ」と苦笑する。

かつんかつんとフォークと皿の触れ合う音。

その人は「いやいいねー」と満足そうな声を上げる。

 

「深夜に食べるスイーツって、昼間に食べるときとワケが違うよ。加えて仕事上がり。よかったら、キミもどうだい?」

「……遠慮しておきます」

「そっか。残念」

 

断ると白衣の青年はあっさりと引く。

それからしばらく、彼はぱくぱくとささやかな贅沢を楽しんだ。

……沈黙が続く。

言葉の代わりに食器が鳴る。

暗い食堂で反響する、唯一の音。

共にいるけれど、互いに互いが孤立するこの最中。

 

――帰ろう。

 

ここにいても何の意味もない。

そう決めて、少年は椅子を引く。

 

「――ジャンヌ・オルタさんから連絡があったよ。しばらくの間、出撃は控えたいってさ」

 

ぴたりと、少年の指先が止まる。

ジャンヌ・オルタという名前、その響きに。

石造のように固まっていた彼だが……やがてくすりと頬を歪める。

そして語った。

当然ですね、と自嘲気味に。

 

「オレはジャンヌのこと全部わかっているつもりでいたのに……その実、何もわかってかった」

「……それは、彼女が竜の魔女だってことについてかい?」

 

ええと少年は頷く。

……思い出される、彼女の記憶。

覆いつくす紅蓮。

悲鳴にまみれる世界。

そしてそこで高笑う――彼女。

 

「……情けない話です。殺されても、文句が言えない」

 

これが人を好きになることだと、そう確信していた。

なのに、自分は怖くて逃げ出した。

好きだといった人を、恐怖した。

……この首を、いますぐねじ切ってしまいたい。

 

「……そうか。でもさっきも言ったとおりだ。キミに死なれると困る。キミ以外のマスターはほかにいないからね。たとえ代替えが見繕えても、ここにいるサーヴァントたちはキミだから従うんだ。キミが死んだら、もうどうにもならない」

「……わかっています」

「マシュもそうだ。もしキミがいなくなったら、すごく悲しむ」

「……わかっています」

「キミはキミだけのものじゃない――『カルデアのマスター』、キミはもう独りには戻れない」

「……言われなくても。わかっていますよそんなことは」

 

ぎりぎりと唇を噛みしめ、握ったこぶしが悲鳴を上げる。

……どうして今更そんなことを貴方に言われなきゃいけない。

そんな八つ当たりのまなざしを、マスターは向ける。

青年はカップに口をつけ「そうだね」と言葉を語る。

 

「……そしてキミが『そんなこと』と断言したことは――彼女だって、よくわかっている事実だろうね」

 

……息が詰まった。

言葉ともにことりとソーサーが置かれる。

少年を見る瞳は、引き締まっていて。

その輝きに、思わずたじろいだ。

 

「……キミが誰を好きになろうとそれは自由だ。けれどもし仮にだ、その相手が一国を貶める魔女だとしたらどうなる?ほかのサーヴァントにも、スタッフもどう思うかわからない。それはキミの自由じゃない。彼女を好きになった瞬間……キミの立場は、崩れ去るかもしれないんだ」

 

……昨日の敵は今日の友。

そんな言葉が通じる現実は少ないことは、嫌でも知っている。

怒りも嫌悪も悲しみも消えはしない。

踏みにじられたがゆえに、残り続ける。

 

「……変われたら確かに楽だったろう。でも彼女は変われない。復讐の魔女だからこそ、彼女はサーヴァントとして現界できる。憎み憎まれ続けるからこそ……『ジャンヌ・オルタ』はここにいられる」

 

……災厄の魔女。

それを自負していた彼女。

けれどもしも、彼女の存在で誰かが不幸になるとしたらどうなるだろうか?

ここにいるだけで憎まれる。

ここにいるだけで憎みたくなる相手がいるとしたら。

そして『そんなこと』で、迷惑をかけたくないと思ったなら。

 

――あの部屋の中で閉じこもることが、一番の平和につながるんじゃないのか。

だからずっと一人だった。

だから寒い夜の中で、彼女は体を抱いて眠っていた。

それは一人になりたかったからじゃない。

ただ自分のせいで……自分以外の誰かに、嫌な思いをさせたくなかったから。

 

――なんて、地獄。

 

こんな世界でただ一人、鮮やかな景色を眺めながら。

それはまさに鳥籠の中。

羽があるのに飛べず、さえずれるのに声は届かない。

うらやむだけで、朽ちるのを待ち続ける日々。

 

……自分なら、死にたくなる。

 

「……でも、彼女は還らなかった。この窒息しそうな鳥籠の中でも生き続けた。いやそもそも、こうなることはわかっていたんだから捕まる必要もなかったんだ――その理由は、今のキミならわかるんじゃないのかい?」

 

声音は柔らかい。

さっきまでの切り詰めた様子は消えた。

それはすべて、目の前にいる少年の表情を見てのこと。

 

――こらえる。

両手を握り合わせ目をきつく閉じて、なんとかこらえる。

でなければきっと……思いが、涙となってあふれ出してしまうから。

 

……オレだ。

守ってくれた、支えてくれた、かばい続けてくれた。

君を呼んだオレのために、その契約を果たすために。

たとえ言葉を交わすことが少なくても、オレを拒否し続けてでも。

確かにオレのために戦ってくれてた。

どこにいても、どこにいたって、ずっと。

 

――けがらわしい。よらないでください。

 

あの言葉の意味が、今ならわかる。

いつもの彼女なら、「寄るな」で済むはずだ。

「よらないでください」なんて『懇願』をするはずがない。

 

彼女が考えていた真意は、ただ一つ。

 

――血まみれの両手で触れれば、貴方を染める。

それは嫌だ、こんな赤に染めたくない。

こんな私と一緒にいて、傷つく貴方を見たくない。

いつだって笑ってほしい。

 

だからマスター……お願いします。

 

――けがらわしい『私』に、よらないでください。

 

 

「……ばっかやろうっ!」

 

 

声を張ると同時に、彼は走り出す。

それは自分に対して、そして彼女に対しての叫び。

けれど向かう先はただ一つ。

そこを目指して、少年は全力で腕を振る。

 

暗い食堂、あとに残されたのはただ白衣の彼ただ一人。

 

「……本当に、キミは突然だな」

 

楽しそうに笑う、一つに結わえた髪を揺らして。

……いろんなものを見てきた。

楽しいこと、悲しいこと。

あっという間の十年、だいたいのものは知ったから、これで十分だと思っていた。

けれど……ここにきて、彼らの紡ぐ物語の続きがあまりにも……恋しい。

 

「……難しいんだね、人生って」

 

名残惜しいなと肩をすくめて。

そして同時に……とても満足そうに、浪漫の人は口元を緩めるのだった。

 

 

■ ■ ■

 

――わからない。

 

そう、ジャンヌは心の中で唱える。

ベットの上に打ち捨てたわが身。

指先に力が入らなず、呆然と無機質な天井を眺める。

 

――わからない。

明日からどうやって生きていけばいいか。

……いや、わかっている。

考える必要はない。

私はこれからも……マスターのために戦うだけ。

マスターのあの様子からして、しばらくは会わないほうがいい。

彼にも整理する時間は必要だ。

でもきっと彼なら……割り切って、私を『サーヴァント』の一人として使ってくれるはず。

あれだけの特異点を駆け抜けてきたのだ。

そういう割り切りはできる人、だからこそ信頼してきた。

そして私はただ貴方に従う。

貴方に仇なすものを屠りましょう、貴方の歩む道を作りましょう。

貴方が羽を休めるときは……私は傍から離れましょう。

 

明るい世界にいてほしい。

私は陰から貴方を守る。

だからここに居続ける。

どこよりもずっとそばで、貴方を守れるから。

 

……おかしいわね。

すべてを憎んでいたはずなのに。

たかがマスター一人に、私はどうしてこうも捧げているのか。

……決まってる。

それはすべて、あの時からだ。

あの偽物に浸ってた世界で、貴方だけが唯一。

 

私のことを――『ジャンヌ・オルタ』としてみてくれた。

 

ただそれだけだ。

それだけで……私はここにいる。

 

「……まぁ、他にやることがないっていうのもあるかもね」

 

くすくすと、少女は笑う。

……少し、力が戻ってきた。

むくりと、力を込めて起き上がる。

そして改めて、この殺風景な己が領域を見渡す。

 

……ここは鳥籠というよりも、もはや檻と呼ぶにふさわしい。

私にとっては自由の利かない鉄の箱。

マスターにとっては、怖い猛獣をしまう安全装置。

それで構わない、それ以上を望むなんて、都合が良すぎる。

 

ただ……あおのときの、押し返された指の感触は、今でもこの胸にあって。

その時の彼の表情がほんの少し、ほんの少しだけ。

 

「……きっついわね」

 

滲んでしまう視界に、からからと笑いが漏れる。

……泣いたところで、誰が聞いてくれるわけでもないのに。

 

ばかだなぁと彼女が一人思う――その瞬間。

 

――バン!と大きな炸裂音が響く。

 

ジャンヌの体が跳ね上がるほど。

そして立ち込める白煙。

突如肺に流れ込んできたそれげほっげほとせき込んだがすぐに手を大きく横に薙いでその白い景色を晴らす。

煙の向こうから見えてくる景色。

そこには本来扉があるはずだったが……ない。

代わりにあったのは……大きな穴一つ。

周りにひびが入り、ぼろぼろと崩れている。

たまらず、ジャンヌの顎が落ちた。

 

「……やりすぎた」

 

咳き込みながら、開いた穴から一人の人物が顔を出す。

黒い髪と青い瞳。

白い上着に黒のズボン。

 

……ジャンヌが見間違えることなど、ありえない。

その姿は紛れもない……慄いて逃げてはずのマスターだった。

 

「……ちょっと貴方っ!何しに来たのよ!?」

 

言って詰め寄るジャンヌ。

しかしマスターはしらっとした感じで「ノックならしたよ」と答える。

 

「ひたすらたたき続けたけど返答ないからさ……仕方ないから、ドアごと吹き飛ばした」

「アンタ横暴!!」

「横暴で結構。お互い似たようなもんだろう……それでジャンヌ。改めて君に言いたいことがある」

 

澄んだ瞳が見下ろしてくる。

さっきまでみたいに朗らかな感じじゃない。

真剣な輝きに、少女は気圧される。

彼は一度深く息を吸い、その分吐き出す。

そして目の前に立ち少女に語る。

熱をのせて告げる。

 

――君が好きだと、ただ一言。

 

一瞬、彼女は呆けた顔になる。

だがすぐに頬をいやらしく歪め「とうとう気でも狂ったのかしら」と侮蔑を露にした。

 

「……さっき見せてあげたでしょう。私は変わらない。永遠に魔女。貴方のことだって、いつかも殺すかもしれないわよ。それとも、私が貴方を殺さない保証でもあって?」

「いや、そんなものは見つからなかったよ」

「ほらね。ならさっさと……」

「でも今こうしてオレは生きてる」

 

言うと彼女は口をつぐんだ。

そのまま少女は目をそらす。

構わず、マスターは言葉を続ける。

 

「殺せる機会なら、いくらでもあっただろう。でも君はそうしなかった。オレのことを助け続けてくれた……信用するには、十分な根拠だ」

「……どうかしらね。もしかしたら、気が変わるかも」

「そう都合よく変わられてたまるか」

「――なら試してみる?」

 

きんと震え声が上がる。

それは少女のかざした剣の声。

真っ黒い剣先が、マスターの首元に触れていた。

ついと、赤く濃い液が滴り始める。

 

「……あと少しずらせば、アンタを殺せる」

 

ぎらつく金色が見上げてくる。

それはキスをしようとした時と同じ光。

さっきは震えて仕方なかった眼光だ。

でも……なんでかな。

今となっては――強がってるのが、よくわかる。

好きにするといいとマスターは語った。

代わりに、その時は令呪で止めるとも。

 

「令呪だけじゃない。ほかのサーヴァントでも何でも、君が殺そうとしても必ず生き残ってやる……絶対殺されないからさ。だから今度は……オレを、信じてくれない?」

 

……よく、理解した。

信じられないんだ。

マスターよりも、ずっとずっと。

ジャンヌは自分のことを、全く信用してない。

自分がどれだけおぞましい存在になのか知ってるから。

いつどうなるかわからないから、だからマスターたちから離れようとした。

……なら、信じなければいい。

信じられないものを無理に信じ込む必要はない。

好きなようにふるまえ、好きなように生きて。

そのかわり君が間違えたときは……絶対に、オレが止めてる。

 

――その言葉は、少女の予想を上回っていたようで。

かたかたと、手の震えに呼応して剣が震え始めた。

 

「……たとえ、貴方が死ななくても。貴方の立場は死ぬ。こんな魔女を受け入れて、他の奴らがいい思いをするはずがない……」

「ならそれを超える結果を出そう。君を受け入れた分、それによって起こった負荷も全部飲み込んで、そのうえで君を信じてもらえるようにしよう……まずはスタッフさんたちの仕事とか肩代わりでもして、デスクワークのお手伝いでもしてみようかな。ほかのサーヴァントさんたちにもちゃんと話をする」

「……そこまでする、貴方に得がない」

「得ならあるさ。君のそばにいられる」

「まだ夢を見てるの!?私は魔女よ!貴方が思ってるみたいに『綺麗』なものじゃない!はなやかな『恋』でもしたいなら、他を――!!」

「その君が好きなんだっ!!」

 

……それは想いの熱。

大きく響く声は、あふれていて。

まっすぐに見つめてくる少年の目は……『本物』だった。

 

「……確かにオレが勝手だった。オレが思ってた理想を押し付けて、君を好きになってた……でも今は違う。オレが好きなのは……ずっと傍で守ってくれていた、やさしい『ジャンヌ・オルタ』だ」

 

――君は非道だ。

下劣で邪悪で、災厄を齎す魔女だ。

でも……それでも、君がオレにやさしくしてくれたのは紛れもない事実だ。

わが身を投げうって守ってくれた。

ずっとそばにいてくれた。

その痛む心遣いに、気づかないように振舞ってくれた。

そんな人のことを好きになるなというほうが、よっぽどひどい話だ。

 

――いまだから、わかる。

君のために、すべてを投げだしたい。

君のためにすべてを尽くしたい。

それら全部をささげるから……君のそばに、いたい。

 

この感情は何か。

この切なさは何か。

 

改めて語ろう。

この感情の、言の葉は……。

 

 

「――愛してる。ジャンヌ・オルタ……だからずっと、いっしょにいよう」

 

 

――微笑みは優しく、暖かく……そして幸せそうで。

心からの告白を、彼は捧げる。

他でもない、黒い少女に向けて。

 

「……なん、で」

 

……声が、うまく出ない。

熱くて、渇いて、舌が回らない。

視界が滲みすぎて前が見えない。

これじゃあ届かない。

今すぐにでも殴りたい。

だって止めどないんだ。

胸からあふれる、この感情が。

 

嬉しさが、溢れて止まなくて。

 

涙が、頬を濡らしてく。

 

「……バカよ、貴方」

 

こつんと、彼の胸板に頭をぶつける。

それを抱き抱えながら、マスターはそうだねと笑う。

 

肩を覆うそのぬくもりは、決して触れられないと思っていた貴方のぬくもり。

 

「……絶対に死なないで」

 

うん、と彼は頷く。

 

「……間違えたなら、容赦なく私を拒絶して」

 

うん、と彼は頷く。

 

「……本当に、いいのかな?」

 

最後に、少女は問う。

自分だけの力では届かない光に、手を伸ばしてもいいのかと。

 

すると少年は囁く。

 

君は一人じゃないと、笑いながら。

 

「――オレのこと、信じて」

 

……それは何より欲しかった言葉で。

少女の全てが溶けて行く魔法。

 

腕をつかんですがり付いて、少女は涙をこぼし始めた。

 

初めて誰かの前で流す、自分のための涙。

 

そしてずっと彼女は言い続ける。

 

――貴方が好きと、ずっと響く。

 

マスターは泣き止むまで、その背中をさすり続けた。

 

彼女は語ると同時に、彼も語り続ける。

 

――ありがとう。

 

■ ■ ■

 

 

「……しかし、見事なもんね」

 

ずずと鼻をすすりながらジャンヌは語る。

それは他でもない、くだけ散った扉の残骸に向けて。

するとマスターは面目ないと申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「その、返事がないから焦っちゃって……なにも考えずにごめんなさい」

「そうね。私せっかちな男は嫌いだから、もう少し節度は欲しいわねぇ」

 

さらにマスターのからだが小さくなる。

かわいい奴、とジャンヌは笑った。

それから少女は地に落ちた破片を手に取る。

 

……確かに、これじゃもう『鳥籠』には籠れない。

 

しかし、これじゃあ流石に此処で夜は越せない。

 

さてどうしたものか……?

 

「……悩む必要なんてある?」

 

耳元で囁く声。

それは少々悪戯っぽく。

……こうなってくると、破壊したのも作為的かと思えてくる。

だがまぁ……それでもいいか。

 

「……しょうがない。今夜も世話になるわよ、マスター」

「喜んで……ああ、だけど今日が君がベットに寝ること。また床で寝たら許さないからな」

「やれやれ。アンタこそ何を抜かしてんのよ」

 

するどぐいと少女はマスターの襟を引く。

こつんとぶつかり合う額と額。

黄金色が蒼色を見つめ合う。

 

それから少女は伝える。

その鈍感な頭の、優しい貴方に。

この熱と、鼓動を。

 

「――今夜は、絶対に寝かせないから」

 

 

そう楽しげに、魔女は微笑む。

 

――鳥籠にはもう戻れない。

 

それが良いか悪いかわからない。

もしかしたらおとなしくあの中で死んだ方がよかったかもしれない。

だけど、これだけは確かだ。

今、貴方に微笑んでる魔女は。

 

……とても、幸せな『いま』を生きている

 

 



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あなたが気になる皇女さま、貴方が気にする竜の魔女

グランドオーダー二次創作、ぐだ邪ン&カドアナです。
二部永久凍土帝国ネタバレあります。カドックくんが行動を共にし、ぐだ男がアナスタシアを再召喚したという設定です。
カドアナ成分おおめ、ぐだ邪ンはいつも通りです(説明放棄)

どうしてもぐだ邪ンで組み合わせたかったの、すまん。

拙い部分多々あるとは思いますが、
改めて、どうぞよろしくお願いします。


「――やっと見つけたわ、カドック」

 

そう、声が響く。

それははっきりと透き通っていて、よく鳴る音色。

なんてことないはずの自分の名前に、心地よさすら覚えてしまう。

音楽が奏でられたほうへ少年は振り向く。

その視線の先に見えたのは、かつんかつんと踵を鳴らし無機質な通路の向こうからやってくる『真っ白』な人影。

長い髪を揺らし、白いドレスを棚引かせて。

その胸に象徴たる人形を抱いた、一人の少女。

 

――キャスターのサーヴァント、アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァはゆっくりと歩みながらその少年、カドック・ゼムルプスを見つめていた

 

「……僕に何か用かい?キャスター」

 

淡々とした声は、特筆したものはなく凡庸そのもの。

二つの声を比べれば、少女のより彼の普通さの方が目立ってしまうぐらい。

けれど、そんなことはいつものことでもう慣れた。

……いや慣れていた、と言うべきか。

今の二人は、あの獣の国にいたころの二人ではない。

少年は破れながらも生き延びて、少女は死に絶えながらも再び顕現した。

今のアナスタシアの主は、他でもないあの黒髪の日本人。

同じ声同じ姿同じ魂でも……『違うひと』だ。

それでも、カドックの声はそのほかの人間たちにかけるものより幾分か柔らかい。

無表情なままだが、微かにぬくもりがある。

その些細さが、この少女に伝わるとは思いはしないが。

それでも叶うなら、変わらぬ敬意を払い続けたい。

忘れもしない『あの瞬間』を、想うがゆえに……。

 

カドックの問いかけに、アナスタシアはええと頷く。

するすると歩み、目前へと立った彼女。

深い蒼の瞳にカドックを映しながら、ただ一言「あなたに伝えたいことがあるの」と告げた。

 

「伝えたいこと?何だいそれは?」

 

首を傾げるカドック。

見た様子、それを伝えるためにわざわざ探していたようだ。

だが少女がそこまでするほどの内容に、思い当たるものはない。

 

「すぐに済むわ。だから聞いて――カドック」

 

かつんと、踵が高鳴って、少女の顔は迫る。

吐息がかかるほど、近く。

会話するには、度を越した距離。

 

「キャ、キャスター……?」

 

吐き出した自分の息が、少女に跳ね返って戻ってくる。

さしもカドックもたじろいだ。

なのに、白は変わらず白のままで。

 

「――私、前からあなたのことが」

 

唇が言葉を紡ぐ。

吊られて、心臓の鼓動が増す。

けれどもそれは普段のものとは違う『何か』。

カドックが今までに感じたことのない未知なるものだと直感的に思う。

そしてその予感はまさに的中する。

不安と……何かの期待が入り混じりながら。

少年はその音色を、確かに鼓膜に響かせる――。

 

 

「――とっても、エモいと思うわ」

 

「……は?」

 

――ほら、この通り。

皇女の口からこぼれた言葉はかつてないモノで。

 

少年を凍てつかせるのは……十分すぎる一言だった。

 

 

 

□ □ □

 

「……彼女に何を吹き込んだ?」

 

ぎろりとその目を光らせて、カドックはそう問うた。

相手は無論、目の前に腰かける少年。

黒髪に蒼い瞳。

身に纏うは全身を染め上げる漆黒の礼装。

唯一肌色をさらけ出された右手の甲には、赤く刻まれた魔力の紋章。

 

――人理修復者、カルデアのマスターは睨みを利かすカドックに対して「なんのことかな?」と首を傾げた。

 

「とぼけるな。君がキャスターに変なことを教えたのは知ってるんだぞ」

「変なことって言われてもな……とりあえずせっかく淹れたんだから、冷めないうちに飲んでよ」

 

ほら、と少年は手を差し出して湯気の立つカップへと示した。

ほんのりと甘くいい香りではあったが……そんなこと、今はどうでもいい。

 

「それよりも先に、君がキャスターに教えたあの奇々怪々な言語について教えろ」

「奇々怪々?魔術的な意味なやつ?そんなオカルト紛いな言葉なんて知らないし、何よりオレが魔術に関して無知蒙昧だってため息ついてたのは、他でもないカドックくんでしょ」

「いやそうじゃない。魔術的な方じゃなくて、その……とにかく様子が変なんだ!言ってる意味の大半が理解できない……」

 

頭を押さえ、苦虫を噛んだような表情を浮かべる青年。

……よほど本人のキャパシティを越える内容であったらしい。

好奇心を刺激され、マスターは「例えばどんなの?」と尋ねる。

カドックは「おとといの話だ……」とまるで罪を告白する咎人のように語りだした

 

「夕食を一人で摂ってたら、キャスターが同席してきたんだ。最初は何もなかったんだけどキャスターの奴、唐突に食べていたパンを僕に見せてこういったんだ――『このパン、チョベリグおいしい』って」

 

「……はい?」

 

ぱっちりと、マスターは目を大きく見開いた。

呆気にとられるその反応に、カドックは「僕もそうなったさ……」と口元を抑えながらつぶやく。

 

「けどそれだけじゃない。本を読んでいると突然『まじ尊い』だの『キレそう』だのつぶやき出したりするんだ。あとはなんだ?まじま、ま、ま……」

「まじ卍」

「それだ!やはり吹き込んだのは君だったんだな……」

「いやそれは違うんだけど……まぁこういうのって日本語ならではだよね」

 

ふぅと、少年はため息をつく。

それからすごい目力を与えてくる青年に対し、ゆっくりと説明をし始めた。

 

「……今カドックくんが言ってるのは、いわゆる流行語ってやつだよ。主に日本とかで中学生とか高校生とかが使ってる略語みたいなもの。例えばの話だけど、さっきのアナスタシアさんの『キレそう』とかは『この本すごく面白くて、むしろ怒りたくなってきた』って意味」

「面白い内容で怒られるとか理不尽じゃないか、それ」

「まさしくその通りなんですが……他にも『ちょべりぐ』は『超ベリーグッド』の略。逆に『超ベリーバット』で『ちょべりば』もある」

「……よくわからないが、とりあえず君のせいで間違いないんだな?」

「だからそお結論を急かないで……確かに同じ日本人だけど、オレはこういうのにはむしろ疎い方なの。それにだ……流石に、オレもそこまで怖いもの知らずじゃない」

 

目の前に腕を組んで仁王立つ保護者を見上げながら、マスターはそう言った。

対してカドックは「なら誰なんだ?」ときつい声音のまま。

 

……ほんと、可愛いことだ。

 

「こういう関連に詳しいサーヴァントなら適任がいるんだけど生憎まだ再召喚が出来てない。それに彼女に比べたら、教えてる言葉の年代もバラバラで適当で、まるでネットからかき集めたみたいな付け焼刃。となると、そんなおバカで可愛い犯人さんはたった一人しかいない……とゆうかそもそも、アナスタシアさん以外に現界させているサーヴァントなんて、一人しかいないんだけどね」

「……あの竜の魔女か」

「そう……うちの可愛い、竜の魔女さんだよ」

 

くすりと、本当に自慢そうに。

 

黒髪の魔術師もどきは、そう微笑んだ。

 

 

□ □ □

 

「――とゆうわけで。単刀直入で聞くけど、アナスタシアさんにいろいろ教え込んだのは君かい、ジャンヌ」

「ええ、そうよ。何か問題あって?」

 

大ありだよ、とマスターは肩を竦めた。

 

「君がそういうこと教えたせいで、代わりにオレがカドックくんに怒られちゃったんだからね」

「あら。マスターなんだからサーヴァントのことも責任を負ってくれるのではなくて?」

「生憎そんなプライベートまでは背負えません……とゆうわけでカドックくん、原因この子だったよ。存分に叱ってやってくれ」

「……いや。それはそう、なんだが……」

 

言い淀むカドック。

その戸惑いは、今彼が目にしている光景からのもの。

眼前に立つは、あのフランスを貶めるために生まれた聖処女のコピー。

邪竜ファヴニールを従え、災厄をまき散らした竜の魔女。

反転のサーヴァント、ジャンヌ・ダルク・オルタがそこにいた。

……いたの、だが。

 

「――叱るの何も、私そんなに悪いことしてないわよ」

 

そう口を尖らせながら、ぼさぼさに乱れた頭を少女は掻く。

……上と下、へその辺りの一本線で分割された上着とズボンは伸縮自在の素材。

着ているもの快適さと容易さを重視するあまり。だらしなさを前面に推し出した真っ黒な衣。

――ジャージと呼ばれる服装に身を包に、自らの部屋の扉にぐでんともたれかかるその少女は……どう見ても、『魔女』なんて言葉からは程遠かった。

「てゆうかさ。最近君食べ過ぎだと思うんだよ、色々。この前だって隠れて食糧庫に間食漁りに行ってたでしょ?」

「ええ。でも特に問題ないはずよ。基本、貴方の分の食量しか減らしてないから」

「いや大問題だよそれ」

 

しかし、カルデアのマスターは特に気にした様子もなく、ジャージ姿のだらしない魔女と普通の会話をしてる。

呆気にとられるカドックだったが、そんな彼の背後から、また新たに声が聞こえる。

 

「――ジャンヌさん。先日お借りしていたモノを返しに参ったのですが……」

「キャスター!君いつの間に……え?」

 

聞こえた声は間違いなく彼女のもの。

けれど振り返ったカドックは……さらに、衝撃的なものを目にする。

 

――白だった。

ジャンヌ・オルタとは正反対。

全くの別色。

けれど色違いなだけで……あとは、ぴったりとおそろいだった。

だぽだぽの裾と袖、少し大きめであるが故に口元は襟下に完全に埋まってしまっている。

右手には人形、左手に正方形の薄い板。

日常的な、あまりに凡庸な姿は今までのカドックの記憶には存在しないもの。

だけど……その髪と目の輝きは、紛れもなく彼女の光。

 

――アナスタシアは、そのてろんと伸びた衣装に身を包み、カドックを見つめ返していた。

少女にとっても、カドックとの出会いは予想外だったようで呆然自失の御様子。

けれどだんだんと、わずかに覗き見える雪のほっぺたに朱色が滲み始める。

 

「――っつ!また改めてお尋ねしますっ!」

 

完全に赤に染まる前に、弾けたように少女は走り出した。

逃げるように、通路の向こうへと。

 

「キャスター!」

 

反射的に、カドックその背中を追う。

マスターもそれに倣おうとしたが「アンタはここにいなさい」と背後から伸び腕に首を締め上げられて頓挫する。

 

「ちょ!ジャンヌ、首が締まる、まじでそれはダメだって……」

「大げさねぇ……貴方が行ったんじゃ、ただの邪魔者でしょ。いい機会なんだから、二人きりにしてやんなさい」

「……えらく親切じゃないか、今日の君」

「一体繋ぎとめてるだけでバカ食いされてるくせに、二体分の魔力を意地でも賄い続けてる奴ほどじゃないわよ」

「……君が鎧姿じゃない理由はそれか」

 

さぁどうかしら、とジャンヌは笑う。

少年を締め上げていた腕に、もう力はない。

背中にかかる体重は驚くほど軽いけど……完全に脱力しきってるのだというのは、よく感じ取れた。

 

「……服とか力とかいろいろ削り落としてるけど、やっぱりきついものはきついわ……恨むわよ」

「……ごめん。でもどうしても、彼に会わせてあげたかったんだ。自己満足っていうのは、わかってるんだけど」

「勘違いしてるみたいだから言うけど、私が恨んでるのはあの娘を現界させ続けてることじゃなくてアンタの貧弱な魔力量の話をしてるだけだから」

「辛辣だなぁもう……」

 

苦笑するマスター。

そして彼は向きを変え、もたれかかるジャンヌをその胸に抱きとめる。

すぐ下に見える白い頭を。ゆっくりと少年は撫でる。

 

「……いろいろ教えてあげたのって、彼女のため?」

 

尋ねると、ええそうよとジャンヌは頷いた。

 

「……あの子、いきなり私のところ来たと思ったら『現代の方々のスキンシップの取り方を教えてください』なんて言ってきたのよ。まったくもう……可愛かったわよ、ほんと」

「確かにそりゃあ可愛い……けどカドックくんにはあんまり意味なかったかもなぁ」

「知るか。どうせ答えは決まってるんだから、どうやっても問題ないでしょうが」

じれったいのよ、と頬を膨らませる。

……口は悪いが、だいぶお気に入りであるようだ。

確かにジャンヌが好きな美男美女こんびだけれども……きっと彼女なりの、想うところもあったのだろう。

――しかしまぁ、これだけは尋ねておかないと。

 

「――さっき言ってた『スキンシップ』の方法だけどさ。誰に教わったんだい?」

「……鈴鹿よ。そういう方法ない?って聞いたら、嬉々として教えてくれたわ。けどあの子フィーリングでどうにかしてとか言うし、めちゃくちゃよ」

「へぇそう……それでだ。その『スキンシップ』、いったいどこの現代人ととるつもりだったのかな?」

「……訊かなくてもわかることを訊くバカは嫌い」

 

……ほんのすこしだけ、胸の中の温度が上がった気がする。

気のせいかもしれないけど、なんだか嬉しくなってマスターは一層少女を抱きしめた。

そして、すっとその頭に唇を落としながらマスターは言った。

 

「……君って本当に、『ちょべりぐ』だ」

「……そういう貴方は、『ちょべりば』よ」

 

そうですか、と微笑みながらマスターは拗ねる彼女の髪を撫でる。

一回、一回と、丁寧に。

変わらぬその感触、その温度の再会に……心からの感謝を込めて。

 

 

 

□ □ □

 

――走る。

狭い通路を走る。

追いかけるは白い背中の少女。

すぐに追いつけると思っていたが、これがなかなか追いつかない。

元から運動が得意なわけじゃない、だからすぐに意気があがった。

すべてが凡庸、普通、平凡。

でも……お願いだから、今は届いてくれと手を伸ばした。

これ以上の『特別』なんて求めない。

世界を変える力がないなら、それでいい。

だからせめて……もう彼女を、取りこぼさせないでほしい。

失われる重さ、薄れてゆく肌、濁ってゆく瞳。

彼女だったものが、跡形もなく消えてゆくあの光景。

 

『……本当に……かわいい……人……』

 

……あんな笑顔、もう二度と見たくない。

できるはずだったなんて、もう言うもんか。

だから、だからだから――!

 

そんな思いと共に、カドックは手を伸ばす。

自分の全霊を持って、悲鳴を上げる体を震わせて。

 

そしてその結果――その指は、少女の左手を掴んだ。

急停止する少女、握っていた本は地面へと打ち捨てられる。

 

アナスタシアはその手を振りほどこうとしない。

互いずっと、荒い息を吐き続けている。

 

「……すまない。ただ、少しだけ……話を、聞いてくれないか……?」

 

そう絶え絶えに、カドックは語る。

うつむく彼は、その時地面に打ち捨てられた正方形が視界に入れる。

 

「これは……?」

 

プラスチック製のケース、拾い上げて表を見てみる。

それは、いわゆる音楽ディスクのケース。

パッケージを見る限り、その音楽ジャンルは――。

 

「……ロックが、好きなのでしょう?」

 

響く声に、カドックは顔を上げる。

少女は変わらず前を向いたままこちらを見ようとしない。

けれど握りしめた指先は、思っていたよりも熱いもので。

 

「……いろいろと、探してみました。あなたが好きそうなもの、あなた喜びそうな話題、あなたが楽しんでくれそうな話し方……けれど、やはり難しいですね」

「……どうして、そこまでしてくれるんだ?」

 

カドックは尋ねる。

――ここにいる彼女に、あの時の『記憶』はない。

カドックに対して、そこまでする義理も縁もないはず。

ならば何故……?

 

そう尋ねると、皇女はくすりと笑う。

 

そしてこう答える。

はっきりと、確かに。

マスターに告げる。

 

「――私と話すあなたはいつも……痛そうな、顔をなさるから」

 

――息を飲む。

 

それは予想外――ではなかったから。

彼女と……『彼女』に似た彼女を見るたびにいつも心の奥底で。

 

――見えない棘の痛みを、感じていたから。

 

「……なるべく、あなたにとって好ましい人間になろうと思ったのですが……上手く、いかないわ」

 

……そうじゃない。

悪いのは彼女じゃない。

悪いのは他でもない、過去を引きずって今を見ようとしない……僕だ。

君が肩を落とす必要なんてない。

君が悩む道理なんてない。

新しい君には、僕なんて気にしないで……笑ってほしかったのに。

 

――変わってない。

僕はまだ、君に守られたままだ。

 

「……しょうもない戯言でした。お聞かせして申し訳ありません。今後は、お会いするのは控えるようにします。それでは……」

 

「――アナスタシア」

 

――その名を、口にした。

ここにきてからずっと、呼ばなかった名前。

……同じで、違う名前。

 

「……君と似た人を知ってる。君と同じ声、同じ姿、同じ名前……でも、別人だ」

 

遠ざかろうとする手を引き寄せながら、カドックは語り始める。

一切の嘘はなく、ごまかしもなく。

ただ正直な、彼の心を。

 

「……その人は、僕を信じてくれた。結果なんてない、力なんてない、何もない僕を……『マスター』と、呼んでくれたんだ」

 

――認めてくれた。

信じてくれた。

並んでくれた。

それはカドックにとって最高の喜びで、何よりもほしかったもので。

 

……なのに、自分力の無さで、すべてを失った。

今でも、あのマスターを殺したいと思うときはある、

未熟なマスター、自分以下を初めて知った。

評価は変わらない、この先も、あの少年は少年のまま。

 

でも……それでも、思い留まる理由があるとするならば。

 

「…君と彼女は違う。わかってる。わかってる。わかってる……けど、それでもそうだとしても……『守りたかった』んだ」

 

――あの時、できなかったことを。

 

かばうべき君を、かばえなかった後悔を。

『君』に似た君を守ることで、満たそうとしていた。

 

……なんて、勝手なこと。

 

「……これだけは、わかってほしい。君は何も悪くない、悪いのは、君を自己満足に使おうとした僕だ……だからもう、そんなことはしなくて、いい……」

 

言いて頭を下げるカドック。

その行為にはたしてどれほどの価値があるかわからないけど。

それでもと、少年は頭を垂れる。

……沈黙が続く。

 

さげすまれたのか、怒りか。

どちらにせよ、すべてを受け入れよう。

それは自分が負うべき咎なのだから。

 

「――バカな、ひと」

 

ため息共に、少女はつぶやく。

当然だ。

かつんと靴が高鳴り、握っていた手は振り払われる。

……当然だ。

 

「……顔を上げなさい。カドック・ゼムルプス」

 

そう、頭の上から声が降ってくる。

……殴られるかな。

想いながら、言われた通りに、少年は体を起こす。

視界に、白い少女を収める――その時。

 

むにっ、と。

 

その白い両頬は、小さく細い指がつまみ上げた。

 

「ひゃあ!?」

あまりにも突然。

情けない声を上げるカドック。

それに対し、つまみ上げた当人は「かわいい声ね」と微笑んだ。

 

「……私が申し訳なく思って、あなたに気遣っているですって?それは違うわ」

 

むにむにと頬をつまみながら、アナスタシアは語る。

少年は成されるがまま、その蹂躙を受け入れる。

 

「もしあなたを真に思うなら、私はすぐにここから消えるべきでした。なのに、そうはしなかった。難しくて、面倒で、それでも私が続けた理由はたった一つ――単純に、あなたに好かれたかっただけよ、カドック」

 

……そう微笑む君は、とてもやわらかくて。

 

――とても、綺麗だった。

 

息すら、忘れてしまうほどに。

 

「鏡でよく顔をご覧なさい。とってもかわいい顔をしているのよ、あなた。これで好きにならない人間はいないわ。もしくは単に好みだったのか……過去の私なんて関係ないわ。ただ一つだけ、お願いしたいことがあるだけ……」

 

言って彼女は、その手を差し出す。

白く細い手。

雪のように冷たくて。光のようにまぶしい手を差し出して。

 

彼女は言った。

その願いを、ただ一つの望みを。

 

 

 

「――はじめまして、カドック・ゼムルプス。今後とも……仲良くしてくださるかしら?」

 

――ああ、まったく。

結局、こうなるのか。

そうやって君は微笑んでまた。

 

……僕を、救ってくんだな。

 

「……かなわないな」

 

思わず声にこぼれる。

尚更、勝たせてやりたかったと思う。

けど……もう、それはおしまいだ。

今の自分が為すべきこと。

今の『君』と昔の『君』が信じてくれた僕にできることは。

 

 

「――よろこんで。こちらこそよろしく、アナスタシア」

 

 

――そう、君に微笑んで、手を取ることだけ。

伝わりあう熱に、二人は笑う。

それは確かな証。

……離さないと決めた、誓いだから。

 

「……そういえば、さっきはどうして逃げたんだ?」

「……流石に、この格好は恥ずかしいわ」

 

言って少女は我が身を抱く。

……恥ずかしさに頬を染める仕草は、なんとも言い難いものがあって。

思わず、頬が緩んでしまう。

 

「……でも、割り切ることにしたわ。実際に楽よ、カドックもおそろいにしましょう」

「いや、僕はちょっと……」

「私とおそろいが嫌なの?」

「そうではなく……あ、そうだ。さっきのCD。どうだった?感想を教えてくれよ」

「エモかったわ」

「それ僕にも言ってたけど、どういう意味なんだい?」

「ふふふ、ならジャンヌさんに聞きに行きましょう……楽しみだわ、聞いた時のあなたの顔」

「……覚悟しておこう」

 

そう顔を引き締めるカドックと、ころころと笑うアナスタシア。

二人は歩く、手をつないで。

例え、この先どんな寒さに震えようとも。

決して、止まることなく進もう。その熱を抱いて二人は。

 

――今度こそ、共に生きてゆく。

 

 

 



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柔くて温い味

前回のカドアナ&ぐだ邪ンの後日談とそのサイドストーリーになります。
どうぞよろしくお願い致します!


柔くて温い味

 

「――エモい。エモいか……いったいなんの略称なんだ……?」

 

首をひねり続けるカドック。

真剣に悩み続ける姿はなんともいじらしいものがあって、アナスタシアはくすりと笑う。

並んで歩く二人は、そうして元いたジャンヌ・オルタの部屋へと戻る。

 

こんこんとノックをしてみる。

が、応答はない。

 

「……留守か?」

「でしたら合鍵を頂いてますので、CD だけ置いておきましょう」

「……結構、仲いいんだな」

「マブダチよ」

 

きりりと決め顔で語るはジャージ姿の皇女さま。

……果たして彼女に親しい仲間出来たことに喜ぶべきか、むしろ止めるべきなのか、今のカドックには断言できなかった。

 

カードを通せば、鉄の扉はかしゅんと一瞬で開く。

そして、その部屋の光景を瞬時に顕にするのだ……。

 

「……あ、やばい」

 

――そう漏れでた声は、マスターのもの。

いないと思われた部屋の主であるジャンヌ・オルタも、同じく額に汗を流している

青ざめた顔、何に怯えたものかと言えばそれは勿論……彼らの、体勢によるものだ。

 

……二人は、ベットにいた。

横たわるジャンヌに、のし掛かるマスター。

そして互いに、相手の胸元に指をかけていてーー。

 

 

ばちんっ!

 

そう大きな音を奏でて、カドックは扉を閉めた。

横開きの自動ドアを、手動で。

 

ぜぇぜぇと、肩で息をしながら、マスター以上に青ざめた顔で。

 

「カドック。今のは……?」

「……何も見てない。それでいいね、アナスタシア」

「……ダー」

 

アナスタシアはうなずく。

真剣な面構えのカドックを前にして、否定などありえない。

すると同時に、カドックが持っていた端末がコール音を告げる。

 

ポケットからとりだしボタンを押すと、カドックはそれを耳につける。

すると端末を通して『ほんとすみません……』というか細い声が聞こえてくる。

 

「……別に構わないが、時間はわきまえた方がいいぞ。まだ昼時だからな?」

『いやその、まだ唾液による魔力供給しかしてないからセーフ……』

「まだ?」

『……以後気を付けます』

「そうしてくれ」

 

電話を切ったのち、カドックは目頭をつまんでため息をつく。

 

……仲がいいのはいいんだがな、まったく。

 

「……魔力供給、ね」

 

ぽつりと呟く。

とたん、びくんとカドックは両肩を震わせた。

 

「アナスタシアっ!今のは、特にだな……」

 

聞かれたと思い、慌ててとりつくろうとする。

けれど少女は「わかっています」と微笑した。

 

「何も聞かないわ……ただ、一つ思ったの。そういう言い方をすれば、私は知ることができたのかしら?ーー貴方の、その柔らかな味わいを」

 

伸ばされた指は、うすっらと少年の唇を撫でた。

そして、ただそれだけの動作なのに。

 

……少年の頬は、瞬く間に熱を帯びる。

 

 

「……からわかないでくれ」

 

言いながら口元をぬぐい、顔を反らす。

背後では、くすりと笑う声。

 

……なされるがままなのが、どうしようもなく悔しい。

 

「……でもやっぱり、そんなことで知っても意味がないわ。だから絶対にもう言わないけれど……いつかは、教えてくださいな」

 

そう君は笑うと、廊下を歩き出した。

 

――その言葉はきっと君からしたら何事もない一言なんだろうけど。

 

目の前の少年には……非常に、強烈である。

 

「……不安だ」

 

この先歩いて行く果てしない道を思い、少年はそう呟く。

けれど……立ち止まることは、決してないから。

 

まだ熱残る顔をぬぐって、彼は先をゆく少女の背を追いかけるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

Side Black

 

 

 

「……とりあえず、これでしばらくは動けるでしょ」

 

言って少年は顔を上げる。

連動してきしりと音を立てるベット。

そしてその上に横たわり口元を拭いながら「べとべとする……」と嫌そうな顔を浮かべる少女。

恨みがましい視線に、許してくれよとマスターは苦笑した。

 

「粘膜接触での魔力供給なんだから、それは大目に見てくれ」

「……いう割には、やけに嬲ってきた気がするけど?」

 

それはご愛嬌、とマスターは片目をつぶり、逆にジャンヌは吐き出すような深いため息をついた。

 

「……けど、ありがとうね。今まで頑張ってくれて」

 

言いながら、少年は少女んの髪を撫でる。

――本来なら一体ですら維持の難しい限界を二体分行えているのは、魔力消費を抑えてくれているジャンヌのおかげあってこそだ。

けれど少女はそれを自慢げにすることはなく「アンタほどじゃない」とさえ語る。

 

……本当、君ってやつは。

 

「……けど、さすがにそのご褒美が『これだけって』いうのは、割に合わないわよねぇ……?」

 

え、とマスターは口を開ける。

言われた意味がすぐに理解できずに起きた、それは一瞬の思考の停止。

 

……そのチャンスを、ジャンヌは見逃さない。

ぐいと襟首をつかんで力の限り引く。

少年はつられて、少女の上に覆いかぶさる形をとらざる得なくなる。

 

交差し合うは、黄金と蒼の光。

深い深い海色の瞳映る自分を、しっかりと見つめながらジャンヌは語る。

 

……もっと私を愉しませろと、その固い胸板をなぞりながら。

 

「……まだ昼間だよ?」

「あら、貴方ってそういうの気にする性質だったかしら?……さっきのキスで、欲求不満だってのはお見通しなのよ」

「一応体裁っていうものがあるんだよ、オレにも」

「ちゃんと鍵も閉めてるんだから問題ないでしょ。てゆうかそもそもよ……ここで引いたら、アンタそれこそ情けないわよ」

「……あのねぇジャンヌ。君の方こそどうかと思うぜ……やめるなんて、誰が言った?」

 

にやりと、彼は笑う。

それはへらへらとした取り繕ったような笑みなんかじゃなくて、『彼』らしい微笑み。

……この竜の魔女が、好ましく思えた笑みだった。

 

指を這わせて、互いの胸元に触れる。

近づいていく、唇と唇。

甘い吐息を絡ませながら、その熱を吸いあう……直前。

 

――かしゅんと、開く音が鳴った。

 

「……あ、やばい」

 

見つめてくる二人の視線と目が合ってしまって、思わず声に出た。

 

一瞬の静寂のあとに、少年が扉を勢いよく閉める。

 

ばちんと音を立てて、再び二人きりの時間だったが……それどころじゃあない。

 

「……ごめん。合鍵渡してたの忘れてた」

「……勘弁してくれ」

 

ちろっと舌を出す魔女に、少年は深く息を吐く。

反省の見えない表情、腹が立つ。

本当、どうしようもなく腹が立つのだ。

 

これだけやらかしているといのに……これっぽちも、君を嫌いになれない自分自身に。

 

「……覚悟してろよ」

 

そう、悪戯っぽい瞳をで見つめてくるジャンヌにマスターは微笑み返して。

 

ポケットから携帯端末を取り出し、そのコールを鳴らすのであった。

 

 



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ただ、熱い貴方へ

グランドオーダー二次創作。
一応第二部ネタのぐだ邪ンです。
至らぬところ多々あると思いますが、どうぞよろしくお願い致します。


 

――それは久しぶりの、二人きりの和やかなティータイムだった。

だというのに、終えたと思ったらそそくさと資料室に篭ったのは、この世界で唯一竜の魔女が才を認める人間。

基本遠慮がちなのに、時折信じられない図太さを見せる青年。

そんな彼が席を立つ際に申し訳なさそうに淹れていってくれた香り高い紅茶を啜りながら件の魔女――ジャンヌ・オルタは、大きく息を吐き出した。

 

……珍しく早々部屋に戻ってきたと思ったら、結局は持ち帰りの仕事があったわけかと冴えた瞳が細められる。

道理で食事中もそわそわと、卓上に置かれた連絡用端末を気にしていたわけだ。

 

途中彼女に無言のままに睨まれて、端末を脇に置かれたバッグの中へ渋々落とし込んだけれど、あれだって本当は見えるところに置いておきたかったに違いない。

 

帰ってからまでもあんな感じならば、わざわざ早上がりする意味がない。

特にここのところの彼の場合はカルデアにいたころの比ではない量の仕事に日々埋め尽くされていて。

 

いくら一刻も早くあるべき未来を取り戻す為だと言っても、これでは本末転倒だとジャンヌは二度目のため息をつく。

 

……自分を、まるで精密機械とでも勘違いしてるのだろうか。

いや精密機械でも、定期的なメンテナンスは必要不可欠。

あの天才だけれど人外な二人組でも、それを承知してるからの休息時間だというのに。

 

なのに彼は一言、『やらなきゃいけないことは今やらなきゃ落ち着かないんだ』と笑ってすませてしまう。

そういって何度、少年が目をつぶることもなく夜が明けたことだろうか。

 

「……馬鹿も休み休み言って欲しいものだわ」

 

現在の彼の仕事量と戦場に出る回数で換算して見れば、ブラック企業も目をむく過剰労働っぷりであるのは明白。

有事の際ならいざ知らず、『一応』平和な時までこのような具合では、仕事のサーヴァントとして英霊に招かれる……いや『召される』事態になりそうだとジャンヌは不機嫌に眉を寄せた。

 

……実際に可能かどうかは知らないが、もう少し雑務を振り分けるとか、サボるとか、とにかくどうしても彼以外にはできないことでないことをもっと減らせば良いものを。

けれど、どんなことでも出来る限りを自身で把握しておきたいと言って、何かと理由をつけて。

結局、ほとんどのことを彼本人が一人で済ませてしまう。

 

「要するに好きなんでしょうね。あとは気が小さいんだわ、きっと」

 

 

……劣っているという自覚。

Aチームのマスターたちの存在を目の当たりにした今、少年はどうしょうもない不安にかられているのだ。

だから求める、成長の機会を。

世界を殺してゆくその重圧を、少しでも和らげたいために。

……でもアイツは決してそんな弱音は口にせず、『オレみたいに万事に行き届かない人間の召喚に応じて、身体を張って戦ってくれる君を、少しでも負担を掛けずに守るにはそれぐらい心がけなくちゃ駄目だろ?』なんてのたまってくる。

 

……ほんと、調子のよいことで。

 

「……そんなに弱くないわよ」

 

不服そうに、少女はつぶやく。

現実、彼の言うことには一理ある。

マスターと仰ぐ人物が心身ともに脆弱であるならば、サーヴァントたちがどれほど優秀であろうとも本来の実力を発揮することは叶わない。

だがそれは、もう少し鏡を見てから言ってほしいものだ。

……彼だって、応変に、そして屈強に成長を遂げた。

そしてジャンヌ自身も、それなりの力はあると自負してる。

だからこそ乗り越えられたあの雪の世界だ。

信じるべきなのだ、もっと。

 

……ここにいる私と、ここまできた貴方を。

 

「……ほんと、おばかさん」

 

呆れた風にジャンヌが言った。

だがそれを直接言ってやる気持ちは、今はない。

口にしようものなら……別の意味で殴りたくなるような笑顔をみるだろうと確信してしまっているから。

……嫌いになれない、自分が憎たらしい。

そう肩を竦めて立ち上がる。

そして飲み終わった紅茶カップを軽く濯いで食洗機に収め、洗浄ボタンを押した後に、ジャンヌはクローゼットから少年の手で几帳面に畳まれ

タンスの中に整えてあった就寝時の着替え一式を取り出す。

手に取った後、しばし思案したが……結局、ジャンヌはポケットにしまってあった端末を取り出した。

それからしばらく指を走らせて

 

「お風呂、先入るわよ」

 

と文字を並べて送る。

数分の間をおいて、ジャンヌの端末が震える。

目をやると、白い画面には『わかった』とだけ書かれた簡潔な文章。

 

「あの、朴念仁……」

 

言って舌打ちをするジャンヌ。

……そう短くない付き合いだ。

だからこれがただの『報告』ではなく『勧誘』であることも重々承知のはず。

普段なら、あのカルデアにいた頃なら、一も二もなく飛びついてきた癖に……。

 

「……薄情者め。私を湯あたりさせるつもり?」

 

愚痴を垂れるが、空しく響くだけ。

……仕方ない。

逆上せない程度にほどほど待ってはやろう。

それで来なかったら、風呂を出たあと襟首掴んで微温くなった湯船に放り込んでやろう。

人でなしと呼ばれても結構、これは当然の報いだ。

……頬を染めるぐらいに頑張った、少女の色仕掛けに応じなかった、正当な報復だ。

ぱんぱんと熱っぽい頬を叩いて、ジャンヌは浴室へと向かう。

てきぱきと服を脱ぎ、さらさらとシャワーに打たれるのは慣れたもので。

何事も問題なく髪も身体も洗い終え、少女は肩までゆっくりバスタブに浸かる。

ここのバスタブは思いのほか広く、手足を伸ばして寛げるところだ。

ちゃぷちゃぷと水面を揺らしながら、少女は時間を溶かしてゆく。

……だが案の定、いくら待っても彼女の主が追いかけてくる気配はなかった。

正確なところは定かではないが、それでも湯の中に身を沈めてから三十分以上は過ぎたろう。

飽きるには、十分な時間。

濡れた髪を掻きながら、二度目の舌打ち。

彼が先に入って待っているときは、自分はなるべく……というか、かなり無理をしてでも早く追いかけてやる努力を欠かさないというのに。

……仮にも、この唇を知ってる相手の誘いだというのに、あまりにも無礼な振る舞いじゃないだろうか?

貴方の好きとはそんなものなのか?

いやそもそも……貴方の中の『ジャンヌ・オルタ』は、そうも容易く無視できるほどにどうでもいいものなのか。

 

「……馬鹿にしてるかしら、マスター」

 

虚空をにらみながら、理不尽な怒りすら湧いてきて。

鼻先ぎりぎりまで湯の中に沈み込みぶくぶくと憤っている。

 

「――入ってもいいかい?」

 

……声を上げなかった自分をほめてやりたい。

だがずるりとバスタブの中で転んで見事に頭を打った。

 

「……どーぞ」

 

ぶっきらぼうに頭をさすりながら応じてやると、がらがらと扉が開く。

 

「……痛そう」

 

腰にバスタオルを巻いてくすりと笑いながら歩く少年はそう呟いて、「うっさい」と魔女はその白い歯を見せて威嚇行動をとる。

 

「遅すぎるわ。いい加減逆上せて倒れるかと思ったじゃないの」

「悪かった。なかなか区切りがつかなかったんだ……でも無理はしないでくれよ。これで体調を崩したらシャレにならない」

「……アンタ、ほんと一回殴ってあげましょうか?」

 

次からは疲れたら先に上がっていてくれと案ずる瞳に見つめられ、反射的にジャンヌの唇が尖らせられた。

マスターがくれた言葉は嬉しくはあった。

それはこの長い時間かけて待った彼女が欲っした言葉ではない。

 

「そう怒らないでくれよ。一応君の体調を心配してるんだから」

「体調心配するなら早く来る努力をしなさい」

「それが出来なかったから言ってるんだ。わかってくれよ」

「いいえ、貴方のほうがわかるべきです……『それでも待ってたかった』なんて、言わせんな」

 

一瞬の怒りを飲み込んで、拗ねた瞳を差付けてやれば、嬉しいことにマスターが大きく息を飲む。

わかりやすく染まる秀麗な目許。

隠しきれない喜びに自慢のポーカーフェイスを崩れさせ、照れ臭そうに綺麗な翡翠が彷徨ったことで、とりあえず溜飲を下げることとする。

 

「……ごめん」

「いいから、さっさと浴びなさい。汗臭い」

「うん……」

 

赤くなった頬を紛らすように、頭から勢いよくシャワーを被り、髪を洗いだした待ち人を、手持ち無沙汰なジャンヌが見つめる。

 

――無駄なものなど一切感じられない綺麗な身体。

細身のそれに秘められた柔軟で強靭な筋肉が、

見た目より遥かに頼もしく確かなものであることを彼女は誰より知っている。

しなやかで優しく安心できる胸。

――あの胸が難なく自分を囲い込み、身動き取れなくしてしまうことも。

 

無意識に見惚れながら考えて、ジャンヌはふるふると首を振って酔いを醒ます。

 

そして、気持ちを彼から逸らすように自身の二の腕と目の前にある彼のそれとをひき比べて……まさかの事実に思い至って、ジャンヌは新たに衝撃を受ける。

 

「嘘でしょう……?」

 

明らかに、厳つくなっている。

もしかしたら胸周りや肩の辺りも、そこはかとなく厚くなったかもしれなにのだ。

 

……ほかでもない、ジャンヌ・オルタの腕が。

 

さらに追い打ちをかける事実として、マスターのほうはなんだか以前より肉が落ちたように見える。

……別に淑女だなんだと敬われる立場の生まれではないからには、華奢でたおやかで女性らしい、清姫やエリザベート等と同等であろうとは思わないけれど。

だからと言って逞しくなっていいと言う法はないというか。

 

……なんか、へこむ。

 

しかし彼へとこれを問うたなら、不思議そうに悪気のない瞳を大きく見張ったそののちに

『そりゃあんだけ斬った張ったの毎日じゃサーヴァントとはいえど筋力もつくんじゃない?オレも細くなるぐらいのメリットないとやってらんないよ』との彼一流の無難な見解を述べるだろう。

世渡り上手としては百点、パートナーとしてむしろマイナスなお気遣い。

もっとも、過去体型を意識したことなどほぼなかった彼女だから、単純に気のせいと言う話もないではないが。

……いや訂正。

気にする相手がいなかっただけ、である。

 

「どっちにしろ、かなりきたわ……」

「気になるって何がさ?」

 

その黒髪を水で滴らせながら、少年は問いを投げる。

すると少女は観念したように、自らの胸の内を吐露した。

 

「……腕が太くなってる気がするの。

別に自分の見た目なんかに拘ったことはないけれど、

それでも貴方より筋骨隆々ってのは、ちょっと……」

「そうかな。オレからするとまだまだだし、何よりジャンヌって結構心配だったから、

できれば今くらいの身体つきでいてくれた方が安心できていいんだけど」

「心配って?」

「抱いたりするとわかるだろ?

サーヴァントとはいえ、君は女性でオレは男。これでも多少は気にかけてるんだよ

……まぁこの前とか、君を下敷きにして寝落ちしているときとかあったりするし」

「……そういうのを軽く言うなぁ……」

 

言いながらジャンヌは顔を覆った。

……あの時は、本当に死ぬかと思ったのに。

重さとか、彼の匂いに頭を支配されたりとか、いろいろと。

 

見ればいつの間にかシャワーを浴び終えたマスターが彼女の正面、同じ浴槽の中に向かい合う形で入り込くる。

とたんジャンヌが鋭く非難がましい声を上げ、それを受け彼女の主がきょとんと瞳を丸くした。

 

「酷いな。そこまで驚くことかい?」

「お、お風呂で突然正面に男に入り込まれれば、何も私じゃなくたって女性ならもれなく大声を上げるわ!」

「でもジャンヌ。君はオレを待っててくれたはずだろう?」

「そうだけど……」

 

……正直、いやになった。

自分の体が、思っていた以上に不細工な作りになってしまっていたと自覚してしまって。

それを隅々まで見られてるこの実感が、どうしようもなく……恥ずかしい。

いじらしげに頬を染めるジャンヌ。

するとそんなしおらしい少女を笑って、少年は洗い上げた髪をかき上げた。

……ただ前髪をおざなりに手櫛で撫でつけただけなのに。

妙に艶を増した横顔に、知らず彼女は息が詰まる。

 

「……卑怯よ」

 

狭い浴槽、声に出さずに呟いて、ジャンヌは彼から身を退いた。

でも、それを許しはしない。

退いた分と同じ距離、貴方が寄ってくる。

 

「いきなり入ったのは悪かったよ。でもこのほうが都合がいいんだ」

「都合がいいって、何よ?」

「決まってるだろ。ここならまっすぐずっと、君の顔が見つめられるからね……顔、赤いよ」

 

頬を挟まれて額と額をこつんと合わせられて。

柔らかな蒼い眼差しが、彼女やな微笑む。

……温度が、上昇する。

 

「……ほら。また、赤くなったね」

「ち、違うわよ!あまりにも貴方が遅いからのぼせかけただけで……

あとは、貴方があまりにも恥知らずなことを言うから……」

「恥知らずか。それはどんなことかな?」

 

言って貴方は首を傾げる。

悲しきことに、この時点で見事に……マウントポジションを、完全にとられた。

なされるがまま、ジャンヌは目を泳がせながら語りだす。

 

「わ、私の体型が変わったかどうか……だ、だ、抱いたりする、とか……」

「うん。だってこのあとするつもりだし」

「っつ!!」

 

途端ジャンヌの顔は真っ赤になる。

涙すら滲ませるその顔、けれどマスターは何も変わらず、きょとんと見つめるだけ。

 

「……大好きな君を抱きたいと思うのはいけないことなのか?恥じる行為なのかな?まぁ例え恥ずかしくてもいけなくても構わないけどさ……少なくとも、オレはしたい」

 

可愛い君が見れるからね。

そう貴方は笑う。

 

……もう、限界。

 

「わ、私出るから……」

「駄目、逃がさない」

 

言うなり彼女に腕を伸ばす濡れ髪の少年は、いつもより妙に色っぽくて。

ますます朱色に染まるジャンヌは返す言葉を失なった。

縮こまる彼女を良いことに、浴槽に並んだ彼が悠々と腕を伸ばしてその肢体を囲い込んでくる。

居場所を失くし、気づけば背後から主に上機嫌で抱き込まれていたことに、燃えるような熱さに肌が焼かれる。

 

「……熱い、わ。貴方の、腕が、私に……」

「あぁ、ごめん。狭いからね。不可抗力だよ……ジャンヌは自由にしていていいよ?オレの方はなるべく邪魔にはならないよう大人しくしてる」

「……抑えてる癖に。できるわけ、ないでしょ……」

「だよね。じゃあ、あと少しだけ我慢して」

 

くすくすと含み貴方は笑った。

……出会った当初は、いつだって緊張している風だった。

声を上げて笑うどころか、ほんの僅か吐息のように微笑むだけで。

でも今は、いつだってこんな感じだ。

当人ですら自分にこんな側面があるだなど知らなかったと言うけれど、ジャンヌが知り得た彼は意外にも感情豊か。

怒ればわかるし、しょげてもわかる。

拗ねたときなど一発だ。

見た目より笑い上戸な方でもあるし、手に負えない甘えん坊なところも

憎めない部分も多々あって。

でもこんな彼は……私しか知らない。

私だけの秘密じゃなきゃ、許さない。

じゃなきゃこんなにも……貴方の笑顔に安心する私なんかが。

 

馬鹿みたいに、思えてしまうから。

 

……本当、馬鹿ね。

 

湯に浸かる彼の横顔を見ているだけで、幸せな笑いがこみ上げる。

そうなるともう駄目で。

ちょいちょいと手招きをして、マスターのうなじを引き寄せる。

彼女の機嫌を伺うように傾けた首に、そのままぴたりと頬をつけた。

 

「……ありがとう、ジャンヌ。あと、ごめん」

「……やっとか。遅いわよ、まったく」

「……好きだ」

「知ってる。だから大切にしなさい。私と……そして貴方を」

「……うん」

 

短い肯定。

まったく仕方のない人ねと、ジャンヌの口から呆れの息が吐き出される。

だがその口許は楽しくてならないように緩められていて。

それを見た彼も嬉しくてならないように微笑んだ。

結局、彼の腕に背中から抱かれる形で大人しく収まって、彼の胸へと頬を寄せる。

 

「こうすれば二人とも伸び伸びと入れるし、くっついてもいられるでしょう?」

 

悪くないわと彼の感触を背中に感じ、ジャンヌはほっと息をつく。

濡れた首筋に擦り寄りながら、マスターの頬を片手で包んで引き寄せてやると、相手も深い息を吐く。

 

「手、気持ちいいな……」

「そう?」

「こうしてると、一気に疲れが取れる気がするよ」

「それただ単に働きすぎなだけ。わかってないと思うけど、目の下、がっつり隈ができてるわよ」

「夜更かししてるからね。よいこは九時にはお布団につきたい」

「子供じゃないんだから……」

「そうだとも、子供じゃないんだ……子供じゃないから、夜は眠れない」

 

艶めいて、低く掠れた彼の声。

耳から声を吹き込まれたのちに、無言で縋るように抱き締められて

ジャンヌが小さく息を呑む。

意図してなのか無意識のことなのか。

腕と掌が、彼女の繊細な場所を掠めるように刺激する。

唇から熱い吐息が漏れた。

 

「……いっしょに、いてもらえる?」

 

すがるように、求めるように乞われた声。

痺れるような甘さを漂わせて、ええとすぐに頷きかけたが……駄目だ。

それじゃあいつもと同じだ。

だからちゃんと伝えよう。

この、無駄に図体のデカイ子供に、しっかりと。

 

「……ならせめて、私がいるときくらい部屋に仕事は持ち込むのはやめなさい。じゃなきゃ、いっしょにいてやんない」

 

――私は母親か何かなのか。

言いながら、彼女は自嘲した。

こんなくだらないことをしている自分を。

けれど……仕方がない。

言わなきゃわからないんだから。

私が言わなきゃ、わからないんだから。

……それで、アンタが救われるなら。

しょうがないから、やってやると少女は笑う。

 

そしてその笑みは、確かに少年にも伝わった。

自らを見つめてくる黄金色の瞳。

その奥に灯る、暖かな光を感じて。

彼は固かった頬を、ふっと緩める。

 

「――わかった。もう、そんなことはしないよ……もうこれからは、大事なものを見失わないから」

 

……どうして、ここまで戦ってこられたのか。

どうして、戦ってまで勝ち残りたいのか。

その理由が、わからなくなってたけど……ようやく、思い出せた気がする。

難しいことがわからない自分だから。

せめで自分を大切に思ってくれる人たちのために。

……もう一度助けてくれた、君のために。

 

僅かに捩った半身で濡れた頬を引き寄せてやれば、彼の面輪が期待を込めて傾けられる。

思わせぶりに見つめてやると、この期に及んで照れ臭そうで。

心得たもので、勝手に瞼が落ちていく。

性急に重ねられた唇が、そのまま喉から首筋を辿る。

啄む口つけをが繰り返されて身体の向きを変えられる。

のちゆっくりと抱き締められて、鎖骨を舐められ吸い上げられる。

 

「……そろそろ出ようか。このままだと本当にのぼせそうだ」

掠れた声で彼が言い。

 

「そうね……」

 

潤んだ瞳の彼女が答える。

紛らすように眼差しを逸らし、肯定を示した彼女の背中に腕を回して。

彼はその細い体を抱き上げた。

 

「……とっくに、もうのぼせてるくせに」

 

――最後に、そう悪戯っぽく君は笑って。

 

ああ確かにその通りだと、赤い顔の少年も笑うのだった。

 



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指先彼女は噛み上手

グランドオーダー二次創作。二部ネタのぐだ邪ン小説です。
どうぞよろしくお願い致します。


「……ふぅ。やっと終わりました……」

 

言ってうんと、少女は手を上へと伸ばした。

数時間同じ姿勢でいたせいか、ぱきぱきと体が鳴る。

今回ダ・ヴィンチちゃんから頼まれていた作業は、普段ならばこうも手間取らない。

それがこうも長くかかってしまった理由は、今彼女――マシュ・キリエライトのいる環境によるものだ。

 

――シャドウボーダー。

 

カルデア崩壊後からマシュたちの仮の拠点となっているこの車両では、使える資材資料共に限りがある。

よって無駄遣いはご法度、必要最低限の消費が常となっている。

……時折、その『必要最低限』を好奇心ゆえにオーバーしてしまう芸術家と探偵の存在にはなかなか頭を悩まされているが――あの雪の国以降、うまくやれてる。

 

「……おつかれさま。はい、コーヒー」

 

背後から唐突にかかる声。

そしてマシュの手元の机にこつんと湯気の立ったカップが置かれる。

振り返ると、そこには彼女のよく見慣れた、優しい笑みがあった。

 

「――ありがとうございます。先輩の方も、お疲れ様です」

 

そう笑みを返すと、マスターはありがとねと片目を瞑った。

 

「いや、でもほんとだめだよ。ここにいて結構経つのに、まだ全然慣れないや」

「大丈夫ですよ。先輩が慣れない分、私がきっちりサポートしますから」

「あっははは。それは安心できるけど、先輩として駄目な路線に行ってる気がするなぁ……」

 

カップを傾けながら、マスターは苦笑する。

……まさか。

駄目だなんてあるものか。

ここにいる誰よりも劣ってると嗤いながら。

此処にいる誰よりも、彼が頑張っているのをマシュは知ってる。

 

だから少しでも、この人が喜んでくれるなら。

 

マシュは全霊を持って取り組むと心に決めていた。

 

「――先輩にも、できないことがあっていいんです。先輩ができないことは、私たちがやります。だから先輩は、先輩にしかできないことで、手伝って頂けたら幸いです」

 

そう晴れやかに微笑む少女。

その真っすぐな輝きに、さしもマスターも知らず「マシュは優しいなぁ……」と言葉を漏らした。

 

「……けどそういえば昨日、ジャンヌにも似たようなこと言われたなぁ。『どうせ凡人のアンタに全部なんてできるわけないんだから、他の奴に任せときゃいいのよ』って……そのあとに、『他の人間はともかくアンタがいなくても世界って回るのよ』とかいう熱烈なコールもいただきましたけどね」

「……やはり、まだ怒っていらっしゃいますか?」

 

問いかけに、少年は「うん……」と弱弱しく頷く。

 

――このシャドウボーダーには、レオナルド・ダ・ヴィンチとシャーロック・ホームズを除いてあと一人だけ、サーヴァントが存在する。

それは白金の髪に、金色の目をした少女。

雪のような肌に漆黒を纏い、旗を振り剣をふるう焔の魔女。

 

ジャンヌ・ダルク・オルタ、それがその魔女の名前だ。

カルデアにいたときも、彼女はサーヴァントとしてマスターと共に人理修復を為した。

そして先の戦いでも、災厄の魔女の名を歯向かう者たちへ深く刻み込んだ。

 

苛烈という言葉が何より似合うという近寄りがたい少女だが……シャドウボーダーに常在させたいと、マスターきっての願いがあった。

それは少年にしては珍しい、我欲を伴った行動。

『必要最低限』を越えた願いだった。

 

常識的に考えて却下されるが……現所長はともかく、残りもメンバーはそれを止めるほど『野暮』でもなかった。

 

『サーヴァントはいるが非戦闘要員しか今のところはいないわけだし、万が一の保険……という設定にしたまえ』

 

そう、かの芸術家は笑う。

するとマスターも微笑んだ。

心の底から、嬉しそうに。

無邪気で無垢な……彼らしい笑みに、みんなが安堵した。

 

――だがしかしだ。

少々、マスターはことを急ぎ過ぎた。

 

 

ぴろんと、軽やかな音色が響く。

それはマスターの懐から響いたもの。

 

「……噂をすれば、かな」

 

少年はポケットから携帯端末を取り出す。

幾度か画面が触れたあとに、少年はやれやれと肩を竦めた。

 

「……暇だから早く帰ってこいだってさ。まったく、こっちの仕事のきつさもわかってないのにいろいろ言ってくれちゃってねぇ……」

「それだけ先輩が好かれてるってことですよ」

 

そうマシュが微笑むと、マスターはいやいやと首を振った。

容赦なく、言葉を重ねてゆく。

 

「ジャンヌは何も考えてないよ。ただ感情のまま、気の向くままに行動するんだ。こっちの苦労なんかすらないで好き勝手にもう……だいたい口がない癖に口うるさいってどうな、っんぐ!?」

 

少年の言葉は、最後まで終わらなかった。

魔女への不平不満が垂れていたその口は、覆われてしまったからだ。

――その、黒い右手によって。

ぎりぎりと締めて、マスターの身体を宙へと浮かしてゆく。

 

「ちょっ、ちょっとジャンヌ、タイム。それはまじでやばい。意識遠のく……」

「ジャンヌ・オルタさん!?いらっしゃったんですか!?気づかなかったのは大変申し訳ないんですがその、先輩を離してあげてください!そのままだと先輩がだいぶ危ないです!」

 

こっそりと隠れマスターの様子をうかがっていたのだろう。

つまり思いっきりきかれたわけだ、あのマスターの愚痴を。

腹に据えかねる気持ちはよくわかるが、それ以上はいけない。

マシュは止めに入ったが、ジャンヌは無言だ。

……いや無言であるしかない。

だってそうだろう。

いま少年を締め上げている右腕。

 

――その右腕だけしか、彼女がそこに現界できていないのなら。

果たしてどうやってしゃべれというのだろうか?

 

宙に浮いた腕はマスターを締め上げたのち、ぱっと放す。

ばんと思いっきり尻から落ちたマスターはけほけほと喉と尻をさすりながら恨みがましそうな視線を向ける。

 

「……ジャンヌ。いくらオレでも腹に据えかねることはあるんだよ。確かにオレの魔力不足でそうなっちゃったのははすまないけど、これ以上のわがままは許しません。もし言うこと訊けないなら実力行使だけど……どうする?」

 

そうぱきりと拳を鳴らすマスター。

すると宙に浮いた黒い少女の腕は答える。

例え言葉は響かなくても、はっきりと伝わったはずだ。

少女の深層、その心の声を。

 

――びしりとまっすぐに打ち立てられた中指は、確かに。

 

『上等だコラ』と、たかだかに吠えていた。

 

 

瞬間、始まる闘争。

宙を飛ぶ片腕に、五体で挑む少年の姿。

その異常は、すでに日常と化した風景なのを嫌々ながら自覚できてしまって。

 

マシュは深く、ため息をついた。

 

■ ■ ■

 

――結論として、ジャンヌ・オルタの召喚には成功した。

けれど、まだ十分な準備が整ってない状態で急いてしまったことにより、彼女を完全に実体化させるだけの魔力を補うことは叶わず。

結果として生まれたのは……ふよふよと宙を漂い徘徊する女の片腕という怪奇譚の一幕であった。

 

「……正直、なんでそこで顔とかじゃなくて腕をチョイスしたのかって今でも思うよ。少なくとも顔だったら、こんな青あざなんてできなかったんだろうから……」

 

腫れた頬をさすりながら、恨みがましそうな視線を投げるマスター。

するとその向かい側に浮いていた腕は、机に置いてあったペンを手に取ると、すっすとメモに筆先を走らせた。

書き終わると、そのメモをマスターへと見せつける。

真っ白い一枚に、黒インクで綴れた文字は端的な言葉。

 

『なら代わりに噛み千切ってやる』という、なんて素敵な脅し文句。

 

「……ほんとワイルド」

 

言ってマスターは息を深く吐いた。

……まぁ彼女に繊細な返答なんて、むしろあった方が驚いてしまうぐらいなのだが。

 

「……あの、先輩。よろしければお茶のおかわりなど如何でしょうか?」

「え?ああ、確かに嬉しいけどここから食堂まで結構あるし別にいい……」

「わかりました!すぐに淹れて参ります!」

 

マスターが言い終わる前に、マシュは脱兎の如く駆けだした。

それはまるで、とゆういかまさに『逃走』に近いムーブアウト。

 

「……ほら、気を遣わせちゃってるじゃないか」

 

唇を尖らせる少年に、腕は『アンタも同罪』と即座に書き返す。

 

……この、打てば確かに響く受け返し。

まさしく、あのカルデアにいたころの彼女との会話はそのものだった。

いつだって食えない、いつだって一筋縄ではいかせてもらえない感じ。

――ああ、これは本当に。

紛れもない『彼女』の存在が、ここにある。

 

「……でもさ。やっぱり、顔くらいは見せてくれてもいいんじゃないかな?」

 

物は試しに、そんな遠回しなセリフを言ってみる。

けれど、彼女の腕に愛嬌なんて概念は無く『知るか』とあっさり断られてしまう。

 

……そのあっさりさに、かちんときた。

 

「……ああそうだ。よく考えたら今のジャンヌには口ないんだから、いつもみたいに憎まれ愚痴を叩かれることなく、君にあれこれと言ってやれるのか」

 

にやりと、頬を歪める。

すると少女の指はすぐに筆へと伸びたが、その手のひらにトンと、マスターは手を重ねる。

 

「こらこら、人の話を聞くときは『しながら』はご法度だよ……ちゃんと最後まで、聞いてよね」

 

ぐいぐいと少年の手のひらをはねのけようとするが、それはいつもに比べればはるかに弱弱しく可憐な抵抗だ。

マスターの手を退けるには、あまりに程御遠い。

なのに、そんな不完全な状態じゃ無駄だと分かっているはずなのに……手は、まだもがいてる。

必死に、全霊の力で、君は抗っている。

 

……そんな姿が、かつては『日常』だった。

非力で弱い彼を嗤って、馬鹿にして、あげつらって……手を、差し伸べてくれる。

振り返れば、背中を見守っていてくれて。

横目に見れば、肩を並べいっしょに前を見据えて。

顔を上げれば、その先で待っていてくれる――ただ一人の、君がいた。

 

どこをみても、どんな時も、君が視界から消えた日々はない。

 

……すべてが終わった、あの日以来を除けば。

 

あれは他でもない、少年が望んだ未来だ。

後悔はない、迷いもない。

 

だから文句はない……なんて、割り切れるほど『大人』にはなれない。

 

「――ジャンヌ」

 

そう、少年は少女を呼ぶ。

……呼べるんだ。

どれだけその名前を口にしても、無意味に消えていった。

あんなにも好きだった君の響きが、重ねるたびに瞼を熱くさせた。

それが今は、この名前を受け止めてくれる君が、この手の下にある。

 

……どれだけ、嬉しかったか。

 

だからこれだけは伝えよう。

誰にも言えない、少年の告解。

ずっと言いたかった、少女に向けて……。

 

 

「……また、会えてよかった」

 

 

……そんな機会、二度と訪れるべきじゃない。

嫌でもわかっていたんだ。

でも、それでも……思ってしまったんだ。

 

今この時、この瞬間のリアルを。

 

『よかった』と、祝福してしまうことに。

 

……なんて重い、罪を犯したことか。

誰にも言えない、ジャンヌにすら語るべきでなかったこの想い。

 

「……ごめん」

 

唇を噛みしめて、少年は目を伏せる。

暴れていた少女の手はもう抵抗しない。

しばらくの静寂の後、するりと力を失った少年の手からすり抜ける。

それから宙を浮いたその腕は、そのまま少年の背後へと飛んでいく。

 

 

――これは、きついの一発来るかな。

 

そう少年は自嘲する。

それは当然の帰結だ。

こんな情けないマスター、一発殴らなきゃ彼女だって収まらないだろうから。

せめて舌を噛まないようにしようと、ぐっと歯を食いしばる。

来るべき感触は、きっと重い衝撃。

覚悟して身構えていた少年。

ほどなくして、感触は頬にくる。

けれど、それは重くはなかった。

感じるのはただ……柔らかくて、暖かな感触。

同じく肩や背中、全身にその熱は伝染する。

……それが何かわからないマスターではない。

なんどもなんども、夢の中ですら求め続けた――それは彼女の、柔肌の感触。

 

「……ジャンヌ、もしかして――」

 

「――こっちを見るな。見たら殺す」

 

振り返ろうとした少年に短く、少女は告げた。

……鼓膜を震わせるその声に、胸が高鳴る。

 

「貴方の少ない魔力じゃあ、肉体の外見作るだけで精一杯なのよ……服なんて、生成できるわけないでしょ」

 

言いながら一層、少女は抱きしめる両腕に力を込めた。

それは恥ずかしさを紛らわすためなのだと、より熱さを増した彼女の赤い肌が教えてくれる。

 

……ああ、なんて地獄だ。

振り向けばこんなにも愛らしい存在がいるはずなのに。

思う存分君を抱きしめてやる自由がないなんて。

 

「……生殺しもいいところだ」

 

彼女につられて熱くなった額を抑えながら、少年は呟く。

続けて彼はそのあふれ出しそうな衝動を堪えながら言った。

そんなことが出来るなら、はじめからそうしてくれればいいじゃないかって。

 

「まさかと思うけど、私に裸で過ごせとかいうつもり?」

「服を借りれば済む話じゃないか。常に戦闘をするわけじゃない。外見だけでも、別にいいじゃないか」

「……アンタって、ほんと身勝手ね」

 

ぶちりと、少年のわずかに出ていた首元に爪が経った。

微か痛みに、マスターは眉を顰める。

語りだす声は怒りに満ちていた。

 

「――勝手に私を呼んで勝手に拗ねて、その挙句実体化すればよかったですって?ふざけんのも大概にしなさい。私にだって少しぐらいはあるのよ……心の、準備ってやつが」

 

――怒りたくも、なる。

自分勝手すぎるだろう。

貴方の思い込みだけで決めるな。

私にだってあるんだ。

貴方が私に会えたのと同じように。

また会えてまた触れ合えてその溢れんばかりの想い……どうしようなく情けない、貴方に見せられないような笑顔を浮かべてしまうことぐらい。

 

この竜の魔女にだって、あるのだ。

 

……絶対に、そう口にはしてくれないが。

 

「……だから待ってなさい。私の準備が整うまで――必ず、また会うから」

 

耳元でささやかれる言葉は約束。

果たすと決意した誓いでもあり。

 

待っていてという、願いの裏返し。

 

 

……答えなんて、もう決まってる。

 

言われなくても、そのつもりだった。

ただ……ちょっとここで、おねだりをしてみよう。

 

「……じゃあさ。忘れないように、とびきりのをお願い」

「……この節操無し。飢えすぎるにもほどがあるでしょう」

「忘れっぽい性分なだけだよ。強烈のじゃないと、覚えてられないんだ」

 

くすくすとからかい気味に笑う少年。

まったくと魔女は肩を竦める。

……だがこのまま言いなりになるのは癪に障る。

無視をしたいが……要は、忘れても思い出せればいいのだ。

 

「……いいわよ。ならとびきり強烈なのをしてあげる」

 

目をつむりなさいと声をかけると、彼はすんなり目を閉じた。

完全無防備な少年の横顔に、ジャンヌは微笑む。

ゆっくりと、少女はそのぷっくりとした唇を近づける。

そして触れる直前に、こうささやく。

 

 

「……でもあとでちゃんと、消毒はしてもらいなさい」

 

 

 

■ ■ ■

 

「――先輩!お茶のお代わりを……あれ?ジャンヌさんはお帰りになられたのですか?」

 

一人っきりになっている少年の姿に、お盆に茶器をのせて帰ってきたマシュが尋ねる。

するとマスターはうんとその問いを肯定した。

 

「もう飽きたから帰るってさ。ほんと、自由だよねぇ」

「そうでしたか……先輩?頬っぺた、どうかしましたか?」

 

流石、鋭い後輩。

彼が右頬を抑え続けてることにすぐに気づいた。

けれどマスターは「別に大丈夫だよー」と朗らかに笑う。

 

「ちょっとジャンヌに強烈なのをもらっただけだから。もう痛くないし」

「強烈って、お怪我をなされたのですか?だとしたらすぐに医務室に……!」

「そういうのじゃないよ……それにね、マシュ」

 

何ですか?と心配そう見つめてくる少女。

反対にマスターは微笑んだ。

それはきっと、マシュからしてみれば……懐かしいと思えた表情。

本当に、心から『楽しそう』に笑いながら、マスターは言った。

 

 

「……とりあえず、噛み千切られずには済みました」

 

 

途端マシュは目を大きく見開く。

だがすぐにその瞳を柔らかく緩めて、「よかったですね」と笑い返した。

少年も「うん。よかった」とたびたび頷いて、しばらくの間、二人は静かに笑いあった。

 

 

――この痕はきっと、明日の朝には消えてしまうような軽いモノだ。

 

……だからこそ、一層嬉しいくてならない。

せっかく彼女の贈り物が消えてしまうのは寂しい気もする。

 

だがその時は――新しい痕を、また明日にでも彼女に貰いに行こう。

 

……今日のお礼も兼ねて……ね。

 

 

 



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責任の取り方

グランドオーダー二次創作、責任をとるぐだ邪ンです。今回はギャグ回です。よろしくお願いします。



ほんと、めんどうくさい。

 

彼女はそう舌打ちをする。

廊下を響く靴音は、少女の気持ちの代弁者。

一歩進むごとに深みを増すソレは、苛立ちの深度に比例する。

まぁ靴音などで図らずとも、今の少女の顔を見れば瞭然ではあるのだが。

 

きれいに整った眉は真ん中へと潜められ、鼻息は荒く、口元はぎりりと尖る。

黄金色の瞳はまっすぐと前を向き、燃えるような光で睨みを利かせている。

その迫力はかなりのもので、見かけた職員たちはさっと素早く通路端へ身を引いて、火の玉が過ぎるのを静かに待った。

 

そんな火の玉が血眼になって探す人物。

黒き衣を纏いて旗を揺らし、竜の魔女として恐れられるただ一人--ジャンヌ・ダルク・オルタが求める者。

 

無論それは騙るまでもなく……カルデアのマスター、その人である。

 

「一時間も放置とかありえないでしょ……あーもう。絶対一発いれてやる……」

 

ぱきぱきと指を鳴らすジャンヌ。

物騒だが、それも無理からぬこと。

……ミッション終了後、すぐ戻るからいっしょに帰ろうねと一方的に告げてこちらの返答も聞かず、さっさと消えてしまった彼。

無視して帰ることもできはしたが……気の迷いで、律儀に待ってしまった。

しかしいくら待てども顔を出さず、時計の針が一回りした瞬間にぷちりと切れた。

腕を大きく振って歩く彼女の目指す場所はただ一つ。

ミッションが終われば必ず報告しにいく、レオナルド・ダ・ヴィンチの工房である。

最近休日も何やかんやでそこに呼び出されることも多い。

呼ばれたからごめんねと軽くあしらわれて、約束の最中に置き去りにされたことも一度や二度ではない。

別にそれについて、ジャンヌはこれっぽっちも怒っても恨んでもない。

だが……ついで程度には、文句を言っておこう。

そう考えていると、少女の視界は一つの扉をとらえる。

工房へと続く扉の前に立つと、彼女は一度大きく息を吸って吐き、それからばんばんとなるだけ大きく響くようにノックした。

 

「マスター!いったいいつまで待たせる気なのよ!?さっさと出てきなさいっ!!」

 

そう声をあげて少女は腕を組んで反応を待つ。

しかし響ききったあとは、しんと静まり返るだけ。

もう蹴破ってやろうかなと、ジャンヌがつま先で床をぐりぐりとえぐっていた、ちょうどその瞬間。

ぱしゅんと一瞬で、自動ドアは横なぎに開く。

そして彼女の視線は扉の向こうにやや高めにあった青いまなざしと交差した。

その青は、ジャンヌの姿を映すとやんわりと柔らかな色を見せた。

 

「――やっぱりジャンヌだ。迎えに来てくれたの?うれしいなぁ」

「……別に迎えにきたわけじゃない。一時間もほったらかしにした不届き者を殴りに来ただけよ」

「あれ?もうそんなか?ごめんごめん、うっかりしてた。お詫びにほら、ぎゅーってしてあげる」

「あのね、いつもいつもそんなんで絆されるわけないでしょ……」

「いつもなら絆されてくれるの?」

「こ、言葉の綾よっ!!」

 

えーほんとかなー?と言いながら彼は顔を覗き込んでくる。

その頬はにやにやとまた腹の立つ笑みを浮かべて。

 

……やな奴。

 

熱っぽい頬を少年の視線から手で遮りながら、魔女は忌々しげに毒づく。

けれどその『やな奴』は肩をすくめて「構ってほしい年頃なだけさ」と微笑んでみせる。

 

……ほんと、こいつきらい。

 

「……ぶん殴るにしても、まずはさっさと帰りましょう。もう足がくたくたよ」

「ああ、ちょっと待って。帰る前に是非ジャンヌに見てほしいものがあるんだ。」

「アンタねぇ、この期に及んでまだ言うの?」

「まぁまぁいいからちょっと来て来て」

 

そうしてぐいぐいと少年は手を引いてゆく。

 

……こういうとき、この手を振り払えきれないというのが、私の致命的な欠陥なんでしょうね。

まんざらでもない指先の温度に、少女は深く息をついた。

連れられて入った工房の中は今回が初めてというわけではない。

だから見えてきた光景は予想通りのものばかり。

散らかった床に書類の山、奇奇怪怪な装置の数々にも、興味を惹かれることはない。

 

「おや。これはまたちょうどいいところに適任者がきてくれたみたいだね」

 

そう笑ってきらりとメガネを光らせる栗色の彼女。

それがかの有名な画家、レオナルド・ダ・ヴィンチだいう事実もとっくに、嫌というほど知っているから全然驚かない。

……驚くものがあるとするなら、それはその画家の背後に存在した。

 

「――あ、ジャンヌだ。やっほー、元気してるー?」

 

――それは何気ない、いつもの彼らしい挨拶。

変わりない声と表情。

疑問に思うことなどあるはずがなかった。

 

……その声が、今手を引いている少年から発せられたものであったならば。

 

「……は?」

 

思わず、声が漏れた。

その光景は、驚き慣れした彼女でも目を見張るものであったから。

 

少女の手を引いている、暖かな熱を持つ人。

画家といっしょに工房に立って、暖かな笑みで手を振っている人。

 

その二人はまったくの別人であるはずなのに。

 

二人ともが、寸分違わぬ『マスター』の顔をしていた。

 

「何が、どうなって……?」

 

目を白黒させる竜の魔女。

混乱する彼女に「やっぱそうなるよねぇ」としみじみとした二つの声が重なる。

 

「けどまぁ結論として、今の状況を端的説明するならさ」

 

同じ姿、同じ顔、同じ声。

すべてを合わせながら、二人は告げる。

人差し指と中指を立て、ピースサインなんてかざしながら少年『たち』は言った。

 

「――おもしろそうだから増えてみました」

 

ぱちりとウィンクする鏡合わせ。

その異常なまでにいつも通りな軽い態度に、どしんと肩に重さがくる。

先ほどまでの衝撃はあっさり消えた。

未知の現象に対する畏怖ももうない。

今ひしと感じているこの感覚は、アンタまた何かやらかしたのねという呆れと。

 

……まだしばらくは休めそうにないと確信してしまったがゆえの、意気消沈である。

 

 ■ ■ ■

 

「……最近ひしひしと感じてたんだよね。どう考えても『体』が足りないって」

「ミッションに資料作成、訓練にサーヴァントたちとの交流。日に日にハードになってくスケジュール。内容が内容だけに他の人にはやらせられない。今はどうにかなってるけど、そのうち首が回らなくなるっていうのは明白だった」

「そこで、ひそかにダ・ヴィンチちゃんと相談して計画していたのがこの計画。名付けて『マスター量産計画』になります」

「人形技術を応用してオレのコピー体をダ・ヴィンチちゃんに作ってもらった。令呪とかの機構を除いて基本スペックは本体と同等。そして空っぽのコピー体とオリジナルの身体の両方を操作しながら動かしてみる。つまり、一つの魂で二つの身体を操ってるわけだね」

「はじめは苦戦したけどそれなりに練習したから今ほらこのとおり、両方共が遜色なく動かせるようになった」

「ただ単にコピーを作ったんじゃ、きよひー辺りが苦い顔をしそうだからね。だから中身は本物したんだ」

「ねぇどうどう?結構様になってるでしょ?何か感想聞かせてよジャンヌ」

 

「……そうね。もうなんというか……とにかくうざいから一匹減らしてもいい?」

 

えーひどーいと声を合わせる二人。

交互に聞こえ、重ねて奏でてもくる音楽。

まるで違和感のない『彼』らしい『彼ら』の反応に、彼女は深く長いため息をついた。

 

「まぁまぁそう邪険にしないで。これでも造るのにかなり費用かかったし、何より私も自分の作品があっさり壊されるのは忍びないからね」

「こんなどうでもいいものに時間と労力と費用を割いてどうすんのよ……」

「仕方がない。私が作るものはいつの世だってどうでもいいと言われるものばかりさ。時代が追いつくのを気長に待つよ」

「少なくとも私は追っかけるつもりないから永遠に理解不能ね」

 

それは残念、と毛ほども残念そうな素振りを見せずティーカップを傾けるダ・ヴィンチ。

相変わらず厚い面の皮だ、と同じくジャンヌも出された紅茶に口をつける。

味がどうのというよりも気つけの意味合いが強い一口は、疲れ乾きいっていた喉を潤す。

けれどそんな癒しもつかの間に、諸悪の根源たるマスター『たち』の屈託のない声が再度響く。

 

「そんなことよりさぁジャンヌ。せっかく動かせたんだしオレ『たち』でいっしょに遊ぼうよ」

「いっしょに遊ぶって何?鬼ごっこでもしろっていうの?」

「ううん、3P」

 

ぶふ、と溜まらず彼女は紅茶を噴出した。

げっほげっほとせき込む少女に、「あらお気の毒」と少年二人がつぶやく。

 

「あ、アンタ、いきなり何言って……!?」

「二人に増えたんだから、有効活用できることをしようと思ってね」

「有効活用の方向性が歪み過ぎじゃない!?」

「そんなことないよ。それにほら……今ならジャンヌの好きな『耳責め』、両方からしてあげられるよ?」

「そんなプレイを好きになった覚えはないっ!!」

「そうなの?その割には昨日の反応はなかなか……」

「おやそうなのかい?よしメモっておこう」

「メモるなっ!!あとは別に感じてなんか――」

 

ダ・ヴィンチがが羊皮紙の筆を走らせるのを見て、真っ赤になったジャンヌが声を荒げる。

……それが、わずかな彼女の隙となった。

その一瞬で、二人のマスターはジャンヌの背後に回る。

そして双方が彼女の耳元に口元を近づけ同時に……ふぅと、暖かな吐息を吹きつけた。

途端、「ひゃん!?」と上がるかわいらしい声。

その声に、にやりと歪む二人の口元。

 

「ほら、満更でもない」

「……い、今のはただ、びっくりしただけ、で……」

「そうかな?じゃあもう一回……」

 

そうしてまた彼らの吐息が耳の奥まで入ってくる。

今度は唇が触れて、ぬくいソレが頭の中から犯してゆく。

その想像を絶するねっとりとしたしびれに、腰から崩れ落ちそうになる。

けれどそこで逃げること許してくれる彼じゃない。

力の抜けた少女の肩と手を優しく、けれどがっちりと持って捕まえる。

 

「駄目だよジャンヌ、まだ何もしてしてない」

「これぐらいじゃあいつも満足してないでしょ?」

「どこがいいって言ってくれればジャンヌのしたいようにしてあげる」

「ここがいいの?それともこっち?言ってくれなきゃわかんないな」

 

交互に、そして無作為に、二人のマスターは語りかけてくる。

それは少女を慣れによって飽きさせないための攻撃。

片方が言葉を紡ぎながら、もう片方の唇はそっと、少女の熱くなった耳たぶを食む。

唇のやわらかさだけで、少し痛いくらいの刺激を与えてゆく。

時折漏れる息は、まるで脳そのものを嘗められているかのよう。

 

声が響くたびに、頭が熱くなって。

刺激が走るたびに、息が荒くなる。

 

だんだんと、少女と少年たちの『何か』が高まってゆく。

 

「……やっぱり、ジャンヌって最高だね」

 

そう笑うマスターとマスター。

微笑みの先には、顔を真っ赤に染めて、涙なのか汗なのかわからないくらいぐちゃぐちゃになった少女の顔。

 

……ぶるりと、改めて背筋が震える。

 

「そろそろいいかな……」

「おっと、まさかここでするのかい?よりによって私の工房で、私がいる前でしちゃうのかい?なかなかの好きものだね、君」

「変態であることは認めますがダ・ヴィンチちゃんには敵いませんよ……それにジャンヌだって我慢の限界だろうし。ねぇジャンヌ?」

「……イン」

「ん?」

 

小さすぎて、よく聞こえなかった。

なんて言ったの、とマスターは少女の口元に耳を近づける。

すると今度はちゃんと聞こえた。

火照りながらの彼女の言葉。

ゆっくりと確かに、少年は耳にする。

 

 

 

――吼え立てよ、我が憤怒(ラ・グロンドメント・デュ・ヘイン )と。

 

ぱちりと小さく弾けた火花を皮きりに。

 

瞬間、爆炎が辺りを包む。

紅蓮に包む世界。

同時に出現した槍は、対象目掛けて突き出される。

回避は不能。

赤が支配する世界で、何かがさし砕かれる音が響き渡った。

 

爆発は一瞬のことで、視界はすぐに焔の赤から煙の白に切り替わる。

だんだんと晴れてきて見えてくるのは、目を大きく見開いて唖然とする芸術家。

肩でぜぇぜぇと息をし膝をつく竜の魔女。

そしてその傍らにいるのは――。

 

「――お見事」

 

そういって拍手を贈る少しすすけたマスターと。

……滅多刺しにされた、『マスター』だったものの残骸である。

 

「よく本物がどっちかってわかったね。さすがジャンヌ、オレのことをよくわかってくれている」

「……アンタ、ほんとお気楽ね」

「うん。だって物事気楽に考えた方が幸せでしょ」

 

ね、と首をかしげるマスター。

……そのしぐさに体の疲れが臨界まで達しそうなるが、なんとか意識を踏みとどまらせる。拍手贈るマスターに倣って、ダ・ヴィンチもすごいもんだと感心する。

 

「いやはや私も驚いたよ、よく区別ができたもんだ。今後の参考までに、本物かどうかどうしてわかったのか訊いてもいいかい?」

「別に本物なんてわかんないわ……ただ、所謂『贋者』って奴は鏡の前でよく見てるから、なんとなくよ」

 

誰かに似た別の者。

同じだけど違う者。

そういう『贋作』は、彼女にとって慣れ親しんだ事象だ。

実際に『贋作』であるがゆえの、彼女の特権。

 

「どちらにせよ私如きでばれるようじゃ、清姫もごまかせやしないわよ……ていうかそもそも、こんなものを造った時点で怒鳴られるでしょうね」

「別にばれるばれないは二の次だよ。要は如何にオレを運用できるのかって話さ」

「……自分をパーツだと思って運用とかいう言葉を使うの、今すぐやめなさい……叩っ斬るわよ」

 

 

きんと音が鳴って、黒い刃が少年の喉元につけつけられる。

軽く指を動かせば少年の頭はごろんと地面を転がるだろう。

また誤魔化したら殺すと、彼女は確かに語っている。

傍らで見るダ・ヴィンチはそれを止めない。

突きつけられたマスターも、ただ黙して見上げてくる金色を蒼で見つめ返した。

 

「……貴方は以前、自分を道具みたいに言うのはやめてくれと言った。聞いてて吐き気を覚えるぐらいの一般論を、私に擦り付けてきた。おかげで私は、『自分を守りながら戦う』なんて面倒くさいことをやらされる羽目になった。本当に忌々しい……けどね、私には約束を守らせて肝心の貴方が自らを省みずに知らんぷりとか、何様のつもりなの?」

 

ついと、少年の首元から血が滴る。

冗談ではなく本気であると、発せられる空気から誰しもが理解できる。

それでもマスターは「そのための二つ目さ」と笑ってみせた。

 

「本体を休息させながら作業をこなす。肉体的な疲労を低減できる。ほら、効率的だろ?」

「意識がおんなじなんだから、休息なにもないでしょう?それに……どうして、他の誰かに手伝ってもらおうとか思わないのよ」

 

……全部、しょい込もうとする。

オレしか出来ないから。

オレがやるべきだから。

 

そう言って、そんな言い訳を吐いて。

 

……大っ嫌いだ。

そうやって私がやらなくてはと息巻いたやつを知っている。

挙句裏切られて、焼き殺された女を知っている。

今こいつがやっていることは、あいつといっしょだ。

だから、余計気に食わない。

 

「……仮にそれが、みんなに迷惑をかけないためならとか言うなら――私は今すぐ、この首を斬り落としてでも座に還るわ。私がここにいるのはアンタに愛されたいためじゃない。弱いアンタが、一人じゃ何にもできないアンタを……気まぐれに助けてやるためよ」

 

――なんでもできる人間なら、助けてやろうなんて思わない。

ここにいるサーヴァント全員がそう思うはずだ。

普通だからこそ、非力だからこそ。

それでも手を伸ばす貴方に、みんなが力を貸す。

 

最弱だからこそ……貴方は最強なんだと、あのオルレアンで私は思い知らされた。

自らの失墜とともに。

 

「なのにアンタは、その唯一の取柄もなくしてる。そんな魅力も覚悟もない奴なんかに……抱き締められても、嬉しくない」

 

にらみつけてくる目じりには、うっすらと湿っていて。

今度こそマスターの胃袋に、ずどんと重しを落とした。

……思っていたこと、考えていたこと、すべてを見抜かれてしまって。

挙句彼女にこんな顔をさせたことが、心からショックで。

反論する間もなく、「……悪かった」と言葉が出た。

強がっていた彼も、素に戻ってしまう。

 

「……時間が、足りなくて。どんどんやることが増えていくし、だけどこれはオレが『責任』をとらなくちゃいけない。オレががんばらなくちゃって……でもやっぱり、君と遊ぶ時間とかは、残しておきたくて……責任の取り方を、間違えてた」

 

情けない言い訳だとは思うが、それが少年の本心。

……毎日、足を運ぶのが楽しかった。

嫌がりながらも、かまってくれる君が好きだった。

たまに来てくれる君の気まぐれが、本当にうれしかった。

だからこそ、嫌だった。

忙しくて、君の部屋に行けない日が。

せっかく来てくれた君を、追い返す日々が。

 

君の顔を見れずに終わる一日が……どうしようもなく、さびしい。

 

その結果が、このざま。

『責任』から逃げて、両方をうまくとろうとして破綻。

ばかだよねと、マスターは自嘲した。

するとジャンヌも「まったくね」と即座に肯定する。

 

……ほんと、しょうもない。

 

「アンタはばかよ。この期に及んでもね……なんで、貴方が『責任』を取る必要があるんですか?」

 

びしっと、今度は額を指ではじかれる。

普通の少女ならまだしもジャンヌのデコピンはなかなか。

不意を突かれ、たまらずしりもちをつく彼。

若干涙目になりながら、マスターはジャンヌを見つめ返した。

 

「今一番貴方の時間を獲っているのも、貴方のそばにずっといるのも、ほかでもないこの私です。なら貴方はなぜ一言……『責任をとって手伝ってくれ』と命令することができないのですか?」

 

……勘違いをしている。

少年は大きな、勘違いをしている。

いっしょにいたいと思ったのは貴方だけじゃない。

ほんのすこし、ほんとにほんの少しだけど。

……私だって、いれたらいいなって思ってるから。

 

だから、仕方ないから……手伝ってあげてもいいわ。

 

言った彼女は、少し頬を染めて。

ぷいと目を背ける。

対してマスターはいまだに唖然としたまま。

言っている言葉はわかるのだが、言っている意味がわからないという顔をしている。

するとジャンヌはちらりと横目で見て「……気は長くはありません」とぽつりとつぶやく。

それが合図だと気づき、マスターも慌てる。

 

「あ、えっとその……手伝って、もらえますか?」

 

そう上目遣いに、少年は問う。

するとジャンヌは頭を掻きながら「しょうがないマスターちゃんねぇ……」と深く息を吐いた。

 

「ま、仮にもマスターの命令であるし。レポート類なら私も見てやれるから……手伝ってあげるわよ」

「……ありがとう」

「……今度から、もっと早めに言いなさいな」

「……はい」

 

そう笑みを浮かべると、彼女もふっと頬を緩めた。

……やっぱり、好きになってよかった。

だってこんなにも、いっぱいの幸せな気持ちをもらえたんだから。

だからちゃんと、君に返していきたい。

少しづつ、確かに……。

少年が少女に手を伸ばした……その時。

 

「――いやぁよかったよかったよかった。無事に解決してなによりだ……ところでさ、マスターくんの責任はともかく私の費用と時間と労力をかけた作品を壊した責任も、ちゃんととってもらえるのかな?」

 

そんな声が響いて、さぁと青ざめる二人。

 

ぎりぎりとゆっくり横を見ると、にこにこと微笑む彼女の姿。

するとそれを見たとたん、脱兎のごとく竜の魔女は駆け出した。

 

「ちょ、ジャンヌさん!?」

「マスターあとは任せた、あれの責任は無理っ!!」

「じゃあ謝るの手伝ってよっ!!」

「やだこわいっ!」

 

言ってぴゃーと姿を消した彼女。

置いてきぼりにされ、ぽつんと一人残されたマスター。

 

「……えっとねダ・ヴィンチちゃん、そのなんというか……この度はご迷惑をおかけして、そのぅ……」

 

それからしどろもどろになりながら、ダ・ヴィンチに弁明をし始める。

しかしそんな冷や汗をかくマスターを見て、彼女はぷっと噴き出す。

そのあとくすくすと笑いながら「冗談だよ本気にしないでくれ」と言った。

 

「なぁに、あの状況で言い出したらどうなるのかなと思った悪戯心さ。別に怒ってないよ……むしろ、君が反省できたのなら安いもんさ」

「……怒られるって、わかってたんですね」

「まぁね。でも君は変に盲目的で酔ってるみたいだったし、どうせ私がいったところであまり効き目はないだろうし、ならいっそ思いっきり怒られて来いと思ってね」

「ご迷惑をおかけしました……」

「だから気にしてないって。そんなことよりも、君のところのうさぎちゃんを追いかけてあげなよ。片付けの手伝いは、そのあとにでもお願いするからさ」

「ありがとうダ・ヴィンチちゃん。じゃ、ちょっと行ってきます」

「……でもマスター。最後に一言、言わせてもらっていいかい?」

 

何ですか?

そう言って、扉の前でマスターは振り返る。

この時珍しく、彼女は迷うそぶりを見せた。

言うべきか、これは余計なことではないかという迷い。

……けれど、結局言った。

今言っておかないと……迷う暇もなく、言える機会がなくなってしまう気がしたから

 

やんわりと、彼女は微笑んで。

青い瞳の青年に、こう言った。

 

 

――君が一人で背負い込んでも、誰も生き返らないからねと。

 

 

「――はい」

 

言葉を聞いた少年は、すぐに短く返事をした。

考える間もない、それはきっと当人が深く自覚していたことなのだろう。

だから、ただ頷いた。

もう絶対、そういう勘違いはしないからと。

 

彼が走り去ったあとのドアを見る。

怒らないとは言ったが、本心は怒れないといった方が正しいか。

 

……もしあのとき、もっとできることがあったなら。

もしあのとき、もっと頑張れたなら。

 

そんな当たり前の思いを、少年が抱かなかったわけがない。

悩んでいなかったわけがない、だからあんなにも無理をした。

いつかの誰かの二の舞のように、なりそうなほどに。

唯一の救いだったのは、そんな彼を叱咤激励してくれる人間がいたことか。

 

……何せよ、やはり天才を自称する彼女にとって、感情の機微というのは非常に難しい。

気の利いた慰めをいってやれるセンスが乏しい。

こんな風に遠回りでしか、声をかけてやれない。

彼の方なら、もっと上手く優しくできたろうに。

 

そのくせ、自分がいなくなったあとのことをまるで考えてない鈍感さ。

 

おかげで君がいなくなった『責任』は、私がとっているんだぞ?

 

ああ、まったく、本当に。

 

 

「……もう少し、自分が好かれてるって自覚を持っといてくれよ、朴念仁」

 

 

そう彼女は、今はいない誰かに愚痴る。

 

――そうなの?それはなんというか、光栄だね。

 

けれどそんな気の抜けた返事と、能天気にケーキをつまんでいる姿が、容易に想像できてしまって。

 

私も他人のことはいえないなぁと、彼女はくすりと微笑んだ。

 

それは懐かしそうで、楽しいそうに。

 

そして少しだけ……寂しそうな、一人きりの笑顔であった。

 

 



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オルタ生活の始め方

グランドオーダー二次創作、ぐだ邪ン時空でオルタさん三人のお話です。今回は暴走ギャグです。キャラクターや設定は作者独自の解釈を含みます。
よろしくお願い致します。


「……というわけだ。これより新入りオルタ歓迎会を始めるぞ」

 

言葉と共に、少女はグラスを掲げる。

深くて濃い、鮮やかな赤。

薄く透明な一枚を隔て芳醇な香りを漂わせながら、蕩ける真紅は真白い指の中で踊る。

不敵に不遜に歪められた彼女の口元は、人の上に立つ者独特の高慢さを滲ませている。

目前にすれば、誰しも嫌でも理解させられることだろう

椅子に腰を下ろし笑いかけるこの女性こそ、暴君と畏敬の念を向けられるべき存在であると。

塵芥を傅かせる漆黒に、逆らう色などあるはずがなかった。

 

……同色にして亜種の、ほかの『漆黒』たちを除けばの話だが。

 

「……何が『というわけ』なのよ。主語を話なさい主語を」

 

そう言ってぺちぺちと自ら座るソファのひじ掛けを連打するのは、床まで届くほど灰色の髪を伸ばした少女。

黒いドレスの上から全身に蔦のように絡む鎖。

それは彼女が業火に身を焼かれた際、自らを縛り痛め続けた忌むべき拘束具。

けれどそんなものに巻かれながらも災厄の魔女はわずかも陰りの表情を見せず、むしろぐりぐりと指で弄びながら退屈を紛らわせていた。

まぁその苛立ち交じりの声を聴けば、全然紛らわせられてないことは明白だが。

 

「……相変わらず察しの悪い女だな。もう少し空気を読む努力をしたらどうなんだ?」

 

暴君が大きくため息をつく。

しかし魔女は悪びれず「アンタに気遣ってやる道理はない」と舌をべっと出した。

 

「てか、いきなり呼び出しておいて何の説明もない方がおかしくない?義務とか道理とか言うならまずアンタの方でしょ?」

「そんなもの、先ほどの『オルタ歓迎会』とそこの客人を見ればわかることだろう」

 

言うと騎士王はくいくいと横向けた親指でその『客人』を指し示した。

アルトリア・オルタが中心に位置し、ジャンヌ・オルタが右隣に腰を下ろす。

残る方向は左側。

そこに入るのは……第三にして最後の『黒』いサーヴァントだ。

……肩口で切りそろえられた灰色掛かった白髪、黄金色に輝く双眸。

それらの容姿は、二人のいずれかの特徴に通ずるものがあった。

しかし肌の色は、蝋や雪を思わせる二人と異なり、やや暗い褐色。

それはまるで炎で焼いたように赤く黒く、今でも熱を帯びていそうな肌

加えて彼女の纏う服はこの中で唯一の和を思わせるもの。

手に持った酒器もワイングラスではなくおちょこであり、無色の小さな水面に唇を落として傾けている。

そして一気に飲み干した後にほぅと息を吐いた彼女は、じっと見つめてくる自分と同じ色をした二つの視線に気づく。

 

「――すまない。まだ食べ始めてはいけなかったか?」

 

そう小首を傾げたのは、魔人にして魔神の剣士――沖田総司・オルタ。

先日カルデアに来たばかりの、第三の反転サーヴァントである。

まぁ例によって彼女も単純に『沖田総司』の裏返しというわけでもないのだが。

不安げな彼女に対し、アルトリアは「構わんさ」と苦笑する。

 

「もともと貴様の歓迎会が主なんだ。好きなように食べてくれ。ほら、おでんもあるぞ。日本酒のおかわりもいれてやろう」

「そうか。ではご厚意に甘えさせていただこう」

 

差し出されたほかほかの皿を手に取り、褐色の沖田は頭を垂れる。

それから空になった酒器に並々とついでやると、王は再び自らのグラスを掲げた。

 

「では仕切り直しと行こうか。改めてかんぱ……」

「待った待った待った説明終わってないわよ」

「貴様……先ほどから新入りの歓迎会だと言ってるだろう。なぜわからない?」

「わかるわけないでしょうが!?何が一番わからないってアンタが『歓迎会』なんてものをやろうなんて言い出したこの現状がわからないわよ!?」

 

日ごろから数限りなく憎まれ口をたたき合ってるだけあってジャンヌはこの黒の騎士王の気性をよくわかっている。

こんな面倒くさいことをわざわざやりたがるような性格でないことも、重々承知しているのだ。

アルトリアは睨んでくる竜の魔女に対し「別にやましいことなんて考えていないさ」と肩を竦めた。

 

「私だって面倒だし仕切りたくはなかった。だが何を隠そう、これを企画したのは我らが愛しきマスター殿だったのでな」

「またアイツか……」

 

余計なことを、とジャンヌは天を仰ぐ。

 

……アルトリアの話によると、新入りの沖田さんがいち早くカルデアに慣れてくれるようにということで、同じ反転組の王と魔女に白羽の矢が立った。

ついでに、「いがみ合ってばかりいないでこれを機に二人も仲良くしてみたら?」なんてことも言ってたらしい。

 

「仲良くぅ?」

 

話を聞いたジャンヌはそう唇を尖らせる。

語った黒王も「まったくだな」と苦笑した。

 

「奴のお気楽具合にもほとほと疲れてくる……が、生憎これはマスター命令。仕方がないから、こうやっていい子に幹事をしてやってるわけだ。大変だったんだぞ。場所取り注文その他諸々……だが、当初マスターと想定していた予算より安く済んでな。せっかくなので、偶然余った金額は私がチョイスしてきた料理に回させてもらったぞ」

「アンタそれが目的でしょ?無銭飲食で豪華なもの食いたかっただけでしょ?」

 

そんなことはないとフライドチキンにかぶりつきながら答えるかの王。

口元を油まみれにしながら口をもごもごする彼女に、ジャンヌは両肩をがっくりと落とした。

 

……搔い摘むとこうだ。

 

この歓迎会はあの能天気が企画した『茶番』で。

それもこの大食らいが私的有効活用してすでに目的を見失っている。

つまり……私が出席し続ける必要性はゼロ、といわけだ。

 

「帰るわ」

 

かつんと踵を響かせ、ジャンヌは立ち上がる。

アルトリアも止めはしない、自分の取り分が増えるだろうからむしろ大手を振って喜ぶことだろう。

きっとマスターから小言を言われるだろうが、そんなものは右から聞いて左に流してしまえばいいこと。

扉の方へと少女は足を踏み出す。

しかしその時、立ち去ろうとする彼女の背中に声が掛かった。

 

「……待ってくれジャンヌ。よければ話を聞かせてほしい」

 

呼び捨てかよ、と心の中で魔女は突っ込む。

ちらりと背後を振り返ると立ち上がった長身で褐色の女の姿。

暴走女は変わらず上顎と下顎の運動中。

 

「……別に話すことなんてないけど」

 

そっけなく返す。

実際にそうだ、新しいオルタだかなんだか知らないが自分には関係がない。

ジャンヌ・オルタが気にかけるべきことは己自身とほんの少しだけの……アイツのことである。

あとは野となれ山となれ。

しかし沖田はそっけない態度も気にせず言葉を重ねる。

 

「ジャンヌが一番、マスターの傍にいると聞いた。いろんなことを見て聞いて知っていると、マスター自身から聞いた。だからどうか、オルタの先輩としていろいろと教えてほしい」

「……せんぱい?」

 

ぴくんと、魔女の触角が揺れる。

ああと魔神が頷くと、「ふーん……」と少女は首を揺らす。

そしてしばらくすると「……しょがないわね」と言って再び席に着いた。

 

「どうしてもって言ってるわけだし。まぁ今回は特別に先輩として答えてあげましょうかね。先輩として」

「助かる」

 

魔神も微笑して席に戻った。

 

 

……本当にちょろいな、貴様。

 

嬉々として語り始める田舎娘を見ながら、王は言った。

無論そのつぶやきは誰に聞かれることのない、己が胸内でのことである。

 

 

■ ■ ■

 

――話してみれば、案外と内容はあるもので。

開始から二時間経った今でも、三人は言葉を交わしていた。

そして会話に比例して杯も交わし、気がつけば空の酒瓶がそこいらに転がる始末。

 

「そういえばこの前、マスターが香水作ってたのよ。誰から作り方教えてもらったのか知らないけど、今のマイブームはそれみたいね」

「ああ、アレは自作だったのか。なかなか上手く作れているじゃないか」

「嗅ぐ分にはね。でもこの前、アイツが私の部屋で作ってるときこぼしてくれちゃって、もう掃除が大変で大変で……しばらくは嗅ぎたくないわ、あの香水」

「それは災難だったな……だがマスターも、香水などつけずにともいいでしょうに。マスター自身の香りもとても落ち着く……」

「落ち着くぅ?あんなのどこがよ?」

 

両手を広げ、ありえないとジャンヌは言った。

普段に比べてさらに大げさなしぐさに、だいぶ酔いが回ってきてるのだと伺える。

沖田はマスターの匂いについて、そうでもないと首を振る。

 

「本当に良い匂いだった。私は好きだ。確か似たものがあったはずだが……」

「ほうそれは興味深い。思い出せそうか?」

 

黒王にしては珍しく、ほんのりと赤みが出てきた頬。

沖田は腕を組み思い出そうとするが、思考はぼんりと霧がかかったように半透明でうまくいかない。

なのに全員が酒を煽る手を休めることがなく、ぐいぐいと重ねるのでひたすら悪化する一方である。

 

「……そーいえば。以前自爆女がマスターの体臭についてどうこう言ってたな」

「やめ、それやめなさい!あのあとアイツ、引きこもって大変だったんだから……」

「ああ思い出したっ!!マスターの匂いってアレに似てるんですよ!!」

「アンタ、口調がなんか元ネタにもどってない?」

「貴様も同じぐらいキャラがぶれてた時期があったろ……それでだ。何のにおいがするんだ奴は……?」

「ふふふ。それはですね……こんにゃくです!マスター、どことなくこんにゃくの香りがすんですよ!おでん好きの魔神さんにはたまりません!」

 

嬉々として、口調がオリジナルと大差なくなってきた沖田がそう言う。

 

瞬間ぶふぅっ!?と見事な爆破音とともに赤い飛沫が飛び散った。

 

「……なーんでみんな笑ってるんですか?」

 

ひっく、としゃっくりを上げながら、熱っぽく潤んだ瞳の沖田は首をひねる。

対してジャンヌ・オルタはひーひーと声を枯らしながら机を叩いた。

 

「こんにゃ、こんにゃく……よりにもよって、こんにゃく……だめ、おなかいたくてしぬ……」

「ええーこんにゃくおいしいですよーまぁ沖田さんはちくわぶが一番の推しですが」

「いやそうじゃなく……ああ、もうこれどう説明したら……」

「……とりあえず、貴様が以前言った『イカ臭い』よりは洒落が利いてるじゃないか」

「ちょっとおお!なんでアンタそれ言っちゃうのよ!?」

 

ジャンヌはそう声を上げるが、アルトリアも両手で顔を覆ていて完全にダウン状態だ。

沖田も沖田で「イカかぁ……」とつぶやきながら何もない天井を見ている。

 

「でもマスターなんでこんにゃくの匂いしたんですかねぇ。もしかして、おでん食べた後だったり?マスターもちくわぶ気にってくれますかねぇ……」

「……駄目だ。この会話の流れだと、おでんもちくわぶも意味が深すぎて笑いが止められん……」

「ツボり過ぎよアンタ……それにちくわぶっていうよりどちらかといえばするめの足じゃない?」

「過少評価し過ぎだ。それに奴のは切っても再生しない」

「再生したらホラーすぎるわよ……でも絶対、ちくわぶもないわよ」

「いいや妥当だ」

「お二人ともなにについて話してるんですか?」

尋ねてみたが二人同時に「ナニについての話だと」返されてしまい、結局意味がわからずゴクリとまた一杯。

 

しばしの間ジャンヌとアルトリアで口論が続いたが、お互いに譲らず平衡状態は崩れない。

いつもなら「くだらないことだったわ……」と冷静になるはずだが、今はいつもからかけ離れてしまってるから終わりはない。

 

……むしろ、事態はより深刻に発展する。

 

「……どうしても譲る気がないのね」

「お互いにな」

「だったら結論は一つね」

「……ヤるか」

「ヤるわよ」

「やりますっ!」

 

にやりと愉快に笑う黒色の王と魔女。

 

そして、そんな楽しそうな二人につられて快活に手を伸ばす沖田総司・オルタだった者が加わって。

 

クライマックスなお開きが、幕を開ける……。

 

 

■ ■ ■

 

「……だるい。今すぐ布団に入りたい……」

 

そう言って深いため息を吐くのは、黒髪の少年。

その身は白と黒のすすけた衣装をまとい、よろよろとおぼつかない足取りで廊下を歩く。

言わずもがなカルデアのマスター、その人である。

先ほどレイシフトから帰還し、報告も終え、一日のノルマをすべて達成してようやく帰路へとたどり着いた。

もう両脚とも棒のようになり、眠気が彼のわずかばかり残った意識を刈り取ろうとする。

あと少しだけがんばれと自らに言い聞かせて一歩、また一歩と足を動かす。

……ああ、でも。

全部こなしたといえど、ほんの少し気がかりなことがある。

……オルタたちのことだ。

沖田さんの歓迎会をしてほしいとお願いしたけど、果たしてうまくいってるだろうか。

不安に思っていたが……おそらく大丈夫だろうとどこかで感じていた。

面倒くさがってはいたが、アルトリアもジャンヌもきっと気遣ってくれる。

そういう人間だというのは他でもない、彼女たちに助けてもらっていた自分だからこそ断言できる。

だから、あの沖田さんも……。

 

「……笑ってくれると、いいな」

 

……叶うなら、そんな優しく穏やかな未来に至れますようにとマスターは願った。

 

 

――この、背後から響く爆発音を耳にするまでは。

 

 

「……え?」

 

振り向けば、そこは廊下だったもの残骸。

黙々と立つ煙、ぱらぱらと宙を舞う塵。

そして大きく穿たれた廊下の穴から見えたのは……三人の人影。

うち一人が、「見つけたぁ!」とこちらをびしりと指差した。

 

「やっと見つけたわよマスター、うぃっく……さぁ、観念しにゃさいよぉ……」

「ジャンヌ?いったいどうしって、うわ酒くさっ!?」

 

思わず鼻を覆う少年。

すると少女は「やな感じー」と唇を尖らせた。

 

「女子に向かってくさいとかどうかと思うわよー自分なんてイカ臭いくせにぃ……」

「あ、あれはちょうど海のイレシフト先から帰ってきたから匂いがついちゃっただけで……」

「もういいだろう特攻女。さっさとやろう」

「アルトリアさんまで……いったい何が目的?」

 

見た様子飲み過ぎて完全に出来上がっているのは明白なのだがただ暴れてるわけではなく、何らかの統一された目的があるようだ。

尋ねるとアルトリアは「ああ実はな……」と意外なことに説明を始めた。

 

「実はこの戦車女と言い争ってな……マスターのモノがするめかちくわぶかって話になったんだがまるで決着がつかん」

「ごめん、何言ってるのか全然わかんない」

「それでだ、これじゃあ拉致があかんからここは手っ取り早く……貴様を押し倒して、身ぐるみ剥いで、ヤって確かめようという話になった」

「とりあえずオレの貞操が危機的状況にあることだけは理解した!!」

「マスターちゃん覚悟しなさい。私と蝋人形女と、剣士ちゃん三人でかかるから」

「え、沖田さんも!?」

 

愕然とする。

するとジャンヌとアルトリアの背後からもう一人、長刀を携えた褐色肌の少女が顔を出す。

見間違えようがない。

彼女こそ、マスターが先日招いた英霊。

今ジャンヌたちに面倒を任せたことを死ぬほど後悔してる、沖田総司・オルタである。

 

彼女はその金色の目に少年を映すと、小さく「マスター……」と名を呼んだ。

 

「……ありがとう。マスターの言う通り、よい先輩たちだった。実際に会ってみなきゃどうなるかわからない……その言葉を、身をもって知ることができた」

「うんほんと、何が起こるかわからんないよね……」

 

沖田の左右に立つ二人をにらみながらげんなりと、マスターは同意する。

すると沖田は微笑む。

優しく慈しむような笑みを、彼女は向ける。

……その指先を、長刀の束へかけながら。

 

「……郷に入っては郷に従え。その言葉に従い、私もこの二人に倣って楽しんでみようと思う。このオルタ生活を」

 

だから、と彼女は続ける。

きらりと輝く刃。

その漆黒は一本に留まらず、三つのきらめきをかざす。

 

オルタ三体の、完全な構え。

 

そして、彼女は言った。

にっこりと笑みは、どこか懐かしさを漂わせて。

ぺろりと舌舐めずりをして、黒の剣士は告げる。

 

「――マスターのちくわぶを、味見させて頂こう」

 

「……畜生、まるでときめかない」

 

 

そうほんのりと淡い涙を流して。

 

迫りくる三人からの、マスターの全力の逃走劇が始まった。

 

 

……さて、これにて本日のオルタ会はお開き。

 

第二回オルタ会は、正気にもどった三人が今回の件の罰としてカルデア大掃除させられたときになるだけど。

 

それはまた、次の機会に。

 

 

 



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極光は明けない夜に駆けて

今回は、セイバーオルタがメイン。


 

――不意打ち、という言葉がある。

意の外からくる攻撃、戦う者ならば誰しもが経験し、そして乗り越えてきたもの。

彼女らにとって、今日という日そのものが、その『不意打ち』というにふさわしいものであったろう。

 

「……なんか、いまいち」

 

ぽつりと一言、鏡に映る自身を見つめながら少女は眉根を寄せる。

黒いチューブドレスに同じく黒のジャンバー。

かつんかつんとブーツの踵を鳴らしながら、彼女――ジャンヌ・オルタはいろんなポージングを決めて自らの全身を観察する。

 

「……いまいちも何も、いつもと全く変わらなく見えるんだがな」

 

それともその『いつも』のセンスがいまいちだとようやく気付けたか?

 

くつくつと嗤うは、ジャンヌの後ろでソファに腰掛ける一人の少女。

同じ漆黒を基調としながらジャンヌの焔のような『苛烈さ』とは正反対の、深い夜の『静粛さ』を漂わせている騎士――アルトリア・ペンドラゴン・オルタ。

そんなせせら嗤いを浮かべる彼女に、ジャンヌはカッと歯を見せて威嚇行動をとる。

 

「うっさいわね。アンタなんかに意見は求めてないわよ」

「それは失礼……だが、実際に何があった?いつも以上に色気づいているぞ」

「……別に、色気づいてなんかないし」

 

ぷいと目線をそらし、ジャンヌはそうつぶやく。

……それで嘘をついているつもりだとしたら重症だなと、やや紅色の頬をした田舎娘の姿に王はため息をついた。

 

「……『明日の日曜の予定でちょっと言っときたいことあるからあとで話にいくね』と、確かマスターが言っていたな」

「ちょっ!?アンタ、ばらすんじゃないわよっ!!」

 

顔を真っ赤に染めながら、竜の魔女はびしっと声の主を指差す。

アルトリアとはジャンヌを挟んで反対側、そのベットの上で体育座りをしながら本を開いてた褐色の少女は「すまん」とこっくり頭を下げた。

ここカルデアにおいて、どこぞの二代目サンタを除いて三体目の反転サーヴァント。

自称『魔神さん』こと沖田総司オルタは赤くなったジャンヌに対し、「けれどいずれはバレることだぞ」と、また余計なことを口にする。

その沖田の『日曜日の予定について』を聞いたアルトリアは「ああ、なるほどな」と手を打った。

 

「……つまりはデートか」

「ああ。おそらくでーとだ」

「ああもうっ!!」

 

ぷすぷすと頭から白い煙が出ていた彼女は耐えられなくなって、ぼすんとベットへその身を沈める。

沖田もごろんと転がって華麗にだらしなくその衝撃を交わす。

それから魔女はぐるりと体を器用に丸めて毛布に包まり、それはそれは見事にでかい白饅頭が完成した。

出来立てのせいか、まだほくほくと蒸気を発している。

 

「今更そうなるほどのことか?散々人のいない所いる所構わずでしてたくせに」

「そうなのか?」

「ああ。少し前なんて部屋を訪ねてもほとんどいなかったからな。むしろ、マスターの部屋の呼び鈴を鳴らしたら半裸のコイツが出てくる始末だった」

「突っ込みどころが満載だな。その辺りを詳しく……」

「詳しく話すな聞くな!ていうか、私からしたらなんでアンタたちが私の部屋を溜まり場にしてんのよって突っ込みたいの山々なんですけど!?」

 

ぺいっと首だけ饅頭から出して抗議をするジャンヌ。

その姿にかつての魔女の威厳など、どこにもない。

だがそれは他のオルタも同じこと。

「貴様の部屋が一番広いからに決まっているだろう」とお菓子箱より『あるとりあ』と油性ペンで書かれたポテチの袋をいそいそと取り出して食らう騎士王。

「おでん食べたい……」と漫画を抱きしめ、ごろごろと左右に転がる抑止の守護者。

そのだらけ切った姿は、とても生前の関係者に見せられたんのではない。

 

「何せ生活用品のほとんどがマスターの部屋に置いてあるんだからな。その分使われてないここのスペースがもったいなかろう?故に、我々が有効活用してやっているわけだ」

「それにここにいれば、ジャンヌから借りた本の続きが気になっても勝手に読める」

「か・え・れ!それにアイツ最近忙しいから全然遊びに行けてないし、こっちに来てくれてもなぜか菓子折り四人分持ってくるようになってるし……」

「御飯が多いことはよいことだと思うぞ?」

 

そうじゃない!と饅頭から生えた手はぼすぼすとベットを叩くとその波に「わー」と無感動な声と両手を上げて沖田は揺られる。

それからジャンヌは毛布に顔を擦りつけながら「二人きりになれることなんて全然ないじゃない……」と絞り出すような声を漏らす。

らしくもなく意気消沈する彼女に、アルトリアはやれやれと肩をすくめる。

 

……何を落ち込んでいるんだか。

 

いくら会えようが会えまいが、あの男にとってこの饅頭が何よりも特別であることは揺るがない事実なのだ。

傍らから見ていればすぐにわかる。

彼がどんな色の瞳で、この女を見つめてきたのか。

嫌でも、解らされる。

なのにこの竜の魔女は、『愛』に疎いがためにこんなしょうもない不安を抱いてばかりで。

 

「……いい加減にしてほしいものだな」

 

そろそろ慣れろ、といつまで経ってもうぶな少女に苛立ち交じりのため息をつく。

 

……そうだ。

 

このときまでは、胸を渦巻くこのわずらわしさの原因は『そう』なのだと、騎士の王は思い込んでいた。

 

――ピンポーンと、軽快な電子音がなる

 

『ジャンヌいるー?入るよー』

 

続けてなじみの少年の声が響いて、ジャンヌの身体は跳ねる。

 

「今、ちょっと起きるから、ってぎゃあ!」

 

包まったまま慌てて起き上がったためうまくバランスがとれず、そのまま前のめりになってジャンヌは転倒した。

ごちんと響く音に、「痛そう……」と沖田は顔をしかめる。

 

同時に部屋の扉もカシャンと音を立てて開く。

 

「……これはまた、派手にやったねぇ」

 

くすりと頬をゆるめたのは他でもない、彼女たち三人のマスター。

そして彼の微笑みの原因は、鼻頭を赤くはらして目じりにうっすらと涙を貯めて「……笑うんじゃないわよ」と頬を膨らませた、毛布を頭から被った魔女その人である。

 

「残念、もう遅いよ。けど、あんまり暴れちゃだめだよ。怪我したら大変だ。特にジャンヌは戦闘中でも日常でも危なっかしい」

「マスター、自分でヘマして自分で被った言わば自業自得だ。気に病む必要はない」

「でもどうせなら痛い目に少しでもあってほしくないってのが本音なんだ」

「相変わらず親バカっぷりだな……」

「こんな親なんていらないし……」

「そう拗ねないでよ。お土産にケーキ買ってきたからさ。勿論、アルトリアさんと魔神さんの分もあるよ。ここにいてくれてよかった」

「これは重畳。ありがたく……む、マスターの分がないようだぞ?」

 

ショート、チーズ、チョコ。

マスターから渡された箱の中身にはその三種類しかなかった。

沖田からの鋭い指摘にマスターは「ごめんねぇ」と苦い笑いを浮かべる。

 

「このあとダ・ヴィンチちゃんと工房でやらなきゃいけないことあるからすぐに行かないといけないんだ。いっしょに飲むのはまた今度にしようね」

「……御託はいいからさっき言ってた『話』ってやつを聞かせなさいよ……わ、私も明日なら、特に予定はないから……」

 

ちょんちょんと人差し指と人差し指を突き合わせ、しどろもどろにジャンヌは語る。

するとそれはよかった!とマスターは手を叩いて笑みを浮かべる。

 

……あとは、予想通り。

 

マスターから逢引の誘いがあって、しょうがないわねともったいぶりながら自爆女は了承する。

それから自爆女は着ていく服をどれにしようかと悩み続け、結局一睡もできないままマスターと出かけてくる。

帰ってきたらマスターは楽しかったといい、魔女はそこそこねと頬を染めながら感想を口にする。

それで物語はおしまい。

ああ本当、いつも通りで安心だ。

 

そうなると、彼女は信じきっていた。

 

「――じゃあ留守番よろしくね。オレとアルトリアさんが新宿に出かけている間、部屋の片付けとかしっかりするんだよ」

 

……彼が自分の名前を口にするまで、そう思っていたんだ。

 

「……は?」

 

思わず、声が漏れた。

きっと今までにないくらい間抜けに、私の瞳は大きく見開かれていたことであろう。

今だって、思考が追いついていない。

脳の思考機能が、活動を停止している。

しかしマスターはそんなことお構いなしに「そういうわけで……」と今度はアルトリアの方へと顔を向け立ち上がる。

 

「……明日、カルデアスのまえで待ってるね。あ、いろいろ回るから動きやすい服で来た方がいいよ。それじゃ!」

「え、あ……マス、ター……?」

 

声をかけようと思ったが言葉にならず、手を振ったマスターは扉の向こうへと消えてしまった。

あとに残されたのは少女三人、今回の不意打ちの犠牲者たち。

 

一人は白いケーキ箱を両手に持って首をかしげる抑止の守護者。

もう一人は真っ白い毛布と同じぐらい真っ白に燃え尽きた竜の魔女。

 

そして最後の一人は一番の被害者……その白磁の肌にほんのりと朱を滲ませた、気高き黒の暴君である。

 

 

■ ■ ■

 

「……どういうつもりなのだろうな。マスターは」

 

サクッと、銀色のフォークをいちごの脳天に突き刺しながら、沖田はそうつぶやく。

それからぱくりと一口で頬張り、じんわりと広がっていくみずみずしい酸味に頬をほころばせた。

うっとりとショートケーキを愉しんでいる沖田に対し、反対の席に腰掛けるアルトリアは「……さぁな」と短く答える。

その手元にはチョコケーキが置かれていたが、一切口をつけた形跡がない。

いつもなら誰よりも真っ先に食らいつくであろう彼女なのに、フォークを手に持とうとさえしなかった。

 

「……とりあえず、ジャンヌは部屋に寝かせてきたが大丈夫だろうか?」

「勝手に回復するだろう。それでもダメならあの天使のもとに連れていけ。嫌でも起きるさ」

 

あの後、完全に放心状態になってしまったジャンヌをベットに寝かしつけたあと、二人は食堂へと移動した。

さすがにあんな燃え尽きた人物の横でこの話を続ける気にはなれなかったからだ。

食堂は夕食時のピークを過ぎて閑散としている。

沖田がケーキをフォークで切り分ける音が響き渡るほどに。

 

「……どうする?」

 

そう沖田が問う。

アルトリアはそれに対し「どうもこうもない」とあっさりと答えた。

 

「マスターの言う通り、明日はいっしょに新宿に行く。『マスターの命令』だからな。そこで目的をこなし、帰還する。この通り、何のことはないミッションだ」

「明日、マスターは休みのはずだぞ」

「だからどうした。まさか、任務以外の目的があるとでも?ただ私と出かけたいだけだって?ありえない」

「ありえない……ことなのか?」

 

ああそうだ、と黒王は断言する。

……見れば、わかるさ。

どれだけ、あの男があの女を追いかけてきたか。

どれだけ、あの女があの男を置いていかないように歩幅を調整していたのか。

わかるさ、わかっている、だから傍らから眺めていたのに。

苛立っても自覚しないようにと蓋をしていたのに。

勝負しても負けるから、虚しさしさ残らないから。

ただその光景に、私は拍手を贈るだけの『観客』でよかったのに。

 

 

どうして今更……お前は、私を舞台に上らせようとするんだ?

 

残酷にも、ほどがある。

 

「マスターに、話を聞いてくるか?」

「……いやいい。貴様が気遣うことではないし、ましてマスターの手を煩わせることでもない」

 

気にするなと、アルトリアは言った。

だが沖田は「そうも言えないぞ」と首を横に振る。

 

「思い詰めるようなら聞いた方がいい。その方が今よりはすっきりするのではないか?」

「……何故、貴様がそこまで気遣う?放っておけばいいだろう」

 

すると沖田は、まっすぐとアルトリアの瞳を見て答える。

 

――今のアルトリアは、放っておいていい人間の顔をしてないと。

 

……ずしんと、その一言で胸が重くなる。

 

「……そんなか?」

「ああ、そんなだ。放っておいたら……誰かを、殺してしまいそうなぐらいに」

「……安心しろ。その時はこの首にでも刃を立てるさ」

 

言って彼女は立ち上がった。

それから背を向け、その場から立ち去ろうとする。

これ以上ここにいても、きっと何も改善しないだろうから。

 

「……ケーキはいいのか」

 

そう背後から声が聞こえる。

少女は「今は無理だ」と答えた。

チョコレート、とってもおいしいチョコレート。

その甘さと苦さの二律相反は、まるで今のこの胸の中を表しているようだから。

 

「……とても、飲み込めたもんじゃない」

 

そう、口元を抑えて。

黒い少女は足早に去っていった。

 

しばらくの間、沖田はアルトリアの背中が消えた向こう側を。

じっと静かに、眺めていた。

 

 

■ ■ ■

 

――翌日。

誰もいない早朝の廊下を、アルトリアは一人、踵を鳴らして歩く。

いつものドレスとは違い、今日は外出用の私服に着替えている

かつんかつんとなり響く音は高くゆっくりで……そして重い。

 

……眠ることなど、できはしなかった。

今だって眠気はこれっぽっちもない。

あるのは果てしない倦怠感だけ。

……聞くべきだったんだ、沖田の言う通り今日は何をするのかと。

そうすればこんな思いをせずに済んだ。

なのに私は拒んだ。

それは心の中にあった……微かな『期待』を壊したくないがために。

ばかげた話だと思う。

勝ち目がないといいながら、私はそんなものにこだわった。

どっちになれない半端者、それが私だ。

ああまったく、今すぐにでも自分の喉を掻き斬ってやりたい気分だ。

 

……でももしも、私が彼を欲しがったのだとしたら。

どうして、力づくで奪おうと思えないのだろうか。

ほしいものは手に入れる、奪う、誰の指図も受けず許さない。

そう反転した私が、何故。

 

わからない、何一つ。

この胸に巣くうものに名前すら付けられず。

 

「……アルトリアさん?」

 

呼ばれてはっと我に返る。

気づけばそこはもう廊下ではなく、青い光の下。

煌々と輝くカルデアスを背に、マスターが心配そうアルトリアを見ていた。

 

「大丈夫?具合悪そうだけど……」

「い、いや大丈夫だ、問題ない。さっさと行こう……」

「そう?ならいいんだけど……」

 

じゃあ準備を始めるよと言って、少年は職員に声をかける。

……上の空にも限度がある。

こんなことでもし任務中にマスターも怪我でもさせたとなっては死んでも死にきれないと、彼女は己を叱咤した。

 

「アルトリアさんがその私服で新宿ってなると、ちょっと良かったな。特に今日なら尚更かも」

「……っ?」

 

マスターのつぶやきに、アルトリアは理解が及ばず首をかしげる。

どういう意味だと尋ねる前に、職員の方から準備ができたと知らせが入った。

 

「じゃあ行こうか」

「あ、ああ……」

 

マスターに連れられて、アルトリアは歩きだす。

……質問は向こうに行ってからまた尋ねよう。

そう思い、歩を進める。

 

……その問いかけ自体が、無意味なるとも知らずに。

 

 

■ ■ ■

 

――もう何度目だろうか、この感覚は。

吸い込まれるようで吐き出される。

落ちているようで登っているような、この感覚。

レイシフトという行為に慣れはないが、もう新鮮さもない。

光がやめば、彼女の見慣れた視界が開けるともうわかっているから。

 

ほら、そうこうしているうちに光は徐々に弱まってくる。

 

頬を撫でる風は、夜の風を伴って。

深く暗い空とそれに負けないぐらいに暴力的に光る電灯。

降り立ち地は土ではなく、硬く固められたコンクリート。

 

そう、アルトリアはその黄金色の瞳で見た。

 

今彼女が立っている世界、新宿と。

その隣に立つ、晴れやかな笑顔を浮かべるマスターと。

 

―――目の前に置かれた、白銀のボディを。

 

「……なんだと」

 

驚きを隠せなかった。

それは予想だにしなかった光景であるがゆえに、言葉を失う。

するとマスターもそんなアルトリアに「驚いてもらえて何よりです」と満足げにうなずいた。

 

「実は最近ダ・ヴィンチちゃんといっしょにやってたのってコレでさ。新宿でのデータをもとに再現してみたんだ。見た目だけじゃなく、基本スペックは同じなはずだよ」

 

マスターがいうコレ。

それはかつて、この新宿を縦横無尽に駆け回った鋼の馬。

 

……アルトリア・オルタのモーターバイクが、そこにあった。

 

「……何故だ?」

 

尋ねると、「だって前言ってたじゃん」とマスターは微笑んだ。

 

「カルデアだと狭くて思う存分走れないって。だからダ・ヴィンチちゃんにお願いして場所とバイクを手配してもらったんだ。あ、このバイクはダ・ヴィンチちゃんの特別システムが搭載されてるらしくて普通に乗るよりも魔力消費を抑えられるはずだよ!ほら、ヘルメットも一応ある」

「いや違う、そうではなく……どうして、私にここまでしてくれるんだ?」

 

……わけが、わからない。

こんなこと、容易くできることじゃない。

何日も時間をかけて、何人にも頭を下げて。

それだけの苦労を、捧げてやることもできたはずだ。

彼が愛して止まない、彼女に……。

 

なのにどうしてと、アルトリアは問いを投げる。

すると彼はきょとんと一瞬呆けた顔になる。

けれどすぐに、にこっとした晴れやかな笑顔に戻る。

そして言った、そのわけを。

いつも通りの、彼らしい声で謳う。

 

――だって、喜んでくれるでしょって、ただそう一言。

 

「アルトリアさんには昔からお世話になってるし、何かお返しできたらなって思って。それにアルトリアさんが喜んでくれたなら、オレもうれしい。だから……ね?」

 

そう首を傾け、上目遣いにヘルメットを差し出す。

……そこに損得はない。

駆け引きもなく、哀れみもない。

あるのはただ……貴方が喜んでくれるならという、彼の純粋な『想い』だ。

 

……なんだ、これは。

本当にどうかしてる。

溜まらず笑い声が漏れた。

腹を抱えて、口元を抑えて、少女は体を震わせる。

別にこんな夜に声を上げるのは構わないが、抑えなければこの場で転げまわってしまいそうだから、耐える。

 

それほどまでおかしかったのだ。

 

……さっきまでこじらせていた、自分の嫉妬心が。

 

――ようやく、わかった。

私はコイツを獲られるのが不安だったんじゃない。

コイツが私のことを……ただの『外野』だと思ってしまうことが、嫌だったんだ。

 

……初めのころは、まだ閑散としていたカルデア。

マスターと多くの戦場を共にした。

彼が自分に頼るだけの、立ち上がる勇気のない者であったなら、彼女は即座に見捨てたことだろう。

けれど少年は立ち上がった。

それどころか、かの騎士王と肩を並べようとした。

その勇ましさ、透き通るような健気さに、私は胸を打たれた。

可愛らしいとすら思えた少年は、いつか信頼をおけるようになり。

いつのまにか、王の前を歩く者にまで成長した。

……心地よかった。

笑いかけてくる彼に、微笑みを返すことが。

頼られることに、見守れることに、私は安らぎを覚えていた。

 

だからこそ……振り向かなくなった彼に、不安を覚えた。

魔女がやってきて、彼の隣を歩く者は決まった。

守護者が召喚されて、彼の前方を切り開くものが現れた。

多くの英霊が集い、彼を守り歩んでいる。

 

では、私は?

私の居場所はどこにある?

前を向いても、彼を覆う人だかりにさえぎられて見えない。

騎士王に頼らなくても、彼を助けられるものはいくらでもいる。

ゆえに羨んだ。

誰よりもそばにいた魔女を。

確かな剣と成れていた守護者を。

成りきれていない私は、苛立つ日々を送った。

 

……でもそんなこと、もうどうでもいい。

今の彼の笑顔で十分だった。

ただ一度その笑顔を見れただけで。

私は……まだ信頼されているのだと、実感できてしまった。

 

この男はきっといつまでも、私を信頼している。

どれだけ時が流れようと、どれだけ離れようと。

一度信じたアルトリア・ペンドラゴン・オルタという唯一を、敬愛し続けるのだと。

それがわかったら、もう何もほしくなくなった。

一番欲しいものは、ただ見えなかっただけで。

確かにここに存在していたのだから。

 

「……アルトリアさん?」

 

突然笑い出した私に、彼は戸惑いの表情を浮かべる。

……ああいけない、これはいけないな。

マスターに頼られる騎士王が、こんな挙動不審では意味がない。

だから私は顔を上げて、ふぅと大きく息を吐いた。

それからにやりと笑ってこう言ってやる。

 

――そのヘルメットは、貴様が使えと。

 

「はい?」

「見たところ、それは私には大きすぎるようだ。大体サーヴァントだぞ?そんなものは必要ないし、案外貴様にそれを渡した画家の真意は、そうじゃないのか?」

「いやでもそれじゃあアルトリアさんが気分よく走れないし……」

「まったく、好きな女にはぐいぐい攻めていく癖にこういうときは奥手と来た……いいか、一度しか訊いてやらんからな」

 

言うとアルトリアはバイクにまたがり、エンジンをかける。

途端荒々しくも凛々しい響きが夜空に響く。

そして彼女はまたがったままそのすらりとした肢体をひねり、夜の闇の中光る白磁の指を差し出し、不敵に笑った。

 

「――来い、マスター。今夜は寝かせないぞ」

 

……それはまぎれもない、王の厳命であり。

同時に少年がずっと支えられあこがれ続けていた、少女の勇気だった。

 

……ああ、もう。

 

かっこいいなぁ、本当。

 

そう胸の内で白旗を掲げながら反対に「承知しました」と少年は頭を垂れた。

 

「よし。ならさっさとヘルメットを着けろ」

「ちょっと待ってね今すぐにって、あっれ。思ったよりも固いというか狭いっていうか……」

「貴様は本当器用なのか不器用なのかわからんな……こっちへこい、つけてやる。ああ、目は閉じてろよ。指が眼球に入ったら危ないからな」

 

それは怖いと苦笑しながらマスターは顔を近づけた。

ヘルメットを手に取り、被せてやりながらそうだぞとアルトリアは再度頷く。

 

「……きっとあとが怖いぞ、マスター」

 

意味深な台詞。

何のこと?と口を開こうとしたら……音出す前に、塞がれた。

 

……ふっくらとした感触が、少年の唇を伝う。

肺の中に、誰かの吐息が流れ込む。

吐き出した息に彼女のが混じり、鼻孔すら犯されて。

一瞬のようで永遠の熱い舌触りを、彼は体感する。

 

……ちゅっと音を立てて、塞がれていた唇を開いた。

ヘルメットの透明版一枚隔てて見えた視界の先では、ぺろりと舌なめずりをしたアルトリアの姿が。

 

「……どうした、そんなに呆けて。ヘルメットの内側でも舐めてしまったか?それは苦そうだ」

「……いえ、死ぬほど甘かったです」

 

そしてあとが本当に怖いと、ヘルメットの上から口元に手を当てるマスター。

透明なフィルターは水滴のせいで白く染まってしまって、ふすふすと茹っている姿はどこぞの誰かを連想させる。

うぶな奴だと、王は笑った。

 

「……いつまでも呆けてないで、さっさと行くぞ。しっかりつかまれ。事故っても知らないぞ」

「すでに大事故なんですが……」

「さてなんのことやら……そうだ。マスター、一つ忠告だ。近いうちにあの自爆女と遊んでやれ。でないと拗ねるぞ」

「そうだねぇ最近遊べてないし……明日の夜にでも行くよ」

「大きく出たな。ではマスター、貴様に確定事項を教えよう」

 

言って彼女はグリップを回す。

一際高いエンジン音がなり、マスターはアルトリアを抱きしめる力を一層強めた。

 

……その感触に微笑みながら、王は告げる。

 

「――貴様は二撤確定だ」

 

そしてバイクは走り出す。

開けない夜を、空を駆け抜けるソレは、まるで檻から解き放たれた獅子のように。

自由に歓喜する。気高き咆哮をあげた。

 

 

Re/stay night

 

「……こんばんは。こんなところで何をしてるの?危ないわよ」

 

声が響く。

にぎやかな繁華街から少しづれた、小さな道路。

そこでたむろしていた男たちは、響いてきた声の方へと視線を向ける。

かつかつという靴音が近づくほどに、闇の中から輪郭が露になる。

 

――肩口で切りそろえられた白銀の髪。

輝く黄金色の双眸。

雪のような白い肌と、艶やかな曲線を描いた女の肢体。

黒のジャンバーを揺らしながら現れたその女性は、魔性というにふさわしい色気を漂わせていた。

男たちの欲情を駆り立てるには、十分過ぎるほどに。

 

「へへ、何言ってんだ、ねーちゃんこそ、こんなとこに来ちゃいけないぜ」

「そーそー。こんな時間に一人なんて、こわーい人や危ない化け物に襲われちゃうかもよー」

 

言いながら男たちは女の周りを取り囲んだ。

全部で四人、それも全員がこのおかしくなった新宿を受け入れた咎人たち。

女を組み伏せることに、もはや何の抵抗も感じない。

荒い息遣いで目の前の『特上』をなめるように見ている。

けれど女はそんな男たちの視線に怯みもせず「ご親切にどうも」と微笑んだ。

 

「じゃあ親切なお兄さんたちに、私からとっておきの『いいこと』を教えてあげる」

 

女はしゅるりと羽織っていたジャンバー下ろした。

覗き見える少女の白い肌に、けだものたちはごくりと唾を鳴らして。

 

……服が擦れた瞬間に火花が散って、女は嗤う。

 

「――私がその、『こわくて危ない化け物』よ」

 

――刹那、ごうと爆発音とともに炎が燃え広がる。

紅蓮は男たちの肌を撫で、野太い悲鳴があちこちで上がる。

しばらくのたうち回った後、赤くなった肌を抱えながら必死に逃げ出す野良犬たち。

無数の焦げ跡と『化け物』一人が、その場に残った。

 

「……あー、めんどくせー」

 

乱暴な口調でがっしがっしと髪を掻く少女。

ついでに足元の石ころを蹴ったが、それで腹の虫はおさまりはしない。

ふしゅーと機関車の蒸気のような濃くて深いため息を吐く。

 

「……ジャンヌ、こっちは終わったぞ」

 

からんと、下駄の音が背後で鳴った。

振り返ると、その手に長い刀を携えた一人の黒い少女。

自分と同じ目をしたもう一人のオルタに、ジャンヌは「手伝ってなんて言ってないわよ」とだけ言った。

 

「ああ。だがそもそも、マスターには留守番を言い渡されていたはずだ。何故新宿についてきたんだ?」

「ばーか。私がアイツのいうことなんか聞くわけないじゃない。新宿なんかに死体女と二人っきり。私は家でお留守番。やってられるか!……危ないに、決まってるじゃない」

 

最後のほうだけ小さくつぶやかれたので、思わず沖田は噴き出してしまった。

がしかしジャンヌにじろりと睨まれたので、そ知らぬふりをする。

 

「でもほんと、チーズケーキ一個じゃ見合わないわね。めんどくさい……」

「……てっきり邪魔するかと思っていた」

「はぁする気満々ですけど?あいつらに会ったら二人とも焼いてやるわよ。さーて次はこっちの道ね。うん絶対アイツらはこっち、今度こそ捕まえてやる」

 

言いながら彼女は歩きだす。

……響き渡るエンジン音とは、逆の方へ。

先回りしながらも待つことはせず、『掃除』をして進むだけの魔女の後ろ姿に、宵闇の剣士は思わず微笑んだ。

 

「……優しいな」

「次変なこと言ったら二度と口を開けないように焼いてやる」

「それは困る、おでんが食べれない」

「判断基準そこなの……」

「では魔神さんも、黙ってショートケーキ分の仕事をしよう」

「そういや、チョコレートケーキはどうしたの?」

「冷蔵庫にある……ジャンヌの」

「おいこら」

「さぁさぁ、しゃべってないで先を急ごう」

 

からんからんとなり響く下駄と、かつかつと怒りを打つ靴。

明けない夜に、追いかけ追いかけられる二人のこの物語は。

 

王も少年も知らない、些細な幕間の物語。

 

 



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白を着る理由

お料理するオルタズなお話です。
よろしくお願い致します。


 

 

「……美味しい」

 

感嘆の声が、濡れた唇から漏れる。

褐色肌の彼女が手に持っていたのは、木製のお椀一つ。

中にはもくもくと暖かな湯気を漂わせるこげ茶色の流体。

緑や白など静かな色のかけらたちを漂わせるその一椀は、味噌汁と呼ばれる和食料理。

それは少女――魔神の沖田総司にとっては非常に食べ慣れた料理。

また馴染み深い故に、はっきりとその美味しさを感じ取れる一品であった。

沖田は椀と箸を置き振り返ると、にっこりと微笑んで「とてもおいしい」ともう一度口にした。

すると、背後にいた人物は「そりゃどうも」とそっけない答えを返す。

 

「……別段これといってすごいもの作ってるわけじゃないし、無理して褒めてくれなくていいわよ」

 

きゅっと蛇口を閉め、洗った調理器具を拭いて元の棚に戻すのは沖田と同じ目をした黒衣の少女。

身にまとっていた白のエプロンをとり、ポンポンと慣れたしぐさで畳むのは何を隠そうかの邪竜を従えし唯一の魔女。

ジャンヌ・オルタは冷蔵庫から冷やしてあった麦茶の容器を取り出し、コップ二つとそれを持って沖田の前の席に座る。

しかしそんなあっさりとしたジャンヌとは反対に、沖田は少し目を輝かせながら「そんなことはない」と否定を口にする。

 

「これだけものを瞬時に作れてしまうなんて、疎い私からしたら魔法のようだ」

 

そういって示したのは沖田の前に広がる食器たち、その上に盛られた料理の数々である。

白いごはん、味噌汁、焼き魚、おひたし、豆腐……。

和を特徴とした品々がずらりと並ぶ。

それらをつまみながらしきりに美味しい美味しいとつぶやく守護者の少女に、魔女は赤くなった頬を手の甲で隠しながら「大袈裟よ……」とつぶやく。

それから持ってきたコップ二つに冷えた麦茶を注ぎ、「どうぞ……」といって一方を沖田に差し出した。

それを「ありがとう」と受け取ってごくごくと飲む邪気のない姿を見ると、なんだか途方もない脱力感に襲われてしまって、ジャンヌは大きくため息を吐いた。

「……まぁでも。満足してもらえたんならよかったわ」

 

ジャンヌがこうやって食事を作った理由。

それは約一時間ほど前、彼女たちがレイシフトから帰ってきたところまで遡る。

 

今回のレイシフトは一日がかりも大騒動。

飲まず食わずでひたすらに素材回収に走る一行。

当然ぐだっぐだに疲労し、お腹も背中の皮に引っ付くほど空くこととなる。

しかし、カルデアに帰還したのは夜の十一時過ぎ。

食堂はとうに閉まっており、間の悪いことにジャンヌたちの備蓄インスタント食料も尽きた。

 

 

加えてこの空腹は朝まで保てそうにない。

そんなときジャンヌがとった行動が……。

 

「……自炊すると言ったときは驚いたぞ。だが出来は悪くない。よくやったぞ、空振り女」

「……どうしてアンタのぶんまで作ってやっちゃたのかしらね」

 

やっぱ疲れてんのね私、と麦茶を煽りながら、もっきゅもっきゅと頬を揺らす金糸の髪の少女を睨む。

睨まれた少女――アルトリア・オルタはきょろきょろと辺りを見渡し、「私のコップはどこだ?」と首をかしげる。

 

「ないわよ。自分で用意しなさい」

「貴様サービスが悪いぞ」

「サービスはメイドのアンタの領分じゃなくて?とゆうかそれぐらい自分でしてよ。私アンタらの分作って自分の分無いんだからさ……」

「……なるほど、じゃあオレが作ってあげようか」

 

――びくんと、無意識に体が跳ねてしまった。

慌てて振り返ると、背後には「ばんわー」と間抜けな挨拶をする一人の青年の姿。

……本当に疲れているらしい。

こんなあほ面を浮かべた奴の気配にも気づけないなんて、よほど重症だ。

 

「……寝るんじゃなかったの?」

「そうしたいのは山々だったんだけど、空腹が無視できないレベルにまで達しててね。何かつまんでから寝ることにした……それ、ジャンヌの手作り?」

「そうだぞ。とってもおいしいんだぞ」

 

言って自慢げにお椀を差し出す沖田。

目を輝かせながら迷いなく賞賛する様に、ジャンヌは「やめてよ……」と頬を染めながらそっぽを向く。

 

「へぇいいなー。オレももっと早くくればよかったな」

「早く来たところであんたの分なんてつくってやんないわよ。缶でも食ってなさい」

「おや冷たい……けど、なんか安心したかも」

「何が?」

 

そう聞き返すと、マスターは「だって一時期すごかったじゃないか」と話を続ける。

 

「ジャンヌってさ、ものすごく料理の勉強してたじゃん。本読んだりエミヤさんに聞いたり、それこそ徹夜でしてたり」

「……また余計なことを覚えてるわね」

「余計じゃないよ。だって実際に成功してるじゃないか。沖田さんにもアルトリアさんにもみんなに喜んでもらえてるんだし、練習したかいがあったよね」

 

そう、マスターは笑顔で言った。

 

……ああ、本当によかった。

この気だるさが、私の全身を支配していてくれて本当によかった。

でなければきっとこの拳は、そんな戯言をのたまった彼の唇めがけて一発かましていたことだろう。

 

……みんなのため?

馬鹿を言うな、この私が、竜の魔女が『誰かのため』なんかに努力するわけないでしょう。

私が努力したのは、たった一つのため。

すべてはあの時の報復。

 

……嫌がると信じて、渡したチョコ。

それをものともせずに、アンタはばりばりと食べてみせた。

そのとき向けられた笑顔が、苛立たしくて。

……でもなんだか、同時に胸の中に温かいものが込み上げてもきて。

逃げるしかできなかった自分が悔しかった。

悔しくて、泣いて、思い出して駄々をこねて拗らせるだけの日々。

 

でもいつか、料理をしてるアンタを見て思い付いた。

 

……そうだ。

 

アンタが一生懸命に作った料理よりも、ずっとずぅっと。

 

美味しい料理を私が作ってやれば、今度こそ悔しがってくれるはずだ。

 

だから練習した。

アンタの悔しがる顔が見たいがために、私は努力した……のに。

 

『――なんか、安心したかも』

 

……代わりに見れたのは、ほっと胸を撫で下ろしたかのような表情だけ。

ああ、なんで。

そんなにも容易く……誰かを想う表情を作れるのか。

 

「……やってられるか」

 

つぶやくと、ジャンヌは立ち上がる。

それからかつかつと足音を響かせながら調理場へと足を運ぶ。

 

「どうしたのジャンヌ」

 

背後から声が響く。

何一つもわかっちゃいない能天気な声。

少女はその無知な声へ向けて語る。

 

……アンタの分、今から作るからと。

 

「え?でもさっきは面倒くさいって」

「気が変わったのよ。作ってあげるわ……だから精々戦きなさいな。アンタよりも数段上手くなった、私の実力に」

 

にやりと笑ってみせる魔女。

 

その凄惨で不器用な笑顔に、『誘い方が下手だな……』と外野二人が思ったのは内緒である。

 

言われたマスターはぽかんと呆けた顔を一瞬。

 

けれどすぐににこりと笑い返す。

そしてこう言うのだ。

 

――じゃあジャンヌの分はオレが作るね、と

 

今度はジャンヌがぽかんとなる番。

マスターは「それぐらいはしないとね」と立ち上がり、歩み寄ってくる。

 

「ジャンヌだって晩御飯食べてないんだし、ギブアンドテイクでいいでしょ?それともまさか……『無償』で君はそんなことをしてくれるのかな?」

 

最後のささやきは、少し頬を歪める彼。

 

……コイツ、ちゃんとわかってるじゃないか。

 

私の煽り方を、誘い方をしっかりと心得ている。

 

「……アンタも大概、いい性格してるわね」

 

苦笑すると「慣れだよ」と肩を竦める。

 

……ならば、尚更だ。

 

尚更見せたくなった。

 

アンタの知らない私を、アンタが想像し得ない私の味を。

 

見せつけて驚かせてやりたい。

 

だから……。

 

「……負けないわよ」

 

「勿論、オレも負けないよ」

 

――その言葉を皮切りに、互いにエプロンを手に取った。

 

……変わらない。

 

結局本質は変わらないのだ。

私がこんな、似合いもしない『真っ白な』エプロンを纏う理由。

 

それは単に……アンタの驚く顔が、見てみたいだけ。

 

ただ、昔と少し違うのは。

 

……美味しいと一言、添えてもらいたいだけで。

 

 

「……随分、女々しくなったわね」

 

まったくなぁと苦笑しながら、ジャンヌはリボンを結ぶ。

 

……似合いもしない『白』を揺らしながら、少女は包丁を手に取るのであった。

 



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痛む短冊

季節外れな七夕ネタのぐだ邪ンです。よろしくお願い致します


 

 

「……この際だからはっきり言うけど。私七夕って嫌いよ」

 

反吐が出るわ、とこれまた心底嫌そうな声で、ジャンヌは言う。

対してマスターは「へぇ、そうなんだ」と作業の手を止めず、他人事みたいな軽い答えを返す。

 

……素っ気なさすぎる彼に、かちんとくる。

 

「……だいたい、こんなものに願いなんて書いて何になるのかしら?所詮気休めよ。非効率的だわ」

 

ぴらぴらと、手に取った桃色の短冊を揺らしながら、小馬鹿にしたように笑う。

しかし少年は、「そりゃ言っちゃおしまいだ」と苦笑するだけで、竹を壁に立て掛ける仕草に迷いはない。

それからマスターはくるりと振り返り、不機嫌そうな顔をする竜の魔女に微笑む。

まるで、我が儘な子供を諭すみたいに。

長年の保護者のような口調で、彼は言った。

 

「言いたいことは色々あるだろうけど……その前にさっさと書いちゃいな。じゃないと、七夕終わっちゃうよ」

「……ちょっと待ってなさい」

 

 

がり、とシャープペンシルにかじりつきながら再び腕を組むジャンヌ。

短冊と彼女のにらめっこ。

 

……素直じゃないんだから。

 

やれやれと肩を竦めて、少年も準備作業に戻る。

するとそこへ、かちかちと小さい足音が響いてくる。

そして「トナカイさん?」と声が聞こえたときには、振り返るよりも前にその人物の正体に思い当たった。

 

「ジャンヌちゃんこんにちは。今日は一人?」

「はい。そうなんですが、これはいったい……?」

 

尋ねながら視線は目の前に大きく在る竹一本に釘付けになるジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィ。

好奇心に満ちた小さな瞳に笑いながら「七夕だよ」とマスターは答える。

 

「日本だと七月七日にこうやってた竹を立て掛けて、その葉に願い事を書いた短冊を吊るすってお祭りをやるんだよ。ましば織姫と彦星さんの伝説があるんだけど、道せつめいしようかな……?」

「……結婚した途端働きもせず『夜鳴き』がうるさいって苦情が来て、挙句別居させられたバカ夫婦の伝説よ」

「ズレながら若干当たってるから嫌なんだよなそれ……」

 

ロマンを求める方が間違いよとシャーペンを指先で回転させながらジャンヌは言った。

リリィはリリィで「成程、ご近所付き合いは大切ですね……」と頷いてしまっている。

こんな夢のない話をしたかったわけじゃないのに、とマスターは額に手を当てた。

 

「……まぁそれは置いといてだ。ジャンヌちゃんにもはい、短冊あげるからお願い事を書いて」

「え、いや私は……」

 

……予想に反して、リリィは苦い顔を浮かべる。

 

「あれ、もしかして嫌だった?」

「嫌ではないんですが、その……」

 

もじもじとしどろもどろになる少女に、青年は首を捻る。

その会話の進まない二人の光景に、傍らの魔女はため息をつく。

……別段助け船を出してやる義理はないが、自分と同じ顔をしたアレがあんな醜態を晒しているのはなんとも言えない。

 

やれやれと肩をすくめた後「おい、そこのチビっこ」と声をかける。

すると即座に「チビじゃありませんサンタです!!」と返答がくる。

 

「威勢がよくて結構……ちょっとこっち来い」

「な、なんですか……?」

 

手招きするジャンヌに警戒しながらリリィは近づいて行く。

それからリリィが隣に来たのを確認するとジャンヌはペンをしっかり持ち、短冊をトンと小突いて「……なんて書きたいの?」と端的に尋ねる。

 

「……え?」

 

言われた内容の意味がわからず、リリィは思わずそう声を漏らす。

しかしジャンヌはそんなリリィにこれ以上気を使ってやるつもりはないらしく「早く言わなきゃ締め切るわよ」と容赦なく言った。

 

「ほーら締め切るわよ。ごーよーんさーんにぃー……」

「あ、えと、ト、『トナカイさんとこれからも仲良くいたいです』っ!!」

「腹立つから却下」

「やはり外道です間違った私ぃ!?」

 

はいはい外道外道、と言いながら筆を走らせるジャンヌ。

書き終えるとその短冊を見せ、「これでいい?」と小さい自分に問いかける。

 

「いい、ですけど……何故、書いてくれたんですか?」

「別に。ただ、干からびたミミズみたいな字を書かれたら私の沽券にも関わるから先手を打っただけよ」

「な!?そんな汚くありませんっ!」

「どうだか。何ならそこのマスターに比べてもらう?私の字と、アンタの字で」

「う、うぅっ……ぜったいっ!!いつか絶対に、間違った私なんかよりも達筆になってみせます!!」

 

覚えておいてください!

 

そう捨て台詞を吐いて、半泣きのリリィはびゃーと駆け足に去っていった。

その後ろ姿にジャンヌは「まずは『鉛筆上手に持てる君』でも使ってなさいな」と言って舌をべっと出した。

 

「……こっちのジャンヌは素直じゃないねぇ」

 

くすりと腕を組んでにやにや笑うマスター。

……ほんと、らしくもない真似をするんじゃなかった。

「さっさとこれ持ってけ」と彼女は短冊を差し出す。

 

「はいはい。じゃあジャンヌに新しい短冊あげるね」

「……いや、要らないわ」

「え?」

 

閃いたのはまさに、マスターが腕を伸ばしてその瞬間。

ぱしりと、少女は短冊を取ろうとした腕を逆に捕まえる。

それからその白く煌めき肌に指を這わせる。

ついと、冷たい感触が筋をなぞって、少年は肩を震わせる。

 

「ジャンヌ……?」

 

そう声をかけても、少女は無言。

なぞっていた細い指は、やがて少年の肌に爪立てる。

微熱とともにぷっつりと切れ、滴り始める赤。

その傷口を彼女は爪を使って広げてゆく。

マスターの肌に刻みながら、「言ったでしょ」魔女は語る。

 

「私は七夕が嫌いなの。『星に願いを』なんてロマン溢れる柄じゃないし、誰かが叶えてくれるのを待つほど気長でもない。だから……欲しいものには、ちゃんと名前を書いておく主義なの」

 

そう彼女は微笑んだ。

赤々と少年の腕で潤み輝く、『Jeanne d'Arc』という文字を見せつけながら。

 

……これはまた、大胆なことを。

 

刻まれた文字の熱さに、マスターの頬もついと上がる。

 

「……でもさ、君のものになるかはオレ次第じゃないかな?」

 

訊いてはみたが、実際には意味のない質問だとわかってる。

ただ単に知りたかったのだ。

この少女が、どんな言葉を返してくれるのか。

そんな好奇心が止められず、思わず尋ねてしまった。

すると彼女は「それはそれでいいんじゃない?」と答えてみせる。

 

「けど結局、そんなすました顔は出来ないわ。きっとね」

「どうかな?」

「じゃあ予言してあげる……『貴方は今夜、私の部屋の扉をノックする』って」

 

待ってるわ。

 

言葉を告げて、手を離して、少女はあっさり立ち去った。

先程までの熱烈さは嘘のような幕引き。

 

残したのは少年と、爪でえぐった傷跡。

 

……ああ、まったく。

 

腕に残った痛みを抱き締める。

 

痛むたびに心臓は鼓動を増して。

滲むたびに顔の温度は上がる。

 

脳髄に染み込むこの甘さは、まさに麻薬。

 

……真実は一つだけ。

一分一秒でもいいから、早く見たかった。

 

『私のものよ』と笑った君の笑顔を……。

 

「……かっこいいのに可愛いんだよな、ほんと」

 

そう少年は宣言する。

なんとも嬉しい、この敗北を。

 

……そして、少年は準備を再開した。

祭りのための準備を、早く終わらせるために。

 

 

今夜はもう一つ、大事な予約が出来てしまったから……。

 



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悪い夢の冷まし方

悪い夢を見たぐだ邪ン小説です。
よろしくお願い致します


――ごうごうと、燃えたぎる。

 

火をつけてから、もうだいぶ経つのに。

いくら薪を焦がしても、どれほど脂を溶かしても。

 

焔は、まるでとどまることを知らない。

 

……息が苦しい。

 

肺に流れてくるのは、黒ずんだ煙と火の粉。

きっともう、胸の中身はどろどれに溶けてしまったことだろう。

でもさっきまでに比べれば、この息苦しさも悪くはない。

炭化した指が少しずつ崩れていく様とか。

熱に耐えられなくなった骨が、ばきりばきりと容赦なく折れていく痛みとか。

 

……今だ鼓膜に響き続ける皆の怨嗟の声なんかよりも、ずっとマシだ。

 

これだけの熱に炙られてもなお、眼球は蒸発しない。

だからよく見えてしまう。

焔の向こうで、ニタニタ笑う彼らや、涙に顔を歪める彼女たちの表情が。

 

……ああ本当、いつまで経っても変わらない。

 

例えサーヴァントしての生活を手に入れても、私の『起源』は変わらない。

こうやって夢に見て、思い出す。

この、計り知れないほど激しい憎悪を……。

 

……しかしだ。

 

ここからが違った。

 

焔の向こうから民衆の中に一人、鏡を持った奴がいた。

今までの私の夢にはなかったもの。

誰だ、とぐつぐつ煮える目を凝らしてみたが……別の意味で、彼女は驚愕する。

 

その人物が誰かはわからない。

けれど、鏡に映ったものは確かに見えた。

 

赤い光の中で崩れ行く人間。

その顔は無論私、『ジャンヌ・オルタ』で……はなく。

 

 

……とてもよく見慣れた、蒼い瞳の少年であった。

 

■ ■ ■

 

――夢は、ここで終わる。

 

跳ね起きた彼女の体は、びっしょりと濡れていた。

火刑の『夢』を見たあとなら、この湿りはいつも通りで驚きはしない。

だが今回は……火炙りにされたのは自分ではなかった。

 

「……きっつ」

 

 

パン、と少女は額を叩く。

……何がきついのか、具体的にはよくわからない。

けれど今でも、胸の奥がぎゅうっと締め付けられている。

自分が焼かれているときには感じなかった、この感情。

この苦しさは、いったい……。

 

「……ジャンヌ、どうしたの?」

 

突如響く声に、ジャンヌははっと我に返る。

視線を下ろすと、彼女の傍らには目を擦りながら上体を起こす彼の姿が。

 

「……悪い。起こしたわね」

「いや、それは全然いいけど……大丈夫?顔色真っ青だよ」

 

心配そうに覗き混んでくるマスター。

ジャンヌはそんな彼から顔を反らしながら「少し悪い夢を見ただけよ」と答えた。

 

「悪い夢って、どんな夢」

「……言いたくは、ない」

 

それは心からの、彼女の本心。

口にするのも、おぞましく思えた。

本能的な恐怖。

あんな光景がもし現実になってしまったら、それだけで体が震える。

 

しばしの沈黙が訪れる。

肩を抱く少女をじっと見ていた少年だったが……その後にこりと笑って「大丈夫だよ」と彼女の体を抱き寄せた。

 

「嫌なら別に言わなくていいよ……ただ一つ、オレも感想は言っとこうかな」

「……何よ、感想って」

「……熱いというより素直に痛いもんだね、火炙りって」

 

はっとジャンヌは顔をあげて、マスターを見る。

マスターもそんなジャンヌの反応に「やっぱりなぁ」と苦笑した。

 

「……ものすっごいリアルだったからさ、たぶんジャンヌかなぁと思ってたんだけど……うん、やっぱりかなり痛かったな」

「……ごめん」

「君が謝ることない。マスターとサーヴァントの関係上、普通にある現象だ……それにだよ。あんなことは絶対に起きない。だから大丈夫」

「……絶対って何?断言は出来ないわよ」

 

今後の人理修復で、どんなことがわからない。

完全ではないにしろ、似たようなことは起こり得る。

だから絶対なんてない。

けれどマスターは「絶対ない」と首を横に振る。

 

「なんで決めつけられるのよ?」

「んーだってさ……そうなる前に、きっと助けてくれるだろうからね。誰とは言わないけど」

 

ちらりと、少年は視線を送ってくる。

他ではないジャンヌに向けて。

そこには何の疑いもない。

きっとやってくれると、こんな竜の魔女を信じきっている。

 

……同時に気づいた。

どうして、あんなにも胸が痛むのか。

至極当然のことだ。

何故なら私の胸にあるべき『心』と言われるものは。

 

……今微笑んでいる、彼に奪われてしまっていたのだから。

 

奪われている証拠に、こんな露骨な台詞に対して……私は頬を緩めてしまっている。

……一緒に燃やされていたんだから、痛くて当然だ。

 

「……そうね。そうなる前に、すっぱりその首を落として、ちゃんと息の根を止めてやるわよ」

「怖いなぁもう……ああそうだジャンヌちゃん。一ついいこと思い付いた。もう悪い夢を見ないで済む方法」

「そんな都合のいい方法あるの?」

 

勿論とマスターはジャンヌの腰に手を回した。

それからゆっくりと彼女を押し倒していき、横たわる少女を見下ろす。

それからにやりと、ほくそえんだ。

 

「……このまま寝ないってのは、どう」

 

するとジャンヌは「最っ高に頭悪いわね……」と呆れたようにため息をついた。

 

「えー名案だと思ったのに……」

「いいえバカよバカ、この大バカモノよ」

「ちぇ。なら諦めます……」

「……ほんともう、バカね貴方は」

 

言ってジャンヌはマスターの襟首を掴んだ。

そのままぐいと引き寄せる。

力に従いマスターの顔は落ちる。

その下に、頬を赤らめたジャンヌの顔もあって。

 

二つの唇が塞がる前に、彼女はこう言葉を紡ぐのであった。

 

「……別に嫌とは言ってないわ」

 



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未練がましいひとたち

「……まったく、還るにしても一言ぐだいは欲しかったな。おかげで散らかった君の部屋の片づけをオレ一人で片付ける羽目になった……」

 

言ってため息をつくマスター。

目の前にあるのは、見るも無惨な姿の彼女の部屋。

今なき、『彼女』の私室である。

……人理修復が終わったあと、少年に何も告げずに還ってしまった。

 

本当に勝手な子だなと少年は頬を膨らませる。

 

だが、膨れる理由はそれだけではない。

 

別れも告げずにいつの間にか消えた君。

その、あまりに未練のない彼女の行動。

 

……落胆がなかったわけじゃない。

 

最後ぐらいは何かあると思っていた。

でも何もなくて、ただ空になった部屋だけ残されて。

僅かに残る彼女の香りが、胸の寂しさを濃くさせる。

 

……どうせ帰るなら、跡形も残さず灰にでもしてくれればよかったのに。

 

思いながら机の上に散らかったごみを袋の中へ無造作に詰める。

そのしぐさは少し、荒々しい。

 

「……後で使うからとか言って、すぐこうやってものをため込むんだから。ほら、カレンダーが二個もある。どうせ一個遭難したからッてまた新しくもらったんでしょうねぇ……」

 

ちゃんと片づけをしないからこうなるんだと少年は愚痴をこぼす。

 

よれよれになった卓置きカレンダー。

 

机の上に転がっていたその二個を手に取る。

 

まったく同じデザイン。

雑だなぁと肩をすくめる。

 

……けど、すぐに気づいた。

 

同じではなかったのだ。

 

よく見ると、一方は2017年の日付。

そしてもう一つは……2018年のカレンダー。

まだ来ぬ来年の日付が、そこにある。

 

……よれよれの、捲られ過ぎて脆くなった紙。

手垢にまみれた卓上。

 

少年がおもむろにパラパラと2018年をめくると……びっしりと、彼女の字が綴られていた。 

 

一日、一日、一日。

 

小さな枠の中に、色んなことが書いてあった。

 

……わかっていたはずなのに。

救えようが救えまいが、彼女に『来年』なんて訪れるはすがないって、知ってたはずなのに。

 

バカにしていた、はずなのに。

 

それでも、インクを滲ませていた。

もう終わった過去のカレンダーを見返しながら、まだしたことない出来事を数えながら、彼女は埋めた。

 

来るはずのない、竜の魔女の『来年』を……。

 

「……こういう置き土産は、ちょっと卑怯だぞ」

 

ずぴりと鼻を鳴らす。

ぱちんとカレンダーを閉じ、足元に目をやる。

いっぱいいっぱいになったごみ袋、少女の脱ぎ捨てた服を纏めたもの。

あとはただ、ぽいと捨てるだけ……。

 

 

「……単純だな、オレ」

 

……ピッと電子音がなる。

ごうんごうんとうなり始める鉄の箱。

空になったごみ袋を潰しながら、積めていた彼女の名残を回す洗濯機にもたれ掛かる。

 

……あと少しだけは、信じてみよう。

 

何かの間違いで、もう一度あるかもしれない奇跡を。

 

--諦めず最期まで予定を綴り続けてくれた君と、同じように。

 



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お返しな舌触り

バレンタインなチョコを味わうぐだ邪ンの短編です。 よろしくお願い致します


「……んぐ。美味しいねぇ……」

 

ぱりぱりと、噛みしめるたびに音を立てて。

じんわり滲む甘さに頬を綻ばせながら。

マスターはしみじみとそうつぶやいた。

 

「……はいはいそりゃどーも。ったく、いつまでも食ってんだか……」

 

能天気にもぐもぐと頬を膨らませる己がマスターを見て、ジャンヌは呆れたように息を吐いた。

 

「そりゃあジャンヌちゃんからもらった10QPの貴重なチョコレートだからね。大事に食べないと……って、あれ?」

「どうしてたの?」

「……ない」

 

マスターの膝の上に置かれていた小箱。

そこにはもう、あの甘くて黒い塊はかけらも残っていなかった。

ジャンヌも底が見えるようになったことを確認すると、「ああやっとか……」とどこか安心したような表情を見せた。

 

「もう一か月くらい毎日食べてるくせに一向に減らないもんだから、いったいどんな食べ方をして……なんでじっとこっちを見てるのよ」

「……おかわり、とか駄目?」

「駄目」

 

即答されると、がっくりと少年は大きく肩を落とす。

 

露骨に消沈した少年の姿に後ろめたさと少しの嬉しさを感じながら「来年まで待ちなさいよ……」とジャンヌは言った。

 

「来年なんて待てないよぉ……はぁ。もっと食べたかったなぁ……」

「ふ、ふーん……そんなに、気に入ったの?」

「うん。だってオレ甘いモノ大好きだし。」

「……ちょっと待て。まさか単純にチョコレートが好きだからとか言わないでしょうね?」

「え?単純にチョコレートが好きだけど?」

 

……かちんと、その一言が頭にきた。

なるほどなるほど、私が作ったチョコ関係なく単純にチョコレートが、甘ければなんでもいいと言うわけだ。

 

「ジャンヌちゃんジャンヌちゃん、甘いの頂戴!」

 

にぱっと笑ってくる無邪気な顔。

けれどこの無垢には、私の想いのかけらすら伝わってない。

いらいら、いらいらと心が沸騰し始める。

 

……だから、私は言ってやった。

 

「……いいわよ。だったらもう一度くれてやるわ……でもね」

 

チョコで伝わらないのなら。

隔てても、伝わらないのなら。

 

……もう直接、伝えるしかないから。

 

ぐいと、襟元を引っ張る。

力強く、拒否する間も与えず、近づいてくる顔に少女はこう言った。

 

「……今度は、とびっきり熱いわよ」

 

絡む吐息、熱い温度。

唇が触れる直前、少年がふっと頬を緩める。

そして聞こえた、どうか空耳であってほしいとは思ったけれど。

 

――召し上がれと、たった一言。

 

(……ほんと、嫌な奴)

 

先ほどとは打って変わった大人びた声に、魔女は苦笑する。

……あの日から、ちょうど一か月。

やけに子供じみた彼の態度とか、わざとらしく私の前で食べて見せた姿とか。

そもそもそんな大事に食べていた奴が、そのチョコの真意を汲んでいないわけがなくて。

これは無垢ではなく、何重にも織られた『意図』があって。

……それに絡まった私は、まんまと乗せられたわけだ。

 

ああ、もう、まったく。

 

どんな無茶を望んでやろうか、楽しみにしてたのに。

高いものをふっかけたり、バレンタインのお返しを口実に色々コキ使おうと思っていたのに。

焚き付けられた私は、否応なく貴方の『一口』で終わらせられてしまう。

それはとても悔しい……だけど一番悔しいのは。

 

……嫌とは拒めない、私自身だ。

 

 

この白い日に、贈られるプレゼント。

 

 

それは火傷しそうなほど熱くて甘い……貴方の舌触り。

 

 



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