Monster Load ~Over Hunter~ (萃夢想天)
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アゼルリシア山脈・異世界の轍

御存じの方はお久しぶりです。そうでない方は初めまして。
残り少ないわずかは日々を怠惰に過ごしてしまっている萃夢想天です。

前々から書きたかった作品を、息抜きのために短編として書くことにしました。
これなら友人にも怒られなくて済みそう………済む、かなぁ(絶望


本作はタグの通り、残酷な描写やモンスター無双が非常に目立つ作品なので、
グロに耐性の無い方や俺の知ってるモンスターと違うという方は、悪い事は
言いませんので、ブラウザバックを推奨します。
読んでくださるアダマンタイト級冒険者並に心の広い御方は、どうぞこのまま
作品を閲覧なさって下さいませ。

加えて本作は、書籍版を御読みでない方には少々ネタバレが過ぎる可能性が
ございますので、そちらを御了承ください。


それでは、どうぞ!





 

 

 

"異変"というものは、本来であれば中々気付きにくいものだ。

 

何かが変わっている場合もあれば、何もかもが変わっている場合もありうるのだから。

 

そしてそれは、誰の身にも起こりうるからこそ、無自覚に受け入れざるを得なくなってしまう。

 

 

 

これは、魔王が世界に君臨させられようとする裏側で起きた、知られざる"異変"を紡ぐ物語。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソレはふと、目を覚ました。

 

理由は特にない。充分な睡眠を取ったからでもあるし、空腹によって身体機能が栄養を欲したから

とも言える。とにかくソレは、それまで浸かっていた湯船のような微睡みから意識を揺り起こし、

真横を向いていた自分の身体を立ち上がらせた。そこでソレは、あることに気付く。

 

___________ここは何処だ?

 

 

ソレは周囲を見回し、自身の記憶の中にある生息域から現在位置を割り出そうとするが、

今自分がいる場所にソレは一度も来たことが無かった。というより、存在していなかったのだ。

普段ならば、溶岩があちこちから噴き出している火山地帯にある、噴火が止まった小さな火口に

寝転がっているというのに、現状はまるで違う。うだる様な暑さも、流れる溶岩も、何もない。

変わらずあるのは見渡す限りの岩肌ばかりだが、これらもどこか、自分のいた場所とは若干の

違いがあるように思われた。自分の生息域とは違う環境に自分がいる変化に、ソレは混乱する。

 

 

___________ここは何処だ?

 

 

再び自身の中にある記憶に問いかけるものの、明確な答えは出ない。ソレは考えることを諦めた。

いくら考えても分からないことは分からないし、時間の無駄だ。この世界では、生きる事以外に

時間を割いている余裕がある者など存在しない。そんな事をするものは、誰しも命を落とす。

『弱肉強食』こそ自然の摂理であると、ソレは理解していた。

ただ、ソレの場合は肉ではなく鉱石こそが(・・・・・)食べるべきものなのだが。

 

ソレは生きる事に必要な、食べるという生存本能からくる欲求を思い出し、行動に移す。

まずは身体を動かして、何処にあるかも分からぬ餌場へと向かわねばと、その鈍重な巨体を

揺すりながら両の足で大地を踏み鳴らす。それにしても、この洞窟のような場所は窮屈過ぎる。

 

 

___________掘って抜けるか

 

 

生物としての進化を遂げて以来の特技の一つ、地面に穴を掘っての移動をここにきて思い出し、

ソレは自分の目の前の地面に向かって、その強靭かつ分厚い、鎚のような顎を突き出してみる。

すると思っていた以上に地盤が柔らかく、自分が生息していた場所の地盤より掘りやすい事が

分かったソレは、さながらシャベルのようにして地面をどんどん掘り下げて進んでいった。

 

身体がすっぽりと覆えるほどの深さまで達したので、今度は進む方向へ向けて顎を突き出す。

これまで自分がいた生息域では、格好の餌場として認識していた場所からは磯の香りがしていて、

それを頼りに掘り進んでいった記憶がある。火山地帯では滅多に見ない、水が大量にある場所だ。

 

ちなみにそこは、人間という知性体から『海』と呼ばれるエリアの一部だったのだが、もちろん

今地面を掘り進もうとしているソレが、知る由も無い。

 

どうにかして体内から湧き起こる食欲を満たさねばならない。しかし肝心の餌場が分からない。

見知らぬ場所に自分がどうやって来たかも不明なのに、都合よく餌となる鉱石が散らばっている

場所など、それが知っていようはずもないのだが、不意にソレの聴覚に音が響いてきた。

 

 

__________何かがいる

 

 

巨体を覆い隠すほどの深さまで地盤を掘ったためか、そこを振動が伝わって音を届けてきていた。

聞こえてくるのは様々な種類の音だが、ソレにはこういう乱雑な音を立てる者に心当たりがある。

二足歩行で大地に立ち、様々な種類の生き物や鉱物の匂いのついた外殻をまとった、小さき者。

一番上が小さく丸く、真ん中が一番大きく、そこから生えた二本の足と二本の腕を持った者たち。

 

ソレが唯一天敵と認めた存在。ソレは知らないが、彼らは『狩人(ハンター)』と呼ばれる人間である。

 

そいつらは小さいながらも四匹程度の群れで、こちらを見るなり様々な方法で攻撃を仕掛け、

世界を真っ白に染め上げる物や、強烈な臭いを発する物を投げつけたりして自分を苛立たせる。

的が小さい分こちらの攻撃が当たりづらく、そいつらは数に物を言わせて囲んでくるなど、

一匹一匹は大したことがないのに、群れとして襲ってくると厄介な一面を持っているのだ。

 

それらと他の巨体を持つ者とが戦う時、今も響いてくるような硬い物をぶつける音が聞こえる。

目覚めた時に周囲の環境がほとんど変わっていても、アイツらはいなくなってはくれないらしい。

ソレは元々、自分の食事の邪魔さえされなければ手を出そうなどとは考えていなかったのだが、

どうもアイツらは自身の背にある物体が欲しいらしく、有無を言わせずに痛みを与えてくる。

 

 

__________先に潰しておくか

 

 

どうせ向こうはこちらを見るなり襲い掛かってくるのだから、こちらから攻めても同じだと

考えたソレは、聞こえ始めた時よりも激しくなっている音の方向へと、突き進んでいった。

 

顎を前に出して地面を掘削し、掘り進む。単調な作業だが、ソレはあまり得意ではなかった。

あくまで出来ると言うだけで、好んでやるやり方ではない。ソレが本来する移動の仕方は、

全身を内側に折りたたむような姿勢に、つまり車輪のような形状になって地面を転がっていく

方法なのだ。今は狭くてそれが出来ないため、仕方なく地面を掘り進む方法を選択している。

 

ガスガスと地盤を削り掘っていくうちに、とうとう音の聞こえていた地点の近くに到達した。

ところが、接近するまではあれほど響いていた音が、今ではまるで嘘のように静まっている。

どれだけ聴覚に意識を向けても、何も聞こえてこない。一体この大地の上で、何が起きたのか。

気になったソレは、顎を前から上へと向けて突き出し続け、数秒の後に地表へ浮き上がった。

 

完全に全身を地中から地上へと出し終えたソレは、眼前に広がる光景を奇妙に思った。

 

 

__________コイツらは何だ?

 

 

ソレが予想していたのは、幾多の生物や鉱物の外殻をまとった小さな生命体だったのだが、

現在目の前にいるのは、やたらとずんぐりむっくりな体格の者と、全身毛だらけの者のみ。

 

自分が警戒していたアイツらは何処にも見当たらない。では、あの音はコイツらが原因か。

何故か自身を見上げたまま硬直している者たちを見下ろすソレは、そこまで思考を巡らせて、

どうやら見当違いだったようだと自己の中で折り合いをつけると、すぐ別のことを考える。

目下のところは生きるために必要な食糧、つまりはある程度の純度を保った鉱石類だ。

自分の好物である重金属類を含んだ鉱石が欲しい。自身の中にある食欲に素直になった

ソレは、いわゆるレアメタルと呼ばれる鉱物を探るべく、その自慢の嗅覚を頼る事にした。

そしてソレは、ある事に気付く。

 

 

__________匂いだ、イイ匂いがする

 

 

幾多の鉱石類を嗅ぎ分けられるソレの嗅覚が、食べられそうな物の匂いを即座に探知する。

だが、漂ってくる仄かな香りは、やけに近く多く感じられる。すぐそばにあるかのように。

 

自身の嗅覚が感じ取った匂いを追って、その方向へと視線を向けてソレは驚く。

眼下に見下ろす毛むくじゃらの小さな生き物から、鉄やライト鉱石の匂いがしてくるのだ。

隠し持っているわけではない。コイツら一匹一匹の体そのものから、微かに香ってくる石の

匂いを再度嗅ぎ分けて、やはり間違いない事を知る。その瞬間、ソレの食欲は限界を迎えた。

 

 

__________ああ、美味そうだ

 

 

目が覚めてから何も食っていなかった事を思い出したソレは、餌を前に高らかな声を上げる。

自分の胴体と長さも太さもさして変わらない尻尾を張り、口腔を上へ向けて内なる衝動を

解放するような雄叫びで大地を揺るがす。そこでソレは、ここが初めて"外"ではないことを

知ったのだが、次々と湧き上がってくる貪ることへの欲求を、抑える気にはなれなかった。

 

自分が歓喜の声を上げた後で、毛むくじゃらの小さな生き物が何故かこちらに迫ってくる。

どうやらコイツらも、あの二足歩行する天敵たちと同じように、自身を狙う存在らしいが、

その身体から漂ってくる食欲をそそる匂いを前に、ソレは我慢できずに顎を振るった。

 

途端、跳びかかってきていた毛むくじゃらの内の一匹が潰れ、真っ赤なモノに成り果てる。

 

普段口にしている鉱物に比べれば柔らか過ぎるが、それでもやはり香りは本物だった。

生々しいピンクの臓物や、赤い血が数秒前まで流れていた故に赤い肉片からはちゃんと、

好物である鉱物の匂いが漂ってくるのだ。見た目は悪いだろうが、この際食えればいい。

そしてソレは、続けて跳びかかる三匹を尻尾の薙ぎ払いで岩壁に叩きつけて潰し、

一番最初に物言わぬ肉塊へと変わったモノへ顔を近付け、顎で器用に口腔内へ流し込む。

 

 

__________ああ、美味い

 

 

いつもならバリボリという小気味良い音と感触が、自分の口の中で鳴り響いているのに、

今口に入れたものはベチャッ、ブチュッ、と不快な音を立てるだけで、硬さが足りない。

しかし、それを補って余りあるほどの味覚への満足感に刺激され、ソレは無心で喰らいつく。

最初に潰したモノはたった一口で終わった。次に潰したのは、あの壁に埋もれた三匹か。

岩壁に亀裂を生みながら沈んでいた三つの赤いモノへ、ソレは近付いて口を大きく開き、

周囲にある岩や石ごと豪快に飲み込んでいき、溢れ出た赤い鉄分の汁が吹きこぼれていった。

生物独特の生臭さと、鉱物特有の岩臭さとも言うべき匂いが、ソレの口内から立ち昇り、

同時に生きている間には絶対に聞きたいとは思えないほど、耳障りな咀嚼音が漏れ出る。

 

たった三口で岩壁の餌も喰らい終えたソレは、物足りなさを訴えようと体の向きを変え、

一様に震えたまま棒立ち状態になっている毛むくじゃらの大軍を見て、笑みを浮かべた。

 

 

__________まだこんなにいるじゃないか

 

 

四匹程度じゃ腹の足しにもならない。ここにいる全部を食べて、ようやくという程度と

認識したソレは、口腔内からだらしなく垂れている涎と鉄汁を気にする素振りも見せず、

こちらに背を向けて一斉に逃げていく毛むくじゃらに向かって、その歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アゼルリシア山脈の内部にある鉱脈に沿って暮らす種族、【ドワーフ】

彼らの体躯は、分かりやすく言えば雪だるまに近い。(ひげ)をたっぷりとたくわえた顔に加えて、

食べ過ぎの中年男性のような太っ腹、短いと言うより短すぎる手足など、想像するには苦労を

しそうにないほどイメージしやすい種族であろう。そんな彼らは今、危機に瀕していた。

 

彼らは元々、鉱脈とともに生きる種族で、基本的な暮らしの拠点は当然地下にある。

小柄な体躯と見かけ以上の力を加味すれば、むしろ地上などよりよほど暮らしやすいのだ。

日夜炭鉱夫として鉱石を掘り、武器や防具を職人が繕い、それを商人が売りさばく。

人間に近い種族という事もあってか、人間種やそれに類する種族の者たちからは彼らの

作る物を買いたいという声がよく上がる。つまり、ドワーフの生業は炭鉱業にある。

 

しかし、地下に生きる種族は、彼らドワーフだけではなかった。

 

土堀獣人(クアゴア)】と呼ばれる、全身を体毛に覆われた【獣人(ビーストマン)】系統の種族がいる。

クアゴアという種族は特殊で、幼少期に食した鉱物の純度や硬度によって、成長後の肉体の

強さが大きく変わるという性質がある。喰えば喰うほど強くなる、という言葉通りの性質だ。

大地の鉱脈から日々の糧を得るドワーフと、鉱石そのものを糧とするクアゴア。

両者がその存在を認めた後で分かり合って共存共栄することなど、出来ようはずもなかった。

ドワーフからすればクアゴアは、自分たちが使う鉱石を喰って強くなる、厄介な敵性種族。

クアゴアからすればドワーフは、自分たちが食す鉱石を奪い去っていく、面倒な敵性種族。

 

だが、両者の間には決定的な戦闘能力の差があった。

 

魔法というものが存在するこの世界においても、純粋な肉体の強靭さは侮れるものではなく、

逆にその身体的能力値の差によって、ドワーフたちは一方的に狩られ、殺されていった。

ドワーフの中にも当然魔法が使える者はいたが、せいぜい第二位階魔法程度でしかない。

しかも一発に威力があっても、数で攻め込まれてはひとたまりもないのは自明の理であり、

それでもみすみす滅ぼされゆくことなどするはずもなく、両種間の抗争は激化していった。

 

これまでドワーフたちは、かつて暮らしていた首都を一度放棄したことがある。

クアゴアたちの侵略によって、有事の際に避難できるようにと作っておいた別の都市へと

逃げ延びた故に今も暮らしていけてはいるが、クアゴアはその気になれば攻め落としに来る。

さらにクアゴアの背後には、アゼルリシア山脈生態系の頂点に君臨する【霜の竜(フロスト・ドラゴン)】の群れが

待ち構えているのだ。竜種系統の生物は共通して、比類なき強さを持つことで知られている。

クアゴアを支配下に置いた霜の竜(フロスト・ドラゴン)の群れは、ドワーフたちの持つ金銀財宝を目当てにこの

種族間抗争に介入しているわけだが、とにかくドワーフが圧倒的に不利なことは変わらない。

 

戦闘能力に劣っているドワーフでは、クアゴアの強靭な鉱石の如き体毛防御を突破できず、

戦闘能力に勝っているクアゴアには、ドワーフの貧弱な装備や都市など恐るるに足りない。

 

 

それが、今日この時に至るまでの、常識であった。

 

 

移転した都市の防衛を任されているドワーフの一団は、目の前の現実にただ茫然とする。

都市防衛の任についた者は大概、調査に派遣されて死ぬか、攻め込みに来たクアゴアから

市民を守るための一時的な盾になって死ぬかの二択しか、用意されていなかった。

 

ところが今、目の前で一方的な蹂躙が行われている。

 

ドワーフが、クアゴアに、ではない。

クアゴアが、ドワーフに、でもない。

 

突如として現れた、謎の巨大生命体(モンスター)によって、クアゴアが蹂躙されているのだ。

 

 

「な、なんじゃぁ、ありゃ………」

 

 

血飛沫の舞う異常な光景に、仲間の一人がポツリと言葉を漏らした。

別に血を見るのに慣れていないわけじゃないし、悲劇に遭遇するのも珍しい事じゃない。

仲間の誰かが茫然自失な声色でそうこぼしたのは、あまりにも一方的な光景だったからだろう。

 

都市とその西側に広がる巨大な裂け目とをつなぐ大きな橋の隅で、ドワーフの一団は震える。

三十体あまりのクアゴアに奇襲を仕掛けられ、何としてでも都市を守らねばならないという一念で

あてのない防衛戦を繰り広げていたところで、都市の北側から何かが大地を削りつつ迫ってきた。

徐々に大きくなる音にクアゴア同様固まっていると、地面から巨大な生物が現れたのだ。

 

その大きさは、ドワーフの身長で一体何人分になるのか見当もつかぬほどに大きかった。

ただ、その生物が異様だったのは、その巨大さだけでなく、見るも不思議な外見をしてたからだ。

全身に歪な形の円柱状の突起を生やしたソレは、地下のわずかな光を反射して黄金色に輝き、

これまでに掘ってきたどの鉱石よりも、美しさ、深さ、硬さ、強さを凌駕すると思わせられた。

胴体と変わらぬ長さと太さの尻尾の先にまで、先に挙げた特徴の突起が生えそろっており、

ソレが大地を踏み鳴らして歩を進めるごとに、ゆらゆらと空を薙ぐ尻尾が威圧感を放っている。

そして何より目を引くのが、その生物の顔面__________というよりも、その巨大な顎。

鉱石の精錬職人が何千何万と振り下ろした鎚のようなその顎は、丸く厚く重たげであった。

 

 

ゴアアアアアァァァァアアァァァ‼‼

 

 

現れた直後にも行った、生物独特の威嚇行動のようなこの咆哮が、アゼルリシアの山さえも

揺るがしているかのように感じられる。それほどまでにこの生物は、個としての格が違った。

自分たちの向かい側にいたクアゴアたちは、現れたこの生物をすぐに脅威だと感じ取ったのか、

仲間を切り裂いて貫いた強靭な爪と牙で、動くだけで大地が震える巨体へと跳びかかっていく。

 

次の瞬間には、そのクアゴアは赤い肉の塊へと変わった。

 

本当に驚いた。ドワーフである自分たちでは手も足もでない連中を、顎をただ普通に振った行為

一つだけで殺してしまうなど、誰が想像できようか。しかも、その肉を一飲みで喰らうなどと。

あっさりと仲間が喰われた現実を見ていなかったかのように、その後も何体かのクアゴアたちが

巨大生物に立ち向かっていったものの、身じろぎ一つでその強靭な肉体を一片の肉へと変える。

 

七体ほどが生物の中へ消えていった頃、指揮官らしきクアゴアの一声で一目散に逃げていくが、

それを手放しで喜ぼうとは思えない。なぜなら、まだそこに脅威中の脅威がいるのだから。

警戒しようにも恐怖で足がすくんで動かせない。もはやこれまでかと涙混じりの覚悟を決めようと

下唇を噛んだ直後、なんとあの巨大生物は逃げたクアゴアを追うようにしていくではないか。

 

 

「………行った、のか?」

 

「………さぁ?」

 

「…………ワシら、助かったんじゃな?」

 

「…………さぁ?」

 

 

ズンズンと揺れる巨体に大地が悲鳴を上げるのを、ドワーフの一団は見つめるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クアゴアの王、ペ・リユロは盛大に焦っていた。否、恐れていた。

 

数時間前にドワーフの動向を探るために派遣した密偵部隊が、交戦したと連絡を受けた彼は、

そのまま連中の新たな都市部の現状をハッキリさせてこいと追加で命令を下していた。

彼らクアゴアはドワーフなど恐れてはいないが、連中が作る武器の中に、魔法の力を込めた

特殊な物がある事を知っていたため、なるべく慎重な手でいくことに決めていたのだ。

ただ、クアゴアはドワーフを倒す理由はあっても殺す理由は無い。いや、殺せなくなった。

ペ・リユロというクアゴア種の王に立つ者すら上回る絶対的強者、フロストドラゴンの王。

それがこのアゼルリシア山脈に君臨して以来、クアゴアは彼らの傀儡にさせられている。

無論、食糧調達のための奴隷でもなければ、種を残す苗床としての雌の提供でもない。

竜系統の種族は大抵、金銀財宝というものに目が無く、その王もまた例外ではなかった。

 

ドワーフが掘り当てた金銀や珍しい鉱石や宝石などの存在を知り、連中はクアゴアたちに

都市を襲ってそれらを奪い取れと命じてきたのだ。当然ながら、逆らえば命は無い。

種族としての格が違いすぎるため、逆らっても一族が滅び去る結末を辿ることとなる。

それだけは避けねばならないと決意を固めたペ・リユロは、霜の竜の王(フロスト・ドラゴン・ロード)からの命令を

一切の抵抗なく受け入れて、見事それを果たしてきた。

 

隷属することで繁栄を許されている。従うからこそ自由でいられる。なんと皮肉な事か。

しかしそれでも構わない。ペ・リユロには王として種を背負って立つ義務と責任がある。

だからこそ彼は、フロストドラゴンからの命令にへりくだってきたのだ。

 

 

「何という事だ、クソッ‼」

 

 

そんな彼の苦悩の日々は、突如として終わりを迎えることとなった。

喜ばしい限りだと字面では思うかもしれないが、それはとんでもない誤りである。

 

「クアゴアを喰う化け物が、ドワーフの側についただと⁉」

 

竜たちは肉を食らうが、クアゴアは好んで喰わない。鉱物が主食のクアゴアは不味いらしい。

ところが今しがた帰還した勇敢なる戦士の口からは、想像だにしない存在が確かにいる事を

教えられた。強靭な肉体を持つ部族の戦士たちが、一挙手一投足で物言わぬ死骸と化したと。

そしてその亡骸を、唐突に地の底より現れた巨大な化け物が美味そうに貪り喰ったと。

 

最初は何かの冗談かとも思ったが、自身の前でひざまずき報告する戦士の身体が恐怖で

ブルブルと震えていることに気付き、言い返すことのできない現実だと知らしめられた。

それに加え、逃げるクアゴアを追ってその化け物が、彼らが占領したドワーフ最初の都市へ

急速に接近してきているのだという一報を受けた。ぺ・リユロは苛立ちのまま舌打ちする。

 

こうなればもう、どんな手を使ってでも同胞を守らねばならないだろう。

 

覚悟を決めたクアゴアの王は、自分たちを支配する山脈の食物連鎖の頂点のいる王城へと

その足を進めていき、元はドワーフの玉座の間であった部屋の扉を開き、願い入れる。

 

 

「偉大なりし白き竜王、オラサーダルク様!」

 

「何用だ」

 

広間の中央で寝そべっていたその巨体、白い体躯と翼を宿した霜の竜の王(フロスト・ドラゴン・ロード)に向かって、

仰々しい御辞儀と謁見の許可を頂けたことへの感謝の意を表し、ペ・リユロは語った。

 

 

「実は、我々クアゴアを喰らうという未知の化け物が、ドワーフの国から出現しまして。

よろしければ、偉大なる白き竜王様の御力をお借りしたいと思い、参った次第です」

 

「ふむ……」

 

「貴方様の御力添えさえあれば、いくら未知の存在といえども容易く滅ぼせるでしょう!

何卒(なにとぞ)、気高き竜王の強さを我々や謎の敵に知らしめていただけませんでしょうか!」

 

「それをして、この私に得があるのか?」

 

「御力をお貸しくださるのなら、献上品をこれまでの倍ほどはお出しさせていただきます」

 

「ほほぅ、それは魅力的な案だな。いいだろう、その敵とやらに我らが牙を立ててやる」

 

「ははっ! ありがたく存じます!」

 

 

その後、献上品は現在の五倍にしろと言う"ごね"があったものの、ペ・リユロが何とか

首を縦に振ったため、竜王オラサーダルクは十六いる息子の中で特に腕の立つ次男である

トランジェリットを迎撃として向かわせた。当然、すぐに帰ってくるだろうと思って。

 

だが、息子は帰ってこなかった。

 

 

一時間経っても戻らぬ息子に痺れを切らしたオラサーダルクは、三男と四男を引き連れ、

化け物が侵入してきたという東側の都市区画へと飛んでいき、そこで現実と邂逅した。

 

 

「と、トランジェリット兄さん………」

 

「兄上が、まさか、そんな」

 

三体の竜が見たものとは、言うまでもなく帰ってこなかった次男の変わり果てた姿だった。

三角錐型の頭部は見るも無残にひしゃげ、白い鱗に覆われているはずの体の、さらに内側を

力なくボトボトと垂らし切っている。砕けた骨や竜鱗の白と、潰れた肉の赤がいやに映えた。

全身の至る所に、何かによって穿たれたような跡と、弾け飛んだような残骸が散らばって、

あたかも力比べで完全に押し負けたと、現場を見なくとも分かる構図で次男は死んでいた。

哀れな亡骸を前に狼狽する弟たちをよそに、父親であるオラサーダルクは憤慨していた。

けれどこれは、家族への情によるものではない。強い個体が多い竜種はそもそも家族などの

群れを成して暮らしたりはしない。よって、血の繋がりなど、あってないようなものなのだ。

では何故オラサーダルクは激怒しているのか、それは自分の血を引いている息子の癖に、

敵に一切の手傷を負わせないままみじめに死んでいったことへの、情けなさと悔しさから。

もはや物言わぬ躯となった息子を見下ろすことさえ嫌になったオラサーダルクは、

視線を地に落ちた息子だった肉塊から、その先にいる未知の存在へと向け、目を見開く。

 

 

「なっ___________」

 

 

この言葉にすらなっていない声だけ。

 

それだけが、彼ら霜の竜一族の息子たちに許された、最後の一声だった。

 

 

ゴアアアアアァァァァアアァァァ‼‼

 

 

洞窟内を揺るがす咆哮に続いて、ソレは自身の太く巨大な尻尾を身体を使って振るう。

すると尻尾の上部分にあった岩塊がそこから離れ飛んでいき、上空から見下ろしていた

三体の竜の身体に着弾する。遠心力と地力によって射出された岩塊の威力はすさまじく、

並の鋼鉄では刃が立たないと言われる竜種の鱗ごと、簡単に皮膚と肉骨を砕いて穿つ。

 

悲鳴を上げながら墜落していく三体を目視したソレは、勢いをつけてから身体を丸め、

この都市部へ来た時と同じように前方へと、ゴロゴロと音を立てて突進していった。

 

ちょうど着地地点に合わせて転がっていくソレは、目算通り数秒後に、落ちてきた竜の

二体を巻き込んで都市部の端から端までを横断し、白い鱗と赤い肉の(わだち)を刻みつける。

最初は耳障りな悲鳴が聞こえていたが、頭部が地面と強靭な顎との接触でブチュルと

抉り潰されてからは抵抗も何もなくなった。そのまま悠々と、白と赤のモノを岩壁へ埋める。

グチャッという気味の悪い音と同時に、水晶玉のような眼球が零れ落ちるも、ソレは意に介する

事すらせずに振り返り、突進をすんでのところで回避したオラサーダルクに向き直った。

 

竜王は焦っていた。否、恐れていた。

今まで自分たちはこの山脈の、ひいては食物連鎖の頂点に君臨し続けていた。

天敵と呼べるものは存在せず、せめて対等に戦える敵はいたが、それでもそれだけである。

真に脅威と呼べる相手などどこにもいないと、オラサーダルクたちは確信していたのだ。

 

それが、たった今、覆った。

 

ソレが、たった今、覆した。

 

 

「こ、の、化け物め‼ 何だ貴様は、同じ竜王(ドラゴン・ロード)だとでも言うのか⁉」

 

 

恐怖と驚愕の混じり合った声で問いただすも、相手は何の反応も示さない。

ただ、こちらの様子をうかがっているだけで、先ほどから一歩も動かない。

であるのなら、勝機はある。オラサーダルクは、とっておきの切り札を使うと決めた。

 

彼らが霜の竜(フロスト・ドラゴン)と呼ばれているのは、その体躯が霜のように白いからというだけでなく、

冷気をまとう息の攻撃を有しているから、そう呼称されている。よって、その切り札とは。

 

 

「去ねッ‼ 凍吐息(フロースド・ブレス)‼」

 

 

零下を越える息吹がオラサーダルクの口内から放たれ、ソレに直撃する。

 

そして、ソレはただ、大地を顎で打ち鳴らす。

 

次の瞬間には、オラサーダルクの純白の肉体は、内側から爆裂していた。

 

 

(な、にが、起きた……‼ 魔法、なのか⁉)

 

 

自身の内部で起きた衝撃によって肉や骨は爆ぜ散り、鱗は粉雪のように舞い散る。

見る者が見れば「幻想的だ」と言わしめるような光景も、ここでは生命の散り際であった。

 

何が起きたかも分からぬままにオラサーダルクは沈み、ソレは自らの勝ち名乗りを上げる。

 

 

 

クアゴアを支配していた竜の王が破れ、数週間。

王城の中にいた竜たちが敵討ちとばかりに攻め入り、ことごとく爆散させられて一週間。

 

かつてとある世界で、【爆鎚竜・ウラガンキン】と呼ばれていた黄金色のソレは、

未知の脅威に怯えるドワーフの思惑をよそに、アゼルリシアの全てのクアゴアを残らず

喰らい尽くしていき、この鉱脈と山脈を治める新たな生態系の頂点として君臨した。

 





いかがだったでしょうか?
息抜きのつもりが、ここまで伸びるだなんて………予想外です。

さて今回は、作者が3rd時代に討伐数500を超えていたお気に入りモンスターの
ウラガンキン様でいらっしゃいました。キラークイーンじゃないよ。

書籍版11巻のクアゴア族の設定を知った直後から、鉱石を喰らうガンキン主任の
特性を活かせるんじゃないかと思い、構想を練ってみました。
ええ、オリジナル展開に独自設定です。そこはご了承ください。

あと、思っていたよりもグロくないですかね?
ほどよいグロさを表現できるよう、精進する次第です!


それではまた次回を、お楽しみに!
ご意見ご感想、並びに批評も大歓迎です!


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トブの大森林・山なる獣の王


どうも皆様、最近こちらにばかり手をつけたがる萃夢想天です。

皆様、明けましておめでとうございます。
本年もまた、この萃夢想天とその作品たちを、よろしくお願い致します!

まさか新年の挨拶をこの短編SSで書くことになろうとは………(苦笑


今回は、書籍版の第一巻と第二巻の内容を大きく変えるものとなります。
もし、書籍版をご覧になっていない方、もしくはアニメ本編を未視聴の方が
おられましたら、ぜひとも本家様をご覧になってからお越しください。

アニメ、書籍版、そのどちらもご存知の方々で読んでも構わないという方は、
私に第十位階魔法を直撃させてからお読みください(私は死にますが)


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

 

 

"異変"というものは、本来であれば中々気付きにくいものだ。

 

何かが変わっている場合もあれば、何もかもが変わっている場合もありうるのだから。

 

そしてそれは、誰の身にも起こりうるからこそ、無自覚に受け入れざるを得なくなってしまう。

 

 

これは、魔王が世界に君臨させられようとする裏側で起きた、知られざる"異変"を紡ぐ物語。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

村娘であるエンリ・エモットの朝は早い。

 

家の近くにある井戸から水を汲むことで、彼女の一日が始まると言っても過言ではない。

およそ十四~十六歳ほどの少女が持つには重たげな桶に、せっせと水を汲み上げては、

自分たちが暮らす家の中にある大甕(おおがめ)を一杯にするまで、井戸と家との往復を繰り返す。

そうして三十分ほどかけて水を汲み終えると、すぐさま母親が作る朝食の手伝いへと向かい、

そこからさらに十分ほど後で、父親と妹が寝床から台所にやって来て、ようやく朝食となる。

 

エモット一家が暮らすこの平凡な村の名は、カルネ。何の変哲もないただの農業開拓村である。

 

人口およそ百二十人ほどの小さなこの村では、毎日誰も彼もが汗水垂らして働いており、

力のある男手は主に農業や林業、小動物の肉を得るための狩りなどをして暮らしている。

逆に女手は薬草の採取や男たちが狩り入れた食物や穀物を、食べやすいように手を加えることで、

それらを街の方に売りに行って少ない金を稼ぎ、男たちが使う農具などの修繕費に充てていた。

持ちつ持たれつ、一人の苦労を皆で負担する、まさしく辺境の村にありがちな情景が広がる村だ。

 

そんな平和ボケしていそうなカルネ村だが、実は結構な危険地帯に村を置いている。

彼らが暮らしている場所のすぐ横には、未だ人類未開の場所が多い『トブの大森林』が葉を広げ、

そこを住処としている小型のモンスターや亜人種などに、ちょっかいを出されたりしていた。

もちろん単なる村娘であるエンリにとって、小さかろうともモンスターは命を脅かす存在だ。

モンスターが蔓延る恐ろしい森であっても、金になる薬草や香木などが自生する有益の土地で

あることに変わりはないため、この村で生きる以上切っても切り離せない場所であるという事は、

一応理解はしていた。無論、自分から無闇に踏み込もうと勇ましい考えは浮かびすらしないが。

 

 

「………………………」

 

「おねーちゃん、おねーちゃん!」

 

「えっ? あ、なんだネムか。どうしたの?」

 

「おねーちゃん、何してるの?」

 

「ううん、何でもないの。ホラ、洗濯物たたむの、今日はネムの番でしょ?」

 

「はーい!」

 

 

ボーッと森の方を眺めていると、いつの間にか足元に来ていた妹のネムに声をかけられた。

妹はまだ十歳にもなっていないため、同年代の子供より背の高い自分と比べてもまだ低く、

足元に小さい子供特有のすばしっこさで寄られるとまるで気付かない。そんなどうでもいい

考察を頭の片隅に浮かべながら、エンリは姉らしく妹にやるべきことを与え、向かわせる。

 

エンリは本当に、ただ何となく森を眺めていただけだ。誰かに聞かれてもそう答えるだろう。

特に理由もなければ、森に思い入れがあるわけでもない。ただ、何となく見ていただけだ。

これ以上は時間を無駄にすると自分に喝を入れた彼女は、母親から朝食後の仕事として

自分たち一家が所有する畑の雑草取りを命じられていたため、畑のある方角へと足を向けた。

 

しかし、その時にはもう、何もかもが遅すぎた。

その日、その時、その瞬間。

 

本来であれば、あと一週間は後に起こるはずだった出来事の、引き金が引かれた。

 

 

「_________なに、この声」

 

 

常に自然と共に暮らしてきたエンリたちは、五感が鋭い。とはいえ人間種的に見るのなら、

ほとんど誤差のようなものなのだが、そのわずかばかりの差が、彼女の聴覚に音を届けた。

今までの生活の中では、聞いたことのない声だった。とても引きつった、嫌な感じの声。

 

例えるのなら、今まさに命を絶たれようとする瞬間に獣が発する、断末魔のような。

 

そこまで思考が至ったエンリは、すぐさま音の聞こえた方向に視線を向け、驚愕した。

 

 

「も、モルダーさん!」

 

 

こんな辺境の小さな村で暮らしていれば、同じ村に住む人など、家族同然に覚えられる。

そしてたった今、エンリの目の前で、見知った仲である近所の男性が切り殺された。

相手は馬に乗り、どことなく平べったいような、統一感のある鎧や剣などをまとっていた。

村の外の出来事や、このカルネ村を領内に有するリ・エスティーゼ王国の政治などには

一切興味関心のない彼女であっても、知り合いを殺した連中が敵国のバハルス帝国軍の

ものであることは察することが出来た。そして、自分たちが襲われているという事も。

 

エンリは身体の向きを変えて、自分の家がある方向へと全速力で駆け出し始める。

今家には、母親と妹がいる。父親は既に畑仕事に出ているが、こんな事態になった以上、

家に戻って来ているだろう。そう考えたからこそ、彼女は迷いのない行動が取れた。

息が切れて胸が苦しくなるのも構わず、彼女はひたすらに家族の無事を祈って駆ける。

 

しかし、やはり現実とは、残酷の二文字に尽きた。

 

 

「おかあ、さん…………おとうさん」

 

エンリの両親は、家の前の路地で血を流して倒れていた。二人、重なるようにして。

母親の方は、地面にうつ伏せになっているので表情が分からないが、父親の方はまるで

妻を最後まで守り抜こうとするように、エンリの母親に上からかぶさって倒れている。

愛する家族を己が身を挺して守り抜いた男の表情は、晴れやかどころか苦悶に歪んでいた。

今なお鎧の騎士たちに滅多刺しにされている父の変わり果てた姿に、エンリは声すら出せず、

ただ二人の大人の身体から赤い液体が流れ出ていくのを、見つめることしかできなかった。

 

しかし、ここに至ってもまだ、現実を名乗る神とやらは、非情であった。

 

 

「キャーッ‼」

 

「ぁ……ネム、ネム⁉」

 

「おねーちゃん! おねーちゃん‼」

 

「ネムッ!」

 

 

両親の衣服を染める赤に茫然としていたところに、聞き慣れた幼い女の子の声が響く。

エンリはこの声を良く知っていた。いや、忘れるはずがない。この、この声の主だけは。

我に返った彼女は、思わず出してしまった声に反応した騎士たちからすぐに離れて、

近くから聞こえてくる妹の声を聞き、十秒足らずで見つけて合流することが出来た。

 

 

「おねーちゃん!」

 

「ネム! 行くよ‼」

 

 

しかし、狭い村の中で大声を出すようなことをすれば、見つけてくれと言っているも同然。

声につられて村人を殺していた騎士たちが顔を出し、姉妹を見つけるとすぐに顔色を変え、

追いかけ始める。かくして、エモット姉妹は命がけの奔走を繰り広げることとなった。

 

だが、鎧というハンデはあっても、成人男性と齢十六の子供の足では、勝負にならない。

 

すぐに追いついた二人の鎧の騎士が、既に人を斬って血糊や肉油がこびりついて薄汚れた

剣を腰から抜き放ち、背中を見せてひたすら前方へ走る姉妹へと、その凶器を振るった。

 

 

「きゃあッ‼」

 

「おねーちゃん!」

 

 

鈍く光る切っ先が振り下ろされる直前、ギリギリでそれに勘付いたエンリがネムを庇って、

その背中に痛々しい切り傷を刻まれてしまい、少女の悲鳴と共に、鮮血が大地に伝い落ちる。

野蛮な輝きを放つ剣を肩越しに見つめることしかできない姉妹は、ただ恐怖に震えていた。

 

今日はいつもと同じように、平和な一日になるはずだったのに。

 

今日もいつもと同じように、当たり前の日常だったはずなのに。

 

エンリは背中から自身に訴えかけてくる、焼けるような剣の傷と恐怖に耐えられるように、

奥歯を目いっぱい噛みしめて、ギリリと音が漏れ出すほどに食いしばり、目をつぶる。

せめて妹だけは守ろうと、これまで必死につれてきた妹を自分の腕の中に引き込み包んだ。

父と母が自分たちを守ってくれたように、何の力もない自分でも、たった一人の妹だけは。

 

(___________神様‼)

 

 

力のない少女は、祈らずにはいられなかった。迫りくる死の恐怖に、抗えないのだから。

けれど彼女は気付いていない。今後の人生においても、気付くことは決してないだろう。

 

彼女が祈った神とやらこそが、この非情で無情な現実を見せつけた者の正体であることに。

 

 

(誰か、誰か………助けて‼)

 

 

ただの村娘は、乞わずにはいられなかった。この状況から、自分たちを救ってくれる存在を。

しかして、凡庸な村娘の切なる懇願は、"死の超越者"ではない神に聞き届けられた。

 

 

『むぅ? お主たちは、何者でござるか?』

 

「ひィィッ‼」

 

「うわあぁぁああ‼」

 

「__________え?」

 

 

妹を庇い丸めた背中から聞こえてくるのは、つい先程まで自分たちを追っていた騎士の悲鳴。

ただの村人を追い詰めた状況で、間抜けな悲鳴を上げる騎士がいるだろうか。答えは否だ。

何が起きたのかと気になったエンリは、小刻みに震える身体でありながらも、目を開いた。

 

そして、彼女は目撃した。

 

 

『その佇まいを見る限り、戦いに身を置くものでござるな?』

 

 

全身を鋭い毛皮で覆い、異常に長い尾をもち、見る者を威圧する瞳を持った四足の巨獣を。

 

「な、なんだコイツ!」

 

「ま、ま、魔獣だぁ‼」

 

大の大人の背丈を軽々見下ろす体躯のその獣を、怯えだした騎士の一人が魔獣と呼んだことで、

何かと勉強面に疎いエンリでも、あることを思い出すことが出来た。それは、一つの伝説。

 

このカルネ村が開拓されて以来、小鬼(ゴブリン)人喰い大鬼(オーガ)などの亜人種やモンスターからの被害は

何度かあったものの、それらは年々減っていき、最近では異形をほとんど見かけなくなっていた。

それには、れっきとした理由がある。カルネ村がある場所は、広大なトブの大森林の外円の端。

そしてこの辺りには数百年前から、とある強大な魔獣が住み着き、縄張りとしているのだという

伝説があった。エンリはその伝説に謳われた四足の魔獣の姿を、目の前の巨獣に照らし合わせる。

 

 

(さながら数百年は生きているであろう巨体に、白銀の毛、蛇のような長い尾………間違いない!)

 

 

伝え聞いていた伝承通りの外見と合致したことで、四足で大地を踏み鳴らす眼前の巨獣が、

トブの大森林の南部を縄張りとする『森の賢王』と呼ばれる魔獣なのだと、エンリは理解した。

そして彼女は次に、魔獣が先程から言葉を話していることに気付き、一か八かの賭けに出る。

 

 

「も、森の賢王様! どうか、どうかお助けください‼」

 

『む? そなたは?』

 

「あ、あなた様の住む森の外れにある村の者です。今、そこの暴漢に襲われているのです‼」

 

『ふむぅ………(それがし)は人間同士のいざこざなどにまるで興味はござらんが………』

 

「そ、そんな……」

 

『しかし、某の住処の近くで人間が騒ぐのは捨て置けぬ。弱き者よ、そなたのその願いは、

この森の賢王が請け負ったでござる‼』

 

 

涙ながらにエンリは語り、襲われるかもしれないという恐怖の中で、己の腹を割ってみせた。

非力な彼女だからなのか、それともそういう星の元に生まれたからなのか、どちらにせよ

彼女の懇願は眼前の魔獣に聞き届けられた。機嫌を損ねたら喰われるかもしれないという

恐怖に怯えながらも自身の賭けに打ち勝った彼女は、その反動からか涙と共に失禁する。

そんな酷い状態の姉妹を於いて、状況は一変した。

 

エンリの願いを承諾した森の賢王は、その巨体からは想像もできない速度で大地を駆けて、

一人と一匹の会話を突っ立って聞いていた騎士の一人の目と鼻の先にまでたどり着く。

気付いたら鼻先に魔獣の息がかかるほどの距離にまで接近された騎士は、生物としての本能的

恐怖に逆らう事が出来ず、持っていた剣を放り投げて一目散に背中を見せて逃げ出そうとした。

 

逃走のための一歩。

 

たったそれだけが、名も知らぬ騎士に許された、生き物としての最後の行動であった。

 

 

『相手に背を向けて敗走とは、武士の恥でござるよっ!』

 

魔獣がその言葉を言い切るか否かという瞬間で、剣を捨てた騎士の首から上が宙に舞っていき、

色だけは鮮やかな赤い線と共に放物線を描き、やがて重力に従って鉄兜が中身ごと地に落ちる。

一瞬、そして一閃。

 

巨大な白銀の魔獣が尻尾を一薙ぎしただけで、騎士の首から上はひしゃげて引き千切れてた。

顔の右半分は歪んだ鉄兜の中で肉と骨の混合物と化し、赤い肉汁が残った左半分を汚している。

幸いエンリもネムもその状態の騎士を見ずに済んだが、それでも魔獣の一撃が騎士の身体を

二つに分離させたことは分かっていた。普通なら恐怖に怯えるだけだが、今は少し違う。

 

父と母と、村の皆の敵が、こんなにもあっさり死んだのか。

 

それまで暴力に屈することしかできなかった村娘が最初に抱いたのは、呆気なさであった。

何とも言えない虚脱感を抱いているうちに、魔獣はもう一人の騎士をその前脚の鋭い爪によって

惨たらしく引き裂き終えており、平穏な日常では嗅ぐことのない臓物の香りが周囲に充満する。

 

 

「うぁ………ぉえ」

 

『どうでござるか、村娘よ。望み通り、暴漢は蹴散らしてやったでござる』

 

胸を張るように立ち上がった魔獣に、再び恐怖心を掻き立てられたエンリだったがそれも一瞬。

すぐに彼女の思考は、助かった自分たち姉妹から、まだ安否の知れない村へと向けられた。

 

 

「あ、あの、賢王様! よろしければ、私たちの村もお救いください!」

 

『む、この二人だけではなかったのでござるか。任されよう』

 

「ありがとうございます!」

 

 

どうにか魔獣の協力も得ることが出来、エンリはこれでひとまずは安心だと胸を撫で下ろす。

その後、彼女が妹を連れて村に戻ると、鎧の騎士がことごとく駆逐し尽くされていた。

 

生き残った村の皆を広場に集め、騎士の侵略から村を救ってくれた魔獣に村人は感謝の意を

述べようとしたのだが、ここでカルネ村の村長が皆を手で抑え、代わりにあることを尋ねた。

 

 

「森の賢王様、この村を救っていただいたことには、感謝の言葉もございません。

ですがその、あなた様ほどの魔獣が何故、縄張りであるトブの森の奥からこのような端へと

来られたのでしょうか。不躾ですが、その理由をお聞かせ願えませんでしょうか」

 

村長の言葉を聞き、村の誰もが降って湧いた疑問に顔色を変える。

そんな中で、ただ一人(一匹)だけ冷静だった魔獣が、初めて困ったような声で語り始めた。

 

 

『実は………某が今まで縄張りとしていた場所を、追い出されてしまったのでござる』

 

「な、なんですと⁉」

 

「賢王様を追い出すなんて、どんな化け物だよ……」

 

『うむ、まさにアレは怪物でござった。某も長年生きて、多くの輩と命の奪い合いをした事は

あったでござるが…………まさか本気を出しても戦いにすらならぬ相手がいるとは』

 

「そ、そんな事が……」

 

 

賢王の話は、カルネ村の人々を震撼させた。

 

彼ら人間から見れば、森の賢王と呼ばれる目の前の魔獣は、恐ろしく強い存在である。

例えその外見が、とある世界では『ジャンガリアンハムスター』と呼ばれる愛玩用小動物に

酷似していたとしても、この世界では圧倒的威圧感を放つ、強大で威厳ある大魔獣なのだ。

 

そんな存在が、"本気を出しても戦いにすらならない相手"がいると言っている。

 

人間種全体から見れば、間違いなく怪物(モンスター)と呼んで然るべき脅威であろう。

 

賢王の話に顔色を青くする村人たちを見ながら、賢王は自分が縄張りとして支配していた場所の

方角をチラリと見てから、深い溜息をついた。

 

もうあそこには、戻れないだろうという悲しい確信と共に。

 

賢王と謳われた"彼女"の日常が壊されたのは、今より5時間ほど前の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カルネ村が鎧の騎士たちの侵略を受ける、およそ五時間ほど前のトブの大森林。

広大な森の南部側に位置する比較的開けた場所で、ソレはふと目を覚ました。

 

 

__________ここは何処だ?

 

 

目を開いて周囲を見渡したソレは、自分のいる場所が変化していることに気付いた。

辺り一面が緑に覆われている。それは変わらない。前にいた場所も、緑が豊かだった。

けれど少し違う。何がどう違うのかを説明することはできないが、どこか妙に感じる。

何かがおかしいことに目ざとく気付いたソレは、その巨体を揺らして二本足で起きて、

もう一度周囲を良く観察してみるものの、やはり一度も見たことのない場所であると感じた。

 

__________ここは何処だ?

 

 

本来であれば、近くに澄み渡った川があり、目を見張る滝が音を立てて水飛沫を上げている

場所を縄張りにしていたソレは、急激に変化した環境に混乱し、少し興奮気味になる。

するとソレの背中からは蒸気が噴出し、もやもやと白い湯気を立ち昇らせて木々に溶けた。

 

__________何か食べたい

 

 

興奮気味になったせいか、はたまたそれで眠りから覚めたのか、ソレは空腹を感じていた。

普段であるならばよい。巨大な切り株がある場所の近くにある倒木にかじりつけたのなら、

ソレが今感じている空腹は満たされていただろう。しかし今、どこにあるかが分からない。

周囲に生えている木を倒して貪ってもよいが、ソレは苔が生えるほど年月の経った倒木が

好みであるため、まだ生気の残っている倒れた直後の木を食べるのは、避けたかった。

 

とりあえず周辺を探ってみようと歩き出したソレは、茂みの奥から何者かに奇襲を受ける。

 

 

『ほほぅ、某の攻撃を受けてもびくともせぬとは、お主中々の腕前にござるな』

 

 

どこからか響いてくる独特な声と口調だったが、ソレはその声に意識を裂くことなどなく、

自分が生きるために良さそうな倒木を探していた。そうしていると、再び奇襲を浴びせられる。

鞭のような尾が凄まじい速さでソレに襲い掛かるも、ソレはまるで危機感を抱いていない。

そしてそれを証明するかのように、何者かの攻撃は強靭にして剛健なソレの外皮に阻まれた。

 

 

『一度ならず二度までも………この森の賢王と呼ばれた某を相手によくぞ!』

 

__________何だコイツは

 

 

茂みの奥からの奇襲が通じないと見るや堂々と現れた獣に、ソレはようやく気付いた。

相手は攻撃のつもりであっても、ソレの武骨かつ堅牢である重外皮にはまるで通用せず、

その結果として存在すら認識できていなかったのだ。ここに至って初めて、ソレは相手を見た。

 

しかし、相手の姿を目にしたところで、ソレは警戒心の欠片すら湧かない。

 

敵とすら認識できない程度であれば、相手にする必要はない。ならば当初の目的であった、

食料にちょうど良さそうな倒木の捜索に戻ろうと、ソレは身体を翻して反対方向を向く。

けれどそれは、この世界で賢王と恐れられた愛くるしい魔獣の、逆鱗に触れた。

 

 

『どこへ行くでござるか! 某の縄張りへ侵入しておいて、みすみす帰すと?』

 

 

頭に響くような声と同時に、しなる尻尾がソレの足や極太の尻尾の付け根を強襲するも、

倒木探しに意識を傾けていたソレからしてみれば、目障りかつ苛立たし事この上ない。

ここで初めてソレは、森の賢王を相手どることに決めた。

 

 

ブオオオォォォオオォォオオオッ‼

 

 

顔面の両側に広がった角の先を地面に向けてから、空を見上げるようにしてのその咆哮は、

今目の前にいる森の賢王だけでなく、トブの大森林に暮らす全ての生き物への威嚇を兼ねた。

ソレの咆哮は樹齢百年を越す木々を震わせ、その枝先から映える葉を散り散りにさせて、

さらには大地を激しく上下に揺さぶったと思いきや、小動物たちの鼓膜が避けて失神していく。

 

『はわ、はわわわ…………』

 

 

かくいう森の賢王も、例外ではない。未だかつて相手にしたことのない強さを持つ敵に出会い、

強者と戦いたいという彼女の短絡的な行動が過ちであったと、事ここに至って気付かされた。

生物の本能が高らかに警鐘を鳴らす。森の賢王の中で叫ぶ生存本能が、「逃げろ」と泣き喚く。

しかしながら、極度の緊張と恐慌が四つの足の自由を全て奪い、思うように動けないようにする。

ついさっきまで、強さにものを言わせて奪い取る側であったと認識していた森の賢王だったが、

目の前まで歩いて近づいてきたソレの雄々しい姿を見上げ、その陰に気付き、理解した。

 

今この瞬間、狩る側(たちば)狩られる側になっ(ぎゃくてんし)たということを。

 

 

ソレの尻尾の先にある巨大な槌のようなコブが、ソレの巨体のさらに上に振りかぶられており、

後はそれが振り下ろされるだけとなっている。賢王の身体の三分の二はあるほどの、その槌が。

あれだけのものが直撃すれば、さしもの自分も無傷では済まないだろうと直感で悟った賢王は、

飛び退いて回避する、というよりも逃走に近い跳躍で大きく横へ移動し、一目散に駆け出す。

 

その直後、大地を揺るがす轟音と共に、大森林の一角に地割れが起きた。

 

 

『ひぃぃぃいいぃぃ‼ 怖いでござるぅぅ‼』

 

 

戦意を喪失した賢王は、背後を振り返る勇気も持たず、ただソレから離れたい一心で駆けた。

自身の四つの脚が千切れんばかりの回転で動かし続け、目を開けた先には人間がいた。

 

これが、森の賢王の口からカルネ村の人々に語られた、トブの大森林の新たな伝説である。

 

のちに大森林の奥から響く衝突音と木の倒れる音は、この謎の怪物の仕業であると村の誰もが

信じ切り、機嫌を損ねて村を粉々にされないようにと怯え、しばらく村に厄介になることにした

賢王の話から抜粋し、森の新たな頂点のことを、『山の如き獣の王』と名付け恐れ敬った。

 

 

カルネ村が帝国の騎士に偽装した集団に襲われて、約一か月。

森の賢王と呼ばれた魔獣が、住み良い縄張りを追われて、約一月半。

 

 

かつてとある世界で、【尾槌竜・ドボルベルク】と呼ばれていた深緑の巨体を持つソレは、

トブの大森林の三割を半年足らずでその腹に収め、古よりこの地に封印されていた破滅の魔樹、

『ザイトルクワエ』という巨大樹を文字通りに喰らい尽くし、新たなる王として君臨した。

 

その後、薬草採取の護衛で雇われた冒険者がソレを目撃した際に、こう述べたと言う。

 

 

「鬱蒼と木々が生い茂る森の中で、ひと際大きな"山"が動いていた」

 

 

今日もまた、トブの大森林に、大地を揺るがす尾槌の音が鳴り響く。

 

 









いかがだったでしょうか?
今回はあまりグロやら無双をしませんでした。少し手抜きでしたかね。

さて今回は、3rd時代に全ハンターを物欲センサーで地獄に堕としていった
『仙骨の番人』こと、ドボルベルクおじ様です。ええ、私も泣きを見ました。

この話を思いついた理由は実に単純。
ベルク爺は木がお好き=木がいっぱい生えたとこにしかいかない
ならば森がいいだろう=オバロ世界で大森林と言えば
こんなふざけた方程式理論に基づいて、ハムスケは犠牲になりました……。
ま、まぁ流石に魔王様のペットを殺すわけにはいかなかったので、
肉団子(R-18G)になる予定だった彼女を急遽、生かす方針に変えました。

ハムスケ、本当は雌らしいですね。知った時驚きました。


それではまた次回を、お楽しみに!
ご意見ご感想、並びに批評も大歓迎でございます!


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トブの大森林・沼底の蒼き将軍

どうも皆様、お久しぶりです。
約一か月以上もSSを書かなかったため、こちらの作品で気分転換且つ
リハビリの意味を込めて更新することにしました。はは、泣きそう。

この作品を待っていてくださる方がいらっしゃったのなら、
大変光栄なことでありますが、不定期更新なので今後もお待たせするかと。


さて今回は、書籍版第四巻の内容を大きく変動させるものとなります。
もし書籍版をご覧になっていない方、あるいはアニメを未視聴の方など
おりましたら、ぜひ本家様を先に見ることをお勧めします。
ネタバレタグとあるように、盛大なネタバレをする可能性がありますので。


それでは、どうぞ!





 

 

"異変"というものは、本来であれば中々気付きにくいものだ。

 

何かが変わっている場合もあれば、何もかもが変わっている場合もありうるのだから。

 

そしてそれは、誰の身にも起こりうるからこそ、無自覚に受け入れざるを得なくなってしまう。

 

 

これは、魔王が世界に君臨させられようとする裏側で起きた、知られざる"異変"を紡ぐ物語。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バハルス帝国とリ・エスティーゼ王国の両国、その中央を走る境界線たるアゼルリシア山脈。

その山脈の南端の麓に広がるは人類未踏の大森林、トブの大森林が轟音とともに鳴動している。

そんな大森林の北側には、およそ二十キロ四方のひょうたん型にみえる巨大な湖が存在していた。

ひっくり返した瓢箪のような湖は、上の湖と下の湖とに分かれているようで、上の大きな湖は

水深も深く森の奥側にあるため大型の生物が、下の湖はより小型の生物が生活の拠点にしている。

下の湖は上よりも水深が浅く、湖と湿地が入り混じった場所が広範囲に渡って点在しており、

そこの一区画には湿地であるにもかかわらず、酷く不格好なあばら家のような建物が建っていた。

いわゆる水上生活用の建造物らしく、家の土台を湿地の中に構えつつ、数本の丸太を突き刺した

上に家と思しき壁に囲まれた空間が存在している。その不安定な建物の中から、家主が姿を現す。

 

「___________うむ、今日も良い天気だ」

 

 

その出で立ちは普通の人間とは程遠い、全身を鱗に覆われた三白眼の異形【蜥蜴人(リザードマン)】だった。

 

蜥蜴人(リザードマン)とは、爬虫類と人間を掛け合わせたような亜人(デミヒューマン)と呼ばれる種族の内の一種であり、

言うなれば人間と同じレベルまで手足が発達し、二足歩行が可能になったトカゲのような生物だ。

小鬼(ゴブリン)人食い鬼(オーガ)と同じ亜人種として人間に(勝手に)分類されている彼らであるが、確かに人間ほど

進んだ技術や文化を持ってはいないとはいえ、彼らなりに洗練させてきた文明を有してはいる。

亜人だから人類の敵、亜人だから野蛮で悪辣、と言った印象は風評被害以外の何物でもないのだ。

亜人の中でも蜥蜴人は人間よりの部類で、言葉も解せば武器を持ち、魔法を操り商業も交わす。

ただ外見は完全に人型の蛇やワニそのものなので、初見では友好を結ぶことは至難の技だろうが。

 

そしてたった今家から出てきた彼、『ザリュース・シャシャ』は自身の黒鱗を照らす陽の光を

存分に浴びてから、今日も今日とて日課であり趣味であり一大事業である"彼ら"の元へ向かう。

湿地の泥濘(ぬかるみ)を水かきのついた両足でペタペタと踏みしめ歩くザリュースは、

今から向かう場所で本日の成果を目で見て確かめることが何よりの楽しみであった。

ザリュース属する緑爪(グリーンクロー)の村落を歩き続けた先には、湿地と湖が入り混じる

開けた場所があり、彼はそこを目的地としていた。途中、村の子供たちから蜥蜴人の主食たる

魚をねだられたり丁重に断ったりしたが、とにかく彼は辿り着いた。それなりの広さがある

湿地の中で、泥に汚れていない(蜥蜴人の感性で)清らかな池サイズの水たまりに立つ小屋へと。

彼が小屋へ近づくと、小屋の陰からにゅるりと大蛇の頭が四つも伸びてきて、接近してくる

ザリュースに気付くと甘えたような鳴き声を上げながら、体全体を揺すり彼の元へ歩み寄る。

 

 

「よしよし。ロロロ、そら餌だ。喧嘩せずに分け合って食べるんだぞ?」

 

 

慣れた手つきで四つの頭を順番になでるザリュースは、家を出る時から背中に背負っていた

袋を地面に下ろし、紐を解いて袋の中身を相棒に見せつける。そこには大量の小魚があった。

魚を見るなり大はしゃぎする四つの頭、もといロロロと呼ばれたこの生物は本来、八つの頭を

持つ竜種の中でも特異な『多頭竜(ヒュドラ)』という存在なのだが、人間でいう奇形児にあたるらしく

親に捨てられたところをザリュースに拾われた。以来、彼らは兄弟のように仲良く育ってきた。

 

そんな相棒への餌やりを終えたザリュースは、ロロロの寝床である小屋からさらに進んだ湖畔の

奥へと歩を進める。生い茂る木々を不格好な足取りで避けながら道なりに行く彼は、ようやく

辿り着いた目的地に安堵の息を吐くと同時に目を見張った。他の蜥蜴人の背が見えたからだ。

まさか、そんな、と言葉にならない音を口内に留め、ザリュースは恐る恐る声をかけた。

 

 

「あ、兄者? そんなところで何をしているのだ?」

 

「………お前か」

 

 

太陽の光をギラギラと反射する同じ系統色の鱗を持つ彼こそ、ザリュースの属する緑爪(グリーンクロー)族の

長であり、実兄にあたる村の中心人物の『シャースーリュー・シャシャ』その人である。

 

他の同族よりも多くの修羅場をくぐり生き延びた事を証明する筋骨隆々の巨躯に、

誰もが目を見張る魔法の輝きを宿した大剣を背にする後ろ姿は、間違えるはずもない。

族長の証たる剣を携えた実の兄が腰を下ろす場所に並び、同じように座り込んだ。

 

 

「お前こそ、このような場所で何をしている?」

 

「それを聞いているのは兄者ではなく俺の方だ。族長がこんな辺鄙な所へ何用か」

 

「むぅ。随分と扱き下ろしてくれるではないか、弟よ」

 

 

朝早くに仕事場へ来てみれば、立場が上の兄がそこに来て座っていたとあれば、

村の皆に半ば軽視されているザリュースと言えど礼節を弁えねばと気を張るのは当然である。

そんな気難しい間柄の兄弟が共に見つめる先にあるのは、四方を囲むように湖畔に刺さった

太い木の棒と、よくよく見ると水中に張り巡らされた網。つまるところ、生け簀だった。

 

蜥蜴人は本来、狩りによって糧を得る種族であり、人間のように何かを育てて糧にするような

生産的文化など持ち合わせてはいない。しかし現在、村の問題となっている長期的な食糧難と

族長によって許されたザリュースの『旅人』として得た知識が、こうして形を成しているのだ。

 

「もしや摘み食いか?」

 

「族長たる俺がそのようなセコい真似などするか。ただ、飼育の具合はどうかと見に来た」

 

「……………流石は族長殿、真面目でいらっしゃる」

 

「弟よ、その眼はなんだその眼は! 兄の言葉を疑うのか‼」

「いやなに、飼育の様子を窺いに来ただけならばそれでよいのだ。仮にもし中にいる魚たちが

無事に肥え太っていたならば、驚かせてから食べさせてやろうとも思っていたのだが残念だ」

 

「む、むぅ」

 

 

太い尻尾の先が力なくぺシぺシと泥濘に浸かるその様は、まるで叱られた子供のようである。

幾多の闘争の果てに、地位とより良い(メス)を得た部族の英雄その人であるなどと思えぬほどに

縮こまった背中を見つめ、我が兄ながら情けないと心中で呟いたザリュースは話題を変えた。

 

 

「まぁそれは冗談なのだが。しかし兄者、コレをどうみる」

 

「……………見事の一言に尽きる。お前の作った、この、何という名だったか」

 

「養殖場、か?」

 

 

自分が作り上げた生け簀、もとい蜥蜴人の主食たる魚の養殖場についての感想を聞こうと

横に座る兄に視線を投げかけるザリュース。彼の言葉を受け、シャースーリューは答えた。

 

 

「そう、それだ! 我らが部族で過去にこのような事を考え付き、作り上げた者はいない。

そしてコレの成功は既に多くの者が知っている。このまま順調に事が進めば、お前の作る

養殖場のもたらす成果を羨み、模倣しようとする者が現れるはずだ。そうなればきっと」

 

「食料の供給がより安定し、我らの部族は安泰となる、か」

 

「そうだ。それもこれも皆、お前が苦労に苦労を重ね、努力を実らせたが故の未来だ」

 

 

実兄としての、また族長としての惜しみない感謝の言葉を受け、ザリュースは柄にもなく

照れてしまったことを恥じるように爪で頬を掻く。そんな弟の態度が好ましく映った兄は、

村の仲間たちに信用されなくとも夢想を実現して見せた弟の所業を、改めて噛みしめる。

 

 

「思えば失敗の連続だったな、弟よ。何せ、我らには糧を育むなどの知識が無かった」

 

「…………そうだな。俺が旅先で出会った者たちに話を聞き、たったそれだけの実体が無い

言葉を基にして作り上げたのが事の始まりだ。今でこそ当たり前のようにここにあるが、

最初は囲いを作ることだって大変だったんだぞ。支柱と網で魚が暮らし良い場所に整える事

ですら、一年ばかりの時をかけてやっとだった。完成に喜ぶ間も無く、次の問題が見えた」

 

「ああ、魚たちの餌だったな」

 

「餌も何をくれても良いわけではない。何が魚に取って最適かつ最良なのかを全て試して、

これだと確信できる物を見つけるのに、いったいどれだけの魚が駄目になっただろうか」

 

「網をモンスターに破られたこともあったな、そういえば」

 

「ああ、あの時は堪えたな。それまでの苦労が水泡に帰したのだから」

 

「……………だが、ああ、お前はとうとうやってみせた。誇るがいい、我が自慢の弟よ。

ここにいる魚が全て、稚魚から育てられたのだと信じる者が、果たしてどれほどいるか」

 

苦悩と挫折に満ちた日々を懐かしみながら、それをまるで経験したかのように語っていく

シャースーリュー。兄の語りを聞きながら、ザリュースはもう一つあることを思い出していた。

魚たちが相次いで死んでいった時、偶然にも村の司祭を務める蜥蜴人が様子を見てくれた事。

相次ぐ調査で減ってしまった魚を補充したいと考えていた時、漁を終えた仲間から元気な稚魚を

何も言わずに譲ってもらった事。魚たちの餌用にと、慣れない森の狩りで得た果実をもらった事。

 

村の階級制度からは外れた、半ば追放されたと言ってもいい"旅人"たるザリュースに対して、

ここまで友好的な態度をとれるほどの余裕は、当時の村には無かったはずなのに。

しかし、いったい誰が裏から手を回してくれていたのかは、流石の自分でもすぐに分かった。

 

 

「……………ありがとう、兄者」

 

「俺が何をしたものか。ここにあるものは全て、お前の努力の成した結晶だ」

 

 

万感の思いを込めて口にした言葉を、シャースーリューは謙遜に過ぎないと軽く受け取り、

逆にザリュースの行いが如何に村への貢献となったかを誇らしげに告げる。

そこで話を終わらせた兄は、重い腰を上げて立ち上がり、村の方へと歩き去っていく。

終始本当のことは何一つ語らなかった兄の背中を、ザリュースは涙で滲んだ視界に焼き付ける。

 

 

「さて、一通り見たがどこも壊されていないな。良し!」

 

 

兄との会話を終えて数分、生け簀の点検と魚への餌槍を終えたザリュースは腰に手を当てつつ

大きく背伸びをして体をほぐす。体にかかる負荷もまた、己の成功を色濃く実感させるようで

心地よさを感じると笑みをこぼした彼だったが、すぐに表情を引き締めて眼光鋭く周囲を探る。

 

 

「………………なんだ?」

 

 

"旅人"として村を出て各地を渡り歩く過程で、ザリュースは村にこもったままでは決して出会う

ことがなかっただろう強敵とも戦った経験がある。それこそ、今まさに彼が腰に帯刀している

蜥蜴人族に四宝玉と称される伝説の武器、凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)が無ければ何度命を落としたことだろうか。

兄とはまた違う領域で死線を掻い潜ってきた歴戦の猛者たる彼は、突如として辺りに漂い始めた

濃厚な、強者の気配とも言うべき何かを知覚して警戒心を最大にまで引き上げている。

 

そしてその気配が徐々に自分の住まう村落の方向へ向かっているのだと気付いたと同時に、

ザリュースは帯刀していたフロスト・ペインを抜き放ち、その異名に違わぬ氷属性を持つ剣が放つ

凍てつくような冷気を解放する。そのまま彼は、謎の気配が向かう先、村へと一目散に駆け出す。

 

 

「兄者‼ みんな‼」

 

 

身体の構造上の問題で未だに慣れない陸上での全力疾走により一早く村へと帰還したザリュース。

抜刀した状態で駆ける彼は、息を切らせながらも迫りつつある謎の脅威の存在を知らせようと

喉を鳴らそうとするが、それよりも早く村の中央に同胞たちが臨戦態勢で集結しているのを見た。

 

戦士たちは武器を取って低く唸り、戦士ではない雌や子供らは粗末なボロ小屋に身を潜めている。

そんな緊迫した状況に駆け付けたザリュースに気付き、シャースーリューや他の仲間たちも彼の

到着に一瞬だが表情を緩め、直後に再び引き締めなおした。脅威の気配は、まだ近くに居るのだ。

 

 

「………………………?」

 

 

張り詰めた緊張の糸を切らぬよう、静かに、だが素早く息を吐いたザリュースは改めて周辺に

視線を彷徨わせる。ドラゴンとまではいかずとも、それなりに頑強な蜥蜴人の鱗を貫通してなお

臓腑の奥にまで突き刺さるような、濃厚な脅威。武器を握る手が震えるのは、冷気だけが理由で

ないことを実感しつつ、汗ばんだ手でしっかりとフロスト・ペインを握り直して今一度構える。

 

その時、ザリュースは自分の体が震えていることに気付いた。否、それは体だけではない。

頭の先から足の爪先まで余すところなく揺さぶられていると知覚した時には、自分だけでなく

他の仲間たちも震えているのは自身ではなく、自分たちが両の足で立つ大地なのだと認識する。

直後、村の中心からやや外れた沼地の中から、ソレが旋回しながら這いずり地上に現れた。

 

 

「__________________‼」

 

 

瞬間的にザリュースは、シャースーリューは、その場の蜥蜴人全てが、生物の直感で理解する。

 

 

 

 

沼底より現れし蒼き鎧を持つソレには、何があろうと牙を剥いてはならぬ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結果から見て言えば、ザリュース達の村はまだ形を残している。死滅してはいなかった。

何の前触れもなく唐突に沼地から這い出てきた謎の生物は、武器を手に怯えながらも戦う意思を

絶やさずに立ち向かおうとしていた蜥蜴人たちを、完全に無視して気ままに行動し始めた。

まずは大型のドラゴンもかくやと言わんばかりの巨躯を揺らし、その重量を支えきる四つの脚を

器用に動かして移動を始め、周囲を囲む蜥蜴人の戦意もどこ吹く風でのんびり村を横断する。

そこまでならば蜥蜴人たちも臨戦態勢を解き、無害なモンスターの一種として受け入れていた

かもしれないが、なんとソレはあろうことか、ザリュースの生け簀へと歩を進めだしたのだ。

 

これに気付いたザリュースとシャースーリューは解きかけていた戦意を再燃させ、それ以上は

進ませぬと決死の覚悟を以て渾身の一撃を叩き込んだが、ソレは意に介さずに歩脚を止めない。

族長と"旅人"に出遅れる形で攻撃を加え始めた他の蜥蜴人たちも、ギシギシと関節部を鳴らして

泥濘をゆっくりと進むソレを止められなかった。そしてついに生け簀へ到達してしまったソレは、

四つの脚とは違い、族長が背負うものよりも何倍も分厚く鋭い剣のような二つの腕を振るった。

 

ザリュースは積み上げてきた結晶がいとも容易く破壊され、今日まで心血を注いで肥えさせた

村の仲間の糧となるはずだった魚を奪われ、我が物顔で蹂躙するソレを許せるはずもなかった。

 

 

「貴様ぁぁぁぁぁぁああああ‼‼」

 

 

思考回路が怒りに埋め尽くされた彼は、フロスト・ペインを手に蒼い鎧のソレに斬りかかる。

これまで数多の強敵を共に屠ってきた氷属性の相棒に、自分と、兄と、仲間たちの想いを乗せて

繰り出した最高最大の一撃は、それでも構わずに魚を食い貪るソレを止められはしなかった。

 

しかし、このザリュースの一撃が、ソレの機嫌を損ねる結末を生み出してしまう。

 

己の一撃を以てしても身じろぎ一つしない脅威を前に、ほとんどの蜥蜴人は勝利を諦めたが、

言葉も通じなければ闘争の本質が異なる彼らの本能的な投降を、ソレは躊躇なく斬り捨てる。

 

蜥蜴人の成熟した雄が三人ほどの大きさをした、両腕の大剣が振り下ろされるたびに血花が咲き、

圧倒的な物量と膂力によって人としてそこに居た同胞が、次の瞬間に砕けた鱗と肉塊に変貌した。

瞬きほどの合間に起きた出来事に状況把握が間に合わず、続けざまに鬱陶しい小蠅を払うように

振るわれた右の剛腕により、槍を構えていた二人の同胞の体が横一文字に分断させられてしまう。

 

「な、なんだコイツは………‼」

 

「手を出すな! 下手に刺激するとこちらが危ない、急ぎ村に戻るのだ‼」

 

 

煩わし気に腕を振っただけで、屈強な戦士たちが無残な血肉の塊と成り果てた現実を前にして、

族長としての責任感からかシャースーリューは一早く意識を取り戻し、全員に撤退命令を下す。

彼の号令を待っていたように逃げ出す仲間たちを見送るシャースーリューだったが、ただ一人、

傍若無人に生け簀を食い荒らす蒼い鎧を睨みつける弟を見やり、念を押すように声をかけた。

 

 

「撤退しろザリュース! お前の気持ちは分かるが、だからこそここでお前が死んではならん!」

 

「………………ああ」

 

 

フロスト・ペインの柄を壊れそうなほどに力を込めて握りしめる弟の背中を、兄としてではなく

族長として引き留めた彼は、どこからともなく現れた謎の巨大生物を一瞥し、村へ逃げ帰った。

 

 

その後、彼らは村の中で一番大きな小屋の中に集まり、族長以下八名ほどの重要な階級を持つ

者たちだけの緊急会議を開くことにした。議題は言うまでもなく、先の蒼い鎧への対策である。

族長であるシャースーリューが上座に座り、集結した戦士長、祭司長、狩猟班の生き残りたち、

古き知恵を持つ老齢の長老会、さらには"旅人"であるザリュースまでもが腰を下ろしていた。

 

そして始められた会議は、熾烈を極めた。あの場に居合わせた狩猟班の生き残りたちや戦士長は

口をそろえて「戦ってはならない」の一点張りで、逆に祭司長や長老会の面々は直にその脅威と

対面していないためか、「魔法や呪術ならばあるいは」と半ば日和った提案を推しだすばかり。

普段ならば自ら武器を取って戦う機会の少ない祭司長らが逃げ腰になり、それを戦士長のような

血気盛んな猛者がなじり、戦う事を推奨するのだが、今回ばかりはその立場が逆転している。

 

いつまで経ってもまとまらない議論に痺れを切らした族長が、各階級の長一人一人に意見を出す

ようにと凄味を利かせ、各陣営内で話し合う時間を設け、最終的な結論として提唱させた。

 

祭司長らは依然として「魔法などによる非物理攻撃」による戦闘の推奨。

戦士長や狩猟班も頑として譲らず、「アレとは戦ってはならぬ」と身震いしつつ語る。

ところが長老会はやはりと言うべきか、「ひとまず様子を窺うべきでは」などと言い出した。

 

 

そんな様子に溜息をついたシャースーリューは、首をもたげて反対側に座る弟に尋ねる。

 

 

「……………お前はどう思う?」

 

「族長⁉ "旅人"に意見を求めるなど!」

「構わんだろう、フロスト・ペインに選ばれた雄の言葉だ。聞く価値はある」

 

「しかしじゃな、"旅人"がこのような会議に参列すること自体が」

 

「__________騒がしい。族長たる俺の言葉が聞こえなかったか」

 

 

一気に喧噪が広まった議会に尻尾を打ち付け、絶対的な力と権力の象徴たる自らの言葉で

あることを今一度知らしめた族長の決定に、"旅人"を軽視する長老会の面々が押し黙った。

静けさが小屋の中に充満したのを確認してから、族長は改めて"旅人"たる彼に意見を求める。

 

 

「さてザリュースよ、お前の言葉を聞かせてくれ」

 

「…………俺は、戦って生き残る事を選ぶ」

 

 

弟の覚悟に満ちた言葉を聞き、兄としての、族長としての彼はそれ以上の言葉を飲み込んだ。

水平に保たれた天秤を揺らすような発言を受けて、否定派である戦士長たちが声を荒げようと

した直後、それを察していたかのようにザリュースが手を掲げ、一同の注目を集めて語りだす。

 

「だが、このまま挑んでも容易く皆殺しにされるだけだ。それが分からぬほど愚かではない」

 

「うむ。やはりお前は"旅人"だが馬鹿ではない、ではどうするというのだ」

 

「ヤツには俺のフロスト・ペインも、兄者の一撃も通じなかった。となれば、この村にいる

誰の攻撃も効果があるとは思えない。つまり、ヤツの防御を上回る力が必要になるわけだ」

 

「しからばザリュースよ、その力をどう手に入れる?」

 

 

一つ一つの事実を再確認させるようなザリュースの口ぶりに、その場にいた戦士長や狩猟班は

おろか、魔法攻撃が通じぬはずがないと高を括っていた祭司長らですらも顔を青くし始める。

自分たちの村に差し迫る脅威の恐ろしさをまざまざと思い知らされた彼らを代表して、族長の

シャースーリューは自分たちには無い知識を持つ"旅人"の、弟の次なる言葉を待ちわびる。

 

彼らの視線が一心に集まるのを感じながら、ザリュースは意を決して歴史を変える一言を発した。

 

 

 

 

 

「…………皆、かつての戦いを、覚えているか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソレはふと、目を覚ました。

 

眼と呼ぶにはあまりにも小さく、あまりにも異質な、黒い真珠にも見えるそれを動かして

周囲を注意深く見回す。内に沸き起こる生物として至極当然の欲求、空腹を感じたまま。

自分自身ですら重いと感じられる巨体に、自らの弱点を守るための"殻"を背負っているソレは、

四つの脚を器用に動かして立ち上がり、この数日間まるで変わらない一つの事実に落胆した。

 

 

___________ここは何処だ?

 

 

地中を掘り進み、自身が過ごしやすそうな環境が近いと踏んだ地点から地上に進出してから、

早くも数日が経過しているのだが、一向にこの不可解さが払拭されることはなかった。

 

そもそも自分は、半ば枯れかけの針葉樹林と時折毒の瘴気を吐き出す汚らしい泥沼がある

場所に縄張りを敷いていたはずだったにもかかわらず、ここ数日の移動でも発見できない。

ソレの食性は雑食であるため、食うに困ることはないと楽観視していたことはあったが、

まさか目が覚めたら見知らぬ場所に自分がいるなどという事態は、予想がつかなかった。

それでも、堅牢な甲殻に唯一包まれていない自身の弱点を守る、巨大な巻貝状の"殻"が

無くなっていなかったことだけは不幸中の幸いであったが、ソレは現状を受け入れている。

 

食については心配してもいなかったが、どうやらこの辺りは魚が住まう湖や川があるらしく、

付近には鬱蒼と生い茂る森林も見えるため、キノコ類や果実、それに群がる小動物も数多く

生息している以上、やはり困ることはなさそうだ。味の好みはあるが、要は食べられれば良い。

 

続けて縄張りとなる住処の問題だが、これもやはり運が良いと言うべきか、一番最初に地上へ

出た際に小奇麗な湖と湿地帯、毒などはないが肥沃な泥沼がそこらじゅうにあるのを確認した。

右も左も勝手が分からぬ見知らぬ土地であれど、ここまで至れり尽くせりな以上、文句はない。

 

 

___________また来たのか

 

 

否、文句というより、厄介事ならば一つだけあった。

 

基本的には温厚な性格であるソレは、あまり積極的に闘争を仕掛けるような真似はしないが、

興味すら抱いていないにも関わらず、向こうから攻めてくる場合だけは別だと豹変する。

具体的に言えば、歯牙にもかけぬような十把一絡げな存在が、何度も何度もちょっかいをかけて

くる場合などが該当する。何もしなければ良いものを、と思いながらもソレはその両腕を振るう。

 

左の腕を上に構えながら、右の腕を体の内側へ向けて豪快に振るい抜くと、たったそれだけで

今日も今日とて懲りずにやってきたトカゲに似た連中が、上下二つに分裂して冷たく成り果てる。

以前はそれだけやれば勝手に逃げ出していったのだが、最近は数を増やして逃げることをしなく

なっているらしい。食事時に限って現れるため、ソレからしたら鬱陶しいことこの上ない連中だ。

 

続けて一際大柄の一匹が唸り声をあげながら突っ込んでくるが、例え殴られても痛みはおろか、

何かが触れたのだな程度にしか感じない。しかし、そんな程度でも、食らってやる義理はない。

 

「今日こそテメェの硬ぇ殻、ぶっ壊してやる‼」

 

「よせ、ゼンベル! 無闇に突っ込むな! クルシュ、援護を頼む!」

 

「ああもう、あの筋肉馬鹿! ザリュースの頼みじゃなかったら助けないんだから!」

 

大柄の一匹に続いて、自分の目の前に普通の一匹と白い小柄な一匹が現れるが、脅威足りえず。

体格に見合った極太の棍棒を打ち込もうと接近してきた一匹に、ソレは両腕を顔面の前に揃えて

待ち構え、最接近してきたと同時に一瞬で腕を突き出し引き戻す。ものの見事なカウンターを

受けた大柄のは派手に吹き飛ばされ、残る二匹を両腕の射程圏内に捉えたソレは動き出した。

 

眼前の二匹に注目していると、どうやら茂みに隠れていたらしい他の有象無象が飛び出してきて、

手にした武器を構えて一斉に攻撃を加え始める。無論、ソレの蒼い鎧には傷一つすらつかないが。

しかしソレはふと、とある一匹が手に持つ武器を黒く小さな瞳で見やり、ある存在を思い出す。

 

 

___________ああ、ソレは嫌いだ(・・・・・・)

 

 

全身を鉱物や他の生物の匂いが染み込んだ鎧で覆い、同じく多種多様な死臭をこびりつかせた

武器を構えて、幾度となく己の命を脅かしたちっぽけな存在。眼前の有象無象はよく似ている。

切り口を焼き焦がさんとする炎の剣。

触れた途端に芯から凍てつく氷の槍。

遥か遠くから電光を迸らせる雷の筒。

己を凌駕する魂の咆哮が宿る龍の槌。

 

かつて対峙した存在たちは、その全てが自身の命を奪うことができる強さをもって現れた。

己の両腕と同等かそれ以上の鋭さを誇る剣で斬られ。

己の弱点を守る"殻"すら容易く打ち砕く槌で殴られ。

己の堅牢な蒼い鎧を正確に穿ち貫き通す槍に刺され。

己の武器が一切届かぬ彼方より放たれる弾に撃たれ。

 

幾度となく自らを死の淵に追いやってきた存在たちは、あまねく命を貪り、刈り取っていた。

 

 

___________ソレは嫌いだ(・・・・・・)

 

 

片腕を無作為に振るうだけで粉微塵になるような矮小な命に、本気など出すつもりはなかった。

一手間で片が付くというのなら、それ以上の労力を用いるなど言語道断。力の無駄遣いだろう。

 

けれど、もしも。だが、しかし。

 

 

ソレはふと思い至った。

 

武器を手に持ち、鎧で身を覆い、自分よりも遥かに小さな存在が力を以て自らの命を脅かす。

そんな存在に、ソレは心当たりがあった。あり過ぎた、故にソレは黒い瞳を血走らせ、吠える。

 

 

___________狩られる前に、狩れ

 

 

無益な争いを好まない温厚な性格だったソレは、もはや一切の情け容赦を捨て去る決意を固めた。

 

見知らぬ土地であれど、恵まれた環境であれど、異なる種族として生物が生きているのなら。

敵と認識せざるを得ない。敵であるならば、戦うしかない。戦うならば、狩り尽くすしかない。

 

 

ギュイイイ、ギュァァァアアアアア‼‼

 

 

両の腕にしまい込むようにして隠していた大太刀(ハサミ)を、我が力を知らしめるべく高々と掲げ、

ありとあらゆる生物の原型からかけ離れた形状の口腔からは、不快な音で弾ける水泡が溢れ出る。

数百年を超えてなおも細胞に刻まれた原初の姿、その証明たる"(ヤド)"を背負う圧巻の風貌に加え、

およそこの世界にある如何なる鋼も寄せ付けぬ、空より青く、海より蒼い全身を覆い尽くす甲殻。

 

 

 

 

予期せぬ天災の如き怪物の襲来より、一週間。

このままでは滅ぶのみと確信し、袂を分かった全蜥蜴人の部族が今一度集い、決戦を仕掛け三日。

 

 

かつて、とある世界で【鎌蟹・ショウグンギザミ】と呼ばれ、畏れられていた明蒼色のソレは、

一族全ての命運と未来を勝ち取ろうと奮起する蜥蜴人の決意を受け、武器を手に取り現れ続ける

彼らを敵と認識して以降、その一切合切を分け隔てなく斬り捨て、あわや絶滅にまで追い込んだ。

 

八つの部族が互いに生き残るべく争っていた大森林の湖には、今や泥底に座する将軍が陣を敷く。

 

 

 

 






いかがだったでしょうか?

いやー、久々の作品でリハビリ兼ねてた割には書けましたね!
原作があるとやはり書きやすいと言うのもあるのでしょうけど、
それでも原作からはかけ離れたストーリー展開になってしまってます。

あ、今回はあまりグロくありませんでしたね、すみません。
いつの日か、評議国を襲うビーストマンを襲うゴーヤデチさんを
書きたいとは思ってます。はてさて、いつになるのやら(遠い目


それでは皆様、次回をお楽しみに!


ご意見ご感想、並びに批評も受け付けております!


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スレイン法国・還るは砂、散るは命、喰らうは獣

どうも皆様、萃夢想天でございます。
長い間更新を停滞させてしまい、誠に申し訳ございませんでした。

昨年の十月を過ぎたころから、私用公用共に多忙の極みにありまして、
こちらのサイトに手を出す隙自体が失われておりました。
ですが、この作品を心待ちにしている皆様のことを思い、わずかな時間を
見つけて書かせていただく所存です。
三月に入れば、きっと、きっと時間が取れますので………。

さて前回は蜥蜴人(リザードマン)たちの集落が大打撃を受けました。
ショウグンってば穏やかな性格なのに装備の性能がガン攻めなの未だ謎。
なんで鎧に爪六本も必要なんだよ、それ武器だよ最早! 肩で刺せるわ!
とりわけ今回はお待たせしてしまったこともあって、なんと大盤振る舞いの
三体同時狩猟(蹂躙)クエストをご用意させていただきました!


それでは、どうぞ!




 

 

 

 

 

"異変"というものは、本来であれば中々気付きにくいものだ。

 

何かが変わっている場合もあれば、何もかもが変わっている場合もありうるのだから。

 

そしてそれは、誰の身にも起こりうるからこそ、無自覚に受け入れざるを得なくなってしまう。

 

 

これは、魔王が世界に君臨させられようとする裏側で起きた、知られざる"異変"を紡ぐ物語。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バハルス帝国とリ・エスティーゼ王国の両国、その中央を走る境界線たるアゼルリシア山脈。

目に見える形での国境線となってそびえるかの山から、真っ直ぐに南下していく先に国一つ。

さながら帝国と王国のやり取りを公正に見張る審判の如き位置に構えるは、スレイン法国という。

 

スレイン法国は人類至上主義を国是とする人類国家であり、人類以外の種を害悪と見做して

すべからく滅ぼすべしと高らかに謳う過激なお国柄である。当然ながら、その影響力は高い。

王国からは宗教家が政治をまとめる狂った国であると、帝国からは人類の為と称して堕落した

人間を『神の愛』を免罪符に間引く狂った国であるとして、違った意味で良い印象がないのだ。

 

帝国の見分の通りに、法国は人間というか弱い種族をまとめ上げる為にその他の種族を淘汰する

方針を取っている。それだけならば血気盛んな国であると他人事にできるが、彼らの厚みに過ぎる

信仰心が時として、「生き残る価値の無い人間を神の為に間引く」という同類虐殺を敢行させた。

このやり方で本当に人類が救済されるかどうかは不明だが、少なくとも〝鮮血帝〟と恐れられる

皇帝が国を統べる帝国にあまり痛みは無く、むしろ腐敗と堕落に果てた王国は格好の的であった。

 

辺境の村々、トブの大森林の外周の端にあるカルネ村を襲った騎士風の集団も、実際は法国側の

訓練された軍人たちであり、無辜の民たちを虐殺したこともまた、篤き信仰心の結果である。

本来であればそこへ、死の支配者が腕試しに来る予定だったのだが、神の悪戯か悪魔の罠か。

後にカルネ村民たちに〝山の如き獣の王〟と名付けられる巨大な獣竜が、〝森の賢王〟という

白銀の四足獣を追い出したことにより、軍人兵士たちは見るも無残な肉の塊と成り果てた。

 

実はこの一件が、法国内で決して小さくはない波紋を起こしたのだ。

 

スレイン法国とは一言で表せば「宗教国家」である。だが、その形態は普通ではなかった。

通常、国が掲げる宗教、つまり国教とは唯一であり、混ざり合ったり認め合ったりはしないもの。

しかしこの国ではそもそも、宗教という言葉の軸からやや外れた思考が波及しているために、

全く異なる性質の神々をそれぞれ六人も崇め奉り、各々がどの神を信奉するかで宗教も変わる。

法国の周辺にまばらに存在している小国家などは、火・水・風・土の神々が世を創りたもうたと

信ずる『四大神』宗教なのだが、法国はそこへ光(生)と闇(死)を加えた『六大神』宗教を信奉。

各神を奉ずる神官長ら六名と、その彼らをまとめ上げる議長的存在の最高神官長が国の統制者で、

国民に対してはどの神を信ずるのも自由だが、六大神以外の神を崇めることは大罪としている。

 

結果的に言えばスレイン法国には六つの宗教があり、それぞれが独立していながらも関わり合い、

ひとまとめにして国教認定しているということ。言葉通りの型にはめれば国教とは呼べまい。

 

ともかく、そんな彼らの間には動揺という波が広がっていた。言わずもがな、村民虐殺の件だ。

 

これには法国の暗部と言える存在しないはずの組織(・・・・・・・・・・)が暗躍しており、全て合わせて『六色聖典』と

呼ばれている。国の裏事情ゆえに存在しないという扱いではあるが、各神官長直属の工作部隊

として、各地の亜人種の殲滅や人類の間引き、逆に救うべき民を陰ながら援助などもしていた。

こうした経歴を持つ以上、それぞれの聖典(部隊)に所属する人間は、どれもみな一流の戦士で

あり、信仰系魔法に精通した魔法詠唱者である。だからこそ、今回の問題は国にも痛手となった。

 

 

「…………そうか。まさか〝森の賢王〟が森を出て人の争いに関わってくるとは」

 

「全ては至らない指揮官である私の采配不足であります。申し訳ございません」

 

「よい、其方の輝かしいまでの信仰心は、誰もが知っておる。故に陽光聖典を任せておるのだ」

 

「はっ! このニグン、これまでと変わらぬ信仰を。否、さらに厚き信仰を誓います!」

 

 

六名の神官長と最高神官長らが議を決する場に、そぐわぬ血の臭いをまとう眼光鋭い男がいた。

彼こそは誉れある六色聖典が一角、陽光聖典の隊長を務める傑物、ニグンという者である。

本名はニグン・グリッド・ルーインなのだが、洗礼名特有の長さが面倒なので、名前で呼ぶ。

 

そんな彼は現在、先の一件での詳細を報告すべく自ら神官長らの前で顛末を語り、額から脂汗を

流しつつ沙汰を待っていた。無能の烙印を押されるかと思いきや、意外な温情に一先ず息を吐く。

元々は無辜の王国領民を虐殺し、別の部隊が裏から手を回して王国の貴族派閥を焚き付けた事で

装備を剥がされた王国戦士長、辺境最強と名高いガゼフ・ストロノーフを抹殺する任務であった。

だが蓋を開ければたかが寒村に、古き伝承に刻まれた叡智を宿す強大な魔獣(ジャンガリアン・ハムスター)が突如現れるや否や

作戦を妨害。あまつさえ、現場にいた隊員を皆殺しにしてしまったことで撤退を余儀なくされて、

貴重な人類繁栄の為の力であり、同じ神を奉ずる同胞を幾人も無駄死にさせての結末を迎える。

 

 

「期待しておるぞ。しかし、そうか。陽光聖典に選ばれた者ですら、伝承の獣には敵わぬか」

「新たな隊員を選抜せねばな。それに、また近頃は獣人(ビーストマン)の件で竜王国から使者が」

 

自らのしでかした失態を想定以上に軽く許され、やるせなさを感じたニグンではあったが、

直後に法国がかねてより救助部隊を送っていた竜王国の危機を知らせる話を聞き、口を開く。

 

 

「お許しいただけるならば、竜王国への援助としてこのニグン、陽光聖典の出動を具申致します」

 

「じゃがニグンよ、其方の隊は人員を失ったばかりじゃ。いくら選りすぐりの精鋭たちだからと

いっても、彼の地での戦いは苛烈を極める。まずは隊員の補充を行ってからではないかの?」

 

「…………そう、ですね。仰る通りかと。ですが我ら陽光聖典は人類にとっての福音たる陽の光!

法国の、ひいては人類の未来を背負い立つ優れたる神の先兵! 補充が終わり次第、早急に!」

 

「先の件であれば不問であるぞ、ニグン。其方のような有望な神官を、理性無き獣どもの餌に

する気はない。今はその身を休め、万全の体調を以て我らが神の御名において導き手と成れ」

 

「はっ‼」

 

 

罪滅ぼしの機会を得る為の発言であったのだが、神官長たちからの反応は芳しくない事に気付き、

額から左頬にある忌々しい戦傷を伝って汗が滴り落ちる。雫の後を追うように彼は頭を下げた。

その後は人員補充後の活動方針を拝命し、他に多くの問題を抱える六名の長たちから控えめに

去れと告げられ、最後にもう一度頭を下げてからニグンは神聖不可侵の領域を後にする。

 

信仰厚き神の使徒を自負する彼でも人並みの感情はある。法国の全てを取りまとめている彼らの

前でする失態の報告が穏便に済んだことに、安堵の溜息を漏らしてしまい、慌てて取り繕う。

ちょうどその時、同じ陽光聖典に所属する部下の一人がやって来て、ニグンに声をかけてきた。

 

 

「隊長、お疲れ様です」

 

「ん、ああ。今回の一件に関しては不問となった。神の御加護に感謝せねば」

 

「ですね。ですが隊長、我々の今後の動きは?」

 

「それについてだが」

 

 

自身を労う言葉をかけられて隊長としての立場を思い返したニグンは、早急に損失した部隊員の

補充と装備の点検、並びに近々竜王国への遠征部隊に選定される(かもしれない)ことを伝達。

各員の準備が整い次第、遠征までの猶予期間を休暇として好きに使えと含みを持たせて告げた。

 

法国の人間は揺るがぬ神への信仰心を抱いているが、それだけでは不眠不休で働けはしないと

隊長の彼はよく理解していた。食わねば死ぬ、眠られば死ぬ、休まねば死ぬ。人は弱い生物だ。

だからこそ一時の休息を以て精神と肉体を休ませ、戦いへの覚悟と生き延びる決意を宿らせる。

効率よく部下を動かすためのノウハウではあれども、彼にも心労を鑑みることのできる人間味は

確かにあるのだ。無論、休みの間中も神への祈りを捧げることは絶対という暗黙の規則はあるが。

 

取り敢えず肩の荷は下りたな、と法国の中心に位置する大聖堂から出てきたニグンは空を見る。

変わらずにある空の青が、彼の心の中にある複雑かつ大小さまざまなしこりを洗い流していく。

人は自然の中にある己を再確認することで、命の尊さを本能的に理解する術を失くしていない。

気分転換を早々に済ませたニグンは、まず人員補充についての日程と試験科目を設定せねばと

息を巻き、自宅には戻らずそのまま偽りの職場へと足を運ぼうとした。

 

 

だが、その日。その時。その場所で。

運命は大きく変わり、先の未来を揺るがし、結末を定めた。

 

 

整備された街道を、長期任務で国を離れていたこともあり懐かしく感じながら歩き進んでいると、

しばらくしてニグンは小さな違和感を感じ足を止めた。ほんの些細な、しかし確かな違和感だ。

辺りを見回し、街並みに変化がないことを確かめ、次に何が心に引っ掛かるのかを探り出す。

そして、彼は気付いた。

 

 

「……………何だ? 何故、こんなにも人が少ない?」

 

 

彼は自分のいる街の東部の街道に佇んでいた。いくら辺りに目を向けても、人影一つ見られない。

この国では異なる神々を崇めているため、宗教的祭事や法事なども日を分けることは多々あるが、

街並みからこうも人の気配が感じられなくなることはないだろう。少なくとも過去にはなかった。

では、消えた人々はどこへ行ったのだろう。謎を知覚した彼は、鍛えられた聴覚で音を探知する。

 

 

「街の西側か? やけに騒がしいようだが、今日はいずれの神の催し事があっただろうか?」

 

遠くから聞こえてくる人の声、歓喜か悲鳴かは判別できなかったが、法国最大の都市中央街の

西方から響いてきていることに気付いたニグン。すぐに頭に浮かんだのは、奉る神々由来の祭日。

信仰厚き法国において、信奉する神以外の神々を蔑ろにすることはありえず、それぞれに該当する

教えや禁忌、祭事の作法なども国民全員の頭に叩き込まれている。だからこそ彼は首を傾げた。

「………いや、違うな。闇司る死の神スルシャーナ様の降臨祭は、二月ほど先だったはずだ」

 

実際この六大神という存在は同時に現れて協力し、人類の先祖を助け守護し導いたとされており、

この世に現れ出でた日時が異なることはないのだが、数世代前の神官長の一人がこれを改めた。

曰く、『天上より我ら人類を救いたもうた神々を奉る日を、同じ日にまとめるなど不遜である』

とのことらしく、商業組合や神官長としても同日に別々の催しをすることは憚られたらしい。

以来、かの神々がご降臨された事実はそのままに、降臨された日時だけを月ごとに移動させて、

時期に見合った祭事を執り行うこととなっていた。ニグンはそれを思い出し、原因を考える。

 

だが、長考の姿勢に入ろうとした彼が次に耳にしたのは、祭事とはかけ離れた轟音であった。

 

 

「何だ今の音は! もしや、敵襲か!? 一体どの国が攻めてきた!」

 

 

祭事や法事であれば、何かが砕け壊れるような音など聞こえるはずがない。加えて一層肥大した

人々の喧騒からして、ただならぬ事態であるとの推測は容易となった。彼は血相を変えて一路、

街の西方へと駆け出す。この時はまだ、人同士の争いである(・・・・・・・・・)と生易しい考えを抱きながら。

 

国の暗部として鍛えられた工作部隊としての身体能力を遺憾なく発揮し、ニグンは西方へ到着。

わずかに乱れた息を整える為に呼吸を数回、思考をクリアにしてから平静を保ち前方を見ると、

そこには予想した通りに国を守護する憲兵隊や、表向きの実働部隊である六大教典隊員がいた。

実戦経験に乏しい憲兵を、六大教典の隊員や隊長が緊急措置として動かしているようだが、

突然の出動に指揮系統が混乱している様子が目に見える。ニグンは已む無しと、自身の表向きの

立場を使用することを決め、大慌てに手足を動かす兵士たちの前へと足を運んだ。

 

 

「各員傾聴! 私は、法国魔法庁長官補佐のニグン・グリッド・ルーインである!」

 

 

自身の隊員たちへ命令を伝達するときのように、ドスを効かせた声色で統率無き兵達を一喝し、

全員の視線と注目を一手に引き受けた頃合いを見計らい、伝わりやすいよう区切りつつ話す。

 

 

「私も現着したばかり故、事態の詳細な状況報告が欲しい! だが今は時間も切迫している。

よって、憲兵隊を三つに分け、西門と東門の守護に二つ、一つは私の指揮下に入ってもらう!

六大教典の諸君、この場にいる部隊は? ふむ、よし。ならば教典は各隊長命令を待て!」

 

 

瞬く間に部隊を切り分け、それぞれに役割を与え、指揮権の継承問題も考え部隊を場に残す。

的確かつ迅速な判断と対応に、場慣れしていない憲兵はただ首肯し、配置場所へと急行した。

西門付近の監視塔の真下に移動したニグンと残りの憲兵隊は、事態の状況把握が必須と考えて

塔内から国の外周を監視している警護兵を呼びつけ、何が起きているのかを口早に尋ねる。

 

 

「私は法国魔法庁の長官補佐のニグン・グリッド・ルーインだ。今、何が起こっている?

要点だけをまとめて簡潔に話してほしい。先程の轟音についても、詳細な報告をせよ」

 

「は、はっ! しかし長官補佐殿、我々も事態の把握が困難な状況となっておりまして」

 

「なに? 敵が攻めてきたのではないのか? どういうことか説明しろ!」

 

「い、いえ、その…………我々には判断しかねる事態でありまして」

 

 

ところが、どうにも煮え切らない返答ばかりで、肝心の情報が一向に出てこないではないか。

警備兵は交代制で国の外側を見張る職務のはずだ。もしや仕事を怠けていたのかと邪推する

ニグンであったが、今は言及している間も惜しいと舌打ちし、もう一度声を荒げて問い質す。

 

 

「判断は私がする。君は状況の報告をせよ。いいか、何が起きているのかを話せ」

 

「ひっ! か、かしこまりました!」

 

つい先程兵達を統率した時よりさらに低い声色で語り掛け、あまりの鬼気迫るソレに恐れを

なした警備兵は、責任や事務報告の形式などを丸投げし、ただ自分が見た事実を口にした。

 

 

「数分前、突如として西方に広がる砂漠地帯から、法国西門の砦に攻撃を受けました!」

 

「ふむ。それで、敵の数や特徴は? 騎兵や魔法詠唱者の部隊は見られたか?」

 

「いえ、それが、相手は………他国ではありません。人間では、ありませんでした」

 

「何だと‼ ならば、亜人共か!? 愚物共めっ………それで、数はどれほどか!」

 

攻撃してきた敵が人ではない、つまりは亜人種であると見切りをつけたニグンは激昂する。

彼もまた人類至上主義者の一人であり、人ならざる亜人は絶滅して然るべきと信じて止まぬ

狂信者の類である。彼の左頬の古傷は、亜人の村を守ると語ったアダマンタイト級冒険者の

一団に付けられた忌まわしいもので、回復魔法で治せるものを敢えて残し遺恨としていた。

それほどまで苛烈に人外を毛嫌う彼の怒りに縮こまり、警備兵は報告を途絶えさせてしまう。

そのことに気付いたニグンは、眉間に皺を寄せ、怒りをそのままにがなり立てた。

 

 

「数はどれほどかと聞いている‼」

 

「はいっ! 我々が観測した数は、さ、さ、三………」

 

「三? 三百か、三千か。もしや三万もの軍勢が押し寄せてきたか!?」

 

「三、体、です」

 

「____________なんだと?」

 

 

ニグンの表情が怒りから呆然ヘと移り変わった直後、法国に文字通り激震が奔った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソレはふと、目を覚ました。

 

空いた腹を満たそうとする食欲が起こしたのではなく、もっと直接的かつ外的な要因からだ。

己が視界の上半分を覆い尽くすほどの巨大な二振りの角を持ち上げ、ソレは頭を揺り起こす。

主に頭部から背部に沿って尾先までに届く甲殻同士が擦れ合い、生物から聞こえるはずのない

重低音を発生させるが、ソレの異常なまでに発達した聴覚は別種の音をいくつも捉えていた。

自然界におけるヒエラルキーにおいて強者であると自覚するソレは、目を見開きある事に気付く。

 

___________ここは何処だ?

 

 

全体重のうちの三分の一を誇る頭部をもたげ、視界の届く範囲を見渡すも、見覚えが全くない。

自身が寝床とするのは、広大な砂漠にぽっかりと口を開けた大空洞の奥底なのだが、今まさに

照りつける陽の光を浴びていることから地上だと確認できた。ならば、此処は何処なのだろう。

 

見覚えの無い景色に、来た覚えの無い場所。これらの不一致がソレの生存本能を強く刺激し、

そのことがソレの内にある生物としての感覚を鋭敏にさせたことで、ソレは何かを察知できた。

 

 

___________この音は何だ?

 

 

ソレの頭部にある巨大な角と襟巻きによって隠れているが、些細な音ですら聞き分けられる程の

知覚領域を有する聴覚に、目覚めてからずっと響いてくる音がある。ソレは目を細め耳を澄ます。

やがて遠方から伝播してきたのは、重い足音に咆哮。微かだが、弾く音に断末魔も聞こえてくる。

 

しかし、それだけだ。ただ遠くから音がするだけである。ソレの関心を引くほどのものではない。

絶対の強さを誇るソレは、だからこそと言うべきか、縄張り意識が他と比較にならぬほどに強く、

何かの間違いで足を踏み入れただけであれ、一切の容赦も慈悲もなく全力を以て鏖殺してきた。

即ち、裏を返せば己の領域外の事であれば無関心となる。強者としての余裕と慢心もあってか、

自身よりも強い存在に縄張りを奪われることはあまり考えていない。だから今回も関係ないと。

 

傲慢さあふれる判断で、聞こえ続ける音の出どころから興味を失ったソレは、再び耳を澄ます。

どこかで聞いた覚えのある潜航音と呼吸音(・・・・・・・)に気付いたソレの視界の端で、砂煙が動いていた。

 

 

___________何をしている

 

 

既知の音に戸惑っていたソレだったが、己の視界内を堂々と闊歩(闊泳)する存在を視覚と聴覚の

双方で認識した直後、思考が血の如き真紅に染まり、殺意が血脈を巡り本能を研ぎ澄まさせる。

正確に言えば、そこはただの砂海の一角であり、それだけの場所である。だが、寒暖差の激しい

砂漠で熾烈な生存競争を生き抜き、圧倒的な力によって同族すらも砂に還したソレにとっては、

自らが体を休めた場所から見渡せる範囲の全てが、己の領域であり縄張りに他ならなかった。

 

分を弁えずに強者たる己が眼前を過ぎ去る蛮行を、全身全霊を以て償わせる決意を固める。

 

 

___________逃がすものか

 

 

微睡みの中から立ち上がり、こちらの存在に未だ気付かず砂の中を遊泳する愚か者に対して、

ソレは宣戦布告するかの如く咆哮を轟かせた。あまねく大地に知らしめるように、強く長く。

 

この世の生物が発せるとは思えぬ声量が、砂の海を波立たせて動かし、地の底から揺るがす。

聴覚が不調か不能でなければ確実に聞こえる大咆哮によって、やや離れて砂中を進んでいた

巨大な生命体もソレの存在に気付き、自らがしでかした行いを理解すると同時に逃走を図った。

図体の大きさならば砂中のソレも引けを取らないのだが、単純に彼我の戦闘能力の歴然たる差を

よく分かっていたが故の逃走だった。だが領土を侵されたソレは、だからこそ闘争を望んだ。

 

敵が大慌てで遠ざかるのを音で察知したソレは、二本の大角と両翼の中ほどから伸びる太い爪で

足元の砂地を掘り出し、体を滑り込ませるようにして体色とほぼ同じ色の砂海へと潜航する。

 

地上にいた場合では、自重によって動きが鈍り、なおかつ周囲から絶え間なく聞こえ続けている

風や石の音などから情報の取捨選択を迫られる。砂の中ならばこの問題のほとんどが解決できた。

むしろ砂中は(ソレ自身は知らないが)水中とさほど変わらない音の伝達速度なので、同様に進む

存在の探知もまた容易くなっているのだ。ソレは人間でいうクロールに似た動きで距離を縮める。

時間にして十数秒の間だったが、生死を懸けて繰り広げられた自然界の生存競泳も終着が近づく。

 

 

___________終わらせてやろう

 

着々と互いの間にあった距離を詰めていったソレは、己の必殺の間合いに敵を捕捉した瞬間、

そこからさらに速度を上げていき、砂の海を文字通りに切り裂く勢いで諸共に急浮上する。

二振りの巨大な角は敵の腹部を確かに抉り貫き、一面が乾ききった砂漠にあるまじき極彩色の

体液を噴き上げさせているが、お構いなしに頭部を三度ほど強く振るって吹き飛ばした。

支えであった角の拘束が解かれ、慣性の法則をそのままに表と裏で体色が異なる巨体が宙を舞い、

彩度が濃厚な血飛沫をぶち撒けながら巨体は壁に激突し崩壊。領地の侵入者は瓦礫に埋もれて

四肢をバタつかせているが、どうにも傷が深いらしく時折苦しげな悲鳴交じりの鳴き声が漏れる。

 

不埒者を始末したことで気分を良くしたソレは、そこまできて周囲の様子に今更気が付いた。

 

 

「な、んだ、アレ___________」

 

「ば、ばばば、化け物………」

 

「神よ。いと尊き土の神よ、どうか怒りを御沈めください! どうか!」

 

 

先程吹き飛ばしたヤツが倒壊させたものは、自然にできた岩の壁などではなく、もっと不自然な

構造をしている。おまけにその近くには、これまたどこかで見覚えのある矮小な生物が数多く。

どれもみな同じような姿をしているのを見ると、集うことでしか生きられぬ脆弱な種なのだと

理解が及び、取るに足らないと興味を失った。つまらぬとばかりに視線を横にずらしたソレは、

同じようにこちらを見つめている存在を知覚した。そしてほぼ同時に、ソレが何かを理解する。

 

 

___________お前も、敵か

 

 

眼前で威嚇行動のために体を揺すり出したソレの体は、己とは異なる材質の分厚い甲殻に覆われ、

しかし機動性を阻害することの無い形状と、発達した両足と突起状の殻に守られた頭部を持つ。

己と同じくたった二本の足だけで自重を支えながら、最大の武器が突進であるという共通点が、

互いの存在をよりつまびらかにしてしまう。目の前で吠える獣は、叩き潰さねばなるまいと。

 

生物としての感覚が、目前の存在に対してのみ集約していくのを感じ、戦意に満ちた声を鳴らす。

そうして闘争本能が最高潮に達しようとしていたまさにその瞬間、予想外の横やりを入れられた。

 

 

「牽制し合っている今こそ好機だ! 各員、神への信仰心を見せるときは、今である!」

 

「「「「おおぉぉおおおおぉおお‼‼」」」」

 

 

予期せぬ鬨の声がすぐ足元から響いてきて面食らうソレらは、けれど確かに意識を割いていた。

矮小な下等生物であると戦いの幕から除外していた存在が、雄叫びと共に明らかな敵対行動を

こちらに向けていることも遅まきながらに理解する。雑多な下等種と侮った生命の群れたちを、

巨躯に見合わぬ小さな瞳に焼き付けたソレら。どこか既視感ある姿形が、己が天敵を想起させた。

 

声を荒げる極小の生命たち_____________その手に握るは生物の死を重ねた絶命の剣。

猛り狂い歯向かう生命たち_____________その手が放つは生物の命を焦がす滅殺の焔。

遥かに小さく弱い生命たち_____________その身を覆うは生物の骸を束ねし暴虐の鎧。

 

ソレは思い出す。強者たる己が恐れる、唯一無二の存在を。数多の命を狩る悪鬼羅刹の姿を。

ソレは思い出す。強者たる己を震わす、弱肉強食の具現を。無数の死を生む悪鬼羅刹の姿を。

 

 

だからこそ、彼らの闘争本能は燃え滾り、生存本能がかつてないほどに燃え盛り出した。

 

 

___________殺さなくては(しにたくない)

 

 

大自然の中で生きる獣は、生きる為に命を狩る。それは、その命を自身の糧とするために。

縄張り争いや雌の奪い合いなどで結果的に命を落とすこともあるが、それもまた生きる為だ。

基本的に野生とはそういう場所である。誰もが生きる為に他の命を奪う狩りを是とする。

弱肉強食の内の弱肉にあたる被食者たちも、死にたくないという生存本能に突き動かされて

生き延びる為に逃走する。逃げ延び、生き延びる為の進化までして、彼らは生き延びるのだ。

 

 

そう。断じて、死にたくないから命を奪う(・・・・・・・・・・・・)などという思考を持つ獣は、存在しない。

 

 

生存の為に殺戮を行う思考を持つ生命は、獣とは呼べまい。

仮にもし、そのような危険な思考回路を宿す生命体が生まれたとするならば。

 

 

ソレは最早、怪物(モンスター)と呼ぶしかあるまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「い、いったいコレは、何だ………? 我々は、ナニと戦っている!?」

 

 

たった二分前に号令を下した者とは思えぬほど、弱気に満ちた発言をするのは、戦傷を持つ男。

彼は現場に居合わせた部下達を規律正しくまとめ上げ、突如として現れた謎の巨大生物たちに

立ち向かう闘志を燃やし、絶好の隙を窺って攻め入った。攻撃を仕掛けたのは、こちらのはずだ。

けれど、現実は残酷であった。

 

その男ニグンは、工作部隊・陽光聖典を任されるだけの実力があり、実戦経験も豊富である。

現状の人員のみで発揮できる最高の陣形を立て、【第二位階天使召喚(サモン・エンジェル・2nd)】と呼ばれる中級天使を

手駒とする魔法を詠唱できる者は砦に留まり、詠唱出来ない者は武装させて突撃。召喚した天使は

武装した兵達の援護に当てさせ、さらに上位の魔法を詠唱できる者は魔法攻撃部隊に任じた。

ニグン自身は、召喚した天使を強化する『タレント』という才能を持つため、上級天使を召喚する

第三位階天使召喚(サモン・エンジェル・3rd)】で天使を強化する能力を持つ監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)を控えさせていたのだ。

完璧な作戦だったことは否めない。統率がまばらな兵と訓練不足の魔法詠唱者の混成部隊を、

彼は戦えるだけの即戦力として立派にまとめ上げていた。しかし、成果一つ挙げられなかった。

 

 

「長官補佐殿! あの魔獣、我々の魔法が通用していないのでは!?」

 

「バカを言うな! 尊き六大神が授けてくださった魔法に不可能はない!」

 

「し、しかし…………」

 

「信仰心が足りんのだ、たわけ‼ 第三位階の召喚魔法も使えぬ時点で、戦力不足なのだ‼」

 

砦で待機しながら第二位階の召喚魔法で天使を召喚した部下が、ニグンを前に泣き言を漏らす。

彼の言う通り、前線でありったけの魔法を放っているようだが、一向に怯む素振りなど見られず、

それどころか魔獣たちの身振り一つで逃げ遅れた兵士が次々に、乾いた砂漠に潤いを与えている。

染まっては消え、消えては染まっていく赤いオアシスを作り上げ、なおも魔獣は止まらない。

 

苛立つ感情が抑えられないニグンだが、仕方がない。彼もまた、人間らしい人間なのだから。

それでも職務を放棄せず、自らが生まれた祖国を守るべく、恐怖を噛み殺して抵抗する姿勢を

示している時点で、彼は勇士であり戦士であった。最も、彼の評価など役に立たないのだが。

 

段々と前線で戦っている兵の数が減っていき、このままでは防衛線の瓦解も有り得るとニグンが

悲観し始めたその時、彼らが立て籠もる砦の真横にある瓦礫の山が、音を立てて動き始めた。

 

 

「何事だ‼」

 

「ちょ、長官補佐殿! 先程砦前の防護壁を吹き飛ばしたヤツが、見当たりません‼」

 

「何だとォ!?」

 

 

瓦礫の山の変動に一早く気付いたニグンは、すぐ近くにいた警備兵からの報告に怒号を飛ばす。

 

「何故放置していた! 拘束魔法や状態異常の魔法で、動きを封じられただろうが‼」

 

「む、無理です! 我々は第二位階魔法の詠唱すら困難で、だから警備兵に」

 

「御託はいい、弱卒共め‼ 魔力が限界を迎えた者は、すぐさまこの事を報告に迎え!」

 

「承知しました!」

「前線で戦う者たちにも【伝言(メッセージ)】で通達せよ! 事態は、一刻を争うのだ!」

 

 

無能な部下に対して怒りを吐き捨てながらも、現状の把握と適切な指示を同時にこなしては、

自身も脳髄にまで刻んだ魔法の内のいくつかを詠唱し、魔獣に向けて放つ。やはり怯まない。

巨大な二本角を振り回して荒ぶる魔獣は、潜航と突進で天使諸共に兵士たちを粉微塵に砕き、

もう一方の頭部を厚い殻で覆った魔獣は、ひたすら突進を繰り返しては砂に死の跡を刻み続ける。

二体の恐ろしい蹂躙を目の当たりにして、砦内に残って天使を召喚しては突撃させるを延々と

続行している比較的優秀な隊員は、ただ安堵していた。自分はまだ、安全地帯で良かったと。

 

そんな人間らしい感情を抱いた彼を、彼らが信奉する六大神とやらは、助けなかった。

 

 

「うわぁ! く、くぅ!」

 

「地震か!? こんな時に!」

 

「__________違う! 退避だ、総員今すぐ跳べぇッ‼」

 

 

眼前で繰り広げられる鏖殺を止めようと抵抗する彼らの足元が、不意に猛烈な揺れを起こし、

直立を保てなくなるほどの激震と成って猛威を振るう。魔法を詠唱中だった者は舌を噛み、

体勢を崩した者はそのまま転げていき、魔獣の激闘の渦中へと落下して真紅の花を咲かせた。

 

ニグンはこの急激な地震の発生源を勘で突き止め、その場にいた部下達に命令を下したが、

早急かつ誰もそれどころではなかった為か、彼の命令通りに逃げ延びたのはわずか五名のみ。

砦の中にいた二十余りの兵士たちがどうなってしまったのか、ニグンは青褪めた顔を向けた。

 

 

「な、な……………なんという、ことだ‼」

 

 

そこにはもう、砦など無かった。あるのはそこに砦があったことを思わせる、瓦礫の山だけ。

人も、建物も、何もかも跡形も無くなっていた。数秒後、砦跡地に巨大な影が差し込んだと

思った直後、けたたましい着砂音と共に、巨大な魔獣が砂の大海へと舞い戻ってきていた。

 

「呑んじまったってのか。アレが、全部?」

 

「長官補佐殿、我々は、夢を見ているんですよね? そうですよね?」

 

「……………冷静になれ。これが、現実だ」

 

 

そう口にしたニグンだったが、彼自身もまだ受け入れ切れていないほど、衝撃的な光景。

考えられるだろうか。一匹の魔獣が口を大きく開き、半ば倒壊していた砦を丸呑みにして

しまった、などと。言葉で表しても荒唐無稽な内容でしかないが、それこそが現実だった。

 

そしてその現実を、事実を認めてしまったからこそ、ここにきてニグンの心は折れた。

 

「__________各員傾聴。我々は、神話の世界に生きる魔獣と相対してしまった」

 

「ちょ、長官補佐殿? 補佐殿、お気を確かに!」

 

「これは神々が、我々人類が生きるに値するかを見定める試練である! 総員、突撃!」

 

「お待ちを! 残っているのは我ら含めて十名にも満たず、このままでは全滅の可能性も」

 

「我らが信仰心を神に捧げるのだ! これは無意味な死ではなく、誇りある殉死である!」

 

 

その場に生き残った誰もが、ニグンの瞳に宿った狂気を察していた。

しかし同時に彼ら自身もまた、彼の命令に従い神のおられる天上の世界へ旅立つことを

夢想してしまい、身動きが取れなくなっていた。死にたくない、けれど殺されたくない。

激情と慟哭が一つの体の中でひしめき合う最中に、場違いな少女の声が通り抜ける。

 

 

「なぁんだ。六色聖典の一角と言えど、この程度なのね」

 

「そ、その声は___________〝絶死絶命〟か!?」

 

絶望的な状況下において、ただ一人その声の主を一方的に知っていたニグンだけが、

まるで天からの助けが来たとばかりの希望に満ちた反応を示す。顔を上げ、確信した。

ニグンの視線の先に舞い降りたのは、彼が予想した通りの人物であり、人外であった。

 

左右の眼の色が黒と白に分かれたオッドアイに、それらと対照的な色合いになっている

白と黒の長髪を揺らす、血と臓物で溢れかえる戦場には不釣り合いな、法国の切り札。

彼女こそ、スレイン法国の最奧に眠る神器を守護せし最強の戦士〝絶死絶命〟である。

 

人知を超える神々の血を引いている「実在する現人神」たる彼女は、重要な国の防衛線を

圧倒的な力で破壊しつくした怪物達を横目で見やり、至極残念そうに溜息を吐く。

 

「私よりも強ければ誰でもいいとは思ってたけど、あんな魔獣の子を孕めるかしら?」

 

本当に心の底からそう思っている彼女の発言に、周囲は困惑し、ニグンは顔をしかめた。

あまりの強さと来歴から国の最高戦力の地位に就いているが、見ての通りの破綻者で、

自分より強い者との子を授かり、育て上げた子供と殺し合うことが生きる目的だという。

そのような、二重の意味での化け物の力を借りねばならないのは業腹ではあるのだが、

今や国の存亡が危ぶまれる事態故に、手段は選んでいられない。意を決して彼は語った。

 

 

「法国最強と名高き神の末裔よ。どうか、その御力で国を御守りください」

 

「…………弱い奴の言葉に従う気は無いけど、あの魔獣には興味あるなー」

 

「で、では!」

 

「いいよ。望み通り、何もかもメチャクチャにしてあげる!」

 

 

言葉を最後まで言い切るより早く、黒と白の髪をたなびかせる壊れた少女は晴れやかな

笑みを浮かべて、たった一人で魔獣たちが激突する死の饗宴へと飛び込んでいった。

彼女の視界に映るは、狩るか狩られるかの世界を生き抜いた、生存競争の体現者。

 

 

「____________遊びましょう! どうか、すぐに壊れないでね‼」

 

 

グォォォオオオオオオォォオオオォオオオ‼‼‼

 

 

 

 

 

そこから先を知る者は、誰一人として存在しない。

 

人類の永久なる繁栄を願い続けた宗教国家に、冒涜的なまでの獣性に満ちた怪物が現れ、

そこにある全てを破壊せん勢いで蹂躙を続け、その音は七日七晩止むことはなかったという。

 

 

 

かつて、とある世界で同じように猛威を振るった恐ろしき獣たちがいた。

 

 

 

二本の角を持つ荒ぶる魔王_______________【角竜・ディアブロス】

分厚い頭の殻を持つ征服者_______________【土砂竜・ボルボロス】

 

砂塵に紛れる極彩色の隠者_______________【潜口竜・ハプルボッカ】

 

 

そのように呼ばれ、畏れられていたソレらは、どこからともなく現れて法国に襲来。

理由も無く、原因も不明なまま、彼らは目につく総て悉くを力によって壊して砕いた。

人の、人による、人の為の世界を謳っていたかの国に訪れた、神の試練か魔皇の遊びか。

砂海に浮かぶ蜃気楼の如き魔獣とのその後は、まるで砂上の摩天楼のように謎に包まれている。

 

 






いかがだったでしょうか!

久々に書いたので、これまで上に質が暴落してしまっております。
ですが筆が止まる事がなかったことが、何よりの救いですかね。

これからも不定期ではありますが、この作品を楽しみにしてくださる
皆様の為にも、できる限りの執筆と更新に励みますので、どうぞよろしく。



あ、モンハンワールド買いました。楽しいです(血反吐



それではまた、不定期更新される次回をお楽しみに!

ご意見ご感想、並びに質問や批評など募集しております!


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カッツェ平野・我が呼声に汝は轟く 【前編】

どうも皆様、お久しぶりの萃夢想天です。

皆様はいかがお過ごしでしょうか?
最近は梅雨と初夏の境界が曖昧になっているようで、雨が降った
直後の日照りで蒸し暑さが倍増する日々が続いているそうですよ。
夏といえば、私が体調を崩しやすくなる季節でございますゆえ、
どうか皆様、くれぐれもご自愛くださいませ。

さて最近になってまた熱が上がってきたモンハンワールド、
私も操虫棍で狩れるようになった傍からナナ様が実装されました。
ですが、ええ、何ですかアレ。誰ですかアレ。
某地下世界の裏ボスケルトンばりの高速スリップダメぶつけてくる
ケモ奥様なんて私知りませんよ? 理不尽ノヴァに何度キレたことか。

でもあの理不尽さが古龍なんだよね、と再確認させられました。
私のこの作品であんなのだしたら、三日で世界滅びますねぇ……。


前振りが長くなりましたが、それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

 

 

 

"異変"というものは、本来であれば中々気付きにくいものだ。

 

 

 

何かが変わっている場合もあれば、何もかもが変わっている場合もありうるのだから。

 

 

 

そしてそれは、誰の身にも起こりうるからこそ、無自覚に受け入れざるを得なくなってしまう。

 

 

 

 

これは、魔王が世界に君臨させられようとする裏側で起きた、知られざる"異変"を紡ぐ物語。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フェメール伯爵からの追加依頼だぁ?」

 

 

繁栄が約束されたことで活気に満ちる街の一画、そこに居を構える〝歌う林檎亭〟の一席から

呆れたような男の声が漏れ出す。自分が耳にした言葉が理解できないのか、したくないのか、

頭部中央を逆立たせたくすんだ金髪が男の心情を表すように、しなりと小さく折れ曲がる。

 

この男の名は、ヘッケラン・ターマイト。街中でも武器を腰に添えていることからも見て

分かる通りの冒険者__________ではなく、冒険者崩れの意味合いを持つ『ワーカー』だ。

 

冒険者とは、冒険者組合からの仲介によってモンスター討伐や護衛などの依頼を受けて稼ぎを

得ている真っ当な職人だが、ワーカーは冒険者に課せられる責務や規則を破る者の総称である。

 

 

この言い方ではならず者か悪賊の類と誤解されてしまうため、分かりやすい例を挙げよう。

 

例えば、ある村でモンスターに襲われた少年が大怪我を負ったとする。その村を偶然訪れた

冒険者が見返りを求めずに治癒魔法を行使して怪我を治療すること。これは違反と見做される。

 

通常、治癒魔法での治療行為は神殿の管轄であるため、彼らの管轄に分類される物事に冒険者が

手を出すことは組合の規則によって禁じられているからだ。無論この規則は神殿が治癒魔法にて

患者の傷を癒すことの見返り(金銭や奉納品)を独占する為でなく、政治方面から距離を取って

なおかつ神官の育成やアンデッド討伐で発生する出費等、循環を滞りなくする為である。

 

要するに、規則に縛られる代わりに安定性と確実性を得られる冒険者として生きる事を捨て、

どんな危険や罠があろうと、報酬によっては命を懸けても自分のやりたいことをやる傭兵だ。

 

 

さて、そんなワーカーとして日々を生きる青年ヘッケランは、やはり呆れかえっていた。

理由は彼の反応の通り。つい先程まで、依頼人からの依頼で自然発生するアンデッドを間引く

仕事を受けて、無数の骸骨(スケルトン)動死体(ゾンビ)と戯れてきたばかりだったのに。仕事終わりの一杯で

気持ちよくなる予定が御破算になってしまい、挙句に追加の依頼人は先の件と同一人物である。

疲れ知らずのアンデッドを蹴散らして疲労困憊の彼は、しばらく死者の相手は控えたかった。

 

 

「いったい何考えてんだあのデブ………魅力的に肥え太った御貴族様はよ」

 

「そんなこと私に聞かれても分かんないわよ。疲れてんのは私も一緒」

 

 

酒の席で飲み潰れる以外の理由で机に突っ伏したヘッケランの向かいから、若い女の声が響く。

どこか蠱惑的な雰囲気を醸す赤紫の髪に、人間ではありえないほど先端が尖った森精霊(エルフ)()

女性ならば必ずあるべき特有の豊かさが上にも下にもない、金床のようにのっぺりな肢体。

 

それらこそ、ヘッケランの良く知る彼女、半森精霊(ハーフエルフ)のイミーナだ。

 

彼女もまた先程までヘッケランと共にアンデッドと戯れ、動死体に矢をプレゼントしてきた

ばかりだった。彼女の声が不満気なのも、見飽きた場所へのとんぼ返りに対するものだろう。

なにせカッツェ平野は、ほぼ一年中アンデッドが彷徨う濃霧の荒野であり、四方八方から常に

生きる者を憎む死者の怨嗟が絶えず、それが集まることでより強大なアンデッドが生まれる。

まさに死の螺旋とも呼べる負の循環が構築されている場所なのだ。好き好んで行く訳がない。

 

唯一女性らしさが表に現れている艶やかな唇の端から、こぼれ出る溜め息を意にも介さない

イミーナに、「そりゃそうだけどよ」と納得のいかないヘッケランが口を尖らせ顔を背けた。

 

ワーカーたちは基本的に、仕事を受けるか断るかの二択しかない。そこは冒険者と同じだが、

彼らの場合は断る方を選択することが滅多にない。冒険者とは違い、彼らに組合の仲介はなく、

それ故に仕事の依頼はほとんど自分たちのツテで手繰り寄せるしかない。よって命惜しさに

依頼を断り続ければ、「他のワーカーに依頼する方がマシ」と認識を決定づけられてしまう。

だから危険だと知っていても彼らは依頼を受け、代わりに多額の報酬を要求するのだ。

 

これは依頼する側の人間にもメリットはある。冒険者には依頼できないような汚い仕事や

要人の暗殺、他国への間者や密偵等にワーカーのような連中はもってこいだからである。

 

こうした現実を誰よりも理解しているからこそ、ヘッケランは「やらない」とは言わない。

そして長い付き合いであるイミーナもまた、「断る?」などと口にしない。

 

 

「まぁ依頼内容見れば、このアホみたいなとんぼ返りにも説明がつくけど」

 

「ん、そう言えばまだ聞いてなかったな。どんな依頼だったんだ?」

 

「ロバーとアルシェの二人が来てからにしましょ。二度話すのは面倒だもん」

 

 

依頼内容を確認すべくヘッケランは尋ねたが、イミーナは残る二人の仲間が合流してから

話すと切り捨て、先に注文していた安物の葡萄酒を嚥下して喉を潤す。

男顔負けのいい飲みっぷりを披露する彼女を横目で見やり、ワザとらしい咳払いを一つ

こぼすと、案の定不機嫌な顔を隠そうともせずに「なによ」と視線を投げかけてきた。

元々の切れ目も相まって凄まじい形相に一瞬怯むも、ヘッケランは意地と度胸で食い下がる。

 

 

「その、ほら、なんだ。この間も領主の護衛依頼で他の同業者とやりあったろ?」

 

「それがなによ?」

 

「だからさ、あー。んんーと…………こうして二人きりになる時間、取れなかったじゃん」

 

「言われてみればそうね。で、だから何なの?」

 

「いや、あのさ。もうここまで言えば分かってもらえないですかね?」

 

「言いたい事があるならハッキリ言いなさいよ意気地なし」

 

 

酒が入っているせいか、普段よりも彼女の反応がつれないと落ち込みかけたヘッケラン

だが、よくよく考えるといつもこれくらい冷徹な感じだったな、と逆に気を持ち直す。

かえって意気地なしと煽られたことで、彼の中にある男の部分が吹っ切れた。

 

 

「まだ詳しく聞いてないから言い切り難いけど、もし時間が取れるようだったらさ。

三日くらい仕事休んで気分転換しないか? っつーか気分転換させてくれ頼むから」

 

「気分転換、ね? ここまできてアンタ、まだケツ叩かなきゃダメな優男なの?」

 

「だぁーっ! お願いだイミーナ、もう二週間以上もしてない(・・・・)だろ! だからさ!」

 

「………もっと他になかったの? 及第点にも届かない。全然ダメね」

 

 

テーブルを叩き壊さん勢いで頭を下げるヘッケランに対し、未だ葡萄酒の入った容器から

手を離さないイミーナは切れ味鋭い目を細め、眼前のどうしようもない男に発破をかける。

とはいえ、彼女自身も半森精霊という身ではあれど、彼の提案を断る気は一切無かった。

人間ほど執着が強くないとはいっても、通じ合う仲だ。ムードを望んで何が悪い。

 

そんな複雑な女心など露知らず、ぶつぶつと歯切れの悪い男は突っ伏したまま呻くだけ。

仕方ない、今回だけは妥協してやるか。毎度御約束の言葉で自分を納得させた彼女は、

良い台詞が浮かばず頭を抱え始めた目の前の男に顔を寄せ、耳元で囁くように告げた。

 

 

「依頼は二日後で報酬も美味しいから、四日後に良い宿取っておいてね。いい?」

 

 

先程のやり取りからは考えられない真逆の発言と、酒のせいと誤魔化されそうな赤い頬を

鍛えた視覚と聴覚でバッチリ捉えたヘッケランは、数瞬の後に椅子を蹴飛ばし立ち上がる。

照れ隠しなのか中身が既に空の容器を仰っている彼女に、彼は期待に震える声で問い返す。

 

 

「い、いいんだな? 今言ったよな、宿さえ取ればシてくれるんだな⁉」

 

「お、大きな声で言わないでよバカ! それに、そういうのを女にわざわざ言わせる?」

 

「二週間分だからな! スッゴイことするからな! それでもいいんだよな?」

 

 

期待のあまりに爆発しそうな胸の高鳴りを抑えきれずにまくしたてるヘッケラン。

追加の葡萄酒を頼みながら「煽りすぎちゃったかな」と男の性欲を侮ったことを若干

後悔し始めているイミーナ。しかし、吐いた唾は呑めぬ。燃え上がる火は消し難い。

ますます頬を赤らめる彼女の様子に確信を抱いた男が、彼女の手を取ろうとする。

 

 

「スッゴイことって何の事?」

 

「「うわぁッ⁉」」

 

 

白く細い指と彼の指が絡み合うまさにその瞬間、思わぬ横やりが二人の時間を割いた。

慌てて距離を取ろうとする彼らの様に、声をかけた少女_______アルシェが首を傾げる。

 

 

「イミーナ、スッゴイことってどんなこと?」

 

「ああ、アルシェ。二人に声をかけるのは少し待ちましょうと言ったでしょう」

 

「ロバーが酔っ払い相手に丁寧に対応してるから」

 

「ア、ア、アルシェ! 驚かすなよバカ! ロバーお前も!」

 

 

さっきまでとは違う理由で早まる鼓動を押さえつけるヘッケランの物言いに対して、

声をかけただけで罵倒されるのは納得いかないと軽く頬を膨らませ抗議するアルシェ。

そんな小柄な少女の背後から、がっしりした体躯を持つ優しげな瞳の男が現れる。

早口でまくしたてられた罵倒にもその男_______ロバーデイクことロバーは動じない。

 

 

「落ち着いて下さいヘッケラン。寧ろ私はアルシェに待つよう言ったのです」

 

「なっ、んだと。ホントか?」

 

「ええ。久々の二人きりを邪魔しては悪いと思いまして。お節介でしたか?」

 

「おま………! え、待て待て! ロバー、お前いつから俺とイミーナの仲を⁉」

 

「それこそ今更です。公衆の面前で、彼女を裸に剥いた後を考えて楽しむ卑劣漢の

姿を見ても動じない程度には、ええ。そういう関係は神も御認めになるところでは

あるのですが、節度と場所を弁えていただかないと。アルシェもいるんですよ?」

 

「~~~~~~~~~~ッッ‼」

 

 

ヘッケランでは話にならないと判断したアルシェが、顔を真っ赤にしたイミーナに

質問攻めをしている隙を突いて、ロバーは渦中の男に聞こえる声量で言動を窘める。

当のヘッケランはというと、仲間であるロバーにもうまく隠し通せていたと考えていた

イミーナとの関係を知られていた挙句、気を遣われたことへの羞恥心で蹲っていた。

心に負った恥という名の傷の回復を待ち、仲間が揃ったことでようやく彼ら四人は

ワーカーチーム『フォーサイト』として活動を開始する。

 

頼りになるリーダーであり前衛補助のヘッケラン。

弓の名手として後方支援と遊撃を務めるイミーナ。

信仰形魔法詠唱者兼前衛を任されるロバーデイク。

十代半ばにして第三位階魔法を操る天才アルシェ。

 

その身にまとうギラついた雰囲気さえ隠せば、一流の冒険者と遜色がないほどに

バランスよく構成された彼らは、これまでも数多くの依頼をこなしてきた。

依頼主からの無茶とも言える依頼も、報酬金につられて手を出して痛い目を見たり、

時には同業者に依頼の横取りをされかけ、不毛な殺し合いをさせられたりと様々に。

そして今回のは自分たちの懐をどれだけ厚くしてくれるものかと期待を寄せていた。

冷静さを取り戻した男と合流した仲間二人に、イミーナは追加依頼の内容を告げる。

 

 

「依頼主はさっきのアンデッド退治に引き続きフェメール伯爵。ウラは取れてるわ」

 

「ガセ掴まされてないだろうな?」

 

「依頼を持ち込んだヤツを軽く痛めつけたら、案の定だったわよ」

 

「お前な………これ以上役人に敵を増やすなよ、な?」

 

「まあまあ、その話は後にして。まずは依頼の話を」

 

 

依頼主本人がノコノコとやってくるわけもなく、おそらく捕まえられても響かないほどの

末端を遣いに寄越したのだろうが、公的権力をもつ相手には気を遣えと諭すヘッケラン。

このままでは仲が良すぎる二人の言い合いになると察したロバーデイクの絶妙な仲介に

より、話の腰を折られずに済んだ。咳払いで体裁を繕い、イミーナは再び語り出す。

 

 

「それもそうね。んんっ、えーと、追加依頼の内容は『色鮮やかなる大鳥の捕獲』よ」

 

「なんだ? その、色鮮やかなる大鳥ってのは」

 

「私も初めて聞いたから断ろうとしたんだけど、報酬が結構な額だったからさ。念の為に

検討するって言って貰っておいたわけ。依頼の期間は二日後からって書いてあるし」

 

 

予想していたのとは違った依頼内容に首を傾げるヘッケラン。これまで数多くの依頼を

受けてきて、生物の捕獲をしたことは数回程度しかないが、今回の依頼は今までのものと

どこか違うと訝しむ。同様に表情が芳しくないロバーデイクに心当たりを尋ねてみる。

 

 

「なぁロバー、お前は聞いたことあるか? その大鳥とやらの話」

 

「いえ、残念ながら。しかも場所が場所ですので、噂の信憑性すら確かめにくい」

 

「………アンデッドが自然に大量発生する呪われた土地。そんな場所に大きな鳥が?」

 

「アルシェの疑問も最もだ。てか伯爵も伯爵で、事前調査期間とかは一切無しか」

 

「うん。二日じゃ短すぎるって言ったんだけど、そこがどうも妙なのよね」

 

 

通常、生物の捕獲依頼を出すのであれば、その生物の事を詳しく調べた情報か最悪でも

噂話あたりを提供するのが常識だ。ここを隠すとなると、捕獲とは別目的があることを

暗に伝えるようなもので、警戒されるからだ。だが今回は情報もなく、情報を集める為の

猶予期間すら与えられないとなると、流石におかしいと気付く。

 

そこを突こうとしたヘッケランだったが、同様の違和感を感じていたイミーナが何か

訳を知っていそうな呟きをもらしたのを捉えた。

 

 

「妙って、何が妙なんだ?」

 

「実は、同様の依頼を他のワーカーにも流してるらしいのよ」

 

「他の奴らにも? 何だそりゃ」

 

「ふむ。他のワーカーにも話が伝わっているとなると、仮にその全てが依頼を受けた場合、

同業者同士による潰し合いが起こるか………あるいは」

 

「互いの利益の為に結託した複数のチームによって、支払う金額が増えるだけ?」

 

「その通りですアルシェ。いやはや、伯爵ともあろうものが王国との戦争も間近に控える

この時期に、散財する余裕がお有りとは。いえ、違う。そうでもしないといけないほどの?」

 

「伯爵がワーカーを募って飼う鳥を見繕わせるってか? 人と金遣いの荒いこった」

 

 

四人はそれぞれ異なる印象を、その依頼から感じ取る。この世界ではまだ、高度な情報共有を

行えるだけの技術が確立していないため、それぞれの思惑がすれ違うことなど多々あるのだ。

しかし、それにしても今回の依頼は謎が多過ぎると、イミーナは眉根を寄せて皺を深める。

彼女らが現在腰を下ろしているこの『バハルス帝国』では、冒険者よりも帝国軍の兵士たちが

台頭しているため、冒険者に依頼するようなことも軍部が手広くこなしてしまっている。

それこそ冒険者の専売特許たる、モンスターの討伐すらも。カッツェ平野に自然大量発生する

アンデッドの相手も、普通なら兵士たちの軍事訓練となるはずなのに。今回は違った。

 

帝国軍が力を入れている「とある事情」を知らなくても、帝国での暮らしに慣れた者ならば、

『アンデッドは帝国軍人の相手』という共通認識を得る為、わざわざ相手にする必要がない。

にも関わらず、伯爵からアンデッドの討伐依頼が舞い込んだのも、今考えれば不自然なのだ。

 

大人三人がしかめっ面で謎を解き明かそうと悩む中、ここでアルシェがポツリと呟いた。

 

 

「…………この依頼、伯爵の背後に帝国の上層部が絡んでる?」

 

 

単なる思い付きの一つであったソレは、黙りこくっていた四人の中で浸透し、爆発する。

 

 

「どういうことよアルシェ! 帝国の上層部って、国防庁とか魔法庁とかってこと⁉」

 

「イミーナ、どうか落ち着いて。アルシェ、どうしてその考えに至ったのでしょうか」

 

「サンキュー、ロバー。んでアルシェ、何か証拠でもあるのか?」

 

 

にわかに騒がしくなるテーブルに周囲から視線が突き刺さるが、構わず話は続けられた。

 

 

「うん。ある。もしかしたら、その大鳥というのが、何かの暗号かもしれない」

 

「暗号?」

 

「カッツェ平野は王国との戦争時にだけ、何故か晴れる。アンデッドもどこかへ消える。

戦争の舞台の中心であるあの平野に何かを仕掛けて、今度の戦争で勝ちに行くのかも」

 

「…………矛盾している点は見当たりませんね」

 

 

丁寧に揃えられた顎鬚に触れながら、ロバーデイクがアルシェの話した推測に穴がない

ことを確かめる。残る二人も幼さが残る少女の言い分に対して、言葉を挟む余地無しと

首を縦に振って頷き合うのみ。訂正もなさそうと確認した彼女は、さらに続ける。

 

 

「フェメール伯爵は確か、帝国魔法庁の資金提供者。帝国は他国に比べて魔法の開発に

力を入れているし、最強の魔法詠唱者のフールーダ様もいるから媚売りに丁度良い」

 

「なんか、アレだな。そう考えるとそうとしか考えられなくなるな」

 

「どこにも変だと思えるような部分が無い分、余計にね」

 

「あと、もしかしたらその大鳥が、カッツェ平野の謎の鍵ということも在り得る」

 

「謎というと、アンデッドが自然発生し、戦争の時だけ霧が晴れることですか?」

 

「うん。魔法庁が目を付けたけど、戦争前に大きな動きを見せれば王国に気付かれて、

開戦が早まってしまうかもしれないから。あえて個人の依頼としてワーカーを雇う」

 

「理に叶い過ぎて、そうとしか考えられなくなっちゃったわ」

 

 

淡々と語られた仮説ではあったものの、その内容は決して子供の妄言と一蹴できるような

安いものではなかった。寧ろ四人は、それこそが隠された真実であると認識してしまう。

自分たちだけならともかく、他の同業者まで巻き込んでのことであれば納得がいく。

 

国としての動きに巻き込まれることに抵抗はあったものの、報酬金は見逃せる額ではなく、

さらに言えばこのバハルス帝国自体も住みやすく「人間にとっては」良い国である。

リーダーたるヘッケランは、リスクとリターンを脳内で天秤にかけ、真剣に悩み抜く。

すると仮説を語りきってから黙していたアルシェが、何故か申し訳なさそうに呟いた。

 

 

「私は、この仕事を受けたいと思っている」

 

「ん? ああ、そりゃまぁ。前金で百枚、捕獲できれば上乗せで三百枚だもんな」

 

「予想通りで大鳥の捕獲が偽情報であっても、目的を達成したなら報酬を貰えるのだと

解釈してよいでしょう。亡者たちに神罰を下すのは手間ですが、おつりがきますとも」

 

「正直、こっちに旨みの有り過ぎる話は怪しいんだけど、まぁ報酬も高いからいいか」

 

 

俯いているアルシェの賛成の一言に、残る三人も同調する。彼女はその反応を予想して

いなかったのか、凛々しいながらも幼さの残る顔を上げて目を見開き固まった。

 

今回の依頼はアルシェ自身が語ったように、裏で帝国そのものが動いているかもしれない

重大な案件であり、判断一つが命に直結するワーカーは軽はずみに受けるものではない。

自分よりもこの世界で長く生きている三人がそんなことも知らないはずがないと動揺する

アルシェに、ヘッケランは髪を乱暴に掻き毟って一拍置き、諭すように話し出す。

 

 

「なぁアルシェ、一つ聞いてもいいか?」

 

「な、なに?」

 

「アルシェがこのフォーサイトに加わって結構経つ。一緒にかなりの依頼をこなしてきた。

報酬は何があろうと四人で山分け。お前はそのルールを律儀に守ってきた」

 

「ヘッケラン、何が言いたいの?」

 

「こんな汚い世界とは縁遠いような性格のお前だ。金遣いが荒いはずがねぇ」

 

「っ!」

 

「四等分してるとはいえそれなりの額の報酬金。装備を整える分でも有り余るくらいの

金額は渡してるはずだよな。だったらなんで、出会った時と装備が変わってねぇんだ?」

 

 

最初こそ遠回しだったが、ヘッケランの直接的になった発言にアルシェは肩を跳ね上げた。

弓の名手イミーナでなくとも分かるほどの動揺が、彼女の反応から見て取れる。

それと同じように、フォーサイトの面々の中では明らかに装備の古さも一目瞭然だった。

 

その役職上、確かに魔法詠唱者の装備が傷つくことは少ない。魔法による遠距離攻撃や

味方の前衛に守られながらの回復や補助が主な仕事、直接的な戦闘とはほぼ無縁である。

それでも、死と隣り合わせの激しい戦闘を幾つも潜り抜ければ、自然と装備は破損し、

修理あるいは新品と買い替えねばならなくなる。だが、彼女の装備は変化が一切ない。

ブーツには穴が開き、スカートの裾や服の端などはほつれ放題。唯一の物理攻撃手段として

手にしている木製の杖でさえ、チームに加わった当時の半分ほどに擦り減っているのだ。

 

アルシェ自身は三人の事を信頼できる仲間と見なしているが、彼らは仲間以上に彼女の事を

可愛らしい妹分のように思っている。そんな少女の装備がいつまで経っても良くならない。

装備の改良に回す金は充分にあるはず。なら、いったい何が原因でそうなっているのか。

今回の依頼の不可解さを前に、リーダーたるヘッケランはついに問い質すことにしたのだ。

 

年の離れた大人の、それも男に咎められていい気はしないが、それは相手もお互い様。

ヘッケランとて、好き好んで年端もいかぬ少女に慣れない詰問を浴びせているわけである。

そうしてしばらくの間、四人を静寂が包み込む。やがて意を決したように、少女が口を開く。

 

 

「ごめん、なさい。装備は自分の命に関わるから、ちゃんとしろって言われてたのに」

 

「アルシェ。私たちは怒っているのでも、呆れているのでもありません。無論、装備を変えない

あなたを足手まといであるとも考えていません。その訳を知りたい、それだけなのです」

 

「ナイスフォローだロバー。そういうこった、アルシェ。話しちゃくれないか?」

 

 

誰に対しても常に公平で紳士的、話し方も丁寧で柔和なロバーデイクの助け舟を受けて、

念を押すように語り掛ける。ヘッケランとロバーデイクの偏にこちらを案じる優しい表情に、

アルシェはついに折れ小さく首肯を返し、そこからポツポツと己が半生を語り明かした。

 

自分が、帝国の鮮血帝の大粛清によって爵位を剥奪された、元貴族の長女である事。

没落している家はそれを認めず、意味もなく高額な物を買い漁り借金を膨らませている事。

家にはまだ幼い双子の妹がいて、自分一人だけ家を見捨てて逃げることが出来ない事。

膨れ続ける借金を返済する為に、装備の充実という選択肢を捨てて貯蓄を渡している事。

 

基本的に冒険者やワーカーは、同じチームの仲間であっても素性の詮索は厳禁としている。

チームである以上、互いに命を預けられる存在でなければならず、小さな不破から生じた

軋轢で足並みが乱れ、空中分解で全滅といった悲惨な最期が、後を絶たなかったからだ。

だからこれまで、ヘッケランたちはアルシェの装備の事を黙っていたが、その謎がようやく

明らかとなり、決して博打や知らないところで金を流されていたわけではないと証明された。

 

逆に、可愛い妹分にここまでの苦労を強いる彼女の両親に対して、殺意すら抱き始める。

 

 

「借金の肩代わりくらい、俺らでもしてやれるぞ。他には、腕の立つ暗殺者の紹介とか?」

 

「あっさり殺すのはアルシェに対して失礼でしょ。拷問好きな連中今どこにいたっけ?」

 

「本来なら、神の教えを説き正しい道へ導くべきですが。まずは神の拳と鞭が必要ですね」

 

「み、みんな落ち着いて! もう少しで借金は返済できるから、殺し屋の紹介も要らない!」

 

 

にわかに殺気立った三人の大人たちを、可憐な少女が懸命に宥める図が酒場の席に浮かぶ。

ついには「周りから変な目で見られるから止めて」というアルシェの道徳的な説得により、

どうにか三人を落ち着けることに成功する。座り直した三人は、気を取り直して話を戻す。

 

 

「とにかくだ! 今回の依頼、アルシェの借金問題を抜きにしても、俺は受けたい」

 

「私はさっき言った通り」

 

「右に同じく。ところで私、先日癒した方からお礼を頂いたので、今回の報酬は遠慮します」

 

「マジか、そりゃ困ったな。三等分か、どうするイミーナ?」

 

「今は欲しい物が無いし、適当でいいわよ。機嫌も良いし、少なくても文句言わないかも」

 

「だってさ。おいアルシェ、貰い手がいない分の報酬金、どうしたらいい?」

 

「____________みんな、ありがと」

 

 

依頼を受ける方針を定め、報酬を取り分をどうするかを決める話になった途端、三人が

目くばせで何かを伝え合い、唐突に今回の報酬金の受け取りを辞退し始めた。

あまりにもわざとらしい三文芝居ではあったが、そこには自分を気遣う温かな思いやりに

溢れていることを理解したアルシェは、瞳の端から滴をこぼし、一言感謝を述べる。

 

妹分の少女が震える声で伝えた感謝に、三人の大人たちはこれ以上ない笑みを浮かべた。

 

 

「さて、それじゃ依頼の二日後にカッツェ平野に向かう。準備を怠るなよ!」

 

 

話し合いの最後をリーダーらしく締めたヘッケラン。一同は彼の言葉に力強くうなずく。

こうして、帝国のワーカーチームのひとつ、フォーサイトもこの依頼への参加を決定した。

 

その判断が過ちであったと気付くのは、二日後、霧深い呪われた平野でのことだった。

 

 




いかがだったでしょうか?

実は今回、書いている途中までは一回で終わらせる予定だったのですが、
時間が無いこともあり、日を改めて書いているうちに
「せや、前後編に分けたろ!」と小狡いことを考え付いた次第でして。
急遽、前編後編と話を切り分けることにしました。

というわけで次回は、帝国ワーカーチームがカッツェ平野で
モンスターとガチバトルする後編になります。
しばらくリアルで嫌なこと続きだったので、憂さ晴らしをするかのように
グロ表現に力を入れていく予定です。


それでは皆様、次回の更新をお楽しみに!
ご意見ご感想、並びに質問や批評なども募集しております!


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カッツェ平野・我が呼声に汝は轟く 【後編】

どうも皆様、大嫌いな冬を目前に控え憂鬱な萃夢想天です。

暑いのは我慢できても寒いのは我慢が出来ないと思うんですよ。
ただの風が寒さの相乗効果で殺意の刃にしか感じられなくなるから、
やっぱり冬は嫌いです。大嫌いです。冬の食べ物は好きです。

さて、今回は初の前後編ということではありますが、内容の雰囲気は
変わることなどございません。むしろ、今までよりグロ成分増しかも?
苦手な方は気を付けて閲覧ください。好きな方は王国軍七万の兵を虐殺して
から閲覧ください。あ^~仔ヤギたちと戯れるんじゃ^~(大虐殺)


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

"異変"というものは、本来であれば中々気付きにくいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

何かが変わっている場合もあれば、何もかもが変わっている場合もありうるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

そしてそれは、誰の身にも起こりうるからこそ、無自覚に受け入れざるを得なくなってしまう。

 

 

 

 

 

  

 

これは、魔王が世界に君臨させられようとする裏側で起きた、知られざる"異変"を紡ぐ物語。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バハルス帝国の城下街の一角で、数多く存在する冒険者崩れことワーカーの一つである

「フォーサイト」のメンバー四人は、帝国貴族フェメール伯爵からの依頼を受けていた。

 

その依頼とは、アンデッドが自然発生する霧深い呪われた土地、カッツェ平野にて

『色鮮やかなる大鳥』を捕獲するというもの。字面だけみれば、至極簡単な捕獲任務だ。

実際組合に登録している正規の冒険者も、組合の規則を破り自由に動くワーカーたちも、

単なる捕獲任務であれば問題なくこなせる。今回の任務も同様のものと判断したために、

フォーサイトを率いるリーダーを務めるヘッケランは三人の仲間たちに任務の可否を問い、

多数決で可決を獲得したことで任務を受諾した。

 

本来の捕獲任務であれば、捕獲対象を詳しく調査したり捕獲する為の罠などの準備期間が

設けられるはずなのだが、今回の依頼においては、たった二日しか与えられていない。

この事を訝しんだヘッケランたちだったが、仲間の一人にして優秀な魔法詠唱者である

アルシェの推測を聞き、コレが単なる捕獲任務でないと承知した上で受ける事を決めた。

 

帝国上層部の思惑が絡んでいようが、目の前に命張るだけの金を積まれりゃ仕方ない。

 

少なくともヘッケランを含め、残る二人の仲間のイミーナとロバーデイクの三人は、

今回初めてアルシェの家庭事情を聞き、彼女を助ける為に金が必要であると判断した。

フォーサイト結成以来、汚い世界を生きてきた三人が初めて他者を助ける為にまとまった

金を得ようと依頼を受けたのだ。アルシェは三人に深い感謝を泣きながら告げた。

 

何が待ち受けているのかと期待半分畏怖半分に二日を過ごし、依頼当日がやってくる。

 

ほんの手前数メートルより先の視界が確保できない程の濃霧が、毎年多くの戦死者を

生み出し続ける呪われた大地を覆い隠す。フォーサイトは、先日の依頼でアンデッドを

退治し続けて見飽きたはずの場所に、カッツェ平野に三日ぶりの帰還を果たしていた。

 

 

「今日くらいは、晴れててほしかったもんだぜ」

 

「ホントにジメジメしてて、嫌な感じ」

 

「ロバー、付近にアンデッドの反応は?」

 

「いえ、今のところは問題ありません」

 

 

大した調査が出来ない代わりに、久々に羽振りの良い依頼を警戒して装備を充実させて

きたフォーサイトの面々は、普段と変わらない景色に辟易の表情を隠そうともしない。

弓を扱うイミーナと信仰系の魔法を扱うロバーデイクの二人が油断なく周囲の様子と

アンデッドへの警戒を行うが、ひとまずの安全は確保できたようで安堵の息を漏らす。

 

今回の依頼は前金で金貨百枚、依頼の成功で上乗せの三百枚、計四百枚の報酬という話

だったので、ワーカーとして前金だけ戴いてトンズラもアリなのだが、それはできない。

単純に依頼を放棄して金を持ち逃げした話が広まれば、ワーカーとしての信用は損なわれ、

次からは依頼そのものを回してもらえなくなるという、コネクション面での問題が一つ。

 

そしてもう一つは、アルシェの抱える実家の借金問題が、アルシェ一人分の報酬金では

不足してしまうということだ。その為、何が何でもフォーサイトが依頼を成功させる。

前もっての話し合いで、大人三人は今回の報酬金の全額をアルシェに渡すと決めており、

総額金貨千六百枚を以て、彼女は晴れて実家との離縁と妹二人の身受けが可能となる。

 

フォーサイトの四人が改めて依頼の成功に息巻いていると、彼らの背後からぞろぞろと

金属や布などの様々な音が連なって聞こえてきた。だが、四人は警戒を向けはしない。

背後から近づく存在がアンデッドではなく、今回の依頼を受けた同業者たちの一団である

ということを事前に知っていたからだ。

 

 

「ヘッケラン、汝らを待たせた事、陳謝する」

 

「いよぉグリンガム! やっぱりアンタたちの所にもお声が掛かってたか」

 

「うむ。他とは一線を画す報酬に誘われてな、今回は総員で馳せ参じた」

 

「へぇ、そいつは。かの『ヘビーマッシャー』が勢揃いとは、気が楽だな」

 

 

音を立てて近づく一団の戦闘を歩いていた男が、ヘッケランへと声をかける。

ヘッケランは声の主であるグリンガムに軽く手を振り、簡単な情報交換を行う。

 

 

「予見していたとはいえ、汝が斯様な怪しい誘いに乗るとは」

 

「あぁ、依頼の事か? 悪いがこっちも色々あってな、至急大金が入用になった」

 

「ほほぅ。邪推するに、賭博か? 遊興か? いや、そうさな…………貢物か?」

 

「自分の年を考えろエロオヤジ。今度はそんなダサい金じゃないんだよ」

 

「これは失敬! はは、しかし年を考えろ、とは。かの老公に聞かせるべきか?」

 

「よせやい。御年八十を召した爺さんの説教なんざ御免被る」

 

 

歓談も交える間柄の二人は、和気藹々とした話し合いをしながら後方へ視線を送る。

グリンガム率いる総勢十四名の大所帯、ヘビーマッシャーのみならず、その後ろからも

続々とワーカーチームが現れ、その片隅に陣を敷いたとある一団の長を横目で見た。

 

 

「おいおい、マジか。あの爺さん、こっち睨んでんぞ」

 

「この距離での会話を聞かれたと? むぅ、かの老公であれば不可能でもあるまい」

 

「冗談キツイぜまったく。普通なら老衰でくたばる歳で、現役の槍使いときた」

 

「真に頼り甲斐があるのは、年の功を重ね続けた老公であろうな」

 

「んじゃ今からでも遅くねぇ、弟子入りして来いよ」

 

「御免被る。『腕を見てやる、死ぬてないそ』と槍の雨に打たれ半殺しにされよう」

 

 

ヘッケランもグリンガムも、探求した強さのベクトルはいささか異なるが、だとしても

強者の存在を知覚する眼と感覚は鋭敏である。互いに、よぼよぼの老体から放たれる剣呑な

雰囲気から抉るような槍の冴えが放たれることを知っている為、軽く頭を下げ話を切った。

 

続けて二人が視線を移したのは、老公パルパトラの一団とは正反対の方向に陣を構える

たった四人の少数グループ。だが今回二人が向ける視線には、強者への敬意は含まれない。

 

 

「げ。あの野郎も受けたのか。最悪だ…………イミーナが知ったら機嫌がどん底だな」

 

「かの者、確か『天武』のエルヤー・ウズルスという闘技場不敗の天才剣士だったか」

 

「らしいな。何から何まで鼻に衝く傲慢な美男子だよ、クソッタレ」

 

 

身長差がある二人の視線が同時に射抜いたのは、薄い金髪を肩まで伸ばした凛とした佇まいの男。

彼の名は、エルヤー・ウズルス。そして彼と彼の所有物(なかま)の一団の名は、『天武』という。

鋭い切れ目の男を目視した途端に、ヘッケランの表情からは燻るような怒りの念が溢れ出る。

隣にいるグリンガムは戦友の変化に目敏く気付き、無用な敵意を向けさせまいと言葉を紡いだ。

 

 

「今回は依頼を共にする協力者、であるとよいのだがな。しかしかの者、その引き連れた

仲間の三人の装束は、あまりにみすぼらしい。それに半ばで切られた耳は森妖精(エルフ)の隷奴の証」

 

「大方、闘技場で儲けた金で買ったんだろ。森妖精の奴隷をな…………クソ野郎が」

 

「ああ、汝のチームには半森妖精(ハーフエルフ)の女がいたな。であれば、彼奴との談義は我が取り持とう」

 

「助かるぜグリンガム」

 

 

内から湧いた不快感を文字通りに口から「ぺっ!」と唾と共に吐き出すヘッケランの様子を、

グリンガムは青臭さの残る子供のような大人だと見つめ、仕事の時間だと頭の中を切り替える。

大きく深呼吸をして隣を見ると、そこには既に戦士の顔に戻った戦友がいた。

 

 

「ではヘッケラン。件の『色鮮やかなる大鳥』とやら、どちらが捕らえるか勝負とゆこう」

 

「悪いが今回だけは譲ってやらないからな、グリンガム。恨みっこなしだぜ」

 

 

獰猛な戦士の笑みをこぼし、二人は拳を軽く押し当て、互いのチームメンバーの元へ向かう。

 

 

そしてこの数分後、帝国ワーカーチーム一同は目標の捕獲任務を開始すべく動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帝国に居を構える多くのワーカーたちが各々の判断で散開し、平野を時計回りに探索していくのが

依頼の捕獲活動を開始する前に集合した、各チームのリーダーによる話し合いで決定していた。

カッツェ平野から北にあるバハルス帝国から来たワーカーたちは、ぐるりと大きな円を描くように

移動する形で霧立ち込める呪われた平野を散策する。その判断自体は、決して間違いではない。

 

 

ただ、そう。彼らに間違いがあったとするのなら、それは__________やってくる日を間違えた。

 

 

散策前の話し合いで先行すると宣言していた男、エルヤーは自らが勝ち取った森妖精の奴隷たちを

肉壁として先に歩かせ、自身は時折襲い掛かるアンデッドや骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)を刀の錆にしていく。

数歩先ですら見通しが悪い場所であっても、卓越した剣の腕と冷静な判断が下せるエルヤーには

然程問題はない。彼にとって目下の問題とは、この依頼は報酬金が旨いだけで、自分自身の力たる

剣を披露する意味を見出せない事にあった。彼の剣は闘技場でこそ輝くが、戦場では血に濡れて

鈍い光を発するだけ。つまるところ、彼は己の力を誇示する相手のいない仕事にやる気が出ない。

 

捕獲依頼の対象である大鳥とやらも、せいぜいが貴族の道楽に丁度いい程度の珍しい生物なのだと

重要視していなかった。そんなエルヤーは、前を歩かせていた奴隷の足が止まっている事に今更に

なって気が付き、苛立ちを隠そうともしない荒れた口調で言葉を投げる。

 

 

「おい、誰が止まれと言った。さっさと歩け、この愚図が」

 

「あ、あの、申し訳ありません。ですが、先程から、妙な音が聞こえてきまして……」

 

「妙な音? 耳が切れても森妖精、か。どこから、どんな音が聞こえる?」

 

「ぜ、前方から。何かの、鳴き声のような」

 

 

キレたら何をするか分からない乱暴な主人の苛立ちに怯えながら、奴隷森妖精の一人が答えた。

エルヤー自身もまた、才能を磨き鍛え上げた武人の一人である。並外れた五感を有している彼の

耳にも、うっすらではあるが何かの音のようなものが響いてきていた。

 

 

「フン、偽りではないようですが………さて、捕獲対象なら手早く済むんですがね」

 

 

彼よりも彼女らが先んじて音を感知できたのは、単純に種族的な差であり、これを埋める事は

およそ不可能に近い。なので、この場合に置いてエルヤーが奴隷森妖精に後れを取ったという

場違いな劣等感は意味が無く、彼の勘違いによって暴力に晒される側としては酷い話である。

 

周囲に見せる沈着冷静の皮を捨てた、彼本来の粗暴にして悪辣な表情を浮かべ、腰にぶら下げた

南方より伝来した宝刀を抜き放つ。そのままほんの少しの警戒をしつつ、悠然と近づいていく。

そうして距離を詰めていき、やがて人間種である彼の肉眼でもソレを捉えられるまでに至る。

 

 

「成る程。確かに伯爵の言う通り、色彩鮮やかな出で立ちだな」

 

 

エルヤーの眼が捉えたのは、彼の二倍ほどの高さからこちらを見下ろす、色鮮やかな大鳥だった。

 

その全身は、まさしくこの世の色という色を敷き詰めたように鮮やかであり、確かにこのような

生物であれば大貴族が大枚を叩いても欲しがるだけの価値はありそうだと、見る者を頷かせる。

全体的に黄色と緑の中間色が多く見られ、翼を広げる腕の先は覚めるような蒼に染まる一方で、

胴体部分から突出した胸筋と思しき部位は酔いしれそうな橙が存在感を放つ。

一見すればちぐはぐな色の集まりは、しかし大鳥の各部位を飾るにこれ以上ないほど相応しく

似合う絶妙な構成になっており、審美眼のある者が見たのなら、神秘的な造形美に涙しただろう。

 

芸術に一通りの理解のあるエルヤーだが、一人の剣士として着目すべきは目標の武装であった。

 

 

「嘴から覗く小ぶりの牙、翼膜を開く腕の先にあるのは、肥大したコブ? いや、爪か?」

 

 

己の見出した剣の才覚。しかしエルヤーはそれを誇り驕る事はあれど、腐らせはしなかった。

自分には剣術の才能があり、剣の勝負では敗北知らず。それでもそこで止まらず鍛錬を繰り返し、

ついに彼は周辺国家最強の名を掲げる、王国戦士長ことガゼフ・ストロノーフに匹敵する存在と

目されるほどに至る。だがまだ足りない。彼が求めるは、匹敵でも比肩でもない、唯一故に。

 

数回の瞬きの間に外見から判断できる相手の武器に成り得る部位を確認し終え、エルヤーは手に

持った宝刀の切っ先をゆっくりと向け、言葉など理解できないだろうとの侮蔑を込めて語り出す。

 

 

「私は、帝国のワーカー随一の剣士である、エルヤー・ウズルス。依頼内容は対象の捕獲という

事ですので、今回は命を取るような深手は負わせません。しかし、それだけでは面白くない」

 

 

一人で口上を述べていくエルヤーを前に、大鳥は異様に長く伸びた円柱状の嘴を数度振るうのみ。

その反応は己の言葉の続きを待つでも、遮るでもない。ただ知性無き獣の所作であるという証明と

勝手に受け取り、エルヤーはますます警戒のレベルを引き下げていき、舌の滑りを快調にする。

 

 

「貴族受けするあなたのその羽根を、今回の依頼の手土産としましょう。その不格好な爪も、

まぁこの刀の砥石程度には役立つかもしれません。削ぎ落としても、生け捕りなら問題ない」

 

 

ついには敵対する存在という認識すらも捨て、剣の構えまでも解いてしまうエルヤーに、彼の

背後で主人の癇癪と未知のモンスターの双方に対する恐怖に震える森妖精たちは驚愕に目を剥く。

いくら剣の天才であっても、モンスターを目前にして戦う姿勢すら止めるなど錯乱したのかと

疑うような愚行であるのは、奴隷である彼女らも知るところである。だが、男は言葉を止めない。

 

 

「生け捕りにする為であれば、ああ、多少の傷を負っても仕方のない事と分かってもらえるさ」

 

 

エルヤーは剣の才に恵まれ、それにかまけず腕を磨き続けた努力家である。

しかし、それは彼の負の部分を助長させていく悪循環でもあった。

基本的に彼は自分以外の他を見下し、自分が勝っているのだと自己陶酔する傾向にある。

端的に言えば、エルヤーは他者を舐めてかかるのだ。相手が人間であれ、モンスターであれ。

 

 

そう、だからこそ。

 

だからこそ、こうなってしまうことは、必然であったのだ。

 

 

ほんの一瞬、空気が揺らいだ。戦う姿勢すらも解くほどに警戒を薄めていた彼に知覚できたのは、

せいぜいがその程度の感覚だった。そんな彼の背後に佇む三人の奴隷森妖精は、言葉を失う。

傲岸不遜であれどその強さだけは本物であった彼女らの主人を包み込んだ、瞬き一回分の閃光。

予想だにしなかった光が視覚を覆い隠し、それが晴れたことで、ようやく彼らは現実に直面する。

 

 

「_________________は? あ、え?」

 

 

一番最初に異常に気付いたのは、その身に異常が起きている当人、エルヤー自身であった。

大鳥を前に意味も無く言葉を並べたのは、油断ではなく慢心であり、剣をいつでも振り抜く用意は

出来ていたのだ。かの大鳥がこちらを攻撃しようものなら即座に、爪を切り捨ててやろうと。

 

だが、常人には捉え切れない速度で振るわれた剣から感じたのは、『弾かれた』感触だった。

 

そして今、その感触を自身に伝えていたはずの剣を握る腕は、大鳥の足元に転がっている。

 

つまり、つまり、つまり、不敗を誇った剣とその才覚を発揮する腕は、今____________。

 

 

「お、おれのっ、おれのうで。うで、うでがあああああああぁぁぁああぁぁッッ‼⁉」

 

 

両肘の先から噴き出す血流から目を逸らすように、エルヤーは普段の冷徹ぶった仮面をあっさり

かなぐり捨てて獣のように泣き叫んだ。天性の才能を持つ自分が、その腕が、あるべき場所にない

事実は積み上げてきた自信を瓦解させ、ただ一心不乱に喚き散らす有象無象の一つに貶める。

 

 

「ち、ちゆ! ちゆをよこせちゆ! 早くしろ、治癒だ治癒! うで、ちゆ、早く‼」

 

 

千切れそうになる理性をどうにか保ち切ったエルヤーは、こういう時の為の保険であり己の武勇を

引き立てる道具たる森精霊の奴隷の存在を思い出して、治癒の魔法を使えと必死にがなり立てた。

彼女ら三人は所詮金で買われ、躾という名の暴力に屈服する弱者でしかなく、支配者である自分の

言葉に従うのは当然の事である。彼はそう信じて疑わなかった。しかし、痛みと喪失感は続く。

 

ここでようやく彼は後ろを振り返る行為を行った。そういう意味合いで言えば、信じていたのだ。

森精霊の奴隷は奴隷らしく主人の言葉に唯々諾々と従うものだ、と。いわば、常識なのだと。

その価値観を絶対と捉えるエルヤーが最後に目にしたのは、己に向けられる、暗く淀んだ嘲笑。

 

 

「なに、してる? 命令だ早くしろ‼ 治癒魔法をよこせと言ってるだろ愚図共が‼」

 

 

そしてそれが、帝国ワーカー天才剣士エルヤー・ウズルスの、最期の言葉であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソレはふと、目を見開いた。

 

そして目前で黒焦げになりながら音を立てて倒れたモノを見つめ、考えた。

 

 

__________________弱過ぎる

 

 

ソレが目覚めたのは少し前、何やら色々な音がぞろぞろと接近してくるのを察知した時だ。

円柱型と言える丸く長い形状の嘴に押し上げられた小粒のような瞳は、視界を遮るほどに深い

濃霧を見て、違和感を覚え形を変える。これほど周囲を把握できなくなるほどの霧の中になど、

自分は決して近づこうとしない。己の気質が臆病だという事は、何より自身が理解している。

 

故に、見覚えがあるかどうかも分からない現状で音を立ててこちらに近づく存在に対して、

ソレは警戒心を最大にまで引き上げ、急いで逃げ出すか、あるいは交戦するかを思考した。

 

己の武器となるようなものは、両翼の先にある『火打石』に似た構造の爪に、浴びせかけた

対象の抵抗力と耐性を大幅に引き下げる効果を持つ溶解液(ゲロ)と、そしてもう一つ。

何より己の象徴とも言うべき、『鳴き声』による戦線の攪乱である。

 

ソレ自身は自然界において決して強者というわけではなく、寧ろ弱者のカテゴリーに位置する

存在であったと認識しており、事実として他の竜たちと真っ向から挑み勝てる術などない。

自然界における強者達は、己の強さを磨いてぶつかり合い生き残っている、真の強者なのだ。

だから敢えてソレは、己が非力であり、臆病であると認め、勝ち抜く強さを自ら手放した。

代わりにソレが手にしたのは、至極単純。ただ、ただひたすらに生き延びる力だけだ。

 

そうして逃走か闘争かを悩みあぐねていたソレの前に、四匹の小さな生き物が姿を現した。

力なく近付く三匹は、一目見て問題ないと判断する。その瞳からハッキリと「怯え」という

感情が滲んでいる事を、ソレは野生の勘で正しく理解する。問題なのは、残る一匹だった。

 

 

____________何なんだ、コイツは

 

 

当然ながら、ソレに人間の言葉が理解できるはずも無く、鳴き声らしい音を発し続けている

程度にしか認識が及ばない。普通、自分以外と相対した場合、威嚇か逃走かのどちらかを選ぶ

だろうに、眼下の一匹はまだ何か声を上げている。ソレは、ここである存在を思い出した。

 

幾多の命の残骸を重ね合わせて身にまとい、数多の命を肉体ごと滅ぼしてきた武器を背負う。

己ですら足元にも及ばない強者達を数匹で、あるいは一匹で苦も無く屠る理の埒外にいる生物。

縦長の顔の両側面にある瞳が、目の前に立つ矮小な生物と、恐ろしき怪物と、重ね合わせる。

 

 

_________________ああ、似ている

 

 

そう、似ているのだ。一番上が丸く小さく、その下が広く大きく、真っ直ぐ下に伸びる脚も。

何もかもが同じ構造。だからなのか、ソレはかつて自分を苦しめた怪物を幻視してしまう。

恐怖によって高速化した思考が、自然界で己が生き延びる為の最善の方法を、導き出す。

 

どれだけその身を幾重の鱗で覆ったとしても、体躯の規格がそもそも大幅に異なっているのだ。

飛び掛かれば吹き飛び、爪を打ち鳴らせば火花が弾けた余波でも吹き飛ぶ。吐き掛ける溶解液も

通用しないわけではないし、自慢の『鳴き声』で窮地を脱した事など、数えきれない程にある。

 

即ち、戦っても絶対に負ける相手ではない、ということだ。

そして、それさえ分かったのなら、やるべきこともまた一つ。

 

 

_________________やられる前に、やれ!

 

 

息を吸い込む度に大きく膨らむ紅い喉袋(・・)を揺らしながらソレは、ガツンガツンと

大きな音と火花を弾けさせながら爪を打ち鳴らし、前方へ軽く跳躍しながら三度目を打ち合う。

強い衝撃と摩擦で生じた火花が空気を巻き込み爆発を起こし、ほんの一瞬の閃光と化した。

不意打ちとはいえ、これだけで沈むほどヤワな敵ではないと分かっているソレは、続けざまに

攻撃を畳みかけようとするが、目前の一匹が想像を絶する咆哮と同時に喚き散らし始める。

 

 

 

 

 

そして最初に戻る。

ただの一発で狂ったように吠え出す一匹を見下ろし、ソレは生まれて初めての快感を得た。

これまで強者すらも叩き伏せる超常の存在と認識していた生き物を、一方的に蹂躙する事実に。

 

こうなってしまえば、ソレを止められる存在はこの場にはいない。未だかつて知り得なかった

未知の快感を再び得ようと、何故か後ろの三匹の方を向く弱者に、再び両爪の爆破を繰り出す。

ボンッ、という小気味良い炸裂音が霧の平野に響き渡り、上半分が飛び散った黒焦げの肉塊は

そのままドサリと音を立てて崩れ落ちていった。その様を見届け、ソレは歓喜に喉を震わせる。

 

 

_____________やった! やった!

 

 

あまりの歓喜にソレは思わず、左右へ跳躍しながら爪を打ち鳴らす。己の成した大偉業に。

そうしてしばらく空洞状の嘴から勝ち誇るような音を噴き出していると、残っていた三匹が

先程ソレが倒した黒焦げの肉塊に歩み寄り、足蹴にし出した。しかし、ソレは三匹を見逃した。

最初から脅威ではないと判断していた三匹を、強者を打ち負かした今の己がわざわざ相手に

する必要はないと、芽生えたばかりの傲慢さが唆した為にソレは攻撃を仕掛けなかった。

 

 

「…………ふふ、あは、は。は、え?」

 

「や、やだ、やだやだやだやだ! 嫌ぁ‼」

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさ、痛い、やめて! ごめんなさい! 離して!」

 

 

そう、今の自分には弱者の事などどうでもよい事なのだ。

霧の中で先程から無数に蠢いていた動く骨やら腐った肉塊やらが群がり、残った三匹に向けて

一斉に襲い掛かろうが、知った事ではない。足元に転がる強者だったモノがこうなる(・・・・)前にあげて

いたような金切声を聴覚が捉えるが、ソレが一瞥した頃にはもう骨と肉塊の山に消えていた。

 

 

ソレは現在、この世の頂点に君臨したような気分に浸っていた。最上の心地に酔いしれる快感を

味わい、気が大きくなってしまっている。端的に言ってしまえば、調子に乗っているのだ。

 

 

___________今なら、どんな奴にも勝てそうだ

 

 

有頂天にまで上り詰めた(気になっているだけ)のソレはもう止まらない。止められない。

こうなってくると、自分の力を試してみたくて仕方が無くなってくる。今までのソレの気質を

知る存在からすると、到底考えられない程に好戦的な状態に変化してしまっていた。

そう、試してみたくてたまらない。これまで戦うという選択肢すら抱かせない強者を相手に。

 

そしてソレは、ソレだけが唯一、荒唐無稽なその願望を可能にする術を、持っている。

 

 

______________きっと、面白い事になるぞ

 

 

期待に胸を躍らせ、大きく大きく息を吸い込み、まるでラッパのような嘴へ空気を吹き込む。

尖るべき嘴の先端には穴があり、そこから送り込まれた空気量に比例した『音声』が響き渡る。

ただし、その音はソレの鳴き声などとは比べ物にならない程に、強く、強く、轟いた。

色鮮やかなる大鳥は、己が知る『最も猛き竜』の声色を真似て、次元の隔たりを超え呼び寄せた。

 

 

ガアアアアアアアアァアアアアァアアァァアア‼‼

 

 

そして、呪われし濃霧の平野に、強暴なる(アギト)が轟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソレはふと、目を見開いた。

 

眼球の中心に鎮座する瞳孔は、爬虫類系を思わせるような縦に細長い楕円の形をしており、

通常よりも一層細められた事から見て取れるのは、ソレが興奮状態に移行したという事実だ。

しかし興奮といっても、決して野生動物と揶揄されかねない生殖本能が誘発されたからでは

なく、ただ偏にソレが有する闘争本能の一端を刺激する何かが、琴線に触れた影響である。

 

ソレは己が踏みしめている地面と限りなく近い頭部を持ち上げ、辺りを忙しなく見回す。

何かを探す素振りではあるが、「どこかにあるのか」という悠長な感覚ではない。

眼を血走らせ、一目見ただけで強靭と解る程の牙や顎から漏れる吐息が、声もなく伝える。

 

 

____________何処に居る

 

 

ソレが目を覚ましたのは、つい先程の事。ソレ自身も自分が何処に居るのかすら分からず、

視界を覆い尽くさんとばかりに立ち込める濃霧に、早くも苛立ちを覚え始めていたのだった。

一先ず最優先事項を「飢えを満たす」事と定めたソレは、行動を起こそうとしていたのだが、

そんな折に唐突に聞き覚えのある「鳴き声」を耳にしたことで、瞬時に怒りが沸き上がった。

 

己の発する轟音すら意に介さない(・・・・・・・・・・・・・・・)超常的な聴覚が捉えたのは、『ソレが発する鳴き声』そのもの。

 

ソレは、霧深いこの場所に響き渡ったその咆哮に聞き覚えがあった。

生物が鳴き声を発する状況というのは、ほとんど限定されている。この事実はソレにも当て

はまることであり、その数ある状況の中でも今回聞こえた鳴き声は最も許しがたいものだった。

 

 

____________此処は我の縄張りである

 

 

大地すら揺るがすような破壊的な音からは、余りにも傲岸不遜で許し難い意図が伝わった。

確かにソレがいるこの場所は霧が異常に濃く、遠くまで見通すことは困難だと身を以て理解

できたが、だからといってその主張は早計に過ぎる。そう、此処には我が居るというのに。

先程の布告を行った相手は、間違いなくソレと同種であると鳴き声からして気付いてはいた。

けれど、否、だからこそ。戦わずして勝ち誇るなど許せるものか(・・・・・・・・・・・・・・・・・)。その答えは唯一にして無二。

 

 

____________我と戦え‼

 

 

己が領土を侵されたわけでも、ましてや己が他の領土を侵したわけでもない。

だがそれでも認められるわけがない。戦わずして勝ち取るなど、強者に有るまじき醜態だ。

 

ソレは、先の咆哮が己を呼ぶ為の挑発であると、正しく理解していた。

生殖目的で雌が雄を、あるいは雄が雌を求める求愛の声とは別物であり、助けを乞うような

弱々しいものでもなく。間違いなく勝利に酔ったソレが勝鬨のようにあげる咆哮であった。

 

同種であれ、慈悲など与えはしない。霧深い未知の土地であれ何であれ、容赦なく狩る。

己の存在を知らなかったのだろう。ソレ自身も咆哮を聞くまで、己だけがこの場所に居ると

考えていたのだから、相手も同様であると理解は出来る。それでも、この怒りは止まらない。

 

それでは、敵であるとすら認識していない(・・・・・・・・・・・・・・)のと、同義ではないか。

 

 

____________何処に居る‼

 

 

牙と牙の隙間からは荒々しい呼気が噴き出し、黄色がかった鱗に覆われた体躯は猛々しさを

全開に駆動する四肢によって、年を経て分厚く固まった甲殻と擦れてガチガチと音を鳴らす。

およそ外観の強暴さからは想像だにつかない両腕の力のみで這いずる姿は、獲物を探し求めて

徘徊する虎か、あるいは道連れを求めて地獄から這い出てきた恐ろしき怪物の類か。

 

砂塵を巻き上げながら大地を滑走するソレの聴覚は、少し離れた場所から硬い物がぶつかり

合う音を確かに聞きつけ、走行を止めて周囲を見回す。辺りは霧ばかりで何も見当たらないと

見切りをつけようとした瞬間、再び同じ音を聞き取り、さらには飛散する火花も目視した。

 

 

____________嫌な感じがする

 

 

常に弱肉強食の非情な理に満ちた世界を生き抜いてきたソレは、聴覚が拾った音に不快な

懐かしさを覚え眼を細めて鼻を鳴らす。速度をやや緩めながら近付くにつれ大きくなってきた

音の正体を確かめるべく、ソレは低く短い唸り声をあげて霧の中をゆっくりと進んでいった。

 

そして、音の正体とその発生源に辿り着いたソレは、即座に後方へと大きく跳躍し距離を取る。

 

 

____________此処にも、居るのか⁉

 

 

ソレが霧深い平野で目にしたのは、数多くの生命を屠り狩り喰らってきたソレが認識する、

数少ない『強者』のカテゴリーに位置する存在であり、濃厚な死の臭いをまとう怪物の姿。

これまで幾度となく己と死闘を繰り広げ、時には爪も牙も折られ瀕死の重傷を負わされた事も

あるほどの強さを持つ、そんな生命体。小さき存在と侮る事を放棄させた、恐ろしき異形。

 

とある世界で〝狩人(ハンター)〟と呼ばれる存在と瓜二つの姿形をした、生命体の群れが居た。

 

思い返せばぶつかり合う音は、ヤツらの持つ大小さまざまな武器と己の甲殻とが衝突する音と

よく似ていた。であるならば今まさにあの小柄な連中は、何かを狩猟していたのだろうか。

目視すると同時に後方へ跳躍したソレは、元々地面と平行に伏せるような出で立ちをさらに

一段と低く下げ落とし、自分よりも小さい存在を決して見落とさないように濃霧を睨んだ。

 

 

____________そういう事か

 

 

しかしソレは同時に納得していた。先に聞こえた勝利宣言に等しい咆哮があがった理由に。

何の事はない。ただ、本当に勝利したのだろう。ありとあらゆる地に現れ、己やそれ以上に

強大な存在を相手に挑み、物言わぬ骸の山を築き上げていくヤツらに勝利したからだろう。

ソレですら相手取るのに手古摺る、砂漠に縄張りを持つ双角の魔王ですら狩ってしまう程の

強さを有する怪物。そんなヤツらを狩ることが出来たなら、勝鬨を上げても仕方がない。

 

だが生憎と、この地には先んじてヤツらを倒したであろう同種以外にも、我が居るのだ。

強者すらも屠る強者を捻じ伏せ勝ちを誇るのならば、我も同じ方法を以て証明してみせよう。

 

 

____________貴様よりも、我の方が強い‼

 

 

途端に戦意を漲らせたソレは、全身に血液を巡らせ筋繊維を膨張させ体を一回りほど大きく

させるとともに、人間でいう決闘の合図を思わせるような咆哮を鋭く発し、駆け出した。

 

 

ガアアアアアアアアァアアアアァアアァァアア‼‼

 

 

力を証明してみせんとばかりに疾駆するソレは、大地が自分の足跡型にめり込んでいようと

意に介することなく突き進み、霧の中で腐った肉塊に武器を振るっていたヤツを跳ね飛ばす。

肉が凄まじい勢いで押し潰されるような生々しい音を立てて吹っ飛ばしたが、それだけでは

まだ足りないとソレは確信していた。ヤツらはしぶとく、何度でも立ち上がってくるのだと。

 

故にソレは突進の勢いを殺さないように気を配りつつ、左前肢を地面へ突き立てるほど強く

ブレーキ代わりに叩きつけ、そこを軸にして後肢を連続して動かし角度の微調整を行う。

自らの足跡が轍のように大地に刻まれているのを目視できるあたりまで方向転換を終えた

瞬間に、抑えていた左前肢を地面から離して再び前へと伸ばし、突進を再開した。

 

大樹の幹に匹敵するほどの太い前肢が大地に振り下ろされるたび、ソレは前へと進んでいき、

砂塵を巻き上げながら目にも止まらぬ速度で動き回り、そしてふと突進を止めて振り返る。

視線の先にあったのは、何度も大地に刻んだ己が疾った跡と、点々と続く血溜まりのみ。

 

 

____________どういう事だ?

 

 

ソレは困惑のあまりに瞳を細めて首を傾げた。違う、違うのだ。こんなはずではなかった。

ヤツらはその身に骸をまとい命を狩る存在であったというのに、我らを恐れず戦いを挑んで

くるほどの強き存在であったというのに。だがこの有様はなんだ。そう思わずにいられない。

 

 

____________弱過ぎる

 

 

本当にただ何でもなく、ソレは突っ走っただけだった。ソレにとって先程の連続突進など、

攻撃とすら認識していないほどの、言うなれば地慣らし。ほんの準備運動と同義であった。

今まで戦ったことのあるヤツらのほとんどは、この突進を横っ飛びに躱すかあるいは手に

持つ巨大な石と鱗の壁で防いでいたのだが、見渡す限りの血と臓物の海に呆然とする。

 

濃霧のせいで目視は難しかったが此処まで接近すれば嗅覚で探知が可能、スンスンと鼻を

何度も鳴らして確認を行う。突進する前にあった臭いの元がほぼ消えていて、残ったのは

五………いや、四のみ。それらはひと固まりに群れているようで、先程から動いていない。

もう潰して砕いたヤツらはどうしようもないが、この生きている四匹までもが弱いという

こともないだろうと考え、最後の一匹を狩るまで決して手を抜くことはしないと決めた。

 

ただ偏に、ソレの根幹が『闘争』であるが故に退くことはなく、勝利と生存こそが至上。

 

 

____________我と戦え、強き者(ハンター)

 

 

両前肢を大地に突き刺し、上体を仰け反らせながら吸い込んだ息と、意気と共に咆哮する。

もはやそれは声でもなく、まして音でもない、『轟き』となって霧の大地を震わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う__________おっ、ぅおぉええええええぇぇぇッ‼‼」

 

「アルシェ⁉ 見てはいけません!」

 

 

ロバーデイクの忠告も既に遅く、アルシェはたった今目の前に広がった凄惨たる光景を

目にしてしまい、充満する鉄臭さと生臭さが鼻腔を犯し不快感が膨張して溢れかえる。

仕事の前の腹ごしらえにと軽食をつまんでいたのが災いし、胃の中で溶けかかっていた

内容物が食道を逆流して口の端から吹き零れた。愛らしい瞳も苦悶に歪み涙が滴る。

しかし、それは無理もないことである。ほんの十数秒前まで同じ緊張感を共有していた、

というよりも生きていた人間の顔半分が、肉と骨が撹拌し混じり合った肉塊へと変わって

足元に転がってきたのだ。いくら日陰の住人とはいえ数年程度、耐性など意味を成さない。

 

顔をそむけて涙をこぼし続けるアルシェの視界の端では、縦に分割された成人男性の頭が

未だ微細な筋運動を続けていた。血液が残って流れ出る勢いが、周囲の筋繊維を僅かだが

動かしているためにそうなっている。仕組みを知っていたとしても、直視は不可能だ。

桃色と朱色の中間のような色合いの臓物と、鮮血の赤と、臓物を覆う骨の白が破壊的に、

せせこましい肉塊の中で乱雑に混合している様を、いったい誰が直視などできようものか。

 

 

「ぅげ________くっ………ロバー! アルシェを!」

 

「分かっています。貴女はヘッケランと共に警戒をお願いします!」

 

「んん、か、はっ_______ああ、任せろよクソッタレ‼」

 

 

耐え切れずに嘔吐した少女を庇うように密着した残りのメンバーは、必然的に少女の足元を

視界に収めることになり、瞬時にこみ上げてきた逆流の兆候をどうにかして抑え飲んだ。

今は何よりもまずアルシェを守らなくては。その思いだけで生理的な悪寒を塞いだ三人は、

たった一瞬の間に十四名いた『ヘビーマッシャー』全員を血の海に変えた文字通りの怪物に

対する警戒網を敷いた。イミーナが耳に、ヘッケランが目となり辺りを注意深く見回す。

信頼する仲間二人に警戒を任せ、ロバーデイクは錯乱状態に陥りつつある少女の背中に手を

置いて、ショック症状を起こしていると判断した瞬間に装備品から松明を取り出し点火する。

 

 

「ひっ_____________ろ、ばー?」

 

「気付いたようで何より。錯乱か恐慌に陥ってしまわれると、私もそれに対する魔法を詠唱

しないといけなくなるので。小さな灯は心を落ち着かせると言いますが、塊のような炎は

人の奥底にある獣の本能に危機を察知させるとも聞きました。どうです?」

 

「う、うん。ありがとうロバー。もう大丈夫、取り乱してごめん」

 

「人であれば、誰しも心乱れる時はあります。恥ずべきことではありませんよ」

 

 

常に冷静沈着かつ柔和なロバーデイクの対応が功を奏し、アルシェが気をどうにか持ち直す。

務めて足元を見ないように顔を強張らせていた彼女は、再び顔の正面で揺れる松明の炎を

見せられ、それが徐々に低身長の自分の目線と平行になる位置で左右に動くのを確認した。

 

 

「見なさいアルシェ。この松明の先が、先程の謎の巨大モンスターがやってきた方向です。

貴女の魔力の位階が分かるタレントを応用して、反応がある方向を定められませんか?」

 

「…………ごめん、知覚できない。遠くへ行っていないなら、然程魔力は高くないはず」

 

「なるほど。であれば、魔法による攻撃手段がない、と捉えてよいでしょう」

 

 

炎の揺らめきが様々な方向を指し示す度、アルシェ個人が持っている特異な才能、タレント

などと呼称される力を発動するも、空振りに終わる。だがその事実を含めて戦略を構築する

ロバーデイクは、松明をかざしつつ少女の視線と視界から足元の遺体の一部を隠した。

さりげない配慮を済ませつつ、前方で警戒を続ける二人に容態の回復を伝えるべく口を開く。

しかし、彼が言葉を口にするよりなお速く、大地揺るがす『轟き』の豪爪は迫っていた。

 

 

「ロバー後ろ______________」

 

 

半森精霊たるイミーナの優れた聴覚が接近を感知し、声を張り上げながら振り返った時点で

もう手遅れに過ぎていた。大きく重い何かが地面にぶつかる音と重なり聞こえた、破裂音。

水気を含んだものと硬度のあるものが同時に勢いよく潰れたような、形容しがたき不快な音。

けれど彼女の耳がすぐさま拾い上げた音は、微かな嗚咽。年若い少女の、声にならない悲鳴。

 

 

(ロバー、アンタって奴はどこまで…………! 無駄になんてしない、必ずあの子は助ける‼)

 

 

わずかな時間の中で、イミーナは静かに悟った。ロバーデイクが死に際にどう動いたのかを。

何の事はない、ただ突き飛ばしたのだ。狙いが己だと気付いた瞬間、アルシェを力いっぱい

自分の近くから遠くへ押しのけただけの事。人助けに生を捧げた男は、最期までやり遂げた(・・・・・・・・・)

この依頼を受け取ったのは、そもそも自分だった。言い返せば、こうなったのは自分のせい。

高額な報酬金に釣られて全滅なんてワーカーならありがちな最期だ。明日は我が身だろうと

気を配っていた。気を配っていたつもり、だったのか。己の愚かさが招いた現状に不満が

止めどなく押し寄せてくるのを務めて無視し、転がった松明を睨む巨獣に向け矢を番え撃つ。

 

霧の影響で普段より湿り重い空気による弾道の変化も考慮しての矢は、寸分違わずに巨獣の

瞳に吸い込まれるように飛来し______________驚異的な後方への跳躍でもって躱された。

 

 

「何なのよあの動き! デタラメにもほどがあるでしょうが‼」

 

「イミーナよせ! 下手に刺激して厄介なことになったら!」

 

「そんな事言ってる場合⁉ あたしが矢で動きをけん制するから、そのうちにアルシェを!」

 

「馬鹿野郎、それじゃお前が!」

 

「戦士職が接近してどうにかなる相手じゃないって、分からない訳じゃないでしょ⁉

あの『ヘビーマッシャー』が何もできずに全滅よ⁉ アンタ一人じゃどうしようもない‼」

 

「………ああ、ああ! そうだよな、クソが‼」

 

 

イミーナは愚痴を吐き捨てつつも次々に矢を番え放っていく。その行いを止めさせようと

声を上げるヘッケランに、後方支援や遊撃が本職の自分が敵の足止めに最適だと正論を説く。

愛する女性を囮に使うような真似をしたくないとする青年は、今しがた同業者兼戦友であった

グリンガムとその一団が、碌な抵抗すら許されず殺されたのを目撃していたために口を閉じた。

ここで言い争う事で何かが解決するわけじゃない。ならば自分にできる事を最速で完遂させ、

全力で撤退を図り態勢を立て直す事が、現状における最善策じゃないのかと己に言い聞かせる。

結論は出たと無言で頷いたヘッケランは、視界不良の中でアルシェを探す事を諦め声を出す。

 

 

「アルシェ何処だ! 無事なら今すぐ《飛行(フライ)》の魔法使って此処まで来い‼」

この判断は間違いではない。人間の視力では少し先しか視界が保てない程の濃霧立ち込める

場所で、無言に徹して探すよりは遥かに簡単で効率的かつ合理的な判断なのは疑う余地も無い。

しかしこの時の彼は焦燥に駆られるあまり、自分たちが相対している存在への過剰な警戒を

怠っていた。いや、伴侶に近しい相手が危険の渦中にあれば、急くのも仕方がないのだが。

 

 

彼は本当に頭の隅に追いやっていたのだ。

 

〝音〟を探知に利用するのは自分たちだけではないという事を。

 

〝音〟を拾いそれを活かす術に長けているのは、獣の方である事を。

 

 

直後、空気を引き裂くような音と重なるように何かが飛来し、ヘッケランと衝突した。

 

 

「があぁッ⁉ ぐぅぅ………ッ‼」

 

「ヘッケラン? ヘッケラン⁉ 今、何が」

 

「お、おれのことはし、んぱいすんな………さっさと、こっちに」

 

 

幸いと言っていいものか、飛来した物体はヘッケランの胴ではなく腕の先を掠めていった

だけだったが、それでも速度と重量が傷を深くした。咄嗟に庇った左腕は人間の構造として

有り得ない方向に捻じ曲がってしまい、プラプラと力なく垂れ下がり二度とは使えまい。

そんな重傷を負ってもなお、彼は濃霧のどこかに居るアルシェを探そうと掠れ声を絞り出す。

 

 

(直接叩いて潰すだけが取り柄かと思ったら、目で追えない速度で岩を飛ばしてきやがった!

ただ強いだけでも人間にとっちゃ厄介だってのに、ああもう、クソクソクソ! クソが‼)

 

 

使い物にならなくなった左腕から滲む痛みと脳裏に染み出る絶望が、方向性の定まらない

無差別な怒りとなって心の奥底から込み上げてくる。仲間も友も失い、このままでは彼女も。

それだけは、何としてでも阻止せねば。この命に代えても守らねばと、彼は奮い立つ。

 

 

(こんな、力と小賢しさをひけらかすだけの俺を、馬鹿みたいな男を真剣に愛してくれた

最高の女を、俺は巻き込んだ挙句死なせるのか? ハハハハ、笑えねぇよクソッタレ‼)

 

 

歯を食いしばる。左腕の痛み? 迫る死への恐怖? どうってことないわけないだろ本当に。

大の大人だろうが痛けりゃ痛いし怖けりゃ怖い。腕が折れりゃ痛くて泣いてもいいだろう。

死ぬのが怖けりゃ泣いても仕方ないだろう。でも、それよりもっと怖くて痛いのは。

 

 

「俺に惚れてくれて、俺が惚れた最ッ高の女を、幸せにしてやれねぇ事がよぉ‼」

 

 

霧が蠢き、奥から巨大な怪物が憚ることなく足音を鳴らして近付くのを、睨みつける。

 

 

「男にとって一番辛いに決まってんだろクソッタレがああぁぁあああッッ‼」

 

 

___________グシャァ‼

 

 

「……………………あの、ばか」

 

 

この世で唯一人愛し愛され、愛を交わした男の猛りが弓に番えた矢の切っ先を震わせた。

どこまでも単純なくせに狡賢くて、一丁前な事を言うくせに見栄張ってばかりな姿は

滑稽どころかむしろ、微笑みを隠せない程に愛おしくて。共に過ごす時間は温もりに満ちて

ひたすらに心地良く、互いの情欲をぶつけ合った後の暖かさに微睡みを覚えてしまった。

 

でも、そんな彼はもう、恐らく生きてはいないだろう。

 

 

「ほんと、ばかじゃないの」

 

 

惚れた女を守って逝けたなら、男としては本望だろ。などとしたり顔でのたまう様子が

容易に想像できる。確かに守られることは悪い気はしないし、純粋に感謝の念を抱く。

だが男としてはそれで本望だとしても、女としては及第点以下だ。落第だ。失格だ。

 

何が、「俺が惚れた最ッ高の女を幸せにしてやれねぇ」だ。本当に呆れてしまう。

 

 

「…………幸せだったに、決まってんじゃない、バカ!」

 

 

弓に番えた矢が、矢を持つ指先までもが震えてしまっているのは、気のせいではない。

唐突に、何の前触れもなくいきなり目に見える脅威として現れた『理不尽な死』への

恐怖で震えたのか。あるいは、もう今生でまみえること叶わなくなった最愛の人への思いを

馳せたためか。イミーナは目尻から溢れ出続ける涙を拭わず、限界まで引いた矢を放つ。

 

しかし矢の震えは狙いから逸れてしまう事に直結する。彼女の狙いであった怪物の眼球より

わずかばかり下の顎に当たり、金属同士がぶつかったような硬質な音が平野に響いた。

霧の影響で目視は難しくなっていても、敵は人ならざる獣。臭いでの索敵は得意だろう。

眼球以外に矢の通りそうな部位は、口内くらいのものだろう。狙っている間に体を丸ごと

ガブリといかれて、そこで死ぬ。初めから勝って生き延びる事など、不可能な相手だった。

 

 

「あ~あ、これでおしまいか」

 

 

心躍る冒険も、胸糞悪くなるほど不毛な殺し合いも、幾つもの修羅場を潜り抜けてきた。

自分はその日陰の領域に望んで堕ちてきた類の人間であって、いつかどこかで自分自身すら

納得のいかないような理不尽な死を迎えるのだろうと、本気で思っていた。

 

自分も、ヘッケランもそうだ。望んで堕ちた。ロバーデイクは事情が少し異なるけれど、

望んで堕ちたという点については変わらない。ただし彼女は、アルシェだけは全く違う。

 

若くして才知に溢れ、血筋も正統なものを後継する、祝福されて然るべき人間だったのだ。

ほんの些細な運命の悪戯が彼女をこんな底辺へ引き込んだ、掴んで引きずり落とした挙句に

何もかもを取り上げようとした。なおも飽き足らず、その命まで奪い去ろうというのか。

 

 

(させないわ。させるもんですか。あの子は、『幸せになる権利』がある‼)

 

 

およそ死を覚悟した人間が見せるモノとは思えぬほど、輝きに満ちた顔で凶獣へ矢を放つ。

今度は攻撃の通用する一点を狙う狙撃ではなく、注意をこちらへ向ける為だけの牽制射撃。

視界不良、精神状況不安定。過去最悪のコンディションで弓に矢を番えるイミーナは、心底

晴れ晴れとした笑顔のまま、この行いに満足しているかのような明るい口調で言葉を紡ぐ。

 

 

「アルシェ! アンタがいてくれたおかげで本当に助かった! お金もかなり稼げたし!

ロバーは稼いだお金で誰でも受け入れる教会を建てるんですって! 贅沢な使い道よね!」

 

「………イミーナ?」

 

 

唐突に大声で話し始めた彼女に、アルシェは困惑を隠せない。それでも言葉は止まらない。

 

 

「ヘッケランがお金貯めてた理由知ってた? 借金返済とか何とか言ってたけどアレ嘘!

本当はアタシと二人で暮らす家と、結婚指輪を用意する為だったのよ! 驚いたでしょ!」

 

「イミーナ、イミーナ!」

 

 

錯乱したか、恐慌に陥ったか、否。姉のように慕う彼女がこんな時に取り乱すはずがない。

だとしたらこの一連の話にもきっと意味があると、そう結論付けたアルシェは耳を傾けた。

 

 

「それでアタシはね! 綺麗な宝石とか美味しい料理とか、贅沢を尽くす為だったの!」

 

「イミーナ!」

 

「でも結局! アタシたちの中でお金使って夢叶えられた奴なんて、一人もいやしない!

だからアルシェ! 妹の為に命張ってお金稼いできたアンタになら、全部あげてもいい!」

 

「_________え?」

 

 

ここでようやく、アルシェは自分の考えが間違っていたことに気が付くのだった。

 

しかし、今回もまた、気付いた時にはもう、何もかもが手遅れである。

 

 

「もう、ロバーもヘッケランもアタシも……………お金、必要ないからさ!」

 

「や、え。まって、まって! イミーナ! ヤダ、ヤダ! イミーナ‼」

 

 

しきりに声を張り上げて、涙を滝のように流しながら懇願するも、イミーナには届かない。

アルシェは先程から彼女が弓矢で謎の怪物の注意を惹き付けていることに気が付いていた。

いや、気付きたくなかった、が正しい。もしそれが本当なら、アルシェには義務が発生する。

 

仲間を見捨てて逃げなければならない、という義務が。

 

だから彼女は一縷の望みにかけ、喉が枯れるまで叫んだ。喉が潰れるまで名前を呼び続けた。

ロバーデイク。ヘッケラン。イミーナ。

 

父のように穏やかで優しかった神官の名を。

 

兄のように意地悪で頼もしかった戦士の名を。

 

姉のように気丈でいつも守ってくれた射手の名を。

 

 

しかし、返ってきたのは、彼女が最も聞きたくなかった言葉だった。

 

 

「_____________生きて、幸せになって」

 

 

その言葉を聞き終えて即座に、アルシェは《飛行》の魔法を発動し、空高く飛び上がる。

自分を庇って目の前で潰された神官の時にも、自分ともう一人の仲間を助けようと勇ましく

立ち向かって捻り潰された戦士の時にも聞こえたあの音が、彼女の鼓膜に三度響いた。

 

 

 

 

そこからどうやって帝国領へ逃げ帰ったかは、アルシェ自身も何も覚えていない。

ただ事実として、ある貴族の依頼を受けたワーカーチームの悉くが全滅して行方不明となり、

唯一の生き残りとなった少女は、支離滅裂かつ意味不明な言葉を並び立てる事を繰り返した。

けれど彼女の発した言葉の中で幾つか、帝国としても無視できない単語が確認される。

 

その最たるものが『大地を震わせあらゆる生物を肉塊に変える、轟き荒ぶる竜』との事。

 

そしてその存在を帝国が実態を以てして確認することになるのは、もう少し先の話。

 

 

 

 

かつてとある世界で、同じように猛威を振るった恐ろしき獣たちがいた。

 

 

豪咆放ち万物を征する轟王____________【轟竜・ティガレックス】

 

千変万化の声鳴らす道化師____________【彩鳥・クルペッコ】

 

 

そのように呼ばれ、畏れられていたソレらは、どこからともなくカッツェ平野に現れて

一帯を己の縄張りと定め近寄る一切合切を鏖殺してみせた。(主に轟竜の方だが)

以後、四度に渡って帝国軍の精鋭が調査の為派遣されることとなるが、その全てがまたも

帰らぬ人となり犠牲は拡大していく。やがて迂闊に手が出せなくなった平野は負の怨念が

絶えずにアンデッドを生み出し、より強大なアンデッドを量産する最悪の循環を構築する

こととなるが、それにバハルス帝国皇帝が頭を悩ませることとなるのは、さらに先の話。

 

 

 

 







す く い な ん て な い


いかがだったでしょうか?
後半はどうにかして投稿を早めようと焦ってしまい、少々粗雑気味に
なってしまいました。不甲斐ない私めをどうぞお笑いください……。

さて、肝心の内容はいかがだったでしょうか?
グロというべきかゴアというべきか、とにかく読者の皆様に楽しんで
いただけたのなら幸いです!


あまりうまく話せそうにないので、ここまでとしましょう!
もしよろしければ、「このモンスターのこんな話が読みたい!」というような
リクエストも募集しようと思います!(書けるとは言ってない)
リクエストをしてくださる心の広大な方は、是非感想欄ではなく私個人への
メールにてお願いします。何やら規約に引っかかってしまうらしいので。


それでは皆様、また次回をお楽しみに!
ご意見ご感想、並びに質問など募集しております!


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