それからの大洗女子学園 あんこうチーム卒業編 (春秋梅菊)
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ぷろろーぐ 故郷としばしのお別れです!

 ぷろろーぐ 故郷としばしのお別れです!

 

 三月三十一日。

 春休み最後の日だった。

 西住みほは朝から忙しく動き回り、出発に備えて荷物をまとめていた。

「ええと、服は持ったし、ボコのぬいぐるみもある……あれ、冬物は入れたっけ?」

 慌てて、部屋のあちこちにに置いた段ボールを開き、中身をチェックする。

 春休み中、みほは実家の熊本へ帰っていた。大洗で過ごした一年の間に、逃げていた戦車道と向き合い、紆余曲折を経て家族ともそれなりに和解することが出来た。おかげで、去年のような暗い春休みを過ごさずに済んだ。

 明日からは三年生になる。

 大洗女子学園にいられるのも、あと一年だけ。だからこそ、悔いの無い学校生活にしようと、固く心に誓っていた。

 部屋をノックする音がして、姉の西住まほが入ってきた。手には段ボール箱を抱えている。

「みほ、下着と冬物をまとめておいたよ」

「あ! 良かったぁ。ちょうど探してたところだったの。お姉ちゃんが詰めてくれてたんだ」

 まほが微笑んで頷き、段ボールを床へ置く。

「これで全部だね?」

「うん」

「わかった。段ボールの荷物は今日中に、大洗の学生寮へ送っておく」

「色々手伝ってくれてありがとう。お姉ちゃんも大学の準備で忙しいのに……」

「いいよ。入学式は、まだ先だから」

 戦車道国際強化選手にも選ばれている姉は、推薦で某国立大学に入り、本格的にプロの道を目指すことになっていた。入学後は、きっと忙しい日々が待っているだろう。

 みほは寂しさが募って、ぽつりと言った。

「しばらく、会えなくなるね」

「そうだね」まほはそう答えて、ふと何か思い出したように言った。「ちょっと、待ってて」

 部屋を出て、程なく戻ってきた姉は、手に携えていた物をみほへ差し出した。

「持って行くといい」

「これ……」

 それは、姉が着ていた黒森峰女学園のパンツァージャケットだった。三年間の激闘を物語るかのように、ほんの少し色褪せている。

「お守り代わりだ。私はもう着ないから」

「ありがとう。でも、いいの? 私は黒森峰じゃないし、エリカさんに渡してあげるべきだったんじゃ……」

「ジャケットは二つ持ってたから。一つはエリカに渡してある。もう一つは自分の思い出にとっておくつもりだったけれど、みほにあげるよ」

 みほはジャケットをぎゅっと抱き締めた。

「ありがとう。お姉ちゃんがそばにいると思って、大事にするね」

「そうしてくれたら、嬉しいよ」

「エリカさんにも会っておきたかったなぁ」

 黒森峰時代の同期、逸見エリカもまた、みほにとって特別な存在だった。みほが黒森峰を去った一件で、お互い疎遠になっていた時期はあったが、今はすっかり昔の仲を取り戻している。時折、連絡も取り合っていた。エリカが黒森峰戦車道部の隊長となり、熱心に仲間を指導していることは聞いていた。春休み中も、毎日訓練に明け暮れているという。

 黒森峰女学園は一昨年のプラウダ戦、昨年の大洗女子戦に敗北し、いずれも準優勝で終わっている。過去に九連覇を成し遂げた強豪校の面目を保つためにも、今年こそ優勝に賭けているのだろう。

 まほが、みほの肩へ手を置いて言った。

「大会が始まれば、また会える。もう一度、大洗と黒森峰の試合が見てみたい。去年はみほの戦術にしてやられたが、今年はそうはいかないはずだ」

「お姉ちゃんはどっちの味方なの?」

 みほが意地悪く問いかけると、まほは苦笑した。

「困らせるのはやめてくれ。私はどちらの味方もしないよ。ただみほとエリカの成長を見守るだけだ」

 ふと時計を見やり、みほを促す。

「そろそろ出発の時間だ。その前に、お母様に挨拶しておいで」

 

 みほは母の部屋まで来ると、立ち止まった。母と二人きりで話す時は、未だに少し緊張する。

 障子越しに母の細い影が見える。みほは深呼吸し、言った。

「失礼します」

「入りなさい」

 殆ど間を置かずに言葉が返ってきた。みほが声をかけるのを待っていたかのようだ。

 中へ入ると、母は机の上で書をしたためていた。みほは正座になり、向かい合う形で腰を下ろした。

 しほは紙上へ視線を落としたまま、唐突に口を開いた。

「明日から三年生ね」

「はい」

「国際強化選手のスカウトを断ったこと、本当に後悔しないわね?」

 春休みの間、みほのもとへ一通の書面が来た。戦車道の国際強化選手として、海外留学をしないかという、戦車道連盟からのスカウトだった。世界大会も迫っている今、日本の有望な学生達に海外の戦車道を知って貰いたいという連盟の意向もあった。姉のまほも昨年の全国大会後、数ヶ月ドイツへ留学している。しかし今年は連盟がスケジュールをうまく調整出来ず、学生戦車道全国大会と留学期間が被ってしまったのだった。

「今年は、大洗のみんなと一緒に戦いたいんです」

 みほは変わらぬ決意を、改めて告げた。

 母が顔を上げ、娘をじっと見つめる。連盟のスカウトを蹴れば、戦車道でキャリアを積める大きなチャンスを捨てることになる。大学へ進学した後も戦車道を続け、あるいはプロを目指すのであれば、この話を棒に振るのは愚かな決断だった。

 母は長いことみほを凝視していた。

 が、とうとう嘆息し、諦め顔で言った。

「いいでしょう。あなたが決めた道よ。いずれにせよ、この一年はあなたにとって大きな転機になる。目の前の課題に力を尽くせば、進むべき道は拓けてくるでしょう」

「はい。ありがとうございます」

「話は終わりよ。もう行きなさい」

 みほは頷いて、立ち上がった。足が少し痺れている。

「みほ」

 部屋を出掛かったところで、母が呼び止める。

 みほはその場で振り向いた。

 母は逡巡し、言葉を選んでいる様子だったが、それからいたわり深い声で言った。

「体には気をつけなさい。それと、たまには連絡を寄越すように」

 みほの胸を、暖かいものが満たした。

「はい。お母さん」

 

 旧式のⅡ号戦車が、ガタガタとぎこちない音を立てて、のどかな熊本の道を突き進む。

「綺麗だなぁ」

 車窓から身を乗り出したみほは、周囲の景観に感嘆しながら、大きく深呼吸した。

 みずみずしい風と、湿った土の匂い。この熊本の空気とも、しばらくはお別れだ。

 みほは操縦席の姉を振り向いた。

「このⅡ号、まだ全然動けるね」

「ああ。昔が懐かしい」

 何気ない姉の言葉で、みほの脳裏にまだ幼かった姉妹の光景が蘇った。

 ただ戦車に乗るのが楽しかった、あの頃。今ではもう、あんな単純な気持ちで戦車に乗ることは出来ない。出来ないけれど、でもそれでよかったのだ。自分は今でも、戦車が好きだから。

「うん。あれから私達、色々あったね」

「そうだな」

 みほはもう一度、故郷の景色を見回した。胸に焼きつけておこうと思った。

「ここに戻ってきて、良かった……」

 

 熊本駅内に、東京駅行き新幹線到着のアナウンスが響く。

 みほは姉に見送られて改札の前までやってきた。トランクを受け取りながら言った。

「ここまででいいよ。送ってくれてありがとう」

「わかった。それじゃ、元気で」

「お姉ちゃんもね」

 姉妹は少しの間、見つめ合った。別れは名残惜しかったが、時間は待ってくれない。

「もう行かなきゃ」

「ああ」

 みほはトランクを引きずって歩き出した。切符を入れ、改札を通過する。

 もう一度、姉を振り向いた。

 姉は小さく笑みを浮かべ、手を振っている。

 みほも振り返そうとして……姉の背後からやってくる集団に気がついた。

 目を丸くして、呟いた。

「エリカさん……!」

 先頭にいるのは、他でもない黒森峰女学園戦車道部隊長・逸見エリカだった。彼女に従ってくる者達にも、知った顔が何人かいる。全員、黒森峰のパンツァージャケットを着ていた。

 エリカはまほのそばで立ち止まると、周囲もはばからずに声を張り上げた。

「全員、気をつけ!」皮肉っぽいような、あるいは悪戯っぽくもある笑みを浮かべて、エリカは続けた。「黒森峰のもと副隊長殿をお見送りする! 敬礼!」

 黒森峰のメンバーが、一斉にみほへ敬礼した。

 みほは驚くやら喜ぶやら、しばしその場に棒立ちしていた。

 それを、エリカが一括する。 

「いつまでぼうっとしてるの! 乗り遅れるわよ!」

「あ、うん!」

 トランクを引きずり、階段へ向かう。エリカがもう一度、声を飛ばした。

「今年は私がいただくわよ、みほ! 覚悟しておきなさい!」

「私も負けないよ!」

 みほも振り向いて、叫んだ。

 最後に、姉と、ライバルと、彼女の仲間達へ、大きく手を振って言った。

「それじゃ、行ってきまぁす!」

 

 



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1話 新入生・武部詩織です!

あらすじ
いよいよ新学期。大洗女子学園高等部へ進学した武部沙織の妹・詩織を待ち受けていたものは……。突然訪れた戦車との出会いが、彼女の運命を大きく変えていく。

新登場人物
武部詩織(たけべ・しおり)…武部沙織の妹。一年生。容姿は黒髪眼鏡、内気な性格。趣味は少女漫画鑑賞とお菓子づくり。ポジションは通信手兼車長。
藤村綾乃(ふじむら・あやの)…詩織のクラスメート。金髪のスレンダー美少女。友達思いで喧嘩っ早い。学校生活のかたわら何か仕事をしているようで…? ポジションは砲手。
栗林美智(くりばやし・みち)…詩織のクラスメート。かつて戦車道の名門だったが、今は落ちぶれている栗林家の娘。普段はへなへなしているが、戦車に乗ると性格が変わる。装填手。
穂積きりこ(ほづみ・きりこ)…詩織のクラスメート。地方から引っ越してきた。中学時代は「赤砲」と呼ばれた名戦車乗りだった。ポジションは操縦手。


 

 

「しーおーり! 朝だよ!」

 姉の叱責。同時に、部屋のカーテンが勢いよく広げられた。

「あぅ……」

 窓越しの陽光に顔を射られて、武部詩織(たけべしおり)は低く呻いた。かけていた布団は引き剥がされ、体を激しく揺さぶられる。

「もう、起きなよ! 高校初日から遅刻しちゃうよ!」

「うん……」

 詩織は目を擦り、のろのろと体を起こした。ぼさぼさの黒髪を撫でつけ、枕元に置いてあった眼鏡をかける。

 テーブルには、姉の用意した朝ご飯が並べられていた。

 白いご飯と、お味噌汁と、お新香。

 あと、納豆。

 詩織はため息をついた。思えば昨日の朝昼晩も、納豆がおかずだった。

「また納豆なんだ……」

「もぉ、詩織。納豆食べなくっちゃ美容を維持出来ないよ?」

「お姉ちゃん、結婚情報誌の読みすぎだよ。それに、維持するほど年とってないと思う……」

「はいはい。いいから早く食べちゃって」

「うん」 

 手っ取り早く食事を済ませると、制服に着替えて、化粧台の前に座った。

 今日から、高校生になる。

 でも、鏡にうつっている自分の姿は、昨日までとちっとも変わらない。

 高校生になったからって、どうなるんだろう。

 楽しく学校へ行けるようになるのかな。

 これまでと違う私に、なれるのかな……。

 

 支度を済ませ、姉と一緒に学生寮の部屋を出た。もともと、姉は詩織と別の寮で部屋を借りているのだが、昨日はわざわざ泊まりに来て、あれこれと世話を焼いてくれたのだった。

 晴れやかな朝だった。高校生活の初日としては、申し分ない天気だ。

 でも……。姉の後ろに従って歩いていた詩織は、学校が近くなるに連れて足が遅れがちになった。同じ通学路を行く他の生徒達は、誰しも軽快な足取りで、楽しげに見える。

 不意に十字路の角から、すらりとした人影が姿を見せた。

 詩織は「あっ」と小さな声を漏らした。

 知っている人だった。姉の親友・五十鈴華さんだ。詩織も何度か会ったことがある。

「あ、華ぁ! ひっさしぶり~!」

 姉がすかさず声をかけて、華に駆け寄る。向こうもこちらに気がつき、笑顔で会釈した。

「おはようございます、沙織さん。あら……そちらにいるのは、詩織さんじゃありませんか?」

「そうだよ。妹は今年から高等部だから」

「進学おめでとうございます、詩織さん。高校生活楽しんでくださいね」

 詩織は曖昧に頷いた。

 それをよそに、姉は友人を上から下まで眺め回し、怪訝そうに尋ねた。

「それより華、ちょっとお肌焼けてない?」

「ええ。春休みの間、母とハワイに行ってきましたので」

「えーっ、いいなぁ!」

 姉がその話題に飛びついて、早速質問責めにする。二人が話し込んでいると、ふらふらした長髪の生徒が、今にも倒れそうな様子で通りを歩いてきた。

 詩織はそれが姉の幼なじみ、冷泉麻子さんだと気がついた。声をかけたものか迷っていると、姉も目敏く彼女を見つけて、すぐに手を振った。

「あ、麻子じゃん! おはよう!」

 ところが、麻子さんは聞こえなかったかのように詩織達の横を素通りした。ぶつぶつと、呪文のような呟きを漏らしながら。

「苦痛だ。地獄だ……今日からまた早起きしなければいけないとは……」

「麻子、麻子ってば!」

 しきりに呼びかけられて、麻子さんはようやく立ち止まった。ぎこちなく首を動かし、武部姉妹の姿を見つける。

「不思議だ。沙織が二人に見える」

「何寝ぼけてるの。こっちは詩織だよ!」

 姉が一括する。何度か瞬きした麻子は、ようやく合点した顔で言った。

「ほんとだ」

「もぉ、新学期早々どうしたの?」

「快適な春休みが終わって辛い。学校が始まったせいで私の生活リズムが乱された」

「乱れてるのはもともとでしょ!」

「沙織さーん」

 鈴のように澄んだ声。振り向くと、二人の生徒が通りの向こうから手を振ってやってくる。一人は短い髪の、少し地味な容姿。もう一人は、ぼさぼさの癖毛とたれ目が特徴的だった。

「みぽりん、それにゆかりんも!」

 姉の言葉で、詩織もふと思い出した。確か、戦車道で同じチームを組んでいる姉の友人だ。校内新聞や姉の部屋にある写真で見たことがある。が、実際に会うのは初めてだった。

 ぼさぼさ髪の方――自分の記憶が正しければ、たぶん秋山優花里さんだろう――が、背筋を伸ばして敬礼する。

「武部殿、お久しぶりです!」

 姉も真面目くさった顔つきで敬礼を返す。

「ゆかりん殿も、変わらぬご様子で!」

 それから、もう一人を振り向いた。

「みほったら、いつこっちに戻ってたの? 連絡くらい寄越しなさいよぉ」

「ごめんね。昨日帰ったばかりで、荷物を開けたり今日の支度をしたり、色々大変だったから」

 申し訳なさそうに答えたこの人が、きっと西住みほさんだろう。物腰穏やかな見た目からは想像つかないけれど、戦車道の名門に生まれ、大洗女子学園を廃校の危機から救ったヒーローだ。

 みほの視線が、姉の背後に隠れている詩織を捉えた。

「あれ……」

 すかさず気がついた姉が、詩織の体を押し出す。

「あ、紹介するね。妹の詩織! 中等部からの繰り上げで、今年から高校一年になるんだ。私達と同じ普通科だよ」

 詩織は咄嗟に、みほと優花里へ頭を下げた。

「ど、どうも」

「詩織、こっちがみぽりんで、こっちがゆかりんだよ」

「全然紹介になってないぞ」

 麻子が突っ込むと、詩織はもじもじしながら答えた。

「あ……大丈夫です。姉から、時々お話を聞いていますから」

 優花里が両手を胸の前で合わせ、瞳を輝かせる。

「可愛いですね~! なんだか、武部殿を清楚にした感じであります」

 沙織が頬を膨らませた。

「ちょっとぉ、それどういう意味よォ! 私が清楚じゃないみたいじゃない」

「うふふ。でも詩織さん、少女漫画やお菓子作りがお好きですし、沙織さんよりもずっと女の子らしいです」

「もう! 華までひどーい。私だってヨガとか恋愛術研究とか、女の子らしいことしてるもん!」

「それ三十路女のやることだろ」

 麻子が容赦なく言い返すそばで、みほがあはは、と苦笑している。

 楽しげな賑わいに、詩織も思わず口端を持ち上げた。

 いいなぁ、と素直に思う。五人のやり取りは、詩織にとって何だか窓越しの世界に感じられた。友達との他愛無いおしゃべり。絶えない笑顔。中等部の私がずっと欲しくて、ずっと憧れていたもの。

 そのうち、姉達の姿が眩しく感じられて、詩織はそっと顔を背けた。

 やがて、姉が皆を促した。

「さ、早く学校行こう。遅れちゃうよ」

 六人は肩を並べて歩き出した。

 校門の前に着くと、姉が詩織を呼び止め、ぺらぺらとまくし立てた。

「じゃ、詩織。ここで別れるからね。高校に入ったからって、そんなに気張らなくていいからね。自然にしてれば大丈夫だよ。クラスのみんなと仲良くね。あと、不良みたいな子とつき合っちゃ駄目だよ?」

「う、うん」

「じゃ、行っておいで」

 急に心細さを感じたが、ここまで来て弱音を吐けるはずもない。

 姉達に別れを告げ、詩織はしょぼしょぼした足取りで一年生の昇降口に向かった。

 

 昇降口前の掲示板には、新一年生のクラスと名前が掲示され、大量の生徒でごったがえしていた。

 詩織は及び腰になりながら人の群へ加わり、自分のクラスを探した。

 どきどきしながら、掲示板の表を目で追っていく。

 ――武部詩織 普通科一年B組。

 それだけ確認すると、人混みを抜け出して下駄箱に向かった。革靴を脱いで、上履きに履き替える。

 昇降路から階段を上がると、すぐにA組の教室が見える。詩織はその隣、B組へ入っていった。

 中には、既に十五人くらいの生徒がいた。

 詩織の知っている顔は少なかった。

 県立大洗女子学園は、中高一貫制を採用している。内部進学生が六割で、残りは他校から転校してきたり、高校から改めて入学してくる通称・高入生と呼ばれる生徒達だ。例外を抜きにすれば、一クラスあたり四分の一くらいは高入生が混ざっている。また高等部になると普通科、商業科、船舶科といったように学科が分かれるため、中等部の知り合いと同じクラスになる確率はなおのこと減ってくる、というわけだ。

 詩織にしてみれば、中等部の知り合いが少ないのは幸いだった。

 その方が、学校生活を新しくやり直すのにも都合がいいし、希望も持てる。

 けれど、いきなり初対面のクラスメート達へ声をかけるほどの勇気はなかった。

 泥棒のようにこそこそと教室の隅っこを歩いて、自分の席を探す。俯き加減で椅子に座り、ちらっと時計を見れば、朝のホームルームまでにはまだ五分あった。周囲へ視線を投げると、既にグループを作って打ち解けている子も少なくない。むしろ、詩織のようにぽつねんと座っている子は殆どいなかった。

 心が焦り出した。

 どうしよう。

 思い切って、誰かに話しかけてみようか?

 でも、うまくいかなかったら?

 逡巡するばかりで、体は動いてくれない。ぎゅっと唇を噛んだ。

 いつもこうだ。何をするにも迷って、ためらって、結局出遅れて、後悔する。

 友達は殆どいなかった。勉強や部活を熱心にやったわけでもなかった。

 それが詩織の、中等部三年間だった。

 高等部へ進学したばかりなのに、やっぱり同じことを繰り返そうとしてる。

 私、情けない。

 ……でも、しょうがないよね。高校生になったくらいで、そんな簡単に変われるはずない。

 詩織は、小さなため息を漏らした。

 その時だった。

「たーけべさん!」

 透き通った、朗らかな声。

 けれど、詩織の背筋は凍りついた。

 そんな……まさか。

 どうして「あの人」が同じクラスにいるの?

 詩織は恐る恐る振り向いて、声の主を見た。

「ふ、渕上(ふちがみ)さん……」

「えへへ、一緒のクラスだったんだね。進学したらもう会わないと思ってたのに」渕上さんは満面に笑みを浮かべて言った。「良かったぁ。またテストの時、ノートとか貸してくれるよね?」

「え、あ、それは……」

 声が震えて言葉にならない詩織をよそに、渕上さんがクラスの窓側へ呼びかけた。

「ねえねえ! 武部さんも同じクラスだったよ!」

 新たに二つの人影が近づいてくる。詩織は思わず身を堅くした。

「お、尾崎(おざき)さん。茅野(かやの)さんも……」

 茅野さんは口端を意地悪そうに持ち上げた。

「やだぁ、また武部さんと一緒なんだぁ」

 詩織が俯くと、不意に横から手が伸びて眼鏡を取り上げられた。取り上げたのは尾崎さんだった。

「まぁ武部さん。高校になっても眼鏡なんですか? 似合わないってあれほど言ったじゃありませんか」

 詩織はおろおろしながら、手を伸ばした。

「か、返して……」 

 渕上さんが無造作な動きで、椅子の足を蹴り飛ばす。眼鏡を取り返すのに必死だったから、詩織は完全に虚を突かれた。椅子ごと横倒しになって、無様に転んだ。

 淵上さん達の哄笑が響く。

「じゃあ、今年もよろしくね。武部さん」

 言い捨てて、自分達の席へ戻っていった。

 詩織は茫然自失としながら、体を起こした。

 淵上さん達には、中学二年生の頃から嫌われていた。理由は色々あったけれど、今はもう深く思い出せない。中等部が終わるまで、ずっと虐められ続けていた。

 忘れようとしていた過去の痛みが脳裏にぶり返してくるのを、詩織は無理やり振り払った。

「あ……眼鏡」

 詩織が床を見回すと、細長い手が伸びてきて、目の前に眼鏡を差し出した。

 顔を上げると、見知らぬ生徒が小さな笑みを浮かべている。

「ほら、あんたのでしょ」

「あ……そのっ、すみません」

 詩織はたどたどしく答えて、受け取った。眼鏡をかけ、改めてその生徒を見た。

 流れるようなブロンドの髪に、すらりとした体型。思わず息を呑んでしまいそうな美少女だった。

「あたし、藤村綾乃(ふじむらあやの)。高入生だよ。よろしく」

「えっ、は、はい。私、た、武部詩織です」

 やっとの思いで、それだけ言った。綾乃が淵上さん達のいる方を、顎で軽く示す。

「あいつら、知り合い?」

「えっと……中等部の頃、同じクラスで……」

 綾乃は頬杖をつきながら、合点した顔で言った。

「ふうん。ま、詳しい事情はわからないけど、見ていていい気分しないよね、あーいう連中」

「え……」

 詩織が最初に感じたのは戸惑いだった。この人は、どうして私の肩を持ってくれるんだろう。

「あ、あの――」

 声をかけようとした瞬間、前の扉から先生が入ってきた。女性で、歳は四十そこそこに見えた。

「はい、皆さん。席についてください」

 生徒が次々に着席する。藤村さんも、じゃあ後でね、と一言残して自分の席へ戻った。

 まずは先生の自己紹介。それからホームルームが始まり、大洗女子学園・高等部普通科に関する説明が一通り行われた。詩織は真面目に聞いていたが、中には退屈になったのか船を漕いでいる子もいた。

 説明が一通り済んだところで、先生がぽんと手を叩く。

「はい! それでは、これから一年間を共にする仲間達に簡単な自己紹介をしていきましょう」

 詩織は身を堅くした。やっぱり来た。高校初日だから、こういうのは避けられないだろうとは思っていたけど。

 もともと、人前で話すのは好きじゃない。

 でも、やらなきゃ。詩織は必死に自分を奮い立たせた。うまくやって、ちゃんと新しいスタートをしなきゃ。最初からつまづいたら、大変なことになる。

「内容は皆さんに任せます。自由に発表してください。では、右端の[[rb:相川 > あいかわ]]さんからお願いします」

 前列の一番前にいる生徒が立ち上がり、自己紹介を始めた。その子は高入生で、中学時代は県外の女子校に通い、忍道で全国大会に出場していたという。高校でも忍道をやりたいそうだ。いきなり凄いのが来た、とクラスは拍手で沸いた。

 詩織も拍手しながら、内心途方に暮れた。何か特技が一つでもあれば、発表でも困らないのに。

 他の生徒達の紹介を聞いていると、大抵は自分の趣味や好きなことを軽く発表して済ませていた。

 あれよあれよという間に、詩織の番がやってきた。

 考える時間は無い。ストレートに「好きなもの」を話そう。

 席を立つと、声が震えないよう意識しながら話し始めた。

「た、武部詩織です。えっと、中等部から進学してきました。二つ上の学年に、姉がいます。その、私が好きなものは……」

 言いかけた途端、脳裏で誰かの声が響いた。

 ――少女漫画ァ? そんなのばっかり読んでるから、現実のことないがしろにしちゃうんだよ。

「好きな、ものは……」

 ――お菓子作りが好きなんだ? 詩織みたいな暗い子が作るお菓子って、なんかまずそうだよね。

 好きなものは少女漫画とお菓子作り。

 そう言いたいのに、言えない。

 もう昔のことで、誰が言ったのかも忘れたけど、否定された記憶だけは、今でも強く心に根づいている。

 結局、弱弱しい声でこう続けた。

「その……色々あるので、徐々に皆さんへ知って貰えたらいいなって、思います。よ、よろしくお願いします」

 言い終わるなり、そそくさと腰を下ろした。

 ぱらぱらと拍手が起こる。

 詩織は真っ赤になって俯いた。

 自分が情けなかった。

 私は、自分の好きなことも胸を張って言えないんだ。

 こんな自己紹介、失敗以外の何でもない。

 すっかり意気消沈して、しばらく呆然としていた。他人の発表もまるで耳に入らなかった。

「皆さん初めまして。藤村綾乃です」

 詩織は、はっと顔を上げた。さっき、眼鏡を拾ってくれた人だ。

「高入生ですけれど、中等部から進学してきたみんなとも仲良く出来たらいいなって考えてます。ずっと東京に住んでいたので、大洗での生活は少し不安です。でも、新しい場所だからこそ、これまでと違う、新しい自分になれるかなっていう気持ちもあります。大洗やみんなこと、色々教えてください。一年間、よろしくお願いします」

 ぺこりと一礼して、席に座る。声が綺麗でよく通るし、発表内容も明快で伝わりやすい。誰もが好感を持ったようで、惜しみない拍手を送る。

 凄いなぁ、と詩織は感嘆した。あんな風に堂々と話せたら、格好いいのに。

 何より、新しい自分になる、という言葉は詩織の胸を打った。

 友達を作りたい。

 楽しい学校生活を送りたい。

 そのためには、変わらなくちゃいけないんだ。

 何か、これまでと違う私になれるもの、無いかな……。

 

 

 

「はぁ……」

 学校からの帰り道。前を行く自分の影に視線を落としながら、詩織は歩き続けた。

「私ってほんと、だめだな……」

 午前のホームルームが終わってお昼の時間、詩織は勇気を出して藤村綾乃を誘おうとした。が、やはりというか藤村さんは人気者で、あっという間にクラスのみんなに囲まれてしまい、詩織が寄りつくことは不可能だった。

 結局、持ってきたお弁当を一人で食べた。

 午後は午前の続きで、授業や規則に関するガイダンスが行われた。

 下校の時、詩織はもう一度ありったけの勇気を振り絞って、藤村さんに声をかけようとした。

 ところが――。

「ごめん。用事があって、今日はどうしてもダメなんだ」

 申し訳なさそうな笑顔できっぱり断られてしまい、詩織はそれ以上何も言えなかった。

 そして、しおしお一人で帰る羽目になったというわけだ。

 詩織は後悔していた。どうして藤村さんばっかりに拘ってたんだろう。友達になるなら、隣や後ろの席の子でも良かったのに。

 とにかく、帰ろう。今日は疲れちゃった……。

 学生寮の部屋に戻ると、何故か鍵がかかっていなかった。

 ――あれ、閉め忘れたのかな?

 訝りながら中へ入る。

 玄関先のキッチンは明かりがついていた。

 制服にエプロン姿の姉が、レ―ドルを振り上げてにこやかに言った。

「おかえり!」

「お、お姉ちゃん……? どうして?」

「初日は大変だったでしょ。今日は私がご飯作ってあげるから。いいから手を洗って、部屋で待ってなよ」

「う、うん」

 詩織は大人しく従った。

 やがて、料理が運ばれてきた。

 明太子のパスタとビーフシチュー、それに小エビと海藻のサラダだ。一目見ただけで、どれもかなり手をかけて作っているのがわかった。

 詩織は密かに嘆息した。彼女が学校でどんな生活を送っているか、姉に詳しく話したことはない。クラスメートに虐めを受けていたなんて、とても言えなかった。心配させたくなかった。

 でも、二人は姉妹だ。話さなくても、姉は詩織のことをよくわかっていた。だからといって、表立って虐めのことをあれこれ言ったり、詮索するようなことはしない。ただ詩織が落ち込んでいると、おいしい料理を作ってくれたり、一緒に遊びに行ってくれたり、それとなく傷を癒してくれるのだった。

 姉がいたから、中等部も最後まで頑張ることが出来た。

 だけど、いつかは自立しなくては。姉が心配しなくても済むように。

 そう思っていたのに、高校一日目から最悪の出だしだ。

 明日から、どうしようかな。

 その時、ドアのインターホンが鳴った。

「あ、来た来た」姉がいち早く反応して、ドアに呼びかけた。「入っていいよ~」

「お邪魔します」

 涼やかな声と共に入ってきた相手を見て、詩織は目を丸くした。

「あ……」

 姉の親友・西住みほさんだ。

「こんばんわ、詩織さん」

「は、はい。こんばんわ……。あの、どうしてここへ?」

 みほさんは微笑んで言った。

「沙織さんにはずっとお世話になってるから。そのお返しになるかわからないけど、今日は詩織さんの入学をお祝いしたくて」

 姉が横から口を入れる。

「詩織、みぽりんは学校を救ったヒーローなんだからね。そんな凄い人に祝って貰えるなんて、あんた幸せだよ~。これ以上有名人になっちゃう前に、サインとか貰っておけば?」

「もう、沙織さん……」

「あはは、冗談だって!」

 姉やみほさんの好意は嬉しい。けれど、何だか色々と気を遣わせたようで、申し訳なくもあった。詩織は俯きがちに言った。

「ありがとう、ございます……」

 みほさんが笑顔で手を振る。

「いいよ、礼なんて。それより、料理が冷めちゃう」

「そうだね。食べよっか!」

 姉がグラスにジュースを注ぎ、みほさんと詩織へ渡す。「じゃあ、詩織の入学に乾杯!」

 姉の高らかな声に合わせて、グラスをかち合わせる。それからしばらく談笑し、卓一杯の料理を味わった。

 ふと、みほさんが両手を叩いて言った。

「そうだ! 詩織さんにプレゼントがあるんだよ」

「私に?」

「うん」鞄を探り、みほさんが綺麗に包装された包みを差し出した。「はい。開けてみて」

 詩織は包みのリボンを解いて、中身を取り出した。

 入っていたのは、クマのぬいぐるみだった。

 サイズは、鞄のマスコットにちょうどいいくらい。案の定、ストラップが背中のあたりから伸びている。

 それだけなら、何でもない普通の人形だったはずだ。

 でも、この人形は普通じゃなかった。

 というか、明らかに異様だ。

 額には絆創膏、左耳、右手、左足には包帯が巻かれ、見るからに痛々しい。右目のまわりにはくっきりとした青あざがついており、頬にも長い十時傷が走っている。まさに満身創痍、ズタボロのクマさんだ。可愛いとか可哀想とか、そういう次元の感想を述べられる代物じゃなかった。

 詩織は狼狽して、みほさんを見返した。

「え、えっと、これは一体……」

「ボコられグマだよ! ボコっていうの」

 みほさんは満面の笑みを浮かべて言った。詩織の困惑は余計に酷くなった。

「は、はぁ」

「可愛いでしょ?」

「え? ああ、え、えっと――」答えに窮して、必死に姉へ目配せする。姉は至極真面目な顔で、小さく首を振った。否定するな、という意味だ。詩織もこくりと頷く。「と、とっても可愛いです」

「本当? よかった!」それから、蛇口を捻ったように勢いよく話し出す。「これはね、大洗のボコミュージアムで冬の間だけ発売された限定品なんだよ。バリエーションが四種類あって、ほっぺに十時傷のあるボコがシークレットレアなの! 確かシークレットレアは、ミュージアムでも二十個しか置いてなかったなぁ」

「は、はぁ。そんな大事なもの、いただいてよろしいんですか……?」

「あっ、いいの。私はもう三個持ってるから!」

「え? 三個も持ってるんですか?」

 こんなものを、と危うく言ってしまいそうになったのを、すんでのところで飲み込む。

 みほさんのボコトークが、さらに続く。

「大洗のミュージアムはね、去年リニューアルしたばっかりなんだよ。その時に新しく追加されたアトラクションがあって、タワー・オブ・ボコっていうの!」

「ちょっと、みほ」

 姉が遠慮がちに呼びかけ、みほさんの肩を叩く。が、みほさんはまるで気づいていなかった。

「それとこの前、ボコのミニドラマがネット配信で始まったの。凄く面白いんだよ。毎週水曜日にやってるから、もし良かったら見てね。あ、ストーリーは連続ものじゃないし、途中から見ても全然大丈夫だよ!」

「みほ! みほってば!」

 姉が声を張り上げる。

 今度は、みほさんも反応した。

「え、なに……」

「もうボコの話はいいから! ご飯食べよう」

 みほさんは我に返った様子で狼狽した。

「ご、ごめんなさい。夢中になっちゃって。食べましょう!」そそくさと自分の小皿にサラダをよそおうとした。が、手元が狂い、皿から小エビがぽーんと跳ねて、あろうことか姉の頭に着地した。

 姉がじっとりした視線をみほさんへ向ける。

「みーほー……」

「あ、あわわ! ごめんなさい」

 みほさんが布巾を手にして立ち上がろうとする。ところが、はずみで膝をテーブルの角に思い切りぶつけた。

「うぇっ!」

 よほど酷くぶつけたのだろう。みほさんは膝を抱えて床にうずくまり、プルプル体を震わせている。

 詩織は呆気にとられた。姉の話だと、みほさんは戦車道のヒーローとしか聞かされていなかったから、まさかこんな一面を持った人だとは思いもよらない。

 姉が頭のエビを取り去りながら、苛立たしげに言う。

「みぽりんはホントそそっかしいんだから。あーもう、ドレッシングのせいで髪がベタベタする~。詩織、ちょっとバスルーム借りるね!」

 立ち上がると、タオル片手にバスルームへ飛び込んでいった。

 みほさんがようやく体を起こした。詩織がためらいがちに声をかける。

「あの、大丈夫ですか」

「あ、うん。もう平気かな」

 膝をさすっているみほさんを、詩織はぼんやり見つめていた。そんな彼女の視線に気がついたのか、みほさんが訝しげに尋ねる。

「どうかした?」

「あっ、いえ。その……姉からみほさんの話を聞いていたんですけど――」

「あはは。聞くのと見るのじゃ、大違いだった?」

「そ、そういう意味じゃ……」

「いいんだよ。沙織さん、友達のことを凄く褒めたがる人だから。詩織さんには、きっと十倍くらい立派な人間だって話してたんじゃないかな」みほさんは感慨深げに続けた。「私、転校してきたばかりの頃、友達が全然作れなくて。沙織さんが、一番最初に出来た友達だったの。だからとっても感謝してる」

「姉は、そういう人なんです。明るくて、誰とでも打ち解けることが出来て。私は、あんな風になれないけど……」

 段々小さくなる声で言いながら、詩織は両手の指を絡ませて、ぎゅっと力を込めた。

「詩織さん……?」

 みほさんが開けっぴろげに話してくれたせいかもしれない。気がつくと、詩織はまくし立てていた。

「私、自分のことが好きじゃないんです。人に自慢出来ることもないし、性格だって暗いし。ずっと変わりたいって思ってても、変われなくて。だから、友達もいません。このままじゃ、高校生活、楽しくないと思います……」

 みほさんが静かに手を伸ばし、詩織の手に触れた。とても温かった。

「大丈夫だよ」みほさんは微笑んだ。「詩織さんにはちゃんと味方がいるから。沙織さんと、それに私。困ったことがあったら、話してね。きっと力になるから」

 詩織は胸が熱くなった。

 頷きながら涙声で言った。

「はい」

 ややあって、姉が戻ってきた。食事を再会して談笑するうちに、時間はあっという間に過ぎていった。

 姉が時計を見て、みほさんに声をかける。

「そろそろ十時だね。片づけして帰ろっか」

「そうだね」

 三人で食器や残り物を片づけると、姉は詩織にあれこれ言い含め、みほさんと一緒に帰っていった。

 詩織は入浴をすませて着替えると、ベッドに入った。

 明日から本格的に高校生活が始まる。

 正直、怖い。

 ――大丈夫だよ。

 みほさんの励ましが、何度も聞こえたような気がした。

 

 

「早起きする子はモテるよ! 早起きする子はモテるよ!」

 詩織は枕に顔を埋めたまま、手を伸ばして目覚ましを探し当てると、アラームのスイッチを切った。

 むっくり顔を起こし、カーテンを開ける。陽光のおかげで、意識がいくらかはっきりしてきた。

 詩織は姉から貰った目覚ましを睨みつけた。確か、結婚情報誌のおまけでついていた物だ。

「目覚まし、他のに換えようかな……」

 ため息混じりに呟いて、ベッドを降りる。洗顔をすませると、ようやくしっかり目が覚めた。

 炊飯器には、姉が予約機能で炊いていてくれたご飯が入っていた。あまり食欲が無いので、お椀半分くらいの量をよそって、テーブルに置く。

 それから、冷蔵庫を開けた。

 上段の棚には納豆、中段の棚には納豆、下段の棚にも納豆……。一応、下段の隅っこにはお新香のパックが見える。

「お姉ちゃんのバカ」

 ぼやきながら、冷蔵庫を閉める。キッチンの調理棚を探るとインスタントの味噌汁があったので、それを作っておかずにした。

 食事を終えると、登校の支度にかかった。ふと、テーブルの上に、昨日みほさんから貰ったボコられグマの人形が放り出されているのを見つけた。

 せっかく貰ったんだし、一応つけておこうかな。

 そう思って、ボコられグマを手に取った。

 

「はぁ……」

 十歩くらい歩く度に、ため息。

 こんなんじゃ駄目だと思いつつも、止まらない。

 昨日のみほさんの励ましも、何だか遠い昔のことのように感じられた。

 思い出すのは、学校一日目の情けない自分の姿。堂々とした藤村さんの自己紹介。淵上さん達の意地悪そうな顔。

「はぁ……」

 また、ため息。今日はどんな一日になるだろう。

 学校へ近づくほど、足が少しずつ重くなる。

「あのう」

 背後から、誰かの声が聞こえた。たぶん私のことじゃないだろう。そう思って歩き続ける。

「あの、すみません」

 今度も同じ声。

 もしかして、私を呼んだのかな。

 気になってしまい、詩織は振り向いた。

 すると、大洗女子学園の制服を着た女の子が立っていた。小柄で、少しパーマのかかった褐色の髪、それに柔らかい顔立ち。たんぽぽのようにふわふわした雰囲気の子だった。

 詩織はどぎまぎしながら尋ねた。

「あ、あの……何か?」

「これ、落としましたよ」

 女の子が差し出したのは、ボコられグマだった。慌ててバッグを見やると、つけていたはずのマスコットが無くなっている。確かに自分のものだ。

「あ、ありがとうございます」

 お礼を言いながら受け取る。

「武部詩織さん……だよね?」

「えっ」突然名前を呼ばれて、詩織は狼狽した。「は、はいっ。そ、そうですけど」

「やっぱり! 私のこと、覚えてる? 同じクラスの、栗林美智(くりばやしみち)

「あー、えっと」

 詩織は必死に昨日の記憶を掘り起こした。自己紹介の時は自分が何をしゃべるかで頭が一杯だったから、他人のことはまるで意識していなかった。

 美智は笑顔で言った。

「えへへ、歩きながら話そっか」

 肩を並べて、通学路を行く。

 詩織はすっかり緊張した。どうしよう、何を話そう。私、この子のこと何もわからないよ……。そんなことを思っていると、美智が自分からあれこれしゃべってくれた。

「私、高入生なんだ。大洗に越してきたばかりで何も知らないから、色々教えてくれると嬉しいなぁ。武部さんは、中等部からの進学だったよね?」

「あ、ええと、はい。そうです」

「敬語なんか使わなくっていいよぉ、同い年なんだし」

「あの……うん」

 おぼつかない応答をしながら、詩織は必死に話題を探した。友達を作ったら、あれを話そう、これを話そうって色々考えてたつもりなのに、いざという時になって言葉が出てこない。

 ふと、美智が道沿いのコンビニを見て、興味深そうに首を伸ばした。

「あー! あれ、サンクスかぁ。うちの近くにはなかっ――うべっ」

 首をコンビニの方へ向けたまま進んでいた美智は、眼前の電信柱へまともに激突した。詩織もすっかり自分の世界に入っていたので、美智へ警告するタイミングを逃してしまった。申し訳なさそうに、声をかける。

「だ、大丈夫?」

「いちち……うわぁ、何コレ。ぶさかわいいなぁ」

 痛みに頭を抱えていたのもつかの間、美智は電信柱に書かれたアンコウのイラストを好奇心旺盛な瞳で見つめている。大洗のイメージキャラクターだ。

 詩織は遠慮がちに言った。

「あ、あの、栗林さん」

「ふえ?」

「鼻血、出てる」

 美智は左手を伸ばして、鼻孔にあてがった。べっとりと真っ赤な血がついている。初めて怪我に気がついたように、美智は慌てだした。

「うわぁ、ホントだぁ」

「あっ、駄目だよ。袖で拭ったりしちゃ」

 詩織は急いでバッグを探り、ポケットティッシュを差し出した。

「ありがと。私、そそっかしいから。えへへ」

 何だかみほさんみたいだなぁ、と詩織はぼんやり思った。

 美智を介抱しながら進むうち、学校へ到着した。

 教室にはもう大半のクラスメートが揃い、グループに分かれておしゃべりしている。美智のおかげで自分が一人にならなかったことに、詩織はほっとした。

 朝のホームルームまではまだ時間がある。しばらくの間、美智と二人でとりとめのないことを話していた。といっても、話すのは殆ど美智の方で、詩織は頷いたり曖昧な返事をするので精一杯だった

「武部さん!」

 突然、誰かから呼びかけられた。一瞬どきっとして顔を上げると、藤村綾乃がにこやかに立っている。

「ふ、藤村さん……」

 綾乃は両手を申し訳なさそうに合わせた。

「昨日はごめんね。せっかく声かけてくれたのに先に帰っちゃって。どうしても外せない用事でさ」

「そ、そんなの、全然大丈夫だよ」

 気にかけてくれてたんだなぁ、と詩織は勝手に感動した。

「良かったら、今日のお昼一緒に食べようよ、ね?」

「いいの? で、でも、他の人達からも誘われてるんじゃ……その、藤村さん人気そうだし」

「そんなことないって! ま、今日は武部さんと先約とったから、心配しなくても大丈夫だよ」

 美智が遠慮がちに言う。

「あの、私もお昼いいかな?」

「もちろん! えーと、確か栗林さんだっけ?」

「えへへ、覚えててくれたんだ」

「うん。なんかほんわかして可愛いなぁって思ってたから」

「別に可愛くないよぉ。武部さんの方が清楚で女の子らしいし」

 美智の言葉に、詩織は頬を赤らめた。

「わ、私はそんな……」

 その時、チャイムが鳴った。先生が入ってきて、着席するよう声をかける。

「じゃ、また後で!」

 綾乃が笑顔で手を振り、席へ戻る。美智も同じように言葉を残して、自分の席へ向かった。

 詩織は胸がどきどきした。

 何だろう、この感じ。

 私、もしかして、友達が出来たのかな?

 

 昼休みはあっという間にやってきた。

 綾乃はクラスのあちこちから誘いを受けていたけど、本当に詩織のところへやってきた。さらに美智も連れて、三人は食堂に向かった。

 それぞれ定食をお盆に載せ、空いていた席に座る。

「いただきまーす!」

 声を合わせて、箸を手に取る。

 食べながら、綾乃がさっそく声をかけてきた。

「ねえ、武部さん。この学園鑑、去年廃校になりかけたって本当なの?」

「あ、うん。戦車道でいい成績残したから、存続ってことになったんだけど」

 美智が横から口を入れる。

「確か、西住流の継承者がいるんだよね」

「にしずみりゅう? なによそれ?」

 綾乃が片方の眉を上げる。

「んーとね、戦車道にはいくつか有名な流派があって、西住流はその中でもトップクラスの知名度なんだ」

「へー、そうなんだ」

 綾乃が関心する横で、美智がふっと息をつく。

「西住流の跡継ぎの人と、一度直に会ってみたいなぁ」

 詩織が遠慮がちに言った。

「あ……会ったこと、あるよ」

「えっ?」

「うちのお姉ちゃんの友達で、昨日遊びに来てくれたの。お、お姉ちゃんも戦車道やってるから」

 美智が食いついた。

「ウワァ、それ本当? そんな人と知り合いなんて、武部さん凄いな~」

「ち、違うよ。凄いのはお姉ちゃんで、私なんか……」

「そんなことないよぉ。あ、じゃあ武部さんも戦車道やるの?」

「ううん……必修選択科目が色々あるから、まだ決めてないけど」

 話しながら、詩織はふと気がついた。

 私、普通に話してる。普通に笑ってる。

 お昼ご飯が、おいしい。

 何年ぶりだろう、こんな感覚。

 学校って、こんなに楽しかったんだ……。

 

「しーちゃん、帰ろっ!」

 下校時間、いきなり綾乃にそう呼びかけられた。詩織は面食らって聞き返した。

「し、しーちゃん……?」

「うん。詩織だからしーちゃん。ダメ?」

 詩織は首を振った。

「う、ううん。いいよ」

 声が喜びで震えているのがわかる。

 しーちゃん……私のあだ名。

 誰かから親しい名前で呼んで貰うなんて、もう長いこと無かった。

 嬉しい。

 綾乃が、のろのろ帰り支度している美智へ声をかける。

「美智も速くおいでよ」

「ん~、待ってよぉ」

 美智はしばらく時間がかかりそうだった。

 と、詩織を振り向いた綾乃が、突然叫び声をあげた。

「あーっ!」

 詩織がぎょっとする。

「え、何?」

「あんた、ソレ好きなの?」

「ど、どれ?」

「それだよそれ! ボコ! ボコられグマ!」綾乃は詩織のバッグにぶら下がっているボコられグマのストラップを指さし、呆然とした様子でつけ加えた。「好きな人、初めて見たよ……」

 詩織も困惑気味に言った。

「す、好きっていうか、プレゼントで貰ったからつけてただけで」

「はぁ? これをプレゼントに? 変わった人がいるんだ……」

「や、やっぱりコレ、変なの?」

「変っていうか、どこがいいのかわかんないんだよね。何でも、熱烈なファンがいるらしいんだけどさ」

「お昼に話した西住流の先輩が、大好きみたいで……」

「……マジ?」

 唖然としている二人のもとへ、美智がやってきた。

「どうしたの? はやく帰ろ?」

 

「はあ。おわったぁ」

 夕食と入浴も終え、パジャマに着替えた詩織はベッドに倒れ込んだ。

 綾乃と美智と一緒の帰り道は、言葉にならないほど幸せな時間だった。話題の数を忘れるほど、沢山おしゃべりした。部屋へ着く頃には、唇は疲れて、喉もカラカラ。でも、これ以上ないくらい、満ち足りた気分だった。

 天井を見つめながら、小さく呟く。

「楽しかったな、学校……」

「お友達、二人も出来ちゃった」

「夢じゃないんだよね?」

 自分へ言い聞かせるように、言葉が次々漏れる。

 ふと横へ顔を向けると、バッグにかけられたボコが目に入った。そういえば、美智と話したきっかけはあのぬいぐるみが作ってくれたんだっけ。帰り道の綾乃は、ボコの話題にずっと食いついていた。詩織はベッドを降りると、指先でボコの頭を撫でた。

「あなたのおかげ、かな?」

 時計は十一時をまわっている。

 ふと、詩織は思い出したことがあって、急ぎパソコンを立ち上げた。

 今日は水曜日。ボコのミニドラマが放映される日だ。みほさんが確かそんなことを話していた。

 あった。これだ。ネットの動画配信サイトに、ボコられグマのミニドラマを見つけた。

 今日のタイトルは「二大猛獣 森を襲撃!」。

 内容はいたって単純。平和な森に二頭の獰猛な猛獣が現れて、生き物達が危機に陥る。そこに我らがヒーロー・ボコが現れ、敵に立ち向かうというものだった。が、ボコは登場した途端、名前通りボコボコにされ、一切の反撃も出来ぬまま「次週へ続く!」のテロップが流れた。

 詩織はあんぐり口を開けた。

「な、なにコレ。意味がわからない……」

 何だか、物凄く時間を無駄にした気分だ。

 とりあえず、みほさんにドラマのことを聞かれたら、見忘れたことにしておこう。とても感想を言える代物じゃない。詩織はそう結論をつけた。

 その時、携帯が鳴った。

 姉からだ。

「お姉ちゃん? どうしたの?」

「ん、別に。もう寝たかなって思って」

「起きてるよ」

「そっか」

 姉が電話してきた理由を、詩織は理解していた。はっきり用件を言わないから、尚更わかる。

 これまではずっと姉を不安にさせてきたし、それをいつまでも解消出来ない自分が恨めしかった。

 でも。今日は違う。それをちゃんと、伝えなきゃ。

「あのね、お姉ちゃん」

「うん」

「今日、学校楽しかったよ」

「え……?」

「その……私、友達が出来たんだ。二人いて、どっちもクラスメートの子」

「ほんと?」

「うん。だから、明日からも大丈夫」

「そっか。そっかぁ……!」

 姉の声は、少しうわずっていた。受話器越しに喜びが伝わってきて、詩織も涙を流しかけた。

「お姉ちゃん、ありがとう」

「やだなぁ、お礼なんか。夜遅くにごめんね。もう遅いし、早く休みなよ。あ、今度お友達紹介してね!」

「うん。じゃあ、お休みなさい」

 電話を切ると、詩織はベッドに入った。

 瞳を閉じて、祈る。

 明日も、楽しい学校生活が待っていますように。

 

 

「武部さん。放課後、ちょっと顔貸してくれる?」

「え、あぅ……ど、どうして――」

 バン、と鋭く伸びた平手が、詩織の背後にあるロッカーを叩く。

 恐怖の余り、詩織の息は止まった。三つの顔、六つの瞳が詩織を囲み、逃げ場を奪っていた。

 ロッカーから手を離した淵上さんが、冷ややかに告げる。

「いいから、来てよ。場所はA棟の体育館倉庫。来なかったら、許さないよ?」

「わ、わた、し……」

「アァ? 何よ、言いたいことでもあんの? はっきり言ってみなよ!」

 横から茅野さんが怒鳴れば、尾崎さんもすかさず追い打ちをかける。

「あなたのために、わざわざ放課後の時間を作って差し上げたんです。約束は守っていただきませんと」

 詩織は声一つ出せなかった。

 淵上さんが鼻を鳴らす。

「もういいよ、二人とも。続きは放課後にしようか」

 三人は大股で立ち去った。

 詩織は体中を震わせ、ロッカーに背を張りつけたままずるずると崩れ落ちた。

 それが、学校生活四日目の、朝の出来事だった。

 

「……というわけで、来週末までに各自必修選択科目を決めるように。週明けには上級生が各科目のオリエンテーションを行いますから、選ぶ時の参考にしてください」

 午前のホームルームで、先生が必修選択科目の説明を行っていた。

 詩織は集中して耳を傾けようとしたが、出来なかった。渕上さん達からあんな脅しをされて、ただでさえ気の弱い自分が平常心を保てるはずもない。

 休み時間になり、綾乃と美智が前後して詩織の席へやってきた。

「しーちゃん、次の美術は移動教室でしょ。早めに行って席取っておこーよ」

「え、あ……うん」

 美智が不安そうな面持ちで言った。

「大丈夫? 顔色悪いみたいだよ」

「へ、平気」二人を心配させまいと、咄嗟に嘘をつく。「ちょっとお腹が痛くて」

「それなら保健室行った方が――」

「大丈夫。大丈夫だから……」

 詩織は美智の言葉を遮り、筆記用具とノートを持って立ち上がる。

 肩を並べて美術室を目指す途中、美智が身を乗り出して尋ねてきた。

「二人は、必修選択科目もう決めた?」

 綾乃が首を振る。

「あたしはまだだなー。とりあえず、週明けのオリエンテーション見てからにするよ。あんたは?」

「ええと……私も迷ってて」

「え? てっきり戦車道やるのかと思ってたよ」

「ふえ? ど、どうして」

「だって戦車の話題によく食いつくじゃん」

 美智は俯き加減になり、指先でぽりぽり頬を掻いた。

「ええと、うん……。でも、別に戦車じゃなくてもいいんだ。履修して、ちゃんとこなせるものを選ばなきゃ」

「ふーん。ま、あたしら高入生だから、まだこの学校のことよく知らないもんね。しーちゃん、大洗女子って何が有名なの?」

「えっ?」ぼんやり放課後のことを考えていた詩織は、突然話を投げられて面食らった。「あ、ごめん。必修選択科目の話だよね? うちは確か、茶道・弓道・忍道が三本柱で、それぞれ実績も残してたかな。部活は……そんなに活発じゃないと思う。サッカー部と乗馬部、それから戦艦部がそこそこ頑張ってるくらいかな。うちって、歴史が古いだけで、規模も小さい学園艦だし」

 綾乃が訝しげに聞き返す。

「あれ? 戦車道は? 優勝したんでしょ?」

「お姉ちゃんの話だと、長いこと廃止になってて、去年復活したばかりだって」

「へー! それなのに優勝って凄いじゃん!」

話しているうちに、美術室へ着いた。その日は初回授業ということで、簡単なガイダンスの後、皆で絵を描くことになった。絵のお題は「馬」だ。また、描いた絵を批評するため、あらかじめ四人グループを作るように、という指示が出された。

 詩織は心の中で密かに嘆息した。

 ――グループかぁ。藤村さんや栗林さんがいたから良かったけど、もしいなかったら凄く嫌だったなぁ。

 美智がきょろきょろとクラスを見回す。

「私達だけじゃ、一人足りないね。誰かいないかなぁ」

「あ、あの子はどう?」

 綾乃が示したのは、教室のすみにぽつねんと座っていた高入生の子だった。青みががった短髪に、きりっとした顔だち。でも、常にきつく結ばれている口端と感情に乏しい瞳のせいで、何だか冷たげな印象を受ける。

 確か、穂積(ほづみ)きりこさんだ。学校も今日で四日目だから、詩織もそこそこクラスメートの顔と名前を覚え始めている。彼女の知る限り、穂積さんはいつも一人だった。けれど、本人は別段その状況を嫌がっているわけでもないようで、いつも淡々した様子だった。

「とりあえず、誘ってみよっかぁ」

 美智が立ち上がって、ふらふらと穂積さんのもとへ行き、声をかける。穂積きりこは美智が話す間眉一つ動かさず、口を開くこともしなかった。が、やがて立ち上がると詩織達の席へやってきた。

 綾乃がにこやかに言った。

「よろしく、穂積さん! ここ座りなよ。同じ高入生同士、仲良くやろうね!」

「数合わせで来ただけだから」

 きりこはそっけなく答えると、椅子に座って画用紙に課題の絵を描き始めた。

 ――うわぁ、無愛想な子だな。

 話しかける勇気を挫かれた詩織は、目を伏せて自分の作業に集中した。スキンシップが好きな美智は、時折手を止めてきりこに話しかけたものの、相手はろくに応じない。これが詩織だったらショックを受けただろうが、根が明るい美智は気にしていないようだった。

 その美智は、ふと詩織の画用紙をのぞき込んで感嘆の声をあげた。

「あー、詩織うまーい!」

 詩織は頬を赤らめた。

「あ、うん……。昔から漫画が好きで、よくイラストも描いてたから」

「いいなぁ、凄いなぁ!」

 美智がほめちぎるそばで、綾乃が片方の眉を上げた。

「へえ、しーちゃん漫画好きなんだ? 何読むの?」

 詩織は指を折りながら言った。

「最近読んだのは「ボーイズ&ミサイル」「納豆のプリンス様」「五月のアンコウ」とかかな」

「あー、少女漫画系か~。「ボーイズ&ミサイル」は最近劇場版のブルーレイが発売されたよね。アニメは見てた?」

「ええと、うん。劇場版はまだだけど……」

「えー、もったないよ! 劇場版限定のキャラ達が超かっこいいんだから。声優さんは甘粕(あまかす)さん、牟田口(むたぐち)さん、東條(とうじょう)さんとか有名どころが揃ってたし!」

「あ、もしかして藤村さん、アニメ好きなの?」

「まーね。大体は、好きな声優さんが出てるかどうかで作品選んでるけどさ」

「そうなんだ」

 活発でアウトドア指向な雰囲気の綾乃がアニメ好きというのは、ちょっと意外だった。そういえばボコられクマにも詳しかったし、結構少女趣味なところがあるのかもしれない。

 詩織は、黙々と絵を描いているきりことちらっと見て、おずおずと話しかけた。

「ほ、穂積さんは? 漫画とか読むの?」

「読まない。アニメも見ない」

「そ、そう」

 会話はあっさり途切れ、詩織はそれきり話しかけられなかった。

 ほどなく、先生が作業時間の終了を宣言した。詩織達は互いに絵を見せ合い、感想を述べた。きりこはここでも口数が少なく、授業が終わるなりさっさと一人で先に帰ってしまった。

「穂積さんと、もう少し話したかったなぁ」

 美智の言葉を受けて、綾乃も頷いた。

「まだ学校始まったばかりじゃん。これから一緒のクラスで過ごせば、そのうち仲良くなれるって」

 依然として穂積きりこに好意的な二人を見て、詩織は少し羨望を感じた。二人とも、きっと誰とでも仲良くなれるタイプの人なんだろうな、と。

 それなら、私がいなくたって……。

 

 

 

 

 昼休みが終わり、午後の授業が終わり――。

 放課後はやってきた。

 詩織は重い足を引きずって、校舎A棟の裏にある体育用倉庫を目指した。

 綾乃と美智には、用事があるからと断って、先に帰って貰った。

 淵上さん達の話って、何だろう。

 ろくなことじゃないのは確かだ。授業や休み時間の間は何もされなかったけれど、たぶんこれからは……。

 こんな時、少女漫画みたいに素敵なヒーローが助けに来てくれたらいいのに。

 埒もないことを考えて、詩織は大きくため息をついた。

 とうとう、古びた体育用倉庫に着いてしまった。確かここはとうに使われなくなっていて、人も殆ど立ち寄らないのだった。

 渕上さん達の姿も無かった。

 もしかして、本当は何の話も無いのに呼びつけたのかな。それならむしろ、嬉しいくらいだけど……。

 所在なげに立ち尽くしていた矢先、冷ややかな声がした。

「良かった。ちゃんと来たんだね」

 振り向くと、淵上さん達がやってくるところだった。よく見ると、尾崎さんや茅野さんだけでなく、新たに二人が集団に加わっていた。

 詩織は、その二人にも見覚えがあった。

 中上(なかがみ)さんと、井口(いぐち)さん。去年の中等部では一緒のクラスだった。二人は淵上さん達と共に、度々詩織へ嫌がらせを繰り返していた。高等部へ進学してからはクラスも変わり、もう顔を合わせることはないと思っていたのに……。

 中上さんが、そんな詩織の心を見透かしたかのように、意地悪く笑う。

「なんすか、その顔は? 高等部で友達作ったら、昔の顔馴染みは忘れちまったっすか?」

「そういう、わけじゃ……」

 詩織が答えると、井口さんが気怠そうな声で詰め寄った。

「腹が減った。おい武部、とりあえずメロンパン人数分買ってこい。あとアンコーラもな。無論、お前の金だぞ」

「お金、持ってないよ……」

「はぁ? お前うちらのことなめてるっすか?」

 中上さんが足下の土を蹴り、詩織に向けて巻き上げる。すっかり萎縮して後ずさると、背中が倉庫の壁にぶつかる。五人は早くも詩織を取り囲んでいた。

「井口さん、買い出しは後で行かせるから。先に話をつけましょう」淵上さんが腕を組み、詩織に言った。「聞かれると困るから、倉庫の中に入って」

 尾崎さんと茅野さんが、古びた扉を開ける。中は酷く埃臭い。マットや跳び箱、サッカーゴールなど、使われていない体育道具がぎっしり積まれている。

 明かりが無いので、扉は開けっ放しにした。

 詩織は依然五人に囲まれたままで、逃げ場は無かった。

 淵上さんが、再び切り出した。

「武部さん、高等部へ進学してから調子に乗ってるよね」

「え……?」

「初日から高入生を抱き込んで、友達になったようなつもりになって。見ていると、私達気分が悪いの。クラスのみんなも言ってるよ。藤村さんや栗林さんとも仲良くしたいのに、武部さんのせいで近づけないって。武部さんバカだから、単刀直入に伝えてあげるね。明日から、もう藤村さん達に近づかないで欲しいんだ」

 ごくりと、詩織は息をのんだ。

 思ったほど、心は痛みを感じていなかった。何となく、そんなことを淵上さん達に言われる気がしていたから。

 結局、高等部というのは中等部の続きでしかない。

 新しい自分になりたくても、誰かが昔の自分を知っていて、変な真似をしないよう見張っている。

 どこまでいっても、武部詩織は武部詩織。臆病で、口下手で、面白味の無い人間。

 だから、そんな武部詩織が楽しくしていると、淵上さん達は不愉快で仕方ないのだ。

 中上さんが手を伸ばして、詩織の髪を引っ張る。痛みに声をあげる暇も与えず、耳元で怒鳴りつけた。

「おいこらぁ! 淵上さんの言葉が聞こえなかったっすか? 明日から高入生とつき合わないって、約束するっすよ!」

 体が、かび臭い体育マットへ投げ出される。砂埃が舞い上がった。茅野さんや中上さんが、口々に罵声を浴びせてくる。

 詩織は、唇を噛みしめた。

 そうだよね……これが私なんだよね。

 高校に進学すれば変われるなんて、考えちゃいけなかったんだ。

 たった四日間だけど、楽しかったな……。

 お友達が出来て、休み時間に笑い合って、お昼ご飯がおいしくて。でも、それも終わりなんだ。

 お姉ちゃんにも謝らなきゃ。また、一人になっちゃったって……。

 色んな気持ちが、胸の中でごちゃ混ぜになり、涙となって溢れた。

 茅野さんが舌打ちする。

「ちょっとやだぁ。こいつ泣き始めたんだけど」

「泣けば許して貰えるとか思ってるんじゃないだろーな」と井口さんも吐き捨てる。

「どうしますか、淵上さん?」

 尾崎さんが尋ねると、淵上さんはふっと口端を持ち上げて言った。

「そうだね。武部さんは、少し反省が必要かな。ほら、あそこの跳び箱の中にでも入って貰おうよ」

 暗がりの中に、六段の跳び箱が見える。

 詩織は身震いした。あんな暗くて狭い場所へ閉じこめられるなんて、とても耐えられない。

「そうと決まれば、早速実行するっす!」

 中上さんが飛び出して、詩織を羽交い締めにする。尾崎さんと茅野さんが、跳び箱の上段を外しにかかった。

「やだ、やだよ……! んっ――」

 井口さんが来て、口の中に布のような物を詰め込まれた。声を立てても、くぐもった音しか出てこない。

 背後で、茅野さんが声を張り上げる。

「ねえ、縄があったよー。逃げられなように、これで縛っちゃおうか」

「いいね。そうしよう」

 淵上さんが残酷な笑みを浮かべて応じた。詩織は必死にもがいたが、中上さんの腕をふりほどくことが出来ない。

 と、倉庫の入り口で、叫び声がした。

「あんた達、何やってんだよっ!」

 詩織がそちらへ目を向けると、満面に怒気を浮かべた綾乃が、息荒く肩を上下させて立っていた。その背後には、やや怯えた様子で顔を覗かせている美智の姿もあった。

 詩織の胸は、きゅっと締めつけられるような喜びで満たされた。

 二人とも、来てくれたんだ……。

 淵上さんは、酷く興醒めした様子で言った。

「あーあ、来ちゃったんだ。武部さんに呼ばれたの?」

「後をつけたんだよ。詩織の様子がおかしかったから」

「ふうん。まぁ、何でもいいけどね。今忙しいから、出てってくれないかな」

 綾乃が脅すように低い声を放った。

「そんなこと、出来るわけないでしょ」

 茅野さんが口を尖らせた。

「なぁによー、うちらの事情なんか知りもしないくせに、こいつの肩持つわけ?」

「一つ、あんた達の事情はどうでもいい。二つ、詩織はあたしの友達。これだけ言えば十分でしょ?」

 綾乃が言い返すと、淵上さんは鼻で笑った。

「物好きなんだね、藤村さん。こんな子と一緒にいても、得なことなんかないよ?」

「うるさい! いいからしーちゃんを離しなよ! でなきゃ、ボコボコにしてやる!」

 綾乃が拳を振り上げて、淵上さんへ飛びかかる。が、横から躍り出た尾崎さんに足を払われて、前のめりに勢いよく転んだ。井口さんと茅野さんがすかさずやってきて、彼女を何度も踏みつける。おろおろしながら止めにかかった美智も、尾崎さんのパンチを鼻に食らって、その場にぐったり倒れた。

 詩織は詰め物の入った口で必死に叫んだ。

 やめて! やめて! 私の友達なんだよ! お願いだから傷つけないで!

 ようやく、茅野さん達が手を止めた。綾乃と美智はぼろぼろになり、ぐったり地面に伸びている。

 淵上さんが、詩織へ冷ややかな視線を向けた。

「武部さんって、ほんと酷いね。学校が始まってたった四日目なのに、自分の事情に他人を巻き込んでるんだもん。それとも、まだわからないのかなぁ。藤村さんと栗林さん、あなたのせいでこんな目に遭ってるんだよ? 私だったら責任感じて、もう二人とはつき合わないようにするけどなぁ」

 渕上さんの言葉は、執拗に詩織の胸を突き刺した。

 私のせいで、友達が傷ついた。自分が傷つくより、その方がずっと耐え難かった。

 淵上さんが、詩織の口から詰め物を取り出した。

「いい加減、理解したよね? 明日からこの二人を巻き込まないって、約束してよ」

 詩織は涙で頬を濡らしながら、弱々しい声で言った。

「……い、言う通りに、する……」

「聞こえないよ? ちゃんと、大きい声で言って」

 詩織はぎゅっと瞳を閉じた。

 震える唇から、必死に言葉を吐き出し続けた。

「わ、わ……私はっ、もう――」

 その時だった。

 突如、エンジンの唸りが大音声に轟き、倉庫中へ反響した。

 その唸りの重々しさ、車やバイクの類とは、明らかに違う。倉庫全体が激しく揺さぶられたかのようだ。

 皆が顔色を変え、振り向く。

 得体の知れない黒い影が、倉庫の奥底にいた。

 と、影はきゅらきゅらと激しい駆動音を響かせて、緩やかに前進を始めた。進路を阻んでいた跳び箱やマットが、ごみのように軽々となぎ倒されていく。

 倉庫から注ぐ夕日が、段々とその姿を明るみに晒す。

 深緑色の大きな体躯、回るキャタピラ、煙突のように伸びた砲塔……。

 詩織は目を見張った。

 これは、戦車だ。

 仰天した淵上さん達が、詩織や綾乃達を放り出して、一斉に後ずさる。

 戦車は、ちょうど詩織達の目の前で停車した。

 綾乃が愕然とした表情で、車体を見上げる。

「ちょっ……何なのよこれぇ!」

「ソミュアS35……」

 美智が、ぽつりと呟いた。詩織は驚いて彼女を見た。

「し、知ってるの?」

「フランス軍の有名な中戦車だよ。でも、なんでこんなところに……」

 誰もが驚きに硬直していた矢先、戦車の中から声が響いた。それも、どこかで聞いたことのあるような声だった。

「そこの五人組。体に特大の穴をあけられたくなかったら、とっとと失せろ」

 淵上さんが、戦車を睨みつける。

「な、なによ。そんな脅しに乗ると思って――」

 鼓膜を打ち破るような轟音が、声をかき消した。

 次の瞬間、放たれた砲弾が倉庫の壁を貫き、特大の穴をあけていた。木屑が舞い、やがてパラパラと落ちてくる。

 誰もが言葉を失っていた。

 そこへ、戦車から冷ややかな一言。

「今のはわざと外した。次は当てる」

 砲身が音を立てて緩やかに動き、淵上さん達へ狙いを定める。

 五人は真っ青になった。

 中上さんが、発狂したように叫んだ。

「こ、こいつ頭おかしいっすよぉ! 逃げるっす!」

 悲鳴を上げて、一目散に逃げ出していく。それが合図だったかのように、残りの四人も次々と倉庫を飛び出していった。

 後には、戦車と詩織達が取り残された。

 綾乃がへなへなと崩れた。

「た、助かった。何が何だか、よくわからないけど」

 美智が泣き叫びながら、詩織へと抱きつく。

「うわぁん。どうなるかと思ったよぉ」

 詩織も呆然としていた。

 淵上さんに詰め寄られた時は、殆ど諦めかけていた。友達も、学生生活も、何もかもが駄目になると思った。

 それが――。

 突然現れた戦車が、私を救ってくれた。

 まるで、漫画で見た憧れのヒーローのように。

 不意に、戦車がくぐもった音を立てた。車体横の乗降ハッチが開いて、人が降りてくる。

 詩織達はその姿を見て、あっと声を上げた。

「穂積さん……!」

 穂積きりこが、相変わらず表情の無い瞳を、詩織達へ向ける。

 四人は無言で見つめあった。

 戦車は、夕日を浴びて雄々しくその場に立ち続けていた。

 

 続く

 

 

次回予告(CV/エルウィン)

食う者と食われる者、そのおこぼれを狙う者。

牙を持たぬ者は参加出来ぬ必修選択科目。あらゆる乙女が武装する戦車道。

西住流の体に染み着いた硝煙の臭いに惹かれて、危険な女達が集まってくる。

次回「すっごいバレー部転校生です!」

みほが飲む大洗のアンコーラは、甘い。



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2話 すっごいバレー部転校生です!

「それからの大洗女子学園 あんこうチーム卒業編」
三年生になったみほ達の活躍を描くシリーズ2話。

あらすじ
新たな戦車道履修者獲得のため、再結集するチーム達。けれど何だか足並みがそろわない様子。おまけに今年の生徒会は非協力的で、活動自体も危うい感じ? そんなさなか、バレー部に入部希望してきた謎の転校生が現れる…。


新登場人物
川村ユング(かわむら・ユング)…大洗に転校してきた二年生。頭脳明晰・スポーツ万能の天才少女。バレー部に入部するが…。
内野沙耶(うちの・さや)…バレー部復活に触発されて、居合道部復活を目的に戦車道を履修する。二年生。礼儀正しい大和撫子。
袴野結子(はかまの・ゆうこ)…二年生。居合道部員。自称財閥の娘で高飛車。
脇野小刀(わきの・こだち)…二年生。居合道部員。冷静沈着。
太刀野間愛(たちの・まあい)…一年生。居合道部員新入生。童顔で性格も子供っぽい。ぬいぐるみ愛好家。
官有くめ子(かんゆう・くめこ)…新生徒会長。視野が狭く無能。昨年何かと優遇されていた戦車道チームを敵視する。

新戦車
ソミュアS35…第二次世界大戦初期に開発されたフランス軍の中戦車。同時代の戦車の中では比較的スペックも高く、評価を得ていた。ただし整備性や構造に欠陥あり。大洗女子学園の古い体育館倉庫にて、武部詩織達に発見される。



 

 

 大洗女子学園内の、とある教室。

 暗闇の中、五つの人影がオレンジジュースの入ったグラスを手に、密談をかわしていた。

「ねえ、そろそろ今年の必修選択科目の履修が始まるみたいだよ……?」

「それは楽しみだね……」

「ククク、今年は何人の命知らずが、この戦車道を選ぶのかな?」

「私達の恐ろしさもわからないまま、のこのこ戦車道を履修してくるなんて、ほんと馬鹿だナー」

「……」

 五人がヒヒヒ、フフフと怪しげな笑いを発していると、教室の扉が開いた。

 パチン、とスイッチの音。

「あ……」 

 電気が灯り、五人の姿が晒される。

 教室に入り、スイッチをつけた人影――澤梓は、すっかり困惑を浮かべた。

「みんな……何やってるの?」

 室内にいたのは、大洗女子学園戦車道部履修者の二年生・うさぎさんチームの面々だった。

 坂口桂利奈が、頬を膨らませた。

「もう梓~邪魔しないでよー。せっかく後輩に脅威を与える練習してたのに」

「きょ、脅威を与える練習?」

 唖然とする梓へ、大野あやが笑顔で答えた。

「私達もう二年生なんだよ。新顔には上下の別を教えておかないと! 最初にビビらせておけば効果的でしょ」

 その隣にいた山郷あゆみも、同意の声をあげる。

「そうそう。ま、最初はこういう余興も必要じゃない? 沙希もそう言ってたよ」

 二年生になって間もないとはいえ、無邪気な性格は去年と少しも変わらない。

「みんなどこに行ったのかと思ったら、こんなことやってたわけ?」梓は辟易したが、それから気を取り直して続けた。「西住隊長から招集かかってるよ。たぶん、来週のオリエンテーションの打合せだと思う」

「ええ、またやるの~? 新学期始まってから毎日だよ~?」

 渋る宇津木優季へ、梓は決然と言った。

「ダメだよ! 西住隊長にみんなを連れてくるよう頼まれたんだから。ほら、もう行くよ!」

「はぁーい!」

 うさぎさんチームは一斉に応じて、意気揚々と教室を出て行った。

 

 

「そ、それはどういうことでありますか?」

 秋山優花里は思わず聞き返した。

「どうもこうも、今話した通りだよ。去年は角谷杏前会長の方針で色々と見逃したけど、今年はそーいうわけにいかないわけ」

 大洗女子学園生徒会長・官有(かんゆう)くめ子は、会長用デスクに座り、組んだ手の上に顎を乗せながら冷笑した。

 小柄な身長、どこか幼さの残る知的な面立ちは、前会長の角谷杏子に似ている。違うのはポニーテールにしたロングヘア―と、すぐそばに置いてある茨城名産・納豆味スナックだった。

 優花里は根気強く言い返した。

「ですが、戦車道履修者確保のためには――」

「あのさぁ。知っての通り、大洗女子学園の本来の三本柱は茶道・弓道・忍道だから。長年の実績もあるわけだし。ぽっと出の戦車道を優遇し続けて、これまで頑張ってきた三本柱をないがしろには出来ないっしょ」

「それは、わかりますが……学園が存続しているのは、戦車道での優勝があったからこそで……」

 くめ子は納豆スナックをしゃくりとかじりながら、言った。

「そこだよ、そこ。去年のデータ見たけどさぁ、あんた達随分予算を使ってくれたみたいじゃん? 戦車の整備・修理費だけで相当なもんになってるし。他にも、杏会長が個人的に用途不明の支出を何度もやってるけど、これも戦車道関連なんじゃないかなぁ……。ほんと、一体どれだけ金かけたんだかわかりゃしない。日露戦争じゃないけどさぁ、勝っても不景気じゃ無意味なんだよ。毎年こんな金がかかってたら、とても戦車道なんてやってられないね」

 一気にまくし立てられ、優花里は返答に詰まった。

「ま、そーいうわけだから頼むよ。別に戦力的にも問題ないんでしょ? 西宮流だか西本流だかの人もいるし、去年は八輛で優勝出来たんだし。まさか……今更戦力が厳しいとか言わないよねえ?」

「あなたの言い分はもっともですが――」

「結構、結構! わかってくれたみたいだね!」くめ子が強引に言葉を割り込ませ、ホチキスで束ねた資料を優花里へ投げつけた。「じゃ、今年の予算案はこれで決定するから。隊長殿によろしく頼むよ」

 

 

 大洗女子学園の戦車ハンガーの隣には、戦車道履修者専用特別教室――通称作戦会議室が設けられていた。去年は戦車道を復活させたばかりで、皆が集まる場所も無く、メンバーはもっぱら生徒会室を利用していた。大学選抜チームとの試合が終わって落ち着いた後、角谷杏が生徒会費から予算を工面して、この部屋を作ってくれたのだった。

 室内はなかなか広い。会議用のロングテーブル、椅子、パソコン、戦車道関連の資料を並べた本棚のほか、履修者全員分の個人ロッカーもある。申し分ない環境だった。

 その日も、週明けに始まるオリエンテーションのため戦車道履修者が集まっていた。

 しかし、みほはその顔ぶれを見て若干不安を禁じ得なかった。

 メンバーが全員揃っているのはあんこう、カバ、うさぎの三チームだけだ。バレー部と自動車部は新入部員向けの準備が、カモさんチームは風紀委員の仕事が忙しく参加出来ない状況だった。カメさんチームは生徒会の面々が卒業してしまったため今は無い。アリクイさんチームもぴよたんが卒業し、人員が不足してから次のメンバーを見つけ出せずにいる。

 今日だけは、全員が集まってくれると思ってたんだけどな……。

 みほは心の中で嘆息した。こういう時、杏会長の求心力が羨ましくなる。あの人には他人を巻き込む力があった。普段は表だって動かないけれども、ここぞという場面で優れた行動力や決断力を見せてくれる人だ。

 でも、弱音は吐いていられない。今年は私が頑張らないと。大丈夫。私には支えてくれる仲間がいる。そう考えて、みほは自分を励ました。

 うさぎさんチームは楽しげにおしゃべりしていた。最初は完全に初心者だったこのチームも、今では一年間の経験を経て優秀な戦力になっている。

 優季が両手を胸の前で合わせて言った。

「二年になったんだし、うちの戦車もパワーアップしようよ~。カラーリング赤くしたり~、羽つけたり~」

 すると、あやも身を乗り出した。

「もっと実戦的な装備の方がいいんじゃない? パイルバンカーとかミサイルポッドとか、あるいは装甲を厚くするとか!」

 相変わらず可愛らしいところがあるなぁ、とみほは微笑んだ。

 それから、カバさんチームに目を向ける。こちらは車長のエルヴィンが椅子の上で腕を組み、苛立たしげに言った。

「それにしても集まりが悪いな。軍法会議ものだぞ」

「戦国時代なら打ち首である!」

 と言う左衛門左に続いて、カエサルが拳を振り上げる。

「もっと規律を高めるためにも、法整備が必要だ! ローマ法をもとに法律を作ろう!」

 おりょうがそれを引き取って、さらに続けた。

「局中法度もとい、戦車道法度を作るぜよ」

「それだ!」

 みほはくすっと笑った。歴女揃いのカバさんチームが見せるいつものやり取りだ。戦車道のメンバーにとっては、もはや日常的に欠かせない光景だった。

 カエサルが仕切り直し、みほを振り向く。

「それで、隊長? 今日の議題は?」

「うん。それなんだけど、もうすぐ優花里さんが生徒会との会合から戻ってくるから……」

 話半ばで、会議室の扉が開いた。

 入ってきたのは優花里だった。みほは微笑んで呼びかけた。

「優花里さん、良かった。今ちょうどね……」

 ところが、優花里は会議室の扉の前で棒立ちしたまま、歯を噛みしめてうなだれている。握った拳が、小刻みに震えていた。

 みほは眉をひそめた。

「優花里さん?」

「皆さん、すみません……。私の力不足で、申し訳ない報告がありまして」

 沙織が立ち上がり、優花里の手を取った。

「ゆかりん、どうしたの? とりあえず座りなよ」

 優花里は席へつくと、バッグから資料の束を取り出し、机の上へ投げ出した。そして暗い声で言った。

「今年の必修選択科目別の運営概要です。人数分コピーしてきましたので、目を通していただけますか」

 皆は不安げな面持ちになりながら、それぞれ資料を手に取った。

 沙織が、真っ先に口を開いた。  

「な、なにこれ? 予算が去年の半分しか無いじゃん!」

 彼女が見ていたのは、格必修選択科目に振り分けられている予算案のデータだ。同じページに掲載されている去年の予算と比較すると、半分以下に減っていた。

「これじゃ弾薬くらいしか買えないよ? 戦車の修理や整備も満足に出来ないじゃない!」

「ば、馬鹿な……」麻子が愕然と体を震わせた。「遅刻見逃しが無くなってる……どうすればいい」

 華が頬に手をあてて嘆息した。

「アイスや食券の特典も無くなっていますね。単位も三倍では無くなったようですし。一体、どういうことなのですか?」

 皆が、一斉に優花里を見た。

 優花里はうなだれたまま、ぽつぽつと話し始めた。

「今年になってから、生徒会は会長の官有くめ子さんを筆頭に、我々へ非協力的な立場をとっていまして。これまで何とか説得を続けてきたんですが、駄目でした。本当に、申し訳ありません。せっかく、西住殿から副隊長に任命されて、仕事を全うするべく頑張っていたのに……新学期早々、こんなことになってしまって」

 沙織がテーブルを叩いた。

「ゆかりんは悪くないよ! 問題は生徒会でしょ? みんなでその官有くめ子へ話をつけに行こう!」

 立ち上がろうとする彼女を、華が押しとどめる。

「あまりことを荒立てるのはよろしくないのでは……。新会長は戦車道を敵視しているようですし、表だって反抗の意を示せば、わたくし達の立場は悪くなるだけです」

 山郷あゆみが悔しげに言った。

「でも、どうするんです? 黙ってこんな条件を呑むんですか?」

 一同は不安げに顔を見合わせた。

 確かに、戦車道の復活から履修者勧誘、その後の活動といい、色々な面で優遇されながらも学校から批判の声が殆どなかったのは、生徒会のバックアップや影響力によるところが大きかった。今年は、その強力な後ろ盾を失ったのだ。

 少しの間、気まずい沈黙が流れた。

「大丈夫です」不意に、みほが口を開いて皆の視線を集めた。「みんな、考えて欲しいんです。もし履修の特典だけが目的だったら、今日まで戦車道を続けることだって無かったと思います。戦車が好きだからこそ、続けてこれたはずなんです。確かに優遇措置は無くなりましたけど、それは不平を言うほどのことじゃありません。きっと今年も戦車道を好きになってくれる人が集まってくれます。一番深刻な予算の問題も、私と優花里さんで繰り返し生徒会を説得してみます。今は大人しく条件を呑んで、来週のオリエンテーションを頑張りましょう」

 カエサルがふっと笑みを浮かべた。

「ふふ、三年になってから威厳が増したね、隊長」

 梓も瞳を輝かせる。

「かっこいいです……!」

 他のメンバーもみほの言葉に頷き合い、チームは自然と同意に達した。

 必ず履修者を集めてみせる、みほは心に誓った。

 

 

 

「いてて、しーちゃん、もうちょい優しく」

「ご、ごめんね」

 詩織は慌てて綾乃の腕に巻いていた包帯を緩めた。

 放課後、淵上さん達に虐められていた詩織を助けるため、綾乃と美智は怪我を負ってしまった。危ういところを穂積きりこが操縦する戦車に救われたが、さもなければ二人はもっと酷い目に遭っていたかもしれない。

 その後、詩織は綾乃と美智を自分の学生寮へ連れて、怪我の手当てをしていたのだった。

 詩織は後悔の滲む声で言った。

「二人とも、ごめんなさい。私なんか助けたせいで……」

「しーちゃん、そんなこと言わないでよ」

「そうだよぉ」

 綾乃も美智も、屈託のない様子で答えた。詩織は手に持っていた包帯の残りを、ぎゅっと握った。

「でも、やっぱり……これから私とつき合わない方がいいよ。一緒にいたら、虐められちゃうから……」

「その時は、やり返してやるだけだって」

 体中傷だらけなのに、綾乃は力強く言ってみせた。詩織は小さな笑みを浮かべて、それから俯いた。

「強いんだね、藤村さん。私じゃ、そんなこと出来ないや」

 綾乃の手が伸びて、詩織の手を包み込んだ。

「そんなんじゃ、ないよ。ただ、あたしも東京に住んでた頃、虐めに遭ってて。ここへ引っ越したのも、逃げ出したくなったからでさ。あたし、高校から変わろうって決めたんだ。強い自分になろうって。同じように虐められてる人がいたら、助けたいって。ま、ボコボコにされちゃったけど」

「そう、だったんだ……私、藤村さんは住む世界が違う人だって思ってた。綺麗だし、自己紹介も堂々としてたし」

「あんなの、演技だよ。表向きはしゃきっとしてたかもしれないけど、ほんとは怖かったんだから。ま、いいじゃん。過ぎたことはさ。これからもあたしはあんたの友達ね。オッケー?」

 美智も横から身を乗り出した。

「えへへ、私も友達だからね」

「うん」詩織は涙をこらえるので精一杯だった。「ありがとう……!」

 綾乃がうんと伸びをしながら言った。

「それにしても、戦車凄かったねー。実物見たの初めてだけど、感動しちゃったよ。なんだっけ、ソーナンス35?」

「ソミュアS35だよ」

 美智が訂正すると、綾乃がぽんと手を打った。

「そうそう、それ! つーかやっぱあんた戦車好きじゃん! なんで機体の名前まで知ってんの?」

「えっと、あはは……たまたまだよぉ」

 どういうわけか、美智は戦車のことを言及されるとはぐらかしてしまう。

 もっとも、綾乃も詩織もあえて追及することはしなかった。お互いのことを、理解し始めていた。三人それぞれが過去の傷を背負っていて、だからこそ新しい高校生活に賭けているのだと。

 戦車、か。

 姉から話を聞いていた頃は、別段意識していなかった。むしろ姉と比べられるのが嫌だから、戦車道は履修しないつもりだった。

 でも、今日私を救ってくれた戦車の姿は……何だか、私の全てを変えてくれる気がした。

  

 

 週明けの月曜日。生徒会の呼びかけで、全校生徒が体育館に集まった。

 生徒会長・官有くめ子が納豆スナック片手に簡単な挨拶をした後で、上級生による各必修選択科目のオリエンテーションが開催された。茶道、香堂、弓道、合気道……いずれも特徴的なパフォーマンスを見せ、生徒達の注意を引き付けた。

 いよいよ、戦車道の紹介になった。

 詩織は綾乃と美智に挟まれて座りながら、ごくりと唾をのんだ。

 壇上の台に、姉の友人・秋山優花里さんがマイクを持って現れた。

 彼女が指をはじくと、背後のモニターに映像が浮かぶ。

 画面に向かって迫る戦車、巨大な砲撃音、そして赤文字で書かれた「戦車道」のロゴ。凄い迫力だ。

「せええええんしゃどォ!」優花里さんが拳を振り上げて叫んだ。「それは、熱き戦車達の闘い!」

 バックの映像が次々に切り替わり、激しい戦闘場面が流れていく。

 優花里さんが、先ほどにも勝る勢いで叫んだ。

「せええええんしゃどォ! それは、人生の縮図ッ! 乙女のロマンであります!」

 走馬燈のように流れる戦車の映像を、詩織は食い入るように見つめた。

「ふえーっ、迫力あるなーっ」

 綾乃が感心したように言えば、美智もうっとりしながら呟いている。

「うわぁ、あれはティーガーだぁ。あっちはT-34かな。凄いなぁ。かっこいいなぁ」

 他の生徒達も、少なからず引き込まれた様子だ。優花里さんが謎のポーズを決めながら、解説になっているようななっていないような、よくわからない調子で続けた。

「戦車道とは! 通信・操縦・装填・砲撃・指揮! 見よッ、砲塔は赤く燃えている! 大洗の未来を守るため、是非戦車道を履修しましょう! 戦車乙女達、カアアアァム・ヒアアァッ!」

 数十の戦車が砲弾を放つ映像と共に、優花里さんも言葉を締めくくった。咳払いすると、それまでと打って変わった落ち着いた声でつけ加える。

「それでは、我が大洗女子学園戦車道チームの隊長・西住みほ殿よりお言葉をいただきましょう! どうぞ!」

 ガチガチに緊張した様子のみほさんが、壇上へ姿を見せる。歩く間、右手と右足が同時に出ていた。顔は真っ赤に染まり、びっしょり汗をかいているのが、詩織の位置からでも見えた。

 一年生のいる列から、密やかなざわめきが聞こえてきた。

「ちょ、あれが隊長? 威厳なくない?」

「なんか見た目普通だねー」

「戦車やるっていうから、コワそうな人想像してたのに……」

 生徒達に向き直ったみほさんは、胸の前でマイクを握りしめ、視線をきょろきょろとせわしなく動かしていた。それから大きく息を吸い、明らかに震えているのがわかる声で話し始めた。

「あ、あのう……えっと、戦車道は、その、とても楽しい武道です。で、ですから皆さんの、参加を……お、お待ちしています! ぱ……パンツァー・フォー!」

 唐突に謎のフレーズを叫んで、拳を振り上げる。

 が、威厳の無い話しぶりと、理解不能なフレーズのせいで、生徒達の反応は薄かった。まばらに起こった拍手で、一層気まずさが増した。

 みほさんは「しまった。失敗した」と言わんばかりの表情で、逃げるように退場していく。何とも後味の悪い終わり方になってしまった。

 綾乃が目をしばたいて、詩織に囁いた。

「最後、なんつった? パンツはアホって言わなかった?」

「私もそう聞こえちゃった……」

 美智が苦笑気味に言った。

「えっとね。パンツァー・フォー。戦車前進って意味なんだ」

「やっぱ詳しいねアンタ」

 そんなやりとりの間に、生徒会長のくめ子が再び壇へ上がる。今週中に履修科目を決めるように云々の話をした後で、集会は解散となった。

 

 

「本当に、ごめんなさい……。最後の最後で台無しにしちゃって。もっと言わなきゃいけないこと、あったはずなのに。頭真っ白になっちゃって」

 昼休みの作戦会議室。みほは両手に顔を埋めながら、暗い声で皆に謝罪した。カエサルには威厳が増したと称賛されたが、見知ったチームメイトの前で話すのと、見知らぬ大勢の生徒の前で話すのでは、まるで状況が違う。

 沙織と華が、口々に慰めた。

「みぽりん、大丈夫だって! 恋愛もうぶな感じが一番人をひきつけるんだし! ああいう路線で良かったよ」

「必死な感じがみほさんらしくて、わたくしは好きです」

「むしろ、前半の秋山さんの紹介が意味不明だった」と麻子。

「ええっ、そうでありますか? 私なりに、パフォーマンスを必死に考えたんですが……」

「映像の方はともかく、話が意味不明」

 淡々と述べる麻子に、今度は優花里がショックを受けた顔になる。沙織が慌てて口を入れた。

「まぁまぁ! 人事は尽くしたんだし、後はうまくいくことを祈るしかないじゃん? それより、早くご飯行こうよ」

「そうですわね。大分お腹が空いてきました」

 華も笑顔でお腹をさする。五人は食堂へ向かった。あたかも昼食時、食堂は生徒でごった返していたが、みほ達は何とか席を確保することが出来た。

「新学期始まってから、いつも混んでるね。新入生が多いみたいだけど」

 みほの言葉を聞いて、向かいに座っていた華が答えた。

「ええ。入学したばかりの頃はみなさん、食堂へ行きたがりますから」

 納豆をかき回していた沙織が、唐突にため息をつく。

「あーあ。春といえば、何か素敵な出会いがあってもいいのに~。私の恋にはいつ春が来るのかなぁ」

「女子校で学校生活しているんだから、そんなのが来ないのは当たり前じゃありませんか」

 華が呆れ顔で言うと、沙織はすかさず噛みついた。

「なによ! 華はずるいよ! ハワイで沢山男の人捕まえてたくせに!」

 先日、華が春休み中ハワイ旅行に出かけていた話を聞いて、沙織とみほはその時の写真を見せて貰った。が、どれもイケメンな外国人と一緒にうつっている華の姿ばかり。中には連絡先まで交換している者もいた。それを知って以来、沙織はすっかり膨れている。

 華が肩をすくめた。

「あれは向こうが勝手に寄ってきただけで……。私から誘ったわけではありませんし」

「やだもー! 勝利宣言されたー! みぽりんも何か言ってよぉ」

 みほが指先で頬をさすりながら言う。

「ええと、沙織さんもハワイに行ってみればいいんじゃないかな。きっと声かけて貰えるよ」

 途端に、沙織は瞳を輝かせて起きあがった。

「だよね! だよね! ようし、決めたよ。私、夏休みはハワイに行ってくる! やっぱ今時は国際恋愛だよね!」

「国内恋愛もしていないのに、国際恋愛に走るんですか?」

 華がすかさず突っ込みを入れる。

 その時、誰かが背後からみほの肩をつついた。

 振り向くと、そこにいたのは腰まで伸びた長い髪にぐるぐる眼鏡の生徒。ありくいさんチームのねこにゃーだ。すぐ後ろにはチームメイトの二年生・ももがーもいた。

「こんにちわ、西住さん。ちょっと、いいかな」

「うん。なあに?」

「あ、あの。凄く言いにくいことなんだけど……」ねこにゃーは両手の指をつつき合わせながら言った。「今年は戦車道、ボク達は参加出来なくても大丈夫かな」

 あんこうチームの面々は揃って驚きを浮かべた。

「ええっ、どうして?」

「実は、気の合うチームメイトが見つからなくて。ネットで募集かけたんだけど、全然集まらなかったんだにゃ。さすがに二人じゃ戦車は動かせないし」

「え、えっと。それは――」みほが対応策を考えていたところへ、また別の一団がやってきた。カモさんチームの三年生・後藤モヨ子――通称ゴモヨと、金春希美――通称パゾ美だ。

「西住さん。ちょうど良かったです。話したいことが」パゾ美が淡々とした調子で言った。「私達、今年は戦車道履修しません」

 みほは愕然とした。

「え……カモさんもですか?」

「風紀委員は今、内部的な問題が多いの」

 パゾ美の言葉に、ゴモヨがこらえきれない様子で口を出した。

「何事も無いような口ぶりだけど、その原因を作ってるのはあなたなのよ? 少しは自覚してよ!」

「悪いのはお互い様。こんなところでケンカする気?」

「そういうつもりじゃ……だけどあなたの言い方は!」

 二人の険悪な様子を見た沙織は、机の下で麻子の袖を引き、密やかに尋ねた。

「え、やだ。どうしちゃったのあの二人……」

「そど子が卒業してから、後釜争いをやってるらしい。そど子は次期委員長にパゾ美を任命したが、後輩や同輩の支持が厚いのはゴモヨの方で、内部分裂が起きてると聞いた」

「あちゃー、そういうことなんだ。最悪の状況じゃん」

 ゴモヨとパゾ美は、おろおろするみほの前でぎゃあぎゃあ言い争った挙句、最後にこう告げた。

「とにかく、私はゴモヨと一緒の戦車に乗って戦うのは不可能です」

「私もパゾ美と一緒の戦車に乗りたくはありません! 必修選択科目は、個人でやれるものにします。申し訳ないですけれど、そういうことでお願いします!」

 二人はきびすを返して歩き出した。その間も、口論が絶えなかった。

「それじゃ、ボクも……」

 風紀委員達を追いかけるように、ねこにゃーも一言残して足早に去っていった。 

「み、皆さん待って……」みほが呼び止めた時には、もう遅かった。すっかり当惑して、友人達を振り向いた。「どうしよう……?」

 経験者がチームから離脱すれば、大幅な戦力低下は免れない。

 焦るみほへ、華がなだめるように告げた。

「落ち着いて対応を考えましょう。履修科目の最終決定までには、一週間あります」

「そうだよ。みんなで説得しようよ!」と沙織。優花里と麻子も頷いて、同意を示した。

 チームメイトの決意を目にして、みほの不安も幾らか和らいだのだった。

 

 

「藤村さん、どうしちゃったんだろうね」

「うん……」

 詩織は、持ち主のいない机を見つめていた。

 昼休み、綾乃は用事があるといって抜け出したきり、とうとう教室へ戻らず、そのまま早退してしまったのだった。詩織と美智は不安でならなかった。せめて、何か連絡くらいくれてもいいのに。

 詩織はため息をついた。

「三人で、相談したいことあったんだけどな」

「何を?」

「必修選択科目のこと」

「あ、詩織はもう決めた?」

「うん」詩織はおずおずと言った。「戦車道にしようかな、って」

「えっ」

 何故か、美智はたじろいだ。

「栗林さんは?」

「あ、ええとぉ……まだ決まってないや」

「え……戦車道は? オリエンテーションでも、楽しそうにしてたのに」

「戦車道は、その、ダメなんだ。私、昔ちょっとやってたんだけど、本当に才能無くて。履修しても、きっと落第しちゃうと思う。だから……別のにしようかなって」

「そう、なんだ……」

 美智は申し訳なさそうにつけ加えた。

「ごめんね」

「あっ、そんな。謝ることなんかないよ」

 慌ててそう返したが、内心がっかりしていた。出来ることなら友達と同じ科目を選びたかった。けれど、美智は嫌がっているようだし、無理強いもしたくない。

 綾乃なら、戦車道を選んでくれるだろうか?

 午後の授業が終わり、下校時間。詩織の携帯に、ラインのメッセージが入ってきた。

 送り主は綾乃からだ。

『ちょっと話せる?』

 校内は電話禁止なので、詩織は一度学校の外へ出て、連絡を入れた。

「もしもし……」

「あ、詩織? ほんっとゴメンね! 連絡も無しに早退しちゃってさ。ちょっと大事な用事があってさ」

「ううん。大丈夫だよ」

 大事な用事と聞いて、そういえば綾乃は先週の月曜も用事で早く帰ったっけ、と思い出した。

「そっか。よかった。明日はちゃんと学校いけるからさ。美智にも伝えといてよ」

「うん」せっかく電話したのだし、詩織はもののついでに聞きたかったことを尋ねた。「あの……藤村さんは、必修選択科目決めた?」

「あー、あれね。まだ決めてないけど」

「せ、戦車道とか、どう……?」

「戦車道かぁ。ちょっと、ムリかな」

「え……どうして?」

「それは、その」

 綾乃が言葉を濁すと、詩織もすかさず言った。

「あ、ごめんね。話したくないことなら……」

「いいよ。詩織は友達だし、話しちゃうね。でも、他の人達には内緒だよ。実はあたし、仕事やってるんだ。今はまだ大丈夫だけど、忙しくなったら授業も出れなくなるかもしれない。戦車って、一人じゃ動かせないでしょ。きっと、周りの人に迷惑かけるよ。だから、別の科目を考えてる」

「お仕事してたんだ……。藤村さん、スタイルいいし可愛いもんね。やっぱり、モデルとか何か?」

「あはは。そんなんじゃないよ。声優なんだ」

「えっ。せ、声優さんっ?」

 ちょっと予想外の答えだった。詩織の驚きをよそに、綾乃が気恥ずかしい声で続ける。

「昔から子役で活動してたんだけどね。あたし、アニメ好きだから、そのうち声優中心にシフトしてって。でも……それが原因で、前にいた学校じゃ虐めにあっちゃって。出来れば、ここじゃ同じこと繰り返したくないんだよね」綾乃はいったん間をおくと、声の調子を明るくして続けた。「あ、ごめん。急に重たい話しちゃって。必修選択科目のことは、また話そうよ。じゃ、また明日ね」

「うん……」

 電話を切って、ため息をつく。綾乃も美智も、戦車道を選ばない。

 それなら、私も別のにしようか。

 でも、本当は戦車道が……。

 空気を裂く砲音、地を揺るがす履帯の響き。昔から詩織が憧れていたような「強さ」が戦車道にはあった。

 教室へ戻ると美智が待っていた。笑顔でバックを手渡しながら言った。

「詩織、どこ行ってたの。早く帰ろっ」

「えっと……ごめん。ちょっと寄りたいところがあるから、今日は先に帰っててくれないかな?」

「え、いいけど」

「本当にごめんね」

 詩織は何度も謝って、美智と別れた。

 

 

 

 詩織が向かったのは、体育館倉庫だった。言うまでもなく、先週自分を救ってくれた戦車・ソミュアS35が置かれていた場所だ。

 扉が開きっぱなしになっていた。そっと顔を覗かせると、暗がりの中からカチャカチャと機械的な音が聞こえる。目を凝らすと、穂積きりこが一人で戦車をいじくり回している姿が見えた。

 詩織は勇気を出して、中に踏み込んだ。

 気配に気がついたきりこが、レンチを動かす手を止め、ちらっと詩織を見た。

 その場で立ち止まった詩織は、おずおずと挨拶した。

「あ、あの。こんにちわ」

「何しに来たの」

 まったく歓迎するような口調ではない。詩織は指で頬をかいた。

「ええっと、先週のお礼、かな」

「礼ならもう聞いた。二度も必要ない」

「ああ、うん。なんていうか……ちゃんとしたお礼っていうか――」こういう時、口の達者な姉が羨ましくなる。うまい言葉が浮かばなくて、詩織は咄嗟に話題を変えた。「あ、あの、まだ整備してるんだね」

「長いこと使われなくて、ガタついてる」

「どうして倉庫裏に戦車が?」

「知らない」

 きりこの返事はにべもない。何とか会話を繋げようと、詩織は必死に声をかけ続けた。

「で、でも、よく見つけたね。こんな人の立ち寄らない倉庫の奥で」

「近くを通りかかったら、嗅ぎ慣れた臭いがした。それでここに入ったら見つけた」きりこは冷ややかに告げた。「用が無いなら帰って。気が散る」

「あぅ……えっと、て、手伝えること、無いかな……」

「無い」

 きりこは即答した。

「あ、うん」詩織は精一杯勇気を出して、食い下がった。「み、見ててもいい?」

「好きにすれば」

 近くに、古いパイプ椅子があった。詩織はそれを引っ張ってきて座り、きりこが黙々と整備するのを眺めた。見たいとは口にしたものの、何をやっているのかさっぱりわからない。段々じれてきた詩織は、また尋ねた。

「穂積さん、必修選択科目は……もう決めた?」

「決めてない」

 よし。聞こう。勇気を出して、聞かなきゃ。詩織は椅子の上で身を乗り出した。

「せ、戦車……好き、だよね? それなら、戦車道とるのかなって――」

「大洗女子学園の戦車道なんて、所詮遊び」

「へっ?」

「ここには、私がいた戦場にあった、息詰まるような殺気がない。馴れ合った穏やかさすら感じられる」

「そ、そうなんだ。何だか、凄い経験者みたいな口振りだね」

「ずっと戦車道をやってたの。小学校の頃から」

「それじゃ、どうして戦車道にしないの?」

「私にとって、忌まわしいものだから」きりこの操るレンチが、きりきりと詰まるような音を発した。「私のいた学園艦・[[rb:義留亀巣 > ぎるがめす]]中学は、長いこと廃校の危機にあった。唯一、戦車道で優秀な成績をおさめていたから、そのおかげでどうにか存続していた。毎年、優勝しなくちゃいけなかった。私も戦車道で戦った。最初は学校のためと信じて。けれど、いつまでも学校に平穏は訪れなかった。戦っても戦っても、廃校の危機は常にそこにある。そして私が三年生の時、とうとう試合に負けた。その年、学校は満足に戦車を整備する予算もなく、優れた選手もいなかった。結局、廃校は阻止出来なかった。ずっと戦ってきたことが無意味に感じて、私は疲れた。みんなが疲れてた……」

 詩織は息一つつけないほど、きりこの話に聞き入っていた。大洗女子学園も、去年廃校の危機にさらされたばかりだ。だけど、きりこの学校のように、切羽詰まったような状態ではなかった気がする。姉からの話を聞く限り、大洗の生徒は学校の危機にも前向きに立ち向かっていた。それに比べると、きりこはまるで地獄を渡り歩いていたような口ぶりだ。

 何も言えないでいる詩織へ、きりこは冷たく告げた。 

「余計なことを話した。もう帰って。これ以上、気を散らされたくない」

 

 

 綾乃も美智も穂積きりこも、戦車道を選ばない。

 どうしようもない。

 かといって、一人で選択するとなると、腰が引けてしまう。

 困った詩織は、姉に電話をかけた。まるで待ち構えていたように、姉はすぐ出てくれた。

「お姉ちゃん」

「どうしたの、詩織?」

「必修選択科目のことなんだけど」

「うんうん」

「せ、戦車……私にも乗れるかな」

「やだぁ! どうしたの? ずっと戦車道はやらないって言ってたじゃん!」

 姉の声は嬉しそうだった。

「ん……そうだけど、ちょっと気になって」

「そっかぁ。大丈夫、詩織だって出来るよ! 私もまるっきり初心者だったんだから」

「でも私、お姉ちゃんみたいに器用じゃないし、努力家じゃないし」

「心配ないよー。戦車はチームで動かすんだから、お互いに補えあえばいいんだって。ポジションも沢山あるし、詩織が頑張れそうなところを選べばいいよ」

「あ、あの……まだ、はっきり決めたわけじゃなくて。その、友達はみんな、戦車道以外の科目にするみたいだから」

「えーそうなの?」

 姉の声のトーンが、数段くらい下がった。

「どうしたらいいかな? やっぱり、友達と一緒の方が、いいよね?」

「そうだね~。私も友達に合わせるかなぁ」

 やっぱりそうか。詩織が肩を落とした矢先、姉が続けて言った。

「でも逆に、友達に合わせて貰うって手もあるかもよ?」

「え……」

「あんた戦車道やりたいんでしょ? 友達には、そのことちゃんと伝えた?」

「あ、ううん。まだだけど」

「だったら、自分の気持ちだけははっきり言っておきなよ。そうすれば、少なくとも自分の中でけりはつくじゃん? あんたの熱意が伝われば、みんな考えを変えるかもしれないし」

 やっぱり姉は凄い。詩織は心からそう思った。

「そっか。そうだね……! 私、話してみる」

「そうしなよ」

「ありがとう。お姉ちゃん」

 

「私……戦車道にする!」

 その日の朝、詩織は必修選択科目の履修用紙を、綾乃と美智へ突き出した。戦車道の欄に丸がついている。

「ど、どうしてもやりたくて。出来れば……二人もやってくれないかなって、思ってる」

 綾乃は肩を落とした。

「昨日も話した通りだよ。あたしはちょっとムリ」

 そうそう簡単に同意してくれるとは、詩織も思っていない。根気強く話し続けた。

「わ、私ね、藤村さんの気持ち、少しはわかると思う。周りに迷惑かけたくないから、個人で出来る履修科目を選ぼうとしてるんだよね。でも、迷惑になんかならないよ。藤村さんが授業に出れないぶんは、私が力になるから。なれるように努力するから」

 それから、美智へ顔を向けた。

「栗林さんも、考えて。才能なんか無くても、栗林さんは戦車のこと沢山知ってる。きっと私なんかより、ずっと戦車道やれると思うよ」

 綾乃が肩をすくめて、美智を見た。そして苦笑しながら言った。

「ったくもぉ。どーする? こんな熱心にアタックされちゃ、断るの野暮だよね? ぶっちゃけ、戦車道以外にどうしてもやりたい科目があるわけじゃないしさ」

 美智も遠慮がちに頷く。

「詩織と綾乃が一緒なら……。や、やってみようかなぁ」

 二人は、戦車道の項目へ丸をつけた。

「ありがとう……!」

 詩織は感謝を述べて、つけ加えた。

「あと、もう一人誘いたい人がいるんだけど」

「もう一人? あ、わかったぁ」美智がぱんと手を叩く。「穂積さんでしょ!」

 

 

「あれ……いない」

 綾乃と美智を連れて体育館倉庫にやってきた詩織は、人気が無いのを見て呆然とした。

 と、美智が悲鳴をあげた。

「あっ、戦車が……!」

 詩織も気がついた。倉庫奥にたたずむソミュアS35はあちこちにへこんだような傷がつき、落書きがされていた。明らかに、誰かが悪意を持ってやったに違いない。

 美智はソミュアを目にして瞳を潤ませた。

「ひ、酷いよぉ。こんなことするなんて」

 詩織は戦車のそばに工具が落ちているのを見つけた。紛れもなく、きりこが使っていたものだ。何だか、胸騒ぎがする。

「穂積さん、どこかな……。私、探してくる!」

「あっ、ちょっと! しーちゃん!」

 綾乃が呼び止めるより先に、詩織は体育館倉庫を飛び出していった。

 探すあてがわるわけでもなく、ひたすら倉庫の周囲を走り回る。

 校舎裏のゴミ捨て場まで来た時、聞き慣れた声がした。

「オラァ! さっさと謝るっすよ!」

「これだけやっても逆らうなんて、マジ強情なんだけど」

 中上さんと茅野さんの声だ。詩織は背筋がひやっとした。ゆっくり身を乗り出してうかがうと、淵上さん達五人が誰かを囲んで、しきりに罵声を浴びせている。

 囲まれてるのは……穂積きりこだ。よほど手酷くいたぶられたのか、あちこち痣だらけ、制服もすっかり汚れている。そのうえ、バッグの中身がぶちまけられて、教科書や筆記用具が周囲に散らばっていた。

 どうしよう。そうだ、藤村さんや栗林さんを呼んでこよう。そう考えて駆け出した矢先、足下に転がっていた空き缶を思い切り蹴飛ばしてしまった。その物音を、淵上さん達が聞き逃すはずもなかった。

「武部さん」淵上さんはにっこりと微笑んだ。「何しに来たの?」

「あぅ、その、私――」

「今日は武部さんに用無いから、帰っていいよ」

「穂積さんに、何してるの……」

 尾崎さんが冷笑した。

「見てわからないんですか? お仕置きです。戦車を使って私達を脅すなんて真似をしたんですから、当然でしょう?」

「でも、ひ、酷いよ。こんなこと……」

「アァ? いちいちうるさいっすよ! なんか文句あるっすか?」

 中上さんが吠える横で、井口さんも言った。

「ちょうどいい、武部。ついでだからクリームパン全員分買い出しに行ってこい。あとアンコーヒーもな。お前の金だぞ」

「買うよ……! 買うから、穂積さんを離してあげてよ!」

「何よあんた? それが人にものを頼む態度ォ?」

 苛立たしげに言い返した茅野さんが、きりこを蹴り飛ばそうとする。

「やめて! やめてったら!」

 詩織は衝動的に飛び出し、茅野さんを突き飛ばした。途端に、猛烈な反撃が来た。井口さんに押し倒され、中上さんと尾崎さんに何度も背を踏みつけられる。

「ざけんじゃないっすよ、武部! うちらに逆らうつもりっすか!」

「あなたもっ――お仕置きが必要ですわ!」

 どれくらい経っただろう。ようやく興が冷めたのか、淵上さん達は引き上げていった。詩織は全身の痛みを堪えながら、のろのろ体を起こした。

「大丈夫? 穂積さん」

 詩織と同じく傷だらけのきりこは、無表情のまま聞き返した。

「そっちは?」

「私は平気。こういうの、慣れてるから。えへへ……」

 立ち上がった詩織は、あちこちに散らばっているきりこのノートや筆記用具をかき集めた。そして、疲れと痛みに負けないよう笑みを浮かべて、それらを差し出した。

「穂積さんのこと、探してたの。倉庫へ行こうよ。みんな待ってるはずだから」

 

 

 体育館倉庫へ戻ると、綾乃が出迎えた。

「あっ、しーちゃん! それに穂積さんも!」綾乃は、ぼろぼろになった詩織の姿を見て目を丸くした。「ちょっと、どうしたのその怪我!」

 美智も近くへ来て、顔色を変えた。二人へ心配をかけまいと、詩織が強いて笑みを浮かべた。

「大丈夫。そんなに酷くないよ」

 それでも綾乃が不安そうなので、ひとまず淵上さん達に暴力を受けたことを語った。綾乃も美智も、歯ぎしりして口惜しがる。ようやく話が一段落ついたところで、綾乃は背後の戦車を示した。

「今、美智と二人でソミュアをなおしてたとこでさ。とりあえず、落書きは消しといたよ」

 詩織は、きりこを振り向いた。

「穂積さん、私達もやろうよ」

 きりこは無表情のまま頷いた。

 四人は手分けして戦車の修理を始めた。たっぷり二時間かけて、日が海の向こうへ沈む頃、ようやく戦車は――完全とはいえないまでも――元通りになった。

「ふぁー、おわったー」

 綾乃が伸びをして、ぐったりとその場へ座り込む。美智は綺麗になったソミュアを、惚れ惚れと眺めている。

 詩織の隣に座っていたきりこが、ぽつりと尋ねた。

「どうして、助けたの」

「ん……えっと」詩織は頬を赤く染めて、まごついた。必死に正しい言葉を探して、ようやく答えた。「と、友達だから、かな……」

 友達。自分からそんなことを口にするのは、何年ぶりだろう。

 きりこは無表情のまま詩織を見つめていたが、不意に顔を背けて言った。

「友達か。何やら照れくさい。でも……今日の借りは清算させて貰う」

 カバンから必修選択科目の履修用紙を取り出した。筆を手に取り、迷いなく戦車道の欄へ丸をつける。

「私も、戦車道をやる」

 詩織はぱっと笑みを浮かべた。

「穂積さん……! うん、よろしくね!」

 

 

 

 静寂な道場の中、空を切る刃の音。

 道着をまとった女子の影。

 大洗女子学園・居合道部の面々は、黙々と稽古に勤しんでいた。

 居合道とは――。古来より伝わる抜刀術から発展した現代武道であり、日本刀の操法を通して健全な肉体・精神を養う由緒正しき伝統的な武道なのである!

 さて、この大洗女子学園居合道部は現在、問題を抱えていた。

 それは、部員が僅か三人しかいないことだった。

 居合道部の部長にして二年生の内野沙耶(うちのさや)は、額に汗をほとばしらせながら刀を振るっていた。長い黒髪を後ろで結い、きりっとした中に柔和さを含む顔だちは、まさに大和撫子そのものだ。

 沙耶は大きく息を吐いて刀を納めた。新入部員が一人も入らないこの状況の焦りを、稽古に集中することで解消していたのだった。

 その時、横合いから声が飛んだ。

「ちょいと、沙耶さん」

 声をかけてきたのは、同じく二年の袴野結子(はかまのゆうこ)だ。高飛車な性格で、どこで学んだのやら常に上品ぶった口調で話す。自称財閥の娘だが、その話を沙耶は全く信じていない。

「はい? 何ですか?」

「はい、じゃありませんわ! 新学期が始まってはや一週間、仮入部真っ只中の時期なのに、一人も新入部員が来ないとはどういうことなんですの?」

 激しく詰め寄られて、沙耶はたじたじと後ずさった。

「いや、あたしも頑張ったんですけど、こればかりはしょうがないじゃないですか。ポスター貼ったり、ビラ配ったり、真剣使った巻き藁切り演武もやりましたし……」

「大体、もう少し危機感を持ったらどうですの! うちの学園、五人以下の部活は、部活として認められないんですのよ。このままでは廃部まっしぐらですわ!」

「わかってますよぉ! だけどうちは一つ上の先輩がもともといなかったですし、その上の先輩達も卒業しちゃったし、人数の危機は昔からのことじゃないですか」

「二人とも、やめなさい」穏やかにたしなめたのは、同じく二年生の脇野小刀(わきのこだち)。背の高いクールビューティで常に冷静沈着、居合道部の副部長でもある。「仮入部期間はまだあるのだから、諦めないで待ちましょう」

 沙耶はがっくり肩を落とした。

「居合道、どうして人気ないのかなぁ。刀を持った道着女子って、かっこいいと思うんだけどなぁ」

「学園艦の方針を変えて貰って、居合道を必修選択科目にして欲しいくらいですわ」と結子。

 小刀が話を切り上げた。

「さぁ、喧嘩もそこまでにして、稽古を続けるわよ」

「はい。あれ……」

 何気なく道場の扉付近へ目をやった沙耶は、見慣れない生徒がぽつねんと立ち尽くし、こちらを見つめているのに気が付いた。もしかして、と思い、すぐさまその生徒のもとへ駆けていく。

「あなた、新入生? 見学に来たの?」

 その生徒は声をかけて貰うのを待ちわびていたように、ぱっと顔を輝かせた。背が低く、童顔で、まるで小学生のように見える。ふんわり広がった金髪の髪は、まるで人形のように愛らしかった。

「は、はい! 普通科一年C組の太刀野間愛(たちのまあい)です! チラシを見て、ここに来ました」

 そう言って、鞄から居合道部のチラシを取り出して見せる。沙耶達が先週配っていたものだ。

 結子と小刀も前後してやってきた。結子が口元に手をあてて、驚いたように言う。

「あらまぁ、あのビラを見て来てくれたんですわね」

「今、ちょうど稽古をしていたところよ。良かったら見学していきなさい」

 小刀の言葉に、間愛は大きく頷いた。

「はい!」

「ところで――」沙耶は、間愛が脇に抱えている謎の物体を示した。「それ、何なのかな?」

「あ? これですか?」

 間愛が笑顔で「それ」を三人の眼前へ大きく差し出す。

 大きなぬいぐるみだった。

 が、普通のぬいぐるみではない。普通、ぬいぐるみというのはクマとかイヌとかネコとか、可愛らしい生き物をモチーフにするものだ。

 ところが、間愛の持っているぬいぐるみは、巨大なダンゴムシのような風貌をしていた。

 沙耶は酷く狼狽しながら、また尋ねた。

「えっと、これは、一体――」

「ダイオウグソクムシ! 私の友達! 名前はグソクーヌっていうの!」

「だ、だいおうぐそくむし、ですか……?」

 確か深海生物の一種だ。一応、沙耶も前に何かのテレビ番組で見たことがあった。ぬいぐるみは幾分かデフォルメされているが、実物はかなりグロテスクな生き物だった覚えがある。間愛は唖然とする三人を尻目に、喜々として話し続ける。

「はい! 深海生物のぬいぐるみが大好きなんです! ほかにもゴエモンコシオリエビとかダイオウイカとか、色々持ってます!」

 突然、結子が沙耶の腕を掴み、強引に道場の奥まで引っ張っていった。そして歯ぎしりしながら耳元へ囁く。

「ちょいと、沙耶さん! 一体どういうことなんですの? あれこれ手を尽くして勧誘活動したのに、ようやくやってきた入部希望者は、ヘンテコなぬいぐるみ愛好家一人だなんて!」

「そんなことあたしに言われても……。でもこの部活って、基本的に変な人ばっかり集まるじゃないですか。結子さんだって、時代劇系の乙女ゲームから居合に興味持ったんですよね?」

 結子が間愛を指さしながら反駁した。

「あたくしはまともです! あんなのと一緒にしないでくださいな!」

「と、とにかく! まずは体験入部して貰いましょうよ。せっかく来てくれたんですし」

 沙耶は無理やり話を切り上げて、間愛達のもとへ戻った。ちょうど、小刀が彼女と話し込んでいるところだった。

「ところで、どうして居合道に興味を……?」

「はい! マイナーなものが昔から好きなんです! 深海生物のぬいぐるみもそれがきっかけで集め始めて! 居合道のマイナーなところに惹かれました!」

 うんざり顔になった結子が、ぴしゃりと手で顔を覆う。沙耶はあはは、と苦笑するしかなかった。

 その時、チャイムが鳴り響いた。稽古の時間は終了だ。

 沙耶はたちまち表情を引き締め、声を張り上げた。

「稽古やめ! 整列!」

 号令をかけると、三人で揃って正座し、稽古終了の礼法を済ませる。礼に始まり礼に終わる。これが居合の基本だ。それから刀と道場の片づけをして、戸締りにかかった。

 道場の扉を閉めた結子が、鍵を沙耶へ投げ渡す。

「それじゃ部長。事務室へ鍵の返却お願いしますわ。あたくし、先に戻っていますので」

 優雅に手を振りながら、すたすたと歩き出す。

 沙耶は頬を膨らませ、ぼやいた。

「もう、あたしに部長をやらせたのって、絶対こういう雑務押しつけるためだったんだろうなぁ」

 小刀が沙耶の肩へ手を置いて言った。

「沙耶。私は間愛ちゃんを部室へ連れて、部の説明をしておくわ。鍵を返したら来てね」

「あ、はい。それじゃお願いしますね」

 その場で二人と別れ、事務室へと向かう。

「はぁ。ようやく一人来てくれたけど、五人集めなかったら廃部かぁ。どうしようかな……」

 途中、体育館を通りかかると、何やら人込みが出来ていた。興味をそそられて、沙耶は首を伸ばした。

 そこはバレー部専用の体育館だ。中ではバレー部員達が華麗なプレーを見せていた。制服姿の見学者は、紛れもなく入部希望の新入生達だろう。少なくとも二十人以上いる。

「うわ、バレー部の入部希望者凄いなぁ。あれ……そもそもうちのバレー部って廃部になってなかったっけ?」

 考えをめぐらせて立ち止まっていると、突然背後から声をかけられた。

「何をしてるぜよ」

 ぎょっとして振り向くと、沙耶の知っている顔がそこにいた。

「あっ、おりょう先輩! お久しぶりです」

 大洗女子学園三年生のおりょう――本名・野上武子――は、中等部からの長いつき合いになる沙耶の先輩だった。

「ぼんやり突っ立って、何を考えてた?」

「実は、部員が集まらなくて。三年生がいなくなってから、うちも随分数が減ってしまったので、このままじゃ廃部になっちゃうかもって」

「ほう、つまり部員を集める手立てが欲しいと?」

「はい」

 おりょうがほくそ笑んだ。

「それなら、いい考えがあるぜよ」

 

 

「みなさーん!」

 沙耶が勢いよく部室の扉を開くと、結子が顔をしかめて怒鳴った。

「もう、騒々しい! 扉くらい静かに開けてちょうだいな」

「戦車道やりましょう! せ、ん、しゃ、ど、う!」

 小刀が訝しげに尋ねる。

「いきなり、どうしたの?」

「去年廃部だったバレー部が、戦車道のおかげで沢山部員を集めたんです。私達もやりましょうよ!」

 結子が吐き捨てるように言った。

「戦車ですって! あんな鉄臭い骨董品を乗り回して何が楽しいんですの?」

「でもでも、戦車道は乙女のたしなみとも言われてますし! 同じ武道なんだからいいじゃないですか!」

「あたくし達の優雅な居合道を、あんな騒がしい武道と一緒くたにされては困りますわ」

 小刀が割って入った。

「落ち着きなさい、二人とも。沙耶、どこで戦車道の話なんか聞きつけたの?」

「おりょう先輩です。あの方が是非って、言ってくれたんですよ」

 結子も顔色を変えた。

「まぁ、あのおりょう先輩が」

 小刀も頷く。

「あの方の話ならば、一考する価値もあるわね。どのみち、必修選択科目は履修しなければならないし」

 沙耶は、部室の隅でダイオウグソクムシ人形を抱いている間愛へ尋ねた。

「間愛ちゃんもどう? 必修選択科目決めた?」

「まだです!」

「じゃあちょうどいいじゃない! みんなで戦車道にしましょうよ。部活以外でも一緒に助け合えるし!」

 間愛は笑顔で応じた。

「はい! やります! 居合道も戦車道も!」

 間愛の姿を見て、結子と小刀も同意に達したようだ。

 沙耶は拳を振り上げた。

「それでは! 居合道部復活を目指して、全員戦車道を履修しましょう!」 

「おー!」

 

 

 放課後の体育館。

「いっつも!」

「心に!」

「バレーボール!」

 大洗女子学園バレーボール部二年生の面々・近藤妙子、佐々木あけび、河西忍は、はちきれそうな喜びで満ちていた。見学の新入生達が去った後も、残った高揚感を発散するべく、三人だけで練習を続けていた。

 ジャンプアタックでボールを叩きつけた妙子は、うーんと大きく伸びをして床にばったり倒れた。全身汗だくになり、発育した胸が規則的なリズムで上下している。疲れてはいたが、満面笑顔だった。あけびと忍も笑顔を浮かべたまま、その場にゆっくり腰を下ろす。

 あけびが最初に口を開いた。

「とうとう来たんだね! バレー部の時代が!」

 忍も拳をぐっと握る。

「そうだよ! あんなに沢山の新入部員が集まるなんて!」

 妙子が上半身を起こして言った。

「私達の努力が実ったんだね!」

 三人は笑いあった。喜びの声が体育館の壁や床へ反響し、いつまでもやまなかった。

 ややあって、妙子が立ち上がった。

「さぁ、そろそろ片づけして帰ろうよ」

 忍も頷き――突然、顔色を変えて叫んだ。

「妙子、危ない!」

 驚いて振り向いた妙子の眼前に、バレーボールが物凄い速度で迫ってきた。あけびが咄嗟に飛び出し、ブロックを決める。が、ボールの威力は凄まじく、あけびは三歩たたらを踏んで、ようやくその場に踏みとどまった。

 妙子がボールの飛んできた方角へ叫んだ。

「一体、誰なの?」

 見れば体育館のドアに、大洗の制服を着た人影がたたずんでいた。暗がりに半身が隠れていて、顔はよく見えない。

「あなた達、大洗女子学園のバレー部ね?」

 謎の生徒の声に挑戦的な態度をかぎ取り、忍がむっとした調子で答えた。

「そうだけど、何か用?」

「バレー部なら結構だわ。受けてみなさい!」

 その言葉がまだ終わらないうちに、三個のボールが恐るべき勢いで妙子達に放たれた。三人は即座に、レシーブの姿勢で迎えた。

 が、相手のサーブの威力は、想像を遙かに越えていた。

「あっ」

「うっ」

「きゃっ」

 両手で受けたボールの重みはあたかも鉄球のよう、三人は堪えきれず、無様に尻餅を着いてしまった。じんじん痺れる腕に、ボールの痕がくっきりと浮かぶ。余りの威力に、妙子達は揃って驚愕した。

「アハハッ! 大洗女子の実力はこの程度なの? 失望したわね」相手は高らかに笑うと、再びボールを宙へ放り、打ち込んだ。「これはおまけよっ!」

 三人に、無慈悲なサーブの一撃が迫る。

 あわやという瞬間、横合いから小さな影が立ちはだかり、鮮やかなレシーブでボールを受けた。

 妙子、あけび、忍が、ぱっと顔を輝かせた。

「キャプテン!」

 三人の窮地を救ったのは他でもない。

 バレーボール部三年生にしてキャプテンの、磯部典子だった。

 謎の生徒は鼻で笑った。

「あら、多少は出来るのがいたのね」

 典子も不敵な笑みを返す。

「あれくらいのサーブを受けられきゃ、バレー部のキャプテンは務まらないからね」

「へえ、あなたがキャプテンさん?」

 暗がりにいた相手はそう言うなり、つかつかと体育館の中へ踏み込んできた。

 つり目に細い顎、きつい顔立ちだが、目を見張るほどの美少女だ。赤みがかった髪と白い肌からして、ハーフのようだ。背は妙子達と同じくらいだった。その足取りや体つきを見れば、かなり鍛えているのがわかる。

 美少女は典子に手を差し伸べた。

「よろしく。川村(かわむら)ユングよ。今週、大洗に転校してきたの。バレー部に入部を希望するわ」

 典子は腕を組み、握手には応じなかった。

「私の後輩達に、随分な挨拶をしてくれたみたいだね?」

「あら、謝罪が必要かしら? そちらの後輩の出来が悪いのを反省するべきじゃない?」

 人も無げな言い方に、妙子達は猛烈に腹を立てた。しかしユングの強烈なサーブを返せなかったのは事実、言い返したい気持ちはあっても、口には出せなかった。

「確かに、一理ある」典子は一度認めながらも、続けて反駁した。「だけど、今日の三人は大勢の入部希望者が来たことで、気持ちが浮き足立ってた。それに練習の後で体力も消耗してる。万全の調子で戦ったら、さっきのようにはいなかったはずよ」

「フフン。まぁ、そういうことにしてあげるわ。キャプテンさん。それじゃ、明日正式な入部届を出すわね」ユングはきびすを返し、数歩もしたところで足を止めた。「そうそう、あなた方バレー部は戦車道を履修しているそうね?」

「ええ。それがどうしたの?」

 ユングはにやりと笑った。

「私も履修するわ。その戦車道をね」

 典子をはじめ、バレー部の面々は驚きに目を丸くした。ユングはもう振り向くことなく、去っていった。

「川村ユング、か……」

 ぽつりと呟いた典子は、厳しい表情を浮かべたまま、体育館に立ち尽くしていた。

 

 続く

 

 

次回予告(CV/内野沙耶)

大洗女子学園・戦車道チーム。

ここに私達の願いと、そして未来があります。

ようこそ、戦場へ!

次回「新チーム結成です!」

戦車乙女にロマンの嵐!

こんにちは……。戦車さん。

 



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3話 新チーム結成です!

「それからの大洗戦車道 あんこうチーム卒業編」
三年生になったみほ達の活躍を描くシリーズ第三話。

あらすじ
何とか頭数の揃った戦車道履修者。みほは早速、新たな履修者へ模擬戦をやらせることに。しかし、それがトラブルを呼び、離反者を招いてしまう。困り果てたみほ達に助けの手を差し伸べてくれたのは、思わぬ人物で……。

新登場人物
今暮井つかさ(こぐれい・つかさ)…自動車部二年。優れた勇気と行動力の持ち主。口癖は「私にいい考えがある」。
繰富茜(くりとみ・あかね)…自動車部一年。血気盛んで口が悪い。
板部留美(いたべ・るみ)…自動車部一年。やんちゃな性格。
麻宮亜依(あさみや・あい)…大洗女子学園裏番長の一人。二年生。通り名は「ヨーヨーの亜依」。
五代舞(ごだい・まい)…大洗女子学園裏番長の一人。二年生。通り名は「鉄仮面の舞」。
風間未唯(かざま・みい)…大洗女子学園裏番長の一人。二年生。通り名は「不動明王の未唯」。


 通学路を、朝の海風が吹き抜けていく。

 近藤妙子は浮かない顔で、その道を歩いていた。脳裏に、何度もあの転校生の声が響く。

 ――大洗女子の実力はこの程度なの?

 ――後輩の出来の悪さを反省するべきね。

 川村ユング……一体、何なのよ!

 妙子は、制服の上から自分の右腕をぎゅっと握りしめた。昨日、あの転校生のボールを受けた箇所は、青あざがくっきり残っている。

 自分が不甲斐なかったばかりに、あの転校生に好き放題言わせたうえ、キャプテンの顔にも泥を塗った。

 だけど、もう二度とあんな失敗はするもんか。

 と、誰かに背後から呼びかけられた。

「おはよう、妙子ちゃん」

 振り向くと、同じ戦車道履修者の山郷あゆみがそこにいた。彼女とはクラスメートでもあり、日頃からよく話す仲だった。

 あゆみは怪訝そうに尋ねた。

「どうかした? 顔色良くないけど」

「えっ。別に。何でもないよ」

 妙子は無理に笑顔を浮かべてごまかした。

「バレー部、沢山入部希望者来たんだってね。良かったじゃん」

「うん。でも、これからが色々大変かな」

「戦車道の方も忘れないでね。ミーティングの集まりが悪くって、西住隊長も不安がってたよ」

「ごめんね。バレー部の方が落ち着いたら、参加するようにするから。あっ、そういえば、今日が戦車道の初回授業だっけ?」

「そうだよ。新しい人達が何人来るか楽しみだね」

「ホントだねー!」

 あゆみと話すうちに、妙子の気分も少しずつほぐれていった。あの嫌な転校生のことは忘れて、とにかくバレーと戦車道に打ち込もう、と決意を新たにしたのだった。

 

 

 朝のホームルームでのことだった。

「嘘、でしょ……」

 河西忍はあんぐり口を開けて、持っていたペンを落とした。

 教室の壇上、先生の横に立っているその女生徒は、ぺこりと一礼して顔を上げた。

「川村ユングです。親の転勤で、大洗女子学園に転校してきました。よろしくお願いします」

 先生がにこやかに言った。

「みんな、仲良くしてあげるのよ。じゃあ川村さん、後ろの空いている席に座って」

「はい」

 ユングは席を移動する途中、ちらっと忍の方を見やった。その眼に嘲笑いのようなものが浮かんでいる気がして、忍はふんと顔を背けた。

 あいつ、キャプテンの前でもでかい態度だったから、てっきり三年生だと思ってたのに。まさか同じ学年だったなんて。そのうえ同じクラス! やってられやしない。

 気持ちが落ち着かないまま、一限の授業。

「今日は、先週行った一年次の振り返りテストを返却します。名前を呼ばれたら取りに来てください」

 うわぁ、アレが返ってくるんだ……。忍はげんなりした。先週末に主要三科目の復習テストが行われたのだ。一年次の内容ばかりだったが、春休みの間に頑張って勉強していたわけでもなし、かなり苦戦したのだった。

 順番に生徒が呼ばれて、すぐに忍の番もやってきた。先生はふむ、と気難しい顔を浮かべて解答用紙を渡した。

「河西さん。バレーもいいけど、勉強もしっかりやるように」

「す、すみません。うえっ」

 点数を目にした途端、忍は青ざめた。解答用紙を持つ手が震える。黒板に書かれている平均点を見比べると、国・数・英どれもぎりぎり届いていなかった。

「あらまぁ、酷い点数だこと」

 ぎょっとして振り向くと、川村ユングが嘲笑を浮かべて立っていた。

「なっ、何見てんのよ!」

 慌てて解答用紙を懐に隠し、言い返す。

「チームメイトのことを気にかけるのは当然でしょ。足を引っ張るような輩なら、なおさらのことだわ」

「何ですって……」

「ふふ、確か大洗女子は、学問成績が悪いと部活動禁止だったと聞いたわよ? せいぜい気をつけてちょうだい」

 気障な物言いで、ユングは自分の席へ戻っていく。忍は歯を食いしばり、ぼそっと呟いた。

「言われなくても、わかってるわよ……」

 

 

 校舎西の体育館倉庫。

 磯部典子は壁に背を預けて座り、一人バレーボールを弄んでいた。

「キャプテン、ここにいたんですね」

 ふと顔を上げると、佐々木あけびが近づいてくるところだった。

「佐々木か」

 あけびは、典子から少し距離を置いたところで立ち止まった。もの言いたげな表情を見て、典子が促す。

「こっちに来て、座りなよ。話があるんでしょ」

「はい」

 あけびは典子のすぐ隣に腰を下ろして、同じように背を壁へ預けた。

「今日から、戦車道の授業ですね」

「そうだよ」

 あけびの持ちだしてきた話題で、典子はあらかた察した。だから何も言わず、次の言葉を待った。

 天を仰いで、あけびがおもむろに切り出した。

「この前に話した、あのことなんですけど……」

 

「いよいよ、今年最初の授業かぁ」

 作戦会議室のテーブルに一人座っていたみほは、ぽつりとつぶやいた。

 背後で、すーすーと心地よい寝息が聞こえる。部屋に一つしかない横長のソファで、麻子が眠っていた。みほは苦笑して、友人を揺り動かした。

「起きて、麻子さん。こんなところで寝ちゃ駄目だよ」

 麻子は寝返りをうち、半分しか覚醒していない意識で言い返す。

「眠るつもりはない。でも、ここにはソファがある。ソファは、柔らかい。だから、寝るしか……」

 その時、扉が騒々しい音を立てて開き、優花里が勢いよく駆け込んできた。

「西住殿! 大変です」

「どうしたの、優花里さん!」

 優花里は満面の笑みを浮かべて、みほの手を握った。

「戦車道の新しい履修者が……沢山集まったんです! 全部で三十二人も!」

「ほ、ほんと?」

「はい!」優花里は名簿を取り出してみせた。「履修者の一覧です。後でご覧ください」

 みほは大きく安堵の息を吐いた。

「よかったぁ。集まってくれて。誰もいないんじゃ、蝶野教官に合わせる顔が無かったところだから」

 今日と明日の授業は、特別講師として蝶野亜美に指導を依頼している。

 二人が話していたところ、沙織と華、カバさんチーム、うさぎさんチーム、あひるさんチーム、そしてれおぽんさんチームの面々が前後して作戦会議室に入ってきた。

 沙織が真っ先に駆け寄ってきて声をかける。

「聞いてよ、みぽりん! うちの詩織が戦車道履修したんだよ!」

「本当に?」

「うん。友達も一緒に履修するって言ってたから、これでチームが一つ出来るよ」

 そこへ、カエサルが進み出て祝いを述べた。

「やぁ、西住隊長! どうやら数が揃ったみたいだね」

 その横から、梓も勢い込んで言う。

「どんな子達がいるのか楽しみです!」

「そうだね。梓さんも今年から先輩だし、新しい人達の指導をよろしくね」

「わ、私はそんな……。まだまだ未熟ですし、教えるなんて!」

 狼狽する梓を、にやにや顔のあやが肘で小突く。

「おうおう、期待されてるねぇ」

「めざせ、次期隊長だぁ!」と桂利奈。

「澤隊長かぁ。いい響きだナー」とさらに優季。

 梓は真っ赤になった。

「もう!からかわないでよ!」

 みほがそのやり取りを微笑んで見ていると、典子がやや決まりの悪い顔で言った。

「ごめんなさい、西住さん。ミーティングにずっと出席出来なくて」

「いえ、大丈夫です。それより、バレー部も沢山の人が集まったみたいで良かったです」

「そうだ。そのことで先に報告しておきたいんだけど、バレー部の新入部員にも、戦車道の履修希望者がいるよ」

「本当ですか? ありがとう! 戦車とバレー、両方出来る仲間が出来て良かったですね」

「ええ。まあね」

 典子の返答はどこかぎこちなかった。みほが怪訝な思いで、ちらっと他のバレー部員を見ると、いずれも浮かない表情をしている。尋ねるのも具合が悪い気がして、みほはそれ以上何も言わなかった。

 そこへ、れおぽんさんチームのツチヤがやってきた。

「久しぶりだね、西住さん。ミーティング出れなかったお詫びじゃないけど、うちも自動車部員と戦車道のメンバーを確保しておいたよ。あとでまた紹介するね」

「ありがとうございます。自動車部の皆さんには、今年もお世話になりそうですね」

 れおぽんさんチームは、ナカジマ、スズキ、ホシノが卒業してしまったため、今年はメンバーが彼女一人しかいない。それが人員を確保出来たなら何よりだった。

 久々に大勢の仲間が顔を揃えたので、みほの心も躍っていた。

 しかし、アリクイさんとカモさんは、とうとう現れる気配がない。

 授業開始のチャイムが鳴り響いた。

 優花里が身を乗り出して言う。

「では西住殿。参りましょうか!」

 作戦会議室の外に、戦車道の新履修者・総勢三十二人が集合していた。それぞれ小さなグループでかたまり、あれやこれやと談笑している。

 殆どはみほの知らない顔だ。ふと、奥の列にいる武部詩織と視線がぶつかった。詩織が軽く会釈したので、みほも笑みを返す。詩織の周囲には三人の生徒がおり、楽しげに語らっている。お友達が出来たんだな、とみほは嬉しく思った。それから、優花里に渡された名簿を確認する。どうも大半が一年生のようだ。

「あのう、戦車道はここで良かったですか?」

 ふと声をかけられて、みほは名簿から顔を上げた。道着をまとった四人の生徒が立っている。そのうち一人は、奇妙な生き物のぬいぐるみを抱いていた。

 少し面食らったものの、みほは微笑んで答えた。

「そうですよ。皆さんも履修者の方ですか?」

 先頭にいた生徒が、ぱっと頭を下げる。

「は、はい。内野沙耶と申します。不束者ですが、何卒よろしくお願いします」

「こちらこそ、お願いします。ところで、その格好は一体……」

「服装は自由だと聞いたので……部活の宣伝もしたいですし」

 近くにいた華がひょいと顔を出して、尋ねた。

「どのような部活をなさってるんですか?」

 沙耶が答えるより先に、沙織が手を叩く。

「あ! わかった。剣道でしょ」

「ちょっと惜しいです」

 今度は麻子が言う。

「じゃあ弓道か?」

「それだと、かえって遠ざかっちゃいましたね。日本刀を使う武道なんです」

 華が閃いたように口を入れる。

「日本刀となると、きっとヤクザや極道の技を学ぶ武道なのでは?」

「華、それ絶対違うと思う……」

 沙織が突っ込む横で、沙耶はがっくりうなだれた。

「はぁ、やっぱりマイナーなんですね。居合道っていうんですけど」

 そこへ優花里が割り込んできて、沙耶達四人の背中を押した。

「はいはい! そこの皆さん、お話はそこまでにして整列をお願いします。授業が始まりますので!」

 それから、信号ラッパを取り出して吹き鳴らす。ぎょっとした履修者達は口をつぐみ、おのずと優花里に視線が集まった。

 えへん、と咳払いした優花里が、朗々と話し出す。

「これより、本年度最初の授業を始めます。私は大洗女子学園戦車道チーム副隊長・秋山優花里と申します。そもそも伝統武芸たる戦車道は、乙女の健全で健やかな精神を養うべく――」

「優花里さん」

 みほに袖を引かれ、優花里がはっと振り向いた。

「は、はい。何でありますか西住殿」

「長い挨拶はいいから、ね?」

「え、あ、すみません。おほん……さて、本日は初回につき特別講師を招いております。教官の蝶野亜美殿です!」

 すらりとした長身の蝶野亜美が進み出て、にこやかに話し始めた。

「みんな、よろしくね! 今日は私が戦車の操縦法をレクチャーするわ。初めての人でも安心して。戦車は乗って、動かして、撃つ! これだけよ!」

「相変わらず大雑把ですね……」

 優花里が半ば呆れ顔でこぼした。みほも苦笑する。

 蝶野教官は簡単な戦車道の来歴、ルール説明、戦車操縦に関する指導を行った。新履修生達はいずれも真剣な表情で耳を傾けている。講義の後、みほ達は「初心者向け戦車道マニュアル」を配布した。これは大洗のチームが一年間の実戦経験をもとに制作したものだ。

「では、これよりハンガーにある我が校の戦車達をお見せするであります! 皆さん、こちらへどうぞ」

 優花里の案内で、全員がハンガーの前までやってきた。

 ところが、そこには既に先客がいた。

 目を見張るような美少女だ。腕を組み、閉じられたシャッターに背を預けている。

「遅かったわね。待ちくたびれたわ」

 少女の言葉に、みほは困惑した。 

「あの、あなたは……?」

 そこへ、典子が割り込んできて言った。 

「紹介するよ、西住さん。川村ユング。バレー部の新入部員で、戦車道の履修者だ」

 優花里が首をかしげる。

「履修者の名簿には、川村ユングさんの名前は無かったはずですが、どういうことでありますか?」

「昨日大洗に転校してきたばかりだからね。手続きも間に合ってなかったんだよ」そう答えた典子は、ユングを振り向くと、たしなめるような口調で言った。「ユング。どうして講義に参加しなかったの?」

「私は戦車道初心者じゃないわ。講義なんて聞くだけ退屈だもの」

「そうだとしても、あなたの立場は新履修生達と同じでしょ。そこにいる日本刀部のみんなを見てごらん。同じ二年生でも、謙虚な立場で参加してるじゃない」

「あのう、居合道部ですぅ……」と沙耶が遠慮がちに指摘する。が、このぴりぴりした情勢で彼女の言葉に耳を傾ける者はいなかった。

 ユングは大袈裟に肩をすくめてみせた。 

「御託は沢山だわ。講義が必要なら受けるし、そうでなければやらない。無意味なことはしない主義なのよ」

 傲岸不遜な態度に、その場の一同は少なからずむっとした表情を見せた。なるほど二年生のバレー部員達が浮かない顔をしていたのはこれが原因だったのかと、みほも理解した。

 優花里がなだめにかかった。 

「まあまぁ、皆さん。言いたいことはあるでしょうが、今は授業中ですから。それより、我々の戦車をご覧に入れましょう」

 すぐさま、シャッターの開閉スイッチを押す。

 皆が注目した。重々しい音を立てて持ち上がっていくシャッターの奥から……その姿が見えた。

 大洗女子学園チームの戦車達だ。

 総勢、八輌。車体はこの日のためピカピカに磨かれ、塗り直しもされている。

 新履修生達は息を呑み、あるいは目を輝かせ、あるいは感嘆の声を漏らした。

 戦車の前に立った優花里が、声を張り上げた。

「それでは右からご紹介しましょう! 二門の砲塔が織りなす独特のシルエット! 大洗の重戦車キラーこと、M3中戦車であります!」

 イエーイ、とうさぎさんチームの面々が拳を振り上げる。あやが口笛を吹けば、優季がクラッカーを弾き、桂利奈もラッパを吹きならす。そんな大仰に騒がなくても、とみほは苦笑した。

「続きまして! かのプラウダ戦でフラッグ車を務めた八九式中戦車甲型! 試合では偵察・囮役と八面六臂の大活躍です!」

 あひるさんチームもうさぎさん同様、歓声をあげる。ユングは、そんな彼らに冷ややかな視線を投げていた。

「さてお次です! 大洗女子の攻撃の要、三号突撃砲F型!」

 カバさんチームはさすがに三年生なだけあって、落ち着きのある表情で頷いただけだ。

「次にまいりましょう。幾多の局面で逆転のきっかけを作った名脇役! 38t改・ヘッツァー仕様です! その隣はフランスが誇る重戦車。自慢の装甲は伊達じゃない! B1bisであります! そして六番手はこちら! 75ミリの砲塔が眩しい三式中戦車!」

 乗り手だったカメ、カモ、ありくいのメンバーは既にいない。戦車だけが残された状況を見て、みほの胸には寂しさが込み上げてきた。優花里の紹介はなおも続く。

「続いて! 大洗の最高戦力にしてレア戦車! ポルシェティーガー!」

 去年の大活躍は、あの自動車部の面々がいたからこそだった。果たして、今年はどうなるだろうか。みほはそんなことを考えた。

「そして最後は! 大洗女子学園の中核を担う隊長機、Ⅳ号戦車D型改であります! 以上、我が大洗女子学園の戦車たちの紹介を終わります!」

 優花里が締めくくると、みほが履修者の前に立って言った。

「今日は、こちらの戦車を使って皆さんに簡単な模擬戦を行って貰います。ルールは殲滅戦、最後まで生き残った車輌の勝ちです。それでは、三人から五人のチームに分かれてください。その後で配車を行います」

 履修生達ががやがや騒ぎながら動き始める。ほどなく、三十三人の生徒はチームごとにまとまって整列した。

 優花里が指でそれを数える。

「ひぃ、ふぅ、みぃ……ありゃ、九チームになってしまいましたね。三人チームが三つに、四人チームが六つですか」

「編成し直して貰いますか? 戦車は八輌しかないのですし」

 華の提案に、みほもやむなく頷いた。

「そうだね。せっかく組んで貰ったのを崩しちゃうのは申し訳ないけど……」

 そこへ、武部詩織がおずおずと進み出てきた。

「あ、あの……ちょっといいでしょうか」

「どうしたの、詩織? お腹でも痛くなった?」

 沙織が真っ先に、気遣わしげな声をかける。詩織はすぐに首を振った。

「ち、違うの。お腹は大丈夫。そうじゃなくて、一つ伝えたいことがあって」

「なになに……」沙織は妹の口元へ耳を寄せ、出し抜けに叫んだ。「ええーっ、それ本当?」

 みほが訝しげに尋ねた。

「沙織さん、一体どうしたの?」

「聞いてよ、みほ!」沙織は喜々とした様子で答えた。「新しい戦車を見つけたんだって!」

 

 

 そこは、既に使われていない体育館倉庫だった。詩織の案内で、あんこうチームの面々はそこへやってきた。

 古びたバスケットや跳び箱などが、埃にまみれてひしめいている。そのゴミ山の中、戦車は静かにたたずんでいた。

 武部詩織とその友人が見つけた、ソミュアS35だ。

 優花里が瞳を輝かせた。

「ソミュアS35ですか。大戦初期におけるフランスの名機ですね!」

「そういえば、去年小山副会長と一緒に整理していた戦車資料の中に、この車輌もありましたわ。整備不良で破棄されたと書かれていましたけど」

 華の言葉に、麻子が答えた。

「ソミュアの整備性が悪いのは有名らしいからな」

 みほは既に戦車に乗り込み、中の様子を調べていた。沙織が外から声をかける。

「どう、みぽりん。すぐに使えそう?」

 点検を終えたみほが、降車口から出てきて答えた。

「試合をするにはきついけど、ちょっと模擬戦をするくらいなら平気かな」

「え、ええと……。その戦車、私のチームで乗ってもいいでしょうか」詩織が指先をつつき合わせながら、小声で続けた。「その、私達が見つけたので、愛着があって」

「そうだね。まだ配車は考えてないから、詩織さん達が使ってくれていいよ」

「あ、ありがとうございます!」

 詩織が頭を下げる。

 優花里はみほを振り向いた。

「組み合わせの問題はこれで解決しましたね。早速模擬戦を開始するであります」

「ちょっと待って」不意に割って入った声、工具箱を手にしたツチヤが倉庫へ入ってきた。「いくら模擬戦とはいえ、いきなり動かすのは無茶だよ。五分くれる? 各部のチェックとメンテをするから」

 みほは頷いた。

「そうですね。お願いしていいですか?」

「任せといて! そうだ、ついでにうちの新メンバーを紹介するよ」

 ツチヤの後ろには、同じ自動車部のツナギを着た生徒が三人従っていた。

 短髪に長身の生徒が、最初に進み出る。

今暮井(こぐれい)つかさ。二年生です。以後よろしく」

 続いて、つかさの右側にいる生徒が、勇ましい声で名乗り出た。

栗富茜(くりとみあかね)! 一年生です」

 その隣、やんちゃそうな見た目の生徒が、笑顔で手を振り上げた。

板部留美(いたべるみ)。同じく一年生でーす」

「よしみんな。仕事にかかるよ。さっさと終わらせるからね」

 ツチヤが手を叩いて声をかけた。自動車部のメンバーは、すぐさまソミュアへと乗り込んでいく。その迅速な動きに、優花里は大きく頷いた。

「どうやら、今年の自動車部も頼りがいがありそうですね。これならポルシェティーガ――」

 その言葉が終わらぬうちに、ソミュアのエンジンが突然ポンと音を立てて炎上した。煙がもうもうと吹き出し、昇降口から栗富茜が転がり出てきた。

「ええぃ、このクソッタレ! なんて扱いにくいガラクタだ!」

 顔のすすを拭い、再び中に入っていった茜は、とんでもないことを言い出した。

「いっそバラして、一から直してやりましょうよ!」

 小暮井つかさの声が答える。

「まぁ待て。私にいい考えがある。このコードをそちらに繋いでしまえば……」

 またしても爆発。エンジンが激しく燃え盛り、中から板部留美のものと思しき悲鳴が聞こえた。

「うわぁ! ソミュアが爆発する!」

 はらはらしながら事態を見守っていた詩織が、堪えきれない様子で言った。

「あ、あのっ……あれ、大丈夫なんですか?」

「ええと、た、たぶん……」

 答えたみほも、不安を抑えきれなかった。

 五分後、顔を真っ黒にしたツチヤが笑顔でソミュアから顔を覗かせた。

「ふぅ、ごめんね。ちょっと手間取ったけど終わったよ」

 

 十分後、ハンガー前に再び生徒達は集結した。

 優花里が履修生を前にして話し出す。

「では、これより模擬戦を始めます。各チームは戦車に乗った後、戦闘フィールドの初期配置地点を目指してください。全員が地点に到達した後、戦闘開始の合図を出します。そこからは殲滅戦のルールに従い、最後まで生き延びたチームの勝利となります」

 説明を終えた優花里は、最後に笑顔でつけ加えた。

「それでは皆さん、ご武運を!」

 新履修生達の各チームは、それぞれ戦車へ乗り込んだ。配車はくじ引きでランダムに決められ、A~Iのチーム名があてられている。

 果たして、どんな戦いが繰り広げられるのか。誰もが期待に胸を膨らませていた。

 

「うわ、何コレ。狭っ!」

 詩織のすぐ後からソミュアに乗り込んだ綾乃は、窮屈な車内を見回し、顔をしかめてそう言った。

「もともと三人乗り戦車だからね」と美智。

 詩織は初めて乗り込む戦車に、胸がどきどきした。これから、みんなでこの子を動かすんだ……。少しの間、頭の中が色んな空想で満たされる。オリエンテーションで見た、戦車たちの雄々しい姿。私でも、あんなふうにやれるのかな……。

「しーちゃん。もうちょい横に寄れない? お尻ぶつかる」

「あ、ごめんねっ」詩織は我に返って、車長席のあたりまで身を寄せた。上のハッチを開ければ少しは広くなるかな、と思い、詩織は天井を押し上げた。「あれ? 開かない……」

「あ、ソミュアのキューポラにはハッチがついてないんだ」

 美智の指摘に、綾乃は愕然とした。

「ええっ、じゃあこんな狭苦しいところにずっと缶詰状態ってわけ?」

「えへへ、すぐ慣れるよぉ。あ、そうだ。ポジションはどうしようか? 普通は車長、通信手、砲手、装填手、操縦手に分かれてるけど、ソミュアは三人乗りだから、車長が通信手と砲手も兼任する感じかな」

「えっ、一人で三つもやるの……?」

 目を丸くした詩織へ、綾乃が提案した。

「あたしら四人いるんだし、役割分ければいいじゃん? あたしは砲撃やってみたいな。美智、あんたは?」

「私下手くそだから、どこでもおんなじだよ。でも、選べるなら装填手がいいなぁ」

「んじゃ、決まりね。穂積さんは……」

 綾乃がきりこを振り向くと、彼女は既に操縦席で黙々と各部をいじりまわしている。綾乃は肩をすくめた。

「オッケー。そっちやって貰おっか」

 詩織は指を折って残りのポジションを探し、綾乃へ尋ねた。

「あの、私は通信手でいいんだよね……?」

「そーだね。あと、車長もやってくれない?」

「えっ」

 綾乃が両手を首の後ろへ回し、壁にもたれながら言った。

「あたしらを戦車道に巻き込んだのはしーちゃんなんだし、その熱意で引っ張って貰おうかなって」

 その横で、美智も微笑みながら言った。

「私も、詩織が車長やってくれると嬉しいなぁ。穂積さんはどう思う?」

「私に聞く必要はない。そっちに任せる」

 きりこがそっけなく告げた。

 詩織はうろたえた。

「わ、私なんか、ダメだよ……。人に何かを命令したことなんかないし、むしろ、命令される側だし……。それに普段から優柔不断だし、車長なんか出来ないよ……」

 綾乃は朗らかに笑った。

「そんな命令とか優柔不断とか、そーいうことじゃなくてさ。しーちゃんの戦車への気持ちが、あたしや美智や穂積さんをここまで連れてきてくれたじゃん? うまくいえないけど、しーちゃんの熱意が、あたしらをまとめてくれそうな気がするんだよね」

 そうだよ……。私、変わりたくて。戦車に出会って、ずっと昔から憧れてた「強さ」を見つけた気がして。だから戦車道を選んだ。心から戦車道をやりたいって、思った。だから、友達もついてきてくれた。

 今更、尻込みなんかしていられない。

 詩織は汗ばんだ手を握り締めて、言った。

「わ、わかった。私、やってみる。うまくやれるかわからないけど、頑張ってみる……! みんな、よろしくね」

 綾乃、美智、きりこが大きく頷いた。

 詩織は息を吸い、命令を発した。

「じゃ、じゃあ、発進!」 

 

 居合道部のメンバーも、くじ引きで割り当てられた三式中戦車へと乗り込んでいた。

 車長の席に座った沙耶へ、結子が声をかけた。

「ちょいと、沙耶さん」

「はい?」

「何であなたが車長をやってるんですの? この居合道部トップ剣士であるあたくしを差し置いて!」

 詰め寄られて、沙耶はたじたじと答えた。

「ええっと、あたし一応居合道の部長ですし。その流れで車長かなあって」

「何をいけしゃあしゃあと! 部長を譲ったのは雑務だの会議だの面倒な仕事が多かったからですわ! ただ座って命令するだけのおいしいポジション、あたくしがすんなり渡すと思いまして?」

 それから、操縦席にいる間愛を鋭く振り向くと、指を突きつけて怒鳴った。

「こらっ、そこの一年! ここにぬいぐるみなんか持ち込むんじゃありません!」

 間愛はひっと呻いてたじろいだが、ダイオウグソクムシ人形をきつく抱きしめ、必死になって言い返した。

「で、でも! グソクーヌは友達なんです!」

「ただでさえ狭苦しい戦車に、そんな物を置ける場所があると思ってるんですの?」

「落ち着きなさい、結子」小刀がたしなめた。「もともと戦車内は狭いものよ。ぬいぐるみがあろうと無かろうと、大した違いにはならないでしょう。それと、あなたのついた砲手のポジションは戦車の花形。重要さでは車長に引けをとらない。立派な大役だと思うわ」

 結子は顔を背けたが、まんざらでもない口調で言った。

「まぁ、そこまであたくしの実力を買ってくださるなら、砲手をやってもよろしくてよ?」

「乗せられやすいんだなぁ……」と沙耶が小声で呟く。

「何かおっしゃって?」

「いえいえ! 何でもありません」

 慌ててごまかした沙耶は、間愛を振り向いた。

「間愛ちゃん。操縦お願いね!」

「はぁい! 間愛、頑張りまぁす!」

 威勢良く答えて、操縦桿を握る。小刀は装填手、結子が砲座にそれぞれ身を置く。

 沙耶が号令した。

「それでは! 初期配置地点へ向かいましょう!」

 

 九輌の戦車は、ぎこちない動きで割り当てられた初期地点を目指していった。

 みほ達をはじめとする戦車道チームは、観覧席からその様子を眺めていた。

 華が真っ先に感想を口にする。

「やっぱり、最初は動かすのも大変ですわね」

「あっ、でも見て! Cチームが結構いい動きしてるよ」

 沙織が南の森林地帯を進むヘッツァーを示した。操縦しているのは自動車部の新メンバー達だ。整備の腕は何やら怪しかったが、操縦の方はしっかりしているらしい。

「FチームのⅣ号もスムーズに動いてるな」

 そう言ったのは麻子だ。みほが配車を確認すると、あの問題のバレー部員・川村ユングがいるチームだった。

 前の席にいたエルウィンが典子へ尋ねた。

「あの川村とかいう子、随分な自信家だが、腕は確かなのか?」

「さぁ、どうだろうね。前の学校で戦車道をやっていたとしか聞いてないから」

 カエサルが腕を組んで言った。

「ならば、お手並み拝見といこう」

 五分が経過した頃、全ての戦車が初期配置地点へ到達した。蝶野教官が戦場のスピーカーを通じ、指示を発した。

「全車輌、初期配置地点到達を確認。これより、模擬戦を開始!」

 

 いよいよ始まった。

 九輌の戦車が、緩やかに動き出す。各チームの初期配置地点はそれぞれ異なっており、他のチームがどこにいるかを把握していない。そのため、どの戦車も敵との接触を警戒して、かなり慎重に移動していた。

 観覧席の後ろの方に陣取っていたウサギさんチームは、模擬戦が始まるなりすっかりはしゃいでいた。

 ただ一人、梓はリーダーだけあって自重し、チームメイトをたしなめる。

「みんな、少しは静かにしてなくちゃダメだよ。お祭りじゃないんだから」

 優季がやれやれと肩をすくめる。

「梓ってば堅いナァ。もっと楽しもうよ~」

 不意に、あゆみが戦闘フィールドの南側にある森林地帯を示して叫んだ。

「見て! M3だよー!」

 皆が揃って注目すると、果たしてM3中戦車が、木々の間を抜けてぐんぐん進み、八九式を追跡していた。M3に乗っているのは一年生四人で構成されたDチームだ。対する八九式に乗っているのはEチーム。こちらも一年生が四人だ。

 桂利奈が身を乗り出し、拳を振り上げながら叫ぶ。

「撃て―! ぶっ殺せー!」

「やっぱり自分達の戦車を応援しちゃうよねー」とあや。

 M3と八九式の距離は、ぐんぐん縮まっていく。初心者ながら、Dチームは技量もそこそこで、姿勢もアグレッシブだ。八九式は既に射程圏内、今にもM3の砲塔が火を噴くかと思われた瞬間――。

 出し抜けに、轟音が轟いた。

 M3の側部が爆発を起こし、車体は転倒していく。

 シュッと音を立てて、白旗が揚がる。

 蝶野教官が素早く判定を下した。

「M3中戦車、走行不能!」

 優季が不満げにこぼした。

「えーもう終わりー?」

 他の面々も喚くやらうなだれるやら、口々に騒ぎ出す。

 そんな中、梓だけは思案顔で呟いた。

「今の射撃、どこのチームなんだろう……。あんな奇襲、初心者の技量に見えないけれど」

 

「ふん、あっけなかったわね」

 Ⅳ号戦車の車長席にいた川村ユングは、行動不能になったM3を見てほくそ笑んだ。

 砲手を任せていた二年生が、興奮した様子でユングを振り向く。

「すごーい! 川村さんの言うとおりにやったら当たったよぉ」

「これならあたし達で全部倒せるちゃうかも!」

 操縦手も微笑んでそう言った。チームメイトの浮かれている様子を機敏に察したユングは、即座に叱責した。

「何をのんびり喜んでるの! 敵は一輌じゃないのよ。すぐに機首を転回して、森林地帯の外へ向かいなさい!」

「は、はい!」

 操縦手が慌てて車体の向きを換えようとする。が――。

「あれ……回らない? なんで?」

 首をかしげる操縦手に、ユングが舌打ちした。

「馬鹿ね! 周りの地形をよく見て! 後ろの木に引っかかってるわよ」

 そこへ、砲手が悲鳴をあげた。

「川村さん! べ、別の戦車が来たよ!」

 ハッチから身を乗り出すと、八九式がこちらへ迫ってくるのが見えた。ユングはすかさず命じた。

「砲塔を回すのよ! 射線に敵を捉えたら撃って! 照準を合わせる必要は無いわ」

 砲手はうろたえ気味に訴えた。

「で、でも……間に合わないよ! 向こうの方が先に撃ってきちゃう――」

「どきなさい!」

 ユングは乱暴に砲手を押しのけた。弾頭を装填し、砲塔を回転させる。

 八九式の主砲が放たれた。が、相手は所詮初心者、砲弾はⅣ号のキューポラ近くを掠めただけで、直撃に至らなかった。もとより、八九式程度の攻撃力など驚異ではない。

 Ⅳ号の砲身が、相手を捉えた。

 不利を察したか、八九式は慌てて離脱しようとする。

「遅いわよ、今更!」

 せせら笑ったユングは、砲弾を発射した。

 直撃だった。爆発が起こり、八九式が白旗を掲げる。

 これで二輌。どうせ残る六輌も初心者ばかりだろう。自分一人でも片づけられる、とユングは思った。

 砲手の生徒が、おずおずと進み出た。

「か、川村さん、ありがとう……」

 ユングは役立たずのチームメイトを睨みつけた。

「あの程度のことでうろたえないでちょうだい。私の指示に間違いはなかったでしょ?」

「あの、うん。そうだけど……」

 のろまの言葉など聞く必要は無い。ユングは片手を振って遮り、相手をろくに見もせず言った。

「わかったならいいわ。持ち場へ戻って。さっさとここを離れるわよ」

 

 

 模擬戦開始から六分。詩織達はまだどの敵とも接触していなかった。ソミュアS35は、狭い道をゆっくりと前進し続けている。

 窓から外の様子をうかがっていた綾乃が、出し抜けに詩織へ尋ねた。

「なんか、あっちの方で凄い音しなかった?」

「うん……。どこかのチームが戦ってるのかな」詩織は曖昧に応じて、隣の美智を見た。「栗林さんはどう思う?」

 ところが、美智は酷く強ばった表情になっていて、詩織の言葉も聞こえていないようだった。

「栗林さん?」

 もう一度呼びかけると、美智がはっと振り向いた。

「えっ、あ、呼んだ?」

「大丈夫? 具合悪そうだけど」

「え、えへへ。ごめんね。緊張しちゃって――」

 言葉はそこで途切れた。突如、車体が激しく揺さぶられた。

 きりこが淡々と呟いた。

「敵だ」

 綾乃が泡を食った様子で言った。

「て、敵ぃ? どこ? どっから撃ってきてるの?」

「八時の方角」

「八時ってどっちよぉ!」

 慌てふためく綾乃へ、詩織は必死に呼びかけた。

「ふ、藤村さん、落ち着いて! えっと、えっと……」

 落ち着けと言っておきながら、詩織本人も何をどうすればいいのかわからない。助けを求めるように、戦車道経験者の美智を振り向いた。

「栗林さん、どうしよう?」

「わっ、私? ええとぉ……とりあえず、こっちは奇襲を受けてるから、どこか安全な場所へ……」

 皆まで聞いている余裕は無かった。敵の砲弾はひっきりなしに飛んでくる。詩織はきりこに命じた。

「穂積さん、お願い!」

 きりこは無言で発進した。放火がいったん止まる。それから敵の戦車が岩陰から姿を現し、こちらを追ってきた。詩織はキューポラの窓越しに目を凝らした。砲塔の固定されたシルエット……恐らく三号突撃砲だ。

 不意に、きりこがソミュアを急停止させた。綾乃が困惑した声で叫んだ。

「どうしたの? なんで止まっちゃうのよ?」

「行き止まり」

 きりこが短く答えた。見れば、前方は土砂で道が塞がれている。その間にも、敵はじりじりと接近してくる。詩織はすっかり狼狽しながら、きりこへ言った。

「に……逃げられないの?」

「援護が要る。当てなくていいから、敵を撃って。相手が怯んだ隙に、その脇を抜けるから」

「わ、わかった。撃てばいいんだね? 藤村さん、お願い」

「撃つのはいいけど、あれっ……弾は? 弾が入ってないよ!」

 動転してしている綾乃のもとへ、美智が砲弾を抱えてきた。

「待って。今装填するから。うんしょ……わっ!」

 敵の攻撃を食らい、ソミュアに衝撃が走る。そのはずみで、美智の腕から砲弾が滑り落ちる。慌てて拾い上げようと屈み込んだが、またしても車体が揺れ、砲弾はころころと操縦席まで転がっていった。

「あわわ……ま、待ってぇ!」

 狭い一本道の中、きりこは車体を巧みに左右へスライドさせ、敵の砲弾を回避していた。が、敵は射撃しながら徐々にこちらとの距離を詰めてくる。これ以上接近されて攻撃を受けたら、恐らくソミュアは沈黙してしまう。

「美智、はやくしてよ!」

 綾乃が焦りの滲む声で言った。

「今行くから! うわっ――」

 ようやく砲弾を拾った美智は、またしても足を滑らせ、その場に転倒した。

 ソミュアの内部がきしむような音を立てた。耐えられても、次が限界だろうか。そんなことを詩織が思った矢先、三突の後部が突然爆発した。

 何が起こったのか見定めるより先に、きりこがソミュアを前進させ、炎上する三突の横をすり抜けていった。

 

 Cチーム・ヘッツァーの操縦手を務めていた留美が、行動不能に陥ったGチームの三突を目にして喝采した。

「やったやった! 初撃破!」

「待った。あっちにソミュアもいる。まとめて撃破てやりましょうよ!」

 砲手の茜が勇んで言うのを、つかさがなだめた。

「そう慌てることはない。敵の背後をついて、一気にしとめる。留美、距離をとって追いかけて」

「りょーかい!」

 ヘッツァーが前進を始める。と、空を切って砲弾が車体を掠めた。木々を隔てた向こうに、戦車の影が見える。

 つかさは不敵に笑った。

「おっと、どうやら別の敵がお出ましのようだ」

「ルノーですよ。あっちからスクラップにしてやる!」

 茜がそう言い、素早く砲弾を装填する。

 ルノーを操縦しているのは、二年生三人で構成されたHチームだ。奇襲が失敗してやけくそになったのか、次々に砲撃を繰り出してくる。つかさが声を張り上げた。

「留美、ヘッツァーは砲塔が不自由だ。回避運動をしつつ、車体を敵に向けて!」

「ほいさ!」

 数秒に一回の間隔で飛んでくる敵砲をかわしながら、ヘッツァーはじりじりと向きを変えていく。

 茜がスコープを操作し、狙いを定めた。

「もうちょい……もうちょい! よし、ファイヤー!」

 放たれた一撃は、ルノーのキューポラを直撃した。もうもうと煙が巻き上がる中で、白旗が見えた。

 つかさは次の命令を発した。

「よし、ソミュアを追う! Cチーム、アターック!」

 

 観客席で、優花里が記録をつけながら言った。

「D、E、G、Hが走行不能ですか。残りは半分ですね」

 沙織が指を折って数えた。

「自動車部のヘッツァーに、川村さんのⅣ号、詩織のソミュアでしょ、それと何とか部の三式……あれ、ポルシェティーガーは?」

「そういえば見あたりませんわね」

 そう言って、華が戦場の各所へ視線を振る。麻子は飽きてしまったのか、彼女の肩に寄り添い寝息を立てていた。

 そこへ、みほが遠慮がちに告げた。

「たぶん、あれじゃないかな……」

 指で示した先には、地面に履帯の半分が埋まって、身動き出来ない戦車の姿があった。おまけにエンジンに不調があったのか、車体後部から黒い煙を立てている。

 沙織が身を乗り出した。

「うわぁ、完全に動けなくなってるじゃん。ていうか、やっぱあれ初心者に動かせる代物じゃないよね……」

 みほも苦笑して言った。

「今日はしょうがないかな。次の授業からは、きちんと乗り手に合わせて配車するつもりだから」

 ふと、梓がやってきて隣に腰を下ろした。

「西住隊長。あのⅣ号、操縦や砲撃の技量自体は高くないですけど、進行方向や奇襲の位置が的確です。きっと車長の指揮が優秀なんだと思います。川村ユングさんは、確かに初心者じゃないのかも」

 みほは微笑んだ。

「よく見てるね、梓さん。乗り手の特徴をきちんと分析するのは、戦場で大事なことだよ」

「あっ、いえ……思ったことをただ口にしただけで、分析なんてつもりじゃ……」

 そこへ、横からあやの声が飛んだ。 

「梓、顔が赤いぞ~」

「ホント西住隊長大好きなんだからぁ」

 優季も口を揃えて茶化しにかかる。梓は真っ赤な顔で言い返した。

「もう、みんな! こっちは真面目な話をしてるのに!」

 

  

「まったく! 一体どういうことなんですの? 散々走り回ったのに、一度も砲撃しないままだなんて!」

 砲座についていた結子が、苛立たしげなリズムで足を踏み鳴らしている。沙耶が横からなだめた。

「まぁまぁ、いいじゃないですか。ルールでは最後まで生き残ったチームが勝ちみたいですし。居合の精神と同じですよ。戦わないに越したことはありません」

「戦わなかったら練習になりませんわ! 大体、車長のあなたが、あっちへ進めこっちへ進めと、いい加減な方向を指示したのがいけないんですのよ!」

「二人とも、それくらいにしておきなさい」

 小刀がたしなめた。操縦席の間愛が、ダイオウグソクムシ人形へぼそっと話しかける。

「ねぇグソクーヌ、結子先輩って怖いね。眉間にしわが寄ってるよぉ」

「こらっ、そこの一年! 言いたいことがあるなら直接おっしゃいな! こっちは――」

 結子の言葉は、突然車体に走った衝撃で途切れた。

「しゅ、襲撃ですわ!」

 沙耶はすぐさまハッチを開けて、周囲を見回した。

 林の向こうから、Ⅳ号戦車が接近してくるのが見える。

「戦車がこっちに来てます! みなさん、戦闘準備を!」

「おーほっほ! いよいよ出番ですわね!」

 結子が発射管を握り、砲塔を敵のいる方角へ回転させる。が、その間にもⅣ号の攻撃は続いた。

 砲弾を装填しつつ、小刀が叫んだ。

「止まっていたらいい的だわ! 間愛、前進して」

「はぁい!」

 間愛はエンジンを全開させた。しかし、距離を開けたのもつかの間、速度を上げたⅣ号が追いついてくる。

 それを見るなり、沙耶は焦った。

「結子さん、はやく反撃を!」

「あたくしに命令するんじゃありません!」

「だってあたし車長ですよぉ!」

 言い争う間に、再びⅣ号の攻撃が始まる。間愛が悲鳴をあげた。

「もう嫌~! 追ってこないでぇ!」

 ようやく、結子は砲塔を回転させきった。スコープ越しに敵を狙い定める。

「覚悟なさい!」

 勢いよく放たれた砲弾は、Ⅳ号戦車の遙か上を飛びすぎ、明後日の方向へ消えていった。

 沙耶が呆然と言った。

「結子さん、全然当たってませんけど」

「うるさいですわね! 初心者なんだから当然ですわ!」

「とにかく、撃ち続けるしかないわ。攻めてくる敵に応じて、後の先をとるのが居合の基本よ」

 言いながら、小刀が次の弾を装填する。

 沙耶も拳を握った。

「ですね! こういう時こそ居合道魂でいきましょう! 結子さん、鞘の内からの一撃でしとめちゃってください!」

「言われなくても、そのつもりですわ!」

 応じた結子は、小刀との連携で三発ほど砲撃を繰り返した。が、Ⅳ号に当てることはおろか、掠りもしない。苛立ち紛れに、間愛を振り向いて叫んだ。

「ちょいと! 射撃の時ぐらい止まってくださいな! きちんと狙えませんわ」

「止まったらこっちが撃たれますぅ!」

 間愛も叫び返す。小刀は沙耶へ言った。

「沙耶、どうするの?」

「どうするって……こんな状況じゃ、逃げ回るしかないですよぉ!」

 三式は敵に背中をさらしながら、戦場を駆け抜け続けた。

 

 

 何とか窮地を脱した詩織達は、敵のいない場所で小休止をとっていた。きりこは普段と変わりなかったが、詩織と綾乃は緊張から解放された安堵で、ぐったりと戦車の壁に寄りかかっていた。

 美智が、おずおずと声をかけた。

「みんな、さっきはごめんね……」

 身を起こした詩織は、微笑んで言った。

「ううん。栗林さん、謝ることなんかないよ」

「そーそー、あたしなんかパニクっちゃってたし」

 綾乃も慰めの言葉をかけたが、美智の面持ちは晴れない。

「でも……ほんとは私だって、穂積さんと同じで経験者なんだから、もっとみんなを助けてあげなくちゃいけないのに。それなのに、足引っ張っちゃった」

「経験者にも、色々ある」それまで沈黙を保っていたきりこが、ふと口を開いた。「あなたは一種の戦場恐怖症に陥ってる」

 綾乃が訝しげに尋ねた。

「せんじょうきょうふしょう? 何よそれ」

「試合や練習で生じたストレスで、まともに戦車に乗れなくなる。私の学校にも、そういう子がいた」

 きりこの答えに、詩織は不安を募らせた。

「病気なの?」

「人による。乗り越えられる子にはただの壁だし、そうでない子には一生の病気」

 美智はうなだれた。

「穂積さんの言う通りだよ。私ね……実家が戦車道の名門だったんだ。でも、私には全然才能無くて。家族やチームメイト、色んな人に迷惑かけて。最後には、もう戦車道やらなくていいって、親に言われたの。

 そんな時にね、この学校のことを知ったんだ。あの西住みほさんのことを……。雑誌を読んでたら、インタビューの記事が載ってて。黒森峰での失敗を、大洗に来て乗り越えたって書いてあった」

 西住みほさんの話は、詩織も姉から度々聞かされていた。大きな挫折があって、それを大洗の仲間達と乗り越えたことを。美智は話し続けた。

「だから、思ったんだ。今までと違う場所、違う仲間となら、こんな私でも変われるかもしれないって。それで、転校してきたの。でも、最初は戦車道をやるのが怖くて。詩織が誘ってくれたおかげで、ようやく決心が出来たんだ。今度こそ、頑張ろうって思ってた。

 でも、やっぱりダメだった。私は西住さんなんかと違うもんね、才能なんか、ほんとに無いんだもん。やっぱり、戦車道やらない方が良かった、あはは……」

 無理矢理笑ってみせたが、それはたちまち嗚咽に変わり、顔を覆って泣き出した。

 きりこは顔を背け、綾乃も俯いた。

 詩織が、出し抜けに口を開いた。

「む……昔のことなんか、関係ないよ!」

 美智が、真っ赤な瞳で詩織を見返した。詩織は美智の手を握ると、整理されていない言葉で必死に話し続けた。

「あ、あの。私も、うまくいえないけど……、家が名門だったとか、才能が無いとか……そんなの全部、忘れることって出来ないのかな」

「え……」

「私も、昔の自分が大嫌い。内気で、のろまで、努力も出来なくて。ずっと変わりたいって思ってた。でも、そんなの簡単じゃなくて……今の今でも、私はやっぱり昔のままだと思う。でもね、みんなと会ったおかげで、嫌いな自分のこと、少しだけ好きになれた。人から虐められてるような私でも、友達だって、言ってくれたから……」

 詩織は握った手に力を込め、美智を見つめた。

「だから、いいよ。美智が世界で一番下手な戦車乗りだって構わない! ずっと美智と一緒の戦車に乗る。美智もこれまでのことなんか忘れて、一からやり直そうよ。せっかく始めたのに、ここでやめちゃうなんて、やだよ……」

 涙目の美智は鼻を大きくすすり、感極まって詩織へ抱きついた。

「うわぁん! 詩織……いいんだね? 私、迷惑かけちゃうよ。本当に、下手くそなんだからね? でも、ありがとう……嬉しいよぉ……」

 詩織は何度も頷いて、美智を抱きしめ返した。美智は綾乃ときりこを振り向いた。

「二人も、私と一緒でいいの……?」

「当たり前じゃん。戦車は一人で動かすもんじゃないんだし!」

 綾乃がにっと笑って答えれば、きりこも言った。

「下手くそとは何度も組んできた。問題ない」

「ありがとう……ありがとう……」

 涙と鼻水を垂らしながら、美智が何度も感謝を繰り返す。詩織も指先で頬をつたう涙を拭い、三人へ言った。

「さぁ、みんな。戦車に乗ろう!」

「おう!」

 四人はソミュアへ搭乗し、配置についた。きりこがエンジンをかけて、すぐさま発進する。

 綾乃が窓から周囲を探りつつ、詩織へ尋ねた。

「敵はあとどれくらい残ってるのかな?」

「砲撃の音はあちこちから聞こえてたけど……」

 と、きりこが急にソミュアを大きく旋回させた。車体が揺れ、詩織と綾乃の体が壁に押しつけられる。

 次の瞬間、ソミュアが進行していた方向に砲弾が落下し、爆発を起こして地面を大きくえぐり取った。

 きりこが呟いた。

「敵だ」

 茂みの中から、車高の低い戦車が躍り出てくる。ヘッツァーだ。

 綾乃がすかさず反撃に出た。

「ちっ、食らえぇ!」

 ソミュアの砲塔が火を噴く。矢のように飛んだ弾は、ヘッツァーの上部装甲に当たったが、あっさりと跳ね返された。綾乃が愕然とした。

「き、きいてない?」

「ヘッツァーの正面装甲は堅いから、側面を狙わないと」

 美智の言葉を受けて、詩織はきりこへ尋ねた。

「穂積さん、回り込める?」

 答えの代わりに、きりこはソミュアを素早く動かした。しかし相手もさるもの、巧みに車体を転回し、なかなかつけ入る隙を与えない。綾乃が何発か撃ったものの、全て強固な装甲にはじき返された。

 不意に、詩織は短い悲鳴を上げた。

「あっ……」

「どうしたの、しーちゃん?」

「前から、別の戦車が来てる!」

 三式中戦車と、Ⅳ号戦車だ。

 

 

 Ⅳ号のユングは不敵に口端を持ち上げた。新手が増えたところで、いずれも初心者だ。恐れるには足らない。

「ふん、まとめて始末してあげるわ」

 砲手の生徒が、困惑した様子で尋ねてくる。

「川村さん、どの戦車を最初に狙ったらいいの?」

「うろたえるんじゃないわ。先に攻撃力の高いヘッツァーを狙って、残りは後回しよ!」

「は、はい!」

 

 

 突然現れたⅣ号と三式を見て、茜が叫んだ。

「どうします、司令官? 敵は三輌に増えました! ヘッツァーの側面をつかれたら……」

 つかさは落ち着き払った声で答えた。

「焦ることはない。予定通りソミュアから倒す! Cチーム、アターック!」

 

 

 沙耶はたじろいだ。

「な、なんか敵の数が増えちゃったんですけど!」

「ちょうどいいわ、沙耶。この混乱に乗じて、一度戦場を離脱しましょう」

 小刀の提案に、結子が食ってかかる。

「敵に背を向けるなんて!」

 結子の言葉も一理あるが、背後から追ってくるⅣ号だけでも持て余していたところだ。沙耶はすかさず言った。

「結子さん、今は仕方ありません。間愛ちゃん!」

 しかし、操縦席の間愛はすっかり泡を食っている。

「逃げるって言われても、右も左も敵ばっかりですー!」

「間愛ちゃん、落ち着いて! バックして後ろの道へ行きましょう」

「うわーん!」

 泣き叫びながら、間愛がエンジンを全開にする。沙耶の体は、ぐいと後ろの壁へ押しつけられた。

「ちょ、間愛ちゃん! 逆です逆! 前進しちゃってる!」

 三式はヘッツァーとソミュアの間を、勢いよくすり抜けていった。それでもなお前進を続け、突然車体が大きく沈んだかと思うと、坂道を物凄い速度で疾走していた。

 沙耶が慌てふためいて叫んだ。

「ストップ! ストップしてくださーい!」

「ダメー! 止まらないよ~」

 

 

 三式が戦場を離脱する中、ヘッツァーは執拗にソミュアを狙ってくる。綾乃は舌打ちした。

「どうすりゃいいのよ、この状況!」

 不意に、Ⅳ号が発砲した。恐らくヘッツァーを狙ったのだろうが、砲弾は車高の低いヘッツァーの上をすり抜けて、奥にいたソミュアを叩いた。車体が左右に激しく揺れる。

「うべっ――」

 ガツン、と美智が壁面に頭をぶつけた。砲弾を取り落とし、くるくる目を回しながら倒れていく。

「く、栗林さん? しっかりして!」

 詩織は美智の体を揺らしたが、反応は無い。完全に気を失っている。

「どうしよう……」

 狼狽する詩織に、綾乃が言った。

「しーちゃん、装填やって! あたしが撃つ」

「わ、わかった!」

 きりこは操縦桿を巧みに動かし、見事な回避運動で敵の攻撃をかわし続けた。が、ニ対一の不利な状況では、いつまで持つかわからない。

 詩織が砲弾を掴み、両手で持ち上げた。

「お、おもい……」

 何とか装填した矢先、Ⅳ号の一撃でソミュアが揺れ、詩織と綾乃の体は床に投げ出された。次いでエンジンがプスプス音を立てたかと思うと、ソミュアは動かなくなってしまった。

 きりこが操縦桿をニ、三度上下させたが、反応はなかった。

「エンジンがショートした」

 詩織はゆっくり頭を持ち上げ、窓の外を見やった。ヘッツァーの砲塔が、こちらを狙っている。

 まさに絶対絶命。

 詩織はきつく瞳を閉じた。

 と、ソミュアの砲塔が火を噴いた。

 眩い爆発が広がり、ヘッツァーの白旗が揚がる。

「や、やった! 藤村さん、凄い――」

 喝采した詩織は、綾乃がすぐそばに倒れているのを見て、言葉を失った。

 あれ、じゃあ、今撃ったのは……?

 そして、見た。

 力強い瞳をかっと見開き、背をしゃんと伸ばして砲手の席についている美智の姿を。

 詩織は混乱した。眼前の美智は、普段のほんわかして猫背気味の美智とは、明らかに雰囲気が違う。

 美智は勇ましい声で叫んだ。

「見たか! ソミュアS35の力を! どうやら状況は最悪らしい。ここは私に任せて、どうぞ休んでいてくれ!」

 綾乃があんぐり口を開けた。

「あ、あんたどうしちゃったの……?」

 そこへ再び衝撃。Ⅳ号の砲撃だ。あれを倒さなければ、危機を脱したとはいえない。

 美智が呟いた。

「装甲は限界か……。きりこ、エンジンは?」

 詩織と綾乃が美智の変化にうろたえている間、きりこは操縦席のパネルを引っ剥がし、配線をいじり回していた。ほどなく、ソミュアのエンジンが唸りをあげて稼働する。

「復帰した」

「よし、勝負をかける! みんなの命、私が預かった!」美智はⅣ号を睨み据え、拳を握った。「ゼロ距離射撃でいく……!」

 

  

 既に満身創痍だったはずのソミュアが、にわかに動き出した。ユングは微かにたじろいだ。

「まだ動けるっていうの?」

 操縦手が悲鳴をあげる。

「川村さん、敵が近づいてきたよ!」

「懐へ入られる前に撃ち返して!」

 砲手が言われるままに発砲したが、慌てたせいだろう。まるで見当はずれな方向に飛んでいった。

「役立たず! どいて!」

 ユングは砲弾を脇に抱えて叫ぶと、砲手を押しのけて素早く装填した。しかし、ソミュアは恐るべき速度でⅣ号の側面に肉薄してきた。

 ユングは全力で砲塔を回した。

「こいつっ!」

 両者は、ほぼ同時に砲撃した。

 

 

「居合道部、見参っ!」

 四人の声と共に、三式中戦車は坂道を乗り上げて戦場に舞い戻ってきた。

 沙耶が拳を合わせる。

「さぁ、今度はがんがんやっつけますよ! って、あ、あれ……?」

 ヘッツァー、Ⅳ号、ソミュアはいずれも白旗を立てて、動きを停止している。明らかに戦闘は終わった後だった。

 そこへ、蝶野教官のアナウンスが響く。

「Ⅳ号およびソミュア、走行不能! よってAチームの勝利!」

 居合道部のメンバーは、この幕切れにしばらくポカンとしていた。ややあって、沙耶が拳を握ってガッツポーズを決めた。

「やったぁ! やりましたよ! 私達の勝ちですって!」

「わぁい! わぁい!」と間愛も飛び跳ねる。

 結子は憮然とした顔つきで言った。

「釈然としませんわ」

「ビギナーズラックね。とはいえ、勝利は勝利よ」

 小刀がそう言って、にっこりと微笑む。

 

「みんなグッジョブベリーナイス! 素晴らしい模擬戦だったわ。今後もこの調子で頑張って。わからないことがあったら、いつでも連絡してね!」

 整列した新履修者を前に、蝶野教官が惜しみない賛辞を送った。その横で、優花里が声を張り上げる。

「一同、礼!」

「ありがとうございました!」

 新履修生は声を揃えて身を折った。

 

 

「栗林さん、大丈夫?」

 詩織は、美智の体を肩で支えながら尋ねた。戦車を降りた途端、美智はすっかり放心状態で、自分の足で立つことも出来ない有様だった。

「ふえぇ……なんか、変な夢見てた感じ」

「そりゃこっちのセリフだって」詩織の反対側で美智を支えている綾乃が言った。「何が起こったのかと思ったよ」

「極度のパンツァー・ハイ」

 きりこが横から口を出した。

「え、何だって?」

「戦闘の緊張感で、日頃眠っている意識が目覚めた。美智は自分を下手だと思いこんでいるから、普段は本来持っているはずの実力を発揮出来てない」

「つまり、追いつめられればさっきみたいになるって?」

「確証は無いけど」

「なーんだ、やっぱ名門の生まれってことじゃん! さすがぁ!」

 綾乃は笑いながら、美智の背中をバンバン叩く。

「みんな、なんの話してるのぉ?」

 困惑する美智へ、詩織が笑いかけた。

「栗林さんは下手なんかじゃないって話だよ」

「わ、私が? なんで?」首をかしげた美智は、それから酷く大事なことを思い出したように、勢い込んで言った。「あ、そうだ! 詩織、模擬戦で励ましてくれた時、私のこと名前で呼んでくれたよね?」

「えっ……」

 詩織は真っ赤になった。そういえば、そんなことがあったような。気がつくと、慌てて言い訳がましいことを話し出していた。

「あの、あれは……なんか、必死になってたから、つい――」

「えへへ、嬉しかったよぉ。もうこれからはずっと、美智でいいからね」

「う、うん……」

 綾乃が口を尖らせる。

「えー、何それずるいじゃん。しーちゃん、あたしのこともこれからは綾乃って呼んでよ?」

「え、あうぅ……」

 返答に困っていた矢先、誰かに背後から勢いよく飛びつかれた。

「しーおーり!」

「お、お姉ちゃん……」

 満面の笑みを浮かべた姉が、そこにいた。すぐ後ろには、あんこうチームの面々が続いてくる。

「よく頑張ったね! 初めてにしては上出来じゃん!」

 姉の言葉に、詩織は頬を染めた。

「えへへ。でも、負けちゃった」

「だけど凄かったよ! 最後のⅣ号との一騎打ち!」

 綾乃が身を乗り出した。

「あ、もしかして。しーちゃんのお姉さん?」

 詩織が答えるより先に、姉が名乗り出た。

「武部沙織です! いつも妹がお世話になってます! みんな、戦車道とってくれてありがとうね。困ったことがあったら何でも聞いて! これでもアマチュア無線の資格持ってて、戦車にも詳しいんだから! あと恋愛もね!」

 綾乃が目を丸くした。

「えっ、戦車と恋愛って関係あるんですか?」

「もっちろん! 戦車道は乙女のたしなみ! 極めればモテモテになるんだよ!」

「へー知りませんでした。じゃあ、沙織先輩はイケメンな彼氏さんがいたりするんですか?」

「うっ」

 成り行きからしてごく普通の問いだったが、姉は雷でも浴びたように仰け反り、ショックな顔つきのまま硬直してしまった。

 背後の麻子さんが、呆れ顔で肩をすくめる。

「さおり、自ら墓穴を掘るとは……」

 こちこちになっている姉を後目に、みほさんがにこやかに声をかけてきた。

「詩織さん、模擬戦は楽しかった?」

「は、はいっ! とっても――」

 詩織の言葉が終わらないうちに、脱力していた美智ががばっと顔を上げた。詩織と綾乃の腕を振り払って飛び出すと、みほさんの手を握りしめて激しく上下に揺さぶり、感激の面持ちで言った。

「ウワァ、西住みほさん! ずっとお話したかったんです。あ、あの、栗林美智っていいます! 西住さんに憧れて大洗に来たんです!」

「そ、それは、どうも……」

 困惑気味にみほさんが応じる間も、美智は夢中で話し続けていた。

 そこへ――。

「あんた達のせいで負けたのよ! わかってるの?」

 

 

 かん高い叱責の声。グラウンドにいた誰もが、そちらを振り向いた。見れば川村ユングが、模擬戦で組んでいたチームメイトに激しい非難を浴びせている。そのうち一人は、唇をぎゅっと結んで涙を流していた。

 いち早く異常に気がついた典子は、すぐさまその場へ割って入った。

「川村、落ち着け!」

 差し伸べた手を、ユングが乱暴に振り払う。

「キャプテンさんの出る幕じゃないわ!」

 遅れて駆けつけてきた妙子と忍が、口々に叫んだ。

「いい加減にしなさいよ! 少し戦車道の実力があるからって、やっていいことと悪いことがあるでしょ!」

「そうだよ! 同じチームメイトを罵るなんて!」

「河西、近藤。二人もやめろ!」

 典子が鋭く声を飛ばすと、二人は渋々矛をおさめて引き下がった。そこに、みほがゆっくりと近づいてきた。

「磯部さん、大丈夫ですか?」

「ええ、隊長。心配しないで。川村のことは、同じバレー部員としてしっかり引き受けるから」

「き、キャプテン! まさか彼女をチームに加えるんですか?」

 妙子が驚いて聞き返せば、忍も反発した。

「必要ありませんよ。八九式は四人で動かせるんですから!」

 典子は首を振った。

「いや、これからは川村を加えた四人で戦う」

「え、四人……?」

 妙子と忍が、思わず聞き返す。

「お前達に伝えておかなきゃいけないことがある。佐々木は、今年戦車道を履修しない」

 それまでずっと言い争いに加わっていなかったあけびが、静かに進み出てきた。そしておもむろに切り出した。

「ごめんね。二人とも。ずっと言い出せなくて」

 妙子は、呆然とあけびを見つめた。

「なんで……なんで戦車道やめちゃうの?」

「うちの親、ずっと私が戦車道をやるのに反対してて。去年は廃校がかかってたし、一年きりのことだったから許して貰ってたの。でも、今年は……」

「そういうことだ。今後は、川村と近藤、河西、それに私の四人チームで戦う」

 忍はなおも食い下がった。

「そんなの、容認出来ませんよ。こんなチームワークのかけらもない奴と組むなんて!」

 ユングが冷ややかに応じた。

「私もお断りだわ。キャプテンさんはともかく、あんたとそっちのハチマキは役不足よ」

「なんですって!」

「いい加減にしないか! バレーも戦車道も、チームワークと根性だ! それが守れないなら、どちらもやめてしまえ!」

 声を張り上げた典子は、周囲に大勢の新履修者がいたことに気がついて、自分の軽率を恥じた。案の定、何人かは不安げな面持ちでこちらを見やり、ひそひそと言葉をかわしている。優花里が気を利かせ、手を鳴らしながら言った。

「今日の授業は終わりですから、皆さんすみやかに解散をお願いします!」

 一部の者を除いて、生徒達はグラウンドを去っていった。

 

 

「二人とも、本当にごめんね」

 三人での帰り道。あけびは前を行く妙子と忍へ、呟くように言った。振り向いた忍が、包み込むような笑顔を向ける。

「いいよ。あけびが謝ることないじゃん」

「そうそう」と妙子。

 あけびは小さく頷いたきり、俯いた。バッグのストラップを握り締めて、弱弱しくつけ加えた。

「本当は、今年も戦車道やりたいの……」

 忍が両腕を後ろに回しながら尋ねた。

「両親はなんで反対してるの?」

「それが、理由を詳しく話してくれなくて。ただ戦車道をやるなの一点張りだから」

「そうなんだ。まぁでも、バレーはこれからも一緒に出来るし、そっちを頑張ろうよ」

「ありがとう。戦車道大会の時は、必ず応援に行くから」

 妙子はため息まじりに言った。

「でも、これからどうなっちゃうんだろうね。あの川村って子と、バレーにしろ戦車道にしろ、ちゃんとチームでやってけるのかな……」

「やっていくしかないじゃん。新入部員も沢山入ったし、キャプテンも今年で卒業だし。今から弱音なんか吐いてられないよ」

 忍の励ましに、妙子も大きく頷いた。

「そうだね。がんばろっか!」

 

 

 生徒会室に、夜の帳が下りてきた。

「会長。今年の必修選択科目の選択を振り分けたリストです」

 副会長から差し出されたリストを目にした官有くめ子は、思わず眉をひそめた。納豆スティックをかじりながら、訝しげに漏らす。

「おんやぁ? 戦車道が意外に集まっちゃったか。物好きな連中っているもんだね。去年は最初二十人も集まってなかったから、今年も似たような感じだと思ってたんだけどねぇ」

「ご心配なく。今からでも手は打てます」

 副会長が黒縁の眼鏡をくいっと片手で押し上げ、淡々と答えた。

「そ? じゃあ任せるよ」くめ子はリストを投げだした。「悪いけど、戦車道に出しゃばられちゃ困るんだよね……今年はさ……」

 

「ふあぁ、眠い……」

 大きな欠伸をしながら、澤梓は戦車道作戦会議室の扉を開けた。今日の一限は、二回目の戦車道授業がある。新しい履修生達は、まだこの作戦会議室に入ったことがない。そこでお披露目のために掃除をしておこうと思い立ち、梓はいつより早く登校したのだった。

 こんな時間だし、多分作戦会議室には誰もいないだろう。そんなことを思いながら、中へと入る。

 あにはからんや、そこには先客がいた。

「に、西住隊長っ? おはようございます!」

 慌てて身を折りながら挨拶する。顔を上げると、微笑んでいるみほの姿があった。手には箒を持っている。

「おはよう、梓さん。早いんだね」

「えっと、あの、掃除しようかと思って来たんです。綺麗にしておけば、新履修生の印象も良くなりますし」

「わぁ、嬉しい! 私も同じことを考えてたの。それじゃ、手伝って貰っていいかな?」

「はい! 喜んで!」

 二人は手分けして掃除を始めた。一限開始まではゆうに一時間以上ある。みほも梓も手際よく片づけたので、三十分もすると室内はすっかり綺麗になった。

 梓がふっと息をついた。

「これで終わりですね」

「うん。あ……あれをやっておかないと!」

 みほは鞄からファイルを取り出し、さらにその中から名前の印刷されたシールを引っ張り出した。

「それ、何ですか?」

「個人用ロッカーに、新しい履修生の名前シールを貼っておこうと思って、昨日パソコンで作ってきたの」

 梓は瞳を輝かせた。

「そこまで考えてるなんて、流石先輩です!」

 二人はラベルシールをロッカーに貼っていった。新履修生は三十三人。しかし空きロッカーの数はその半分しかない。仕方なく、一つのロッカーに二人分のラベルを貼り、共有で使って貰うようにした。

「これで全部かな。梓さん、手伝ってくれてありがとう」

「今日の授業も楽しみですね!」

「そうだね。みんなが気持ちよく戦車道の授業を受けてくれたら嬉しいなぁ」

 みほは微笑んだ。

 まさか、その笑顔を打ち砕く事件が起こるなんて、この時の梓には思いも寄らぬことだった。

 

 

 一限のチャイムが鳴り響く。作戦会議室は戦車道メンバーで埋め尽くされていた。

 ちょっと窮屈になったけど、賑やかでいい感じだな。そんなことを思っていたみほのもとへ、一人の二年生が声をかけてきた。

「西住みほ先輩、ちょっといいですか。話したいことがあるんですけど」

「はい。何でしょう?」

 よく見ると、その生徒は十数人近い生徒を従えていた。いずれも新履修生だ。これだけ大勢で話を持ちかけるなんて、何事だろう。眉をひそめるみほへ、二年生はさらに続けた。

「その前に、人払いをして貰えますか。西住先輩以外の方には、聞かれたくない話なので。五分ほどお時間いただければ結構ですから」

 みほは不審に思ったが、相手の要求をはねつけるだけの理由も無かった。

「わかりました」みほは現役のメンバーへ呼びかけた。「皆さん、すみません。ちょっと外へ出て貰えますか?」

 あんこうチーム以下の面々は、訝りながらも退室した。残ったのはみほと、二十人近い新履修生だった。ぱっと見る限り、武部詩織とその友人、自動車部、居合道部や川村ユングは含まれていないようだ。

 先ほどの二年生が、緩やかにみほの前へ進み出た。

 

 

 カバさんチームの面々は、作戦会議室の窓に顔を張りつけ、中の様子をうかがっていた。

 新履修生の集団はいずれも表情が険しく、空気が穏やかではない。みほ一人を残したのは、まずかったのではないか。

「どうも様子がおかしい……まるで討入り直前の池田屋ぜよ」とおりょう。

「革命の予兆か!」とエルウィン。

「ブルータスの裏切り!」とカエサル。

「奇襲間近の桶狭間!」と左衛門左。

「それだ!」

 

 

「西住先輩。私達、今日で戦車道はやめます」

 突然の宣言に、みほは面食らった。その衝撃から立ち直れないうちに、二年生の生徒が追い打ちをかける。

「まだ仮履修期間だから、やめても大丈夫でしたよね? これは私達二十人の総意ですから、そのつもりでお願いします」

「あ、あのっ、待ってください! 一体、どうしたんですか? どうして、急に……」

「あからさまな差別をされたりしたら、やめる気持ちにだってなりますよ!」

 みほは一層混乱した。

「さ、差別? 一体、何のことですか?」

「この前の模擬戦のことです! 一年生の武部詩織さんのチームには、戦車道の経験者が二人もいたって聞きました! それじゃ強いのなんか当たり前です。しかもその武部さん、お姉さんが戦車道やってるって! もしかして、わざとチームメンバーを操作してたんじゃないですか?」

 その横から、別の生徒も叫んだ。

「私達の乗ってたポルシェティーガーって戦車、いきなりエンジンが爆発して操縦どころじゃなかったんですよ! ネットで調べたら欠陥兵器って書かれてましたし! なんでそんな戦車があるんですか? なんでそんなものに初心者を乗せるんですか?」

 新履修生は、口々に不満をぶつけてきた。組まされたチームメイトが横暴だの、八九式が弱すぎるだの、理にかなったものから、言いがかりとしか思えないようなものまであった。みほは元々、こういう局面の対処が得意ではない。履修生の剣幕にすっかり圧倒され、雪崩のように降ってくる言葉の数々に混乱した。気がつくと、必死に謝罪を繰り返していた。けれども、下手に出るほど履修生達はつけあがり、ますます言いたい放題になる。

「とにかく、今日限りで戦車道はやめますから。そのつもりでお願いします」

 それで終わりだった。二十人の生徒は、足早に引き上げていった。

 

 

 騒々しい音を立てて、作戦会議室の扉が開く。険悪な表情の履修生が次々に出てきて、そのまま去っていく。

 とうに嫌な予感を覚えていた優花里は、真っ先に作戦会議室へ飛び込んだ。そこには、地面に崩れてうなだれているみほの姿があった。すぐさま駆けつけて、みほの肩を揺さぶる。

「西住殿! 何があったんですか」

 みほはのろのろと顔を上げた。瞳は真っ赤になり、頬を涙がつたい落ちていく。

「いなく、なっちゃった……」声は震えて、途切れがちだった。「みんな、やめるって……」

「ええっ、そ、そんな馬鹿な!」

 優華里が愕然とする。後から入ってきた戦車道メンバーも、すっかり困惑した様子だった。沙織が呆然と言った。

「やめるって、どういうこと……? あんなに沢山の生徒が、いっぺんに……?」

「おかしいですわ。そんなことってあるでしょうか」

 華の言葉に、麻子も同意した。

「きっと何か裏があるな」

 ウサギさんチームの面々も、すっかりショックを受けている。あやがため息をついた。

「せっかく沢山の人が来たと思ったのに、いなくなるなんて……」

「何か悪いことしちゃったのかなァ」

 優季が肩を落とし、桂利奈も髪をくしゃくしゃにして喚いた。

「いきなりやめるなんて、わけわかんないよー!」

 作戦会議室の隅にいたユングが、鼻を鳴らした。

「ふん。やめたけりゃ、やめればいいじゃない」

 冷ややかな一言で、室内に緊張が走る。忍はユングを睨みつけた。

「川村さん! まさか、あんたが焚きつけたんじゃないでしょうね」

「私が? そんなことするメリット無いわよ」

「よさないか、河西。仲間割れをしている時じゃないぞ」

 典子がすかさず抑え込む。

 沙織は、詩織達のチームを振り向いた。

「詩織、他の履修生がやめるって話、聞いてた?」

 詩織はすぐに首を振った。

「ううん。私達、全然聞かなかったよ」

「自動車部にも、そういう話は無かったね。あったら気がつくはずだし」とツチヤ。

「あのう……ちょっといいですか?」

 おずおずと進み出てきた沙耶を、沙織が振り向いた。

「あ、確か、日本刀部の――」

「居合道です……」

「あっ、ゴメン! 居合だよね、うん! それで……何を話そうとしてたの?」

「実は昨日の放課後、私達のところへ戦車道をやめないかって誘ってきた人達がいて。もちろん、私達は戦車道続けたかったから、突っぱねたんですけど」

 沙織は怒りで身を震わせた。

「何よそれ……! まさか、誰かが意図的に履修生を減らそうとしたってこと?」

 その時、入口からとぼけたような声が聞こえてきた。

「こんちー。邪魔するよ~」

 納豆スナック片手に入ってきた小柄な人影。生徒会長の官有くめ子だ。彼女は明らかに作り物じみた笑顔を浮かべ、みほに近づいてくる。

「あ、どーも。西本さん」

「西住です。間違えないでください」

 優花里が食ってかかった。くめ子はまるで気にしていない様子で、軽く手を振った。

「あぁ、ごめんごめん。まー細かいことはさておきね、ちょっと話しておかないといけないことがあってさ」

 みほは袖で涙を拭い、立ち上がった。

「はい。何でしょうか?」

「必修選択科目なんだけど、今年から新しいルールが出来てね。定人数に達しなかったら、その科目は授業停止だから」

「ええっ」

 戦車道のメンバーは、一様に目を丸くした。それを後目に、くめ子が話し続ける。

「定人数は三十五人ね。まー、今年は戦車道にも沢山人が来てたっぽいし、問題ないよねぇ?」

 みほ達は返答に窮した。新履修生が二十人以上抜け、残っているのは武部詩織とその友人の四人、自動車部の三人、居合道部の四人、それと川村ユングの合計十二人。それに現存のメンバーを足しても、三十五人には届かない。

 くめ子はさも不思議な様子で、部屋を見回した。

「あれれ~おっかしいなぁ? なんか思ってたより数が少ないねぇ。もしかして、やめちゃったとか? ま、そこらへんはそっちの問題だし、生徒会でも協力のしようがないしね。今週中に定人数集まらなかったら、その時は廃止ってことで、よろしく頼むよ?」

 優花里が叫んだ。

「そんな! いきなり急すぎます。そもそも、廃止する理由だって無茶苦茶であります!」

「いやいや考えてごらんよ。沢山選択科目を作っちゃうと、学校はそれだけ諸々の経費もかかるわけ。特に戦車道はねー。それに、人が集まらない科目は存在意義が低いじゃん? ま、そういうことだから納得してよ」

 沙織が手近な机を叩いて、声を荒げた。

「酷い! 余りにも一方的じゃない!」

「まるで文科省の局長みたいなやり口ですわ」と華。

「おっとぉ、言葉には気をつけた方がいいねー。度が過ぎると、学校にいられなくしちゃうよ?」くめ子は沙織達へ納豆スナックを突きつけながら釘を刺し、それからみほを見た。「ほいじゃ、そういうことだからお願いね、西重さん」

 ショックで言葉を返すことも出来ないみほを捨て置き、くめ子はのんびりした足取りで立ち去った。

 その背中を見ながら、妙子が真っ先に口を開いた。

「あの人、絶対何か企んでますよ」

 あゆみがすぐさま同意した。

「だね。まるでこっちが困ってるのを知ってたみたい」

 優花里は、ちらっとみほを見やった。履修生の離反に、生徒会長の脅迫。二つの難事に、すっかり打ちのめされている様子だ。ここは自分が何とかしなくては。気持ちを奮い立たせ、声を張り上げた。

「皆さん、ひとまずは履修生の確保に全力を尽くしましょう。まだ時間の猶予はあります」

 華と沙織が真っ先に頷いて、同意を示す。麻子が手を挙げて言った。

「それと並行して新入りの指導もすべきだと思う」

「さすが冷泉殿。失念していました。では、アヒルさんチームとウサギさんチームは、残った履修生達の訓練をお願いします」

「わかりました!」と梓。

 典子も拳を合わせて言った。

「そうと決まれば、早速訓練開始だ。新履修生は私達と一緒にハンガーへ行くよ!」

 アヒル・ウサギの両チームは、履修生を連れて会議室を出ていった。

 しばし、沈黙が室内を満たす。エルウィンが口火を切った。

「さて、これからどうしたものかな。皆の意見は?」

 沙織が手を挙げた。

「生徒会に抗議しようよ! 無茶苦茶な要求ばかりしてきて、私達を困らせてるんだから」

「いや待った」カエサルが鋭く遮る。「それよりも履修生の獲得が優先だ」

 すると、おりょうがすかさず反駁した。

「獲得といっても、どうするぜよ。仮履修とはいえ、余程の理由がなければ科目の鞍替えをする生徒はいない」

「まだ科目を決めていない生徒もいるのではありませんか?」と華。

 それを聞いて、左衛門左も唸った。

「うーむ。オリエンテーションも終わった今、新たに生徒を引き込むのは難しいと思うが」

 皆が口々に意見を述べたが、一向にまとまる気配は無かった。それどころか口論は次第にエスカレートしていき、険悪な空気が広がった。沙織やカエサルは周囲もはばからずに声を張り上げるし、麻子と華は不機嫌そうに顔を背けている。エルウィンは苛立たしげに足を踏みならし、普段にこにこしているツチヤすら、どこか険しい表情だった。

 しびれを切らした優花里が、ソファに座っていたみほへ意見を求める。

「西住殿は、どう思われますか?」

 

 ずっと論争に加わっていなかったみほは、突然のことに不意を突かれた。

 皆は口をつぐみ、彼女の答えをじっと待っている。

「私は、その……」

 言葉が咄嗟に出てこない。

 皆があれこれ意見を飛ばしている間、ずっと考えていたのだ。

 去年のみほは、ただ試合のことに責任を負っていれば、それで良かった。それ以外を――予算やら、人員確保やら、雑務やら――全て杏会長達が引き受けてくれたのだ。

 でも、今年はそうはいかない。全てが自分の肩にかかっている。

 これが、真の隊長としての務めなのだ。去っていく履修生、まとまりを欠いたチームメイトを目にして、みほはようやくリーダーの責務とその重さを感じた。そして理解した。去年の自分は、半分もその務めを果たしていなかったのだと。

 このままじゃ、いけない。今こそ、隊長としてリーダーシップを発揮しなければならない。

 でも、どうしたら? どうしたら、大洗女子学園の隊長に相応しい西住みほになれるんだろう?

 真っ先に、杏会長の顔が浮かぶ。ダメ、私はあんな風にはなれない。人を引っ張っていく勢いや強引さも、どんな事態にも対処出来る落ち着きも、行動力もない。

 それから、姉のことに思い至った。姉は二年の頃から黒森峰をまとめ上げてきた。みほやチームメイトに見えないところで、きっと並々ならぬ苦労をしていたに違いない。けれど、同じ西住流であっても、姉と自分の選んだ戦車道はまるで異なっている。やはり真似は出来ない。

 ふと、エリカのことを思い出した。黒森峰で、姉の後を継いだエリカ。空港で別れたあの日、彼女の背後には新しいチームメイトが粛々と従っていた。きっと彼女は、立派に隊長の務めを果たしているのだ。他校のライバル達だって、そうだ。

 だから、私だってそうならなきゃいけない。こんなところで躓いていたら、試合どころじゃない。私のせいで、戦車道自体が無くなっちゃう……。

「西住殿?」

 顔を上げると、気遣わしげな優花里の顔がある。みほは自分の不甲斐なさを恥じた。私、何やってるんだろう。みんなの前で、不安を煽るような態度を見せるなんて。

 みほはソファを立ち上がった。

「ごめん、優花里さん。ちょっと具合が悪くて。少し、外すね」

 言い捨てるなり、作戦会議室を出た。近場のトイレに逃げ込んで、個室に閉じこもる。

「はぁ、はぁ……」

 まるで何キロも走ったように、息が切れていた。体が後ろへふらつき、冷たい壁に背がぶつかる。

 みほは、天井の無機質なタイルを見上げ、血が滲むほどきつく拳を握った。

 私、何やってるの?

 具合が悪いなんて、嘘。

 逃げただけ。

 こんなの、隊長のすることじゃない。私がこんなままじゃ、大洗の戦車道は無くなる……。

 ぎゅっと瞳を閉じる。思い出したくない光景が蘇った。

 渦巻いて濁った河、黒い雲から吐き出される雨、水に呑まれていく戦車。全てが終わった時の、姉やチームメイトの表情……。

 何度忘れようとしても、過去はいつもそこにある。

 やっと見つけた自分の場所で、また同じような間違いを犯すのは、とても耐えられなかった。

 いつの間にか溢れた涙が、頬を滑っていった。

 

 

 放課後の作戦会議室。

 澤梓は忘れ物があったのを思い出して、授業の帰りにそこへ立ち寄った。

 ドアが開きっぱなしになっていた。明かりがついていないところを見ると、誰かが鍵を閉め忘れたのだろうか。

 また優季ちゃんかな、と梓は思った。鍵当番はうさぎさんチームが担当し、毎日交代で行っている。六人の中で最もその役目を忘れるのが優季で、その度に「あれ~、今日私だっけ~?」と、とぼけるのが常だった。

 が、梓の予想は外れた。

 西住みほが、取り残されたようにぽつねんと、作戦会議室にいた。爪の先で、ロッカーに貼られた新履修生のネームラベルを、一枚ずつ剥がしていた。今朝、梓と二人で貼ったばかりのラベルを……。あの時は二人とも気分が高揚していて、あんなことが起こるなんて想像もしなかった。

 みほの寂しげな背中を見て、梓は胸を引き裂かれる思いがした。

 ここにはいられない。忘れ物は、明日取りに来よう。きびすを返して、立ち去りかけた時――。

「梓さん」

 呼びかけられて、梓はぎこちなく振り向いた。

 みほは笑っていた。けれど、目の縁が真っ赤だった。

 それを見ているだけで、胸がきゅっと痛くなる。梓は、決まり悪げに言った。

「す、すみません。お邪魔だったみたいで」

「ううん。そんなことないよ。入って」

 断れるはずもなく、部屋に入る。

 みほはロッカーを離れ、冷蔵庫を開けた。

「何か飲む? 麦茶が冷えてるよ」

「えっと、はい。じゃあ、それで……」

 麦茶のボトルを出したみほは、続いて食器棚を開け、茶碗に手を伸ばした。

 がちゃん、と音がして、梓は飛び上がりそうになった。見れば、みほが床に屈んで、必死に茶碗の破片を集めている。梓が慌てて駆けつけると、顔色を変えたみほが拾う手を引っ込めた。指先に、血の玉粒が膨らんでいる。

「あのっ、先輩。私がやりますから。ソファに座っていてください」

 梓はすぐに、掃除用具入れから箒とちりとりを持ってきた。茶碗の破片をまとめると、ゴミ箱へ捨てる。

 それから救急箱を開けて、絆創膏とガーゼを探した。

 ソファに座っているみほは、放心状態だった。ようやく必要な物を見つけた梓は、まずガーゼで指の血を拭い、その上から絆創膏を巻きつけた。そこまでやって、ようやく胸をなで下ろした。

 消え入るような声で、みほが言った。

「ごめんね」

「そんな。これくらいのこと何でもありません」梓は、ロッカーを横目に見た。先輩が落ち込んでいるのは、あれが原因なのだろう。「二十人も、いなくなっちゃいましたね」

「梓さん」みほが、ぽつりと言った。「私って、リーダーの素質無いのかな……」

「え……」

「杏会長のような人望があれば、今日みたいなこと、無かったのかもしれないって、思って。風紀委員の皆さんや、猫田さんだって辞めなかったかもしれない。戦車道の予算や特典を減らされることもなかったかもしれない。新しい履修者ののみんなが離れることも。試合以外じゃ、私は隊長の役目を果たしてない……」

 思わず、梓は立ち上がった。

「そ、そんなことないです! 先輩は立派な隊長です! 西住隊長以外の隊長なんか、私には考えられません!」

 みほは頷いたが、うなだれたままだった。

「ありがとう。でもね、きっと何か、私には足りないんだと思う……」

 そんなことありません! なんで、そんなこと言うんですか? 梓は悲しくなった。

 必死に、先輩を励ます言葉を探した。でも、いい言葉が見つからない。先輩が、こんなに辛そうなのに……。

 気がつくと、梓は肩を震わせて泣いていた。

 みほが、不意を打たれたような顔になる。

「あ、梓さん……? どうしたの?」

「だって、悔しくて」梓は両手で、流れてくる涙を拭った。「西住先輩が、苦しんでるのに。私、何の役にも立てなくて……」

「ごめんね。梓さん。困らせちゃって」みほが手を伸ばし、梓を抱き寄せた。「私が弱音なんか吐いていたら、駄目だよね」

 梓はみほの胸の中で、激しく首を振った。

「違うんです。私がいけないんです! 先輩が色々抱え込まなくていいように、助けにならなきゃ。そう思ってるのに、私、ちっとも力になれてません……!」

 それ以上は言葉が続かず、ただの嗚咽になった。まるで子供のように、泣き続けた。

 すると、みほの包容が強くなった。

「ありがとう。梓さん」

 意外な言葉に、梓は顔を上げた。

 みほはもう泣いていなかった。穏やかで、力強い笑みを浮かべていた。

「今、わかったの。みんな必死なんだよね。私も梓さんも、他のみんなも、きっと同じように弱くて。それでも、自分に与えられた役割をこなすしか……それしかないんだよね」

「先輩……」

「ごめんね。さっきまでの私は、自分の立場に押し潰されそうになって。もう、大丈夫だから。梓さんが気づかせてくれたの」

「わ、私がですか?」

 困惑する梓へ、みほはまた微笑んだ。

「そうだよ。だって、一年間戦い抜いてこんなに立派になった梓さんでさえ、悩み続けてるんだもん。だから私も、悩み続けるしかないかなって、吹っ切れたの」

「私なんか、まだまだダメです。もっと、西住先輩に近づかなくちゃ」

「私だって同じだよ。お姉ちゃんに杏会長、他校のライバルのみんな……。隊長として、目指すべき人が沢山いる。だから、一緒に頑張っていこうね」

 梓は何度も頷いた。

 その時、着信音が鳴り響いた。みほの携帯だ。梓は、急に自分が先輩に抱きついていることを意識して、はっと体を離した。

 みほが携帯を手に取った。

「もしもし……」

「やっほー! に~しず~みちゃーん」

 スピーカー越しの声は小さかったが、梓にも聞こえた。みほは目を丸くした。

「あ、杏さん!」

「元気にしてたぁ?」

「は、はい」

「実はちょっと小耳に挟んだんだけどさ、戦車道が大変らしいじゃん? しかも生徒会が関わってるって聞いちゃったしさ~。これはあたしが一肌脱がなきゃだよねぇ」

「え、どこからそんな情報が?」

「まー細かいことは気にしない気にしない! とりあえず、あたしの方からとびっきりの助っ人を送っておくから、西住ちゃんは後輩の指導に専念してよ。そんじゃ、大会楽しみにしてるからね。ばいば~い!」

 みほと梓は、呆然と顔を見合わせた。

「助っ人って、何なんでしょう?」

「私にも、わからないけど……」

 

 

 星空の下、詩織はチームメイトと共に学生寮を目指していた。下校後にカフェへ立ち寄り、おしゃべりしてからの帰り道だった。

 綾乃が伸びをした。

「あ~、今日の訓練は良かったねー! 模擬戦じゃわからなかったことが、一杯わかったよ」

 詩織も同意した。

「うん。戦車道って、本当に奥深いんだね」

 今日の授業で、彼女達は磯部キャプテン率いるアヒルさんチームに指導を受けたのだった。

 美智が満ち足りた様子で言った。

「私も、凄く勉強になったなぁ。穂積さんは?」

「別に。あの程度、中学時代からやっていた」

 相変わらずにべもないが、三人ともきりこのこうした態度には慣れ始めていた。綾乃はしきりに感心している。

「ま、きりちゃんは磯部先輩の課題も楽々こなしてたもんね。あたしらとは別格だよ」

 そんな調子で談笑していると、道の曲がり角から三つの影がぬっと姿を現した。大洗の制服を着ている。真ん中にいた黒縁メガネの生徒が、つかつかと歩み寄ってきた。

「武部詩織だな?」

「な、何ですか?」

 詩織は身構えた。会ったことのない生徒だが、態度や言動からして、どうも上の学年らしい。

「少し話がある。どうだ、戦車道の履修をやめる気はないか?」

「えっ」

 これには詩織だけでなく、綾乃や美智もぎくりとした。

「知っての通り、大洗女子学園の戦車道は、現在定人数に達していない。このままでは廃止は必須だ。もし今のうちに他の科目へ鞍替えしてくれたら、特典として三倍の単位を与えると約束しよう」

 綾乃が憤慨しながら口を挟んだ。

「ちょっとちょっと! 黙って聞いてりゃ勝手なことばかり言って! 大体あんたどこの誰よ? 口約束なんか信用出来ると思うわけ?」

「お前は藤村綾乃だな?」

「うえっ? なんであたしのこと知ってるの?」

 面食らう綾乃へ、黒縁メガネは微笑しながら続けた。

「名前だけではなく、色々知っているぞ。お前は確か、学校の許す範囲で仕事をしていたな。それは結構だが、学業と仕事の両立は難しいだろう。どうかな? 戦車道以外の科目を選べば、単位をとるのはたやすいぞ」

 詩織は聞いていられなくなり、叫んだ。

「や、やめてください! そんな話! 私達は、本当に戦車道がやりたいんです!」

「ふん。賢い選択ではないな」

 黒縁メガネが指を打ち鳴らす。背後に控えていた屈強な二人の女生徒が、ゆっくり前に出てきた。

 詩織が声を震わせた。

「な……なにを、するんですか?」

「ふふ、なぁに。ちょっと事故に遭って貰うだけさ。戦車道履修者への見せしめとしてな……」

 美智が詩織の手を握った。

「詩織、逃げよう! うべっ――」

 背後へ駆けていこうとした美智は、突然壁のようなものにぶつかって、その場に尻餅を突いた。引っ張られていた詩織も、一緒に倒れる。見れば、六人ばかりの女生徒が横並びになって、行く手を塞いでいる。前後を囲まれ、逃げ場は完全に無かった。

 黒縁メガネが、命令を発した。

「やれ!」

 六人が雪崩のように襲いかかる。詩織が悲鳴をあげかけた瞬間――。

 小さな流星が、物凄い勢いで目の前を飛びすぎ、先頭にいた生徒の胸を直撃した。

 詩織は、ぎょっとした。流星は糸のような物で繋がれ、生き物のように自在に宙を舞う。目を凝らし、ようやくその正体を見極めた。

 ヨーヨーだった。尋常でない威力からして、鉄か何かで出来ているらしい。

 瞬く間に、六人の生徒がその一撃を受けて倒れ伏した。

 この事態に、黒縁メガネは激しく狼狽した。

「だ、誰だ!」

「ここさ!」

 皆が顔を上げると、塀の上に、月光を背にした影が立っていた。可憐ながらきりっとした顔、やや雑にまとめたポニーテールの黒髪、風にたなびくロングスカート。そして手中には、先ほどのヨーヨーが握られていた。

「大洗女子学園、二年C組・麻宮亜衣(あさみやあい)。またの名を、ヨーヨーの亜衣!」名乗りをあげたその生徒は、塀から軽やかに跳躍し、地面に降り立った。「大洗きっての風紀委員だったあたしが、何の因果か落ちぶれて、今や学園裏番長。笑いたければ笑うがいい。だがな……てめえらみてぇに、魂まで薄汚れちゃいねえぜ!」

「ふん。誰かと思えば裏番のクズだったか。構わん、畳んでしまえ!」

 その声が終わらないうちに、風を切って飛来した小さい光が、黒縁メガネの左右にいた二人の胸を打った。昏倒していく二人の足元を、透明なビー玉がころころと転がる。

 通りの向こうから、幽鬼のように一人の女生徒が近づいてきた。異様な鉄の仮面を被り、左手の指にはビー玉を手挟んでいる。

 彼女は黒縁メガネの前で足を止めると、右手で鉄仮面をはぎ取った。ふわりとした長い黒髪、力強い瞳の美少女が姿を現す。仮面を投げ捨て、女生徒は名乗った。

「同じく二年C組、五代舞(ごだいまい)。通り名は、鉄仮面の舞! 鉄仮面に顔を奪われ、十と七とせ、生まれの証さえ立たん。けんどなぁ、こんなあてぇでも、義理と人情だけは忘れちょらんきに! 学園の正義を踏みにじるおまんら、許さんぜよ!」

 黒縁メガネが歯ぎしりする。

「おのれ、次から次へと……うおっ!」

 悲鳴を上げた彼女の体は、突如背後から迫った何者かによって、高々と持ち上げられた。

 黒縁メガネ持ち上げていたのは、短く切りそろえた髪の、ボーイッシュな容貌の娘。両腕は赤塗りの篭手をはめている。

「どん尻は同じく二年C組、! 人呼んで、不動明王の未唯じゃ! 大洗女子学園に邪悪をなす闇の住人ども、このわちが許さんかいねっ!」

 名乗りながら、黒縁メガネを投げ飛ばす。無様に地面へ落下した黒縁メガネは、現れた三人組を睨みつけた。

「ちっ、裏番長どもが揃いも揃うとは。まさか、杏前会長の差し金か……」

 麻宮亜衣がヨーヨーを構え、その左右を五代舞と風間未唯が隙間無くかためる。亜衣は冷ややかに告げた。

「とっとと失せな。それとも、まだやるかい?」

「……行くぞっ」

 黒縁メガネが、生徒達を引き連れて去っていく。呆然とする詩織達へ、亜衣が声をかけた。

「怪我は無いかい? あんた達」

「は、はい。大丈夫です」

「会えてちょうど良かったよ。あんた達の隊長に、伝言頼んでいいかい。戦車道のメンバーは明日にでも確保するから、心配するなってな!」

「えっ、え……どういうことですか……?」

 困惑する詩織を捨て置いて、三人の裏番長は闇の中へと消えていった。

 

 続く

 

 

次回予告(CV/武部沙織)

 

結束していくチーム。生徒会の陰謀。ライバルとの再会。始まった大会。応援席に立つ、懐かしい先輩達。

物語が、今動き出す。

次回「第六十四回全国大会です!」

この次も、ほーげきほーげきィ!



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4話 第六十四回全国大会です!

「それからの大洗女子学園 あんこうチーム卒業編」
三年生になったみほ達の活躍を描くシリーズ4話。

あらすじ
いよいよ開催!第六十四回戦車道大会。因縁のライバルが再び一同に会する。みほ達の一回戦の相手は、あの知波単学園。去年共闘して実力を知っているだけに、どこか油断している大洗のチームだけれど……?

大洗女子学園戦車道チーム 編成一覧
1、あんこうチーム Ⅳ号戦車D型改
西住みほ、武部沙織、五十鈴華、秋山優花里、冷泉麻子
2、うさぎさんチーム M3中戦車リー
澤梓、山郷あゆみ、大野あや、宇津木優季、坂口桂利奈、丸山沙希
3、あひるさんチーム 八九式中戦車甲型
磯部典子、近藤妙子、河西忍、川村ユング
4、カバさんチーム 三号突撃砲F型
エルヴィン、カエサル、おりょう、左衛門左
5、新ありくいさんチーム 三式中戦車
内野沙耶、脇野小刀、袴野結子、太刀野間愛
6、新カモさんチーム ルノーB1bis
ゴモヨ、パゾ美、ねこにゃー、ももがー
7、新れおぽんさんチーム ポルシェティーガー
ツチヤ、今暮井つかさ、栗富茜、板部留美
8、新かめさんチーム 38t改・ヘッツァー仕様
麻宮亜依、五代舞、風間未唯
9、うまさんチーム ソミュアS35
武部詩織、藤村綾乃、栗林美智、穂積きりこ

他校新オリジナルキャラクター
エカチェリーナ…プラウダ高校隊長。三年生。プラウダの女帝とも呼ばれる凄腕の戦車乗り。同世代のみほとエリカを敵視する。



 

 時刻は、まだ朝の六時半だった。

 しかし大洗女子学園・戦車道作戦会議室には、履修者全員が集合し、会議用のテーブルに着席していた。

 目下の問題である、戦車道履修者の確保と、生徒会への対応を討議するためだ。

 みほは息を深く吸った。今日の会議は、戦車道の存続に関わる重大な会議だ。

「それでは、始めましょう。まずは優花里さんから、これまでの経過の説明をお願いします」

「はっ!」優花里が席を立ち、ホワイトボードの前に身を寄せた。「新学期より、官有くめ子率いる現生徒会は理由不明ながら我々を敵視しています。始めは予算や特典の無効といった妨害、今度は定人数不足を口実とした戦車道廃止を要求してきました。

 現状、戦車道のメンバーは総勢三十一人。生徒会が要求する定数・三十五人に満たない状況であります。その不足を今週中――つまりあと二日以内に補わなければなりません。これが、第一の課題であります。

 第二に、我々が新たな履修者を獲得しても、生徒会はさらなる妨害工作をしかける可能性があります。今後のために、対応策を練らなければなりません。以上が、本日の討議内容になります」

 優花里の説明を聞き、室内にざわめきが走る。既に仮履修期間も半ばを過ぎている状況で、新しいメンバーを確保することは困難だ。さらに、去年頼もしい味方だった生徒会が敵となったことも、不安に拍車をかけた。

 優花里が室内を見回す。

「では、ご意見のある方は挙手をお願いします」

 沈黙が流れる。

 その中で、一つの手がおずおずと挙がった。

 誰かと思えば、武部詩織だ。

「どうぞ!」

 優花里に促された詩織は、ぎこちない動きで腰を上げると、途切れがちな言葉で話し始めた。

「え、ええと、人員の確保なんですけれど……も、もしかしたら、今日中に何とかなるかもしれません……」

 姉の沙織が、すかさず聞き返す。

「どういうこと?」

 詩織は、昨晩の帰り道での出来事を語った。要領を得ない話しぶりだったが、詩織が戦車道廃止を企むの一派の生徒に襲われたこと、それを謎の三人組に救われたこと、その三人組がどうやら味方らしいことは伝わった。

 話が終わるなり、左衛門左が口を開いた。

「んー? その黒縁メガネって、確か今年の副会長じゃないか?」

 テーブルの反対側にいた居合道部の内野沙耶が、反応を示した。

「あっ、私達も見たことあります! その方に、戦車道をやめろって言われたんですよ!」

「まったくいけ好かない連中でしたわね」

 つけ加えたのは同じく居合道部の袴野結子だ。

「やはり生徒会の差し金だったぜよ」とおりょう。

 あゆみは憤慨した様子で言った。

「それにしても酷いじゃないですか。脅迫したうえに、暴力まで振るおうとするなんて」

 エルウィンが指先で顎を撫でつつ、険しい表情を浮かべた。

「だが、生徒会の情報収集力は侮れんな。入学したばかりの一年生の経歴まで細かく把握しているとは。思うに、履修生達が離反してしまったのも、生徒会が我々に不利益な情報を多く持っていたからだろう」

 華が大きく頷く。

「エルウィンさんのおっしゃる通りです。生徒会は我々と新履修生が対立するよう仕向けたに違いありません。ヤクザの手口ですわ」

 そこへきて、典子がふと話題を変えた。

「ところで、武部さん達を助けたその三人組は、何者なんだろう?」

 問いかけられて、綾乃が肩をすくめる。

「さぁ、わかんないんですよね。ヨーヨーとかビー玉とか持って、自分達で名乗ってて、麻宮さん、五代さん……あと何だっけ?」

「確かサンマさんだよぉ!」

「違う。風間」

 いい加減な返答をする美智へ、きりこが淡々と言葉を被せた。

 それを聞いた沙織が、はっとしたように身を乗り出す。

「あーっ! それもしかして、大洗女子学園の裏番長じゃないのぉ?」

「有名なの?」

 転校して一年が経つものの、まだ大洗の事情に疎い部分があるみほへ、麻子が解説した。

「大洗女子学園・番長グループ。あまり表沙汰にはならないが、生徒会・風紀委員と並んで大洗女子学園の三大勢力と呼ばれてる連中だ。表を仕切る総番長の背後に、三人の裏番長がいると聞く。詩織達を救ったのは、多分その三人だ」

 ツチヤが椅子へ背をもたれ、不思議そうに漏らした。

「なんでそんな物騒な連中が、戦車道と関わるのかねー」

「確かに。別の狙いがあるのでは」と、同じ自動車部の二年・今暮井つかさも同意を示す。

 皆が首を捻っていたところへ、梓がぽつりと言った。

「助っ人、だからかも」

「それ、どういうこと?」

 隣のあやが、眉をひそめて聞き返す。梓はみほをちらっと見て同意を求め、彼女が頷くのを待ってから話し出した。

「昨日、前会長の角谷先輩から、西住先輩に連絡がきたんです。助っ人を寄越すって。もしかしたら、その裏番長三人のことなのかもしれません」

 優季が胸の前で手を合わせる。

「わぁ、そんな凄い人達が加わってくれるなんて心強いかもぉ!」

「だけど、今の人数にその三人を足しても三十四人だよ? まだ足りないじゃん」と桂利奈。

「もしかして、番長グループから別に人手を引っ張ってくるとか?」

 忍の言葉に、妙子はぎこちない笑みを浮かべた。

「それ、なんかちょっと怖いかも……。不良ばっかりってことよね?」

 意見もまわったところで、カエサルが話をまとめた。

「とどのつまり、その助っ人とやらが姿を現すのを待つしかなさそうだな。詩織の語るところが正しければ、今日中には何かしらの動きがあるとみた」

「た、多分そうじゃないかと……思うんですけど」

 詩織も自信なさげに答える。司会の優花里が時計を見て、声を張り上げた。

「では、そろそろ一限も近いので、ここで会議は終了します。また放課後に集まりましょう!」

 

 チャイムが校内に鳴り響く。

 午前の授業が終わり、昼休みになった。

「みぽりん! 今日は久々にハンガーでお弁当食べようよ!」

 手作りの弁当箱を掲げながら、沙織が言った。

「うん、いいよ。私も今日お弁当持ってきたから」

 みほが二つ返事で応じると、華も近づいてきてにこやかに言った。

「そういえば、あそこで食べるのも久しぶりですね」

「じゃ、麻子とゆかりんも誘うね」

 沙織が携帯をいじり、メッセージを送る。

 十分後、全員がハンガーで合流した。早速Ⅳ号戦車の上に座り、弁当を広げる。

「んー! 愛する戦車の上で食べるお弁当って、最高に美味しいよね!」

 笑顔で納豆ご飯を頬張る沙織へ、華が訝しげに尋ねた。

「沙織さん、いつから恋愛対象が男性から戦車に変わったんですか?」

「そんなんじゃなくて! 戦車も男もどっちも好きなの!」

「二股か。どっちつかずで完全に失敗するパターンと見た」と麻子。

「そもそも、Ⅳ号は武部殿だけの物じゃありませんよ?」

 優花里が至極真面目な突っ込みを入れる。沙織は膨れっ面になった。

「んもー。そんなのわかってるってば!」

 みほは友人達のやり取りを微笑んで見守っていた。

 一緒に過ごす、何気無いけれど大切な時間。戦車道が廃止になったら、それも無くなってしまう。そうならないように、頑張らなきゃ。一人じゃなくて、みんなと一緒に。

 昼食を終えた後も、みほ達はしばらくハンガーに居座り談笑を続けた。

 そこへ、うさぎさんチームの面々が入ってきた。M3のもとへ歩きながら、六人で口論を繰り広げている。喧嘩している雰囲気には見えないが、皆真剣な表情なので、みほ達は思わず耳を傾けた。

 桂利奈が両腕を振り回し、声をあげた。

「だからー、そこはどうでもいいんだって! 強くなったように見えないじゃん!」

「でも、外付けの武器とかは無理って言われたし。仕方ないから、やっぱり旗でも立てとく?」とあゆみ。

「それより塗装しようよ~。赤くなると強そうだし~」

 のんびりした調子でそう言ったのは優季だった。それを、梓がたしなめる。

「ダメだよ。色とか旗とか、去年の聖グロリアーナとの練習試合で痛い目見たの覚えてるでしょ?」そこまで言って、彼女はふとみほ達の姿に気がつき、慌てて身を折った。「あ……西住先輩! すみません、ご挨拶が遅れて」

 みほはにこやかに手を振った。

「いいよ。それより、何を話してたの?」

「新学期になったので、うちのM3もパワーアップさせたいって話してたんです。ツチヤさんには相談したんですけど、今年は予算削減のこともあるし、難しいだろうって言われてしまって」

「そうだね。ソミュアやポルシェティーガーは整備するだけでも大変だし。今は戦車の強化までは手が回らないかな」

「ですよね……」

 梓が落胆する。奥の方で、あゆみの声が聞こえた。

「ちょっと沙希、何やってるの?」

 見れば、沙希はM3に書かれたウサギのエンブレム――二本の包丁を持った面相の悪いウサギだ――に、白いチョークで何かを書き足していた。

 梓がその場へ寄って、叱りつけるように言った。

「もう、沙希。いたずら書きしちゃ駄目だよ……って、何これ!」

 梓の反応に、うさぎさんチームのメンバーが集まってくる。

 ウサギの持つ二本の包丁が、巨大な斧に書き換わっているではないか。

 あゆみが呆然と言う。

「さ、沙希。これって……」

 振り向いた沙希は、にこりと微笑んだ。

「ぱわぁあっぷ」

 ウサギの絵を凝視した梓達。次の瞬間、声を揃えて興奮気味に叫んでいた。

「カッコイイ~!」

「凄いよ! 凄いパワーアップじゃん!」と桂利奈。

「これ心理効果抜群だよ!」とあや。

「沙希は天才だね~」と優季。

 遠巻きに眺めていた優花里が、訝しげに言った。

「あれ、パワーアップで言うんですかね?」

「まぁ本人達も喜んでるみたいだし」

 沙織が取りなす横で、麻子も呟いた。

「雰囲気だな。完全に」

 ウサギさんチームがわいわい騒いでいたところへ、また別の一組がハンガーにやってきた。居合道部だ。

 先頭にいた内野沙耶が、礼儀他正しく一礼した。

「あっ、西住先輩! お疲れ様です」

「こんにちわ。皆さん、どうしたんですか?」

 これには、小刀が答えた。

「戦車の整備をしようと思いまして。戦車は居合道における刀と同じです。手入れを怠るわけにはいきません」

 華が微笑んだ。

「素晴らしい心がけですね。是非、他の皆さんにも見習って貰いたいです」

 袴野結子が尊大な調子で高らかに笑う。

「おほほ、とんでもありませんわ。武道を志す者として、当然ですもの」

 沙耶がじとっとした視線を向けた。

「結子さん、一番面倒くさがってましたよね?」

「お黙り!」

「さ、グソクーヌ。ちょっとここで休んでてね」

 金髪の太刀野間愛が、グロテスクなダイオウグソクムシ人形をハンガーの隅にあるテーブルへ置いた。

 優花里が青ざめた。

「何ですかあの人形は。ぞっとするビジュアルであります……」

 みほも頷いた。

「変わった人形を好きな人っているんだね」

「みほ、人のこと言えないと思うよ……」

 沙織が呆れ顔で突っ込む。

 突然、優花里が思い出したように手を叩いた。

「あ、そういえば西住殿。是非見ていただきたい資料があるんです!」

バッグを開けて、二枚の印刷されたプリントを手渡した。一つはネットの百科事典の記事で「栗林流」という題がついている。華が首を伸ばして尋ねた。

「これは何なのですか?」

「先日離反した履修生の言葉が、ずっと気になっていまして」

「詩織さんのチームに、戦車道経験者が二人いたという話のことですか?」

「そうです。そこで調べてみました。栗林美智さんは、どうもあの戦車道の名門・栗林流の跡継ぎらしいんです」

 麻子が眉をひそめる。

「栗林流? 聞いたことがないな」

「大分前に滅んだ流派ですからね。三十年前、日本のプロ戦車道界には四つの大きな流派があったそうです。西住流、島田流、石原流、それと栗林流です。それぞれ、東の島田、西の西住、南の栗林、北の石原と位置づけられ、さらにそれらを総称して「東火・西雷・南水・北風」とも呼ばれていました」

 今度は沙織が尋ねた。

「その火とか水とかって何なの?」

「流派の特徴を一字で表したものであります。即ち、火のように敵を焼き払う島田流、雷のごとく敵を殲滅する西住流といった調子です。中でも栗林流は、水のように柔軟に敵を翻弄するゲリラ戦が得意だったと言われています」

「私も少し、聞いたことがあるの」みほが優花里に続いて口を開いた。「お母さんが学生だった頃は、凄い強い流派だったみたい。でも、ある年アメリカのプロチームに惨敗してから、すっかり勢いを無くしたって。跡継ぎにも恵まれなくて、後進が育たなかったことも衰退の原因かな」

「栗林美智さんについても調べたんですが、中学時代の実績は殆ど見あたりませんでした。それどころか、選手にも選ばれていなかったようです。本当に才能が無いのかもしれませんね」

「でも、まだわからないじゃん? みぽりんだって大洗に来たからこそ実力を発揮出来たんだし」

 沙織の言葉に、みほは微笑んだ。

「そうだね。才能のあるなしは別として、頑張って続けて欲しいかな」

「ですね。続いて、こちらをご覧ください。穂積きりこさんの資料です」

 優花里が見せたのは、新聞記事の切り抜きだ。タイトルは「義留亀須学園・廃艦」。

 あっ、とみほが小さな声をあげる。

「穂積さんは、義留亀須の出身だったの?」

「みほさん、ご存じなのですか?」と華。

「うん。中学戦車道の強豪で、とにかくスパルタ訓練で有名な学校なの。まさか廃校になってたなんて」

 優花里が記事を手に取って解説する。

「去年の廃鑑騒ぎは、大洗以外にも各地で行われていたそうですから。義留亀須もその一つでした。もともとスポーツで名を馳せた学校でしたが、近年は成績も悪く、スパルタ指導が問題になっていたそうで。唯一実績のあった戦車道も、去年は一回戦で惨敗し、廃校を免れなかったそうです。ちなみに、穂積さんはあの有名な「赤砲」のメンバーだと記録がありました。腕前は折り紙つきであります」

 沙織が首をかしげる。

「赤砲……?」

「義留亀須でも選りすぐりの精鋭部隊のことであります。正式名称は、義留亀須学園戦車道第一〇部隊・独立特殊戦略電撃戦闘任務機甲班Yー2といいます」

「何それぇ! 長くて覚えられないよ~!」

「別に覚える必要は無いのでは……」と華。

「さて、もう一人の戦車道経験者、川村ユングさんについてなのですが……」

 その時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。沙織は弁当箱の風呂敷を畳みながら言った。

「もう授業始まるね。そろそろ行こっか」

 その言葉に促されて、皆は戦車を降りた。

「では西住殿。ここでお別れします」

 ハンガーの入り口で、優花里がびしっと敬礼する。みほも笑顔で手を振った。

「うん。また放課後にね!」

 

 

「よし、一年生! あと十周だ! 根性で飛ばしていけー!」

 磯部キャプテンがストップウォッチ片手に、グラウンドを走る新入部員へ声を飛ばす。

 その姿を、佐々木あけびは少し離れたところでにこやかに見つめていた。

 今年、正式に入部した新入部員は二十一人。バレーボール部はめでたく復活を遂げたのだ。熱心に後輩を指導するキャプテンを見ていると、何だか自分も嬉しくなる。

 そこへ、近藤妙子がやってきた。

「キャプテン、そろそろ戦車道の会合ですけど」

「おっと、もうそんな時間か。それじゃ……」

 キャプテンは、途中で一年生を放り出すのが忍びない様子だった。あけびがゆっくり進み出る。

「あの、キャプテン。新入生は私が見ておきますから、会合に行ってください」

「そうか。じゃあ、頼んだぞ。佐々木」

「はい。行ってらっしゃい……」

 手を振って、キャプテンと妙子を見送る。心無しか、笑顔が作り物になっているのが、自分でもわかった。

 キャプテン達とは一緒にバレーをやっているはずなのに、どこか切り離されているような気分になる。

 理由は、わかりきっていた。

 本当は私だって、一緒に……。思わず、嘆息してしまう。

「何のため息なのよ、それは」

 いきなり声をかけられて、あけびはぎょっとした。振り向けば、無愛想な顔つきの川村ユングが腕を組んで立っていた。 

「あ……川村さん。戦車道の会合始まっちゃうよ?」

「別に出る必要無いわ。どうせ私に発言権なんか無いんだし」にべもない調子で答え、それからつけ加えた。「あんたこそ、行ったらどう?」

「わ、私はもう……戦車道はやれないから」

「だったら、そんな未練がましい顔するんじゃないわよ。人が見たら心配するでしょ」

 あけびは、はっとユングを見た。

「心配……してくれてるの?」

「私が? するわけないでしょ。他の連中が、よ」

「うん……。でも、ありがとう」

「何がよ」

 あけびは微笑んだ。彼女に対して、初めて見せる心からの笑顔だった。

「川村さんが、冷たいだけの人じゃないって、わかったから」

 ユングはふん、と鼻を鳴らして去っていった。

 

 みほは沙織と華を連れ、慌ただしく作戦会議室の中へ駆けこんだ。授業後のホームルームが、思いのほか長引いてしまったのだ。

「ごめんなさい。遅くなりました!」

 既に殆どのメンバーが集合している。

 ところが、その中に予想外の顔ぶれもあった。みほは目を丸くした。

「猫田さん……? それに風紀委員の皆さんも。どうしてここに?」

 先日戦車道を辞めると宣言した四人――ねこにゃー、ももがー、ゴモヨ、パゾ美がいたのだった。

 ゴモヨが、当惑した表情で答えた。

「え……昨日、戦車道の元メンバーも含めた緊急会議をやるって連絡が来たものだから。西住さんが声をかけたんじゃないの?」

 続けてねこにゃーも言った。

「ボクとももがーも同じ連絡を受け取って来たんだけど……もしかして、何かの間違いだったのかな」

 みほにもわけがわからない。そんな連絡をした覚えは無かった。

 しかし履修者も不足している今、これはまたとない機会だ。せっかく来てくれたのだし、駄目もとで説得してみるべきではないか。みほはおずおずと話し始めた。

「あの、皆さん。もしよかったら――」

「何者!」

 突然、居合道部の小刀がドアへ向かって叫んだ。

 沙耶と結子が、木刀を片手にいち早く飛び出す。

 次の瞬間、ドアが開くと同時に、何かが物凄い勢いで飛来した。

 ヨーヨーと、ビー玉。

 沙耶と結子は気合一声、木刀を袈裟懸けに払い、それらを跳ねのけた。

 が、それで終わりではなかった。突如躍り出た人影が、沙耶と結子へ手刀を見舞い、二人の得物を叩き落とす。虚を突かれ、沙耶達はたじたじと後ずさった。

 人影は大洗の生徒だった。両腕には赤塗りの籠手をはめている。彼女は白い歯を見せて笑った。

「居合道部、聞きしに勝る腕前じゃ! 伊達に稽古はしとらんね! わちは大洗女子学園二年C組・風間未唯! 人呼んで、不動明王の未唯じゃ!」

 その後ろから、さらに二人の生徒が近づいてくる。右側にいる、ビー玉を指に挟んだ子が先に名乗った。

「同じく二年C組・五代舞。通り名は鉄仮面の舞! よろしく頼むぜよ」

 エルウィンがおりょうを小突いて、囁いた。

「おい、ぜよって言ったぞ。仲間なのか?」

「んなわけないぜよ……」

 最後は、左手にヨーヨーを巻いた生徒だ。

「同じく二年C組・麻宮亜衣。またの名を、ヨーヨーの亜衣! あたし達三人は、大洗女子学園の裏番長さ。角谷杏前会長からの頼みで、戦車道を履修することになった。ひとつこれからよろしく頼むぜ」

 武部詩織とその友人が、真っ先に反応を見せた。詩織は仲間を代表して、ぺこりと頭を下げる。

「あ、あの、昨日はありがとうございました」

 亜衣は微笑した。

「いいってこった。気にすんな」

 みほも三人が味方だと確信し、自ら進み出た。

「杏さんからお話は聞きました。よろしくお願いします」

 裏番長達はそれぞれ頷く。そこへ、パゾ美が冷ややかに告げた。

「麻宮さん。風紀委員の裏切り者がここに何の用? そどこは、あなたを後継者にと期待していたのに」

 詩織の時とは打って変わり、亜衣が皮肉な表情を浮かべた。

「別に、園先輩も風紀委員も裏切った覚えはねえよ。ただ、学園の平和のためには、風紀委員の立場じゃ見えねえ正義もあるってことさ。今回の戦車道の件もな。そうそう、あたし達が加わっただけじゃ、まだ履修者の定人数には足りなかったはずだ。あんた達四人にも戦車道を履修して貰うぜ」

 そう言って、ゴモヨ達へ視線を向ける。

「そ、そんな! 勝手に決めるなんて。私達風紀委員は、今戦車道どころじゃ……」

 ゴモヨが当惑する一方、パゾ美は合点のいった様子で言った。

「ようやくわかったわ。昨日の召集メッセージ、あんた達が寄越したのね」

 舞がせせら笑った。

「こうでもせんと、おまんらは来なかったぜよ。で、答えはどーなんじゃ?」

 ねこにゃー達も、風紀委員の二人も黙り込んだ。すぐに言い返さないところを見ると、迷っているのかもしれない。

 未唯は腰に手をあて、叱責するような口調で告げた。

「まっこち、情けねえこっちゃ! 戦車道は、あんた達の大事な居場所じゃなかと? それが危のうなっとる時に、迷っちょる暇なんか無いじゃろ?」

 みほもあと一押しだと思って、三人の後に言葉を続けた。

「皆さん、私からもお願いします。どうかもう一度、戻ってきてください。チームには、皆さんの力が必要なんです」

 深く頭を下げる。

 またしても、沈黙。みほは待った。

「西住さん……」ねこにゃーの声に、みほはようやく顔を上げた。「ボクとももがーは、ぴよたんがいなくなってから、ずっと代わりのメンバーが見つからなくて。それなら、戦車に乗る意味も無いって、勝手に決めつけてたんだにゃ。でも……西住さんやみんなが、こんなにボクを必要としてくれてる。それなら……ボクは戦場に戻るんだにゃ」

 ももがーも、ねこにゃーと肩を並べた。

「私も戻る。戻って、戦う! これまでと違うメンバーとうまくやれるかはわからないけど、やってみるナリ!」

 すると、ゴモヨも意を決した様子で言った。

「西住さん。この前はあんなこと言っちゃったけど、やっぱり私達も戦車道をやります。いえ、やらせてください。そどこがここにいたら、やっぱり戦車道を選択したはずですから」

「それに、番長グループに戦車道を任せたら、風紀が乱れるもの」とパゾ美もつけ加えた。

 みんな、戻ってきてくれた……! みほは瞳を潤ませて、四人の手をかわるがわる握った。

「ありがとうございます! また一緒に戦えるなんて、凄く嬉しいです。これで……これで――」

 喜びのせいか、言葉が出てこない。沙織が笑顔で手を叩き、後を引き取る。

「これで三十七人! 人数の問題は解決だね!」

「やっぱり、カモさんとありくいさんもいてこその大洗戦車道であります!」と優花里。

 作戦会議室に、自然と拍手が沸いた。誰もが、四人の帰還を歓迎している。

「ようやくベストコンデイションということか」

 エルウィンがそう言うと、典子が複雑な表情で首を振った。

「いや。もう一人……」

 妙子がそばで慰めた。

「キャプテン。あけびもきっと戻ってきてくれます。だって私達と同じで、戦車道が好きなんですから。きっと、いつか……」

 とにもかくにも、チームメイトは再び終結した。

 喜びに沸き返る一同へ、亜衣が言う。

「あんた達、安心するのは早いよ。まだ、大本の厄介事を引き起こした連中が残ってる」

「官有くめ子さんのことですね」華が尋ねた。「裏番長の皆様は、生徒会がわたくし達を敵視する理由をご存じなのですか?」

「ああ。大体な」亜衣は腕を組んだ。「まぁ、至極単純な話さ。去年廃校になるはずだったこの学園を、あんた達が長生きさせちまった。それが全ての原因なんだよ」

「ええっ」

 その場の一同は、一様に驚きを浮かべた。梓が真っ先に反駁した。

「どうしてですか? 学園の存続は、生徒全員の願いだったはずです!」

「もし本当に全校生徒が反対の声をあげてたら、そもそも文科省だって廃校話を持ちかけねえさ」

 忍が拳を握った。

「一体、誰です? 誰が廃校に賛成を?」

「文科省は、学業やスポーツで優秀な成績を修めた生徒や、生徒会のように学校の中心で活動する生徒にコンタクトをとって、餌を投げたのさ。廃校に賛成してくれたら、転校先では特待生としての特典を与えるってな。まぁ、学費の免除やら奨学金援助やら、色々とだ」

 文科省に散々苦しめられてきた戦車道チームは、亜衣の話を聞いて消えかけていた怒りがぶり返してきた。あやが皆の気持ちを代弁して言った。

「そんなの無茶苦茶じゃないですか。一部の生徒だけに特典だなんて、完全な差別ですよ」

「そりゃ、文科省も全校生徒に特典を与える余裕は無かったしな。優秀な生徒だけを対象にしたのも、そいつらに廃校を反対されるのが一番厄介だからさ。逆に、そいつらさえ抑え込んじまえば、残りの一般生徒の声なんて無視出来ると思ったんだろうよ」

 沙織が憤慨した。

「な、何よそれっ! そんな酷い話ってあるの?」

「表沙汰には出来ねえ学園の裏事情ってやつだよ。杏会長をはじめ生徒会も、文科省の懐柔を受けた。でも、全ての生徒の立場を案じていた杏会長は、文科省の条件を突っぱねたのさ。けど……生徒会の内部にも、廃校に賛成した連中は少なくなかった」

 麻子が腕を組み、理解を浮かべた。

「その一人が、官有くめ子ということか」

「ああ。官有くめ子は、大洗が廃校になれば、最新式の学園艦に特待生として転校出来るはずだった。それがあんた達の活躍でおじゃんになったからね。同じように文科省の誘いを受けていた弓道や忍道の生徒も、あんた達を恨んでるだろうぜ」

 茶道・弓道・忍道は大洗女子学園の三本柱とも呼ばれ、優秀な実績を残している生徒は少なくない。彼らが文科省の取引に同意していたとしたら、当然戦車道チームを敵視するはずだ。

 優花里が暗い面持ちになった。

「道理で、あの無茶苦茶な予算案に茶道や弓道の生徒が賛成していたんですね」

 亜衣がさらにつけ加える。

「生徒だけじゃないぜ。父母会の役員や学園艦に住む有力者に、文科省は積極的なコンタクトをとってる。恐らく、そいつらも何かしらの餌を掴まされて、廃校に賛成してたに違いない」

「あーっ!」突然、忍が声をあげた。「私、わかった! あけびが戦車道やれなくなった理由!」

 隣にいた妙子が、すかさず聞き返す。

「どういうこと?」

「あけびのお父さん、父母会の会長やってるじゃん。もしかしたら、廃校に賛成してたんじゃない?」

「でも、それならなんであけびに戦車道やらせてたのかな? 第一、あけびは私達と同じで、プラウダ戦まで廃校のこと知らなかったみたいだし」

「きっと、うちが優勝するなんて思わなかったからだよ。廃校のことはトップシークレットだったし、あけびのお父さんもそれで黙ってたんじゃないかな」

 梓が肩を落とした。

「私達、学園のために戦ったつもりだったのに……。それが、いけないことだったんでしょうか」

「生徒会の妨害は、今後も続くかもしれませんね」と華が懸念をつけ加える。

 二人の言葉は、チーム全員に苦い思いをもたらした。

 みほは仲間達を見つめた。どの顔にも怒りや不安といった負の感情が浮かんでいる。せっかくメンバーが揃い、戦車道の継続が決まったのに、こんな悪い空気にあてられては、新履修生にも悪影響が出てしまう。

 みほは決意した。今こそ、リーダーとしての役目を果たす時だ。

「皆さん!」

 声を張り上げ、大股で進み出る。全員の視線が集まるのを感じた。

 みほは深く息を吸った。次の瞬間――。

「あああん、あん! あああん、あん!」

 歌と共に手足を激しく振り、踊り始める。

 大洗名物にして――極めて恥ずかしいと評判の――あんこう踊りだ。

 全員が呆気にとられた。それを見たみほは、いったん踊るのをやめて叱咤した。

「どうしたんですか、皆さん? まさかあんこう踊りを忘れたんですか?」

 沙織が困惑を浮かべた。

「いや、あの、忘れてないけど、なんで唐突にそれ……」

「定人数が揃って、裏番長という心強い味方も加わったのに、皆さんの表情が暗いからです! 今は大会に備えて、士気を高める時なんです。私と一緒に踊ってください! あぁのこ、あいたや、あのうみこえて、あったまのあっかりはあぁいのあかし……」

 狂ったように歌い、踊り続ける。

 それを見ていた優花里は、わなわな体を震わせて叫んだ。

「西住殿、私もお供いたしますっ!」

「んもーっ! どうせ士気をあげるんだったら他のやり方があるでしょー!」

 文句を言いながら、沙織もみほ達と肩を並べて踊り始めた。続いて華と麻子、うさぎ、あひる、かば、かも、ありくい……。それからためらいがちに、詩織達を始めとする新メンバーも参加し、とうとう全員で激しく踊っていた。

 踊り続けながら、みほは声を張り上げた。

「皆さん、私達に厳しい状況が続いています。でも、今は自分達に出来ることを、全力でやり抜くしかありません。仲間は揃いました。大会に向けて、明日からは訓練に打ち込みましょう!」

「はい!」

「声が足りません! もっとあんこう踊りです!」

 言いながら、みほが踊りのスピードを速める。メンバー達も必死についていく。

「愛して、あんあん! 泣かさないで、あんあん! いやよいいわよ、あんあんあん……!」

 作戦会議室からは、戦車道メンバーのヤケクソな歌声がいつまでも絶えなかった。 

 

 翌日より、戦車道チームは本格的な訓練を開始した。

 課題は山積みだ。現行メンバーのレベルアップだけでなく、新履修生の教育もしなければならない。予算削減により、整備や訓練も制限されていた。チームは、日々苦闘が続いた。

 何日かして、正式にチーム編成が決定した。あんこう、うさぎ、かばは前年通り。れおぽんとあひるも新メンバーが加わったこと以外は変わらない。残りについては協議の末、居合道部の四人に訓練で乗りなれていた三式中戦車を、裏番長の三人にはヘッツァーを、そして武部詩織とその友人にはソミュアを配車した。残るルノーは、風紀委員の二人とねこにゃー、ももがーの四人でチームを組んだ。ゴモヨとパゾ美はいまだ少なからず対立しており、チームワークに難がある。そこへねこにゃー達が加われば、うまく作用するのではないかと考えたのだ。

 

 

「まったく、どうしてよりにもよってありくいなんですの?」

 ハンガーにたたずむ三式中戦車を前にして、結子が不満げに鼻を鳴らす。沙耶が横からなだめた。

「まぁまぁ。三式は猫田先輩達からの受け継ぎですし、名前を変えるわけにもいかないじゃないですか」

 ダイオウグソクムシを抱えた間愛が、笑顔で言った。

「間愛、ありくいも好きですよ~」

「ゲテモノ好きは黙ってなさいな!」

 怒鳴る結子を後目に、小刀が沙耶を振り向いた。

「ところで、沙耶。戦車道を始めてから、居合道への新しい入部希望者は来たの?」

 沙耶は落胆気味に答えた。

「それがさっぱりで。生徒会を筆頭に、戦車道へのバッシングが酷いみたいですから」

「そのようね。けれど、西住隊長や裏番長達からあんな話を聞かされた後だもの。今更、戦車道をやめるわけにはいかないわね」

「もちろんです! 義を重んじるのが武道の精神、居合と同じですよ。正々堂々戦い抜いて、生徒会の横暴をみんなで打ち破りましょう!」

 四人が話していたところへ、パゾ美とゴモヨが前後してやってきた。沙耶はぺこりと身を折った。

「お疲れ様です。風紀委員の皆さん」

 ゴモヨが尋ねてきた。

「あなた達、裏番長の三人を見かけなかった?」

「いいえ。見ていませんけれど」

 パゾ美が腰に手をあて、忌々しげに言った。

「あの三人、これまで一度も練習に参加していないのよ。本当に協力する気があるのかしら。大体授業をサボるなんて、他の生徒にも悪影響だわ」

「パゾ美ったら。こんなところで愚痴をこぼしてどうするの?」

「あなたこそ、いちいち私に指図しないで。委員長は私よ」

「指図じゃなくて、私が言いたいのは……」

 二人の態度が段々険悪になっていくので、沙耶は慌ててなだめにかかった。

「あ、あの。先輩方。ここはどうか落ち着いてお話を――」

 突然、ハンガーの奥で爆発音が響き渡った。居合道部と風紀委員の面々が、驚いてそちらに目を向ける。

 ポルシェティーガーのエンジンから、火の柱があがっていた。

 中からツチヤ、つかさ、茜、留美ら自動車部のメンバーが次々に飛び出してくる。その後もポルシェティーが―はあちこちから爆発を起こし、四人は慌てて消火作業にかかっていた。

 パゾ美が腕を組み、鼻を鳴らした。

「今年の自動車部、本当に大丈夫なのかしら。去年はポルシェティーガーも楽々整備してたのに。あけびさんの抜けたバレー部もチームワークが乱れ気味だし、まともなのはあんこうとカバとうさぎくらいね。これじゃ、全国大会が思いやられるわ」

 沙耶がため息をついた。

「そういえば、今年は伝説の軍師として名高い河島桃さんもいらっしゃらないんですよね」

「はァ!? 伝説の軍師?」

 ゴモヨとパゾ美が、揃って素っ頓狂な声を上げたので、沙耶は面食らった。

「え……私、何か変なこと言いましたか? でも、去年の生徒会新聞に書いてありましたよ。大洗女子学園が優勝出来たのは、河島桃先輩の優れた戦略があったからだって」 

 結子がすかさず、得意げにつけ加えた。

「あたくしも見たことがありましてよ。確かサンダース戦での勝利は河島先輩の作戦のおかげだったと聞きますし、アンツィオでは河島先輩率いるかめさんチームが勇敢な陽動作戦を行い、敵フラッグ車撃破に貢献したと」

 小刀も大きく頷く。

「プラウダとの準決勝も、河島先輩の敵防衛線突破が逆転のきっかけだったと書かれていました。決勝でのマウス撃破も、河島先輩が咄嗟に機転を利かせて立てた作戦のおかげだとか。さらに大洗でのエキシビジョンマッチでは、空中を滑空していたクルセイダーを撃墜する離れ業をやってのけ、大学選抜チームとの試合では、あの驚異的なカール自走砲にとどめを刺したそうですね。河島先輩がいなければ、昨年度の戦いを勝ち抜けなかったともっぱらの噂です」

 ゴモヨは笑っているような泣いているような、複雑な表情で言った。

「あ、あはは……。確かに間違ったことは言ってないけれど、それは、ええとぉ……」

「ゴモヨ、やめなさい。今更蒸し返すのも面倒だわ。それより、見回りに行くわよ」

「そ、そうね。そうしよう」

 二人はそそくさとハンガーを去っていった。

 後に残された沙耶達は、不思議そうに顔を見合わせていた。

 

 

 訓練の日々は続き、五月も半ばを過ぎた。

 武部詩織にとって、高校生活の日々はかけがえのない宝物になっていた。戦車との出会いで、色んなことが変わった気がする。友達が出来てからは、淵上さん達の虐めも以前ほど堪えなくなった。はきはきとものが言えるようになったし、物怖じすることも減ってきている。

 その日の放課後も、詩織はチームメイトとソミュアの整備にいそしんでいた。

 履帯の掃除をしていた綾乃が、出し抜けに声を放った。

「ちょっと美智! 何やってんの?」

 キューポラにまたがっていた美智が、きょとんとした顔つきで振り向く。手には赤いペンキのついたハケを握っていた。

「砲塔を塗ってるだけだよぉ?」

「だから! なんでそんなことしてるわけ?」

「だってきりこは赤砲出身だもん。義留亀須のチームは、みんなこうやって戦車の砲塔を赤くしてたんだよ! 大抵の中学チームは、赤い砲塔見ただけで驚くんだから。いいでしょ、きりこ?」

 腕を組んで赤い砲塔を眺めていたきりこは、長い沈黙の後で言った。

「少し違うな。赤砲の色はもっと赤い。血の色だ」

「そーだっけ? じゃあ、塗り直さなきゃね」

 綾乃が辟易した。

「そんなことより、こっち手伝いなさいよ~」

 皆のやり取りを微笑んで眺めていた詩織は、ふと話題を変えた。

「あ……そうだ。この前話したチームの名前、みんな考えてくれた?」

 新履修生のうち、先輩の戦車を引き継いだ居合道部や裏番長はチーム名を持っていたが、新しく加わった戦車に乗る詩織達は、チーム名が無かった。それで先日、みほさんに名前を決めておくよう言われたのだ。

「あたしはクマとかを考えてたけど。強くて可愛い感じじゃん?」と綾乃。

「私は『すべすべまんじゅうがに』がいいな!」と美智。

「別に何でも。強いて言えば犬」ときりこ。

 詩織は困ってしまった。見事に意見がバラバラだ。

 綾乃が肩をすくめる。

「とりあえず、美智のはありえないと思うよ……」

「えぇ? すべすべまんじゅうがに可愛いよぉ」

「そういう問題じゃないっつうの」平手でびしっと突っ込みを入れた綾乃は、詩織を見た。「しーちゃんは?」

「うん。うまとか、いいかなって」

「馬?」

「調べてみたんだけど、ソミュアは騎兵戦車っていうカテゴリーなんだって。騎兵って、馬みたいな感じかなって思ったから。ソミュアのシルエットも馬に似てるし……。それに私達が初めて揃った美術の授業で、馬の絵を描いたよね? 何かと繋がるようなものがあった気がして……」

 綾乃は喝采した。

「わー、いいじゃん! うまにしようよ!」

「構わない」

 きりこが頷く横で、美智も両手を振り上げた。

「私もさんせ~い! あ、じゃあ詩織が絵を描いてよ。うまいんだし!」

「わ、私の絵なんかでよかったら。じゃあ、馬にするね」

 三人に否やは無かった。

 その話題の後で、綾乃は身を乗り出した。

「そういえば明日だっけ。全国大会の抽選会!」

 六月から第六十四回・学生戦車道全国大会が始まる。明日は試合参加校による抽選会が開かれるのだった。

 美智が大きく伸びをした。

「どことあたるのか、楽しみだなぁ」

 

 

「12番、大洗女子学園!」

 抽選会場にアナウンスの声が響く。ステージの上で番号を引いたみほは、すぐ近くのホワイトボードに掲示されているトーナメント表を見た。

 12番の相手は……知波単学園だ。

 ステージを降りると、見慣れた顔がみほを待ちかまえていた。知波単学園戦車道チーム隊長・西絹代だ。彼女はつかつかと進み出て、にこやかに告げた。

「まさか一回戦で大洗の皆様と戦えるとは。またとない名誉です」

 みほも微笑んだ。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 二人はどちらからともなく、手を握り合った。

 

 

「実に賑やかだな」

 学生達で賑わう会場の中を、カエサルはカバさんチームのメンバーと共に歩き回っていた。すぐ横のエルウィンが言った。

「気を抜くなよ、カエサル。我々がここにいるのは敵状視察のためだ」

「無論、心得ているとも」

 あんこうチームが抽選を行う間、他校の情報を探るという名目で、カバさんチームも今回の抽選会に同行していたのだった。

 ふと、左衛門左がトーナメントを見て眉をひそめた。

「んー? 今年は二十四校も参加してるのか。中立高校、中華大付属挑戦学園、十字軍女子学園……どれも去年はいなかったチームじゃないか?」

「無名校だったうちが優勝したものだから、それに触発されて今年は参加校が増えたらしいぜよ」とおりょう。

 エルウィンが不敵な笑みを浮かべる。

「もしかすると、我々のように無名ながら実力のあるダークホースがいるかもしれないな」

 その時、人混みの中から朗らかな声があがった。

「たかちゃーん!」

 近づいてきたのは、アンツィオ高校のカルパッチョだ。それを見たカエサルの表情は、花を咲かせたように輝いた。すぐさま駆けていって、カルパッチョの手を握る。

「ひなちゃん、元気だった? 聞いたよ、今年は隊長になったんだって?」

「そうなの。カルパッチョ隊長って呼んでね」

「アハハ。ところで、一回戦の相手は?」

「継続高校だよ。たかちゃんは?」

「うちは知波単。ま、楽勝じゃない? アンツィオと大洗は、確か同じブロックだったよね?」

「うん。勝ち上がれば、またたかちゃんと二回戦で戦えるね」

「楽しみにしてるよ。絶対勝って!」

「たかちゃんもね!」

 

 

 抽選を終えたあんこうチームの面々は、去年と同じく戦車喫茶に立ち寄った。沙織が両手の上に顎を乗せながら、余裕のある笑みを浮かべた。

「一回戦は知波単かぁ。勝てない相手じゃないよね」

「油断は禁物ですわ。保有している戦車の性能はともかく、知波単とは去年のエキシビジョンでチームを組んでいますから、わたくし達の戦い方をよく知っています」

 華の指摘に、みほも密かに頷いた。知波単は一見頭が硬いように見えて、その実柔軟だ。エキシビジョンでは特攻を貫徹して惨敗したが、大学選抜チームとの試合では戦略的な動きで敵を見事に翻弄してみせた。あの成長力は決して侮れない。

 考え事にふけっていた時、誰かが自分の名前を呼んだ気がした。振り向くと、黒森峰女学園隊長・逸見エリカが、チームメイトの赤星小梅――エリカの話だと、今年は副隊長になったそうだ――を連れて立っていた。

「エリカさん……」

 会うのは、熊本で別れて以来のことだ。

 二人はつかの間、見つめ合っていた。

 突然、沙織が勢いよく席を立ち、窓を見ながら叫んだ。

「あーっ! あそこにイケメンな男の人がいるー! 麻子、見に行こうよ!」

「私は興味無――」

 沙織は麻子の口を塞ぎ、華と優花里にもちらっと意味ありげな視線をなげた。そして嫌がる麻子を強引に連れ出していく。

 優花里がぽんと手を叩き、思い出したように言った。

「そういえば! 私も抽選会場限定の戦車グッズ買いに行かなきゃであります!」

「わたくしも持病の癪が……。少し外させていただきます」

「え、あの、みんな……」

 みほがおろおろする間に、四人は次々と姿を消してしまった。

 エリカの隣にいた小梅までもが、不意に言い出した。 

「あ、隊長! 私、用事があったの思い出しちゃった。みほさんと少しお話ししたら? 会うの久々でしょう?」

「ハァ? 小梅、ちょっと待っ――」

「お待たせしました。ご注文は?」

 タイミングがいいのか悪いのか、店員がやってきた。小梅がすかさず注文を告げる。

「あ、こちらの二人にマチルダコーヒーと、パンターケーキのセットを。それじゃ隊長、また後で!」

「小梅! こらっ、待ちなさいってば!」

 エリカが叫んだ時にはもう、小梅は全力で駆けだした後だった。

 呆然と立ち尽くす彼女へ、みほは遠慮がちに声をかけた。

「あの、エリカさん。良かったら、座って。コーヒー来ちゃうし」

 エリカは鼻を慣らしつつ、腰を下ろした。頬杖をつき、憮然とした表情で言う。

「まったく、小梅もあなたのチームメイトも、示し合わせたようにいなくなって」

「あはは、気を遣ってくれたみたいだね」

「余計なお世話だわ。もう以前みたいに険悪な仲でも無いんだし」

「そうだよね」

 エリカは頭の後ろで腕を組み、椅子に深くもたれた。瞳に、感慨深げな色が浮かんでいた。

「けど、一年の頃は想像もしなかったわよね。こうして別々のチームに別れて、隊長をやってるなんて」

「うん」

「時々、あなたがいてくれたらって思うことがあるわ。昔チームを組んでいた時のように、あなたが指揮をして、私がそれを助ける……。もともと、隊長なんて私のカラーじゃないわ。優れた指揮官の下で戦う方が、性に合ってるのよ」

 みほは、エリカの気持ちをなんとなく察した。こともなげに話しているが、黒森峰はここ二年準優勝止まり、かつて九連覇を成し遂げた頃の勢いは無くなっている。エリカガ隊長として、周囲からの重圧に悩まされているのは間違いなかった。みほがいてくれたら云々というのは、その気持ちの表れなのだろう。

「エリカさん、私は――」

「同情とか謝罪なら、聞かないわよ。私とあなたは、これで良かったの。途中で何があったにせよ、二人とも戦車道を続けてるんだから」

「うん。そうだね……。後悔が無いわけじゃないけれど、この道が正しかったんだって気持ちは変わらないの」

「ええ。それでいいのよ」

 かつては最高のチームメイト、そして今は最高のライバル。まったく異なる立場にせよ、二人は今も戦車道によって結びついている。大事なのはそれだ。

「今年も勝ち上がってきなさいよ。必ず、私の手であなたを倒してみせる」

「私も、負けないよ」

 二人は瞳と瞳で、心を交わした。

 やがてコーヒーとケーキが運ばれてくると、二人でそれを味わいながら、ここ数か月のことを語り合った。戦場で会うのはまだ先のこと。今はお互いに、ただの親友同士として過ごしたかった。

 そこへ――。

「あら……大洗の西住みほと、黒森峰の逸見エリカではなくて?」

 みほとエリカは、同時に顔を上げた。

 そこにいたのは、プラウダ高校の制服を着た生徒だった。白い肌とブロンドの髪、それにややふくよかな体格は威圧感があった。カチューシャやノンナといった生徒と面識のあるみほだが、眼前の生徒のことは知らなかった。

 エリカが冷笑した。

「そういうあなたは、今年のプラウダ高校隊長のエカチェリーナでしょ?」

「ええ、私をご存じ?」

「噂を少々ね。去年の冬に行われたサンダースとの親善試合で、一輌の損害も出さずに勝利したとか聞いたわ。今では、プラウダの女帝と呼ばれてるんですってね?」

 エカチェリーナも負けじと傲慢な笑みを浮かべる。

「ホホホ、実力が伴っていなければ、誰も渾名なんかつけないわ。私にはプラウダの女帝たる実力があるのよ」

「その傲慢さが仇とならなければいいわね。あなた、去年はフラッグ車に乗ってたそうじゃない? 大洗の奇襲であえなく撃破されたザマは、大いに笑えたわよ」

「お黙り、逸見エリカ! あなたこそ将の器ではないわ。西住まほの金魚の糞でしかなかったくせに。そんな輩が隊長になれるなんて、黒森峰も落ちたものだこと」

 ただならぬ事態に、みほは慌てて割って入った。

「二人とも、落ち着いてください。こんなところで言い争って、どうするんですか?」

 エカチェリーナはみほを睨みつけた。

「あなたには二つも貸しがあるわ、西住みほ」

「え……?」

「一昨年、私はあなたのパンターと戦って負けた。去年はフラッグ車を撃破された。あなたはこの私に、二度も土をつけた。この屈辱……晴らさずにおくものですか」

 当惑しているみほを見て、エリカが茶化した。

「残念、エカチェリーナ。みほをライバル視してる戦車乗りは山ほどいるのよ。あなたは生憎、顔も名前も覚えて貰ってないみたいね?」

「ならば、忘れられないよう、悪夢を見せてあげるまでよ。あなた達二人と私こそが、今年の学生戦車道における三強なのは間違いないわ。誰が最高の戦車乗りか、白黒をつけなくてはと思っているの」エカチェリーナはなおも傲慢に応じ、それからみほへ目を戻した。「そうそう、西住さん。うちの負け犬があなたの学校で世話になっているそうだから、せいぜい面倒を見てやってちょうだい。それじゃ、これで失礼するわ」

 うちの負け犬……? みほが問い返そうとした時にはもう、エカチェリーナは大股で立ち去っていた。

 エリカが鼻を鳴らした。

「みほを倒すのは、この私よ。他の誰かじゃなくてね」

 

 

「えっ……それ、ホントなの」

 驚いて聞き返したあけびへ、ユングは顔をしかめた。バレーの練習が終わった、放課後のことだった。

「嘘なんかついてどうするのよ」

「だって、川村さんがあのプラウダの生徒だったなんて……。どうして、転校してきたの?」

 ユングはあけびを鋭く睨みつけた。

「ご、ごめんね。話したくないなら、いいの」

 二人は、体育館裏の倉庫の壁にもたれて座っていた。ここはいつの間にか、あけびとユングが二人だけで過ごす場所になっていたのだった。

 ユングは顔を背け、ぶっきらぼうに告げた。

「あなたに、天才の気持ちがわかる?」

 あけびは首を振った。

「私は勉強もバレーも戦車道も、何でも出来たわ。でもそのせいで、周囲に妬まれたり煙たがられたり。私の方も、そういう凡人達に苛ついて、見下したりして。そんな有様だから、プラウダでは孤立して……結局、チームを出て行くしかなかった」

「そうだったんだ」

 ユングの言っていることは、あながち間違いでもなかった。彼女は確かに天才だ。学問もスポーツも成績優秀、バレー部では早くもキャプテンが彼女をスタメンに選んでいたし、戦車道の実力も西住隊長が絶賛していた。しかし、天才がゆえに周囲を憚らず意見を出すし、スタンドプレーも多い。そのことが、バレーでも戦車道でも少なからぬ悪影響となっていた。

 ユングは皮肉そうに口端を持ち上げた。

「私の性格じゃ、どこの学校へ行ってもうまくいくわけがない、そう思ってるんでしょ?」

「そんなことないよ。だって、私は川村さんとこうして普通にお話してるもん」

「上辺だけよ」

 あけびは微笑んだ。

「今はそうかもしれないけれど、卒業するまでずっとチームメイトでしょう? 私には、川村さんがとっても眩しいの。少しでも近づけたらいいなって、そう思うの」

「無理でしょうね。もとの出来が違うもの」

「じゃ、せめて足を引っ張らないように、頑張るね」

 ユングは面倒くさげに舌打ちした。

「無理に話を合わせなくていいわよ。私のこと、嫌な奴って思ってるんでしょ?」

「それでも……チームメイトだから……。私はもう、戦車道出来ないし。川村さんに、代わりを頑張って貰わなくちゃ」

 背を丸め、俯き加減になりながら続けた。

「チームのために、川村さんには、少しでもバレー部のみんなと仲良くして欲しくて……だから、こうして二人でお話して……こんなことくらいしか、今の私には出来ないから……。でも、余計なお節介だよね、こんなの……」

 ユングは顔をしかめ、無造作に手を振った。

「もういいわ。あなたにそういう話をさせると、完全に悪者になった気分だもの」

 地面へ視線を落としていたあけびは、二つの影が自分達のところへ伸びてくるのを見て、顔を上げた。

 やってきたのは、妙子と忍だ。忍は脇にバレーボールを抱えている。心なしか、二人とも殺気立ったような表情だ。それに、手足のあちこちに絆創膏や包帯。何か物凄い訓練でもしていたかのような姿だった。

 ユングはふっと笑った。

「何かご用かしら?」

 妙子が、ユングに指を突きつけた。

「川村さん、私達と勝負よ!」

「勝負?」

 今度は忍が進み出た。

「あんたが転校してきた日に負かされた借りを、戦車道大会の前に清算しておこうと思ってね」

「フフッ、あれだけやられてまだ実力差がわからないの? まぁ、いいわ。相手くらいいくらでもしてあげるわよ」

 せせら笑ったユングは、緩やかに立ち上がった。

 

 

 妙子がその場で地面に線を引き、コートを作ってから言った。

「五点先取した方が勝ちよ。いいわね?」

「構わないわ」ユングはライン越しに立つ忍と妙子を見て、肩をすくめた。「二人だけでいいの? 佐々木さんも加えた三人だって構わないのよ?」

 忍はそれに答えず、無造作にボールをユングへ放り投げた。

「そっちが先行でどうぞ」

 ボールを掴んだユングは、不敵な笑みを浮かべた。

「そういうことなら……遠慮しないわよ!」

 言うなり、ボールを宙へ投げ、すかさず強烈なサーブを送り込む。最初から全力の一撃だ。この二人では、受けることなんて出来っこない。

 と、妙子が忍の背後に回り込んで、その背中にぴたりと体を張り付けた。

「忍! お願い!」

「任せて!」

 撃ち込まれたボールを、忍が両腕で受けた。尻餅をつかせるほどの威力があったはずだが、妙子が忍を背後から支えていたおかげで、その衝撃を耐えしのいでしまった。

 ボールを頭上へ飛ばした忍が、叫ぶ。

「今よ、妙子! 特訓の成果を見せてやって!」

「オーケー!」妙子が大きく跳躍し、ボールを叩いた。「必殺ゥ! い・な・ず・ま・あたーっく!」

 それはまさしく、目の眩むような一撃だった。

 ユングは身じろぎも出来なかった。右頬のすぐ横を、ボールが矢のような勢いで飛びすぎ、地面へ衝突した。

 妙子と忍が、手を取り合って喝采している。

 呆然としていたユングは、不意に歯を食いしばった。

 まさか、この天才の私が……この二人に?

 許せない。そんなこと、あっていいはずがない。

「まだよ! 今ので終わりじゃないわ!」

 ユングの声に、忍が拳を胸の前で握った。

「もちろん! 勝負はこれからよ!」

 両者が火花を散らす中、妙子が出し抜けに言った。

「あけびも入ってよ。川村さんのチームにね」

「えっ……」

 戸惑うあけびの横で、ユングが声を張り上げる。

「必要ないわ! いっそ、三対一でかかってきなさい」

「そうはいかないよ。数の差で勝ったって言われたくないからね」

 ユングは歯ぎしりして、あけびを振り向いた。

「佐々木さん、来なさい! こいつらを叩きのめしてやるわ!」

 ためらっていたあけびは、ふと倉庫の物陰からこちらを見守っている、小柄な姿を見つけた。

 磯部キャプテンだ。彼女は、あけびに向かって小さく頷いてみせた。

 あけびは、背中を押して貰ったような気持ちになった。そうだよね、私達はバレー部だもん。バレーをやっている時が、一番分かり合える瞬間なんだ。

 心を決めると、コートへ入っていった。

「やろう! 川村さん!」

 ユングは鼻を鳴らした。

「足手まといにはならないでよ」

「うん。しっかりついていく」

「行くわよ!」

 宙へ舞い上がるボールが、遠く海の向こうへ落ちる夕日と重なった。

 

 

 訓練の日々は続き、いよいよ試合前日になった。

 誰もいなくなったハンガーの中、みほは整備された九輌の戦車を眺めていた。

 Ⅳ号の冷たいボディに手を置き、そっと呟く。

「今年も、よろしくね」

 学園艦は、試合会場である南方の孤島へと、徐々に近づいていた。

 

 

 かつての戦争で戦場になったという、南太平洋の名も無きその島。戦後、戦車道連盟の投資により、島は試合会場として改造された。平坦な陸地には緑の木々が生い茂り、ジャングルの様相を呈している。その日は晴天ということもあり、日頃蒸し暑い島の気候は、あらゆるものを溶かしかねないほどだった。

 既に試合の準備が連盟によって進められ、各港から続々と大洗女子学園、知波単学園、それ以外にも一般の観客が上陸していた。

 

 

 観覧席の一角には、優雅なティーセットを揃えたテーブルが用意され、三人の人間が談笑していた。

「いよいよ全国大会の始まりですわね」

 口火を切ったのは、聖グロリアーナ高校OGのダージリンだ。彼女は「お茶会」と称して、観戦席の一等地を真っ先に占領していた。集まった賓客は、去年の大会で戦った各校の隊長達だ。

 ダージリンのすぐ隣にいたサンダース付属のOG、ケイが笑顔で応じた。

「みほ達がどんなファイトを見せてくれるか楽しみだね。とこりでミカ、今日は別の会場で継続とアンツィオの試合でしょ? こんなところにいていいの?」

「試合結果なら既にわかっている。見るまでもないよ」

 継続高校のミカは、カンテレを奏でながら答えた。

 話していた三人のもとへ、新たな人影が近づいてきた。その顔ぶれを見て、ダージリンが微笑む。

「遅かったわね、カチューシャ」

 腕を組んでやってきたのは、プラウダ高校OGのカチューシャだった。背後には相棒のノンナを従えている。

「ふん。多忙な大学生活の中で、何とか時間を作って来てやったのよ。感謝して欲しいくらいだわ」

 身長に似合わぬ横柄な態度は相変わらずだ。ケイは笑いながらなだめた。

「まぁまぁ、積もる話はあとにして、今は試合をエンジョイしよう! コーラやポップコーン持ってきたよ!」

「カチューシャ様の口には合いません。それよりスィールニキはありますか」

 淡々と答えたノンナへ、ミカがチョコレートの箱を差し出した。

「このカール・ファッツェルでどうかな?」

「それで構わないわ!」カチューシャはチョコを受け取り、どっかりと椅子に座った。「ところで、マホーシャは来るの?」

 ダージリンは優雅な笑みを浮かべた。

「ええ。きっと来るはずよ」

 

 

 みほ達は戦車の搬入を済ませ、チームごとに車輌の最終チェックを行っていた。

 ふと、背後から懐かしい声に呼ばれた。

「おーう、全員揃ってるねぇ!」

 前生徒会の角谷杏、小山柚子、そして河嶋桃の三人だった。三人とも無事大学へ進学し、それぞれの道を進んでいる。みほは大喜びで駆け寄った。

「皆さん、来てくださったんですね!」

 桃がモノクルを指先で軽く持ち上げ、澄ました顔つきで言う。

「後輩の進歩を見届けるのは、先輩として当然のつとめだ」

 隣の小山柚子がにこやかに言った。

「桃ちゃん、テストの単位ぎりぎりで来れないところだったよね」

「それは言うな!」

 変わらない先輩達の姿を見て、みほの胸は暖かくなった。うさぎやアヒル、カバのメンバーも駆け寄ってきて談笑に加わる。遅れてやってきたありくいの沙耶は、桃の姿を見つけるや、興奮気味に叫んだ。

「あーっ! あなたが大洗伝説の軍師、河嶋桃先輩ですか?」

 桃は狼狽した。

「な、なんだそれは? 何を言ってる?」

「生徒会新聞で読みましたよ! 先輩の活躍の数々!」

「あのね、あれは桃ちゃんの――」

 ビタンと、桃が勢いよく手を伸ばして柚子の口を塞ぎ、高らかに笑った。

「ハッハッハ! そうか、お前達は私の活躍を読んだのか! 何を隠そう、私こそが大洗の真の隊長と呼ばれた河嶋桃だ!」

 事情を知らないありくいの面々は、すっかり桃の話を信じて質問責めにする。調子づいた桃は、去年の活躍についてあることないこと交えながら延々と話し続けていた。

 みほは杏の前に出て、深々と頭を下げた。

「先日はありがとうございました」

「礼なんかいいよ。それより、今年も優勝しちゃってね」

 杏は力強くみほの肩を叩いた。

「はい!」 

 

 

「これより、大洗女子学園と知波単学園の試合を開始します! 両チームの隊長は前へ!」

 審判の号令で、みほは知波単学園隊長・西絹代と向かい合った。

「よろしくお願いします」

 お互いに一礼し、顔を上げる。西絹代の表情は自信に満ちていた。去年の優勝校が相手であっても、たじろいでいる様子はない。みほもまた、気を引き締めた。

 待機している仲間のもとへ戻り、戦車へと乗り込む。あんこうチームのメンバーは既に搭乗を終え、発進可能な状態にあった。

 通信用のヘッドホンを通して、沙織が呼びかける。

「全機、報告をお願いします」

 各チームが、次々に応答した。

「こちらうさぎさんチーム、準備完了です」

「カバさんだ。Klar zum Gefecht!」

「アリクイです。初陣ですが、皆さんの足を引っ張らないよう尽力します!」

「レオポンもいけるよ~」

「アヒルも準備万端です! いいサーブ決めていきます」

「カモさんも大丈夫だにゃ。フラッグ車として、任務を遂行してみせるにゃ」

「こちらカメだ。いつでも暴れられるぜ」

「え、えっと、うまです。準備整いました」

「みほ。全車オーケーだよ!」

 沙織の言葉に、みほは大きく頷いた。

 周囲の歓声。冷たい鉄の匂い。戦場特有の、張りつめた空気。自分の場所に戻ってきたという感じがする。

 息を吸ったみほは、タコホーンに手をあてて話し始めた。

「皆さん、私達の訓練の日々は、今日のためにあります。試合の前に、同じ戦車に乗る仲間を見てください。隣に立つ仲間の戦車を感じてください。力を合わせてこそ、私達は強くなれます。それを忘れないでください」

 みほはもう一度深く息を吸い、言った。

「PANZER VOR!」

 

 

 戦車は続々と発進し、森林地帯を進んだ。

 みほはキューポラから半身を乗りだし、周囲の景色を観察した。岩や木々によって道は複雑に入り組んでおり、ゲリラ戦向きの戦場だった。これを利用しない手はないが、相手も恐らく同じことを考えているだろう。

 大会規定により、一回戦は十輌までの車両制限がある。

大洗は昨年五輌しか用意出来なかったが、今年は九輌。対する知波単は十輌。戦車の性能を加味を考えれば、戦力としては大洗がやや優位だが、圧倒的な差ではない。となると、やはり戦略が勝利の鍵になる。

 みほはふと、ジャングルの真ん中に窪地のような場所を見つけた。窪地はちょうど戦車が一輌おさまりそうな大きさで、周りには伸びた草が生い茂っている。これは奇襲に利用出来そうだ。

「皆さん、停止してください」

 全車の動きが止まる。みほは窪地へフラッグ車を隠すよう指示し、その守りにカバとアヒルをつけた。それから、残りのチームを率いてさらにジャングルを進んだ。

 五分ほど経ったが、敵との接触は無い。華が訝しげに口を開いた。

「敵はまだ現れませんね。こちらの出方を待ってるんでしょうか」

「他のチームからも敵を見つけたっていう報告は無いし……」と沙織。

 優花里もふむ、と思案顔で述べた。

「西住殿、この入り組んだジャングルの中で戦線を引き延ばすのは、あまり得策といえません」

 みほは頷き、タコホーンで各チームに呼びかけた。

「ここを中継防衛ラインにします。うさぎさん、ありくいさん、れおぽんさんで、この周辺の防御についてください。残りはさらに奥へ進んで偵察を続けます」

 すると、血気盛んなれおぽんさんチームの砲手・栗富茜が抗議の声をあげた。

「我々も偵察に行きます! 我々も行って、知波単の奴らを二、三輌血祭りにあげてきます!」

 みほが苦笑して応じた。

「えっと、茜さんのはちょっと偵察とは意味合いが違うような……。とにかく、こちらで待機していて。敵を見つけたら報告をお願いします。では、カメさんとうまさんはあんこうについてきてください。引き続き偵察を行います」

 

 

 ふあぁ、と砲手の綾乃が欠伸を漏らした。隣の美智がむっと口を尖らせる。

「もぉ綾乃、欠伸なんて緊張感ないよぉ」

「ああ、ゴメンゴメン。でもなんかあれだね、試合ってもっとドンパチやるものかと思ってたんだけどなー」

 車長席の詩織も美智と同じ考えだったが、綾乃の余裕には安心させられた。厳しい訓練を積んだおかげか、みんなそれほど緊張せず試合に臨むことが出来ている。

 前進を続けていると、分かれ道に出くわした。地図を見ると、もう初期配置地点からかなり離れ、島の中心に食い込んでいる。ヘッドホンから隊長の声が聞こえた。

「三手に分かれましょう。あんこうは右、カメは真ん中、うまさんは左の道を進んでください。五分経過して何も異変が無ければ、この地点まで引き返すようにお願いします。単独での行動になりますから、周囲に十分注意してください」

「りょ、了解しました」

 何だか大役を任された気がして、詩織はどきどきした。

 きりこがゆっくりとソミュアを前進させる。詩織は車窓から目を凝らし、敵影がないかを探った。

 二分ほど経ったろうか。何も以上が無いので、少し気が緩み始めた矢先、ふと遠くの景色に違和感が見えた。

 列を成した岩の固まりが、ゆっくりとジャングルを移動している。目をこすって瞬きし、もう一度確認する。

 やはり、動いていた。

 詩織は、咄嗟にきりこを振り向いて叫んだ。

「と、止まって!」

「どしたの、しーちゃん?」

 綾乃が身を乗り出してきた。

「えっと、今……」

 再び車窓を見やった詩織は、きょとんとした。

 岩は動きを停止していた。

「あれ……?」

「敵戦車がいたの?」

「あ、ううん。そうじゃ、ないけど……」

 綾乃の問いに、詩織は弱り果てた。自分の見間違いかもしれない。敵の捜索をしている時に、岩が動いたなんて話をしても、みんなを混乱させてしまう。

「ごめんね、動き止めちゃって。その――」

「敵がいる! こっちに来るよぉ!」

 美智が突然叫んだ。

 体に電流が走ったように、詩織はぎょっとした。すぐさま車窓を覗くと、果たして前方から知波単の戦車が一輌やってくる。

 綾乃が両手の拳を合わせた。

「よーし! ぶっ潰してやるからね!」

「そ、その前に報告しなきゃ!」詩織は慌ててヘッドホンに呼びかけた。「こちらうまです。敵を発見しました!」

「詩織? 敵を見つけたの?」

 応答してきたのは姉だ。声を聞いて、詩織は安堵した。

「う、うん」

「車両は何? 数は?」

「相手は一輌だけ。種類は、えっと……わかんない」

「九十七式だよ!」と美智。

「あ、うん。お姉ちゃん、九十七式が一輌だよ」

 今度は、隊長の落ち着き払った声が答えた。

「了解しました。詩織さん、無理をせずこちらへ引き返してください。余裕があれば攻撃を許可します」

「は、はい!」詩織はきりこを振り向いた。「きりこさん、道を戻って。あと、綾乃さんは敵を攻撃して!」

「任しといてよ、しーちゃん! 美智、タマ入れて!」

「あいあいさ!」

 美智が元気よく応じて、抱えた砲弾を装填した。この数ヶ月の訓練で、二人は装填から発射までの呼吸をうまく合わせられるようになっていた。スムーズな連携で、素早く発射の態勢を整えると、綾乃は間髪入れず発射した。

「食らえ!」

 放たれた砲弾が、九十七式の足下に着弾した。地面が抉れ、土が弾け飛ぶ。

 綾乃は舌打ちした。

「外した! もう一発行くよ、美智!」

 その時、車体に衝撃が走った。詩織は危うく壁に体を叩きつけられそうになったが、何とか踏みとどまり、車窓を覗いた。

「敵が……横からも来てる!」

 今度の敵も九十七式だ。

 詩織は一瞬動揺したが、数で圧倒されるのは初めての経験ではない。複数の敵に遭遇した時の対処法も、訓練で学んでいる。第一に防御、第二に周囲の味方と合流して反撃だ。

 考えが決まると、すぐにヘッドホンで呼びかけた。

「西住隊長! こちらうまです。二輌の敵と遭遇しました。援護をお願いします」

 姉の声が返ってきた。

「オッケー、詩織! すぐ向かうから、何とか持ちこたえて!」

 二輌の九十七式は、雨あられと砲弾を浴びせてくる。幸い、きりこの優れた回避運動のおかげで、一発も当たらなかった。赤砲の技量は伊達ではない。

 砲塔を背後に回して反撃の準備をしていた綾乃が、出し抜けに悲鳴をあげた。

「ちょ、ちょっと! 敵がまた増えてる!」

「えっ?」

 詩織は驚いて、車窓に身を寄せた。追ってくる敵は四輌になっている。飛んでくる砲弾の数が倍加して、さしものきりこも避けきれなくなった。

 きりこ以外の三人は、状況の悪化に焦り出した。このままではやられてしまう。

「そうだ!」綾乃が閃いたように、美智へ言った。「家元! 前みたいにやっちゃってよ!」

「ふええ? 何のこと?」

「こんな状況なんだから、最初の模擬戦の時みたいに隠れた実力発揮してってば!」

「わ、私が? そんな実力無いよぉ」

 美智と綾乃は完全に浮き足立って、反撃するどころではない。きりこが激しく操縦桿を動かして、何とか砲弾の雨を切り抜けていたが、今度はソミュアのエンジンが悲鳴を上げ始めた。次第に反応が鈍くなり、スピードも低下していく。

 ソミュアはもともと整備性に難のある戦車だ。部品の調達も難しいときている。そのうえ詩織達の乗っている車輌は、長年大洗の薄汚い体育館倉庫に放置されていた。自動車部が丹念に調整したが、今だコンディションは完璧ではない。きりこの卓越した操縦技術も、かえってソミュアに負担をかけてしまっているのだった。

 九十七式の攻撃はますます勢いづいて、ついに強烈な一撃が側面を掠めた。小さな爆発が起こり、ソミュアが危うく転倒しそうになる。

「や、やられちゃう……!」

 詩織は焦燥感を募らせながらも、事態を打開する術が浮かばなかった。

 その時だ。

「無事ですか、うまさん?」

 ヘッドホンに響く頼もしい声。前方から、あんこうチームのⅣ号が駆けつけてきたところだった。

「助かったぁ!」と、綾乃と美智が声を合わせて抱き合う。詩織も胸をなで下ろした。

 と、Ⅳ号の姿を見つけた九十七式の隊列は、即座に動きを停止し、次の瞬間、車体を転回し始めた。そしてエンジンを唸らせ、あっという間に道の向こうへ消えていった。

「逃げた……? でも、どうして……」

 詩織は呆然とした。数の上では、まだ敵の方が有利だった。それにあと少しでソミュアは行動不能になるところだったのだ。

「詩織さん、状況は?」

 みほ隊長の声で、詩織ははっと我に返った。

「あ、えっと……何とか動けます」

「見たところ大分ダメージを受けたようだし、後退してフラッグ車と合流してください」

 詩織は申し訳ない気持ちになった。偵察任務のはずが、敵に見つかって一方的に叩かれるだけで終わってしまった。

「すみません。任務を果たせなくて」

「そんなことないよ。詩織さんが敵と遭遇してくれたおかげで、相手の出方が何となくわかってきたから。私達こそ、助けに来るのが遅れてごめんなさい」

 失敗を責めるどころか、励ましの言葉をかけてくれるなんて。詩織は胸が熱くなった。隊長がどうしてチームのみんなに慕われるのか、わかった気がする。

「じゃあ、気をつけてカモさん達と合流して。途中で何かあったら知らせてね」

「は、はい」 

 答えながら、詩織は密かに気持ちを引き締めた。まだソミュアは動ける。隊長の役に立てるように、次こそ頑張らなきゃ。

 

 

 操縦席の茜が、拳を壁に叩きつけて、苛立たしげに言った。

「まったく、こんなところでずっと待機だなんて。一体いつになったら知波単のクソッタレどもに攻撃をかけるんです?」

 留美がへへっと笑う。

「知波単の連中、うちらのことが怖くなったんじゃないのお?」 

「お前達、やめないか」つかさが舌打ちしつつたしなめ、それからツチヤを見た。「しかし先輩。確かに妙じゃありませんか。突撃第一の知波単が、こうも大人しいなんて」

 ツチヤは両腕を頭の後ろにまわし、にっと笑った。

「きっと、向こうにも考えがあるんだろうね。大丈夫、落ち着いて気長に待とうよ」

 しかし、面白くない状況なのは確かだ。

 彼女達の周囲には、ありくいさんチームの三式と、うさぎさんチームのM3も待機しているが、やはり敵を見たという報告は無い。

 西住隊長の索敵を手伝おうか、ちらっとそんなことを考えた矢先、M3の澤梓から連絡が来た。

「れぽんさん、こちらうさぎです。偵察に出ていた沙希から、そちらに戦車が一輌近づいていると報告がありました。視認出来ますか?」

「了解。確かめてみるよ」

 ツチヤはキューポラから身を乗り出し、双眼鏡で周囲を探った。果たして、300mほど先の浅い沼地を、ゆるゆる進んでくる影が見えた。

「お、いたいた」

「九十七式ですか? それとも他のやつですか?」

 興奮気味に尋ねてきた茜に、ツチヤは苦笑して答えた。

「生憎だけど敵じゃないよ。うまさんチームのソミュアだ」ツチヤは通信機のスイッチを入れた。「うまさん、どうして戻ってきたんだい?」

 ややあって、武部詩織のおずおずとした声が返ってきた。

「すみません。偵察中に敵と遭って、損傷しました。隊長の命令で、フラッグ車の防御に回るところです」

「そっか。ご苦労様。こっちも今のところ敵襲は無いから。のんびり合流しなよ」

「は、はい。ありがとうございます」

 ソミュアは少々ぎこちない動きで、ポルシェティーガーの横を通り過ぎていった。

 それを見送ったツチヤは、ふと眉をひそめた。

 周囲の景観が、うっすらと濁っていく。

 煙だ。ジャングルの奥から煙が波のように伸びてきて、ツチヤのいる場所まで達しようとしていた。

 蒸し暑いこの島の中で、どうして煙が……?

 みるみるうちに、視界は悪化していった。これは明らかに自然に発生したものではない。

 不意に、ヘッドホンから逼迫した梓の声を聞こえた。

「ツチヤ先輩! 敵襲です!」

「数は?」

「九十七式が二輌! 煙幕をまき散らして、こっちに近づいてきます」

 そういうことか。ツチヤはにっと笑った。

「うさぎさん、隊長に通信チャンネル開いて!」

「はい! ……西住隊長、聞こえますか? こちらうさぎ、敵二輌を発見。迎撃許可お願いします」

 ほどなく、沙織が応答した。

「こちらあんこうです。攻撃を許可します」

 ツチヤは車長席に戻った。つかさ、茜、留美は準備万端で待っていた。

「みんな、出番が来たよ! M3と合流して敵を迎撃!」

「了解!」

 その時、またしても通信が入ってきた。

「先輩、ありくいも攻撃に参加させていただけますか?」

 沙耶の声だった。ほどなく、三式が近づいてくるのが見えた。ツチヤは微笑んで応じた。

「歓迎するよ。ポルシェティーガーの右側について。煙が濃いから、敵の奇襲には注意してよ」

 二輌の戦車は、肩を並べて前進した。

 ツチヤが目を凝らすと、煙幕の中にM3の影がうっすらと見えてきた。既に敵戦車と交戦している。

 二輌の九十七式は左右に激しくぶれながら、煙をまき散らしている。目眩ましにしては、随分動きが大味だ。あれだけ煙を拡散しては、自分達も攻撃どころではないような気がするが……。ともあれ、せっかく発見した敵だ。ここで撃破しておかない手はない。

「よし、まず一発!」

 ツチヤの合図で、留美がすかさず発射した。ポルシェティーガーの強力な砲撃は、煙をかき消してまっしぐらに九十七式へ飛んでいく。生憎、敵の反応も早く、咄嗟に向きを変えてこの一撃をかわした。

 二発目を指示しようとした途端、二輌の九十七式はそれぞれ西と東に分かれて潰走を始めた。

 ツチヤは怪訝に思った。確かにこちらは三輌、戦車の性能でも勝っている。しかし、知波単らしからぬ弱腰ぶりだ。

「おやおや、何を企んでるのかな。でも、逃がさないよ」

 M3の梓が呼びかけてきた。

「ツチヤ先輩。私達は東の敵を追います」

「了解。こっちは西を追うよ。ありくいはここで待機して」

「かしこまりました!」と沙耶の返事。

 違和感を抱きながらも、ツチヤは茜に敵の追撃を命じた。

 

 

「あれ……?」

 双眼鏡を手に、遠方の様子をうかがっていた妙子が、ふと呟きを漏らした。忍がひょっこり身を乗り出す。

「どうしたの、妙子」

「遠くで、沢山煙が上がってる」

 双眼鏡を受け取った忍が覗いてみると、確かに木々を隔てた向こうに、くねくねした煙の柱が見えた。

 それに……微かな砲音も聞こえる。

「戦闘かな?」

「でも、あの方角に味方の戦車はいないはずだけど」

 妙子は地図を見ながら、首をかしげた。

 二人は八九式を降りて偵察の真っ最中だった。よく育った大木の枝によじ登り、遠くの異変を探っていたのだ。

「とりあえず、キャプテンに報告しよっか」

「そうだね」

 二人は大木を降りて八九式に戻った。

 折しも、キャプテンはエルウィン、ねこにゃー、パゾ美と話し込んでいるところだった。

 あひる、カバ、そしてフラッグ車であるカモの三チームは、敵と接触しないまま二十分を迎えようとしていた。そのため、敵の戦略について討議していたのだった。

 妙子が先ほどの件を報告すると、キャプテンは思案顔になった。

「戦闘があったなら、連絡があるはず……。罠かもしれない。いずれにせよ、その煙の出所を調べる必要があるな。近藤、西住隊長に繋いで偵察の許可を。河西と川村は発進の準備だ」

「でも、私達が抜けたらフラッグの守りはいいんですか」

 忍の問いに、エルウィンが答えた。

「先ほど、うまさんチームがこちらに合流すると連絡があった。敵と遭遇してダメージを受けたらしい。撃破されたわけではないから、我々と一緒に防御に回るそうだ」

 話はそれまでとなり、八九式は準備を整えて出発した。

 

 

 もうすぐ合流だ。

 詩織はほっと胸をなで下ろした。幸い、ここまで敵の攻撃は受けていない。途中でれおぽんさんチームが敵と遭遇したと連絡を受けたが、敵の数は少なく、すぐに撃退出来るとのことだった。

 詩織はカバさんとカモさんへチャンネルを繋ぎ、ヘッドホンで呼びかけた。

「うまです。聞こえますか? もうすぐそちらへ到着します」

 即座に、カバさんチームのエルウィンが返答した。

「待ってたよ。こっちは異常無しだ。合流したら、一息入れるといい」

「はい。ありがとうございます」

 戻ったら、可能な限りソミュアを修理して、敵を迎え撃つ準備をしなきゃ。今度こそ、隊長達の期待に応えなきゃ。きっとうまくやってみせる。きっと……。

 

 

「また、逃げていきますわ」

 九十七式を撃ち漏らした華が、いささか苛立たしげに呟く。あんこうは既に敵と二度遭遇していたが、相手は殆ど交戦することもなく逃げ出してしまう。

 優花里が次の弾薬を装填しつつ、自らの意見を述べた。

「これは知波単のセオリーとは真逆の戦い方であります。西住殿、こちらも戦術を変更すべきでは」

 そのことは、みほもとうに考えていた。敵は意図的にこちらの戦線を広げようとしている。れおぽん、うさぎは敵の戦車を追跡し、あひるも偵察のためフラッグから離れた。既に防御陣形は破られた格好だ。知波単の出方次第では、思わぬ損害を被る可能性がある。

 みほの脳裏に、一つの閃きが走った。

「もしかしたら……!」

 

 

 知波単学園戦車道チーム隊長・西絹代は、腕を組んで車長席に座り、じっと瞳を閉じていた。

 試合開始から、既に三十分。作戦は当初の計画より、若干の遅れが生じている。

 それでも仲間を信じ、忍耐強く攻撃の機を待っていた。時折入ってくる報告で、敵の動きは少しずつ明らかになっている。それに、まだ味方は一輌も撃破されていない。

 不意に、通信手が鋭い声で言った。

「隊長殿! 玉田より伝令です!」

「内容は?」

「我、フラッグ車を発見せり、と」

 絹代は小さく頷いた。いよいよ鉄槌を下す時が来た。

 無線を手に取り、命令を発する。

「各員に通達。これより、転進玉砕戦法を実行。繰り返す、転進玉砕戦法を実行!」

 

 

 それは余りにも突然の出来事だった。

 詩織達の頭上で、何かが閃いた。

 ソミュアを停車するよう命じ、慌てて車窓を覗く。赤い煙が尾を引いて、空へ高く高く昇っていくのが見えた。

「な、何あれ……」

 美智があっと小さい悲鳴を漏らし、青ざめた表情で言った。

「信号弾だよ……! 私達、尾けられてたんだ!」

「尾けられてた?」綾乃が素っ頓狂な声をあげた。「だけど、敵なんかどこにも――」

 言葉は、そこで途切れた。ソミュアに激しい衝撃が走り、詩織達は壁に叩きつけられた。幸い特殊カーボンのおかげで怪我は無く、詩織はすぐに起き上がった。

「今の、どこから――」

「もう無駄」きりこが淡々と言った。「白旗が上がった」

 詩織の背に、冷たい感触が走った。

 やられた? こんなところで?

 思わずハッチを開けて、外に身を乗り出す。

 ソミュアの後部が爆発でもうもうと煙を上げる中、白い旗が揺らめいていた。

「そんな……なんで……」

 呆然とする詩織の視界に、あるものが見えた。

 ソミュアから三百メートルも離れた地点に、岩がたたずんでいた。

 詩織の頭に、鉄槌を食らったような衝撃が走った。

 あの岩は見覚えがある。あんこう、カメと一緒に偵察に出た時、同じものを見た。

 いや、そもそも岩などではなかった。

 その先端からは砲塔が突き出し、微かに煙の筋を立てている。

 岩に偽装した戦車だったのだ。

 まさか、ずっと尾行されてたの? 全身から、どっと汗が噴き出す。でも、どうして私達を追ってたんだろう?

「うまさん、大丈夫か? 応答してくれ!」

 しきりに呼びかけるエルウィンの声、そして頭上に立ち上る信号弾を見て、詩織ははたと真実を悟った。

 そして、愕然とした。

 私達、利用されたんだ。フラッグ車のいる場所まで、敵を連れて来ちゃったんだ……。

 

 

 エルウィンの逼迫した声が響いた。

「こちらカバさん。まずいぞ隊長。敵に発見されたうえ、ソミュアを撃破された!」

 遠くで閃いた信号弾を目にして、みほも確信した。敵の狙いはワンポイント攻撃だ。そのために挑発行為を繰り返し、大洗の戦線を広げていたのだ。

 フラッグ車の周囲にはカバさんしかいない。

 みほはすぐさま連絡を入れた。

「全チーム、急いでフラッグ車の防衛に向かってください! 敵はフラッグ車の位置を突き止めました。間もなく攻勢に転じるはずです。カバさん、何とか敵を足止めしてください。他に安全な場所があれば、そちらへ避難を!」

 それから、麻子を振り向いた。

「麻子さん。全速力で道を引き返して」

「わかった」

 みほは思わず拳を握った。

「お願い。間に合って……!」

 

 

 九十七式の追跡をしていた梓は、みほの連絡で状況が予想外に悪化しているのを悟った。

 そして、ひそかに責任を感じた。さっき敵と遭遇した時は、眼前の二輌に気を取られて、別の敵がソミュアを尾行していたことに気づかなかったのだ。もっと注意深く周りを見ていれば、敵戦車の偽装も見逃さなかったかもしれない。

 もしかして、私達は知波単を侮っていたの? 梓は自問せずにいられなかった。去年共闘して、相手の実力をわかったつもりになっていたんだろうか。たぶん、そうだ。そのせいで、知波単がいかに成長したかを見落としていた。

「みんな、敵の足を止めるよ! 絶対にフラッグへ近づけないで!」

 梓の言葉に、桂利奈が気合いたっぷりの声で応じた。

「よーし! 後輩達にかっこいいとこ見せたるぞー!」

 九十七式の背部から勢いよく白煙が噴出され、梓の視界を塞いだ。右腕で顔を庇いながら、必死に目を凝らす。

「また煙幕……! だけど、いつまでも同じ手には!」

 不意に、九十七式が大きく右へカーブし、茂みの中へと逃げ込んだ。ここまで追ってきたのだ。今更逃がすわけにはいかない。梓は叫んだ。

「桂利奈ちゃん、右!」

「あいあい!」

 桂利奈が大きく操縦桿を振る。M3は履帯が外れるほどの勢いで方向を転換し、九十七式の消えた茂みへ突っ込んだ。

 その時――戦車の足下が大きく沈んで、車体がどしんと落下した。梓は危うくキューポラから投げ出されそうになったが、必死にしがみつき、辛うじてその場に留まった。

 車内から、優季の混乱した声が聞こえる。

「今のなに~?」

 煙が晴れ、梓はようやく何が起きたのか理解した。

「やられた……」

 M3の車体は、落とし穴に沈んでいた。どうやら、まんまと敵の罠にかかってしまったらしい。敵を追っていたつもりが、実際は罠へと誘い込まれていたのだ。

 

 

「こんな単純な罠にかかるなんて、あんた達がしっかり周囲を見ていないからよ!」

「そんなのお互い様でしょ!」

 声を荒げたユングに、忍が食ってかかる。

 正体不明の煙を確認すべく偵察に出たあひるさんチームだったが、途中で落とし穴に引っかかり、身動きが取れなくなっていた。その途端、ユングは妙子や忍と言い争いを始めたのだった。

 キャプテンが出し抜けに叫んだ。

「おまえ達、いい加減にしろ! 喧嘩より、ここを抜け出す方法を探すのが先だ!」

 妙子が困惑を浮かべた。

「でもキャプテン、こんな深い穴じゃ、いくら戦車でも抜け出せません」

「思い出せ。こういう時こそ根性だ。全員で外に出て、戦車を押し出す!」

 ユングが冷ややかに言った。

「それより、土を掘って戦車が通れる道を作る方が早いんじゃありません?」

 キャプテンが不意をつかれたように目を瞬き、それから瞳を輝かせ、ぽんと手を叩いた。

「なるほど! 川村、名案だ! それでいくぞ!」

 ユングはやれやれと肩をすくめた。

 

 

「細見機に続いて、名倉機も転進成功。大洗はM3、ポルシェティーガー、八九式の三輌が落とし穴にかかり、行動不能です!」

 通信手の報告に、絹代は小さく頷いた。

 出来ればもっと多くの敵を罠にかけ、足止めしておきたいところだ。しかし、敵はあの西住みほだ。既にこちらの作戦を見抜いているに違いない。ここは一気に攻勢に転じるべきだろう。

 絹代は無線で命令を発した。

「よし。作戦最終段階だ! 全車、敵フラッグへ特攻を開始せよ!」

 

 

 ケイが口笛を吹いた。

「イッツアメイジング。あの知波単が、ここまで狡猾な戦略を考えたなんて」

「負傷した敵戦車を味方と合流させて、フラッグ車の位置を暴き出す。見事だね」とミカ。

 カチューシャも感嘆した様子で頷いた。

「キヌーシャの実力を侮ってたわ。やるじゃない」

「けれど、知波単の本領はここからよ」ダージリンは、会場中央ディスプレイの戦況ボードを見ながら言った。そこには大洗・知波単両チームの戦車の動きが表示されている。「ご覧なさい。知波単の全戦車が、大洗のフラッグ車へ向かっているわ。逃げる振りを装って敵を足止めし、一気に弱点を突く。まさに究極のワンポイント攻撃ね」

 ケイが肩をすくめる。

「それにしても、十輌全部で突撃とは。大胆なんだか単純なんだか」

 じっと戦況ボードを眺めていたノンナが、ここへきて口を開いた。

「しかし、知波単の勢いは凄まじいです。これを食い止められなければ、大洗は負けます」

 

「えっと……はい! かしこまりました。ありくいさんチーム、防御にまわります!」

 みほからの通信を受けた沙耶は、すぐさま結子を振り向いた。

「結子さん。間もなく敵がこちらへ来るはずです。迎撃準備を!」

「言われなくても準備出来ていますわ。それより、どういうことなんですの。味方が軒並み足止めを食っているだなんて!」

「そんなの私に言われても……来たっ! 結子さん、前です!」

 沙耶は前方から躍り出てきた九十七式戦車を視認し、すかさず叫んだ。

 が――。その直後、右側から別の九十七式が姿を見せた。

「結子さん、右からも――」

 言い終えないうちに、今度は左の森林地帯から九十五式戦車が現れる。

 沙耶はパニックに陥った。

「ちょ……ちょっと待ってくださいよぉ!」

 三方向から、敵戦車の容赦無い砲撃が放たれた。

 立て続けに直撃を浴びて、三式はあっという間に沈黙した。 

 

 

 れおぽんチームのポルシェティーガーも、落とし穴にはまって身動きの取れない状態だった。

「知波単のクソッタレども! こんな卑怯な手を使うなんて。ここを出たら、思い知らせてやる!」

 毒づきながら、茜が操縦桿を乱暴に揺さぶる。それをつかさがなだめた。

「落ち着け、茜。ツチヤ先輩、どうしますか?」

「この子の力を甘くみないでよ。こんな穴くらい、乗り超えてみせる。エンジン出力最大!」

 ツチヤは操縦席パネルに実装された特殊スイッチの一つ「V-TOL(垂直離陸)」をオンにした。途端に、ポルシェティーガーのエンジンが激しい唸りを上げる。つかさがメーターを見やり、カウントを伝える。

「エンジン臨界点突破まで5、4、3、2……」途中で、つかさが顔色を変えた。「だ、駄目です先輩。エンジン出力が上がりません!」

「そんな馬鹿な! しっかり整備してあったはずだよ!」

 ツチヤが身を乗り出し、メーターを覗く。確かにメーターのラインが一定値で止まり、それ以上にならない。

 続いて、車体が震えだした。ミシミシと、悲鳴のような音を立てながら。

 これにはツチヤも当惑した。

「なんだ? どうしたんだ?」

 その言葉が終らないうちに、車体後部で爆発音が轟いた。

 つかさがダメージコントロールパネルを確認し、愕然とした様子で言う。

「エンジンがオーバーフローです! 各部機能低下! このまま出力を上げ続ければ、車体が分解します!」

 爆発は連鎖し、火災がエンジンに及んだ。計器からも火花が飛び散り、もはや手のつけようがない。

 茜が叫んだ。

「ダメだ。完全に狂っちまってますよ!」

「先輩! 降りましょう」

 慌てふためく留美を、ツチヤは一括した。

「そんなこと出来ない! この子は……この子はこんなところでやられるはずないんだ!」

 操縦席のパネルを剥がした途端、煙が勢いよく噴き出し、ツチヤの体を押し倒した。つかさがそれを後ろから支え、茜と留美を振り向く。

「急いで! 戦車から脱出する!」

 

 

 西絹代は八輌の味方を率い、猛然とジャングルを突き進んでいた。玉田機が打ち上げてくれた信号弾を頼りに、ひたすらフラッグのいる方角を目指す。

 ふと、通信手が叫んだ。

「前方に味方発見! 玉田機です」

 一輌の九十七式戦車が、煙を上げて横倒しになっていた。空電混じりに、玉田の悔しげな声が響く。

「すみません隊長! 一番槍で突撃しましたが、撃破されました。敵フラッグ車はこの先にいます! まだそう遠くまでは逃げていないはずです」

「いや、玉田。よくやってくれた」

 絹代はコースの前方を見やった。草が生い茂り、先の状況がよくわからない。すかさず、隊列の右端にいる九十七式へ命じた。「見てこい狩路(かるろ)。お前が先頭だ」

「はい……ウワァー!」

 前進した狩路の九十七式は、突如ジャングルの茂みから放たれた一撃を浴びて、転倒した。

 絹代は目を見張った。

「この威力……三号突撃砲か!」

 

 

 おりょうが目を細めた。

「ひぃ、ふぅ、みぃ……それと一つ減って、的は全部で八輌。酷い戦力差だが、どーするぜよ?」

 カバさんチームは、フラッグを務めるカモさんチームをジャングルの奥へ避難させ、自らは敵を食い止めるべく待機していた。だが、敵の数は予想以上に多い。このまま戦っても負けは明らかだった。

「敵をフラッグへ近づけるわけにはいかん! ここを死守する!」カエサルは声を励まし、砲弾を装填した。「ひなちゃんとの約束も守れず、こんなところでやられてなるものか!」

 次の瞬間、猛烈な集中砲火が三突へ放たれた。草は焼かれ、木々がなぎ倒され、土が弾け飛ぶ。

 エルウィンが叫んだ。

「後退して反撃! 一秒でも長く、敵をここに留める!」

 左衛門左がジャングルの木々を盾に後退し、それにおりょうが呼吸を合わせ、砲撃する。しかし、いかんせん数が違いすぎる。加えて、三突は砲塔の自由がきかない。突破されるのも時間の問題に思われた。

 ふと、カエサルは敵部隊の中にフラッグ車の姿を見つけた。相手のワンポイント攻撃は、勝敗の要であるフラッグ車を駆り出すほど極端な作戦らしい。しかし、これを利用しない手はない。

「フラッグを狙え! 敵の注意を引きつけ、少しでも足を遅らせるんだ」

「心得たぜよ!」

 おりょうがフラッグ車めがけ、連続で砲撃を放った。さすがに敵もこれを捨ておけず、防備に回る。動きの鈍ったところへ、おりょうはさらにもう一発、砲撃した。フラッグ車の背後にいた九十七式が、直撃を受けて沈黙する。

 またしても一輌をしとめたカバさんだが、途端に知波単の猛烈な反撃が来た。一気に大量の砲弾を浴び、三突は白旗を揚げた。

 六輌の九十七式は、停止した三突を抜き去り、ジャングルの奥へ進んでいった。

 

 

「すまん! 抜かれた!」

 カエサルの苦悶に満ちた声が、沙織のヘッドホンに響く。ソミュアと三式に続き、三突までがやられた。ポルシェティーガーは落とし穴から這い上がれずに自爆。大洗は既に戦力の半数近くを失ってしまった。

 沙織は焦りを感じながら尋ねた。

「フラッグは? 無事ですか?」

「単独でジャングルの奥地を逃げ回っている。まだ撃破はされていないが、追いつかれたらやられるぞ」

 不安な面持ちになりながら、沙織はみほを振り向いた。

「どうしよう、みぽりん」

「もうすぐ敵に追いつけます。敵のフラッグをこちらが先に倒せば、勝機はあるはず」

 みほの力強い答えに沙織が頷いた時、ジャングルの茂みから一輌の戦車が飛び出してきた。一瞬どきりとした沙織は、そのシルエットを見て瞳を輝かせた。

「うさぎさん!」

「復帰が遅れてすみません、西住隊長」

 申し訳なさそうな梓の声が聞こえる。みほは微笑んだ。

「ううん。来てくれてありがとう。敵の主力へ攻撃をかけるから、援護して」

「はい!」

 

 

「いた! フラッグです!」

 大洗のルノーが、ジャングルの奥へ奥へと進んでいく。向こうもこちらに気がついたらしく、慌てて速度を上げた。絹代が叱咤する。

「断じて逃がすな! 勝利は目前だ!」

 しんがりにいた寺本の九十七式から、逼迫した調子で報告が入ってきた。

「西隊長! Ⅳ号とM3が来ます!」

「とうとう来たか」

 絹代は唇をかんだ。こちらがフラッグ車を見つける前に追いついてくるとは。あんこうもうさぎも大洗の主力、数はこちらが勝っているものの、まともに戦えば大きな損害を負うことは間違いない。フラッグ車を倒すためにも、出来れば味方に余力は残したいところだが……。

 不意に、寺本が命令を発した。

「知波単親衛隊、前へ!」

 それを受けて、四輌の九十七式が隊列を離れた。知波単親衛隊とは、チームの中でも精鋭とされる寺本、福田、久保田、細見、四人の車長を総称したものだ。

 無線を通じて、寺元が絹代に言った。

「Ⅳ号とM3は我々が! 隊長殿はお先に!」

「お前達……。すまぬ!」

「お任せを!」

 ハッチから半身を覗かせた寺元が、敬礼を送る。

 絹代も敬礼を返し、味方を見送った。

 

 

「みぽりん、四輌の九十七式がこっちに来るよ!」

 沙織の警告とほぼ同時に、ルノーから通信が入ってきた。

「西住さん、敵が追いついてきたにゃ。援護は?」

 どうやら敵は足止めに来たようだ。今は正面突破以外に手段がない。

「優花里さん、華さん。ここで時間をとられるわけにはいきません。全力で突破をはかってください」

 華が大きく頷いた。

「任せてください、みほさん。全て一撃で落としてみせます」

 みほはタコホーンで梓に呼びかけた。

「梓さん、敵が四輌向かってきます。援護をお願いします」

「了解しました!」

 優花里が装填し、華が砲角を調整する。

「みほ、敵は射程圏内!」

 沙織の合図で、みほは命令を発した。

「攻撃開始!」

 

 

 眩い光がたばしり、煙の柱が次々と上がる。寺本は目が眩んだ。正確無比なⅣ号とM3の砲撃で、知波単親衛隊の隊列はたちまち乱れた。体勢を整える間もなく、次の攻撃が繰り出される。

「くそっ。反撃だ! 敵を進ませるわけにはいかん!」

 細見、久保田、福田の車輌が次々に砲弾を放つ。しかし、Ⅳ号とM3はそれをものともせず突き進んできた。放火はますます激しくなり、親衛隊は反撃すらままならなくなった。

「ああっ!」

 不意に、隣の九十七式にいる福田が悲鳴をあげた。

「どうした、福田?」

「ウサギ殿のエンブレムが……。以前は包丁だったのに、今は巨大な斧に変わっています。なんと恐ろしい!」

 寺本は叱咤した。

「ええい、怯むな! 車両をぶつけてでも、大洗を止める! 全車突貫!」

 

 

 背後で砲音が立て続けに響き、激しい爆発が起こった。

 絹代は、思わず無線を手に取った。

「皆、無事か?」

 空電交じりに、親衛隊が次々と応答した。

「西隊長ォ……!」

「ご心配なくーッ!」

「こちらは、我々がァ!」

「後はよろしくっ……」

 それから、雑音と共に通信が途切れた。

「福田、寺本、久保田、細見……! う、うおおっ!」絹代は操縦席のパネルを激しく叩いた。肩を震わせ、歯を食いしばりながら、ゆっくりと顔を上げた。「一つだけ、はっきりわかっていることがある。この戦い、何としても勝たねばならぬということだ! 皆の犠牲を無駄には出来ん!」

 絹代は残り二輌となった味方へ、無線を通じて呼びかけた。

「全速前進! 敵フラッグを決して逃がすな!」

 

 

「すみません、隊長。うさぎ行動不能です!」

 四輌の九十七式は、最後になって突撃による強引な足止めをはかってきた。みほ達は難を逃れたが、うさぎさんチームのM3が側面に衝突を食らい、行動不能に陥ってしまったのだった。

「いいえ、うさぎさん。よくやってくれました。後は私達が引き受けます」

 みほは梓の言葉に応えてから、麻子を振り向いた。

「麻子さん、Ⅳ号の状態は?」

「ダメージはそれほど受けていない。問題なく行ける」

「わかりました。では追撃を続行します」

 麻子がエンジンを全開にし、勢いよくジャングルを突き進んでいく。

 既にこちらは戦力の半数を失い、フラッグ車も追撃を受けている。

 余裕の無い状況だ。

 みほは深く息を吸い、心を落ち着かせた。まだ勝機はある。

 ハッチから半身を乗り出し、みほはジャングルの奥を見据えた。消炎の臭いは、草木の瑞々しい匂いを乾かしていた。

「敵は残り、三輌……!」

 

 

 続く

 

 

 

次回予告(CV/澤梓)

やめて! 西絹代の転進玉砕戦法で味方を焼き払われたら、フラッグ車を任されているカモさんチームが無防備になっちゃう。

お願いです、負けないでください西住先輩! ここで大洗が倒れたら、逸見先輩との約束はどうするんです? 

戦力はまだ残ってる。ここを耐えれば、知波単に勝てるんですから!

次回「次は継続高校です!」

パンツァー・スタンバイ!



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