落ちこぼれの成り上がり 〜劣等生の俺は、学園最強のスーパーヒーロー〜 (オリーブドラブ)
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本編 生裁戦士セイントカイダー
第1話 学園のスーパーヒーロー


 痛い。

 体中が、痛い。

 

 爪先も、指先も、腕も足も。

 今にも血管が千切れて、血が噴き出して来そうだ。

 

 だが、敵からすればそんなことは知ったことではない。

 むしろ、好機と取るだろう。

 

 ふらつく俺が弱っているものと捉え、組み伏せようとしてくる。

 

 俺はいつものように、軋む身体を力の限り暴れさせ、奴らを振り払う。

 襲い掛かってきた男達は、俺の振るう鋼鉄の腕に吹っ飛ばされ、椅子に、壁に、机に、その身を打ち付けていく。

 

 それでも、奴らは諦めない。

 何人かがナイフを取り出し、威嚇の声を張り上げる。

 

 普通なら、腰を抜かしてしまう所だろう。

 しかし、俺には通じない。

 

 ――と言うよりは、そんなものに構っていられる余裕もない、という方が正しいだろう。

 正直な所、こっちは立っているのが精一杯なんだから。

 

 男達は罵詈雑言を浴びせながら、次々と向かって来る。

 顔面を狙って突き出された拳を屈んでかわし、鳩尾に肘を突き入れる。

 

 蹴りを脇で挟んで動きを封じると、空いた腕から繰り出す手刀で蹴り足を叩き折り、その顎を爪先で蹴り上げる。

 

 背後から羽交い締めにされれば、後ろにある頭を掴み上げて、力ずくでコンクリートの床へとたたき付ける。

 容赦などない。

 そんな余裕はない。

 

「ナメんじゃねぇぞぉ、コラァ!」

 

 男の叫びに呼応するように、他の連中も俺に向かって殴り掛かって来る。

 こんな光景を見慣れてしまった自分にはため息をつかざるを得ない。

 

「……しょうが、ねぇな」

 

 ため息混じりに背から引き抜かれた一振りの剣。

 それが、俺の得物だ。

 生身の人間相手に使うのはやり過ぎだろうが、こっちも殺されたくはない。

 

 鋼の鎧に、鋼の剣。

 完全装備で事に臨む俺を前に、さしものならず者達も身構えずにはいられないらしく、いつでも飛び掛かれる姿勢を見せ付けながらも、攻めへの一線を越えようとする気配はない。

 

 そんな奴らの様子を一瞥し、俺はここでカタをつけることにした。

 長期戦は、俺の身にはきつい。

 

「うちの生徒に手を出したんだ、堪忍な」

 

 真横に、軽く振る。

 それだけで、暴漢共は軽やかに宙を舞い、グシャリと地面に落下した。

 

 さすがに力の差を感じ取ったのか、意識や体力は残っても、立ち上がろうとするものはいない。

 

「てめぇ、なんなんだ……!」

 

 足元から、今にも消え入りそうな声が聞こえて来る。

 戦意はないが、恨めしそうではある。

 

 奥には、椅子に縛り付けられたウチの女子生徒が苦悶の表情で俯いている。

 意識こそあるようだが、状況が状況なだけに正面を直視できないらしい。

 

 自分の学校のスーパーヒーローが助けに来たといっても、こんな怒号と悲鳴が渦巻く戦場のど真ん中に晒されては、不安にもなるだろう。

 

 その時、その女子生徒の喉にキラリと短い刃が光った。

 

「へ……へへへ! もうここまでだぜ、ヒーロー気取りが!」

 

 さっきの一撃から運よく逃れた奴がいたらしい。

 

 思わぬ奇襲で取り乱したら、何はさておき襲い掛かるものだが、こいつの場合は今の一振りを目の当たりにして却って冷静になったらしく、女子生徒を人質に取る手段に出た。

 

「オラァ! この女が惜しいんなら、そのバカでけぇ剣を寄越しな!」

 

 月並みな台詞を吐き、奴は武装解除を要求してくる。

 「やれやれ」と首を左右に振り、俺は剣を握る力を緩めた。

 

 言うことを聞く気になった……そう思ったんだろう。

 俺から剣を奪うことに夢中になったのか、女子生徒の首からナイフが離れた。

 

「これが欲しいんだろ、持ってけ」

 

 気の抜けた声でそれだけ言うと、俺は剣を一気に握りしめ、振りかざす。

 慌てた男は再び人質にナイフを向けようとするが、それよりも速く、投げ飛ばした俺の得物が奴の刃物を弾き飛ばした。

 

「落っことすとは、うっかりさんだなぁオイ!」

 

 男が落としたナイフを拾おうとした時には、俺はもう充分に距離を詰めていた。

 ちょこっと小突く程度の力加減の裏拳で、男は白目を向いてぶっ倒れた。

 

「さて……俺がなんなのかって話だったよな」

 

 地に伏した生き残りに歩み寄るに連れて、その顔色は蒼白になっていく。

 俺はその場に腰を下ろし、俯せのまま憎しみと畏怖の視線で俺を見上げる男に、軽く自己紹介した。

 

「生徒の手により裁くべきは、世に蔓延る無限の悪意……『生裁戦士(せいさいせんし)セイントカイダー』。宋響学園(そうきょうがくえん)を守る、正義のスーパーヒーロー……だったりする、かな」

 



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第2話 船越大路郎と桜田舞帆

 俺は船越大路郎(ふなこしだいじろう)、十八歳。

 

 絵に描いたような、平凡な高校生そのものである……と自称したいところだが、ちょっとそれは難しいかもしれない。

 

 純粋な日本人として、ごくありふれた黒髪でありながら、その端々に赤みが掛かり、さながらメッシュのようになっている俺の頭は、平凡とは言い難いだろう。

 

 そんなことを口にしたら、本当にごく普通な全国の高校生の方々に多大なご迷惑が掛かってしまう。

 

 言うまでもないが、念のために言っておく。これは地毛ではない。

 

 あと、自分の容姿だけ説明したら札付きのヤンキーかと思われてしまうだろうから、これも言っておく。

 俺は心優しい純朴な若者です。

 お願いだから信じて。

 

 そんな俺は、今まさに学校に遅刻しようとしている。

 別にケンカとかしてて遅れたわけじゃない。

 純粋に寝坊しただけだ。

 

 ここから俺の通う私立宋響学園(しりつそうきょうがくえん)まではまだ距離がある。

 学園へ行く通学路は、住宅街の周りに弧を描くように伸びている。

 

 それはつまり、住宅街を突っ切れば近道ができるということだ。

 

 担任に大目玉を喰らうことなく、爽やかに午前を過ごすためにも、俺は住宅街へ繋がる曲がり角へ突撃し、

 

「おわッ!?」

「きゃあッ!」

 

 漫画とかでありがちな、美少女との衝突という、甘酸っぱい青春ラブストーリーの幕開けを思わせる美味しいイベントに直面した――つもりだったんだが。

 

「いったたた……って、船越君じゃないッ!」

 

 あぁ、出やがった。

 おいでなすりやがった。

 今だけは、この娘にだけは会いたくなかったのに。

 

「や、ややや、やぁ舞帆さん、朗らか朝ですね……」

 

 テンパる余り裏返る俺の声に、ぶつかってきた艶やかなポニーテールが特徴の清廉潔白委員長タイプ的美少女・桜田舞帆(さくらだまいほ)は全てを悟ったように眉をひそめた。

 

「……住宅街に住んでないはずのあなたがぶつかってきたってことは、近道しようとしてたってことね」

「べ、別にいいじゃんよ! 遅刻には代えられない!」

 

「前に学園の生徒が、住宅街で他校の生徒と乱闘を起こして子供に怪我させて以来、宋響学園の生徒は住宅街に住んでいる生徒を除いて立ち入ってはならない決まりになったのは知ってるでしょう?」

 

「俺は別にケンカするためにここに行こうとしたわけじゃねーよ……」

「そう言って自分の都合のために行動する人がいたせいで、宋響学園全体に迷惑が掛かるのよ。自重しなさい!」

 

 凛々しい瞳で俺を射抜く。

 言い訳の一切を許さない、苛烈なまでの正義感が彼女の特徴と言えよう。

 

 結局、俺は舞帆に引きずられる形で本来の通学路を走ることを余儀なくされ、二人揃って遅刻したにも関わらず、俺だけが怒られる結末となった。

 

 まぁ、舞帆には「海外留学から帰ってきたばかりで時差ボケが直っていなかった」という、一応は立派な事情があったからなんだが。

 

 ……だって俺、ただの寝坊なんだもの。

 

 △

 

「ホント、舞帆はすげぇよな。ヒーローみてぇだ」

 

 今年は2036年。科学技術の飛躍的進歩を促す現代を迎えてから、それまで英雄や人気者を指していた「ヒーロー」という存在は、企業などのイメージアップのためのマスコットやアイドルとなり、警察のような働きを勤める者達の代名詞となっていっていた。

 

 かつてはテレビの中の存在でしかなかったであろう「ヒーロー」は、この時代における「職業」として実現を果たし、世間に浸透しているのだ。

 

 そして、科学開発の果てには多くのヒーロー能力が生み出され、世はまさにスーパーヒーローのバーゲンセールというわけだ。

 

 今では、あらゆる企業が自社お抱えのマスコットやアイドルとして、専属ヒーローを擁している。

 中には、自ら企業を立ち上げ、経営者とシンボルを兼ねるヒーローもいたりする。

 

 日本にある、そうしたヒーローを統括している「スーパーヒーロー評議会」。

 

 そこでライセンスを取得すれば、たちどころにヒーローになれる。

 そして、試験や実績で成果を上げれば、ヒーローとしてのランクが上がる。

 

 今はそういう時代なんだ。

 

 俺の通うこの宋響学園は、過去に多くのヒーローを輩出してきた名門校であり、進学校でもある。

 

 生徒の成長を促すことを第一とし、「飛び級」が認められていることが主な特徴の学園だ。

 

 現在エンターテインメントで活躍しているヒーローに憧れて、この学園に来た生徒も多い。

 

 校舎などの施設の多くは常に最新のものが用意され、敷地も普通の高校の倍近くはある。

 

 ダイヤを模った校章も、なかなかリッチな印象を醸し出している。

 

 舞帆の弟は、ここを飛び級で卒業してヒーローライセンスを取得したらしい。

 おまけに彼女の父はこの学園の校長と来た。

 

 彼女ら一家は、学園近くの住宅街の中でも最も豪勢な屋敷に住んでるんだそうだ。

 

 そして、この宋響学園にもスーパーヒーローが存在している。

 企業ではなく、学校の専属である唯一のヒーローであることから知られている、その名は――

 

「ねぇ、聞いた? セイントカイダーがまた一暴れしたらしいよ」

 

「知ってる! 隣のクラスの子が悪い商売してる人達に捕まっちゃったときに、一人で乗り込んでやっつけちゃったんだよね!」

「なぁ、セイントカイダーってどのくらい強いのかな」

 

「噂じゃあ、日本で一、二を争うくらい強いって話だよ」

「マジか……? 確かにいつも悪い奴らをぶちのめしてるけどさ、正直言って他のヒーローに比べたら活躍が地味じゃね?」

「でも、他のヒーローが捕まえられなかった凶悪犯をやっつけたこともあったよな」

「アレはヒーロー達の時間稼ぎに便乗した漁夫の利、って形で決着ついてただろうが」

 

 ……そう、この学園の平和を守る、正体不明のスーパーヒーロー。

 それが「セイントカイダー」。

 

 純白と薄い黄色を基調にした、無骨な装甲服とマスク。そして、「生徒会」を思わせるネーミングから、生徒会に身を置く超エリート様の舞帆が変身しているのでは……と、学内ではもっぱらの噂だ。

 

 ――が。目撃者の証言によると、セイントカイダーは体格からして男性の可能性が高いらしく、生徒会役員に体格が一致する人間もいないため、「セイントカイダーは何者なのか」という件は、実質迷宮入り状態らしい。

 

「なぁ船越、お前はどう思うよ? セイントカイダーのこと」

「知らねぇよ……んな事より、俺はテストの方が心配だよ、横山」

「そうだ! 今日って数学の……」

 

「答案の三割埋めれば奇跡だよな」

 

 ちなみに、この学校は成績ごとにクラスが分けられている。

 舞帆がいる最高峰のAクラスから、俺や横山がいるような最低辺のJクラスまで、さもヒーローランクのように階級を分けられている。

 

「格差社会はいつになっても変わらんもんだよな」

「だな……んなことより、お前! 学園祭の準備、大丈夫だろうな!? 本番は十月なんだぞ!」

「わぁかってるよ、心配すんなって」

 

 そんな時、校内アナウンスが俺の名を呼ぶ。

 

『三年Jクラス、船越大路郎君。生徒会執行部までお越しください』

「だぁ、また俺かいッ!」

「お前もつくづく大変だよな船越。まぁ、頑張りな」

 

 生徒会の誰が俺をどういう用事で呼び出すのかは既に見当がついている。

 こんなことはもはや日常茶飯事なんだから。

 

 おかげで、生徒会のファンからはすっかり目を付けられてしまう始末。踏んだり蹴ったりだ、全く。

 

 俺は階段をダッシュで駆け上がり、「生徒会執行部」とプレートで表示されている一室の扉を開く。

 

「……んで、今度は何だよ」

「違うでしょ! 入ってきたら『失礼します、三年Jクラスの船越です』でしょ!」

 

 書類やらファイルやらでグチャグチャに散らかっている生徒会の部屋。

 その最奥に、頬を膨らませる舞帆の姿が見えた。

 

 生れついての茶髪を一束に纏めたポニーテールが、彼女が怒りを表現しようとする都度に可愛く揺れ動く。

 

 芸術作品の壁画から飛び出してきたかのような、絶妙なプロポーションに、端麗な目鼻立ち。

 

 生徒会執行部などというお堅い身分でなければ、今頃は学校中の男子生徒から熱烈なアプローチを受けているだろう。

 

 まあ、敬遠してるのは俺たちみたいな落ちこぼれの連中くらいなもので、Aクラスあたりになると、羨望の的なんだそうだ。

 

「生徒会長から、今日の午後までに生徒会室を片付けておくように頼まれてるのよ。……だからあなたも手伝って」

 

「あのさ、俺は部外者なんだが」

 

 そんなもんは自分で解決してもらいたい。

 なんとも他人任せな書記様ではないか。……と、逃げようと背を向ける俺だったが、

 

「――待ちなさいッ!」

 

 部屋の一番奥にいたにも関わらず、ほんの数秒で追い付かれ、後ろから取り押さえられてしまった。

 

「あなたの更正は、まだ終わってないんだからねッ!」

 

 俺が言うことを聞かないことに腹が立つのか、その顔はほんのりと赤くなっている。

 これが怒りのボルテージか。

 

 元不良というハンデを抱える俺にとって、「更正」という言葉は天敵である。

 理不尽な仕事であっても、「更正のため」と大義名分を立てられるだけで、その場で服従姿勢になってしまう。

 

「ほら、あなたの将来のためなんだからね! シャキッと働きなさい!」

「……へいへい」

 

 山積みになった書類を、本棚に押し込んでいく。

 チョロいようで、これがなかなか難しい。

 

「あっ、ダメでしょ! これはここ、それはそこ!」

 

 書類ごとのジャンルの区分けはかなり複雑で、しかも似たような題ばかり。生徒会の人間じゃなきゃわからんだろ、コレは。

 

「ああもう、その書類はこっちだってば!」

 

 俺の肩を掴んだり背中を押したりと、彼女は直接俺を動かそうとする。

 効率が悪い上に、これじゃ俺が彼女の運転するクレーン車みたいじゃないか。

 

 それに、何か手以外の感触も伝わって来る。これは――

 

「顔を埋めたら前が見えないんじゃないか」

「……バ、バカ!」

 

 慌ててのけ反る彼女の顔は真っ赤に染まり、目が泳いでいる。

 そのまま後退したところで、今度は踵を床に落ちていたファイルに引っ掛け、尻餅をついてしまった。

 

「きゃあ!」

「お、おい」

 

 尻をさすりながら眉間にシワを寄せる舞帆。

 起こしてやろうかと手を差し延べるが――

 

「あ、ありが……ッ!」

 

 俺が差し出した手を握る瞬間、何かに気付いたように手を引っ込めると、尻餅の拍子に開いていた脚を閉じ、更にその麗顔は紅潮した。

 

「何だよ?」

 

「み、み、見た……?」

 

「まぁ、チラリと」

 

「――!」

 

 その瞬間、ガバッと立ち上がった彼女は制服のスカートを抑えながら、恥じらいと怒りをないまぜにした眼光で俺を睨みつける。

 

 女の子が男を睨んだって気迫に欠けるのが普通だが、俺は舞帆と同じくらいの身長しかないので、結構迫力があったりする。

 

「で、で、出てって!」

 

「ん? まだ書類の山はあるだろ」

 

「もういいから! 後は私がやるから! お願いだから出てってよぉ!」

 

 さっきの怒気はどこへやら。すっかり涙声になっている。

 俺は「わかったよ」と手を振ると、迅速に退散した。

 

「まぁ、無理すんなよ」

 

「あなたは自分の成績だけ心配してればいいのッ!」

 

 ……今日は一段と、当たりがキツいや。

 



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第3話 波乱のパトロール

 午後の授業が終われば、生徒達は各々の課外活動に精を出すようになる。

 舞帆も生徒会の仕事に没頭している頃だ。

 

 一方で、俺は部活をやってるわけでも、バイトをしているわけでもない。

 

 だが、暇というわけでもない。一応、することはある。

 

 学園の体育館裏。そこに用があるんだ。

 

 別に誰かに呼び出されたとか、そういうのじゃない。

 体育館裏に用と言っても、そこは「入り口」でしかないからだ。

 

 体育館は部活動の賑わいでやかましいほどに活気づいている。

 「気合い出せー!」「もう一丁ー!」と、熱血溢れる練習振りのようだ。

 

「さて、俺も頑張っちゃいますか」

 

 体育館裏にある、小さな茂み。そこを掻き分けると、ダンゴムシくらいの大きさしかない小さなスイッチが出てくる。

 

 俺ともう一人の人間しか知らないそのスイッチを押し込むと、後ろからガチャリと金属音が鳴り、さらにそこから砂がサラサラと流れ落ちる音が聞こえて来る。

 

 振り返れば、そこには地面より下――地下室へと続く階段。

 

「学園の平和を守るヒーローの秘密基地がこんなヘンピな地下室とは、わびしいねぇ」

 

 ため息混じりに階段を降りていく。

 俺の小言や足音が、進んでいくに連れてこだまのように強く響き渡っていくのがわかる。

 

 今となっては見慣れてしまった、最下層。

 

 精密なコンピュータが光を点滅させながら、薄暗い通路に道を照らし出す。足元から真っすぐに伸びるライトのおかげで、俺は目的地まで迷わずに進んで行ける。

 

「達城、おい達城!」

 

 電灯で作られた道を渡りながら、俺はこの地下室の主を呼ぶ。

 しかし、なかなか返事が来ない。

 

「俺だ、大路郎だ!」

 

 名乗りを上げた所で、突き当たりの扉が開かれ、暗かった部屋全体がライトアップされた。

 その眩しさに、思わず目を覆う。

 

「あらん、大路郎じゃない。今日は早かったのね」

 

 パソコンに向かったまま、黙々と作業をしていたグラマラスな女性がこちらへ振り返る。

 

「今日は珍しく補習抜きだったからな」

「うふ、ダメよ大路郎。勉強なんかのためにレディを待たせちゃ」

「それが学園を守るヒーローの管理者が言う台詞かよ」

 

 俺は妖艶な笑みを浮かべて上目遣いで見上げる女――達城朝香(たつきあさか)の傍を通り過ぎ、奥にあるサイドカー付きのバイクに跨がる。

 

「セイサイラーの調整は終わってんだろうな?」

「運転には問題ないけど……どこか行くつもり?」

「バカ、パトロールに行けっつったのはあんただろうが」

 

 俺は達城のパソコンの近くにあるレバーを指差して合図を送る。

 応じた彼女は、それを下に向けて勢いよく振り下ろした。

 

 すると、俺が乗るサイドカー――もとい「セイサイラー」の前方に見えるハッチが開かれ、通路が出現した。ここから地上へと繋がる登り坂である。

 

「じゃ、行ってくらぁ」

「バカやって傷物にするんじゃないわよ」

 

 一気にアクセルを押し込み、轟音と共にセイサイラーは俺を乗せて、発進した。

 

「みんな知ったらビックリするでしょうねぇ。宋響学園の平和を守るセイントカイダーを、おバカの大路郎がやってるなんて、ね。まあ、本当のアレ(・・)はこんなもんじゃないんだけど……」

 

 僅かに聞こえた達城の声を、背に受けて。

 

 △

 

 このセイサイラーは、セイントカイダーとして活動する上で不可欠とされる特注品だ。

 それだけに、並のスピードじゃあない。

 

 黄色と白で彩られた滑らかなフォルムが、風を切り裂き、進んでいく。

 

 ……こういう物を扱う道に進んだ以上、どんなトラブルだって避けられないもの。

 この時の俺は、それを忘れていた。

 

「い〜い気持ちだ。こういうのを役得って言うんだろうなぁ……ん?」

 

 ふと、向こうに見える横断歩道に異変を感じた。目を凝らしていくと、その正体が見えて来る。

 

 そして、悪寒が全身にほとばしる。

 

「……あれはッ!?」

 

 横断歩道の信号が青なのに、突っ切ろうとするスポーツカーがいる。

 その先には、道の真ん中で立ち尽くす子供の姿。

 

 ――いかん!

 

 第六感が警鐘を必死に鳴らしている。

 俺は加速し、スポーツカーに追い付こうとする。

 

 更に、横断歩道側にも変化が起きた。茫然としていた子供を庇うように、女子高生くらいの少女が立ち入って来たのだ。

 

 当たり前だが、そんな事では車は止まらない。

 

 このままじゃあ、二人揃って撥ねられる!

 

「くそっ――たれがぁぁぁあッ!」

 

 俺は全速力で疾走し、スポーツカーを追い越した。

 その瞬間、一気にブレーキを踏み込んで、横断歩道の前で前輪を軸に時計回りに回転した。

 

 急な加速と方向転換で、脳みそが揺れる。ていうか、遠心力で吹っ飛ばされちまいそうだ。

 

 こうして、スポーツカーに対するバリケードとなった俺は、そのまま追突の衝撃をモロに受けた。

 

 スポーツカーは衝撃の余り後方が跳ね上がり、女子高生と子供のいる横断歩道を通り越して宙を舞い、ひっくり返ってしまう。

 ガラの悪そうな男女が恐怖に震えながら、車内から這い出てきた。

 

 俺はセイサイラーから投げ出され、近くの建物の壁に思い切り全身を打ち付けてしまい、そのまま落下。

 

 しかも、飲食店の看板にぶつかって肋骨に痛みが走るというおまけ付きだ。

 ……骨が折れていないだけマシと言えよう。

 

 少し前の時代なら異常そのものな光景だろうが、ヒーロー全盛の今時なら、わりとそうでもなかったりする。

 

 生きて地面にはいつくばった俺に、さっきの女子高生が駆け寄ってきた。

 

「船越さんじゃないですか! だ、大丈夫ですか!?」

 

 見上げてみれば、セミロングの元気そうな美少女ではありませんか。

 胸も……なかなかのもんだし。――いやいや、今はそこじゃねぇ。

 

 俺はさっきぶつけた看板を杖代わりにしてなんとか立ち上がる。

 

「いやぁ、なんのこれしき」

 

「車に撥ねられてなんともないはずがないです! 病院に行きましょう!」

 

「いいから。それより、そっちに怪我はないか?」

 

「私もあの子も大丈夫ですけど……今はあなたが!」

 

 おお、俺の事をここまで心配してくれるとは。

 身に染みる優しさだ……でも、ちょっと待て。

 

「君は……何で俺の名前を?」

 

 よく考えたら、初対面なのに俺の名前を知ってるのはおかしい。

 俺が覚えてないだけなのか?

 

「え? あ、あの、その、私は、平中花子(ひらなかはなこ)、って言うんですけど」

 

 平中花子……やっぱり聞き覚えのない名前だ。

 

「船越さんとは、その、中学の時に……」

 

 頬を染め、さっきまでの快活な印象とは裏腹に大人しくなってしまった。

 だが、中学の時、と言われると、記憶の映像がうっすらと彼女の顔を映し出してきた。

 

 中学時代、体育の時間で、俺より早く走ろうと必死に追い縋って来ていた、名前も知らない隣のクラスの女の子。

 

 名乗ることもせず、ただお互いの頑張りを讃え合った、体育の時間。

 

 いつ失われても不思議じゃない、ほんの僅かな中学時代の小さな思い出。

 その景色の中に、名も知らぬ彼女が、確かにいた。

 

「……あ、あの時の娘か」

 

 俺は目を見開き、平中の顔をまじまじと眺めた。

 向こうも思い出してくれたことが嬉しかったのか、ぱあっと明るい顔になった。

 

「うん、うん、そうですよ! 覚えててくれてたんですね! ……って、その髪、どうされたんですか?」

「あ、い、いやこれは……」

「お姉ちゃん、このお兄ちゃん、誰?」

 

 すると、今度はさっき横断歩道で立ち尽くしていた子供が顔を出してきた。

 

「こら、達弘! 私達を助けてくれたんだから、お礼言わないと!」

 

「別にいいって。達弘君っていうのか? 怪我はない?」

 

 俺は膝くらいの身長の男の子を前に、腰を降ろして目線を合わせる。

 笑いかけてみれば、男の子も笑顔で応えてくれた。

 

「助けてくれてありがとー!」

「はは……どういたしまして」

 

 そんな無邪気な笑みを見て、隣の平中も微笑ましそうにしていた。

 

 △

 

「……で、早速やらかしてきたと」

 

 帰ってきた俺を、達城は手荒く出迎えてくれた。罰ゲームで腕立て五百はキツイ。死ぬわ。

 

「全く、直す身にもなってよね。徹夜は肌に良くないんだから」

「わかってる、悪かったって」

「んふ、それともぉ、お姉さんと熱い夜でも……」

「それは願い下げだ」

 

 俺はセイサイラーを達城に任せると、階段を上がって地上に出る。

 

 途中、「そんな調子じゃ、いつまで経っても『軽く』してあげられないじゃない」と、変な小言を叩かれつつ外界を見渡してみれば、そこはもう地下室と大差ないくらいに暗くなっており、一日の終わりも刻一刻と近付いていた。

 

「やれやれ、まさか追突事故で昔の知り合いに会うとはな」

 

 さっさと帰って寝ちまおう……そう思って校舎を出た矢先のことだった。

 

「追突事故って、何よ」

「――あ」

 

 校門から出たところにいたのは、まさかの舞帆さん。

 反応からして、今の独り言を聞かれたのは間違いない。

 

「あ、あのですね、舞帆さん? 今のは――」

 

「見せて」

 

 普段からは想像もつかないほどの、ドスの効いた低い声。

 有無を言わさぬその気迫に、さすがに押し黙ってしまう。

 

 舞帆は無言のまま、俺の腕を取る。

 そこには応急処置と称してデタラメに巻かれた包帯があった。

 

 俺は何も言えず、息を呑んで相手の出方を見守る。

 

 まさか命まで取るようなことはしないだろうが、ものすごく怒ってるのは想像に難くない。

 

 成績は悪い、遅刻はする、バイクで事故を起こす……そんな見事な三拍子を揃え、典型的ヤンキーな背景を持つ俺にとうとう愛想尽かして、退学処分にしちまうかも知れない。

 

「いや、あの、これはだな……」

 

 視線を泳がせ、口をパクパクさせるばかりで、上手くはぐらかす手段が見付からない。

 いや、今となってははぐらかすこと自体が無謀なのかもしれない。

 

 次第に、舞帆はその身を震わせていく。

 まずい、火山が噴火する前兆だ。しかし、腕を掴まれてるから逃げることもできん。俺は、血の気が失せた顔のまま、恐る恐る彼女の表情を伺う。

 

 そして、俺は二つの滴を見た。

 

 腕に巻かれた包帯に、ポツリ、ポツリと落ちていく。

 

 その滴の源泉は、悲しげな色を湛え、俺を見上げていた。

 

 痛々しいほどに、か弱いその眼差しは、俺の心を深くえぐる。

 

「バカ、バカ! なに危ないことしてるのよ、なにやってんのよ!」

「……悪い、悪かった」

「バカ! ほんっとに――どうしようもなくバカだわ! あなたになにかあったら!」

 

 溢れる涙に視界を奪われ、目を合わせることもできなくなったのか、舞帆は俯いてボロボロと滴を垂れ流す。

 

「『更正』も、できないじゃない!」

 

 生徒会に所属し、生徒会長を補佐する重役を務める、正義感に溢れた優等生。

 そんな彼女が泣きじゃくる姿は普段とのギャップの激しさもあって、見ていられないほどに痛々しいものがあった。

 

 ……俺はただ目を逸らし、「悪い」としか、言えなかった。

 



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第4話 生徒会長、笠野昭作

 翌朝、俺は何となく早起きをした。

 

 夕べのことを引きずっちまったせいかもしれない。ベッドから身を起こして日に当たっても、洗面台で顔を洗っても、舞帆の涙が頭から離れなかった。

 

「大路郎、今日は早いのねぇ」

 

「ん、いつもと変わんねえよ」

 

「そう。……いつもその調子なら、将来も大丈夫かも知れないのに」

 

 長年の苦労を思わせる、皺の寄った顔の母さんは、特に昨日の怪我も詮索することなく、食卓にパンや目玉焼きを並べていく。

 

 いつもの朝食が昨日のことがある分、余計に温かく感じられた。

 

 いつものように椅子に座り、何気なくアルバムのように写真を貼り付けた壁に目を向ける。

 

 そこには、「ヒーロー」になる前の俺がいた。

 

 まだ髪が真っ黒で、マジメな頃の俺。

 

 初恋の女の子と一緒に笑う俺。

 

 やさぐれて、髪を真っ赤に染め上げた俺。

 

 高校二年の終わり、ヒーローライセンスを取る直前の俺。

 

 ……そしてその隣には、もう会って話すことはないであろう、「アイツ」の写真もあった。

 事故で死別した親父の写真も、そこに。

 

 家をいつもより十分近く早く出ると、俺はいつしか駆け足になっていた。

 のんびり歩いても昨日のように遅刻はしない。

 

 ただ、走っている方が気が楽というだけだ。

 

 息せき切って走り続ければ、余計なことを考えなくて済む。

 過ぎたことで悩むこともなくなる。

 

 そんな、単純な考えだった。

 

 短絡思考に身を任せているうちに、舞帆が住んでる住宅街が見えてきた。

 ちょっとした高級感が滲み出る、綺麗に整備された一軒家が建ち並び、通学路をひた走る俺を、平民を見下す貴族さながらに一瞥しているようだった。

 

「昨日はあそこで舞帆とぶつかったんだっけな」

 

 先日、近道を企んで舞帆と衝突した曲がり角。

 その時の映像が鮮明に脳裏に蘇る。

 

「今日は時間はたっぷりだからな。同じ轍は踏ま……」

 

 そのまま通り過ぎようとしたところへ、人影が立ち塞がった。

 曲がり角から飛び出してきたその人物は、俺をジッと見詰める。

 

「……おはよう」

 

「お、おはよう」

 

 全身に冷や汗が噴き出して来る。まさかの待ち伏せとは。

 

 舞帆は俺の前に立ちはだかると、品定めをするように俺の全身を凝視した。空港でボディチェックでも受けてるような感覚だ。

 

「結局あのまま病院にも行かずにまっすぐ家に帰ったみたいね」

 

 なんで分かるんだよ。

 

「あなたの悪いところって、これみよがしに滲み出て来るのよ。自分の体くらい大切にしなさい!」

 

 その表情はいつものように毅然としたものだったが、昨夜の泣き顔を思い出すと、あんまり強く反抗できなかったりする。

 

 やりづらいんだよ、ああいうの見たら。

 

 本人もあの時のことを思い出したらしく、頬を染めてバツが悪そうに目を逸らした。

 

「と、とにかく、もう危ないことして怪我を増やさないこと。わかった?」

 

 心配するだけしといて、深く詮索しない辺りは彼女なりの優しさなのかもしれない。

 

「わかってる」

 

 ……とは言ったものの、正直怪我は今後もガンガン増えて行きそうだ。

 悪いな、舞帆。

 

「おはよう、桜田君」

 

 と、いうところで、第三者の声が聞こえて来る。

 

 舞帆が振り返ると、スラッと背の高い美男子が爽やかに現れた。

 

「あ……生徒会長、おはようございます!」

 

 ちょっと神妙な面構えだった舞帆は、必死に取り繕ってなんとか笑顔で挨拶に応える。

 

 俺達の前に現れたのは、笠野昭作(かさのしょうさく)。宋響学園の生徒会長だ。

 成績優秀・容姿端麗・運動神経抜群と、女の理想像が人間の姿を借りて現実世界に飛び出してきたかのような男だ。

 

 おまけに航空会社の社長の息子でもあるらしい。

 

 舞帆に話し掛けたかと思うと、そのまま二人で俺にはわからないような難しい立ち話に突入してしまった。生徒会の仕事の話らしいが。

 

「ところで、そこの君は?」

 

 ふと、俺に話を振ってきた。

 

「え、ええと、彼は私達と同級生の船越大路郎君です! よく登校で一緒になるので……」

 

「へぇ……」

 

 笠野は感心したように声を上げると、こちらに歩み寄ってきた。

 敵意はなさそうに見えるが、生徒会長と落ちこぼれという身分差があるせいか、微妙に気後れしてしまう。

 

 そして、俺に顔を近付けると、

 

「妬けるな」

 

 とだけ言い残し、「じゃあこれで」と立ち去ってしまった。

 

「な、何て言われたの?」

 

 舞帆が心配そうにこちらを見詰めて来る。

 ……いや、なんつーか、誤解されてんな、俺達。

 



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第5話 学園に迫る脅威

 学校では、野球部やテニス部が朝練の真っ只中。

 少なくとも、普段の登校ではお目にかかれない景色だ。

 

 そして、応援に使われるのであろうデカイ旗には、セイントカイダーのイラストが描かれている。

 宣伝が本業である現代ヒーローの面目躍如と言ったところか。

 

「セイントカイダーが登場してから、どこの部活もみんな練習張り切ってるのよ。『俺達にはヒーローがいるんだ!』って、ね」

 

「へぇ……」

 

「船越君も、ちょっとは見習って次のテストで挽回しないと!」

 

「へいへい」

 

 火付け役になった当のヒーローたる俺が自堕落とは、誰にも知られたくはないことだな。

 

 「正体を隠して、人知れず尽力する」ってのはヒーローの醍醐味だが、こんなしょうもない理由でコソコソしなくちゃならんヒーローは後にも先にも俺ぐらいのもんだろう。

 

 学園のヒーロー像とその正体とのギャップ、すなわち自分自身の出来の悪さにに辟易していた、正にその時だった。

 

「ウギャアアアアアアアァツ!」

 

「ん?」

 

 突き当たりに見える、柔道部の使う道場。

 

「アアアァァアァッ!」

 

 そこから、悲鳴が聞こえてきたような気がした。

 

 練習の時の気合いが外まで漏れて来る柔道部だから、悲鳴自体は珍しくはないのだが、いつも聞いているそれとは、なにか根本的な違いを感じた。

 

「なんだ……?」

 

「ひぎィ! ギアアアッ!」

 

 なんというか、練習がキツイとか、そういうレベルで上がる叫びじゃない。

 

「どうしたの?」

 

 不思議そうに顔を覗き込んでくる舞帆。

 

 しかし、俺の眼中に彼女の姿はなかった。

 

 柔道部の道場から聞こえて来る、怒号と悲鳴。

 あれは、練習のものじゃない――!

 

「ガアアァアアアァッ!」

 

 刹那、コンクリート壁にひび割れが現れ、そこから銀色の突起が飛び出してきた。

 

 何が起きたか判断できず、顔面蒼白になる舞帆を守るように前に立ち、俺はその異常な光景を捉えつづける。

 

 そして、束縛され抵抗する闘牛のようにうごめいていた突起が、遂に正体を現した。

 道場の壁を突き破り、その轟音に負けないほどの雄叫びを上げる。

 

 二メートルはあろうかという巨体に、白銀に輝く鋼の鎧、弱った獲物を前にしたハイエナのように、我欲を剥き出した凶悪な顔。

 そして、天に向かって伸びる図太い銀色に光る二本の角。

 

 見るからに普通じゃない。そして、ヒーローとも呼びがたい。

 人間の姿を借りた魔獣と言われれば、そう信じてしまいそうな出で立ちだ。

 

「な、なによあれ! 人間……じゃないよね、あれもヒーローなの!?」

 

 いくら「正義感に溢れる」と言っても、舞帆もやはり人間の女の子。

 人かどうかもわからない異常な生物を前にして、恐れもしないわけがない。

 

 しかも、あの巨漢越しにはズタボロに打ちのめされた柔道部員達の姿が見える。

 命こそ取られてはいないようだが、立ち上がることもできないくらいに痛め付けられてるらしい。

 

「セイント……カイダー!」

 

 巨漢は俺を見付けると、コンクリート壁の破片を掴み、いきなり投げ付けてきた。

 

「くっ!」

 

「きゃあ!」

 

 俺はとっさに舞帆の肩を掴んで無理矢理しゃがませた。

 そのせいで俺の方が避けるのが遅れてしまい、額をコンクリートの中にある鉄筋が掠めて行った。

 

 肉が切れ、赤い筋が額から顎まで伸びていく。

 

「船越君ッ!」

 

 舞帆が泣きそうな顔で俺を見上げる。

 心配させまいと笑いかけようと思ったが、残念ながらそんな余裕もない。

 

「舞帆、あそこで倒れてる柔道部員達を頼む!」

 

「えぇ!? ふ、船越君はどうするのよッ!?」

 

「助けを呼びに行くだけだ! 心配すんな!」

 

 さっき投げられたコンクリートの破片は、後ろの壁にぶつかって更に細かく砕けていた。

 俺はその一つをわしづかみにして、あのデカブツに投げ付けてやる。

 

 当然効くわけがないのだが、注意は間違いなく俺に向かった。

 俺に向かって「セイントカイダー」と呼ぶ辺り、元々の狙いも俺なんだろうが。

 

 とにかく、今はこいつを舞帆から引き離すのが先決だ。

 

 俺は巨漢を挑発するようなことを叫び散らしながら、校舎の裏手へ向かう。

 

 当の巨漢も、舞帆には目もくれず俺を追った。

 

「達城! 聞こえてんのか、達城!」

 

 一番人通りの少ない校舎裏へ誘い込むと、俺は携帯で達城に連絡を入れる。

 隠れた角から覗き込んでみると、奴はまだ俺を捜しているらしい。辺りを見渡しながらウロチョロしてやがる。

 

『聞こえてるわよ。状況はこっちのコンピュータで把握してる』

 

「説明が省けて助かるぜ! あいつがあんたの言ってた、宋響学園を狙う刺客って奴か!?」

 

『そう。名は所沢克巳(ところざわかつみ)……バッファルダと呼ばれる男よ。もう一人はいないみたいだけど……』

 

 俺がセクレマンになる前から聞かされていた、宋響学園を狙う刺客の存在。

 こいつと戦うために、俺はヒーローになったんだ。

 

「今こそって奴だな。達城、セイサイラーを出せ! 変身するッ!」

 

 すると、バッファルダとかいうデカブツは、俺が違う場所に逃げたと踏んだのか、運動場に向かって進み出した。

 

「……マズイ!」

 

『運動場に行くつもりね。あんなとこに入られたら大混乱になるわよ!』

 

「当たり前だろうが! さっさと出せっつーの!」

 

『急かすんじゃないわよ、待ってなさい!』

 

 携帯越しにレバーを降ろす音が聞こえてくる。

 体育館裏から飛び出してくるセイサイラーを取りに、俺はその場を全速力で立ち去った。

 

 地下室から地上へ上がる際、セイサイラーは体育館裏の倉庫から、床にカムフラージュされた射出口を使って出てくる。

 

 体育用具を詰め込んだ倉庫の扉を開ければ、既に修復済みのサイドカーが俺を出迎えてくれた。

 

『もうとっくに運動場に入られてる頃でしょうね。急ぎなさい!』

 

「分かってる!」

 

 颯爽と跨がり、フルスピードで倉庫を飛び出す。

 パトロールの際には、突き当たりの跳び箱に偽装したジャンプ台を使って校舎外に出るのだが、今だけはそれが邪魔に見えて仕方がない。

 

 ジャンプ台を避けるように曲がり、まっすぐ運動場へ向かう。

 

 既に目の前のグラウンドでは、突如現れた人型の猛牛の出現に大パニックが起きていた。

 これ以上、好きにはさせられない。

 

「さて、始めるか!」

 

 俺は深く息を吸い込むと、意を決してハンドルの真ん中にある赤いボタンを押し込んだ。

 

「……セイントッ! カイダァアァッ!」

 

 続けざまに、セイサイラーを走らせたまま、両足でタンデムシートに乗る。

 そこから、今度は真上に向かって跳び上がった。

 

 宙を舞う俺を置き去りに、無人のまま走って行ったかに見えたセイサイラーは、そこで変化を起こす。

 

 突如飛び跳ねたかと思うと、タイヤがバイクの車内に収納され、その車体は折り畳みと展開を繰り返し、やがて鎧の形状になっていく。

 そして、サイドカーの部分は身の丈を超える巨大な大剣へと変形していった。

 

 その二つは、瞬く間に地に降り立とうとしていた俺に吸い寄せられていく。

 

 全身にきつく締め付けられるような痛みを感じた時には――俺は武骨な鎧を纏い、巨大な剣を持つ、重厚な騎士の姿になっていた。

 

 バックルにあるダイヤの校章が、太陽の光に照らされ、蒼白く輝く。

 

 これこそが、「生裁戦士セイントカイダー」。俺の、もう一つの「顔」だ。

 

 サッカーゴールをへし折ったり、朝礼台を叩き壊したりとやりたい放題のバッファルダ。

 

 俺がそこへ立ちはだかると、さっきまでわけもわからず逃げ惑っていた生徒達が、水を得た魚のように歓声を上げる。

 

「セイントカイダーだ!」

 

「すっげえ! やっちまえー!」

 

 ヒーローを讃える学園の声に背中を押されるように、俺は白金の煌めきを放つ大剣「生裁剣(せいさいけん)」をゆっくりと構える。

 身の丈を遥かに凌ぐまばゆい刀身が、陽の光を浴びて神々しい輝きを放っていた。

 

「生徒の手により裁くべきは、世に蔓延る無限の悪意! 生裁戦士セイントカイダー!」

 

 俺は生裁剣を構えたまま、自分のヒーローとしての名で名乗りを上げる。

 

 達城から教わったフレーズだが、決めポーズまでは出来なかった。

 

 彼女は「身軽になればポーズも出来る」とか呟いてたが、何の話だったんだろうか?

 

 一方。バッファルダは暴れていた手を止めると、憎々しい顔で歯ぎしりをする。

 

 何の恨みがあるのかは知らないし、俺とは何の接点もない男だ。

 所沢なんて名前も知らない。

 

 確かなのは、宋響学園に仇なす敵、つまりは学園のヒーローたるセイントカイダーの敵ってことだけだ。

 

 けたたましい咆哮と共に、バッファルダは午前の太陽に照らされ怪しくきらめく双角を俺に向け、突進を仕掛けた。

 

「……なんだって朝っぱらから闘牛ごっこしなくちゃならねぇんだか……なッ!」

 

 生裁剣の柄で、真正面から受け止める。

 さすがにそれだけで止められるものではないが、隙さえ作れば後は簡単だ。

 

「らあッ!」

 

 左側に避けながら柄を滑らせて受け流し、すれ違い様に顎を蹴り上げる。

 顎を通した衝撃で脳を揺らされた脳筋野郎は目を回し、その場で転倒した。

 

「ち、クソ野郎が!」

 

 血眼で俺を睨みつけ、バッファルダは俺の前で初めてまともに言葉を発した。

 今度はドラム缶のように太い腕を広げて、殴り掛かってくる。

 

 左腕からのフックを屈んでかわし、右腕からのストレートを生裁剣の刀身でガードする。

 

「おっと……へぇ、まともに喋れるくらいには知性があんだな」

 

「黙れやクソガキがァ!」

 

 上手くいなされたことが腹立たしいのか、力任せに次々と拳を投げ込んでくる。

 巨体から幾度となく繰り出されるパンチの威力は驚異的だが、俺に言わせれば大振りで隙だらけ。

 

 要は当たらなけりゃ大丈夫って話なわけで。

 

「じゃあ、今度はこっちだな!」

 

 水平に薙ぎ払うように振りかぶった腕を飛び越え、両手で大剣を一気に振り上げ、叩き下ろす。

 

 ガードする豪腕を剣の重さで捩じ伏せて、勢いに任せるまま、俺は角の一本に刃を切り付けた。

 

 角は痛みを訴えるようにピキピキと音を鳴らし、やがて破片となって地に落ちた。

 

「があッ、こ、こんのガキ……!」

 

 みるみる赤くなるバッファルダ。

 ……こいつぁ、より本格的な闘牛になりそうだな。

 

 と、俺が思っていた矢先、目の前のデカブツが顔色を変えた。

 耳に手を当て、何かブツブツと喋り出した。

 

 目を凝らして見ると、耳から口までマイクのようなものが伸びているのが分かった。

 

 ……誰かと通信してる?

 

 俺が様子を見ているうちに話が纏まったのか、耳から手を離してこちらを一瞥する。

 

 会話を通して毒気を抜かれたのか、その眼差しは幾分落ち着いたものになっていた。

 

 やがて奴は鼻を鳴らして明後日の方向へと突進し、立ち去っていく。

 

 「今のうちに、青春を謳歌しておけ」とだけ、言い残して。

 

 △

 

 学園の受けた損害は小さくはなく、その日の授業は中止となった。

 この戦いは学園中の話題となり、ヒーロー志望の少年達はそれに夢中となっていた。

 

 最初に襲撃を受けて負傷した柔道部の面々は舞帆の尽力が功を奏して、大事には至らずに済んだ。

 笠野も迅速に救急車に連絡したりと、手を尽くしていたらしい。

 

『お疲れ様ね。まぁ、戦果としては上出来だったわよ』

 

「角一本へし折ったぐらいで上出来とは、甘い基準だな、おい」

 

『あら、バッファルダの強さはBランク並よ? Fランクのセイントカイダーにしてはかなりの大戦果じゃないかしら』

 

 ……そう。パワーはあれど、致命的な「頭の悪さ」と「素行」の悪さが災いしてか、俺のヒーローランクは最低辺のFランク。

 

 まあ、それだけが理由ってわけでもないんだがな。

 

 俺は事後処理を達城に任せると、地下室からこっそりと地上に上がる。

 学園から出ると、笠野と話し込んでいた舞帆が大慌てで駆け込んできた。

 

「船越君! 大丈夫だった?」

 

「でなきゃ生きてここにいねぇだろ。そっちこそ、もう平気なのか?」

 

「う、うん、まあね。セイントカイダーが来てくれたおかげよ」

 

「セイントカイダーのおかげ……ね」

 

 ため息混じりに、俺は自分の学園を振り返る。

 

 頭は悪い、優等生には心配かける、そのくせヒーロー気取りで大暴れ……全く、最低のヒーローだよ。

 



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第6話 両手に花……?

 両手に花。

 

 それは、男にとっては悠久なるパラダイスであり、男の人生においていかなる場合でも誇りとなる、千載一遇にして最大の幸福への懸け橋である。

 

 少なくとも、俺はそう信じて疑わなかった。少なくとも、今日までは。

 

 バッファルダと一戦交えてからまるまる十日が過ぎ、スーパーヒーロー評議会や警察の力添えもあってようやく授業が再開したころ、平中から映画館の誘いが来たわけだ。

 

 一匹のオスである俺にとって、これは正しく天命と言えよう。

 別にまだそんなに大それた関係でもないが、これは忘れ難い一日となる。そう確信したんだ。

 

 そして当日の待ち合わせ場所にたどり着き、平中と遂に顔を合わせたと思ったら、

 

「あら? 船越君、そんなところで何を……」

 

 ショッピング帰りなのか、両手に袋を持った舞帆とバッタリ。

 待ち伏せ型のストーカーなのか、あんたは。

 

「いや、なに。実は俺にも春が来ちゃってさあ」

 

「ふぇ!?」

 

 情けない声を上げたかと思うと、持っていた袋を落とすほどに驚愕した顔をする。

 

 ……こいつめ、俺が女の子にモテるのがそんなに意外か。

 

 まぁ確かに俺にとっても滅多に経験できないコトなんだけど。

 

「そ、そう。それは良かっ……」

 

「船越さん、早く行きましょッ! バイトのお給料貰ったばかりですから、弾んじゃいますよッ!」

 

 舞帆を遮るように可愛らしく跳ね跳びながら、平中は俺の腕に自分のそれを絡ませる。

 

 前は恥じらいの様子さえ見せていたのに、今回はむしろ積極的とすら思えてくる。

 何かの心変わりか?

 

「ダ、ダメよ! やっぱりダメ!」

 

「はい!?」

 

 なんと、今度はさっきまで一応は祝福してくれていた舞帆が、いきなり反旗を翻してきた。

 

「女の子なんかと付き合って余計に腑抜けたら卒業だって怪しくなるわよ! ただでさえ成績が酷いんだから!」

 

「それくらい平気ですよぉ、勉強なら私が見てあげますから」

 

 絡ませた腕を擦り寄せて、柔らかい感触で俺の感覚を刺激していく。

 

 そんな平中を怪しむように見据える舞帆は、何度か咳ばらいすると、腕を組んで俺達の前に宣言した。

 

「……なら、私が全責任を持ってあなた達を監督します!」

 

 △

 

 こうして、俺達は三人で映画館に向かうことになった。

 しかも、なぜか舞帆が持っていた袋まで持たされて。

 

 普通なら「両手に花」と歓喜するとこなんだろうが、この二人から蒸気のように吹き出してくる殺伐としたオーラが、そんな華やかなイメージを細切れに引き裂いてしまう。

 

 舞帆も平中も満面の笑顔で劇場へ向かうが、その目は一欠けらも笑っていない。

 

 そう、これは言葉で例えるなら「修羅場」。

 少なくとも、上っ面通りのムードではない。何が彼女達をそうさせているのは知らないが。

 

 おかげ様で、ゆっくり映画を鑑賞することもできなかった。

 台詞回しはちゃんと聞いていたつもりだが、刺だらけの両手の花が恐ろしい余り、ストーリーはまるで頭に入らなかった。

 

 映画館からまるで世界最高峰の恐怖アトラクションから生還してきたばかりのように、やつれた顔で出てきた俺を、平中はさらに食事へとエスコート。

 もちろん、この険悪な空気の元凶たる舞帆付きで。

 

「ああ〜ッ! 楽しかった! ほら船越さん、ここのパスタはすんごくイケるんですよ! 私のお墨付きです!」

 

 顔を傾けると、セミロングの艶やかな髪がフワッと揺れる。

 その平中の何気ない仕草が、色っぽく、かつ可愛らしく見えた。

 

 そんな女の子との至福の一時も束の間、隣に座る舞帆の踵落としが足の甲に直撃し、俺の意識を痛烈な現実に引きずり込む。

 

「――お、おふッ!」

 

「え? どうかしたんですか?」

 

「な、なにも……!」

 

 恐る恐る横に目を向けると、獲物を捉えた狙撃手のような眼力で睨みつける舞帆が、「何言ったそばから鼻の下伸ばしてんのよ」と釘を刺してくる。

 

 ……伸ばしたっていいじゃんよ。だって男だもの。

 

「船越さん、はい、あ〜ん」

 

 そんな折、平中の大胆な行動に拍車が掛かったらしい。

 フォークに絡めたパスタを、俺の口へと運ぼうとする。

 

 正直、これは危険だ。

 

 ただ仕草の愛らしさにデレデレしたくらいで足を踏むような鬼軍曹が隣にいる状況で、「あ〜ん」に応えて甘酸っぱい味わいを堪能するなど、ギロチン台にヘッドスライディングを敢行するようなもの。

 

 ……いや、しかし、こんなチャンスは今後一生来ないかもしれない。

 今この瞬間に、俺の人生のモテ期が終焉を迎えることになるかもしれない。

 

 「命」と「モテ期」を秤に掛けるなら、懸けるとするなら……答えはもう、出ているはずだ。

 

「あ、あ〜ん!」

 

 俺は命を投げ出す覚悟で、目を閉じつつ差し出されたフォークに食らい付く。

 

 口の中に、ソースの味が広がっていく。味そのものはごくありふれた、普通のもの。

 

 だが、その時感じた味は、徐々に一生忘れられない特別なものに変化していくのだった。

 

 ……悪い意味で。

 

「か、からぁーッ!」

 

 両手で口を塞ぎ、七転八倒する俺。何が起きたのか、この時はまだわからなかった。

 

 汚れたゴミを見下すような目で見る舞帆の顔を見上げるまでは。

 

「平中さんのパスタ、美味しかったのねぇ〜。あんまり嬉しそうだったから、もぉ〜っと幸せな味にしてあげたわよ」

 

 その手には、七味唐辛子。瓶の中身は半分以上が失われていた。

 

 俺が目を閉じてパスタを頂く瞬間に、あの量の唐辛子を仕込んだというわけか。使いすぎだろう……。

 

「ひ、酷いですよ! 船越さんが何をしたんですか!?」

 

「ふん、あなたに尻尾振ってハァハァ鼻息荒くしてるから、天罰が下ったのよ」

 

 心配そうに水を差し出してくれる平中とは対照的に、舞帆はそっぽを向いて顔を合わせようともしない。

 

「だいたい、さっきから船越さんに嫌がらせばっかり! そんなにこの人が嫌いなら関わらなけりゃいいじゃないですか!」

 

「ち、違うわ! 嫌ってなんかない!」

 

「じゃあアレですか? 他の女の子と一緒にいるのが気に食わないかまってちゃんなんですか!? そうだとしても、こんな酷いことしていい言い訳にはならないと思います!」

 

「そ、それも違う! 私はただ――」

 

 会ってまだ数時間しか経ってない二人は、早速いがみ合い。

 舞帆が何かを叫ぼうとして、言い淀んでいた時だった。

 

 △

 

 俺の携帯が着信音を鳴らし、二人の会話を阻害した。

 一触即発の空気の中で発せられただけあって、視線が著しく俺に集中してくる。

 

「あー……ゴホン、えーと、もしもし」

 

 白々しさを滲ませつつ、俺は電話に出ることにした。

 この空気をごまかす好機になればいいが……。

 

『大路郎! コンピュータに反応が出たわ! バッファルダよ!』

 

 ――どうやら、ごまかすどころかデートにすらならなくなったようだ。

 



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第7話 俺は俺として

「ち、マジかそりゃあ!」

 

『残念ながら大マジよ。今、そっちに向かってる!』

 

「こっちに? ……狙いは俺か」

 

『いえ、恐らく違うわ。奴は――』

 

 肝心なところで聞きそびれてしまうのは、お約束らしい。

 まあ、俺じゃないというなら、察しはすぐに付くがな。

 

 そして、ガラスが砕ける音に続き、得体の知れない巨漢に対する悲鳴が耳をつんざく。

 

「きゃああああッ!」

 

「な、なんだあいつ!?」

 

 闘牛が人間に中途半端に化けたようなその姿の異様さは、飲食店にいる客の視線を強く引き付けた。

 

 そして、バッファルダの丸太のような腕が血管を噴き上げ、テーブルの一つを殴り飛ばした。

 それは手裏剣のように俺達に向かって飛び出してくる。

 

 一瞬の内に目の前から迫る木製の刃に、全身が総毛立つ。

 

「くそッ!」

 

「わあ!」

 

「ひゃあッ!」

 

 舞帆と平中を抱えるようにして伏せる。

 

 俺達をすり抜けて壁に激突したテーブルは派手に砕け散り、パラパラと木片が背中に降り掛かってくる。

 

『大丈夫? 大路郎』

 

「大丈夫に聞こえんのかよ。とにかく、変――」

 

 そこで、俺は左右に目を向ける。

 

 舞帆も、平中も、正体不明の脅威に身を震わせ、体全体で助けを求めている。

 

 彼女達を置いてここから離れても、セイントカイダーに変身して駆け付ければ、助けることはできる。

 

 だが、俺がここにいない間に二人に何も起こらないとは限らない。

 達城が言ったように、狙いが俺じゃないとしたら、誰かが必ず傷付いてる。

 

『大路郎、あなたは知ってるはずよ。セイントカイダーは宋響学園の専属ヒーロー。その外部でのトラブルは管轄外なのよ』

 

「そんなことはライセンスを取る前に耳にタコができるまで聞かされた」

 

 俺は、宋響学園専属のヒーローであって、この店は管轄ではない。

 つまり本来は、ここで何があっても知ったことじゃない。だけど、だからこそ俺は――

 

「この際、正体がバレたっていい。セイサイラーをここに呼べ、達城」

 

『……』

 

 悪霊にでも取り付かれたかのようにどす黒い俺の声に、達城は無言で応える。

 レバーをガタンと下ろす音が電話越しに聞こえてくる。

 

 次の瞬間、悍ましい悲鳴を上げたバッファルダが宙を舞い、もんどりうって倒れた。

 

 地中から床を突き破って店内に入ったセイサイラーの車体が、先端部分でアッパーカットをお見舞いしたのだ。

 

「なに!? 今度はなんなの!」

 

 平中はすっかり涙声になってしまっている。

 無理もない。何せ、彼女はあいつを初めて見るのだから。

 

 既に面識のある舞帆はまだ冷静だが、やはり震えが止まる様子はない。

 どうやら、一番知られたくない人物に知られることになるようだ。

 

「……舞帆」

 

「な、なに?」

 

 どうせバレるんなら、ヒーローらしくカッコつけちまおう。

 俺は怯えるように身をすぼめる彼女の肩をそっと抱き寄せて、その耳元に優しく、強く囁く。

 

「お前にも、平中にも、俺が力になるから。だから、お前はそのままでいてくれ」

 

 その言葉に、可愛らしく頬を染める舞帆。

 いつまでも見ていたい姿だか、今は余韻に浸る暇すらない。

 

 俺は身を起こしてセイサイラーに飛び乗り、彼女が見ている前であの赤いボタンを強く押し込んだ。

 

「……セイントッ! カイダアァアッ!」

 

 鋼鉄の鎧が全身を締め付けて、体中の神経が悲鳴を上げる。

 

 意識さえ僅かに薄れるほどの痛みの中で、何度これを味わえばいいのかと、俺は心の奥でひっそりと嘆いた。

 

「……うそ」

 

 自身の身長を凌ぐ大剣を振り上げ、異形の猛牛と相対する俺の姿に、舞帆は我が目を疑っている。

 

 俺が評するには勿体ないくらいに美しく整った顔も、恐怖と驚愕で痛々しく引き攣っている。

 それは、やっと状況を飲み込めてきた平中も同じだった。

 

「――俺が、セイントカイダーだと」

 

 機械仕掛けの仮面越しに開いた俺の口から発する言葉に、舞帆はビクリと肩をすぼめた。

 

「知ったら、お前は軽蔑するだろう。幻滅するだろう」

 

 俺の言葉に、彼女は答えない。いや、俺には答えを聞くつもりはなかった。

 ただ、正体を明かした以上、伝えたいことがあるってだけの話だ。

 

「それでもいい。それでもいいから、今は……ヒーローなんて抜きにして、ただの同級生を見守っていてくれ」

 

 ここは学園じゃない。このヒーローが、セイントカイダーが関与すべき戦いじゃない。

 

 だから、ここに立ってるのは、彼女達を守ろうってバカは、ヒーローなんかじゃない。

 

 船越大路郎っつー、ただのガキだ。

 

 だから、敢えてヒーローとしての名乗りは上げない。

 俺は、俺として――戦う。

 



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第8話 翼のヒーロー

「イチャついてんじゃねぇぞガキがァ!」

 

 バッファルダは怒号と共に、足元に転がっていた椅子を蹴り砕く。

 粉々になった破片がつぶてとなって、俺の全身に降り懸かる。

 

 思わず両腕で顔を覆い、こっちに向かって降り注ぐ木片の雨を凌ぐ。

 

 ――次の瞬間には、奴の鉄拳が俺の顔面を打ち抜いていた。

 

 鉄仮面が無ければ、頭蓋骨も粉砕され、床の上にスパゲッティでもこぼしたかのように脳みそをぶちまけていただろう。

 

 ここは室内で、一般人も多い。

 前の時のように、生裁剣で目一杯暴れられないのは正直言って致命的に痛い。

 

 まともな力勝負じゃ歯が立たないのが明白だからだ。

 

 地を転がる俺を汚物を見るような蔑んだ目で見下ろし、バキボキと拳の骨を鳴らして威嚇してくる。

 

「ほらァ、立てよ」

 

 俺の鉄兜を掴み上げて、無理矢理立たせようとする。

 そこで、俺は膝立ちになるまで引き上げられた瞬間、その手を払って鳩尾に拳を叩き込む。

 

 一瞬咳き込んだところへ畳み掛けるように生裁剣を振り下ろす。

 

 しかし、今度は奴のフックに剣の腹を殴られ、得物を振るう軌道を捩曲げられてしまった。

 

 すると、バッファルダは頭を俺の下腹部に向けて、そこで一気に天井へと突き上げた。

 

「なっ――が!」

 

 何が起きたのかを脳が判断した時には、既に俺は天井の照明に全身に打ち付けていた。

 

「おォおォ、屋根があってラッキーだったな。無かったらお前、そのままお星様になってたぜ」

 

 破損した電灯に引っ掛かったままぶら下がる俺を見上げて、闘牛まがいのヒーローもどきはせせら笑う。

 

「ラーベマンはどうしたよ? 呼べば助けに来てくれんじゃねェの?」

 

「ラーベマン……だと?」

 

 バッファルダが挙げた名前には聞き覚えがある。

 

 ラーベマンといえば、「ラーベ航空会社」の専属ヒーロー。Aランクの保持者である、いわゆるエリートヒーローだ。

 

「そんな奴と俺に何の関係が……」

 

「いやァ、お前には関係ねェんだが……まァいい」

 

 そう口にした一瞬の間に、奴は俺の眼前まで跳び上がり、俺を壊れた照明ごと引きずり落とした。

 

「うが――あッ!」

 

「ははッ、いい声で鳴くなァおい! あのBランク殺しにも聞かせてやりてェぜ!」

 

 ゴキブリをスリッパで叩くように、片手で持ち上げたテーブルで何度も背中を殴られる。

 

 背中から突き刺さる感覚に肺の奥から悲鳴が上がり、気管を通して俺の口から血ヘドが噴き出す。

 

 目に映る鏡の破片に、マスクの部分から赤い筋を幾つも流しているセイントカイダーの顔が見えてきた。

 

 醜く地を這う俺の姿は、やがて冷たくなって動かない舞帆や平中の体に歪んでいく。

 

 これは、錯覚だ。それは分かってる。

 

 だが、分かってるからこそ、それが現実になるかも知れないと思うと震えが止まらなかった。

 

 これはただの錯覚。そう、ただの錯覚で終わらせるんだ。

 そのためにも、俺は絶対――

 

「まー、とりあえず死ねや」

 

 頭上から冷たく言い放たれた一言と共に、俺の背中が冷たくなる。

 

 背中から全身に伝わる異物感。

 それが、天井の破片が突き刺さったものだと気付くのには、そう時間は掛からなかった。

 

「……お、が、あああああッ!」

 

 自分の体が刺された部分を中心に、冷たくなっていく。

 常軌を逸した痛みに叫びながらも、俺はどうすることもできずにいた。

 

「さァ、次は脚でも折るか」

 

 標本にされた蝶のように身動きが取れない俺の右足を両手で掴むと、妙な方向に捩りはじめた。

 本来の人間の関節ではありえない向きに、じわじわと。

 

「あ、う、ああ!」

 

 徐々に脚が捩曲げられ、それに抵抗できない現状に、俺は跳ね退け難い恐怖を覚えた。

 

「ほれほれ、もっと鳴けよ。こうすりゃア、もっと――」

 

 全身で悲鳴を上げて痛みを訴える俺とは対照的に、バッファルダはまるでゲームに熱中しているかのように、俺への嗜虐にのめり込んでいる。

 

 そろそろへし折ってしまおうと思ったのか、俺の脚を握る力が強くなったのを感じた。そして、

 

 バキッ。

 

 そんな音が聞こえた。

 

「ぐはあッ!」

 

 そして、短く叫び、バッファルダは頭を床に打ち付けながら激しく転倒する。

 

「なッ――!?」

 

 脚を折られると思っていた俺は、一瞬の出来事に目をしばたかせる。

 

 眼前に映るのは、赤いボディスーツで身を固め、翼のように端がギザギザに割れたマントを纏う一人の男。

 

 俺より身長が高く、それでいて華奢なそいつの姿に、俺は見覚えがあった。

 

「ラーベマン――!?」

 

「ひ、寛矢!?」

 

 すると、それまで涙でくしゃくしゃになった顔で戦況を見守っていた舞帆が、急に声を上げた。

 

 なんで舞帆がこいつを知って――いや、待てよ。

 

 随分前のことだか確かに聞いた。舞帆の弟がヒーローライセンスを取っていると。

 

「お前が舞帆の弟……!?」

 

「ええ、あなたが船越さんですね。母から聞いています」

 

「母……ね」

 

「後は僕に任せて」

 

 寛矢と呼ばれていたその男、ラーベマンはマントを鮮やかに翻し、バッファルダと対峙する。

 

「調子くれやがって……何が『僕に任せて』だ! てめェのパンチじゃ軽すぎて蚊が刺した程度ですらねーぞ!」

 

「……さァて、この脳筋はどう黙らせたものか」

 

「スカしてんじゃねェ!」

 

 怒声が店内に激しく響き渡り、周囲の一般客を畏縮させる。そんな中、一人涼しい顔をして悠然と構えているラーベマン目掛けて、一直線に突進を仕掛けた。

 

「来たぞ!」

 

「ちょっと我慢してください!」

 

「なに――ごはッ!?」

 

 あろうことか、舞帆の弟は俺の背に刺さっていた破片を抜き取ると、槍のように投げ付けた。

 

「てぇッ!」

 

 矢のごとく空を切って飛ぶ破片だったが、バッファルダの角はそれをさえものとしない。

 乾いた金属音が響くと、弾かれた破片は宙を舞った。

 

「ハン! ざまァねェな、さっさとくたば――」

 

 言い終えないうちに、勝利を盲信していた巨漢は徐々にスピードを落とし、やがて両目を覆って動きを停止した。

 

 そこから流れていたもの――赤い筋。血だった。

 

「船越さんに、協力してもらったんですよ」

 

 澄み切った声で、俺が一体何を仕掛けたのかを問う前にラーベマンが口を開いた。

 

「あなたの血。目潰しにね」

 

 彼が投げた破片には、俺に刺さっていただけあってかなりの血が滴っていた。

 角に弾かれた瞬間、空中に飛び散ったそれはバッファルダの目にも降り懸かっていたわけだ。

 

「ぐっ、おおお! こ、このハト野郎が!」

 

 顔を覆い、膝をつく闘牛。勢いを失い、まさしく牙を抜かれた状況だ。

 

「戦いにおいて、目が見えないことほど不便なものはない。既に決定的ではあるけど――ヒーローはやっぱり必殺技で締めないとね」

 

 視力を封じられ、身動きが取れず錯乱しだしたバッファルダとは対極の落ち着きで、ラーベマンはマントを広げた。

 今まさに巣立とうとしている鳥のように。

 

「――ハアッ!」

 

 ここが屋内だからか、大きいモーションから動き出した割には随分な低空飛行だ。

 

 床との距離はほんの十数センチ。それだけに、ラーベマンが飛んでいる辺りにはかなりの量で埃が舞い上がっている。

 

 大きく弧を描くような動きで、僅かな高さで空を飛ぶと、人型の鷹は瞬く間に視界を奪われた猛牛の背後を取った。

 

 その場で羽交い締めにしたかと思うと、今度は天井への激突を顧みない勢いで、急上昇を始めた。

 

「寛矢、危ない!」

 

 舞帆の制止が言葉となって発せられるより速く、ラーベマンは天井を突き破り、快晴の青空へ旅立って行った。

 

「ほぅら、空中旅行をご堪能あれ!」

 

 遥か空高く、そこらのビルより高い世界へ、バッファルダの巨体が解き放たれた。

 

「う、お、あああああああああああ!」

 

 凄まじい断末魔が、下にいる俺達にまで響いて来る。

 その叫びが耳をつんざく余り、声の主がこの飲食店の外に墜落した轟音も、ほとんど聞こえてこなかった。

 

 ……なんつー、えげつない必殺技だ。

 助けてもらっといてこう言うのも忍びないが。

 



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第9話 暴かれる過去

 ラーベマン……本名は桜田寛矢(さくらだひろや)

 舞帆の弟であり、宋響学園を飛び級で卒業した、筋金入りのエリートヒーロー。彼の活躍は、翌日の新聞の一面をド派手に飾った。

 

 「飲食店を襲った暴漢、ラーベ航空会社の使者が成敗!」なんとも骨太な見出しではないか。

 

 ボロクソに痛め付けられた俺については一切触れられていない。

 

 スーパーヒーロー評議会の体裁の都合なんだろうが、バッシングされるよりかは俺としてもマシだ。なんだか寂しい気もするが。

 

 それから、バッファルダについても詳細は報道されなかった。

 

 何らかのヒーロー能力を持っていたとは思うんだが、俺には何一つ知らされなかった。

 評議会としてもヒーロー能力の持ち主が大暴れしたとは知られたくないんだろう。

 

「大丈夫ですか、船越さん? さっきから難しい顔してますけど」

 

「ん? ああ、気にすんなよ桜田」

 

 俺は怪我の大事を取って、病院送りとなった。

 消毒液のヤな臭いで充満しているこんな病室まで見舞いに来るとは、この寛矢とか言う舞帆の弟は底無しの善人のようだ。

 

 俺の血で目潰しするときの無茶振りだけはいただけないが。

 

 俺よりも背は高いし、イケメンだし……姉といいこいつといい、桜田家は完璧超人の量産工場かなんかなのか?

 

 そう感心していると、寛矢は真剣な表情で俺を見詰めた。

 

「今日ここへ来たのは、船越さんにご自身の話を聞かせていただくためなんです」

 

「俺の? そんなもん聞いてどうすんだよ」

 

 せせら笑う俺だったが、ここの扉を猛烈な勢いで開けた二人の客人が、その微笑を断ち切った。

 

「私に隠し事なんて、いい度胸じゃないの、船越君!」

 

「そうですよ、私ビックリしました! 船越さんがセイントカイダーだったなんて!」

 

 舞帆と平中……なんでここを知ってんだよ。

 

 俺は気まずそうに目を逸らすが、彼女らはそれさえ許さないと言わんばかりに、俺が寝ているベッドの上にまで乗り上げてきた。

 

「なんであなたがセイントカイダーなのよ! どうして、何も言わなかったのよ!」

 

「同感です! 水臭いって言葉が今この瞬間のためだけにあるみたいですよ!」

 

 こないだの模試の成績を母さんに見られた時に近い心境だ。

 早く夜にならねえかな、早くこいつら帰らねえかな。切実にそう願う俺がいる。

 

「あなたのことを聞いてから、是非話を伺いたいと思っていたんです。どうしてあなたが、姉さんに代わってセイントカイダーになると決めたのか」

 

 割って入ってきた寛矢の発言に、舞帆の顔が凍り付く。

 

「何よ、何よそれ。船越君が……私の代わり!?」

 

「そうか、やっぱり姉さんは何も――」

 

「もう、何なのよ! 答えて、答えてよぉ!」

 

 綺麗な髪を振り乱しながら、舞帆は弟を遮って俺の両肩に掴み掛かる。

 平中が慌てて止めに入るが、その力が緩む気配はない。

 

 その様子に何かしらの無力感を感じたのか、平中は力無く椅子にへたり込むように座った。

 

「あんなに傍にいたのに、何も知らなくて何もできなくて……これじゃ、ひかりに合わせる顔が無いよ」

 

「――あ?」

 

 今度は、俺の顔が凍った。

 

 時が止まったように、意識はあるのに、体が動かない。

 

 思い出したくない、それでいて忘れたくもない記憶。

 

 それが今、たった一言で呼び起こされようとしていた。

 

 俺にとって、良くも悪くも忘れられない、彼女が。

 

「――!」

 

 無意識のうちに力ずくで舞帆の腕を払いのけると、平中に真顔で迫る。

 

「ちょっと待て。『ひかり』だと?」

 

「え? は、はい。私の友達で、その……あなたのことを教えてくれた……」

 

「文倉、ひかりか」

 

 俺が出したフルネームに、平中が目をしばたかせる。それは、やり取りを見ていた桜田姉妹も同じだった。

 

「え、何? 誰よ、文倉って!?」

 

「船越さん、僕達にも説明して下さい」

 

 ……患者を労る気持ちってのが無いのか、こいつらは。

 

 ――いや、問題はそこじゃない。

 

 俺が、セイントカイダーになったこと。それが舞帆の身代わりを意味していたこと。

 

 そして、「文倉(ふみくら)ひかり」のこと。

 

 もしかしたら、全てを吐き出すいい機会なのかも知れない。

 話すことで、何かが楽になるとしたら。

 

「……」

 

 俺は自分に注目する周囲を一瞥し、一息つくと、窓から見える遠くの景色に目を向けた。

 

 ここから見たらミジンコのように小さく見えるスーパーヒーロー評議会のビルくらい、遠い記憶。

 

 忘れられない、忘れたくない、そんな気持ちをないまぜにして封じていた、俺の幸せと不幸せが同居する過去。

 

 そのパンドラの箱を、俺は今、こじ開ける。

 

「……俺の、コト、かぁ」

 



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第10話 初恋の思い出

 三年前、中学三年になったころ。

 

 俺はその時、初めて恋というものを知った。

 

 何気ないまま進級し、受験シーズンを迎えたものの未だ志望校を決められない。

 というより、決める気がない。

 

 どうせ地元の普通の高校に入るのだろうが、担任からは「お前の成績ならもっと上に行ける」、などと無責任な期待の言葉を掛けられていた。

 

 確かに成績は学年内ではマシな方だったが、別にいい高校に入りたくて勉強してたわけじゃない。他にすることがなかったってだけの話だ。

 

 それでも周りの連中は俺を優等生のように見ていた。

 

 特に何かいいことをしてきた覚えはないが、成績が良かったり、人畜無害だったり、人の相談には一応乗ってやったりで、(俺にとっては)当たり前のことを重ねてきた結果らしい。

 

 体育の時間には、他所のクラスの名も知らぬ女の子と話し、名乗ることも忘れて仲良くすることもあった。

 

 そうした平凡で、荒波のない中学生活を送っていた俺が、担任に早く志望校を決めるようにと言われだした日。

 

 昼休みで飯を食い終えた後、トイレに行こうと階段を降ろうとした瞬間だった。

 

「――お?」

 

 足元に見える自分の足とは違う影。

 

 見上げれば、頭上には教科書やらノートやらが軽やかに空中を漂っていた。

 

 そして地球の引力に引かれて迫る、それら諸々。

 

 手で顔をガードする暇もなく、雨あられとばかりに顔面にラッシュ。

 

「ほびゃぁ!」

 

「あああっ! 大丈夫ですか!?」

 

 顔を覆ってうずくまる俺に、上の階段から同学年と思しき女子が駆け降りて来る。

 

 目に当たらなかったのが不幸中の幸いと言ったところだが、それを差し引いてもこれは結構痛いぞ。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 階段の所で人とぶつかった時に落としちゃって、下にいたあなたに……ごめんなさい!」

 

 振り子のように頭を振って謝る彼女に、俺は目を合わせた。

 

 滑らかなラインを描いて腰まで伸びたロングヘアに、ぱっちりとしたつぶらな瞳。

 美の神が手掛けたであろう流れるようなボディに、整え尽くされた目鼻立ち。

 

 正直に申し上げます。一目惚れだチクショウめ。

 

「あ、あの……大丈夫ですか?」

 

「ほぇ!? ――お、おお、大丈夫大丈夫! 大丈夫過ぎて死にそうだ!」

 

「えぇ!? どっちなんですか!?」

 

 悟られまいと必死に取り繕う俺の言葉に、少女はますますテンパる。

 

 それが俺の初恋相手、文倉ひかりとの出会いだった。

 

 △

 

 それから、俺は迅速に志望校を決め、隼のような速さを以て本格的な受験勉強に取り組んだ。

 

 目指すは名門私立――宋響学園。

 

 担任は「やっとその気になってくれたか」とホクホク顔。その通り、俺はその気になった。

 

 何たって、文倉がそこを狙うって言うんだからな!

 

 普段以上に机に向かい、普段以上のペースで過去問を解く。今まで必要としていなかった参考書にまで手を伸ばし、「十分でわかる英会話」などと胡散臭いタイトルを次々と買い込んでいった。

 

 それでも塾には通わなかった。文倉と話す時間が減るからだ。

 

 俺は文倉が通う塾の近くで待ち伏せては、勉強を終えた彼女を癒そうと喫茶店に誘ってコーヒーをおごった。

 

 典型的な文学少女であった彼女は俺にいろいろなこと(特に国語と古文)を親身になって教えてくれた。

 

 交通事故で両親が亡くなってから、加室孤児院(かむろこじいん)という養護施設で暮らしているという身の上を聞いてからは、なんとか力になってやりたい、とも思うようになった。

 

 歩くときは歩調を合わせ、街を渡るなら自分が車道側に立つ。

 デートの鉄則も忘れない。向こうはそんな認識はないんだろうけど。

 

 そんな折、年末と共に舞い込んできた模擬試験の結果が帰ってくる。

 

 俺も文倉も、かなりの高評価。二人揃って手を合わせて歓喜した。

 

 これで上手く合格すれば、もっと文倉と話せる、もっと文倉と仲良くなれる。

 そんな淡い期待を抱く俺に、彼女は願ってもみない提案を投げ掛けた。

 

「ね、ねぇ……船越君」

 

「どうした? お腹空いたのか?」

 

「い、いやその、そうじゃなくて……」

 

 胸の前で指を絡ませて、頬を染める彼女の姿に思わずクラッと来てしまいそうになるが、グッと堪えて文倉から目を離さないようにする。

 

 そして、彼女の発した次の言葉に、俺は凍り付いた。嵐の前の静けさの如く。

 

「もし……もし受かったら、私達、な、名前で呼び合って、みない?」

 

 硬直。

 

 体の奥にある全てが凍り付き、それに比例して全身が動かなくなる。

 

 そして、今度は凍った体の最奥にくすぶっていた熱がところせましと暴れだし、やがてそれは全身の氷を溶かしていく。

 

 その勢いは体中が氷解してからも留まることなく、彼女の前でその熱は暴発し、狂喜という形になって噴火した。

 

「――ぶはああああッ!」

 

「きゃあっ!?」

 

 体内から火山が爆発したかのように全身で衝撃を表現する俺の姿に、文倉は慌てて腰を抜かす。

 

「い、い、いいのか!? いいんだよな!? 嘘ついたらハリセンボン!」

 

「ふ、船越君、鼻血すごいよ……」

 

 混乱と喜びでわけがわからなくなっていた俺に、彼女はややビビってる様子。

 それでも、俺を拒絶することはなかった。

 

 付き合いはほんの半年足らず。

 

 たったそれだけの間でも、俺は彼女に十分過ぎるほどに惹かれていた。

 

 彼女の方はどうかはわからない。

 そもそも、異性としては見られていないかもしれない。だが、俺はそれでも構わなかった。

 

 一緒にいられて、おしゃべりできればそれで良かったんだ。

 

「や、約束だぞ! 約束だからな!?」

 

「うん、うん! ……約束……」

 

 △

 

 その日の晩、合格すれば文倉をひかりと呼べるんだと、ウキウキした感情に身を任せて帰宅した俺を、アイツが出迎えた。

 

「よぉ、大路郎ォ! 見たぜ見たぜ、いい女連れて色ボケてんじゃん! そんなんで宋響に受かんのォ?」

 

「弌郎――帰ってたのかよ」

 

 ……年の離れた実兄、弌郎(いちろう)だ。

 

 血の繋がった実の兄弟ではあるが、正直言って、関係は最悪だ。

 

 というのも、こいつは女遊びにしか興味を示さず、ろくに働きもせず、引っ掛けた女に貢がせて生計を立てているような輩で、母さんにもほったらかしにされている始末だ。

 

 最近はスーパーヒーロー評議会で働く女性職員にまでちょっかいを賭けているらしい。ますます嫌になる。

 

「で? で? 胸はどれくらいあんのよ? 締まりはいいか? 感度良好?」

 

 染め上げられた金髪をなびかせ、もたれるように俺の肩に腕を絡ませてくる。

 

 どうやら、俺と文倉が一緒にいることもご存知らしい。苛立ちに拍車が猛烈に掛かっていく。

 

「うるさい! 弌郎には、関係ないだろ! 俺に関わんな!」

 

 家全体に響き渡るように怒鳴り散らし、俺は自室に駆け込んだ。

 

「はぁ……」

 

 ベッドに体を投げ出して天井を見上げると、自然とため息が漏れてくる。

 

 弌郎の起こす女絡みのトラブルのせいで恥をかかされるのは、もうたくさんだ。

 

 小学生の時は、当時風邪を引いていた母さんに代わって授業参観に来たと思えば、担任の先生の胸を揉んで体育教師につまみ出されていた。

 

 中学に入ったころには、教師のみならず生徒にまで手を出すようになり、警察沙汰寸前までいってしまったケースもある。

 

 死んだ親父も生前はかなりのドスケベだったのだそうだ。もしかしたら血なのかも知れない。

 

 そう思うと結果として自己嫌悪に帰結してしまうのだが、それでもくじけている暇はない。

 

「文倉……そう、文倉なら、きっと仲良くやっていけるはずだ!」

 

 頭を切り替え、勉強机に向かう。

 

 いい家族なら見習えばいい。悪い家族なら反面教師にすればいいんだ。

 

 要は、俺が俺の嫌うような奴にならなければいいんだから、女の子を泣かせるような奴にならなければいい!

 

 その一心で、俺は宋響学園を目指した。

 

 △

 

 やがて迎えた卒業式。

 

 俺も文倉も無事に合格を果たし、互いに名前で呼び合う、という感無量な報酬も手に入れ、まさに幸福は絶頂期を迎えていた。

 

 そして、俺は決めていた一つの挑戦に臨もうとしている。

 

 もし受かったら――名前で呼び合えたら――俺、告白するんだ。彼女に。

 

 それが危険な賭けだとはわかっていた。ここまで行っておいて、もしフラれたら全てが水の泡。

 

 だが、今なら行けそうな気がしていたんだ。そうでなくても、この気持ちを抑える余力は、もう残されてはいなかった。

 

「大丈夫、きっと、大丈夫だ」

 

 文倉――いや、ひかりをメールで呼び出し、体育館裏を待ち合わせ場所とした。

 

 『君に伝えておきたいことがある。体育館裏へ来てほしい』。

 我ながら陳腐な文章だ。

 

 でもきっと、俺と同じように卒業生のバッジを付けたひかりが、来てくれる。そう信じていた。

 

 約束の時間。約束の場所。全て間違いはないはずだった。

 

 しかし、彼女は来なかった。

 

 ――なんだ? やっぱり性急過ぎたのかな。

 

 やはり焦り過ぎたのか……そう後悔の念が込み上げてきた時、俺の携帯がメールの着信を知らせようとズボンのポケットの中で暴れ出す。

 

 取り出したところで、俺はそこに表示された発信者の名前に目を見開いた。

 

「ひかりからだ……」

 

 どんな内容だろう。俺の用を察して、恥ずかしがってメールで返事しようってとこなのか?

 そんな考えが過ぎった時、再び俺の体に緊張が走った。

 

 震える指で、恐る恐る操作していく。着信された、ひかりからのメール。

 

 それを意を決して開くと、

 

『今までありがとう。さようなら』

 

 とだけ、淡泊に書かれていた。

 

「なっ……!?」

 

 言葉が、出なかった。

 

 さようならって――なんだよ!? 俺、まだ、何も言ってない。好きだって、言えてないッ!

 

 納得が行かず、俺はそんな焦燥を胸の内に抱えながら『どうしたの?』と返信する。

 しかし、いつまで経っても返事はない。

 

 ――ひかりだって、宋響には受かったはずなんだから、さようならだなんて、ありえないだろ!

 

 やっぱりアレか、俺なんかとは付き合えないってことか!? それとも、突然の引っ越しとか!?

 

 ……その時、またしても携帯が着信を知らせる振動を俺に伝えてきた。

 

 一瞬ひかりからの返信かと期待していたが、この着信音は電話のものだ。

 

 握りしめた携帯を開き、発信者の名前を見る。

 

 そこで、目を疑った。

 

「な、なんで弌郎から……!」

 

 このタイミングで弌郎から電話が掛かってくる。

 その意味は考えなかった。考えたくはなかった。

 

 目に浮かんだ真相の姿を必死に掻き消し、俺は敢えて通話に応じる。ひかりとは関係ないのだと、自分に確信を与えるために。

 

『よぉ、大路郎ちゃん。青春ハッスルしてるかい?』

 

 いつもと変わらない、軽薄な声で俺の耳をつんざく。

 本当ならいますぐ切りたいところだが、それではわざわざ電話に出た意味がない。

 

「御託なんていらない。何の用だよ!」

 

『まーまーマーマレード、そういきり立つなよ。お前の絶倫じゃあ彼女だってブッ壊れちまうだろ』

 

「彼女……? ひかりのこと、言ってんのか!?」

 

 すると、俺の怒号に反応するかのように、誰かがすすり泣く声が聞こえてきた。かすかだが、確かにこの声――間違いない。

 

「なんでひかりがそこにいるんだ! 答えろ!」

 

 最も恐れていた事態が、考えたくもなかった結末が、徐々に真実味を帯びていく。

 

『んー、いやまぁ、なんつーかさぁ』

 

 そこで一旦言葉を切ったかと思うと、電話から聞こえよがしにひかりの泣き声が響いてきた。

 

『ごめんなさい、ごめんなさい、大路郎君、ごめんなさい!』

 

 泣き叫ぶひかりの悲痛な声が、俺の耳から全身へと訴えかけてくる。その瞬間、俺の体中に電流がほとばしった。

 

 涙声な余り、正確にはそれくらいしか聞き取れなかったが、状況ははっきりした。

 

 ――弌郎が、ひかりを泣かせやがった!

 

「弌郎ォッ! てめぇ、どこにいる! ひかりに何をした、彼女がなんで泣いてんだァッ!」

 

 逆鱗に触れられたように、俺はここが学校であることも忘れて叫び散らす。

 

 思えば、クラスが違うとはいえ、今日は一度もひかりに会っていない。何か変だと、気付くべきだったのに!

 

『だぁーから、んなキレんなっつーんだよ。孕ませちまっただけだって』

 

 その言葉で、俺の心は冷水を被せられたマグマのように、一瞬にして固まってしまった。

 

「は……は、ら、ま……」

 

『おぉ、そうなんだよ。んでな? これからできちまったガキを堕ろしに行くとこなんだ。心配ねぇぜ? その金くらい俺が奮発してやっからよ。ひかりちゃんの方は、ガキができたことがバレて入学取り消しになっちまったみてぇだけどな』

 

 まるで土産話のように楽しげに話す実兄の声が、俺の心に幾度となく突き刺さる。槍で何度もめった刺しにされるような感覚だ。

 

『実は前々から声は掛けてたのよォ~。顔はかわいいし、胸はあるし。嫌がってるみてぇだが、断りきれねぇって感じだなぁ。何でかわかるか?』

 

「……そ、そんなこと……」

 

『お前の兄貴だからに決まってんだろォ!?』

 

「――!?」

 

 俺の心は、更にその一言という巨大な斧で切り裂かれた。

 

『俺がお前の兄貴だって知ったらよぉ、嫌がってたのに段々と従順になったんだよ。無下にしたら路郎君に嫌われちゃう〜ん、ってなァ!』

 

「……そ、そんな、そんなのって!」

 

 強姦は、女性にとっては殺されるに等しい屈辱だと聞かされたことがある。

 

 そんな他人事としか思えないような非日常な事態に、初恋の人が――ひかりが巻き込まれて……まして、その原因の一端が自分にあると知ってしまったら、俺はもう、何も言えなかった。

 

 何を言うべきか、誰を恨むべきか、それすら見失うほどに錯乱していた。

 

『まぁ、そーゆーわけだから、ひかりちゃんのことは俺に任して、お前は宋響で新しい女でも引っ掛けとけや。女子高生の方がほどよく熟れてて美味いんだぜ? じゃーな』

 

 プツン、と携帯が切られた。

 それに比例するように、俺の心も、原形を留めないほどに崩れ落ちた。

 

 後になって、ひかりと同じクラスだった同級生から、彼女が俺を好いている友人のためにその人の背中を押していたという話も聞かされたが、そんなことはどうだってよかった。

 

 確かなのは弌郎が、俺が、彼女を苦しめたということ。

 泣かせた、傷付けた。それも、殺人に等しい重さで。

 

 ――なら、どうする?

 

 答えは簡単だ。もう、誰も好きにならなければいい。

 誰とも、仲良しにならなければいい。

 

 卒業式の後、俺は真っすぐ宋響学園に向かった。

 ひかりの入学取り消しを撤回して欲しい。責任は俺にあるんだからと。

 

 しかし、話を受け入れてくれる人間は、誰ひとりとして存在しなかった。

 

 問題を起こしたのは、ひかりと弌郎であり、俺は関連性がない、というのが彼らの言い分だった。

 

 食い下がる俺を生活指導の教員がつまみ出すまで、彼らは俺の話に関心を向けることはなかった。

 

 俺には、彼女を救える力なんてなかった。

 誰も救えない。誰も救えないなら、誰かを守れるような人間でいる必要はない。

 

 そして、それまで積み重ねたものに自ら泥を塗るように、俺は髪を真っ赤に染めた。

 

 俺はアイツと……弌郎と同じような、人を傷付けることしかできない。

 

 そういう風にしか生きられない、そういう星の下に生まれてきた愚者なんだと、自分自身にそう証明するように。

 

 それを裏付けるかのように、宋響学園に入ってから、俺は毎日喧嘩に明け暮れていた。

 

 殴られて、蹴られて、刺されて、血を流して。

 

 終わることのない贖罪に身を投じ続けて、俺は自身の心身を破壊しようと躍起になっていた。

 



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第11話 桜田舞帆との出会い

 そうして身も心も変わり果てようとしていた折、当てもなく街に繰り出していた俺にある光景が留まった。

 

「何をしてるのよ、あなた達!」

 

 凛とした声を張り上げ、カツアゲにご執心な不良の連中に詰め寄る、風紀委員臭がスゴイ美少女。

 

 宋響学園の制服を着ている辺り、ウチの生徒と見て間違いないな。傍にあるワゴンカーは不良共の私物のようだ。

 

 被害に遭っているのは初老の男性。俗にいうおやじ狩りか。

 

「おいおい、スゲーかっちょいい女が出てきてんじゃん!」

 

「ヒュー、かっけぇ!」

 

「黙りなさい! 今すぐその人から離れ……きゃあっ!?」

 

 威勢はいいが、あっさりと不良の仲間に羽交い締めにされてしまう。撃沈はえぇな。

 

「こーして見るとカラダもすげーんだな。そそる眺めだぜ」

 

 その場の男性陣の多くが、美少女の豊満に飛び出した胸に視線を集中させる。

 

「なぁ、ホテルいこーぜホテル。ここよりよっぽど愉しーしよ」

 

「いやっ! なによ、離しなさい!」

 

 艶やかなポニーテールを揺らして抵抗する彼女だったが、大の男に捕まってはろくに反撃できないらしい。

 そのままどこかへ連れ去られようとしていた。

 

「――ちっ」

 

 俺は舌打ちをした後、悠然と彼らの前に立つ。

 

 途端に連中の顔が険しくなった。

 どうやら、男は歓迎してはいないらしい。されたらされたで気色悪いが。

 

「んだァ、ガキ! 邪魔だ!」

 

「おーおー、おっかねぇ。お楽しみに混ぜてもらおう、って腹だったんだがなァ」

 

 嘲る調子で肩を竦めて笑い、思ってもいないことを口にする俺に、不良共は怒りを隠さず殴り掛かる。

 

「お呼びじゃねーんだよ、ガキが!」

 

 だが、もはや見飽きた動きからくるパンチでは、かすることもままならない。

 

 俺は首を捻って一発をかわすと、にみぞおちに体重を乗せた膝蹴りをプレゼントしてやった。

 

 予想以上の反応で痛がり、腹を抱えてうずくまる。

 

「ごふっ……て、てめぇ!」

 

 憎々しい目で睨み上げてくるそいつの顔を、思い切り踏み潰す。

 血が飛び散り、周りの連中に降り懸かった。

 

 だが、それでは終わらない。更に、俺はそいつを蹴り続ける。どれほど血が出ようとも。気を失おうとも。

 

 端から見れば凄惨そのものと言える光景に気後れを感じたのか、他の連中は一切向かって来ない。

 

 賢い選択だ。どこの馬の骨とも知れないイカれたガキに付き合ってまで、喧嘩する意味はない。

 

「もうやめて! やり過ぎよ!」

 

 不良の連中に捕まったまま、少女が声を張り上げた。

 それでやっと足を止めた俺は、彼女の方へと顔を向ける。

 

 こっちを狙われると思ったのか、連中は少女から離れると、蜘蛛の子を散らすようにバラバラに逃げ出していった。

 

 そんな中で、彼女だけは逃げることもせず、真っすぐな瞳で俺を射抜いていた。

 やや怯えながらも、決して弱みを見せまいと気丈に振る舞う、正義感の強そうな美少女。

 

 それが、俺にとっての桜田舞帆の第一印象だった。

 

「な、なによ、やる気? ただじゃ負けないわよ、私はまだ本気じゃ――」

 

 ギュルルル。

 

 脚を僅かに震わせ、不格好なファイティングポーズをとる彼女。しかし、突然鳴り響いた彼女の腹の虫が、そのモチベーションを大きく揺さぶる。

 

 緊張がほぐれた反動かなにかだろうか。とにかく、彼女は顔を真っ赤にして、へたりこんでしまった。

 

「はっ! う、うぅぅぅ……」

 

 恥ずかしい余り、うつむいたままで俺とは目を合わせようとしない。

 

「……ち、金絡みで面倒掛けさすなっつーの」

 

 俺は彼女に手を差し延べる自分自身の姿に、少しだけかつての自分に戻ったような錯覚を感じていた。

 

 △

 

 アイドルと経営者を兼ねるヒーローが運営するファーストフード店に足を運んだ俺は、なけなしの金で少女に適当にワンセット買い与え、彼女を一人にしたまま店を出た。

 

「あなたは買わないの?」

 

「俺は外でご馳走だ。お前と違って胃袋だけはドデカイからな」

 

 全く同じ身長だが、体の違いはハッキリしてる。

 

 少なくとも、彼女に比べれば俺の方が格段に強く、腹も減る。

 

 俺は店の裏手に回ると、周囲の目もはばからず、残飯が詰まったゴミ袋の前に屈み込む。

 

「さて、頂くか」

 

 袋を開けば、異臭と一緒にボロボロと客の残した食べかけのバーガーやポテトが流れ落ちてくる。

 

 この中からなんとか食えそうなものを取捨選択して食い漁るのが、俺の「ご馳走」だ。

 

「これは……げ、ひでぇ臭いだ。こっちは……まあまあか」

 

 一つのゴミ袋に入れられた残飯が明確に食い物じゃなくなるタイミングは、一定とは限らない。

 

 時間が経ってすっかり腐りきったものがあれば、今しがた捨てられたばかりで、まだソースの臭いがはっきり残されているものもある。

 

 そうしたものを選び出し、さっきの女に与えたワンセット分の量を拾い上げた俺は、早速そのうちの一つを口に運び……

 

「な、な、な、なにしてんのッ!?」

 

 怒鳴られた。

 

 うんざりした顔で振り返ってみれば、信じられないようなものを見るような表情で、女は俺のしようとしていることに目を見張っていた。

 

「二人分買わないなんてやっぱり変だと思ったら……!」

 

「食事中の奴に後ろからでかい声で話し掛けてくるとは、ナリの割りにマナーのなってない奴だな」

 

「食事!? それが食事なの!? 信ッじられない! カラスのすることよ、それは!」

 

 周りの通行人は俺達のやり取りを奇異なものを見る目で見ている。

 彼女も視線に感づいたのか、頬を赤らめながら俺の手を引っ張り、その場を後にした。

 

「――で、どうしてあんなことしたの」

 

 生徒のいたずらを見つけた先生のような物腰で、女は俺に詰問する。

 俺が「いつものことだ」と目を逸らすと、彼女はますます声を荒げた。

 

「いつも……!? いつもあんなところで、残飯漁ってるの!?」

 

「お前からすりゃあ異常だろうが、俺の胃袋にはあれくらいが丁度いいんだよ。お前が気にかけるようなことじゃ――」

 

 すると、女は何かに気付いたように目を大きく開き、さらにズイッと顔を近付ける。

 

「あなた、もしかしてお金がなかったの?」

 

「あぁ?」

 

「二人分買うお金がなかったから、私に気を遣って……でも、どうしてそこまで? それに、家に帰ればご飯だって……」

 

 ――この女のお節介にはヘドが出るし頭が下がる。

 

 俺は軽く舌打ちすると、目を合わせないように首を後ろに向けて口を開いた。

 

「たかがメシ食うためだけに、俺のことでハラハラしてるお袋に会えってのか」

 

 そんな物言いに、彼女はムッとした表情になる。

 なんたる親不孝な、と言わんばかりなツラだ。

 

 髪を染めてから、俺はなるべく母さんとは顔を合わせないようにしてきた。

 

 朝は母さんより早く起きて、自分で朝メシを済ませて、さっさと学校に行く。

 仕事でいないタイミングを見計らって学校から帰った後、帰ってくる前に出掛けて、すっかり寝静まったころに帰る。

 

 休日は一日中外で過ごし、帰りは朝方。そんな生活だった。

 

 きっと心配するだろう、とは思っていた。

 だけど、俺はもう引き返せる気はしていなかった。だから、なるべく顔を合わせないように、言葉を交わさないようにしてきた。

 

 こうしていれば、きっと母さんは匙を投げる。俺を忘れてくれる。そう願っていたから。

 

「ダメよ、そんなの!」

 

 俺のそうした苦肉の策は、女の清々しい正論に一蹴されようとしていた。

 

「お母さんを心配させるようなことしちゃ、ダメでしょ! あんな悪いこと続けてて、申し訳ないとは思わないの!?」

 

 何も知らないから言える、綺麗ごと。

 俺はこうした彼女の訴えを、そう取らざるをえなかった。

 

 それでも、間違いだとは思わなかった。

 それが最もだと、俺も感じていたから。

 

 だが、脳裏に過ぎった一人の男の姿が、俺に現実に戻ることを拒ませる。

 

「……そんなの、弌郎に言ってくれよ」

 

「え?」

 

 不思議そうに首を傾げる彼女の姿に、俺は頭を抱えた。

 そして、後悔の念を抱える。

 

 ――こいつにそんなこと言っても、どうにもならないだろうが。

 

 自分自身の言い分に耐え難い理不尽を覚え、俺は正義を信じて疑わない、純真な彼女の瞳に目を向けた。

 

 その澄んだ光は、俺には余りにも眩し過ぎた。汚され、砕かれ、朽ち果てた俺には。

 

 俺がどうしようもなく、あの残飯に匹敵するほどに薄汚れた存在とも知らず、哀れな慈愛の天使は(無意味な)救いの手を探す。

 

「うーん、やっぱり……うん、よし! 私の家に行きましょう! 助けてくれたお礼もあるし、お昼くらいご馳走できるわ」

 

「どういう思考回路でそんな結論が出てくんだよ」

 

 呆れるようにこれみよがしにため息をつくが、当の女は気にしていない様子だった。

 

 俺の話を全く聞こうともせず、「ちょっと連絡してくるから待ってて!」と一人でどこかへ走っていってしまった。

 

「なんだっつーんだよ……」

 

 うっとうしいような、嬉しいような、厚かましいような、ありがたいような……微妙な心境に、俺の心は揺さぶりを掛けられていた。

 

「いいことしたからお礼が貰えるって、いい気にでもなってんのかよ、俺は……」

 

 それからしばらく待っていたが、彼女はなかなか帰ってこない。

 

 電話くらいで三十分も掛かるわけはないし、途中で自分の過ちに気付いてさっさと帰っちまったんだろうか。

 

 納得したようながっかりしたような……またしてもそうした、まとまりのない気持ちになっていると、女とは違う足音が近付いてきた。

 

 彼女のそれよりも重く、力強い。その音の主には、見覚えがあった。

 

「よお、さっきはやってくれ――」

 

 言うより早く、俺はノコノコと顔を出してきたさっきのヤンキーの髪を掴み、顔面に膝蹴りを叩き込んだ。

 

 挑発的な目付きとあの時のやり取りからして、俺の得になるような話じゃないのは明白だからだ。

 

「ひぎぁッ! て、てめ……!」

 

「んで? 俺に何か用かよ。女に絡んだ時みてぇの仲間はどうした」

 

 整理のつかない自分の気持ちに苛立ってる中での、ヤンキーの再来は俺に八つ当たりの機会を与えたようだ。

 

 しかし、こいつはレベルの違いを見せ付けられてなお、ニタリと薄気味悪く笑っている。

 

「へへへ、どうしたも何も、いつも通りさ!」

 

「いつも通り? ――クソッタレが!」

 

 俺は鼻血を垂れ流しているそいつを投げ捨てて、女の向かった先へ走った。

 



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第12話 最低最悪の兄弟喧嘩

「いつも通りってことは、またあの女に集団で絡んでるってことかよ! ざけやがって!」

 

 通りの角を曲がり、再び若者の集団を見つける。その近くには一台のワゴンカー。

 

 あいつらで間違いな――!?

 

「おぉおぉ、今日も上玉だぁ」

 

 息が止まる。

 

 比喩ではなく、本当にその時の俺は、息が止まっていた。

 

 奴の姿を見た瞬間に。

 

 そして蘇る、ひかりの叫び。

 

 奴の笑い声。

 

 その瞬間から心の奥底に眠っていたどす黒い感情が、うねりを上げて、咆哮する。

 

「お兄さァん! 中卒以来だなァおい!」

 

 嘲笑と激昂が入り混じる声に、奴が――弌郎が振り返る。

 

 兄は一瞬だけ俺の姿に驚いた顔をすると、すぐに下品な笑い顔に切り替えた。

 

「よぉよぉ、大路郎ちゃんじゃないのォ! 花の青春謳歌してる、ようには見えねぇなァ!」

 

 向こうも挑発的な態度で兄弟の再会を喜んでいる。

 殺してやりたいほどに、清々しくクソ下品な笑顔だ。

 

「なんだなんだ、そんな髪じゃあみんな怖がって寄りつかねえぞ! だから今の彼女ちゃん、こっちに逃げて来ちまったんじゃねえの?」

 

 弌郎は口角を上げ、両腕を縛られ、さるぐつわを付けられた女の首根っこを掴み上げた。

 

「んぐぅッ!」

 

「しっかしお前はベッピンにモテるね! 兄貴として誇らしい! ひかりちゃんもなかなかだったが、今回はピッチピチの女子高生だからな! どんな声で『啼く』のか楽しみ――」

 

「それ以上喋んなクソ野郎がァッ!」

 

 自分がどんな声で叫んだのか自覚するよりも早く、俺は弌郎に襲い掛かっていた。

 

 元凶によって掘り返された醜い過去が、俺の心を黒く染め上げていくのがわかる。真っ白なタオルの上に、泥を垂れ流すように。

 

 だが、奴は不敵に笑うばかりで、一切の動揺を見せない。

 

 当たり前だが、弌郎は喧嘩は強くはない。

 女遊びに夢中になるばかりで、喧嘩なんてしない生き方をしてきているのは、俺も知っている。

 

 仮に俺と離れてから鍛えだしたのだとしても、それはついこないだの話だ。大したものにはならない。

 

 それなのに、奴はただ笑うだけだった。そして――

 

「ご――ばッ!?」

 

 俺の内臓が、包丁で刺されたかのような冷たい激痛に襲われた。

 

 宙を舞い、七転八倒する俺を見下し、弌郎はせせら笑う。

 

「ハハハ、便利な世の中になったもんだよなァ、おい!」

 

 血ヘドを吐き散らしながらも、俺は奴を睨み上げる。

 

「て、てめぇ一体――がばッ!」

 

 弌郎のヒョロい身体から繰り出したものとは思えないほどの重い蹴りが、さらに俺を吹っ飛ばす。

 

 地を転がる俺は、再び弌郎を見上げた。そこで、不審な点に気付く。

 

 ――奴の着ている服の胸に、小さなスイッチのようなものと、「スーパーヒーロー評議会」の文字が――!

 

「お前、まさか……!」

 

「さっすが名門・宋響学園。頭が切れるね〜。ご名答だ、クソガキ」

 

 瞬く間に顎を蹴り上げられ、顔面に痛烈なストレートを食らう。既に俺の顔は、痣と血でグチャグチャに成り果てていた。

 

「評議会で働いてるねーちゃんをイイコトして虜にしてやったらよぉ、いろいろ貰ったんだわ。ヒーロー能力とかな」

 

 俯せに倒れ伏した俺の後頭部を、幾度となく踏み付けて来る。

 

 辺りには俺がやった時以上に血が飛び散り、視界は既に、目に映る赤色が俺の髪なのか血なのか、判別できないほどに混濁していた。

 

「まー、難しい考察諸々は任せてるけどよ、これだけははっきりしてるぜ。お前は一生、俺には勝てねーッてわけだ!」

 

 最後に決められた、強靭な拳から放たれるアッパーに顎を打ち抜かれ、俺はさらに多くの血を吐いた。

 

 これ以上出るのか? と思うくらい、俺の身体からは血が流出していた。

 

 俺の意識はほんの僅かな間だけ、そこで寸断されてしまった。

 

 △

 

 女を乗せて走り去る、弌郎の車。

 

 その行き先は、ある程度は予想がついていた。

 

「多分……ここから近くにある……病院、だな」

 

 血達磨になった身体を、壁にもたれさせながら進ませていく。

 どうやら、骨が数本イッてると見ていい。

 

 ヒーローライセンスの持ち主は、評議会管轄の病院を利用できる。

 

 ライセンス所有者はもちろん、その親族でも使えるようになってるわけだ。

 弌郎はヒーローライセンスこそ持っていないものの、関係者を篭絡してヒーロー能力を得ている。

 

 ライセンスの問題なんて、なんとでもなりかねない。

 

 奴らが邪魔をされないような場所であの女を愉しむつもりなら、関係者を丸め込んでから、病院で「行為」に及ぶことが予想できる。

 

 別に確信を持てるほどのものじゃないのはわかってる。

 それでも、他に行く当てがない以上、俺は進む他なかった。

 

「これ……以上、好きに、させるかよ!」

 

 病院前までたどり着いてみれば、案の定、奴らのワゴンカーが停めてあった。頭隠して尻隠さず、とは正にこのことだ。

 

 ふと、俺は向こうからここに勤めている看護婦らしき連中が来ていることに気付き、慌てて身を隠した。

 

 彼女らが血みどろになっている俺を見付ければ、なにはさておき医者を呼ぶだろう。

 

 最悪、ここはスーパーヒーロー評議会管轄下だからと他の病院まで搬送されかねない。そうしたら、女の救出どころじゃなくなってしまう。

 

 なるべく血痕を残さないようにしながら、俺は外の窓から弌郎達を捜す。

 

 スーパーヒーロー評議会の関係者や親族しか使えない病院である割りには、患者のタイプはいろいろらしい。

 

 細い初老の女性がいれば、筋肉モリモリでありながら、どんな事故をやらかしたのか包帯でがんじがらめにされている野郎もいた。

 

 そして、患者の名前がない空き部屋であるにも関わらず、数人の若者が集まっている部屋があった。

 

 男達が、一人の女子高生を組み伏せている。姿はよく見えないが、それがあの女なのかを確かめる必要はなかった。

 

 女を貪ろうとしている男達の後ろで、楽しげに腕を組む弌郎が見えていたから!

 

「弌郎ォォォォォオ!」

 

 あの日の出来事を彷彿させる情景が、俺の理性を奪い去っていく。

 

 気が付くと、俺は絶叫と共に窓を叩き割って病室に侵入し、自分の身体がどれほど傷んでいるかも忘れて、男達を完膚なきまで叩きのめしていた。

 

「なんとまァ、おっかなくなっちまったなァ、お前!」

 

 相変わらずヘラヘラと笑う弌郎だったが、その目の色はお楽しみを邪魔された怒りを克明に映し出している。

 

 俺は服がはだけていた女に自分の上着を被せて、弌郎の方へ向き直る。

 

「あ、あなた、どうして――ダメよ、逃げよう!」

 

 後ろから制止の声も聞こえたが、構う気は起きなかった。

 

 ただ、その時聞こえた涙声が、ひかりの嘆きを思い起こさせた。

 

 そして、膨れ上がっていく黒い感情。

 怒り――そう、怒りなんだ。弌郎と、自分自身への。

 

「いい加減くたばれ、クソ兄貴がァ!」

 

 一気に殴り掛かった俺の腹を、強化された弌郎の蹴りが難なく打ち抜いた。

 床に一瞬はいつくばり、すぐに立ち上がる。痛みも、苦しみも、そのままで。

 

「ほらほら、どうした! あの女子高生助けに来たんだろ!? 勇気出してもっと頑張れよ!」

 

 ヒーロー能力というアドバンテージを以て、奴は俺の顔をさらに赤く染めていく。

 

 口からは滝のように血ヘドが噴き出し、顔の骨にもひびが入ったようだ。それでも、俺は立つ。

 

 あの女を助ければ、ひかりを救えなかった罪悪感から、少しは逃げられるかも知れない――そんな叶うはずのない願いがあったから。

 

「……う、あ、があああああああッ!」

 

 血が目に入り、視界も閉ざされ、今となっては自分が拳を握っているのかさえわからなくなってきた。ただ弌郎の笑い声から奴の位置を探り、腕を振るう。

 俺には、それしかできなかった。

 

 そして、俺が顔面にストレートを貰った瞬間、何かが手に触れた。

 

 カチリ。

 

 何かのスイッチに触れ、小さな音が鳴る。

 

「――ク、クソが!」

 

 さっきまでの余裕を感じさせる立ち振る舞いから一転して、声に焦りの色を感じさせた。

 

 それだけで、後は何をすべきかは明白になった。

 

「ぶッッッ潰す!」

 

 俺は自分の触れた手で弌郎のヒーロー能力のスイッチを切ったと認識した途端、一気に地を蹴って奴を押し倒した。

 

「クソッ! 放せクソガキ! 俺は男とヤる趣味はねぇぞ!」

 

「俺にはあるねぇ! 殺る趣味ならなァ!」

 

 俺は両足の膝裏で奴の両腕をガッチリと挟み、胸のスイッチを押せないようにした。

 そしてひたすら、拳を声がする正面に何度も叩き付ける。

 

 顔や身体に、返り血が掛かる感触が伝わる。

 

「クソッ! がふっ! あの、ひかりってクソビッチも逃げやがるし、どいつもこいつも、俺の邪魔を――げふっ!」

 

 目もろくに見えず、耳でしか弌郎を追えない俺は、殴ることに必死になる余り、ひかりを罵倒する台詞しか聞こえてこなかった。

 

 それほどまでに、俺は狂っていた。そして、ひかりを馬鹿にした言葉が、ますます火に油を注いでいく。

 

「無駄口いらねーからさっさとくたばれェェェエ!」

 

 俺が窓ガラスを割った時に散らかった破片を掴み、弌郎に向けて振り下ろした。

 

 ――振り下ろしたつもりだった。

 

 破片を握っていた手を、何かに噛み付かれていると気付くまでは。

 

 ……いや、何かではない。女以外にこんなことをする奴はいないのは明白だった。

 

 俺の腕を噛む歯の感触が離れると、彼女の荒い息遣いが聞こえてくる。

 

 腕に噛み付いて止めるとは、おやじ狩りに絡んだ時といい、無茶苦茶なことをする女だな。

 

「――もういいよ、やめてよ」

 

 これまでに聞いたことがないくらい、悲痛な声だった。

 

 戦場に巻き込まれ、兵士に命乞いをする民間人のように、その縋るような涙声は、切実なものに聞こえた。

 

「お願い。お願いだから……!」

 

 何の事情も知らないから、そんなことが言える。

 

 しかし、何の事情も知らないからこそ、今の俺達がとてつもなく異常なのだと、彼女は警告していたんだ。

 

「それ以上は――もう、ダメ。お願い、だから」

 

 懇願する女の声に、毒気を抜かれたのか――俺は破片を握る手の力を失い、だらりと腕をぶら下げた。

 

 やがて騒音を聞き付けた病院の関係者らがやってきて、事態は収拾がついた。

 

 弌郎や、奴とつるんでいた男達は全員検挙され、俺は女が連れ込まれた病院とは違う所へ入院した。

 



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第13話 更生の始まり

 疲労困憊から来る睡魔によって封じられていた意識が蘇った時、俺は知らない病室のベッドにいた。

 

「気が付いた!?」

 

「いって……力強過ぎんだろ!」

 

「あ、ごめん!」

 

 目を覚ませば、俺の手を握り潰さんという力で取っていた彼女が傍にいた。どうやら俺をほっぽってはいなかったらしい。

 

「よかった、気が付いて! ホントに、よかった……!」

 

 ホッと胸を撫で下ろし、感極まった様子で、女は俺が寝ていたベッドの隣にある椅子に腰掛ける。

 

 すぐ近くに掛けられていたカレンダーに目を向けると、俺が約二ヶ月は寝込んでいたことがわかる。

 

 道理であれだけのことがあったのに、被害者のこいつがここまで落ち着いていられるわけだ。

 

「全身傷だらけで出血も酷かったし……ホントにどうなることかと思ったわよ。でも、無事でよかった!」

 

「お前の方こそな」

 

 女はそこで一旦言葉を切ると、申し訳なさそうに俯きながら、俺を上目遣いで見詰めた。

 

「えっと……あなたも、私と同じ学校だったんだね」

 

「財布の中身でも見たのか」

 

「うん……その、あなたの学生証が落ちてて、それで」

 

 スッと目の前に出された、俺の顔写真がある学生証。そこに写された俺の髪は、今の俺自身への皮肉のように、純粋な黒一色だった。

 

 受験用にと撮った証明写真が、こんなに皮肉に見えるのは、せいぜい俺ぐらいのものだろう。

 

「この写真、髪が黒いよね。それに、目が凛としてて、なんだか……」

 

「死んだ魚みたいな目付きで髪が赤い今とは大違いだな」

 

 嘲るようにわざと声のトーンを上げると、「ご、ごめん! そんなつもりじゃ……」と困った顔をする。

 

 さすがにそれ以上虐める気にはならず、「まぁ、どうでもいいけどな」と話題を切った。

 

 会話を重ねるに連れて調子が良くなってきたのか、女は身を乗り出して、さっきとは違う態度を見せた。

 

「ねぇ、私、あなたの昔の写真見てから、いろいろ考えたの。あなたはやっぱり、元に戻った方がいい! きっと今より、楽しく過ごせると思うの。一つのクラスの風紀委員を務める者として、あなたのことは見過ごせないから」

 

 やっぱり風紀委員だったか。まさしく見た目通りだな。

 ていうか見たことない顔なんだし、俺とは違うクラスだろうが。

 

 露骨にめんどくさそうな顔をする俺に、いたずらっ子を叱る母親のような顔で、女が迫ってくる。

 

「そのために私にできることなら、なんでもする! 私、宋響学園をより立派にしたいから!」

 

「ご大層な志をお持ちのようで……それなら……」

 

 俺はここまで、この女に感じてきたものを思い返した。

 

 性格も顔も、まるで違う。

 それでも、自身に何があっても俺を案じてくれたあの姿は、ひかりの優しさを思い起こすには充分過ぎた。

 

 決して、ひかりの代わりなんかじゃない。

 彼女を忘れないために、今目の前にいる彼女も忘れないために、俺は提案する。

 

 かつて円満に果たせなかった、彼女との約束を。

 

「……名前で呼び合え。そしたら言うこと聞いてやるよ」

 

「え?」

 

「いや、だから名前だよ」

 

 俺の発言が余程意外だったのか、女は俺の案に応えようともせず、鳩が弾道ミサイルを食らったような顔をしている。

 

「名前で、呼び合うの? 私と?」

 

「ああ。お前、名前は?」

 

「そういえば、自己紹介もまだだったわよね。私は桜田舞帆。あなたは――船越大路郎君よね?」

 

「そうだ。俺はお前を舞帆って呼ぶ。だから、お前も大路郎って呼んでいい」

 

 女――舞帆は、少し困った顔をすると、頬を赤らめた。

 

「ごめん……私、男の人を名前で呼ぶのは、家族か、家族になる人じゃないとダメだって言われてて」

 

 つまり、他所の男を名前で呼んでいいのは旦那だけってことか。

 コテコテに厳格な家庭なんだな。

 

「じゃあ、俺が勝手に舞帆って呼ぶ。お前は好きなように呼べよ」

 

「うん……船越君」

 

 あの約束を再現しきれなかったのは歯痒いところもあったが、不思議とそれほどもやもやとはしなかった。

 

 舞帆にひかりの面影を重ね、彼女を守りたいと願ったから、何が得るものがあったのかもしれない。

 

 もしかしたら……もしかしたらだが、舞帆を守れたことで何かの恩赦を得られるとしたなら……俺はもう一度、誰かを好きになっても、いいのかもしれない。

 

 それから、更正の第一歩として髪の染め直しに臨んだわけだが。

 

「くそったれ……」

 

「やっちゃったわね……なんだか中途半端」

 

 マジメになった証として自分で染め直そうとしたところ、しくじって半端な髪になってしまったようだ。

 

 まるで赤い髪に墨汁をぶちまけたような頭になってしまっている。

 

 端々に赤みがかかり、さながらメッシュのような有様だ。

 

 俺は退院して家に帰って以来、その頭で学校に通わなければならなくなった。

 

 それでも、グレた俺や女に溺れた弌郎のせいで老け込んだ母さんに、これ以上迷惑は掛けられないため、授業にも(今までよりは)マジメに取り組み、髪を染める前までは成績が回復した。

 

 さらに舞帆主導の(更正のためと称した)雑用オンパレードが功を奏したのか、俺を不良だと恐れて近付かなかった他の同級生達とも、次第に打ち解けていくことができた(その過程で成績が逆戻りしたが)。

 

 そうして一年の夏から二年の秋に掛けて、丸一年近くに渡る更正プロジェクトをこなした頃。

 

 俺は、達城朝香と出会った。

 

 △

 

 ある晩、人徳稼ぎのために野球部が練習した後のグラウンド整備を手伝っていた時だった。

 

 体育館の陰から見えた、学校関係者とは思えないほどの、グラマラスな肢体を強調した格好の女性の姿が目に留まった。

 

 そして彼女は唯一自分の姿を見付けている俺を手招きする。

 

 野球部の友人に後片付けを一旦任せると、俺は妖艶な女を訝しんだ上で、敢えて彼女のいる体育館裏へ足を運んだ。

 

「……で、誰だよあんた。そんな健全なる男子高校生にはいささか刺激が強すぎるような超悩殺セクシーダイナマイトバディを恥ずかしげもなくオープンかましちゃってくれてる辺り、教職員には見えないけどな」

 

「第一声からなかなか骨太に口説いてくれるじゃない。ちょっとクラッと来たわよ」

 

 溢れんばかりの爆乳を寄せ上げ、挑発的に笑う。

 

「さて、あなたを呼び出した理由だけど――そんなに身構える必要はないわ。別にあなたに何か頑張ってもらおうって話じゃないんだから」

 

「頑張る……? 何の話だよ」

 

「そうね、ここで説明するだけじゃ物足りないでしょうし、ついていらっしゃい」

 

 謎の女は地面の茂みに手を伸ばすと、そこでカチッと小さな音を立てた。

 明らかに、自然物の出す音ではない。

 

 その時、俺は初めて見た。

 

 「セイントカイダー」の力を格納する地下基地への入口を。

 

 無骨な機会仕掛けの部屋に、ボロボロの証明。

 少なくとも、いい大人が一人で暮らすには余りにもヘンピな場所だ。

 

 達城朝香と名乗るその女は、俺をある一室に案内し、そこのライトを付ける。

 

「これは……」

 

 眼前に映るのは、部屋中に散らかった謎の部品の数々。

 白と黄色を彩った、何かの機会のようなパーツがそこら一帯に転がっていた。

 

「私が開発に着手した、宋響学園の専属スーパーヒーロー『セイントカイダー』の設計パーツよ」

 

 俺は達城の発した言葉に、疑問を感じた。

 

 普通、専属ヒーローってのは企業のイメージアップに使われる場合がほとんどだ。

 学校に専属ヒーローが付くなんて、聞いたことがない。

 

「宋響学園は私立校よ。教育を商売にしている企業の一つと捉えれば、問題ないでしょう? 『ヒーロー』というコンテンツの幅を広げる、試験的なプロジェクトと言っていいわ。……この学園自体、桜田家の私物のようなものだし」

 

 そんな感想が既に顔に出ていたのか、達城は俺の胸中をあっさり看破した。

 

「そうそう……さっき達城朝香と名乗りはしたけど、つい去年までは桜田っていう性だったのよ」

 

「桜田? ――って、まさか舞帆の……?」

 

「ふふ、いつも娘がお世話になってるわね」

 

 この女に呼び出されてから、驚きの連鎖だ。

 彼女のプロポーションは母譲りだというわけだ。

 

「さて、今宵あなたを呼び出したのは、ひとえに事情を知っていて欲しいからなの」

 

「事情?」

 

 首を傾げる俺に背を向けて、達城は新聞紙くらいの大きさの紙を広げた。

 何かの設計図らしいが、残念ながら俺のオツムではカンプンチンプンです。

 

「私がいた桜田家は、過去多くのヒーローを輩出してきた宋響学園と密接な関わりがあってね。その筋でも名門だったの」

 

 セクレマンやら舞帆のお母さんやら、ついていけない要素だらけの今夜だったが、舞帆の家庭に関しては本人からある程度聞き及んでいたため、ちょっとは理解できた。

 

 確か、お父さんがここの校長を何年も続けてて、弟はここを飛び級卒業してヒーローデビューしたんだったな。

 

「そんな中で、私の夫――だった桜田家の現当主の桜田寛毅(さくらだひろき)は、この宋響学園自体に、我が家出身のヒーローを誕生させて、桜田家の威信を確固たるものにしようとしたの」

 

「……それが、セイントカイダーか」

 

 よく考えてみれば、舞帆の奴は生徒会役員だったよな。

 「生徒会(せいとかい)」だから、セイントカイダーってか。

 

 女が変身するのに随分と厳つい名前が付いてるのは、きっと「なめられないように」っていう男心が出てるからなんだろうなあ。

 

「ええ。変身者に選ばれたのは、当然ながら桜田の血を引き、唯一家族の中でヒーロー関係に携わっていなかった舞帆。生徒会に所属している優等生でもあるんだから、必然よね。まだ企画段階だから、本人はまだ何も知らされてはいないけど」

 

 確かに舞帆の家柄の良さはお父さんや弟の活躍振りからそこそこ察しているつもりだったが、ここまでとは正直予想外だ。

 

 ふと、俺はそこで達城の口調に異変を感じた。

 

 誇らしい話なのに、カッコイイ話なのに――どこか、現状に向けた怒気を感じる。

 

「でも、問題が一つあるの」

 

「問題?」

 

「桜田家の成功を嫉んでいるのか……僅か二人程度でありながら、宋響学園を狙う者達がいるのよ」

 

 その警鐘を鳴らす一言に、俺の表情も険しくなる。

 

「初めて襲われた時は、たまたまヒーローになって力を磨いていた息子がなんとかしてくれたけど、今後もそれで上手くいくとは限らない。息子以上の力を蓄えて、いつまた襲って来るか……」

 

「それと舞帆がヒーローになるのとどう関係あるんだ?」

 

 俺の問いに、達城は背中越しに答える。

 

「舞帆はまだヒーローになるには早すぎるの。教養はあっても、力が余りにも足りない。それを十分なものにするために、今から鍛えたのでは余りにも遅いのよ。それまでにまた、彼らがやってくる可能性が高いから。無防備なヒーローを、学園を……舞帆を狙って」

 

「校長先生は――あんたの旦那さんは、そこんとこわかってんのか?」

 

「そこだけはわかってるはずよ。その上で、企画を決行するつもりでいる。『桜田家と宋響に仇なす者は、桜田家で倒す』ってね。それがどれほど危険で不可能に近いか、あの人はわかってないのよ、その一番大事なところを……!」

 

 先程から薄々伝わって来ていた達城の怒りが、いよいよ明確に形を現わしてきた。

 

 娘が背負うリスクを承知の上で、家のメンツのために危険な立場へ置こうとしている、夫だった男への怒り。

 

「……だから、私はあの人と別れたの。セイントカイダーの部品と設計図を持って、ね」

 

 怒りを少しでも吐き出すことで、少しは気が鎮まったのか、達城は一息つくと椅子に座ってこちらに向き直る。

 

 その表情は、先程まで元夫への怒りを現わしていたそれとはうって変わり、どこか諦めたような、脱力感を思わせる印象になっていた。

 

「だけど、それももう限界。ここをあの人が突き止めてしまうのは時間の問題だわ。そうしたら、結局あの人の思惑通り、舞帆は危険な時期の中でヒーローになる道を迫られてしまう」

 

「そんなことって……!」

 

「だから、もし舞帆が危険な戦いに巻き込まれても、支えてくれる誰かがいてあげれば、きっとあの娘も少しは救われる。だから、あなたを呼んだの」

 

 ヒーロー業界の名門が見せた、不快な暗部。

 

 それを見せ付けられた俺の心は、ぶつけようのない怒り一色で、濁流のようにうごめいていた。

 

「もしあなたさえ良ければ、あの娘の戦いを、事情を汲んで、支えてあげて欲しいの。私じゃあもう、あの娘を守れないから」

 

 達城は机に散乱していた資料の山から、数札の一万円札を差し出した。手付金のつもりか。

 

「これは話を聞いてくれたお礼。事情を知ってくれる人が一人いるだけでも、きっとあの娘は幸せ――」

 

「ざッけんなァッ!」

 

 その瞬間、俺は地上まで響き渡るほどの勢いで、ダムに溜まった全ての水を解放するように叫んだ。

 

 気が付くと、達城の手にあった万札も叩き落としている。

 

 思わぬ罵声に目を見開く彼女に、俺はお礼代わりに思うままの感情を言葉にぶつけた。

 

「幸せ? あいつが幸せに? なれるわけないだろ! 俺なんかが一人ついたくらいで、あいつが幸せになんてなれるか!」

 

 俺が感情のカケラを言葉にするだけで、部屋がビリビリと振動する。

 しかし、そんなことに構っているゆとりもない。

 

「あんたの願う娘の幸せってのは! 娘の戦いがたった独りにならないことなのか!? 違うだろ、もっと見苦しいくらい欲張ってみたらどうなんだ! そんな俺の髪の色くらい中途半端なもんじゃないだろ、あんたの願いは!」

 

 感情に肉体の操縦を任せた俺は、達城の両肩をガシリと掴み、手に力を込める。理性の名残か、その力は彼女に痛みを与えるほどには至らなかった。

 

「戦って欲しくないんだろ!? 自分が腹痛めて産んだ娘に、危険な戦いをして欲しくない、だからあんたは舞帆をセイントカイダーにしたくなかったんだろうが!」

 

「私だって!」

 

 すると、それまで防戦一方だった達城が突如反撃に出た。

 その目尻に、痛々しく涙を浮かべて。

 

「私だって、舞帆には戦ってほしくなんかない! だけど、あの娘の代わりにセイントカイダーになれる人間は……いないのよ」

 

 だが、徐々に声に覇気が失われていき、やがて絶望を思わせる声色になっていく。

 

「なれる人間がいないって……なんだよそれ」

 

 その姿に怒気を削がれた俺は、俯く達城の顔を覗き込み、表情を伺う。

 

「……セイントカイダーの部品も設計図も、初めから舞帆の身体に合わせて造られたの。だから、彼女以外は絶対に使いこなせない。どの道、あの娘が纏うしかないのよ」

 

「絶対に使いこなせない、か」

 

 そこで俺は一つの考えを、今ここで纏める。

 

「なあ、もし舞帆以外の奴がセイントカイダーに変身しようとしたら……どうなるんだ?」

 

「どうなるって――全身を鎧に締め付けられて、大の大人でも失神する激痛が走るわよ」

 

「きっついな、それ」

 

 ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべる俺に、達城は険しい顔になる。

 

「あなた……まさか、舞帆のセイントカイダーになる役を肩代わりするつもり!? 私の話を聞いてなかったの!?」

 

「聞いてたさ。その上で、そう言ってる。リスクは今あんたが言った通りなんだろうな。だが、やらないわけにはいかない」

 

 まるで信じられないようなものを見る目で、達城は猛烈に反対する。

 

「なんであなたがそんなこと……無理よ、不可能だわ! 敵は息子より強くなってくるかも知れないのに、激痛のリスクまで背負って戦うことなんて!」

 

「あんたが願う娘の幸せってのは、こういう展開のことを言うんだろ。もし事情を知って支えてくれる人になって欲しいってのが、あんたの本当の願いだとしたら――今世紀最大の人選ミスだな。俺がそんな事情聞いといて、黙ってるわけないんだから」

 

 ひかりのことでやさぐれて、弌郎とも争って、どうしていいかわからなくなっていた俺を、尻を叩いてでも助けてくれた舞帆。

 

 あいつが危険な綱を渡ろうってんなら、俺が安全な道に作り替えてやる。

 それが、助けてくれた筋ってもんだろうが。

 

 品性のカケラもないイレギュラーの登場に、達城はただ言葉を失うのみだった。

 

 △

 

 それから、俺はヒーローライセンスを取得するための猛勉強に取り組み、二年の終わりにFランクのライセンスを取得した。

 

 セイントカイダーの変身システム――すなわちセイサイラーは、舞帆がBかAランクのライセンスを取得する予定があって建造されていた。

 

 つまり、Fランクのヒーローが、Bランクが使う(ことを想定した)変身システムを秘密裏に運用するという、奇妙な状況が出来上がったのである。

 

 桜田家に秘密基地を知られないようこっそりと、達城もセイサイラーを正月までに完成させた。

 

 こうして二年の三月に入って、ようやくこの俺、船越大路郎が変身するセイントカイダーが日の目を見たのだった。

 

 当然、リスクは相当なものであり、当初は変身する度に入退院を繰り返す始末であったが、回数を重ねるに連れて俺の肉体がセイントカイダーの鎧に馴染むようになっていった。

 

 もともと不良時代に身体を鍛えすぎたせいで、筋肉量の重さで背が伸び悩んだために、俺は舞帆と同じくらいの身長しかなかった。

 

 そのため、激痛を伴うには間違いないものの、五月に入る頃には随分とマシになっていた。

 

 加えて、今までの喧嘩とは違う真っ当な戦い方を学ぶため、ボクシングジムの専属ヒーローであるBランクヒーローから格闘技を学び、宋響学園を狙う敵を迎え撃つ日に備えて俺は鍛え続けた。

 

 さらに、俺達の現状を桜田家に悟らせないために、ヒーローに関する話題を取り上げる雑誌の取材を受けないようにするべく、ヒーローランクを上げないように派手な活躍は控えていった。

 

 桜田家のメンツをなにより重んじる校長の性格を考えれば、セイントカイダーが舞帆じゃない誰かが変身していると知っても、それが誰なのかを特定できるまでは事を荒立てられないかららしい。

 

 そのため、宋響学園の受験案内のパンフレットや、入学案内に同封された学園紹介のDVDくらいにしか「セイントカイダー」は姿を見せず、正体が露見する可能性を極限まで回避した。全ては、舞帆を守るためだ。

 

 ……そう、俺は舞帆に代わって、その痛みを背負ってセイントカイダーになると決めたんだ。

 

 弌郎によってひかりと共に泥沼へ引きずり込まれた俺を、そこから救い出してくれた彼女に、報いるために。

 



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第14話 予期せぬ来客

 間もなく夜の帳が降りようとしていた。

 俺は一通りの自己紹介を終えると、神妙な表情でこちらを見る三人へ向き直る。

 

 舞帆も、平中も、桜田も――いい顔はしていない。

 悲痛、とでも形容するべきだろうか。少なくとも、納得はしてくれたと思いたいんだが。

 

「……そんな」

 

 俺が喋り終えてから次に口を開いたのは、平中だった。

 この中では一番縁の薄い彼女だが、そうであるからこそ、今の現実を客観的に見れるんだろう。

 

 だからこそ、俺が異常に見える。舞帆がそうであったように。

 

「ひかり――そんなことがあったなんて」

 

 ぽつりと彼女の口から出るその名前が、今なお俺の胸に食い込んで来る。

 

 辛いことがあるなら、確かに忘れた方がいいのかもしれない。

 ……だけど。そうであっても、彼女だけは忘れてはならない。

 

 ――忘れることは、許されない。

 

「なるほど……だから船越さんはセイントカイダーに。これで全ての合点がいきました」

 

 深刻な表情はそのままだが、舞帆の弟は幾分冷静に俺の話を処理してくれていたようだ。

 俺なんぞのことに構って意気消沈されるより、その方が俺も救われる。

 

「桜田。達城――お前らのお母さんは敵は二人くらい、って言ってた。一人はバッファルダなんだろうが、もう一人はどういう奴なんだ? お前は会ったことがあるんだろ?」

 

 俯いたまま沈黙を貫いている舞帆が気に掛かったが、今は敵について少しでも知っておきたい。

 

 過去の話をしていく内に、桜田が既に連中と面識があるのを思い出したのはラッキーだった。

 

「もう一人……Bランク殺しのラーカッサ、ですね」

 

「ラー……カッサ?」

 

「ええ、自分の敵わないAランク以上からは全力で対戦を避け、自分より弱いBランク以下のヒーローを徹底的に狩る。ラーカッサこと狩谷鋭美(かりたにえいみ)の常套手段ですよ」

 

 サラっと本名まで出して来やがった。

 そこまで分かっていながら警察の手を借りないってのも、桜田家のプライドってやつなんだろうな。

 

「最後の強敵……にしては随分とセコい奴なんだな。そのラーカッサっての」

 

「それは、彼女に勝てる力のある人が言うべき言葉でしょうね。僕らがそう言ったところで、負け犬の遠吠えですよ」

 

「……違いない、な」

 

 学園で初めてバッファルダと会ったときに、奴を最後に止めたのも多分そいつだ。

 

 一応は「女」らしいが、それでもあの猛牛野郎を抑えられる力があるってことだろう。

 

 生裁剣が使えなかったとはいえ、あいつにさえ勝てなかった俺がでかい口を利くのは十年早いってわけか。

 

「バッファルダが倒れた今、ラーカッサも黙ってはいないでしょう。あなたは体を休めて、今一度僕と二人掛かりで戦えば彼女にも勝てるかと」

 

「人の背中に刺さってる破片を無理矢理引っこ抜くドSと組むのは気が引けるが、勝つためにはあれこれと言ってられないよな。その程度の無茶ぶりくらい、なんてこと――」

 

「――その必要はないわ!」

 

 ガタッと一つの椅子が倒れると、、凜とした声が病室一帯の空気を切り裂いた。

 面食らった一同が声の主、舞帆に注目する。

 

 彼女の眼には、物悲しさと怒りと、決意の三つが同居しているように見えた。

 

「姉さん、急に何を……」

 

「そうですよ、船越さんだって頑張って――」

 

「冗談じゃない、冗談じゃないわよ!」

 

 いきなり叫んだことに俺共々驚く弟を完全放置し、こちらに向かって真っ直ぐ詰め寄ってきた。

 

「ふざけないでよ! 何を当たり前のようにあなたが戦おうとしてるのよ! 寛矢も寛矢よ! あなたは船越君が戦おうとしてることに何の疑問もないの! こんなのおかしいって、誰も思わないの!」

 

 いつもの学校での凛々しさが嘘のような取り乱しようだ。

 そのくらい、自分が蚊帳の外扱いだったのが悔しかったんだろうか……?

 

「船越さんは、舞帆さんのために戦って来たんでしょう!? なのに何で舞帆さんが怒るんですか!?」

 

「姉さん、船越さんは自分から戦うことを望んでセイントカイダーになったんだ。否応なしに戦わなくてはならないはずだった姉さんとは事情が――」

 

「知らないもん! わ、私何も聞いてないもん! お母さんも急に出てっちゃったと思ったら、船越君にそんなこと言うなんて! こんな、こんなこと、知ってたら絶対に――!」

 

 見てる方が痛々しくなるほどに、彼女の声には動揺が如実に現れていた。

 

 達城との出会いを話した辺りから見え隠れはしていたが、今ではそれがはっきりと表出している。

 

 彼女の言い分は最もだ。何の事情も知らないまま、自分の代わりに他の誰かが自分がするはずだった戦いをしていた。

 こんな居心地の悪くなる話はそうそうない。真面目な舞帆ならなおさらだ。

 

 知らない方が幸せなことってのは、こういうのを言うんだろうな。……やっぱり、非常事態とは言えあっさりと正体をバラすのは浅はか過ぎたみたいだ。

 

 俺は自分の早計な行動が招いた結果を目の前にして、後悔の味を噛み締める。

 

「私がやるわ! どうせ後一人だけなんでしょ!? 私と寛矢で戦うから、あなたはもうこんなことに関わらないで!」

 

「舞帆、お前じゃ頭は良くても力が足りない。だから達城は俺にやらせたんだ。さっき話したばかりじゃないか」

 

「違う! 違うよ! 違うもん! そんなことない、私だってやれる! 私のために造られたセイントカイダーなら、絶対にやれる、やってみせるから!」

 

 まるでおもちゃをねだる子供のように、目頭を熱くしながら激しく食い下がる。

 ここまで頼まれたら普通は譲ってしまうものなのかもしれないが、こればかりは俺も譲れない。

 

 このためだけに、俺は痛みに耐えてまでセイントカイダーを選んだんだから。

 

「舞帆。桜田も、お前の母さんも、お前が大事だから戦うんだ。俺もお前に、無事でいて欲しいんだよ」

 

「でもっ……」

 

「お前は何の心配もしなくていいんだ。俺が絶対に、戦わなくていいお前の、当たり前の日常を守るから」

 

「……」

 

 何も言わず、黙り込む舞帆。

 俺は彼女の恩に報いる機会を、ただ願った。

 

「頼むよ。頼む。もう一度だけでいいから、俺にお前を守るチャンスを――」

 

「その必要はない」

 

 その時。

 

 この中の誰のものでもない、男の声が聞こえた。

 



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第15話 桜田舞帆の決断

 ふと声が聞こえた方に目を向けてみれば、病室のドアがノックもなしに開かれていることに気づく。

 

 そしてそこには、鋭い眼光で俺を射抜く、一人の初老の男性の姿があった。

 スーツをピッチリと着込んだ、やり手の経営者って感じがする。

 

 にしても、今のフレーズ、何か聞き覚えが――

 

「お父さん!?」

 

 今までにないくらいの派手な驚き方で、舞帆が声を上げた。

 

 舞帆のお父さんってことは……校長先生の桜田寛毅か。

 忘れがちなんだよな、校長の顔や名前って。

 

 しかも、よく考えたら話を切るときのフレーズが舞帆と一緒じゃないか。さすが親子だ。

 

 ――で、舞帆をセイントカイダーに仕立て上げようとしたってのも、このオッサンなわけだな。

 

 別に威嚇してやろうとか思ってたわけじゃないが、達城から背景を聞いた以上、良くは思えない。

 

 向こうも俺みたいな外野に首を突っ込まれたのがシャクなのか、キツイ視線を送っている。

 

「父さん――どうしてここへ」

 

「寛毅に舞帆か――そして、船越大路郎」

 

 息子の問い掛けにも反応を示さず、真っ直ぐ俺を見据えて来る。頼むから平中には挨拶くらいしてやってくれ。

 

 そんな俺の些細な願望を打ち砕くように、厳つい校長先生は俺の傍まで足を運ぶ。

 

 遠目に見ていてもデカイとは思っていたが、近くに来るとその体躯がいかに凄まじいかがはっきりとわかる。桜田よりでかいんじゃないか?

 

 校長はさらに俺を鋭い目つきで見下ろし、厳かに、容赦なく言い放つ。

 

「貴様か。娘の栄光を横取りした害虫は」

 

 害虫て……予想以上の言われようだ。

 

 すると、いきなり校長先生に害虫呼ばわりされ、対応に苦慮していた俺を庇うように舞帆が自分の実父の前に立ち塞がった。

 

「なんてこと言うのよ! 初めて会って早々言うことがそれ!? 船越君に謝って!」

 

「舞帆……なんということだ、私の愛娘がここまで篭絡されていたとは」

 

 娘の怒気溢れる声を前にして、校長は心底嘆かわしい、というような顔をする。

 校長にここまで嫌われる生徒って、そうはいないだろうなぁ。

 余りの物言いに腹が立つが、悲しくもなる。

 

「いいか舞帆。私の話をよく聞いてくれ。お前は騙されているんだよ、この卑劣な男に」

 

「な、なによそれ! いい加減にして!」

 

「お前はこの男に何をされた? この男の縁者に誘拐されたあげく、襲われたそうではないか。その上、自分の撒いた種のために大怪我を負い、お前の気まで引こうとした」

 

 あることないこと、言いたいように言ってやがるな。

 ……だが、俺に責任があるのは事実だ。悔しいが、何も言い返せそうにない。

 

 そんな俺のやるせなさを知ってか知らずか、舞帆がさらに怒る。

 

「船越君を馬鹿にしないで! 船越君は私のために、実のお兄さんにまで抗って! あんなに血まみれになってまで……戦ってくれたのに……そんな言い方、ないよ」

 

 竜頭蛇尾、というのだろうか。舞帆の訴えは次第に真っ赤な怒りから、暗い涙声に変わっていった。

 

「それこそが、この男の策謀なのだ。お前をそうやって惑わせて、我が桜田家へ取り入ろうとしている下劣な輩なのだよ。その証拠に、お前は本当なら器物損壊と傷害に問われるはずだったこの男を必死に庇い立てた上に、私の助力まで求めたではないか!」

 

「――なに?」

 

 俺は目を丸くして舞帆を見る。彼女も俺の視線に気づいているのか、目を合わせようとしない。

 

 校長の視線が舞帆から俺に移ると共に、その哀れみの目の色は激しい憤怒へ変わる。

 

「ついには舞帆を差し置いてセイントカイダーを騙り、娘の華々しいヒーローデビューを汚しおった……なんたる侮辱か!」

 

「達城に――校長の奥さんに聞いた。あんたが娘をどうしてもセイントカイダーにしようとしたって、ホントなのかよ」

 

 向こうの怒りはたくさん聞いた。聞くだけ聞いた。

 ……今度は俺が聞きたい。

 

 その一心で、俺はそこで初めて舞帆の父と言葉を交わした。

 

「朝香が舞帆を置いてセイントカイダーに選んだと言う男がどれほどのものかと思ってみれば、まさかよりにもよってあの害虫男だったとはな。貴様と朝香の動向はとっくに把握していたが、舞帆しか使えないというシステムの根本を無視してまで運用する程の者がいると聞いてしばらくは静観していた。だが、舞帆の代わりに戦うなどとほざいていながら結局はこのザマか」

 

「質問に答えたら、どうなんだ」

 

 どうやら、俺達のことはお見通しだったらしい。

 だが、肝心の質問の答えがまだ聞けていない。

 

 校長のどこまでもこっちを軽視する物言いの数々に、さすがに言える身分ではないと分かっていても、声を荒げずにはいられなかった。

 

「学園のトップたる校長に対して暴言とは……舞帆の指導で更正したとも聞いていたが、とんだデタラメだったようだな。まぁ、いい」

 

 そこで一旦言葉を切って咳ばらいすると、目の色が瞬時に変わった。

 

 一切の反論を許さない、絶対的な威圧感。

 目だけでなく、そういった雰囲気を全身から噴き出しているようだった。

 

 思わず腰が引けてしまいそうにもなったが、ここで引いたら男が廃る。

 冷や汗を流したまま、決して目を反らさず、俺は真っ向から校長と向き合った。

 

「朝香の言う通りだよ。舞帆は賢い。貴様も知っているだろうが、この娘は海外留学も経験し、既に教養の面では卒業しても問題ないレベルだ。お世辞の一切を抜いてな。寛矢も飛び級で宋響学園を卒業してヒーローになったが、舞帆ならそれ以上も簡単だったはずだ。この娘なら桜田家髄一の才女にもなれた――貴様にさえこだわらなければ!」

 

 ……俺に……?

 俺がダメだったから、ほって置けなかったら、舞帆は飛び級をしなかった……?

 

 宋響学園は、学力がその学年を修了できるレベルだと判断されれば、特例として飛び級ができる。

 確かにAクラスの舞帆ならそれもできたはずだ。

 

 ――それを邪魔したのが、俺?

 また俺のせいで、舞帆が損をしたってのか?

 

 舞帆も、気まずそうに俺から目を逸らす。

 

 俺の、せいで――

 

「舞帆は必ず優秀なヒーローとなる。そのプロデュースには、我が桜田家に仇なす不届き者の成敗が丁度いいだろう。朝香は舞帆では力不足だと危惧していたらしいが、そんなものは杞憂だ。そこから来る最悪の偶然が、貴様を呼び込んでしまった」

 

「父さん! 船越さんは、姉さんのために今まで――」

 

「今まで戦ってきた、というならもう用済みだ。桜田家の敵は桜田家で倒す。貴様のような害虫が出る幕ではない!」

 

 今まで黙っていた桜田が繰り出す弁護も退け、ハッキリとそう言い放つ。

 そして校長は一転して怒りを含まず、それでいて真剣な顔で舞帆に向き直る。

 

 しかし、彼女の表情はどこか沈痛な雰囲気が漂っていた。

 

「舞帆。我らに仇なす敵から犯行予告が来ているんだ」

 

「えっ!?」

 

「なっ!?」

 

 突然のカミングアウトに、俺を含む全員が騒然となる。

 校長は俺達の前で、一通の手紙を開いた。

 

「『今夜、宋響学園の校舎を破壊する』――実に単刀直入な挑戦状、だな」

 

「今夜だなんて、ほぼ今じゃないか!」

 

「無茶です、父さん! 姉さんは実戦経験がありません!」

 

「そ、そうですよ! 舞帆さんが死んじゃいます!」

 

 俺が声を上げると、桜田と平中が必死に校長の意向を制止する。

 しかし、やはり耳を貸す気はないらしい。

 

 赤の他人の平中と害虫同然の俺には全く目もくれず、舞帆と桜田だけを見詰めて、校長は声を上げる。

 

「これが最後の戦いだ。セイントカイダー、そしてラーベマンの力を以て、憎むべきラーカッサを討つ」

 

 堅い父の意志に抗い切れなくなったのか、桜田はもうなにも言わなかった。

 否定も、肯定もせず。

 

 ただ、やるからには勝つしかない、という決意はあるらしく、戦う者としての引き締まった表情になっている。

 

 そして……。

 

「舞帆……」

 

「船越君」

 

 それまで受けた恩のあまりの重さと罪悪感から、しばらく見れなかった、舞帆の顔。

 

 その表情からは、先程のような気まずさは消えうせていた。

 未だにそこから抜け切れていない俺が惨めになるほどに。

 

「決めた。私、ラーカッサと戦う」

 

「姉さん……」

 

 心配そうに眉をひそめる弟に振り返った彼女は「大丈夫よ」と優しく微笑むと、意志の強い瞳で俺に向き直る。

 

「私ね、ずっと決めてたの」

 

「決め……てた?」

 

「うん。あなたに助けられた日から、ずっと。あなたが助けてくれた分だけ、あなたの助けになろう、あなたを守ろうって」

 

 舞帆は感慨深げに瞼を閉じると、俺の手を優しく取った。彼女の隣から、「この状況でなにやってんですかー!」という平中の怒鳴り声が聞こえてくる。

 

「痛くはない?」

 

「……え?」

 

「ほら、二年前言ってたじゃない? 力強過ぎんだろって」

 

「あ、ああ、そうだっけ?」

 

「ふふっ、忘れっぽいんだから」

 

 さっきまでの状況が嘘のように、舞帆は楽しげに笑う。

 まるで、出撃前に酒を飲む特攻隊じゃないか。

 

「……私、あの時は本当に、どうなることか分からなかった。理解が付いていかなかったのよ。あなたが助けに来てくれる前からも、後からも。そのくらい、ずっと怖かった」

 

「悪い。俺の兄貴のせい――俺達のせいで」

 

 俺もあいつと同じだ。ひかりを守れなかった。

 傷付けた。俺と血を分けた兄弟のしたことで、発端には俺も関係がある。

 だから、あいつだけのせいだなんてムシのいいことなんか言えない。

 

「いいの。――私は襲われたことより、私のために血達磨になって死に物狂いで戦うあなたの方が怖かったのよ。もし私のせいであなたが死んだら、きっと生きていけなかった。命の罪悪感なんて、堪えられっこないもの。だからこそ、会ったばかりの私のために、命懸けで戦って、生き延びてくれたあなたには、一生ものの勇気を貰ったわ」

 

「俺は、身内として尻を拭おうとしただけだ。ロクなことはしちゃいないし、大して役にも立っちゃいない」

 

「ううん。あなたがいてくれたから、今の私がある。だから、私もあなたのなにかになりたかったの。ああやって、叱ったりしかできなかったけど」

 

「おかげさまで友達もできた。感謝してるよ」

 

 舞帆は俺の言葉に満面の笑みを見せると、名残惜しげに、ゆっくりと手を離した。

 なぜか、その顔はどうしようもなく悲しげなものになっている。

 

「――だから、これが最後の恩返し。あなたにあの危機を救われた分に応えるために続けてきた、恩返しの締めくくり。あなたが命懸けでセイントカイダーとして戦ってくれた分だけ、私が戦う。私の命を守ってくれたあなたな命を守るために、今度は私が命懸けで戦うね」

 

「舞帆、本当にやる気なのか」

 

「やる。あなたのためだから。大丈夫、きっとすぐに帰ってくる! だから、あなたも早く良くなってね。あと、今まで意地悪ばっかりしてごめんなさい。じゃあ、行ってくるから」

 

 それだけ言うと舞帆は家族達と共に病室を後にして行く。

 

「さぁ、行くぞ舞帆、寛矢。我ら桜田家は、常にあらゆる分野において第一線で活躍してきた名門。故に、『何があっても』負けてはならんのだ」

 

「……はい」

 

 桜田は病室を出る前に俺に一礼していったが、校長の方は振り向きもしなかった。

 

 二人に続いて病室を去る舞帆。

 

 その直前のことだった。

 

 少しだけこっちを向き、何かを呟くように口を動かす舞帆。何を言ってるのか――涙を頬に伝わせる彼女の唇は、見間違いだろうがこう言ってるようにも見えた。

 

 

 ――帰ってきたら、ちゃんと伝えるから。

 

 ――好きです、って。

 



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第16話 溢れた感情

 再び静寂が戻ってきた病室。

 すっかり夜空になった中、そこにいるのは俺と舞帆――そして達城だった。

 

 舞帆達が病室を出て行ってからしばらくしたあと、達城が見舞いに来たわけだ。

 どうやら校長の回し者に秘密基地を追い出され、セイサイラーを持ち出されたらしい。

 

 秘密基地は、とっくに「秘密」じゃなくなっていたってことか。

 

 いきさつは俺に代わって平中が説明してくれた。

 さすがにあれの後だと、俺からは話しづらい。こういう時の平中の気遣いには救われる。

 

 達城は一息つくと、呆れた顔で俺を見る。

 

「で? なにも言い返せずに自分が守ろうとしたあの娘を死地に見送ったってわけ?」

 

「……俺には、デカイ口を利く資格なんてなかった。舞帆に迷惑かけてばかりで、セイントカイダーになって恩返ししようとしたら、結局心配させて。あの校長の言ってること、ちょっと腹は立つけど、結構当たってんだよな」

 

「落ち込むのはあなたの勝手だけど、これからどうするつもり? 舞帆や寛矢が必死こいて戦ってる間、そうやって寝そべってて平気なの?」

 

 ――そんなわけがあるか!

 

 俺がこうして病室のベッドにいる間、二人はどこまで強くなったのかわからない敵と対峙してるんだ。寝てるままでいいはずがない!

 

 ……でも、行ったところで、俺に何が出来るんだろう?

 また、足を引っ張って終わるのか?

 

 そんな考えが頭を過ぎるたび、普通なら迷わず掛け布団を引きはがすはずの俺の手は奮え、そこから少しも動けなくなっていた。

 

 そんな俺の煮え切らない態度に愛想をつかしたのか、達城はため息をつくと共に病室を後にした。

 

「そこで、待ってなさい」

 

 たったそれだけを言い残し、彼女は一度、この場から去る。

 達城のノックとは違う、それの音が聞こえてきたのは、それからすぐのことだった。

 

「どうぞ」

 

 俺は入室を許可する。相手が自分にとって、どんな大変な存在であるかも知らずに。

 

「入ります」

 

「――!?」

 

 ――今の声って!?

 

 平中と共に目を見張る俺の前に、あの少女は現れた。

 

 変わらない優しげな瞳。艶やかな長髪。

 

 どんな芸術を以てしても再現不可能な整い過ぎる目鼻立ち。

 

 触れることさえ億劫になるような、澄み切った白い肌。

 

 スラリとした滑らかなボディラインが、女性としての魅力をより視覚的に表している。

 

 ――そう、文倉ひかりの美貌は、三年前から変わらないままだった。

 

「ひ、ひかり……!」

 

「大路郎君。また、会えたね。達城さんから、聞いたよ」

 

 まるで何事もなかったかのように、彼女は中学時代と変わらない笑顔で微笑んで見せる。

 それが信じられなかった。

 

 あれだけのことがあって、まだ俺に笑いかけられるなんて……。

 

 すると、今度は平中に視線を移した。

 

「花子も、久しぶり。ごめんね? 中卒以来、全然連絡取れなくて」

 

 親しげな口調だ。本当に二人は友達だったらしい。

 ……ん? それじゃあ、俺のことが好きだって言う彼女の友達ってまさか……?

 

「う、ううん、いいよいいよ! そ、それよりひかりこそ大丈夫なの? 船越さんから聞い――」

 

 そこで慌てて口を塞ぐ。

 思わず過去を掘り返してしまったことで、俺と平中は重い空気を肌で感じることになった。

 

 正直、ひかりの友達云々どころじゃない。

 

 しかし、当のひかりは全く気にも留めない様子で優しく微笑んでいる。

 焦るこっちが恥ずかしいくらいに。

 

「――そのことでね、大路郎君に話があるの」

 

「話?」

 

 俺が聞き返すと、ひかりの後ろから何か物音が聞こえた。

 なんだろう、と俺が首を傾げると、そこから小さな男の子がひょこっと顔を出してきた。

 

 どういうわけか、俺の――セイントカイダーのソフトビニール人形を持っている。

 

「……弟さんか?」

 

「違うよ。――ほら、おいで瑳歩郎(さぶろう)

 

 他人の気がしない名前で呼ばれた、その瑳歩郎という二歳か三歳くらいの男の子は、ニコニコしながらひかりにしがみつく。

 

 まるで、親子のような絵面だ。

 

「瑳歩郎……?」

 

「うん。あの時、授かった子。覚えてる?」

 

「――なっ!?」

 

「えええっ!?」

 

 俺は思わず傷の痛みも忘れて立ち上がりそうになる。

 

 ――あの時って、中学の卒業式の!?

 そんなバカな、弌郎の息子だと!? だって、あいつ、「堕ろす」って……!

 

 驚愕のあまり動けなくなる俺と平中を交互に見遣り、ひかりは苦笑しつつ、俺の手の甲に優しく手を添えた。

 

「怖かった。すごく怖かったよ。どんなことをされるのか、どんな目に遭うのか、全然想像つかなかったから。普通に赤ちゃんを産むより、ずっとずっと、怖かった。だから逃げ出したの。そして、行き着いた病院で、この子を産んだわ」

 

 ――俺は、バカだ。

 

 こんなにひかりが苦しんでるのに、俺は今まで何をやってたんだ?

 

 舞帆に尻を叩かれながらも、それなりに充実した学園生活を送っている間、ひかりがどんな辛い思いをしているのか――彼女を忘れた日なんてなかったはずなのに。

 

 ひかりも、舞帆も、俺のせいで苦しんで、泣いて――なんだよ、そればっかじゃないか。

 俺、何の役にも立っちゃいない。

 

「交通事故で両親もいない、身寄りのなかった私を育ててくれた加室孤児院の先生や、同じ孤児の女友達には反対された。それでも、私は産むことを選んだの。――なんでか、わかる?」

 

「……産まれて来る子供には、罪がないから、とか?」

 

 ひかりなら、こう言いそうな気がする。

 だから、根拠もなく俺はそう答えた。

 

 しかし、彼女は首を横に振る。

 すると、か弱い彼女の手が、俺の手首をしっかりと握り、優しくも真剣な目で俺を見据える。

 

「あなたと、繋がっていたかった。あなたと、少しでも関係が保てるなら、あなたの傍に、少しでもいられるなら。そして、この子があなたのように育ってくれたなら……それだけで胸をいっぱいにして――私は、瑳歩郎を産んだのよ」

 

「ひかり……」

 

 こんな俺のために、ここまで……。

 

 余りにも積み重なり過ぎる負債の数々に、俺の罪悪感はさらに拍車が掛かっていく。

 

「私が瑳歩郎を産んでから、孤児院の先生や路郎君のおばさまが協力してくれたの。私も学園に入れなくなった代わりに、孤児院で働いてる」

 

「おばさまって――母さんが!?」

 

「うん。少しでも責任を取りたいから、って、養育費を捻出して下さったの。こないだお会いした時に、もっと息子が早起きしてくれれば……その、任せられる、のにって……」

 

 熱でもあるのか、ひかりの顔はだんだんと上気して、朱に染まっていく。

 この場で俺が何をやらかしたのかはわからないが、なぜか平中には厳しい目で見られていた。

 

「それで、そろそろ瑳歩郎のことを路郎君にも話そうって思ってここまで来たの。……そこで、達城さんに聞いたわ。今のあなたこと。そして、桜田舞帆さんのこと」

 

 そこで、俺は思わずビクリと肩を震わせた。

 これ以上、ひかりにまで心配はかけたくない。

 

 それに、今の自分に何が出来るのかわからない。

 しかし、舞帆を放って置きたくもない。

 どうすればいいか、どうすべきか。それを今の俺は見失っていた。

 

 そこへ、さらなる来客が俺に衝撃を与える。ひかりの背後から足音がしたかと思うと、到底このヒーロー絡みの件には関係ないような人物が顔を出してきた。

 

「大路郎。ダメよ、いつまでもそんなクヨクヨした顔じゃあ」

 

「か、母さん……!」

 

「えええーっ!? ふ、船越さんのお母さんッ!?」

 

 実年齢より若干老け込んだ外見の俺の母、紗夕(さゆ)は、いたずらを叱るようなトーンの声で喋りかけて来る。

 

「ひかりさんを通じて、あなたのことはちゃんと聞かせて貰ったわ。あなた、生徒会の女の子の代わりにヒーローになったんですって?」

 

「……黙ってたこと、怒ってんのかよ」

 

 今の、最も情けない姿を晒している時に事情を知られたためか、俺の口調は自分でも恥ずかしくなってしまいそうなほどに拗ねたものになっていた。

 意地悪のつもりで、俺はそっぽを向く。

 

「そうね。本当なら、怒るところだわ。家族に何の相談もせず、独りで全部しょい込もうとするなんて。――でも、それ以上に驚いたわ。そして、嬉しかった」

 

「……嬉しかった?」

 

 予想外の母さんの言葉に、俺は思わず向き直って目を見張る。

 

「お父さん――零郎(ぜろう)さんは酷く女癖が悪くてね。浮気なんて日常茶飯事だったわ。それは、弌郎も同じ。私はこの家族から、一時の快楽なんかじゃない、本当の幸せが得られる子が出ることはないんじゃないか、って思うことがあったわね」

 

 母さんの言う通り、俺の親父も兄貴も、とんだ変態野郎だった(親父に関しては俺がよく知る前に亡くなったから詳しくはわからないが)。

 特に、弌郎は許せない。あいつを止められなかった、俺自身も。

 

「でも、あなたは違ったわ。間違いはするし後悔だってするけど、いつだって本当の幸せを、当たり前の暮らしをしてこれたじゃない。優しい人に囲まれて、学校の友達とも笑い合って」

 

「母さん、俺……」

 

「いいのよ。お母さん、無理にああしろ、こうしろなんて言わない。だから、あなたにとっての平和な暮らしを守るために戦うのなら、私は止めたりなんかしない」

 

 俺の過ちも、自分への怒りも、情けなさも、全部受け止めて、母さんは俺を抱きしめた。

 

「――!」

 

 ひかりや、平中が見ている中でそんなことをされたら、普通は恥ずかしがって離れようとするものだろう。

 

 でも、俺は身じろぎもせずに、その温もりを享受した。

 

 中学時代、ひかりが弌郎にされたことを知ったあの日から、俺の人生は大きく狂っていた。

 俺は何もできず、守りたい、力になりたいと思った人を、結局は泣かせた。

 

 そんなろくでなしが、当たり前の幸せなんて貰えるはずがない。

 そう感じて、俺は母さんからも距離を置いていた。

 

 本当なら、いつでもこうして――包んでくれたかもしれなかったのに。

 寂しい、悔しい思いはしても、独りにはならなかったかもしれないのに。

 

「お、俺……俺はっ……!」

 

「あなたは確かに悪い子だったわね。でも、無理してそのままでいなくたって、いいのよ。みんなみんな、あなたの味方なんだから」

 

 ……み、か、た。

 

 母さんが、俺の、味方。

 

 みんな、味方……?

 

 そうなのかな。ひかりも、平中も、桜田も。

 

 ――そして、きっと、舞帆も。

 

 みんな、俺の味方なのか?

 

 味方で、いてくれるのか?

 

 何もできずにいた、俺の?

 

「くっ……う……!」

 

 俺の手を優しく握ったまま、何も言わずただ天使のように微笑むひかりの顔が視界に映ると、途端にその景色がぼやけはじめた。

 

 平中の、自分の腕白な弟を見るような、少し困った笑顔が目に入ると、ますますぼやけに拍車が掛かっていくのがわかる。

 

 そこで俺はやっと、自分の目頭が熱くなっていることに気が付いた。

 

「俺――俺、俺は……!」

 

 情けない涙声しか出てこない。

 それを恥じる余裕もなかった。

 

 俺はありのままの優しさを受け止めて、その身にあまる救済にむせび泣いた。

 



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第17話 立ち上がるヒーロー

「溜め込んでた負の感情って奴を全部吐き出してもらった所で、そろそろ答えを聞こうかしら」

 

 枯れるまで出し尽くした涙の跡を拭い、いつもの顔で、俺は戻ってきた達城と向き合った。

 

 ひかりも平中も、母さんも、俺の味方だと言ってくれた。

 状況も時間も忘れてしまいそうになるほど、ただ嬉しかった。

 

 涙なら、もう乾いた。泣き言も弱音も、黙って聞いてくれた。

 達城の言う通り、負の感情は全て吐き出した。みんなの、おかげで。

 

「俺、戦いたい。自分のために、受けた恩を、返したい。このまま寝てるのだけは、絶対に、嫌だ」

 

 もう、強がる必要もない。

 悪ぶることも、いい子ぶることもない。

 ただ言いたいことだけを、一切のブレーキを排して垂れ流す。

 

「舞帆を助ける。何も出来なくても、役立たずでも、その気持ちだけは捨てちゃいけない。そう思うから」

 

「――いい返事ね。あなたのことを調べて、ひかりちゃんやお母さんを呼んだのは当たりだったわ」

 

 人のことを勝手に調べやがって……だが、今はそれでいい。

 おかげで、目が覚めた。

 

 俺は今でも、相当なろくでなしだ。

 それでも、一つでも恩を返せるなら、返していく。

 

 誰かが支えてくれたなら、それができるかもしれない。

 

 そしていつか、その時支えてくれた誰かの助けにもなれるまで――俺は、強くなりたい。

 

「盛り上がってる所悪いけど、戦況は最悪よ。私が危惧した通り、舞帆達は劣勢だわ」

 

「劣勢……」

 

「ええ。やはり、なんとか彼女のいる学園まで向かって、あなたが代わって変身するしかないわね」

 

 くそッ! やっぱり経験のない舞帆じゃ荷が重かったんじゃないか!

 

 俺は頭を抱えるしかなかった。

 ――しかし、気掛かりが一つ。

 

「……ちょっと待て。セイントカイダーの基地から追放されたはずのあんたが、なんでそんなこと知ってんだ?」

 

「ああ、それはね……」

 

「僕のコネってヤツかな?」

 

 その時、意外な人物がひょっこりと達城の隣に現れた。

 

 目鼻立ちの整ったその美男子を見て、俺は思わず声を上げる。

 

「生徒会長!? こんなところでなにしてんだ!?」

 

「なにって……君の最高の活躍へのお膳立てに決まってるじゃないか」

 

 少しばかり自慢げな口調で語る笠野昭作。

 なぜ彼がここにいるのか、という疑問は達城が解消した。

 

「寛矢――即ちラーベマンの所属している、ラーベ航空会社。彼はそこの社長の息子、つまり御曹司なのよ」

 

 意外な繋がりがあったもんだな。

 社長の息子とは聞いてたが、桜田のいる会社のお偉方のご子息だったとは。

 

「彼に頼んで、小型飛行機を使って上空から宋響学園の状況をデータにして送って貰ったのよ」

 

「いきさつをこちらの親御さんから聞いた時は驚いたよ。まさか君がセイントカイダーだったとはね。でも、それほど不自然な気はしなかったかな。いつもあの娘と一緒にいたんだからね。何より、君が彼女の指導で頑張ってるってコトは聞き及んでたわけだし」

 

 俺は笠野と目を合わせると、臆面もなく胸中を打ち明ける。

 

「俺は生徒会長がこの件に出張って来たことに、ただただ驚くばかりだよ」

 

「仮にも生徒のトップに立つ生徒会長が、こんな話を聞いて黙っていていいわけないだろう? 君にばかりいい格好させられないしね」

 

「いい格好になんてなっちゃいないが……とにかく、助けてくれてありがとう。あんたにも恩は返さなきゃな。さて……」

 

 そこで話題を切り、俺は達城の方へ向き直る。

 我ながら、すっかり元通りの調子だ。

 

「今から駆け付けて、間に合うか?」

 

 そう、舞帆を助けに行くとは行っても、現場に駆け付けられなくては意味がない。

 

 セイサイラーがない今、誰かに連れていって貰うしかないわけだ。

 

 しかし、母さんは車の免許を持ってない。多分、ひかりや笠野も。

 

「なんとも言えないわね……私も今は車はないし、すっかり夜中だから電車が使えるかはわからないわね。タクシーを呼ぶ時間はないと思った方がいい。笠野家に頼んでヘリや飛行機をチャーターしても、近付く前にラーカッサに撃ち落とされかねないわ」

 

「私に任せてください!」

 

 行き詰まりを感じた瞬間、我こそはと手を挙げる者がいた。

 

 俺を含む周囲の視線が、平中に集中する。

 

「平中?」

 

「私、『ヒーローズピザ』でバイトしてるから、配達が出来るよう免許を取ってるんです! 自宅がすぐそこですから、すぐにバイク取ってきます!」

 

 ……渡りに船とは、まさにこれか。

 ヒーローズピザといえば、ヒーローが経営してることで有名なピザ屋だっけ。

 

 彼女はセミロングの髪を軽やかに靡かせ、病室から駆け足で飛び出した。

 

「――ちょっと意外だったけど、足は手に入ったわね。後はあなたの覚悟だけよ」

 

「……ああ!」

 

 俺は傷を押してベッドから起き上がり、患者服から着慣れたレザージャケットに着替えた。

 

 七月に入ろうとしている今の時期に着るようなものじゃないが、セイントカイダーへの変身による圧迫の激痛から少しでも傷を庇うには、これが一番手っ取り早いんだ。

 

 あと、ひかり……そんなにまじまじと俺の着替えを観察すんな。

 

「大路郎、傷は酷いんでしょう? 痛み止めはいいの?」

 

 本人の意志を尊重して戦いを否定しない方針は取っていても、やはり母親としての性が、母さんに不安な表情を浮かばせている。

 

「そんな悠長なことしてる暇はないんだ。それに今、こうしてる間に舞帆が苦しんでるんじゃないかって思うと、俺はそっちの方が耐えられないよ」

 

 俺は「大丈夫」という意味を込めて母さんの肩をポンと叩き、ひかり、そして瑳歩郎へと視線を移した。

 

「ひかり――ありがとう。それと、もう心配しなくてもいい。ひかりのおかげで、元気が出てきたから」

 

「うん……あのね、こんなこと言っても水を差すだけかもしれないけど、無理だけはしないでね。強くなんかなくたって、私も瑳歩郎も、その――セイントカイダーが、大好きだから!」

 

 紅潮した顔で言い放たれたその一言に、俺は心臓を雷で撃ち抜かれたように、ドキリと心身を震わせた。

 

 血流が全身を目まぐるしく駆け巡り、俺の体温を際限なく上昇させる。

 

 ――ダメだ、ひかり。俺みたいな勘違い野郎に、そんな思わせぶりなこと言ったら。

 

 それと、後ろで達城が「何人落とす気なのやら」とか言ってるが、何の話だ?

 

「たぁ、だぁ!」

 

 すると、今度は瑳歩郎が俺の足に抱き着いてきた。

 俺にもこんな純真な時代があったのかと思うと、情けなさ過ぎて涙が出てくる。

 

「瑳歩郎……だよな。俺みたいなダメな奴じゃあ大人ぶっても大したことは教えられそうにないが――これは言っとくぞ」

 

 しゃがみ込んで彼と目線を合わせ、俺は母さんが俺にしたように、瑳歩郎を抱きしめる。

 

「君だけは――君だけは、戦わなくたっていいぐらい、たらふく幸せになってくれ。君の親父の代わりに、それだけは言っておきたいんだ」

 

 まだ小さいんだから、意味なんて到底わからないだろうが、それでも別に構わなかった。

 

 どうあいつを悪く言っても、この子の父親には違いない。

 だから、父としての自覚などないあいつに代わって、俺はこの子の幸せを願う。

 

「待ってろよ。セイントカイダーは強いんだ。絶対に負けないんだからな!」

 

「きゃっ、きゃっ!」

 

 俺は言葉もろくに通じない子供に、高らかに勝利を宣言した。

 

 瑳歩郎も、なんとなく意味を子供心に察したらしく、嬉しそうに笑う。

 ひかりもにこやかに笑ってくれていた。

 

「さて、挨拶は済んだかしら?」

 

「ああ。行ってくる」

 

 俺は瑳歩郎と別れると、達城に出動の意志を目で伝える。

 笠野は開きっぱなしの病室のドアにもたれたまま、何も言わず強く頷き、激励のウインクを送ってきた。

 

 してきたことはともかく、応援してくれる気持ちはありがたく受け取っておこう。

 

「ちょっと待って、これを持って行きなさい」

 

「ん?」

 

 達城は何かのメモ帳を取り出し、俺の胸にグイッと押し付けた。

 

「これは?」

 

「あなたの覚悟を見込んで記した、セイントカイダーの真のポテンシャルを発揮するシステム。これだけは完成させてすぐに設計図を処分してるから、基地を制圧した寛毅も知らないはずよ」

 

 土壇場でスゴい話を持ち込んできたな。俺はそれを開き、流し読みしてみた。

 

 ……こんなシステム、何で俺にも教えなかったんだよ、オイ。

 

「これはそのアドバンテージと引き換えに、フィジカル面で深刻なリスクを背負うのよ。だから、万一今の事態になっても寛毅が舞帆に使わせることがないように設計図を処分したし、あなたに死なれたらあのお母さんに申し訳が立たないから、あなたにも教えなかった」

 

 どうやらこのグラマーな二児の母は、人の心を読むプロらしい。エスパーかこの人は……。

 

 俺にこのシステムを教えなかったのは悪く言えば、システムを託せるほど信用していなかったってわけなんだな。

 

「あなたの思ってることはほぼ当たりでしょうね。だからこれを託したってことは、私があなたを一人の男として完全に信頼した証と取ってもいいわ」

 

「……もしかして本当にエスパーさんだったり?」

 

「考えてることがやたらと顔に出てるだけよ」

 

 マジかよそれ。

 エロ本に手ェ出したら俺ってどんな顔になっちまうんだろ。

 

 そんな俺の悩みを完全放置した上で、達城は息子を応援する母のように、威勢のいい声で俺の背中を押す。

 

「さて、セイントカイダー出動! ってとこね。学園の平和、キッチリその手で守って見せなさい」

 

 達城にとって、セイントカイダーはあくまでも舞帆ではなく俺らしい。

 その言葉を背に、俺は信頼の証として賜ったメモ帳を手に病室を後にした。

 

 病院から出たところでは、ピザ配達に使われるような屋根付きバイクに跨がる平中が既に待機していた。

 

 俺は大急ぎで彼女の後ろの席に飛び乗り、落っこちないよう彼女にしがみつく。

 心なしか、彼女の頬が赤らんでるように見えた。

 

「悪い、遅れた! 宋響学園まで頼むぞ!」

 

「任せてください! 船越さんの役に立つ、千載一遇のチャンスですからっ!」

 

 嬉しいことを言ってくれながら、平中はアクセル全開でバイクをぶっ飛ばす。

 これの形状からは想像もつかないスピードだ。

 

 ――とにかく、これで宋響学園まで辿り着ける。

 

 舞帆、少しでもいい、無事でいてくれ……!

 



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第18話 もがれた翼

 粉々に切り刻まれた生裁剣の残骸。

 

 宋響学園にたどり着いた俺達の目を奪ったその姿は、意気込んでいた俺に現実と言う名の冷水を被せた。

 

 笠野がラーベ航空会社に掛け合って用意した、上空から撮影された宋響学園の映像。

 

 それを携帯から受信して使い、俺達は今、舞帆達がどこで戦っているかを把握しつつ、その場所へ向かっていた。

 

 その途中で、俺に忠告を突き付けるかのように、あの残骸が転がっていたんだ。

 

「こ、これって、セイントカイダーの剣……ですよね?」

 

 不安げな表情で平中が俺を見る。

 

 正直、俺は彼女以上に不安な気持ちになった。

 

 生裁剣を使えたバッファルダとの一戦目では、かなり優位に戦えた。

 二戦目では生裁剣が使えなかったから負けた……などと言い訳がましいことは言わないが、少なくとも剣が使えれば、あれほど無様な負け方はしなかったはずだ。

 

 それくらい、生裁剣には価値があった。

 セイントカイダーにとっての、唯一の武器だったんだから。

 

 その生裁剣が、破壊された。

 それはつまり、バッファルダとの二戦目の時と同じ条件で勝負に臨まなければならないのに等しい。

 

 達城から隠されたシステムは伝授されたものの、テストもなしにぶっつけ本番で使うのは、実を言うと怖かったりする。

 

 その上、危険が伴うからと今まで絶対に使わせまいとしてきた程のリスクまであるというのだ。

 臆病なことを言えば、なるべくは使いたくない。

 

 しかし、他に生裁剣を破壊するほどの強さを誇るラーカッサに太刀打ちする手立てがないのも事実。

 俺はどっちに転ぼうと、腹を括るしかない現実を悟る。

 

 ――ちょっと前まで舞帆の代わりに命懸けで戦うって誓ったばかりだろうが!

 何をビビってる!

 

 俺は独りじゃない。

 舞帆も、母さんも、ひかりも、達城も、ここにいる平中だって、味方でいてくれたじゃないか!

 

 ……最後の一度でいい、男を見せろ、船越路郎!

 

「あ、あの、船越さん」

 

「――大丈夫だ、平中。俺は負けないから」

 

 泣きそうなほど心配そうな顔をする平中に、俺は力強く頷き、なるべく安心させようと試みる。

 

 彼女も俺の覚悟を知ってか知らずか、「もう諦めて、帰ろう」ということだけは、口にしなかった。

 

 ――今だけでも、信じてくれてるんだって都合よく解釈しても、いいよな?

 

「じゃあ……行ってくる」

 

 俺は一瞬だけ顔を綻ばせると、すぐに気を取り直し、残骸を乗り越え、「死地」へと駆け出していった。

 

 敢えて、見送る彼女の顔は見ない。

 

 これ以上誰かの優しさに触れたら、後ろめたくなってしまう。そんな気がしたから。

 

 △

 

 図書館や物置、体育倉庫と、敷地内のあちこちが破壊されている。

 水道までもが一部損害を受け、水が漏れ出していた。

 

 しかし不幸中の幸いか、肝心の校舎はまだ壊されてはいない。それで安心できるわけでもないが。

 

「舞帆! どこだ、舞帆!」

 

 一番多く瓦礫が転がっている場所で、俺は彼女の名を叫ぶ。

 強い硝煙の匂いに誘われてきたこの場所が、最も「戦場」と呼ぶに相応しい惨状だったからだ。

 

 ふと、うめき声が耳に入ってくる。しかし、それは明らかに舞帆の声ではなかった。

 

「うっ!?」

 

 声の聞こえた方に目を向け、俺は目をしばたかせる。

 

 そこには、瓦礫に足を挟まれたまま動かない、校長がいたからだ。

 

 俺に難癖を付けてきた奴だとか、そんなことはこの際関係ない。

 俺は彼の近くまで駆け寄ると、ラーカッサとの対決まで温存する気でいたなけなしの体力を使い、瓦礫を退かしてやった。

 

 既に骨折してしまっているようで、解放されたにも関わらず、校長はそこからピクリとも動けずにいた。

 それでも意識はあるらしく、憎々しげに俺を睨み上げる。

 

「……何をしに来た。私を助けて得意になったつもりか!」

 

「助けてもらっといて早々に言うことがそれかよ……ま、いいか」

 

 彼の対応は相変わらずだが、不思議だとは思わない。

 

 あそこまで言いたいことを言っておいて、今更素直にお礼なんて言う気にはならんだろう。

 大人としてそれがどうなのかはともかくとして。

 

 そんなことより、俺には大事なことが山積みなのだ。

 

「校長先生、舞帆と桜田は? ここが一番壊されて新しいと思って来たんだが」

 

「ふん、二人の活躍を見に来たのか? あの子達ならグラウンドの方へ向かった」

 

 二人の子供の居場所を指差す父親の顔は、自信満々のようで、どことなく不安げでもあった。

 

 ――なんだかんだで、やっぱり心配だったんだろうか。

 桜田家のプライドってやつのために戦いに引っ張り出しておいて、今頃になって良心を抱えだしやがったか。

 

 俺は不信感を隠さない目で校長を一瞥して、グラウンドへ行こうと踵を返した。

 ――そこへ。

 

「うわあああっ!」

 

 轟音と共に激しく瓦礫が飛び散り、俺の足元を施設の残骸がえぐっていった。

 

 その衝撃に流されるように飛び出してきたのは――赤いスーツを纏った翼のヒーロー、ラーベマンだった。

 

 ――いや、桜田には悪いが、ここは「翼のヒーローだった」と形容させてもらおう。

 

 全身と翼のようなマントを刃物か何かで切り裂かれ、最早スーツの色か血の色か判別が付けられなくなっているその姿には、バッファルダと戦った時のような優雅さは微塵も感じられず、見るに堪えないほどの痛々しい様に成り果てていた。

 

「桜田……!」

 

 俺をあそこまで追い詰めたバッファルダを手玉に取るようなヒーローが、ここまで容赦なく痛め付けられたという事実が、再び現実の理として俺に襲い掛かる。

 



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第19話 辱めを受けた姫君

「ゲホッ、ガハッ!」

 

 桜田の美麗な顔立ちは血と痣だらけになり、すっかり見る影もない。

 

 今飛び出せば身の危険があるかも知れないが、俺は脇目も振らずに、翼をもがれた英雄を助け起こす。

 

「おい、桜田! どうしたんだ! 舞帆は!? もう、やられちまったのか!?」

 

 俺の呼びかけに僅かに反応を示すと、彼はかすれた声で何かを呟く。

 

「あ? おい、何だって?」

 

 桜田の口元に耳を寄せると、ようやく微かに聞こえて来る。

 

 ――そう、姉さんを助けて、という声が。

 

「ね……え、さん、を……」

 

「……わかった。いや、わかってる。絶対に舞帆は助けるから。お前は、そこで待っててくれ」

 

 俺は桜田の傷付いた体を静かに寝かせ、彼が吹っ飛んできた方向へと目を向けた。

 

 そして、雲一つなく澄み渡った夜空に輝く月を後光にして、一人の女性が姿を現した。

 

 一見すると腹や脚が露出していて、紫色の水着のようなきわどい格好だが、その足先や指先には鋭利な刃が伺え、肘や膝にも鎌のような得物をぎらつかせている。

 

 シャープなデザインのマスクで素顔を隠すその女こそ、桜田家の敵であり俺の最後の対戦相手――「ラーカッサ」こと狩谷鋭美と見て間違いないだろう。

 

「ようやく見つけたわよ、セクレマン。所沢に劣る分際で、ザコを差し向けて小手調べとはいいご身分ね」

 

 ――ザコってのは、舞帆のことか?

 

 経験がなくても、俺のために戦うと言ってくれた舞帆に向かってザコとは、こいつの方こそデカイ口を……!

 

 軽快な口調で挑発しつつ、威圧的な態度でこちらを見下ろす彼女に対し、俺は真っ向から睨み上げた。

 

「ふぅん。所沢に痛め付けられたばっかりなのに、随分と威勢がいいじゃない。アタシと戦うために、ご苦労なこと」

 

「舞帆はどうした。生きてんだろうな!?」

 

 何よりも、俺は彼女が心配だ。

 それだけに、声も自然と焦燥の色を帯びていく。

 

「すぐに殺したりはしないわ。死にたくなるような屈辱を与えることはあってもね」

 

「なんだと!?」

 

「気になるなら自分で見てくれば?」

 

 そう言って彼女――ラーカッサは、自分の後ろにある体育倉庫を指差した。

 ボロボロになってはいるが、一応は建物としての原形は残っている。

 

 俺は一目散に最大の敵を素通りして、そこへ駆け込んだ。

 

 △

 

「舞帆!?」

 

 闇夜に包まれながらも、屋根が壊れていたおかげで月光に照らされていたため、薄暗くても舞帆の姿は用意に発見できた。

 

「ふ、船越君!? なんでここに――!」

 

 ところが、彼女は俺の呼び声にビクリと身を震わせると、俺から隠れるようにうずくまってしまった。

 薄暗いせいで、彼女の全貌がよく見えない。

 

「どうした、舞帆! あいつに……ラーカッサに何かされたのか!?」

 

「あっ……その」

 

「怪我でもしたのか! とにかく見せてみ――」

 

 そこで、俺は彼女に伸ばしていた手を止めた。今の彼女の姿に、俺はデジャブを感じる。

 

 やがて蘇ってくた、過去の記憶。

 

 ――弌郎にさらわれた彼女を救うために、あいつがいた病院に殴り込みに行った時。

 

 彼女はその時も、傷付いていた。俺のせいで。

 

 ……ダメだ。こんなままじゃ、ダメなんだ、俺は。

 

「……」

 

 俺はしばらく硬直していた自分の体に命令し、何も言わずに一糸纏わぬ彼女の体にレザージャケットを被せた。

 

 元々傷の痛みをごまかすために着てきたものであったが、それを抜きにしても今夜これを着てきたのは正確だった。

 わざわざこれを用意してきてくれた達城に感謝しなくてはなるまい。

 

 そして、自分の中から真っ赤な怒りが噴き上がってくる。

 溢れ出るこの感情がラーカッサの計算なのかはわからない。

 

 ただ、そんな些細なことなんてどうでもよくなるくらい、俺は何も出来ずにいる俺への怒りで身を焦がし尽くそうとしていた。それだけは間違いない。

 

「あ、あのっ、船越君! 私なら、大丈夫だから! 今度こそ勝つから! だからあなたはもう――」

 

 顔を真っ赤にしながら、涙を流しながら、それでも戦う姿勢を辞さない彼女の口を掌で覆い、俺は思うままの気持ちを言葉にした。

 

 絶対に負けられない。ここまでされて、挑発され、戦うと決めてしまったら。

 

「ここまでたきつけられたからには、立ち止まる気もいわれもないよな、舞帆」

 



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第20話 セイントカイダーの進化

 ガラクタ寸前まで傷付けられ、舞帆の隣に転がされていたセイサイラーに跨がり、俺はラーカッサの元へ走る。

 

 生裁剣が破壊された、つまり生裁剣に変形するサイドカーの部分が失われ、バイクだけの存在になったため、いつもより軽快にセイサイラーは地を駆けることができた。

 

 既に彼女は臨戦態勢を整え、俺との一騎打ちを今か今かと待ち侘びているようだった。

 

 ――楽しそうな面して誘ってんじゃねぇよ。

 こっちは何も出来ない自分がどうしようもないくらい憎くて憎くて、頭が割れちまいそうなんだ!

 

 そんなに戦いたいって顔してると、手加減してもらえなくなるぞ!

 

 俺は怒りと決意を剥き出しに、赤いボタンを指で押し込む。これが、最後だ!

 

「――セイントッ! カァイダァァッ!」

 

 セイサイラーは俺がそこで跳び上がると、目まぐるしい変形を繰り返し、俺の身を包む鎧になっていく。

 

 生裁剣がないことに多少の寂しさを感じつつも、俺は速やかにセイントカイダーへの変身を完了させた。

 

 しかし、その鎧はすでにズタボロに痛め付けられた後だった。

 あちこちにひびがある。舞帆め、随分手荒く使い込んでくれたな。

 

「へぇ、格好いいじゃない。――憎ったらしいくらいにね!」

 

 ゴング代わりに、まずラーカッサから繰り出してきた。

 

 腕を振るい、その肘から放たれた刃がブーメランのように俺に襲い掛かる。

 

「――!」

 

 これは、防御出来ない!

 

 そう本能で反応した俺の体は、頭で考えるより速く横へ転がって回避していた。

 

 俺の傍を通り過ぎた刃は、最新鋭の設備を紙切れを破るように切り裂いていく。

 生裁剣を破壊したのも、これか!

 

「ごっつい鎧着てる割にはよく動くわね」

 

 悠々とした口調で、ラーカッサは次の一手を思わせる構えを見せた。

 

「でも――アタシの前に立つにはトロ過ぎんのよ!」

 

 一瞬だった。

 

 回転する視界。地面に足が着いていない感覚――浮遊感。

 

 気が付けば、彼女よりかなり体重があるはずの俺の体が、まるでピンボールのように弾け飛んでいた。

 

 記憶の糸を辿れば……そう、俺は瞬時に近付いてきた彼女に、思い切り蹴り上げられたんだ。

 自分の身に何が起きたのか、脳が判断する暇もなかった。

 

 まさに、圧倒的。

 

 ラーベマン――桜田でも歯が立たないこいつを相手にすることがいかに困難なことか、身を以って思い知らされた。

 

 まだ力を蓄えていなかった時とはいえ、一度はこいつらを退けた桜田も凄いが、今のラーカッサの強さとスピードは――本物だ。

 

「ぐッ!」

 

 だからといって引き下がるわけにも行かない!

 

 俺は辛うじて受け身を取り、パワーにものを言わせたパンチを繰り出す。

 バッファルダには遠く及ばないものの、馬力の強さならセイントカイダーのパワーファイトに分があるはずだ!

 

「おっと、なかなか粋な戦い方するじゃん」

 

 だが、俺の渾身のパンチは幾度となく空を殴るばかりで、ラーカッサには一向に届かない。

 

 どんなに強力なパンチを出せても、それをかわせるだけのスピードで避けられたら、意味がないのは明白だった。

 

「ほーら、パンチってのはこうやって打つのよ!」

 

 反撃とばかりに、ラーカッサが俺の顔目掛けて拳を突き出してくる。

 だが、彼女の拳は指先や肘等とは違って刃物の類は一切付いていない。

 

 こっちの攻撃が当たらないのは確かに致命的だが、向こうも俺と殴り合うには体重差が激し過ぎるはずだ。

 

 どういうつもりか知らないが、これはチャンスだ。

 このパンチを凌いで隙を見付けて、畳み掛ければ――

 

「がふッ――!?」

 

 突如、火薬が弾けるような衝撃を顎に感じ、それと共に俺の脳が前後に激しく揺さぶられた。

 

 これは何の痛みなのか、そもそも何が起きたのか。

 

 それを考える暇もなく、俺は夜空を見上げるように仰向けに倒れた。

 

 受け身も取れず、思い切り瓦礫に後頭部を打ち付ける。

 生身だったらただじゃすまなかった……!

 

「アタシの武装が刃だけって思っちゃったわけ? はやとちりはよくないわよ」

 

「お前……拳に、弾薬を……!?」

 

「ご名答。アタシの拳にはパンチの反動を引き金に破裂する弾薬を仕込んである。所沢やアンタのような重さはないけど、当たると結構痛いでしょ?」

 

 痛いなんて生易しいものじゃない。意識が数秒飛ぶレベルだ。

 

 ラーカッサは得意げに笑うと、俺を見下すためか、瓦礫が積み重なり高い山になった場所へ跳び移った。

 

「さて、どうする? アンタって元々部外者だったんでしょ? 前に桜田家の連中に『挨拶』しに行った時はいなかったし。別にアンタがどういういきさつでセイントカイダーやってるかなんて知らないし興味もないけど、泣いて謝るなら命くらい拾ってあげてもいいのよ?」

 

「ふざけんな……まだ始まってもいないんだよ!」

 

 俺は瓦礫の壁に寄り掛かりながら立ち上がり、決して逃げまいと正面から彼女と向き合った。

 

 ――やっぱり、達城に頼るしかないみたいだ。

 

 一応は切り札……というべき能力なんだろうが、それを「切り札」として扱えるかは俺次第なんだ。

 

 だから、失敗は許されない。

 いや、俺自身が許さない。俺を信じてくれた、達城のためにも!

 

 俺は腹を括り、バックルの校章に手を伸ばし、思い切りそこを掴んだ。

 

 何かを仕掛けてくる。そう踏んだのか、向こうも警戒の動きを見せる。

 舞帆が変身していた時では見られなかったであろう、本邦初の行動なんだから当たり前か。

 

 校章の左側を掴み、右側に向かって回転させる。つまり、裏返した。

 

 その瞬間、俺の全身を覆っていた重厚な鎧が、突如俺を拒絶するかのように離れ、バラバラに分解された。

 やがてその部品は一カ所に集まり、元のバイク形態――セイサイラーに戻った。

 

 しかし、変身が解けたわけではない。

 普通、元に戻るには、過剰なダメージを受けてセイントカイダーの鎧が変身者の生命危機を感知して強制的に変身を解除するか、変身者自身が内側から脳波で操作して鎧を外すしかない。

 

 俺が見せたのは、そのいずれにも該当しない行為。

 

 そして、俺自身も見たことがない姿の「俺」が、そこに立っていた。

 

「……それ、いわゆる『とっておき』ってやつ?」

 

「そうだな。……いや、そこは『俺次第』ってとこだ」

 

 破損した水道から漏れてきた水で出来ていた水溜まりが、俺の姿を映し出す。

 

 かつての重装甲な鎧姿から一転、ラーベマンを思わせるボディスーツ姿になっていた。

 

 グラサンのようなバイザーと、スーツと同色のマスクが俺の素顔を隠す。

 

 マントがないことと色が違う点を除けば、ラーベマンとよく似ている。同じ桜田家が作ったヒーローだからか?

 

 真っ白で薄地の戦闘服に、両腰には光線銃「セイトバスター」、そして生裁剣とは違って俺の脚くらいのリーチである細身の剣「セイトサーベル」。

 

 全て、設計図代わりに達城が用意してくれていたメモの通りだった。

 

 今までのセイントカイダーの姿は、「戦闘形態(バトルスタイル)の一つ」にしか過ぎなかった。

 

「まぁ、少なくとも……お前に勝てる『切り札』には違いないがな」

 

 それは本来「生裁重装(ヘビーメイルズ)」と呼ばれる重装備形態であり、今の俺を包んでいるこの戦闘服こそが、達城の切り札にして生裁重装に続く第二形態――「生裁軽装(ライトメイルズ)」というわけだ。

 



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第21話 ラーカッサの猛威

「身軽になってこれで対等、ってとこ? 上等じゃない!」

 

 俺が生裁軽装になってからしばらく辺りを包み込んでいた静寂を、ラーカッサの刃が切り裂いた。

 

 その時点で、俺は今の自分にどれほどの変化が起きたのかを見を以って知ることができた。

 

 今まで慌てて飛びのかないとかわせなかった刃が――軽く地面を蹴るだけで簡単に避けられたのだ。

 

「なにッ!?」

 

 今の俺に似た姿のラーベマンもかなりの俊敏さだったが、驚く彼女の反応を見る限り、生裁軽装がもたらしたスピードはそれ以上らしい。

 

 俺はその恩恵に身を任せ、一気にセイトサーベルで切り掛かる。

 

 自分の身長を越える巨大さ故に、力任せに振るうしかなかった生裁剣とは違い、この細身の剣は片手で振るだけでも相当な切れ味を発揮するらしい。

 

 事実、生裁剣を破壊しかねないほどの威力を誇っていた刃で受け止められても、セイトサーベルはほとんど刃こぼれを起こさなかった。

 

「ちいッ! やるじゃない!」

 

 さっきまでとは全く違う性能を目の当たりにして、さすがに対策を練る必要を感じたのか、彼女はその場から素早く飛びのいた。

 

 だが、それこそが隙。そして俺のチャンス。

 

「貰った!」

 

 俺は逃げ場のない空中に跳び上がる彼女を狙い、腰のホルスターから引き抜いたセイトバスターで狙い撃つ。

 

 細く、鋭く伸びた赤い閃光が、刃を纏う紫紺の戦乙女を撃墜した。

 

「きゃあッ!」

 

 短い悲鳴を上げて、ラーカッサが墜落した。

 この戦いで初めて、まともに攻撃が当たった瞬間だろう。

 

 だが、決定打には残念ながら程遠いらしい。

 すぐにそこから跳ね起きると、容赦なく五本の指先にある人工の爪で切り掛かってきた。

 

 生裁軽装ならではのセイトサーベルがなければ、それを受け止めることなど不可能だったに違いない。

 

 俺は片手の爪を全て剣で打ち払うと、もう片方の爪が来る前に彼女の腹を蹴り飛ばして間合いを取った。

 

「……やってくれるじゃない」

 

 ドスの効いた低い声が、俺の気を引き締めさせる。

 向こうも余裕こいてはいられなくなったらしい。

 

「これ以上向かって来ようってんなら、今度はその綺麗な体が、光線で傷物になるぞ」

 

「言ってくれるじゃない。そこまでたきつけられちゃあ、アタシもマジになるしかないわね」

 

 俺と似たようなことを口にしつつ、ラーカッサはゆらりと身を起こす。

 

「――今までは手抜きだったってか」

 

「本気だったわよ。『お遊び』の範疇ではね。ここから先は『殺し合い』の次元に入るけど、覚悟を問う必要なんてないわよね?」

 

「俺は『殺し』はしない。殺されることはあっても」

 

「……いい子ぶりはその辺に――しときなッ!」

 

 空気が、変わった。

 

 今のこの瞬間、俺が感じたことをそのまま言葉に形容するなら、それが一番相応しいだろう。今までのラーカッサとは、明らかに気迫が違う。

 

 その威圧に一瞬、硬直したこと。それが命取りとなった。

 

「がッ――ああッ!?」

 

 冷たい激痛と共に、白い戦闘服が瞬く間に赤く染まる。まるでラーベマンのように。

 

 その傷口は、五つの線の形になっていた。

 

 光線銃より速いスピードで間合いを詰めた彼女の爪が、俺の胸をザックリと裂いたのだ。

 

 目にも留まらぬ速さで攻撃されたのはこれで二度目だが、受けた傷の重さと痛みは段違い。

 

 ――当たり前だ。向こうは本気になってる上に、こっちは鎧を外して身軽になっている。ダメージが増えるのは当然の結果だ。

 

 達城も、この身体的なリスクを苦慮して、今まで俺にも教えなかったんじゃないか。なんでこんな簡単なこと、少しの間とはいえ忘れてたんだ!

 

 俺は自分に腹を立てると共に、後ろを振り返った。桜田家を巻き込んでいないか、不安になったからだ。

 

 そこには、家族三人で身を寄せ合う彼らの姿があった。

 みんな、見たことのないセイントカイダーの姿やラーカッサの本気を目の当たりにして、呆気に取られているようだった。

 

 その中でも、特に舞帆は心配そうな表情でこちらを見詰めている。

 

 ――なにをやってんだ、船越大路郎!

 

 舞帆を守るって、もう何度決めたと思ってる! さっさと立て、立って戦え!

 

 俺は自分自身に無茶苦茶に喝を入れて、セイトサーベルを杖に立ち上がる。

 

「さて、とっておきの本領はまだ? それとも――もうネタ切れ?」

 

「だな。……だから使いまわしだッ!」

 

 ホルスターからの早撃ちで、俺はセイトバスターを撃つ。

 

 深紅の光線がラーカッサの胸に真っ直ぐ飛んでいく。

 

 だが、彼女はその射速さえ凌駕していた。

 

 一瞬だけ照準から姿を消したかと思うと、次の瞬間には俺の目の前で不敵に笑っていたのだ。

 

「そのネタ、もう古いんだよ!」

 

 鋭い回し蹴りが俺の脇腹をえぐり、更に鮮血が辺りに飛び散る。

 俺が流血してうめき声を上げる度、後ろの方から悲鳴が聞こえた。

 

「ああ、そうだ。アンタ、確か所沢に背中を刺されてたわよね」

 

「――!」

 

 たったその一言が、俺を凍り付かせた。

 

 これからどんな攻撃をされるのか。

 

 それを想像して総毛立った頃には、彼女は既に俺の背後を取っていた。

 

「ダメよ、怪我人が暴れちゃあ」

 

 皮肉と共に、ラーカッサの拳に内装された弾薬が破裂した。

 

 俺の傷を、根掘り葉掘りえぐり尽くすように。

 

「……か……ッ……!」

 

 悲鳴は、聞こえなかった。

 

 うっすらと見えた舞帆の表情を見れば、その訳は窺い知れる。

 

 ――余りの惨劇に、声も出ない、ってか。

 

 俺は崩れるように倒れ伏し、そこから動かなくなった。

 

 いや――動けないんだ。動けるはずが、ない。

 

 考えてみればわかることだ。

 

 元々、セイントカイダーに変身して戦うこと自体、倫理上「不可能」とされるほどの負担を伴っていた。

 

 変身しているだけで、油断していると「もう辞めたい」という弱い心が脳波となって働き、変身が解かれてしまうことだってある。

 

 加えて、今の俺は昼のバッファルダとの戦いで背中を破片でブッ刺され、ただいま絶賛入院中の身だ。

 

 その傷を押して、俺は痛みを少しでも遮るために着てきたレザージャケットも舞帆に渡し、セイントカイダーの生裁重装に変身した。

 

 そして生裁軽装になったことで変身自体の負荷は薄れたものの、今度はダメージを受けやすくなり、何度も斬られたあげく、背中の傷を弾薬で吹っ飛ばされた。

 

 ――普通の人間が、ここまでズタズタにされて立っていられる方がおかしい。

 そして、その「普通の人間」の例には、俺は漏れてはいないだろう。

 

 ……だが、俺はそれでも立たなければならなかった。

 それが「普通」じゃないなら、「普通」でなくなればいい。

 

 ――舞帆を救えるなら、俺は人間じゃなくたっていい!

 

 俺は血ヘドを吐き、ラーカッサを睨み上げる。

 立ち上がろうとする膝はガタガタと奮え、血液不足を訴えていた。

 

 彼女にさえ勝てば、後はどうだっていい。

 

 俺は舞帆を守るためだけに、セイントカイダーになったんだから!

 

 血まみれになり、もはや意識があることすら不思議に思えるような重体。

 

 そんな状態でも必死こいて起き上がろうとする俺を見下ろし、ラーカッサ……いや、狩谷鋭美は、マスクを外して素顔を見せると共に、怪訝な表情になる。

 

 鋭い吊り目が特徴の、意志が強そうな印象の少女だった。

 綺麗に整った目鼻立ちに、紺色の髪を纏めたサイドテール。そして、今までのイメージと対を成すような美肌。

 

 そんな絶世の美女は今、訝しむように俺を見ている。

 

「アンタ……一体何なの? 何の縁があってそこまで桜田家の味方をするわけ?」

 

「俺は、舞帆に助けられた……あの娘が助けてくれたから、決めたんだ……! 今度は俺が助けるんだっ……て!」

 

 縋るように、俺は狩谷に訴える。

 

 多くを語る気も余力もないが、そこから何かを察したように、彼女は目を見開いた。

 

「……ふーん、そうなんだ。アンタ、桜田に借りがあるのね」

 

 それだけ言うと、狩谷は一度俺から目を離すと、憎々しい面持ちで桜田家を睨みつけた。

 

 ――彼女は反対に、桜田家には恨みがあるらしいな。

 

「いいわ。アタシにここまで食い下がってきた根性に免じて、教えてあげる。アンタが命懸けで守ろうとしてるあいつらが、どれだけ腐ってるかをね……」

 

「……なに?」

 

 俺が顔を上げると、狩谷は背を向けて、今までの気性の激しさとは対照的な静けさで、自らの過去を語る。

 俺が病院で、舞帆と平中にひかりのことを話したように。

 

「アタシは小さい頃、両親に捨てられて孤児院に入った。周りは家族が事故や病気で亡くなったから仕方なくってのがほとんどだったけど、アタシは親に見捨てられてそこにいた。だから、何かといじめられたわ。『お前が悪い子だったから、捨てられたんだろ』ってな」

 

「――そんなことがあったのか」

 

「そんな時、いつだってアタシを守ってくれる娘がいた。その娘は周りがどんなにアタシをバカにしても、傍にいてくれた。――アタシなんかのために、友達になってくれたんだよ」

 

 孤児院……俺はひかりのことを思い出し、胸を痛めた。

 

「アタシは、どうしてもその娘を守りたかった。大切な友達を。だから、三年前にその娘が望まない子供を妊娠して、それでも好きな人のために産みたいって言った時、アタシは決めたんだ。ヒーローライセンスを取って、この孤児院の専属ヒーローになる! そして、あの娘も、あの娘が産んだ子も、アタシが守り抜くんだって!」

 

「……!?」

 

 ――既視感が、ある。

 

 望まない子供。それでも産みたい。

 

 まさか……!?

 

 驚く俺を完全放置して、彼女は話を続ける。

 

「アタシは、ヒーローライセンスの試験に臨んだわ。試験には、あのハト野郎と所沢が同席していた。アタシは必死だったわ。あの娘を守るため、絶対に受からなきゃってさ」

 

 ハト野郎――ラーベマンこと桜田のことか。

 

「……それで、落ちたのか?」

 

「――落とされたのよッ!」

 

 俺の発言に激昂し、狩谷は鬼のような形相で、俯せに倒れていた俺の顔を近くを踏み付けた。

 

「最後の試験だったわ。身体能力を問うために、崖から崖まで繋がった懸け橋を、橋自体が崩れ落ちる前に渡り切る、っていう内容だった」

 

「はあ……!? そんな無茶苦茶な試験、聞いたことないぞ!」

 

 俺もFランクの試験を受けたが、そんな危険過ぎる試験概要は聞いたことがない。

 

「そうよね、アタシもそう思ったわ。あの時点で気付くべきだったのよ。あの試験が、『出来レース』だったってことに」

 

「出来レース?」

 

「その最終試験に残ったのは、アタシとハト野郎と所沢の三人。アタシも所沢も、あのハト野郎よりは速く走れたわ。――向こう側の崖から橋が壊されるまではね!」

 

「――ッ!?」

 

「アタシと所沢は転落して、結局は本来通りのペースで崩れる橋を渡りきったハト野郎が一人だけ合格、となったわ。アタシは落ちる途中で木の枝に引っ掛かって奇跡的に助かったけど、所沢は命に関わる重傷を負った。それで二年間の療養を余儀なくされたのよ」

 

 ――な、なんなんだ、それ……!

 

 想像することが恐ろしくなるほどの、悲劇。狩谷の話が本当なら、ヒーローライセンスの資格試験で命に関わる不正が行われていたことになる。

 

 確かにヒーローは自ら危険に飛び込んでいくもの。

 

 命の危険を乗り越える力は必要だろうが、試験の厳しさを差し引いても、このやり口は余りにも残酷過ぎる。

 試験にかこつけて殺そうとしてるようなものじゃないのか。

 

「アタシはもちろん猛抗議したわ。アタシのように、ヒーローを目指して頑張っていた所沢のためにも。でも、評議会側は全く取り合おうとしなかった」

 

「……マジなのか、それ」

 

「そして出てきたのが、当時試験官だった、あの桜田寛毅ってわけ。あいつは試験のやり直しと所沢の治療を訴えるアタシにこう言ったのよ」

 

 狩谷は憎しみで歪んだ顔で俺をまっすぐ見据え、怒りを一切隠さずに吐き捨てる。

 

「『桜田家の嫡子である寛矢が、試験に一度で合格するのは必然でなければならない。どこの馬の骨とも知れない小娘や薄汚い大男がヒーローを騙るなど、言語道断だ』……ってね。あいつはその後、『頑張りを讃えての特別措置』とか言って所沢をスーパーヒーロー評議会の管轄下の病院に入れて、善人ぶりを世間にアピールしたのよ。実際に所沢が受けた治療はヤブ医者がやるような荒療治だった」

 

「……そんな」

 

 そういえば、弌郎に捕まった舞帆を助けに行った時に、評議会管轄の病院で包帯だらけの大男を見たことがあった。

 あいつが所沢だったのか……?

 

「アタシは評議会の生態科学部門に潜入して、バッファルダとラーカッサの能力を手に入れたわ。この世の、真の悪を討つためにね。アタシの能力は、『自信』の強さに比例する。絶対にアタシが正しいんだという自信に!」

 



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第22話 ヒーローの名乗り

「そうよ、アタシ達はヒーローになるチャンスを当たり前のように潰され、その上道化にされた! あんな奴らがいる限り、ヒーローは死んだまま! だから倒すのよ、そんな連中が統べているこの宋響学園と、その根元である桜田家をね!」

 

 怒りの矛先を、桜田家の三人に向け、狩谷は高らかに叫ぶ。

 

 俺は事件の発端とされる校長に、真偽を問う視線を送った。

 それは、初耳の話だったためか桜田も同じだった。

 

「どういうことなの!? お父さん、本当なの!?」

 

「父さん、説明して下さい! 僕はちゃんと試験をクリアしてヒーローになれた訳ではなかったのですか!?」

 

 舞帆と桜田は、取り乱した様子で二人して父に詰め寄る。

 彼はそんな息子や娘の肩を持つと、言い聞かせるように口を開いた。

 

「……いいか、舞帆、寛矢。よく聞くんだ。私達桜田家は、常に周囲をリードする人材を輩出してきた。これまでも、そしてこれからもだ。その歴史を止めてはならない。あの女はその歴史の重みを知らないから、あのような不届きな雑言を口にできるのだ」

 

 世間に嘘はつけても、家族だけは騙せない――そう悟ったのか、校長は開き直ったように言い捨てる。

 

「あの女は敵だ。敵の惑わしに耳を傾けてはいかん」

 

「な、なんてことを……あんまりよ、お父さん!」

 

「そんな……そんなことのために、僕は……! これじゃあ、道化は僕の方じゃないか!」

 

 二人は自分達が信じていた正義の道が偽りのものと感じ、表情に絶望の色をたたえた。

 

 バッファルダとの二戦目の時に桜田がやった、俺に刺さっていた破片を無理矢理抜いて、血を目潰しに使うという戦い方。

 

 あれもあの校長が治める桜田家の教えだとするなら、納得してしまいそうになる。

 

「ふーん、何にも知らなかったんだ、可哀相ね」

 

 二人の少年少女の反応を見た狩谷は、哀れみと蔑みを混ぜた目で彼らを一瞥した。

 

 その瞳の最奥にある殺気を本能で察知した瞬間、俺の体が痛みを忘れて動き出した!

 

「まあ、恨むなら由緒正しい自分の家に泥を塗ったそのクソ親父を恨みなさいよ。――地獄でねッ!」

 

 自分を地獄に突き落とした連中への天誅とばかりに、狩谷は肘の刃を放とうと腕を振るう。

 

 その瞬間、俺は全身の力と体重を前に傾けるように立ち上がり、セイトサーベルでその一閃を受け止めた。

 凄まじい金属音が鳴り響き、俺の耳を激しくつんざく。

 

「何のつもり? あそこまで話を聞いておいて、まだ桜田家に義理立てしようっていうの!? それとも、アタシの話なんて信じないって?」

 

「……いや、信じてるさ。校長先生の反応を見ればわかる。あんたは、嘘なんかついてない」

 

 あれだけの怒りを、でっちあげだけで生み出せるものか。

 

 それに校長も、結局は否定しなかった。

 

 この事件は、起こるべくして起こったものなんだと、俺は認識していた。

 

「それでもアンタはあっちに付こうってわけ? そうよね、アンタからすれば、ここでアタシを潰せれば、桜田家に取り入るチャンスだもんね! 権力にでも目が眩んだのね!」

 

「あんたは確かに怒って当たり前だと思う。俺だって、そんなことをされたらどうしようもなくなるくらい怒るさ。でも、このままあんたを行かせちまったら、きっとあんたは引き返せなくなる。……そんなの、見ていられない」

 

「黙れ、アンタがアタシ達の何を知ってるってのよ!」

 

 狩谷は怒号を上げ、俺の腹を膝の刃で勢いよく突き刺した。

 冷たい痛みが、赤い花のような染みと共に全身に広がっていく。

 

 今まで抱えていたものが溢れ出して来たように、彼女の表情は悲しみや怒りをないまぜにした、『感情』そのものが現れていた。

 

「ぐッ……何も知らない、さ。あんたが言うように、俺はなにも知らない。知らないから、知りたいんだよ。知るまで、ほっとけないんだよ……!」

 

「うるさい、うるさいうるさい!」

 

 俺を弾薬入りパンチで吹っ飛ばし、狩谷はこちらを睨みつける。

 自分でも、今の自分が正しいと言い切れない――そんな苦悶の表情で。

 

「アタシは約束を守れなかった! なれなかったのよ、なれるはずだったヒーローに! あの娘に、ひかりに、合わせる顔がないじゃない! どうしてくれるの! 責任取ってよ!」

 

 ――やっぱり、狩谷もひかりと同じ孤児院にいたのか。

 

 いじめられていた彼女の友達になってあげてたんだな……やっぱり、ひかりは優しい。

 

 ひかり、見てろよ。

 今度こそ、今度こそ救って見せる。舞帆も、お前も、お前が守った友達も。

 

「アンタ、一体何なのよ! 知った風な顔してんじゃないわよ!」

 

 さっきまでと違い、身の上を訴えたことがきっかけで感情的になったからか、彼女の攻撃は以前までの正確や鋭さを欠き、直線的なものになっていた。

 

 恐らくこれが、彼女を止める最初で最後のチャンスになるだろう。

 狩谷のヒーローへの想いの強さが、俺に勝機を与えてくれる。

 

「俺が何なのか――か。そういえば、名乗りがまだだったな」

 

 ふと思い出した、セイントカイダーの名乗り。

 

 俺はそれを胸に、一旦間合いを取った。

 向こうはまた何か新しい武器でも使ってくるんじゃないかと警戒しているようだ。

 

 俺はそこで、今日に至る今までを一度、振り返った。

 

 ――二年前のあの日から、俺は舞帆に救われた恩を忘れたことはなかった。

 

 初めて会った頃は俺の方が強気でいたのに、いつの間にか立場が逆転していたのは記憶に新しい。

 

 それでも、俺はきっと幸せだったはずだ。

 そうでないなら今……こんなに嬉しい気持ちは湧いて来ない。

 

 ずっと抱えていた負債を、一気に解消する最大のチャンス。それが、この戦いだ。

 

 俺は舞帆がたどるはずだった戦いに身を投じるためだけに、ヒーローになった。

 勝ち目のない戦いに彼女を晒さない、唯一の手段だったからだ。

 

 だから彼女のヒーローとして、最後の名乗りを、俺は上げたい。

 

 それが少しでも舞帆の支えになるとしたら、それはきっと意味のあることになるから。

 

 思えば、俺はここに至るまでに多くの人から助けてもらっていた。

 

 母さんは、俺がどんなに荒んで、忘れてもらおうとしても、決して見捨てずにいてくれた。俺に代わって、ひかりを支えてくれた。

 

 平中は、俺達とは本来関係ないはずの、普通の女の子だったのに、俺との縁だけでここまで連れて来てくれた。

 

 ひかりは、俺のせいで死にたくなるような思いをしたはずなのに、それでも俺を憎むことなく、「絶望」しかなかったはずの未来を瑳歩郎という「希望」に塗り変えて、俺に勇気をくれた。

 

 達城は、俺が無理にヒーローになると決めても、決して跳ね退けることなく、チャンスを与えてくれた。今思えばそれは俺に舞帆の代役が務まるかどうかを試す意図があったんだろうが、それでも最後には本当に俺を信じて、この力をくれた。

 

 そして……舞帆は、ひかりのことでやさぐれていた俺を救い上げるために、ひたすら手を尽くしてくれた。

 

 俺が幸せを掴むこと――元の、当たり前の暮らしを取り戻すことを、望んでくれた。

 

 みんな、俺を支えてくれた。

 俺を信じて、頼りにして、助けになってくれていたんだ。それは、舞帆も同じだったのかも知れない。

 

 俺がセイントカイダーをやっていたと知った時、誰よりも反対していた彼女は今、ただ家族と共に固唾を飲んで見守っている。

 

 止めようとはしていない。

 もしそれが、俺を信じてくれている証なら、俺を頼ってくれている意味なら。

 

 ――俺は、今。彼女だけのヒーローだ!

 

「生徒の手により裁くべきは――世に蔓延る、無限の悪意」

 

 腕を派手に振り、俺は腰を低くして、身構えるようにポーズを決める。

 

 生裁重装の時では体が重くて出来なかった、本来あるべき姿である今だから出来る――名乗りのポーズ。

 

 舞帆のヒーローとして戦い、勝つことを約束する構えだ。

 

 俺は掌を狩谷に向け、これから成敗してやるといわんばかりの威勢で声を張り上げる。

 

 みんなの支えから成り立つ、俺の力で。

 

「――生裁戦士、セイントカイダー……!」

 



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第23話 無謀な一撃必殺

 俺の叫びが、振動が。威風となって狩谷を襲う。

 

 自分が掴もうとして手を伸ばし、どうしても届かなかった、「大切な人に支えられ、その人を支えるために生まれるヒーロー」としての姿。

 

 それは、彼女にとっては憧れ、そして自らの理想とする勇姿だったはずだ(俺個人が彼女の「憧れ」になるにはどうしようもなく役不足だが)。

 

 そのヒーローが、真っ向から自分に牙を剥いているのだと実感すれば、たじろがずにはいられない。

 

 ただ強い相手というだけならまだしも、相手は自分が理想としていた、「ヒーローになる未来」だからだ。

 

 自分の拠り所とする理想像に自身を否定されて、それでも自分を保てるほど、人の心は丈夫に出来てはいない。

 

 そして、「友達を支えるヒーローになりたい理想」と、「友達のためにヒーローになった野郎に立ち向かわれる現実」のギャップを見せ付けられた彼女が見せた隙を、俺は逃さない。

 

 彼女の強さは、「自信」に比例する。「ヒーローの名乗り」によってそれを崩された今が、好機(チャンス)だ。

 

「はあッ!」

 

 気合いと共に彼女に飛び掛かり、セイトサーベルの一閃。

 

「あうッ!」

 

 狩谷は直撃の一歩手前でそれを受け止めたが、防御に使った肘の刃はバキリとへし折れた。

 

「でぇぇああああッ!」

 

 反撃に成功したと一瞬安堵したせいか、今まで積み重なっていた体の痛みが振り返してくる。

 

 それを堪えるように、俺は体の芯から気力を搾り出すように叫び、細身の剣で狩谷の持つ刃を次々を打ち砕く。

 

 無理をすればどうなるか。

 今まではそれを考えないようにして戦ってきた。

 

 ……考えると、怖くなるから。

 

 だが、今はもう「無理をする」という概念すらなくなってしまっていた。

 狩谷に勝ち、舞帆を守る。それだけしか頭に残ってはいなかったから。

 

「くっ……そおお! アンタが――アンタ達さえいなければあっ!」

 

 激しい咆哮と共に、狩谷は指先に嵌められていた刃を放つ。

 しかし、それは俺とは全く違う場所を狙っていた。

 

「……まずいッ!」

 

 俺はセイトサーベルを捨て、一気に舞帆達三人に向かって駆けていく。

 狩谷が放つ得物は、三人の後ろにそびえ立つ校舎を破壊していたからだ!

 

 校舎が破壊されたのはほんの一部だが、元々他の学校よりでかい造りというだけあって、いざ壊されると瓦礫も大きい。

 

 桜田家の三人に直撃すれば圧殺は必至だろうが、下手をすれば遺体もろくに残らないかも知れない。

 

「きゃああああッ!」

 

 舞帆の悲鳴が聴覚を刺激し、俺を動揺させようとする。

 しかし、焦る必要はない。

 

 「無理をする」概念をなくせば、無理を無理と思わなくなるのだから。

 

「――待ってろよッ!」

 

 裏返っていたバックルの校章を元に戻すと、セイサイラーがひとりでに変形を開始し、生裁重装の鎧となって俺を包む。

 

 鎧は既にボロボロだが、それでも俺の支えになってくれている。

 

 生裁重装を含めたセイントカイダーの変身システムには、変身者の生命危機を感知すると、降伏の意味を持って変身を強制解除する機能がある。

 変身者の人命の保護を最優先するためだ。

 

 だが、それには欠陥が一つある。それは、変身者が代わると、強制解除をするか否かの判定基準となるダメージ計算が、「リセットされてしまう」ということだ。

 

 それは、変身者を舞帆に限定されていたセイントカイダーに俺が無理矢理に変身していたことによる、単なるバグに過ぎない。

 

 しかし、ダメージ計算がリセットされるということは、舞帆が負った分の損傷が計算から外されること意味する。

 

 つまり、実際の鎧自体のダメージはそのままに、計算上の「それ」だけがリセットされている俺からすれば、この人命優先のシステムは今、全く当てにならなくなっているのだ。

 

 例え、俺が今からこのヒビだらけの生裁重装の鎧を木っ端微塵にされた上で、生裁軽装になったところを刃物で細切れにされることがあっても、システムが俺のダメージが舞帆のそれを越えたものと認識しなければ、変身は解除されない。

 

 達城によればバッファルダとの二戦目でも、あの背中への一刺しでシステム全体がショートしていなければ、とっくに強制解除されていたはずだったらしい。

 

 「計算」が振り出しになっている俺には、舞帆のような「恩恵」は受けられない、というわけだ。

 

 そう、例え「死んでも」。

 

 俺は三人を庇うように彼らの傍に立つと、持てる力の全てを両足に込めて、大地を蹴る。

 

「船越君!? ――船越君ッ!」

 

 驚いたように舞帆が声を上げる。なにをするつもりかを察して、止めようする声色だ。

 だが、飛び立ってしまった今ではもはや無意味。

 

「らああああああッ!」

 

 目の前に迫る瓦礫は近付くにつれてみるみる大きくなっていき、気が付けば想像を遥かに越える巨大な隕石のようにも見えてきた。

 

 いつもなら、こんな馬鹿でかい破片とぶつかったら死ぬに決まってる、と思って回避するところだ。

 

 だが、今回だけは逃げるわけにはいかないし、逃げる気もない。

 

 今なら、できる。そう思うしか道はないからだ。

 

 そして、強固な鎧に身を固めた、セイントカイダーという名の迎撃ミサイルが、校舎の瓦礫という名の隕石を打ち砕く。

 

 体のどの部分から瓦礫にぶつかったのかは、俺自身にもよくわからなかった。

 そのくらい一瞬の出来事だったからだ。

 

 ただわかっていることは、粉々に飛び散る破片と一緒に空中に投げ出されている景色が見えていること。

 

 ……つまり、まだ俺は生きている。

 

 生裁重装の重厚な鎧は、表面から内側まで、あらゆる箇所がひび割れ、今にも崩れ落ちそうなほどの損害が現れていた。

 

 元々舞帆が変身していた時にコテンパンにされていたこともあるだろうが、今の激突で原形を保っていられるのは奇跡としか言いようがない。

 

 今度この状態で狩谷と対峙すれば、間違いなくこの巨大なプロテクターは粉々に破壊されてしまうだろう。

 

「船越君ッ! 死なないで、お願いだから!」

 

 滞空している俺を見上げ、舞帆が涙ながらに叫び散らす。

 

 ――大丈夫だ、舞帆。これ以上、不安になんかさせない!

 次の一撃で決めて見せるから!

 

 俺は再びバックルに手を伸ばし、校章を反転する。

 空中で生裁軽装に変身すると同時に、俺は生裁重装の鎧から変形したセイサイラーに乗り込んだ。

 

 そして着地する瞬間にアクセルを踏み込み、一気にスピードを爆発させる。

 

「おおおおおおッ!」

 

 雄叫びだけで自身を鼓舞し、俺は狩谷目掛けて突っ込んでいく。

 

「……ナメるなぁ! アタシは――アタシは、ヒーローになるんだああああああッ!」

 

 狩谷も必死に残された刃をぎらつかせ、俺を迎え撃たんとする。

 

 正直言って、もう体はほとんど動かない、さすがにそろそろ限界を超えすぎたらしい。

 

 だから、これが最後の攻撃になる。失敗すれば、俺の命もないだろう。

 

 だが、できないとは思わない。

 舞帆やみんなが、俺を信じて頼ってくれるなら。俺に、そこまでの価値があるとするならば!

 

「俺がヒーローだってんなら! ……負けっこないだろうがあああああああああッ!」

 

 俺は腕に残る力を振り絞り、忍ばせていたセイトバスターを撃つ。

 その一発が、狩谷の最後の得物を破壊した。

 

「あ――!」

 

 ――もう、力は微塵も残っていない。

 

 後は、野となれ山となれ、だ。

 

 そのヒーローらしからぬ不意打ちに狩谷が呆気に取られた瞬間、俺を乗せたセイサイラーが狩谷と激突し、砕け散った。

 

「ぐわああああッ!」

 

「きゃああああッ!」

 

 俺は衝突の勢いで吹っ飛んで瓦礫の山に頭から突っ込み、狩谷は撥ねられた衝撃で校舎に背中を打ち付け、動かなくなった。

 

 まさに、一瞬の決着。俺にとっても、きっと彼女にとっても。

 

 ――俺は、ヒーローに必要なのは、例え無謀だとしても、卑怯者と泥を被ってでも、大切な誰かを守れる、ヒーローとしての「資質」だと思ってる。

 

 だから、こんな無茶苦茶でヒーローの夢を壊すような戦い方を選んだのかもしれない。

 

 そんな自覚はあっても、不思議と後悔の念はまったくなかった。

 

 結果として、舞帆達を守れたからだろうか?

 

 ふと、瓦礫を除けて倒れていた身を起こしてみれば、変身は既に解け、俺は元の船越大路郎の姿に戻っていた。

 

 セイントカイダーの変身システムが、変身者の生命危機を感知したためだろう。今さらな気もするが。

 

 △

 

「狩谷っ……うッ!」

 

 同じく変身が解除されていた狩谷。彼女の安否を確かめようと身を起こした俺を、積み重ねられた激痛が襲う。

 

 俺はとうとうそれに打ち負かされ、瓦礫の山からゴロゴロと転げ落ちると、今度こそ全く身動きが取れなくなってしまった。

 

「うっ……うう」

 

「狩谷、生きてるか。よかった……」

 

「あんな殺す気満々な攻撃仕掛けといて、よく言うよ。まったく――いてて!」

 

 どうやら、反応を見る限りでは命に別状はないらしい。

 俺はつっけんどんでありながら、敵意を感じさせない彼女の態度に苦笑しつつも、ホッと胸を撫で下ろす。

 

 よく見れば、狩谷の体には外傷はほとんどないようだった。

 

 俺が与えたダメージの多くは、ラーカッサの戦闘服が吸収していたらしい。

 ただ、衝撃の余韻か疲労のためか、彼女も俺と同じでろくに動けないみたいだ。

 

「負けたよ。アタシはやっぱり、ヒーローの器じゃなかったんだ」

 

「そうだな、今はそうだ。だったら今からはい上がりゃあいい。まだヒーローを諦めたくないならな」

 

 もし本当に「ヒーローになる」という未来に愛想を尽かしてるなら、わざわざヒーロー能力を手に入れようとはしまい。

 

 能力を悪事に使おうというアンチテーゼだとすれば、それだけヒーローに未練があるとも言えるはずだ。

 

「はい上がる……か。厳しいこと言うわね、アンタ」

 

「厳しくもなるさ。未練を夢に、変えるとするなら」

 

 未練を、夢に変えられれば――彼女がもう一度チャンスを得られたなら、彼女が悪である必要もなくなるんじゃないか。

 

 そんな考えが脳裏を過ぎった時だった。

 

「間違えるな、船越大路郎。悪は悪、正義にはなれん!」

 

 厳格な口調で、憎悪で凝り固まった言葉を吐き出す者がいた。

 ――桜田寛毅だ!

 

「校長先生、どういうつもりだよ」

 

「ご苦労だったな。まさかセイントカイダーにあんな機能が搭載されていたとは思いもよらなかった。やはり朝香は舞帆より貴様を選んだのだな。愚かなことを……舞帆に任せておけば、我が桜田家の優秀さが実証され、我が家を去る必要もなかったろうに」

 

「あんたが娘を無理矢理戦いに引っ張り出そうとしなけりゃあ、円満な家庭を築けたろうにな。……そして、まともに試験をやろうとしてれば、こんな戦いも起きなかったはずだ!」

 

「一人前なのが力だけなのでは、単なる暴力と違わぬことを覚えておけ。いいか、貴様は桜田家がどれほど優れた家系であり、それを引き継いできたのかを知らんだろう。だからそんな腑抜けた口が利けるのだ」

 

 どうやら桜田家ってのは、代々続く優秀さを継いでいかなくちゃいけない、窮屈な家庭らしいな。

 

 彼にとってはそれは絶対であり、そのためには人を殺しかねないほどの不正もアリにしちまう。

 

 ――ふざけてんのかよ。

 いや、大まじめにそれをやってのけてる辺り、ふざけてるよりよほどタチが悪い。

 

「この女は私達の邪魔をした挙げ句、あろうことか舞帆を辱めた。どうやらこの女豹は、私が直々に討たねばならんらしい」

 

 そう吐き捨てると共に、校長の懐から――拳銃が現れた。

 

「……!」

 

「校長ッ! あんた、マジなのかよ!」

 

 一瞬怯えたように身を強張らせ、すぐに諦めの顔になった狩谷を一瞥し、俺は校長に食ってかかる。

 しかし、まったく聞く耳を持つ様子はない。

 

 ちくしょう……! 狩谷を殺して、それで解決なわけがないだろう。俺はバッドエンドってのが大嫌いなんだ!

 

 そんなの、望んでるのはあんただけだろうが。

 桜田は、舞帆はどうなるんだよ!

 

 今までの戦いの疲労、痛み、そして狩谷に勝ったことによる束の間の安心からくる脱力感のせいで、俺は動くどころか、叫ぶことすら思うようにいかなくなっていた。

 

 校長は狙いを狩谷の眉間に定め、引き金に指を掛ける。

 狩谷は抵抗もせず、ありのままの結果を受け入れようとしていた。

 

「か、狩谷!」

 

「……アンタ、船越大路郎って言うんだっけ? 覚えとくよ。アンタの名前」

 

「はぁ!? 今の状況わかってんのかよ! 俺のことなんてどうだっていいだろ!」

 

 俺に構わず、早く逃げろ。

 

 本当はそう言いたかったが、俺にそんな資格はなかった。

 彼女を逃げられなくしてしまったのは、俺だからだ。

 

 こんなことになるなら、狩谷が逃げる体力を残せるくらいまでセイサイラーのスピードを落としておくんだったと、今頃になって俺は後悔する。

 

 どうすればいいかわからず、右往左往していた俺に向かって、彼女はフッと笑う。

 

 嗜虐的でない狩谷の笑顔を見たのは、それが初めてだった。

 

「もっかいヒーローになれ――アタシの醜いところばっかり見たくせに、そんなこと言う奴がいるなんて、考えたこともなかったわよ。ありがとね……夢、見させてくれて」

 

「なに言ってんだ、そんな遺言染みたこと聞きたくないぞ!」

 

「……まったく。……どうせ殺されるんなら、アンタの手で――」

 

 カチャリ。

 

 そこで、校長の指が引き金を引こうと動き始めた。

 

「お喋りは終わりだ、庶民ども」

 

 ハッとする暇もなく、冷たい一言と共に、拳銃が火を噴いた。

 

 乾いた銃声。凍り付いた世界。

 

 そこから続く未来にある惨劇を恐れ、俺は目を閉じた。

 

 悪い夢なら覚めてほしい。できることなら、もう一度狩谷と戦うことになってでも、やり直したい。切実にそう思った時だった。

 

「――!?」

 

 だが、誰ひとりとして命を落とした者はいなかった。

 確かに、発砲音は聞こえたのに。

 

 悲劇を予想して閉じていた瞼を開くと、そこには発砲の瞬間、拳銃をたたき落とす桜田の姿があったのだ。

 

 予想外の展開に、俺も狩谷も目を見張った。

 

「寛矢……なんのつもりだ!」

 

 予想だにしなかった息子の反逆に、校長は激昂する。

 しかし、桜田には微塵の気後れもない。

 

 逆に、父親を越える体躯を活かし、最大限の力で悪事をさせじと威圧する。

 

「――『ヒーロー』として、当然の行いですよ、父さん」

 

「何だと!?」

 

「僕は今まで、父さんの教えを信じて、ヒーローとはこうあるべきだという思いで、学業を積み重ねてきました。でもそれは、僕の望んだヒーローなんかじゃない! 不当に他人を蹴落として掴んでいたライセンスを振りかざして、船越さんの前で得意になっていた僕が、今はなにより許せないんです!」

 

「寛矢! 朝香や舞帆に留まらず、お前までもが逆らうというのか!」

 

「それが、『ラーベマン』ですッ!」

 

 一切の反論を許さない、誠意を以って放たれた一言。

 

 それは自身が理想とする、悪を正す一人の「ヒーロー」として、「ラーベマン」こと桜田寛矢が成すべき「ヒーローとしての活躍」そのものであった。

 

「お父さん、私もよ。私は、そんなことをする桜田家が優秀だなんて思わない。私は、船越君のような人が、なによりも大切なものを持っているって思うの。それは、お父さんには決してないものだから。――だから私は、船越君を選びます」

 

 次に現れた舞帆も、父の悪事を容赦なく糾弾する。

 俺にあって、校長にないもの――それがなにかは、俺にもよくわからなかったが、少なくとも俺を肯定してくれているのは間違いない……と、思う。

 

 そこはありがたく受け取っておこう。

 

「狩谷……うぐッ!」

 

 校長が桜田姉弟にやり込められているのをしばらく見守っていた俺は、転がり落ちてから少し安静にしていたためか、少しだけ動けるようになっていた。

 もちろん傷はまだまだ深いが、今までに比べればまだマシだ。

 

 俺は狩谷の所まで身を引きずり、彼女の傍で膝をついた。

 

「な、なに?」

 

「お前……まだ、ヒーローになりたいか?」

 

 もし彼女が、ヒーローになる夢を捨てきれていないなら、俺にもなにかできることがあるかもしれない。

 

 そう思っていた俺は、彼女に最後の確認を取った。

 

 挫折し、苦しんで、荒んでいるようで、心のどこかで救いを求めているような……そんな、どことなく俺に似たなにかを感じさせる彼女に、手を差し延べるように。

 

 ――かつて、舞帆が俺にそうしたように。

 

「……なりたいわよ。なれるもんなら、なりたい。なりたいよ」

 

 そこに、会った頃のような彼女――ラーカッサの姿はなかった。

 

 俺の目の前にいるのは、自分の罪深さを自覚して啜り泣く、狩谷鋭美という一人の少女でしかなかった。

 

 出会ってからほんの数十分しか経ってないはずの彼女が、こんな顔を見せた。

 

 そのくらい、この少女が抱えていた闇は重く、彼女自身も無理をしていたんだろう。

 

 少し内心に入り込まれるだけで、ここまで心の障壁が脆く崩れてしまうのだから。

 

 俺はそんな彼女の涙を指先で拭い、一枚のカードを差し出した。

 それを目にした狩谷は、「これをどうするつもりなのか」と不思議そうな顔をする。

 

「俺のヒーローライセンスだ。罪を償ってまたいつかヒーローになったら、返しに来いよ」

 

「えええーっ!? ちょ、ちょっとアンタ、どういうことよそれっ!?」

 

 予想以上の驚きっぷりに俺は目を丸くしたが、彼女の反応はそれ以上だった。

 

 まあ、自分が喉から手が出るほど欲しがっていたものが、他人からあっさり渡されたことが衝撃的だったんだろう。

 

「俺は元々、舞帆を守るため――だから、お前らを止めるためだけにライセンスを取ったんだ。だから戦いが終わった今、ヒーローを続ける必要もなくなった……って、思ってたんだけどな」

 

「じゃ、じゃあなんでわざわざアタシに……? アタシは敵よ!? 敵にライセンス渡してどうすんのよ!」

 

「もう違うだろうが。俺はさ、お前見てると、なんか昔を思い出すんだよ」

 

「え?」

 

 意外そうな顔をする狩谷に苦笑いすると、俺は口角を上げて自分の恥ずかしい昔話をした。

 

「俺さ、昔は女の子のことでひどく荒んでて、母さんに迷惑かけたりケンカしたりで、もう最低のクズ野郎だったんだよ。でも、そんな俺の世話をかいがいしく焼いてくれる娘がいてな。その娘のおかげで、俺はちょっとは元通りになれたんだ」

 

 俺はそこで一旦言葉を切り、父親を叱りまくる舞帆に目を向ける。

 名前こそ出さなかったが、その世話焼きの娘が舞帆のことだというのは、狩谷も薄々察したようだった。

 

「こう言っちゃ悪いけどさ。お前のそういうグレたところ見てると、なんか昔の俺に似てるなあって思うんだよ。だから、俺の世話を焼いてくれた娘みたいに、お前のこと、ほっとけなくなっちまうんだ。俺、その娘のファンだからさ」

 

 彼女は、「自分の醜いところを見ているのに、励ますのが変」だと言ったが、それは違う。

 

 その「醜いところ」ってのが、俺のそれとどこか似ていたから、共感して、支えたくなったんだ。

 そして、救いたくなった。

 

「……それとアタシにライセンス預けるのと、何の関係があるのよ?」

 

「お前、ヒーローになったら自分が育った孤児院の専属になるんだろ? 俺もそんなところでヒーローやりたいって思ってたからさ。二人で一緒に、孤児院専属のヒーローコンビってやつになってみないか?」

 

 俺の提案に、狩谷はさらに驚嘆の声を上げる。

 どういうわけか、その顔はほんのりと赤みを帯びている。

 

「ヒ、ヒ、ヒーローコンビ!? アンタとアタシで!?」

 

「おう。俺達、挫折からはい上がったヒーローコンビで、孤児院の子供達に勇気を与える。……かっこよくないか?」

 

 そう言い切る俺に呼応するように、狩谷は蕩けたような表情になって、俺が渡したライセンスを豊満な胸でキュッと抱きしめる。くそ、ちょっとライセンス、俺と代われ。

 

 しばらくは夢心地で俺の話を聞いていた狩谷だったが、ハッとするといきなり俺の胸倉につかみ掛かってきた。

 

「約束だからね! 嘘ついたらハリセンボン!」

 

 ……言うことまで昔の俺にそっくりじゃないか。

 

 俺は苦笑混じりに「おう!」と力強く返事し、彼女も流されるように笑顔になった。

 

 ひかりを育てた、加室孤児院。

 狩谷もそこで育ち、そこのヒーローになろうとしていた。

 

 俺も、その場所を守ってみたい。俺に初恋を教えてくれた彼女が暮らしてきた、その世界を。

 

「罪を償って、恩を返して……いつか、二人でヒーローになろうな。狩谷」

 



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第24話 騒がしい平和

 こうして、桜田家に仇なす敵は潰え、宋響学園に平和が戻った。

 

 破壊された校内の修復には、急ピッチでも一ヶ月は必要とされ、その間はひと足早くの夏休みとなったのだそうだ。

 

 ……といっても、夏休みが終わる頃までは入院必至な俺には関係なかったりする。

 まあ、補修を免れる口実が出来た点はよしとするか。これぞ怪我の功名。

 

 今回の件の全貌は桜田姉弟によってキッパリと告発されたが、不祥事の発覚を恐れたスーパーヒーロー評議会による揉み消しが行われ、校長にはほとんどお咎めはなかった。

 

 それでも舞帆と桜田からの叱責は凄まじかったらしく、結局は妙にやつれた表情で早めの終業式を終えたのを最後に、「一身上の都合」ということで、桜田寛毅は校長を「辞任」することになったという。

 

 狩谷と所沢の処遇に関しては、事件の経緯を鑑みての酌量と、姉弟と俺の弁護、そして再犯防止と確実な更正を求めた達城の意見により、懲役十一年の実刑判決に留まった。

 

 どうやら、狩谷とヒーローコンビを組めるのは、早くても俺が二十九歳になるまではお預けらしい。

 

 また、桜田はこの件でかなり責任を感じたらしく、間もなくしてライセンスを返上。

 

 ラーベ航空会社専属ヒーロー・ラーベマンは、表舞台から姿を消すこととなった。

 

 そして、俺はライセンスを狩谷に託したことにより、ヒーロー活動においては事実上の無期限休業となった。

 

 以降、セイントカイダーの変身システムは、達城が今回の不祥事をダシに行わせた試験に合格して、Aランクのライセンスを取得した舞帆に引き継がれた。

 

 紆余曲折を繰り返し、ようやくセイントカイダーが本来の姿に戻ったのだ。

 

 セイサイラーが大破した今では、専用の変身ブレスレットを使っての生裁軽装にしか変身できないが、それでも彼女は俺の分も頑張ると言ってくれた。

 

 元々狩谷達を止めるためだけにセイントカイダーになった俺にそれを言っても若干的外れになるような気もしたが、俺のために力を尽くしてくれる、その誠意は眩しいほどありがたいものだった。

 

 ……それに、セイントカイダーの生裁軽装になった時の彼女は、とても目の保養になる。

 ピチピチのボディスーツ故に、あらわになるボディラインがたまらな――

 

「天誅ッ!」

 

「がふあ!」

 

 真夏の太陽が照り付ける炎天下の病院で、本の角がぶつかる音と俺の短い悲鳴が響き渡る。

 

「……あのですね舞帆さん? いくらなんでも重傷者を本で殴るのはひどいんじゃないかな?」

 

「今、エッチなこと考えてたでしょ! ダメよ船越君、そんなんじゃいつまでたってもろくな大人にならないわよ!」

 

「ホントにすまないわねぇ、舞帆ちゃん。うちの路郎が迷惑掛けてばっかりで」

 

「い、いいえいいえ! 同じ学び舎で過ごす同級生として、当然のことですから!」

 

 母さんめ、こんな時に痛いとこ突きやがって。何も言い返せず俯くしかない俺が情けない……。

 

「もうっ! そ、その、私というものがありながら――じゃないっ! 私の見てる前でそんなふしだらなこと妄想してニヤニヤしてるなんて、いい度胸じゃないの! どうせまた平中さんか文倉さんのことでも考えてたんでしょ!」

 

「違うよ。俺はお前のことで――あ」

 

「――えっ!?」

 

 そこで慌てて口をつぐんだが、もはや手遅れだったようだ。

 

 火山の噴火が目前に迫っているにも関わらず、俺は半分寝たきり状態で、逃げる余地がない。

 

 舞帆は爆発寸前に紅潮させた顔で何かを言おうとしている。

 これは間違いなく噴火の前触れだと、俺は耳を覆った。

 

「ふ、ふなこし君……の、ぷわあぁ〜か……」

 

 だが、溜まりきったマグマの熱に、火山自体が耐え兼ねたらしい。

 限界突破のオーバーヒートを起こした舞帆は、熟れたトマトのような真っ赤な顔のまま、バタリとその場に倒れ込んでしまった。

 

「おい舞帆ッ!?」

 

「あら? 舞帆ちゃん、暑いから熱でも出たのかしら?」

 

「冷静に分析してる場合かッ! 医者ァーッ、医者を呼べェーッ!」

 

 予想外の事態にテンパる俺の悲鳴に駆け付けてきたのは、危機感知能力に秀でた優秀な医師……じゃ、なかった。

 

「船越さーんっ! 差し入れのピザでーすっ!」

 

「ほら、瑳歩郎! あの人がパパですよっ」

 

 俺の前にやって来たのは、出前のごとくピザを持ってきた平中と、瑳歩郎になにか引っ掛かることを吹き込んでいるひかりだった。

 

 ……平中、気持ちは嬉しいが今は昼の一時だ。

 昼食を摂ったあとにピザを食えと申されるか。

 

 それにひかり、瑳歩郎から見て俺は「叔父」だ。断じてパパではない。

 パパ代わりになりたいけどパパじゃない!

 

「ひかり、言っておくけどね……私、船越さんだけは譲れないの。待っててね。すぐに瑳歩郎君のイトコ、産んであげるから」

 

「ふふふ……花子。一つ教えてあげる。瑳歩郎にとってはね、大路郎君はパパなの。そう、私がママで、大路郎君がパパなのよ。ふふふっ……」

 

 お見舞いの言葉でもくれるのかと思いきや、何やら俺を完全放置でどす黒い睨み合いを始める二人。

 

 おいおい、お前ら親友だろうがっ! 瑳歩郎もポカンとしてるぞ!

 

「こんにちは……って、あらあら、随分と賑やかね、大路郎」

 

 今度は達城がノックもなしに入ってきた。いや、賑やかもなにも騒いでるのは、口論を始めた平中とひかり、あと途中からビヨーンと跳ね起きてそこに加わった舞帆くらいなんだが。

 

「私は大路郎君の恋人なんですよ! ほら、瑳歩郎も大路郎君のことはパパって呼ぶのよ!」

 

「パパ! パァパッ!」

 

「なにを事実改変して子供に吹き込んでるんですかぁ! 船越君は私のためにヒーローになったんです! 故に私のヒーローなんですってばぁ!」

 

「いつも船越さんを怒鳴ってどついてばかりの人がなにを言うんですかっ! 私だったら、まずたくさんデートして、それから両親に紹介して、それからそれからっ……」

 

 熱く語り合う彼女達。なにを話してるのか、正直に言えば無茶苦茶気になるのだが、輪に入り込める空気じゃない。

 

「やれやれ、おっかないオーラがところせましと病室を支配してやがるな」

 

「そう? あなたからすれば本来は天国のような状況のはずなんだけど」

 

「どう解釈すりゃ、あの三つ巴のバトルロワイヤルがそう見えるんだよ……まったく、狩谷が可愛く見えるくらい――」

 

 達城の物言いに呆れて病室の窓から、快晴の空へ目を向けた瞬間。

 

 俺の表情は冷水をぶっかけられたマグマのように、カチンコチンに凍り付く。

 

「ふ、な、こ、しぃぃぃーーーっ!」

 

「か、狩谷ィッ!?」

 

 病室の窓を蹴破ってサイドテールを可愛く揺らし、まさかのご本人乱入!

 噂をすればなんとやらとは、まさにこれか。

 

「聞いたわ、聞いたわ、聞いたわ! 大事なことだから三回言ったわ! アンタ、アタシのこと、可愛いって言ったわよね!? そうよね!?」

 

 狩谷は感極まった表情で、鼻が触れ合いそうになるほどの距離まで迫って来る。

 というか、近い、近いって。なにやら柔らかい膨らみが当たっておるし。

 

「おいおい、ちょっと待て。何でお前がここにいるんだよ、懲役十一年とやらはどうした?」

 

「へっへー、俗に言う仮釈放ってやつよ! そうなったらアタシがどこに行くかなんて、考えるまでもないでしょーが!」

 

 なら普通にドアから入れ……器物損壊で罪を増やすな。

 

「か、狩谷鋭美ッ!? どうしてここに……っていうか何で船越君にそんなにベタベタくっついてるのよ! 離れなさい!」

 

「べーだ、アタシと船越は十一年後にはヒーローコンビになって、末永く幸せになるのよ! だからたまに仮釈放でこうして会いに来て……こうしてやるんだからっ!」

 

 さらに狩谷は俺の頭をその豊満な胸に抱き寄せ、離すまいと両腕で締め付ける。

 

 う、嬉しいようで苦しい……し、死ぬ……!

 

「な、な、な、なんですってー!? ど、どういうことよそれっ!?」

 

「え、鋭美ッ! じ、路郎君から離れてよぉぉっ!」

 

 狩谷の妙な宣言と衝撃的行為に絶叫を上げる舞帆を押し退け、今度はひかりが(涙目で)食ってかかる。同じ孤児院出身の者同士による謎の対決だ。

 

 この二人は、既にお互いの背景と現状を、裁判や面会を通して把握している。

 ひかりは、狩谷が罪を償って更正すると宣言したとき、快く彼女を許し、和解したという。

 

 それでやっと上手くいくと思えば……なんなんだ、この状況は。

 ていうか、そろそろ離してくれ……い、息がッ……!

 

「……ひかり、アンタが船越を好きだって気持ちはわかる。それはアタシも同じだから。こいつのことを知るまで、アタシはアンタの恋路を応援してやろうって思ってた。けどさ……やっぱり好きになっちゃったら、こうするしかないわよッ!」

 

 一瞬だけ解放され、狩谷がなにかを喋っている間に呼吸を整えていた俺だったが、彼女がなにかを叫んだ瞬間、再びそれを封じられてしまった。

 

 ――しかもそれは、とても柔らかく暖かい、不思議な口封じだった。

 俺の唇を包み、そこから温もりを伝えて来る。

 

 その時だけは、耳に響いて来る舞帆やひかりの悲鳴が、気にならなかった。そのくらい、心地好い雰囲気を感じていた。

 

 それが何だったのかを把握する前に、狩谷は真っ赤な顔で俺に微笑み、「もう時間だから」と言い残し、蹴破った窓から飛び降りて行った。

 

 わけがわからず、呆然としている俺。

 

 そんな俺を、殺気立った眼光で睨みつける、三人の少女。

 

 そして、生暖かい視線で見守る、二人の母。

 

 次の瞬間、病室に一人の少年の断末魔が轟いたのは言うまでもあるまい。

 

 ――俺が、なにをしたっていうんだよ?

 



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最終話 ヒーローの門出

 十月。二学期に入り、一ヶ月余りが過ぎたこの日。

 

 宋響学園は年に一度の学園祭を開催していた。

 

 未だに敷地の所々が修理中のまま始まった学園祭だが、生徒達は特に不自由を感じることなく、出し物などで大いに盛り上がっていた。

 

 もちろん、それは俺も同じだ。

 

「船越、準備はオーケーか? のど飴舐めるか?」

 

「今さらそんなもん口にしてどうすんだよ……それより、俺がいない間もちゃんと練習してたんだな」

 

「あったりまえよ! 我が宋響学園専属のスーパーヒーロー・セイントカイダーの主題歌を、俺達が手掛けようってんだからな! バンドやってる身として、手なんか抜けるわけがねぇッ!」

 

 ……そう、俺はこの日、セイントカイダーの主題歌を歌うことになっている。

 

 話が舞い込んで来たのは、バッファルダと初めて戦った時より少し前くらいの頃だ。

 

 達城がセイントカイダーの主題歌を作ろうと言い出し、「学園のヒーローなんだから、プロの歌手より生徒が歌う方が様になるでしょ?」との言い分から、彼女による学園への根回しを経て、俺がその曲のボーカルを務めることになったのだ。

 

 自分が変身するヒーローのテーマソングを自分で歌う。なんだか変な気分だった。

 

 だが、今となっては悪い気はしない。

 

 今の俺はヒーロー稼業を休業し、セイントカイダーは舞帆が引き継いでいる。

 彼女の成功を願って、ヒーローとして送り出すには最高のイベントだろう。

 

 俺も彼女に負けじと、退院してからはこの曲の練習に打ち込む傍ら、加室孤児院でひかりと一緒に働き、瑳歩郎の面倒も見ている。

 

 さらに、平中と共にヒーローズピザで宅配のバイトも始めて、セイントカイダーとして稼いでいた頃に貯めていた給料と、バイトで得たそれを瑳歩郎の養育費に注ぎ込んでいる。

 

 そうして休日にはひかりや瑳歩郎と一緒に、家族のような時間を過ごした。

 

 初めは三人だけだったが、いつしか舞帆や平中、そして仮釈放された時には狩谷も輪に入り、和気あいあいと幸せな時間を過ごしていた。

 

 ――そう、本当に平和になった。

 守れたのはこの学園からそう遠くまで行かない、決して広いスケールではない平和だけど、俺の「ヒーロー」としての果たせる責務は果たせたと思いたい。

 

 舞帆は、校長だった父の罪深さを知って、それでもくじけることなく、この学園を自分の手で守っていこうと誓い、セイントカイダーを継いだという。

 

 それなら俺は、そんな彼女の「ヒーロー」としての「旅立ち」を、見送ろうと思う。

 

 例えこれから何があっても、宋響学園を統べる桜田家の人間として、この学び舎を守っていけるように。

 

「生徒会長、本当によろしいのでしょうか!?」

 

 ふと、控室で本番を待つ俺の耳に、外からの話し声が聞こえて来る。この声……生徒会副会長だな。

 

「大丈夫、大丈夫。船越君なら何の心配もいらないよ」

 

「ですが! あの生徒は入学当初から手の付けられない問題児で有名ですよ! そんな不良が、こともあろうに、今や生徒の間では学園のシンボルとも言われているセイントカイダーの主題歌を歌うなど、僕には到底理解できません!」

 

「今の彼はそうなのかい? 少なくとも、僕は彼を信頼しているし、上の人達も彼を買っているのは間違いないんだよ。でなきゃ、セイントカイダーの主題歌を彼に歌わせるなんて提案、持ち上がって来るはずがないだろう?」

 

「し、しかし!」

 

「不安なら、なおさらしっかり見てあげようじゃないの。船越大路郎君の、生まれ変わりっぷりを、ね」

 

 笠野のその言葉を最後に会話は途絶え、やがて何も聞こえなくなった。

 

 ――大した信頼じゃないか、生徒会長さん。もっとも、俺を買ってる上の人間なんて桜田家の縁者だった達城くらいのもんだと思うけどな。

 

「……いいぜ、やってやるさ。舞帆にしこたま根性叩き直されてきたんだ、もう昔の俺じゃない」

 

 そして迎えた本番。ボーカルの俺を中心に、ギターやベース、ドラムの担当者がそれぞれのポジションにつく。

 

 体育館の幕が開くと、高校のそれとしてはかなりの広さであるにも関わらず、集まった生徒は、その全体を埋め尽くそうとする勢いだった。

 

 よく見れば、人数が多過ぎる余り体育館に入れない生徒まで、食い入るように俺達に注目している。

 

 目を凝らしてみれば、ここの生徒じゃない平中やひかり、狩谷までもが歓声とともに俺の名を叫んでいるのが見えた。

 

 その時に目頭が熱く感じたのは、きっと気のせいじゃないだろう。

 

 正直に言えば、かなり予想外な規模だろう。

 普通なら間違いなくビビる大人数だが、不思議とまったく緊張がない。

 

 ――こんなに、俺を見てくれている。こんなに、俺に期待してくれている! こんなに、信頼されている! これなら……俺はやれる!

 

 舞帆が支えてくれなきゃ、こんな景色はありえない。

 こんな景色、俺の目に映るはずがなかったんだ。

 

 俺は観衆を一瞥し、マイクを取る。

 

「俺達には、ヒーローがいる」

 

 まず発した第一声は、それだった。

 

 誰ひとり騒ぐことなく、みんなは固唾を飲んで、俺を見詰める。

 

「そのヒーローは、きっと俺達の知らないところで、学園を守るために戦い抜いてきたんだと思う。俺は、そのヒーローの『今まで』を称えて、『これから』を応援したい。そう、願ってる」

 

 ――そうだ。

 

 舞帆は不良に身を落としていた俺を毛嫌いせず、立ち直らせてくれた。

 

 彼女の尽力がなければ、今日の平和はなかったかもしれなかったんだ。

 

 彼女こそ、この学園を守り抜いた真のヒーロー。そして俺は、そんな彼女を称賛し、これからの活躍を願って鼓舞しようと思う。

 

 ……それが、セイントカイダーだった者としての、最後の大仕事!

 

 体育館ステージから見える、二階の客席。

 

 俺から見て、その中央で立つ彼女に面と向かって、俺は歌う。

 

「だから、歌おうと思う。『彼女』のこれからを信じて! ――『生裁戦士セイントカイダー』ッ!」

 

 俺の願いを込めた一言を合図に、勇壮なイントロが観衆を沸かせる。

 

 この俺、船越大路郎の戦いは終わりを告げ、セイントカイダーの戦いは新たな局面を迎える。

 

 そのために俺にできる、精一杯の激励。

 

 それを真正面から受け止めてくれた舞帆の頬を、感涙が伝う。

 

 桜田舞帆。

 

 ――俺は、君に会えて、よかった。

 

 ……だから、ありがとう。そして、これからはずっと――笑顔でいてほしい。

 

 

 その想いを歌詞に乗せて、俺は力の限り歌い続けた。

 

 それが届いたのかは、わからない。

 

 激励になったのかも、わからない。

 

 確かなのは、込み上げて来る感情が溢れ出すように涙する、舞帆の微笑が見えていた、ということだけだ。

 




 本編はこれにて完結となります。ここまで読んで頂き、ありがとうございました!
 この先は各ヒロインを掘り下げたりする番外編が中心となって行きます。ご了承ください。

 ちなみに作中に登場した「横山」「船越」「桜田」「所沢」の名前は、ドラマCDにもなったギャグマンガ日和のエピソード「ロック伝説」が由来となっており、各キャラの人柄も由来になった人物にある程度合わせたものになっています。


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番外編 栄響学園生徒会執行部
前編 難儀な副会長


 桜田舞帆と出会ってから、一年が経つ。

 今の俺は彼女に手を引かれるように「更正」と称した雑用を任されるようになっていた。

 

 廊下や窓ガラスの清掃に始まり、放課後の居残り作業や学年行事の段取りなど、ありとあらゆる仕事をこなしていく毎日。

 

 俺を真人間に戻し、学生社会に復帰させるというのがその目的だ。

 

 舞帆が持つ影響力は大きく、彼女が俺を更正させるために行動していることが知れ渡ると、周りの連中も俺の矯正について協力的になっていた。

 

 そのおかげか、一年の頃は札付きのヤンキーとしてクラスメート達からビビられていた俺も、二年に上がった今となっては、それなりに友人に恵まれるようになっていた。

 

 まだ完全に足を洗えたわけじゃないからか、未だに俺を警戒する人間も多いが、少なくとも不良になる以前の環境に近づきつつあるのは確かだった。

 

 そんな俺――宋響学園二年生の船越路郎は今、放課後の生徒会室に呼び出されていた。

 

 善良な生徒を導くための生徒会に不良の俺が呼ばれたということは、こっちにとって不利な話が来る可能性が高い。

 

 それでも俺は先導する舞帆に付き従い、生徒会室の前に立つ。

 

「なぁ舞帆、何でまた俺なんだ? 別に大した問題なんて起こしちゃいないはずだけど」

 

「私にもわからないわ……とにかく、行きましょう。みんなを待たせちゃ悪いわ」

 

 そう言ってガラッと扉を開き、舞帆は難しそうな顔で生徒会室に足を踏み入れていく。

 俺は眉をひそめて「嫌な予感しかしないなぁ」とぼやきつつ、それに続いた。

 

 そして、俺達を待ち受けていたのは――

 

「お帰りなさいませ、ご主人様!」

 

 ――メイドさんでした。

 

 いや、何を言ってるのかわからないかも知れないが、とにかくメイドだ。

 

 制服の上にそれっぽいドレスを着て、頭にカチューシャを付けている。

 

 少しブロンド色が掛かったストレートヘアで、昆虫の触覚みたいに頭の両端に小さくちょこんと伸びたツインテールが特徴の、かなりかわいい方の女の子だった。

 

 胸は――まぁ、まだ成長期を控えてる頃なんだろう。

 

 瞳は蒼いし、目鼻立ちは美術館にあるような彫刻ばりに整ってるし、なんだか日本人離れしてる美貌だよなぁ……外国人なのか?

 

「結衣、会長は?」

 

「会長なら先程から教頭先生とのお話に行かれていますよ、舞帆先輩っ」

 

 ニコッと眩しい笑顔で、結衣と呼ばれる少女が舞帆の質問に答える。

 

 結衣って……普通に日本人の名前だったな。

 それに、なんだか舞帆も慣れてる対応してるし。なんだよこれ、この学園の生徒会ってこの風景が当たり前なのか?

 

 扉を開けたらメイドさんにお出迎えされるなんて、どんなサプライズだよ!

 思わず一瞬、「入りたい」とか思っちゃっただろうが!

 

「そして……お待ちしていました、船越大路郎先輩っ!」

 

 すると、今度は俺に向かって満面の笑みを見せて来る。

 しかも、俺の手まで握って。なんだか俺のことを知ってるみたいな言い方だけど……?

 

「あ……お、おお、よろしく」

 

「彼女は一年生の地坂結衣(ちさかゆい)。生徒会の庶務を務めてるの。日本人とイギリス人の混血――いわゆるハーフってところね。オタク気質で、ちょっとズレたところのある娘だけど、とってもいい子だから――仲良くしてあげて」

 

 いきなり白くて綺麗な手に握られてドギマギしている俺に、舞帆が彼女について説明を入れてくれた。

 心なしか、なんだかその顔がむくれてる……ような気がするんだけど。

 

 その理由を考えあぐねていると、俺の手を取る地坂が突然、甘い息を吐いて頬を桃色に染め出した。

 

「ああっ、やっぱり先輩の手ってすごい! 硬くて力強くて、焼けるように熱いっ……!」

 

「いや、別に俺の手って熱くもなんともないと思うんだけど」

 

 意味のわからないことを口にしながら、荒い息遣いで俺の手を取って身もだえる彼女に、思わず首を傾げてしまう。

 この奇妙で色っぽい仕草も、ここじゃ当たり前なんだろうか?

 

 そう思ってさっきみたいに教えてもらおうと舞帆に目配せした瞬間、彼女は顔を真っ赤にして俺の顔面をストレートでぶち抜いた。

 思わず衝撃で二、三歩引き下がる。

 

「なに会ったばかりの女の子にセクハラかましてるのよっ!」

 

「ぶふぁ!? そ、そんな! 俺はなにもしちゃいない!」

 

「なんてことするんですか、舞帆先輩っ! 私の運命の人にっ!」

 

「う、運命の人ぉ!?」

 

 殴られた衝撃で脳が振動し、意識が揺らぐ。

 別に気絶するような威力でもないんだが、ショックでふらふらしてしまい、俺は舞帆と地坂の会話が聞き取れずにいた。

 

「な、な、なによ運命の人って!? いきなり初対面の男の子になにを言ってるの!?」

 

「初対面じゃありません! あたしは去年、船越先輩に救われたことがあるんです!」

 

「ええっ、そうなの!?」

 

「はい! あの時……原宿で怖い男の人達に連れていかれそうになったあたしを、船越先輩が助け出してくれたんです! 印象は今と違うけど、はっきり顔も覚えてるんですよ! あたしを助け出してくれる瞬間に握ってくれた手が、本当に痺れるように熱くて……! しかもその時、先輩が宋響学園の生徒さんだと知って――」

 

「……まさか、船越君が目当てでここに進学してきたってこと!? 今までそんなこと一度も言わなかったのに!」

 

「無論です! あたし、船越先輩に喜んでもらいたくて、男の子が大好きな『サブカルチャー』を目一杯勉強したんですよ! 船越先輩に会うまでは秘密にしておくつもりでしたけど――いかがですか舞帆先輩っ! かわいいですか!? 船越先輩もメロメロですか!?」

 

「わ、私に分かるわけないでしょ!」

 

 ……うーん、いてて。やっと耳が聞こえてきた。

 それにしても二人とも、さっきから何を激しく言い合ってんだ? ここは口喧嘩も当たり前なのかな……。

 

 すると、地坂は再び俺の手を取ったかと思うと、自分の(発育途上な)胸に押し当てて、恍惚の表情でこちらを見詰めてきた。

 

「先輩……あたしが欲しくなりませんか?」

 

 ふにふにと柔らかい感触が手の平に伝わり、危うく理性が弾けそうになる。

 うっとりした顔で上目遣いまでされたら、なおさらだ。

 

「あ、いや、その、地坂? 手をそこに当てるのはまずいんじゃないかと――」

 

「『地坂』だなんてよそよそしい呼び方は止めてくださいっ! 名前で……『結衣』って呼んでください! なんで舞帆先輩は名前で呼んで、あたしは苗字なんですか!?」

 

「わ、わかった、結衣。だからもうその辺で……」

 

「ダメです! 先輩の子を授かるまで離しません!」

 

「なにソレ!?」

 

 ちらほら男を勘違いさせるようなワードを出す彼女のトークが、ますますエスカレートしていくのが分かる。

 顔がやけに赤いし……考えにくいけど、もしかして酔っ払ってるのか?

 

「さぁ、船越先輩……まずは誓いのキスです! 舌まで入れてこねくり回すだけだから簡単ですよ!」

 

 もはやちょっとエロいなんて次元の話じゃなくなってきてる。この学園の風紀はいずこへ。

 

「まさか酔ってるんじゃないのか? 水でも飲んで横になったらどうだ」

 

「水――先輩の唾液ですか!? 欲しいです! 横になる……つまりベッドインってことですよね!? ようやく先輩もあたしと子作りする気になってくださったんですね!」

 

「……ダメだこりゃ。反動の二日酔いがすごいことになりそうだ」

 

 これ以上喋らせると、酔いから覚めた後から来る羞恥心や後悔が壮絶なものになってしまうだろう。

 

 俺は彼女の――庶務のデスクに置かれていた、口を塞ぐのに使えそうな道具を使って彼女のセクハラマシンガントークに蓋をすることにした。

 

「ん、んっん、ん〜!」

 

「ごめんな。それ以上喋ったらこの学園がいろいろな意味で無法地帯になりそうな気がしたからさ。ちょっとだけ辛抱してくれ」

 

 彼女の口に詮をするかのように収まっている穴だらけのボールがなにか引っ掛かるのだが、たぶん考えすぎだろう。

 

「貴様のような生徒がいる時点で十分に無法地帯だぞ、船越大路郎!」

 

 その時だった。俺を糾弾する険しい叫び声が生徒会室に響き渡ったかと思うと、入り口から二人の男子生徒が入ってくる。

 

 両方ともかなり体格がいいが、彼らも生徒会の人間なのか?

 

「――あら、辻木君に田町君。仕事は終わったの?」

 

 俺に構ってるせいなのか、心労でぐったりしている舞帆がかすれた声で呟いた。

 そんな彼女を前に、一人の黒い七三分け頭の男子が顔を赤らめて口を開く。

 

「は、はい! 会長はまだ帰られないようなのですが、僕達は一段落しました!」

 

 眼鏡を掛けた背の高いその男子は、はにかみながら頭を掻きむしり、彼女から視線を外す。

 よほど舞帆に話し掛けられたのが嬉しかったみたいだな。

 

 それから、彼の声はトーンこそ違えど、さっき聞いたものと同一と見て間違いない。

 どうやら、俺はこの男子に叱られてしまったらしい。

 

「なんとまぁ〜。お楽しみの最中だったかなぁ〜?」

 

 そんな眼鏡君とは対照的に、頭を茶髪に染めているチャラそうな第二の男子が、興味ありげに声を上げる。

 メイドといいチャラ男といい、この学園の生徒会はどうなってるんだ?

 

「眼鏡を掛けてる子が、一年生にして生徒会副会長の辻木隼人(つじきはやと)君。それから、あのちょっとチャラそうな子が、会計を務めてる二年の田町竜誠(たまちりゅうせい)君よ。二人とも、お仕事お疲れ様」

 

「あ、あり、ありがとうございます!」

 

「お〜、舞帆ちゃんも船越君のご指導お疲れさ〜ん。あと、チャラ男は余計だよん」

 

 俺に彼らを紹介しつつ、舞帆は二人の仲間をねぎらう。

 田町という俺達と同級生のチャラ男は飄々とした態度でにこやかに応じ、辻木と呼ばれる真面目そうな眼鏡君は顔を真っ赤にして満面の笑みを浮かべていた。

 

「君が例の船越君かぁ〜。なんだ、割りと真っ当な面構えじゃん。髪の色が赤っぽくなきゃ誰も不良だと思わないっしょ」

 

「田町君!」

 

「おおっと失礼! 『不良だった』んだよね。ごめんねぇ〜、ついつい色眼鏡で見ちゃってさぁ〜」

 

 ジロジロとなめ回すように俺を見る田町という会計さんが、思ったままの俺への評価を口にする。

 しかし、それに釘を刺す舞帆の言葉にすぐに小さくなってしまった。

 

「ご、ごめんね? 田町君って見かけの割りに頭は凄くいいんだけど、デリカシーがちょっと……」

 

「いいさ。実際、そう見る人はまだ多い。これからゆっくり信用を勝ち取るから」

 

 ――そう。一年の頃に比べればずいぶんとマシになった学園生活だが、まだ敵と見る人間は多い。

 

 あともう一年ほどは、頑張る必要があるだろう。そのための努力を、惜しむつもりはない。

 

 だからそうフォローしつつ、俺は笑って見せるのだが――

 

「ふん、どうだか。またすぐに醜い本性を爆発させるに決まっている」

 

 冷淡な口調で、辻木副会長が苦言を呈する。どうやら、俺達の溝はまだまだ深いらしい……。

 



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後編 埋まらない溝

 冷ややかな辻木副会長の一言を聞いた舞帆が、眉を吊り上げる。

 

「なんてこと言うのよ! 辻木君、彼に謝って!」

 

「舞帆先輩、僕は一度でいいから言いたかった。なぜあなたのような人が、こんなゴロツキ一匹のためにそこまで入れ込むんですか! こんな学園の規律を乱しかねないゴミ同然の狼藉者に、そこまでの価値があるとは到底思えません!」

 

「ゴ、ゴロツキですって!?」

 

 おお、舞帆の顔が、怒りの色に染まろうとしている。

 俺なんかのことでそこまで怒られたら、正直いたたまれないんだけど。

 

「えー……とだな。会長がまだ来てないうちから聞くのは無粋だとは思うんだが、俺を呼んだ用件ってのは何なんだ?」

 

 これ以上俺のことで舞帆に苦労を掛けたくはない。

 そんなわけで、俺は彼女をかばうような格好で副会長の前に立つ。

 

「貴様が船越大路郎か……ふん、姿を見るのは初めてだが、ずいぶんと間抜けな顔をしているのだな。僕の名は辻木隼人。宋響学園生徒会執行部にて、副会長を務める者だ!」

 

「いや、それはさっき聞いたから」

 

 一応の先輩に敬語を使わない上に、清々しいほどに質問をスルーしてくる彼の名乗りに対し、俺はあっけらかんとした態度で返した。

 

「なにィ!? ふ、ふん! それにしても貴様、学園一の不良だという割りには妙に小柄だな。そんな背丈では大した力もあるまい。それで周囲を恫喝している気になっていたとは、見事なお笑い種だ! 『誠意』も『力』もない貴様のような人間がこの学園にいるのだと思うと、虫ずが走る!」

 

 副会長は威風堂々とした物腰――でいる気なのか、俺より若干背が高いのをいいことに侮蔑の表情でこちらを見下している。

 

「いいんだよ別に。このちっこい体には、若さ溢れるパワーがギュギュッと詰まってんだからさ」

 

 正確には、筋肉のみが成長し過ぎてるせいで全身の骨格が圧迫されて、結果として身長が伸び悩んでるだけなんだけどね。

 

「笑わせるな! ならばそのパワーというのを見せてみろ!」

 

 言うが早いか、副会長は自分のデスクに駆け寄り、その陰に隠れていた竹刀を持ち出してきた。

 この場で俺の力を試そう、という意図なのだろうか。

 

 なるほど、確かに俺が不良な上に腕っ節まで貧弱だったら、まさにゴミ同然だろう。

 

「つ、辻木君! なに考えてるのよ、やめなさい!」

 

「いいって、舞帆は気にしなくて」

 

「で、でもっ!」

 

 うろたえる彼女を腕で制して、俺は素手のまま副会長と相対する。

 

 向こうは本気で俺を排除したいらしい。

 不良を嫌って規律を重んじる性分である上に、自分が想いを寄せている舞帆に構われてるんだから、当然か。

 

 まあ、別に俺と彼女はそんな間柄じゃないんだから誤解も甚だしいんだけど。

 

 ――それでも、気持ちだけは本物なんだ。

 なら、俺もそのくらいの心構えってものを用意しとかないと、彼に失礼だ。

 

「あれまぁ〜、辻木君も船越君も初対面早々にやる気満々なわけ?」

 

「まぁな」

 

 目を合わせずに会計さんの問いに答え、俺は副会長に視線を戻す。

 

「掛かって来るなら、いつでもどうぞ」

 

 人差し指で副会長を指し、それを自分の顔に向けてちょいちょいと振る。

 

 挑発は――いや、ゴングはそれで十分だった。

 「力試し」の始まりのものとしても、その終わりのものとしても。

 

「調子に乗るなァァァァァッ!」

 

 般若の形相で、一気に「面」の要領で竹刀を振り下ろして来る。

 

 避ける必要はない。

 

 かといって、脳天に食らってやるわけでもない。

 

「――むぅッ!」

 

 俺の短い唸り声と共に条件反射で突き上げられた、右手の拳。

 

 久々にパンチなんて打ったせいか、自分の迎撃を含めた全ての動作が、一瞬のことのように見えた。

 

 喧嘩なんて弌郎の件以来……つまり一年振りだからブランクがあるんだろう。

 

 自分のアッパーが、垂直に振られた竹刀をブチ折る瞬間も見逃すなんてな。

 

 ……俺の動体視力も、落ちぶれたもんだ。

 まぁ、見えなかったのは他の連中も同じだったみたいだし、今は別にいいか。

 

「たは〜、なんだい今のは!? おったまげたよ!」

 

「や、やっぱり船越君ってすごい……!」

 

 見物客二名の反応を一瞥し、俺は副会長の方へ向き直る。

 

「そんな……そ、そんなバカな!」

 

 自分の手に握られた、無惨に裂けた竹刀を目にしてワナワナと震えている。

 俺は僅かにに痛めた自分の右拳をさすりながら、彼に声を掛けた。

 

「俺のことが気に食わないなら、それでいい。悪いのは、お前に認められなかった俺だ」

 

「……!」

 

 俺の言葉にハッとして上げられた彼の顔は、現実を無理矢理突き付けられたせいで、ひどく歪んでいた。

 

 認めたくないのに、認めざるを得ない状況にあることへのもどかしさが、表情を通して放出されているような錯覚を覚える。

 

 まるで、昔の俺を見ているようだった。

 

 ひかりを――ひかりの幸せを奪われ、自分の存在価値を見失いかけていた、あの頃の俺を。

 

「来年でもいい。卒業式が終わるギリギリでもいい。いつか、この学園を出ていく日が来る前に、俺はお前に認めてもらいたい」

 

 それは俺個人の願いであるし、舞帆に願われたことでもあった。

 

 俺は変わりたい。そして、有り得たはずの暮らしを取り戻したい。

 

 だから、不良から完全に足を洗うために――彼にも認められたい。

 

 その気持ちに、嘘はない。あるはずがない。

 

「……ふ、ふん。なら、せいぜい『誠意』を見せるんだな」

 

「ああ。お前も見ていてくれ。そして、手伝ってほしい。俺がもう、道を間違えてしまわないように」

 

「――いいだろう」

 

 ゆっくりとへし折られた竹刀をデスクの上に置き、副会長は真っ直ぐな瞳で俺を見据える。

 

 どうやら、こいつに認めてもらうための「スタートライン」には立てたみたいだな。

 

「さて、そろそろ俺を呼んだ用件を教えてもらいたいんだが」

 

「ああ。実は――ん?」

 

 やっとこ再開した俺の質問に副会長が答えようとした瞬間、なにかを見つけた彼の表情がピタリと止まってしまった。

 

 いや、「凍り付いた」という方が表現としては正しいだろう。

 

「んっ、んっんっんー! んっんっん、んっん、んっんーッ!」

 

 カチンコチンに顔が固まってる副会長の視線の先には、口を塞がれたまま呻いている結衣の姿があった。

 

 どういうわけか、口を塞がれているだけのはずなのに、よだれが垂れ流しになっている。

 

 しかも、なんだか温泉にでも浸かっているかのような、気持ちよさげな表情を浮かべていた。

 

「あ、あれは誰が付けたんだ〜い?」

 

「俺だ。あんまりセクハラ発言が絶えなかったんで、口を封じさせて貰っていたんだ」

 

 会計さんの質問に俺が答えると、彼はどういうわけか、ものすごくギョッとした顔になってしまった。

 あれ? なんか俺、変なこと言ったか?

 

「ふ、船越君〜? あれが何なのか知ってて彼女に付けたの?」

 

「口を塞ぐのに使った、あのボールみたいなやつのことか? そういえば、見たことない道具だったな。舞帆、知ってるか?」

 

「ううん、私も。田町君は知ってるの?」

 

 舞帆は、俺と同じように首を傾げながら会計さんに問い詰める。

 そんな反応を示す俺達二人を前に、彼はため息混じりにこう答えた。

 

「あのねぇ〜、アレは男と女がイケない遊びをするのに使うものなんだよ!」

 

「な……」

 

 その簡潔過ぎる説明を聞き、今度は俺達二人の表情が凍り付く。そして、驚きを隠さず絶叫を上げた。

 

「今、あの娘は……ええと、こう言ってるみたいだね。『放置プレイ、いいっ、すごくイイ! 船越先輩、もっとあたしをいじめてぇぇ〜ん!』だってさ〜」

 

「なんで言ってることがわかるの!?」

 

「つーか『放置プレイ』ってなんだよ。そして何であいつの机にそんなモンが……」

 

 口々に質問兼ツッコミをぶつける俺達。その応対に会計さんが困り果てていることに俺が気づいた瞬間――

 

「き、貴様、船越大路郎! 『誠意』を見せるなどとほざいておきながら、舞帆先輩だけでは飽き足らず、地坂にまで手を出すとは!」

 

「いや、違うんだ副会長。これはだな――」

 

「問答無用! 貴様の望み通り、この僕の手で間違った道を修正してくれるーッ!」

 

 炎を吐くように叫び、烈火のごとく怒り狂う副会長が今度は木刀を振り上げてきた。

 ちょっと待て、いくらなんでも木刀は痛いって。

 

「そんな修正のされ方は嫌なので……逃げる!」

 

「待てェーッ! 船越大路郎、覚悟ォーッ!」

 

「ちょっと、船越君!? 辻木君も、待ってよー!」

 

「あれまぁ、みんな大変だな〜、ハハハ。面白いからいいけどね〜」

 

「んっんっんー! んっんー!(もっとあたしをいじめてー! せんぱーい!)」

 

 俺は用件を聞くことも諦めざるを得なくなり、生徒会室からダッシュで逃亡する。

 そんな俺を追う副会長を撒いた頃には、すっかり夕暮れになっていた。

 

 結局、本来ならちゃんと会うべきだった……かもしれない、生徒会長の笠野昭作には会わず仕舞いだったとさ。

 

 ちなみに、後から会計さんに聞いた話によると、生徒会が俺を呼んだ用件ってのは「結衣が俺に告白する機会を欲しがっていたから、本人を生徒会室に呼ぶことにした」ということだったらしい。

 

 はじめは「女の子から好かれてるんじゃないか」ってめちゃくちゃ喜びそうになってたけど、すぐ舞帆に「きっと『告白』といっても、『自分がイケない遊び道具を所持してることを誰かに相談したかった』ってことぐらいでしょうけどね」とジト目で釘を刺されてしまった。

 

 ……だよなぁ。

 だとしたら別に、俺じゃなくてもいいわけだ。その場合、逆になんで俺なのかが気になるところだけど、まぁどうでもいいか。

 

 やっぱり不良崩れの俺が、女の子にモテるわけないんだなぁ。……ハァ。

 



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番外編 桜田舞帆の恋路
第1話 衝撃のニュース


 十二月のクリスマスイブに、事件は起きた。

 

「ふ、ふな、船越君が結婚ッ!?」

 

 街の大通りに輝くクリスマスツリーや、まばゆい光となって辺りを包むイルミネーションに照らされた街道のど真ん中で、弟の寛矢から電話を受けとった私は人目もはばからずに叫び出した。

 

 その直後に、周りの人達が何事かと注目していることに気づいて、私は自分でもわかるくらい真っ赤になりながら、今度は小声で通話を続ける。

 しかし、電話の先にいる寛矢でさえも、詳しくはわからないという。

 

『ラーベ航空会社が特別待遇で出迎えた、剣淵財閥のご令嬢が「船越大路郎様との結婚について……」とかなんとか言っていたくらいで、僕もハッキリ話を聞いたわけじゃ――』

 

「剣淵財閥って……! 日本有数の資産家じゃない! 桜田家とは比較にならないくらいの! そんな名家と船越君に繋がりがあるっていうの!?」

 

『僕も最初は同姓同名の別人を指してるのかと思ってたよ。でも、ご令嬢が持ち込んでいた婚姻届には間違いなく船越さんの名前があったんだ。ハンコが押されてたのはご令嬢の方だけだったけど』

 

 ショックのあまり、携帯を落としそうになってしまう。

 

 ……船越君が結婚!? それも、あの剣淵財閥のご令嬢と!?

 

「ど、どうせ本当にそうだったとしても、船越君がハンコを押すわけ、な、ないでしょ!? だって、彼は――」

 

 婚姻なんて否定したい。否定したくてそんなことを口にしたけど、途中で言葉が詰まってしまう。

 

 ――本当にそうだとして、押すかどうかを決めるのは彼だ。私じゃない。

 

 いくら私が彼を好いているからといって、彼もそうだとは限らない。

 誰にだってかいがいしく接する今の彼なら、ご令嬢の気持ち次第じゃ本当に……。

 

『船越さん、お母さんが心配だから早く稼げる職に就いて、楽させてやりたいって言っていたし……剣淵財閥と関わりを持ったとしたら、その望みは必要以上に叶うだろうね』

 

 聞きたくもない事実を、航空会社で働くエリートの弟は容赦なく突き付けて来る。

 

 実際、船越君の家は決して裕福とは言えない。

 平中さんと一緒に続けているバイトのお金だって、本当はお母さんに使いたいはず。

 

 だれもかれも助けようとあちこち駆けずり回って、自分の首を絞めつづけている。

 

 ……私は卑怯だ。自分が桜田家っていう名家の人間だということを利用して、「逆玉の輿」を誘おうとしていた。

 

 もちろん、そんなことで靡く彼じゃないけれど、お金に困っているのは知っていたし、いざとなれば私が助ける気でいた。

 

 そうすれば、きっと彼も振り向いてくれる。私を必要としてくれる。そう信じて――いや、願っていた。

 

 だけど、例の話が本当だとしたら、そんな「卑怯」な手段すら失ってしまう。正直なところ、私には何の魅力もない。

 

 平中さんみたいに、素直に好意を表せるわけじゃない。結衣みたいに、エ、エッチな迫り方ができるわけでもない。

 

 文倉さんには、船越君の初恋相手って時点で試合前から完敗状態だし、狩谷鋭美に至っては船越君の唇まで奪われてしまっている。

 

 私はラーカッサやバッファルダの事件が解決して落ち着いた後、お母さんから戦いの全貌を聞いていた。

 

 平中さんは自分のバイクでセイサイラーのない船越君を私のところまで送り届けてあげていた。

 

 文倉さんは、望まない命だったはずの瑳歩郎君を、船越君を元気付けるために産んで連れて来て、彼を励ました。

 

 ……私は、何をした?

 

 船越君を守るため、彼のためだと信じて、ラーカッサに立ち向かって――無様に敗れた。

 

 生裁重装の鎧を傷付けてセイサイラーをボロボロにして、後から駆け付けた船越君の足を引っ張る結果を招いた。

 

 なんで、私なんかがセイントカイダーに選ばれる予定だったんだろう? 度々、そう思う。

 

 何の役にも立たなかったばかりか、愛する人の足を引っ張るだけで終わった私を彼が受け入れてくれたのは、奇跡としか言いようがない。

 

 出会えたのが船越君でなければ、私なんてとっくに捨てられていた。

 

 だからこそ彼が愛しい。

 彼の支えになりたい。

 そんな私が唯一持てるアドバンテージは、「桜田家」という家名だけだった。

 

 優しさなんて微塵もない。いつも女の子に群がられる彼に嫉妬して、素っ気ない振りをするばかり。

 

 そんな私を、彼が好きになるはずがない。嫌われないだけでも、神様に感謝したいくらいよね。

 

 それでも、船越君が頼れるのは私しかいないって思ってた。けど、それは桜田家の持つ「財力」という後ろ盾があってこその考えだった。

 

 剣淵財閥のご令嬢の話を聞いて、私はようやくそれに気づいた。気づいてしまった。

 

 ――私は、船越君の隣にいられる器じゃなかったんだ。

 

「……そうよね。船越君、すごく喜ぶんじゃないかしら? 私なんかどうでもよくなるくらい、魅力的な人なんでしょうね」

 

 自分自身でも信じられなくなるくらい、ドスの効いた低い声だった。

 

『ね、姉さん?』

 

「ごめん。もう切るね、寛矢」

 

 聞かれたくない。私の、啜り泣く声は。

 

 一方的に電話を切る私。最低、本当に最低よ。

 

 船越君にあげるクリスマスプレゼントを探しに街まで繰り出していた私の頬を、温かい何かが伝う。

 

 違う、これは涙なんかじゃない。

 私みたいな女が、涙ぐんだってみっともないだけじゃない!

 船越君、きっと今の私を見たら、「面倒な女だな」って思うよね……。

 

 そうよね、だって、私は――

 

「卑怯でずる賢くて、お金しか後ろ盾がない――疫病神なんだから」

 

 独り言でそう呟いた途端、私はボロボロと流れる感情の渦を抑えようと目をつむり、前も見ずに駆け出していく。

 

 前を見るのが、怖くて仕方がないから。今の自分を、誰かが見ていると思いたくないから。

 

 しかし、そのささやか願いさえも、あっという間に打ち砕かれてしまう。それも、是が非でも見られたくなかった人に。

 

「うおっ! とと……舞帆?」

 

「えっ――あっ……!」

 

 嘘でしょ……? なんで、なんでよりにもよって……!

 

「どうしたんだ? お腹でも空いたのか?」

 

 涙でくしゃくしゃになった私の顔を見て、心配そうな表情になった彼は、真面目な顔でおバカな言葉を投げ掛けて来る。

 

 私は恥ずかしくて消えてしまいたくて、彼と顔を合わせることができなかった。

 目を伏せて、ただ両手で涙を拭おうとすることしかできない。

 

 我ながら、まるでおもちゃを取られた子供みたい。

 

「……よくわかんないけど、ほら、こっちおいで」

 

 いつものように困った笑顔を浮かべる彼は、私の手を引いて最寄のベンチに腰掛ける。

 その右隣に座る私の頭を、子供をあやすようにそっと撫でた。

 

「ハンカチならあるし、好きなだけ泣くといい。なんかあったんだろ? 無理に聞く気なんてないけど」

 

「うぐ、ひぐっ……!」

 

「――『泣く』って、いいよな。壊れそうになる心を、守ってくれるんだからさ」

 

 どこか遠いところを眺めているような彼の目を見れば、その視線の先に誰がいるのかがすぐにわかる。

 きっと、かつての彼自身を見ているのね。

 

 お母さんから聞いてる。

 みんなからの激励を貰った彼は、一時ひどく泣いたらしい。

 

 彼の泣く姿なんて見たことも想像したこともなかった私にとって、その話は衝撃的だった。

 

 そんなことがあったからこそ、彼は「泣く」ことを肯定するんだと思う。泣くことで、どれほど気持ちが楽になるのかをよく知っているから。

 

「大路郎様。そちらの方は?」

 

 その時だった。私の隣に座る船越君の前に、同い年くらいの女の子が現れたのは。

 



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第2話 女の闘い

 ――その「女の子」というよりは、「女の人」という印象が強い彼女は、凛とした瞳やスラッとした長身を持ち、大人びた印象を与えている。

 

 さらに天の川のように流れる綺麗な黒髪を、着物に似合いそうな髪型に纏めていた。なんというか、「和風美人」という言葉がすごく似合う人だ。

 きっと着物を着たら、誰も敵わないだろう。

 

 それに、今はコートで隠れているけれど、厚着の下から盛り上がっている膨らみを見る限り、すごくスタイルもいいに違いない。

 

 船越君を「大路郎様」なんて呼んでるし、もしかしてこの人が……?

 

「おう、美姫。この娘は桜田舞帆。さっき話しただろ? 俺の大恩人だよ」

 

「あら、そうでしたの。はじめまして、わたくしは剣淵財閥令嬢――剣淵美姫(けんぶちみき)と申します。どうぞお見知り置きを」

 

「あっ……はい。桜田舞帆です。よろしくお願いします」

 

 丁寧で、礼儀正しい立ち振る舞いに思わずたじろいでしまう。

 やっぱり、この人が剣淵財閥のご令嬢で間違いないみたい。

 

 急に今の自分が泣いていることが恥ずかしくなり、慌てて船越君から貰ったハンカチで涙を拭う。

 

「美姫とはさっき近くで会ってさ。一緒にクリスマスプレゼントでも探そうってことになってたんだ」

 

「大路郎様が選んでくださるなら、どのような物でも喜んでお受け取りしますわ」

 

 ……船越君に結婚を迫る恋敵だなんて警戒しちゃうのが恥ずかしいくらい、彼女は穏やかな雰囲気を持っていて、「大人」の雰囲気が出ていた。

 

 「年上の女房は、金のわらじを履いてでも探せ」なんて言葉もあるくらいだし、きっと船越君もこんな大人な女性が――

 

「しかし大路郎様。桜田様だけが頭を撫でてもらうというのは、その……いささか不公平と――存じますが」

 

 ――と思いきや、彼女は突然年相応の反応を見せてきた。

 

 細く綺麗な指を絡ませながら、頬を染めてもじもじとしている。なによ、なんなのよこのギャップは。

 

「なんだよ。じゃあお前も来ればいいだろ」

 

 船越君は友達のような感覚で彼女を手招きすると、うっとりした顔で彼の左隣に座る彼女の頭をゆっくりと撫でた。

 

 ものすごく幸せって顔してる! さっきまでの大人びた印象はどこへ!?

 

「むぅ、わたくしより先に頭を撫でていただけるとは、桜田様は手強いのですね」

 

「えぇ!?」

 

 ぷぅっと頬を膨らませる姿は、同一人物とすら思えないほどの愛らしさを放っている。

 

「しかし、わたくしとて一人の乙女。殿方を勝ち取るための戦に敗れるわけには参りませぬ!」

 

 醜い嫉妬を内心に秘めていた私とは違い、ご令嬢――剣淵さんはかなり真正直にヤキモチを焼いている。

 

 一つのベンチで男一人を女二人で挟み込んでいる様子は、周囲の視線を集めた。

 それもそのはず、なにせ剣淵さんはギャラリーの男性陣が揃って顔を赤くするほどの超美人。

 

 彼女の美貌に何人もの通行人が振り返る様が、容易に想像できる。

 

 ……でも、なんだかホッとした。

 

 こういう人となら、遠慮しないで張り合えそう。私だって、船越君が大好きなんだから!

 

「ところで剣淵さん、さっきから船越君のこと『大路郎様』なんて呼び方してるけど、いつからの知り合いなの?」

 

「路郎様には小学校の頃からお慕い申し上げておりました。他人とは違う立場故に誰も寄り付かないわたくしのために、ただ一人の友達となってくださったのです!」

 

 なるほど、船越君らしいな。

 不良になる前の彼を知ってる彼女や平中さん、文倉さんが羨ましい。

 剣淵さんは子供のような笑顔で、ギューッと船越君の左腕を抱きしめた。

 

「大路郎様とは、いわば『幼なじみ』なのです。小学三年生に上がる頃、父の都合で海外で暮らしてきましたが、ついさきほど国際便で帰国したのですよ」

 

「まだ時差ボケがあるだろうに。全く、無茶する奴だな」

 

「あなた様のためならば、時間など些細な問題ですわ」

 

「へいへい」

 

 船越君はこんな絶世の美女に抱き着かれてるのに、顔色一つ変えていない。

 それほど、彼女との付き合いに慣れているんだろう。

 

 剣淵さんを見る彼の目は、一人の女性としてより、年の近い妹を見ているような感じだった(船越君の方が小さいことを考えると、むしろ彼が『弟』のように見えるけど)。

 

「ようやく待ちに待った時が来たのです。いずれは、大路郎様のお母様にもご挨拶に参りませぬと!」

 

「ははは、結婚の申し込みでもする気か? お前、昔そんな話ばっかりしてたもんなぁ」

 

「はうぅっ!?」

 

 「待ちに待った」……というのは、船越君が結婚できる年齢に達していることを指してるんだと思う。

 

 それにしても、船越君の冗談めいた笑い方が気にかかる。もしかして、結婚の話を知らない?

 

 気になった私は、顔を紅潮させてうろたえている剣淵さんに詰め寄り、間に挟まれている船越君に話が聞こえないようにそっと耳打ちする。

 

「剣淵さん、あなたが船越君に結婚を申し込みに来た――って話を聞いてたんだけど、本人には何も言ってないの?」

 

「あうぅ、情けない話ですけれど……大路郎様には恥ずかしくてまだなにも……」

 

「あちゃー、やっぱり? 船越君は鈍いから、よっぽどアピールしないと気づかないと思うわよ」

 

「で、でも! 明日に我が剣淵財閥が主催するクリスマスパーティーにお誘いする予定ですから! その時に改めて、想いを伝えて婚姻届に判を……って、キャー!」

 

 小声での会話からこぼれ出た自分の計画に勝手に赤面し、剣淵さんは何の事情も知らない船越君を照れ隠しで張り飛ばしてしまう。

 

 「ぼふぅぇあ!?」と間抜けな悲鳴を上げてベンチから転げ落ちる彼が、どこか微笑ましい。

 

 全く、罪作りよね、この人。人の気持ちなんてこれっぽっちも考えずに、誰かを助けて真人間に戻ろうとすることだけ頭に入れてる。

 こんな素敵な女の人に愛されてるのに、意識もしないなんて。

 

 ……それとも「幼なじみ」っていうのは、そんな想いにも気づかなくなるくらいに親しい間柄ってことなのかな。だとしたら、ちょっと疎外感。

 

「コホン……さて。その前にわたくしには成さねばならぬことがあります」

 

「成さねばならぬ――こと?」

 

 一度咳ばらいをした瞬間、彼女の凛々しい表情がより一層真剣なものになる。

 そこから感じる『気迫』のようなものに、思わず私は息を呑む。

 

「はい。大路郎様の通われている『宋響学園』。その象徴的戦士にしてスーパーヒーローである『生裁戦士セイントカイダー』と対戦し、勝利することです!」

 

 刹那、私とベンチから転落している船越君に衝撃が走る。

 

 セイントカイダーと戦いたい、ということは……!?

 

「なっ……本気か、美姫!」

 

「け、剣淵さん!? もしかしてあなた、ヒーローライセンスを!?」

 

 意外と言えば、あまりにも意外だ。

 まさか、この(恋愛ごとを除けば)慎ましい佇まいが特徴の彼女が、ヒーローを務めているなんて!

 

 船越君は剣淵さんがヒーローであることは知ってるみたいだし、驚いているのは現時点でセイントカイダーに変身する資格を保持している、私の「経験不足」を案じてのことだと思う。

 

 剣淵さんは得意げな顔で懐に手を忍ばせると、そこから一枚のライセンスカードを取り出してきた。

 

 カードには確かに彼女の名前と顔写真があり、ヒーローランクは「A」に達している。

 

「我が剣淵財閥が経営している、数ある企業や施設の内の一つ『剣淵水族館』。その専属ヒーロー『ドルフィレア』に変身するわたくしが、セイントカイダーとやらのお相手を致すのですわ」

 

「きゅ、急過ぎるわよ! そんな話、私は全然聞いてない!」

 

「あら? とすると、あなたが?」

 

 ハッと驚いた顔をする剣淵さんのあっけらかんとした態度に、わずかながら苛立ちを覚えた私は、上着のポケットから引き抜いたライセンスカードをズイッと彼女に見せ付けた。

 

「そ、そうよ! Aランクのヒーロー『生裁戦士セイントカイダー』こと桜田舞帆よ!」

 

「これは奇遇でしたね。まさか、わたくしが絶対に戦うべき相手が恋敵でもあったなんて」

 

「な! ち、違うわよ! 私は別にそんな……こと、なくもない……っていうか、今はそこじゃないッ! セイントカイダーに挑まなきゃいけない理由ってなんなのよ!」

 

 これ以上恋愛話をされると、こんなタイミングで船越君に私の気持ちが気づかれちゃう!

 私は顔をトマトみたいに真っ赤にしながら、必死に話題を真面目な方向に戻す。

 

「簡単なことですわ。大路郎様に、わたくしのことを知っていただくためです」

 

 戦いを望む理由を語る彼女の瞳は、絶対に曲げられない「信念」の色を映し出していた。

 

「……この長い間、わたくしは海外で必死に勉強し、スポーツにも励みました。全ては、初めてわたくしと言葉を交わしてくださった殿方に、釣り合う女となるため。その成果を試し、そして立証するためには、大路郎様の身近にある『強さの象徴』を打ち破る必要があると考えたのです。強さを証明するには、強い者に打ち勝つことが大切ですから」

 

「それで、日本に帰ってきたわけか?」

 

 船越君は唖然とした表情で剣淵さんの顔を伺う。

 全くドギマギしている様子がないところを見ると、どうやら「釣り合う女」という言葉を「釣り合う友達」かなにかと曲解しているみたい。

 

 ここまで言われて気づかないのは、もはやお約束みたいなものね。

 

「そうですわ。ですから、わたくしは挑まなければなりません。大路郎様に近しい『強さの象徴』――すなわち、『セイントカイダー』に!」

 

「……はー、参ったなぁ。美姫は一度走り出すと止まんないんだから」

 

 拳を握りしめ、クリスマスイブの寒さなんて吹き飛ばしそうなほどの熱いオーラを放つ彼女の威圧感を前に、船越君はやれやれと手を振る。

 

「舞帆。ご指名みたいだけど、どうする? 『ドルフィレア』といえば、将来的にSランクへの昇進も期待されてるホープだ。無理に戦わなくても俺が頼んでお開きにしてもらえば――」

 

「そうはいかないわ。その挑戦、受けて立つ!」

 

「……こっちも何か火が付きだした……」

 

 負けじと威勢よく宣戦布告に応じる私を見て、船越君が「やってしまった」という顔になる。

 

 どうやら彼は、私にこういう勝負事には執着しがちな一面があることを忘れていたらしい。

 

「その言葉をお待ちしておりました、桜田様。後日の正午、『剣淵水族館』にて雌雄を決すると致しましょう」

 

「望むところだわ!」

 

 お互いベンチから立ち上がると、正々堂々勝負することを誓って、握手を交わす。

 

 絶対に負けられない。船越君は私のものなんだから!

 彼のことが好きって気持ちだけなら、私だって絶対に負けない!

 

 船越君に代わってセイントカイダーになってからまだ二ヶ月しか経ってないけど……それでも、この決闘だけは逃げるわけにはいかないんだから!

 



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第3話 激突する恋心

 ――そして、そんなやり取りの翌日。

 

 蒼く澄み渡る空を見上げる私は、セイントカイダーの「生裁軽装」に直接変身できるブレスレットを持って、剣淵水族館に訪れていた。

 

 まさか水族館の中にセイサイラーを運び込むわけにはいかないし、そもそも私の身体には「生裁重装」の鎧は重すぎる。

 

 だから、私の「セイントカイダー」としての戦闘スタイルは生裁軽装のみに絞られることになったわけ。

 

 もちろん、扱いはこの二ヶ月間でみっちり学んだ。光線銃「セイトバスター」に、長剣「セイトサーベル」。武器は二つだけだけど、きっとやれるはず!

 

 生裁重装の鎧を軽々と使いこなす船越君に比べればパワー不足は否めないけど、それでも私には「女の意地」があるんだから!

 

 それに、このセイントカイダーの変身システムは、元を正せば私のために作られたもの。

 

 「本来の使い手」の私が「代打」だった船越君に劣りなんかしたら、いい恥さらしよねっ!

 

「そういえば……私がセイントカイダーを継いでから、変身が必要になるトラブルなんて起きなかったから、ラーカッサの一件以来の実戦ってことになるのよね」

 

 ふと気づいた、新たなる事実。

 この「決闘」が、船越君から正式にセイントカイダーを継いだ私の初陣となるのね。

 

 公には、私が始めからセイントカイダーに変身していたことになってるけど、実際には私は「二代目」。

 

 もう二度と、戦いのことで船越君を心配させないためにも、私が「セイントカイダー」としてしっかりしないと!

 

 ラーカッサとの戦いの時は……うう、思い出したくもない!

 まさか生裁重装の鎧をメタメタに切り刻まれて変身を強制解除された上に、身ぐるみまで剥がされるなんて!

 

 おかげで船越君に裸まで見られちゃったじゃないのっ!

 

 船越君のお兄さんにさらわれた時には半裸まで見られたし……もう、最っ低!

 

 ――ま、まさか剣淵さん、私が決闘に負けたら生裁軽装の戦闘服をひんむいたりしないでしょうね!?

 

 じょ、冗談じゃないわよ!

 ただでさえボディラインが出やすいせいで、日頃から船越君にやらしい目で見られてるんだから!

 

 ぜ、ぜ、絶対に負けられない! 女の子のプライドに賭けてっ!

 

「よう舞帆! 応援に来たぜ!」

 

「ひゃあああっ!?」

 

 このタイミングで後ろから急に声を掛けられたせいで、私はヒステリックな悲鳴を上げてしまった。

 ああ、船越君! そんな鳩が豆鉄砲食らったような顔しないで!

 

「び、びっくりした……どうしたんだよ。緊張してんのか?」

 

「そ、そ、そんなわけ、なな、ないじゃない!」

 

 どこからどう見ても、緊張してるようにしか見えない。

 それは私自身もわかっていることだったけど、取り繕う余裕もなかった。

 

 ――ダメダメ、「負けたらストリップさせられるかも」なんて考えてたことがばれたら、変態扱いされちゃう! 船越君じゃあるまいし!

 

「あ、もしかしてお前……!?」

 

「ぎっくぅ! ち、違うの船越君! 私はただ……!」

 

「トイレ行きたいの?」

 

 ――気がつけば私は彼を殴り倒していて、その頃には何を悩んでいたのかも忘れていた。

 

 ズンズンと威勢よく、水族館の中へと踏み込んで行く。

 

 ……その言葉のおかげであなたの詮索をごまかすことがバカバカしくなったわ。

 当分そこで反省してなさい! 変態以前の問題よ、全くっ!

 

「あら、大路郎。一人で応援に来たつもりだったんだけど、先客がいたみたいね」

 

「達城ィ。あ、ありのまま今起こったことを話すぜ。俺が舞帆にかくかくしかじか……」

 

 後ろからお母さんの声が聞こえて来る。お母さんも応援に来てくれたんだ……嬉しいな。

 でも、船越君が地雷を踏もうとしてるから話をするのは後にしよう。

 

「『生裁戦士セイントカイダー』こと、桜田舞帆様ですね? 控室にどうぞ」

 

「は、はいっ!」

 

 建物の中に入ったところで出迎えてくれた水族館の事務員さんが、私が待機する部屋を用意してくれてるみたい。

 少し初老って感じの、気の良さそうなおじさんね。

 

 事情を聞いたお母さんが船越君にゲンコツをかます音を背にして、私は事務員さんについていった。

 

 船越君には、決闘が終わったらデリカシーってものを叩き込んであげなきゃダメね。

 あの人ったら、ホントに学習しないんだから。

 

 ……ホントに、わかってくれるのかな?

 

 施設内は暖房が効いていて、かなり暖かい。これなら、薄着でも寒くなさそうね。

 

 やがて案内された控室で指定されたコスチュームに着替え、準備を整えた私は事務員さんに促されて、決闘のリングとなる場所に案内された。

 

「こちらで、対戦していただくことになります」

 

「ここは……!」

 

 円形の広いステージを、巨大な室内プールが包囲している。

 

 入口前に来たときから思ってたことだけど、この剣淵水族館……なにもかもが、とにかく大きい。

 

 施設の広さも、水槽のサイズも、扱っているイルカやクジラの体長も、普通の水族館とは比べものにならない。

 

 事務員さんの話によると、この決闘場は元々室内イルカショー用だったプールを今日のためだけに改修して、決闘の舞台にしたものらしい。

 

 恋敵と戦うためにここまでする剣淵さんの執念に、思わず腰が抜けそうになってしまう。

 

 だけど、退くわけにはいかない。同じ男の子を好きになってしまった者同士、手加減は無用よ!

 

「それにしても……この格好、季節外れにもほどがあるわよっ! ていうか、恥ずかしいっ!」

 

 ――と、行きたいところなんだけど、ちょっと問題発生中。

 

 この決闘に参加する際に渡されたコスチューム……それは、白いレオタード状の水着だったわけ。

 身体にピッチリと密着してて、正直恥ずかしさで顔から火が出そう。

 

 幸い、公式な対外試合のようなものとは違うためか、プールよりさらに向こうの客席にいるギャラリーは(タンコブが二つ出来てる)船越君とお母さん、それから剣淵財閥の関係者が数人、ってくらいだけど……やっぱりいやぁー!

 

「どうせ変身したら関係ないでしょうけど……いくらステージがプールに囲まれてるからって、こんなピチピチの水着なんか着せなくたっていいじゃないのよぉー!」

 

「あら、もったいないことをおっしゃいますのね。お似合いですのに」

 

「ほっといて! ――って、え?」

 

 ――今、剣淵さんの声が!? い、一体どこに!?

 

「こちらですわ!」

 

「……ッ!?」

 

 私の心を読んだかのような台詞を口にして、剣淵さんが姿を現した。

 

 ――プールの中から、イルカの背に乗って。

 

「ハッ!」

 

 凛とした掛け声と共に、彼女は自分を乗せていたイルカから跳び上がり、さっそうと私の目の前に着地する。

 水着姿でも、あの髪の纏め方は相変わらずだった。

 

 紺色のビキニを着る彼女の双丘が、地に足を着ける瞬間に上下に揺れた。

 

 うう、予想はしてたけど……やっぱり私なんかじゃ歯が立たないよ。スタイルでは。

 

「いかがです? わたくしの華麗なる参上。専属ヒーローとしての演出効果には自信がありましてよ」

 

「ふ、ふんだ! これからは実戦勝負よ! そんな見せ掛けは通用しないんだから!」

 

 ……と、実戦経験が一回しかない私が言ってみる。

 

 向こうは私の虚勢には何の気後れも見せず、「その通りですわ」と真剣な表情になった。

 

「わたくし、この勝負だけは手が抜けませんの。大路郎様からあなたの話をお聞きした以上、なおさら……」

 

「船越君から私の何を聞いたのかは知らないけど――負けられないのは、こっちも同じよ!」

 

 船越君が私のことを剣淵さんにどう話したのかは気になるところだけど、今は勝負に集中したい。

 

 私は変身ブレスレットを腕に装着し、それにあるスイッチを指で弾いて入力した。

 

「セイントッ……カイダァアァアッ!」

 

 あの人を思い起こすように叫ぶ私の体が、白い戦闘服に包まれる。薄地であるという点は防御の面で不安が残るが、両腰にあるセイトバスターとセイトサーベルが、その心強さで不安感を調和してくれている。

 

「では、わたくしも参ります」

 

 変身を完了させ、戦闘準備を整えた私を前にして、剣淵さんは余裕の表情で左腕を天井に向けて掲げて見せた。

 

「ウェイブアップ! ドルフィレアッ!」

 

 室内プール全体に、彼女の澄んだ声が響き渡り、左手の指をパチンと鳴らす音が聞こえた。

 

 すると、さっき彼女をステージまで運んで来ていたイルカが、急に空中に飛び出してきた!

 

「えっ!?」

 

 思わず目を見開き、驚愕の声を上げてしまう。

 後ろの方からも同じような叫びが聞こえたことから、船越君やお母さんも驚いていることがわかる。

 

 そのまま水しぶきを上げて宙を舞うイルカは、なんとその場でプロテクターに変形を開始した! どうやら、あのイルカは人工のものらしい。

 

 さらに、剣淵さんの真上まできた人工イルカ……が変形したプロテクターは、いきなり大量の水を螺旋状に噴き出して、真下にいる彼女の身体を渦潮のようなもので包み込んでしまう。

 

 やがてプロテクターが水の螺旋に包まれている剣淵さんの頭上に降下し、彼女は次々と、全身に武骨なパーツを纏って行った。

 

 澄み切ったハワイアンブルーの色を持つ鋼鉄プロテクターには、イルカを思わせる意匠が伺える。

 

 その出で立ちは、Sランクヒーローへの昇格が期待されているという噂に恥じない、荘厳なものだった。

 

「お待たせしましたわ、桜田様。『剣淵水族館』専属コマーシャル・ヒーロー『ドルフィレア』……遅ればせながら、ただいま参上致しました」

 

「――いいでしょう。腕が鳴るわ」

 

 「ドルフィレア」――武骨な鎧を着込んでいるようで、ところどころ覗いている太ももに腋、谷間や鎖骨がなまめかしい……うう、なんで変身後までこんな劣等感を味あわなきゃいけないわけっ!?

 

「では、これより試合を開始します! ルールは時間無制限! 加えて、どちらか一方の変身が解かれた段階で、試合終了とします!」

 

 すると、私をここまで案内してくれていた事務員さんが試合のルールを説明してくれた。

 どうやら、この人が審判を務めているらしい。

 

「では、始めっ!」

 

 事務員さん――もとい審判さんがそう叫んだと同時に、私はキッと剣淵さんを見据えて、腰のホルスターに手を伸ばす!

 

「先手必勝! セイトバスターッ!」

 

 私に引き抜かれた光線銃が放つ赤い閃光が、試合開始と同時に剣淵さん――いや、ドルフィレアを狙う。

 

 威力の程は船越君と狩谷鋭美との戦いで実証済みよ! まともに食らえば、あんな装甲イチコロ――

 

「気がお早いのですね……プールサイドで慌てられるのは、とても危険ですのよ」

 

「な――ッ!?」

 

 ――の、はずだったのに。

 

 セイトバスターの光線攻撃。ドルフィレアの装甲は、それを受けても傷一つ付いていなかった。

 

 あのラーカッサにも痛手を与えられる銃なのに……無傷!?

 

「この『ドルフィレア』は、我が剣淵財閥の要する技術力の集大成とされる、最新鋭式可変プロテクターです。そのようなか細い光線を通すほど、安い仕上がりでは――なくってよ!」

 

 ショックを受けている場合じゃない。今度はドルフィレアの方が仕掛けてきた! 両足の裏から噴き出す水圧ジェットを使い、こっちに猛接近してくる!

 

「くっ――セイトサーベルッ!」

 

 光線銃が効かないとわかった以上、剣で迎え撃つしかない。

 私は腰から新たにセイトサーベルを引き抜き、猛然と迫るドルフィレアに真っ向から立ち向かう。

 

「ダメだ! 避けろ、舞帆ッ!」

 

 その時、船越君がそう叫ばなければ、私は間違いなくそうしていた。そして、一瞬で彼女に潰されていただろう。

 

 私が剣を抜いて、正面から挑み掛かろうとした瞬間に、ドルフィレアが急激にスピードを上げてきたのだ。

 

 目にも留まらぬ――というどころか、何が起きたのかすら、すぐにはわからないほどのスピードで。

 

 船越君の呼び掛けを聞いて、私は初めてドルフィレアが水圧ジェットの勢いを高めようとしていることと、それによる殺気に気づくことができた。

 おかげですぐさま横に飛びのき、難を逃れられた。

 

 もし私が船越君の忠告を無視して、がむしゃらに突進していたなら……今頃はドルフィレアの助走付きパンチに潰されて気を失い、意識が戻ったとしたら、病院のベッドの上――だっただろう。

 

 ……あ、危なかった。ドルフィレアの水圧ジェットによる加速を乗せたパンチが、ほんの数秒前まで私が立っていた場所に亀裂を入れている光景を見ていると、ホントにそう思える。

 

「――大路郎様に救われましたわね、桜田様。なぜ、外野におられるあのお方に気づけることに、現場で戦っていらっしゃるあなたが気づけないのでしょうか?」

 

「そ、それはっ……!」

 

 船越君の方が、実戦経験が多いから。そう言い訳をするのは簡単だった。

 

 でも、そんなことをすれば私のためにセイントカイダーとして戦い、その跡を継ぐ私のために主題歌まで歌って鼓舞してくれた彼の尽力を、水の泡にしてしまう。

 

 それだけは……それだけはできない。

 

「……あなた様のことは、大路郎様からお話を伺った時から意識しておりましたのよ」

 

 ふと、ドルフィレアが試合前の時の話を持ち出してきた。一体、どういうつもりなのだろうか?

 

「先日、街中で大路郎様との再会を果たした時、わたくしは大層驚きましたわ。そして、髪を染められ、変わり果ててしまわれた彼の姿に心を痛めたものです。あなた様がどうして、と」

 

「……!」

 

 ――そう、船越君は本当は見た目のような悪い人なんかじゃない。

 それは、ドルフィレアの言う通り。不良時代の彼と向き合って、私は初めてその事実を掴んだ。

 

 でも、彼女は違う。

 

 彼女は初めから、船越君のいい所をちゃんと知っていた。きっと、今の私でも知らないような所まで。

 

 そんな彼女が、船越君の今の姿を見たら――悲しむのは、明らか。

 

 不良なのは、見た目に名残があるくらい。だけど、それでも本来不良なんかとは無縁なはずだった彼の髪を見れば、変わってしまったことに胸を痛めるのは必至なのね。

 

「その後、大路郎様からあなたのことをお聞きしたのです。あなたがどれほど、あのお方の支えになられていたのかを」

 

「船越君が、そんなことを……?」

 

「ええ。だからこそ、わたくしはあなたの尽力を尊敬し、大路郎様に尽くす女として負けられない、という気持ちにさせられてしまったのです」

 

 そこで一度言葉を切ったかと思えば、今度は右腕に装備された、キャノン砲のように巨大な銃口を向けて来る。明確な敵意の込められた視線と共に。

 

「――しかし、当のあなたは戦闘中に外部の言葉に流され、それを鵜呑みにすることしかできない軟弱な態度を見せた。それは、あなたをライバルとして見ていたわたくしにとっては、耐え難い侮辱と取れます」

 

 そのドルフィレアの言葉に、私は何も言い返せなかった。トレーナーでもないただの観客の言いなりに行動するヒーローなんて、確かに軟弱者に他ならない。

 

「あなたは心のどこかで――『いざとなったら、いつでも彼が助けてくれる』などと思っているのではないですか? わたくしと同じAランクヒーローにもなって、まだ人に依存しなければ自らの道を歩めないのですか?」

 

「そ、それはっ!」

 

「少なくとも、わたくしは違いますわ。あのお方のためならば、例え一人でも戦いましょう。わたくしは、大路郎様に心配を掛けてしまわれるようなことは致しません。真に彼を愛するならば、そのような心配は無用です! 身を案じられるようでは、『信頼』が足りない証拠ッ!」

 

 叱り付けるような口調と共に、銃口から猛烈な勢いで水が飛び出してきた!

 

 私はハッとしてその場から思い切り跳び上がり、空中でフワッと一回転しつつ着地する。

 

 よく前を見てみれば、発射された水が床に一筋の切れ目を入れているのがわかる。

 

 ――まさか、水圧カッター!? まともに食らったら、ひとたまりもないっ!

 

「あなたは確かに大路郎様の助けになった……しかし、あなたはそれ以上にあのお方に助けを求めているのでは? あのお方に甘えているのでは?」

 

「……で、でも、私は今まで船越君のためにっ!」

 

「だから大路郎様をものにしたいと? 今となってはあのお方に頼るしかないあなたが?」

 

「――ッ!」

 

 何か反論してやろう。

 

 そう思って口を開いても、思うように言葉が出なかった。いや、出せない。

 

 私が船越君に甘えてばかりだったのは、逃れようのない――事実なんだから。

 

 心配そうに唇を噛み締めて、私を見守る船越君の方を見た途端、ドルフィレアの言葉が胸に突き刺さる。

 

『あのお方に甘えているのでは?』

 

『大路郎様をものにしたいと?』

 

『あのお方に頼るしかないあなたが?』

 

 ……わ、私は! ただ船越君が好きだから、彼のために頑張ろうって――

 

「大路郎様に心配を掛けることしかできない――そのような方に、わたくしは負けませんッ!」

 

 ――必死に言い訳を考えている私の思考を消し飛ばすように、ドルフィレアは水圧カッターを放つ。

 

「うッ!」

 

 私は意識を現実まで取り戻すと、とっさに身をかわしてセイトサーベルを構える。

 

 しかしその頃には、ドルフィレアは忽然と姿を消していた。

 

「え!? ど、どこに行っ――」

 

「逃げろ舞帆ッ! 後ろだーッ!」

 

 彼の声は、私には間に合わなかった。

 

 ううん。私が鈍臭いせいで、反応できなかっただけなんだ。

 

 ――水圧カッターを避けた隙をついて、プールを潜行して背後に回っていたドルフィレアの影に。

 

「今のあなたは……隙だらけッ!」

 

 刹那、視界が激しく揺れる。

 

 そして、息が出来なくなった。

 

 水色の景色を前に、意識がまどろんでいく……。

 



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最終話 譲れない想い

 ふと、自分の全身を見遣ると、体中の白い生地が裂け、ドルフィレア以上に肌が露出していた。

 

 ――ああ、そっか。

 

 私、やられちゃったんだ。後ろに回られた時に、水圧カッターで。それで、プールまで吹っ飛ばされた。

 

 ステージから落とされた私は、どうすることもできずに水中を漂っている。

 

 でも、しょうがないよね。

 

 全部……彼女の言う通りなんだから。

 

 何の力も魅力もないくせに、ヒロインを気取って船越君の気を引こうとして――結局は、彼に頼ることしかできない。

 

 昨日のクリスマスイブに気づかされた自分の醜さに、改めて対面した気分になる。

 

 ――剣淵さんなら、私より財力も個人の実力もある。彼女の方が、私より船越君に相応しい。

 

 だから、もう、夢見るお姫様ごっこはおしまい。

 

 そうよね……私は「船越君のために戦う」なんて言って、結局は彼を苦しめることしかできなかった。そんな私には、今の格好がお似合いよね。

 

 ――ごめんね、船越君。私なんかが、あなたを好きになったばっかりに……。でも、もう大丈夫。これからは、私じゃない誰かの傍で、今度こそ平和に暮らして――

 

 そう心の中で呟いて、このまま変身を解いてしまおうと、変身ブレスレットのスイッチに手を伸ばした――時だった。

 

「……じゃ……きゃ……メ……だ……!」

 

 遥か上の世界――水上の観客席から、何か叫び声が聞こえて来る。

 

 これは……船越君の声!?

 

 そう思った瞬間、私は彼を諦めようとしていたにも関わらず、必死に水を蹴って水面まで上がって行った。

 

 たとえおしまいでも、この決闘の間だけは彼の声を聞いておきたいから。

 

 まがりなりにもヒーロー能力を持っている私は、超人的な身体能力を駆使して素早く泳ぎ、瞬く間に空気を吸える空間にたどり着く。

 

 室内プールの天井が見えた瞬間、私は船越君の声が聞こえた方に首を向けた。

 

「よかった……復帰できたんだな、舞帆」

 

「ふ、船越君……」

 

「全く、心配させんなよ。美姫にぶっ飛ばされた時、心臓止まるかと思ったわ」

 

 私が浮上してきたことを、彼はオーバーなくらいに喜んでいた。

 

 どうして? なんで私なんかのために、そんなに喜べるの? わけがわからないよ……。

 

 そんな私の気も知らないで、船越君はホッと胸を撫で下ろして微笑んでいるお母さんの肩を叩いて、歓喜の声を上げている。

 

「いろいろ悩むことはあるでしょうけど……この男のことでアレコレ考える必要なんて、ないわよ」

 

「えっ?」

 

「あんたは、大路郎が好きなんでしょ? だったら、他に考えることなんかないわ。遠慮する必要もない」

 

 諭すように話すお母さんの言葉を聞いて、私は目を丸くしながら、自分でもわかるくらいに顔を真っ赤にしてしまう。

 ほ、本人の前で何を言い出すのよ、もうっ!

 

 ……でも、当の船越君は私の帰還に喜ぶばかりで、お母さんの「大路郎が好き」発言は聞いていない様子だった。ホッとしたような、残念なような。

 

 それにしても、お母さんには敵わないな。私のことなんて、全部お見通しって感じ?

 

「ねぇお母さん。私が水の中にいる時、船越君は……なんて言ってたの?」

 

「あら、気になる? 本人に聞けばいいじゃない」

 

 素朴な疑問を投げ掛ける私に対し、お母さんは一人で勝手にハイテンションになっている船越君の肩をちょいちょいと指で叩いて、彼を話に混ぜてきた。

 

「ん、どうした達城?」

 

「大路郎。舞帆があなたのラブコールをもう一度聞きたいらしいわよ」

 

「ラ、ラ、ラ、ラブコールゥゥッ!?」

 

「ラブ……? ああ、あれか」

 

 お母さんの出してきた爆発的ワードに私の顔がオーバーヒートするのを気に留めず、彼は思い出したように目を見開く。

 

 そして、急に真剣な顔で私の目を見詰めてきた。

 その普段の言動からは想像もつかないような凛々しさに、思わずドキッとなる。

 

「舞帆。セイントカイダーは、お前じゃなきゃダメなんだ」

 

 慰めるような口調ではない。なんというか、強く訴えているような声色だった。

 

「確かに、お前はまだセイントカイダーになったばかりだから、うまくいかないことも多いかも知れない。だけど、それでも俺には、セイントカイダーとしてのお前が必要なんだ!」

 

「船越……君……?」

 

「強いとか、弱いとか、そんなことどうだっていい! 俺はお前をすごい奴だって思うし、頼りにしてる。だから、俺は『お前』にヒーローであって欲しいんだ!」

 

 ――もしかしたら、彼は彼なりに私の胸のうちを察していたのかもしれない。

 ドルフィレアと私の戦闘中の会話は、観客席からは遠すぎて聞こえなかったはずだけど、それでも私の動きを見て、私の異変に気づいていたのね。

 

 本音を言うなら、そんなことより私の気持ちに早く気づいて欲しかったんだけど。

 

 そんな彼の鋭さや鈍さに心の奥底で苦笑している私に、彼は最後の言葉を掛けてくれた。

 

 絶対に忘れられない、私の存在意義に繋がる、あの言葉を。

 

「だから、何があっても俺の目の前にいてくれよ。お前がいないと、俺はなんにも出来ないんだからさ」

 

「……うんっ……!」

 

 それは、彼が私を必要としてくれていることを意味していた。

 

 強いとか、弱いとかじゃない。

 

 私が――桜田舞帆が、彼にとっては必要。私を見詰める強い視線が、それが慰めなんかじゃないことを表していた。

 

 ――そうよ、そうよね。船越君みたく、卑屈になるところだったわ!

 

 彼はホントにバカで……そんな彼をしっかり叱って支えられるのは、私しかいないじゃない! 私しか、できないじゃない!

 

 弱くたっていい。私は、船越君の力になりたい! 彼もそう願ってくれるなら、私はまだまだ――戦えるっ!

 

「そうだったわね。すっかり忘れてたわ。私は、船越君のヒーロー……『生裁戦士セイントカイダー』だってこと!」

 

 戦意を、回復できた。

 そう実感した瞬間、私はプールから勢いよく飛び出し、こちらを伺っていたドルフィレアの前に着地する。

 

「生徒の手により裁くべきは、世に蔓延る無限の悪意! 生裁戦士セイントカイダーッ!」

 

 そして、あの人の動きを思い出しつつ堂々と名乗りを上げ、戦線復帰を誇示して見せた。

 

「大路郎様と何を話されていたのかは気になるところですが……ようやくやる気になってくださったようですね、桜田様」

 

「ええ、目が覚めたわ。もう、引け目なんて感じない! もう、遠慮なんてしてあげないんだから!」

 

「光栄ですわ。では、試合再開と致しましょう――『舞帆』様ッ!」

 

 私を名前で呼んだ……つまり、船越君を慕う女同士としてのライバルと再認識したんでしょうね。

 こちらこそ光栄だわ――だからこそ、負けられない!

 

「えー……では、セイントカイダー復帰により試合を再開させていただきます! 始めっ!」

 

 審判さんが試合再開を宣言すると同時に、水圧ジェットによるホバー走行で突進を仕掛けるドルフィレア。

 私は逃げることなく正面からセイトサーベルを振り上げ、真っ向から迎撃――

 

「と、見せ掛けてっ!」

 

 真上に振り上げたセイトサーベルを、そのまま手放す。

 

 もちろん、そうなったからには剣は垂直に上昇していく。

 

 相手の得物に注目していたドルフィレアは、思わず宙を舞うセイトサーベルに目を奪われてしまったみたい。

 

 そこが狙い目! 私はホバー走行でバランスが取りやすいようにと、開かれている彼女の股をスライディングの要領でくぐり抜け、背後に回り込む。

 

「いくら装甲が頑丈と言っても、この至近距離で背後からならッ!」

 

「なっ――!」

 

 ここまで来たら、やることは決まっている。再び腰から引き抜いたセイトバスターの銃口を、ドルフィレアの背中に押し当てて引き金を引きまくる!

 

 投げられていたセイトサーベルがプールに落下する瞬間、激しい火花が蒼い甲冑を包み込む。

 

 矢継ぎ早に放たれる光線を受け、ドルフィレアの背面が黒ずんでいくのがわかった。

 

「きゃあああああっ! くぅ、これしきっ!」

 

「あうっ!」

 

 しかし、やはりやられてばかりの彼女ではない。

 最新型ならではのパワーを活かした肘打ちを受けて、プールサイドまで吹っ飛ばされてしまった。

 

 なんとか立ち上がってセイトバスターを構え直そうとするものの、その頃には再び彼女は姿を消してしまっていた。またしても見失うなんて、不覚だわ。

 

「またプールの中ね! 今度はそう簡単にやられないわよ!」

 

 もう同じ手を食らうわけには行かない。私はセイトバスターを手にして、思い切ってプールの中へと飛び込んで行った。

 

「ま、待ちなさい舞帆! ドルフィレアを相手に水中戦を挑むつもり!?」

 

 そんなお母さんの忠告を聞き流し、私は水を蹴って深い水中を突き進んだ。

 

 もちろん、水中戦で私が不利になるのは百も承知よ。だからこそ、向こうは「絶対に負けることはない」と高を括る!

 

 正攻法じゃ彼女にはきっと敵わない。だったら、危険な賭けだとしても可能性の高いやり方で戦うしかない!

 

 私はいざという時に備えてセイトバスターを腰に収め、ドルフィレアの出方を待つ。絶対、彼女はこのプールの中に――

 

「ここですわっ!」

 

「えっ――!」

 

 ――迂闊だった。まさか、私の真下に潜んでいたなんて。

 

 プールの底に潜むドルフィレアの存在に気がついた時には、私はすでに身動きが取れなくなっていた。

 

 彼女の左腕に搭載されている触手のような武器が、私の全身を搦め捕っている。こうやって、相手の動きを封じるのが用途なんだろう。

 

「もはやあなたもこれまでですわ。降参なさい!」

 

 ニュルリとうごめくドルフィレアの武器が、軟体生物のように私の身体をはい回っている。正直なところ、気味が悪いことこの上ないわ……。

 

 でも、こんな精神攻撃(?)なんかで私を崩せると思ったら、大間違いよ!

 

「今さらそんな真似をするような女に見える?」

 

「……そうですね。ならば、この一撃であなたの変身を強制解除するとしましょう」

 

 そういって、彼女は左腕をもぞもぞと動かすくらいしか抵抗しない私の眉間に、水圧カッターの発射口を押し当てる。

 

 このままとどめを頭に食らえば、確実にセイントカイダーの変身システムが変身者の危険を察知して、私の変身が強制解除されることになる。

 

 つまり、私の負けになるということ。

 

「見事に精神を持ち直して私と立ち向かった姿には感銘を受けましたが、わたくしにも譲れぬものがあるのも、また事実。この勝負、いただきましたわ!」

 

 勝利が確定したと、強気な顔になるドルフィレア。そう、確かに決定的よね。

 

 ――それを、私は待ってた!

 

 確実に私を仕留めるためにギリギリまで近づいてきた彼女を前に、私は忍ばせていたセイトバスターを左手で引き抜く! 片腕だけでも自由になれるように動かしていた甲斐があったわ!

 

「油断したわね! これでっ!」

 

「甘いっ!」

 

「ッ!?」

 

 ……だけど、賭けは失敗してしまった。

 

 ドルフィレアは、見抜いていたんだ。私の胸中を。

 

 左手に握られたセイトバスターが火を噴く直前に、私を捕まえていた触手の先端が銃身を弾き飛ばしてしまったわけ。

 

「もう作戦は終わりでしょうか? でしたら、今度こそ終わりにさせていただきますわ」

 

 余裕のこもったドルフィレアの口調に、私は唇を噛み締める。あんなに船越君が勇気をくれたっていうのに、私は何も出来ないの?

 ……勝利を持ち帰ることも、出来ないのっ!?

 

 どうして、私はいつも……!

 

「やっぱり、私なんて――」

 

 そう呟いて、私は自分の無力さを悲観しようとしていた。船越君にあれほど必要だと言ってもらっていたのに、それに応えられなかったから。

 

 しかし、それは早計だった。私は諦めるにはまだまだ早すぎるらしい。

 

 ……水中に漂うセイトサーベルが目に入らなければ――私は生涯それに気づくことはなかった!

 

「――ッ!」

 

 私はドルフィレアがセイトバスターに注目している間に、すぐそばを浮遊しているセイトサーベルの柄に手を伸ばす。

 

 彼女にとって、私の唯一の勝機であったセイトバスターが失われたために、その表情には幾分か緩みがあった。

 

 ――勝者が見せる、僅かな油断。チャンスは、やはりそこにしかなかったみたいね!

 

「……ッ!? まだ武器がッ!?」

 

 剣を握る瞬間、ドルフィレアはハッとして水圧カッターを発射しようと銃口をこちらに向ける! セイトサーベルに気づかれた!

 

「これで本当に最後よ! たああぁーっ!」

 

 もう迷う必要も暇もない! 私もセイトサーベルを勢いよく突き出し、最後の攻撃に出る! 

 

 水圧カッターと、セイトサーベル。

 

 その二つの刃が交錯した瞬間、私は――私達は、意識を水に溶かしてしまった。

 

 ……それから三時間後、私と剣淵さんは同じ病室のベッドで目を覚ましていた。

 

 後からお母さんに聞いた話によると、決闘は相打ちに終わり、引き分けという判定がなされたらしい。

 

 水中にいるままで変身を解かれて、気を失っていた私達は船越君が飛び込んで救出してくれたみたい。毛布に包まれてブルブル震えている彼の姿が、申し訳なくもやっぱり微笑ましい。

 

 ――でも、「わたくしが暖めて差し上げますわー!」なんて叫びながら彼に抱き着こうとする剣淵さんを止めるのは大変だったわね。あの人、ホントに遠慮がないんだから。

 

 その後、私と船越君は剣淵財閥のクリスマスパーティーに招待されて、セレブなご馳走をたくさん頂いたんだけど……マナー知らずな船越君をリードするのは大変だったなぁ。

 

 それでも、慣れない彼の手を引いてダンスを踊るのは格別の楽しさだったけどね。ふふっ!

 

 あと、剣淵さんはこのパーティーで船越君に告白する気でいたみたいだったけど、今回は見送ることになったらしい。

 

 せっかく綺麗な着物姿でのおでましだったのに、もったいないなぁ。

 

 というのも、決闘でハッキリ「勝利」できなかったから、まだ船越君に告白するには強さが足りないと判断した……からだそうよ。

 

 彼女とのライバル関係は、これからもずっと続いて行っちゃうような気がするわね。

 

 ……そして、パーティーの最後には彼女にこう言われたわ。

 

「真に大路郎様を愛するならば、ご自分の気持ちからだけは――逃げないでください。舞帆様」

 

 その言葉は、私の胸に強く刻まれた。

 

 決して揺らいではいけない、守らなければいけないこと。

 

 それは、「自分の気持ちに嘘をつかない決意」。

 

 船越君の傍にいたいなら、彼の気持ちを大切にして、守らなくちゃいけない。

 

 ――いつか、彼と身も心も通じ合う日が来ると、願うなら。

 

 それを教えてくれた彼女に、私は感謝したい。だから、ありがとう。剣淵美姫さん。

 

 そして、船越君。今まで、素直じゃなくてごめんなさい。でも、これからは……そう、もっとあなたに優しく――

 

「それにしても、戦闘服が破けた時のお前、色っぽかったなぁ。不覚にもドキッとしちゃって――」

 

「ふ、ふ、ふ、船越君のバカァーッ!」

 

「あだっ!? す、すまん冗談だ冗談! あぶねっ! サーベルはナシだろサーベルは!」

 

 ――させなさいよぉ〜っ! いい雰囲気、台なしっ!

 



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番外編 平中花子の恋路
前編 甘く苦い思い出


「ブー子ちゃ〜ん、今日も掃除当番、よっろしくぅ!」

 

 嫌味ったらしい口調で私をからかう男子達が、楽しげな様子で教室を出ていく。

 

 その後ろ姿を忌ま忌ましげに――そして羨ましげに眺める私の名前は、メスブタの意味を持つ「ブー子」……もとい、平中花子。

 

 デブで不細工で、男女問わず全てのクラスメートからバカにされてる中学二年生。

 

 気弱でデブで根暗な私は日課のように掃除当番を押し付けられては、いつものように独りで箒を掃いている。

 

 そんな私と友達になろうなんて物好きはほとんどいない。だから二年生に上がってから私はずっと独りで、隠れて好きな本を読む毎日を送っていた。

 

 去年の頃は一人だけ私に良くしてくれる友達がいたけど、その娘とクラスが離れてしまってからは孤立無援の状態だ。

 

 学校が終われば会うこともあるけど、心配性なあの娘のことを考えたら、いじめの相談なんてできるはずがない。

 

 早く終わらせて、家に帰ろう……そう思っていた私は、クラスメートが分別を考えずに乱雑に捨てていたゴミ箱をそのままで運ぼうとした。いつもいじめられてるんだもん。たまには、これくらいのわがままだって――

 

「おい、平中! 可燃ゴミとプラゴミはちゃんと分けておけよ!」

 

「す、すみません! で、でも、これは私じゃ――」

 

「誰が捨てたかの問題じゃないんだ! ゴミがバラバラなら掃除当番のお前が整理するんだ!」

 

「でも、本当なら今日の掃除当番は私じゃないのに……」

 

「言い訳をするな!」

 

「……は、はい」

 

 ――ダメだよね、やっぱり。担任の先生に見つかって、怒られちゃった。

 

 先生は私がクラスで孤立してるのはわかってるはずなのに、全然助けてくれない。

 

 それどころか、いつも私を叱るばかり。まるで、先生まで私をいじめてるみたいに思えて来る。

 

 私みたいな出来損ないが面倒……ってことなのかな。

 

 結局、私はそのあとゴミを集めるところの前で、自分の手でゴミを分別していくことになった。

 

 二つのゴミ箱から漂う悪臭に顔をしかめつつも、私はいつもの要領で素手のままゴミの山に手を突っ込む。

 

 ねちょっとした感覚がして、気持ち悪い! でも、自分がやるしかない……。

 

 さっき手についたのは、吐き捨てられたガムだったみたい。腐っても女の子なのに、ひどい仕打ちだよ。

 

 でも、仕方がない。太ってる上に顔も悪くて、いつもみんなにからかわれたり脅かされたりしてるせいで授業にも集中できないから、勉強の成績も全部悪い。

 

 何一つ取り柄がなく、女の子として持つべきものがまるでない私に、女が持つような気持ちがあったらいけないんだろう。

 

 手探りでグチャグチャに捨てられたゴミを分別する中で、いきなり飛び出してきたゴキブリに悲鳴をあげつつも、私は作業を続けた。

 

「あれ、あそこにいるのってブー子じゃね?」

 

 ふと、後ろから私のことを指している声が聞こえて来る。振り向かなくても、それがいつも私をいじめている男子グループのリーダーの声だとわかる。

 

 私にとっての恐怖の象徴に名指しされ、冷や汗が全身から噴き出してしまう。

 

「あ、ホントだ!」

 

「マジかよ、ゴミ漁ってやがるぜあいつ!」

 

「たはーっ、さすが野獣ブー子! 人間の食い物じゃあ物足りないってか!?」

 

 ゲラゲラと私を嘲笑する男子グループの笑い声を背に、何も言い返せずに私はただ黙々と分別を続ける。

 

 ――あんた達がちゃんとゴミを分けなかったせいでこうなってるのに、なんでそんなこと言われなきゃなんないのよっ!

 

 それが、私の本音だった。でも、口にはできない。

 

 怒りをあらわにしても、「何そんなに切れてんの? ばっかじゃねー」とかわされるだけだ。それに、そんなことをしたらこの先、もっといじめられる。

 

 今はただ、それが怖かった。

 

「野獣だったらこういうのも食うんじゃねーの? そらっ!」

 

「――ひっ!」

 

 その発言内容と掛け声から、私は即座に男子グループが後ろから物を投げつけてきたのだと察した。私はせめて頭は守ろうと、身を屈めて両手で頭を抱える。

 

 ――その時だった。私が、あの人と出会ったのは。

 

「いてぇ!」

 

「えっ!?」

 

 頭に物がぶつかる瞬間に怯えていた私は、男子グループとは違う少年の声に驚き、思わず振り返ってしまう。

 

 そこには、本来私に当たるはずだったペットボトルを顔面に食らい、顔を押さえて唸る男の子がいたのよ。

 

 彼は予想外だった人物に当たってしまったことで、慌てていた男子グループの面々に「痛いじゃないかコノヤロー!」と怒鳴り、持っていた鞄を振り上げて男子グループ目掛けて突撃しはじめた。

 

 男子グループにとって彼は危険な存在なのか、連中は彼に「わ、わりぃー!」と謝りながら、ダッシュで退散してしまった。

 

 ――もしかして、助けてくれたの? 私のために……!

 

「全く、こないだシメてやったばかりだってのに、懲りずにゴミのポイ捨てなんてセコい真似してくれちゃって! 通行人に当たることを考えろっつーの!」

 

「……ハァ」

 

 ――別にそんなことはなかったみたい。ていうか、私の存在にすら気づいてないみたいだった。期待してしまった自分が情けなくて、思わずため息が出ちゃう。

 

 偶然通り掛かった所で、たまたま私に投げつけられたペットボトルが顔に当たっただけ……らしい。

 

「あれ? アンタ誰は確か、隣のクラスにいた……」

 

 その時、ようやく私に気づいた男の子が、こっちの顔を覗き込んで来る。こ、ここまで男の子と顔を近づけたのって、はじめてかも……!?

 

「『武羽子(ぶうこ)』さん? だっけ? あいつらが言ってたな。よろしく!」

 

 ――って、この人まで、私のこと「ブー子」って言うんだ。たまたまとは言え助けてくれたんだから、ちょっといい人かと思ってたのに!

 

「しかし変わった名前だよなぁ、アンタ。でも、『武羽子』って響きがカッコイイから羨ましい! 俺なんて『大路郎』だぜ?」

 

「――ほっといてよ、バカ」

 

「え、なに? なんかマズイこと言ったか、俺?」

 

 大路郎と名乗るこの男の子の白々しさが、憎たらしくてたまらない! ちょっと顔が好みのタイプだったからなおさら!

 私は助けてくれた恩も忘れて、思い切り彼をひっぱたいてしまった。

 

 バシィッ! と頬を叩かれ、何事かと目をパチクリさせている彼に向かって、私は思い切り八つ当たりをした。

 

 ……今まで感じていた不満を、発散するチャンスだと思って。

 

 ――あぁ、最低だ私って。

 

「言いまくりよっ! 『ブー子』がカッコイイですって!? バカにするのもいい加減にしなさいよっ! どうせ、どうせ、私なんて、あんたの言う通り……ブタなんだからぁぁぁぁっ!」

 

「ちょちょ、待った武羽子さん! 何を勘違いしてるのか知らないが、俺は『ブタ』なんて……!」

 

「黙ってよ! 黙りなさいよ! バカァッ!」

 

 私はいつの間にか涙や鼻水まで垂れ流して、彼の胸をひたすら拳で殴っていた。大した威力もない私のパンチを食らっている彼は、何がいけなかったのかがわからない、という困惑した表情だ。

 

「死んじゃえ、死んじゃえ、あんたなんか死んじゃえ!」

 

「お、落ち着いてよ武羽子さん! なんか落ちたぞ!」

 

「うるさい、死んじゃ――え?」

 

 その時、ふと私の懐から一冊の本が落ちていたことに気づく。

 

 それは、いつも私が読んでいたファッション雑誌だった。綺麗な女のモデルさんが、カッコイイ服やかわいい服を着ている写真がたくさんある、私の宝物。

 

 いつか、自分もこうなれたら――そんな叶うはずのない夢の代わりとして、いつもこれを読んでいた。

 

 私みたいな不細工女がこんなのを読んでたら笑われるに決まってるから、コソコソ読むしかなかったんだけど。

 

 それでも、夢を見せてくれるこの雑誌が私は好きだった。

 

「あっ――あああっ!」

 

 ただそれだけに、見られてしまった瞬間の恥ずかしさは大きい。私は顔を真っ赤にしながら、涙目で雑誌を拾って両手で隠すように抱きしめる。

 

「ぶ、武羽子さん? どうしたのさ?」

 

「……み、見た?」

 

 膝をついて雑誌を抱いている私は、上目遣いでキョトンとしている彼を見上げる。

 

 もし私がかわいい女の子だったら、これはこれで絵になる眺めだったかもしれない。だけど、私がこんなリアクションを取っても、滑稽なだけだ。

 

「……へぇ。武羽子さん、そういうモデルになりたいのか?」

 

 興味ありげな口調で、彼は私の雑誌に注目する。

 

 普通なら、「そんなわけないじゃない! バカじゃないの!?」と怒鳴るべきなんだけど、この時の私はそうはしなかった。

 

 雑誌を見られたショックで彼の言い方に怒るどころじゃなくなったせいか、私は彼への怒りについて、水を掛けられたように冷静になっていた。

 

 落ち着いて考えてみれば、彼は私の本名を知らないはずだし、態度にも悪気が感じられない。

 

 「ブー子」呼ばわりするのも、単に他の呼び方を知らないだけなのかな……?

 

 だとしたら、カッとなって喚き出した私がバカみたいじゃない。恥ずかしくてたまらないっ!

 

「そ、そうよ! あんたは笑うでしょうけど、『キレイになりたい』っていうのは女の子にとってはなくちゃいけない夢なんだからねっ!」

 

 ――だから、せめてものお詫びとして、正直に話してあげることにした。それに、醜い私を前にしてここまで友好的に接してくれる彼のことを、ほんのちょっぴり――信用したくなっちゃったから。

 

 それでも、一度口にしてしまうと不安な気持ちになる。ここで彼に笑われてしまったら、「やっぱり言うんじゃなかった」と後悔することになるから。

 

「そいつはすごいな! アンタが雑誌に載ったら買うぜ、俺!」

 

 でも、彼はものすごく感心したような顔で私を応援した。心配する私が間抜けなくらいに。

 

 今さっき会ったばかりの彼の言うことを、ちょっと優しくされただけで信用してしまう。我ながら単純だとは思うけど、それでも私は嬉しくてしょうがなかった。

 

 私は縋るように彼の笑顔を伺う。もしかしたら――もしかしたらだけど、彼ならなってくれるかもしれない。私の、第二の友達に。

 

「ほ、ほんとう?」

 

「ああ! ……あー、でも、雑誌に乗る前に痩せないとな。よし、俺がプロデュースしてやろうっ!」

 

「ええ!?」

 

「名付けて! 『武羽子さんダイエット&モデルデビュー大作戦』ッ!」

 

「だっさ! もうちょっとマシな名前考えなさいよ! ていうかブー子って呼ぶなー!」

 

「ぐはぁっ!? お、俺が一体何をっ……!?」

 

 こうして、ちょっと失礼だけど、とても優しい男の子――船越大路郎との、毎日が始まった。

 



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後編 これからの恋

 まず昼休みに、カロリー計算がなされたヘルシーなお弁当を作ってきては「毒味せよ!」と私に、いわゆる「あ〜ん」の要領で食べさせて来る。

 ……おいしいしうれしいけど、もう少し女心を考えてほしい。

 

 向こうは無意識にやってるみたいだけど、「あ〜ん」は普通、恋人同士でするものよ。……わかっててやってるのかな? そんなことないよね?

 

「どうだ、美味いか?」

 

「――うんっ、おいしい! ……あ、べ、べつに嬉しいわけじゃないんだからねっ!」

 

「あれ? 口に合わなかったのか?」

 

「お弁当のことじゃないわよっ!」

 

「じゃあ何さ?」

 

「い、言えるわけないじゃない、バカァッ!」

 

「な、なんかよくわかんないんですけど、とりあえずごめんなさ〜い……」

 

 彼が「好き」――ううん、「大好き」って気持ちが本人に知られると、恥ずかしくて気まずくなる! だからなのか、ついつい素直じゃない態度になってしまう。

 そんな自分が、どうしようもなく情けなかった。

 

 次に、体育の時間。

 

 私達は隣同士のクラスなので、合同で練習することが多い。そこで、準備運動の一環として毎回こなしている走り込みで、彼は私に合わせたペースで走ってくれた。

 

 一緒に走る仲間になることで、連帯感を持って走りやすくするためだ。

 

 私は彼の背中を追い、必死に体を動かした。途中、先生が私に合わせて走る彼をサボってると勘違いして怒声を上げている様子も目に入ったけど、彼は気にせず私のペースに同調してくれていた。

 

 悔しくてたまらないほど惹かれる背だけを見つめて、私はただ走ることだけを頭に入れて、脚を動かしていた。ここまで私に尽くしてくれる彼の優しさに、なんとしても応えようと。

 

「おいおい、そんな無茶するなよ」

 

「無茶なんてしてないっ! してないんだからねっ!」

 

「――そうか。じゃあもう少しだけ、一緒に走ろう」

 

「……も、もう! デブに色目なんか使ってんじゃないわよ!」

 

「え? いや、俺は何も……つーか『色目』って何のことよ?」

 

「……バカ、鈍感っ!」

 

「ええーっ、わけわかんないまま怒られた!?」

 

 走りながらこんなやり取りができるなんて、今までは考えたこともなかった。一人で走ってる時には、ただ「しんどい」ということしか、頭になかったんだから。

 

 おかげで、彼に会う以前では一度も完走できずに投げ出していた走り込みを、初めてクリアすることができた。彼は私の努力を讃えてくれたけど、それ以上に私は彼に感謝したかった。

 

 そのため、なんだかお互いの頑張りを讃え合うような恰好になってしまい、それがたまらなく可笑しくて、楽しかった。

 

 放課後も帰りに寄り道して一緒に山を登ったり、商店街を一周したりして、運動量を共有した。もし私一人だったら、到底続けられなかっただろうね。彼が傍にいたから、私は続けられた。

 

「え!? 『武羽子』って本名じゃなかったのか!」

 

「当たり前でしょ! 私のことなんだと思ってたのよ!」

 

「そっかー……ごめんな。じゃあ、アンタの本当の名前はなんて言うんだ?」

 

「う――それはダメ! 言えないっ!」

 

「なんでさ?」

 

「あんまり可愛い名前じゃないからっ!」

 

「いいじゃないか、アンタ自身は可愛いんだから」

 

「えっ!? な、な、な……!」

 

「どうした? 顔が赤いけど」

 

「なんてこというのよ、バカァァーッ!」

 

「うええっ!? す、すいませんでしたーッ!」

 

 こうやって二人で一緒に歩いて、騒いで、話して、笑って。それは友達の少ない私にとっては格別の幸せに繋がり、彼の笑顔からも元気を貰った。

 

 私一人では、叶えられなかった夢。そこに届く可能性を、彼は与えてくれた。

 

 彼あっての叶う夢なら、叶ったあともずっと彼の隣にいたい。そんな、身勝手ながらも幸福絶頂な願いを抱くようになる頃には、私達は三年生に進級していた。

 

 そして、私は夢に向かっての「大変身」を完了させていたのだ。

 

 彼と二人三脚で一年間近く続けた「ダイエット&モデルデビュー大作戦」が功を奏して、私は劇的にスリムになり、ハッキリと自信が持てるようになるほどの美貌を手に入れることができた。

 

 自信を持つようになってからは友達も自然にできるようになり、自分自身が明るくなっていくのを実感した。

 

 顔を含めた全身の贅肉を取り払った私の姿は、もはや完全に別人のようだった。全ては、ひたすら自分の夢のために奔走してくれた彼のおかげだ。

 

 さらに、「大作戦」を始める以前から読み込んでいたファッション雑誌の知識のおかげで、納得のいくスタイルになってからの「オシャレ度」が急上昇したのよ。

 

 かつて私を「ブー子」と呼んでからかっていた男子グループは、今までの態度を一変させて私に話し掛けるようになった。

 

「いやぁ、マジ可愛いな花子ちゃん! 今度一緒にカラオケ行かね? ぜってー楽しいからよ!」

 

「ちょーどいいことにさ、映画館のチケットが余ってるんだよー! せっかくだから一緒にどう?」

 

「最近話題のデートスポットがあるって知ってる!? 良かったらちょっと二人で下見にでも行ってみない?」

 

 もちろん、そんな彼らのお誘いに応じるつもりなんてない。私を誘っていいのは、彼だけなんだから。

 

 ――だけど、三年生になってクラスが大きく離れてしまってから、彼には会うに会えなくなっていた。

 

 というのも、彼に「もう充分人気者だし、俺がいなくても大丈夫だろ? 雑誌に載ったら教えてくれよなっ!」と、さも「やり切った」という感じの顔で言われてしまったせいだ。

 

 もう私の夢は自力で果たせるんだから、自分の出る幕はない、と彼は言うけれど、そんなことはない。

 

 私の夢は、彼との関わりで少しだけ変わった。モデルにはなりたい。なりたいけど、問題はそこから先だ。

 

 彼のような男を、他の女の子が放っておくはずがない! きっと私がいない間に、彼を狙う人が出てくるはず。

 

 ――だから、私は何よりも彼と結ばれたい。他の誰のものでもない彼の隣で、夢を叶えたい! それこそが、今の私の夢なの。

 

 結局、受験勉強に勤しんでも彼や私の友達と同じ高校には入れなかったけど、それでも私は諦めなかった。

 

 「ヒーロー」でバイトをする傍ら、モデルについての勉強も始めたのよ。

 

 いつかファッション雑誌に載るくらいのすごいモデルになって、彼をアッと言わせるんだから! そして、私のことが好きって言わせられるくらい、魅力的になる!

 

 前まではデブで不細工だったから恋に臆病になっていて、素直じゃない態度だったけど……今は違う。「好き」っていう気持ちだけは、二度と裏返さない!

 

 ファッションモデルになることと、彼と結ばれること。

 

 二つに分かれた夢を、両方とも叶えると誓った私は、かつてあの人と二人で登った山に弟を連れていき、そこで決意表明をすることにした。

 

「お姉ちゃん、こんな山の中で何するの?」

 

「いーい、達弘? お姉ちゃん、これから夢に向かって邁進する誓いを立てるんだからね! 証人としてそこで見てなさい!」

 

「はーい。お姉ちゃん頑張れー!」

 

 無邪気な弟の応援に背中を押してもらった私は、山から見える夕暮れの空へ向かい、思い切り息を吸い込み――叫ぶ。

 

「船越大路郎さああぁーん! 好きでぇーす! 愛してまぁあーす! 私と――平中花子と、結婚を前提にお付き合いしてくださぁーいっ!」

 

 言いたいことを、言いたいだけ声にして、私は想いの丈を夕日に打ち明けた。聞く方が恥ずかしくなりそうなほどの盛大な愛の告白が、こだまとなって空へと響き渡る。

 

「お姉ちゃん、船越さんって誰?」

 

「あんたのお兄さんになる人よっ。ふふふっ」

 

 自分の本名も知らない相手に告白なんて、ちょっと変かも知れないけど……別に構わないわ。

 

 彼が――船越さんが好きって気持ちさえ誰にも負けない限り、夢だってきっと叶うんだから!

 

 ……そして、高校三年生の現在。華の十七歳となった今は――

 

「うえぇえぇ〜んっ! 達弘ぉ〜! また、また、また船越さんに告白できなかったよぉ〜っ!」

 

「お姉ちゃん、元気出してー」

 

 自宅で幼い弟に頭をナデナデしてもらいながら、私は今日も愛を伝えられなかったと嘆くのでした。

 

 ――シャイガール・平中花子の受難はこれからも続……かないでよぉぉ〜っ!

 



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番外編 文倉ひかりの恋路
前編 あるはずだった幸せ


 日曜日の午後。私――文倉ひかりは今、宋響学園の校舎前にいる。

 

 本当なら、通えるはずだった場所。あの人と……幸せに過ごせるはずだった、学び舎。

 

 あんなことになってしまったばかりに、私はここに行くことが叶わなくなり、路郎君は――

 

「す、すまん! ちょいと遅れた!」

 

「……ううん、私もさっき来たばかりだから」

 

 ふと聞こえた足音に反応して、俯いていた顔を上げた私の前に、当の大路郎君本人が現れる。

 

 申し訳なさそうな顔で頭を掻きながら走って来る様は、見た目が変わっても中学時代のままのようだった。

 

 制服に袖を通している彼の姿は、言動に反してとても凛々しい。

 

 今日は、彼を「加室孤児院」に案内する約束の日である。私を育ててくれた場所を見てもらえれば、もっと私のことを知ってくれる。そう思ったから。

 

 大路郎君は今日、定期テストの成績が悪かったせいで補習授業を受けていた。

 

 だから日曜日なのに学校にいたんだけど、本人は「受験が近いからな。自習してたんだ、自習。決して舞帆に補習に行かされていたわけではない」と、バレバレの嘘でごまかそうとしていた。

 

 嘘をつくのはいけないことだけど、彼のそれは、見破られるためにあるようなお粗末なクオリティ。だから、全く気にならない。

 

 むしろ、微笑ましいとも思ってしまう。甘やかしすぎかな?

 

「そうね……じゃあ、罰ゲームしちゃおうかな」

 

「罰ゲーム……だと……!?」

 

「ええ。ほんのちょっとでも女の子を待たせたんだもの。それなりのペナルティを付けなきゃね」

 

 ちょっといたずらっぽく笑う私に、大路郎君が渋い顔になる。

 好きな人をいじめたくなるのは、やっぱりしょうがない、よね?

 

 その罰ゲームというのは、加室孤児院まで「セイサイラー」で乗せて行ってもらう、というもの。

 

 せっかくのサイドカーなんだから、大路郎君一人で乗り回すなんてもったいないって思ったからね。

 

 彼は私のお願いにしぶしぶ応え、達城さんにペコペコしてセイサイラーの使用許可を取っていた。ちょっと無茶振り過ぎたかな?

 

 でも、彼はちゃんと約束通りにセイサイラーで私を出迎えに来てくれた。白くて大きなバイクに跨がって、颯爽とやってくる彼の姿に、ついついうっとりしてしまう。

 

 ――舞帆さんも、花子も、鋭美も、彼のヒーローとしての活躍を見ている。私も、見てみたかったなぁ。大路郎君が、かっこよく戦うところ。

 

 そんなわがままを思い浮かべているうちに、寂しげな顔になっていたらしい。大路郎君がバイクから降りて「どうした?」と心配そうに顔を覗き込んで来る。

 

 一度は「実はちょっと寒いの。タンデムシートでギュッてしてもいい?」なんて甘えようかとも思ったけど、そんなのずるいし、大路郎君を騙したくない。

 

 私は笑顔を取り繕って、「なんでもないよ。さ、行こ!」と元気に出発を促した。

 

 丘の上にある宋響学園から坂道を下り、二十分ほど下町を走った先に、「加室孤児院」がある。私にとっての「帰る場所」であり、掛け替えのない世界。

 

 少し古ぼけた小さな施設だけど、そこで暮らす子供達はいつも、優しい従業員さん達と一緒に笑顔ではしゃぎ回っている。

 

 この日も例外ではなく、私が帰ってきたと悟るや否や、何人もの子供達が満面の笑みで私の乗るセイサイラーに集まって来る。

 

「おねーちゃん、おかえりー!」

 

「あそぼ、ねぇ、あそぼ!」

 

 いきなり子供に囲まれて面を喰らっている大路郎君に苦笑を見せながら、私は子供達に諭すような口調で話し掛ける。

 

「ちょっとだけ待っててね。このお兄さんを、案内しなくちゃいけないから」

 

「ふーん。お兄ちゃんって、なんでおねーちゃんといっしょなの?」

 

「え? ま、まぁ、俺は彼女に誘われたからで――」

 

「おねーちゃんの、おむこさんなの?」

 

 それを聞いた瞬間、私はムスッとした顔で、「おむこさん」発言をやらかした男の子にげんこつをお見舞いした。

 

 ちゃんと手加減はしたから痛がってはいないけど、なんで怒られたのかはわかってないみたい。

 

「なんでおこられたの? ぼく」

 

「きっとお兄ちゃんのこと、まちがえたからだよ」

 

「そっかー! じゃあお兄ちゃんは、おねーちゃんのだんなさまなんだね!」

 

 ――も、もう! これじゃあキリがないじゃない!

 

「ひかり? 顔が赤いけど……大丈夫か?」

 

「じ、大路郎君は早くバイクを停めて! 従業員さんが駐車場まで案内してくれるからっ!」

 

 自分でもわかってしまうくらいに頬を紅潮させたまま、私は遠くで手を振っている二十代くらいの従業員さんを指差す。

 

 大路郎君は「お、おう。わかりましたー! 今行きまーす!」と、私の態度にたじろぎながら従業員さんの指示に従い、セイサイラーを移動させていった。

 

 ひとまず、当の本人がこの場を去ってくれたことに一安心。

 

「もう……いきなり来たばかりの人に、あんなこと言っちゃダメよ!」

 

「ちがってたの?」

 

「ち、違うっていうか、その、今は違うけどいずれはそうなりたいっていうか……ああん、もう! とにかく、おねーちゃんとお兄ちゃんのこと、からかっちゃダメだからねっ!」

 

「からかってないよ! おーえんしてるんだよ!」

 

 ――純真無垢な子供達の瞳に、思わず言葉が詰まる。子供にやり込められるなんて……うう。

 

「――そういえば、瑳歩郎はどうしたの? 姿が見えないけど」

 

 ふと、私は子供達の中に自分の息子がいないことに気づく。そんな私の疑問に、さっきのおませさんが答えてくれた。

 

「いんちょーせんせーと、えほんよんでるよ」

 

「……そっか。ありがとう」

 

 私は男の子の頭をそっと撫でて、施設の中に向かう。大路郎君に孤児院を案内する気でいたけど、その前に瑳歩郎に「ただいま」と言ってあげたい。

 

 ――私だって、「お母さん」なんだから。

 

 老朽化の影響がちらほら見受けられる建物の中だけど、まだまだ施設としての機能は十分。

 

 私はひび割れた壁に手を添え、せめて子供達が独り立ちするまでは、彼らの居場所として存在していてほしい、と切に願う。

 

「……ある日、おじいさんと、おばあさんが……」

 

 その時、奥にある院長室の入口から声が聞こえてきた。

 

 私を育てて、守ってくれた院長先生がいる部屋。そのドアを慎重にノックして、私は反応を待つ。

 

「はい、どうぞ」

 

 帰ってきたのは、聞き慣れた、暖かい声。聞いていて、安心する声。

 

 私はゆっくりとドアを開き、その声の主と対面した。

 

「あら。お帰りなさい、ひかり。いつも元気で、なによりですねぇ」

 

「院長先生……ただいま」

 

 柔らかい笑顔で私を出迎えてくれた、優しげなおばあさん。この人が、私を支えてくれた院長先生「加室由里女(かむろゆりめ)」。

 

 この加室孤児院を創設した初代院長であり、今まで多くの孤児達を養育してきた人。

 

 私と鋭美は、この人のおかげで生きることができた。そして私は……瑳歩郎を産んで、育てることができたのよ。

 

 院長先生は椅子に座って、自分の膝の上に乗せた瑳歩郎に、「桃太郎」を読んで聞かせている。その向かいの椅子には……何故か大路郎君が座っていた。

 

「――おう、ひかり」

 

「大路郎君、どうしてここに?」

 

「あ、いや、駐車場にセイサイラーを停めた後に従業員さんに誘われてさ。是非院長に会ってほしいって言われたんだ」

 

「大路郎さんのことは、ひかりからよく聞いておりましたからねぇ。一度、お話をさせていただきたかったんですよ。鋭美のことについては、何とお礼を申し上げればいいのか……」

 

「いえ、俺は俺にできることをやっただけのことですから」

 

「あらまぁ、見かけによらず奥ゆかしいこと。ひかりも鋭美も、良い人を見つけたことですねぇ」

 

 院長先生は朗らかな笑顔で大路郎君を見詰める。

 

 瑳歩郎も、路郎君が来たことを喜んでいるらしく、桃太郎の絵本越しに大路郎君に注目して「パパー!」とはしゃいでいる。

 

「さぁさぁ、せっかく三人集まったのですから、近くの街にお出かけに行かれてはどうですか? 若い者同士で、心行くまで語り合うのがよろしいでしょう」

 

 すると、院長先生は瑳歩郎を膝からゆっくり降ろすと、大路郎君の元に行くように背中を押し、外に出ることを提案した。

 

「えぇ!? そんないきなり……!」

 

「私としては、ひかりや大路郎さんの時間を大切にしてほしいところですからねぇ。ここで絵本を読んでいるより、外に出てお天道様の恵みを受けるほうが、気持ちが晴れやかになりますよ」

 

 ニコニコと笑いながら、「さぁさぁ」と外出を薦める院長先生。先生のすることを優先して、さっきまで続いていた絵本の朗読を聞いていようとしていた私にとっては、かなりの急展開だ。

 

「おでかけ、おでかけ! パパ、ママ! いく!」

 

「瑳歩郎も乗り気みたいだし……ちょっと散歩にでも行ってみるか?」

 

「う、うん……」

 

 大路郎君の足にしがみついて元気に笑う瑳歩郎を見ていると、この流れに逆らうことがいかに無粋なことかを思い知らされる。

 

 結局、私達は孤児院の案内という予定を変更し、三人で街に繰り出すことになった。

 

 ――他の子供達の冷やかしに遭いながら孤児院を出る私の顔は、大路郎君いわく「噴火三秒前の火山のように赤かった」らしい……。

 



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後編 目指して行く幸せ

 日曜日というだけあって、街に出てみると大勢の人々が賑わっている。あちこちにいる親子連れや、カップルが休日を楽しんでいた。

 

 私達も、瑳歩郎を挟む形で一緒に歩いていた。……こうしていると、ホントの親子みたい。

 

「こ、こうしてると、ホントの親子みたいだな」

 

 目を合わせずに、照れ臭そうに頬を掻きながら大路郎君も同じことを口にする。どうやら、同じことを考えてくれていたらしい。

 

「うん……」

 

 それにつられて……ではないけど、そんな態度を見てしまったら、やっぱり私も照れてしまう。

 

 そんな私達を見て、瑳歩郎は無邪気に「パパもママもてれてるー」と笑うのだった。

 

「……ん?」

 

 ふと、大路郎君の足が止まる。

 

 なにか見つけたのかな? と気になった私が彼の視線を追うと、そこはヒーローのおもちゃ売り場。

 

 耳を澄ませば、路郎君が学園祭で歌った、「生裁戦士セイントカイダー」のメロディが聞こえて来る。

 

 そこには、瑳歩郎が持ってるのとはまた別の、「セイントカイダー」のソフトビニール人形が飾られていた。

 

 瑳歩郎が持っている人形は厳つい鎧を着た人の形だったけど、あそこに並んでいる人形は、体のラインがクッキリと出たスリムな形状になっている。

 

「なるほど。舞帆がセクレマンを継いでからAランクヒーローになったんだから、そりゃあ人気が出るよなぁ」

 

「ええと、確かあれもセイントカイダーなのよね? 瑳歩郎が持ってる人形とは……見た目が全然違うんだけど」

 

「ああ、瑳歩郎が持ってる人形は『生裁重装』のセイントカイダーだな。あっちの店で扱ってんのは、鎧を外して身軽になった『生裁軽装』。一応、生裁軽装に初めて変身したのも俺なんだが……あの人形の形からして、モデルは舞帆だな」

 

「あんなに遠いのに、よくわかるのね。長年の経験ってとこ?」

 

「だな。それにあの胸の大きさと腰のくびれ……舞帆以外には考えられないな。製作会社さん、いい仕事してるじゃ――あだっ!」

 

 ――今、私達は散歩をしている。これはデートじゃない。それはわかってる。

 ……だからって、私の前で他の女の子の話なんて、しちゃダメッ!

 

 その旨をしっかり伝えるべく、私は大路郎君を殴り倒して近くの喫茶店まで連行した。瑳歩郎はいきなりパパ(予定)がぶちのめされたことにポカンとしている。

 

 もちろん、そこからは地獄の説教タイムである。「女の子と一緒にいる時に、別の女の子の話をしてはいけない」。

 

 こんな当たり前のことを知らずに、臆面もなく舞帆さんに関してセクハラ発言をかましているところを見ると、どうやら彼は私と離れてから、あまり女の子とのお付き合いを経験してこなかったみたい。

 

 さっきの件は当然ながら許せないが、彼があっさり私を捨てて他の女の子とイチャイチャしていたわけではなかったのだと思うと、少しホッとした。

 

「……あのさ、ひかり。俺、話さなくちゃいけないことがあるんだ」

 

「えっ、どうしたの? 急に改まっちゃって」

 

 ふと、申し訳なさそうにこちらに目を向ける大路郎君に、私はキョトンとした顔になる。

 さっきの件とは違う話題なのだろうか。一体どうしたのだろう?

 

「俺さ、院長先生……加室さんから、いろいろ聞いたんだ。お前のこと」

 

「……」

 

 ――そっか、聞いちゃったんだ。たぶん、私が院長室に来るまでに聞いてたのね……。

 

「……苦しかったんだよな。苦しんだんだよな。俺の――ために」

 

 目を伏せて、気まずそうに絞り出された声に、私は深く頷いた。

 

 三年前。私は大路郎君のお兄さん――船越弌郎に強く迫られて、彼の子を、瑳歩郎を身篭った。

 

 もちろん、最初は拒否しようとした。私は路郎君が好きなのであって、そのお兄さんに好意があったわけじゃないから。

 

 だけど、彼は私に言った。

 

 「そんな重い女は、いずれ捨てられる」と。

 

 その瞬間、私は彼に逆らえなくなってしまった。

 

 花子のために、笑顔で頑張る大路郎君の姿を見てから、ずっと恋い焦がれていた。あの日、階段で彼と話す機会が出来た時は、運命だって思えた。

 

 その彼に捨てられる。そんなの、堪えられるはずがなかった。

 

 だから私は瑳歩郎を授かり、産むことを決意した。

 初恋は叶わない、という話はよく聞くけれど……彼を手放してしまったら、もう二度と彼のような男に出会えないような気がしていたから。

 

 鋭美も院長先生も、はじめは反対していたけれど、そんな私の決意を目の当たりにしてからは、それなりに了解してくれた。

 

 それに、私は『母親』に憧れていた。両親がいない私にとっては院長先生が親代わりだったけれど、それでも……「家に帰ったら、暖かく迎えてくれる母親」という存在に、強く惹かれていた。

 

 いつか幸せな家庭を築いて、自分の子供を優しく包んであげられるお母さんになりたい。そんな夢を抱いているのは、今でも変わらない。

 

 ……そう、命を授かったことは望んだわけではないけれど、瑳歩郎を産んだのは私の意志。

 

 だから、私は大路郎君のために自分を捧げている今を、後悔なんてしていない。それだけに、私のことを気に病んでいる彼の姿を見ているのは、心苦しい。

 

「お前は、俺のためにそこまで尽くしてくれたんだよな。……なのに、俺は」

 

「大路郎君……落ち込まなくてもいいのよ。これは私が望んだことなんだから。それに、あなたが私を忘れないでいてくれたことだけでも――」

 

「――いいや、俺は、忘れようとしていたんだ。お前のこと」

 

 その言葉に、今度は私の表情が不安に包まれた。

 

 ――忘れようと、していた? とにかく、話を最後まで聞かないと……。

 

「俺はお前と離れた後、お前を守れなかった自分が許せなくて――不良になった。俺みたいな奴が、女の子と幸せになれるわけが、なかったんだって」

 

「でも……舞帆さんに助けてもらったんでしょ? 元に戻れるようにって……」

 

「ああ。……俺は、『元の自分だったらこうする』って思うことを、片っ端からこなしていったさ。いつかまた、お前の時みたいに『女の子と一緒になれる』ようになる……って、信じて」

 

 ――やっぱり大路郎君、私のこと、ちゃんと見てくれてたんだ。嬉しいな……。

 

「だけど、少しずつ周りの評判とか、自分自身が昔に戻っていくのがわかってくると……不安になるんだ。お前のこと、思い出してさ」

 

「……!」

 

「また、どこかで間違えるんじゃないか。なにかを間違えるんじゃないか。そう考えだしたら、不安な気持ちが止まらなくなってたんだ。だけど、そんなことじゃあいつまで経っても前に進めないってこともわかってた。だから、俺は――」

 

 瑳歩郎の頭を優しく撫でながら、彼は死刑判決を受け入れたかのような、全てを諦めた顔になる。

 

「――お前を、忘れようとした。舞帆や、平中に興味を持とうとして、お前の記憶を、拭い去ろうとしてたんだよ」

 

「……でも、大路郎君は忘れられなかったんだね」

 

「ああ。忘れられなかった。どれだけ何もなかったかのようなそぶりをしたって、お前の顔が頭を離れることはなかったよ。むしろ、お前を忘れようとするたびに、俺はお前のことが心配になってた」

 

 何の事情も知らず、無邪気にセイントカイダーの人形で遊ぶ瑳歩郎を見つめながら、大路郎君は自嘲気味な口調で、自分自身の行いを振り返っていた。

 

「俺はそのことを、『忘れないように努力しているんだ』なんて、都合よく解釈してたよ。でも、加室さんからお前の話を聞いて、気づかされた」

 

「大路郎君……」

 

「『忘れたくても、忘れられなかった』んだ。俺自身の意志なんかじゃどうにもならないくらい、お前の存在が俺の中で大きくなってたんだ」

 

 彼は遠い目で青く澄み渡る空を見上げ、ふぅ、とため息をつく。自分の心とは裏腹に綺麗な青空が眩しい……とでもいいたげな顔をしている。

 あなたは汚れてなんか、いないのに。

 

「それがわかった以上、俺はなにがなんでもお前に尽くすべきなんだって思った。でも……お前のことを見捨てようとした俺に、そんな資格があるわけないよな」

 

 彼はそこで言葉を切ると、断罪を待つかのような目で私を見据えた。

 

「だから、俺はその資格が欲しい。お前に償える、資格が。許してもらえるなんて思っちゃいないけど、それでもお前のために、なにかがしたいんだ」

 

 ――やっぱり、わかってないんだなぁ。この人は。「資格」なんていらないし、そもそも償うようなことなんて、ないのに。

 

 忘れようとしていようが、いまいが、結局は私のことをちゃんと覚えてる。それで、十分なのに。

 

「本当にそんな資格のない人間が、わざわざ自分の間違いを人に話すのかしら?」

 

「……え?」

 

「そんなに欲しいなら、いますぐあげます。貰っちゃうのは、むしろ私の方なんだけど――ねっ!」

 

「――!?」

 

 ――でも、そんな奥ゆかしい路郎君も、私は大好きよ。

 不意を付いて重ねた唇が、それを証明してる。これで、鋭美とは引き分けね!

 

「じゃあ、私のためにしてほしいことが一つあるの。これから週一回、孤児院のみんなと遊んであげて! 約束よっ!」

 

 私にしては、珍しくノリノリの口調だった。勢いとは言え、大路郎君と念願のキスを果たしたんだから、当然よね。

 

 何が起きたか判断出来ず呆然としている大路郎君と、「ママとパパがチューしたー!」と大喜びの瑳歩郎の手を引いて、私は帰路につく。

 

 この時、私はきっとものすごく真っ赤な顔になっていただろう。あれだけ大胆なアプローチを初めて試みたんだから。

 

 でも、不思議と恥ずかしさはあまり感じなかった。「大路郎君と距離が縮まったように感じた」……という、恥じらいを超える喜びに包まれていたからに違いないっ!

 

 この日以来、大路郎君は度々孤児院に足を運ぶようになり、子供達ともすっかり仲良しになってしまった。

 

 瑳歩郎がいろいろと言い触らしたせいでしょっちゅうからかわれているようだが、それを含めて、私も彼も幸せな時間を過ごすことができた。

 

 院長先生や子供達に囲まれている今でも十分幸せだけど……いつかきっと、大路郎君と――

 

「けっこーん! パパとママ、けっこーんっ!」

 

 も、もう瑳歩郎っ! いいところなのにからかわないでよ〜っ!

 



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番外編 狩谷鋭美の恋路
前編 ヒーローとヴィランの遊園地デート


 アタシは今日、勝負に出ると決めた。

 

 抜け駆けと言われるかも知れない。卑怯と言われるかも知れない。

 それでも、アタシはアイツを捕まえたい。

 

 だから今、アタシは仮釈放の期間を利用して、アイツにデートの約束を取り付けた。

 

 今日は近場の遊園地にアイツを呼び出し、二人っきりで過ごす予定だ。

 いつも仮釈放でアイツと会う時は、ひかりや瑳歩郎、それにあの桜田舞帆や平中ってヤツも一緒だったが……今日だけは、アイツしかアタシに会わない。

 

 「なんで皆を呼ばないんだ? 多い方が楽しいって思うんだけどなぁ……」なんて言うアイツを説得するのは、苦労したよ。

 

 「アンタ一人で来ること! 絶対! 絶対! ぜぇえぇえ〜っ、たいっ!」って必死に訴えなくちゃ、デートも満足に出来ないなんて……参るわよ、全く。

 

 辺りを見渡せば、親子連れやカップルが和気藹々と遊園地の入口ゲートを通っていく様子が伺える。

 うぅ、あそこのカップル、あんなにくっついちゃって……爆発しろっ!

 

 ――それにしても、「デート」、か。

 

 今までヒーローのことか、桜田家への復讐のこととかで頭一杯だったのに。いつの間にか……アタシの頭はアイツ一色になってたな。

 

 「Bランク殺し」なんて言われてたこの狩谷鋭美が、Fランクのヒーローなんかに落とされるなんて――考えたこともなかった。

 

 あんな血まみれになってまでアタシに立ち向かった上、勝った後はアタシの味方になろうとした……。

 何がアイツをそうさせるかなんて、とっくに答えは出てる。

 

 桜田舞帆……全てはアイツのため、か。

 

 あの一件からしばらく経った頃、アタシはアイツに今まで襲い続けてきたことは謝った。だけど、関係は未だに最悪だ。

 

 復讐のことで根に持たれてるわけじゃない。……船越のことだ。

 

 「今までのことは謝るけど、船越のことについては別よ。アイツは将来アタシと結婚するんだから、アンタはこれ以上アイツにちょっかい掛けちゃダメ!」って言ってやったら、「それは船越君が決めることでしょう!? 後から出てきた、ポッと出のあなたこそ、船越君の人生を勝手に決めないでッ!」とか言って、めちゃくちゃ怒り出してしまったわけ。

 

 以来、アタシ達は顔を合わせては口喧嘩ばかりするようになった。

 

 時々、ひかりや平中ってヤツが加わって来る上に、つかみ合いに発展することもある。その度に船越が仲裁に入ろうとするんだけど、いつも巻き添えを食らってボロ雑巾のようにされてしまっていた。

 

 ……ア、アタシは悪くないわよ。アタシは。

 

 ……でも、「ポッと出の」なんて言われた時は、さすがにカチンと来たわね。

 大事なのは、どれだけアイツが好きかって気持ちでしょ? 後から出てきたとか、そんな順番、関係ないじゃない!

 

 ああもう! 思い出すだけで腹が立ってきた! 大体、一番船越に迷惑掛けてる女ってアイツじゃない! 全然関係なかったはずの船越を、自分の家庭事情に巻き込んで大怪我させたりしてさっ!

 

 ……だけど、そのおかげでアタシは船越に会えたのよね。そこは……認めてあげても、いいかな?

 

 でも、だからって! 船越を渡すわけには――

 

「いかないっ!」

 

「え、行かないの?」

 

「……は?」

 

 あれ? 船越――もう、来てた?

 

 声が聞こえた方に振り返ってみると、そこにはポカンとした顔でこっちを見てる船越の姿が!

 アタシと初めて会った時のレザージャケットを着てる姿は、やっぱりいつ見てもカッコイイ……って、今はそれどころじゃないっ!

 

「いや、遊園地に行こうって言ったのはお前じゃないか。『行かない』って……じゃあどうすんの? せっかくの仮釈放なんだし、神室孤児院に行って挨拶とか――」

 

「あああぁあ〜っ! 違う違う違う違う違〜うっ! 今のはそう言う意味じゃなくってぇ〜!」

 

「『そう言う意味じゃない』、ねぇ……わかった! 絶叫マシンの類には乗りたくないってことか」

 

「え? そ、それも違うわよぉ!」

 

 むしろ絶叫系は大好きだからっ! アタシがダメなのは――

 

「お化け屋敷なんだからっ!」

 

 ――あ。

 

 思わず口に出してしまった、誰にも知られたくない、アタシの唯一無二の大弱点。よりにもよって、船越に知られるなんて!

 

「へぇ、お前ってお化け屋敷がダメなのか? ワイルドな女の子だって思ってたから、ちょっと意外だな」

 

「ちちちち、違うわよ! お化け屋敷がダメだっては、ええと、その……」

 

 大丈夫、大丈夫! まだギリギリセーブよ! 何か理屈を付けてごまかせば……!

 

「そ、そう! キャラ作りよ、キャラ作り! ア、アンタってモテなさそうだから、女の子とデートなんて滅多にできないでしょ!? だからアンタがリードしやすいように、そういう設定にしておいて上げたのよ! 感謝なさい!」

 

 ……ああ、やっちゃった。大失敗。

 

 我ながら何なのよ、この無茶苦茶で強引な「設定」。そもそも船越は現在進行形でモテまくりじゃないのっ!

 

「いや、まぁ……確かに俺ってモテない方だし、そこを心配してくれてるのは確かにものすごくありがたいんだけどさ……」

 

 ――って、自覚ないんかいっ!? こんの鈍感チビマッチョっ! アタシ達の気持ち、ことごとくシカトしてんじゃないわよっ!

 

「それを俺に喋ったら、意味なくないか?」

 

「ぎっくぅ!」

 

「そんな『キャラ作り』気にしなくていいからさ。今日はお前の行きたいところに行こうよ。リードしようにも、俺ってお前の好みとか全然知らないんだし」

 

「あ……」

 

「せっかくの仮釈放なんだし。どうせ二人だけじゃないとダメなんだったらさ、お前のしたいことをした方が楽しいに決まってるよな」

 

 そう言って苦笑いする船越の顔は、あれこれと自分を演じようとしてたアタシが恥ずかしくなるくらい、眩しく映った。

 

 ……なんで、アンタはそんなに優しいのよ。アタシは、アンタをあれだけ痛め付けたのよ? 敵視したり、蔑んだりするのが普通でしょうが!

 

 そんなに優しくされたら――アンタしか、見えなくなるじゃないの……。

 

「……責任、取ってよね」

 

「うん? 何の責任か知らないけど、お前が取ってほしいって言うんなら、俺が取るよ」

 

「――バ、バカ!」

 

 そう言って、アタシは素直じゃない言葉を口にしながらさっさと遊園地に入っていってしまった。

 

 病院の時はあんなに積極的になれたのに、二人っきりになると急に緊張しちゃう……。

 「バカ」なんて言う気はなかった。「愛してる」って、そう言いたかったのに。

 

「え、えぇ!? おのれ、どこへ行く!」

 

 焦った表情の船越がチケットを手に、アタシを追って走って来る。あわてふためく姿は、低めの身長も相まってギュッとしたくなるくらい可愛い!

 

 少しばかり走った後、船越はなんとかアタシに追いついた。やっぱり筋肉がやたら重たいせいなのか、アタシよりだいぶ足が遅いみたい。

 大した距離を走ったわけでもないのに、ぜぇぜぇと息を荒げている。

 

「ハァ、ハァ……ここに行きたい、のか……?」

 

「えっ?」

 

 船越がアタシに追いついたところでアタシ達の眼前にあったのは――まさかの「お化け屋敷」だった。

 

 予期せぬ緊急事態に、アタシは自分でもわかるくらいに顔面蒼白になる。

 

「い、いや、別にアタシはこ、こに来たかったわけじゃあ……!」

 

「さっきも言ったろ。キャラなんて作らなくてもいいんだからさ、お前の好きなようにしたらいいじゃないか」

 

 朗らかな笑顔で、お化け屋敷行きを薦める船越に、アタシは思わず頭を抱える。あんなこと、言うんじゃなかった!

 

 で、でも、ここで本当にお化け屋敷が苦手だってことがバレたら、笑われるかもしれないし、なんかお化け屋敷に行かなきゃいけない空気にもなってるし……こ、こうなったらぁぁぁぁっ!

 

「しょ、しょしょしょ、しょーがないわねぇっ! そ、そこまでアンタに言われちゃあ、こっちも引き下がれないわっ!」

 

「え? 別に俺は挑発するような事は――」

 

「さ、ささ、さぁ! 行くわよ船越ッ!」

 

「ああ、それはいいんだけど……足が震えてるぞ? うんこ行き――あ、違う。お腹痛いのか?」

 

「ち、ちが、違うわよっ! 武者震いよ、武者震い!」

 

 アタシは目一杯虚勢を張って、船越の手を引いてお化け屋敷に入っていく。

 もう、どうにでもなれっ! 「当たって砕けろ」よっ!

 

 薄暗く、おどろおどろしい通路。時々聞こえて来る、他のペアの悲鳴。

 自分を包囲している空間の全てに怯えながら、アタシは船越にしがみついていた。も、もうダメ、泣きそう……。

 

「おい狩谷、歩きにくいぞ」

 

「デ、デッデデデ、デートっていうのは、そそ、そういうものよっ!」

 

 アタシは両腕で船越にピッタリと引っ付き、恐怖を掻き消そうと奮闘する。胸が当たるとか、そんなの気にしてられない!

 

 すると、いきなり目の前が明るくなり、白い顔の女がヌッと出てきた!

 

「いやあぁあぁ〜っ!」

 

「お、おい、狩谷?」

 

「うえぇ〜ん、怖いよぉ〜! ひかりぃ、院長先生ぇ、船越ぃぃ〜っ!」

 

 もう、堪えられない……。恥も外聞も捨てて、アタシは船越の胸に顔を埋めて泣きじゃくる。

 

 目を閉じている上に、到底顔を合わせられない状況だから実際のところはわからないけど……きっと、船越は困った顔をしてる。

 

 無理もないわよね、「お化け屋敷なんて平気」みたいな振る舞いをしていた女が、いざ入った途端にべそまでかいちゃうんだから。

 

 その後、アタシはさらに腰まで抜かしてしまうという大失態を犯してしまい、自分より小さい男におんぶされて、お化け屋敷を出ることになってしまった。

 

 うぅ……もう、お嫁に行けない……。

 



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後編 ヒーローとヴィランのコンビ

「えーと、お、俺、飲み物買ってくるよ」

 

 お化け屋敷を出た後、気まずくなったアタシはベンチに腰掛け、船越が気を利かせようと自販機にダッシュして行ってしまった。

 

 アタシの好みを推測しようと、首を捻っているアイツの横顔を遠目に眺めて、アタシは本日最大のため息をつく。

 

「はぁ〜……」

 

 最悪だ。最悪にもほどがある。

 

 なんで、こんなことになっちゃったんだろう。アタシはただ、船越に自分のことを見ていて欲しかっただけなのに……。

 

 つまらない見栄を張ったせいで赤っ恥をかいて、さんざん困らせて――やっぱり、アタシって最低な女ね。桜田舞帆の方が、まだマシじゃない。

 

 そうやって自分の浅はかさを呪いながらぼんやりと青い空を眺めていると、太陽の光を遮って、アイツのシルエットが視界に入ってきた。

 

「お待たせ! お前の好みとかよくわかんなかったんで、無難にコーラにしてきた!」

 

「え……!」

 

「ん、どうした?」

 

「あ、いや、別に……あ、ありがとう」

 

 どうしよう。勢いで受け取っちゃったけど……。

 

 た、たぶん船越はアタシが「ワイルドな女の子」だって思ってるから、コーラが無難だと思ってるみたいだけど……。

 

 ――アタシ、炭酸が飲めないのよ〜!

 

 あの口の中でシュワッてなる感じがどうにも慣れなくて、昔から大の苦手だったのにぃ……。

 

 で、でも! これ以上恥はかきたくない! これ以上、子供みたいなところは見せられないぃ!

 

「えいっ!」

 

 流れと勢いに身を任せ、アタシは詮を開いてぐいっと一気に流し込む!

 

「狩谷?」

 

「……ん、んん、んんんんん〜っ!」

 

 あ、頭のてっぺんから足先まで電流がぁ〜っ! ビ、ビリビリ来るぅ〜! か、感電してるみたぃぃ〜!

 

 久々に口にした炭酸の破壊力は、予想を遥かに凌ぐものだった。アタシは缶を素早く隣に置いて、噴き出さないように両手で口を覆う。

 

「ん、んぅう〜っ!」

 

「お、おい? 大丈夫か?」

 

 船越が心配そうな顔で覗き込んでくる。い、いや……見ないで、見ちゃダメ……!

 

 体をくねらせて、コーラが侵入した体内から暴れだそうとする痺れに堪えようとする。それから僅かな時間が過ぎて、ようやくアタシの全身に絡み付く電流は収まった。

 

 ほんの数十秒の戦いだったが、当事者のアタシには永遠のように感じられた。

 

 そこから少し落ち着いて我に帰ると――船越が驚いたような顔をしていた。

 

 アタシはそこで、自分がコーラを一口飲むためにどれほど身もだえていたのかを思い出し、その一部始終を見られていた事実に赤面せざるを得なかった。

 

「あ、そ、その、これはっ……!」

 

「……お前、炭酸ダメだったの?」

 

 バカにしているわけでも、哀れんでいるわけでもない。素直に驚いているだけのような声色だった。

 その純朴さに甘えるように、アタシは小さくコクっと頷く。

 

「そっかー……悪かったな、つい偏見で選んじまって。じゃあ、コーラは俺が飲むよ」

 

「え?」

 

「だから、こっちのカルピスはお前にやる。炭酸じゃないから別にいいだろ?」

 

「えええっ!?」

 

 ちょ、ちょっと! それって間接キス……!?

 

 アタシの考えてることなんて気にしていない様子で、船越はサッと自分とアタシの飲み物を入れ替えてしまった。

 

 そして自分は何の苦もなしにコーラをグイグイ飲んでいる。アンタねぇ、ちょっとは意識したらどうなのよ!

 

 ……で、アタシはというと。カルピスの缶を手に、固まるばかりだった。

 前に病院で直接キスをしたことはあるけど、あの時はホントに勢いだけだったし、今の心境だと間接キスでも勇気がいる。

 

「船越の……カルピス……」

 

 だけど腹を括って、頭のスイッチを入れてしまえば、後は前進あるのみよ。

 

 ――きっと、今のアタシはとんでもなくとろけた顔をしてるに違いない。

 

 気がつけば、アタシは船越が口を付けた部分を舌でなめ回しながら、アイツが飲んだカルピスの味を享受していた。

 

 そして、アタシは思い切り幸せな顔でゴクッと「船越の」カルピスを飲み干してしまう。

 

「あれ、ちょっと垂れてるぞ」

 

「えっ? 垂れてる?」

 

「ほら、顔貸してみろ」

 

 すると、船越は掌でアタシの頬を覆うようにして、アタシの首を自分の方に向けてきた。

 

 どうやら、「船越の味」に夢中になりすぎたせいで、口元にカルピスの水滴が垂れていたらしい。

 

 船越は持っていたハンカチで、アタシの口元から白い液体をサッと拭き取ってしまう。

 

「……舌でペロッと舐めてほしかったな」

 

「え、今なんて?」

 

「――な、なんでもないわよ!」

 

 それからアタシ達はジェットコースターやメリーゴーランドを巡り、一日中遊園地を楽しんだ。

 

 お化け屋敷やコーラのことには一切触れないまま、船越はアタシの行きたいところ、やりたいことにずっと付き合ってくれた。

 

 何も言わずに、ただアタシが楽しむ時間だけを……大切にしてくれた。

 

 うん、やっぱり――アンタを好きになって、よかったよ。

 

 夕暮れになる頃には遊園地を後にして、レストランで食事を楽しみ、時間の許す限り語り合った。

 

 刑務所の牢屋で暮らしているアタシにとって、外の世界で好きな人と過ごせる時間というのは、これ以上ないというほど格別だったわ。

 

 でも、楽しい時間はすぐに過ぎるもの。気がつけば夜の帳も下りて、仮釈放の時間が終わる瞬間が近づこうとしていた。

 

 アタシは迎えの車が来る場所まで船越に送って貰い、そこで最後の言葉を交わすことに決めた。

 

「ここに、迎えが来ることになってるから……」

 

「そっか。――じゃあ、次は加室孤児院にでも行こうぜ。みんなとさ」

 

「……そうね」

 

 もっといろいろと、言葉を交わしたかったけど、もう車が見えてきていた……。

 

「ねぇ、船越」

 

「ん?」

 

 ――だから、せめて確かめておきたい。船越の、気持ちを。

 

「アタシとの約束……一緒にヒーローになる約束、忘れないでね?」

 

 それだけが、ただただ不安だった。

 

 アタシよりずっと魅力的な女の子なら、星の数ほどいる。

 そんな連中に船越が惹かれて、牢屋にいるアタシのことなんて忘れてしまっていたら……なんて思うと、胸が張り裂けそうだったから。

 

 だけど、当の船越は「なんだ、そんなことか」と言わんばかりの苦笑いを浮かべて、「心配ないよ」と表情で伝えて来る。

 

「ああ、忘れるもんか」

 

「ほ、ホントにね?」

 

「忘れないったら! そこまで言うなら、こうするか?」

 

 すると、船越はズイッとアタシの前に出ると、右手の小指を突き出してきた。

 ――古典的だけど、嫌いじゃないわね。

 

 アタシは深く頷いて、自分の右手の小指を、船越の指に絡ませた。そして、誰もが知っている決まり文句を口にする。

 

「ゆーびきーりげんまん、うそついたーらハリセンボンのーます」

 

「ゆーびきった!」

 

 子供みたいだけど、アタシにはそれが嬉しかった。まるで、憎しみに染まるずっと前のような、子供の頃に戻れたような気がして。

 

 ……もし、小さい頃から船越がずっと傍にいてくれたら――アタシはきっと、罪なんて犯せなかったわ。

 好きな人を悲しませるようなことなんて、できるはずがないもの。

 

「狩谷鋭美。刑務所に戻る時間だ」

 

 そんな感慨を断ち切るように、刑務官の冷たい声が突き刺さる。同時に、その一言でアタシは今の自分の立場を思い知らされてしまった。

 

 どんなに綺麗事を並べたって、今のアタシは囚人。

 本来、外の世界の人間――ましてや、人々を守るために戦ったヒーローと恋ができるような身分なんかじゃないのよ。

 

 はは、やっぱりアタシなんか船越とは釣り合わないのかな……?

 

「船越。今日のアタシ、無様だったでしょ? 嘘ついて、見栄張って、そのくせ大泣きして腰を抜かして、大人ぶるくせに炭酸も飲めないなんて、笑っちゃうよね?」

 

「……」

 

「やっぱ、もう、我慢なんてしなくていいよ。思う存分、アタシを笑えばいいわよ。どうせ、アタシは囚人なんだから。最低の、女なんだから」

 

 そんな自嘲の心が生まれたせいなのか、アタシは自分が恥だと思っていたことを、自ら口にしてしまった。

 

 よくわかったわ。一番船越に迷惑掛けてる女は――アタシだってことが。

 

 でも、船越はなぜか、違うことを口にした。

 

「そんなこと、あるわけないだろ」

 

「……えっ?」

 

 涼しい顔で、それでいて「間違いない」と断じているような「自信」を感じさせる雰囲気を放ちながら、船越はハッキリとそう言い切った。

 

 驚いて振り返るアタシの表情はおそらく、諦めかけていたはずの慈悲を求めているような自分の心境が現れていたのだろう。

 

 船越はアタシの顔を見て、「そんな悲しそうな顔するなよ」と優しげに微笑んでいる。

 

「いろいろと背伸びして、頑張ってて、泣くこともある。そんなお前は、すごく可愛かった」

 

「か、かわいい……!? アタシが、本当に……!?」

 

 その言葉で、アタシは病院の時に感じていた喜びを思い出していた。あの時も船越は、アタシを「可愛い」って言ってくれた。

 アタシが囚人になった今でも、「可愛い」って……!

 

「お前は誰も殺しちゃいないんだ。だから、いくらでもやり直せる。俺、それまで待ってるから! だから、いつか一緒にヒーローになれるように――」

 

 そこで一度言葉を切り、船越はアタシに最後の言葉を掛けてくれた。

 

「今日の笑顔を、枯らさないでくれ」

 

「……うん……!」

 

 もう、アタシはそれしか言えなかった。ちゃんと、「またね」も言えずに、ただ微笑みながら泣くばかりで。

 

 いいよね? アイツの前でだけなら、どれだけ泣いたって。どれだけ、甘えたって。

 

 アタシ、笑顔でいるから。アタシと、アイツのために、笑顔でいたいから……。

 

 そして、アタシはやり取りをしばらく見守っていた刑務官の車に乗せられ、刑務所に送り返されることになった。

 

 やがて冷たい牢屋の鉄格子に戻されると、向かいの牢屋に入れられている所沢に声を掛けられた。

 

「狩谷、またあのチビに会ってきたのか?」

 

「ああ。楽しかったよ。本当に……楽しかった」

 

「お前も物好きなもんだ。根性は認めるが、そこまで入れ込む価値があんのかよ」

 

「アンタよりは遥かにあるわよ。で、あの変態野郎は大人しくしてた?」

 

 アタシの問いに、所沢はちょいちょいとアタシの囚人用ベッドの方を指差した。

 首を傾げてベッドの下を覗き込むと、そこには二十代後半くらいの、いけ好かない囚人野郎が縛り付けられて転がっていた。

 

「お前の言う通り見張ってたらよ。案の定、他の女囚にちょっかいかけようとしてたんだぜ、そいつ。目障りだったんで、お前が料理しやすいように、警備員がいない間にそこへぶち込ませてもらった」

 

「……でかしたわ、所沢。全く、次から次へと女に手ぇ出しやがって! 女を何だと思ってんのよ!」

 

「ひ、ひひぃぃ! 勘弁してくれよボインねーちゃんっ!」

 

 アタシの威嚇にビビりまくってるこの男の名は、船越弌郎。

 大変な女好きの囚人らしく、しょっちゅうその辺の女囚に絡もうとしてる変態野郎よ。

 

 五ヶ月前にアタシと所沢がここに来たときは、アタシにまで絡もうとしてきやがったからな。まぁ、その場でぶちのめしてやったけど。

 

 なんでも、アタシと同じくらいの年頃の女の子を妊娠させたことまであるらしい。寒気がするレベルだわ。

 

 そういうわけで、この刑務所に来てからアタシと所沢は、日常的にこの変態野郎に制裁を加えるようになっていたってわけよ。

 

 それにしても本当に腹が立つ! なんでこいつみたいなケダモノがアタシの好きな人と名字が一緒なわけ!?

 しかも下の名前まで近いじゃない! 何の嫌がらせよッ!

 

「とにかく、アンタだけは許さないわよ。骨が折れないことだけ祈ってなさいッ!」

 

「ひぃぃ! ゆ、許し――ギャアアアアアアアーッ!」

 

 アタシの断罪を食らった船越弌郎の悲鳴が、刑務所中に響き渡る。ここじゃもはや日常茶飯事だけどね。

 

 ――あっ! あの変態野郎っ、縛りを自力で解いて逃げ出してるっ!

 この狭い牢屋の中で逃げ回ろうなんて、往生際が悪過ぎんのよっ! 待っちなさい、コラァァァーッ!

 



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番外編 生裁戦士セイントカイダーll
第1話 三代目のセイントカイダー


「あの子が?」

 

「はい……きっと、もう限界なはずなんです!」

 

 校長室の入口から、そんな話し声が聞こえよがしなまでに俺の耳に入ってくる。

 そこの奥から俺のいる廊下まで響いて来るのは、落ち着いた大人の女性と、切迫した様子でいる女の子の声。

 

 誰が何の話をしているのかは、考えるまでもなかった。

 

「確かに、彼はここ最近疲労が堪っている感じではあったけど……まさか、そこまでだったとはね」

 

「これ以上、あの人に負担を掛けたくない! あの人を、助けたいんです! なのにっ……」

 

 やがて俺の聴覚が捉えたのは――女の子の涙ぐむ声だった。どうにかしたくても、どうにもならない。

 

 そんな少女の理不尽な現状への嘆きが、沈痛な涙声となって俺の耳に突き刺さる。

 

「あの人はいつも笑って『大丈夫だ』とか『心配しないで』って言うばかりで……自分の体のことなんて、ちっとも考えなくて……!」

 

「彼のコンディションに悪影響があるのは見過ごせないわね。かと言って、彼の性格を考えたらぶっ倒れるまで仕事してそうだし……」

 

「な、なんとかならないんですか!?」

 

 今度は縋り付くような声。切実に、助けを求めているような声色だ。

 

「本来なら、体調のことを考えて休ませてあげたいところなんだけど、最近はこの近辺も物騒になってきてるらしいからね。休養を与えるどころか、実戦に遭遇する可能性もないとは言えないタイミングなのよ」

 

「そんな――! あんまりですっ! 勇亮君が死んじゃいますっ!」

 

 耳栓が欲しくなるような悲鳴を上げて、女の子は必死に抗議する。

 そんなこと言ったって無駄なのは、わかってるだろうに……。

 

「……ええ、そうね。あんまりなのはわかってるし、このまま放っておくつもりもないわ。私が本人に話を付けてあげるから、あなたはしっかり自分の仕事に集中して」

 

「ホ、ホントですか? 校長先生!」

 

「任せなさい。これでも、私はセイントカイダーの元設計者兼管理者なのよ? 『現役』の管理に役立ちもしないで、校長ヅラしてられないわ」

 

 諭すような口調で、現校長の達城朝香は半泣きになっている女の子――山岡絵麗乃(やまおかえれの)を説得する。

 絵麗乃は校長先生の言葉を信じたのか、「はい!」と元気に答えた。

 

 彼女の足音が聞こえだした瞬間、俺は辺りを見渡して、校長室の入口から逃げるように立ち去った。このまま突っ立っていたら、彼女と鉢合わせしてしまう。

 

 そうなれば、「今の話聞いてたの?」とか聞かれて、余計に話がこじれてしまっていただろう。

 

 それにしても……ここまで絵麗乃の信頼を欠いているとは思わなかったな。

 以前、パトロールから帰った後に、彼女に校舎の裏で仮眠を取っているところを見られたのがマズかったみたいだ。

 

 確かにハードスケジュールな点はあるかも知れないが、あそこまで心配されるようなことはないのに。

 全く、心配性だよな、あの娘は。

 

 ――まぁ、仮にそれくらい俺が疲弊してるのだとしても、助けを借りようとは思わないわけだが。

 

 この俺、生徒会書記・栂勇亮(つがゆうすけ)は宋響学園のヒーロー「セイントカイダー」として、強く在りつづけなくてはいけないんだから。



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第2話 謎の初代セイントカイダー

「……失礼します。二年Aクラスの栂です」

 

 翌日の放課後、俺は予想通りに校長先生に校長室まで呼び出され、詰問を受けた。

 

 「なぜ他の生徒会役員に、頼ろうとしないのか」。

 それが主な内容だった。校長のデスクの前に立つ俺の眼前には、取調べを始める刑事のような面持ちで椅子に座る校長先生の姿がある。

 

 女に疎いと言われる俺でもわかるくらい、スーツをピシッと着こなしている彼女からは大人の色香が感じられた。

 しかし、今はそんなことに気を取られている場合ではない。

 

 この宋響学園の生徒会執行部に身を置く役員は、任命されてすぐに「ヒーローライセンス」の資格試験を受けることが義務付けられている。

 

 その試験に合格し、スーパーヒーロー評議会公認のヒーローだと認められれば、「生裁戦士セイントカイダー」の変身システムの運用を任され、学園のアイドル的存在となってPR活動を行うことになるのだ。

 

 余談だが、取得したライセンスは卒業後も別のヒーローになる際に使うことができる。「セイントカイダー」になることは、俺のような若手ヒーロー志望にとっての登竜門なわけだ。

 

 昨年度は本邦初の「教育機関のヒーロー」ということもあり、舞帆先輩の活躍で多大なPR効果を発揮し、今年度の入学希望者は過去最大のものとなっていた。

 

 ――その「セイントカイダー」としての「PR活動」で生徒会方面での活動が多忙になった場合、変身者は自分が担当している仕事のいくらかを、他の役員に委託することができる。

 

 俺はなんとかAランクのライセンスを取得して、セイントカイダーに変身する資格を掴んだが……生徒会での活動に手を抜いたことはない。

 

 本来ならば、三日に一回は周囲に委託することが推奨されている現在の環境で、俺はセイントカイダーになってから一ヶ月が経つ今になっても、一度も活動を休んでいなかった。

 

 助けてもらおうとは、思わない。

 自分の都合で他人の手を煩わせないように、俺はもっと強くならなくてはいけないんだ。

 

「絵麗乃の信用を得られなかったのは、俺の力不足です。以後はこのようなことにならないよう、従来以上の心構えで事に当たりたいと思います」

 

「その『信用』っていうのは何なのかしら? 『あなた一人さえいれば、後はなんとでもなる』なんていう、無責任な言い分のことじゃないでしょうね?」

 

「それは……」

 

「あの娘がそんないい加減な気持ちを持ってると思うの? ……いい? 私はあなたに何もかも一人でしょい込んで欲しくて、今の体制を作ったわけじゃないのよ。たった一人でも戦おうとする無茶苦茶な奴がいたからこそ、助け合いが必要なこの制度に決めたんだから」

 

 そう話す校長先生の目は、どこか遠い場所を眺めているかのようだった。

 「たった一人でも戦おうする無茶苦茶な奴」……か。

 

 先代セイントカイダーの桜田舞帆先輩のことだろうか? しかし、彼女は協調性に溢れた社交的な性格だったと聞いているが。

 

「さっきは『自分は信用されてない』なんて言ってたけど、実際のところはあなたの方が周りを信用してないだけなんじゃないかしら? 協力もせずに『あいつ一人にやらせれば上手くいく』とか言うような、自分勝手な連中がのさばる生徒会になるなんて、私は絶対に認めないわよ」

 

 許さない、と断じるような校長先生の剣幕に、思わず一瞬だけたじろいでしまった。なんとか気を持ち直そうと、息を呑みながらも俺はもう一度口を開く。

 

「いえ、決してそう言うわけでは――」

 

「じゃあ何? あなたはあの娘たち生徒会が心配してるって言うのに、それに取り合おうともせずに自分一人で解決するなんて言うつもりなのかしら? それが実現できるほど、あなたは強くはないはずよ。だからこそ、彼女はあなたを案じてる」

 

「だから、俺は今以上に強くなって、それでっ……!」

 

「周りには頼りたくない、かといって心配もされたくない。だから身の丈以上の力が欲しいってわけ? 痛々しい発想ね」

 

 校長先生は呆れた顔で俺を一瞥すると、こことは違うどこかを目指すような顔で、窓の外に目を向ける。

 

 ――俺は、この学園のヒーローなんだから。

 なんでも出来なくちゃいけない、学園のみんなの期待に応えなくちゃならない。そう思うことの、なにが痛々しいって言うんだ……?

 

「まぁ、そんな強情っ張りなところはウチの娘やあのおバカによく似てる、けどね」

 

「……?」

 

「――そうだわ、私があれこれと口を挟むよりかは、年の近い若者同士で答えを出した方がマシかも知れないし……」

 

 すると、校長先生は俺に視線を戻してゆっくり椅子から立ち上がり、真っ向から向き合うように目線を合わせてきた。

 

「一番最初にセイントカイダーに変身した人間――そいつに会ってきなさい。『先人の体験談』くらい説得力のあるものじゃなきゃ、あなたみたいな頑固者は動かないでしょう?」

 

 ……先人の体験談、か。

 

 となると、やはり桜田舞帆先輩に会いに行くことになるのか。

 あの人とは俺がセイントカイダーに選ばれた時、応援の言葉を貰って以来だ。

 

 あの人なら、今は宋響学園から少し離れた街中にある「城巌大学(じょうがんだいがく)」に通っている。この辺では屈指の一流大学だな。

 

 ――俺の何が変わるのは知らないが、何かしらの勉強には……なるか。

 

「……わかりました。すぐに出発します」

 

「えぇ。じっくり先輩方の説教を食らって、頭を冷やすといいわ。それから……」

 

 そこで一旦言葉を切ったかと思うと、今度は冷めた視線をジロリと向けて来る。

 

「『無茶ばかりの夫を心配する妻』の気持ちとか、考えてみることね」

 

 ――何の話だ?

 

 その後、校長室をあとにした俺の前には、見慣れた顔触れが並んでいた。

 

「みんな……」

 

 生徒会長の辻木隼人先輩。副会長の地坂結衣先輩。

 そして――会計を担当している、山岡絵麗乃。

 

 俺は彼女にチラリと視線を移すが、向こうは気まずそうに目を逸らしてしまった。

 

「栂。校長先生となにか話してたのか?」

 

 まず、辻木会長が訝しげに俺を問い詰める。

 単独行動が多い俺のことで、少しばかり気が立っている様子だ。

 

「ええ。先代セイントカイダーの桜田舞帆先輩に会って、助言を聞いてくるように言われました」

 

「舞帆先輩に? そうか……」

 

 だが、俺の返答に辻木会長は感慨深げな表情を見せ頷いていた。やはり彼にとっても、桜田舞帆先輩は尊敬するべき人なんだな。

 

「あっ! じゃあ、城巌大学に行くんだよね! 船越先輩、元気にしてるかなぁ〜っ!?」

 

「船……越?」

 

「フン! かつての学園きっての大問題児さ! セイントカイダーの主題歌で成功したのをいいことに、舞帆先輩と同じ大学に進学するとは、なんたる暴挙!」

 

 地坂副会長は「船越先輩」という人物に想いを馳せているようだったが、辻木会長はあまりその人についてはよく思っていないらしい。

 

「まぁ、あのような不良のことはどうでもいい。それより栂。僕達はこれから、麻薬密売組織の取り締まりに向かう」

 

 突然に切り出された、生徒会出動の知らせ。辻木会長の真剣な眼差しに、俺の表情も険しくなる。

 

「麻薬密売組織……最近、この辺りが物騒になっているという噂は聞いていましたが、そういうことだったんですか」

 

「ああ。基本的に逮捕するのは警察の仕事だが、ウチの生徒達に影響を与えかねない存在である以上、我が生徒会も動かなくてはなるまい」

 

「確かに専属ヒーローを擁しているからには、協力した方がPR効果は期待できますが……危険では?」

 

「なぁに。我々は組織の動きを追跡して、警察が来るまで連中をマークしておくだけだ。セイントカイダーの力を借りる必要もない。学ぶべきことがあるなら、お前は城巌大学に向かうといい」

 

 そう言って、辻木会長は余裕の笑みを浮かべて俺の肩を叩く。

 必要ない、と露骨に言われるのは気分のいいものじゃないが、教養を優先させてくれるのはありがたい。

 

「わかりました。では、これで失礼します」

 

 会長に背中を押されたことだし、学園を出るとしよう。

 

 そう思って、その場を後にする――はずだったのだが。

 

「あのっ……待って! 勇亮君!」

 

 ふと、それまで一言も喋らなかった絵麗乃が、この場で初めて口を開いた。

 

 柔らかい焦げ茶色のボブカットと、ぱっちりとした瞳が特徴の……まぁ、俗に言う「美少女」に分類される俺の友人だ。

 

 彼女とは中学の頃からの付き合いで、その時はよく一緒に遊んでいたものだが――最近では、同じ生徒会に身を置いているというのに、言葉を交わす機会すらなかなか見つからなかった。

 

 そんな彼女と、こうして向き合うのは、なんだか久しぶりのような気がした。

 

「どうした? 絵麗乃」

 

「えっと、その……」

 

 話し掛けておきながら言葉に詰まる彼女の姿は、さながら小動物のようだった。

 

 もともと、中学生と間違われるくらい幼い容姿を持っている絵麗乃だが、この時は百八十センチ以上ある俺の身長との対比もあってか、いつも以上に小柄に見えた。

 

「ね、ねぇ……勇亮君。疲れてない?」

 

「急にどうした?」

 

「え、ええとね、最近、なんだか勇亮君、無理してるって感じだし。最近じゃ、いつも頑張ってるところしか見たことないから……」

 

「――絵麗乃が心配するようなことなんて、ない」

 

 俺はそれだけ言って、彼女から目を背ける。視界から彼女の姿が消える一瞬の中で、悲しげな顔が目に焼き付いたような……そんな気がした。

 

「ちょっ……だめよ栂君っ! 奥さんを心配させちゃあっ!」

 

「お、おおおお奥さんっ!? 副会長なにを言ってるんですかあぁぁぁっ!?」

 

「お前の気持ちに気づいていないのは栂だけ――か。山岡も大変だな」

 

 後ろでなにか騒いでいるようだったが、詳しくは聞き取れなかったし、聞く気もなかった。

 俺は俺のするべきことをするだけだ。

 

 ――休む暇など、あるものか。それで心配されるのなら……俺の努力不足だ。

 

 体育館裏にある、セイントカイダーの地下秘密基地。一年前から、セイントカイダーの調整施設として使われはじめたばかりというだけあって、施設内の環境は概ね良好だ。

 

 俺は校長室を去ってから、ここへ足を運んでいた。

 有事に備えて、すぐにセイントカイダーとして出動できるように、パトロールを兼ねて城巌大学に向かうためだ。

 

「失礼します。寛毅さん、セイサイラーの整備は?」

 

「お? おぉ、万全だよ。万全だとも」

 

 純白のサイドカー付きバイク――すなわちセイサイラーを見つけた俺は、施設の床をモップで掃除している、事務員の桜田寛毅さんに声を掛ける。

 

 寛毅さんはここの掃除当番以外にも、セイサイラーのメンテナンスを務めている。

 

 一年前まではこの学園の校長だったのだが、今では(俺も詳しくは知らない)諸事情で、ここで下働きに駆り出される身になっているという。

 

 そして彼に代わり、この秘密基地で彼と同じことをしていた達城朝香が、校長として君臨しているわけだ。

 

 去年に何があってこんなことになっているのかは知らないが、セイントカイダーの整備体制が維持され続けているのは、現役の身としては助かる。

 

「どこに行こうというのかね? 栂勇亮」

 

「城巌大学に。先代セイントカイダーの桜田舞帆先輩に会えと言われましたので」

 

「ま、舞帆に……か。……そ、そうかそうか、行ってくるといい」

 

 寛毅さんはなぜかバツの悪そうな顔をしながらも、セイサイラー発進用のハッチを開けてくれた。

 

 俺は彼に一礼するとアクセルを一気に踏み込み、地上へと向かう坂を鋼鉄の二輪で駆け上がった。

 

 このセイサイラーは、俺が常に装着しているセイントカイダーの変身ブレスレットに次ぐ、ヒーロー活動における必須ツールだ。

 

 単にバイクとしての性能がいいだけではなく、セイントカイダーの重装備形態「生裁重装」に変身する機能も持ち合わせている。

 

 ブレスレットで変身する「生裁軽装」と合わせて使えれば、かなりの戦力になるだろう。

 

 ……とはいっても、生裁重装は俺には到底使いこなせない代物だ。

 以前、試しに変身してみたことがあったのだが、身体が鉛のように重くてほとんど動けなかった。

 

 それは舞帆先輩も同じだったらしく、これを扱うには相当な筋力と体力が必要になるらしい。

 

 ちなみに、去年まではセイントカイダーの変身システムは舞帆先輩の身体だけに合わせて造られていたが、今年からは誰でも問題なく着用できるように、変身機構にマイナーチェンジが施されている。

 

 その前の段階で、舞帆先輩以外の人間が変身しようとすると、身体のサイズが合わないために全身が締め付けられて激痛を伴うことになるらしい。

 なんとも恐ろしい話だ。身体が異常に重くなる生裁重装だと、なおさらだろう。

 

(……だが、初めて登場したセイントカイダーは生裁重装だったらしい。舞帆先輩だって、あれは使いこなせなかったはずなのに……一体、どういうことなんだ……?)



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第3話 巡り巡って

「ここか……」

 

 いつしかセイントカイダーの性能について思い返しているうちに、俺は城巌大学の正門までたどりついてしまっていた。

 そこで俺は、キャンパスの広大さに思わず息を呑んでしまう。

 

 幾つもの巨大な教棟が立ち並ぶその姿は、まさに圧巻。しかも、舞帆先輩が言うには宋響学園以上の最新設備が揃えられているらしい。

 これじゃあ、まるで大人と子供じゃないか。

 

「さすが先代セイントカイダーが進学した大学ってだけはあるなぁ……でも、こんな広いキャンパスからどうやって先輩を探せばいいんだ?」

 

 それが問題だ。俺は舞帆先輩がこの大学にいるというところまでは知っているが、具体的に彼女がどこでなにをしているのかまでは把握していない。

 この一帯を捜し回ろうとしたら、日が暮れるどころか日付が変わってしまう。

 

「参ったな……どうしたものか」

 

「どうしたの? 栂君」

 

「あ、お久しぶりです舞帆先輩。実は捜している人が――って、なあぁっ!?」

 

 ――思わぬ段階で、問題は解決された。

 

 目の前に現れたのは、正真正銘の桜田舞帆先輩。まさか向こうから現れるとは……。

 

 茶髪のポニーテールは相変わらずだが、可愛らしい私服をオシャレに着こなしている今の姿は、去年からは想像もつかない。

 

「あら、びっくりさせちゃった? ごめんなさい」

 

「いえ……。でも、早めに会えてよかったです。先輩がどこにいるかまではわかっていなかったので」

 

「お母さんに言付かって来てるのよね? 立ち話もなんだし、あそこのベンチに行きましょうか」

 

 俺は彼女に手を引かれ、木陰に日の光りを遮られているベンチへと向かう。

 そこに腰掛け、改めて辺りを見渡してみれば、多くの学生が楽しげにキャンパスライフを満喫しているように伺えた。

 

 もう少しその光景を眺めていたいとは思ったが、会長達が麻薬密売組織に挑もうとしている時に、そんなことをしているのは不謹慎もいいとこだろう。

 俺は早急に本題に入ることに決めた。

 

「校長先生からはもう話を聞かれていたのですか?」

 

「えぇ。なんでも……あなた、自分一人で無理にいろいろとしょい込んで、同じ役員の女の子から心配されてるらしいじゃない。いけないわね、女の子を泣かせるのは」

 

 ――この人まで、そんなことを言う。

 「セイントカイダー」という、俺には大きすぎる力を持ってしまった以上、一人でもやるべきことを成し遂げなくちゃいけないのに!

 

「――俺は、自分のするべきことをするだけです」

 

 そう、俺は断じた。

 無理だろうが無茶だろうが、俺がやらなきゃ誰がやる? 「セイントカイダー」である俺以外に、誰が?

 

「……そう。それがあなたのやり方なのね」

 

 そんな俺の胸中が顔に出ていたのか、舞帆先輩は悟ったような表情で正面に視線を移す。

 

 そして、「ふぅ」とため息をつくと――信じられないようなことを口にした。

 

「あーあ、やっぱり二代目の私なんかじゃ役には立たないなぁ」

 

 ――!?

 

「……どういう意味ですか? それ」

 

「お母さんからは聞いてないみたいね。……公にはされてないけど、『一番最初にセイントカイダーに変身した人間』は、私じゃないのよ」

 

 ……な、なんだと!?

 舞帆先輩より先に、セイントカイダーに変身した人間がいる!? マイナーチェンジされる前のセイントカイダーには舞帆先輩しか変身できない構造だったはずなのに、一体どうやって!?

 

 もはや、考えていることが表に出ているのを気にする余裕もない。俺は思い切り目を見開いて、舞帆先輩に注目した。

 

「お母さんは、きっとあの人になんとかして欲しかったのね。彼なら、あなたになにかいいアドバイスができるんじゃないかしら」

 

「……本当なんですか?」

 

「ふふっ。ちょっとおバカだけど、いざって時には頼りになる人だから、心配いらないわよ」

 

 ……信じられん。まさか舞帆先輩より先に、セイントカイダーに変身した人物がいるなんて。

 

 校長先生も舞帆先輩も、その人のことを深く信頼してるみたいだ。それほどの人物なのか?

 

「――その人には、会えますか?」

 

 気がつけば、そんな言葉を口にしていた。興味はない、といえば嘘になるからだ。

 

「うん、会えるわよ!」

 

 その問い掛けに、彼女は満面の笑みで答える。この時、俺の何かが、一歩前に進んだ。何となくだが――そんな気がした。

 

「あの人なら……今は……ねぇ」

 

「……?」

 

 ――気がしたのだが。

 

「今は……今は……今はねぇっ……!」

 

 どういうわけか、さっきまでのにこやかな表情とは打って変わって暗い顔になってしまった。

 どうしたというんだ?

 

「あの、舞帆先輩?」

 

「なによっ!」

 

 いきなり怒鳴られてしまった。この態度の急変は一体……?

 

「いえ、あの、先輩より先にセイントカイダーに変身したという人のことをですね――」

 

「知らないっ! 知らないもんっ!」

 

「えぇえ!?」

 

 ――ちょ、言ってることがめちゃくちゃじゃないか!? さっきまでの話は一体……!?

 

「舞帆様ーッ! 大路郎様はいずこにーッ!?」

 

「うおっ!?」

 

 予想の斜め上を行く舞帆先輩の対応に苦慮していると、今度は着物に身を包んだ和風美人が駆け付けてきた!

 用があるのは舞帆先輩らしいが……なんなんだ、この人は?

 

「はぁ、はぁ、はぁっ……キャンパス中を捜し回っても、見つかりませんの! 舞帆様、なにかご存じでは!?」

 

「……剣淵さん。船越君なら、平中さんの事務所よ」

 

「そ、そんなぁ〜っ! 大路郎様に嫁ぐために、この大学まで参ったといいますのにっ! またしても花子様のところへっ!? あんまりですぅ〜っ!」

 

「そ・う・よっ! なんなのよもうっ! 私達を差し置いて、平中さんと二人きりで事務所だなんていい度胸じゃないのっ! 一緒の大学に入れるように勉強も見てあげたっていうのにぃっ! もう泣き付かれたって、レポート手伝ってあげないんだからっ! もう知らないっ!」

 

 ある一人の人物のことで、二人の美女が憤慨したり泣きわめいたりしている……のか? なんだ、なんなんだこの状況は。

 

 ……だが、「船越」という名前は聞き覚えがあるな。確か、会長と副会長がその人物について、いろいろ言っていた記憶がある。

 

 確かセイントカイダーの主題歌を歌った人だったんだよな? 俺は去年のライブには仕事が山積みで行けなかったから知らないのだが。

 

 舞帆先輩が怒ってるのは、その「船越」という人のことなんだろうか。

 だとしたらその人も、この城巌大学に通っていると見て間違いないのだな。

 

 ……そういえば、「一番最初にセイントカイダーに変身した人間」の所在について聞こうとした時から、彼女は今みたいに苛立っている様子だった。

 

 ――まさか、舞帆先輩の言う「一番最初にセイントカイダーに変身した人間」……すなわち、初代セイントカイダーというのは……!?

 

「あの、舞帆先輩。その事務所というのは?」

 

「芸能事務所の『651(ムゴイ)プロダクション』よっ! それが何っ!?」

 

「あ、いえ、なんでもないです……どうも……」

 

 初代セイントカイダーを捜し出す手掛かりを得た俺は、「ありがとうございました。失礼します」とだけ言い残し、怒り狂ったり泣き崩れたりと忙しい美女二人を完全放置して、そそくさと城巌大学を後にする。

 

 もう少しスマートに出発したかったな……現役ヒーローなんだから。

 

 「651プロダクション」といえば、新人アイドルがブレイク中ということで、最近話題に挙がっているという話を聞いたことがある。

 

 舞帆先輩よりも先にセイントカイダーに変身していたという人物が、本当にそんなところにいるのだろうか?

 

 今考えても答えなんて出ないのはわかってはいるが、それでも気になって仕方がなかった。

 

 セイサイラーで街を行く俺の視界には、様々な有名スポットが入り込んでくる。

 

 近頃、「文倉ひかり」という超美人な新任院長が就任したことで有名になり、「聖母が経営する保護施設」と謳われている「加室孤児院」。

 

 若手社長の「笠野昭作」と天才パイロットの「桜田寛矢」、そして敏腕秘書の「田町竜誠」という、三大イケメンエリートを擁しているために、就職を希望する女性が絶えないという「ラーベ航空会社」の本社ビル。

 

 とある優秀な技術を持った二人の囚人が、礎を築いたとされる囚人ブランド「KARITANI&TOKOROZAWA」の本店。

 

 いずれも、この辺りに住む人間で知らない者はいないだろう。

 ――思えば、これだけの有名どころが全て、今年になってから台頭してきたものだというのは、すごい偶然なのだろうな。

 

 城巌大学を出発してから、およそ十五分。

 俺は「651プロダクション」という看板を掲げた、小さな事務所を発見することができた。周りには、話題の新人アイドルが写ったポスターが貼られている。

 

 だいたいの場所は知っているつもりでいたが、いざ捜すとなると建物が地味だから見つけにくい……。

 所属アイドルが売れてるなら、施設を拡大したっていいだろうに。

 

 俺はセイサイラーを「目立たないように」と事務所の裏へ隠し、事務所の前に立つ。

 

 ――そこで、気がついてしまった。

 

「……なんて聞けばいいんだろう」

 

 そうだった。

 

 考えてみれば、俺は「初代セイントカイダー」の本名を知らない。アポなしで事務所にお邪魔して、「初代セイントカイダーの方はいらっしゃいませんか」などと口走れば、痛い視線を向けられる事態は目に見えている!

 

 せめて、その人の身体的特徴だけでも聞いておくんだった……。

 

 そんな時、ここに来てのアクシデントに頭を抱える俺の脇を、綺麗におめかしした女性が通り過ぎた。

 

「こんにちはー……って、あれ? お客さんですか?」

 

 女性は元気よく入口の扉を開けて、事務所に入っていく――のを踏み止まり、入口の前で立ち往生している俺をキョトンとした顔で見ている。651プロの関係者だろうか?

 

「え、えーっとですね。俺は、その……」

 

「ああそっか、自己紹介がまだでしたね! 私は『平越路子(ひらこしみちこ)』! 651プロ所属の新人アイドルでーっす!」

 



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第4話 初代と三代目

「ア、アイドル!?」

 

 ――お、驚いた。関係者どころか、秘蔵っ子の所属アイドルだったのか! 言われてみれば、ポスターと同じ顔だ!

 

 ……しかし、だからといって事態が好転したわけじゃない。結局のところ、俺自身が「初代セイントカイダー」のことをわかっていないのだから。

 

「ええと、それでウチに何のご用なんでしょう?」

 

「あ、いや、その……初代セイントカイダーが……ええと……」

 

 ああ、もう逃げ出したい。自分の浅はかさが嫌になる。

 

 一旦、城巌大学まで引き返して舞帆先輩に聞きに行こう。このままじゃ痛い人だと思われる!

 

 そう懸念して立ち去ることを考えはじめていた俺だったが……返ってきた言葉は意外なものだった。

 

「セイントカイダー……? あ、もしかして船越さんのことですか!?」

 

「――えっ!?」

 

「ちょうどよかったです! 私も早くお仕事済ませて会いに行きたかったんですよぉ〜! ささ、一緒に行きましょっ!」

 

「え、えええ!? ちょ、ちょっと!?」

 

 ――いろいろ予想外過ぎるぞ。「セイントカイダー」だけで話が通じるなんて!

 

 俺は理解が追い付かないまま、アイドルに手を引っ張られて事務所の中へと突き進んでいった。

 

「おいバイト二人ィ! こっちの書類頼むわぁ!」

 

「プロデューサーの方ォ! 路子ちゃんの仕事リストちゃんとまとめとけやぁ!」

 

「事務員の方、お茶持って来んかぁい!」

 

 やがて連れ込まれた、事務所の仕事場。そこは書類と思しきプリントやらファイルやらがあちこちに散乱した、騒々しい企業戦士のたまり場となっていた。

 

 そのど真ん中を、お茶のポットやファイルの山を抱えて駆けずり回る二人の若い男性がいた。

 やり取りを聞く限り、彼らはアルバイトらしいが……。

 

「全く、いつも忙しいんだから……。みんな、ただいまーっ!」

 

「おっ! 路子ちゃんお帰りぃ! ……って、んなぁあぁあ!?」

 

 仕事に耽っていた社員の一人が、所属アイドルの存在に気づき――俺の存在に驚愕の声を上げた。

 

 その叫びに、他の社員や二人のバイトも作業の手を止めて、俺達二人に注目してしまった。

 

「ちょっとちょっとちょっとォ! なんだよそこにいる奴ゥ!?」

 

「困るよ路子ちゃあん! せっかく売れてきたってのにスキャンダルなんてぇっ!」

 

 仕事がストップしたかと思えば、今度は猛烈な勢いで詰め寄ってきた!

 どうやら、俺達のことで何か誤解が生じているらしい。

 

「ちょっと、待ってください! この人は船越さんに用事があるみたいで……!」

 

 目くじらを立てている社員達にたじろぐ俺を庇うように、アイドルの人が前に立つ。

 

 彼女の説得には絶対的な効果があるらしく、社員達は一発で静かになってしまった。

 

「俺に? じゃあ君が……」

 

 ――すると、今度は静寂を破るように一人の男性が顔を出してきた。

 「プロデューサーの方」と呼ばれていた、バイトの人だ。

 

 百六十センチくらいの、やや低い身長。

 真っ黒な髪に、凛々しい印象を与える目付き。黒いスーツをピシッと着こなしてはいるが、俺とさして歳は離れていないように見える。

 

 まさか、この人が……?

 

 この後、社員達をまとめている酷居(むごい)社長が作業の再開を指示し、俺とアイドルの人はバイトの二人と一緒に応接室に案内された。

 

 やや狭い部屋の中に置かれた二つのソファに、俺達四人はゆっくり腰掛ける。

 

「……で、なんで横山までちゃっかりとこっちに来てんだよ」

 

 開口一番、船越という人物は隣に座る長身の悪友らしき男性をジッと睨み、苦言を呈する。

 

「そりゃあお前、関係者の関係者だからだろ」

 

「仕事サボりたいだけだろうが」

 

「ひっでぇ! なんだよ冷てぇなぁ! いいじゃねぇかよ! お前はいつも仕事だからって路子ちゅわんとお喋りしてんだからよ! 俺なんかしょっちゅうオッサンのお茶くみ係だぞ!?」

 

 俺とアイドルの人が並んで座っているソファの向かいで、バイト二人がなにやら言い合っている。

 いつもこんな調子なのか?

 

「ここの事務所って、なんだかんだでいつも大忙しだし人手も少ないんですよ。だから、二人には私が売れる前からバイトとしてここで働いて貰ってるんです」

 

「そうなんですか……。バイトさん達のおかげで、ここまで来れたというわけなのですね」

 

「そぉそぉっ! この横山君が、巷で噂の売れっ子アイドル『平越路子』を育て上げたのさっ!」

 

「お前の仕事は事務員だろうが……。プロデューサーのバイトやってんのは俺だっての」

 

「なんだよなんだよー! お前ばっかりいつもずるいぞ! 大学じゃあ、ミスキャンパス候補最有力の桜田舞帆と、剣淵美姫を侍らせてるらしいじゃねーか! その上、宋響にも可愛い後輩とかいるって聞いたぞ! しかもあの『文倉ひかり』とも仲いいんだろ!? そこまで好き放題ヤっといて、皆のアイドル路子ちゅわんにまで手を出そうってのはどういう了見だコノヤロー!」

 

 横山という「事務員の方」のバイトさんは、船越という人にやたらと噛み付いている。

 よほど彼の環境が羨ましいようだ。

 

 隣に視線を移してみれば、アイドルの人が職業柄に合わないような渋い表情になっている。

 まるで、女の子に囲まれている彼氏にヤキモチを焼いているような顔だ。

 

「全く……。大学にいると『城巌のマドンナを篭絡しやがった』とか言う奴らに追い回されるから、ここに来るしかないってのに。平中――じゃない、路子のことまで誤解を広げないでくんないかな」

 

「誤解なんかじゃないですよぉっ! 『平越路子』っていう名前だって、私と船越さんの名前を掛け合わせて出来ちゃったんですからぁっ!」

 

「や、やっぱり! ちくしょーッ! くたばれ船越、このリア充がァァァァッ!」

 

 横山という人は涙目になりながら、凄まじい形相で船越さんを締め上げている。ぼんやりとだが、彼らの関係図が見えてきたような気がしてきた……。

 

「高校を卒業してモデルになるはずが、美貌を見込まれアイドルデビュー……か。俺の知り合いって出世してる連中ばっかりだけど、お前も大概だよなぁ」

 

「えっへへー……。船越さんに元気をいっぱい貰っちゃってますからねっ!」

 

「それに引き換え――俺は大学に補欠合格な上に、舞帆と美姫のことでキャンパス中から目の敵。果てはプロデューサーのバイトで日夜残業……か。なんともやるせないねぇ」

 

 自嘲気味に笑って見せる船越さんだったが、その顔は言葉とは裏腹に、満足げな様子が感じられた。

 不満はあれど、今の自分に納得もしている……と言ったところだろうか。

 

「さて。世間話はこれくらいにして、二人はそろそろ仕事場に戻ってくれ。俺は彼と話があるから」

 

 俺がどことなくそわそわしていたのを知ってか知らずか、船越さんはアイドルの人と横山さんに席を外してもらうよう促した。

 

「えぇーっ!? なんだよ話ってー!?」

 

「……わかりました。じゃ、また後でお喋りしましょうねっ?」

 

「おぅ。俺も話が済んだら、すぐ戻るから」

 

 不満げにブツブツと文句を呟いている横山さんを引っ張り、アイドルさんは俺達に笑顔で一礼してから応接室を出て行った。

 

 あの人がここまで物分かりがいいのは、「セイントカイダー」について何かと知っているからなのだろう。

 

 ――そう、彼女は「セイントカイダー」という単語だけで、船越さんに用があるのだと気づいていたのだから。

 そんな言葉を出してきた俺のことも、薄々察していたに違いない。

 

 二人が応接室から去っていくと、あっという間に部屋の中は物音一つ失くなってしまう。

 

 無言のまま、ソファから立ち上がって窓際に向かう船越さんを目で追うと、俺達の姿がガラスに映し出されているのがわかる。

 

 学園を出る時に着てきた、赤と黒を基調にしたライダースジャケット。

 ツーブロックに切り揃えた黒髪に、至って普通の顔立ち(なぜか周りは『イケメン』と言うが)。町並みが窺える透明の鏡には、いつもの俺の姿が現れていた。

 

「達城から話は聞いてるぜ。君が現セイントカイダー……栂勇亮君なんだな」

 

 船越さんが振り返り様に発した第一声。それは、彼がセイントカイダーに深く関わった人物であることを確信する、決定打となった。

 

「そうおっしゃるあなたは……あの桜田舞帆先輩より先に、セイントカイダーに変身されていたという方なのですか?」

 

「一応……な。去年に宋響学園を卒業した、船越大路郎だ。よろしくな」

 

 船越大路郎――それが、初代セイントカイダーの名前なのか。

 校長先生や舞帆先輩が厚い信頼を寄せる、宋響学園の元祖ヒーロー……。

 

「大路郎先輩――ですか」

 

「セイントカイダーをやってる奴にそう呼ばれるのは、なかなか新鮮な気分だぜ。ハハッ!」

 

 こう言っては難だが……朗らかに笑う彼の姿からは、学園のヒーローとしての風格はあまり感じられない。

 

 セイントカイダーに変身するような、エリートに分類される人間というよりは――「田舎のあんちゃん」のような印象を受ける。

 

「俺が変身してた頃は、たったのFランクだったんだよなぁ。それが今や、栂君と舞帆のおかげでAランクヒーローとは……先輩として鼻が高いねぇ」

 

「Fランク――そういえば、確かに最初の頃はメディアにほとんど露出のない、地味なヒーローでしたよね。入学案内のパンフレットくらいでしか見たことがありませんでしたよ」

 

「たはは、酷い言われようだなぁ。ま、実際その通りなんだからいいけどね。なんにせよ、ヒーローとしてセイントカイダーが活躍できてるのは、君の実力さ。俺が教えるようなことなんてあんのかねぇ」

 

 お手上げ、といわんばかりに苦笑いで両手をひらひらさせる路郎先輩に、俺は難しい顔になる。

 

 本人はああ言ってるが、ここで何も聞けないままだと手ぶらで帰ることになるぞ。それだと、せっかく俺に時間をくれた生徒会のみんなに申し訳ない。

 

 どうしたものかと俺が考えあぐねていた――その時だった。

 

「でも、これは――言っときたいかな」

 

 ――大路郎先輩が、口を開いた。

 

 その瞬間――この部屋の空気がガラリと変わったような気配を感じ、自然にハッと顔が上がる。

 

 今までと同じ話し方でありながら、雰囲気がまるで違う。

 なんと形容すればいいか――単にヒーローらしいというより、命懸けの修羅場をくぐり抜けてきた戦士のような、重苦しい印象を受けた。

 

 ――この人は、一体……!?

 

「栂君。君は、仲間に助けてもらったことはあるか?」

 

「……いえ、今のところは」

 

「なるほどな。全部達城の言う通りってわけか。しんどいことしてるなぁ、君」

 

「大丈夫です、問題ありません。それに、仮に苦しい現場であったとしても、俺は周りに責任を負わせるようなことはしません」

 

 こんな有無を言わせぬ気迫をちらつかせている人間が相手では、体のいい言葉で取り繕うことも出来ないだろう。

 

 俺は尻込みしそうになっていた自分の心に鞭打ち、敢えて俺自身が思うことをありのままに打ち明けた。

 

 ――そう、俺は宋響学園のヒーローだ。

 

 そんな存在であり続けるためには、誰よりも強くあるしかない。自分がそうであることを証明するためには、仲間に頼ってはいけないんだ!

 

 だって、そうだろう!? 周りに助けを求めるということは、自分の弱さを露呈することに繋がる。そんなものは、ヒーローと呼べるものじゃないだろう!

 

 なのに、みんなしてそれは間違いだと言う。自分一人で背負い込んではならないと。

 

 だったら、俺はどうしたらいい!? ここまで一人で戦い抜いて来て、今さら誰に助けを求めろって言うんだ!?

 

 その旨が、いつしか顔に出ていたのだろうか。大路郎先輩は何もかも悟ったかのように、済ました表情で俺をジッと見つめていた。

 

「……一人で戦えなきゃ、一人で全部こなせなきゃ、ヒーローじゃない。確かにそうかも知れないさ。けどな――」

 

 一度そこで言葉を切ると、彼は俺の隣に腰掛け、年の近い弟を見るような目で俺の顔を覗き込んできた。

 

「――君は、ロボットじゃねぇだろう」

 

 叱るのでも、諭すのでもなく、ただ自分が思うことを素直に言っただけのような声。俺にああしろ、こうしろと言いたげな雰囲気は、全く感じられなかった。

 

「え……」

 

「そんなことが本当にできるのなら、それは大したもんさ。だけど、悲しいことにそれが絶対にできないのが『人間』ってもんなんだよ。失敗はするし、怒られもするし、自分じゃどうにもならないことなんて腐るほどある。動力とボディがあればいくらでも働けるロボットみたいには、どんなに頑張っても届かないんだよな、これが」

 

「俺が……ロボット?」

 

「ちげーよ。君は紛れも無く人間だ。だからこそ、みんな心配してる。『いつかどこかで壁にぶつかって、壊れてしまう』ってね。それが、人間なんだからさ」

 

 苦笑混じりに話す彼は、どこか遠い所を見るような目をしていた。

 

「一人で戦おうって決めても、結局のところは仲間に頼るしかなくなる。ロボットじゃなきゃできないようなことを人間がやろうってんだから、最後は頼って当たり前なんだよ。『人間のヒーロー』である限り、な」

 

「で、でも俺は……」

 

「まぁ、急にこんなこと言われたって変われるわけないよな。――だったらさ、『自分がするべきこと』から『自分にできること』に絞ってみたらどうよ」

 

「自分に、できること?」

 

 どういう意味だ……? 訝しがる俺に対し、彼はニッと笑って俺の胸中に答えた。

 

「簡単さ。自分にできることは、なにがなんでもやり切る! でもって、後のことは仲間に全部任す! 『自分じゃできないこと』をやってもらうだけなんだから、大して気負いもしないだろ?」

 

 ――つまるところ、彼は仲間を頼ることへの「見方」を変えてみろ、と言いたいのだろうか?

 

 「一人で戦う」なんて、人間じゃできない。ロボットでない限りは。

 だけど、人間はロボットにはなれない。だから、代わりに人が集まってそれに匹敵する働きを行う。

 

 ――それが、今あるセイントカイダーの制度だと言うのか。弱みを見せてしまうのも、人間である以上はどうにもならない、と?

 

「俺も将来はヒーロー活動を再開する予定だが、その時は一人じゃない。一人で戦うってのが、どれだけしんどくて、苦しいことなのかが身に染みてるからな」

 

「それも、あなたが人間だから――ですか?」

 

「もちろんさ。当然、栂君もな」

 

 人間は、たった一人ではヒーローになれない。

 

 ――彼は、俺にそう伝えたかったのだろうか。

 

 俺の思考回路がその結論に到達しようとした瞬間、ポケットの携帯が着信を知らせる振動を起こした。世に言うバイブ機能だ。

 

 少し路郎先輩に目配せしてから、俺は携帯を取り出して通話に出る。

 ――絵麗乃からだった。麻薬密売組織の件についての報告だろうか?

 

「もしもし? どうし――」

 

『勇亮君! 助けてぇっ!』

 

 ――!? な、なんだ……!?

 



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第5話 立ち上がる三代目ヒーロー

『助け……助けて……お願いぃ……!』

 

「おい、絵麗乃! どうした、何があった!」

 

 俺の聴覚が受け取ったのは、彼女の悲痛な涙声。その意味を想像した瞬間、俺はSOSの予感を覚えた。

 

『わ、私達……麻薬密売組織を見つけて、それで尾行してたんだけど……うぅっ、ひぐっ……!』

 

「泣いてたんじゃわからない! 頼む、教えてくれ!」

 

『えっく、で、でも、組織の罠だったの! それで私達、追跡してるつもりだったけど、待ち伏せしてる場所まで誘い込まれてたの!』

 

「なんだと!?」

 

『うまく逃げ出して、今はなんとか隠れてるけど、いつ見つかっちゃうかわかんないし、会長は……私達を庇ったせいで撃たれて、怪我して……うぅ、えぐっ……!』

 

 ――なんてことだ。俺が、俺がついていっていれば、こんなことにはッ!

 

「そこがどの辺りか、わかるか!?」

 

『城巌大学の近くにある、廃工場……だから……! ひっく……! お願いぃ、お願いだからぁ……』

 

「わかった。……絶対、絶対に、俺がなんとかして見せるから!」

 

 俺はそこで通話を切ると、礼も忘れて一目散に応接室を飛び出していた。

 路郎先輩のことがどうでもいいわけじゃない。――ただ、一分一秒が、今は惜しいんだ!

 

 「『できること』は、しっかりやれよ」という大路郎先輩の呟きだけを背に受けて、俺はひたすら走ることだけを考えた。

 

 651プロの事務所を出ると、全速力で裏に停めてあったセイサイラーに跨がる。

 普段は何気なくやっている、エンジンを掛けたりヘルメットを被ったりする動作がこの時ばかりはもどかしくてたまらなかった。

 

 ――会長が撃たれてるってことは、身動きが取れない状況なのか。

 それに、見つかるのも時間の問題だと……くそっ、間に合ってくれよッ!

 

 エンジンに重労働を強いて、俺は強制的に専用マシンを急発進させる。――会長、副会長、絵麗乃……!

 

 道行く人や車が、俺の視界から猛スピードで過ぎ去っていく。それらは最早、俺の目には「障害物」としてしか映らなかった。

 

 車を追い抜き、踏み切りのバーをギリギリでくぐり抜ける。

 近道をするべく路地裏に入り込み、たむろしていた不良達を驚かしていく。我ながら、無茶な突っ走りだ。

 

 ――だが、そんなことはどうだっていい。例えこれが原因でライセンスが剥奪されたって、俺は一向に構わない。

 

 なぜなら、俺が欲しかったのはヒーローの資格ではないのだから。欲しいのは……資質だ!

 

 そのためなら、なにがなんでも先輩達を助けなくてはならない! 後生大事に体裁を重んじて、守るべき人を失えば本末転倒だ!

 

「いた……! あそこだッ!」

 

 路地裏を抜け、廃工場にたどり着いた俺の眼前に映るのは――銃を持ち、紺色のスーツを着たガタイのいい男達。数は三十人程度か……。

 そして、彼らに囲まれた三人の男女。

 

 ――うちの制服を着ている以上、もはや頭を使う必要もない!

 

 俺はそのまま男の集団に向かってアクセルを踏み込み、こちらに気づいた連中を掻き回す!

 

「うおっ!? なんだこのガキ!」

 

「てめぇヒーローかっ!」

 

 突然の来客にあわてふためく彼ら。俺はその混乱に乗じて、セイサイラーを生徒三人を庇うように停める。

 

「栂……! 間に合ったか!」

 

「あぁ、よかったぁ……栂君、来てくれてぇ……!」

 

「ゆ、勇亮君ッ! あぁ、勇亮君……!」

 

 血に塗れた右腕を押さえる会長を、絵麗乃と副会長が支えている。

 どうやら、結局見つかってしまい、ここまで追い詰められていたらしい。

 

 普段は明るく元気な二人の美少女も、この時ばかりは不安を感じずにはいられなかったらしく、俺の到着に感極まった表情で涙した。

 

 すぐに一言声を掛けたいのは山々だが、今は敵側のパニックを利用したい。

 俺はサッとセイサイラーから飛び降りると、裏拳・回し蹴り・巴投げを続けざまに連中へお見舞いしていく。

 

「なっ――がふっ!?」

 

「このガキッ……ぎゃあ!」

 

 ナイフや釘バットを振りかぶる男達の攻撃をかわし、腹や顔面にパンチとキックを叩き込む。

 

 去年にセイントカイダーの後継者として検討されていた頃から、こういう訓練は欠かさなかった。おかげで、実戦経験が少ない俺でも十分に戦える。

 

 ――こんなことを考えている場合じゃないだろうが……ヒーローを目指してこの学園に入った俺にとっては、きっと今ほど充実した瞬間はないのだろう。

 

 子供の頃に憧れたヒーローになりたくて、俺はこの学園に来た。そして、セイントカイダーの存在を知り――強く惹かれたんだ。

 

 そんな俺の夢を受け入れてくれた、会長を初めとする生徒会のみんなには、感謝しても仕切れまい。

 ……だからこそ、彼らを傷つけた麻薬密売組織が、許せなかった。

 

 そして、彼らに立ち向かい、打ち勝つ力を――俺は今、持っている。

 

 もう、ヒーローになることだけが夢じゃないんだ。これからは……ヒーローとして、みんなを守る。かつて、自分自身が憧れた姿に近づくために!

 

 ――そして、「たった一人ではヒーローになれない」のなら……!

 

「絵麗乃ッ!」

 

「は、はいっ! なんでしょうか勇亮君!?」

 

「戦いは俺に任せてもらう! ――だからッ!」

 

「はいぃっ!」

 

「それからのこと――任せたよ」

 

「――え?」

 

 最後に出した声だけ、気がつけば落ち着いたものになっていた。

 新たな道が開けた――かもしれない、という可能性が現れたことから、心にゆとりが生まれたのだろうか。

 

「簡単さ。自分にできることは、なにがなんでもやり切る! でもって、後のことは仲間に全部任す! 『自分じゃできないこと』をやってもらうだけなんだから、大して気負いもしないだろ?」

 

 大路郎先輩の言葉が頭を過ぎる。

 

 俺は――俺は、ヒーローとして自分にできることを、必ずやり遂げる。だから、警察への対応、事後処理は全て……絵麗乃達に任せる!

 

 本当のヒーローになれさえすれば――俺は一人じゃなくたっていいんだ!

 

 一旦距離を取り、たじろぐ男達をキッと睨みつける。お遊びはおしまい、ということだ。

 

 ――そして、右腕に装着した変身ブレスレットをあらわにする!

 

「セイントッ……! カイダァアァアッ!」

 

 夢を叶えたい、ヒーローになりたい。他のことは考えない!

 その一心で、俺はブレスレットのスイッチを殴るように勢いよく入力した!

 

 刹那、俺の全身は瞬く間に純白の戦闘服に包まれ、顔を覆うマスクのゴーグル部分が、日の光りを浴びて輝く。

 

 俺が追い求めてきたヒーロー像。そのスタート地点こそ、今なんだ。

 

「生徒の手により裁くべきは、世に蔓延る無限の悪意!」

 

 腕を大きく振り、一定のポーズを決めてピシッと動きを止める。何度練習したのか忘れるほど繰り返してきた、「ヒーローの証」だ。

 

 ――そして今こそ、俺は名乗りを上げる。夢を叶える狼煙となる、ヒーローの名を。

 

「生裁戦士、セイントカイダーッ!」

 



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第6話 決死の生裁重装

 「連中を威嚇する」くらいの意気込みで臨んだ俺の名乗りは、僅かな風圧まで生んでいた。空気の波に流されたかのように、男達の髪がなびいているのがわかる。

 

 彼らが気を取り直して、「あんなふざけた野郎、ぶっ殺せ!」と殺気立てて向かって来る頃には、俺も既に拳を握って駆け出していた。

 

 襲い掛かる凶器をくぐり抜け、殴り、蹴り、投げ飛ばす。変身したことで超人的な能力を得た俺は、前にも増して優位に立っていた。

 

 訓練の相手だった舞帆先輩に比べれば、なんのことはない。一発でもまともに決まれば、あっという間に伸びてしまう。

 

 ――だが、忘れてはならない。向こうの標的は、俺一人ではない、ということを。

 

「ちっ……まずはあいつらから血祭りだ!」

 

「――いかん!」

 

 何人かの男達が、会長達に拳銃を向ける!

 

「き、きゃあああっ!」

 

「やめろ! 僕の後輩を――傷つけるなっ!」

 

 深手を負って体力を消耗している会長が、自由に動く左手だけを広げて、銃口の前に立ちはだかる。彼女達の盾になろうと言うんですか、会長!?

 

「――とおおっ!」

 

 俺は殴り倒そうとしていた組織の一人を放り出して、空高く跳び上がる。

 

 そして会長を庇える場所に着地して――銃弾を浴びた。

 

「ぐあああああっ!」

 

「……!? つ、栂ァッ!」

 

「ああぁっ! 栂君ッ!」

 

「い、いやあああっ! 勇亮くうぅんっ!」

 

 ――やはり、銃撃はかなり堪えるな。生裁軽装の戦闘服に守られているとは言え、激痛にさらされる結末は避けられない。

 

 情けなくも悲鳴を上げてしまった俺の姿に、生徒会のみんなも不安になってしまっている。絵麗乃に至っては、ほぼ半狂乱だ。

 

 ……守るべき人に心配させるなんて、最低のヒーローだよ、全く。

 

 ――それでも、守ることはできた。意味がないとは思わないな。

 

 さぁ、今度はこちらの番だ!

 

「セイトバスター!」

 

 腰から引き抜いた光線銃が赤い輝きを放ち、男達の拳銃を次から次へと弾き飛ばしていく。

 

「うおっ!?」

 

「ちくしょう! 向こうも武器があったのかよ!?」

 

「おい! こうなったら、ライフル持ってこい!」

 

 ――ライフルだと? そんなものまで用意していたのか……!

 

 俺は連中の動きを目で追い、数人が廃工場の奥に走って行く様子を見つめた。そこには、黒塗りの車が数台停められている。

 

 おそらく連中のものなのだろう――すると、そのうちの一台のトランクから、物騒な大型ライフルがジャラジャラと出てきた!

 

 あんなもので蜂の巣にされたら、いくらセイントカイダーの戦闘服でもただでは済まないぞ……!

 

 生裁重装の装甲なら大丈夫なのだろうが、あれは俺が扱うには余りにも荷が重い。

 

 ――ならば、やるべきことはただ一つ。使う前に破壊してしまえ!

 

「セイトサーベル!」

 

 俺は再びゴムマリの如く跳ね上がり、空中で腰から一振りの剣を引き抜く。

 

 ライフルを取りに行った彼らが、宙を舞う俺に気づいた時にはもう手遅れ。

 銃口をこちらに向ける前に、俺は着地と同時にセイトサーベルの刃で銃身を細切れに切り裂いてしまった。

 

「ハァッ!」

 

「ひ、ひいいぃっ!」

 

 ――自慢ではないが、俺はセイントカイダーとして正式に任命される際に、校長先生から「セイトサーベルを使った剣術に関して言えば、今まで見た中で最高のもの」というお墨付きを頂いている。

 

 「今まで見た中」に路郎先輩が含まれているのかはわからないが、少なくとも「剣術」の分野なら、ある程度は満足に戦えるというわけだ。

 

 得物を切り裂かれて尻込みしてしまった男達は、恐怖に染まった表情で逃げ出していく。どうも、ああいうのは追う気になれないんだよなぁ……。

 

 これで、組織の連中は大半の戦闘員を失った。残るは、ほんの数人程度だろう。

 

「よし、後は残りを掃討するだけ……ん?」

 

 ――その時、俺は自分の迂闊さを呪った。

 

「きゃあああっ! ゆ、勇亮くぅぅんっ!」

 

「――!?」

 

 俺がライフルの処分に注力している間に、会長達三人が別の車で連れ去られようとしている!

 

 殺すのが無理なら、誘拐して人質にしようという魂胆か!?

 

「くそっ……行かせるか!」

 

 すぐさまセイトバスターを構える――が、引き金は引けなかった。

 ライフルを破壊しようと僅かに焦っていたせいか、俺は思いの外遠い位置までジャンプしていたらしい。

 

 ここと向こうとではかなりの距離があるため、誤射を起こさない確証が持てなかった。

 

「くっ――!」

 

 ……なら、セイサイラーで追うしかない!

 

 俺は急いで停めてあった専用サイドカーに跨がり、本日二度目の急発進を敢行する。

 この世のどんな悪よりも、それを止められない自分が憎い!

 

 風を切る俊足のバイクが、俺を会長達の元へと運んでいく。

 やがて会長達を乗せた黒塗りの車と、俺の駆るセイサイラーは街道へと飛び出し、街の人々の注目にさらされることになった。

 

 公道に出た以上、セイトバスターは使えない。

 だが……向こうはその気になれば拳銃だろうがライフルだろうがお構いなしだ。どうする……?

 

 ――いや、答えならとっくに出てる。敬遠して、わからない振りをしているだけだ。

 

 できるかどうかはわからない。だが……やらないわけにはいかない。戦闘は任せろと言った手前、失敗を恐れていてどうする!

 

 俺は――会長に、副会長に、そして絵麗乃に、頼られてる。ならばヒーローとして、俺は応えなくてはならない。

 

 今の俺は、学園のヒーローなのだから!

 

「――生裁重装ッ!」

 

 決死の覚悟でセイサイラーから跳び上がり、その瞬間にバックル部分の校章を反転させる。

 

 すると、さっきまで俺が乗り回していたサイドカーが、荘厳な鎧と大剣に変形していく。

 

 それらが俺の身体に吸い寄せられるように装着された頃には、既に俺はジャンプで連中の車の前に立ち塞がっていた。

 

「ぐっ――うううっ!」

 

 わかってはいたが……やはり、重い。一歩踏み出すのにもかなりの体力を使うぞ、これは。

 

 そういえば、セイントカイダーが登場し始めた頃はこの姿が主流だったという話を聞いたことがあったな。

 

 おそらくその時から大路郎先輩が変身していたのだろうが……こんな鉛のような重い身体で戦っていたとは、恐れ入る。

 

 生裁重装の重みで壁となり、車を止める――我ながら本当に無茶な作戦だが、俺のお粗末な頭脳では他に手段が思いつかなかった。

 なにより、今は会長達の安全確保が先決だ。

 

「こ、このクソガキがァァァアァッ!」

 

 連中の生き残り達の怒号と共に、黒塗りの車体が俺に衝突する。俺は両脚に限界以上の力を込める勢いで踏ん張り、両腕でボンネットを押さえ込む。

 

「うっ、ぐ、がああああ……あああッ!」

 

 腹の奥底から絞り出すような声を上げて、俺はひたすら耐えようと足掻く。こんな無謀極まりない対処法、生裁軽装では絶対に無理だ。

 

 だが、これでなんとかなるほど現実は甘くない。減速こそすれ、止まる気配が全くないのだ。

 

 こちらは今にも、全身の筋肉が千切れそうなほどの悲鳴を上げていると言うのに、向こうは俺を跳ね退けようと馬力を高めていくばかりだ。

 

 まずい……このままでは、確実に押し返される!

 

 かといって、もうこちらも限界だし……くそっ、俺は「戦闘」も「自分にできること」に入らないような軟弱者だというのか!? 大路郎先輩のようなパワーがあれば、こんなことには……!

 

 ――「自分にできること」……俺にはもう、「できること」はないのか……?

 

 そんな不安が脳裏を過ぎ――ろうとした時、俺は気づいた。

 今までずっと、使えないと決め付けていた、最後の得物の存在に。

 

 ――あった。あったぞ! あと一つだけ、俺に「できること」が!

 

「――う、お、おおおおおおおっ!」

 

 世に言う「イタチの最後っ屁」というやつだ。

 

 俺は「両腕が二度と使い物にならなくなっても構わない」くらいのつもりで、背部に装備されていた「生裁戦士セイントカイダー」最大の武器――「生裁剣」を引き抜く!

 

 もちろん、両手持ちの剣を片手間で扱えるわけがない。生裁剣を抜く過程で、必然的に車体の圧力が俺の腹に直撃した!

 

「ごふあっ! ぐ、う、うううっ!」

 

 血を吐き出し、白いセイントカイダーのボディが赤く汚れてしまう。だが、そんなことはどうでもいい。

 

 両脚と腹筋だけで車の勢いに抗いつつ、俺はそのまま生裁剣を振り上げた。

 両腕を始めとした全身の筋肉が破裂しようとしている中、俺はひたすら叫ぶ!

 

「……だああああああああああッ!」

 

 澄んだ青空の光に包まれ、鋼鉄の巨大な刃が閃く。その閃光が狙う先は――

 

 

 

 

 ――黒塗りの、ボンネット。ただ、その一点のみだった。

 



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最終話 続いて行く、ヒーローの物語

 ……その後、事件の後始末は警察によって済まされた。

 

 ボンネットに生裁剣を突き刺された車は故障を起こしてしまい、中にいた組織の連中はほうほうの体で逃走した――のだが、駆け付けた警察にあっさり包囲されてしまい、あえなく御用となった。

 

 俺が打ちのめした他の男達も同様であり、停めてあった車の中には、武器の他にも大量の麻薬が積載されていたという。

 

 これだけ多くの麻薬組織の関係者が捕まったのだから、大元の目星が付くのも「時間の問題」らしい。この事件で活躍した宋響学園は、少なからず注目されることだろう。

 

「やったな、栂」

 

 事件が解決して緊張の糸が解けたせいか、ガードレールに腰掛けたまま動けずにいる俺に、包帯を巻かれた会長が現れる。

 道路には多くの警察関係者達が集まっており、野次馬も大勢うごめいていた。

 

 会長は肩の荷が降りたような朗らかな笑顔で、俺の隣に腰を降ろす。

 

「会長……お怪我は?」

 

「ふん、生徒会長を甘く見るなよ。こんな怪我、三日もすれば――アイタタタッ!」

 

「もーっ、栂君並に無茶苦茶するよね。辻木君は!」

 

「ちょちょ、地坂! 触るな触るな!」

 

「なによぉ、『三日もすれば〜』なんて強がっちゃってさ。無理言ってないで、早いとこ病院行きなさ〜い!」

 

 続いて、副会長も顔を出してきた。

 どうやら動けない俺の代わりに、警察への対応を済ませてくれたらしい。

 後で聞いた話だと、会長の応急手当を施したのも彼女なのだそうだ。

 

「勇亮君! お待たせっ!」

 

 副会長にいじられ、アタフタしている会長をしばらく眺めていると――報道陣への対応を終えた絵麗乃が戻ってきた。

 いつものような、明るく優しい彼女の姿に思わず頬が緩んでしまう。

 

「お疲れ様。カメラやらマイクやらに囲まれて大変だったろう?」

 

「ぜんっぜん! 勇亮君に比べたら、全然たいしたことないよっ」

 

「ありがとう。いろいろ助けてくれてさ」

 

「えへ、えへへ……勇亮にお礼言われちゃったよぉ……これってフラグぅ?」

 

 助けてくれたことは素直にありがたい。ありがたいのだが――「フラグ」ってなんだ?

 

 その意味を考えあぐねていると――野次馬と警察だらけの視界に一人の男の子が映り込んだ。

 

「ん……?」

 

 生裁重装のセイントカイダーを象った人形を持っている、三、四歳くらいの小さな子供。なぜだかわからないのだが、その子の存在は妙に俺の気を引いていた。

 

 見覚えのある……そう、大路郎先輩の面影を感じるその子は、ニコッと俺に笑いかけると、母親らしき若い女性と一緒に、人混みの中へと消えて行った。

 

 何となくではあるが――赤の他人のようには思えなかった。不思議な子だな……。

 

 それと、人混みの中でこちらを微笑ましそうに見ている少年も気になった。

 黒髪の端を赤く染め、黒いレザージャケットを着ていたその人は、目元が大路郎先輩にそっくりだったのだ。

 

 やがて満足げにニッと笑って去って行ったのだが、一体誰だったのだろうか?

 

「勇亮君? どうかしたの?」

 

「ん、なんでも……」

 

「そう? じゃあ、みんなで写真撮ろうよっ! 私達が初めて『団結して活躍した』瞬間だもん!」

 

 そう言って絵麗乃は俺の手を引き、カメラの前で俺達を待つ、会長と副会長の元へと駆け出していく。

 

 ――そうだ。俺は今まで、戦闘から事後処理まで全部一人でこなしてきた。警察やメディアの対応も、ヒーローとしてたった一人で。

 

 その俺が今、初めて仲間に仕事を任せた。路郎先輩の言う、「できないこと」を代わりにやってもらったわけだ。

 

 今回の事件、俺一人では戦闘はこなせても、事件後の対応までは身が持たなかっただろう。その結果、メディアの不興を買う事態を招いていたかもしれない。

 絵麗乃達のおかげで、俺は「ヒーロー」としての一命を取り留めたのだ。

 

 人間は、たった一人では「ヒーロー」になれない。大路郎先輩が言ってくれた通りだったんだ……。

 

「はい、チーズっ!」

 

 ボンネットに突き刺さった生裁剣を背景に、俺達四人は自分達の姿を記録に残した。

 

 この日……「ヒーロー」として、俺が輝いて行ける方法。その真理に、少しだけ近づけたような――そんな気がした。

 

 ……だからなのか。この時の写真に写っていた俺の顔が、今までにないくらいに明るく笑っていたのは。

 

 これからはきっと――いや、絶対。俺は、一人じゃない。

 

 生徒会のみんながこうして集まり、その中から生まれるヒーローこそ……この時代に生きる「セイントカイダー」の姿なのだから。

 

 以来、俺は「生徒会の役員」として、また「ヒーロー」として、仲間達と協力して無理のないPR活動に貢献していく――

 

 

 

 

 ――はずだったのだが。

 

 一ヶ月後の宋響学園。その校門の前を、俺はため息混じりに通り過ぎていた。

 

 ……宋響の生徒とは違う制服を着て。

 

 実は、あの麻薬組織事件の顛末を目撃していたうちの生徒が、俺が変身を解く姿を見てしまっていたのだ。

 

 セイントカイダーに変身する人間は、学園の生徒に正体を知られることを避けなければならない。無用な注目を浴びて、コンディションに支障をきたさないためだ。

 

 そのため、「セイントカイダーは誰なのか」「どういう経緯で選ばれるのか」は生徒会の人間だけの秘密とされ、詮索することも公開することも校則で禁じられていた。

 

 舞帆先輩の場合はほとんど学園公認に近い状態だったと聞くが、本人が違うと言い張ったために「もしかして舞帆先輩が〜」という噂話程度で収まっていたらしい。

 

 路郎先輩はそもそも生徒会の人間ではなかったので、噂すら立たなかった(校長先生談)。

 

 しかし、俺は違う。俺は変身を解く瞬間をバッチリ目撃されてしまったわけだ。それも、うちの生徒に。

 

 案の定、その生徒を発信源に俺の素性が学園に知れ渡り、俺は事件の翌日から学園中の注目にさらされ、数多くの生徒(なぜか大半が女子)に追い回される日々を送る羽目になっていた。

 

 下駄箱に謎の手紙を大量に仕込まれ(開封する前に絵麗乃に処分されたので内容は不明)、男子生徒に謂れのない殺意を向けられ(椅子で殴られかけたこともある)、しまいには絵麗乃に「私のことも構ってよ!」と頬をつねられるなど、トラブルが絶えない。

 

 そんな俺を見兼ねた校長先生により、ほとぼりが冷めるまで別の高校に転校して静かに暮らすことになったのだ。

 

 その間、セイントカイダーの任は俺の穴を埋めるために、Aランクのライセンスを取った会長が代行してくれている。

 

 このためだけに、必死の思いで資格試験に臨んだ会長の苦労は計り知れない。ありがとうございます、会長……。

 

 しかし、こんなことがあっても「生裁戦士セイントカイダー」が学園のヒーローとして存続していられるのは、やはり大きい。

 

 俺の抱えていた問題を生徒会のみんなで共有するようになったから、一人が抜けても補える体制になっている。

 

 校長先生がこうなることを想定していたのかは定かではないが、「ヒーロー」の責任を負う人間が俺一人のままだったら、今頃は生徒会が混乱に陥っていただろう。

 

 人は決して丈夫ではない。簡単に崩れてしまうこともある。だから、支え合うことで真価が生まれる。

 

 「人間」は、たった一人では「ヒーロー」になれない。だから、少しずつ寄り添い合って、そこに向かって近づいてみよう。

 

 ――たった一人では得られなかった何かが、きっとそこにあるから。

 

「さて! ため息ついたって仕方がないよな! ――まずは友達作らないと。会長に負けないよう、俺も踏ん張るか!」

 

 宋響学園の校舎を見上げ、俺はやがて自分が通う高校へと駆け出していく。

 

 「自分にできること」。それはまず、仲間を見つけていくことだから……。

 




 どうも、オリーブドラブです。
 本作「落ちこぼれの成り上がり」は、今回の更新を持って完結となりました! 本作をここまで応援して頂いた皆様、ありがとうございます! セイントカイダーはこの先もずっと、こうして代替わりを続けて行くんだと思って頂ければ(笑

 さて、それでは次回作のお知らせです。来週の11月26日の20:01から、新たな変身ヒーローもの「フルメタル・アクションヒーローズ」の連載を始めさせて頂くことになりました。レスキュー専用強化服を巡る、ヒーロー達の戦いを描いた内容となっております。機会がありましたら、チラ読みして頂けると幸いです!

 では、本作を最後まで読んでいただいた皆様、本当にありがとうございました! よろしければ、またお会いしましょう! 失礼します!


〜登場人物〜


船越大路郎(ふなこしだいじろう)/初代セイントカイダー

 物語の主人公。
 私立宋響学園の三年生であり、年齢は18歳。

 普段は自虐的で飄々とした性格であるが、ここぞというところでは熱血漢な一面を見せる。

 黒髪の端々に赤いメッシュがかかったような、特徴的な頭の持ち主であるが、これは本人が自分で真紅に染めていた髪を本来の黒に戻そうとして失敗した結果である。

 元不良であるが現在は更正に努めており、生徒会に身を置くエリートである桜田舞帆とともに行動している。

 とある理由でヒーローを志し、現在はFランクヒーロー「セイントカイダー」として活動しているが、それは身体的な苦痛を伴うものであった。

 それでも彼は、ただ一つの目的のために、来たる日に向けてヒーローとしての鍛錬を続けている。

 身長は165cmと低めだが、本人はその点に関してはさほど気にしていない。



桜田舞帆(さくらだまいほ)/二代目セイントカイダー

 物語のヒロイン。
 生まれ付いての茶髪を纏めたポニーテールが特徴。
 身長は165cm。私立宋響学園の三年生であり、年齢は18歳。

 正義感が非常に強く、困っている人や不正を見過ごせない性格であり、それゆえに堅苦しい印象を与えている節がある。

 それでも校内での人気は非常に高く、ファンクラブまで存在している。

 過去に、決死の思いで自分の窮地を救ってくれた大路郎に対しては特別な感情があり、何かと彼を気に掛け、どうにか真人間に更正して欲しいという一心で教導に奮闘している。

 その一方で、彼への想いを素直に現せないがためにつっけんどんな態度をとってしまいがちでもある。

 スリーサイズは上から90、58、86。



平中花子(ひらなかはなこ)

 路郎の中学時代の同級生であり、宋響学園とは別の高校に通っている少女。
 セミロングの髪型が特徴。
 身長は162cmの17歳。

 献身的で素直な印象を与える一方で、想いを寄せる大路郎に対しては、いささか大胆なアプローチを仕掛けることも。

 また、アルバイトに精を出す、活発な一面もある。
 達弘(たつひろ)という弟がいる。

 中学時代は肥満体で、それが原因でいじめらていたが、大路郎の協力によりダイエットに成功していた。

 卒業後は、「平越路子(ひらこしみちこ)」の芸名でアイドルデビューしている。

 スリーサイズは上から84、56、79。



桜田寛矢(さくらだひろや)/ラーベマン

 宋響学園を飛び級で卒業した美男子エリートであり、舞帆の弟でもある。
 年齢は17歳。身長185cm。

 姉と同様に強い正義感の持ち主であるが、勝利に固執し、歪んでいる父の影響を僅かながら受けている一面がある。
 舞帆と比べ、幾分性格は穏やか。

 ラーべ航空会社の専属ヒーローである、「ラーベマン」に変身する。



笠野昭作(かさのしょうさく)

 宋響学園の生徒会長であり、ある企業の御曹司でもある。
 身長178cm。年齢18歳。
 寛矢に劣らぬ甘いマスクの持ち主である。

 落ち着いた物腰で、学園で起きる事件には冷静に対処する能力を持つ。
 そのため生徒からの信頼は厚く、舞帆も彼を尊敬している。

 舞帆が頻繁に構っている大路郎に対して、個人的な興味を寄せている。



桜田寛毅(さくらだひろき)

 舞帆と寛矢の父であり、宋響学園の校長を務める。
 身長183cm。年齢56歳。
 歴史ある桜田家の栄光を重んじる厳格な性格であり、その「成功」のためならあらゆる手段や犠牲をいとわない。

 また、舞帆の心を奪った大路郎を快く思っていない。



達城朝香(たつきあさか)

 宋響学園の地下にある、セイントカイダーの秘密基地に住んでいるグラマーな女性。
 身長175cm。年齢不詳。

 大路郎以上に飄々とした性格であり、扇情的な言動が目立つ一方で、大切な人の身を案じ、それゆえに怒りをあらわにする一面も。

 セイントカイダーの設計者であり、ヒーローとして活動する路郎のサポートもこなすことができる。

 スリーサイズは上から102、61、87。



文倉(ふみくら)ひかり

 大路郎の中学時代の同級生であり、彼の初恋相手でもある。
 ストレートロングが特徴。
 身長160cm。現在の年齢は18歳。

 おっとりした物腰であり、大人しく、儚げな印象を与える。

 気弱な性格であるが、ハプニングがきっかけで知り合った大路郎と触れ合っていくうちに、甲斐甲斐しく構ってくれる彼に想いを寄せ、次第に相思相愛となっていくはずだったのだが……。

 両親と死別して以来、加室孤児院と呼ばれる養護施設で暮らしている。

 スリーサイズは上から86、57、83。



文倉瑳歩郎(ふみくらさぶろう)

 ひかりが養育している男の子。
 年齢は2歳。

 無邪気な性格であるが、ある人物を思わせる名前を持っていることから、なんらかの関係がある可能性が……。



船越弌郎(ふなこしいちろう)

 路郎の実兄。
 身長179cm。年齢は27歳。

 女遊びを生きがいとし、毎日女を作っては、その日のうちに捨てる日々を送っている。

 自分が気に入った女はあらゆる手段を使って手に入れようとする卑劣漢であり、弟に心を寄せるひかりや、舞帆を狙う。



船越紗夕(ふなこしさゆ)

 弌郎と大路郎の実母。
 年齢は49歳。

 夫の零郎(ぜろう)と死別してから、女手一つで息子達を育ててきた。
 女に執着したり、不良に身を落としたりと問題の絶えない二人の息子を案じる余り、実年齢以上に老け込んでしまっている。

 最近、舞帆の指導によって真面目になり始めている次男の大路郎を気に掛けている。



所沢克己(ところざわかつみ)/バッファルダ

 かつてヒーローを目指し、とある陰謀によってライセンス試験に失敗したがために、スーパーヒーロー評議会に反逆を企てた男。
 身長196cm。年齢25歳。

 攻撃的かつ粗暴な性格であり、とある事情から宋響学園や桜田家、そして彼らに味方するセイントカイダーを激しく憎悪している。



狩谷鋭美(かりたにえいみ)/ラーカッサ

 スーパーヒーロー評議会からヒーロー能力を盗み出し、バッファルダこと所沢と共謀して、宋響学園の破壊と桜田家の滅亡を企てた少女。
 身長169cm。年齢19歳。

 紺色の長髪を纏めたサイドテールが特徴。
 粗野で恫喝的な言動を見せ、鋭い眼光で女だということを感じさせない威圧感を発揮する。

 実は過去に両親に捨てられ、それが原因でいじめられたことがある。
 その際に自分を助けてくれた文倉ひかりには、友人として厚い信頼を寄せている。

 スリーサイズは上から93、59、89。



横山(よこやま)

 現在の大路郎のクラスメート。
 年齢18歳。

 大路郎がセイントカイダーの主題歌を歌うことになった際には、バンドのメンバーとして協力していた。
 彼とは学園を卒業した後も付き合いがある。



地坂結衣(ちさかゆい)

 宋響学園生徒会執行部の庶務を務める、日本人とイギリス人のハーフ。
 ブロンドが掛かったツインテールが特徴。

 過去に大路郎に救われて以来、彼に想いを寄せ続けている……のだが、そのアプローチが変態染みたものであるせいか、成果はイマイチであるようだ。
 大路郎や舞帆より一歳年下であるため、本編中の時間軸では年齢は17歳である。

 スリーサイズは上から78、56、80。



田町竜誠(たまちりゅうせい)

 宋響学園生徒会執行部の会計を務める、一見ちゃらんぽらんな少年。
 大路郎や舞帆とは同学年であるため、本編中の時間軸では年齢は18歳である。

 舞帆からチャラ男と評される程の自由奔放さを持つが、生徒会役員としての仕事には忠実である。



辻木隼人(つじきはやと)/四代目セイントカイダー

 宋響学園生徒会執行部の副会長を務め、文武両道を重んじる優等生。
 生徒会役員として規律を重んじる厳格さを持とうとしており、学園随一の不良を目される大路郎をやや過剰に敵視しているきらいがある。

 また、舞帆にほのかな想いを寄せており、それが大路郎を意識している遠因となっている。

 結衣と同年代であり、大路郎や舞帆が二年生だった頃に一年生であったため、本編中の時間軸では結衣と同じく17歳である。



剣淵美姫(けんぶちみき)/ドルフィレア

 桜田家を超える名家・剣淵財閥の令嬢にして、大路郎の幼馴染。
 着物を意識した髪型が特徴。

 長い間を海外で過ごしていたが、クリスマスに大路郎に求婚するべく帰国してきた。
 
 彼に自分の力を認めてもらうにはセイントカイダーに勝つ必要があると考え、当時の変身者であった舞帆と対決することになる。

 スリーサイズは上から95、60、88。



栂勇亮(つがゆうすけ)/三代目セイントカイダー

 宋響学園生徒会執行部の書記にして、セイントカイダーの変身者。
 大路郎、舞帆に続く三代目のヒーローとなった人物である。

 学園のヒーローとしての責任感を強く意識しており、その責務を果たすためならどれほどの苦難も厭わないつもりでいる。

 そのためか、独力で物事を解決したがる悪癖がついてしまっており、仲間達との連携に支障をきたしている節がある。
 年齢は17歳。



山岡絵麗乃(やまおかえれの)

 宋響学園生徒会執行部の役員であり、勇亮と同年代の少女。
 セイントカイダーとしての任務にこだわり、その身を削り続けている勇亮の身を案じており、彼を救う術を求めて達城の元を訪れる。

 一方で、異性として勇亮を気に掛けている節がある。
 焦げ茶色のボブカットが特徴の17歳。

 スリーサイズは上から82、57、81。



酷居(むごい)

 651プロダクションの社長。
 平中花子こと「平越路子」を所属アイドルに抱え、彼女の活躍により利益を伸ばしつつある。

 彼女と大路郎の関係性については、「彼のおかげで路子がここにいる」という見方を持っているため、ある程度は黙認しているようだ。


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