Sacrifice (ジェーサー)
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プロローグ/閃光の後
結果から言えば、私はあの末裔に負かされた。
甘っちょろいただの夢想家に、私は負けたんだ。
幾年もの時間を経て、願ってもいないあの国への復讐の絶好機を得たというのに、私はそれを不意にした。
いや。不意にさせられた、そう言った方が正しい。
そもそもが、私が単に好機と呼んでいただけだったのかもしれない。
連中は敵対しているエイルシュタットを落とせればそれで良かった。その目的の障害となっていたのが魔女だった。そこで私に白羽が立った。それだけの事だったのかもしれない。
利用される事への嫌悪以上に、再び目覚めた当初の私は復讐の機会を与えて貰えた事に対する喜びの方が大きかった。だからこそ、利害が一致していると思い込んでいたんだ。
「つくづく、笑えない」
静かな波に揺らされ、されるがままに揺蕩う私の視界には、酷く鬱陶しい青い空が広がっている。
手を伸ばせば雲の一つでも掴めそうだけれど、肝心の腕が一向に言う事を利かない。
あの衝撃に当てられ、五体満足で息をしているのは奇跡とも称えられるけど、そんなのは返って有難迷惑だ。いっその事、またあの暗がりへ意識が沈んでくれれば随分と楽だったのに。
心と呼ばれる部位に大きな風穴でも空けられているような感覚はあるのに、どうしてか、生き延びてしまった空虚さに泣けてくる。
復讐も遂げられず、またしても私は利用されるだけされ、用が済んだからと言ってポイと捨てられたんだ。
「私は、私はただ、あの人の為に……」
あの人……不意に出た言葉だけれど、いったい私は誰の事を言っているの?
そんな疑問が頭に湧いた瞬間、あの抗いようのない眠気が襲ってくる。
この感覚はそう……死だ。
――かった。
声がする。
聞き覚えがある。でも、どこで聞いたのかハッキリとしない。
「聞こえるか?」
嗚呼、その顔は……あの男の子孫か。
見ように依っては、目元に幾らか面影はある。
だが、あの男に比べてその瞳の美しさと来ればどうだろう。どこまでも真っ直ぐで、成る程。あの夢想家の末裔が自分の命すらも賭すワケだ。こんな相手になら、自分の全てを賭けてみたくもなる。出逢ったばかりのあの男へ私が抱いた時と同じように。
「――――」
ダメだ。
返事をしようにも、私には声を出す力すら残っていない。
生きているだけで不思議なくらいなのだろう。所詮は出来損ないの模造品。使用期限は遠に過ぎているんだ。
「このまま死なせてなるものか……それでは、彼女へ何の贖罪もできないではないかっ」
贖罪?
そうか、この女は私へそんな感情を抱いていたのか。
「――っ」
辛うじて腕が動いてくれた。
そのまま傍で涙を浮かべる女の服の裾を掴み引き、首を振ってやる。
不思議なものだ。この女の心を救ってやる義理などは皆無なハズだったに、どうしてか私は残り僅かな生命を削ってまで心の救済をしてやろうとしている。
やはりカラダがそうな様に、今の私の心も出来損ないの模造品という事なのだろう。
「しかし、それではっ」
泣いてくれるのか。
こんな私の為に先祖の犯した過ちを背負い込み、その贖いを本気で望んでくれているのか。
「――とう。あり、がとう」
どうかしてるな。この女も、私も。
「ダメだ、目を瞑らないでくれっ……お願いだから、やめてくれ」
その涙だけで、充分だ。
最後の最後で、私は救われたんだ。そう思って、もう一度眠ろう。
今度はきっと、良い夢を見れそうな気がする……ありがとう。
もう一つの方とは並行してやって行くつもりです。
あっちでは恐らくゾフィーが描けないので(土下座
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第一章/一節/三度の光明
夢見心地を得るつもりなど、塵ひとつ分すらも無かった。
しかしてこの世は、私が思う以上に奇怪なモノだった。
「ゾフィーさん。ちゃんと食べなきゃ元気になれませんよ?」
「……別にいいわよ」
「それじゃフィーネ様に頼まれてる私が困るんですっ」
「随分と勝手な言い分ね」
「はい、あーん」
「……自分で食べられるわよ」
死を迎えたと思った私は奇異な事に、三度目の目覚めを経験した。
オルトフィーネと言うあの男の子孫が語るに、私のカラダは膨大なレイラインの力を魔石を用いて無理矢理に使役した影響で変異し、並みの人間のソレすらも逸した物へと成り代わっていたらしい。
加えて、その変異はあの末裔も同様だった。
「あはは、フィーネ様は怒ると怖いんですよね」
苦笑しながらそう語る末裔は、車椅子に乗っている。
最初はあの衝撃を受けた影響だと思いもしたが、どうやらアレは私の所為だったらしい。誰もその事実を語ろうともしないが、それが返って私に確信させる。
「ねえ」
「え、私ですか?」
呼ぶと、末裔は意外そうな顔をして自分を指差す。
何ら嫌な顔を見せないその様子に、異常なバツの悪さを覚える。
「どうして……私を咎めないの?」
「咎めないって、どうしてですか?」
私に言わせるのか、それを。
まあ、それも贖いの一環か。
「足、満足に動かないんでしょう?」
「ああ、コレの事ですか。少し残念ですけど、私はまだこうして笑えてますし、別にゾフィーさんを咎める事なんてしません。と言うか、そんな必要なんてないですっ」
どうしてそんな目がをしていられるの?
これじゃまるで、死んで尚も生前の恨みを持ち続けていた私が滑稽じゃない。
「辛い、ですよね?」
目が覚めてから身の回りの世話をしてくれている使用人服姿の、名をロッテと言う少女が、俯いた私の顔を覗き込んでくる。
「イゼッタさんってすごく優しい人なんです。だから誰も恨んだりとかできないんですよ。それが返って厳しいのかなぁ、とかって思うんですけどね、私は思うんです。そうする事で自分で悔い改めさせてくれているんだ、って」
多分、無自覚でしょうけど。最後に悪戯っぽくそう加えてロッテは末裔の方へ向いた。
優しさは時として他人を傷付けるもの。そう思ってはいたが、ロッテの話を聞くと納得させられた。本当の優しさとは、どこまで行ってもその人間への思い遣りを備えているのだと。後は受け手側の捉え方次第なのだ、と。
「ここまで至って、未だ学ぶ事があるだなんてね……想像もしてなかったわ」
誇らしげに華奢な胸を張って見せるロッテ。
その向こうで無邪気な笑みを浮かべる末裔――いえ、イゼッタ。
生まれ変わる、とはよく言った物で。正に今の私はそんな心地に包まれている。
三度目の生、今回ばかりは間違えないように生きたい。そう願うばかりだ。
ここがどこなのか、詳細な事は分からない。が、どこか森の奥に構えているのだろう事だけは、窓から見える景観で察しはつく。
朝が来て目を開けると穏やかな鳥たちの声に迎えられ、次いでロッテが台所で朝食を拵えている姿が目に入ってくる。毎朝、その良い香りに胸を踊らせられる幸福は、何物にも代え難い。
いつも私より先に目を覚ますイゼッタは、決まってロッテの手伝いをしている。車椅子を器用に使いこなし、料理をする彼女の邪魔にならないように食材やら食器やらを運んでいる。
「おはよう」
「おはようございます、フィーネさん」
イゼッタは今日も変わらぬ笑顔で返してくれる。
「おはようございます、今日は一段と顔色が良いみたいですね。そろそろ立って歩くリハビリとか始められそうですね」
銀色のボールを片手に、ロッテは私の体調を鑑みながら返してくれる。
立って歩く。今更に私がその単語を聞き苦しく思ってしまうのは、返ってイゼッタに失礼というものか。
「一日でも早く、この寝た切りの生活とはおさらばしたいわ」
しかし、こうして意欲を見せるのが良い事なのかも分からない。けれど、私にはこう返す事しかできない。それ以外の方法を私は忘れてしまっている。
言って気付いたが、復讐心を持つ以前の私がそれ以外の方法を知り得ていたのか、思い出せない――いや、そもそもそんな記憶なんてこのカラダに残ってなどはいないのかもしれない。それどころか、生前の記憶が残っていること自体が不自然だ。
芽生えた違和感は、ロッテが運んで来てくれた朝食の味を鈍らせた。
その日の午後、ロッテはオルトフィーネに呼び出されたらしくこの家を出ていた。
居心地の悪さを感じている訳でもないが、今朝方に芽生えた違和感も手伝って私とイゼッタはお互いに会話も交わさないまま、ただボンヤリと過ごしていた。
「あの……」
そんな時、唐突にイゼッタが口を開いた。
「えっと、なに?」
「あっいえ、特に用事って訳じゃないんですけど……」
少しだけキツい言い方になってしまったのかもしれない。
イゼッタの声は萎縮したように、言葉尻に向かうに連れて小さく萎んでしまった。
「ごめんなさい、怒ってるわけじゃないのよ」
「あっ大丈夫です、わかってます」
分かってなさそうな顔だけれど……。
「えっとですね、ゾフィーさんて小さな頃どんな人だったのかなぁ、って思ったんです」
「それに答える前に、先ずはひとつお願いしたいんだけど」
「な、何ですか……あっ大丈夫です、笑ったりしませんよ?」
「そんな心配はしてなかったんだけどね」
「あっ……ごめんなさい」
どうにもギクシャクしてしまう。
故に、それを是正する為の提案を今からするのだけれどね。
「私に対してだけは、その謙った物言いや態度をしなくて良いわよ。別に私はあなたよりも上の立場って訳でもないし、逆に言えば、私の方がそうする必要性があると思うのよ」
「そんなっ、ゾフィーさんこそ謙ったりする必要なんてないですっ」
「そ、そう?」
「はいっ」
この子はどこまで純朴で、聖人なんだか。
「とにかく、お互いにもっと自然体でいましょう?」
「ぜ、善処します」
「お願いね」
自然と自分の口元が綻んでいるのに気付いた。
「それじゃ話を戻すけど、率直に言って私にその記憶は残ってないわ……ううん、そもそもそんなのは存在しないハズなの」
「存在、しない?」
「ええ。私のこのカラダは連中が語る所のクローンと呼ばれる物で、本来の私のカラダとは全くの別物なの」
「それって……じゃあ、ゾフィーさんの中にある昔の記憶って――」
「恐らく、憎しみという単一の感情に付随した簡略的な物だけだと思う。それこそ、文字通り遺伝子レベルに刻まれてた、ほんの断片的な部分だけ」
イゼッタに聞かせている内、自分の中での整理も終えられた。
つまり私が憶えていたのは、死の間際に強く抱いたひとつの感情に由来する物だけだったのだ。だからこそあの男の顔ばかりは憶えていても、それを喚起させた際に思い起こされる感情が憎悪と呼ばれるものばかりだったのだ。
けれどそれなら何故、私は自分が殺された経緯を克明に憶えているのだろうか。
「私、難しい事は分からないんですけど……レイラインが、この世界がゾフィーさんの事を憶えていたんじゃないんでしょうか?」
「世界が、憶えていた?」
おずおずと語り始めたイゼッタだったが、次第にその声に力が宿り出す。
「そうです。レイラインの力を借りる時、自分の中に何かが流れ込んでくる感じがするじゃないですか? あれってきっとこの世界が憶えてる、この世界の人々の記憶とか想いとか、そう言うのが伝って来てるんじゃないんですかねっ」
言い切った途端、イゼッタは赤面して俯いてしまった。
何を恥じているのかは分からないけど、どうにも自分の中で払拭し切れない羞恥心を抱いたのだろう。
「ふっ――ははは、そうかもしれないわね」
「ちょっとファンタジー過ぎましたよね……」
「良いじゃない。魔法だって普通の人にとっては相当にファンタジーよ?」
そう返してから、私たちは二人して笑い合った。
レイラインが記憶していた、か。何の確証もない話だけれど、何故か私にはすごく納得のいく結論に思えた。
あの力はそう、借り受け使役していた私ですらその神秘性に魅入らされる事が度々あった。言い様のない、すごく強大でいてどこか温かい力。時にはその強大さに背筋を凍らしそうになる事もあった。でもそれが様々な人の想いや記憶だったと考えれば、少しだけしっくりくるものがある。
しかし、考えたところで私たちが答えを知る事はない。それなら、少なくとも私たち二人が納得できているのであれば、一旦この場ではそれが答えだと据え置いても良いだろう。
そう思う事にして私とイゼッタは、ロッテが返ってくる頃まで他愛もない話で盛り上がった。
最初からツッコミどころ満載な感じですいません(確信犯
あと数話はこんな日常系やってる感じですかね、多分……
追記:修正箇所について
レイラインがレイランになってました(恥
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二節/悪魔、舞い降りて
世界から魔法が消えた日からちょうど半月後の事だった。
凡そゲルマニア帝国を中心とした周辺諸国の人間は、一様に自分たちが思い違いをしていた事を悟らされた。
完全な包囲網を敷かれたゲルマニア帝国の決死の抵抗も程なく制圧せれてしまうだろうと思われていた頃、彼らは最終兵器を持ち出したのだった。
その最終兵器こそ、根絶されたと思われていた魔法だったのである。
*
天を穿つ眩い閃光を目にした皇帝は、これまでの事を「座興」と称して笑った。
その真意を知り得る人間は恐らく、今はどこへ眩んだのかも知れない男のみだろう。最後の最後まで保身に努め、その裏では狡猾に成すべき事を成し、誰もが想像するその一歩先を見据え、その上で自らが生き延びる道を選び取って生き延びた、アノルト・ベルクマンという男だ。
皇帝オットーは、先見に長けた彼から情報を得ていたのである。
「真なる魔法は我が手にあり、か……。あの男、殺すには惜しい人財だったな」
自らが生を謳歌する事に終始する男の考えを逆手に取る事など、オットーには造作も無いことだった。それは彼が優秀だからではなく、彼がこの国の長であるからだ。
権力とは、何も驕り高ぶって眼下の者を蔑む為に備えるもの等ではない。その真価は自身を上回る能力を持ち合わす人間を負かす際にこそ存分に発揮される。
――我が敵は、お前か?
一言だった。オットーがアノルトへ投じたのは、たったの一矢だった。
彼を敵に回すことが意味する事とは、ゲルマニア帝国そのものを敵に回す事に他ならない。放たれた一矢は見事アノルトの心中を射抜き、彼に致命傷を与えるに至ったのである。
珍しく額に汗を携えたアノルトは振り向き様に「まさか」と続け、両腕を広げながら向き直った。
その後アノルトの進言した通り、魔女に関する研究施設とは別に彼が個人で借り受けていた僻地に構える小屋へ遣わせた者たちから、オットーは期待通りの報告を聞かされていたのだった。
「レイラインに縛られた魔法など、所詮は魔法に至る代物ではなかったのだ。この力こそ、真なる魔法なのだ」
妖美に輝く紫色の拳大の石を掴んだオットーは静かに、しかし声色は強く呟いた。
明くる日からと言うもの、皇帝直々に選りすぐった研究員らは休む間も無く紫色の石についての研究に勤しんでいた。
研究員らを治める班長のジェリコは、出て来た解析の結果を見て早々に自分の目を疑った。
「これって……嘘、よね」
つい先日まで第九設計局でエリザベートの元に就いていた彼女だからこそ、今し方目にした紫色の石の数値と同じ測定法で赤い魔石が打ち出した数値との対比に驚嘆を得たのである。
赤い魔石は魔女と呼ばれる者たちが使用して初めて効力を見せるのに対し、この紫色の石は使用者を問わない。現に石の力の測定には研究員の一人が使用した数値が使われているのである。そして肝心の結果は、同値であった。
この結果が意味するものとは、この紫色の石が齎す力の源が当然、枯渇したレイラインに依存した物ではなく別にあると言う事。加えて、使用者の制限という枷がない事だった。
「この石を使えば誰でも魔法が使えるようになる……」
研究室にいた総勢で八人の人間は皆、ジェリコがうわ言のように呟いた言葉に重い沈黙の蓋をかぶせた。
「その石を用いれば、誰にでも魔法が使えるようになるのか」
ジェリコが石を預かり受けてから三日後、彼女はオットーの元へ石の返還と研究の結果を伝えに来ていた。一通りの報告を終えると、オットーは顎を撫りながら手に持った紫色の石を舐めるように眺め見ながら楽しげにそう言った。
戦況は芳しくなく、日に日にゲルマニア帝国は追い込まれつつあるにも関わらず、国の長であるその人の浮かべる子供染みた笑みを目にしたジェリコは、その顔に確かな狂気を覚える。
「で、その魔法とはどう言ったものなんだ?」
「はい。かの白き魔女たちが用いていた魔法とは異なっていまして、その……なんと申し上げれば良いのか言葉に困るのですが、所謂、万能の力を授ける、とでも言うのでしょうか」
「なんだ歯切れの悪い。具体的にどう言った事が可能になるのかを伝えろ」
頻りに目を泳がせるジェリコ。彼女の動揺を誘うのは皇帝の見せる焦らされた事に対しての憤りの言葉ではなく、これから自身が伝え聞かそうとしている事柄に対してだった。
「物体に浮力を与えようとすれば叶い、ただの石ころを数キロトンの爆弾にしようとすればそれも叶う……この石は、そう言った代物です」
聞き終えた皇帝は一瞬、間の抜けたような表情を見せ、「これは傑作だ」と言って下品な大笑いを上げて続ける。
「真なる魔法とは、そのまま言葉の通りだったという事ではないかっ」
ジェリコの抱いた不安は、無情にも的中する未来を得た。
背に伝う大粒の冷感は彼女が、自らの手で世界の崩壊を促してしまった罪の意識が確かな形として浮かび出た物だった。
*
戦場でそれを目にした誰もが、己の目に怪訝さを抱いた。
優勢だったはずの戦局は紫色の光と共に覆り、瞬きをする間にすら畏怖を漂わす。しかし、見開いたままの瞳が紫色を捉えると、その地に残るのは死の灰だけとなる。
曰く――誰が云ったかその日は、紫色の悪魔が舞い降りた日と呼ばれる事となった。
日常系が続くと言ったな……あれは嘘だ。
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三節/不穏
私の隠居生活は、足が動くようになってから程なくして終わりを告げる事になった。
「紫色の光……いえ、聞いたことはないわ。ただね、あんまりタイミングが良いものだから、思い当たる節が生まれたのよ」
こうして私だけがランツブルックへ赴く事になったのも、今し方オルトフィーネが話し聞かせてくれた話の内容で察しがついた。
レイラインの魔力が消え、現代から魔法が完全に消え去ったとばかり思い込んでいた私は最初、彼女の語りを冗談かなにかだとばかり思って笑った。紫色の光と共に舞い降りた悪魔が魔法を使役して戦況を覆しているだなんて、魔女であった私自身が誰よりも一笑に伏すに相応しいじゃない。けれどオルトフィーネの目は、その深刻さを薄めなかった。
少し前、私の記憶についてイゼッタと共に少しだけ考察してみた際に出た何の確証もない結論が、今になってその真実味とでも言うのか、兎にも角にも、オルトフィーネの話によって無視する事のできない領域へと上り詰めるに至ったのだ。
私たちの出したレイラインの根源は、この世界が記録する人々の記憶や想い。しかし未だ、それが真理であるとは言い難い。可能性は出て来た、という段階に過ぎない。
「それでは、人類が生存している限りこの世から魔法は絶えない、という事なのか?」
「仮説にも至らない陳腐なものだけれど、現に魔法は蘇っている……ね、可能性としては捨て置けないでしょう?」
「しかし――」
表情を曇らせるオルトフィーネ。彼女の言いたいことは何となくだけれど、私にもわかる。もし仮にこの結論が真を突いていたとすれば、イゼッタが命を賭してまで根絶しようとした行為そのものを全くの無意味なものだったと、そう認めざるを得なくなるからだ。
でも、この世の真理とはいつだって人に残酷であるのもまた、事実。
「それで、その魔法に対抗し得る方法は思い付いているのかしら、幾ら何でも弱点がない訳ではないでしょう?」
「……まだ確定はしていない。けど、戦線を敷いているゲルマニアのほぼ全域で紫色の光が確認されている」
その苦言は、私の耳にすらもその味を広がらせる。
「全域で……」
記憶にあるレイラインの流れを喚起させる……が、凡そ戦域に当たると思しき箇所の全てに魔力の筋は流れていない。それどころかゲルマニアの本国自体、魔力の流れは弱いはず。
「どうした、何か思い当たったのか?」
最悪の事態が脳裏に浮かび、思わず彼女の名を告げると、私の抱く不穏とは裏腹にオルトフィーネは期待に満ちた表情を向けてきた。
「残念だけど、悲報よ。その魔法は恐らく――私の知る魔法ではないのかもしれない」
希望を抱くからこその絶望。その簡単な方程式の解が今正に、私の目の前で披露された。
オルトフィーネとの密談以来、この屋敷の中は騒然とした。
用意された椅子に腰を下ろしいる私の前を頻りに横切って行く軍人たちの服は、エイルシュタットの物ばかりではなく、他所の国の物も混じっている。
しかし、それでも一律なのはその表情だ。
誰もが血相を著しく変え、慌てふためいている。死んだ魚のような目の者も珍しくはない。その一端を担ったのは他でもない自分ではあるが、これ程に見ていて笑えてくる様相というのも他には在るまい。なんせ、私がこの屋敷へ顔を覗かせた際には誰もが希望という名の藁を見つけたかのような、見ててむず痒くなる程の表情を見せたのだから。
いつの間にか失くしていた復讐心が煽られた所為だろうか、こんな思想を抱くのは。所詮、今の私を形造る根底はこの国への復讐心だとでも言うのだろうか。
「早々に抜け落ちる物でもないみたいよ、イゼッタ」
壁際だったのが幸いし、振り向けばすぐに窓の向こうに広がる空を眺め見ることが叶った。
蒼を暈す希薄な雲らを、あの娘も見ているのだろうか。もしもそうなら、必死に困難を打開しようとする懸命な彼らの姿をほんの一間でも嘲り笑った私をどうか、その全てを包み込むような微笑みを以って許して欲しい。
そんな勝手の過ぎる想いに馳せていると、聞き慣れない声が私を呼んだ。
「非礼を承知でお尋ねします。貴女こそ伝説に出て来る白き魔女で、間違いはないのでしょうか?」
女性ながらその凛々しい顔付きは、この場にいる男どもの誰よりも男性的であると称えよう。振り向くと、そんな麗人が私を見据えていた。
「そうでも無ければ、私は今ここに座っていないと思うけど?」
敢えて意地の悪い返しをしてみた。
この凛々しさがこの麗人にとっての真なる表情であるのなら、期待以上の返しを以って私を満足させてくれる筈と見込んでの事。
「以前、私はあの伝説の真実を聞かされ、思わずそれを否定した事がありました。その節の事、今ここで謝らせて下さい。申し訳ありませんでした」
予想していた返しとは随分と違ったけれど、これはこれで中々に彼女の“らしさ”は滲み出ているように思える。
「別に謝るような事でもないでしょ。大勢の人間が吹聴してる伝説の方が、私としても耳心地の程が良い物だと思うもの」
それに対して私が抱いた感想は置いとくとしても、ね。
「私は小さな頃、あの伝説を聞かされてから貴女に強く憧れました」
顔を伏せたまま、麗人は続けた。
「いつか私も貴女のようにこの国の救世主になりたい、と」
そこで顔を上げる。凛々しさを年相応の女性のモノへと変えて。
「失礼致しました」
それだけ言うと、麗人は足早に去って行った。
彼女が立っていた箇所のカーペットには、出来たばかりのシミが二、三見受けられる。
「私にどうしろって言うのよ……助けようにも、今の私にはそんな力、欠片ほども残ってはいないと言うのにね」
シミを見詰めながら呟きを捨てた。
胸の内側をそっと撫でてくる熱い何かを、その感覚を私は知っている。あの時と同じだから。今の私が当時の私で無い事についての結論は出ていた。けれど、この気持ちだけは覚えている。知っている。
「嗚呼、駄目ね……幾度と生を繰り返そうとも、馬鹿って言うのは治るものでもないみたい」
――救世主。
麗人の語り聞かせて来たその言葉だけが、まるで呪詛であるかのようにいつまでも私の頭の中で反響を繰り返した。
週末の方は煮詰まり過ぎて冷ましてる最中ですので、もう暫しお待ちを?
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