ただの使い魔には興味ありません!【習作】 (コタツムリ)
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第1話 ただの使い魔

処女作&文章練習作品です。既に終盤まで書き上げているので完結はできると思います。なにぶん初めて書いたので序盤の方は原作引用も多くなりますが、終盤はオリジナル展開になります。いたらない所も多々ありますが、よろしくお願いします。


 平賀才人、十七才。

 どこにでもいる普通の高校生である。

 父親は日本人とフランス人のハーフ。母親は宇宙人と異世界人のハーフという、どこにでもいる一般的な両親のもとに生また。(ちなみに父方の祖父母は未来人と超能力者である)

 そんなどこから見ても普通な少年は、これまた普通の高校生なら誰でもできる未来予知の力によって、生まれた瞬間から今日この日にハルケギニアに召喚される事を知っていたので、しっかりと準備をしていた。

 手始めに家の近くに道場があったので武道を学んだ。心源流道場と言って、世界的に有名な拳法を修めたのだ。それはそれは師範のネテ○師匠に免許皆伝を授けられるほどの腕前だ。

 勉学も一通り学んでおり、一般的な高校生レベルの知識は蓄えている。つい先日もポワソカレイ予想を証明したところだ。

 他にも謎の宇宙的パワーを使えるように修行したり、超能力の練習をしたりと、普通の高校生らしい日常を送りつつ、女子高校生の異常な生態を観察して過ごしていた。

 まごうことなき一般人の両親の血を引く才人は、宇宙を統括する情報統合思念体とコンタクトして情報エネルギーの操作をすることができたり、一時的に未来の時空と自己の精神を連結して限定的な未来予知を行ったり、なんや良くわからない異世界的な力が使えたり、限定的な超能力が使えたりする。

 どこからどう見ても、ごくごく一般的な平凡でありふれた十七歳の男子高校生にしか見えないのである。見えないったら見えないのである。

 

 この物語は、そんな宇宙人的で未来人的で異世界人的で超能力者的な要素をもった、どこにでもいる平凡な高校生が異世界『ハルケギニア』に召還されるところから始まる。

 

 

     ◆ ◆ ◆

 

 

 抜けるような青空の下、少女は焦っていた。

 ここはトリステイン魔法学院。貴族の子弟たちが立派なメイジになるための学び舎である。

 この日、魔法学院では2年生に進級するための大切な儀式、『使い魔召喚の儀式(サモンサーヴァント)』が行われていた。

 少女の同級生たちはすでに大方使い魔を召喚し終えている。カエルやフクロウ、中には立派なサラマンダーを呼び出した生徒もいた。

 前の生徒が召喚し終わり、いよいよ少女の番がきた。

(――ふぅ。できるわ。私はできるんだから!)

 心の中で自らを激励した少女は生徒達が作る輪の中心に移動すると、心を落ち着かせて杖を構えた。

「宇宙の果てのどこかにいる私の僕よ! 神聖で美しく、強力な使い魔よ! 私は心より求め、訴えるわ! わが導きに応えなさいッ!!」

 少女が唱えると同時に杖を振ると辺りに爆発音が響いた。粉塵が舞い上がり、驚いた使い魔たちが暴れ出す。

「キェーー!」

「ちょっと! 落ち着くんだ、ボクのラッキー!」

 生徒達は慌てふためく使い間達をなだめた。そしてその原因を作った少女に怒気をはらんだ視線をむける。

「……こ、これは練習よ。次が本番なんだから!」

 生徒たちの視線を傲然と受け止める少女はこの上なく整った目鼻立ち。桃色がかったブロンドの髪は太陽の光を浴びて燦々と耀き、その下には透き通るような白い肌がのぞいている。意志の強そうな鳶色の目を長いまつ毛が縁取り、薄桃色の唇を固く引き結んでいた。

「おい、いい加減にしろよ! 何が練習だ!」

「まったく、あいつは今までに一度も魔法を成功させてないじゃないか! もう退学にしてくれよ!」

「そうだ、そうだ!」

 一斉に不満の声を上げる生徒達。

「う、うるさいわね! ちょっと失敗しただけよ!」

 口では強がってみせるも、少女の心中は穏やかではなかった。幾度スペルを唱えるもそのたびに爆発が起こり、一度たりとも成功する事はなかった。それどころか少女は今までの人生でただの一度も魔法を成功させた事がないのだ。

(うぅぅ、どうして……)

 この使い魔召喚の儀式は、呼び出された使い魔を見て今後受ける授業の方向性を決める重要な儀式だった。もし召喚に失敗すれば進級できず、退学しなければならない。

 貴族の――、それも公爵家の自分がこんなところで退学などという汚名を受けるわけにはいかないと、追い詰められた少女はついに禁断の呪文を唱えるのだった。

 それは昨晩、自分の部屋の中に置かれた一冊の本の中にあった。

 

『カエルでもわかるサモン・サーヴァント 入門編』

 

 ふざけたタイトルの本である。

 おそらく誰かのイタズラだろうが、その本の中に書かれていた使い間召喚のスペルの一つに、少女は奇妙な親和性を感じた。

 本来ならこのような常識的でないスペルは控えるべきなのだが、他に頼れるものもなく、背に腹は変えられない少女はうさんくさいと思いながらも、そのスペルを縋るように唱えた。

 

「た、ただの使い魔には興味ありませんッ! 宇宙的で、未来的で、異世界的で、超自然的な使い魔がいたら、あたしのところに来なさい! 以上ッ!」

 

 きつく目を閉じて顔を真っ赤にしながら少女は叫んだ。

 そのあまりに非常識な呪文にその場にいた全員は開いた口が塞がらない。

「ちょっと何? あの呪文?」

「ぷぷぷ。さすがはゼロのルイズ。ついに気がおかしくなったか!?」

 同級生たちのあざ笑う声がルイズと呼ばれた少女に刺さる。誰もがまた失敗する事を疑わなかった。

 しかしそんな周囲の予測に反して、ルイズの前には光る鏡のような召喚ゲートが開いた。

「や、やったわ!! ゲートが開いたわ!」

 ゲートは高さ二メートル、幅一メートルほどの楕円形をしている。

 ルイズが怖いくらいに真剣な目つきでそのゲートを見つめること数分、ついに中から生涯のパートナーとなる相棒が姿を現した。

 

「あんた……誰?」

 

 それは人間であった。それも自分と同じくらいの歳の、ハルケギニアでは珍しい黒髪の少年だった。

「わははは。おい、見ろよ。ルイズが平民を呼び出したぞ!」

 現れたのがマントをしていない人間(つまり平民)だったので、同級生たちは盛大にふき出した。

「ルイズ、『サモンサーヴァント』で平民を呼び出してどうするの?」

 

 自分でもこの展開は予想してなかった。まさかただの平民が現れるなんて……。どうせ召還するならドラゴンやマンティコアみたいな高位の幻獣が良かった。

 それがよりにもよって平民。

 あんな恥ずかしいスペルを唱えたというのに、この仕打ち。

 なによ! ただの使い魔どころか、ただの平民が来ちゃったじゃない! 酷いインチキだわ!

 ルイズは泣きたくなった。

 

「ちょ、ちょっと間違っただけよ!」

 ルイズは傷心を隠すように怒鳴った。

「間違ってないだろ。魔法が使えないルイズには平民がお似合いだよ!」

 からかわれたルイズは助けを求めようと教師に向き直った。

「ミスタ・コルベール!」

 すると人垣が割れて、中年の男が現れた。大きな木の杖を持ち、濃い紺色のローブに身を包んでいる。

「なんだね。ミス・ヴァリエール?」

「お願いです先生! もう一度召喚させてください」

 コルベールと呼ばれた男はあらかじめその訴えを予測していたのか、間を置くことなく答えた。

「それはできない。ミス・ヴァリエール」

「どうしてですか!」

「そういう規則なのです。春の使い魔召喚は神聖な儀式です。好むと好まざるにかかわらず、一度呼び出した使い魔を変更することは叶いません!」

「そ、そんなぁ……」

 ルイズはがっくりと肩を落とした。

「さて、では儀式を続けなさい」

「――はい」

 獲物を捕り損ねた猫のようにおとなしくなったルイズは、契約を完遂するために少年の方へ向き直る。

 しかしそこで不思議なことが起こった。

 それは改めて少年を見たとき。

 黒いズボンに、青い奇妙なジャケット。ハルケギニアでは見たことのない服を着た少年は、これまた珍しい漆黒の髪。それに平民とは思えないほど端整な顔立ちをしている。すっきりと通った鼻筋の上には、鋭いながらも知性を感じさせる目が据えられている。

 美形である。

(さっきはただの平民かと思ったけど……、これはひょっとして――?)

 少年の整った顔立ち。突然召還されたというのに慌てふためくことない堂々とした立ち姿。落ち着いた雰囲気。

 そのどれもが乙女心をこれでもかとくすぐるのだ。

 そして――なんと言ってもその紺碧の瞳。

 その力強い獅子のような瞳を見た途端、ルイズの心臓が大きく跳ね上がった。

 今までに感じた事のない鼓動の高鳴り。

 不自然な体温の上昇。

 突然なにかの病気にでもかかってしまったかのような症状にルイズは戸惑った。

「ミス・ヴァリエール。何をしているのですか? 早く契約を済ませなさい」

「ふぇ? あ、はい」

 コルベールの言葉にルイズは平静を取り戻した。硬直していた体を動かし、『コントラクト・サーヴァント』に移行する。

「か、感謝しなさいよね。貴族にこんなことされるなんて、普通は一生ないんだから」

 ルイズは聞く者の耳をくすぐるような甘く上品な声で言うと、手に持った小さな杖を振る。

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るぺ――」

 詠唱の途中でルイズは思い出した。

 本来ならこの次は「ペンタゴン」と言うところである。が、しかし、あの本に書かれていたのは「ぺったんこ」――何か底知れぬ悪意を感じる単語だ。こんな屈辱的な単語を言うのは断固拒否したいところだが、『サモン・サーヴァント』が成功した以上、この『コントラクト・サーヴァント』の呪文もあの本に従うべきか迷うところである。

 しかしルイズの直感はハッキリととらえていた。あの本に従うべきだと。あとはプライドの問題である。

「どうしたのですか? ミス・ヴァリエール」

「は、はい。すみません。五つの力を司るぺ、ぺぺ、ぺぺぺ――」

 だとしても簡単に言えるような単語ではない。

 ルイズの心の中で、メイジのルイズと女のルイズが激しく攻めぎ合う。

 ここでこの使い魔と契約できなければ退学だと、何が何でも契約を成功させろとはメイジのルイズ。いいや、こんな恥ずかし過ぎるセリフを言ったら女として立つ瀬がないと、女のルイズも負けじと反論する。

「ミス・ヴァリエール。ぺぺぺマンでも呼び出す気ですか?」

 コルベールの催促を受けてルイズは無自覚のうちに言葉を続けた。

「――五つの力を司る、ぺ、ぺったんこ!!」

 言った。

 ルイズは顔を沸騰させながら言いきった。同時に何か大事なモノを失った気がした。

 もう後には戻れない。

「この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」

 激しい葛藤の末に呪文を唱えたルイズは、すっと杖を少年の額に置いた。

 そしてゆっくりと唇を近づけてくる。

(と、届かない!)

 少年の方が背が高かったため唇に届かない。仕方がないので少年の首に腕を回し、かかとを浮かせて爪先立ちになって顔を近づける。それでも後ほんの数センチ足りない。

 困ったルイズは、しかし他にできる手立てはなく、その体勢で固まってしまった。すると、それを見かねた少年の方から顔を近づけてきた。

「ん、ん~……」

 重ねられる唇。

 一瞬遅れてルイズの頬が激しく湯だった。

(わ、私キスしちゃってる……はじめての……はぅぁ~ッ!)

 

 少年が唇を離す。ほんの一~二秒のことだったが、ルイズにはそれが数時間の出来事のように感じられた。

「はわ、あわ、あわわ……き、きき、キスしちゃった……きゅ~~ぅ~~んん!」

 へなへなとルイズは膝から崩れ落ちて、そのまま気を失ってしまった。

 後に残された少年がつぶやく。

「名前も聞かないうちに気絶するなよ……」

 

 こうして少年と少女は出会った。

 

     ◆ ◆ ◆

 

「――知ってる天井だ」

 ルイズが目覚めるとそこは毎日寝起きしている自室のベッドの上だった。

 時刻は夜。

 窓の外には夜空が広がっており、草原やその奥に見える山脈を双月の淡い光りが照らしていた。

「なーんだ、夢か……。そうよね、人間が召喚されるなんて、ありえないわよね」

 ある日突然、王子様のような殿方が自分の前に現れるなんて、ご都合主義も良いところである。十六歳にもなってこんな少女趣味な夢を見るなんてと、ルイズは自分の頭の中を疑いたくなった。

 きっとこれは明日の使い魔召喚の儀式が不安なんだわと、自分に言い訳をするルイズ。と、そこに、

「お? 起きたか、お嬢様」

「うん。おはよう……って、えぇー!?」

 そこには夢の中の住人であるはずの少年がいた。

「何であなたがここに!?」

「何寝ぼけてるんだよ。自分が呼び出したんだろ?」

「ふぇ?」

 ルイズは反射的に自分のほっぺたをつねった。夢ならば覚めるはずである。

「痛ひゃい!」

 だが、痛みは本物であった。しかしそれだけではまだ信じられない。何か他に証拠となりえるものはないかと辺りを見回すと、自分が魔法学院の制服を着ていることに気が付いた。

 ルイズは普段寝る時はネグリジェに着替える。制服のまま寝るようなことはしない。ということは自分でベッドに入ったわけではないと言うことだ。

 ルイズが推理していると、少年が左手の甲を見せてきた。

「それは?」

「使い魔のルーンだとさ」

 少年の左手にはしっかりとルーン文字が刻まれていた。

「それじゃ、本当に……?」

 ルイズは記憶を思い返してみる。朝起きて、使い魔召喚の儀式を行って、そして今目の前にいる人間の使い魔を召喚して、コントラクト・サーヴァントのキスをして……

「はぅ……!」

 キスのことを思い出すと顔が紅潮する。止めようとしても止められない。あの時の柔らかい唇の感触が、背中に回された逞しい腕の温もりが脳裏に蘇ってくる。

「おい、大丈夫か?」

「ふぇ? だ、大丈夫よ!」

「そうか? まだ具合悪いんじゃないか?」

「全然平気よ! ちょっと貧血気味だっただけだから」

 ルイズは慌てて平静を装った。

 だがしかし何故だろう。あの時のことが夢ではなく現実だったとわかると、自分の心の中に言いようのない“心地よい何か”が満ちてゆくのをルイズは感じた。

 と、そう言えばまだ少年の名前を聞いてないことを思い出して、ルイズは尋ねた。

「そう言えば、あなた名前は?」

「そう言えば自己紹介がまだだったな。俺は平賀才人」

「ヒルァガ・サイト?」

「サイトと呼んでくれ、お嬢様」

「お、お嬢様だなんて……」

 両手を頬に添えて俯くルイズ。

 まるで恋する乙女のようである。

 ルイズはこれでも公爵家の生まれで、幼い頃から使用人たちにお嬢様と呼ばれていたのだが、サイトに呼ばれたそれは全くの別物だった。ただの主人と使用人の間で使われる特に意味の無い呼び名ではなく、それ以上の何かがこもっているように感じた。

 乙女にしかわからない特殊な音波がこの世にはあるのだ。

「ところでさ、俺ってもとの世界に戻れるの?」

「もとの世界? どういうこと?」

「俺はこの世界の人間じゃないんだ」

「……え?」

 

 

 

   ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ルイズは椅子に座り、テーブルの上に置かれたティーカップに口付ける。才人の自己紹介が思いのほか長くなり、カップに注がれた紅茶は既に冷め始めていた。

「それじゃサイトはそのトウキョーとか言う異世界から来たって言うの?」

「そういうこと」

「信じられないわ」

 いくら魔法のある世界でも異世界の存在は知られていないのである。

「じゃぁ、俺はもとの世界には帰れないのか……」

「ごめんなさい。たぶん、そう言うことになるわ」

 部屋にしんみりとした空気が漂う。そんな空気を払うかのようにサイトは明るい調子で言った。

「そっかー! じゃ、仕方ないな! この世界で頑張って生きていくことにするよ!」

「え? いいの?」

 サイトが意外にも前向きなのでルイズは面を食らう。

「だってしょうがないだろ? 帰る方法が見つからないんだから。仕事が見つかって一人で生活できるようになるまでは、使い魔ってやつをしてやるよ。それで俺は何をすればいいんだ?」

「え、ええっと、そうね――」

 仕事が見つかるまで――という部分に引っかかるモノを覚えたルイズだったが、何はともあれ才人が使い魔をしてくれるので、頭を切り替えて説明を始めた。

「使い魔にはまず主人の目となり耳となる能力が与えられるわ」

「つまり?」

「使い魔が見たものは、主人も見ることができるのよ。でもサイトじゃダメみたいね。わたし、何も見えないわ」

「……みたいだな」

「それから使い魔は主人の望むモノを手に入れるのよ」

「ル……お嬢様の望むものって?」

「――? 今は特にないわ。必要なものができたらその時に言うわ」

「じゃぁ今は保留だな」

 サイトの僅かな仕草を注意深く捉えていたルイズは、ひょっとして今わたしの名前を呼ぼうとした? と、僅かに期待を膨らませるも、表には出さない。

「最後に、これが一番なんだけど……、使い魔は主人を守る存在なのよ」

「おう、それなら任せとけ!」

 サイトは得意気に胸を叩いた。

「――大丈夫なの?」

 才人は見た目こそ普通の男子なのでルイズが疑問に思うのも詮無きことだった。

 これがもし筋骨隆々の大男であったなら疑いなく信用できるのだが。

「ああ、これでも武芸には少々覚えがあるんだ」

「……そう、ならいいわ」

 確かめるすべはないので、ルイズは話を切り上げた。

「あとは、そうねぇ――、日常のサポートをお願いしようかしら。掃除とか洗濯とか?」

「執事みたいなものか。了解。あ、それじゃ言葉遣いも敬語にした方がいいか?」

 ルイズは少し考えた。

 主人と使い魔の関係なら確かに敬語のほうが良い。だが、普通に話せる間柄になるというのもまた魅力的である。

 どちらにしようか決めあぐねたルイズは才人に任せることにした。

「サイトの好きなようにすればいいわ」

「そっか。じゃ、そうする」

 一通り話を詰めて才人の役割が決まった。

「さてと、しゃべったら眠くなっちゃったわ」

 あくびを手で隠すルイズ。

「ところで俺はどこで寝ればいいんだ?」

「あ、そう言えばそうねぇ……」

 ルイズは視線をベッドに移す。この部屋に一つしかないベッド。二人で寝るのに十分なスペースはある。と、そこまで考えて今自分がもの凄くハレンチなことを想像していたことに気付いた。

 

(ちょーーッ! わたし何を考えてるの!? 出会ったばかりの男女が一つのベッドで!!

 ダメに決まってるわ! でもじゃぁ、サイトを床で寝かせる? いやいや流石にそれは……。メイドだってベッドが与えられているのに、使い魔にそれ以下の扱いをするわけには……。じゃ、やっぱり一緒に?

 頭ではわかっている。良心でもわかっている。しかし興味がないわけではない。

 いやいや、ダメよ! 男はオオカミだと母から教わった。

 でも、サイトなら……?

 会ってまだ少ししか言葉を交わしていないが、サイトはどうやら紳士的な価値観を持っているようだ。うん、きっとそうに違いない。

 って、彼は平民じゃないの! ダメだっ――、あれ? むしろ平民だからこそ問題にならない? 平民はノーカウントということで……。そもそも使い魔だし。

 なら、ちょっとだけなら――――って、ダメだってばぁー!

 

 そこに先程『召喚の儀』で現れた心の中のルイズ、『女』のルイズが再び戻ってきて言った。

『さっきはメイジのルイズに譲ってあげたんだから、今度はわたしの意見を聞いてよ』と。

 女ルイズはなおも説得を続ける。

『大丈夫よ、彼なら大丈夫よ。私の女の勘がそう言ってるわ。それにもしそういうことになったとしても、それは運命だと思うの。決して悪いことじゃないわ』

『な、ななな、何言っちゃってるのよ、このハレンチな子は! ダメに決まってるじゃない! まだ始祖様にお祈りも済ませてないのよ!』

 ルイズの反論に女ルイズは眉一つ動かさない。

『甘いわねー、ルイズ。そんなんじゃ別の人に盗られちゃうわよ? それにこれは彼の為でもあるの』

『どういうこと?』

『考えてもごらんなさい。もう夜も遅いわ。今からじゃ他に彼の寝床を探すこともできないわ。あなたは彼に寒い外で寝ろって言うの? そんなこと言ったら彼に嫌われるかもよ?』

『うっ……それは』

 ルイズが言葉に詰まったのを見て女ルイズはニヤリとほくそ笑む。

『それにこれはヴァリエール家の名誉にも関わるわ!』

『名誉!?』

 貴族という生き物は名誉という言葉に弱い。

『そう、名誉よ! もしヴァリエール家は使い魔の寝床すら満足に用意できないなんて噂が立ったりしたら、お父様やお母様に申し訳が立たないわ』

『そ、それは……』

 一度ペースを失ったルイズに反撃のチャンスは残っていなかった。

『誘ってみなさいよ! ダメならそれでいいじゃない』

『そ、そんなこと、できない! もし断られたりしたら、もう恥ずかしくて明日から顔も会わせられないわ!』

 顔を覆って頭を振るルイズに女ルイズが叱咤する。

『ダメよ、ルイズ! そんな弱腰でどうするの!』

『うぅ、だってぇ~』

『こういうことは最初が肝心なの。ここでガツンとアピールしとかないと、明日にはツェルプストーあたりがちょっかいを出してくるかもしれないわ!』

『なっ! ツェルプストーですってぇー!』 )

 

 ツェルプストー家。国境をはさんでヴァリエール家と隣接する敵国の辺境伯。

 ヴァリエール家にとっては最大のライバルにあたるそのツェルプストー家から留学してきた同級生の少女を思い出し、ルイズのライバル心に火がつく。

 

 ルイズの心は決まった。

 

「おほん! えーっと、あのね――」

 ルイズは僅か一秒足らずの間に頭を高速回転させて導き出した答えを披露する。

 椅子から立ち上がり、さり気なくベッドに近づく。そして真っ赤になった顔を見られないように才人に背を向けながら言った。

「そ、その、今日は夜も遅いし、今から部屋を見つけるのは無理だから、そ、その、今日だけ特別にわたしのベッドを使ってもいいわ!」

 言い切った。

 だがそんなルイズの努力も虚しく、才人は部屋を出て行こうとしていた。

「え? いいって、俺は外で寝るよ」

「だ、ダメよ! 外は寒いわ。風邪引くわよ」

 ルイズは反射的に振り向いて引き止めた。

「そうは言っても、やっぱり男女が一つのベッドはまずいだろ……」

 

「きょ、きょきょきょ、今日だけ特別なんだもん! 明日からは外なんだもん!」

 

 何を想像したのか、テンパり過ぎて支離滅裂なことをのたまうルイズ。

 それを見た才人は困ったような顔を浮かべた。そして何かを決意したような顔で言った。

「あれ? まさかお嬢様はお一人で寝るのが怖くていらっしゃいますでしょうか?」

「……へ?」

 予想外の返答にルイズは間の抜けた声を漏らす。

「これはこれは気が効かず申し訳ありませんでした。僭越ながら私めが一人で寝れないお子ちゃまなご主人様に、子守唄を歌って差し上げましょう」

「な、ななな、何ですってーーー!」

 そして才人は歌い出した。

「ねんねんころりん、ねんころりーん♪ 一人で寝れないご主人様。でも、大丈夫。お子様だもん♪」

 ルイズの肩がわなわなと震えだした。

 レディーが真剣に悩んだというのに、こうもあからさまにバカにされては、さすがにルイズもキレた。特に自身の体型を気にしている彼女にとっては、子ども扱いされることは何よりも許しがたいことだ。

「こんの、バカ使い魔ァァァ!!」

「ふんごッ!」

 ルイズが投げつけた毛布が才人の顔に見事に命中した。

「あんたはやっぱり床で寝なさい! ご主人様をからかった罰よ!」

「――へーい」

 結局才人は床で寝ることになった。

「まったく、失礼しちゃうわ……ブツブツ」

 ルイズがパチンと指を弾くと、ランプの灯りが消えた。

 制服を着替えることも忘れて布団をひっ被ったルイズは、ブツブツと文句をつぶやく。

 才人も毛布を被って壁に寄りかかる。何故か部屋に飼い葉があったのでその上に乗る。

 紳士な才人がわざと挑発して同衾を避けたのは彼なりの優しさだったのだが、はたしてそれは少女に届いたのか。

「――やれやれ」

 サイトのつぶやく声がそっと室内に溶けた。




 最後までお付き合いありがとうございました。

 原作では何巻もかけて才人とルイズの距離が徐々に近づいてゆくのですが、この作品では時間と文字数の制限で、いきなりルイズさんに一目ぼれしていただきました(^^;
 こんな二次小説があってもいいよね?(汗
 
 誤字脱字などありましたらご指摘ください。あと、作者は三人称の書き方が未だに理解できてません。特に『視点移動のタブー』についてがさっぱりです。ですので読んでいて誰の視点かわからなかったり混乱する箇所がありましたら教えてください。できれば修正案などアドバイスいただけたら幸いです。

 13日のお別れ会、行けませんでした。(;ω;)
 せめてもの追悼をこのSSで。


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第2話 ゼロの意味

 ちょっぴりエッチ――、じゃなくて、紳士的な表現があります。苦手な人はゴメンなさい。


 朝になった。

 すがすがしい朝である。窓から眩い光りのカーテンが差し込んでいる。

 そんな天然の目覚まし光線をまぶたに感じながら、才人は異世界で始めての朝を迎えた。

「ふぁ~っ。ちょっと腰にくるな」

 飼い葉があるとはいえ、硬い石の床に寝れば体に負担がかかる。早く寝床を探さないとな、と思いながら才人はご主人様を起こす。

「朝だよ。お嬢様」

 才人はルイズのベッドに近づき、毛布をはいだ。

「ふにゃぁ~。あと五分~」

 それでもルイズは起きようとしない。あどけない寝顔を晒して体を縮こまらせている。無防備な小動物のようだ。

「早く準備をしないと朝食に間に合わないぞ? 着替えはどうするんだ?」

「むにゃぁ~~。脱がしぇてぇ~」

 寝ぼけたルイズは才人のことを同姓のメイドか何かと勘違いしているようだ。平常時の彼女であれば絶対に言わないようなことを平気で言っている。寝ぼけていたからこそのファインプレーであった。

「しょうがないな」

 才人はルイズを抱き起こすと、昨晩から着っぱなしだったブラウスを脱がせる。一晩中着ながら寝返りを打ったのでシワだらけになっていたからだ。決してやましい気持ちからではない。そこのところ勘違いしないで頂きたい。

 ボタンに手をかける。一つずつ指の腹で引っ掛けるように外していく。

「んんっ……」

「おっと!」

 間違えて『取れないボタン』に指が引っかかったようだ。しかし、それだけのことである。それ以上の意味もそれ以下の意味もない。

 続いてスカートを脱がせる。するとルイズの清楚な下着姿があらわになった。レースのキャミソールに純白のショーツ。薄くて手触りの良い下着類は意外にも精巧で緻密な作りをしていた。それを見て才人の頬が赤くなる。しかし、それだけのことである。それ以上の意味もそれ以下の意味もない。

 そして最後に下着である。二日間も同じ下着を着けるのは衛生的に宜しくないし、貴族としても有るまじきことであるので、仕方なく――、ほんと~に、仕方なく下着を交換せざるを得ない。しかしここから先はさすがに青少年の健全なる育成上マズイので、才人は裏技を使うことにした。

 

『情報精査開始。植物性繊維の特定完了。不純物の特定開始。情報連結解除申請、許可。情報連結解除開始』

 

 才人は常人では聞き取れないスピードで何やら詠唱らしき文言を唱えた。

 するとルイズの下着類が発光しだした。ほんの一瞬で発光は止まり、それと同時にルイズの下着が新品のようにきれいになる。

 才人は宇宙的パワーによって物質に重在する情報を操作したのだ。

「少し精度は落ちるが、ハルケギニアでも情報操作は可能なようだな。でもエネルギー消費は凄まじいな……。あまり多用はできないな」

 そのように一般的な男子高校生らしい独り言をつぶやいていると、ルイズが目を覚ました。

「ふぇ!? きゃ、きゃー! 誰よ!?」

「落ち着け! 俺だ、サイトだ」

「ああ、使い魔ね。そうだったわ、昨日召喚したんだった」

 ルイズはどこかホッとしたような顔で言った。

 そして下着姿になった自分の体を見たのち顔が沸騰し、声にならない声を上げながら気絶。再び眠りについた。

 

「――やれやれ。記憶の操作も必要だな」

 

 

     ◆ ◆ ◆

 

 

 サイトがルイズと部屋を出ると向かいの壁に木製のドアが三つ並んでいた。そのうちの一つが開いて、中から燃えるような赤い髪の少女が出てきた。

 ルイズと比べて十センチ以上も背が高い。肌は健康的な褐色で、堀が深く目鼻立ちがくっきりとした美人顔である。

 

 そして何と言ってもその雄大に突き出されたバスト。

 

 まるで中にメロンが入っていそうである。そんな堂々たる『π2=男のロマン×∞』(おぱ~い)をお持ちでありながら、目の前の少女はブラウスのボタンを二つもはずしている。

 するとどうだ。

 大きく開いた胸元に、はちきれんばかりの谷間が強調されて、青少年を惑わすいけない魔力を放っているではないか。

「おはよう、ルイズ」

「――おはよう、キュルケ」

 赤髪褐色巨乳少女の名前はキュルケと言うようだ。

「それが、あなたの使い魔?」

 キュルケはにやっと笑いながら才人を指差した。

「そうよ、悪い?」

「あっはっは! 本当に人間を召喚したのね! すごいじゃない! しかも平民なんて」

 才人は言葉に嘲笑のニュアンスを感じて若干不機嫌になった。仕返しとばかりにキュルケの胸元を凝視する。

 勘違いしないでほしい。

 これはあくまで仕返しであって、決して才人がおっぱい星人の陰謀に負けたわけではない。

「どうせ使い魔にするなら、こういうのがいいわよね~。フレイム!」

 キュルケが呼ぶと、部屋の中から巨大なトカゲが現れた。全身が赤い皮膚で覆われていて、尻尾の先から松明のように炎が噴き出ている。

「これって、サラマンダー?」

 ルイズが悔しそうに尋ねた。

「そうよー! 見て、この尻尾。ここまで鮮やかで大きい炎の尻尾は、間違いなく火竜山脈のサラマンダーよ? ブランドものよー。好事家に見せたら値段なんか付かないわ!」

「そりゃ良かったわね。あんた『火』属性だもんね」

 苦々しい声でルイズが言う。

「ええ、『微熱』のキュルケですもの。ささやかに燃える情熱で、殿方もイチコロよ! あなたと違ってね」

 キュルケは顎に手を添えながら胸を張った。するとブラウスの三つ目のボタンが左右に引っ張られて、なんとも危うい光景になる。

 ルイズも負けじと胸を張り返すが、悲しいかな、胸の格差は残酷である。

「そう言えばあなた、名前は?」

「平賀才人と申します」

「ヒルィーガル・サイトゥオーン?」

「サイトとお呼び下さい、ミス・ツェルプストー」

「ふーん、サイトって言うのね」

 キュルケは才人を改めて見た。艶やかな黒髪に鋭い目つき。そして力強い碧瞳。

「あなた……、なかなか端整な顔立ちをしてるわね? 本当に平民?」

 キュルケが才人を興味深そうに眺めた瞬間、ルイズが毛を逆立てた猫のように威嚇しだした。

「ちょっと、キュルケ! 人の使い魔に色目を使うんじゃないわよ!」

「いいじゃない、少しぐらい。減るもんじゃないんだし」

「良くないわよ! あんたは立派なサラマンダーを呼び出したんだから、それで良いでしょ。さっさとあっちに行きなさいよ」

 ルイズが普段以上に激しく突っ掛かってきたので、キュルケは意味深な笑みを浮かべた。

「ふ~ん……、なるほどねぇ~――」

「なによ」

「――別に。何でもないわ。それじゃ、お先に失礼」

 キュルケは特に何かを言うこともなく、燃えるような赤髪をかきあげ、颯爽と去って行った。その後をサラマンダーが追う。

 キュルケの後姿が見えなくなると、ルイズは拳を握り締めて悔しがった。

「もう、なんなのよ、あの女ッ! 自分がサラマンダーを召喚したからって! あとおっぱいとか、おっぱいとか、それとおっぱいとかッ!」

 あまりに興奮しているのか、隠すはずの本音が駄々漏れている。

「まぁ、いいじゃないですか。お嬢様はわたくしよりもサラマンダーの方が宜しかったですか?」

「ふぇ? べ、別に、そう言う意味じゃないないわ……」

 ルイズは僅かに複雑な表情をつくる。

 やはり使い魔にするなら、ただの平民よりあのサラマンダーのような幻獣がよいのだろうか。と思った才人は爽やかな笑顔を向けた。するとルイズは照れたように視線を逸らした。

「そう言えばサイト、その言葉遣いは?」

「外ではお嬢様の体面もございますので、このような口調にさせていただきます」

「そ、そう。あんたがそう言うなら――」

 言葉を使い分ける才人のギャップに、ルイズの心拍数は僅かに上がった。

 

     ◆ ◆ ◆

 

 トリステイン魔法学院。石造りのヨーロッパ風建築の塔が五つ、五芒星の形に配置された構造をしており、それぞれの塔の間を城壁が囲っていた。その五芒星の中心に学院一背の高い本塔が建っている。

 本塔の一階は食堂になっており、学生や教師達がここで毎日食事を取っている。豪華な飾り付けがされた長いテーブルが三列に並んだ食堂は、優に百人は座れるだろう。

 テーブルは学年ごとに分けられていて、二年生のルイズは真ん中だった。

 魔法学院ではマントの色が学年を表している。食堂の正面に向かって左側のテーブルには三年生のメイジたちが座っていた。みな大人びた雰囲気をしており、紫のマントをつけている。

 向かって右側のテーブルには茶色のマントをつけた一年生たち。三年生と比べると、まだあどけなさが残る顔が多い。

 一階の上にはロフトの中階があり、先生メイジたちが談笑に興じていた。

 才人とルイズは二年生の席である真ん中の列のテーブルに向かった。

「どうぞ、お嬢様」

「あ、ありがとう」

 才人が椅子を引くとルイズが腰掛ける。所作の一つ一つが上品で、さすが貴族と言うだけはある。

 机の上にはところ狭しと料理が並べられている。鳥のロースト、鱒の形のパイ、香り豊かなスープに焼きたてのパンの盛り合わせ。朝から無駄に豪華な献立だ。

「そう言えばサイトの食事だけど……」

 後ろを振り返ったルイズは申し訳なさそうな表情だった。才人の食事について忘れていたのである。本来なら主人であるルイズが才人の食事を手配しておくべきなのだが、想定外の人間を召喚したことや、契約時のゴタゴタで気が回らなかったのだ。

 そんなルイズを責めるようなことはせず、才人はさり気無く言う。

「それではお嬢様。わたくしは厨房の方へ行ってまいります。お迎えは一時間後で宜しいでしょうか?」

「ふぇ? あ、うん。お願い」

 傍から見れば才人はあらかじめ決められていた通りに行動したように見えた。これで使い魔の食事を忘れたなどという不名誉を、ルイズが受けることはない。

 才人の機転にルイズは心の中で感謝した。

 

 

     ◆ ◆ ◆

 

 

 食堂の奥へやって来た才人は近くにいたメイドに話しかける。

「すみません、そこのお嬢さん」

「はい! 何か御用でしょうか?」

 声をかけられて振り向いた少女はメイド服を着ており、大きな銀のトレイを持っていた。肩口で切りそろえられた黒髪をカチューシャで纏めた、素朴で愛らしい少女だった。

「わたくし、ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール様にお仕えしております、サイトと申します」

「まぁ、あなたがミス・ヴァリエールの使い魔になったっていう……」

 少女は才人の左手に刻まれたルーンを見て言った。

「ご存知でしたか」

「ええ、何でも平民を召喚してしまったって、噂になっていますわ。きっと突然召喚されてお辛いでしょう?」

「いえいえ、とんでもございません。お嬢様にはとても良くして頂いてます」

 出会って半日そこらで良いも何もないのだが、そこは社交辞令と言うものである。こういった使用人たちの間に主人の悪い噂などが流れたら大変に面倒なので、普段から注意を払う必要があるのだ。

「ああ、申し遅れました。私シエスタと言います。それで御用とは何でしょうか?」

「実はお恥ずかしながら、自分の食事を床に落としてしまいまして。もしご迷惑でなければ、厨房の賄い食を分けて頂けないかと……」

 こう言っておけば、元々用意されていた食事がアクシデントで食べられなくなったと思われるだろう。

 やれやれ、常に主人の名誉を第一に考えなきゃならないとは、使い魔とは神経を使う仕事である。

 ちなみに先ほどルイズの椅子を引くついでにパンを一つまみチネって床に落としたので、嘘は言っていない。

「まぁ、それは大変! わかりました。こちらへいらしてください」

 

 才人は食堂の裏にある厨房に通された。壁には鍋やお玉などの調理器具がかけられており、大きな鍋やオーブンがいくつも並んでいた。

「ちょっと待っててくださいね」

 厨房の片隅に置かれた椅子に才人を座らせると、シエスタは厨房の奥へと消えていった。そして数分の後、大きなお皿を抱えて戻ってきた。

「貴族の方々にお出しする料理の余り物で作ったシチューです」

「ありがとうございます」

 乳白色のシチューの中には赤や緑の野菜が煮込まれていた。どうやらクリームシチューのようである。立ち昇る湯気が鼻腔に流れて才人の食欲を刺激する。

 一口スプーンですくって口に運ぶ。口に入った瞬間に広がるまろやかなミルクの香り。なめらかな食感が食道を暖めながら通ってゆく。塩気も程よく効いており、パンをちぎって浸しても薄味になり過ぎない。絶妙のバランスだった。

「上品な味で、とても美味しいです」

「よかったぁ。お代わりもありますから、ゆっくり食べてくださいね」

 シエスタはニコニコしながら才人が食べるのを見ていた。

「サイトさんって、平民なのに言葉遣いとか綺麗ですよね? どこかで習ったりしたんですか?」

「ええ、まぁ、それなりには。しかし本当は、敬語などはあまり喋りなれておりませんので、いつボロが出るかとヒヤヒヤしている次第です。もし間違った言葉を使っていたら、遠慮なさらずに教えてください」

「まぁ、そんな風には見えませんわ。普段はどんな風に喋られているのでしょう? もし宜しければ、私達使用人の前では普通に喋ってくださってもいいのですよ」

「――宜しいのですか?」

「ええ。興味深いです」

 才人にしてみてもなれない敬語を使い続けることにストレスがないわけではないので、この申し出はありがたかった。

「では僭越ながら――――おほん」

 才人は一呼吸置いてから口を開いた。

 

「ふあーっはっは! 我が名は狂気のマッドコウコウセイ、サイト=ダークフレイム=ヒラガ。

 この左腕に封印されし邪王の力を用いて、世界を改革するものなり。

 人の存在意義とは何だ? 世界の存在意義とは何だ? そもそも存在意義が存在する意義とは何だ? 教えてやろう! その答えは我の中にあることを。

 爆ぜろ、リア充! 弾けろ、イケメン!

 闇の炎に抱かれて火傷しろッ!!(どやぁ)

 

 ――――こんな感じです」

 

 左手を額に添えて自分の世界に没頭する才人を見て、口をあんぐりさせたシエスタはやがて糸が切れたように笑い出した。

「ぷ、ぷぷぷ、あははははは! 何ですかそれ~! 可笑っかしい~~! あははは」

 才人の豹変っぷりがあまりにも激しかったので、意表を付かれたシエスタは笑い転げた。

「ひぃー、ひぃー、サイトさん、最高です! こんなに笑ったの久しぶり!」

 シエスタはよほどツボに嵌ったのか、しばらく笑い止まなかった。

 出会って僅か数分で才人とシエスタは打ち解けた。

 

     ◆ ◆ ◆

 

 シエスタに賄い食を貰った才人はルイズを迎えに食堂へ戻った。そして午前中の授業を受ける主人とともに教室へ向かった。

 魔法学院の教室は、建物が石でできていることを除けば、大学の講義室と同じような構造をしている。一番下の段に教師が講義を行うスペースが位置し、そこから階段状に生徒の席が続いている。

 才人とルイズが教室に入ると、先に教室にきていた生徒たちがクスクスと笑い出す。人間の使い魔がよほど珍しいようだ。

 今日は最初の授業のようで、みんな自分の使い魔と同伴していた。肩にフクロウを乗せた生徒がいれば、窓の外に巨大なヘビを待機させている者もいる。

 カラスに猫といった定番の動物の他にも、地球には生息していないファンタジーな生き物たちもいる。六本足のトカゲ――バジリスクに、蛸人魚のスキュア、極めつけは宙に浮かぶ巨大な目玉――バグベアー様だ。「この○リコンめ!」と、どこからともなく罵声が飛んできそうである。あるいは同級生の体操服を無性にクンカクンカしたくなr――、おっと、これ以上は止めておこう。

 こうして見て見ると、やはり人間を召喚したのはルイズだけのようである。

 

 部屋を見渡すと先程の赤髪の少女――キュルケがいた。周りに何人もの男を(はべ)らせていて、まるで女王のようであった。まぁ、それも仕方のないことである。あの胸だ。「豊乳は富であり、絶対! 貧乳は人にあらず!」とは、どこの世界でも共通の常識であるようだ。しかし、才人はなにげに貧乳にも魅力を感じる紳士であったとか――。

「どうぞ、お嬢様」

「ありがとう」

 ルイズを椅子に座らせると才人は壁際に直立した。

 ほどなくして扉が開くと、中年の女性が軽やかな足取りで入ってきた。彼女が本日の講師である。

「皆さん。春の使い魔召喚は大成功のようですね。このシュブルーズ、こうして毎年新学期に新しい使い間たちを見るのをとても楽しみにしているのですよ」

 シュブルーズと名乗った教師はふくよかな体を紫のローブに包み、広い鍔の三角帽子をかぶっていた。垂れ下がった目尻とふっくらとした頬が優しげな雰囲気を出している。

「おや、変わった使い間を呼び出したようですね、ミス・ヴァリエール」

 シュブルーズは部屋中を見回して、目に留まった才人を見て言った。すると教室の中にドッと笑いが起こった。

「ゼロのルイズ! 召喚できないからって、その辺を歩いていた平民を連れてくるなよ」

 ルイズは立ち上がって怒鳴った。

「違うわ! きちんと召喚したもの!」

「嘘つくな! 召喚できないからって平民を用意したんだろ? どうせなら幻獣の一匹でも連れてくれば良かったのに。あっ、でもそうしたら『コントラクト・サーヴァント』ができなくてバレちゃうか。わはははは」

 教室を包む笑い声が一層大きくなる。誰もルイズの言うことなど信じていない。

「ミセス・シュブルーズ! 侮辱されました! 風邪っぴきのマリコルヌに根も葉もない言い掛かりを付けられました!」

 ルイズは机をバンッと叩きながら立ち上がり、訴えた。

「風邪っぴきだと? 僕は『風上』のマリコルヌだ! 風邪なんかひいてないぞ!」

「あんたの鼻声は、まるで風邪でもひいてるみたいよ」

 マリコルヌと呼ばれた男子生徒も立ち上がり、ルイズを睨みつける。と、そこで彼は奇妙な光景を目にする。ルイズの後ろに見慣れない少年が立っているのだ。いや、その少年はつい今さっきまで壁際に立っていて、一連の笑いの種になっていたルイズの使い魔だった。

「お嬢様。落ち着いて下さい」

「え? サイト!? いつの間に?」

 その言葉が全てを物語っていた。

 同時に全員の共通の疑問でもあった。

 この少年がいつの間に壁際から教室の中ほどまで移動したのか、誰も目で追えなかったのだ。

「立派な淑女たるもの、そう簡単に大声を上げてはいけませんよ? 可愛い声が台無しです」

 才人はルイズの両肩に手を置くと、やさしく着席させる。

「か、可愛いだなんて……」

 さっきまで烈火のごとく怒っていたルイズは、一瞬で大人しくなった。激昂して顔を真っ赤にしていたのが、今度は別の意味で赤くなってしまった。

 と、そこにシュブルーズが強い口調で注意を与える。

「彼の言うとおりですよ。ミス・ヴァリエール。ミスタ・マリコルヌ。みっともない口論はお止めなさい!」

 マリコルヌはしゅんとうなだれ、ルイズはお花畑にトリップしている。

「お友達を『ゼロ』だの『風邪っぴき』だの言ってはいけません。いいですね!」

 それでも納得のいかないマリコルヌはささやかな反撃をする。

「ミセス・シュブルーズ。僕の『風邪っぴき』はただの中傷ですが、ルイズの『ゼロ』は事実です」

 何人かの生徒がくすくすと笑いをもらす。

 それを見てシュブルーズは杖を振る。すると笑っていた生徒たちの口に、どこから現れたのか、赤土の粘土が押し付けられた。

「あなたたちは、その格好で授業を受けなさい」

 今度こそ笑いが消えた。

 

「さて、授業を始めます」

 才人がもとの壁際に戻ったのを確認すると、シュブルーズは気持ちを切り替えるように咳払いをした。

「私の二つ名は『赤土』。赤土のシュブルーズです。これから一年、皆さんに『土』系統の魔法を講義します。魔法の四大系統はご存知ですね? ミス・ツェルプストー」

「はい。ミセス・シュブルーズ。『火』『水』『土』『風邪』の四つですわ!」

「よろしい」

 シュブルーズは頷いた。

「今は失われた系統である『虚無』を合わせて、全部で五つの系統があることは、皆さんも知っての通りです。その中でも『土』は最も重要なポジションを占めていると私は考えています。それは私が『土』系統だからではありません」

 シュブルーズは教壇を歩きながら続ける。

「『土』系統の魔法は万物の組成を司ります。この魔法がなければ、重要な金属を作り出すこともできなければ、大きな石を切り出して建物を建てることもできません。農作物の収穫も今よりずっと手間取るでしょう。このように『土』系統の魔法は皆さんの生活に深く関係しているのです」

 地球では科学が発展したように、ハルケギニアでは魔法が発展した。才人は授業に耳を傾けながら情報を整理していった。

「今日から皆さんには『土』系統の基本である、『錬金』の魔法を覚えてもらいます」

 シュブルーズは教卓の上に石ころを置くと、指揮棒のような自身の杖を振る。そして短くルーンを唱えると、石ころが光り出した。

 光りがおさまると、ただの石ころだったものがピカピカと――、特徴的な金属光沢を発していた。

「ご、ゴールドですか!? ミセス・シュブルーズ!」

 キュルケが身を乗り出した。

「いえ、ただの真鍮です。ゴールドは『スクエア』クラスにならなければ錬金できません。私はただの――――――――『トライアングル』ですから」

 シュブルーズは溜めて、溜めて、溜めて、もったいぶった後さらに溜めて言った。

 どうやら『スクエア』や『トライアングル』などはメイジの実力を表すもののようだ。そしてシュブルーズのあの溜めっぷりからすると、トライアングルクラスと言うのはかなり高レベルなのだと才人は推察した。

「ミス・ヴァリエール、聞いていますか?」

「ふにゅぅ~、可愛い、可愛い……きゃはっ!」

 ルイズは未だに『トリップ』の最中であった。

「あちゃー」とは才人。情報収集に夢中でルイズのケアにまで頭が回らなかったのだ。

「ミス・ヴァリエール!」

「は、はひッ!?」

 シュブルーズの強い発声でルイズがようやく現実に帰還した。

「ずいぶんと余裕ですね。余所見をしている暇があるのなら、あなたにやってもらいましょう」

 シュブルーズはルイズに『錬金』の実演をするように促した。するとルイズ以外の生徒たちが一斉に抗議した。

「せ、先生! 止めてください!」

「危険です!」

「お願いです、考え直して下さい!」

 口々にルイズに魔法を使わせてはいけないと苦言を呈す。

「危険? 何故ですか。彼女は努力家だと聞いています」

 シュブルーズは全く取り合おうとしない。

「さあ、ミス・ヴァリエール。やってごらんなさい。失敗を恐れていたら何もできるようになりませんよ?」

「ルイズ、お願い、やめて!」

 キュルケが顔面を蒼白にして懇願する。が、

「――やります!」

 ルイズはチラッと才人を見た後、胸を張りながら教卓の方へと歩いていった。

「ミス・ヴァリエール。錬金したい金属を強く心に思い浮かべるのです」

 ルイズはこくりと可愛らしく頷いた。かるく瞳を閉じて、まぶたの裏に黄金色の金属を思い描く。

 窓から差し込む午前中の光りが桃色のブロンドを輝かせる。光はなおも直進し、白くきめ細かい肌、柔らかい唇、形のいい小鼻、長いまつ毛を照らして、絶妙な陰影を映し出す。

 真剣な表情で呪文を唱えるルイズは神々しいほどに美しかった。

 まるでこの一瞬を切り取って絵画に描くようにと、あらかじめ神によって定められているかのように。

 才人がそんな風に見とれていると、周りからガチャガチャとうるさい音が聞こえてきた。何故か生徒たちが机の下に潜り込んで、椅子を前面に構えている。まるでバリケードを張っているようだ。

 こんなに美しいルイズを見たくないのだろうかと、才人はもったいないと思った。

 と、その時、才人の頭の中に一瞬のうちにとある光景が見えた。辺り一面に衝撃波が広がり、物が大破する。

「――!?」

 これは才人の未来予知である。地球にいた頃もこうして時折、一瞬先の未来が見えることがあった。いつ見えるかはランダムだが、その大部分は近い将来に危険が迫っているときに見えた。

 本能的にルイズを守らなければと教壇に向かって才人が走り出した瞬間――、

 

 ――教壇が爆発した。

 

 爆風をモロに受けた才人は壁に叩きつけられた。

「――ぐぁッ!」

 驚いた使い魔たちが暴れ出す。火トカゲが口から炎を吐き、大蛇がカラスを飲み込む。教室中が阿鼻叫喚の大混乱に陥ったが、そんなことに目もくれず才人は一目散にルイズのもとへ駆け出した。

「お嬢様! 大丈夫ですか!?」

 教壇の上にはルイズが倒れていた。

 シュブルーズは教室の外まで吹き飛ばされてうずくまっている。しばらくピクピクと痙攣した彼女は、よほど怖かったのか、顔を押えながら慌てて廊下を走っていった。

 才人はその様子を周辺視野で確認しながら、焦点は真っ直ぐルイズにだけに向ける。

 見るも無残な格好だった。

 全身が黒く煤けていて、ブラウスは破れて華奢な肩があわらになっている。スカートも裂けて、パンツが見えていた。朝、情報操作で綺麗にした白いパンツも黒い煤が付着している。

 しかしそんな爆弾テロにでも巻き込まれたかのような酷い状態のルイズだったが、意外なことにむくりと立ち上がった。

「無事なのか!?」

「サイト……、ちょっと失敗しちゃった」

 しかも、呆れるほどにケロッっとしていた。

 そんなルイズに生徒たちから猛烈な罵声が飛ぶ。

「ちょっとじゃないだろ! 『ゼロ』のルイズ!」

「だから言ったじゃないか! あいつにやらせるなって!」

「もう! ヴァリエールは退学にしてくれよぉー!」

 才人は生徒たちが何故バリケードを作っていたかを理解した。

「まったく、これだから『ゼロ』のルイズは!」

「いつだって、魔法成功率『ゼロ』じゃないか!」

 そしてルイズがなぜ『ゼロ』と呼ばれているのかを知った。

 

 

 




 ふぅ~、何とか一万字を超えた。
 文章を書くのって本当に難しいです。(国語の成績、5段階評価で1~3ぐらいだった作者には特に)

 作中すっとぼけた表現やパロネタがあったりしますが、こういうのは大丈夫かな?
 ちょっと不安。

 同級生の体操服をクンカクンカ――、現在放映中の例のアレはバグべアーで合ってるのかな? 違ってたらごめんです。

 今回の隠れネタ。
キュルケ「~火・水・土・風邪~」←風じゃなくて風邪になっているのは、キュルケがゲルマニアンジョークをかましたのだが、それを理解できたのがルーンの効果で翻訳能力を得た才人だけたったという……。
 う、嘘です。後付です。
 ほんとは変換したときに前の風邪が残っていて、意表を突かれた作者が爆笑したので残しただけです(^^; 

 次回はついにロングビル登場ですね。

 追記
 爆ぜろリア充←キョン 朝比奈さんとイチャイチャしやがって!
 弾けろイケメン←古泉 お前がモテまくるせいで、俺がかすむ!
 どやぁ←ハルヒ 雑用多すぎなんですが!

 という思いが込められていたり、いなかったり……


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第3話 ルイズの涙


 この物語はスロースタートですね^^;
 1話は手探り状態。2話はネタに走る(汗
 この3話くらいから徐々に作者の工夫が現れてくると思います。


 

 ミスタ・コルベールはトリステイン魔法学院に奉公して二十年になるベテランの教師であった。『炎蛇』という物騒な二つ名を持つ彼は『火』のトライアングルで中々に頼もしいのだが、唯一太陽の光りを爛々と反射して止まないその頭頂部だけが頼りなかった。

 性格は何かに夢中になるとのめり込む職人気質、あるいは研究者気質で、現在も図書館で何やら調べ物をしている。

 先日ルイズが呼び出した使い魔の少年に現れた奇妙なルーンが、どうしても気になったのである。

 今までに見たことのないルーン。好奇心に突き動かされ彼は一晩中図書館に篭りっきりになり、ついにその正体を突き止めた。

「こ、これは!」

 その本は教師のみが立ち入りを許された図書館の一角、『フェニアのライブラリー』の中にあった。

 始祖ブリミルがハルケギニアに新天地を築いた歴史を記した書物の一冊。始祖ブリミルが使役した使い魔たちを記述した古書の一節。

 その内容を見たコルベールは目を見開いて驚くと、すぐさま本を抱えて学院長室へと走り出した。

 

   ◇

 

 学院長室は本塔の最上階にある。下層にはバルコニー付きの食堂に1フロアまるまる使った大ホール、さらには三十メイルを越す図書館に宝物庫まであるとくれば、その圧倒的な高さがうかがい知れる。

 学院長のオールド・オスマンは窓辺に立つと白いアゴ髭をしごいていた。

 眼下に広がるは絶景。

 学院の敷地外には広い草原が広がっており、その奥には雄大な山脈が連なっていた。

 山頂に降り積もった雪が山肌を白く染めて、太陽の光を浴びてきらめく姿は、いっそのこと窓枠ごとその景色を切り取って絵画にしたい、と見るものに思わせるほどだった。

 オスマンは景色を堪能した後、後ろを振り返り学長席に座った。重厚なつくりのテーブルの木目に指をはわせ、じっと目を閉じる。しばらくそうしたのち、今度は仕事でもするのかと思いきや、引き出しから水ギセルを取り出し一服しはじめた。

 暇なのである。

 すると部屋の隅に置かれた机で書類仕事をしていた秘書のミス・ロングビルが羽ペンを振った。

 オスマンの手から水ギセルが宙に浮いて、ロングビルの手の中に納まった。

 つまらなそうに、オスマンは呟く。

「これ、ミス。年寄りの楽しみを取り上げるでないぞ」

「学院長の健康を管理して差し上げるのも、わたくしの仕事ですわ」

 丁寧な口調でそう返したロングビルは妙齢の美女であった。新緑のロングヘアーを靡かせて、理知的なメガネをかけている。

「こう平和な時間が長く続くとな、時間の使い方に困るものなのじゃよ」

 ロングビルは取り上げた水ギセルをオスマンの机の引き出しに返すために席を立った。

「もうご高齢なのですから、お煙草は控えてくださいね」

「仕方ないのう」

 オスマンの顔に刻まれた皺の多さが、彼の過ごしてきた年月の長さを物語っていた。本人以外にその正確な年齢を知る者はいない。百歳なのか、三百歳なのか――あるいはそれ以上かもしれない。

「オールド・オスマン」

 突然ロングビルが表面上は笑顔でありながらも、怒気をはらんだ声で言った。

「なんじゃ? ミス……」

「わたくしのお尻に何かが当っているのですが」

「気のせいではないかね?」

 オスマンは全く悪びれもせずロングビルの尻に手を這わせる。

「ではこの癇に障る何かは、わたくしの方で処理させて頂きます。そうですね、灰も残らないように燃やし尽くすのは如何でしょう?」

 ロングビルが杖を構えるとオスマンが名残惜しそうに離れた。

「尻を撫でられたくらいでカッカしなさんな。そんな風だから婚期を逃すのじゃぞ? 淑女たるもの、紳士のちょっとしたお茶目には黙って目を瞑るものじゃ」

 そう言ってオスマンは、今度は堂々とロングビルの尻を撫で回した。

 ついに堪忍袋の緒が切れたロングビルは、無言でオスマンの鳩尾に肘鉄を入れると、しかるのちに蹴り回した。

「あだっ! ひぃ、許して! 痛い! もうしない」

「わ、悪かったですねぇ! 未婚で悪かったですねぇ! わたくしは、まだ! 適齢期ですよぉー!!」

 ロングビルは荒い息で踏み続けた。踏みつけの一発一発にデリケートな独身女性の憎悪怨念が込められている。

 微妙な年頃の女性に年齢の話はタブーである。

「あひぃ! ぐいぃ! わし、何かに目覚めてしまいそう――」

 そんな青少年の教育上なんの問題もない平和な時間は、突然の闖入者によって破られた。

 ドアが勢いよく開け放たれて、頭頂部が眩しいコルベールが入ってきた。

「オールド・オスマン!」

「何じゃね?」

「あれ? オールド・オスマンはどちらに?」

 コルベールに答えたのは確かにオスマンなのだが、どういう訳か姿が見えない。学院長の席には何故か秘書のロングビルが座っている。

 さすが学院の秘書ともなれば、このような不測の事態にも迅速に対応し、何事もなく椅子に座り仕事の振りをしている。

 そして、さすが学院長ともなれば不測の事態を見事に利用して、何事もなかったように四つん這いになり、椅子のフリをした。

 よって現在ロングビルが座っているのはオスマンの背中である。

 コルベールの位置からは、机の裏で恍惚の表情を浮かべながらロングビルの臀部の感触を楽しんでいるオスマンの姿は見えなかったのである。

「きゃぁッ!」

 臀部の感触に違和感を覚えたロングビルは、自分が座っている椅子を見て悲鳴を上げた。

 そして弾かれたように立ち上がり、机の角にすねをぶつけた。

「痛ッ! っつぅ……!」

「どうしたのですか? ミス・ロングビル」

「い、いいえ、何でもありませんわ! おほほほ」

 痛みをこらえながらロングビルはさり気無く部屋の隅の席に移動し、同時にコルベールの注意をひき付けてオスマンが体勢を整える時間を稼いだ。

 その間にオスマンは悠々と椅子から人間にトランスフォームした。そしてさり気なくロングビルに視線を向けドヤ顔で見つめる。

 

 この老人――――、相当できるようである。

 

 ロングビルは『このジジイ後で(しめ)る』と、心のスケジュール帳に赤い文字で記した。

「おお、オールド・オスマン! どこにいたのですか?」

「なに、ちょっと机の下にいるモートソグニルに餌をあげていたのじゃ」

「ちゅうちゅう」

 机の下から小さなハツカネズミが出てきた。ナッツを美味しそうに齧っている。

 ナッツを食べ終わったモートソグニルはオスマンの足を上り、肩の上にちょこんと座って耳元で何かを囁いた。

「おお、そうか、そうか。白か。純白か。はぁ~~、若返るのぉ~~! しかしミス・ロングビルは黒に限る。そう思わんかねモートソグニルや」

「なっ!?」

 ロングビルが驚いて、両手を机に叩き付けながら立ち上がった。

 そしてまたすねをぶつける。

「――あがッ!!」

 二度も急所を打ったロングビルは今度こそ悶絶した。

「ふぉっほっほ」

 顔を引きつらせるロングビルをよそに、オスマンは楽しそうに笑う。

 椅子プレイでロングビルの尻を楽しむだけでなく、自身の使い魔を使って彼女の下着の色まで調べていたエロ老人。もはやここまでくると、常人には到達できない次元の職人芸である。

 ピンチをチャンスに変える力。それが歴史に名を残す偉人たちに共通して備わっている凡人との違い――、なのかもしれない。

「――今度やったら王室に報告します!」

「カーーッ! 王室が怖くて魔法学院学院長が務まるかァーッ!」

 オスマンは目を剥いて怒鳴った。老人とは思えない胆力であった。

「――チィ……」

 ロングビルは『二度、いや三度〆る』と、心のスケジュール帳を書き直した。

 

「そんなことより大変です、オールド・オスマン! これを見てください!」

 コルベールはオスマンに先程見つけた本を見せた。

「これは『始祖ブリミルの使い魔』ではないか。これがどうしたのじゃ?」

「これも見てください!」

 続いて才人の手に現れたルーンの写しを見せた。それを見た瞬間、オスマンの表情が変わった。先程までのおちゃらけた雰囲気が嘘のように、真剣な目になった。

「――ミス・ロングビル、席を外しなさい」

 一瞬で学長室に緊張が走った。

 冗談では許されない真剣な空気を感じて、ロングビルは黙って部屋を出た。

「詳しく説明するのじゃ。ミスタ・コルベール」

 

     ◆ ◆ ◆

 

 ルイズはメチャクチャになった教室を片付けていた。

 午前の授業は中止。ミセス・シュブルーズは爆風に巻き込まれた後驚いて走り去ってしまったが、数十分後に青い顔をしながら戻ってきた。しかし、その日一日『錬金』の授業をしなかったという。

 

「うぅ……」

 ルイズは肩をガックリと落として雑巾を絞っている。よほどショックだったのかずっと下を向いている。

 どうしてあの時自分は教壇に上がったのだろう。少し考えればこうなることはわかっていたはずなのに。

 迂闊だった。才人に可愛いなどと言われて調子に乗っていた。いい所を見せてもっと褒められたいなどと欲を出した結果、この惨状である。

 今までのルイズであったなら確かに落ち込みはするが、これ程大きなショックは受けなかっただろう。それがクラスに一人の少年がいただけで、これほどに滅入ってしまった。

 才人の前で恥をかくことがこんなにも気持ちを沈ませるとは、あの時の彼女はまだ知らなかったのだ。

 ルイズは才人の顔を見ることができない。もし才人が自分に失望したような目を向けていたらと思うと、怖くて顔を上げられない。

「――よいしょ、っと――」

 そんな使い魔の少年は横でせっせと床を磨いている。気配でわかる。

 魔法を失敗したこともそうだが、それよりも自分のせいで才人に尻拭いをさせてしまうことが辛かった。

「あ、あんたはいいのよ。これは私の罰なんだから」

 俯きながら言った。

「何言ってるんだよ。二人でさっさと終わらせて飯食いにいこうぜ」

 才人は明るく軽い口調で話した。きっと彼の優しさなのだろう。こんな状況で恭しく敬語なんて使って、自分が壁を感じて余計に落ち込まないように。

 だがそんな気遣いが逆にルイズの心を締め付ける。才人が優しくすればするほど、ルイズの心に自責の念が積み重なっていゆく。

「でも、私のせいで……」

「何落ち込んでんだよ。失敗なんて誰にでもあることだろ?」

「でも、私……」

 ルイズは今まで一度も魔法を成功させていなかった。

 思い返せば去年の今頃。簡単な『コモンマジック』の授業で同じように爆発させた。それ以来なるべく人前で実技をすることを避けてきた。人から臆病者と言われても『ゼロ』とそしりを受けても耐えてきた。何か致命的な間違いがないかと必死で勉強して、人目を忍んで練習をしてきた。

 だが、一向に上達しなかった。一年も経つというのに、一年前と何も変わっていない。

 一体自分はこの一年間何をやっていたのだろう。全然成長できてない。

 それを考えるとルイズはただただ悲しかった。

「――私……私……魔法が使えないんだもん」

 そう言うなりルイズの頬を一筋の雫が伝う。十六年間抱え続けてきた苦悩と共に。

 ルイズは責任感の強い少女だった。幼い頃から両親に厳しく躾けられ、貴族として恥じることなく生きるように教えられてきた。

 勉学も礼儀作法もそれなりには身についた。

 だが、どう言うわけか貴族の象徴であり、貴族を貴族たらしめる存在である魔法を全く使えないのだ。

 魔法は使えない――でも貴族であらねばならない。そんな自分が貴族を名乗るなんて、あまつさえ貴族の特権を享受するなんて、本来ならルイズにはできないことだった。

 しかし世情はそうも言っていられない。自分の存在で家名が傷つけられることは許せない。親の期待も裏切れない。失望されるのも怖い。

 そんな様々な情感の板挟みになって、ルイズは押しつぶされそうな葛藤を抱えながら生きてきた。

「う、うえぇぇぇん!」

 堪えられず泣き出してしまったルイズに、才人はそっと胸を貸す。

「ひっぐぅ、うぅぅ、魔法が使えないのに貴族だなんて……、私どうしたらいいの?」

 才人の服を握り締めて泣きじゃくるルイズ。一度決壊した心のダムはそう簡単にもとには戻らない。自力で制御できない感情が――濁水となって溜まっていた哀傷の奔流が、とめどなく流れ出る。

「――――大丈夫だよ」

 才人はルイズを優しく抱きしめた。余計な言葉は言わずに、ただ温もりで包み込んだ。

「うわぁぁぁぁんんんんんんん!」

 ルイズは泣いた。ただ、ひたすら泣き続けた。

 

 

 

 

 

 しばらくするとルイズの嗚咽が止んだ。

 ぐしゃぐしゃの髪に泣き腫らした目元。綺麗な顔が台無しだった。

「あの……ごめん」

「ん? 何が?」

「その……服……」

 才人の青色のパーカーが涙と鼻水でぐっしょりと汚れていた。

「いいって。服なんか洗えばいいんだし。それよりお嬢様の方が何百倍も大事だよ」

「あ、ありがと……」

 飾らない才人の言葉はルイズの心にスッと吸い込まれた。負の感情でいっぱいになっていたダムに、今度は新しく暖かい真水が注がれる。

 たった一つの言葉が、人の心を満たすこともあるのだ。

「ありがと。その、なんかスッキリした」

「俺は何もしてないよ」

 ルイズはようやく才人の顔を見上げることができた。

 

 日溜まりのような笑顔だった。

 

     ◆ ◆ ◆

 

 部屋を片付け終わった後、才人はルイズを自室に送った。レディーがまぶたを腫らしたまま人前に出るのは忍びないので、自分が先頭に立ちルイズを背中に隠しながら歩いた。

 時刻は昼。そろそろ生徒たちが『アルヴィーズの食堂』に集まり、例のごとく豪勢な昼食をとる時間である。

 才人はルイズの食事を自室に運んでもらうことを伝えるために、厨房に移動する。

 

 食堂に着いたとき才人は見知った人物を見かけた。黒い髪に女性らしい体格、今朝自分にシチューを分けてくれたその少女はシエスタであった。

 才人がシエスタに話しかけるより僅かに早く、彼女は床から何かを拾うと目の前の貴族の少年に手渡そうとした。

「落し物ですよ、貴族様」

 貴族の少年は金髪のくせっ毛にフリルのついたシャツを着ていた。シャツのポケットに薔薇を挿していて、なんとも気障ったらしい雰囲気を演出している。

 少年はシエスタを一瞬だけ見るとすぐに視線を逸らして、周りの友人達と談笑を再開した。

「なあ、ギーシュ! お前、今は誰と付き合ってるんだ?」

「つきあう? 僕にそのような特定の女性はいないよ。薔薇は多くの人を楽しませるために咲くのだからね」

 ギーシュと呼ばれた気障な少年は自分を薔薇に喩えて吹き散らす。

「あ、あの……」

 ギーシュに無視されておろおろしているシエスタは、拾った紫の小瓶をさり気なく机に置いた。そして一礼してからその場を去ろうとしたその時、

「おお? その香水はモンモランシーの香水じゃないか?」

「本当だ! その鮮やかな紫色は彼女が自分のためだけに調合しているオリジナルの香水だぞ!」

「そいつがギーシュのポケットから出てきたってことは、つまりお前は今モンモランシーとつき合ってる。そうだろ?」

「ち、違う! いいかい? 彼女の名誉のために言っておくが……」

 ギーシュが慌てて何かを言わんとしたとき、後ろの席から少年たちの恋話に聞き耳を立てていた少女が立ち上がった。

 栗色の長い髪の、まだあどけなさの残る感じの可愛らしい少女だった。

 少女は茶色のマントを揺らしながらコツコツとギーシュのもとへ歩いてきて、

「ギーシュさま……」

 唐突に泣き出した。

「やはりギーシュさまはミス・モンモランシーと……」

 ギーシュは椅子から飛び跳ねるように立ち上がった。

「ご、誤解なんだケティ! いいかい? 僕の心の中に住んでいるのはキミだk――」

 言い終わる前にケティの平手がギーシュの頬を捉えた。

「その香水があなたのポケットから出てきたのが、何よりの証拠ですわ! さようなら!」

 ギーシュは頬をさすった。

 しかし彼を待ち受ける試練はまだ終わっていなかった。

 遠くの席からもう一人の少女が歩いてくる。長い金髪で頭の側面と背面に見事なカールを何本も作った、華やかな髪形をした少女。

 ギーシュの肩がビクッっと跳ねる。

「も、もも、モンモランシー!? 違うんだ、誤解なんだ! 彼女とはラ・ロシェールの森に遠乗りしただけで……」

 ギーシュは可能な限り冷静な態度を装って弁解するが、宙を泳ぐ目線が、不自然な指の動きが、にじみ出る冷や汗が――、言葉の説得力を根こそぎ奪っていた。

「やっぱり――、あの一年に手を出していたのね……」

「お願いだよ、『香水』のモンモランシー。キミの薔薇のような美しい顔を、怒りで歪ませないでおくれ!」

 モンモランシーはテーブルに置かれたワインのビンを掴むと、ギーシュの頭に注いだ。人間シャンパン・タワー、いや、ワイン・タワーの出来上がりである。

 そして、

「うそつきー!」

 怒りの収まらないモンモランシーは空になったビンでギーシュの頭を殴りつけた。綺麗に砕け散ったガラスの破片が、食堂に季節外れのあられを降らせる。

「バカ、最低ーッ!」

 最後に一発、ギーシュの頬にビンタを食らわせて、モンモランシーは走り去った。

「……あのレディーたちは薔薇の存在意義を理解していないようだ」

 友人達はギーシュの両頬っぺたに咲いた赤い薔薇を見てププッっと噴き出す。

 その隙にシエスタは銀のトレイを強く抱きしめながら、その場を後にしようとする。

――が、

「待ちたまえ」

「ひぅ!」

 ギーシュがシエスタを呼び止めた。

 ゆっくりと椅子に着席し足を組むギーシュ。そしてハンカチを出して顔を拭いた後、横柄な態度で語りだした。

「君が軽率に香水のビンを拾い上げたおかげで、二人のレディーの名誉が傷ついた。どうしてくれるんだね?」

「も、申し訳ありません」

 反射的にシエスタは誤った。

 この時代、この貴族制社会では善悪うんぬん以前に、まず身分が引き合いに出される。『何が』ではなく『誰が』が重要なのである。貴族と平民の身分差がある以上、例え平民側に落ち度がなかった場合でも、貴族側の言い分が通るのが常である。平民にできることは、ただひたすらに平伏して理不尽な雷が自分に落ちないように願うだけである。

 そう、平民にとってこれは地震や雷などの天災となんら変わらない、ただの自然災害なのだった。

「だいたいね。君が香水を拾ったとき、僕は知らないフリをしたじゃないか。話を合わせるくらいの機転があってもよいだろう?」

「申し訳ありません」

 言いがかりも甚だしいのだが、それを(いさめ)る者はこの場にはいない。

 そんな光景を見た才人は、無意識に体が動いて二人の間に割って入った。

「失礼、貴族様。もうそれくらいでよろしいのではないですか?」

「さ、サイトさん!?」

 シエスタが仰天の声をあげた。

「なんだね、君は?」

 ギーシュは突然現れた少年をしげしげと見た。青いヘンテコな服を着ていてマントは付けていない。つまり平民ということだ。

 と、そこでピクリと片眉を吊り上げる。少年がルイズの召喚した使い魔であることを思い出したのだ。

「君は確か、ルイズが呼び出した平民だったな」

「いかにも」

「なら下がっていたまえ。僕は今このメイドと話をしているんだ!」

 ギーシュは取り合おうとしない。

「まぁ、そう仰らずに。この子も反省しているようですし、今回は大目に見ては頂けないでしょうか」

「う、うるさい! 平民が貴族に意見するというのかね!」

 ギーシュはますます苛立ちをあらわにした。

「大体なんだね、君は! ここは貴族の食堂だ! 平民が勝手に入ってくるとはどう言う了見だね!」

「……あっ」

 しまった! と、才人は思わず宙を見上げた。

 朝はルイズが一緒だったので入ることができたが、食堂は本来、平民の立ち入りが禁じられているのである。才人はそのことを失念していた。

「それにその服装はなんだ! そんなみすぼらしい格好をして。べっとりと泥水が付着しているではないか! 汚らわしい! 貴族の食卓を汚す気か!」

 ギーシュは相手の落ち度を発見して、これ幸いと責め立てる。このまま自分が犯した失敗を平民への正当な怒りにすり替えて話をうやむやにし、『何となく自分が正しかった的な感じ』に場をまとめ上げようという魂胆だ。

 

 しかしギーシュは気付いていなかった。この目の前の少年が意外な一言に反応して怒っていたことを。

 

 

「まったくこれだから『ゼロ』のルイズは――」

「――もう、それくらいにしたら如何ですか?」

「なんだと!」

 才人は自分の胸に付いたシミを『泥水』『汚らわしい』と言われたことに、例えようのない沸き立つ怒りを覚えた。

 

 ルイズが背負ってきた苦悩が泥水だと? 

 ルイズの流した正直な涙が汚らわしいだと?

 

 もちろんギーシュが件の才人とルイズのやり取りを知っている訳ではないので、彼自身に悪気があって言ったわけではないのだが――いや、そもそもこの会話自体が悪気の塊なのかもしれないが――、それを頭では分かっていても才人は沸きあがる感情を抑え切れなかった。

 敬語なんて使ってはいるが、才人はまだ十七歳である。

 近頃の超能力を使う高校生は同級生に向かって敬語で喋り、奇人変人を束ねるどこぞの女団長の言うことに、まるで執事のように盲目的に付き従うのがデフォなので――、そんな友人を持つ才人はそれなりに敬語を使えるのだが――、それでもやはり感情を封殺することはできなかった。

 大人を演じ続けるにはまだ早かったのだ。

「ここへは主人の許可を頂いて入っております。服装についてはお詫びいたしましょう。しかし、そもそもこのメイドに対しての言及はいささか筋違いではありませんか?」

 才人はルイズを侮辱されたことがどうにも許せなかったので、どうにかしてギーシュをボコりたかったのだが、先に自分から手を出しては自分の、ひいてはルイズの責任問題に発展してしまう可能性が高いため、向こうから仕掛けてくるように誘導する構えだ。

 と言うか、ぶっちゃけ、もう面倒くさくなったのである。

「なんだと! 僕が間違っているというのか!」

「そもそもあの二人のレディーが怒ったのは恋絡みの件でしょう。このメイドには何の関係もないことでは?」

 ギーシュの友人達がどっと笑った。

「そーだ、ギーシュ。二股してたお前が悪い!」

「そうだ、そうだ。自業自得だろう!」

「その通りだ。イケメンもげろ!! むしろ爆発しろ!!」(風上の少年)

 ギーシュの顔に赤みが差した。

「無礼な! 僕を愚弄するか!」

「いえいえ、滅相もございません。このままではとある貴族の少年が、二股をかけたあげく双方から振られ、腹いせに平民に八つ当たりをする器の小さい人間などとそしりを受けないかと心配して、貴族様の為を思って諌言(かんげん)した次第でございます」

 才人は優雅な手つきで片腕を胸に添えると、爽やかな笑顔を張り付かせてお辞儀する。そのあまりにも慇懃無礼(いんぎんぶれい)な態度に、ギーシュは額に極太の青筋を立てた。

「へ、へへへ、平民風情がッ! よくもぬけぬけとォォォ!」

 ギーシュの握り締めた拳から血が滲む。

「どうやら君は貴族に対する礼儀を知らないようだなッ! 表へ出たまえ! 僕がじきじきに礼儀を教えてやるッ!」

「――お手柔らかに」

 才人は思惑通りになったとほくそ笑む。

「あ、あああ、あなた殺されちゃう……貴族様を本気で怒らせたら……」

「大丈夫だよ、シエスタ」

 ぶるぶると震えるシエスタにサイトはウインクで答えた。

 

 

 

 

 つづく

 





 原作でも尻マニアなオスマン氏。そのキャラをもっと強調するためにロングビルとじゃれあってみました。いかがだったでしょうか?

 初めての感情描写。今回一番苦労しました。言葉では同じ「悲しみ」でも、人によって捉え方が千差万別なんですよね。
 大声で泣く人。衝動にまかせて物に当たり散らす人。逆に沈むようにうずくまる人。自分の殻に閉じこもる人や、全てを否定して悲しみ自体を拒絶する人もいると思います。
 ルイズさんはきっと自分の中に溜め込んでしまい、渦を巻くように増幅されてから一気に表に現れる、そんなタイプの人なのかなと作者は勝手に考えております^^;

 三人称視点について。
 相変わらずできているのかわかりません。
 ギーシュと才人の会話。最初は完全に第三者的な神視点で若干ギーシュの一人称も混じる。
 しかし最後の方は才人の1人称視点を3人称っぽく書いているので、視点がコロコロ変わって読者を混乱させてしまうのではないかと心配です。

 次回はついに初戦闘!
 原作と違って才人さんが強いので、書くのが大変です(汗

 1&2話の細部をすこしイジリましたが、物語に変更はありません。


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第4話 ギーシュと決闘 ◆


 お気に入り登録・評価をしていただき、ありがとうございます。
 また感想やメッセージを送って下さった方々もありがとうございます。
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 ヴェストリの広場は学院敷地内の西側にあった。『風』と『火』の塔の間にあるこの場所は日中でもあまり日が差さないので、決闘にはうってつけだった。

 事の発端はとある貴族の少年の二股がバレて振られた腹いせに、不運な平民がとばっちりを受ける――という、実にくだらないことが原因だったのだが、それでも噂を聞きつけた生徒たちが広場に溢れかえっていた。

 みんな退屈だったのである。

 そこに降って沸いた決闘騒ぎ。

 生徒たちはこぞって野次馬になった。

「諸君! 決闘だ!」

 ギーシュが薔薇の造花を掲げて宣言した。すると野次馬の列から歓声が上がる。

「相手はルイズの平民だってよ!」

「ギーシュ、平民相手だから手加減してやれよ」

 ギーシュは薔薇を口にくわえながら手を振って声援に応えた。

「逃げずに来たことは評価してやろう!」

「やれやれ」

 才人は自分もまだまだ子供だなぁ――などと思いながら、目の前の食材をどうやって料理しようかワクワクもしていた。ぶっちゃけ血が騒いだ。久しぶりの喧嘩である。しかも相手は地球には存在しなかった魔法使い。どんな今までに経験したことのない闘い方をしてくるのか、興味深々だった。

「では、始めるとしようか」

 ギーシュが薔薇の花を一振りすると、花弁が一枚宙に舞う。そして地面に落ちると甲冑を着た女戦士の形をした人形――ゴーレムに早変わりした。人形の大きさは才人と同じくらいだろうか。表面をくすんだ緑色の金属らしき物体で覆っている。

「僕はメイジだ。だから魔法で戦う。よもや文句はあるまいね?」

 己の勝利――いや、一方的な制裁を信じて疑わないギーシュは、嗜虐的な笑みを浮かべる。

「ああ。そうでなくてはな」

 それに対して才人は余裕の表情。

「ふん! ボクの青銅のゴーレム『ワルキューレ』を見ても震えないとは、度胸だけは認めてやろうじゃないか。それともびびって動けないだけかな?」

「御託はいいでしょ。さっさと始めません?」

 才人はわき腹を伸ばしてから肩を回し、準備運動を終える。

「ちっ! 減らず口を! 今すぐその口を閉じてやる!」

 ギーシュは鋭い目つきで薔薇の杖を構える。どうやらいつも持っているあの薔薇が彼の杖だったようだ。

「僕は『青銅』のギーシュ! いざ、参る!」

「俺は平賀――」

 才人が言い終わる前にギーシュのゴーレムが突進してきた。

(自分だけ名乗って俺には名乗らせないのかよ! せっかちな男はモテナイぞ?)

 突き出された拳を、才人は軽くサイドステップでかわし、がら空きになったゴーレムのわき腹に、足裏で突き飛ばすような前蹴りを入れる。

 ゴーレムは体勢を崩し、数メイル後ろに突き飛ばされたが、すぐに起き上がった。

「意外に重いな――」

 相手が何を仕掛けてくるか分からない序盤は、なるべく適度な距離を空けながら戦う。道場で初心者が教わる基本だった。

「ふん! 平民のくせにやるじゃないか」

 ゴーレムは攻撃を再開する。右から左から拳を振り回す。青銅製の拳だ。常人に当れば骨折は免れないだろう。

 しかし才人は飄々と避ける。

(遅っそ)

 青銅のゴーレムは硬さこそ優秀だが、その反面、移動速度に難があった。一般人相手なら問題ないだろうが、才人からしてみれば寝ていても避けれそうなほどに遅い。

 こんな広い空間で移動速度の遅いゴーレムを使うのは、戦略的に問題があるように才人は感じた。

「なんか、思ってたよりつまんないな」

 才人はヌルゲーと化しつつある決闘をさっさと終わらせようと、足に力を入れてゴーレムとの距離を詰めようとした時、

「止めてぇー!」

 悲痛な叫び声と供に人だかりの中から飛び出てきたのは、桃色のブロンド。

「おや、ルイズ。ちょっと君の使い魔を借りているよ」

「ギーシュ! 勝手なことしないで! だいたい決闘は学則で禁じられているじゃない!」

 ルイズはすごい剣幕で怒り出した。

「それは貴族同士の決闘だろう? 平民の決闘なんて誰も禁止していないよ!」

「う、それは……、今までそんなことなかったから……」

 言葉につまるルイズ。桃色の唇がキュッと絞められる。

「それとも、なにか? ルイズ、君はそこの平民に恋でもしているのかね?」

「な!? な、何言ってるのよ! 私は別に恋なんか、恋なん――」

 才人と目が合ったルイズは咄嗟に言葉を飲み込んだ。そして一瞬話すことを忘れたかのように停止し、次の言葉は出てこなかった。

 寸刻の沈黙の後、ルイズはようやく取り繕うように口を開いた。

「――自分の使い魔が傷つけられるのを、黙って見ていられるわけないじゃない!」

 才人から目を逸らすルイズ。

 そんなルイズに才人は言う。

「お嬢様。自分なら大丈夫ですよ」

「サイト!」

 才人は手足をヒラヒラと動かして無事なことをアピールする。

「大丈夫ですよ、お嬢様。わたくしはこう見えても武術の心得がありますので」

「サイト、聞いて! 平民はメイジに勝てないの! 今ならまだ間に合うわ。私も一緒に謝るから、危険なことは止めて!」

 ルイズが鳶色の瞳をうるませながら見上げてくるので才人の心は揺らいだが、これは逆に自分の力を証明するいい機会でもあった。

「お嬢様のお気持ちはたいへん嬉しいのですが、今回はわたくしに任せていただけないでしょうか? 使い魔たる者、ご主人様をお守りできるくらいには強くなければなりません。わたくしに実力を証明する機会を与えてはくださいませんか?」

「サイト……」

 それでもルイズは首を縦に振らない。

「ではこういうのはどうですか? 五分ください。その間に勝利できなかったら潔くギブアップ致しましょう」

 それでも、なおも才人が食い下がると、

「……三分よ」

「ありがたき幸せ」

 ルイズはしぶしぶ承諾した。

「絶対、負けたら許さないんだからね!」

御意、ご主人様(イエス マイロード)

 戦いに戻ってゆく才人の背中に、ルイズのか細い声が触れる。

「あっ……、やっぱり勝たなくても良いから、怪我はしないで……」

 才人は一瞬歩みを止めて、

「もちろんです」

すぐさま歩行を再開した。

 

「待たせたね」

「僕を三分で倒すだって? まったく身の程を知らない平民だな、君は!」

 ギーシュはご立腹だ。

「時間がないから始めさせてもらうよ?」

 ギャラリーの一人が魔法で砂時計を作って、逆さまにひっくり返した。砂粒が細い線となってガラスの底に落ちてゆく。

「来たまえ! 平民ごとき、一分で地に伏せてくれよう!」

 才人は足に力を溜めて地面を跳ぶように駆けた。

 ゴーレムとの距離を一瞬で詰めると素早く横に回りこむ。そしてゴーレムの左腕を掴むと、その肘を基点にテコの原理を利用して捻る。

 折れてはならない方向を向いた肘関節は完全に破壊された。

 『肘車』

 人間相手に使ってはいけない、禁じられた技。

 しかしゴーレム相手なら構うことなく使える。

 破壊された関節をねじるように回すと簡単に砕けて、ゴーレムは片腕を失った。

 隻腕のゴーレムは残った腕を振り回すが、才人はあっさり避けるとその腕をも掴み、体を回転させながらゴーレムの懐にもぐりこみ、足を払い柔道のように投げた。

 ゴーレムが空中を泳ぐ。

 その一瞬の隙に才人は無事なもう一本の腕をもゴーレムの背面へ捻る。

 仰向けに地面と激突したゴーレム。

 その背に捻られた腕は、自らの体重によって破壊された。

 最後に、首を踏み砕いて無力化させる。

 

「ば、バカな……、僕のワルキューレが……」

 自分のゴーレムが窓ガラスを割るかのように容易く粉砕されるのを見て、ギーシュは声にならない呻き声をあげた。その脳裏に浮かぶは先程モンモランシーに殴られた時に砕けたワインのビン。嫌な記憶と繋がって、ギーシュの中で一層強く印象付けられた。

「お、おい! ギーシュのゴーレムがやられたぞ!?」

「なんなんだ、あの平民! メチャクチャ強いぞー!!」

 ギャラリーの歓声が一気に大きくなった。

「う、うそ……サイトが勝っ――」

 ルイズは両手で口を押えながら、驚きと感動が入り混じったような声を漏らした。

「どうした? 貴族の少年。君の力はそんなものか?」

 

   ◆

 

 所変わって、ここは学院長室。

 コルベールはルイズが呼び出した少年に刻まれたルーンについて、泡を飛ばしながらオスマンに説明していた。

「つまりミスタ・コルベールは調査の結果、少年のルーンが始祖ブリミルの使い魔『ガンダールヴ』のものと一致したと言うことかね?」

「そうです! 間違いありません! あの少年は現代に蘇った『ガンダールヴ』なのです!」

 コルベールが熱弁をふるっていると、入り口のドアが叩かれた。

「誰じゃ?」

「わたくしです。オールド・オスマン」

 扉の向こうからロングビルの声が聞こえた。

「何の用じゃ?」

「ヴェストリの広場で決闘騒ぎが起こっています。近くの教師が止めに入ったようですが、生徒たちに邪魔されて、沈静化には至っておりません」

 オスマンは頭を抱えた。

「まったく、暇をもてあました貴族ほど性質(たち)の悪い生き物はおらんわい。で、誰が暴れておるのじゃ?」

「一人はギーシュ・ド・グラモン。そしてもう一人は――」

 ロングビルは自分の情報が本当に正しいのか自問自答しながら、その名を告げた。

「――ミス・ヴァリエールの使い魔の少年です」

 その名を聞くや、オスマンとコルベールは顔を見合わせた。

「教師たちは、決闘を止めるために『眠りの鐘』の使用許可を求めています」

「バカモノ。たかが子供の喧嘩ごときに、秘宝を使えるわけないじゃろう。放っておきなさい」

 オスマンは深い溜め息をついた。

「わかりました」

 ロングビルの足音が遠のいて行った。

「オールド・オスマン」

「うむ」

 コルベールが目で訴えると、オスマンが杖を振った。壁にかけられた大きな鏡にヴェストリの広場の様子が映し出された。

 

   ◆

 

「ふ、ふは、ふははははは!」

 壊れたような声でギーシュが高笑いする。

「褒めてやろうではないか。ここまで貴族に楯突く平民がいるとは」

 ギーシュの表情が変化した。ただ上から見下すだけだった瞳に、相手を称える敬意の色が生まれた。

「認めてやろう。君は強い。並みの平民ではない。だが――」

 薔薇の杖を振る。すると今度は六体の青銅の戦乙女(ワルキューレ)が現れた。しかも今度は剣や槍などの獲物をそれぞれ装備していた。

「僕が一度に出せるワルキューレは全部で七体。全力で君を倒す! 僕を本気にさせたことを後悔するがいい!」

 ギーシュは勢いよく薔薇の杖を振りかぶった。

「行け! ワルキューレ!」

 六体のゴーレムが才人を取り囲み、一斉に踊りかかる。

「ほう、少し面白くなってきたな」

 才人は細かくステップを踏んで常に動きまわっている。こういう多人数に囲まれたときは一箇所に留まっていてはいけない。相手の狙いは多方向からの同時攻撃。手数の多さで才人を圧倒しようというのだ。

 よって才人は三体以上の同時攻撃を受けないような位置取りをしながら、ヒット&アウェイを繰り返して削っていく。

 最もこの場合の最善策は、ゴーレムを無視して直接ギーシュを攻撃することなのだが、才人は楽しんでいた。

 ゴーレムは人間と違って疲れないし、怪我をしても全く気にも留めずに攻撃を続行してくる。まるで不死の戦士のようである。

 今までに経験したことのない新鮮な戦いに才人の心は躍った。

 ゴーレムたちはそれぞれが異なる武器を持っているので、間合いが全員違う。剣の斬りつけ、槍の突き、斧の振り回し――、才人はそれらの間合いの違いを正確に把握し、最小限の動きでかわす。

 何度か回避行動を続けていると、ゴーレムの攻撃に機械的なパターンが存在することに気付いた。

 なるほど確かに全てのゴーレムの動きをギーシュが一人で操っているとすると、攻撃パターンにそれ程多くのバリエーションを持たせることは難しいようだ。

 むしろ六体ものゴーレムにそれぞれ異なる動きを命令することは、それ自体が高度な技術なのだろう。口だけではなかったということだ。

 

 才人は横目で誰かが作り出した砂時計を見た。

 砂は三分の二以上落ちている。

 残り時間が少なくなってきたので、才人は惜しみつつも勝負を決めに行った。

「よっ、と」

 疾風のごとき速さで才人は孤立した一体のゴーレムに接近した。

 顔に向かって突き出された槍を、首を捻るだけで回避。穂先が頬をかすめ、髪の毛が何本か宙に舞う。

 その隙に才人は、突き出されたゴーレムの腕とその手に握られた槍を掴む。

 ゴーレムの手首と槍の隙間に自分の腕を滑り込ませ、そのままバルブを捻るかのように槍を半回転。

 ゴーレムの手首がぶつかり合い、もつれ合うように交差した。

 そのままさらに槍を一回転。

 結果、あっけなく槍はゴーレムの手から放れた。

「ちょっとこれ借りるよ」

 一瞬で槍の持ち主が変わった。

 才人は前蹴りでゴーレムを突き飛ばし、奪った槍を腰の辺りに構えた。

 そして横薙ぎに一閃。

 遠心力が加わった槍の穂先は、もとの持ち主を容易く上下に引き裂いた。

 

 槍は攻撃の射程が長い武器なので、どうしても他のゴーレムとの距離感が空いてしまう。その距離感の開きが致命的な隙となった。

 哀れなゴーレムの上半身が地面に落ちて崩れる頃には、斧を持ったゴーレムが二体。両腕を槍の先で貫かれ、腕もろとも斧を地に落としていた。

 まばたきすら許されないほどの早業だった。

 これで残りは三体。

「なっ!? 速い!! 一瞬でゴーレムが三体も!?」

「おい! あいつはメイジ殺しだったのか?」

 ギャラリーが興奮と恐怖が入り混じったような声で叫んだ。

 

(ん? 何かおかしい)

 才人は自分の動きがいつもより良すぎることに違和感を持った。体が羽のように軽く、槍が手に良く馴染む。

 地球にいた頃に一通りの武器の使い方は学んでいたが、それにしてもこれ程武器が手に馴染む感触は感じたことがない。

ふと自分の左手を見ると、手の甲に刻まれたルーンが光っている。

そう言えば戦っている最中、今までに考えたことのなかった槍の効果的な使い方が次々に思い浮かんできた。

 このルーンのせいだろうか。

 そんなことを考えながらも才人は残りのゴーレムを屠る。

 

 ギーシュめがけて走り出した才人を二体のゴーレムが剣を持って立ち塞がる。が、才人がその二体の間を走り抜けただけで、ゴーレムはバラバラになって崩れ落ちた。

 

 何が起こったのか、誰一人として理解できなかった。

 動体視力の良い者は一瞬、才人の両腕と槍が残像を残して消えたように見えた。

 その感想は正しかった。

 常人には視認することすら不可能な速度で、槍が才人の体表面を高速で駆け巡ったのだ。

 まるでフラフープのように体に密着した槍が、才人の腹、胸、背中を高速回転しながら巡り、柄の半径に入った空間を幾重にも切り裂いた。

 

「う、うわぁぁぁああああああ!」

 

 最後の一体はギーシュを守る盾として控えていた。剣を上段に構え、全ての力を込めて振り下ろそうとするが、その刃が才人に届くことはなかった。

 剣より間合いの長い槍の穂先が、下からゴーレムを斬り上げて左右に両断した。

 上段に構えられた剣は振り下ろされることなく、そのまま天空へと激しく回転しながら弾かれた。

 

 

 

「続けるか?」

 

 

 

 才人はギーシュの首筋に槍頭を突きつけて言った。

 広場は異常なほどの静けさに包まれる。

 息づかい一つ聞こえてこない。

 誰かが作った砂時計が、その震える指からこぼれ落ちた。

 

 

 

「――ま、参った……」

 

 

 

 握力を失った手から薔薇の杖がこぼれ落ちたとき、大空を舞った剣が引力に引き寄せられて大地に突き刺さった。

 その刀身に映ったのは、砂時計の底に溜まった砂山に最後の一粒が落ちるところだった。

 

 

 

   ◆

 

 オスマンとコルベールは『遠見の鏡』で一部始終を見ていた。

「オールド・オスマン……」

 コルベールは震える声でオスマンを呼んだ。

「あの少年、勝ってしまいましたな……」

「うむ」

「ミスタ・グラモンは一番レベルの低い『ドット』ですが、それでも平民に遅れをとるとは思えません。しかしながら、あの平民の少年は常軌を逸しています! 目にも留まらぬ身のこなし。鍛え抜かれた戦士のような無駄のない動き。やはり彼は『ガンダールヴ』!」

 コルベールはオスマンに同意を求める。

「これは、王室に報告して指示を仰ぐべきでは……」

「それは、ならん!」

 オスマンは厳しい口調で警告する。白い髭が激しく揺れた。

「ミスタ・コルベール。『ガンダールヴ』はただの使い魔ではない」

「その通りです。伝承によれば『ガンダールヴ』とは、あらゆる武器を使いこなし、主人の詠唱の時間を稼ぐことに特化した存在だとあります」

「始祖ブリミルは呪文を唱える時間が長かったのじゃ――その強力さゆえに。そこで詠唱中に無力になる御身を守るために用いたのが『ガンダールヴ』じゃ。その強さは千人の軍隊を一人で壊滅させるほどであり、あまつさえ並みのメイジでは歯が立たなかったと言われておる。で、じゃ――」

 オスマンは重々しく咳払いをすると、険しい表情をしながらコルベールに問う。

「そんな強大な力を持ったオモチャを王室のボンクラどもに渡したら……どうなるかの?」

「――戦争……ですか」

 コルベールは顔面を蒼白にさせた。もし自分が早まった行動を取っていたら、大勢の人間が死んでいたかも知れないと悟ったのだ。

「ヤツらに『ガンダールヴ』とその主人を渡すわけにはいかぬ」

「はい。学院長の深謀には恐れ入ります」

 コルベールは固く口を結んだ。

「この件はわしが預かる。他言は無用じゃ。よいな」

「はい!」

「ところで……、その『ガンダールヴ』の主人とやらは誰なのじゃね?」

「ミス・ヴァリエールです」

 オスマンは腑に落ちない顔をしながら白髭をさする。

「不思議じゃの。わしの記憶では彼女は……その、あまり優秀な生徒だとは聞いておらんのじゃが……?」

「はい。むしろ無能といいますか……」

「それにじゃ、その『ガンダールヴ』の少年は、本当にただの人間だったのかね?」

 コルベールは少しためた後、今度は自信たっぷりに言った。

「はい。宇宙的で未来的で異世界的で超自然的ではありましたが、間違いなくただの人間、ただの使い魔でした!」

「――――その二つが謎じゃ」

 

   ◆

 

 大地を振るわせる歓声が、広場の静寂を破った。

「ギーシュが負けたぞォォォ!」

「あの平民とんでもねェェェ!」

 生徒たちが発狂しそうになりながら叫ぶ。

 ルイズもまた、限界まで開かれた瞳孔に才人の勇姿を焼きつけていた。

「う、うそ……。平民がメイジに勝っちゃうなんて……」

 訳も分からず涙がこぼれる。

 本心では才人が勝つなんてこれっぽっちも考えていなかった。ルイズが願っていたのは、ただ才人が三分間無事であること。三分たったら決闘を終了させて、彼の安全を確保することだけだった。

 それが、どういうことだろう。

 魔法至上主義を徹底的に教え込まれてきたルイズにとっては、目の前の状況は奇跡のような光景だった。

「終わりましたよ。お嬢様」

 つい今さっきまで決闘をしていた者とは思えないほどの、爽やかな笑顔。

「さ、サイトーー!」

 かすり傷一つ負っていない才人の無事な姿を見て、ルイズは飛び掛るように抱きついた。勢い余って才人を軸に空中で一回転する。

 円運動が終わるとそのまま才人の胸に顔を埋めるように抱きつく。

「バカっ! このバカ使い魔! 心配したんだからッ!」

 ルイズ、本日二度目の号泣である。

「ははは。心配をおかけして申し訳ありません。お嬢様」

 才人は泣きじゃくるルイズを宥めながら、さり気なく彼女の目や鼻が泣き過ぎて赤くなっていることを伝える。

『錬金』に失敗して壊れた教室を片付けた後、ルイズは部屋で休んでいたのだが、才人の決闘騒ぎを聞きつけて飛び出て来たのだ。

 泣き腫らして自分の顔が腫れぼったくなっているにもかかわらず。

「部屋に戻りましょう、お嬢様」

「ひゃう!」 

 才人は恥ずかしそうに顔を隠すルイズの肩に手を回し、膝を持ち上げる。いわゆる『お姫様抱っこ』である。

「「「きゃぁ~~!」」」

 その場にいた女子生徒達が黄色い悲鳴をあげる。彼女らの目には二人の光景が、四隅をこれでもかと言うほどに花で飾られた状態で映っている。『少女eye』と呼ばれる現象だ。

 目の前の少女小説(少女漫画的な小説)的な光景に、自身の『お姫様願望』を投影してトリップする、淑女のたしなみである。

 ちなみにルイズの目には過剰な花装飾を施す『少女eye』に加えて、光りエフェクトまでガッツリかかった状態で写っている。もはや『乙女eye』の領域である。

 そんな少女たちの黄色い声援に囲まれて才人とルイズが帰還しようとしたとき、ギーシュが叫んだ。

「ま、待ってくれ!!」

 歩みを止める才人。

「一つだけ教えてくれ! 君は……、君は一体……、何者なんだい?」

 振り返らずに才人は答えた。

 

 

 

 

 

「――ただの使い魔さ」

 

 

 

 

 





 初の戦闘回。
 今回は今現在の私にできる限界までチャレンジしてみました。出し惜しみなしの全力全開です。書き終えた今は燃え尽きたような感じです。
 たった500文字を書くのに2週間もかかるとは思ってませんでした(>_<;
 本当にスラスラ書ける作家の方々を尊敬します。

 今回は気合を入れすぎたので、次回は息抜き回になると思います(^^;
 気に入って頂けたら、次回もお付き合いくだされば幸いです。


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第5話 微熱の誘惑


 いつもご覧いただき、ありがとうございます。
 前回ギーシュ相手に無双した才人君。色恋に目ざとい微熱さんが何もしない訳ないよね。


 

 

 

「もう、まったく! 勝手に決闘なんかして、許さないんだからね!」

 決闘の後、才人とルイズは部屋で談笑していた。ルイズはベッドに腰掛け、才人は椅子に座っている。

「ははは。ごめんごめん」

二人の時には砕けた口調で、才人は話す。

「で、でも、その、あれよね? あんたはご主人様の名誉を守ったんだから、その、ご、ご褒美が必要よね?」

「はい?」

 許さないと言いつつ、何故か褒美を賜ろうとするルイズ。

「言いなさい。何でも一つだけ、あんたのお願いを聞いてあげるわ!」

 ツンっとそっぽを向きながらルイズは言った。

「何でも?」

 才人は思案する。

 食べ物は厨房の賄いが貰えるので問題ない。着る物は使用人の服を借りられる。寝るところはルイズの部屋の飼い葉の上だが、これは仕方がない。学院には現在、空き部屋がないのだ。

 そんな風に考えていると、無意識的に視線がある場所に固定されていたらしく、

「ちょ、ちょっとどこ見てるのよ!」

「へ?」

 ルイズは両腕で自分の胸を庇うように抱きしめている。どうやら意図せずルイズの胸を凝視していたらしい。

「い、言っとくけど、変なお願いしたら絶交なんだからね!」

 近くにあった枕を抱きしめて、ルイズは赤くなった頬を隠した。

「うーんと、それじゃぁね……」

 才人は椅子から立ち上がってルイズのベッドに近づいていく。

「ふぇ? ちょ、ちょっとぉ! 何で近づいて来るのよ! ダメなんだからね! 絶対にダメなんだからね!」

 ルイズは手に持った枕を一層強く握り締めてじたばたする。しかし才人が近づいてきても距離を取ろうとはしなかった。じっとベッドの上から動かない。

 そんなルイズに才人の手が伸びてゆく。

「きゃん! ダメだってばぁ~~!」

 才人の手がルイズのリンゴのように染まった頬に添えられて、そのまま桃色のブロンドをすく。

 そして囁くように言った。

「髪にゴミが付いてるよ」

「そ、そんな! 私たちはまだ早い……って、はぁ?」

 才人はゴミを窓の外に投げると、椅子に座り直した。

 そして何事もなかったように話しを再開した。

「それで、ご褒美の件なんだけど……」

 そんな才人に、ルイズわなわな震えたかと思うと、次の瞬間にはきれいな跳び蹴りを彼の後頭部に直撃させた。

「紛らわしいことしないでよぉー!」

「あだっ! 何でぇぇぇ!」

 

 才人はやはり才人であった。

 

 数分の後、気を取り直して才人は口を開いた。

「よし、『お願い』の内容を決めた」

「言って御覧なさい」

 ルイズはプリプリと怒りながらも涼しい顔を作った。

「名前で呼ばせて欲しい」

「――へ? そんなことでいいの?」

 予想していなかったのか、ルイズは素っ頓狂な声をあげた。

「ああ。なんか二人しかいないときまで『お嬢様』って言うのは、何か固い気がするんだ」

 目をぱちくりと開いてキョトンとするルイズ。が、二つ返事で了承する。

「そ、そうねぇ。いいわ。今度から私のことは名前で呼びなさい」

「さんきゅー。ルイズ」

 この日から才人はルイズを名前で呼ぶようになった。

 

     ◆ ◆ ◆

 

 才人は食事のために厨房へやってきた。

「よう! 『我らの槍』が来たぞ!」

 開口一番にそう叫んだのはコック長のマルトーである。四十過ぎの彼は貴族に出す高カロリーな食材を毎日味見しているせいか、かなり恰幅のいい体型をしている。

「その呼び方は勘弁してください。マルトーさん」

「何言ってやがる。お前はあのいけ好かない貴族様に勝ったんだぜ! もう、接吻させてくれ!」

「それはもっと勘弁してください!」

 平民でありながら貴族との決闘に勝ったと言う話は、学院中の使用人たちの間で瞬く間に広がり、今や才人は平民たちの英雄であった。

「あ、あのう……」

 才人がマルトーの太い腕で首を絞められていると、一人の少女がためらいながら口を開いた。

「その、先程は申し訳ありませんでした。私のせいでサイトさんが危険な目に……」

 肩口で切りそろえられた黒髪が美しいシエスタは俯きながら言った。

「いやいや、シエスタのせいじゃないよ! 俺が自発的にしたことだから」

「で、でも……」

 それでも申し訳なさそうな目で見上げてくるシエスタに、才人は爽やかに微笑む。

「それに、可愛い女の子を守れて男としては幸せだよ」

「か、可愛いだなんて――ポッ」

 才人は天然で言いやがった。

「カーーッ! 魅せ付けてくれるねー、若いの」

 マルトーは額を掌で覆って天を仰いだ。

「それよりも、お腹が空いたな」

「は、はい!」

 才人が椅子に座るとシエスタが元気よく料理を取りに行った。

 にっこりと笑いながら戻ってきた彼女の手には銀のトレイ。その上には暖かいシチューと白いパン、それに骨付き肉のローストがのっていた。

「ありがとう。シエスタ」

「今日のシチューは特別ですわ!」

 シエスタの目は何やら期待に満ちている。

 才人が一口ほお張ると香り豊かなハーブの香り。数種類の香草が絶妙にブレンドされていて、お互いの香りが邪魔し合わないように見事に調和している。ダシにはベーコンのような動物肉の燻製が使われているようだ。余分な水分が抜けて旨味がギュッと濃縮されているのが分かる。そして肉の臭みはハーブ類がしっかりと消している。

 上品で調和の取れたスープである。

「美味しいですね! これは旨味を出すためにかなり煮込んだんじゃないですか?」

 才人が感動していると、マルトーが包丁を片手に言った。

「おお、わかるのか? 我らの槍よ。そのスープは貴族連中に出しているのと同じものさ」

「なるほど。どうりで――」

 才人が味のわかる男だと知ったマルトーは得意気に語り出す。

「貴族連中は確かに魔法が使える。土から鍋や城を造ったり、巨大な火の玉を操ったりな。でもよ、こうやって絶妙の味に料理を仕立て上げるのだって、立派な魔法だとは思わねぇか!?」

 才人は頷いた。

「まったくその通りですね」

「く~! いいヤツだな、お前は。やっぱり接吻させてくれ!」

「ちょっ! 包丁持ったままタックルしないで下さい!」

 どうやらマルトーはキス魔なだけでなく、通り魔の属性も持っていたようだ。

 なんとも危険な人物である。

「なあ、お前はどこで槍を習ったんだ? どうやったらあんな風に槍を操れるんだよ」

「小さい頃に道場で少しだけですよ。それに自分なんか、まだまだです」

「お前たち、聞いたか!」

 マルトーが勢いよく後ろを振り返ると、厨房のコックや見習いたちが注目する。

「「「はい! 親方!」」」

「達人とはこういうものだ。決して自分の腕を誇らないし、日々の積み重ねが大事なんだよ! 達人は一日にして成らず!」

 コックたちが唱和する。

「「「達人は一日にして成らず!」」」

 才人は恥ずかしくなってはにかんだ。そんな様子をシエスタはうっとりした面持ちで見つめていた。

 

     ◆ ◆ ◆

 

 月明かりが大地を優しく照らす夜。

 人々が寝静まった頃、ルイズは藁束の上に寝ている才人を横目に一人で部屋を抜け出した。

寮塔から一番遠い広場まで来ると、おもむろに杖を出して呪文を唱える。すると目の前の小石がポンッっとはじけた。

「また失敗……」

 ルイズは学院に入学して以来、毎晩のようにこうして夜な夜な魔法の練習をしていた。夜間なので大きい音が出ないように、ひっそりと小さく唱える。あまり気合を入れて大爆発でもしたら皆を起こしてしまうし、そもそも自分が夜間に練習していることを知られるのは恥ずかしかった。

 しかしこの日はいつもと違った。

「ルイズ。こんな所にいたのか」

「さ、サイト!? どうしてここに?」

 後ろから使い魔の渋い声が聞こえて、ルイズは慌てて振り返った。

「ルイズが部屋を出て行くのが見えたから。魔法の練習?」

「寝てなかったのね。てか、見ないでよ!」

 ルイズにとってこの状況を一番見られたくないのは、他ならぬ才人であった。魔法を使えない自分。主人としてこれ以上恥ずかしいことはない。

「ごめんごめん。ルイズに嫌な思いをさせるために来たんじゃないんだ。むしろ協力しようと思ってね」

「協力?」

「ああ。見ててくれ」

 才人は掌を上に上げると、モゾモゾと口を動かして、よく聞き取れない言葉を発音した。

 すると突然、目の前の空間に水の波紋のようなものが現れた。その波紋は急速に広がっていき、波紋に触れた景色をどんどん侵食しながら変化させていった。

「な、何よこれ!?」

 ルイズが驚いて声を上げている間にも波紋は広がっていき、気付けば辺りには何もなくなっていた。松明の光りが、石壁が、それどころか魔法学院そのものが消えてなくなっている。

「サイト! 一体どういうことなの!?」

 見渡す限りの平地。360℃何もない。しかも空間全体が灰色である。まるで太陽も月もないかのように不気味。足元を見ると石っころが散乱した荒地が広がっている。所々に大きな石が沈んでいて、草がまばらに生えている。

「ここは俺の『閉鎖空間』。外の世界から隔絶された異次元世界さ」

「な、何を言ってるの?」

 聞きなれない単語を当然のように使っている才人に、ルイズは激しく混乱した。閉鎖空間、異次元世界。あまりにも突拍子のない事態に、脳が正常に情報処理できていない。

「まぁ、分かり易く言うと、夢の中の世界ってところかな? ここならどんなに大きな爆発をさせても外の世界には影響ないから、思いっきり魔法を練習できるぞ」

 どうやらここは夢の中のようである。自分は疲れて眠ってしまったのだろうと、ルイズは勘違いした。

「そ、そう。夢の中なのね。そう言うことなら――」

 ルイズはどうせ夢の中なのだからと、思いっきり魔法の練習をすることにした。

 

 

 

 ドガーーーン! っと、何度目かの激しい破裂音が響き、辺りに土煙が舞った。

「うぅ~~、また失敗……私、やっぱり魔法の才能がないのかな……」

 気落ちしたルイズの背にサイトの声が届く。

「なあ、ルイズ。魔法って失敗したら爆発するものなのか?」

「しないわよ! 普通は失敗したら発動しないの」

 ルイズはイライラしたように叫んだ。

 魔法が成功しないこともそうだが、それよりも才人にみっともない姿を見られていることが、ルイズにかなりのストレスを与えていた。

「じゃあ何でルイズの爆発は失敗なんだ?」

「へ?」

 一瞬意味がわからず、ルイズはキョトンと首をかしげる。しかしよくよく考えてみると、何か妙なひっかかりを感じる。

 才人は地面に埋まった大きめの岩に登った。岩の上に胡坐をかくとルイズを手招きする。

 ルイズは「少し休憩」と杖をしまい、才人の隣に腰掛けた。

「例えばゴーレムを操る魔法を唱えたら、金が『錬金』されたとする。この場合、ゴーレム操作に失敗したことになるのか? それとも『錬金』が成功したことになるのか?」

「え……? わ、わからないわ。そんなこと今までに起こった試しがないもの……」

 しかし、もし本当にそんなことが起こったとしたら、一体どういう解釈になるのだろうと、ルイズは考えるうちに何かを掴めそうな予感を感じた。

 もし自分の魔法が『爆発魔法』として発動しているなら、それは魔法が成功していることになるのだろうか。

「――そんなわけ、ないわよ」

 いやいや、とルイズは首を振った。

 そんな訳ないと。常識的にあり得ないと。

「やっぱり私は、『ゼロ』のルイズなんだわ……」

 ルイズは下を向いて落胆した。自分が座っている灰色の岩は、まるで自分の心の色を表しているようだ。

 そんなルイズを才人が励ます。

「いや、ルイズは『ゼロ』じゃないよ。『サモン・サーヴァント』は成功したろ?」

「そ、それは、そうだけど」

「それに『コントラクト・サーヴァント』もできたじゃないか。『ゼロ』じゃない、『二つ』はできるんだ」

 ルイズはあの時のことを思い出して赤くなる。未だにルイズ記憶の中には鮮明に焼きついているのだ。

「それと、もう一つ、ルイズは魔法を使えるんだよ。一番すごい魔法が」

「何?」

 才人はルイズの肩に手を置いて囁いた。

「ルイズの笑顔を見ると、俺は幸せな気持ちになる。人を幸せにする笑顔、これが一番優れた魔法だろ?」

「ふぇ!? な、ななな、何言ってるのよぉ~~!! バッカじゃないの!」

 真顔でそんなことを言う才人に、ルイズは顔を沸騰させながら叫んだ。それでも少年は見つめ続けてくるので、少女は堪らず視線を逸らした。

「――ばかっ……」

 こんな恥ずかしいセリフを平然と言ってのけるおバカな使い魔のためにも、ルイズは一日もはやく魔法を成功させようと誓うのだった。

 

 そしてそれは近い将来、実を結ぶことになる。

 

「でも……、ありがと」

 才人の頬にそっとルイズの唇が触れた。

「ちょっと、ルイズ!?」

「う、うるさい、バカ! いいでしょ? 夢の中なんだから……」

 頬をその自慢のピンクブロンドのように染めながらルイズは、恥ずかしさを隠すようにキュッっと睨む。

 夢の中だと聞いてルイズは普段よりも少しだけ積極的になった。

 今度は頬と唇の中間地点に触れる。頬でもない唇でもない微妙な位置。

 さっきよりも長く、いつまで続けられるか試すように押し付けた。

 才人が拒否しないとわかるや、ルイズはその大粒の瞳を潤ませ、ついには直接才人の唇に迫った。そのとき、

「あ、いや、その、夢っていうのは喩えであってだな。一応記憶は残るんだぞ?」

「……へっ?」

 一瞬で、ルイズは氷のように固まった。

 まるで心臓まで止まっているかのように微動だにしない。

 

 一泊遅れてピキリ、と灰色の空にヒビが入った。

 閉鎖空間の持続限界が迫っているのだ。

 

「お、そろそろ時間切れだな。ルイズ、続きはまた明日――」

 才人が言い終える前に、氷解したルイズが壊れたように動き出す。

「ちょ、ちょちょちょ、ここ、こここ、けけけ――」

 顔面から湯気を発しながら壊れたラジオのように痙攣するルイズはやがて、

「い、いやぁーーーーー!!」

 才人を思いっきり突き飛ばした。

「ぐぇッ! 痛だい!」

 岩から突き落とされた才人は、頭から真っ逆さまに地面に直撃した。

「こ、こここのバカちゅかい魔! 変態ッ! ご主人様に何させてんにょよ! 変態! 変態ッ! 紛らわしい言い方しないでよぉ、バカぁーーーー!!」

 

 灰色の空がガラスのように割れ、地面は地震のように激しく揺れ動く。遠くの方から竜巻のように舞い上がった砂煙が猛烈なスピードで迫ってきた。

 まさに天変地異のような現象を巻き起こしながら、閉鎖空間が崩壊する。

 時間が巻き戻るかのように、始めに広がった波紋が今度は収縮して、才人のてのひらに納まった。

 

 そしてあたりは見慣れた魔法学院の景色を取り戻した。

 その最中、ルイズの絶叫が止むことは一秒たりともなかった。

 

 

 

     ◆ ◆ ◆

 

 

 

 才人が召喚されてから数日が経った。

 この日、才人はいつものように日課をこなした。炊事洗濯、ルイズの付き添いに武道の稽古。一通りの役目をこなし終えあとは寝るだけというとき、ルイズの部屋の前でじっと待っているモノがいた。

 正確にはルイズとキュルケの部屋にはさまれた廊下の真ん中で、腹這いになっている生き物がいた。

 サラマンダー。キュルケの使い魔、フレイムである。

 暗闇の中でも目立つ赤い影に尻尾の炎を揺らめかせ、誰かを待っているようである。

「誰かを待っているのか?」

 才人が何となく話しかけると、フレイムも答える。

「きゅるきゅる」

 さすがに才人も火トカゲ語はわからない。

 戸惑う才人の服をフレイムが咥えて引っ張る。

「ちょ、引っ張るなよ」

 フレイムはそのまま才人をキュルケの部屋の中に引っ張っていった。

「まいったなぁ~……」

 

 キュルケの部屋は真っ暗だった。灯りが何一つ付けられてなくて、フレイムの尾の炎だけが光っている。

「扉を閉めてくださる?」

 暗がりからキュルケの声が聞こえた。

 才人は外に出てから扉を閉めようとしたが、フレイムがズボンに噛みついて離れない。

 仕方なしに内側からドアを閉めた。

「ようこそ」

 キュルケがパチンと指を弾く。すると部屋の中に立てられていたロウソクが一つずつ灯っていく。部屋の入り口から徐々に灯っていくそれは、まるで夜道を照らす街灯のごとく等間隔に配置されている。

「そんなところに立っていないで、いらっしゃい」

 光りの道の終着点にはこの部屋の主がいた。幻想的な光りに照らし出された妖艶な姿のキュルケだ。

 ベッドに腰掛ける彼女はベビードールのような薄い下着だけを身に付け、艶かしいポーズで才人を誘惑している。

「いらっしゃいと言われましても……。失礼ですがミス・ツェルプストー。どのようなご用件でしょうか?」

 才人の問いにもキュルケはニコリと笑うばかり。

「座って?」

 さらには自らのベッドに並んで座るように招いた。

 才人は言われたとおりに座る。

 基本的に平民が貴族の言うことに逆らうのは不敬にあたるからだ。決して才人にやましい気持ちがある訳ではない。ある訳がないのだ。

「失礼します」

 横を向いた才人がさり気なく視線を落とすと、そこには大きな果実。下着からこぼれ落ちそうになっている二つのメロンは、普段の彼女が上げ底などしていないことを悠然と語っていた。

「あなたは、あたしをはしたない女だと思うでしょうね」

 燃えるような赤い髪がかき上げられる。

「でも、しょうがないのよ。あたしの二つ名は『微熱』。一度火がついたら松明のように燃え上がってしまうの! わかってる。いけないことよね」

「でしたら、ご自重ください。ミス」

 才人はなるべく波風を立てないようにそっと断るのだが、そうするとキュルケは益々積極的になるのだった。

 捕まえるのが難しい獲物ほど夢中になる。それがキュルケの性格だった。

「あ~ん、そんな他人行儀はイヤよ~。キュ・ル・ケ。とお呼びになって」

 キュルケはすがりつくように才人に寄りかかる。そして才人の両手を握ると、潤んだ瞳で見つめた。

「冗談はおよしください」

「冗談なんかじゃないわ。恋してるの! あたし、あなたに恋しちゃったのよ」

 腕に力が入ったせいか、下着の隙間からのぞく谷間が押し上げられ、さらに強調された。

 ゴクリ、と才人は息を呑む。

「あなたがギーシュを倒したときの姿……。素敵だったわ~。全身に雷が走ったように痺れたわ。まるで伝説の勇者のよう。ああ、今思い返しても痺れちゃう。情熱、ああ、情熱だわ!」

「じょ、情熱ですか――」

 困ったように相づちを打つ才人とは対照的に、キュルケは一段とトーンが上がる。

「そう、情熱なのよ! あたしの『微熱』はつまるところ情熱なの! あの日から毎晩あたしの夢にはあなたが出てくるの。凛々しいお姿で悪者を倒して、あたしに微笑むの……。みっともない女って言われちゃうわよね? でも、全部あなたの所為なのよ。あなたが、あまりにも素敵だから……」

 才人はなんと答えたらいいのかわからず口を結んでいたのだが、キュルケはそんな沈黙をイエスととったらしく、ゆっくりとまぶたを閉じると、唇を近づけてゆく。

 と、その時、窓の外が叩かれた。

 叩いた人物は堀の深い顔の男で、室内を恨めしげに睨むと、肩を震わせながら言った。

「キュルケ……。待ち合わせの時間に君が来ないから来てみれば……」

 どうやら男はキュルケと逢引の約束をしていたようだ。

「ペリッソン! ええと、二時間後に」

「話が違う!」

 この部屋は三階なので、ペリッソンと呼ばれた男は魔法で宙に浮いていることになる。

 キュルケはうるさそうな顔をすると、胸の谷間から出した杖を振る。するとロウソクの火が大蛇のように伸びて、窓ごと男を吹っ飛ばした。

「……今のは」

「まったく、無粋なフクロウね」

 最近のフクロウは言葉を喋れるのかと関心しつつ、才人は何か嫌な予感を感じて部屋を立ち去ろうとする。

「ああん、待って!」

 逃げようとした才人の腕を掴んで胸の谷間に押し付ける。そして何事もなかったように先程の続きを再開する。

 突き出される艶やかな唇。目を閉じたキュルケの表情は、先程よりも随分野性的に感じられた。

 ふと横を見ると、窓があった場所は大きな穴となってしまったので、吹き込む風でロウソクの火が暴れている。

 壁に映し出された二人の影は、静止している当人たちとは対照的に、激しく揺らめいている。

「ミス、その……」

 キュルケの肢体を照らす灯りが激しく躍動し、光りの陰影を次々に変化させた。

 他方向から照らされたことでキュルケの凹凸の激しい体のラインが強調される。そして彼女のくっきりとした目鼻立ちが、大きな胸がより立体的に演出される。それはもうスゴイことに――。

 思わず視線を囚われた才人を誰が責められようか。

「あ、あの、ミス……」

 炎の激しい揺らぎが生命の躍動を連想させ、キュルケが元来持っている野生的な魅力との相乗効果を引き出している。

 今この時のキュルケは、どうにもこうにも抗いがたい、むせるような色気を放っていた。

「……」

 吹きすさぶ風から酸素を存分に飲み込んだロウソクはますます激しく燃え盛り、壁に映されたキュルケの影は一気に膨れ上がる。さらに膨張した影はその姿を飢えた野獣のように変化せしめ、ついには才人の影を飲み込まんと襲い掛かった。

「――!?」

 

 もはやここに至っては勝負あり。

 今やこの空間は狩人本性を発揮したキュルケが完全に支配していた。

 

 才人の唇がキュルケのそれに吸い寄せらる。まるで強力な磁場が生まれたかのように、ゆっくりと引き寄せられる。

 抗おうとしても抗えない。抗えは抗うほど引力は強まってゆく。

 ついにお互いの息遣いが聞こえる距離にまで二つの唇が接近した。そして溶け合うように重なろうとした、まさにその時だった。

 

「キュルケ! その男は誰だ! 今夜は僕と過ごすんじゃないのか!」

 

 才人はハッと我に戻る。間一髪だった。

 

 窓ごと破壊された壁の穴から、先ほどとは違う男が現れたのだ。

 窓がないので代わりに窓枠を叩いたその男は、精悍な顔つきをしている。

 キュルケはあと一歩のところで獲物をしとめ損なった狩人のように、顔をしかめた。

「スティックス! ええと、四時間後に」

「どういうことだ、キュルケ! そいつは誰だ!」

 怒り心頭のスティックスは室内に入ろうとしたが、それよりもキュルケの怒りの方が大きかったらしく、魔法でさっきの男の二の舞となった。

 火に炙られながら地面に落ちてゆく様は、想像するだけで恐ろしい。

「……今のもフクロウでしょうか?」

「そうよ。最近この辺りでフクロウが異常繁殖しているの。困っちゃうわ」

 まったく悪びれもせず言った。キュルケは夢中になると周りが見えなくなるタイプなのだ。

「さあ、あまり時間を無駄にしたくないわ。夜が長いなんて誰が言ったのかしら? 瞬きする間に太陽は起きちゃうじゃない!」

 キュルケは才人の首に腕をまわすと、ゆっくりと唇を近づけ――

「「キュルケ! そいつは誰なんだ! 恋人はいないって、言ってたじゃないか!」」

「マニカン! エイジャックス! ギムリ! と、あれ? 何でマリコルヌ? あなたは呼んでないはずだけど」

 今度は四人が同時に窓枠にへばり付き、押し合いへしあいしていた。

「ええと、六時間後に」

 キュルケは面倒くさくなったのか、投げやりに答えた。

「「朝だよ!」」

 仲良く声を揃える四人。キュルケはうんざりした声で使い魔を呼んだ。

「フレイム!」

 部屋の隅で寝ていたサラマンダーが起き上がり、四人に向かって炎を吐いた。今日はよくフクロウが燃えながら墜落する日である。

「さあ、これで邪魔者はいなくなったわ! 愛してるわ、才人」

 フクロウは六匹で打ち止めのようである。しかしながら一晩で六人、いや、五人(?)をどうやって相手するつもりだったのだろうと、才人の思考が脇道にそれた時、今度は後ろのドアがもの凄い勢いで蹴り破られた。

 七匹目のフクロウかと思われたが、今回は違った。立っていたのはネグリジェ姿のルイズだった。

 キュルケはちらりと横目でルイズを見たが、構わず無視して唇を押し当てようとする。

「キュルケ!!」

 ルイズが怒鳴る。そこでようやくキュルケは才人から離れた。

「取り込み中よ。ヴァリエール」

「ツェルプストー! 誰の使い魔に手を出してるのよ!」

 ルイズは烈火のごとく怒り出した。キュルケの情熱に匹敵するほどの火力だ。

「しかたないじゃない。好きになっちゃったんだもの。恋と炎はツェルプストーの宿命なのよ」

 キュルケはしれっと両手をすくめる。それを見てルイズは握った拳をわなわなと振るわせた。

「サイト! きなさい!」

「――はい、お嬢様」

 才人は内心助かったと思いながら部屋を出ようとする。

「あら。行ってしまうの?」

 キュルケは悲しそうに瞳を潤ませて流し目を送る。

 才人は後ろ髪を引かれそうになるも、なんとか部屋を後にした。

 

 この日才人は学院中の男が何故キュルケの虜になったのかを理解した。

 その『微熱』の二つ名を冠する少女の、圧倒的にして回避不能の魔力を垣間見たのだから。

 

 

 

 





 今回も結構な難産でした(^^;
 正直2~3回くらい書き直しました。
 キャラの魅力を引き出すって、本当に難しい事なんですね。作者の苦手分野のようです。

 この話の後日談を今日中に上げます。
 長くなったので分割です。といっても残り2000字くらいしかないのですが(汗
 せっかくキュルケの話がまとまったのに、これを続けて載せたら雰囲気ぶち壊れると思ったので(汗


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第5.5話 おしおきしちゃうもん!【R-17.5?】


 第5話の続きです。

 キュルケとのパヤパヤ現場をルイズに目撃された才人君。
 果たして彼の未来はどうなるのか?



 

 

 

 キュルケの部屋を出た才人は額に汗を浮かべながら廊下を歩く。

 向かいのルイズの部屋まで僅か三歩の距離である。

 だが、その三歩が長い。途方もなく長い。

 これから自分の身に降りかかるであろう災難と、それを逃れるための言い訳を幾通りもシュミレーションすることが、たった三歩の距離を万里の長城ばりに長く感じさせる一端を担いでいた。

 

 そうこうしている内にネグリジェ姿のルイズがドアノブに手をかけた。

 乱暴な動作で捻り、ドカドカと室内に入る。

 才人も続いて部屋に入る。どこか遠慮がちでそわそわしながら。

 

 才人が部屋に入り終えるや否や、ドアがバタン! と勢いよく閉められた。

 前方のルイズが背中を向けたまま杖を振っていた。

「サイト……。どういうことなの? 説明してくれるかしら」

 開口一番、ルイズは言った。いつになく低い声を、腹の底から響かせた。

「えっとだなー……」

 才人は正直に無罪を主張した。自分はサラマンダーに拉致されただけだと。

 廊下で幾通りもの未来をシュミレートしたが、そのどれもが無情にもバッドエンドへと続いていた。

 こういうときに限って未来視は働かない。何とも不条理である。

 仕方なしに才人は正直に答えたのだ。困った時は誠実に対応するに限る。

 しかしながらルイズは納得しなかった。機械的な動きで机の引き出しからムチを取り出すと、大きく振りかぶる。

「サイトのバカぁぁぁ! 犬ぅーー! バカ犬ぅーー!!」

「痛だいッ! ちょ、やめろって!」

 ピシッ! ピシッ! っと、乗馬用のムチが才人を襲う。

「信じらんない! よりにもよって、あのツェルプストーの女に尻尾を振るなんてぇーーッ! 犬ぅううううッ!」

 ルイズは唇をきゅっと噛み締めて、目尻に涙を蓄えながらムチを振るった。

 才人の動体視力と反射神経を持ってすれば、素人の振るうムチなど容易くかわせるのだが、今回は敢えて受けた。ルイズの目的がムチで叩くことではなく、高ぶった感情を発散させることにあると見た彼は、あえて打たれることでルイズの思いを受け止めようとしたのだ。

 一部の上級者にとってこの状況はヨダレをたらしながら喜ぶものだが、あいにくと才人にそのような趣味はない。

 ただいたずらに痛覚にご褒美をたまわるのは嫌なので、才人は必死に考えを巡らす。

 

 通常の説得ではこの状況を脱しない。

 そう考えた才人は発想の転換を計ることにした。

 誤解したルイズが自分を叩く構図。これ自体がそもそも間違いなのである。

 自分は悪くない。悪いのおっぱいなのだ。

 キュルケにあのような兵器を与えた天が悪いのである。

 キュルケと才人を出会わせたのは誰か? サラマンダーである。そのサラマンダーを使い魔になるように仕向けたのは、始祖ブリミルの残した魔法である。

 そう、全ての元凶はブリミルだったのだ。そしてブリミルが創ったのが世界だ。

 

 ――間違っているのは俺じゃない! 世界の方だ!

 

 ついに本質を見破った才人は、この間違った状況を脱するべく世界に対しての反逆を開始した。

 

 何度か鞭で打たれた後、才人はカッっと目を見開きルイズの懐に潜り込む。

 そして力強く、ルイズを抱きしめて動きを封じた。

「ちょっと、離れなさい!」

「ルイズ! 誤解なんだ!」

 もがき続けるルイズ。だがしばらくそうしていると唐突におとなしくなった。そしてしかるのちに、自分が男に抱きしめられていることを自覚したのか、凄まじい勢いで顔が紅潮した。

 ここまでくればもう後は簡単である。

「聞いてくれ、ルイズ」

「にゃ、にゃによ」

 とろけるような、うっとりとした顔でルイズは答えた。

「俺が今までルイズを裏切ったことがあるかい?」

「そ、それは……にゃいけど」

 乙女モードに入ったルイズは才人の言葉を素直に受け入れる。これなら大抵のことは盲目的に信じてしまうだろう。それでも色恋沙汰だけは、すんなりとはいかない。

「でもやっぱり信じられない。私、知ってるもん。サイト、今朝あの女の胸を見てたでしょ!」

「ギクッ……!」

 ルイズの意外な斬り返しに才人は一瞬言葉をつまらせる。

 予想していなかった反撃に虚を突かれた。

「やっぱり、私よりあの女の方がいいんだわ! 男なんて皆おっきいお胸が好きなのよ!」

「そ、そんなことないさ! 俺はどちらかと言うと小さい方が好きなんだ!」

 若干テンパった才人は勢いだけで言った。自分でも何を言っているのか、いまいち分かっていない。

「嘘よ! 信じられないもん。やっぱりオシオキしちゃうんだもん!」

 ルイズは再びムチに力を入れて才人を打とうとする。

「待った! ルイズのオシオキならむしろご褒美として喜んで受けるが、それはルイズにとってよろしくないことだと思うぞ!」

 才人はもうこうなったら勢いだと、考えるより先に口が開いた。後になって今言ったことを思い出したら、軽く自殺したくなるような気がしないでもないが、もう後には引けない。

 とにかく一気にまくし立てる。

「考えてもみてくれ! もし俺が明日傷だらけの状態でみんなの前に出たら、どう思われる?」

「え?」

「きっとみんなはこう思うだろう。ルイズは男をムチで叩いて悦に浸る異常な性癖を持っていて、使い魔に夜な夜なイケナイことをしていると」

「な、ぬぁんですって!?」

 半分以上口からでまかせだったのだが、今回は運よくヒットした。

 ペースを乱されたルイズにサイトはここぞとばかりに攻めのカードをきる。

「そんなことになれば、ルイズが、ひいてはヴァリエール家が不名誉なそしりを受けることになりかねない!」

 ヴァリエール家の名誉。ルイズに対して、切り札の一枚だ。

 貴族は名誉に弱い。加えてルイズのような責任感の強い人間には尚更効果を発揮する。

「……う、うん。わかったわ。オシオキは勘弁してあげる」

 どうやら危機は去ったようである。

 しかし才人の攻めはまだ終わっていなかった。

「わかってくれて嬉しいよ、ルイズ。それじゃ、今度はルイズがオシオキを受けよっか」

「うん。――って、はい?」

 才人は素早くルイズを後ろ手に縛って拘束した。

 反逆の序章の始まりだ。

「ちょ、ちょっと! 何してるのよ! 何で私がオシオキされなくちゃならないのよ!」

 

「ご主人様が誤った行動を取らないように導くのも、使い魔の仕事にございます」

 

 突然フォーマルな口調に戻った才人はニタッっと笑うと、さも当然の事のように言った。

「い、意味わかんないわ! 放しなさい! バカ使い魔ッ!」

「ご主人様が同じ過ちを繰り返さないように、わたくしが心を鬼にして罰を与えて差し上げましょう」

「きゃぁん! ちょっと、嘘でしょ? やめ、にゃぁぁん!」

 才人は縛られて抵抗できないルイズをベッドに押し倒すと、先程までルイズが握っていたムチでペチペチと優しく叩く。

 最初は足首から。徐々に上へと上り、ネグリジェの裾に引っかかっても構わず直進。白いレースをあらわにしながら、胸部の上へと登ってゆく。

「ひゃん! ちょ、止めなさ――」

 こういうのは最初が肝心だと才人はよく理解していた。

 何かトラブルが起きたときは自分が主導権を握る。そうすることで被害を最小限に食い止めることができるのだ。

 もとは才人の浮気疑惑(?)から始まった問題は、ルイズの不適切な行動の問題にすり替えられてしまった。

 ――論点のすり替え。

 やっていることが某『薔薇好き金髪少年』と大差ないように見えるが、それは気のせいに違いないのである。錯覚。蜃気楼に他ならないはずなのである。

 なにはともあれ、才人は勢いで押し切った。

「だめ、サイト! そんなところ、ひゃん!」

 ルイズのネグリジェの隙間に才人のムチが差し込まれる。肩口から入ったムチが胸元をグリグリと擦る。

「そういえばルイズは俺が巨乳好きだと言ったね? まぁ、確かに大きい胸は魅力的だ。しかし、小さい胸も好きだということを、今から証明してあげよう」

「ちょ、ダメッ! そんな、いきなり――、らめらってばぁ! しゃいとのバカぁ、バカ犬ぅぅぅ! にゃぁぁぁんんん!」

 

 双月が妖しく照らす夜。

 バカ犬とご主人様の長い夜が始まった。

 

 

 

 





 一応タイトルに警告出しときましたが、このくらいは別に18禁じゃないよね?
 17.5どころか、15禁でも大丈夫な気がするのですが。

 マズイと思われる方がおられましたらご意見ください。速やかに対処します。


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第6話 武器屋の受難

 感想やお気に入り登録、ありがとうございます~(^^


 

 朝、キュルケはいつものように目覚めた。

 ぼんやりと部屋を眺めていると窓ガラスが入っていないことに気付く。

「ふぁ~、そう言えば昨日吹っ飛ばしたんだっけ」

 昨晩の出来事を思い出すも、全く気にした風もない。今日はどうやって才人を口説こうかと、キュルケの頭の中にあるのはそれだけだった。

 軽く化粧を済ませてドアの前で待機する。廊下の向こうのドアが開いたら偶然を装ってこちらも廊下に出て、才人に抱きついてそのままキスをするつもりだ。

「うふふふ」

朝一番に才人の顔を見られると思うとウキウキしてくる。キュルケの狩人としての血が騒いだ。

 

 ガチャリとドアの向こうで音がした。

(来た!)

 キュルケはタイミングよくドアを開けて、愛しの殿方の姿を捉えようと目を動かす。しかしキュルケの視線を独占したのは凛々しい殿方ではなく、小柄な少女だった。

「あら、ミス・ツェルプストー。ごきげんよう」

「――え? ルイズ!?」

 そこにいたのは桃色のブロンドをなびかせた小柄な少女。ルイズ・フランソワーズ。

 しかしキュルケは妙な違和感に捕らわれる。自分の知っている彼女はいつも不機嫌そうな眼つきで、負けん気が強く、絶えず気を張ったような雰囲気をした少女だった。

 ――それが目の前の少女はどうだ?

 まるでつきものが取れたかのように穏やかな表情。上品な言葉遣い。何より体全体から溢れ出る余裕。

「あ、あなた、本当にルイズ?」

 キュルケは自分の目を何度も擦った。

「あら? そうですけど。ミス・ツェルプストーはおかしなことを仰るのですね」

 そんなわけがあるはずない! まるで別人である。

「ルイズ! あなたどうしちゃったの!? 頭でも打ったの?」

「おほほ。何もございませんわ。わたくしはいつも通りのルイズ・フランソワーズにございます」

「嘘おっしゃい!」

 ルイズのあまりの豹変振りにキュルケはすっかりペースを乱された。と、そこにお目当ての才人が部屋から出てくる。

「おや、ミス・ツェルプストー。おはようございます」

「ああ、サイト! 大変よ! あなたの主人がおかしくなったわ!」

 キュルケは事前に考えていた流し目も、抱きつきも、キスも、何もできずに慌てたように叫んだ。

「ああ、それなら問題ございません。これが普段のお嬢様ですので」

「あなたまで何を言って――」

 と、そこで二人が軽く微笑みあうのをキュルケは見た。

 優しい目で微笑む才人。そして胸に手を当てながら頬を染めて俯くルイズ。

 それを見た瞬間、キュルケは言い知れぬ不安を感じた。

「あ、あなた達! ま、まさか……」

 次の言葉は出てこなかった。喉の奥に引っかかって、そのまま逆流するかのように腹に下った。

「さぁ、お嬢様。食堂へ向かいましょう」

「ええ、サイト。それではミス、ごきげんよう」

 そう言って二人は去っていった。

 後に残されたキュルケは呆然としながら二人の背中を見送った。

 

 

 

 おぼつかない足取りで自室に戻ったキュルケは、そのまま気絶するかのようにベッドに倒れこんだ。そして次に目が覚めたときは昼前になっていた。

 そこで気付く。

 そうだ、さっきのは夢だったのだと。夢オチに違いないと。

 人間、自分の理解を超えた現象に出くわすと、正確に現状を評価できないものである。また、寝起きであることもそれに拍車をかけた。

 よくよく考えれば自分の求愛が拒まれることなどあるはずがないのだ。昨晩才人は自分の豊かな胸に釘付けになっていた。ルイズのあの貧相な体で才人が満足する訳がない。

 自信を取り戻したキュルケは勢いよく部屋を飛び出すと、向かいの部屋のドアを叩く。

 返事はない。鍵が掛かっている。

 キュルケは躊躇いなく『アンロック』の呪文を唱えた。するとドアの中から鍵が開く音がした。

 学院内で『アンロック』の呪文を唱えるのは重大な校則違反なのだが、今のキュルケにそんな些細なことは関係ない。

 恋の情熱はすべてのルールに勝る。ツェルプストー家の家訓である。

 しかし部屋の中に入ると二人の姿はなかった。授業に行ったのかと思ったが、今日は虚無の曜日。授業はお休みである。

 では二人はいったい何処にいったのか。

 キュルケが窓の外を見ると、門から一頭の馬が駆けていった。よく目を凝らして見ると、その馬には才人とルイズが乗っているではないか。

「ちょっと、なによ! 相乗りですって!」

 力強く手綱を握るサイトに、ルイズはお姫様抱っこのような体勢で寄りかかっている。それを見てキュルケは歯噛みする。

「キーーッ! ルイズのくせにぃー!」

 くやしがるキュルケだが、こうしている間にも二人との距離はどんどん離れていく。

「そうだわ! こうしちゃいられない!」

 キュルケは部屋を飛び出した。

 

 

     ◆ ◆ ◆

 

 

 タバサは学生寮の自室で読書を楽しんでいた。アクアマリンのように青く美しい髪と瞳を持つ彼女は、ベッドの上にちょこんと座ると、赤い縁のメガネを指で押えながら本の世界に没頭する。

 タバサは実年齢よりも4~5才は若く見られる事が多かった。身長は小柄なルイズより五サントも低い。体つきは細くて、まるで子供のように凹凸がなかった。しかし本人はそんなことを気にしない。

 他人からどう思われるかより、文字の羅列にこそ彼女は興味を示すのである。

 タバサは一週間の中で虚無の曜日が最も好きだった。一日中本の世界に浸れるのである。根っからの本の虫である彼女にとって、これ程都合の良いことはない。

 他人など鬱陶しいだけである。こうして誰にも邪魔をされずに本を読み続けることが、何にも変え難い無常の幸福なのである。で、あるのだが――

 ドンドンと喧しくドアが叩かれる。とりあえず無視する。

 机に立て掛けてあった自分の身長よりも大きな杖を取り、めんどくさそうにルーンを呟く。

『サイレント』――風属性の魔法である。

 風属性の魔法が得意なタバサは、自身の周りに空気の層を作って音を遮断した。これで外の煩い音は聞こえなくなった。

 しかし今度はドアが勢いよく開かれた。部屋に闖入者が押し入ってきたというのに、タバサの表情はぴくりとも動かない。

 無論闖入者に気付いていない訳ではない。気付いていて、それでも本から目を離そうとしない。

 闖入者は赤い髪を振り乱しながら何かをわめいているが、『サイレント』が効果を発揮して全く聞こえない。

 本来ならこのまま黙んまりを決め込む所だが、珍しくタバサは『サイレント』を解除した。相手がキュルケだったからである。

 人付き合いの苦手なタバサにとってキュルケは唯一例外的な存在だった。数少ない友人である。

「タバサ! お願い、力を貸して!」

「なに?」

 タバサは注意していなければ聞き取れない程の小さな声で聞き返した。

「恋なのよ! あたし、恋をしたの!」

 情熱たっぷりに告げるキュルケをタバサは無表情に見上げる。その瞳からは何の感情も伺えない。

「虚無の曜日」

 それで十分だと言わんばかりにタバサは目線を再び手元の本に下ろす。

「ああ、そうだったわね。あなたは理屈を説明しないと動かないのよね。あのね、あたしのお目当ての人が、あの憎っくきヴァリエールと出かけたの! 二人に追いつくにはあなたの使い魔の助けが必要なの! お願い!」

 キュルケに泣きつかれてタバサは頷いた。自分の使い魔の風竜でないと追いつけない。その理屈を聞いてようやく理解したのだ。

 感情で動くキュルケに理屈で動くタバサ。見た目も考えも対照的な二人だった。

「ありがとう、タバサ! それじゃお願い、急いで!」

 タバサは窓を開けて口笛を吹いた。

 そして自室は五階にあるにも関わらず、窓から飛び降りた。

 まるで飛び降り自殺のような光景だが、彼女にとってはこれが普通なのである。外出の際にドアを通って階段を降りるより、こっちの方が早いからだ。

 キュルケもそれに続くと、落下する二人を一匹の風竜が受け止めた。青い鱗に陽光をきらめかせたその竜は三メイルを超す巨体。これでもまだ幼竜である。

 二人を背に乗せた風竜は両翼を力強く動かすと、器用に上昇気流を捉え、一瞬で上空二百メイルまで駆けのぼった。

「いつみてもあなたのシルフィードは惚れ惚れするわね!」

 キュルケは背ビレにつかまりながら感嘆した。

 タバサに与えられたシルフィードという名前は風の妖精という意味であり、大空の覇者に相応しい名前であった。

「どっち?」

 タバサが聞くとキュルケはあっ、と自分の失敗に気付いた。

「わからないわ……慌てていたから」

 タバサは相変わらずの無表情で風竜に指示する。

「二人乗りの馬。食べちゃだめ」

 風竜は短く鳴いて了承の意を主人に伝えた。

 上空から草原を走る馬を見つけるなんぞ、竜の視力を持ってすれば容易いことである。

 タバサは自分の役目を終えたと知ると、再び本の世界へと旅立っていった。

 

 

     ◆ ◆ ◆

 

 

 ルイズと才人はトリステインの城下町を歩いていた。馬に三時間も乗っていれば腰が痛くなったりもするものだが、才人の膝の上は最高に乗り心地が良く、ルイズは軽やかに大地を跳ねる。

「えーっと、この辺りだったかしら?」

 白い石造りの家々が並ぶ街路には数多くの露天が開いている。果物や肉、カゴなどを売る商人が声を張り上げて客を呼び込んでいる。

「お嬢様、どちらに向かわれているのですか?」

「もう、サイト。敬語は使わなくていいってば」

「しかし街中ですので……」

 馬上では人目がないので普通に話していたのだが、街に入った途端、才人は敬語を使い出し余所余所しくなった。それがルイズはイヤだった。

「いいの! 普通に話して」

「そう? じゃ、普通に話すよ」

「うん」

 ルイズは満足して微笑んだ。

「それでどこに行くんだ?」

「あんたに武器を買おうと思って」

「俺に武器?」

 それがトリスタニアに来た理由だった。ここに来る途中、レストランで食事したり露天をひやかしたり、武器を買いに行くのとは全く関係のないことをしていたようだが、別段深い意味などないのだ。

「そうよ、武器よ。サイトは自分の武器を持ってなかったでしょ?」

「そう言えばそうだな。なんかいろんな店を見て回っていたから、デートかと思ったよ」

「なっ! で、でで、デートとかそんな訳ないじゃない! ちょっと道に迷っただけなんだから。勘違いしないでよね!」

 ルイズは両手をブンブン振り回した。

「……そ、そう」

「そうよ! い、行くわよ。サイト」

 無意識的に歩く速度を速めたルイズだった。

 

 

 

「ピエモンの秘薬屋の近くだから、この辺り……、あっ! あったわ」

 ルイズ達は狭い路地裏に入ってしばらく進んだ。すると一枚の看板を見つけた。看板には剣の形が描かれており、そこが武器屋であることを表していた。

 この時代、文字の読めない平民でも店名がわかるようにと、わかりやすい絵を描いた看板を軒先に下げるのが常識だった。

 ルイズと才人は石段を上り、羽扉を開けて店内に入った。

 

 店内は昼間であるにも関わらず薄暗い。ランプがなければ暗くて見えないだろう。

 壁の下方には大剣や槍などの大きな得物が立て掛けられている。逆に壁の上方には棚が取り付けられていて、ナイフや投具などの小さい武器が並べられていた。陳列棚のデッドスペースをなくして、より多くの商品を見せるよう工夫されている。

 しかし、あまりにも多くの商品を詰め込みすぎていて、逆にゴチャゴチャした印象を与えていまっている。これだと欲しい商品が何処に何があるのか、一目ではわからない。

 店の奥でパイプをくわえていた五十過ぎの親父がルイズ達に気付く。マントを纏っていることを知ると、パイプを放して低い声で言った。

「これは貴族様。うちはまっとうな商売をしてまさぁ。お上に目を付けられるようなことは、これっぽっちもありませんや」

 店主は開口一番に聞いてもいない自己弁護を始めた。普通の人間なら、「いらっしゃい。何をお求めですか?」となることを鑑みると、少々不自然な対応である。

 しかしルイズはそんなことを気にせずに言った。

「客よ」

「こりゃ、おったまげた! 貴族が武器を?」

 店主が驚くのも無理はない。剣よりもはるかに優れた杖を持つ高貴な貴族が、下賎な平民用の剣を買いに来るなんて、平民の感覚では大変に珍しいことなのだ。

「使うのは私じゃないわ。こっちの彼よ」

「へぇ、こちらの御仁が」

 店主は才人をチラリと見た。妙な青い服を着た黒髪の少年。まだ若い。おそらく経験もまだ浅く武器の知識も浅いだろうとあたりを付けた彼は、奥の倉庫へと向かった。

「くっくっく、鴨がネギを背負ってやってきた。せいぜい高く売りつけよう」

 

 さすが、まっとうな商売人の考える誠実な商売指針である。

 

 店内に戻ってきた店主の手には、一メイルほどの長さの細身の剣が握られていた。短めの柄にハンドガードが付いたレイピアと呼ばれる代物だった。

 それを見てルイズは言った。

「そんな細いのじゃすぐに折れちゃうわ。それに剣じゃなくて槍はないのかしら?」

「お言葉ですが、武器と人には相性ってもんがありやす。槍は扱いが難しく、そちらさんにはこの程度が無難なようです」

「槍がいいって言ったのよ」

 ルイズは繰り返した。記憶にあるのはギーシュとの決闘で華麗に槍を振り回す才人の姿。才人も槍のほうが嬉しいだろうと思い彼の顔を見上げると、何故か困ったような表情をしていた。

「あの、さ、ルイズ」

「何、サイト?」

「今回は剣にしないか?」

「ふぇ? どうして? あなた槍の達人でしょ?」

 一瞬、自分の考えに賛同が得られなくてルイズは僅かに不満を覚えた。

 そんなちょっぴり不満顔なルイズに才人は言う。

「槍は攻撃範囲が広くて攻める分にはいいんだけど、守るにはあまり向かないんだ。それに振り回すとなるとルイズから距離を離さないといけないし、そうするとルイズを守りにくくなるだろ?」

「――そ、そう言えば、そうねぇ」

 ルイズは不自然にならないように返答をする。が、自分でも何を言っているのかさっぱり把握していない。ただ反射的に会話を繋いだだけだ。なぜならルイズの意識はそれとは全く別のところにあったのだ。

 君を守る。その一言がルイズの心を捉えた。才人の思考の延長線上には自分がいた。それが言い知れぬ優越感を生み出す。

 ルイズはふにゃっと顔が緩むのを押さえつけた。それでも喜びは湧き上がってくる。

 先程の意見の不一致で感じたわだかまりなど、完全に吹っ飛んでしまった。

「守るだけなら盾。機動性を重視するなら短剣。バランスなら剣がいいと思うんだ」

「わかったわ。サイトの好きなのを選んでいいわ!」

 ルイズはルンルン顔で言った。脳内では今もサイトの「君を守る」発言が何度も連呼されている。

「と言うわけで店主、いくつか見せてもらえないだろうか?」

「へ、へい。ただ今」

 店主は再び店の奥の倉庫へと消えていった。

 倉庫の奥で店主は呟く。

「けっ! イチャイチャしやがって! イケメンもげろってんだ、こんちくしょーッ! こうなったら意地でもバカ高い値段で売りつけてやる!」

 

 まっとうな商売を心掛ける親父らしい誠実な意見だった。

 

 今度は立派な大剣を油布で拭きながら、店主は戻ってきた。

「これなんかいかがです?」

 それは1.5メイルはあろうかという大剣だった。両手で扱える長い柄、両刃の刀身は鏡のように光り輝いている。いたるところに宝石が散りばめられていて、これでもかと言うほど絢爛さをアピールしていた。

「す、すごいじゃない!」

 ルイズが賛嘆の声を上げた。

「店一番の業物でさあ! 貴族様のお供をするなら、これくらいは腰から下げて欲しいものですな!」

 その見目麗しい豪華な外形は、いかにも貴族が好む所であった。貴族はとにかく派手なものを好むのである。

「おいくらかしら?」

 ルイズは買う気満々である。脳裏には豪奢な大剣を背負った凛々しい才人の姿が鮮明に映し出されている。

「ずばり、エキュー金貨で二千。新金貨なら三千でさあ!」

「立派な家と森付きの庭が買えるじゃないの!」

 ルイズは呆れて言った。

「なにせこれを鍛えたのは、かの有名なゲルマニアの錬金魔術師シュペー卿でさぁ。魔法がかかってるから鉄だって一刀両断。ほら、ここに名前が刻まれてるでしょう。お安かぁありません」

「にしても高すぎじゃない?」

「名剣は城に匹敵しますぜ。お屋敷で済めば安いもんでさ。まともな大剣なら三百が相場でさあ。それに近頃は貴族の方々のあいだで僕に剣を持たせるのが流行っておりましてな。剣の相場も上がってるんでさ」

「どういうこと?」

「へえ、なんでもここ最近トリステインの城下町を盗賊が荒らしておりまして……」

「盗賊?」

「そうでさ。なんでも『土くれ』のフーケとかいうメイジの盗賊で。貴族のお宝を散々盗みまくってるらしいですぞ。それで(しもべ)にまで剣を持たせる始末でさ。で、どう致します? 買わないんなら他の貴族様にお売り致しますが」

「え? ちょっと待って」

 店主は巧みな話術でルイズの思考を誘導する。世情を絡めたもっともらしい理由で高額な値段を正当化。さらに買わないなら別の貴族に売ると言って、貴族同士のライバル心を刺激し、それに加えて時間的制約をちらつかせて焦らせる。

 しかし、それでも流石に城に匹敵する名剣は言い過ぎであった。

「取り込み中悪いんだが……」

「何、サイト?」

「その剣は使えないぞ?」

「え? どうして?」

 才人は説明する。

「その剣は儀礼用の剣だよ。実践向けじゃない。無駄に装飾が多くて重量も増えてるだろうし、強度にも不安が残る。何よりそんな宝石キラキラな剣を持ってたら、金目当ての賊に余計に狙われるだろう?」

「あっ」

「ルイズを守るための武器なんだから、敵をわんさか引き寄せるような物は本末転倒もいいところだよ」

 才人の言うとおりだった。

「それに値段にも疑問が残るな。武器っていうのはそもそも消耗品なんだよ。使えば使うほど刃こぼれをするし、時には折れる。なくしたり盗まれたりもするし、戦場で敵に奪われることもある。そんなリスキーな物の為に大金をつぎ込んだら傭兵稼業なんて成り立たないよ。そもそも武器屋って平民の客が来る所だろ? ってことは平民の傭兵が得る報酬で買えるくらいの値段設定じゃないと、辻褄が合わないよ。でしょ、店主さん?」

「ギクリ……」

 店主の額から嫌な汗が噴き出す。

 それを見てルイズが噛みつく。

「ちょっと、あんた! 私を騙そうとしたの!?」

「め、滅相もございません! この剣は貴族様用に特注したものでして。もちろん適正価格でございますですぅ」

 店主が慌てる中、聞きなれない声が大笑いしだした。

「だーっはっはっは! こいつは面白ぇ、傑作だ! 親父、おめぇの負けだよ」

 低いバリトンの効いた男の声。しかし店内にはそんな声を発するような人物は見受けられない。

 ルイズと才人はお互いに顔を見合わせる。

「こっちだ、こっち」

 声の主は部屋の隅に乱雑に押し込められた剣の束の中から聞こえる。

「やい、デル公! お客様がいるときゃ黙ってろって言ってるだろうが!」

 店主は声のする方向へ進むと一本の剣を掴む。

「デル公って言うな! 俺様はデルフリンガー様だ!」

 剣が喋った。

 

 ◆

 

「それって、インテリジェンスソード?」

 ルイズが困惑しながら聞く。

「へえ、そうでさ。意志を持って喋る魔剣。いったいどこの誰が作ったのか……。とにかくコイツは口が悪くて客にケンカ売るもんだから、いつもは黙らせてるんですが……」

「ちょっと、いいですか?」

 才人は店主の手から喋る剣を受け取った。全体的に錆付いているが作りはしっかりしている。むしろこれだけ錆びていながらこれ程保存状態が良いのは異質。

 才人は宇宙的で未来的で異世界的で超自然的な一般人なので、物の良し悪しを見抜くなんて朝飯前なのである。その感覚が言っているのだ。この剣はただの(・・・)剣でしかないと。

 店の中の剣はどれもこれも特別(・・)な代物であった。地味で目立たず強度も弱い駄剣の中の一級品ばかり。駄剣祭りであった。

 しかし、そんな中にあってこの一本の剣だけが異様に普通だった。宇宙的で未来的で異世界的で超自然的な力を内包した、まさしく『ただの剣』にしか見えなかったのである。

 才人はこの一本のただの剣に、凡人同士(・・・・)、何か同郷の念のような親近感を感じていたのである。

「お、おめぇ……。まさか、『使い手』か!?」

 驚愕する凡剣。

「ん? 『使い手』?」

「それに、何だ!? この鍛え抜かれた肉体は!?」

 凡剣はしきりに感心している。

「いいぜ、気に入った! お前さん、俺を買いな!」

 才人は少し考えた後言った。

「わかった。ルイズ、これを買うよ」

「えー、もっと綺麗で喋らないのにしたら?」

「この普通の剣がいいんだ」

「まぁ、サイトがいいって言うなら……」

 ルイズはしぶしぶ納得する。

「それじゃ、店主さん。適正価格で売ってください」

「ぐッ、百で……」

 才人が笑顔で睨むと。

「そいつは処分品なので、金貨十枚で結構でさあ……」

「あら、安いわね」

「はっはっは、こっちにしてみりゃ厄介払いみたいなもんでさ、はっはっは」

 店主の泣きそうな笑顔が何とも心地よい風情を出している。

「あ、ちなみにこの辺のナイフも何本か貰っていい?」

「も、もちろんでさ。なんならデル公の鞘と一緒にサービスでお付け致しやす」

「ありがとうございます。まっとうな商売人さん!」

「はっはっは、こちとら、まっとうな商売がモットーでやすからな、あっはっは」

 こうして才人はデルフリンガーに鞘、ナイフ二本にショートナイフ一本、投げナイフ十本を買った。

 もちろん、ちゃんと支払いはする。

 その辺、才人もちゃんとした常識を持っているのだ。

 支払いに新金貨(・・・)十枚を受け取ったときの店主の笑顔は、この上なく表情筋を酷使するもので、彼の人生の中で最も清々しいものだった。

「ま……まひぃどぉありぃ……」

 店主は消え入りそうな声で二人が店を出るのを見送った。こういう元気のいい挨拶は客に再び店に訪れてもらう為の、大事な商売の基本である。

 まさか、せめてもの仕返しに、『まいどあり』のフレーズに『酷い』という本音を混ぜたりなど――する訳がないのである。

 

 しかしこの時の店主は知らなかった。

 これは後に来る大嵐の、ほんの前触れでしかなかったことを――

 

 それから赤い髪の貴族が現れたのは、才人たちが店を出てから僅か数分後の出来事だった。

 

 




 今回は少し短め。

 武器屋の値段設定はどうなんでしょう?
 原作では首都トリスタニアでの平民の生活費が月10エキューだったと思うので、300エキューって平民の生活費の2年半ぶんですよね……
 流石に高いような。

 次回7話は……、あらかじめ謝っておきます。黒歴史回です。orz


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第7話 


く~ろ~れ~き~し~~~
今回さえ乗り切れば、今回さえしのげば、後は安定するはずなんだ!


 昨今、トリステイン中の貴族を恐れさている盗賊がいた。『土くれ』のフーケである。

 フーケは北の貴族の屋敷から宝石の散りばめられたティアラを盗んだかと思えば、南の貴族からは先帝より賜りし家宝の杖を盗み出す。東に真珠の指輪があると聞けば一も二もなく頂戴し、西に百年もののヴィンテージワインがあれば喜び勇んで頂戴する。

 東西南北、どこにでも神出鬼没に現れる大怪盗であった。

 そして何より『マジックアイテム』、強力な魔法が付与された高名なお宝を何よりも好んで盗むことで有名だった。

 フーケの行動パターンには決まった法則性はなかった。

 あるときは闇に紛れて屋敷に忍び込み、またあるときは別荘を粉々に破壊して盗み出した。白昼堂々王立銀行を襲うことさえあった。

 しかし、その盗みの手口には共通する点があった。フーケは狙った獲物が隠された場所に忍び込むときに、『錬金』の魔法を使うのだ。扉や壁に『錬金』を使い、土や砂に変えて穴を開ける。そしてその穴から忍び込むのだ。

『土くれ』という二つ名は、その盗みの手口から付けられたものだった。

 貴族たちもバカではないので当然対策を練っている。屋敷全体に『固定化』をかけるのだ。『固定化』をかけられた物体は腐食や酸化といった物理現象から守られるだけでなく、『錬金』の魔法も相殺して無効化させる。

 しかしフーケの『錬金』は強力だった。大抵の『固定化』であればその防御力を上回り、強引に土くれへと変えることができたのである。

 また、例え自身の『錬金』が効かない程の強力な『固定化』がかけられていたとしても、フーケにはもう一つの手段があった。

 巨大な土のゴーレムである。身の丈三十メイルにも上るそれは攻城兵器に成り得る程の代物だった。例え強力な『固定化』がかけられている屋敷であっても、フーケはこの巨大ゴーレムを使って屋敷を力任せに破壊してしまうのである。

『固定化』は『錬金』に対して優秀な効果を発揮する反面、物理的な衝撃にはめっぽう弱い性質があった。フーケはこの魔法の欠点を巧みに利用し、あらゆるお宝を盗み出したのである。

 そんなフーケの正体を見た者はいない。黒いローブで全身を覆っており、男であるか女であるかも判っていない。

 わかっていることは、おそらくトライアングル以上の『土系統』が使えるメイジである、ということ。そして犯行現場に『秘蔵の○○、確かに領収いたしました。土くれのフーケ』と、ふざけたサインを残すことだけである。

 

 

     ◆ ◆ ◆

 

 

 魔法学院本塔の五階には宝物庫がある。その宝物庫の外壁を月明かりが照らすと、とある人影が浮かび上がる。壁に対して垂直に立ったその人影は、まるで重力など関係ないと言わんばかりに悠然と佇む。その後姿からは国中の貴族たちを恐れさせている怪盗の風格が滲み出ていた。

 何を隠そう、この者こそがフーケその人だった。

「ちっ! さすがは魔法学院の宝物庫か。こんなに壁が厚かったら自分の魔法では破壊できないか……」

 フーケは足裏から伝わる感触に舌打ちをした。

 『土系統』のエキスパートであるフーケは、足の裏で壁の厚さを測ることができたのだ。

「確かに『固定化』以外の魔法はかかっていないようだ。しかしこれ程厚い壁だと、ゴーレムを使っても破壊は困難……。しかし『破壊の杖』を諦めるわけには……」

 フーケは腕組みをしながら考え続けた。

 

 

     ◆ ◆ ◆

 

 

 フーケが宝物庫のそばで悩んでいる頃……。

 トリスタニアから馬に乗って戻ってきた才人たちを待ち構える者たちがいた。

 魔法学院の門をくぐった先に数人の少年たちが仁王立ちしている。

「待っていたぞ、平民!」

 マントを付けて学生服を着た少年達は口を揃えて言った。その表情には怒りの色が見え、穏やかではない。そして何故か体中が傷だらけだった。擦り傷に切り傷、そして全員が火傷を負っていた。

 

「何か御用でしょうか?」

 平民と言ったからには、用があるのは才人ということになる。

 才人は馬から下りると執事モードで対応する。

「キュルケ嬢のことでお前に話がある」

 キュルケの名前が出たことで才人は思い出した。彼らは昨晩キュルケの部屋にやって来たフクロウ(・・・・)達だったのだ。

 するとここで言う話とは、地球で言う所の「ちょっと体育館裏に来いや!」というアレだろう。

「ルイズお嬢様。申し訳ないのですが、馬の返却をお願いできますか?」

「え、うん」

 建前上才人はそう言ったが、本当の目的はルイズを戦場から遠ざけることにあった。

「それで話というのはここでですか?」

「ふん! どうやら意味はわかっているようだな。ヴェストリの広場まで来い!」

 少年たちは才人が気に入らないのでボコリたい。才人はデルフリンガーの試し斬りがしたい。両者の思惑が一致して話がまとまりかけたとき、それは突然起こった。

「あ~ん、サイトー! 見つけたわ!」

 上空から少女の声がした。一斉に見上げる一同。

「「「きゅ、キュルケ!?」」」

 キュルケは体を大きく開き、自慢の赤髪とスカートの裾をヒラヒラと風になびかせながら落下してきた。

 才人は慌ててキュルケを抱きとめようと両手を前に出した。するとキュルケはその両手にふんわりとおさまった。才人にぶつかる直前に『レビテーション』を唱えたので、誰も怪我はしなかった。

「会いたかったわ。サイト」

 キュルケは才人の首に腕を回して抱きつく。両腕にキュルケを抱えている才人はそれを拒むことができない。

「ミス・ツェルプストー。どうしてあなたが空から――」

 才人はキュルケが降ってきた空を見上げる。すると一匹の青い竜が空を飛んでいた。つまりキュルケはあの竜から飛び降りたのだろう。

 青竜はその背に小さな青いショートヘアーの女の子を乗せて、なおも空中をぐるぐると旋回している。

「「「なっ!? キサマ! その汚い手をキュルケから放せ!」」」

 キュルケが才人に密着しているのを見て少年達が叫ぶ。その目には驚愕、怒気、嫉妬、あらゆる感情が合わさって渦巻いていた。

 しかしこの場で最も激しい怒りを感じていたのは彼らの中にはいなかった。

「ちょっと、何してるのよ、キュルケェェェ!!」

 怒声の主はルイズだった。

 まるで子供を殺された火竜のような眼つきでキュルケを睨みつけたルイズは、素早く馬から飛び降りて猛然と駆け出した。そのスピードはルイズの怒りに当てられて慌てて逃げ出した馬を凌駕する程のものだった。

「サイトから離れなさーーーいッ!!」

 キュルケはちゃっかり才人のお姫様抱っこを楽しんでいた。潤んだ瞳で見つめ、一秒でも長く才人の腕に抱きかかえられようと、頑として動かない。

「こんのォ!」

 ルイズは山猫のように飛び掛り、才人とキュルケの間を裂いた。

 そして別れた二人の間に入ってキュルケに向き直ると、髪の毛を逆立てながら威嚇する。

「シャーーーッ!」

 まるで縄張りを侵された猫のようである。

「おーっほっほ。あらルイズ。ようやく普段のあなたに戻ったようね。やっぱり今朝見たあなたは夢だったようね!」

 ルイズの姿はまさしくいつものルイズだった。今朝の上品で穏やかな姿は欠片も見当たらない。

 そう、ルイズは才人との取り決めで、人前では貴族らしく上品に振舞っていただけなのだった。今朝の出来事はただの演技。そして一晩のオシオキプレイで塗ったメッキなど、燃え上がる嫉妬の前に簡単に剥がれ落ちた。

 その様子を見て、才人は今晩もルイズにオシオキをしなければと、密かに決意した。

 そんな才人の様子に気付かずルイズは叫ぶ。

「キュルケ! 人の使い魔にちょっかい出さないでって言ってるでしょ!」

「あ~ら、ルイズ。それは出来ない相談だわ。恋に身分は関係なくてよ? そうだわ、サイト。あなたにプレゼントがあるの」

 ルイズの怒声をまったく気にした風もなく、キュルケはパチリと指を鳴らす。すると上空の青竜から何かが落とされ、地面に突き刺さった。

 全身が金ピカの大剣。それは才人たちが昼間に武器屋で見た儀礼用の剣だった。

 大地に突き刺さり月光を浴びるその佇まいは、まるでそれを抜いた者こそ選ばれし勇者であると知らしめる、お伽話の中の『伝説の剣』のようであった。

 キュルケは名残惜しそうに才人の腕を離れると、地面に刺さった剣を魔法でひょいとすくい上げ、才人に差し出した。

 伝説は、なんともあっさりと引っこ抜かれた。

「ちょっと、キュルケ! 勝手に使い魔に物を与えないで!」

「いいじゃないの。誰に何を貰おうと彼の自由でしょ」

「良くないわよ! ツェルプストーの者からは豆の一粒だって受け取らないんだから!」

 キュルケはルイズの言葉を無視して才人に詰め寄る。

「ねぇ、サイト。受け取ってくれないかしら? あなたの為に手に入れたのよ。もう、五百エキューもしちゃったんだから」

 ボソッと()金貨だけど……と呟くのを才人は聞き逃さなかった。

 どうやらあの武器屋の親父は心を入れ替えて真っ当な商売を始めたようである。

 しかし何故だろう。一瞬、先端を丸い輪に結んだロープが武器屋の天上からぶら下っている絵が見えた才人だった。未来視? ……まさかね。

「サイト! 受け取っちゃダメぇー!」

 ルイズが拳を握り締めて叫ぶ。

 そんなルイズの声を無視してキュルケは言う。

「うふふ。知ってる、サイト? この剣を鍛えたのはゲルマニアのシュペー卿だそうよ。剣も女もゲルマニアに限るわ。そう思わない? トリステインの女ときたら、このルイズみたいに嫉妬深くて、短気で、ヒステリーで、プライドばっかり高くて、もうどうしようもないんだから」

「な、ぬあんですってーー!」

 ルイズの声が震えている。

「そ・れ・に」

 キュルケは才人の腕を自分の豊かな胸元に押し付けた。

「あんなぺたんこなお子様体型では殿方を満足させられるとは思えないわ」

「な、なな、ななな――」

 ああ、それを言ってはいけないと、才人は心の中で盛大に汗をかく。案の定、ルイズの桃色髪がまるでメデゥーサのヘビ頭のように逆立った。

「あ、ああ、あんたのそれはただの駄肉よ!」

「だ、駄にk!?」

 ルイズは言い切った。そして見下すようにアゴをしゃくってみせる。

「ふん! 知ってる? 才人は大きさより形を重視するんだから」

 お、おい! 勝手に人の性癖をバラすな! と、才人は冷や汗をかく。

 しかしながらキュルケの驚きはそれ以上だった。お子様だと思っていたルイズの口から、まさかそんな言葉が出てくるとは予想してなかったのだ。

 そしてその「私、才人の秘密を知ってますが、何か? あなたは知らないでしょ?」というような余裕の態度がキュルケのプライドを激しく刺激した。

「あ、あんたねぇ――」

 キュルケの赤い髪もまた、怒りのオーラを纏い逆立ち始めた。

 ルイズはなおも攻め続ける。

「あんたなんか結局色ボケなのよ! ゲルマニアで男を漁りすぎて相手にされなくなったから、トリステインに逃げてきたんでしょ!」

「――言ってくれるわね」

 キュルケの眼光が鋭くなる。

「そろそろ決着を付けようかしら、ツェルプストー」

「奇遇ね。あたしも同じことを思っていたわ、ヴァリエール」

 目を吊り上げた二人は同時に怒鳴った。

 

「「決闘よ!」」

 

「――やれやれ」

 お互いに敵意をむき出しにして睨み合う二人に才人の溜め息は伝わらない。と、そこに――

「おい、平民! 聞いているのかッ!」

 今までずっと才人に黙殺され続けてきた貴族の少年達がついにキレた。

「貴様、平民の分際で俺のキュルケと気安く喋りやがって!」

 少年の一人が指を突き立てながら叫ぶ。すると、そこに別の少年が割って入る。

「おい、ちょっと待て、ペリッソン。聞き捨てならないな。誰がお前のキュルケだ! キュルケは僕と付き合ってるんだ」

 少年の一言を皮切りに残りの少年達も次々に言い出した。

「何言ってるんですか、先輩方。昨日キュルケは僕と夜会する約束をしていたんです」

「冗談は顔だけにしておけ、エイジャックス。キュルケの情熱はこの俺に向いているんだ!」

「ギムリ、お前じゃキュルケと釣り合わねぇよ」

「なんだとッ!」

 少年達は口々に言い争いあった。

 そこに一人の少年が仲裁を試みる。

「まぁまぁ、皆様方。ここは一つ間を取って、この『風上』のマリコルヌがキュルケの恋人ということで――『お前は黙ってろ!! そもそもお前は呼ばれてないだろうが!!』――ひぐッ!」

 ぴったりと息が合った。

「はぁー……」

 才人は頭を抱えた。もう、何がなんだか分からない。

 目の前では少年達が出口の無い激しい口論をしていて、見たくもない安いコント劇を披露している。

 ふと横を見ると、こちらはルイズとキュルケが取っ組み合いの喧嘩をしていた。お互いに髪の毛を掴みながら地面の上を転げ、マウントポジションを奪おうともがき続けている。二人とも泥だらけのパンツが丸見えだ。

 さらに別の方向を見ると、どういう訳か先程逃げたはずの馬が戻ってきて広場を激走している。

 余程ルイズの怒気が怖かったのか、混乱した馬は学院の壁に激突しながらも走ることを止めない。

 地面はボコボコだ。

 馬の目はぐるぐる回っていて、口からは舌がだらりと垂れている。

 もしや気絶しているんじゃないだろうかと才人は思った。意識がないまま本能だけで走り続けているような印象だ。

 そんな暴走する馬に『風上』の少年が轢かれた。

「ひぎーーーん!!」

 空高く舞い上がった少年は空中で杖を手放してしまったらしく、『レビテーション』を唱えることができなくなってしまった。すると必然的に落下現象が起こり、そのままグシャっと耳障りな音を残しながら地面にぶち当たった。

「ぶひぇっ!」

 頭から地面に落ちてピクピク動いていたマリコルヌは、やがて泡を吹いて動かなくなった。

 その様子に他の少年達は誰一人気付かず、何事もなかったかのように尚も口論を続けている。

「こうなったら杖で白黒つけるしかあるまい!」

 堀の深い顔のペリッソンと呼ばれた少年が言った。

「一番最後まで残っていた者がキュルケの恋人になる。みんなそれで異論はないな!」

「いいだろう!」

「望むところだ!」

 何故か勝手に話が進む。

 才人はもう勝手にしてくれと、部屋に戻ろうとした。が、しかし、

「じゃぁ、まずはあの邪魔な平民を全員で叩きのめすぞ!」

「「「おおーー!」」」

 少年達が一斉に杖を引き抜き才人に向かって走り出した。

「ちょ、なんでそうなるんだよ!」

 もはや敬語も何も忘れて、才人はどっと疲れた表情をしながらデルフリンガーを鞘から抜いた。

 

   ◆

 

 学院の広場がてんやわんやの大混乱になっているのを、中庭の植え込みの影から隠れて見ている者がいた。フーケである。

「ぷ、ぷぷぷ、ぷあーーーっはっはっはっは!」

 思わず声を上げて笑ってしまったフーケは、これはしまった、自分の存在がバレてしまうと思い、必死に笑いを噛み殺す。

「く、くくっ、ひーっひっひ。くくく」

 それでも腹筋はなかなか言うことを聞いてくれない。なにせ目の前には自分の大嫌いな貴族たちがマヌケなコントを繰り広げているのである。不意を突かれたフーケは完全に笑いのツボに入ってしまったのである。

「う、馬に轢かれ……誰にも気付かれない……ぷ、ぷぷ、く、くくっ、くあーーっはっは!」

 ついにフーケは腹を抱えて転げまわった。

 特に『風上』の少年が空を飛んだ件(くだり)がフーケの笑心を捉えたようだ。

 もう、見つかってもいいや。こんなに面白いものが見れたのなら、今回はもう盗まなくてもいいや、とさえ思うフーケだった。

 

   ◆

 

 植え込みの影でフーケが腹をよじらせていることなど露ほどにも知らない少年たちは、つい今しがた、お気楽な喧嘩ごっこをおっぱじめたところだった。

 そんな少年達と相対した才人は、嫌々ながらも、隙なくデルフを構える。

「これが俺っちと相棒の初陣になるってわけだな。相棒の実力がどれ程のもんか、このデルフリンガー様に見せてくれッ」

「はいはい。まぁ、一瞬で終わるだろうけどな」

 才人はデルフと軽口をかわすと、飛んでくる火の玉や風の刃をひらりと避ける。

 敵の数は五人。三人が後方から魔法を放ってきており、残りの二人は接近戦を仕掛けてくるようだ。

「よっと」

 才人はまず近づいてきた二人をしとめることにした。

 低く身を構えて敵が間合いに入った瞬間に強く地面を蹴る。

「なっ! 速いッ」

 一瞬で近づいてきた二人の横を抜ける。その際、デルフを逆刃に持ち替えて横一文字に振り抜いた。

「ひゃっはー! こいつはおでれーた。こんなに素早い相棒は初めてだね!」

「平賀流、『一文字抜け』――なんてね」

 推進するスピードを利用した胴斬り。普通にやってもそれなりの威力はあるが、そこにガンダールヴのスピードが加われば鬼に金棒。先行した二人の内一人が倒れた。

「あれ? 一人残ってるな」

 手加減したとはいえ悶絶してもおかしくはない一撃だったはずなのだが、一人は未だに立ち続けている。

 よく見ると相手の杖に魔力の光りのようなものが纏いついている。

「デルフ、あれは何だ?」

「ありゃ、『ブレイド』だな。杖に精神力を(まと)って、剣みてぇにしてるんだよ」

 少年の一人は、才人の剣戟を『ブレイド』を纏った杖でガードすることでやり過ごしたのだ。

「へー、そんなことができるのか」

 才人はそれ以上特に気にせず残った一人に斬りかかった。

「ちぃッ、調子に乗るなよ、平民がッ」

 貴族の少年も『ブレイド』で応戦するが、なにせ自力の違いがありすぎる。

 才人が剣の切っ先を軽く跳ね上げると、それに釣られて少年の構えが上擦る。

 そうしてできた隙を狙って才人は横から胴を斬りつけようとする。

 少年は慌てて自分の胴面を守ろうと杖を引くが、それは才人の罠だった。

 才人は横薙ぎの体制からくるりと半回転しつつ上段に構え直し、素早く少年の側面に回りこむ。そして完全にノーガードになってしまった少年の腕先をデルフの背で打った。

「ぐあッ!」

 苦痛に歪む貴族の少年はそれでも杖を手放さない。なんとかして反撃しようと果敢に杖を振るが、デルフの刃がその杖の根元を切り裂いた。

「ばかなッ……『ブレイド』を纏っていたのに……」

 杖は魔法で強化されていたにも関わらずアッサリと切り落とされてしまった。

 切断されて精神力が行き届かなくなった杖の破片は『ブレイド』の輝きを失い、虚しく地面へと落ちていった。

 才人はそれを一瞥すると残りの三人の方へと駆け出した。

「おい! ペリッソンとエイジャックスがやられたぞ!」

「くそう、何だ、あの平民は!」

「さすがギーシュに勝っただけのことはあるか」

 三人は思わずそんなことを呟いた。しかし戦闘中にそんな無駄話をさせてくれるほど才人は甘くなかった。

 三人が予測するよりも圧倒的に早く距離を詰めた才人は、そのままの勢いで攻める。

「イル・フル・ソ――(な、速ッ! 詠唱が間に合わなッ――!)」

 詠唱を終える前に才人は峰打ちで三人の意識を刈り取る。まさに息を飲むほどの早業であった。

 

「ふっ……。また、つまらないモノを斬ってしまった……」

 

 一泊遅れて三人が同時に地に倒れ伏す。

 辺りに夜の静寂が戻った。

 その静寂を破るように、鍔をカチカチ言わせながら凡剣が叫ぶ。

「おでれーた。おでれーたよ、相棒!」

 興奮を隠せないデルフ。

「俺っちは今までに沢山の達人に使われてきたが、おめぇさん程の達人には会ったことがねぇ! おめぇさん、一体、何者なんだ!?」

 才人はデルフを鞘に収めながら言った。

 

 

 

「――なに、ただの使い魔だよ」

 

 

 

 月明かりに照らされた才人の後姿は、見るもの全てを魅了するほど凛としていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、ここで終わっていれば美しい話だったのだが――

 

 

 

「ま、待て、平民……」

 才人が学院に入ろうとしたとき、杖を折られた少年が立ち上がった。その手には先程とは違う別の杖が握られている。どうやらスペアの杖のようだ。

「俺の名前はペリッソン。貴族として、キュルケに惚れた男として、お前みたいな平民に負けるわけにはいかないッ!」

 それを見て才人は辟易する。

「もう、勝負は付いていますよ。それともその杖も折られたいですか?」

「関係ない! 俺は負けない!」

 見るとペリッソン以外の少年達も立ち上がって、杖を構え出した。

「はぁーー……」

 才人は大きく溜め息を付くと、再びデルフを抜いた。

「いくぞッ、お前ら! 俺達の持てる全てを、あのクソ生意気な平民にぶち込んでやれ!」

「「おおッ」」

 少年達は一斉に杖を構えた。その表情はまるでこれから死地に赴く兵士のように鬼気迫るものがあった。

 そして、おそらく次に紡がれる言葉には、彼らのキュルケに対する熱い思いが込められるであろうことが容易に想像できた。

 情熱が。

 譲れない想いが。

 男の信念が。

 まさに魂の叫びとも言うべき究極の詠唱であることは想像に難くない。

「「うおぉぉぉぉ!!」」

 少年達は口を揃えて詠唱を開始した

 

「「「キュルケ、キュルケ、キュルケ、うわぁぁああああああああん!!

あぁあああ…あっあっー! キュルケキュルケキュルケぅううぁわぁああああ!

 あぁクンカクンカ! クンカクンカ! スーハースーハー! いい匂いだなぁ…くんくん、んはぁっ!」」」

 

 一瞬にして空気が凍りついた。

 

「「「キュルケ・フレデリカたんの、燃えるような赤髪をクンカクンカしたいお! クンカクンカ! あぁあ! 間違えた! モフモフしたいお! モフモフ! モフモフ! 髪髪モフモフ! カリカリモフモフ…きゅんきゅんきゅい!

 健康的な褐色の肌をペロペロしたいお! 首筋ペロペロ! 太ももペロペロ! 腋ペロペロ! ペロペロぉぉぉおおお!

 制服の第二ボタンまで開けてるキュルケたん可愛いよぅ! あぁぁああ、あぁああああ! ふぁぁあああんんっ!

 あのおっぱいが! あぁああ、あのプルルンなおぱいが! おぱいがぁあああああ!

 ハァハァ、ハァハァ……ぷるるんが、ぽよよんが、プルンプルンがぁぁああああああ!

 おぱい、おぱい、おぱいぃぃぃううあああぁぁあああああんんんん!

 ハァハァ、ペロペロ! んんふっ、おっぱいペロペロ! おぱいペロペロぉお!

キュルケたんの爆乳ペロペロぉぉぉおおおお!!――」」」

 

 静寂の中で五人の少年達、いや、いつの間にか復活したマリコルヌを加えて六人の少年たちの大合唱は続く。

 

「「「――今日も可愛いキュルケたん! 僕ちんのキュルケたん! 

 ああ? どこを見ているんだい? 僕ちんのキュルケたん! そっちに僕はいない……きゅ、キュルケたん!? そいつは誰だ! その男は!

 ――何!?

 へ・い・み・ん……だと……!?

 ああ、ダメだ! そんな男にキュルケたんが……いやぁああああああ!

 にゃああああああああん!

 キュルケたんの柔らかオッパイがそんな小汚い平民なんかにぃぃいいいいい! ぎゃああああああああ! ぐあああああああああああ! ひぎゃぁああああああああああ!

 これは現実じゃない!

 こんなの 現実 じ ゃ な い……?

 うぁああああああああああ! にゃああああああああん!

 ええ? キュルケたんが平民にプレゼントを……そ、そんなぁあああ! いやぁぁぁあああ! はぁあああん! ハルケギニアぁあああ!

この! ちきしょー! やめてやる! 魔法学院なんか辞めて……え?

 ――見てる?」」」

 

 少年たちの合唱が止まった。

 彼らの目線の先を追うと、そこには青白い顔をしたキュルケがいた。

 喧嘩をしていたキュルケとルイズは、少年達のあまりにもあんまりな姿を目にして、数百年も続く先祖代々の怒りも忘れてその場に呆然と立ち尽くしていた。

 その目に浮かぶは嫌悪。生理的な拒絶感。

 二人はまるでイチゴの代わりにショートケーキの上に乗っかった場違いな“う○こ”を見るかのように、侮蔑に満ちた目で少年達を見ていた。

 だが、そんな軽蔑の視線はこの勇敢なる紳士達には、むしろご褒美と取られてしまった。

 

「「「見てる……キュルケたんが、僕ちんを見てる?

 キュルケたんが僕たちを見てるぞ!

 キュルケたんが蔑む様な目で僕ちんを見てくれているぞ!

 ひゃっほーい! か・い・か・ん!

 よかった……世の中まだまだ捨てたモンじゃないんだねっ!

 いやっほぉおおおおおおお! 僕にはキュルケたんがいる! やったよケティ! ひとりでできるもん!

 あ、あああん! そんな目で見つめらたら、あああん! いやぁああああん!

あっあんああっああんあアン様ぁあ! シ、シエスター! アンリエッタぁああ! ついでにタバサァぁあああ!

 ううっ! 俺たちの想いよキュルケへ届け! ゲルマニアのキュルケへ届けッ!!」」」

 

 

 

 

 

 少年たちの猛々しい『魂の叫び』が終わった。

 

 

 

 

 

「――い、いやぁぁぁああああああああああああああああ!!」

 一拍遅れてキュルケの別の意味での『魂の叫び声』が轟く。

 それを見て少年達は何故かやりきった様な清々しい笑顔になる。そして集まって円陣を組んで喜び合っている。

 もう何もかもが完全に手遅れであった。

 さらに少年達はそれぞれの杖の先を一つに重ねた。そしてそのまま杖を夜空に向かって掲げると、杖の先に光りの球体が現れた。

 

 まさかの合体魔法。

 六人のドットスペル(?)の融合。

 魂のヘキサゴンマジック。

 

 本来ならば血反吐のでるような訓練のすえに、ようやく習得できる高度な技術――合体詠唱。 

 その習得に至るまでの過程を、少年たちの熱く、情熱的な、卑猥でどす黒く醜猥な想いが補って実現した奇跡の結実。

「見よ! これぞ我らが思いの結晶!」

 それはどす黒く、汚物のような色をしていて、ところどころ卑猥なピンク色まで混ざった球体だった。明らかに猥褻物(わいせつぶつ)である。地球であれば間違いなく逮捕されるレベルの。

 その、「みんな、オラに少しずつ猥褻(わいせつ)を分けてくれ!」と言って集めたような『猥褻玉(わいせつだま)』を、このどうしようもない少年達は才人にではなく、あろうことかキュルケに向かって打ち出した。

「届けーーー! 俺達の思いよ! キュルケに届けぇぇええええええええ!!」

「い、イヤァァァアアア!!」

 キュルケはそのあまりの醜悪さに足が竦んで動けない。

 もとは才人を倒す為の魔法だったはずなのだが、いつの間にか、キュルケへの斬新過ぎる求愛行為が始まった。

「ちぃッ! マズイ!」

 才人はいち早く危険を察知し、キュルケと『猥褻玉』の間に入りデルフを構える。

「おい、相棒!? 待ってくれ! 俺っち、あんな汚いのに触りたくなッ――、ぎ、ぎゃぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 『猥褻玉』は凄まじい威力だった。才人とガンダールヴの力を持ってしても抑えきれない。

「ぎゃァァァアアア!! 俺っちの体が腐るゥゥゥウウウウ! ひぐァあああああああ!!」

 それでも何とか『猥褻玉』の軌道をそらすことができた。才人たちの横を抜けたそれは魔法学院の本塔にぶつかり大爆発を起こした。

「「「う、うわああああああああ」」」

 辺りに衝撃波が伝わり、その場にいた全員を吹き飛ばして地面に叩きつける。

「「「がッ!」」」

 砂煙が晴れるまでみんなその場で呻いていた。

「はぁはぁ、何だ、今のは!? それよりルイズ! ルイズ、大丈夫か!?」

 口を布で押えながら才人は叫んだ。

「さ、サイト。大丈夫よ」

「よかった」

 才人は辺りを確認する。ルイズもキュルケも無事だった。本塔には穴が開いているが、それはどうでもいい。自分たちは全員無事だったのだ。

 ほっと息を撫で下ろす才人。危険は去った。

 しかしその代償は大きかった。

 

「……相棒。短い間だったが、楽しかったぜ……」

 

「デルフ? 何を言って――」

 その瞬間。才人の手に握られていたデルフが木っ端微塵に砕け散った。

「――え? で、デルフぅぅぅううううううううううううううううううううううう!!」」

 一瞬何が起こったか理解できなかった。だが次の瞬間には頭が事態を理解する前に、体が本能的に叫び声を上げていた。

 刀身がボロボロと崩れ去り柄だけになった姿を見て、才人はようやくデルフリンガーが死んだことを理解した。

 

   ◆

 

 中庭の植え込みの中から一人の人間が一部始終を見守っていた。黒いローブを纏い、長い若葉色の髪を木の枝に絡ませながら潜伏していたその人は、少年たちのあまりにも残念すぎる現代の若者の恋愛事情にドン引きしながらも、自分の利益になるような情報は見落とさない。

 少年たちの吐き気がする程純粋な想いが、全くもって幸運なことに宝物庫の壁に穴を開けてくれた。

 このチャンスを逃してはならないと、素早く詠唱を終え、杖を地面に振り下ろした。

 すると即座に地面が盛り上がり、巨大な土のゴーレムが生み出された。

 

  ◆

 

 才人の消え入りそうな声が、かすかに風に伝わった。

「あ、ああ……デルフ……」

 無理もない。

 この世の全ての悪を集めて作られた『アンリマユ』が小川の清水に見えるほどに濁りきった『猥褻玉』を、正面から受け止めたのだ。

 声色から察するに、男であるデルフリンガーに耐えられる道理はなかった。

「デルフぅぅぅうううッ!」

 才人は必死になって地面に落ちたデルフの欠片をかき集める。しかしそんなことをしてもデルフが蘇るわけではない。

 出会って間もないというのに、どこか自分に似た雰囲気を持つ剣を、才人は気に入っていた。それがまさかたった一回の戦闘で失うとは……。

「サイト……」

 ルイズが慰めようと才人に近づく。

 と、その時だった。

「「きゃぁぁぁあああああああ!」」

 ルイズとキュルケは思わず悲鳴を上げた。それを聞いて、すぐに才人は反応する。

「ルイズ、どうした!?」

「あ、あれ!」

 ルイズが指差す方向を見ると、そこには巨人がいた。いや、正確には土でできた巨大なゴーレムだった。

「なんだ、あれは!?」

 才人は我が目を疑った。

 巨大なゴーレムが自分たち目掛けて迫ってくる。

「二人とも逃げろっ!」

 しかし彼女らは突然の出来事に茫然自失。ペタリと座り込んだまま動けない。

「くっ――」

 才人はルイズ抱えてその場を離れようとした。しかしそこにはルイズだけでなく、キュルケまでもが硬直している。

(マズイ!! 二人を連れて逃げるのは間に合わない!)

 ゴーレムの足はすでに振りかぶられている。間に合わない。

 才人は一人を見捨てる非情な選択を迫られた。

 と、そこに突然タバサの風竜が滑り込み、両足でキュルケを掴むと、地面すれすれの低空飛行ですりぬけた。上空で旋回を続けていたタバサの風竜がキュルケを救出。それを視界の端で確認した才人はルイズを抱えて横に飛び退いた。

 次の瞬間、才人たちがいた場所をゴーレムが踏み潰した。

 あと少し行動が遅れていたら、三人ともぺしゃんこに潰されていた。才人は心の中で風竜とその主人に感謝する。

 が、しかし、

「ああっ――、デルフッ!」

 デルフリンガーの破片は間に合わなかった。ゴーレムの下敷きとなり、土の中に埋もれてしまった。

「おのれェェェッ! 土くれ野郎がァァァ!!」

 才人は歯をむき出しにしてゴーレムを睨みつける。

 ゴーレムはそのまま前進を続け、やがて学院本塔のそばまで辿り着いた。よく見ると巨大なゴーレムの肩の上に人が乗っていた。全身を黒いローブでスッポリと包んでいて、顔は見えない。が、才人にはデルフを踏みつけられた怒りから、そのゴーレムの主が薄ら笑っているように感じた。

 ゴーレムの主は穴が開いた壁から本塔の中に入っていった。

 一メイルほどの長さの箱を持ってすぐに出てくる。そして再びゴーレムの肩に乗ると、今度は来たときとは逆側に向かってゴーレムを歩かせた。

 ゴーレムは魔法学院の城壁を一跨ぎで乗り越え、ずしんずしんと地響きを立てながら草原を進んでいく。

 しかしその背を睨む少年がいた。

「待てよ……土人形」

 才人だ。

 学院の外までたった一人で追って来た才人は黒い髪をなびかせ、蒼い瞳で睨みつける。

 そして左手を自分の前に出して掌を上に向けた。すると掌の上にバレーボールくらいの大きさの赤い球体が現れる。

 これは超自然的な力、つまり超能力。

 普段から敬語で喋るイケメン同級生から教わった、対巨人専用の破壊魔法。

 本来なら閉鎖空間という隔絶された空間でしか使えないこの能力は、何故かハルケギニアでは普通に使えた。もっとも才人はそれを知らなかったが、怒りから無意識のうちに体が動いて、後からその事実に気付いたのだった。

 才人はその高密度に凝縮された破壊エネルギーの塊である赤球を空中に放り投げた。そしてバレーボールのサーブのようなフォームで赤球を打ち放つ!

 

「ふんもっふ!!」

 

 怒りのふんもっふ!

 

 独特の掛け声から打ち出された赤球は、その軌道を寸分も違えずに巨大ゴーレムに着弾する。

 その刹那――

 

 激雷が直撃したかのような、鼓膜が破裂せんばかりの轟音が鳴り渡った。

 

 崩れ落ちる土のゴーレム。

 瓦解してなお炎上する。

 

「……デルフ」

 

 

 

 闇夜の草原で土の小山が異様に燃え盛っていた。

 その炎の揺らめきを、才人はただただ無表情に見つめた。

 




 がんッ! がんッ! がんッ! がんッ!
(↑作者が机に額を打ち付ける音)

 ち、違うんだ! ほんとは書き直すつもりだったんだ! でも、物語の展開上どうしても削れなかったんだ!

 どうして過去の私はこんな展開を選んだんだろう。
 自分のことなのに、理解できない(=△=;


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第8話 オスマンの戸惑い


 さて、黒歴史は去った!
 これから1巻のクライマックス、フーケ編に突入です。

 今回は頭脳戦?(笑)です。しかも無駄に長い。13638文字(汗

 評価やお気に入り登録など、ありがとうございます(≧ω≦)ノ


 

 翌朝――。

 トリステイン魔法学院では、昨夜から蜂の巣をつついたような騒ぎが続いていた。

 学院内に賊、それも昨今ちまたを騒がせている『土くれ』フーケの侵入を許し、あまつさえ宝具『破壊の杖』を盗まれたのだ。

 学院創設以来の大失態である。

 宝物庫に集まった学院中の教師達は、壁に開いた大穴を見て茫然とした。

『破壊の杖、拝領したしました。土くれのフーケ』

 穴の横にはこう刻まれていた。

 そのふざけた犯行声明を見て教師たちは殺気立った。

「土くれのフーケ! 貴族たちの財宝を盗みまくっている盗賊か! 学院にまで手を出しおって!」

「ばかな! 一体どうやって壁を破壊したのだ! 強力な魔法で守られているはずではないか?」

「巨大なゴーレムを見た生徒がいるそうですぞ」

「なんと!? ではそのゴーレムで強引に――」

 教師たちは口々にわめき散らした。まさか学院に宝物庫が狙われ、あまつさえ突破されるなどとは誰も想定していなかったのだ。

 そのうち自分たちの責任問題になることを恐れた誰かが血走った目で叫んだ。

「衛兵は何をしていたのだ!」

「衛兵など所詮平民、あてになどならん! それより当直の教師は誰だったのだ!」

 教師の一人であるギトーが叫んだ。

 ギトーは昨晩騒ぎを聞きつけてから、オスマン学院長の指示で一晩中宝物庫の見張りを行っていた。なにせ宝物庫には『破壊の杖』以外にも貴重な魔法具が数多く保管されているのである。いつフーケが戻ってくるか、あるいは別の賊がこの機に攻めて来るかわからない。

 寝不足のせいでイライラした口調で怒鳴るギトーに一人の女性が震え出した。

「ミセス・シュブルーズ! 昨日の当直はあなたではありませんでしたか!」

 一人の教師がさっそくシュブルーズを追及し始めた。学院長が来る前に責任の所在を明らかにしようという魂胆である。

「も、申し訳ありません……」

「謝って済む問題ではありませんぞ! 昨晩は何をしていたのですか!」

「――自室で寝ておりました……」

 シュブルーズはボロボロと泣き出した。

「泣いたってお宝は戻ってこないのですぞ! いったいどう責任を取るお積りですか!」

「申し訳ありません、ううぅ……」

 そのままシュブルーズが床に崩れ落ちたとき、オスマン学院長が遅れて現れた。

「これこれ。女性を苛めるものではない!」

 シュブルーズを詰問していた教師がオスマンに訴える。

「しかし学院長! ミセス・シュブルーズは当直をサボって自室でぐうぐうと寝ていたのですぞ! 責任は彼女にあります!」

 オスマンは長い眉毛をねじりながら教師達を見回して言う。

「この中で真面目に当直をしておった者は、何人おるかの?」

 教師達は誰一人名乗り出なかった。皆、顔を背けてバツが悪そうに俯いた。

 魔法学院が賊に襲われることなど、誰一人として考えもしなかった。なにせここにいるのはメイジばかり。誰が好き好んで虎穴に入るのだろうか。

 そう思うことはある意味当然の帰結だった。

「これが現実じゃ。責任があるとすれば、我々全員じゃろう」

 オスマンは壁にぽっかり開いた穴を見つめた。

「この通り、賊は大胆にも壁を破壊し、お宝を奪いおった。つまり我々は油断しておったのじゃ。ミセス・シュブルーズにのみ責任があるとは認められんの」

 シュブルーズは感激してオスマンに抱きついた。

「おお、オールド・オスマン! あなたの御慈悲に感謝いたします!」

 オスマンはそんなシュブルーズを抱きとめると、さりげなく彼女の尻を撫でた。

「ええのじゃ。ええのう。ハァハァ……」

 これがオスマンの狙いだった。

 弱った女性を庇って心の隙間をこじ開ける。そしてその一瞬の隙を狙って目的を遂行する。

 シュブルーズからしてみれば、オスマンはこの場で唯一自分の味方であり、決して敵対してはいけない存在。そんなことをすれば全員が自分の敵になってしまう。もしオスマンの不興を買えば、学院長の権限で全ての責任を押し付けられることもありうる。だから例え堂々と尻を撫でられても、それに強く反発することはできないのだ。今このときは。

 そんなシュブルーズの危機的な状況を利用して、オスマンは思う存分尻を撫で回すのだった。

 女性の弱みを握って堂々とセクハラをする。

 しかも衆人観衆の目の前での公開プレイである。

 

 やはりこの老人、極めてレベルの高い紳士であった。

 

「オホン」

 さんざん尻を楽しんだオスマンは軽く咳払いをする。

「それで、犯行現場を見ていたのは誰じゃね?」

 オスマンが尋ねるとコルベールが答えた。

「はい。その者たちを学院長室に待機させております」

 教師ではない人間を宝物庫に入れる訳にはいかないので、当然の処置だった。

「では向かうとするかの、コルベール君」

 オスマンは教師達に見張りの順番を指示した後、コルベールを連れて学院長室へ向かった。

 

   ◆

 

 オスマンとコルベールが学院長室に戻ると、そこにはルイズに才人、それとキュルケにタバサが待機していた。

 学長席に腰掛けたオスマン。すぐに事件の聞き込みが始められる。

「この三人が目撃者です」

 コルベールがさっと前に進み出て少女たち三人を指差した。実際にはその後ろに才人もいるのだが、使い魔である才人は公式の場では数に入らない。

「ふむ……。きみたちか」

 オスマンは長い白髭をさすりながら生徒たちを見回す。しかし一番興味深く観察したのは少女達ではなくその後ろの少年だった。

「実は他にも男子生徒たちが数名現場に居合わせたようですが、全員意識が戻らず寝込んでおります」

「なんじゃと! それはどういうことじゃ?」

 ルイズが進み出て、驚くオスマンに説明した。

「実は昨晩……――――」

 

   ◇

 

「なんじゃと! ではあの宝物庫の穴は、今寝込んでいるその男子生徒らが開けたと言うのかね!?」

 話を聞くなりオスマンは頭を抱えた。

「――はい」

 ルイズは引きつった表情で肯定した。キュルケは昨日のことを思い出したのか、肩を抱きしめてブルブルと震える。タバサは相変わらずの無表情。

「まずい事になったのう……」

 オスマンは極めて遺憾な表情をした。

 ルイズの話を聞く限りでは、フーケは単独で壁の破壊はしていない。

 それはフーケに壁を破壊するだけの能力がないのか、それとも破壊する能力はあっても何らかの事情でそれをして来なかったのか。

 現時点でそれらを判断することはできないが、仮に前者の場合だったとする。

 すると厄介な可能性が二つほど出てくるのだ。

 

 一つは生徒たちの中に壁を破壊してフーケの手助けをした者がいる可能性。

 しかしこの可能性は極めて低いと思われる。話を聞く限りでは六人の男子生徒たちは皆ドットかラインのメイジ。それが偶然、ロマリアの聖堂騎士団も真っ青な合体魔法を行ったというのだ。

 あの六人全員がフーケの手先などとは考えにくい。

 また仮にそうだったとしても、六人が魔法で狙ったのはキュルケ嬢。それをヴァリエール嬢の使い魔の少年が弾いてたまたま宝物庫の壁に当った。

 どう見ても偶然の産物だった。

 

 だとすると……。

 

「それでフーケはどっちの方角へ逃げたのじゃ?」

「そのことなのですが……」

 ルイズは言いにくそうな表情をしながら振り返り、才人を見る。つられてオスマンとコルベールも才人を見る。

「そこの使い魔君が何か知っておるのかね?」

 オスマンに促されて才人は口を開いた。

「発言しても宜しいでしょうか?」

「うむ。申してみなさい」

「感謝します。では……」

 才人は唾を一飲みしてから話し出した。

「『土くれ』のフーケを乗せていたと思わしき巨大ゴーレムですが、学院の敷地外の平原にて、わたくしが破壊しました。後ほど土くれの残骸をご確認下さい」

「――なんじゃとぉ!?」

 オスマン、それに加えてコルベールまでもが目を大きく見開いた。

「え!? ちょっと、何それ? 聞いてないわ!」

 キュルケは驚いて才人に振り返る。

 昨晩ドでかい爆発音があったことは知っているが、それが才人によるものだとは知らなかったのだ。

「それじゃ、あの時の爆発はサイトがやったの!?」

「はい」

 それを聞いてキュルケは才人に抱きついた。

「あぁ~ん! あのゴーレムを一人で倒しちゃうなんてスゴイわ、サイト! いえ、ダーリン!」

 その大きな胸を才人の胸板に押し付ける。

 当然ルイズは激昂する。

「キュルケッ! 誰があんたのダーリンですってッ!!」

 そして再び乱闘が始まろうとした時、

「おほん!」

 才人らの様子を羨ましそうに見ていたオスマンが咳払いを一つして場を沈める。

「し、失礼しました」

 キュルケとルイズはここが学院長室であることを思い出したようだ。

 そんな空気をかき消すように今度はコルベールが言う。

「信じられません! フーケのゴーレムはトライアングルクラス以上の使い手が作った、全長三十メイルを超えると言われる強力なモノです。王宮の魔法衛士隊ですら歯が立たないというのに、一体、どうやって?」

 コルベールが興奮してまくし立てる。

「その――、詳しくは話せないのですが、わたくしの国の魔法で、ハルケギニアの魔法とは別の魔法と言いますでしょうか……」

 才人は口をにごらせる。下手なことを言えば異端だ、などと言われかねない。

「……ふむ。軽々と言えることでないのなら、無理に言わんでも結構じゃ」

「ご配慮、痛み入ります」

 オスマンはコルベールに向き直って言った。

「コルベール君。その現場を調べなさい。何か手掛かりがあるやもしれん」

「はい」

 オスマンはその残骸を確認するようにコルベールに指示を出した。もしそこにフーケの死体や破壊の杖があれば事件は解決する。

 もしなければ……。

 と、そこでオスマンはあることに気付く。

 朝からとある一人の人物の姿を見ていないことに。

「ときにコルベール君。ミス・ロングビル君はどこにいるのかね?」

「それが……、朝から姿を見た者がいないようです。この非常時に、いったい何処にいったのでしょうか?」

「ほう……」

 オスマンは眉を顰めた。

 それは先程脳裏をよぎった厄介な可能性の二つ目。

 もし男子生徒たちがフーケとグルでないのなら、フーケはどうやって宝物庫の壁が壊れたことを知りえたのか?

 ある日、たまたま学院に潜入したら都合良く学生の合体魔法が暴走する……。そんな偶然があるわけがない。そもそも偶然合体魔法が発動すること自体が前代未聞だ。

 だとすると、フーケは単独でこの学院に潜入し、常に犯行の機会を伺っていたと考えるほうが自然である。

 しかしそうなると……。

「むぅ……」

 オスマンは両目を力いっぱいに閉じて唸る。

 フーケが潜入しているとすると、そやつは日常的に学院にいても怪しまれない人物でなければならない。

 それはすなわち、自分が見知った人物の中に『土くれ』のフーケがいることを意味していた。

 そしてその容疑者の最有力候補が、現在姿の見えないロングビル秘書である。

「まさかのう……」

 口では疑うも、オスマンの心の中では益々その説が有力視されていった。

 使い魔の少年の魔法で死んでいても、あるいは生き延びていても、フーケがこの学院に戻ってくることはないだろう。

 もしフーケの正体がロングビルなら、彼女はもう二度と学院の門をくぐらないだろう。

 そうなれば――、もはや決定的である。

 オスマンがそう考えを纏めたとき、唐突に学長室の扉がノックされた。

「誰じゃ?」

「失礼します。ロングビルです」

「何じゃと!?」

 一瞬オスマンは我を忘れてイスから立ち上がった。

 

 まさか自分の予想が外れていたのか?

 いや、そんなはずは――。

 もしや、フーケは本当に単独で壁を破壊できる能力を有していて、それが偶然合体魔法の暴走とういう珍妙な事件と重なったことで、自分の思考が間違った方向に流れたのか?

 いやいや、そんなはずはない。状況的にみて怪しいのはやはりロングビルである。

 しかし、だとすると、何故彼女はこの学院に戻ってきたのか?

 もっともらしい理由は思いつかない。

 

 オスマンの取り乱した姿に、部屋中の人間が驚いた視線を向けていた。

 それを見てオスマンは一旦思考を止めて慌ててイスに座りなおし、平静を装いながら声をかけた。

 結論を出すのはロングビルの話を聞いてからでも遅くはない。

「おほん! 入りなさい」

 ロングビルが入室するとコルベールが興奮した様子でまくし立てた。

「ミス・ロングビル! どこに行っていたのですか!? 大変な事件が起こりましたぞ!」

 そんなコルベールにロングビルは落ち着いた態度で言った。

「申し訳ありません。朝から急いで調査をしておりましたの」

「調査ですと?」

「ええ。今朝方、起きたら大騒ぎじゃありませんか。それで宝物庫を見るとフーケのサインを見つけたので、これが国中の貴族を震え上がらせているフーケの仕業と知り、すぐに調査を開始しました」

「……仕事が早いのう、ミス・ロングビル。それで何かわかったかね?」

 オスマンが鋭い目をしながら続きを促す。

「はい。フーケの居場所がわかりました」

「なんですとぉ!」

 コルベールが素っ頓狂な声をあげた。

「誰に聞いたんじゃね?」

「はい、近在の農民に聞き込んだところ、近くの森の廃屋に入っていった黒ローブの男を見かけたそうです。おそらくその男がフーケで、廃屋が彼の隠れアジトではないかと」

 それを聞いてルイズが叫ぶ。

「黒ローブ? それはフーケです! 間違いありません! 生きていたのですね」

 才人は一瞬顔を曇らせたが、すぐにもとに戻した。

 オスマンも同様に困った顔をしたが、何事もなかったようにロングビルに続きを促す。

「そこは近いのかね?」

「はい。徒歩で半日、馬で四時間と言ったところでしょうか」

 それを聞いた瞬間、オスマンと才人の目線が不思議と重なった。目が合っただけでお互いの言いたいことが一致していることが理解できる。

 と、そこにコルベールが割って入り、オスマンに叫んだ。

「すぐに王室に報告しましょう! 兵隊を差し向けてもらわなければ!」

 オスマンは首を振り否定する。と同時に自分が早まった行動を取ろうとしたことを思い留まった。

 ロングビルの発言は明らかに不自然な点があった。だがしかし、まだ決定的な証拠がない。今問いただしても「言い間違いでした」と逃げられてしまう。

 言い逃れのできない確かな証拠が欲しいところだ。

 それにしても、このツルッパゲな男は何故気付かんのだと、若干イライラ成分を滲ませながらオスマンは怒鳴った。

「ばかもの! 王室なんぞに知らせている間に、フーケに逃げられてしまうわい! それに、良く考えてみよ! 王室になんと報告するつもりじゃ? まさか、魔法学院の宝物庫が破られて、無様にも宝を奪われたなどと言うつもりではあるまいな! もしそんなことを言えば学院の信用は失墜するのじゃぞ! わかっておるのか!」

 老人とは思えない迫力であった。

「申し訳ありません。私の思慮不足でした」

「これは魔法学院の問題じゃ。身に降りかかる火の粉は己で振り払う。フーケ捜索隊は我ら魔法学院から出す。他言は厳禁じゃ。皆も良いな!」

 オスマンの迫力に圧されて、部屋中の人間が何度も首を縦に振った。

「あの、オールド・オスマン」

 ルイズがおもむろに口を開いた。

「なんじゃね、ミス・ヴァリエール」

「私はその捜索隊に志願します!」

「ちょっと、ルイズ!?」

 キュルケが慌てて遮る。

「ふむ、何故じゃね?」

「もとはと言えば、今回の事件は私達が広場で喧嘩をしていたのがことの発端です。ですから、責任を取らせてください!」

「ルイズ、あなた……」

 

 ルイズは今回の窃盗事件に少なからず責任を感じていた。自分達のバカな喧嘩から宝物庫に穴が開き、結果的にフーケの手助けをしてしまった。

 いち貴族として、このまま黙って何もしないでいるなど、ルイズには出来ないことだった。

 

 そんなルイズの凛とした貴族たらんとする姿に、彼女のライバルであるキュルケも触発される。

「そう、ね。確かに私達には責任の一旦があるわ。わたくし、キュルケ・ツェルプストーも捜索隊に志願しますわ!」

 キュルケは杖を掲げた。それを見てルイズも遅ればせながら杖を掲げる。

 そしてもう一人、青い綺麗な髪の無口な少女も静かな動作で杖を掲げる。

「タバサ! あなたはいいのよ。喧嘩に加わってなかったんだから」

 キュルケが止めるが、タバサは短く答えた。

「心配」

 キュルケは感動してタバサに抱きつく。ルイズも唇を噛み締めてお礼を言った。

 少女達の間に小さな友情が芽生えた瞬間だった。 

 と、そこにコルベールが困惑しながら待ったをかける。

「お、お待ちなさい! あなたたちは生徒ではありませんか! 危険です!」

 コルベールがオスマンを見ると、彼は頭の中で必死に何かを計算しているように考え込んでいた。

 一呼吸するくらいの間考え込んだオスマンは、やがて微笑みながら言った。

「よかろう。そなたたち三人、正確には使い魔の少年を入れた四人に、フーケの捜索を頼むとしよう」

「お、オールド・オスマン!」

 コルベールが叫ぶ。

「わたしは反対です! 彼女らはまだ学生です!」

「まぁまぁ、コルベール君。わしとて何の勝算もなく決めたわけではない。そこのミス・タバサは若くしてシュヴァリエの称号を持つ騎士だと聞き及んでいるが――」

「なんと!」

 コルベールは驚いてタバサを見つめる。

「本当なの、タバサ!?」

 キュルケが驚き尋ねると、タバサは静かに首肯した。

 

 みなが驚くのも無理は無い。『シュヴァリエ』の称号は、王家から与えられる称号の中では最下級だが、純粋に実績のみに対して与えられる特別な称号なのだ。

 男爵や子爵なら血統によって受け継いだり、あるいは国によっては買うこともできる。が、このシュバリエだけはそれができない。

 実力者のみが手にできる称号なのだ。

 それをタバサのような幼い少女が保持していることは、通常では考えられないことだった。

 

「おほん……」

 オスマンは続けた。

「それに、ミス・ツェルプストーはゲルマニアの優秀な軍人を数多く輩出した家系で、彼女自身も『火』のトライアングルじゃ」

 キュルケは優雅に髪をかき上げた。

「それと……」

 ルイズは今度は自分の番だと、可愛らしく腰に手を当てて、ない胸を張っ――、ん゛んっ、――見方によっては魅力的な胸を張った。

 しかし彼女を褒め称える言葉はなかなか訪れない。

「その、ええと……」

 オスマンは笑顔を保ちながらも、額から汗が浮き上がる。褒める所が見当たらなくて困っているのだ。

「その……、ミス・ヴァリエールは数々の優秀なメイジを輩出したヴァリエール公爵家の息女で、その、うむ、なんだ、将来有望なメイジだと聞いている気がしないこともないような気がしなくもないではないが……」

 困り果てたオスマンはふとルイズの横を見ると黒髪の少年が見える。

「そ、そうじゃ! そしてその使い魔は、平民でありながらグラモン元帥の息子を決闘で倒したそうじゃ。メイジの実力を見るには使い魔を見よという格言があるじゃろ? じゃから、つまりはそういうことじゃ!」

 なんとかまとめた。一人の少女の尊い犠牲と引きかえに。

 ルイズの、目尻に雫を溜めた笑顔がなんとも痛々しい。

 

 才人はその様子を見て、ルイズを泣かせたジジイに後で報復しようと決意する。

 しかしそれとは別に、才人はルイズの行動に何か引っ掛かりを覚えた。今はまだはっきりとは判らないが、何か不自然なシコリのような……。

 しかし、先に案じなければならない案件がある。これは才人にとってゆゆしき事態であった。

 才人にとってはお宝やら学院の面子やらはどうでもよく、ルイズの安全を何よりも優先させたいところである。

 できればこの捜索隊にルイズを参加させたくはないのだが、ルイズが自分から言い出した手前、今更行くなとは言えない。

 そういう訳で、才人は一計を案じることにした。

 

「失礼、学院長殿」

「――? 何じゃ?」

 才人は自然な雰囲気で話し出した。

「森を捜索する前に例の場所を調べてはいかがでしょう?」

 オスマンは才人が言ったことを思案する。

 

 ――――今この場で才人が勝手に発言することは本来ならば不敬にあたる。もっとも先程自分が発言の許可を出したので、その延長と考えることもできるが、見たところこの使い魔の少年は礼儀を弁えている。その少年が理由も無くでしゃばったことをするとは思えない。

 だとすると、何か狙いがあることになる。

 少年は例の場所と言った。

 例の場所とはどこか?

 話の流れを思い返してみると、最初に少年がフーケのゴーレムを破壊した話しを思い出す。

 そこでオスマンは気付いた。

 そうか、この話、つまりフーケのゴーレムを少年が破壊した事実を知っているのは、今この部屋の中で三人の女生徒とコルベール君だけ。ミス・ロングビルは知らないハズじゃ。

 少年はこれを利用してミス・ロングビルに揺さぶりをかけて、あわよくばボロを出させようというのじゃろう。

 もしミス・ロングビルが『フーケのゴーレムの残骸』や『少年がゴーレムを破壊した』などの知りえない情報を漏らせば、それを状況証拠として捕縛できる。

 なるほど、それで『例の場所』と曖昧な言い方をしおったのか。これがもしゴーレムの残骸などと明確に言ってしまえば、罠は成立しなくなってしまう。

 この少年。とんだくわせ者じゃわい!

 

 そう、才人はロングビルに罠を仕掛けるチャンスがあると、知らせたのだ。あらかじめ対策を練っていなければうっかり嵌ってしまうような罠が。

 それはオスマンからしてみれば絶妙なアシストだった。上手くいけば生徒に危険な任務を命じなくて済む。

 オスマンとて生徒にフーケ捜索の任を命じるのは不本意だった。 

 だがしかし状況がそれを許さなかった。現在学院で戦闘をこなせて、尚且つフーケに対抗できそうな教師はギトーとコルベールのみ。そのギトーは一晩中宝物庫の見張りで疲労しており、すぐには動けない。残るはコルベールだが、彼には別件を頼もうと思っていた。使える人材がいないのである。

 やむを得ず、フーケのゴーレムを破壊したという少年を保険に付けて、リスクを減らした上での妥協案だった。

 

 オスマンは一瞬のうちに考えを纏めると、ロングビルに尋ねた。

「ところでミス・ロングビル。聞き込みをしていた時に何か他に事件に関係ありそうなモノは見かけなかったかね?」

「――? 事件に関係ですか……? そう言えば学院の外に土が積まれた場所がありました」

 掛かった! と、オスマンは内心ガッツポーズをする。

 土が積まれていれば確かに不自然だが、それが事件に関係するかどうかは判るはずがない。もちろんロングビルが言っていることに不自然な点はない。しかしこういう確信がない情報は普通、「事件に関係するかどうかは判りませんが、○○が不自然でした」などと、冒頭に断りを入れるものだ。

 オスマンはその僅かなニュアンスの違いを見逃さなかった。

 長い年月を生きてきた経験が、ほんの髪の毛先ほどの違和感に敏感に反応したのだ。

 冒頭に断りを入れなかったのは、それが改めて自問する必要のない確信的な情報だからだ。つまりロングビルはあれがゴーレムの残骸であることを知っているに違いない。

 オスマンは直感的に確信した。

「ほう、どのような状態だったのかね? 詳しく説明しなさい」

「は、はい! ええと、土が盛られていて、全体が焦げていました。おそらくゴーレムが破k『おおー! そうでした! わたくしは使い魔君が破壊したフーケのゴーレムを調べなければならないのでした!』――ッ!?」

「「――なッ!? (ツルベーーーーーーール!!)」」

 オスマンと才人が揃って声にならない声を上げた。

 ロングビルが今まさに犯人しか知りえない情報を暴露しそうだったときに、コルベールが思い出したように大声で独り言を言いやがったのだ。

 しかもこちらの手の内を全て曝け出してしまった。

((あ、ああ、あのハゲ! ハゲ! ハゲェェェええええええええ!!))

 何という事だろう!

 オスマンと才人は思わず天を見上げた。見上げた先には当然天井が虚しく広がっていた。

 才人の絶妙アシストでオスマンが神ゴールを決めるはずが、一人のハゲが逆に自分のゴールに華麗なダイビングヘッドでオウンゴールを突き刺しやがった様なものだ。そのあまりにも眩しすぎる頭頂部で……。

「あら、そうでしたの? あの土砂は使い魔さんが壊した物だったのですか」

 ロングビルはもうボロは出さなかった。無難な言葉だけを使い、徹底的に守勢にまわった。もう、情報は出てきそうにない。

「はぁ……。それではその現場には『破壊の杖』はなかったのじゃね?」

「ええ。そうですわ」

 オスマンが投げやりに話を終えた。

 絶好のチャンスは不発に終わった。

 

「では、改めて諸君らにフーケの捜索を頼むとしよう」

 オスマンはゴホンと一つ咳払いをして気持ちを切り替えた。

「諸君らの勇気と貴族の義務に期待する」

 ルイズとキュルケとタバサは真顔になって直立し、「杖にかけて!」と唱和する。そしてスカートの裾をちょこんと摘み、恭しく礼をした。

 才人は胸に手を当てて軽く礼をする。間違ってもルイズたちの真似をしてスカートを摘もうとしたが穿いていないので、代わりに上着の裾を掴んで、女の子専用のポーズをとることなどありはしない。そんなヤツがいたら見てみたいものである。(原作223ページ)

「それでは馬車の用意をしますわ」

 ロングビルが言った。オスマンは一拍置いてそれを了承する。

「――うむ。頼むぞ、ミス・ロングビル」

 これが彼女にかける最後の言葉になるやもしれぬ、と思いながらも、オスマンの声音は努めて平常な、普段と何の変わりもないものだった。

 

 こうしてフーケ捜索隊は結成されるのだった。

 

   ◆

 

 才人たち四人とロングビルが退室し、学院長室にはオスマンとコルベールのみとなった。

 室内に静寂が戻る中、オスマンは低い声で言った。

「コルベール君。彼らを尾行しなさい」

 一瞬間を開けてコルベールが質問する。どこか苦笑いをしながら。

「……。それはつまり、フーケが現れたら生徒たちを守れということですね?」

 オスマンは首を横に振った。

「訂正しよう。ミス・ロングビルを監視しなさい」

 今度こそコルベールは真面目な顔になった。

「――どういう事でしょうか?」

「わからんかね? ミス・ロングビルは明らかに不自然なことを言っておった」

「と、言いますと?」

 オスマンは自分で言っていて「そりゃ、わからんだろうな。あの少年の意図を見事に潰したのじゃから」と心の中で呟く。

「彼女は明け方起きて調査を開始したと言った。しかし調査の結果判明したフーケの隠れ家は、徒歩で半日・馬で四時間の距離にあると言いおった。コルベール君。今は何時じゃ?」

「今はまだ午前中……」

 言いながらコルベールはハッっとなる。

「馬で四時間、往復八時間の距離を、彼女はどうやって朝起きてから今までの間に移動したと言うのかね?」

 コルベールは震え出した。

「では、彼女は嘘を言っている……と?」

「そう言う事になるの」

「す、すぐに生徒たちに知らせないと!」

 後ろを振り返り走り出そうとするコルベールの肩をオスマンが掴む。

「待ちなさい!」

「し、しかしこの事をすぐに知らせないと、彼女達が危険です! ミス・ロングビルはフーケと繋がりがあるかも知れないのですぞ!?」

 オスマンはコルベールを無理やり自分の方に向き直らせる。そして静かな声で言った。

「そのミス・ロングビルがフーケである可能性が高いのじゃ」

「なん……ですと……?」

 コルベールの驚きようは凄まじいものだった。まるで今自分がいるのは夢の中だと錯覚しているかのように、瞳をぐるぐると回す。頬をつねって顔をしかめた後、これが現実だと再認識したようである。

「そんな、ミス・ロングビルがフーケですと? 何かの間違いでは?」

「あくまで可能性じゃがな。状況から見て、まず間違いないじゃろう」

「で、では、何故彼女は学院に戻ってきたのですか? 『破壊の杖』を持ってそのまま逃げるべきでは?」

 混乱する中でコルベールが発した言葉は、意外にもこの事件の最大の謎に迫るものだった。

「――それが、わからんのじゃ」

「わからないって……。ハッ! まさか、宝物庫にある他の宝を盗むために!?」

「それはわしも真っ先に考えたのじゃが、その可能性は低いじゃろう。もしその気があるなら、わしらの前に出て来ることはないはずじゃ」

「確かに。では、何故? もしや、生徒たちを人質にとるつもりじゃ!?」

 珍しくコルベールの思考は冴える。その頭の回転の速さを、どうして先程発揮できなかったのかと、オスマンは思わず頭を抱えた。が、しかし、

「それもないじゃろう。身代金目的で生徒を攫うなら、闇夜に紛れてこっそり行えばいい。やはり、わしらの前に出る必要がない。そもそもフーケは、お宝は盗めど人攫いはせん」

「では何故……?」

「わからんから、君に尾行を命じたのじゃ」

「なるほど――、って学院長!!」

 コルベールは突然雷に打たれたかのように猛烈な勢いでオスマンに詰め寄った。

「それでは、学院長はミス・ロングビルがフーケだとわかっていながら、生徒たちにフーケ捜索の任を命じたのですか!」

 オスマンは一瞬言葉を詰まらせた。

「――、そうじゃ」

 コルベールは膝が折れそうになるのを必死に堪える。

「なんという事を……。一体何故、そんな危険なことを命じたのですか!!」

 ――それはお前がさっきのチャンスを潰したからだろう、とは言えないオスマン。

「コルベール君。今わしらがすべきことは何じゃ?」

「それはもちろん生徒の安全を――」

 コルベールの話を遮ってオスマンが言う。

「確かに生徒の安全は大事じゃ。通常なら最優先にされるべきことじゃ。じゃが、今回に限ってはそうではない。今、もっとも優先すべきことは『破壊の杖』を取り戻し、事件の存在を揉み消すことじゃ!」

 さも当然であるかのように、オスマンは言ってのけた。

「なッ!? あなたは生徒の安全よりも学院の面子が大事だと言うのですか!?」

 コルベールが怒るのも無理はない。

「そうは言っておらん!」

「しかしッ!」

 オスマンは一呼吸置いて、子供を宥めるように言い聞かす。

「コルベール君。わしとて自分の保身の為に言っているのではない。じゃが、今この事件を明るみに出すわけにはいかないのじゃ! もしこの件が公に知るところとなれば、学院の評判は致命的な打撃を受けることになる。賊の侵入を許し、城壁を破られ、宝具を奪われ――そんな失態が明るみにでれば、この国の貴族たちはどう思う? この学院に生徒を送る気になるかの? また、王室などに知られたら、最悪、学院に防衛力がないと判断されて、学院の存続すら危うくなる。そうなれば、この国の貴族たちに誰が教育を行うというのじゃ?」

「――」

 コルベールはオスマンの言葉を聞き入る。

「今この国は危機的な状況にある。先代の国王がお隠れ召されてから王位は空位のまま。王妃のマリアンヌ様は喪に服したままで戴冠されない。王宮は賄賂と汚職にまみれ、貴族たちはそれぞれ勝手なことをしており、それを正す者がいない。何せこの崩壊寸前の国を一人で支えておるのが、外国人のマザリーニ枢機卿ときたものじゃ。もはやこの国は末期だといえよう」

「――――」

 コルベールは言葉を失った。

「わしの経験上、今の世代はもう駄目じゃ。じゃが、希望は次の世代にある!」

「そ、それは!?」

 オスマンの力強い言葉に自然とコルベールは引き寄せられた。

「子供達じゃよ。次の若い世代の子供達になら、この滅び行く国を救うことができるかもしれん! その為に必要なのはなんじゃ?」

「――教育の為の場……。学院ですか!」

「左様じゃ。わしはこの学院をなんとしても守らねばならぬのじゃ! この国の未来を変える為に。君も見たじゃろう? ミス・ヴァリエールのあの清い貴族たらんとする姿勢を! わしは彼女の目を見て、賭けてみたいと思ったのじゃ! そして同時に彼女のような貴族を育てていかねばならぬと、改めて思ったのじゃ」

 コルベールは自然と跪いた。

「そのような壮大なご計画があったとは! このコルベール、感服いたしました」

「うむ。わかってくれて嬉しいぞ」

 口論が決着したところで、オスマンがまとめる。

「なに、彼女らなら大丈夫じゃ。あのフーケのゴーレムを破壊したと言う少年がついておるしの」

 ――お前とは違ってミス・ロングビルの嘘に気付いたしの、とオスマンは心の中で呟く。

「ああ、そうでしたな! 彼は伝説のガンダールヴでしたな! 確かに彼がいれば大丈夫かもしれんですな!」

 ――お前と違ってミス・ロングビルを嵌める罠を瞬時に考え出す頭脳も持ってるしの。まったく絶好のチャンスを潰しおって! と、オスマンは心の中で拳を握る。

「オホン! じゃが、万が一ということもありうる。そこでコルベール君には改めて尾行を命ずる」

「承知しました」

 今度は快諾するコルベール。

「よいか、君の任務は『破壊の杖』の奪還と、生徒の安全を守ることの二つじゃ。じゃが、くれぐれも早まったことはするでないぞ! 最悪フーケには逃げられても構わん! 先の二つを何としても達成するのじゃ!」

「はい!」

 オスマンは再びコルベールの肩に手を置いた。

「君の任務は非常に繊細で時に危険を伴うことになるじゃろう。じゃが、覚えておきたまえ」

「――」

「人生には、例えそこにどんな危険が待ち受けているとしても、進まねばならん時があるのじゃ!」

 コルベールの瞳の中に、オスマンの真剣な目つきが映った。

「今が、そのときじゃ」

 

 

     ◆ ◆ ◆

 

 

 コルベールも退出し、完全に一人となった学院長室。

 オスマンは机から水キセルを取り出し一服する。

「ふ~。この国の未来か……。我ながらよくあんなことが言えたものじゃ」

 そこには一人になってようやく本音を漏らした老人の姿があった。

 

「まったくッ! わしが学長をクビになったら、権力にモノを言わせて女性の臀部を愛でることができなくなってしまうではないかッ!!」

 

 

 

 

 

 人が美辞麗句を並べ、正論を声高々に叫ぶ時――、

 それは高確率で知られたくない本音を隠すときである。

 

 それができる人間は政治家や詐欺師、そして――、

 魔法学院の学院長になる才能を持っている――かもしれない。

 

 

 つづく





 ふふふ、オスマン。底知れぬ紳士力を秘めた男よのう。

 さて、今回はかねてより危惧していた視点がコロコロ変わってしまう話でした。
 やはり読み辛かったり、誰の視点かわからなくて混乱したりしたでしょうか?
 一つのシーンで視点が変わるのは良くないと言われますが、作者には他にどのように表現するべきか分かりませんでした。(涙
 もし気づいたことなどありましたら、アドバイスをいただけると助かります。

 次回は破壊の杖奪還任務ですね。
 原作では才人に決闘で敗れて以来出番のなかったギーシュ君ですが、かわいそうなので一緒に任務に連れて行こうと思います。


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第9話(前編) 溺れる者は○をも掴む。


 今回は長かったので分割です。
 決戦前の息抜き回?


 

 

 ミス・ロングビルの案内のもと、才人たち一行はフーケと『破壊の杖』の捜索のため馬車に乗った。屋根のない荷車のような、簡易な作りの馬車である。

 荷台の前方にはキュルケとタバサ、後方にルイズと才人が陣取った。

 御者台で馬の手綱を握るのはロングビルである。

 

 馬車が学院の門を潜ろうとすると、そこに一人の男子生徒が立っていた。

「待ってくれ! 僕も連れて行ってくれ!」

 胸ポケットに薔薇の造花を挿したその少年は、先日才人に決闘で敗れたギーシュだった。

 彼がどうしてここにいるのか。もっともらしい理由が思い浮かばない一同を代表してルイズが尋ねた。

「ギーシュ? どうしてあなたがここに?」

 ギーシュは一瞬顔を曇らせたかと思うと、おもむろに口を開いた。

「その、まずは謝罪させてくれ。ミス・ヴァリエール、それと使い魔君……、本当に申し訳なかった!」

 突然ギーシュは頭を下げた。才人とルイズは一瞬呆気に取られる。が、すぐにそう言えば決闘騒ぎの正式な謝罪をまだ受けていなかったことを思い出して納得した。

「本当にすまなかった。本来ならすぐに伺うべきだったんだが、謹慎を受けてしまってね。謝罪が遅れたことも重ねてお詫び申し上げる」

「い、いいわよ。そんなに畏まらなくても……」

 普段ギーシュからは想像つかないくらい真面目な顔をするもので、ルイズはたじたじになって使い魔の方を見る。

「わたくしも気にしてませんよ、貴族様」

「おお! こんな僕を許してくれると言うのかね!? ありがとう。本当にありがとう!」

 ギーシュは大げさに芝居がかった動きで感涙した。

「それじゃギーシュ。私達はこれから用事があるから、道を開けてくれる?」

「――そのことなんだが、僕も一緒に連れて行ってくれないか?」

「……はい?」

 意味がわからず、首をかしげる一行。

「ギーシュ、私達は遊びに行く訳じゃないのよ?」

「わかっている。盗まれたモノを取り戻しに行くのだろう?」

「あなた、どうしてそれを!?」

「宝物庫に穴が開いていれば誰でも思いつくことさ」

 ギーシュはキザッたらしく前髪を指で払った。

「それもそうね。てか、それで何であんたを連れて行かなくちゃならないのよ」

 ギーシュは薔薇を頭上に掲げ、もう片方の手を胸に当てる。そして見上げた薔薇をゆっくりと顔に近づけるように下ろして、そっとキスをする。

 まるで役者のような決めポーズだった。

「僕は心を入れ替えたのだよ。身勝手だった自分の行いを反省し、今度は人の為に行動しようと決意したんだ。そんなボクの前に今朝、こんな騒ぎが起こった。それをみて僕は思ったんだ、これは始祖の思し召しなのだと。始祖様が僕に、この事件の解決の為に尽力せよ、と言っているに違いないと。だから頼む! 僕も一緒に乗せてくれ!」

 心を入れ替えたにしては、むしろ前よりもキザ度が上がっていた。

「――才人、どうする?」

 ルイズに問われて才人は考える。

 ギーシュの目はとても正直で純粋な瞳をしていた。

 

(ここで手柄を立てて自分のメンツを守りたい!

 モンモランシーとケティには振られちゃったが、ここで功績をあげれば自分を見直してくれるかもしれない。あわよくばヨリを戻すことも――

 いや、もしかしたら二人どころか、学院中の女の子達が僕の周りに群がってくるかもしれない。

 そうだ、そうに違いない!

 もてたい! 

 いい格好したい!

 格好つけたいぃぃぃ!)

 

 そんな正直で真っ直ぐな目をしていた。

 

「はぁ……。まぁ、戦力が増える分には良いんじゃないでしょうか」

 才人は眉間を摘みながら溜め息混じりに言った。

「サイトがそう言うなら――」

 ルイズはしぶしぶ納得した。

 キュルケは肩をすくめ、タバサも沈黙によって了解した。

「おおお! ありがとう。恩に着るよ」

 ギーシュは純粋で穢れのないよこしまな瞳で一行を見上げた。

 

 こうして何故か、人助けの精神を持ったギーシュがフーケ捜索隊に加わることとなった。

 言うまでもないが、人助けとは、(自分も含む。いや、むしろ八割がた自分を助ける)という意味である。

 

   ◆

 

 ギーシュを加えた五人はロングビルの案内で早速出発した。

 ロングビルは自ら馬車の手綱を握り、馬に指示を出している。

 そんな彼女を見て、キュルケは興味を持ったようだ。

「ミス・ロングビル。手綱なんて付き人にやらせればいいじゃないですか?」

「いいのです。わたくしは、貴族の名をなくした者ですから……」

 ロングビルはにっこりと笑ったが、その笑顔にはどこか影が差していた。

「あら、そうなのですか? だって、貴女はオールド・オスマンの秘書なんでしょ?」

「ええ。でも、オスマン氏はあまり身分にこだわらない人なのですよ」

「差し支えなかったら、事情をお聞かせ願いたいわ」

 キュルケは興味津々といった顔で、御者台に座ったロングビルににじり寄る。

 平民が学院長の秘書という重役に就くなど、通常は考えられないこと。きっと何か秘密があると、好奇心の強いキュルケは瞳をキラキラとさせる。

 ロングビルは、それは聞かれたくないことなのか、やんわりと微笑んでやり過ごそうとする。

 しかしそれをキュルケは拒絶とは取らなかった。

 ゲルマニアでは言いたいことをハッキリと言うのがマナーである。ロングビルがしたように、曖昧な表現で否定を表すトリステインの文化とは少々勝手が違うのだ。

 そんな誤解からその話題を続けようとしたキュルケの肩を、ルイズが後ろからトントンと叩く。

「よしなさいよ。昔のことを根掘り葉掘り聞くなんて」

「なによ、いいじゃない。ちょっと暇だから、おしゃべりしようとしただけじゃない」

「あんたの国じゃ知らないけど、トリステインでは聞かれたくない事を無理やり聞くのは恥ずべき事なのよ」

 キュルケが再びロングビルに向き直ると、やはり曖昧な微笑を浮かべていた。

 この話はあまり歓迎されてない、とわかったキュルケはあっさりと引き下がった。

「あら、そう? ごめんなさいね」

「いえ」

 キュルケはロングビルに軽く謝罪をすると、荷台の柵に寄りかかって、面白くなさそうに頭の後ろで腕を組んだ。

 その横ではタバサが相変わらず黙々と本を読んでいた。

 

 馬車の後ろでは男達二人が話している。

「なぁ、サイト。どうして君はあんなに強いんだい? 君の両親は傭兵でもしていたのかね?」

「いいえ、ただの一般人ですよ、貴族様」

 ギーシュが気さくに話しかけるも、才人は敬語で返す。

 いまだルイズ以外の貴族の前では執事モードは健在だ。

「その話し方は止めてくれないか。僕は君に負けた。君は僕のワルキューレを倒したんだ! だから君とは対等な友達になりたいんだ」

「そうは言われましても……」

「ほら、また! 止めてくれ。そんな風に言われると壁を感じるんだ。それともそれは僕とは友達になれないということかね? 遠回しに決闘の件をまだ許してないという意味かね?」

 確かに全てをさっぱり許したかと問われれば、才人は言葉につまる。

 喧嘩の延長とはいえ決闘は決闘。ギーシュが一時の感情で殺してやろうと思ったことは否定できないだろう。

 しかし、もとはと言えば挑発してそうなるよう仕向けたのは才人であったし……。というかそもそも、ギーシュが二股をかけてシエスタに八つ当たりなどしなければ、こんなことにはならなかった訳で――、なんだかもう、才人は訳がわからなくなった。

 逆に考えれば、殺そうと思ったほど激昂した相手と、こうも簡単に友達になろうと思えるのはギーシュの美点なのかもしれない。何故か憎めないのだ。

 人懐っこい彼の瞳の奥には偽りない本音がありありと写っている。

 

――(こいつは強い、一緒にいたら自分も強くなれる気がする。そうしたら僕はもっと格好いい! 女の子もたくさん寄って来るはずだ。それにコイツは最近女子たちの間でいつも話題に上っている。正直羨ましい。何故この薔薇のように美しい僕が彼女達の話題の中心にいないのか!? まったく、彼女達は薔薇のなんたるかをわかっていないのだ! いやしかし、仮にもし僕がコイツと友達になったら、不本意ではあるが、コイツと一緒に僕も女子たちの話題に上がるだろう。そうなればもうこっちのものだ。女子達は今一度この薔薇の魅力に魅せられることになるだろう。そう考えたら、コイツと友達になるのは必須、絶対条件! 何が何でも友達になってやる! そして格好つけるんだぁぁぁ! モテルんだぁぁぁ! 皆から注目されたいんだぁぁぁ!! だから友達になって下さいぃぃぃ!)

――という欲望がつまびらかに表れていた。

 

 いくら偽りのない本音を偽った瞳で隠しても、才人に隠し通すことは難しい。いや、むしろこのレベルにまでなると、逆に隠す気がないとさえ思える。

 才人は頭を抱えた。

 いったいお前はどこの友情マニアな宇宙人だと――、勝利マニアな兄と努力マニアな弟でもいるのかと、才人は小一時間ほど問い詰めたい気分になった。

 それでも何故かやっぱり憎めない。

「なぁ、頼むよ! 僕と友達になってくれ!」

 才人は困ってルイズを見た。すると、

「別にいいんじゃない? ギーシュがそう言ってるんだから」

 主人がそう言うので、才人は疲れた表情を振り払ってギーシュの申し出を笑顔で受け入れた。

「わかった。それじゃ、今日から俺とギーシュは友達な」

「おお! 心の友よ!」

 男二人はガッチリと握手を交わした。

「あら、ギーシュだけ名前で呼ぶなんてズルイわ! あたしもキュルケって、名前で呼んでくださらない?」

 さり気なく入ってきたキュルケにルイズがすかさず割って入る。

「あんたはダメよ!」

「何でルイズが決めるのよ! あたしはサイトに言ってるのよ」

「ダメなものはダメなの! 絶ぇぇぇ対ッ、ダメぇぇぇ!」

 二人は昨夜の喧嘩の再開と言わんばかりに、火花を散らし始めた。

 一気に馬車内の温度が上がった。

 その中でもタバサがページをめくるスピードは乱れなかった。

「はぁ……」

 本当にこれで良かったのかと、才人は早くもため息をつくのだった。

 

 ――むにゅっ!

 

「むはっ?」

 何の脈絡もなく才人の頬にあたる柔らかな感触。

「うふふ。ダーリンがあたしを名前で呼んでくれるまで離さないわ!」

 その柔らかな感触は紛れもなくキュルケ嬢の豊かな膨らみであった。

 キュルケの両腕が才人の頭の後ろに回されて、その凶悪な胸器――いや、凶器を存分に押し付けていた。

「な!? うらやましい……」

 ギーシュがボソッと呟く。

「……」

 タバサは興味ないと言わんばかりに無言を貫く。しかし本をめくる指がピタリと止まった。そして色恋に全く興味のないはずのタバサは、横目でチラチラと見るのだ。

 無言のタバサとは逆にルイズは絶叫した。

「キュルケぇぇぇ!!」

 ルイズは鬼の形相でキュルケに掴みかかり、服や髪の毛を引っ掴んで剥がそうとするが頑として動かない。

「こんのッ! 淫乱ツェルプストー! 才人から離れなさいーー!」

 ルイズが強く引っ張れば引っ張るほど、キュルケはますます強固にしがみつく。

「イヤよ! ダーリンが名前を呼んでくれなきゃ離さないわー!」

「このッ! ふんッ! ふんぬぅッ!」

 二人の争いで馬車が激しく上下に揺れる。

 ルイズは自分の全体重を使ってキュルケを剥がそうとするが、体重差ではキュルケに勝てない。

 困ったルイズは作戦を変更した。

「サイト! もういいからこの女を名前で呼びなさい!」

「むぐッ……、よよひぃのふぇふか?(よろしいのですか?)」

 肌色の海に溺れながら才人は確認する。

「いいから早く呼びなさい!」

 才人は水中から水面に顔を出すかのごとく顔を持ち上げると、大きく息を吸い込み酸素不足を解消した。

「その……、キュル…ケ」

「あ~ん! やっと名前を呼んでくれたのね。感激だわ~」

 名前を呼ばれたキュルケは約束通り(・・・・)、才人をよりいっそう激しく抱きしめた。

「なッ、キュルケ!? 約束が違うじゃない! 早く離れなさい!!」

「あら? あたしはそんな約束してないわよ?」

「なっ!? ななな、何ですってぇぇぇ!?」

 確かにキュルケは名前を呼ばなきゃ離さないとは言ったが、名前を呼ばれたら離すとは言っていない。言葉のアヤだ。というより屁理屈である。

 しかし、頭に血の上ったルイズにそんな言葉遊びが通じるわけもなく……

「――いい加減にしなさい、この発情女ァァァ!!」

 ついにルイズは伝家の宝刀『真空飛び膝蹴り』を繰り出す。が、それを読んでいたキュルケは巧みに体をひねると才人を抱きしめたままルイズの膝をかわす。

「むぉあっ! ちょ、ひゅるけ!」

 しかし狭い馬車の中。加えて道も悪く不規則に揺れる馬車の上でバランスを取るのは難しく、結局才人を押し倒して転倒してしまった。

 倒れこむ才人とキュルケ。しかしそこにもう一人が加わった。

「あん! やん、ダメぇ……」

 色っぽい喘ぎ声。乱れる新緑のロングヘアーは、手綱を握っていたロングビルだった。

 キュルケに押し倒された才人は顔面を幸せな弾力に押しつぶされ、先程よりももっと呼吸ができない。

 この状況を逃れようともがく才人は手探りで辺りを探る。何でもいいから掴めるものが欲しかったのだ。

 そして調度良いものを見つけた。

 自分の手のひらには納まりきらないボリューム。やわらかな弾力。掴むのに調度いいその形状。

 その物体はこのように呼吸が封じられた状況下で掴むのに理想的な要素を満たしていたと言えよう。

「あん! そんな風に揉んじゃ……、やぁん!」

 唯一、才人が掴むたびに意味不明な音声を発することだけが不必要な機能だが、それは些細な事に過ぎない。

 才人は溺れる者が藁を掴むかのように必死に掴んだ。

 同時に自分の顔に乗っかったキュルケの圧迫性男のロマン物質をも掴む。早くどけなければ本当に窒息死してしまう。

 もしこのままホントに死んでしまったら、司法解剖の場で、「死因は何ですか?」「窒息死です」「凶器は?」「凶器は胸器であります!」などと、マヌケな展開になりかねないのだ。

 そんな末代までのネタになるのは御免だと、才人は必死で楽しn――、ん゛んッ! 才人は必死でもがいた。

「ああん! ダーリン……そんな激しいわ」

 これは決していやらしい事ではない。

 そうしなければ命の危険が危ぶないのだ。生物の持つ本能なのだ。

 才人は生きる為に仕方がなく、本当に仕方な~く右手にロングビルの何かを、左手にキュルケの何かを掴むのだった。

 そして脳内に送られる酸素量が不足してパニック状態になった才人は、必死に指先を素早く動かし、まるで痙攣しているかのように激しく震えだした。

「んぁっ……、まだ、誰にも触れられた事なかったのに……、ああんっ!」

「ダーリン……、こ、こんなの初めて……」

 そんな光景をみて、ルイズはわなわなと震え出す。そして、

「あんた達……、いい加減にしなさァァァいぃぃぃ!!」

 力いっぱい握りしめられたルイズの杖が振り下ろされたのだった。

 

 

 





 続きは18時に予約投稿しときます。
 お気に入りや評価・感想など、ありがとうございます^^


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第9話(後編) 破壊の杖


 前半はちょっと作者壊れ気味です(^^;


 

 鬱蒼と茂った森の木々に太陽の光りは遮られ、地面にはほんの僅かな光りしか届かない。

 昼間でも薄暗い森の中をいくばくか歩いて進むと、ギーシュが言った。

「まだ着かないのかね? もう足がへとへとだよ」

 一行はどう言う訳か馬車に乗るではなく、歩いていたのだ。

「ほんとよ。まったく誰かさんのせいで」

 キュルケが目を細めてルイズを見る。

「何よ! もとはと言えばあんたがサイトにちょっかいを出したからでしょ!」

 ここに来る途中、どういう訳か馬車が大破してしまったのだ。

 荷台は爆発でもあったかのように弾けて、驚いた馬は逃げ出し、バラバラになった馬車の破片は炎上して炭になってしまった。

 

 いったい何があったのだろう?

 まさか桃色髪のツンデレ美少女が我を忘れて自分達の移動手段である馬車を爆破する――なんて事はあるはずないので、きっとこれは『破壊の杖』を盗んだ犯人に関係のある何者かの妨害行為なのだろう。

 うん、そうだ。きっとそうだ。と、一行は暗黙の了解を共有することにした。キュルケを除いて。

 

「だからって、時と場合を考えなさいよ。これだからヴァリエールは」

「うるさい、うるさい、うるさい! サイトは誰にも渡さないんだからッ!」

 相変わらず仲の悪い二人を才人が仲裁する。

「ルイズ、キュルケ。もうそれくらいでいいだろ。今は任務中だぞ」

「ああん、わかってるわ、ダーリン」

「わ、わかってるわよ……」

 何故か堂々としている才人。

 この状態を作り出した元凶の一人だったはずが、どう言う訳かこの場の全員の中で精神的優位に立っていた。

 キュルケはもじもじと体をくねらせ、ルイズは瞳を潤ませている。

 いったいどうやって口八丁に丸め込んだのだろうか?

 その時の事を思い出したのか、ギーシュとロングビル、そしてタバサまでもが頬を赤く染めていた。

「よし、気を引き締めていくぞ!」

 あの一件以来、才人はここにいるメンバーに対して普通に話すようになった。

 誰かさんの魔法は馬車だけでなく、平民と貴族の見えない心の壁まで破壊したようだ。

 誰とは言わないが……。

 

   ◇

 

 クイクイっと、才人は服の裾を引っ張られた。

 引っ張られた方向に目を向けると、自分の胸よりも低い位置に青いショートヘアの少女が見えた。

 トレードマークの赤いメガネ。その奥には感情の伺えない無表情。

 才人は無意識に、地球にいた頃に部室でいつも分厚い本を読んでいた無口系宇宙人の姿を思い出した。

「――タバサ」

 少女は唐突に口を開いた。

「ん?」

「私の名前」

 ついで少女はルイズ、キュルケ、ギーシュと順に眺めた。

 そして再び発言する。

「――ずるい」

 才人は少女が言わんとすることを自然と理解できた。

 なにせ似たような対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェーズと一年以上も共にいたのだ。

 始めは日常会話すらままならなかった彼女とも、今では宇宙の開闢から生命の発露、はては有性生殖による遺伝の多様性に至るまで、目線一つで会話できるまでになったのだ。

 瞳を見ただけでその人間の言いたいことを慮ることなど朝飯前である。(ただし無口少女に限る)

 そんな才人に少女の意図が理解できないはずがない。

 つまるところ彼女の主張はみんな名前を呼ばれてずるいにゃん。わたしも呼んでにゃ~ん。にゃん、にゃん! ということだろう。

 才人は全てを理解して答えた。

「よろしくな、タバサ」

「ん」

 コクっと小さく頷いた。

 メガネの隙間からのぞいたタバサの瞳は相変わらずの無表情。だがさっきまでとは微妙に違う。かすかに嬉しそうな色を宿らせている。

 一般人にはわからなくても、才人にはわかる。

 およそ千分の一ミリ単位で動いたまつげの揺れを見逃さない、才人になら。

「その赤いメガネ、似合ってるな」

 才人は言葉と同時に目線でも投げかける。

 タバサも才人の眼話を正確に読み取り、返答する。

「――メガネ属性って何?」

「失言だ。忘れてくれ」

 まるで二人にしかわからないテレパシーが飛び交っているようである。

「――わかった。猫耳は考えてみる」

 才人は目線だけでタバサのコスプレ鑑賞権を獲得した。

 

 そんな事をしているうちに、目的地に近づいた。

 

   ◇

 

「そろそろ着きますよ」

 先頭を歩いているロングビルに続いて薄暗い森の中を進む一行。

 そうして進み続けると、突然太陽の光りが降り注いだ。まるで今まで仕事をサボっていた太陽が、慌てて活動を再開したように照り付ける。

 その原因は森の中にぽっかりと開けた広場だった。

 広さは魔法学院の中庭ほど。もともと生えていた木々は切り倒され、真ん中に小さな小屋がある。小屋は見るからに古く、廃屋と言ってよい。横に繋げて作られた窯は朽ち果てており、中には焼きかけの木炭が残されている。

 どうやらここで木を切り倒して、木炭を作っていたようである。

 六人は森の茂みに身を隠したまま廃屋を見つめる。

「わたくしの聞いた情報だと、フーケはあの中にいるようです」

 ロングビルが廃屋を指差す。

 人が住んでいる気配は見られない。

(フーケがあの中にいるだと? 笑わせてくれる)

 才人は表情には出さずにロングビルに対する疑惑を強める。

(おそらく罠が仕掛けられているだろう。いや、突発的な犯行ならこの短時間で罠を張るのは難しいか? いや、罠は予め張っておけばいい。ここに連れて来たと言う事は、何らかの目的があるはず、用心に越したことはない。共犯者が待ち伏せているかもしれない。しかしそれにしても、いくら考えてもやはりわからない。フーケは何故学院に戻ってきて、フーケ捜索隊を出させるようなことをした? 何のメリットがある? 考えられるのは戦闘のできる教師達を学院外におびき出して、その隙に仲間が手薄になった学院を叩く? いや、フーケはおそらく単独犯。その線は薄いだろう。では何故? まさか後先考えずに偶然穴の開いた塔に忍び込んでお宝を盗んだはいいが、使い方が判らなくて、判りそうな人を誘い出すために学院に戻ってきた? ははは、いくら何でもこれはないか。そんなマヌケなコソドロみたいなことを大怪盗のフーケがするわけないか。現場に戻ってくるリスクがわからないはずない。何より盗みに美学を感じない。怪盗とは綿密な計画を立てて、常に警察や探偵の上を行く作戦を考えてから行動するものだ。突発的に後先考えずに行動することなどあり得ない。きっと、今の俺には考え付かない何かがあるのだろう)

「――ん」

 才人の服の裾がひっぱられた。振り向くとタバサが自分を見上げている。

「作戦」

 タバサは地面にちょこんと座ると、木の枝で地面に絵を書いた。そして自分の立てた作戦を説明する。

 まずは囮兼偵察が小屋に近づき敵の有無を確認する。

 敵が中に入れば小屋の裏に回り奇襲をかける。そして敵が小屋の外に逃げたら魔法で一斉攻撃をする。敵を挟み討ちにし、尚且つ背後からの一斉攻撃。考えられる範囲で理想的な案だった。

「良い案だ」

 才人は頷く。

 しかしギーシュはまだ不安があるようだ。

「そんなに上手くいくのかね?」

 才人が答える。

「大丈夫だろう。フーケは奇襲をかけた偵察に意識を割くはず。その分、背後の警戒が疎かになる。後ろを取れる可能性は高い」

「なるほど」

 タバサが付け加える。

「ゴーレムを出させる前にかたをつける」

 キュルケも頷いた。確かに実践的な作戦である。

 しかし逆に考えれば、ゴーレムを出されるとこちらが不利になるという可能性もあるというわけだ。そのことを尋ねる。

「じゃぁ、ゴーレムを出されたらどうするのかしら?」

「その場合は――」

 キュルケの問いにタバサは瞬刻の間考えたあと全員に言った。

「――逃げる」

「「そ、それで良いの!?」」

 才人を除いた一同が慌てる。

「問題ない。目的はフーケの捜索と『破壊の杖』の奪還。討伐までは含まれていない」

「な、なるほど――」

 話はまとまった。

 他に幾つか予備の作戦を決めて、準備を整える。

「で、誰がその偵察を行うんだね?」

 ギーシュが言った。

「すばしっこいの」

 タバサが言うと全員が一斉に才人を見る。

「――俺だな」

 才人は腰に付けたナイフを抜いた。

 左手のルーンが光り出す。

 一瞬デルフのことを思い出すが、今はそれを考えている場合ではないと頭を振る。

「では、わたしは辺りを偵察してきます」

 そう言ってこの場を離れようとしたロングビルを才人が引き止める。

「いや、待ってください、ロングビルさん」

「な、何故でしょう」

「あなたがいなくなったら『破壊の杖』を捜索できません。なにせここにいるのは学生ばかり。宝物庫に入って実物を見た事のある人が必要ですよね?」

 才人は有無を言わせぬ態度でロングビルを引き止める。その迫力に圧されてロングビルは思わず首肯してしまう。

「え、ええ。そうでしたわね……」

 ロングビルを待機させた才人は改めて森を出る。

「サイト。気をつけて」

 ルイズが心配そうに才人を見上げる。まぶたが小さく震えている。

「大丈夫だよ、ルイズ。それより、アレを準備しておいてくれ」

「アレ? ――わかったわ」

 他の人間に聞こえないようにルイズの耳元で囁き、才人は森の茂みから消えた。

 

   ◆

 

 才人がつま先に力を入れて地面を蹴ると、一瞬でその場から消えた。才人がいた場所から落ち葉が放射状に舞い、やがて再び地面に落ちてゆく。

 そして彼は次の瞬間には既に小屋に背を預け、割れた窓から中の様子を慎重に伺っていた。

 部屋は一部屋しかない。真ん中に埃をかぶったテーブルと転げたイス。壁際に備え付けられた暖炉と、その横に積まれた薪。

 やはり炭焼き小屋のようだ。

 人が隠れられるような場所は見当たらない。足跡はまだ新しく、おそらく一度二度しか部屋内を歩いていないだろう。ここで一日以上潜伏し、ある程度の生活をしていたとは考えられない。

 才人はやはりここにフーケはいない。そして『破壊の杖』もないだろうと確信した。

 そして疑わしき人物を警戒し続ける。

 一応念のため小屋を一周まわった才人は、森の茂みを振り返るとハンドサインで状況を知らせる。あらかじめ決めておいたフーケがいない場合のサインだ。

 するとロングビルとタバサが才人の所へやって来る。残りの三人は少し離れた場所で辺りの警戒を続ける。

「調べてくれ」

 才人が促すとタバサが杖を振る。

「――大丈夫。罠はない」

 魔法の罠が仕掛けられてないか確認し、才人たちは中に入った。

 

 小屋に入った才人たちはフーケの手掛かりを探す。

 と言っても才人はその意識の大部分をロングビルの警戒に割いている。

「あった」

 ぼそっと呟いたタバサはチェストの中から綺麗な箱を取り出した。

 長さ一メイルほどの箱の表面には、ご丁寧に『破壊の杖』と書かれている。

「え、まさか? ……間違いないのか?」

 予想外の状況に才人は思わず目を点にした。

 タバサが無造作に箱を開けて中を確かめる。

 それを見た瞬間、才人の顔が驚愕に染まった。

「お、おい! これは本当に『破壊の杖』なのか!?」

 動揺した才人は思わず凝視してしまう。

「おそらく――、そう」

「――信じられない」

 それは一本の黒い金属製のバッドのような形状をしていた。握り部から先端に行くにつれて、かなり太く大きくなってゆく。そしてその胴体からは生える無数の棘。

 まるで鬼が持っている金棒――、そのイメージがピッタリ合う。

 しかし才人の記憶が確かならば、これを所有していたのは鬼などではなく、むしろ――

「きゃぁぁぁあああ」

 突然ルイズの叫び声が広がった。

「ルイズ!」

 才人が窓の外を振り向いた瞬間、小屋の天井が吹き飛ぶ。

 瞬時に身を低くして、落下する建物の破片から顔を手で守る才人。しかし破片は落ちて来なかった。タバサが風の膜を作って自身と才人を守った。

「悪い、助かった」

「構わない」

 そこで才人はしまった! っと頬を歪めた。

 ロングビルがいない。

 部屋の中に彼女の姿はない。

 いったいどうやって自分に気付かれずに消えた? いや、イレギュラーな事態に動揺して警戒を緩めてしまったんだ。

「くそッ!」

 突如室内に広がった青空。

 そこに写ったのは、昨晩見た土の巨大ゴーレム。

 一瞬で状況を理解した才人は窓をぶち破って外に飛び出る。地面で一回転しながら転がり勢いを殺すと、すぐさま主人の姿を探す。

 ルイズはゴーレムの正面にいた。震えながらルーンを呟いている。

 しかし巨大なゴーレムを目の前にした恐怖と緊張からルイズの口は引きつり、うまく唇が動いていない。

 それを見て才人は後悔した。

 しまった、自分がさっき余計なことを言わなければと。

「ルイズ、逃げろ!」

 今、破壊の赤球『ふんもっふ』を使うことはできない。そんなことをすればルイズを巻き込んでしまう。

 だから才人は力いっぱい叫んだ。

 しかし、ルイズは逃げなかった。

「い、いやよ! あいつを捕まえて、もう誰にもゼロって呼ばせないんだからッ!」

 その目は真剣だった。

 それはまるで、この戦いが彼女の自尊心を賭けた、名誉を守る為の戦いだと言わんとしているようだった。

「何を言っている! 逃げるんだ!!」

 ルイズの激白を知っている才人は、彼女の瞳の奥にある感情を理解できないではない。

 見下され、侮辱され、嘲笑され、失望され――、ルイズが今まで受けてきた屈辱を考えれば、これがただの意地っ張りではないことはわかる。

 しかし、だからと言って、今それを出す必要はないはずだ。

 これは実戦なのだ。

 命の危険を伴う任務なのだ。

 今この時のルイズがすべき事は、可能な限りゴーレムから距離を取って身の安全を確保すること。間違っても一か八かの接近戦を仕掛けることではない。

「クッ! 間に合え!」

 ゴーレムの腕がルイズに振り下ろされた。

 才人は全力でルイズのもとへ走り出す。だが、ルイズへの最短距離は壊された屋根の残骸に瓦礫の山、そしてゴーレムの巨体で封鎖されている。脇から回り込むと時間のロスになり、間に合うかどうかわからない。

 それでも才人は最善の行動をする。瓦礫の山を綺麗に潜り抜け、ゴーレムの足の横を滑るように抜ける。そうして可能な限り時間のロスを押えてルイズに近づく。

 それでもゴーレムの方が僅かに早かった。

(間に合わないッ!)

 目測ではほんの僅かに間に合わない。才人とゴーレムの腕がルイズに到達するのはほぼ同時。しかし角度が悪かった。ゴーレムが腕を斜めに振り下ろしたせいで、ルイズは才人とゴーレムの腕に挟まれる格好になってしまった。

 もしこの状態で才人がルイズを助ける為に飛びついたり突き飛ばしたりすると、ゴーレムの腕の軌道に入ってしまう。

(クソッ!)

 それでも直撃よりはマシだと、才人は一瞬の内に判断を下した。

 たとえルイズの体の一部が痛烈に殴打されるとしても、もはやそれを選ばざるを得ない状況だった。

「うおぉぉぉ!」

 巨腕が今まさにルイズの体を圧砕(あっさい)せんとしたその時、サイトの左手のルーンが一層強く輝いた。

 すると、最後の最後で才人のスピードが急激に加速し、持っていたナイフを捨てると同時にルイズに飛びつく。僅かに遅れて二人の上を通過した巨腕。

 才人は、ルイズを抱きかかえたまま空中で体をひねって地面に激突。自らがクッションとなってルイズのダメージを軽減した。

「グハッ!!」

「――ッ!!」

 衝撃で肺の空気が搾り出される。激突した背中は一瞬麻痺したように感覚がなくなり、その後激しい痛みとなって襲ってくる。地面との摩擦で服の一部が焼き焦げ、その下の肌が焼けるように痛い。

 それでも倒れ伏している訳にはいかない。

 ろっ骨の裏側からミシッっと嫌な痛みが伝わるが、無理やりにでも体を動かす。

(何故間に合った? 俺が早くなったのか、それともゴーレムが遅くなった? いや、今はそんなことを考えている場合ではない)

 頭の片隅に違和感を覚えた才人だが、そのような雑念は積み重ねた訓練によって速やかに排除された。

 才人が素早くルイズを抱えてゴーレムから距離を取ると、炎と風の魔法が即座にゴーレムを襲った。

 キュルケとタバサが才人たちの離脱を援護しているのだ。

 才人はゴーレムから十分に距離を取ると、抱きかかえたルイズを地面に下ろす。そして、

「バカか、お前はッ!! 死ぬ気かッ!! いったいッ――」

 思わず感情的に怒鳴った才人はしかし、次の言葉を出なかった。

 ルイズの両目にはたっぷりと涙が貯められてた。

「――だって、悔しいじゃない!! わたしにだってプライドがあるのよッ!」

「……」

 才人は何も言えなかった。

 ルイズは端整な顔をぐちゃぐちゃにして泣いた。

「いつも、っ……バカに…されてッ……」

 両の手の甲でまぶたを擦るルイズを見て、サイトはルイズがフーケ捜索隊に志願したときに感じた違和感の正体にようやく気付いた。

 ルイズは取り戻したかったのだ。

 それは学院の秘宝なんかではなく、ルイズの名誉、もっと言えば人としての尊厳そのものを。

 ルイズが十六年間抱えてきた負の感情は、才人という一人の理解者が現れたくらいでどうにかなるモノではなかった。

 幾分かは救われただろう。しかし本質的な解決にはならなかった。

 それを解決するには、埋め合わせが必要だったのだ。

 

 受けた侮辱を名誉で埋めて相殺する。

 受けた嘲りを賞賛によってかき消す。

 受けた屈辱を誇りによって中和させる。

 

 そうやって積み重ねられてきたマイナスにプラスをぶつけて『ゼロ』にする。

 その先にルイズは初めて人として最低限の尊厳を認められた人間として、産まれ直すことができる。

 そういうことだったのだ。

「ルイズ。すまなかった」

 才人は責任を感じた。

 もっと早く気付くべきだった。ルイズがフーケ捜索隊に志願した時点で。

 もしあのとき気付いていれば、こんな事にはならなかった。いや、あの時点ではまだ貴族の責任感で決断したのかもしれない。

 しかし、死ぬかも知れない極限の状況に直面したルイズはこう言ったのだ。「もう誰にもゼロと呼ばせない」と。

 人間とは追い詰められたときにこそ、その人の本心が出てくるものである。

 もとは自分の行いに対する責任や貴族としての誇りから志願したものが、土壇場では自らの尊厳を守るものに取って代わった。

 つまりそれがルイズにとっての、最も重要で大切な、譲れないモノだったのだろう。

 それは貴族の義務よりも、行動の責任よりも、自身の命よりも重い最優先事項だったのだろう。

(俺は、使い魔失格だな)

 使い魔の役割は主人の身を守ること。

 危険の伴う任務への参加を許すなど、そもそもしてはならないことだった。たとえそれが主人であるルイズ自身が言い出したことであってもだ。

 自分から言い出した手前、やっぱりやめるなどと言えば恥となる。

 しかし結果として才人は主人の名誉を守ることを優先して、その命を危険に晒してしまった。これでは本末転倒だ。

 今回才人がすべきだったことは、ルイズを捜索隊に参加させないことだった。あとで非難されようと恨まれようと、どんな手段を使ってもルイズを捜索隊メンバーから外し、可能なら主人の身代わりに恥を背負うことが使い魔である自分の役目だった。

 盗賊を捕まえたくらいでルイズの十六年分の負の感情が相殺されるわけがない。

 ルイズの心の傷を癒すには小さい成功をコツコツと積み重ね、長い年月をかけてゆっくりと自信や尊厳を回復していかなければならない類のものだ。

 こんな一発逆転の博打、いや、それすらなっていない、ハイリスクノーリターンの愚行。そんなもの為に命を賭けるなど、正気の沙汰ではなかった。

 いや、そもそも自分がロングビルを見失うなどという失態を犯さなければ、こんなことにはならなかった。

 

(なんたる失態、なんたる醜態、全部俺のせいじゃないかッ!)

 

「ごめん、ルイズ。俺のせいだ」

 自分はルイズのことを何もわかってなかった。

 才人は悔恨の念に押しつぶされそうになった。まるで肺が腐って嘔吐してしまうのではと感じるほどだった。

「わたし、やるもん!」

「……」

「魔法が使える者を貴族と言うんじゃないわ、敵に後ろを見せない者を貴族と言うのよ!」

「……わかった」

 本来ならそれでもルイズを危険から遠ざけるのが自分の務め。

 しかしルイズのダイヤモンドのように固い意志をその澄んだ鳶色の瞳の中に見た才人は、ルイズの決意を否定する手段を失ってしまった。

「――は、はっはっは」

 突然笑い出す才人。

「何がおかしいのよ!」

 自分の決意が嘲笑されたと思い怒るルイズ。

「い、いや――。ルイズ、やっぱりお前、ルイズだな!」

「なによ、それ?」

 才人の雰囲気からバカにされたのではないとわかったルイズは、声のトーンを下げて不思議がった。

「その話は後だ。行くぞ!」

「もう、なによ! 絶対あとで聞かせなさいよ! いいわね、絶対だからねっ!」

 才人とルイズは再び戦線に戻った。

 

 

 

 キュルケたちはゴーレムに魔法をこれでもかと浴びせた。

 タバサが創った巨大な竜巻がゴーレムにぶつかる。しかしゴーレムはびくともしない。

 キュルケの杖から炎が伸びてゴーレムを包む。しかし火炎に包まれようとゴーレムはまったく意に介さない。

 遅ればせながら突進したギーシュのワルキューレは、ゴーレムの太い腕の一振りで一蹴された。

「無理よこんなの!」

 キュルケが叫んだ。

 と、そこに才人たちが戻ってくる。

「ああん、ダーリン! 待ってたわ!」

「悪い、遅くなった」

「あいつ魔法が効かないわ。お願い、ダーリンの力であいつをやっつけて!」

「その事だけど、今回は俺じゃなくてルイズがやってくれるさ!」

「ええ!? ルイズが!?」

 キュルケは信じられないと言った表情でルイズを見る。

 見るとルイズは真剣な目で前方のゴーレムに集中していた。

「冗談でしょ?」

「いや。大マジ」

 そして才人は素早くみんなに指示を出す。

「ギーシュ。錬金で剣を俺にくれ。なるべく大きなものを」

「わ、わかった」

 ギーシュが薔薇の造花を一振りすると、青銅製の大剣が錬金された。

「ありがとう」

 才人が剣を掴むと左手のルーンが光り出す。

「俺があいつの足を崩す。誰かその隙に魔法であいつを拘束できないか?」

 タバサが答える。

「風の鎖で動きを止められる。でも長くはもたない」

「どのくらいもつ?」

「五秒が良い所」

「それで十分だ」

 と、そこで才人はタバサの手に『破壊の杖』が握られてない事に気付いた。

「そう言えば『破壊の杖』は?」

「預けてある」

 タバサは上空を指差した。

 見ると使い魔の風竜が口にその杖をくわえている。

「なるほど。あれなら安心だな。よし、俺がゴーレムに突っ込む。キュルケとタバサは魔法で援護してくれ。ギーシュはワルキューレでルイズを守ってくれ」

「了解」

 全員に指示を出した才人は単騎でゴーレムに突っ込む。烈風のごとくゴーレムの足元に走りこむと、その足を大剣でぶった斬る。

 ゴーレムの足は深くえぐれたが、すぐに周りの土を引き寄せて再生した。

「なるほど。超速回復か」

 今度はゴーレムが拳を地面にむかって叩きつける。地面がえぐれ、粉塵が舞う。そのままうなる拳を振り回すが、才人には当らない。

 拳の軌道を読みきった才人は避けると同時に腕を斬りつけ、返す刃で再び足を削る。そしてそのままゴーレムの背後に回り足を斬り、さらに側面に回って斬りつけた。

 まるで残像が見えそうなほどの素早さ。

 ゴーレムの再生スピードよりも早く攻撃を繰り返す。

 そのようなことをたった数秒繰り返しただけで、ゴーレムの機動力は完全に失われた。足が削られて自身の体重を支えきれなくなったゴーレムは膝から崩れ、辛うじて中腰で立っているだけで精一杯。その場から一歩も動けなくなった。

 そんなゴーレムに炎の玉が当る。

 キュルケの『ファイアーボール』でゴーレムの巨体がぐらついた。さっきまでは全く効いていなかったそれも、重心が不安定な今なら威力を発揮する。

「風の鎖」

 タバサが呪文を唱えると、ゴーレムの周りの空気が固まり鎖となった。そしてその巨体を雁字搦めにし、動きを完全に封じた。

「ルイズ! 今だ!」

 才人は叫んだ。同時に全員にこの場から離れるように指示をする。

「いくわよッ!」

 ルイズは杖を天に向かって突き出した。膨大な魔力が集まり青白く発光する。その発光はとどまる事を知らず、どんどんどんどん上空へと伸びてゆき、ついには巨木のように太く長くなった。

「な、何よアレ!?」

 キュルケが驚いて叫んだ。

 いや、キュルケだけではなく、タバサは目を大きく見開いて固まり、ギーシュはアゴが外れそうなほどに大きく口を開いている。

「あれはブレイドだよ」

 才人が静かに言う。

「ブレイドだって!? バカな!? あんな大きいのは見たことがないよッ!」

 ギーシュが取り乱しながらわめく。

 だが事実だった。

『ブレイド』はただのコモンマジック。杖に魔力を纏わせて剣のようにする魔法。先日才人が学院の上級生達に喧嘩を売られたときにも見受けられたが、それはせいぜい一メイルほど。あくまで剣の代用だった。

 しかしルイズのそれは違う。

 直径約1メイル、長さおよそ五十メイルの代物だ。この大きさを見て剣だという人はいないだろう。

 もはや武器の範疇を越えて兵器である。城門さえ易々と破壊できる攻城兵器なのだ。

「ふふふ、一撃で葬ってあげるわ!」

 まるで電流でも通っているかのように激しく発光するそのブレイドを、ルイズは身動きの取れないゴーレムに向かって叩きつけた。

「ふんぬぁぁぁッ!!」

 ゴーレムの頭に当った瞬間、激しい音がして頭部は弾けた。

「きゃぁ!」

 ゴーレムの破片が辺りに飛び散らされる。それをギーシュのワルキューレが受けて、詠唱中でガードできないタバサとキュルケを守った。

「ギーシュ、助かったわ」

「感謝」

 ちょっぴりギーシュの株が上がる傍らで、ルイズのブレイドは尚も巨体をえぐり続けた。

「うぉりゃぁぁぁ!」

 おおよそ貴族の娘とは到底思えないルイズの野性的な発声。

 まるで巨大なチェーンソーで岩石を削っているかのように火花が散り、辺りにゴーレムの残骸を撒き散らしながらめりこんでゆく。

 

 ついに巨大なゴーレムは真っ二つになって崩れ落ちた。

 

 

 

 辺りに土煙が舞う。

 ゴーレムを完全に破壊したブレイドは地面までもえぐった後、ようやくその光りを霧散させて消えていった。

「――ふぅ。口ほどにもないわね」

 土煙が晴れた後に現れたのは、髪の毛一本たりとも乱れていないルイズの華奢な姿だった。

「おめでとう、ルイズ。よくやったな!」

「サイト! わたし、やったわ! ゴーレムを倒したのよ!」

 才人はルイズの頭をポンポンと撫でた。

 すると子犬が尻尾をぶんぶん振るように喜んでいたルイズは、気持ち良さそうに目を細めた。

 そんな二人とは対照的に残された三人は呆気に取られている。

「る、ルイズが、ゴーレムを……倒した……?」

 目を点にしたキュルケが搾り出すように呟く。

「スゴイ……」

 タバサは風の鎖を解除しながら使い魔の無事を確認するため空を見上げる。

 使い魔は無事だった。

 だがしかし、何か様子がおかしい。慌てているような。

 それに僅かに違和感を感じた。何かが足りないような。

「すごいじゃないか、ルイズ!」

 ギーシュが興奮しながら才人とルイズに近づいていく。

 と、そこに頭上から何かが落ちてきた。

「あっ!?」

 タバサが驚愕に染まった顔でギーシュの頭上を見上げる。それにつられて才人達も見上げる。

 何かが落ちてきた。黒くて棘が付いた鬼の金棒のような何かが……

「げッ!? 破壊の杖!?」

 空中で回転しながら落下したその杖は、まるで吸い寄せられているかのように的確にギーシュを捉えている。そして――、

「ははは、すごいじゃないか! 僕は君を見直したよ。あの魔法は一体いつの間に――、ぶるぼぁあああああああああああッ!!」

 

 

 

 ――ギーシュは……、木っ端微塵に砕け散った

 

 

 

「「「ギーーーシュぅーーーー!!」」」

 

 神がかった軌道でギーシュの脳天にぶちあった破壊の杖は、彼の体をまるで先程ルイズに破壊されたゴーレムのごとく粉砕した。

 辺りにはそれまでギーシュだったモノの変わり果てた姿が散乱している。

 

 ギーシュは、その短い一生を終えたのだった。

 

 

 ◆

 

 

「きゅぃー! あのでっかい光りの柱に驚いて、お姉さまから預かってた棒を落としちゃったのね、きゅい、きゅい。」

 そして、上空を飛び続ける風竜の声は、誰にも聞かれることなく風に溶けて消えた。

 

「きゅいぺろ~(てへぺろ~)」





 ふぅ~。今回も何事もなく平和的解決ができたな。
 やはり無難な展開が一番ですね(ニヤリ

 ブレイドはコモンマジックか系統魔法かわからなかったのですが、今作ではコモンにしてしましました。
 巨大ブレイドは原作でデルフを殺ったヤツですね。


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第10話 杖の正体

<番外編>

 

 

 実は、ルイズはコモンマジックを習得していた。

 サモンサーヴァントとコントラクトサーヴァントは成功したので、同じコモンマジックはできるはずだ、と才人は言った。

 それを信じて閉鎖空間内で魔法の練習をしていたルイズは、数日前、初めて念力を成功させたのだ。

 自分の爆発は失敗ではない。四系統とは少し違う特殊な系統なのだと。そう認識し始めたとき、ルイズは自分の中で何かしっくりくる感覚を覚えたと言う。

 するとその日のうちに、小石に対して『念力』が初めて成功した。

 初めて魔法を成功させたルイズは、狂喜乱舞した。

 腕をブンブン振り回して、まるで錯乱したかのように念力を繰り返し、それでも信じられないのか様々な奇行を繰り広げた。

 まずは石を舐めた。石に仕掛けがあると思ったそうだ。舐めるだけでは飽き足らず、頬ずりしてみたり、臭いを嗅いだり、さらには石を飲み込もうとさえしたのだ。

 次は地面に額をぶつけ始めた。夢だと思ったそうだ。

 しかし夢でないとわかると、今度は才人が見たこともない摩訶不思議な踊りをはじめた。まるでどこぞの原住民が精霊と交信でもするかのような筆舌しがたい舞を見て、才人は思わずルイズを気絶させてしまったほどだ。

 

 MPもSAN値も削られたくなかったのだ。

 

 そんなことを毎日繰り返し、ルイズはついにほとんどのコモンマジックを習得したのだった。

 そして昨晩、なんの拍子かルイズはブレイドの魔法を成功させた。

 本人曰く、母親がたびたび使用していたのでイメージが染み付いていたのだという。嬉しさの余り調子にのったルイズは、ブレイドに限界まで魔力を込めるという何とも危なっかしいことをやりだした。

 魔力を込めれば込めるほどブレイドは大きく膨れ上がり、ついには(くだん)の巨大ブレイドにまで発展したのだ。

 天にそびえ立つ巨大ブレイドを掲げて、「サイト~、これ、楽しい~~♪」と、うっとりしたように微笑むルイズ。そして閉鎖空間ないでその巨大ブレイドを振り回して、破壊の限りを尽くしたのだ。

 その姿を見て、才人はひきつった笑いを禁じえなかった。

 

<番外おわり>

 

 

 

 

 

 

第10話 杖の正体

 

 

 

 

 

 

「き、きゃぁぁぁぁ!!」

 ルイズとキュルケが悲鳴をあげた。

 目の前でクラスメイトがスプラッタになったのだ。その精神的ショックは計り知れない。

「ああ、サイト、ギーシュが……、ギーシュがぁぁ」

 取り乱す二人を両腕で抱きとめると、才人は静かに言った。

「大丈夫だよ。心配しなくていい」

「で、でもぉ……」

 才人は二人をおいてギーシュがいた所まで歩いた。辺りには飛び散った脳髄に、まだちょっと動いている内臓。左右に吹き飛んだ目玉と目が合った時には、思わず吐きそうになる。

 そしてその惨劇の中心部に刺さっているのは、鉄の棘がたくさん付いた鋼鉄のバット。

「破壊の杖って、やっぱりこれは……、あれだよなぁ~」

 才人は困惑しながらも、地面に深々と刺さった『破壊の杖』を抜いた。

 そしてその血まみれのバットを頭上に掲げ振り回した。

 

 ぴぴるぴるぴるぴぴるぴ~♪

 

 突然あたりに奇妙な音が鳴り始める。

 そして次の瞬間、赤黒い肉塊となっていたギーシュが元の姿に戻った。その様子はまるでビデオの逆再生を見ているかのようだった。

「あ、あれ? ここは? 僕はいったい何をしていたのだね?」

「「ギーシュ!?」」

 何事もなかったようにケロッっとしているギーシュ。その様子を信じられないと言わんばかりに呆気に取られて見つめる一行。

「ちょっとサイト!? いったいこれはどういう事なの!?」

 ルイズが走り寄ってきて、才人の服に掴みかかる。

「ああ、それはコレだよ」

 才人は手にした破壊の杖を見せる。

 さっきまで血まみれだったそれは、いつの間にか綺麗な姿に戻っていた。

「これは、『エスカリボルグ』って言って、俺の世界にいた天使?(自称)のアイテム……かな?」

「天使ぃ?」

 若干自信なさげに言う才人。なぜなら才人自身もその説明に納得のいかない部分が多々あるのだ。

「意味わかんないわ。大体、何であんたの世界の道具が学院の宝物庫にあるのよ?」

 もっともな指摘だった。

 しかし、その疑問を誰よりも強く感じていたのは、他ならぬ才人だった。

「俺も何が何だか……、さっぱりわからん」

「あんたねぇ!」

「とにかく! このエスカリボルグはいくら殴っても人を殺すことができず、すぐに元通りに戻ってしまうアイテムなんだよ」

「聞いたことないわよ! そんな道具!!」

 この説明で納得できたら、その人は相当な上級者かよっぽどのバカだろう。

 が、しかし、事実なのだ。

 少なくとも才人はそう思っている。

 

 まぶたを閉じれば蘇る、なつかしい、何度も撲殺された中学校生活。

 ある日突然、机の引き出しから出てきた幼い顔立ちの美少女。自称天使の彼女の名は『撲殺天使ドク○』ちゃん。

 ド○ロちゃんは才人の守備範囲が広がり過ぎないよう、見守るために来たという。

 それゆえ、才人が幼女と手を繋いでいれば撲殺、そして蘇生。幼女と話しても撲殺、そして蘇生。挙句には幼女を見ただけで撲殺する始末。

 そんな過剰な愛情表現に用いられたのが、今才人の目の前にあるこの『エスカリボルグ』なのである。

 あれだけ何度も撲殺されて、目の奥に刻み込まれたその形状。間違えるはずがない。

 しかし、それが何故ここにあるのか?

 いくら眉間にシワを寄せてもわからない。

「ルイズ、今は何もわからない。あとで学院長にでも聞けばいいだろう」

「それもそうね」

「それよりも今はフーケの捜索が先だ」

「そうだったわ! フーケはどこ?」

 全員が一斉にはっとした。

 そんな中、才人が瓦礫の山に目を向けると、その中からモゾモゾとロングビルが出てきた。

「皆さん、無事のようですね」

「ミス・ロングビル!? 無事だったのですね?」

 ルイズが近づこうとする。それを才人が手で制した。

「サイト?」

「ミス・ロングビル。どちらにいらしたのですか?」

 才人は軽く微笑みながら聞く。

「お恥ずかしながら、瓦礫の山に埋もれて身動きが取れなかったのです」

「今の今まで?」

「ええ」

 才人はルイズの一歩前に出て質問を続ける。

「そうですか。それにしては妙ですね?」

「何がですか?」

「瓦礫の山から出てきたにしては、あなたの服はあまり汚れていませんね」

 ロングビルは慌てて自分の服を見回す。

 確かに服には傷やほつれ、土などは付いていなかった。

「そもそも、いつどういやって瓦礫に埋もれたのですか? あなたは俺とタバサと一緒に小屋に入ったんですよね? いつの間に瓦礫の中に移動したのでしょう?」

「……!?」

 それを聞いてタバサがハッっとする。そして杖を強く握り直した。

「そ、それは……、ええと、気が動転していて良く覚えていませんの」

 ロングビルは苦し紛れにそう言った。額からは猛烈な勢いで汗が出始める。

「ほう。そうですか。それは災難でしたね。ところで、フーケは何処からゴーレムを操っていたのでしょう?」

「え? そ、それは森の中からではないですか?」

「ほう?」

 才人はアゴに手を当てて考えるとギーシュの方を向いた。

「なぁ、ギーシュ」

「え、なんだい?」

「ギーシュは土魔法が得意だけど、離れた場所からワルキューレを操ることはできるか? 具体的にはあの森の中くらいの距離を離れて」

 小屋から森まで、ゆうに七十メイルは離れていた。

「うーん、それは難しいな。僕のワルキューレは精々十メイルくらいが限界さ」

「メイジのランクが上がったら有効範囲は広がるのか?」

「多少は広がると思うよ。けど、あんな大きなゴーレムを操るとなると、術者はそんなに離れることはできないと思うよ」

「何故だ?」

「魔法は基本的に使用する対象が大きければ大きいほど精神力を多く消費するからね。フーケのゴーレムくらいの大きさになると、それだけで相当な精神力を消費するし、離れて扱うのは非常に困難なのさ。僕の聞いた限りではフーケが巨大ゴーレムを使うときは、自身はいつもその肩に乗るか、すぐ近くにいたらしいね――」

 言っている途中でギーシュの顔がみるみるうちに真剣になっていった。どうやら気付いたようである。

「なるほど。だ、そうですよ、ミス・ロングビル」

 才人は目を細めながらロングビルに向き直る。

 ロングビルは益々眉根に力が入り、ハの字型に歪めた眉が痙攣し始める。

「なぁ、キュルケ。フーケは土のトライアングル以上のメイジらしいけど、俺達の中にそんな優れた土の使い手っていたか?」

 才人は、今度はキュルケに尋ねた。

「いないわよ。あたしは火、タバサは風、ギーシュは土だけどドットね。ルイズは……」

 キュルケは一瞬ルイズを『ゼロ』と言いそうになるが、さっきの巨大ブレイドを思い出して口をつぐんだ。

「そういえば、ミス・ロングビルは土のトライアングルでしたわ。……はっ!? まさか」

 これで全員が気付いた。

 この場であの巨大な土ゴーレムを操れるのはロングビルしかいないことに。

「ミス・ロングビル。あなたがフーケだったのねッ!」

 ルイズがビシッっと指を突きつけた。

「ちょ、ちょっと待ってください! フーケが特別に多くの精神力を持っている可能性もあります! それなら、森の中からもゴーレムを操れるのでは!?」

 ロングビルが慌てて反論する。

「言い逃れは見苦しいわよ、フーケ!」

 ルイズが勇み出ようとするが、才人が止める。

「まぁ、ルイズ。ここは俺に任せてくれ」

「え? どうしてよサイト!」

「まぁまぁ」

 才人はルイズをウインク1つで黙らせると、ロングビルに向き直る。

 ちなみにその後ろでは頬を染めたルイズが才人の背中を愛おしそうに見つめていた。

「なるほど。確かに世間を騒がせる大怪盗なら、そのくらいのことは出来るかもしれませんね」

「でしょう?」

 必死に抵抗するロングビルに対して才人は切り口を変えた。

「そういえばミス・ロングビル。確か貴女は明け方起きてからフーケの騒ぎを聞いて調査を開始したのですよね?」

「え、ええ、そうですわ」

「だとしたら、やっぱりおかしいですね」

「な、何がでしょう?」

 才人はゆっくりと前に歩き出す。ロングビルは警戒して僅かに後ろずさる。

「ここに来るまで馬で四時間もかかりました。学院長室に貴女が戻ってきたのはまだ昼前でした。とすると、あなたはどうしてそんな短時間の間に往復八時間の距離を移動できたのですか?」

「――ッ!?」

 ついにロングビルは自身が犯した決定的なミスに気が付いた。

 それでもどうにかしてこの場を切り抜けなければならない彼女は、必死で頭を回転させて筋の通る言い訳を考える。

「え、えっと、誤解があったようですが、私が実際にこの場所まで来たのではなく、学院の近くを歩いていた農民に聞いたのです」

 急場しのぎの嘘にしてはなかなかだった。これなら時間的な矛盾を解決できる。

「なるほど。学院の近くを歩いていた農民に聞いたのですね? その農民は何人でしたか?」

「一人……でしたわ」

「何か荷物は持っていましたか? 荷車をひいていたとか?」

「い、いえ。手ぶらでした」

 才人はニッコリと笑っていった。

「なるほど。その農民はよっぽどの暇人なのでしょうね」

「え?」

 解せない、とロングビルは首をかしげる。

「だってそうでしょう? あなたはその農民から『黒ローブを着た男がそこの小屋に入る所を見た』と聞いたのでしょう?」

 才人はすでに屋根がなくなった小屋を指差した。

「え、ええ……」

「だとしたらやっぱり変ですよ。この近くに農村なんて見当たりませんし、ここは森の中でも少し深い場所ですよね? その農民はこんな所に何をしに来たのでしょう?」

「そ、それは……」

 見る見るうちに青ざめていくロングビルに才人はさらに意地悪な事を言う。

「それに時間もおかしいですよね。農民は明け方から昼前に学院の近くを歩いていたのですよね? だとするとここから最低でも半日は歩き続けることになりますよ? その農民は夜にこんな森の中に来て黒ローブの男を発見し、一晩中一人で護衛もなしに歩き続けて学院に到着したことになります。行商で物を売りに来たわけでもなしに、手ぶらでその農民はいったい何をしにきたのですか?」

「うっ、それは……」

 ロングビルはもう言葉が出ない。

 何を言っても嘘を見抜かれてしまいそうで、次なる嘘は喉につっかえたまま飲み込むしかなかった。

「確かにおかしいわね」

 キュルケが同意する。

「不自然」

 タバサが目を細める。

「フッ。決まりだな」

 ギーシュは何故か勝ち誇ったように呟く。まるで自分が論破したと言わんばかりだ。

 才人はロングビルを尚も執拗にせめ立てる。

「そう言えばミス・ロングビル。農民の平均的な一日の生活を知ってますか?」

「……いえ」

 もはやロングビルは相づちを打つのも困難になっていた。

 額から止め処なく流れた汗がアゴにまで伝わっている。

「一般的に農民は日の出と共に起きて、日のあるうちに畑を耕し、日が落ちると寝るんです。これが一般的な生活サイクルです。そして自分の土地からは用がない限り出ません。ですから、夜に自分の土地を離れて猛獣がいるかもしれない危険な森の中に入り、その後、特に意味もなく一晩中夜道を徘徊した後、ついぞ自分の土地には戻らない――なんて奇抜な活動はしません」

「くはっ!」

 ロングビルは心に負ったダメージを思わず口で表してしまった。

 それ程にこたえていた。

「さらにこれが一番おかしいのですが、その農民が黒ローブの男を見た時間ですが、昨晩ですと……まだフーケは学院にいたか、逃走して間もないんですよね~。その農民はどうやってまだ学院の近くにいたフーケを遠く離れたこの小屋の近くで発見できたのでしょう?」

「――あッ!? くぁぁッ!」

 ロングビルは両膝を付いて倒れこんだ。まるで土下座でもしているかのような格好でうなだれている。

 それを見て才人は自分の思惑が成った事を確信する。

 

 才人はなにも好きでロングビルを苛めたいわけではなかった。自分は嘘を必ず見破るという印象を彼女に与えたかったのである。なぜなら才人も分からなかったのだ。

 何故ロングビルがこんなことをしたのか?

 せっかく盗んだお宝だ。そのまま持って逃げればいいはずなのに、何故危険を冒してまで学院に戻ってきたのか。

 その目的が分からない。

 無口少女の言いたいことを瞳を見ただけで理解できる才人にすら、ロングビルの意図が見抜けなかったのだ。

 よって、彼女の口から直接聞くしかない。

 その為には彼女が素直にしゃべるように誘導しなければならなかった。もちろん肉体的・精神的に痛めつけて吐かせる手段もあるが、才人はそのような事を好まなかった。

 可能な限り自分にも相手にも損害を出さずに情報を得る。それが才人のこだわりなのだ。

 その為にわざわざネチネチと矛盾を突きつけて、ロングビルの精神的抵抗力を削ったのだ。

 人は自分の負けを認めると素直になるものである。逆に負けを認められないほど激しく抵抗するものだ。

 今のロングビルなら、すんなりと真実を話してくれそうである。

 

 しかしこのままやられっぱなしは嫌だと、ロングビルは最後の抵抗を試みる。

「そ、そうだ! 馬なら四時間で済みます! これなら小屋でフーケを見つけられます!!」

 まるで天啓が降りてきたかのように顔を輝かせると、勢い良く立ち上がり、どうだと言わんばかりに胸を張って誇る。

 そんなロングビルに才人は冷静に斬り返した。

「うん。さっき自分で『歩いていた農民』って言ったよね? 今更馬に乗ってた設定に変えるのですか? そもそも高価な馬を農民が所有しているのですか?」

 ロングビルの目が一瞬で点になった。

 そんな彼女を一行は可哀想なモノを見るような目で見つめる。

「――あっ。くぅぅうううんん……」

 そのあまりにも残酷な視線に耐え切れなくなったのか、ロングビルは顔を真っ赤に染めると、恥ずかしそうに両手で覆った。

 そのまま再びペタンと座り込み、杖を振り小さな穴を掘った。そして顔を覆ったままその中に入り、小さく丸まってしまった。

「ひにゃぁぁああぁぁ!!」

 どうやらよっぽど恥ずかしかったようである。羞恥に悶えながら奇声を発している。

 穴に入りたいほど恥ずかしいとは、この事である。

「ねぇ、サイト。どうするの、これ?」

 ルイズが才人の服を摘みながら言う。

「とりあえず掘り出して話を聞くかな」

 才人はロングビルを穴から引きずり出した。

 杖を奪うとルイズに預ける。

「尋問は俺一人でやるから、みんなはあたりを警戒してくれる?」

「尋問って、何をするの?」

 キュルケの問いに才人は無言の笑顔で答えた。

 それを見た一行はゾクリと背筋が震えた。

 きっと自分が聞いてはいけないような手段を用いるのだと、本能的に察したのだ。

 キュルケが横を見ると、タバサが目を俯かせて首を振った。

 ギーシュは顔を青くした。

「それじゃ、ギーシュ。俺がミス・ロングビルに事情を聞いている間、皆の護衛を頼む」

「あ、ああ……」

 引きつったギーシュの笑顔をよそに、才人はロングビルを屋根のなくなった廃屋の中へと連れて行った。ついでにエスカリボルグも持っていく。

 廃屋に入るとすかさず閉鎖空間を発動。

 これで中の様子が外部に知られることはない。時間も操作したので、中の一時間は外の一秒になっている。

 

 さて、楽しい楽しい尋問タイムの始まりである。

 

   ◇

 

 その後、才人はロングビルから洗いざらい情報を聞き出した。

 が、ロングビルもなかなかに強情で、すべてを聞き終えたときには才人の宇宙パワーはすっからかんになってしまった。

 

 

 

 

     ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

「やはり『破壊の杖』を盗んだのはミス・ロングビルじゃったか……」

 魔法学院に戻ったルイズ達は、学院長室で事の次第を説明していた。

 学長室にはオスマンだけが座っており、才人を含めた五人はその正面に堂々と直立している。

 あれからロングビルはおとなしく捕縛され、今は学院の地下牢に入っている。

「これが奪われた『破壊の杖』です」

 ルイズが進み出て、机の上に鬼の金棒のようなバットを置いた。

「うむ、確かに『破壊の杖』じゃ」

 オスマンは二度三度それを撫でると、安堵したように息を吐いた。

 そしてルイズたちにロングビルについて他言しないように釘をさす。なにせ学院の関係者に盗賊がいましたなんて事が公けに知られる訳にはいかない。当然の措置である。

 もちろん本心は自分の責任問題になるのが嫌だと言うことなのだが、それは口にしない。

「あのう、失礼ですが……」

 ルイズがためらいながら聞く。

「なんじゃ?」

「その、ミス・ロングビルはいったい何処で採用されたのですか?」

 が、ルイズはオスマンの意図を読み取ることなく、痛いところをつく。

 こういう聞きづらいことを素直に聞けるのはルイズの正直な性格のなせるわざで、キュルケたちは心の内で感心する。

「うむ? う、うむ。それはじゃな――」

 オスマンは言いよどんだ。言うべきか、言わぬべきか迷っているようだ。

 しかし、秘宝を盗んだ犯人を捕まえた勇気ある生徒たちに払う敬意はあるようで、観念したようにしゃべり出した。

「――その、美人じゃったので、何の疑いもなく採用してしまったのじゃ……」

「……は?」

 ルイズたちは言葉につまる。

「街の居酒屋での。給仕をしておった彼女の尻を、ついついこのいけない手が撫でてしまってのう――」

「……」

 言葉を失った一同は、聞かなければ良かったと心の中で思う。だが時既に遅し。

「――しかも、いくら触っても全く怒らなかったので、わしの秘書にならないかと言ってしまったのじゃ」

「ちょ!? 何でですか!!」

 ルイズはたまらずつっこんだ。

 あまりに整合性の取れない文脈に、身分差も忘れて迫る。

「い、いや、その……、お金に困っているようじゃったし、つい……。あと、魔法も使えるようじゃしの――」

 女性陣が揃って冷たい視線を浴びせる。

 無理も無いことだった。要約すると、立場の弱い女性がお金に困っていたので、セクハラ目的で雇った、ということだ。

 何処からどう見ても最低の行いである。

「今思えば、あれは学院にもぐり込む為の演技じゃったのかもしれん。わしの前に何度もやってきて愛想良く酒を勧める。学院長は男前で痺れますぅ~、などと媚を売りおって。しまいにゃ尻を撫でられても怒らない。わしに惚れてる? とか思うじゃろ?」

 後頭部を指の先でひっかくオスマンにギーシュが賛同する。

「全くその通りであります。美人はそれだけでいけない魔法使いなのです」

「ほほぉ、ミスタ・グラモン! 君はうまい事を言う。将来有望じゃ!」

 何が将来有望かと、女子たちはますます冷ややかな視線を二人に向ける。

 まるで汚物にたかるハエを見るような視線を。

「「そ、そんな目で見んでくれ(見ないでくれ)」」

 美少女たちの蔑むような視線に耐えられなかったのか、オスマンとギーシュは慌てる。

 ルイズたちは少しやりすぎたかと、眉にこめた力を抜く。

 だが、次の二人の言葉でそれが誤りであったことを知った。

「「ゾクゾクするぅ~!」」

 二人は声を揃えて言った。

「ええのう! できれば、その視線のまま汚い言葉で罵倒して欲しいものじゃ!」

「同感です。オールドオスマン」

 二人は良心の呵責に苦しんでいた訳ではなく、むしろ歓喜に打ち震えていたのだった。

 その様子にガクリと首が折れるルイズたち。

 もう全てが手遅れであることを悟ったのだ。

 

「おほん!」

 オスマンが場の空気を変えようと咳払いをする。

 と、その時、学長室のドアが叩かれた。

「失礼します」

 ぞろぞろと教師たちが室内に入ってきた。

「学院長。秘宝を奪還したというのは本当ですか!?」

 教師たちを代表してギトーが尋ねた。

「おお、ギトー君。ちょうど良い所にきたの。この者たちが盗人を捕縛し、秘宝を奪還してくれたのじゃ!」

 ルイズたちが礼をする。

 本来なら誇らしげにするのだが、今さっきオスマンの醜態を見た後で素直に喜べず、どこかぎこちないモノになってしまった。

「ほう、この者たちが!」

「よくやったな。君達は魔法学院の英雄だ!」

 それでも教師たちに賞賛の言葉をかけられると、次第に表情も柔らかくなっていった。

「よかった。これで学院の名誉も守られるというものだ!」

 教師の誰かが言った。

「まったくだ。再犯防止の為に、宝物庫の壁を厚く作り直さなければならぬな!」

 ギトーは寝ずの番に疲れているのか、若干不機嫌ながらも胸を撫で下ろす。

「そうですわ。『固定化』をもっと強力にかけ直さねばなりませんね」

 シュブルーズも、両手を胸に当てて大きく安堵の息を付いた。

 当直をサボり賊の侵入を許すという失態を演じてしまった彼女も、これでその負い目からようやく解放されたのだ。

「オホン!」

 オスマンが場を静める。

「さて、盗人は捕まり、『破壊の杖』は学院に戻った。一件落着じゃ!」

 学院長室に拍手がこだました。

「任務を遂行した君達にはわしの方から『シュヴァリエ』の爵位申請を宮廷に出しておこう。ミス・タバサはすでに『シュバリエ』の爵位をもっておるから、精霊勲章の授与を申請することとする。追って沙汰があるじゃろう」

 四人の顔がぱっと明るくなった。

「ほんとうですか?」

 キュルケが喜々として聞き返す。

「うむ。君達はそれほどの功績を残したのじゃ。当然じゃろう」

 ルイズは先ほどから何も言ってない才人を見た。

「……あの、オールド・オスマン。サイトには何もないのですか?」

「残念ながら彼は貴族ではない」

 才人は学院長室に入ってから初めて口を開いた。

 いつもの執事モードで。

「主人が名誉を受ける事こそが、使い魔にとっての最高の褒美にございます」

「……サイトがそう言うなら」

 ルイズはしぶしぶ納得した。

「さて諸君。今夜は『フリッグの舞踏会』じゃ! この通り『破壊の杖』も戻ってきたことじゃし、予定どおり執り行う」

 キュルケが思い出したように顔を輝かせた。

「そうでしたわ! フーケの騒ぎですっかり忘れてましたわ!」

「今日の主役は君たちじゃ。しっかりと着飾るのじゃぞ」

 四人は礼をして退室していった。

「サイト?」

 一人その場から動かない才人にルイズが怪訝な顔を向ける。

「お嬢様、先に準備していてください。わたくしは少々お話が残っていますので」

「サイトが残るなら私も残るわ」

「いえいえ、大した事ではないので、お嬢様のお手を煩わせる必要はありません。それより、お嬢様のドレス姿を楽しみにしていますよ」

 才人が言うとルイズは頬を染めて頷いた。

 

 ルイズが退室し教師たちも退室したあと、学院長室はオスマンと才人だけが残った。

「ふむ、それで話とは何かね? 使い魔の少年君」

「いくつか質問がございまして。この『破壊の杖』のこととか、ミス・ロングビルのこととか。この左手のルーンのこととか――、そして、我が主の魔法の系統について……などとか」

 オスマンの目が鋭くなる。

「わしに話せる事であれば話そう」

「では――」

 

 静かになった学院長室で、なにやら不穏な会話がなされるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




撲殺バット エスカリボルグ
ドクロが持つ魔法アイテム。殴っても絶対に死なない(死ねない)無数の乱杭歯付きのニッケル合金製バット。また、コレを使うことで撲殺された人物を再生することができる。
↑重量はおよそ2tあるそうですが、軽量化の魔法がかかっている……、ということにでもしておいてください(^^;


<今回の没ネタ>

閉鎖空間内での尋問

 ロングビルは両手を頭の上で縛られ、天井からロープで吊るされている。
「ロングビルさん。早く白状したほうが身のためですよ?」
「あんたには関係ないだろ」
 才人はエスカリボルグを振り回す。
「きゃぁあああ!」
 ロングビルの服が綺麗に破かれた。
「このバッドで殴られると何でも元に戻るんですよ。こんな風に服を破っても証拠は残りません」
「け、ケダモノぉ!」
 再びバッドを振る。
 下着があらわになった。
「早くしゃべらないと、すっぽんぽんになってしまいますよ?」
「い、いやぁああああ!」

↑さすがにアウトー!! だと思ったので、自重しました(汗


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第11話(前編) 真実

お気に入り100件超えたぁぁああああああ!!
ありがとうございます。ありがとうございます。
皆様の応援のおかげで、無事ここまで書けました。
実は密かな目標だったのです(100件)。達成できて嬉しいです。

さて、いよいよ今回が、作者がこのssでもっとも書きたかったシーンです。
ちょっと長いので分割します。


 

 

 魔法学院本塔二階にある大ホール。

 ここが本日、舞踏会が開かれる会場である。

 才人は『破壊の杖』奪還任務の功績が認められて、特別にこの舞踏会に参加することが許されていた。

 とは言ってもここは貴族の社交界。

 平民に過ぎない才人がホール内を我がもの顔で歩くのはさすがに常識に欠ける為、才人はホール内には入らずバルコニーの枠に寄りかかっていた。

 既に舞踏会は始められており、着飾った生徒と教師たちがいたるところで歓談している。

 壁沿いに幾つも並べられたテーブルの上には豪華な料理がこれでもかと盛り付けられ、香ばしい香りやハーブの匂いが部屋の中を駆け巡る。

 ホールの一角に設けられたスペースには楽器隊がおり、優雅なクラシックを奏でている。

 才人がそんな華やかな会場を眺めていると、メイドの一人が近づいてきた。

「サイトさん。探しましたよ」

 艶やかな黒髪をカチューシャで留めたそのメイドはシエスタだった。

 手に持ったトレイの上には肉料理やサラダなどが並べられている。

「よかったら、これどうぞ」

「ありがとうシエスタ。でもいいのかい? まだ仕事が残ってるんじゃ?」

「抜け出してきちゃいました」

 そう言ってペロッっと舌をだすシエスタ。

 その様子がなんとも純朴な魅力をかもし出す。

「聞きましたよ、サイトさん。盗賊を捕まえたんですって?」

「え? 何のことかなぁ~?」

「とぼけたって無駄ですよ。もう使用人たちの間では皆知ってるんですから」

 あちゃー、と才人は顔を覆う。

 平民の情報伝達の速さを甘く見ていたのだ。

 学院長には自分のことをあまり公に出さないように頼んだのだが、どうやらひと足遅かったようだ。

「自分はただ主人の手助けをしただけですよ」

「またまた~、そんな嘘には騙されませんよ。ミス・ヴァリエールが魔法を使えないことは使用人だって知ってるんですから」

 それでも才人がいくつか論拠を挙げながら説明すると、しだいにシエスタも才人の言うことを信じるようになった。

「へぇー、そうだったんですか。ミス・ヴァリエールが魔法を……」

「そうなんだ。ルイズは、本当はすごいメイジだったんだよ」

「た、確かにサイトさんみたいなすっごい使い魔を召喚するくらいですしね――」

 どうやら納得してくれたようだ。

「じゃぁ、学院の外に突然現れた土の山も、ミス・ヴァリエールがやったんですか?」

「え? それは……」

 それは自分が『ふんもっふ』でやりました、とは言えない。これは本当に情報が漏れると、どこからか神官がやってきて異端だ、なんだと言われかねないからだ。

「さぁ、どうだろうな~」

「ん~、怪しい~」

 シエスタはイタズラを思いついた子供のような顔をしながら、才人を下から覗きこむ。

 そんな仕草にドキリとした才人は思わず口を滑らせそうになるが、

「シエスター! いつまで休んでるの! 早く仕事に戻りなさい!」

「あ、はい! すみません」

 同僚の声に、シエスタは慌てて仕事に戻っていった。

「ふぅ~。危なかった」

 才人はシエスタの後姿を見送ると、ほっと胸を撫で下ろす。

 

「はっはっは、才人君はああいう素朴な女性に弱いようだね」

 突然現れたのは、頭頂部が眩しいコルベール。

「おっと、これは珍しい。教職の方に声をかけて頂けるとは」

 突然の出来事にも動じず、才人は小さく礼をした。

「私のことはコルベールで構わないよ。それより少し聞きたいことがあるのだが――」

「奇遇ですね。実はわたくしもあなたに聞きたいことがあったのです」

「おや、私に? 何かね?」

 コルベールは予期しない展開に少しだけ慌てた。

「単刀直入に言いますが、何故わたくしたちがゴーレムと戦っていた時、助けに入らなかったのですか?」

 コルベールの目が一瞬で厳しいものになった。

「……どう言うことかね?」

「誤魔化さなくても結構です。あなたですよね? わたくしたちが学院を出てからずっと尾行していたのは」

「……そうか。君は知っていたのだね。なら誤魔化す必要はなさそうだ」

 コルベールは夜の月を見上げながら語りだした。

「私はね、今でも彼女が犯人だなんて信じられないのだ。実は私は過去に学院長の指示でミス・ロングビルの素性を調査したことがあるのだ。すると思わぬことがわかってね……、彼女は給料の大半をアルビオン、つまり外国に送金していたのだよ」

「ほほう?」

「送金先を詳しく調べるとサウスゴータの森の中に非公式に住んでいる孤児たちに行き着いた。彼女はその孤児たちのために仕送りをしていたのだよ」

「なるほど、そんなことが」

 コルベールは遠い目をした。夜空には双月が輝いている。

「孤児たちは貧しい生活ながらも笑顔が絶えなかった。それを見たときに私は思ったのだよ。きっと彼女は間違ったことはしていない。そしてこれこそ人のあるべき姿だと。それから……なのか。私が彼女に心惹かれるようになったのは……」

「なるほど、それで彼女をかばったのですか」

「……」

 コルベールは無言をつらぬいた。

「そう言えば学長室でも彼女をかばいましたね?」

「……何のことだい?」

「学長室でミス・ロングビルがうっかりゴーレムの残骸について知りえない情報を口走ろうとしたとき、あなたは大声で話に割って入りましたね。結果ミス・ロングビルは自白に等しい失言をせずに済んだ。あれは彼女を助けるためにわざとやったのですね」

「……」

 再びの沈黙。だがその沈黙が、才人の問いが的を射たものであることを物語っていた。

「隠さなくて結構です。あなたは聡明な人だ。今までバカのふりをしながら彼女を影から助けてきた。違いますか?」

「……どうやら君には隠し事はできないようだね」

 コルベールは嘆息しつつ聞いた。

「君は一体、何を知っているんだい?」

 その問いには答えず、才人は歩き出した。

「ついて来て下さい。これから真実をお話しましょう」

 

 

     ◆ ◆ ◆

 

 

 学院本塔の外壁。

 ちょうど宝物庫の外壁に当るこの場所にフードをかぶった人影があった。ちらりとのぞく緑の長髪。細い指先。それらがこの人影が女性であることをうかがわせる。

 パーティーも中盤に差し掛かろうという頃、この女は宝物庫の外壁に張り付いたまま何かを探していた。

「あった、ここだね」

 そこは昨晩フーケ襲撃時に穴が開いた場所。

 一応『錬金』によって塞がれたその穴は外から見ると周りの壁と見分けが付かない。だが、突貫工事で造ったハリボテ同然の壁など、フードの女にとっては無いにも等しい。

 女は軽く杖を振る。

 すると壁は一瞬で砂に変わった。

「昨日賊に襲われたばかりだと言うのに無用心だね」

 女はほくそ笑みながら宝物庫に侵入した。

 

 中に入るとあたりを見回す。

 さすがは学院の宝物庫とでも言うべきか、国中から集められたマジックアイテムがこれでもかと敷き詰められている。

「くっふっふ。宝の山じゃないか!」

 女はフードを取った。現れたのは破壊の杖を盗んで、今は地下牢に入っているはずの学院秘書――、ロングビルであった。

 どういうわけか、彼女は地下牢を抜け出したようだ。

 ロングビルは目尻を猛禽類のように吊り上げて、目の前のお宝に舌なめずりする。

 そしてお目当てのマジックアイテムを見つけ手に取った。

 ハンドベルのような形の鈴。正式名称は『眠りの鈴』という。

 ロングビルは狂喜したように口元を歪めた。これから己がすることを想像して身震いする。

「今日は土くれのフーケにとって最高の晴れ舞台になるだろうね」

 『眠りの鈴』は効果範囲内にいる使用者以外の人間を強制的に眠らせる秘宝である。使用するには精神力を込める必要があるが、一般的なメイジがほんの数分も身に着けていれば事足りる。

 もしこれを学院中のメイジが集まるパーティー会場で使ったらどうなる。一瞬にして学院を守るメイジが無力化されるではないか。その隙に自分は学院のお宝を全て盗み出す。

「こりゃ『破壊の杖』どころじゃないね、くっひっひ」

 もともと彼女は闇ルートの依頼で『破壊の杖』を盗むために学院に潜入した。だが、予期せず幸運が訪れたのだ。宝物庫内の秘宝を丸ごと掻っ攫える幸運が。これを逃す理由はない。

 ロングビルは壁に開いた穴から飛び降りると『フライ』を唱えて地面に着地。そのまま本塔二階の大ホールを目指した。

 

 だがこのときの彼女は知らなかったのだ。

 自分の思惑に気づいている者たちの存在を。

 

 

 

 学院本塔、入り口前の階段に二人の男たちが立っていた。

 

 

 

 

「どちらに行かれるのですか? ミス・ロングビル」

 そのうちの一人、才人が階段を降りながら言った。

「ミス・ロングビル!? 何故あなたがここにいるのですか? 今あなたは地下牢にいるはずでは?」

 遅れてコルベールが驚愕と共に叫んだ。そして駆け足で階段を降りる。

 彼の瞳には確かにロングビルが移っている。コルベールは思わず目をこすった。

 ロングビルは一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐに表情を元に戻した。

「ふっふっふ、警備が甘すぎるのではなくて? スペアの杖を見逃すなんて」

 そう言ってロングビルは杖をヒラヒラと見せる。二人の目線が杖に集中した隙に『眠りの鈴』を素早く腰の後ろに隠した。

 コルベールは自然と杖を構えた。魔法の不意打ちを警戒したのだ。

「何故あなたが……、どうしてこんなことを」

 目の前の出来事が信じられないとコルベールは力なくつぶやく。

「さあ、何故でしょうね?」

 ロングビルはあざ笑うかのように顔を歪めてみせた。

「教えてくれ! どうしてこんなことをしたんだ! 今までの君は演技だったというのか! 孤児たちの笑顔は嘘だったと言うのか!」

 コルベールは声を大にして激昂した。握り締めた杖によりいっそう力が入る。

「おーっほっほっほ」

 そんな愚直なコルベールを見てロングビルはこらえきれなかったのか、腹をかかえて笑い出した。

「答えたまえ! ミス・ロングビル!」

 なおもつめ寄るコルベール。

 だがしかしそんな彼を制するように才人は一歩前に出る。

「無駄ですよ。ミスタ・コルベール」

「どういうことかね?」

「なぜなら彼女は――、ミス・ロングビルではないのですから」

 

 一瞬、辺りから音が消えた。

 

 すかさず場に張り詰める緊張感。

 ロングビルは表情を一変させた。両目を細め、警戒心をむき出しにして、才人の次の言葉を待った。

 

「いい加減、下手な猿芝居は止めましょうよ。ミス・ロングビル……、いや――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――シュブルーズ先生」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




つづく


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第11話(後編) 


ふぅ~、なんとか修正できたか、な?
まだ矛盾残ってたらごめんなさい。後で修正します。
とりあえず、どうぞ。

読んでくれた全員に感謝を込めて。


第11話(後編) 

 

 

 

 しばし無言のまま睨み合う二人。

 張り詰めた空気の中、先に口を開いたのは女のほう。

「よくわかりましたね。私の変装を見破ったのはあなたが初めてですよ」

 女は杖を振る。

 すると女の全身が光り、その姿を変容させる。

 光が収まり現れたのはふくよかな体躯、垂れ下がった目尻。紫色のローブにトレードマークの三角帽子をかぶった中年女性はまさしく、シュブルーズその人だった。

「なっ!? 一体何が!?」

 驚きを禁じえないコルベール。

 対照的にサイトは冷静だった。

「あなたは驚かないのですね? せっかく見破ったご褒美にこうして変装を解いて差し上げたのに」

 どうでもよさそうにシュブルーズは不満をもらす。

「これは一体どういうことですか!」

 コルベールが叫ぶ。

「失礼しましたわ、ミスタ・コルベール。冗談のつもりでしたの。ちょっと驚かせようとしただけですわ」

「何ですと!?」

 突然丁寧な態度に改めたシュブルーズに混乱するコルベール。

「土と水のトライアングルスペル。私のオリジナル魔法ですわ。パーティーの出し物代わりに、盗賊に変装して皆を驚かせようとしたのです」

 さもあっけらかんと言うシュブルーズにコルベールは激を飛ばす。

「不謹慎ですぞ! 冗談にして度が過ぎますぞ!」

「申し訳ありません。これくらいの方が皆も驚いてくれると思ったので……」

 ペコリとお辞儀をし反省を表すシュブルーズ。そのまま二人の間を抜けて塔の入り口の階段を登ろうとする。

 だがしかし、才人には通じなかった。

 才人はシュブルーズの行き先を封じるように仁王立ちする。

「嘘がヘタですね」

「――何のことでしょう?」

「あなたがミス・ロングビルの格好をしてきた時点でもうおかしいのですよ。何故知っているのです? 彼女が犯人であることを。オスマン学院長が『かん口令』を出されているので、犯人の正体について知る人はほとんどいないはずですが……。先程学院長は盗賊を捕縛したとは言いましたが、盗賊の正体がミス・ロングビルだとは言ってませんよね」

「そ、そうですぞ! 何故彼女が地下牢にいることをあなたが知ってるのです!」

 コルベールが思い出したように同調する。

 ロングビルが犯人であるのを知っているのは捜索隊に参加したメンバーと尾行していたコルベール、そしてオスマン学院長。あとは一部の衛兵くらいのものである。シュブルーズがそれを知っている道理はない。

「あらまあ。これは墓穴を掘ってしまいましたね」

 口では冷静さを装うも、シュブルーズは内心焦りながら後ろに飛びのいた。距離を取って再び対峙する。

「どういうことだね、サイト君? 彼女はいったい? それにミス・ロングビルは……?」

 コルベールの問いに才人は答える。

「ミス・ロングビルはフーケではありません。真犯人は別にいます」

「なんだって!? では、彼女は無実なのか!?」

「うーん、そのあたりは微妙なんです。有罪とも無罪とも取れるというか……」

「どういうことかね?」

「順を追って説明しましょう」

 才人はシュブルーズを警戒しながら話す。

「まずはじめに、フーケが盗みをした際、犯行声明を出すことはご存知ですよね?」

「もちろんですとも」

「オスマン学院長に聞いたのですが、フーケは盗んだ際に必ず『秘蔵の○○、確かに領収いたしました。土くれのフーケ』とサインを残すそうです。ところが今回のサインは『破壊の杖、拝領いたしました。土くれのフーケ』でした。細部の言葉づかいが異なっているとは思いませんか?」

「確かに言われてみれば……。と言うことは?」

「今回の犯行はフーケを騙った模倣犯によるものである可能性があります」

 コルベールが開いた口を閉じるのに、しばし時間がかかった。

「次にミスタ・コルベールがおっしゃっていたミス・ロングビルの素性についてですが、おそらくこれはミスタの認識どおりで正しいと思われます。孤児を養うために外国に出稼ぎに来ていた」

「うむ」

 コルベールはなんとか口を閉じてうなずく。

「しかしそうすると、どうにも解せない事がありますよね?」

「と、言うと?」

「もしミス・ロングビルがフーケで孤児を養うために盗みをしていたなら、彼女は何故いまだに盗みを辞めていないのでしょう?」

「――?」

 コルベールは一瞬わからないように首をかしげ、才人に続きを促した。

「わたくしが聞いたところ、フーケは多数の貴族から家宝級のお宝や強力な魔法が付与されたマジックアイテムを盗みまくっているそうですね。それどころか王立銀行を襲った事さえあると。それほどまでに多くの盗みを働いたなら、もう一生を遊んで暮らしても余りある大金を得ているはずです。それこそ十人、二十人の孤児など問題なく養えるほどの額を」

「た、確かに!」

 まるで目から鱗が落ちたかのようにコルベールは衝撃を受けた。

「もしミスタ・コルベールが彼女の立場だったら、そんな大金を得ていながら学院の秘書をして給金を仕送りしたりするでしょうか? わたくしだったらしませんね。秘書どころか盗賊家業からも足を洗って孤児たちと隠れて暮らすでしょう。にも関わらず彼女はいまだに仕送りを続けている。おかしいと思いませんか?」

「……そのとおりだ。何故いままで気づかなかったのか……」

「ですので彼女がフーケである可能性は低いです。しかし『破壊の杖』を盗んだのは確かにミス・ロングビル本人なのです」

「何? 何故だ?」

 ロングビルの無罪を期待していたコルベールは若干落胆したように才人を見つめる。

「わかりません」

「わからない?」

 どういうことだと、困惑をあらわにするコルベール。

「正確に言いますと、わたくしもそれがずっとわからなかったのです。『破壊の杖』を奪還した際に彼女にいくつか質問したのですが、どうも回答がちぐはぐというか不自然でした。何故盗んだと聞けば、『盗まなければならない』と。盗んでどうするつもりだと聞けば、『廃屋に持って行かなければならない』と。あげくには、何故学院に戻ってきたと聞けば、『返そうと思った』なんて言うんですよ。おかしいでしょ? しかし嘘は言っていない。それで先ほどオスマン学院長に調査を依頼したところ、面白いことがわかりました」

「面白いこととは?」

「彼女、魔法で操られていた可能性があるのです」

「何ですとぉー!?」

 コルベールは眼球が飛び出さんほどに驚く。

「そんなばかな。私は彼女に『ディテクトマジック』をかけて調べたのだ。その時には何の反応もしませんでしたぞ!」

「オスマン学院長の話によると水系統のスペルに『ディテクトマジック』をすり抜ける魔法があるそうです。たしか今では禁術に指定されているとか……」

「水系統、禁術……、そうか、『制約ギアス』か!? 確かにあれなら『ディテクトマジック』にも引っかからずに人を操ることができる!」

 

 ――制約ギアス。

 大昔に使用を禁じられた心を操る水系統の呪文。

 これをかけられた者は任意の条件――、時間や場所などの条件を満たすと、詠唱者が望む行動を取る。その強制力は絶大で、かけられた者に自殺を強いることも容易なほどだ。

 発動するまでは呪文にかかっているかどうかは見破れない。自分がかけられたことにも気づかない。

 魔法が発動するとかけられた者の瞳の中に僅かに魔法の光が灯るが、詠唱者が強力だとそれすら見えなくなる。

 発動していないときにディテクトマジックをかけても、当然魔法の痕跡は見つけられない。

 

「ずっと不思議に思っていたのです。何故彼女は『破壊の杖』を盗んだのか。そしてせっかく盗んだをお宝を持って逃げず、わざわざ危険を冒して学院に戻ってきたのか。まるで食事を取り上げられた獅子の群れの中に飛び込むような自殺行為。まともな神経でそんな行動を取るはずがない。行動に一貫性もありませんしね。しかしそれが彼女の意思ではなかったとしたら? それを聞いてようやく繋がりました。自分にとって全く益にならない行動を取る理由。それはつまり別の誰かの益になる行動だったということでしょう。――そう、別の犯人、真犯人の、ね」

 

 そこで才人はシュブルーズを睨んだ。

 

「そしてここからは想像ですが。

 ミス・ロングビルはギアスをかけられていた。その命令はおそらく二つ。一つはチャンスがあればフーケのふりをして破壊の杖を盗むこと。そしてもう一つは盗んだ杖を森の奥の廃屋に輸送すること。

 彼女はその二つの命令を忠実に遂行した。だが、そこでイレギュラーな行動を取る。盗んで輸送したはいいが、その後の行動を決められてなかったので、自然と魔法学院に帰ってきてしまった。しかも帰還途中で自分が盗みをしたことに戸惑い、愕然とする。自分は盗みを働きたいなんて思っていないのに、何故盗んだと。

 彼女は盗まなければいけないと思っている。しかし何故盗まなければいけないかがわからない。本心では盗みなどしたくないのに。

 途方に暮れた彼女は、そこでひらめいた。

 そうだ、返してしまおう、と。

 一度ちゃんと盗んで廃屋に輸送したのだから、もう自分のすべき役目は果たした。あとは自分が盗みを働いた、なんていう落ち度がなくなれば、全てまるく解決するではないか、と。

 そのために、彼女は破壊の杖を捜索させたのです。

 自分が廃屋から杖を持って返ったら一番怪しまれるのはミス・ロングビルです。しかし別の人が持って返れば、彼女の疑いは薄まる。

 こんな所ではないでしょうか?

 『盗まなければならない』『廃屋に持って行かなければならない』は、妙に断定的で脅迫じみた印象を受けます。それに比べて『返そうと思った』は純粋に彼女の意思が感じられますので、やはりこのあたりの線が妥当ではないでしょうか」

 

 才人はまるで自分が見てきたかのようにスラスラと予想を披露した。

 もちろん完全な想像という訳ではない。ロングビルを尋問したときにあらかた必要な情報を入手していたので、あながち間違いではなかった。

 

 才人はあえて言わなかったが、ロングビルがゴーレムを使って捜索隊を襲ったのは、フーケの犯行を印象付けるためだった。彼女は自分がフーケでないとわかっているので、外部犯の犯行を強調することは都合が良かったのだ。

 だからあのとき――、ゴーレムがルイズを襲って才人が助けに入ったとき、最後の最後でゴーレムの攻撃速度が緩まったのだ。

 ロングビルの目的は生徒に危害を加えずに、フーケの犯行を演出すること。

 生徒に怪我をさせるわけにはいかない。

 これがあのとき才人が感じた違和感の正体だった。

 そしてその違和感が、後に才人がロングビルの主犯説を疑うキッカケになることに一役かっていた。

 

「まさか……、そんなことが……」

 コルベールは半ば放心しそうになるのを耐え、気を強く持ち直した。そして憎しみを込めながらシュブルーズを見る。

 だがそこでコルベールは何かに気づいたように一瞬動きを止める。そして才人に尋ねる。

「ちょっと待ちたまえ。ミス・ロングビルが操られていたことはわかった。だがしかし、何故ミス・シュブルーズが真犯人だとわかるのかね?」

 もっともな質問だった。

「それは私も知りたいですわね」

 これには対面のシュブルーズも同じく疑問を呈した。

 才人は一呼吸ついてから続けた。

「覚えてますか? 先ほど、学長室で皆さんが言ったことを。再犯を防ぐ為に、ミスタ・ギトーは宝物庫の壁を厚く作り直さねばならないと言いました。そしてミセス・シュブルーズは『固定化』の魔法を強化しなければならないと言った。そうでしたよね?」

 シュブルーズはそれがどうした? と言わんばかりに力強くうなずく。

「わたくしはそこに何か引っかかりを覚えたのですよ。と言うのも、宝物庫に穴が開いた経緯も学院長によって他言無用とされています。ですので教職員たちのほとんどはこう思っているはずです。宝物庫の壁はフーケの巨大ゴーレムによって開けられたものである、と」

 ただし実際はミス・ロングビルのゴーレムをフーケのものと勘違いしている訳ですが……、と才人は付け足す。

 コルベールはそれを聞いて合点がいったように「なるほど……」とつぶやいた。

「つまりはこうです。宝物庫の壁は魔法による攻撃には十分耐えられた。その証拠にフーケは目立つゴーレムを使わざるを得なかった。これは魔法面の防御が十分だったことを表す。もし魔法面の防御が不十分だったら、フーケは発見され辛い『錬金』の魔法だけで忍び込んだはずだから――。しかし、ゴーレムによる物理的破壊攻撃には耐えられなかった。よって壁を厚く作り直す必要がある。

 ――これが大方の見解でしょう。そんな中、あなたは『固定化』と言った」

 ようやくシュブルーズも理解し、苦虫を噛み潰したような顔をする。

「学院長に聞きましたが、『固定化』は物の腐食を食い止めたり『錬金』に対する防御にはなりますが、物理的な衝撃には弱いそうですね。何故『固定化』を強化する必要があるのです? 物理的な耐久度を高めるには『硬化』という魔法があるそうですね。こうして見てみますと、『固定化』という単語の場違いさが際立ちます」

 才人はやや口調を強めて宣言する。

「つまり、あなたは知っていたんですよね! 宝物庫の壁がゴーレムではなく、魔法によって破壊されたことを」

「くっ……!」

「このことを知っているのは、実際に穴を開けて未だ意識の戻らない数人の生徒たちとそれを見ていた我々一部の生徒、『破壊の杖』を盗んだミス・ロングビルと事情を知っているオスマン学院長にミスタ・コルベールだけです。この中で夕方までにあなたが接触できたのは、オスマン学院長ただ一人です。さて、当直をサボって朝まで寝ていたと証言しているあなたは、いったいどうやってこの事実を知ることができたのでしょう? まさか学院長に聞いたとでも言うのでしょうか?」

 シュブルーズの顔がみるみる青くなる。

「お答え願えますか、ミセス・シュブルーズ。いえ――、怪盗フーケ!」

 ビシッっと指差された先で、シュブルーズは氷石のように固まった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 シュブルーズはこれ以上なく困っていた。

 『固定化』などと口走ったのは痛恨の極み。さらには宝物庫で見つかったときの為に、保険の意味でロングビルに変装したのもマズかった。

 

 宝物庫に穴が開いたあのとき、ミス・ロングビルは中庭の植え込みの中から見ていた。そしてシュブルーズはそれより少し離れた中庭の植え込みの影から見ていたのだ。あのとき、植え込みの周辺には二人もの人物が潜伏していたのである。

 それゆえ知っていた。そして思わずボロが出てしまったのだ。

 たしかに夕方までに接触できたのはオスマン一人だった。秘密を厳守している彼から聞いたと言うのは無理がありすぎる。オスマンに確かめられたら終わりだ。

 かと言って、正直に自分の目で見ていたなどとは言えない。そんな事を言えば報告しなかった責任を問われて、朝まで寝ていたという嘘がばれる。

 何故嘘をついたのか。自分がフーケだからです、とは言えようはずがない。

 もはや隠し通すことはできない。

 シュブルーズは完全に詰んでいた。

 

 

 

「くっふ、あは、あっはっはっはっは!」

 やがて溶けだした氷のように動き出したシュブルーズは壊れたように笑う。

「まさかそんな些細なことでバレるとはね」

「認めるのですな! ミセス・シュブルーズ、あなたが怪盗フーケだと!」

 今度こそ歯を剥いて憤るコルベールにシュブルーズは涼しい顔で答える。

 

「ええ、そうよ。私シュブルーズこそが本物のフーケ。貴族どもを震え上がらせる大怪盗フーケですの」

 

 開き直ったシュブルーズはその場でくるりと一回転し、優雅にお辞儀をしてみせた。

「あなたと言う人は!! 許しませんぞ!」

 コルベールの怒声を浴びても全く動じないシュブルーズはため息混じりにつぶやく。

「まったくあの女、やってくれたわね。私の計画が台無しじゃないの!」

「その様子だと、やはりミス・ロングビルの行動は想定外だったようですね」

 

 あの夜、生徒たちの合体魔法で偶然宝物庫に穴が開いたのが、シュブルーズにとって思わぬ誤算だった。さらに悪いことは続き、宝物庫に穴が開いたのを見てロングビルにかけたギアスが発動してしまったのが、シュブルーズの第二の誤算だった。

 本来の意図は、学院秘書という立場を利用して、誰にも気づかれないようにこっそりと盗み出させることにあった。

 その後、秘密を知っている不都合な人間は口封じに葬ってしまえばいい。きれいに証拠隠滅できるはずだった。

 それがこんな形で計画が根底から瓦解するとは、さすがのシュブルーズも予想できようはずもなかった。

 

「まったく! あの女が余計なことさえしなければ!」

 よほど苛立たしいのか、シュブルーズは眉尾をこれでもかと釣り上げて悪態をついた。

 そんな様子を才人は冷笑する。

「やはりミス・ロングビルが現在地下牢にいることも知っているようですね。いや、正確には盗賊を捕縛したという学院長の言葉で、ミス・ロングビルが捕まったと勝手に連想したのでしょう。しかし『盗賊に変装して驚かせようとした』などと言ったのは失策でしたね。どう考えてもあなたが盗賊の正体を知っているはずはありませんから」

 

 そう、それがシュブルーズ第三の誤算だった。

 自分の正体が見破られて、動揺を隠せなかったのだ。

 もともとロングビルは口封じに処分する積もりだったので、杖を盗み出した後のことまで命令してなかったのだ。

 それが影響してか、あろうことか彼女は学院に戻ってきてしまった。しかもシュブルーズはその事を直接知らなかったのだ。

 昼前にロングビルが学院に戻ってきたときも、その後捕縛されて戻ってきたときも、ちょうどシュブルーズは宝物庫の見張りを行っており、ロングビルの動向を確認できなかったのだ。

 見張りの順番はオスマンが決めており逆らうことは難しい。加えて当直をサボって寝ていたと嘘をついてしまったことで、他の教師よりも多くのシフトを入れられることも受け入れるしかなかった。

 まさかそれが図られた様にシュブルーズの見張りの時間帯を狙ったかのようにロングビルが帰って来るとは……。しかも二度も。これが四度目の誤算。

 学長室で盗賊が捕縛されたと聞いて、シュブルーズは初めてロングビルが捕まったらしい、ということを知ったのだ。

 そして今、才人たちの前で、ボロを出してしまった。

 さらに最大の誤算が、宝物庫に穴が開いたことである。

 昨晩、シュブルーズは当初の予定通り、破壊の杖だけを持って逃げることもできた。だが、宝物庫に穴が開いたことで、学院のお宝全てを盗むことも夢じゃなくなった。

 シュブルーズの心は揺れた。こんなチャンスは二度とない。

 結果シュブルーズは欲に抗えず、離脱の機会を失った。

 

 まさに不運に不運が重なった事件だった。

 

 しかし、それでも後一歩だったのだ。

 ロングビルの格好で衛兵の荷物検査をすり抜ける。無事に通れば中で変装を解いて作戦開始。もし『眠りの鈴』がバレて問題になってもロングビルに濡れ衣を擦り付けて強行突破、あるいは逃走する。あえてロングビルに変装したのはそのための保険だった。(もちろん宝物庫に侵入したときも同じ理由で彼女に変装した)

 

 それがあと一歩のところで……、

 本塔の前にこの少年さえいなければ全てがうまくいったのに……。

 

 シュブルーズは呆れ果てたように首を振った。

「ほんと、ついてないわねー。あとちょっとでうまく騙せたのに。『固定化』や 『盗賊』なんて余計なことを言わなければよかったわ。口は災いの元ね」

 あくまでも自分の演技は完璧だったと誇らしげなシュブルーズに才人は愛想を尽かせたように鼻を鳴らす。

「まったくおめでたい人ですね。あんな三文芝居で役者気取りですか?」

「なんですって?」

 聞きなれない単語があっても自分が馬鹿にされたのを理解したのか、シュブルーズは声のトーンを下げた。

「あなたが口を滑らせなくてもバレバレでしたよ」

「ずいぶんとなめたことを言ってくれるわね。いいわ、聞いてあげましょう。いつから気づいていたのかしら?」

 額に青筋を立てながらシュブルーズは強がる。どうやら自分の演技に相当なプライドを持っているようである。

 そんな彼女に才人は無情にも告げる。

 

「初めてあなたに会ったときから――」

 

「……あなた、冗談のセンスはないようね」

 シュブルーズは肩をすくめて見せた。才人の言葉を嘘だと判断したようだ。

 しかし才人は勤めて冷静に言葉を紡ぐ。

「初めてあなたに会ったのは最初の授業時でした。その時あなたはこう言った。『毎年、新学期に新しい使い間たちを見るのを楽しみにしている』と。文脈から察するにあなたは複数年学院に勤務しているはずだ。違いますか?」

 才人が横を見るとコルベールが首肯する。

「だとすると少々おかしなことがあるのですよ。あなたは何故ルイズお嬢様に『錬金』の実演をさせたのですか?」

 シュブルーズは首をかしげる。

「何か問題でも?」

「大ありです。去年もこの学院に勤務しているのなら、ルイズお嬢様が魔法を爆発させてしまうことくらい知っていて当然でしょう。それも生徒たちが慌てて避難をし、机や椅子でバリケードを築くほどに大規模かつ危険な爆発を起こすことを」

「……」

 シュブルーズは押し黙った。

「にもかかわらずあなたは断行した。生徒たちが猛烈に反対してもなお。しかもこの時あなたはまた不自然なことを言います」

 シュブルーズは過去を思い出すかのように斜め上に視線を泳がせる。

「『危険? 何故ですか。彼女は努力家だと聞いています』あなたはこう言いました。『聞いている』とは不自然なニュアンスです。これではまるで今年就任したばかりの新米教師のようではないですか」

 あっ、と小さく漏らすとシュブルーズは僅かに仰け反った。

「赴任して間もなく、最低限の情報しか与えられていないのであればわかります。しかしその場合でも学院長からルイズお嬢様に対しては一定の配慮をする――くらいの注意は与えられるはずです。なぜならヴァリエール家は公爵家だからです」

 

 公爵家。

 貴族の位で大公を除き最も高い爵位。王室に次ぐ身分と言ってよい。その公爵家のご令嬢が魔法を不得意としているとなれば、授業内での魔法の実演は控えるくらいの配慮はあってもよい。なぜなら学院への寄付金は爵位の高さに比例する。他の貴族と比べて圧倒的に高い寄付金を払っている公爵家に、わざわざ学院の印象が悪くなるようなことをするのは愚の骨頂。

 

「去年も学院に勤務していたなら当然知っていますよね? お嬢様の魔法が特殊なことを。それなのになぜ新学期早々、使い間同伴の授業でルイズお嬢様に魔法など使わせたのです? 一番使わせてはいけない相手に、一番使ってはいけないタイミングで――。まさか知らなかったんですか?」

 シュブルーズは苦虫を噛み潰したよな顔で才人を睨んだ。

「――さらには爆発後、生徒たちをほったらかしにして自分だけ一目散に逃げ去るなんて、教職としてありえない対応でしょう」

 コルベールが頷いた。

「……くっ」

 シュブルーズはわなわなと震えだす。

「これらの情報から分かるのは、あなたが教職員として不適格であること。言動に不自然な点が多々あること。そして本来知っているべき生徒についての情報がありえないほどに欠如していること。これらの矛盾を解消する可能性を考えると――、

 

 ――あなたはシュブルーズ先生の偽者です。シュブルーズ先生に変装して学院に潜入したフーケだ!」

 

「――ッ!?」

 シュブルーズ改めフーケの瞳が限界まで開かれる。

 まさかそこまでバレているとは思わなかったと言わんばかりだ。

 

 そう。このシュブルーズの格好でさえ、フーケの本当の姿ではなかったのだ。

 本当の姿は誰にも見せず、いざとなったら他人に罪を擦り付けて自分は逃げる。

 どこまでも用心深く、どこまでも卑劣で姑息な盗賊。それがフーケの本性だった。

 そうやって濡れ衣を着せた人間を使い捨てにし、証拠隠滅の為に土くれに変える。それこそが本当の『土くれ』の意味だった。

 

 フーケの反応を見て、才人は自分の予想が正しかったことを確信する。

「あなたは本物のシュブルーズ先生と入れ替わってまだ日が浅いんじゃないですけ? だから生徒の情報を把握しきれず、ルイズお嬢様の爆発魔法を知らなかった。ついでに言うと、教室爆破事件の際に一目散に逃げたのは、爆発で変装が壊れたからじゃないんですか? あの時あなたはしきりに顔を隠していましたね」

 フーケはギリッっと奥歯を噛みしめた。両方とも図星だったのだ。

「さ、サイト君。では本物のミセス・シュブルーズは……」

 殺されているのか? と言おうとしてコルベールは言葉を飲み込む。

「生死は不明です。ですがおそらく生きている可能性が高いと思われます。生かしておけば学院の情報を聞き出せますし、いざとなったら彼女に罪を擦り付けてその隙に自分が逃走することもできるでしょうし……。入れ替わったのもつい最近のようですし、今はおそらく彼女の自宅にでも監禁されているのではないでしょうか?」

 フーケが舌打ちしたのを見て才人はまたもや自分の予想が当っていることを確信する。

「そう……、全部わかっていたのね……。まったくとんだくせ者がいたものね。あなたのせいで私の計画がパーだわ!」

 フーケの目つきがいっそう鋭くなった。

「一つだけ教えてくれる?」

「なんでしょう?」

「全部わかってたんなら、どうして今まで黙ってたの?」

 フーケの問いに才人はニヤリと笑みを浮かべた。

「証拠がなかったからですよ」

「は?」

 一瞬マヌケな声を出すフーケ。

「ま、あなたがすんなり自白してくれたので、こちらとしてはおお助かりですよ」

「なっ――!?」

 ハッタリで自分が嵌められたことを知ったフーケは数瞬驚いたあと、凶悪に歪めた瞳で才人を睨みつけた。

 人を騙し続けてきたフーケにとって自分が騙されることは、何にも増して屈辱だったのだ。

「もっとも、自白だけでは証拠として弱いので、もっと確実な物的証拠が出るのを待ってたんですけどね」

 才人の声にフーケはハッっとした顔をすると、無意識的に目線を自分の腰に落とした。

「そんなものがあるのかね?」

 訝しがるコルベールに才人は自信たっぷりにうなずく。

「さぁ、見せてもらいますよフーケさん。あなたが腰に隠しているものを」

 ついに観念したのかフーケは俯いた。

「……くっくっく」

 だがその口からは不気味な笑い声が漏れる。笑いを押し殺そうと肩が小刻みに揺れる。

「あなた、確かに頭はキレるようだけど、詰めが甘いわね」

 フーケはゆっくりと腰の後ろに手をまわし、

「どうして私があなたのつまらない長話に付き合ってあげたと思う?」

 秘宝『眠りの鈴』を掴む。

 ――鈴はメイジの精神力を存分に吸収し、魔法の光りが十二分に宿っていた。

「時間稼ぎに付き合ってくれてありがとう――、おバカさん」

 そして勢いよく腕を前に出すと、鈴を振った。

「あれは眠りの鈴!! い、いけないサイト君! あの音を聞いたらッ――」

 コルベールが叫び終える前に、無情にも甲高い音叉のような音が辺りに響き渡った。

「おーっほっほ!」

 鼓膜を震わせる音の振動に混じって、フーケの高笑いが響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





うぉおおおおおおおおおおおおおおおおああああああああああああああああああああああああああひゃっはーーーーーーーーーーーーーーーいいい!!!(作者荒ぶり中)

いやー、スッキリしました。

「真犯人はお前だ! シュブルーズ!(キリッ)」

これがやりたいが為に……、
この一文を書きたいが為に、12万字も書いたのです(-ω-;
長かったわー。
作者は1時間に500~800文字くらいしか書けてないので、およそ200時間、一日2時間として3ヶ月(-д-;
まぁ、実際はその倍の6ヶ月はかかっているのですが……(単純に日数なら1年ェ)
よく続いたわホントに……


シュブルーズさん。

原作では
「皆さん。春の使い魔召喚は、大成功のようですわね。このシュブルーズ、こうやって春の新学期に、様々な使い魔たちを見るのがとても楽しみなのですよ」
といっているので、複数年勤務していそうです。が、ルイズを教えるのは初めてなので爆発のことを知らなかったという設定になってます。
アニメでは。
たしか今年新しく赴任してきた。というような設定になってたと思います。(うろ覚え)
実際のところどうなんでしょう。ハッキリしなかったので、それならいっそのことシュブルーズを黒幕にしてしまおうという^^;
そんなんがキッカケで書き始めちゃったりしちゃいました(汗


ギアスは『タバサの冒険 2巻』に出てくるネタです。


まだ設定が甘かったり、展開が強引だったりするところも多々ありますが、何とか書きたいネタは書けたかな。たぶん。



次回はいよいよクライマックスです。
けっこう荒ぶっちゃう感じですが、最後までお付き合いよろしくお願いします。


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第12話(前編) 決戦


前回はちょっとトラブルってしまい、すみませんでした。
投稿した後にちょっとした矛盾に気付いたので、一度削除してから修正をかけて再投稿しました。その後も少し細部に書き足しをしたりしました。物語に変更はありませんので、ご容赦ください。


 

 

 

 学院中に響き渡る鈴の音。

 その中でフーケは己の勝利を確信したかのように愉悦を浮かべた。

 二人の刺客のうちコルベールは両耳を押えて音を遮断しようとする。が、そんな事をしても無駄だとフーケはほくそ笑む。

 もう一人の才人は何故か余裕の笑みを崩さない。堂々と腕を組み、まったく慌てた様子がない。それがフーケを苛立たせる。

 しかしフーケは己の勝利を信じて疑わない。

 次に自分が瞬きをした頃には、二人は地に這いつくばり無様にも寝息を立てているだろう。秘宝『眠りの鈴』の音色を聞いて睡魔に抗える者などいようはずがない。

 フーケはゆっくりと目を閉じた。そして勝ち誇ったようにゆっくりとまぶたを開く。

 そこで彼女は見た。

 予想外の光景。

 二人は地に倒れるどころか直立したまま。

 コルベールは何故自分が睡魔に教われないのかとキョロキョロあたりを見回している。

 ――おかしい。

 そう思いフーケが身構えた瞬間だった。

「な、何ッ!?」

 突然体が動かなくなった。何か見えない鎖にでも縛られているように。そして杖を持つ手が弾かれて緩んだ拳から引き抜かれた。杖はそのまま遠くへ弾き飛ばされる。

「一体何が起こっ――」

 言い終わる前にフーケはうつ伏せのまま地面に押し倒され、背中をまるで誰かに踏まれているかのように圧迫された。

 フーケはうつ伏せのまま首をひねり背後を見る。だが誰も立ってはいない。

 と、その瞬間。背後の空間が一瞬歪んだように見えた。まるでヒラヒラとカーテンが揺れるように空間が波打っている。

 はたしてその認識は正しかった。

 次の瞬間には波打つ空間が中ほどから裂けたかと思うと、人の足がのぞく。その足が自分を踏みつけている。

 空間はなおも裂け続け、足、腰、腹、胸と徐々に人の形があらわになって行き、とうとう最後には白髪の老人が顔を出した。

「お、オールド・オスマン!」

 フーケがその名を呼ぶ前にコルベールが叫んだ。

 オスマンの持つ杖から透明な鎖のようなものが伸び、フーケの体に巻きつき動きを封じている。

 反対の手にはマントのような布が握られている。

 このマント、内側は普通の布地だが、外側は周りの景色と同化して透明に見える。

「秘宝『姿隠しのマント』じゃ。観念するんじゃのう、フーケさんや」

 これを見てフーケは、ようやく自分が敗北したことを悟った。

 

「詰めが甘かったのは、あなたの方だったようですね」

 頭上から降ってきた才人の言葉。

 先ほど自分が投げた言葉は見事に投げ返された。

 

 

     ◆ ◆ ◆

 

 

「苦労をかけてすまんかったのう、使い魔の少年君」

「いえいえ、恐縮です」

 ねぎらうオスマンに才人は一礼した。

 その後二人はニヤリと目だけで会話をした。

「オールド・オスマン! それにサイト君。これはどういうことですか?」

 一人置いてきぼりだったコルベールは当惑する。

 才人は一瞬答えようとしたが、オスマンがいるので任せることにした。

「なに、少年にはちょっとしたネズミ捕りに協力してもらっただけじゃよ。ほっほっほ」

 オスマンは自分の足の下で恨めしそうに睨んでくるネズミを一瞥しながら言う。

「壁の脆くなった宝物庫を警備もせずに放置しておくと、どこからともなくネズミが現れて『毒入りのエサ』を盗んで勝手に自滅する――という寸法じゃ」

 毒入りのエサ――そう聞いてフーケは今もなお自分の手に握られている鈴を見てつぶやいた。

「……何故、『眠りの鈴』は発動しなかったの?」

「当然じゃろう。それは偽物じゃからのう」

「……偽物?」

「鈴だけではないぞ。今宝物庫にあるのは全てわしが作った偽物じゃ。本物はギトー君が偏在で別の場所に運び出しておるわ」

 

 偏在とは――有り体に言えば分身の術である。意識を持ち魔法も使えるもう一人の自分を作り出す風のスクエアスペル。

 軍人上がりのギトーは偏在を使った諜報や工作などの裏の仕事に長けていたのだ。

 

 それを聞いてフーケは呆気に囚われた。

 そして、しかるのちに壊れたように笑い出した。

「くっくっく、それじゃ私は一日中偽物のお宝を警護させられてたのかい」

「うむ。無駄な労働、ご苦労じゃった」

「あーーっはっは、私は最初からあんたらの手のひらの上で踊らされていたってことね!」

「そういうことになるのう」

 そしてオスマンは付け足した。

「おお、言い忘れておったが、本物のシュブルーズ君は先ほど彼女の自宅でギトー君が救出しておるので、お前さんは安心して牢屋に入るとよい」

 さりげなく追い討ちをかけるオスマン。教職員に危害が加えられて、少なからず彼も怒っているようである。少なくとも才人の目にはそう見えた。

「オールド・オスマン――」

 才人の横でコルベールが若干複雑な表情で尋ねる。

「ではあなたは始めから彼女の正体を知っていて今回の罠を仕掛けたのですか?」

「ふぉっほっほ。わしが何百年女性の臀部を触り続けてきたと思っとるのかね? 彼女が偽物であることなど、尻を撫でた時からわかっておったわい。ふぉっほっほっ――」

 オスマンはすがすがしいほどのゲス顔で笑う。

 

 が、実は嘘だった。

 実際はシュブルーズの変装を見破れず、ロングビルが犯人だと思っていた。しかし、シュブルーズが固定化と言った瞬間に気づいた。そしてその後才人と二人きりで話をしたときに、ロングビルの情報を彼から得て真実に気付いた。今回の作戦を立案したのもこのときである。

 ときにはハッタリをかまして自分を大きく見せるのも、学院長を勤める上で必要な処世術なのだ。

 

 そんな風にオスマンが高笑いしていると、コルベールがジト目で見つめた。

 オスマンは誤魔化すように咳払いをする。

「まあ、なんじゃ、敵を騙すには味方からと言うじゃろ? 気に病むでない」

「それは……そうですが……」

 事前に知らされなかったコルベールは少し落ち込んだように俯いた。

 

 彼が落ち込むのも無理なかった。話を聞く限りギトーは一晩中宝物庫の見張りを任され、さらには偏在を使ってマジックアイテムを秘密の場所に移し替える任務を与えられていた。さらにはシュブルーズの救出まで行っていたようだ。

 それに引き換えコルベールはロングビルの尾行をしただけ。どちらがより重宝されているかはハッキリとしていた。

 

 そんなコルベールを横目に才人は、なんともギトー使いの荒い学院長もいたものだと、会ったこともないギトー先生に心の中で合掌するのだった。彼が過労死してもきっと労災保険なんておりないだろうから。

 

 

 そうこうしていると、そのギトーが馬に乗って帰ってきた。

 救出したシュブルーズを後ろに乗せて、華々しい凱旋である。

「任務完了しました」

「うむ。ご苦労」

 馬から降り優雅に一礼。元軍人であることを漂わせる滑らかな動作。

 しかしながら顔は青ざめ、ぐったりとした表情。まぶたは半分くらい下りている。

 今にも疲労で夢の世界へ旅立ちそうだ。

「本当にミセス・シュブルーズが二人いたようですな」

 睡魔に耐え、ギトーはオスマンに足蹴にされている偽者のシュブルーズを見て言った。その後ろから本物のシュブルーズが口調を荒らげて叫ぶ。

「オールド・オスマン! その者がフーケです! 私を監禁し、私に変装して学院に潜入していたのです!」

 凄まじい剣幕だった。

 才人が見るところ、シュブルーズは監禁中にあまり良い扱いは受けていなかったようだ。頬が痩せこけ、体型も少し細くなっているように見える。

 どうやら食事などは十分には与えられていなかったようだ。

「ミセス・シュブルーズ。無事で良かった。お気持ちはわかるが、少し落ち着いてくれると助かるのじゃが……」

 オスマンがなだめるも、怒り狂ったシュブルーズは止まらない。

 おおよそ貴族が口にしないような言葉で罵ったあと、ついには杖まで抜いてしまった。

「ミセス!」

 オスマンとコルベールの声が重なる中、シュブルーズは人の頭ほどの岩を錬金すると、そのままフーケに投げつけた。

 コルベールは咄嗟に杖を振り、岩を止めようとした。

 

 そのとき、

(!? 未来視!?)

 才人は一瞬、激しく嫌な予感がした。

 血を吐いて倒れ伏すコルベールのイメージ。

「危なッ――」

 才人が叫ぼうとしたその瞬間、

 

 ――岩が破裂し、辺りに弾丸となった礫が飛び散った。

 

 一瞬何が起こったのか、誰もわからなかった。

 突然爆風が生まれ無数の岩片が放射状に飛び散る。

 皆、自分を打ち抜かんと迫り来る無数の石弾から身を守ることに必死だった。

 才人は本能で体を縮め、顔と体の中心部を腕で守る。

 側頭部に手足、そして脇腹にいくつか裂傷を負ったが、致命傷だけは避けた。

 切れたこめかみから血が滴り落ちるよりも早く、才人は状況を確認する。

 コルベールは大岩を腹に受けて、衝撃のあまり突き飛ばされていた。吐血しながら地面で呻く。

 ギトーは爆風をもろに受けて吹き飛び地面に激突。そのまま何回転も転がり続けたのち停止し、気絶した。

 酷い惨状だ。

 その場にいた全員が手傷を負った。

 石弾が当った皮膚は裂傷し出血。大きい破片が当った患部は打撲か骨折、酷ければ折れた骨が内臓に突き刺さっているかもしれない。

 まるで至近距離で爆弾が爆発したようなものである。

 

 だがそんな惨劇の中で無傷な者が二人だけいた。

 一人は魔法を行使したシュブルーズ。そしてもう一人は――、

 

 ――フーケ。

 

 それを見た瞬間才人は理解した。

 シュブルーズはフーケの仲間。もしくはフーケに操られている。――おそらく後者。

 見るとフーケはオスマンの拘束を逃れ、杖に向かって走っている。爆風の衝撃でオスマンは魔法を維持できなくなったのだ。

「チッ!」

 才人は舌打ちを漏らしフーケが杖を取るのを阻止しようと走り出すが、視界の端に危機を捉える。

 本物であるはずのシュブルーズがオスマンに向かってブレイドで斬りかかろうとしていた。

 オスマンは無数の(つぶて)をくらい、さらに目をやられたのか、顔を抑えながらよろめいていた。

 

 完全な死に体。

 シュブルーズのブレイドを防げない。

 

 才人は膝関節が悲鳴をあげるのを無視して強引に進路を変える。

 腰のナイフを手に取ると左手のルーンが輝く。

 シュブルーズのブレイドが振り下ろされたとき、才人は滑り込むように二人の間に入りナイフで受ける。

 そのまま杖の軌道を反らせ、受け流す。そして重心が傾いてバランスが取れなくなったシュブルーズの腹に回し蹴りを入れた。

 転倒したシュブルーズは地面を跳ね、やがて動かなくなった。

「大丈夫ですかッ!?」

「かすり傷じゃ!」

 オスマンは片目を押えながら杖を構え直す。まぶたを切ったようだが、視界は確保できているようだ。

「どうやらミセス・シュブルーズも操られていたようですね」

 才人はブレイドで斬りかかったシュブルーズに殺気が感じられなかったことからそう判断した。

「そのようじゃ。彼女をここへ連れてきたことは失敗じゃったのう」

 オスマンは倒れているシュブルーズの杖を魔法で払い、固めた土で彼女を地面に縫いつけ、体を拘束した。念のためである。

 その間に才人はフーケへ突進した。

 がしかし、才人が到達するよりも早くフーケの詠唱が完成する。

「ふふっ、残念だったわね」

 フーケが杖を振ると、彼女を中心に白い霧が大量にふき出した。

(これは、眠りの霧?)

 霧に何か仕掛けがあるかもと警戒する才人。

 だがここで引き返す訳にはいかない。

 息を止め、躊躇なく霧に突っ込み、そのままナイフをフーケに突き刺した。が、しかし、

(何!? 手ごたえがない!)

 確かに刺したと思われたフーケは霧となり霧散した。

(何だこれは!? 霧の分身?)

 戸惑う才人。

 瞬間、側面から何かが襲来する気配。

 慌てて横っ飛びに跳ねて地面を転がる。そして自分のいた場所を見ると、そこには氷の矢が何本も突き刺さっていた。

 反射的に才人は腰のホルスターに手を回し、投げナイフを掴んで氷矢が飛んできた方向へ投げつけた。

 だが、当った気配はない。

(マズイな、これは)

 才人は奥歯をギリリと噛みしめる。

 霧の中ではフーケの気配が掴めない。フーケと思わしき人影を攻撃するも、それは囮。人影は霧散し、死角から氷の矢で反撃を受ける。

 このままでは勝ち目がない。

 霧の外に出ようにも、視界が悪すぎて方向がわからない。

「イル・ソル・デル・ラグース――」

 深い霧の中フーケの詠唱が呪詛のように響く。そしてそれに呼応するかのように霧はますます広がり、ついには中庭を覆い尽くした。

 さっきまで月明かりに照らされていた広場が薄闇に包まれた。まるで濃い雲の中にいるようだ。双月の光がうっすらと上空に浮かぶばかり。

 ふいに正面から声が聞こえた。

「ふん、この怪盗フーケ様を甘く見すぎではなくて?」

 確かにそのとおり――、油断した。

 フーケを捕縛し、シュブルーズも救出――。事件が解決したことで生まれた一瞬の気の緩みを突かれた。

 才人は止めていた息を吐き、一呼吸する。

 フーケも中にいるという事はこの霧は吸い込んでも大丈夫なはずである。

「なるほど、ミセス・シュブルーズにもギアスをかけていたのですか。しかしそれはオールド・オスマンが彼女を連れてきたから起きた偶然。運が良かっただけだ。あなたの実力ではありませんよ」

 才人はわざと挑発的な言葉を使う。これでフーケの声をたよりに方角を把握し、彼女の居場所をつきとめようとしたのだ。だが、

「口の減らない坊やね――」

 声が後ろから聞こえた。

「常に万一のことを考えて保険をかけておくものではなくて?――」

 今度は右から。

「現実を見なさい。今あなたは霧の牢の中に捕らわれているわ。それが答えよ――」

 今度は左から聞こえる。

「ちっ!」

 思わず舌打ちする才人。前後左右、至るところからフーケの声が聞こえる。しかし移動の気配がまるでない。あるいは音だけ乱反射しているのか? それとも偏在を使っているのか? いずれにせよ、これではフーケの居場所を特定できない。

「さて、ショーの始まりよ」

 フーケの声色が変わった。低く、腹の底から響かせるように。

「そういえば、ずいぶんコケにしてくれたわね。たっぷりとお礼をしてあげるわ!」

 そう言うや否や、四方八方から氷の矢が降り注ぐ。

(ダメだ! 逃げ道がない!)

 才人は一瞬で理解した。

 僅かに揺れ動く空気の振動が肌を撫でる。触覚でもたらされた情報は、無情にも四方八方からの同時攻撃だった。

 これだけ視界が悪いと弾くことは不可能。逃げの一手。

 だが、逃げ場は無し。どこに逃げても必ず被弾する。

 才人は前方に大きく跳んだ。

 空中で膝を抱えて丸くなる。

 自分の体を極限まで小さく折り畳み、少しでも被弾する面積を小さくしようとしたのだ。

 

 だが、才人が氷の矢につらぬかれることはなかった。

 

「ウインド・ウォール!」

 突然才人の前方に竜巻の壁が現れた。

 激しく渦を巻く暴風は、四方から飛びかかる氷の矢をことごとく弾き飛ばした。

 オスマンの詠唱が間一髪のところで間に合ったのだ。

「少年や、先行しすぎじゃ」

 風の壁によって才人の周囲は霧が極端に薄くなった。霧の中に小さなドームができる。

 その中で才人はオスマンを視認した。

「すみません。助かりました」

「なに、それはお互い様じゃよ」

 オスマンは治癒魔法を使ったのか、まぶたの傷は塞がっていた。

「少年、気を付けよ。フーケは『土のトライアングル』じゃと思っておったが、ここまで大規模な霧、そしてギアスを使うことを考慮すれば、あやつの本当の系統は『水』。それもスクエア以上の使い手じゃ!」

「はい!」

 才人とオスマンは背中合わせに位置取ると、共に前方を警戒する。

「どうやらしとめ損ねたようね。でも良いわ。二人まとめて針ネズミにしてあげる!」

 再び、全方向から氷の雨が降り注ぐ。

「ウインド・ウォール!」

 オスマンが迎え撃つ。

 才人とオスマンを中心にドーム状に吹き荒れる風の壁。

 氷矢が風壁に衝突した瞬間、まるで金属をチェーンソーで削るような、耳をつんざく金切り音が響いた。

 さっきよりも長時間の攻撃。

 なんとか凌ぐ。

 だが、二人の顔色は険しかった。

「オールド・オスマン……。マズイ状況のようです」

「の、ようじゃのう……」

 二人は同時に悟った。

 今のフーケの攻撃は手数は多いものの、先ほどのものよりも軽かった。まるで手加減してやるから反撃してこい、と誘われているような感じだ。

 だが、

「誘いの罠でしょうか?」

「たぶんのう」

「マズイですね……」

「マズイのう……」

 

 フーケは弱い攻撃を見せた。

 普通の人間なら、それがどうした? と気にも留めないだろう。

 だが二人は違った。

 たったそれだけのことで、自分たちが想定以上に劣勢に立たされたことを悟ったのだ。

 何故弱い攻撃によって劣勢になるのか? 普通は逆ではないのか?

 それは物事を逆に考えればわかる。

 弱い攻撃をするなら、強い攻撃をするより精神力の消費は少なくて済む。一度目の攻撃時よりも二度目の攻撃時の方が攻撃時間は長かったが、フーケが消費した精神力はおそらく二度目の方が圧倒的に少ない。

 それに比べてオスマンは一度目と同じ『ウインド・ウォール』を、しかも長時間維持しており、精神力の消費は激しい。

 これを何度も繰り返したらどうなるか。

 二人の精神力の消費量はどんどん差がついてしまう。

 もし先にオスマンの精神力が空になったら――、二人とも終わりだ。

(最悪だ!)

 フーケは弱い攻撃でオスマンの精神力を削ることも、強い攻撃で一気に刺すことも自由に選べる。

 対してオスマンは常に強い攻撃が来ること前提で防御しなくてはならない。圧倒的に不利な状態だ。

 この状況を脱するにはフーケの位置を特定して遠距離攻撃でしとめるしかない。

 だがこの霧の中、フーケの位置を特定するのは至難の業。

 絶体絶命だ。

 

「オールド・オスマン。精神力はどのくらい残ってますか?」

「うーむ。宝物庫を丸ごと『錬金』でレプリカにしてしまったからのう……。正直、あまり残ってはおらん」

 状況は最悪のようだ。

 才人もまた苦しい立場だった。こんな時に限ってエネルギー不足で情報操作は使えない。昼間ロングビルの尋問時に使いきってしまったのだ。相手の位置がわからなければ超能力も使えない。投げナイフも既に使い切ってしまった。

 打つ手がない。

 このままではジリ貧。

 フーケは持久戦でも自分に分があると主張している。

 だからといって焦って無謀な突撃でもしようものなら、それこそ串刺しコースまっしぐら。

 霧を抜けて脱出しようにも、方向がわからない上に距離が長すぎる。途中で刺されるだろう。

 

「ふっふっふ。ようやくこの『極寒の監獄(カサンドラ)』の恐ろしさに気づいたようね」

 霧の向こうにいるフーケがせせら笑う。さながら囚人をいたぶる獄長のように。

 

 才人はオスマンに問うた。

「一度だけでもこの霧を吹き飛ばすことはできますか?」

「無理じゃのう。込められた精神力が多すぎる。長時間詠唱できれば可能性がない訳ではないのじゃが、確実に無力化できる保証はない。そもそも、あやつがそんな隙を与えてくれるとは思えん」

 でしょうね……。

 まさに八方塞がりだ。

 そうこうしているうちに次の攻撃がくる。

「来ます!」

 三度目の攻撃。

 すかさずオスマンが風の壁で防御。

 今度は強い攻撃。

 だが、さっきとは何かが違う。シャーシャーと今までには聞こえなかった異音が混じっている。

 才人の疑問はすぐに形となって現れた。

 ウインドウォールをすり抜けて、一本の氷矢がドーム内へと進入してきたのだ。

「危ない!」

 すかさず才人が飛び掛り、氷矢を叩き落す。そこで才人は理解した。

(回転している?)

 フーケは氷矢に銃弾のような回転を与えることで、空気抵抗の軽減と矢速の向上を図ってきた。それによって矢はオスマンの風の壁を突破したのだ。

「突き抜けた矢は私が弾きます。オールド・オスマンは風の維持をお願いします!」

「うむ。任せた」

 才人は神経を研ぎ澄ませ、氷矢が侵入してきた瞬間に大地を蹴る。そして矢がオスマンを抉る僅か手前にナイフを構え、その軌道を逸らせる。

 凄まじい速度で回転する矢の威力は強烈で、触れるたびにナイフが火花を散らしながら削られる。

 赤く飛び散った火花の光が風の層に反射し、ドーム内に妖しげな発光現象が起こった。

 

 才人にとっては一本一本の矢の速度はそれほど速くない。もちろん常人離れした才人の動体視力を持ってすればの話だが。

 だが、数が多すぎる。四方八方から次々に襲来してくる矢。加えて、不規則なタイミング。極めつけは全く反対側同士の同時攻撃。

 

 それでも才人は両手にそれぞれナイフを掴み、目にも留まらぬ速さで駆け巡る。

 あらゆる方向からの攻撃に対応するため、また移動距離を最小限にするため、才人はオスマンのすぐ近くに留まる。

 まるでドーナッツの輪のようにオスマンの周りをグルグルと回り続けた才人は、飛翔する矢をことごとく弾いた。

 

 どうにか耐え続けると、唐突に攻撃が止んだ。

 一連の攻防、いや、圧倒的に不利な防戦を何とか凌ぎきったのだ。

 

 その隙に才人たちは情報のやり取りを済ませる。

「フーケは矢に回転を与えているようです」

「ジャイロショットじゃの。暗部などでたまに使う奴がおるのう」

「防御魔法を強化しますか?」

「いや、そうやってわしの精神力を削ることが奴の狙いじゃろう。おそらく次は見せかけだけの攻撃をしかけてくるはずじゃ。このまま対応する」

「何か打開策は?」

「ない。今は耐えるしかあるまい」

 勝つために攻める手段が無い以上、負けないために守るしかない。

 負けか引き分けしかない戦い――。

 才人たちは極めて苦しい戦いを強いられた。

 

 

 




ここまできたら、もうあとは勢いです!
細かな設定なんてもう気にしない!
最後まで突っ走ります!


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第12話(中編) 風の少年

どんどんいくぜぇーー!


 

 

 

 いったい、もう何度目になるだろうか。

 降っては止んで降っては止んでを繰り返す氷矢の嵐。

 世界が意志を持って才人たちを抹殺しようと目論んでいるかのように、決して終わることがない。

 まるで神の怒りに触れてしまったかのような絶望的な状況。

 才人の俊敏性とオスマンの精神力がなければ、とっくの昔に二人とも串刺しにされていた。

 

 オスマンは身の丈ほどの節くれだった杖を地面に突き刺すように構えている。そしてその杖の下部を握りながら、自身は地面に肩膝をつき身をかがめる。それによって氷矢が被弾する可能性を低くすると共に、才人の視界を確保しやすくするのだ。

 そのオスマンを囲うように円形の溝が地面に刻まれていた。

 才人が移動した痕である。

 溝の深さは既に五サントは超えている。その深さが、いかに才人がその円周上を目まぐるしく駆け巡っていたかを如実に物語っていた。

 その円形の溝の周りには、さらに一回り大きな円ができている。

 それは氷山。

 いや、氷矢でできた剣山というべきか。

 始めは才人に弾かれた氷矢が砕けて、ガラスが散乱したような状態だった。それが時間の経過と共に徐々に増えて行き、ついには矢がそのまま突き刺さって才人たちを取り囲むようになっていった。

 地面に対して斜めに突き刺さった氷の矢。ぎっしりと地面に敷き詰められたそれは、鋭く尖った尖端を二人に向け威嚇するように睨んでいた。

 その異様さは圧倒的だ。

 見る者の精神を凍りつかせるように、身の毛がよだつ存在感を放っている。

 

 

 

「ぐぬぅぉぉぉ!」

 老人の喉から搾り出された呻き。

 オスマンの表情がいっそう険しくなった。刻み込まれた皺がさらに深く沈む。

 もはや限界は近い。

 

(まずい! これは想像以上だ!)

 才人は戦いが始まってから初めて焦りを見せた。

 フーケがこれほどの力を秘めているとは予想外だった。

 

 とどまることなく降り注ぐ弾丸のような氷雪の(やじり)

 その威力は決して弱まらない。それどころか矢の数も、威力も益々増している。

 

「そろそろ出てきたらどうかしら?」

 まるで楽しんでいるかのように挑発するフーケ。

 才人は思わず駆け出そうとする。

 もうオスマンはもたない。一か八かの賭けに出るしかない。

「行ってはならぬ!」

 皺枯れた声を絞り出して叫ぶオスマン。

「しかし、このままではッ!」

 才人も叫び返す。だが、振り返ってオスマンの目を見たとき、才人は足を止めた。

 

 その目は、まだ死んでいなかった。

 

「若いのう少年。焦るでない」

「しかしッ!」

 オスマンはすでに満身創痍。気力だけで意識を保っているようなものだ。

 下手をしたらもう既に精神力は底をついているかもしれない。

 しかし目の前の老人はまだ言い知れぬ何かを秘めているような空気を纏っている。

「苦しいのは、あやつも同じ。これだけの大規模な魔法。維持するだけでも相当の精神力を消費しているじゃろう。もし、しくじれば再び同じ魔法は使えまい。後がないのはあヤツの方よ」

 一理あった。

 だがしかし、フーケの優位は変わらない。

 それでもオスマンは平静を崩さない。それどころかその瞳からは妙な説得力を感じる。

 これが何百年も生きてきた老人の成せる業か。まるでこんなことは飼い犬に噛まれたくらいの些細なことだと言わんばかりだ。 

「それにじゃ」

「それに?」

 才人は次の言葉を待った。

「それにじゃ。これくらいのこと、ガールフレンドとデート中に別の女性の臀部を触ってしまった時の彼女の怒りにくらべたら、屁でもないわ!」

 突然そんなことを言い出す。

「……は?」

 才人はあっ気に取られる。戦闘中にもかかわらず、一瞬、完全に脱力してしまった。

「人間、女性の臀部を愛でる為なら、何だってできることを教えてやるわい! ぬおぉおおおお!」

 オスマンは雄叫びを上げる。声の振動に呼応するかのように闘気があふれ出る。

 全身にオーラが満ちているようだ。魔法が使えない才人にもその力強い存在感がわかる。

「さて、根比べとゆくかのう?」

 オスマンはフーケを挑発する。

「ちっ、老いぼれが!」

 舌打ちするフーケ。

「まあいい。くっくっく――」

 フーケの声に嗜虐的な色がのった。

「何か仕掛けてきますね」

「うむ。油断するな」

 才人とオスマンは身構える。

 

 突然、場に緊張が張り詰める。

 オスマンのウインドウォールでできた、視界を確保できるドーム状の空間。その外側から、今までとは比べ物にならないほどの圧迫感が急速に膨れ上がる。

 まるで今までの嵐がこれから訪れる大嵐の前触れでしかなかったかのように、才人たちの周りを背筋が凍りつくほどの濃厚な狂気が渦巻きはじめた。

 

((決めにきたか!!))

 才人とオスマンは同時に理解した。

 オスマンは今まで以上に精神力を杖に込め、才人は既に刃こぼれしてボロボロになった双短刀を油断なく構えた。

 

「くるッ!」

 膨張しきった悪意の塊がついに弾け、降りしきる氷の弾丸となって襲い掛かった。

「ウインドウォール!」

 すかさず暴風の壁が現れて弾丸となった氷矢を弾き飛ばす。

 その風の守りを突き抜けて、一本の氷矢が風切り音を上げながら飛び込んでくる。

 矢の軌道はまっすぐオスマンの眉間へと照準を合わせていた。

 

 ここまでは予定調和。すでに何度も繰り返したやり取りだ。

 だが――、

((速い!))

 矢の速度は今までのおよそ倍。

 その予想外の速さに、才人たちは大きく目を見開いた。

 

 それでも才人は動じず、正確に右手ナイフの腹で防御面を作り、矢を受けた。

 が、そのときだった。

(ッ!? しまッ――!?)

 既に限界を超えていたナイフが、矢を受けた瞬間にその中ほどから折れたのだ。

 

 折れたナイフの破片が宙を舞う。

 氷矢は直進を許された。

 

 その光景をオスマンの両眼が捉える。矢に焦点を合わせた瞳孔が急激に引き絞られた。

 才人はそれを視界の端に捉えるや否や、(かかと)を軸に背中側へと回転。左手に握られたナイフを逆手に持ち替えて地面に刃先を向けると、回転する勢いを利用して矢を縦に斬り裂いた。

 二本に分かれた氷矢はそのまま枝分かれするように直進し、オスマンの左右の頬を掠めながら通り過ぎた。

 オスマンの背後から、氷が砕ける音が二つ同時に響く。

 

 肝を冷やす才人。だが安堵している暇など無い。

 既にもう一本の矢が、オスマンの背後に迫っていたのだ。

 回転運動によって時間をロスした才人に、オスマンの背後に回り込む時間は無い。

 とっさの判断で、もう半回転まわる。そして今度は左手に持っていたナイフを投げつけた。

 推進力を得たナイフは寸分の狂いもなく飛来する氷矢を弾いた後、激しく地面に打ち付けられ、そのまま回転しながらバウンドし宙を泳いだ。

 角度の変わった氷矢はオスマンの頭上を抜け、ナイフを投げて腕が伸びきったままの才人の頬を掠めた。

 

 このとき才人の心臓は大きく跳ねた。

 あと一歩判断が遅れていたら死んでいた。

 これが本当の殺し合い。

 死と隣り合わせの戦い。

 

 そして三度(みたび)迫ってくる氷矢。

 その軌道の先には才人の右目。

 才人は素早く折れたナイフを手放し、腰のホルスターに右手を回してショートナイフを手に取る。

 これが最後の一本だ。

 そして自分の眼前へ突き出し、刃の腹を向けて構える。

 

 その刹那、才人の脳裏によぎる不安。

 

 ショートナイフは先ほどまで使っていたナイフよりも刀身が薄い。これで本当に防げるのか。

 もしさっきのナイフのように折れたなら、自分は頭部を貫かれ即死する。

 

 才人は本能に従った。

 

「うぁああああああああああああああああああ!」

 制御できない咆哮。野生に返った人間の吠声(はいせい)

 猛り狂う才人は、そこで信じられない行動を取った。

 

 ナイフを、寝かせた。

 

 矢に対して腹を向けていたナイフを地面と水平に寝かせた。

 つまり矢にナイフの背を向けたのだ。

 ただでさえ面積の小さい刀身。それがさらに数十分の一にまで小さくなった。

 常人の神経ではできようはずもない、狂気の沙汰。

 

 失敗すれば、死!

 まさに生きるか死ぬか、究極の分かれ道。

 

「うらぁああああああああああああああああ!」

 

 才人は、全神経をほんの数ミリほどの刃の厚みに注ぎ込んだ。

 ――直後、

 吸い寄せられるかのように氷矢はナイフの背に直撃。

 当った瞬間火花が舞い、そのままナイフの背に沿って滑るように流れる。そして才人の右のこめかみを掠めて突き抜けた。

 矢の通った後にできた風の渦に、火の粉が追いかけるように巻き込まれ、舞った。

 その光景を右目に焼き付けると同時に、才人は自分の直感が正しかったことを確信した。

 

「うおぉぁああああああああああああああ!」

 

 一歩間違えれば死。その極限状態の中、才人はついに覚醒する。己の中に眠っていた戦士の血が産声をあげたのだ。

 左手のルーンが狂ったように輝く。

 間近でみていたオスマンは思わず目を瞑った。

 それほどに眩しかった。

 肌を刺すような強い光が大気中の水分子に反射し、ドーム内は青白い光に包まれた。その様子は、今まさに雷を放電せんとする積乱雲のようであった。

 

 一瞬オスマンが才人から目をそらした瞬間、そこにあった体が消えた。

 いや、次の瞬間にはオスマンの背後へと移動していた。

 才人は当たり前のようにショートナイフの背で氷矢を弾き、おもむろに左手を開いた。するとそこにもう一本のナイフが、まるで磁石に引き寄せられるように収まった。

 先ほど投げたナイフが、地面をバウンドして戻ってきたのだ。

 

 神がかっていた。

 まるで世界が才人を選んだかのようだ。

 

 才人はそのまま双短刀を握り締め、大気を切り裂く氷矢をことごとく撃ち落した。

 覚醒した才人をもはや止められるものはいない。

 機会のように正確無比なナイフの軌道。

 魅入られたかのように氷矢はナイフの背へと誘われ、そしてその軌道を完全に支配された。

 たった数ミリしかない刃の背が、まるで大盾のように広く長いようだと錯覚してしまう。

 

 さらに恐ろしいことに、才人はナイフの耐久力を確保するため、毎回矢の当る場所をミリ単位でずらすほどの徹底ぶりだ。

 

 もはや人ではない。

 才人は人の領域を飛び越えてしまったのだ。

 

 

 オスマンが視認できないほどの速度で、それはオスマンの周囲を回り続ける。

 そのあまりの速度に人工的な竜巻が生まれた。

 ドーム内で吹き荒れる風の螺旋。

 

 ――メイジではない少年は、誰よりも華麗に『風の魔法』を奏でた。

 

 その光景をいつまでも見ていたい、とオスマンは思った。

 しかしそれは叶わぬ願い。

 

 やがて大嵐は活動力を失った。

 それに呼応して、風の交響曲(ロンド)終焉(フィナーレ)を迎えた。

 

 

 

 

 

   ◇

 

 

 

 

「ば、バカな!? 生きている……だと?」

 フーケの握った杖は震えていた。

 あたりを覆っていた深い霧が徐々に薄くなってゆき、双月の光が徐々にその明るさを取り戻してゆく。

 フーケの魔力が弱まり始めたのだ。

 しかし依然、視界は悪いままだ。

「ふぉっほっほ、観念するんじゃのう。お前さんの負けじゃ」

 オスマンは悠然と立ち上がった。

 ずっと屈み続けて腰が痛かったのか、左手を腰に回してさする。

 才人はその姿を見てふと思った。

 この老人はわざとこんな戦い方を選んだのではないのか、と。

 

 今まで何事にも勝ち続けてきた才人は攻めることには慣れていても、こうやって相手の攻撃に対応して守ることには慣れていなかった。

 才人は主人を守る盾として召喚された。求められるのは敵を倒すことではなく、主人を守り、主人の詠唱時間を稼ぐこと。

 フーケは切り札を使って仕留め損なったに等しい。もう先程以上の攻撃はできないはずだ。形勢は逆転したといってもよい。才人たちの粘り勝ちだ。

 才人は始めて攻めずに勝つことを覚えた。

 守って勝つ。

 これこそが、これから才人に求められるガンダールヴとしての戦い方だった。

 オスマンは、それを才人に教えようとしていたのではないか。そう才人は感じざるをえなかった。

 

「くっくっく、あーっはっは」

 だが、

 この底知れぬ執念を持ったフーケが、潔く負けを認めるはずなどなかった。

「まさかこの『極寒の監獄(カサンドラ)』から生きて帰れるヤツがいようとはね――。だが、あまい!」

 

 フーケは馬鹿の一つ覚えのように氷の矢を放つ。

 すかさず防御に備える才人とオスマン。

 だが今回は今までと違った。

 氷の矢は才人たちだけに向かって突き進まず、半分ほどがあらぬ方向へと射られた。

 

(何!?)

 その瞬間才人の脳内に浮かぶ未来の光景。

 学院本塔のベランダに出てくる生徒たち。

 誰かが言う。

『おい、なんか広場に霧がでてるぞ?』

『そういえばさっき爆発みたいな音がしたな』

『おい! 一体なにが起こってるんだ?』

 ざわめきだす生徒たち。

 そんな中にルイズの姿を発見する。

『サイト、一体どこにいったのよ?』

 そうルイズがつぶやいた瞬間、霧の中から飛び出す無数の氷矢。

 そして、

 全身を氷矢に貫かれて絶命するルイズの姿。

 

「しまった! ルイズぅうう!」

 才人は既に走り出していた。

 一瞬遅れてオスマンが状況を察する。

 そしてフーケの冷酷な声が響いた。

 

「あなたの命と生徒の命、好きな方を選びなさい」

 

 オスマンは躊躇なく決断した。

 自分を守るはずだった風を全て、生徒たちを狙った氷矢の撃墜に使った。

 しかし全ての撃墜は叶わなかった。およそ4割の撃墜に留まり、半数以上は依然として顕在。

 そして、

「ぐぬぅううあ!」

 風の防御を失った自身を守るすべも失われたのだった。

 

 それでもオスマンは最後まで諦めない。

 氷矢に貫かれる瞬間まで再詠唱を試みた。

 圧縮された詠唱。搾り出された精神力。

「『硬化』!」

 物質の耐久力を上げるコモンスペル。

 オスマンはそれに全てを賭けた。

 四肢は完全に捨てた。頭部と臓器だけ守る。

 氷矢が手足を貫通する。胴にも突き刺さったが、魔法の効果で貫通だけは免れた。

 肉を抉られ、骨を削られる最中。最後の詠唱を開始するオスマン。

「……ヒーリング」

 最後の力を使いオスマンは自分にヒーリングをかける。

 決して治療する為ではない。この程度の精神力では足りない。

 では何ゆえか。

 それは死ぬまでの時間を僅かに延ばすだけのものだった。

 誰かがフーケを倒し、すぐにオスマンを治療する。

 それだけが、オスマンが生還できる唯一の可能性だった。

 

 膝を折り、そのまま前のめりに倒れるオスマン。

 肩や腿、背中からは無数の氷の枝が生え、地面を鮮血で染めた。

(たのんだぞ、少年……)

 消え行く意識の中、オスマンは才人の後姿をその双眸に焼き付けた。

 

   ◇

 

 才人は背後の気配でオスマンが倒れたことを知った。

 だが、走ることを止めるわけにはいかない。

 自分の寿命を全て使い切る勢いで激走する。

「うおぉぉぉ!!」

 ナイフが握られた左手のルーンが、顔を覆いたくなるほどに強く発光する。

 激走につぐ激走。残像が見えるほどに猛然と駆ける。

 

 一瞬、才人は音速を超えたかもしれない。

 大気中の気体分子とぶつかり衝撃波が生まれる。

 人間の限界を超えた速さで駆ける一筋の光。

 だが、

(間に合わない!)

 才人がルイズの元へ辿りつくより速く、氷矢は彼女を貫くだろう。

「うおぉあああああ!!」

 

 もう二度と歩けなくなってもいい!

 大気の摩擦熱で焼け死んでもいい!

 

 激情のマグマに身を投げ、才人は持てる全ての力を脚に込め大地を踏みしめる。

 右脚を大きく踏み込んだ瞬間、自重に耐え切れなくなった踵の骨が破裂骨折。

 激痛が神経から脳へと伝うのをねじ伏せ、才人は全身のバネを使って跳躍。腿とふくらはぎの筋繊維を引き千切れさせながら、一気に二階のバルコニーへジャンプする。

(間に合えぇえええええ!!)

 それでも、間に合わない。

(俺はルイズを守るんだ! ここで守れなかったら生きてる意味なんてない!!)

 全てをかなぐり捨てた才人は、無意識のうちに無事な左脚に力をためる。空中で膝を弓のように引き絞り、一気に空気を蹴った。

「!!」

 音速よりも速く振りぬかれた脚が大気中の気体分子を押し固める。それによって形成された足場を踏みしめ、才人は空中を()った。

 蹴られた瞬間、数メイル離れた真下の地面が圧力に耐え切れず陥没。遅れてやってくる衝撃波。

 その間に才人は空中で加速し、氷矢よりも先にルイズの前に飛び出した。

 

 一瞬、時が止まった。

 

 目に映る景色がすべてスローモーションに見える。

 まるで一秒を何千秒に引き伸ばしたかのような時間的錯覚の中、才人とルイズの目が合う。

 ルイズの瞳の中に映ったのは、摩擦熱で赤く熱せられた大気の層を纏う自分の姿。左手は真夏の太陽のように光り輝いている。

 まるで不死鳥『フェニックス』のようである。

 

(間に合った。もうこれは必要ない)

 才人は両手に握っていたナイフを手放した。

 もう……、必要ないのだ。

 役目を終えたナイフが熱層に触れて火花を散らす。

 急速に光を失う左手のルーン。

 

 次いで、才人は最後の役目を果たす。

(俺は――、盾だ! ルイズを守る盾だ!!)

 そう強く念じた瞬間、左手のルーンが今までにないくらい耀いた。

 

 才人は体を大きく開き上昇の勢いを殺す。

 そして、己の最後に備えた。

 愛らしいご主人様の姿を瞳に焼き付けて。

 最後に微笑む。

 

(さよなら、ルイズ)

 

 その刹那、

 

 ――才人は、その背に死を受け入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第12話(後編) 決着


これでラストじゃぁあああ!


 

 

 

 

 

 

 

 バルコニーに無数の氷矢が降り注いだ。

 華やかなパーティーは一転、阿鼻叫喚となる。

 それでも異変に気づいた幾人かの生徒たちが魔法で防御壁をつくったので、被弾したほとんどの者は軽症。死者は出なかった。

 しかし、

 

 ルイズはその場に呆然と立ち尽くす。

 まさに一瞬の出来事だった。理解するよりも先に全てが終わっていた。

 一瞬視界に映った使い魔は不死鳥のように全身から炎を揺らめかせ、烈風のような衝撃波を発したかと思うと、猛烈なスピードで上空へと駆け抜け、学院本塔の外壁上部にぶち当たった。

 引き寄せられるように後ろを振り返ると、壁をめり込むように破壊した使い魔は、そのまま石レンガの破片と共にルイズの目の前に落下した。

 

 地面に激突する瞬間、この世のいっさいの音が消えた。

 まるでルイズの聴覚がその音を拾うのを拒否したように。

 

 ――そして才人は動かなくなった。

 

「……サイ……ト?」

 震える声でルイズはつぶやく。

 

 これは、現実じゃない――。

 こんなことが、許されるはずがない――。

 間違っている。全て間違っている――。

 

 だが、目の前に力なく伏す使い魔の姿は、絶望的なほどに存在感を放っていた。

「い、いや……、いやぁああ――」

 この世の終わりがきたような顔で、ただ衝動のままに泣き叫ぼうとしたとき、

 

「……あ、あれ? 生きてる?」

 

 むくり、と才人が起き上がった。

 ――はッ……! と、ルイズは息を呑む。

 叫ぶことと息を止めることを同時にしてしまい、ルイズは一瞬肺機能を完全に失った。声帯と横隔膜に破裂しそうなほどの圧力がかかり、喉が痙攣する。

 なんとか鼻から空気を取り入れ、正常な呼吸を取り戻す。

 そして自分の使い魔を見る。

 才人はしばし呆然と両の手のひらを見つめた後、己の存在を確かめるように全身をペタペタと触って確認している。

 そしてすぐに激痛が走ったように顔をしかめ、その場で打ち震えた。

「さ、サイト!? 無事なの?」

 無意識に言葉がでた。目の前の現象に頭は全くついていかない。

 それでも才人が動いている。

「あ、ああ……。無事、なの、か、な?」

 才人は戸惑いながらも、肯定した。

 

 それだけで十分だった。

 それだけで、ルイズは許した。

 

 不死鳥は死期が迫ると自ら炎の中に飛び込み焼死し、その後、灰の中から幼鳥となって甦る。それゆえ『不死』の鳥と呼ばれる。

 炎に包まれた使い魔が甦る様は、ルイズに不死鳥の伝説を信じさせるに補って余りあるものだった。

 この日ルイズは、己の使い魔の中に本物の伝説を見たのだ。

 

 

   ◇

 

 

 才人もまた当惑を隠せない。

 正直に言えば、いまだに自分が助かったとは信じられない。

 ひょっとしたら夢なのか? と疑ってみるも、夢にしてはいやにリアルだ。切れた皮膚は触ると痛いし、折れた足の骨や切れた筋肉が悲鳴をあげている。

 塔に激突したときに全身の骨にヒビが入ったようだ。

 

 やはりこれは現実だ。

 だが、どうして助かった?

 自分は確かに無数の氷矢に貫かれたはずである。助かるはずがない。

 その問いに答えたのは意外な声だった。

 

『相棒。苦戦してるみてぇーじゃねーか』

 突然どこからともなく響く低いバリトン。

 その聞き覚えのある声に才人はハッと息を飲む。

「――まさか、この声は!?」

『何だよ相棒。たった一日で俺っちのことを忘れちまったのかよ?』

「デルフぅ!!」

 はたして声の持ち主は昨日壊れたはずの愛剣、デルフリンガーであった。

「どうしてデルフが? なんで生きてるんだ? てか、今どこにいるんだ?」

『おめーさんのルーンの中に一時的に退避してたのさ。ま、意識を取り戻すのに少しばっかり時間がかかっちまったけどな。今はおめーさんの頭の中にだけ話しかけてる』

 才人は思いもよらない愛剣との再会に喜ぶ。

 だがその様子は周りから見たら非常に奇矯な振る舞いだった。

「サイト……、何を一人で言ってるの? ひょっとして頭を打って……」

 ルイズが泣きそうな顔で覗き込んでくる。

「え、いや、違う、これは……」

 才人がしどろもどろになっていると、

『相棒。何か武器を手に取りな』

 才人があたりを見わたすと、さっきまで握っていたナイフが落ちていた。それを掴む。

 するとナイフが淡く発光する。

「ふー、これで相棒以外のヤツにも聞こえるだろ」

「へ?」

 突然ナイフから声が聞こえてルイズは間の抜けた声を上げた。

「よう、貴族の娘っ子。一日ぶりだな」

「この声は……、駄剣?」

「駄けッ!? おいおい、そいつは理不尽ってもんじゃねーか? 俺っちがいなかったらおめーさんの使い魔は今頃おっ死んでたんだぜ?」

「何ですって!?」「なんだって?」

 ルイズと才人の声が重なる。

「そうだデルフ! 何で俺は助かったんだ?」

「相棒、説明は後だ。今はそれよりも先にやることがあるだろ?」

 才人は思い出す。

 そうだった。まだフーケの件が片付いていなかったのだ。

「――そうだったな」

 才人は顔を引き締めてルイズに向き直った。

「ルイズ、少しだけ待っててくれ。すぐに戻ってくる」

「ちょっと待ってサイト。あなた怪我が――」

 才人は立ち上がる。が、力を入れた瞬簡に足の裏から激痛が走る。そして思い出したかのように全身の骨から悲鳴が上がる。

「痛ッぅー!」

 そうだった。自分は今大怪我をしているのだ。

 すぐにでも宇宙パワー的な情報操作で治療したい。だが、こんな時に限ってエネルギー切れである。

 才人は痛みに顔をしかめ、一度座り直そうとする。

 だが、意志に反して体は勝手に走り出した。

「え? ちょっ!? 体が勝手に!」

 下半身が勝手に進みだし、上半身がそれに引きずられるように仰け反る。そしてあろうことか、二階のバルコニーから飛び降りたのだ。

「う、嘘だろ!? ぎゃぁぁあああああああああ!」

 骨折した足で二階からタイブしたのち、着地。

 着地の瞬間、今までに聞いたことのないバキリ、グチャリという音が聞こえた。

 

 こ、これはきっと地面に貝殻でも落ちていたんだ! 俺の脚の音じゃないんだ! 人間の体からこんな音がする分けないんだぁあああ!

 

 才人は本能的にそう自己暗示をかけようとする。

 しかし現実は非情である。

 足裏を震源地とした残酷な衝撃は骨を震わせながら徐々に上半身へと登り詰め、全身のヒビ割れた骨と言う骨を蹂躙し、やがては頭蓋骨をこれでもかと震わせる。

「ひぎょぇえええ$%&#$%#‘!!!」

 ムンクの叫びのように顔面の形を変え、才人は悶絶した。

「相棒、悪いがお前さんの体を勝手に使わせてもらうぞ」

「デルフ! お前の仕業か!!」

 思わず左手の甲を叩く才人。だがそんな事をしても自分が痛いだけである。

「すまねぇな相棒。時間がねー。早くしねーと、あの爺さんに止めを刺されちまうぞ!」

 爺さん? オスマン学院長のことか、と才人は得心する。

 それでも、

「痛い、痛い、痛いぃぃぃ!」

 一歩踏みしめるごとに絶えず走る激痛。

 自分で動作をコントロールできないことが尚更痛みを倍増させる。

「我慢するこったね。これが終わったら貴族の娘っ子にでもしこたま甘えな」

「くそぉおおおおお!」

 人命には代えられないと、才人は走り続ける。

『相棒、間に合わねぇ。飛ぶぜ!』

「な、何を言って!?」

 先ほどルイズを助けるためにしたように、デルフは才人の体を使い大きく空へと跳んだ。

「あぎぃいいいいいいいい!」

 空中で才人は絶叫する。痛々しいほどに晴れ上がった足首にこれでもかと体重がかけられた。すでに体はミリ単位で動かしても痛い。

 しばらく跳んで高度を稼いだ後、才人の体は徐々に傾き、腹面が地面の方を向く。

『相棒、もう一ちょいくゼ』

 そして空中での二段ジャンプ。

 才人は直立のまま地面と水平に飛んだ。いや、飛んだというよりむしろ空を泳いでいるような格好だ。いったいどこのZ戦士だろうか。

「ぎやぁああああああああああ!」

『うひゃー! やっぱ相棒はすげーよ! 全身が鍛え抜かれた武器じゃねぇか! こんなことできる人間は、俺っち見たことねーよ。あ、でもまだ距離が足んねぇ。もう一回いくぜ』

「ぴぎぃいいいいいいいいい!」

 さらにあろうことか三段ジャンプ。

 デルフリンガーは容赦がない。

 風を切る感覚も忘れて、才人は叫び続けた。

 

 

  ◇

 

 

 霧の中ではフーケがオスマンにトドメを刺そうとしていた。

 既に多量の精神力を消費し、霧も幾ばくか薄くなっている。上空には双月がしっかりと映っている。

「まったく、てこずらせてくれたわね」

 計画は失敗し、無駄に精神力も消費してしまった。今回は諦めて逃げるしかない。

 だが、

「このおとしまいは付けてもらうよ!」

 せめて学院長の首くらいは貰わなければ気が収まらないのだ。

 既に重症を負い虫の息のオスマンに、フーケはトドメとばかりに氷矢を射た。

「させませんぞ!」

「何ッ!」

 フーケが放った氷矢を炎の壁が遮った。

「ちッ! まだ生きてたか」

 松葉杖のように杖に寄りかかりながらコルベールが立ち塞がった。「ぜー、ぜー」と濁った呼吸音と共に肩で息をするコルベール。口元からたれた血はすでに固まり始めて、赤黒くなり張り付いていた。

「ちッ、死に損ないが。二人まとめて逝きな!」

 フーケが杖を振る。

 するとコルベールたちを囲むように二体のゴーレム、それも霧のように細かい氷の結晶が集まってできたゴーレムが出現した。

 これこそが『極寒の監獄(カサンドラ)』の正体だった。

 一メイル先も見えないほど深い霧の中、複数体のゴーレムを使って多方面からの同時攻撃を仕掛ける。

「喜びなさい。この魔法の正体を見たのはあなたが始めてよ」

 フーケが疲労し、霧が薄くなったからこそ見えた光景だった。

 今まで幾人もがこの魔法に捕らわれたが、この光景を見るまで生きられた者は誰一人としていなかったのだ。

「死になさい!」

 フーケを含め、三方向から氷矢が放たれた。

 コルベールは、炎の壁で氷矢を蒸発させる。

 しかし霧の中という環境は火のメイジであるコルベールにとって最悪。

 自慢の炎も威力が薄れ、防ぎきれなかった氷矢を肩に受ける。

 コルベールは片膝をついた。そしてそのまま倒れ伏すオスマンを庇うように覆いかぶさった。

 フーケの攻撃が一旦止む。すかさず再詠唱し次の攻撃に備えるフーケ。

 その隙にコルベールもスペルを紡ぐ。

 相性が悪いと見たコルベールは得意な火系統ではなく、土系統に切り替える。

 土の壁を自分とオスマンを囲うように建て、その中にこもった。

 それを見たフーケは詠唱を変更した。

 氷霧のゴーレム達が一箇所に集まってゆく。そして融合。一本の太い巨大な氷の槍(ジャベリン)が形成された。

「ふっふっふ、これを使うのはいつぶりかしら?」

 完成したジャベリンは今までの細い氷矢とは存在感が違う。

 先端には螺旋状に溝が掘られて殺傷力が増し、貫通力を高めるために高速回転している。

 フーケはその圧倒的な禍々しさに凶悪な笑みを浮かべた。

 そして杖を構えて振り下ろそうとしたまさにその時、

 

「ぴぎぃいいいいいいいいい!」

 

 遠方の上空から叫び声が聞こえた。

「なに?」

 慌てて視線を夜空に向けるフーケ。

 そこには尋常ならざる表情で空を飛ぶ少年の姿。

「ちっ、こいつも生きてたか」

 少年、才人はフーケめがけて一直線に飛んでくる。

 仕方なしにフーケはジャベリンの軌道を変更する。

 まずはまずは目障りな少年の方へ。

「何で飛んでるかは知らないが、空中では避けられないのよ!」

 フーケはジャベリンを射出した。

 

 

   ◇

 

 

「おい、デルフ! あれはヤバイ! 避けてくれ!」

 風圧で視界を思うように確保できない才人はそれでも僅かに開いた瞼の隙間からジャベリンを目視し、頬の肉のブルンブルンたゆわせながら言った。

『相棒! 俺っちを信じてくれ』

 しかしデルフは一向に軌道を変えようとしない。

 才人が生み出す風切り音と、回転しながら突き進むジャベリンの回転音が混ざり合って、耳をつんざくような騒音が生まれて急速に大きく鳴り響く。

 

 まさに一瞬だった。

 

「おい! 何を言ってッ――」

 才人がそう言い終える前に、ジャベリンが一瞬で巨大化!

 いや、正確にはお互い猛スピードで飛びながら近づいていた為、遠近法により、加速度的にお互いの姿が大きくなったのだ。

「よけられなッ! うわぁああああああ!」

 

 ――直撃。

 

 ジャベリンは才人の顎を掠め、その先の鳩尾(みぞおち)に突き刺さった。

「――!!」

 ジャベリンを受けた腹を支点に、才人は空中でくの字に折れ曲がった。

 視界が痙攣したかのようにぶれて見える。景色が二重三重にずれては揺れ動く。

 そして意識が遠のく。

 が、次の瞬間には禍々しいジャベリンが急激にその存在感を希薄にしてゆき、ついには才人の腹に吸い込まれるように消えた。

 そして何事もなかったかのように才人の体は、再び直立不動の姿勢をとった。

 

 フーケは驚いた。

「な、なに! 無傷だと! 馬鹿な! そんなわk――」

 ジャベリンの直撃を受けた才人は本来ならば腹に大きな穴が開いているはずだった。しかし、まったくの無傷。

 そして体勢を崩して僅かに速度が落ちたものの、依然として凄列な速度を維持したまま、再び持ち直してフーケに向かって突き進んだ。

『さて、年貢の納め時だぜ、盗賊女!』

 はしゃいだデルフが狂喜して叫ぶ。

 そして混乱するフーケに向かって、人間砲弾となった才人を……。

 

 ――お、おいデルフ、お前まさか!?

 

 混濁する意識の中で才人は理解した。未来視を使わずに、未来を視た。

 

 ――ちくしょう! 駄剣! てめぇ、覚えてろよぉおおおおおおお!

 

 猛烈なスピードで突き進む中、才人とフーケの視線が重なった。

 そして同時に絶叫した。

「「うわぁああああああああああああああああ!!」」

 

『ひゃっはー! 喰らえ! 【流星の石頭(メテオインパクト)】ぉおおおおおおお!』

 

 ドガーン! と激しい音をたて、砲弾となった才人の頭突きがフーケの顔面にめり込んだ。まさに無慈悲なる男女平等頭突きである。

「ぶへらッ!」

 フーケは接触した瞬間に大きく後ろに仰け反らされ、そのまま弾かれるように後方へ大きくはね飛ばされた。そして才人という砲弾が通った後にできた空気の渦層に巻き込まれて、乱回転しながら地面に激突した。

 そのまま撃沈。

 

 才人は頭蓋骨が鐘のように打ち鳴らされ、たまらず意識を失った。フーケをはね飛ばした後は砂煙を上げながら地面の上を引きずられるように滑り、広場に一筋の線を描いた。そしてそのまま魔法学院の外壁にぶち当たって静止した。

 

 才人もフーケも共に白目を剥いて気絶した。

 

『どうだい相棒? これがデルフリンガー様の魔法吸収能力さ! 俺っちは魔法を吸収して使い手に還元できるのさ。あと、使い手を操ることもできる――、って、聞こえてねぇな、こりゃ』

 

 それなんてチート! と、夢の中にいる才人はつっこむことができない。

 

 才人の左手に握られたナイフから中庭に狂ったように雄叫びが響いた。

 

「怪盗フーケは、このデルフリンガー様が成敗した! かーっかっかっ! どうだい、俺っち、今最高にカッコいいだろ? この伝説の魔剣、『デルフリンガー』様の勇姿をその目ん玉によーく焼き付けなッ! ひゃーっはっは! ひゃーっはっはっはっは!」

 

 全員意識が飛んでる中庭で、いったい誰がその勇姿を見ることができようや。そう指摘できる者はもはや誰もいなかった。

 魔法吸収なんてチートな能力を持つ伝説の剣は、その知能指数もまた伝説級だった。いい意味で。

 

 こうして一振りの伝説の剣が、その自叙伝に偉大なる一ページを刻むことで、一連の盗賊騒動は何とも締まらない形で幕を閉じた。

 

 めでたし、めでたし。……、なのか?

 

 

 

 




書ききった……。

最後の美味しい所は全てデルフが持っていく。
皆さんが予想していた通りの展開ですよね(ニヤリ
この為だけにデルフは登場していきなり退場してもらったのです。
その時のことを根に持ってか、最後はうっぷんを晴らすかのごとく大暴れしましたね(^^;
多少無理のある設定ですが、才人君が鍛えられすぎていて、あるいはご両親によって武器として産み落とされたなら、デルフと融合できても不思議じゃない……よね? そういうことにしておいてください(汗

さて、ただの平民がただの使い魔(=デルフと融合して魔法吸収できる最強のメイジ殺し)に成長する物語はいかがだったでしょうか?
読んで頂いた皆様に楽しいひと時を感じて頂けたら幸いです。


そして残念ながら、
このssは次回のエピローグをもって完結となります。
今までたくさんの応援ありがとうございました。
PV・お気に入り登録・評価・感想・手紙など、沢山の支援ありがとうございました。
皆様の声援で無事完結することができました(^^)
また、10日間でこんなに沢山の人に読んでもらえるとは思っていませんでした。
作者は感激しております。

最後までお付き合いくださり、まことにありがとうございました。
またssを書く機会がありましたら、そのときはどうぞよろしくお願いします。



最後に一言。












『風の交響曲(ロンド) →(からの~) 『不死鳥(フェニックス)』 (からの~) 『ぴぎぃぃいいいい!』ェ……
…………どうしてこうなったぁぁああああああああああああああああああああああ!!


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エピローグ&あとがき


今までありがとうございました。

この処女作を、
読んでくれた読者の皆様、アイデアをひらめかせてくれたラノベの神様、そして原作者のヤマグチノボル先生に捧げます。


 

 

 その後、駆けつけた教師たちによりフーケは捕縛。

 負傷者たちは全員、学院中の水メイジたちの懸命な治療で一命を取り留めた。

 とある使い魔の少年の左手に握られたナイフから事件の全容が知らされて、関係者たちは顔面を蒼白にさせたという。

 自分たちがパーティーに興じていた裏で、そのような事件が起こっていたこともそうだが、あの王立魔法衛士隊ですら歯が立たなかったフーケをたった数人で撃墜してしまったオスマンたちに、教師たちは畏怖を覚えた。

 

 魔法でフーケの変装を解いた教師たちは驚いた。

 なんとフーケはまだ年端もいかぬ少年だったのだ。

 後に王宮の調査で彼の者がガリア王国の秘密部隊、『北花壇騎士(シュヴァリエ・ド・ノールパルテル)』の構成員であることが判明するのだが、今の彼らにそれを知る由はない。

 年齢から性別から全てを嘘で塗り固めて任務に就き、いざとなったら全ての濡れ衣を他人に着せて自分の存在は消してしまう。その姿は文字通り、太陽が当らない北花壇には咲くはずのない『見えない花』のようだった。

 

 かくして魔法学院を襲った事件は幕を降ろした。

 公けには、学院に進入したフーケを、オスマンを始めとした教師たちが撃墜したとして処理された。が、その実情は、窮地に陥ったオスマンたちを一人の平民に過ぎない少年が救い、さらには勇敢にも怪盗フーケを討ち取った、というものだった。

 だが、貴族社会にとって平民の活躍ほど耳障りの悪いものはない。ましては、あのトリステイン一のメイジとさえ目されるオスマンを凌ぐほどの活躍など、到底公開できるようなことではなかった。

 よって前述のとおりに事件は処理されたのだった。

 公式にはそうなったが、非公式には後の女王陛下じきじきに褒章を賜わることとなる。が、それを知る者は少ない。

 

 

 

 

   ◇

 

 

 

 事件から半日ほど過ぎた頃、魔法学院『水の塔』内にて学院長オスマン、そしてコルベールとギトー両教員が目を覚ます。

 三人とも重症で、しばらくは『水の塔』内にある医療施設に入院する運びとなった。

 

 魔法で操られていたシュブルーズとロングビルは、オスマンによって解呪が行われた後、秘書と教職にそれぞれ復帰する見込みとなった。

 可能な限り学院の落ち度を世に出さない為の、オスマンの判断だった。

 二人とも現在は学院の地下に幽閉されており、そのときが来るのを待っている。

 

 それからさらに半日が経過し、事件からちょうど一日が経とうという頃。

 才人は病室でようやく目を覚ました。

 

   ◇ ◇ ◇

 

「……知らない天井だ」

 才人が目を覚ますと、そこは真っ白い天井が見える見慣れない部屋だった。

 無意識に体を起こそうとすると全身に電流が走り、才人は思わず顔をしかめる。

「い痛ッ――!!」

 痛みがひいてから、才人は思い出すように記憶を辿ってみる。

 自分は確か、フーケと戦っていたはずである。デルフに操られ、フーケに頭突きし、あの後どうなったのだろうか。

 ふと視線を下げると、才人はベッドの上で、体を包帯でグルグル巻きにされていた。目と鼻の穴と唇以外は全て巻かれ、まるでミイラのようだった。

 左側には小窓が開け放たれており、夜空に浮かぶ双月の光が優しく差し込んでいる。

 反対側には白いカーテンのような布が天井から垂れ下がっており、部屋を分ける仕切りの役割を果たしている。

 どうやらここは病院のようだと、才人はあたりを付けた。

「さ、サイト……サイト!? 気が付いたのね!」

 ベッドの横でもたれかかるようにして寝ていたルイズは、才人の意識が戻ったのを確認して飛び起きた。そして間髪入れず、その胸に飛び込んだ。

「痛だいぃいいい!」

「もう、バカバカバカ! 心配したんだから! バカぁああ!」

 才人の声も耳に入らず、ルイズはわんわん泣いた。そして才人の胸をぽかぽかと殴る。

 しかしながらそんな虫も殺せなさそうな軽い拳も、今の才人にとっては激痛だった。

「痛い、痛いよルイズ!」

「きゃぁッ! ごめんなさい」

 思わず才人が叫ぶと、ルイズは飛び退くように離れた。

 落ち着きを取り戻したルイズは、才人が大怪我をしていることを思い出したのか、うるうると瞳を潤ませ、すがるように才人を見つめた。

「ごめんなルイズ。心配させて」

「まったくよ、もう! 丸一日も起きないなんて……」

 ルイズの目尻にさらに涙がたまる。貯水限界をこえて、ほろりと一粒こぼれる。

「……ごめん」

 他に言葉が見つからず、才人はただただ謝り続けた。

「だめ! 謝っても許さないんだもん。おしおきなんだもん!」

 ルイズは横から才人の顔を覗き込んだかと思うと、両手を彼の頭の横について覆いかぶさった。桃色の長い髪がハラリと肩からこぼれ、才人の頬を撫でてベッドにまで届いた。

 そして重ねなれる唇。

 今までで一番長い口付け。

 まるでお互いが生きていることを確かめ合っているかのように、離れようとしない。心臓の鼓動が大きくなり、お互いの唇を通して相手に伝わる。

 その心音のリズムは、不思議と一致していた。まるで二人の心が共鳴し合っているかのように。

「……ルイズ」

「今日はこれで許してあげるわ。でもいいこと? 明日もおしおき。明後日もおしおきなんだからね!」

 ツンっとそう宣言したルイズは、恥ずかしそうにそっぽを向いた。

 こんな『おしおき』ならしばらく入院してようか、と才人は微笑した。

「……全治二ヶ月だって。しばらくは動くこともできないそうよ。それと……」

 複雑骨折した足は患部の状態が酷すぎて、もとには戻らない……、とは言えず、ルイズは悲しそうに俯いた。

 ヴァリエール家の財力をフル動員して、ありとあらゆる秘薬と優秀な水メイジをかき集めたが、これが精一杯だった。

 いかに魔法と言えど、全能ではないのだ。

 だが、

「ああ、それなら大丈夫だと思う」

「え?」

 才人は仰向けに寝たまま痛む右手を天井に向かって掲げる。

 そして、

『情報精査開始。肉体の損傷部位特定。骨・筋肉・血管・神経・関節・内臓・皮膚・脳に損傷認知。情報修復許可申請。情報容量不足、不許可。細胞情報再構築許可申請。同、不許可。当該対象の四十八時間前の身体情報の閲覧申請。許可。身体情報の同期申請。許可。身体情報の上書き申請。許可。情報操作開始』

 目にも留まらぬ速さで才人の唇が振動した。次いで即座に才人の体全体が眩く発光する。

 包帯の布目もやすやすと通り抜け激しく発光。病室が一瞬、昼のように明るくなった。

 光はすぐに収まった。そして再び夜の静寂が戻る。

「サイト、今のは?」

「二日前の俺の身体情報を上書きした。これで怪我は治ってるはず」

「――はぁ? 何を言って――」

 頭がおかしくなったのかと心配するルイズをよそに、才人はむくりと上半身を起こした。そして一度大きく伸びをした後、肩を回し、首をコキコキ鳴らした。

 額に巻かれていた包帯を取ると、傷一つない才人の健康的な顔が現れた。

「なッ!? ちょ! えぇ~~!?」

 理解が追いつかないルイズは、ただその様子を呆気に取られながら見続けた。

 そんなルイズに才人は、さも当たり前であるかのように涼しい顔でのたまった。

「よし、治った」

 

 病室内に一瞬の沈黙が生まれる。

 

「……そ、そんな――」

 ポツリとルイズがつぶやく。

「そんなわけあるかー!!」

「ぐぇッ」

 ルイズは飛び掛るように才人に馬乗りになった。そして両手で才人の襟元を掴むと、ガンガンと揺らした。

「る、ルイズ。脳みそが揺れる」

「い、意味わかんないわよ! 何なのよ、それ! 私の心配を返しなさいよぉおお!」

 たまらず、我を忘れてルイズは揺すった。

「ルイズ! 酔う! 脳が揺れて酔う! 気持ち悪くなってきた!」

「バカ! もう、ほんとバカ犬! 信じらんない! 全治二ヶ月の怪我が一瞬で治るとか、あんたホント何者なのよぉ~!!」

 ここが病室であることも忘れて、思わずルイズは叫んだ。

「な、何者って、それはルイズが一番よく知ってるだろ?」

 荒い息をついていたルイズはようやく落ち着いた。

 そしておもむろに口を開く。

「はぁ、はぁ。そうだったわね。あんたは――」

 呼吸を整えながら、ルイズは今までのことを思い出すかのように瞳を閉じた。

 

 出会った瞬間、心臓がバクバクと鼓動した。

 決闘では華麗に槍を振り回し、その後お姫様抱っこ。

 毎晩魔法の練習に付き合ってくれて、今ではコモン魔法を使えるようになった。

 そして昨日の今頃は、フーケの魔法から命がけで守ってくれた。

 たった数日の事なのに、もう何年も一緒だったように感じる。

 

 ルイズはゆっくりと瞳を開いた。

 そして観念したように微笑んだ。

 

 

 

 

「そうだったわね。あんたは……、

 

『ただの使い魔』だったわね」

 

 

 

 

 今晩は『会月』の夜である。

 二つの月がそっと触れ合うように、その輪郭を重ねるのである。

 大きな青い月に小さな桃色の月がそっと寄り添うように近づいてゆく。触れ合った瞬間、二つの月光が混ざり合い、オーロラのように幻想的なグラデーションが夜空を彩った。

 

 その淡い月光を窓の外から受けながら、

 二つの影もまた――、

 

 ひとつになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『ただの使い魔には興味ありません!』

 

         完

 

 

 

 

 

 






あとがき



 お読みになって頂きありがとうございましたm(_ _)m

 ゼロの使い魔は作者にとって初めて手に取ったライトノベルであり、一番思い入れの強い作品でした。それゆえに先日の訃報は残念でなりません。
 そしてゼロ魔が未完のまま絶版になってしまうのは悔恨の極みです。
 ノボル先生は最終話までのプロットは完成していると仰っていたので、いつかどこかで編集者様の方から公開してくれないかと願うばかりです。
 このままゼロ魔が終わってしまってはノボル先生が浮かばれないような気がして……


 さて、このssを書いた経緯ですが、実はとあるマジ基地アンチssをそうとは知らずに読んでしまいまして、ルイズ惨殺とかふざけんなこの野郎ー、と怒り狂って、アンチssをアンチしてやるという反逆心から書き始めたものです。(爆
 しかし国語力もなく、文章も書いたことがない作者にとっては至難の業でした。
 最初は駄文でもいいやと思い、エセ一人称もどきの駄文(自称)を書いていたのですが、どうも話が面白くなく、ルイズも可愛くない。そもそも駄文にすらなっていない、酷い出来のものでした。
 そうこうしている内にノボル氏がガンを告白。
 なんとかノボル氏が御存命の間に書き上げたい。が、こんな駄文にすら劣るような駄文もどきで本当にいいのかと思い直し、一から書き直す。そして原作に合わせて3人称を書き始める。
 しかしここでまた壁に激突。3人称難しいです(^^; 表現に沢山のバリエーションが求められます。知らないと、自力では思い付けない表現が沢山あります。
 そして未だに分かっていない視点移動のタブー。
 いろいろつまづいた末に、結局原作を参考に文章を練習する目的も兼ねて、原作沿い再構成として再度書き始めました。
 この作品はそういった経緯から生まれました。
 書き始めたのは一年前のゴールデンウィークから。途中半年ほど休んだので正確な執筆期間は半年ですが、初めて他人に公開できるデキに仕上がったと思います。
 唯一の心残りは――――、間に合わなかったことですね。
 今は、いちファンとしてできるせめてもの手向けとして、このssを天国におられる先生に捧げる次第です。

 長くなりましたが、これであとがきを閉めさせて頂きます。



 最後までお付き合いいただいた読者の皆様には感謝の念が耐えません。
 本当にありがとうございました。

 完結後は時間の関係であまりハーメルンに顔を出せなくなるかもですが、ちょくちょく冷やかしに戻ってこようと思います。(^ω^)

 ではまた。
 どこかでお会いできた時にはよろしくお願いします~。


                           コタツムリ












以下、おまけ?


おまけ1

『ラストの別ルート。プロット案』


才人、情報操作で回復。
ルイズ泣く
シエスタ包帯を替えにやって来る。才人の腕を自分の胸に押し付ける。「盗賊をやっつけたんですって? ステキー!」
キュルケもやってくる。反対の腕を同じように押し付ける。「ああん! ダーリン。私が付きっ切りで看病してあげるわ」
両腕が幸せな悲鳴をあげている。
タバサがひょこり後ろから現れる。「ぴとっ♪」っと抱きつく。見ると猫耳、白ニーソ着用。瞳で会話。才人の背中に顔をうずめて恥ずかしがるタバサ。
それを見てルイズキレる。「バカ犬ぅー!!」
どかーん

 たとえ少年の人格が少々変わっても、バカ犬がご主人様に爆発させられるのは、世界によってあらかじめ決められた、どうあっても変えることのできない規定事項なのかもしれない。
 紳士からバカ犬に格下げされた少年。
 ファーストキスから始まった二人の物語は、まだ始まったばかりだ。

   完




おまけ2 『回収しきれなかった伏線』

『コルベールの受難』

 最終話の後。

 病室で、才人がしきりのカーテンを横にスライドさせると、その向こうにはコルベールがいた。

 ベッドで仰向けになっているコルベールに、才人は思い出したように言った。
「そういえば、あなたですよね? あのとき馬車を燃やしたのは」
 あのときとは、才人たちがフーケ捜索隊として出払った時である。
 その行きの工程で才人たちの乗った馬車が大破して炎上したのである。
 一行はみなルイズの爆発魔法によるものだと思っていた。が、才人はそれとは違う解釈をしていた。
「――何のことだい?」
 一瞬目が泳いだコルベールはしかし、すぐに平静を取り戻した。
 しかしその反応をみて才人は確信した。
「とぼけないでください。ルイズお嬢様の魔法は爆破することはできても燃やすことはできません。あの時馬車が炎上したのはお嬢様の魔法とは別の魔法です。あの場所で高威力の火系統魔法を使えるのはキュルケ嬢とあなただけ。すぐ隣でキュルケ嬢が魔法を使ってないのを確認しましたので、残るはあなたしかいないのですよ」
 コルベールは大きく息を吐き嘆息した。
「全てお見通しというわけですか」
「認めるのですね?」
「ええ、認めましょう。しかしあなたが悪いのです! あなたが……、あなたがミス・ロングビルの胸を、も、揉みしだいたりするからッ!」
 コルベールは泣きそうな顔をしながら拳を叩きつける。
 するとその振動が伝わって痛かったのか、すぐにお腹の辺りを押えてうめいた。
「ぐぬぅぅぅ……」
「それが理由ですか」
「ええ、そうですよ! 悪うござんしたねー! 私は決して謝りませんぞー!」
 開き直ったコルベールにサイトは冷たい目を向けた。
「なるほど、私情にかられて尾行任務をほったらかした上に自分の存在がばれるような攻撃をして、あまつさえ守るべき生徒を巻き込んで危険にさらしたことを謝らないと? このことは学院長に報告させてもらいます」
「なっ!? ちょっと待ちたまえ! そんなつもりで言ったのでは……」
 その瞬間、才人とコルベールの背後にあった仕切りのカーテンがシャッっと横にスライドした。
 そしてその向こうには、
「お、オールド・オスマン!」
「その話、詳しく聞かせてもらおうかのう?」
 ギロリと睨むオスマン。コルベールは顔から血の気が引いた。
 才人は清清しい笑顔でコルベールに告げる。
「馬車って高いんですよね?」
「そ、それはッ……!」
 才人が言わんとすることを予想してコルベールは反射的にオスマンをみた。だが、時すでに遅かった。
「馬車代はコルベール君の給料から差し引かせてもらおう」
「なッ! それだけは! お、お願いです。それだけはどうかぁああ!」
 そんなコルベールに才人とオスマンは口を揃えて言った。
「「だ~め」」
「そ、そんなー……。今月の研究費がぁぁぁ」
 絶望のあまり、コルベールは気絶した。

 学長室でロングビルに仕掛けた罠をつぶしてくれたハゲに、二人のささやかな報復がなされた。







おまけ3 『自重ネタ』

ギーシュと決闘後。

夜、広場で五右衛門風呂に入る才人。
シエスタがやってくる。
「一緒にはいる?」
「はい///」
シエスタと混浴。
「サイトさんの槍さばきステキでした」
「じゃ、俺の槍を磨いてくれるかい?」
「はい、よろこんで」
「じゃぁ、今すぐ磨いてもらおう」
「え? 今すぐ? どこにも槍なんてないですけど……?」
「槍ならここにあるではないかー」
「ま、まぁ/// ご立派ですぅ~」

スカイリムのモロパクリなのでボツ(笑




最後のシメ、これでいいのか!? (^^;


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