竜騎を駆る者 (副隊長)
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序章1 敗戦

――

 

 

 雨が降っていた。数刻ほど前まで凄惨な戦場であったこの地を、天からの恵みが朱を洗い流すかのように降り続ける。その光景はどこかもの悲しくあり、しかし同時に優しくも感じる。そんな矛盾をどこか他人事のように思うのは、自身が倒れ伏し、動けないでいるからだろうか?

 

「ああ、そうか。私も此処で、終わりなのか……」

 

 ぼんやりと呟く。その声に応える者は無く、ただ自分の声だけが響き渡った。ぽたりぽたりと雨が頬を伝い落ちるのを感じる。果たしてそれは雨だけなのだろうか? 

 既に体はまともに動かなくなってきており、徐々にだが確実に力が抜けていくのを感じる。視線だけ移し、辺りの様子を見る。ただただ、屍が横たわるのみであった。自軍の兵と敵軍の兵が倒れているが、少し見ただけでも自軍の兵士の方が倒れている数が多いの事がみてとれた。

 

「負けた、か。敵の狙いは解っていたが、最早詮無きことか」

 

 油断などなかった。大まかな敵の狙いなども解っていたし、対策するよう進言もした。だが、聞き入れられなかったのである。敵軍を完膚なきまでに打ち破ったその日に、仕掛けて来るなどあり得ない。と、我が主君は高をくくっていたのだ。それ故、夜襲などの警戒を怠った。そして危惧通り、打ち破られたのである。

 

「悔いはある、が、それは言っても仕方がない事か。己の力不足を恨むとしよう……」

 

 雨の降り続く天にむかい、まだ僅かに感覚の残っている右腕を伸ばす。自分の血とも返り血ともつかない血液が、腕を伝い雨に流されていく。

 ふと、この敗戦の中で主は逃げおおせることができたのだろうかと言う事が気になった。好ましい人物ではなかったが、一応は主として仕えた人物である。多少の情は移っていたのかもしれない。

 惨めな敗戦だった。自分以外にも何人か警戒していた将が居たのにもかかわらず、持ちこたえることすらできず打ち破られた。とても無事でいられるとは思えないが、それだけは気になると言えば、気になった。いざ落ち着いて考えてみると、仮にも知将として名を馳せた主にしては、不審なところがあった。勝利したからこそ、油断なく構え付け入る隙を与えるべきでは無いにもかかわらず、そんな隙を見せた。大勝に酔っていたとしても、どうしても解せなかった。そのようなミスを、犯すのだろうか? それとも噂が独り歩きしただけで、実際にはその程度の男だったのだろうか。雨に打たれながら、考え続けるも、明確な答えなどでなるはずはない。

 とはいえ、既にこの身にできる事も無い。敗れ、倒れ伏す自分には、ただただ、考える事しかできないのである。もっともそれも長く続きそうにないが。

 

「願うなら……次こそは『』を貫きたいものだ」

 

 呟いた。瞼が重く視界が歪み始めていた。伸ばした右手もすでに地に落ち、感覚は無くなってきている。ああ、此処で死ぬのか。そんな事を思いながら、戦場の風景を眺めた。

 思えば、何もできなかった。できる、と言う自信はあった。今も無くしてはいない。相手の狙いは読めていたのだ。だからこそ、悔いだけが募る。

 だが、そんな自身の意思とは異なり、何かを成す機会が訪れる前に、この身は力尽きる運命だったのだろう。ならば、終わりもそれ相応のモノでしかない。そう思った。悔いがないとは言わないが、もはや自分ではどうしようもなかった。意識を失うその時まで、ただただ雨の音に耳を傾ける。それも悪くは無い。そう思い、瞳を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 騎馬が駆けはじめた。ゆっくりと、そして次第に早く風を切り、進む。頬を、手を、全身を、風が撫でる。血潮が滾り、気分が高揚した。一度、右手に持つ槍を握りなおす。腰には、魔法の力を帯びた剣を佩いているが、馬上では槍の方が使い勝手が良かった。左手で剣の柄を撫で、その力を確かめる。何もせずとも魔法の加護を感じさせるソレは、自分には過ぎた一振りだった。

 そのまま、左手を柄から離し、槍を体に対して水平に構えた。それだけで、麾下である騎馬隊が二列縦隊になった。麾下は精鋭であった。だからこそ、二人一組で死角を補いかつ小さく纏まることで、弓兵や魔法兵などといった遠距離攻撃のできる兵による被害を最小限にとどめ、より敵陣を突破することに力を入れられる構えだった。これは率いる兵が弱兵ではできない構えだ。ノイアス元帥に仕え、唯一つ与えられたのが、この騎馬隊であった。それを自分が心血を注いで鍛え上げたのである。精鋭でないはずがなかった。

 

「穿つぞ」

 

 声に出した。一気に丘を駆け下りる。眼前には敵の兵が此方の軍とぶつかり合おうとしていた。その横腹を目掛け、一気に駆け抜けた。遅れて、麾下たちの雄叫びが響き渡る。領土に攻め込まれていた。それ故地の利はこちらに在り、兵を見つからずに伏せていたのだ。敵軍の虚を突いた、逆落とし。突如現れた騎馬隊に敵軍が浮足立った。正面から我が軍の本体とぶつかり合う直前、その間隙をついたため、敵の陣容を崩すのは容易だった。二列縦隊の麾下を指揮し、唯敵陣を駆け抜けた。騎馬隊の正面にいる者たちはその圧力に押され、指揮が乱れていたため、兵は一目散に脇に逃れようとする。その隙をつく事であっけない程に討ち破るのは容易だった。

 

 「この程度か?」 

 

 そんな事を思い、風を身に受けつつ、進んだ。小隊の指揮官らしき者を、数人突き落としながら駆ける。目的は、雑兵を破る事ではなかった。小隊などでは無く、軍の指揮官の首を挙げる事である。事前に丘の上から、敵指揮官らしきものの位置を確認していたため、そこを目掛け、ただ苛烈なまでに駆け続ける。

 

「見つけた」

 

 やがて辺りにいる兵士とは明らかに動きの違う部隊を見つけた。装備は他の兵士と比べて、より強力であり、周りに比べて陣が乱れているという様子もほとんど見られなかった。つまりは、指揮が正常だと言う事であった。そして何より、()たちと同じ、騎馬隊だった。ここだ。そう、確信した。一直線にその部隊に向けて、駆けた。数舜後、ぶつかり合った。疾駆している騎馬隊と、陣容の中にあり、満足に駆ける事ができない騎馬隊。勝負になる筈はなかった。陣を真っ二つに突き破り、進んだ。そして、ようやく見えた。赤い鎧に、赤い外套。敵方総大将にして、ユン・ガソル連合国の王、ギュランドロス・ヴァスガンだった。此方に気付いたようである。数舜、目が合った。

 

「その首、貰い受ける」

 

 気が付けば、叫んでいた。何も言わずに仕掛ける方が無駄な力を使わずに済むのだが、叫んでいたのだ。理屈では無く、感情の高ぶりからきた行為な為、意図せずに叫んでいたのだ。

 

「ッ!? ギュランドロス様!」

 

 数歩で、ぶつかる。そこまで来たとき、側面から、恐ろしいほどの殺意を感じた。恐怖はない、とは言わない。だが、止まる訳にはいかなかった。目と鼻の先に、敵総大将が居るのだ。この機を逃す事はできなかった。

 それ故、正面だけを見据え、上体をぎりぎりまで馬首に近付け、咄嗟に姿勢を低く保った。機を逃す事は論外だが、だからと言って捨て置くこともできなかったのだ。結果として槍を振り抜くには無理な態勢のまま、突き出した。金属にぶつかる鈍い手ごたえを感じた。同時に、手綱を持つ左腕の辺りに、鋭い痛みが走った。僅かにだが、斬られたようだ。しかし、動くことに支障は感じられない。

 気にせずそのまま、ギュランドロスの部隊を切り裂き突き進んだ。討ち果たせたか、確認はできなかった。ただ、手には鈍い感触が残っただけであり、手応えとしては微妙なところであった。貫いたと言うよりは、弾かれたという感覚だったのだ。討ち取ったと確信はできなかった。だが、敵陣営を真っ二つに割り、本陣を強襲したことで敵軍全体を混乱させる事には成功した。それだけでも充分すぎる戦果であったではないか。そう思い、無理やり納得した。戦場では、全てが思い通りに行くことなどありはしないのである。

 やがて敵陣を抜け、視界が大きく開けた。後方から怒声が聞こえた。恐らく、両軍がぶつかったのだろう。戦況は確認するまでもなかった。激突直前に指揮系統を乱したのである。勝負になる筈がない。ある程度直進したところで反転した。予想通り、ユン・ガソル軍は敗走しはじめていた。それを見て、追撃しようかと考える。麾下からは、どうか追撃をっ、と言う声が上がっていた。

 

「いや、このまま帰還する」

 

 だが、そのまま兵を下げる事にした。無理に追撃に参加せずとも敵本陣を貫いたのである。我が軍の功は誰の目にも明らかだったのである。だからこそ、欲をだし、兵を無駄にしたくはなかったのである。

 ふと、思いだし、左腕を見た。予想外に深い刀傷があった。いまだに血が、流れている。問題なく手綱を操れていたためあまり気にしていなかったが、思ったより傷が深い。とりあえず、治療が必要か。そんな事を思いつつ、兵を引いた。

 

 思えば、これが最初で最後の戦らしい戦だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 ユン・ガソル軍を退けたあと、自陣で負傷者の治療の指示や戦線の報告をした後、手持無沙汰となったため、小高い丘から戦場となった地を眺めていた。視線の先には、自陣より離れた位置にユン・ガソル軍が布陣しておりその旗がたなびいているのが確認できた。こちらの強襲によりユン・ガソル軍を混乱状態に陥れ、敗走させることには成功したが、思ったほど戦況は良くなかった。予定では、この地よりユン・ガソル軍を撤退させるつもりだったのである。だが、現実には相当離れているとはいえ、ユン・ガソル軍を撤退させることができず、今また膠着状態に入っている。

 戦場には、ユン・ガソルの王以外にも三銃士が集結していた。それ故思いの外敵軍が強襲の混乱から持ち直すのが速く、こちらの追撃を凌ぎきったと言う訳である。

 三銃士が揃っていると言うのは開戦前から知っていたのだが、それでも一度指揮系統を乱してしまえば、潰走させることなど容易だろうきめてかかっていた。だが、現実にはこちらの猛攻を凌ぎきり、依然として対陣していた。これは、此方の将兵が弱いと言うよりも、敵軍が破格だと言わざる負えなかった。流石は音に聞こえた三銃士と言う事だろうか。ユン・ガソル王自慢の懐刀と言う事だけはある。戦況としては芳しくないのだが、思った以上の相手の強さに感嘆すると同時に、心が躍った。予想以上の敵に、こちらも負けていられないと、静かに思う。

 

「……。ユン・ガソルが奇襲、いや夜襲に来るかもしれない」

「は? 夜襲、でしょうか?」

 

 空を見上げた。既に日も落ちかかっており、両軍のあちこちから飯を作る煙が上がっていた。この地は戦場であるが、だからと言って四六時中戦っているわけではなかった。戦う物の大半は、人以外にも種族はいるのだが、メルキア帝国とユン・ガソル連合国の主力は人間である。両軍は兵器と魔導兵器に秀でた国ではあるが、それを使うのは人であった。だとすれば、食事をするし、排せつもする。場合によっては性行為に及ぶ者もいるかもしれない。まぁ、それは兎も角、要するに戦場とは言え、戦っているだけではいられないのである。

 

「そうだ」

「何故、と問うてもよろしいですか?」

 

 俺の言葉に、傍にいた麾下の一人が聞き返してくる。持ち直したとはいえ、敗走させた軍である。しばらくは守りに徹するだろうという意識があるのだろう。俺だってつい先ほどまではそう思っていたからこそ、悠長に構えていたのだ。だが、空を見ていた時、ソレに気付いた。

 

「炊事の煙がこれまでと比べて多すぎる」

「煙、ですか? 確かに多いような気はしますが、それが?」

 

 ユン・ガソルの陣から上がる煙が明らかに多いのである。もしかすると、倍以上あるのではないだろうか?

 兵士はそんな俺の言葉を不思議そうにしながら聞いている。そこから推測できるのは、飯を多く作っていると言う事だった。戦が始まったのは何日も前からであり、その間何度もユン・ガソルの陣から上がる煙を見ている。それと比べて、記憶違いと片づけるには多過ぎるほどの煙の量だった。十中八九飯を多く作っているのである。

 

「夜襲をするとしたら、そのまま朝まで戦う事になるだろう。成功すれば相手はこちらを一方的に責めらるのだから、押しに押してくるだろう。どれだけ続けるかは知らないが、普通に考えれば一、二食分の支度はしておくだろう。だから、あれだけ多いのだろう」

「しかし、敗戦で下がった士気を持ち直すために、多くの飯を作っているとは考えられないでしょうか?」

「恐らく、ない。そもそも、ユン・ガソルの地は攻城兵器等の発展により、汚染されている。それ故、食糧に余裕があるとは思えないし、あったとしてもそんな無駄な使い方はしないだろう。下がっている士気を多少維持したところで、意味などない」

「となれば、攻めるしかないと」

「だろうな。仮に間違っていたならばそれでもかまわん」

「成程。ならば私は部隊に戻り、備えましょう」

「頼む」

 

 麾下の疑問を切って捨てる。本人も自分の言に自信があったわけではないらしく、直ぐに納得し、駆けていく。

 戦の常道から考えて、敗走したその日のうちに奇襲すると言うのは、前例がないとまでは言わないが、奇抜な事であった。それ故、警戒されにくいと言う事だ。何より相手は巷ではバカ王と呼ばれているギュランドロス・ヴァスガンである。何を仕掛けて来るか予測できたものでは無かった。そう考えると、十分に仕掛けて来ると思えた。仮に来なかったとしても、問題は無かった。笑い話の一つになるだけなのだ。たしかに負担にはなるが、この程度で音を上げるような兵は、そもそも戦場で生きていけないのである。奇襲に警戒するのは当然の事なのである。それを怠れば、遅かれ早かれ、死ぬだけなのだ。

 

「では、俺も行くとしよう」

 

 呟き、ノイアス元帥の野営地に向かう。その場にいたのが自分一人だった所為か、何気なしに俺と言って居る事に気付いた。苦笑する。どうやら自分も、相手を打ち破ったことで気付かないうちに油断していたのである。気付けていなかったらと思うと、ぞっとする。

 一度剣を抜き、一気に振り抜いた。それで、自身の中の油断を切り裂いた。再び、剣を鞘に戻す。それで、終わりだった。

 

 そして報告に向かった。

 

 

 

 

「ぐあぁぁぁ!」

「こんな……ところでぇ」

 

 一言で言うならば、悪夢だった。つい先ほどまで快勝に酔っていた軍が奇襲をされ、今は完全に潰走に追い込まれている。ノイアス元帥に、奇襲の兆候があり、警戒するように促したのだが、聞く耳持たれなかったのである。それ故、奇襲は成功されてしまった。

 周りのどこを見ても、兵が恐慌状態に陥り、阿鼻叫喚と言った様相を呈している。麾下すらも、相当数討たれたと思っていいだろう。小憎たらしいほど鮮やかに、ユン・ガソルの奇襲が成功していたのだ。

 

「……」

 

 一人、また一人と兵が討ち取られていく様子を見詰める。これが、ユン・ガソルの力か。これが、三銃士の力か。その鮮やかな手並みに、不覚にも驚嘆してしまっていた。

 ここまで来ると、もはや戦ではなかった。ただ、討たれているのである。将の指揮もなく、まとまって動くことのできない兵士たちは次々にうたれている。戦と言うよりは、虐殺のようなものであった。

 気付けば左手から血が流れていた。強く、呆れるほど強く拳を握っていた。怪我をしているというのに、痛みがまるでしない。どこかおかしくなったのかもしれない。そう、思った。左手に持つ剣を天に掲げ、右手に持つ槍を体に水平に構えた。それだけで、麾下は迷わずこちらに集まり防戦の構えを見せる。だが、思ったより数は集まらない。半数程度だろうか。数刻前に共に駆けた者たちの顔が、大きく欠けていた。

 

「一度死地を抜け、その後、断ち割る」

 

 麾下に向かって告げた。「応」っと雄叫びが上がった。周りを見る。味方は殆どが打たれ潰走しており、敵ばかりであった。面白い。そう、思った。この状況を作り出したのは、ノイアス元帥に意見を押し通せなかった自分と、自分の意見に賛同した将兵が力不足だったからだ。ならば、この状況を覆す事こそが、我らの役目と言えた。

 

「原野を駆ける我らが意思に、竜をも破る峻烈なる加護を」

 

 左手に持つ、剣に魔力を込め、魔法を発動させた。麾下全体が速く、そして鋭くなったのを感じる。一度だけのぶつかり合いならば、敗北は無い。そう思わせるだけ、部隊の気が満ちているのを感じた。

 邪魔な敵兵を薙ぎ払った。何度となく、敵を切り伏せ、少しずつ駆けた。多勢に無勢。ここの力は決して負けないと自負しているが、それでも彼我の兵力差があり過ぎた。一人二人と、此方の騎兵も崩れ去る。歯を食いしばり、ただ進んだ。

 やがて、囲いを抜けた。そのまま駆け続け、勢いを作ると、馬首を返し敵陣に向かい疾駆する。槍が腹を突くように、鋭く敵軍を突き崩した。そのまま駆け抜け、突破する。周りを見た。減っていた麾下が、更に少なくなっている。顧みず、もう一度駆ける。僅かでも時間を稼ぐ。それが自分と自分の隊にできる事だった。既に、敵の中に孤立していると言っても良い状況だったのだ。

 そんな事を、5度繰り返した。ほとんどの麾下は討ち取られ、自身も無数の切り傷を体に受け、満身創痍と言った感じであった。だが、死してはいない。だから、意地は張れた。

 

「かなり、時間は稼げましたね。何とか本体が逃げ切れていると良いですが、此方は終わりですね。とは言え、将軍と共に逝けるのならば、それはそれで良い、と言う気はします」

 

 生き残っている麾下の一人が言った。他の者たちも、一様に皆頷いている。完敗を惨敗に変えることができた。皆、そんな思いを持っていたのかもしれない。

 

「もう良い。お前たちは脱出すると良い。このようなところで死ぬ事は無いだろう。既に逃げ切れるかも怪しいが、行くと良い」

 

 静かにそう告げる。ここまで部下を死なしておきながら、できるならば生きていてほしい。そう思った。

 

「断らせていただきます。我らは、あなたの部下なのですから」

 

 そんな私を知ってか知らずか、麾下の一人が可笑しそうな笑みを浮かべ、言った。見れば、他の者たちも、笑っていた。物好きの集まりだった。

 

「……馬鹿どもが」

「仕方がありません。貴方に鍛えられたのです」

 

 呟く。また、面白そうに答えられた。堪え切れず、自分もまた笑ってしまった。ある程度笑ったところで、声をかけた。

 

「もう良い。ならば付き合ってもらおう」

「はっ」

 

 良い部下を持った。心から、そう思う。それを死なせるのは心苦しいが、嬉しくもあった。

 前にも後ろにも死しかなかった。だが、駆ける。皆、それしかなかった。それで、良かったとも思う。一丸となって、ただ駆ける。一人でも多く倒し、意地を貫こう。そう、思い、天に向かい気勢を上げた。

 不意に、頬に冷たいモノが当たった。雨が降ろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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序章2 ユン・ガソルの王

「此処は……ッ?!」

 

目を覚まして最初に感じたのは激しい痛みだった。全身が万遍なく痛むのだが、特に左腕の痛みが酷い。動かして直に見ようと思い、行動に移すが左手が動く事は無く痛みがより酷くなっただけであった。仕方がないので痛む上体を動かし確かめる。

 

「……これはまた、随分手ひどくやられたものだ」

 

見れば、左腕は大袈裟なほどに包帯が巻かれており、それだけでは無く医療用の魔導具が何個も取り付けられていた。よくよく見れば、全身も包帯が巻かれており、無事なところなど直ぐには見当たらない。

 極め付けに、左腕の手首から先がなかった。我ながら、よく生きていた物だと感心すると同時に、不思議にも思った。

 

「しかしまぁ……、物好きもいたものだ」

 

自身の状態を確認したところで出たのは、そんな言葉だった。現状から察するに、どうやら誰かに助けられたのだろう。普通なら敗れたことを思い涙したり、手がなくなった事に悲観したりするのだろうが、元々死ぬと思っていた自分が生き残ってしまったことの方が気になってしまい、どこかずれたことを言ってしまう。要するに、相応の混乱をしていたのだが、この時はそんな事には思い至らなかった。

 

「敵にかける情など、必要あるまいに……」

 

医療用の器具を見て、他国製のものだと言う事に見当がついた。自国のモノとは違っていたのだ。医療用の道具については衛生兵ほどではないにせよ、学んでいたのである。戦場で負傷した時、衛生兵が直ぐ傍にいるとは限らないからだ。それ故、医療器具の扱いについてはそれなりの心得を持っていたというわけである。そういう都合から、自身に施されている器具が他国のモノだと見当がついたのだった。

 そこから解るのは、敵国の人間が俺の事を助けたと言う事だ。だからこそ、解せない。他国に名の知れ渡った将ならばいざ知らず、自分のような無名の人間を助けるなど、物好きを通り越して違和感しか感じないのである。捕虜にするにしても死にぞこないを態々治療して捕虜とするメリットが思い当たらない。放って置けば死ぬような敵国に所属する人間を助ける義理などないのだ。となれば、思い当たるのは人体実験に素材として使うのではないか、と言う事だが、それでも死にぞこないを態々治療して使うぐらいなら、捕虜でも何でも使う方が明らかに効率的と思える。どういう都合にせよ、死にぞこないを治療する理由が解らなかった。

 

「私を助ける意図が解らない。まさか、よほどの阿呆なのだろうか?」

「おいおい。助けて貰っておいてその言いぐさは何だ? くく、流石の俺も傷付くぜ」

 

 思わず口を出た言葉に、予想外のところから返事が来た。豪快に笑いながらそういう声は、一定の威厳を持ちつつも、どこか愛嬌を感じさせる。驚きを表に出さないように注意しつつ、視線を向けようと体を動かす。直後、体を内側から抉るような鋭い痛みが走り、声にならない叫びをあげてしまう。驚きを顔にこそ出さなかったが、此れでは動揺していると言っているようなものであった。

 

「ッ?!」

「ああ、待て待て。お前さんかなりの重傷だからな、そのまま動くな」

 

 そんな此方の様子をさも可笑しそうな響きを滲ませつつ、そう言いながらこちらが相手の顔を見て話せるように声の主は場所を移した。 

 

「貴方は……ギュランドロス・ヴァスガン、か」

「ほう? 俺の顔を知っていたのか、なら話は早いな」

 

 その顔を見て、先ほどとは別の意味で驚く。赤い鎧に、赤い外套。炎のように猛髪。そして豪快な笑みを浮かべた男。ギュランドロス・ヴァスガンであった。内心で驚き、表情に出すまいとするも、動揺して怪我の事を考慮せず動いてしまい、痛みに声にならない声を上げてしまった。そんな俺の様子に、声の主であり、敵の総大将であるギュランドロスはにかっと嬉しそうな笑みを浮かべている。王でありながら、どこか少年のような笑みであった。

 見間違う筈など無い。ギュランドロスは今でこそ敵国の総大将と言う立場であるが、それ以上にユン・ガソル連合国の王であったため、仕官する前に諸国を見聞していた時に顔を覚えていたのだ。

 さらに言えば、戦場で将と言うのは兵士の中心にいることが殆どで、部隊の指揮をしていたりするため顔を知らなくとも大体わかるものなのだが、将の顔は覚えておいて損は無い。総大将となればなおさらだろう。何より、一度だけだがその首に手が届く距離まで肉薄したこともあった。それ故、目の前にいる人物が敵国の王だと言う事が理解できた。

 

「問いたいことは多々ありますが、今は一つだけ聞かせてもらっても構いませんか?」

「ああ良いぞ。言ってみな」

「では。放って置けば死ぬ私を助けた意味が解りません。何を企んでいるのかお聞きしたい」

 

 現状では駆け引きなどするだけ無駄である。自身は死んでいないだけで動く事すらまともにできず、生かされているだけなのだ。目の前の男の気分次第で成す術もなく殺されるだろう。ならば、交渉の余地もない。殺されるにしても、せめて死に際の疑問ぐらいは解消しておきたいと思った。思えば、雨の中で倒れ伏していた時、自分は既に死んでいたのかもしれない。

 

 

「くく、随分と単刀直入に来るな」

「こんな状態では駆け引きをする余地もありませんからね。私が生きるも死ぬも貴方次第。つまり、私は貴方に従わざる得ない。ならば、駆け引きなどするだけ時間の無駄と言う訳です」

 

 

 そんな俺の返答が余程面白かったのか、ギュランドロスは少年のように屈託なく笑った。裏表のないように思えるソレは、こんな状態でなければ主君と定めていたかもしれないほどに惹かれる何かを感じた。ある種の、器と言うモノだろうか。ギュランドロスに自身には無いモノを見て、そんな事を思う。尤も、今となっては詮無きことだろうが。

 

「いや、まったくだ。確かにそうだが、そう簡単に割り切れる者でもない、か。成程、これは思った通り拾い物をしたかもしれんな」

「どういう事でしょうか?」 

 

 俺の返答に、ギュランドロスはにやりと笑みを深める。新しい玩具を見つけた少年。そんな王らしからぬ顔に、どこか惹かれた。主君である、ノイアス元帥には感じる事が無い類のモノであった。

 

「お前の才が欲しい。俺に付いて来ないか?」

 

 そう言って、にやりと笑いながら、ギュランドロスはこちらに手を差し出した。

 

「……」

 

 言葉が出なかった。相手の意図が読めなかったのだ。

 我が方の軍は一度ユン・ガソルを打ち破った。それは事実である。献策をし、自身が成した事が大きいという自負もあった。だが、それは戦いが終わった直後のギュランドロスが知るところではないのだ。幾らなんでも、情報が速すぎるのである。

 確かに、自分は騎馬隊を指揮し、ギュランドロスを討つと言うところまで迫ることはできた。だが、それも一瞬でしかない。自分の場合は事前に顔を知っていたし、敵軍の総大将でもあるため覚えているのは当たり前なのだが、ギュランドロスからすれば俺の事など突如現れた刺客に過ぎないのである。戦場に在ればその程度の事は日常茶飯事にあるだろうから、顔を覚えられているとも思えなかった。

 尤も、あくまでそれは将校のみが知る情報が漏れていないという前提の話であるが。

 

「それは、ユン・ガソルの王としての意思なのですか?」

 

 それだけ尋ねた。自分が唯の将として捕えられたのならば勧誘もないとは言い切れないが、まったくと言って良い程名を知られていない自分を、死にかけのところから態々治療してまで命を繋いだのである。ユン・ガソルにとって、自分がそれだけの価値を持つとはとても思えなかった。それ故問う。

 

「いや、ユン・ガソルの王としてと言うよりは、ギュランドロス・ヴァスガン個人の意思だな。お前が率いる騎馬隊が向かって来た時、不覚にも敵の動きに見惚れた。此奴の軍略の才が欲しいと思った」

「成程。やはり、個人的な理由でしたか」

 

 ギュランドロスの言葉を聞き、ある程度は納得できた。国としての意見では無く、個人の我儘を押し通したと言うのであれば、この無駄も理解できた。一瞬の交錯でしかなかったが、それでも王の眼鏡に適ったと言うのならば、それは光栄な事である。例えそれが、敵国の王だったとしても。そう、思った。

 

「ああ、俺の夢には、才のある者がたくさん必要だ。俺自身天賦の才を持っていると自負しているし、三銃士と言う自慢の矛と盾もある。だが、それだけではとても足りん。だからこそ、才が欲しい。誰の目にも光って見えるような、天賦の才がな。そして、その一人がおまえだったと言う訳だ」

 

 そう言って語るギュランドロスの目は子供のように輝いていた。我が主君であるノイアス元帥に戦を仕掛けたのも、宿敵であるメルキア帝国を討ち滅ぼすためだろう。だからこそ、人材は幾らあっても足りないと言う事なのだろう。言葉の端々から、ギュランドロスが自身を求めていると言う事は実感できた。

 

「私には、そのような才があるとは思えません。他者よりも少し戦う事が得意なだけです」

 

 だが、自分にそこまでの才があるとは思えなかった。確かに、自分ではできると言う自信を持っていたが、つい先ほど敗れたのである。警戒していたにも関わらず、完全な敗北だった。だからこそ、目の前の男が言うような才があるとは思えないのだ。

 

「いや、ある。お前には、確かに才気を感じる。特に軍事に関する才をな。実際ぶつかった時、その統率された動きに見惚れた。あの時、エルミナが割って入らなければこの首を取られていたかもしれん。もしくは、騎馬隊同士で正面から直接ぶつかっていたら、数を見て少数と侮り驕りを突かれ討たれたかもしれん。素直にそう思う。それ位お前に脅威を感じたし、だからこそ欲しいとも思った」

「……」

 

 俺の言葉にギュランドロスは、静かに答えた。自身が指揮した騎馬隊を見事だった、と。脅威に感じた、と。だからこそ欲しいとも。

 その言葉はギュランドロスの表情を見る限り演技とは思えず、相手が本心からでた言葉のようであった。だからこそ、胸を打たれた。自身が完膚なきまでに打ち破った相手でありながら、恐ろしいと言い、欲しいとも言ったのだ。将として、これほど光栄なことはあるまい。

 

「それでも、私はその手を取れません」

 

 数舜考え込み、静かに告げた。答えはもう決まっていたのだ。

 

「ほう? ならばこの場で死ぬしかないと解っているのか? 俺はお前が確かに欲しいが、降らないと言うのならば、その才を用い再び敵として現れる前に手を打たねばならん」

 

 ギュランドロスは少しだけ意外そうにしながらも、言葉を続ける。どうやら、俺が自分の手を取ると想定していたからだろう。

 

「はい。例えそうだとしても、私にその手は取れないのです」

 

 念を押すように言うギュランドロスに、穏やかに告げる。無理なものは無理なのだ。だが、自身を心底欲しいと思っていてくれる事が伝わってきて、嬉しく思えた。

 

「……それは何故だ? と聞いても良いか?」

 

 残念そうにしつつ、理由を尋ねてくる。だからこそ、正直に答えた。

 

「そもそも手が動かせませんので、取りたくても取りようがないのですよ」

「……は?」

 

 俺の返答にギュランドロスは、雷に打たれたように固まった。どこか呆けたような顔をしていて、こちらの思惑通りに事が進んだために、自然と笑みが浮かんだ。先ほどから良いようにしてやられていたが、どうやら一矢報いれたようだった。

 

「……くく、だぁーはっはっは!! そりゃそうだ。その怪我じゃ手なんか取れる訳ないな!」

「そう言う事です」

 

 心底愉快だと言わんばかりにそういったギュランドロスに短く答えた。返答の意図に気付いたようである。

 

「くく、面白い奴だよお前は。だが、その場で斬られるとは考えなかったのか?」

「私は一度死んでいますからね。この場で斬り伏せられたとしても、あまり変わらないと思います。そして、なんとなく確信もありました」

 

 口元に笑みを浮かべるギュランドロスに言葉を続ける。この人物の人となりは、事前にある程度調べていたのである。豪放磊落にして、大胆不敵。自分をどこまでも信じており、思い付きの意見を押し通し、配下の者を困惑させることも多々ある愉快犯。通称バカ王。そんな噂が届いており、細部の差はあれど、大まかにはそのような人物だった。

 

「ほう……どういうことだ?」

「好きでしょう? ああ言うの」

「くく、ふははは。いやいや、まったくだ。大した奴だよお前は」

 

 自身は既に死んだ身であった。だが、生きていた。ならば、その数奇な運命を受け入れ、新たな主に仕えるのも悪くは無いかもしれない。そう感じた。

 無論、誰が相手でも良いと言う訳ではなかった。配下になれと言って笑ったギュランドロスの器に、どこか惹かれたのである。こう言ってはアレだが、この男こそ主として戴くに値する人物だと、そう直感してしまったのだ。だからこそ、尋ねた。

 

「王よ私に才を見たと言いましたが、それは今でも変わりませんか?」

 

 この男に忠誠を尽くそう。そう決めた。だからこそ、改めて聞いておきたかった。

 

「ああ、お前たちの軍が俺たちの本陣を襲った時、刃を重ねた。その時に感じたのさ。此奴は、俺とは別の才を秘めているってな」

「成程。つまり直感と言う訳ですか?」

 

 聞き返す。正直に言うと、この男の言葉でなければ信じられないだろう。常人に理解できる明確な理由など、ないのだから。

 

「ああ。俺の直感がそう確信した。それだけで充分だろう?」

「……くく、あはははは。これは、勝てないわけだ。器どころか、規格が違う……ッ、くくく……」

 

 自身を信じて疑わない、目の前の男に呆れをゆうに通り越して、親しみを感じた。盛大な馬鹿だったのである。自身を信じて疑わない、大馬鹿者。だからこそ、仕えるに値する。そう、思った。王と言うのは、常人の尺では測れないのである。そういう意味では、ギュランドロスはどうしようもなく『王』であったのだ。この男を支える。それは、どうしようもなく魅力的な事に思えた。

 

「ひとつお願いしてもよろしいか?」

「おう、言ってみな」

「貴方を主とするのは承知させてもらいます。ですが、元々私が居た軍と戦いたくはありません。それ故、私の主である、ノイアス殿との戦には出さないで貰えないでしょうか?」

 

 目の前の男を主と定めたとはいえ、その点だけは明確に決めておきたかった。自分は裏切り者となるが、以前の主と戦うのだけは躊躇いが生まれたのである。幸い、自身はメルキア帝国に仕えていたのでは無く、ノイアス元帥に仕えていたのだ。つまりノイアス元帥の私兵である。自分はメルキア軍として戦いながら、正式なメルキア軍属ではないのである。だからこそ、メルキアと戦うのは構わないが、ノイアス元帥とはたたかいたくなかった。裏切者が何を言うかと罵られても仕方がない事だが、私も人の子である以上は、譲れない線があったのだ。

 

「あー、それなんだがな」

「はっ」

 

 ここにきて初めて歯切れが悪そうにする王を促す。その様子になんとなく、予想はついた。自分たちは、敗北を喫した直後なのである。

 

「敵元帥ノイアスはセンタクス敗残兵の中にいるという情報が来て居ないんだが、奴に致命傷を負わせたと言う報告は来ているんだ。つまり……」

「十中八九討たれた、と?」

「そう言う事だ」

「そうですか」

 

 容易に予想できることだった。そもそも、本陣を死守しようとした自分が、それほど間を置かず破られたのだ、そういう結果はある程度予想できていたのだ。とはいえ、主だった人物が死んだというのにここまで何の感慨もわかないとは思わなかった。寧ろ、兵たちの事を考えてしまう。自分は彼らを死なせた者たちと組みするのである。それは酷い裏切りだろう。そんな自分を冷静に分析すると、嫌悪感が込み上げてきた。それを表情に出すことなく、心の中で自身に誓った。

 

 ――もし、次があると言うのならば、この身が果てようと、この男を裏切らない。

 

 それが、私にできる唯一の事だった。一度だけ過ちを犯した。次は、ない。軽く目を閉じ、そう心に刻みつける。その思いだけは、何があろうと曲げない。そんな意志を灯し、目を開いた。

 

「吹っ切れたのか?」

「まさか。ただ、一つだけ決めたことがあります」

「そうか。なら、大丈夫だな」

「はい」

 

 必要以上に問われることはなかった。そんな心遣いが、有りがたかった。例え聞かれたとしても、こたえる気はないのだ。先ほどの誓いは、自身の内にさえ秘めておけばいいのである。何より降った者が何を言ったところで、説得力などないし、態々誰かを前に口にすることとも思えなかった。

 

「じゃあ、ゆっくり傷を癒すといい。回復したら、詳しい事を伝える」

「はい」

 

 王は満足そうに笑みを浮かべた後背を向け、そう告げた。それに短く答えると、軽く手を挙げ退出していった。

 

「っと、そうだった。最後に聞いておくことがある。お前、名は?」

 

 と、思ったのだが戻ってきた。と言うか、この人は名前も知らない相手を欲しいと思ったのか。いろんな意味で器の違う王に苦笑が漏れた。

 

「我が名はユイン・シルヴェスト。お好きなようにお呼びください」

「おう、これからよろしく頼むぞ、ユイン」

 

 名乗ると、はっはっは。と、楽しそうに笑いながら、去って行った。まったく、仕えがいのある主だ。そうしみじみと思った。だが同時に、いまだかつて相対した事の無かった器を前に、柄にもなく気分が高揚しているのも感じた。

 

 




魔導巧殻をやってたら妄想が止まらなくなりました。感想などはお気軽にお願いします。


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1話 調練

 騎馬が駆ける。未だ上手く軍馬を乗りこなせず、前に出過ぎる者や、逆に遅れてしまうものなどが多く、とても騎馬隊の行軍とは思えない光景であった。それを眺めつつも、ただ駆けさせる。最初から、見事に隊列を組んだ行軍など期待していない。皆、新兵だったのである。故に、唯駆けさせ、ひたすら馬の扱いに慣れさせることから始めた。

 

「しかし、新兵のみの部隊とは」

 

 生き残った麾下の一人が傍らに立ち、吐き捨てるように言った。名を、カイアスと言った。自分よりも2歳若い男であった。

 自分の麾下だったものの大半は討ち取られていたが、幸いにも数人だが捕虜となって居たのである。それを王に願い出て、直属の部下にしてもらったのだ。その中でも、尤も使える者を副官とした。凄絶なまでの敗戦を生き残ったものである。頼りになる副官であった。

 

「構わんさ。寧ろ、既存の兵の様に調練の先入観がない分ありがたいぐらいだ」

「それは言えていますね。将軍の調練は、何処と比べても明らかに辛いと思います」

 

 眉を顰めて言う副官に、何でもない事のように告げると、苦笑しながら同意された。今は、馬の扱いに慣れるように勤めているためそれ程でも無いが、本格的な調練が始まれば何人か死ぬかもしれない。漠然とだが、そう思った。死の一歩手前まで行く調練。それを施すつもりなのである。死線を超えたその先の兵を、求めていた。

 兵の数は、200名程であった。将軍と言うには明らかに少ないが、降将であり、ユン・ガソルでの実績は何もなく、元メルキア所属と言う事で、恨まれているだけなのである。直属の兵士がもらえただけでも御の字だろう。

 兵士はすべてが徴発したばかりの新兵であり、錬度は皆無だった。だが、ユン・ガソルと言う国の特性上、兵士達の士気は高く、皆、やる気に満ち溢れていた。国民の王に対する心服度は、目を見張るところがある。此れならば、自身の求める軍が作れる。そう、確信した。

 

「お前から見て、どんな感じだ?」

 

 副官に、麾下となる新兵の様子を訪ねる。自身で見て、評価は既に下しているのだが、他人から見た評価と言うのも知りたかった。

 

「使い物になりませんね。早く駆けられる者は、ただただ早く駆けているだけで、足並みを揃えると言う事を考えて居ません。遅れているものは、ただただ付いていくのに精一杯と言ったところでしょうか」

「そうだな。だからこそ、鍛えねばならない。頼りにしているぞ」

 

 辛辣な言葉だった。だが、自分としても同じような評価である。共通の認識として、頷く。麾下となる新兵を精強な騎馬隊に育て上げる。それが自分に課された最初の仕事だった。それ故、開けた原野の一角野営地を置き、調練を行っていた。

 

「では、俺はもう少し扱いてきましょう」

「ああ、頼む」

 

 しばらく訓練の様子を眺め、様々な事を話し合っていたが、一区切りがついたので麾下たちの方へ向かっていった。それをただ、見送る。本来ならば、俺も直接調練に加わり、兵士を鍛え上げなければならないのだが、直ぐには無理だった。

 

「中々、難しいモノだな」

 

 左手が無かったのだ。先の敗戦で受けた傷が広がり、戦場であったがゆえに、切断しなければいけないほどになっていたのである。意識を取り戻した時には、既に手首から先が無かった。流石にどうしたものかと思ったが、王は既に手は打っていたようで、義手を用意してくれていた。特殊な、義手だった。使用者の魔力を用い、動かす。大雑把にいえばそう言うモノだった。傷もまだ癒えていないが、まずはこの義手を使いこなすのが最優先だった。

 

「っと、すまない。痛かったか?」

 

 馬上で、実際に手綱を引いてみる。左手があった時と比べ、力加減が思うようにいかず、馬に痛みを与えてしまった。僅かに頭を引いた。それだけで随分と嫌がっていることが理解できた。即座に力を緩め、馬を楽にする。

 

「すまない。まだコレに慣れないうちは、何度かあるかもしれないが、我慢してくれるとありがたい」

 

 一度馬から降り、その毛並みを撫でながら呟く。馬自体は、素晴らしい馬であった。ノイアス元帥に仕えていたころの馬と比べると、良く駆け、良く耐える。疾駆したときの速度など、他の追随を許さない。そんな名馬と言っても良いような馬だった。その馬が、手綱を引かれていやがったのである。つまりは、自身の手綱捌きに問題があったと言う事である。

 原因はすぐに分かった。義手、である。単純に、まだ慣れてはいないのだ。それ故、馬にはすぐに伝わったのである。名馬であるがゆえに、手綱には厳しかった。

 

「まずは焦らず、慣れる事か」 

 

 呟く。原因は良く解っている。慣れなのだ。それは様々な事を行い、手の動かし方を経験するしかなかった。繊細な動きをするにはまだ暫くかかるかもしれない。そう思うと、自分の不甲斐なさにため息が零れた。

 とは言え、自分は指揮官なのだ。本格的な調練を行うまでには、何としても以前の水準を取り戻す必要があった。指揮官が水準以下となっては、兵の錬度に大きくかかわるのだ。しばらくは副官に任せるつもりであるが、できる限り早く仕上げなくては。そう、思った。

 

 

 

 

 

 

 調練をはじめ、1週間がたった。今では形としては、騎馬隊の格好ができるようになっていた。突出しすぎる者は無く、皆足並みを揃え駆けている。そこから、暫く駆け、不意に二つに隊を別け、その後四つの隊に別れる指示を出す。一瞬、足並みが止まりかけるも、何とか隊列を組み直した。まだ、咄嗟の指示に迅速に従う事はできない。だが、新兵にしては及第点と言ったところであった。

 

「調練は進んでいるようだな」

「はい。今はまだもたつきますが、何れはそれも無くなりましょう。皆、思いの外物覚えが良く、貪欲です」

「そうか。ならば暫く、任せるぞ」

「はい」

 

 副官に調練の指揮を任せ、自身は愛馬となる馬に向かう。そのまま少し声をかけ、鐙に足をかけ、その背に乗った。そのまま手綱を取り、ゆっくりと駆けだす。暫し、ゆったりと駆け続けた後、順を置いて速度を上げていく。やがて、速度も高まり、疾駆しているのと同程度の速さになった。そのままさらに速度を上げ、調練中の部隊の前方にでた。

 

「カイアス! そのまま疾駆!」

 

 駆けながら叫んだ。こちらの意思を汲み取ったのだろう、新兵をそのまま指揮し、此方に向かって突っ込んでくる。数の圧力が、生半可では無かった。こちらはたった一人であり、向うは200人程度である。だが、烏合の衆であった。今もまだ、俺の意図に気付かず、ただ駆けている。

 訓練用の剣を抜く。刃はつぶれていた。そのまま突っ込んだ。

 

「ぐ、あぁぁぁ!!」

 

 すれ違い様に油断していた二列の兵士を可能な限り撃ち落とした。油断していた者たちは、悲鳴を上げ、馬上から落ちた。悲鳴が上がり、瞬く間に恐慌状態に陥る。カイアスの周り以外は、隊列が見事に崩れていた。それを横目に駆け抜け、再び全軍の前に立った。

 

「今のが、馬上で攻撃されると言う事だ!!」

 

 カイアスが叫んでいた。事前に知らせずに仕掛けたが、此方の意を理解して兵に何も伝えなかったようである。それ故、何の警戒もしていない騎馬隊を良いように乱すことができた。

 

「今のお前たちでは、将軍ただ一人にすら一角を簡単に崩される。このような体たらくでは、使い物にならん! これより先の調練では、一切油断するな。油断は死に繋がると思え!」

「はい!」

 

 どこか、弛緩していた雰囲気が消えた。調練に慣れた。そこから来る弛みを打ち消したのである。これで、より強い兵ができる。兵士たちの間に漂う雰囲気を見て、そう思った。

 左手の調子も、上々だった。まだまだ完璧には程遠いが、以前に比べれば遥かに思ったような動きができ、手綱を操ることができた。ただ、駆けるだけならば、充分に可能だった。このままいけば、何れは両手に武器を持って駆ける事もできるだろう。まだ先の話だが、自由に指揮できるようになる、と言う確信は既に持っていた。ようやく、動ける。そう思った。

 

「今日から私も直接調練に加わる。今までの訓練とは、同じと思うな。死をも、覚悟しておけ」 

「はい!」

 

 兵たちの前でそう告げる。先ほどの交錯が、功を成したのだろう。新兵たちから雄叫びの如き声が上がった。お前たちを精鋭に仕上げる。そう、宣言し、調練を開始した。

 

 

 

 

 

「おう、ユイン。上手くやっているか?」

 

 調練に明け暮れ、ようやく騎馬隊として及第点を出せる動きになってきた頃、奴は唐突に表れた。我が主、ギュランドロス・ヴァスガンその人である。

 

「予想以上、と言ったところでしょうか。王に対する忠誠は大したもので、よく調練にも耐えます。ユン・ガソルは良い兵士となり得る者がそろっていますね」

「ほう、そりゃよかった。今日は様子を見に来たんだが、その感じだと中々上手く行っているようだな。調練の様子を見て行っても良いか?」

「そのような物ならば、いくらでも。しかし、そのまえに兵士たちが食事をとるのですが、どうしますか?」

 

 軍礼を取り、答えた。

 唐突に表れる人である。事前の連絡など一切なかったため、何の準備もしていなかった。尤もこの人がそう言う事で怒るとも思えないが。

 腰が軽いと言うか、こう言うところがあるから、配下の者は苦労するんだろうな、と思う。俺は軍人であるが故、そこまで負担にはならないが、文官や軍師などは余計な苦労を背負っていそうである。とは言え、こう言う人物なのだとあきらめざる得ないだろうが。

 とりあえず、兵士たちが食事をとっている途中の為、それを中断する訳にもいかないので、王にもどうかと聞いてみる。兵糧など、視察に来た王に出すものでは無いが、他に出せるモノは無い。そもそも調練をしている軍の野営地に、碌なものなどある筈がないのだ。それも王ならばわかっているだろう。何よりもこの人ならば、自分の部下と同じものを食べて、文句を言う訳がないと解っていた。

 

「おう、貰うぜ! 兵士たちと同じものを頼む」

 

 予想通り、平然と兵士と同じものを頼んだ。寧ろ、何処となく嬉しそうに見える。この方は王だが、戦場にいる方が性に合っているのかもしれない。そう思った。

 

「如何ですか?」

「ああ、不味いな。不味いが、うちの連中と食う飯ってだけで悪くはないぜ」

 

 尋ねると、そう快活に笑った。どこか、惹かれる笑みである。兵士を家族とみる、そう言うところがノイアス元帥にはなかった魅力なのだろう。

 

「おい、ユイン。喰わないなら貰うぜ?」

「王よ、流石にそれは品が無いですよ」

「くく、いざと言うときは何でも食う軍属が、何をいまさら」

「ソレに関しては、一切否定できないのが、軍人の悲しい性ですな」

 

 他愛もない話をしつつ、食事をとった。自分以外にも、その辺りにいる兵士を捕まえては声をかける。どこか王らしくない振る舞いだった。だからこそ、誰よりも王らしいのかもしれない。この方を王として良かった。その光景を見て、改めてそう思った。

 

 

 

 

 

 小休止を終え、訓練を開始した。王であるギュランドロスさまが、離れた場所から、カイアスと共に軍の完成度を見ている。時折、傍に侍るカイアスに、一つ二つ質問をしているようだが、部隊の指揮をする為、離れている自分からは聞き取れない。カイアスには、調練の補足をさせ、自分が実動と言う形であった。

 周りを見る。王が居るからだろうか、皆一様に緊張していることが感じ取れた。

 

「焦る事は無い。現時点で自分にできる事をすればいいのだ。いつも通りの調練をする。行くぞ」

 

 それほど大きな声ではないが、皆に聞こえる程度に声をかけた。それで、僅かにだが緊張がほぐれたようだ。「応!」っと全軍が心を一つにして叫んだ。200名ほどの兵士たちである。戦場で気炎を上げる時に比べれば静かなものだが、それでも相当の声量である。木々が騒めき、鳥たちが羽搏いた。遠くの森から、動物たちの気配が僅かに動くのを感じた。

 左手に持つ剣を天に掲げ、右手にもつ槍を水平に構える。それだけで、音もなく、麾下たる兵たちが二列縦隊になった。速いが、遅い。まだまだ満足のいく速さではないが、それでもユン・ガソルの一般的な騎兵と比べても遜色は無くなってきていた。

 

「行くぞ」

 

 声に出し、左手に持つ剣を、振り下ろした。左手の動きはまだ完璧とは言い難いが、指揮するには問題無いほどまで、動くようになってきていた。義手を用意してくれた王には、いくら感謝しても足りないだろう。

 騎馬隊が、歩を進めた。最初はゆっくりと、だが、直ぐに速度が上がり、数舜後には疾駆している。駆けに駆けているのだが、出過ぎていたり遅れている馬は無く、見事に隊列を整えたまま駆ける。やろうと思えば、さらに速度を上げることも可能だが、現状では隊列を整えたまま駆けられるのはこの速度までであった。平均的な騎馬隊と比べれば、僅かに速い。と言ったところだろうか。新兵にしては上出来だが、まだまだ満足できる水準では無かった。

 

「散開」

 

 声に出し、同時に手に持つ槍を、再び水平に構える。それで、傍らの兵士が音による合図を出し、軍が二つの意思に別れるかのように左右に別れ、二つの纏まりに変化した。その状態で駆けた後、4つ8つとさらに細かく分かれる。最初のころは指示を出す度にもたついていたものだが、今ではそのような事もなく、変幻自在にその陣容を変える事が出来た。此方もまだまだ満足できるほどでは無いが、及第点は与えられる錬度であった。

 

「集合」

 

 槍を天に掲げ、指示を出す。散開していた部隊がすぐさま集まり、再び全軍で隊列を組んだ。予想より、数秒速い。王が見ているから皆気合が入っているのだと、感じた。

 

「散開、対陣」

 

 そのまま少しばかり疾駆したのち、再び槍を構え指示を出し、二つに分かれる。そのまま片方の部隊の先頭に立ち剣を掲げ、駆ける。もう一つの部隊は、他のモノに任せ、正反対の方向に駆けた。暫く駆け、ある程度の距離が取れたところで、反転する。見れば、対面にいるもう一つの騎馬隊も、此方に向き始めていた。丁度、左右に軍が解れていると言う格好だった。

 

「新兵しか与えられなかったのだが、こいつは見事だな。これが、ユインの指揮する騎馬隊か。この動きなら、戦場に出すことを考えても良いかもしれん」

「漸く最低限の動きを覚えただけで、まだまだです。この程度では、将軍は満足されないかと思います」

「そうか。しかし、見事だ。新兵ですらこの動きなんだ。強襲されたとき、止められなかった理由も解る気がする。三銃士の一人が来て、何とか凌いだのだから相当なものだった」

「……恐縮です」

 

 横目で、王の方を見た。副官のカイアスと何か話しているようだが、此方からは聞こえない。恐らく、麾下の錬度について話しているのだろう。内容までは解らないが、雰囲気から察するに悪い評価では無かったのだと思う。

 

「行くぞ。味方とは思うな、討ち破るつもりで矢の様に突っ込むぞ」

「応!」

 

 剣を再び振り上げる。短く麾下に告げ、振り下ろし、駆けた。平野を充分に駆け、勢いを保つ。視界の先には、自らの麾下が見えた。強くなった。そう感じた。まだまだ、鍛錬の余地はあるが、驕りの類などは見えず、皆が皆、油断なく隊列を組み駆けていた。

 ぶつかる。右手に持つ槍と、左手に持つ魔を宿す剣を用い、麾下達と打ち合った。鐙に足をかけているが、それでも両手を離すと安定感は落ちた。それ故、足で馬の腹を締め上げる事で、より安定感を出した。馬は根気よく語り掛けながら、調教をすることで、此方の意思をよく理解することができる名馬だった。それは、戦いの中でも変わりなく、此方の行動から、意思を良く察してくれた。

 そのまま突破と反転を数回繰り返す。刃と刃をぶつけあい、殺す気でやる調練は、それ自体が過酷であり、一歩間違えれば死に繋がるほどのモノであったが、それでも皆、脱落することなく繰り返すことができた。最初のうちは何人もケガをし、時には再起不能になる者もいたが、今ではそんな者も出る事が無くなっていた。皆、死に繋がる一撃と言うのを肌で感じ、解るようになっていたのである。それ故、致命傷になる程の傷を負う者は居なくなっていたのだ。

 

 

 

 

 

「見事なものだ、とても新兵とは思えなかった。あれほど苛烈な調練を行っているとは、正直思わなかったぜ」

 

 麾下に小休止を告げ、野営地に戻ると、王が言った。

 

「ありがとうございます。ですが、まだまだ鍛える余地はあります。機動力、攻撃力、陣形の習熟度など、どれをとっても精強な騎馬隊とは言えません」

「しかし、一般的な騎馬隊と比べても遜色は無い」

「その程度では精強とは言えません」

 

 本音を隠さず告げる。自身の求める騎馬隊は、この程度のものでは無かった。どのような相手が敵であろうと、押し負ける事は無く、縦横無尽に戦場を駆け抜け、例え竜が相手でも突き崩せる、そんな部隊を目指していた。

 

「くく、そうだな。まったく貪欲な奴だよお前は。ならば、近々他の新兵と合同訓練をさせてみようと思うのだが、構わんか?」

「願ってもない事です。兵士たちにとって、自分たちの力が実感できる良い機会となるでしょう」

「決まりだな。追って連絡を入れよう」

「お願いします」

 

 すぐに話はまとまった。合同訓練をする機会がもらえるのならば、それは有りがたい事だった。相手は誰になるかはわからないが、ユン・ガソルの将である。それを相手に自分の麾下がどこまでやれるか見極める、良い機会だったのだ。自分自身の力を確かめる機会でもある。

 

「とは言え、此方は新参者だ。相手の胸を借りつつ、可能なら叩き潰しに行こうか」

 

 静かに呟いた。新参者だからと言って、此方には遠慮をする気持ちは無い。ただ自分の成すべき事を成し、麾下達を信じるだけである。無様な姿だけは見せられない。そう、思った。麾下の訓練を可能な限り施そう。そんな事を思いつつ、訓練の再開の合図を出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ここまで魔導巧殻でありながら、女性キャラ無しです(笑)
次回は、登場予定しています。


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2話 行軍と思惑

 王から合同訓練の話を聞いてから、十日ほどが経った。正式な書簡として、訓練の日程が通告された。日程は五日後、前線に近い、レイムレス城塞近郊の平地で行われることになった。レイムレス要塞自体は、山岳地帯にあるが、平地が無いと言う訳では無かった。とは言え、山を駆ける訓練を重点的に施すには、もってこいだろう。

 レイムレス要塞と言えば、元々はメルキア軍の拠点であった場所だが、先の戦より少し前に奪回された場所であった。つまりは、ある意味古巣ともいえる場所であった。そのような場所で、降将である自分の力を試されると言うのは、妙な気分であった。無論、そのような場所で訓練が行われる理由は想像できた。

 王以外にも、この訓練には三銃士が参加すると言う話を聞いていた。流石に軍を統括する三銃士が、新兵を率いて戦うと言う事はしないだろうが、この後もメルキア軍との戦が続くために、兵士の錬度を確認しておきたいと言ったところだろうか。

 戦況は、ユン・ガソル軍が優勢であると言えた。先の奇襲によりメルキア軍を潰走させた後、メルキア軍東方元帥である、ノイアス元帥が戦線から姿をけし、今まさに東方の都であるセンタクスを攻め落とすのには絶好の機会となっていたのだ。その準備の為にも、前線が近い方が都合がいいと言う事だったのだろう。場合によっては、即座に戦力とされる可能性も考えられた。とは言え、自分が対センタクス戦に起用されるとは到底思えないが。

 

「しかし、将軍、五日で行軍しろとは、王も無理をおっしゃいますね」

「試されているのだろう。王と言うよりは、それ以外のものに、な」

 

 副官であるカイアスが、呆れたように言った。現在地から予定の場所までは騎馬隊の平均速度で駆けたとしても、普通に行軍すれば七日ほどは必要な位置にあった。それを五日で来いと言うのである。明らかに無理だと思われる通達であった。メルキア帝国の降将である自分が、どのような言い訳をするのか見たいのだろう。

 

「とは言え、頭から無理と決めつけている者たちに、一泡吹かせるのは愉快だと思わんか?」

「できれば、痛快でしょうね」

「今の麾下ならば、できない事は無い」

「無理では、ありませんね。強行軍の経験を積ませるのに、もってこいかと思います」

 

 とは言え、自分とてこれまでの間何もしてこなかったわけでは無かった。どうせ面倒なことになるだろうと、いくつかあたりをつけ、準備をしておいたのだ。出立する為の準備はとうにできている。

 自分はまだ、ユン・ガソルの領土に土地勘は無い。何人かの住民に前金を渡し案内役として雇っておいた。ソレにより、どの地域に行っても間道を用い、通常の行軍より早く移動できると言う状態にしておいたのだ。

 何よりも、念入りに鍛え上げた麾下は、通常の騎馬隊よりもさらに早くなっていた。騎兵の最大の武器と言うのは、その足であり、勢いである。兵個人の強さを上げるのにはそれ相応の時間がかかるが、全軍で疾駆したときの馬の脚は、まだまだ余裕があったのだ。それ故、どれだけ駆けても隊列が乱れないようにするための訓練に、重点を置いていたのである。速さは、かなりのモノになっていた。行軍速度だけならば、ユン・ガソル最速だと言う自信があった。それぐらいの仕上がりになっていたのだ。しかし、まだ満足はできたわけではない。自分の理想とする麾下とは、ほど遠い。

 さらに言えばレイムレス城塞付近に入れば、あとは自分の庭のようなものであった。元々はメルキアの領土であった場所である。それ故、何処を駆ければ最も早いかと言うのは直ぐに見当がついた。それらを考慮して、十分に辿り着ける。そう、思った。

 

「全軍に通達。これより、出立する。ただちに、集まれ」

「はっ」

 

 その為、直ぐに麾下を集める事にした。

 

 

 

 

 

「以前から伝えていた合同訓練の為、今よりレイムレス城塞に向かう」

「はっ」

 

 全軍を集め、要点だけを告げる。麾下である兵士たちは、これまでの調練から自分の人となりを学んだのか、余計な事を口に出さず、ただ黙って聞いていた。良い具合に仕上がってきている。そう、思った。命令を忠実に遂行する。精強な軍を作るには、何よりも大事な事であった。

 

「しかし、まともに進んだのでは、刻限通りに辿り着く事はできないだろう。それ故、これは戦だと思え」

「夜間での行軍も想定している、と言う事だ」

 

 自分の言葉に、副官であるカイアスが補足を告げる。それにより、僅かに動揺が広がるも、直ぐに収まった。兵士の心を良くつかんでいる。そう思った。今はまだ、自分達の指揮官がどれほどの腕か解りかねているため、どちらかと言えば直接調練を施した時間が長いカイアスの方が人望はあったのだ。

 

「出立をする前に、皆に渡しておくものがある」

 

 頃合いか。そう思ったところで告げる。兵は皆、漆黒の具足を身に纏い、その場に待機をしている。自分も、兵士と同じ漆黒の具足を身に纏い、その上から指揮官らしく外套を纏っていた。

 黒は、夜間での行動をするに有利な色であった。夜襲などの際、夜が味方をするのである。しかし、漆黒の部隊と言うのはユン・ガソルの中では少々異質であったが、自分の存在自体がユン・ガソルでは異端なので、あまり気にはならなかった。

 取り出したのは、真紅の布であった。魔力を用い編まれた、特殊な物であり、それを一人一人の兵に与えた。自身が使う補助の魔法を受け取る媒体であった。これを身に着ける事で、我が軍の一員と言う事を区別すると同時に、魔法発動後の受信機ともなるのである。そして、赤と言うのに拘りがあると言う王の言を尊重し、真紅の布と言う形で皆に渡した。この布一枚一枚が、高価な物であった。

 それを首に巻き付け、告げた。

 

「これよりお前たちは、真の意味で我が麾下となる。その名に恥じぬ働きを、期待している」

「応!」

 

 辺りに声が響き渡った。ある種の儀式ともいえるこの行動で、一体感がさらに増した。そう思った。

 

「では行こうか」

「此れより出立する。皆の者、遅れるなよ!」

 

 カイアスに短く告げると、声を上げた。それで、軍は一つになる。

 こうして、野営地を後にし、合同訓練の行われる地に向かい、駆けた。黒の中で光る、真紅。風を受け靡いていた。

 

 

 

 

 

「ギュランドロス様。なぜあのような男を引き入れたのですか?」

「はっは。またそれか、エルミナ。一軍を任せるに足る才を見た、と言っているじゃないか」

 

 合同訓練が行われる、レイムレス城塞の政務室、ギュランドロスと三銃士が揃い話をしていた。三銃士と言うよりは、エルミナ・エクスが、一人ギュランドロスに文句を言っていると言う形である。ギュランドロスはまたそれかと、めんどくさそうに応じる。傷付き倒れ伏す敵将を引き入れると決めたときから、何度も言い聞かせたことであった。

 

「しかし、彼の者はギュランドロス様の命を狙ったんですよ! 先の戦いでは、メルキア軍に所属していて、私たちを襲った相手です。そこの辺りをきちんと解ってるんですか?!」

「ああ、わかってる、ちゃーんとわかってるよ。あいつは俺たちの布陣を突き崩した張本人だよ。本来負けるはずが無かったあの戦での敗北は、いわば奴一人の為に起きたもんだ。だからこそ、その力が欲しいんだ。今の俺たちじゃ、メルキア帝国に負けない事はできるが、勝ち切る事ができるかは微妙なところだ。それ故、使える人材はいくらでも欲しい。あれほどの大才ならば、喉から手が出せそうだぜ!」

 

 口うるさく諌言するエルミナを、ギュランドロスは落ち着いた声音で諭す。既に決定した事項であるし、覆すことはできない。だが、それでも口うるさくしてしまうのはエルミナがギュランドロスを、ひいてはユン・ガソルの事を本気で考えている証しだった。どこか、不器用な女性騎士の姿に、ギュランドロスは僅かに笑みを零す。良い部下を持ったのである。

 

「しかし、私は納得できません」

「む、しかしもう決まったことだ。それを掘り返すのは女々しいぞ、エルミナ。まるで女みたいじゃないか」

「……ギュランドロス様、私は女です」

 

 エルミナは、不機嫌そうに答える。誰だって、女性が自分の事を女じゃないと言われれば、不機嫌にもなるだろう。

 

「だっはっはっは、わかってるさ。少し茶化しただけだ」

「……殴っていいですか?」

 

 心底楽しそうに笑うギュランドロスに、エルミナは少し引きつりながら答える。根が真面目なエルミナは、何時もギュランドロスに翻弄されるのである。

 

「おまっ、小粋なジョークだと言ってるだろ! なぁ、パティ」

「そこであたしに振るんだ。うーん。どっちかと言うと、あたしはギュランドロス様が無神経だと思うなぁ」

「ぐぬぬ、俺様では無く、エルミナを援護するとは酷い奴だ。三銃士であるならば、俺様の肩を持つべきだろうに」

 

 助けを求めるように三銃士の一人、パティルナ・シンクに話を振るが、あっさりと裏切られる。どちらかと言えば、パティルナはギュランドロスの様に快楽主義的な面もあるが、直前に行っていた会話が会話である。擁護のしようもない。苦笑しながら告げるパティルナに、ギュランドロスは不満そうに声を上げた。とはいえ、本気で怒っているわけではない。

 

「あらあら、まあまあ。もう、あんまりエルちゃんやパティちゃんに無理言ったらだめですよ」

「そうですよ、ギュランドロス様はもっとデリカシーとか、思慮とか、部下に対する思いやりとか、その他諸々を持ってください!」

「うわぁ、エル姉、ここぞとばかりに日頃の鬱憤を晴らしてる。まぁ、あたしもちょっとぐらいは直した方がいいとは思うけど」

 

 そこで、窘めるように三銃士の最後の一人、ルイーネ・サーキュリーが、口を開く。ギュランドロスの妻でもある彼女は嫋やかな笑みを浮かべ、あらあら駄目よ、と窘めている。それで我が意を得たと持ったのか、エルミナが一気に畳みかける。パティルナも苦笑しながら同意する。

 

「むぅ……。ここには俺の味方はいないのか。なんてこった、俺の周りにはこんな薄情な奴等ばかりだったのか!」

 

 当のギュランドロスは、そんな事を言いながら、おうおうと嘆く。無論、見るからに演技であり、ワザとやっているのが誰の目にも明らかである。

 

「と、まぁ、馬鹿な事はこれくらいにしておくとして、気に入らないと言うのならば、試してみると良いぞ」

「え? 試すとは?」

 

 唐突に、嘆くのをやめ、ギュランドロスはエルミナに告げる。当初は張りつめた様子だったエルミナも、いつの間にか毒気を抜かれて、つい問い返してしまった。計画通りと言わんばかりにギュランドロスの口元が吊り上がった。

 

「丁度、合同訓練をやるんだ。俺が命を助けてまで使おうと思った男の実力を、その目で確かめてみると良い」

「え、あ、はい。確かに良いかもしれません。使えない男だったなら、即座に遠ざけるなり、どうとでもやりようはありますからね」

「おう、そう言う事だ。エルミナが判断するって言うのなら、俺様も安心ってもんだ」

「また、調子の良いことを。でも、良いです。私が、確かめます!」

 

 ギュランドロスの言葉に、エルミナもやる気になったようで、静かに闘志を燃やす。もし相応の実力を示せないならば、追放なりなんなりしてやれば良い。そう思っているのである。そんなエルミナの様子に、ギュランドロスはにやりと笑みを浮かべる。

 

「ねぇ、お姉さま。エル姉、見事に乗せられてるよね。元々取りつく島もない感じでギュランドロス様に噛みついていたのに、いつの間にか試してみる事になってるし。まぁ、あたしとしては、うちの軍に奇襲してきてギュランドロス様まで迫った男って言うのに興味があったから、そいつをエル姉が直々に試すって言うのなら、それはそれで良いんだけど」

「あらあら、パティちゃん、それはエルちゃんには言っちゃだめよ」

「うん」

 

 残った二人は、ギュランドロスの意図に気付いていた。ギュランドロスは何時もふざけている様に見えているが、実に巧みに相手を乗せる事で、相手も気付かないまま、相手の意思を自分の意に沿う形に動かしてしまうのだ。そう言うところは流石に王と言ったところで、真意にエルミナに悟らせず、自分の欲求も満たす。尤も、エルミナは普段はしっかりしているが、どこか抜けているところがあるので、気付かないだけかもしれないが。

 

「ふふ、私が見極めてあげます」

「おう、頼んだぜ、エルミナ! お前が直々に試した結果なら、誰も文句は言わねぇからな」

「はい、任せてください!」

 

 試して化けの皮をはがしてやればいいと、自分の中で結論を出したエルミナに、ギュランドロスは笑顔で声をかけた。それに、エルミナは凛々しく答える。かみ合っているようで、かみ合っていない二人にルイーネは何時もの如く、あらあらと嫋やかな笑みを浮かべている。そんな皆の様子に、パティルナ苦笑を浮かべた。

 

 

 

 

 

「原野を駆ける我らが意思に、竜をも破る峻烈なる加護を」

 

 左腕。義手している手で魔剣を持ち、魔法を発動した。漆黒の騎馬隊が紅を靡かせ、駆ける。自身が麾下に与えた、真紅の布が淡く光を放ち、全軍に加護を授けているのが、良く解った。

 その行軍速度は、ユン・ガソルの騎馬隊のどれと比べても、速く、ただ闇夜の中を月明かりに照らされて駆け続ける。新兵とは思えない速さであるが、この程度の速さは出して貰わなければ困る。まだまだ発展途上であり、目指している力量には程遠い。

 馬が潰れないぎりぎりのところを、昼夜を問わず進んだ。指揮官として、補助の魔法を発動し、その加護を以て馬と兵の負担を減らし、一心に目的地に向かう。これは訓練では無く、戦なのである。そう思った。

 流石に丸一日駆け通すと馬はつぶれてしまうため、駆け通すことはできないが、それでもありえない速度で目的地に向かっていた。奇襲をするのは、相手の意表を突くのが肝要である。そういう意味では、確かに戦であったのだ。王の想定以上の速度で進んでいるのだ。

 

「この速度ならば、今日一日ゆっくり進んだとしても、充分たどり着けますね」

「だろうな。だからこそ、趣向を凝らしたい」

 

 三日目の深夜であり、もう目的地は目と鼻の先であった。今休息をとったとしても、昼までにはゆうに辿り着ける場所にいた。

 

「と言うと?」

「調練に来た部隊を、出迎える」

「おお、それは確かに面白そうですね」

「戦では、相手の意表を突くのが最も単純で効果がある。合同訓練が始まる前に、奇襲をかけるのは面白いだろう」

「やりましょう」

 

 カイアスに告げると、目を輝かせた。軍属では、娯楽は少ない。それ故、自分たちより上の者を驚かしたりすることが、密かに流行っているのだ。ちなみに驚かすと言うのは、驚嘆させると言う事であり、無礼を働く事では無い。

 

「では、あと少し、駆けるぞ」

「はい」

 

 夜。月明かりのもとで、何と言う事の無い悪だくみの計画を立てる。悪だくみと言うよりは、自分の麾下の実力を示すだけなのだが。恐らく、王やその他の人間は我らが時間通りに辿り着く事は無いと踏んでいるだろう。それ故、その予想の斜め上を行く。それは、とても魅力的な事に思える。

 ふと、天を見上げた。頭上には赤と青の月が優しく輝いている。美しい、ただ、そう感じた。馬蹄が響き、馬が嘶く。愛馬が鳴いたことで、意識を行軍に戻した。陽の光の下では無く、月明かりの下で闇を駆ける。自分たちにはそれが似合っている。己が身に纏う漆黒の鎧を一瞥し、そう思った。

 

 

 

 




三銃士登場。ようやく登場キャラが増え、魔導巧殻らしくなってきました。


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3話 余興

「進軍止め。ここでしばらく休息とする」

 

 合同訓練が行われる地に付き、麾下達に告げた。頭上には月が、淡く輝いている。四日目に入っていたが、まだ夜があける気配は無い。かなりの速さで辿り着いたが、脱落者等はおらず、皆ついてきていた。

 一区切りがついたところで、麾下達の様子観察する。厳しい調練を施していたとはいえ、実際に強行軍を行ったのは初めてな為、皆は少し疲れている様に見えた。今回の行軍で、今後の課題が少し見えてきた。長躯の訓練をもう少し増やすべきかと考える。充分にとっているつもりであったが、思いの外、消耗が激しかったのである。やはり、軍全体が慣れない地形を駆け続けたため、何時も以上に気を張ってしまったのだろう。間道を通り最短距離を駆けたのだが、全てが全て、公道のように整備されていた訳でもない。疲れが出るのは当然なのである。これについての打開策は、ただ、経験を積むしかなかった。体力をつけ、平地以外を駆ける経験を積むのである。ソレにより、大分変わってくるだろう。

 今回はレイムレス要塞の近くであるため、山道を行軍することが多く、新兵は平野以外にあまり慣れていない所為もあって、自分の想定以上の疲労感を兵士たちは感じているようだった。だからこそ、本来は使う予定では無かった、自身の所持する魔剣を用い発動させる補助魔法を使って負担を軽減したのだが、それでも疲労感は見て取れた。自分は、少しばかり麾下達を過大評価していたのかもしれない。厳しすぎるかもしれないが、そう思った。

 

「合同訓練が終わった後は、暫く山野を駆けましょうか」

 

 そんな俺の内心を機敏に感じ取ったのか、副官のカイアスが端的に切りだした。

 

「それが良いと思う。騎乗時と徒歩、両方行おう」

「了解しました。将軍は参加されますか?」

「無論、出る。将である私が出ないなどと言ったら、兵士たちは不満に思うだろうからな」

「尤もです。では、共に」

 

 そのままカイアスと、合同訓練が終わった後の段取りを簡単に話しておく。まだ、合同訓練をしていないが、既に課題が見えていた為、決めたのである。とはいえ、合同訓練をした後にも課題は見えるだろうから、大雑把にしか決めない。今は、それだけでよかった。

 調練については、自分の麾下の事であり、決定権は自分にある。それ故、長々と煩わしい話を続ける必要はなく、即座に決定した。とは言え、それは意見を聞くべき副官が、元々俺の麾下であったカイアスであり、自分の事を熟知しているから成り立つのであって、ユン・ガソルに来た時に副官を新たにつけられていたら、こうはいかなかった思う。1を言えば10とまではいかないが、6ぐらいを理解するカイアスは、自分にとって間違いなく有能な副官であった。

 

「さて、お前も休むと良い」

「そうします。将軍は?」

「もう暫く、兵たちを眺めた後、少し休む」

「了解です。では、お先に失礼します」

 

 カイアスと別れる。そのまま暫く野営地を歩き、愛馬の傍らに立ち、麾下達の様子を眺める。談笑する者、軽く走り体を落ち着ける者、寝転がる者、語り合う者、馬の世話をする者など、多種多様であった。疲れこそ見えるが、それ以上に皆、どこか生き生きしている。そう感じた。

 以前、ノイアス元帥の下で指揮していた時は、このように穏やかな雰囲気ではなかった。皆、どこかピリピリしていたように思う。麾下達は皆、自身には親しみを持っていてくれていたが、ノイアス元帥はどこか嫌われていたように思う。あまり、民を顧みる人物では無かったのである。ギュランドロスを主とした今だからこそ、余計に痛感する。上に立つものとしての器が、ノイアスとギュランドロスでは大きく差が出ていたのである。

 

「……とは言え、私が言える事でもないか。ふふ、どう言い繕おうとこの身は所詮裏切者でしかなく、誇れるものでは無いのだ。それでも、そうだったとしても俺は――」

 

 そこまで口にしたところで、言葉を飲み込む。言葉にしたところで、意味などない。寧ろ、より惨めな気分になる。そんな気がした。全ては自分の胸の内に秘めるべきであり、それは吐露して良い想いでは無いのである。そう思い、気付けば高ぶっていた感情を落ち着ける。

 

「……思えば止まらず駆けてきた。すこし、疲れたのかもしれないな」

 

 弱音など、自分らしくなかった。麾下達が野営しているが、自分の周りに誰もいないからこそ、零れたのかもしれない。そう、思った。傍らに立つ愛馬が、じっと此方を見つめている。馬は人間が思うよりもずっと賢い。自分でも気落ちしていると解るのだ、心配させてしまったのかもしれない。そう思った。一度だけ、優しくその首筋を撫でる。すると、何処となく寂しそうに嘶いた。やはり、心配されているのかもしれない。そう、思った。

 

「私も休む。日が昇ったら、起こしてくれ」

「はっ」

 

 見回りをしていた麾下の一人を呼び止め、声をかけ告げた。疲れているから、らしくは無いのだろう。そう思い体を休める事にした。

 

 

 

 

 

 

「エル姉。そろそろ、みんなの訓練に行ってくるね」

「もう、そんな時間ですか。解りました、お願いします。私も時間を見て顔を出しますので、暫くお願いします」

「はいはい。じゃあ、頑張ってくるね!」

 

 レイムレス要塞政務室。日が昇り、既にそれなりの時間が経ち、兵士たちが動き出すには丁度良さそうな頃合いを見て、パティルナがエルミナに声をかけた。朝食をとり、少しばかり時間を置いた後であったため、訓練をするには丁度良かったのである。

 

「おう、なんだパティ、もう行くのか?」

「わっ、びっくりした。もう、驚かせないでよ、ギュランドロス様」

 

 エルミナに声をかけたから、あとは自分が向かうだけだと思いパティルナが扉に手をかけたところで、扉が開いた。勢いのままぶつかりそうになったのを何とかこらえ、扉を開けた人間に文句を言う。彼女の特徴的な主は、すぐに解るのである。

 

「いや、すまんすまん。悪気は無かったんだ、許してくれ」

「まあ、別に怒ってないけど、せめてノック位はして欲しいな」

「ああ、悪い。面白い事があったから、気が急いちまったんだ」

「面白い事?」

 

 僅かに不満そうなパティルナに、ギュランドロスはすまんすまんと大らかに笑う。その様は、いつも通りであるのだが、すこぶる機嫌が良さそうに見える。にやにやと笑みを隠しきれておらず、若干挙動不審である。パティルナは、そんなギュランドロスの様子に不思議そうにしながらも聞き返した。

 

「ふっふっふ、聞きたいか?」

「まぁ、気になるしね」

 

 勿体ぶるギュランドロスに、若干めんどくさくなりつつも、促す。

 

「ならば耳の穴をかっぽじって、よく聞くと良い!」

「ギュランドロス様、そう言うの良いから早く」

「ああ、もう! さっきからギュランドロス様、うるさいです! 静かにしてください」

「お、おう、すまん」

 

 ある程度勿体ぶったところで満足したのか、漸く言葉を続けようとしたところで、ついにエルミナが切れた。何時も五月蠅いくらいのギュランドロスである。何やらテンションが上がっていたため、余計に騒がしく、最初は無視して仕事に励んでいたエルミナであるが、ついに我慢できなくなったと言う事だった。少しばかり顔を赤く染め、一気に捲し立てる。余程、イライラしていたらしく、その剣幕にさしものギュランドロスも少しばかり声を落とす。

 

「それで、何があったんですか?」

 

 少しばかり静かになったギュランドロスに満足したところで、エルミナが続きを促す。なんだかんだ言って聞き耳は立てていたため、話自体には興味があったようだ。

 

「いやな、来た」

「は? 何がですか?」

「何がってそりゃお前、このタイミングならあいつに決まってるだろう」

「あいつじゃわかりません。名前を言ってください」

 

 またもや勿体付けるギュランドロス。先ほどはエルミナの一喝に出鼻を挫かれたが、もう一度やり直そうと言う魂胆である。そんなギュランドロスに、エルミナは端的に切り返す。根が真面目な為、遊び心には疎いのである。

 

「ふっふっふ、それは――」

「ああ、噂のユイン・シルヴェストが到着したんだ」

「ほんとうですか?!」

 

 ギュランドロスが今度こそ言い放とうとした瞬間、パティルナが思いついたかのように言った。それに、エルミナは目を見開き、驚く。彼女の中では、到着はまだ先と見当をつけていたのである。

 

「ちょ、おま!? パティ、一番良いところをもっていくな!」

「いや、だってそこまで言ったら予想できるし」

「なんだと!? だとしても、言わないでおくのが人情ってもんだろう。ちくしょう」

 

 一番良いところをパティルナに持っていかれたことに、ギュランドロスは猛然と抗議する。普段は豪放磊落であり細かい事は気にしないのだが、こう言う事に関しては拘りがあるらしく、少しばかり口を荒げた。そんなギュランドロスに、にやにやと笑いながらパティルナはさらりと言い返す。そんな自分の三銃士に衝撃を受けつつも、ギュランドロスは言うしかなかった。空気を読め、と。

 

「……ッ」

 

 そんな二人の愉快なやり取りなど耳に入っていないかのように、エルミナは思考を続ける。果たして、自分ならば期日通りに辿り着けただろうか、と。ユイン・シルヴェストが率いてきたのは、騎兵であった。道程としては騎兵で普通に行軍して七日程度の距離に位置し、その場所から、通達を受けた時点で四日で辿り着く。

 

「騎兵を率いれば、やれない事は無い筈……」

 

 呟いた。四日であるが、十分に訓練を施した騎兵を率いれば、エルミナも辿り着く自信はあった。昼夜を問わず駆け通し、数人の部下を奪落させても良いと言う条件ならば、やれる。それは事実であった。エルミナ自身は、ギュランドロスが騎兵を指揮する都合から、どちらかと言えば歩兵を指揮するほうが慣れているのだが、騎兵ができないと言う訳では無い。三銃士として恥ずかしくない程度に熟知はしているし、自負もあった。だからこそ驚いているのだ。

 新兵(・・)を率いて、四日で到着した事に。

 

 ユイン・シルヴェストの部下である騎馬隊は、ほぼ全てが新兵であり、数人だけ虜囚であった直属の部下を連れていると言った感じである。これまで訓練を施してはいるだろうが、まだひと月にも満たない程度の訓練しかできていないはずであった。通常の訓練度合いで考えれば、騎馬隊のような動きができる部隊、でしかない。

 騎馬隊の行軍と言うのは速そうなイメージを持つだろうが、実際に集団で駆けるとなると相当難しい。まず、歩兵と違い足並みが揃わないのだ。兵士たちが騎乗する馬を巧みに操れないと、一定の速さで、一定間隔を保ったまま走ると言う事が、まずできないのだ。そのような状態で一斉に駆ければ、思い思いに駆ける騎兵同士がぶつかり合い、阿鼻叫喚の様相晒すのは想像に難くない。仮に隊列を組むことができたとしても、一番もたつく者の速度に合す事になる。つまり、錬度を上げなければ速度は出ないのである。相当な訓練を受けなければ、行軍するのも儘ならない。それが騎馬隊の行軍であった。

 仮に、駆ける事が出来たとしても、昼夜を問わない行軍をする事で、ようやくたどり着けるのである。昼間は良いが、夜間の行軍もある。夜は見通しが悪く、視界が狭まる。どうしても昼間より行軍が難しくなるのだ。それを踏まえたうえで、ひと月程度の訓練しか受けていない新兵を率い、期日通りに辿り着けるのだろうか。切実な、疑問であった。

 だからこそ、エルミナは考え続ける。自分に同じ事ができるだろうか、と。

 

「……本当に新兵のみを伴って来たと言うのならば、見事と言うしかありませんね」

 

 絞り出すように呟いた。結果だけ見れば、見事としか言えないものである。おおよそ、新兵の動きとは思えないのである。だからこそ、勘ぐってしまう。本当に騎馬隊の力で来たのだろうか、と。ユイン・シルヴェストは先の戦いで自身の左腕を失っており、また全身に深い傷を負っていたのだ。その傷もかなり回復したようだが、全快する前に部隊の指揮を執り始めたと言う。失った左手は、主であるギュランドロスが義手を用意することで補う事が出来たようだが、それでも日常生活に支障をきたす事が多いだろうと予想できた。エルミナは自分を同じ立場に置き換えて考えてみる。

 本当に(・・・)そんな状態でこれほどまでの成果を上げる事が可能なのだろうか?

 試すつもりで、無理な日程を通告した。別に遅れてこようと、責めるつもりは無かった。初めから無理な日程を組んだのである。7日につく事が出来たのならば、むしろ褒める心算ですらあった。新兵が通常の騎馬隊の速度で進む事ができたのなら十分すぎる成果と言えたのである。悪いのは自分であるからこそ、後に誠意をこめて謝罪するつもりで、その日程を下した。

 そんなエルミナの思惑の上をいき、ユインはそれ以上の成果を出してきた。それも、見事だと感嘆すら覚えるほどの。だからこそ、どうしても勘ぐってしまう。何か、不正を行ったのではないだろうか、と。

 

「はぁ……。私は、自分がこんなにも嫌な女だとは思いませんでした……」

 

 エルミナはしばらく考え続けたところで、溜息を吐いた。解っている事はユイン・シルヴェストの部隊が類を見ない速さで辿り着いたと言う事であり、それ以上でも以下でもなかった。それなのにエルミナは相手がメルキアの降将と言うだけで、悪い方にばかり邪推してしまっていた。幾らメルキアを認める事が出来ないとは言え、仕事に私情を挟んででしまった自分が嫌になったのだ。

 

「ん? 何か言ったか、エルミナ?」

「どうかしたの、エル姉?」

「いえ、何でもありません」

 

 そんなエルミナの呟きに、言い合っていた二人が不思議そうな顔をする。喧嘩しててもどこか息の合う二人に、エルミナは苦笑を漏らした。

 

「実際目にすれば、解る事です」

 

 合同訓練が始まれば、実力かそうで無いかは嫌でも解る事なのである。そう呟き、エルミナは仕事に戻った。

 

 

 

 

 

「よう、ユイン。かなり早い到着だな。正直驚いたぜ」

「それは良かった。此方としても、趣向を凝らした甲斐があります」

 

 強行軍で辿り着いた訓練予定地に、簡素な野営地を作り、調練の準備をしていた。まだ合同訓練には一日の猶予があったため、山岳地帯を駆ける調練と同時に訓練地帯の地形に兵たちを慣らしておこうと思ったのだ。 そんな時に、王が現れた。傍らに小柄な少女を侍らしている。赤を基調とした軍服を身に纏い、腰に特徴的な武器を駆ける、溌剌とした少女である。王の傍で腕を組む少女は、どこか此方を値踏みするように見つめており、俺に興味津々と言った感じである。

 王が他の護衛も傍に付けずに少女と二人でいると言う時点で、並の人物では無いのだろうと予想はできているのだが、この視線はイマイチ良く解らない。

 

「はっは。いいねぇ、お前のそう言うところ。俺の好きそうな事を心得ていて、気分が良いぜ」

「それは何より」

 

 くくく、と喉を鳴らし笑う主に、相槌を打つ。どうにも、傍らに立つ少女が気になるのだ。主であるギュランドロス様とは違った意味で、どこか非凡な少女だと感じた。

 

「へぇ、あんたが噂のユイン・シルヴェストか。ほむほむ。ギュランドロス様の前って事もあるけど、全然隙が無いや。相当な使い手と見た!」

「だっはっは。そりゃそうだろ、パティ。此奴は俺様自慢のユン・ガソル軍の精鋭を、あろう事か奇襲して横っ腹をぶち抜いた男だぞ。それも、寡兵であるにも関わらず、だ。もし指揮していたのが俺以外の並の将なら、きっと討たれ全軍潰走していた。それ程の男だぞ。弱い訳がないだろう」

「うーん。そう聞くと確かに物凄いかも。けど、そんなに凄いなら、なんでこれまで名前が知れ渡ってなかったんだろう」

「そりゃ、お前、あれだ。俺が知るわけないだろう」

「うう、ギュランドロス様に聞いたあたしが馬鹿だった」

「何だとこの野郎っ」

 

 口を開くと、見た目通り溌剌な少女であった。何と答えようかと一瞬考え込んだところで、王が会話に加わり、二人で話し出す。何というか、会話に入る余地が無かった。仕方がないので、その会話に耳を傾ける。少女は王とかなり親しいようで、ただの主従とは思えないほど、ギュランドロス様に信頼されているのが理解できた。

 

「ふむ、三銃士の一角か。成程、たしかに普通とは違う」

 

 呟いた。王が少女をパティと愛称で呼んだ。彼女をたった一人付けた状態でここまで来たと言う事から、かなりの人物と想像できたし、そういう条件でパティと呼ばれそうな人物は一人しか思い浮かばなかった。ユン・ガソルの三銃士、パティルナ・シンクである。恐らくそうではないかと、見当をつける。

 尤もそれが解ったところで、やる事もないので、少女の様子を観察していた。王と談笑する姿に隙はそれなりにある。ありはするのだが、仕掛ければ痛い目に合う。そう言う類のものである。

 要するに自然体に構えているのであった。だからこそすぐに解った。少女は並の者とはどこか違う。それが三銃士たる所以なのだろう。そう思った。

 

「うう、流石のあたしもそう見つめられたら、照れちゃうな」

「これは失礼。見慣れない方だったため、つい眺めてしまいました」

「おう、なんだ、ユイン。パティが好みなのか?」

 

 流石に此方の視線には気付いているのか、そう言った。恥ずかしいと言いつつも、特に照れている様子はも無い。将軍と言うのは見られるのが普通なので、じろじろ見られたとしても特に何もないのだろうが、とりあえずは口にしたと言う事だろうか。

 

「またまた、ご冗談を。私如きが、王と対等に話す程の方にそのような気持ちを抱くなど、恐れ多い事です」

「あれ、何だろう。褒められているはずなのに、まったくそんな気がしない。……はっ、そうか、ギュランドロス様と同レベルだって言われてるからか!」

「と言うか、いきなり卑屈になるな、ユイン。似合わんぞ。そしてパティ、ちょっとどういう意味か小一時間程問い詰めてやろう」

 

 

 

 俺の言葉に、少女はどこか釈然としないように考え、やがて意図していた結論に辿り着たのか手をぽんっと叩きそう口にした。自分がギュランドロス二号だと言われれば、流石に思うところがあるのだろう。人間として型破りな主である。それと同格と言われるのはいろんな意味で複雑なのだろう。

 

「っと、そういえば紹介が遅れたなこいつは」

「三銃士が一角、パティルナ・シンク様でしょう?」

「ええっ、何でわかったの?」

「そうだ、なんで解った!?」

「いや、結構推測できる要素がありましたので」

 

 王の言葉に、状況から推測した事を述べる。尤も、このような事は三銃士の知名度を考えれば誰でもわかりそうな事なので驚くほどの事では無い。……と思っていたのだが、何やら二人して悔しそうに驚いている。自分を驚かせようとでもしたのだろうか? 二人の様子から、そんな事を思った。……、普通にやりそうである。

 

「それで王よ、三銃士を伴ってまで、私に何か御用ですか?」

「いや、特に要は無いぞ」

「……む?」

 

 どうせこの主の事である、何かあるのだろうと予測し尋ねてみる。が、違った。特に来た理由は無い、と笑いながら告げられた。 

 正直、意表を突かれた。言うならば、思考の隙を突かれたように、数舜固まっていた。

 

「はっは。なぁ、ユイン。用がなけりゃ、配下の様子を見に着ちゃいけないのか?」

「そのような事はありません」

「だろう? なら、良いじゃねぇか。楽しく行こうぜ、おい」

「うんうん。楽しいのは良い事だよ、ユイン。まぁ、ギュランドロス様の場合は、自分がまず楽しくないとだめだけどね」

「おい、パティ。なんとなく貶されているように思うのは、気のせいか?」

「にひひ、きのせーだよ」

 

 ならば、何をしに来たのだ。そう問おうと思ったのだが、その前にまた王とパティルナ様が楽しそうに会話を広げていく。何が言いたいのだろうか。考えるが、特に何も思い当たらなかった。仕方なく、楽しそうに語り合う二人を眺めていた。

 

「なぁ、ユイン。お前は今、楽しいか?」

「……どうでしょう。考えた事もありませんでした」

 

 唐突に、王が此方を見た。質問の意味は解るが、意図が解らなかった。

 

「そうか、まぁそうだろうな。ユン・ガソルに来たお前は、只々部下の訓練に明け暮れていたと聞いている。それが悪いとは言わないが、お前は今を楽しむことができているのか?」

「……」

「答えられんか。まぁ、今はそれでもかまわん。だが、俺の部下である以上、いつかは満足できる解答を探し出しといてくれよな」

「解りました」

 

 何故か、飲まれた。王はただ、俺に楽しいかと聞いただけなのだが、返す言葉が見つからなかった。ソレに、少しばかり驚く。訓練を施し、麾下が強くなることは純粋に嬉しく、充実した日々が送れていたと思う。だが、王が言うように楽しめていただろうか? 答えが出てくる事は、無い。

 

「あーあ、ギュランドロス様。それじゃだめだよ、解り辛いって。もっとシンプルに言わなきゃ。ユインは元メルキア軍人だから、いろんな葛藤があるだろうし、心無い事を言われる事だってきっとたくさんあると思うな。だから、ギュランドロス様は心配してるんだよ。ユインがウチで楽しくやれるのかな、ってさ」

「おま、パティ! さっきも似たような事を言ったが、そう言う事は解ってても言うんじゃねぇ!」

「えー、良いじゃん。別に何も減ったりしないんだし」

「減るんだよ、なんかこう、大事な何かが!」

 

 三度、二人で騒ぎ出す。声を荒げるギュランドロス様にパテルナ様は、果敢に応戦する。その様子は、控えめに見ても仲が良く思え、どこか温かく感じた。苦笑する。真剣に考えた自分が、酷く滑稽だった。

 

「ふふ、お二人は、本当に仲がよろしい様だ」

「おう、なんたって俺様自慢の三銃士の一人だからな」

「そうそう。あたしたちがいないと、ギュランドロス様はダメダメだからね」

「何だとこの野郎!?」

 

 本当に仲がよろしい様だ。そう、思った。バカらしいことで言い争う二人を見ていると、自然と自分も笑みを浮かべていることに気付く。あまり笑う事が無くなっていたのかもしれない。振り返ってみると、そう感じた。王や三銃士に気を遣わせるとは、自分もまだまだである。終始楽しそうに言い争う二人を眺めつつ、そう思った。久しぶりに、楽しいひと時を過ごした気がする。そんな気がした。

 

 

 

 

 

「そろそろ、兵の調練を行おうと思います」 

「そうか、邪魔して悪かったな」

「いえ、私としても楽しい時間を過ごさせていただけたので、感謝する事はあっても邪魔などとは」

「はっは。それなら俺も安心できるぜ」

「いや、ギュランドロス様。ものすっごく、気を使われているだけだからね」

 

 楽しい時間と言うのは、長くは続かない。流石に麾下達を待たせすぎているため、切り上げる。

 

「しかし、今日着いたばかりだろう? かなりの強行軍だっただろうし、半日ぐらい休めばどうだ?」

「いえ、それにはおよびません。この程度でへこたれる様な者は、我が麾下にはおりませんので」

 

 麾下達を見てそう言うギュランドロス様に、静かに告げた。確かに疲労はあるが、実戦となれば疲れていようが戦わなければいけない。故に、どんな状態でも関係ないのである。何より、昼夜を問わない強行軍でここまで来たのである。夜、ゆっくりと眠れるだけでも充分すぎると思った。

 

「うーん。すっごい自信だね。常在戦場ってやつ?」

「そう言う事です」

 

 パテルナ様が、その整った顔に不敵な笑みを浮かべ言った。目つきは、僅かに鋭くなっている。

 彼女はユン・ガソルの兵士たちにとって、出れば戦局を動かす程の、いわば戦の象徴ともいえる人物であった。その腕には相当の自負を持っているのだろう。それはすでに解っていた。

 

「なら、あたしとやりあってみる?」

 

 だからこそ、そう言われても特に慌てる事は無かった。

 

「本気でやりたいと言うのならば、何も言わずに仕掛けてくればよろしいのに」

 

 仕掛けて来る様子の無いパティルナにそう返し、背を向け左手を軽く掲げた。

 

「なら、やるよ」

 

 呟き。確かに聞こえた。刃、恐ろしい程の速さで向かってくるのが解った。当たればただでは済まない。聞こえてくる風切り音が、それ程のものであると告げていた。

 

「ふふ、では、また明日会いましょう」

 

 横目に、呟く。愛馬が駆けていた。風を上回るほどの速度で交差する。その手綱を取り、瞬時に飛び乗る。勢いを一切殺さず、駆け抜けた。首の辺りで結っている髪を投刃が掠め、数本宙に舞った。構わず駆ける。眼前には麾下達が整然と並んでいた。今は、あそこが俺の居るべき場所であった。

 

「むー避けられた。本気で当てる気は無かったけど、やられたー」

「おう、頑張れよー」

 

 背後から王の激励が聞こえた。一連のやり取りを見た筈なのだが平然と見送る我が王に、思わず苦笑が漏れた。




ゲームで三銃士って、騎馬隊つかえなかった気がします。後で確認しておこう(笑)
それは兎も角、今回だけで一万字近くあります。これからも微妙に増えていく気がしますので、長いと感じたら教えてくれるとありがたいです。直せるかは解りませんが。


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4話 合同訓練

「で、どうだった?」

「うーん。あの一瞬のやり取りだけだから完璧には解らないけど、凄いね。予想以上だったよ。特に馬に乗った時が段違い。あれは詐欺だよ、詐欺」

 

 ユインが駆けて行く後姿を眺めた後、ギュランドロスは傍らに立つパティルナに短く尋ねた。何処となく尋ねる声音は明るく、機嫌が良さそうに見える。問われたパティルナは一瞬考え込みつつも、即座に答えた。

 

「だろ? 実際俺も調練を施している様を見たが、馬上でのアイツは苛烈と言う言葉でも足りないぞ。上手く言えんが、どこか狂気じみたモノを感じる」

「かも、知れないね。正直言えばさ、馬に乗る前まではそこそこやりそうな男ぐらいにしか思って無かったんだ。苦戦はするだろけど、負ける気って言うのは全然しなかった。けど、刃が届く直前、人が変わったかと思ったよ。背筋がぞくっとしたなぁ」

「ああ、それがユイン・シルヴェストって男の本領だろうな。言わば、人馬一体だな。個の武では奴より強い者は居るだろうが、馬を駆るアイツを止められる者はそうはいないぞ。うちで言うなら、三銃士レベルは欲しい。確実に止めるとなれば、更にもう一人いるかもしれんな」

「うーん確かに。あたしも負ける気は無いけど、一筋縄でいかないのは肌で感じたよ」

「パティにそこまで言わせるなら、上出来だ。いやいや、面白くなってきたぜ」

 

 ユインの実力を肌で感じたパティルナが評した内容に、ギュランドロスは満足したようににやりと笑った。パティルナは動物的な勘の鋭い将であり、理屈では無い直感的なもので物事を判断するところがある。そのパティルナが、一筋縄ではいかない相手だという評価を下したのである。エルミナを筆頭にする反対意見を押し切ってまで用いる事にした男が、思惑通りの才を持っていたことにギュランドロスは素直に喜びを示した。ユインに対して本質的な懸念はあるとしても、まずは逸材を手に入れたことを素直に喜んだのだ。

 

「しかし、パティ。どうもアイツは、放って置けん」

 

 懸念はあった。もう一度裏切るかなどの、軍事的な意味では無く、ユイン・シルヴェストの在り方に、ギュランドロスは言い知れぬ不安を感じていた。苛烈なまでに戦いに生きるその在り方に、ある種の暗い感情を感じるのである。生き急いでいるのではないか。そう思えて仕方がない。

 

「うーん。そうかなぁ? あんまり構わなくても、自力でエル姉に認められてユン・ガソルの一員になれると思うけど? 仮にエル姉に認められなかったとしても、あたし直属の部下にするって手もあるしね」

「いや、その点については心配していないんだが……少し、な。と言うかパティはえらくユインの事を買うんだな。一番気が合いそうだと思って連れて来たんだが、ソレにしたって見込んだもんだぜ」

 

 パティルナの言葉には、大丈夫だろうと気楽に答える。エルミナが試すと言っている事については、何も心配していなかった。寡兵で、ギュランドロス率いるユン・ガソル軍に奇襲を仕掛け、見事としか言えないほどの鮮やかな戦果を挙げた男だった。その際にギュランドロスを討つ一歩手前まで迫っていたのだ。ただ一度の交錯で、欲しいと思った人物であった。

 幾ら自分の信頼する三銃士の一人であるエルミナが試すとは言え、合同訓練の中で無様な姿をさらすと言うのが想像できないのだ。実際に敵として相対した。こと、軍略に関してで言えば、三銃士にも引けを取らないのではないだろうかと、ギュランドロスは思っている。そして、新兵同士の合同訓練である。いわば、戦に慣れていない者同士の戦いだ。ある意味では、ユインに最も有利な状態であった。その中で、確固たる存在感を見せつける可能性すらあると思えた。

 

「そりゃ、ユインはまだ全快じゃないみたいだからね。本人は隠そうとしているのか普通に見ただけじゃ全然気づかないけど、左手を庇っているのが良く解ったからね。あ、でもアレは無意識なのかもしれないなぁ。むむむ、よく考えてみると、そんな気がしてきた」

「ほぅ、俺には全然わからなかったが、そうなのか?」

「うん。手綱をとって馬に乗った瞬間と、それから駆け出すまでの一瞬で、義手をしている左手だけが、動作が遅れてた。表面上は日常生活に困ってないように見えるけど、もしかしたら苦労しているのかもしれない」

「いや、パティ。お前も大概だな。仕掛けておきながらあの一瞬で其処まで分かったのか」

「ふふん、あたしは戦局を左右する切り札だよ。それぐらい当然だよ。それにギュランドロス様、あたしから仕掛けたからこそ、解ったんだ」

 

 最初は感心したようにいったギュランドロスであったが、パティルナの言葉を聞き、むしろ呆れていた。パティルナを軽くいなしたユインも凄いが、あの一瞬でユインが万全でない事を容易く看破したパティルナの洞察力も常人の範疇を超えていたのである。自身に部下の非凡さに、驚くと言うより呆れが勝ったのだ。

 

「成程な。はっは、と言う事は、まだまだそこが知れんと言う事だな。くく、そのうちアイツの本気を見てみたいもんだぜ」

「それには同意できるよ。どれぐらいになるか解んないけど、ユインと一緒に駆ける戦場は楽しそうだなぁ」

「まったくだ。あの男と共に三銃士と俺で戦場を駆ける。そういう軍になれば、ユン・ガソルは更に大きくなる」

「うん、きっとできると思うな。ね、ギュランロス様」

 

 パティルナと共に語りながら、ギュランドロスは自分の軍にユインと言う新しい札を加えたらどうなるのか、そんな事を思いを馳せる。三銃士を前面に押し出し、ギュランドロスが総指揮をとり、ユインが間隙を突き強襲する。何時もの陣容に一つ新たな矛が増えただけで、戦術の幅が飛躍的に広がっていた。この軍で戦っていきたい。ギュランドロスはそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

「……、皆、準備は良いか?」

「はっ」

 

 麾下に声をかける。短く、だが力強く返事が返ってきた。

 眼前を見据える。歩兵の部隊が展開していた。数は、500と言ったところである。此方よりも数は多いが、ただの歩兵であった。

 

「敵方は、数を頼りに此方を窺うように布陣しておりますな」

「そのようだな。そして、すぐ背後にのぼり坂を置いている。成程、守るのに地の利を生かしているな」

 

 カイアスと共に、敵軍が布陣する様を見据えていた。既に合同訓練は始まっており、東西に別れ相対していたのだ。対陣する将が誰であるかは告げられていなかった。だが、坂を背後に置き、陣形を整え布陣する様は、どっしりと構えている山のようであり、見事な構えだった。

 

「正面と右はしばらく平地が広がりやがて山野に繋がり、左方には木々がひろがっていて、背後には緩やかな下り坂、といったところか」

「ですね。となれば、このまま仕掛けますか?」

「ああ、一度ぶつかる」

 

 短く、打ち合わせる。相手はどっしりと構え、守りの陣容を見せていた。ならば、此方から仕掛けるしかないのである。考えるまでもなかった。

 彼我の戦力差による不安は、僅かばかりも湧かなかった。騎兵が歩兵より数が少ないのは、当たり前なのである。同数で当たれば、騎兵は速さと言う歩兵にはない武器があり、勝負にならないのだ。それ程、勢いと言うのは野戦において強みであった。そのため、敵方の方が数が多いのは妥当であるし、だからこそ恐れる必要もない。

 

「皆、準備はいいな」

 

 右手に持つ槍を、体に対して水平に構えた。それだけで、初の合同訓練に、僅かばかり浮き足立っていた麾下達の気が引き締まったのを感じた。強くなった。そう思った。まだまだ、弱い。それは事実であるが、それでも初めて会った時と比べれば、見違えるほど速く、鋭く、果敢になっていた。

 口元に僅かばかり笑みが浮かんだ。訓練とは言え、この地は戦場なのである。血潮が滾り、心が躍る。強さを求めていた。自身の麾下たるに相応しい強さ。将たるに者として、相応しい強さ。そして、散らせた命に呑まれないほどの、強さ。

 それが、どの程度のモノになったかを確かめる、良い機会であった。麾下達とっても、自分たちの強さを実感させるのに良い機会であった。だからこそ、勝つ。それが目標であり、同時に手にすべき当然の結末であると思えた。

 

「行くぞ」

 

 左手。魔力を用い失った左手の変わりとなる義手で魔剣を持ち、天に掲げた。それを無造作に振り下ろし、告げる。傍らで、麾下の一人が音を鳴らし、合図を告げた。静寂に包まれた戦場に、音が響き渡った。始まった。そう思いながら、ただ戦陣を駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

「臆することはありません。敵は騎兵とは言え此方の半数以下であり、地の利もこちらにあります。皆が落ち着いて対処すれば、負ける要素の無い戦いです」

 

 ユイン率いる騎馬隊と対峙する歩兵を指揮する将、エルミナ・エクスは落ち着いた声音で新兵たちを鼓舞する。彼女が言う通り、地の利はエルミナ側にあった。背後に斜面を置いているのである。斜面を登ると言うのは、思いの外労力が必要である。それだけで、いつも以上の力が必要であるし、仮に陣容を突破されたとしても、斜面を登り切り敵が陣容を整え転進する前に、勝負をつける自信があった。

 

「エルミナ様、ユイン・シルヴェスト率いる騎兵が動き出しました!」

「そうですか、解りました。あなたは持ち場に戻ってください。」

 

 配下の報告を聞き、エルミナは静かに待ち受ける。布陣は完璧であった。無論率いているのが新兵であるため、エルミナから見れば細かい隙はいくらでも見ることができたが、今回は新兵同士の戦いであった。双方ともに正規軍と比べれば、錬度は低い。それ故、現時点で組める守りとしては完璧だったのである。

 エルミナから攻めると言う事は考えていなかった。相手は騎兵である。援護も無しに正面からぶつかり合ったならば、率いる将が余程無能でなければまず間違いなく押し負けるのであった。それが、騎兵と歩兵の戦力差なのである。とはいえ、それは野戦で陣形を組まずに戦った場合の話であり、どっしりと守りの布陣を敷いていれば、たとえ騎兵が相手だったとしても、無様に敗北する道理は無い。それ故、エルミナは敵が仕掛けて来るのを待ち受けていたのである。

 

「もう一度、見せてもらいますよ。貴方の力を」

 

 エルミナは、そう呟いた。

 本来ならば、三銃士であるエルミナが自ら新兵を率い、訓練の指揮をする事など無い筈だった。しかし、今回に限り、その必要があった。降将である、ユイン・シルヴェストである。彼の者の力を推し量る必要があったのだ。だからこそ、エルミナは自ら兵を率い、彼の者の力を試そうとしていた。それは、彼女の主であるギュランドロス・ヴァスガンの望みであり、エルミナ自身の意思でもあった。そして、エルミナがそう思うのは、ギュランドロスの意図したところであった。

 

「皆、聞きなさい。これからぶつかり合う敵は、以前に我らを打ち破った、あのユイン・シルヴェストです。しかし、恐れる事はありません。彼の者の率いる兵は、ユン・ガソルの新兵であり、あなたたちと同じなのです。ならば、三銃士たる私が指揮するあなた方が敗れる道理はありません。皆で、勝ちましょう」

「応!」

 

 だが、一つだけ誤算だったとすれば、エルミナは誰よりもユイン・シルヴェストの事を評価していたことだ。ユン・ガソル軍強襲。それを行った張本人であった。その戦いでは、エルミナもギュランドロスの指揮に従い戦っていた。奇襲の報を聞いたとき、多少の混乱だけだろうと思ったが、何故か気になった。パティルナではないが、エルミナは自身の第六感に導かれ、ギュランドロスの救援に戻った際、それを見た。

 

 ――主に牙を剥く、漆黒の騎馬隊を。

 

 考えるより先に、体が動いていた。主であるギュランドロスを討とうとする敵将に向かい、エルミナは側面から自らの双剣を振り抜いていた。渾身の一撃であったと、エルミナは思う。それを、ユイン・シルヴェストは意にも返さず、ギュランドロスに強襲を成功させていた。実際には捨て置けない脅威と判断されていたのだが、それはエルミナの知るところでは無かった。

 守り切れなかったのだと、その時にエルミナは思った。主の持前の強運なのか、その刃はギュランドロスの赤く輝く鎧に弾かれ事なきを得たが、完膚なきまでの敗北だったのである。ギュランドロスでなければ、総大将を討たれていたのだ。その時にエルミナは、ユインの腕を切り裂くことに成功しているが、そんなものは戦果でも何でもなかった。奇襲してきた将軍を負傷させた事と、自らが守るべき総大将を討たれた事とでは、比べるまでもなかったのである。実際には主を討たれたわけではないのだが、生真面目で融通が利かないエルミナは、そう思っていたのだ。

 

「恐らく、あなたは強い。だからこそ、私は貴方を認める訳には行かない」

 

 だからこそ、認める事はできなかった。認めれば、それはエルミナがギュランドロスを一度死なせてしまったと言う事になる。それだけは、認める訳にはいかなかったのだ。実力を本心では認めつつも、三銃士として、国王を守護する者として、認める事が出来なかった。

 漆黒が動き出す。馬蹄が地を伝い、エルミナに届いた。

 

 

 

「エルミナ様、騎馬隊、来ます!」

「皆、落ち着きなさい。普段の訓練通りにやれば、良いのです。落ちついて槍を構えなさい」

「エルミナ様に無様な姿を見せられん、皆、声を張り上げろ!」

 

 馬蹄が響き、気炎が上がった。ユイン率いる騎馬隊が、エルミナ率いる歩兵とぶつかり合ったのだ。エルミナは、騎馬隊の圧力により、僅かに浮足立った兵たちを激励し、戦線を立て直す。指揮するのは、三銃士の一人である。兵たちには、それで活力を与えていた。

 

「敵の数はこちらより遥かに少ない。一人で一人に当たるのではなく、複数で一人に当たれば、勝てます!」

「応!」

 

 相手は騎馬隊である。まともに当たれば、勢いがある分騎馬の方が強いのである。その戦力差を補うためにエルミナは一人の敵兵に、複数の兵士を宛がうことで対処していた。地の利があり、数においても有利であった。その事を余すことなく利用する事で、戦いは拮抗していたと言える。エルミナの手腕は三銃士の噂に違わない、見事な指揮と言えた。

 

「エルミナ様!」

「何ですか!?」

 

 部下の言葉に、エルミナは半ば怒鳴るように尋ねる。戦力は拮抗している。それは、エルミナを以てしてでも、気を抜く事ができないと言う事であった。迫りくる騎馬隊から目をそらさず、聞き返していた。

 

「敵が、引きます。引いてます!」

「……そのようですね」

 

 部下の一人が、そういった。冷静に周りを見る。漆黒の騎馬隊が、僅かに後退を始めていた。無論、一目散に逃げているわけでは無く、歩兵と戦いながら後退しているのである。それでも、退ける事に成功しているようであった。

 

「……やりましたね。ですが、思ったよりもあっけな――」

「貴方が、彼らを指揮する将か?」

「ッ?!」

 

 僅かな、間隙であった。敵軍を一度退けたことで、ほんの僅かに顔を出した油断。ソレを見事に突かれていた。エルミナが気付いた時には、配下を数名戦闘不能に追い込まれていた。ユインは全軍を後退させつつも、僅かに供を引き連れ、エルミナの直ぐ傍らまで辿り着いていたのだ。 

 そのまま右手に持つ槍を、軽く引き、一気に振り抜いた。

 

「ッ、その、程度で!」

「……ほう」

 

 間隙をついて、陣容を縫うように突破し放たれた凶刃。それを、エルミナは自身の持つ双剣で受け止めた。僅かにユインが目を見開いた。その目に宿るのは、深い驚嘆の色であった。本人としては今の一撃で終わらせるつもりであったのである。僅かに口元が吊り上がった。そのまま左腕に持つ剣を振り下ろす。それを、エルミナは打ち払った。数舜、睨み合った。

 

「敵ながら、見事。間隙を突いた。それで終わらせる気であったが、凌がれるとはな」

「そうやすやすと、負ける訳には行きません」

「だろうな、此処は引く」

「逃げられると、思っているのですか?」

「捕えられると、思っているのか?」

 

 交錯。刃を二度重ねた。それだけで、軍人としては充分であった。相手が誰だと言う事は重要では無く、どれぐらい強いのかと言うのが肝心だった。名乗りなど必要なく、力さえ伝われば良かったのである。即座にユイン率いる騎馬隊は反転し、駆けだした。

 

「何をしているのですか、囲みなさい!」

「邪魔をすると言うのならば、穿つ。止められると言うのならば、止めてみるが良い」

 

 即座に、エルミナの部下は少数の騎馬隊を取り囲むが、既に駆け始めていた騎馬の勢いの前に、成す術は無かった。

 

「……ユイン、シルヴェストッ」

 

  

 嵐のように現れ、暴風の如く去って行く。その姿を、エルミナはただ見送る事しかできなかった。

 

 

 

 

「首尾はどうでしたか?」

「外した」

「おや、相手の将はそれほどの者でしたか?」

 

 後退した麾下達と合流したところで、カイアスが尋ねてきた。簡潔に結果のみを告げる。少し意外そうに、そう尋られた。後退をはじめ、緊張が揺らいだところで本命を打ち込む。それで終わらせるつもりであった。それ故、麾下達には一度だけぶつかり合い、それ以上戦う事はさせなかった。しかし、麾下達に自分たちの強さを実感させるには、それだけで十分であった。

 

「あれって、俺たちと同じなんだよな?」

「将軍たちが言うには、そうらしいぜ」

「それにしては、歯ごたえが無いと言うか、思ってた程じゃなかったな」

「ソレは言えてる。もしかしたら、敵に何か作戦でもあるんじゃないか?」

「かも知れないな。それなら次はもっと気をつけとかないと」

 

 麾下達の会話に耳を傾ける。思っていたよりも、遥かに手応えが無かったため、困惑していると言ったところである。既に、成果は出ていた。

 

「調練は順調なようですね」

「そのようだな。私の麾下達は、強いな」

「ええ。ですが、まだまだでしょう?」

「ああ、この程度では、到底満足できん」

 

 麾下達は、強くなっていた。彼らが言うように、敵方に作戦があると言う訳では無かった。ただ、自身が率いる騎馬隊が、新兵とは思えないほどに強いのである。これまで、自身の麾下同士としか調練をさせた事は無かった。どの軍よりも苛烈な訓練を施していた。だからこそ、こと強さと言う点に関していえば、他の追随を許さないのである。実力はあるが、経験が無かった。それ故、麾下達は彼我の戦力差を違和感として認識していたのである。

 

「カイアス」

「はっ」

「次は、全力でやれ。指揮は、任せる」

「解りました」

 

 短く伝える。次で、終わらせるつもりであった。

 

「皆、聞け。敵の指揮を執る将は、三銃士の一人、エルミナ・エクスである」

 

 麾下達に告げた。自身にとって、指揮官が誰かと言う事はさして重要な事では無かった。が、麾下達にとっては、何よりも大事な事であった。自分達が当たるモノの強大さを推し量るには丁度良いのである。

 三銃士と言う根拠はそれなりに合った。新兵の指揮が見事であった。地の利を活用する、軍略が見事であった。自身が強襲し、直接相対したその武勇に驚嘆した。そしてその将軍は、金髪の美しい少女であった。其処までの器を持つ女将軍が何人もいるとは思えないし、服装も三銃士であるパティルナと同じものを着ていた。故に、三銃士の一人だと断言することができた。

 パティルナとは面識があった。ルイーネ・サーキュリーは、以前に諸国を見聞していた時に王と共にいるのを見た事があった。何の事は無い、消去法で彼女がエルミナ・エクスと断定したのである。

 

「しかし、恐れる事は何もない。例え三銃士が指揮を執ると言っても、相手は烏合の衆である。先ほどぶつかった時、感じたであろう。歯ごたえが無い、と。それが我が麾下たる、お前たちの実力なのだ」

 

 右手を握り締め、語る。気付けば、熱くなっていた。強さを求め、部下たちにも同じものを求めた。その結果が今実を結んでいた。それは、例え三銃士が相手でも、何の懸念もなく打ち破れると言う、確固たる自信であった。

 麾下達は、黙って俺の言葉を聞いていた。気が、軍全体に満ちるのを肌で感じる。

 

「断言しよう、お前たちは強い。その力を、十分に振るうと良い。此れより、弱者を……討つ」

「応!」

 

 気炎が上がった。麾下達全てが、打ち震えていた。三銃士は、ユン・ガソルの兵士たちにとって象徴であり、憧れであった。その存在よりも強いと、断言した。そしてそれを事実だと思わせる戦果を直前にあげた。

 麾下達を乗せるには、十分であった。皆、王に心服する、熱い魂を持つ男たちであった。国の象徴たる三銃士に守られるのではなく、守る事が出来る程に強くなったと実感させてしまえば、実力以上の力を出せると言うのは、火を見るよりも明らかであった。それ故、勢いに乗せたのだ。実際に直属の配下を指揮していたら、今の麾下達では打ち破れると思えないが、相手の率いるのも新兵である。それならば、自身が鍛え上げた軍が負ける道理は無かった。

 

「カイアス。部隊を広く展開させろ。できるだけ、大きく見せるんだ。それで、敵は錯覚するだろう。責める時は、果敢に。だが、機が訪れるまでは本腰を入れて仕掛けるのはやめておけ」

「解りました」

「では、暫くは頼んだ」

「お任せください」

 

 カイアスと別れる。精鋭を、20名選び出していた。その者達を率い、木々が生い茂る森を駆けた。

 

 

 

 

 

 騎馬隊が、駆ける。首元には、真紅の布を巻きつけていた。麾下達も、自分の様に首元の者もいれば、腕や肩など、様々な場所に巻き付けている。それは自身が率いる部隊の者にのみ手渡す、ある種の証しのようなものであった。これを巻き付けている者のみが、俺の麾下であり、精鋭の証しだった。

 

「始まったか」

 

 木々の合間を縫いつつ、戦場の様子を覗き見る。漆黒の騎馬隊が、再びぶつかろうとしていた。指揮を執るのは、カイアスであった。相対するのは、恐らく三銃士のエルミナ・エクス。兵の質では我が麾下が勝っているが、指揮官の質は敵方が勝っていると言わざる得なかった。副官も有能ではあるが、流石に三銃士ほどでは無い。それを考慮すると、あまりのんびりもしていられなかった。

 

「間に合いますか?」

「間に合わせるさ」

 

 麾下の問いに、端的に答えた。やるならば、徹底的に。そのためには、一度軍を分ける必要があった。

 先ほどエルミ・ナエクスに奇襲を仕掛け、それを凌がれた。あれで、討つつもりであったが、向うが此方の予想を超えてきたのである。ならば、次はこちらが凌駕する。そう思ったわけであった。

 軍を広く展開させたのは、意味があった。戦場で敵の数と言うのは数える訳では無い。事前に得ている情報と、見た感じで判断するのである。部隊を広く展開することで、本来より人数が多くいるように見せる事が出来る。広がり過ぎてはだめだが、自身の指揮は基本的に過密なまでに力を収束するため、広く展開することで兵の数を偽装するという策は、他の軍と比べて気取られにくかった。

 

「上手くやっているようだな」

 

 戦況を眺めつつ、呟く。戦場では、カイアス率いる騎馬隊が、歩兵部隊の前衛を切り崩すかのように駆けまわり、徐々に徐々に戦力を削っていた。それに対して、エルミナは数的理と地の利を生かし防衛線を引いているが、率いるのが新兵故、少しずつ前線の陣形が伸びてきており、徐々に崩れかけてきているのが見て取れる。

 仕掛ける機は、訪れようとしていた。

 

「皆、此れより奇襲をかける。相手は、先ほど一度仕掛けたエルミナ・エクスである。幾ら三銃士とは言え、一日のうちに二度目の奇襲、それは予想していないだろう。これで、終わらせる。抜かるなよ」

「応!」

 

 麾下に告げると、静かに、だが気の充実した返事が返ってきた。それが心地よかった。静かに蓄えた闘気。ソレを、苛烈なまでに爆発させるのだ。そう、思った。やがて、木々を抜け、視界が開けた。敵方の後方。斜面に背を向けている布陣だった。ソレは、確かに地の利を生かした布陣だった。しかし、それは敵が対面にいる場合である。今、俺は敵の背後を取っていた。突如現れた、漆黒の騎馬隊に、敵陣が動揺したのを感じ取った。下り坂であった。奇しくも、以前ユン・ガソルに奇襲をかけたときと同じく、逆落としの構えであった。

 

「原野を駆ける我らが意思に、竜をも破る峻烈なる加護を」

 

 左腕、魔剣を掲げ、その膨大な魔力を解き放った。我が麾下に託している真紅が淡い光を宿し、仄かに輝いているのが、戦場でも解った。笑みが、浮かんだ。風が心地よい、そう思った。眼前を見据える。正面からは漆黒の騎馬隊が、真紅を煌めかせ、敵陣を突き破ろうとしているのが解った。 

 

「行くぞ、敵を穿つ。恐れるモノは何もない。我に……、続け!」

 

 叫んで、一気に駆け抜けた。斜面、それが騎馬隊に更なる圧力を与える。愛馬、疾風のようにかけ続けた。両手に持つ、槍と剣。共に、光を帯びていた。

 

「応!」

 

 貯めに貯めていた、闘気。それをついに開放した。

 漆黒の騎馬隊、真紅を纏い、戦場を駆け抜ける。強さ。それを示すためだけに、ただ駆け抜けた。

 

 



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5話 拠るべきモノ

「うわぁ、何あれ……えげつない。あれじゃ、指揮系統がめちゃめちゃだよ」

「エルちゃん、大丈夫かしら?」

 

 レイムレス要塞、見張り台。合同訓練をしている双方の部隊を眺める事が出来る、高所であった。そこで三銃士のうちの二人、パティルナ・シンクとルイーネ・サーキュリーは眼前に広がる光景を眺めながら、そう漏らした。漆黒の騎馬隊、エルミナ率いる歩兵部隊を前後から二つに断ち割っていた。漆黒同士が歩兵の中心で交錯する。前から進む部隊と、後ろから駆ける部隊では大きく兵力が違っていたのだが、交わりが終えるころには、両部隊の数が同程度に別れていた。敵陣の中で迅速に合流を果たし、そのまま駆け抜けていたのだ。更にそこから前後に別れた部隊が左右に駆け、部隊をさらに四つに断ち割っていた。

 

「ほほぅ。やはり、凄まじいな。本隊を用いた陽動からの、少数での奇襲か。部隊を広げていたのはそう言う意図があったか。俺も騎馬隊の指揮には自信があるが、エルミナを相手にユインと同じ事はできる気がしないぞ」

 

 ギュランドロスは感心したように、頷く。新兵を率いていながら鮮やかに強襲をこなす配下に、感嘆の意を示していた。見張り台の上から体を乗り出して戦場を眺める様は、エルミナが見たら抱き着いてでも止めかねない。

 

「けどなんかエル姉、らしくないね。精彩を欠いているって言うか、何というか、エル姉の武器が出てない感じがするなぁ」

「ああ、相手がユインだからじゃないか? 思うところあるんだろうさ」

「あらあら、何か知っているんですか?」

「まぁ、な。エルミナの事だ、どうせ責任でも感じて目が曇ってるんだろう。そこを容赦なく、突かれたってところだな。まったく、こと戦闘に関しては遠慮の欠片もない奴だ」

 

 客観的に見て、エルミナの指揮はどこか精彩を欠いていた。新兵故に、隙があるのは当然なのだが、それでもエルミナならば隙を有効に利用する程度の事はやってのけるのだが、今回に限って言えばそのような動きは無い。どこか、柔軟性に欠けている動きであった。ユインとギュランドロスの出会いには、エルミナも深く関わっていた。ユインはギュランドロスを殺すためだけに戦陣を駆け抜け、エルミナはそれを阻むために立ちはだかった。そして、ユインに軍配が上がっていた。ギュランドロス自身は、鎧に守られ事なきを得たが、エルミナの中では完全に敗北していたのだろう。彼女の性格と不器用さを考えれば、ギュランドロスにはその様が容易に想像できた。

 

「でも、そう言うところも含めてお気に入りなんでしょ?」

「はっは。当たりだ」

 

 とは言え、それは当人が解決すべき問題である。厳しいが、エルミナの更なる成長が期待できるため、ギュランドロスは放って置くと決めていた。何より、その方がおもしろそうだったから。新たに仲間になったユイン・シルヴェストと三銃士であるエルミナ・エクス。二人ともギュランドロスを楽しませるには充分な人材であった。

 

「うーん。あなたがそこまで評価する人かぁ。少し興味がでてきました」

「おう、なら今度紹介してやろう。楽しみにしとけよ、アレは面白い男だ」

 

 ルイーネの言葉に、ギュランドロスは機嫌よく答える。まったく面白い男を見つけたモノだ。ギュランドロスは駆け抜ける漆黒の騎馬隊の雄姿を眺めながら、そう思った。

 

 

 

 

 騎馬隊が駆け抜けた。漆黒の鎧を身に纏い、真紅を煌めかせる騎馬隊。その姿は、苛烈と称しても余りあり、その動きは凄絶と称するが相応しかった。悪夢と言うのは、このような部隊と相対したときにこそ出てくる言葉かもしれない。エルミナは、そんな事を言思った。

 

「皆、可能な限り小さく纏まりなさい。力を収束し、押し返すのです」

 

 それでも、指揮を執り続ける。エルミナは、三銃士の一角であり、軍を統括する者であった。敗戦の色が根強いとはいえ、無様を晒すわけにはいかなかった。それ故、声を上げ続ける。少しでも多くの兵士に、言葉が届くように。

 侮っていた訳では無かった。認める事はできないが、ユイン・シルヴェストが侮る事の出来ないほどの相手だと言う事は十分に理解していた。それ故、自分からは仕掛ける事をせず、動いた相手を待ち受ける事に専念した。強固な守りで消耗させれば、時間が経つにつれ自分が有利になる。エルミナはそう予測していたのだ。実際、一度ぶつかった時は凌ぎきる事が可能だった。少数による奇襲こそされてしまったが、充分に騎兵を止める事には成功したのである。そう、思い込まされていた。

 二度目ぶつかり合った時、自身の考えが愚かだったと悟った。それぐらいに、漆黒の騎馬隊の動きは凄まじく、新兵ではとても止められるものでは無かった。総突撃こそして来ないが、前衛が予想をはるかに上回る速度で切り崩されていった。見事なまでに攪乱されている。指示を出しても自身が思い描く通りに動いてくれない兵たちを見詰め、理解した。浅はかであったと。

 思えば、精強な部隊を率いていると言う事は、事前に解っていたのである。一度は、不正を行ったのかと疑った。だが、それはユイン・シルヴェストを認める事が出来ない自分が生み出した、都合の良い思い込みでしかなかった。そんな事は最初から分かっていたのだ。だが、そうする事を心が求めてしまった。それ故、事実を頭の隅で認識しつつも、それを見ない振りをした。

 

「……。意地を張らずに、最初から認めていればここまで無様を晒す事は無かったのかもしれませんね」

「……エルミナ様?」

 

 どこか、呆れたような呟き。三銃士とは思えない雰囲気に、近くにいた兵士が心配そうに声をかけた。劣勢な戦場で、何をしているのだ。と、エルミナは自身を叱責する。負けている状態で、将が弱音を吐いては兵士が不安になるのは道理である。

 

「いえ、何でもありません。ここから、押し返しますよ」

「はいっ」

 

 兵たちを不安にさせたと有っては、三銃士の名折れである。そう思い、エルミナはふんわりとした笑みを浮かべ、そう告げた。どこか、吹っ切れた。そんな表情であった。駆けまわる漆黒を見詰め、エルミナは両の手に携える剣を構えなおした。

 

 

 

 

 

「駆けろ、既に無人の野を行くのと変わらん」

「応!」

 

 叫び、疾駆する。麾下が気炎を上げた。

 既に戦の勝敗は決していた。三銃士の一人エルミナ率いる部隊を分断、殲滅に移行していている。喜びなどは、ありはしなかった。これは、当然の結果であり、最初から想定していたことである。いわば、勝のが当たり前だったのである。自身の直属の部下を率いていない三銃士に勝ったところで、何の感慨も湧かない。ただ、そうあるべき結果をそのまま手に入れただけであった。

 

「駆けろ、ただ苛烈に。それが、我が麾下は相応しい」

 

 呟く。自身にできる事は、ただ敵を打ち破る事。それ以上でも以下でもない。

 だからこそ、ただ強さを求めていた。苛烈に、凄絶に、立ち塞がるものがいればそれを除く事が出来る、そんな愚かしい程の強さ。それを望んでいた。

 

「将軍!」

「どうした?」

 

 部隊を率い、疾駆する。その時、麾下の一人が報告に来た。それを促す。

 

「敵将率いる部隊が、此方に接近してきます」

「成程。……穿つぞ」

「御意」

 

 考える必要など、一切なかった。戦場を駆け、エルミナ・エクスを探していた。向うから来ると言うのならば、ただ打ち破る。それだけで良かった。静かに告げると、麾下達は当然のように受け入れた。この訓練で出した成果のおかげか、皆、俺の事を信頼してくれているようだった。ソレを、嬉しく思う。ようやく麾下に、自身が将であることを認められた気がした。

 勝敗など、気にはならなかった。戦えばどのような相手であろうと、勝。ソレが当然の帰結であり、負ける時が来るとすれば、死ぬ時だろう。そう、思い定めていた。それが軍人である俺の誇りであり、守るべき矜持でもあった。

 こんなことを主に話せば、一蹴されるだろう。ふと、そう思った。一見、愚かに見えるがその実深い思慮を持つ主の事である。道理に反する誇りなど、認めるとは思えなかった。しかし、それでも構わない。そういう男であるから、主として相応しいのである。他者に理解されないが故に、己の中でのみ守ると定めるもの。それが『誇り』なのだ。それ故、誰に理解されないとしても、揺らぐ事は無い。無理に理解してほしいとも思わない。敗れざること。それが己の中ある、唯一無二の誇りであった。ソレは自分さえ理解していればいい事なのだ。

 

「敵は、同数か」

「ぶつかります」

「皆、侮るな。敵は決死の覚悟をし、此方に向かって来ているのだ。それ故、容赦も慈悲も必要ない」

「応!」

 

 敵は、同数程度であった。当たれば、当然の如く勝利する。それ以外の結末は無いのだ。故に、油断も容赦もしない。それだけであった。

 

「ユイン・シルヴェスト。私の名はエルミナ・エクス。先ほどの借りは返させてもらいます」

 

 凛とした声。エルミナ・エクスであった。両の手に双剣を構えていた。殺気。心地よい程のソレを、全身で感じた。

 

「ああ、貴方がそうだったのか」

 

 本気のソレを受け、思い至った。主を敵と認識していた時、自分を遮った者があった。それが、目の前に立つエルミナなのである。口元が吊り上がる。アレは、ユン・ガソルが誇る三銃士の一人であったか。ならば、左手を失ったことは、恥では無く誇るべきものであると思えた。

 あの時、左腕に受けた傷。それが元で、自身は左手を失う事になった。実際には、応急処置しかできずに、戦場で戦い続けたのが原因であるが、それは非常時ゆえに仕方が無かった。自身が未熟だったからこそ、傷を負い、腕を失ったのだ。そう思った。

 その点に関して怒りは無い。あるとすれば、未熟であった自分にだろうか。だからこそ、未熟な自分を恥じた。どこの誰とも知れない相手に不覚を取ったと思ったのである。しかし、その相手が三銃士の一人だったのならば、どこか納得することができた。その為、恥ずべき相手に傷を負わされたのではないとしたら、残っているのは一瞬で割り込んできた判断力と、武に対する賞賛だけであった。

 

「勝たせて貰います」

「できると言うのならば」

 

 それを皮切りに、刃を重ねる。槍、穿つために放つ。金属音、右手に持つ剣によって阻まれた。魔剣、左手に持つ剣に凌がれる。斬り返し。手綱を取らずとも、腿で馬腹を引き締める事で我が意を理解した愛馬は、見事に避けきった。

 再び打ち合う。人馬一体の攻め。勢いに任せ、押し切った。エルミナは耐えきれなかったのか、一気に後方に飛びのいた。

 

「ッ?! まだ、やれます」

「いや、終わりでしょう」

 

 不屈の闘志を灯す三銃士に、静かに告げる。今の一瞬で自身を討てなかった以上、総崩れになっている軍との勝敗は決したのである。

 

「……ッ、私の負けのようですね」

 

 周りの様子を見たエルミナは苦々しい顔をして此方を見詰めた。視線が混じり合う。強い人だ。そう、思った。

 

「では、これにて」

 

 背を向け、短く告げる。負ける要素の無い戦いを、勝つべくして勝った。誇るべき戦果では無い。そう思い、麾下達と共にその場を後にした。

 こうして、合同訓練は終わりを迎えた。

 

 

 

 

 

 合同演習が終わり、麾下達の調練を施していた。特にレイムレス要塞は山岳地帯であるため、山野を駆ける訓練には適していたのだ。騎馬隊はその速さ故に山や森を行軍する事には向いていないが、戦争となればそんな事を言っている暇は無く、様々な地形を駆ける必要があった。故に、レイムレス要塞で行軍の訓練を積むと言うのは大変有意義であると言えた。また一つ、自身の部隊が強くなるのを実感し、笑みが零れる。

 

「おう、ユイン。相変わらず、凄まじい動きだったな。あのエルミナを破るとは、予想以上だぜ。まったく大した奴だよ」

「これは王よ。このような場所に来られるとは……。さては、逃げてきましたね?」

「だーはっはっは。それにはノーコメントだ」

「まぁ、構いませんが。軍営ですので、大したもてなしはできませんよ?」

「そこまでは期待はしてないから、気にするな」

 

 麾下達に休憩を申付けた後、気を窺っていたのか此方の様子を探っていた王が声をかけてくる。元々、神出鬼没な方である。尋ねてきたとしても、それほど驚く事は無かった。軽口を交えながら、応じる。主であるギュランドロス様は、形式的な言葉よりも、自然体を好まれる方であった。

 

「それで、何用でしょうか?」

「ああ、先の訓練でそれ相応の実力を示したからな、お前の部隊の増員が決まった」

「ほぅ。それはまた、有りがたい事ですね」

 

 王の言葉に少々驚きつつも、促す。将軍と言う立場ではあるが、率いる数は精々前線の部隊長と言ったところであった。ソレがわずかにでも増員されるのであるならば、喜ばしい事だった。増え過ぎれば機敏に動けなくなるが、現在の数は少なすぎる兵力だった。

 

「とは言え、増員されたとしても総数で五百だ。俺としてはお前にもっと多くの兵を預けたいのだが、周りがそうさせてくれんのが歯がゆい」

「でしょうね。ソレに、騎馬隊が五百になると言うのならば充分すぎる程です。それだけの兵がいれば、より多様な動きができる事になります」

「そうか、そう言ってくれると助かる」

 

 王の言葉に、充分だと告げる。そもそも、実際の戦で戦果を挙げたわけでもない。それなのに増員されると言うだけでも破格に思えたのだ。それに騎馬隊と言うのは歩兵以上に、必要なモノが多い。馬に薬、秣など、兵以外のモノも必要になってくるのだ。その点を考慮すれば、増えるだけで充分有りがたいと言える。

 

「正直俺は、お前に期待している」

「もったいない言葉です」

 

 主は自分の目を見据えそう言った。落ち着いているが、強く、力強い声音であった。それだけ、期待されているのだと実感できた。自分は降伏した者であった。主であるギュランドロス自ら誘ったとは言え、こうも素直に本心を告げてくれるのは、この男であるからだった。他の人物、それこそ元の主であるノイアス元帥であったならばこうはいかないと容易に想像できた。

 迂闊ではあるが、偉大な器である。自らの主はそんな人物であった。

 

「そこで聞きたい。兵の増員はあまりできんが、装備くらいは整えてやりたい。何か欲しいモノは無いか?」

「それならば――」

 

 王の言葉に、思いつく限りの事を伝える。麾下を鍛え上げる事は、自身だけどうとでもなるのだが、装備に関してはどうしようもなかった。自らには魔剣があるが、麾下達には通常の武器しかなかった。それが悪いとは言わないが、装備は強いに越した事が無い訳であった。それ故、用意できるかは別として、欲しいモノを告げていく。

 武器以外には、質の良い馬も必要であった。騎馬隊の強さの大部分は駆る馬によって決まる。今の騎馬隊の馬が悪いとは言わないが、総合すると良質とは言えなかった。行軍と言うのは足並みを揃える都合上、一番足の遅い馬に合わせる事になる。それ故、調練によりかなり改善できているが、それでも限界が見えていたのである。ソレを改善するには、良質の馬を得るしかなかった。

 その他にも求めるモノはたくさんあった。できるかどうかは別として、希望を告げていった。

 

「はっは。欲しいモノを言えとは言ったが、此処まで多いとは思わなかったぞ」

「申し訳ありません」

「くく、気にするな。それだけお前としても課題が多いと言う事なのだろう。これらをすべて用意することは直ぐにはできんが、揃った時の部隊を見てみたいとも思うぜ」

「……揃えていただけるのですか?」

「はっは。その為に聞いたんだ。何れは揃うさ。尤も、お前が戦果を上げれなかったら話は別だがな」

「ならば、期待には応えねばなりませんね」

「おう、期待しとくぜ!」

 

 意外だった。無理だと思いつつも言葉にしたものを、王は全て揃えると言ったのである。それほどまでに期待されている。そう思うと、胸が熱くなる。勿論自分がそれなりの戦果を上げなければ物資を揃える事など夢のまた夢でしかないが、王の口振りから特にその点を心配しているようには思えなかった。

 欲しいモノが、全て揃った時の事を考えてみる。恐らく、自身の理想とする騎馬隊が出来上がり、竜をも相手どれる騎馬隊が完成する。そう考えただけで、心が躍った。まだまだ先の話ではあるが、自身の指揮する軍に思いを馳せる。そんな自分に気付き、僅かに苦笑が漏れた。呆れるほどに、戦う事しか考えない。自分は、ユイン・シルヴェストとはそういう男なのだ。

 

 

 

 

 

「話は変わるが、エルミナはどうだった?」

 

 暫く軍の話をした後、王はそう口にした。何れは聞かれるであろうと予想していたため、考えていたことを告げる。

 

「強い人、ですね。状況に適した判断力、分断した兵たちを纏める統率力、そして個人武勇。どれを取ってもユン・ガソルの誇る三銃士と言うに相応しい実力を持たれているかと思います。先の訓練では勝つべくして勝ちました。ですが、直属の部隊を率いていたとすれば、あのようには勝てなかったでしょうね。」

「ほうほう。それはまた、随分と評価しているな。俺に遠慮する事は無いぞ?」

「遠慮などしませんよ。無能であったと思うのならば、容赦なく告げます。実際に相対し、刃を交えた。軍勢を指揮してぶつかり合い、凌ぎあった。そうまでして実感したその力を、虚言を弄して語ろうとは思いません」

「成程、な。それほどまでに、エルミナの実力を認めるのか」

「はい。尊敬するに足る方かと思います」

 

 王の言葉に、ただ答える。この場には自分と王しかおらず、態々嘘を言う理由もなかった。

 

「其処までとは、な。まぁ、お前が軍事の事で俺を謀るとも思えんし、本心なのだろう。いやいや、照れるなエルミナ。お前を下した男は、その力を絶賛しているぞ」

「む?」

 

 自分の言葉を聞き終えた王は、天幕の外に向かって声をかけた。すると、人の気配が動いた。どうやら誰かが聞き耳を立てていたようである。不甲斐ない。そう思った。どうやら自分は合同訓練が終わった事で少々腑抜けていたようである。隠れていた人物は、王の言葉で容易に想像できた。麾下達が報告に来ないのは、恐らく王の所為であろう。幾ら自分の直属の部下とは言え、王の命令には逆らえないのだ。

 

「……。私は貴方に敗れた女です。どうぞ偽らず、本心を告げてください」

「おいおい、エルミナ。さっきユインはお前が聞いてることを気付かずに話していたんだぜ。それは偽りのない本心だろうが」

 

 黙って天幕に入ってきたエルミナ・エクスが俺の目を見詰め、穏やかにそう告げた。ソレに呆れたように王は窘める。何をそこまで卑下するのか。言外にそう告げていたのが容易に解った。

 

「しかし、私はユイン・シルヴェストの倍以上の兵力を擁していながら敗れました。それは、三銃士として名折れでは無いですか」

「だから、私に自分の事を悪く言え、と?」

「……ッ、そうです」

 

 負けた。その事が、三銃士として自分に誇りを持っていたエルミナにとって許せないのだろう。険があると言うよりは、どこか自棄になっているように思える。エルミナ・エクスと言えば、メルキア嫌いで有名であった。自分が元メルキア軍人と言う事も関係しているのかもしれない。

 

「成程。自身にできる事を全て行い、死力を尽くした相手を口汚く罵れと。あなたはそう仰るのですか」

「……そうです。貴方には、その資格がある」

「断る。貴女の中にどのような葛藤があったのかは解りませんが、死力を尽くし、競い合った。そのような好敵手を貶めるなど、私の誇りが許さない」

 

 敗れざること。ソレが自身の誇りであった。ソレを胸に秘め、戦った相手である。そんな相手を貶める事は、自分にはできなかった。相手を汚す事は、すなわち自分の誇りを汚す事になるからである。

 

「しかし、私は貴方を……」

「聞く耳を私は持ちません。貴女は三銃士たる強き力を示された。それで、良いではありませんか」

「くく、だーはっはっは。格好いいな、まったく。エルミナ、こいつには言うだけ無駄だ。敗者は敗者らしく、勝者の言葉に従え」

「しかし……。いえ、わかりました」

 

 王が心底愉快だと言わんばかりに、口を挟む。エルミナ様は、そんな王に何か言いたそうに口を開くが、結局言葉が続く事は無かった。何を言っても無駄だ。それを理解したのだろう。

 内心で、そんな王に感謝する。俺とエルミナ様では、意見が平行線であった。双方ともに、譲りはしないだろう。ソレは容易に想像がつく。そこに王が割り込んだことで、エルミナ様に譲歩させたと言う訳だ。

 

「まったく、お前たちは少々真面目過ぎるから駄目だ。冗談の解るユインは兎も角、エルミナは融通が利かなさすぎる。もう少し柔軟になれ」

「……元々こういう性格なんです。ほっといてください」

 

 窘める王にエルミナ様は拗ねたようにそっぽを向く。そんな三銃士の一人に、王は優し気な笑みを浮かべた。主従と言うよりは、家族と言うのが相応しい。そんな父親のような顔であった。

 

「まぁ、そこがエルミナの可愛いところではある」

「なっ、かわっ?! か、からかわないでください!!」

「いやいや、充分可愛らしいじゃないか、なぁユイン」

 

 王が同意を求めるように言った。ソレに、エルミナ様は顔を真っ赤に染め動揺している。

 確かに可愛らしい。先ほどから真面目でどこか不器用なエルミナ様の人柄の所為か、動揺している姿はとても微笑ましく、年頃の女性らしく可愛らしい姿であった。

 

「確かに、照れていらっしゃる姿は、とても可愛らしいですね」

「くく、だろ」

「ッ~~」

 

 特に嘘を吐く必要は無く、王もその手の言葉を望んでいた為、ありのままに告げる。エルミナ様の顔がさらに赤く染まった。言葉にならない言葉を上げている。王以外に言われ慣れていない人物から可愛いなどと言われたため、キャパシティを超えたのだろう。あうあうと挙動不審な感じになっているエルミナ様は確かに愛らしかった。

 

「王よ、期待には沿えましたか?」

「ああ、大正解だ。くく、まったく、お前は本当に面白い奴だよ」

 

 満足そうにしている王に、小声で告げた。そんな俺に、王は楽しそうに答える。

 しばらく、真っ赤になっている愛らしい三銃士の一人を、王と共に眺めていた。

 

 




合同訓練終了。もうすぐ原作開始地点に到着します。我らが主人公ナイスファイト元帥がもうすぐ登場します


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6話 強き者

「将軍、我が軍が遂に成し遂げました」

「ほう?」

「センタクス攻略が完了したようです」

「そう、か」

 

 レイムレス要塞近郊、新たに麾下に加わった者達の調練を施し、山野を駆けまわり続けていた。合同訓練も終わり、課題は見えていたのだ。経験。それが圧倒的に足りなかった。山野を駆ける経験。奇襲を仕掛ける経験。麾下同士ではなく、他の兵たちと刃を交える経験。それ以外の様々な経験が足りなかった。

 それを補うために、レイレムス城塞の一角を借り、日々調練に明け暮れていた。今では、レイムレス城塞を守備する将たちともそこそこに面識があり、皆で酒を酌み交わす事もあった。

 どこか、親しみを持ち始めている。そう思い始めたところで、カイアスから報告が来た。東の都、センタクスを攻略したと言う内容であった。遂に成ったか。何を思うでもなく、ただそれだけを感じた。

 センタクスと言えば、旧主である、ノイアス・エンシュミオスが本拠としていた場所であった。自身はどちらかと言えば首都にいた事はあまりなかったが、それでも本拠としていたところである。ソレを落としたと言うのは、何か妙な感覚であった。

 

「三銃士の一人、エルミナ様の指揮により、陥落したようです」

「あの方ならば、容易いだろう」

「でしょうな」

 

 総指揮を執ったのは、エルミナ様であった。実際に刃を交えた。その腕ならば、センタクスが陥落するのも当然あった。軍を統括し、作戦を一手に引き受けている人である。対するメルキア軍はノイアス元帥の消息も知れない状態になっていた。そんな状態のセンタクスが、ユン・ガソルの誇る三銃士を止められる道理は無かった。

 

「センタクスはエルミナ様が守る事になるようです」

「順当だな。あの規模の都ならば、三銃士の誰かが構えるのが相応しい」

 

 センタクスはメルキアにとって、言うならば東の都であった。あの一帯のなかでも最も大きな都市であり、収入の起点となるべき場所であった。メルキア最強と名高いキサラ領に隣接しているが、その脅威を差し引いても余りある利がセンタクスにはあった。人が、多いのである。労働力と言う点では、ユン・ガソルの王都に次ぐのではないだろうか。それぐらいの規模であった。故に大地の多くが環境の汚染により使い物にならないユン・ガソルにとっては、ある意味で命綱となるほどの場所であった。

 

「ですが、懸念もあります」

「キサラの戦鬼、か?」

「しかり。キサラの戦鬼と誉高いガルムス・グリズラー。彼の者がいる限り、センタクスは常に脅威に晒され続けます」

「尤もだな。キサラの戦鬼を討てれば良いのだが、そう容易くいく相手でないのは確かだ」

「はい。ですから、王がどう動くのかが気になりますね」

 

 カイアスの言葉は尤もであった。戦鬼ガルムス・グリズラー。中原東部の軍人ならば、誰もが耳にしたことがある。それ程の猛者の名であった。その戦ぶりは、万夫不当と言うのが相応しく、数多の魔族を討ち払い続けていた。メルキア帝国が魔族の侵攻を受けてなお大した被害も無く健在なのは、ガルムス元帥の武名が根底にあったと言えるだろう。それ程、偉大な武人であった。

 

「一度は、刃を交えたいものだな」

「将軍。流石にそれは無謀ではないでしょうか?」

「かも、しれんな。だが、私とて馬鹿では無い。勝算が皆無ならば、このような事は言わんよ」

 

 軍人ならば、誰もが知る武名であった。それ程までに語り継がれていたのだ。そんな生きた伝説とも言うべき人物である。自身の武が、どの程度まで通用するのかと言うのを試したいと思うのは、軍人として、そして男として仕方が無いのではないだろうか。戦鬼と刃を交えると考えただけで、心が躍った。

 

「将軍は、強さと言うと見境が無くなりますね」

 

 カイアスが苦笑しながら言った。考えていることが、顔に出たのだろう。戦鬼と戦う事を考えて楽しそうにする者など、それほど多くも無いだろうから、副官であるカイアスには容易く理解できたのだろう。

 

「ああ、私は自分がどこまで行けるのか、知りたい。強く、ただ強く。それだけを考えて生きてきた。これからもその生き方は変わらないだろう。だからこそ、目の前に見える壁の高さに心が躍るのだよ」

「将軍の言葉を聞いていると、私たちとはどこか違う。常々、そう思っていました」

「そうかな?」

「はい」

「お前が言うのならば、そうなのかもしれんな。だが、それが私だ。それがユイン・シルヴェストと言う男なのだ」

 

 言葉を紡ぐほど、内から活力が溢れてくる。自身には、誇りがあった。敗れざる事。つまりそれは、どのような敵であろうと、戦い抜くと言う事であった。冷静になれば愚かな志であろう。どのような事を考えたところで、負ける事はあるだろう。生きると言うのは、そう言う事なのだと思う。だが、それでも心の底から敗北しない限り、本当の負けでは無いのだ。そう、思っていた。そして、その意志を貫く事こそが、俺の『誇り』であった。

 

「私もそう思います。何れは、戦鬼すらも超えて行かれると、そう心得ています」

「ふ、随分と過大評価してくれたものだな。だが、悪い気分では無い。やってやろう、そう思える。……語り過ぎたな、行こうか」

「御意」

 

 麾下達と話しているときが、尤も自分らしい。そう思った。馬腹をけり、駆けだす。やがて風を切り、ただ疾駆する。背後には麾下が続き、辺りには馬蹄が響き渡る。自身はどこまで行けるのだろうか? そんな事を思った。魔剣、抜き放った。

 

「原野を駆ける我らの意思に、竜をも破る峻烈なる加護を」

 

 魔法、解き放つ。魔剣で増幅された魔力が、自身の身に纏っている真紅の布を介し、麾下に行き渡る。速度がさらに上がった。麾下達の一部から驚きの声が漏れた。新たに増えた麾下であった。ソレを最初からいた麾下が鎮静化させた。俺の用いる魔法にも、皆慣れてきたものだ。そう、思った。

 

「皆、行くぞ」

 

 麾下達と共に原野を駆ける。それこそが、自分に最も相応しい。そう思い、駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

「やってほしい事がある」

「お話をお聞きしましょう」

 

 何時もの如く王が天幕に入ってくるなり言った。ソレを促す。

 

「以前センタクス攻略を果たしたのは知っているな?」

「ええ、エルミナ様が攻略したと聞きました」

「ああ。でだ、当然の如く奪還作戦にメルキアが動き出した。敵は、メルキア皇帝ジルタニア及び戦鬼ガルムス・グリズラー」

「ほう……」

 

 王の言葉を聞き、思わずそう零した。メルキア最強と名高い戦鬼に加え、皇帝自らの出陣である。センタクスを攻略した事は、メルキア帝国にとって余程気に入らなかったと見える。当然と言えば当然であった。四元帥の一人が討たれ、東で最も繁栄していた都市が落されたのである。言わばメルキアを支える柱の一つが崩れたのである。それだけメルキアには衝撃的だったと言う事だろう。

 

「センタクス攻略の際、城塞都市ヘンダルムとクルッソ山岳都市をザフハが落した」

「成程。センタクスとキサラ領をザフハが分断した訳ですね」

「ああ、だが、メルキア軍の南進はそのまま止まることなく続いている。このまま行けば、近いうちに折角落としたセンタクスにも脅威が訪れる訳だ。しかし残念なことにセンタクスの防備はまだまだ整っていない。指揮するのはエルミナだから時間さえあれば上手くやるだろう」

「つまり私に命じる事は時間稼ぎ。可能な限りの敵戦力の削減、と言ったところですか?」

「ああ、ザフハの方から救援要請が来ている。そしてうちの部隊で争いが始まるまでにその地に辿り着けるのは、お前だけだろう」

「成程。承知しました」

 

 ザフハとメルキアの争いであった。ソレに援軍として向かう。自身に課せられた任務だった。この戦いにザフハが敗北すれば、次にセンタクスが狙われると言うのは明白である。それ故、援軍を出すと言ったところである。麾下の速さ故に、選ばれた。ソレはとても名誉な事であった。

 

「良いのか? お前の速度に追従できる部隊は居ない。ユン・ガソル軍としては単独での行動になるうえ、相手はあの戦鬼だぞ?」

 

 王が念を押すように言った。相手はメルキア軍の主力である。ザフハの部隊は敗走すると既に予測できているのだろう。つまり、最初から負け戦と見通しが立っているのである。だからこそ、王は念を押すように言ったのだ。ソレに笑みをもって答える。

 

「心が躍る、と言う物でしょう。それ程の舞台で戦えると言うのならば、名誉な事ではありませんか」

 

 自分は、降伏した将であった。それ故、分の悪い戦に出されるのは当然なのだろう。何よりもザフハの軍の増援として単体でメルキア戦に出されるのである。つまりは、体の良い厄介払いと言ったところだった。ザフハとメルキアの戦いである。再び裏切りメルキアに戻るもよし、ザフハと共に討たれるも良し。そんな思惑があるのだろう。ユン・ガソルと言うのは、メルキア嫌いの集まりであると言える。それ故元メルキア軍人の俺が余程目障りなのだろう。そんな考えに思い至った。

 だからこそ、王に言った。心が躍る、と。俺の誇りは、敗れざる事である。ソレは敵に負けないと言う意味ではあるが、同時に味方にも屈しないと言う意味でもあった。自身を厄介者と思っているのならば、その評価を覆す。それだけであった。そして、その方法は戦う事である。ならば、考えるまでも無かった。

 

「はっ、言うねぇ。流石はユインと言ったところか。ならば、戦うのは可能な限りで構わん。必ず、生きて帰ってこい」

「謹んで承りましょう」

 

 此方の言葉の意を汲んでくれたのか、王はいつもの調子でそう言った。ソレに軍令をもって答える。それだけだった。それだけで良かったとも思う。そして、王に背を向け、天幕を後にする。出陣の為、麾下達を集めた。

 

 

 

 

「お前がユン・ガソルの援軍か?」

 

 ザフハ領、城塞都市ヘンダルム。駆けに駆け、両軍の戦闘が始まる前に辿り着いた。そこで出迎えてくれたのは、獣人の少女であった。金色の毛並を持つどことなく人懐っこい感じの少女であった。このような娘も戦に駆り出されるのか。そう、思った。身のこなしからして、只者ではないと理解はできるのだが、どうもやり辛い。そう感じた。そんな少女が此方をじろじろと遠慮なく見つめながら訪ねてくる。

 

「ええ。私はユン・ガソルが騎馬隊を率いるユイン・シルヴェストです。この地の軍の責任者の方に取次ぎをお願いします」

「此処の守備を任されてるのは、ネネカだぞ。それなら、もう会っているし、問題ないな」

「ほう、貴女が責任者でしたか。失礼、お若いから気付きませんでした」

「ふふん。べつに気にしないぞ。あ、でもアルフィミアが来てるから、アルフィミアには会っておいた方が良いかもしれないな」

「是非、お会いしたいですね」

「わかった、呼んでくるから少し待ってろ」

 

 ネネカと名乗った少女が駆けていく。少し話をして得た印象だが、難しい話は得意じゃないと言う事が容易に想像できた。どうしたものかと思ったところで、意外な人物の名前が出てくる。アルフィミアだった。

 自分の知る限り、ザフハでアルフィミア、それも拠点の責任者が出すような人と言う条件で言えば、アルフィミア・ザラしか思い浮かばなかった。

 アルフィミア・ザラ。強さを最も重視するザフハ部族国に現れた、新たなる指導者であった。彼女が現れてから、ザフハの戦い方が大きく変わったと聞いていた。元々ザフハと言うのは個人武勇に優れる、獣人などの種族が集まった者達でもあり、戦い方も各々の部族によってまちまちな為、指揮に従って戦うと言う事をする事は無かった。それが、アルフィミアが台頭してきてからは、変わっていた。獣人を筆頭とする他種族たちが、統制のとれた動きをするようになったのだ。元々部族ごとに秀でたところがある。ソレを有効に使いこなす事によって、驚異的な強さを誇る軍になっていたのだ。

 そのアルフィミアに会えると聞いて、どこか、子供のように期待してしまった。自分の見当違いで、全然違う人物の可能性もあるが、状況からしてそれはかなり低い確率だろう。そんな事を思いながら、アルフィミアが来るまで瞳を閉じ、待つ事にした。

 

 

 

 

 

 

「ユン・ガソルの将よ、待たせてすまなかった」

「いえ、寧ろ私のような者と会ってくださり、恐縮です」

 

 瞳を閉じ、どっしりと構え、気を充実させていたところで、声をかけられた。瞳を開け、即座に応じる。褐色の肌をしており、銀髪が特徴的な闇エルフの女性が立っていた。その場にいるだけで、ある種の力のようなものを感じる。強さの話では無い。無論、肌を刺すような魔力を感じるが、それとは異なるものの事であった。カリスマとでもいうのだろうか、人を惹きつけるようなものを持っている。そう感じた。

 

 これがザフハを率いる、アルフィミア・ザラか。

 

 美しい、女性であった。感じる力も稀有なもので、女性で言うならば三銃士にも勝るとも劣らぬものを感じた。先に出会ったネネカと言う少女も中々の人物であると予想はできたが、アルフィミアはそれ以上であった。ザフハと事を構えるとすれば、なかなか難しいかもしれない。そんな事を思う。

 

「そのように畏まらないでもらいたい。正直言えば、私はユン・ガソルから増援が来るとは思っていなかった。その構えだけでも見せて貰えればと思い、要請したのだが、本当に来てくれるとは思わなかった。感謝している」

「センタクスを落としたばかりですからね。防備を固めるだけで精一杯と思うのが普通でしょうからな」

 

 アルフィミアの言葉に、やはりか、っと内心で納得する。防衛において、援軍が来ると言う情報は、強力なものである。援軍が来るかもしれないと言うだけで、攻め手は側面を突かれぬためにある程度兵力を分散させざる負えない。実際に動くかどうかなど、確実な情報は得られないからだ。それ故、アルフィミアは同盟関係のユン・ガソルが今も動けないと知りながら、増援の要請をしたと言う訳だ。

 

「やはり、センタクスから?」

「まぁ、そんなところです」

 

 アルフィミアに聞かれた問いに、曖昧に返す。馬鹿正直に、レイムレス城塞から来たと話す必要もない。普通に行軍すれば、戦いに間に合わない道程である。ソレを辿り着く事が出来る部隊がある。そんな事を教える義理は無いのだ。とは言え、実際に戦闘が始まればこちらの錬度を見られる為、焼け石に水であるが、与える情報は少ないに越した事は無い。

 

「ふふ、そうか、センタクスからか。成程、将は優秀なようだな」

「ええ、三銃士の一人が守っています。それ故、私も後顧を憂うことなく戦えます」

「頼もしい言葉だ、相手はあのメルキアの戦鬼だろう。貴軍の奮戦を期待している」

「お任せください」

 

 更にいくつか話をしたところで、そう締めくくった。どうやらアルフィミアは、メルキアの主力が出てきたために、その力を確認する為にわざわざ出向いたようであった。無論それだけではないだろうが、自分は軍人である。態々詮索するつもりも無かった。何よりも、アルフィミア・ザラが、そこまで迂闊とも思えない。故に、自分は戦鬼との戦いに思いを馳せる。自分と麾下の力はどれぐらい通じるのだろうか。考えれば考える程、心が躍った。悪い癖であるが、だからこそユイン・シルヴェスト足り得る。そう、思った。

 

「では、私はこれで自軍に戻らせていただきます」

「ああ、解った。戦が始まる時にはまた連絡を入れる。それまでは、ネネカや諸将と交流を深めるなり、楽にしておいてくれて構わない」

「ご配慮、感謝いたします」

「此方こそ、感謝している。その力、頼りにしているよ」

 

 アルフィミアとのあいさつを終え、麾下達の待つ与えられた宿舎に向かう。予想以上の人物であった。流石は短期間でザフハをまとめ上げた人物である。そう、思った。戦ならば、どう転んでも俺が勝つ。それぐらいの自信はある。だが、戦以外の場所ならばどうなるだろうか? そんな事を考えながら、麾下に合流した。

 

 

 

 

 

「アルフィミア。アイツは使えそうか?」

「ああ、アレは強いよネネカ。本来ユン・ガソルの軍では来れる筈のない行程を苦も無く辿り着いた男だ。将の素質、兵の錬度。二つとも極めて高いと思う。既に出ている成果と実際に話してみて、優秀な男だと感じたよ。あのような男が私の部下にいればと、すこし思ってしまったな」

 

 ユインとの面会を終えたアルフィミアにネネカが駆けより、待ってましたと言わんばかりに、アルフィミアに声をかけた。ソレにアルフィミアは快く、答える。内容はユインに対する評価であった。アルフィミアは、最初からユインがセンタクスから来ていないと、解っていた。

 

「むー。アルフィミアがそこまで褒めるのは珍しいな。もしかして、ネネカよりも凄い?」

「はは、ネネカと比べてか? それは難しいところだな……」

 

 眉をㇵの字に曲げ、不満そうにしているネネカにアルフィミアは苦笑しながら答える。その表情は穏やかであり、どこか妹を見守る姉のようであった。

 

「ううう。ネネカの方がすごいんだぞ! あんな奴よりアルフィミアの役に立てるんだから!」

「ふふ、そうだな。ネネカは、私の大事な妹分だ」

「ふふん、そうだろ。って、頭を撫でるな、子ども扱いするな! ネネカはもう大人なんだからな!」

「ああ、ネネカは大人だな」

 

 アルフィミアは、ネネカを宥めつつ、頭を撫でた。ネネカはそんなアルフィミアに自分は子供では無いと文句を言うが、その表情は満更でもなさそうであった。その様子は、仲の良い姉妹。そう勘違いできそうなほどに、穏やかな光景であった。

 

 

 

 

 

「準備は?」

「皆、できております」

「そうか」

 

 隊列を組み、整列した麾下達を眺めていた。メルキア帝国との戦。それが今、始まろうとしていた。戦陣を先に出会った獣人の少女、ネネカ・ハーネスがとり、その後詰めにアルフィミア率いる本体が続くと言った感じであった。自身の率いる騎馬隊は、アルフィミア率いる本体の最右端に位置し、役割としては、状況に応じて戦場を駆け抜け、メルキアの指揮を撹乱してほしいと言う事だった。要するに、遊撃であった。騎馬隊の速さを存分に発揮できる、理に適った配置であると言えた。

 

「皆、聞け。敵はメルキアの戦鬼率いる、精鋭部隊である」  

 

 麾下達は、黙って耳を傾けていた。誰もが口を閉じ、ただ此方を見ている。その静寂が、心地よい。そう思いながら、言葉を紡ぐ。

 

「はっきり、言おう。相手は我等よりも遥かに格上だ」

 

 告げた。動揺が広がる事は、無かった。信頼されているのだ。それが解った。

 

「それ故、難しい事を求めるつもりはない。死ぬな。それだけで、良い。お前たちは強い。この()が麾下として育て上げた。今はまだ、及ばぬかもしれぬが、何れは戦鬼すらも超える。そう決まっている。それ故、つまらぬ欲を出して死に急ぐ事だけはするな」

「応!」

 

 気炎が上がる。戦場を、麾下達の気迫が呑み込んだ。戦場のいたる場所から、雄叫びが上がる。ザフハの勇士達であった。咆哮、心地良かった。自身は戦場に立っているのだ。そう、実感した。

 

「では、行こうか」

 

 槍を水平に構えた。それだけで、麾下達は縦列になった。最初に見た新兵と同じとは思えないほどの、早さであった。何百、何千と訓練を施していた。その成果が良く見て取れた。お前たちも、俺の『誇り』だ。声に出す事はせず、そう呟いた。

 先陣、既に駆け始めている。ソレを眺めた後、駆けだす。火蓋は、切って落とされた。

 

 

 

 

 

「部族長、ネネカ・ハーネス。メルキアの兵よ、此処で死ね! 行くぞ、ザフハの精鋭たちよ! 逝け、メルキアの弱兵たちよ! 我らに挑んだ事を、後悔すると良い!」

 

 ネネカ・ハーネスは叫び声をあげ、戦場を駆けていた。率いているのは、獣人の部隊。歩兵であった。だが、その速度が尋常では無い。メルキアの先陣に即座に辿り着き、虚を突く事で前線を撹乱することに成功していた。

 

「うがぁぁぁ!!」

 

 想定外の速度により、虚を突かれたメルキア兵が崩れ落ちる。ネネカ率いる獣人部隊は、メルキア兵を蹂躙し始めていた。

 

「ほう。マスターが相手だと言うのに、勇ましい事だ」

 

 それを眺めていた者が呟いた。真紅の双眸に映るのは、喜色であった。キサラ領の戦鬼と聞けば、殆どの兵は恐れ戦き、戦う気力を失くす。そのような弱兵ばかりであったのだ。

 

「とはいえ、やられ続けるのは沽券に関わる。キサラの、マスターの部下があの程度の者と一緒にされるなど、耐えきれん」

 

 小さな、身体であった。人間よりも遥かに小さい。言うならばそれは、人形であった。無論人形などとは比べ者にならないほどの意思を持ち、力を持っていた。真紅の瞳に、真紅の髪を持つ者。赤き月女神の力を模された魔導巧殻、ベルであった。

 ベルは、戦況を眺めながら、気炎を吐く。それだけで、彼女の背後にいる部下たちは熱く、燃えていた。

 

「行くぞ、お前たち! マスターの兵がどれほどのものか、奴らに見せつけてくれよう!」

「おおおおおお!! ザフハの化け物なんか、敵じゃないぜ!!」

 

 叫び声が上がった。それはメルキア最強と名高い、キサラ領の精鋭だった。ネネカ・ハーネスが打ち砕いた軍は、キサラの兵士では無かった。センタクスの敗残兵だったのである。

 

「行くぞ、ベル。指揮は任せる」

「はい、マスター」

 

 ベルの傍らに立っていた偉丈夫が、言った。老齢であるが、全身から覇気が漲り、其処にいるだけで戦場を震えさせる。それ程の男であった。

 戦鬼、ガルムス・グリズラーである。

 落ち着いた声音で、自らの魔導巧殻であるベルに告げた。ソレにベルは恭しく答える。ベルが部隊の指揮を執る事で、ガルムスは戦う事だけに集中できるのである。ベルの苛烈な指揮と、戦鬼による圧倒的なまでの蹂躙。それは、キサラの、メルキアの常勝の布陣であった。

 戦鬼が動き出す。本当の戦が、始まるのである。

 

 

 

 

 

「があああ!」

 

 ネネカが、咆哮をあげる。メルキアの精鋭たちを受け止めていた。辺りには、屍が積み上げられている。キサラの精鋭とは言え、ザフハで最も強き者は崩せずにいた。とは言え、それは崩せないだけであり、ネネカの部隊は既に総崩れになっており、ネネカ自身も満身創痍であった。

 

「まだだ、まだネネカは戦えるぞ!」

 

 近くにいる兵士を殴り飛ばし、ネネカは吼える。全身から血を流し、それでも下がる事をせず、蹂躙する姿は異様であった。

 

「ほう、凄まじいモノだな、ベル」

「申し訳ありません、マスター。すぐに終わらせます」

 

 異常ともいえるネネカの戦いを見たガルムスが、感心したように呟いた。傍らに控えるベルは、すぐさま謝罪する。そのさまは、予想外に苦戦していることを謝っているのではなく、時間が取られていることに対しての謝罪であった。

 

「いや、構わん。儂が終わらせよう」

「マスターが? 解りました皆、下がれ」

 

 ガルムスの言葉に、ベルは即座に兵を下げた。心配など必要が無かった。彼女の主は戦鬼であり、勝利は約束されている。凄まじい強さを誇っていた獣人とは言え、戦鬼に勝てる道理は無かった。

 

「凄まじい武よ。だが、それだけだ」

「ぐうううう、うがあああ!!」

 

 ガルムスと、ネネカが相対した。無傷のガルムスと、満身創痍のネネカ。勝負など、火を見るより明らかである。ガルムスが両の手に持つ斧槍を構える。それだけで、ネネカは対峙する敵の強大さに気付いた。目の前の化け物には勝てはしない。獣の本能が、瞬時に悟った。吼える。ザフハの勇者として、部族長としての誇りが引く事を許さなかった。

 数舜の膠着。ネネカから、仕掛けた。一足飛びからの打撃。ガルムスは、ただその身で受け止めた。

 

「見事な武よ」

 

 そう静かに呟く。微動だにしなかった。戦場が、数舜固まったかのようであった。

 

「強き娘よ、さらばだ」

 

 そのまま斧槍を振り下ろ――

 

「マスター」

「ぬぅ!?」

 

 ――せなかった。

 

 ベルの叫び声が上がる。馬蹄が響いていた。弓、静寂に包まれた間隙を突き、飛来する。その数、数百。ガルムス率いる部隊に向け、放たれた。

 

「喝っ!」

 

 ガルムスの気合いを込めた一閃。轟音、大地をも砕くソレが、迫りくる矢を撃ち落した。漆黒、駆け抜けていた。真紅、疾風の如く駆ける騎馬隊の中で、淡く輝いている。縦列に並んだ漆黒の騎馬隊が、騎射による接射を仕掛けていた。驚くべきは、その速さであった。まるで、一頭の獣であるかの如く、駆け抜ける。ザフハの軍を獣と称するならば、その騎馬隊は黒き獣であった。

 そのまま騎馬隊が二つに別れ、小さく纏まった軍と、大きく纏まった軍に別れる。そのまま小さな騎馬隊が向かって疾駆し、大きく別れた騎馬隊が側面に向かい騎射を放つ。

 

「皆、隊列を組みなおせ! 騎射、来るぞ!」

 

 ベルが叫び声をあげる。突如現れた騎馬隊に応戦するため、部隊の指揮を執っていた。ガルムスは、ただ一点を見据えている。小さく纏まった騎馬隊の指揮官であった。

 

「来る」

「マスター? ッ、皆、構えろ、来るぞ!」

 

 ガルムスが呟く。小さく纏まった騎馬隊が、さらに速度を上げた。ベルが、叫んだ。至近距離からの接射。ガルムスまでの道が開けた。騎馬隊。駆け抜ける。突っ込んだ。

 

「戦鬼、ガルムス。この娘は返して貰う」

「好きにするが良い」

 

 交錯。斧槍と魔剣がぶつかり合っていた。漆黒の騎馬隊。満身創痍の姿で立っていたネネカを、二騎で抱え上げていた。そのまま勢いを殺さず駆け抜け、混乱する陣の中を迅速に後退し始める。そんな中で、二人の男が静かに睨み合っていた。漆黒から見える真紅、淡く輝き靡いていた。

 

「だが、貴様は逃さん!」

「元より、そのつもりだ」

 

 刃、再びぶつかり合う。凄まじい衝撃、辺りに鳴り響いた。

 

「将軍!」

「マスター!」

 

 戦鬼と漆黒。互いの副官が、声を荒げた。

 

「全軍、行け。振り向く事無く、駆け抜けろ!」

「ベル、手を出す事、罷り成らぬぞ!」

 

 将が、叫んだ。その気迫の下に、互いの部下は何も言えず、言われた通りにするしかなかった。そのまま、息を突く暇も無く、武器を交わらせる。漆黒は魔剣と槍。戦鬼は両手に持つ斧槍。火花を散らせる甲高い音が鳴り響き続ける。数舜のうちに、十数合を打ち合っていた。指揮官同士の一騎打ち。途切れていたソレが、再び始まった。

 




原作主人公より先に出ちゃいました、ガルムス元帥。あの武勇を表現できるように頑張ります。


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7話 切り札

  戦場を駆ける。前方ではすでにネネカ・ハーネス率いる獣人部隊が戦闘を開始していた。ソレを見詰めながら、野を駆け抜ける。歩兵とは思えない速さで接近され、崩れたメルキア軍の側面を狙う。そして、弓を構え矢を番える。騎射。我が麾下の精鋭に、弓を持たせていた。騎馬隊の機動力に加え、遠距離攻撃のできる弓。相性は抜群であった。駆けながら、放つ。

 合同訓練では用いる事が無かった戦法である。弓矢はその攻撃の特性上、手加減と言うのが難しく、死傷者を出し過ぎるために、用いる事は無かった。だが、今は実戦であった。それ故、加減をする必要はないのだ。故に、駆けに駆けながら、矢を放ち続ける。それだけで、面白いようにメルキア兵たちは崩れ落ちる。

 

「おかしい」

「ですな。幾らなんでも、歯ごたえが無さすぎます。キサラの精鋭とは思えませんね」

「気になるな。一度、下がるか」

「御心のままに」

 

 違和感だった。弱すぎるのだ。キサラ領と言うのは魔族の侵攻が激しい土地であった。それ故、其処に配属されている者たちは皆、百戦錬磨の筈なのである。それが、呆気なさすぎるぐらいにやすやすと突き崩せた。前方を見る。ザフハの兵たちが次々とメルキアの旗を落としていく。確かにザフハの兵は好戦的であり、その力は大きいと聞いていたが、メルキア最強の軍がこうも一方的にやられるであろうか? 答えは、否である。少なくとも、センタクスに所属していた時の自分が指揮をしたとしても、此処まで無様にやられる事は無いからだ。

 考えれば考える程、嫌な予感が増した。俺たちの部隊は、前線を駆け抜けていた。後方に、アルフィミア率いる本体が詰めて来ている。伝令を出すべきか、直接向かうべきか、数舜考え込む。

 

 ふと、メルキア軍の兵士を見た。そして、気付いた。

 

「そう言う事か。カイアス、一度下がるぞ。この後、戦線が崩れる」

「ッ、承知!」

 

 一度下がらねば、総崩れになる。そう、確信した。前線に出ている部隊にソレを告げる暇は無かった。駆ける。ザフハの総大将、アルフィミア・ザラの下に向かい、一直線に駆けた。

 

 

 

 

 

「戦鬼と言ってもこの程度か……。皆、臆する事は無い、掛かれ」

 

 アルフィミアは前線の様子を眺めながら、呟いた。戦鬼と名高いガルムス・グリズラー率いるキサラの精鋭達が行軍してくる。ソレを聞き、即座に前線に赴き、アルフィミア自ら戦場の指揮を執る事にした。前衛にはネネカを中心にザフハの中でも特に動きの良い部隊を配し、どのような精鋭が来ても迎え撃てるように準備を整えていたのだ。構えは、万全であった。キサラの兵の強さがどれ程かは解らないが、みすみす敗北するような陣営では無かった。

 そして現実に、ザフハ軍は優勢を維持している。ザフハの兵は獰猛故、少しばかり前に出過ぎる傾向があり負傷者も多数出ていたが、それ以上に敵兵を倒していたのである。戦が始まってまだそれほど時間が経っていないが、戦況は終始ザフハの優勢で進められていると言ってよかった。

 

「相変わらず、ネネカの部隊は凄いな」

 

 前線の中でも、一際突き進んでいる一隊を見て、アルフィミアはそう漏らした。敵陣を穿ち、突き進んでいた。その歩兵としては速すぎる機動力で虚を突き、前線を撹乱し突き破る。ソレがネネカの部隊の強みであった。欠点としては、味方と比べても速すぎる為孤立してしまいがちな事だが、ネネカはザフハ位置と言っても良い程の武勇の持ち主であり、その配下である獣人たちもまた、使い手であった。その為、多少囲まれたとしても、切り抜けてしまうのである。ネネカの部隊が囲まれるのは何時もの事であったのだ。そして、それを自力で何とかする実力も持ち合わせているのが、ネネカ・ハーネスと言う少女であった。

 それ故、アルフィミアはネネカのみを必要以上に案じる事は無かった。それだけ、信頼していたのである。

 

「うん? アレは、ユイン・シルヴェストの部隊か?」

 

 漆黒の騎馬隊が、駆け抜けてくる。その速度は、ネネカの部隊を以てしても追いつけないほどである。幾ら獣人とは言え、原野で馬に足で勝てる道理は無かった。だからこそ、それ程の速さで駆ける騎馬隊は見事だと言えた。良く訓練されているのだろう。アルフィミアはそう思った。

 

「失礼する」

「どうした、ユイン?」

 

 戦は、優勢であった。アルフィミアとしても拍子抜けではあったが、それならばそれで構わなかった。警戒すべきは虚を突かれる事だろう。それ故油断なく構えてさえいれば、負ける要素は無いように思えた。

 

「このままでは、ザフハの前線は崩壊、潰走します」

「……穏やかではないな。詳しく聞かせて貰おう」

 

 そう思っていたからこそ、ユインの言葉は寝耳に水と言ったところであった。ザフハの他の将が言ったのならば、捨て置いた。元々ザフハの軍に知略と言うものはあまり重視されていなかったのだ。それ故、ザフハの者が言う事は、たいていアルフィミアの想定の下を行く。しかし、今回の相手は自身が認めたユイン・シルヴェストの言葉であった。それ故、アルフィミアは詳しく話を聞こうと思ったのである。

 

「敵の先陣は囮、もしくは死に兵です」

「ほぅ……その根拠は?」

 

 ユインの言葉を聞き、アルフィミアはただ促す。認めたとはいえ、彼の者の言葉にどう言う根拠があるのかを聞かない限りは、信用できるか解らなかった。

 

「アレは、キサラの兵では無く。センタクスの兵です」

「成程、そう言う事か」

 

 ユインの言葉を聞き、アルフィミアは即座に理解した。元々、ユインはメルキア帝国の東方元帥であるノイアスの配下であった。それ故、センタクスの兵についてはこの場にいる誰よりも詳しかった。

 

「だが、それを鵜呑みにすることはできないな」

「何故、でしょうか?」

「ふふ、此処で我らを裏切り、メルキアに戻ると考えられんことでもない」

「ソレは、あり得ませんね」

 

 告げた。言葉では信じられ無いと言っているが、信じても良い。アルフィミアはそう考えていた。報告により聞いていたユインのユン・ガソルへの忠誠度は、予想以上のものであったのだ。それ故、裏切りは無いと思えた。だが、試す。ソレは、上に立つ者の性のようなものであった。そんなアルフィミアの思惑を知ってか知らずか、ユインは即座に否定した。

 

「ほう、それはなぜか?」

 

 面白い男である。アルフィミアはそう思いながら、尋ねた。

 

「その気であるならば、既に貴女はこの場に倒れ伏しているでしょう。だが、貴女は生きている。此れが証拠です」

 

 ユインは表情一つ変えることなく言い放った。自分がその気ならば、アルフィミアは今この場に生きてはいないと。同盟軍の総大将に向かって、臆することも無く言い放っていたのである。それが、アルフィミアにとって痛快だった。

 

「ふふ、確かにそうだ。私にがこの場で生きているのが何よりの証拠だな。非礼には非礼をか、ならば謝る必要はないな」

「そう言ってもらえると助かります」

 

 アルフィミアは、そう言うと軍に指示を出し始める。敵陣深くに入り込んだ朋友たち。ソレをいかに救いだし、かつ被害を抑えるかと言う事を瞬時に考えたのである。指示を出す姿に、迷いは無かった。

 

「ユインには、ネネカの救出を頼みたい。ユン・ガソルの者に頼むのは筋違いだが、ネネカがいない今それと同等かそれ以上に動ける者がいないんだ」

 

 そう言い、アルフィミアは頭を下げた。他国の軍に頼むのである。誠意を見せたわけである。

 

「承知しました。我が武勇、如何様にもお使いください」

「すまない。私の妹を、頼むよ」

「では、失礼します」

 

 そう言い、ユインはアルフィミアに背を向け歩き出す。やがて、その姿が見えなくなった。

 

「ネネカ。こんなところで死ぬんじゃないぞ」

 

 アルフィミアの呟き。それだけが木霊した。

 

 

 

 

 

強い。刃を交わり合わせ、切実なまでに実力の差を実感していた。相手はあのメルキアの戦鬼と誉高い、ガルムス・グリズラーであった。

 

「流石は、戦鬼か」

「ふん、貴様こそ、若輩にしてはやるではないか。見直したぞ」

「戦鬼に褒められるとは、光栄だな」

 

 戦えない事は無かった。斬撃の軌道を読み、それに対して力に逆らわずに受け流す事で、衝撃を逃がしているのである。まともに打ち合えない事は無いが、それをすれば自身の武器が持たなかった。魔剣は問題ないが、槍は兵士たちの持つソレと大差がないのである。それ故、受け止める訳には行かないのである。そのような事を試みたら、数合で武器を折られるだろう。迫りくる斬撃はそれほどの圧力を持っていた。

 故に、技量のみで凌ぎきる。それが、この場でできる事であった。

 

「だが、儂を相手取るにはまだ未熟!」

 

 しかし、彼我の実力差は埋めがたいモノであった。兵たちの目には互角に見えている争いも、ベルのような実力者から見れば、凌ぎあいはガルムスに軍配が上がっているのが容易に解る。打ち合っている本人にすれば、よりその差は明白に感じられる。暴風のような斬撃の嵐に、額から汗が零れ落ちる。何十と打ち合っているうちに、義手をしている左手の反応が僅かに遅れた。ソレは一騎打ちをする俺たちにとって、致命的な転機と成り得る。左手に持つ魔剣、大きく弾かれた。頭上高くを、舞った。そして、戦鬼の一撃が迫る。

 

「そんな事は、解っているッ!」

 

 即座に槍を捨て、右手で手綱を殴るように落とした。愛馬、迫りくる戦鬼の覇気と、俺の意を解し、倒れ込むように伏せた。左手に魔力を集中させる。斧槍、愛馬が倒れ込んだ勢いで舞った髪を数本切り裂いていた。だが、刃は頭上を通過したにすぎなかった。人馬一体。ソレが自身の最大の強みであり、唯一戦鬼にも勝るものであった。

 

「……見事」

 

 戦鬼が斧槍を振り抜いたままの姿勢で、驚嘆するように呟いた。自身は全力を尽くしていたが、この化け物と称すに相応しき男は、今ですら余裕を感じさせていた。底が見えない。そう思った。だからこそ、血潮が滾り、心が躍る。自身の超えるべき壁の高さに、死線に晒されていながらも、心は狂喜していた。この超えるべき男に出会わせてくれた事に、最大限の感謝を。何にでもなく、ただ、これ程までの男と出会わせてくれた時勢に感謝の念を送った。

 

「まだ終わらんぞ、戦鬼。その身、穿たせてもらう」

「ぬぅ?!」

 

 左腕、集中させた魔力を引き摺り下ろすかのように振り下ろした。空高くを舞っていた魔剣、稲妻のように戦鬼の頭上に降り注いだ。魔剣は、騎馬隊を率いる将だけの為に作られたモノであった。馬上で武器を落とした時、回収するのは至難である。それ故、例え手から離れたとしても、操る術があった。ソレを利用した一撃。これには、さしもの戦鬼も虚を突かれたのか、間一髪で飛び退った。

 

「外した、か……」

「面妖な技を使う。だが、それをあの状況で実行に移す胆力、賞賛に値しよう」

「貴方こそ、悉く私の上をいかれる。流石は戦鬼と謳われる武人だ」

 

 間合いを取り、どちらとも言わずに言葉を交わらせた。自分らしくないが、自身よりも遥かに強き者。そんな男と言葉を交わしたいと、本能が求めたのかもしれない。そう、思った。

 

「名は?」

「ユイン・シルヴェスト」

「ほう、貴様がノイアスの部下でありながら、ユン・ガソルについたと言う男か。ノイアスの部下と言う事で、どれほど下らぬ男かと思っていたが、その認識を改めよう」

「光栄だな。ならば、その認識を、更に変えて見せよう」

 

 右手に、魔剣を持ち、左手に予備の剣を持つ。槍は既に投げ捨てていた。息が、僅かに乱れている。此処までは何とか凌いだが、戦鬼の強さの底は、未だ見えない。雲の上の強さ。ソレを感じた。面白い。そう、思った。それでこそ、命を、『誇り』を賭ける意義がある。そう、思えた。

 

「面白い、やって見せろ。ユイン・シルヴェスト」

「我が誇り、その身で味わうが良い。戦鬼、ガルムス・グリズラー」

 

 首に巻き付けた真紅の布。ソレを外し、左手に巻き付ける。左手は既に失っており、自身のものでは無く、義手であった。その為、我が身から離れたことで、麾下達に届いている加護が、消えた。魔剣、天に掲げる。魔力、凄まじいまでの奔流を巻き起こした。これが、自身の切り札であった。

 

「原野を駆けた数多の兵よ、騎軍を率いし気高き英霊たちよ。幾千の原野を駆け抜け、我と共に在る剣を依代に、此の身に宿りて今再び竜をも滅ぼす武威を示さん」

 

 ソレを躊躇なく、切った。魔剣を用い麾下に施す魔法は、言うならば群用の魔法であった。ソレを個に、いや、一人と一匹に向けて解き放つ。瞬間、暴風のような魔力の奔流が、自身の中で暴れているのを感じた。許容量を遥かに超えている。誰の目にも明らかであった。普段ならば仄かに煌めく程度の光が、今は黒く禍々しい程の輝きを以て、我が身に宿っていた。

 

「長くは、持たないか……」

「マスターッ?!」

 

 呟く。それだけは、解っていた。この身に宿した膨大な魔力に気付いたのか、魔導巧殻であり鮮血の魔女の異名をとるベルが、叫んだ。

 

「何も心配する事は無い。ベルは黙って見ているが良い」

「そうか、ならば駆けさせて貰おう、凄絶に、な」

 

 呟き、駆ける。戦鬼には、何の気負いも無かった。強い男だ。そう、痛感させられる。静寂の中に、馬蹄が響く。神速。騎軍を率いた英霊たちの加護を受けし、人馬一体の攻め。それだけを武器に、駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

魔力が、身体を迸る。全身が悲鳴を上げていた。それ程にまで体を酷使する事で、力を手にした。だが、この力は尋常では無い。故に長くは持たないものである。それ故、仕掛けるならば短期決戦である必要がある。そうユインは思った。両の手に剣を構え、馬腹を蹴り、駆けた。疾駆と言うのすら憚られるほどの速さ。黒き輝きをその身に纏い駆ける様は、何処か見る者を不安にさせる程に感じさせるモノがあった。

 

「……ッ」

 

 ユインはただ、無言のまま武器を振るう。声を発する余力すらなく、ただガルムスを倒すためにだけ剣を振るっている。そんなユインの意思を機敏に感じ取り、愛馬が実に絶妙に駆け抜ける。騎馬の疾駆により、数倍にも膨れ上がった圧力を、ガルムスは悠然と受け止める。人馬一体の攻め、それを以って戦鬼に挑んでいた。

 

「ぬぅ!」

 

 神速の一撃。ソレがガルムスに襲い掛かる。ユインの限界を遥かに超えた力であった。ソレを以てして、漸く僅かにガルムスを傷つける事ができていた。

 

「マスター!?」

 

 悲鳴のようなベルの声が響き渡る。戦鬼の傍らに立ち、戦い続けたベルである。彼女はガルムスの武を誰よりも間近で見続けてきた。万夫不当と言うに相応しい強さであった。その主が押されている。ソレが、信じられなかった。そう、ベルには見えていたのである。

 

「もう一度言う、ベルよ。手を出す事は罷り成らん」

「しかし、マスター!」

「くどい。儂を信じろと言っている」

「ッ!?」

 

 手を出そうとするベルをガルムスが一喝した。それにより、ベルは何もできなかった。

 

「その一撃は速く、重い。理想とする攻めであろう。だが――」

 

 騎馬が駆ける。黒を纏う漆黒。戦鬼に向かい、駆けた。

 

「お主と儂では、年季が違う」

 

 交錯。互いの刃がぶつかり合う。鮮血が舞った。

 

「ッ!?」

 

 剣が音を立て崩れていた。左手に持つ予備の剣が、戦鬼と黒がぶつかり合う負荷に耐えられなかったのである。ガルムスは右手に持つ斧槍で剣を圧し折り、左手に持つもう一方の斧槍でユインの腹部を一閃した。

 

「かはっ……」

 

 ユインの口から、血が零れた。そのまま折れた剣を落とすも、馬首に縋り付くように倒れ込む事で、落馬せずに済んでいた。愛馬が唯、駆け抜ける。既に黒き輝きは失われ、光を失った人馬が駆け抜けていく。ソレをただ、ガルムスは見送っていた。

 

「マスター! 手当を……」

 

 ベルがガルムスの傍らに来た。そして肩についている一筋の赤い線を見て、声を荒げた。戦鬼が確かに傷を負っていた。

 

「この程度、どうと言う事は無い。それよりもベルよ、追う事は許さんぞ」

「何故ですか、マスターを傷つけた相手です! 今ならば、討てます」

 

 ガルムスの言葉に、ベルは抗議の声を上げる。幾ら尊敬する主の言葉とは言え、従う事に抵抗があった。そんなベルを見て、ガルムスは静かに言葉を続ける。

 

「男が、儂を一人の男と見込んで誇りを賭して、挑んできた。人馬一体の見事な武勇であった。あれほどの武人、そうはいないだろう。何よりも、人と馬、その絆が見事であったのだ。見えたか? 小僧が振り落とされそうになるのを、馬が身を挺して支えていた。そのまま、手綱を操っている訳でも無いのに拘らず、駆け去って行ったのだ。それ程までの絆を持つ者達を追うのは無粋だ。戦鬼の名において追う事を禁ずる」

「……しかし」

「元帥として愚かな事を言っているのは、解っておる。だからこそ次に会いまみえる時は、儂がもう一度倒そう。それで、良い」

「はい……」

 

 ガルムスの言葉に気圧されたベルは頷くしかなかった。双方ともに、武人であったのだ。武人同士の戦いがあり、ソレに何かをいえるとすれば、その当事者しかいない。今のガルムスには何を言っても無駄であると、ベルには理解できた。

 

「ユイン・シルヴェスト、か」

 

 ベルは、主に認められた男の名を刻み込んだ。それだけ、ユインの見せた苛烈なまでの戦いが印象に残るものであったのだ。 

 

「良き、漢であったわ。あのような漢が、なぜノイアスに仕えていたのかが気になるが、考えても詮無きことか」

 

 ベルの呟きに、ガルムスはそう答えた。愚直なまでに、強さを見続ける男。そんなユインに、ガルムスはどこか懐かしいモノを見たような気がしていた。

 

 

 

 

 

「将軍!?」

 

 馬が、ユインを背に乗せ駆けているのを、麾下であり副官であるカイアスが見つけた。彼の上官であるユインは腹部を一閃されており、そこから血が零れ落ちている。致命傷ではなかった。ユインが切られる瞬間に、愛馬がわずかに間を外す事で、直撃することを僅かにだが避けていたのである。それ故、死を免れないと言うほどの傷では無かった。とは言え、楽観できる訳ではない。寧ろ、早急に手当てをしなければ、長くは持たずに死を迎える。それぐらいの傷ではあったのだ。即座に応急処置を施し、ザフハの軍が野営する地に向かった。戦は、ザフハの敗北で終わっていた。

 

「ぐぁ……」

 

 ユインの口から、呻き声が漏れる。痛みを考慮する程の余裕は無かった。致命傷まではいかずとも、かなりの深い傷だったのである。ネネカを救い出した時と同じように、二人掛かりで運んだ。鎧は、すべて外していた。

 

「将軍を死なせるわけにはいかん、駆けるぞ」

 

 麾下達が、静かにうなずいた。皆、上官の事を慕っていたのである。それ故、わき目も振らずにザフハの軍営に入った。

 

「お前たちは……」

 

 疲れ切った顔のネネカに出会う。全身傷だらけであったが、深い傷と言うものは無く、体力が満ちればある程度動く事はできた。それ故、やる事も無いので負傷兵の世話をしていた。

 

「将軍を、助けてほしい」

「っ、こいつは……。解ったネネカたちに任せろ」

 

 麾下達が言うと、ネネカは少し驚きつつも、受け入れてくれた。

 

「将軍を、頼む」

「大丈夫だ。ネネカだってまだ礼を言っていない。だから、ザフハが絶対助ける」

 

 ネネカは、ユインとその麾下に借りがあった。だから、死なせるわけにはいかない。そう思っていた。だからそれだけ告げ、その場を後にする。目を覚ましたら、礼を言おう。その後、殴ってやろう。ネネカはそんな事を思った。




何故か中盤がおかしい事になってたので、修正しました
話の流れとしては、ネネカが敗走する少し前の話と、前回の続きになります。


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8話 譲れないモノ

 目が覚めて、最初に感じたのは違和感だった。全身が気怠く、身体を動かすのも億劫に思える。このまま眠ってしまおうか。そんな事をぼんやりと考える。なんとなく左手を動かす。問題無く、持ち上がった。

 

「む……。ああ、そうか、私は敗れたのか」

 

 左手を動かして見て、気付いた。義手をしている左手に違和感を感じた。反応が、何時もよりも遥かに悪いのである。動かす事はできるが、思っている動作をするのに、間が一つ二つ空いてしまっていた。生活するだけならば不自由なだけで済むが、良いか不幸か、自分は軍人である。つまり、戦う事が仕事なのだ。これはまずいな。そう、思った。どうも、思考がうまく纏まらなかった。

 

「ん……。あ、……、ふぁぁ、ん、起きた、のか?」

「おや、貴女は」

 

 傍らで、可愛らしい欠伸が聞こえた。動くのも怠く、頭もいまいち回らないため、視線だけで声の主を見る。金色の髪が特徴的な可愛らしい獣人の少女が、床に膝をつき、寝台に上体を覆いかぶせるようにして、此方を見ていた。寝起きなのか、しょぼしょぼと瞳を擦りながらこちらを見てくる様は、素直に愛らしく思えた。そうか、この娘は生き残る事が出来たか。ならば、勝負には負けたが試合には勝つ事ができていた。麾下達を先行させ、自身が単騎で戦鬼の足止めをした甲斐があった。そう、思えた。

 

「あの……、傷の具合はどうだ?」

「傷、か」

 

 少女――名を確かネネカと言った。――は俺の様子を見詰めながら、どこか遠慮がちに聞いてきた。言われて、自身の状態を確認してみる。全身が気怠く、熱い。何をするのも億劫である。そう感じる。特に腹部に感じる熱は凄まじく、熱さとも痛さとも取れない感覚が続いていた。思考もどこか霞がかったように定まらず、ぼんやりとしている。左手は既になく、変わりにつけている義手は、戦鬼との戦いでどこか痛めたのか、反応が悪い。もしかしたら、そのうち動かせなくなるかもしれない。そう思った。右腕は、動かす事は可能だが、少しばかり痺れが残っている。とは言え、他に比べればマシであると言える。

 

「最悪、と言ったところだ」

 

 静かに告げる。自身の体は今、最悪と言っても差支えない程の負荷を負っていると言えた。情けない。素直にそう思った。相手は戦鬼ガルムスであった。勝てないまでも、良い戦いならば可能だろう。そう思って挑んだ。結果は、文句のつけられないほどの、敗北であった。自分の力を過信していたつもりは無かった。だが、驕っていたのかもしれない。敗北を喫した時点でようやくソレに気付く事が出来た自身の愚かさに、嫌気がさした。

 とは言え、収穫が無かったわけでは無い。今はまだ届かなかったが、決して届かないとは思わなかった。敗北を喫したが、真の意味で負けた訳では無かった。誇りはまだ、失ってはいないのである。ならば自身はまだ戦える。そう、思った。

 

「……そう、か」

 

 俺の言葉を聞いたネネカが、絞り出すように言った。獣人特有の獣の耳が、へたりと垂れており、尻尾も力なく項垂れている。戦鬼ガルムスと刃を交える事が出来たのは、僥倖だったと言える。だが、それは俺の都合であり、彼女はそう思っていないのかもしれない。自身はネネカを助けるために戦鬼に挑み、敗れた。直接的な原因を作った自分を責めているのかもしれない。そんな事をぼんやりと思う。何か言葉をかけてやるべきなのだろうが、気の利いた事は言えないのが、自分である。ただ、瞳を閉じた。

 

「傷が、沢山あった」

 

 ネネカが、絞り出すように言った。目を閉じたまま、言葉にだけ意識を移す。沈んだ声音であるが、負傷した身体には、どこか心地よく感じる音であった。

 

「お前が運び込まれて、衛生兵の下に連れて行ったとき、服を脱がせた。お腹に受けた深い傷が目に入った。ちが、沢山出てたんだ」

 

 戦鬼ガルムスに斬られたモノだろうか。切り札を切り、愛馬と共に全力を尽くし、負けた。誇りを賭して挑んだ。それでも、負けた。相手はそれほどの漢であった。その漢と武を競い合わせられた事は、大きな収穫であり、自身を見詰め直す、転機であった。

 

「言葉を失った。けど、それは血を見たからじゃないんだ。傷が、多すぎた。背中や肩、腕や腿、左手なんか、無かった」

 

 センタクス敗戦の時や、それ以外の戦いでの傷だろう。自分が弱かった故にできた傷であった。だが、恥とは思わない。その傷を負うほどの出来事があったからこそ、今の自分の強さがある。傷を負わされた事については恥じ入る事もあるが、傷を負った事に関しては恥に思う事は無い。傷は勲章と言うが、そのとおりである。そう思えた。

 

「中には、包帯の上から赤くなっている傷も見えた。ネネカたちと出会った時から、怪我をしてたんだろう。出会った時は解らなかったけど、衛生兵と一緒に見てそれに気付けた」

 

 傷を癒す暇など、無かった。動けるだけ回復すれば、王に軍の調練を施す許可をもらった。眠っている時間など、惜しかった。麾下の多くを死なせた。そんな自分は生き残った。王には感謝しているが、麾下を死なせた自分の弱さは、許す訳にはいかなかった。それ故、強さを求めた。無論それだけでは無い。それは、自分の在り方であった。敗北し、生き残ったことで、強さを求める理由がより強くなったのである。だからこそ、身体を癒す時が惜しかった。自身の体が時を必要とするならば、自身の手足となる麾下達を強くするのが、何よりも必要だったのだ。そして彼らは、期待によく応えてくれたと思う。目の前にいるネネカ救出と言う面で見れば、文句の付けどころのない結果を出す事が出来たのだから。

 

「そんな体だったのに、どうしてお前は戦えた。どうして、ネネカが勝てなかった戦鬼と渡り合う事が出来たんだ?」

 

 それは、純粋な疑問だったのだろう。静かに聞いてくるが、どこか切実な思いが感じ取れた。

 

「譲れないモノがある。命と同じぐらい、もしかしたら命以上に大事だと思える、それ。それを守るためならば、何も恐れる事は無かった。だから、私は戦えたのだよ、ネネカ・ハーネス」

「ソレ、って言うのはなんだ?」

「誇り」

 

 瞳を開け、気怠い体を動かしネネカの目を見て伝える。腹部が、熱く脈打ったのを感じた。

 人には、誰しも譲れないものがあると思っていた。だから、それを守る為に戦った。そう、伝えたつもりである。上手く伝わっているかは、解らない。だが、それで良いと思った。伝わるかは解らないが、自分は譲れないモノのために戦った。その事実だけは残るだろう。ならば、それで良いのだ。

 

「少しばかり、疲れた」

「傷が、響くのか?」

「大じょ――ッ、ごほごほ」

 

 最後まで言葉を紡ぐことができなかった。咳が漏れた。ソレを比較的自由の利く右手で覆うように隠す。

咳は直ぐに止まった。右手を見る。僅かにだが、紅く染まっていた。戦鬼との戦いで、臓腑まで被害を受けたのだろう。口の中から、鉄の味が広がっていた。ならば、体調の悪さは鎮痛薬が効いているのだろう。そう思った。口元についた血を、手で拭う。

 

「くく、大丈夫では無いようだ」

「……ごめん。ネネカの所為で」

「謝る必要などない。戦場で皆が成すべき事を成した。だが、恩義を感じると言うのならば、いつの日か、私が窮地に陥った時、助けて貰えると有りがたいな」

 

 戦場で、誰かを助けると言うのは当たり前の事であった。余力が無い場合は別だが、その余力があったのだ。だからこそネネカを助けた。それは、恩義を感じる事では無い。そう思うが、自分とネネカはそもそも所属する国が違っている。一時的にだが同じ旗の下に戦った。それだけであり、本来は別の者を主と戴くのである。だからこそ、気にするのだろう。それ故、妥協案を出した。果たす時など来ない。そう思うが、ネネカを納得させるにはそれで良いと思った。

 

「解った。ユインが危ないときは、ネネカが助けに行く」

「期待させてもらおうか」

 

 ネネカの言葉に満足できた。瞳を閉じる。少女がどのような顔をしているのか解らないが、暗い表情では無いだろう。そう思えた。

 

「すまないが、休ませてもらう。流石に、疲れたようだ」

「ああ、解った。ゆっくり寝てくれ」

 

 傷を負ったまま長く語った。体の外にも内にも傷跡が残っている。ソレを癒さねばまともに動けないだろう。そう、思った。動けるようになるまで、少しでも気を充実させよう。そう思い、瞳を閉じた。身体が熱い。だが、それは生きているのだ。ならば、恐れる事は無い。そう、思った。

 

 

 

 

 

 

「これは、予想外の方がおられる」

「すまない。用があったのでな、着てしまった」

 

 目を覚ますと、人の気配を感じた。少し体を動かす。先ほどの様な気怠さは無かった。ただ、体が熱い。生きているのだ。ソレを実感した。視線を移す。アルフィミア・ザラが佇んでいた。言葉を交える。

 

「用とは?」

「そうだな。その前にまずは現状を話そう。ザフハはメルキアに敗北し、ヘンダルムを放棄しクルッソ山岳都市方面まで後退した。とは言え、この地で勢いに乗った戦鬼率いるメルキアを迎え撃つのは難しく、グラントラム大要塞まで下がらざる得ないかもしれないな」

「そうでしたか。申し訳ありません。大口を叩いておきながら、自分は何も成せませんでした」

「そんな事は無いさ。戦鬼から、ネネカを救ってくれた。負傷こそしたが、部隊自体もほぼ無傷だった。戦鬼を相手にしてそれ程の成果を出した。と考えるべきだと思う」

 

 本題に入る前に、現状を伝えられる。結局予見した通り、ザフハの戦線は崩され、敗走に追い込まれたと言う事であった。解っていながら、その状況を覆せなかった。情けない。素直にそう思った。アルフィミアは成果を出したと言うが、それだけではダメなのだ。成果を出したとしても、国が滅べば意味などない。ザフハの敗走は、そのままセンタクスへの脅威を防げなかった事に繋がる。それは、自身にとって敗北だと言えた。

 

「それでも、敗れたのです。私はそう思う事にします」

「ふふ、お前は頑固な男なのだな。それならそう思っておくと良いさ」

 

 アルフィミアは苦笑しながらそう言った。過ぎた事であるが、敗北したと言う事は自分に知らしめる必要がある。そう、思っていた。頑固ととられるのも仕方が無いのかもしれない。

 

「ならば、私はセンタクスに戻って、メルキアに備えなければなりませんね」

 

 現状を聞いたところで、すぐさま次にすべきことを考える。幸い、ヘンダルムはセンタクスの隣である。現在地はどちらかと言えばクルッソ山岳都市の付近であるが、麾下ならばその速さを以て容易く通過できると踏んでいた。先の戦で、自分の部隊はどの部隊よりも早いと言う事が、実感できたのだ。多少危険ではあったが、そうする事でセンタクスでの決戦には間に合わせる事が出来る、そう見当をつけていた。

 

「それは、無理だろう」

「何故でしょう?」

「センタクスは既に陥落している」

「な、に……?」

 

 故に、アルフィミアの言葉に思考の隙を突かれたかのように固まった。目の前の女は何を言っているのだ、思考の間隙を突いたその言葉に、思わそんな言葉を零しそうになる。だが、アルフィミアの目は冗談を言っているようには見えなかった。

 

「……真ですか? エルミナ様が、既にメルキアに敗れたと?」

「そうだ。キサラでは無く、ディナスティから出た部隊の奇襲により、奪還されたと言う報告を受けている。何よりもユン・ガソルの王から直接書簡が来たよ。状況が変わったから、ユインを早急に戻してくれとな」

「見せて貰えますか?」

「構わんよ、コレだ」

 

 アルフィミアから書簡を受け取る。

 

「確かに、本物のようですね」

 

 確かにそこには、自身を招集する旨が書かれていた。そしてザフハ領を通過し、レイムレス城塞に拠る様にとも綴られている。

 すぐにアルフィミアに書簡を返す。あまりの事で、情報が足りなかった。だが、一つだけわかったことがある。三銃士の一人である、エルミナ様が敗れ、王が我が力を必要としている。ソレが、事実であった。ソレが解れば、動くのには充分である。

 

「アルフィミア様、短い間ですが、お世話になりました」

「行くのか?」

「行かぬ理由がありません」

 

 寝台から立ち上がり、告げた。僅かに、視界が歪んだ。血が足りないのだろう。そう思った。アルフィミアは、そんな俺の言葉に、少々驚きながら尋ねてくる。愚問であった。自分は軍人であり、主がその力を求めているのだ。動かないと言う選択肢など、ありはしないのだ。

 

「戦鬼と交戦し負傷をしたと言う事を含めて、書簡で伝えてある。傷を癒してから発っても、大丈夫なはずだ」

「お心遣い、感謝いたします。ですが、嫌な予感がするのです。そうしなければ、取り返しのつかない事になる。それ程の予感が」

「言うだけ、無駄だろうか?」

 

 アルフィミアが少し困ったような顔をしながら言った。

 

「でしょうね。私は軍人なのですよ、アルフィミア様」

「そうか、そうだろうな」

「失礼します」

「せめて、武運を祈るよ」

 

 そして背を向け、歩き出す。視界がまた、一瞬黒く染まった。だが、直ぐに元に戻る。体調は、万全では無かった。戦鬼とやりあった直ぐ後なのである。悠長に回復を望める状況でもなかった。眠りから覚めた後も、気を貯め続けていた。それ故、倒れる事無く進む事はできる。それならば、問題などなかった。

 

「駄目だ、行ったらダメだぞ!」

 

 入口から勢いよく、ネネカが入ってきた。眠りにつく前、少しだけだが言葉を交わらせた少女であった。その娘が此方に向かって歩を進めてくる。手を振り上げた。

 

「ネネカ?」

 

 アルフィミアが不思議そうな声を上げた。以前のアルフィミアの言葉といい、この二人は仲が良いのだろう。そう、思った。

 

「……ッ」

 

 頬をぶたれた。左頬に僅かな痛みが走り、全身に衝撃が伝わる。三度、視界が暗転した。崩れ落ちる、そう思った。ソレを、気力を振り絞り、堪えた。やがて、視界が広がる。ネネカが俺を睨み付けていた。

 

「全然力を入れずに、叩いた。戦鬼と戦ったお前が、それぐらいも避けられないわけがない。それなのに、避けれなかった」

「……」

「そんな体で、何ができるんだ!?」

 

 ネネカが、瞳に涙を溜め叫んでいた。僅かな痛みと、焼けつく様な熱が、全身を包んでいた。彼女の言う通り、傷は深いのだろう。そう思った。

 

「それでも、行くのだ。主が、私を求めている。ならば、例えどのような状況であろうと駆けつける。それが私にできる事であり、成すべき事なのだよ」

「そんなの、おかしい。死ぬかも知れないんだぞ。それもお前の言う、誇りなのか?」

「そうなる」

 

 静かに告げる。ネネカは、更に声を荒げた。だが、意思を変える事は無い。これは自身の誇りなのだから。敵に敗れざる事であり、味方に敗れざる事であり、自身にすら敗れない。それが、『誇り』なのだ。故に、誰が何を言おうと考慮するに値はしない。顧みる必要など、無い。その生き方が俺であり、ユイン・シルヴェスト足り得るのだ。だからこそ、ネネカの言葉で意思が揺らぐ事は無かった。

 だが、少しだけ、ほんの少しだけだが情けなく思った。自分などの所為で、目の前の少女を泣かせた。傷を負うほど自分が弱くなければ、こうはならなかった。自分の弱さが、情けなかったのだ。

 

「ネネカ」

「……何だ?」

「また、会おう。次は、戦場以外の場所で」

 

 それだけ告げて、ネネカの傍らを通り過ぎる。短い付き合いだった。それなのに自身の事で涙を見せた。戦場では勇敢であり、果敢であった。だが、戦場以外では、面倒見の良い、心優しい子なのかもしれない。そう思った。そんな娘を、泣かせた。そして、顧みる事すらもしない。ソレが、俺なのだ。気の利いた事をいえなければ、言う気すらない。そんな男なのである。どうしようもなく、弱い。苦笑が漏れた。

 

「ッ、お前は、馬鹿だ。大馬鹿だ……」

 

 ネネカの泣きそうな声が聞こえた。ソレに応える事無く、天幕の外に出る。自分にはこの少女に応える言葉など、無かったのだから。

 

 

 

 

 

 

「行くぞ、カイアス」

「御心のままに」

 

 天幕の外で控えていた副官に、声をかける。居るのは解っていた。メルキアに居た頃から麾下であった、数少ない男。自分の最も信頼できる部下であった。

 

「肩を……」

「すまない、な」

 

 この男と麾下達の前では、虚勢など張らずとも良かった。ありのままの自分でいられるのだ。

 

「カイアス」

「何か?」

「私は……弱いな」

 

 だからこそ零れた、弱音。心を許せるからこそ、ソレを漏らせた。

 

「将軍は、強いですよ」

「そうかな?」

「あの、戦鬼にすら退かなかったのです。弱い訳がありません」

「そう、在りたいものだな」

 

 肩を借り、麾下達の前に姿を見せる。皆、此方を見ている。麾下達五百の野営地。この場こそが、自分の居場所なのだ。そう、思った。

 

「具足を、頼む」

「ここに」

 

 真新しい、漆黒の鎧。目の前に届けられた。ソレを、ゆっくりと時をかけ、身に着ける。麾下達に、自分の状態を解らせるためであった。全てを身に纏い、真紅の布を首に巻き付ける。血の匂いが、広がった。視界、一瞬途絶えた。しかし、倒れる事は無い。両の足で、その場に立っていた。

 

「戦鬼、ガルムスに敗れた。そして、ザフハすら敗れた」

 

 そのまま、言葉を紡ぐ。体が熱を放っている。特に腹部の違和感が強い。

 

「そして、センタクスすらも陥落したと聞く」

 

 告げた。流石に麾下達にも動揺が走った。数舜だけ騒めくも、誰ともなしに声を上げ、皆が黙り込んだ。自分やカイアスが態々声を上げずとも、動揺を打ち消せるほどに成長していた。口元が吊り上がる。強く、なったのだ。

 

「傷は深い。だが、王に招集された。我らの力が必要だと、そう言われているのだ。ならば、倒れている暇など、ない」

 

 麾下達は殆ど無傷と言ってよかった。言いつけを守り、キサラの兵とは直接ぶつからなかったのだ。故に、行軍するのに何の問題も無い。漆黒の騎馬隊。その力を十分に振るえる。そう思った。一度天を見上げた。星が出ている。美しい、星空であった。

 

「……行くぞ。王が呼んでいるのだ。動く理由など、それだけで十分なのだ。駆けに駆け、センタクスの借りを……返すぞ!」

「応!」

 

 愛馬。飛び乗り、その手綱を取る。視界が、紅く染まった。

 

「ッ?!」

 

 短く、咳が零れる。喀血。右手に熱いものが広がっているのを感じた。愛馬が、嘶いた。寂しげであった。すまない。そういう思いを込め、一度頭を撫でた。愛馬の全身が震えた。この身を案じながらも、我が意を汲んでくれているのが、解った。

 

「将軍」

「言うな、カイアス」

 

 副官が、此方を見て告げた。副官であるが故、自分の体の状態を麾下の中でも一番良く知っていた。それ故、言葉を遮る。

 

「……解りました」

「すまんな」

 

 この男もまた、俺の意思を汲んでくれた。相棒だけでは無く、部下にも恵まれた。何かを言いたそうにしながらも、黙って此方に従う姿を見てそう思った。この男がいれば、自分が倒れたとしても麾下達が崩れる事は無い。そう、思えた。

 

「ですが、全てが終われば。王に頼み込んででも、安静にしてもらいます」

「ふ、お前も言うようになった」

「将軍に鍛えられたのです」

 

 カイアスの言葉に両目を閉じ、にやりと笑いながら返す。それに副官も当然の如く答え、後方に控えた。自分には勿体ないぐらいの副官である。目を閉じたまま、全身に気が充実するのを待つ。直ぐに、準備は整った。

 新たな槍を、水平に構える。それだけで、麾下達が縦列になった。見なくとも気配だけでそれを知る事が出来た。ゆっくりと、歩き出し、やがて全軍が駆け始める。馬上、身体が揺られた。腹部を中心に全身が、痛いほどに熱くなっていた。傷は癒えてなどいない。とりあえずは塞いだだけであり、熱を放っていた。

 熱い。全身が熱いのだ。だが、それは自身が生きている証しでもある。生きているから、血潮が滾るのだ。そう考えれば、心地の良い熱さだった。

 

「駆けに、駆ける。俺に遅れる事は、恥と思え!」

「応!」

 

 声を上げる。気が、全身が、昂っている。叫ぶことすら厭わない。

 少しだけ、咳き込んだ。暗くて見えはしないが、血が混じっているのだろう。そう思った。馬腹を蹴り、速度を上げた。身体が揺れ、全身が熱くなる。視界すら、紅く染まる。だが、狂おしい程の生を実感していた。自身は敗れたが、誇りは未だ、胸の奥に残っている。ならば、それだけで戦えるのだ。

 

「原野を駆ける我らが意思よ、竜をも破る峻烈なる加護を」

 

 魔剣、力を解き放った。真紅が淡い輝きを得ていた。漆黒の中を、真紅が煌めく。

 

「借りは返させてもらうぞ、メルキア帝国」

 

 呟いた。風を切り、麾下達と共に駆け抜ける。漆黒が、闇に溶けいるようにして、夜を越えた。 

 

 

 

 

 

 

 




次回、ついに我らが主人公、ヴァイスハイト登場(予定)!


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9話 邂逅、そして死闘

「エル姉。そろそろ、行ってくるよ。エル姉の言う、ヴァイスハイトって奴の顔を見ときたいんだ」

「解りました。ですがパティルナ、あまり無茶はしないでくださいね。貴女には、レイムレス城塞防衛における主柱として戦って貰わなければいけないのですから」

「大丈夫だよ。少し、挨拶してくるだけだからさ。じゃ、行ってくるね」

 

 レイムレス城塞。ユン・ガソルの誇る三銃士である、エルミナとパティルナが向かい合い、言葉を交わらせていた。センタクスを奇襲により奪取され、その奪還に動いたエルミナだったが、メルキア帝国の新兵器の前に大敗を喫し、レイムレス城塞まで下がってきていた。勢いに乗じたセンタクスの兵が攻め込んで来ようとしていたのである。

 

「……二度も負けたのです。これ以上は、無様を晒せません。」

 

 

 エルミナは静かに闘志を燃やす。既に、二度敗れていた。一度はセンタクスを強襲され、防備も整っていなかったところを押し込まれ、敗走していたのだ。メルキアを率いていたのはヴァイスハイト・ツェリンダーと言う将軍であった。彼の者の鮮やかな奇襲を前に、エルミナは辛酸を舐めさせられていた。

 

 二度目の敗北は、十分な戦力を集め、完勝する筈であった戦での出来事だった。その時の状況は、ザフハ部族国を破ったキサラ領所属のメルキア軍を筆頭とした、センタクス攻略部隊が迫っていた。既にヴァイスハイトの手によりセンタクスは攻略されていたのだが、勢いに乗じって他の拠点も落としてしまおうと言ったところだったのだ。

 メルキアの本体が相手となれば、双方ともに甚大な被害が出かねない。センタクスの攻略も難しくなるだろう。それ故、奪取されたとはいえまだ寡兵に過ぎなかったセンタクスを一気に奪い返すつもりでいた。防備の整わないセンタクスを一押しに踏み潰し、そのままメルキア本体と交戦しても十分に戦える戦力を率いていたのだ。

 その戦で誤算があったとすれば、敵将であるヴァイスハイトの用兵が実に巧みだったことである。配下が良く動いたと言うのは当然のこととし、センタクスの住民の心をも良く掴み、総力を以て防衛にあたったのである。それ故、センタクスを攻略するのに時がかかり過ぎた。そして――

 

 闇色の光が、弾けた。

 

 結論を言えば、メルキアの誇る魔導技術による新兵器だった。それが、ユン・ガソルの部隊を焼き払ったのである。使用された辺り一帯は焦土と化し、存在するすべてのモノを吹き飛ばすほどの威力であった。メルキアは、味方ごとユン・ガソルの軍を引き飛ばしたのであった。コレにより、ユン・ガソル軍は後退せざる負えないほどの被害を受け、レイムレス城塞まで下がったと言う訳だった。

 

「ヴァイスハイト・ツェリンダー……ッ」

 

 エルミナが静かに呟く。彼女を二度破った男であった。三銃士の名にかけて、三度は負ける訳には行かない。エルミナは、そう思った。二度破れているが、それは真正面から戦って負けた敗北では無かった。一度目は奇襲であり、二度目はメルキア軍主力による砲撃であった。策に敗れているのは事実であったが、それでも純粋な用兵で負けた訳では無い。エルミナは自身にそう言い聞かせた。

 正面切った戦いならば、エルミナは容易く敗北するとは思わなかった。一度、エルミナは用兵で負けたことがあった。メルキアの降将である、ユイン・シルヴェストであった。彼の者に負けて以来、部隊の調練を見直したのである。ユインに直接話を聞くのは癪であったため、様子を見に行ったパティルナや、共に訓練をしたと言う将兵に話を聞き、その調練を参考にしていた。認めたくは無いが、ユインの部隊を参考にすることで、エルミナの部隊は確かにより精強になったのである。それ故、まともにぶつかれば負けるとは思わなかった。

 とは言え、先の敗戦があり、ユン・ガソルの兵力は激減していた。幾ら堅牢なレイムレス城塞とは言え、絶対に負けないとは言い切れないため、主であるギュランドロスに増援の要請もしていた。パティルナと三銃士が二人で守っているが、念には念を入れていたのだ。敗戦が、普段から周到なエルミナを、より周到にしていた。

 

「……ああ、もう。どうしてメルキアの軍人と言うのは、こうもイラつかせるのですか!」

 

 エルミナは、このところメルキアの軍人に負け続けていた。尤も、一人はユン・ガソルに所属しており、自分の部下の一人になっている。直接ギュランドロスが言ったわけではないが、ユン・ガソルの軍を統括するエルミナにとってユインは部下であると言えた。とは言えギュランドロスのお気に入りであり、元メルキア軍人と言う経歴もあり、エルミナとはいえ、少しばかり扱いが難しいところはあった。そんな事情も、エルミナのストレスとなっていたのかもしれない。

 

「それもこれも、あの金髪と黒髪の所為です!」

 

 エルミナは自身を破った二人の男の顔を思い浮かべる。ついに叫んでいた。そのさまは、普段冷静なエルミナらしくなかった。しかし、エルミナは性根が直情径行であるため、普段は冷静であり理性でわかっていてる事でも、感情で物事を判断してしまう事がわずかにだが、あるのだ。その弱点が、確かに表れていた。

 

「ああ、もう! ここで、必ず倒します」

 

 誰もいない部屋。エルミナの声だけが響き渡った。

 

 

 

 

 

「リセル、行けるか?」

「先ほどのパティルナの強襲で動揺はありましたが、全軍問題ありません。号令をお願いします、ヴァイスハイト様」 

 

 レイムレス城塞近郊、センタクスの領主代行を命じられたヴァイスハイトは、軍を進めていた。東方元帥ノイアス討死。その混乱の最中、メルキア皇帝であるジルタニアの目に留まり、言葉と覇気を以て、千載一遇ののチャンス手にしていた。将軍を一気に飛び越え、元帥となる。そのような暴挙ともいえる快挙を成そうとしていたのである。

 センタクスを収めていた領主であるノイアスが敗死し、一度は奪われたセンタクスを鮮やかに奪還する高尾途に成功した。そして、そのセンタクスを奪還に出陣したユン・ガソルを相手に立ち回り、戦い切った。そして増援である本体の到着まで戦線を維持し、ユン・ガソル軍壊滅の成果を出すにあたる、下地を作った男であった。

 そして、皇帝であるジルタニアとは血が繋がってもいた。尤も、片親だけであるが。二人の父である前皇帝と庶民の間に生まれた庶子だったのである。一応皇族の一人と言う事にはなるのだが、彼はそのように扱われる事は無かった。庶民との戯れでできた穢れた子。そんな扱いであったのだ。

 紆余曲折あり、軍属となった彼は、メルキア軍の誇る四元帥の一人、オルファン・ザイルードの弟子として、頭角を現していた。そして今、彼の中で最大の転機となる戦いが行われようとしていた。レイムレス城塞での戦い。これは、彼が元帥として名を馳せる為の戦いの最初の一歩なのである。この地を落とす事が出来たのならば、ヴァイスハイトは元帥に任命されるのだった。

 

「ヴァイスハイト。私も準備は完了しております。戦いを始めるのならば、どうぞ、ご命令を」

「解った。リセル、そしてアル。この戦いが、俺が元帥として進むための一歩となる。その力を貸してほしい」

「私は、ヴァイスハイト様を支えるだけです。どこまでもお供します」

「了解しました、ヴァイス。貴方の敵は、私が破壊しましょう」

「頼むぞ、二人とも」

 

 ヴァイスハイトは、己の配下である二人に声をかける。一人は黒髪を靡かせる、砲剣を持った女性であった。リセル・ルルソン。ヴァイスハイトとは幼い頃から共に在った、半身とも言える女性だった。そしてもう一人、人よりも遥かに小さな、女性。前元帥である、ノイアスと共に在った魔導巧殻、アルであった。闇の月女神の力を模して作られた、魔導巧殻であった。

 領主代行であるが、アルは既にヴァイスハイトの事を所有者と認めていた。それは、事実上元帥と同格と言っているようなものであるが、この戦に勝てば名実ともに元帥となれるのである。ヴァイスハイト率いる軍は、否が応にも士気が上がっていた。それだけ、この戦で得られるモノは大きいのだ。ヴァイスハイトはそう思った。

 剣を引き抜く。

 

「皆の者、良くここまで耐えてきた。だが、耐えるのはここまでだ! これより、ユン・ガソルに攻勢をかける。皆の力を、存分に振るってくれ!!」

「おうよぉぉ!! 俺たちにはヴァイスハイト様やアル様がついているんだ、負ける訳がねぇ!! 行くぜ野郎ども!!」

 

 気勢が上がっていた。レイムレス城塞での決戦。それが、始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 風を切り、進む。普段よりもほんの少し休憩の時間を伸ばしたが、それ以外は通常の行軍と同じ速度で駆けていた。時折、全身に感じる熱が耐え難い程になる事もあったが、鎮痛剤を飲むことで、やり過ごしていた。怪我など、顧みる暇は、ない。それだけの事態が、起こっているのだ。麾下の全てにそう言い聞かせて、進み続けた。視界が歪む事が、何度かあった。だが、その度に愛馬が支えてくれていた。やがて、視界が歪む事については、何も感じなくなっていた。人間の適応力と言うのは凄まじいものである。そう、思えた。

 

「将軍」

「心配など、不要だ」

 

 時折、カイアスが此方の体調を尋ねるが、まともに相手をする気は無かった。倒れたら、それまでであり、自身を捨て置かせて、カイアスが部隊を指揮すればいいのだ。十分にこなす力はある。三銃士か王の指揮下に入れば、カイアスは十分力を発揮できるだろう。それぐらいの地力のある副官だった。

 無論、こんなところで倒れるつもりなど、ない。だが、何が起きるかわからないのが戦である。そして、自分は万全では無い。それどころか、最悪であると言えた。だからこそ、麾下達にはあらゆる事態を想定させるのだ。

 

「前方に部隊。友軍です」

 

 麾下の一人が叫んだ。正面を見る。確かに、友軍であった。しかし、まだレイムレス城塞の近くでは無かった。王都からの援軍だろう。旗を見て確信した。

 

「カイアス、伝令」

「はっ」

 

 即座に伝令を走らせる。一度、合流すべきである。そう、思っていた。

 

 

 

 

 

「お前、何でここにいるんだ!?」

 

 伝令が返ってきた後、援軍を率いる責任者の下へと、歩を進めた。責任者と言うよりは、大将である。ユン・ガソル王国国王であり、主でもあるギュランドロス・ヴァスガンだった。王の元に向かい、軍令を取る。視界はいまだ、定まらない。だが、気取られる心算は無かった行軍していた時以上に、気力を振り絞る。

 

「我が力が必要とお聞きしたので、参った次第です。必要ありませんでしたか?」

「いや、確かにお前の力はいるが……大丈夫なのか? 戦鬼に傷を負わされたと聞いたぞ」

「無論。と言いたいところですが、少し無理をしていますね」

「ならば、なぜ来た?」

「王が呼んでいた。我が麾下を走らせるのには、それだけで充分なのですよ」

「……すまんな。俺は良い臣を持ったもんだ」

 

 倒れる事無く、言葉を紡ぐことができた。内心で安堵する。気取られれば止められる。そんな事は火を見るよりも明らかだった。だが、それでは意味が無いのである。

 

「状況はどうなっておりますか?」

「不味いな。センタクスが陥落し、接玄の森付近は既に取り返されている。報告によれば、敵将のヴァイスハイトって奴は、メルキアの元帥が持つ魔導巧殻をも引き連れているって話だ。そして何といっても、エルミナに二度勝った男だ。まったく、面白くなってきたじゃねぇか」

「ほう、あのエルミナ様に、二度も勝ったのですか」

「ああ。認めようとはしないと思うが、エルミナのやつは相当イラついているだろうな。冷静さを欠いていては、三度敗れかねんな」

「それ程とは……」

 

 王に直接情報を聞き、自分の直感が正しかった事を悟る。敵は、油断できる相手では無かったのだ。既にエルミナ様を二度破り、万全の状態で迎え撃つ今回も負けるかもしれないと予期している。面白い。そう、思った。王がそこまで評価する漢とはどんな人物なのだろうか。想像するだけで、心が躍った。血が、滾るのを感じる。傷を負った腹部が、燃えていた。燃えていると錯覚するほどの熱を、発しているのだ。心地よい。そう思った。どうしようもなく、楽しみであった。戦鬼ガルムスを初めてとする四元帥以外にも、強き者がメルキアには存在する。ソレを知っただけで楽しくて仕方が無い。

 

「お前、楽しそうだな」

「申し訳ない。ですが、軍人として、武人としての性なのですよ。強き者と出会うのが、楽しくて仕方が無い」

「まったく、お前は歪みが無いな。それでこそ、俺の見込んだ男と言う事か」

「ソレが私が私たる所以です」

 

 笑みをもって答える。傷を負っているとしても、それが俺なのだ。ユイン・シルヴェストの在り方なのだ。誰よりも、何よりも苛烈に在る。そう、心に決めていた。何者にも、敗れない。ソレが、誇りであった。その誇りを賭して戦える相手がいるのだ。例え状態が悪くとも、思いを馳せるのが、漢と言うものでは無いのだろうか? 

 

「ふ、くははは。良いじゃねぇか。それでこそ、俺が欲しいと思った漢、ユイン・シルヴェストだ。その力、メルキアの奴らに見せつけてやろうじゃねぇか!」

「御意に。我等が誇り、唯、王の為に」

「良く言った! 駆けるぞ、ユイン。駆け抜けるぞ!!」

「御心のままに」

 

 言うが否や、王が自身の馬に飛び乗った。馬笛を吹き、愛馬を呼ぶ。馬蹄が響き、疾駆してくるのが見える。

 

「はっ、格好良いじゃねぇか。なぁ、野郎ども!」

 

 手綱を取り、駆けて行く勢いを殺さず、疾駆する直前の態勢を維持したまま騎乗する。一瞬、視界が紅く染まる。意に介す事など、無い。王は、そんな俺を見て賞賛の声を上げた。戦の前である。気分が高まっているのだろう、笑い声が響いた。つられて全軍の気勢が上がる。この王にして、この軍がある。そう思った。

 そのまま、王の脇に控えたまま駆け抜ける。前方には麾下が見えた。

 

「ユイン。お前の部隊の動き、見せて貰おう」

「承知」

 

 言葉に頷き、佩いている魔剣を抜き、水平に構えた。麾下達が動き出す。王と自分を守るように周囲を囲むように駆けた後、一糸乱れぬまま、縦列となり、背後に控えていた。ここまで動けるようになったのだ。そう、思った。

 

「すげぇな、ユイン。三銃士と俺、そしてお前とこの漆黒の騎馬隊。すべてが揃えば、何にだって勝てる。そう思える」

 

 王が息を呑み、感嘆を上げた。素直な賞賛に笑みが零れる。傷は疼くが、気にはならない。

 

「何が来ても、勝ちますよ」

「くはっ、良い、格好良いぜユインよ。俺は、お前を臣下にできて良かった」

 

 王が楽しそうに笑いながら、そう言った。そして、原野を駆け抜ける。目指すは、レイムレス城塞。決戦の地に向かい、進む。漆黒に、王である赤を迎え入れ、駆け抜けた。騎馬隊、その動きを十全に発揮していた。

 

「行こうぜ、ユイン! エルミナとパティが待ってる」

「御心の、ままに」

 

 静かに頷いた。王と共に行く。ソレが臣たる自分のあるべき姿だった。

 

 

 

 

 

 

「まさか、これ程とはな……」

 

 戦場を見ながら、ヴァイスハイトは驚きに声を上げる。戦況自体は優勢であった。だが、二つの部隊だけを切り崩せずにいた。流石は三銃士と言ったところか。城を守るエルミナとパティルナの部隊に、賞賛をむける。

 

「アル、頼むぞ」

「解りました、ヴァイス。目標補足、逃しません」

 

 魔導巧殻に声をかける。既に準備はできているのか、即座に魔方陣を展開させた。アルを中心に、黒き魔方陣が展開される。収束。闇の月女神の力を模した、魔導が放たれた。

 

「敵は崩れた。突っ込むぞ!」

「お任せください」

 

 魔導巧殻である、アルの魔法。ソレを用い、無理やりに隊列を崩した。その間隙を、逃す事無く突き抜ける。機を逃す事をしない、迅速な攻めであった。そして、ついに敵を潰走させることに成功する。レイムレス城塞の決戦は、メルキア帝国の勝利となったのだ。

 

「総崩れだ。追い討ち、ユン・ガソルの力を削ぐ」

「準備はできています」

「ならば、行くぞ。ここで、倒し抜く」

 

 ヴァイスハイトの言葉に、リセルは即座に応える。主であるヴァイスハイトの事を良く理解している副官であった。そのまま突き進む。勝利を得た。そう思うと、胸にこみ上げて来るものがあった。しかし、油断はできない。ヴァイスハイトはそう思った。

 レイムレス城塞に攻め込む前に、センタクスに拠り、自分の監視役を受けたガルムス元帥に言われていたのだ。

 

『ユン・ガソルの部隊と当たるのならば、漆黒の騎馬隊。ソレを見る事があれば、精々気を付けるが良い。将を負傷させた。故に、今回の戦には現れはしないと思うがな』

 

 と。端的な言葉だった。何故と、ヴァイスハイトが問う余地も無く、ガルムスは背を向けていた。理由は一切わからない。だが、何れ漆黒の騎馬隊に出会うときが来るとすれば、解る事だ。その時は、油断なく構えよう。そう自分に言い聞かせていた。戦鬼、ガルムスが態々警告したのである。それだけで、十分だった。尤も、ヴァイスハイトの身を案じて警告したのではなく、メルキアの勝利のためであるが。

 

「何時か出会う時が来るのだろう」

「ヴァイスハイト様、何か言いましたか?」

「いや、何でもない」

 

 呟きにリセルが不思議そうにする。それに、笑みを以て応える。

 

「ヴァイスハイト様、敵将を、三銃士を発見しました」

「解った。行こうか、リセル」

「はい」

 

 報告を聞き、ヴァイスハイトは前線に向かった。

 

 

 

「口惜しいですが、これ以上は持ちませんね」

「うーん。悔しいなぁ。絶対勝つ気だったんだけど、負けちゃった」

 

 エルミナとパティルナ。三銃士の二人は少数の兵を指揮し、殿を務めていた。魔導巧殻アルの高範囲攻撃。想定外と言えるそれを前に、指揮を崩され、そこからなし崩しに敗走に追い込まれていた。勝敗が喫した。それに気付いた二人の動きは迅速であった。即座に合流し、精鋭を以て殿を務めていたのである。戦争で人が最も殺されるのは、追撃戦であった。ソレを防ぐために、二人の将は残っていたのである。側面を高い山岳地に囲まれ、寡兵でも大軍を相手取れる地、其処を見つけ防衛線を敷いていた。それでも、圧倒的な数の前に、二人は全身に浅手を受け、限界も近いと言った感じであった。

 

「仕方ありません、パティルナ。幸い、味方の撤退の大部分は完了しました。ならば、この地にとどまる意味もありません」

「そうだね。早いとこ帰りたいけど……敵の将軍が来ちゃったみたいだから、難しいかもしれないね」 

「おや、気付かれていたか」

 

 エルミナと話しながら、パティルナは投刃を構える。やがて、メルキア兵の中から一人の男が現れる。ヴァイスハイトであった。傍らには副官であるリセルと、魔導巧殻のアルを侍らせていた。白銀の鎧を纏い、堂々と現れたその姿は、既にある種の風格を得ていた。その瞳には、強い光が宿っている。

 

「……ヴァイスハイト・ツェリンダー」

「ほう、ユン・ガソルの三銃士に名前を覚えていただけたか。光栄だな」

「戯言を!」

 

 現れたヴァイスハイトの姿を見て、エルミナが怒気を漏らす。二度、敗れた相手だった。それもメルキアの軍人である。メルキア嫌いのエルミナにとって、その敗北は屈辱以外の何でもなかった。

 

「ふむ、まあ良い。戦の決着はついた、大人しく投降してくれないか?」

「ふふ、ヴァイスなら、あたし達がなんて答えるかは解ってるんじゃないの?」

「メルキアの将軍は、くだらない戯言ばかり言うのですね。器が知れますよ」

「ならば仕方があるまいか。美しい女を討つのは忍びないが、メルキアの為だ」

 

 ヴァイスハイトが降伏勧告をするが、三銃士たる二人は意にも介さない。二人は、ユン・ガソルの象徴であり、主柱なのだ。ソレがよりにもよってメルキアに降るなどと、言う筈が無かった。ソレをあらかじめ予想していたヴァイスハイトは、少しだけ残念そうにしながらも、冷徹に片腕を上げる。兵に号令を出し、討つ。それだけだった。

 

「メルキアに降るなど、たとえ死んだとしてもごめんです。そのような辱めを受けるくらいなら、この身が動く限り、メルキア兵を道連れにするだけです!」

「おお、エル姉格好良い。まぁ、あたしも自分より弱い相手に屈するつもりはないんだ。そんなの、あたしらしくないしね。どうしても欲しいって言うのなら、力ずくで倒して見せなよ!」

「ふ、良く言った。ならばその命、貰い受けよう」

 

 三銃士の二人が挙げた気炎に、二人に従っていた数少ない兵士たちが咆哮をあげる。死を覚悟していた。そんな敵を相手に捕えるなど、不可能だった。故に、容赦も慈悲も無く、殺す。ヴァイスハイトはそのための号令を――

 

「だぁーはっはっは。そこまでだお前たち! ユン・ガソル国王、ギュランドロス・ヴァスガンの名において、こんなところで無駄死にすることは許さん!」

「ギュランドロスだと!?」

 

 出せなかった。ヴァイスハイトの驚きと共に、爆音が辺りを襲う。気付けば斜面の上に布陣していたギュランドロス率いるユン・ガソルの増援が、魔導兵器を用い、執拗な砲撃を繰り返していた。突如降り注いだ砲撃。その威力に土煙が舞い、辺りを覆い隠す。その間にも爆音が鳴り響き、ヴァイスハイト率いる軍は、何とか崩れそうになる戦線を維持するので精一杯だった。

 

「エルミナ、パティ! 俺が居ないからって、勝手に死に急ぐんじゃねぇ!」

「すみません」

「うう、ごめん」

 

 轟音の中、三銃士を一喝していた。その様はメルキア軍など居ないかのように振る舞っており、傍若無人と言うに相応しかった。あまりの事に、怒鳴られた三銃士の二人は、素直に謝罪してしまっていた。気付けばその場は、一気にギュランドロスに掌握されていた。

 

「と、まぁ、うちの三銃士が世話になったようだな。礼を言うぜ、メルキアの将よ」

「ふん。最初にセンタクスを落としたのはそちらだろう。俺はその意趣返しをしたにすぎん」

「はっ、言うねぇ。その奪い取ったセンタクスを取り返したのもお前と言う訳だ。聞いたぜ、面白い戦をするらしいじゃねぇか。アイツとどっちが上か、やり合わせてみたいもんだぜ」

 

 王であるギュランドロスが、ヴァイスハイトに言葉を紡ぐ。その様は実に楽しげであり、彼らしいと言えた。場の空気を一気に盛り上げる事に関して、類稀なるものを持っていた。

 

「アイツ、とは?」

「うちの黒騎士の事さ」

 

 黒騎士。その単語を聞いたヴァイスハイトの眉が一瞬動く。黒騎士。そこから想像できるのは、漆黒の騎馬隊であった。

 

「まぁ、アイツの事は今はいいだろ。それよりお前だ。うちの三銃士を容易く破り、無理と思えるセンタクスの防衛を成した。お前も持っているんだろ? 俺と同じ力を」

「何を言っている?」

「ふ、とぼけるか。いや、気付いていないのか? どちらにしろお前は持っているんだよ、類稀なる幸運を手繰り寄せる力。王者が持つに相応しい、天賦の才をなっ!」

 

 ギュランドロスは絶対の自信をもって、言い放った。そのあまりの覇気に、全ての人間が呑まれていた。飲まれていないとすればそれはただ一人であった。

 

「さぁ、名を名乗れ! 俺様が見極めてやる。お前がどれ程の器であるかをな」

「我が名は、ヴァイスハイト・ツェリンダー! この地でお前を下し、この地を治める元帥となる男だ!」

 

 ヴァイスハイト・ツェリンダーであった。この男だけが、ギュランドロスの覇気に呑まれず、寧ろ押し返す勢いで名乗りを上げた。その瞳に映るのは、強き意思。確かに天賦の才を宿していた。

 

「王自ら出て来るとは好都合。天意は我らにあると言う事だ。我らを打ち破れると思い前に出た傲慢さ、その首を以て贖うが良い!!」

 

 ギュランドロスに勝るとも劣らぬ覇気。ソレをヴァイスハイトは示していた。取り残されていた両軍に、力が戻ってきはじめていた。

 

「くははは。良いぜ、ヴァイスハイト。その発想は無かったぜ。俺がお前の器を確かめるのではなく、お前の才に引き寄せられたと、そういう訳か」

「そう言っている」

「だぁーはっはっは。そうかそうか、此奴は凄い。文句無しの、合格だな。俺からの褒美だ、レイムレス城塞はくれてやろう」

 

 ヴァイスハイトの言葉に満足したギュランドロスは、うんうんと頷き、そんな事を言った。ユン・ガソル全軍に動揺が走った。ソレを、ギュランドロスは何でもない事のように無視する。

 

「ギュランドロス様、貴方は何を言っているのですか!? 援軍要請を受け、兵たちと共に駆け、ようやくたどり着いた拠点。ソレを戦うことなく明け渡すと言うのですか!?」

 

 それに誰よりも早くかみついたのは、エルミナであった。王であるギュランドロスに増援を依頼し、今の今まで戦い続けた彼女だからこそ、我慢が出来なかった。メルキア兵に取り囲まれているが、そんな事は関係なく叫ぶ。

 

「ソレがどうした、エルミナ」

「貴方は、悔しくないのですか? 貴方は、ユン・ガソルの国王であり、私たちを束ねる王なのですよ!?」

「エル姉……」

 

 悲痛な、叫びであった。レイムレス城塞を守る為に傷付き散って逝った者たちはどうなるのだ。言外にそう含ませているのが、ギュランドロスには容易に理解できた。

 

「悔しいぜ? だからこそ、奴らには借りを返して貰うんだ、なぁ、ユインよ」

「……え?」

 

 紡がれた、王の言葉。それに、エルミナの思考は一瞬停止した。その場にいた両軍は、ギュランドロスの言葉の意図を読み取れず、困惑の色を移していた。

 

「原野を駆ける我らが意思よ、竜をも破る峻烈なる加護を」

 

 ソレは、言うならば漆黒の突風だった。斜面を駆け下りてくる、漆黒。センタクスの精兵に、弓が降り注いだ。瞬く間に、エルミナ達を囲んでいた兵を打倒していた。馬蹄が響く。真紅。淡き輝きを放ち、漆黒の中で煌めいている。強襲、エルミナとパティルナの傍らを突っ切り、ヴァイスハイト目掛け一直線に駆け抜けていた。

 

「俺と同じ天賦の才があるのなら、生き残れる。やってみな、ヴァイスハイト」

「な、総員、迎撃態勢!!」

 

 ギュランドロスの言葉を、ヴァイスハイトはかみしめる余裕が無かった。来るはずの無い漆黒。ソレが目の前にいる。ヴァイスハイトは言い様の無い悪感に襲われながらも、指示を出していた。咄嗟に出た言葉であり、意図したわけでは無い。だが、突っ込んでくる騎馬隊に対して、ソレは妙手であった。相手が黒き獣でなかったならば。

 

「展開」

 

 戦闘の騎馬が、槍に振れる直前、漆黒が二つに分かれた。至近距離、騎兵が駆け抜け、弓を弾いている。

 

「っ、騎射、来るぞ!」

 

 ヴァイスハイトが叫ぶ。既に矢は放たれていた。至近距離で放たれた、矢。ソレを受けた兵たちが崩れ落ちる。ヴァイスハイトの周りの兵が少なくなっていた。二つに分かれていた漆黒の最後尾。別れず少数で小さく纏まり、向かっていた。

 

「ヴァイスハイト・ツェリンダー。レイムレス要塞の借り、貰い受ける」

 

 その中心で駆け抜ける指揮官。ユイン・シルヴェスト。右手に槍を、左手には魔剣を構えていた。真紅。淡く輝いている。美しい。漆黒の中で輝きを放つ真紅を見たヴァイスハイトは、そんな事を思った。

 

「ヴァイスハイト様は殺らせません!」

 

 二人の間に遮る者があった。リセル・ルルソンであった。砲剣の引き金を引き絞り、ユインに目掛けて照準を定めていた。

 

「ソレは、貰えないな」

「なぁっ!?」

 

 撃鉄、爆音。槍が投擲されていた。その槍の穂先が、リセルの砲剣の砲身に寸分違わず突き刺さっている。あり得ない、神業であった。砲剣が、黒煙を上げ、砕け散った。リセルはその爆発をもろに受け両手から血を流している。咄嗟に剣から手を離したため、軽傷であるが、無力化されていた。

 

「リセル!? 貴様!」

「戦場でよそ見とは余裕だ、なッ!」

 

 左腕に持つ魔剣。ソレをユインは無造作に突きだした。剣、ヴァイスハイトの持つソレと交わり、衝撃に音を上げていた。数舜の膠着。

 

「アル!」

「後ろが、がら空きです!」

 

 ヴァイスハイトの声に、アルが背後からユインに襲い掛かる。申し合わせていたかのような絶妙なタイミング。ヴァイスハイトの命をも囮にした咄嗟の機転。それが、魔導巧殻アルの実力であった。

 

「そう見えるだけだ」

 

 だが、ユインはその更に上を行く。槍を投げ、空いた右腕で手綱を操っている。愛馬、まるで背後が見えているかのように両足で前に倒れ込むように力を籠める。後ろ足。渾身の蹴りを、アルに突き入れていた。

 

「くぁっ!?」

「アル!」

 

 奇襲をしてからの、強襲。完全に虚を突いたと思っていたその間隙を突かれ、アルは遥か後方まで吹き飛ばされていた。ヴァイスハイトまでの壁が、全て剥がれた。馬首を返し再び迫る漆黒、正面から駆け抜ける。

 

「終わりだ」

「こんなところで、死ねるかっ!」

 

 左手に持った魔剣、そのままヴァイスハイトに突き刺す――

 

「ッ?!」

 

 ――事が出来なかった。

 

「な、に?」

 

 死を覚悟したヴァイスハイトの傍をそのまま駆け抜ける。ユインの左手が突き出される事は無かった。

 

「此処は退く。我が名はユイン・シルヴェスト。ヴァイスハイト・ツェリンダー、また会おう」

 

 左手を一瞬だけ眺め、ユインはそう告げて駆け抜けていった。

 

 

 

 

 

 

 そのまま麾下達に号令をかけ、駆ける。一連の攻防を呆然と見送って居たメルキア兵を突破し、目的に向かう。ヴァイスハイトは倒せなかったのだ。これが天命か。そう思った。ガルムスに壊された左手は、先ほど完全に壊れていた。後一撃であった。だが、壊れたモノは仕方が無い。運が無かったのだ。そう納得する。そのため、当初の目的である、エルミナ様とパティルナ様に向かう。

 

「エルミナ様」

「貴方は」

 

 自分の近くには、エルミナ様が居た。動かない左腕に手綱を巻き付け、右手を差し出す。此方の意図に気付いた。そのまま脇を疾駆し、交差する瞬間、一気に抱き寄せた。

 

「きゃっ」

「手荒ですみません。このまま駆けます」

「ッ、はい」

 

 そのまま、エルミナ様を自身の前に乗せた。そして強く、強く抱きしめたまま、駆ける。そうしなければ、エルミナ様を振り落しそうであったのだ。

 救出は上手くいった。腕が動かず、ろくに手綱を操れなかったが、愛馬は意図をよく理解していた。それ故、自分はエルミナ様を助け出せたのだと思った。辺りに視線を移す。暗く、辺りもあまり見えないため、探すのに時間がかかった。もう一人の三銃士、パティルナ様。救出に成功しているようだった。

 

「パティルナは……どうなっていますか?」

「麾下が、回収できたようです」

「良かった……」

 

 質問に答える。ほっとしたように、エルミナ様は笑みを見せた。あどけない、笑みであった。ソレを見たあと、視線をそらそうとしたところで、全身が総毛だった。身体が、痛いほど熱く火照っていた。ほんの一瞬だけ、目を見開く。耐え難き、痛みだった。口から熱いものが零れそうになった。それを気力で堪える。腹部の違和感が酷く、身体の芯から何かが抜けていくような焦燥感が襲っていた。

 

「どうかしましたか?」

「……いえ」

 

 問に、何とか答える。胸が、苦しかった。流れている血が、熱くて仕方が無いのだ。崩れ落ちそうになる体を、気力で持たせ、駆け抜ける。

 

「はっは、ユインの猛攻を凌ぎきるとは、流石はヴァイスハイトだ。借りは返した。遠慮なくレイムレス城塞はもらっていくと良い!!」

 

 主がメルキア軍に向かい、魔導兵器で砲撃を放った。黒煙が舞い上がり、視界を覆い隠す。有りがたい、そう思った。

 

「ぐ……」

 

 喀血。砂煙で視界が悪い中、僅かに零した。

 

「ユイン?」

「口の中に、砂埃が入ってむせただけです」

「そうですか」

 

 不思議そうにするエルミナ様に何とか告げる。疲れているのだろう、そんな言葉をあっさりと信じ、エルミナ様はこちらに体重を預けてきた。

 

「すみません。無様を晒しました」

「勝負は時の運です。次は、ともに勝ちましょう」

「はい」

 

 泣きそうな声だった。それに軍人として答える。慰めなど、必要では無かった。目の前の女性はそんなものを求めるほど弱くは無いと、自身は知っていたのだ。抱きしめたまま、駆け続ける。人とは暖かい。そんな当たり前のことを感じた。強く、エルミナ様を抱きしめる。そうしないと、崩れ落ちる。そう、思った。

 

 

 

 

 

「エル姉!」

「パティルナ、無事でよかった」

 

 王の部隊に合流し、真っ先にパティルナ様がエルミナ様の下に来る。共に戦った、仲間であった。それ故、救出したとはいえ、安否が気になったのだろう。そう、思った。

 

「ユイン、少し痛いです。もう大丈夫ですから、下ろしてください」

「これは、失礼……」

 

 エルミナ様の言葉に、力を抜く。瞬間、体の芯からも、力が抜けていた。予想通りであった。そんな事を、他人事のように思う。背中から、体の芯から、力が抜けているのだ。それを、はっきりと感じた。抗う術など、無かった。

 

「私は……王に報告に向かいます」

「解りました。私たちも後で向かいます」

「うん。先に行ってて」

 

 何とかそれを告げる。振り返る事はせず、そのまま愛馬を進めた。

 

「将軍?」

 

 カイアスが不思議そうに声をかけているのが聞こえた。返事を返す余力も無かった。

 

「ッ、エル姉!? 血がいっぱい、怪我してるの!?」

「パティルナ、何を変な事を言って……ッ!? 違う、私じゃない」

 

 背後で息を呑む気配がした。左手に巻き付けた手綱。静かに音を立てて、離れた。視界、紅に染まっている。守るべき人。既にこの手から離れていた。ならば、倒れても大丈夫だろう。そう思った。腹部から、命が少しずつ零れるのを感じていた。風が心地よく、瞼が重い。耐えきれず、目を閉じる。少しばかり、休もう。そう思い、風に身を任せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




完! ってつけてもいい気はしますねww
次回もちゃんと続きます。


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10話 追憶と想い

今回R-15的な表現があります。苦手な方はご注意を。


 負けだった。ヴァイスハイトは、そう思った。レイムレス城塞攻略。ソレを成した彼は、政務室に一人で立ち尽くし、先の決戦について考えていた。

 ユン・ガソル軍の誇る、三銃士が二人配置されている城塞。ソレを、奪っていた。自身を信じる配下を戦陣で指揮し、打ち破っていた。魔導巧殻である、アルの力が大きかったが、それでも自身は実力でレイムレス城塞を奪ったと自負している。だが、負けたのである。

 完勝の筈だった。それを、ただ一人の男に、覆された。戦果だけ見れば、大勝であるが、完膚なきまでの敗北を喫していた。自身が生きているのは、ただ運が良かっただけなのだから。

 相手は漆黒の騎馬隊を指揮する将軍であった。名を、ユイン・シルヴェストと言った。肉薄されたときに、顔を見た。率いる騎馬隊と同じ、闇色の髪を首辺りで結っており、精悍な顔つきだったと思う。漆黒の鎧を身に纏い、首元に真紅の布を巻き付けた男であった。部隊の者全てが、真紅の布を身に付けていた。布は魔力か何かの加護があったのだろう、漆黒の中、それだけが淡く輝いているのが印象的であった。その灰色の瞳と目が合った時、背筋がぞくりとした。死神に魅入られる事があるのならば、ああいう気持ちなのかもしれない、とヴァイスハイトは思い起こす。それ程までに、苛烈であり、凄絶であった。戦鬼ガルムスが、気を付けるように言ったほどである。その強さは、ヴァイスハイトの想定の外にあった。

 

「あのような漢が居て、ノイアス元帥はユン・ガソルに負けたと言うのか。あれほどの将器を持ちながら、命欲しさにユン・ガソルに寝返ったと言うのかッ!」

 

 ぎり、っと奥歯をかみしめる音が聞こえた。ヴァイスハイトは、静かに怒る。あれほどの武勇を誇る将を配下に置きながら、ユン・ガソルに良いようにされた前元帥、ノイアス・エンシュミオスに。あのような状況下にありながら、自分を容易く討てると言う、凄まじい将器を持つにも拘らず、ユン・ガソルに寝返った裏切者に。

 特に、ヴァイスハイトのユイン・シルヴェストへの怒りは、類を見ないものがある。本来ならば、ヴァイスハイトを、メルキアを支えるべき人間であるのだ。その漢が、自身に、リセルに、アルに牙を剥いたのだ。凄まじい武技の冴えと苛烈なまでの用兵に、ただ蹂躙された。それ程の漢が、なぜ自身の傍にいない。何故メルキアから離れた。そう思えば思うほど、怒りと僅かな悲しみが胸の奥に生まれる。それ程までに、漆黒の騎馬隊に魅せられていた。

 

「次に会うときは、超えてみせるぞ、ユイン・シルヴェスト!」

 

 怒りを、力に変える。あれ程の力を持つ将軍が、メルキアから消えたと言う事実に、ヴァイスハイトはやるせない怒りを持て余していた。

 

 

 

 

 

 

 初めて人を殺したのは、まだ子供の頃の話であった。メルキア帝国バーニエ領の僻地。其処に馬を飼い、家族で暮らしていた。父が軍馬となる馬を増やす馬飼いの仕事で生計を立てていた為、幼少の時から馬には慣れ親しんでいた。6歳の時には仔馬を与えられ、それに愛情を注いでいた。子供ながらに、自分の弟だと思い、一緒に育った。馬自体は、もっと幼い頃から乗っていたが、自分の馬を与えられたのはソレが初めてであった。純粋に嬉しかったのは今でも思い出せる。

 

 どこにでもありそうな、小さな家庭だった。近所付き合いも円満だったと思う。10歳頃までは、友達と一緒に野を駆けたりもしていた。友人の一人の女の子が馬に乗れないと泣いたので、付きっきりで練習に付き合ったりなどもした。楽しく、幸せな生活だったのだと思う。そんな生活が永遠に続くと思っていた。

 

「やだ、嫌だ、助けて! お父さん、お母さん、ユイン!!」

 

 だが、現実には続く事は無かった。不作による、飢餓。首都から見れば、ただの不作だっただろうが、辺境では死活問題であった。食べるモノが食べられない。それだけで、人は鬼になる事を知った。俺たちの住んでいた村は、蓄えがありまだマシであったが、近くの村は絶えた。村人は賊徒と化していた。食べられないだけで、人間は変わった。そして始まったのは――

 

 殺戮と蹂躙であった。

 

 悲鳴が聞こえた。家族や、自分に助けを呼んでいた。共に過ごし、馬の乗り方を教えた女の子であった。数人の村人に組み伏せられ、服を無理やり脱がされている。怒りで我を忘れて、殴りかかった。所詮子供であり、簡単に倒された。歯を食いしばった。弱い自分がどうしようもなく許せなかったのを覚えている。悲鳴が辺りに響いていた。少女を、男たちが代わる代わる嬲っていた。聞きたくなかった。見たくなかった。何よりも、許せなかった。蹂躙する男たちが、助けられない弱い自分が。

 

 何時間経っただろうか。やがて悲鳴も聞こえなくなった頃になって、漸く体に力が戻ってきた。男たちはまだ夢中で少女を嬲っている。ただ、許せなかった。剣が落ちていた。男たちが嬲るのには邪魔だから、外していた。手に取る。許す事など、できる訳が無かった。

 

「――」

 

 夢中で少女を嬲る男に向かって。両手で剣を振り抜いた。鮮血が舞う。両手に不快な感覚が残ったが、心が動く事は無かった。驚く男たちを、容赦なく二人三人と斬り付けた。体が、紅く染まる。許せない。思う事は、それだけであった。気付けば、辺りは屍の山となっていた。

 

「あぁ――」

 

 少女と目があう。汚されて、最初は泣き喚いていた。だが、その時は虚ろな瞳で俺を見ていた。

 

「殺、して……」

 

 今にも消え入りそうな声で、懇願された。少女の両足は逃げられないように、深く斬られている事に気付いた。治療もできない、もう長く無いのは明らかであった。少女の言葉に、ただ小さく頷いた。剣を振り下す。飛び散った血が、頬にかかる。その熱に、終わり逝く生を感じた。涙が出る事は、無かった。

 

 

 

 

 

 

「嫌な夢だ」

 

 目が覚め、口に出たのはそれだった。幼い頃起きた、つまらない出来事である。誰にも話した事は無く、話す気にもならない、そんな話。家族は、失っていた。賊徒と化した村人たちに、殺されていたのだ。涙は出なかった。自分は冷たい人間なのだと、その時に気付いた。ただ、何か大事なものが無くなったのだけは感じる事が出来た。虚しいと言うのは、ああいう気持ちを言うのかもしれない。今だからこそ、そう思う。少女の名前など、今では思い出す事も出来ない。

 話自体は、別に珍しい事では無い。食べ物が無ければ、人間は鬼になるのだ。その暴徒も、数日で鎮圧された。バーニエ領元帥、エイフェリア・プラダが直接指揮を執っていた。全てが終わり、軍を返しているときに、エイフェリアに出会った。村人一人一人に謝罪をして回っていた。助けられなくてすまない、力不足で済まない、と。自分も謝られていた。何の感慨も湧かなかった。ただ、立派な人なんだと言う事は、解った。

 エイフェリアを恨む気は、起きなかった。恨むべき暴徒は皆討たれていた。その暴徒も、被害者であったのだ、と歳月を重ねる事で思えるようになった。飢饉を恨むなど、無駄だと悟った。人知の及ぶところでは無かった。だからこそ、自分が弱かったことを恨んだ。思えばこの時、強さに固執するようになったのかもしれない。今だからこそ、そう思う。恨みは、歳月が宥めてくれていた。誰よりも強く在る。それだけが、自分には残った。やがてそれは、自身の『誇り』へと変わる。そんなつまらない思い出だった。だが、自身の原点であることも事実だった。だからこそ、話すような事では無いのだ。

 

「まだまだ弱いのだな、私は……」

 

 呟く。弱いのだ。心が弱いから、何時までも引き摺る。傷が癒える事も、無い。だからこそ、強く在りたい。そう、渇望している。左手を動かす。持ち上がるが、義手は外されていた。ヴァイスハイトと刃を交えた時に、壊れたのを覚えている。天運。ソレを持っているのだろう。そう思った。だが、倒せない事など、ない。天が味方をすると言うのならば、天をも穿つだけなのだ。そう思うと、心が躍る。戦鬼とは違った意味での強大な敵に、思いを馳せる。笑みが、零れた。

 

「傷は、深いか」

 

 腹部を見て、そう思った。包帯が、赤黒く染まっている。どうやら今は傷口が塞がれているが、酷いものだったのだろうと予想できる。だが、生きていた。ならば、まだ戦えるのである。寝台から起き上がり、座る。座するほうが、気を充実させるのには都合がよかった。そのまま目を閉じる。体の内から、力が満ちていくのを感じる。普段に比べれば、悲しくなるほどに弱弱しい。だが、確かに気力は充実していく。ならば、時が身体を癒してくれるだろう。そう思い、目を閉じた。

 

 

 

 

 

「貴方は、何をしているのですか!?」

「む……」

 

 扉が開く気配を感じた。誰か来たのかと思ったところで、一喝される。エルミナ様であった。何の用だろうか、そんな事を思う。自分は負傷しており、流石に、これ以上動く事は無理だと判断していた。レイムレス要塞での決戦で、精根尽き果てていた。

 

「もう一度、聞きます。貴方は何をしているのですか?」

「座して、気を練っております」

 

 答える。嘘など言っていない。体に気を充実させれば、怪我をしていたとしても無理は聞くのだ。先の戦で立ち回れたことが、ソレを証明していた。そのため、気を充実させておくのは、軍人である自分には必要だと思えた。流石に即座に傷を癒す事は、できない。そのため、調練に耐えられる体では無かった。だからこそ、せめて気の充実を図ったと言う訳だ。

 

「ッ?! ~~!」

 

 自分の返答に、エルミナ様はこれでもかと言うほどに、地団太を踏んだ。何を怒っているのだ、この人は。そう思った。そのままエルミナ様を眺める。すこし、面白かった。

 

「あなたと言う人は、自分がどういう状態か解っているのですか!?」

「死の淵に立っていたが、戻ってきたと言うところですね。死線を、また一つ越えました」

 

 エルミナ様の言葉に、静かに答える。死線をまた一つ越えていた。死の淵に立っていたのだ。ソレを、乗り越えた。もしかしたら過去の夢を見たのは、死に近かったからかもしれない。そう思った。だが、超えた。死を乗り越えたのだ。死をも退けた。そう言う事なのだ。

 

「其処まで分かっているならば、なぜ無茶をするのですか。貴方は、死にたいのですか?」

「まさか」

 

 幾分落ち着いたエルミナ様の言葉に、ゆったりと答える。死にたいと思ったことは無かった。昔はあったが、今そう思う事は無い。とはいえ、だからといって死を厭う訳でも無い。戦えば、死ぬか生きる。どちらかなのだ。軍人である自分は、何時死ぬかわからない。それ故、既に死んでいるのかもしれない。そんな事を考える。

 

「エルミナ様。死線を超えた先に、新たな強さがあるのです。死が、人を更に強くする。私は、そう思うのですよ」

「だから、死線に足を入れると?」

「然り」

「ッ?! そんなのはおかしいです。死線の先にあるのは、死だけです」

 

 意見が衝突していた。死線の先にある強さと、死線の先にある死。どちらも、一つの結論であった。俺は前者を信じ、エルミナ様は後者を主張する。何度も聞いてきた、言葉であった。

 

「そうかもしれませんね。ですが、私はそれで命を落としたとしても、悔いなどありませんよ。それで、『誇り』は守れます」

「ふざけないでください。ならば貴方を待つ者はどうするのです? 貴方を失う者がどんな思いをすると――」

 

 冷淡に告げる。自分は元来冷たい人間なのだ。他者を見て滾る事は多い。だが、自分の事に関してはどうにも無頓着であった。そんな性格が伝わったのか、エルミナ様はさらに声を上げる。優しい人だ。そう、思った。

 

「失う物などありませんよ。私が死んだところで、顧みる者など、無いのです。何よりも、貴女が心配する事ではありません」

 

 声を遮り、告げる。自分には、麾下ぐらいしかいない。そして、麾下は自分が死しても戦いぬけるように育てていた。だからこそ、何も心配する事は無い。

 そう言えば一人だけ友と呼べる男がいた。尤も、俺が死んだところで、揺らぐほど弱い男ではないが。だからこそ友足り得る、気高き男がいた。なんとなく、久方ぶりに会いたくなった。どうせ静養を言い付けられる。尋ねてみるか。思考の隅で、そんな事を考える。既に自分の中で、この話は決着している。

 

「……ユン・ガソルにとっての大きな損失です」

「三銃士がおられます」

「しかし、貴方の力は本物です」

「ですが、変わりはいるのですよ」

「指揮官は、貴方です」

「副官のカイアスでも、十分に動けます」

 

 論争する気など、無かった。エルミナ様の言葉に、ただ事実だけを突きつける。それで良かった。話をしていて、目の前の女性が優しいと感じた。だが、軍を統括する者がそれではダメなのだ。将に執着していては、何れ重さに耐えきれず、自壊する。だからこそ、淡々と諭す。私など、顧みる必要はないと。

 

「それでも……」

「エルミナ様。私は、ただ一つ護れれば良いのです」

「……それは?」

「誇り」

 

 本心である。それだけ護れれば、良いのだ。無論、臣として王を守る為に死力は尽くす。王を見捨てる事は絶対にしないと誓った。だが、戦は何が起こるかわからない。志半ばで敗れる事があるかもしれない。その時には、『誇り』さえ護れれば良かった。

 

「貴方の誇りとは?」

「漢の誇りと言うのは、軽々しく口に出すものでは無いのですよ」

「そうですか、わたしでは……ッ。もう、良いです」

 

 気落ちしている。そう思った。だが、言葉をかけようとは思わない。エルミナ様が触れている場所は、自身にとって譲れない一線なのだ。それ故、三銃士が相手でも、例え相手が王だったとしても、妥協する事は無い。ソレが俺であり、ユイン・シルヴェストなのだ。

 

「……先の戦では、ありがとうございます。何時か、借りは返します」

 

 絞り出すように、エルミナ様は言った。声が少し震えているのが解った。だが、そう思っただけである。

 

「動くべき時に駆け、戦うべくして戦っただけです。恩義を感じる必要などありません」

「それでも、貴方に助けられました」

「貴女だから助けたのではありません。助けたのが、貴女だったと言うだけなのです」

「……」

 

 畳みかける。彼女は軍を統括する者であった。将など使い潰す。実際にそれでは人は付いて来ないが、その気概は持って貰いたかった。将が負傷したからと言って、心を乱してはいけないのだ。それでは軍人として、優しすぎる。壊れてしまうのだ。気高く、美しい。そんな女性だからこそ、そうなってほしくは無い。だからこそ、自分などに時間を割いてはダメなのである。エルミナ様は、王を、ユン・ガソルを支える主柱の一人なのだ。だからこそ、強く在ってほしい。そう願うのだ。

 

「失礼、します」

 

 そう言い、エルミナ様は退出していった。部屋を渦巻いていた険悪な空気が、消える。深く、溜息を吐いた。下手を打った。それだけは良く解っていた。

 

「貴女は、私等に気を割いてはいけないのですよ。そんな時があるならば、ただ強く在れ。ユン・ガソルの、王の為に」

 

 エルミナ様に求めているもの。ソレだけだった。三銃士の彼女が強く在る。それだけで、良いと思った。

 

 

 

 

 

 

「あの男はどうしてああなんですかッ」

 

 部屋を出たエルミナは、腹を立てていた。ユイン・シルヴェスト。その男の在り方についてである。強さに拘りを持ち、ソレを追い求める。ただただ苛烈な男であった。軍人として見れば、凄まじい戦果を挙げ、それでもなお慢心せずに上を見据え続けている。尊敬するに足る男なのだと、漸くエルミナも思えるようになっていた。それだけの戦果を挙げている事を、王であるギュランドロスから聞いていたのだ。

 ザフハの増援。その任についたユイン・シルヴェストは、あの戦鬼と刃を交えさせ、生き残っていたのである。負傷させられていた。だが、ザフハの部隊長救出と言う任務を受け、戦鬼を相手に立ち回り、部隊を殆ど傷つける事無く目標を達成している。あのメルキア最強と誉高い、キサラの精鋭相手にである。その手並みは峻烈でありながら、鮮やかであったとザフハの首長すら賞賛を送ったと言う。勝負には負けたが、試合には勝った。そんな戦果だったのだ。戦鬼ガルムス相手に引き分けたと言っても過言では無い。ユインはザフハの首長に敗北したと語ったらしいが、とてもそうは思えない。それほどの男だったのである。

 

「あんなに、酷い怪我をしているのと言うのに、なぜ自分を労わってくれないのですか」

 

 そして、先のレイムレス城塞での決戦。王であるギュランドロス様は、ユインを招集したが、ザフハから返ってきた書簡を見て、ユインの力を使う事は諦めたらしい。万全ならば、その速さを以て、戦場に辿り着ける。だが、負傷していた。腹を割られているのだ。致命傷でこそないが、まともに動けるとは思えない。少なくとも、自分ならば倒れ伏しているだろう。エルミナはそんな事を思う。

 だが、ユイン・シルヴェストは来た。主であるギュランドロスが驚く程の速さ。ザフハ領を経由して、増援に向かっている部隊に追い付いてきたのだ。その道のりは、漆黒の騎馬隊を以てしてでも、長い。駆けに駆け続けて、漸くたどり着けるほどの道程。ソレを、一人の脱落者も出さず、率いてきたのだ。重傷を負っているにも関わらず。そして、ギュランドロスに重傷を負っている事を気取らせる事無く、素知らぬ顔をして戦線に加わったのだ。

 そして、助けられた。エルミナとパティルナが二人掛かりでも止められなかったヴァイスハイト・ツェリンダー。ソレを、容易く退けたのである。眼前で駆けまわる漆黒は、鮮やかだった。闇の中で淡く光る、真紅。今でも思い浮かべる事が出来る。夜を駆ける騎馬隊は、それ程までにエルミナの心を魅了していた。強い。心の底から、思った。それ程の将が味方だと思うと、敗戦で萎えた心が、再び燃え上がった。後一撃、そこまで追い詰めたところで、ユインは止まった。その時はなぜ討たないのかと疑問に思ったが、義手が壊れたと後で聞いた。ヴァイスハイトに運が味方したのであった。ソレが無ければ、討ち果たせていたとエルミナは思う。それほどの男だったのだ。ユインシルヴェストは。

 

「馬鹿です。どうしようもない、馬鹿です……」

 

 そして、その男が倒れた。エルミナは、直前まで、強く抱かれていた。思えば、そうしていないと倒れてしまうほど、傷が深かったのだと気付いた。馬上からゆっくりと地に崩れ落ちる姿を見た時、言い知れぬ不安に駆られた。控えていた副官が、慌てて受け止めるのを見た。即座に鎧を外す。血が、広がっている。これ程までの傷を負っていると言うのに、なぜ気が付かなかった。なぜ隠し通せたのか。そう、思った。そして、認めた。認めるしかなかった。この男は、何処までもギュランドロス様に心服しているのだと。偽りの忠義では、ここまでの深い傷を負いながらも戦場に出るなど、できる筈がないのだから。

 

「あれ? どうしたのエル姉。なんか怒ってるね」

「怒ってなど、いません! おこる理由なんかありません」

「いや、絶対怒ってるよ……」

 

 パティルナとすれ違った。思わずパティルナが尋ねてしまうほどに、今のエルミナは怒気を発している。怒り心頭。そう言うのが相応しい。言い返すエルミナに、パティルナは苦笑を浮かべる。どう見ても怒っているのだ。

 

「ユイン・シルヴェストに会いに行きました」

「へぇ、エル姉から尋ねるなんてなんか意外だな」

「……助けて貰ったのです。礼を言うのは当たり前でしょう」

「まぁ、そうだよね。あたしもそのつもりだったからさ。でも、何を言われたのさ?」

 

 言葉にすると、エルミナの中では怒りよりも、別の感情が浮かんだ。突き放された。そう思うと、無性に悲しかった。ようやく心から認める事が出来た相手。その男に拒絶されたのが、エルミナにとって、思いの外苦しかったのだ。そんな言葉に形容しがたい気持ちを、エルミナは持て余していた。

 

「拒絶されました。ユインの事など、顧みる必要はないと言われました」

「ははぁん。そう言う事か。エル姉も不器用だけど、ユインも相当だなぁ……」

 

 エルミナの言葉に、パティルナはどういう事があったのか大まかに想像がついた。要は、エルミナは個人として話、ユインは軍人として話していたのだ。それでは両者に溝ができるのは仕方が無い。パティルナは瞬時に理解し、苦笑した。パティルナからすれば、不器用な似た者同士だった。

 

「エル姉、多分それは違うよ。拒絶したんじゃない。寧ろ、ユインはエル姉の事を心配してるんじゃないかな?」

「意味が解りません。どうしてそうなるのですか?」

「だって、ユインだし。前提に、軍人としての思考があるもん。だから、考える事は全部ギュランドロス様、ひいてはユン・ガソルの事を優先するんだと思うなぁ」

 

 パティルナが困ったように言った。一歩引いたところから二人を見ていると、容易に解った。かみ合っていないのだ。軍人として、ただユン・ガソルの為を思うユインと、助けられた事に対して感謝の意を示しているエルミナ。根本的なところで、ずれているのだ。だからこそ、通じ合わなかった。

 

「では、あの男は自分の事では無く、ユン・ガソルの為に?」

「うん。特にエル姉は軍を統括しているからね。ユインからしたら、そんな要職についてる人が自分に時間を割くのが堪えられなかったんじゃないかな?」

「なんですか、それは……」

 

 パティルナの言葉に、漸くユインの意図に気付いた。ぐるぐると、様々な感情がエルミナの中で渦巻く。そして、限界を迎えた。パティルナの顔が若干引き攣った。やっちゃったと、その顔が告げている。

 

「どうして、あの男は、そうも自身を顧みないのですか! 今回だって死ぬ一歩手前まで行ったんですよ!?」

「いや、それをあたしに言われても困るなぁ」

「うう……、イライラします。どうしてメルキアの男と言うのは、こうも私の心を乱すのですか!?」

「だから、知らないってば」

 

 怒り狂うエルミナに、パティルナは溜息をもらす。沈んでいるエルミナはらしくないが、怒り狂っているエルミナはそれはそれで面倒なのだ。

 

「顧みるな? ならもっと自分を労われば良いじゃないですか。傷を負って、それを隠して、無茶をして、倒れる。そんなことをされたら、心配で放っておける訳が無いじゃないですか。それなのに自分を棚に上げて、私の事を心配している? 笑わせないでください!!」

「ああ、うん。そうだよね。エル姉の言うとおりだよ」

 

 パティルナはもう、めんどくさそうに話を合わせている。心底どうでも良いと言った具合であった。

 

「あの男の思うようになってなんかあげません。絶対、考えを改めさせます」

「そっか、頑張ってね」

「はい!」

 

 変なスイッチを入れてしまった。パティルナはそう思った。ごめんユイン。あたしにこれを止める事は無理だよ。パティルナは内心でそう謝罪を告げた。

 




そのうち連載のペースを少し落とすかもしれません。魔導巧殻をまだやり足らないんですが、やる時間が無いw


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11話 天賦と天稟

「ふむ……。やはり、どう足掻いても負けるか」

 

 顎に右手を添え、戦戯盤を見据えながら、呟く。目の前には二つの陣営に別れ、睨み合っている駒があった。戦戯盤。卓上で兵士を模した駒を用い、疑似的に戦をする道具である。ソレを実際に起った戦の分析をすることに用いていた。陣営はユン・ガソルとメルキア帝国。エルミナ様が敗れ、甚大な被害を被ったと言う、メルキアの新兵器が投入された戦を分析していた。

 

「事前に、情報が無ければどうにもならんな」

 

 メルキアの新兵器に関する情報は、戦が始まった時には何もなかった。前哨戦に出ていた敵総指揮官のヴァイスハイトすらもその事を知らなかったようだと、直接相対したエルミナ様の報告書に記されていたと王より聞いていた。前線の総指揮官すら知らないのだ。敵陣営であるエルミナ様が知る由もない。つまりは、先の戦により砲撃を防ぐ手立ては無かったと言う事になる。どのように戦ったとしても、砲撃は放たれる。ソレを考慮すると、この戦に勝つ手段は無いように思える。

 正確には無い事も無いのだが、敵総指揮官のヴァイスハイトが曲者なのだ。彼の将が実によく戦い抜き、戦線を守り抜いた。寡兵を以てユン・ガソルの大軍を凌ぎきる将器は、侮りがたいものがあった。流石はメルキアの新元帥と言ったところだろうか。

 先の戦で相対したメルキアの将軍ヴァイスハイトは、今はメルキア軍の東領元帥に就任したと聞いていた。エルミナ様とパティルナ様。その二人が守るレイムレス要塞を落とすほどの手腕である。その実力は疑う余地が無いと思えた。前回は勝つ事が出来た。相手は疲弊し、此方は万全だったのだ。勝つべくして勝った。それだけであった。全力でぶつかり合えば、どちらに軍配が上がるのか。想像するだけで心が躍る。天運を持つ者であった。相手にとって不足は無い。

 

「ふむ。となれば、この戦が始まった時点で負けていたと考えるべきか……」

 

 少々脱線していた思考を修正する。強き者の事を考えると、どうも楽しくて仕方が無い。自分らしくはあるが、悪い癖であった。

 つまり、この戦いを行わせてはいけなかったのだ。そこまでいかないにしても、メルキア本体を足止めできていれば、やりようはあったかもしれない。ある意味では、ザフハの増援として戦った自分が不甲斐なかったからエルミナ様は敗れたともいえない事は無い。そう、思った。

 

「不甲斐ないな。だが、だからこそ強く在りたいと思える」

 

 過ぎた事を言っても仕方が無い。だからこそ、そういう面もあったのだと心に刻み付ける。戒めであった。驕りは、人を曇らせる。だからこそ、戒めるのだ。自身は頂にはいない。どれだけ強くなろうとも、常にそう思い続ける。そうする事で、終わりの無い頂を目指す事が出来るのだ。限界など、知った事では無い。

 

「ふ、私もまだまだ弱いな」

「いやいや。お前さんは充分強いと思うぜ」

「おや、また逃げて来られたのですか?」

 

 独り言に返す声があった。視線を動かさずとも解る。自身の主であった。戦戯盤を見据えたまま、返す。負傷し、倒れた後に静養する事を命じられた。その為自宅で大人しくしているのだが、王は度々俺を訪ねてくる。大体は、エルミナ様の小言を聞くのに飽きたとかそんな理由だった。主であるギュランドロス様は、何処まで行ってもゆがみが無かった。苦笑が漏れる。今頃エルミナ様は烈火の如く怒り狂っているだろう。その綺麗な金色色の髪を靡かせながら、城内を探し回っている光景が容易に想像できた。

 

「ご挨拶だな、ユイン」

「王は、日頃の行いが行いですからね。三銃士、と言うよりはエルミナ様が文句を言っている姿が目に浮かびますよ」

「はっは。ソレが俺だ。ギュランドロス・ヴァスガンと言う男だ」

「くく、全くです。貴方のような器を持つ者を、私は知りませんよ」

 

 王と言葉を交える。豪快で大きな器を持つ漢なのだ。何が来ようとも泰然と構える事が出来、揺るがない。それ程の漢であった。尤も、その偉大なところは、今はエルミナ様から逃げると言う事に使われていたりするが。そんな傍若無人なところも、王の魅力と言える。面白い男だ。そう思う。

 

「だっはっは。あんまり褒めんなよ。照れるじゃねぇか」

「ふ、ご冗談を。この程度の賞賛で照れる程可愛い器ではありますまい」

「くく、ばれたか」

 

 この男が照れる事があるのだろうか。そんな事を思いながら、言葉を返す。豪快にして、磊落。そんな自身の主でも照れる事があるのなら、一度ぐらいは見てみたいものだ。そんな事を思う。

 

「して、今日は何用でしょうか?」

「ああ、傷の具合はどうかと思ってな」

 

 雑談も程ほどにして、本題に入る。王は度々逃げて来るが、何の用も無く訪ねてくるほど暇では無い。行き当たりばったりの様に見えて、その実周到なところがあるのだ。尤も、快楽主義なところもあり、本当にノリだけで動く事もあるが、そこはご愛嬌と言ったところだ。

 

「順調に回復はしているようですね。稀に咳き込むこともありますが、その時以外は極めて良好です」

「ふむ。とは言え、暫くは戦には出れんだろう?」

「そうですね……。本調子では無い、と言ったところです。出ようと思えば、出られますよ。押し通す事など、苦ではありませんからね」

「やめい! そんな事させたら、エルミナが何を言うか解らん」

 

 無理を押し通す事など、どうと言う事は無かった。自分は軍人であり、この方の矛であり盾なのだ。出ろと言うならば、どのような状態だろうと、戦場を駆ける意思があった。とは言え、この場では自分なりの冗談ではあるが。

 

「くく、冗談ですよ。流石の私も、何度もエルミナ様に怒鳴られる趣味はありませんのでね」

「まったく。お前の場合は本気で出陣しかねないから、性質が悪い」

「ソレは申し訳ない」

「なに、気にしてないさ。お前のその忠誠心、嬉しく思うぜ」

「私には、勿体なき言葉です」

 

 主が、くくっと笑いながら言った。以前の主とは、驚くほど違う。そう思った。

 メルキア軍、東方元帥ノイアス・エンシュミオス。嘗て、自身が仕えた男を思い出す。人を顧みない人だった。そんな印象が強い。何を成したとしても、言葉をかけられる事は無かった。多少の労いの言葉はあったが、心は籠っていない。そんな方であった。それ程他者を信じないのだろう、そう思った。

 そんな男を主として仰いでいた。理由はそう難しい事では無かった。消去法だ。

 キサラの戦鬼。その武名は知っていた。だからこそ、その下で戦う事を良しとはしなかった。戦鬼の下で戦っても、戦鬼には勝てない。そう思ったのだ。強く在る。ソレを成すには、戦鬼の下につくのではなく、横に立てる位置につきたかった。

 故郷である、バーニエ領。西方の元帥、エイフェリア・プラダが治めていた。本来仕えるとしたら、この女性だったのだろう。そう思う。碧髪が印象的な、美しい女性であった。幼少の頃、言葉を交わした。村人に真摯に謝罪していたのを覚えている。両手を持って謝罪されたとき、その瞳に光るものを見た。主とするには申し分ない人だと、今でも思う。だが、バーニエ領には思い出があり過ぎた。彼女を恨んではいない。ソレは本心だが、自身ではエイフェリアを支えられない。そう思った。

 南方の元帥オルファン・ザイルード率いるディナスティ領。メルキアの宰相を務める男であった。聡明にして、果敢。それでありながら、思慮深い傑物。当時は知らなかったが、配下にはあのヴァイスハイトもいた。元帥から配下に至るまで、人材は豊富であった。だからこそ、自分が仕官する意義を見出せなかった。

 残ったのがメルキア東方のセンタクス領。ノイアス元帥だった。知将として名を馳せた男であった。だが、それだけであり、他の元帥と比べれば見劣りしていた。特筆すべき知も、オルファン元帥が居たため、あまり目立ってはいなかった。配下も、突出したものが居ないようで、並であった。だが、ユン・ガソルやザフハを相手によく守っていた。地味ではあるが、堅実。その地力がノイアス元帥の強みであったのかもしれない。この男の下にいれば、より多く戦える。そう思った。強く在る。自身の在り方を貫くにも、ノイアス元帥につくのが一番であった。

 

「どうした、ユイン?」

「いや、私は主に恵まれたのだと、そう思っていました」

 

 黙り込んだことで怪訝に思ったのか、王が俺に声をかける。それに、苦笑しながら答える。ノイアス元帥に仕えていたが、今はギュランドロス・ヴァスガンが主であった。仕えるべき、偉大な漢だった。

 

「ふ、何を今更。ソレはそうとユイン、余興に付き合わないか?」

「余興、ですか?」

 

 唐突に王が言った。

 

「ああ、今から三枚コインを投げる。それの表か裏かを当てるだけだ」

「ふむ。コイントスですか」

「ああ、別に当てても外しても、何にもない」

「解りました。付き合いましょう」

「お、話が分かるな!」

 

 王の言葉を承諾する。すると、心底楽しそうにしながら古びた硬貨を取り出した。古いだけで、何の変哲もない硬貨であった。何の力も感じる事は無く、魔法具とも思えない。

 

「では、裏裏表」

「ならおれは全部裏だ」

 

 互いに予想を言う。主の言葉に、わざと予想を被せてきたのだろう。そう思った。硬貨が、舞う。

静寂の中を、硬貨が地に落ちる音だけが響き渡った。

 

「お見事」

 

 硬貨は、全て裏を剥いていた。二対三で主の勝利であった。

 

「ふむ。運は中々……か」

 

 主がそう漏らした。コイントスで運を見極めたと言う事か。何の意図があるのだろう。考えてみても解らなかった。

 

「ユイン。外に出られるか?」

「問題ありません」

 

 思うところがあったのだろう。次はそんな事を言い出した。答えなど決まっている。主が動けと言うのならば、動くだけである。体の気も充実している。出ようと思えば戦にも出れる。そう思った。

 

「なら、少し付き合え」

「御心のままに」

 

 主の言葉に、静かに答える。軍装に着替える必要は無かった。指揮官の外套だけを羽織り、主と共に家を出た。

 

 

 

 

「うーん。こんなもの何に使うのかしら?」

 

 訓練場。三銃士の一人にして、ギュランドロスの妻であるルイーネ・サーキュリーは、今にも折れそうな二振りの剣を見て呟いた。元々強度の強い剣では無かったソレは、刀身に無数のひびが入っている。その二振りをぶつかり合わせれば、どちらも音を立てて崩れる。既に寿命を終えたと言える剣であった。そんなものを何に使おうと言うのか。ルイーネにそれを用意させたギュランドロスの意図を、ルイーネはイマイチ測り兼ねていた。ただ、ギュランドロスが実に楽しそうなので、思わず用意してしまったのだ。自分は自分の夫に心底惚れているのだと、ルイーネは思った。

 

「よう、ルイーネ。待たせたな」

「これは、ルイーネ様。お久しぶりです」

 

 剣を眺めているルイーネに声をかける者があった。ギュランドロスとユインである。二人は馬を引き、ルイーネの傍らまで来ていた。

 

「あらあら、お久しぶりですねユインさん。身体の具合はどうですか?」

「おかげさまで、良好と言ったところですね。この通り、何とか外出できるぐらいには回復しました」

「おい、ルイーネ。此奴の言う事は間に受けるなよ。腹が割れてても平然と軍営に耐える男だ」

「むぅ……」

「あらあら」

 

 ルイーネの言葉に、ユインは穏やかに答える。平然と歩いてくるので、倒れたところを見ていないルイーネには、ユインが怪我をしているようには思えなかった。ユインの言葉にギュランドロスが呆れたように言う。目の前には腹部に重傷を負いながら騎馬隊を率い駆けに駆け、そのまま戦線に参加し、戦況を覆した化け物なのだ。常人の枠に入れるなとギュランドロスは言外にそう告げる。

 

「それでギュランドロス様、用意はしておきましたけど、これは何に使うんですか?」

「ん、ああ。ちょいとユインと勝負しようと思ってな」

「ほう。私と戦うと?」

 

 ギュランドロスの言葉に、ユインの目に光が宿る。強く在る事だけにこだわる男。ルイーネはギュランドロスからユインについてそう聞いていたが、その瞳を見たらそれは事実だと思えた。心底楽しそうなのである。

 

「ああ。だが、その体ではまともに戦えまい」

「くく、そんな事はありませんよ」

 

 ユインはそう言い、馬に飛び乗る。その動作は実に軽快で、本当に負傷しているのかと疑いたくなる程であった。

 

「ここに来る時も聞こうと思ったんだが、お前なんで馬に乗れるんだよ。腹が割れてるんだぞ」

「偏に慣れ、ですね。気を充実させれば、多少の無理は効くのですよ」

「いや、無理すんな。エルミナの小言は結構鬱陶しいんだぞ!」

「ふふ、善処はしましょう」

 

 ユインの言葉にギュランドロスが突っ込みを入れる。二人ともどこか楽しそうに笑っていた。ルイーネはソレを見て、少しだけ羨ましく思った。男同士の友情と言うのはこう言うのなのだろうか。そんな事を思う。

 

「っと、ルイーネ、剣を頼む」

「はいはい。二人ともどうぞ」

 

 そう言い、ルイーネは二人に剣を渡す。ひび割れて今にも折れそうな剣。一振りずつ宛がった。

 

「さっきの続きだ、ユイン。今度は剣をぶつかり合わせ、相手の剣を折った方が勝ちだ」

「承知しました。では参りましょうか」

 

 ギュランドロスの言葉に、ユインは即座に承諾した。先に三連コイントスをすると、ルイーネはギュランドロスに聞いていた。それの続きと言う事なのだろう。結果は聞かずとも解った。ギュランドロスは、今まで生きてきた中で、三連コイントスで負けた事が無いのである。あり得ない事なのだが、事実である。古くから共に在るルイーネは彼が三連コイントスで全てを当てるさまを見続けてきたのだ。

 

「まて、ユイン。一つだけ約束しろ」

「何でしょう?」

「これを戦争だと思え。負けたら、死ぬ。ユン・ガソルが滅ぶ。その覚悟で、来い」

 

 不思議そうに問い返すユインに、ギュランドロスは死ぬ気で来いと告げた。それに何の意味があるのだろう? ルイーネはそう思った。

 

「……。承知」

 

 ユインが静かに言った。瞬間、空気が震えた。震えたように、ルイーネは感じた。それ程の圧力を感じた。

 

「はっは。良いね、良いね。最高だよお前は。それでこそ俺の見込んだ男だ!」

 

 ソレを真正面から受け、豪快にギュランドロスは笑う。覇気に溢れていた。先ほどまで楽しそうにしていたのに、今から殺し合いでもする気なのか。ルイーネはそう思うも、両者の気迫に言葉が出ない。

 

「王よ、今この場だけは、貴方は倒すべき敵だ。行くぞ」

「はっ、来な、ユイン・シルヴェスト!!」

「その刀身、貰い受ける」

 

 ユインとギュランドロスの馬が駆ける。一度距離を取った。助走をつけ、一気に速度を上げる。疾駆。両者の最高速度を以て、交錯した。轟音が鳴り響いた。土煙が舞う。大砲でも直撃したかのような衝撃が辺りを包みこんだ。

 

「くく、ははは……」

「まぁ、こんなものでしょう」

 

 ギュランドロスとユインの声が響き渡る。土煙から二人の姿が見えた。剣。両者の持つソレ。片割れだけが折れていた。ギュランドロスが持つモノであった。あれ程の衝撃を受けながら、ユインの持つ剣は折れてはいなかった。あり得ない、ルイーネはそう思った。

 

「王よ。期待には応えられましたか?」

「最っ高だよ、お前は!! くくく、だっはっはっは!!」

 

 二人はどちらとも無く馬を寄せる。ユインが静かに声をかけた。それにギュランドロスは心底楽しそうに答える。ユインの肩に手を回し、声を上げていた。

 

「何事ですか!?」

「あ、エルちゃん。うーん、あの二人がちょっとね」

 

 訓練所を襲った衝撃破。王と漆黒。両者が全力でぶつかり合ったその轟音に、ギュランドロスを探して近くまで来ていたエルミナが慌てて駆け寄ってきた。それ程までの、ぶつかり合いだった。

 

「おや、エルミナ様」

「あなたはっ、何をっ、しているのですかっ!?」

「少し王のお相手を」

「バカなんですか!? 静養を言い渡された貴方が、なんで騎乗して剣を持っているんです」

「ソレが、王の望みでしたので」

「ギュランドロス様が望めば、何でもするんですか。ああ、もう、来なさい、ユイン・シルヴェスト。やはり貴方には、言わなければいけません!!」

 

 ユインを馬から引き摺り下ろし、エルミナは説教を始める。それに困ったような顔をしながら、ユインは従った。今回は流石に自分が悪い。そんな事を思っているのだろう。そのままエルミナに手を引かれて行った。

 

 

 

 

 

「なぁ、ルイーネ」

 

 そんなユインを見送って、ギュランドロスは静かにルイーネに声をかける。

 

「何ですか? ギュランドロス様」

「俺はな、ユインに勝つつもりで全力を出した」

「それは……」

 

 天賦の才。ヴァイスハイトと同じ、ソレを持つギュランドロスであった。成したいと思える事が成せる、絶対的な強運を引き寄せる力。それが、ギュランドロスの持つ才であった。ソレを持つギュランドロスがユインの剣を折ると決めて全力を賭して勝負をしたのにも拘らず、折れなかった。

 

「先に、三連コイントスをした」

「……結果はどうなったんですか?」

「俺の勝ちだったな」

 

 聞かなくても解る筈の問い。ルイーネはソレをしていた。思わず息を呑むが、結果はルイーネの思ったとおりである。

 

「そうですか」

「俺はな、ルイーネ。あの男に、三銃士に次ぐ力を期待していた」

 

 ギュランドロスはそのまま続ける。

 

「ユインがこれまで戦った戦を覚えているか?」

「はい。実際見た訳ではありませんが、報告には目を通しています」

「そうか、ならば詳しく教えてやろう。最初は、ユン・ガソルに奇襲を仕掛けてきた」

 

 ギュランドロスは、ルイーネにユインの戦について語りだす。ギュランドロス様は何が言いたいのだろうか。ルイーネはそう思いつつも、言葉に耳を傾ける。

 

「凄まじい、奇襲だった。成す術も無く前衛が突破され、一直線に俺に向かって来た。あと少しで首を取られる。その距離まで迫られたところで、間一髪でエルミナが間に合い、割って入ったことで討たれずに済んだ。それでも完敗だった」

「ええ、エルちゃんからも聞いています」

「二回目は、その日のうちにメルキアに夜襲をかけた時だった。惨敗したその日に夜襲をかけて来るなど無いと踏んでいたメルキアに、痛打を与えた。だが、ユインが立ち塞がった。その戦い自体は俺たちが勝ったが、メルキア軍を討ち果たす事はできなかった」

「東領元帥ノイアスは、その戦で死んだと思われます」

「だが、勝ちきれなかった。偏にユインの部隊が邪魔をしたからだ。アレが無かったら、メルキア軍を潰走させることも可能だった。ソレをただ一人に防がれた。言わば、あの戦いはユインただ一人に覆されたんだ」

「確かにそうも見れますが……」

 

 ギュランドロスの言葉を聞き、ルイーネは頷く。少し強引だが、敵であったころからユインの成している戦果は特筆すべきものがあった。戦自体は負けているが、その戦いはどこまでも苛烈であった。

 

「新兵を率いて、エルミナとぶつかった。エルミナも新兵を率いていたが、半数の兵を以て、エルミナの指揮する軍を打ち破った」

「ソレは見ていました。ユン・ガソルのどの騎馬隊と比べても、鮮やかな手並みだったと思います」

「だな。たとえ騎兵であることを考慮しても、あいつは強すぎる。パティも、評価していた」

「そうなんですか?」

「ああ、で、その次がザフハへの増援。他の部隊では到底間に合わない行程を苦も無く辿り着き、あのキサラの戦鬼とぶつかり合った」

「そこで、負傷したんでしたね」

 

 ルイーネの言葉にギュランドロスは静かに頷いた。そのまま続ける。

 

「ああ。センタクスの敗残兵を用いた陽動にいち早く気付き、ザフハの戦線が壊滅するのを阻止した。前線こそ壊滅間近だったが、その部隊を指揮する部族長の救出を成している。驚くべきところは、鮮血の魔女が指揮するキサラの兵を相手にし、戦鬼ガルムスとぶつかり合ったにも拘らず、部隊がほぼ無傷だったことだ」

「戦鬼に個人の武勇こそ負けていますが、将として課せられた任務は見事にこなしていますね。勝負に負けて、試合に勝ったと言うところですか?」

「ああ、そう言う事だ。ザフハの首長アルフィミア・ザラですら賞賛の言葉を送ってきた」

 

 戦鬼ガルムスとぶつかり合った。ユイン本人は完膚なきまでの敗北を喫したと語っていたが、戦果だけ見れば十分に挙げていると言えた。寧ろ、壊滅するはずだったザフハ軍を守りきり、その部族長をも救い出した点を考えれば、500の増援としてはあり得ないほどの戦果であった。

 

「そして、最後は先のレイムレス要塞の戦い」

「エルちゃんとパティちゃんでも守り切れなかったと言う、ヴァイスハイトとの戦いですね」

「ああ。ザフハ領を経由して戻ってきたユインは俺の率いる本体と合流し、レイムレス要塞救援に向かった。辿り着いたとき、要塞自体は既に陥落していた。それ故、エルミナから報告が上がっていた、敵将軍であるヴァイスハイトを試すためにユインをぶつけた。ヴァイスハイトは間違いなく天賦の才を持つ、そう確信していたからこそ、凌ぎきると思っていた」

「実際、凌ぎきりましたね」

 

 その言葉にギュランドロスは頷く。ヴァイスハイトは、その天運を以て、九死に一生を得ていた。

 

「ああ、だが、ユインは俺の予想の遥かに上を行った。天賦の才を持つヴァイスハイト、その男と優秀な副官、更にはメルキア元帥のみが持つと言われる魔導巧殻。ソレを同時に相手をして、あっさりと勝ちやがった」

「しかし、ソレはエルちゃんたちと戦った直後だったからではないですか?」

「ソレはある。だが、ソレを差し引いたとしても、あの男は強すぎるんだよ。ユインの部隊とて、キサラの精兵を相手にとりそのまま休むことなく駆けに駆け、レイムレス城塞まで来ているんだぞ。指揮官であるユインなど、本来なら動く事すら不可能と思える傷を負っているのにも拘らず、だ」

「たしかに、強すぎますね」

 

 ギュランドロスは語る。ユイン・シルヴェストと言う男の強さを。エルミナとパティルナ。ユン・ガソルの誇る三銃士二人が守っていた要塞。ソレを落としたヴァイスハイトが指揮する軍だった。例え戦いの直後だったとしても、あれほど鮮やかに倒せるものなのかと、ギュランドロスは語る。指揮官のユイン・シルヴェスト。戦鬼に敗れ、腹を割られていたのだ。動ける事すら、あり得ないのではないだろうか。

 

「何より気付いたか、ルイーネ?」

「……何をですか?」

 

 畳みかけるようにギュランドロスは続ける。その言葉に、ルイーネは意識を集中させる。なにか、凄まじい事を言われる気がした。

 

「あの男は、負けてないんだよ」

「どういう事ですか?」

 

 敗戦の方が多いのではないだろうか? ルイーネはそう思った。

 

「ユインは一将軍だ。総大将を行った事は無い。それ故全軍を指揮する立場にはない。その為、大局で見れば負け戦が多いように見える。だが、ことユイン・シルヴェストの率いる軍が出した戦果だけを見て見ろ」

「……まさか」

 

 ルイーネはギュランドロス言おうとしている事に気が付いた。あり得ない。そう思った。

 

「あの男は一度足りとも負けて無い(・・・・・・・・・・・)。キサラの戦鬼や、俺と同じ天賦の才を持つ筈のヴァイスハイトですら、将軍としては奴に負けている。個人の武勇ではなく、奴を将軍として破った者はいないんだ」

「ですが……、ユン・ガソルは勝ちました」

「アレを勝ったと言うのか、ルイーネ? センタクス全軍を壊滅させることができる状況にありながら、ユイン率いるただ一つの部隊の為に、追撃をする事すらできなかったあの敗北を」

「……それは」

 

 ルイーネは言葉を失う。確かに勝てなかったのだ。ユインの部隊を壊滅する事には成功した。だが、ソレは全軍で押しつぶしたからだった。そして、押しつぶすのに時間がかかり過ぎたのだ。たった一つの部隊を潰すために全軍で動かざる得ないほどに強かった。

 

「そこまで考えたところで、俺はある可能性を見た。あの男も持っているんじゃないかってな」

「ですが、ギュランドロス様が勝たれました」

「ああ、勝った。余興(・・)ではな」

「まさか先ほどの戦だと思えって言うのは」

「ああ。そう言う事だ」

 

 ギュランドロスの言おうとしている事を、ルイーネは全て理解した。ユイン・シルヴェストは持っていると言うのだ。王と同じものを。

 

「天賦の才、ですか?」

「はっは。流石はルイーネだ。良い線行ってる。だが違うな」

「では、何を持っているんですか?」

 

 しかし、ソレをギュランドロス自ら否定する。ならば何を持っているのだろう? ルイーネは尋ねる。

 

「アレはな、ルイーネ。俺やヴァイスハイトとは似て非なる才だ。三銃士とも違う。言うならば戦のみに特化した才能」

「戦のみ、ですか?」

「ああ、それ故、個人武勇では戦鬼に敗れた。だが、将軍として見れば、ユインは完勝したと言える。あのキサラの戦鬼と、鮮血の魔女にだ。その才は天が与えたと言っても過言では無い。だが、俺とは異なる才。すなわち天稟」

「天稟」

 

 ルイーネはただ、ギュランドロスの言葉を復唱する。言葉が、出ないのだ。それ程までにギュランドロスの言葉に魅せられている。熱い。ルイーネはぼんやりとそう思った。

 

「ユイン・シルヴェストが持つ才。こと戦争においてにのみに特化し、他の追随を許さない異才。言うならば、どんな状況でも勝利を引き寄せる力。軍神のみが持つべき才。それは、俺の天賦の才を以てしても覆す事が出来ないモノだった」

「それは?」

 

 ギュランドロスは、そこで一度言葉を切った。ルイーネが喉を鳴らし、促す。

 

『天稟の軍才だ』

 

 そう、ギュランドロスは静かに告げた。高揚していた。ギュランドロスの内から溢れ出す、純粋な高揚に充てられ、ルイーネもまた気分が昂っていた。

 

「天賦の才に、天稟の軍才が加わった。楽しくなってきたと思わないか?」

 

 ギュランドロスの問い、ルイーネはただ微笑み、頷いた。

 



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12話 休息

「今日は、駆けるぞ」

 

 愛馬に声をかける。既にこの身は軍装を纏い、指揮官用の漆黒の外套を羽織っていた。流石に、鎧を纏う事は出来なかったが、首元には、真紅の魔布を巻き付ける。それは自身の率いる漆黒の騎馬隊を象徴すると同時に、仲間である者を見極める、一種の証しだった。

 今回着替えてはいるが、軍営に向かう訳では無かった。未だ、体は万全ではない。寧ろ、まだ悪いと言えるだろう。腹部の違和感はいまだに続いており、稀に咳き込むこともある。吐き出すものは少しだけ紅く、血の味が広がる事も度々あった。だが、動く事が出来る程度には、回復していると言えた。気力も充実してきており、無理をすれば行軍にも耐えられるだろう。その為、今日は愛馬を思う存分駆けさせようと思っていた。馬は、ある程度走らせないといけないのだ。走らせなければ体が固まってしまう。馬とて人間と同じで、鍛錬を怠れば鈍ると言う事だった。自宅の厩舎から愛馬を出し、手綱を引く。

 

 自宅は、王都ロンテグリフの片隅にひっそりと宛がわれていた。元々降伏した将であったため、家はさほど大きくなかった。自分にはそれで良い、と思ってもいた。軍人である。仕事柄、軍営にいる方が多く、自分にはその方が合っているとも思っていた。

 家は小さいが、代わりに大きな厩舎が備え付けられている。愛馬を今し方出したのも、ここだ。自身は騎馬隊の指揮官であった。それ故、王が気を使ってくれたのだろう。厩舎は立派なモノであった。家が大きいよりも、厩舎が大きい事の方がはるかに有りがたかったのだ。飼おうと思えば、3頭の馬を飼う事が出来る。個人が持つには中々の大きさであった。比べてみると、自宅よりも立派かも知れない。ソレが、如何にも自分らしいと思えた。

 

「あまり駆けさせる事ができず、すまなかったな」

 

 愛馬の灰色の毛並を撫でながら、呟く。灰色とも、銀色とも取れる、見事な毛並みであった。例えるなら昼間に見える月、白夜の月のようであった。見惚れるほどに美しく、その毛並みを見ているだけで、充分に時間を潰せるだろうと思った。純粋に、美しいのである。その気高き姿に、俺は魅せられているのだ。

 愛馬は類稀な名馬だった。駆ける時は果敢なまでに駆け、本気で疾駆したときの速さは、影すら残らないと思える程の速さであった。そして、よく耐える。長時間の疾駆も可能である。騎乗する自分の事も良く解っており、頭も良い。俺には勿体ない程の名馬と言えた。馬首を軽く抱きしめる。愛馬の放つ熱が、心地良かった。静かに愛馬が嘶く。心が通じ合っている、そう思った。

 

 

 

 

 

「おや、ユイン将軍じゃないか、どこか行くんですかい?」

「あ、しょーぐんだー」

 

 駆けるには、王都の外に出る必要があった。街中を愛馬を曳きながら歩いていると、声をかけられた。家の近くで食堂を営んでいる、見知った男であった。恰幅の良い、柔和な顔つきの男だ。傍には、息子である幼い少年も一緒に居た。育ち盛りだからか、やんちゃな面構えをしている。

 

「まぁ、そんなところだよ。愛馬と共に駆けようかと思ってな」

「すげー! ねーねー、しょーぐん。馬にのってみたい!」

 

 穏やかに答える。急激な開発で土地こそ汚染され気味であるが、王都の中は戦火とは無縁であった。活気があるのだ。そう思う。少年が自分に馬の乗り方を教えてと乞う様は、微笑ましく思えた。ふむ、っと一考したのち、愛馬に声をかける。

 

「少しだけ、頼むぞ。なに、すぐ終わるさ」

 

 毛並みを撫で、告げる。此方を見た。それで、意思は通じていた。

 

「鐙に足を掛けるんだが……、まだ無理だな。どれ、乗せてやろう」

「ああ、将軍、なんかすみません」

「これぐらい、気にする事では無いよ」

 

 愛馬は、軍馬であり、馬体は大きかった。子供では乗れる大きさでは無いので、脇に手を差し込む。壊れた義手は、調整してもらっていた。元々は魔法国家であるラナハイムで作られたモノであり、再調整されたモノは以前よりも少し反応が悪くなっていた。だが、子供を抱えるぐらいならば、問題は無かった。そのまま軽々と抱え上げ、乗せる。愛馬は、動く事無く佇んでいる。意図を良く解っていた。

 

「すっげー! しょーぐん、こんなに高いとこにいるんだ」

「そうなるな。流石に走らせる訳にはいかないから、ここまでだぞ」

「えー。走りたい!」

「落ちるから駄目だ。あと街中だからな。もっと大きくなったら、乗り方を教えてやるから辛抱しろ」

「うー。わかった。でも約束だぞ、男と男の約束だからな!」

「ああ、約束しよう。男同士の、約束だ」

 

 残念そうにする少年を、愛馬から降ろす。闊達で生きの良い子供だった。やんちゃ盛りで、可愛らしいものだ。そう思う。そんな少年と、小さな約束をした。なんとなく、嬉しく思った。慕われているのを、肌で感じたからだ。

 子供は嫌いでは無かった。と言うよりは、寧ろ好きである。元気に駆けまわったりしている姿を眺めていると、温かい気持ちになれるのだ。自身の両手は数多の血に染まっていると言える。そんな手ではあるが、守れるモノもある。ソレを実感できるのだろう。なにより、軍人と言う職業柄、自分は殺し過ぎているのだ。敵も、味方も。戦う事に迷いは無いし、後悔も無い。寧ろ望んでさえいる。そんな自分であるからこそ、生まれてくる命は大事にしたい。そう、心から思うのだ。血に染まっている。だからと言って、恥じる事も無ければ、自身を厭う必要も無い。ただ、眩しいまでの命に触れるのが、好きだった。

 

「すんません、ユイン将軍。うちの倅が、無礼を……」

「なに、構わんさ。子供の相手をするのも、良いものだよ」

 

 男と言葉を交わす。先のレイムレス要塞防衛戦。それに敗北したが、ユン・ガソルの民は熱狂していた。領土こそ増えなかったが、王者の風格を漂わせるギュランドロス様の余裕に、皆が湧いていたのだ。自身にも、それなりの戦果があった。ソレを聞いた者達が、良くやったと声をかけてくれるようになっていた。元々は降将であったため、どこか敬遠されていたのだが、今では幾分声をかけてくれる者が増えてきていた。一部の将軍たちにはまだまだ警戒されているが、民たちにはそれなりに慕われている気がしていた。温かい、人たちである。そんな事を思った。

 

「さて、私はそろそろ行くとする」

「しょーぐんまたな!」

「ああ、またな」

 

 少年が拳を突きだした。それに、こつんと自身の拳をぶつける。男と男の挨拶であった。

 

「引き留めて申し訳ありませんでした」

「いや、此方も中々有意義な時間だったさ」

 

 恐縮する男に、苦笑を浮かべつつ別れる。空は晴れ渡っている。良い天気だ。そう思った。

 

 

 

 

 

「いやー。なんか意外な姿を見たなぁ」

「ふむ、それは私の事をどう思っているのか聞いてみたいですね」

 

 男と別れてすぐに、そんな声が聞こえた。闊達でありながら、何処となく愛らしい響きのする声。三銃士の一人、パティルナ・シンク様であった。桔梗色の髪と、好奇心旺盛な空色の瞳が印象的な少女だった。何時もの様に赤色を基調とした軍服に身を纏い、傍らまで駆け寄って来て、此方を見上げてながらそう言う。言外に似合わないと言われていることに苦笑した。自身もそう思っているからだ。

 

「うーん。部下にも自分にも厳しく、強い。特に自分を顧みない根っからの軍人。って感じかなぁ」

「む、残念な事に、否定できる要素が無いですね」

「あはは、でしょ?」

 

 パティルナ様の評に、返す言葉が無かった。強く在る。そう決めている自分を良く理解できている言葉だったからだ。

 

「それにしても、凄いな馬だね。戦場じゃゆっくり見る余裕も無かったけど、落ち着いて見ると凄いや。大きくて、逞しい。それでいて綺麗な毛並み。馬の事は解らないけど、きっとすごい馬なんだね」

「ありがとうございます」

 

 馬を曳き、歩く。パティルナ様も隣に付きながら言った。少し、嬉しかった。王より貰い受けた自慢の愛馬である。ソレを褒められるのは悪い気はしないのだ。少しだけ笑みが零れた。

 

「んーどうしたのさ、いきなり笑って」

「失礼。愛馬が褒められたのが嬉しかったもので。戦場では命を預け、共に戦いますからね。我が半身とも言えるのですよ。ソレを褒められれば、嬉しくも思いますよ」

 

 パティルナの言葉に応える。誰よりも何よりも信頼できる。ソレが愛馬だった。戦場では、命を預ける事になるのだ。互いに信頼していなければ、戦えなどしない。馬は家族であり、大事な友なのだ。友と言えば、人の友がいた。傷もだいぶ癒えてきた為、そろそろ王に願い出て会いに行ってみるか。そんな事を考えながら、すこしだけゆっくりと歩く。少し早い気がしたので、小柄なパティルナ様の歩幅に合わせた。

 

「お互い信頼してるんだね。まぁ、当然か。それじゃさ、ユインの愛馬は何て名前なの?」

「名前、ですか」

 

 パティルナ様の言葉に、少し考える。馬に名前など付けた事が無かった。正確には一度だけあるが、死んだのだ。賊徒に殺され、喰われた。人の家族が死んだ時よりも、悲しみが深かった。それ故、愛馬に名前を付ける事などしなくなっていた。軍馬でもあるのだ、自分か馬。戦場に出ればどちらかが死んでも不思議では無かった。名前など付けたら、悲しみが深くなる。そう思ったのかもしれない。無意識に名を付ける事が無くなっていた。苦笑する。今まで気付かなかったが、自分は愛馬に名も与えられない程、弱かったのだ。ならば今、名付けてやろう。そう思った。

 

「……、白夜と言います」

 

 思い浮かんだのは、白夜と言う名だった。その毛並みをただ美しいと思った。昼間に見える月。白夜の月にちなんだ名前だった。悪くない、そう感じた。

 

「へぇ、確かに銀色の毛並には似合ってるかも。うん、綺麗な良い名前だよ。これがギュランドロス様なら、ロイヤルドロスとかつけてるだろうしね」

「くく、付けても不思議じゃないですね」

「だよね、だよね! 猫にもグレートドロスとかミラクルドロスとか色々付けてたし、馬にも絶対つけてるよ!」

 

 語りながら、歩く。闊達で明るい。傍にいて楽しくなる人物であった。三銃士の中では、一番王に似ている。ソレが、パティルナと言う人物であった。騒がしいが、楽しい。エルミナ様やルイーネ様を姉と言ってる所為か、妹の様な気質も持っている気がした。

 

「っと、もう門の前まで来ましたね」

「あれ? 外に行くの?」

「はい。今日は白夜と共に駆けようと思いましてね」

 

 パティルナ様に答えるながら、そばを歩く愛馬に触れる。お前の名は白夜だ。そう小さく呟きながら、その瞳を見た。小さく嘶く。それだけで、通じ合うのだ。命を預けあう、友。ソレが、愛馬である白夜なのだ。人では無い。だからこそ、何の心配も無く友と呼ぶに足るのだろう。そう思う。

 

「へぇ。それならさ、あたしもついて行っていいかな? 今日は非番だから、暇なんだ」

「構いませんが、楽しくは無いと思いますよ」

「そうかな? 絶対楽しそうだけどなぁ」

 

 俺の言葉をパティルナ様は否定する。自分としてはただ駆けるだけなので、特別面白い事ではないと思うのだが、彼女は楽しみでたまらないと言った感じであった。

 

「それなら私から言う事は無いですが、馬はどうするのですか? 連れて来ると言うなら待ちますが」

「何言ってんのさ。乗るにきまってるじゃん。白夜に。一緒に乗せてっ!」

「む?」

 

 パティルナ様の言葉に、少しばかり考え込む。できない事は無い。パティルナ様より大きいエルミナ様を抱え、駆けた事もあるのだ。それぐらいは容易だろう。だが、イマイチやる意図が解らなかった。

 

「しかし、ご自分の馬に乗った方が良いのでは?」

 

 とりあえず尋ねる。

 

「いやさ、あたし基本的に馬とか乗らないんだよね。自分の足で走るのが性に合っているって言うか、流石に馬には負けるけど、乗る意味があんまりないんだ」

「つまり、自分の馬が居ないと」

「そう言う事。ついでに言うと、エル姉だけずるいもん! 助けられたとき、あたしなんか、二騎に脇を持たれて、物みたいに運んでいかれたんだから! エル姉と扱いが違いすぎるよ」

「ソレは申し訳ありませんでした」

 

 聞いてみると、ある意味パティルナ様らしい理由であった。三銃士の中でも最も戦闘能力に秀でる彼女は、運動能力も高い。と言うか、高すぎる。以前で共に戦ったザフハの獣人と比べたとしても、見劣りするどころか、その上を行っていると言えた。以前助けたザフハの部族長のネネカ・ハーネスとも渡り合えるような気がする。それぐらい凄まじかった。だからこそ軍馬がいらないと言うのだが、少々呆れてしまう。自分が言えた事では無いが、目の前で闊達に笑う少女は、間違いなく人外の領域に片足を突っ込んでいるのだ。流石はユン・ガソルの誇る三銃士。素直にそう思った。

 と言うか、麾下の助け方に不満があったようで、軽く根に持っていた。緊急時だったため、その辺りは許してほしいところだった。

 

「だからさ、あたしも白夜に乗りたいの。こんな綺麗な馬なんだから、一回ぐらい乗ってみたいな。ね、良いでしょ? 良いよね!」

「まぁ、良いでしょう。どうぞ」

 

 パティルナ様の勢いに苦笑しながら、そう言い右手を差し出す。この方の好奇心は中々に旺盛なようだ。見た目通りだと内心で思いつつ、左手で手綱を持った。

 

「やた! じゃあ、乗るね」

「失礼」 

 

 右足の鐙から足を外す。其処にパティルナ様が足を掛け、一息に登ってきた。その小さな体を右手で支える。数舜後には、すとんと自分の前に収まっていた。落ちないように、一声かけ軽く左手を腹部に回す。手綱は右手に持ち替えていた。体を触られるにしても、義手ならばまだ抵抗が少ないだろうと思った。

 

「わぁ。良い眺めだね。ユインはいつもこの高さからものを見てるんだ。徒歩よりもずっと良く見える。うーん。走る方が得意だけど、この視野は羨ましいなぁ」

「騎馬には騎馬の、徒歩には徒歩の良さがありますよ。例えば、騎兵の勢いは武器になりますが、場合によっては敵にもなり得るのですよ。付き過ぎた勢いが止められない。そう言う事もあります。歩兵にはない弱点でしょうね」

 

 穏やかに答える。馬には馬の、足には足の良さがあるのだ。自分は間違いなく馬派だが、そう思っている。

 

「ああ、なんか解るかも。走っているときに槍を構えられたらヤバいもんね」

「そう言う事です。ですから、歩兵には正面から槍にぶつかってもらい、その側面や背後を騎兵がつくと言う動きが理想でしょう」

「うーん。常道と言えば常道だけど、馬に乗ってその視点でモノを見ている時に聞くと、素直に納得できるね。勉強になるなぁ」

「お役に立てたならば、何よりです。さて、少し駆けます」

 

 素直に感心するパティルナ様に、頷く。三銃士であり、戦況を変える切り札。そんな彼女だが、向上心は高く、些細な事でも確実に血肉とする姿に、此方も感心した。彼女もまた、強いのだろう。そう思った。ユン・ガソルは強い。素直にそう思えた。愛馬の手綱を握り、軽く馬腹を蹴った。ゆっくりと、そして次第に加速し始める。

 

「おお、早いね。門がみるみる離れてるよ」

「そうですね。満足していただけたならば、何よりです」

「この速さは騎兵ならではだなぁ。風がすっごく気持ちいいよ」

 

 風を切り、駆ける。左手で軽くパティルナ様を支えながら、走っていた。身体に負担は無いように思える。此れならば大丈夫か、そう思いながら、少しずつ馬腹を足で締め、速度を上げるように白夜に意思を伝える。

 

「少しずつ、速度を上げます。舌を噛まないよう、気を付けてくださいね」

「ふふん。心配いらないよ。走りながら話すのは慣れてるからね。ましてや馬に乗ってるだけだし」

「ほぅ、これは頼もしい」

 

 パティルナ様の言葉に、にやりと笑う。騎馬に乗ったことはあまりないようだった。ならば、騎兵が本当の意味で、駆けると言う事を教えてあげよう。そう、思った。少しずつ、速度を上げ始める。

 

「おお、凄い凄い! 前の方に合った木が、もう後ろに」

 

 パティルナ様が、若干興奮したように言った。既に王都を守護する門からはそこそこ離れており、野をかけていた。少しずつ自然が見えており、この場所だけ見れば環境が汚染されているとは思えなかった。無論、それは現在地だけの話であり、他はもっと酷いものだと言う事は聞いていた。だが、馬を駆るには充分な地であると言えた。そんな事を思いながら、更に速度を上げる。

 

「これぐらいが、我が麾下達の通常の速さですね」

「凄いね。ユインだけが、ザフハの増援に出されるわけだよ。これは他の部隊じゃ追いつけないって」

 

 麾下達を率いる通常行軍速度で駆ける。パティルナ様は、感心したように頷いていた。俺の左手を、右手で軽く触れているのが解った。何も言わずに、更に速度を上げる。風圧が強くなった。駆けている、漸くそう思えてきた。腿を締め、愛馬に意思を伝えた。

 

「これぐらいが、強行軍の速さですね」

「……ね、ねぇユイン。ちょっと早くないかな?」

「更にあげますよ」

「ええ!?」

 

 パティルナ様の声が、少し震えていた。視点の高さと速さに慣れていないのだろう。そう思った。彼女は地上ではかなりの速さで動く。瞬間的な爆発力ならば、騎馬隊以上の物がある。それ故、地上での速さに慣れてしまっているのだ。だからこそ、騎馬隊の速さに目がついていかないのだろう。そう思った。思いながらも、更に速度を上げる。

 

「これが、麾下の中からさらに精鋭を選んで疾駆したときの速さ。ヴァイスハイトに向かったのが、この位の速さですね」

「ちょ、はやいはやいはやいはやいはやい!! おちる、落ちるって! ねぇ、ユイン、あたし落ちるって、空飛んじゃうって!!」

「ふふ、楽しそうで何よりです。最後に、疾駆」

 

 一気に駆け抜ける。地表が、木が、鳥が、次々と姿を現しは、消える。精鋭中の精鋭。それと共に駆ける時の速さであった。体験した事の無い速さに、パティルナ様は軽くパニックに陥っている。地上で誰よりも速く動ける彼女だからこそ、騎乗で、自分の足で動いていない速さに耐性が無かったのだ。普段は悪戯をする側であるパティルナ様を、良い様にできる機会であった。そんな機会を逃す手は無いと言えた。勿論、騎馬の力を教えると言う意図もある。ただ、どうせ教えるなら楽しく教えようと思っただけだった。軽く笑みを浮かべながら、両手で手綱を持った。一気に愛馬である白夜の最高速度まで加速する。風を追い抜いた。そんな事を思うほどの速さだった。心地よい。軽く呟いた。

 

「ぜんっぜん、心地よくないっ! 揺れまくってるし、浮いてるし、お尻痛いって!! それに落ちるって、早いって、怖いよ!」

「またまた、ご冗談を。三銃士がこれぐらいで音を上げるものですか」

「三銃士はっ、関係っ、ないよねっ! 落ちる、落ちる、ユインの、馬鹿あああああ!!」

 

 愛馬の最高速度。ソレを以て、駆け抜ける。漆黒の騎馬隊ですら置き去りにできる速さ。俺が信頼する相棒の、本気だった。無論、パティルナ様を乗せているため、普段より少しばかり遅いのだが、それでも十分すぎる程の速さを誇っていた。風を追い抜いている。そう、実感できるのだ。白夜と共に、野を駆ける。それだけで、心が躍った。パティルナ様が悲鳴を上げている。知った事では無い。顧みず、風を超えた。

 

 

 

 

 

「ぜったい、絶対馬なんか乗らないから! 歩いて帰るんだから」

 

 やり過ぎた。そう、思った。半泣きになりながら睨み付けてくるパティルナ様は、普段の姿からは想像できないほど弱弱しかった。手綱を持つ両手をきつく掴みつつ、顔だけを此方に向けそう言っていた。まさか、馬で駆けただけでこうなるとは予想できなかった。久方ぶりに愛馬に長く乗ったため、調子に乗ってしまったのだった。白夜と共に駆けるだけで、心が躍っていたのだ。苦笑が浮かんだ。

 

「パティルナ様。馬に乗る時は、遠くを眺めるのですよ」

「……遠くを見る?」

「はい。視野が広くなります。だからこそ、近くでは無く遠くを見る。無論それだけではダメですが、そうする事で、速さは気にならなくなります」

 

 このまま騎馬に苦手意識を持たせたまま帰らせるのはダメだろう。そう思い、コツを教える。パティルナ様は半信半疑と思いつつも、試してみようと思ったのか、前を向いた。両腕はしっかりと握られている。苦笑が漏れた。そこまで怖かったのか。慣れてないのだから仕方が無い。そう、思った。

 

「軽く、駆けますよ」

「軽くだからね。絶対軽くだから」

 

 駆けると言う言葉に、パティルナ様はびくっと震えた。重傷を与えてしまった。切実に痛感した。

 

「解ってますよ」

「うぅ、信用できないなぁ……」

 

 左手を手綱からはなし、最初の様にパティルナ様を支えた。そのまま馬腹を軽くける。ゆったりと駆けた。それ以上速度を上げる事はしない。

 

「あたしは、このくらいで良いよ」

「まぁ、慣れたら大丈夫ですよ」

「慣れる気がしないって……」

 

 軽く駆ける白夜に安心したのか、パティルナ様は疲れたように漏らした。教えたとおりに遠くを見ようとしているのが解った。それで幾分かましになっていたようだ。

 

「まぁ、もう少しだけ頑張ってみましょう。」

「うう、頑張る……」

「ええ、頑張りましょう」

 

 疲れ切って居るパティルナ様を励ます。馬を嫌いにする訳には行かない。そう思った。そのまま暫く駆けながら、パティルナ様に騎馬の扱い方を教えて過ごす事にした。頬を撫でる風が、心地よい。そう感じた。穏やかな日。そのように過ごしていた。

 

 

 

 

 




白夜はびゃくやでは無くはくやと読みます。


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13話 ただ一人の友

「王よ、ようやく見つけました」

「おう、どうしたユイン」

 

 王都ロンテグリフ、城内軍議室。少しばかり要件があり、漸く王を見つけたところだった。軍装に身を包み、指揮官用の外套を羽織った姿で訪ねていた。軍礼を短くとる。自身は静養中であり、登城する必要は無い為、王は少し不思議そうに首を傾げた。今日は頼みたいことがあって、訪れた次第であった。

 

「どうかしたのですか、ユイン」

「あ、ユインだ。この前はありがとね。……ホント、いろんな意味でお世話になったよ」

「あらあら、ユインさんとパティちゃん、何かあったのかしら?」

「うーん。あんまり思い出したくない事だよ。なんだかんだで楽しかったけど、酷い目に合ったし」

 

 丁度、三銃士も揃っていた。丁度良い、そう思った。王に許しを得たら、個別に訪ねようと思っていたのだが、全員揃っていたので手間が省けた。

 

「少しお話がありまして。よろしいか?」

「おう、言ってみな」

 

 三銃士が居るのを一瞥したあと、一言断りを入れる。要件自体は大した事では無かった。少しばかり許可が欲しかったのだ。

 

「なに、大した事では無いのですが、暇が欲しいと思いましてね。その許可を貰いに来た次第です」

「なん、だと……!?」

 

 端的に告げる。王が、目を見開いた。口を半開きにしたまま、固まっている。予想外の反応だった。王ならば二つ返事で許可してくれるだろうと踏んでいた。

 

「ちょ、いきなり何を言い出すのですか、貴方は!?」

「そうだよ、ユイン。なんで急にそんなこと言うのさ!?」

 

 エルミナ様とパティルナ様も、口を出してくる。何やら慌てているらしく、即座に詰め寄ってきた。何か変な事を言っただろうか。妙に切羽詰まっている二人の剣幕に、そんな事を思う。

 

「何か、ユン・ガソルの軍に不備でもあったのでしょうか? それならば、可能な限り考慮しますので、思い直してくれませんか?」

「いやいや、エル姉。ユインなら例え不満があったとしても、口に出す事はしないんじゃないかな。寧ろ、行動で示す気がする」

「なら、軍とは別のところで不満が? 今、ユインに居なくなられると、困ります」

「いえ、不満などありませんよ。寧ろ気ままにやらせていただいて、申し訳なく思うぐらいです」

 

 二人の言葉を否定する。不満など、無かった。麾下の調練は全てカイアスに一任してあり、自身は傷を癒すために休ませてもらっていた。お陰様で幾分体調も良くなり、動く事も苦にならなくなっていた。未だ少し咳き込む事はあるが、順調に回復に向かっていると言えた。それも偏に皆々様が、自分の事を労わってくれているからなのだ。感謝こそすれ、不満などある訳が無かった。

 自分としてはそう思うのだが、どうして不満に思っている様に見えたのだろうか。思考の片隅で、そんな事を思う。

 

「あらあら。皆慌てちゃって、可愛らしいですね。けど、もう少し落ち着きましょうね」

 

 ルイーネ様だけが、最初と変わらず頬に手を当て、あらあらと嫋やかな笑みを浮かべている。相変わらず、朗らかな方だ。ある意味、王よりも肝が据わっているのではないだろうか。そう思った。

 

「お、おう、そうだなルイーネ」

 

 呆けていた王が、ルイーネ様の言葉に頷く。幾分か落ち着きを取り戻し、此方を見た。

 

「して、ユインよ。いきなりどうしたんだ。訳を聞きたい」

「ふむ。義手の再調整と、ただ一人の友に会いに行く。そのために、ラナハイムまで赴く許可が欲しかったのですが、いけませんでしたか?」

 

 用件を告げる。義手が壊れていた。ソレを再調整してもらったのだが、元々はラナハイムで作られたモノであったため、どうもユン・ガソルの職人では直しきれていなかったのだ。日常生活を送る分には、多少反応が遅れて不便なだけだが、戦場ではその誤差は致命的であると言えた。その為、はやく直しておきたかったのだ。軍人である。戦が始まった時に、手が上手く使えませんでは笑い話にもならない。

 そして、ラナハイムに向かうならば、友に会っておきたいと思った。旧き友。とある理由で刃を交わらせた事もある、強き男だった。ただ一人の、人の友。彼の者は、強く在る事を良しとし、常に上だけを見据えている。そんな、気高き男なのだ。自分と生き方が似ていた。だからこそ友足り得る。そう思った。

 

「ああ、そう言う事か。一瞬、ユン・ガソルを抜けたいと言ったのかと思ったぞ。驚かせるんじゃねぇ、まったく。とは言え、それぐらいなら許す」

「ありがとうございます」

 

 王の言葉に、短く軍礼を取る。ああ、そう言う事か。内心でそう納得した。言い方が悪かったのだ。確かにアレでは、軍を抜けたいと言っていると取られかねない。久方ぶりに友に会える。そう思うと、気が急いていたのかもしれない。そう、思った。

 

「しかし、ユインよ。ただ一人の友と言うのは、心外だな。俺は友と呼べないか?」

「言えませんね。王は、私にとってはどこまでも王なのですよ」

 

 即答する。王は、友では無かった。並び立つ事など、あり得ない。そう思った。

 

「むぅ。俺はお前の事を友と思っていたのだが、違ったのか」

「私には勿体ない言葉です。ですが、私では貴方の友足り得ないのですよ」

 

 淡々と答える。

 

「しかし、俺はお前を友として見たい。三銃士の様に、気の置けない仲になりたい。そう思っている」

 

 主がそう言った。自分などには勿体ない程の言葉であった。その言葉に頷く事は、どんな美酒よりも甘美なモノだろう。そう思った。それゆえに、頷く訳にはいかないのだ。

 

「王よ。私は貴方の隣に立つ訳には行かないのですよ。貴方の前に立ち、立ちはだかる敵を穿つ、矛でありたいと。降り注ぐ火の粉を払う、盾でありたいと。そう、思っているのです。故に対等では無く、臣下。それだけで、良いのです。貴方の道を切り開く者でありたいと、それだけを願うのですよ」

 

 王に、主であるギュランドロス・ヴァスガンと言う男の器に、ただ魅せられた。その男の下で、その夢を追う姿を支えたいのだ。王の夢には数多の苦難がある。それは確実だった。王は、メルキア帝国を中心とした中原東部だけでは無く、我らのいる大陸であるラウルバーシュ大陸。そのすべてを舞台とした戦を望んでいるのだ。大陸全土を舞台にした戦い。考えただけで心が躍り、血潮が滾るのだ。しかし、その夢を実現するには、どれほどの苦難があるかは解らない。故に、そのすべてを打払う為、主の矛であり、盾でありたいのだ。共に歩むのではなく、前に出て王の道を切り開く。ソレだけを望んでいた。それこそが、自分の成すべき事なのだ。王と共にある事は、三銃士が成してくれるだろう。何の心配もいらなかった。

 

「……」

 

 王が俺の言葉を聞き、黙り込んだ。出過ぎた事を言ったか。そう思った。しかし、言葉を取り消す事は無い。全て、本心からの言葉なのだ。ならば、恥ずべきことは何もない。そう思った。

 

「ユインよ」

「何か」

 

 答える。ただその言葉を待つ。言うべき事は言っていた。

 

「お前は、()い男だな」

「そうでしょうか?」

 

 予想外な言葉に、ただ問い返す。

 

「ああ、まったく残念だな。俺が女だったならば、一発で惚れるんじゃないか? それぐらい良い男だったぜ! まったく、どうしてお前はそう格好良いのかね。くく、ルイーネが居るのに惚れちまうじゃねーか」

 

 王が楽しそうに笑った。それに、どう答えるべきかと考える。

 

「あらあら。ユインさんに浮気なんかしちゃいやですよ?」

「くくく、解ってるよ。お前が居らず、俺が女だったらって話だ」

 

 ルイーネ様もまた、楽しそうに言う。息が合っているのだ。自分など、およびもしない時を共に過ごした二人なのだ。この王にしてこの王妃あり。そう思える程の、仲睦まじさと言えた。

 

「ねぇねぇ、ユイン」

「何でしょうか、パティルナ様?」

 

 ふと、パティルナ様に袖を引かれた。気付けば、既に傍らにまで来て此方を見上げている。

 

「ギュランドロス様をどう思ってるか言ったんだから、ついでにあたしたち三銃士をどう思ってるかも聞きたいな」

「ふむ」

 

 パティルナ様の言葉に、少しばかり考える。三銃士。見上げるべき、人たちであった。

 

「あらあら。パティちゃん。そう言う効き辛い事はあんまり聞いちゃダメですよ」

「と言いつつ、すごく楽しそうですよね、ルイーネ様。どちらかと言うと、パティルナの言葉に同意したいんじゃないですか?」

「ばれちゃったかしら? だって気になるんだもの。そう言うエルちゃんは、気にならないの?」

「私は別に如何だっていいです……」

「にしし。とか言ってるけど、これはきっと興味があるね!」

 

 三銃士の皆様方が、言葉を交わす。黙って聞いているが、どうやら言わなければいけない雰囲気になっている。少しだけ、苦笑した。聞いたところで面白い事など無かろうに。

 

「おうおう、ユイン。モテモテじゃないか。ふーふっふ、なんなら、エルミナかパティを貰っていっても良いんだぞ?」

「ちょ、い、いきなり何を言ってるんですか、ギュランドロシュさまっ!?」

「うわ、すっごい動揺してる!? でも、今のエル姉、ちょっと可愛いかも……」

「ふふ、エルちゃん深呼吸、深呼吸」

 

 王がにやにや笑いながらそんな事を言う。三銃士も三種三様の反応をしていた。ソレを横目に、少し考えてみる。パティルナ様かエルミナ様、仮に王が言うようどちらかを娶ったとする。別に嫌では無い。だが、それだけだった。そんな事になったとしたら、面倒事が一気に増えるだろう。そう思った。三銃士と言えば、ユン・ガソルの支柱であり、象徴である。それこそ、引く手数多だろう。婚姻話など、山の様にありそうだ。軍の象徴であり、美しく、強い。有力者は彼女たちとの婚姻を喉から手が出るほど欲しているのではないだろうか。そう考えると、三銃士の二人は結婚するのも色々と気を使わなくてはいけないため、少しばかり不憫に思えた。苦笑が漏れる。

 とはいえこの話に限って言えば、政略的価値は殆ど無いように思えるので、両者の気持ち次第だろうか。そう考えると、文字通り、考えるだけ無駄だと思った。俺が好かれる道理は無い。自身はメルキア出身で、元メルキア軍人なのだ。そんな男を好きになる事など、無いのではないだろうか。絶対とは言わないが、限りなくないと思える。

 そしてそれ以上に、自分は平穏など求めていないのだ。家庭を持つ事など、必要とは思えなかった。軍人は何時死ぬか解らないのだ。お二人の事は嫌いではないが、だからと言って欲しいかと言うと、そう言う欲求は無かった。能力があり、地位もある。器量も人並み外れている。だが、自身にとっては、そう思うだけなのだ。恋い焦がれる事は無かった。自分には愛馬と麾下が居て、心が躍る戦いがあればよいのである。それだけが自分の、ユイン・シルヴェストの求めるモノなのだから。

 

「ご冗談を。私は三銃士のお二人をそのような目で見た事はありません。恐らく、これから先も無いのではないでしょうか。王と同じく、三銃士は守るべきユン・ガソルの象徴であり、支柱なのです。命を賭して護ると言い切りますが、それだけです。戦場以外では、無理に肩を並べる必要は無いのですよ」

 

 静かに告げる。今までは、考えた事も無かった。そもそも、女として見てなかったような気すらする。軍人であり、戦友。同時に見上げるべきユン・ガソルの象徴。命を賭して守るべき支柱なのだ。

 

「なんだ、お堅い奴だな。まあ、らしいと言えばらしいが」

「むー、女として魅力がないって言われたようで、なんか悔しいなぁ」

「……。やっぱり聞くような事じゃなかったじゃないですか」

 

 少しばかり言い方を誤ったか。パティルナ様の言葉にそんな事を思った。

 

「そのような事はありません。三銃士の皆さまは、女性としてとても魅力的だと思いますよ。それこそ引く手数多なのでは無いでしょうか? 素敵な縁を見つけて幸せになってほしいと思っていますよ」

「あらあら、ユインさんったら」

 

 ルイーネ様は王の妻である。それ故婚姻を祝う事は無いだろうが、エルミナア様とパティルナ様が結婚するとなったら、祝ってあげたいと思う。自分は軍人だからか、気の利いた事は言えないが、本心から祝福することぐらいはできるのだ。是非、素敵な相手を見つけてほしいものであった。

 

「そこまで素直に祝福するって言いきられると、なんだかくすぐったいね」

「結婚ですか……」

 

 パティルナ様が困ったように言う。反応を見るに結婚など考えたことも無かったのかもしれない。エルミナ様は、何やら思わせぶりな表情で溜息を吐いた。三銃士ゆえに色々と面倒があるのだろう。そんな事を思う。

 

「ふむ。まぁ、この話はこれくらいでやめとくか。話が脱線したが、ユインの友と言うのはどういう奴なんだ? お前が唯一人の友と言い切るぐらいだ、正直興味がある」

「苛烈な男ですよ。祖国の宿願を果たすため、強く在る事を望む。そんな気高き人物です。ラナハイムの傑物と言えるでしょう」

 

 王の言葉にただ答える。どこか自分に似たところがある。そう言う男だった。弱い事を良く思わず、強く在る事を求める。卑怯な事を嫌い、困難を正面から叩き伏せる気高き男。だからこそ、友と呼ぶに足るのである。佩いている魔剣に触れた。一度はこれを奪い合い、刃を重ねた事もあった。強い、男だったのだ。彼の者との戦いは、心が躍るものだったと言える。

 

「お前がそこまで評する男か。できれば部下に欲しいところだな」

「不可能でしょう」

 

 即座に応える。王と友は相容れる事は無い。ソレは確実だった。二人には譲る事の出来ない、立場があるのだ。それ故、今のままではあの男が王の部下になることは絶対にない。

 

「迷い無く言い切ったか。くく、ますます良いじゃねぇか。その男、どれほどの器なんだ?」

「気高き男。敗北を良しとせず、一族の宿願の達成を求める者。誰よりも強きことを求め、苛烈な漢。魔法国家ラナハイムを総べる王にして、我が唯一の友」

 

 王の言葉に頷き、告げる。苛烈なまでの生き方を見せた宿敵(とも)を思うと、血潮が滾るのを感じた。もう一度刃を重ねたい。そう思った。

 

 

「その名は?」

 

 三銃士が息を呑む音が聞こえた。王がゆっくりと、促す。

 

「クライス・リル・ラナハイム」

 

 告げる。ソレが、俺のただ一人の、人の友の名であった。

 

 

 

 

 

 

「クライス、知っているかしら?」

「何をでしょう、姉上」

 

 魔法国家ラナハイム。険しき山々に囲まれた首都である楼閣アルトリザスの政務室。王であるクライス・リル・ラナハイムとその姉、フェルアノ・リル・ラナハイムの姿があった。報告書を呼んでいたフェルアノがクライスに声をかけた。

 

「先のメルキア帝国とユン・ガソルの争い。勝利したメルキアの東方元帥が、戦に負けたように振る舞っているらしいわ」

「ああ、レイムレス城塞の戦いの事ですか」

「ええ、何でも完勝したところをユン・ガソルの黒騎士に覆されたとか」

 

 姉の言葉に、クライスは視線を向けた。フェルアノがその特徴的な桃色の髪を軽く掻き揚げ、妖艶な笑みを浮かべている。血の繋がった姉弟ではあるが、美しい人だ。クライスはそう思った。

 

「ああ、ユン・ガソルの黒騎士ですか。それならば、メルキアは負けて当然でしょう」

「あら、何か知っているのかしら?」

「はい。ユン・ガソルの黒騎士。彼の者とは昔、縁がありましてね。強き男でしたよ。俺はあのように強い男を他に知りません。苛烈であり、凄絶。強さのみを求め、その在り方に相応しき実力を持っている男でしたよ」

「初耳ね。クライスがそこまで他人を褒めるなんて珍しい」

 

 クライスの言葉に、フェルアノは意外そうに聞き返す。彼女の弟が他人をここまで褒める姿を見た事が無かったのだ。

 

「何度か、刃を交えましたからね。……姉上は、騎帝の剣という魔法具をご存知ですか?」

「聞いた事があるわね。とても古い魔法具で、騎馬を駆る者だけの為に作られた魔剣だったかしら。魔法具の文献にも載っているわね。その持ち主に相応の力と代償を与えるらしいわね」

「そうです。そしてユン・ガソルの黒騎士。名をユイン・シルヴェストと言うのですが、ソレの現在の持ち主です」

「……は?」

 

 フェルアノは少しだけ呆けた声を出した。ソレを見たクライスは、珍しいものを拝めたと少しだけ笑みを零す。古い文献に載っているようなモノの所有者である。フェルアノが驚くのも仕方が無いだろうと思った。

 

「騎帝の剣。ソレがあると言う場所で、ユインと出会いました。そして奪い合った。互いに武技を出し尽くした。言わば宿敵ですね」

「ちょっとクライス。私はそんな話を聞いてないわよ!?」

 

 クライスの言葉にフェルアノは詰め寄る。クライスが言っている事は、解りやすく言うと、伝説の武器を見つけ、それを奪い合ったと言っているようなモノなのだ。そして彼女は、弟がそんな事をしたと言う話を一度足りとも聞いていなかった。そのため憤るのも無理は無いといえた。

 

「話すようなことでもありませんでしたからね。騎帝の剣を見つけたが、その所有権を奪われましたなどと報告するのは恥でしたので。尤も、手に入ったとしても俺には使えないのですがね」

 

 実際クライスの言葉通りなのだが、それ以上にクライスは話したくない理由があった。誇りを賭して戦った漢の事だ。刃を重ね、その人馬一体の動きに魅せられた。死力を尽くし戦い、最後には互いの誇りについて語り合った。クライスが知る人間の中で、誰よりも強く気高い。敗北を許さず常勝のみを良しとする姉。その姉以上に気高いのだ。そんな男だったと思った。宿敵(とも)であり親友(とも)である。そう思えた。その男を、姉に引き合わせたくは無かった。

 

「それでも教えてくれても良かったのではなくて?」

「誇りを賭け、負けたのです。俺はそんな無様を語りたくなかったのですよ」

「そう、まあ、過ぎた事はいいわ」

 

 フェルアノ・リル・ラナハイム。敗北を許さず、常勝を良しとする。それを信条とする、聡明で強い美女であった。クライスは、そんな姉に兄弟以上の感情を抱いていた。愛おしいと、心の底から思っているのだ。だからこそ、姉とユイン・シルヴェストを引き合わせたくは無かったのだ。ユインとクライスの在り方は酷使している。強さを求めるその在り方に、友情に近い何かを感じる程であった。そしてフェルアノの在り方ともまた、似ているのだ。誰よりも強く、苛烈。ただ強く在る事を望み、そのほかのモノは顧みない。強い男。強すぎる男。ソレがユイン・シルヴェストなのだとクライスは理解している。

 そして、その在り方は、姉の信念をそのまま体現してなお有り余る強さへの拘りであった。その在り方に姉が惹かれるのではないかと言う危惧があったのだ。無論、確証は無い。だが、そうなるような気がしていたのだ。それ程までの男だとクライスは認めていた。認めざる得なかった。

 

「強き男ですよ。アイツは。この俺の宿敵であり、親友なのです」

「……さっきも言ったけど、あなたが他人をそこまで褒めるなんて本当に珍しいわね。少しばかり、興味が出てくるわね」

「それ程の、漢なのです。超えるべき目標であり、同時に競うべき好敵手でもある。そう、思っております」

 

 クライスは姉に正直な思いを告げていた。知られたのならば、今隠したところで何れは知られる。ならば語ってしまうほうが潔いと思った。何よりも、友なのだ。友を語るのに、嘘を吐きたくなかった。なんだかんだ言って、ユイン・シルヴェストの事を嫌いに離れない事に気付き、クライスは内心で苦笑した。

 

「ふぅん。貴方にそこまで言わせる男か……。っと、こんな話を何時までもしている訳にはいかないわね。本題に入りましょう。予てから相談していたように、動く。それで良いかしら?」

「無論です。これまで雌伏し力を貯めてきたのです」

「解ったわ、クライス。ならば予定通り、ユン・ガソルに私は向かう。その準備を整えるわ。暫くは任せるわよ。死力を尽くしなさい。それで私は貴方の虜となる」

「はい、姉上。ラナハイムの力、見せてやりましょう」

 

 姉の言葉にクライスは力強く頷く。魔法国家ラナハイム。元は魔法使い達の組合であり、王国を名乗ってからも周辺諸国からは、国と認められておらず、見下されていた。その領土は険しい山々に囲まれ、生産力は低かった。だが、魔法技術を研究する素材には事足りない地でもあった。そのため先代も先々代も他国に蔑まれる屈辱に耐え、力を蓄えてきていた。何代にも渡り恥を偲び、力だけを求めた。ソレを開放する時が直ぐそこまで迫っている。クライスは、そう思った。

 

 



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14話 共に在るもの

「目まぐるしく状況が変わる。これでは息も吐けんな……」

 

 メルキア帝国東方の都センタクス。東領元帥に就任したばかりのヴァイスハイトは誰ともなしに呟いた。強い光を示す瞳には、少しばかり疲労の色が見える。ヴァイスハイトが呟いたように、メルキア帝国ではヴァイスハイトの台頭を皮切りに、様々な事が起こっていた。

 

「仕方がありませんよ。帝都が謎の結晶化を起こしたのです。今やヴァイスハイト様も四元帥の一人になられたのですから、のんびりはしてられません。どうぞ」

「すまないな、リセル」

 

 ヴァイスハイトの呟きに、副官のリセルがやんわりと窘める。とは言え、ヴァイスハイトの言う事も、傍で補佐する彼女は十分に理解しているため、紅茶を差し入れた。相変わらず気の利く副官だ。ヴァイスハイトはそう思い、紅茶を受け取る。

 

 メルキア帝国、帝都結晶化。メルキア帝国を突如襲った、災厄であった。一夜にして、メルキアの首都一帯全てが凍り付いたのである。ソレを解く術は一切なかった。凍ったと称したが、氷では無いのだ。そして結晶化は、帝都だけでは無く、皇帝であるジルタニア・フィズ・メルキアーナをも封じてしまっていた。メルキアの意思である、皇帝が何もできなくなってしまったと言う事だった。

 由々しき事態であった。即座に四元帥会議が招集される。原因は解明されていないが、ユン・ガソルとの戦で投入された新兵器。ヴァイスハイト率いるセンタクス防衛部隊ごと、ユン・ガソルの主力を消し飛ばしたソレ。帝都結晶化の報を聞き、急遽行われた四元帥の会談では、その新兵器が原因だとみられていた。メルキア帝国が誇る魔導技術。ソレが、今回起った災厄の原因である可能性が高かったのだ。メルキアは魔導技術を国の根幹としていた。もしそれが事実だと言うのならば、メルキアの土台を根本から見直さなければならない事態だと言える。元帥就任早々、ヴァイスハイトはメルキアの進退を決める事態に直面していると言えた。

 

「ユン・ガソルと停戦しようかと思う」

「ソレが賢明でしょうね。遺憾ながら、今のセンタクスに、ユン・ガソルと事を構える力があるとも思えません」

 

 ヴァイスハイトはリセルに告げる。ユン・ガソルとの戦。レイムレス要塞こそ奪還する事には成功したが、東領元帥としての力は、ノイアス元帥の時と比べて低下していた。キサラの元帥であるガルムス・グリズラーが、ザフハに奪われていた、城塞都市ヘンダルムとクルッソ山岳都市を攻略していたのだ。もともと東領であったその二つを奪い返し、その指揮下に入れたからであった。取り返したのはガルムスであり、帝都が結晶化する前に皇帝に直々に言い渡されていた。いわば、報酬であるため、そのこと自体に異論は無かったが、東領元帥の力は落ちたと言わざる得ないのが、現状であった。

 

「だろうな。三銃士に王。……そして黒騎士。今の俺たちでは勝てる気がしない」

 

 リセルの言葉にヴァイスハイトは同意する。レイムレス城塞で、三銃士の二人が守る地を奪う事には成功した。だが、三銃士はその名の通り三人いるのである。いわば、レイムレス要塞の戦いは、完全な布陣では無かったのだ。

 そして、その三銃士を束ねる王が控えている。他国にはバカ王と噂される通り、度し難い男であったとヴァイスハイトは思う。だが、その力は侮れないものがあると感じた。類稀な力を持つ三銃士が、そしてその配下である精鋭たちが、心服していたのだ。それだけでも、ユン・ガソルの王、ギュランドロス・ヴァスガンの器が並大抵のものでは無いと想像できる。

 極めつけに、ユン・ガソルの黒騎士だった。思い返せば、ただただ悔しさだけがヴァイスハイトの胸に飛来する。相対したのはレイムレス要塞での追撃戦だった。ヴァイスハイトは三銃士を相手に完勝したと言えるほどの戦果を挙げていた。そして、その後は追撃戦を行い、ユン・ガソルの力を可能な限り削ぐ局面に来ていた。三銃士の二人を討てると言うタイミングで、奴は現れた。ユン・ガソルの黒騎士。ユイン・シルヴェスト。元メルキア軍人である降将であった。その男に完膚なきまでの敗北を喫した。様々な思いが去来する。

 侮ったわけでは無かった。事前に、キサラの戦鬼、ガルムス・グリズラーから忠告を受けていた。言い訳をするならば、負傷していたと聞いていたので、その時に出会う事は無いと踏んでいたが、現れたのだ。その間隙を見事に突かれていた。

 闇に溶け込むかのような、漆黒の騎馬隊。ヴァイスハイトの率いていたメルキア軍の半数にすら遥かに満たない、極少数の兵力であった。疲労度合いこそ違うが、彼我の戦力差は明白であった。にも拘らず、蹂躙された。虚を突かれた。確かにそれはあるが、ソレを考慮したとしても大敗したと言えるほど、鮮やかに撃破られた。その戦で、ヴァイスハイト自身も命の危機に瀕した。副官であるリセルを無力化され、魔導巧殻のアルですら搔い潜り、ヴァイスハイトに肉薄した。死神。ユインを見た時、そう本能が感じ取った。生き残ったのは、偏に運が良かったからだった。あの時の事は、今思い出しても背筋に悪感が走る。ヴァイスハイトはそう思った。

 

「あの男とは、まともにやっても勝てる気がしない」

「……ユン・ガソルの黒騎士ですか?」

 

 リセルがヴァイスハイトに尋ねる。無意識なのだろう、リセルは手を庇うように両手を組んでいた。今思い返してみると、ユインがリセルを無力化したのは、あり得ない神業であった。その力を最も実感したのは、リセルかもしれない。ヴァイスハイトはそう思った。

 

「ああ。漸くセンタクスも落ち着いてきたことだし、近々ベルモンやリリエッタ、奴の事を知る兵士たちに話を聞いてみようと思う」

「シーラには聞かないのですか? 彼女なら、商人独自の情報網を持っていそうですが……」

「そう思い、既に頼んである。仕入れのついでにでも、情報を探ってくれるようだ」

「そうでしたか」

 

 目まぐるしく状況が変わっていた。レイムレス城塞では言い様の無い怒りと、僅かな悲しみを感じたが、忙しく元帥として動き回った日々がヴァイスハイトを幾分か冷静にしていた。少しでも情報が欲しい。そう思ったのだ。ただ一人で戦況を覆した男、ユイン・シルヴェスト。その男に打ち勝つには少しでも情報が欲しかった。それに知りたかったのだ。あれ程の将器を持つ男が、何故メルキアから離れたのかを。

 先の敗戦で生き延び、センタクスを奪還した自分に合流さえしていれば、片腕としてその力を振るってくれたかもしれない男であった。キサラの戦鬼とぶつかり負傷して尚、自分を退けるその強さに魅せられたのかもしれない。ヴァイスハイトはそう思った。

 

「なんにしても、情報がほしい。リセルも、何か解ったら報告するように頼む」

「畏まりました」

 

 リセルに指示を出す。それで、話は終わりだった。元帥になった。だが、困難は始まったばかりである。帝都結晶化にユン・ガソル。そして、ユイン・シルヴェスト。乗り越えるべきものは多く、自分にはまだまだ多くの仲間が必要である。ヴァイスハイトはそう思い、静かに闘志を燃やした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 馬を引き、歩く。ラナハイムに向かう商隊。ソレを取り仕切る女性と言葉を交わしながら、歩いていた。愛馬である白夜は、商隊の進む速さに歩幅を合わせている。その姿はどこか寂しそうであった。思いっきり駆けたいところを俺たちに合わせてくれているのだろう。すぐに理解できた。すまない。そう言う思いを込めて、その毛並みを撫でる。

 

「へぇー。正直冗談かと思ってましたが、お兄さんは本当にユン・ガソルの将軍さんなんですね」

「そうなるが、今は将軍と呼ばないで貰えると助かる。こんな形をしているが、今は私用で動いているのでね」

 

 小隊を率いる女性は、何処となく人懐っこい感じのする人物であった。ラナハイムに向かう商隊。それの護衛として、自分は彼女の傍らにいた。一人で旅をするよりも、商隊についていく方が何かと都合がよかった。それ故、行動をともにしていたと言う訳だ。ユン・ガソルの将軍。その肩書きを買われ、即座に同行を許可してもらえた。尤も、彼女の口振りからして、本気で信じていた訳ではないだようだが。ちなみに服装は軍装に指揮官用の外套と言う、何時もの姿であった。軍装や外套に小さく刻まれたユン・ガソルの紋章が、将校であることを示すには都合がよかった。なにより、着なれており、旅にも適していた。長期の行軍でも着るモノである。その辺の旅着よりも遥かに使い勝手が良いのだ。

 

「んー。それならお兄さんの事は何て呼べばいいですかね?」

「何でも構わんよ。この場では唯の雇われに過ぎない。名前でも、お兄さんでも好きに呼ぶと良いさ」

「そうですか? ……ていうか、よくよく考えたらまだ名乗ってませんでしたね。私は、シーラって言います。よろしくお願いします、お兄さん」

「私は、ユイン・シルヴェストだ」

 

 そう言えば名乗っていなかったか。そう思い、シーラの名乗りに言葉を返す。目の前の女性はどこか、話しやすい雰囲気があり、名乗りもしていない事に気が付かなかった。苦笑を零す。

 

「まじですか!?」

 

 俺が名乗ると、シーラは目を見開き、声を荒げた。虚を突かれた。そんな顔をしている。さて、っと思考を動かす。

 

「どうかしたのだろうか?」

「あ、いえ、えーと……。最近噂のユン・ガソルの黒騎士様だとは思わなかったもので!」

「ふむ、まあ、そう言う事にしておこうか」

「助かります」

 

 あからさまに怪しかった。追及しても良いのだが、現状は此方から頼み込んで同行させてもらったと言えなくもない。それ故、あまり不義理な事をしようとも思えなかった。頻繁に続くようなら考えるが、この場では捨て置く事にした。

 

「しかし、私が噂とはね。戦う事しか能の無い男の噂など、して楽しいものだろうか?」

 

 ただ強く在る事を望む。言うならば、自分だけのために強さを求めている。自分はそれだけのつまらない男なのだ。そんな男の話をして面白いのだろうか?

 

「そりゃ楽しいからするんでしょう。元々メルキアの軍人さんですから、大きい声では賞賛されませんが、認めてる人は認めてますよ。ユン・ガソルには三銃士以外に黒騎士もいるって」

「あの三銃士と同列に扱われるなど、光栄だな。とは言え、私は戦う事が出来るだけだ。そこまで過大評価されても困るのだよ」

 

 事実であった。戦う事ならば誰にも負けないと言う自信は今でも揺らいでいない。誇りが胸の内で、静かに燃えているのだ。だが、それとこれとは話が違う。戦が強いのと三銃士の様に戦以外の事、例えば政治ができるのとでは、まるで必要な能力が違っているのだ。何より自身は純粋な軍人である。政治に口を出す気は無かった。軍人は戦の事だけを考えればいいのだ。殺す力に特化しているものが政を行えば、どんな強硬な策もとれると思う。だが、それでは駄目なのだ。だからこそ、俺の様な軍人は戦いの事だけを考える。それがあるべき姿ではないだろうか。

 

「あらら、欲が無い事ですね」

「欲が無いと言うよりは、分を弁えていると言ってもらいたいところだな」

「じゃあ、そう言いますね」

 

 俺の言葉に、シーラはにひひっと笑みを浮かべた。裏表のある人物だと見当はつく。だが、その笑みを見ていると、決して悪い人間だとも思えなかった。戦場以外では、自分は存外甘いのだと、そこで気付いた。苦笑する。直すべき点ではあるが、不思議と悪い気分では無かった。

 

 

 

 

 

「……ふむ」

「お兄さん、どうかしましたか?」

 

 暫くシーラと語りながら歩いていたところで、気付いた。地が揺れている。遠くから、僅かに馬の嘶きが聞こえてくる。それなりの数であった。既に日が沈みかけ、一日の終わりを感じさせる。気が緩み、襲ってくるならば絶好なタイミングと言えた。

 

「馬。それなりの数が来ているな」

「ええ!?」

「馬蹄と地の振動から推測するに二十騎程だろうか」

「おにーさん、何でそんなに落ち着いているんですか!?」

 

 地の動きと、響く馬蹄から数を予想する。職業柄、馬の動きと言うのには熟知しており、敏感であった。聞こえてくる馬蹄は一糸の乱れも無い。それなりの訓練を積んだ騎兵だろう。見当をつける。ならば、恐れる事は無かった。此れが賊の類だったのならば、足並みは揃わず、纏まった音では無いのだ。

 

「まぁ、恐れる道理は無いからな」

「そりゃ、お兄さんはそうかもしれませんが、私はか弱い商人ですよ!」

「ふ、いざとなったら全員守って見せるさ。尤も、その必要はないだろうがね」 

 

 確信をもって告げる。一糸乱れぬ行軍をする少数の騎馬。ソレが略奪をするとは思えなかった。寧ろ、道のりを急いですらいるように感じる。騎馬隊の指揮官だからこそ分かる、一種の呼吸だった。

 

「とりあえず、道を開けた方が良いだろう」

「了解しました! って、なんか普通に従ってしまった!? これが黒騎士の力!?」

「……面白い人だな、貴女は」

 

 シーラの言葉に苦笑する。どこまでが本気で、何処までが冗談なのだろうか。そんな事を考える。その間に、道が開いた。二十騎程の騎馬が駆け抜けていく。先頭を駆ける騎馬が此方に向かい、軍令を取るのが見えた。軍属である。見ただけで解った。ユン・ガソルの騎馬では無かった。ラナハイムの紋様。ソレが刻まれていた。

 

「綺麗な人がいましたね。あんな綺麗な人、滅多にいませんよ」

「そうだな」

「うーん。予想以上に淡白な反応。お兄さんは女性に興味が無いんですか?」

 

 騎兵に囲まれるように、一人の女性が居た。騎兵が駆け抜けるのを見送っているうちに、日が落ち、月が顔を出したところであった。とは言え闇と言うには程遠く、薄暗い程度だった。その淡い月明かりに照らされる女性はどこか怪しげな美しさを持っていたと思う。だが、それだけであった。月を綺麗だと思う程度の感慨しかわかなかった。そんな内心を敏感に感じ取ったのが、シーラは嫌らしい笑みを浮かべてこちらを見た。一考する。

 

「私とて男だ。多少の興味はある……。が、今はあまり気にならんよ」

「え!? いや、その」

 

 そう言い、シーラの手を取った。静かに瞳を見詰める。シーラが困ったように目をそらした。

 

「まぁ、こんなものか」

「……。お兄さんは結構嫌な人ですね」

「先にからかおうとしたのは貴女だろう。くく、仕掛けられると解っていて待つのは性に合わないのでね」

「ぐ、痛いところを突きますね。お堅い軍人さんなのかと思いきや、意外と冗談もいけるのか」

「弱点を突くのは戦いの基本だからな。隙を晒す方が悪いのだよ」

 

 即座に手を離し、しれっと言い切る。何か言いたそうだったので、先手を打ったと言う訳であった。此方の意図をすぐ理解したシーラは、不満そうに声を上げた。先に手を出そうとしたのは其方だろう。そう言う事で封殺した。ぐぬぬと歯ぎしりする姿は、中々に面白い。あまり警戒心を抱かせない人物であった。

 

「そろそろ野営の準備かな?」

「そうですね。少しばかり暗くなってきてますから、急ぎましょうか。おーい皆、この辺りで野営をするよ!」

 

 尋ねると、丁度そう思っていたのか、シーラも部下の商人たちに指示を出し始めた。ソレを眺める。自分の役目は護衛であるため、手伝う必要が無かったのだ。と言うか、軍営ともまた勝手が違う為、手伝うつもりが結果的に邪魔する事になりかねない。故に、少し離れた場所で辺りを警戒していた。それは、皆が了解している事であった。多少申し訳なく思うが、これはこれで大事な事であった。

 

 

 

 

 

 

「もうすぐラナハイムか。彼の地に赴くのは、数年ぶりになる」

 

 商人達がテキパキと野営地を整えるのを横目に見ながら、白夜の毛並を撫でつつ、語る。温かい。相棒の発する熱を感じた。良い馬である。自分には過ぎたる名馬だ。見るたびに、そう思った。近くの商人から秣を貰い、与える。口にせずに、黙って此方を見ていた。その瞳は、どこか悲しそうな色をしていた。無言の瞳に、何か切実な訴えを感じた。

 

「……どうした?」

「――」

 

 尋ねる。馬は頭が良い。人語を話す事はできないが、敬意を厚意をもって接していると此方の意思を良く組んでくれるようになるのだ。言葉が通じている。そう言っても良い程であった。そのため、ある意味では、人よりも信頼関係が重要と言えた。その点、自分と白夜は絆が強いと実感できた。そんな俺の目を見詰め、白夜はただ、寂しそうに嘶く。何か言わなければいけない。そう感じた。

 

「ッ……ゲホコホ……」

「――」

 

 言葉を出そうとしたところで、咳き込む。右手で口元を抑える。白夜がまた嘶いた。月明かりの下でも解るほどの、鮮やかな紅が広がっていた。ソレを見詰め、左手で懐から手拭いを取り出し、綺麗にふき取った。そして僅かに血の匂いの付いた右手に、腰に下げている水筒の水をかけ、もう一度ふき取る。それで血を吐いた痕跡は消えていた。

 血を吐いた事に、驚きは無かった。負傷をしてから血を吐く事が何度かあったのだ。苦笑を漏らす。誰にも気取られていないつもりであり、実際、王や三銃士にも気づかれていなかった。麾下達やカイアスですら、誰一人として気付いていない。それを、愛馬にだけは気付かれている。寂しそうに嘶き、此方をじっと見つめてくる瞳に、そう悟った。

 

「大丈――ッ、ゴホ……」

「――」

 

 二言目が、出ることはなかった。更に咳き込む。立っていられなくなり、膝をついた。右手で口を押え、義手をしている左手を地についた。視界が揺れていた。だが、完全に崩れ落ちるのを良しとしなかった。回復に向かっているとはいえ、無理をし過ぎたのかもしれない。そう思った。血の匂いが口と鼻から広がっていく。どこか懐かしい感じがする。痛みは、無かった。白夜が、座り込む俺の肩に頭を寄せ、ゆっくりとこすりつけた。心配されている。そう、はっきりと感じた。お前は本当に俺の事をよく見てくれているのだな。そんな事を呟く。泣いている。言葉を発さない白夜の目を見て、そう感じた。

 

「お前には、隠し事などできんのだな」

「――」

 

 膝をついたまま何とか馬首を抱き、呟く。安心させるつもりで抱きしめたのだが、力はあまり入っていないように思えた。触れた腕から感じる愛馬の熱が心地よかった。白夜の発する熱が、自身の熱と混じり合い、俺の中で確かな暑さとなる。まだ生きている。その鼓動を実感する。膝をついている。だが、それでも自身は両足で地を踏みしめ、生きているのだ。確かな生を感じる。為らば、自身はまだ戦う事が出来るのだろう。そう思った。気を、全身に巡らせ立ち上がる。視界は少し揺れているが、問題は無かった。

 

「なぁ、白夜。私はどれくらい……」

 

 そこまで呟き、言葉を止めた。言葉にする意味などない。ソレに気付いた。愛馬を見る。依然として此方を寂しそうに見つめている。俺の事を労わるように、その身を寄せている。本当に自分には過ぎた名馬だ。そう思った。クライス・リル・ラナハイムがただ一人の人の友だと言うのならば、白夜はただ一人の馬の友だと言えた。

 生涯を通し、真の友と呼べるものが一人でも作れれば良いと思っていた。ソレを今の時点で二人得ている。そう気付いた。笑みが零れる。良い友を得たのだ。胸を張って断言できた。恐れるモノなど無かった。

 

「なに、大丈夫だ。私はまだ戦える。ユイン・シルヴェストは、剣を持ち戦場を駆け抜ける事が出来るのだ。心配する事は無い。唯、その身を俺に預けてくれれば嬉しい」

「――」

 

 愛馬の目を見て、語る。その灰色とも白銀とも取れる、見事な毛並みを撫でながら、言葉を紡ぐ。女性に触れるよりも繊細な手つきで、その毛並みを撫で続ける。血塗られている手である。だが、厭う事も無ければ、恥ずべき事も無い。誇るべき手であった。その手で、白夜の身体に触れ、その熱を感じる。自身はまだ、生きているのだ。胸の内には誇りがあり、血肉は熱く滾っている。ならば、どのような状況になったとしても戦う事が出来る。そう確信していた。体が、魂が熱くて仕方が無かった。天に向かい、右腕を伸ばす。

 

「俺はな、白夜。自分がどこまで届くのかを確かめたい。この手が何を掴めるのかを、知りたいのだ。だからこそ、戦場を駆け抜ける。もしかしたら、それ程長くないのかもしれない。それでもなお、見極めたいのだ」

「――」

 

 白夜の体に、自身の血が少し付いていた。ソレを、丁寧に拭い去る。そして先ほどと同じように水筒から少しだけ水をかけ、綺麗にふき取った。紅は、どこにも見当たらなかった。美しい。月明かりに照らされる白銀を見て、それだけを感じた。

 

「俺に、最期まで付いてきてくれるか?」

 

 白夜の目をじっと見つめ、告げた。何故か、聞いておきたかった。

 

「――」

 

 静かに嘶いた。先ほどまでとは違う、力強さを感じさせる嘶きだった。笑みが零れる。相棒は、何処までも自分の意思を汲んでくれている。ソレが理解できた。自分の命を預けるに相応しい、相棒だった。

 

「頼りにしているぞ、白夜」

 

 しっかりと、告げた。愛馬が嘶く。もう一度、天を見上げた。赤と青。二つの月が、俺たちを優しく照らしてくれていた。目を閉じる。白夜のかすかな息遣いを感じた。死ぬときは、お前と共に在りたいものだ。そう願った。

 

 

 



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15話 友との再会

「さて、どうしたもんかね」

 

 ユン・ガソル王都ロンテグリフ王城。ギュランドロスは書簡を眺め、独りごちた。その手にある書簡はメルキア帝国東領元帥であるヴァイスハイトから宛てられたものであった。それに目を通し、ギュランドロスは思考に耽る。内容は東方元帥であるヴァイスハイトとの停戦であった。

 

「俺はあの男に興味があるが、ここでやめるのは、はっきり言って自分勝手だな。横暴ってもんだ」

 

 呟く。レイムレス要塞は取り返されていたが、それでも依然ユン・ガソルが優勢であると言えた。東領元帥の力は削る事が出来たと言える。センタクスを攻め落とすのも、可能であるとギュランドロスは考える。

 

「それでも、ヴァイスハイトがどんな事をやるのかは見てみたい。しかし、なぁ……。ユン・ガソルの現状がそれを許さん。どうにか、俺の欲求を満たしたうえで、皆の欲求を満たす事が出来ないモノか……」

 

 両手を組み、目を閉じて考える。ギュランドロス・ヴァスガン個人の意思で言うならば、自身と同レベルの才を持ったヴァイスハイトが、現状をどのように立ち回るかに興味があったのだ。しかし、ユン・ガソルの王として意見を出すと、このまま落とす事が可能なセンタクスに攻め入らないと言う手は無かった。とはいえ、センタクスを落としてしまったら、残るメルキアの元帥も相手にしなくてはならない。ユン・ガソルと比べても自力ではメルキアの方が強大であった。このまま東領を攻め込みユン・ガソルの領土としても、メルキア全体と比べれば、総力では劣勢であると言えた。国民の意思はセンタクスを落とし、メルキアに目にもの見せるべしと言う声が絶大だが、センタクスを取った後の展望が見えなかった。それ故、ギュランドロスは決断できずにいた。

 

「あらあら、貴女が悩むなんて珍しいですね」

「馬鹿言え、俺はいつだって悩んでいるんだよ」

 

 傍らにいたルイーネが、何時もの様に朗らかに声をかける。つられて笑みを返しつつ、ギュランドロスは答えた。

 

「貴方が悩む程の事ならば、少し後回しにされてはいかがですか? 先ほどラナハイムからの使者が来られましたし、ザフハからの使者もそろそろ来る頃ですし」

「ほう。それもそうだな。今ある情報だけで決めかねているのだから、新たな情報を手に入れるのも一つの手だな」

「そう言う事です」

 

 以前とは状況が変わっていた。メルキア帝国の首都が、謎の災厄を被ったと言う報告が上がっていた。その災厄の所為で、帝国の意思である皇帝が動けない状態にあると言う。攻めるには絶好の機会だと言えるのだ。それは、ユン・ガソルだけでは無かった。

 

「はっは、会おうじゃないか。センタクスの事は、その後考える」

「はいはい。では、そのように致しますね」

「頼んだ、王妃よ」

 

 まずは各国の表面上の思惑を聞いたうえで、改めて動く道を決めるか。ギュランドロスはそう思い、腰を上げた。

 

 

 

 

 

「ラナハイムの王に面会したいのだが」

「その軍装、ユン・ガソルの者か? 残念だが、王からは何も指示を受けていない。故に通す事はできない」

「ふむ、ソレはそうか……。さて、どうしたものか」

 

 魔法王国ラナハイム。シーラたちと旅をし、特に何もなく辿り着いていた。王の居城に足を運ぶが、当然の如く止められる。当たり前であった。ユン・ガソルの将軍とは言え、突然現れて面会できる道理は無かった。一考する。とりあえず、もう一つの目的を果たすか。そう思った。

 

「これで、ユン・ガソルの将軍として、面会は可能だろうか?」

「一応は可能だと思います。が、事前に連絡が無かったため、それなりの時間待たされるかと思います」

 

 懐から、ユン・ガソルの将軍にだけ渡される印を出し、兵に見せる。何度か見ているのか、兵の態度はそれだけで一変した。苦笑する。将軍とは思われていなかったようだ。尤も、自分が門番だったとしても、行き成り現れた男が、他国の将軍だと言っても信じられるはずはない。そう思った。

 

「名前をお聞きしても?」

「ユイン・シルヴェスト」

 

 答える。それで、門番が少し動揺したのが解った。シーラが言った通り、自分はそれなりに有名になったのかもしれない。反応を見ると、そう感じる。

 

「どうかしたのか?」

「あ、ラクリール様!」

 

 門番が驚いている様を眺めていると、後ろから声をかけられた。俺がと言うよりは、門番が、だが。声のした方に振り向く。透き通るような白い髪と、真紅の瞳が印象的な女性だった。しかし、それ以上に特徴的なのは、髪の間から零れる、尖った耳だろうか。エルフやドワーフの血を継いでいるのかもしれない。そんな事を思った。女性ゆえか、軽装な鎧を身に付け、細剣を佩いていた。佇まいを見て、水準以上の腕だと感じた。クライスの下には、こう言う者もいるのか。言葉に出さず、そう思った。

 

「お初にお目にかかる。私はユン・ガソル所属の将、ユイン・シルヴェストと言う者です」

「……ユン・ガソルの? 失礼しました。私はラクリールと言います。しかし、使者が来るなど聞いておりませんが」

「いえ、個人的な用があり赴いた次第です。考えてみれば些か非礼でした。故に、取次だけして出直そうと思ったのですよ」

 

 門番の言葉に、それなりの地位を持つ人物なのだろうと推測し、名乗った後に将軍の印を見せる。それで、幾分か信用できたのか、ラクリールも名乗ってくれた。しかし、すぐに不思議そうな顔をした。将が来るなど聞いていないだろうから、当然だった。

 

「成程、そう言う事でしたか。どなたに面会を?」

「ラナハイムの王、クライス・リル・ラナハイム殿に」

 

 ラクリールの問いかけに、答える。友に会いに来た。流石にそう言う訳には行かないので、正式な名を告げる。一国の王であった。あの男は、王なのだな。その居城を前にして、しみじみと感じた。知識として知っていたが、実感すると何処か誇らしかった。

 

「クライス様に? ……失礼ながら、どのような関係で?」

「以前、魔法具を手に入れた時に色々ありましてね。騎帝の剣の持ち主が来たと言って貰えば解るかと思います。……解らなかったら、ユイン・シルヴェストが来たと言ってください。それなら確実ですので」

 

 ラクリールの目が少し鋭くなった。ユン・ガソルの将が個人的にラナハイムの王に会いたいと言っているのだから、当然と言えば当然であった。質問に答える。とは言え、簡単に語れる話でもなかった。騎帝の剣。最初はソレを奪い合った関係であった。互いの武威を示し、認め合った仲なのだが、説明するには時間がかかり過ぎる。故に、要点だけ告げた。

 

「解りました。どこを拠点とされますか。連絡を入れる為にお聞きしたいのですが」

「郊外にある魔法具店、その傍らの宿に居ます。ラナハイムの王にそう言えば解るでしょう」

「承りました」

「ありがとうございます。では、失礼します」

 

 短く軍礼を取る。軍人らしく感謝の意を示すには、ソレが一番だと思った。ラクリールも返してくれた。一言つげ、そのまま背を向け次の目的地に向かった。

 

 

 

 

 

「ここに来るのも久方ぶりか」

 

 懐かしい外観を眺め、呟く。ラナハイム郊外の魔法具店。首都よりも少し離れたところに店を構えてあった。辺りを見渡すと、険しい山々が連なっているのを確認できる。鉱物資源が沢山取れるが、平地が少ないため、食糧に問題を抱えていると言うラナハイム王国の現状を、その風景が如実に語っている。人が住むには、少しばかり不憫な環境であると言えた。この店は相変わらず変わらないなと思いながら、暖簾を潜る。愛馬は、店の傍にある木の傍に繋いでいた。

 

「ご無沙汰しております」

「……左手を失ったか。暫く見ないうちに、随分と変わったものだな」

 

 懐かしい顔を見て、少しだけ頬が緩むのを感じた。相変わらずの様子であり、ただただ時の流れを感じる。相手は、初老になろうかと言う年恰好の男であった。初めて会った時と比べれば、少しばかり落ち着いた気がしないでもない。この魔法具店の店主であった。

 

「やはり、解りますか」

「当たり前だ。ソレを作ったのは、俺だ」

 

 店主の言葉に、左手の義手を外しながら尋ねる。敬意を示すに相応しき男であった。自分の道とは異なるが、魔法具について生涯を置いて追求し続けると言う男であった。以前に名を聞いた事はあったが、名前で呼び合う事は無い。互いに、店主と小僧。そう呼び合う仲であった。

 

「貸せ。少し見た感じだが、小僧の反応に追い付いていないだろう」

「ご明察。故に、調整をお願いしに来たのですよ」

「ふん」

 

 店主の言葉に頷き、義手を渡す。ソレを手に取ると、一瞥した後に工具を取り出し始めた。何をどうすればいいのか。ソレが目の前の男には瞬時にわかるのだろう。そう思った。それだけの技量を持つ職人だった。

 

「一振り、剣を頂きたい」

「騎帝の剣を持ちながら、まだ力を欲するのか?」

「必要です。自分の力を信じ、さらなる力を追及しております。ですが、その思いとは別の理由で戦に敗れる事もある。ソレを痛いほどよく理解できたのですよ」

 

 呟くように言うと、店主は義手に視線をやったまま尋ねてきた。淀みなく答える。騎帝の剣。自身の持つ魔剣であった。古くからある剣であり、その力は絶大であった。普通の剣よりも遥かに強度が有り、切れ味も凄まじいと言えた。何より、とある魔法の力が刻まれている。それに自身が力を注ぐ事により、過去の英霊達の力を借り受ける事が出来る魔剣であった。神の力を持つとは言わないが、それに準ずる程の力を秘めていると言っても過言では無かった。

 その剣に、主と認められている。それ以上、武器に何かを求める必要があるとは考えていなかったが、戦鬼と相対し、その必要性を痛感していた。自分は両手に武器を持ち、戦場を駆ける。基本的に剣と槍の組み合わせであるが、左右の武器で戦力の差が大きすぎたのだ。その差を理解して戦っていたつもりであったが、それではダメであった。理解しているのと、対処できるのとではまた話が違っているのだ。戦鬼と戦うには、技量だけでは無く、強き武器も必要であると感じた。故に剣を欲した。槍は馬上で取り回しがしやすいが、森の中や入り組んだ市街地など、状況によっては扱い辛い事もある。だからこそ、剣が欲しかった。

 

「キサラの戦鬼か?」

「然り。技量で負け、武器でもまた負けました。技量については私はまだまだ満足できないので鍛え上げる事が出来ます。ですが、武器に関しては、中々思うようにはいかないのですよ」

 

 店主の言葉に、ありのままに応える。敗北があった。ソレを糧に更なる力を求める事は簡単である。自身はただ強く在る事を望んでいるのだ。技術を得たり昇華させるのは、心の底から楽しめる事であった。一つ何かを完成させる度に、強くなっていくのを実感する。それは、どのような娯楽や悦楽よりも、満たされるモノがあった。向上を実感する。漢として、それ以上の快楽などないのではないだろうか。そう思っていた。苦笑する。自分の知る一般的な価値観と比べてみると、自分の趣向は酷く歪んでいるのでは無いだろうか。そんな事を思ったからだ。尤も、恥じるべき事では無い。それは、魂が強く在る事だけを望んでいると言えるのだから。

 

「純粋な力で負けました。ソレは自身の技量を高める事で追いついて見せます。ですが、武器について満足できるモノがあるとしたら、此処だとしか思えません」

「通路の奥。従業員用の扉の先に、いくつか剣がある。一振り選べ」

 

 武器を使うとすれば、この男の武器だと決めていた。俺と同じで、あまり言葉にして語るのは得意では無い男だった。しかし、その職人が作り上げた武器は、千の言葉を語るよりも雄弁に語るのだ。自分たちがどれ程優れているのかを。その声なき言葉に惹かれた。騎帝の剣を持つ前は、この店にある武器を欲しいと思っていたのだ。魔剣を手に入れたからこそ、他に武器を手にする事は無かったが、今は欲しい。そう思った。俺の意思が伝わったのか、店主は奥に行けと言った。軍礼を取る。ソレが一番自分らしい感謝の仕方であった。歩を進める。

 

「予想以上だな」

 

 扉を開いた先には、数本剣が置かれていた。そのうち一本を手に取り、鞘から抜き放つ。刀身が鈍い光を放っている。温かいが、冷たい。そんな矛盾しているような感覚に陥る。騎帝の剣に比べれば流石に見劣りをするが、それでもかなりの代物であると言えた。この部屋にある全てが魔剣である。剣を一つ手に取ってから感じた。背筋がぞくりと震える。気が昂っていた。剣を鞘に納め、元の場所に戻す。ゆっくりと一振り一振りを眺めていた。一つ一つが狂おしい程の叫びをあげている。そう思える程の、剣達であった。

 

「お前だな」

 

 どれぐらい見詰めていただろうか。気付けば一振りの剣を握っていた。鞘から抜き放つ。淡い輝きを放つ、美しい剣であった。刀身には紋様が刻まれており、魔の力を感じた。加護か。実際に手にし、そう思った。手にした剣から、灰色の輝きが見て取れた。それが、ただ美しかった。

 

「良い剣だ」

 

 呟く。その言葉に反応したかのように、一瞬輝きが増したような気がした。無論気のせいだろうが、そう思ったのだ。どこか手に馴染む、魔剣だった。他のものを見ても、良い剣だとは言思うが、既に心が動く事は無かった。

 

「決まったようだな」

「はい。この剣を譲っていただきたい。幾ら出せばよろしいか?」

 

 気付けば店主が此方を見ていた。その手には義手を持っている。もう終わったのか。そう思いながら訪ねる。この剣を得られるのならば、金の事など気にはならなかった。将軍としてそれなりのモノはもらっているが、自分の欲するものが金で手に入る事など、滅多に無いからだ。突発的に欲しいものが出る事もあるが、基本的に金の使い道は無いと言えた。寧ろ、愛馬や麾下達に使う事が多いのではないだろうか。そう思った。

 

「作るのにかかった材料費。それと多少の手間賃がもらえれば構わん。そこにある者達は、売り物にならんからな」

「解りました。では、有りがたく受け取ります」

 

 全てが、魔剣であった。主を選ぶ。そう言う事なのだろう。主人を選ぶため、買い手がつかない。それはもう、売り物では無く、人であると言えた。それ故売り物足り得ない剣達。そんな事が想像できた。店主の言葉に、材料費とその手間賃を渡す。漢がそれで良いと言った。その心意気に、ただ感謝の念を示し、軍令を取る。職人に、最大限の敬意を示したかった。

 

 

 

 

 

 

「調整した。つけて見ろ」

「ありがとうございます」

 

 店主から義手を受け取り、装着する。一瞬違和感を感じるが、再び左手の感覚がよみがえった。軽く動かす。先ほどまであった、一呼吸程のずれが無くなっていた。ゆっくりと、次第に早く動かして見る。動かそうとしたときに動く。本物の左手だと思える程であった。

 

「どうだ?」

「言葉がありませんね。まさに我が手となっておりますよ」

 

 店主の言葉に応える。義手は、まるで自分の手であるかのように動いていた。誤差が無いのだ。それは、義手を貰い受けていた時から感じていた違和感。無いと言って良い程小さな違和感だったのだが、それすらも消し去ってしまっていた。目で魔法具の手であることを認識しなければ、自身の手がそこにあるかのような、感覚であった。壊れる前よりも調子が良いと言えた。

 

「お前用に微調整をしておいた。それで日常生活を送る分には何の問題も無いだろうが、戦場では僅かな違和感が死を招くだろう。一日使ってみろ。その後でもう少し調整しよう」

「是非、お願いします」

 

 自分が認めた職人が言った。それだけで、その言葉を信じるには充分だった。自分では違和感を感じず、素晴らしい仕上がりだと思うのだが、職人の目から見れば満足のいく出来では無い様だ。ならば、言われた通り訪うだけであった。魔法具の事には、自分などより遥かに確かな腕を持っている。その男の言葉を信じるのは難しい事では無かった。軍礼を取り、店を出る。もう一度訪れよう。そう思った。

 

 

 

 

 

 

「見つけたぞ」

 

 唐突に声が聞こえてきた。懐かしい。そう感じた。それは、熱き男の声であった。刃を重ね、武技を競い合った男。命と誇りを賭けて凌ぎあった宿敵であり親友。その男の声。笑みが零れる。血潮が滾り、心が躍った。二振りの魔剣。腰に佩いているそれぞれに触れ、振り向く。

 

「ほぅ……。随分早く動くのだな。正直驚いたぞ。そんなに決着をつけたかったのか?」

「ぬかせ。万全の状態ならばまだしも、今の貴様に勝ったところで何の自慢にもならん。ちっ、そうと解っていれば、迅速に動く必要も無かった」

 

 クライス・リル・ラナハイム。我が宿敵であり、親友。その男がいた。その手には豪奢な大剣を携え此方を見詰めているが、闘気も覇気も感じなかった。寧ろ、どこかつまらなさそうに此方を見ていた。少しばかり挑発してみるが、意にも解されなかった。それどころか、一目で自分の状態を看破された。腕を更に上げた。その体から放たれる気と、俺の状態を見抜く洞察力にそう感じた。実に面白い。友はさらに強くなっているのだ。それに心が躍らない筈が無かった。

 

「くく、相変わらずだな、クライス。強く在りながら、卑怯な事をしない男だ。どこまでも気高い」

「ふん。そう言うお前は些か変わっているようだ。左手を失うとは、無様だな」

 

 此方を見ながらクライスは吐き捨てるように言った。苦笑が漏れる。相変わらず、苛烈な男である。歯に衣着せぬ言い様が、実に目の前の男らしかった。苛烈であり、峻烈。思った事をそのまま告げる様は、怒りよりも関心してしまう。変わったところは多いだろうが、根本は何も変わっていない事を感じた。

 

「あの……クライス様。お二人はどのような関係なのでしょうか?」

 

 傍らに控えていた女性が、クライスに声をかける。先ほどの女性、ラクリールだった。その表情からは、困惑の色が窺える。自分は知り合いだとしか教えておらず、状況についていけていないのだ。おろおろと、俺とクライスを見る彼女は、どこか愛らしかった。

 

「む、そうだな。尤もわかりやすく言えば、殺しあった仲だ。言わば宿敵であると言えるな」

「そうなるな。以前の続きを望むか、クライス・リル・ラナハイム。もう一度我が力、その身に刻んでやろうか?」

「なぁ!?」

 

 ラクリールの言葉にクライスは即座に応える。事実であった。否定せずに、答える。クライスは薄く笑みを浮かべた。ラクリールはそんな俺たちに驚愕の声を上げる。

 

「くだらん挑発だな。此処はその場では無い。今のお前では、俺が誇りを賭けて倒す程の価値は無いからだ。見くびるなよ、ユイン・シルヴェスト。不完全なお前と戦ったところで、俺は満足などできん。全力のお前を、叩き潰したいのだ」

 

 クライスは、好戦的な笑みを浮かべるも、闘志を燃やす事は無かった。以前のこの男ならば、有無を言わずに仕掛けてきただろう。王としての誇りが、クライスを更に強くした。そう実感する。それでこそ、我が唯一の友だ。胸の奥で、闘志が静かに湧き上がる。熱かった。友の成長に、自分もまた感化されているのが解った。

 

「ふ、成長したのだな、クライス」

「ああ、お前に勝つ。ラナハイムの力を示す以外にできた、俺の目標だ。それを果たすのに、弱いままでいられるものか」

 

 俺の言葉に、クライスは当然の如く言った。気高き男。その男に目標と言われるのは、悪い気はしなかった。

 

「ラナハイムの王に目標とされるか。光栄だな。我が友、クライス・リル・ラナハイムよ」

「ふん。言ってろ、その余裕、何れ突き崩してやる。我が友ユイン・シルヴェスト」

 

 互いににやりと笑い、拳を軽くぶつけ合う。漢同士の挨拶であった。そして、どちらとも無く声を上げた。楽しくて仕方が無かった。

 

「え、え!? く、クライス様……? あの、いったいどう言う事なんでしょうか?」

 

 ラクリールが俺とクライスを交互に見て、困っているようである。殺伐とした雰囲気から笑い声を上げたのに付いていけていないのだろう。

 

「む、そうか。この男はユイン・シルヴェスト。ユン・ガソルの黒騎士だ。そして俺の宿敵であり、友だ」

「いや、すまない。少し友と会ったのが嬉しくて、羽目を外してしまった」

 

 おろおろしているラクリールに、そう告げる。一応初対面では無いが、彼女の中で想像していた関係とは遥かに違ったのだろう。未だに信じられないと言った感じであった。

 

「紹介しよう。こいつはラクリール。古くから俺と共に在り、今では近衛兵の長を任せている」

「名は知っていたが、近衛兵だったとは。成程、ラナハイムにもなかなかの人物がいるようだ」

「……恐縮です」

 

 クライスが、ラクリールを紹介する。一応顔見知りではあるが、黙って聞いていた。近衛兵長であるのだ。最初に感じたとおり、相応の実力を持っているのだろう。強き友がその任を任せている。その実力は高いと予想できた。俺と同じく、強き事を目指す男である。そのクライスが、実力の無い者を傍らに置き続けるとは思えなかった。それだけ信頼し、期待しているのだろう。そう思った。尤も、クライスは俺から見ても捻くれたところがある。言ったところで認めるとは思えない。しかし、この男に仕えるならば、教えておきたかった。ソレが友の為にもなる。そう思った。

 

「ラクリール殿、少しよろしいか?」

「え、はい、なんでしょうか?」

 

 ラクリールに声をかける。距離感がいまだに掴めないのだろう、彼女は困ったように返事をする。

 

「いや、なに。少しばかりクライスの事で言っておきたいことがあってね」

「む、ラクリールに要らんことを吹き込むつもりか?」

「そんなところだ。どうせクライスの事だから、部下にも強く在る事を望んでいるのだろうと思ってな」

「当然だ。ラナハイムの兵に弱い者は必要ない。だからこそ、強く在る事を必要としている」

 

 クライスの言葉は、大凡想定通りであった。強く在る事を望んでいる。誇りの為、祖国の為、苛烈なまでにそれを体現している男である。部下にも強く在る事を望んでいるのは良く解っていた。そう言うところでもクライスは自分と似ているのである。だからこそ、良く解っていた。

 

「ラクリール殿は、クライスに良く怒鳴られたりしますか?」

「う……、いや、その……」

 

 とりあえずは尋ねた。反応で、大体両者の普段の関係が思い浮かんだ。クライスがラクリールに難しい仕事を与え、失敗したときは容赦なく叱責されているのだろう。手に取るようにわかった。自身が類稀なる力を持つクライスだからこそ、求める能力が大きいのだろう。これまでの付き合いから、容易に想像がついた。苛烈過ぎる男だったのだ。

 

「まぁ、あまり変な事を教えてもクライスに怒られる。それゆえ、ひとつ教えよう」

「は、はい」

 

 俺の言葉にラクリールは何とも言えないような表情で頷いた。ほとんど初対面と変わらないのに、いきなり話しかけているのだから仕方が無かった。とはいえ、彼女がクライスの近衛兵長と言う位置にいるからこそ、教えておきたかったのだ。

 

「クライスが怒るのはな、それだけ貴女に期待しているからなのだよ。ラクリール殿ならばできる。そう期待しているからこそ、辛く当たるのだろう。それを、良く覚えておいてほしい。あの男は、どうでも良い人間を傍に置く程、器用な事はできないのだよ」

「あ……。はい、その言葉、胸に刻んでおきます!」

「ありがとう。あの男を支えてやってほしい。友として、頼みたい」

 

 ラクリールの目を見て、告げる。クライスは、我が友は、俺と同じで不器用な男なのだ。だからこそ、あまり部下を顧みないだろう。そんな気がしていた。友として、ソレは不安に思う要素であった。

だが、自分はユン・ガソルの将である。クライスにしてやれることなど、余りないだろう。それ故、近しい者にはクライスと言う男を解っていてほしいと思った。近衛兵長であるラクリール。彼女の事を詳しく知らないが、クライスが傍らに置き続けている人物であった。クライスにとって信頼に足る人物だと想像できた。それ故、遠まわしにだが彼女には伝えておこうと思ったのだ。そんな不器用な男に、信頼されているのだと。

 

「やはり、くだらん事では無いか」

「そんな事は無いさ」

 

 クライスが不機嫌そうに言った。それに短く応じる。照れているのだろう。そう思った。少しだけ笑みを浮かべる。

 

「いや、くだらんな。ラクリール! ユインシルヴェストが言った事は直ぐに忘れろ、良いな!」

「ですが……」

「ですがじゃない。いいな、あのバカの言う事は間に受けるな」

「く、クライス様ぁ」

 

 矛先を変え、クライスは怒ったようにラクリールに言う。それにラクリールは情けない声を上げた。それを見て、更に笑みを零す。なんだかんだで、的外れな事を言ったのならば、クライスはラクリールにあたる事も無かった。それを考えれば、自分の言葉は間違っていなかったと言う事である。つまり、友の役に立てたと言う事だった。絶対認めないだろうが、そんな事はどうでも良い。俺がやりたいからやっただけなのだから。

 

「良い主従だな」

 

 八つ当たりされるラクリールは少しばかり可哀想であるが、本心であった。友は上手くやっていけそうだ。それを見て、また一つ笑みを零した。

 

 

 



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16話 強さの意味

「ユイン・シルヴェスト様、でしょうか?」

「ああ。ユン・ガソルの黒騎士。今は倒すべき敵であるが、元々はノイアス前元帥に仕え、メルキアに所属していたと聞く。ベルモンは何か知っているだろうか?」

 

 メルキア帝国東の都センタクス。東領元帥ヴァイスハイトと有志による仕事の斡旋所を取り仕切る男、ベルモンは向かい合い話をしていた。ユン・ガソルの黒騎士。元々はセンタクスを治めていた前元帥である、ノイアス・エンシュミオスの配下であった。そして、兵士たちから聞いた話によると、強さに並々ならぬ執着があると掴んでいた。ならば、斡旋所を取り仕切るベルモンなら何か知っているのかと期待し、赴いたのであった。

 

「ええ。何度か仕事をお願いしたことがあります。幾つか、討伐の依頼を受けて貰いました」

「話に聞く、あの男通りだな」

「はい。詳しい理由を聞いたわけではありません。ですが、常に戦いを求めている方であったと記憶しております。苛烈。そう言うのに相応しき方だったと思います」

 

 ベルモンが瞳を閉じ、思い出すように言葉を紡ぐ。それをヴァイスハイトは聞いていた。少しでも、黒騎士の事を知りたかった。

 

「皆がそう言う。奴に直接訓練を受けた兵士は、他の部隊の訓練など楽なものだと漏らすほどだったらしい。聞く限り、兵士に死ぬか生きるか、そのぎりぎりの調練を施すほど厳しい男のようだ」

「厳しい、ですか。確かにその面が強いでしょう。自身にも部下の兵士にも、調練の時は異常に厳しい方であったと聞いています」

 

 ヴァイスハイトの言葉に、ベルモンは落ち着いた声音で続ける。斡旋所に来る兵士たちから、様々な話を聞いていた。その中には、ユインの話もあったのだ。数こそ少ないが、直接話したこともある。それらを総合する。

 

「あの方は、それしか無いと言っておられました。自分には、強く在る事しかないのだと。少しだけ寂しそうに語られました。それは強いから更なる力を求めた、と言う事ではないのだと思います。寧ろあの方は強さとは対極にあるのかもしれません」

「どういう事だ?」

 

 ベルモンの言葉に、ヴァイスハイトは小首を傾げる。信じられない強さであった。実際に命を狙われたからこそ分かる、その強さ。メルキアの精鋭を突き崩し、魔導巧殻をも寄せ付けない程の武勇。それをヴァイスハイトは身をもって実感していた。だからこそ、ベルモンの言っている事が釈然としない。

 

「あの方は、どうしようもなく弱いのではないでしょうか。弱いから力を求める。弱いから、自身が何よりも強く在る事を望む。どうしてそう在るのかは解りません。ですが、そんな人なのだと思います」

「そう言うものだろうか?」

「解りません。ですが、あの方は、心の底から強さだけを求めていたと想像ができます。裏を返せば、弱い自分を変えたい、と言う事になるのではないでしょうか?」

 

 語り終え、ベルモンは軽く吐息をつく。ヴァイスハイトはその言葉を黙って聞いていた。

 

「成程、な。確かにベルモンの言う事も解る気がする。有意義な話を聞けた。感謝している」

「お力になれたのならば幸いです」

 

 ヴァイスハイトはベルモンに礼を言った。

 

「が、事実として奴は強い。少なくとも、この俺よりもな。弱いが、だからこそ強い。強く在る事だけを選ぶ事が出来る。その在り方は、早々マネできるモノでは無いと思う。やはり、あの男は強いのだろうな」

「そうかもしれません。強さとは、難しいモノですね」

「まったくだ」

 

 ユインは弱い。弱いからこそ、強く在る事を望む。弱いことを良しとしない苛烈さ。それを持っているのだろう。それ故、ただ己の力に固執する。だからこそ、ユイン・シルヴェストは強いのだと、ヴァイスハイトはそう思った。

 

 

 

 

 

 

 二振りの魔剣を抜き放つ。左手の義手。魔法具店の店主に調整を施して貰っていた。結局、数日の時をかけ、納得のいく出来となった。魔剣を握り締める。生身の右手と同じ動きができる。この数日間でそれは十分に実感できていた。構える。風が優しく頬を薙いだ。正面に聳え立つ、巨大な岩山に視線を定める。敵だ。そう思い定めた。

 ラナハイム首都、楼閣アルトリザス。険しい山々に囲まれた天然の要害と言うべき地であった。鉱物資源はふんだんに取れるが、反面、食糧生産能力は乏しいと言えた。辺りに続く山脈を見詰めていると、そういう地だと言う事はどれほどの言葉を聞くよりも、納得する事が出来た。大勢の人間が生活するには厳しい土地なのだ。だからこそ、ラナハイムの兵は強くなるだろう。環境が厳しいと言う事は、それだけで調練になるのだ。周囲の環境を眺めるだけでも、クライスの、ラナハイムの率いる兵は精強なのだろうと、予想がついた。

 暫くの間、両の手に魔剣を構え、気を練り上げる。大分良くはなっていたが、剣を振り回すのはまだ早いと思えた。だからこそ、気を練り上げる。剣を持つ方が、より集中できる気がした。そのまま、体の芯から湧き出る力を、ゆっくりと時間をかけ全身に浸透させていく。熱い。全身から漲る力に、ただそれだけを思う。右手を見る。騎帝の剣。それを持つ手から、汗が噴き出しているのが解った。左腕。義手より上の生身の部分からは、同じように汗が零れていた。眺める。どちらかと言えば、右手の方が消耗しているように感じた。生身だからだろう。そう思った。静寂の中、鼓動だけが、うるさく聞こえている。生きているのだ。そう思った。自身が確かに生きているのを実感したところで、更に気を練り上げる。戦鬼ガルムス。それに勝つには生半可な力では到底不可能である。故に、全身全霊の力が出せるように、気を只管練り上げる。時をかけ、ゆっくりと力を蓄えていくのだ。

 

 どれくらい力を蓄えただろうか。見据えている岩山を相手に、蓄えた気を向けてみる。直後に、吹き飛ばされた。無論、実際に吹き飛ばされたわけでは無い。自身の気が、岩山に跳ね返されたと言う事だった。眺めているだけであったのならば、何の変哲もない岩山であった。敵と思い睨み付けている間も、僅かな気の流れを感じる事が出来たが、それだけであった。気力が充実していた。容易に切れるのではないか。大地を倒す事は無理だろう。だが、斬り伏せる事ならば出来るのではないか? そう考え、斬ると言う意識を以て対峙をした。

 

「成程。大地と言うのは凄まじい。人間の力など、実に小さなものだ」

 

 勝負にすらならなかった。直前まで斬れるのではないか。そう考えていた自分に苦笑する。言うならば、大地と俺の戦であった。気をぶつけた瞬間に、羽虫を払うが如く、俺の気は霧散させられていた。構えていた魔剣を腰に携えた鞘に戻す。そして息を吐いた。人の身で、大地を相手に戦を挑むなど、無謀であったか。そんな事を思いつつも、笑みが零れる。赤子を捻るように、敗北を喫した。強大な敵である。ソレが解った。戦鬼ガルムスや東方元帥ヴァイスハイト。二人とも強大な敵であった。だが、大地と戦をする事と比べれば、遥かに勝算はある。そもそも人間と大地を比べるのがおかしい。そう気づいて、苦笑が漏れた。

 

「俺より強いモノは、確実にいるのだな」

 

 愛馬に声をかけた。此方を見た。直ぐ傍で、草を食んでいた。今自分が試みていたことは、激しい訓練などでは無かったため、目の届く範囲で自由にさせていたのだ。その灰色とも銀とも取れる見事な毛並みに触れながら、ゆっくりと語る。

 

「ここ数日、調子が良い。もうそろそろ、本気で剣を振る事を考えても良いかもしれんな。お前も、十分に駆けさせてやれると思う」

 

 体調は、幾分か持ち直していると思えた。騎帝の剣。それを使う事が無かったため、体調が安定しているのかもしれない。そう思った。古の魔剣である。身体にかかる負担もそれなりのモノがあった。ましてや自分は戦鬼に深手を負わさえれながらもその力を用いた。万全ならば気にならないが、負傷している身にはその反動が大きかったと言う訳だ。とはいえ、商隊の皆と旅をしている時に血を吐いて以来、何事も無く順調に回復していると思えた。無理さえしなければ安定するのか。そう、思った。

 

「背を、借りるぞ」

 

 白夜の瞳を見ながら一声かけ、鐙に足を掛ける。そのままゆっくりと力を入れ、その背に跨る。義手をする左手で手綱を取る。視界は地に立っている時に比べて、より開けていた。ラナハイム特有の、険しい山々が広がっているのを、より広い視野でみる事が出来た。険しく、厳しい。そんな言葉が思い浮かぶ。だが、それ以上に偉大なのだろう。そう思った。人に、生き物に厳しく在る。だが、生きる事を許してもいる。だからこそ、偉大だった。

 馬上で再び剣を魔剣を抜き放つ。右には騎帝。左には白亜。両の手に魔剣を携える。手綱は手放していた。そのまままた気を練り上げる。体の芯を起点にし、ゆっくりと力が漲ってくるのを感じた。腿に僅かに力を入れ、白夜に合図を送る。短く嘶いた。ゆっくりと歩き出す。駆けるのではなく、唯ゆったりと歩く。それだけで良かった。ゆっくりと、俺と白夜の気が混じり合うのを感じる。自分だけの力では無く、愛馬の、友の力を借りていた。地上でやった時と比べ物にならないほどの力を感じる。自分の気と愛馬の気が混じり合い、昇華しているのだ。それを感じながら、更に腿に力を入れる。言葉はいらない。気が混じり合い、心が一体化している。そう思った。白夜が早足になり、やがて駆けはじめる。

 普段とは比べ物にならないほどゆったりと駆けていた。だが、それで良いと思った。駆けるのが目的では無い。人馬一体。自分の最も優れていると思える力。それを研ぎ澄ますには、速さは必要なかった。愛馬と心を一体化させる。ソレが必要なのである。息遣いを静かに感じ取り、足を使い此方の意思を伝え続ける。同時に、二振りの魔剣にも意識をやり、更に気を練り上げる。強く、誰よりも強く。そうある事を望んでいるのだ。

 

「強く、誰よりも強く。それだけで、良い」

 

 声に出す。その必要はない。だが、口に出す事で、改めて自分に言い聞かせていた。愛馬が嘶く。一心同体となっていた。心配しているのが、手に取るようにわかった。腿に力を入れ、意思を伝える。大丈夫だ。そう言った。返事は無い。だが、溶け合った気が、強くなっているのを感じた。俺の求めるもの。ソレを良く解っているのだろう。良い馬であった。両手に意識を移す。愛馬が力強く支えてくれていた。自分が力を見せないでどうする。そう思った。力を練り上げる。限界などない。何度も乗り越えたモノであった。左手、白亜が淡く輝いている。新たに手にした剣であった。騎帝の剣に重ね合わせる。刃がぶつかり、鈍い音が鳴り響いた。限界など、無いのだ。そう、呟いた。

 

 

 

 

 

 

「……凄まじい、剣気ですね」

「これは意外な人だ。私に何か用かな?」

 

 愛馬に乗り、ただただ気を練り上げているところに、声をかけられた。それに応える。相手はラクリール・セイクラス。友の背を守る者であった。いる事には前から気付いていたのだが、此方からは話す事が特になかったので、そのまま気を練り上げる事に専念していた。戦鬼に、元帥。倒すべき敵は多い。できる事をしておきたかったのだ。

 

「突然訪った事、お許しいただけると有りがたいです」

「なに、構わんよ。しかし、私に何か御用だろうか?」

 

 非礼を詫びるラクリールに、穏やかに返す。既に気を練り上げる事はやめ、自然体に戻っていた。二振りの魔剣を鞘に納め、鐙から片足を離し、白夜から降りる。そのまま軽く馬首を抱き、礼の言葉を述べる。馬とは信頼関係が大事であった。一通りの事を終えると、ラクリールと向かい合う。

 

「クライス様に、貴方の事を尋ねました」

「ほう。私の事を……。それで何と言っていたのだろうか? あの男の事だ、面倒な言い回しはせず、端的に事実を告げたのではないだろうか?」

 

 ラクリールの言葉に、少し想像してみた。クライスの事である。嫌そうにしながらも、淡々と事実を語ったのだろう。そう思った。聞いたと言う事は、クライスが話しても良いと判断した相手である。思った通り、ラクリールは信頼できる人物と考えてよいと人物のようだ。

 

「最初に刃を交えた、宿敵だと聞きました。クライス様が全身全霊を出してぶつかり合った強き人だと。その武技の冴え、クライス様に勝るとも劣らぬ。そう聞いています。漢の誇りを賭け、戦うに値する相手だと、言われました」

「強き男であったよ。一対一ならば、私より強いのだろう。その男がさらに強くなった。それを感じるだけで、心が躍る」

「本当にクライス様の言う通りなのですね。何よりも戦いを望んでおられる」

「解るかな」

「はい。会ったばかりの私でも、凄く楽しそうだと思ってしまいました」

「悪い癖だ。少しばかり直さないといけないかもしれんな」

 

 ラクリールの言葉に苦笑する。確かに自分の事をクライスは語ったのだと、その言葉を聞けば分かった。何よりも強く在る事を望んでいる。敗れる事を是としない。そんな自分の事を、目の前の女性は、ある程度理解しているように思えた。

 

「それで、そんな私のところに来て、どうしたのかな」

「正直言うと、信じられませんでした。昨日見た貴方は、手練れであるとは思いましたが、失礼ながら私でも相手に出来ないほどでは無いと感じました。私では勝てるかは解りません。寧ろ、負ける公算の方が大きいとは思いました。ですが、クライス様を相手に出来るとはとても思えませんでした」

「成程。我が力に疑問を持ったと」

「はい。失礼ながら、クライス様は貴方の事を過大評価しすぎなのではないか、と思ったのです」

 

 ラクリールが謝罪しながら告げた。その点については、特に怒るような事でもなかった。ラクリールの言う事は、純然たる事実なのだ。それ故、怒る道理は無い。むしろ、その事を刃も重ねず気付いたラクリールの技量に感服する思いだった。ラナハイムの近衛兵。侮れる人物では無い。そう思った。

 

「くく、まぁ、そう思うのも無理は無い。実際、あの男と私だけで事を構えれば、勝てはせぬよ」

「そうでしょうね。ですが、馬上ならば話は変わります」

 

 にやりと笑いながら、ラクリールの言葉に同意する。個の強さでは、クライスの方が上である。ソレは事実であり、恥じる事では無い。そもそも、自分の強さは個の武勇では無いのだ。無論、個の武勇も突き詰める心算ではあるが、根本的なところで、目指しているものでは無い。人馬一体の武。言うならば、馬と人、一騎で一つの力なのである。それを突き詰める事を目的としている。愛馬と共に戦場を駆け抜ける。その戦い方が、一番自分には合っていると思っていた。だからこそ単体での力が劣っていようと、気になるところでは無かった。一人では無く、自分たちは一騎なのである。そう思った。

 

「随分と評価してくれるものだ。それ程までに私は強かったかな」

「はい。正直、私だけでも勝てると思ったのが恥ずかしい程です。最初に地上で気を練っている辺りから、様子を見ていたのですが、馬に乗ってから劇的に変わりました。地上では手練れだと思っただけでした」

「馬上では?」

 

 ラクリールは最初の方から見ていたようであった。苦笑する。途中で見ている事には気付いたが、其処まで早くからだとは思わなかったからだ。そんな事を思いつつ、促す。目の前の女性は、自分の事をどう評価するのかが気になった。

 

「化け物。クライス様のご友人には失礼ですが、私にはそんな言葉しか思いつきませんでした」

「くく。獣と呼ばれたことはあるが、化け物とは、な」

 

 思わず笑いが零れる。ラクリールは真剣な顔をして、化け物と評してくれた。その瞳を見れば、冗談を言っているようには見えず、また、短い付き合いではあるが、冗談を好むような人柄にも思えなかった。そんな人物が自分と白夜を見て、化け物と評した。心の底からの言葉だろう。そう考えると、痛快だった。自分も戦鬼の様に人外の領域に片足を入れたのかもしれない。そんな事を思った。

 

「っ、す、すみません。クライス様のご友人であるユイン様に無礼な口をっ」

 

 そんな俺の様子に、ラクリールはハッとした様な顔になり、慌てて謝罪をしてきた。些か真面目過ぎる。ユン・ガソルの誇る三銃士のあの方に、すこし性格が似ている。そんな事を思った。勿論、エルミナ様の事だ。

 

「なに、構わんよ。それに私はラナハイム王の友だが、私自身が偉い訳ではないよ。それ故もう少し楽に話して貰えると有りがたい。立場上、気安くと言うのは無理かもしれないが、それ程畏まらなくても良いと思う。貴女はラナハイムの将で、私はユン・ガソルの将なのだから」

「ご配慮、痛み入ります。せめて、ユイン殿と呼ばせてもらいます」

「ああ、ありがとう。私は、あまり畏まられるような人間では無いのだよ。流石に様付けは思うところがあった」

 

 ラクリールの言葉に満足する。流石に様付けは、違和感があった。どちらかと言えば自分も主を戴き、畏まる側の人間だ。それ故彼女の言葉にはなれなかったのだ。

 

「貴方にお願いがあります」

「何だろうか?」

 

 ラクリールが真剣な目で此方を見た。何処となく、切実な雰囲気であった。それを感じながら、促す。

 

「私と、戦って貰えませんか?」

「ほう……」

 

 彼女の言葉に、口元が吊り上がるのを感じた。目の前の女性は強い。ソレは解っていたからだ。少しだけ、心が躍るのを感じた。

 

「何故、と聞いても?」

「私は、強くなりたいんです。クライス様を守れるほど、強く。その道を切り開けるほど、強く。全ての敵を打払えるほど、強く!」

「成程、な。クライスの為か」

 

 言葉を聞く。悲痛なまでの叫びであった。クライスの為ならば、死ねる。それ程の気迫を感じた。面白い、そう思った。心が震えている。魂が、熱かった。良い、女だ。クライスの事を心の底から思っているラクリールを見て、そう思った。美しい女性だとは思う。だが、そう言う意味では無かった。この女性もまた、気高いのだ。思い人の為に剣を取る。気高く、健気なのだ。そんな彼女の思いに、応えてやりたい。そう思った。

 

「駄目、でしょうか? 誰かのために、強くなりたいと思うのは、言い訳でしょうか?」

 

 少しばかり黙った俺に、ラクリールが不安そうに尋ねてきた。言葉を選ぶ。

 

「そんな事は無いさ。と言うよりは、強さを求める理由に良いも悪いもない。私はそう思うのだよ」

「どういう事ですか?」

「強さを求める思いに、上も下も無いのだよ。高尚な理由があろうと、下らない理由があろうと、そんな事は関係ない。当人がどれだけ強く在りたいと望むか。強さには、それだけがあれば良いと思っている。他者の思いなど、誰も理解できないのだから、な」

 

 強く在ろうとする事に、理由などはどうでもよかった。ソレは自分さえ分かっていれば良いモノだからだ。そんな事よりも、どれほど渇望しているか。それだけが必要なのだ。他人には他人の、自分には自分の求める理由がある。それ故、強く在る事には、何故強く在りたいかと言う事は重要では無く、強さを求める事こそが最も重要だと思っていた。何故、では無く、欲しい。それだけを思う事が、重要だった。自分にも強さを求めた理由はある。だが、今ではその理由も思い出す事は殆ど無くなっている。自分にとっては、理由などその程度のものなのだった。

 

「クライス様の為でも良いと? ひいては、自分の為でも良いのでしょうか」

「構わないよ。と言うよりは、私の場合はどうでも良い、と言うべきだがね。強さを求める理由など、人によって違うのだ。だからこそ、比べるような事では無い。理由など、自分が認めていれば良いのでは無いだろうか。少なくとも、私はそう思うよ」

「そうかも、しれません」

 

 淡々と告げる。理由など、重要では無いのだ。そもそも、自分だけが解っていればいいモノである。敗れぬ事を誇りとし、ただ力を渇望していた。自分はそれで良いのだ。そう思っている。そんな男が言える言葉など、あまりないのだ。ラクリールにはラクリールの在り方を見つければいい。そんな事を思った。

 

「とはいえ、ラクリール殿。私は少しばかり怪我を持っていてね。武器を交わす事はできない。それ故、我が技を体験させると言う事で構わないだろうか?」

「それで、充分です。是非、お願いします」

 

 強さを望む者に手を貸すのは、嫌いでは無かった。もう一度鐙に足を掛け、愛馬に跨り、剣を抜き放つ。そのままゆっくりと全身に力を浸透させていく。愛馬の気と自分の気が混じり合った。人馬一体。愛馬の鼓動を感じていた。

 

「これが、ユイン・シルヴェスト。クライス様の、宿敵」

 

 ラクリールが、呟いた。魔力が吹き荒れる。ラクリールから、魔力が立ち上っていた。その様を見、面白い。そう思った。先ほどから、心は熱く燃え滾っている。楽しくて、仕方が無かった。両の魔剣を強く握り、敵だけを見据える。轟。ラクリールが放つ魔力が唸りを上げた。見事な気迫であった。術式など無く、気炎である。彼女が放つ魔力を見詰め、そんな事を思った。

 

「我が力、その目に刻み付けると良い」

「……ッ」

 

 告げる。ラクリールが息を鳴らす。それが合図だった。駆け抜ける。それだけの意思を白夜に伝え、ラクリールに向かい、唯、駆け抜けた。

 

 

 

 

 



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17話 竜をかる者達

「ただいま戻りました」

「ラクリールか。それで、どうだった?」

 

 楼閣アルトリザスの政務室。入室の許可が出たため、ラクリールは部屋に足を踏み入れ、主に帰還を告げた。それにクライスは報告に目を通したままの姿で応じる。クライス・リル・ラナハイムは王である。日々上がってくる報告に目を通し、成すべき事を明確な形にする事が、仕事の一つであった。

 

「何がでしょうか?」

「とぼけるなよ。ユイン・シルヴェストの下に行ったのだろう」

「え!? な、なぜそれを……?」

 

 クライスの言葉に目を見開く。ラクリールにとって主の言葉はそれだけ予想外だったからだ。言ってみるならラクリールはクライスの為にユインに会いに行ったのである。その気持ちを気取られているのかもしれないと、ラクリールは内心で焦る。目を白黒させる様は、近衛兵の長では無く、一人の女性としてのラクリールであった。

 

「アイツの話をしたときに、不思議そうな顔をしてい。馬上にないアイツにしか会ってないからな。俺の話に疑問を持ったとしても、当然だろう」

「すみません。主であるクライス様の言葉を疑ってしまいました」

 

 クライスの言葉に、ラクリールは幾分か気落ちした声で謝罪をする。納得できなかったとはいえ、主であるクライスの言葉を疑ってしまった事に、自己嫌悪していた。

 

「ふ、構わん。寧ろ、地上のアイツに俺が負けたと思えなかった分、ラクリールには見所があると言えるな。これからもその力を、磨けよ」

 

 そんなラクリールの様子を一瞥したクライスは、何でもないように言った。クライスにとって、地上のユインに負けたと思われるのは、ラクリールが主の言葉を疑った事などどうでも良いくらいに、屈辱である。寧ろ、疑ったラクリールの事を、評価していると言えた。ユイン・シルヴェスト。彼の音事は馬上で対峙してこそ、その真価を知れる。それは、クライスがその身で味わった事であった。

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 思わぬところでクライスに褒められた事で、ラクリールの表情が綻ぶ。想い人に褒められた事は、近衛兵のラクリールから、乙女としてのラクリールを引き出すには充分であった。それだけ、クライスに褒められると言う事は、ラクリールにとっては意味のある事だと言えた。

 

「む? 嬉しそうだな。ユインの奴と何かあったのか?」

「え? あ、いや。そうです、少しばかり、騎馬の技を見せていただきました。それと、先のメルキアとの戦いについても、詳しく教えて頂けました」

 

クライスの言葉に、浮かれていたラクリールは虚を突かれた。主に褒められたのが嬉しくて、舞い上がって居る等とは言えず、ラクリールは咄嗟にユインを話のだしにつかう。如何にラナハイム近衛兵長、ラクリール・セイクラスとは言え、好きな男の言葉には弱いと言えた。

 

「ほう、アイツの技を見たと言うか。確かにそれはお前にとって良い材料となるだろうが……、それだけか?」

「……、どう言う事でしょうか?」

 

 ラクリールの言葉を聞き、クライスはある程度納得したが、完全に納得したわけでは無かったため、ラクリールの目を見て尋ねた。面白いものを見つけたと言わんばかりの目をしていた。クライス様でもこんな顔をするのだなっと、ラクリールはそんな事を思う。

 

「さては……惚れたな?」

「……はい?」

 

 クライスの言葉に、ラクリールは、一瞬思考が停止する。何を言っているのだこの人は。そう思った。自分の想い人は貴方です、と言ってしまいたい衝動に駆られるのを、理性で押さえつける。決して叶わぬ恋。クライスの想い人が、クライスの姉であるフェルアノだと、遠い昔にラクリールは知っていた。だからこそ、言うべきでは無いと、自分の心にしまい込んだ恋慕だった。それを吐露しそうになるのを必死に抑えた。

 

「ふ、気にする事は無い。あの男ならば、惚れたとしても不思議では無い。幸い姉上からルモルーネの件、ユン・ガソルとの話は、良い返事が聞けたと早馬が来ている。何なら、同盟を結べた記念に、婚姻を持ちかけても良いぞ?」

 

 内なる葛藤に黙り込んだラクリールに、クライスは笑みを浮かべ、話を持ち掛ける。ルモルーネ公国攻撃。それは、険しい土地に国を構えるラナハイムにとって、食糧事情を解決する一手だった。ルモルーネ公国は、食糧生産能力の高い、豊穣の地であったのだ。ルモルーネ公国はラナハイムとユン・ガソル、そしてメルキア帝国に隣接している地であった。その地を得る下準備に、フェルアノが奔走していたのだが、ユン・ガソルからは予想以上の返事が来ていた。ユン・ガソルとラナハイムの同盟が成っていたのだ。その為、クライスはいつも以上に機嫌がよかったと言う事だった。ラクリールの葛藤など、まったく気付いてもいなかった。

 

「え、あ、ちょ、クライス様、何を仰っているのでしょうか?」

「ふん、俺とお前の仲だ、何を恥ずかしがっている。正直な思いを聞かせろ。良きに計らうぞ」

「く、クライス様ぁ、私の話を聞いてください……」

 

 笑顔で詰め寄るクライスに、ラクリールは情けない声を上げる。どうして自分の想い人は、内に秘めている想いに全く気付いてくれないのか。何処までも鈍感なクライスに、ラクリールは半分泣きそうになっていた。ラクリールは勘違いしているクライスを説得するのに、丸一日かかるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま帰還しました」

「おう、良く帰ってきた。まぁ、楽にすると良い」

 

 ユン・ガソル王都、ロンテグリフ。その居城で、主であるギュランドロス様に帰還の報告をしていた。短く軍礼を取る。王の傍には三銃士も控えている。何か重要な話でもする予定だったのかもしれない。三銃士と王が揃い踏みにいなっている為、そう思った。

 

「それで、首尾はどうだ?」

「上々、と言ったところでしょうか。左手の義手は、以前よりも遥かに良い状態に仕上がっており、新たなる武器も手に入れて参りました。ラナハイムの近衛兵長とも少しばかり立会い、その実力をみる事も出来ました」

 

 王の言葉に、淡々と告げていく。左手の義手は、ラナハイムの魔法具店に赴き、再調整をしてもらっていた。そのため、今では王にもらった時と比べても、好調であると言えた。ほんの僅かにあった違和感。それすらも消えていて、生身の腕と同じように動かす事が出来るのだった。

 更には、魔法具店で一振りの魔剣を手に入れる事が出来た。白に近い灰色。そんな白亜の色をした、魔剣だった。名は無いが、便宜上、白亜と呼んでいる魔剣だった。魔剣をもう一振り得た事で、自分の持つ武器の戦力差が減り、キサラの戦鬼の様な強き漢達とも、安定して戦えるようになったと言えた。

 そして、ラナハイムの近衛兵長。直接武器を交えた訳では無かったが、その実力の一端をみる事が出来た。王であるクライスが凄まじい事は以前から知っていたが、その配下のラクリールも只者では無い。それを実感できたことは、ユン・ガソルとラナハイムで何らかの争いが起きた時、有意義な情報になると言えた。

 

「ほうほう。なかなかの成果じゃねぇか。だが、そう言う事を聞いてるんじゃない」

「む、と言うと?」

 

 そう言う意図があり、報告したのだが、王は解っていないなコイツ。そんな表情をしながら、肩を竦める。一考する。何か別に報告すべき事があっただろうか。そんな事を思う。

 

「はっは、旅に行ったらお前、渡すもんがあるだろう。ささ、早く吐いちまいな。何を買って来たんだ? 酒か、食いもんか?」

「ああ、そう言う事でしたか。確かに貴方らしい」

 

 王が何を求めているのかに、見当がついた。何故だろうか。普通ならば文句を言うべきところなのだが、この主に関していえば、此方の不手際に思えるところが凄い。苦笑する。勿論、土産は買ってきていた。王に渡すものは、ラナハイムの銘酒であった。とは言え、流石に酒を持って登城したわけでは無い。

 

「あっはっは。流石ギュランドロス様。報告よりもお土産優先するとか、誰にもできないよ! 流石はギュランドロス様だね」

「ギュランドロス様ぁ。其処は報告を聞くところです! 大体貴方と言う人は……」

「でも、エルちゃんも欲しいわよね?」

 

 王の言葉にパティルナ様が闊達な笑いを上げ、エルミナ様が、怒っているような呆れているような、そんな何とも言えない声を上げる。ルイーネ様は何時ものように朗らかな笑みを浮かべている。帰ってきたのだな。皆の様子を眺め、そんな事を思った。そこで少し驚く。自分にも帰ってくる場所があったのだ。そんなものは必要ないと思っていた為、少しばかり意外だった。

 

「それは……まぁ……」

「それだったら、エル姉だって人の事を言えないじゃん。なんだかんだ言って、お土産楽しみなんでしょ?」

「おう、良いぞパティ、もっと言ってやれ!」

「ギュランドロス様は黙ってください!」

 

 なんとなく歯切れの悪いエルミナ様の言葉に、パティルナ様はにやにや笑いながら追い討ちをかける。それを王が煽ったところで、エルミナ様が限界を迎える。相変わらず苦労しているのだなと、その様子を見て思った。仲が良い方たちだ。そう思う。

 

「で、俺には何があるんだ?」

「酒ですね。流石に報告に来ただけですので、今は持ってきておりませんが、ラナハイムの銘酒です。お気に召すのではないでしょうか?」

「土産としては妥当だが、それが良い! 俺様に工芸品なんか持ってきてたら、殴ってるところだぜ」

「貰って喜ぶところが想像できませんからね」

 

 王への土産は、酒以外に思い浮かばなかった。為政者としては、工芸品でも良いだろうが、この人の場合は、土産物など個人で受け取るにきまっている。ならば、酒が良いと思ったのである。ラナハイムの銘酒を選ぶ為に、ラクリールからお勧めのものを聞いて、実際に飲み確かめていた。それなりに強く在りながら、後には引かない。そんな、潔い酒であった。ちなみにラクリールの好では無く、クライスの好だとか。主の事を良く解っているものだと、変なところで感心していた。

 

「ねね、あたしには何くれるの?」

「こちらをどうぞ」

 

 王の次に待ってましたと言わんばかりに、パティルナ様が傍らにまで来て、袖を引く。らしいと言えば、らしいそのしぐさに、苦笑しながら懐に手を入れる。王の謁見が終われば一人ずつ訪う予定であったため、三人分用意していた。尤も、魔剣を買うついでに魔法具店で見繕ったものでしかないが。そんな訳で、三人で全て物が違っていたりする。

 

「わぁ、これ、魔法具?」

「ご明察。強いものでは無りませんが、多少の加護が施されてます。お守り代わりにでもどうぞ」

「ありがとー!」

「お気に召したのならば、何よりです」

 

 渡したのは、ラナハイムで取れる緑の鉱石があしらわれ、加護の施されたブレスレットだった。無邪気に礼を言うパティルナ様に、軍礼で持って答える。早速腕に付けているところが、どこか微笑ましく思った。其処まで喜んでもらえたのならば、贈った甲斐があると言うものだ。

 

「あらあら。パティちゃん、よかったですね。とっても似合ってますよ」

「にひひ、そうかな? お姉さまに褒められたら、ちょっと照れるかも。ふふん、これであたしからユインへの好感度が上がったね!」

「ソレは良かった。買って来た甲斐がありますよ」

 

 ルイーネ様に腕輪を見せつけ、褒められたところで、パティルナ様がそんな事を言った。苦笑する。無論本気にする訳ではないが、微妙に反応に困る。とりあえず当たり障りのない返事をした

 

「さて、ルイーネ様はこれをどうぞ」

「ふふ、有りがたく受け取りますね」

 

 次いでルイーネ様に渡す。ペンダントだった。先ほどの腕輪と同じように、鉱石があしらわれ、加護が施されているものであった。尤も、此方の鉱石は青色だが。それを手渡す。ルイーネ様は何時もの様に朗らかな笑みを浮かべながら、受け取ってくれた。

 

「どうですか、ギュランドロス様。似合ってますか?」

「おう、似合ってるぜ、ルイーネ。はっは、ユイン。これを機に、ルイーネに手を出そうなんて考えるんじゃないぞ」

 

 ルイーネ様はペンダントを首にかけ、王に感想を聞いた。それに笑みを持って王が答える。仲が良いものだ。そんな事を思っていたら、王が冗談交じりでそんな事を言った。

 

「くく、ご冗談を。私が王の大事なものに手を出す訳がありません。そのような仲睦まじい様子を見せていただけたのなら、それだけで充分ですよ」

「むぅ、その余裕、相変わらずからかい甲斐の無い奴だな。これがエルミナなら、もう少し面白い反応をしてくれるんだがな。まぁ、そんなところもお前らしいか」

「ソレが、私ですので」

 

 焦る必要はない。冗談だと解っているので、笑みを持って答える。若干王がつまらなさそうに言ったが、其処は気にしないでおく。

 

「……」

「あらあら、エルちゃん。欲しいなら欲しいって言えばいいのに」

「そうだよ、エル姉。折角ユインが選んできてくれたんだから、素直に受け取ればいいじゃん。別に我慢しなくても良いって」

「……、そ、そんな事ありませし、我慢もしてません」

 

 ルイーネ様の言葉と、パティルナ様の言葉に、エルミナ様に視線を移す。先ほどから黙っていたエルミナ様が、何かもの言いたげな瞳で此方を見ていた。その目に映るのは、不満と僅かな期待だった。さて、どうしたものかと思いつつ、懐に手を入れた。

 

「ユイン」

「む?」

 

 土産を取り出そうとしたところで、王が短く声をかけて来た。そちらを見る。視線が混じり合う。目と目で会話をしていた。普通に渡すのではつまらんから、何か趣向を凝らせ。そんな事を凄まじい眼力で告げて来ていた。軽く目を閉じ、笑みを持って返事をした。相変わらず、エルミナ様を弄るのが好きな人だ。

 

「エルミナ様。此処に髪飾りがあります。受け取ってもらえますか?」

 

 土産として買ってきていた髪飾りを取り出す。先の二つと同じで、これにも鉱石が使われている。真紅の鉱石だった。なんとなくエルミナ様ならば似合うのではないかと思い買ったモノであった。年頃の女性である。軍属とは言え、多少は身だしなみに気を使っても良いだろう。尤も、軍装ばかり着ている男が言う事では無いが。

 

「……ユインがどうしてもと言うなら、受け取ってあげなくもないです」

「いや、無理にとは言いませんよ。私とて、エルミナ様が嫌がるモノを渡したくはありません。ならば他の者にでも渡しますので」

 

 仕方が無いと言う姿勢を見せるエルミナ様に、そんな言葉で応じる。此方としては受け取ってもらえないと、渡す相手を探す事から始めなければいけないのだが、そんな様子はおくびにも出さない。王は趣向を凝らせと目力で告げてきていた。この場合では、エルミナ様を弄れと言う事であった。なかなか難しい事を所望される。そんな事を思いつつ、エルミナ様の出方を窺う。

 

「別に、嫌がっているわけではありません」

「そうでしょうか? 私には無理をしている様に見えます。やはりこれは他の者に譲る事にしましょう」

 

 押した後に引く。そんな事を少しだけ行う。揺さぶり過ぎても駄目なのだ。新手の戦と定め、気を窺う。

 

 

「ああ、もう、待ってください。欲しいです、欲しいですから、他の人にあげるなんて言わないでください!」

「では、どうぞ」

「え、あ、ありがとうございます。……大事にします」

 

 何を言っても引いていく此方に、業を煮やしたのか、エルミナ様は若干叫ぶように欲しい言った。その様は思春期の娘が素直に言う事を聞いてくれたかのようであり、何処となく嬉しく思えた。尤も、自分とエルミナ様では其処までの年の差は無いが。僅かな笑みを零しつつ、髪飾りを手渡す。エルミナ様は一瞬呆けたような顔をしたが、直ぐに若干不服そうな顔になるも、素直に髪飾りを受け取ってくれた。そのまま両手で包み込むように持ち、紅の輝きを眺めている。何はともあれ、受け取ってもらえたので、肩の荷が一つなくなって良かったと思う。

 

「おおう、良いモノが見れたな」

「ですねぇ……。エルちゃんが、軍議とギュランドロス様の事以外で叫ぶところとか、あまり見れませんしね」

「まったくだ。くくく……」

 

 王とルイーネ様が顔を見合わせ、うんうんと頷いている。機嫌は良さそうであり、王の意思に沿う結果が出せた事に満足する。尤も、今回に関していえば、失敗しても問題は無いだろうが。

 

「あはは、エル姉、顔真っ赤だよ。もう、結局貰って恥ずかしがるなら、最初から素直に受け取っておけばいいのに」

「う……。うるさいです、パティルナ。それに、さりげなく抱き付かないでください!」

「えー。今のエル姉、可愛いからヤダ!」

「な、何を訳の分からない事を言うんですか!」

 

 パティルナ様がエルミナ様に軽く抱き着きながら、にやにやと攻撃する。エルミナ様も、口では嫌そうにしているが、決して邪険にはしない。三銃士である二人は、姉妹のように仲が良かった。微笑ましい光景である。

 

 

 

 

 

 そんな様子を眺めながら、周囲の音に意識を移す。先ほどから、距離は遠いが馬蹄が聞こえている。僅かに伝わってくる振動から、騎馬隊が訓練をしているのが解った。我が麾下達だろうか? それにしては少し多い気がする。ならば違う部隊なのだろうか。城内でも感じる事が出来た。自分の麾下にしては、数が多すぎるのだ。

 

「おう、ユイン。黙り込んでどうした?」

 

 そんな俺の様子に気が付いた王が、傍らまで来て言った。瞳を見る。楽しそうな瞳は、こちらの考えなど見透かしている気がした。

 

「いえ。外で騎馬隊が訓練しているようなので、麾下の調子はどうかと思いましてね」

「はっは。帰ってきて早々、それか。何処までも戦いに関する事が気になるらしいな。まったくお前らしいぜ」

「褒め言葉と受け取っておきましょう」

 

 王の言葉に軍令を以て答える。ラナハイムからユン・ガソルに戻ってくる道程で、身体はほぼ回復している事を実感していた。剣を全力で振り、白夜を疾駆させ続けたとしても、不調になる事はな無かった。漸く万全になったと言えた。それ故、煩わしい事が一つなくなっていたので、自分の手足となる麾下の事に視線が向いたと言う事だった。

 

「先のザフハ増援。そしてレイムレス城塞防衛での戦果。その二つを踏まえ、お前の部隊をさらに増員する事が決まった」

「真ですか?」

 

 少々、予想外の言葉であった。問い返す。

 

「ああ。だが、正確に言えば増員では無い。麾下はそのまま500で、指揮官を二人付けようと思う。それぞれに250の兵を預けてある。合計1000。ソレがおまえの率いる部隊になる」

「成程。つまり、次代のユン・ガソルの将となる者を育て上げろと?」

「そう言う事だ。増員と言うよりは、体の良い新人教育になるな。指揮官二人は、一人前に育った時点で、お前の指揮系統からは外すつもりだ」

「妥当でしょう。戦果と言いますが、私はまだユン・ガソルに勝利を捧げておりません。それなのに増員と言うのは納得できませんが、育成と言うのであれば歓迎です」 

 

 王の言葉に、短く頷く。将として、役目は果たしていたと思う。が、ソレはユン・ガソルが勝利したと言う事では無かった。両の戦共に、ユン・ガソルとしては敗北している。それなのに増員と言うのは、おかしな話なのだ。だが、新人の指揮官に経験を積ませるために、一時的に加入すると言うのならば納得はできた。敗北はしているが、キサラの戦鬼と戦った経験もある。メルキア帝国に所属していた時も、それなりに戦の経験はあった。その経験が買われた。そう言う事なのだろう。自分の指揮がある程度評価されたことは、純粋に嬉しく思えた。

 

「確かにお前の言うとおりだが、その手腕は信頼に足るものだ。だからこそ、指揮官の育成を任せたいんだ。流石に、三銃士に何でもかんでも任せられる状態じゃなくなってきたしな。お前の力も借りたい」

「ほう。となると、状況が変わったと?」

「ああ。ラナハイムと結んだ」

 

 少しばかり、驚く。ラナハイムと言えば、つい先日まで訪っていたからだ。王が友と手を結んだ。その意味を考える。

 

「成程。となれば……、東進、でしょうか?」

 

 現在のユン・ガソルの情勢を鑑みるに、思い当たるのはそれだった。ラナハイムに居た頃に、ユン・ガソルがメルキア東領元帥と一時的に停戦をしたと言う情報は得ていた。となれば、メルキアと直ぐに事を構える事は無い。だが、ユン・ガソルとしては、生産能力の高い領土が欲しかった。ユン・ガソルでは工業発展により、汚染された土地が多いからだ。つまりは、どこかに攻め込む必要がある。センタクスと戦わず、ラナハイムと手を組んだ状態で攻める場所。そうなると、選択肢はあまり多くなかった。

 

「はっは、当たりだ。以前からザフハからの要請が来ていた。アンナローツェを挟撃してほしいとな。そこで、ルモルーネ、ひいてはメルキアに対する圧力として、ラナハイムを利用する」

「承知。ならば、早速、麾下と新人の調練に参加しましょう」

 

 俺の言葉に王は満足したのか、楽しそうに言った。ラナハイムがルモルーネ公国に攻め入る。ソレは確定しているようであった。ルモルーネ公国は基本的に武力を持たず、周囲の三国、ユン・ガソル、メルキア、ラナハイムに収穫された農作物を均等に輸出している国家であった。それ故、ラナハイムが攻め入るとなれば、他の二国に救援要請を送る。事前にラナハイムと手を結んでいるユン・ガソルは、その要請に応えず静観。そしてメルキア帝国とラナハイムの戦に発展する。言葉の端々から感じ取れる、王の見立てはそんなところだった。

 

「おうおう、気が早いな。だが、ソレは明日からでいい。お前にはまだ教えなきゃいけない事がある」

「と言うと?」

 

 軍礼を取り、退出しようかと思ったところで、王に引き止められる。即座に問い返していた。

 

「以前、お前に欲しいモノが無いか聞いた事があっただろう?」

「ああ、ありましたね。合同訓練が終わったぐらいでしたか」

「ああ。それでだな。正式に増員できない詫びと言ってはアレだが、全部揃えておいたぜ」

「……。真、ですか?」

 

 思考が固まる。それぐらいの衝撃を受けた。

 以前王が欲しいモノを聞いて来た事があった。それに、一切の遠慮をせずに答えていたのだ。自分が率いる騎馬隊にとって欲しいと思えるモノ、全てであった。それを王は揃えたと言ったのだ。完全に、予想の上を行かれていた。鼓動が高鳴る。

 

「くはっはっはっは。お前でも、そんな顔をするんだな! いや、これは揃えて正解だった」

「それだけ、予想外だったと言う事ですよ」

「そいつは良かったぜ! まったく、そんな嬉しそうな顔をされたら、他に言葉が出ないぜ!」

 

 笑みが零れているのをはっきりと自覚する。戦場を駆ける騎馬隊。それに、漸く自分の思い描く戦を完全に行わせることができるのだ。考えただけで、血潮が滾り、心が躍った。

 

「王よ。私は、これで漸く思い描く全ての戦ができます」

「ああ。楽しみだぜ。どれぐらい、強くなると思う?」

 

 静かに告げる。高揚を体が包み込んでいるが、意識的に抑え込む。喜びは、麾下達と駆ける時に外に出そう。そう思っていた。

 

「竜をも狩ります。その騎馬隊を駆る限り、我が部隊は何十何百の竜をも討てましょう」

「くく、だっはっはっは! まったく、大した奴だよ。言う事欠いて、竜すらも狩れるとのたまった。此れが他の者ならば一笑に付すところだが、お前ならばやれると思えるから不思議だ」

「できます。王が必要なものを全て揃えてくれたと言うのならば、我が麾下に出来ぬ道理はございません」

 

 竜をも滅ぼす騎馬隊。それを目指していた。人では竜に勝てない。個人単位であれば倒す者もいないとは言えないが、種族として考えればそれは当然の事だった。そんな常識を覆す力。それを我が麾下には望んでいた。自分が育て上げる騎馬隊である。できない道理は無かった。人が竜を倒す。その程度で終わるつもりはないが、明確な目標の一つであった。

 

「その言葉、二言は無いか?」

 

 王が俺の目を見て尋ねた。凄まじい圧力を感じた。

 

「我が誇りに賭けて」

 

 軍礼を取り、応える。強く在る事を望んでいる。その誇りを賭して誓うのに、躊躇などある筈が無かった。視線が交錯する。静寂が辺りを包んでいた。

 

「くくく、はっはっは。迷いなく言い切るか」

「ソレが、私です」

 

 おかしくて仕方が無いと言った様子の王に、それだけ応える。

 

「ああ、それでこそ、ユイン・シルヴェストだ。一部隊分もの特注魔導銃を用意した甲斐がある。一つ決まったな、ユイン」

「何がでしょうか?」

 

 問い返した。麾下全てにいきわたる、威力と射程に特化した魔導銃。それを所望していた。それを使う事で、初めて俺の部下に俺の本当の戦をさせる事が出来るのだと思っていた。

 

「決まっているじゃねぇか。お前が直々に率いる騎馬隊の名だよ。何時までもユン・ガソルの黒騎士率いる部隊じゃ、可哀想だろ?」

「かも、しれませんね」

 

 王の言葉に、頷く。名など、考えた事も無かった。自分の麾下は、麾下でしかないのだ。

 

「ユイン・シルヴェストが駆る騎馬隊。竜をも狩る騎馬隊。お前の率いる漆黒は、竜を駆る騎士、竜騎士すらも討てる。だろう?」

「お望みと言うのならば、打ち破って見せましょう」

 

 王が、最期の確認をするように言った。ソレに王の目を見据え、静かに答える。考える意味などない。戦えと言うならば、どのようなモノでも討ち果たす。それだけであった。

 

「はっは、決まりだ。竜を狩り、竜騎士すら狩る。竜族すらも討ち果たす、最強の騎馬隊。竜騎兵。ソレが、おまえの駆る部隊の名だ!」

「竜騎兵」

「部隊が完成した暁には、竜騎将を名乗ると良い。ユン・ガソルの竜騎将、ユイン・シルヴェスト。くく、格好良いじゃねぇか! なぁ!」

 

 王が、言った。短く復唱する。竜を狩る、騎馬隊。自身が望んでいた力、ソレが遂に手に入る。そう思っただけで、高揚していた。ユン・ガソルの竜騎将。自分などがそのような大層な名を頂戴する事には抵抗があるが、それに見合う成果を出そう。そう、心に誓った。

 

 




ようやくタイトルの竜騎の詳細を出せました。ここから、オリジナル展開が入り始めます。


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18話 竜騎と新人指揮官

 ユン・ガソル連合国よりさらに東、ザフハ部族国とユン・ガソル連合国の国境沿いに位置する国があった。アンナローツェ王国。光の神々を信奉する国であり、闇の神々を信奉する者達の集うくに国家であるザフハ部族国との折り合いは悪く、近年より交戦状態にまで事態は発展していた。

 大陸公路。東方諸国と、メルキア帝国をはじめとする中原、そしてアヴァタール大陸西域まで連なる交易路があった。大陸公路は、商人たちが隊商を組み商いをする事で、その地域に莫大な利益を生むのである。その利権を有するアンナローツェから権利を奪うため、ザフハ部族国はアンナローツェ王国に戦争を仕掛けていた。

 

 ザフハとアンナローツェの戦は、数年前までは一進一退であると言えた。個の戦力に秀でるが統制のとれないザフハを、戦力では劣るが統率のとれた動きで殲滅することで、アンナローツェは互角に戦う事が出来ていたからであった。幾ら個人個人が強いとはいえ、当時のザフハの兵士たちは個人で戦っていたのである。それでは、アンナローツェを討ち果たす事はかなわなかった。

 しかし、そんな両国の戦況が一転する事態が起こる。当時のザフハ部族国の首長が消え、新たな首長、アルフィミア・ザラが台頭してきたことを皮切りに、状況が変わりはじめた。

 アルフィミア・ザラ。闇エルフの部族を束ねる長であり、武力よりも知に長ける人物であった。その様は、力を重んじる闇陣営の国であるザフハ部族国では異色であると言えた。だが、力を重んじる国風が、アルフィミアの能力を発揮させるのに良く働いたと言えるだろう。個の実力が高いザフハの者達に、アルフィミアは規律を順守させ、統制された動きと言うものを教え込む事に成功していた。ソレは、ザフハが群れでの狩りを覚えたと言う事であった。

 結果として、統制されたザフハの軍に、個の力では敵わず、群れの力で対抗するしかなかったアンナローツェ王国は、その優位を崩されたことで、ザフハ部族国に大敗を喫する事となった。アルフィミアの台頭が、アンナローツェ国王の戦死と言う最悪の形でアンナローツェに、ひいては中原各国に浸透していると言えた。

 

「漸く、一区切りが付けました」

 

 王の戦死。第一王女から新たな女王に即位した事で、その混乱を何とか治め終えたといえる。新たなアンナローツェの女王マルギレッタ・シリオスは僅かに疲れたような溜息を自室で洩らす。純白のドレスを身を包み、その特徴的な淡い橙色の髪を悩ましげに揺らす姿は、聖女と賞するに値する、ある種の魅力と言えるものを纏っている様に見える。とはいえ、今はまだその片鱗が見えるだけであり、現状では笑顔で民に手を振る姿が似合っている、というところであった。女王でありながらも、マルギレッタ自身はまだ成熟しきっていない少女であると言えた。

 

「お疲れ様です、マルギレッタ様」

「ありがとう、リ・アネス。でも、まだ大丈夫です。ザフハの対処に、メルキアへの根回し。ユン・ガソルへの牽制、やる事はたくさんあります」

 

 僅かに疲労を見せるマルギレッタに、一人の女性が声をかけた。上半身は人の身であり、下半身は蛇の身を持つ女性であった。それにマルギレッタは笑みを持って答える。疲れてはいるが、そんな事に構っている時間はない。マルギレッタはそう思っていた。

 

「駄目ですよ、マルギレッタ様。今、あなたに倒れられるほうが困ります。前王が倒れた今だからこそ、貴女に倒れられる訳には行かないのです」

「そう、ですね。すみません、動いていないと落ち着かなくて……」

 

 そんな主に、リ・アネスは苦笑を浮かべながら言う。無理をするなと。その言葉は、臣下のモノでありながら、どこか親しみを感じさせる響きであった。リ・アネス。マルギレッタが幼い頃より、教育係に付けられた龍人族(ナーガ)であった。幼い頃よりマルギレッタの傍に居、誰よりも長く彼女の傍にいた者である。マルギレッタとは家族同然と言える間柄であった。そんな彼女の言葉だからか、マルギレッタも素直に受け取る事が出来た。

 

「……不安なんです、休んでしまうと。皆には勝つと言ましたが、本当に私で大丈夫なのか。そんな事ばかり考えてしまいます」

 

 新たに王として立ったが、人の上に立つ不安に襲われて、それを紛らわすために、職務に専念していたのである。その仕事量は、王となったばかりの彼女には、明らかに過剰であった。それでも、マルギレッタは何かをしていないと不安だった。女王と言うには、経験が足りていなかった。

 

「大丈夫です。マルギレッタ様なら、できます。その為に、私も助力を惜しみません」

「ふふ、ありがとうございます、リ・アネス。貴女がそう言ってくれると、本当にできると勇気が出ます」

 

 王と言う重責に怯える少女を励ますために、リ・アネスは穏やかに告げる。この少女を支える。そう心からリ・アネスは思っていた。そんなリ・アネスの想いを感じたのか、マルギレッタは先ほどより幾分か安らいだ笑みを浮かべた。

 

「私はザフハに備えます。総騎長として、務めを果たします」

「はい、お願いします。必ず生きて帰ってきてくださいね」

「必ず。では」

 

 マルギレッタが幾分か元気を取り戻したのを確認したリ・アネスは、戦場に向かう事を告げる。マルギレッタが女王に即位したときに、リ・アネスはアンナローツェ軍、第三総騎長に任命されていた。彼女の信頼が厚く、また個人武勇にも指揮能力にも優れた人材であったからだ。それゆえ、対ザフハの戦線に赴き、戦果を挙げるのが、彼女の成すべき事であった。

 

「ご武運を、リ・アネス」

 

 リ・アネスが退席する。マルギレッタの呟きが、王女の部屋に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は、新しい指揮官の様子を見に行くだけです」

 

 ユン・ガソル連合国、軍営地。エルミナ・エクスは、自分に言い聞かせるように言った。軍を統括する彼女であるが、既に本日分の仕事を片づけ、その身は自由になっていた。それ故、何をするにも彼女の意思の赴くままと言う訳であった。

 

「アレが、竜騎兵」

 

 軍営に足を踏み入れたエルミナは、遥か前方を駆け抜ける漆黒の騎馬隊を見詰め、感心したように呟く。竜を狩る騎馬隊。それは、ユイン・シルヴェストが、主であるギュランドロス・ヴァスガンに宣言した部隊であった。人の身でありながら、竜をも撃破る。それも、将個人の武勇では無く、部隊全体がその強さを保持する。そう明言していた。不可能である。エルミナは聞いたときにはそう思った。幾らユインが凄まじい将器を持っているとしても、全ての部下が竜に勝てると言うのは、夢物語としか思えなかった。

 

「……凄い、ですね」

 

 その認識が、改められる。ユイン・シルヴェスト率いる竜騎兵。その部隊が、原野を駆け巡っていた。一纏まりになっていたかと思えば、数舜後には二つに別れ、直ぐ様四つに別れ駆け巡る。その動きに一切の無駄は無く、隊列の変更の合図が鳴ったかと思った時には、部隊は変幻自在に姿を変える。騎馬隊が忙しなく駆け回る。合図が鳴り、部隊の陣形が変形する。左右に二つに別れ駆け続け、ある程度距離を取ったところで、馬首を返し対陣する。

 

「いったい何を?」

 

 竜騎兵が二つに別れ向かい合ったところで、エルミナは不思議に思い頬に片手を置き小首を傾げた。風が、優しく吹き抜けた。エルミナの言葉に返事をするかのようなタイミングで吹いた風が合図であった。両軍が駆け抜ける。竜騎兵。二つの漆黒が、紅を靡かせ、疾駆する。速過ぎる。エルミナを以てしても、その行軍の速さに目を見開く。以前行った模擬線など比べ物にならないほどの速さであった。疾風迅雷。そう表現するに相応しき、圧力を持った速さであった。不意に、がちゃりといった感じの、何かを構える音が聞こえた。一糸乱れぬ動きであると言えた。

 

「まさか。いや、そんな馬鹿な事を……」

 

 何の音かに予想がついたエルミナは、信じられないものを見るような目で竜騎兵を見詰めた。視線の先。既に竜騎兵は、魔導銃を構えていた。竜騎兵の対面に居るのは、同じ竜騎兵であり、つまりは味方であった。それに対し、魔導銃を構えているのである。エルミナでは無くとも、正気の沙汰とは思えないだろう。そして、黒が交錯する瞬間、

 

 

「ッ!?」

 

 ――――稲妻が舞い降りた。青天を切り裂く霹靂。聞く者全てを振るわせる程の轟音。それを、二つの竜騎兵は互いに向け、魔導銃から鳴り響かせた。五百丁の魔導銃の一斉発射であった。大地を震わす轟音が辺りを包み込んだ。その衝撃と、早すぎる漆黒の行軍により、辺りには土煙が舞い上がった。

 

「竜騎兵は? ……あり得ない」

 

 エルミナの呟き。それに応えるかのように、馬蹄だけが力強く鳴り響く。やがて土煙が収まった。馬蹄だけが、辺りに木霊する。漆黒。一騎の脱落者を出す事も無く、交錯を終え、再び対陣していた。そして駆ける。次は魔導銃では無く、弓を構えている。そのまま騎射陣形を維持したまま疾駆し、交錯する。瞬間、合図が鳴った。弓が放たれる。その五百が放つ矢は、一矢も味方に当たることなく、左右の騎馬隊の後方に矢を放つ事に成功していた。

 

「これが、ユイン・シルヴェストの言う、竜を狩る者達」

 

 エルミナが畏怖を込めて呟く。軍を二つに割り、その両軍が戦場を駆けまわり、背後を追う者達に対する備えだと言う事は、二度の交錯による結果から、エルミナにも理解ができた。だが、その調練の内容が異常といえた。行軍と陣形の変更だけならば、何の問題も無い。二つの陣形の交錯は、錬度が相当必要だろうが、精兵と呼ばれる軍ならば、そう言う訓練も十分に施す事が出来るとエルミナは思う。だが、ユインが施している事は、そんな生易しいものでは無かった。両軍の背後に仮想敵を作り出し、それに向かい実際に攻撃すると言うところまでを行っているのだ。その訓練は一歩間違えれば、即、死に繋がると言えるモノであった。たとえ死に至らなかったとしても、大けがをする可能性だってある。それぐらい厳しいモノであったのだ。そんな事をユイン・シルヴェストは平然と行い、また、竜騎兵は当然の事として、成功させている。それを何度も繰り返し、そして遂にただの一度も失敗を起こさなかった。見詰めているエルミナは、安堵の所為か、思わず溜息を零した。目の前で行われていたことは、それ程の凄まじい調練であった。

 

「……」 

 

 エルミナは、言葉を出す事が出来なかった。死を厭わぬ訓練。それを平然と行うユインと、当然の事と受入れ駆け抜けていく竜騎兵に対し、僅かながら畏怖を覚えていた。情報としては知っていたが、実際目にした事で、その苛烈さに圧倒されたのだ。そして理解できなかった、何故彼らは死を厭わないのか、と。一歩間違えば、怪我では済まない。そんな事は誰の目にも明らかな訓練に、誰一人として異を挟むものが居ない。それも、言い出せないのではなく、言う必要が無い。そんな雰囲気であるのだ。竜騎兵を束ねるユイン・シルヴェスト。その在り方が、竜騎兵全体に影響し、死線に踏み入る事を厭わない人間達にしていた。その異常とすら言える統率力は、どこか人間離れしているとエルミナは思った。個人の力とは違う意味で、そう感じた。実際、エルミナや他の三銃士を以てしてでも、竜騎兵と同じ訓練を部下に施し、一切の脱落者を出さずに成功させれるとは思えなかった。兵を率いる事に関してで言えば、ユイン・シルヴェストは間違いなく、他の追随を許さない何かを持っていると言えた。

 

「こんなの……駄目です。何時か、壊れてしまいます」

 

 エルミナは、絞り出すようにそう漏らした。強く在る。ユインはそれだけを求めるが故に、死と隣り合わせであることを常に望んでいる。そして顧みるモノなど何もない、と話していたのを不意に思い出した。この調練は、その言葉を確かに裏付けるものであった。ユインにとって、顧みるモノは何もなく、強さを求め死んだとしても一切の悔いは無いのだ。そうエルミナは本当の意味で理解した。無性に腹が立ち、その後僅かに悲しみが押し寄せる。自分たちでは、ユインにとっての顧みるモノになり得ていない。その事に気付き、少しだけ胸が痛んだ。仲間だと思えるようになった、戦友だと認められると思った相手に、自分たちはそれほど思い入れのある人物としてすら認識されていない。気付けば、どうしようもない複雑な思いにエルミナは駆られた。感情のままに叫びそうになるのを、理性で押さえつける。

 

「やっぱり、メルキアの男は嫌いです……」

 

 吐き捨てるように、エルミナは呟いた。心なしか、瞳が僅かに湿っている。それを紅の軍装で拭い、前を見据える。エルミナの瞳には、光が宿っていた。

 

「絶対、あの男の好きに何かさせてあげません。自分はユン・ガソルの大事な仲間なんだと、思い知らせないと気がすみません。ユインが居なくなったら悲しむ人がいると言う事を、嫌と言うほど解らせさせないと、ダメです」

 

 強さだけしか見えていない男。その男に、仲間がいる。肩を並べる戦友が居る。それを教えよう。そう心に誓い、エルミナは歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんなモノか」

 

 竜騎兵の調練を一通り終え、一息つく。隊を駆けさせたまま複数に分け、そのまま変幻自在に駆けまわり、最期には交錯した状態での騎乗射撃による奇襲の訓練を施していた。魔導銃と弓を実際に用いる訓練である。一歩間違えれば、死に繋がるが、ソレは考慮すべき事では無かった。実戦であるならば、どのような状況に陥るかは解らないのである。複数の部隊を惹きつけると言う状況も十分にあり得るのだ。その為の訓練であった。何よりも調練で成功しないモノが、実戦で成功する訳が無い。だからこそ、繰り返し兵には調練を施すのだ。無論、できない事をするつもりは無かった。麾下達は、キサラの戦鬼、東領元帥ヴァイスハイトとの戦を通し、一回りも二回りも成長していた。そして自分が負傷した傷を治している間も、副官であるカイアスの指揮の下、調練に明け暮れていたのである。実戦を経験し、再び厳しい調練を受けた麾下達は、精鋭中の精鋭と呼ぶに相応しい仕上がりとなっていた。だからこそ、できると確信し、魔導銃を直接使う調練を取り入れていた。それ程までに、強くなったと言う事だった。ユン・ガソルの竜騎兵。そう名乗るのも、大げさでは無いと思えてきていた。

 

「どうでしょうか、将軍。みな、良く仕上がっていると思いますが」

「ああ、実戦が麾下達を刺激し、さらなる調練により鍛え上げられたのだろうな。竜騎兵の強さは、俺の想定を超えている。嬉しい誤算だ」

 

 カイアスの言葉に、正直な感想を告げる。副官であるこの男だからこそ漏らした本音である。無論、現状でも直すべき場所はある。それ故、麾下達を褒める事はしない。竜騎兵はこの程度で満足するべきでは無いのだ。竜を狩る者達である。ならば、目指すべき頂は、遥かに遠い。ソレが、心を躍らせる。強くなるのを実感し、自分たちはまだまだ強くなると言う事を感じられるのが、どんな娯楽よりも楽しいのである。

 

「さて、我が麾下達の訓練はこれで終わりだが、できそうか?」

 

 カイアスとの話を切り上げ、背後に控えている指揮官に声をかける。先日、王に与えられた新人の指揮官だった。姉妹でユン・ガソルの指揮官となった者達である。姉が弓使いで、妹が機械弓を用いる。

 

「で、できます! あたしにだって十分こなせます」

「ほう、それは竜騎兵を指揮できると。そう言うのか?」

 

 指揮官の姉が、声を若干裏返しながらも、俺の目を見て言い切った。威勢の良いことだ。生意気な事を言っているが、声が若干上ずっている事から、内心を察するのは容易だった。負けず嫌いな娘だと思いつつ、顔を見据える。茶色の髪を、白を基調に僅かに赤で装飾されたリボンで結っているのが特徴的な少女だった。その紅の瞳は、気の強そうな光を放っている。名をダリエルと言う。どうやらエルミナ様の様にユン・ガソルの貴族の出であり、それなりの教育を受け指揮官として登用されたようであった。

 

「そ、そういってるのよ、じゃない、言ってるんです!」

 

 ダリエルを見詰め、にやりと口元に笑みを浮かべながら聞き返すと、そんな返事が返ってきた。元来強気な性質なのか、若干言葉がなってはいないが、目くじら立てる必要もないし、言いなおした事もあるので今は捨て置く。元々、あまり気にする性質でもない。

 

「お、お姉ちゃん。無理しない方が良いよ。あんな凄い動き、私たちじゃまだ無理だよ」

 

 ダリエルの言葉に慌てたのか、もう一人の指揮官がダリエルを諌める。ダリエルの妹である、リプティーだった。腰まである艶やかな藍色の髪と、姉と同じ紅の瞳が印象的な少女だった。此方の娘は、姉と違い落ち着いている、と言うよりかは少しばかり独特の雰囲気を持った娘であった。珍しい機械弓を用いる指揮官であるが、普通の弓も人並み以上に使える少女であった。

 

「む、無理じゃないわよ。あたしなら、できる」

「無理だってばぁ。もう少し、現実を見ようよ」

「無理じゃない! ……メルキアの降将にできて、あたしに出来ない訳が無いんだから!」

「お姉ちゃん!」

「あっ……」

 

 二人の言葉を聞き、なぜダリエルが出来ないと思っていながら、かたくなな態度をとる理由が解った。要するに、元メルキア軍人の自分の下に置かれたことが不満なのだろう。特にユン・ガソルの貴族である。メルキア嫌いはユン・ガソルの中でも更に根強いのだろう。だからこそ、元メルキアの俺に反発があると言う事だった。その割にリプティーの方はそう言った様子が見れないのは、その性格ゆえだろうか。

 

「成程。私が気に入らない、と」

「別に、そんな事はないわ……ありません」

「何、気にする事は無い。本音を話してみると良い。どのような無礼も、この場においては許そう」

 

 俺の言葉に、ダリエルは不機嫌そうに答える。頑なである。尤も、上官に対して正面から文句を言えば、罰を与えられるのは目に見えているのだろう。苦笑しながら、付け足す。そうする事で、漸くダリエルの目つきが変わった。

 

「ユイン将軍。あたしはメルキアが、嫌いです。だからこそ、元メルキアの貴方は信用できませんし、なぜ私の上官に選ばれたのかもわかりません。三銃士の所属とまでは言いませんが、貴方の指揮下にいても得るモノがあるとは思えません」

「ちょ、お姉ちゃん!?」

 

 素直な気持ちを告げるように言うと、ダリエルは容赦なく言葉を並べた。嫌われていると言うのは様子を見ていてわかってはいたが、此処まで嫌われているとどこか清々しく思えた。笑みが零れる。姉の言葉に妹のリプティーが焦ったように声を荒げたのが、それに拍車をかける。王は中々面白い二人をよこしたものである。

 

「くく、許可したとはいえ、随分とはっきりものを言う。お前は面白いな。少しばかり、気に入った」

「貴方に気に入られても嬉しくありません」

 

 しかし嫌われたモノである。取り付く島もないとはこの事だろう。

 

「あうぅ、お姉ちゃん……。ユイン将軍、ごめんなさい」

「なに、構わんよ」

 

 若干泣きそうな顔で此方を見るリプティーに苦笑を浮かべる。姉妹にしては、えらく性格が違うものである。ダリエルと同じ紅の瞳は、姉とは違い、弱気な色をしていた。

 

「とは言え、口で納得するような性格では無いだろう?」

「……負けず嫌いとは良く言われます」

「上出来だ。カイアス」

「……ここに。やり過ぎないで下さいよ」

 

 この手の手合いは、実力を示すのが最も手っ取り早い。それ故、カイアスに声をかけ、調練用の剣を二振り用意させる。言葉よりも体で解らせるのが、軍属だった。とは言え、俺としても指揮官がどの程度の腕か知って置く必要がある為、丁度いいと言えば丁度良かった。一振りはダリエルに持たせ、もう一振りを受け取り右腕で持つ。別段構える必要は無かった。

 

「ご自慢の愛馬には乗らなくて良いんですか?」

「必要が無い。どうしてもと言うのならば、乗せてみると良い」

「……、馬鹿にしてっ」

 

 怒気を隠す事無くダリエルが構える。怒りに身を任せている様に見えるが、思ったよりも泰然と構えていた。予想以上に使える。ダリエルの構えを見て、そんな事を思う。それでも構える事はしない。

 

「来ないなら、こっちから行く!」

 

 数舜の睨み合い。その沈黙を破ったのはダリエルだった。性格上、待つと言うのは性に合わないのだろう。思い切りよく、打ちかかって来る。その剣筋を見詰めつつ、半身を反らし、軌跡の通り道を開ける。

 

「では、行こうか」

「っ!?」

 

 そのまま振り下ろした刃は体のすぐそばを素通りし、落ちてくる剣を左手の義手で掴み取る。特殊な魔法義手。刃とぶつかり合い、鈍い音が鳴り響く。調練用の剣では斬り伏せるどころか、わずかな傷すらもついていないように思えた。数舜の沈黙。決定的な隙。右手。無造作に携えていた剣、その石突を振り抜く。側頭部。寸分の狂いなく、打ち据え、ダリエルの脳を揺らしていた。

 

「うぁ……きゃっ」

「……」

「お姉ちゃん!」

 

 頭部を打たれ、ふらついたダリエルの足を容赦なく払う。それと同時に倒れはじめる上体に、振り抜いた右腕を叩きつけ、地に落とす。調練なのだ。女だからと言って容赦する道理は無い。むしろ、女だからこそ、厳しくする必要がある。戦場で男が倒れても死ぬだけだが、女の場合はそれ以外の事もあるのだ。だからこそ、厳しくする必要はある。よって、慈悲も容赦も無い。

 

「くぅ」

「喉、上手く護れよ」

 

 倒れ伏すダリエルに、短く告げる。既に足を振り上げていた。その言葉に倒れているダリエルはハッとしたのか、喉元で腕を交差させ、防御態勢に入っていた。それを横目に、振り振り下ろす。

 

「つぅ、あぅ、うぁ」

 

 二度全力で踏み抜き、三度目で蹴り上げたところで、腕での防御が外れダリエルは無防備を晒した。即座に義手でと片足で両の手を抑え、馬乗りになり、右手に持つ剣を手首の動きだけで持ち替え、刃を向ける。ダリエルと目が合った。その気の強そうな紅の瞳には、涙が浮かんでいた。それだけであり、顧みるモノでは無い。容赦なく、剣を突き刺した。

 

「これで、数回は死んだな。まだ、やるか?」

「……」

 

 剣を地に突き立て、告げる。足で踏み抜く事などせず、剣を突き立てればその時点で終わっていただろう。故に、数回死んでいるのだ。踏みつけたのは、ダリエルが女だったからである。そして、俺が敵だったのならば、そのまま蹂躙されただろう。ソレが戦なのだ。負ければ奪われる。それだけなのだ。

 

「リプティー」

「は、はい」

「今日はこれで下がって良い。ダリエルは任せる」

「解りました」

 

 そのまま倒れ伏すダリエルから離れ、リプティーに指示を出す。一瞬びくりとしたが、すぐさま指示に従い、ダリエルをつれ、軍営から離れていく。それと入れ替わるように、エルミナ様の姿が見える。視察にでも来たのだろうか。そんな事を思った。

 

「ダリエルは、潰れますかな?」

「解らん。が、それなら、其処までの器だったと言う事だろう」

「……如何にも将軍らしい言葉です」

 

 傍らに控えていたカイアスに応える。指揮官の育成を課せられていた。それ故、最初に叩き潰した。其処から立ちあがれるか否か。最初の関門だった。

 

「お疲れ様です。新任の指揮官はどうなっていますか?」

「先ほど、扱き終えたところですね」

 

 やがてこちらにまで辿り着いたエルミナ様に答える。容赦なく、叩き潰していた。それでもまだ立ちあがれるのなら、強くなるだろう。そう思った。

 

 

 

 

 




新人指揮官ダリエルとリプティー。魔導巧殻の汎用ユニーク武将です。指示をだした時のセリフから性格を想像しているので、半オリキャラと言えなくもないです。


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19話 一つの転機

「つまり、交渉は決裂と言う事ですわね。例の件は、そちらからの申し出だったと思うのですが?」

「それについては、此方に非があるとしか言えないな。状況が変わったと言わざる得ない。今のユン・ガソルは、それ程捨て置けぬのだよ。そして、そのユン・ガソルと結んだ貴国も、な」

 

 メルキア帝国南領、ディナスティ。メルキア帝国南領元帥オルファン・ザイルードと魔法王国ラナハイム王族、フェルアノ・リル・ラナハイムは、会談していた。内容は、ラナハイムがディナスティに魔法技術を提供する代わりに、ラナハイムの行う行動を傍観すると言ったモノだった。ディナスティは、魔導国家であるメルキアに属しながら、魔法技術を推進していた。何れは、魔法技術を国の中枢に置く事を考えているオルファンにとって、代を重ねて研鑽されてきたラナハイムの魔法技術は必要であったのだ。それ故、ラナハイムの行動を傍観するのを条件に、メルキア帝国への侵略をある程度は傍観するつもりであった。

 

「帝国の裏切者。奴の力は些か危険すぎる。そして、その力はユン・ガソルと上手く交わり、機能しているようだ」

 

 だが、状況が変わったことで、話は白紙とせざる得なかったのだ。下手を打てば、帝国が揺らぎかねない。オルファンは静かに思考する。ノイアス・エンシュミオスの配下であった。報告からある程度の能力を持つ事は解っていたが、ある程度どころの話では無かった。帝国の元帥のみが持つ力、魔導巧殻を苦も無く撃破っていた。オルファンは並の策士では無い。想定の上に想定を重ねる。ユインはその予測を上回る実力を示していた。今はまだ小さな軍を率いる将に過ぎないが、その男がユン・ガソルで大成したとき、情勢は変わりかねない。幾ら連戦とは言え、三銃士の二人を同時に下したヴァイスハイトとその副官のリセル、そして魔導巧殻をも容易く破った男に、確かな脅威を感じていた。

 

「ユン・ガソルの黒騎士、でしょうか?」

「そう言う事だ」

 

 フェルアノの言葉に、オルファンは短く頷く。今、メルキア帝国の力を弱める訳には行かない。オルファンの冷めた瞳はそう語っていた。

 

「解りました。では、私は失礼させていただきます」

「ああ。次に会うのは、戦場でない事を祈っておこう」

 

 交渉の余地は無かった。オルファンはユン・ガソルを危険視していた。そのユン・ガソルと結んだラナハイムと、交渉する事はできないのだ。オルファンの意図を感じ取ったフェルアノは、未練を見せる事無く、話を終わらせる。幸いな事に、ユン・ガソルとは同盟を結ぶことができていた。だからこそ、ディナスティとの交渉にこだわる必要はあまりなかった。どちらにせよ、メルキアは打倒すべき最大の敵であった。

 

「はい。では、また」

 

 フェルアノは優雅に一礼し、退出した。オルファンの冷めた瞳だけが、暫くの間、扉を見詰めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 弓に、矢を番える。騎馬。訓練地を駆け抜けている。その動きに、自身の呼吸を合わせていく。愛馬と自分の息遣いが一つとなり、互いの気が混じり合い、やがて一つとなる。そして、そのまま駆け続ける。

 やがて前方に、木で作られた的が見えはじめた。その数は、全部で十。愛馬と呼吸を合わせたまま、狙いを定める。届く。そう思った時にはすでに弦を解放している。一呼吸の間に、五矢を放つ。ふた呼吸を吐く間に、十矢を放った。乾いた音が鳴り響く。十の矢。その全てが的の中央付近に突き立っていた。一番近くの的を追い抜くまで、六呼吸と言ったところであった。その為、合わせて三十の矢を放っていた。一矢の狂いも無く、的に突き刺さっている。日頃の調練の成果であり、必要な技術であった。訓練で五矢放てるならば、戦場では三矢放てれば上出来である。やろうと思えば八矢は放てるが、まだ確実性に欠けるだろう。確実に射抜ける数を増やすためには、日々の鍛錬が必要である。竜騎兵の指揮官として、軍人として、そして俺が俺で在る為にも鍛錬は必要な事であった。

 

「騎射。二人とも弓は得意だろうが、馬上での弓はどうだろうか?」

 

 何度か矢を放ったところで、此方を眺めていた指揮官であるダリエルとリプティーの元まで駆け、声をかける。二人とも、弓兵の指揮官であった。本来ならば、地上を己が足で立ち、弓を放つ兵である。だが、我が指揮下に組みこまれていた。

 竜騎兵は騎馬隊であり、弓騎兵であり、銃騎兵である。通常の弓兵では、とてもでは無いが付いて来れる速さでは無かった。その為、彼女らが率いる兵は、弓騎兵に編成されていた。幸い、純粋な騎兵でなくとも、騎乗の訓練はある。その為、大規模な兵士の入れ替えと言うのは発生する事が無く、元々の二人の部下に馬を与える事で、再編と言う形になっていた。尤も、部隊長クラスは、カイアスにたっぷりと絞られていたようで、元々弓兵だったとは思えない程、上手く馬を乗りこなしていた。二人が俺の指揮下に組みこまれることはかなり前から決まっていたようで、ラナハイムを訪っている時から、調練に参加していたようだった。その為全体の動きはまだまだ拙いが、部隊長はそれなりに動けるため、全体の錬度については時間が解決してくれるだろう。総合すると、ひとまずは及第点と言うところであった。二人に声をかけつつ、遠くを駆けまわる騎馬隊を眺め、そんな事を思った。新設の弓騎兵はまだまだ馬に慣れてい無い者達が多い。とにかく駆け回る事が、最も大事だった。

 

「人並み以上には、使えると思います」

 

 ダリエルが此方の目を見て言った。言葉通り、人並み以上には騎射が行える指揮官であった。地上であるならば、他の将軍と比べても遜色は無いが、騎乗ではその制度が少しばかり落ちる。それでもその制度は破格であると言えるが、その事については触れない。褒めて育つ類の指揮官では無いし、性にも合わないからだ。

 ダリエルは、以前叩き潰した少女であった。その溌剌とした瞳に、僅かばかりの複雑な色を滲ませつつも、素直に答えている。様々な思いはあるだろうが、ひとまずは上官として認める。そんな思惑を感じ取った。とは言え、従順になったと言う訳では無い。寧ろ、その逆であると言えた。調練に乗じて、積極的に仕掛けて来ることが多いのだ。要するに負けず嫌いなのである。事ある毎に、勝負を持ちかけて来る。とは言え、調練に乗じて挑んでくるのであって、全てが騎馬隊の訓練内容である。弓兵の訓練内容ならばいざ知らず、騎馬隊の訓練内容で、竜騎兵の指揮官である自分が負ける道理は無い。全てにおいて、ダリエルを叩き潰していた。その為、ダリエルの負けず嫌いの火が燃え上がり、更に熱が入ると言った具合であった。ある種の循環が成り立っていた。

 

「私は、少し苦手かも~」

 

 ダリエルに続き、リプティーが少しばかり間延びした声で言った。藍色の髪を揺らし、困ったような笑顔で此方を見て、そんな事を言う。困った娘である。彼女の言は、あまり信用ならないのだ。彼女の騎射については、少し苦手どころの話では無い。ダリエルの騎射と比べれば見劣りするが、断じてその程度のものでは無かった。

 ダリエルは、負けず嫌いの秀才タイプであると言える。何度となく俺に勝負を仕掛け、その都度敗北していた。そして敗北から、自分には何が足りないかを試行錯誤する事で、さらなる高みに至る。言わば、彼女は鍛錬の人であると言えた。しかし、リプティーは違っていた。一を言えば、十を理解するのだ。一つコツを教えると、そこから全体の呼吸を感じ取り、瞬く間にモノにしてしまう、一種の才覚を感じる事があった。言うならば、天才タイプである。何でもできるが故に、ダリエルほど熱心では無かった。とは言え、それは不真面目と言う訳では無く、何でも卒無くできるからこそ、熱心なダリエルと比べるとそう見えると言うだけであった。

 

「……あんたで苦手なら、あたしは何なのよ」

「んー。お姉ちゃんと私じゃ、得意な事が違うだけだよ」

「そう言う割に、全てにおいてあんたに負けてるんだけど」

「そんな事ないよ?」

「あたしに聞くな! なんであんたはいつもあたしの上に行くのよ。不公平よ」

「あはは……」

 

 ダリエルが妹に食って掛かる。負けず嫌いである。妹よりも努力している筈なのに、全てにおいて負けていると言うのはダリエルにとってコンプレックスなのだろう。目が据わっていた。羨望と僅かな苛立ちが、彼女の瞳から垣間見える。リプティーはただ困ったような笑みを浮かべた。普段は仲の良い姉妹なのだが、余人には解らない苦労があるのかもしれない。そんな事を思う。

 

「ならば、ダリエルを重点的に見るべきか」

 

 二人の言葉を聞き、呟く。ダリエルとリプティーを比べれば、どちらも指揮官として必要な実力を備えていると言えるが、個人武勇については、ダリエルの方が劣っていると言えた。ちなみに純粋な部隊の指揮能力では、強気な姉とおっとりした妹と言う二人の性格の差もあり、ダリエルに軍配が上がる。咄嗟の判断力も、ダリエルの方が優れていた。総合すれば、天才肌だが隙の多い妹と、しっかり者で秀才の姉と言った感じであった。目の前の二人を見ると、あながち的外れとも思えなかった。

 

「望むところよ。……です」

 

 ダリエルが拳を握り、気合を入れる。相変わらず、言葉がなっていないが、言いなおしたので気には止めない。其処まで俺の事が嫌いなのかと、苦笑が浮かぶ。尋ねたら、迷いなく答える姿が想像できる。

 

「えぇ!? また、お姉ちゃんばっかり見るんですか?」

 

 リプティーは少しだけ声を荒げ、そんな事を言う。瞳を見る。私は不満です、と言わんばかりに此方を見ていた。ダリエルを調練の延長で組み伏した日から、妙に懐かれていた。姉を容赦なく叩き潰していた。寧ろ嫌われても不思議では無いのだが、親しみを見せてくれている。慕われることは嫌では無いが、少しばかり意外だった。

 

「何、できの悪い方を扱くだけだ。別にうらやむ事でも無いだろう」

 

 調練を施すのである。苦しい事はあっても、楽しい事は無い。自分の様に強さだけを求める、どこか歪な在り方をしているのならばまだしも、リプティーはそう言った類の人間でもない。だからこそ、そう思った。

 

「そんな事ないよ。ユイン将軍に教えて貰えるのは、凄い事なんだと思います。だから、お姉ちゃんばっかりずるい。私も、いっぱい見てほしい、な」

 

 目が合う。強い光を感じた。どこか大らかなリプティーらしくない言葉であった。込められた思いは解らないが、本心から言っていると言う事だけは解った。純粋な厚意に、僅かな笑みを以て答える。

 

「私など、まだまだだ。未だこの手は何も掴めず、果ては見えない。それ程に弱いのだよ、私は」

 

 リプティーの言葉に答える。自分はまだまだ武の果てに至ったわけでは無い。リプティーの言葉は、大げさすぎる。この身は未だ発展途上であり、越えるべき壁は無数にあり、道の終わりなど見えないのだ。だからこそ、強く在りたいと思う。強く、何よりも強く。それを望むのだ。誇り。唯それだけを胸に、頂へと至る。それを願っていた。

 

「だから、将軍は凄いんだよ。将軍の在り方は、普通の人じゃまねできないもん」

 

 リプティーが両手で右手を取り、包み込むように握った。ひんやりとした、心地よい冷たさを感じた。リプティーの手は、驚くほどに冷たかった。心なしか、微笑むリプティーは酷く儚く思えた。

 

「そんな事は無いだろう。本当に望むのならば、できない事など無い。手を伸ばせば、何れは掴めるのだよ」

「あはは。将軍が言うなら、そうかもしれないなぁ。けど、やっぱりそれは凄い事なんだよ」

「そうだろうか」

「うん」

 

 紡がれた言葉に、静かに答える。どこか寂しそうに微笑む少女に、諦念に似た何かを感じた。何かを求めている。ソレは解った。だが、それだけなのだ。何を求めているのかは、聞く事はしない。それを尋ねるのは、自分の役目では無い。俺にやるべき事があるとしたら、ソレは示す事だろう。彼女に語ったことを、本当の事であるのだと、そうも思わせる事。ユイン・シルヴェストは、ただ、強く在るだけなのだ。

 

「うぐ、できの悪い方……。覚えときなさいよ、絶対何時か見返すんだから」

「ふふ、お姉ちゃんはできる子だよ」

 

 ダリエルが絞り出すように言った。出来の悪い方と言った事が堪えたのか、恨めしそうな目で言った。そんな姉にリプティーは嬉しそうに近付き、笑顔で言った。

 

「アンタに言われても嬉しくない!」

 

 怒ったようなダリエルの言葉だけが、辺りに響いた。

 

 

 

 

 

「ああ、ユイン。此処にいたのか。ギュランドロス様とエルミナ様が探していたぞ」

「これは、ベアトリクス殿。態々ありがとうございます。此れから騎馬の調練でしょうか?」

 

 暫くの間、指揮官の二人を扱いた後、弓騎兵の指揮について確認していた時、声をかけられた。背まで届くほどにある灰色の長髪と、どこか冷めた瞳が印象的な男であった。ベアトリクス将軍である。俺と同じく、騎馬隊を指揮する歴戦の将軍であった。敵には冷酷な人だと聞いているが、話してみると性根が落ち着いた人物だとすぐに解った。自分と同じく余り饒舌な方では無いが、冷めたいと言う訳では無かった。常に一歩引いた位置にいる、落ち着いた人物であった。同じ騎兵を率いる将である。王や三銃士以外の、気が合う人物であった。

 

「そんなところだ。竜騎将には負けていられんからな。ユインがじゃじゃ馬を調教しているうちに、差を広げておこうと思ってね」

「ほう。ならば、調練の相手をしてやってもらえませんか? 我が麾下とやらせてばかりなので、少しばかり倦んできているようですのでね」

「構わんが、加減は?」

 

 ベアトリクス将軍は、ユン・ガソルの将軍の中でも、群を抜いて騎馬の扱いが上手い。それ故、新人に強い相手との経験を積ませることに関して、適任と言えた。王とエルミナ様が呼んでいた。自分の代わりに新人を扱くのに、充分な人物だったのだ。

 

「叩き潰して貰えると、助かります。戦場ならば何回も死んでいると言うぐらい、容赦なく倒して貰えれば直良しです。心を折る心算でお願いします」

 

 快く引き受けてくれたベアトリクス将軍に、軍令を取り、そう言った。新人指揮官の二人は弱い。それを十分に解らせてもらえれば、此方としては十分だった

 

「聞きしに勝る、厳しさだな。君の下に付けられた二人が可哀想だ」

「運が無かったとあきらめる事でしょうね」

 

 苦笑しながら言ったベアトリクス将軍に、しれっと答える。我が指揮下に入る者にも、ある程度以上の強さを求めていた。

 

「では、私はこれで」

「ああ、任せておくといい」

 

 言葉を交わし、傍らに来ていた愛馬に跨る。

 

「カイアス!」

 

 声を上げ、副官を呼ぶ。俺とは違う場所から、二人の指揮を眺めていた。自分の馬に跨り、即座に此方に駆けてくる。

 

「此処に」

「私は少し離れる。調練はベアトリクス将軍が見てくださるから、その補佐を頼む」

「承りました」

「では、頼む」

 

 短く告げる。長く共にいた男である。それだけで十分だった。一度、白夜の頭をなでる。短く鳴いた。行こうか。短く告げ、馬腹を蹴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「王よ。お呼びになられたでしょうか?」

 

 王都ロンテグリフ居城、軍議の間。扉を開き、目的の人物を見つけたため、声をかける。手近な兵士に聞き、其処に王が居ると聞いたので、向かったところであった。部屋には、王と三銃士が揃っており、地図を囲い、話し合っているところであった。地図の置かれた机の上には、戦戯盤の駒に似たものが置かれている。ユン・ガソルの軍議で使われるモノであった。

 

「ああ、来たかユイン。まぁ、こっちにこい」

「失礼します」

 

 皆が此方を見た。王が代表してそう言い、手招きをする。それに従い、傍らに立ち、一度軍礼を取った。それを見た王が、相変わらず固い奴だと苦笑するのが聞こえたが、聞こえなかった事にする。

 

「先日結んだラナハイムが、動いた」

 

 王がそう言い、ラナハイムに置かれた駒を幾つか手に取り、ルモルーネ王国の領土コーラリム山道に駒を進めた。ルモルーネ王国の首都フォミアルでは無く、山道。これは重要な事であった。

 

「んー。でも、なんで山道? 首都も攻められるのに、態々そんなとこ攻める意図が解らないなぁ。ラナハイムはうち以上に食糧難だし、フォミラルを攻める方が良いと思うんだけどなぁ」

 

 パティルナ様が、不思議そうに言う。言葉通りである。ラナハイムはその土地柄、食糧生産に向いている土地では無かった。それ故、平地が多く肥沃なルモルーネの地を欲したと言う訳なのだが、それならば態々山道を取るよりも、首都を落とした方が良いのだ。ラナハイムの領土と、ルモルーネの首都は隣接していると言えた。やろうと思えばできたのだが、あえてしなかったのには意味があるのだ。

 

「まったくだ。が、それには意味がある。ルイーネ」

「はいはい。ラナハイムがルモルーネ国境に兵を集め出して直ぐ、ルモルーネは領土が隣接しているユン・ガソルとメルキアに使者を出しました。ルモルーネは殆ど武力を持ちません。攻められるとすれば、他国を頼らざる得ませんからね。けど、ユン・ガソルは既にラナハイムと結んでいますからね。静観するって言う返事を出しちゃいました」

「つまり、ルモルーネに応援を出す国があるとしたら、メルキア帝国だけと言う訳です」

「ああ、もうエルちゃん。一番良いところを言わないでよー」

「あぅ、すみません」

 

 要するに言えば、ルモルーネ公国を攻めたのは、食糧難を解決する以外にも、メルキア帝国を引っ張り出すと言う意味合いもあった。ルモルーネが落ちれば、ラナハイムとユン・ガソルが結んでいる以上、メルキアに矛先が向くのは明らかである。特に、ラナハイムの魔法剣士部隊(パラディ・アズール)は、他国にも名が知れている程の強力だった。食糧事情さえ潤えば、そのままメルキアとまみえる自信があると言う事だろう。

 何よりも、ラナハイムの王、クライス・リル・ラナハイムの誇りを知っていた。代々ラナハイムは恥を偲び、力を貯め続けていた。その力を世に示し、ラナハイムを認めさせる。それがクライスの、ラナハイム王族の誇りだった。それを示すため、メルキアと雌雄を決する。そう言う事なのだろう。我が友らしい苛烈さであった。

 

「それじゃ、ラナハイムの援護に回るの?」

「いや、メルキアはラナハイム単独で相手をすると言ってきている。だから、その言葉に甘える」

 

 パティルナ様の質問に、王は笑みを持って答えた。クライスの事である。戦うのならば自分の力で打ち砕く。そう息巻いている様がありありと浮かんだ。強い男である。無理だとは思わない。

 

「メルキアと停戦したばかりだからな。すぐさまことを構えるのも、筋が通らねぇ。故に、他所を攻める」

「東進、ですね。以前からの盟友であるザフハと事を構えるアンナローツェ王国。その横腹を突くと言う訳ですか」

 

 ラナハイムがメルキアと当たっている間に、同盟関係にあるザフハ部族国と古くから争い続けた国、アンナローツェ。その二つの争いに介入すると言う事だった。アンナローツェを二面作戦で落としたのち、後顧の憂いを無くしラナハイムとの三面作戦でメルキアに挑む。ラナハイムがメルキアに敗北した場合は、二面作戦に修正する。そんなところだろう。他国の思惑はあるが、ユン・ガソルとしての理想は、その三国健在の状態でメルキアを攻める事だろう。

 

「大当たりだ、エルミナ。漸く竜騎兵も魔導銃の扱いに慣れたようだし、動く時だと言える。以前話した東進、できるか、竜騎将よ」

「王が望まれるならば、成すだけです」

 

 自分は軍人である。王が望むのならば、勝。それだけだった。強さを求めていた。戦場で、何人たりとも打ち破る、強さ。未だその極致に達したわけではないが、そう在る事だけを求めていた。ならば、戦うのだ。そして戦えば、勝。それだけであった。

 

「はっは。相変わらず、お前は惚れ惚れするほど格好良いぜ、まったく。くく、うちの軍にも二、三人惚れてるやつがいるんじゃねぇのか?」

「ご冗談を。私のような男に魅力があるとは思えませんよ」

 

 王の軽口に、軽口で応じる。気負うな。言外で、そう言ってくれているのだろう。王の気づかいは純粋に嬉しく思った。

 

「えー。あたし、ユインの事、結構好きだけどなぁ。レイムレス城塞の時とか、格好良かったと思うよ。正直見惚れちゃったもん」

「そうでしょうか? まぁ、賞賛は有りがたく受け取っておきましょう」 

 

 パティルナ様が、傍らに来て指揮官用の外套の袖を引きながら言った。いたずら好きのパティルナ様である。此方をからかうと言う意図が透けて見える。とは言え、純粋に慕ってくれている部分も少しはあるだろうから、素直に礼を言った。

 

「私も、ユインは凄いと思います……」

「余り持ち上げられると、くすぐったいですね」

 

 エルミナ様は、此方を見ずにそう言った。以前助けた礼を言われた時に言った言葉を気にしているのかもしれない。視線を動かして表情を見ると、何とも言えない困ったような顔をしていた。

 

「あらあら、エルちゃん」

「な、何ですかルイーネ様!」

「ふふ、何でもないわ」

 

 そんなエルミナ様を見て、ルイーネ様は笑みを浮かべた。実の姉であるかのように慈愛に満ちた笑顔である。それを見たエルミナ様は、少し狼狽えている。その様子を見たルイーネ様は、更に笑みを深めた。仲が良いモノである。ルイーネ様にかかれば、エルミナ様もまだまだ女の子と言う事だった。

 

「くく、やっぱり、結構モテてるんじゃねぇか」

「そう思いたいものですね」

 

 王の言葉に苦笑を浮かべる。王は意外とその手の話が好きなのかもしれない。妙にそう言う方向に話を持っていく傾向があった。ユン・ガソルの支柱である三銃士は、全員が女性である。ルイーネ様は王妃だから良いが、エルミナ様とパティルナ様は誰かと恋仲になるのも難しい立場であった。だからこそ、そう言う話をするのだろう。一将軍でしかない自分としては、二人には良い相手が現れるようにと願うだけであった。

 

「おっと、話が逸れたな。ユン・ガソルはこれより東進を進めて行く事にする訳だ。それを正式な軍議でする前にある程度詰めておきたい。本来ならばこの時点ではユインを呼ぶことはしないのだが、今回の東進はユン・ガソルの竜騎兵を世に示すと言う側面もある。それ故、ユインも呼んだと言う訳だ」

 

 王の言葉に、納得する。何故自分が呼ばれたのか、それだけが思い当たらなかったからだ。事前会議ならば、王と三銃士で充分である。俺に告げるのは、他の将と同じときで良かったのだ。

 しかし、東進の目的の一つに竜騎兵の強さを示すと言うのがあった。つまりは、自分の率いる竜騎兵は今回の戦いの鍵となるのである。ただ東進を成功させるだけで無く、竜騎兵を活躍させる。それが俺に求められた事だった。

 強さを求めている。何物にも屈しない、強さ。それを王が全軍に、中原に、大陸に示せと言った。面白い。そう思った。自分の強さが、どの程度まで来ているのか。それを知るには、良い機会であった。何よりも、まだ見ぬ強者と戦えるのだ。考えただけで、血潮が滾り、心が躍る。考えれば考える程血が騒ぐのを感じた。苦笑する。此れが俺なのだ。強く在る事を望む。それがユイン・シルヴェストの在り方なのだ。

 

「つまり、私が竜騎兵を指揮し、一軍の将として戦うと」

「そう言う事だ。総大将はエルミナに任せる。その補佐として、従軍してくれ」

 

 総大将はエルミナ様である。三銃士であり、軍を統括する者である。申し分は無いだろう。ならば、我が力、エルミナ様の為に使うだけだった。

 

「承知しました」

 

 静かに応じる。意を挟む事など、無い。

 

「パティは、鋼塊の門でメルキアの牽制。停戦したところだから攻めては来んだろうが、備えは必要だ」

「うー。エル姉の方が、そう言うのは得意だと思うんだけどなぁ。ユインとあたしで攻める方がよくない?」 

「ソレはそうですが、パティルナに全軍の指揮ができますか?」

「う、ちょっと無理そうかも。あたしもユインと同じ戦場を駆けてみたいんだけど……駄目?」

 

 パティルナ様が若干不服そうに言うが、エルミナ様の言葉に肩を落とした。パティルナ様と共に戦場を駆けてみたいが、総大将を任せるとなると、少しばかり不安が残る。どうせならば、大戦を二枚看板で駆け抜けたいものだ。 

 

「駄目です」

「あらあら。エルちゃんもやる気満々みたいだから、パティちゃんは我慢しましょうね」

「うん。今回はエル姉に譲るよ」

 

 若干悲しそうにするも、パティルナ様は頷いた。エルミナ様と言い、パティルナ様と言い、ルイーネ様の前では年相応だ。

 

「そ、そんな事ないです。別に、いつも通りですよ」

「確かに、妙にやる気だな」

「ギュランドロス様は、黙っててください!」

 

 楽しそうな笑みを浮かべた王を、エルミナ様が一喝した。とは言え、恥ずかしそうに言うそれに力は無く、王は笑みを深めるばかりである。

 

「くはは。まぁ、ユインよ。エルミナを頼むぜ。しっかりしているが、どこか抜けているからな」

「そんな事ありません……」

 

 若干いじけ気味にエルミナ様は言った。王の言葉通り、しっかりしているが少しばかり抜けているところがある人だった。

 

「御意に。東進の際、エルミナ様を我が主と定めましょう」

「あの、そこまでしなくても大丈夫ですよ」

「いえ、守ります。我が誇りに賭けて、貴女を守ると約束しましょう。我が力は、貴女の道を切り開く矛であり、貴女を護る盾でもある。私は貴方の刃なのだと、そう思ってください」

「……っ!?。あぅ……解りました」

 

 王に頼まれた事である。ならば、我が命を賭すことに迷いは無かった。とは言え、少しばかり直接的に言いすぎたかもしれない。困ったように頬を染めたエルミナ様を見て思った。年頃の女性だった。年の近い男に命を賭して護ると言われれば、困りもするだろう。配慮が足りないな。そんな事を思った。

 

「くく、いや、面白いものも見れそうだから組ませたが、早速良いモノが見れたぜ」

「冗談で言ったわけでは無いのですが」

「だからこそ、だ」

「面白くなんかありません!」

 

 王がにやにやと笑っている。エルミナ様が、王に向かい文句を言った。相変わらず仲が良い、そんな事を思った。

 




汎用ユニーク武将、ベアトリクス登場。彼も騎兵です。


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20話 不穏な気配

「準備はどうだ?」

「万全です。何時でも出れます」

「ならば、良い」

 

 副官のカイアスに尋ねる。戦である。その準備ができているかを尋ねた。返事は想定通りのモノであった。復帰してより、麾下には自ら調練を行っていた。新人の育成を任せられていたと言う事もあるが、強くなるためには必要であった。それ故、麾下達は常に臨戦態勢の様なものだったのである。何よりも、長である自分が、戦を求めていた。自分の麾下たる竜騎兵の戦闘態勢が整っているのは、当然と思えた。直属の部下と言うのは、自ら鍛えるモノである。指揮官の気性に似るのは、道理なのだ。それが悪い事だとは思わない。寧ろ、必要な要素である。

 

「アンナローツェとは、事を構えた事がありませんな。どれほどのものなのでしょうか」

「知らん。が、新たにアンナローツェの軍を指揮する竜人がいるようだ。敗戦続きの対ザフハ戦線が、その将軍の台頭により、持ち直したと聞く。あのアルフィミア・ザラ相手にだ。中々面白そうな相手だとは思わないか?」

 

 副官の言葉に、思いを馳せる。アンナローツェ王国。古くからザフハと事を構えていたが、アルフィミアの台頭と、王の戦死により、かつてない程の窮地に立たされていた。新たに王位についたのは、若き王女だった。マルギレッタ・シリオス。前王は賢王だった言う噂ではあるが、その娘とは言え、所詮は小娘である。このままザフハにのみ込まれる。諸国はそう見ていた。だが、現実にはザフハとの戦線が再び膠着していると言えた。件の龍人であった。名を確か、リ・アネスと言ったか。マルギレッタ・シリオスの命により、アンナローツェの総騎長についた人物であった。その総騎長が、蹂躙されるはずであったアンナローツェを立て直したと言える。それ程の人物だった。

 噂を聞いていた。どれほどの人物なのかを想像すると、心の内側が騒めいた。あのザフハを相手に、戦線を持ち直したのだ。一廉の人物なのだろう。容易に想像できた。鼓動が高鳴る。楽しみで仕方が無かった。何といっても、龍人である。人と龍。人半身と、蛇の半身を持つ種族であった。人より強靭な肉体を持ち、人の及ばぬ英知を持つ者達である。人間よりも遥かに強い種族であった。その力は並の人間どころか、獣人を以てしても及ぶ事は無く、知と勇を兼ね揃えていると言える。そんな種族であり、一国の王直々に、指揮官に任命されるほどの人物なのだ。それだけでも、強き者だと想像できる。ザフハにとって、そして俺たちユン・ガソルにとっても、最大の敵となり得る人物であろう。

 だからこそ、楽しみであった。相手は、強者なのだ。強さを求めていた。それ程の人物と刃を交える事になる。そんな想像をするだけで、心が躍るのだ。熱くなる血が、確かな生を実感させるのだ。自分は、何度刃を交える事ができるのだろうか。龍を冠する者との闘争を、ただ夢想する。本拠に居て尚、戦いの事に意識が向いている。ふと、笑みを浮かべている事に気付いた。

 

「将軍は、いつも通りのようですな」

「そうだろうか?」

 

 副官が、苦笑を浮かべながら言う。知らず知らずのうちに笑みを浮かべていた。正面いるこの男には、それが良く見えたのだろう。また始まったと言わんばかりの表情を浮かべていた。

 

「はい。とても楽しそうな笑みを浮かべておられました。此れこそが我らの主、竜騎将。そう思いますよ」

「仕方があるまい。実際楽しみで仕方が無い。それが俺なのだ。事を構えると決まった日から、未だ知らない強い者と戦える事に、子供の様に思いを馳せているのだよ」

 

 楽しみなのだ。自分がどれ程戦えるのか。どこに至るのか。それが知りたかった。他には何もいらない。

 

「だからこそ、将軍らしいのですよ。ユン・ガソルに来て、将軍は少しだけ変わられました。ですが、本質は揺らいでいません」

「私は変わっただろうか?」

「少しだけ」

 

 カイアスは、メルキアに居た時から自分を知る男だった。だからこそ、その言葉にはある種の重さがあった。王や三銃士達とは別の位置にある、信頼だった。麾下の筆頭である。愛馬の次に、命を預ける者なのだ。同じ筈が無かった。

 

「お前が言うのならば、そうなのかもしれんな。だが、それだけだ。俺は、強く在れれば良い。誇りさえ護れれば良いのだよ」

「何処までも、将軍らしい言葉です」

 

 自分にはそれだけで良かった。身命を賭し、王に仕える心算であるが、それとは違う次元の話であった。それは、俺が心より求めるモノなのだ。そう告げると、カイアスが笑みを浮かべた。

 

「無駄話が過ぎるな。準備ができていると言うのなら、調練に割くか」

「御意。直ぐに集めましょう」

 

 カイアスが兵を呼びに行く。自分は何処まで行けるのか。そんな事を思った。

 

 

 

 

 

 

 

「正面から来るだけでは、芸が無い」

「ぐ、まだまだっ! リプティー!」

 

 短く呟き、ダリエルの剣を右手の剣で弾き、崩れたところでその腹に向け右足を振り抜く。ダリエルは呻き声を漏らすも、その場で持ちこたえた。そのまま俺の足を掴む。普段ならばそのまま吹き飛ぶところなのだが、歯を食いしばり堪えていた。出陣が近くなっていた。彼女等にとっては初陣だ。だからこそ、調練に気合も入るのだろう。ダリエルを囮に、側面から奇襲をかけるリプティーを見ながら思った。

 

「解ってるよ、お姉ちゃんっ」

「放つと良い」

「っ、その余裕、今日こそ崩す」

 

 リプティーが剣を振りかぶる。右足はダリエルがしっかりと掴み、その場から動く事は難しかった。ならば剣で受け止めればいいのだが、今回はあえてやらない。軸足に体重を移し、両足に気を充分集中させた。

 

「当てまっ!?」

「なぁっ」

 

 来る。そう思った時、一気に右足をダリエルごと振り抜く。左方からの奇襲であった。自分とリプティーとの間にダリエルが入るように調整する。重心を深く落とし、ダリエルは備えていた。だが、女性であり、未熟である。体重も軽い方であった。経験も体格も不十分である。ダリエルを足だけで動かすのは、それほど難しい事では無いのだ。

 刃が奔る軌跡の先。其処に姉が入ってきたことに動揺し、リプティーの剣筋が揺らぐ。其処につけ込むように、左手で刃を掴み、ダリエルの首筋に押し付ける。同時に右手の剣をリプティーの喉元に向けた。

 

「お前たち二人は、軽い。私と正面からやるには、まだ早いな」

 

 二人の首元に向けた剣を離し、告げる。そもそも弓兵である。剣は本職では無い。だからこそ、相手になる訳は無いのだ。それを敢えて二人の調練として、課していた。弓に関していえば、態々俺が口出しする必要などないのだ。二人ともそれだけの才は持っている。

 だからこそ、直接相手をする調練は、剣での組み手が多かった。二人とも弓を扱う指揮官ではあるが、俺の指揮下にいる限り、弓騎兵である。ならば、剣を使い戦う事は多いのだ。それ故、剣術に重点を置いていた。尤も、騎乗しての訓練は施していない。相手にならないからだ。

 

「ぐぐ……。また負けたぁ! なんで勝てないのよ」

「いや、お姉ちゃん。ユイン将軍にそんなに簡単に勝てる訳ないよ。未だって、すごく手加減されてるし」

「それぐらい、解ってる。だからこそ、良い様にやられる自分に腹が立つのよ」

 

 あしらったところで、ダリエルが声を上げた。それにリプティーが困ったように応じる。彼女が言うように、ある程度加減はしていた。そもそもこちらの土俵である。全力で相手をしたら、調練にならないのだ。何の収穫も無いまま、調練で死に続ける事になる。その程度の実力差はある。しかしそれでは意味が無い。だからこそ、力を抜く事は必然であった。とは言え、力を抜いているだけであり、本気で相手をしていないわけではない。手を抜きつつ、全力で相手をする。そんな妙な戦い方をしていた。

 

「まぁ、頑張ると良い。出来が悪い者ほど、可愛いものだ」

「うぐぐ……。ぜったい、絶対、倒す!」

「直ぐには無理だよぉ。ユイン将軍も、あんまりお姉ちゃんをいじめないでください」

 

 悔しがるダリエルに、追い打つ。実際、リプティーの方が剣術も使えるのだ。尤も、ダリエルが弱いと言う訳では無い。寧ろ、弓兵とは思えない程度には使える。が、それ以上に妹が優秀なのだ。先ほどの調練において、姉が囮で妹が本命なのもそう言う訳である。それがまた、ダリエルの負けず嫌いに拍車をかけるのだろう。性格上、ダリエルは叩かれて伸びるタイプであった。

 

「努力はする。リプティーの剣筋自体は中々よかった。改善点はまだまだ多いが、基礎体力をつけると良い」

「えっと、本当ですか?」

「嘘は言わんよ」

「やった、褒められた!」

 

 対してリプティーは褒められてやる気を出すタイプであった。何気なく告げた言葉に、嬉しそうに微笑んでいる。リプティーは姉より優れた才を持ち、たいていの事は人並み以上にできるが、それ故どこか情熱に欠けている印象を持つ。とは言え、姉と比べたらの話であり、人並みには向上心も持ち合わせている。それ故、妹の方は叩くのではなく、褒めて伸ばす方がよかった。

 

「……将軍、なんか贔屓してない。……ですか」

「贔屓はしていない。区別はしているがな」

 

 ダリエルが不満そうに言った。姉を厳しくし、妹を甘やかしている。そう見えるのだろう。実際、そんな感じである。ダリエルには悪いが、それが最適なのだから仕方が無い。とは言え、ダリエルに厳しくするのはある程度期待しているからである。そんな事は口に出さないが。

 

「やっぱり、あたしは将軍の事が嫌いだ」

「ならば、私に勝って見せると良い。何年かかるかは解らないが、な」

「絶対勝つ! 行くよ、リプティー!」

「うーん。まだ無理だと思うけどなぁ」

 

 ダリエルがそう漏らした。何処までも、負けず嫌いであった。それに微笑を以て答える。リプティーが困ったように笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「此方に野営しておられる部隊の指揮官殿はどちらにおられますか?」

「私がそうだが、どうかしたのか?」

 

 調練が一区切りがつき、体を休めていたところに見知らぬ兵士が一人駆けて来た。見た事は無い顔だが、ユン・ガソルの正規軍の鎧を着ている為、他の部隊の人間だろうと見当をつけ、応じる。俺を目にした直後、肩で息をし始める。余程急ぎだったのだろう。そんな事を思った。近くにダリエルとリプティーがぐったりと倒れているが、特に気に留めるものでもない。立ち上がり、正面に立つ。生暖かい風が、頬を撫でた。どこからか、いやな気配が漂っているように思えた。馬笛を吹く。愛馬が直ぐに傍らにまで来た。兵士の呼吸が整うまでのわずかな時間、白夜の頭に手を添える。

 

「失礼しました。自分は、治安維持部隊の者です」

「ほう。それで、何があった?」

「は、はい。竜が、出ました」

 

 僅かに、目を見開いた。竜。ソレは、人間と比べ、あまりにも大きな存在だった。その鱗は刃を弾き、魔法すらも寄せ付けない程固く、その牙は、人の作る鎧など、いとも容易く穿つ。空を自由自在に駆る者もいれば、地を這うものも存在する。その分類は多種多様に及ぶ。単純な力においては、人の上を行く存在であった。

 それが現れたと言うのか。思わず、自分の天命に感謝してしまった。空を仰ぎ見る。頭上に上った陽が、透き通るような光を放っていた。右手を伸ばす。無論、陽など掴めはしない。だが、何かを掴んだ気がした。

 竜騎兵。自分はそれを率いる将であった。王の前で竜をも倒す騎兵を作り上げ、指揮すると宣言していた。その倒すべき相手が近くに現れた。そう考えただけで、身体が震える。体中を巡る血が、どくどくと、鼓動を上げるかのように激しく暴れ回るのが感じられた。気持ちが昂っているのだ。拳を強く握りしめる。それで、逸る気持ちを抑え込む。それでも、口元が吊り上がるのを抑えきれなかった。

 

「詳しい状況はどうなっている?」

「突如現れた雷竜(サンダードラゴン)一体と、その群れを構成する飛竜(ワイバーン)が数十体。この辺りに存在するはずの無い魔物の奇襲を受け、防戦状態に陥っておりますが、治安維持部隊はその名の通り、治安を維持するための部隊にすぎません。とても、雷竜程の魔物を相手に出来る戦力は保持しておらず、このままでは全滅も有り得ます。現状は何とか街への侵攻を抑えていますが、とても長くは持ちません。どうか救援を!」

「解った。カイアス。王へ伝令。事が事なだけに、事後承諾もやむを得まい。魔物に街を襲われたとなれば、国の威信に関わる」

「承知」

 

 兵士の言葉を聞き、即決する。ユン・ガソルの街が魔物に襲われている。それは、国として捨て置ける話では無かった。出陣の準備はとうの昔に整っている。兵を動かす事など、今すぐにでもできる状態にあった。不幸中の幸いと言うべきか、雷竜が現れたのは、王都近郊の町だと言う。何故そこまで近付かれるまで気付かなかったのかは疑問に残るが、そうも言っていられない。今重要な事は、魔物に街が襲われていると言う事であった。人は国の要である。人が居なければ、国は戦う事も出来なければ、守る事も出来ない。それどころか、営みを成し、生を育む事すらできないのだ。

 そして相手は、竜である。人よりも強く、強大な存在。並の将では相手にならない。だからこそ、動くのだ。自身の率いるのは、竜を狩る者達。ならば、誰よりも雷竜を相手にするのに相応しい。

 

「集結」

 

 麾下の一人から槍を受け取り、身体に水平に構える。騎帝の剣。抜き放ち、天に掲げた。同時に短く告げる。集合の号令が辺りに鳴り響く。間を置かず、散っていた麾下達が集結する。見事な速さであった。自分に与えられたのは、右も左もわからない新兵だった。それが、此処まで動けるようになった。ユン・ガソルどころか、中原諸国の兵と比べても、此処まで動ける部隊は無いのではないかと思わせる程の速さ。それを漸く手にする事が出来ていた。

 

「将軍、あたしたちはどうすれば良いでしょうか?」

「指示をお願いします」

 

 リプティーとダリエルが、俺に指示を仰ぐ。二人の率いる部隊も、自分の指揮下に組みこまれていた。それ故、俺が動くときは、二人が動くときでもあったと言う事だ。

 

「此れより、急行する。お前たち二人は、脱落者を出す事なく現地に辿り着き、街の防衛及び治安維持部隊の援護に当たれ。雷竜は、竜騎兵が落す」

 

 即座に指示を出す。考える余地などない。二人は調練を熟し、それなりに動けるようになっていたが、まだまだ未熟である。初陣も済ませていないにもかかわらず、竜と戦うなど、到底無理な話であった。個人としてならギリギリ及第点だが、指揮官としての経験が足りない。その為、ぶつかり合えば無駄な損害が出る。故に、二人が行うのは後方支援のみである。

 

「はい、解りました」

 

 リプティーが返事をする。その目に迷いは無く、俺の言う事に反抗の意思は無い事が感じられる。信頼されているのだろう。理由は解らないが、その事実が解れば十分だった。肩を並べるには未熟すぎるし背を任せるなど考えられもしないが、後方支援ならば任せる事が出来る程度には育っていた。

 

「将軍、あたしも共に連れて行ってください」

「お姉ちゃん!?」

 

 ダリエルが俺の目を見て行った。リプティーが驚きの声を上げる。当たり前である。先ほど出した指示に真っ向から逆らったようなモノなのだ。リプティーの驚きも仕方が無いといえた。ダリエルと数舜見つめあう。その瞳からは強い意志を感じた。雷竜が相手だろうと、無様は見せない。自分は戦える。それだけの調練を積んできた。そんな自信がありありと感じられる。確かに、指揮官単体の実力で見れば、それなりに戦えはするだろう。

 

「必要ない。竜騎兵を信じ、今回は任せると良い」 

「しかし、あたしたちの部隊を動かせば、より効率よく戦えるはずです」

「可能だろうな。だが、無駄な被害が出る。だからこそ、見ていろと言っている」

「大丈夫です。それができるぐらいに調練を積んできました!」

「知っている」

「なら!?」

 

 ダリエルが、連れて行けと食い下がる。彼女にとっても、初陣であると言えた。今回の敵は、雷竜である。新人指揮官率いる新兵が相手に出来る手合いでは無いのだ。ダリエルはその意味を分かっていないのだろう。人を殺した事も無い新兵に、竜を宛がう。それがどれ程酷な事なのか、解っていなかった。

 

「必要無いと言っている。足手纏いを連れては、勝てる勝負も勝てはしない」

「なぁっ。あたしが、足手纏いですって?」

「必要ない、と言った。自惚れるなよ、新人。貴様など、取るに足らん。数にすらならん半人前だと言っているのだ。いたところで、他者の足を引き摺るだけだ」

 

 素質はあるだろう。だが、圧倒的に経験が足りていない。だからこそ、容赦などしない。無駄死になど、させる心算は無いからだ。軍人は殺す事が仕事であり、死ぬことが仕事である。だが、同時に死なない事も仕事なのだ。気が強く負けず嫌いな娘であった。今連れて行けば、ダリエルは死ぬ。そんな確信があった。

 

「あたしは――」

「お姉ちゃん!」

「リプ、ティー?」

 

 尚も言い募ろうとするダリエルを、殴り飛ばすかと左腕を軽く上げたところで、鋭い声が上がった。妹のリプティーである。普段のおっとりとした彼女からは想像できない程の覇気を感じた。ほう、っとため息が零れる。才があるとは思っていたが、俺の予想の上を行くかもしれない。根拠は無いが、そう直感した。

 

「お姉ちゃん。将軍が、必要無いって言ってるんだよ。私たちは将軍の指揮下に居るんだから、勝手なこと言っちゃだめだよ?」

「う、それはそうだけど」

「解ってるなら、ちゃんと従わないとだめだよ。ソレとも、ユン・ガソルに牙を剥くつもりなの?」

「そんな訳ないでしょ! あたしは、ユン・ガソルの人間なの。だから、絶対に裏切らない」

「うん、解ってるよ。じゃあ、将軍の言う事は聞かないとだめだよ」

「……解ったわよ。すみません、ユイン将軍。出過ぎた事をしました」

 

 姉妹同士の会話に耳を傾ける。俺にすら反抗的なダリエルだが、流石は姉妹と言ったところか、リプティーはダリエルの痛いところを突いていく。彼女らは、ユン・ガソルの貴族の出だと聞いていた。それ故、ユン・ガソルへの忠誠は類を見ないモノがある。其処を的確についていた。他のものの言葉ならば揺らぐ気事は無いだろうが、ダリエルと同じ生まれのリプティーの言葉だからこそ効いたのだろう。二人の関係は姉が引っ張っていくものだと思っていたが、それだけでは無いのかもしれない。

 

「ダリエル。此方を向き、歯を食いしばれ」

「はい」

 

 右手を軽く上げ、告げる。何をするのか解ったのだろう。ダリエルは、瞳を閉じ、歯を食いしばった。

 

「っ!?」

「これで、許そう。配下の指揮を執れ」

 

 乾いた音が鳴り響く。ダリエルの頬を、打った。それで、終わりだった。

 

「はい」

 

 ダリエルはこちらの目を見て、静かに頷いた。それでこの件は終わりだった。

 

「行くぞ、敵は雷竜。相手にとって不足は無い。我らが武威を、見せつける」

「応!」

 

 麾下にに号令を出す。地の底から響き渡るような、雄叫びが上がる。傍らにいた、二人の指揮官がわずかに驚くのが解った。戦場に出る者達の本当の気炎。ソレに呑まれていた。呟く。だから、半人前なのだ。そう思った。

 

 

 

 

 

 

 天空を、蒼が駆け抜ける。直後に雷光が煌めき、地を這う者達に、その威を示す。兵たちは、鎧を纏い、弓を以て迎撃に当たるも、早すぎる蒼の前に成す術も無く、雷をその身に受け、崩れ落ちる。怒号が響き、砂塵が舞う。風が吹き荒れ、雷が迸る。辿り着いた治安維持部隊の支える戦線は、崩壊直前と言った惨状であった。

 

「弓騎兵は?」

「後方にて、接近中。脱落者も出る事は無く、駆けているようです」

 

 俺の質問に、副官は短く答える。竜騎兵と弓騎兵では、錬度が違っていた。行軍速度が合わないのは、最初から解っていた事である。だからこそ、麾下だけで先行していたのだ。弓騎兵が遅れていることについては、何の問題も無かった。

 

「ならば、良し。此れより、竜騎兵は戦闘を開始する。相手は雷竜だ。竜を狩る者達にとって、相応しい獲物と言えよう」

「全くですね。では、号令を」

 

 カイアスの言葉に、右手に持つ槍を天に掲げる。久方ぶりの、戦場なのだ。そう思うと、鼓動が高鳴るのが抑えられなかった。笑みを浮かべる。体が、気が、愛馬である白夜のソレと、溶け込むように一つになっていくのを感じた。人馬一体。それが自身の持つ最高の武器であった。調練の時も惜しむ事無く用いているが、戦場で発揮するソレは調練で行う時と比べ、どこか違うように感じる。命を燃やしているのだろう。命を預ける相棒の鼓動を、はっきりと感じる事が出来ていた。

 

「敵は、雷竜。天を駆り、雷を制する者だ。その力は、先ほど見ての通り、強大である。だが、我らの敵では無い。所詮は、獣だ。行くぞ。天から、引き摺り落とす」

「応!」

 

 右手に掲げていた槍を振り降ろし、号令をかける。騎馬が駆ける。治安維持部隊とぶつかり合っていた雷竜を頂点とする群れに、側面から襲撃をかける。

 

「構え」

 

 短く告げる。直後に音が鳴り響き、全軍に合図が届く。竜騎兵全体が、弓を構える。風を追い抜き、駆け抜ける。治安維持部隊から、咆哮が上がるのが解った。援軍。竜騎兵の出現に、指揮が上がったのだろう。そんな事を思った。

 

「落とせ」

 

 言葉と同時に鳴り響く音。引き絞られた弦が一斉に解き放たれ、矢が空を貫く音だけが響き渡る。すべての麾下が、一呼吸置く間に、三矢を放った。一瞬の間に放たれた千を越える数の矢。空を黒く覆い、雷竜率いる群れに、降り注ぐ。防戦一方だった守備兵が、歓声を上げた。

 

「次射、用意。前列、構えろ」

 

 言葉と同時に、騎帝の剣を抜き放つ。騎馬を駆る者の為にだけ作られた魔剣であった。その力は、加護を与える。その魔力を、迸らせる。

 

「カイアス、銃撃後、前列を率い駆け抜ける。指揮は、任せる」

「有象無象は、お任せください。将軍は、雷竜を」

 

 騎帝の剣に魔力を注ぎながら、副官に告げる。それで充分なのだ。

 

「原野を駆ける我らが意思に、竜をも破る峻烈なる加護を」

 

 魔剣の力、解き放つ。首元に巻かれた真紅、淡い光を放っていた。麾下全体にその光が広がり、竜騎兵全体の圧力が増す。我らが道を阻む事など、できはしない。そう思える程の魔の奔流が、辺りを包み込む。その圧力を最大限に活用したまま、雷竜に向け、一直線に駆け抜ける。

 

「放て」

「――!?」

 

 号令と共に、風と霹靂が駆け抜ける。後列が放った矢と、前列の放った魔導銃。二種の射撃が、雷竜に襲い掛る。魔導銃。竜騎兵の為だけに作成された、特別品であった。その威力は、通常の魔導銃とは比べ物にならない。竜の鱗すら穿つほどであった。先の射撃により、雷竜の下に集まっていた飛竜の群れを穿ち、雷竜までの道が開いた。雷竜もその身に数重にも渡る銃傷を受け、ふらふらと空を崩れ落ちるかのように、降りてくる。

 

「我が名はユイン・シルヴェスト。その命、貰い受ける!」

 

 愛馬を疾駆させ、最高速度に達する。相手は雷竜であった。知能を持つ、竜なのだ。何故ユン・ガソルに襲い掛かってきたのかは解らないが、倒すべき強き相手であった。その力に敬意を表し、名を告げた。そのまま渾身の力を振り絞り、右手に持つ槍を投擲する。魔力すらも用いて投げた槍、雷竜の翼を半ば引き千切る様に、穿った。翼の付け根から血を吹き出し、雷竜が地に堕ちる。

 

「――ッ!? ――――ッ!!」

 

 地に堕ちた蒼。その凄まじい衝撃に、砂塵が大きく舞う。右手に騎帝の剣を持ち替え、左手でもう一振りの魔剣を引き抜いた。白亜。限りなく白に近い灰色。淡い魔力を煌めかせる魔剣、構えた。体に活力が溢れるのを感じた。良い剣だ。そう思った。

 

「仕留める、二射用意!」

「応!」

 

 最高速度を保ったまま、背後をかける竜騎兵に告げた。魔導銃を用いた前衛。五十程の最精鋭が、風を切り追走する。全軍に銃を持たせることをせず、前列に複数の魔導銃を持たせていた。魔導銃は、魔焔と呼ばれる鉱石から力を抽出して、銃撃を放つ。そして竜騎兵の持つ魔導銃は、連射に向いているものでは無かった。今回の敵の規模は、大きい訳では無い。二つの事を考慮し、全軍に持たせることはせず、一部の兵に魔導銃を持たせていた。二射目の用意が整うのを見て、更に疾走する。雷竜が、立ち上がり此方を見るのが解った。竜の息遣いを感じる。同時に、粘り付くような悪意と、妙な懐かしさを感じた。顧みず、駆け抜ける。鐙から足を離し、鞍に足を掛ける。白夜に駆け抜けろと、呟き、軽く頭に触れた。

 

「――ッ!」

 

 咆哮。雷竜が俺に目掛け、その牙を以て襲い掛かる。口元が吊り上がるのを、隠せなかった。両の手に持つ魔剣、一度強く握りしめ、雷竜の瞳を見た。禍々しい色をしている。正気を失っているのだろうか。尋常では無い執念に似た何かを感じた。

 

「宣言通り、その命、貰い受けよう」

 

 迫りくる雷竜の牙。それを見据えつつ、その頭部に魔剣を振り下ろす。同時に鞍に掛けていた足に力を入れ、飛び上がる。振り下ろした騎帝の剣を支点に力を入れ、左手を振り下ろす。両の手に持つ魔剣を振るい、回転するかのように文字通り斬り抜ける。そのまま首から背にかけて一気に斬り進み、竜の鱗をいとも簡単に切裂いた魔剣が、その血を啜る。吹きこぼれる鮮血。全身に受け、指揮官用の外套を真紅に染めていた。身体が、血に染まった。その姿が自分らしい。戦いこそが、自分の置くべき場所なのだ。

 

「――」

 

 飛び上がり雷竜を斬り伏せた俺と、雷竜の下をくぐり抜けた白夜。一騎の在るべき場所が、再び重なる。雷竜の背から、白夜に飛び移り、離脱する。頭部から首をなぞり、背を何十と斬りつけていた。雷竜は、膝を着いた。それでも、咆哮をあげる様は、気高い。そう思った。

 

「終わりだ。放て!」

 

 騎帝の剣を天に掲げ、振り下ろす。その号令と共に、背後から駆け抜けていた竜騎兵が一斉に魔導銃を解き放った。砲身が唸りをあげ、雷鳴と錯覚しそうになるほどの轟音が辺りに響く。一斉に構えられた魔導銃。その銃撃が、蒼き体躯に入り込み、撃ち貫く。頭部を切り裂かれ尚倒れなかった竜、全身に魔導銃の斉射を受け、遂に地に沈んだ。

 

「全軍、聞け! 雷竜は竜騎兵が討伐した。残る有象無象を殲滅するぞ!」

「応!」

 

 それを横目に、告げる。柄にもなく、腹から力を出し叫んでいた。気炎が上がる。竜騎兵が、治安維持部隊が、雄叫びを上げていたのだ。口元にまでついていた竜の血を、外套で拭う。赤い血を、全身に浴びていた。むせ返るほどの血の匂い。それを纏っているにも拘らず、否、纏っていたからこそ、思った。自分の居場所は、戦場なのだ。強く在る事こそ、ユイン・シルヴェストの目指す道なのだろう。それ以外のものは、必要ないのだ。

 

「駆け抜けろ。竜を穿つ」

 

 参を乱して逃げていく飛竜を見、号令をかける。再び気炎が上がった。それを聞き、先陣を切る。全身に血の匂いを纏わせながら、駆け抜けた。一度だけ、咳き込む。少しだけ、血の匂いが広がった気がした。

 

 

 

 

 

「状況は?」

「掃討はほぼ完了と言ったところでしょう。現在も警戒はしておりますが、増援も到着しました。引き継げば、兵を戻せるでしょう」

「そうか、被害は?」

「負傷者が数名おりますが、竜騎兵の中からの死者は出ず。我が将ながら、凄まじい戦果です」

「誇って良い事だろうな」

 

 カイアスの報告を受け、短く答える。雷竜討伐。その直後に、仮の軍営を組み、辺りの警戒を行っていた。戦果として、死者が出なかったのは幸いと言えた。駐屯部隊にはかなりの被害が出たようだが、竜騎兵の消耗は殆ど無いと言ってよかった。満足しても良い戦果と言える。生暖かい風が頬を撫ぜた。何か、気に入らなかった。

 

「もう暫く、警戒」

「承知。引き続き、指揮を執ります」

「頼む」

 

 カイアスが退出する。やるべき事を成していた。

 一人になると、不快感が増した。肌にぬめり付くような気配。嫌と言うほど感じていた。だからこそ、言った。

 

「……出てきたらどうだ?」

 

 目の前には、何も居ない。だが、確実にいるのが解った。何度も味わった事がある、不快な感覚。それを感じていた。居るのである、何かが。

 

「オヤァ、バレェテイマシタカァ! サァスガ、ゆいん君デスネェ」

「……ノイアス元帥」

 

 ソレは、黒を纏っていた。否、黒に染まっていた。絞り出すように呟く。聞いた事がある、声。ソレは、かつて自分が使えていた人物の声音。間違える事など、ある筈がない。自身が使えると定め、守り切れなかった人物である。姿かたちは禍々しく変わり、不死者の様に、全身が干乾びてしまっているが、確かにノイアス・エンシュミオスだった。

 死したはずの主。だからこそ、王に降る事を良しとした。無論それだけでは無いが、ユイン・シルヴェストはかつての敗戦の折、ノイアス・エンシュミオスと共に死んだと定めたからこそ、『誇り』を曲げる事ができたのだ。その前提だった人間が目の前にいる。想定のしていない事態だった。

 

「オ久シブリデスネ。ゆいん君。ワタシガイナイ間、元気ニィシテイマシタカァ?」

「死しておりました。否、今も死んでおります」 

 

 以前の主の言葉に、ただ答える。ノイアス元帥が死んだとき、いや、直属の部下たちが死んだ時、ユイン・シルヴェストもまた、確かに死んでいたのだ。そして、今もまだ死んでいる。死んではいないが、死んでいるのだ。

 

「ソウデスカァ。トコロデ、ゆいん君。ゆん・がそるニツイタヨウデスガ、上手くヤッテイルゥヨウデスネェ! 貴方ノ上司トシテハ、ワタシモハナガタカイデスヨ!」

「……」

 

 返す言葉など、ある筈がない。姿かたちは変貌してしまっているが、相手は確かに以前の主である。そして自分は裏切り者なのだ。その事実を、胸に刻む。

 

「トコロデ、ゆいん君。貴方ハ、モウ一度私ノモトヘ戻ッテクル気ハアリマセンカ?」

「王を、裏切れと言うのですか?」

「ソウナリマスネ。シカシ、貴方ハモトモトワタシノ臣下ダッタハズデス。アナタノコトデス。ワタシガ死ンダトオモッタカラコソ、クダッタノデショウ? ナラバ、ワタシガイキテイルノナラバ、ワタシトトモニ来ルノガ筋デショウ」

 

 両の目を閉じ、ノイアス元帥の言葉を反芻する。確かに、自身は元々ノイアス元帥に仕えていた。好ましい人物では無かったとはいえ、死ぬまで支えると決め、仕官したのだ。そのノイアス元帥が死した事で、自身は王であるギュランドロス様に仕える事を是としたと言う事実は確かにあった。死する時まで、ノイアス元帥に仕えると決めていた。だからこそ、俺の答えは決まっていた。

 

「ソレは、できません。私は王を裏切れないのですよ」

「ナゼ、デショウカ?」

 

 俺の返答に、ノイアス元帥は不思議そうに尋ねた。本当に解っていないのだろう。声音だけでそれは解った。

 

「ノイアス元帥。貴方に仕えたユイン・シルヴェストは、既に死んだのです。今ここにいる男は、死人なのです。死んでいるが、死んでいない。ここにいる男は、そんな男なのですよ。貴方の部下は、既に死したのです」

「ダカラ、ワタシノ手ハ、トレナイト?」

「そうなります。何よりも、私から見れば、貴方は既に死んでいるのです。そして、今の貴方のその力は尋常では無い。それは、人の手に負えるものでは無い」

 

 ノイアス元帥の染まっている黒色。ソレは、並の力では無かった。禁呪の類なのだと言う事は、即座に解った。黒に染まっている。それだけで充分だった。

  

「ソウデスカ、貴方ニ期待シテイタノデスガ、非常ニィザンネンデス。ナラバ、ベツノ手ヲカンガエマスカ」

 

 ノイアス元帥は、にやりと不快な笑みを浮かべた。

 

「王に手を出すと言うのならば、私とて容赦はできません」

「ククク、怖イデスネ。デスガ、モット別ノハナシデスヨ。ゆん・がそるニハ手ヲ出シマセンヨ。イマノ貴方ト、マトモニヤッテモ勝テマセンカラネ」

「……ならば、話はこれで終わりと言う事でよろしいか?」

 

 剣の柄に手を添える。これ以上、話したくは無かった。

 

「エェ、充分デス」

「貴方は以前の主だった方です。できれば刃を向けたくはありません。今回だけは、見逃します。次は、ありません」

「オォ、怖イ! クク、マタ会イマショウ、ゆいん君!」

 

 そう言い、闇に溶け込むように、姿を消した。不快な気配が消え、思わずため息が零れた。メルキア帝国前東領元帥ノイアス・エンシュミオス。嘗て主と定めた人物と決別した。それだけであった。

 

「……裏切者か」

 

 呟く。自身を表すのに、これ程的確な言葉は無い。そう思った。




ノイアス登場。



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21話 葛藤

「長き雌伏の時は終わった。今こそラナハイムの強さを示す時。皆、私に続け!」

 

 雄叫びが上がり、金属同士のぶつかり合う鈍い音色が辺りに響き渡る。敵味方に入り乱れ、兵士たちがその刃をぶつかり合わせる。その中でもひときわ目立つのは、銀髪が特徴的な女性だろうか。青を基調とした、少しばかり露出度の高い魔法具を身に纏い、魔法の力を付与された剣を手に、メルキア兵たちを圧倒していた。全身から魔力を迸らせ、敵を圧倒する様は、彼女の指揮する魔法剣士部隊の士気を否が応にも高ぶらせる。

 魔法剣士部隊を指揮する指揮官の名は、ラクリール・セイクラス。ラナハイム王国クライス・リル・ラナハイムの親衛隊を率いる隊長であり、魔法剣士部隊の一つを指揮する将でもあった。

 ラナハイムによる、ルモルーネ公国侵攻。その足掛かりとなったコーラリム山道の防衛を、ラクリールは担当していた。ラクリール率いる魔法部隊がコーラリム山道に布陣し、ルモルーネ公国の要請を受け出兵をしてきたメルキア軍をあし止めしている隙に、王であるクライスが、ルモルーネの首都であるフォミアルを陥落させると言うのが、ラナハイム王国としての第一段階であった。

 

「此れが……、メルキア帝国東領元帥の力」

 

 そして今まさにコーラリム山道にて、ラナハイムとメルキア帝国のぶつかり合いが行われている最中であった。

 ルモルーネ公国侵攻により、増援の要請に承諾したメルキア帝国。それが、ラナハイムの真の目的であった。治安維持のための最低限の武力しか持たないルモルーネは、ラナハイムの侵攻に対する力を持っていない事は明白であった。となれば、ルモルーネが頼るのは他国である。

 ラナハイム、メルキア、ユン・ガソル。その三国に、均等に食糧の輸出を行っていたルモルーネである。他二国に援軍要請を送るのは、自然な流れだと言えた。そして、ラナハイムとユン・ガソルは、同盟を結んでいる。ルモルーネの要請に応じるのは、メルキア帝国だけだと言えた。つまり、ルモルーネ侵攻は、メルキア帝国をおびき出すためのものだと言えた。フォミアルを落とし、食糧難と言う弱点を克服した後に、直ぐ様メルキア帝国に牙を剥き、領土を拡大する。それが、ラナハイムの戦略であった。

 メルキア帝国とラナハイム単体では、例えルモルーネを落としたとしても、その国力には遥かに差がある。だが、メルキア帝国の敵は、ラナハイムだけでは無い。東領と北領に接する、ザフハ部族国。そして、メルキアとラナハイムに隣接するユン・ガソル連合国。三国以外にも、北方の魔族やそれ以外の国の微妙なバランス故に、メルキア帝国はラナハイムだけに全力を出す事が出来ない状況であった。数に押されれば、いくら魔法剣士部隊と言えども、苦戦は免れない。だが、同等の条件で戦うのならば、ラナハイムが負ける道理は無い。それが、ラナハイムの結論だった。

 そして今、実際に戦が行われている。魔法剣士部隊が、メルキア騎士の一角を打ち崩し、敗走させたところであった。

 

「第二陣、来るぞ! 迎撃態勢!」

 

 勢いに乗って押しつぶす。ラクリールはそう思ったが、実行に移す事が出来なかった。空が暗くなっていた。一面に晴れ渡る青空を覆い隠すかのような、矢の嵐。それが追撃しようとする魔法剣士部隊に襲い掛かる。

 

「なめ、るな!」

 

 魔法剣士部隊全体を魔の奔流が迸る。飛来する矢の雨。ソレに対抗すべく、部隊全体が魔法を発動させる。

それは、剣士であり魔法使いでもある、魔法剣士部隊だからこそできる対応だった。可能な限り小さく纏まった兵士たちは、己が魔力を解き放ち、降り注ぐ矢の雨を薙ぎ払う。

 

「これが、魔法剣士部隊の力か。凄まじいモノだな。だが、波状攻撃に耐えられるか? このまま、押し通らせてもらうぞ!」

 

 迫り来る矢を打払った直後、ラクリールはそんな言葉を耳にする。既にメルキア帝国の第二陣が目の前にまで差し迫ってきていたのだ。声の主は、メルキア帝国東領元帥、ヴァイスハイト・ツェリンダー。この戦線でのメルキアの総大将であった。

 

「くぅっ」

「流石に、一筋縄ではいかないか。リセル!」

 

 ラクリールの持つ剣と、ヴァイスハイトの持つ剣がぶつかり合い、火花を散らす。そのまま勢いを止めず、ヴァイスハイトの持つ白刃は、その軌跡を走らせながら、ラナハイムの近衛隊長に襲い掛かる。その清流の様に淀みの無い剣筋と、総大将自ら前線をかけてきたことに虚を突かれ、ラクリールはたまらず呻き声を漏らす。ラクリールの腕を以てしても、ヴァイスハイトはやすやすと破れる相手では無かった。

 元々、魔と剣術双方にすぐれた素質を持つ将であったヴァイスハイトが、ユン・ガソルの黒騎士に敗れて以来、更に己の技を磨き上げる事を意識していた。同じメルキア帝国に属する元帥と比べると、実力も経験もはるかに劣っている事を実感していたこともあり、自身を高める必要性を実感していたからだ。

 そしてラクリールを圧倒したヴァイスハイトは、副官であるリセルに合図をし、一気に畳みかける。

 

「貰いました、そこ!」

「ぐ、あぁ!」

 

 リセルの銃剣から放たれた射撃。その正確な銃撃が、ラクリールの纏う魔法具に直撃し、その力を削り取る。ヴァイスハイトの剣戟と、リセルによる援護射撃。単純だが、それ故隙の無い攻めにラクリールは徐々に締め上げらるかのように、その身に傷を増やしていく。

 

「畳みかけるぞ」

 

 傷を負い、確実に消耗していくラクリールの姿を見据え、ヴァイスハイトは剣を持つ力を強めた。

 

「私はまだ戦える。調子に、乗るな!」

 

 劣勢による焦燥。それを振り払うように、ラクリールは気勢を上げる。その華奢な体から魔力が溢れだし、手にする魔法剣から、凄まじい力が零れ落ちる。ラクリールは大技を発動しようとしていた。息の合った見事な連携により、じりじりと追い詰められている現状を好転させるため、多少のリスクは承知で魔力を解き放つ。銀髪の少女が魔力を全身から放つ様は、どこか幻想的な色をしていた。

 

「それは、撃たせる訳には参りません」

 

 ラクリールが魔法を解き放つ。その直前、そんな言葉が耳に届く。ラクリールの背筋に、厭な汗が流れる。それは、愛らしく聞こえるが、どこか冷たい響きを感じさせる声であった。気が付けば、ラクリールの間合いの内に、小さな影が侵入していた。黒い衣装に、空に浮かぶ二つの月のうちの一つの如き、青い髪。メルキア帝国の元帥だけが持つ、魔導巧殻。その一つである、闇の月女神の力を模して作られたアルが、己の魔力を用い形成した刃を以て、ラクリールに迫る。その速度は凄まじいものであり、大技を放とうとしていたラクリールは見る事は出来たが、対応する事は出来なかった。

 此処で、斬られる。漠然と、そう思った。魔法の発動止め、防御の体制を取ろうにも、身体が動いてくれないのである。迫り来る死の一撃。抗う事の出来ないそれに備え、ラクリールは思わず瞳を強く瞑った。

 

「――!?」

 

 刃と魔法具がぶつかり合う、凄まじい轟音が辺りに響き渡った。直後に吹き荒れる、凄まじい魔力。ラクリールが放とうとしていたソレを、遥かに上回る密度で辺りに魔が満ちるのを感じた。来るはずの痛みが来ない。どうして? そう思ったラクリールは、目をゆっくりと開く。

 

「ふん。此れがメルキアの元帥の力か。良くも俺の部下を、いたぶってくれたな」

 

 最初に目に入ったのは、背中だった。ラクリールが仕え、その胸に秘めた許されない想いを抱く男。ラナハイムの国王、クライス・リル・ラナハイムであった。クライスは、己が持つ魔法具の一つである浮遊している盾を用い、アルの魔力で形成された刃を受け止めていた。

 

「クライス……様?」

 

 呆然と呟くラクリールの言葉に応える事も無く、クライスはそのまま手にする大剣を振り抜く。背後に庇うラクリールですら圧倒されるほどの魔力を漂わせるクライスの放った一撃。アルを後退させるには充分であった。下がりながら防御態勢を取っていたアルだが、クライスの放った斬撃の余波により、僅かに傷を負っていた。

 

「アル、無事か!?」

「大丈夫です、ヴァイス。しかし、あの男は並の相手ではありません。凄まじい力を感じます」

 

 後退したアルをヴァイスハイトは気遣うが、その視線はクライスから外せずにいる。アルもまた、突如現れたラナハイムの王の力を、正確に感じ取っていた。迂闊に近付く事はせず、距離を取り様子を窺っている。

 

「何故クライス様が、此処に?」

「フォミアルは、既に落とした。それ故、此方に来たと言う訳だ。それにしてもラクリール。随分と良い様にやられたものだな」

「……申し訳ありません」

 

 ラクリールの言葉に、クライスは答える。クライスの言葉通り、フォミラルは既に陥落していた。クライスの姉であるフェルアノ・リル・ラナハイムが事前に仕掛けていた謀略により、フォミアルを攻めていたラナハイムの軍は大した損害も出さずに、ルモルーネを下したところであった。

 とはいえ、いくら謀略があったとはいえ、その手際は鮮やかと言う他ならず、クライスの将としての実力を示すには充分であった。

 王であるクライスがそれ程の手腕を示しておきながら、その部下であるラクリールはメルキア帝国に敗走直前まで押い詰められていた。何気なく発したクライスの言葉に、ラクリールの表情が曇るのは仕方が無いと言えた。

 

「いや、構わん。相手は、あのユイン・シルヴェストですら仕留めきれなかった相手だ。並大抵の器では無いだろうと、最初から予想していた」

「しかし」

「くどい。ラクリール、良く生き延びてくれた。礼を言うぞ。既にオルファン・ザイルードが動いている。魔法街フラムに接近中という報告が、姉上から来ている。使える者は、多い程良い。信頼できるお前ならば、尚更だ」

「クライス、様」

 

 ラクリールはクライスの言葉に、何も言えなくなる。無様に翻弄され、敗れようとしていた自分を救ってくれただけでは無く、よくぞ生き残ってくれたとまで言われた。クライスに心酔しているラクリールが、感極まるのも仕方が無いと言えた。クライスにとってそれほどの意味は無くとも、ラクリールにとってその言葉は、どんな宝よりも価値あるモノなのだ。

 

「貴様が、メルキアの東領元帥か?」

 

 前を見据えたまま、クライスがヴァイスハイトに言った。

 

「そうだ。我が名はヴァイスハイト・ツェリンダー。貴様がラナハイムの王か?」

「クライス・リル・ラナハイム。メルキアの元帥よ、今日は勝利を譲ってやる。だが、覚えておくと良い。何れメルキアは、ラナハイムの下で膝を折る事になる」

 

 メルキアの東領元帥と、ラナハイムの王。これが、激しく争い合う事になる、二人の男の邂逅だった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 騎馬が駆け抜ける。漆黒の鎧を身に纏い、一様に真紅の布を身に付けた騎馬隊。整然と隊列を組み、突風の如く速さで駆け抜ける騎馬隊は、中原全土を探してもその速さに匹敵する部隊は無いと言える。ユン・ガソルの誇る、竜騎兵。ユイン・シルヴェスト率いる、竜を狩る者達であった。

 他の騎馬隊との尤も違う点を挙げるのならば、それは魔導銃の存在だろう。馬具に備え付けられた、特注の魔導銃。ソレを抜き放ち駆けた時、漆黒の騎馬隊からはある種の力を感じ取る事が出来る。それ程すさまじい練度を持つ、部隊であると言えた。

 ユン・ガソルによる、アンナローツェ侵攻。以前よりザフハ部族国から持ち掛けられていた盟約。ソレを果たすため、ユン・ガソルの力を示すため、竜騎兵は対アンナローツェの主力として、三銃士のエルミナ・エクスを総大将とする侵攻部隊と共に、歩を進めていた。

 

「かなりの速度で進行しているな。一度、絶界の砦で歩を止め、後続部隊と合流しようか」

「それが良いでしょうね。うちの新米二人の率いる部隊も遅れがちです。少しばかり兵に休息を与える必要もあるでしょう。しかし、まだまだ調練が足りないようです」

「やれやれ。ユイン、流石にそれは酷と言うものだぞ。新兵から毛が生えた程度の兵に、何処まで求めるきだ?」

  

 騎兵と言う兵の特性上、本体よりも少しばかり先行していた。二人の新米指揮官であるダリエル、リプティー率いる部隊は少しばかり後方を駆け追いすがってきている。それは、調練を重ねた部隊と、未熟な部隊の差であると言える。とは言え、先行している部隊は竜騎兵とベアトリクス将軍率いる精鋭部隊な為、その進行速度は並の騎兵よりも遥かに早い。むしろ、二人が遅れがちになりながらも付いて来られている事は、賞賛に値すると言える。

 

 そんな事はおくびに出さず、共に駆けていたベアトリクス将軍と言葉を交わす。一旦軍を止め、軽く休憩に入っていた。此れまで駆けていた白夜の背を撫で、感謝の念を伝える。

 行軍中とはいえ、現在地はまだユン・ガソル領内である。一度立ち寄ろうと話している絶界の砦と言うのは、アンナローツェとの国境に建てられた砦であった。つまりは、砦を抜けた先が前線と言う事になる。

 

「戦では、弱ければ死ぬだけです。だからこそ、兵には強く在ってほしいと思うのですよ」

「ふ、相も変わらず厳しいものだな。だが、知っているか、ユイン。竜騎兵以外の兵士は、君の事を恐れているぞ」

「だと言うのならば、好都合。どうにもユン・ガソルの将と言うのは、兵に慕われ過ぎているようにおもえるのですよ。王然り、三銃士然り。私が軍の怖れになれると言うのなら、それは僥倖と言うものでしょう」

 

 ベアトリクス将軍が窘めるように言った。だが、自分は寧ろそれで良いと思った。兵士たちに恐れられている。それは、自分にとっては厭うべき事では無い。恐れを抱くと言うのは、怖いと言う事だ。つまり、兵士たちに俺の実力をある程度示せていると言う事である。

 もともと自分はメルキアの将軍であり、敗戦の折にユン・ガソルに降った人間である。だからこそ人望と言うものを得られるとは思っていない。ユン・ガソルとメルキアの歴史は、怨恨の歴史と言って良い程、争いで血塗られているからだ。

 そんなメルキア出身の男に兵士たちが従うとすれば、それは何であろうか。簡単である。自らを率いる将は強い。そう思わせる事だ。この将に付いて行けば勝てる。そう思わせる事が、重要なのだ。人望が無くとも、実力があれば兵はついてくるのである。少なくとも勝っている時は。ならば、自分にとってはそれでいいのだ。負ける時、それはこの身が果てる時なのだから。

 そして、力を示せば示すほど、兵は恐怖するのだろう。強い者に怖れを抱く。それは生き者としての本能なのだ。戦いたくないから恐れる。恐れるから、命令には従う。極論ではあるが、軍規とはそう言うものなのだ。先にもいったが、王や三銃士は兵に慕われている。恐れもあるだろうが、親しみの方が強いのだ。ならばこそ、自分が軍の恐怖の部分になれると言うのならば、それは歓迎すべき事だと言える。

 

「軍としては、それが良いかもしれん。元メルキアの君が負の部分を受け持ってくれるのならば、王や俺たちは遣り易くなるだろう。だが、君はそれで良いのか?」

「構いません」

 

 ベアトリクス将軍が、真剣な目をして尋ねてくる。即答していた。考えるまでも無い事であったからだ。最初から、結論は出ているのだ。

 

「ベアトリクス将軍。ユイン・シルヴェストと言う男は、既に一度、いや二度死んでいるのですよ。ならば、この手で守るべきものは、殆ど無いのですよ」

「既に死んだと定めたから、執着が無いと。失う事が怖くないと、そう言うのか?」

「少しばかり、違います。失う事が怖くないと言うのではありません。失う物が、既に殆ど残っていないのですよ」

 

 ユイン・シルヴェストが守るべきもの。ソレをあげるとしたら、一つしかないのである。幼少の頃に一度死に、そしてもう一度死んだ。生きているが、死した。そんな自分に残った、唯一の強い想い。強く在る事。何物にも負けず、ただただ、強く在る。未だ胸の奥深くで熱く、狂おしい程の衝動となり、渦巻いているそんな想い。今のユイン・シルヴェストを成す想いの根底であり、守るべき唯一のもの。人として、どこか歪な願い。自分さえ理解していれば良い、誇り。それさえ守れれば、俺は俺で在れるのだ。それ以外に、守らなければいけないモノなど、何一つとして、無い。死さえ、厭う事は無い。だからこそ、ベアトリクス将軍の言葉に即答する事が出来るのだ。

 

「……。君は、強いのだな。どこまでも、強い。誰よりも、強い。ギュランドロス様がユインに惹かれた理由を、今垣間見た気がする。だが、だからこそ、ユインは弱いのだろう」

「私は、弱いですよ。弱いからこそ、このような事を願うのです。強く在りたいと思うのは、弱いからこそなのです」

「そう言う意味では無いさ。……そうだな、ユイン。この戦が終われば、皆で酒でも飲もう。君の部下のじゃじゃ馬の二人や、三銃士、王や他の者達。皆を呼び、朝まで飲み明かすのが良い」

 

 俺の言葉に、ベアトリクス将軍は、苦笑を浮かべながらそんな提案をしてきた。ユン・ガソルのみなと共に、祝杯をあげる。想像するだけで、どこか楽しいような、そんな思いが生まれる。メルキアに居た頃ではほとんど感じる事が無かった類の、愉快さである。

 

「良いかも、しれませんね。王の事だ、誘えば盛り上げてくれることでしょう」

 

 思わず苦笑が漏れる。そんな宴を開けば、騒がしい事が何よりも好きな王が黙っている訳が無いのだ。自分では思いもよらない事をしでかし、皆を楽しませてくれることは、容易に想像できた。そんな事が想像できる自分に気付き、少しだけ意外に感じた。王との出会いをきっかけに、三銃士や竜騎兵、部下や将軍たちとの出会いが自分をすこしだけ変えたのだろう。そんな事を思うと、嬉しくあり、それ以上にもの悲しかった。

 そのような事を考える事が出来ると言うのに、自分にとって、それは絶対に守るべきもの足り得ていないのだ。恐らく自分は、気付かないうちに皆に色々なものを貰ったのだろう。だが、それでもユイン・シルヴェストにとっては切り捨てられるものなのだ。ソレに気付いた。いや、改めて認識した。仲間を仲間だと言いながら、その本質のところでは軽く見ているのである。唯一つの事しか、求めていないのだ。それ程自分本位な人間なのである。それが、俺なのだ。

 

「だろう、ならばこの戦、勝たなければいかんな」

「その点に関していえば、問題は無いかと」

 

 だが、それで良いのだ。だからこそ、強く在る事が出来る。強さを求める事が出来るのである。ならば、俺にとってはそれで良いのである。唯一つのモノを守れれば、良い。

 

「ほう、それは何故かな?」

「我等は、勝ちます。当然の如く戦い、当然の如く勝利を収める。それが、我らの戦なのです」

 

 何よりも、想いは嘘では無いのだ。例え切り捨てられる程度の想いだったとしても、確かに自分は大切なものだと感じた。ならば、それで良い。本心からそう思った事なのだ。ならば、その事実は消えないのだ。

 

「どうやら、後続が追い付いてきたようだな」

「ですね。二人の部隊が追い付いてきたら、少し休ませた後、砦まで進みましょう」

 

 後方を見る。既に、馬蹄が聞こえ、騎馬が大地をける振動を十分に感じる事が出来る距離まで近づいてきていた。もうすぐ、戦になる。そう考えると、心が騒めくのを感じた。雑念は必要ない。唯、戦うだけなのだ。それで自分の想いは守れる。そう思った。

 傍らに立つ白夜。短く嘶いた。その瞳が、どこか悲しげに見えた気がした。

 

 




そう言えば外伝やIFルートが見たいと言う一言感想がありました。活動報告にて返答しておきます。


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22話 開戦

「ううむ、どうしたもんかねぇ」

 

 ユン・ガソル首都ロンテグリフ王城。政務をこなし、自室に戻り座り込み幾つかの書類を睨み付けながら、ギュランドロス・ヴァスガンは独り言ちた。その声音は、バカ王と称される彼には珍しく、心底困ったと言った感じである。両腕を組みどっかりと胡坐をかき考え込む様は、普段の言動からは想像しがたい。三銃士のエルミナやパティルナが見れば、変なものを広い食いでもしたのではないかと疑いかねないだろう。

 

「あら、何かお困りですか?」

 

 傍に寄り添っていたルイーネは、珍しいと内心思いながら、ギュランドロスに尋ねる。自分の夫であり、どんな苦境でも笑っていられるほど強いユン・ガソルの王が、何に対して苦悩しているのかにルイーネは興味を惹かれていた。どんな困難が立ち塞がろうとも、ルイーネは夫を支えるだけだが、肝心の内容が解らなければどうしようもないからだ。何時もの様に嫋やかな笑みを浮かべながら、ルイーネは尋ねた。

 

「ん、いやな。できればメルキアのヴァイスハイトの野郎とはまだ事を構えたくは無いが、どうも一つ二つ気になる事があってな。対メルキアの構想を考えているんだが、これがまた鬱陶しい事に上手い事いかん。東進を公表する前に解ってればまだ対処ができたんだがな。この局面まで来たら、うちの連中の戦果に期待するしかねぇのが歯がゆいんだ」

「成程、そう言う事でしたか。けど、貴方がそう言う事を考えるのがそもそも間違いなのでは?」

「む? どう言う事だ、我が王妃よ」

「ふふ、簡単な事です。長考するよりはとりあえず動いてみる。それが貴方らしいと言う事です。話を聞く限り現状でユン・ガソルが何か妙手を打つ事が出来ないのでしょう。なれば、貴方は自分の思うままに動いてみれば良いのではありませんか? どうせ何もできないのなら、せめて心の赴くままに。そうすれば自然と結果はついてきます」

 

 ルイーネからすれば、そもそもギュランドロスがあれこれと悩むこと自体、ナンセンスだった。彼の夫、ギュランドロス・ヴァスガンは、他国からはバカ王と称される人物である。実際その風評は間違っておらず、一国の王としては方破れな事をしでかす事が多い。近年で言えば、レイムレス要塞譲渡など、悪い意味でも人の予想を上回る事をやってのける男なのだ。ギュランドロスには、それ程までの器量があった。

 ルイーネたち臣下としては彼のそういう行動は頭の痛い種なのだが、ギュランドロスのしでかす事の後始末もまた彼女たち臣下の務めであった。失敗があればそれ以上の成功もある。リスクとリターン。その二つを天秤にかけ、迷いなくリターンを選べるギュランドロスだからこそ臣下もまた彼が失敗したときのの被害を抑える事に長けていた。否、慣れていた。

 そんなギュランドロスを知っているからこそ、ルイーネは思う。らしくない。あのギュランドロスが、何かに憂慮してい居る為、踏み切れないでいた。妻であるルイーネにはそんなギュランドロスの心の機微が手に取るように読めた。ならば彼女は王妃として、ギュランドロスの背を押すだけである。仮に失敗したとしても、皆で支えるだけであった。

 

「く、くく。まったく、お前はいい女だよ、ルイーネ。そうだな、ああだこうだ悩むのは確かに俺らしくねぇ! 国民の欲求を満たしつつ自身の欲求を満たす。それができないで、何が王だ。何がギュランドロス・ヴァスガンだ」

「ふふ、今の方が貴方らしいですよ」

 

 ルイーネの言葉で吹っ切れたような快活な笑顔で、ギュランドロスは豪語する。先ほどまで悩んでいたのが嘘のように清々しい表情だった。

 

「そうと決まったら、早速いろいろ準備しないとな! とりあえずルイーネ、仮面を用意してくれ!」

「あらあら、一体そんなものをどうするつもりですか?」

「そいつは秘密だ!」

「もう……。実行する時までにはちゃんと教えてくださいね」

「おうよ!」

 

 ギュランドロスは立ち上がり、手にしていた報告書を無造作に置き、楽しくなってきたと言わんばかりの笑みを浮かべながら、ルイーネに指示を出す。一体何に使うのだろうか。そんな事を考えつつも、ルイーネは言われたものを用意するために部屋を退出した。

 

「さてさて。どうなるもんか。先が読めないからこそ、面白れえってもんだ」

 

 ルイーネが退出したところで、ギュランドロスは静かに零す。その瞳には、子供の様な好奇心の他、それ以上の野心が見え隠れしていた。高揚している気分を落ち着かせるためギュランドロスは何度か部屋の中をぐるぐると回ったあと、再び報告書を取り視線を戻した。其処には――

 

 メルキア軍元東領元帥ノイアス・エンシュミオス生存について。

 竜騎将ユイン・シルヴェストから内密に挙げられた報告が、詳細に書き記されていた。

 

 

 

 

 

 

「敵軍は歩兵と弓兵を中心に、手堅く布陣しているようですね」

「そのようですな。面白味のない陣ではありますが、それ故一定の戦果を出せると言ったところでしょう」

 

 エルミナ様の言葉に、ベアトリクス将軍が頷きつつ補完する。眼前には、イウス街道の要所にある砦に駐屯していた軍が展開されており、我らがユン・ガソル軍を見据えたまま、大きく気勢を上げている。ユン・ガソル軍と、敵軍であるアンナローツェ軍は既に臨戦態勢に入っていた。

 絶界の砦で足並みをそろえ最後の補給を済ませた後、東進を続け遂に最初の要所に辿り着いていた。この地を取れば、アンナローツェの北西を制す事になり、更に北にある要所、死鬼の森はザフハの領地な為、後顧の憂いなく東か南に攻め移る事になる。此方が進行すると同時に、イウス街道の更に東にある要所、ガウ長城要塞にザフハが攻め込む事になっており、両国が制する事が出来れば、一気にアンナローツェは北部を失う事になり戦況が一気に傾くと言う事になる。その為の足掛かりの戦が今回の戦である。足掛かりとは言え、ユン・ガソルにとっても、ザフハにとっても、そしてアンナローツェにとっても、今回の戦は負けられない局面であった。

 

「先鋒は任せて貰ってもよろしいでしょうか?」

 

 両の眼をゆっくりと開き、エルミナ様に尋ねる。心は既に、熱く燃え滾っている。血潮が滾り、心が躍る。アンナローツェにはどれ程の者がいるのか。楽しみで仕方が無いのだ。とは言え、勝手に出陣する訳にもいかない。軍の総責任者であるエルミナ様に許しを請う。

 

「貴方にならば安心して任せられます。ユイン将軍、勝てますか?」

 

 エルミナ様が俺の目を見て尋ねてくる。軍議の席故、将軍と呼ばれるのはどこか心地良かった。返答など、考えるまでも無い。

 

「勝ちます。それが、私の、竜騎兵の存在意義です」

「何時もながらに凄まじい自信ですね。ですが、その自信も味方であるなら心強いです。では、竜騎兵に先鋒をお願いします」

「承知」

 

 こちらの返答に満足したのか、ふんわりと笑うエルミナ様に短く軍礼を取る。

 

「では、予定道理始めます。今回はユン・ガソルの力を示す戦です。皆、心して掛かってください!」

「応!」

 

 エルミナ様がそう締めたところで、諸将が声を上げる。一連の流れは、最初から決まっていた事だった。竜騎兵の力を示す。王がそういう戦を望んでいる以上、このような流れになる事は暗黙の了解だったからだ。だから、内心は兎も角誰一人として不満を上げることなく、自身に先鋒が回ってきたのだ。今回の軍議はある種の儀式であると同時に、茶番でもあったと言う訳である。

 だが、そんな事はどうでも良かった。戦えると考えると、楽しくて仕方が無い。自然と唇が吊り上がっていた。

 

 

 

 

 

「将軍?」

「どうしたのよ……ですか?」

 

 持ち場に戻った時、不意に、掛けられた二つの声に思考を引きもどされる。ダリエルとリプティー。俺の指揮下に在る二人の指揮官だった。経験も浅く、実力もまだまだ発展途上だが、将来は大きく化ける可能性を秘めている、いわば原石と言える姉妹だった。尤も、今はまだ殻の取れていない雛鳥でしかないが。

 

「む、居たのか半人前たち」

「ちょ、将軍、幾らなんでもそれは失礼じゃないですか!?」

「あはは……」

 

 俺の言葉にダリエルの表情が一瞬引き攣るが、相手にしない。確かに失礼だが、事実は事実である。特に姉の方は叩けば叩くだけ伸びるのだからやめる道理は無い。一瞥するだけで、話を続ける気は無かった。

 

「うー。なんか凄い雰囲気で笑っていると思ったら、今は何時も通りだし。何だったのよアレは」

「ちょっと、怖かったね……」

「そうか」

「うん。何というか、雰囲気が何時もと違いました」

「また何時もの病気ですか、将軍」

「そんなところだろうな」

 

 不思議がる二人に、副官であるカイアスが言った。二人よりも遥かに長い付き合いのある男だった。メルキア時代から居る麾下である。俺の事も、二人以上に把握している。

 

「お前たちはあまり知らないだろうが、将軍は戦が絡むと良くああなる。覚えておくと良い」

「何と言うかそれは……」

「将軍らしいわね」

 

 何か釈然としない納得のされ方をしたが、追及する気も起きないので放って置く。そんな事をするよりも成すべき事があった。自身の愛馬である白夜に歩を進める。

 

「今日もまた、頼むぞ」

「――」

 

 軽く首を抱き、その美しい毛並みをゆっくりと撫でながら呟く。それに応えるように白夜は静かに嘶いた。気が、充実するのが解った。まだ、戦える。心中で呟く。

 

「共にいこうか」

 

 そう告げ、その背に命を預ける。一度深く息を吐く。

 

「将軍、コレを」

「ああ、すまんな」

 

 近くにいた麾下が、槍を持ってくる。ソレを受け取り、振り向いた。気付けば、竜騎兵は全ての準備を終え、俺の指示を待っていた。

 

「お前はそのままエルミナ様に伝令」

「はっ」

 

 麾下の一人が軍礼を取った。その姿が最初と比べると驚くほど様になっており、否が応にでも麾下の成長を感じた。思えば、様々な事があった。柄にもなく感傷に浸る。

 

「行くぞ、竜騎兵の力、この一戦で天に示す!」

 

 槍を天高く掲げ、叫ぶ。

 

「応!」

 

 麾下達がそれ以上の雄叫びを上げる。敵が、地が、世界が震えるのを感じた。ならば、それで戦をする準備は終わりだった。右手居持つ槍を水平に構える。ざわりっと、戦場全体が蠢くのをはっきりと感じた。ゆっくりと腿を締め、白夜に合図を送る。最初はゆっくり。そして、徐々に風を切る速度が加速していく。前を見据えた。眼前には敵がどっしりと構え布陣を曳いている。見れば、陣が両端に広がり突出する部隊を包囲しようと言う魂胆なのが容易に想像できた。笑みが深くなる。魔剣に魔力を込め、言葉を紡ぐ。

 

「原野を駆ける我らが意思に、竜を破る峻烈なる加護を」

 

 左手に持つ魔剣の力を解き放つ。首に巻かれた真紅の布が、淡く煌めくのを感じた。血潮が滾り、心が躍る。柔らかい風が頬を撫ぜた。一度、天を仰ぎ見る。雲一つない青空が広がっている。視線を戻す。アンナローツェ軍が此方を囲むように全軍を展開させていた。口元が吊り上がる。左手に持つ魔剣、掲げた。そのまま無造作に振り下ろし叫ぶ。

 

「全軍、弱者を蹂躙する。我に――続け!」

 

 号令を上げる。竜騎兵が一頭の獣となり、戦場を駆け抜けた。

 

 

 

 

 

「アレが、ユン・ガソルの先鋒か」

 

 アンナローツェ軍本陣。この地に集結するアンナローツェ軍を指揮する立場にある総騎長、リ・アネスはユン・ガソルの陣から一つだけ突出した部隊を見据え、冷静にそう分析する。アンナローツェはザフハと交戦状態にある為、ザフハの盟友であるユン・ガソルが参戦してくることはアンナローツェの女王であるマルギレッタも当然予想していた。それ故、ザフハからもユン・ガソルからも攻め込まれる可能性のあるイウス街道に腹心であり最も信頼のおけるリ・アネスを配していた。

 

「速いな。予想よりも、遥かに速い」

 

 とは言え、アンナローツェを言えども準備万端で備えていた訳では無い。先にユン・ガソルはメルキアと大規模な戦闘を行っており、此方に出兵してくるとしても、もう暫くの猶予があると想定していた。だが、実際にはアンナローツェの想定を上回る速度でユン・ガソルが侵攻してきた為、兵に満足な休養を与えられぬままの防衛線に駆り出されてしまっていた。

 

「とは言え、三銃士のうち一人しか姿を現していないのがせめてもの救いか」

 

 リ・アネスの言葉の通り、戦場にはユン・ガソルの部隊の中で、エルミナの率いる隊以外に三銃士の姿は見えない。アンナローツェ軍の諜報能力を信用するのならば、この線戦場にいる三銃士はエルミナ一人だった。

 ユン・ガソルの三銃士と言うのは、良い意味でも悪い意味でも目立つのである。数多の戦場で功を上げ、名実ともにユン・ガソルの看板といえる為、その旗印が戦場に存在するならば、自然と敵の目を惹きつけてしまうと言う訳である。さらに言えば王が出てきていない以上、次点で全軍を指揮する可能性があるとすれば三銃士であるため、今回の戦の総大将と言える。前向きに考えるのならば、三銃士が集結していないうちに一人を討つ事が出来る状況だった。看板であり支柱であるが故、三銃士を失った時のユン・ガソルの損失は計り知れない。ザフハとの戦が続く為消耗しているが、ある意味ではこの状況はアンナローツェの好機ともいえた。

 

「総騎長、敵の騎馬隊が単体で接近しております。報告によると、騎馬隊は一様に黒色の鎧を身に纏っているようです。如何しますか?」

 

 リ・アネスの下に報告が入る。敵の先鋒は、ユン・ガソルの騎馬隊であった。

 

「漆黒の騎馬隊、か。噂の黒騎士と言う奴だろう。……ユン・ガソル本陣に大きな動きは見られない。それだけあの騎馬隊にに自信があるのか、あるいはただ捨て駒にされたか。どちらにせよ敵軍の戦力を奪う好機には変わりない。全軍で包囲、殲滅する」

「はっ!」

 

 幾ら敵が騎馬隊であろうとも、アンナローツェの本陣と先鋒隊とでは戦力の差が大きすぎた。後続が続かないと言うのならば、袋の鼠と言う訳である。リ・アネスの指示により全軍が黒の騎馬隊を囲むように陣を左右に大きく開いていく。それは、本陣の厚さが少し薄くなると言う事を意味していた。やがて、包囲をするのに十分な大きさに陣が展開される。其処まで来て、漸くユン・ガソルの本陣が動き始めた。後方にいた部隊が、ゆっくりと歩を進めて行く。それは、黒騎士が殲滅された直後にアンナローツェ軍を攻撃できる程度の絶妙な速さであった。

 

「成程。我らが黒騎士率いる騎馬隊を殲滅する隙を突き、強襲しようと言う訳か」

 

 そんなユン・ガソルの動きを観察していたリ・アネスは感心したように呟く。包囲中の敵を側面から突く。単純だが有効な手を打ってくるエルミナに、僅かに感嘆を漏らす。そう言う策だと解っていようとも、ユン・ガソルの黒騎士は無視できる存在では無かった。解って居ながら、相手にせざるを得ない。そう言う周到な作戦だと言えた。

 

「流石は三銃士と言うだけの事はある。戦い方が周到だ。だが、そう易々と策に乗ってやる訳には行かない。右翼左翼に伝令。騎馬隊の相手は本陣で行う。両翼は敵本隊に備えよ!」

「承知しました!」

 

 伝令が直ぐ様駆ける。その背を見送った後、迫り来る漆黒の騎馬隊を見据える。瞬間、騎馬隊から無数の矢が放たれる。騎射。黒騎士率いる騎馬隊から、神速の弓撃が飛来する。

 

「総員構えよ。騎射の後、来るぞ!!」

 

 リ・アネスの号令の数舜後、数多の矢が降り注ぐ。本陣全体が、盾を上方に構え防御態勢に移る。金属の盾と矢じりがぶつかり合う音が戦場に鳴り響き、無骨な戦場にそれ以上に無骨な旋律を響かせる。それはさながら、戦場の音楽であると言えた。

 

「……長すぎる」

 

 飛来する矢に耐えつつ、リ・アネスは思わず呟いた。矢が降り注ぐ時間が、長すぎるのである。敵の部隊数に比べ、飛んでくる矢の数が二倍にも三倍にも感じた。何度かに分けて矢を放ったとしても矢が途切れる瞬間と言うのが来るはずなのだが、纏まって飛んでくる矢の数が思いの外少ないだけで一向に矢が途切れる気配がなかった。その事実を声に出した瞬間、ぞくりとリ・アネスの背をいやな汗が伝う。盾を掲げる兵の一団から抜け出し、飛来する矢を強固な鱗で守られた巨大な尾で迎撃しながら黒の騎馬隊を見た。

 

「っ!? やられた! 全軍――」

 

 リ・アネスは悔しさを滲ませつつ、零す。彼女が見たのは、漆黒の騎馬隊が一糸乱れず筒状の魔導兵器を構えるところだった。敵の騎馬隊のうち、半数程度が魔導銃を取り出し、残る半数が絶え間なく矢を放ち続けていた。飛来する矢を防ぐため、盾を構え防衛体制に入っていたアンナローツェ軍はその動きに気付くのが僅かに遅れた。その時間が、致命的だった。リ・アネスは歯を食いしばり、次の指示を出そうとするがそれよりも速く――

 

 

 

 

 黒の騎馬隊の魔導銃が唸りをあげた。

 

 

 

 

「くぅ……!?」

 

 黒の騎馬隊の放つ霹靂が、アンナローツェ本陣を駆け抜ける。戦場にその威を轟かせる程の轟音。アンナローツェ軍の兵士の体から噴き出る鮮血と飛び散る肉片がその威力を物語る。矢を防ぐために上空に盾を向けていたため、無防備に晒された兵士たちの胴体に向け黒の騎馬隊、否、黒の騎馬鉄砲隊は一切の慈悲すらなく、その牙を容赦なく突きつけ喰らいついた。まるで巨人が殴ったかの様に本陣の一部が吹き飛ばされ、肉片に代わる。それが立て続けに二度三度と解き放たれ、五回目の閃光がアンナローツェ軍を強襲したところで、それは辿り着いた。

 

「これが、黒の騎馬隊」

 

 雷の後に現れた、暴風。強襲してきた漆黒の騎馬隊はそう称するに相応しい程圧倒的な速さと暴力を以て、アンナローツェ軍に躍り掛かる。気付けば、騎馬隊は大きく二つに別れていた。本陣に突撃する漆黒の騎馬隊と、後方に離脱し、更に二つに別れアンナローツェ軍の両翼に向け騎射を放ちつつエルミナ率いる本隊と合流する騎馬隊である。

 やがて、本陣の大混乱が感染し、更に側面からの騎射により指揮系統が乱されたアンナローツェ軍に、エルミナ率いる本体が襲い掛かる。

 

「そんな――」

 

 たった一つの失策。黒騎士率いる騎馬隊を捨て駒と判断し、後方に控えた本隊に余力を以て当たろうとしたことが完全に裏目に出ていた。総大将であるエルミナ・エクスの絶妙な行軍速度に騙されたと言う部分も多分にあるが、リ・アネスが敗北した原因は一人の男にあると言えた。それは、

 

「これがユン・ガソルの黒騎士、ユイン・シルヴェスト」

 

 呆然と呟く。侮っていた訳では無かった。事前に得ていた情報で相手の事をある程度知っており、地力のある将軍だとは思っていた。だが、それを考慮したうえでも、リ・アネスにはその時のユインは捨て駒としか思えなかった。アンナローツェの本隊と相対するのが、ユン・ガソルの一部隊である。それも元メルキア所属の。その上でメルキア嫌いで有名なエルミナの絶妙な行軍である。その考えも仕方ないと言えた。結果として、その読み違えが敗北の最大の原因となった。そして虚を突かれ、騎馬鉄砲隊の銃撃で大混乱に陥った本陣に目掛け、まるで一頭の獣の如く統率のとれた騎馬隊がその威を振るう。アンナローツェが連日の戦いに疲弊しているとはいえ、リ・アネスにとって憎たらしいほど鮮やかな手並みと言えた。

 

「敵将、覚悟!」

「ぐっ!? まだだ、まだ、負けられない!」

 

 襲い掛かる漆黒の騎馬隊の刃を自身の腕で受け止め、返す刃で斬り伏せる。その一撃は寸分の狂いも無く騎馬兵の胸を打ち貫き、落馬させる。

 

「しょ、将軍……」

 

 落ちた兵士が僅かに零し、立ち上がろうとしたところで口から血を零し倒れ伏す。ピクリとも動かなくなった騎馬兵の体から紅が広がっていく。ソレを一瞥だけし、リ・アネスが視線を移したところで無数の鏃が眼前に迫っていた。

 

「くぅッ!?」

 

 思わず頭を両腕と大蛇の如き尾でで庇うようしその矢を叩き落とす。幾らリ・アネスと言えども、至近距離から無数の矢を受けては無傷とは言えず、龍人の鱗を突き破り、其処から血が流れ出す。

 

「あの力、あの姿、奴がアンナローツェの指揮官だ! 奴を討て!」

「私は、こんなところで死ねないんだ!?」

 

 リ・アネスは全身から魔力を爆発させるように解き放ち、咆哮を上げる。凄まじい重圧が辺りを包み込み、ほんの僅かに広がった動揺をつき、数人の騎馬兵を斬り伏せる。

 

「その首、貰い受ける」

 

 馬蹄が響いた。死神が近付いて来たかのような強烈な悪感がリ・アネスに襲い掛かる。直ぐ傍にいた敵を切り伏せ、部下の兵たちの指揮を執ろうとした所で、リ・アネスは弾かれたように剣を背後に向けて振り抜いた。

 

「あああ!」

 

 戦場を震撼させる程の衝撃。ぶつかった刃と刃が火花を散らせ、魔力と魔力がぶつかり合い、その衝撃が突風を巻き起こす。

 リ・アネスに襲い掛かったのは、一騎の騎兵だった。右手に槍を持ち、左手に剣を携えた男。漆黒の鎧を纏い、首元に無造作に巻かれた真紅の布が淡い光を帯びたなびいている。左手に持つ剣からは凄まじい程の魔力が迸り、戦場においてその武威を誇るかのように存在していた。男の無機質な灰色の双眸は、淡々とリ・アネスだけを見据えている。死の気配がリ・アネスを包み込んでいた。

 

「ぐ、貴様は、何者だ?」

 

 刃を受け止めたリ・アネスは思わずそう尋ねる。相対し、一度刃を重ねただけで、目の前にいる人間が三銃士と同等か、もしくはそれ以上の敵だと彼女の直感が警鐘を鳴らす。この状況でそれが誰かなど容易に想像できるのだが、それは目の前の男の口からリ・アネスが直接聞き出しておくべき事であった。

 

「ユン・ガソルの騎馬隊、竜騎兵を総べる将。竜騎将、ユイン・シルヴェスト」

 

 それは、竜を狩る人間と、人間を守る龍人の出会いだった。




大変お待たせして申し訳ありません。
じっくり更新していくつもりなので、気長にお待ちいただければ嬉しいです。


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23話 兆し

「イヤイヤァ、流石はゆいん君デスネェ。恐ロシク強イ。私ノ下ニ居タ時カラ兆候はアリマシタガ、マサカコレ程トハ思イマセンデシタ!」

 

 ユン・ガソル軍とアンナローツェ軍のぶつかり合いが始まり、ユイン率いる竜騎兵がリ・アネス率いる本陣にその牙を突きつけた頃、彼らのぶつかり合う戦場から少しばかり離れた台地より、その戦闘を観戦する者があった。元メルキア東領元帥である、ノイアス・エンシュミオスである。

 禁忌の力を用いた事で不死者へと変貌したノイアスであるが、その瞳に映る色は人間だった頃と変わる事なく爛々と輝いている。知将として名を馳せ、権謀術数に長けた男である。姿かたちは変わろうとも、その本質が変わる事は無い。二国がぶつかり合い、やがては三国の戦に発展するこの戦いをどう使うべきか。薄い笑みとどこか陽気な声とは裏腹に恐ろしく冷たい色をした瞳が、戦場を見詰め思考する。

 

「相手取ル龍人モ相当ナ使イ手ノヨウデスガ、今回バカリハ相手ガ悪イ。救国ノ名将ト言エドモ、至ル可能性ヲ持ツ者、軍神トナルベキ男ガ相手デハ非常ニザンネンデスガァ、勝テル道理ガナァイ」

 

 戦場を駆け抜ける竜騎兵を見据えたノイアスは、さも愉快そうに声を上げる。その声音は喜色でありながら、聞く者がいたならばまず正気であるのかを疑ってしまう程、異質なものを感じさせる。禁忌の力を用い不死者と化していた。だが、それ以上に、ノイアスそのものが異質であった。それ故、ノイアスの発する気質もまた、異常と言える。

 

「デスガ、今ココデあんなろーつぇ女王派ノ筆頭ガ消エルヨウデハ、時間ガマッタクモッテタリナイ。恐ロシイ事ニ、彼ニハソレヲ成ス事ガデキテシマウ。めるきあガらなはいむヲ制スル前ニあんなろーつぇガ滅ンデハ、ソレコソめるきあガ存亡ノ淵ニ立サレテシマウ。ソレハ、避ケネバァナラナイ」

 

 アンナローツェとユン・ガソルの戦い。それを見据えるノイアスの瞳には、両国では無く、ただユイン・シルヴェストのみが映っていた。そして、確固たる脅威として認識している。それは、一国の元帥が考える事とは思えないほど荒唐無稽と言える事であった。

 ノイアスが危惧するのは、メルキア帝国の存亡についてであった。

 現状、メルキア帝国は東領元帥ヴァイスハイトがラナハイムと交戦しており、北領元帥ガルムスが北の魔族に備えつつ、ザフハからの侵攻にもにらみを利かせている状態である。そんな状態で、万が一メルキアがラナハイムを制する前にユン・ガソルと同盟国のザフハがアンナローツェ王国を滅ぼす事になったとしたならば、ラナハイムを相手にしつつ魔族を警戒しながら、戦争により国力の増したユン・ガソルとザフハを相手にしなければいけない事となるのである。

 特にユン・ガソルは、ザフハとラナハイム両国と同盟を結んでおり、ラナハイムが滅亡するよりも早く対メルキア戦線に参戦する事になれば、独力ではメルキア帝国に劣る三国がユン・ガソルを架け橋として連合し三方向から連携を取り攻め寄せて来る事が容易に想像できる。更には、三国同盟を相手にしつつ魔族の対処もしなければいけない。メルキアは、人間同士の戦い以外にも備えるべき戦があるのだ。

 その全てを考慮した時、ラナハイムが滅ぶ前にアンナローツェが滅亡してしまうことになれば、幾ら四元帥を有する大国メルキア帝国と言えども、存亡の淵に立たされることは想像に難くない。それが、ノイアスの行き着いた結論であった。

 だが、あくまでソレはアンナローツェがラナハイムよりも早く滅亡した場合である。現在はユン・ガソルが優勢であるが、それは今回に限った話である。戦と言うのは勝つ事もあれば負ける事もある。今回勝てたとしても、それが全てと言う訳では無い。それは、ユン・ガソルとアンナローツェの戦にも言える事であった。

 そして、現在は東領元帥とラナハイムの戦であるが、南領元帥であるオルファン・ザイルードの参戦の情報もノイアスは掴んでいた。メルキアの元帥の中でも、ヴァイスハイトとオルファンには特に深い繋がりがあった。かつての上司と部下。師と弟子。そして幼少の頃親を失ったヴァイスハイトにとっては育ての親とも言える。他の元帥たちには無い絆が二人にはあり、彼らが共闘した時の力は計り知れないだろう。幾ら精強なラナハイムとは言え、分の悪い戦いになる事は火を見るより明らかであった。

 にも拘らず、ノイアスはユン・ガソルには、ユイン・シルヴェストにはそれを成す事が出来ると確信していた。

 

「最初ハ裏切者ヘノ保険ノ心算デシタガ、トンダ掘リ出シモノデシタ。手元ニ置ク事コソ出来マセンデシタガ、ソウ言ウモノダト解ッテイレバ、ソレナラバソレデ使イヨウハアリマスシネ。幸イ、マダゆいん君モ完全デハナイヨウデスカラネ」

 

 ノイアスにとって、ユインが勝利する事は疑う事の無い決定事項だった。実力云々では無くそう言うモノ(・・・・・・)だと理解していた。物を投げれば何れ地に落ちる。ノイアスにとって、今のユインがまともに戦えば勝利収めると言う事は、そんな常識と同レベルであった。

 

「トハ言エ、今ハあんなろーつぇデスネェ。モウ暫ク時間ヲ稼イデモラワナケレバイケマセンネェ。トリアエズ貴方タチ……」

 

 故にノイアスは両国の戦に介入する。あくまで、ユイン・シルヴェストがまともに戦えば勝つと言うのが、、ノイアスの結論であった。ならば、まともに戦わせなければ良いのである。

 ノイアスの言葉と共に、何処からともなく一頭の竜と人間の様な形をした異形の魔物が無数に現れる。巨大な飛竜。以前、竜騎兵が討った飛竜とは比べ物にならない程の体躯を持った巨大な竜であった。飛竜と言うよりは、最早雷竜に近いが、その巨躯以上に異質な特徴があった。身体のいたるところが何かの結晶の様なものと融合しているのだ。それは、現在地である中原東部には存在していない種であった。あえて言うならば、闇竜だろうか。

 

「適当ニ殺シテキテクレマセンカ?」

 

 ノイアスの言葉に、闇竜は静かに頷く。その様は、主に仕える臣下のようであった。

 やがて竜が戦場に向かう為、空に舞い上がる。二つの国以外の思惑が、動き始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああああ!!」

 

 咆哮。膨れ上がった魔力を爆発させ、リ・アネスは己の剣にその命を託す。眼前には黒き死神。ユン・ガソルの竜騎兵を束ねる男。ユイン・シルヴェスト。右手に槍を、左手に魔剣を構え駆け抜ける。首元に淡く光る真紅。戦陣で風に揺られている。

 

「……」

 

 無言の圧力からの一撃。右手。黒の魔力が込められた槍。神速を以て、リ・アネスの視界に現れる。

 

「リ・アネス様!?」

 

 リ・アネスの纏う空色の鎧がはじけ飛ぶ。華奢な肩がむき出しになる。アンナローツェの兵士が声を荒げた。

 

「ぐ、問題ない。私の事は良い、それより皆は陣を整えろ!」

「しかし――」

 

 今にも二人の間に割って来そうな兵士をリ・アネスは制止する。が、尚も言葉を紡ごうとする兵士の耳に、

何かを弾く音が届いた。それが何か。兵士が理解する前に、突き刺さった。

 

「リ、アネス様……」

 

 それが、最後の言葉だった。何が起きたのか理解できない。そんな表情のまま兵士は崩れ落ちる。額、胸、腹。矢。兵士が視認するよりも早く放たれていた。そのまま崩れ落ちる兵士の喉に、槍が容赦なく突き刺さった。確実に命を奪っていた。

 

「っ、貴様ぁぁぁ!?」

 

 その光景に、リ・アネスは思わず声を荒げた。戦場で兵士が死ぬのは仕方ない。だが、自身を助けようとした兵士であった。幾ら冷静なリ・アネスとは言え、感情が僅かに動いてしまう。吹き荒れる怒り。魔力に姿を変え、リ・アネスの力となりその刃に宿り死神に襲い掛かる。

 

「戦場では弱き者から死ぬ。それが、道理だ」

 

 その刃を受け止め、ユインは告げる。それは、怒りに燃えるリ・アネスとは対照的な言葉であった。声音から一切の感情が窺い知れず、ある種の不気味さを感じさせる。

 

「だからと言って、目の前で部下が殺されて黙って居られるかッ」

 

 そんなユインの言葉に、リ・アネスは更に吼える。兵士たちは、自分を信じて戦ってくれた。そんな思いがあるからこそ、それはリ・アネスにとって譲れない事であった。リ・アネスの刃が更に魔力を纏う。想いが、リ・アネスを更に強くしていた。

 

「だろうな。だが」

 

 不意にユインが笑みを浮かべた。一瞬、リ・アネスに向いていた圧力が消える。同時に濃厚すぎる死の気配がリ・アネスを捕えた。全身に死が纏わりついて来るのが、リ・アネスにははっきりと感じられた。来る。何故かそう感じた。

 

「それは俺とて同じだ」

 

 瞬間、爆発した。

 リ・アネスの部下はユインに殺された。だが、ユインの部下である竜騎兵もまた、リ・アネスにその命を終わらされていた。リ・アネスが怒りを露わにしたように、ユインもまた、静かに怒りを募らせていたのである。竜騎兵はユインがユン・ガソルに来て一から鍛えた麾下であり。兵士一人一人が部下であり、大切な宝だと言えた。その麾下を殺されたのだ。戦をする以上仕方が無い事とは言え、その怒りは計り知れない。例えユインにとって失っても構わないものだったとしても、何も感じないわけでは無い。死に慣れているとしても、何も感じないわけでは無いのだ。

 例えるなら、先ほどまでは暴風の中にある僅かな目だった。つかの間の静寂。そしてその後に来る、本当の暴風。黒の魔力が戦場全体を包み込んだ。そのあまりの圧力に、一瞬、戦場の音が消える。そう錯覚してしまうほどの圧力が駆け抜ける。漆黒の中の真紅。その威を示すかのように強く輝いた。左手。魔剣を振り下ろす。

 

「あ……」

 

 ただ一撃。その一撃を以て、リ・アネスの持つ剣を打ち砕いていた。剣の破片が宙を舞う。目を見開くリ・アネスに向け、右手に持つ槍の一撃を以て、ユインは終焉を告げる。誰一人として動く事は叶わない。この瞬間、竜騎将の示す武威に戦場にいるすべての人間が圧倒されていた。ユン・ガソルの竜騎将。その存在が、戦場全体を震撼させていた。

 自らの将を救わなければならない。そう思っていても、アンナローツェの兵士たちは動く事が出来なかった。竜騎将の武威。それを直に感じてしまった。勝てる訳が無い。兵士たちが一様に抱いた印象だった。彼らの指揮官を圧倒するユインが、総崩れに陥った兵士たちを恐慌状態に陥らせるにはそれで充分であった。

 黒を纏った槍が、唸りをあげる。リ・アネスの心の臓。冷徹に打ち貫く為、容赦なく放たれる。

 

 ――ッ――ッ!?

 

 死ぬ。リ・アネスがそう思った時、戦場全体を包み込んでいた圧力を打払わんばかりの咆哮が響き渡る。天をも穿つ雷霆の如き怒声。いたずらな神の戯れか、ほんの一瞬だけ、黒を纏った槍がその軌跡をずらした。同時に戦場を包んでいた圧力が、刹那にも満たない間揺らいだ。どこか諦めていたリ・アネスの身体に覇気が戻り、全身に活力が生まれた。萎えていた心が震えあがり、反射的に体が動いていた。理屈では無く、ただ飛んでいた。マルギレッタの為にも、まだ死ねない。リ・アネスにあるのはその一念だけであった。その一念しかなかった為、九死に一生を得た。

 

「ぐぁぁぁ!?」

 

 心臓を穿つ筈の槍。その先端が心臓を突き破る事は無く、龍人の右腕を穿つだけに留まっていた。一瞬の攻防が終わり、即座にリ・アネスの下に配下の兵が集まっていく。だが、最早そんな事を気にしている時間はユインには無かった。見た事の無い竜。全身に結晶を纏った黒き竜が、ユン・ガソル本陣に向かい、襲い掛かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦場を襲ったのは、言い知れぬ不快な感覚だった。アンナローツェの指揮官である、龍人リ・アネスに止めを刺そうとしたところで、不意にそれは現れた。黒の鱗に身を包み、体のあちこちになにかの結晶を持つ竜。以前に討伐した雷竜よりもさらに大きな黒竜が、突如出現していた。黒竜がその姿を現す直前、全身をざらりとした悪感が奔った。それは、自分の持つものと同じか似て非なる力であった。敵将であるリ・アネスを討ち漏らしたが、そんな事に構っている時間は無かった。

 

「勝負は預ける」

 

 本陣を強襲した黒き竜。その存在は容認できるものでは無かった。全身が、そして自身の手にする騎帝の剣が告げていた。アレはまっとうな存在では無いと。

 

「リ・アネス様」

「うぁ……」

 

 アンナローツェ軍の兵士がリ・アネスを助け起こしていた。だが、意識を失っている。命こそ奪えなかったが、半ば腕を引き千切ったようなモノだった。その状態も当然と言える。

 

「く、くそ。総騎長がコレじゃ戦にならない。退くぞ!」

 

 アンナローツェは退くようであった。リ・アネスこそ討つ事は出来なかったが、それはアンナローツェに大打撃を与えたと言えるほどの戦果だった。その余韻に浸る暇も無く、馬首を返す。右手に持つ槍を水平に構え、左手に持つ魔剣。天に掲げた。

 

「集結」

 

 号令を出しそのまま駆ける。近くにいた麾下が声を上げ、やがて号令を出す麾下が音を鳴らす。同時に麾下全体に施している魔法の出力を上げ、合図を送る。後方にある本陣に向け走っているにも拘らず、即座に麾下が集まり、縦列に陣形を組んだ。そのまま一気に加速する。疾駆。竜騎兵の最大速度を以て、本陣に向かい駆け抜ける。

 

「しょ、将軍!」

 

 麾下を走らせて行く内に、此方に向かい一直線に駆けてくる騎馬に出会い合流した。部下の一人である、ダリエルだった。部下のリプティーとダリエルはアンナローツェとぶつかるさい、後方に下がりアンナローツェの側面を弓撃しつつ、本陣と合流する役目を与えていた。一度本陣に合流した後は、エルミナ様の指揮下に入って総攻撃を加える予定だった。だが、この場にいると言う事は

 

「伝令か?」

「は、はい。ユン・ガソル本陣に、見た事の無い黒い竜と同じく見た事の無い魔物に襲われ混乱、至急救援をと!」

「解った。このまま駆けるぞ、遅れるな」

「はい」

 

 ダリエルの拙い報告を受け、そのまま駆け抜ける。ダリエルが自ら伝令として来ていた。それは、波の兵士では到達できないと思える程度には敵が強いと言う事であった。強く槍を握る。不意に、手の甲に生ぬるいものが付いた。血であった。槍に付着していた血。敵軍のモノであった。無造作に振るい、散らした。この地は、戦場なのだ。ならば、自分のやる事は決まっている。

 

「ダリエル。これをつけろ」

「これは?」

「竜騎兵のみが付ける、魔法具。特別に貸してやる」

「あ……はい!」

 

 自身の首に付けていた真紅の布を外し、ダリエルに付けさせる。ダリエル一人だけ加護が無いのでは、足並が揃わないからだ。一度ダリエルがじっと魔布を見た後、首に巻いた。

 

「将軍、コレを」

 

 控えていたカイアスがそう言い、一枚の魔布を渡してきた。血の染み込んだ、魔布。今回の戦で死んだ麾下の付けていたものだった。

 

「すまない」

 

 一言詫び、身に付ける。魔剣、掲げた。

 

「原野を駆ける我らが意思に、竜を破る峻烈なる加護を」

 

 言葉を紡ぎ、魔を解き放つ。薄れていた真紅が再び淡い光を灯す。

 

「凄い……」

 

 ダリエルがそれだけ呟いた。

 

「行くぞ、分を弁えぬ愚か者を討ち滅ぼす」

「応!」  

 

 気炎を上げた。目の前には、黒き竜が空を駆けている。そして、地上には人が溶けた様な奇妙な風貌をした魔物が本陣全体に攻勢を仕掛けていた。数こそそれほど多くは無いが、双方ともに相対した事の無い敵であった。その所為か、兵士たちは及び腰であるように思えた。

 

「ちっ、鬱陶しい奴らだ。全軍、隊列を組み直せ、敵は少数だ。個々で当たる必要はない」

「ベアトリクス将軍」

 

 応戦していたベアトリクス将軍を見つけた。数体の魔物を切り伏せつつ、指揮を執る様は歴戦の将と言った風格を感じさせる。そんなベアトリクス将軍の姿に後押しされてか、兵士たちも少しずつ敵を押し返していく。

 

「ユインか。此処は大丈夫だ、それよりエルミナ様を頼む。敵の大将に執拗に狙われているせいで、リプティーを引き連れ、自ら囮になられた!」

「承知。カイアス!」

「ここに」

「半数をもって、全軍の鎮静化に当たれ。俺はダリエルを伴い、エルミナ様を助ける」

「はっ」

 

 ベアトリクス将軍の言葉を聞き、隊を二つに分ける。エルミナ様の救出も大事だが、全軍の鎮静化も必要だった。後者はカイアスに任せれば大丈夫だろう。だからこそ、自身は救援に向かう。

 

「将軍。リプティーは、エルミナ様は大丈夫……でしょうか?」

「むざむざ死なせはせん。ソレにエルミナ様はもとより、リプティーとて、簡単に死ぬほど軟では無い。部下は死なない様に鍛えてきた」

「ッ……はい」

 

 僅かに不安そうなダリエルの問いに、答える。戦場は人が死ぬものだ。それは避けられない。ならばこそ、少しでも死なないようにするのが調練である。竜騎兵を筆頭に、部下であるダリエルやリプティー、その配下たちにはそう言う調練を施してきた。その成果が試される時だった。

 

「く、大丈夫ですか、リプティー。貴女は初陣なのです、無理しないで下さい」

「だ、大丈夫ですエルミナ様。無理はしていません。でも、もう殆ど矢が尽きてしまいました……」

「そうですか……。すこし、不味いですね」

 

 やがて、そんな声が聞こえてきた。視線の先、エルミナ様とリプティーを中心に、少数の兵士が円陣を組み、黒龍に備えつつ、襲い来る魔物に応戦していた。何度目かの防戦を終え、少しばかり軍装の乱れはあるが、無事のように思える。とは言え、未だ敵に囲まれているようで、油断はできない。

 

「この音は……」

「え、あ、お姉ちゃん!?」

「危ない、リプティー!」

 

 戦場に響く馬蹄。その音にいち早く気付いたエルミナ様が、此方に視線を向けた。次いで、リプティーが振り向く。ダリエルと目が合ったのか、驚いたように声を上げた。僅かに、戦場で隙を晒していた。リプティーに向け、一体の魔物がその牙をもって襲い掛かる。ソレに気付いたダリエルが、声を荒げた。慌てて弓を構えるが、遅い。

 

「これ以上、部下を死なせはせんよ」

 

 右手に持つ槍、投擲していた。寸分狂わず魔物の頭部を穿ち、その命を冥界へと送る。既に、数名の竜騎兵を失っていた。それ故、これ以上死なせるつもりはない。

 

「矢が無くなったのならば、剣を抜け。その調練ばかり、施したはずだ」

「あ……、将軍」

 

 漸く合流し、半泣きになっているリプティーに告げる。

 

「来て、くれたんですね」

「来ない理由がありません。話はあとです。まずは、アレを落とします」

 

 エルミナ様の言葉に軍令で応え、空を駆る黒竜に視線を向ける。黒竜は此方を襲う気を窺っているのか、庭球を旋回し、此方に視線を定めていた。

 

「魔導銃」

「此方に」

 

 麾下の一人から魔導銃を受け取る。照準を定めた。間を見計らい……放つ。

 

「――!?」

 

 黒竜の上あごを掠める。怒号が鳴り響いた。半端に痛めつけた竜が怒り狂ったのだろう。笑みを浮かべる。都合がよかった。騎帝の剣を右手に持ち、白亜の魔剣を左手に構えた。そのまま、白夜と気を混じり合わせ、昇華させる。二つの力が重なり、より大きな力になるのが解った。もう一度両手に持つ剣を強く握った。

 

「ダリエル。黒竜の翼、狙えるか?」

 

 俺に狙いを定めた黒竜を見据え、昇華した闘気を維持し、黒竜を牽制したままダリエルに尋ねた。首に巻かれた真紅の布が、強い光を放っていた。

 

「落とせます」

 

 目を見てそう言った。自信があるのだろう。それが良く解った。ならば、やらせるのも悪くは無い。

 

「そうか。良い返事だ。ならば、頼もう」

「……はい!」

 

 深く深呼吸した後、ダリエルは大きく頷いた。その瞳からは、僅かに緊張の色が窺える。まだまだ成長途上であり、その様子も致し方ない。一言掛けておいた。

 

「別に外しても構わん。やる事が一つ増えるだけだからな」

「ぐ、将軍、もう少し言葉は選んでください!」

「ふん、それだけ威勢がいいなら上出来だろう」

 

 すると、何時ものように眉を吊り上げ文句を言って来た。それに薄い笑いで答える。肩の力が幾分か取れたように感じた。ならば、何とかなるだろう。

 

「将軍、私たちはどうしましょう?」

「これまで戦ったのだろう。少し休むと良い」

「けど……」

 

 姉が重要な役割を与えられたのに、自身は見ているだけと言うのに耐えかねたのか、リプティーが食い下がる。初陣にしては十分に戦った。これ以上何かを求めるのは、酷と言うものなのだが、本人が納得できないようだ。

 

「リプティー、貴方は初陣でした。にも拘らず、私を守り通してくれましたね。それは、とてもすごい事なんですよ」

「そう、なんですか?」

「はい。ですから、今度はダリエルに見せ場を譲ってあげるべきですよ」

「わかりました」

 

 エルミナ様の言葉に、リプティーは素直に頷いた。エルミナ様の言う通り、初陣にして総大将を危機から守り通したと言うのは、充分すぎる戦果と言えた。そもそもこのような状況になること自体がおかしいので、それを差し引いてリプティー単体の軍功だけを見れば、初陣とは思えないものと言えた。

 

「エルミナ様。最後はお任せします」

「解りました」

 

 最後の締めを、エルミナ様に託す。

 

「では、アレを落とす。ダリエル、任せるぞ」

「はい!」

 

 威勢の良い返事が聞こえた。その声音に思わず笑みが零れる。己の部下もまた、少しずつ育ってきている事を実感する。こうして次代を担う将が育っていくのだと思うと、どこか嬉しく思えた。

 

「良いモノだな」

 

 声にもならない呟き。自然と零れていた。前を見据える、黒竜が、その牙をもって俺を穿とうと隙を窺っていた。是非も無し。心地の良い殺意に身を任せ、笑みを浮かべた。腿を使い、ゆっくりと白夜に我が意を伝える。昇華された闘気がそれ以上に精錬され、新たな高みに至る。両の手に持つ魔剣、気と魔力を纏った。そのまま加速していく。牽制していた気を解き放った。

 

「――、――!!」

 

 咆哮と共に、黒き竜が飛来する。大きく弧を描き此方の正面から襲い掛かるように空を駆け抜けている。戦場を震撼させた雄叫びが、ただ俺だけに向かって放たれる。その衝撃に対し、新たな境地に達した闘気をもって、迎え撃つ。身体が熱を発していた。それが心地よい。愛馬である白夜の熱もまた熱く、心が重なっている事が理解できた。敵を討つ。二つの心が重なっていた。

 

「我らが戦を汚した罪、その身で贖え」

 

 疾駆。唯、全速を持って正面を見据え駆け抜ける。我が道を阻むものは、斬り伏せるだけであった。強く両の剣を握り、その瞬間を待つ。背後から、風を切る音が聞こえた。部下の放った全身全霊の一撃。想像していたよりも遥かに強い魔力の込められた一撃。それが黒竜の翼を穿った。翼も傷つけられた事で、がくりと黒竜の体が傾いた。それは、相対する者として、見過ごす事の出来ない隙であった。

 

「墜ちろ」

 

 大きく傾いた半身。その致命的な隙に向かい、両の剣を振り抜いた。魔力と闘気により強化された斬撃。それをもって黒竜の片腕と片翼を切り飛ばしていた。刹那の交錯の後、完全に飛行能力を欠いた黒竜が地に墜ちる。

 

「今です!」

 

 エルミナ様の号令が上がる。傍で控えていた竜騎兵。その竜をも滅ぼす牙をもって、黒竜の体を蹂躙した。血風が舞い上がり、断末魔が上がった。黒竜が地に墜ち、襲撃者の総大将は討ち果たすことに成功していた。

 

「本陣を強襲してきた黒竜は、竜騎兵が打倒しました!! 皆、意気を上げなさい!!」

 

 そして気勢が上がった。黒竜が討たれたことにより士気が上がり、指揮系統も殆ど回復してきており、各所で猛威を振るっていた魔物が全滅するまでそれ程時はかからなかった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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24話 将帥

「行けるか、ギルク」

 

 かつて、ルモルーネ公国の首都であった地、フォミアル。今はラナハイム王国に占領された豊穣の地に攻め込んだヴァイスハイトは、傍らに立つ隻眼の偉丈夫に声をかけた。大剣を担ぎ、戦場を鋭く見据えている男の名は、ギルク・セクリオン。既に滅亡したルモルーネではあるが、まだ国が存在していた時にだした要請を受けたヴァイスハイト率いるメルキア軍が、コーラリム山道にてラクリール率いるラナハイムと交戦した後に仕官してきた男であった。

 ギルクはコーラリム山道にある小さな村で過ごしていた男であった。だが、隻眼であり、その鍛え上げられた肉体からも彼が並の使い手ではないことがヴァイスハイトには直ぐにわかった。実際に兵士たちと戦わせたとき、その力に驚嘆した。歴戦のメルキア兵が赤児のごとくあしらわれたからだ。その実力を直に見たヴァイスハイトがギルクを将として迎えるのは当然の成り行きと言えた。

 

 

「ああ、元帥殿。敵の大将クライス・リル・ラナハイムも出てきているという。あの男の相手は俺に任せてくれ」

「ああ、頼りにしている。だが、無理はするなよ。あの男もまた、尋常ならざる強さを秘めている」

 

 ラナハイムの王、クライス・リル・ラナハイムがフォミアルを守っていた。近衛兵のラクリールも相当な力を有していたのだが、クライスの力はその比ではなく絶大の一言に尽きる。雷の魔法を用いるラクリールの印象を稲妻と例えるなら、氷魔法を操り戦場に立つクライスは宛ら吹雪であった。戦場全体を凍らせる。それほどの魔法の使い手だった。

 

「しかし元帥殿。それほどの相手ならば全力で攻めかかるのもわかるのだが、守りが手薄過ぎないだろうか?」

 

 ギルクの口から出たのは、それほどの相手と戦うからこそ出た疑問だった。コーラリム山道への道は大きく二つ存在し、一方は現在地フォミアル。もう一方は敵であるラナハイムが治める魔法街フリムだった。にも関わらずコーラリム山道に駐屯している兵は少なく、フリムから出兵されれば到底守りきることができそうにない。敵が強いのはわかるが、守りを軽視しすぎていないか。ギルクはそう告げているのである。

 

「ああ、その点に関しては抜かりない」

 

 それにヴァイスハイトは笑みをもって答えた。その表情は自信に満ちており、コーラリム山道については何の心配もしていないことが伺える。

 

「と言うと、何か策が?」

「まぁ、そんなところだ。フリムの兵はこちらに向けては一切動けないだろう。そんな暇がなくなる。俺以上の強敵の動きによって、な」

「なるほど、そういう事か。ならば、後顧の憂いはないというわけだ」

 

 ヴァイスハイトの言葉にギルクは頷いた。メルキア南領元帥の出陣。それが既に決定していた。ヴァイスハイトが軍を進めると同時に、魔法街フリムの直ぐ北西に位置し、メルキア南領との境にあるソミル前線基地に攻め込む手はずがされており、既にオルファンの軍が動いたという報告も受けていた。メルキアの宰相が本腰を入れて攻めてくる。その力は絶大で、主力の欠けるラナハイムの前線基地程度の兵力では防ぎようがないと言えた。前線基地が落とされればフリムまで目と鼻の先である。悠長にコーラリム山道を攻めている暇などないというわけであった。

 

「ねぇ、王様。ギルクと何話しているの?」

「ああ、コロナか。この戦いが勝てるようにギルクと話してたんだ」

 

 そんな二人の会話に入ってきたのは、白の少女だった。名を、コロナ・フリジーニ。戦場などにはとても似つかわしくない、年端もいかない女の子である。ヴァイスハイトとギルクの傍らに立ち小首を傾げる様は、戦場には不釣り合いであった。

 

「そっか、でも大丈夫。王様もギルクも私が守るから」

 

 ヴァイスハイトの言葉を聞き、コロナは小さな両腕をグッと握り言った。本人としては力強く言ったつもりなのだろうか、ギルクとヴァイスハイトからしてみれば、ただ微笑ましいだけである。二人の顔に自然と笑みが浮かんでいた。

 

「くく、コロナに守ってもらうようじゃ元帥として駄目だからな。この戦、勝とうか」

「全くだ。元帥殿、先陣は任せてくれ」

「ああ、期待している」

 

 二人は意気を上げた。この無垢な少女に守られるようでは男が廃る。二人の目にはそんな意志秘められていた。

 

「わたし、ヘンな事言った?」

「いや、そんな事はないさ」

 

 急に意気の上がった二人にコロナは不思議そうに聞く。それにヴァイスハイトは小さく笑みで答えると、コロナの頭を一撫でする。撫でられたことで気持ち良さそうに目を細めながらも、コロナはヴァイスハイトとギルクを不思議そうな目で見つめているのであった。

 

 

 

 

 

 

 

「被害の程度は?」

 

 イウス街道での戦はユン・ガソル軍の勝利で終わり、要所に築かれた砦に入場し一息吐いたところで、カイアスに尋ねた。

 

「死者四名。重軽傷者が十六名、内二人は今夜が峠です。従軍している衛生兵たちでは手の施しようが無いようです」

「そうか」

 

 カイアスが淡々と報告していく。首元に巻きつけた真紅の魔布を取り外し、戦場に散った部下の事に思いを馳せる。自身が一から鍛え上げた部下であった。容赦無く鍛え上げ、死ぬと思わせるような調練を何度も施してきた。その度に期待に応えてきた者達であった。強くなったと思っていた。実際、戦場では圧倒的な力を見せつける事に成功した。それでも今日、何名か死んだ。戦ではそれが仕方が無いとはいえ、思わずにはいられなかった。弱かったから死んだのだ、と。血の付いた魔布を手にしたまま、強く握りしめた。

 

「全軍の状況は?」

「死傷者合わせて五百と言った所でしょうか。死者だけで言うならば、正確ではありませんが三百程度かと思われます。黒竜との戦いの所為で、思った以上に余分な被害が出たようです」

「そうか。だが、全軍では七千程の兵力だったな。ならば、まずまずの戦果と言える」

 

 カイアスの言葉に唯頷く。損害は一割にも満たなかった。

 アレが無ければなどと仮定したところで意味など無い。既に戦は起ってしまっている。ならば、将としては事実だけを見据えるべきである。

 

「やはり、行かれますか?」

「ああ。それが私だからな」

 

 静かに尋ねてくるカイアスにそれだけ答える。腰に携える騎帝の剣。その柄を強く握りしめ、立ち上がる。

 

「魔布は?」

「二人とも離す事は無く身に付けているようです」

「そうか」

 

 質問に答えるカイアスの顔を見ず、ゆっくりと歩を進める。向かうべき場所は重傷を負ったと言う麾下が寝かされている部屋であった。将軍として負傷兵を訪う。それが自分の成すべき事であった。

 

「あ、将軍」

「先程は、ありがとうございました」

 

 カイアスに先導され、救護室に向かう途中でダリエルとリプティーの姉妹に出会った。此方を見つけたダリエルが小さく駆けて来ると、その後をついて来たリプティーが俺達を見ると礼を言った。先程とは、黒竜を討った時の話だろう。

 

「礼など必要ない。戦場で部下と共に戦った。それだけなのだからな」

 

 礼を言うリプティーにそれだけ返す。戦場での貸し借りなど一々考えていたらきりが無い。誰しも命を失う可能性があるのだから、そんな事は気にするべきでは無い。皆が力を尽くした。それで良いのだ。

 

「それでも、私は将軍とお姉ちゃんに助けて貰いました。だから、ありがとうございます、です」

 

 そう思うのだがリプティーは俺の言葉に納得できないようで、じっと目を見たあと頭を下げた。

 

「そう思いたいと言うのなら、それで構わん」

 

 とは言え、別にその思いを強要する気も無い。本人が思いたいのならば、それはそれで良い。

 

「将軍」

「なんだ?」

 

 そこで会話が終わり、一瞥した後歩を進めようとしたところで、唐突にダリエルが声を上げた。

 

「……あたし、将軍の事誤解していました」

「何?」

 

 ダリエルの口から出たのは、思いもよらない言葉であった。思わず目を見開いた。

 

「将軍言いましたよね。部下は死なないよう鍛えて来たって」

「ああ、言ったな」

 

 それは、黒竜と戦う直前の言葉だったと思う。

 

「将軍の調練は命がけの事なんかも普通に要求してきました。他のユン・ガソルの将軍と比べても厳しすぎるものでした。だから、将軍はユン・ガソルに憎悪を向けているのだと思ってました」

「そうか」

 

 ダリエルの言葉にただ頷く。ダリエルはユン・ガソルの貴族の生まれである。ならば元メルキアである俺への偏見も大きかったのだろう。ならば俺の下へ配属される前から色々な噂を聞いても不思議では無い。その結果、俺への不信が強くなった。それが初対面の時からの敵意の理由だろうか。更には実際に厳しい調練を施す俺を見た事で、その思いが強くなったと言う事だろう。

 

「けど、違いました。将軍が厳しい調練を施すのは、部下が死なない為だって言うのが解ったんです。あの状況で言われて、初めて解りました」

「お姉ちゃん……」

 

 ダリエルの言葉に、リプティーが驚いたように零した。思い返してみればリプティーの方は逆に親しみをもって接してきた気がする。それはなぜなのだろうか。

 

「ダリエル」

「はい」

「俺はそこまで出来た人間では無い。弱いから強さを求める。自身が強さを求めるからこそ、部下にも強く在る事を望む。それだけだ」

 

 考えても解らない。今解っている事は、ダリエルが思い違いをしていると言う事だった。自分はそれほどできた人間では無い。

 

「そうだとしても、将軍は優しいんです。優しいから、死なないように厳しく当たる。それが解りました」

「……、お前に言葉で言っても解りはしないのだろうな」 

 

 そう伝えたつもりなのだが、上手く伝わらなかった。何を言おうとも考えを変える様子の無いダリエルに、思わずため息が零れた。はねっかえりからの印象が良くなっただけであり、別に矯正する必要も無いのだが、何か気に入らなかった。

 

「お前は私の事が優しいと言ったな。ならばダリエルはついて来ると良い。今から重傷者の下へ向かう」

「はい!」

 

 だから、見せる事にした。本来は副官であるカイアスのみが立会い行うつもりだったこと。それにダリエルも伴う事にした。本来は見せる事などしない、ソレ。特別とは言え、一度は騎帝の剣の加護を受けたダリエルならば、見せる事は可能だった。

 

「あの、将軍。私も良いですか?」

「いや、リプティーは無理だ」

「え? どうしてですか?」

「今より行うのは、ある種の儀式だ。資格が無い」

 

 断られるとは思っていなかったのだろう。思わず身を乗り出してくるリプティーに苦笑する。こればかりは、仕方が無い事だった。何よりも、見ていて気持ちの良い事では無い。見ないで済みならば、見ない方が良い事だった。

 

「竜騎兵の魔布。それを使った事が無いだろう」

「真紅の布ですか?」

「ああ。先の戦いで、不本意位だがダリエルには付けさせた。だからこそ、伴う」

「そう、ですか。解りました……」

 

 理由を話すと、納得したのか引き下がった。

 

「ダリエル、魔布は持っているな」

「あ、はい。ちゃんと持ってます」

「ならば終わった後に返して貰うぞ。ついて来い」

「はい」

 

 そのままダリエルを伴い進む。向かう先は、死の淵より戻る事の出来ない部下の下であった。

 

 

 

 

 

 

 

「ッ!?」

 

 部屋に入るなり、濃厚無しの気配を感じ取った。鼻孔をくすぐる血の匂いに驚いたのか、ダリエルが息を呑んでいるが、無視して歩を進める。

 

「ユイン将軍」

「事前に許可は貰っている。お前は下がると良い」

 

 傷付いた部下を癒そうと懸命に処置を続ける衛生兵に向かい告げた。俺を見ると賢明な表情が崩れ去り、瞬く間に悲しみに染まっていく。これから何が行われるのか理解したのだろう。肩を落とし俯いたまま、部屋から出ていくのが解った。

 

「これから、何を?」

 

 ダリエルの言葉を無視して、寝台に寝かされている二人の麾下の下へ進む。いたるところに大小様々な傷を受け、自分の左腕の様に肉体が欠けている場所も見受けられる。一目で二人が助からないと言う事が解った。例え王都であったとしても救えない程の損傷。二人の部下たちは、それを確かに負っていた。

 

「うぁ……」

 

 傍らに立ったダリエルが思わず呻き声を零す。言葉が出ないのだろう。先ほど初陣が終わったばかりの小娘である。その反応も致し方が無い。

 

「お前は見ているだけで良い。その代り、全て見ていろ」

 

 そんなダリエルの肩に手を置くと、それだけ告げた。こちらを見るが未だに声を出せないのか、ダリエルは何度もこくこくと頷いた。その様子を見ると、今からやる事を見せるのは時期尚早だったのだろうと実感する。だが、将帥となるのならば見ておくべき事でもある。ユン・ガソルの次代の将ならば、尚更だ。我ながら、酷な事をする。

 

「これまで、良く戦ってくれたな」

 

 そのままダリエルから意識を外し、麾下の右手を取りそう告げた。触れたところから、熱が少しずつ失っていくのが解った。命が零れ落ち、共に戦場を駆け抜けた麾下が死のうとしているのを嫌と言うほど実感する。終わり逝く生に、自身の何かが動くのが解った。だが、それだけなのだ。

 

「お前が死ぬのは、お前が弱かったからだ」

 

 目を見て告げる。果たしてその目は俺を映しているのだろうか。光を失って良く瞳を見ると、そんな事を思う。友に駆け抜けた仲間が死のうとしている。それだけなのだ。

 

「ああ、恨んでくれて構わん」

 

 麾下の手が、一度だけ強く握られた。力の無かった瞳が、一瞬だけ強く睨め付ける。その目が何かを伝えていた。

 

「お前が弱かったのは、俺が弱かったからだ」

 

 こちらを見る麾下に告げる。それは事実だった。俺が弱いから、麾下達を死なないようにできなかった。それは、俺の強さが足りなかったからだと言える。強ければ、失う事など無いのだ。

 

「……」

 

 だから恨んでくれて構わない。そう告げようとしたところで、麾下が小さく頭を振った。そのまま俺の手を強く握り。左手に握っていた紅の魔布を此方に差し出してくる。

 

「……将軍……共……」

 

 殆ど聞き取れない言葉にすらなっていない声。にも拘らず、何と言ってるのかはっきりと解った。小さく頷いた。良い麾下を持った。心底そう思う。

 

「お前の想いは受け止めた。お前の力、我らと共に」

 

 だからこそ手を強く握り、そう告げる。気のせいか、麾下が笑った気がした。受け取った魔布をこの手で付け直す。穏やかな顔を見据え、左手で騎帝の剣を抜き放つ。

 

「将、軍?」

 

 ダリエルがなんとかそれだけ零した。それを無視し、魔力を込める。

 

「原野を駆ける我らが意思に、竜をも破る峻烈なる加護を」

 

 騎帝の剣を用いる魔法。解き放った。麾下の首元で、真紅の魔布が淡い光を放っている。すまない。心の中で告げる。一度、右手で強く麾下の手を握った。気のせいか、握り返された気がした。そのまま、一息に騎帝の剣を麾下の心臓に向け、突き刺した。一度大きく痙攣し、やがてその震えも消える。同時に命の灯が潰えた事も解った。

 

「お前の力、我らと共に在る」

 

 鮮血が頬に付着する。ソレを拭う事無く、もう一人の麾下に近付いていく。左手に持つ騎帝の剣。その力を増していた。騎帝の剣で用いる魔法。過去に原野を駆けた者達の力を借りる事で強くなる魔法であった。今し方我が手で死を迎えた麾下もまた、我らが礎になったと言う事だった。力を増した魔剣が、より魔布を輝かせる。文字通り命の輝きだった。それは、何よりも尊い輝きであった。

 

「……将軍の力は、こうやって得るものなんですか?」

「そうだ。我が力は、死した部下たちに力を借りる事で成り立つ」

 

 ダリエルが俺の前に立ちふさがり言った。小さく震えている。それに唯、答える。びくりとダリエルの方が揺れた。

 

「ッ!? こんな力……!」

 

 持たせていた魔布。地に叩きつけられていた。自身が体感した加護が、人の死によって成り立っていたと言う事実に許容量が超えたのだろう。憤る感情のまま、俺の胸元に掴みかかる。指揮官用の外套を握り締め、全力で引き寄せられる。ダリエルの憤りは理解できた。だから、抵抗はせず為されるがままされる。

 

「信じたのに! 折角、信じられたのに……。どうして!?」

「人は弱いから力を求める。強くなることを望む」

「だからってこんなの、こんなの認められる訳が」

 

 感情的に叫ぶダリエルの言葉に淡々と答えていく。人は弱いから失う。弱いから傷を負う。弱いから壊れる。弱いから負ける。そして、弱いから強くなりたいと願う。

 中には強い人間もいるだろう。我が王の様に揺るがない人間も。だが、大多数の人間は弱いのだ。それほど強くはなれない。全ての人間は、それほどまでに強くは無いのだ。故に、強くなることを望む。例えそれがまっとうな力では無いとしても。

 

「ダリエル、貴様」

「いや、構わん」

「しかし将軍の力は……」

「構わん、と言った」

 

 上官に対するあまりの行動に、カイアスが割って入ろうとするのを制する。そもそもダリエルは間違った事をしている訳では無い。そしてこうなると解っていて連れてきた。だから現状で良いと言える。殴られると言うのなら、それはそれで悪くは無い。普段から散々に殴り飛ばしてきた。

 

「まって……、ください」

 

 それは、息も絶え絶えな声だった。もう一人の麾下。死に逝こうとしている麾下が零していた。思わず目を見開く。話せる等とは思わなかった。

 

「うぁっ!?」

「良い、喋るな」

 

 掴みかかって着たダリエルを乱暴に押しのけると、その傍らに立ち手を握った。死を待つしかできないはずの部下。それが最後とは言え話す事が出来る。気付けば体が動いていた。

 

「すまない。俺はまたお前たちを死なせてしまう。それは、俺が弱いからだ」

 

 許せなかった。竜騎将等と言われようが自分の部下すら守れない程に弱かったから。

 自身がまだメルキアにおりユン・ガソル相手に敗走した際にも多くの部下を失っていた。戦場を駆け抜ける限り、それは致し方なきことである。将が弱いから、兵は死ぬ。だからこそ、弱い自分を許す訳には行かない。俺が強ければ、失う事は無いのだから。

 

「それは、違います」

 

 そんな俺の言葉を、麾下は小さく首を振り否定した。そのまま、全身から力を振り絞るように言葉を紡ぐ。

 

「私が死ぬのは……、私が弱いからです。それ、だけなのです。将軍が、我らが竜騎将が弱いなどと……、そんなことは……有り得ません……」

 

 死の淵に立つ男が、俺の手を強く握り返し力強く言った。

 

「ダリエル、様。将軍が我等を殺すのは、苦しみを減らすため……。我らの力を得るのは、生き残った者を守るため……。その手で自ら殺すのは、共に駆けた者を忘れないため、そしてなにより、将軍の力は、その手を汚さなくとも一緒なのです。どんな要因であろうとも、騎兵が死すればよいのです」

 

 気付けば傍らに立っていたダリエルに向け、麾下は告げる。騎帝の剣。それは、過去に原野を駆け抜けた者達の力を借りる剣だった。死した騎兵全ての力を借りる剣なのだ。その力に、死の要因は関係しない。だが、それでも自身が弱かったから部下は死ぬ。そう戒める為に、死を避けられぬ部下が出来た時、自身の手で命を終わらせていた。

 

「これは……、我らが、望んだことでもあります。死してなお、将軍と共に駆け抜ける。それが、竜騎将の麾下であり、竜騎兵たる我らが……願い。そして戦場で死ねぬと言うのならば、せめて我が長の手で……」

「そんな」

「理解しろとは言いません。ですが、それが竜騎兵なのです。気付けばユイン・シルヴェストと言う男に魅せられた、馬鹿の集まりなのです……」

「……」

「我らが命、竜騎将と共に。将軍、お願いします」

 

 麾下はダリエルに言い聞かせるように言うと、此方を見た。静かに頷く。自身の部下もまた、強く在り気高かった。ならば、その長たる自身が、部下に見合う強さを見せない訳には行かない。我が『誇り』に賭けて、無様な姿など見せる訳には行かないのだ。

 

「その命、貰い受ける」

「はい」

 

 短く告げた。それ以上語る言葉は必要なかった。魔剣。魔力を込める。

 

「原野を駆ける我らが意思に、竜をも破る峻烈なる加護を」

 

 首元の真紅。淡く煌めいた。一度強き部下の目を見た。麾下が小さく頷く。また会おう。そう言う思いを込め、頷く。別れであった。

 

「先に待っていてくれ」

 

 鮮血が舞った。それで、終わりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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