無限の精霊契約者 (ラギアz)
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第一話「入学式へ」

初めましての方は初めまして、前作からの方はどうもです。
ラギアzと申します。
これは精霊×人間の、王道学園異能系です!

毎日投稿です。それでは、お楽しみください!!

1月4日、一話を大幅に改変しました!


 その日、俺はまだ陽も登っていない時間帯にも関わらず、折り畳み式の自転車で全力疾走していた。

 季節は春。暗闇の中にうっすらと桜、そして壮大な山が広がっている。

 道の脇はかなり急な崖があり、そこは結構高い。

 この道は村の中でも一際高いところにあり、明るければ村全体が見渡せる。

 俺の住む村は、絵に書いたような村だ。

 名前は上梨村。かみなしむら、と読む。

 その小さな村は殆どを田んぼが埋め尽くしている。

 田んぼの合間合間にあるのは茅葺屋根の古い何年前に建てられたんだ、という日本民家だ。住んでいるのも80歳を越えた爺さんと婆さんばかりで、一番若いのは俺。15歳だ。

 山奥の小さな村だけど、全然開発やら何やらで消えるという話は聞かない。その理由を考えた時に、一番最初に思い浮かぶのはやはり上梨村の名産、上梨米だ。

 そのお米はコシヒカリと並ぶレベルのお米であり、この山奥の村から日本全体に出すためには軽トラかトラックしかないため量が少ない、かなりの高級品。昔から食べ続けてきた俺にお米の味は分からないけど、それでも美味しいと思う。

 今日も今朝、と言っても深夜になるのかもしれないけど、住んでいる所のお爺ちゃんとお婆ちゃんが作ってくれた上梨米のおにぎりを食べてきた。

 そんな朝早く食べるんなら、コンビニで買えば良いじゃんと思うかもしれない。

 でも、それは出来ない。何故ならここは絵にかいたような典型的な田舎の、山奥の小さな村だ。

 コンビニなんて物は無く、最寄り駅まで自転車で30分はかかる。スーパーまでは1時間は掛かるし、しかもそんなに大きくはない。

 そんなドが付くような田舎で、何故俺がこんな朝早くから全力で自転車を漕いでいるのか。よりにもよって、曲がりくねった山道の、崖がすぐそこにある様な危険な道を。

 その理由は唯一つ。それは、俺の入学する高校の入学式が今日だからだ。

 この小さな上梨村に、高校は無い。

 じゃあどうやって義務教育の小学校中学校を卒業したのかというと、それは教員免許を持っている爺さんと婆さんが俺一人のために学校を開いてくれていたからだ。

 教科書等は税金で賄われるため、手に入らないことはなかった。

 小学校から、中学生終了までの勉強をマンツーマンでしっかりと基礎から叩き込んで貰い、俺はこの春に中学校を無事卒業した。

 そして聞かれたのは、高校に行くか? ということ。

 別に行かずに農業を始めても良かったのだけれど、俺はまだ同年代の人と話したことがない。上梨村以外にも興味のあった俺は、直ぐに行くと答えた。

 爺さんと婆さんも、流石に高校の勉強は教えるのが難しい。という事で、俺は上梨村から一番近い高校を受験することにした。

 その高校も結構小さくて、一番近いと言っても片道一時間二十分掛かるのだ。

 だけど、それ以外に毎日行ける距離の高校は無い。そこを受けるために、寝る間も惜しんで勉強を始めた俺。

 その時に、急に村長が俺の処にわざわざやって来て、俺に向けて一つ提案をした。

「『聖域総合高等学校』を受験してみないか?」

 と。

 こんな小さな村でも、その学校の名前は聞いたことがある。

 超名門で、日本トップレベルの学習が受けられる。そこから出る政治家、学者などはよく見かけるし、会社の面接などで『聖域総合高等学校』を卒業した人が居れば余程性格が破綻していない限り直ぐに入社できるという噂もある。

 難関校に受験しないか?と言われて、この上梨村に住む一応教員免許を持っているだけの爺さんと婆さんに教わっていた俺が合格できるわけもないし、最初は断った。

 でも、村長は何故か諦める事は無かった。

 ずっと俺に話をしてきて、あの人は必ず最後に「絶対お前なら合格出来る」と言い残して去っていく。

 流石にそんな訳ないだろうと思って、俺は中学校に通いながら、猛勉強しながらそれを断っていた。それでも、十一月から始まって年が明けても諦めない村長の押しに、最後に俺が折れた。そこから更に、寝る間も食事も惜しんでの勉強が始まった。

 そして、関東まで三時間くらい掛けて村長と一緒に向かい、受験をして。

 何と、受かってしまったのだ。

 村長はやはり、と頷いていて、当の俺はただただ呆然と立ち尽くしていた。

 その後帰ってから、上梨村全員の祝福を受けて、壮大な宴会をして。

 今、ここで曲がりくねった山道を超えて駅まで行こうとしている訳である。

 『聖域総合高等学校』。関東の都心にある高校は、まず何と言っても全国から人が集まるため、それを考慮したサービスが素晴らしい。

 実家が遠くにある人のために、全寮制。

 才能はあるのに、お金が無い人の為にお小遣い支給。

 勿論、三食支給。お風呂も付いているし、正に至れり尽くせりだ。

 奇跡的に、ド田舎の俺がその高校に入学できた理由はわからない。

 まあ、入学出来たのはその学校に二つあるコースの一つ、『普通学科』にだけれども。

 少し話をしよう。『聖域総合高等学校』には、二つのコースがある。

 一つ目は『普通学科』。これは文字通り普通の高校と同じシステムで、五教科と実技教科を勉強してから二年生で理系文系に分かれる普通の学科。

 こっちにも沢山の人が集まる。日本全国から入りたいという人が続出する。

 しかし、それよりも凄いのは二つ目のコース。とある事情で俺はこのコースには絶対入れないけど、このコースには世界全体から人が集まってくる。

 じゃあ、二つ目のコースはなんなのか。

 俺の言う、とある事情で絶対入れないというのはどういう事情なのか。

 それを説明しようとすると、結構説明が難しくなるし長くなる事は間違いない。

 自転車のペダルに全力で体重を掛けて漕ぎながら、俺はあの学校の二つ目の学科を思い浮かべる。

 その学科の名前は、『精霊学科』。

 『精霊学科』というのは、文字通り『精霊』について学ぶ学科だ。

 じゃあ、そもそも『精霊』って何なのか。

 ……昔、起源が分からないくらいの昔。世界全体に、どこからともなく自らを『精霊』と呼ぶ人間を超えた力を持つ物が現れた。しかし、その『精霊』だけでは力を満足に使えない。その時代の人々は『精霊』と手を組み、人を超えた力を持って協力して国を治めていく事が多かった。勿論、戦争のレベルも段違いに上がる。被害は大きくなり、優秀な『精霊』と契約している人が多い国ほど強い。

 その『精霊』と契約した人を使った戦争が未だに続いている国もある。

 人間を超えた力を持つのが『精霊』。

 だけれども、彼らだけではその力を使えない。その為に協力するのが、人間。

 『精霊』は人間を超えた力を持っている。

 昔から『精霊』と人間は手を組んできたが、じゃあ全員『精霊』と手を組めるのか、と言われるとそうでもない。

 現に俺みたいに『精霊』と協力、それを契約と言うのだが、出来ていないからだ。

 『精霊』と契約できるか。それはその人それぞれで、恵まれる人も居れば恵まれない俺みたいな人もいる。

 そんな人たちは『普通学科』行く事になる。その学科がある事から分かるとおりに、『精霊』と契約できるのは本当に少数。その人たちは『精霊』の力が弱くても、周りからは褒めたたえられる。

 その『精霊』と契約し、人を超えた力を使う事が出来る人々は、その力の使い方を学ぶ為に『精霊学科』へと入学するのである。俺や『精霊』と契約していない人には全く関係ない話だけど。

 今は日本で戦争も無く、落ち着いた国家情勢だから『精霊』と契約出来て居なくても安心出来る。人間と『精霊』と契約した人間が戦えばどうなるか。結果は考えるまでもなく、『精霊』と契約している方が勝つ。

 その力に、俺だって憧れが無い訳では無い。好きに炎を操ったり、空を飛んだり、剣を振ったりしたい。

 それも叶わないのが、この現実だ。俺のこれから入学する学校に入れたこと自体が奇跡だから、これ以上の高望みは虚しいだけだと俺は考えを切り捨てる。

 『精霊』と契約出来ていない人は世界に溢れかえっている。俺だけじゃないし、『普通学科』だって田舎の俺にとっては十分すぎる。

 そんな事を考えつつ、荒く呼吸を繰り返しながら、俺は自転車を漕ぎ続ける。ペダルを蹴り飛ばすような勢いで軋ませながら回して、立ちながら坂道を乗り越えていく。

 全寮制の学校だから最初に荷物は全部送っているから持っているのは学校用のバックと財布、携帯に入学関連の書類のみ。自転車の前籠に放り込まれているそれらが強く揺れ、時々落ちそうになっている。

 最寄り駅まで30分。その距離を終え、ゴールが見えた頃にはもう背中に制服がべったりと張り付いている様な気持ち悪い状態だった。

 空を見ると、山の奥の方から赤く白い光が藍色の空を切りながら段々と昇ってきているのが見える。田舎の特権は、澄み切った空気の中で見るこの朝日と夕日が格別に美しい事。これは自信を持って他の人に言える。

 俺は携帯で家の人に連絡してから、早朝の無人駅を見上げた。

 この駅を見る機会は、これから随分と無いだろう。

 折り畳み式の自転車を畳んで、改札を通り、木造の静かなホームで一人佇む。

 そして、数分後。

 丁度来た一時間に一本くらいの電車に何とか乗り込むと、無人の電車の中で俺は席にどかりと座り込んだ。

「ああ、疲れた」

 思わずため息を吐く。汗で張り付いた前髪を掻き揚げて、席の背もたれに全体重を預ける。

 長い息と共に呼吸を整え、俺はバッグの中に入れてあった本へと手を伸ばした。ここから電車で二時間は掛かる。暇つぶしにと持ってきた本を掴み、取ろうとして、俺は盛大にバックの中身を無人の電車内に派手にぶちまけてしまった。

 それを慌てて拾い集める。本や筆記用具、財布や携帯。その中にあった入学用書類の、一番上に来ていた自身のプロフィールを見て若干気分を落とす。

 そこの写真に写っているのは、黒髪黒目の純粋な日本人だ。

 平均平凡な、特徴の無い顔である。身長も174と微妙に高いなと思うくらいで、それだけ。特技も無い。勉強だけは受験勉強で頑張った分まだ何とかなると思うけど、それでも決して偏差値が高い訳でもないし飛びぬけて勉強が得意でも好きでもない。

 そのプロフィールにある俺の名前は、上代式。画数が少ないのはありがたい、かみしろしきと読む。

 上代式という珍しい名前以外は、俺の特徴はない。あるとすれば、まあ家族全員が死んでいるくらいだろうか。

 そんなに覚えていない家族の事。

 だから俺は、今まで上梨村の爺さんと婆さんの家で暮らしていたのだ。

 まあ、それも全て過去の事だ。俺はその時五歳くらいだったし、覚えているのは燃え上がる炎の景色だけ。それ以外はまるで記憶が消されたかのように全く覚えていない。忘れたい記憶は忘れるっていう人間の本能が働いたのだろうか。

 俺が胸元に下げている赤い宝石の付いたペンダントは、母親の形見らしい。

 昔に村長から渡されて、15歳になってもいつも肌身離さず付けている。幼い頃に家族を亡くし、村人に支えてもらって生きて来た俺にとっての唯一と言っても良い家族との繋がり。

 チャリ、と赤い宝石を持って目の前にペンダントを翳す。電車内の蛍光灯に反射して煌めくペンダントを暫し眺めて、俺はバッグの中に落ちた物を全て入れなおした。

 がたん、がたん、と規則正しく刻まれるリズムに欠伸を噛み殺して、俺は無人の電車内で一人席に座る。

 流れる窓の外の景色は、もう朝の空が見え始めていた。

 

 本を読み終えて、一息つく。

 空はもう太陽が昇っていて、青く澄み渡っている。雲一つない快晴を見上げて、俺は電車の乗り換えの為に立ち上がった。

 この後一本だけ乗り換えて、そこから30分で学校の最寄り駅に着く。朝ご飯を駅で食べてから、遂に入学式だ。親が来ていない入学式だけど、その学校はかなりの難関高校だったから村の皆に祝福されているし、親がいないのも気にならない。

 『精霊学科』でも無い。言ってしまえばただの高校だ。

 強がりではなく、本心。親が居ないのが俺にとっての当たり前なのだから。

 乗り換えた電車の中は結構混んでいて、座る事は出来ない。窓際に立つと、黒い吊革に手を掛けて俺は外の景色を眺め始めた。

 田舎とは違って、高いビルや高層マンションが立ち並んでいる。大通りを行く色とりどりの車の流れ。朝なのに、街には人が溢れかえっている。都会の人にとっては当たり前の光景だとしても、俺にとっては十分珍しい光景。

 街路樹のある道を、スーツや春に相応しい涼しげな服を着た女性や男性が歩いて行っている。

 時々、制服を着ている学生も見える。ごく少数だけど。

 初めて見る沢山の人と、同年代の人。そして都会の景色に電車の中で密かにテンションを上げつつ、そこから三十分掛かって『聖域総合高等学校』に一番近い駅に辿り着いた。

 朝ご飯を駅で食べた俺は、そのまま学校へと向かう。

 ここから。上代式。15歳の高校生活が始まる。

 

第一章

 

 駅から歩いて十分程。

 都内にあり、それでいて深い森の奥にある。それが俺の通う高校、『聖域総合高等学校』だ。広大な敷地には校庭、体育館に寮から食堂、校舎が全て入っている。

 受験で来たとき以来だけど、その変わらない大きさに俺は少し頬をひきつらせた。

 田舎にこんなに大きい建物は無いもんな、と俺は一人で考える。

 その『聖域総合高等学校』の大きな黒い正門の前には長い長い桜並木の坂が広がっている。

 この桜に比べれば、俺の田舎に沢山ある桜のほうが綺麗だ。

 少し勝った気分になって、俺は桜並木の坂の下から景色を見上げて、少し経ってから歩き始める。桜並木には沢山の制服を着ている同年代の人々が沢山居て、電車内で上がっていた気分が更に上がっていく。

 この時点で俺は傍から見れば田舎者感が炸裂しているのだが、それに気づく事も無く、黒い制服の袖を伸ばす。

 この高校は、『普通学科』と『精霊学科』で制服が違うのだ。

 『普通学科』の制服は黒で、左胸に銀の校章が付いている。俺の制服もそうだ。

 『精霊学科』の制服は紺色で、左胸には金色の校章がバッジとして付けられている。ちらほらと見える紺色の制服。彼らは人以上の力を持つ『精霊』と契約しているんだな、という事を思いつつ俺も桜並木を歩いていく。

 日本全国にある『精霊学科』。その中でもこの『聖域総合高等学校』はずば抜けてその『精霊学科』に入れている力と評価が高く、有名な高校の一つだ。

 歩いていくごとに、門が近づく。ここに入学できたんだなという実感が湧いてきて、この友達も知り合いも居ないこの状況なのに俺はワクワクしてくるのを感じた。今までずっと田舎の学校で、記念受験にも等しいここの受験に受かることができた。

 思いっきり学校生活を楽しまなきゃ損だろう。うきうきで歩いていきながら、俺は周囲の景色を上梨村の人に写真で送るためパシャパシャと折り畳み式の古い携帯で撮り続ける。

「桜は上梨村の方が綺麗だけど、この黒くてゴツゴツしている道路は初めて見るなあ。何だっけ、コンクリート? アスファルト? そんな感じだったよな」

 地面だけを撮ったり、立ち止まって『聖域総合高等学校』を中心にして撮ったり。

 テンションの振り切れた俺は、そのまま素早い動作で様々な写真を撮り続けた。

「いやあ、都会ってスゲー!!」

 そんな事を叫びながら写真を撮って、ぐるんと大きく振り向いた瞬間に、あろうことか俺の古い携帯がひゅんっと俺の手から飛び出て吹き飛んでいった。

 周囲の人が全員その携帯の行方を驚きつつ首を回して見守る中で、吹き飛ばした張本人の俺は動けない。

 固まった体で、しかし脳だけはこの後の俺を予想するために動いていた。

 その内容は。

 携帯が壊れる。上梨村の人に連絡出来なくなる。俺、ホームシックで終わる。

 と、情けなさすぎる内容だ。

 友達作れよと言われるかもしれないけど、田舎から出て来たばかりの俺は都会の話に付いていけない事が分かりきっている。

 やばい、やばいとそれだけが頭を支配して、その薄青のメッキが剥がれかけている携帯は。

 ガツンッ、と黒くてゴツゴツしている道路に強く叩きつけられて、画面部分と打つ部分が綺麗に分離して、くるくると地面を回りながら滑っていった。

 唖然と固まる俺。

 気まずそうに目を逸らして、ゆっくりと黒い正門に歩いていく『聖域総合高等学校』の人達。

 誰も何も言わない。入学式に相応しくない静寂がそのばを支配する中で、その分離した携帯のパーツを拾った人がいた。

 ああ、拾われてるなーとぼんやり思っていた俺は、その拾ってくれた人が目の前に来るまで気づけなかった。昔っからの悪い癖で、俺はショックな事があると一歩も動けなくなる。だからホラー映画とかは無理ですね。

 白黒の作品を上梨村で見たけど、終始動けなかったし。

「……あの」

 だから、そう声を掛けられるまで俺はずっとぼーっとしていた。

「あの。携帯、落としましたよ」

「え? あっ、ありがとうございます」

 気づいた俺は、慌ててお礼を言って差し出された薄青の携帯を受け取る。

 上下に割れていて、その画面は黒一色。硬い地面に当たったからかその角は少し欠けていて、到底直せはしない事が一目で分かる。

 それを受け取って、俺は携帯をくれた人を改めて見て、そして絶句した。

 そこに居たのは、田舎では見る事の出来ない美少女だった。

 俺を見上げている透き通った蒼い瞳に、肩甲骨を通り越して腰まで届く綺麗な黒髪に、端正な顔立ち。身長は俺よりも少し低いくらいで、纏っている雰囲気は静かな山奥の清流を思わせる。

 再びぼーっとして動けない俺の前で、少女は一度首を傾げると、

「もしかして、携帯無いと困る?」

「うん……死ぬ」

「ガラパゴスケータイなのに。直す?」

「直せるなら直して下さい」

「ん。分かった」

 こくんと小さく頷いた少女は、俺の手から真っ二つに割れた薄青の携帯を取る。

 それを手の上で元の形になるように重ねると、少女は蒼い瞳でじっとそれを見つめながら小さく呟いた。

「お願い、[ツクヨミ]」

 次の瞬間、少女の瞳が紫紺に輝く。

 すると薄青の携帯に紫の光が集まり、携帯を包み込んだ。まるで月明かりの様な淡い青白い光が一瞬、強い輝きを放つ。

「うおっ……! これ、『精霊』!?」

「ん。そう」

 俺の声に、少女は肯定する。

 初めて間近で見る『精霊』の力。見れば、少女の制服は紺色で、胸元には金色の校章が光っている。長い黒髪と膝丈のスカートが『精霊』の力に呼応して吹いた風に揺れて、光が消えると同時にその風も止んだ。

 少女は俺に薄青の携帯を差し出す。それを受け取って見てみると、上下に割れていた部分は綺麗に繋がっていた。

 開いて、電源を入れれば画面に文字が表示され、そして一日前の日にちと時間を表示した。

 一日前なのは引っかかるけど、それでも完璧に直っている。『精霊』の力を改めて凄いと思いながら、俺は目の前の少女にお礼を言うために顔を上げた。

「ありがとう! ……って、居ないし!」

 しかし、少女は忽然と消えていた。

 あたりを見回しても、少女は見えない。俺は携帯をポケットに入れると、入学式の会場を目指して桜並木の坂を再び上り始める。

 しかし、今一つ入学受付所の場所がわからない。

 俺は取りあえず、入学の受付所まで他の生徒の人たちに紛れながら向かっていく事にした。

 周りを森に囲まれたこの学校の、門から左へ向かう。その大きい敷地を身をもって感じながら、入学受付所の長い列に俺も並んだ。

 見てみると、男子も女子にも殆ど人数には差は無い。

 皆同じように手に書類を持ち、首を伸ばしてまだかまだかと受付所を見ている。受付では書類を渡して項目を一通りチェックされた後に生徒手帳を渡されて、そこから入学式の会場まで行くと行った流れだ。

 俺もここに合格発表で来た時に顔写真を一枚撮った。

 同行してくれた村長によると、酷い顔だったらしい。

 俺も前の人たちに倣って、バッグを漁り始める。朝派手に電車内にぶちまけた際に中身を整理していたため、直ぐに書類は見つかった。

 バッグの中から必要な書類を取り出し、前の生徒が生徒手帳を貰って体育館へ向かうのをじっと眺めて待ち続ける。余裕を持ってこの学校に来て良かったな、と長い待ち時間を終えた俺は、次の方、と呼ばれて前へ出た。

 俺の受付の所に居たのは、銀髪を長いツインテールに纏めた女の子だった。腕には生徒会と書かれた腕章を巻き、無表情のまま赤い瞳でじっと俺を見つめている。

 机に書類を置くと、その少女は無言でそれを持ち上げて、机でとんとんと叩き書類を揃えた後に、俺へと返してきた。

 え、と固まる俺に向けて、その少女は端的に告げる。

「ここは『精霊学科』の入学受付所です。見た所、貴方は『普通学科』の生徒と見えます。なので貴方が行くのはここではなく、行くのは真反対。正門を右側に行かなきゃダメです」

「えっ。マジですか?」

「ええ。更に言わせてもらえば、貴方の校章は38°程曲がっています。襟が左右で0.4cmの差があります。ネクタイに皺が三個ほどあり、ズボンのベルトはもう一つ穴を閉めていいかと思われます。靴紐もしっかりと結べますし、靴下もしっかり伸ばしてください。みっともないです」

 ずらずらと並べられた服装のチェック。一息に言い切った赤い瞳の少女は、俺をじいっと見つめ続ける。

 呆然とする俺と周囲の人たち。

 一気にまくしたてた少女は、次に無表情のまま、動かない俺に向かってちょっとだけムッとした様子で口を小さく開いた。

「……本気、見せてください。記念すべき入学式ですよ? そんな恰好で良いとでも?」

「よ、良くないです」

「本当にそれを理解しているんでしょうか。疑問です」

 俺をじっと見つめつつ、少女はため息を吐く。

 ちまちまと自身の格好を直し始めた直後に、そういえば、と少女は呟いた。

「後十分で入学式です。そして更に言わせてもらえば、ここから『普通学科』の入学式の会場までは走っても十五分ほど掛かることが想定されます」

「うおおおお!? やばいじゃないですか! もっと速く言ってくださいよ!」

「貴方の格好が汚すぎたのが原因と予想。勘違いしたのが根本だと仮定。導き出すと、私はそんなに悪くない事が証明されると思われます」

「すみませんでした! で、来た道戻って真っすぐ行けば良いの?」

「はい。遅刻確定ですが、なにとぞ頑張ってくださいね。因みに貴方が持っている折り畳み式自転車ですが、この学校は敷地が無駄に広いのにも関わらず敷地内での自転車使用は不可です。ゴミ制度ですね。よって折り畳み式自転車を展開途中ですが展開を中断するのをを推奨。諦めて重たい荷物抱えて無様に走れって事ですね」

「所々に愚痴と悪口が聞こえるな!?」

「なんの事でしょうか。頭壊れてます? 精神科をご紹介しますが」

「いらないっす!! ああもう、じゃあさようなら!!」

「さようなら」

 赤い瞳の少女に背を向けると、義務的に感情の無い声で彼女も言葉を返してくれる。この学校で一番最初に話した人が結構な変人だったが、今の俺にはそれを気にしている余裕はない。

 遅刻確定。入学式から、遅刻という最大の羞恥を晒す危機なのだ。

 それは結構不味い。何が不味いって、俺の学校の立ち位置が初っ端から悪くなる。

 この学校に在学している限り、遅刻したら俺は絶対に「あいつ遅刻したんだぜ」と言われ続ける学校生活を送らなければならないのだ。それは田舎から出てきた俺が泣きながら帰りたくなるくらいに想像しただけでキツイ。

 必死に重たい荷物、折り畳み式自転車を抱えて広大な敷地を逆走する。時々紺色の制服の人とすれ違い、奇異の視線で見られるのを必死に我慢しながら、俺は『普通学科』への道を走り続ける。

 数分経って、やっと黒い正門が見えてきた。

 ここまで来るともう人の姿は無く、正門の正面にある寮に付いている大時計を見れば入学式まで後五分を切っている。

 目の前の絶望的状況に涙目になりつつ、俺は正門を通り過ぎてまっすぐ進む。

 『精霊学科』の反対側へと取りあえず走り続け、建物の間を縫って行く。後二分。やばい、やばい、とそれだけが脳内を支配する。

 やがて、息も切れて来て俺は思わず走るのを止めた。建物の壁に手をつけて歩いて、一つの角をゆっくりと曲がって。

「……は?」

 そう、声を漏らした。

 角を曲がった先に広がるのは、少し開けている校舎と校舎の間。

 何の変哲もないそこに、しかし明らかに異常な物があった。

 それは一言で表すなら巨人。ボキャブラリーや語彙力ではなく、そのいきなりの姿に思い描かれた言葉はそれだけだった。

 咄嗟の事に、それで頭が埋め尽くされる。

 15mはある校舎と同じくらいかそれ以上の巨体が、急に目の前に現れたのだから。

 



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第二話「邂逅」

すみません、短いです。

今一話を直していて、時間がなかったです。
明日明後日にリメイクした一話を出します。すみませんでした!


 その巨体は黒い肌に覆われていた。

 筋肉は青筋が浮かび上がる。腕なんかは所々に山と見間違えるくらいに大きな筋肉が盛り上がっていて、筋肉は全身にぎっしりと詰まっていた。

 見ただけで脳が理解する。

 これには勝てない、と。逃げることすら出来ないと。

 15mを越している巨体は一歩歩くごとに地面が揺れる。遅刻間際の時間だと言うのに、俺はそこから動けない。動いたら殺されるという、その確信があったから。

 白い校舎の合間に、その巨人は異形だった。

 ガチャンと大きく音を立てて、俺は折り畳み式の自転車を倒してしまった。それを抑えていた手はがたがたと震え、力が入らない。奥歯がかちかちと音を鳴らし、その音で俺は巨人に気づかれてしまった。

 地面を揺らしながら此方に振り向いた巨人。そいつは、単眼だった。

 頭の真ん中に、ぎょろりと血走った黒い瞳が存在している。その瞳は俺を捉えると、ゆっくりと右手を持ち上げた。それはまるで、夏に蚊を潰すかのように自然な動き。こうすれば、こいつは死ぬと理解している。

 これは、間違いなく『精霊』だ。

 人間を超えた力を持ちながら、単体ではその力を振るう事は出来ない。

 簡単に言えば、この単眼の巨人は『精霊』の力を使っている、俺と同じ”人間”なのだ。

 その人間が、あろうことか入学式に来ている。

 『精霊』の力を使いながら、人間を殺す動きを出来る”人間”が目の前にいる。

 ゾッと、背中に汗が噴き出た。

 持ち上げられる右手。盛り上がっている筋肉が筋を浮かべながらその巨腕を支え、血走った単眼は瞬きもせずに俺を見つめている。開かれていた手が、やがてぐっと握りしめられ、巨腕はあたかもハンマーの様に拳を作る。ズズズ、と身じろぎする度に起こる砂埃。

 呆然とそれを見つめるだけの俺に向けて、何の躊躇も躊躇いも無く。

 

 ――――そのハンマーは、あっさりと下された。

 

『走って!!』

 次の瞬間。

 突然、聞きなれない声が脳内を走り抜けた。

 その声で、やっとスイッチが入る。体が動き出して、俺は無我夢中で折り畳み式自転車を放り投げて全力で顔面からダイブした。

 顔面と腹を地面に引っ掛け、引きずりながら何とか回避する。立ち上がろうとした俺の目の前で、一瞬前に俺のいた場所が黒い拳の一撃を受けて、瞬く間に破壊される。

 亀裂が走り、大きく欠片が空へと舞う。ガンガンガン! と立て続けに落ちてきた地面の欠片が直ぐ傍に落ちて、俺はそれにも震え上がった。勿論、折り畳み式の自転車は無残に粉々にされている。残っているのは、ここから少しだけ見える前輪のパーツのみ。

 ドッドッドッド、と強く大きく鼓動が高鳴る。

 自分の体の中に響き続ける鼓動は止まない。呼吸は自然と大きく、浅くなって、そのペースも速くなる。

 単眼の黒い巨人は、その右手を地面から持ち上げた。ぱらぱらとくっ付いていた地面の欠片が筋肉の隙間から落ちて音を立てる。

 よろよろと、力なく俺は立ち上がる。

 『精霊』の力を目の当たりにして、俺の体は恐怖に震えていた。

 死という言葉が、指の先まで染み渡っていく。

 そして。単眼の巨人は、もう一度腕を振り上げた。



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第三話「窮地」

 単眼の巨人。黒い表皮。高く掲げられた右腕。

 影が、震える足で弱弱しく立っている俺を覆い尽くしている。学校用のバッグが手からするりと抜け落ちて、地面に落ちた。

 脳内で聞こえたあの声も、今は聞こえない。一度入ったスイッチも切れている。

 動けない。指一本動かせない。

 誰か気付かないのだろうか。こんなに地面は壊されて、大きな音は鳴り響いている。職員の一人でも来そうな物なのに、人影すら見えない。

 『精霊』を相手に、俺みたいな凡人は何も出来ない。抗えるのは『精霊』と契約している人間だけ。

 死にたくはない。そうは思うけど、それ以外の運命が俺には見えない。

 巨人が黒い拳を肩よりも高く上げる。そしてそのまま、無表情で振り下ろした。

 震えが止まらず、歯と歯が小刻みにぶつかって音を立てる。その歯が舌を巻き込み、痛みが走った。

「っっ!!」

 それでやっと、俺の体が動き出す。しなる様に振り下ろされた黒い拳の影から俺は飛び出て、もう一度大きくダイブした。背後で地面が大きく砕け散って、飛び散った破片が幾つも俺の体を打つ。拳大の地面の破片が背中の中心にぶつかって呼吸が詰まり、俺は大きく転んだ。

 膝を大きく擦りむいたからか、制服のズボンは破れて血は滲んでいる。

 痛みと熱さの入り混じった何とも言えない不快感に歯を食いしばって、でもその痛みが俺の動きを止めない原動力になっていた。

「くっそおおおお!!!」

 叫ぶ。

 叫んで、俺はもう一度更に立って走り出す。血の出ている右足を引きずって、ボロボロの制服を風にはためかせて、校舎の奥へと。

 誰か居ないのか。

 この『精霊学科』に力を入れている『聖域総合高等学校』には、この緊急事態に対応できる人間は居ないのか。

 そう思いながら、一心不乱に俺は走る。声を出す。

 だが、単眼の巨人は非情だった。

 走っている途中で、俺は一瞬後ろを確認する。単眼の巨人が今何をしているか、それを確認するために。

 そして見る。奴が、砕けた地面の大きな欠片を幾つも片手に握っている事に。握った手を振り上げて、まるで野球選手の様に俺へ向けて投げつけようとしているその瞬間を、俺は視界に捉えた。

 ごりゅっ、と地面の欠片が音を立てて握られて、俺は無我夢中で校舎の柱の陰へ飛び込んだ。

 派手に飛び込み、その地面に頭を強く打ち付ける。鈍い痛みが打ち付けた部分を中心に脳を揺らし、視界がぶれた。そこから生暖かい何かが額から頬を伝って流れてくる。

 その何かを手の甲で拭った、その瞬間。

 頭上。真上で、白い柱が炸裂した。

 全身に轟音が響き、流星群の様に無数の地面の欠片が上から降ってくる。それは俺の隠れていた柱を木っ端微塵に粉砕し、地面にクレーターを幾つも幾つも作り出す。それで粉砕された欠片が俺の頭を穿ち、どろっと温かい液体が片目を塞ぐ。鉄の匂いが強く鼻孔を刺激して、その濃密な血の匂いに吐き掛けたその時。

 俺の左手の手首から上が、大きな欠片によって壊された。

 どぐしゃっ。そんな音が小さく無慈悲に響き、左手の手首から上の感覚が消える。

 代わりに脳を刺激したのは、熱さ。麻酔にも似たような、膨れ上がるような感覚と灼熱に炙られているかの様な感覚が脊髄を駆け抜ける。

 あらゆる方向に曲がった左手はぺしゃんこに潰れており、柱の陰にうつ伏せでダイブしていた俺はその場で左手を押さえつけて痛みに苦しむ。食いしばった歯の隙間から時折呻き声が漏れて、頭から流れているどす黒い血液は地面にぽつぽつと染みを作っていた。

 満身創痍の、絶体絶命。

 救けは来ない。『精霊学科』から『普通学科』までが遠く遠く離れている事を、俺は身をもって知っている。そして、『普通学科』はもう入学式が始まっているから、職員が来るのも遅れる。そして職員が『精霊学科』に連絡して助けを求めて、やっとこの単眼の巨人に対抗できる『精霊』と契約している人が来る。

 遅い。明らかに俺の死ぬ方が早い。

 左手は使えない。目は片方塞がっているし、出血多量で死ぬのも時間の問題だ。

 遠くから、重々しい音を轟かせて巨人が歩いてくる。倒れ伏せる俺の死を確認するためか、それとも完全にトドメを刺すつもりか。

 何しろ、俺はもう動けない。荒い呼吸を繰り返して、痛みを堪えて倒れているのみ。

 巨人が間近に迫る。15mの体躯で、真上から俺を見下ろした。

 血走った単眼が極限まで見開かれている。そして、奴は俺を押しつぶすために手を伸ばした。

 直後に。

 肉が弾けて、鮮血が宙を舞い、共に断末魔が大きく轟いた。



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第四話「回避」

その声は校舎と校舎の間に反響して、俺の耳をつんざく。

 

 単眼の巨人の振り下ろした拳。

 

 それは何故か、血まみれで潰れていた。

 俺自身、何が起きているかわからない。ただ、左手の痛みも忘れるほどにその光景は衝撃的で、俺の脳を麻痺させている。

 絶体絶命だと思ったその瞬間に、単眼の巨人は絶叫している。

 その一瞬に、何があったのかが理解できない。黒い目を見開く中で、そして俺は気づく。

 首に下げていた、母親の形見のペンダント。それに付いている赤い宝石が、強い白の輝きを放っている事に。そして、その光に当たった巨人の拳が砕けた事を俺は直感的に理解する。

 いや、砕けたというよりも内側から爆散した様に見える。

 五指が全てぐちゃぐちゃになって、剥き出しの筋肉の間からは『精霊』の鮮血がだらだらと垂れていた。それは地面に落ちて大きな赤い染みを作って、潰れた拳の痛みを紛らわすかのように巨人は叫び続けている。

 赤い宝玉から放たれ続けている白い光はまだ消えない。俺は右手でペンダントの鎖を首から引きちぎるようにして取ると、寝っ転がったままそれを大きく巨人に向かって投げつけた。

 ひゅん、と空を切って飛んだ赤いペンダントは巨人の右足にぶつかり、その白い光が足を飲み込む。

 その瞬間、再び巨人の右足は内側から爆散した。まるで水風船に水を入れ過ぎた時のように、膨れ上がった足は血肉を派手にぶちまけながら破裂する。

 そして崩れ落ちる巨人。文字通り膝を地につけて、巨人は俺に攻撃する事すら出来ずに断末魔を上げ続ける。響き続ける悲鳴が俺の鼓膜を破りそうなほどに大きく聞こえる中で、その轟音を切り裂く一つの声を俺は聞いた。

「撃ち抜け、[アルテミス]」

 それは、聞いた事のある声。

 俺を覆い尽くしたまま叫ぶ巨人の体に、無数の緑色に光っている矢が突き刺さり、貫通する。

 幾つもの風穴を開けながら、矢は続けざまにドンドン撃たれる。巨人は全身を貫かれて、今度は大きく叫ぶ間も無く、その巨体を横に倒した。

 ずううん……と地響きがして、弱く地面が揺れる。周囲に落ちている地面の欠片、壊れた校舎の瓦礫を幾つも潰しながら巨人はやがて息を止め、その姿を無数の光の粒子と変えて消滅した。

 それを倒れたまま呆然と見ている俺の前で、ペンダントの白い光はふっと消える。

 巨人が消え去ったそこには、一人の男性が倒れていた。『精霊』を操っていた、”人間”だ。

 突然終わる激戦。砂煙が漂う中で、倒れている巨人を使っていた男の元へ誰かが歩み寄った。うっすらと見えるその人は、倒れている男性へ向けて弓を引き絞り。

 あっさりと、無慈悲に一発撃ちこんだ。

 一回だけ、気を失っていた男性の体がビクンと跳ね上がる。地面に強く体を打ち付けた男性を何秒か見つめてから、人影が手を振ると大きな弓は消え去った。

 どうやら男性を撃った人は、敵ではないらしい。巨人を倒して、俺には見向きもしなかったから。味方とは言えないけど、きっと今すぐに俺を殺そうとはしない筈だ。 

 そんな事を考えている内に、人影は男性を気にもせず俺へと歩み寄ってきた。

 かつ、かつと音高く靴底を地面に打ち鳴らし。そのツインテールを揺らしながら、人影は俺へと歩み寄ってくる。

 砂煙で姿はうっすらとしか見えないけど、その小柄な体と髪型から少女だと予想できる。

「……この状況は『普通学科』のこの人が『精霊』と契約している人相手に右手と右膝から下を吹き飛ばす善戦をしたと仮定。しかし、それは余りにも現実性が無いと否定。どういうことでしょうか」

 凛としている、淡々とした声が俺の耳に響く。

「そしてこの人は先程の馬鹿だと結論が出ました。本気見せろとは言いましたけど、頑張りすぎですねと嘲笑。しかし生徒会として、見逃せないと結論が出ました。最悪です」

 酷い事を言いつつ、少女は俺への真上へ立った。

 失血で霞んだ視界の奥で、生徒会の腕章を巻いている銀髪赤目の少女は俺へと手を伸ばす。

「大丈夫ですか? ……と手を差し伸べても、これじゃあ立ち上がれませんね。暫く眠っている事を推奨します。その方が楽ですし」

 見える、紺色の制服。『精霊学科』の生徒だ。

 確認できたのは、そこまでだった。

 俺は少女の声に誘われるように、目を閉じる。左手は痛みよりも熱さが勝っていて、逆に全身が冷たくなってきている。

 気怠い脳。瞼を閉じれば、俺は自然に眠りへと誘われた。

 落ちていく。落ちていく。

 遠くに聞こえる喧騒を、ぼやけた思考で捉えながら、俺は深く深く落ちていった。




ふっふっふ!!

ここで覚醒はしないのでしたーー!!!(殴


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第五話「質問」

今更ですが、第一話を大幅に改変しました!!

一話を見てから、この五話を読んでください。お願いします!!

では、どうぞ!


ぼんやりと、意識が覚醒した。

 息を吸い込めば、鼻にツンとくる消毒液の香りがする。閉じた瞼の上からは光が差し込んでいるようで、瞼の奥に光が透き通って見えた。

 少し体を動かすと、全身に痛みが走る。筋肉痛にも近い痛みの中に熱さが混じって、俺は寝っ転がったまま思わず呻いた。

 ここはどこだろうか。と、俺はゆっくりと目を開けていく。

 最初に目に映ったのは、真っ白な天井。そこに付いている蛍光灯と、視界の隅にある白いカーテンも見える。

 体は痛いから動かせない。だけど、消毒液の匂いから察するにここは病院か保健室だろう。

 近くには、誰も居ないのだろうか。俺は口を開いて、何度か声を出してみるが。

「………………」

 反応はなかった。

 自分を結構な怪我人だと思っていた俺は、近くに誰もいてくれなかったのかと少しガッカリする。しかしそれも一瞬。瞬きを一回したくらいの時間で、この部屋の外から足音が聞こえた。その足音は段々とこっちに近づいてきている。

 俺がそれを待っていると、やがてこの部屋のドアがガララっと開かれた。

「おーい! 起きましたー!」

 その人に向けて、俺は大きく声を出す。

 声に気付いたのか、病室に入ってきた人は少し歩くのを速めたらしい。直ぐに、俺を真上から見下ろす少女と目が合った。

「……今、生徒会の人と先生が来る」

 それは、桜並木で会って、壊れた携帯を直してくれた長い黒髪の少女だった。

 静かな無表情で、俺をじっと見下ろしている。蒼い瞳が俺の全身を見渡すと、少女は首を傾げた。

「大怪我だね。どうしたの?」

「えっと、『精霊』と戦ったんだよ」

「……貴方は、確か『普通学科』でしょ? どうやって戦ったの?」

「知らん。取り敢えず逃げて逃げて逃げまくって、そしたら銀髪のツインテの人が助けてくれた」

 次々に繰り出される質問に、俺は答えていく。

 しかし、俺自身どうやったか分からない所がかなりある。少女は何秒間か間を置いて、そして俺へと手を翳した。

「痛いと思うけど、体、治そうか?」

「治せるの?」

「うん。痛いけど」

 さも当たり前の様に頷く少女。

 痛みがある、と言う事に俺は躊躇して、でもこの体ではまともに動けないだろうという結論に至ってから、俺は寝っ転がったままお願い、と告げる。

 すると、少女は一回頷いてから、開いた右手を俺に押し付けた。

 そこから放たれる、紫紺の光。それが段々と俺を包み込んで行く。

「[ツクヨミ]。怪我する直前まで戻して」

 鈴の音を鳴らしたような、そんな綺麗な声が白い部屋の中に響いて。

 突然、月明かりのように青白い光が紫紺の輝きを裂いて、俺の全身を包み込む。そしてそれらは俺の怪我しているところに突き刺さり、少女が強く右手を俺に押し付けると同時に眩い極光を放った。

 すると。

 ギュルルル!!! という音と共に、俺の怪我が蠢いた。

 それと同時に、全身を貫くような痛みが脊髄を灼熱の熱さと共に駆け抜ける。奥歯を噛みしめ、その刹那の痛みに何とか堪えた俺は、光が消えるとともにベッドへと深く沈み込んだ。

「……大丈夫?」

「な、何とか。痛いのも一瞬だったし、もう痛みは無いよ」

 不安げに俺を覗き込む少女へと、俺は苦しみながらも微笑みを返す。

 実際に、体に痛みはもう無い。落ちてきた瓦礫に潰された左手も問題なく動くし、動かすたびに俺を苦しめていた痛みも消えていた。

 がちがちに固められたギプスと巻かれまくった包帯を体から外しながら、俺は少女へと問う。

「俺は上代式。『普通学科』の生徒だ。君は?」

「私は矢代涼花。『精霊学科』の新入生徒代表、主席で挨拶するような人」

「やしろ、すずか。うん、覚えた。学科が違うからもう会わないかもしれないけど、ありがとう。矢代さん」

「涼花で良い。どういたしまして」

 左腕の包帯とギプスを取った俺は、上体を起こしてベッドの上に座るような姿勢になる。

 見渡せば、そこは思った通りに白一色の病室だった。ベッドを覆っている白いカーテンを開けると、その部屋にはいくつもベッドがあった。

 窓からは天辺に昇っている太陽と、深い緑が見える。

 左側にはドアがあり、その上に時計があった。針はもう昼過ぎを指していて、俺が三時間くらい眠っていたことを示している。

 起き上がった俺に合わせて、涼花はベッドの横にある黒い丸椅子へと腰かけた。

 俺が今着ているものは、白衣だった。病人が着ているそれである。

 結構すーすーしているな、と思いつつ、窓の外に見える緑の濃さからこの白い部屋はおそらく『聖域総合高等学校』の保健室だろうと推測した。電車から見る限り、こんなに緑の生い茂っているところに高い建物は『聖域総合高等学校』以外に無かったからだ。

「ところで、何で涼花がここに?」

「私が最初に『精霊』に気づいて、それで貴方を助けるのを手伝って、そのままの流れで生徒会の人に頼まれて貴方を診ることになった」

「……そうだ、そういえば何であんなに『精霊』は暴れまわっていたのに誰も来なかったんだ?大きな音も立てて、校舎も破壊してた。いくら『普通学科』と『精霊学科』に距離があると言っても、流石にもう少し早く来れたと思うんだけど……」

「音は聞こえてた。『精霊』の力も感じてた」

 涼花はそこまで言って、一拍置いた。

「だけど見えなかった。どこにも、『精霊』の姿は見えなかった」

「見えなかった!?」

 それは可笑しい。

 どんなに遠くても、あの大きい校舎の一角が崩れ去るのは見えるはずだ。ましてや、音も聞こえていて『精霊』が居ると分かっていたのに、見えないのは疑問に思う。

 『精霊』と契約している人にしか分からない何かがあるのかもしれない。

 それでも俺はその事を疑問に思い、それを涼花に言おうとした瞬間に。

「そこからは私が引き受けます。涼花さんは自分のクラスへ行って、先生から説明を受けて下さい」

 ドアが開くと同時に、声が室内に響いた。

 自然と、俺と涼花はその声に反応してドアへと振り向く。

 そこに立っていたのは、綺麗な銀髪をツインテールにして、気丈な赤い瞳を俺に向けている少女。

 生徒会と書かれた腕章を身に着けた、俺よりも身長の低いおそらく150cm台であろうその人だった。

 名前は分からない。

 しかし今日初めて会ったのに、その少女とは何度も顔を合わせていた。

「上代式、ですね。対応が遅れたのは私たちの落ち度が原因です。出来る限り答えましょう」

 少女はそう言って、俺のベッドの直ぐ傍に立った。

 その真剣な表情に俺は躊躇いつつ、質問をする。

「お昼ご飯ってある?」

「今はそれ所じゃないと思うと回答。私が可笑しいのでしょうか」

「いや腹減った」

「知りませんと回答。それ以外にも聞くことあんだろ馬鹿野郎」

「お前暴言酷いよな!?」

「私は先輩ですよ」

「貴方様は暴言が酷いと思います!!」

「よし、『精霊学科』生徒会として貴方を抹殺します」

「ごめんなさい」

 無表情を貫き続ける生徒会の少女に、俺は恐らくお互いの共通の本題をぶつけた。

「あの単眼の巨人。あの襲い掛かってきた『精霊』と契約しているのは、誰なんだ?」

 そう言って、俺は少女の赤い瞳をじっと見つめる。涼花も同じように生徒会の人を見つめる中で、やがて少女が口を開いた。

「あの単眼の巨人、サイクロプスと契約していた人は」

 少女はそこで言葉を切った。

 そして、次いで言い切る。

 



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第六話「質問」

ロクでなし魔術講師と禁忌教典のリィエル可愛い。
リィエルお勧めです。
では、どうぞ!


「あの単眼の巨人、サイクロプスと契約していた人は」

 少女はそこで言葉を切った。

 そして、次いで言い切る。

「わかりません」

「なんやねんっっ!!」

「しょうがないでしょう。私は唯の生徒会です。貴方を助けたとは言っても、部外者と言っても過言ではありません。そういう事は学校長にでも聞いて下さい」

「ええ……」

 銀髪の少女はそう言って、俺を見つめたまま首を傾ける。

 どうやら、他の質問は? という意思を込めてのジェスチャーらしい。何も言わない少女へ、俺は仕方なしに涼花へと問いかけようとしていた話題を切り出した。

「見えなかった、ってどういう事? あれだけ派手に暴れてたのに」

「簡単に言えば、そこは誰にも見えなかったんです。勿論、貴方にも。思い出して下さい。あの校舎を超える身長のあれを見つけたのは、いつでしたか?」

「角を曲がった時だけど」

「それこそ可笑しくないですか? 何で気づかなかったんですか? あの大きさを」

 それは、さっき俺が涼花に向けていたのと同じ質問だった。

 聞かれて、言葉に詰まって。俯いて考えて、そして俺はやっと理解する。

 俺も見えてなかったのだ。角を曲がるまで、校舎以上の巨人を見つけられずに、角を曲がったところでやっと見つけれた。そんな至近距離に居て見つけられないのに、遠くからなら更に見つけるのが困難になるだろう。

 何故、と思いつつ、俺は少女へと視線を向ける。

「……答えは簡単で、難しい。人間の目は光を捉えて物を映しています。ので、逆に言えばその光さえ操れば何でも見させることが可能なんですよ。勿論難しいですが」

「そんな事が出来るのか?」

「人間を超えた力を持つ『精霊』。常識外の事を出来るから『精霊』なんです」

 少女は言った。

 真剣な表情で。『精霊学科』としての実感と経験を込めた言葉だった。

「この『聖域総合高等学校』は、良くも悪くも校舎が左右対称になっています。『精霊学科』の壊されていない校舎の風景を、光を操って壊されている『普通学科』の校舎の周りで反射させる。多少の違和感はありつつも、それに気づくことは難しい。自分の見ているものを素直に捉えすぎてしまう、馬鹿な人間の脳みその所為で。光のカーテンとでも言いましょうか。それは恐らく、巨人を何らかの目的で隠す物だと推測。そのカーテンの中へ、運悪く入ってしまったのが貴方です」

 人間としての常識で考えると、それは異常だった。

 数百m離れている校舎の風景を、光を操って映し出す。そんな現代の科学技術を使っても難しい、もしくは不可能な事をやってのけた。

 しかし、その突拍子も無い事を言っている割には少女の赤い瞳には確信している様に真っすぐだ。 この異常現象と言っても過言では無い物を疑いもせずに信じているらしい。

「そんな事を出来る『精霊』は、沢山居るの?」

「いいえ、いません」

 俺の問いに、少女は首を振って答える。

 しかし。

 直後に、彼女は淡々と言い切った。

「沢山は居ませんが、一人だけなら居るんです」

 それはきっと、『精霊』の中でも桁違いの力を持つのだろう。

 一人だけ、光を操って人の目を欺ける『精霊』が居るのだ。

「そいつの名前は?」

 興味本位で、俺は聞いてみる。

「その『精霊』の名前は、[アマテラス]。光と熱を操る、太陽の『精霊』です」

 [アマテラス]という名前は、田舎出身の俺でも知っていた。

 日本神話において、高天原と呼ばれる場所の最高神。太陽の化身として、イザナギという神から生まれた女神だ。

 有名な話に、天岩戸の伝説がある。

 たった一人の神様が消えた事で、大混乱に陥った国を助けるために、沢山の神が集いアマテラスを岩の中から誘き出すお話だ。

「……答えられるのはこれくらいです」

 銀髪の少女はそう言って、俺へと何かを投げつけて来た。

 それを空中でキャッチして見てみれば、見覚えのある赤い宝石の付いたペンダント。

「拾っておきました。それではお大事に」

 生徒会の腕章を揺らしながら、少女はつかつかと真っすぐに歩いていき、ドアを開けて出て行った。

 残された俺と涼花は、どうすれば良いんだろうと顔を見合わせる。涼花はさっき銀髪の少女に言われたとおりに教室へ戻ればいいのだが、俺には行く当てが一つも無い。

 体は治っているけど、制服はボロボロ。唯一手元にあるのはペンダントのみという状況だ。

 それにお腹も空いている。ここが『聖域総合高等学校』と言う事だけは分かるが、それ以外は全く分からない。ここを出て歩き回るのは得策ではない筈。

「思考放棄して、寝ようかな」

 ぼそりと呟いて、俺はベッドに寝っ転がった。

 それを見て、涼花は黒い丸椅子から立ち上がる。スカートを撫でつけて形を整えると、俺へ向けて口を開いた。

「じゃあ、私はそろそろ行く」

「分かった。ありがとうな!」

「ん。どういたしまして」

 最後まで表情を変えずに、涼花は去っていく。ドアを片手で開けると、俺に軽く一礼してから彼女は部屋を出て行った。

 一人残された部屋の中で、俺は真っ白の天井を眺めて大きく息を吐いた。

 さっきの説明も、巨人に襲われていた時も、分からないことが多すぎるのだ。

 ペンダントを持ち上げて、天井の蛍光灯に透かす。赤い宝石が光を反射して輝く中で、俺は巨人の右足と右手を吹き飛ばしたペンダントから発されていた白い光を思い出した。

 そして、一回聞こえた謎の声も。あれは外からではなく、体の中で脳へ直接投げかけられた言葉だった。

 その声の持ち主は誰だったのか。巨人を操っていたのは? そして、何故アマテラスは光のカーテンを使ってまで巨人を隠していた? アマテラスは? 

「分っかんないなあ」

 ぽつりと呟く。

 入学式初日にしては、随分色濃かった。ペンダントを枕元に置いて、俺は目を閉じようとして。

 直後、すぱーんっと強くドアが開けられた音に驚いて、思わず起き上がった。

 そこに立っていたのは、黒いスーツを着ている背の高い女性。

 眼鏡を掛けて、黒髪をポニーテールに纏めている。朱色の口紅を塗っている口を開いた女性は、テンション高く俺へと言い放つ。

「やあ少年! 君には色々聞きたい事があるんだけど、ちょっと今動ける?」

「動けますけど……。貴方誰ですか?」

「あ、私? んとね、そうだなあ。簡単に言えば」

 女性は決めポーズを取って、眼鏡をくいっと人差し指で押し上げる。

「学校長です。さあ、ちょっと学校長室までカモン!」

 予想以上の大物だった。

 俺のベッドへとつかつか歩いてきた学校長は俺の手を握ると、強引に立たせる。手を引いたまま歩き出した学校長に連れていかれる間際にペンダントを取った俺は、半ば引きずられるようにして白い部屋を出て、広い広い廊下を歩いて行った。



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第七話「女性」

白衣のまま連れ出された俺は、引き連れられていく途中の窓から外を眺める。

 遠くにはうっすらと壮大な山脈の影が見えて、その近くには大きな森が広がっていた。窓のすぐ下には広い校庭があるが、今人はいない。

 廊下の冷たい床をぺたぺたと裸足で歩く俺に、前を行っていた学校長は急に話しかけてきた。

「君は確か『普通学科』だよね。『精霊』は怖かった?」

「怖かったです。あれは……こう、簡単に受け入れられません」

「まーそうだよねー。私も『精霊』と契約してるけど、時々怖いと思うもんなー」

 軽く、笑いを含めながら学校長は呟く。

 そのまま保健室らしき処から廊下を一気に端っこまで突っ切り、途中に幾つもあった部屋を全て無視して階段を昇り始める。

 その途中の踊り場の窓から、黒い大きな正門と昼間の太陽に照らされた桜並木の坂が見えた。

 それが見えるのは、この校舎の左方面。

 つまりこの校舎は黒い正門から見ると左側に存在しているという事で、俺のいる校舎は『精霊学科』という事になる。

 何でわざわざこっちまで来たのかな、と疑問に思いつつも歩みは止まらない。階段で二階くらい上って、再び廊下を少し歩いて。やっとたどり着いたのは、焦げ茶色の扉に金の取っ手が付いた部屋だった。ドアの上には学校長室と書かれたプレートが付けられている。

 目的地まで辿り着いた。学校長はドアを開けて中に入ると、一番奥にあった机の向かい側にある大きな椅子へと腰かける。あけられていたドアを閉めた俺は、取り敢えず机を挟んで学校長と向かい合った。

「ん、座って良いよ」

 そう言うと、学校長は部屋の隅に積み上げられている椅子を指さした。

 積み上げられている椅子の一番上を取って、俺は戻ってきて対面に座る。飄々とした態度の所為で中々実感が沸かないが、目の前にいる人は学校長なのだ。

 窓から差し込む陽光をバックに、学校長は机に両肘を付いて手を組み、その上に顎を乗せる。

 逆光で表情は見えない。が、放たれる声からして学校長はどうやら笑っているらしかった。

「いやはや、『普通学科』の人が『精霊』にダメージを負わせたって聞いた時は吃驚したよ。何が起きたのかな、ってさ。『精霊』と契約してるならまだしも、人間を超えた力を持たない人間のやった事だしね。はっきり言って、全く予想がつかないんだ。何があったのか、私に教えてくれるかな?」

 そう切り出されて、俺は少し言葉を詰まらせた。

 何から話せば良いのか。俺だって分からない事が多い中で、質問をされてもまともに受け答えはできないと思う。

「……えっと、俺もよく分からないんですけど」

 だから、俺はそう前置きを入れて話し始めた。

 校舎の角を曲がったら単眼の巨人が居た事。逃げた事。頭の中で響いた声。突然白い光を放ち始めた赤い宝石の付いたペンダント。

 それら全てを、学校長は黙って聞いていた。時折頷き、首を捻りつつも。

 時計の針が規則正しく刻む音が、俺の話す声に交じって暗い部屋に響く。明かりと呼べるものは、逆光になっている太陽の光だけ。蛍光灯も付けずに話している俺が語り終えると、学校長は大きく息を吐きながら背もたれにもたれかかった。

「……なるほどねえ。ペンダント、か」 

 学校長は小さく、ため息交じりに呟く。

 その声はどこか納得しているようで、何かを思っているような声。

「ちょっと、見せてくれるかな?」

 直後、すっかり調子を戻した学校長はそう俺に告げた。それを何となく予想していた俺は、予め左手に持っておいたペンダントを学校長に手渡す。

 じゃら、と鎖を伸ばして学校長はペンダントを眺め始める。赤い宝石を高く掲げ太陽の光に透かしたり、すこし人差し指の先で突いてみたり。興味深そうに、同時に注意深く、その何の変哲も無さそうなペンダントをじっくりと見つめる。

 いや、何の変哲も無い訳がない。

 俺を守ってくれたのは紛れもないあのペンダントなのだから。白い輝きがもし現れなかったら、俺はもう死んでいる。

 『精霊』に傷を与える事の出来る、形見のペンダント。

 そして聞こえた声。

 直感で、俺はどうもこの二つに共通点があるような気がしていた。その思いを裏付けるように、ペンダントを返してくれた学校長は言い放つ。

「……君の名前は?」

「上代式です」

「そっか。式君、君は多分ね」

 そこで一旦切って。

 太陽が雲に隠れ、光が遮られる。逆光が消えて、見えるようになった学校長の表情は。

 楽しそうに、心の底から笑っていた。

「『精霊』と、契約できるよ」



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第八話「転入」

「『精霊』と、契約できるよ」

 その一言は、俺の体の芯を震わせ、衝撃を走らせる。

 『普通学科』の、平凡な人間として終わる筈だった人生。それが、村長から貰った母親の形見のペンダント一つで大幅に変わろうとしている。

 人間を超えた力を持ちつつも、その力は単体では使う事の出来ない『精霊』。

 彼らは人間と契約し、人間を超えた力を使えるようになる。その目的は国を支配するために、や異常な力で人の上に立ちたいなどの物から始まり、今は『精霊』と人間が共存していく上での関係を築くと言う物が目的になっていた。

 だから、『精霊学科』なんて言うものが存在するのだ。

 人間はそれを超えた力を使うために。

 『精霊』と共存するために。

 その必要な知識を学び、そして『精霊』との交友を深める。力の正しい使い方を覚え、それを将来に生かす。

 世界の割合的には、『精霊』と契約している人は普通の人よりも少ない。

 が、恐らくこの世界はもう『精霊』無しには回って行かないだろう。それほどまでに、彼らの存在は大きいのだから。

 その大きく強い存在。異常を生み出す力を持つ『精霊』と、今まで平凡を貫いてきた俺が急に契約出来ると言われても、それは少し信じがたかった。

 どうやら学校長は俺の戸惑いを見抜いたらしく、うっすらと微笑を湛えながら話し始める。

「赤い宝石の付いた、ペンダント。そこから発された白い光が、巨人の右膝から下と右手を破壊した。はっきり言うと、この時点でもう『精霊』の有無がはっきりしているような物だけどね。この世に起きる異常現象は、例えこの目で見た上で信じられなくとも『精霊』の力の事が多い。殆どだ。解明されていない気象現象とかは知らないけどね? ……式君、ちょっと良いかな? ペンダントをくれるかい?」

 すっと伸ばされた手の上に、俺はまだ『精霊』の存在を信じ切れずに首を捻りつつもペンダントを手渡す。それを受け取った瞬間に、学校長は上に放り投げた。

 何をするのだろうか。そう思った直後に、学校長の指から漆黒の弾丸が放たれる。

 その漆黒の弾丸も、『精霊』の力なのだろう。撃たれた瞬間の空気の震え、雰囲気ががらりと変わったのは直ぐに理解していた。背中に冷や汗が噴き出し、白衣が汗を吸う。

 弾丸は寸分の狂いなく放り投げられたペンダントへと向かっていた。

 何の変哲も無いペンダントを、『精霊』の力で撃ち出された漆黒の弾丸が貫く。思わず体を動かし、ペンダントに手を伸ばそうとするが間に合わず。

 弾丸が、赤い宝石に触れた。

 そして次の瞬間、眩い白い光がその弾丸を一瞬で消滅させる。一ミリの傷も付かずに自然落下してきたペンダントを掴んだ学校長は、俺にウィンクしつつ話す。

「ね? 『精霊』の力に対抗して、あろうことかそれを真正面から消滅させた。因みに」

 言葉を切った学校長は、くるりと椅子ごと回転して人差し指を窓へと向ける。

「えいっ」

 小さな声。すると同時に人差し指の先から黒い弾丸が再び打ち出され、それは窓ガラスに突き刺さり、ガラスは瞬く間に爆ぜた。

 しかし、弾丸はその威力を微塵も落とさず、ガラスを砕いた後もずっと真っすぐに飛び続ける。青空に一筋の黒い軌跡が描かれて、それが見えなくなってから学校長は振り向いた。

「こんくらいの威力はあるのよね。あの弾丸」

 何の気無しに言い放つ。軽く、さも当たり前のごとく。

「これを防いだって事は、まあこの弾丸よりも強い『精霊』さんがこの宝石の中に居る筈なんだけどさ、きっとこの子は君にしか懐かないよ、式君」

「この子って……見えるんですか?」

「ぼんやりと」

「見えるんですか!?」

「うん。本当に薄くだけども、多分式君が呼びかけたら話は出来ると思うよ」

 学校長は頷いた。

 『精霊』がそこに居る。会話できる。

 そして最初に言われた、契約が出来ると言う事。

 遠くにあった憧れの様な物が、突然目の前に現れた。『精霊』と契約して、異能を使ってみたいという思いが無かった訳では無い。寧ろそれが強かった俺は、この千載一遇のチャンスとも呼べる今に喜びで舞い上がりそうだった。

 しかし、素直に舞い上がれないのはその気持ちを咎める思いもあるからだ。

 それは恐怖。単眼の巨人に、漆黒の弾丸。俺の体や携帯を一瞬で直し、巨人を貫いた無数の矢。

 人間を超えた力に、単に俺は委縮していた。

「それを踏まえて、式君にはこれを渡しておこうかなって思ってここに呼んだんだよね」

 学校長はそう言って、一枚のプリントを机の上に置く。

 それを覗き込み、俺は目を見開いた。そこに書かれていたのは。

 『精霊学科転入書類』。……『精霊学科』への、門を開く一枚の紙だった。



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第九話「覚悟」

 学校長はそう言って、一枚のプリントを机の上に置く。

 それを覗き込み、俺は目を見開いた。そこに書かれていたのは。

 『精霊学科転入書類』。……『精霊学科』への、門を開く一枚の紙だった。

「もしも君に、『精霊』と契約してその人間を超えた力を正しく使う覚悟があるならば。その信念があるのならば。いつでも、『精霊』と一緒に私の所へ来なさい。……期待してるわ」

 学校長はそう言うと、その紙を俺に押し付けるように渡してくる。

 少しの躊躇いを持ちつつも紙を受け取った俺は、再び学校長に案内されて『聖域総合高等学校』の寮まで案内された。

 『精霊学科』の校舎を出て、黒い正門まで歩き、その黒い正門から見て正面が学生寮だ。

 大きな建物は中心の塔を中心にマンションの様に広がっている。塔の一番上には大きな時計と正門からでも見えるくらいに巨大な金色の鐘が吊ってあった。

 先導する学校長の後ろを、白衣にサンダルのまま追いかける。学校長は何も言わなかったが、俺にとってそれはありがたい。

 何故なら、今俺の胸中は『精霊』の事について一杯だったから。

 『精霊』の持つ、人間を超えた力を正しく使う事が出来るか。

 その正しさが何なのかは分からない。でも最低限分かるのは、その力を犯罪には使ってはいけないと言うことだけ。電車内の電光掲示板に映し出されているニュースでも、『精霊』関連の犯罪について報道していた。

 人間を超えたからこそ責任は増す。その力の使い方は、難しくなる。

 その覚悟が持てないのも、『精霊学科』に転入しようかどうかで悩んでいる理由の一つ。

 後一つあって、その一つの理由は単純。

 俺は、『精霊』が怖い。

 単眼の巨人に襲われたのが大きな理由だろう。携帯や俺の体を一瞬で元通りにしたあの得体のしれない力も、巨人をめった刺しにした矢も、学校長が撃っていた漆黒の弾丸も。

 それら全てが、俺にとっては異常。そして田舎で緩やかに平穏な生活を送ってきた俺にとって、その異常は恐怖なのだ。勿論、凄いや俺もこの力を使ってみたいという思いもある。でも今は、恐怖の方が大きい。

 今首に下げているペンダントの中にも、人間を超えた力を持つ『精霊』が宿っている。

 それはもう、漆黒の弾丸を消したのや単眼の巨人にダメージを負わせた事から殆ど確実だと思う。

 『精霊』は怖い。

 だからこそ、俺はペンダントの中の『精霊』と話してみようと思っていた。俺が今まで見てきた恐怖でしかない『精霊』の力だけで、全ての『精霊』を恐怖と言い切るのは視野が狭すぎる。

 それに、俺はペンダントに宿っている『精霊』にお礼を言いたかった。

 守ってくれてありがとう、と。

 たとえ『精霊学科』には入らないとしても、それだけは伝えたい。

 そんな事が胸中で渦巻く中で、学校長は寮の中に入っていく。俺もそれを追いかけると、中の玄関の広さにまず驚いた。

 白いタイルの床に、塔の一番下だからか天井は凄く高い。塔を中心にして左右にマンションの様な寮が広がっているため、ここは学生寮の中心。天井には大きなシャンデリアに、観葉植物はあちこちに置いてある。寮の見取り図は大きく張り出されていて、まるでそこはホテルの受付の様だった。

 その塔の一番下、受付らしき所へと学校長は歩いていく。

 追いかけつつ、周囲をじっくりと眺めつつ。俺は学校長の横から顔を出して、受付の人の顔を見て。

「……ここにも居た」

 銀髪のツインテールに、赤い瞳の最早見慣れた少女が受付に座っていた。

 俺よりも、そして涼花よりも身長の低いこの人は先輩である。生徒会の腕章を付けた少女は、学校長と何かを話していた。

 数分後、話は終わったらしい。学校長は俺の方へ振り向くと、口を開いた。

「式君、君の住む寮の寮母さん……代わりの、寮母の仕事をしてくれている生徒会の人よ。彼女の名前はカリストア・ルテミスと言う。まあルテミスとでも呼んでおいたら?」

「勝手に決めないで欲しいです。こんにちは、朝の馬鹿な人。私を呼ぶ時はルテミスで良いですよ。殆ど関わる事も無いでしょうし、それくらいは許しましょう。ただし先輩なので、敬語を付けてくださいね」

「そーそー! これで先輩なのよね。小っちゃいし可愛いのに、貴方きっと中学生で通るわよ?」

「高校二年生です」

「もー、可愛いー!」

 冷静に告げるルテミスと、テンションを崩さない学校長。

 俺の前では無表情を貫いていたルテミスも、どうやらこの人の前では平静で居られないらしい。背後にメラメラと炎が見えるのは気のせいか。

「じゃ、式君。後はルテミスちゃんに任せるから、彼女の指示に従うこと。……いつでも待ってるからね? じゃあねー! 頑張れ生徒諸君!」

「あ、はい。ありがとうございました!」

 ぶんぶんと手を振って、寮を出ていく学校長。手を振り返し、学校長が完全に見えなくなったところで俺はルテミスへと体を向けた。

「……めんどくさいですね。一人で行けますよね?」

「俺ここ初めてな気がするんですよねー。ちょっと案内して下さい!」

「めんどくさい」

「遂にそれだけになったか」

 頑なに言い張るルテミスは、やがて諦めたかのように受付から鍵を持って出てきた。

「それじゃあ、行きますよ。寮の中を案内しつつ、貴方の部屋へ行きます」

 そう言うが速く、ルテミスはさっさと歩き始めた。

「ここが共用台所。誰が使っても良いです」

 一階から順番に上がっていく。

「食堂ですね。ご飯は朝昼晩、時間は……部屋に張り紙があるので見て下さい」

「お風呂です。右が男子、左が女子。覗きはダメですよ?」

「洗濯機とか、自動販売機とかです」

「学校終了後と休日に解放される遊戯室です」

 広い寮の中を歩きつつ、淡々と説明される。

 塔を中心に、右側が男子寮。左側が女子寮と別れているらしい。その右側の男子寮、そのまた最上階の一番端っこに俺は案内された。

「この最上階の一番端っこが貴方の部屋です。……遅刻しろ」

「もう隠す気無いですよね!?」

 ぼそっと小さく呟くルテミスは持っていた鍵で俺の部屋を空ける。その中には段ボールが幾つかあり、中身は上梨村から送った俺の私物だった。

 部屋はベッドと机、椅子が一つ、水道にトイレがある。まあまあ広めの部屋の窓からは壮大な景色が見える部屋。

「さて、もう良いでしょうか?」

「大丈夫です!」

「そうですか。では、学校生活頑張って下さいね。分からない事があったら受付に来てください」

 鍵を俺に投げ渡したルテミスは、そのままドアを閉めて受付へと戻っていった。

 俺は取りあえず窓を開けて、段ボールをいくつか開封する。荷物を机の上や床に広げて整理し終え、ベッドへとダイブした。

 学校長が言うに、もう今日の授業は終わっている。明日、先生に話を聞きなさいとの事。

 つまり俺はもう自由だ。そして、大事な事をやる時間だ。

 ベッドの上で、俺はペンダントを首から外した。

 赤い宝石が、開け放たれた窓から差し込む太陽の光に輝く。一見すれば、何の変哲もない。

 しかし、中には『精霊』が宿っている。俺は一度、焦る鼓動を落ち着けるために長く息を吐く。呼吸を整えて、俺は寝っ転がっていた状態から起き上がり、ベッドに座った。

「……『精霊』さーん」

 恐る恐る、俺はペンダントへ向けて声を出す。

 ……だけど、何も声は帰ってこなかった。少々拍子抜けした、次の瞬間――――

 

 ぐん!!

 

 と、突然腹の内側から引っ張られるような感覚が俺を襲った。気味の悪いその感覚に、歯を食いしばって耐えるや否や、視界が急に暗くなり始める。

 そして、落ちていく。暗闇に落ちていく様な、そんな感覚が俺を包み込んで。

 やがて視界は暗くなって、意識も消えた。

 最後に、薄れゆく意識の中で見えたのは。

 ……白く白く輝く、赤い宝石の付いたペンダントだった。

 



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第十話「少女」

 無味無臭の空気が、口と鼻から肺へ流れ込む。

 その自然な動作を意識して、俺自身が動いていることを理解した俺は、深い微睡から目を覚ました。

 覚醒した意識。寝ぼけ眼をこすりつつ、俺は状態を起こす。どうやら固い床の様な物に寝っ転がっていた様で、少しだけ背骨が軋んだ。

 目を開いて、周囲を見渡す。

「……白い……」

 周囲は、白一色。

 床も空も。果ての見えない地平線の向こうまでも白。色があるのは、俺だけ。実家から送っていた制服の予備に着替えていた俺は、自身の黒い制服をぺたぺたと触り、特に可笑しい事が無いことを確かめた。

 つまり、この白は元々の物で、俺は影響していない。

 終わりの見えない空と地平線。無限に続くんじゃないかと思うここは、もう一つの世界。

 白い世界だった。

 世界と言うのは大げさかもしれないけど、俺にはそうとしか思えない。立ち上がって少し歩いてみても、自分が本当に歩いているのかさえも分からない。

 景色が変わらないのだ。白一色のまま。

「どこだよ、ここ」

 呟き、立ち止まる。

 このまま歩いていても、きっと何にも辿り着かない。頭をわしゃわしゃと掻いた俺は、少し前の記憶を思い出そうと瞼を閉じて、そして思い出す。

 赤いペンダントに呼びかけ、その直後に俺は何かに引っ張られて落ちた。

 いや、本当に落ちたのだろうか? それよりは、まるで精神が何かに引きずり込まれると言った方が正しい気がする。

 白い世界に引きずり込まれた精神。

 そんな人を超えた力を持つのは、唯一つ。そしてそれが犯人ならば、この白い世界にも説明が付くハズだ。

「『精霊』さん、出てきてくれませんか?」

 『精霊』だ。

 十中八九、この世界に俺を引きずり込んだのは『精霊』の仕業だと思う。こんな異常な事が出来るのは『精霊』だけだと知っているし、何よりも俺は赤いペンダントの輝きを覚えていた。

 それは、白。

 この世界と同じ、純白の光―――――

 

「おはよう」

 

 ペンダントの輝きが瞼の裏に瞬いた瞬間、突然後ろから声が響いた。

 良く通る高めの声は草原に吹き抜ける夏風の様な爽やかさで、すっと俺の耳を通りぬけていく。

 しかし、その爽やかな感覚とは裏腹に、声を聴いた俺の心臓は一気に跳ね上がった。

 鼓動が段々と大きく速くなっていく。呼吸も浅くなっていく、極度の緊張状態。

 『精霊』と契約するよりも先に、『精霊』の恐ろしさを知ってしまったからの恐怖。

 一般的に『精霊』と契約出来る人が契約を済ますのは三歳程度。

 物心付いたくらいから一緒にいて、『精霊』の力が安全に制御できるように幼い頃から『精霊』となるべく一緒に居させるのだ。一緒にいる期間が長ければ長いほど、その『精霊』とコミュニュケーションも取れるし力の制御もしやすくなる。

 しかし、それはあくまで幼い頃の話だ。

 もう15歳の俺は、考える事が出来る。何が怖くて怖くないかも理解できる。

 俺は、『精霊』がとんでもない力を持つことを知ってしまった。その力を使って殺されかけたからこそ、もしもこの後ろに居て、今俺に声を掛けたのが単眼の巨人の様な醜い『精霊』だったら、もしも殺人鬼の様に恐ろしい考えを持つ『精霊』だったら―――という考えが恐怖となって押し寄せてくるのだ。

 怖い。得体のしれない物に対する恐怖が、俺の体を硬直させる。

 振り向けないのだ。体が言う事を聞かずに居て、指先一つ震えさせる事すら叶わない。

 声からの勝手なイメージでは、単眼の巨人の様な『精霊』では無いと思う。

 寧ろ少女。可憐な美少女が脳裏に思い浮かぶような声と、背後にある柔らかな雰囲気。数秒経って、その間にも悩み続けて。

 力を振り絞って拳を握り、勇気を出した俺は一気に振り返った。

 白い世界の、無限の空と地平線。その視界に映る風景の真ん中に、それは居た。

「やっと振り向いてくれた。長かったね、式」

 その『精霊』は、少女だった。

 快晴を思い出すような鮮やかな青く長い髪に、深い深い海の様な蒼い瞳。

 新雪にも負けない様な白い肌は少女にどこか儚い印象を持たせ、華奢で細い体は弱弱しい。しかし、ピンと伸びた背筋と端正に整えられた人形の様な、それでいて人間らしい顔は強い意志を垣間見せる。

 精巧に出来た人形の様で、その節々に人間らしさが見える。

 見た目は中学生くらいの小さな少女は、端的に言うならば美少女であり、人形だった。

「初めましてじゃ無いんだけど、初めましてかな? 式」

「俺は貴方の事を見た事が無いですよ?」

「ふふふ、やだな、敬語なんて止めてよ」

 青い髪を揺らして、少女は笑ったり少しムッとしたりと表情をころころ変えていく。

 人形、というイメージは見た目のみ。その心は、人間らしい人間だった。

「え、じゃあ……これでいい?」

「うん! 問題ないよ!」

 ぐっと親指を立ててサインした少女は、蒼い瞳を俺の黒い目に真っすぐに合わせる。

 そして余り大きくは無い胸に手を置いて、少女は口を開いた。

 最早、恐怖は無くなっていた。

「私は『精霊』。この世界は、式と私の精神世界。そして私の名前は、[フィニティ]って言います。宜しくね?」

 フィニティと名乗った青髪蒼目の少女は、そう言って大きく笑みを浮かべた。

 



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第十話「恐怖」

 フィニティと名乗った青髪蒼目の少女は、そう言って大きく笑みを浮かべた。

 俺とフィニティの、精神世界。この無限に続く白い世界は、実際には存在しない、いわば夢の様な者なのだろうか?

 そして、目の前の少女。あの単眼の巨人とは似てもつかない存在が『精霊』だと言う事に少し不信感を抱いていると、フィニティは少しだけ頬を膨らませた。

「……その顔は私の事を疑ってるね?」

 ジト目で俺を睨み付け、小さく少女は呟く。

「折角あの巨人の時、守ってあげたのになー? 酷いなー?」

「あれはやっぱりフィニティが?」

「私以外に居ないよー」

「そっか。……えっと、ありがとう」

「どういたしましてー!」

 にぱー、と笑みを浮かべるフィニティは、巨人から感じた悍ましい物は感じない。

 少女に対する恐怖はもう無く、『精霊』自体への恐怖も段々と薄まってきた。

 勿論、未だに『精霊』は怖いけど。

「さて、じゃあお話ししよっか!」

「……何を?」

「いやいや、呼び出しておいて何さ! 折角この白い世界に案内したのに!」

 感情の起伏が激しいフィニティは、腰に手を当てて憤る。

 その様子に慌てた俺は、学校長の言葉を思い出し、直ぐに話題に持ち出した。

「そういえば、フィニティは『精霊』だよね?」

「うん」

「俺と、契約出来る……って本当?」

「うん!」

 本当だった。

 学校長の言葉通り、本当に俺は『精霊』との契約が出来る状態。

 蒼い瞳を輝かせながら、フィニティはさっきまでの怒りはどこへやら、急に笑みを浮かべて話し始める。

「こう見えても、私は結構『精霊』としては大きな力を持ってるのです。さあさあ、契約しちゃおうよ! どんどんしちゃおう! 『精霊学科』でぶいぶい言わせよう!!」

 フィニティは元気よく、身振り手振りを交えて話す。

「……ごめん。まだ、それは無理だ」

 しかし。俺はそれを拒否した。

 フィニティが、動きを止めて驚いたように俺を見つめる。その視線に促されるように、俺はゆっくりと話し始めた。

「俺は、『精霊』が怖いんだ。フィニティは良い人……良い『精霊』? かもしれないけど、巨人の事もあるし、『精霊』の持つ人間を超えた力っていう存在自体が怖い」

 そこで言葉を一旦切る。

「それに、なんか分からないけど、『精霊』を見ると俺は何故か動けなくなるんだ。常人なら叫んで逃げるような場面で、俺は震えているだけだった。学校長が黒い弾丸を撃った時だって、汗が凄い出た。フィニティには悪いんだけど、頭の奥底で、どっかで『精霊』を根本的に拒否してるんだ」

 単眼の巨人の時もフィニティの時も黒い弾丸の時も。

 全て俺は動けなかった。冷汗がじっとりと背中を濡らし、震えているだけの状態。

 でも、それは異常な反応とも取れた。

 どうして俺は、単眼の巨人を見ただけでこんなに『精霊』に過剰反応するのか。その反応は明らかに異常なレベルだ。

 確かに俺は襲われた。殺されかけた。

 でもこの恐怖は、それだけじゃない。浅い記憶の表面、世界の情報から来る恐怖だけじゃない。もっと心の内側から支配するような恐怖が、『精霊』を目の当たりにするだけで俺を蝕むのだ。

 そんな俺に、『精霊』と契約する覚悟も何もない。

 覚悟の無い人は、『精霊』と契約し力の正しい使い方を学ぶ事は出来ない。

「ごめん、フィニティ。少し話したかっただけなんだ。でも、やっぱり『精霊』は……」

 そして、ゆっくりと俺は告げる。

「怖い」

 



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第十二話「勧誘」

今日はラギアの誕生日ですぜ( ー`дー´)キリッ

では、どうぞ!


 そして、ゆっくりと俺は告げる。

「怖い」

 俺の言った言葉は、小さかった。

 しかし、その言葉は無限に広がる白い世界に、やけに大きく響く。キーンと耳鳴りがしそうな静寂の中で、張り詰めた糸を断ち切るように俺の言葉は突き刺さる。

 『精霊』への異常な恐怖を持つ俺自身に。

 そして、こんな俺と契約してくれると言ったフィニティにも、言葉は刺さった。

 少しの間、フィニティは蒼い目を見開き、口を真一文字に結んでいた。困ったように眉尻は垂れて、フィニティは顔を地面に向ける。

 青い髪が、彼女の表情を完全に隠す。それも一瞬の事だったが、直ぐに顔を上げたフィニティの笑顔の向こうにはどこか苦し気な雰囲気が手に取るように分かった。

 雰囲気を理解すると同時に、罪悪感が俺の胸に染み渡る。

 俺が黙っていると、苦し気な笑顔のフィニティはおずおずと口を開いた。

「……しょうがないよ。式は思い出せなくても、私は覚えてる。この身に刻み付けたから、さ。今日は、もう帰ろうか。それじゃあね、式。何かあったら、遠慮なく私を呼んでね?」

 宥めるように、優しく。腫物を触るかのようなゆったりとした言葉を並べたフィニティは、俺に右手を向けた。

 その指先から、赤い宝石の付いたペンダントからも放たれていた純白の光が放たれる。

 光は俺の体へと突き刺さり、包み込み、完全に覆い尽くす。直後、ベッドの上でも感じた何かに引っ張られるような感覚を最後にして、俺は白い世界を去った。

 

 目を開ける。

 昼間の、高い太陽からの日光だけが室内を照らし、白い天井を照らしている。寝っ転がっていたベッドの上で起き上がると、時間は二時。

 部屋の中にある壁紙で確認すれば、後四時間くらいで夕ご飯であり、逆に言えばその時間まで俺は暇人だ。部屋の整理も終わったし、フィニティとの会話も終わってしまった。今までずっと保健室でも寝ていたから、寝るのは厳しい。

 田舎では、こんな時農作業とかを積極的にしていた。

 『聖域総合高等学校』にも畑とか探せばありそうだけども、新入生の俺は知らない。学校説明も受けてないし。

 もう他の生徒は帰って来ている頃だろう。この寮は男女で分かれているものの学科では分かれていない為、俺たち『普通学科』と涼花やルテミスたち『精霊学科』は仲が良い人も多いと聞く。

 遊戯室で遊んだりしているのだろうか。

 でも、初日に出なかった俺がいきなり遊戯室に行くのも何か気が引ける。

 田舎出身の為、知り合いなんてものは無い。ルテミスも涼花も女子だし、学校長に至っては気軽に話せもしないし遊べもしない。フィニティとは気まずいし、男子の友達は居ない。

 こういうのをぼっちって言うんだと、村長は言っていた。

 ぼっちにはなるんじゃねえぞ、とも村長は言っていた。

 ごめん村長。無理。

 唯一気軽に話せそうだったフィニティとも気まずくなったし、俺に希望は無いよ村長……。

 がっくりと項垂れ、そんな風に絶望していたその時だった。

「ノックしなかった事は謝ります。めんどくさかったんです」

 という声と同時に、バアン! と部屋のドアが乱暴に叩かれるようにして開かれる。

「だ、だれっ!? ……ルテミス!?」

「先輩ですよ、敬語使えと強要。友達いないぼっちさん、『精霊』は?」

「……契約してないです」

「そうですか」

「興味は無いの!? そこまで聞いておいて!?」

「敬語……。別に、契約するかどうかもその人次第ですし。貴方の事を良く知らない私がとやかく言う筋合いも無いと思われます」

 銀色のツインテールを揺らしながら、赤い瞳を細めて俺を見るルテミス。

 その瞳は俺を品定めしているような感じで、じいっと頭の天辺からつま先までしっかりと見た後に、彼女は告げた。

「多少の筋肉はあるようですね」

「田舎育ちだからね。山が遊び場だったし、農作業してたし」

「農作業?」

「うん」

「丁度良いです。初めて貴方がゴキ●リ以上の存在に見えましたよ」

「ひっでえ!!」

 無表情を貫くルテミスは俺に対して酷すぎる本音をぶちまけ、次いで再び口を開いた。

「少し着いて来て下さい。ぼっちの貴方にぴったりなお仕事があります」

「ぼっちじゃねえし!!」

 



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第十三話「仕事」

さっさと部屋を出ていくルテミスの後ろを、する事も無いので着いていく。最上階の端っこの為、受付までは一番遠い。数々の部屋が並ぶ廊下を歩いて行きながら、エレベーターで一階まで行き、そこから寮の外へと出た。

「どこ行くんですか?」

「畑です。寮で出す料理の中に、この寮の畑で作った野菜を時々入れてるんです。最初は先輩方のちょっとした挑戦だったらしいのですが、予想以上に人気が出たらしいですね」

「寮に畑あったんですね」

「ええ。人参やキャベツ等を育ててます。そこの人手が足りなくなったので、こうして最上階の端っこに住んでいるぼっち……もとい、貴方をこき使いに……仕事を任せようとしたのです」

「最上階の端っこにしたのもルテミスだし所々に本音交えないで下さい!!」

「何の事でしょうか?」

 前を歩きつつ、ずっと一定のトーンで喋り続けているルテミスは小首を傾げ、白々しく呟いた。

 そのまま歩いて、寮の後ろへと回る。

 そこには、予想以上に大きな畑が広がっていた。日当たりの良い場所で、春先に咲く花や若々しい草木が生い茂っている。

 土を手に取ってみると、それはさらさらでふかふかな良い土だった。

 手の上に乗せただけで土が良い事が分かる。そして、手入れが行き届いていることも表していた。

「……良い畑ですね」

「そうですね。私も、この畑で採れる野菜は大好きです」

「ここの手入れは、誰が?」

「今まで先輩がやっていました。ですが、卒業しました」

「つまり、この大きな畑の手入れを俺一人でやれと?」

「大きな畑を、手伝ってくれる人が現れるまで一人で手入れしてくださいって事です」

 畑仕事っていうのは、重労働だ。

 朝早く起きて、腰を痛めながら野菜の手入れをしていく。農薬を使うか使わないかの見極めも、害虫の駆除も鳥の被害も対処しなければならない。

 収穫でさえも大変だ。キャベツやレタス、カボチャ。重たいものを一日に何個も運ばなければならないのが収穫である。

 何が言いたいかっていうと、この小学校の校庭の半分くらいの面積は超える大きな畑を一人で手入するのは無理ってこと。幾ら何でもそれは無茶で、田舎でずっと農作業していた俺でもキツイと感じるし、何よりこんな畑の手入れをしに来てくれる人なんて居ないと思う。

 農作業は楽しい。

 でも、それよりも先に辛さがある。辛さを乗り越えなければ、楽しさに辿り着けないのだ。

「……分かりました。やれるだけ、やってみます」

「良いんですか?」

「はい。農作業をしないと、野菜が死んでしまいます。それを放っておける人間じゃないんです。田舎でずっと農作業してましたから」

 俺がそう言うと、ルテミスは少し驚いたように硬直した。

 赤い瞳を見開いて、無表情をほんの少し動かして。しかしそれも一瞬の事で、ルテミスは直ぐにいつも通りになった。

「そうですか。必要な道具があったら私に。あと、人手が欲しい時も私に言ってください。出来るだけなんとかしてみせます」

 そして、何時もよりも強めの口調でそう告げた。

 ルテミスは、どうやらこの畑の事が心配だったらしい。誰も世話する人がいなければ枯れて死んでいく寮の畑。寮の手伝いをしている人としてはそれ自体が気掛かりだったのかもしれないけど、ルテミスの安心したような雰囲気から察するにこの先輩はきっとこの畑の野菜が大好きなのだろう。

 俺も、畑仕事は嫌いではない。

 寧ろ友達のいない状況で生活するのも退屈だったから、こうして仕事を貰えるのはありがたかった。

「じゃあ、その時はお願いします」

「ええ。貴方にはその分、しっかりと畑で働いてもらいますからね」

「勿論」

 最後に念を押すようにして、ルテミスは俺に人差し指を突き付けた。

 左腕に巻き付けた生徒会の腕章を揺らしつつ、ルテミスは深く頭を下げる。失礼します、と言い残して、彼女は去っていった。

 恐らく寮の仕事があるのだろう。早足だったし。

「……さて、んじゃあ見ていきますか!」

 残された俺は、早速畑を見る事にした。

 やる事も無かったし、この畑の事をもっと知っておきたい。そんな思いを抱えつつ、俺は直ぐに一番近くの野菜へと屈みこみ覗き込む。

 葉の一枚一枚を丁寧に調べ、それを繰り返す。

 段々とこれが楽しくなってきて、そして俺は時間を忘れるのだった。

 

「うし、これでニンジンは終わった……うん、いつの間にか夕方じゃないですかやだー」

 気づけば、もう空が茜色に染まっていた。

 紫雲が太陽の傍で空を揺蕩い、段々と藍色の夜空が夕暮れの空を侵食し始める。

 もう今日は作業を中断して、寮に戻った方が良いだろう。六時から晩御飯で、今は五時半。二時から作業をしていたから、俺は約三時間半ここで畑を見ていた事になる。

 熱中しすぎたな。うん。

 早く部屋に戻って、この土臭い服を着替えなければ。ご飯の場所にこの土臭い服で行くのは他人に迷惑が掛かるし、俺も気持ちよく食べれない。

 お風呂にも入りたいけど、浴場開放は七時からだ。まだ全然時間がある。

 寮を一周して、正面の出入り口から中へと入る。

 出入り口から受け付けの場所はまるでホテルのようで、何人かが集まって談笑していた。その横をすり抜けて、エレベーターへ。

 そのまま最上階へと上がった俺は、何人かとすれ違いながら一番端っこの部屋へと辿り着いた。ポケットに入れていた鍵でドアを開けて中へ入り、そこで大きく息を吐く。

 見たところ、もう友人同士のグループ的なものが作られていた。

「やばい……何がやばいって、ぼっちコースまっしぐらなのがやばい……!」

 田舎育ちの俺だって、村長の言っていたぼっちとやらに俺が真っすぐ向かっているのは理解している。そしてそのぼっちが、辛いと言う事も分かっているのだ。

 着替えながら、俺は必死に考える。どうすれば友達が出来るんだろうと。

 ジャージの袖に腕を通し、チャックを胸元まで上げたところで。やっと俺は、思いついた。

 これなら行ける。その素晴らしい作戦内容を実行するのは、今から十分後の食事時間。

「勝てる……! これでぼっち脱出だ!」

 そう叫んだ時点で、俺は自分自身の事をぼっちと呼んでいるのだけれど、それは知らない事にしておこう。

 



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第十四話「作戦」

「勝てる……! これでぼっち脱出だ!」

 そう叫んだ時点で、俺は自分自身の事をぼっちと呼んでいるのだけれど、それは知らない事にしておこう。

 十分後。

 午後六時、春の太陽はもう沈み、藍色の夜空に三日月が浮かぶ時間。

 土臭い服を着替えて、ジャージになった俺は部屋を出て食堂へと向かっていた。

 最上階の端っこだから、どの部屋に行くのにも遠い。ルテミスに案内された道を、うろ覚えながら必死に思い出して歩いていく。

 途中にある地図を見たり、何人かの寮生達に付いていくこと、五分。

 俺はやっと、昼間一度来た食堂へと辿り着くことができた。

 台所には何人もの調理員さんが居て、作ったものをカウンター越しに直接一列に台へ載せている。列になってその台に乗っている沢山の料理を好きなだけ取っていく形式の食堂には、もうジャージや制服姿の寮生で溢れかえっていた。

 席もまばらに空いているだけで殆ど埋まっている。お盆を持って、数人の友達と席を探している人もちらほらと見えた。

 初めて見る、こんなに多くの同年代。

 田舎では俺一人が若かったから、同年代は居なかった。老人は見飽きた。

 早速、俺は皆の真似をして列に並ぶ。賑やかな話し声が響く食堂の中を一列に進んでいく途中で、俺は今日のメニューとやらを確認したり、背伸びして列の先を見たりと慌ただしく動いていた。急な畑仕事もやったし、何だかんだで昼食は抜き出しでお腹はぺこぺこ。やっと料理を取れる順番が回ってきて、俺はここぞとばかりに皿へ料理を盛っていく。

 肉に魚、野菜にスープ。白米やパンも見境なしに手当たり次第に皿の上に載せていき、俺のお盆の上は小さい山みたいな状態になっていた。

 水を注いだコップもお盆に乗せて、最後にデザートのゼリーも籠から取る。

「盛りすぎて……バランスが難しい……!」

 重たいお盆をふらふらと体を揺らしながらバランスを取って抱えつつ、周囲を見渡して席を探す。

 さて、ここで俺の秘策の発動だ。

(ぼっちと隣になって、友達関係を築くべし……!!)

 俺はぼっちだ。

 友達がいない。

 しかし、俺だけがぼっちと決めつけるのは早い。俺以外にもぼっちは居るんじゃないのか?

 その考えに辿り着き、俺が思いついたのは単純にぼっち同士で友達になろうという作戦だ。

 シンプルで、画期的。お互いに友達を求めている人同士なら、断る理由も無いのでは無かろうか。というか俺が友達を作れなかったのは『精霊』の所為だ。多分。

 さて。

 何はともあれ。ここから、俺の友達百人伝説が幕を開けるのだ……ッッ!!

 



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第十五話「夕食」

 何はともあれ。ここから、俺の友達百人伝説が幕を開けるのだ……ッッ!!

 

 数分後、俺は席に座って山盛りの食事を黙々と食べていた。

 一人寂しく、死んだように表情を動かさず。食堂の隅っこの席で、機械のように食べ物を口に運んでいた。

 食堂は俺の居る席だけを除き賑やかで、和気あいあいとした楽し気な雰囲気が充満している。

 男子数人で固まったり、女子会のように話し込んでいたり、男子と女子が固まって会話しているグループもあった。結論から言うと、俺以外のぼっちは居ない。

 田舎に居た俺は、グループに入る方法が分からない。だから、こんな風にグループを組まれた時点でアウトだ。恐らく、明日学校に行ってもまともに話せないだろう。

 味付けの濃い肉と魚の煮つけを交互に食べつつ、表情を一瞬も変えずに、大量の料理を減らしていく。流石に多く取りすぎた。あれだけ空いていたお腹ももう満腹になりそうで、残りの料理の量を見て少し額に汗が浮かぶ。

 食べきらないのは失礼だと、農作業をしていた人間だから身をもって分かる。

 お米の一粒でも、必死に汗水流して作ったもの。理解しているから、残す訳には行かない。

 もごもごと口を動かして、茶碗の白米を削る。一人ぼっちのまま、隅っこの席でそうしていると。

「……ここ、いい?」

 突然、声を掛けられた。

 びっくう! と肩を跳ね上げて、俺は口の中に残っていた魚の骨をその衝撃で飲み込んでしまっう。喉にちくりと刺すような痛みが走り、顔を顰める。

 慌てて頷くと、俺は魚の骨を取るために白米を噛まずに飲み込んだ。

 こうやると骨が取れるって、どこかで聞いた事がある。実際にしっかりと骨は取れて、それでもまだ少し残る痛みを流し込んだ水で抑えた。

 そこまでしてやっと一息ついて、俺は目の前に座った人に目を向けた。

「いただきます」

 そう呟いたのは、矢代涼花。長く艶やかな黒髪に、蒼い瞳。端正な顔立ちに、小さな唇。

 細く白い指で箸を丁寧に持つと、そのまま魚の煮つけを崩して小さな欠片を口に運ぶ。静かにもくもくと長く咀嚼して、こくんと飲み込んだ。

「……な、何でここに?」

「だめだった?」

「いや、そうじゃなくて。涼花は友達居るんじゃないかなあと」

「居ない」

「え?」

「誰も話しかけてきてくれない……。話しかけても逃げちゃう」

 そう言って、涼花は残念そうに俯いた。

 俺にはその理由が、何となく分かる。

 恐らく、涼花は高嶺の花と認識されているのだ。整ったスタイルと顔に、物静かな、クールな性格。俺の大怪我を直ぐに直して見せた『精霊』の力。

 現に、食堂の色んな所から沢山の男子が涼花へ視線を送っているも、話しかける人はいない。

「話してくれるの式だけ」

(俺も話してくれるの涼花だけ)

 涼花の言葉を少し変えて脳内で呟き、俺は残りの肉を口に入れた。

 俺が今まで見てきた中で、と言っても田舎育ちだから今日初めて同年代の人を見たわけだが、涼花は可愛い女子の中でも最上位に間違いなく入る。

 じゃあ他の女子を見た事があるのかと言われればあんまり見た事は無いけれど。

 他に美少女といえば、ルテミスもかなりの美少女だとは思う。性格が残念なのを除けば。

 俺は高嶺の花とか、思う以前に体と携帯を直してくれた恩人という認識だから、まだ話せる。田舎では老人ばっかだったので、同年代に興味があるのも大きな理由だ。

 それに、俺も友達が居ないから涼花がこうして来てくれたのはありがたい。

「……そういえば、昼間畑、やってたよね?」

「うん。ルテミスに頼まれたんだ」

 涼花の問いに、俺は頷いて答える。

「大変じゃないの?」

「人手が足りないから結構大変。畑も広いからさ」

 軽く笑って、俺は返す。

 すると涼花は突然目を輝かせて、

「私も畑仕事やってみたい」

「え?」

 そんな事を、言ってきた。

 



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第十六話「終了」

「……そういえば、昼間畑、やってたよね?」

「うん。ルテミスに頼まれたんだ」

 涼花の問いに、俺は頷いて答える。

「大変じゃないの?」

「人手が足りないから結構大変。畑も広いからさ」

 軽く笑って、俺は返す。

 すると涼花は突然目を輝かせて、

「私も畑仕事やってみたい」

「え?」

 そんな事を、言ってきた。

「友達も居ないし、それに体を動かすのも好きだし。畑仕事やった事無いから、凄く興味がある」

「いやいやいや、大変だよ? 朝は早いし、日によっては一日中屈んで収穫、重たい野菜を運んでたりしなきゃ行けないよ?」

「大丈夫。やってみたい」

「……ルテミスに聞いてみる」

「ん」

 どうやら、目の前に居る少女は俺が思っていたよりも好奇心が強く、ぐいぐい押していくタイプだったらしい。

 そのやり取りで圧倒されていた俺は、これは早めにルテミスに言わないと毎日会う度に何か言われそうだなと考える。しかしまあルテミスとの関わりなんて薄い物だから、何日後になるのかは分からない。

 取り敢えず俺は最後のデザートであるゼリーを食べ終え、席から立ちあがった。

「ごちそうさまでした。……じゃあ、おいおい連絡する」

「ん。じゃあね」

「じゃあな」

 涼花と短く言葉を交わし、俺はその場を後にする。

 食器を台所にいる人に返却し、満腹になったお腹をさすりつつエレベーターで最上階へ。そのまま一番端っこまで歩き、俺はポケットに突っ込んでいた鍵で部屋のロックを開けて中へ入った。

 そのままふらふらと白いベッドに歩いていき、少しジャンプして仰向けにベッドへと沈み込む。

 白い天井に、光る蛍光灯。

 壁も白く、それはフィニティとの白い世界での会話を思い出させる。少し顔を顰め目を右手で覆うと、俺は長く息を吐いた。

 疲れた。今日はもう寝たい。

 率直な思いだったが、しかしお風呂開放時間は七時。今から三十分後で、まだまだ寝れそうにない。

 かといって今日学校に行けてないため教科書も何もなく、予習も出来ないし遊戯室に行っても一人寂しいだけだ。

 外はもう暗くて、畑仕事も出来ない。テレビも無い。

「……暇だあ」

 ため息交じりに呟いて、俺はベッドから起き上がった。

 お風呂の道具を簡単に纏めて、学校案内書を何となく取って読み始める。

 『普通学科』の、俺は一年二組だ。

 生徒手帳に書かれているから分かる。教室は『普通学科』の校舎の二階にある。全四階建てだ。

 図書室、保健室、体育館に運動場。視聴覚室に木工室と、大抵の教室は全て入っている。当たり前かもしれないけど、その教室それぞれが大きく、案内書には最新機器が使われていると写真付きで書いていた。

 欠けている教室は、恐らく無い。

 全ての高校が、この校舎で生活できるだろう。専門学校から、普通の公立まで。

 電車内でも読んでいた案内書をじっくりと読み進めていき、気づけば七時。

 俺は大浴場に一人で行って隅っこで一人で入って一人で出てきて、そしてその日は速やかに眠った。

 




これでひと段落・・・と言ったところですね。
次回からは学校生活がスタート・・・?

物語が進みます。では、また明日!


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第十七話「朝食」

翌日。

 朝六時に起きて、俺は畑を見に行った。

 春とは言え、朝の空気は冷たい。吐く息が時折白くなるのを見つつ、寮の外に出て裏手にある大きな畑へと回る。

 朝露に濡れた、元気で瑞々しい野菜は健在だった。手入れの行き届いている土がそうしているのだろうか。

 そして、それよりも畑の向こうに広がる山脈の影、その上に広がる赤い空と太陽は圧巻だった。

 『聖域総合高等学校』は東京の端にあって、すぐそこに県境がある。そして本当にここは東京なのかと思うくらいに緑が深く、裏手から見える景色は凄く綺麗だ。田舎でも見えた景色だけに、見えると少し安心する。

 畑の野菜を一通り確認し終え、俺は自室へと長い道のりを辿る。

 部屋に鍵を使って入って、時計を見れば六時半。七時から朝ごはんの時間だ。

 それまでに、制服に着替えたり宿題をやったり教科書を整理したりと、色々な準備を済ませなければならない。

 俺の場合は教科書が無いから早く準備が終わる。10分程度で準備を済ませた俺は、ベッドに腰かけてぼーっとしつつ暇な時間を過ごす。友達できるかなあ、とかそんな事を考えていれば時間は過ぎる物で、気づけばもう六時五十五分だった。

 そろそろ行くか、と立ち上がり部屋を出る。そのままエレベーターまで向かい、食堂のある階へと下りていく。道中には何人か生徒が居て、『普通学科』の人も『精霊学科』の人も居た。

 食堂に辿り着けば、もう食堂は空いていた。夕食と同じように一列になって、好きなだけ台の上から料理を自分で持ったお盆に乗せていく。

 今日のメニューは焼鮭にお味噌汁、白米に納豆、漬物という和食。

 お茶か水、牛乳やヨーグルトなどもお盆に乗せた俺は周囲を見渡して、誰も居ない食堂の隅っこへと座った。

 悲しきかな、ぼっちの俺にはこの端っこが一番落ち着くのだ。

 朝から結構大盛りにした白米に三枚乗せた焼鮭、山のように乗っている漬物とお椀満タンのお味噌汁を少しづつ食べていく。

 料理は全てが美味しくて、食堂は賑やかだ。楽しい雰囲気に自然と頬が緩むのを感じていると、今日も又突然目の前にお盆が置かれた。

「おはよう」

「おはよう、涼花」

 今日もまた、涼花は俺の前に座る。

 長い黒髪に蒼い瞳。眠そうに小さく欠伸をすると、少なめのご飯を「いただきます」としっかり言ってから涼花は食べ始めた。

 特に会話することも無いので、俺達に会話は無い。向かい合って黙々と朝ご飯を食べ続けて、少なめの朝ご飯をよく噛んで食べ終えた涼花と、最後のほうは苦しくなりつつも食べきった俺は丁度同時に食べ終え、一緒に「ごちそうさまでした」と告げる。

 食器を台所まで持って行って返却し、食堂の出口までそれとなく俺たちは一緒に歩いていく。

 会話もなく、歩いてた所で。目の前に、銀髪をツインテールにした赤い瞳の少女が現れた。

「あ、ルテミス。おはようございます」

「……おはようございます。朝から何でしょうか」

「うわあ嫌そう。えっとですね、此方の女性が畑を手伝いたいと言ってきまして……」

「おはようございます。矢代涼花です」

 ルテミスに向けて言うと、すっと俺の後ろから出てきて横に並んだ涼花がぺこりと頭を下げた。

 その礼儀正しい姿に少し感心したように息をのんで、直ぐ後に何故か俺を睨み付けて、ルテミスは涼花へと話しかける。

「畑仕事を手伝ってくれるのなら、此方としても願ったり叶ったりです。しかし、畑仕事は大変ですよ? それにこんな男も一緒ですし、本当に良いのですか?」

 この先輩は本人が居ると言う事を忘れてはないだろうか。

「はい、問題ないです。私も何かやりたい事があったので、畑仕事をやらせてくれるなら全力で働かせて頂きます」

「そうですか。では、宜しくお願いします。道具や、用事などがある場合は私に。畑仕事の詳しい説明は癪だとは思いますがその男に」

「わかりました」

 どうやら、話は一段落したらしい。

 何故か俺がボロボロに言われていたのを除けばスムーズに決まった。涼花とルテミスはもう一度お互いに礼を交わすと、ルテミスは俺の横を通って食堂へ。涼花は、俺に少し手を振ってから女子寮へと戻って行った。

 



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第十八話「学校」

俺も部屋へ戻り、登校時間までをぼーっとして過ごす。

 『普通学科』の1-2には、八時二十五分までに着けば問題ない。今は七時半で、寮から校舎までは七分くらいだ。

 昨日学校に行けなかった事も含めて、八時に学校の職員室まで行けば良いだろうと学校長も言っていた。だから出るのは七時五十分くらいだとしても、それでもまだ時間は余る。

 適当な暇つぶしを見つけなければ行けないな、と思いながらベッドの上で二十分間を過ごした俺は、しっかりと部屋の鍵と学校用のバッグを持って部屋を出る。因みにこのバッグは二代目だ。昨日、単眼の巨人との戦いで一個目のバッグはぐちゃぐちゃにされたのだから。

 寮の出入り口に向かっている間にも沢山の生徒達とすれ違い、しかし外に出る人はいなくて結局一人寂しく登校する事に。

 いつかは友達と登校したい。

 と、そんな事を考えている内にもう着いた。目の前には、壮大な白い校舎が建っている。

 『聖域総合高等学校』、『普通学科』。首が痛いくらいに上を向いて、やっと屋上が見える高さ。 建物の端から端までは500mくらいあるだろうか。都会の中にもこんなに大きい建物は無かったし、田舎にも勿論存在しない。

 初めて見る巨大な建造物に、俺は若干押され気味になりながらも下駄箱へ入る。1-2の表札を探すと、自分の所に外靴を置いて学校用のバッグから上履きを取り出した。

 もぞもぞと上履きを履いた俺は、学校案内書を見て職員室を目指す。

 校舎の中は白く綺麗で、長い廊下には幾つも教室がある。ドアの上にはここがどの教室かを示表札が付いていて、水道もトイレも至る所に設置してあった。

 学校ってこんな所なんだ、と隅々まで眺めながら、二階への階段を上がる。

 そのまま廊下を歩いて、角を曲がって、職員室へと着いた。

 三回軽くノックをする。

「失礼します」

 そして、俺は中へと入った。

 俺の声に反応して、何人もの先生が俺をちらりと見る。コーヒーを飲んでいる人やパソコンを打っている人、先生同士で談笑している所もあった。

 その中で唯一、ちらりと見るだけでなく俺のほうに駆け寄って来てくれる先生が居る。その先生は俺の前に立つやいなや、直ぐに話し始めた。

「おはよう、君が上代式君だよね? 昨日は災難だったね。お疲れさま。私は夕張。夕張先生と気軽に呼んでね!」

 そう言い、夕張先生はにこっと笑う。

 黒髪のポニーテールがその動作に合わせてふわりと揺れて、俺よりも少しだけ小さい夕張先生はどうやら昨日の事を知っているらしかった。

 となれば、この人が俺の担任だろうか。夕張先生はあっ、と口元を押さえて、慌てて職員室の奥へと駆けていく。数秒待っていると、やがて沢山の教科書を両手で抱え持った先生が此方へと歩いてきていた。

「……重たいなー、もう。じゃあこれ、教科書ね。忘れてたけど、私が君の担任ですよー。じゃあ、遅刻しないように! また後でね、式君!」

「え、あはい! 失礼しました!」

 どさどさっと渡された教科書を抱えて、俺は職員室を後にする。

 やはり夕張先生は俺の担任だった。面白そうな先生だと言うのが第一印象。

 教科書を抱えて、向かうのは1-2。廊下を歩いて、表札を眺めて確かめて、俺は足でドアを開けて教室の中へと入った。

 案の定、中には誰も居なかった。自分の席がわからないけど、出席番号順のロッカーはギリギリ分かる。クラスの人数を超える数があるロッカーの中から一つ、完全な空きを見つけた。出席番号は自分の物で、俺は取り敢えずそこに教科書類を全て突っ込む。

 軽くなった両手。後ろの黒板に書いてある今日の時間割の中で使う教科書だけを引き抜いて、次に教卓へと向かう。

 教卓の上には、勘だったが席の並びが書いてあった。自分の席を探して、そこに腰掛ける。

 机の中に今日使う教科書を入れて、俺は一息付いて机に突っ伏した。

 教室の一番窓際。その真ん中より少し後ろの列の席は横を見れば直ぐに窓から青空が見える。風に吹かれて流れる白い雲をぼんやりと眺めている内に、続々と教室に人が入ってきた。

 少しだけ様子を伺うと、何人かは俺をちらりと見たりしている。

 昨日来なかった人間なのだ。少しは興味を持たれているのだろう。

 やがて、教室は喧騒に包まれていく。その心地よい賑やかさの中で一人空を見ている内に、八時二十五分になってチャイムが鳴り響いた。生徒たちは直ぐに自分の席へ座り、あれだけ煩かったクラスが急に静かになる。

「おはようー! じゃ、HR始めよっか!」

 その静かさを破る夕張先生。右手にファイルと書類を抱えた先生はドアを後ろ手に閉めると、教壇の上に立ち教卓にファイルを置いた。

 それと同時に、誰かが「きりーつ」と告げ、教室中の全員が立ち上がる。

 声を揃えて挨拶し、全員が座った所で夕張先生はにこやかに笑いながら話し始めた。



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第十九話「授業」

「おはようー! じゃ、HR始めよっか!」

 その静かさを破る夕張先生。右手にファイルと書類を抱えた先生はドアを後ろ手に閉めると、教壇の上に立ち教卓にファイルを置いた。

 それと同時に、誰かが「きりーつ」と告げ、教室中の全員が立ち上がる。

 声を揃えて挨拶し、全員が座った所で夕張先生はにこやかに笑いながら話し始めた。

「今日は時間割通りだよー。学校に入学して二日目だけど、この学校はどうかな? 慣れてきた……って言うのは早いかな? ま、廊下とかで初めて会う先生には元気よく挨拶して、クラスの皆の名前を覚えること。『ゆうばりせんせー、お昼ご飯一緒に食べよー』っていうのも大歓迎だからね!」

 ぐっ! と元気よくサムズアップする夕張先生に、クラスの中で笑いが起こる。

 仲の良さそうなクラスに違わず、元気の良い先生だ。黒髪のポニテを揺らしつつ、HRの余った時間を生徒との雑談で潰している。身振り手振りを交えつつ、常に笑顔を絶やさない。

 会話には参加せずとも、話は聞いていた俺も時々笑っていた。夕張先生が話を終えたタイミングで丁度チャイムが鳴り、皆が一時間目の授業の準備を始める。

 夕張先生も黒板に授業の内容を書き始めた。一時間目の教科の担当は夕張先生である。

 火曜日の朝、晴れの日差しを浴びながら窓際の席で机の中から教科書を取り出し、バッグから筆記用具を取り出す。シャーペンをくるくると回しながら、授業が始まるまでの十分間を潰す。

 チャイムが再び鳴る。号令をして、夕張先生の授業が始まった。

 一時間目の夕張先生の授業は、分かりやすくそしてやはり面白い授業。

 問題を幾つか出して、回答を生徒に黒板へ書かせた後に詳しい説明をしてくれる。基礎的な所をしっかりと押さえつつも応用問題も出していき、解説には覚えやすい様に例え話をしてくれていた。

 その授業内容は基本的な物。田舎の教員免許持ちのお爺ちゃんとお婆ちゃんに教えて貰っていた範囲だったからスムーズに解けて、理解も深める事が出来た。夕張先生の話にリラックスして授業に取り組み、50分の授業が直ぐに終わる。

 チャイム、号令。その一連の流れをこなし、二時間目の授業の準備をしてから教科書を捲りつつ、徐に教壇を見上げるとそこには夕張先生が変わらずに居た。

 先生は教卓に置いてある教科書を見て、黒板に何かを書いて、見て、書いてを繰り返している。

 二時間目も夕張先生が担当なのだろうか。

 中学、高校では教科によって教える先生が違うって聞いていたのだけれども。

 ……まあ、二時間くらいなら珍しくも無いのだろうか。田舎のマンツーマン授業を受けていた俺は話しか聞いた事が無いから分からない。

 しかし。

 三時間めも。四時間目も。

 夕張先生はずっと教壇に立ち続け、面白く分かりやすい授業を繰り返していた。

 



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第二十話「食堂」

 夕張先生はずっと教壇に立ち続け、面白く分かりやすい授業を繰り返していた。

 その事に疑問を抱きながらも、俺は特に何も言わずに授業を受けていた。クラスの何人かも授業と授業の合間に挟まれる休み時間に不審そうに会話したりして居た物の、夕張先生に何かを言う人は居ない。

 誰も変だと言わない、なし崩し的に四時間全ての授業を完璧に終わらせた夕張先生は、四時間目の終わりを告げるチャイムが鳴ったと同時に英文を書いていた手を止める。

 白いチョークを黒板の淵に置いた先生は、少し疲れたような笑みを浮かべた。

「ふう、じゃあ四時間目は終わり! お昼休みを挟んだら五時間目だからね? 教科書やその他諸々、忘れないようにー!」

 その一言で、皆の緊張が解ける。号令をしてから、クラスの大半が席を立った。

 寮に入っている人は、お弁当が無い。厨房を借りて作る人も居るらしいけど、そんなめんどくさい事をするのはごく少数だ。

 大体は購買で買ったおにぎりやパンで済ませるか、一旦寮まで戻って昼食時に解放される食堂でお昼を食べるかの二択。

 俺は寮に戻って食堂だ。財布と携帯、最低限の貴重品だけを持って俺は人々の波に紛れて『普通学科』の校舎を出ていく。上履きを外靴に履き替えて、黒くて固い地面、コンクリートを踏みしめて歩く。

 田舎の道は土が剥き出しの道で、それに慣れてしまっていたがこのコンクリートも歩きやすい。

 やっぱり都会は進んでいるなあとか考えている内に寮へ着いた俺は、真っすぐに食堂へ向かう。

 食堂にはもう結構な大人数が居て、最早食べ始めている人や台から料理を取っている人、列に並んで友達と楽し気に会話している人も居た。

 黒と紺色の制服が入り混じる中で、列の最後尾に俺は並ぶ。今日のお昼は竜田揚げにご飯、お味噌汁とサラダ等。揚げ物の良い匂いが空腹を加速させている。並ぶ、その僅かな時間ももどかしい。台の前についた俺はお盆の上に竜田揚げを山盛りにして、ご飯もてんこ盛りにする。

 今更だけれど、結構な大食いの俺は田舎でも野菜を食べまくっていた。

 まあ、それでも全く困らないのが上梨村だ。農業は自分たちが生きるためで、上梨米なんていうのは半分くらい趣味だよと村長が言っていた。

 それで良いのかと思ったりしたけど、そのお陰でご飯が食べれていたのだ。文句はない。

 重たいお盆を持って定位置になろうとしている食堂の端っこに座り、お盆をテーブルに置く。プラスチックの箸を持って頂きますと唱和して、俺は熱々の竜田揚げへと箸を伸ばした。

 タルタルソースに絡めて口の中に入れて、ざくざくとした触感と味わい深い香りを楽しむ。

 食堂のご飯は全て美味しい。これだけで疲労が吹き飛ぶ。

 一つ、また一つと竜田揚げを咀嚼し嚥下していく。食堂の端っこでご飯を食べ続ける俺の前に、何時も通りにお盆が置かれた。

 その上にあるのは、俺以上に盛ってある竜田揚げにご飯にサラダにお椀三個のお味噌汁。

 涼花か、と一瞬思うも、涼花は少食だ。こんなに量を食べる訳が無い。

 じゃあ誰だ――――と俺は視線をお盆の持ち主へと向けて、そして思わず声を上げた。

「ゆ、夕張先生っ!?」

「『ゆうばりせんせー、お昼ご飯一緒に食べよー』っとかさ!! もっと気軽に話しかけて来いよ思春期ボーイ&ガール!!」

 やけに思いの籠った叫びを上げて、夕張先生は目の前の椅子にどかっと座った。

 



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第二十一話「興味」

「『ゆうばりせんせー、お昼ご飯一緒に食べよー』っとかさ!! もっと気軽に話しかけて来いよ思春期ボーイ&ガール!!」

 やけに思いの籠った叫びを上げて、夕張先生は目の前の椅子にどかっと座った。

 呆然としている俺の前で、竜田揚げを一気に二つ頬張る夕張先生。ぐもぐもと頬を膨らませてリスの様にご飯を食べて、水と一緒に飲み込む。

「全く。草食系だよ最近の子は」

 そんな年寄りっぽい事を言っているが、夕張先生は大分若い。

 実年齢は知らないけれど、見た目から見れば20代前半。白米を物凄い勢いで食べる先生に少し気おされつつ、俺はお味噌汁に口をつけた。

「……ふう、疲れた。四時間ぶっ続けの授業とか鬼畜すぎ笑えないって」

「お疲れ様です……」

「うん、ありがとう。というか式君は友達居ないの?」

「……そんな事は無いですよ?」

「居ないのか」

「知りません」

 箸と口は止めずに会話する。そんな器用な事をしている途中で、夕張先生は箸を置いて突然切り出した。

「昨日の怪我は無い?」

「えっと、直してもらいました。『精霊学科』の矢代涼花さんに」

「へえ、[ツクヨミ]にか。……そう」

 氷水の入ったコップを傾けて、中に入っていた氷を口に含む。それを噛み砕く夕張先生は、徐に尋ねてきた。

「式君はさ、『精霊』に興味はある?」

「『精霊』にですか?」

「うん」

 夕張先生は頷くと、少し前のめりになって俺に答えを促す様に黙る。

 『精霊』。人間を超えた力を持つ存在。

 その彼らに、俺は異常とも言えるほどの恐怖を抱いている。しかし、それだけでは無い。

 昨日フィニティとも会って会話して、単眼の巨人以外にも良い『精霊』が居ることを俺は知った。恐怖はあるものの、『精霊』そのものへの興味は、

「……あります。『精霊』に襲われたりしたけど、それでも興味はあります」

「そっか。じゃあ、特別に少しだけ教えちゃおうかな」

 夕張先生はそう言うと、顎に手を当てて考え込んだ。

 何故急にこんな質問をしてきたのかは分からないけど、普段全く接す事の無い『精霊』の話を、分かりやすく面白い授業をした夕張先生から聞ける。

 それだけで十分価値はある。俺もお盆に箸を置くと、食堂の昼食時の喧騒の中、夕張先生にだけ意識を向けた。

「んーとね。人間を超えた力を持つ『精霊』なんだけど、その力を使うためには前提としてその『精霊』と契約していなきゃいけないんだ」

「はい」

 ここまでは昨日、フィニティにも学校長にも言われていた。

 しかし、ここから先の話は初耳であり、俺は思わず体を傾けて話に聞き入る。

「実はね、その契約にも幾つか種類があるんだよね」

「契約に、種類?」

「そう。一つ目は『精霊』と大前提として行う、普通の契約」

 そして、と夕張先生は言葉を続け、にやりと笑みを浮かべた。

「二つ目は、直前契約――――ステイ・リンク」

 直前契約。ステイ・リンク。

「これは、『精霊』の持つ能力を使うための前段階。この状態では身体能力が上がって、物凄く力の強い『精霊』ならほんの少しだけその『精霊』の持つ能力を使える程度なんだ。これはまだ未完成で、この上にもう一つ契約の段階があるの」

 例えるなら、下書きだね。と夕張先生は告げる。

 下書きならば、その次にやるのはペン入れ等。つまり、完成させる。

「その最上位段階が、憑依契約。ポゼッション・リンク」

 そこで言葉を切り、一拍間を置いてから先生は再度話し始めた。

「ポゼッション・リンクなら、自分が契約している『精霊』の力を全て使う事が出来る。ステイ・リンクとは比べ物にならないくらい強い力が手に入る。『精霊』と契約している人は、このポゼッション・リンクをして初めて認められる感じかな」

 ステイ・リンクは身体能力の強化と、『精霊』が強ければ少しの能力が使用可能。

 ポゼッション・リンクは身体能力強化に『精霊』の能力が完全に使える。

 直前契約と憑依契約、下書きと清書。

 どちらがより、完全に近いか。力を発揮できるか。

 契約の段階を全て語った夕張先生は、箸を取って再びご飯の入ったお茶碗を持ち上げた。

「ま、これが『精霊』との契約だよ。知っておいて損は無いと思う。さ、ご飯食べちゃいな! 五時間目遅れるぞー!」

 その声に急かされて、俺は急いで残りの竜田揚げを頬張り始めた。



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第二十二話「襲撃」

食後、重たい腹を抱えて食堂のある寮から『普通学科』の校舎まで走って戻り、息も切れ切れに俺は自分の席へと付いた。

 後五分くらいで五時間目の授業が始まる。五時間目は理科で、六時間目は体育館での体育だ。

 やはり夕張先生は五時間目も授業をこなしていた。この時点で生徒から夕張先生に向けられる視線は尊敬の念が多く混じっており、時折先生をべた褒めしている会話も聞こえる。

 本来移動教室というものは友人と行くようだけど、俺は残念ながら友人が居ない。

 体育の授業道具をもって、俺は体育館まで一人歩いていく。道中、何人かの生徒とすれ違ったものの、会話は無かった。

 体操着の下には赤い宝石の付いたペンダントはなく、流石にポケットに入れている。

 運動中にペンダントを付けるのは危ない。何回も上梨村で怒られたものだ。

 体育館に設置してあるホワイトボードで一年間の体育の流れを説明する夕張先生。黒いマジックがキュッキュと音を出し、綴られていく文字を俺たちは体育座りで追っていく。

「さて、一年間の体育はこんなもんかな。じゃ、今日は簡単に鬼ごっこでもしましょーか!」

 夕張先生はそう言うと、俺に視線を向けた。

「式君、悪いけど体育倉庫からストップウォッチとフラッグを持ってきてくれるかな? 体育倉庫は体育館の裏にあるから」

「分かりました」

 俺は頷き、素直に従う。立ち上がって小走りで体育館を出て、体育倉庫の重たい扉を開けて中に入った。

 窓も少なく、暗い体育倉庫は埃が充満している。何度か入り口で咳き込むと、俺は中へと入った。

 マットを踏みつけ、体育祭で使うような大縄を乗り越えて、奥の方にあった赤と白の旗はカゴに入っていて、俺はまずそれを丸ごと持ち上げる。

 その後、ストップウォッチを一分くらいで探し当て、カゴに放り込んだ。

「ごほっ、ああ、埃凄いな……」

 歩く度に巻き上がる埃。何度も咳き込んでいるうちに思わず呟き、俺は体育倉庫を手早く後にする。

 カゴの中身をわっさわっさと揺らし、体育館の中へ。皆がルールを確認している中に入って、夕張先生に道具を渡した。

「ありがとう、式君。じゃあ皆、集まってー! チーム決めするよー!」

 その声に皆が元気よく返事して、俺たちは小さく一か所に固まった。夕張先生が各々の身体能力を見極めて公平にチーム分けしていき、結構スムーズにチームは決まった。

 俺の居るチームはBチーム。最後に夕張先生自身が審判になる事を告げて、そして鬼ごっこが始まる。

 ――――筈だった、その瞬間。

 突然、一か所に固まっていた俺達を取り囲むようにオレンジ色の透き通った壁が生成された。まるで結界の様なそれは、俺達を包み込んでいる。

 完璧に隔離された。事情を呑み込めない生徒達が全員ざわざわと騒ぐ中で、やがて俺はぼそりと呟く。

「……『精霊』……!?」

 人間を超えた力を持つ存在。

 ステイ・リンクでは身体能力強化と、本当に強力な『精霊』は能力の一部を。

 ポゼッション・リンクでは身体能力強化に『精霊』の能力を完全に使える。

 この透き通ったオレンジ色の結界は人間には作り出せないだろう。なら、答えは一つしか無い。

 今この場に、『精霊』とポゼッション・リンクしている人間がいる。そしてその人間は、俺達を隔離した。

 いや、そもそも俺の推測があっていたとして何の利益があるのだろうか。

 『精霊』と契約していない常人が集まるのがこの『普通学科』なのに。どうして、何故?

 ……俺がそうして一人、段々と大きくなる喧噪の中で静かに考えていた時。突如、体育館の扉が破壊されて。

 そして、そいつらは現れた。

 一人は人狼。もう一人は、右手にオレンジ色の光を宿している、恐らく結界を張っている人物だった。

「な、何だよあいつ等っ!?」

 生徒の一人が叫ぶ。

 その声に呼応するように騒ぎはドンドン大きくなっていくが、やがて人狼が右手を挙げて。

 真上から、右腕を体育館の地面に突き刺した。

 次の瞬間、その突き刺さった部分から亀裂が体育館を走る。ミギミギミギ!! と体育館を軋ませた人狼は、亀裂が止まると同時に右腕を床から引き抜いた。

 それだけで十分だったから。

 今まで煩かった俺達は、目の前に突き付けられた恐怖に全員が固まった。何も言えず、どうやっても動けない。何かしたら殺されるかもしれない。そんな非日常的な考えが脳に真剣な考えとして浮かぶくらいに、その人狼の見せた圧倒的な力は純粋な恐怖を覚えさせる。

 俺も、動けなかった。

 膝が笑い、奥歯がカチカチと震えて音を鳴らす。視界が貧血の様にぐらんぐらんと揺らぎ、脳に霞がかかったかのように考えが及ばなくなっていく。

 明らかに、俺はこのクラス内で一番怯えていた。恐怖に支配されていた。

 辛うじて立っている俺の傍に、心配そうにクラスメイトが寄ってくる。が、それらの中で一番最初に俺の元へと来たのは夕張先生だった。

 何も言わずに、先生は俺の背中を優しく撫でてくれる。段々と恐怖が薄れていく中で、やがて人狼の低い声が体育館に響いた。

「……光あれ。『精霊』の頂点、[アマテラス]に光あれ」

 [アマテラス]。

 初日の、単眼の巨人。あれを隠す程に強力な光を操り、光のカーテンを作り上げた『精霊』。

 ルテミスが言っていた。あれ程の光のカーテンを作れるのは、[アマテラス]以外居ないと。そしてその名前が出たと言う事は、こいつ等は少なからずあの単眼の巨人に関係していると言う事。

 緊張感が漂う中で、夕張先生の厳しい視線が人狼と結界を作り出している黒フードに向けられる。

「光あれ、光あれ。若き人々よ、[イザナミ]を差し出せ。そして、[イザナギ]へ案内せよ。冥府の門を開かん、今『無限の精霊契約者』を甦らさん……」

 虚ろに、奴らは「光あれ」と繰り返す。

 [イザナミ]と[イザナギ]は確か、日本神話に出てくる神様だ。

 だが、『無限の精霊契約者』という言葉は聞いた事が無かった。困惑する俺。静かに押し黙り、涙を浮かべ拳を握りしめ、友人同士で身を寄せ合い恐怖を耐えるクラスメイト。

 何も言わずに、俺を落ち着かせようとしてくれている夕張先生。

 混沌と呼ぶのに、相応しい場だった。

「[イザナミ]を差し出せ。[イザナギ]へと案内せよ。『精霊』と契約を交わしている、夕張よ」

「っ!?」

 ビクッ、と俺の背後に立つ夕張先生の肩が揺れたような気がした。

 俺の背中を撫でていた手も止まる。しかし人狼の言葉は、続く。

「早く出てこい、[イザナミ]!! 早く出てこなければ、一人ずつ殺す!!」

 クラスメイトが全員、震え上がった。

 後ろを少し伺えば、夕張先生が唇を噛みしめて震えている。その瞳には少なからずの憎しみが含まれている様で、その何時もとは違う雰囲気に俺は察する。

 夕張先生は、『精霊』と契約している。

 そしてその『精霊』は、恐らく人狼の求めている存在。

 [イザナミ]だ。

「誰だよ!! おい、[イザナミ]って奴速く出て来いよ!」

「俺じゃねえぞ!」

「私でも無いし! ねえ、速く出て行ってよ!」

 そして、人狼の殺害宣言によりクラスメイトは全員大声を上げる。さっきまで仲の良かった風に見えたクラスメイト達は、[イザナミ]を血眼で探し始めた。

 その中で。

 恐らく[イザナミ]であろう夕張先生と。

 それを何となく察している俺は、黙っていた。

 混乱する様子を見ている人狼と黒フード。

 俺はその場で、長く長く息を吐いた。緊張を無理やりにでも解し、そしてポケットに手を突っ込む。

 取り出すのは、赤い宝石の付いたペンダント。それに気づいた夕張先生が何かを言うよりも早く、俺は口を開く。

「……フィニティ、話がしたい」

 その瞬間、言葉を言い終えるよりも前に内臓が引っ張られる様な感覚が俺を襲い、そして意識ごと引きずり込まれていった。



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第二十三話「契約」

すう、と息を吸い込んだ。無味無臭。口の中を乾かすだけの、無機質な空気が気道を通り肺へと下る。

 目を開ければ、白い世界。地平線の果ては見えず、空の奥は見えない。無限に広がる世界のその中心で、俺は立っていた。

 その正面には、青髪青目の『精霊』。フィニティが、宙に浮かんでいた。

 どこか優しげなその表情。俺はゆっくりと、口を開く。

「……急にごめん。でも、ちょっと用が出来たんだ」

「うん。見てた」

 フィニティは頷く。

「今、人狼と黒フードの奴らが体育館に入ってきてる。俺たちはオレンジ色の何かで閉じ込められてて、[イザナミ]を出せって言ってる。それで多分、[イザナミ]は夕張先生だと思ってる」

「うん」

「でも、夕張先生は抵抗しようともしない。皆を庇おうともしない。……でも、凄く苦しそうで忌々しそうな顔はしてたんだ」

 言葉を切る。

 そして、一気に考えが繋がった。

「夕張先生は『精霊』に対抗できないんじゃなくて、対抗しようとしてない。でもそれだと生徒が死ぬ可能性があるし、夕張先生は俺に『精霊』との契約を事を教えてくれた。どうして? 『精霊学科』でも無い、『精霊』と契約してもいない俺に興味があるかって聞くか? わざわざ? 聞いたとしても、昨日の単眼の巨人についてとかじゃないのか!?」

 まくし立てる。

 それを静かに聞いているフィニティ。

 無言の、肯定だった。

「先生はわざわざ俺を指名して体育倉庫に向かわせた。結界みたいなので閉じ込められた瞬間に、真っ先に俺の処へ来た。皆を宥めて落ち着かせようともせずに。皆が混乱してるのを、放っておいて!」

 なら?

 この俺の、足りない脳細胞を全部使って考えるならば?

 立てられる仮説は、何だ?

「先生は、俺が『精霊』と契約できる事を知っている? いや、もしかしたら今の襲撃の事も知っていたのか!? だからわざわざ契約の事を俺に教えた? 俺を体育館から遠ざけた? 近くに来た?」

 いや、それは可笑しくはないか?

 何故襲撃の事を知っていて、学校長が黙っている。夕張先生が言わなかったのかもしれないけど、どうもあの人狼と夕張先生が仲間とは思えない。それに、夕張先生は人狼達に呼ばれていた。『精霊』と契約していると知られていた。

 敵対関係。夕張先生が[イザナミ]ならば、それなら。

「[イザナミ]は[イザナギ]へと辿り着く為の物だ。そして、[イザナギ]へ辿り着くために夕張先生が必要なんだ」

 そして、奴らの一言。

「あいつ等の目的は、『無限の精霊契約者』だ。そうだ、言ってたじゃないか」

 [イザナミ」を出せ。[イザナギ」へと案内しろ。『精霊』と契約している者よ。

 冥府の門を開かん、今『無限の精霊契約者』を蘇らさん。

「夕張先生の様子を見るなら、きっと『無限の精霊契約者』は甦ったらいけない物だ。そうか、そうだよ……! だから夕張先生はあいつらに呼ばれても前に出ていけない。生徒が混乱していて、あいつ等が求めている物が[イザナミ]だと信じ込んでいる。夕張先生の変化に気付けたのは、俺が一番近くに居たからだ。それくらいの、変化だったじゃないか」

 撫でている手を止める。表情が、険しくなる。

 そんな微細な、けど確実な変化。

 強引。

 色々穴がある。

 でも、それでしか納得できない。『精霊』を知っている俺には、それくらいの突拍子でも無い事でなければこの襲撃に納得できない。

 じゃあ。俺が出来るのは、何だ?

 この仮説が正しいとして、いや。正しくないとしても、皆は危険に晒されている。

 夕張先生は前に出ていかない。この状況を、打開する方法は一つ。

「フィニティ。――――俺と、契約してくれ」

 



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第二十四話「開戦」

「フィニティ。――――俺と、契約してくれ」

 今が、その覚悟を決める時だ。

 『精霊』と契約し、人間を超えた力を扱う。その為の覚悟を決め、確固たる決意を今持つ以外に道はない。

 青い目をすっと細めて、フィニティは笑みを浮かべた。

 そして、浮遊したまま俺へとすっと近づく。右手を伸ばし、俺の心臓の真上にその手のひらを乗せた。

「おっけー。式と契約するよ。……予想以上に早かったね」

「こんな事があったら、嫌でも早くなると思うけどな」

 にこにこと笑うフィニティ。

 その言葉に俺も返すと、次いでフィニティは目を閉じ、体に力を込めた。

 途端に輝く、純白の極光。ペンダントから放たれた光と同質の物を、更に強く放つ。その光はやがて俺とフィニティを包み込み、心臓が段々と沸騰するかのように熱くなってくる。

 速く大きく、高鳴る鼓動。全身に満ちていく力をひしひしと感じながら、俺は目を閉じているフィニティへと声をかける。

「……ありがとう、フィニティ」

 届いたのかどうかはわからない。

 それでも急な契約の要求を飲み込み、俺の願いを受け入れてくれたフィニティは、そのとき確かに笑みを浮かべた。

 光が、更に大きくなる。エネルギーは、膨れ上がり大きくなっていく。

 体が光に飲まれていき、そしてやがて、白い世界には何も無くなった。

 無機質な無味無臭の空気が、ばあっと消える。霧散した白い世界、そこに存在する黒い虚空を俺の意識が認識しなくなった瞬間、突如として意識が覚醒した。

 体育館の香りが、する。空気には多少の匂いが含まれていて、皆の混乱する声が鼓膜を震わせる。

 背筋を伸ばして、後ろを見ればそこには夕張先生が居た。神妙な面持ちで佇む先生に向けて、俺は話し始める。

「……『精霊』と……[フィニティ]と契約してきました」

「っ、そ、そう」

 小さな声だから、混乱している皆には届かない。

 それでも、しっかりと夕張先生には届いた。焦ったように頷く先生へ、俺は更に言葉を放つ。

「俺に契約の事を教えたのは、この為ですか?」

「……うん。ごめん」

「いえ、良いんです。おかげで、俺も覚悟が出来ましたから」

 少し笑みを浮かべてから、俺は振り向く。人狼を真っすぐに見ていると、向こうも俺の視線に気づいたらしい。訝しげに目を細め、細身ながらも筋肉の付いている腕を後ろに引いた。

「先生」

「何かな?」

「……ちょっと、行ってきます」

 先生にそう告げて、俺は結界に手を触れる。

 それは冷たい、透明な壁だった。通り抜けることは出来ず、俺は大声を上げる。

「聞こえるか!?」

 声に、人狼が反応したのを確認。俺は再度声を出す。

「俺が精霊と契約している者だ!! ここから出せ!」

「なっ……!?」

「お前かよ!」

「早く出て行けよ! 誰も死なないうちにさ!!」

 大声に反応したクラスメイトが我が身可愛さに俺を外に押し出そうとする。その流れに逆らわずに居ると、黒フードがそっと右腕を掲げた。

 するとオレンジ色の透明な結界に、人一人が通れるくらいの穴が開く。

 そこへ無理やり押され、外へと突き出される。後ろで結界の穴が封じられて、俺はたった一人で人狼と黒フードに相対した。

 怖い。

 『精霊』を間近にした、恐怖。気張って出て来たのは良いけど、膝を震わさずに立っているのだけでも精神力をかなり使う。奥歯を強く噛みしめて、額に流れる脂汗を鬱陶しく思いながらも、絶対に膝は付かない。

 怖い。

 本能が、俺の体を蝕む。爪が掌に食い込むほどに強く拳を握りしめ、俺は長い時間を掛けて決死の思いを固めた。

「……案内してもらうぞ、小僧。[イザナギ]へと」

 人狼が低い声で唸る。

 それだけでどっと背筋に汗が吹き出し、しかし俺は真剣な眼差しで人狼の瞳を睨み付けた。

 やるしかない。

 俺の決めた覚悟は、こんな事で砕けるのか?

 そうじゃないだろう。

 拳を握れ。腹の底から叫べ。

 村の皆から言われていた。友達や同年代の仲間の素晴らしさを。俺にはその友達とかも居なかったから、村のお爺ちゃんとお婆ちゃんの話は聞いていて楽しかった。夢が膨らんだ。

 そして、揃って言うことは一つ。

「友達を大切にするんだよ」 

 と。絶対に語尾はこれで締めくくる。

 まだ、クラスメイトとは友達じゃない。そもそも何を持って友達と言うかが不明な時点で、誰も友達なんて作れないんじゃないか。

 だから俺は違う解釈をした。村の皆は友達が大切だ。

 なら、大切にしている人を友達と呼んでも良いと思った。その考えを持ったその日から、俺に取っての友達は大切な人、だ。

 村の皆は家族。大事な家族。

 初めての都会。初めての学校にクラス。知らない人だらけでも、俺にとっては初めての同年代だ。

 そして、誰も死んだら行けないと思っている。こんな、訳の分からない奴ら殺されていい筈が無いだろう。

 ……自分を納得させる材料は、これだけで十分だ。

 

 長く長く、俺は息を吐いた。

 一度、右拳を開き。そして再び、強く強く握りしめる。

 その手に宿るのは、強い覚悟。燃え上がる意思は、やがて感情の激流となって―――!!

「行くぞ、[フィニティ]!!」

 大きく叫ぶ。そして、契約の二段階目を開放する。

「―――ステイ・リンク!!!」

 白い純白の光が、心臓から放たれて俺を瞬く間に包み込む。

 体の隅々にまで流れるエネルギー。高く熱く、脈拍する鼓動。

 人の力を超えた力を持つ者。その力を、俺は今この身に宿していた。

 理由は一つ。この場の皆を、殺させないために。守るために。



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第二十五話「恐怖」

「―――ステイ・リンク!!!」

 白い純白の光が、心臓から放たれて俺を瞬く間に包み込む。

 体の隅々にまで流れるエネルギー。高く熱く、脈拍する鼓動。

 人の力を超えた力を持つ者。その力を、俺は今この身に宿していた。

 理由は一つ。この場の皆を、殺させないために。守るために。

「……おいおい、ステイ・リンクで俺たちと戦うつもりか? 知ってるだろ、ステイ・リンクは身体能力の強化しかしない。ポゼッション・リンクに、勝てる訳がねえだろうが……っ!!」

 喋りながら、姿勢を低くしていた人狼。言葉の最後に力を込めて、話し終えると同時に一気に人狼は駆けた。

 人間にはあり得ない脚力で、体育館の木の床をぶち抜きながら人狼は鋭い牙と爪を剥き出しにする。

 人狼の姿勢は低い。そして速い。

 喧嘩とかをした事の無い俺は、取りあえず人狼の来たタイミングに合わせて右足を振り上げた。

「遅えっ!」

 しかし、人狼は何てことなくそれを急停止して紙一重で回避する。右足を振り上げて、バランスを失っている俺へと爪を振りかぶった。

 が。

 次の瞬間、人狼の背中には俺の右踵がのめり込んでいる。蹴り上げからの、踵落とし。体の捻りも体重も体幹とか、全てが最低レベルの素人の攻撃。だがそれは人狼の不意を付き、地面へと叩き付けた。

 俺は慌てて人狼から距離を取る。後ろに飛び退った俺を睨みつけつつ、口元を拭い、人狼は唸る。

「……素人同然じゃねえか。まあ、痛かったけどなあ」

 再度、人狼は体育館の床を踏みしめ、亀裂を入れ、粉砕し、駆け出した。

 超低空。さっきよりも低く、もうそれは四足歩行。岩山を俊敏に駆け抜ける一匹の狼の様に、野生の本能を滾らせた人狼はさっきよりも鋭く速い爪の切り上げを放つ。

 低空姿勢から、バネのように跳ね上がる人狼。爪の切っ先が俺の顔面に向けられて、無我夢中で俺は上に跳んだ。

 すると、ドオン! と大きな音を響かせて俺の体は十数m浮かんだ。

 爪を回避する事には成功。しかし、人狼は回避された事よりも他の事に驚き、叫ぶ。

「ス、ステイ・リンクでしの身体能力だとッッ!?」

 得体のしれない、内臓の浮かぶような浮遊感を数秒味わってから、俺は地面へと落ちた。

 不格好に、膝と手を地面について重い音を立てて着地。その体には、痺れも痛みも無い。

 これが、『精霊』の力。

 常人なら、既に大怪我しているレベルの事をしてもまだ尚体に不具合は無い。

「ポゼッション・リンクに負けず劣らずの身体能力……!? 何なんだ、その力は!」

 人狼が吠える。そして、一切の手加減無しで俺に向かって跳躍。一瞬で俺と人狼の距離はゼロになり、霞む拳打が放たれる。

 ギリギリで、俺はそれを認識して左腕で受け止めた。痛みはないが、強い衝撃が体を芯から震わせる。次いで、休む間もなく人狼の蹴りが打たれた。その蹴りを防げるほど戦い慣れしていない俺は無防備に喰らい、威力をそのまま受け止める。

 少し浮く体。そこへ叩き込まれる、二つの拳。

 肩と鳩尾を穿いた拳は、俺を大きく後方へと吹き飛ばした。

「ぐ……あっ……?」

 全身を体育館の壁に打ち付け、ずるずると俺は滑り落ちる。視界が揺らぎ、頭がぼんやりとしてくる中で、人狼は口を開く。

「まあ、所詮餓鬼の力なんてこんな物か。いくらステイ・リンクでここまで凄くとも、戦い方も何もなってない。宝の持ち腐れだな。[イザナミ]では無いし、さっさと終わらせてやろう」

 犬歯をむき出しにして、人狼は告げる。俺に向かってゆっくりと、堂々と歩く。

 喧嘩慣れも、ましてや戦いにも慣れてはいない。武術の類は何一つやってないし、まともに人を殴った事すら無い。

 人狼には、適わない。このまま殺されて、そして、終わる。そうとしか思えない。

 体育館の壁を背もたれに、俺は地面に座り込んだ。ズキズキと、『精霊』の力を使っていてもさっきのダメージは凄まじく、体に残り続ける。

 どうすれば良い。ここで力尽きたら、何もかもが水の泡だ。大切な人も守れないし、自分も死ぬ。

 人狼を倒すには、最低でも一撃。渾身の一撃を、鳩尾や顔面と言った弱点にぶつけなければならないだろう。全身の力を、一撃に収束して。

 それは分かる。じゃあ、どうやって一撃を人狼に叩き込めばいい? あいつの懐に潜り込んでも殴られ、距離をとれば爪に裂かれる。中途半端な距離は人狼の脚力ならば無いに等しく、強靭な脚から繰り出される蹴りなんて喰らいたくもない。

 リーチの長さも、人狼の方が上。俺が勝っているものは、このタフさと身体能力だけ。

 身体能力なんて言うのは、ポゼッション・リンクした人狼には技の部分で簡単に覆される。タフでも、一方的に殴られ続ければいつかは力尽きる。

 考えろ。脳を回せ、あと人狼の数歩までに、思考の果てまでたどり着け。

 俺に出来る事は、殴る事。それ以外は出来ない。さっきの踵落としなんてまぐれの産物。

『……肉を切らせて、骨を断て』

 突然、脳内で声が直接響く。爽やかな風のような、透明感のある声音はフィニティだ。

『分かるはずだよ。正面から突っ込まなきゃ、渾身の一撃は当たらないって』

 フィニティは続ける。

『例え人狼が強くても、恐怖を捨てて一歩踏み込んだ式と私には絶対に勝てない。そう、踏み込むんだよ、式。恐怖は犬にでも食わせて、一歩の勇気を振り絞る』

 強い口調だった。

 有無を言わさない、フィニティの言葉には強い意志が秘められていて。

 その言葉に心は再度燃え上がり、俺はふらつきながらも何とか立ち上がった。ぼやける視界の中心、人狼をただひたすらに睨み、そして右拳を固める。

 そうだ。骨を断て。

 この体を捨ててでも、あいつをぶん殴る。怖い。怖いけど、でもそれを乗り越えろ! 

 今! この瞬間に、圧倒的な壁を越えろ!!

「……最後まで良く立っていた。だが、死ね」

 人狼の無慈悲な言葉。右腕が後ろに引かれ、膝が折り曲げられる、跳躍の姿勢。一瞬後には、俺の意識は消えているだろう。足の爪が床に食い込み、野獣の眼光が鋭く細められる。

 しかし、その瞬間。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 心を震わせて、たった一つのちっぽけな勇気を燃え上がらせて、俺は地面を全力で蹴り、壊し、砕いて加速した。

 爆発的な加速。ジェットエンジンの如く、重苦しい轟音と同時の急加速に、人狼は一瞬戸惑う。

 それはそうだろう。何故なら、いくら速くともその行為は自ら相手の間合いに飛び込むという動き。素人目から見ても隙だらけの姿に、人狼は困惑しつつも、右腕を振るった。

 耳元で、空気が唸る。鋭い爪が俺を切り裂こうと煌めき、襲い掛かってくる。当たれば大ダメージ、直後に即死。爪に当たらないようにここから後ろに下がっても、恐らくは蹴りでダメージ、直後に即死。

 ならばどうするか。

 答えは、一つ。恐怖を捨てて、勇気を燃やせ。

「こ、」

 走る足を、止めない。

「こ、」

 いや、寧ろ強く右足を踏み込む。爪が俺の肌に突き刺さる、その直前。

「だあああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 ドガアン!! と床を踏み抜いた俺の体を、前へと急加速した。

 左側の頭に、爪の内側である指と掌が当たる。平手打ちの様な形になり、即死はしなないものの脳が震える衝撃が俺を揺さぶる。意識が不完全に暗転、明転を繰り返し。

 それでも俺は拳を緩めなかった。

 体が左からの衝撃で右側に吹き飛びそうになるのを懸命に堪え、踏み込んだ右足の膝を曲げて力を溜める。人狼の懐で体を捻り、右拳に全身の力を一点集中させた。

 これが、最初で最後のチャンス。

 人狼は不味いと思ったのか、すかさず後ろに跳ぼうとする。黒フードも此方に手を向け、何かしらの行動を起こそうとしているが。

 ―――――手遅れだ。

 空気が爆ぜる。気流が渦巻き、体の捻りが解放される。

 固く硬く握りしめられた拳は唯一点、人狼の鳩尾に吸い込まれるようにして放たれた。腹部をミシミシと軋ませながらのめり込んだその一撃は、重たい手応えを確かに俺に伝える。

「……終わり、だっっ!」

 最後の気合い一声。

 肘を伸ばし、撃ち抜かれた一撃の拳は人狼を体育館の壁から反対側まで吹き飛ばした。壁に衝突した人狼は亀裂を走らせ、そして壁を無数の欠片に崩しながら気絶する。灰色の光が放たれて、人狼のポゼッション・リンクが解けた。

 生身の人間が瓦礫の上で気絶しているのを尻目に、俺は黒フードへ接近。

 人狼の最後の一撃のダメージが残ったまま、黒フードにも蹴りを叩き込む。それだけで崩れ落ち、意識を失う黒フード。此方もポゼッション・リンクが解けて、それと同時にクラスメイトを閉じ込めていたオレンジ色の透明な結界が空気に溶けて消えた。

 目の前で起きた、人知を超えた戦いに沈黙が広がる。

「……さっきは、ごめん」

 沈黙を破ったのは、とある生徒だった。

「ありがとう。お前がいなかったら、どうなってたか分からない。さっきはあんな事をして、本当にごめん」

 一人。

 一人だけが、俺に頭を下げて謝った。その様子に呆気に取られていると。皆もやがて感謝と謝罪を始める。 

「いやいやいや、良いって! あれは元々俺がやろうとした事だからさ!」

 そう言って止めようとしても、中々終わらない。

 夕張先生も最終的には俺に感謝の旨を告げ、『精霊学科』の人たちがこの惨状の後始末をしに来るまでその行動は続いた。

 初めての、『精霊』の力。

 初めての、『精霊』の力を使っての戦い。

 初めての仲間。経験。

 今日だけで、色々な経験を積めた。『精霊学科』の先生や警察に事情を話している夕張先生を遠目に眺めつつ、関係者として固まってその様子を眺めている1-2の生徒。

 その中で俺はそっと、小声で呟いた。

「フィニティ、ありがとう。また宜しくね」

 返事は、帰ってきた。

『式も凄かったよ。じゃあ、また! 何かあったら話しかけてねー!』

 元気よく告げて、そして俺の体から『精霊』の力が抜けた。その瞬間、襲い掛かる疲労と痛み。

 『精霊』の力で緩和されていた痛みと疲労が一気に俺を蝕み、クラスメイト達の輪の中で俺は膝から崩れ落ちた。

 



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第二十六話「転入」

「精霊学科編」、スタートです。


翌日。人狼と黒フードの襲撃から一晩経ち、俺は食堂へと向かっていた。

 あの後、警察と学校長によって速やかに処理され、結局俺たち生徒は特に何も言われずに解放された。

 しかし、『精霊』と契約し人狼達を倒した当事者である俺のみ後で直々に学校長と先生に呼ばれて事情徴収され、寮に戻って就寝という流れである。

 警察の質問には素直に答えていたお陰で、厄介ごとにもならずに結構直ぐに終わった。

 それに、俺にとってはその後の方が本題となっていたのである。その内容は、簡単。

 覚悟が決まった。俺は、『精霊学科』に転入するために学校長と話に行ったのだ。『精霊』という人間を超えた力を持つ物と契約し、その力を自在に使えるようになった。だからこそ、俺は力の正しい使い方を学ばなければならない。『精霊』関連の犯罪も知らないし、そして今後また人狼が襲い掛かってくるようなトラブルに巻き込まれないとも言い切れない。

 その為にも、『精霊』と契約したものとして『精霊学科』で勉強しなければならないと思った俺は、直ぐに紙に記入。学校長に渡した。

 結果はというと、即決。どこからか取り出した判子で学校長は直ぐにサインして、制服や教科書などを受け取ったのがつい昨日。

 そして今、食堂へと向かう道中。俺が着ているのは、『普通学科』の黒い制服ではなく、『精霊学科』の紺色の制服。左胸には金色の校章も付いている。昨日渡されたばかりの新品だ。教科書類の準備は昨日のうちに済ませて置いたため、気にする事は無い。

 『普通学科』は1-1、1-2という風に数字だったが、『精霊学科』は1-A、1-Bと言った風にアルファベットでクラス分けがされている。

 俺は1ーA。聞いてみたところ、涼花も同じクラスらしい。

 食堂に辿り着き、お盆をもって台に並んだ朝食を列に並んで取っていく。お皿が大盛になり、ずしりとした重さが両手に加わる。重たいお盆を両手で抱え、ふらふらしつつ何時も通り隅っこへ。

 ドン、と本当に一食分の食材が鳴らしても良いのか不思議になる音を立ててテーブルにお盆を置き、俺は早速食べ始めた。

 数分後、納豆を全力でかき混ぜているとやはり俺の前にお盆が置かれて、そして涼花が長い黒髪を靡かせて前に座る。いつも少食だな、と思って見ていると、涼花はあっと声を上げた。

「おはよう。制服、違う?」

「おはよ、涼花。そう、俺は今日から『精霊学科』なんだ。1-Aだから、涼花と同じだよね?」

「うん。一緒」

 何時も無表情の涼花が、この時だけは表情を崩して微笑を浮かべた。

 容姿の整っている美少女の微笑み。上梨村で見る女性というのは全員お婆ちゃんばかりだったから、その瑞々しく若々しい生気溢れる笑顔に心が洗われる。

「これから、宜しくね。式。分からない事があったら聞いてね?」

「うん。宜しく、涼花」

 そう言えば、涼花は友達が居ないんだっけ。俺もだけど。

 彼女にとって、俺が1-Aに来ることは嬉しい事なのだろうか? そうであって欲しいと願いつつ、俺は納豆のパックをぶち破いた箸を引き抜いた。ぐすん。

 朝食後、寮の自室へ戻った俺は自身の身だしなみを整えて、バッグの中身をもう一度確認する。

 筆箱に教科書。赤い宝石のついたペンダントを首から下げて、黒髪を撫で付ける。大して特徴の無い顔だからどれだけ整えても平凡ラインは超えられないのが最近の悩みだ。

 準備を終えて、俺は自室を出る。

 最上階の端っこから、一番下の入口へ。ホテルのロビーの様な内装の出入り口には、見覚えのある銀髪の少女が掃除機でゴミを吸い取っていた。

 挨拶だけでも、と思い俺が何かを言うよりも早く、カリストア・ルテミスは俺に気づく。

「おはようございます。……今日から『精霊学科』ですか」

「おはようございます、ルテミス。そうです、『精霊学科』デビューですよ」

「……一日しか『普通学科』に通わないって、どれだけ忙しくて慌ただしい生活を送っているのですか? 『精霊』と契約したとも聞きますし」

「契約しましたよ。……んー、取り敢えず濃すぎて何が何だか。俺、田舎育ちだから今まで知らなかったんですけど、都会ってこんなに忙しいんですね」

「それは貴方だけですと即答。他の人も巻き込まないで下さい」

 ルテミスはそう言い、呆れたように息を吐いた。

 その後、人差し指を寮塔の左側、女子寮の方へと向けた。俺もつられてそっちを見ると、ルテミスが口を開く。

「一階の、女子寮の奥に訓練室というものがあります。そこは『精霊学科』の人しか入る事は出来ず、何をする場所なのかと言うと『精霊』の力の使い方を練習する部屋です。『精霊』の力を扱えるのは、『精霊学科』での授業と緊急時、訓練室のみ。『聖域総合高等学校』では、それ以外の処で『精霊』の力は扱えません。覚えておいて下さい」

「分かった」

「訓練室を使う場合は、部屋の外に置いてある受付用紙に名前と訓練室に入った時の時間を記入。夜の十時まで使えます。……それでは、行ってらっしゃい」

「はい! 行ってきます!」

 ルテミスは無表情で手を振る。しかし、見送りというのはそれだけで嬉しい物だ。

 気合十分、俺は入り口を出て『精霊学科』へと駆け出した。

 コンクリートの地面を踏みしめる。天気は晴れだが、雲は多い。桜の花弁が風に乗って舞い踊り、その中を駆け抜ける。緑の多い『聖域総合高等学校』の景色を楽しみながら、走る事七分。

 紺色の制服の人々が沢山見える、『精霊学科』の校舎の前で俺は立ち止まった。

 大きな白い校舎。歩いていく人々。ここに居る人全員が、『精霊』と契約している人なのだ。『精霊学科』の授業には、『精霊』の力に慣れるための戦闘訓練というものがあるらしい。

 それは、怖い。『精霊』と相対するのだから。

 でも、楽しみでもあった。まだ見た事の無い人と会えるし、何よりフィニティの様な良い『精霊』、涼花の様な友達になれそうな人とも出会いたい。ぼっち脱却したい。

 ここからが、俺の本当の高校生活。

 水曜日の朝。白い校舎を見上げて、俺は一歩踏み出した。

「あ、おっはよー! 式君、元気?」

「あ、おはようございます。元気です!」

 ……踏み出した所で、急に声を掛けられて俺は立ち止まる。声のした方向に振り向くと、黒髪をポニーテールに纏めた人が立っていた。

 知らない人ではなく、夕張先生だった。

「ああ、夕張先生ですか。なんだ、驚かさないで下さいよ!」

「あはは、ごめんごめん!」

 笑って軽口を叩いて、俺は再び校舎へと歩き始め、

「もっと違う反応はないの!?」

「ふおっ!? えっ!? 夕張先生何故そこに!?」

「おっせえよ!!」

 お互いに叫びあうと言う、変な事を校舎の前で繰り広げた。



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第二十七話「戦闘」

「ゆ、夕張先生は『普通学科』の先生じゃなかったんですか!?」

「残念。本当は『精霊学科』、1-Aの担任なんだよね」

「……俺のクラス!?」

「そうだよ。全く、私を餌に敵を誘き出してそれに便乗して式君に『精霊』と契約させる様な人が学校のトップ周辺に居るから、忙しいったらもう。キッツイよー」

 肩を落とし、嫌そうに先生は呟く。その様子に何も言えずに居ると、先生はそこでぐーっと背筋を伸ばした。

「ま、気にしててもしょうがない。ほらほら、速くクラスに行きなー!」

「はい、失礼します!」

 強く背中を叩かれて、俺は夕張先生に一言言ってから駆け出した。

 『精霊学科』の白い校舎の中に入って、1-Aの下駄箱に行く。そこの一番下の棚、昨日新しく追加された俺の下駄箱に外靴を入れて、バックから上履きを取り出して履く。

 昨日地図を貰ったから、1-Aの場所は分かる。下駄箱に一番近い階段を、俺は上り始めた。

 教室は三階にある筈で、対して『普通学科』と校舎は変わらないらしい。しかし、『精霊学科』の授業は『普通学科』とは一味違う。数学や国語などの基本的な五教科に、技術や美術、家庭科などの実技四教科。

 普通ならこの九教科で終わりだが、『精霊学科』にはまだある。

 それは精霊学と精霊実技だ。

 文字通りで、精霊学は『精霊』の歴史や性質、契約や戦い方の理論等を考える。精霊実技は『精霊』の力を使った体育のような物で、体育と同じような事をするが体育よりも全然辛い。

 どっちも付いて行けるか不安だ。基本の九教科に付いては上梨村でみっちり叩き込まれたし何とかなるとは思うけど、『精霊』に関する教科には付いていける気がしない。

 予習復習がキツそうだ、と今から不安になりながらも1-Aに着いて、俺は恐る恐るドアを開ける。

 中にいたのは、ごく少数の生徒。まだ朝のチャイムまで十五分もあるし、こんな物だろう。教卓の上にある座席表を確認すると、俺の席は皆がパソコンで名前を打たれているのに俺だけペンだった。昨日慌てて書いたんだろうなと考えながら、自分の席へ。

 窓際の一番後ろ。隣は居ない席に俺は座って、バッグから教科書とかをひっぱりだした。

 机に教科書類を入れたり、精霊学や精霊実技の教科書を眺めたりしている内に鐘は鳴り、夕張先生が前の扉から入ってきた。顔を上げれば、いつの間にかクラスは人で埋まっている。中には涼花の姿も見えて、俺は少し安堵した。

「おはようございます。昨日は挨拶しか出来なくてごめんね。ちょっと用があってさ。それで今日は、新しい転入生がいます! いやあ、三日目なのに忙しい人だよね。うん。じゃあ、立って自己紹介をお願いしようかな」

 夕張先生はそこまで言い終えると、俺に視線を向けた。その視線に釣られるように、クラス中の視線が俺へ向く。いつの間にか増えている席に疑問を抱いていたのだろう、納得した面持ちの人は少なからず居た。

 そんな中で立ち上がって、短く息を吸う。緊張で心臓がばっくばっく鳴るのを自分の耳で聞きつつ、俺は話し始めた。

「上代式です。わけあって『普通学科』から『精霊学科』に転入してきました。どうか、宜しくお願いします」

 そう言ってから、頭を下げる。

 上梨村で村長から教わっていた作法だ。最初の挨拶で人のイメージは決まる、と言われてずっと練習していた。おかげでスラスラ言えて、緊張も何とか解れてきている。

「はい、式君ありがとう。皆も、あの子と仲良くしてあげてね? ……さて、じゃあ今日の連絡だよ。一、二時間目は早速精霊実技です! 内容は最初に言っちゃうと」

 いきなりの精霊実技。クラスがざわめく中で、夕張先生は器用にウィンクを決めた。

「模擬戦だから、気合入れてね!」

 模擬戦。精霊実技。

 ……『精霊』の力を使って、戦うという事なのだろうか。『精霊』と契約して二日目の俺が、ずっと昔から『精霊』の力を使い続け、難関校である『聖域総合高等学校』に入学できるレベルの人たちを相手に戦わなければならないのだろうか。

 ポゼッション・リンクはまだ習得できていない。それとなくフィニティに聞いたところ、

『止めときな? 体爆発するよ?』

 と、冗談なのか本気なのか分からない答えを返してきた。

 つまり模擬戦をするならば、俺は他の人たちが恐らくポゼッション・リンクを使い精霊の力を扱う中で、一人ステイ・リンクのまま接近しての肉弾戦をしなければならないという事だ。

 え、すっごい辛いじゃんそれ。

 例えるなら銃持ってる人間に剣で戦うような物だろう。

 そんな俺の思いも空しく、さっさと朝のHRは終わる。夕張先生に引き連れられて、精霊実技の為に教室を移動し始めた。

 厳重な扉に、「訓練室」と書かれた看板。『精霊学科』の校舎の地下、そのドアの中へと二列で入る。中は白いコンクリートの敷き詰められた訓練する場所に、その外側を囲む観客席の様な物。俺達はまず観客席の様な所に案内されて、椅子に座った所で夕張先生が授業の説明を始める。

「今日はここで、さっきも言った通り簡単な模擬戦をしてもらいます。戦っている人は勿論下のコンクリートの場所で。見ている人は、この観客席で私の解説付きです。豪華だね!」

 凄く良い笑顔を浮かべて言い放った夕張先生に、何と言えばいいのか分からず沈黙する1-A。

 ……数秒間の静寂。明らかにテンションの落ちている先生は、小さな声でぼやく。

「まずは、矢代涼花さん。と、そこの君だ。模擬戦れっつごー……」

「う、うっす」

「分かりました」

 気まずそうに椅子から立ち上がる男子生徒と、変わらない無表情を保つ涼花。二人は下の訓練する場所へ降りると、地面に書かれている青いラインの前で向かい合った。

 その距離は、およそ10m程。

 離れているように見えるが、その程度の距離は『精霊』と契約する人にとって無いに等しい事は理解している。一瞬も気を抜けない、『精霊』の力を使った戦闘。夕張先生が何処からか取り出したリモコンでボタンを押すと、アナウンスがビー、ビー、となり始める。

「3」

 男子生徒が、体に力を込めた。今すぐにでも走りだせ、そして回避出来る態勢。

「2」

 それを前にして、涼花は直立不動。凍てつく蒼い瞳を相手に向けて、固く口を閉ざしている。

「1」

 二人の口が、開いた。

「0」

 開戦。アナウンスが0を告げた瞬間に、二人は大きく叫ぶ。

「「ポゼッション・リンク!」」

 男子生徒の周りに、緑色の光が渦を巻く。それは生徒の体を丸ごと包み込み、直後に光は粒子となって散った。現れた男子生徒は、樹木の鎧を纏い大木の槍を右手に構えている。

 森の番人。そんな言葉が似合うような姿だった。

 見たところ、木を操る『精霊』なのだろうか。思わず前のめりになり、今度は涼花へと視線を移す。涼花の足元に渦巻くのは、紫紺のオーラ。ズズズ……と涼花の体表を覆い、紫の人型が出来た、その瞬間。

 眩い、紫の光が訓練室を覆い尽くした。

 目を腕で覆って、その光から目を守る。光が止んだ頃に目を開き、柵に乗りかかるようにして涼花を見れば。

 矢代涼花に、狐の耳が生えていた。

「……ん?」

 長い黒髪に、狐耳。白と紫の巫女服。極めつけは、左右で目の色が違う。

 右目は何時も通りの蒼、左目はさっきのオーラと同色の紫紺。

 そのコスプレ紛いの姿は場違いの様で、しかし涼花が着ると似合っているという不思議な現象が起きていた。クラスメイト達も微妙な顔で押し黙る中で、夕張先生が低い声で告げる。

「……この戦いは、よく見ておいてね。主に、涼花ちゃんを」

 その言葉と同タイミングに、樹木の鎧を纏い大木の槍を構える男子生徒が地面を蹴り飛ばす。

 荒れ狂う緑の光。体を捻り、右手の槍を強く投げつける。

 真っすぐに宙を裂いて飛んだ槍は、涼花の足元を狙っていた。軽いバックステップでそれを避けた涼花へと、無かった筈の二本目の槍が飛来する。

「大木の槍は、言っちゃえば硬い木を鋭く削っただけ。そう言うと地味なんだけど、彼の『精霊』は一瞬でその槍を生成できる」

 夕張先生が、じっと戦いに見入る俺達へと解説を始めてくれた。

「言っちゃえば、近距離も中距離も遠距離も出来る。無限の槍を放てる、それがあの少年の強みなんだよね」

 大木の槍を、時には屈み時には跳躍し、走ったりスライディングしたりして避ける涼花。投げられる槍にかすりもせず、涼花はさばき続けている。『精霊』の力を全開にしている男子生徒と比べて、涼花はポゼッション・リンクをはしているものの『精霊』の力は全く使っていない。その事に焦りを感じたのだろうか。男子生徒が、大木の槍を生成し、今度は投げずに涼花へと接近した。

「あーあ、やっちゃった」

 夕張先生が、微笑を浮かべる。

 当たらないなら、近づけばいい。相手は避けてるだけなのに――――そう考えている俺とクラスメイト、戦っている男子生徒の考えを欺くように、夕張先生は冷静に見解を述べていく。

「相手の実力が分からないのに、近づいたらダメだよ。折角遠距離の技があるのに、勿体ない。多分すぐに、少年は倒されると思うよ」

 そんな事は無いだろう。

 樹木の鎧に、大木の槍。初心者から見ても防御力と攻撃力が高い少年が、直ぐに倒されはしないだろう。

 そう、高を括っていた。

 涼花は接近してきた少年を見て、今まで動かしていた足を止める。少年はそれをチャンスと見たのか、全力で槍を二,三回突いた。

 それをひらりひらりと躱す涼花。歯を食いしばり、当たらない悔しさに顔を歪める少年。

「くっそ! [タイジュ]、やれえっっ!!」

 少年が叫ぶ。緑の光が強さを増して、一瞬で生成された木々が涼花を突き刺そうと一気に突出する光景を前に、当の本人は涼しい顔で右の手のひらを少年に向けた。

「お願い、[ツクヨミ]」

 刹那。

 涼花の手のひらから、闇夜を思わせる漆黒のエネルギーが放出された。突然の攻勢に驚く少年は、しかし自身には大樹の鎧がある事を思い出しにやりと笑う。

 その笑みの意味は、「俺の勝ち」という事だろう。

 クラスメイトもそれを見て、男子生徒と同じことを思っていただろう。だが、俺は脳内でのフィニティの呟きを聞いて、戦慄した。

『終わったね』

 涼花が右手のひらを少年に向けたその瞬間に、フィニティは脳内でそう言った。ステイ・リンクをしてから話せるようになったのだが、フィニティが話し始めることは殆どない。大抵は俺が話しかけるのだ。

 そして、戦況は一瞬で終わりを迎える。

 黒い砲撃を回避せずに、槍を構えて飛び込む少年。その腹部を穿つ黒いエネルギーの一撃は、当たったその瞬間に大樹の鎧を全壊させた。

「なっ!?」

 少年が叫ぶ。

「嘘だろおお!?」

 クラスメイトが、思わず声を上げる。

 分厚い大樹の鎧が粉砕された。粉砕されるとは思っていなかった物の呆気ない終わりに全員が声を上げる中で、黒いエネルギーは直接少年の体を叩き、吹き飛ばす。

 地面を転がって、壁に背中を打ち付けてやっと少年は止まった。静かに右手を下して一礼する涼花を呆然と眺める俺たちへと、得意げな声音の夕張先生が呟く。

「ね? 直ぐに終わったでしょ?」



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第二十八話「戦闘」

 ポゼッション・リンクを解いて観客席へと戻ってきた涼花。興味と恐怖の混ざった視線を受けて一瞬歩くのを躊躇するも、無表情のまま歩き、俺の隣にすとんと腰を下ろした。

 大樹の鎧を砕かれた少年は半分から折れている槍を杖代わりに、何とか立ち上がる。

 そのままよろよろと観客席へと戻ってきて、何人かの友達に迎えられて席に座った。その様子を視線だけで追い、次いで出される夕張先生の指示に耳を傾ける。

「じゃあ、次は隼人と鷹野。猛禽類対決行ってこーい!」

「はい!」

「………」

 鷹野と呼ばれたムキムキの男は威勢よく返事をし、隼人と呼ばれた生徒はめんどくさそうに立ち上がった。二人は俺と涼花の前を通り、下のコンクリートの所へ。

「涼花、さっきの凄かった! おめでとー!」

「……ありがとう」

 その中で、俺は小声で涼花にさっきの戦闘の感想を述べる。小さく頷いて答えた涼花の眼はもうどっちも蒼い瞳で、それを確認した直後に「0」というアナウンスが鳴った。

「「ポゼッション・リンク」」

 『精霊』の力を扱うために、両者が叫ぶ。鷹野は羽が生えて、手と足には鋭い鉤爪が。対する隼人は、特に変化がない。制服のまま、気だるげに頭を掻いている。

「さーさー、ここも良く見ておいてねー」

 夕張先生が間延びした声で告げ、俺たちは全員前のめりになった。

「特に、隼人君を」

 その声を聴いていたのかどうかは分からないが、言葉が終わると同時に鷹野が両翼を羽ばたかせた。大きく飛翔した鷹野は訓練室の天井スレスレまで行った後に、一瞬のタメを作り一気に飛び込んだ。

 高速で迫る、鋭い鉤爪。猛禽類の持つそれを四肢に構えて、鷹野は棒立ちの隼人に接近。

 そのまま回し蹴りの様に空中で回転して、足をしならせて、

「ふうんっっ!!」

 鈍い音を重く響かせて、隼人へと打ち付けた。観客席から見てても、速く鋭い、それでいて重たい一撃。すさまじい技量の上に成り立つ、空中の急降下からの回し蹴りという荒業に1-Aは全員息を呑む。

 決まった。誰も彼もがそう確信した、そしてそうなる筈だった。

 鷹野の相手が、隼人じゃ無ければ。

 重たい砲丸の様な蹴りを叩き込まれて、隼人は徐に左手を上げるのみだった。それだけだった。

 しかし、鷹野の蹴りはその左腕に当たり、完全に止まる。ビクともしないその腕に、夕張先生とフィニティ以外の訓練室に居る人間は皆、驚愕に目を見開いた。

「……むう、中々やるな!」

「お前が弱いだけだろ。やれ、[ホルス]」

 鷹野が豪快に笑って話すのを、隼人は短く一蹴する。そのままぶっきらぼうに『精霊』へと呼びかけた。

 途端に、隼人の左手側の背中に紅蓮の炎が噴出する。凄まじい熱気と熱量を持ち、熱風を撒き散らしながらやがてその炎は一つの翼へと変化する。両翼の鷹野に対しての、炎の片翼。左手を持ち上げ、鋭く下ろしたその瞬間。

 炎の片翼は左手と同じように動き、鷹野を吹き飛ばした。

 紅蓮の残滓が残る中で、炎の翼が消滅する。ふっ、と力が抜けて、隼人のポゼッション・リンクが解けた。

 礼もせずに、観客席へと来る隼人。強大な蹴りを片手で受け止め、たったの一撃で相手を沈めたその少年には涼花と違い視線には畏怖しか無い。

 地面に倒れ伏せていた鷹野は夕張先生が何回か叩いてやっと起きた。

 それでもまだ豪快に笑う鷹野に呆れた様な笑いが起こり、その後も夕張先生の解説、時にフィニティの言葉もあってスムーズに進んだ。そして、遂に。

「じゃあ次。式君と……うーん、鷹野君、お願い!」

 俺が呼ばれた

「はい!」

「は、はい!」

 元気のいい鷹野につられて、俺も大声で叫んでしまう。がっちがちに緊張したままコンクリートのところへ降りようとした俺に向けて、涼花は小さくガッツポーズを作り呟いた。

「頑張って。応援してる」

「……っうん!」

 笑顔で返す。緊張は、和らいだ。

 青いライン上に立って、俺は何度も深呼吸を繰り返す。模擬戦と言っても、相手は『精霊』。冷汗が止まらないし、膝は震えている。ネガティブな思考が、あふれ出る。

「3」

 鷹野が、構えを取り不敵な笑みを浮かべた。

「2」

 目を閉じて、心を落ち着かせる。覚悟は、決めただろう。ならば、

「1」

 踏み出すしか、無いだろうが!

「0」

「ポゼッション・リンク!」

「ステイ・リンク!」

 鷹野が再び両翼と鉤爪を纏う。俺は青白い光を放ち、そしてフィニティとステイ・リンクした。

 ……戦いは、何故か始まらない。鷹野も動かないで、俺も少し動きづらい。空気的に。どうしたのか、と思っていると突然観客席から声が聞こえた。

「ステイ・リンクで戦うとか舐めてんだろ!」

「お前、ポゼッション・リンクも出来ないのかー? 転入生、雑魚すぎて笑えないんだけど」

「下位互換で戦うとか……ないわ。鷹野は結構強いぞ?」

 その声は全て、俺を非難する声の嵐。鷹野も厳しい表情で、俺をじっと睨みつけている。

「……舐めているのか、転入生」

 低く思い声。鷹野が怒りをこめて声を出す。

 俺は、決して手を抜いている訳ではない。ポゼッション・リンクがしない理由は単純で、俺が出来ないからだ。そして、フィニティにも止められている。

 ポゼッション・リンクをしたら体が吹き飛ぶ。本気だよ、と言われたのはつい昨日。

 鷹野は強いと思う。だけど、これが今の俺の全力なんだ。ポゼッション・リンクに対しても、どんな人間、『精霊』に対しても。このステイ・リンクが俺の全力で、それ以上は無理だ。

 その事情を知らない1-Aの皆は非難し続けている。さっき、隼人に吹き飛ばされた鷹野を迎えていた男子生徒数人は更に酷い。ただの悪口になって行っている。

 悔しさに耐えるために、俺は拳を強く握りしめた。爪が手のひらに食い込み、奥歯を噛みしめる。

 が。

 俺が叫び返そうとする直前に、凛とした声が響き渡った。

「……黙ってて。今は、あなた達の戦う時じゃ無いでしょう?」

 静かな怒気を孕んだ、冷徹な声。非難の嵐が止み、視線は全て声の主である涼花に注がれる。それ以上は何も言わない涼花へと厳しい視線を向け、男子生徒は突然――――

「ポゼッション・リンク!!」

 叫び、そしてオレンジ色の風を纏って涼花へと飛びかかる。

 突然の行動に、驚き動けない周囲の生徒と涼花。鷹野も厳しい表情を崩さず、しかし目を見開き。

 涼花に、癇癪を起した少年の攻撃が当たる。『精霊』の力を使った、人間という脆い存在を殺すには余りにも強大すぎる力が唸りを上げて。

 

 ――――男子生徒は、二つの強力な一撃を喰らい吹き飛んだ。

 

 一つは、青白い軌跡を白いコンクリートの地面から上にある観客席まで描いた右拳。

 一つは、紅蓮の残滓を撒き散らして観客席の上方から叩き込まれた炎の片翼。

 左右、男子生徒を挟むようにして撃たれた二つの攻撃は見事に男子生徒を捉え、男子生徒はポゼッション・リンクも解けて地面に崩れ落ちる。気絶したらしく、俺は額に浮いた汗をぬぐった。

 危なかった。フィニティが『上! 飛んで殴れ!』と言ってくれなかったら、俺も動けなかっただろう。フィニティへの感謝が積み重なる中で、俺は炎の片翼の持ち主、隼人へと頭を下げた。

「助かった。俺一人じゃ不十分かもしれなかったから、この人を止めてくれてありがとう」

「……礼を言われるような事じゃねえ」

 隼人は首を鳴らし、観客席の一番上へと戻っていった。その姿を見送る俺へと、夕張先生が声を掛ける。

「おーい式君、まだ模擬戦中だぞー!」

「あ、すみませんっ!」

 慌てて夕張先生に謝って、観客席から跳躍。浮遊感を味わって、地面になんの痛みも無く着地。

 怖かったけど、『精霊』の力を使えばこれくらいは余裕だと言うことが今の一連の動きと昨日の人狼との戦闘で分かっていた。

 俺は長く息を吐いて、そして鷹野へと視線を向ける。ブーイングはいつしか止み、場を緊張感が支配する。鷹野がさっきとは違い、真剣な表情ではあるけど怒りは無い、そんな顔で俺を見て、そして構えをとる。不敵な笑みを浮かべてから、鷹野は隼人の時と同じように高く高く飛翔した。

 戦闘の開始。

 俺もまた、体に力を込めて鷹野の攻撃を待つ。さっき煩かった皆は、固唾を飲んで見守っていた。

「……ふうんっっ!!」

 鷹野が気合を込めて、そのまま急降下。鉤爪の付いた足を大きく後ろに捻り、上から叩きつけるようにして蹴りを放つ。

 速い。空気を切って、顔面へと迫る一撃。恐怖に体が飲み込まれそうになる中で、俺は後ろへと逃げた。

 しかし、鷹野は後ろへ逃げた俺に向けて両翼を巧みに扱い追撃を仕掛けてくる。

 右手、左手、左足、左手、右手。推進力の方向を調整し、止むことの無い連撃を打ち続ける。その度に後ろへ逃げていた俺は、気づけば壁際に追い詰められていた。

 もう、後はない。鷹野の勝利を確信した大ぶりの一撃が、壁に背を付けた俺へと放たれる。

 どうする、どうする。戦いの常識一つ知らない俺が、この場でどうする――――!?

『恐怖は犬にでも喰わせてって昨日言ったよね!』

 その時、一つの声が脳内で聞こえた。

 爽やかな風の様な声が、脳内にあった恐怖や不安を薄れさして、消していく。視界が鮮明になって、俺へと迫る大ぶりの拳が良く見えた。スローに感じる程に、一つの微動作までじっくりと。

 恐怖は犬にでも食わせろ。一歩の、たった一歩の勇気を振り絞れ。

 弱弱しく握っていた右拳を、俺は強く強く握りしめた。

 人狼の様に、拳を受けつつ殴るなんて事をすれば力負けするか、その前に殴られた時点で終わる。鷹野と人狼ならば、鷹野の方が力は明らかにあるのだから。

 ならばどうする。頭を回せ。限界まで、考えろ。

 鮮明になっている視界の、隅から隅まで見た。考えて、予想した。

 その途中で、俺は何回も負けた。拳を喰らい、それを回避したとしても壁際だから直ぐに追撃が来る。隙を付けるほど強く無い、そもそも俺には隙さえ見つける事すら出来ない。

 そして。

 頭が焼き切れるまで脳を使った、その先に。未来予想図に、勝利は無い。

 諦めるしか、無いのか。勝てないのか? ステイ・リンクではポゼッション・リンクには勝てないのだろうか? それとも、俺自身が弱いのか?

 ……違う。諦めるな。

 未来予想図に無いなら、そこに無かった道を選べ――――。 

 そして。

 俺が選んだ、道は。

 前へ一歩、踏み込む事だった。

「なあっ!?」

 観客席から、傍から見れば無謀にしか見えない行動に驚愕の声があがる。拳の射程内に自ら入る自殺行為。

 一歩踏み込み、俺は強く意思を固める。無茶かもしれないけど、やるしか無い。

 『精霊』は怖い。模擬戦でも怖い。でも、負けるのは嫌なんだ。

 一歩踏み込んだ先で、俺は地面を強く蹴った。上への跳躍。腹部を晒すような行動に、鷹野は迷わずジャンプした俺の鳩尾へと拳を叩き込もうとする。

 が、それよりも速く俺の両足が鷹野の胸板を叩いた。

 大ぶりの攻撃では、大きく背中を反る為に胸元ががら空きになっている。接近からジャンプして、そこを両足で蹴るというアクロバティックな技。実質、胸板に蹴りを喰らう形となり、鷹野はその攻撃に大ぶりの一撃を止む無く中断して、体を後ろへとエビ反りの形になる。

 鷹野の胸板を蹴って、後ろへの推進力を得た俺は直ぐに足の裏を背後へ向けた。

 後ろにあるのは、壁。白いコンクリートの壁が存在している。

 そこに足裏を付けて、膝を曲げて力を溜める。姿勢を崩した鷹野へ、俺は壁を強く蹴り飛ばして突撃。強く強く握りしめた右拳を、がら空きの鳩尾へと撃ち抜いた。



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第二十九話「隼人」

 鷹野の胸板を蹴って、後ろへの推進力を得た俺は直ぐに足の裏を背後へ向けた。

 後ろにあるのは、壁。白いコンクリートの壁が存在している。

 そこに足裏を付けて、膝を曲げて力を溜める。姿勢を崩した鷹野へ、俺は壁を強く蹴り飛ばして突撃。強く強く握りしめた右拳を、がら空きの鳩尾へと撃ち抜いた。

 ドオン! と、鷹野は大きく吹き飛ぶ。そのまま地面に背中を打ち付けて、跳ねてから床に落ちて動かなくなった。ポゼッション・リンクが解けて、鷹野から翼と鉤爪が消滅する。俺もステイ・リンクを解いてから一礼し、大きく息を吸い込んだ。

 最後の、ギリギリの行動。ぶっつけ本番の技だったが、不格好ながらも何とか成功した事に安堵する。

 勝ちはしたが、決して自慢できるような勝ち方ではない。隅っこの壁際まで追い詰められたのだ。

 それに俺はまだポゼッション・リンクが使えない。まだまだ未熟者だという事が、勝ちを通じて心と体に染み渡る。

 観客席へと戻った俺は、涼花の隣へと腰を下ろした。

 夕張先生が次の指示を飛ばす中で、涼花は俺に向けて口を開く。

「さっき、助けてくれてありがとう。……あと、最後カッコ良かったよ」

「いやいや、涼花こそ皆を止めてくれてありがとう。涼花に殴りかかったのは鷹野と一番仲の良さそうな奴だったし……。それこそ、俺がポゼッション・リンク出来ないのが問題だよな」

「でも、式はステイ・リンクでポゼッション・リンクの相手に勝ったでしょ?」

「うん」

「それなら、式はポゼッション・リンクにも負けていない。大丈夫、いつかは出来るようになるよ」

 珍しく語気を強めて、涼花は微笑を湛えて俺を元気づけてくれた。

 さっきの非難の嵐を止めてくれたし、今もこうして言葉をかけてくれる。そんな涼花の姿に俺も自然と笑みを零していた。

 その日は、もう俺が戦う事は無かった。精霊実技は終わり、そのあとに数学と英語。昼食を食べた後に、精霊学と社会。それでこの日の授業は全て終わり、帰りのHRも終わり、俺は涼花と一緒に寮へと帰り始めた。

 道中で、今まで黙っていた涼花が何かに気づいたようにあっ、と声を上げる。

「……畑、お世話しないと」

 そういえばそうだった。

 最近そんな暇も無くて、全然畑に行けていない。今日は時間もあるし、丁度良い機会だ。涼花に畑仕事を一通り教えてみよう。

 思い立った俺は、早速その旨を涼花に話した。すぐに了承してくれた涼花に、ジャージで来てねと言ってから女子寮と男子寮の場所で別れる。最上階の端っこまで俺は行き、自室で手早くジャージに着替えると俺は入り口に行き、そのまま裏手の畑へ。そこにはもうジャージに着替えた涼花が目を輝かせながら立っていて、俺は一つずつ仕事を教えていった。

 もしかしたら畑仕事を嫌がるかもしれない。泥まみれの肉体仕事だし、女子にはキツイだろう。

 ……そう思っていたら。

「涼花、ねえ涼花!? 豪快すぎるよ泥が付くからー!」

「楽しい」

「楽しいのは分かったから落ち着いて!? お願い!」

 杞憂だった。

 涼花は俺よりもノリノリで、泥まみれになるのも構わずに自ら重たい物を持ちジャージを汚し、頬を土で汚して畑仕事をこなしていく。そのまま仕事が終わったのはもう夕暮れ。そろそろ夕食の時間に成るというところで、やっと俺たちは寮へと戻り始める。

 と言っても畑は寮の裏手。戻るのには一分程度しかかからない。

 寮に入ってすぐの所で、俺と涼花は別れた。もう食堂は開いているし、流石に泥まみれのジャージで他のみんなに混ざっての食事は迷惑だから着替えに行くのだ。

 体についた泥を水で濡らしたタオルで軽く拭い、制服を着る。金色の校章の角度を直し、俺は部屋を出た。

 そのまま食堂へ向かい、一列に並んで台に乗っているご飯を取っていく。今日も今日とて大盛。

 夕張先生の取っていたご飯の量には勝てる気がしないけど、それでもかなり多い方だと思う。

 重たいお盆を持って、食堂の一番端っこへ。テーブルにお盆を置いてから椅子に座り、手を合わせてから食べ始めた。今日はハンバーグにじゃがいも、コーンポタージュ等の洋食だ。

 口に次々とご飯を詰め込みながら、俺はこれからの事を考えていた。

 予定なんて殆ど無い。宿題も今日は出なかったし、早速朝ルテミスに言われた訓練室に行ってみるのも良いだろう。

 ゆで卵に塩をかけるために手を伸ばし、テーブルの上に置いてある調味料入れに手を伸ばす。

 そして塩を取った所で、テーブルを挟んで向かい側にお盆が置かれた。涼花かな、と思ったが確実に違う。そのお盆の上には、俺と同じくらいのご飯が乗っていたのだ。涼花は小食だし、こんなに食べない。じゃあ誰だ、また夕張先生かと思って顔を上げると。

「……塩、次貸してくれ」

 そこには、隼人が居た。

 鷹野を炎の翼で下し、涼花を助けた男子。茶髪をオールバックに纏め、180はあるだろう身長を猫背に丸め不機嫌そうな三白眼を俺に向けている。

 俺は焦って塩をどばっとゆで卵に振りかけ、一瞬しまった! と思ってから隼人に塩を渡す。

 隼人も塩を振って、手首のスナップが強すぎて塩がばさあっと大量に出てしまい、厳しい表情のまま無言で塩の瓶の蓋を閉めた。

 何とも言えない沈黙が流れる。数秒後、隼人がやっと食べ始めたから俺もご飯に再び手を付けた。

「……なあ、転入生」

「ん?」

 ご飯を食べていると、突然隼人が話しかけて来る。返事をすると、淡々と彼は言った。

「この後、訓練室で一回戦え」

「……え?」

「俺と戦えって言ってんだ。鷹野郎との模擬戦、俺と同時に一人を攻撃した時の反応速度に興味がわいた」

 隼人は、鷹野の他にも二人と模擬戦をした。そしてその上で、炎の片翼しか使わずに全員を倒したのだ。そんな強い人間からのお誘い。

 速く強くなりたい俺は、直ぐに頷く。

「うん! 俺でいいならやろう」

「……じゃあ、八時ごろ訓練室な」

「わかった!

 そこで会話は終わり、お互いに無言で食事を続ける。『精霊』と契約して、その上で俺は強くなりたい。ポゼッション・リンクも習得して、もしもまた人狼みたいな奴らが襲ってきたらしっかりと対応できるように成りたい。

 意気揚々とご飯を食べる俺の前で、ほぼ同じ速度で食べ進めていた隼人と同時に食べ終わる。

 時間は七時四十分。俺は一度部屋へと戻り、制服から二着あるジャージの綺麗な方を着た。隼人は自分よりも全然強い。その事を胸に刻みつつ部屋を出て女子寮へ。

 一階の奥、今朝ルテミスに教えてもらった通りに進むと一つの部屋の上に「訓練室」と書かれた看板があった。恐る恐る入ってみると、中には沢山の『精霊』と契約している人間が訓練していて、その一角に隼人が立っている。

 駆け寄ると、隼人は無言で歩き始めた。付いていくと、辿り着いたのは観客席の様な物。

 眼下のフィールドでは『精霊』の力を使い、二人が戦っている。

「……訓練室の一部、模擬戦用の部屋だ。予約制で戦えて、悪いけど8時50分から俺たちの番になっている。ここが閉じるのは9時だから、最後の模擬戦だな。時間を取る、すまん」

 戦っている二人をじいっと見つめながら、隼人はそう告げた。

 隣に座っている俺も小さく頷き、戦いを目で追う。刀を持っているだけの男が弓矢の女子と戦っていて、目まぐるしく攻防が入れ替わっている。『精霊』の力を使いつつ、最後には矢ではなく蹴りを叩き込んで女子が勝利した。

 豪快な勝ち方だな……と眺めている内に、次の一組が入る。それを繰り返す。

 やがて、俺たちの番が来た。隼人に続いて訓練室の観客席から下へと降りて、15mくらいの間を開けて向き合う。足元の青いラインに沿って立った俺たちは、同時に大きく声を上げた。

「ステイ・リンク!」

「ポゼッション・リンク」

 青白い光が、俺を包み込む。

 向き合う強敵。息を短く、鋭く吸い込んで俺は右拳を固く握りしめた。

 



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第三十話「敗北」

「ステイ・リンク!」

「ポゼッション・リンク」

 青白い光が、俺を包み込む。

 向き合う強敵。息を短く、鋭く吸い込んで俺は右拳を固く握りしめた。

 視線が一瞬交錯し、火花を散らす。それが合図となって、何も言わないまま俺は地面を蹴り飛ばした。『精霊』の力によって強化された身体能力は凄まじい加速力を生み出し、瞬く間に俺と隼人との距離は零になる。体の捻りも加えて、俺は真っすぐに拳を打ち出した。

 隼人はその拳を、僅かに体を動かすだけで回避する。空を切った拳の勢いに引っ張られる前に、隙を消すように俺は後ろへ飛び退った。

 依然変わらず、隼人はそこに立ったまま俺を見ている。

 自分からは動かず、炎の片翼も生成しない。俺の実力を見定める様な目つきだ。

 その冷徹な瞳には屈さず、歯を食いしばり俺は再度突撃する。右拳を二度、三度と連続で振り抜くが当たらない。全てを、危機感なく余裕で回避される。苦し紛れの左拳も、蹴りも受け止められすらせずに避けられていく。

 何度攻撃しても、当たらない。どんな軌道の拳でも、掠りすらしない。

 攻めていて、相手は守るだけ。簡単な事だからこそ、明確に表れる実力差。それでも何度も拳を振り続け、しかし当たらない。歯を食いしばって焦りを押さえつけ、当たらないもどかしさと悔しさも押しとどめる。

 当たれ、当たれ、当たれ。

 頭の中をそれだけが動き回る。本能のままに、ただひたすらに拳を振って、避けられる。

 やがて、俺の心に一部の諦めが生まれた。

 当たらない。右腕が疲労を訴える中で、明らかに、一発だけ鈍い拳が放たれる。遅く鈍い、威力なんて物は無い。 

 傍から見れば、それは投了の意思とも取れるような一撃だった。

「……ああ、終わりか」

 隼人は小さく呟き、俺の拳を受け止めた。

 肩で荒く呼吸をして、体を動かす事が出来ない俺を隼人は冷徹に見つめる。俺の拳を握る手に力を込め、ミシッと拳が軋んだ。

 そして、左手を軽く横に薙ぐ。途端に生成される紅蓮の炎、形作る片翼。

 不味い。避けなきゃ当たる。負ける。焦りを感じ、逃げようとしても手を掴まれていて逃げる事は出来ない。身をかがめても当たるし、俺にはこの翼を弾き飛ばすほどの力は元々無い。

 万事休す。

 いや、敗北。

 隼人が左手を無造作に振るう。それに伴い唸る片翼。炎の赤い光が眼前に迫り、体を強い衝撃が駆け抜ける。それを最後に、俺の意識は、砕け散った。

 

 炎。赤一色の景色の奥で、女性と男性と、小さな少女が服を焼かれ煤に身を汚し、一人の男と相対していた。

 男は男性に右手を向ける。刹那、放たれる閃光。男の姿が消えて、衝撃波に炎を纏った建物は崩れ落ちる。女性と少女ままだ生きていた。

 夜だ。

 空には白い星々が、目の前に広がる惨状からは考えられないくらいに綺麗に広がっている。

 音は、無い。カラーの景色を、傍観的に見つめていた。炎の揺らめきに目を凝らし、男と女と少女の会話に耳を澄まそうとして、しかし音が聞こえないことに気付く。

 目線は低い。身の回りに漂うのは、青白い光。

 男が笑っている。そのまま、男に向けたのと同じ様に右手を向けて。刹那。

 そしてもう一度、刹那。光が、迸る―――――

 

 ぐん! と意識を引っ張られるように、俺は急激に意識が覚醒した。さっき体を打ち付けたからか、全身が微妙に痛む。頭の後ろの、柔らかく温い物に頭を預けたまま、俺はぎりっと奥歯を噛みしめた。

 目を閉じた瞼の裏に描かれるのは、酷い戦いをしたあの風景。

 一方的に殴りかかり、そして一撃で負ける。呆気ない終わりに、一回も届かなかった拳。

 悔しい。悔しい。悔しい。

 『精霊』と契約して、日が浅いのは分かっている。ポゼッション・リンクも出来ない。

 皆を人狼から守れたのも、運が良かっただけだ。夕張先生は襲撃を知っていて、誰かが俺を『精霊』と契約させるために襲撃を知りつつも授業を行ったと言っていた。

 ……襲撃を知っていたなら。あいつ等の求める[イザナギ]と[イザナミ]、その奥にある『無限の精霊契約者』への具体的な内容も少しは知っているんじゃないのか? 

 その目的があるなら、人狼達はもう一度ここへ来るんじゃないのか?

 じゃあその時、俺は何が出来る。もし目の前に守れそうな人がいて、自分の力が足りないせいでその人が死んだら。

 『精霊』を見ただけで怖くて震えるような奴が、人間を超えた力を持つ者と契約してその力を自由に扱えて、でも人間一人救えないような人間だったら。

 嫌だった。

 理屈とか全てを抜きにして、人間として嫌だった。上代式として嫌だった。

 強くなりたい。大事な人を守れるくらいに強くなりたい。そんな思いが、何故か強く頭の奥から湧き上がる。どうして? 俺には、大事な人を失った事なんて無い筈だ。

 俺以外全員死んだ家族の記憶も、まるで誰かに消されたかのように無い。

 覚えてる限りで、大事な人を失う記憶はない。トラウマにもなってないのに、どうして俺はこんなにも人を失うことを”怖い”と思うのだろうか。

 分からない。

 気を失っていた時の事さえ分からない。何かを見ていた様な気もするけど、思い出せはしなかった。

 今、時間はきっと訓練室が閉まる9時を越えているだろう。早く部屋に帰って寝なきゃ明日の学校にも影響が出るし、もしも寮の人に見つかれば怒られる。

 俺は一回息を吐いて、そのまま体を起こして立ち上がった。頭を置いていた柔らかい何かを惜しく思いながらもそのまま訓練室を見回して、そのまま立ち去ろうと一歩踏み出して。

「……んん!?」

 思いっきり、振り返った。

 訓練室の床に吹き飛んだ俺は、ゆっくりと思い出す。

 そもそも訓練室の床に温かく柔らかい箇所なんてどこにもない。冷たくて固いコンクリートが敷き詰められているだけだ。

 じゃあ何だ、と確認しようとして振り返り、俺は目を見開いた。

「る、ルテミス!?」

「私の膝枕で寝ていたのに、何も言わずに立ち去ろうとするとは最悪ですね。だからあんなにボロ負けするんですよ」

 開始一発目から毒舌を吐くルテミスは、一気に言い切った後ため息をついた。

「見てましたけど、凄まじく……ゴミでしたね」

「俺がですか?」

「貴方以外に居ますか? 因みに、あの炎の片翼は私なら一瞬で吹き飛ばせます」

 その声音と表情は、強がりを言っているようには見えなかった。本気なんだ、と言う事に背中が震え上がる。

 ルテミスの武器は、恐らく弓。単眼の巨人を倒したとき、砂煙の向こうにうっすらと弓の様な物を持っているルテミスを見たのだ。

「それに、こんな時間まで待たせて。ゴミ……いえ、それすらも烏滸がましいですね」

「評価低っ! ……すみません、今すぐ出ていきますんで」

 確かに気絶している人間が居たら訓練室も閉めれないだろう。

 俺はそう思い、急いで立ち去ろうとした。が、

「何を言ってるんですか?」

「え?」

 ルテミスは俺を引き留める。そして、ジト目で睨んできた。

「強くなりたいですよね?」

「え、ええ……まあ」

 一言、確かめるようにルテミスは質問してくる。それに答えると、彼女は一回頷いた。

 そして、その赤い瞳でじっと俺を見つめ、そして告げる。

「ですから、私が貴方を鍛えます。強くします。……補足ですが、私は二年生でも上位に入る強さなので、敬いなさい」

 



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第三十一話「技術」

 一言、確かめるようにルテミスは質問してくる。それに答えると、彼女は一回頷いた。

 そして、その赤い瞳でじっと俺を見つめ、そして告げる。

「ですから、私が貴方を鍛えます。強くします。……補足ですが、私は二年生でも上位に入る強さなので、敬いなさい」

「……敬うも何も、何でルテミスが俺を鍛えるんですか?」

 驚きとかよりも、その疑問が先に出てきた。ルテミスと俺に接点は殆ど無く、鍛えて貰える程仲良くもない。それにルテミスの言っている事が本当なら、俺はそんなに強い人に恩をかけてもらえる様な強さも素質も無いのだ。

 その問いに、ルテミスは淡々と答える。

「近々、貴方の力が必要になります。それと、学校長から直々にお願いされたので。これらの理由が無ければ、私が貴方を鍛える事なんてあり得ないですしね」

 辛辣に取れるような言葉だけど、それはつまり俺を鍛える事に納得しているという意味だった。一瞬遅れて理解した俺は、すっと立ち上がったルテミスが無言ですたすたと歩いていくのをじっと見つめ、やがて青いラインに立ったところで彼女はくるりと振り返った。

「じゃあ、稽古です。時間は訓練室が閉まる時間、九時から。じっくりと貴方を鍛え上げます」

「……はい!」

 答えて、俺も青いラインに立つ。

 俺は、強くなりたい。ルテミスは、学校長は俺を強くしたい。

 利点の一致。隼人に為す術もなくこてんぱんにしてやられた悔しさを返す為にも、俺は全力で拳を握った。

『頑張ってね。大丈夫、式なら強くなれるよ』 

 脳内でのフィニティの言葉。それに小さく頷くと、ルテミスは一切トーンが変わらない声でカウントを始め、そして模擬戦が始まった。

 ルテミスの武器は弓矢。緑のオーラを纏った神速の矢が、一気に何本も飛んでくる。

 勿論俺は何もする事が出来ずに、吹き飛ばされ続けた。

「矢の殺気を感じて、その軌道から逃げなさい」

「私の一挙一動から、次の動作を見抜きなさい」

「回避して、駆け出して。そう、貴方は少し恐れすぎている」

「―――――今の動きは良かったですね」

 一戦が三十秒程度で終わる中で、逐一ルテミスは俺にアドバイスをしてくれた。

 時折、それに加えてフィニティもアドバイスをしてくれる。汗を腕で拭い、何度も何度も立ち上がって拳を振るう。ルテミスに蹴りと殴打と体捌き、回避の基本を叩き込んで貰い、初日にも関わらずその修練は九時からおよそ三時間続いた。

 翌日、ボロボロになった俺が涼花と夕張先生に驚かれ、鷹野も俺の姿を見て心配するくらいの姿になっても、俺は修練を受けに行った。

 強く、なりたかった。

 学校長から期待されている。いや、誰かから期待されているという事実が嬉しかった。ルテミスの攻撃を段々と受け流せるように成ってきた事に自分の成長を感じて、それが一層俺の意思を燃え上がらせる材料となっている。

 金曜日の授業が終わり、畑仕事も終わり。少し陽の伸びた今では、六時くらいでもまだ明るい。俺は畑の横の、小さな森の中へと入り、手ごろな木の前で止まる。

「……フィニティ」

『ん?』

 ずっと気になっていた事があった俺は、自分の拳を目の前の木に当てながら話しかける。

「フィニティはさ、契約もポゼッション・リンクもしてない状況で単眼の巨人の右足と右腕を吹き飛ばしたじゃん」

『やったねえ』

「あれってさ、どうやったの?」

 純粋な疑問。

 『精霊』は、人間を超えた力を持っている。しかしその力は『精霊』だけでは使えず、人間と契約していなければ使えない。ステイ・リンクで能力の片鱗を使えるくらいに強い力を持つ『精霊』も居るが、大体がポゼッション・リンクの状態でしか『精霊』の力は使えないのだ。

 その問いに、脳内でフィニティは何て事も無く答える。

『私って、結構規格外の『精霊』なんだよね。ま、あれは簡単で、サイクロプスの右足と右腕に私の持つ力を流し込みまくって、内側から爆発させただけだよ』

「……どういう事?」

『水風船があるでしょ? あれは水を入れすぎると爆発するでしょ? それと一緒』

「単眼の巨人……えっと、サイクロプスを水風船に置き換えて、水をフィニティの持つ力に置き換えた訳か」

『そういうこと』

 サイクロプスの右足と右手にフィニティの力を流し込み、許容量を超えた為に力が外へと逃げ出す―――――爆散する。

 水風船の中に、水を入れすぎれば爆発するように。

 右足の中に、力を入れすぎれば爆発するという事。

「……それはさ」

『うん?』

 ぽつりと、俺は呟いた。

「今の、ポゼッション・リンクをしてない俺でも出来るかな」

『出来ると思うよ?』

 結構真剣に考えて質問したのに、帰ってきた答えは軽い物だった。

 聞いておきながら俺は一瞬固まり、頭の中でフィニティは風のような声を響かせる。

『それは私の能力じゃないしね。『精霊』の中でも、力を無限に持つ私だから出来る事なんだけど、式は私の力を使って、ステイ・リンクの時に身体能力を強化してるの。無意識だろうけど、でもきっとその力を理解すれば今目の前にある木を一瞬で爆散させる事もできると思うよ』

 無限の力を持つフィニティだから出来る。

 その無限の力を器に流し込み続けて、爆発させる。しかし爆発しなければその器には力が入っていると言う事で、ステイ・リンクの状態で身体能力が高いのはその力が爆発しない程度に俺の体に入っているから、という事らしい。

 その力は、何となく心当たりがある。一つは赤い宝石から放たれた白い光。

 そしてもう一つは、ステイ・リンク時に淡く光る青白い光だ。

 器に力を入れて、爆発させる。やりようによっては炎の翼も大樹の鎧も鉤爪も矢も、全て破壊することができる。

 単純な原理。

 だからこそ、応用の効き絶大な効果を持つ技ろなりうる技術。

 ステイ・リンクでしか戦えない俺にとって、その技術は大きな進歩であり、必殺技にも成りうる。

 やる価値はあるだろう。いや、寧ろやる価値しか無い。

「フィニティ」

『うん』

「やろう。いや、やらせてくれ。その技を」

『分かった。簡単だから、すぐに覚えられると思うよ』

 フィニティに一言言ってから、俺は拳を握りしめて木の幹に当てた。そのまま、俺は何時もと同じように強く宣言する。

「ステイ・リンク!」

 次の瞬間、青白い光が俺を包み込む。体内に充満する力を意識して、認知して、感じる。淡く輝く俺の体。満たされた力を、木の幹に触れている右拳に集中させた。

「うおお……おおお……!」

 凄まじい集中。額を汗が伝い、拭う事すら出来ないくらいに俺は集中していた。

 一点に力を籠める。そして、それを木へと流し込む。単純だからこそ強く、難しい。

 ボウ……と、青白い光が段々と強くなっていく。それに伴い、軋み震える右拳。途端に激痛が走り、集中が途切れて、俺は何時の間にか止めていた息を大きく吐き出した。

 失敗。莫大な集中を掛けても、出来なかった。

 どうする、どうする。工夫しろ、どうやったら良いんだ?

 その場に立って、考え続ける。夕方だった茜色の空は今や藍色に染まっていて、汗でぐしょぐしょだったシャツは風に吹かれて乾いていた。呼吸も整い、それほどに長い時間がたってもまだ考え続ける。

 ……やがて、一つの考えに俺は思い当たった。

 俺という器に入っている力を、木に流し込む。どうやったら力を流し込みやすいか。

 簡単な事だった。

 器を傷つければ、そこから勝手に物は流れ出る。水を入れたコップの一部をくり抜けば、そこから水は流れ出るのと同じように。

 俺の体を傷つければ、力は外へと流れ出る―――――。

 直ぐに俺は、右拳を木に叩き込んだ。ルテミスに基本を叩き込まれ、強化された拳は木を大きく軋ませ、揺らす。代償として、俺の拳は少し擦り剥けた。

 拳を木に叩き付け、押し当てたまま、俺は力を右手に集め始める。さっきの何倍も速く力は器の壊れている部分へと収束し、そこから流れ出て。

 直後。

 ドバアアンッッ!!! と、木が炸裂した。吹き飛んだ木の欠片が空から地面に降り注ぎ、青白い光が一瞬強く輝いたのを俺はしっかりと確認していた。

 成功。

 右拳から滴り落ちる、少量の鮮血。それすらも気にならないほどに、俺は喜びに震えていた。



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第三十二話「成果」

直ぐに俺は、右拳を木に叩き込んだ。ルテミスに基本を叩き込まれ、強化された拳は木を大きく軋ませ、揺らす。代償として、俺の拳は少し擦り剥けた。

 拳を木に叩き付け、押し当てたまま、俺は力を右手に集め始める。さっきの何倍も速く力は器の壊れている部分へと収束し、そこから流れ出て。

 直後。

 ドバアアンッッ!!! と、木が炸裂した。吹き飛んだ木の欠片が空から地面に降り注ぎ、青白い光が一瞬強く輝いたのを俺はしっかりと確認していた。

 成功。

 右拳から滴り落ちる、少量の鮮血。それすらも気にならないほどに、俺は喜びに震えていた。

「……やっ、た……!」

 感じたのは、確かな成長。今までステイ・リンクで身体能力を強化して、肉弾戦をする事しか出来なかった俺が得た、初めての必殺技。

 これがあれば、ポゼッション・リンクの技や生成される武器にも対抗できる。

 フィニティの身体能力と、俺自身の器を壊し敢えて力を漏らす事で物体に力を流し込み内側から爆散させる技術。

 この技術をもっと磨き、速度をもっと速めれば更に強くなる。触れた瞬間に爆散する。

 理想はこれだが、今のままだと触れてから三秒は掛かる。それじゃあ遅い。

 脳内で思考を巡らせつつ、冷静に分析する。しかし、体を高揚させる感情は未だに収まらずに、昂っていた。

 血の滴る右拳を構えて、違う木の前へと立つ。体を捻り、地面を蹴り飛ばすと同時に拳が真っすぐ木に突き刺さった。木を震わせた拳が青白い光に包まれ、一瞬大きく輝く。すると、さっきよりもほんの少しだけ速く木は爆散した。青白い光は収まり、拳を突き出した姿勢のまま俺は佇む。

 結局、食堂に行ったのは食堂が閉まる二十分前。

 右手には包帯が巻かれていて、だけど俺は必殺技の切っ掛けを手に入れた嬉しさに笑みを零していた。

 夜の九時。毎日続いている鍛錬を受けるために、俺は訓練室へと一人向かっていた。

 右手に巻かれた包帯をいじりつつ、女子寮の一階の奥へと歩いていく。扉を開けばもうルテミスは居て、一人静かに立っていた。

「こんばんは」

「……来ましたか。こんばんは。では、早速始めましょうか」

 俺が声を掛けると、無表情のままルテミスは返してくる。そのまま青いライン上に立ち、ルテミスはポゼッション・リンクした。

 ルテミスは俺の予想通り、弓を武器にしている。

 瞬時に生成される緑と金の大弓に、どこから生成されるのか分からない矢。百発百中の命中精度をほこり、時々矢は風を纏って軌道を変え、加速し、威力を増す。夜の鍛錬内容は、ルテミスの放つ矢を躱して前に進んでいき、ルテミスにタッチする事。

 簡単な様で、難しい。どこに居ても襲い掛かってくる矢を避けるには、寸前で回避しなければならないし、風で軌道を変える矢はどこに行くか予想できない。

 因みに俺は、今までたったの一本も回避した事が無く、惜しい所まで行くも矢からは逃げ切る事が一回も成功していないのが現状。

 今日こそ。技を手に入れた今日こそ、成長を見せる時。

 ルテミスが弓を生成し、赤い瞳で冷淡に俺を見つめる。姿勢を低くして、重心を前に置く基本姿勢を俺は取った。

「3」

 カウントが始まる。

「2」

 緊張感が、ルテミスの声とともに高まっていく。拳を強く握りしめて、俺は地面を蹴りだす準備をした。

「1」

 息を吸い込む。

「0」

「ステイ・リンク!!」

 カウントが0を刻んだ瞬間に俺は大きく叫び、そして駆け出した。

 周りの景色が飛んでいくような、爆発的な加速。低い姿勢のまま走る俺に向けて、ルテミスは矢を放った。

 風を纏い、鋭く回転する矢を屈めて避けようとする。が、風で矢の軌道は変わる。

 自ら矢の軌道上に飛び込んでしまったかの様になってしまった俺は、この状況を見て笑みを浮かべた。

 何回もこの状況で俺は負けている。言い換えれば、どれがダメなのかは分かり切っている。

 ダメなのがどれか分かれば、必然的に残りの選択肢に正解がある。授業中、脳内で考えてノートに書いて試行錯誤した結果は、真横。

 屈んだ状態から、直角に真横へと避ける。スライド移動の要領での回避に、幾ら風を纏っていても矢は流石に九十度曲がる事はできない。

 やっと、やっと一本回避できた。今まで出来なかった事が出来た喜びも束の間、俺は直ぐに走り出す。大弓を構えるルテミスは、珍しく笑みを浮かべていた。だが、その笑みは俺が回避を成功させた事への笑みではなく、寧ろ挑戦的な獰猛な笑み。

 ドドド!! と、三本が連続で放たれた。

「嘘だろ!?」

 思わず叫び、目を見開く。一本目を再び真横に回避して、二本目は回避しようと体を倒すも頬を掠めた。

 無理な回避によって、俺の姿勢は崩れる。絶対に真横へ移動できない態勢、地面に尻餅を付いている俺へと三本目の矢が迫り、風が渦巻き一気に矢は加速した。空を切って、高速で迫る緑の矢。それを目前にして、俺は心の中で強く思う。

 ここだ、と。

 成長の成果を見せろ。技を、実戦で使えるものだと証明するんだ。俺が強くなったと言う事を今ここで、この瞬間にルテミスへ見せつけろ。

 焦る鼓動を宥めて、俺は右手の包帯を一気に取った。露わになる、血が滲んでいる右拳。

 何をするんだ、とルテミスは怪訝そうな表情を浮かべる。それを視界の奥に捉えつつ、視線の中心は一本の矢。

 尻餅を付いていた状態から、左手で地面を強く押し俺は起き上がる。

 更に地面を蹴り、加速する。矢へと自分から突っ込む動作を見て、ルテミスの目が動揺に揺れた。

 その中で、俺は右拳を固く握りしめる。体を包んでいた青白い光が、右手の部分に集中し強い青白い輝きを放ち始めた。体を捻り、地面を蹴って加速した勢いも全て籠めて、全力の拳を俺は打ち抜く。

 矢の先端と、俺の拳が衝突する。爆風が吹き荒れて、強い勢いの衝突に右拳がビリビリと震えた。

 風を纏った矢の威力は凄まじく、全力の右ストレートと同等かそれ以上の威力を持っている。

 俺の拳とぶつかり合うその矢。しかし、その矢は一瞬で青白い光に包まれて、そして。

 

 ドンッッ!!! 

 

 と、爆音を打ち鳴らして爆ぜた。炸裂した矢は纏っていた風を周囲に吹かせて散り、俺は前に撃ち出した拳の勢いに乗って大きく加速する。

 慌ててルテミスは矢を番え、放つ。が、それも右拳と衝突し、押し合った一瞬後に炸裂した。

 もう俺と彼女の距離は無い。右手を伸ばし、ルテミスの肩に手を乗っけて。

「……やっと……捕まえた……!」

 息も切れ切れに、そう、荒い呼吸と同時に言葉を吐いた。



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第三十三話「技名」

慌ててルテミスは矢を番え、放つ。が、それも右拳と衝突し、押し合った一瞬後に炸裂した。

 もう俺と彼女の距離は無い。右手を伸ばし、ルテミスの肩に手を乗っけて。

「……やっと……捕まえた……!」

 息も切れ切れに、そう、荒い呼吸と同時に言葉を吐いた。

 暫くの静寂の後に、ルテミスがゆっくりと口を開く。

「見事です。……力の入れすぎによる爆発を、故意に起こすとは。昨日までは無かった技術ですね」

「夕食よりもちょっと前に、ね。実戦で上手く行くかは心配だったけど、何とか出来て良かったです」

 呼吸を整えつつ、少し笑みを浮かべながら汗を拭う。塞がりかけていた傷が矢と衝突し再び開き、ぽたぽたと血が垂れ始めていた。

「……段々と成長していますね。で、今の技の名前は?」

「名前?」

「ええ。決めてないのですか?」

「いや、決める必要が無いと思ってて」

「……馬鹿ですね」

 ルテミスは声を低くして呟く。赤い瞳が、怒りを宿し俺を睨み付けた。

 突然様子の変わったルテミスに驚き少し後ずさるが、ルテミスはそれを許さず俺へと詰め寄る。

「良いですか、名前を決めるのにも重要な役目があります。例えば、白くてふわふわしている物は何ですか? と聞かれたときに、貴方は何を思い浮かべますか? 思い浮かんだ物全てを言ってください」

「え、えーと……雲、わたあめ、綿、毛玉、羊毛とか」

「そうですよね。では、わたあめと聞いて思い浮かぶものは何個ですか?」

「一個でしょ?」

 当然だろう、という意味も含めてそう言うと、ルテミスは呆れた様子で説明を始める。

「そうです。人は自分の動きを脳でイメージして、体に伝えて、やっと動ける。そのイメージする時間を短縮するのには、名前を決めるのが一番手っ取り早いんです。曖昧なイメージでは、浮かぶものが沢山あります。ですが、名称の付いた物なら一発でそれがイメージできる。技に名前を付ければ、一発でそれが出来るという事なのです」

 俺の爆発させる技の弱点。それは速度。

 その速度を短縮するための手段の一つとして、名称を付けるという選択肢が存在すると言う事らしい。

 力説を終えたルテミスは一息付くと、赤い瞳で俺を見据えて、小さく呟いた。

「……後、カッコいいですし」

「それが本音だったりしません……?」

 顔を逸らしたルテミスとの鍛錬は、今夜はここで終了した。この後はお風呂に入り、包帯を右手に巻いて寝るだけ。

 新たな技の名前を考えつつ、成功した喜びの余韻に浸って、俺は床に就いた。

 

 それは、暗い暗い廃工場の中だった。薄汚れた建物の内部にはスプレーの落書きが沢山あって、埃の舞う中で一人の青年が佇んでいた。

 闇の中でも煌めく金髪に、黄金の瞳。青年は整った表情を歪ませ、口を開く。

「そろそろだ」

 歓喜に震えた声。天を仰ぐように、彼は胸を反らす。

「[イザナギ]で[イザナミ]を殺して、冥界の門を開く。夕張と『聖域総合高等学校』の地下に[イザナギ]はある。……ああ、上手く行く。絶対に、僕の行く先に光はある」

 恍惚とした表情で。金髪を揺らして。

 地に膝を付き、彼は工場の天井に空いた穴から見える、満月から欠け始めた月を仰ぐ。

「待っててくれ、『無限の精霊契約者』! その『精霊』、[フィニティ]よ!!」

 かくして、夜は更けていく。

 不穏な風と共に、流された雲は月明りを遮った。

 

 技が完成してから、一週間が経った。

 技名も決まって、速度は確かに速くなったが、最近めっきり精霊実技で戦えない。夕張先生は俺以外の人を当てて、最近は全然戦えない日が続いていた。それでもルテミスの鍛錬は毎晩あって、そっちでは最近本気の組手が始まっている。

 勿論と言うと悲しいが、全戦全敗。矢に対応するのが難しく、一方的にやられ続けている。

 今は精霊実技の最中。下では涼花と女子生徒が戦っていた。

 こうして見ていると、自分が強くなったからなのか戦っている人の力量差がある程度分かるようになった。そしてその中で、矢代涼花はずば抜けて強い。

 誰よりも速く、誰よりも重い一撃を放つ。遠距離、中距離、近距離、どれをとってもクラス内最強。

 一体どれだけの修練を積んだのか。戦闘中の一歩からでさえ、血のにじむような訓練の風景が垣間見えるほどに、彼女は強かった。勝利に固執していた。

 何がそれほどまでに彼女を縛るのだろうか。その考えは、俺の思い違いなのだろうか。

 涼花に直接聞くのも憚れる。俺はぼんやりと、今日も先生に呼ばれる事は無いんだろうと思いながら席に座ったまま柵に体を預け、涼花の戦う姿を目で追い続ける。

 紫と白の巫女服に狐耳。最初こそはざわついたが、今や皆慣れてしまっている。

 華麗に舞う黒髪。女子生徒の纏っていた岩の鎧を掌底で破壊し、紫紺のオーラを纏った手刀で涼花は少女を気絶させた。

 やはり、強い。一連の流れには無駄な行動一つなく、流れる様な動作は美しい。

「うし、終わったねー。じゃあ次、隼人と……式君、行ってみよっか」

「え」

 突然、夕張先生に呼ばれて俺は声を上げる。

 しかも、相手は隼人。俺が惨敗した、その相手だった。



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第三十四話「意思」

「うし、終わったねー。じゃあ次、隼人と……式君、行ってみよっか」

「え」

 突然、夕張先生に呼ばれて俺は声を上げる。

 しかも、相手は隼人。俺が惨敗した、その相手だった。

 めんどくさそうに隼人は立ち上がって、俺の前を通って下に降りる。戻ってきた涼花と入れ替わるようにして彼は直ぐに下の白いコンクリートに引かれた青いラインの上へと立った。

 手汗が、じわりと滲む。戦った日の事が鮮明に浮かび上がって、俺を観客席に縛り付ける。

「……式?」

 立ち上らない俺を見て不審に思ったのか、涼花は隣に座りながら俺に話しかけてきた。その声で我に返り、弱弱しい笑みを浮かべて立ち上がる。ゆっくりと、気分が乗らずに歩む足は遅い。一分後、やっと青いラインに立って俺は隼人と向き合った。

「じゃあ、始めるよー!」

 夕張先生がリモコンを操作する。カウントが鳴り始めて、俺は奥歯を噛みしめた。

 負けるだろう―――そんな感情が、俺の中で渦巻く。そしてそれは観客席で見ている生徒達も同様で、彼らは雑談を始めていた。

 俺だってそう思っている。ルテミスとの鍛錬で、隼人に勝てるくらい強くなっている訳がない。負ける。怖い、嫌だ、戦いたくない。ネガティブな思考と共に、一撃で負けたあの日の事が蘇る。

 圧倒的な差を感じた。越えられないと思った。

 絶望しか、無かった。

 俺の全力は難なく受け流されて、本気の片鱗も見せてない一撃で俺は倒れた。敗北した。

 勝ちたいと思わない訳ではない。無論、勝ちたい。でも、勝てない。それが分かり切っているのに、勝利へ手が届く訳が無い。縮こまった体で、俯いたまま、視線だけを隼人に向ける。

「……雑魚相手じゃあ、興も乗らねえ」

 隼人が、呟いた。皆には聞こえない声量で、俺を雑魚と言い切る。首の骨を鳴らしつつ、オールバックの髪を撫でつけて、乱雑に着ている制服の袖を捲った。

「ま、せめてサンドバッグには成れよ? ステイ・リンクしか出来ない雑魚野郎」

 お前に興味はない。だからせめて、ストレスを解消させろ。

 その意思が、雰囲気にまで漏れ出し俺の肌を刺す。俺を睨みつける視線は鋭く、それも相まって俺の士気は更に落ちた。

 矢を回避してタッチするだけ。一方的にボコボコにされる模擬戦。

 たったそれだけで、本当に強くなれるのか? いや、成れる訳がない。『精霊』と契約してまだ日が浅く、ポゼッション・リンクも出来ない。

 隼人は強い。成績も優秀で、戦闘では恐らく負けなし。涼花とも良い勝負をするであろう彼には、せめてポゼッション・リンクを使って挑みたかった。

 拳を弱く握って、爪が浅く手に食い込む。カウントが刻まれて、俺の気分は落ちていく。

「3」

 ああ、嫌だ。負けるのは。どうせ紅蓮の片翼に吹き飛ばされて、俺は終わるのだろう。

「2」

 降参とかありなのだろうか。負け試合を見てて、観客席のクラスメイトに勉強になるか?

 さっさとこんな戦いを終わらせて、涼花と隼人の模擬戦を見た方が良いに決まってる。

「1」

 ……ああ、始まる。

「0」

 カウントが0を刻み、俺と隼人は同時に口を開く。

「ポゼッション・リンク」

「ステイ・リンク」

 漏れたのは、お互いにやる気のない小さな声。青白い光が俺を包み込み、隼人は最初っから全力だとでも言うかのように背中に炎を巻き上がらせて、そして片翼を生成した。

「……行くぜ、サンドバック。精々吹き飛んでくれよ!」

 隼人は荒々しく獰猛に犬歯を剥き出しにして叫ぶ。左手を大きく後ろに引き絞り、鋭く前に突き出した。

 その瞬間、片翼は左手と動きを共にして紅蓮の槍となって俺へと飛翔する。

 空を裂きながら酸素を食らい尽くし、唸りを上げる炎の大槍。熱風を撒き散らしながら隼人の片翼から伸び続ける槍の先端は、鋭利な槍そのもの。

 炎に焼かれて、そのまま貫かれる。

 それこそが自然な未来。誰もが描く、予定通りの現実。俺だってそれを疑わなかった。凄まじい熱風と速度を以てして俺を貫かんと迫る大槍は渦を巻き、無防備に立ち尽くす俺へと迫る。戦う意思の無い俺に、数人から野次が飛んだ。

 しょうがないじゃないか、と俺は心の中でぼやく。お前らは回避できるのか、と心中で叫ぶ。

 だけど。その中で、二つだけ。小さな声だけど。

 確かに、俺を応援するかのような声が聞こえた。

「式、頑張って!」

「およおよ、式君はそんなものなのかなあー!?」

 片方は涼花だと直ぐに分かった。そんなに声の大きくない彼女が必死に声を振り絞り俺へと声援を送っている。

 そして、もう片方は夕張先生。挑発するように、明らかに楽しんでいる先生はにやにやしながら俺を見ている。ブーイングが飛ぶ中での、俺を信じた二人の声援。

『……だってさ、式。ねえ、こんな所で挫けるないでさ、少し前を見てごらん?』

 フィニティが、優しく言葉を紡ぐ。

 その言葉に従って、涼花と夕張先生に後を押されて。俺は俯いていた顔を、そっと上げた。

『式』

 フィニティが、俺の名前をゆっくり呼んだ。そして、面白そうに、試すような声音で俺に尋ねる。

『あの程度の技は、もう回避できるでしょ?』

 その瞬間、俺は地面を蹴っていた。

 ドオン!! と真横へスライドした俺は、自身の咄嗟の動きにまず驚愕する。驚くのも束の間、俺の居た場所を貫いた大槍は壁へとぶつかり、少しへこませた。

「なっ……!?」

「大槍を、回避しやがっただと!?」

 生徒数人が身を乗り出して声を上げる。隼人自身も思わず、と言った風に口を開いていた。

「お前……何をしたんだ!?」

 俺自身、分からない。横に移動したのは分かってるんだ。ルテミスの矢を躱す為に練習した、高速の真横へのスライド。ただそれだけの単純な動き。

 それなのに。それなのに、俺は今隼人の翼を回避した。それも、大分ギリギリの状態で。

 何が起きたか、俺自身が一番分かっていない。自身の青白く光る体を見渡し、俺は隼人へと目を向けた。

 その時には、再び襲い掛かってきている炎の翼。

 速い。いや、少なくとも一週間前までその紅蓮の片翼はとてつもない速さに見えていた。

 だけど、今の俺には遅く見える。ルテミスの矢よりも、全然遅い。再び真横にスライドして回避すると、地面を抉った炎の翼が一瞬揺らいだ。

 予測に過ぎないが、あの翼は二連撃が限界らしい。隼人が再び背中に伸ばしていた炎を戻して、再生成する。

 見える。はっきりと、わかる。

 攻撃は視認できる。ゆっくりとまで見える片翼の一撃は、今の俺にとって脅威ではない。

 そして、殺気も視えた。ルテミスに鍛え上げられた、矢の軌道を殺気の向きから予測する技術。どんな攻撃にも、それには明確な目的と相手を傷つける意思の塊である殺気が宿っている。

 その殺気を感じ取れ。殺気を読み取って、その路線上から回避しろ。

 ルテミスの教えが、活きている。たった一週間の指導で、はっきりと体に染みついていた。

 負ける筈の未来が、少しだが薄れる。希望が見えて、俺は右拳を強く握りしめた。

 戦える。

 『精霊』は怖い。負けるのも怖い。戦いたくない。

 でも、一歩踏み出せ。恐怖は捨てて、勇気を振り絞れ。

『よし、おっけーかな? じゃあ式』

 脳内でフィニティが呟く。爽やかな風が吹き抜ける様に、彼女の声は俺を後押しして。

 俺は駆け出す。そして、フィニティと言葉を揃えた。

「『―――行くよ』」

 



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第三十五話「接近」

『よし、おっけーかな? じゃあ式』

 脳内でフィニティが呟く。爽やかな風が吹き抜ける様に、彼女の声は俺を後押しして。

 俺は駆け出す。そして、フィニティと言葉を揃えた。

「『―――行くよ』」

 右拳に巻いてある包帯を取る。現れるのは赤い血が滲んだ拳。自ら弱点を晒す行為に、隼人は寸分の狂いなく炎の翼を打ち込む。

 その直線的な軌道を、俺は真横に回避。そのまま走り始め、どんどん隼人との距離を詰めていく。今や観客席から雑談は聞こえず、全員が俺と隼人の模擬戦を見ていることが分かる。隼人が二回目の翼を振るい、それもまた回避。二連撃をしたことによって萎んだ炎を瞬時に引き戻し、隼人は大きく溜めて、溜めて、炎を凝縮し始める。

 近づけば、瞬く間に燃やされる。吹き飛ばされる。正に、必殺の一撃。

 隼人は中距離から近距離まで攻撃が出来るが、俺は近距離でしか戦えない。それを考慮して理解した上で、大きく隙を曝け出しての溜めなのだろう。

 だけど、それは今の俺には通じない。必殺技なら、俺にだってあるのだから。

 一層姿勢を低く、重心を前にして加速する。右側の壁に足を付けて、そのまま『精霊』によって強化されている身体能力を存分に使って壁を走る。走る。走って、天井近くまで辿り着く。

「壁を走った……!?」

 観客席で、誰かがぽつりと漏らす。強化された身体能力と重心の移動を駆使すれば、15m程の壁を上るくらいなら何とか出来る。

 隼人と俺の視線が交錯する。火花を散らし、お互いに体を限界まで捻って力を凝縮し。

 次の瞬間、轟音が二つ鳴り響いた。

 一つは、俺が壁を蹴って隼人へと重力による加速も含めた超高速の突撃をした音。

 一つは、隼人がずっと溜めていた圧縮炎を解放し、炎を強く燃え上がらせた音。

 その時点で、観客席からは気の抜けた声が聞こえた。常識から考えれば、人体が炎に勝てるわけがない。生身で制服。特に何の変哲もなく、しかも俺は『精霊』の力を最大まで発揮する事の出来ないステイ・リンクしか出来ない。

 そして、まだ俺を注視し続ける人達は気づいている。

 俺の右拳が、他の体の部位よりも強く青白い輝きを放っている事に。そこに秘められた力は、凄まじい量と言うことに。

 圧縮炎の槍が、俺へと迫る。

 その槍の先端へ向けて、俺はずっと溜めていた力を解放した右拳を叩き込む。宙に青白い輝きの軌跡を描き、槍と拳が衝突したその瞬間―――!

「[インフィニティ・バースト]!!」

 俺は、叫んだ。

 刹那、炎の大槍が青白く輝く。炎が飲み込まれ、一瞬拳と槍がせめぎ合い、

 爆散した。

 圧縮されていた炎が、空中に溶けるようにして掻き消される。一撃で、たったの一撃で全力の一撃が霧散する。

 器を超える力を流し込み、容量オーバーで爆発させる。そんな単純な技。しかし、単純だからこそ大体どんな物にも効く。それは炎でさえ例外ではなく、破裂さえすれば俺にダメージを与えることは不可能。

 最大の矛であり、最大の盾。地面に降り立った俺は、呆然と立ち尽くす隼人の腹部に向けて掌底を放つ。ルテミスから教えてもらった一撃を喰らい、隼人は2m程後ずさった。

「[インフィニティ・バースト]……!? ステイ・リンク状態で『精霊』の力を使った必殺技を編み出しただと……!」

「俺と契約している『精霊』は、どうやらかなり強い『精霊』みたいで。それにあの技は単純だからね。対して『精霊』の力は使ってないし、拳を傷つけてなきゃ使えないから結構条件は厳しいよ。炎の翼に比べたらまだまだだよ」

「翼を破壊して、今俺に一撃を与えたのに良く言うなあ」

「本音だからな」

 じり、と細かく隼人は間合いを測るが、それを気にせず俺は一気に飛び込む。慌てて肉弾戦に持ち込む隼人だが、その一挙一動に含まれている殺気を読み取り、俺は軌道上から身を逸らす。

 回避に専念しなければ隼人の攻撃は回避できないため、俺も回避以外の行動はできない。

 無論、攻撃もだ。どちらかの体力が尽きるか。それだけの勝負になっている中で、隼人が炎の翼を至近距離で放つ。

 それに右手を当てて、一瞬の静寂。直後に爆散し、散った炎の目隠しの奥から、隼人の拳が俺に向けて穿たれる。

 相手が見えていない状況での奇襲。戦法としては基本だが、鋭い攻撃力を持つ良い判断。

 が、それは何回も何回も何回もルテミスにやられている。それに比べれば、隼人の攻撃は素人同然。殺気を感じて、飛び出してきた拳を左手で受け止める。そのまま俺は低く低く踏み込み、拳を軋むほどに強く握った。

 炎の残滓で視界が悪いのは両者同等の条件。振り絞る力。筋肉が伸縮し、一瞬の溜めの直後に俺は拳を下から隼人へ向けて撃ち抜いた。

 しかし、流石隼人と言うべきか。その拳に向けて、咄嗟に炎の片翼を打って威力を相殺しようとする。拳と翼が衝突し、

「[インフィニティ・バースト]!!」

 俺の叫びの直後に、拳と押し合っていた翼は爆散。

 真下から体の捻りを全て使って拳を打っていた俺の勢いは止まらず、そのまま隼人の鳩尾へを穿たんと拳は一直線に空を貫く。

 バックステップで回避しようとしても、時は既に遅い。

 握りしめた拳を更に強く、爪まで食い込ませて――――

 

 ズドン!!!

 

 と、硬い手応えと衝撃が俺の拳に伝わってきた。



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第三十六話「本題」

すみません、テスト期間に入ったので不定期更新になります。
一応毎日投稿は目指しますが、勉強もあるのでキツイくなると思います。
読者様には申し訳ないのですが、すみません。

では、どうぞ!


 隼人が鳩尾を穿たれて大きく吹き飛ぶ。そのまま膝から崩れ落ちて、地面に背中を付けた。荒い呼吸は聞こえるが、起き上がれるダメージでは無いらしい。そのまま動かない隼人を見て、夕張先生は高らかに声を上げた。

「よし、終わり終わりー。勝ったのは式君! じゃあ次は―――」

 ふっ、と俺の体から青白い光が消える。よろよろと、ようやく立ち上がった隼人は俺を忌々し気に睨み、何も言わずに観客席へと戻っていった。

 何も言わないクラスメイト。いや、言えないのだろうか。

 ただ静かに、次の人が下へと降りてくる。俺も急いで観客席へと行って、涼花の横へと座った。

「……凄かった。本当に、凄かったよ、式。強くなったんだね……!」

「まあ、毎晩毎晩鍛錬してるから……。[インフィニティ・バースト]も通用して良かった」

「あの爆発する技?」

「そうそれ。大体、当たってから一秒くらいで敵は爆発する」

「む……。結構厄介だね」

 眉を寄せて、考え込む涼花。俺の[インフィニティ・バースト]の対策でも考えているのだろうか。

 何はともあれ。

 俺は、成長した。強くなった。前に手も足も出なかった隼人に模擬戦とは言え勝利したのだ。

 ルテミスとの鍛錬は、確かに俺を強くしてくれている。彼女への感謝が募る中で、俺は一つの言葉を思い出す。鍛錬を始める前に彼女が言った言葉を思い出して、しかし意味が分からず首を傾げた。

「近々貴方の力が必要になります」。ルテミスはそう言ったが、ステイ・リンクしか出来ない俺力なんてたかが知れている。

 何の為に……? と考えつつ下で繰り広げられている模擬戦を眺めていると、やがて六時間目の終了を告げるチャイムが鳴った。

 そのまま号令をして、俺たちは寮へと戻るために席から立ちあがる。

 俺も帰ろうとして、突然背後から肩を誰かに掴まれた。振り返ると、そこには夕張先生の姿が。

「どうしたんですか?」

「ん? いや、ちょっとね。……お話ししようぜ、ボーイ」

 最後、茶化すようににやりとした夕張先生に呆れつつ、俺はそのまま手を捕まれて半ば引きずられるように移動を始めた。

 

 着いたのは、空き教室。適当な机に腰かけた先生は、俺へと言葉を投げかける。

「いやはや、さっきの[インフィニティ・バースト]は凄かった。隼人の炎の翼を破壊するなんてね。強くなってるねえ」

「まあ、その……ルテミスに鍛えてもらってますから」

「二年生の生徒会の子か。彼女は強いよ。[アルテミス]っていう『精霊』と契約してるね」

 笑いながら、きっちりと説明をしてくれる先生はどこか掴みどころがなく、窓から差し込む陽光をその身に受けながら、本題を切り出した。

「……で、式君はそろそろ私の秘密に気づいてるかな?」

「『精霊』ですか」

「そ、やっぱ分かってるね。じゃあ、誰かまでは―――?」

 一瞬、答えるのを躊躇い、しかし俺は答えた。

「……[イザナミ]」

「正解」

 あっさりと答えを認める先生は、右手に闇を纏い、直ぐに消した。

「そして、[イザナミ]を殺そうとしてるのは?」

「[イザナギ]ですか?」

「ううん、違うよ。それはね、私と涼花ちゃんの敵、[アマテラス]」

 [アマテラス]。それは確か、入学式の日に単眼の巨人を光のカーテンで覆い尽くした『精霊』の名前だ。人間を超えた力を持つ存在、『精霊』。そしてその中で唯一、光を利用して単眼の巨人レベルの大きい物を隠せる力を持つのが[アマテラス]だ。

「式君、率直に言うと君には涼花ちゃんと[アマテラス]を倒して欲しいんだ。彼? 彼女 を倒すには、私じゃあ力が足りないし、涼花ちゃんとならあいつを倒せるはずだから」

「[アマテラス]を倒す?」

 急な言葉に、俺は戸惑う。[アマテラス]の事を殆ど知らない俺が、涼花と一緒にそいつを倒す理由が分からない。

「[アマテラス]の目的はね、ただ一つ」

 その俺の表情に気づいたのか、彼女はゆっくりと語り始める。

「『無限の精霊契約者』を、この世に蘇らせる為」

 人狼の言っていた言葉だった。体育館での事が鮮明に思い浮かび、脳裏に映った『精霊』の姿に一瞬膝が震える。

「この学校に封印されている[イザナギ]という『精霊』で、私を、[イザナミ]を殺す。そうするとね、冥界への門が開かれる。日本神話と同じ。[イザナミ」が死ぬと、冥界の門が開くの。そして、その開いた冥界から『無限の精霊契約者』を引っ張り出してきて、世界を侵略していくのが[アマテラス]の目的。壮大だけど、『精霊』の力なら出来ちゃうんだ」

 夕張先生を殺して、『無限の精霊契約者』を蘇らせて、世界を侵略する。

 余りにも突拍子も無い―――とは言い難い。何故なら俺は『精霊』と契約していて、『精霊』の力がどれほど強いかを身をもって知っているからだ。

「……先生。『無限の精霊契約者』って、何なんですか?」

 ずっと思っていた疑問。それを問うと、夕張先生は腰かけていた机から立ち上がり、空き教室の黒板へ。教壇の上に立った彼女は腰のポーチからチョークを一本取り出すと、黒板に何かを書き始める。

「特別授業をします。式君、人間は一度に何人の『精霊』と契約できる?」

「えっと……一人」

 内容は、今日の復習の様なものだ。五時間目の精霊学で習った事を、夕張先生はそっくりそのまま黒板に書く。

「もしも二人以上の『精霊』と契約すると、契約した人間はどうなる?」

「良くて精神崩壊、悪くて死亡です」

「正解。よく授業を覚えてるね」

 精神崩壊と死亡。日常生活を送ることは確実に不可能。だから人間は一人の『精霊』としか契約しない。

 それが精霊学で習った定義であり常識。『精霊』の文化が染みついた現代社会に置いての絶対の法則なのだ。かくいう涼花でさえ、一人としか契約していない。前例を覆したという話も聞かないし、『精霊学科』に入って日が浅い俺でもそれはしっかりと理解した。

 が、しかし。

 それを教えた当の本人は、あっけらかんとそれを根本から否定する。

「『無限の精霊契約者』って言うのはね、その名の通り無限の『精霊』と契約した人の事なの」



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第三十七話「指名」

テストから戻ってきました。

……そして頭痛、発熱、鼻水、咳……

風邪引きました。orz
すみません。そして短いです、ごめんなさい。

では、どうぞ!


それを教えた当の本人は、あっけらかんとそれを根本から否定する。

「『無限の精霊契約者』って言うのはね、その名の通り無限の『精霊』と契約した人の事なの」

 常識を根本から覆す発言。『精霊学科』に入り、『精霊』と関わり始めてから日の浅い俺でもその異常性が分かる。

 たった二体と契約しても精神破壊、死が待っているのだ。それに『精霊』は人間を超えた力を持つ存在。一人と契約し、その力を使えるだけでもその人間は周囲の人間を超えたと言っても過言ではないのに、それが、無限。

 上限無しで、『精霊』の力が使える。

 それが『無限の精霊契約者』なのだ。

「……その存在を、蘇らせようとしているのが、[アマテラス]……?」

「そういう事。だから、その彼を倒してほしいのよね」

「待って下さい、『無限の精霊契約者』も人間ですよね!? なら自我もあるんじゃないんですか? どうして世界侵略を始めると言い切れるんですか?」

 重なる疑問。半ば叫ぶように、認めたくないという風に放たれた言葉を聞き、夕張先生はしっかりと返す。

「[アマテラス]にはかなり高度な催眠がある。知ってたら避けるのは簡単だけど、知らなければ回避は難しい。……[光あれ]って言うと、[アマテラス]から光が放たれるの。それを二秒みたらアウト。直ぐに[アマテラス]の言いなりになるわ。体育館に居る時に襲ってきたのも催眠された人たちだしね」

 人狼と黒フードだろう。確かにあいつらは、「光あれ」と呟いていた。

 あの日の事を思い出して、俺は取りあえず納得した。が、もう一つの疑問は解消されずに、俺はもう一度夕張先生に尋ねる。

「……でも、何故俺と涼花が[アマテラス]を倒すんですか? 隼人とかの方が強いし、俺はポゼッション・リンクも出来ないんですよ?」

 俺と涼花よりも、隼人と涼花のペアの方が全然強い。それは誰の目から見ても明らかだ。

 夕張先生はきょとんと首を傾げ、口をそっと開く。

「んー、まあそれは追々、かな。まだ時間はあると思うしね。取りあえず、今日の事だけは覚えておいてね?……涼花ちゃんの戦う理由は、涼花ちゃんに聞いてみな?」

 夕張先生はそう言うと、白いチョークを腰のポーチに入れてチャックを閉めた。そのまま俺に手を振って教室を出ていき、空が赤く染まり始める寸前の光が満ちる教室の中で、俺は一人取り残される。

「……[アマテラス]……光あれ? ……」

 何故だ。どうして、どうしてか―――――、

「聞き覚えが、ある……?」

 一人困惑し、立ち尽くす。

 フィニティは何も言わず、ただ黙っていた。

 

 



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第三十八話「義務」

 寮に戻れば、もう夕方。手早くジャージに着替えると、俺は寮を出て裏の畑へと急いで走った。そこにはもう涼花が居て、ジャージ姿で昨日の作業の続きを黙々とこなしている。

「ごめん! 遅れた!」

「……あ、式」

 声を掛けて近寄ると、涼花は作業の手を止めて振り返る。手に持っているくわを地面に置くと、心なしか得意げに彼女は胸を張った。

「仕事、終わったよ……次は何する?」

「マジか、もう終わったんですか。そうだなあ、じゃあ次はね……」

 幾つか残っている仕事を頭の中で思い浮かべ、優先順位を付けながら整理していく。処理を繰り返し、決めた仕事を涼花に告げてから俺達は作業を始めた。

 春の日は長い様で、結構短い。夕暮れの太陽は『聖域総合高等学校』を覆っている大きな山脈の向こうへと赤く赤く吸い込まれていく。東の空が藍色に染まり始めたくらいの所で、俺と涼花は一息付いた。

 これ以上の作業は少し無理があるな、と思い俺は帰ろうか? と促す。

 しかし涼花はまだやると言い、結局俺も一緒に残ることにした。と言っても、出来るのは日が暮れても作業に支障の出ない楽な仕事。てきぱきと手を動かしながら、俺は夕張先生の言葉を唐突に思い出して、思い切って切り出した。

「……涼花、[アマテラス]って知ってる?」

 涼花の体が、一瞬跳ねる、蒼い瞳が驚きに見開かれて、作業していた手が少し止まった。

 先を促すわけでも無く、作業を続ける訳でもなく。俺は手を止めて、涼花の反応を待ち続ける。

「知ってる、よ」

 やがて告げられる言葉。緊張したように固い声音。

「その……[イザナミ]から言われたんだ。俺と涼花が、[アマテラス]を倒す役目何だって。俺は俺が戦わなきゃ行けない理由を教えて貰ってないんだけどさ……」

 そこまで言ってから。

 俺は、涼花の内側へと確かに踏み込んだ。

「涼花が戦う理由を、教えてくれないか?」

 沈黙が広がる。涼花と俺はいつしか作業を放り出して、懐中電灯とランプの灯りだけが灯る闇の中で押し黙っていた。

 やがて、すうと息を吸う音が聞こえる。

 俺は、そっと耳を澄ませた。一言も、聞き逃すまいと。

「……私の『精霊』は[ツクヨミ]。太陽の神の正反対、月の神の『精霊』なの」

 涼花は空を見上げる。その視線を辿れば、そこには新月が輝いていた。

「月と太陽は正反対。だからこそ、どちらかの暴走を抑えて、力の拮抗を保つ。月と太陽、どちらかが欠ければ世界は滅びる。……『精霊』の中でも飛びぬけて力を持ってるのが[アマテラス]と[ツクヨミ]。お互いの力はお互いに必殺の威力を持つ。だから、この二つの間ではそんなにトラブルは起きなかった」

 でも、と涼花は続ける。ランプの光に浮かび上がる涼花の表情には、暗い影が落ちていた。

「私が……[ツクヨミ]が未熟だから、私が[ツクヨミ]と契約した瞬間に[アマテラス]は自身の我儘のままに動き始めた。本来、暴れる[アマテラス]を押しとどめるのは私の役目だけど、弱い私は[アマテラス]を抑えられるほど[ツクヨミ]の力を使えない」

 悲しみが瞳に滲んでいる。新月が雲に隠れて、俺たちを照らす光は弱くなり、闇は更に強くなった。

 ぎゅっと強く拳を握りしめた涼花に掛ける言葉も、俺には見当たらない。

「だから、私は頑張って強くなった。これでも一応、精霊実技の模擬戦では負けてない」

 彼女の模擬戦で感じた必死さ。

 あれはどうやら、俺の思い違いでは無かったらしい。彼女の[ツクヨミ]と契約したから故の理由に使命感を持ったからこそ、あそこまで鬼気迫り強くなったのだろう。

 そしてそれ程までに、[アマテラス]の力は強大だと言う事も分かる。

 疑問は深まる。どうして、どうして今まで頑張ってきた涼花とつい最近『精霊』と契約した俺が[アマテラス]を倒すんだ。俺よりも強い人はごまんと居るのに。

 涼花がやらなければ行けない理由は、[ツクヨミ]と契約しているから。

 対して俺じゃなきゃダメなんだ、という理由は何だ? 俺のオンリーワンは、[フィニティ]と契約している事くらいだ。

 かと言って、今の話には[フィニティ」は出てきていない。ならこの可能性は、否定すべきか。

「……[アマテラス]を止める。それが、私の義務なの」

 涼花は静かに、そう言い切った。



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第三十九話「疾走」

「……[アマテラス]を止める。それが、私の義務なの」

 涼花は静かに、そう言い切った。

 俺の思考を断ち切る一言。涼花は作業に戻り、口は真一文字に引き締められている。やはり、踏み込むには少し覚悟と遠慮、考えが足りなかったのだ。

 手を再び動かし始め、俺たちの中には会話が始まらずに。

 やがて数十分が経ち、涼花は俺よりも速く作業を終わらせると何も言わずに立ち去った。俺は作業を止めて、懐中電灯とランプを消した。

 そのまま地面に寝っ転がり、暗い夜空の星を見上げる。雲に隠されている新月に手を伸ばし、ゆっくりと地面に落とした。

「……フィニティ」

 小さく、問う。

「俺は、いつになったらポゼッション・リンクが出来る様になるんだ?」

 [アマテラス]を倒す理由が、俺には無い。

 出来る事も何も無い。

 だから、その素性も知らない[アマテラス]を倒す理由が出来た時に。せめて、出来る事も増やしておきたい。そんな思いからの質問に、脳内で息を吸う音が聞こえて、

『……そうさなあ、式がポゼッション・リンク出来ないのは、実は爆発するとかそういう理由ではなくてね』

 今までの言い訳を嘘と認めたフィニティは、更に告げる。

『式自身に理由があって。……で、それが理由で『精霊』に恐怖心を抱いてるんだよね』

「俺自身の理由?」

 オウム返しをすると、彼女は少し唸った。悩む様にんーと唸り続けて言葉を発さないまま一分くらいが過ぎて、ようやくフィニティは話し始める。

『昔ね、式がまだ小さい頃に―――――――

 次の瞬間。

 

 ドゴォオオオオンン………!!

 

 何かが轟音を轟かせて、爆ぜた。体が芯から揺さぶられる感覚に陥り、慌てて俺は起き上がる。フィニティの言葉は途中で切れていた。が、彼女は代わりに急いで言葉を紡ぐ。

『寮だ! 式、急いで寮に行って!!』

「分かった!」

 見れば、畑のすぐ後ろ――――俺の住む寮が、無数の大きな瓦礫となって落ちてきていた。

 振り向いた俺の目の前で、火花が散り無数の叫び声が聞こえる。耳をつんざく大音量が寧ろ俺の足を止めず、直ぐに俺は全力で駆け出した。

 助けられる人は? 目視で何人だ?

 ……いや、悪いけど『精霊学科』の人間は無視だ。それよりも『普通学科』の人を優先しろ。

 制服の色は紺色。しかし、この暗闇では区別は付かない。

 俺の視界で、何かが、重なる。

 叫び声。明るい炎。落ちてくる大きな瓦礫。命を失いかけている人々。

 体が震えて、膝から崩れ落ちる。奥歯ががたがたと音を鳴らし、見開いた目で俺は降りゆくコンクリートを見続ける。動けない動けない動けない、動けと叫んでも体は震えるばかり。

 どうしてだ、どうしてなんだ!? 俺は目の前で人が死にかけているのを見た事が無いだろう!? 何で、何でこんなにも怖いんだ。轟音が、炎の匂いが、叫びが恐怖に歪んだ顔が暗い空に舞う少なくない鮮血が。

 全てが俺の脳髄を焼き切って、支配する。その寮の中心に、光の柱が突き刺さり。

「……あ」

 見えた。光の柱から放たれた白い極光に、涼花の後ろ姿が照らし出された。

 それは寮とは逆方向、正門の方向へと向かっている。それを確認した瞬間に、俺は理解する。

「これは……これは、この惨事は……!」

 瓦礫が地面に落ちる。欠片が飛び散って、俺の頬を切り裂いた。

「[アマテラス]のやった事なのかッッ!!??」

 許さない。許せない。考えるよりも先に、本能がそう咆哮した。

 どこかで、「またか」と俺が叫んでいる。[アマテラス]の事なんか何も知らないのに、どうしてか憎しみが止まらない。まるで親の仇でも見つけたかのように荒れ狂う感情の波を沈めて、震える体を強く叩き俺は駆け出した。

 涼花を追いかける。怪我人に見向きもせずに駆け出すなら、それに見合う理由がある筈。

 少なくとも、涼花は自分だけ逃げるような人じゃない。それだけは断言できる。彼女は優しすぎる。純粋で真っすぐだからこそ、[アマテラス]に執着し[ツクヨミ]の使命を果たさんと血の滲む努力をしている。

 走れ。

 駈け出せ。

 夕張先生の話は。涼花から聞いた話は。フィニティとの成長は。ルテミスとの鍛錬は。

 全てが今この時の為だったんだろう。そうだろ、夕張先生。学校長!

 そして理解する。涼花と俺でなければならない理由は、ただ一つ。

 俺が切り捨てた可能性。ポゼッション・リンクが出来ないからこそ気づけなかった真相。確かめたわけではないが、恐らくきっとこれが「真実」。

 地面を蹴り飛ばす。ジャージ姿の、泥まみれで。

 俺の走る先に、一人、『普通学科』の生徒がいた。その上から降って来ているのは、巨大な瓦礫。足を怪我したのか座ったまま動かない生徒を見て、俺は拳を握りしめた。

「フィニティ」 

 俺がポゼッション・リンク出来ない理由とかはどうでもいい。今は。

 この瞬間は、違うことをやれ。俺の使命は、ただ一つ。

「行くぞ」

『うん!』

 出来る事を、やるだけ!!

「ステイ・リンク!!」

 青白い光が俺の体を包み込む。グン! と加速した俺は生徒の真上にあった瓦礫を右拳で殴り飛ばして、そのまま地面に着地。

「ごめん、黒髪の女子生徒見なかった!? 走ってた子!」

「え? あ、そ、それなら正門の方向に行ったぞ……?」

「分かった、ありがとう!」

「こ、こっちこそ!」

 今のではっきりした。涼花は、先生を呼びに行った訳ではない。寮から先生達の居る校舎までは正門の前を通らなくても行けるのだ。緊急時だから焦ってる、という割にはちらりと見かけた後姿は迷いが無さ過ぎた。

 追いかけろ。追いつけ、そんでもって俺が出来る事をやるんだ―――――

 俺は駆ける。あっと言う間に寮は遠ざかり、正門が近づく。気が焦り、荒い呼吸を繰り返しながら走り続けて。

 正門に、辿り着いた。

 一回そこで足を止めた俺は、汗を拭って覚悟を決める。後戻りは、もう出来ない。

 意を決し、俺は一歩踏み出した。

 その、次の瞬間。俺の目の前に、炎の翼が突き刺さる。紅蓮の炎が闇に輝き、背後からは声が一つ。

「……どこへ行くんだ?」

 その声の主は、振り返らずとも直ぐに分かる。

 隼人だった。



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第四十話「手段」

「……どこへ行くんだ?」

 その声の主は、振り返らずとも直ぐに分かる。

 隼人だった。

 振り向くと、彼は最早炎の片翼を生成している。唸る紅蓮の炎が闇を明るく照らす。

「寮であれだけの大爆発が起きて、無傷か。あれだけの大爆発があったのに、お前は人を救助したりもせず『精霊』の力を使ってまでどこかに行こうとしてる」

 冷静に並べられていく言葉。条件。そして、彼は告げる。

「お前が犯人なんじゃないのか?」

 本気で疑っている様だった。低い声音に鋭い瞳。明らかに戦闘直前レベルの殺気と炎を纏い、彼はじりっと姿勢を低くした。

「ちがっ……違うって! 誤解だ、俺は犯人じゃないよ!」

 その今すぐにでも襲い掛かってきそうな剣幕に後ずさりしながらも、俺は必死に手を振り半ば叫ぶようにして否定する。しかし、彼の殺気は収まらず、寧ろ強まっている様にも感じられた。

「……犯人は皆そう言うよな」

「じゃあ他に何を言えば良いんだよ! 俺が犯人だって言ってるお前のそれこそ独断と偏見、証拠なんて何一つ無いじゃないか!」

 激情。隼人の言葉に、思わず叫び返す。

 剣呑な雰囲気の中で、隼人は明らかな戦闘態勢を見せた。左の片翼が引き絞られ、瞳が一層、鋭く細められる。

「……おい、何でもう戦おうとしてるんだよ……」

「白い光、大爆発。お前だけ無傷。……なあ、上代式。お前にはさ」

 そして。

 俺が準備するよりも速くに、隼人は地面を蹴った。

「[インフィニティ・バースト]って言う技があるよな」

 それは、物体に許容量以上のエネルギーを流し込み、物体を内側から爆散させる技。特徴は、人に使えば絶対の殺傷能力を持つ事。俺の体という器を壊さなければ物体に力が流し込めないと言う事。

 爆発する時に、大きく光ると言う事。

 考えてみれば、俺固有の[インフィニティ・バースト]は今の条件から考えると犯人の可能性が高いと言えば高い。俺も隼人も犯人を知らず、他人から見れば明らかに俺が犯人っぽいのだ。

 隼人がそう思うのも仕方はないのかもしれない。俺を犯人として、倒しに来るのも自然な動きだ。何故ならあいつは俺よりも強い。俺を、止めることが出来るのだから。

 でも、俺もここで立ち止まっている暇は無い。

 やるべき事が、あるから。すぐ目の前に、見えているから―――――

 急接近してきた隼人の右拳を左手で受け止め、右上空から突き下ろされた炎の翼を紙一重で躱す。直後、切り返される翼をバックステップで回避。

「……止めてくれ。俺には、やる事があるんだよ……!」

「奇遇だな、俺もお前を止めなくちゃならねえんだよ!」

 隼人の、絶対にお前を行かせる気はないと言う返答。それを聞いた瞬間、いや聞くよりも早く俺は地面に拳を叩きつけていた。

 コンクリートがへこんで、俺の拳から少量の鮮血が舞い散る。

 痛みが走るが、それは俺を加速させる為の必要な感覚。[インフィニティ・バースト]の準備が整った事に気づいた隼人は顔を顰め、俺と距離を取ったまま炎の翼を操った。

 繰り出される上下左右、四方八方からの瞬撃。二回、三回は防げてもその他は全て喰らう。

 速さを求めたのか一撃一撃は大した事無くても、積み重なればそれは脅威。連撃に距離を取る事すら叶わない。

 なら、と俺は息を深く吸い込む。そして、右拳を一瞬、翼に押し当てた。

 輝く青白い光。[インフィニティ・バースト]の予兆。

 分かりやすい前段階の動作に隼人は勿論反応し翼を引っ込める。俺の次の動きを、制限し押さえつける動き。

「……今更、それが通じるかよ!!」

 隼人が大きく叫び、炎の翼に力を溜める。距離を取られ、[インフィニティ・バースト]は通じない。俺の体は、隼人の連撃によって傷だらけ。

 時間が掛かれば、涼花がどうなるか分からない。[アマテラス]も。

 時間が掛かれば、単純に先生も来るだろう。ゲームオーバー。

 ……なら。優先順位は、一番上に来るのは。

「フィニティ」

『左手一本、これで行けると思うよ』

 俺の呟き一つで、彼女は俺に欲しい情報を教えてくれた。それだけで、十分。俺が今、隼人に勝つための唯一の手段はこれしかない。

 躊躇なく。

 俺は、隼人が炎の翼に力を溜めているのにも関わらず駆け出した。



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第四十一話「決着」

遅くなってすみません!!!


 躊躇なく。

 俺は、隼人が炎の翼に力を溜めているのにも関わらず駆け出した。

 彼の顔が驚愕に歪む。だが俺の状態は傍から見れば傷だらけの人間が、隙を自ら晒して走っているという状態。どこに打ち込んでも攻撃は当たる。

 だが隼人が中々踏み込めないのは、彼が一度俺に負けているからだ。

 疑心暗鬼。一回勝ち、一回負けた隼人は俺の手の内に対して不信感を持っている。まだ何かあるんじゃないか、[インフィニティ・バースト]みたいな物がという思いが、彼の動きを鈍くさせている。

 そして、それは実際間違いではない。

 [インフィニティ・バースト]であり、そうではない。左腕に宿る青白い輝きがそれを示している。

「……ッッ!! 穿て、[ホルス]!!」

 俺と隼人との距離が10mを切った瞬間に、隼人は炎の翼を打ち出した。螺旋状に捻られた鋭い業火が俺の顔面目がけて迫る中で、俺は左手でそれを受け止める。

 熱い。燃える。痛い。左腕が激しい炎に蝕まれ、焦げて、皮が剥がれ落ちる。意識が落ちそうになるその中で、更に前進した。

 炎を全開で放出していたからか、やっと勢いが弱まった。その瞬間に、俺は右腕を伸ばして隼人の胸ぐらを強引に掴み、引き寄せる。その勢いに乗せて、俺は額の切り傷にフィニティの力を流し込みつつ、頭突き。

「ああっ!!」

 気合い一発、ぶつけた瞬間に力が炸裂する。隼人の頭が上半身ごと後ろに持っていかれ、俺はそこで更に右膝で蹴りを打ち込んだ。

 炎の翼。大技の直後の隙に攻撃を打ち込んだが、もう隼人は炎の翼の準備を終えている。

 仰け反った状態から、彼は体を勢いよく起こした。瞬時に背中に生成される紅蓮の片翼、酸素を喰らい尽くし轟々と唸りを上げる最強の矛を前にして。

 隼人の顔面へと、ぼろぼろの左拳を打ち付けた。

 傷だらけで血まみれ。怪我が酷すぎる所為で痛みも感じないレベルの重傷を負っている拳に大した威力はない。精々隼人の視界を一瞬遮るのが出来るくらいだ。

 だが。

 隼人は、その時点で絶望の表情を浮かべていた。負けを、悟っていた。

 俺の左腕は、一つの星の様に強い強い光を放っている。隼人の炎よりも、街灯よりも明るく輝く青白い光は純粋なエネルギー。人間を超えた力を持つ存在、『精霊』が持つ力。それが腕全体から溢れ出している。

 隼人は知っている。この輝きを。力が、腕という器に集まりすぎたらどうなるかを。

「フィニティ!! 全力で頼む!!」

 刹那、光が更に大きく強くなる。隼人が回避しようとするも、俺は地面を蹴って左腕を隼人に押し当てた。

 視線が至近距離で交錯する。言葉はもう無く、俺は叫んだ。

「[インフィニティ・バースト]!!」

 闇夜を切り裂く一筋の閃光。

 青白い光が世界を埋め尽くすと同時に、鼓膜を突き破る様な轟音が大気を震わせた。



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第四十二話「邂逅」

 闇夜を切り裂く一筋の閃光。

 青白い光が世界を埋め尽くすと同時に、鼓膜を突き破る様な轟音が大気を震わせた。

「……はあっ……痛い……!」

 ふらふらとよろめく俺は、思わず呟いた。右腕で抑えている左腕は血まみれのぐちゃぐちゃ。痛さと熱さが尋常じゃないほどに左腕から発される。

 左腕全体を犠牲にしての大爆発。吹き飛ばされた隼人は地面を抉り、数十m向こうに倒れている。周囲の地面や街路樹は半分から吹き飛ばされていて、網膜を焼き尽くすかの光量に視界がまだまたたいていた。

 肩で大きく深く呼吸をして、痛みと疲労を和らげる。満身創痍の体は震えて力が入らない。

 でも、ここで走り出さなければ隼人との戦いも、左腕を犠牲にした事も無意味になってしまう。

 行かなきゃいけない。走りだせ。

 夜空に吸い込まれそそうになる意識を必死に奮い立たせて、俺は正門へと足を進める。ゆっくりと、体を引きずる様に。

 どこへ行けば良いのか、それすらも分からずに歩く。

 そして、学校の前にある桜並木を抜けた、その瞬間。

 

 ズドンッッ!!

 

 と、ここから遠く離れたところで寮が爆発した瞬間に見えた光の柱が天を貫いた。

 それは[アマテラス]の居る証拠。さっきの[インフィニティ・バースト]の数倍は強い光を強く睨み付けて、俺は歩き始める。

 その歩みは、最初はゆっくりと。次第に、速く。

 最終的には走っていた。気づけば、痛みや熱さ等は消えていた。それらよりも、速く行かなきゃという思いが勝っていたから。

 何故なら。

 [アマテラス]を止める為に[ツクヨミ]が戦っていなきゃ行けない状況なのにも関わらず、さっきの[アマテラス]の光柱からは、何一つ音沙汰が無かったのだ。

 考えられる最悪は一つ。

 ―――――たったの一撃で、[ツクヨミ]こと涼花が負けた可能性―――――

 

 それなら、夕張先生が死ぬ。『無限の精霊契約者』が解放される。

 逆に、涼花が勝っていたならそれを確認すれば良い。何も起きていなかったらそれで良い。

「最悪の可能性を考えろ」。ルテミスが教えてくれた教え。相手が何をしてくるか分からない場合、相手の全てを考慮した上で行動をしろ。その考慮する時には、最悪だけを考えろ。

 走れ。走れ。例え徒労に終わったとしても、それならそれが一番良い。

『そこ、右。次、左』

 フィニティの的確な指示に従い、俺は走る。ただひたすらに走り続けて、青白い光の尾を引きながら、霞む意識を細い糸を紡ぐように繋ぐ。

 やがて。

『……ここだよ』

 フィニティが淡々と告げる。足を止めた俺の前にそびえ立つのは、大きな廃工場だった。

 ごくりと生唾を飲み込んで、空いている鉄製の重たそうなドアに右手を掛けて、ゆっくりと中を伺う。転がる鉄パイプに、鉄筋。所々崩れている天井からは夜空と星が見えて、薄暗い床と天井には落書きが書かれていた。

 恐る恐る中に足を踏み入れ、左腕を押さえつけながら奥へと入っていく。

 放置されていた大きなコンテナの間を縫うように抜けて、辿り着いたのは大きく開けた場所だった。

 その中心の奥に、光り輝く白い箱が置かれている。それに興味を向けた瞬間、その箱の上から声が降ってきた。

「また来客かあ。君は誰だい?」

 若い、青年の声。箱から飛び降りてきた金髪碧眼の青年の体は、淡い金色に輝いていた。

「[ツクヨミ]に続いて何ともまあ、若いなあ。……おっと、礼儀だったね?」

 青年は軽く笑みを浮かべ、にこやかに言葉を発する。その奥には、強い狂気が見えた。

「僕はライター。[アマテラス]と契約してる、人間でも最上位に君臨する存在だよ」



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第四十三話「雲泥」

 青年は軽く笑みを浮かべ、にこやかに言葉を発する。その奥には、強い狂気が見えた。

「僕はライター。[アマテラス]と契約してる、人間でも最上位に君臨する存在だよ」

 目の前の青年は、[アマテラス]の契約者。つまりは、俺の敵だ。

 余裕の笑みを浮かべつつ、ライターは後ろの光る箱を顎で示して呟く。

「君は、[ツクヨミ]の仲間かな? 残念だね、[ツクヨミ]はもう倒したよ。凄く弱かった」

 何て事の無いように、精霊実技では一回も負けていない涼花を傷一つ負わずに下したことを彼は告げる。俺の驚いた表情を笑い、ライターは声を大きくした。

「この白い箱は、光の結晶体! [アマテラス]と[ツクヨミ]はお互いに強く干渉しあい、お互いの力はお互いに必殺の威力を持つ―――――」

 つまり、とライターは繋げる。

「[アマテラス]を倒せるのは[ツクヨミ]だけであり、闇の集合体である[ツクヨミ]は今光の箱へと閉じ込められている。……意味が分かるかい? 簡単だ、もう僕を止められる人間と『精霊』は居ない」

 あっさりと言い切ったライター。右手で片目を覆い、碧眼で俺を睨み付ける。そこに宿る今にもあふれ出しそうな殺意と狂気を感じ、俺はルテミスに教わった戦闘の基本姿勢を取った。

 涼花の勝てなかった相手に、相性が良い訳でも無い俺が勝つ。

 ……無理だ。無理すぎる。涼花と俺の時点でも力の差は雲泥の差。[アマテラス]と、まともに戦えるかどうかも分からない。

「……うんまあ、その姿勢を見るに君も[ツクヨミ]の仲間かな? ねえ、どうしてステイ・リンクなんだい? 本気出せよ、ポゼッション・リンクで戦いなよ」

 さもないと。

「死ぬよ?」

 ライターは淡々と言い切った。次の瞬間に、俺の体は天井へと叩きつけられていた。

「ぐああっっ!!」

『速い……!!』

 口から酸素と血が一気に吐き出される。天井に叩き付けられたという事に気づいた一拍後に襲い掛かる衝撃は背中を駆け抜け指先まで痺れさせる。隼人との戦いのダメージが未だに残っている中で、それも相まり意識に霞がかかった。

 だが、状況がそれを許さない。天井から力なく落ちてきた俺は、地面に両膝と右腕を叩き付ける様にして着地する。

 左腕は使えない。顔面が地面すれすれの所でやっと止まり、俺はよろよろと起き上がった。

「おお、大丈夫? ちょっと限りなく光速に近い速度で殴っただけなんだけど」

 光速に近い速度。

 つまりは、人間の到達できる限界を遥かに超越した速度で自身が動いたという事をライターは言っている。当たり前の様に。にこやかに、笑みを浮かべながら。

「うんまあ[ツクヨミ]も喰らってたしねえ。誰も避けれないのかな? 分からないや。僕、そんなに戦った事無いしなあ」

 ライターがそう話している中で、俺は右拳を握りしめた。血まみれのそこに、フィニティの力を溜める。

 俺の十八番、[インフィニティ・バースト]の構え。青白い光を湛える拳を構え、俺はライターをじっと見据えて構える。光速で動ける相手に、攻撃は当たらないだろう。やるならば、カウンター狙い。

 刺し違えてでも、攻撃を与えなければ[アマテラス]を倒すことは出来ない。

 せめて隼人の紅蓮の片翼の様に、気づかれない距離からの遠距離攻撃があればあいつを狙えただろう。しかし今、俺の手元には何も無い。

「……おお、凄い光ってる。綺麗だなあ……」

 呑気に俺の拳を眺めるライターは足元へと鋭く右足を振り下ろし、突き刺す。瓦礫が幾つも飛び散って、その内の一つへと右掌を押し付けてライターは告げた。

「[アマテラス]、[砲撃]だ」

 ボウ、と瓦礫が純白の光に包み込まれた。そして、太陽の様に赤く赤く燃え上がった。

 一瞬吹いた熱風が俺の肌を撫でる。それだけでぶわあっっと汗が全身に浮かび、口の中が干上がった。

 圧倒的な熱量。光。『精霊』の力はここまで強いのかと、強くなれるのかと戦慄する。

 見せつけられた、力の差。雲泥の差なんて生ぬるいものじゃない。人間の物差しじゃ計りきれない。

 どごん、と瓦礫、いや業火の砲弾は俺へと一直線に飛来する。身を焦がす熱風が吹き荒れる。

 あれに[インフィニティ・バースト]は使えない。あんな物に拳を押し付ければ、その瞬間に拳が溶けて消えるだろう。

『右ッ!!』

 この場において、考える時間は死に直結する。フィニティの鋭い指示に従い、俺は右方向へと転がるようにして飛び込んだ。

 ごろごろと転がり、直後に俺の居た場所を貫いて赤熱している瓦礫は壁も鉄筋も溶かして突き進む。やがて、どこかで大きな音がした。瓦礫の通り抜けた所は、あまりの熱量に溶けて跡が付いている。抉れたそこは赤く、赤く成っていた。

 勝てるビジョンが思い浮かばない。今の一撃が、直撃はせずとも俺の決意とやる気を根こそぎ潰し、無に帰していた。

「……逃げてばっかりだなあ、つまんない……」

 ライターは表情を曇らせて、右手を下した。そのまま足で地面を叩き、じっと考え込む。数分後、彼は突然顔を上げて表情を輝かせた。

「じゃあ、ゲームしよう! それなら君も逃げないしさ!」

 ライターは俺の了承も得ずに進める。光の箱を指さして、彼は喜々として語り始めた。

「この箱の中には、[ツクヨミ]が居る。勿論、君の仲間の女の子もね。この箱は結構頑丈で、万全の状態の[ツクヨミ]でも壊せるか分からない」

 彼は、その”ゲーム”とやらの内容を満面の笑みで語る。

 

「その箱を、君が壊す事が出来たら君の勝ち! 僕は死ぬよ!」

 

 あっさりと。

 怖いくらいにあっさりと、ライターは自分の死を天秤に乗せた。微塵の恐怖も無く、寧ろ嬉しそうにライターは笑っている。

 ぞっと、背筋が粟立った。今までとはベクトルの違う恐怖。

 単眼の巨人など、比べ物にならない。闇の深い、そこの見えない恐ろしさが青年の中に眠っていた。

「……壊せなかったら?」

 俺の問いに、ライターは簡潔に答える。

「中の女の子を殺す」



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第四十四話「手段」

「……壊せなかったら?」

 俺の問いに、ライターは簡潔に答える。

「中の女の子を殺す」

 涼花の命は、いとも簡単に俺へと委ねられた。怖いくらいにあっさりと、俺の手中に。

「時間は……二分? いや、三分くらいあげるよ。精々頑張って、僕を楽しませてね?」

 人の命を、自分の命を懸けているのにも関わらずライターは飄々としている。数歩後ずさり、彼は白い箱から離れた。本気で手出しをするつもりは無いらしく、地面へと腰を下ろしじっと俺を見つめている。

 やるしかない。逃げ道は、無いらしい。

 俺は右拳を固く握りしめて、姿勢を低く構えた。鋭く箱を睨み付けて、そのまま地面の上で力を溜めて。

「スタート」

 ライターの声と同時に地面を蹴り飛ばし、拳を白い箱へと叩き付けた。

 ガァン!! と衝突音。ビリビリと拳に衝撃が伝わり、少し痺れが走る。全力の一撃なのにも関わらず、白い箱にはかすり傷一つ付いてない。虚しさが心中を駆け抜け、次の瞬間にはもう更なる手を打っていた。

 血まみれの右腕を白い箱に押し付けて、そのまま箱へとフィニティの力を流し込み続ける。

 が、結構な量を流しても爆発はしない。[アマテラス]の力で作った、光の箱という檻のキャパシティに愕然としながらも俺とフィニティは力を流すのを止めず、出力をどんどん上げていっている。俺の体が小刻みに震え始めて、体を覆う青白い光が強くなるくらいの出力。

 殆どMAXの状態で、数十秒が経ち。

 やがて。

「[インフィニティ……」

 白い箱が、青白い光に包み込まれた。輝きが、宙を裂く。

「バースト]ォ!!」

 ドゴオン!! と、炸裂音が廃工場内に轟いた。大気を震わせる威力の反動で、俺は勢い良く後ろへと吹き飛んだ。

 地面に体を打ち付けながら、何回も何回も転がって行く。やがて止まり、急いで顔を上げて白い箱を確認する。[インフィニティ・バースト]を限界まで溜めて、白い箱のキャパシティを超えた爆発を起こしたのだ。

 が、

「……そんな……」

 白い箱には、やはり傷一つ付いてはいなかった。

 絶望が溢れ出す。自分自身の技を使っても、[アマテラス]の能力には適わない。

 他に、今の[インフィニティ・バースト]を超える技が俺にあるかと言われれば―――――

 ある事にはあるのだ。しかし、余りにもリスクが高すぎる。

 その技を使ってしまえば、それ以上の戦闘は不可能。もしも壊せなければ、その時点でライターに一撃ぶつける事すらも出来なくなってしまう。

 でも、それ以外に手はあるか? いや、無い。自問自答で結論を叩き出した俺は、長く長く息を吸い込んだ。

 自身の無力さを嘆くよりも先に。

 今は、自分が出来る事。

 『精霊』への恐怖を忘れ、[アマテラス]の事も頭から消し飛ばす。今自分がやる事は、たった一つだけでいいのだから。



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第四十五話「敗北」

 『精霊』への恐怖を忘れ、[アマテラス]の事も頭から消し飛ばす。今自分がやる事は、たった一つだけでいいのだから。

「あと、30秒」

 ライターが告げる。いつの間にか、もうそんなに時間が経っていた。

 だけど、十分だ。この一撃に、俺は全てを懸ける。そうしなきゃ白い箱は壊せずに、涼花も死ぬ。[アマテラス]を止めるためにも、ここで全力を越えなければならない。

 俺はゆっくりと白い箱に近づくと、右拳を強く叩きつけた。重く鈍い音を響かせるも、傷一つ入っていない。そこまでは想定通りで、[インフィニティ・バースト]もこの箱には通用しない。考えられる突破口。それは。

 フィニティの力を、直接ぶつける事!!

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 気合い一声。

 叫ぶと同時に、青白い光が渦を巻き俺の右手から迸る。竜巻の様に吹き荒れる光とエネルギーはまるで風の様になり、俺の服や髪をごうごうと荒らす。体の節々がミシミシと軋み、口の中に鉄の味が広がって、目からは鮮血の涙が流れ落ちた。

 髪はエネルギーの余波、影響で段々と白くなり始める。血管が浮かび上がり、地面には無数の亀裂が駆け抜けた。

 もっと。もっともっともっと。

 足りない。力を、己の中に眠る力を全て開放しろ―――――!!

「ああああああああああああああああおあああああおあおあおおああああああああ!!!」

 ドグンッッ!

 叫んだ瞬間に、心臓が一度高く跳ねて。

 

 直後、俺の視界には燃える家が映っていた。

 青白い光に、俺は包まれていた。奥のほうでは、男性が一人倒れて、女性と少女が震えあがっている。

 そして、輝く白い一撃を受けて女性は死んだ。吹き飛んだ。

 少女も、無慈悲に殺された。呆気なく。

 男性と女性、少女を殺した人間は今度は此方へと振り向く。金髪碧眼の男。狂ったような笑みを浮かべながら俺に手を向け、輝いた瞬間。

『[日食]』

 声が響いた。男の纏う光を全て食らい尽くす闇が天から雷の様に降り注ぎ、男から光が消える。闇に包まれたそいつへと、闇の淵から現れた紫と白の服を着た老人が告げる。

『”上梨村”に、手を出すな。[アマテラス]」

 ザザザッ、とノイズが掛かる。

 そして。闇で生成した一振りの大剣を。

 上梨村の村長は、金髪碧眼の男へと突き刺した。

 

 視界が戻る。右腕には、最早限界を超えた力が秘められていた。今の風景を疑問に思うよりも先に激痛が脳を焦がす。その衝動に煽られるがままに、俺は最後に、砲声。

「[インフィニティ・バースト]ォォォォォ!!!!!!!」

 音も光も痛みも感覚も世界も。

 全てを、青白い光が吹き飛ばした。俺の右腕のキャパシティを超えて溢れ出した『精霊』の持つ純粋なエネルギーが何もかもを無に帰し、一瞬だけ世界から全てが消えた。

 やがて、激しい痛みと耳鳴り、閃光を直視してしまったからかチカチカとする視界と共に世界が段々と見え始める。吐き気を堪える事が出来ずに、口を開けると、出てきたのは赤い赤い血のみ。

 黒々しく星明りに艶めくそれから視線を上げて、俺は白い箱のあった場所へと目を向ける。山一つなら吹き飛ばせるくらいの威力だった[インフィニティ・バースト]。

 単純だからこそ使い勝手もよく威力が高い。

 かなりの手応えを感じた俺は、少なからずの希望と自信を抱き、霞む目を拭う。両腕が使い物にならなくなり、力なくぶら下がっている中で、段々と砂埃が晴れて。

 そして―――――

 

 そこには、白い箱が鎮座していた。

 

 今にも崩れ去りそうな程に亀裂を全体に入れながら。ぱらぱらと欠片を降らせながら。

 白い箱は、あった。完全に壊れは、しなかった。

「残念! いやあ、惜しかったねえ。最後の奴を両腕で撃てたらきっとこの箱も壊せただろうに。まあ、何はともあれ」

 ライターが座っていた状態から立ち上がり、白い箱と俺の間に立つ。呆然と崩れ落ちた俺へと、ライターはにっこりとほほ笑んだ。

「時間切れ。僕の勝ちだ」

 そして、鳩尾を凄まじい一撃が貫いた。回避も受け身も、一瞬の身じろぎさえも許されない。痛みさえも霞むレベルの一撃を受けて、俺は大きく吹き飛んだ。30m程を、地面に何回も体を打ち付けて朦朧とする意識の中で、やがて止まる。

 もう、体は動かせなかった。

 もう、動く気力さえも無かった。

 結局俺は[アマテラス]に負けて、[ツクヨミ]を助ける事ができなかった。せめて、せめて俺がもう少し強かったら。

 これで、涼花は死ぬ。[ツクヨミ]も死ぬ。そして『無限の精霊契約者』が蘇り、全ての『精霊』の力が使える存在の手によって少なくともここら一体は壊滅する。隼人も夕張先生もルテミスも、そして恐らくは上梨村の皆にも被害は届く。

 日本だけでなく、世界中に。

 人間を超えた力を持つ『精霊』の手によって。無限の『精霊』によって。

 ライターが、揺れる視界の奥で白い箱に手を翳した。すると、徐々にギギギとゆっくりゆっくり箱が圧縮されていく。

 どうやらライターは涼花を押しつぶすつもりらしい。惨いやり方。

 ……もう、無理だ。諦めるしかない。

 自分が情けない。でも、動けない俺はこのまま死を待つしか無いのだろう。

 ああ。せめて。

 せめて。

 ―――――ポゼッション・リンクが出来たのなら―――――

 

 心の中で、ぼんやりと思う。動かない血まみれでぐちゃぐちゃの両腕から伝わる熱いような痛いような、そんな不可思議な感覚を味わいながら、俺は目を閉じた。

 

 



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第四十六話「記憶」

 そして俺は、白い世界に居た。

 驚くよりも先に、目の前のフィニティの浮かべる、その悲しそうな表情に吸い込まれそうになる。青い瞳を伏せた彼女は、右手をすっと上げた。

「……フィニティ?」

 俺が問いかける。すると、彼女は口を開き、話し始めた。

「ごめん。今まで黙ってて。私は、式が『精霊』が怖い理由を知ってるし、ポゼッション・リンクが出来ない理由も知ってるの。でも、黙ってた。……ごめんなさい」

「知ってるのか? というか、理由があるの?」

「うん。それは、貴方の昔の記憶。……私と、上梨村の村長で貴方の記憶を一部封印したの。覚えている時の式は、その、狂っていたから」

 おずおずと、それでもしっかりとフィニティは話す。いつも見ていた快活な彼女はどこへやら、今フィニティは俺に怯えているようだった。

「記憶の封印?」

「そう。……式、貴方は家族の事を覚えている?」

 簡単に告げられた言葉。俺はその言葉に当たり前だろう、と言う風に頷く。

 が、

「……父親と、母親と、妹が一人だろ……? 名前は、上代……?」

 家族構成と苗字。それしか、覚えていなかった。

 確かに俺の家族が死んだのは俺が五歳の頃だ。昔の事過ぎて覚えていないというのもあるだろうが、誕生日や名前まで覚えていないのは、改めて考えてみれば異常。ぞっと背筋に寒気が走る。

「どうして家族三人が死んで、貴方だけが生き残っているの? 五歳の貴方が、一人だけ?」

 終わらない、フィニティの言葉。続けられる、俺の異常点の暴露。

「覚えてないでしょ? 理由もわからないでしょ? ……それは封印されてるから。貴方のトラウマを、封じちゃったから……」

 彼女は、顔を上げた。

 その瞳には、涙が浮かんでいる。俺が息を呑むと、フィニティはか細い声で告げる。

「……私とポゼッション・リンクするためには、そのトラウマを開放しなくちゃいけない……式が、廃人になるかもしれない! 戦えないし歩けないし一人では何も出来ない! そんな風になってしまうかもしれないんだよ! それくらい、酷い事なんだよ……!!」

 俺のトラウマを、掘り返す。そうしなきゃ、フィニティとのポゼッション・リンクは出来ない。そして、そうしなければ涼花を救う方法も途絶えてしまう。

 もしかしたら俺が動けなくなるかもしれない。そんなハイリスク。

「五歳だよ!? まだ子供の時に、家族が全員目の前で殺されて……っ! 存在しか知らなかった『精霊』と無理やり契約させられてさあっ! 見てる、知ってるこっちまでその記憶を封印したくなった! どうしても取り返しの付かない事なのに、私は逃げたかった! 数千年生きてる『精霊』の私でさえも!」

 肉親の殺害現場を、全て見ていた。至近距離で。

 頭にノイズが走る。浮かぶのは、炎の家と男に殺される男性と女性と少女。その光景は、やけに鮮明に浮かび上がってきた。

「……私の、私の力のせいで! 式は段々その記憶を思い出してきてる……!」

 そして。

 フィニティは、心の底から叫んだ。

「『無限の精霊契約者』なんて肩書きよりも、私は人を守れる『精霊』としての力が欲しかったッッ!!」

 ―――――『無限の精霊契約者』。

 今、フィニティは確かにそう言った。そんな肩書き、と言ってのけた。

「……フィニティが、『無限の精霊契約者』と契約した『精霊』なのか……!?」

「そうだよ。私が、世界最強の『精霊』」

 彼女は頷いた。目元に浮かんだ涙を拭って、嗚咽を漏らしながら。見てて心が痛むような姿で、それでもフィニティは俺から視線を反らさない。

「じゃあ、もしも俺がポゼッション・リンクを使えれば、皆を助けられるのか?」

「……間違いなく。でも、その為には式が、」

 俺は、フィニティの言葉を強く遮った。

「フィニティ、俺の記憶を開放してくれ。そうすれば、ポゼッション・リンクが出来るようになるんだろ?」

「えっ……!?」

 呆気に取られた様に、フィニティは固まった。口を開いたまま、呆然とする彼女に俺は続ける。

「このままじゃ、涼花が死んじゃうんだ。それを助けられるのは、俺しかいない。そしてその為には、俺がリスクを負わなきゃならない。何も賭けずに上手く行く事なんて無い」

 廃人に、”なるかもしれない”。戦えなく、”なるかもしれない”。

 でも、涼花は”助けられる”。絶対に。

 不確定な要素よりも、確定している要素を選べ。目の前に広がる無限の可能性の取捨選択を絶対に間違えるな。

「頼む! 今、俺が出来る事をやるんだ!」

「でも……! 嫌だよ、怖いよ……っ! 前に守り切れなかったから、式だけは絶対に守るって決めてたんだよ………」

 恐怖に震えるフィニティ。うずくまろうとする彼女へと、俺は力強く告げる。

「恐怖は犬にでも食わせて、勇気を持って一歩を踏み出せ」

 フィニティの体が、一瞬跳ねる。するとそれまでの震えは収まり、フィニティは顔を上げた。

「これを教えてくれたのは、フィニティだ。大丈夫。絶対に、廃人には成らないよ」

「式……」

 フィニティは、俺の胸へと右手を押し当てた。時折嗚咽を漏らし、目元を拭い。

 唇を噛みしめて、しかし彼女は凛と叫ぶ。

「開放!」

 ドグンッッ!! と、強く心臓が跳ねた。

 そして、白い世界が消え去る。目の前には、いつかと同じ風景。燃え盛る、家。

 俺は、青白い光に包まれていた。良く見慣れた、力強く優しい光。

『大丈夫だよ、式。私が、守るからね』

 聞こえた声はフィニティの物だった。俺は慌てて体を動かそうとして、動かない事に気づく。今の俺はどうやら、そのトラウマの時の俺自身に憑依しているような感じらしい。

 そして、その目の前で。

『[アマテラス]……っ! お前が何の用だ!』

 男性が、金髪碧眼の男へと叫んでいた。それは恐らく俺の父親と、[アマテラス]と契約している人物。

 ライターだった。

『[フィニティ]はどこかな? 欲しいなって。上梨村にあるでしょ?』

『あってもお前にやると思うか?』

『……ああ、くれないのか。じゃあいいや、ばいばい』

 父親とライターが言い争い、ライターが徐に手を振った瞬間に彼の体は光に包まれた。そのまま父親の心臓に光を纏った手刀が突き刺さり、そこから鮮血が舞い散る。

 倒れた父親の体を幾度も幾度もライターは踏みつけた。その度に血と肉と内臓が入り混じりぐちゃぐちゃに爆ぜる。飛び散った血が俺の頬にも付き、五歳の俺はその血を手で拭い、まじまじと見つめた。

 怖い。怖い。

 目の前で、父親が残虐に殺された。死んだ。初めて見る赤黒い肉塊が、そこら中に転がっている。

『お父さん!』

 そして、どこからか小さな小さな少女がライターの足元に転がる父親へと駆け寄った。それを追いかけるように、慌てた様子の女性が少女を追いかける。二人を見たライターは、すかさず少女の頭を右手で掴み持ち上げた。

 妹と、母親だった。

『やあやあどうも。それでそこの奥さんかな? [フィニティ]頂戴? 確か、貴方が[フィニティ]と契約してるんだよね?』

 母親が、フィニティと契約していた。

 初めて聞く事実。でも今、[フィニティ]は俺を守っている。俺がフィニティと契約したのは、体育館だった筈なのに。

 いや。違う。

 じゃあ何で俺は単眼の巨人と戦った時に青白い光を使えたんだ? 今、五歳の俺は青白い光に包まれてフィニティに守られているんだ?

 考えられるのは、ただ一つ。

 母親が[フィニティ]との契約を切って、[フィニティ]と俺を契約させたんだ。

 そして父親が、ポゼッション・リンクすらしていないライターが[アマテラス]と契約していると分かっていたと言う事は、ライターがここに来る事が分かっていたという事だろう。それを見越して、俺を守るために母親は俺に[フィニティ]を託したのか。

『私は[フィニティ]と契約していません』

『本当の事を言って欲しいな? ね、この子を殺されたくないでしょ?』

 ライターの右手に力が入る。それを厳しい表情で睨みつけながら、母親はもう一度告げる。

『本当の事を言っています』

『じゃあ用済みかな。あーあ、無駄足かあ』

 ぐしゃっ。

 ライターが、妹の頭を掴んでいた右手に力を込めて、頭を、潰した。

 骨が中身が肉がぼとぼとっと落ちて、地面に染みを作り出す。湧き上がる吐き気、恐怖。目の前のライターから感じる狂気に、全身の震えが止まらない。

『××!!』

 母親が妹の名前を叫びながらライターの方向へ駆け出し、そして、

 

 ドズンッッ。と、呆気なく胸の真ん中を穿たれ崩れ落ちた。胸に空いた穴から噴き出した鮮血が俺の顔を染めて、服に赤い模様をつける。

 死んだ。死んだ。全員死んだ。

 俺の目の前で。無残に、残虐に、殺された死んだ死んだ死んだ死んだ―――――!

 

「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」

 

 声が。絶叫が、俺の喉が張り裂けそうな程に迸った。

 



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第四十七話「覚醒」

 声が。絶叫が、俺の喉が張り裂けそうな程に迸った。

 家族全員の死がトリガーとなって、俺の記憶が全て掘り返される。今まで封印されてきたからこそ、今開放した古い普通なら忘れているような記憶が溢れ出す。脳を埋め尽くす膨大な記憶はトラウマを、恐怖を増幅させていく。

 気が狂いそうだ。いや、もう狂っているかもしれない。

 怖い。怖い怖い怖い怖い、『精霊』もライターも人間すらも怖い。生きている事も怖い。

 嫌だという感情が恐怖とトラウマと絡み合って全身を縛りつくす。ライターに、村長の振り下ろした闇の刃が突き刺さり、その光景もまた鮮明に映り俺の心を切り裂いた。

 狂う。自分が絶望に飲み込まれていくのが分かる。

 家族全員が殺されるところ見た。それがトラウマにならない訳が無く、俺は今家族の思い出と死にざまを同時に見ている。記憶が俺を飲み尽くす中で、トラウマは加速して心を壊す。

 見なければよかった。フィニティの言う通りに、やめて置けば良かった。

 でも、今更戻れない。見てしまった、戻れない。

 立ち上がれない。戦うなんて絶対に無理。ライターも[アマテラス]も、憎いけどあいつらとは絶対に戦えない。無理だ、無理だ―――――!!

 

『……式』

 どこからか。

 少女の、可憐で爽やかな風の様な声が聞こえた。

『大丈夫だよ。落ち着いて、ゆっくり深呼吸をして?』

 声に従って、俺は深呼吸をする。鼓動が段々と、ゆっくりと落ち着いていく。

『貴方がやるべき事は? ねえ、式。思い出して?』

 俺の、やるべき事……。

 それは。俺のやるべき事、やらなきゃ行けない事は。

 

 ―――――涼花を、救う事だ。

 ドクンッッ!! と鼓動が高く跳ねる。血が全身を高速で巡り、視界は澄んで脳はクリアになる。荒れていた呼吸も整い、体の震えは消え去っていた。

 そうだ。

 俺は、何のためにここに居るんだ。何のために、わざわざトラウマを掘り返したんだ。

 震えている為? 戦わない理由を作るため? 逃げる理由を作るため? 

 違うだろう。全部全部全部、俺のやる事じゃない。

 動くためだろう。戦う為だろう。逃げない為だろう。

 そして、何よりも。

「涼花を救って、[アマテラス]を……ライターを、倒す事だろっ!!」

 俺は叫んだ。自らの目標を、やる事を理解して、そして決意する。覚悟を決めて、立ち上がる。

 そこは記憶ではなく、白い世界だった。目の前ではフィニティが、泣きながら微笑んでいる。

「……お帰り、式。もう大丈夫?」

「ああ。勿論。ありがとうね、フィニティ」

 白い世界の果ては見えない。無限に広がっている。俺はその無限の世界に、しっかりと自分の力で立っている。俺の前に広がる無限の世界にも可能性にも、全てに手が届く。

 不可能なんて物は、無いんだ。

 『精霊』は怖い。トラウマの事も、思い出すだけで震える。狂いそうにもなる。

 でも、そのお陰で俺は立ち上がれた。自分の気持ちを確かめ、決意をする事が出来たんだ。

 自分自身の記憶を知ることで、自分自身に広がる可能性を知る。そうしなきゃ発動できないフィニティの能力、無限の可能性。

 良いじゃないか。掴んでやるよ。

 [アマテラス]と俺、[フィニティ]。正面からぶつかって、そして。

 涼花を救う。

 ライターを倒す。

 白い世界で、俺はすっと目を閉じた。そして、体から力を抜く。次の瞬間、突然荒ぶる青白い光―――――では無く、蒼い光。空のように、宇宙の様にも見える輝きが俺の体から吹き荒れる。まるで俺を中心にした竜巻の様に高速で渦を巻き、やがて。

 

 俺は、現実に戻っていた。

 霞む視界は鮮明に。ぼやける意識はクリアに。痛みは俺の動きを加速させる重要な物に。

 涼花の居る白い箱が、段々と圧縮されて行っている。ライターへの距離は、およそ30m。殴ろうにも両腕は使えずに、足のみしか使えず、走って跳んでキックするには遅すぎるだろう。だから、俺が今出来る事をやろう。全部を掛けて、

「ポゼッション・リンク」

 俺の前に広がる、無限の可能性を掴もう。

 蒼い光が俺の全身から吹き、渦を巻き、荒れ狂う圧倒的な力の奔流は廃工場の天井や壁を全て吹き飛ばす。粉々になっていく建物の上には、無数の星々が煌めきながら俺たちを照らしている。雲から新月が覗き、世界はより一層、明るくなった。

 ライターが驚いたように空を、周囲を見渡す。突如崩れた廃工場。彼は慌てたように視線を泳がせて、やがて俺を見つけた。

 その顔が、驚愕から狂喜へと変貌していく。まるで俺を煽る様に、彼は白い箱を潰す速度を速めた。

 しかし。

「フィニティ、行くぞおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 気合い一声。

 砲声と共に、俺の体からは蒼い粒子が迸る。刹那、俺の左肩から。

 ゴウッ!! と、紅蓮の炎の片翼が生成された。隼人の使っている、[ホルス]という『精霊』の能力だ。

 無限の可能性。その中には、”もしも俺がホルスと契約していたら”という可能性もある。

 その可能性を選択し、俺は今その可能性を辿っている。今、俺は[ホルス]と契約しているのだ。

 隼人の、いや、[ホルス]の翼に30mを貫く威力は無い。だから俺は、翼にフィニティの力を流し始めた。[インフィニティ・バースト]の応用。純粋なエネルギーを送り込まれた紅蓮の翼は強く燃え上がり、やがて紅蓮の炎は威力を強めて蒼い炎へと進化した。

 その片翼を、俺は全力でライターへと撃ち抜く。余りの熱量に触れても居ない地面がどろどろに溶ける熱さ、衝撃波で地面が吹き飛ぶレベルの威力を持ってしての一撃。

 流石のライターでさえも、この攻撃には白い箱を圧縮する手を止めて回避姿勢に移行した。光に包まれ、消える体。蒼炎の片翼の一撃が回避されて、そして翼が消える。

 一つの可能性を辿れる時間は10秒のみ。

 つまりは、俺がフィニティ以外の『精霊』と契約した可能性を辿っていて、そのフィニティ以外の『精霊』の力を使えるのは10秒だけと言う事だ。

 そして可能性とは、そのルートを知らなければ選択できない。

 つまりは、知らない『精霊』の力を使う事は出来ないと言う事。夕張先生や、学校長の『精霊』等は使えない。

 逆に言えば、見たことのある、知っている『精霊』の力は使えるのだ。

 単眼の巨人も。ルテミスも。隼人も。涼花も。鷹野も。人狼も。黒フードも。ライターも。

 だからこそ、『無限の精霊契約者』。

 全ての、無限の『精霊』と契約した可能性をセレクトしその可能性の道を10秒間だけ辿る事の出来る最強の存在。

 俺は今、『無限の精霊契約者』であった。



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第四十八話「天災」

 俺は今、紛れもない『無限の精霊契約者』であった。

「……凄い、凄い凄い凄い! これがあれかな? [ホルス]かな? いや、違う!」

 ライターは恍惚とした表情で天を仰ぐ。天井と壁は俺の蒼いエネルギーによって吹き飛ばされていて、ここはもうただの空き地となっていた。

「君はさっき[フィニティ]って言った! そうか……! 君が『無限の精霊契約者』なんだね!? 最強の『精霊』、[フィニティ]との契約したのか! うわあ凄いなあ、最高だね!こんなにも殺しがいのある人間が居るだなんてさあ!」

 彼の体が、純白の光に包まれる。圧倒的な熱量を持ち始めたライターの拳は後ろへと引き絞られて、両腕の使えない俺へとその拳を撃ち放った。

 凄まじい威力だった。気づけば、目の前へと迫っている拳。身じろぎすらしない俺へと、光速に限りなく近い拳は叩き付けられる。衝撃波が地面を砕き、飛び散った瓦礫が拳の威力でそのまま俺の後方へと吹き飛んで行った。

 だが。俺はそこに立っていた。立っていられた。

 10秒間しか、一つの可能性を辿る事は出来ない。そして、同じ可能性をセレクトするためには3分間のクールタイムが必要だ。

 隼人の能力を使う事は、まだ無理。俺がやったのは、いつか模擬戦で見た樹木の鎧。

 あの『精霊』が虚空から樹を無限に生成していた。それの応用で、拳の威力によって砕かれる速度よりも速く樹を生成し続けて拳打の威力を受け流したのである。

「……はははっ、予想以上、すぎるだろ……!」

 フィニティ自身の持つ莫大なエネルギーは、純粋な力の結晶。

 それを他の物に流し込めば、それは力の結晶が詰まりより強く強固な物へと増す。最強の『精霊』の力は、単純明快であり最強の矛にも盾にもなる。

 それが、俺の中にいる青髪青目の少女の力。

 トラウマを乗り越えた、俺の力。

 ライターの笑みが引きつっている。拳を突き出したままの状態で、光速へと近づいた体は一瞬硬直した。してしまった。それが故に、その一瞬で訪れるのは両腕の使えない俺の攻撃チャンス。すかさず俺は鷹野の『精霊』と契約した可能性を辿り始めて、骨格を変えてまるで鷹の様な風貌へと変化する。

 そして、蒼い光の宿った豪脚でライターの胸の中心を穿つ。口から涎と空気、少量の血液を吐き出しながらライターは大きく吹き飛び、白い箱に背中を打ち付けてやっと停止した。

「お前の下らない願望の所為で、俺の家族は殺されたんだ……」

 蘇る、炎に包まれている家。順々に殺されていく家族の最期。

 村長……いや、[ツクヨミ]の[日蝕]という技によって闇の刃に刺されるも、ライターは直ぐに抜け出して逃げ出した。

「俺はお前を絶対に許さない。その分は、絶対にお前を殴る。そんでもって、涼花も助け出す」

「出来るのかな? ポゼッション・リンクを今初めてやった様な君が、そんなに沢山の事を。殴るって言ったって、君の両腕は使い物にはならない。白い箱も崩せやしない君には、それらの事は不可能だろう!!」

 堂々と宣言するライターは両腕を広げ、自身が纏う白い光を更に強めた。

 より光速へと近づき、威力を増した一撃を俺にお見舞いする為にライターは低い低い戦闘姿勢を取る。武器も何も無い、あるのは必殺の拳。ライターの口角が、勝負を楽しんでいる笑みからやがて勝ちを確信した笑みへと変貌する。

「鉄パイプ……? 落ちてるそんな物で、何が出来るんだよ……。ああ、拍子抜けだ。結局また、僕の勝ちじゃないか!!」

 カコーン、と俺は鉄パイプを蹴り上げる。低く呟いたライターは獰猛に笑うと、地面を蹴り飛ばした。その速さは、正に異常。砂埃は勿論、ソニックウェーブでの突風が廃工場の周りの森をざわめかせる。

 回避は不可能だろう。受け止める事も、両手の無い俺には無理だ。

 それでも、必ずどこかにライターを止める事の出来る可能性はある。俺は蹴り上げていた鉄パイプを、踵落としの要領で地面へと叩きつけた。

 ドズンッッ!! とパイプは突き刺さる。地面に数十cmは埋まった鉄パイプは、血に濡れている。

「……嘘だ……何で、何で僕の手をそんなに綺麗に貫けたんだ!!」

 踵落としで落としたパイプは、地面とライターの右手とを縫い合わせるように貫いていた。

 ライターが絶叫する。それは初めて味わう強い痛みからか、それとも光速へと限りなく近づいた速度の一撃をいなして見せた俺への驚愕か。

 どちらにしろ。

 俺は、無慈悲に右足でライターを強く蹴り飛ばした。ありったけの憎しみと怒りを込めた一撃はライターの大柄で引き締まった筋肉質の体を吹き飛ばし、白い箱へと叩き付ける。

「ぐっ……ああ……っ! くそ、くそ、くそっ! 何でだ、どうして僕が追い詰められてる!あんな両腕が使えない餓鬼に、どうして―――――!!」

 顔を掻き毟り、狂乱し始めるライターへと俺はゆっくり歩み寄る。

 わざと足音を立てるように、強く強く一歩一歩を踏みしめて、間合いを詰める。

「来るな……来るな! くそ、くそっ!」

 ライターは地面の小石を持ち上げて、そのまま俺へと投げつけた。しかし、それは俺の纏う蒼い光に当たった瞬間に爆ぜる。ポゼッション・リンクの状態では、もう何も言わずとも[インフィニティ・バースト]を発動させられるようになっていた。

「お前が俺の家族を殺した時。きっと、皆は今のお前と同じような気持ちだったんだろうよ」

 ぽつりと、自然と俺の口から声が漏れた。

「だけどお前は構わずに殺した!! 意味も無く理由も無く、ただ無造作に! どうだ、追いつめられる側の気持ちは! 目の前で家族全員を殺された人間の気持ちが、お前にわかるか!」

 それは叫びへと、激昂へと変わっていく。

「……知らないよ。知らないよ、知りたくもない! [アマテラス]が最強なんだ、だから他の皆は黙って殺されてれば良い! だから、だから! お前も殺してやるよ、餓鬼!!」

 ライターの全身から、白い光が迸る。網膜を焼き尽くしそうな程に眩いその光は、間違いなく[アマテラス]の限界。俺にも鳥肌が走った。

 それでも。

 ここで、引く訳には行かない。立ち上がって、立ち向かって、一歩を踏み出せ。

「君が!! 僕に!! 勝てる可能性なんて、0%なんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」

 ライターが叫び、その拳を振るった。

 それは紛れもない光速。一秒間に地球を七周半する速さの一撃が、一瞬で俺へと迫る。対処なんて出来っこない、回避不能の一撃。

 その一撃が、俺の鳩尾を抉った。体が5m程上へと跳ね上げられて、痛みと熱さが俺の意識を焼き尽くす。霞始め朦朧とする意識。落ちていく思考の隅っこの視界に映る、俺の口から出ている真っ赤な鮮血。

 致命傷。間違いなく、死亡する一撃。

 幾らフィニティの力で身体能力を爆発的に強化しているからと言って、光速の一撃を耐えきれる訳が無い。吹き飛ぶ俺の体から力が抜けて、意識が、消え去る。

 敗北。その可能性が、ちらりと脳内に浮かび上がった。

 でも。

 俺とフィニティの能力は、言ってしまえば可能性の制御。世界のルールを塗り替える能力。

 決死の作戦だった。でも、これしか俺達には手が無い。ライターに勝って、涼花を止めるには、これしか、無いッッ!!

 

「フィニティ……」

 死にかけの状態で、出る言葉は小さい。

 

「フィニティ………っ」

 でも。その言葉は確かに空気を震わせ、しっかりと伝わった。そして俺は、咆哮する。

 

「頼む、フィニティ――――――!!!!」

 刹那。

 蒼い光が、世界を塗り替えた。可能性の上書き。勝利を確信していたライターがあまりの眩しさに目を腕で覆い、背後の白い箱に背を付ける。

 光に包まれた俺は、段々と、段々と変化していき。

 

 やがてそこには、無傷の俺が居た。

 10秒間のみ、あらゆる可能性をセレクトしてそのルートを辿れる俺の能力。今やったのは、俺が涼花を助けようとして『聖域総合高等学校』を飛び出さなかった場合だ。そうすれば隼人との戦いもライターとの戦いも無かった事になり、俺の体の傷は無くなる。

 だが、これは十秒のみだ。十秒立てば元の死にかけの体に戻り、俺は死ぬ。

 タイムリミットは十秒。それで、確実に決めなければならない。

「行くぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 俺は完全に傷の無い体を空中で強引に捻って、両腕をライターに向けた。

 次の瞬間、輝く蒼い光。両腕から迸る蒼き極光は凄まじいエネルギーを巻き散らかして周囲の地面や空気を穿つ。

「ま、まさか―――――」

 ライターが呆然と呟いた。その顔が、驚愕に満ちる。

「両腕どっちも大爆発させて、僕と白い箱を同時に吹き飛ばすつもりなのか!!??」

 その言葉に、俺は一言だけ簡潔に答える。

「正解だ」

 直後、すぐに回避姿勢を取ろうとするライター。横を向いて、膝を曲げようとしたその時にはもう。

 

 ――――――遅かった。

 

「[インフィニティ・バースト]!!!!!!!!!!!!」

 そして。天変地異が、始まった。

 

 ドッゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンッッッッ!!!!!!!!!!

 

 と、連なる二つの蒼光。暗闇に包まれた世界を光が全て塗り替えて、余りの大音量に音が消え去る。五感すべてが吹き飛ばされるレベルの大爆発。

 それは、天変地異。

 その天災は俺の両腕から撃ち放たれ、そしてあらゆる全てを粉々に打ち砕いた。



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第四十九話「無限」

それは、天変地異。

 その天災は俺の両腕から撃ち放たれ、そしてあらゆる全てを粉々に打ち砕いた。

 両腕が狂うような熱さと激痛に襲われている中で、爆発によって舞い上がった砂埃が全てエネルギーの余波による風で吹き飛ばされる。未だに空中にある俺の体は、視界を遮る物が無くなった世界をしっかりと見て。

「……まだ、倒れてないのかよ……っ!」

 ボロボロになりながらも、まだ自分の足で地面を踏みしめしっかりと立っているライターを見た。左腕は力なく垂れ下がり、体に纏う白い光は淡く弱弱しい。全身が血まみれで、今も口から血液の塊が吐き出された。そんな極限の状態で、しかしライターは立っている。その場に居て、俺の視線と奴の視線が空中で交錯した。

「僕の、勝ちだ……! これで、君を殺せる。もう[アマテラス]を止める物は何も無い!!」

 ライターがそう呟き、右手を持ち上げた。するとその手刀に淡い光が集まり、輝き始める。

 その技は、俺の家族を殺した技だった。頭にカッと血が上り、怒りが沸き上がる。だが俺は今両腕が使えずに、後数秒で死にかけの状態に戻ってしまう。蹴りも、何の技も届かない。

 だから今ここで、俺は何も出来ない。無力な事を悔やみながら、刃を待つのみだ。

 

 その刃が、大きく掲げられる。ライターの顔が狂喜に歪み、彼が体を捻ったその瞬間。

 

 「[日蝕]!」

 ドズンッッ!!!

 と、大きく掲げられていた闇の刃がライターを深く深く切り裂いた。星明りと月明かりに照らされる闇の刃の持ち主は、狐の耳に白と紫の巫女服を着ている少女。

 矢代涼花。

 切り付けられた部分から血を大量に流すライターへ向かって、服を汚している涼花は何も言わない。ただ冷徹に、体に纏う光を失い地面に膝を付くライターを見下ろすのみ。

「何で……だ? 僕は白い箱を直したのに。[ツクヨミ]は閉じ込めておいたのに、どうして出てきてる……!?」

 10秒が過ぎた。

 俺の体が蒼い光に包まれた次の瞬間に、死にかけの体へと戻る。気を失いそうな痛みに、思わず口からどす黒い血液の固体化した物が出た。

 そんな俺へと涼花は慌てて駆け寄ってきて、無言で紫紺の光を放つ。俺を包み込み、病室と同じように俺の傷を……俺の体の時間を巻き戻した彼女は、すくっと立ち上がる。その時にはもう、俺の体には傷一つ無かった。

「……お前がさっき、俺にヒントをくれただろ?」

 ゆっくりと、俺は話し始める。ライターが呆然と聞き入る中で、一つずつ。

「さっき、お前は両腕を爆発させれば白い箱を壊せたかもしれない、と言ったんだ。言ってしまったんだ。そうじゃなきゃ、俺は両腕をもう一度爆発させるなんて事はやらない」

 一歩ずつ、絶望の表情を浮かべるライターへと歩み寄る。

 更地となっているその場に聞こえるのは、吹き抜ける風の音と話し声だけ。

「それでも……すぐ後に、お前は死にかけの体に戻るんだぞ……!? その後の反撃は、怖くなかったのか!? 防げないんだよ!」

「いや、本命は白い箱を壊す事なんだ」

 ライターへすかさず反論する。

 後を引き継いだのは、涼花。

「私の[ツクヨミ]は、月を……つまりは、月を読む、月読み。月と太陽の動きとは一日。つまりは、暦。私は一日の中でなら時間を巻き戻す事が出来る。そしてそれを、式は知ってる」

 勿論、携帯も体も直してもらった俺はその事を知っていた。

 しかし、知っているといっても「涼花は体を治す事が出来る」くらいの知識。確証があった訳では無いけど、これしか無かったのだ。

「そして[日蝕]はその名の通り、[ツクヨミ]の闇が[アマテラス]の光を蝕み、その能力を一定時間封じる、[アマテラス]のみにだけ有効な技。それを使えば、もう貴方は逃げられない」

 涼花が言い切り、同時に俺がライターの前へと立った。

 少し後ろに佇んだままの彼女は、闇で生成した刃を未だに構えている。震えて怯えるライターは俺たちの説明を聞いてもまだ信じられないと言う風に表情を歪ませていたが、やがて俯き肩を震わせた。

「……まだだ、まだだ……!!」

 そして、呟き、満身創痍の体で立ち上がる。汚れきった金髪碧眼のライターは、光も何も纏わずにただ拳を握り、振りかぶりながら叫んだ。

「僕はここで負けられない! やりたい事があるんだっ、やらなきゃ行けない事があるんだ!」

 振るわれる拳。涼花が濃密な殺気を纏い、地面を蹴った。

 だが、その必要は無かった。

「俺だって、」

 短く言葉を発す。

 そして、俺は右拳を強く強く強く握り締めた。爪が肌に食い込み、青い血管が拳に浮かぶ。

 ミシシっ、と軋んだ右拳を大きく振りかぶって、体を限界まで捻り、

「ここで、お前に負けるわけには行かないんだよッッッ!!!!!!」

 ―――――溜めていた力を、一瞬で解放した。

 宙に蒼い奇跡が描かれる。真っすぐに伸びた光はライターの頬を穿ち、頬骨を砕き。

 ドゴォッッ!! と重く鈍い音を立てて、ライターは大きく吹き飛んだ。そのまま二回、三回と地面に強く体を打ち付けて―――――!!!

 

 やがて、動かなくなった。

 

 蒼い光が、俺の体からふっと消える。荒く、肩で呼吸を繰り返す。

 星明りと月明かりのささやかな光の中で、もう、東の空は白み始めていた―――――。




次回、恐らく最終回です


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エピローグ「無限の可能性」

[アマテラス]……ライターとの戦いが終わってからは、目まぐるしい毎日だった。

 学校長と夕張先生、ルテミスや『精霊』関連の警察にとことん事情を追及された俺と涼花は喉が枯れるまで話し続けて、隼人とは険悪な雰囲気になりながらも質問攻めを乗り切った。今回の事件はあまり公表はされないらしいが、『聖域総合高等学校』の生徒には全てが包み隠さず話された。

 あれ以来、フィニティとのポゼッション・リンクは30秒だけなら出来る様になった。

 それを超えるとフィニティの持つ力に内側から体を蝕まれてしまう。困難な能力だけど、俺は確実に強くなっていた。

 そして今日で、丁度あの夜から一週間が経つ。

 久々の学校だ。目覚まし時計を止めた俺は、顔を洗い歯を磨いて、食堂へ。

 寮を壊した犯人も捕らえられた上に、粉々だった筈の寮は一日で元に戻った。学校長が何やら疲れ切っていたが、誰も寮の修復風景を見ていない。

 何にせよ、俺は今も変わらず最上階の端っこからエレベーターに乗って歩いている。

 あるのは変わらない日常。今まで全く関わりの無かった『精霊』とも段々馴染んできた、何時も通りの風景。

 食堂の列に一列で並び、お盆の上に置いた食器に沢山料理を盛っていく。

 今日は和食。焼き鮭とお味噌汁のいい香りが食堂中に漂っていて、食欲を刺激する。今か今かと列の最後、デザートであるヨーグルトを取った俺は食堂の端っこへ。山盛りの料理が乗ったお盆を先に置き、その前にある椅子へと座った。

「いただきまーす」

 しっかりと手を合わせて、食べ始める。何気なく、ふと思い出したのは村長からの手紙だった。

 内容と言えば、俺の過去を全て知っている。記憶を封じて、すまない。などだ。

 やはり俺の記憶通りに、涼花の前に[ツクヨミ]と契約していたのは村長だった。体が老いて限界になり、[ツクヨミ]が選んだのが幼い涼花だったらしい。

 俺は別に、村長への怒りとかは持っていなかった。手紙を読んでも、ああそうなのか、と納得しただけ。細かく語られていた家族の死と昔の俺についても、全てが見たことのある景色だった。あの夜、トラウマを解放した時に。

 ここから上梨村には気軽に帰れない。次帰って、村長と面を合わせるのは夏休みくらいになるだろうか。

 そんな事を考えていると、目の前にことんとお盆が置かれる。

 持ってある食事の量は俺よりも全然少ない。端っこの俺の真正面に座る少女は、制服姿のまま無表情に俺へと言葉を発した。

「おはよう、式」

「おはよう、涼花」

 長く流麗な黒髪を背中に流し、蒼い瞳には一切の曇りは無い。細くしなやかな白い指で箸を持つと、ゆっくりと彼女はご飯を口に運び始めた。

 [ツクヨミ]としての使命を果たした彼女からは、以前感じていた鬼気迫る感覚が消えた様に思える。包み込むように静かな月明かりの様な雰囲気を纏っている。一たび戦い始めれば、再び鬼の様な強さで相手をねじ伏せるのだろうが。

 涼花にも健康状態の損害などは無く、一週間経った今はかすり傷すら残っていない。

 [アマテラス]との戦い何てものは無かった。そう言われても、信じてしまうほどに日常は平凡で、平和。

 殆ど同タイミングで食べ終わった俺と涼花は、食器を片付けて食堂の前で別れた。

 そのまま部屋に戻り、学校へ行く準備を整えて、俺は部屋を出る。出入り口から一番遠い所からしたまで下っていくと、完全に修復されたホテルのロビーの様な玄関に見慣れた人影が。銀髪のツインテールに赤い瞳。腕には生徒会と書かれている腕章をつけている少女は俺の気づくと、珍しく歩み寄ってきた。

「おはようございます。元気ですか?」

「おはようございます、ルテミス。元気です!」

「……そうですか。[アマテラス]との戦い、お疲れさまでした。私との鍛錬は、少しでも役に立ちましたか?」

「少しどころじゃない。すっごい助かった! ありがとう!」

 きっと。

 ルテミスとの鍛錬が無ければ、俺は[アマテラス]に為す術も無く敗北していただろう。正門で立ちふさがった隼人にも勝てなかったし、[インフィニティ・バースト]も習得出来なかったと思う。

 俺を強くしてくれて、後押ししてくれたのはルテミスだ。

 お礼をして、頭を下げる。するとルテミスは珍しく微笑んで、柔らかい声音で呟いた。

「そうですか……それならば、良かったです。本当に」

 そして、彼女は俺へと手を振って送り出してくれた。手を振り返して、寮の外へと飛び出る。

 今日は暖かく、吹き抜ける風は春の終わりを告げて段々と夏を匂わせている。正門まえの桜並木にはもう緑が付き始めて、葉桜と言う物に移り変わっていた。

 その中を、ゆっくりと歩いていく。少し早めに出たから、まだ時間はたっぷりある。

 『精霊学科』に校舎に着いて、教室へ。中には一人だけしか居らず、その一人は俺の入室に気づくと顔を上げて、そして口を開いた。

「おはよー! 式君、調子はどうかな?」

「おはようございます。全然問題ないですよ!」

 黒髪をポニーテールで纏めた俺の担任の先生、夕張先生が教室に居た。彼女はファイルをぱたんと閉じると、俺をじっと見つめた。

「……うん。大分強くなったねえ。式君のこれからが楽しみだよ」

 笑いながら言った夕張先生は、次いで直ぐに言葉を発す。

「[アマテラス]を止めてくれて、ありがとう。私を……[イザナミ]を助けてくれて、本当にありがとう」

 しみじみと言った夕張先生は、一度深く頭を下げた。そして、ゆっくりと上げる。

「じゃ、私は今日の授業の準備をしてくるね、また後でー!」

 直後、ぱあっと笑顔になった夕張先生は俺の横を駆け抜けていった。まだ何も言葉を返せていないのにも関わらず、まるで逃げるが如く先生は廊下を駆けていく。

「……は、恥ずかしかったのかな?」

 真剣に感謝を伝えるだなんて、はっきり言ってあの人のキャラには合っていない。

 静かになった教室の中を歩いて、自分の席に座る。一週間ぶりの学校。席に座ったまま天井を見上げて、俺は長く長く息を吐いた。

 やがて、クラスメイトがどんどん登校してきて、クラス内は満杯になる。

 何時も通りに、一時間目が始まる。日常の中でゆったりと過ごしながら、俺はしっかりと授業を受け続けた。

 

 そんなこんなで昼休みも終わり、五時間目は精霊実技。

 今までは屋内の模擬戦だったが、今日からは屋外での模擬戦だ。より広くなる場所での戦い。戦略は目まぐるしく変わり、今まで以上に高度な戦いになるらしい。

 最初の戦う組が呼ばれて、校庭の真ん中に立った。

 夕張先生の掛け声と同時に、光と『精霊』の力が吹き荒れ、そして激突。

 その様子を眺めなていると、突然脳内で声がした。

『……終わったね』

 フィニティの声だった。

 爽やかな風のような声の彼女に、俺も言葉を返そうと口を開く。が、それよりも早くにフィニティはぴしゃりと言った。

『とか、思ってないよね?』

「……え?」

『ここからだよ、式は。世界最強の『精霊』と契約して、『無限の精霊契約者』としての力も手に入れた。[アマテラス]だけじゃ終わらない。少なくとも、』

 一拍の間。

 フィニティは、ゆっくりと、俺に向けて呟いた。

『この学校にはまだ、式が超えられる壁が残ってるでしょう?』

 ごおっ、と。

 強く、風が吹いた。俺の髪を揺らし、その風が吹き抜けた瞬間に、視界が大きく広がった。

 青く広がる大空も、雄大に流れる白い雲も、遠くにそびえる緑の山脈も、校舎も。

 全てが大きく見える。綺麗に澄んで見える。世界にとって、どれだけが俺一人が小さな存在かを、改めて知る。

『過去を乗り越えて。強くなったから、式はここがスタートだよ。貴方にも、私にも』

 そこでフィニティは一度言葉を区切る。

 模擬戦が終わった。

「次は……よし! 式君と涼花ちゃんだー!!」

 夕張先生の言った組み合わせに、クラス全体が沸き上がる。大いに盛り上がる中で、俺と涼花はゆっくりと立ち上がった。

 その時に、少し視線が合う。二人して一秒くらい目を合わせて、その後に柔らかい微笑を浮かべて前を向いて歩き始めた。校庭の真ん中に引かれたラインの上に立ち、真剣な面持ちで向き合う。

 方や、クラス最強。

 方や、[アマテラス]を吹き飛ばし隼人にも勝利したダークホース。

 この盛り上がる事必須の対戦カードに、クラス内の皆は静かに熱く思いを燃え上がらせる。風が吹き抜ける中で、俺と涼花はどちらからともなく戦闘態勢を取った。

 まずは、ここから。

 この一歩を、踏み出そう。

『式にも、私にも、無限の可能性が広がっているから』

 フィニティが、そう告げた。さっき一度区切った彼女の思いが、全て伝えられる。

「よーーーいっ、」

 夕張先生が、声を張り上げる。ボルテージが高まり、

「行くよ、フィニティ!」

『うんっ!』

 俺は声を上げた。フィニティはそれに答えた。涼花も笑みを浮かべて、姿勢を更に低くする。

 ぶつかり合う視線。

「どんっっ!」

 戦いの火蓋は切って落とされた。俺と涼花は、同時に叫ぶ。

「ステイ・リンク!!」

「ポゼッション・リンク!」

 俺の体を、青白い光が包み込む。

 涼花の体を紫の輝きが覆い尽くし、狐耳と白紫の巫女服を纏った涼花が現れた。

 右拳を握りしめて、俺は強く地面を踏みしめる。蹴りだして、駆け出す。

 俺の前に広がる、無限の可能性を信じて。大きな壁を、乗り越える為に。

 

 空は蒼く、どこまでも広がっている。吹き抜ける風に流れる雲は、どこまでもどこまでも、雄大に大空を突き進んでいった――――――。




今までご愛読、ありがとうございました!

これにて「無限の精霊契約者」は完結となります。
読者様のおかげで、週間オリジナル作品ランキングや日間にも入る事が出来ました。
小説を書いている身としては、とても光栄で嬉しい事です。

来週の月曜日から、新作の毎日投稿を始めます。
良ければそちらもお願いします。

それでは皆さん、今まで本当に、本当にありがとうございましたあああ!!!!


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