古明地さとりが召喚されました (歩く好奇心)
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古明地さとりが召喚されました

 衝動で書きました。


 

 トリステイン魔法学院付近の草原。

 二年生進級試験の一環として使い魔召喚『サモン・サーヴァント』が行われていた。

 そんな自身の今後の学生生活が懸かった試験の中、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは嘲笑の的であった。

 彼女の同級生が口々に野次をとばす。

 

「ゼロのルイズ!いつまで待たせんだよ!」

「もう諦めろ!ゼロのルイズ!」

「もう何十回目だと思ってんのよ!いい加減諦めなさいよね!」

 

 うるさいな。

 グツグツと沸騰しそうなマグマが腹で暴れまわっている。 

 しかし、ルイズは唇をつぐみ肩を震わせるだけで何とか堪えた。

 

「コルベール先生!もう一度やらせてください!」

 

 振り替えってやや離れたところで見守る男性教諭にそう訴えた。 

 毛根の後退が顕著に現れる男性教諭、コルベールはうーんと唸る。

 本来の儀式終了予定時刻は大幅に過ぎており、次の予定を押しているのだ。生徒達の不満の声も大きくなっている。

 しかし、目の前のピンク髪の少女は誰よりもひたむきで、恵まれない素質に挫けず今の今まで努力してきている。

 個人としては何時までも応援したい気持ちだがそうもいかない。

 そんなコルベールの内心を知ってか知らずか、ルイズは何度も懇願した。

 コルベールは「ふっ」と僅かに微笑む。

 

「そうですね。ならもう一度頑張ってみなさい。

 しかし、予定も押しています。今日は次が最後ですからね。

 それでもダメならまた後日、個別で挑戦してみましょう。」

「はい!ありがとうございます!」

 

 気合いを瞳に燃やし、ルイズは再び詠唱を声に乗せた。

 

 

 古明地さとりはぼーっと眼前を見つめる。

 隈のできた濁った瞳を左右にずらすと、少年少女くらいの人間が数多くひしめきあっている。

 何が起こっているのか。

 太陽が見える。

 数百年ぶりの太陽の姿。さとりは人の時間に換算すると他の追随を許さないエキスパート級の引きこもりである。

 あまりの日射量に日射病を起こしそうだ。

 疲れたように額を拭い、少し離れたところでこちらを見つめるピンク髪の少女を見つめる。

 通常であれば困惑と動揺で慌てふためくところであろうが、寝起きで働かない頭と妖怪として裏打ちされた長年の経験が冷静さをもたらしていた。

 

「へ、平民!?

 しかもこんな小さい女の子が私の使い魔!?

 まだ子供じゃないのよっ。」

 

 私と同等の身の丈しかない癖に。この人の子は自分の身長を知らないようだ。

 つり上がった瞳は気性の荒らさがうかがいしれる。

 ピンクの髪を振り乱し、少女は隣に歩みよった成人男性と口論している。

 話の内容を察するに、教師と学生か。

 

「ただの平民というわけではないようですね。人とは異なる目のような器官があるようです。亜人でしょうか。」

「で、でも子供の女の子に変わりはありませんし。

 もう一度やらせてくださいっ。」

 

 焦りを多分に含んだ声が少女の喉から発せられる。

 

「ゼロのルイズが亜人を呼んだぞっ。」

「いいえ、きっと平民よ!さすがゼロのルイズ様ね。貴女には打ってつけの使い魔じゃない。お似合いだわっ。」

「しかもまだ子供の女の子じゃない。

 妹ができてお姉さんぶれてよかったわね、ゼロのルイズ。」

 

 ピンク髪の少女と同じ学生と思われる周囲の人達から嘲笑の声が響き渡る。

 うるさい。煩わしい。

 自分を含めたピンク髪の少女への嘲りと、第三の目が伝える情報で耳鳴りが起きそうだ。

 さとりは久しく感じていなかった雑多の声の不快さに耳を押さえる。

 これも全て目の前の彼女が原因なのか。

 さとりはジトリと覇気のない目付きで眼前の少女を睨む。

 

「勝手に呼び出しておいて放置とはいい御身分ですね、ゼロのルイズさん。

 こちらも不本意ですが、そろそろお話願い出来ませんかね?」

「な、あんたっ……」

「その名で呼ぶなと。すいません。

 周りの声が貴女をその名でしか呼ばないので、本名を知らないのですよ。」

「はぁ!?

 あんたね、ご主人様に向かっ……」

「公爵家三女。ルイズ・フランソワーズ・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールですか。異国の名前でしょうか。北欧な感じでおしゃれかもしれませんが、長くてくどいのが難点ですね。」

「えっ!?」

「名前なんて個人を特定できればそれで十分だと思うのですが、その名前不便じゃありません?

 全く利便性が見当たりませんが。

 おや。そういう問題でないと。

 ここでは普通なのですか。加えて家柄の高さも示すと。そうですか。随分大事になされているようで。上下関係の優位さを唯一表す、貴女の絶対の誇りなのですね。

 わかりました。」

「ちょっと、勝手に1人でべらべらしゃべらないでよ!ご主人様を差し置いて何なのこの亜人はっ。立場を弁えなさいよね!」

「久しくなかった人との対面でつい。

 まともな会話なんて記憶を探ってもここ最近は全く覚えがなくて。

 ところで確認ですが。やはり私をここに呼んだのは貴女なんでしょうか。」

 

 全く会話をしようとせず、加えて喋らせようともしないさとりに、ルイズの苛立ちは最高潮に達しようとしていた。

 しかし感情の爆発はなんとか消化。

 自分が召喚した使い魔の正体を掴もうと、ルイズはキッとさとりを睨みつけた。

 

「そうよ!それであんたは…」

「私は古明地さとりと言います。

 ええ、失敗づくしでようやく成功した貴女の使い魔とやらですよ。29回目ですか。苦労なさったのですね。

 平民とやらの私のようなハズレ枠を呼んで可哀想ですね。別に同情はしませんが。

 貴族など人間の社会体制なんて本でしか知りませんが、公爵なんてご立派ですね。

 サモン・サーヴァント?とやらの召喚で呼び出したのですか。

 実感するに、随分無差別な対象選択な方法のようですね。甚だ迷惑なものです。

 この後はキスで契約ですか。そっちの趣味はないので御遠慮願いたいですね。

 まさか百合の気はないでしょうね。ないですね。よかったです。

 私と貴女で相互理解が深まって何より。

 ところでモーニングコーヒーを一杯貰えません?

 朝起きて顔を洗おうと洗面台に立てば突然この状況ですよ。瞼が重たくて仕方ありません。

 訴訟したいところですが、訴えるだけ無意味なようです。冷静な話し合いの場のためにも自重しましょう。」

 

 呼び主の少女は絶句する。隣の男性教諭もだ。

 知るはずない情報の数々と、一方通行の会話に為す術がないのだ。

 特にルイズは内心焦りと動揺で、次に問うべき言葉が見つからず口をパクパクさせている。

 さとりはそんな彼女の心を何の感慨もなく掬いとる。

 

「ええ。察しがいいですね。理解が早くて無駄な説明は省けそうです。

 そうですよ。私は心が読めます。」

「や、やっぱり!?」

 

 周囲共々ざわめきが大きくなる。

 心を読む。精神に影響を及ぼすような類いの魔法だ。

 精神系の魔法は固く禁じられるハルケゲニアでは大罪である。

 あの人体から離れた宙に浮く目。やはり亜人の一種であろうか。そんな予測が人垣の間を縦横無尽に駆け巡る。

 

「やはり亜人の類いですか。先住魔法のようですが、とても危険な魔法をお使いのようだ。」

 

 コルベールが前に出て、然り気無くルイズを庇う。

 ルイズがやや戸惑うが意に解さない。後ろ下がるよう言うと、彼はさとりに失礼のないよう誠実な対応で話かける。

 

「失礼。私……」

「トルステイン魔法学院のコルベール先生ですね。

 どうも。いい先生ですね貴方は。生徒の安全を第一に考えるなんて。

 もしもの時は力業ですか。

 冴えない見た目に反して戦闘経験のあるような洗練された動きをイメージしますね。今の外部の世では、戦闘に関わる人は軍人か傭兵、テロ組織と聞きますが、もしかして軍人さんなのでしょうか。」

「っ!」

「おや、やはり軍人ですか。元みたいですね。

 警戒するのは結構ですが、こちらに敵意はないことは知ってもらいたいですね。

 鬼みたく喧嘩上等な戦闘狂じゃあるまいし。痛いのは本当に嫌いなんで。

 見ての通り人ではありませんが身体能力は人の子のそれです。引きこもってますから運動不足も祟って、運動音痴もここに極まりですよ。ですから襲われたらと思うと、むしろこっちが怖いのですよ?」

「……それを信用するには些か信頼関係があまりにも我々の間で構築できておりません。

 せめて会話くらいはさせて頂きたいですな。」

「やや苛立ってますね。

 それもそうですか。先んじて話すのはさとり種族故の性分なもので。

 道理でしょう。相互理解のためにも会話が必要みたいですね。了解しましたので、少しは警戒を下げてもらえませんか。」

 

 お互いに改めて自己紹介をし直す。

 ピンク髪の少女は散々放置されてご立腹だ。

 今にもつかみかかりそうに肩を怒らせ、多分な苛立ちを含ませて尋ねた。

 

「で、あんたは一体何なのよ。亜人なの!?」

「亜人とは?

 おや、人間以外の人形の生き物を指すのですね。

 まぁ、そうですね。その理解で構いません。

 私達は妖怪といいますが、大した問題ではないでしょう。

 詳しくはサトリと言います。」

「いや、それあんたの名前よね?種族とかそういうのを質問してんだけど。」

「ですから『サトリ』という種族なんですよ。

 私の名前にもなってますけど。

 心を読むことが生業であり、営みとしていますね。」

「先住魔法ですかね?

 先住魔法は危険な魔法が多いと書物でもありますが。

 失礼ながら、その力は間違えば人に災厄を招くものになり得るかもしれません。

 その力の使用を止めることは出来ないでしょうか。」

「そうよ。勝手に考えを読まれるなんて不愉快だわっ。

 今すぐ止めなさい。人の心を土足で踏みあらそうなんて、そんなの絶対許されないんだからねっ。

 最悪刑に処されるわよっ。」

「人の道理を聞く義理はないのでそう言われましても。

 それに、この能力を止めることはできません。」

「な、なんでよ!ご主人様の命令に従えないっていうの!」

「違いますよ。

 これは常時発動型でして。自分の意思で切り替えられないんですよ。」

「その目をつむればいいだけじゃない。」

「よく勘違いされるのですが。

 これはあくまでも目という器官を形作っているだけなんですよ。能力の実態は視覚聴覚を複合したようなもので私の脳内に響いてくるように貴方達の思考を感じとっているのです。

 なので、私の意識が覚醒している限り貴方達の思考は常に感じざるを得ない訳ですよ。」

「な、なによそれぇ。常に頭の中を覗かれるなんて嫌よ私。」

「私だって好き好んで読んでる訳じゃありませんよ。

 貴方の頭の中身なんてボウフラよりも心底興味ありません。」

「何ですってぇ。」

「ミス・ヴァリエール。落ち着いてください。」

 

 憤りに震えるルイズをコルベールがなだめる。

 気の短いご主人だ。

 怒りを素で煽る元凶のさとりは、原因は自分にあると理解しながらも「はぁ」と小さくため息をついた。

 興味なさげに周囲に目をやると、待ちぼうけを食らっている他の生徒は退屈げだ。

 

「ミス・コメイジ。それで使い魔の件ですが。」

「あぁ、はい。

 その前に聞きたいんですけど、私って元のところに返すという選択肢はないのですか?」

「出来るわけないでしょ!サモン・サーヴァントは呼び出すためだけの魔法なのっ。」

「はぁ。呼び出せるなら送り返す手もあるような気もしますが。駄々をこねても仕方ない感じですかね。」

「て言うか、帰られたら私が困るのよ!」

「知ってますよ。進級に関わってるんですよね。

 それで失敗したら実家に強制送還ですか。御愁傷様です。強く生きてくださいね。」

「あ、あんたまた勝手に覗いたわねっ。」

 

 癇癪を上げる眼前の少女を無視して、さとりは思考に耽る。

 地霊殿主としての仕事や、慕ってくれるペット達のことが脳裏に過る。恐らく心配しているだろう。

 しかしそれよりも、気にかかるのは唯一血の分けた妹のことだ。

 複雑な思考と感情が交差する。

 ……今更心配して何だというのか。

 さとりは「はっ」と諦観の混ざるため息を吐き捨てる。多少いなくなってもどうということはない。

 使い魔は一生主人に付かなくてはならない。しかしそれは百年も満たない時間だ。

 たった百年。

 ずっと薄暗い宮殿に引きこもっていたさとりは、眩しげに太陽を見上げた。

 この突飛な展開はいわば、少し長めの1人旅。

 さとりはそう片付けることにした。

 

「いいでしょう。貴方の使い魔になってあげますよ。」

「えぇ~」

 

 嫌がるのは当然だ。つまりは一生心を無断で覗かれ続けるのだから。

 私であれば御免被るし願い下げである。

 さとりは自身の力を棚に上げ、自虐的にそう断ずる。

 見るのはいいが、見られるのは嫌なのだ。

 ルイズはコルベールに促され、呪文を唱え嫌そうに私に口づけを交わした。

 メルヘンなおとぎ話にでもありがちな契約の儀式形態だ。ベタである。

 そんな感想を抱くと、突然左手の甲に熱と痛みを感じた。

 

「使い魔の証よ。すぐに収まるから我慢なさい。」

 

 痛いのは嫌と言ったのに。

 苦々しげに手を擦ると、コルベールが物珍しげな視線で左手に浮き出た紋様を見つめる。

 

「珍しい紋様ですね。スケッチさせて頂いてもよろしいですか。」

 

 どうぞ、と手を差し出す。

 スケッチが終わると、コルベールは手を叩いて注目を集め、学院に帰還するよう号令を出した。

 次々とルイズの同級生達が上空へ飛び上がる。

 魔法使いだから当然か。

 さとりは特に感慨もなくぼうっと見上げた。

 

「『フライ』もろくに出来ないゼロのルイズは亜人と仲良く歩いて帰れよ!」

「ちゃんと学院まで使い魔を連れてってあげるのよ?」

「何もできないゼロには優雅なフライは難しすぎますものね。肉体労働がお似合いでしてよ。」

 

 煽り文句の雨が頭上から降ってくる。

 「ガルル」と唸り声をあげる隣の少女。

 強烈なまでの憤怒と惨めさを堪える意地が第三の目から通じてくる。

 彼女が魔法使いでありながら、魔法に明るくないのは承知の上。彼女自身の心と周囲の雑音がうんざりするほど伝えてくるのだ。もはや耳たこだ。

 さとりは気だるげにルイズの背中に周り羽交い締めの要領で彼女を掴む。

 

「ちょっ、ちょっと!いきなりご主人様に何無礼なことやって……………きゃあああ!!!」

 

 上空へと到達。

 マントをはためかせる生徒達と同じ高度に並んだ。

 生徒達は異口同音に驚嘆し、目を白黒とさせた。亜人でも平民と変わらない。飛べるはずがない。そう信じて疑わなかったにも関わらず、第三の目を携える亜人がルイズを掴んで飛んだのだ。

 周囲の少年少女達は動揺する。

 

「これも先住魔法なの!?

 ていうか、あ、あんた魔法使いだったの!?」

「別に飛べないとは言ってませんよ。」

「そう言うことは聞かれなくても早く言いなさいっ。

 ふ、ふんっ。まぁいいわ。仕方ないけど褒めてあげてもいいわよ。光栄に思いなさい。」

 

 なんだ。メイジを召喚するなんて超当たりじゃない。

 ルイズは「ふんっ」と偉ぶるも、内心嬉しくて堪らなくなる。

 しかし同時に、視線を暗く落とす。

 感情の浮き沈みの激しい子だ。しかしまだ16という齢であり、多感な思春期。

 よく耐えている。自分というものを確立していないうら若い少女にしては、称賛に値するほどだ。

 さとりは何も言わずルイズの感情を眺めていると、1人の少女が舌打ちした。

 

「な、何よ、ゼロのルイズの癖に。

 使い魔にぶら下がって飛ぶだなんて、メイジの恥もいいところね!」

「な、何ですってぇ!

 『洪水』のモンモラシーの分際で!」

「『香水』のモンモラシーよ!変な二つ名付けないで頂戴っ。」

「私知ってるんだから。初等部高学年の年になってもアンタがお漏らししてたってことくらいっ。

 ああ、淑女として恥ずかしいっ。」

「ななな、何言っていますのっ!?いい加減なこと言わないで頂戴っ。下品よっ。このメイジの恥っ!」

「うるさい、うるさーいっ。

 無駄口叩く暇あったら、漏らしたパンツでも干してなさいよっ。」

「まだ言うのっ。このゼロのルイズがぁぁぁ」

 

 キャットファイトも辞さない気勢の二人。

 さとりはホトホト呆れた。よく衆目監視の中、ここまで罵詈雑言をぶつけ合えるものだ。

 やや遅れてコルベールが制止に入り、事態は終息。

 学院に帰り、中庭にて使い魔とのコミュニケーションを取り合う指示が出る。

 それぞれが自身の使い魔と触れあう中、黒肌の目立つ赤毛の少女がこちらに歩み寄ってきた。

 スタイルを鑑みるに女性と言うのが正しいか。

 

「ルイズ、あんたにしては珍しいもの呼んだじゃないの。初めての空の抱っこの感想はどう?」

 

 おちょくるような口調でそう問いた赤毛の女性に、ルイズは「うげぇ」といった感じに顔を歪めた。

 心を見るまでもなく相性は最悪であることがわかる。

 

「何かよう?疲れてんだからあっち行きなさいよ、ツェルプストー。」

「何よ連れないわねぇ。折角の触れ合いの時間なんだから、ちゃんと相手しなさいよねぇ。

 ヴァリエールは失礼ね。ねぇ、フレイムー?」

 

 そう言って彼女は、足下を這いずる赤色の大きな蜥蜴を抱き寄せる。尻尾からは炎が灯っている。

 見たことのない生物にやや興味を引かれながらも、さとりは赤毛の女性は誰かとルイズに尋ねる。

 彼女はキュルケ・フォン・ツェルプストー。ゲルマニアン民族という他国の人間。ヴァリエール家と領土を隣り合う関係である。

 心を見るに、祖先の代から痴情のもつれで色々あったようだ。

 キュルケがさとりを値踏みするように無遠慮に見回した。

 

「ふふ。アンタに似てチンチクリンな使い魔を呼んだものねぇ。

 私なんか火竜山脈に生息するサラマンダーよ?

 しかも見てこの大きな尻尾の炎。レア中のレアものよ。好事家も値段がつけられないほどなんだから。」

「あっそ、よかったですねー。」

「『微熱』が二つ名の私にはぴったりな使い魔だと思わない?」

「全く同意するわ。だからあっちいって。」

「私の内にある情熱を燃え上がらせたら男子には刺激が強すぎる。だからこその微熱。

 一度火がついた男を虜にして蕩けさせる灯火。

 ああ、私ったらなんてふしだらなのかしら。これも一重に罪深い女の宿命なのよ。」

「聞いてないし。」

「完全に自分の世界が出来てますね。」

 

 赤毛の女性の自画自賛がダラダラと続く。

 ルイズはうんざりと顔にはっきり書いて、鼻を鳴らした。

 さとりも同様だ。数百年生きた妖怪とはいえ、さとりも女性に分類される。普段は気にしないが、こうまで露骨に女として自慢されるとイラっとくるものがある。

 さとりも疲れたようにため息をついた。

 

「貴女も随分空気が読めないのですね。」

「あら、何かいったかしら。ルイズの使い魔さん。」

「ゲルマニア民族の貴族はつまらない自慢が十八番のようです。自己陶酔は結構ですが、やるなら舞台劇場でお願いしたいですね。

 観衆の中で女優ばりに身を抱いてる姿は、ただひたすら引くしかありません。友達がやってたら鳥肌ものですし、距離を取らざるを得ませんね。友達いないですけど。道化でもピエロでもおひねりは貰えませんよ。」

「言うじゃないの。ルイズの使い魔さん。

 でもごめんなさい。貴女も私の魅力を妬むのはわかるけど、私はただ事実を語っているだけなの。

 独りよがりでもない、ただひたすらに目の前にある現実を!

 罪深い私を許して頂戴。」

「なるほど。貴女に節度の重要性をお伝えすることは、ゲルマニアを白く洗うことと同じようです。」

「へぇ、ゲルマニア民族の貴族である私に向かってのその発言。大したものね。」

「貴女には負けますよ。

 留学生としての立場上、国の看板としての振舞いが求められると思うのですが。

 仮にも公爵家のルイズさんに、喧嘩上等の挑発行為。 

 本でしか読んだことありませんが、国際問題の発展にいかがな見解をお持ちでしょうか。ツェルプストーさん。」

「ふん。ゼロのルイズにそんな立場と権力を振りかざす資格、持ち合わせてないわ。

 私がルイズに絡んだところで何もなりはしないもの。それくらい考えてるわよ。」

「そうでしょうか?

 代々争ってきた仲なのでしょう? 名目があればこれ幸いに戦争勃発もあり得るのでは?

 子を泣かされて黙っている親がいるでしょうか。親兄弟は誇りある貴族の公爵家。体面は大事になさる家柄でしょう。」

「は、はん、だったらなに?」

「国外にいる貴方は果たして安全なのですか?

 魔法学院が貴女を身を呈して保護してくれると?

 私はまだ少し読み取っただけですが、ヴァリエール家の名は随分大きいようですよ。

 トリステインとゲルマニア。どちらも大国。

 異なる人種の交流がただの仲良しこよしのためなら、それは幸せなことでしょう。私も平和を祈る穏健派です。

 しかし、貴女の行動、発言はまるで戦争の種を咲かせるようだ。

 邪推じゃありませんが、まさか戦争誘発を企む留学生の皮を被った工作員じゃないですよね?」

「……えっ?」

 

 突如飛来した疑いに二の句が告げない。

 しかしそれに構わず、落ち着きのある鋭いさとりの言が次々と飛来した。

 キュルケの顔色が次第に青ざめ、ごくりと生唾を嚥下する。

 キュルケの頭は焦燥で駆り立てられていた。

 ついさっきまでは何の気負いもない、ただの日常的な絡み合いだったはずだ。

 しかし気付けばどうだ。

 耳にするのは、責任ある由々しき国際問題に触れる内容ばかり。

 周囲を見やれば、関心をむける野次馬達で囲まれていた。しかしそこに、いつもの騒がしさが微塵もない。

 普段聞きなれない単語に、周囲の同級生達も固唾を飲んで見守っている。

 

「おや、もうだんまりですか。

 化けの皮が剥がれるのが早いですね。さぞかし他国で自分を偽るのに疲れが出ているようです。」  

 

 こいつは何を言ってるのよ!?

 

「「違うわっ、私はそんな戦争なんて」」

「…え?」「欠片も考えてないわよ。」

 

 声高く否定の台詞を吐くも、声が重なっていることにキュルケは驚く。

 私の言葉が盗られた。続く言葉は自分の声ではなく、目の前の主と同色の髪をした少女のものだ。

 キュルケの瞳が動揺に揺れる。

 視線の先は隈の残るさとりの瞳。目を背けられない。

 

「「ま、真似してんじゃないわよこのガキ!!」」

 

 また重なった。キュルケの瞳がさらに揺れた。

 

「すいません。

 サトリとしての性分で、つい。

 人の心に先んじて口に出すのは、もはや癖なのですよ。」

 

 淡々とした口調に悪びれる様子はない。

 キュルケは何も言えなかった。

 誰もがだ。

 その場にいる全員が戦慄した。

 そして、キュルケを含む同級生全員がここで改めて認識する。否。認識せざるを得なかった。

 心を読まれる不気味さを。

 

「口八丁手八丁で争いを仕掛けてきた家系なのでしょう?

 お父さんに上手い言い逃れを習わなかったんですか?あるのでしょう?

 他人をタブらかして使い勝手のいい駒をつくる上手い手が。きっと貴方を慕う少年達は庇ってくれます。

 貴方にはその力と証明がある。

 何せ、散々ルイズさんの家と血の流れる闘いを幾度にも渡ってやってきたんですから。」

「ち、違っ。」

 

 困惑する赤毛の女性はそこで気づく。

 周囲の目の色が変わっていることに。

 見回せば、誰もが怪訝な眼差しでキュルケを見ているのだ。

 不安。懐疑。嫌悪。敵意。失望。

 人によって様々だ。

 

「ま、待って。私は違うの。あの使い魔の言いがかりよ。あんな言葉に騙されないで皆!」

 

 必死に訴えかけるも、誰もがしかと目を合わせようとしない。いつも自分に群がる1人の男子と目があった。

 しかし、そこにあるのはいつもの情念や思慕ではない。

 疑念と敵意。

 はっきりではないが、そんな色合いが見て取れてしまう。他の男子も似たり寄ったりだ。

 赤毛の女性ははっとした。ルイズは。急いで振り替えるも、そこにあるのは光とはかけ離れた光景。

 嫌疑。  

 視線を交えるルイズの瞳は静かにそう訴える。

 失意に足が崩れた。目尻に涙が浮かぶ。

 こんなものなのか。

 こんな簡単に見限られるものなのか。

 胸の内の様々な感情に折り合いを付けられず、キュルケは俯いて肩を震わせる。その時だ。

 

「これは何のつもり?」

 

 キュルケの耳に聞きなれた声が届く。

 顔を上げれば、そこには青髪の小さな背が自分を守るように立ちふさいでいた。

 

「タバサっ。」

「………ごめん。助けるの遅れた。」

「ううん。……ありがとう。」

 

 キュルケの顔がくしゃりと歪んだ。

 それを見てタバサの瞳に後悔の念がうずく。

 

「もう一度聞く。これは何?」

 

 殺気のこもる静かな声音と瞳が、第三の目を持つ少女に捧げられる。

 唯一の親友が涙を流して地についている。

 タバサの身の内は、激情が煮えたぎり渦巻いていた。

 第三の目を通して、さとりは当然彼女の感情が手に取るように理解した。

 しかし。

 

「何と言われましても。

 ただ質問していただけですよ。」

「そんな訳がない。キュルケが泣いてる。」

「女の涙は恐ろしいですね。男だけでなく親友すらたぶらかすんですから。」

 

 その言葉に呼応するように、タバサは凄まじい殺気とともに杖を突き出す。

 

「貴女は危険。

 他人の心を読んで、弄ぶような輩を許してはおけない。絶対に。」

「まさに竜の眼差しですね。

 他者の使い魔を殺したら貴女もただでは済みませんよ?」

「だとしても、貴女を野放しにはしておけない。」

「鎖付きなんですけどね。」

 

 このままでは非常に好ましくない展開になるのは火を見るより明らかだ。

 幻想郷で魔法は見たことがあるにしろ、造詣が深いわけではない。本当に見たことがある程度であり、物理戦で対応できるはずがないのだ。

 さとりはチラリとルイズに視線を投げ掛ける。

 

「ルイズさん。いいのですか?

 このままでは折角手にいれた使い魔を失う羽目になりますよ。進級が懸かっているのでしょう?」

「はっ!?

 だ、ダメ!!」

 

 さとりの一言を瞬時に理解し、ルイズはバッと二人を遮るように前に出る。

 

「どいて。」

「退くわけないでしょ。勝手に人の使い魔に手を掛けようとしてんじゃないわよ。」

「キュルケを泣かした。許す訳にはいかない。」

「からかってきたのはそっちが先よ。自業自得ね。いざ自分が責められると泣きだすなんて、恥知らずもいいとこだわ。」

「そいつは危険。貴女には手に負えない。」

「危険なのは百も承知よ。でもね、さとりはもう私の使い魔なの。使い魔を見捨てるなんて、メイジとして許すわけにはいかないわ。

 使い魔は最後まで責任もって面倒みるのが主の役目。私はそれを放棄する気はないの。」

「貴女では力不足。そいつを制御できる技量があるとは思えない。」

「それを判断するのはアンタじゃないわ。学院よ。

 仮に危険と判断されたとしても、殺す役目も資格もアンタにあるはずないでしょ。とっとと下がりなさい!」

 

 小柄な青髪の少女はギリッと歯を食い閉める。

 二人の少女が睨みあい硬直する。

 譲る気配はどちらもなく、ただ沈黙だけがその場を支配した。

 

「そこまでじゃ。」

 

 しゃがれた声が当たり一帯に広がる。

 見れば、年季を感じさせる白髭をたくわえた爺が杖をついて歩んでくる。

 オールド・オスマン。

 トリステイン魔法学院の最高責任者であった。

 

「この場はわしが預からせて貰おう。」

 

 

 




 感想、評価待ってます。


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偽りのルイズの心

 意外に好評で驚きましました。
 誤字脱字はすいません。


 

 学院長室。

 ふかふかの上質なソファが気持ちよい。

 古明地さとりは主となる少女の隣に座っている。

 机を挟んだ対面には一人の老人。  

 その隣にはコルベールも一緒だ。

 

「ほっほっほっ。

 いやぁ、今年の二年生は曲者揃いじゃが、中でもミス・ヴァリエールは一際じゃのぉ。

 すごい使い魔を呼びだしたものじゃ。」

「……ははは、どうも。」

 

 眼前の老人は顎に蓄えた白髭を擦りながら朗らかに笑う。

 隣のピンク髪の主は愛想笑いだ。

 オールド・オスマン。

 この魔法学院の最高責任者であり、齢300歳を越える規格外の人種だ。魔法分野で多種多様な天性の才を発揮している。

 さとりは外界への認識を改める必要性を検討した。

 外界は科学で取り込まれた世界であり、魔法などの幻想に類いは退廃している。

 それが従来の常識だったはず。

 しかし、目の前の人の寿命を優に超越した人間はどうだ。外界とは存外、未だ未知数な奇怪物に溢れた世界なのかもしれない。

 ぼんやりとしていると、のほほんとした空気をだす老人をコルベールが嗜めた。

 

「それもありますが、他に話すべきことはあるでしょうに。」

「ほっほっ。そうじゃったの。では本題に入るとしようかの。」

 

 朗らかな空気が一転。

 のんびりした目付きを変え、オスマンは責任者として真剣な顔つきになる。

 緊張した空気に、隣の桃色髪の主は喉を鳴らした。

 

「ではミス・コメイジ。 

 貴女は先の件の渦中であった。今のところ被害者であるミス・ツェルプストーは落ち着いておるようじゃが、未だに不安定な状態じゃ。

 一緒にいたミス・タバサに至っては随分と殺気立っておる。魔法の鏡で一部様子は見とったが、お主らから詳しく事の経緯を聞かせてもらいたい。」

 

 第三の目を通してオスマンの冷静かつ冷酷な思考が流れる。

 ここが分かれ目か。

 無表情を仮面に、さとりはこれからの対応を模索した。そして要望通り、先に起きた騒動の一部始終を語った。

 厳かな雰囲気が漂う面談。ルイズは怖じ気づく。

 しかし、隣の同色髪の使い魔に気負う様子は微塵もない。

 使い魔は淡々と無表情に、事のあらましを綴っていく。

 

「まぁ、単に件の彼女が私達にちょっかいをかけてきましたので、お灸を据えるためにも少し責めさせて頂きました。あまりに鬱陶しかったですし。

 一応使い魔の役目を奉仕したまでと思っていますよ。

 まぁ、軽くあしらうつもりが、舌が乗ってやり過ぎてしまった感は否めませんが。」

「それであのようなメイジ同士の戦闘が勃発しそうな事態にまで発展したと。その理解で宜しいですかな?」

「その理解で間違いないですね。」

 

 コルベールの落ち着きながらも厳しい声音の確認。

 しかし、さとりはのっぺりした返事を返した。

 こちらは重い認識であると言うのに、まるで意に介した様子がない。

 そんな彼らの思念を第三の目が滞りなく伝えてくる。

 事の重大さを認識していない訳ではない。

 抑揚のない口調は彼女の性分なのだ。

 

「ミス・コメイジ。

 貴女は亜人です。加えて読心という精神魔法も使える亜人。故に、あまり人の常識を知らないのも仕方ないことと存じます。

 ですから協力を請いたい。

 我々学院は貴女を精神魔法の使い手と捉えています。それも何の制限もない状態。

 故に貴女が問題を起こした場合、事態が不測にも大きくなりやすいのが現状なのです。」

 

 その言葉に内心頭を抱えたい気持ちになる。

 軽率に動いてしまった。

 さとりは自らの衝動の基に、後先深く考えず行動したことを後悔する。

 私はどうやら必要以上に警戒を持たれてしまったようだ。

 

「あの時にいた生徒達は貴女が心を読めることをしっております。

 この件におけるミス・タバサの異常な憤りも、貴女の読心が関係していると推測します。

 どうか今後は発言には注意して頂きたい。」

 

 コルベールは今回の騒動を重く捉えた。

 精神魔法は禁忌の魔法。

 これはブリミル教の聖典に基づいた憲法だ。

 故に精神魔法と聞いただけで悪と断ずる者がほとんど。

 精神に干渉し人間性を失わせる倫理的問題もさることながら、集団に及べば国を揺るがす。

 ここ、トリステインはブリミル教が強く根付いているが、悪魔崇拝などの怪しげなカルト組織は勿論存在している。そんな輩に精神魔法保有者を認知される。

 考えるだけでぞっとした。

 どう悪用されるのか、わかったものではない。

 故に、目の前の異形の目を抱えた少女はとても危険な存在であった。

 生真面目な男性教諭の懸念を知ってか知らずか、さとりはゆったりと口を開く。

 

「郷に入らば郷に従え。

 無駄な争いに悦に浸る趣味はありません。

 わかりました。不必要に周囲を煽ることはしないと約束しましょう。

 いちいち問題を起こして呼びだされる不良学生なんてレッテルは不本意ですし。」

「本っ当に不本意極まりないわよっ。

 私は勉学一番の優等生なのよっ?

 あんたのせいで家名を貶めるようなことがあったらどうしてくれるのよ。使い魔が主の足引っ張るなんて許さないからねっ。」

「召喚主として体面を保つためプレッシャーを掛けますか。掛けた気になるのは結構ですが、やめたほうがいいですよ。

 心の読める私には空しく響くだけです。」

「な、なんですってぇぇぇ!?」

 

 立ち上がって髪を逆立てる召喚主。

 予想以上の沸点の低さにさとりは内心慌てた。

 元々内気な気質柄、気性の荒い者は苦手なのだ。

 口の悪さと、長年に渡るコミュニケーション不足がここで祟った。

 とりあえず目の前の少女を落ち着かせる。 

 さとりは気だるげながらも諭すように声を発した。

 

「お、落ち着いて下さいよ。

 肩を鳴らしていきり立つことが貴族たる振る舞いと、貴女は勘違いしてます。

 そう威圧するよう習ったんですか。犬のように吠えろと。違うはずです。

 そうでしょう?

 だからまずは座りましょう。お利口さんですから。」

「むっきぃぃぃぃ。

 私は犬かってぇのっ。どの口が落ち着けってぇ!?

 さっきから神経の逆撫でばっかりしくさってからにぃ。」

「み、ミス・ヴァリエールっ、暴れないでくださいっ。」

 

 ルイズは使い魔に掴み掛からんばかりの勢いだ。コルベールが慌てて向かって、彼女の腕を掴み制止をかけた。

 半眼で主を見る異形の目をもつ少女。彼女は人の心は読めるはずのに、どうしてここまで空気が読めないのか。必死でルイズを抑えるコルベールは不思議でならなかった。

 

「ぼ、暴力は止めてください。公の場で激情するなんて、野蛮な公爵家様ですね。

 癇癪を挙げることと、威圧することは別だと。私はそう言いたいだけですよ。

 貴女のために言いますが、礼儀作法を習い直すことを推奨します。」

「怒りをつつくあんたのせいでしょうがっ。

 何私が悪いみたいに言ってんのよっ。責任転嫁なんて卑しいわねっ。心が読めるんだから言動には配慮しなさいよっ。

 全く。

 私のような貴族の優等生に仕える栄誉を与えてあげるってのよ。感謝しなさいよね。」

「座学に励む勤勉さ。平行して怠らない魔法の修練。

 秀才ともいえるその努力は認めますが。

 貴女が定義付ける優等生から程遠いのは、貴女自身がよくわかっているはずです。

 無理な見栄は程々にしないと取り返しがつかなくなりますよ。」

「…………ちっ。」

 

 ルイズは俯いた。

 桃色の長髪をだらりと垂らし、口を食い閉める。図星を当てられて何も言い返せない。

 何を言い返しても惨めになるだけ。キュルケの件でそれは目にしているのだ。

 そして今も尚、感情を暴かれ続けている。

 心を読まれるとは、ここまで惨めな気持ちになるものなのか。

 頭を抑えたくなる苛立ちがルイズを襲う。

 頭をカラスに啄まれるようだ。

 同じ髪色の二人のやり取りにコルベールは小さく息をつく。

 大丈夫ですかね。

 伺うように隣に視線をやると、最高責任者もやれやれといった感じだ。

 

「言ったそばからこれかいの。ちと心配じゃぞ。」

 

 オスマンが呆れと心配のため息を吐き出す。

 異形の目を胸に抱えるこの少女。理解したとは表面だけで、その口振りはまるで自重していない。

 

「心を読めるなら相手の気持ちは人並み以上に悟いはずじゃ。本人が触れたくないことをどうしてわざわざ口にするかのう。」

「三つ子の魂百までです。本質は易々と変えられるものではありません。

 性分なのです。種族としての。

 人の思想がそう簡単に変わらないのと同じ。見るに、貴族至上主義の頑なさと同じです。

 変化の難しさは、この国の歴史も証明している筈です。」

「そうじゃの。変化とはすぐに起きるものではない。しかし、肝には命じて欲しい。

 無遠慮な踏み込んだ言動は信頼を奪い、ただ敵意と増悪、忌避感を増大させるだけじゃ。

 内の童共は未熟故に自尊心だけは一丁前だ。些細なことで悪戯に杖を振る。

 教育者として恥をさらすようじゃが、ここは一つ配慮して欲しい。」

「教育者として未熟と指摘せざるを得ませんね。

 召喚された際に見た露骨な嘲笑がいい例です。先生のいる前でも自重しないとは。

 生徒が雛なら教師も雛とは、この学校は大丈夫なんですかね。」

 

 容赦なくばっさり言い捨てる。言葉とは裏腹にさとりは何の気負いもなく言ったつもりだが、その一言にコルベールは唸った。

 中々言いよるな。

 オスマンはそう言って笑っているが、隣の癇癪持ちな主はそんな場合ではなかった。

 

「ちょっ!?ちょっと何不躾なこと言ってる訳!?

 誰にもの言ってるのかわかってるの!?」

 

 目を釣り上げて叱り飛ばし、居住まいを正してコルベールに向かい頭を下げる。 

 

「せ、先生っ、私の使い魔がとんだ失礼をっ。申し訳ありませんっ。

 ほらっ。あんたもさっさと謝りなさいっ。」

「……? 

 やんわりと事実を言ったまでですよ。普段であれば出来損ないの半熟玉子と評したところです。我ながら優しい評価です。」

「きぃぃぃぃ。

 あんた一体何様なわけよっ。あんたの目は節穴なわけ!?」

「み、ミス・ヴァリエールっ。彼女の言は事実です。私は気にしていませんから、どうか落ち着いてっ。」

「で、ですがコルベール先生っ。」

「ほう。心からの受容ですか。

 優柔不断そうな冴えない中年風貌でありながら、即自らを非と断ずるとは。中身は随分柔軟な思考のようです。加えて軍人気質。

 やはり先生は見所がありますね。教師としては失格ですが。」

 

 気付けば、さとりは人事の面接官となっていた。

 元は地霊殿の主で地底の領主。

 常に人手不足で人手の募集をし、多くの者をこの目で審査してきた。

 飲んだくれの怠け者な鬼がほとんどだったため、目の前の生真面目で人当たりのいい人種とは喉から手がでるほど欲しい人手なのだ。

 

「あんた一体どこのお偉い様よっ。」

「貴女の使い魔です。」

「もぉぉぉぉ。

 恐れ多くもトリステイン魔法学院長様と対面しているのよっ。これ以上私に恥をかかせないでよっ。」

「一々怒らないで下さいよ。正直言って恐いですから。

 心配しなくても、私の発言で貴女の評価が落ちたり退学になったりはしませんよ。

 心が見える私が保証してあげます。」

「そ、そういうことじゃないわよっ。

 使い魔として分際を弁えなさいって言ってるのっ。」

「それにですね、一応これは貴女のためにも言っているのです。」

「何が私のためよっ。言い訳にもなってないわっ。 

 いいからもう謝りなさいっ。」

 

 羞恥と怒り。

 赤面するルイズの胸中は激情が渦巻いている。

 何でもいいからさっさと謝って事態を収集したい。

 その気持ちで一杯だ。

 しかし主の心中を知るはずの使い魔は、そんな彼女の思惑とは異なる行動へと出る。

 主の深層心理まで見抜くからこそ、そうしなければならなかった。

 さとりは淀んだ瞳を真っ直ぐに主へ向ける。

 

「ここで訴えないと、貴女はいじめられ続けますよ。」

「っ!?」

 

 突然のいじめ宣言に動揺を隠せなかった。

 しかし、ここで喉を詰まらて済ますのは許せない。

 震える喉を何とかこらえ、貴族然と使い魔を見下ろす。

 

「はっ。いじめ?誰が?誰によ?

 適当なこと言ってんじゃないわよ、馬鹿馬鹿しいわね。」

「同級生達の嘲笑にして、その発言とは。

 中々の強かさです。

 ですが公然と笑いの的というのはキツイものでしょう。」

「だからなによ? 偉い人に泣きつけってのっ?

 そんなのメイジの恥よっ。貴族としても度しがたい行為だわっ。」

「気持ちは理解しています。

 しかしいいですか。

 ここは教師にやや不安はありますが、幸いにも公平な教育機関として経営されているようです。

 貴女には訴える権利と機会があります。

 ここで言わなければ貴女は潰れてしまいますよ?」

「潰れるとか、意味が分からない。」

「目を反らしましたね。逃避は心の防御反応。

 ダメとは言いませんがはっきり私から言ってあげましょう。

 ルイズさん。貴女はいじめられています。」

「魔法が出来ないって笑われるけど、いじめられてなんかないわっ。

 有象無象が何言おうが私には関係ないっ。」

「お強いのですね。

 ですが限界が近いのは明らかですよ。

 貴女の毅然たる振る舞いと派手な癇癪で、いじめをいじめと周囲ははっきり認識しずらくなっているかもしれませんが、貴女はいじめられてるのです。

 私が何故ここでいじめ問題を取り上げていると思いますか?」

 

 異形の目をもつ少女の言葉を聞いて、コルベールとオスマンは難しい顔で唸る。

 少女二人が言い争っているようでその実、その言葉は自分達教師に向けられているような気がしてならない。

 いじめという単語が耳についた。

 目の前の桃色髪の少女は訳あって魔法を上手く使えない。魔法発動は失敗ばかりで爆発ばかり起こす。

 故に嘲りの的だ。

 座学では秀逸な成績であっても、彼女は認められなかった。

 彼女は魔法の修練を怠ったことは一度もない。毎日中庭で爆発を起こすのがいい証拠だ。

 そんな彼女を生徒達が嘲笑う。教師のいる前で。

 いじめがないなどと誰が言えようか。

 教師陣の思念とは別に、ルイズは使い魔に反論しようとする。

 しかし、目に隈の目立つ使い魔に先んじられた。

 

「貴女は自分に期待してしまっているんですよ。」 

「は?」

 

 まるで意味が分からない。

 文脈の繋がりが理解できなかった。

 ルイズは怪訝な顔つきで陰気な使い魔を睨んだ。

 

「あんた一体何言ってるの?

 全然意味が分からないんだけど。」

「ルイズさん。貴女は私を召喚しました。それも貴女達の枠組みで言えば、私はメイジのようですね。

 サモンサーヴァントに成功したのです。

 それも期待以上の成果。存外嬉しかったんじゃないですか、私を呼べて。」

「あ、あんた何自惚れてんのよっ。別にあんたを呼んで嬉しかった訳ないでしょうがっ。

 こんな面倒事起こしといてよく言えるわねっ。」

「そしてこうも思ったでしょう。

 使い魔を呼べたんだから、きっと魔法も使えるようになる。

 もう失敗して爆発なんてするはずがないと。」

「なっ!?」

 

 どうして爆発のことを知っているのか。

 ルイズは酷く動揺する。しかし直ぐに合点がいった。

 

「あんたっ!

 また心を読んだわねっ。読むのは勝手だけど、引き合いに出すなんてどういう了見よっ。」

「残念ながら貴女は魔法を使えることはありませんよ。今まで通り、爆発で終わります。」

 

 え?

 こちらの言葉に耳を貸さないさとりの一言が耳に突き刺さる。

 私はサモンサーヴァントを成功させた。魔法は使える。これからはこれまでとは違うのだ。

 しかし否定の言。

 唇が震える。

 目の前のこちらを捉えて離さない濁った瞳。

 使い魔は希望をもつことを許さなかった。

 

「申し訳ありませんが、ぬか喜びさせたくはなかったのですよ。

 貴女は酷く感情の浮き沈みが激しい。思春期故の不安定さもあるでしょうが、貴族という矜持と立場がより増長させているようです。

 得てしてそういう者達は、自身の無力さを許容できないものです。」

「……………な、何を…言って……」

 

 足元がひび割れる音がする。

 異形の目を抱える少女の言葉、一つ一つが何かを打ち砕いていった。

 

「もう一度言いましょう。ルイズさん。

 今の貴女では魔法を成功させることは叶いません。」

 

 この使い魔は突然何を言っているのだろう。

 しかし、足が震えて立っていられない。

 ルイズは脱力するようにソファに座り込んだ。

 何かが砕けた。

 私は魔法が使えない?

 

「いずれにせよ、このままの状況が続けば貴女はいずれ壊れ、最悪自殺念慮に囚われます。」

「じ、自殺ですと!?」

 

 反応したのはルイズではなく、向かいにいる男性教諭。自殺という単語はあまりにも突拍子が無さすぎた。

 生徒思いのコルベールにとって、にわかには許容できない話であった。

 

「ミス・コメイジ。どういう訳か、順序立てて説明願えませんか。」

「あくまでも私の経験則です。

 気丈さで外面を装ってますが、ルイズさんの心の状態は決壊寸前です。感覚が麻痺して本人は気づいてないようですがね。私には見えるのです。

 一歩間違えれば、彼女の精神は底無しの沼。二度と這い上がれません。」

「そ、そんな。」

「ちょ、ちょっと待って。一体何の話してんのよ……」

 

 私が限界?

 ルイズは話についていけない。

 だが、さとりの言葉の一つ一つがルイズの心を暴き立てるよう。

 心を言い当てられている。

 

「何百何千人と人の心を読んでました。

 故に断言できます。

 彼女の精神状態は重度のうつ病を発する前段階にあります。

 いえ、もともと軽いうつにはなっているようですね。

 強い精神性でそうみえないだけで。

 アダルトチルドレンにも見えますが。」

「アダルトチルドレンとはなんじゃ?」

「トラウマを抱えたまま大人になる子供という意味です。彼女はまだ成人とは言いがたいですがね。

 しかしその精神状態をみるに、随分と家庭問題を抱えているみたいですね。魔法の良し悪しが家庭問題にまで影響するとは。

 魔法の割には夢も幻想のない話ですね。

 学歴のようなものでしょうか。」

「聞くに彼女はトラウマを抱えている、ということですか?ミス・コメイジ。」

「まぁそんな感じです。

 軽く記憶を漁ってわかるのですが、ルイズさんは完璧主義で人付き合いがとても下手くそです。加えて強烈な劣等感から、空いてる時間は全て魔法修練につぎ込んでいます。

 自主的な努力というより、強迫観念すら感じますね。」

「ミス・コメイジ。彼女の許可もなく過去を漁るのは倫理的に如何と。」

「優先順位が違いますので。私の中ではの話ですが。」

「よい、コルベール。ミス・コメイジ。続けたまえ。」

「つまりはですね。

 いじめ問題と同時に彼女は精神異常を抱えているのですよ。」

 

 え?

 ルイズは置いてきぼりな中、ひそかにショックを受ける。

 自身が精神異常という事実。

 完璧主義な性格や人間関係の拙さの指摘。

 次々と自身を言い当てられていく。否定されているわけではもないのに、何やら自分は良くないように言われている。

 

「ちょっと待ってよ、さとり……。

 なに、私っておかしいの?」

「私から見たら異常です。」

「完璧さを求めたらいけないの?人付き合いが上手くいかないのって病気なの?」

「いけなくないし、本来病気ではありませんね。」

「だったらいいじゃない!適当こいてんじゃないわよ。

 魔法を頑張ることの何が悪いのっ。

 私のこと何も知らない癖にっ、私のこと知った風に言わないでよっ!」

「知る知らないではなく、私は貴女の精神を客観的に観察しているだけですよ。

 頑張るのはいいことです。ですが、貴女の原動力は何でしょう?」

「知らないわよっ。もう適当言うのはやめてっ!

 口を閉じてなさいよっ。

 私は魔法が上手くなりたいだけなんだからっ。」

「そうです。それが貴女の原動力。

 ですが、あまりに多くの付属物がついてしまっています。無力、惨めさ、矜持、地位の重圧、周囲の視線。

 貴女には越えるべき障害が多すぎるのですよ。」

「だから何だってのよっ。私は自分の力で越えてやるわっ。

 私は今までずっとそうやってきたんだからっ。」

「勉学はですね。

 しかし、魔法は今の貴女ではそうはいかないのです。」

「もぉぉぉ!!

 一体何が言いたいってのよっ。はっきりいなさいっ。」

「ルイズさん。貴女は、魔法を上手くなろうとすること自体がもはやストレスになっているのです。

 魔法は貴女にとって過剰なストレスなのですよ。」

「そ、そんなことあるわけ……」

「なら問います。ルイズさん。貴女は魔法が好きだと始祖ブリミルに誓えますか?」

 

 ………………

 ルイズは何も言えない。

 否。

 言いたい。

 しかし、喉が震える。唇が震えるのだ。

 何で。どうして。

 思考が何故と自問自答で繰り返す。

 ルイズは何も答えられなくなった。

 

 そこに、オスマンが口を挟んだ。

 

「それは早計と考えるの。完璧主義や人付き合いが苦手な人種などたくさんおる。

 魔法の修練も貴族故の重圧もあろうが、それは彼女だけのことではない。

 これらのことは精神異常というほどのものとは、わしにはちと考えずらいのう。」

「持つ者と持たざる者の違いですね。この両者は決して相容れません。所詮は貴方が持つものということです。貴方の今の見解からもわかります。」

「ほう。わしに彼女のことは何一つ理解していないと。

 そう断言するのかの?」

「理解していれば放置はしないと思いますよ。

 有能な者が無能の苦しみは理解できません。したとしても、まやかしです。

 したつもりになっているだけですよ。

 できても1割の苦しみがやっとといったところでしょうか。経験者に限りますが。

 良くも悪くも、人の苦しみはその人だけのもの。

 精神異常とは早計だったかも知れませんが、近い内に発症しますよ。今はその一歩手前というやつです。

 少なくとも過剰なストレス状態ではあります。

 その魔法力のなさから公爵という地位が重すぎるみたいですね。」

「つまり、このままだと彼女は近い将来、精神障害者になる危険が高いということですか?」

「精神状態の色合いを見るに、疾患と診断される前に自殺しそうですがね。」

 

 その言葉にコルベールは愕然とした。

 これまで見守ってきた教え子が、想像を絶する程に思い悩んでいたのだ。

 見守ってきた。

 言い換えば、放置してきたのだ。

 甲斐甲斐しく生徒を見守ってきた過去の自分の姿。

 何とも薄っぺらく感じる。

 自身の歩んできた教職者としての道が欺瞞に思えてきたのだ。

 

「自殺か。物騒じゃの。

 そもそもミス・ヴァリエールを壊れたらと言うが、今君が壊したんじゃないかね。

 何も今言う必要があったのか。それも彼女の前で。」

 

 見れば、オスマンが冷たい瞳で隈のできた少女を見つめていた。

 隣の桃色髪の主は何も言わない。茫然自失だ。

 さとりは背中がうすら寒く感じる。

 老人の静かな怒気がそうさせるのだ。

 

「最高責任者と会える機会なんて次あるかどうかわかりませんので。言わせてもらいました。

 それに、遅かれ早かれ壊れてましたよ。

 これまで気丈に振る舞って意地を張り続けたようですからね。私の召喚で自分に対する期待値が振り切れています。

 それにこれは先程の騒動にも関わります。」

「どういうことじゃ?」

「いじめですよ。

 事件の元凶の私が言うのも何ですが。

 あの黒肌の学生、ツェルプストーでしたっけ?

 彼女は私の言によって周囲からの多くの信頼を失ってしまいました。

 彼女の気質にもよりますが、その信頼を取り戻すには多くの障害がありますでしょうね。私が敵国のスパイだなんて濡れ衣を着せてしまいましたから。」

 

 オスマンとコルベールの視線が自然と厳しいものへと変質する。その胸中も第三の目によって手にとるようにわかった。

 

「睨まないで下さい。これでも反省はしています。

 人間の十代とは多感な時期です。あるゆる未熟さが人間関係にも出てきます。

 見捨てたほうも見捨てられたほうも、寄りを戻すのは至難の技です。離した距離を縮めることは困難を極めますでしょう。

 加えて肌の色から察するに彼女は外人のようですね。周りは白人がほとんどでしたし。今回のことをネタにいじめの対象になるかもしれません。

 人に限らず、異なる種族が混じればまずは大抵排除しようとしますからね。」

「民族差別か。

 トリステインとゲルマニアとの間に強い差別感はないと想うがの。

 それに、我が生徒達がそのようなつまらない人種差別を意識するとは思いたくないの。」

「ですがオールド・オスマン。

 人一倍自尊心の高い生徒達が多いというのも事実です。些細な事があげつらう的となるのも否定はできません。

 平民への差別。他の魔法属性への差別も顕著です。あらゆる方面で選民思想が大きい中、それは楽観的すぎるかと。」

 

 うーん、とオスマンはコルベールの懸念に唸った。

 事態が思いも寄らない程深刻な展開に向かう可能性が出てきたからだ。

 話が派生しすぎて、重いものばかりだ。

 頭を抱えたくなる。

 深刻な面持ちで髭を擦っていると、ある光景を思い出す。先程見た光景だ。

 

「そうです。鏡で見ていたのならわかるでしょう。

 いえ、実際止めに来た時にも目にしましたよね。

 大勢の者に囲まれた彼女。罵られる訳ではなくただ敬遠の眼差しで眺める傍観者達。

 涙を流し座り込んでも、手を差し伸べられる訳でもない。

 幸運にも1人は助けに入りましたが。

 1つ間違えれば、いじめの始まりでしたね。」

 

 オスマンはバッと顔を上げた。

 視線の先には濁った半眼の少女がこちらを見据えている。

 思い出した映像を彼女も見ているのだ。

 何から何まで見透かされそうな心地。目の前の少女に不気味さを感じた。

 表情を一変し、難しい顔へと歪める。

 

「今まではルイズさんだからこそ、いじめをいじめだと深刻には捉えられなかったようですが。

 ツェルプストーさんを見れば何となくわかってきませんか?彼女はルイズさんじゃありません。

 打たれ慣れていない彼女を見れば、いじめの実態がみえたのではないですか?」

 

 目尻にたまる彼女の涙。

 水晶に映った一部始終が脳裏に過る。

 実際。止めに入った時、彼女はぼろぼろと涙を流していた。

 

「よくよく考えれば、貴殿方は方や中年、方や齢三百をこえる聖職者です。今回に限らず、過去何回かは同じような出来事はあったのではないですか?

 その時はどう対応されたのですか。

 その生徒は助けられたのですか?」

 

 トリステイン魔法学院は長い歴史をもつ。

 オスマンにいたっては、百年以上この学校と関わってきた。

 当然、成績が悪く嘲笑の槍玉に上げられるものは何十人といたのだ。

 しかし。

 

「そうですか。

 皆自主退学をしていったのですか。

 惜しくも救えなかったのですね。

 彼らは退学後どういった末路を辿ったのか。

 もはや彼ら以外に知る由はありませんね。特殊な鏡がある方は別なようですが。」

「サトリとはつくづく礼儀知らずな種族と見える。

 勝手にわしの過去を覗かないでもらおうか。高くつくことになるぞ。」

 

 さとりの背筋にぶわっと嫌な汗が吹き出す。

 竜の尻尾を踏んでしまったか。

 老人の声音が一段低いものへと変質するのが知覚できる。

 自身の悪癖である口の悪さを恨んだ。

 

「それは恐いですね。

 無一文なもので、借金をしたら返せそうにありません。謝りましょう。」

「しかしまぁ、わしの認識が砂糖菓子のよりも甘いことはよくわかった。教師として怠慢が過ぎたようじゃ。

 今後は徹底して、教師の質を上げていく必要があるの。」

 

 静かな反省の言葉。

 彼が温厚な人柄でよかった。

 鳴りを潜める声音に、さとりは内心ホッと息をついた。

 

「まぁ、公然と嘲笑が起きている時点でどれほど上がるのか見物ですね。」

「相変わらず憎まれ口を叩くのう。」

「ははは。ですね。

 しかし、私も認識不足でした。お恥ずかしい限りですよ。忌避していた精神魔法によって教師のあり方を正されるとは。何とも皮肉なものです。

 精神魔法保有者の扱いの問題もありますが、それ以上に我々教師側に指導・管理能力が著しく欠けていることの方が重大です。」

「うむ。教師側の人事も変える必要がある。能力だけではやっていけないかもしれん。」

「学院側の方針が改まってくれて何よりです。

 主のいじめ問題ばかりは私にはどうしようもありませんから。

 面倒な事態になる前に対策を打ててもらえてホッとしましたよ。」

 

 しかし、まだ解決していない問題がある。

 さとりはやや癖っ毛のピンク髪をイジイジといじる。

 そして再び口を開き、平坦な声を発した。

 

「オールド・オスマン。方針が決まって一息つくのはいいのですが、まだ解決していない問題があります。」

「む、なんじゃ。」

「彼女の魔法についてですよ。」

「彼女の魔法について、何か話題にだしとったかの?」

 

 オスマンの瞳の色が一段冷たくなる。

 どうやら触れて欲しくない話題のようだ。

 

「ルイズさんのストレスについてですよ。

 彼女のストレスは魔法に起因します。」

「個人の力に関しては、流石のわしも万能ではないからのう。」

「力自体は問題じゃありません。

 重要なのは発動の際の爆発ですよ。私は実際見たことないですが、彼女は何故魔法が上手くいかないのかさっぱりのようです。」

「それについては私も同じですね。ミス・ヴァリエールは本当に不思議です。

 いくら見ても爆発の原因が掴めないのですよ。」

「ええ。私も魔法については明るくないので、詳しいことは全く分かりませんが。

 オールド・オスマン。貴方はどうやら知っているようですね。彼女の失敗づくしの原因について。」

「さ、さとりっ。そ、それは本当なのっ!?」

 

 いち早く反応したのは他でもない桃色髪の主。

 さとりの言葉に打ちのめされた彼女は、突如降ってわいた希望を無視することはできなかった。

 信じられない。

 そんな気持ちを持ちながらも、ルイズは自身の使い魔へと必死の視線を投げ掛ける。

 使い魔は無言の視線を返すのみ。

 次にオスマンの方へと視線を向けると、彼の顔は苦渋に満ちている。

 

「オールド・オスマン。お願いします。私は魔法が使えるようになりたいんです。

 いえ。たとえ使えないとしても、その理由を知らずに納得するなんて、私にはできない。

 私は絶対に知りたいんです。」

「とのことですが。可愛い生徒の懇願に応えては如何です?」

「お主。一体何をしたのかわかっておるのか。」

 

 オスマンはルイズに視線を向けず、彼女の使い魔へと睨みを利かせる。

 その瞳には静かな憤怒の色。

 しかし、対する半眼の少女は臆する様子もない。

 

「ええ、分かっていますよ。

 貴方がその事実を伝えないのはルイズさんを思ってのこと。」

「ならばっ。」

「しかし、私は伝えるべきと判断しました。貴方の気遣いは悪いとは言いませんが。独善が過ぎる。」

「これはミス・ヴァリエールのためでもある。教職として彼女を危険から守るのは当然じゃ。」

「こんなときに教職を盾とするとは。

 いえ。貴方は本気でそう思っているのですか。

 しかし、彼女は知る権利がある。彼女の魔法は彼女のものであり、決定権は貴方でない。」

「どこで誰が聞いておるのか分からん。ミス・ヴァリエール自身が口を滑らすかもしれぬ。易々と伝えることは彼女の危険を高めるであろう。」

「壁に耳あり障子に目ありですか。

 ならば、せめて親に言っておくべきでしたね。そうすれば、彼女の家内での待遇も変わったかも知れません。

 ですが結局、貴方のエゴに過ぎないようです。」

「……なんじゃと?」

 

 空気は張り付く。

 オスマンの目の色が変わったのだ。

 

「ちょ、ちょっとさとり!?」

 

 あまりに不敬。

 オスマンの静かな怒気を身近で感じとったルイズは、自らの使い魔の発言に目を白黒させる

 これから何を言い出すつもりなのか。

 気が気でないルイズはややパニックに陥った。

 

「天性の才故に力を持つ者の宿命といったところですか。」

「何が言いたい。」

「つまりは、ヒーロー気質なのですよ。力あるものには典型として見られる特徴ですね。自らが正義と信じて疑わない。 

 弱い一般人は皆、自分が救いだす。そうすべき。しなければならない。貴方の根底には正義と義務感。この二つから成っています。」

「だったらなんじゃ。彼女のために考え、判断することの何が悪いというじゃ?」

「彼女の意思がないのです。当人のことなのに当人が全く関わっていない。

 正義とは自己本位な性質がありますが、エゴと断じていいでしょうね。」

「貴様に何が分かる。事の重大さを知らぬ小娘に。」

「何も知りませんし、知る気もありませんよ。」

「わしを怒らせたいようじゃな。吐いた唾はのみ込めんことを知ることじゃ。」

「貴方はたしかに彼女の危険を案じています。しかし、ただそれだけ。ルイズさん自身を理解しようとはしない。

 極端にいえば、余計な問題を起こしたくないばかりに、彼女の苦悩を良しとしているのです。

 知らない方が幸せである。命が助かるのだから、魔法が使えないなど些細なことだ。

 そう言って納得し、学校の不祥事の種を摘んでいるのです。」

「言いがかりはよしてもらおうか。」

「持つ者と持たざる者は相容れないと言いました。

 富豪に乞食の苦悩は分かりません。卑しい、恥だ、哀れだと感じてお仕舞いです。

 本当の苦悩は当人しか分からない。

 貴方に果たして、努力が何一つ結びつくことなく、空虚な成果と無力に苛み、嘲笑の苦汁を飲み続ける彼女の気持ちが汲めるのでしょうか。

 天才と言われた貴方に。

 今ルイズさんの目の前で始祖ブリミルに誓えますか?」

 

 拳が震える

 オスマンはルイズを見つめた。

 その瞳は真実を知りたい渇望の色。

 確固たる意思が爛々と輝いていた。

 彼女のこれまで経歴、生活、苦悩は全て知っている。

 知っているはずだった。

 しかし。

 知っているだけだったのだ。

 彼は魔法という分野で無力を苛むことが極端に少なかった。

 努力は当然している。並外れた努力もしてきた。

 しかし、無能の苦しみは実感しなくなって久しい程の時間が過ぎてしまっていた。

 眼前の少女の目を見て、理解しているなどと。とても確信はもてない。

 あやつの言う通り、わしの独りよがりじゃったのか。

 オスマンは力なくうつむいた。

 

「わかった。ミス・ヴァリエールの力の秘密を教えよう。」

 

 ルイズは虚無の系統魔法の使い手である。

 尋常でない膨大な魔力量をその体に有している。

 その制御方法は他の系統とは異なり特殊なもの。

 故に、魔法発動の失敗と爆発はその夥しい魔力量の流出が原因と推測された。

 しかし、オスマン自身も虚無の系統魔法の使い手ではなく、蔵書にも虚無の系統魔法についての著書はない。制御方法はわからなかった。

 

「なるほど。ミス・ヴァリエールにはそのような秘密が。あの謎の爆発もこれで納得しました。」

 

 話を聞いたコルベールは納得したように相槌を打つが、オスマンは申し訳なさそうにしている。

 

「すまんな。ミス・ヴァリエール。

 折角知れたと思った真実がこのような僅かばかりのことで。」

 

 正直わかっていることは殆んどないのだ。

 過去に幾度か調べたが、目ぼしいものは全く発掘しなかった。

 確固たる決意をもって懇願するルイズを裏切るようで、心苦しい気持ちになる。

 しかし、ルイズはいいえ、と首をふった。

 

「自分がどうして魔法を上手く扱えないのかわかっただけでもとても晴々しい気分です。

 魔法の才能がない訳ではなかった。

 その事実を知れただけで十分な収穫です。

 これで、私はまた明日から前に向かって歩いていけます。」

 

 静かに上げた顔つきには強い希望と確固たる意思が溢れていた。

 輝かしい。なんと輝かしいことか。

 目の前で爛々と咲き誇る希望に目が眩む。

 これが次世代を担う若き芽だというのか。

 このような力溢れる若き芽を摘むなどあってはならない。

 ならば。

 わしは何としてもこの芽を育てねばなるまいて。

 新たな決意を胸に、オスマンの瞳は新たな希望の色が宿る。

 

 しかし同時に、一抹の寂しさが去来する。

 

「心機一転ですか。老婆心ながら、いいことだと言っておきましょう。

 ヒーローたる主人公の器とは、常に次世代へと受け継がれるものです。貴方のような天性と気質を併せ持つものは中々いないでしょうね。

 ですが、時代を担うべき器とは現れるものです。

 貴方の栄光は過去にある。

 貴方の担うべき時代は終わったのです。

 貴方の場合、もっと周りに投げることが必要かもしれませんね。

 今は精々『最近の若者は……』と愚痴るおじいちゃんがいい役柄かも知れませんね。」

 

 オスマンは苦々しげに無遠慮に心を暴く少女を睨む。

 もはや苦手意識すらある。

 

「百年以上の教職歴に小娘から高説を受けるとはの。

 最近の小娘はませすぎじゃぞ。

 もっと初になれい。可愛げがないぞっ。」

「だったら精進してください。

 貴殿方は魔法使い、いえ、メイジと言うのですか?

 メイジとして才能はあってとても優秀なようですが、教職者としては素人目からみてもズブに毛が生えた程度ですよ。」

「小柄で可憐な少女な癖して、何とも肝の座りようじゃ。誰もが恐れ敬う最強のメイジだというに。

 亜人のようじゃから、エルフのようなものかの?

 見た目に反して人生経験はあるようじゃ。」

「これでも四百年は生きてますよ。」

「「「よ、四百っ!?」」」

 

 ルイズ、オスマン、コルベールの三人は驚愕した。

 最強メイジは特にだ。

 高く見積もっても百年と見定めていたため、あまりの事実に口がふさがらない。

 まさか、わしよりも年上とは。

 久しく会ってない年上の者との会合に、何とも複雑な気持ちになる。

 

「糞ババアじゃない!」

「これが所謂ロリババアというやつかの。」

「なんと奇想天外な。常識の崩れる音が鳴りましたよ。」

「ババアとは失礼ですね。

 私がいつそんな年寄り染みた仕草をとりましたか。

 老人が老人足り得るのは見た目故です。

 枯れた外見が相応の言動と振る舞いを求めます。

 老婆の多くは口にはしませんが、若々しい恋をしたいと願って止まないものです。

 女性はいつまでも女性ということです。

 まぁ、外見上の問題で出来ないことが殆んどですが。」

「なるほどの。

 しかし、その理屈だとお主はいつまでも子供な振る舞いが許されるようじゃな。」

「そんなのずるいっ。」

「いや、ずるいって。

 人間社会ではそうでしょうが、私のところではこれが普通なので。そういうわけにもいかないのですよ。」

「いやはや、世の中未知で溢れているものです。

 オスマンより長生きしている人種を見たのは初めてですよ。」

「わしもじゃ。

 道理で少女に相応しくない言動な訳じゃ。

 小娘だと侮っておったのは失敗だったの。」

「外見に騙されてはならない。

 私としてはいい教訓になりましたよ。」

「それは何より。後学のためになるかは知りませんがご参考下さい。」

「それにしても、わしより年上の癖して若々しい体とはのぉ。かっー。羨ましい限りじゃわい。」

「若返って、秘書の艶かしい女体を貪りたいと。

 不潔です。いやらしい。」

 

 じとーっと異形の目を抱える少女が冷めた目線をよこす。見れば、目の前の桃色髪の少女と、隣の中年教師も冷めた目付きだ。

 否。蔑みすら感じる。

 なんじゃい。男として当然の欲望じゃろうが。

 許しもなく人様の心を暴き立てる理不尽さ。

 オスマンは苦々しい視線を年上少女に送った。

 

「邪険にするのは結構ですよ。慣れていますから。」

「慣れる前に、そのすぐさま口にする悪癖は改善しようも思わんものかね。全く。」

「生理現象を止めようとは思いますか?」

「言うだけ無駄のようじゃのぉ。」

 

 もはや先程さした釘も意味を成さなくなっている気がしないでもない。

 彼女を野放しにするのは果たしていいのかどうかさえ疑ってしまう。

 最初の気楽さは微塵もない。

 万が一彼女の存在が宮廷に知られるとなると、場合によっては牢獄だ。

 精神魔法とは禁忌と同時に数少ない貴重なもの。

 研究のサンプルにされる可能性もある。

 

「だから、危険人物の手に渡る前に秘密裏に処分しようと?物騒で嫌になりますね。

 初めの朗らかな印象を裏切るような狸ぶりです。」

 

 表には出さないが、内心びくりと震えてしまう。

 画策など意味をなさない。

 全てが目の前の陰気さを放つ少女には筒抜けなのだ。

 オスマンは読心の厄介さを実感する。

 

「み、ミスタ・オールド・オスマン。

 さとりは確かに人の心を読むし嫌味なやつだけど、で、でも悪いやつじゃ……えと。」

 

 「処分」という単語に反応し、慌てて弁護をし始めるルイズ。失礼千万な使い魔とはいえ、自分のために沢山便宜をはかってくれようと弁を転がしてくれたのだ。

 ここで守らないと、メイジでない。

 

「心配させてすまんの、ミス・ヴァリエール。

 安心せい。少なくとも敵でないことはわかっとる。」

「そうですよ。安心してください。貴方の使い魔に危害を加えさせるような真似はしませんし、させません。」

 

 桃色髪の主は教職陣の言に安堵する。

 

「この悪癖の改善は善処します。約束ですからね。

 しかし身の危険を感じた場合は、申し訳ありませんが相応の対応をさせてもらいますよ。

 痛いのは大嫌いですから。」

 

 さとりの抱える異形の瞳が怪しく光る。

 邪気を内包した紅桜色の輝きが放射状に伸びた。

 

「ちょ、ちょっとさとり!?」

「こ、これは一体!?」

 

 召喚主と砂漠化した頭部をもつ教職者は、突然の目の発光現象に驚く。

 しかし、発光はすぐに止んだ。

 さとりは落ち着きを払った声を発する。

 

「能力の開示です。

 安心してください、能力を貴女方に発動するつもりはないです。

 ただ敵対の意思はない証として事前に説明しておこうかと。精神系統の力はこちらでは禁忌らしいですから。

 後だしで能力がばれたときごちゃごちゃ言われるのはたまったものじゃありませんし。」

「の、能力の開示?

 読心じゃないの?」

「それ以外ですよ。『想起』と呼ばれるものです。

 主に相手の記憶からトラウマを呼び起こしたり、逆にこちらの記憶からトラウマを植え付けたりする力です。」

 

 その説明に他三人は絶句する。

 トラウマの想起に植え付け。

 聞くだけでも、相当悪どい能力とわかる。

 人によっては忌避して、本人に近づこうとすらしないだろう。

 

「なんとおぞましい力か。

 心を読むだけでなく、心的な傷害までものにするとは。」

「それより何で光ったのよ?」

「まぁ気分です。」

「何よそれっ。びっくりさせんじゃないわよっ。」

「発動の合図が発光ということですよ。」

 

 さとりの能力についての会談が終了し、今日の授業はお開きとなる。桃色髪の主は同色髪の使い魔を連れだって自室へと帰宅。その日の長い1日はようやく終わりを告げる。

 

 学院長室。

 学院最高責任者のオールド・オスマンは神妙な顔つきで思い耽る。

 いつもの気楽さ、飄々さは皆無。

 そこにあるのは厳格としたメイジとしての風貌だ。

 

「サトリ種族か。これは王室に相談を仰ぐべきか。」

 

 首をふって、溜め息をつく。

 白髭の老人は己の浅慮を改める。

 

「古明地さとりか。

 やつの存在が外に露呈しないよう取り図るしかあるまい。」

 

 彼の思考は夜の闇ともに深みを増していく。

 その思考は深夜にまで及んだ。

 

 

 

 




 感想、評価まってます。


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料理人達の望み

 感想ありがとうございます。
 ニヤニヤして見てしまう自分がいて、何やってんだ俺ってなりました。ランキング1位です。本当に感激です。あと、誤字指摘とても感謝しております。


 

 遠くの空にオレンジ色の色彩が差す。

 朝だ。

 時計の短針はまだ6時を回っていない。

 学院中庭の一角の水場。

 異形の目を携える少女はごしごしと衣類を洗っていた。

 

「まったく。洗濯物を押し付けるとは。

 私を小間使いか何かと勘違いしてませんかねぇ。」

 

 ぶつぶつと愚痴を溢し、洗う手に力を込める。

 面倒ではある。

 しかし、忌避感があるわけではない。

 地霊殿にいた昨夜までとは何ら変わらない日常の作業。

 むしろ空やお燐、ペット達に必要なシーツ類や衣類がなくなったので作業量としては楽になったくらいだ。

 

「これから毎日洗濯係を宛てがうつもりですかね。

 まだ初春のようですし、肌寒いんで勘弁してほしいんですが。」

 

 冷水を払い、服の裾で拭う。

 ガタガタガタガタ。

 手先が震える。

 地底の安定した気温に慣れすぎたか。

 手先がこわばり、そこから体温が強奪されるよう。

 微かに漂う寒気のある中。

 冷水は皮膚を痛め付ける薬液に成り下がる。

 お湯が恋しい。

 

 ふと空を眺める。

 夜は抜けきっておらず、未だに月が視界に映る。

 二個の満月。

 昨夜、眠る前にも一度眺めた光景だ。

 さとりはハァ、と何処か諦観の混じる息をついた。

 

「何度見ても月が二個ありますねぇ。見間違いであってほしかったですが。

 外界に来たと思っていましたが、見当違いのようです。

 鏡の国にでも来たのでしょうか。

 洗面台で顔を洗っていた昨日が恋しいですね。」

 

 メルヘンは嫌いじゃない。

 しかし私は主人公のアリスとは違う。

 あんな精神異常者が旅する波乱万丈な急展開を体験したいとは思わない。

 そんな益体のない思考に耽っていると、背後から足音が近づく。

 さとりは何となく振り返った。

 見れば、洗濯物が歩いていた。

 

「あ、どうも。おはようございますぅ。

 見ない顔ですね。新人さんですか?」

 

 ひょい、と洗濯物の胴体横から少女の顔が生える。

 黒髪黒目。

 東洋人を思わせる顔だ。

 

「どうも。

 ……新人ですか。

 まぁ、ひよっこという意味なら相違ないですが。

 台詞から察するに、貴女はここの経験が長いようです。

 洗濯の雑務になれるなんて、貴女もこきつかわれているのですね。」

「え? い、いえ。こきつかわれるだなんてそんな。

 これが私の役目で仕事ですから。」

「役割。

 己を己だと確信するための要素であり基盤でもあります。

 まだ若いというのに確立してるんですね。

 立派です。」 

「ど、どうして私、年下の子に誉められてるんでしょうか。」

「ていうか、その洗濯物の山は何ですか。

 そんなに押し付けられると嫌になりませんかね。」

「い、嫌になるなんてとんでもないですよ。

 仕事のない中で、とても恵まれた職場です。

 小さいから仕方ないでしょうけど、あまり我が儘言っちゃダメですよ?」

「おや、献身的な奉仕精神に勤しまれいるようで。

 貴女の雇い主はさぞ果報者ですね。

 こんな朝っぱらから洗濯物を押し付けているというのに、愚痴も聞かずにいられるなんて。」

「そ、そうですかね。

 そこまで言われるほど特別なことではないと思いますが。

 洗濯はいつものことですし、愚痴を言うほどのものでもないと思いますよ。」

「慣れとは怖いですね。まさに従事者の鏡。

 雇用者とは報償のための奴隷です。声を上げることは許されず、常に下を向くことが義務付けられる。

 そのひたむきさ。

 私は尊敬しますよ。」

「ど、奴隷って。

 もう。下を向くことが義務とか、何難しいこと言ってるんですか。

 ダメですよ?

 新人さんなのにすぐサボろうなんて。」

 

 テキパキとした動作で隣に陣取り、黒髪の少女はさとりと同じく洗濯を開始する。

 ざぶざぶざぶ。

 隈の目立つ少女はポカンとする。

 黒髪の少女はさとりの2倍はあろう速度で衣服をそつなく洗っていくのだ。

 私は器用ではないが、家事には一定の自負があるつもりだ。

 しかし、手先の差でここまで速さに違いが出るのだろうか。

 さとりは軽く自信を無くした。

 

 彼女はシエスタ。

 肩口までの黒髪に、メイド服姿。

 自らを平民と名乗り、ここに来て1年になるよう。

 にこにことした愛嬌さが印象的だ。

 濁った瞳の少女は黙々と洗濯をしていると、シエスタが話題を振ってくる。

 人なつっこいことだ。

 

「ほらほら。手が止まってますよ。

 この時期はまだ冷たいですからね。スピードが命ですよ。」

「雑になりませんかね。

 後になってやり直しと言われるは勘弁ですよ。」

「仕事はこれだけじゃないですよ。朝食の準備もあるんですから。

 洗濯にかまけていたら、後が詰まっちゃいます。」

「大変ですね。」

「何他人事みたいに言ってるんですか。 

 もう。困った後輩さんですね。

 貸してみてください。

 私も手伝って上げますよ。」

 

 にこやかな声音で手を差し出してくる。

 ワクワクして堪らないといった様子で第三の目からも伝わり、本心からだとわかる。

 お節介な気質だ。

 やる気のない半眼を常とする少女はどうも、と手渡した。

 

「今日は特別サービスです。

 明日からはビシビシ指導していきますからねー。」

「ご遠慮したいですねぇ。

 初めての後輩に高揚しているのは解りますが。」

「そういうこと言っちゃう人は大体サボり癖があります。見逃しませんよぉ?」

「貴女もお人好しですね。

 普通こういうのは面倒臭がるものですが。」

「ふふふ。私もお世話になりましたから。次は私がお世話する番なのですよ。」

「仁義ですか。

 人道は得てして人から押し付けられる観念ですが。

 貴女のそれは果たして何処から来たのでしょう?」

「え、えぇ?

 う、うーんと………恩義……でしょうか。」

「……みたいですね。本当に純粋です。」

「さとりさん。年下ですよね?」

「どうですかね。」

 

 洗濯が終わり、竿へと洗濯物を干していく。

 そして二人は学院の通路に入り、「じゃ、私はここで」とピンク髪の少女が明後日の方向へ指を向けた。

 シエスタが慌てる。

 

「ちょ、ちょっと何処いくんですか!?

 そ、そっちは貴族様方のお住まいですよ。

 次の仕事場はそちらではないですから。」

「雇い主の元にですよ。起こすように言われてるもんで。」

「え!?

 お、起こす? 貴族様の部屋にお入りになるんですか?」

「ええ。」

 

 平坦な返しに、シエスタは血の気が引いた。

 ある閃きが黒髪の少女の脳に轟く。

 気付きたくなくても、気付かなければならない。

 

「も、もしかして。

 さとりさん、今噂になってる……」

「そうですね。その噂になってるヴァリエールの使い魔ですよ。」

「使い魔さんだったんですか!?」

 

 ………………………。

 解っていても驚愕せざるを得ない。

 見れば、ピンク髪の少女には赤色の蔓のようなものが絡まっている。

 その胸には見たことのない異形の目。

 どうして今の今まで気付かなかったのか。

 馬鹿だ、私。

 見えていたはずだ。

 しかし無理もないことだった。

 黒髪の少女は初めての後輩の出現に舞い上がっていたのだ。

 下の者への教育。

 そのやる気が彼女を少しの盲目へと誘ったのである。

 シエスタは自身の不注意さを呪った。

 

「じゃ。じゃあ、さとりさんって、めめ、めい……」

「一応メイジの枠の入るようですね。

 魔法を使うものはメイジ。それがここの常識みたいですし。

 まぁ、地位はありませんが。」

「っ!?」

「驚愕は下位の証。

 上位者が求めて止まず、眺めて楽しむ観賞物です。

 味わうのは悪くありませんが。

 私の場合、大抵後に忌避を受けるのであまりいいものでもないですね。」

「どうしっ、あ!?」

 

 とっさに口を押さえる。

 しかし異形の目をこちらに向ける少女が、私の制止を無意味とさせた。

 

「どうしてもっと早く教えてくれなかったのか、ですか。」

 

 思っていても口には出すまいとした台詞が、眼前の少女の口から飛び出す。

 どうして?

 なんで?

 そんな疑問が瞬時にシエスタの頭を支配した。

 

「すいません。

 聞かれませんでしたので特に言いませんでした。

 甲斐甲斐しく手を貸す姿に、無理に邪険するのもどうかと思いまして。」

 

 さとりの言葉が半分以上耳から流れる。

 今やるべきことは疑問を考えることではない。

 条件反射で体が動く。

 

「も、申し訳ありません!

 ろくな確認もせずなんて無礼を!」

 

 前に手をつき腰を曲げた一礼。

 大粒の汗がメイド少女の額に沸き立つ。

 内心は気が気でない逸りで一杯だった。

 

「鍛え上げられた謝罪ですね。

 所作と腰の角度が芸術の域です。

 提案ですが、展覧会に出展してみるのも一興かと。」

「申し訳ありません。本当に申し訳ありません。

 平民の分際を弁えず、恐れ多くも貴族様に大言を浴びせて。」

「え、あ、本気にしてます? 冗談ですよ。」

「本当に申し訳ありません。

 この度の失礼なんとお詫びすればよいか。」

「あの、聞いてます?

 頭をあげてください。このままだと貴女、準備に遅れますよ?」

「本当に本当に申し訳ありませんでした。

 次にこのようなことはないよう細心の注意を心掛けますので、どうかお許しください。」

「あ、はい。ダメですね、これは。」

 

 小柄なピンク髪の少女はため息をついた。

 びくり。

 メイド少女の肩が震えた。

 どうやら今のため息すらも悪く捉えた様子。

 過敏症な彼女は今も尚頭を下げ続け、謝罪の意を繰り返す。

 

「謝罪とは不都合を強引に収めるメソッド。

 貴女の求めているのは許しではなく、私の注意が逸れる瞬間のようですね。」

 

 バッ、とメイドの顔が上がる。

 

「そ、そんな、わ、私は。」

「ようやく視線が合いましたね。

 シエスタさん。落ちついて下さい。

 無愛想が取り柄の私ですが、少なくとも憮然ととられるほど顔面神経症なつもりはありません。

 私の顔は怒ってないはずですよ。」

「え、えと……」

「はいはい。解ってますよ。

 メイジが怖いのですね。

 下手に出るのは構いませんが、一心不乱の謝意は押し付けととられかねません。

 不敬罪になるかもですよ。」

「え、えと、その、申し訳ありません。」

「まぁ、貴女に落ち度は何もありませんよ。

 では、要望に応えて失礼させて頂きます。」

 

 大人びた小柄の少女はそう言って立ち去る。

 遠ざかるその背を見つめ、シエスタの顔には影がさす。

 恐怖。

 私は助かったのか。

 しかし、あの少女は他のメイジとは違ったような気がする。

 胸中の複雑さとは対照的に、朝七時の朝日は健やかなもの。

 メイドの少女はその場を後にした。

 

 

 

 さとりは契約主を起こし、共に食堂へと連れ立った。

 アルヴィーズの食堂。

 学院の生徒と教師はここで食事を済ます。

 長大な机が三列並び、その一角に桃髪の少女と共に向かった。

 腕を組んでこちらを振り返るルイズ。

 鼻を鳴らして高圧的な声をよこす。

 

「公爵家の私と食事を同席できるのよ。

 光栄に思いなさい。本来なら使い魔がこれるようなところじゃないんだからね。」

「一応メイジという認識は貰ってるんですがね。」

「うっさい。それでもあんたは貴族じゃないんでしょっ。主人を立てなさいよっ。

 咽び泣いて感謝する気遣いでもしなさいよねっ。」

「何を期待しているのやら。

 新たな一歩は見られても、プライドの高さはまんま変わりませんね。」

「気位が高いのは貴族として当然でしょ。

 馴れ合いで舐められたら終わりなの。あんたには感謝してるけど、私は私の在り方を通すわ。」

「行く道ははっきりしているようで何より。

 頑固は壊れた方位磁針を手放しませんが、その強かさなら心配はないようです。

 方向性は決まったみたいですしね。」

「ふんっ。何小難しいことくっちゃべってんのよ。

 ほら、私の席はあそこよ。椅子くらい引きなさいな。」

 

 ………………。

 返事がない。

 無視されたというのか。

 青筋を浮かべて振り返れば、気だるげ眼をする使い魔が壁脇に視線を向けていた。

 ルイズもならって眼を向ける。

 あれか。

 視線の先。そこには土製の小人人形が陳列していた。

 

「ああ、あれは食堂の名前にもあるアルヴィーズの人形よ。」

「アルヴィーズ。

 ドワーフ、小人の意味ですかね。

 小人が未熟者を指してるなら、ここは子供の食卓ですかね。 

 中々洒落てるようで。」

「蔑称じゃないのっ。

 てか、そんな訳ないでしょ。もっと別の意味よっ。」

「冗談です。

 そうですね。ドワーフは付き合う相手をかなり選ぶとか。従って偏屈の食卓でしょうか。」

「不敬千万で首が飛ぶわよ。賢者ってことよっ。」

「全てを知るものという意味合いもありますしね。

 メイジの生徒なのですから、恐らくそっちでしょうね。」

「まったくっ。先が思いやられるわね。」

「どうもすいません。」

「ま、それでも理解が早い使い魔でよかったわ。

 馬鹿に説明する口は、私にはないから。」

 

 多く並ぶ人形の中から一体を拾いあげる。

 使い魔は濁った瞳で興味深げに眺めた。

 

「これ、躍動感があって今まさに動きそうですね。」

「動くわよ。夜限定だけど。

 見たことはないけど、夜に来てみたら踊ってるはずよ。」

「ほう。

 日光に当ててみたくなりますね。

 私の知る伝承ですが。ドワーフは日光に当たれば石になるか、肉体が弾け飛ぶと聞くのですが。」

「何で二者択一で片っ方だけそんな物騒なのよっ。

 もういいから席行くわよっ。」

 

 全くもう、とうんざり気味な調子でさとりの手を引っ張った。

 定位置の席につく。

 食卓には今日も美味しそうな料理がたくさんだ。

 背後をチラリと見やる。

 さとりの濁った瞳が「おおっ」といった感じに驚嘆した様子だ。

 

「ふふん。これが貴族の食事よ?

 二束三文の平民の朝食とは訳が違うわ。」

「どうやらその通りのようで。

 卵焼きやサラダで済ます私とは何もかも規格外です。

 豪華すぎます。朝っぱらからこの量は胃がもたれませんか?」

「うちはコックも一流のプロを雇っているのよ。

 そこのところくらいキッチリ計算して作ってるわよ。」

「銀の匙をくわえて生まれてきたようで。

 ルイズさんは生涯、食事には困ることはないような気がします。」

「貴族なんだから当然じゃない。」

 

 さとりは小さく息をつく。

 いい身分なことだ。

 しかし自分も一応領主の身。

 偉そうなことは言えない。

 そんな使い魔の思念とは関係なく、契約の主は鼻を高くし、「ふふん」と鳴らした。

 そして興が乗ったのか。足を組んでこちらに向き直り、指をふる。

 「いい?」と諭すような所作。

 芝居染みた感じだ。

 

「それにね、ここ魔法学院は魔法の教育だけじゃないの。

 貴族としての礼節も学ぶ場所なのよ。

 いくら魔法が強くてもね、一流の礼儀作法が伴っていないとそれは所詮二流のメイジ。

 メイジは品格も求められるのよ。」

「ご高説どうも。

 やや嫉みがないこともないような気がしないでもないですね。

 ちなみに、ルイズさんは何流で?」

「ぐぎっ………」

 

 辺りからクスクスと含み笑いが響く。

 癇癪持ちの主は顔を真っ赤にして、苛立たしげに居住まいを正した。

 

「せ、精々主に恥を欠かせないように、あんたもマナーには気をつけなさいよね。」

「テーブルマナーは本で知ってるくらいで、自信はありませんね。

 会食なんて小説の中でしか知りませんよ。」

「だったら私が教えてあげてもいいわ。」

「必要になったら是非お願いしますよ。」

 

 そう一区切りついて、隈のある少女の半眼がゆっくりと下に移る。

 目線の先は足下。

 さとりの気だるげな声が契約主に向かう。

 

「まさかとは思いますけど。これが私の朝食ですか?」

「そうよ。」

 

 えぇ……。

 足下には欠けた皿。その上にパンが2つだ。

 

「このカッサカサなパンが……ですか。この食べたら喉がパサパサしそうな。」

 

 パンを摘まんで、瞳の濁った少女は苦い顔つきでそれを睨む。

 とても食べる気がしない。

 トーストとコーヒーを所望したい。

 さとりは無言の視線を、ジトリと主に投げつけた。

 しかし、主の顔は「なによ?」と言いたげで高圧的だ。

 

「平民が貴族と同じもの食べられる訳ないでしょうが。」

「メイジなんですから、そこら辺は融通利かないんですかね。貴族はメイジなんでしょう?」

「貴族は立派なメイジであってこそ、とは言われるけどね。でもメイジだからって貴族とは限らないの。

 平民がこの食堂に入れるだけでも、大っ変名誉なことなんだからねっ?

 文句言わないの。」

「なんと貴族の皮を被った畜生ぶり。称賛しますよ。」

「あんですってぇ!

 これは罰よっ。助けたとはいえ、あんだけ散々私を打ちのめした罰っ。

 あの時の私の気持ちをその眼で見てみなさいよっ。」

「恩義という概念は、貴女には些か難しいようです。

 恩義は義務ではない。

 あくまでもその人自身から生まれるもの。

 見返りを求めるほど低俗ではないですが、損した気分ですね。

 私の慈悲を返してほしい気分です。」

「何が恩義よ、押し付けがましいわね。

 つか見返り言ってる時点であんたは低俗よっ。」

「押し付けとは人聞きの悪い。節介な主婦や不誠実な同業者じゃあるまいし。

 考えてみて下さい。

 沈みゆく貴女に手を差しのべたのですよ?

 私みたく心優しい者にそんな悪癖があるはずがありません。」

「本当の救済者はそんな自己顕示しないってのっ!」

「言わないと解ってくれそうにないので。」

「私の弱みにこぎつけて、あれだけ好き勝手こき下ろした癖に。話をあれこれ派生させて、先生もあれだけ貶してっ。

 一歩間違えればあんた消されてたわよっ。」

「温厚な方で助かりましたね。」

「あんたの話でしょうが。

 危うく使い魔を失って留年の憂き目にあってたんだからねっ。

 自分の楽観が主人を窮地へ誘うと知りなさいっ。」

「なるほど。私も自己本位と。」

「そうでしょうが。

 私のためなんて言って。大義名分が欲しかっただけなんでしょ。」

「まぁ、否定はしません。合ってますし。

 でも実際、助けにはなったはずですよ。」

「なに、すぐさま素直にぶっちゃけてんのよっ!

 多少は抵抗しなさいよっ。余計に頭くるわっ!」

「痒みを我慢できる人はいません。

 それと一緒です。

 ああいう場面になると、つい舌が乗ってしまうんですよ。」

「言い訳無用っ!反省しなさいっ!」

 

 仕方ない。

 ガジガジと苦々しげにパンを口に含んだ。

 第三の目は、始めから眼前の召喚主を捉え続けている。

 ルイズの思考が眼を通して流れる。

 彼女の腹積もりなどお見通しであった。

 

「ふふんっ。

 卑しい目をしちゃって。」

「パン2つで事足りるほど少食ではないので。」

「私も鬼じゃないわよ?

 どうしてもひもじくて堪らないっていうなら、平民らしく乞いなさいっ。

『ああ、恐れ多くも偉大なるルイズ様。

 どうか卑しき私めに、その高貴なる慈悲をお恵み下さい』ってねっ!」

「どこの悪徳貴族ですか。

 魂胆は解ってましたけど、いざ耳にすると何とも残念です。」

「ぐちゃぐちゃ言わないっ、ほら、言いなさいっ。」

「敬意をお望みのようですね。

 知れば、いかなる崇高な目的も手段へと逆転しておとしめるもの。

 それが敬意です。

 ただ自己陶酔の愉悦の種。求めれば遠ざかる。

 敬意はあくまでも行動への称賛だと思うのですよ。」

「平民は主人を敬って当然なの。」

「頑なですねぇ。台所のしつこい油汚れですか。」

「はいそこっ、口を慎むっ。

 敬意はメイジの実力に加算されるのよ。ヴァリエールの名に仕えること光栄になさいっ。」

「見栄は貴族の友みたいですね。

 切っても切れない絆。美しくてどうしようもありません。

 て言うかぶっちゃけ、露骨すぎて普通に言いたくないです。」

「何よっ。言えばいいじゃないっ!

 敬えば料理の一品や二品くらい、すぐ用意してあげるわよっ。」

「いや、いいです。

 一応メイジの立場はあるんです。自分で頼んできますよ。」

 

 キーッキーッと喚き立てる主人を背後に、さとりは使用人を探す。

 早速見つけた。

 やや聞き覚えのある心の声。

 しかし特に気にする気にもならない。

 さとりは視界に入った使用人に近寄り声を掛ける。

 

「え、えっ!? 古明地様!?」

 

 シエスタであった。

 驚きの表情とともに、胸の内の仄暗い感情が眼を通してこちらに流れた。

 

「どうも、朝方ぶりですね。」

「そ、その件につきましては大変失礼しまし……」

「あぁ、もう結構ですよ。

 赤子の癇癪より耳に残っていますから。

 それより、注文お願いしたいんですが。」

「は、はい。畏まりました。」

 

 注文を終え、小走りで去っていくシエスタの背を見届ける。

 そこでピンク髪の使い魔はハッとする。

 しまった。

 コーヒーの注文を失念していた。

 贅沢か、とやや悩むも、普段の日課をやり過ごすのは気持ちが良くない。

 仕方ない。

 濁った目の使い魔はそう独りごちると、シエスタの去った方角へと向かった。

 

 

 厨房。

 生徒の食事は一斉に開始するのがルールだ。

 宗教柄、食事前には始祖ブリミルへの祈りがある。

 故に、定刻までに朝食を準備しなければならない。

 全生徒三百人分。

 その圧倒的な量のためか、定刻直前でも調理場は騒がしい様子。

 あちこちから怒声が飛び交う。

 出入口から隈の目立つ使い魔が顔を出した。

 戻ろうか。

 その喧騒ぶりに辟易し、注文の取り止めを考える。

 しばらくおろおろとするも、厨房に入ることを決意した。

 さとりは恐る恐ると遠慮がちに一人の使用人に声をかけた。

 

「えっ、ちょっとなんで女の子がここに……。

 って、あ、亜人?

 生徒じゃないみたいだし。

 貴女、ここは関係者以外立ち入っちゃだめよ?」

 

 関係者以外なら何に該当するというのか。

 不審者くらいか。

 それに同調するように、彼女の中でも不審者の線を疑っているようだ。

 眼前の使用人の思考を読み、彼女の困惑の原因がわかる。

 マントである。

 メイジは生徒、教師に関わらずマントを羽織っており、彼女達使用人はそれで区別しているのだ。  

 さとりはマントもない、小柄な少女。

 同業で見覚えがなければ、困惑も当然である。

 

「私、ヴァリエールの使い魔です。

 少し注文したいのですが、宜しいですか?」

「ヴァ、ヴァリエール家の!?

 こ、これは失礼しましたっ。」

 

 ヴァリエール家の生徒が亜人を呼び足したのは周知の事実のよう。

 そして、その使い魔がメイジであることもだ。

 

「おい、どうした?」

 

 使用人の彼女が慌て気味に謝罪していると、後方から男性の声がかかった。

 野太く、粗野な印象を受ける。

 

「あ、料理長。

 実はヴァリエール様の使い魔様が。」

「何? 使い魔ぁ?」

 

 彼女の背後から覗きこむようにこちらを睨む。

 筋骨隆々なその巨躯は、ただあるだけで圧迫を生んだ。

 厳めしい彫りのある相貌。

 睨まれた使い魔は戦慄を禁じ得なかった。

 「っひ」と喉で変な声が鳴った。

 一瞬焦るも、相手には聞こえなかったようで安堵する。

 聞かれていたら自己嫌悪で布団に籠っていた。

 

「ふんっ。噂のメイジ兼使い魔様か。

 そのメイジ様がこんな粗野な場所に何用ですかな?」

 

 響くようなデカイ声だ。

 彼の声に呼応して、料理人や使用人達の視線が集まる。

 いずれも、その眼に宿るは良くない感情。

 アウェーというやつか。

 先の喧騒が嘘のようだ。

 気を抜けばどもりそうになるが、さとりは何とかこらえる。

 

「あ、あ貴方が料理長ですか。」

「いかにもその通りだ。

 ここのコック長を務めさせて頂いているマルトーだ。

 おっと、すまない。

 メイジ様に名乗るほど上等な名ではなかったな。

 不必要な真似だ。

 無礼な真似、許してくれや。」

 

 慇懃無礼のつもりか、その実まったく出来ていない。

 失礼全開である。

 声音からも敵意は丸出しで、明らかに歓迎していないのが見てとれた。

 

「か、構いませんよ。

 礼節を知らぬことが罪ではありません。

 無礼とそしるだけ不毛です。

 無礼とは往々にして自覚ないもの。自覚できるだけ誇りに思ってください。」

 

 ぴくり。彼の眉が動いた。

 ピシリと空気にヒビが入った。

 あれ?

 さとりは嫌な予感を瞬時に感じとった。

 周囲の悪感情も右肩上がりに増していき、緊張に更なる緊張が乗せられる。

 やってしまったか。

 ピンク髪の使い魔は焦燥に駆られた。

 

「……ほう。

 貴族のメイジ様の有難い言葉だ。

 感謝してもしたりねぇな。」

「はぁ、私はメイジではあるみたいですが、貴族ではないので。

 無理に有り難がる必要はないですよ。」

 

 眼前の巨体を誇るコックに対し、様子見に徹するピンク髪の使い魔。

 しかしさとりの言葉にマルトーは大きく反応した。

 野太い大きな笑い声をあげる。

 

「わっはっはっはっはっ!!

 何だお前。メイジの癖に貴族じゃないのか?

 こいつは傑作だぁ。

 おい、聞いたかお前らぁ。

 散々お高くとまった貴族様も地に落ちることはあるんだとよぉ。」

 

 料理長の呼び掛けに、周囲の職人達もまた笑い出す。

 クスクス。ゲラゲラ。

 笑い方は様々。

 しかし一貫してそこに快活さはない。

 皆共通して嘲笑だ。

 使用人も料理人も全員。  

 陰険さを多分に含んだ笑みが張り付いる。

 

「メイジさんも大変だなぁ?えぇ?」

「どうもです。

 労いは仕事内容を全くしらない他職者への挨拶ですが。

 基本的には話題がないときの振りですね。

 用事を済ませましょう。」

「はっ。そう慌てなさんな。

 同じ平民同士だろうが。

 平民になった気分を是非とも拝聴したいねぇ。」

 

 仲間意識を感じさせる言葉選び。

 しかしこの内容と口調。

 いずれにも親愛は微塵も持ち合わせていないことは明らか。

 差別意識が根強いことは知っていたが、いざ当てられると身震いものである。

 鼓動が止まらず口内が乾く。

 平民の彼等は貴族に対し、恨み、嫉みが随分とあるようだ。

 第三の目がそれをより実感させる。

 早く済ませよう。

 心を読み取る使い魔は平静を心掛ける。

 

「どうでしょう。

 領主の位が長かったもので、貴方のいう平民とやらの感覚はまだ解りかねますが。」

「そいつはいけねぇ。

 まだ貴族の鼻高いプライドが残っている証拠だな。

 早い内に犬にでも食わしておきな。

 これからは搾取される側の感覚を存分に楽しんでくれや。」

「貴族に随分恨みがあるみたいですね。

 メイジである私が憎しみの対象になるのは仕方のないこと。

 関連性があるのですから。

 不満は質量を持ちます。

 吐き出さなければ、いすれ決壊するのは道理。」

「流石元貴族様だ。

 甘えさせてくれるとは、お優しいことだなぁ?

 美味しかったか。俺達の人生を好き勝手弄んで、欲を満たす生活は。

 貴族の生活を支える下の気持ちなんて露程にも感じてないんだろぉ?

 貴族が下々の生活なんて考えやしねぇ。政治も何もかも全て自分のためだ。

 はっ。お前もそうだったんじゃねえのか?あぁ?」

「どうでしょうかね。

 下を使うのが上の者の特権ですから。」

「いつまで上から目線のつもりだぁ?

 お前はもう平民なんだ。口に気をつけなぁ。

 もう周りを気にせず喋れる立場じゃねぇんだぜぇ。」

 

 マルトーの言葉を切っ掛けに周囲も乗っかる。

 便乗の形で、次々と野次がとんだ。

 

「そうだっ、いつまでも見下してんじゃねぇぞっ。

 貴族は神か。ああ?

 高説なこった。

 傲った観念しか生み出さない勘違いした猿めっ。」

「そうよっ。下の苦労も知らない小娘の癖に。

 飾ることしか学がない。

 虚飾の鴉にも劣るわ。鴉だってもう少しマシな飾り方を知ってるわよっ。」

「俺達は奴隷じゃねんだぞっ。葉巻みたく、吸うだけ吸ったら使い捨てやがって。

 いくらでも生える雑草か何かと見間違えたかっ。

 魔法は神聖? 殺しと脅しの武器だろうが。

 平民の俺達にそれ以外にどう使ったんだよっ。」

「魔法でいい気になってんじゃないわよっ。

 平民には高い値打ちをつきつけて足下見るくせに。

 魔法の恩恵なんて貴族同士だけで与えあってるたけじゃないの。」

「私の生活を返しなさいよっ。家族を還してよっ。

 何の権利があって私の妹をさらったのよっ。  

 貴族は私達を人として見てないっていうのっ。

 絶対に許さないっ。

 家族を潰した罰をあがなわせるまで、絶対にっ。」

「徴収した税でドレスでも買ってもらったかぁ?

 民の血税を手軽に懐に入れてんじゃねぇぞ。

 税は俺達の生活と労力だっ。

 重みを知らないやつに気安く扱える資格があるなんて思うんじゃねぇぞっ。」

 

 一人の憎悪を切っ掛けに、悪意が次々と伝播する。

 彼等は堰を切ったように、身の丈を声に乗せる。

 人によっては身を切るような思いまで見られる。

 まるで洪水。

 憎悪を一心に受けるメイジの使い魔は唖然とした。

 認識が甘かったのか。

 そう思わざるを得ない。

 人は単純で極端な生き物だ。

 そう確信しているし、濁った瞳の少女は今でもその考えに変わりはなかった。

 すぐに視野狭窄に陥り、他の価値観に影響される。

 それが人。

 魔法は幻想的で利便性が高い、絶対の力だ。

 故に、魔法が扱える者が偉くなるのは必然。

 魔法が血で継承されるなら、血統も大事になるだろう。

 貴族平民階級のカースト制になるのも道理である。

 圧制や不当が蔓延するのも頷ける。

 しかしだ。

 憎悪、怨恨、軽蔑、憤怒、悲嘆、嫉妬。

 第三の眼に映る、どす黒い映像と音声の数々。

 個々の味わった不条理な経験が、次々と突き付けられる。

 戦慄する。

 恵まれた幸運に助かった一握りの者達。

 それが彼等だ。

 第三の目がそれを痛烈に知らせる。

 ここは外部とは隔絶された空間だったのだ。 

 まやかしの灯りなのかもしれない。

 トリステインは今だ闇に覆われている。

 外面だけが飾られた魔法至上主義社会。

 社会の上では特権者達のコーカスレースが執り行われ、力ない平民は犠牲となっているのだ。

 

 罵倒が続く。

 周囲はもはや憎悪に支配された人形。

 断罪でもするかのようだ。

 罵ることこそが正義と信じて疑わない。

 感情。

 人はそれを自分のものとよく勘違いする。

 そうではない。

 感情が人を所有しているのだ。

 現に、彼らは憎悪に操られている。

 第三の目がひしひしと伝える。

 感情に伴う記憶を。

 その憎しみも怒りも経緯が経緯。

 抱いて当然ゆえに、質が悪かった。

 異形の目を抱える少女は息をつく。

 そして、その瞳の色を変えた。

 

「なるほど。

 貴女達は嬉しいのですね。」

「は?

 なんなのこの子?」

「何が嬉しいだって?

 何を聞いたらそんな勘違いができんだ、おい?」

「貴族から落ちぶれ、平民へと降りた元貴族が。

 そして平民でも平民の中には入ることが出来ない元貴族が。

 こうやってノコノコとやってきて、自分達は囲って罵れる。

 この状況に愉悦を感じて仕方ない。

 虐めた借りを返せて楽しくて仕方ないと。 

 わかりますよ、その気持ち。

 唾棄したくてたまりませんね。」

「あんだとぉ!!!」

「アンタみたいなグズと一緒にすんじゃないわよっ!!!」

「口に気をつけな、嬢ちゃんよ。」

「因果応報とはこのことだね。

 あんたのことなんかは知らないよ。

 だけどさ、アンタ元貴族なんでしょ?」

「貴族なら貴族の落とし前をつけなきゃならねぇ。

 平民に生まれた業がありゃ、貴族に生まれた業があるんだよぉ。」

「落とし前とは。

 アウトローが仕返しの際によく使う常套句ですね。」

「仕返しなんて下品ね。

 貴族の言葉とは思えないわ。

 一緒にしないで。アンタ達とは違う。

 暴力はしないであげるわ。」

「非暴力非服従の精神ですか。」

「ここで暴力を振るっちまったら、俺達は貴族と同族になっちまう。

 そんなの死んでもゴメンだ。

 非暴力は暴力より崇高なんだよ。」

「感服ですね。

 貴族の矜持より誇り高いですよ。

 しかし言葉とは裏腹に、その目は暴力を渇望してます。」

「当然じゃない。

 貴族はそれだけのことをしているんだからね。

 何回火炙って殺しても足りないくらいよ。」

「自律の精神ですか。

 罰を与えることより、許すことのほうが何倍も困難というのに。」

「平民を舐めるんじゃねぇよ。

 見栄と傲慢しか頭に入らない貴族には壁が高いかもしれねぇがなぁ。」

「目には目を、歯に歯を。

 罪と罰の等価ですら難しいのです。

 人は得てして同等以上の対価を求めるもの。

 先の憎悪の叫びでわかります。

 貴方達に非暴力の精神は荷が重いようですね。」

「立場わかって言ってんの?

 わかった風な口利いてんじゃないわよっ。

 ムカつくわねっ。」

「理性は流れる感情を押さえるためのダム。

 当然限界があります。

 たがらこそ、マルトー料理長はタイミングよく現れたカモを利用することにした。

 違いますか?」

 

 突如名指しで話を振られ、料理長は訝しむ。

 何を企んでいるのか。

 先程からの可憐な外面にはそぐわない冷静さ。

 不相応な大人びた雰囲気が、警戒心をより一層高めた。

 

「ふん、貴族の業に耐えきれず、苦しみ紛れの戯言かぁ。

 聞く耳もつ気はねぇなぁ。」

「ここにいる皆さんは非暴力、非服従の心構えが根差しています。

 しかしそれは仮初めのものが多い。

 経験からの産物ではなく、人から与えられた規律なのでしょう。

 知識に実感が伴わないのですから、定着が浅いのも当然。

 教えたのは料理長さんですよね。」

「だったら何だ。

 価値観の押し付けとでも言い張る気か?ああ? 

 暴力に暴力で返しても、また更なる暴力で返ってくるんだ。  

 意味なんざねぇ。」

「暴力とは選ばれない者が行使したとき、懺悔の宿命がついてまわる。

 中途半端な力にある性質は破滅。

 魔法の前では多くの平民がそうでしょう。」

「そうだ。

 暴力の多くは報復で発揮されんだ。」

「至言ですね。

 過去の過ちが貴方に刻んだのでしょうか。

 それとも、大切な人がですかね。」

「人の経歴に詮索をかけるとはぁ、いい度胸だメイジ様よぉ。」

「非暴力を訴えている張本人が脅しとは。

 貴方達の差別反対の根底にあるのはやはり報復のようです。」

「手は出さねぇよ。 

 誇りにかけてな。

 料理人は手が命だ。

 商人が商売道具を手荒に扱っちまったらどうしようもねぇ。」

「それが聞けて安心しましたよ。

 感情をぶつけるのは構いませんが、何ぶん子をあやした経験はありません。

 お手柔らかにお願いしますね。」

「んだとゴラァァァ!!!」

 

 ダァァァァァン!!!!!

 

 台を叩きつける音が響く。

 見れば、マルトーの拳が台を突き付けて、台が凹んでいた。

 あまりに突然の出来事。

 濁った瞳をもつ使い魔はポカンと口を半開き。

 思考が止まった。

 少女の瞳に映るは烈火の憤怒。相対するマルトーの般若面である。

 轟音と料理長の覇気に、周りの職人達は沈黙した。

 

「すまねぇ。

 小娘相手に切れるとは、俺も器が知れてらぁ。」

 

 彼は見た目より冷静のようだ。

 濁った半目の少女は内心動悸が止まらない。

 相手の沸点の下がりようがあまりにも急であったのだ。

 私は見極めを誤ったのか。

 

「い、いえ。

 私も口が過ぎたようです。

 謝罪します。」

「ふん、貴族も謝れるんだな。」

「ですが、迂闊でした。

 あんな言葉で反応するとは。」

「はっ。俺が気の長い温厚なお人好しにでも見えるかよ。」

「指してるのは挑発ではありませんよ。

 言葉自体です。」

「あ?

 何訳わかんないこと言ってんだ、嬢ちゃん。」

「『お手柔らかに』ですよ。

 その言葉が貴方の記憶の奥底を刺激したのです。」

「な、なに言って。」

 

 気難しげに料理長の眉が歪む。

 その表情は戸惑い。

 さとりの言葉がわからないと言いたげだ。

 事実理解していなかった。

 第三の瞳はマルトーを見据える。

 重要なのは彼の内面であった。

 

「そうですか。

 友人は武力抗議の果てに目の前で。」

 

 何故それを!?

 厳つい顔が壮大に歪む。

 料理長のマルトーは目に見えて動揺した。

 

「同じ轍は誰にも踏ませない。

 それが貴方の根底。

 義務というやつですか。

 そしてそれは貴方にとって、貴族に対抗する支えでもあるのですね。」

「な、何故そんな。

 てめぇ!!

 一体なんでそんなことを知ってやがんだ!!!」

 

 轟く怒号。

 そして猛烈な勢いで彼の顔が近づいた。

 

「答えろっ!!

 場合によっちゃただじゃおかねぇぞっ。」

「ひょえっ。」

 

 急な事態に奇声があがった。

 私の声である。

 ガバッ、と胸ぐらを持ち上げられ、浮遊感に晒された。

 思考が無くなるがそんなの関係ないとばかりに、有無を言わせない形相がこちらに接近した。

 目と鼻の先。

 目を反らせない。

 隈の目立つ少女はされるがままだ。

 喉が震え声がまともに出ない。

 

「……あ、え、え。えと。その、えと。」

「はっきり喋りやがれっ!! 

 なんで知ってんだっ!!」

 

 その時。

 パーーーッ、と異形の瞳が怪しく光った。

 放射状に発光する光に、料理長が慌てて手を離す。

 

「な、何だ。こりゃあ一体!?」

 

 料理長のマルトーは驚愕の声を発する。

 そして目を疑った。

 

 

 ザシュッ。

 肉が抉れる音が俺の耳に届いた。

 

『が、がは。がは。』

 

 友人ヘルトが料理長の前で血を吹き出させる。

 氷の弾丸で胸を穿たれたのだ。

 友人が倒れる。

 気づけば、料理長は駆け出した。

 

『お、おいっ!? 大丈夫かっ!?』

 

 地面に倒れる前に何とか受け止める。

 しかし凄まじい出血。

 応急手当では済まない傷だ。

 周りに施設はない。

 ここは郊外の貴族の別宅の近く。

 辺りには森が鬱蒼としているだけであり、医療道具は拠点に帰らなければ用意できない。

 助かる見込みは相当低く、自分では助けることが出来ないと察した。

 いや。俺が助けなくて誰が助ける。

 

『ヘルト!おいヘルト!

 しっかりしろっ!!死ぬんじゃない!!』

 

 息は浅く、喀血が続く。

 

『マルトー。悪い………しくっちまった。』

『おい、喋るな!

 傷に響く、まってろっ。

 すぐに治療施設まで運んでやるから!!』

『そ……んな場合か、……逃げ………ろ。』

『おい、寝るな! 起きろっ、ヘルト!!』

 

 認めたくない現実に、マルトーは顔を盛大に歪ませた。

 

『おいおい、もうくたばるのか?

 もう少し楽しませてくれないかねぇ?』

 

 マントを羽織った男性が近づく。

 その声にワナワナと腸が煮えくりかえるのがわかる。

 料理長は在らんばかりの怒声を張り上げる。

 

『お前っ、一体これは何のつもりだっ!?

 この期に及んで裏切る気か!』

『お約束のつもりだ。』

『てめぇっ!』

『はっ、一丁前に憤るか。

 仲間の死に。

 テロ組織風情がヘドが出る。』

 

 マントを羽織る男は貴族。

 しかしながらも、平民の権利回復のために協力してくれる奇特な男だ。

 気のいい男だった。

 そう。

 そうだったはずなんだ。

 しかしその男は、嫌悪と侮蔑を瞳に宿らせ、料理長達を睨んでいた。

 

『所詮貴族かよ。

 これだから人を人とは思わない畜生は嫌だったんだ。』

『ほざくな、劣等種が。

 俺と貴様らが同列だと?

 つまらんジョークは恋人のノロケだけにしておけ。』

『絶対に許さねぇ。絶対にだっ。』

『それはこちらの台詞だ。

 妹を殺された怨みがこの程度で済むと思うなよ、溝鼠どもが。』

『な、はっ?』

『はっ、知らないだろうな。

 ああ、知るはずがないだろうさ。 

 私は言ってない。

 貴様らもこれまで殺してきた奴等のことなんぞ欠片も覚えてないだろう。』

『じゃ、じゃあお前……まさか。』

『そうさ。

 最初っからこれが目的だったのさ。

 これまで共にしてきた任務も全部このためだ。

 このためだけに同族を貴様ら溝どもとともに殺してきた。

 これだけのために、私は貴様ら溝鼠どもに手を貸してきた。

 裏切る?

 私は目的を遂行したまでだっ。

 裏切る要素などどこにあるというんだっ、劣等種がぁっ。』

『この、やろぉ。

 絶っ対ぇに許さねえぇぇぇ!!』

『はんっ!

 貴族に飼われていればよかったものの。

 さすれば、私もこんなことをせずに済んだのだ。』

『ぶっ殺してやるっ!!』

『相方の負け犬はすぐに壊れたからなっ。

 この身を焼いて止まない憎悪が全くもってとれやしなかったのだっ。

 貴様も私の玩具になってもらおうか。』

『こっちの台詞だっ!

 生きてることを後悔させてやる、この貴族がぁ!』

『はっ。

 威勢のいい大言を吐くものだ。

 なら、お手柔らかにお願いしようじゃないかっ。』

 

『ウオォォォォオオオ!!!』

 

 

 バシッ。

 

「あっ。」

 

 乾いた音が響く。

 

「……えっ?」

 

 料理長は瞠目する。  

 

「マルトーさんっ。

 気が付いたんですねっ。」

 

 眼前にはシエスタがおり、心配そうな顔をしている。

 職人達も同様の視線だ。

 料理長は周りを見渡す。

 自分は台を壁にして座っていた。

 頬が痛む。

 記憶の前後関係が整理できず、状況が全く理解できなかった。

 

「どうも。」

 

 声に反応して顔を向ける。

 そこには、ピンク髪の少女がやや申し訳なさそうに佇んでいた。

 

「お騒がせしてすいません。」

 

 今だ混乱がとけない。

 額に手をやり、料理長はゆっくり立ち上がった。

 異形の目をもつ少女はゆっくりとした口調で、状況を説明していく。

 心を読む力。

 そしてトラウマを蘇らさせる力。

 異形の目をもつ彼女にはその力があった。

 さっきの状況は彼女の力に原因があったのだ。

 

「料理長さんは幻覚を見ていたのです。」

「げ、幻覚?」

「そうです。

 詳しく言えば、トラウマになった記憶が再現したのです。」

「記憶。再現。

 そうだ。俺はさっきまで奴と戦っていたはずだ。

 なのに、なんで。」

「それが幻覚です。」

「げ、幻覚っ。

 んな馬鹿なっ、俺は確かに。」

「落ちついて下さい。

 それがトラウマの再現なのです。

 幻覚というのは一般には幻視が有名ですが。

 正確には幻視、幻聴、幻嗅、幻味、幻触の五つがあります。

 その全てが狂い、貴方はまるで当時の記憶の世界に戻ったような感覚になった。

 それが事の全貌です。」

「そ、そんなことが。」

 

 内容を聞いても今だに半信半疑だ。

 

「非は私にあります。

 力を行使するつもりはなかったのですが。

 あの時は私自身パニックになっておりまして、無意識のうちに勝手に能力を発動していたようです。」

 

 声音を小さくし、少女の表情に陰がさす。

 居心地が悪そうだ。

 彼女なりに反省しているのかもしれない。

 いや、いい。料理長はそう言って首を振った。

 

「確かに驚いたが、トラウマというほど衝撃的な記憶というわけじゃねぇ。

 ただ良くない思い出であることにはちげぇねぇが。」

 

 沈黙が降りる。  

 だが、それもすぐに終息し次の展開へ迎える。

 隈の目立つ少女の平坦な声音が彼の耳に流れた。

 

「料理長さん。

 貴方はどうやら悩んでいるようですね。」

「あ?

 大人は常に悩んでいるさ。

 生活費が苦しいだの。家にいる嫁が恐ぇだの。

 悩みのないやつはきっと、心がイカれちまってんだろうよ。」 

「苦悩は人生のスパイスと言いますが。

 当人からすればたまったものじゃないでしょう。

 ないほうがいいのは明らかですよ。」

「俺は辛口派だ。問題ねぇ。」

「私、カレーライスは甘口派です。

 貴方は限界を感じている。

 自覚しているのではないですか。

 私を槍玉にあげて憎しみのはけ口にしました。

 はけ口は人を選びません。

 全てが選択に入り、徐々にその選択が限られてくるのです。

 切迫すれば、家族、友人へと当たっていきます。」

「なんだ。不当に罵倒されて怒っているならそう言えばどうだ?」

「料理長さん。

 貴方の非暴力非服従の精神は破綻に近づいているのです。

 教えを説いている部下達を見てわかりませんか。」

「俺の言ってることが難しいことなのはわかってらぁ。

 だが、どうしろってんだぁ?

 それを止めて何になる?

 反発の意思を亡くしたら辛いだけだぁ。 

 暴力を働けば路頭に追われる。

 元貴族様のお前に俺達の何がわかるってんだよっ。」

「私は貴方達ではないので、わかるとは言いませんよ。

 経験は主観的なもの。

 辛さも同様。

 どんなに言葉で綴っても、当事者以外に共感などそこになく、同情の念が精一杯です。」

「心は読めても、感情は読めねえみてぇだな。

 お前にその目は無用の長物らしいなぁ。」

「まぁ、他者よりはわかるつもりですが。

 所詮、私は傍観者。

 他人事に人はそこまで関心も熱も入れません。

 なので解決策も代替案も今の私には思いつきそうにもないですね。」

「はっ。

 大勢の前で大層なことを言い出したと思えばよぉ。

 デカイ口叩いて軽い期待させといてそれかよ。 

 ただの甘ちゃんがいいこと言おうと頑張ってんのか?ああ?」

「私は問うだけです。

 貴方の根底には過去を根差した義務感があります。

 貴族への憎悪と非暴力の精神。」

「だからここで俺は抵抗を続けてんだよっ。

 魔法だけが全てじゃねぇ。

 この料理の腕は誰にも否定させねぇってなぁ。」

「加えて、ここは比較的に給料がいいみたいですしね。

 貴族は平民から搾取するようですが。

 しかし金をもつ雇用主もまた貴族になります。

 なので、政治が変わらない限り平民もまた貴族にすがるほかないのです。」

「何が言いてぇんだっ!

 俺らもあいつら同様寄生してるっていうのか!

 俺らは正当な労働を提供してるんだ。

 対して多くの貴族は不当な対価。

 寄生なんて言わさねぇ。」

「そうですね。

 正当な労働こそが貴方たちの誇りですものね。

 そして支えでもある。

 しかし同時に、現状への鬱屈した思いも事実。

 貴族への不満。

 料理人としての将来。

 貴方は身動きが取れません。」

「……………」

「ジレンマです。

 貴族への反骨精神、反抗心が強すぎるあまり、貴方はここを抜け出せない。

 そして何も出来ない現状に対して鬱屈する。」

「ああ、そうさ。

 だがよぉ、偉そうな小娘のお前には打開策はないんだろぅ?」

「人はプライドを捨てて生きることはできません。

 捨てて生きてるように見えても、個々の線引きがあるのです。

 プライドは品格ではありません。

 捨てに捨てて、捨てきれずに残ったものです。」

「なんだ?

 俺もまた貴族連中のようにプライドで生きてるとか口走る気かぁ?

 冗談も大概にしとけよぉ。」

「毎日腕を見せ付けるように料理したものを盛大に残される。

 あの手この手と工夫しても暖簾の腕押し。

 量の調節を上に訴えても、見た目がみすぼらしいのはダメだと却下です。

 まるで貴族の眼中にないかのよう。

 反抗とは見られなければ虚しさしか呼びません。

 貴方は得も知れない敗北感に苛みます。」

「て、てめえ!!

 俺の記憶をぉ覗きやがったなぁ!!」

 

 ひぃ。濁った瞳の少女は耳を抑える。

 料理長の怒号が耳を穿ったのだ。

 そして足を踏み鳴らして接近。

 その憤怒の表情が更なる圧迫感を振り落とす。

 や、やってしまった。

 後悔が胸の内で鳴いて止まらない。

 胸の動悸が再び声を上げる。

 冷や汗が額に沸いて止まらない。

 目の前にいる料理長の怒気に、さとりは後づさった。

 

「え、選ぶか選ばないか。

 それが問題なのです。」

「選ぶだぁ?」

 

 眼前の巨躯を持つ男の声が威圧する。

 

「生活に生きるか。誇りに生きるか。

 貴方は料理に自負を持っています。

 他の方達も同様に、自らの役割に一定の誇りがある。

 それが貴方達の支えでもあります。

 不当に対する正当。

 役割をこなすことが、貴方達の反抗なのですから。」

 

 料理長の厳格な面持ちが沈黙を続ける。

 

「しかし、貴族に脅え不満を耐えるにも限界が近い。

 貴方は耐えれても、他の方達は貴方ではありません。

 貴族と相対すれば、ただひたすら謝ってその場を凌ぐ。

 偉そうにするだけならまだマシです。

 不条理な怒号に目をつむり、口をつぐんで堪え忍ぶ。

 惨めさは人を追いやります。

 生きる意味を見失います。」

「結局何がいいてぇんだ?」

「選ぶか選ばないかの話です。

 貴方にはやりたいことがあったはずです。

 多くの人達に、自分の料理を食べて欲しい。

 食べて欲しい人達とは、不平不満の多い貴族ですか?

 料理は貴方の誇り。

 同時に、貴族に対する対抗手段でもある。

 しかし、今の貴方は貴族への対抗に盲目です。」

「耄碌するほど、俺は年とってねぇ。

 見返してやりてぇ。

 それを志すことが悪いのか。

 今の今まで不条理を強いられてきたんだ。

 見返してあの鼻っ柱を叩き折ってやるくれぇしねぇと気がすまねぇ。

 それが悪いか?あぁ?」

「本音が出ましたね。」

「ああ?」

「やはり。

 貴方も暴力を自律しながらも、根底には報いを望んでいるようです。」

「なっ。」

「非難ではありません。

 当然の欲求です。

 しかし人は欲求を自律できます。

 貴方も現にそうしてる。そうでしょう?」

 

 畳み掛ける勢い。

 料理長のマルトーは言葉を発しようにも発せなくなる。

 

「ですが人は弱くもある。

 圧政や暴力に限らず、人は追いやられると自律がほどいていきます。

 今の貴方に必要なのは飛び立つ勇気。

 貴方の本当の望みは反抗ですが、ここじゃないのです。

 貴方の望みはここでは叶わない。

 ここでは本当に食べてもらいたい人達に食べてもらえない。」

「だ、だがぁ俺はぁ。」

「店を出すのが不安ですか?

 お金は充分たまっているのでしょう。

 未知は恐いですか?

 料理の経験はあっても自営業はしたことがない。

 それともまだメイジにこだわりますか。

 貴族への反抗は貴族のいるところじゃないと意味がありませんものね。

 ですが殆どの貴族が貴方を見ていません。」

 

 拳が震える。  

 ギシリ、と歯軋りが鳴った。

 

「これは貴方を慕う人達の願いにもなるのです。」

 

 マルトーはバッと顔を上げる。

 

「ね、願いだと?」

 

 もはや、眼前の少女が何を言いたいのかはわからない。

 しかし。

 大切なことを言っている。

 俺の忘れた何かを知っているのだ。

 

「選びなさい。

 そしてそれが他の者達の希望になるでしょう。

 貴方達は生き甲斐を欲しているのですから。」

「い、生き甲斐?」

「今の貴方達に必要なのは生き甲斐です。

 人生に意味はありません。

 自らが意味を見いだすのです。

 今の貴方達には自らに意味が見いだせずにいる。

 いいえ。

 忘れてきている。

 横暴、借金、扶養家族。

 障害だらけですね。

 貴方達は常に怒号と惨めさの壁に圧迫されている。

 精神の消耗が人生から色を抜いている。

 人は皆救世主を望みますが、根底は違います。

 自らに力と自負を欲している。

 惨めさを嫌います。

 だからこそ、生き甲斐を求めるのです。」

 

 料理長は目を瞠目させる。

 喉が鳴った。

 

「選びなさい。

 それが貴方の心。

 貴方にはその資格がある。

 有り余るほどに財はあるのでしょう?

 金は資格であり、力。

 なしたいことを貴方はなせるのです。」

 

 俺の本当にしたいこと。

 あったはずだ。

 貴族を見返すことか。

 いや。

 そうだが、そうじゃなかった。

 

「周りは先駆者を欲しています。

 全てを救う救世主でなくていい。

 ただ見本が欲しいのです。

 店を開くにしても、貴方は一人ではないでしょう。

 ついてきてくれる味方もいます。」

 

 料理長の瞳に少女の視線が交わった。

 隈のある濁った瞳。

 小娘と思っていたがとんでもない誤解だ。

 深淵が佇む、老成した眼光。

 膨大な年季と貫禄がそこにある。

 彼女の声が続いた。

 マルトーはもはや叡知を授かる心地ですらあった。

 

「貴方に義務はありません。

 自ら勝手に縛っているだけなのですから。

 貴方の対抗はここではない。

 だから行きなさい。

 貴方には付いてきてくれる人もいる。

 救われる人もいるのです。」

「す、救いだと。」

「そうです。

 大事なのは結果とよくいいますが。

 大事なのは行動です。

 貴方の生きざまが見本となり皆の希望になるのです。

 もう踏ん切りはついたでしょう?

 やりたいことは思い出したはずです。」

「やりたいこと……」

 

 そうだ。

 こんなところで燻っている場合じゃない。

 毎日こそこそ陰口たたくのももううんざりだ。

 変われる。

 俺は変われるんだ。

 皆がそれを望んでさえいる。

 俺の生き甲斐。

 俺のやりたいことは。

 

 空気が変わる。

 眼前の異形の瞳が発光したのだ。

 見れば、ピンクの髪が揺らめいていた。

 魔力というやつか。

 怪しい様相。

 そして畏怖の念を禁じ得ない、微かな圧力。

 しかしだ。

 そんなことはどうでもよかった。

 マルトーは異形の瞳と相対する。

 

「問いましょう。

 反抗者よ、汝の名は平民か?」

 

 マルトーはハッ、と小馬鹿に鼻を鳴らした。

 

「誰にものいってんだ。」

 

 マルトーは、自信に満ちた確固たる強い声音をもって意思を発する。

 

「俺は誇りある料理人だぁ!!

 わざわざ云わせんじゃねぇや!!」

 

 

 この日、料理長マルトーを含めた数十人の料理人と使用人が辞職。

 シエスタも一緒だ。

『さ、さとりさん。

 ありがとうございました。

 わ、私もこれからどうなるか分からないけど、変わってみようと思います。』

 別れ際の言葉。

 彼女が家族のために頑張っているのは知っている。

 これが彼女のためになるかはわからない。

 しかし、シエスタは新たに選択したのだ。

 故に、さとりは何も言わない。

 手を振ってお別れするのみであった。

 突如の大規模辞職。

 学院は大慌てで対応することになった。

 残った者達はいるが、当然料理の質は下がるだろう。

 人事の者達は新たな雇用者探しに忙殺されたのであった。

 

 因みに、朝の朝食は一時間も遅れた。

 

 

 夜。

 ルイズの自室。

 桃髪の主は難しい顔で目をつむる。

 同色髪の使い魔から、朝のトラブルについて問い正していたのだ。

 

「まぁ、こんなことがあったんですよ。」

 

 死んだ瞳をした少女の概要説明が終わる。

 淡々としておりとても無駄がない。

 しかし。

 

「なにがぁこんなことよぉぉぉ!!」

 

 召喚主は即座にぶちギレる。

 緊張感の欠片もない無表情に怒り沸いて止まらないのだ。

 

「ばっかじゃないのぉ!!

 何他人事みたく言ってんのよっ!!

 あんたが事件の元凶じゃない!!」

「まぁ、それについては言い訳できませんね。」

「なに何でもないように言ってんのよっ。

 さっさと注文するか、貴族でないことを明かしたらよかったでしょうがっ!! このアンポンタンっ!!」

「ついこの悪い舌が乗ってしまって。

 叱らないでやってください。」

「ああん?」

「反省してます。」

「嘘おっしゃいっ。

 何回目のセリフよそれっ。

「嘘ではありませんよ。

 その証拠に鼻は伸びないでしょう?」

「何の引用よっ!

 知らないことをひけらかしてるつもりなのっ?」

「私のいた世界の童話です。

 人の改心は一度ではありません。

 これは童話の教訓です。

 私も反省はしているのです。

 改心もしています。

 ただ改心は一転して終わりじゃないことを知ってください。」

「二転三転してる時点で改心なんてしてないわよ。

 何偉そうに講釈垂れてん……っのよ!!」

「ぼ、暴力反対ですっ。

 や、やめて、止めてください。」

「うっさい、うっさいっ。

 これはお痛した使い魔への正当な罰なんだからっ。」

「た、体罰は怨みを生むだけです。

 暴力を正当化する教育的指導とは欺瞞なのですよ。

 貴族も野蛮です。」

「非はそっちにあるのよっ。

 立場を弁えなさいっ。

 あんたが何言ったところで説得力は皆無なんだからねっ。」

「い、痛いです。

 脛を蹴らないでくださいっ。 

 膝に当たって致命傷になったらどうするんですかっ。」

「何処に膝が致命傷の生き物がいるってのよっ!」

 

 普段気だるげな雰囲気の少女も、暴力を受ければ話は別である。

 死んだ瞳に険を含め、ややヒステリックに抗議する。

 同色の髪の二人の口論と、一方的な暴力。

 暴力の主はお察しである。

 しかしそれも長くは続かない。

 しばらくして二人は落ち着きを取り戻す。

 召喚主が前髪をかき上げて口を開く。

 

「て言うかさ、それって偽善じゃない。」

「ほう。」

 

 隈のある少女は興味深げに目を向けた。

 

「だってさ、結局料理人達や使用人も残っている人は結構いるんでしょ。

 大言吐くのはいいけど。  

 格好つけた割りには、それが何にもなってない人達がいすぎじゃないの?」

「そうですね。

 毒にも薬にもなりません。

 残った人達は変わらない日常が明日からも続きます。」

「何か釈然としないわね。

 中途半端って感じ。」

「全てを救うなんて正義の傲慢ですよ。

 それに、残った人達にも多少のメリットはありますよ。」

「何よメリットって。」

「マルトーさんがいなくなりました。」

「それが何よ?」

「いやそれがメリットですよ。」

「ど、どういうこと?

 だってあの人って学院でいえば、いわば平民代表って感じだったのよ?

 貴族には超無愛想だけど、他の平民にとっては頼りになる味方じゃない。

 あの強面と巨体で超厳つかったし。

 平民からしてみれば、いなくなっていいことなんてないわよ?」

「平民とか貴族とか。

 固まった枠で物事を見ることはお勧めしませんね。

 トリステイン人は魔法に優れている。

 なんて言われても、実際優れているのは限られているでしょう。

 平民も一枚岩ではないのです。」

「え、え?」

「つまりですね、マルトーも職人達の中では嫌われる性質があったのです。」

「は?」

 

 衝撃の事実。

 考えもしなかった答えが、死んだ目をする使い魔から飛び出した。

 ルイズは口をポカンとあける。

 

「あ、あの平民代表のマルトー料理長が?

 え、だってあの人。

 凄い慕われているのよ?

 私も実際見てるし。」

「そんなの表面上だけですよ。

 料理長なんですから。

 表だって悪く言う訳ないじゃないですか。

 そんなことしたら、働きづらくなるだけですよ。」

 

 桃髪の召喚主は何も言えなくなる。

 

「いい人が往々にして好かれる訳ではありません。

 平民の味方という意味なら、確かに彼はいい人です。

 強面ですから頼りになりますしね。

 ですが、それだけです。

 実際は害のほうが多かったんじゃないですかね。  

 共に働く人にとっては。」

「害?

 あの人も裏では高圧的なことでもしてたっていうの?」

「いえ。

 人は相性が重要です。

 そう思いませんか?」

「わかるように言いなさいよっ、もうっ。」

「あの人は快活でリーダーシップに優れていました。

 しかし、それは同調を強いてきたことにもなるようです。

 常に反骨精神を説き、こうすべきという規律をつくってきたのです。

 恐い顔と恐い怒鳴り声には逆らえないのが普通です。

 職人さんや使用人達はかなりストレスがあったでしょうね。

 非暴力の精神は立派なんですがね。」

「ふ、複雑なのね。」

「人間関係が複雑なのは言うまでもないですよ。

 利害が絡まると余計にね。

 そして彼は料理人としてのプライドも高く、その意識の高さに辟易している人も多くいました。

 人は皆強くはなれないのです。

 職人達の不満は確かに貴族のものも多くあります。

 根強い恨みもありました。

 しかしですね。

 現在進行形でいえば彼の作り出す職場の空気のほうが不満があったのですよ。」

「…………そ、そうなんだ。

 全然知らなかった。」

「見てないのだから当然ですよ。

 つまりですね。

 職場環境の改善という意味では、幾分かマシになったと思いますよ。

 頑固で、怒鳴り声のうるさい強面巨漢が去ったのです。

 残った人達は救われていると思いますよ。

 閉塞感の要因がひとつ減ったんですから。」

「で、でも頼れる味方がいなくなったのよ?

 貴族に絡まれた時はどうすんのよ。

 厳つい顔で追い払ってくれる人がいなくなってるじゃない。」

「貴族に絡まれても、路頭に迷うことはないと思いますよ。

 それに、学院長のオスマンさんがいるんです。

 貴族は恐いことには違いないですが、少なくともここなら困窮に陥るようなことはないのです。

 それは、彼らが一番わかってますよ。」

 

 召喚主は釈然としない顔だ。

 何か言いたそうな素振りを見せるが、隈のある少女は見てない振りをした。

 

「慕われていたと思っていた人が、実は慕われていないなんて。

 よくある話ですよ。」

「で、でも。」

「彼は立派な人です。

 ですが、好かれない人柄でもあるのです。

 立派だからといって必ず慕われる訳ではありません。

 敬意はもたれます。

 だからこそ、職人さん達は口にはしなかったのでしょうね。」

 

 ルイズは沈黙する。

 

「ま、損をした人は少ないですよ。

 マルトーさんは心機一転して歩き出しました。

 残った人達は幾分か心休まる職場を手にしました。

 明日からの調理場は大忙しかもしれせんがね。

 取り敢えず、めでたしめでたしにして下さい。」

 

 さとりは外に視線をうつす。

 双子の満月が死んだ瞳に光りを灯す。

 人の望みは千差万別。

 同じ境遇の者が、同じものを求めているとは限らない。

 誇り。

 それは自らを律して、自信の根底にあるもの。

 そして他者を見下す台座にもなれば、忌避を受ける体臭にもなる。

 異形の瞳をもつ少女はため息をついた。

 

 

 




 自己満足感満載な話になってしまいました、すいません。
 感謝、評価お待ちしております。


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落ちた者の陰謀

 今回もまた独自設定が入ってます。
 


 

 朝早くに目が覚める。

 5時。今なら大丈夫そうだ。

 朝風呂は私の日課であった。

 しかし、今の私は今までのようにゆっくりした時間には入れない。

 誰もいない大浴場で汗を洗い流し、私は手早く自室へと向かっていく。

 バタン、とドアを閉め、一心地つく。

 ふう。

 こんな今でも、今まで続けてきた日課。

 途中で中断するのは気持ち悪い。

 加えて美容のためでもある。やめるわけにはいかないのだ。

 そして、俯きがちな視線を上にあげた。

 

「う、ウソっ。何よこれ!? ………最悪っ。」

 

 視界に移る光景。

 私は目を疑った。

 部屋を出る前はなかった筈の壁に、これ見よがしにと赤い文字で一筆。

 

『出ていけ、フェラ豚女。

 ここは崇高なるトリステイン。偉大なる始祖ブリミルの血を継ぐ人間の聖地である。

 畜生の匂いを振り撒くな。巣に戻って同胞とブロウジョブしてな。』

 

 おどろおどろしく、憎悪すら感じる落書き。

 拳を力強く握りしめる。

 胸に溜まる不純物が脳髄にせり上るかのよう。

 不快でたまらない。

 私は肩が震えるような怒りを飲み込み部屋を出た。

 舐めてんじゃないわよ。ひよったトリステインのボンクラが。

 憤怒を堪える黒肌赤毛の女学生はドアを叩き閉めると、女子寮を後にした。

 

 

 平民大規模辞職の件から翌日。 

 アルヴィーズの食堂。

 そこには、昨日より幾分豪華さが消えた朝食が食卓に並んでいた。

 召喚主のルイズは不満げな顔だ。

 しかし。隈の目立つさとりの目からすれば、それらの品々はまだまだ十分豪華と思わざるを得ない。

 今日は席が用意されている。

 どうやらまともな食事を頂けそうだ。

 

「なんか貧相になったわね。

 貴族の朝食に相応しくない外観よ。」

「舌と目が肥えると不便ですね。

 これで満足できないとは。

 貴女は十六。女性は男性に比べて早熟ですから、もう成長期は過ぎてます。

 無駄に食べるだけ横に大きくなるばかりですよ。」

「な、何適当言ってる訳っ!?

 デタラメ言わないでっ。まだまだ私はこれからなんだからっ。」

「夢を見るのは勝手ですが。

 早い内に現実を受容することも1つの手だと進言しておきましょう。

 建設的な努力をしたほうが余程健全です。」

「余計なお世話よっ。」

「私を見なさい。

 どんなに栄養を吸ってもこれ以上は成長しませんでした。

 所詮、体質なのです。

 限界は生まれ持って定められているのですよ。」

「私の限界を勝手に決めないでちょうだいっ。

 まだまだ成長するんだから私はっ。」

「百歩譲って胸はまだ大きくなるかもしれません。

 ですが、その低身長。

 望みはありません。

 鶏が飛行することを望むがごとく、脆くて儚い。

 低身長巨乳なんて種族、貴女は見たことがありますか? ないでしょう?」

「なるっ。なるったらなるのっ。

 私はあんたとは違うんだからっ。

 あんたは亜人で私は人間なんだからっ。」

「愚かしい。

 毎日必死に牛乳飲んで、それであの赤毛の黒肌女性に勝るとでも?」

「うるさいっ。牛乳は偉大なの。

 毎日毎日牛乳を飲んで、私の姉様はそれで巨乳を成したんだからっ。」

「ほう。なるほど。

 記憶からも、確かにそのようです。貴女の姉なる人物のプロポーションはまさに女性の理想体。

 貴女が不相応な希望を抱くのも無理からぬこと。

 しかしそれは悲しくも、血の分配差です。

 遺伝です。

 貴方は母方の血を色濃く継ぎすぎたようです。

 顔で分かります。貴女は母親似。

 身長を含めればやや劣化版かもしれませんが。

 加えて悲しいほどのその絶壁の因子まで。

 だから言いましょう。ルイズさん、諦めなさい。」

「黙って聞いてりゃあ、あんたねぇぇぇ!!

 自分を棚に挙げて、いちいち嫌味絡めてんじゃないわよっ。

 何なのよっ、さっきから人の夢壊しまくってっ。 

 妬んでるの?まだ成長の余地ある妬み?ねぇ?

 自分はもう望みがないからって、大人げないわよあんたっ。」

「無駄と何処か悟りながらも、希望を捨てない。

 若さゆえの諦めの悪さですね。

 それを青い情熱と成人層の者の中には羨望するものもいますが、私は見てて見苦しい。

 正直貴女の涙ぐましい努力姿を見ていると、イライラするんですよ。

 まるで過去の生き写し。

 愚かな昔を思い出させるようです。

 なのでやめてください。」

「はんっ。

 使い魔が主に命令してんじゃないわよっ。

 主が何しようが、それは主の勝手。

 口を挟まないでっ。

 図々しい。立場を今一度鑑みなさい。」

「今の貴女には希望を完全に砕かれた気持ちはわからないでしょうね。

 そして、かつての愚行を今一度、眼前で突きつけられる私の気持ちもさぞわからないでしょう。」

「わからないわねっ。

 私はそんなことになる予定なんてないんだからっ。」

「はぁ。

 近い将来、貴女はメジャーを千切ってることでしょう。

 変わらない胸囲に絶望してください。」

「ご、ご、ごご主人様に向かってなんて口利いてんのよぉこのぉ根暗ぁぁぁ!!!」

 

 普段騒がしい生徒達だが、食堂では静粛さが求めらる。そのため二人の口論はよく響き、早速教師の咎めが入る。

 なんで私が怒られないといけないのよ。

 桃色長髪の主は不満全開な顔になり、その腹いせにガツガツと料理を平らげていった。

 

「おいおい、ルイズ。

 不機嫌なのは分かるけど、その食い方は貴族としてどうよ?

 魔法どころか品性までゼロだぞぉ?」

 

 一人の男子学生が冷やかしを入れた。

 彼の名はマリコルヌ・ド・グランドプレ。

 糸目でふくよかな体型。

 丸っとした前髪が特徴的だ。

 

「うるっさいわねぇ。

 黙って黙々と食べてなさいよ。豚は無駄口叩かずに食事するものなのよ。

 知らないのかしら?

 親戚に聞いてきなさいな。きっと知ってるわ。」

「そ、そそそれは僕の体型のことを揶揄してるのか?

 してるんだな?しちゃったな?」

「揶揄? 

 あんたの祖先に豚が混じってるのは事実でしょ?

 悪口なんて品のないことはしないわよ。」

「言っては成らんことをほざいたなぁぁぁ!!!」

 

 ガタッ、と席を立つ音に、隈の目立つさとりは肩をびくりと跳ねさせた。 

 周囲もびくりと同じ様子。

 桃髪の召喚主も同様だ。

 普段はふざけ気味な素行ながらも、何処か温厚さを漂わせるマリコルヌ。そんな彼が怒涛の覇気を発したのだ。

 普段糸目の彼が目を剥いて、額に青筋を浮かばせる。

 隣にいた金髪美男子が慌てた様子で止めに掛かった。

 

「お、落ち着きたまえ、マルコ。 

 ここで君が暴れてどうする。先の貴族たれの諫言は何だったのかねっ。

 ここは留まるのだ。ルイズの思う壺だぞ。」

「止めてくれるな、ギーシュ!!

 僕の名誉だけならず、家名まで貶めたんだっ。

 この度しがたい不敬。あの身の程知らずな鼻っ柱を叩きおるくらいしないと釣り合わん!」 

「いいから落ち着きたまえ。

 血が上りすぎだ。今の君は周囲が見えてない。

 教師が目を光らせている。今に大目玉だぞっ。」

 

 ギーシュの必死の説得に、何とか落ち着きを取り戻す。ふーっ、ふーっ、と鼻息荒く、それでも「そうだな」と納得するマリコルヌ。

 事態は終息へ。

 異形の目を抱えるさとりもホッとするが、それは間違いだと悟る。

 周囲は元の静けさに戻ろうとする中、隣の召喚主のルイズは再び声を発する。

 

「一丁前に家のために怒るなんて、立派な子豚さんもいたものだわ。

 そう思わない? ねぇ、さとり?」

「る、ルイズ君っ!?」

 

 美男子のギーシュはビックリする。

 何故ぶり返すのかと言いたげな、まさにそんな顔。

 私もひどく彼に同調したい。

 

「なんでそこで私に振るんですか。

 いや、一人で虚勢張っても分が悪いから味方を増やそうとしてるのは分かります。心読めますから。

 ですが空気読んで下さい。」

「ちょっとっ。心読めるなら乗っかりなさいよっ。」

「まずは数ですか。

 まさに女性特有の悪質さ。弱者の醜さです。

 本来群がる者の本質ですから、孤高狼の貴女には似つかわしくない手ですね。

 必要な力ではありますが、時と場合によりますのでどうぞ、お一人でご奮闘なさって下さい。」

「はぁ? 使い魔がなに躊躇いなくご主人様を裏切ってんのよ!!」

「徒労は嫌ですよ。

 いくらなんでもこの空気でその振りはありません。

 いじめ返したいのは分かりますが、状況考えて下さい。」

「さとり、あんた使い魔の役割を分かって言ってんの!?

 誰のお陰で貴族の食事にありつけると思ってんのっ。」

「隣で怒鳴らないで下さいよ。

 味が判らなくなります。

 私は今、個人的には微妙なイチジクのタルトをここまで絶品に変える料理人の腕前に、喜びを噛み締めているのですから。

 分かりますか? 分からないでしょうね。

 そこの彼みたく、舌が肥え太った貴女には一生縁のない感慨でしょうから。」

「さとりぃぃぃ!!」

 

 静まりかけた騒動が勃発。

 煽りを受けた成金体型のマリコルヌも怒り心頭である。隣の美男子の必死の制止はもはや水泡と化した。

 教師の再び怒声。

 そして、さとりを含めて四人の少年少女がつまみ出された。

 

「な、なんで僕まで………」

「うぅ、悪い、ギーシュ。」

 

 美男子のギーシュは肩を落とした。

 

「同情しますね。 

 しかし、一番同情してほしいのは私です。イチジクのタルトを食べ損ねました。」

「なに生意気な文句言ってるわけっ。

 主を裏切るとか、あんた一体誰の味方の訳よっ!」

「味方なんて、状況次第では敵にも傍観者にもなりうる頼りない存在ですよ。

 信じるは自分だけ。

 あの場、貴女は一人で切り抜けるべきだったのです。」

「使い魔はご主人様に忠誠を誓って当然だって言ってるでしょうがっ。

 手の甲のルーンを見なさいよっ。それは貴女が私に仕えることを承諾した証よっ。

 学院長室で言ったじゃないっ。

 あんたはあんたの意志で私に仕えてんのっ。

 契約違反は許さないんだからねっ。」

「変なところで正論突き付けてきますねぇ。」

 

 座学の秀才は伊達ではない。

 頭は悪くないのだ。

 ルイズの弁舌に辟易していると、一緒に摘まみ出された男子学生二人がルイズに詰め寄った。

 金髪美容姿のギーシュと、丸っとした体型のマリコルヌだ。

 

「どうしてくれるんだ、ルイズ君っ。

 折角収まったというのに、君が空気を読まず不用意に中傷するからこんなことになったんだ!」

「何よっ!

 先に中傷してきたのはそこの風邪引きのマルコでしょっ。

 悪いのはそっちよ!」

「ま、また悪口を言ったなぁっ。名誉毀損だっ。

 ゼロのルイズが調子に乗るなよっ。」

「お互い様でしょうがっ。」

「いいや、あそこで君が下手に煽らなければ、こんなこにはならなかった筈だ。

 やられたらやり返す。道理だよ。

 だけど、あそこまでの執着は見苦しい他ない。

 謝罪したまえ。」

「そうだそうだっ。空気を読めよっ。ゼロのルイズっ。」

「はぁ? あーやだやだ。

 空気を読めとか、誰々が可哀想だろとか、そういうこと言っちゃう人。

 他人をダシにして自分を守るやつ。 

 自己保身の醜さががっつり見えちゃって、ああうざっ。」

「言ったなぁぁぁ!」

 

 収集がつかない。

 どっちが先とか、どっちが酷いとか、どっちが悪いとか。もはやそういう次元の話ではない。

 正義はない。

 正当性はどちらの手からも零れ落ちてしまっている。

 喧嘩両成敗だ。

 正確に言えば、騒いだからここにいる。

 濁った瞳のさとりがウンザリげに見ていると、美男子のギーシュが話を振った。

 

「君っ。そこの使い魔君っ。

 欠伸をしている暇はないだろうっ。

 君の方からも言ってやってくれたまえっ。」

「何をですか。

 そもそも私は使い魔ですので。

 忠誠を誓う私には、主に口を挟む権利はないのですよ。

 よって、私の仕事は黙って見守るだけです。」

「さっき思いっきりルイズ君に対して文句を飛ばしていたじゃないかっ。

 こういう時だけちゃっかり使い魔の役割をひっぱり出すのはやめてくれっ。」

「そうよっ。あんたずっこいのよっ。

 つうか、見守るんじゃなくて擁護をしなさいっ。」

「擁護できる点がないので、必然的に見守るしかないのですよ。」

「なら主のためにも諫言したまえっ。」

「忠誠深い私には恐れ多いことですよ。」

「もはや悪意しかないぞ、その発言っ。

 忠誠は決してルイズ君が常、口にしているようなものではない。

 盲目的な味方はただの傀儡。忠誠とは別物だ。」

「違うわよっ。

 真の忠誠はどこまでも主に付き従うものなのよっ。

 使い魔はいつでもどこでも、主の御心のままに動くの。主の心とともにあるべき存在なのっ。

 絶対なる主の味方。

 それすらも解らないなんて、グラモン家の教育も程度が知れてるわねっ。」

「まことしやかに言いおって。洗脳の域だ。」

「真の言葉よっ。

 そもそも、私は悪くないんだからっ。そっちが謝りなさいよっ。」

「半分合って、半分間違ってると言ったところですね。

 真の味方と、傀儡の危険。

 忠誠の二面性故に難しいところです。」

「使い魔君っ。

 主と使い魔は生涯の相棒と呼ばれ、尊重し合うことが重要と指導されるが。実際は確固たる上下関係がそこにある。

 しかし、君は亜人。他の使い魔に比べて知性がある。会話ができるのだ。

 対等に立つ資格がある。

 真の忠誠を誓うなら、ルイズ君のためにも言ってやってくれたまえっ。」

「素晴らしい高説ですね。感動的です。

 これが講演であれば万雷の拍手ものですね。」

「ちょっと、さとり!?」

「ですが無意味、と言いましょう。

 経緯が経緯なだけに、所詮自尊心のぶつけ合い。

 優越を得るためだけの謝罪の取り合いは不毛で仕方ありませんね。

 

 ……なので、私帰ります。」

「ちょっとぉ、さとりぃどこ行くのよぉぉ!!」

 

 主のヒステリーが背に響く。

 馬の耳に念仏。今の桃髪の召喚主は負けん気が天井破りな状態だ。

 何を言っても無意味に帰すことは明らか。

 異形の目をもつさとりは、主を背にスタスタと歩いていく。

 

「やーい、やーい。使い魔に見限られてやんのー。」

「きーっ、うっさいうっさいっ。

 風邪っ引きのマルコの癖にっ。

 元はと言えばあんたが元凶でしょうがぁぁ!」

 

 やや呆れ気味にため息を吐く。

 少年少女の喧騒が木霊し、石造りの枠から入る朝日が眩しい。

 澄み渡った晴天。

 散歩にでも洒落込もうか。

 隈の目立つ使い魔はその場を後にした。

 

 

 

 学院の中庭。

 そこには数多の使い魔達がたむろしていた。

 学院内は狭い故に、使い魔達は外で待たされているのだ。

 不憫なことである。

 そう思うさとりは、ある使い魔と向かい合っていた。

 

「ほう。そのような訳が。

 大変だったのですね。」

 

 同調するさとり。

 眼前には、理解を得られたことに喜びを表すような動作をする魔物が一匹。

 一つ目の眼球の魔物だ。

 独りでに浮遊し、硬質そうなブルーベリー色の皮膚を持つ。

 そして身体中から数多の触手が生え、その先はヒルのような口。

 種族はバアルアイと言うらしい。

 雄のようで、ルイズと同じ同級生に仕えているようだ。

 

「触手の数が少ないことで仲間から虐められていたのですね。

 百匹とは、凄まじい大所帯ですね。

 おや、そうですか。

 親、もしく首領ですかね。訴えても耳を貸してくれないと。

 酷い仕打ちですね。

 悪性の魔物がどうして人に付いているのか不思議でしたが。そのような魔物事情があったのですか。

 貴方も大変だったのですね。」

 

 一つ目魔物のバアルアイは頻りに頷き返す。

 彼の記憶が私に流れる。

 この一つ目魔物は、上位種である一匹の大型に集団でまとわりついていく生態のよう。

 洞窟が縄張り。

 そして、集団の中にはカーストがあった。

 同じ個体ながらも、触手の数が地位に反映する体制。

 彼の地位は底辺であった。

 彼は身体的特徴を理由に虐めを受けたのだ。

 苦しい。

 辛い。

 惨めだ。

 そうやって沈んでいたところに鏡のような光。

 サモン・サーヴァントであろう。

 彼は何となく、それが自身にとっていいものではないことを察知していた。

 人間世界への扉だから当然である。

 しかし、彼は一縷の望みを託して飛び込んだのだ。 

 

「え? 触手の多いやつはモテて、憎たらしくて堪らない?

 そうですか。

 人で言う、スクールカーストというやつですかね。

 大丈夫ですよ。そういうのは今だけですから。

 大人になったら実力主義です。見た目は良くても、能力が備わってなければ下に見られますよ。

 まぁ、つまりは往々にして余計に苦しくなるのが多いですがね。

 え、慰めになってない?

 慰めが下手ですいませんね。

 はぁ。魔物事情も人間染みたところがあるのですね。」

 

 濁った目を持つさとりは、他の使い魔達にも話掛ける。魔物もちらほら見掛けるが、基本的には動物種のものが多い。

 さとりは動物が好きだ。

 濁った瞳の少女は心持ち、ややうきうきとしていることを自覚した。

 どうやら使い魔達はサモン・サーヴァントの恩恵のせいか、一定の知性を持ち合わせている。

 普通の動物よりも警戒心がなさすぎだ。

 だが、人間特有の裏表はない。

 いいことである。

 そんな中、使い魔達の中には極僅かであるが人型のものも見られた。

 皆魔物であるが。

 

「ほう。

 住んでいた海峡には雄がいなくて困ってたと。」

「………そ………う。」

 

 人型魔物の1人、スキュラだ。

 女性姿で、下半身が6つの大蛇のような尻尾。その先端は犬の頭部が付いている。

 下半身だけでなく、上半身も鱗で部分的に覆われていた。

 恥部は隠されており、裸は辛うじて避けている。

 だが痴女といっても過言じゃない。

 一緒に連れている主は大変だ。

 

「加えて人間も全く寄らないから、絶滅の一途を辿っていたのですか。

 それはまた厳しい事情のようで。」

「………ひか……り……」

「え? 婚活のために他の場所に向かっていたら変な光に入ってしまったのですか。

 きっとサモン・サーヴァントですね。

 というか、婚活とはまた世知辛いですね。嫌になりませんか。」

 

 知性は人間並みだが、言葉は人語ではない。

 そのため人語を発声しようと努力しているが、まだまだ拙い様子だ。

 

「……………ら………きー」

「でも雄と会えてラッキー?

 ポジティブ思考ですね。相手は人間ですよ。

 普通は同族を求めると思うのですが。」

 

 主が男子とは。

 前途多難な付き合いは確実である。

 痴女のような使い魔を常に隣に同伴させるのだ。

 白い目で見られることは間違いない。

 隈の目立つさとりはやや同情する。

 

「………け………こん」

「将来的には結婚を打診するですって?

 異類婚姻譚とは、また何とも壮大な。

 難しすぎませんかねぇ、越えるべき障害が2桁はありそうです。」

「…………ま………け」

「話した感じとても優しそうと。

 なるほど。確かに見る感じ、温和な雰囲気のようで。こんな雄とは二度と巡り会えない。どんな障害に負けないと。

 なんと確固たる心意気。

 貴女の努力が将来報われることを、心よりお祈りしますよ。」 

「……………こと…ば」

「へぇ。

 毎夜二人きりの言葉の勉強が楽しいと。

 見た目に似合わず、とても初々しい乙女な心をお持ちなのですね。

 幸せそうな笑顔と妄想を垂らしてくれるじゃないですか。

 いいノロケです。

 速やかに爆発してください。」

 

 彼女の召喚主への同情は完全に消えた。

 下手な妄想を見せ付けられた手前、憎悪すら沸きそうである。

 濁った瞳を持つさとり。その瞳の濁り具合が更に悪化する。

 そしてぶつぶつと呟きながらその場を後にすると、ある人影が視界に入った。

 

 赤毛の黒肌の女性とメイドの使用人だ。

 赤毛の方はツェルプストー家のキュルケである。

 二人は人目を忍んでこそこそと相談事。

 

「じゃあ、あの中庭に例の一年の子を連れてきて頂戴ね?」

「はぁ。」

「あと、時間は昼食の時だからね? ギーシュの伝言、忘れちゃダメよ。」

「で、ですが……」

「心配しないで。貴女には何も危害は及ばないわぁ。

 ほら、これで…………ね?」

 

 そう言って、赤毛のキュルケは小袋を握らせる。 

 カチャリと音がした。

 状況的には賄賂なようだ。

 使用人の女性はごくりと喉を鳴らす。

 

「わ、わかりました。」

 

 了解の意を告げると、使用人の女性は去っていった。

 黒肌のキュルケは腰に手をつき、彼女を見送る。

 ニヤリ、と悪そうな笑みが見えた。

 異形の目を持つさとりは彼女の前に歩み出た。

 

「人目を盗んで内緒話ですか。

 悪い雰囲気が匂いますねぇ。」

「あ、あんた、ルイズの。何でここにっ!?」

 

 凹凸盛んな体を持つ彼女は、さとりの姿を見るなり酷く動揺する。

 どうやらこの間の一件で苦手意識があるようだ。

 私は構わず続ける。

 

「青春時代とは得てして美しいものではありません。

 ティーンエイジャーは自己同一性に常に悩み、自分探しの旅に出ますが。

 その行き先は往々にして悪の領域。

 悪に魅了され、悪を利口と履き違え、悪をクールと勘違いして。

 悪ぶった態度を重ね続ける。

 それがいつしか遊びじゃすまない領域に入ることを知らずに。

 貴女もそれらの類いでしょうか?

 何やら陰謀の匂いがしますが。」

「あんたには関係ないことよ。話す義理はないわ。」

「そう邪険にしないでください。

 私も一応反省しているのです。」

「ふんっ。あんたが反省したところで、私には一文の得にもなりゃしないわよ。

 本当に悪いと思ってるなら、私の視界に入らないように努力してくれないかしら?」

「おや、まるで女王様のような口振りですね。

 学園のマドンナであったのは既に過去の栄光。

 今の貴女には余り似合わないと思いますよ。」

「あ、あんたねぇっ、一体何しにきたわけ?

 あたしとあんたの間には話すべきことなんて何もないわっ。

 あっち行ってよっ、気持ち悪いっ。」

「申し訳ないです。

 私のせいで、貴女は随分立ち位置が悪いようですね。

 あの件が貴女の弱みにもなってしまいましたか。」

「あ、あんたまた勝手に心をっ。」

 

 キュルケの瞳はつり上がり、憤怒に燃えた。

 言われたくないことを口にされた。

 指摘されたくないことを指摘された。

 何から何まで見透かされる。

 ヘドを盛大に吐き捨てたい不快感だ。

 親の敵でも見るかのように、私は目の前の少女を睨み付ける。

 

「焦燥が顔に出てますね。

 それは不都合を抱える証であり、貴女を狙う狩人。

 後ろ暗い経歴を持つものは常に追われ続け、贖罪の矢に穿たれる。」

「何が言いたいのよっ。」

「ルイズに代わって、今度は貴女が虐めのターゲットですか。

 主に女子中心のようで。

 男を虜にするのが貴女の宿命ですから。

 代償として、女性から好かれなさそうですね。

 ここぞとばかりにやられましたか。」

「その口、焼いて塞いでやろうかしら。

 口から出るもの全てが無駄。私、無駄なものは大嫌いなのよ。」

 

 声を一段低くして、ドスを利かせた声を向ける。

 燃えたぎる激情に反して、声は酷く冷酷。

 こんな声を出したのはいつぶりか。

 完全に切れる一歩手前であることを自覚する。

 

「安心してください。

 私は別に貴女の邪魔をする気はありません。」

「は、はぁ?」

「わざわざ虐めを手助けするような趣味はないということです。

 今の貴女は弱者に立っています。

 その地位から脱したいと願う気持ちは当然でしょう。

 蹴落とされたなら尚更です。

 過去の栄光とは誰もが今一度と願うもの。

 何とか現状を打開しようと、貴女はあれこれ考え奮闘している。

 邪魔する理由がありません。」

「だ、だったら」

「たとえそれが他人を貶める手であろうとね。」

「…………ちっ。」

 

 忌々しげに顔を歪めた。

 なら、一体この薄気味悪い少女の目的は一体なんなのであろうか。

 隈の目立つ瞳の分、余計気味が悪く感じる。

 

「目的ですか。

 まぁ、強いて言うなら、ルイズさんの冷やかしは控えてもらおうと注意しにきたのですが。

 無駄に癇癪を起こされるのは迷惑ですから。

 しかし、その様子だと無駄足だったみたいですね。」

「言ってくれるじゃない。」

「彼女は貴女の冷やかしが特段気に障ってたようですのでね。

 しかし、貴女も貴女ですよ。」

「はぁ? どういう意味なわけ?」

「相応しい好敵手であれと、仇敵の相手を馬鹿にして激励するなんて。

 意地悪だけど、実は性根はいい人とかいうやつですか?」

「ちょっ、ちょっとあんたっ。」

 

 手をあげる。

 それ以上は言わせまい。

 しかしそんなことなどお構い無しに、眼前の気だるげな少女は毒を吐き続ける。

 

「一体何の冗談ですか。

 人は皆いい人ですよ。都合のいい人に限りますが。

 ですが、ここまで典型的ないい人を演じるなんて、何とも不器用なことです。

 ピアノやバレエの意識高いコーチか何かですかね。

 将来的に、嫌みな嫌われ講師としての才能があるかもしれませんよ。」

「あ、あんたねぇぇぇ!!」

 

 黒肌のキュルケは赤面して、怒鳴り返した。

 誰も知るはずのない心を指摘された。

 羞恥を顔をだすまいと、目を鋭くする。

 ヴァリエール家とは長い間争い続ける仲。

 ルイズは仇敵だ。

 魔法の才能がない彼女が私の敵になるなどあり得ない。相応しくない。美しくない。

 故に、少しでもやる気を起こさせようと茶化して尻を叩いてきた。

 それは確かだ。

 しかし。

 そんなことは誰にも話したことなんてない。

 一度もない。

 好敵手と力を高め合うなど、そんな青臭い話。他人に指摘されるなど赤面もの以外の何物でもなかった。

 眼前の少女を有らんばかりに睨み付ける。

 

「怖いですよ。夢に出てきたらどうすんですか。」

「呪ってやるわ。」

「はぁ。

 温かい心があるようですが、いかんせん意識高い系なため迷惑千万ですね。

 そもそも激励の効果など皆無のようですし。

 何とかなりませんかね、それ。」

「あ、あんた。一度ならずに二度までも。

 焼いて消し炭にしてやるわ!!」

「規則違反で故郷に強制送還ですよ。」

「~~~っ」

「これ以上ここにいたら、精神衛生的に宜しくなさそうですね。

 では、失礼します。」

 

 異形の目を持つ少女は足早と去っていく。

 残ったのは赤毛の女性1人だけ。

 羞恥。

 圧倒的羞恥。

 それはもはや怒りに等しい。

 言われずともわかっていることをわざわざ指摘された。わざわざ口に出して評価された。

 そんな時に生まれる苛立ちと不快感。

 人前であれば激情していたであろう。

 恥を抉られたことに、私は髪を振り乱して頭をかきむしる。

 あの憎き少女はもういない。

 その後、中庭では咆哮が響き渡った。

 

 

 




 中々話進まなくてすいません。
 やや冗長すぎるような気がしてきますね。
 感想、評価待ってます。


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決闘の前菜

 キュルケが憎まれ役になってしまいました。
 人によっては不快かもしれません。ご注意下さい。


 時間は正午。

 さんさんとした太陽が空の頂を座する時。

 今日は学院中庭での食事だ。

 授業の方針で、呼び出して日の浅い使い魔とのコミュニケーションの一環である。

 今は食後のティータイム。

 桃髪の主と円形テーブルを挟んで紅茶を含む。

 濁った目をするさとりはふぅ、と小さく息をついた。

 

「私はコーヒーが好みですが、紅茶もやっぱりいいものですね。

 サッパリしてて落ち着きますよ。」

「あんたコーヒー派なんだ。私は紅茶派だわ。

 コーヒー苦いし。

 ブラックとかエンガチョね。」

「わざわざブラックを飲む必要はないと思いますが。

 私も砂糖とミルクで調整しますし。

 経済的にも優しいですし。」

「経済的?」

「私の領地では紅茶の茶葉が高値でしてね。

 コーヒーの種の方が幾分安く手に入るんです。」

「貧乏臭いわねぇ。

 安いからそっち飲むとか、貴族としてはあり得ない判断ね。

 品格が知れてるじゃない。」

「気位高い者の特有のお言葉ですね。

 気に入らないものは全て下品。

 物事全てを品格の問題にくくりつける辺り、ルイズさんも中々のマダム気質なことで。

 三十年後の空振った高貴なケバさが目に浮かびます。」

「なあんですってぇぇ。

 貴族の矜持を今侮辱したわねぇ!?

 不敬罪よっ、不敬罪っ!」

「どこの癇癪持ちのハートの女王ですか。

 貴女が女王でなくて、この国の兵士達は大変幸せ者ですね。

 貴女であれば、何かにつけて癇癪を起こして「首を切れ」と言いそうで恐慌ものですよ。」

「どこの暴君よっ。

 私はそこまで落ちぶれてないっつうのっ。

 そもそもあんたは女王の何たるかをわかってないわっ」

「ほう。

 特段、女王については独自の持論をお持ちのようで。」

「女王は単なる傲慢ではなれないわ。

 国の責任を担ぐ強かさ。

 そして国民を思う寛大な器が必要なのよ。

 女王を成すためには生まれもった血と才知、そして洗練された政治経済学。

 これら全てが不可欠よ。

 私らのような凡才な器だけの人間では女王にはなれない。相応しくないの。  

 おわかりかしら?

 女王は生まれもっての器と教育の磨きが物を言うのよ。

 女王は正義なの。

 全ての者に慕われるの。

 断じて、己の勝手で人の首を飛ばすよう輩にはなれないのよ。」

「私としては何故そこまでの立派な持論を持ちながら、自分のことになると安い品格問題を持ち上げるのか、理解に苦しむのですが。」

「うっさいっ。それとこれは別なのっ。」

「変にプライド高い癖に自分のことを凡才と言えるのですから、多少は慎んではどうです。

 特にその凝り固まった貴族思想とか。」

「はんっ。

 安いコーヒーばっかり飲んでるやつに、貴族の在り方を語られたくないっつうのっ。」

「お金に余裕はないものでしてね。必然的にも経済的に優しいコーヒーばかり飲むようになってしまったんですよ。

 私としては貴族を語るなら、領主の悩みも知ってもらいたいですね。」

「何が領主よ。宮殿に住んでるとか聞いたけど、そんな財政圧迫されてるようじゃ腕が知れてるわね。」

 

 向かいの召喚主は「はんっ」、と鼻を鳴らして腕を組む。

 そして、しばらく。

 何かを思いついたのか、顔を愉快そうに歪める。

 桃髪の彼女は優雅な所作でコップを持ち上げた。

 

「仕方ないわ。

 貧相な使い魔を哀れんで紅茶の嗜みの一つでも教えてあげようじゃない。」

「はぁ。」

 

 濁った瞳をするさとり。

 ジトリとした半眼で曖昧に頷いたが、桃髪の召喚主はそんなことは気にしない。

 気分良く声を高くする。

 

「紅茶には種類があるのよ。

 産地の茶葉だけを使用したストレート。

 複数の産地の茶葉を混ぜたブレンド。

 そして、そのストレートやブレンドに香りを付けたフレーバーの3種よ。

 お分かり?」

「は、はぁ。」

 

 カップを鼻に近づけて香りを嗅ぐ。

 うーんと唸って、ため息を一つ。

 かぐわしい香りだと言いたげな顔だ。所作の一つ一つに芝居掛かった優雅さがある。

 

「この紅茶はストレートね。

 一流の貴族は色と匂いだけで紅茶の種類もわかるのよ。

 分かるかしら?」

「……なるほど。」

 

 そして、ためにためて。ごくりと一口。

 

「この味、この独特な香り。間違いないわ。

 これはダージリンね。

 流石が貴族の魔法学院。紅茶もいい茶葉を使って…」

「いやこれアッサムのようですよ。」

「ぶはっ。」

 

 口に含む紅茶を盛大に吹き出す。

 汚ない。

 うわぁ、と真向かいの私は嫌そうに口を隠した。

 

「あ、ああんたっ、いきなり何言ってんのよっ。

 適当こいてんじゃないわよっ!?」

 

 桃髪のルイズは、これでもかと言わんばかりに怒鳴り散らす。

 しかし私はやれやれと首を振った。

 目の前の召喚主が哀れでならない。

 

「私を根拠もなく、ただ意地で反論する無能な政党議員とおっしゃりたいので?

 意地は無能の始まり。

 私の信条に反します。

 紅茶の味は区別できませんが、私は心が読めるのです。

 適当ではありせんよ。

 周囲の声に聞きました。

 この紅茶は他の学生にも同様に配られているようですね。

 紅茶を入れた、そこの使用人もこれはアッサムと言っています。」

「ええっ! あ、あのっ、そのっ。」

 

 近くにいた使用人の女性が慌てだす。 

 そして、早口で謝罪やら用事やらの旨を述べると、早足で去っていく。

 やや場慣れしているようで、とても流暢だ。

 

「………………」

 

 唖然。

 桃髪の主はただただ走り去るその背中を見つめる。

 なんて気まずいことか。

 濁った目をするさとりは励ましのフォローを送るべく言葉を紡ぐ。

 

「落ち込むことはありません。

 恥は教訓。

 この失敗は必ずや成功へと転じましょう。

 貴女次第という条件がつきますがね。

 得意の知識を語るのは誰であっても気分のいいことです。

 悪くはありません。

 ただしかし、知識は確かですが幾分経験が足りないようです。

 知ったかぶりにはよくある末路です。

 気にしてはなりませんよ。」

「……下手な同情はいらないわ。」

「要らないのですか?

 遠慮はしなくて結構ですよ。

 無理はよくありません。

 この状況。ここで貴女に貰えるものはフォローか嘲笑。そのどちらかです。

 この後はきっと沢山の笑顔が贈呈されます。

 数少ない同情は貴重なもの。

 意地を張らずにとっておきなさい。」

 

 クスクス。フフフ。

 周囲から含み笑いが生まれてくる。

 口を抑えている者が大半。

 一部の者に至っては無遠慮にテーブルを叩いている。

 召喚主のルイズはわなわなと肩を震わせ、使い魔のさとりを睨み付ける。

 

「……よくもぉ………よくもご主人様に恥を掻かせてくれたわねぇ。さとりぃ。

 覚悟は出来てんでしょうねぇ。」

 

 その目つき。もはや殺人鬼もかくやと言わんばかり。

 冷や汗が垂れる。  

 

「やめてくれませんかね、その目つき。

 殺人の意を決した犯罪者ですよ。見られるだけで殺されてしまいそうです。

 人は外見で判断してはいけないといいますが、それは間違いでした。

 今の貴女はその顔で判断せざるを得ません。

 かのメドゥーサでも石が精々だというのに。命までとりますか。」

「あ"あん?

 またごちゃごちゃと知らない知識を引用してんじゃないわよ。

 今日という今日はほんっとうに許さないかんねぇ!」

「ま、まぁまぁ。

 メドゥーサとは蛇頭の怪物女性です。

 傲慢は罪。不遜は破滅の終幕を運命付ける。

 それを示す神話です。

 貴女のような傲慢さ故に、怪物に…」

「そんなこと、聞いてない……わ………よぉぉぉぉお!!」

 

 円形テーブルが宙を舞う。

 眼前には般若顔の召喚主。その両手は何かを持ち上げたように振り上げている。

 そして、けたたましい凶音。

 テーブルが引っくり返り、茶器が割れたのだ。

 

 落ちる静寂。

 

 私は濁った目をパチクリとさせる。

 手に持つコップをどこに置いたらいいのか分からない。

 私の眼前。ルイズは変貌を遂げた。

 蛇の如く髪が逆立ち、目が血走っている。

 どこの変身物語か。

 狂人と化した鬼が肩を鳴らし、そして私に向かってゆっくりと歩みを進めた。

 

「る、ルイズさん。冷静になりましょう。

 万事の成功は冷静が秘訣と言います。

 貴女は人間。

 猿ではありません。

 ここは人としてお互いに話し合うべきと進言します。

 貴女もそう思いませんか?」

 

 しかし彼女は止まらない。

 憤怒の形相が歩みを進める。

 

「る、ルイズさん。何度も言いますが、暴力は恨みしか生みません。

 下劣の極み。

 後の無くなった者の惨めな抵抗。

 舌の使えない癇癪持ちのチンピラの手法です。 

 暴力は力とよく誤解しますが、そうじゃありません。

 不当な力故に、暴力は暴力足り得てしまうのです。

 貴女は賢い人。

 わかりましたらその無益な拳を収めなさい。

 これが最後の品格です。

 貴女は貴族。

 貴族は忠犬な使い魔に暴力で報いると?

 真なる貴族は首を振ります。そうでしょう?

 貴女は癇癪持ちに見栄っ張り。ですが空っぽな頭ではありません。

 親の七光りでもありません。

 座学の勤勉さはまさに本物。貴女の傲慢さには確かに裏打ちされた実力がある。

 先程の知識もそうでしょう。

 私の知らない確かな知識でした。

 傲慢は高貴。気位の極地です。

 認めましょう。

 しかし、そこには品格が伴います。

 その振り上げた拳には、果たしてそれがあると言えるでしょうか?

 知性の残るその表情。貴女ならきっと『ない』と答えると信じています。

 ふり下ろす拳とともに、貴女の品格は糞便まみれる地に落ちるのです。

 安心なさい。

 貴女は不安なだけ。

 貴族たる品格とは、その在り方にあるのです。

 決してその貧相な振り上げた拳にはありません。

 知性まともなルイズさん。貴女ならもうお分かりのはず。

 さぁ、私と仲直りの証をつくりましょう。」

 

 凄まじい早口。

 そして、隈の目立つ使い魔は朗らかに微笑んで見せた。

 ハグされるのを待つかのように、自然体に腕を広げる。

 見れば、ルイズは先程とは随分違う様子。

 振り上げた拳はおろし、逆立った髪も鳴りを潜めている。

 その表情。菩薩の如く穏やかだ。

 天使が降りたような微笑みに、私の心が震える。

 私の思いが伝わったのだ。

 そして、ルイズと私は絆を固めるハグを交わす。

 

 暗転。

 

 九死に一生を得たなど、そんな甘い奇跡はこの世にない。

 起きるときは起きるのだ。

 乙女心は秋の空。

 人の心は気流と同じく変動する。

 少女の心は一変した。

 ハグを交わすなど幻想だ。そんな光景はまやかしである。

 

「死ねぇぇぇぇええぇぇぇえええ!!!!!」

 

 突き抜けんばかりの渾身の右ストレートがさとりの頬を容赦なく抉った。

 宙を回転し大地に転げる。

 

「なぁにが仲直りだってぇ!?

 あんだけ人様を貶しくさっといてっ。

 それを水に流せって言ってるわけぇ?

 どの口がそんな虫のいいことを言えんのよぉ、このド腐れ使い魔ぁ!!」

 

 肩を使った荒い息。

 全力で殴り切ったルイズは、再び悪鬼の形相へと顔を戻した。

 よろよろとさとりは立ち上がる。

 その瞳は涙目。

 私は殴られた頬を抑え、在らんばかりに睨み返す。

 

「よ、よくも殴りましたねっ!

 貴族の品格を謳いながら、使い魔の私にこんな暴力っ。貴族の風上にも置けませんっ。

 私は貴女を過大評価していたようですっ。」

「甘えたこと言ってんじゃないわよっ。

 減らず口ばっかり叩いちゃって、何のお咎めもないとお思いかしらっ?

 だとしたらめでたい頭してるわねっ。」

「身から出た錆びじゃないですか。

 人は往々にして自らの恥を認めたがらない。

 常にその先は逆上ばかり。

 貴女はまさしくその典型ですっ。

 全く、進歩のないお人ですねっ。」

「なぁに自分を棚に上げていってんのよっ。

 そうやって偉そうに講釈垂れても、あんたが主人を中傷した事実は消えないんだからねっ。」

 

 憤怒をたたえたルイズが自身の使い魔に飛び掛かる。

 ひたすら殴り、鬱憤を晴らす。

 その応酬は一方的だ。

 使い魔のさとりは防戦一方。

 耐えきれず、ヒステリックな声で抗議を上げる。

 

「痛い、痛いですって!

 この野蛮人っ。どうしてこんな酷いことが出来るんですかっ。

 人として信じられませんっ。」

「あんたの憎まれ口の方が信じられないっつうの!

 どうしたらそんなにひねくれるのかしらねっ。

 これは躾よっ。

 観念しなさいっ。」

「これを躾ですって?

 そう言い切る神経を疑いますよ。

 動物愛好家として断じて認められませんっ。」

「はんっ。自分を犬と認めるなんて殊勝なことね。

 キャンキャン嫌味くさい犬っころは躾して当然っ。

 騒音公害よっ。

 あんたが雄だったら去勢してるところよっ。」

「なんて野蛮。

 下劣ですっ。

 とうとう貴女の本性が表に現れましたねっ。

 その賎しさこそが貴女の本質。

 今こそ恥を知りなさいっ。」

「これ以上人様に恥の上塗りさせんじゃないわよっ。

 こんのぉ嫌味ったらしぃぃぃ!!」

 

 ヒステリーの伴う応酬。

 キャットファイトもかくやと言わんばかりの勢いだ。

 流石に不味いと、周囲の同級生達が止めに入り、何とか終息。

 判断が遅ければ、ルイズは怒りに任せて杖を振り上げていたに違いない。

 学生達はどっ、と疲れた。

 美男子のギーシュ・ド・グラモンもその一人。

 

「はぁ、全く。雅じゃないよ、もう。

 とうして僕がこんなことをしなくちゃいけないんだ。」

「文句言わないでよ。男なんだからしっかりしてよね。女手だけじゃ手に余るわ。」

「そうよギーシュ。

 ゼロのルイズをあのままにしてたら私達まで巻き込まれてたわよ。」

 

 何気なしに呟いた言葉。

 赤髪のキュルケと金髪のモンモランシーが反応を示す。

 疲れているのか。二人の声には覇気がない。

 僕も疲れてるよ。

 

「誰がゼロのルイズよっ。

 お漏らしのモンモランシーは上の口も弛いみたいね。

 おしめ突っ込むわよ。」

「渾名が悪化してるじゃないのよっ。

 ぶっ飛ばすわよっあんたっ!!」

「ぼ、僕の美しい薔薇よ。どうか落ち着いてっ。

 ここで騒いだら何のためにルイズ君達を止めたのかわからないよ。」

 

 金髪のモンモランシーを羽交い締めして、必死に制止をかける。

 桃髪の同級生の口の悪さが目に余る。

 いつからこんなに口汚くなったのか。

 何気なしに、ピンク髪の使い魔へと訝しげな視線を向ける。

 

「きっと親の教育が悪いに違いませんね。

 お里が知れるとはまさにこのこと。

 彼女の癇癪持ちもそこから来たに違いありません。」

 

 恨みがましそうな目付きを桃髪の主に向けてそう言い切るさとり。

 心底そう思っている顔だ。

 金髪を揺らす僕はやや苦い顔をする。

 大人しい雰囲気のピンク髪の使い魔も、今回は中々ご立腹のよう。

 主が主なら、使い魔も使い魔。

 サモン・サーヴァントの特性とでもいうのか。

 類は友を呼ぶ。

 彼女らの人間性は対極のようで近しいのかもしれない。

 

「……どう見ても君の影響だよ。

 口の悪さが伝播するなんて。俗に言う彼女の悪友にでも当たるのかな君は。

 君が来てから、ルイズ君の品性は本当にゼロになりかねないよ。」

 

 ピリピリした空気が緩和する。

 頭が冷えたのか。

 一触即発の空気が去り、異形の目を持つさとりはホコリを払って立ち上がる。

 

「ふぅ。

 取り乱してしまったみたいですね。

 お騒がせしました。」

「全くだよ。」

「本当ねぇ。私達が居なかったら呼び出しものよ、これ。」

 

 黒肌のキュルケは心底うんざりしている様子だ。

 金髪で胸を開けている僕は、取り敢えず薔薇を口にくわえて、前髪をかきあげた。

 

「力仕事は僕の領分じゃないことが改めてわかったよ。

 人には向き不向きがあり、適材適所が肝要なんだ。

 そもそも、この場に最も適材らしきマルコが何故悠々自適にデザートを食べているか。

 僕はそれを問いたいね。」

 

 ため息混じりに視線を向ける。

 見れば、ふくよか体型のマルコは離れたテーブル。モシャモシャとデザートと格闘中だ。

 

「すまん。離れてたし、近くの誰かがやってくれるかなって。」

「他力本願だね。面倒は他人に任せる。

 まさに高見の見物は貴族の特権だ。

 楽観主義の僕も是非ともそうしたかったよ。」

「だらしないわねぇ。

 いい男はぐちゃぐちゃ言わずにズバッとやっちゃうものよ。

 トリステインの男はいつからこんなに貧弱もやしになっちゃったのかしらねぇ。」

 

 キュルケの冷やかしに、ギーシュの目が細まる。

 

「発言には気をつけたまえよ。

 何を言っても許される女王はとうの昔のことなのだからね。

 栄光は既に君の手から落ちている。」

「はぁ?

 別に本当の事を言ったまでなんだけど。

 だらしないのは事実じゃない。

 図星指されて腹でも立ったわけかしら?」

「自らの立ち位置を弁えたまえと言っている、ゲルマニアン。

 これまでのように、君の発言を看過する者はもういない。

 振る舞い一つが君の今後を決定付ける。

 用心したまえ、勘違いした女王気取りは更に敵をつくるだけだからな。」

「鏡を見れば? 鏡は素直で常に正直よ。

 本当に勘違いした道化は一体誰なのか教えてくれるわ。

 薔薇の優男さん。」

「ゲルマニアンが言ってくれる。」

「はっ。

 差別発言のつもり?

 人が悪いことねぇ。

 トリステインの紳士としてどうなの? そこんとこはさ?」

「何を今更。

 トリステインの差別は君からだ。

 記憶くらいはしっかりしたまえ。

 野性人との会話かこれは。話が通じているのか不安になるじゃないか。」

「はっ。ドットの格下が言うじゃないの。

 トリステインのひよっこは口だけは立派よねぇ。」

「……いつになく突っ掛かるじゃないか。キュルケ君。」

 

 金髪の優男と赤髪の美女は無言で睨み合う。

 沈黙が二人の間に降りてしばらく。

 興ざめした。

 否。ここで争うのは得策はない。

 金髪をかきあげ僕の方から身を引いた。

 これで事態は収まるだろう。

 しかし、そこに一つの声が掛かかった。

 

「ギーシュ様ぁぁ!」

「け、ケティ!? どうしてここに!?」

 

 茶髪で小柄な少女が愛しげに声をかけ、金髪の優男へと駆け寄った。

 彼女はルイズ達の後輩にあたる。

 手には何やら手提げの籠。

 そして後から使用人の女性が続いて駆け寄った。

 

「え?

 どうしてって。ギーシュ様がお呼びになられたのではなくて?

 昼食を一緒にしようって。

 こちらの使用人さんからそう聞きましたよ?。」

「へ?」

 

 訳がわからない。

 ケティの事情と僕の記憶に矛盾がある。

 初々しげに微笑む彼女と引き換えに、ギーシュの脳内は混乱が支配した。

 混乱を何とか飲み込み、疑念の視線を使用人に向ける。

 使用人の女性は一向に視線を合わせる様子がなく、常にその目は何処か泳いでいた。

 

「昼食を共にできて嬉しいです。

 私、手作りのサンドイッチをお持ちしましたの。

 是非ともお食べになってください。

 お口に合うかはわかりませんが、真心込めて作りましたの。

 え、えへへ。」

 

 何という奉仕精神。

 自身のために尽くしてくれるその仕草。 

 本来であれば胸が一杯の気持ちであろう。

 しかし、今の僕にそんな心持ちが来る様子はまったくない。

 焦燥。

 ただその一点に尽きた。

 

「あ、あはははは。そ、そうかい。ケティ。

 君は僕にとって愛しの霜柱だ。

 その健気さに是非とも応えたいところなんだけど。

 え、えと、その、こここじゃ何だから、少し向こうで話し…」

「ギーシュ。」

 

 ドキン、と心臓が跳ねる。

 ついに来てしまった。

 錆びたブリキのオモチャのように、首をギギギと振り替える。

 視界には、青筋を浮かべて仁王立ちする一人の女性。

 鬼の顔が一つ。

 金髪のモンモランシーが憤怒を浮かべていた。

 言い訳をよこせ。

 その顔は雄弁にそう物語っていた。

 

「あんたやっぱり一年生に手を出していたのねっ。

 前々から怪しいと思ってたのよっ。

 私とは所詮遊びってわけっ?」

「ぎ、ギーシュ様っ。

 私にも説明してくださいっ。

 納得できる事情はありますよねっ?

 私と交わしたあの甘い一時はまやかしだったのですかっ?」

「え、あの、えーと、ふ、二人とも。お、落ち着…」

「ちょっとっ、あなたっ。

 甘いひとときってなによっ。私を差し置いて一体何してるわけっ?

 後輩の癖に図々しいわよっ。」

「あ、ああ貴女だってギーシュ様の何なんですかっ。

 私はギーシュ様と思い思われる思慕の関係。

 貴女に口を挟まれる筋合いはないはずですっ。

 余計な口出ししないで下さいっ。」

「なんですってぇ!?」

 

 口論し合う金髪のモンモランシーと茶髪のケティ。

 先輩と後輩。

 痴情のもつれに上下関係はそこにない。

 どちらも愛に対して根強い芯があるからだ。

 互いに敵と分かるや否や、罵詈雑言が口から飛びあう。

 口争いは次第にエスカレートしていく一方だ。

 僕は頭を抱えた。

 

「修羅場というやつですか。

 久しぶりに目の辺りにしましたが。何時見ても醜いものです。」

 

 あー、あー、といった感じに呆れの目。

 傍にいた濁った瞳をするさとり。苦い顔を隠せず口を抑え、眼前の取っ組み合いに辟易した。

 隣の桃髪の召喚主は鼻を鳴らして腕を組む。

 

「はんっ。いい様よ。

 気取った紳士のメッキが剥がれる様はいつ見ても滑稽よねっ。」

「人の不幸は蜜の味。

 ルイズさんも中々偏った嗜好をお持ちのようで。

 悪趣味ですね。」

「今日は何度もギーシュに邪魔されたんだもん。

 いい加減目障りだったわ。」

「開けた胸元から何となく察してましたが。やはり女癖が悪いようで。

 浮気は出来心。

 好奇心から始まる故に、人とは切っても切れないものですが。

 そこはどうにか自制心で乗り気って欲しいところですね。」

「あの格好つけには土台無理な話よ。」

 

 口汚く罵る般若面のモンモランシー。

 年下であるケティも負けてない。

 初めに抱いた第一印象を崩壊させるほどの勢いだ。

 そして、ついには口論の矛先が元凶へと照準を変えた。

 

「ギーシュ様っ。

 見損ないましたわっ。甘い言葉は全て偽り。

 所詮、私の抱いた恋心は砂糖菓子。甘いだけの子供の夢想だったようです。

 甘いだけで脆くて弱い、欺瞞の絆。

 貴方には幻滅です。

 もう二度と近寄らないで下さいっ!」

「け、ケティ!? ちょっ……」

 

 バシン。乾いた音が反響する。

 頬を手痛く叩かれたのだ。

 僕は熱と痛みの内包する頬を抑えて、呆然としてしまう。

 

「さよならっ。」

 

 踵を返し、立ち去る足音。

 小柄な少女はそのまま振り返らず、背が遠退いていく。

 思考が止まるも束の間だ。

 見れば、未だ憤懣やる方ないといった鬼の顔。

 怒るモンモランシーににらまれ、僕はどもってしまう。

 言い訳は喉につかえ、声が思うように出てこない。

 

「も、モンモランシー。見目麗しいその薔薇の様な顔を歪めないでおくれ。

 僕まで悲しくなってくるじゃないか。

 これはきっと何かの間違いだ。

 話せばわかる。だから…」

「言い訳は結構っ。

 情けないわね。未だ自己保身に走るなんて。

 貴方は私のことなんて見えてない。

 不誠実は誠実をもってしか償えないの。

 でも貴方にはその気がない。

 もう話し合うことは何もないわ。」

 

 そう言い切る彼女は懐から瓶を取り出し蓋をあける。

 そして、中の液体が僕の上からこぼれ落ちた。

 一滴も残さずに。

 僕はされるがままだ。

 モンモランシーの痛烈な言葉に、僕は身動きの仕方を忘れてしまったのだ。

 

「最後のプレゼントよ。

 いい香りでしょう?

 ラベンダーの爽やかな匂い。花言葉は新しい幸せ。

 新たな出会いを告げてくれるの。

 別れにしては縁起がいいと思わない?」

 

 彼女は乱雑に瓶を捨て去る。

 瓶の口にはリボンが巻かれている。

 贈り物だったのだろうか。

 そして、モンモランシーは鼻を鳴らして僕を見据えた。

 

「さよなら。」

 

 金髪の後ろ姿が遠ざかる。

 また一人、僕の元から離れていってしまった。

 情けなくも何とか制止の声を掛けるが、毅然とした足取りは変わらない。

 彼女の顔が振り替えることはない。

 

「は、ははは。

 彼女らは薔薇の存在というもの理解していないようだ。」

 

 かぶりを振って、だれに言うでもなくそう呟く。

 やれやれと笑みを張り付けるが、僕の声は乾いていた。

 空っぽになった心とは裏腹に、周囲はゲラゲラと笑いだす。

 人によっては呆れ声。

 いつものことだ。

 そんな中、桃髪の少女が歩み出た。

 腕を組み、その目には蔑みの念が見える。

 

「はん。

 貴族の恥さらしもここに極めりね。

 優雅さなんて欠片もないじゃない。」

「……なんだと?」

「二兎追う者は一兎も得ずってやつ?

 優柔不断は男じゃないわね。

 そこはビシッと決めてこそ貴族じゃない。

 執着するなんて女々しいやつね。」

 

 愛する者に振られたばかり。

 胸中は傷心だ。

 煽りを許容する余裕は、今の僕には持ち合わせていなかった。

 俄然、僕は穏やかではいられない。

 ドスを効かせて睨み付ける。

 

「口に気をつけたまえよ。ゼロのルイズ君。

 ここぞとばかりに何時もの仕返しつもりかい?

 だったら喜べ。実に効果的だ。

 浅はかな挑発でも、今の僕なら簡単に釣られそうだ。」

 

 やや脅すように近づく。

 

「何よ?

 やろうっていうの? 女に手を出すなんて底が知れてるわね。」

「というか、私としてはそれ以上近づかないで貰いたいのですが。

 匂いが強烈すぎます。

 本来ならかぐわしい香りなんでしょうが、その濃度となると頭痛がして鼻を抑えざるを得ません。

 率直に言ってかなりの悪臭さです。

 傍に寄るならシャワーを浴びた後でお願いします。」

「君たち主従は揃いも揃って煽るじゃないか。

 似た者同士もここまでくると最高だね。

 その使い魔君が呼ばれたのも運命と頷ける。

 実に腹立たしいよ。」

 

 優男の額に青筋が生まれる。

 薄く笑っているが、その瞳は冷酷なまでに冷えきっていた。

 

「運命は運命でもデスティニーではなくフェイトのようですね。」

「なによ、私はギーシュに倒されるほど落ちぶれちゃいないわよ?」

「ろくな魔法使えない癖に、一体その自信は何処から来るんでしょうか。」

「作戦はあるわ。

 あいつらがいつも馬鹿にするゼロの爆発でやっつけてやるのよっ。

 目にものを見せてやるわ。」

 

 主のルイズはやる気に燃える。

 優男との喧嘩も吝かではないようだ。

 魔法が使えないことで鬱思考になることが多い彼女であったが、今はその限りではなくなった。

 今の彼女にとって爆発とは失敗ではない。

 魔法の才の証である。

 証明したい。

 今まで馬鹿にしてきたやつらに目にものを見せつけて、その鼻を明かしてやりたい。

 感情が燃えるに燃える。

 今のルイズは喧嘩の種を無意識にも欲していた。

 異形の目をもつさとりははぁ、小さくため息を一つ。

 本当に良くない展開。

 先に待つのは破滅であることは火を見るより明らか。

 私は然り気無く口を開いた。

 

「そもそも、よく同じ学院に住む寮生活の中で二股掛けようと思いますね。

 普通は相手同士関わりのない人を選ぶでしょうに。

 遅かれ早かれバレてましたよ。

 そこの使用人がタイミング悪く連れて来てしまったのは、一つの不運。

 まさに運命だったのかもしれません。」

「……使用人?

 そ、そうだっ。」

 

 此方に近づいていた優男はバッ、と身を翻す。

 視線の先は使用人の女性。

 後輩のケティを連れてきた者だ。

 彼女は彼女でとても震えている。

 その目は不安でまみれ、少しでも不安を遠ざけようと視線を泳がせている。

 ずかずかと音を立ててギーシュが歩み寄る。

 

「君っ。

 一体どういうつもりだいっ。

 君は確か、僕が呼んでるとケティに伝えたそうだね?

 僕はそんな命令を君に出した覚えはないぞっ。」

「そ、その申し訳ありません。」

「謝罪は要求していない。

 僕は事の事情を求めている。

 何のつもりで呼んだのだ。それをきっちり説明したまえっ。」

「も、申し訳ありませんっ。」

「人語が聞けないのか?

 顔の横についてる耳は飾りなのかい?

 謝罪はいい。

 詳細な説明を寄越したまえ。」

「え、えと、その。」

「君はまだ若い。

 痴呆はまだ縁遠い筈だろう?

 そんな不確かな記憶力でここの仕事はやっていけたのかい?

 難しいことは要求していない。

 これ以上待たせないでくれ。」

「え、え、えと、その、あ、も、申し訳ありません。

 呼び主の名前を間違えてしまったみたいです。

 よよく思い出せば、お呼びした方はギーシュ様ではありませんでした。」

「何だその言い訳はっ。

 君はそこまで無能なのかっ?

 君のお蔭で二輪の花達の名誉が傷ついたのだぞっ?

 一体どう落とし前つけるつもりだいっ?」

 

 完全に怯えきっている。

 使用人の女性は萎縮してガタガタと俯いてばかり。

 視線は一向にギーシュを見ようとせず、ある学生に向けて頻りに目をやっていた。

 そんな態度に業を煮やしたのか。

 優男は懐から薔薇のステッキを突きつける。

 

「平民の不始末に割りを食うとは。

 君のお蔭で可憐な二輪が心を痛めたのだ。

 僕自ら粛清を下してやろう。」

「ひっ。」

 

 その光景に周囲の学生達は煽りや歓声、野次を飛ばす。

 もともと騒いでいた野次馬達。さらに興奮して周囲の雑音は高まる一方だ。

 吊し上げ。

 リンチ。

 公開処刑。

 集団心理とは不可思議なもの。

 個人が意を持ち得ようと、その行動は往々にして意に反する。

 個人の些細な意見は、集団の大いなる意見に圧迫されるのだ。

 他人の心を読めない故の弊害。

 濁った瞳で傍観するさとりとは別に、一つの声が発せられた。

 凛とした女性の声だ。

 

「やめなさいよぉ。

 みっともないわねぇ。

 それでもトリステインが誇る紳士なのぉ?

 その使用人の一体何処に落ち度があったっていうのよ?」

 

 腰に手を当てた堂々たる振舞いで、衆人環視の前に出る。

 赤髪黒肌のキュルケだ。

 隠れた右目に対する左目。その瞳には挑発の意志が燃えていた。

 

「言うまでもない。

 彼女の粗末な記憶にもとる行動のせいで悲劇は起きた。

 つかなくてもいい傷を二輪の花達は負ったのだ。

 これを不始末と言わずして何というのだ?」

「はっ。

 ばっかばかしい。

 見栄と保身もここまで来れば大したものね?

 責任転嫁も甚だしいわよ。

 元はと言えばあんたの二股が原因でなくって?

 あんたがちゃちゃっと1人の女を愛していればこんなことには成らなかったでしょうに。」

「そ、それは……」

「薔薇をくわえるしか脳のない紳士なんて滑稽じゃない。

 格好ばかりつけてさぁ。

 格式ぶってんじゃないわよ。薄っぺらい。

 女に責任押し付けるとかさぁ、男として恥ずかしくない訳ぇ?」

 

 正統性はキュルケにある。

 正論の畳み掛けに、ギーシュに反論の余地はなく、まともな返しもままならない様子だ。

 その様子に周囲の野次馬もあっさりと手のひらを返した。

 野次の矛先は優男のギーシュへと向かう。

 女性陣の非難が強まり、狼狽えたギーシュ。瞳に鋭い険を含ませた。

 

「男を侍らしていた君が、よくもまぁそんな口が利けたものだ。

 その図太い面の皮。厚化粧か何かかい?」

「間抜けなあんたと一緒にしないでくれる?

 私は獅子座なの。

 主導権はいつでも私。捨てる捨てないの選択は私にあるのよ。」

「君が獅子だったのはいつの話だい?

 昔の栄光を未だ忘れられないか。憐れなものだ。」

「憐れ?

 それはあんたの自己紹介かしら。

 大事な女に捨てられて、あんたは薔薇を抱えてる。

 こんな男ほど、憐れなものはないでしょうに。」

 

 ギーシュの目から光彩が消える。

 表情が抜け落ちたようだ。

 冷酷な空気をまとい、手に持つ薔薇の矛先は赤髪の女性へと突きつけられる。

 

「鼻持ちならない口だ。

 地位を追われた女王とは、これ程にまでに度しがたいものなのかね。

 立場を分からせてやろうじゃないか。」

「はぁ?

 ドットの分際で何言ってんのかしら。

 力量も弁えられないなんて、なおさら可哀想な人ね。

 同情しちゃうわ。」

 

 そうは言いつつも、キュルケはやる気満々だ。

 獰猛な笑み。

 その顔はまるでこの時を待っていたと言わんばかり。

 

「格下であることを思い出させてあげる。

 女を舐めると、どんな火傷を負うのか。

 その身に刻み付けてあげるわ。」

「よかろう。

 ならば、後でヴェストリの広場にきたまえ。

 決闘にはうってつけだ。」

 

 そう言って優男は背を向けて、彼はその場を去ろうとする。

 すると、隣の癇癪持ちのルイズが抗議の声を上げた。

 

「って、ちょっと待ちなさいよっ。

 ツェルプストーっ。一体何のつもりっ?

 人の獲物を勝手に取らないでよっ。」

「は、はぁ?

 る、ルイズ。あんたこそ何言ってんのよ。

 いくらあいつがドットでも、ゼロのルイズには勝てっこないわよ?」

「やってみなくちゃわからないじゃないっ。」

「いや、あんた…」

「構わないさ。」

 

 見れば、ギーシュはこちらに目を向けていた。

 吐き捨てるような声音。

 どうでもいい、と言わんばかりだ。

 

「ルイズ君は彼女の後で相手してあげるよ。」

「あら、それは無理な話じゃないの?

 あんたが私に勝つことが前提じゃない。」

「ふん、いっておけ。

 それに、僕も君のヒステリーには少々耳障りに感じていたんだ。

 ちょうどいい。

 これを機会に、その性格を矯正してあげよう。」

「なんですってぇ?

 上等じゃないっ。

 あとで吠え面かくことを後悔なさいっ。」

 

 それを最後にマントを翻し、ギーシュはその場から去っていった。

 野次馬達は沸きだっている。

 賭け事の話題で花を咲かし、人垣の中で好奇心が飛び交う。

 降って沸いた決闘に、皆揃って興味津々なのだ。

 メイジの決闘。 

 いわば魔法の闘争だ。

 無事ですまないことは必定。

 隈の目立つさとりはウンザリげに主の元へと向かう。

 

「ルイズさん、何面倒なことをしてるんですか。

 メイジ同士の決闘は禁止されているのでは?」

「大丈夫よ。

 あんたも知ってるでしょ。ここの先生たちは魔法は凄いけど、生徒の監視はあまいから。

 ちゃちゃっとぶっ飛ばせば、ばれやしないわ。」

「何の解決にもなってないですよ。

 後始末をお忘れですか。

 なんとも短絡的すぎる思考ですね。

 鬱思考が転じて躁病にでもなりましたか?」

「病人扱いすんじゃないわよっ。

 それに、勝算はあるんだから。

 あいつらがゼロゼロ言ってる魔法を使って、油断してるところを思いっきりぶちのめしてっ。

 あの鼻っ柱を叩き折ってやるのよ。」

 

 桃髪の召喚主は変わった。

 自らの魔法の爆発を、一種の攻撃手段として認めている。

 精神に余裕ができたのだ。

 自らの才を知り、自身の力の片鱗を受け入れた。

 しかし同時に、それは慢心も呼んだ。

 彼女の魔法は不正確で不安定な魔法であることには変わりない。

 彼女は失念しているのだ。

 

「貴女がヤングオイスターでないことを祈ってますよ。」

「また何かの引用?

 もう飽きたんだけど。」

「常々、自身が周囲からどのように思われているか忘れてはなりません。

 周囲の評価は残酷にも往々にして客観的。

 的を得ているものなんですよ。」

「はっ。

 そんなことがあるはずないじゃない。

 あんたの心配は的外れよ。

 問題はあの格好つけのギーシュが先にやられることよ。

 あの憎きツェルプストーにね。」

「ドットはトライアングルに勝てないらしいですね?」

 

 一つの系統魔法を扱える者をドット。

 それに加えて、同系統もしくは異なる系統魔法を組み合わせられる者をライン。

 そして扱える系統魔法が増えるつれて、トライアングル、スクウェアと名称が変わる。

 

「ええ、そうよ。

 全く、あの女。良いところばっかりもっていってっ。

 業腹だわ。」

「それは何ともまぁ、何と言っていいかわかりませんね。

 あの赤髪の方。

 振舞いが堂々としています。

 一種のカリスマ性といいましょうか。

 良いところを持っていくのは、彼女の宿命なんじゃないですかね。

 貴女達の代々の闘争のように。」

「なぁによ。

 あんたまであいつの肩を持つ気なのぉ?」

「いいえ。

 ただ、今は様子見が一番と言っておきましょう。」

 

 胸に浮遊する異形の瞳が、黒肌の女性を捉える。

 能ある鷹は爪を隠す。

 能あるセイウチは言葉を操る。

 捕食者は常に強者である。

 しかし、常に強者が食える側とは限らない。

 食えないからこそ、強者なのだ。

 

 瞳の先を別の場所へと移す。

 私の視線。その先は彼の待つであろうヴェストリの広場へと向いていた。

 

 




 感想、評価待ってます。


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さとり、覚醒?

 感想、指摘ありがとうございます。
 いつも読んでます。修正はしているつもりですが、あまり変わらないように感じるかもしれません。


 ヴェストリ広場。

 そこは円形の石畳。

 白い大地が敷かれ、周囲には同色の4つの動物像が対極線上に配置されている。

 広場周囲には花畑が設けられ、まさに高貴な中庭だ。

 その整然とする光景からも景観に力を入れていることが伺える。

 整った外観は人の心に落ち着きを与えると言うが、その整然さのある美しさとはどこか居心地が悪い。

 そんな気がしてならないのは狭い個室を好むタチだからだろうか。

 

 

 広場には多くの2年生が野次馬の如く密集し、ワイワイと騒いで環状を成している。 

 またとない決闘騒ぎのようで人垣の中空では話題が飛び交っていた。

 云わばお祭り騒ぎ。

 一人一人が興に飢えていることがよくわかる。

 学生とは常に何かを圧制されており、皆例外なくその解放を求めて止まない。

 騒ぐことこそ学生だ。

 それが本分。

 皆の顔にはまさにそう書かれていた。

 

 

 広場の中心には二人の人物が立っており、金髪の優男に赤髪の黒肌美女。

 ぴりぴりとしたにらみ合い。

 それぞれ瞳には闘志をたたえ、その手にはステッキを構えている。

 

「よく来たね。待っていたよ。」

「紳士のお務めご苦労様ねぇ。

 これからたっぷりと相手してあげるわ。光栄に思いなさいな。」

「ああ、素直にその栄誉は受け取っておくよ。」

 

 二人の間。

 先と違って幾分か落ち着いたやり取りが交わされる。

 皮肉が飛び交うが、そこに混じる険の鋭さはどこか丸いような印象だ。

 異形の瞳を持つ少女は一人。

 さとりは取り巻きに混じりポツンと突っ立っていた。

 周囲を見渡す。

 学生達は皆賭け事に夢中の様子だ。

 決闘などというイベントは滅多にないのか、とそう推測を走らせる程には皆浮き足立っている。

 熱気ある人混みは良いものではない。

 祭りとは和気藹々。

 否、孤独であってこそである。

 騒然な人込みから一歩引いた寂しさ。そこにある静かな陰。

 そこから眺めるからこそが通である。

 さとりは寂しい持論に没頭する。

 そして気分だけでもと口元を隠してその熱気を遠ざけた。

 

 気づけば隣には見知った人物。

 さとりは何気なしに隣に陣取っていた人物に声を掛けた。 

 

「おや、貴女も大人しい顔してこういうことには興味がおありのようですね。

 生真面目なキャラはその実、内面は騒がしいもの。

 十代の矛盾とも言えるでしょう。」

「……別に」

「火遊びはまたたく十代の鳳仙花。

 人形のような心持ちでもしっかり青春しているようで何よりですね。

 お年頃という欲求は皆一様にもつものであり、避けては通れない黒の過程。

 何も恥じることはありません。」

「……キュルケがいるから来ただけ。私を決めつけないで。」

 

 気のせいかやや険のこもる声音が耳に届き、視線をやれば無表情。

 しかしながらもその目付きには鋭さが垣間見える。

 隣の彼女はタバサ。

 青髪にメガネ。小柄な身長と手元に携える立派な杖が特徴的な才女である。

 彼女との出逢いは経緯が経緯だ。

 特殊な事情もあるのかこちらに対する印象は好ましくないと判断する。

 否。第三の目からの覗く思考からわざわざ判断するまでもないことだった。

 不幸な出逢いだ。

 初めの第一印象とは引きずるもの。

 思わぬ行き違いは誤解を生むが無理に解こうとすれば往々にして状況は更なる悪化を辿るだろう。

 時間は警察。

 彼らが解決してくれることを信じるしかない。

  

 さとりは髪を弄ってボンヤリとしながらも更なる声かけを試みる。

 

「友人の心配ですか。

 視線の先は本の文字。されど関心の先は決闘のようで。

 興味無さげな素振りながらも他人の心配とは、貴女も中々面倒臭いキャラをお持ちのようで。」

「……忠告。勝手に心を覗くな。」

「なら隣にいないで距離をとることをお勧めしますよ。

 人は邪険する癖に絡みたがるので不可思議なものです。 

 そう思わずにはいられません。

 実に非合理。

 忌避するなら不干渉こそが最適な選択なのに彼らの行動は常に矛盾を孕んでいます。

 石を片手に魔女を追い払う、そんな村八分な心持ちに近いのでしょうか。」

「貴女は無遠慮に人の心を踏みにじる。

 目を離すのは危険。」

「貴女もまた偏った思想の人形です。

 危険と判断しているのは貴方一人で周りは誰も気にしていません。

 過敏は恐怖の表しです。

 特段何か見られたくない心でもあるので?」

「………」

「合理主義を装った偏屈家は往々にして難儀なもの。

 周囲には無関心。

 根底は人一倍の正義と義務で満たちている。

 ほの暗い過去や才に恵まれた者によくあるまさに典型。

 彼らを絵に描いたような精神構造と言えましょう。

 まぁ、それとは別にここで静観しているということは、事と場合によってはこの決闘を止めて頂けるのですか?」

「……危険と判断したら介入する。」

「それは心強いレフェリーです。

 ルイズさんの番が回った時は、開始直後旗を上げることを進言しておきましょう。」

「ちょっとっあんたっ!? 何ふざけたこと言ってんのよっ。」

 

 沸点が人並み以下な召喚主が耳元で騒いだ。

 うるさいと耳を塞ぐ。

 音圧が鼓膜を破ることを知らないのかと問い質したくなる。

 召喚主のルイズ。

 彼女もまた周囲の熱気に当てられた一人。

 戦いを前に興奮しているのだろうと考えるも、彼女の癇癪は一種の持病と思わざるを得ない。

 自制が必要なのだ。

 しかし彼女の辞典にその文字はない。

 彼女に自制を求めることは無駄骨に間違いなく、愚かである。

 でなければ自分がここでこうして耳を塞いでいることはないのだから。

 まぁまぁと仕方なしに宥めていると、隣の青髪少女が言葉を続けた。

 

「それと……」

 

 言葉を区切って、青髪の少女は視線の先をこちらへと投げ掛けた。

 身体はお互いに隣り合わせ。

 これまでは視線が広場中央に向けられ、交わることはなかった。

 しかしここで、青髪の才女は敵意を込めた横目とともにジロリとこちらを睨み付けたのだ。

 

「忠告は二度しない。私の分析も勝手にするな。」

「失礼。

 観たものを評価するのは私の性分でして。

 私は貴女と同じ読書家であり本の虫です。

 故に批評家。

 職業柄故に、この悪い舌を許してやって下さい。」

「その謝罪に謝意はない。」

「悲しいすれ違いですね。

 謝意は送れど、受け取り手がそれを拒んでいるようです。受け手のない、虚空への謝罪ほど虚しくなる気持ちはありません。」

「…………」

「反応なしと。拒絶の意を感じますね。

 汝隣人を愛せよ。

 関係づくりはまずは許すことが大切だと言います。

 親愛は許しから。

 例え表面的でも、いずれは時間が嘘を本物にしてくれます。

 猿真似は人の得意分野。形から入る生き物です。

 私達もそれを習うべきだと思いませんか?」

「………必要性を感じない。」

「ばっさりですか。

 これだから社会は嫌なんですよ。

 社会は他者の集合。社会はいつも排他的です。

 これで私の引きこもり人生は間違ってなかったと確信できましたよ。」

「………貴女にまともな謝罪は期待しない方がいいことはわかった。」

「心外ですね。私はもう謝ったというのに。」

 

 そこにさとりの誠意は感じない。

 そうとしか聞き取れない。

 無味乾燥。隈の目立つ少女の声音には、まさにそんな響きがあるかのようだ。

 自然、苛立つタバサは無意識にも拳を握った。

 忌々しく思う。

 異形の瞳は未だこちらを向いて離さない。

 人の許可もなしに土足で入る。礼儀の知らない無遠慮な瞳。

 今度は一体、自分の何を探ろうというのか。

 箪笥の引き戸を片っ端から開けられる、そんな錯覚。

 胸の内のわだかまりができる。

 青髪の才女は処理し難い感情を持て余した。

 レンズ越しの瞳。

 青髪の下から覗くその瞳は険の色を更に強めて、ピンク髪の亜人の本質を推し量る。

 

「ちなみに。」

 

 図らずにも、ピンク髪の使い魔は視線を広場に固定して、突如そう呟いた。

 世間話でもするかのようだ。

 淡々とした調子。

 ピンク髪の濁った瞳が眼前の広場を捕らえながら、青髪の少女に問いを投げ掛ける。

 

「タバサさんはどう予測します? この勝負。

 そこらでは賭け事が発生しているようですが、レートは1:9。

 酷い比率です。

 一発逆転を期待して一山当てたい気持ちになりますが、いかんせんこれは分が悪いようですね。」

「考えるまでもない。キュルケの圧勝。」

「やはりそれは、彼女がトライアングルという根拠からでしょうか。」

「ギーシュに戦闘の経験はない。

 魔法の精度も、大したことはない。」

「なるほどなるほど。

 貴女は戦闘経験が豊富のようですね。

 人の身のこなしだけでそこまで判断できてしまうとは。恐ろしいお人です。」

 

 さとりの視線の先は金髪の優男。

 普段と変わらない気障のかかった仕草で赤髪のキュルケと相対している。

 

 さとりは腕を組んで頬杖をつく。

 ピンク髪の下から覗くさとりの瞳は、彼を捉えて離さない。

 さとりもメイジの力量差というものを整然と理解しているわけではない。

 金髪の優男はドット。底辺クラス。

 トライアングルの肩書きを持つ女性を相手しているにも関わらず、特殊なものは持っていない。

 何の変哲はないのだ。

 先の冷酷さは何処に行ったのかと思わせる飄々ぶり。

 あれは幻。錯覚だったのか。

 

 

 思考の海へと耽るさとりとは別に、相対するキュルケは口角を上げた。

 手を腰に当て、挑発染みた声音を向かい合う優男に投げ掛ける。

 

「周囲のボルテージは好調みたいねぇ。

 冷め止まない内に、とっとと始めましょうよ。

 期待に添えて派手に散らしてあげるわ。」

「……良かろう。

 では、始めようじゃないかっ。

 青銅のギーシュ。その名に抱える由縁を身を持って知るがいいっ。」

 

 開始の合図とともに、ギーシュの手に持つ薔薇のステッキが空を切った。

 花弁が舞い散り、七体のゴーレムが召喚される。

 戦士乙、ワルキューレ。

 青銅からなる鎧。

 その意匠は名の通り、女性騎士の様相である。

 そのほとんどが剣を片手に携える。

 

「へぇ。盾役もいるってわけ?

 小賢しいわね。」

 

 剣だけでない。

 細部の装備を注視すれば、両手に盾を抱えるゴーレムも存在する。

 その数は七体中二体。

 砦の如く、優男の傍で構えをとり壁役となって並んでいる。

 

「ワルキューレ隊、突撃っ。」

 

 五体のゴーレムが号令に従い、剣を掲げて突貫する。

 俊敏な動き。

 土の人形達が束になって肉薄した。

 その光景。瞳を細め、赤髪のキュルケは鼻を鳴らす。

 

「あらあら。

 そんなチンケな人形ごときで、私の情熱に耐えられるとでもいうのかしら?

 出直して来なさいっ。」

 

 手に持つステッキを前方に。

 ルーンを唱えるとともに杖先から火球が出現し、膨大な炎を放射させる。

 向かってきた青銅のゴーレムはすべからく全滅。

 黒ずんでボロボロと崩れ落ちる。

 一太刀も出来ずに消滅するその様相に、赤髪のキュルケは笑いを堪えきれない。

 

 

 何てことはないのだ。

 近づくことすらままならないのだから。

 力量差は歴然。

 メイジの戦いとは魔法力の優劣がものをいう。

 自慢の赤髪を振るって、キュルケは笑う。

 高ぶる感情に歯止めをかけるような野暮な真似はするつもりはない。

 もはや勝利は確信した。

 

 

 炎の勢いをそのままに、後衛に並ぶ二体の障壁にありったけの熱量を浴びせる。

 耐久性は先の前衛達よりは高いようだが、それも時間の問題に過ぎない。

 融点を越える高温。盾を構えるゴーレム達はなす術もなく溶けていく。

 障壁を突き抜けた炎の波。

 襲いかかる炎の波にギーシュは何とか直撃をかわすも、舞い散る火の粉が優男を襲った。

 

「ぐわぁぁぁぁぁ!!!」

 

 片腕に炎がかぶり、腕についた火の粉を消そうと転げ回る。

 間近で燃える腕に恐怖して悲鳴が止まらない。

 そんな必死に転げ回る様が滑稽なのか、嘲笑の高笑いが優男の耳に木霊した。

 

「あっはっはっはっはっ。無様ねぇ。

 ちゃんと避けないと、危ないわよぉ?」

「ぐ、がぁ……ぁ……ぁ」

 

 炎を被った左腕。

 衣類は焼け焦げ、その皮膚は火傷を刻んだ。

 ステーキの鉄板に触れたような痛みが腕に張り付く。

 優男は口元を引き結ぶも、口から漏れる苦悶は何処までも止まられそうにない。

 

「………っ。

 と、トライアングルは伊達ではないようだね……」

「はっ。

 さっさと降参したらどう?

 今なら地べたに頭を擦り付けるだけで勘弁してあげるわよ?」

「……ふん。言っているがいいさ。」

 

 薔薇のステッキが再度振られ、ルーン詠唱とともに五体のゴーレムが再度出現。

 皆盾を所有しており、明らかに耐久特化した人形達だ。

 

 

 火への恐怖。

 防衛戦に切り替えたか。

 そう判断してもおかしくないくらいには、守りの鉄壁に力を入れている。

 しかし、だからといってドットクラスの人形がトライアングルの高温熱に耐えられる筈がない。

 じり貧は必然。

 赤髪の美女はニッ、と口角を吊り上げて歯を見せる。

 その瞳には勝機の光。

 その源は太陽でなく勝利の自信である。

 光とはいいものばかりではなく、どこまでも傲慢さを孕んだ暴力的な輝きさえも持ち合わせるのだ。

 

「あっはっはっはっ。

 何よ何よっ。防戦一方じゃないっ。

 弱いもの虐めは趣味じゃないのに。これで見聞が悪くなったらどうしてくれるのかしらぁ?」

 

 自らの力に溺れそうな心地。

 自己陶酔するな、という方が無理な話である。

 この圧倒的戦局に、黒肌の美女は勝利の美酒に酔わずにはいられなかった。

 自慢の赤髪を手で払い流し、手元のステッキをかざし直した。

 最後は派手に。

 自分の名誉にふさわしき絢爛さを。

 そんな思考にならうように、キュルケは高らかと宣言する。

 

「刺激のない男なんて所詮炭酸のぬけたしょっぱい炭酸水。

 腑抜けた優男にもう用はないわ。

 終わりよっ。」

 

 ルーン詠唱とともに、更なる火力で追撃を畳み掛ける。

 

「……はっ。

 陳腐な高笑いだよ。

 やはり蛮族に優雅さを求めるのは無理があったのかな。」

「負け犬の遠吠えねぇ。

 あんたのその取って付けた澄まし顔。いつまで耐えられるか見物じゃなぁい!」

 

 苦境に落ちても尚止めない、その気障な振る舞い。

 これから来るであろう敗北を喫した際はどう弁護するのか。

 それを思えば、バタバタと倒れていく眼前の光景に僅かな憐れみさえ生まれてくる。

 

「いいや、まだだよ。」

 

 やられると同時、次から次へとゴーレムが再生。

 金髪の優男は粘り強く抵抗を続ける。

 しかし、今の赤髪の美女からすれば見苦しいことこの上なかった。

 ただの時間稼ぎにすぎない抵抗。

 そう断ずる他ない。

 最後まで諦めない、そんな粘り強さや根性だ。

 その響きは常に二面性をもち、もがく様相によって見え方は変わる。

 勇猛と無様。

 目の前の滑稽さを思えば、どちらかなど言わずもがなである。

 

「あんたも、どこまでも救えないやつねぇ。」

 

 そう言い捨てると同時。更なる火力がつぎ込まれ、拍車をかけるように青銅のゴーレム達が灰と化す。

 

 しかし、ギーシュの瞳に敗北は映らない。

 

「炎に酔うのは君の癖だ。それを見逃さないほど僕は甘くない。

 クライマックスだっ。

 驕る女王は落ちるといいっ。

 舞台を降りるのは僕じゃない。君自身だっ。」

 

 声高く言い捨てるとともに、金髪の優男は懐に手をやり、更なるステッキを振りかざす。

 更なる魔法発動。

 炎を放射する赤髪の美女。その足元から、優男の詠唱を合図に数多の平手が生え伸びる。

 突如起きた不測の事態。

 不意をつかれた展開に、赤髪の美女は驚きを隠せず仰天した。

 

「う、嘘っ!?

 二重同時発動ですって!? 」

 

 常識からしてあり得ない。

 魔法発動は一度に一つ。それが当然であり限界だ。

 二つ以上の同時発動は高度を極め、出来るものなど世界に数人とも言われるほど。

 相対するはドットクラスの優男だ。

 そんな低位なメイジに出来る道理は何処にもない。

 

「あり得ない。あり得ないわっ。あんたがそんなっ。……くっ。」

 

 風圧を伴う大地の拳が迫り、間一髪。

 火炎魔法を中断したキュルケは跳躍し、何とか回避に間に合わせた。

 白色の大地から構成される数多の拳。そして平手。

 まともに食らえば只では済まないのは確実だ。

 一度で終える攻撃は攻撃でない。

 二度三度と連撃を繋げ、敵を追い込んでこそ攻撃になりうる。

 当然、彼の攻撃はまだまだ続いた。

 追撃とばかりに大地からの数多の猛撃が身に迫る。

 状況は一転。

 数秒前の優位さが儚い幻かのよう。

 今やキュルケは、地の亡者達に勝機の灯火を取り込まれようとしていた。

 

 

 さとりは静かに傍観していた。

 周囲の視線が目の前の光景に奪われる中、濁った瞳をジトリとさせて周囲を見渡す。

 隈の酷い、濁った目付き。

 だがそれでも、正常な視覚機能は備わっているつもりである。

 取り巻きの学生達は目の前の逆転劇に大きく騒然。

 誰もが信じられないと、そんな顔だ。

 皆一様に驚いている。

 金髪の優男、ギーシュ。舞台の広場は今や彼の独壇場と化していた。

 さとりは優男との関係が薄く、これまでの彼の生活態度や経歴は記憶のメモには綴られていない。

 彼らの驚きは実感としてはわからなかった。

 

 しかし、事の重大さは理解する。

 

 胸に抱える異形の瞳とともに、自身の瞳を隣の青髪少女へと視線を映した。

 タバサ。彼女もまた二人の織り成す戦闘劇から目が離せない様子だ。

 視線の矛先は本ばかりだったというのに、今や眼前の戦闘に目が釘付けである。

 

「……あり得ない。……彼に一体何が。」

「力量を見誤った様ですね。

 目測は当てにならない。

 理科の教材にも載ってます。

 いやはや、勉学とはいつ何処で活用できるかわからないものですね。」

「違う。何か仕掛けがある。」

「いい心構えですね。

 疑いの目は真実を見通します。

 しかし、時にその否定の目は自身の非を認めない故に備わってしまうもの。

 あり得ない現実は現実でない。

 そんな盲目的な現実主義者が貴女の中にもなくはないようです。

 凝り固まった思考は誰もが持つもの。

 しかし事象は事象として認めた方がよろしいのでは?」

「……彼にこんな力はなかった。間違いない。」

「力強い断言です。

 その瞳もそう。中々豊富な経験に根付いた発言のようですね。」

「先の人形操作の技量。ギーシュはドットで間違いない。

 でも、彼は二重同時発動を成している。

 人形操作は未熟であるにも関わらず。

 これは明らかな矛盾と考える。」

「観客に紛れて、誰かが裏で支援しているとでも?」

「その手段は既に検討した。

 でも周囲に魔法を発動した者はいない。

 よって、今この場で魔法を発動している者は彼ら二人だけと断定できる。」

「貴女の理屈だと、彼は飛躍した技術を手にしたようです。しかしそれはある種、納得するのもアリかもしれません。

 技術向上とは比例グラフ。

 階段を一段ずつ登るよう、努力するだけ右肩上がり。

 人はよくそう考えます。

 しかしそれは勘違い。

 実際は二段三段と飛躍するのが常々。

 向上とは突然であり、飛躍であるのです。

 これも苦境の中の突如の成長と考えてしまってはどうでしょうか?」

「貴女のその理屈は発明の類いに当てはまる。

 これは程度の問題。

 技術差は天と地。

 長期の時間をかけて完成されるべき技。」

「なるほど。

 貴女の目には彼がちぐはぐに見えるようで。

 椅子も持てない細腕がある日突然丸太を抱える。

 そんな現実はたしかに現実ではないでしょう。

 彼の技は修練と時間をかけてなされる技。

 だからこそ、あり得ないと。」

「……何か種があるはず。」

「火事場の馬鹿力。

 苦境の中の奇跡の覚醒でしょうか。

 彼は意外にも光る原石を持ってるのかもしれませんね。

 選ばれた才能。

 陳腐な王道なことで実にありきたりだ。」

「絶対にない。」

「おや、断固否定的。

 妬みの片鱗ですね。

 自身も優れた才知に恵まれているというのに。

 人は妬む存在。

 そこに優位があるなど些細な問題だということでしょうか。」

「……勝手に決めつけないで。

 私は客観的視点から述べているまで。

 これまでの彼の魔法技術。それを観察して評価した。

 貴女のそれは単なる言いがかりにすぎない。」

「何でもない無関心ぶりは隠匿の表し。

 劣等感のひた隠しは才能に関わりません。

 いざ格上を見てしまうと反発心を抱くなんて、貴女も大人しい顔して中々気位が高いのですね。」

「彼に羨む要素はない。

 あるとするなら、二重同時発動。

 だがそれも高度すぎる故に、実践向きではない。

 よって貴女の推測は的が外れている。」

「実に十代の少女で結構なことです。

 斜に構えた視点と妥協の線引き。

 自身の惨めさを守る、誰もがもつ防衛手段です。」

「……貴女が何を言いたいかわからない。」

「ただつついてみたくなっただけです。

 蜂の巣はつついてなんぼ。

 でなければ、その過敏なまでの警戒は実に虚しいものへと変わってしまいます。

 その過剰な警戒は実は見てほしいという欲の裏返しなのではないかと思わずにはいられません。

 私の持論ですがね。

 貴女は人間味のないようで実に人間性を抱えている。

 興味を持つのは道理でしょう。」

「貴女の会話に目的が見当たらない。」

「アリとにらんだ有象無象が実はゾウのような規格外。

 下と踏んだ同級生が、実際に下にいたのは自身の方だった。

 隠れた実力者とは実に面白くない話ですよね。」

「見下した覚えはない。」

「その感情は実に人間的。

 有能を妬むのは人間の証拠です。

 貴女もまた、嫉妬に支配されうる人間の一人だったということでしょう。」

 

 突如さとりの瞳に空圧が飛んだ。

 視界は杖の先端で遮られる。

 目と鼻の先。

 眼前の杖とはそれだけの距離しかない。

 言うまでもなく隣の青髪少女が突きつけたのだ。

 視線を移せば凄まじい形相であり、その目付きは仇敵でも見るかのような憎悪を成している。

 

「私をそんな奴らと一緒にすることは許さない。」

 

 口元を見れば、ルーンの詠唱。

 ここで逃せば次の瞬間には魔法が放たれるのは必定である。

 

「おや、いいのですか?

 貴女もまた、あの赤髪の方と同じく他国の者です。

 貴女も貴族。

 他国で問題をあげれば責任問題として祭り上げられ、地位を追われることは必然。

 地位あるものは常にその隙を他の誰かに狙われます。

 ハイエナは味方に潜むもの。

 貴女も知っているはずでしょう。」

「………っ。」

「地位とはかなぐり捨てるものではありません。

 生活の基盤。有効な手段。

 いわば万能の利器とも言える。

 失った瞬間、貴女に手を貸す味方さえ失います。

 金の切れ目が縁の切れ目。

 地位の切れ目が縁の切れ目なのです。」

「…………」

「それも折角手にした野望への一手。

 貴女には無くてはならない足掛かり。ここでそれをふいにするのは得策ではありませんね。」

「いい加減、その口を閉じて。

 そして二度と私をそんな奴らと一緒にするな。

 ……殺したくなる。」

 

 怒らせてしまったようだ。

 青髪の才女は自分と目を合わせようとしない。彼女の視線は再び目の前の戦闘へと戻ってしまった。

 さとりも彼女にならって視線を戻す。

 

 すると今度は青髪の才女とは反対。その方角から自身の名を呼ぶ声が届く。

 そして気づく。

 いつものお決まりの癇癪だと。

 一回でわかるというのに甲高い大声での名前の連呼だ。

 声の主は自身の望んだ反応を示さない限り永遠と呼び続ける質のよう。

 酷く鬱陶しく思わざるを得ない。

 自然、その顔は苦虫を潰したようなものになる。

 

「さとりっ、ちょっとさとりっ。聞いてるのっ?」

「何回も呼ばなくても、ちゃんと聞こえてますよ。

 まったく、構ってちゃんもほどほどにしてくださいよ。

 幼年期の駄々っ子も鬱陶しいことこの上ないですが、十代ともなれば聞くに耐えない見るに耐えない話すに耐えないの三拍子ですよ。

 ほら距離をとってください。

 友人と誤解されたらどうするのです。」

「本人を前にそこまでいうとか、あんたどんな神経してんのよ!!」

 

 癇癪とは感染。伝染病だ

 苛立ちは伝播し、人々から落ち着きを奪い鬱屈をもたらす。

 実に不毛だ。

 相手が誰であろうとそこに年齢は関わらない。

 赤ん坊を抱く世の母親達は偉大と言えよう。

 目の前の癇癪持ちの大人な乳児をどうあやせばいいのか、知見を授かりたい気分である。

 おしゃぶりでも宛がうか。

 そう検討するさとりは、とりあえず耳を傾けることにした。

 

 

 

 

 呆然。

 まさにそんな心境。

 開いた口が塞がらないとはこのことだ。

 決闘を見守る野次馬達は皆唖然とした様子で眺めていた。

 無理もない。

 片やドットに対して、もう片方はトライアングル。

 有り体に言えばアリとゾウ。

 勝負は始まる前から決まっており、学生達は暇潰し程度の心持ちで騒いでいたのだ。

 しかし蓋を開けてみれば、どうだ。

 膝をついているのはトライアングルの格上メイジである。

 予想を明後日の方向に裏切るその光景。

 大盤狂わせもいいところだ。

 

 

 周囲の驚きとは別に、キュルケは苦渋を舐める思いであった。

 こんな筈でない。

 自分は何故膝をついているのか。

 自身の苦境が認めらず、憎悪を瞳に、眼前に映る優男を睨み付けた。

 

「気高い獅子様はもうへばったみたいだね。

 運動不足でも祟ったかい。

 野良にしては随分と足腰の弱い獅子のようで、僕としても拍子ぬけだよ。」

「調子に乗らないでよっ。こんな土魔法ごときで私がやられる筈がないでしょうがっ。」

 

 所詮ドットクラスの土魔法。

 焼き払えばすぐに体勢は立て直せるのだ。何も慌てることはない。

 短絡的ともとれる思考。

 その思考通りに火炎魔法を放ったキュルケは、間も無くして自らの甘さを痛感することになった。

 

「さっさとくたばりっ………っ!」

 

 言葉が詰まる。

 ルーンを詠唱して迫り来る大地の手勢を焼却。

 しかし、その焼却作業は与えてはならない隙を設けてしまった。

 気付いた時にはもう遅い。

 後方からの新たなる大地の手勢。

 不意をつかれた奇襲に赤髪の美女は為す術もなく、その目を見開き、迫り来る大地の拳を見つめた。

 

「嘘でしょ!? ドットメイジの技量を越えてるわよこんなのっ……」

 

 セリフが途切れ、赤髪の美女は宙を舞う。

 放り捨てられた人形のよう。

 その手足はまるで意思を失ったように動かない。

 自由の利かない美女の身体は、当然受け身を取れる筈がなかった。

 

 美女の瞳に白い大地がうつる。

 

 

 どしゃり。

 

 

 人が転がり落ちた音。

 物体の落下した音がしてしばらく。微かな呻き声が広場にもれた。

 硬質な一撃に、落下の衝撃。

 痛打した箇所から鈍い痛みが全身に渡るよう。

 動こうにも手足が言うことを聞いてくれず、赤髪の美女は痛みを堪えることしか出来ない。

 

 

 あり得ない。

 許せない。

 優男に対する憎悪が沸々と沸き上がる。

 格下の人間に衆人環視の元でやられたその事実が、キュルケのプライドに悲鳴をあげさせた。

 憎しみのままに、その瞳は炎を燃やし、仇を見るかのようにその顔を上げた。

 

「地べたとの熱いベーゼはどんな気分だい?

 今まで飽きるほどの男達とやってきたんだ。

 たまには趣向を変えてみるのもいい気分転換になるのではないか?」

「……は…はんっ。

 トリステインの紳士は美女を痛め付ける趣味が流行りみたいね。

 野蛮なことだわ。

 最低限の紳士の矜持すらも持ち合わせてないのね、あんた。」

「女性に手をかけることは勿論僕の流儀に反するさ。

 だけど、こんな僕でも軍人の端くれ。

 敵たる人間は獣と同義。

 雌の獣なんて、その限りじゃないさ。」

「……とんだ糞野郎ね。」

「獅子と吠えておきながら、苦境に立てば被害者面かい。

 ゲルマニアンの女性は気高いと聞いていたが拍子ぬけだよ。

 噂とは違い、虫のいい女性しかいないようだね。」

「なんですってっ。」

 

 明らかな人種差別だ。

 聞き捨てならないその言葉に、怒りの形相で立ち上がる。

 ダメージで立位がままならない。

 しかし、この胸にざわめく激情。

 我慢ならないこの憤怒からの雄叫びが、倒れることを断固として許さなかった。

 

「あんた、いい度胸じゃない。

 ゲルマニアンを敵に回したいわけ?」

「随分物騒じゃないか。

 野蛮な者は思考の先もまた乱暴な答えを出すらしいね。」

「……あんたがゲルマニアンを一段下に見ていることはわかったわ。

 ゲルマニアンを舐めたらどんな目に合うか。

 覚えていなさい。あんたは後々震えることになるわよ。」

「虚勢は止めたまえ。

 君の事情も知らずに、こんなことを仕出かすとでも思っているのかい?」

「……なんですって?」

 

 赤髪の美女は怪訝そうに眉を上げる。

 目の前の優男の発言。どういう意図があるのか。

 彼の目と声に嘘は見当たらない。

 ただのこけおどし。

 しかしそう切り捨てるには、ある種の引っ掛かりを覚える。

 ただの浅ましい男の出任せだ。

 そう断じていいのか。

 ぐるぐると回る思考とともに、正体のわからない疑念が胸に渦巻く。

 

 

 いや。

 かぶりを振るう。

 そしてキュルケは胸に抱く疑念を振り払うように、この鼻持ちならない優男を睨み付ける。

 

「はん、なによ。

 あんたなんかが、私の一体何を知ってるって訳?」

「羊の皮を被った狼ならぬ、狼の皮を被った羊。

 それが君だ。

 異国の大物気取りは構いはしないが、そのメッキがいつまで剥がれずにもつのか。

 むしろよくもった方だと褒めてあげたいよ。」

「はぁ? あんた何言って……」

「ゲルマニアンに君の居場所なんてもうないさ。

 そうだろう?

 公爵汚しのツェルプストーの息女さん。」

「なっ!?」

 

 開いた口が塞がらない。

 関係者以外誰も知らない母国の情報。一体何故この男が持っているのか。

 キュルケの脳内が疑問符で埋まる。

 しかし、混乱に極まる自身のことなど構うことはなく、目の前の優男は饒舌に言葉を紡いでいく。

 彼は一体何処まで知っているのか。

 

「何もおかしなことではないだろう?

 僕はこれでも軍の元帥の息子だ。

 多少は情報通の自負はある。

 他国に諜報員を差し向けるのは何処の国でも一緒な筈さ。

 情報が国を制する。

 軍の基本さ。

 軍人家系の息女なんだから、これくらいは知ってて当然ではないかい?」

「だ、だとしても、あれは情報規制をしているはずよ。」

「傷つけたお嬢さんは君より位が高いらしいじゃないか。

 格下の君の家がどれほどの情報規制ができるのか、是非教えてもらいたいね。」

 

 何も言い返すことはできなかった。

 自身の犯した過ち。

 取り返しのつかない罪。

 それら全てを目の前の男に知られているというのか。

 そんな疑問に焦燥が駆り立てられる。

 

「一時の感情で人生を棒に振るとはまさにこのことだ。

 お得意の炎で同郷のお友達に手酷い火傷を与えたらしいじゃないか。

 この左腕の火傷なんてお茶目なものだろう?

 幸い向こうは軍事関係者ではないらしいけど、家が家だ。

 どれほどの人脈が使われているのか、考えるだけで目眩がするね。」

 

 おそらくこの分では全てを知っているのだろう。

 否。

 優男の顔を見れば予測するまでもない。

 赤髪の美女は悔しみに口を引き結んだ。

 

「貴族社会は縦社会。

 家の優秀さなど二の次だ。

 地位の上下が絶対さ。

 君のお友達はさぞ待ち焦がれているだろうね。

 母国で君の帰りを今か今かと待ち構えているんじゃないかい。

 仮に味方がいるのだとしたら、彼らの息がかかってないことを祈っておくことだ。」

「随分と詳しいのね。

 ストーカーの鏡じゃない。気持ち悪い男ね。」

「諜報の重要性を否定するとは、軍人家系の名が泣くよ。

 自分は他人とは違う、特別な秘密があるとでも思っているのかい?

 陶酔も甚だしいよ。

 君の家のことは、君が思っている以上に多くの人が知っているさ。

 曲り形にも異国の代表だ。

 軍事貴族だけじゃない。商関係の貴族だって探りを入れる。

 噂好きな僕ら貴族が、君のことを知らないはずがないだろう。」

 

 金髪の優男はそう言い捨てると、やれやれと肩を竦めて、憂いるように更に言葉を続けた。

 同情めいてさえいた。

 

「美女であろうと高みから落ちると無様なものだね。

 孤高の狼ぶっても、所詮は孤立した狼だ。

 真の姿を履き違えてはいけないよ。

 所詮は集団の生き物。

 群れを追われれば生きていくこともままならない。」

 

 滑らかな饒舌。

 ギーシュ自身、自分が驚くほど落ち着いていることを自覚した。

 体の芯から有能感が沸いてくる。

 眼前では格上だったメイジが今にも倒れそうな状態だ。 

 それを対して自分はまだ比較的に余裕はある。

 優位性はどちらか。

 もはや問われるまでもない。

 金髪の優男は改めて確認する。

 この立ち位置。

 そしてどんな手段であれ、それを為したのが自分であるという事実。

 周囲の野次馬達の驚きも自身の実力を認めていることに他ならない。

 この状況こそが自分の為した戦果であり、自分の力が示された瞬間であった。

 更なる有能感が自身の胸に流れる。

 最後は格好良く決めてやろうか。

 そんな持ち前の気障な性分を発揮して、優雅な所作とともに薔薇の杖を突き付ける。

 

「終幕を告げよう。

 君を舞台から下ろし、エンディングを迎えようじゃないか。」

 

 劇の終幕を告げるとともに、自前のゴーレムが赤髪の美女に向かって歩いていく。

 

 ついに決着。

 

 そう誰もが確信した瞬間だ。しかし、そこに思わぬ横槍が入ることになる。

 

 突如、謎の刺突音が木霊した。

 

 金髪の優男は目を見開いて驚いた。

 見れば、抉られたゴーレムの肩口。そしてそこに突き刺さる氷のやいば。

 明後日の方向からの明らかな攻撃である。

 不意をつかれた第三者の襲撃に内心動揺に揺れる。

 しかし、氷のやいばにハッとした。

 考えるまでもない。

 顔を上げて向けた瞳の先。

 今にも倒れそうな赤髪の美女の真ん前だ。

 自分と対峙するもう一人。

 青髪の小柄な少女。

 その少女は赤髪の美女を守るかのように、その眠たげな瞳をこちらへと向けて立ちはだかっている。

 

「た、タバサ……」

 

 キュルケは掠れるような声で呟いた。

 唯一の親友の助け。

 立つことがやっとの状況だ。

 ここぞというタイミングなだけに胸が熱くなる思いに駆られる。

 不意に目頭も熱くなった。

 

 しかしそこに、興醒めしたような白けた声が通る。

 

「タバサ君。一体何のつもりだい?

 神聖な決闘に横槍を入れるなんて、随分と不粋な真似をするじゃないか。」

「決着はついた。キュルケの杖はもう折れている。」

 

 そう言って青髪の少女は指差す。

 指し示すその先。そこに転がるのは枝のよう折れたステッキが一つ。

 

「それに……貴方は不正している。」

「なに?」

 

 怪訝そうにギーシュの片眉が上がる。

 

「ガリアの人間は礼儀を弁えていないみたいだね。

 いきなり人の勝負にケチをつけるとは。」

「本当のこと。」

「数少ない親友のために助けに入るのは見事と言おうじゃないか。

 素晴らしい友情だ。

 だけどね、難癖までいくとその友達思いはもはや醜いとしか言いようがない。

 友達のため。

 そういえば聞こえはいいが、それは単に君が納得していないだけだ。

 親友の敗北がそこまで気に入らないのかい?」

「根拠はある。

 先のゴーレムの稚拙な操作性と、二重同時発動の両立はあり得ない。」

「だから何だっていうんだい?

 そこまで言い切るからには証拠はあるんだろうね?

 僕は現に二重同時発動を使えるんだよ?」

 

 そう言って、ギーシュは自前のゴーレムを動かすともに白い肌をたたえる大地の手勢を出現させる。

 

「証拠はない。しかし、十分な状況証拠と言える。」

「はぁ。やれやれ、お話にならないね。

 優秀なガリア王国の才女様は弁舌が苦手とみえる。

 何度も言うが、僕が今二重同時発動を成している以上、君の言うことは単なる言い掛かりにしかならない。」

「……だけど。」

「証拠だ。

 証拠を出したまえ。

 出なければ君の勝手な言い分にすぎない。

 現に僕は証明した。

 理屈のつけた言葉だけに力があると思っているのかい?

 いや、そもそも君の理屈に正当性があるのかどうかすら疑わしい。

 周囲を見たまえ。

 納得していないのは君だけだ。

 タバサ君。

 君は誰もが認める天才だが、だからと言って自身の言い分こそが絶対の正義とは勘違いしてはいけないよ。

 思い上がりも甚だしいことこの上ない。」

「………っ。」

 

 畳み掛けるギーシュの弁舌に、青髪の才女は悔しげに歯噛みする。

 有無を言わさない圧力。

 目の前の優男の声音からはそんな物理的な圧さえ感じた。

 錯覚じゃない。

 彼は衆人環視の中で力を示した。

 めざましい結果を大勢の人間に知らしめたのだ。

 加えて、自分の言い分に証拠がない。

 正当性が持ててない。

 社会的圧迫とはこのことかと実感する。

 認められた者の言葉とは物理的な力さえ伴うのだ。

 自分は間違っていないのに、現状で非があるのは自分のようである。

 相手の不当を証明できないもどかしさに、憤怒をこらえるように拳を握りしめ、ただ黙ることしか出来ない。

 

 

 ただ黙る。

 無言の反抗だ。

 確かな自身の正義に基づいた確信をもっての反抗である。

 

 

 しかしそれは、集団の中でただ一人の反抗だった。

 

 

 惨めを感じずにはいられない。

 青髪の才女は言葉では言い様のない敗北感に打ちひしがれた。

 

 

 そんな時。自分と同じく、不正の意をあげる声があがった。

 

 

「証拠ならここにあるわよっ。」

 

 突如降り掛かる天恵の声。

 敗北に手を握る中、自分に味方する声があがったことに顔を上げる。

 

「ギーシュ。私はあんたをメイジとして絶対に許さないわ。」

 

 見れば、そこに立つのは仁王立ちにした小柄な少女。

 桃色の長髪。

 ウェーブの掛かった長髪を振り払い、勇ましく前に歩み出す。

 

 一体何をしでかすのか。

 そう思わずにはいられない。

 タバサは平静を装いながらも、胸中は疑念に渦巻いた。

 証拠がある。

 桃髪の少女の言葉が耳から離れない。

 自身はその証拠たるものを発見できなかったというのに、この桃髪の少女はそれを見つけたというのだ。

 動揺に瞳を揺らす。

 桃髪少女の一挙一動から目が離せない。

 

「ほう。次はルイズ君かい。

 君まで僕を疑うとは悲しいな。

 証拠があるとは。

 奇特な世迷い言を述べるものじゃないか。」

「はっ。その気取った面も今だけよ。」

「なら、出してもらおうか。

 その証拠とやらを。」

「お望み通り、出してやろうじゃないのっ。」

 

 売り言葉に買い言葉。

 勇ましげな挑戦とともに、ルイズはルーンを唱えて杖を振りかざす。

 

「ファイヤーボール!!」

 

 少女の渾名はゼロのルイズ。

 渾名の通り、杖先から名称となるものが現れることはなかった。

 火の玉は現れない故に宣言の声が虚しく響く。

 しかし代わりに、爆発音が広場に木霊した。

 何処かと思えば杖先の方角。

 そこには一匹の使い魔が煙をあげて倒れ付している。

 ブルーベリー色の皮膚を持つ眼球の魔物だ。

 何だ何だ、と桃髪少女の突然の奇行に野次馬達も戸惑いだす。

 

「お、おい、一体何をっ。」

 

 ギーシュが慌てて止めだすも、ルイズは構わずファイヤーとは名ばかりの爆発魔法を連射する。

 見事に直撃。

 さらに二匹の使い魔達が倒れ付す。

 そして、やってやった、と言わんばかりに得意顔で鼻を鳴らし、ギーシュへと向かい合う。

 

「これで準備は済んだわ。

 さぁ、やってみなさいよっ。

 あんたお得意の二重同時発動をね!!」

 

 

 

 時は少し戻り、さとりがひっきりなしにルイズから呼び掛けられた時へと遡る。

 

 ついさっき隣の青髪少女に怒られたばかりであるというのに、続けざまにぶつけられる怒りの感情。

 会う人会う人、この世界の住人は沸点の閾値が些か低いようだ。

 眼前の桃髪の主にしてもそうである。

 現に目の前で怒る少女の顔はとても人間のものとは思えない。

 知性がかけた獣の顔である。

 動物には博愛主義を掲げるさとりであるが、目の前の動物には愛情を向けることができない自信がある。

 

「さとりっ、ちょっとさとりっ。」

「あの、耳元で喚かないでくれませんか。

 介護老人に呼び掛ける娘さんか何かですか、貴方は。

 難聴の心配はいりませんよ。

 心配するなら無視されていることに気づけない、その可哀想な無神経ぶりを心配しなさい。」

「はぁ!? 

 やっぱあんたわざと無視してたのねっ。

 主人を蔑ろに扱うとか。もはや私に対しての宣戦布告にしか見えないんだけどっ?」

「対応するだけ徒労なのは目に見えてます。

 どうせ彼の覚醒ぶりに納得いかないだけなんでしょう?」

「そうよっ。

 何なのあいつっ。

 あんな力。絶対あり得ないわっ。

 ギーシュがあんな力持ってるなら、私だって持ってても可笑しくないわよっ。」

「因果関係もビックリです。

 失敗の爆発が自身の力。才の片鱗。

 そう自覚してから謎の自信にみなぎったところ、突如突き付けられたあの光景と。

 妬んだり怒ったり。

 忙しいお人ですね。

 浮き沈み激しい前の方がよかったかもしれません。

 今の貴女は浮いて浮いて癇癪上げて、もはや天井が見えません。」

「だってあんなのってあるっ?

 折角いつもの鬱憤をぶつけてやろうって時に、あんな訳分かんない力目覚めちゃってさっ。

 私だって才能あるのにっ。」

「不平等な世界。人は平等を謳いますが、貴女のそれはもはややっかみ以外の何物でもありませんね。

 ストレートすぎて、反って清々しいほどですよ。

 その潔さを使って頭下げに行ったりしません?」

「するわけないでしょっ!

 馬鹿にすんじゃないわよっ。何であんな最低野郎に頭下げなきゃなんないのよっ。」

「私も能天気が過ぎたみたいです。

 彼がドットと聞いて、まぁルイズさんでも頑張れば勝利の一つもなくはないような気がしないでもないかな。

 と思ったんですがね。

 夢のまた夢のようで、御愁傷様です。」

「何で忠実な使い魔が主人の勝利を信じられないのよっ。むしろそこは、何が何でも主に勝利の光を、って使い魔のあんたが気張るくらいはしなさいっ。」

「信徒とは贅沢ですね。

 忠誠が欲しいなら相応の人徳を集めてからにしてください。」

「つーか、こんなことをしゃべりたいんじゃないのよ私はっ。」

「またげば越えられるハードルが、断崖絶壁の障壁に変貌したんですよ。

 頭のこすり方以外に、何を話題に?」

「だから謝んないって言ってんだしょっ。 

 心よっ。あいつの心っ。

 あんな覚醒、絶対何か種があるわっ。

 それを暴いて来なさいっ。これは命令よっ。」

「……はいはい。

 わかりましたよ。では、ちょっと付いてきてください。」

 

 は?

 桃髪の召喚主は困惑した。

 隈の目立つ使い魔。さとりは戸惑うルイズを気にする様子は無く、取り巻きの後方へと行ってしまう。

 自分を誘導する気遣いはない。

 気の利かない使い魔である。

 そんなさとりに文句を垂らすも、肩を怒らせながらついていく。

 野次馬の群れから外。

 異形の瞳を持つ彼女はここで一体何がしたいのか。 

 

「で、こんなところに連れてきて何のつもり?」

「種明かしですよ。」

「……種明かし?」

「ルイズさん、あの使い魔を見てどう思いますか?」

 

 そう言って、目の前の使い魔はあるところを指差した。

 指し示す先は浮遊している生き物だ。

 一つ目の眼球の魔物。

 ブルーベリー色の皮膚に、多数の触手がウネウネと揺れている。

 眼球という点を言えば、自身の使い魔と共通点があるように思える。

 見るに、誰かの使い魔であろうことは分かる。

 野次馬に混ざるかのように最後列から眺めている。

 だがそれだけ。

 だから何だという話である。

 使い魔が魔物というのは珍しいが、それは今問題ではないはずだ。

 使い魔は沢山ここにいる。

 野次馬の生徒達が連れてきているのだから当然だ。

 ルイズはさとりの意図が読めなかった。

 

「別に。

 ただ使い魔がいるだけじゃない。だから何だっていうの?」

 

 瞳を険しく、そうたずねる。

 

「まぁ見ただけでは分かりませんよね。

 他人の使い魔なんて親しくなければ覚えませんし。」

 

 こちらの答えを始めから期待していない口振りだ。

 勿体をつけるのが自身の使い魔の悪い癖。

 単刀直入こそが至上と掲げる自分とは、とことん反りが合わない。

 遠回しに長々と話すことが知的とでも言うのか。

 否。

 真の賢者は端的であり簡潔。

 この使い魔は主の自分を馬鹿にしているに違いない。

 そう思わずにはいられないルイズは声を荒くする。

 

「勿体つけないでズバッと言いなさいよっ、イライラするわねっ。

 私はあんたの主で、あんたの生徒じゃないの。

 要らない質問してないで端的に言いなさいっ。」

「はいはい。

 実はあの使い魔、傍に主がいないんですよ。

 そして他にも二匹ほど同様に、傍に主がいない使い魔がいるようです。」

「何か用事があってどっか行ってんじゃないの?

 でもこんな面白いことは見逃せないってんで、視覚共有して見物でもしてんでしょ。」

「おや、中々冴えてるじゃないですか。

 加えてサラッと出てしまう覗き見思考。良くも悪くもルイズさんも貴族してますね。

 流石公爵です。

 諜報を放って全ての情報を握りたがる。下の者は全て支配。大物要人の生理現象といっても過言じゃありません。

 立派な支配欲をお持ちで将来有望ですね。」

「褒めるかと思えば何貶しくさってんのよっ。

 あくまでも可能性を挙げたまででしょうがっ。

 一々揚げ足とっちゃってさっ。

 あんたの悪い癖よっ。さぞお友達は少なかったんでしょうねっ?」

「友達関連でよくそこまで言えますね。

 撃った弾丸が跳ね返ってますよ?

 言ってて辛くないですか?」

「うっさいわねっ。放っときなさいよっ。」

「でも貴女の答えは的を得てますよ。

 結論から言えば、あのギーシュさんとやらは不正を行っています。」

「不正ですって!?

 やっぱりね。おかしいと思ってたのよ。

 どういうこと、さとり。詳しく聞かせなさい。」

「魔法は一度に一つまで。

 二重同時発動は至極至難と聞きました。

 ならば、単純に考えて予測されるのは他者の協力でしょう。」

「そんなの私だって予測ついたわ。

 でも外野の中で魔法を発動している人はいなかったわよ?

 発動していたら誰だって気付くはず。」

「そうですね。

 なのでそれがバレないような工夫をしたのですよ。」

 

 そこまで聞くと、ルイズは鼻で笑った。

 眼前の講釈を垂れたがる使い魔。いつも反抗的だ。

 ここで一つやり込めてやろうと思考が走り、彼女を見下ろすようにやや顔を上げた。

 腰に手を当て、皮肉げな笑みを張り付ける。

 そして諭すような、呆れるような声音をもって言葉を返す。

 

「もしかして、遠く離れた木陰でやってたとでも言いたいの?

 使い魔を紛れさせておけば、視覚は共有できるし、狙いは定められる。

 中々考えた作戦じゃない。

 凄く陰湿。

 でも残念ね。それは無理よ。」

 

 やれやれと、かぶりを振る。

 出来の悪い生徒を諭す教師のように、ルイズは指を振りながらで説明を続けた。

 

「魔法にはね、射程距離というものがあるの。

 いくら万能の魔法でも、離れすぎると魔法は届かないわ。

 野次馬の周囲で隠れられる場所といったら、精々花壇の陰くらい。でもヤッパリダメね。

 広場から離れすぎてる。

 視覚共有で見えていても、魔法が届かなきゃ意味ないわ。

 支援なんて出来やしないわよ。」

「いえ、それが出来るのですよ。」

「は、はぁ? あんた私の説明聞いてた?

 だから出来ないって……」

「説明は最後まで聞いてなさい。

 対抗心は不毛です。

 良く言えば向上心。好敵手、高め合う関係とやらの意識高い系がよく持つものです。

 言葉を置き換えれば聞こえはいいですが、往々にしてその結果に待つものは相互不理解。

 自身のことに躍起になって、意志疎通すらままならなくなる。

 会話ができない猿への退行です。  

 ルイズさん、人間になりなさい。

 でなければ話は始まりませんよ。」

「あ、あああんたは、いっつもいっつも御主人様に向かってぇ。

 だぁれが猿ですってぇぇ?」

 

 桃髪の主はぶちキレる。

 不敬を通り越す罵倒の数々。何度も結び直した堪忍袋の緒が切れたのだ。

 むしろよくここまで耐えたと、自分で自分を褒め称えたい心持ちでさえあった。

 この怒りは正当。

 何度言っても態度をたださないこの不敬千万な使い魔に裁きの鉄槌を下してやるのだ。

 

 しかし髪を逆立てるルイズに対して、さとりの瞳は動じる様子はない。

 濁った瞳は濁ったまま。

 先と変わらない声音で、彼女は淡々と言葉を告げていった。

 

「支援者は広場の地中に潜んでいたのですよ。」

「………はい?」

 

 突如投げ込まれる、突拍子のない内容。

 桃髪の主は間抜けな返事を返さざるを得なかった。

 

「言葉の通じてない猿の顔ですね。仕方ありません。

 もう一度言いましょう。

 支援者は広場の地中に潜んでいたのです。

 他者からは目視出来ず、かつ魔法の射程内。

 別に不思議がることはないと思いますがね。」

 

 変わらない口調で告げるその言葉は、まるで不変の事実を告げられているようだ。

 冷たい事務官と相対する感覚。

 そんな錯覚を覚えた。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ。

 いくらなんでも地中ってのは、突拍子もないというか……」

「まぁ、確かに同級生達がそこまで凝った工作員紛いのことをしていたら驚きますよね。

 喧嘩一つに裏でこそこそとしているのです。

 薄気味悪さすら覚えるでしょう。

 ですが、あり得ないことではないのです。

 権力抗争でも見られます。

 貴族の裏の一端とでも言えば理解できるのではないでしょうか?」

「それって……」

「そうですよ。

 あらかじめ集団で襲えるように、あの場所は仕組まれていたのです。

 だからギーシュは一人先に決闘の広場へと向かったんですよ。」

 

 ルイズは愕然とする。

 確かに権力の争いというものは表だって行われる前に、秘密裏に根回しをしたりするものだ。

 ルイズも公爵という立場上そういった裏事情はある程度知っていたが、いざ行われると心の芯が薄ら寒くなる。

 その陰湿さにややゾッとする。

 それも同じ年齢の同級生達がやっているのだから尚更である。 

 

「ルイズさん。貴女はギーシュさんの使い魔を見たことがありますか?」

 

 えっと、とこめかみに手を当てて考える。

 目をつむって思考を巡らすも、ルイズは唸るばかりだ。

 記憶の引き出し。

 そこから掴みとれるのは、頼りなく朧気なもの。

 しかし、確かに彼の使い魔を視界に納めたはず。

 その覚えはあるのだ。

 

 茶色の体毛で巨躯を持つ。

 ずんぐりとした四足歩行。

 

 ルイズの脳内。靄のかかった記憶が徐々に鮮明に映りだす。

 思考の果て。

 そしてついにははっきりした輪郭を描き出し、答えを引っ張り出すことに成功した。

 目を見開く。

 

 そうだ。

 

 思い出した

 

 彼の使い魔は確か。

 

「そうだわっ。ジャイアントモールよ。」

「ええ、その通り。

 人の身大のあのデカさ。しかももぐらです。

 地中に人が入れる空間をつくるくらい、造作もないことでしょう。

 見るに三人ほどの支援者がいるようです。

 道理で手数が多く見える訳ですよ。」

「なるほどね。

 ……ていうかっ。わかってたんならさっさと言いなさいよね。

 まさか、わざと負けを誘おうとした訳じゃないでしょうね?」

「キツイお灸とするなら吝かでもないですがね。

 いい薬じゃないですか。

 その天をつくような怒髪天も多少は収まりますよ?

 どんなに害悪で非道に見えても、有効性があり、有益さに軍配が上がるならそれは確かな薬となるのです。

 貴方の癇癪は病気といってもいいくらいなので、一度治療してみればどうです?」

「主に対する紛れもない反逆よっ、反逆っ。」

「冗談が通じませんねぇ。

 心配せずとも、私も知ったのはついさっきですよ。

 読心は万能ではないのです。

 いくら心を読めても、いつでも記憶を探れる訳ではありません。

 言葉を投げ掛け、会話し、そこに伴う思考と記憶を読んでいるのです。」

「え、そうなの?」

「ええ。

 なのでファインプレーでしたね、ルイズさん。

 先の大声での命令がギーシュさんにも聞こえてたようで、彼の焦りが私に流れてきました。

 ルイズさんの癇癪声も時には役立つようです。

 誇ってください。」

「……あんた、人を褒めることを知らないのかしら。」

 

 しかし、これで納得である。

 ある日突然ドットクラスのメイジが高度な魔法技術を扱い、トライアングルのメイジを圧倒。

 そんなことは起こり得るはずがないのだ。

 

 許せない。

 

 桃髪の少女の胸中に、激しい感情が渦巻く。

 メイジの決闘は神聖なるもの。

 誇りを賭けたメイジ同士の高潔な対峙でもある。

 自分は魔法を使えない。

 しかし、だからこそ。

 魔法を使えないからこそ、誰よりも誇り高く、高潔であろうとしてきた。

 故に許せない。

 桃髪の少女の瞳に炎が灯る。

 

「ギーシュのやつ。絶対に許せないわ。

 神聖な決闘を汚すような真似。断じて認められない。

 メイジの誇りを私が直々に叩き直してやるわ。」

「叩き直すって。

 肝心の叩き直す金ヅチがへなちょこでは逆に叩き折られそうなんですが。

 あの赤髪の方でさえ押されているというのに。」

「力に驕った猪突猛進なあの感情馬鹿と一緒にしないで頂戴っ。

 私は頭脳派よ。

 策くらい講じるに決まってんでしょ。

 座学筆頭を舐めないでもらえる?」

「はぁ。なるほど。

 私に抱えてもらって空中から狙い射つのですか?

 確かにあの亡者のような手からは逃れることは出来そうですが、些か間抜けな格好ですね。

 いつもの品格云々は宜しいので?」

「なっ!?

 誰が間抜けな格好よっ。

 見てなさいよっ。もっとスマートにぶっ飛ばして見せるんだからっ。」

 

 そう言ってやる気を突き付けると同時、桃髪の少女は為すべきことを為すべく、取り巻きの中へと戻っていった。

 やる気は期待の現れだ、

 やるぞ、と拳を挙げて取り掛かる。

 そんな姿を彷彿させるが、往々にしてそこには期待が内包しており、空振った意気込みは挫折するまでがセットである。

 パターン化された運命。

 そこから逃れるには器量の良さが物をいうだろう。

 やる気とは基本的には邪魔となる重荷であるのだ。

 

 さとりは濁った瞳でその背をみつめる。

 勇ましくも小さい。

 その小さい背中は今にも広場へと飛び立とうとしていた。

 あの癇癪持ちに器量の良さなど似合わない。

 そんな繊細さを求めるのは期待するだけムダということだ。

 人の性質は変わらない。

 猪突猛進。

 それが彼女である。

 

 

 

 

 

「──つまり。

 あの使い魔達が倒れて、あんたが二重同時発動を使えなくなったのが何よりの証拠よっ。

 あんたのそれは、他人に手助けしてもらった偽物に過ぎないのよっ。

 ねぇ、ギーシュ。

 あんたはこの決闘で不正を働いたの。

 あんたはメイジの決闘でやっちゃいけないことをやってしまったのよ。

 覚悟、できてんでしょうね?」

 

 

 衆目の中、朗々としたルイズの声。

 ギーシュの二重同時発動は偽物である。

 彼女は強かにそう主張した。

 ルイズは金髪の優男に挑発を叩きつけたのち、彼の不正を訴えに出たのだ。

 

 パチパチ、と拍手が寂しく生まれた。

 その発生源は非難の的へと担ぎ上げられたギーシュ本人だ。

 

「はは。

 素晴らしいじゃないか。

 ゼロのルイズも舐めたものではないらしいね。」

 

 褒賞の意。

 そんな含みのこもる優男の声が届いた。

 

 ルイズの突如の奇行とともとれる爆破行動のあと、ギーシュは人形操作と同時に亡者の手を発動することはできなくなった。

 さぁ、やってみろ、という桃髪の少女の挑発に、事実彼は応えることができなかった。

 ただ黙るのみ。

 故に彼は肯定した。

 もはや、肯定せざるを得なかったのだ。

 

 自作自演。

 二重同時発動が虚構のものである。

 彼自身の現状自体が紛れもない不正の証明であった。

 

 感覚共有という使い魔の特性。

 ギーシュの使い魔、ジャイアントモール。

 地中に潜む支援者。

 使い魔達の再起不能後、二重同時発動の不発。

 

 衆人環視の元、桃髪の少女は声高らかにこれらの不正の意をギーシュへと叩きつけた。

 明確なる根拠の伴う非難の剣先はどこまでも鋭い。

 単なるいつもの癇癪が厳格な圧力さえ伴っているかのような錯覚をきたす。

 力強い態度。

 彼女の主張はどこまでも強い厳しさを乗せていた。

 

 決闘において、ギーシュは不正をしている。

 

 声強く、証拠とともにここまで言われてしまえば、誰もが信じざるを得ない。

 周囲の野次馬達はざわめきを大きくする。

 証言に対する信憑性など、もはや問われるまでもない。

 証拠は目の前のギーシュ自身。

 今問われるべきなのは決闘の不正だ。

 メイジの決闘という、神聖なる儀式とも呼べる高潔な決闘を彼は汚した。

 それが問題だった。

 ギーシュに向ける視線が一気に厳しくなる。

 感嘆から侮蔑へ。

 憤怒さえ伴った。

 大勢からの非難の視線は物理的な圧迫さえ伴うものだ。

 社会的圧迫に晒される金髪の優男。しかし、彼は気障ったらしい振るまいを今だやめることはしなかった。

 

「ギーシュ、あんた。状況わかってんの?

 あんたはね、メイジとしてやっちゃいけないことをしたのよ。

 メイジの誇りを汚す。

 それがどういうことか、わかってんでしょうね。」

「はは。

 ああ、勿論わかってるさ。」

 

 桃髪の少女は眉を吊り上げる。

 目の前の金髪の優男からは反省の色が見えない。

 

「だから何だって言うんだい?

 これは確かに決闘という名目だけど、その実は学生の喧嘩に過ぎない。

 そもそも、この決闘に明確なルールなんて無いんだよ。

 僕は一言も一対一とは言ってない。

 誰かに手助けしてもらってはいけない、なんて決まりはない。

 喧嘩にルールも何もあったもんじゃないさ。

 彼女が勝手に勘違いして、勝手に地面に這いつくばっただけのことだよ。」

「あんたがそこまでの外道野郎だなんて知らなかったわ。見損なったわね。」

 

 そこに加えて、青髪の才女が前に出る。

 その瞳は怒り。どす黒い何かがグツグツと燃えているよう。

 そんな錯覚さえ覚える瞳だ。

 彼女もルイズと同じく怒気の孕んだ声を発した。

 

「………人道に背く人間を見過ごすわけにはいかない。

 不当な決闘でキュルケは傷ついた。

 借りは返させてもらう。」

 

 敵意を明確に、隣の青髪の才女杖を突き付ける。

 

 しかし、対するギーシュは今だ気取ったような飄々とした態度を崩さない。

 まるで道化を演じるピエロのよう。

 恐い恐い、と茶化す素振り。

 ルイズの握る拳が震えた。

 一体どこまでふざければ気がすむのか。燃える憤怒に更なる薪をくべられる。

 ルイズは喉から出る声に怒りが漏れた。

 

「あんた、覚悟しなさいよ。

 今からとっちめて、その腐った根性を叩き直してやるわっ。」

「………それは私の役目。」

 

 ぶつけられる二人の闘気に、尚も金髪の優男はそれを気にする素振りはない。

 それどころか、やれやれと呆れる始末。

 誇りを汚している分際で何だというのか。

 苛立ちを募らずにはいられない。

 まさに怒りを怒声に変えようとした時、すんでのところでギーシュはかぶりをふって、なだめるような口調で言葉を紡ぎだした。

 

「君たちは勘違いしているね。

 僕は君たちと闘うつもりは毛頭ないよ。」

「はぁ?

 あんた、そんな都合のいいことが罷り通るとでも思ってんの?」

「君らの掲げる正義に正義はないよ。

 僕が不正をしたからってそれを正す資格が君たちにあるのかい?」

「不正を正すのに資格はいらないわ。

 証拠も状況もそろってる。

 何をくっちゃべっても、言い逃れはできないわよ?」

「………決闘で、貴方は複数人よるリンチを犯した。

 たとえルールを決めてなくても、非難の的には変わりない。」

「非難だと?

 そもそもこの決闘自体、学院では禁止されていることだ。僕とキュルケはそのリスクを踏まえて決闘を行った。

 そこにとやかく言われる筋合いはない。

 口を出すなら決闘前にしたまえ。

 非難の的は君たちも同じだ。

 禁止行為に口を出さず、ただ眺めていただけなんだからな。」

「な、なんですって!」

「君たちは喧嘩は止めないのに、複数人で叩くとそれは汚いと非難するのかい?

 やり方の問題が重要なのかい?

 そこに一体何の正当性があるのか、是非お聞き願いたいね。」

「誇りの問題よっ。貴方はそれを踏みにじった。

 その癖何自分は悪くないみたいなこと言ってんのよっ。」

「まるで子どもの理屈じゃないか。

 気に入らないから悪いとでもいいたげだ。」

「子どもはあんたよっ。

 私たちはメイジの学生なのよ。

 メイジのなるべくこの学院に通って魔法を学んでいるの。

 当然、メイジとしての品格と志も自覚しないといけないわ。

 メイジとして、やっていいことと悪いこともあるのはあんたもよく知っているはずよ。

 なのにあんたはメイジの禁に触れた。

 非難もされるし、罰も受けるのはもはや問われるまでもないわ。」

「禁に触れるか。

 僕に言わせてもらえば決闘自体悪いことだ。

 規則に抵触してしまっている禁則行為を僕とキュルケ君は理解した上で行った。

 同じく何も言わずに傍で傍観している君たちも同罪さ。

 そこに、ああだこうだと正当性を突き付けるなんて滑稽だと思わないのかい?」

「あ、あんたねぇ、言わせておけばぁ。」

「………これは決闘でない。

 公平性がないからこそ非難している。

 貴方の行いは集団リンチ。

 一方的な暴力を非難しない理由はない。」

「だったら尚更馬鹿げたことを言うんじゃない。

 僕はドットだよ。

 一体どういう理屈があってトライアングルの彼女に勝てる道理があるんだい?

 公平なんてはなっからないさ。

 正義を語りたいならこの無理な格差のある決闘自体を止めようとする心意気を見せてもらいたいね。

 これは遊びじゃない。

 禁止された危険行為だ。

 ルール違反も何もない。

 この左腕をみたまえっ。

 怪我を負っているのは僕も同じだ。

 この大きな傷害リスクを飲んでるからこそ、僕達はここにいる。

 決闘自体非難されこそすれ、その内容について正義を問われる謂れはない。

 君たちの正義は単なる独り善がりだ。」

「あ、あんたがそんなこと言える立場じゃないでしょうがぁぁぁ!!」

 

 

 突き抜けるような怒声とともに、ルイズは杖を振りかざす。

 ルーンを唱え、杖の矛先はギーシュへと突き付けられる。

 当然、爆発。

 失敗魔法が標的を爆破させ、煙を上げさせた。

 

 しかし。

 

「驚いたよ。

 まさかそんな方法をとってくるとはね。

 いつもの爆発でも利用次第じゃ凶器に成り変わるいい例だ。

 勉強になったよ。ゼロのルイズ君。」

 

 皮肉げな声音が届く。

 煙を上げているのはギーシュ本人ではない。

 彼の前に守るように立ちはだかるゴーレムが爆発したのだ。

 爆破と言ってもほんの一部。

 頭部がやや欠けた程度である。

 まだ七体も目の前に立ちはだかるゴーレム達を前に、その爆発の威力はあまりにも頼りない。

 こんなものなのか。

 ルイズは絶句した。

 

「そ、そんなはずがないわ。

 私の、私の魔法があんなやつに負ける訳がないっ。」

 

 認められない。

 目の前の結果を是としないルイズは何度も杖を振り続ける。

 爆発。

 爆発。

 爆発。

 一向に成功する兆しのない失敗魔法は、爆発でもってゴーレムを攻撃し続ける。

 ギーシュの前に立ち続けるゴーレム。

 初めは頭部を、次に胴体、そして次に腕と。

 次から次へと爆破され、とうとうそのゴーレムが膝を屈したかと思えば、また他のゴーレムがギーシュの前へと立ちはだかる。

 この作業に終わりがくることはない。

 それは火を見るより明白であった。

 

「もう止めたまえ。

 君の爆発はただのゼロではないことはわかった。

 だがあまりにも力が不安定だ。

 火力が足りないよ。」

「まだよっ、まだ……」

 

 さらに杖を振ろうとして、突如誰かの手で制される。

 ルイズ言葉が詰まった。

 当然、制したのは自分の手ではない。

 その手の持ち主は隣にいるタバサだ。

 

「ちょ、ちょっとあんた退きなさいよっ。」

「………やめる。」

「………何でよっ。あんたにそんなこと指図される謂れは……」

「……やめる。徒労にしかならない。」

 

 ルイズは歯を噛み砕かんばかりに奥歯を食い閉める。

 ギリッと鳴る歯ぎしり。それは我慢ならない悔しみに満ちていた。

 

「タバサ君は理解してくれたみたいだね。

 理解が早くて何よりだ。

 ルイズ君。君も杖を下ろしたまえ。

 これ以上はお互いに不毛な上に、この戦いにもならない戦いに意味はない。

 いいかい。

 次にその杖を振るった時、君のメイジとしての矜持は偏執な自己本位へと成り代わり、単なる自己満足へと成り下がるんだ。」

 

 桃髪の少女は瞠目する。

 突きつけた杖をどうするべきかわからず、その判断に迷いが生じた。

 杖をもつ腕が震えだす。

 

 決闘自体が非難の的。

 それに参加して傍観している以上、何も言う資格はない。

 それが目の前の優男の言い分である。

 非難を非難で返された。

 力強い優男の言葉に反論しようにも言葉が詰まる。

 言葉にならない言葉が小さな呻きとなって喉にたまった。

 悪いのはこの男なのに。

 メイジの誇りを汚されたのに。

 なのに、何故こうも反論が出ないのか。

 自分の言い分に間違いはないはずなのに、正当性がまるで向こうにあるかのよう。

 彼があまりにも自身満々にいうため、周囲の取り巻きでさえ何も言えなくなっている。

 皆微妙そうな顔だ。

 納得がいかない。

 皆そう思っている。

 だがルイズと同じく、どんな根拠をもって、どう返したらいいのかわからないのだ。

 

 ルイズは奥歯を噛みしめた。

 

 やるせない激情が胸に疼き、言葉の限り罵倒したくなる。

 感情に任せてあらんかぎり叫びたい。

 欲求の渦が奔流する。

 しかし、僅かに残った自制が歯止めをかけた。

 それは出来ない。

 何であろうとも、やってはならない。

 それは敗北も同義。

 敗北など、自身の矜持が許すはずがないのだ。

 

 

 

 

 沈痛な面持ちに浸る中、憤怒とともに諦観が混じる。

 

 まさにその時にだ。

 

 ルイズの耳に一つの声がかかった。

 

 

 

 

 

「あれだけ息巻いておいて、もう諦めてしまうのですか?」

 

 

 透き通った声。

 微妙な空気になりつつある広場で、その声は鈴の音のように木霊した。

 

 広場がしんと静まり返る。

 

 声の発生源は取り巻きの中。

 足音が鳴り響き、次第に野次馬達が道を開けた。

 ルイズ達の瞳に一人の少女が映る。

 先程話したばかりだ。

 よく見知った人物であり、小柄な背丈。

 一人の少女がそこにいた。

 

「猪突猛進。

 それが貴女の取り柄とするなら、せめて額縁通りの突破力は見せてほしいものです。」

「さ、さとりっ。」

 

 さとりだ。

 馴染み深い、使い魔の顔と声がルイズの瞳に映る。

 

 しかし。

 

 

「さ、さとり?」

 

 その使い魔に纏う、不可思議な雰囲気。

 

 ややいつもと違う、知らない少女がそこにあった。

 

 誰もが言葉を失う。

 ルイズでさえ目を白黒させた。

 濁った瞳に目立つ隈。

 気だるげな物静かさは変わらないのに、そこから放つ不気味さが得も知れない圧迫感を孕んでいた。

 ゆらゆらと揺らめくピンクの髪。

 そして極めつけとばかりに、手に持つ目玉が幻惑的に発光している。

 そこから何となく、彼女の周囲に魔力が渦巻いていることが知覚させられた。

 

「その真っ直ぐさは清蒹の表れ。

 貴女に根差す貴族としての立派な心構えでもあります。

 心地良いものですね。

 しかしその信条は人を選びます。」

 

 しかし、口から出る言葉はいつも講釈。

 ルイズは戸惑った。

 

「履き違えれば馬鹿と頑固の石頭。

 それは救いようがなく、壁をこえられないものは挫折の道を選ぶしかなくなるのです。

 貴族たれ、とその孤高ともいえる信条。

 その志。

 つらぬくのは構いませんが、相応の力がなければ成せることも成せなくなるとだけ言っておきましょう。」

「な、何よさとり。

 ここに来てまた説教垂れるつもりなわけ?」

「使い魔として役目を果たしてるだけですよ。

 忠誠とはなん足るか。

 主と同じく道を踏み外してでもついていく。

 そういう人もいるでしょうが、私はあくまでも諫言すべきことは諫言しようと思うまで。

 貴女は人に言われなければとことこん突っ走る方ですからね。」

「それギーシュの言ってたことじゃないっ!

 あんたも向こうに肩をもつわけっ?」

「思い込みが激しいですね、ほんと。

 貴女の在り方は正しくもありますが、誤りでもある。

 立派な志をもっておいでですが、同時にその高い志故に焦燥に駆られ、そして誤った行動へと出てしまっています。

 だからこそのつっこみですよ。」

「余計なお世話よっ。

 私は私の道を行くのっ。

 それは誰にも邪魔させないし、口も出させないっ。

 あんたはただ黙って私についてくればいいのよっ。」

「貴女は本当に我が道を突き進みますね。

 呆れを通り越して尊敬しますよ。

 自分の選択を常に是とし続ける。

 まさに覇道。

 誰もができることではありません。」

「それが何よっ。

 あんたは誰の味方をしにきたのよっ。

 さっきまでは私が戦うことに否定的だった癖に。」

「まぁ、そうなんですけどね。

 しかし、私にも気まぐれというか、心変わりというものもあるのです。」

 

 そう言って、さとりはルイズより前に出る。

 

「ああまで愚直に立ち向かわれては、私も柄になく勝たせてやりたい、などと思ってしまうではありませんか。」

 

 愚直。

 一つ覚えの馬鹿を指すその単語は、往々にして否定的な意味合いをもつ。

 無能をさすことさえある。

 しかしその愚直さは、今や一種の魅力へと変貌しようとしていた。

 負であって正とは言えない、ただただ真っ直ぐな不器用さ。

 だが本人は正しくあろうとはしている。

 ルイズの魅力だろう。

 彼女はまさしく物語りの主人公に相応しい。

 

 髪の揺らめきや不可思議な魔力をそのままに、さとりはギーシュと向かい合った。

 

「やれやれ、今日はやけに人に歓迎される日だ。

 君は弁が鋭いから一体どんな正義を突き付けてくるのか楽しみだよ。

 ただ、ルイズ君と同じだとか言わないでくれたまえよ?

 それなりの弁を期待しているのだからね。」

「いいえ。

 文句などありませんよ。

 貴女の言う通り決闘に何らかの形で参加してしまった以上、そこに正当性を上げることはできません。

 私はただ使い魔として参加しているだけですよ。」

「なんだいそれは?

 十八番の弁舌は何処にいったんだい?

 拍子抜けな回答でガッカリだよ。

 それだと、君はルイズ君の言う正義を後押ししに来ただけではないか。

 それについてはもう不毛だし、僕は戦う気はないよ。」

「何を言っているんですか?

 もともとルイズさんとは戦う予定だったはずです。

 正義など関係なく、戦う理由はあるじゃないですか。」

「それはそうだけども、もう決着はついてるじゃないか。

 自らの無力さに打ちひしがれて、そこで立ち尽くしている主が見えないのかい?」

「私の目は節穴ではありませんよ。

 杖はまだ彼女が握っていますので、敗者の条件は成し得ていません。」

「はっ。

 だとしても、これ以上彼女の意地のためだけに付き合うのも、彼女のためにも良くないと思うのだけどね。

 彼女はただ僕を殴りとばしたい一心でいるだけだ。

 見苦しいことこの上ないよ。」

「勝負に白熱してお忘れかも知れませんが、元々は貴方の浮気の話です。

 この決闘は浮気した態度の是非を問いていたのですよ?」

「……あれは使用人の過失さ。

 彼女のふざけた記憶違いのせいで、不幸にも二輪の薔薇達が痛ましく散ってしまった。

 全く悲劇なことだ。」

「貴方の浮気と使用人の過失。

 その二点が重なった故に起きた今回の事件は、喜劇か悲劇かなんて私は知りませんよ。

 少なくとも貴方が浮気してなければ、避けられた事態であることは間違いないのです。」

「……人の付き合い方についてとやかく言われる筋合いはないな。」

「中々のクズ回答で結構。

 女として非難する大義を得られました。

 嬉しく思いますよ。

 私、色事で幅を利かせる人物というのは、人種・性別を問わずに大嫌いでして。

 これで心置きなくやれそうです。」

「………君、本音が出たな。

 使い魔の役目だとか何とか言って、でしゃばってきたのはそのためなんじゃないのかい?」

 

 ギーシュは呆れるような口調でそう尋ねた。

 質問の形を取っているが、それはもはや形骸化していた。

 既に確信は得ている。

 不貞を働いた自覚はあるのだ。

 この事件の概要を聞いて怒らない奇特な女性はいないだろう。

 

 瞳の先では今も尚怪しげな雰囲気を纏い、不可思議な魔力でそのピンクの髪がゆらゆらと揺れている。

 

 自身の視線が自然と彼女の手元に移る。

 謎の光を発光させる眼球だ。

 

 幻惑的な光。

 

 そのせいだろうか。

 その身に纏う不気味さとともに、彼女の存在に得も知れない圧力が伴う。

 そんな不可思議な感覚だ。

 錯覚とは違う。

 

「さて、どうでしょうかね。──想起。」

 

 

 その言葉を最後に、目の前の少女は変貌を遂げた。

 

 

 

 

 ドクン、と大気に波が生じる。

 

 

 否、そう感じたに過ぎない。

 変貌だ。

 だが外見は変わっていない。

 しかし、間違いなく目の前の少女はつい先ほどまでの彼女とは明らかに違う。

 

 圧倒的拍動が目に映る。

 

 巨人の心臓が眼前にあるのかと錯覚するほどに、暴力的な内圧が彼女の身の内からバクバクと伝わる。

 天に座する太陽が眼前にでも降りてきたかのような破壊的なエネルギーが彼女の内側で爆発したのだ。

 

 凄まじいほどの存在感が肌に張り付く。

 

 外見は変わらずとも、その在り方の変わりようは目を疑うことも烏滸がましい。

 彼女は一体誰なのか。

 ギーシュは呼吸も忘れたかのように立ち尽くす。

 

「光栄に思っていいですよ。

 貴方はその身をもってこの世にない鬼の力を味わえるのですから。」

 

 ルイズを含め、その場全員の時が止まる。

 誰もが動作という概念を忘却の果てに置き去りにしたかのような硬直。

 そう錯覚する中、いち早くこの呪縛から逃れた人間が一人。

 怖じ気が走る心を押さえ込み、震える唇を動かして声を発した。

 

「………さ、さとり?」

 

 まるで殺人鬼や強盗犯、予測のつかない恐怖の対象に声をかけるような響きがそこにある。

 ルイズである。

 硬直から逃れた今、喉も体も全てが震えて抑えが利かず、次から次へと恐怖が沸いて止まらない。

 しかし、聞かずにはいられなかった。

 確かめずにはいられなかった。

 目の前の少女は本当に自分の使い魔だったのか。

 

 沈黙が鳴り響く。

 

 カチカチカチカチカチカチ。

 恐怖に駆られるように歯が鳴り続けた。

 返事はない。

 駆られるような何かに抑えが利かず、もう一度尋ねようとしたその時、他の方面から絶叫が木霊した。

 

「ワルキューレ全部隊っ、

 あいつを殺せぇぇぇええぇぇぇええええ!!!!」

 

 死にたくない。

 何としてでも、何をしてでも生き残る。

 そんな虎に窮地へと追われた鹿のごとく、焦りと恐怖が内在した叫びが木霊する。

 ギーシュの雄叫び。

 その目は血走り、額には大量の汗粒が流れていた。

 

 ギーシュの必死の号令に応えるように、ゴーレム達が剣を掲げて絶対者然とする『鬼のような』さとりの元へと殺到する。

 凄まじい猛進ぶりの突貫。

 まさに忠誠。

 その姿はどこまでも主を守ろうとする真の騎士。

 圧倒的な存在に腰も引けずに立ち向かうその様は、無謀にも関わらずあまりにも勇猛果敢で輝かしかった。

 

 しかし。

 

「物騒ですね。」

 

 暴力的な存在感を放つ一方、さとりの声音はどこまでも単調だ。

 

 そして、片膝を上げて静かに一言。

 

 

 

「力業──『大江山嵐』──」

 

 

 宣言と同時に、力強くその足を踏み鳴らす。

 

 

 その瞬間、大地が空を飛んだ。

 

 

 否。

 

 大地が岩片となって宙へと弾け飛び、大地が浮上したかのような震撼が走ったのだ。

 

 悲鳴と怒号が轟く。

 

 周囲にいた学生達の騒ぎが目に入った。

 しかしその光景もすぐに視界から外れることになる。

 

 広場は放射状へと蜘蛛の巣のごとく亀裂が走り抜き、ボコボコと山脈のごとく岩片が隆起する。

 

 亀裂の隙間は眩しいほどの発光が迸る。

 その発光はまるで、足元のすぐ下にはマグマがあることを知らしめるかのようですらある。

 

 そして、弾け飛んだ岩片が殺到するゴーレム達を吹き飛ばし、大地に落ちる前に原型を留めないガラクタと化したのだった。

 

 周囲は変わり果てた地形で埋まり、取り巻き達の悲鳴が遠くなる。

 聞こえるのは大地の軋み、ただそれだけ。

 

 

 空に飛び立った大量の岩片。

 

 それが今や指向性の伴う雨粒となり、ギーシュの元へと向かって飛来した。

 

 

 ギーシュの瞳に硬質な雨が映る。

 

 いやだ。

 死にたくない。

 

 万感の思いでそう願うも、迫る来る岩片はどこまでも無情。

 

 視界が岩片で埋まる。

 

 涙で視界がぼやけた。

 

 ギーシュはあらんかぎりの思いを声に絶叫した。

 

 

「うわぁぁぁああぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギーシュは絶命した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボムッ、と腹部に圧痛が伴う。

 

「え?」

 

 大して痛くない腹部の痛み。

 そして気付けば岩片で覆われた視界が嘘のように姿を消して、整然と整えられた元の広場が瞳に写った。

 

 ギーシュは目をパチクリとさせる。

 

「へ?」

 

 無意識に間抜けな疑問符が声に出る。

 体をあちこちとさする。

 どこにも怪我は見当たらない。

 

 何が何だかわからず、疑問符を繰り返して挙動不審な動きをとる。

 状況の展開に理解が追い付かないのだ。

 

「中々の絶叫で何より。

 知性が抜け落ちたような顔色ですが、いい悪夢は見られましたか?」

 

 目の前には異形の瞳を抱える少女が一人。

 見れば、その手は握り拳。

 その拳に一体何の意味があるのか、ギーシュは未だに思考が定まらなかった。

 

「い、一体何が………」

 

 ピンク髪の小柄な少女の顔をまじまじと見つめる。

 濁ったような生気のない瞳に、目立つ隈。

 身に纏うは、気だるげな雰囲気。

 そこには、先ほどあったような不可思議な雰囲気もなければ、絶対者然とした圧倒的な存在感も見当たらない。

 いつものルイズの使い魔だ。

 

「目覚めの気付けにと腹パンを試みましたが、中々鍛えているのですね。

 こっちが痛いですよ。

 流石軍人家系の息子。

 実は腹筋バキバキで見せびらかすタイプだったりするんですかね。

 見てくださいよこれ、手が赤くなったではないですか。

 全く、骨折したらどうしてくれるんです。」

 

 混乱が解けず、受け答えがまともに行えない。

 ギーシュは声を出そうとするも、何を言えばいいかわからず、結局なにも言えないままになってしまう。

 

「おかしいですね。

 その瞳には現実が見えているはずですが、もしかして持病で統合失調症でもお持ちで?

 幻覚が残るようなことはしてないのですがね。」

 

 ギーシュはもう一度自身の体を見回した。

 

 やはり何もない。

 記憶を探ればあの光景。

 自分は飛来した岩片に潰されたのだ。

 自分は確かに命を落とした。

 記憶にはハッキリと残っており、あれが幻覚とは思えなかった。

 

 しかし、目の前の少女はそれを否定した。

 

「いいえ、それは錯覚です。」

「そ、そんな筈は。」

「私の能力とも思って頂ければ結構です。

 貴方は私の謎の雰囲気に当てられて幻覚を見てしまったのですよ。

 私の振るまい一つ一つが大袈裟なほどに誇張されて映ったのです。」

「げ、幻覚だと?」

「ええ。

 まぁ、こちらでもそう感じるように誘導したところもありますがね。

 その証拠にここにいる皆さんが同じ幻覚を見ていますよ。」

 

 周囲を見れば、皆一様に動揺と疑問に混乱している様子であった。

 耳を澄ませば、その話している内容も自分の見た光景と一致している。

 あれは全て幻だったというのか。

 今だ信じられないと、ギーシュはこの複雑な心境から抜け出せなかった。

 

 そんなギーシュの混乱などお構い無しといった感じに、さとりが尋ねる。

 

「それでどうするんです?」

 

 再び視線を目の前の少女に戻すも、ギーシュは返答に窮した。

 質問の意図がわからない。

 

「敗けを認めるのか認めないのか、ですよ。

 杖はこの通り頂いておりますので、勝負としては敗け確定なのですが、こういうのは心の問題が重要ですから。

 元々の件がアレですからね。

 認めるのなら、ちゃんと謝っておくことです

 一応、使用人さんも含めてですよ。」

 

 

 ああ、なるほど。

 

 呆然とした頭ながらも話の内容を何とか理解したギーシュは、心から肯定の意をもって頷いた。

 

 この意をもって、決着はついたのだった。

 

 

 

 

 

 




 長くなってしまいました。
 なんやかんやで偉そうなことを言いましたが、結局僕も無双が好きということでしたね。
 人によっては幻覚ではなく現実のほうがよかったという人もいるかもしれませんね。
 所謂『想起』を使った『憑依』のネタなんですが、元ネタは言わないでおきます。
 戦闘描写は難しいですね。あまり迫力が出てないですが、今後も何とか上手く書いていきたいです。
 それと、これを最後にしばらく更新はできなくなります。
 次の更新は未定です。
 リアルで試験が差し迫っておりまして、すいません。
 正直やりきった感がすごくて、『私たちの戦いはこれからだ』みたいな打ちきりになるかもですが、そうならないよう気を付けたいところです。



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