mistel(ミスティル) (ぽむぽむ)
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1話

初めまして。ぽむぽむと申します。
今回、初めての小説投稿となります。
このmistel(ミスティル)という作品は簡単に申しますと、身寄りのない兄弟に大切な家族が出来るお話です。
ただその一言では語りつくせない深みの作品になっているのではと自分では思っています。
次々と読み進めたくなるような物語を、何度でも読み返せるような熱さをそう思って書き上げました。
ですが、これは私の主観の話。ここから先は皆さんの目と心で感じてもらいたいと思います。
長い物語になってしまいましたが、どうかお付き合いください。
では、また後書きでお会いできることを楽しみにしております。


 

序章   喫茶『戸陰』

世界有数の大国『メルマリア』その城下町の一角にある茶屋『戸陰』。ひっそり、こじんまりとした資材がむき出しの木造の家屋。出入り口の脇には赤い布のかけられた長椅子が一つ。店主が商品を作るのであろう空間は、大きく開かれた窓を通して外から丸見えになっている。そこは厨房と呼ぶにはあまりに狭く、通りすがりの視線ですらその全貌を捉えられる広さをしている。しかし、それも茶屋としては一般的でノーマルで実に当たり前の景色であり特色ではない。そんなどこにでもある外観を持つ茶屋『戸陰』はそれでもこの国『メルマリア』では言わずと知れた有名店である。

有名店『戸陰』の店内には今日も心底惚れ込んだ一人の常連客の姿があった。

「・・・うん、ま―――――――――――――――っ!」

 『戸陰』のその慎ましい広さの店内を押し広げんとする大声がお昼のピークを乗り越えた午後二時一五分、城下町に響き渡った。その声は叩き付けられるように発せられ乱暴な言葉遣いではあったが、活気に溢れお昼を済ましたばかりの満席の胃袋にすら一席空けたくなってしまう何かがあった。

「ホン、マにうまいわ〰〰〰。やっぱおっちゃんの作る団子は世界一やで!」

「俺の団子を褒めてくれるのは大変嬉しいんだけどよ。もうちっと静かに出来ねえのか?」

 『戸陰』の店主は、『このままでは近所迷惑だと訴えられかねない』と大音量で商品宣伝を流すスピーカーの元へ、音量を下げるべくと厨房から出てきた。

『戸陰』の店内には四人座りの卓が二つに一人席が四つで一二人分の席が用意されている。大した席数ではないが、それでも満席になれば客の背中同士がくっつきそうになるほどの密度の高さとなる。そんな店内の奥の卓にスピーカーは居た。

 うなじが見えるほどのショートの明るい金髪の人間の女。年は一八、背は一五〇㎝と少し、凹凸の少ない細いボディーラインをしている。

「ふぅ・・・。それは無理な相談やな。」

 店主に声をかけられた女は嘆息しながら振り返る。パーツが非常に大きく力強さのある顔の女は椅子の上に立ち声高らかに謳う。

「このラウラ・ラーゲルベック、『戸陰』への思いをこの胸に押し留めることなど、たとえ世界が滅びようとも、絶対に出来まへん!」

 椅子の上で満足げな表情のラウラ・ラーゲルベックはさながら大観衆を前に渾身の一曲を歌い上げた歌手のようだった。きっと彼女の脳内では鳴りやまない大歓声が反響し続けていることだろう。

「・・・おい、ラウラ。・・・・ラウラ!」

「・・・・・・・・・ん、ん?何?」

 スポットライトに照らされたスターダムから帰ってきたラウラを出迎えたのは、受け止めきれないファンの愛ではなく鬼の形相をした『戸陰』の店主だった。

「その愛してやまない『戸陰』へのツケは、今日こそ支払われるんだろうよな?」

「げっ!・・・・・・・」

「これまでの分、締めて一〇万ナクロだ。きちーっと耳揃えて払ってもらおうか?」

「・・・・・・・。」

 眼前に突き出された伝票と言う名の証拠物品を前に数秒の沈黙が生まれる。数秒の間ラウラの視線は紙に記された文字や数字をなぞり書くように見つめていた。しかしこれは、決して証拠物品が持つその能力の確認がされているわけでも潮時を迎えたかと腹をくくっているわけでもなかった。

「ごめんなさい!ツケでお願いします!」

 立っていた椅子の上から飛び降りるままに土下座、地面に額を擦り付ける女の姿がそこにあった。世間一般ではあってはならないようなことだが、こんなもの店主にとってはすでに見慣れた光景である。というのも、一年も前から積もり積もっての一〇万ナクロだ。今店主の網膜に映っている光景も一体何度目のものだか数えられたものでない。

「はぁ、いい加減アルヴァに報告しねえとな。」

「そ、それだけは!それだけは堪忍して~!」

 背を向けた店主の腰にはしがみつき泣きじゃくる女。店の外では大勢の人たちが足を止め店内へと視線を送っていた。

「はぁー。」

大きく嘆息をついた店主はふと店の外を向く。

「キャー!」

店主の視線を受けるや否や全速力で逃げ出す通行人たちに、店主の心はぽっきりと音が聞こえるほどにくじかれた。

 

「・・・おっちゃん、草団子もう一個ー!」

「あのな、ラウラ。さっきまでの代金はツケにしとくとは言ったがな、追加で食っていいとは一言も言ってないぞ。」

「まあまあ、細かいこと気にせんと。せっかくのおいしい団子も価値が下がってまうで。」

 口いっぱいに団子を頬張ったラウラは幸せいっぱいの笑みを浮かべていた。

「そういうことは価値に見合った金銭を納めてから言えよ。」

「・・・。」

「おい!顔背けるな!」

「・・・・・それにしてもお客さん全然来えへんな。」

「無視するな。」

「でもやで、お客さん居てへんのはホンマやし、どないかせないかんのと違う?」

 店内にはラウラの他には客は一人も居なかった。昼下がりミセスたちがスイーツを求めて集まっていてもおかしくない時間帯。外を見れば多くの人が店内を覗きこみ歩みを遅めはするが、その足を止めることはなく通り過ぎていく。

「ふっふっふっふっふっ・・・。ラウラよ、もう三月も終わりだろ。」

「あー、うん。せやね。」

「そこでだ!四月の新作菓子作ったのよ!味見してくれるか?」

「おぉ――――!そうそう!こういう努力が必要なんよ~。おっちゃんもようやく商売がわかってったな。」

 受け取った皿に乗った菓子は糸括(いとくくり)の花を模(かたど)って作られていた。薄紅色の花弁が美しく広がり中心の雌しべの黄色が非常に映えて見える。本物の花を材料に用いているのか淡い花の香を感じる。

「ほな、いただきます。」

 口にした瞬間に糸括(いとくくり)の花の香が口内に広がり鼻から抜ける。外側の薄紅色の餡の中には白餡が入っている。外側は香付けがメインで甘さは淡いものだが、練りこまれた糸括(いとくくり)の塩漬けの塩分がそれを際立たせ上品な味わいを作っている。内側の白餡はしっかりとした甘さがありつつも決して強すぎず、引き際をよく理解しているように口内からすっ消えていく。おかげで重さを全く感じさせない、それこそいくつでも食べたくなる菓子になっていた。

 見た目は芸術品と言っても過言ではないほど美しく、味も決して見た目を裏切ることがない。食べた者をその場で春へと導いてくれる、そんな素晴らしい一品だった。

 押し黙ったままゆっくりと味わうラウラに店主の方が耐え切れずに口を開いた。

「・・・どうだ?」

「・・・・・・どないしよ。」

「まずかったか!?」

 黒文字を口にくわえたまま目を左右に泳がせるラウラの姿に、店主はまるで恋人の指輪のサイズを間違えたかのように慌てた。

「言葉を尽くしても伝えきれんぐらい美味い・・・。」

「なら素直に褒めろよ!」

 声を荒げるもののその言葉は喜びと安堵の心でいっぱいだった。

「せやけどな・・・。」

「けど?」

 新作菓子の評価にほっと胸を撫で下ろしたばかりの店主を沈黙が再び緊張の縄で縛り付ける。

「・・・せやけど、なんでこの店こんなガラガラなんやろ?」

「ラウラ、お前言い難いことすんなりと言うのな。」

「いや、誰でも気になるってことやし、今更遠慮なんて出来んよ。」

「くそっ!菓子も茶も絶対の自信があるのに!どうして客が来ねえ。」

 卓を叩き付け本気で悔しがる店主はさながら初めて壁に行き当たった青年のようだった。

「まあ。原因は一つしかない、か。」

 頭を抱えて悩む店主の姿を見てラウラが言うと店主は顔を傾け目を向けた。

「原因?なんのことだ?」

「・・・ん。」

 ラウラの白く細い指はすぐそばにうずくまっている屈強な蜥蜴人間(リザードマン)に向けて伸びていた。

「・・・俺?俺か!?店が閑古鳥の巣になってる原因が俺だって言うのか!」

 言葉に憤怒の色を乗せて放ちながら勢いよく立ち上がる蜥蜴人間(リザードマン)。身長は二mを越え全身を牢固たる鱗が覆っている。切れ長の釣り目の奥には黄色い眼球、おまけに片目は切り傷で閉じられている。口の中には白く鋭い牙がぎらりと並び、手もごつごつと岩のようで大きく頑丈な爪が備わっている。

 今ラウラの前に居るこの蜥蜴人間(リザードマン)こそ茶屋『戸(と)陰(かげ)』の店主であり唯一の店員、調理長にして唯一の調理師なのである。『戸(と)陰(かげ)』が有名であるのももちろん蜥蜴人間(リザードマン)が営む王国唯一の茶屋だからだ。

「やって、『ちょっとゆっくりしよっかなー』、って思って店覗いてみたら片目の蜥蜴人間(リザードマン)が店内に居んねんで!『あっ、この店違うわ』、ってなるやろ!」

「いや、でも、・・・・・・」

「・・・なあ、おっちゃんなんで蜥蜴人間(リザードマン)なん?」

 口を閉ざしてしまった店主にラウラがさらに刃を突き立てる。

「そ、そんな・・・で、でも、・・・お、おおお、お客さんが全く来ないわけじゃないんだぞ!一概に俺だけに原因があるわけじゃないだろ!」

 長い舌を口内で暴れさせながら店主は吠えた。

「こんちわー。」

「ほらな!」

 なんともいいタイミングでのお客様の登場であった。しかし店主の頭では思ってもいなかったタイミングだったらしく脳は接客のコマンドを出し損ねた。

「すいません、取り込み中でしたか?」

「あっ、違うんだこれは!絶賛営業中!どうぞどうぞ。いらっしゃいませ。」

 遅れを取った脳が焦ってコマンドを出したためにバタついた接客が展開された。

 提供を一通り終え一段落した店主はどや顔でラウラの元まで戻ってきた。

「な!」

「な!やないよ。二人来ただけやん。」

「二人だろうが客が来たことに変わりはないだろうが。」

「はあ。」

 たった二人客が入っただけでこれだけ喜んでしまう店主にラウラは思わずため息をこぼしてしまった。

「な、なにが問題なんだ。」

「お客さんちゃんと見てみ?」

 ラウラに促され客に目を向ける。一人は犬、もう一人は猫の獣人のようだ。鎧を身に纏い机には両手剣が立てかけられている。

「自衛団の奴らじゃねえのか?今日入団試験があるって言ってたからよ。」

「で?」

「で?何もおかしなところなんてないだろ。」

「はあ、なんでわからへんかなー。あれ。」

 そう言ってラウラが指さすのは机に立てかけられた両手剣。多くの戦闘を経験してきたのであろう、鞘には多くの傷が刻まれている。

「うちはよー来るから知ってんねんけど、この店のお客さんって自衛団とか戦闘系ギルドの人ばっかやねん。しかも皆仕事の前とか終わってからとか来るから、装備もそのままなんよ。」

「・・・それで、余計に一般の人には近づきにくくなってるってことか。」

 軍人として人生の大半を戦場で過ごしてきた店主にとって武器が身近にある生活は当たり前のものだった。しかしそれは店主にとっての当たり前であって他人にとっては異常であるのかもしれないのだ。

「そこでや。」

 途端にラウラの表情はお天道さん顔負けの笑顔を輝かせ、

「うちが一般のお客さん呼び込めるようプロデュースしちゃる!」

「ホントにか?」

「もちろんや!で、プロデュース料なんやけど・・・」

「金取るのかよ。」

「当然。ビジネスであってボランティアとちゃうからな。」

 一体どこから出したのかラウラは、これでもかという長さのソロバンを弾き始めた。

(それ何桁の計算してんだよ。)

 何かしらよくわからない項目と値段を口にしながらソロバンを軽快に弾くラウラに店主は口の中で小さく呟いた。

「出ました!」

 未知の事業に対する料金を申告される。そう思うと店主は思わず生唾を飲んでしまった。

「締めて・・・・・一〇万ナクロ!」

「なんでやねん!」

 あまりに都合の良い料金設定に思わずつっこみを入れてしまった店主だった。

 

第一章   純人間(ピュアヒューマン)

 『メルマリア』国内にある喫茶『戸陰』。金髪ショートヘアの人間の少女、ラウラ・ラーゲルベックは常連らしく『戸陰』に入りびたっている。今日までにラウラが踏み倒してきたお茶代は一〇万ナクロにもなるがこれはツケとして処理され、ラウラが新規の客を連れて来た場合、一人につき三〇ナクロの支払いとして計算されることとなった。

「そういえば、自衛団で思い出したんだが昨日事件があっただろ?」

「ああ・・・例の切り裂き魔やろ?もう七件目やっけ?」

「いや、そっちじゃなくてだ。」

「えっ?」

 今『メルマリア』では王国史上最悪の事件の記録を更新し続ける『連続殺人』が起きている。昨晩の事件で被害者は七人目にもなるというのに、店主はこの件を差し置いて何を事件と呼ぶのか。

(七人も殺されとる事件以上の何かが?)

ラウラは思わず不安を顔に映す。

「そんな怖い顔すんなって、悪い事件じゃねえからよ。むしろスカッとするいい話だぜ。」

「ふーん、それでその事件って何なん?」

「お前レッドファングって知ってるか?」

 レッドファング、トロールやゴブリンたちの集団で、公式ギルドとして協会に登録されていない、いわゆる闇ギルドである。

「知ってんで。最近『メルマリア』に来てスリやら空き巣やらしとる小悪党やろ。」

「そうだ。奴らアジトが王国の領域外にある上に少人数の集団でやって来て目的だけ達成したらすぐに逃げるから、なかなか捕まらなくて手を焼いてるらしい。だけどな、――――」

 店主の話では、昨日旅商人が『メルマリア』まであと少しといったところで、レッドファングの襲撃を受けたそうだ。隣の小国からの短距離の移動ということもあり大した装備も持っていなかったそうで素直に馬車ごと渡そうとしたらしい。その時、

「純人間(ピュアヒューマン)の子供?」

「そうなんだよ。純人間(ピュアヒューマン)の子供二人が現れたと思ったら一人があっという間にレッドファングどもを倒しちまったらしいんだよ。」

「んなアホな!純人間(ピュアヒューマン)が、それも子供が、ゴブリンに勝つなんてありえへん!」

 この世界にはエルフやドワーフのような人間と同素体でありながら特異な力を有する亜人、ドラゴンやフェニックスのような高度な知能を有する超生物、さらには雪女や妖狐のような妖力を扱う妖怪まで存在している。それらはお互いの領土を奪い合い多くの争いを起こした。そんな戦いに巻き込まれ、何も出来ずただ逃げ惑う人類は自覚した。『我々は最弱の存在、今のままでは滅びる運命以外に訪れはしない』と。

 魔法も妖術も使えず、身体能力でも大きく他に劣る人類の力。それは知恵や策略ごときで覆すことなど不可能だと、理解せざるを得ないほどの格差を戦場に表した。すなわち人間にとって他種族との争いはそのまま種の滅亡を現すと言っても過言ではなかった。

 だが、そんな人間も多種族には持ち得ないものを持っていた。それは医療であり、工業であり、建築であり農耕である。つまりは他種族が力の向上に費やした時間で積み上げた高度な文明、それこそが唯一人類が他種族の持ち得ない独自のものであった。

 しかし、その利点も争いの中で力になることはなかった。そこで人類が編み出したのが戦いに参加し生き残るための力を取り入れる新たな技術、他種族間における交配技術であった。これにより獣人や鳥人、魚人、さらにはハーフエルフや半妖の誕生をもたらし、争いに参加することの出来る力を得た。

「戦闘において純人間(ピュアヒューマン)は何一つ多種族に勝るもんを持ってないねんで。」

「そうだな。だからこそ人類は多種族の血を取り入れた。俺もそのうちの一人ってわけだ。」

 店主は実際に、祖父の代から蜥蜴の遺伝子が入り交ざっている。もちろんリスクがないわけではない。上手く適合出来なければ当人には障害が現れ最悪の場合死に至る。うまく適合出来たとしても得られる力には個人差がある。純人間(ピュアヒューマン)とほとんど変わらない者から、取り込んだ種族を超越するほどの力を得る者まで様々だ。

「純人間(ピュアヒューマン)なんて俺の知り合いじゃ、お前とエルランドぐらいか。」

 現王国内では人類の内、純人間(ピュアヒューマン)は約0.02%、全種族で言えば約0.001%一〇万人に一人ほどだそうだ。

「エルランドさんなぁ・・・。あの人の強さはもはや異質やからなぁ。同じ純人間(ピュアヒューマン)とは扱われたくないわ。」

「それには痛く共感だな。俺がまだ軍に居た頃に一度手合わせをしたことがあるが、尻尾落として逃げようかと思ったぐらいだからな。」

「おっちゃんそれは尻尾と一緒にプライドも落とす上に人間であることも置いてくることになるで。」

「うっせぇ。余計なお世話だぜ。」

 店主の自虐ネタをなお一層になじるラウラを他所に店主は厨房の片づけに向かおうと背を向ける。店主の背中に向けて少し声を張ってラウラは言葉を発した。

「ホンマはその子供、見た目だけで中身は純人間(ピュアヒューマン)とは違うのかも知れんで。」

「あ?んなわけねえだろ。だったら何だってんだよ?」

店主は食器を洗いながら目も向けずに返事する。

「せやなぁ・・・・・神とか?」

 口にくわえぶらつかせていた団子の串を抜きキメ顔で店主を指すラウラ。

―――カチャン

洗い物をする店主の手が一瞬不自然に止まった気がした。

「おっちゃん?」

「バカなこと言ってんじゃねえよ。あんまり頓珍漢なこと言うもんだから皿落としそうになっただろうが。てか串で人のこと指すんじゃねえ、バカが!」

 眉間にしわを寄せながら手についた泡をラウラの顔に投げつける。

「うわっ、ちょっと口に入ったやんけ!にがっ!ぺっ、ぺっ!」

 梅干しかと思うほど顔にしわを寄せて、舌を串でこすり付着した洗剤を全て拭い取ろうと必死になるラウラ。

「だいたい、お前だって知ってんだろうが。この世界には神なんて存在しない。大昔には存在して、見えざる手で偶然だとか奇跡だとかいうもので世界のパワーバランスを保ってたー、なんて言ってるけどよ。世界に生まれ出た瞬間、赤ん坊だって気が付く。自分でどうにかしねえといけねえ、存在が定かじゃねぇものに頼ったってくたばるのが早くなるだけだってな。今では宣教師ですら神なんてほっぽり出して、てめえが生き残るのに必死になってやがる。・・・当たり前だ、自分で動きもしねえやつは何も得られねえんだからな。」

「・・・・。」

 小気味よく皿がリズムを刻み続ける中、店主は思いをはせるようなどこか遠く皿の向こう側を見つめ言葉をこぼした。ラウラはどこかばつが悪そうな顔で両手で包んだ湯呑からほうじ茶をすすっていた。

「だけどよ、こんな身も蓋もねえ世界だが俺はそんなに悪くねえって思ってんだよ。皆自分が生きるのに必死だからよ、そりゃ辛いこともたくさんあるかもしれねえ。俺だって家族は一人も残っちゃいねえし仲間もたくさん死んじまった。でもよ、こんな世界でも悪させず全うに生きてる奴らは皆いい顔してんだよ。自分の人生に必死になって人生満喫して最高じゃねえか。」

「せやな、それはわからんでもないわ。」

 少し声色を明るく話す店主の言葉にラウラも本心ではないながらも事実の肯定をする。

「・・・やっぱ、勘違いなのかもしれねえな。」

「?」

「いやよ。さっきの純人間(ピュアヒューマン)の話だよ。いくらゴブリンだけだったとしても混じりっ気なしの人間の子供に勝ち目なんてどう考えてもねえよな。やっぱ何かしら多種族の血が混ざってたのかもしれねえな。・・・それか話自体がデマかだな。」

「その話なら真実ですよ。」

 ラウラと店主の会話に割って入った声は店の入り口方向からやってきた。凛とした張りのある力強い声。その持ち主は胸に腰、腕と脚を最低限カバーするだけの軽装鎧を纏い腰には細剣を携えている。胸の鎧にはレッドドラゴンをあしらった自衛団のマークが入っている。鎧から露出した腕や脚はすらっと伸び、肌の色は透き通るようで白というよりは透明という方がイメージにそぐうぐらいだった。肩先まで伸びた輝く金髪、その隙間から突き出している尖った長い耳が一段と目を引いた。

「おう、エイラじゃねえか。」

「お久しぶりです、マスター。三日ぶりでしょうか?」

「・・・エイラ・メランデル。」

 ラウラは彼女の名をいぶかしむように発した。

「あなたは確か、『ミスティル』のラウラ・ラーゲルベック、ですね。」

「あら~、自衛団の副団長様が私ごときの名をご存知とは、恐悦至極に存じますわあ。」

 口の前で扇子を広げる素振りをしながら、わざとらしく抑揚をつけ答える。

「ラウラさん、ヘレーナは元気にしているのですか?あと、あの行き遅れのアバズレ女、まああの女に限っては健在以外にありえませんが。」

「ご想像の通りやと思いますよ。ヘレン姉もアルヴァ姉も元気にしてます。」

エイラという女に対してラウラの向ける感情は嫌悪感、というより敵対心や猜疑心のようなものだった。この女は何を考えているのか、何がしたいのかわからない。エイラ・メランデルに対するラウラがいつも抱く感情だった。

 

 エイラ・メランデル。『メルマリア』国内に暮らす唯一の純血エルフであり、自衛団の副団長。

エルフは元来純潔であることを尊び、他種族と決して関わりを持とうとしない。他種族交友が一般的になりつつある今も、自国『エルゲンホルム』で静かに暮らしている。エルフの他種族との違い・特徴と言えば、その外見以上に強力な魔力を有するところにある。魔力を有する種族は世界に幾つか存在しているが、そのどれもがエルフからすれば魔力をもたないのと同じだという。その魔力欲しさに『エルゲンホルム』に戦いを挑んだ国、種族も多くあったがそのどれもが返り討ちにされている。それだけにエルフの情報はその外見と強力な魔法を扱うこと以外は何も知られていない。

 だからこそ、何か画策するわけでもエルフについて情報を明かすわけでもなく、『メルマリア』の一国民として暮らし、自衛団の任務にも真面目に従事するエイラのことが、ラウラには理解出来なかった。

「ラウラさん、私の顔に何か付いていますか?」

「ああ、いや、何も付いてませんよ・・・。」

 エイラのことは本当によくわからない。さっきまでの高慢で威圧的な雰囲気は今はもう微塵も感じられない。目の前で首を傾げ不思議そうにラウラを見つめるエイラは、無垢な少女のようで、何も感じ取ることが出来ない。そのことがまたラウラの心をかき乱しエイラ・メランデルを得体のしれない者にする。

「・・・なあおい、エイラ。さっきの『真実』ってのはどういうことだ。」

 ラウラの意識が絡みつくエイラを店主の声が外からつつく。

「お話した通りですよ。レッドファングを倒した純人間(ピュアヒューマン)の子供の話、あれは全て本当のことです。」

「全て?」

「ええ。全てです。私はここ数日、任務で隣国まで遠征していまして、昨日帰国したのですが、その途中でその現場に遭遇していますので。」

 

王国から七、八㎞東に大きな森が広がっている。エイラが率いる自衛団の遠征小隊がその森を進んでいると、進行方向から動物たちが団員達には目もくれずにすぐそばを駆け抜けていった。

「何か居るようですね。皆さん周囲に気を配ってください。私が先の様子を見ます。」

 エイラの指示通りに団員はエイラを囲み円形になり周囲を警戒する。エイラはその中で屈み頭を下げ静かに目を閉じる。

「ウィル・オ・ウィスプ、遠き光を我が瞳に映さんがため。そなたの光の力、我に与え給え。」

 詠唱を終えると頭を上げ目を開く。エイラの見据える先数㎞の景色が光情報として二つの眼を通して流れ込み、脳内でその光景が映し出される。

「見つけました。一台の馬車とゴブリンが六匹、・・・赤い牙。レッドファングのゴブリンのようですね。・・・これはっ!」

 エイラは急に立ち上がると遠視魔法をそのままに映る景色に向け駆け出した。

「副団長!一体どうしたんですか!」

突如説明も指示もなく駆け出したエイラの後を団員たちが追う。先を走るエイラの背中からはコンマ一秒も無駄には出来ない、そんな思いが感じられた。

「馬車の持ち主が襲われているのですか?」

「いいえ、馬車の持ち主は無事です。子供と一緒に隠れています。」

「では、どうして?」

「子供です。子供が一人逃げ遅れて、ゴブリンに囲まれています。」

「なんですって!」

「現場までの距離はっ!副団長っ!」

 現場までは一㎞ほど。今のままのペースで行けば約三分。ゴブリンたちは弱い者を嬲ることを好む。それでも彼らは三分も遊んでいてはくれないだろう。見たところせいぜいあと二分もすれば遊び飽きて嬲り殺し、三〇秒で撤収する。これまでのレッドファングの手際を考えればそれでもまだゆっくりしているぐらいだ。

「私が見ている前で未来ある子供を殺させはしません。――――シルフ、かの子供の命を護らんがため。疾く駆ける風を遣わし給え。」

 エイラは叫びを上げると力いっぱいに地面を蹴りつけ飛び上がった。次の瞬間、ゴォッと力強い風が空中に浮かんだエイラの体をさらっていった。

「副団長っ!」

「私は先に行きます!あなたたちはこのまま真っ直ぐ、追いかけてきてください!」

 エイラが駆け出してから三〇秒が経過した、現場まではまだ八〇〇mは残っている。

 ゴブリンは武器はまだ手にしてはいない。その手に握られているのは拳骨大の石。その石を輪の中に居る子供向けて次々に投げる。一つ、・・・二つ、・・・三つ。一つずつ投げられる石はことごどく子供の体に痛みを残していく。四つ、五つ。二方向から同時に来る石が子供の軽い体を前後に揺らす。よろめく子供の姿にゴブリンたちは一段と大きな高揚を見せた。現場の音は聞こえはしない。だがそれでも、ゴブリンたちが何を言っているかなど容易に想像がついた。

 

「いいぞ、もっと踊れ!」

「頭に当てて殺すんじゃねえぞ。そんなもんつまんねえんだからよ。」

「純人間(ピュアヒューマン)はただでさえすぐ死んじまうからなあ。」

 

「・・・外道め。」

 自分と異なるもの自分よりも力の劣る者を虐げて何が楽しいと言うのか。この世の中こんな事は何処でも幾らでも起こっている。しかし何度目にしたところで決して慣れることはなかった。こういった光景を目にする度に虫唾が走り反吐が出る。だが何よりも今この場でゴブリンの好きにさせている自分自身にエイラは腹を立てていた。

「もっと、もっと早く。もっ――――」

 グニャリ。視界が歪み体が流される。遠征任務の帰り道での異なる精霊魔法の並列使用。魔力の多量消耗による目まいがエイラの視界と意識を奪おうとした。

「――――っつ!」

 意識を失いかけたタイミングでエイラは下唇を噛みしめ痛みで無理に起こした。それでも、意識を失いかけたことで遠視魔法は解けてしまい、馬車も子供もゴブリンの姿も今はもう見えない。

「現場まで残り距離は確か・・・。」

 残り二〇〇m。タイミングとしては本当にぎりぎりだと思われる。

 バランスを崩した体を戻し再び風に乗る。

「この茂みを抜けた先!」

 さきほどまで見えていた現場の手前、最後の茂みを突き抜け、エイラは現場に体を投げ込んだ。勢いのままに頭から一回転し起き上がると、すぐに状況確認とともに細剣に手をかける。

 目の前の光景は最悪でこそなかったがそれに等しい状況だった。こん棒を振り上げたゴブリンたちが一斉に飛び掛かる光景がエイラの瞳に映る。もう間に合わないと体が制止しようとするのを無理に起こそうとした瞬間、脳が思考を止め体はその場に倒れ込んだ。

 すぐさま体を起こそうとしたエイラは頭だけを起こした状態で再び静止した。

生物はすべて理解の範疇を越えた事象を目の当たりした瞬間、脳が処理しきれずにフリーズする。この時のエイラはまさにその状態にあった。

「笑み?」

 円形に広がった各々が場所から内に向かい飛び掛かるゴブリンたちの中央、飛び掛かるゴブリンたちの標的そのものである一人の人型の子供の口元は微笑んでいた。

 フードが一体になった上着、袖は大きな四角になった変わった衣服。下は余裕のある七分丈のズボンに、足首まで固定できるベルトの付いたサンダルを履いていた。フードで顔はよく見えないが体格から歳は十歳ぐらいかと思われる。

深く被られたフードから覗く口元は確かに笑っていた。いや、笑っているというよりは微笑みかけている、というのが確かな表現と言えるだろう。優しく全てを包み込むような柔らかな表情だった。

一瞬、子供が見せた表情に身を静止させた後、事が済むまでエイラは指一本も動かすことはなかった。

 

「その場に居ったのに魔力切れで身動き一つ出来んかったん?」

「バカにしないでもらえますか。魔力切れにはなっていません。」

 言葉とは裏腹にエイラから怒りは感じられなかった。

「じゃあどうして動かなかったんだ?」

「違いますよ、マスター。動かなかったのではなく動けなかった、いえ動くのを忘れてしまっていた、というのが正しい表現でしょうか。」

 自嘲の笑みを浮かべるエイラは人間のようで、ラウラは親近感を覚えると同時に嫌気が差した。

「何でやの?」

 ラウラの声色がずいぶんと素直なものになったことに少し驚きながらもエイラは答える。

「その子の剣術、舞に見惚れてしまったのですよ。」

 目を閉じ思い返すだけでエイラの心はすっかり耽っていた。

 

「僕と舞いませんか?」

 中央に立つ子供はそう口にした。その子の言動など毛ほども気にせずゴブリンは飛びあがり子供目がけてこん棒を振りかざす。子供は左腰に据えられた刀の柄に右手、鞘の鍔際に左手を添えたまま、左足を引き体を左回転させてゴブリンのそれを躱した。

「グギャッ!」

 飛びかかったゴブリンが崩れ落ちる。子供の手には抜刀された刀が握られ、ゴブリンの左脇腹には深く打撃の後が残っていた。

「ギャッ、ギギャッ、・・・グュハッ、ガッ!」

肺が圧迫されて上手く呼吸が出来ないのか、ろくに声も出せず地面の上をもがく仲間の姿を目の当たりにしたゴブリンたちは思わず足を後ろに引いた。

つい先ほどまでただ自分たちの興のためだけに生きながらえていた、世界最弱の種族が一体何をしたというのか。

「今、何が起きたんだよ。誰かちゃんと見てねえのかよ!」

「純人間(ピュアヒューマン)のガキ一人だぞ!どうしたって俺たちに敵うわけがねえだろうが!」

「ならギムの野郎はなんでそこで泡吹いてぶっ倒れんてんだよ!」

「うっせえ、黙ってろ。ビビってんじゃねえ。何かしてくるかもしれねえってんなら、そんな隙すらも与えなきゃいいことじゃねえか。一人やられたからって五対一なんだ。一斉に攻撃、それで終わりだ。ギャギャッ、行くぞ。」

 ゴブリンたちは子供の周りを取り囲む円をジワリと内へ狭める。ゴブリンたちの武器はこん棒にダガー、カトラス。対して子供が手にしているのは一本の小太刀。体との対比を言えば大人が太刀を扱うようなものだがそれでも多対一に向いているとはとても言えない。

 だがその子供からは焦りや不安、恐怖といった感情は感じられない。焦っているのはむしろゴブリンたちのように見える。今は自分の目で直接見ているからこそはっきりとわかる。

(この子はあの人と同じ、種族の壁も軽々と飛び越えてゆく何かを持っている。持たない者には理解することも叶わない何かを。)

 

「それから後は一方的でした。ゴブリンたちの動きは初めからあの子に教えられていたのでは、八百長ではないのかと疑いたくなるほどでした。」

「事件の顛末はわかった。だがどうしてそれでその子供が純人間(ピュアヒューマン)だと言い切れる。それこそ純人間(ピュアヒューマン)じゃないと疑うべきだろ。」

「もちろんそうするべきだったのでしょう。ですがその子を前にした時に、あの人と同じだと感じてしまいましたので、他の可能性など排除してしまっていました。」

「ほんならその子供が純人間(ピュアヒューマン)かどうかはっきりとはしてへんってこと?」

「いえ、彼はれっきとした純人間(ピュアヒューマン)です。国土の外とは言え事件の現場に遭遇した手前報告の義務はありましたので。彼についても必要事項だけですがその場で調べさせていただきました。精霊に嘘は通用しませんから。彼は間違いなく純人間(ピュアヒューマン)ですよ。」

 事件現場に居合わせ、子供の体を実際に調べたエイラが言うことなのだからそれは真実に相違ないのだろう。それなのにラウラの中にある『その子供は純人間(ピュアヒューマン)でない』と訴える声は大きくなるばかりだった。

「彼?その純人間(ピュアヒューマン)の子供男なのか。」

「はい。ですが見た目は女の子にしか見えませんでした。あんまりにも可愛らしい顔をしているものですから、三度も検知魔法をかけてしまいました。実際に目の当たりにすると、純人間(ピュアヒューマン)であること以上に性別が男であることの方が信じられないかもしれません。」

 純人間(ピュアヒューマン)の子供について詳細情報が伝えられている中、ラウラだけは脳内を考え事が絶えず走り続けていた。

「せやけど・・・。」

 多種族に勝るほどの力を持つ純人間(ピュアヒューマン)の子供。同種でその弱さを体の芯から理解しているラウラからすれば到底信じたくはない話。それでもエイラの話の後ラウラにはもう一つの思いが顔を見せていた。

「ラウラ、帰るのか?」

 突然立ち上がったラウラに店主が声をかけた。

「うん、・・・ああ、まあな。」

 ラウラは机に立てかけてあった刀を腰に据えると、店主たちに笑いかけ出入り口へと体を向けた。

「そういえば、今日は自衛団の入団試験の日でしたね。昨日の事件の彼・・・、彼も試験を受けるためにこの国に向かっていた最中だと言っていましたね。試験開始は一五時、あと三〇分程ですね。」

「・・・おおきに。」

 ラウラはお礼だけ残して駆け出していった。

「てめえ、次は金持って来いよ!」

 駆け出していったを見送るように出入り口から頭を突き出し大事なことだけラウラの遠ざかる背中にぶつけた後、戻ってきながら店主はエイラの言葉に返事を返す。

「ったくラウラのやつ・・・・。それはそうと、また優秀なやつが入りそうで良かったじゃねえか。」

「ふふっ、それはまだわかりません。」

「なんだよ、ゴブリン六匹相手に勝っちまうぐらいなら即戦力じゃねえか。試験パス出来ないわけがないだろうが。」

「そういう意味じゃないですよ。彼が選ぶのがうちではないかもしれない、ということですよ。」

「?」

 エイラはそれ以上のことは何も言わず一人楽しそうに笑みをこぼした。

 

自衛団入団試験会場は喫茶『戸陰』から東に三㎞離れたところにある自衛団の野外訓練場で行われる。午前の部はすでに終了、午後の部は一四時受付開始、一五時より試験開始だったはず。エイラが午前の話をしなかったことから考えるに少年は午後の部にエントリーするつもり、とでも話していたのであろう。

受験生たちが会場に再度集合するのは試験開始一五分前だ。現在時刻一四時三五分。あと一〇分もすれば彼も含め受験生たちは集合し試験前の準備に入ってしまう。

にも関わらず、

「うちはこんなとこで何してんねやろ・・・。」

 試験場までショートカットしようとしたのが悪かった。まだ日も高いし大丈夫だろうと使った路地裏の通路。そこに面した扉が一枚だけ開いていたので自然と視線がその中へと向いてしまった。

「あっ、オーガ。」

 そこに居たのは二匹のオーガと今まさに襲われようとしている兎人の少女が居た。

 二倍近い大きさの体を少女に多い被せ衣服を引き剥がす場面を目にしてしまっては立ち止まらずには居られなかった。

「ちょっ、あんたら何してんねん!そんな幼い子押し倒して、最低やで!」

「プギッ、誰だてめえ。」

 ゆっくりと体を起こすオーガ。背丈は一八〇㎝ほどだろうか、首は脂肪に埋もれ、大きく突き出した腹はゾウのような厚い皮膚に包まれている。口からはみ出した牙は赤く色づけられていた。

「あんたらレッドファングやな。」

「ほう、俺らのことを知ってんのか。ずいぶんと有名になっちまったもんだぜ。なあ兄弟。」

「ブフフ。全くだ兄弟。でも嬢ちゃん、こんなとこ見ちまったんだ、ただで帰れると思うなよ。」

「ふん、うちが純人間(ピュアヒューマン)やからってなめん方がええよ。オーガ二匹ぐらい楽なもんやで。」

「プギギ、この嬢ちゃんの方が威勢も育ちもよくて美味そうじゃねえか。」

「俺としてはこっちのウサギのお嬢ちゃんの方が幼くていいんだけどなー。」

「キモッ!あんたらキモ過ぎるわ!脂ぎったデブってだけでもお断りやっちゅうのにおまけにロリコンかいな、ホンマ自分の姿鏡で確認して来いっちゅうねん。」

「プギー!こんメスだけは絶対に許さん!引ん剝いてヒーヒー言わせてやる!」

「うわー。なんかもう哀れに思ってまうな。・・・でも、さっきも言ったけどオーガ二匹じゃうちには勝てへんよ。その夢も所詮は絵に描いた餅っちゅうことや。」

「そうか、俺ら二人では勝てないか、・・・・・ブフッ。」

 部屋の奥から物音が聞こえたかと思うとわらわらとゴブリンが現れた。八匹のゴブリンに部屋の奥で金目の物や食品を物色させていたようだ。ゴブリンたちはまだ幼く成人の半分四〇㎝ほどではあるが一〇対一だ、どう考えても勝ち目がない。となれば、

「あっ!」

 ラウラは刀に伸ばそうとしていた右手で突然通路の右奥を指した。

「プギ?」

扉から顔を出しラウラが指した通路の奥を覗き込むオーガたち、だがその先にはなにもない。

「おい、何なんだ!」

 オーガは顔を正面に戻したが、そこにも何もなかった。

「・・・ん、あのメスはどこ行きやがった?」

「兄弟、向こうだ。」

 扉で遮られた視界の奥一〇〇mほど先をラウラは走っていた。

 

そう、あのタイミングでうまく逃げられた、兎人族の少女もきっとゴブリンたちが自分に引き付けられた隙に逃げ、後は試験場に直行するだけ。ラウラはそう思っていた。

「何で行き止まりになってんねん!」

 壁、壁、壁。ラウラがいくら首を振ろうが正面も右も左もその目には壁しか映らない。一週間前までここに壁はなく、この通路は東の訓練場まで抜けられたはずだった。それが今は四m近い壁が行く手を遮り行き止まりになっている。

「くそっ!この壁何とかならんのかいな。」

 そういって壁のあちこちを触り調べている間に、

「プギッ。やっと追いついたよ、お嬢ちゃん。」

 オーガたちに追いつかれ、ラウラは行き止まりに追い込まれる形になってしまった。

 

 そして一四時三五分、現在に至る。

「さあお嬢ちゃん、俺の家畜になる覚悟は出来たかな?プギギッ。」

「うっさい!誰があんたみたいによー燃えそうな油ギトギトのデブの家畜になんかなるか!どっちか言うたらあんたの方が家畜に向いてんのとちゃう?ほら言うてみー、ぶひぶひってな。」

「ブヒーッ!このメスガキ!今すぐ躾けてやるからそこ動くんじゃねえぞ!」

 腰の後ろに備えられた大きめの鉈を手に取り、油をまき散らしながら突進してくるオーガを前にラウラは笑みを浮かべる。

(これでうちの勝ちや。見たとここいつがこの集団のボスや。こいつを殺せばあいつら逃げ帰ってくれるかもしれん。せやなくても慌てたもう一匹のオーガを仕留めたらチェックメイトや。未成熟のゴブリンだけでオーガを殺ってもたうちとは戦わんやろ。)

 目を血走らせ鉈を持った右腕を振り上げたまま突進を続けるオーガ。

(こんなけ視界が狭なったオーガ一匹ぐらいなら、うちでも余裕や。)

 大きく上下に揺れる腹回りの惰肉が明らかに力いっぱいの突進を妨げていた。遅い、歩くのと大差ないのではと心配になるぐらいに遅い突進だった。

(それにしてもえらい揺れるな。ここまで目の前で揺らされると腹とは言え無い乳のうちとしてはなんや頭に来るわ。・・・やなくて、そろそろ構えとかんと、)

 オーガがいくら隙だらけとはいえ準備を怠って勝てる相手ではない。オーガは他種族の中では戦闘力は低い方だが自分が最弱の純人間(ピュアヒューマン)である以上素手でやり合っては勝ち目など毛の先ほどもない。

「あれ?」

 そもそも戦いというものは始める前には結果が決まっているものだ。確か、神とか言ったか。弱者が都合のいい妄想を描き現実逃避するための対象であるそれが爪の先さえも見せないこの世界。準備を怠るような者には勝利のご来光を拝む日など一生来るはずもない。

「・・・・・刀が、・・・ない。」

 この瞬間ラウラの勝ちはなくなり、負け=オーガの家畜が決定した。

(アルヴァ姉、ヘレン姉、クー兄ありがとう、毎日楽しかった。お爺ちゃん、お父さん出来の悪い子供でごめん。)

 今更どうしたところで家畜ルートは逃れられないのだが、それでもあんな脂ぎった豚の相手はしたくはなかった。ならここで自害してでも逃れるしかなかった。

「皆さようなら。」

――――――ザンッ。

 目を閉じ舌を噛み切ろうとした瞬間、閉じられた瞼の向こうで何かが通り過ぎた。

「この刀、お姉さんのですか?」

「ふぇ?」

 目の前には背中に幼女を背負った一人の少女が、一本の刀を差し出して立っていた。大きな丸い目に深い青紫色の瞳が特徴的だった。背は一三五㎝ほどで線が細く撫で肩。優しい微笑みを浮かべる実に可愛らしい少女にラウラは思わず見入ってしまった。

「おおきに・・・。」

「あの・・・僕の顔に何か付いていますか?」

「いやいや、違うんよ。あんまりにも可愛らしい顔してはるから思わず見惚れてしもたんよ。・・・・・・・・って僕?」

「あっ、はい。よく女の子に間違えられるんですけど、どうしてでしょうか?」

「かわいい・・・・。」

 照れてはにかむ少年の攻撃力はビックバン級だった。この笑顔さえあれば世界を作り替えられるのではと思わせるほどに輝いている。これほどまでに可愛い男の子を目の前にすると女性としてジェラシーを感じずにはいられなかった。

(しかし、女の子にしか見えない男の子・・・どこかで耳にしたような気がする。)

女の子にしか見えない顔にフードが一体になった上着、その袖は大きな四角形のフォルムをしている。ズボンはゆったりとした七分丈、足元にはサンダル・・・。

(エイラさんが言うとった、昨日のっ!)

「君、昨日レッドファングのゴブリンをとっちめた子か!」

「レッドファング?確かにゴブリンの人には昨日お世話になりましたけど。」

「やっぱりか!エイラさんが言うとった純人間(ピュアヒューマン)の少年っちゅうのは!」

 首を傾げて困っている少年の顔や体、服装に装備と隅から隅までじろじろと見つめるラウラ。

(この子、何がうちとそんなに違うんやろ?むしろうちよりか弱いんとちゃうやろか?)

 ――――――ゾクッ。

 少年越しに殺気がラウラに突き刺さる。ラウラは慌てて体を起こすと少年の体の奥にある殺気の根源を探した。

殺気の根源らしきものはすぐに見つかった。だがそれは今しがた感じた心臓に手を添えられたような即刻死に繋がる程の鋭さも重さも備えてはいなかった、

「一体何だってんだ!てめえら人のことバカにするのも大概にしとけよ!」

 そこに居たのはただ怒り狂っているだけのオーガだった。

「そう言えば居ったなあんなん。さて、どないしたもんか。」

 すっかり存在を忘れてしまっていたが、ラウラはオーガと以下九匹から集団リンチに会う一歩手前だったのだ。

「お姉さんはアリスと一緒に下がっていてください。ここは僕が・・・。」

 そう告げると少年はアリスと呼ばれた幼女を背中から下ろしゆっくりと前に出た。

「何だ?そのメスガキがてめえの代わりか?自分より幼い子供に守らせるたあ、いい御身分じゃねえか。だが、ありゃあお前なんか相手にするよりよっぽど滾ってくるぜ。ブヒッ。」

「うっさいわ、この変態!」

 (やっぱりあかんわ。なんぼ強い言うてもあんな変態に幼い子近づけさすんは倫理的にNGやわ!)

ひしっ。

 腕まくりして出て行こうとするラウラを誰かが引き留めた。見ると幼女が上着の裾を掴んでいる。身長一一〇㎝ほどの小さな体に確か着物と言っただろうか異国の服を着ている。だがそれも文献で目にした形とは大きく違っていた。動きやすさを重視したのか太もも辺りから開けていて全体的に着崩されている。少年よりも少し切れ長になった大きな瞳は鮮やかな赤紫色をしている。

(なんやろ、この子の瞳・・・。なんか吸い込まれるような・・・。)

見慣れない服装に赤紫色の瞳も手伝い、幼女からはその幼さにそぐわない妖艶さが感じられた。

「―――――っ!」

一瞬、ほんの一瞬だが意識が途絶えた気がした。急に体から精神だけを引き抜かれるような感覚がラウラを襲った。今も体の感覚が戻り切らずわずかにずれて感じられる。

「兄様の邪魔、離れて・・・・ください。」

 ラウラは少女に手を引かれるまま、壁ギリギリのところまで下がった。

「本当にこんなガキ一人に相手させるのかよ。これじゃあただのご褒美だぜ。君君、大丈夫ですか?ってな、プギギ。」

「僕なら大丈夫ですよ。それより、あなたたちは彼女を襲おうとしていたんですよね?」

「ん、僕?・・・あ、ああ。これから君も一緒に襲うんだけどな。」

「では、ここに来るまでにあった兎人族の方の家、あそこを襲ったのもあなた方ですか?」

「そうだ。どうした?怖くなっちまったか?」

「そうですか。罪人は罰を受け罪を許されなくてはなりません、これは当然のことですよね。」

 少年はフードに手をかけると静かに被った。

 少年の纏う空気が変わった気がした。ふわっとした物腰の柔らかな雰囲気はなくなり、少年の周囲ではピンと空気が張り詰めた。

「皆さん、僕と舞いませんか?」

「何言ってんだこいつ、やっちまえ!」

 二匹のオーガを先頭に少年へと襲い掛かるレッドファングの集団。少年は刀を手に取りゆっくりと抜刀した。

 先頭のオーガが振り下ろす鉈の側面を刀の背で叩くとそのまま体の横にはたき落とし、投げ前のめる体その脇腹に一撃を打ち込む。次のオーガがすでに振り下ろし始めた刀を右足を引いて躱すと、手首を上から、即座に返して顎をかち上げる。

「・・・す、すごい。」

 ものの数秒で自分より五〇㎝も大きな身の丈のオーガ二人を地に伏せてしまった。

「あなたたちも僕と舞ってくれますか?」

 自分のボスがやられ、どうすればよいのかわからない未熟なゴブリンだったが、ただ自分もやられるのだとそれだけは理解が出来た。命を奪われる恐怖から脚はガクガクと震え立っていることもままならなかった。そんなゴブリンに少年は選択肢を与えた。逃げるか、戦うか。

 心が折れた状態での戦いなど心を持つ者には出来ない。ゴブリンたちは武器さえもその場に置き去りにし全力で逃げ出した。

「ふう。」

 刀を納めた少年はフードを脱ぎ大きく息を吐いた。

 今の少年からは元の柔らかな雰囲気が感じられる。そのことにラウラも、ふと息をついた。

「ありがとう。助かったわ。で、なんやの今の?めっちゃすごかったやん!」

「いえ、僕なんて全然、まだまだですよ。」

 頬を赤らめ謙遜する少年はなお一層に可愛らしく、ラウラは思わず抱きしめたくなる気持ちを悶えるように堪えた。

(・・・でも、この子がホンマに純人間(ピュアヒューマン)なん?)

 目の前の少年の可愛さに身悶えながらもラウラの中では疑惑がますます膨れ上がる。少年の動きはとても純人間(ピュアヒューマン)に真似できるものではなかった。相手の攻撃を見て躱したにしては回避行動が早すぎるし、幾ら相手が態勢を崩したからといって一撃で気絶させることなど、急所に寸分のズレもなく全力を叩きこまなければ叶いはしない。

「君、名前は?」

「僕の名前はアマデウス・レンクヴィストといいます。こちらは妹のアリスです。」

「アマデウス君にアリスちゃんやね。うん、覚えたで。うちはラウラ・ラーゲルベック言うねん、よろしゅうな。」

「はい、こちらこそよろしくお願いします。」

 えへへ、とラウラと笑い合うアマデウスの横でアリスが浮かない顔で袖を引っ張る。

「どうかしましたか、アリス。」

「兄様、時間。」

 アリスは懐中時計を取り出すとアマデウスに盤面を突きつける。

「ああっ、大変です!」

「アマデウス君、急にどないしたん?」

「すみませんラウラさん。僕、自衛団の試験に行く途中だったのです。またお会い出来たらゆっくりお話ししましょう。行きましょう、アリス。」

 そう言うと、アマデウスは壁、雨どい、屋根と伝い建物の上を走っていった。アリスもより小さな体で当然のように後をついていく。

「うち、純人間(ピュアヒューマン)の中でも身体能力低いんとちゃうやろか?」

 自分より幼い二人の身軽さに思わず自分が周り全ての者より劣っているのではとラウラは感じずにはいられなかった。

 

『メルマリア』王国領土内最東端には自衛団専用の野外訓練場がある。その敷地外の広場が自衛団入団試験場の受付兼集合場所となっている。

アマデウスたちが到着したときには広場にすでに人影はなく、受付役の自衛団員二人牛と馬の混血人間(ハーフヒューマン)だけが談笑していた。アマデウスは息を整えながら懐中時計で時間の確認をする。

「一四時五八分。良かったです、なんとか間に合いました。」

 急いで受付に駆け寄ってくる少女と幼女を受付の団員は面倒くさそうに見る。

「あのー、入団試験を受験したいんですが・・・。」

「ああ君ねー、周りを見てもらえればわかると思うけどもう試験は始まっちゃってるんだよ。」

「そうそう、だからね、今年は諦めてまた来年受験してくれるかな?」

「来年じゃダメなんです!それにまだ試験開始時間にはなってませんよね?」

 アマデウスは懐中時計を開いて文字盤を受付の団員に突きつけた。

「でもね君、もう点呼も取り終えちゃったからね。予定を前倒して始めちゃったんだよ。」

「それにね、あんまり言いたくはないんだけど君じゃどのみち合格は出来なかったと思うよ。」

「それは、・・・どういう意味ですか?」

 受付の言葉にアマデウスは周囲の空気をピリつかせた。

「君、純人間(ピュアヒューマン)だろ?それに見たところまだ一〇歳ぐらいじゃないか。」

「随分と遠回しな言い方をするのですね。はっきりと言ってはいかがですか?」

 アマデウスの言葉が団員の怒りゲージを確実に沸点へと押し上げていく。

「ちっ、ガキが。てめえが傷つかねえようにわざと遠回しに言ってやってんだろうが、察せよ。」

「何をそんなにイラついているのですか?僕はまだガキなので遠回しな言い方ではわかりません。」

 アマデウスの作ったおとぼけ全開の幼く生意気な困り顔は団員のリミットを振り切らせた。

―――――プチン。

「ならど直球に教えてやるよ。お前じゃ弱すぎて話にならねえって言ってんだよ。出直して来いクソガキが。」

 しめた。作戦通りとアマデウスは心の中でほくそ笑んだ。

「そうですか、では僕が弱くなければ問題ない、ということですね。例えば、・・・・・現役の自衛団員と勝負して勝ちでもすれば。」

「おい、何が言いたい。」

「あれ?あなた方が傷つかないようにわざと遠回しに言ったつもりだったのですが、まさか『ガキなのでわかりません』、なんて言いませんよね?」

「いいぜいいぜ!俺が直々に教育してやるよ!自衛団の強さ身をもって思い知れや!」

 

 試験場前広場、つい先ほどまで入団試験を目前に控えた受験生たちがここに居た。亜人に獣人、魚人etc…種族、性別、年齢、出身を問わず、王国『メルマリア』を愛し己が手で守りたいと望む者全てに受験資格は与えられた。そしてまもなく始められる試験を突破出来た者だけが晴れて自衛団の一員となることが許される。

「今頃中では試験の説明がされている頃だろうな。お前は行かなくてもいいのか?」

「僕はまだあなたから受験票をいただいていませんので。」

 アマデウスは余裕の笑みを浮かべている。構えもごくごく自然で力みも全くない。他種族の力を持ち体の大きさも自分の倍近くある相手を前にしながら、全く持って慌てを見せないアマデウスの姿がより一層団員の心をかき乱し荒立てる。

「謝るなら今のうちだぞガキが!」

「どうして僕が謝らなくてはいけないのですか?」

「このくそガキがあの世からじゃ謝罪しても聞こえねえからな!」

 牛の団員が柄が二mはあろうかという巨大なポールアックスを振り回しながら突撃を始める。これに合わせてアマデウスは腰を落とし静かに刀に手を添える。

「アードルフ・オーグレーン団員!」

 突如二人の間に割って入った大声に牛の団員は振り上げたポールアックスのその先端までピタリと静止させた。

「聞こえなかったようなのでもう一度呼びます。自衛団第五番隊特殊攻撃部隊員、アードルフ・オーグレーン団員。聞こえたら返事をしてください。」

「はっ!ご苦労様です、団長!」

 先ほどまで赤い物に突進する闘牛そのものだった団員が今は青ざめた顔で敬礼している。さぞ滑稽な様なのであろうが、今は近づいて来る者以外を気にする余裕などなかった。

ぐっ、と腕が引かれる、視線を降ろすとアリスが近づいて来る男へ警戒心をむき出しにしてアマデウスの腕にしがみついていた。

(昨日、エイラさんから話は聞いていましたが、この人が、)

「自衛団団長、エルランド・メランデルさんですね?」

「初めまして。おっしゃる通り、私がメルマリア王国自衛団団長を務めています、エルランド・メランデルです。」

 昨日、ゴブリンたちを自衛団に引き渡した後、自衛団副団長であるエイラから話では聞いていた。アマデウスと同じ純人間(ピュアヒューマン)でありながら『メルマリア王国』最強と謳われる自衛団団長の話。

 目の前に立つ話に聞いた男は、線が細く艶やかなロングの金色の髪に清楚で柔らかな雰囲気の顔だち、一九〇㎝ほどの背丈に衣服越しでも感じられる無駄のない美しい肉体。彼の姿が見せるのは柔和で穏やかな雰囲気、ただそれだけにアマデウスの脳内はパニックを起こしていた。

今アマデウスの全身を包んでいる生々しく確かな存在感と重量を持った殺気。これが彼が放つものであると、どうしても理解することが出来ない。殺気を向けられていることはわかる、警戒心も正常に働く、なのにどこをどう警戒すればいいのかわからなかった。自分の腕にしがみつくアリスの力がさらに強くなるのを感じた。

(団員の人を挑発したことを見られていたのであれば今ここで捕らえられるかもしれません。なら、アリスだけでもなんとか逃がして―――)

―――ヒタ。

 ザザッ!

咄嗟にアリスを抱えアマデウスは大きく後ろへと飛び退いた。エルランドの二本の指が思考を広げていたアマデウスの顎に触れた。

触れていたのはわずかにコンマ三秒。それでもまだアマデウスの顎にはエルランドの指が触れ続けている、そんな感覚がした。

「あっはっはっはっは・・・・・。」

 アリスを背中に隠すようにして刀を構えるアマデウスを見てエルランドは大声で笑い始めた。

「なにが、可笑しいんですか?」

「あーはー、はー・・・はー。・・・すみません。君たち、アマデウス・レンクヴィスト君とアリス・レンクヴィストさんですね?」

「はい、そうですが・・・。どうして僕たちのことを知っているのですか?」

「いやなに、エイラ副団長から報告を受けていたというだけのことですよ。」

 涙をぬぐいお腹を抱えたまま話すエルランドからは先ほどの殺気は爪の先ほども感じられなかった。それどころか親しみやすささえ感じられる。

「しかしこれは穏やかではありませんね?うちの団員が子供相手に武器を振りかざしているのは、一体どういうことでしょうか。アードルフ団員、説明してもらえますか?」

「はっ!実は本日の入団試験者の確認が早めに終わり追加の受験希望者もなさそうでしたので、一四時五五分に全員試験場へと移動してもらったのですが、そのあとその子供が来たものでして・・・。」

「その時の時刻は?」

「・・・・・」

「一四時五八分でした。」

 口をつぐむ団員を横目にアマデウスは自ら口を開いた。

「試験開始時刻は一五時からでしたよね?」

「あっ、はい。」

「前倒しで試験を開始してしまったので、お兄さんが僕の試験相手を務めてくれていたのです。」

「なるほど。それで現役の団員自ら全力の手合わせをもって実力を測ろうとした、ということですね。」

 エルランドの冷ややかな視線がうつむいたままの団員の心を撫でる。団員は体の芯から冷えきったかのようにガタガタと震えだした。

「それならば、私が彼の実力を測っても構わない、ということにもなりますよね?」

「そ、そんな!団長にガキの相手をさせるなんて!」

 団長自らの名乗り出にアードルフは慌て口調を乱す。

『全ての者に敬意を持って当たること』

それを信条としている自衛団の団員でありながら、アマデウスを軽蔑した物言いにエルランドの冷徹な視線が向けられる。

「し、失礼いたしました!」

「・・・・・はあー、私だって自分の部下が負けるところは見たくないのですよ。」

「何を言ってるんですか団長!俺がこんなガキに負けるわけないじゃ・・・あっ。」

 団員の目は完全に焦点を失っていた。ガキ相手に全力でかかろうとした場面を団長に見られた挙句、その子供より劣ると団長の口から告げられた。信じられない言葉に口が勝手に反論の言葉を発していたが、その口以外は心も体もエルランドから即座に逃げようとした。口につられ前のめりになった上体を戻すと二、三歩バタバタと後退した。反論を述べた口さえも不味いことを口にしたとすぐに噤む。

「日頃の訓練を欠かしていなければ相手との実力差ぐらいわかるものです。団員として、戦いの前線に立つ者として恥を知ってください。・・・一からやり直しですね。」

 エルランドの言葉がぎりぎり保っていたアードルフの膝を砕いた。

「アマデウス君。うちの団員が失礼を働いたようで、申し訳ありません。」

「い、いえ。僕も言いすぎました。」

 さっきまで怒り狂っていたアードルフが怯え、慌てふためき、今は意気消沈している。この目まぐるしく変化する状況に、アマデウスは置き去りにされつつあった。

「お互いに謝ったことですし、この件はこれで終わりにしましょう。」

「は、はい。」

(失敗しました!これでは入団試験がっ!)

 状況に追いついた頭が即座に警鐘を鳴らした。アマデウスはすぐに口を開こうとしたが、それは杞憂であった。

「ところでアマデウス君、先ほどの試験の話なのですが、私が相手でも構いませんか?」

 ぞくり。エルランドの纏う空気がまた変わった。殺気とはまた違った重く粘着質な空気。アマデウスのつま先から脳天まで全てを一目に捉え一挙手一挙動、心拍に至るまで全ての動きを観察されているようなそんな全身に纏わりつく空気。

「・・・望むところです。ですが、合格条件だけ確認させてください。」

 エルランドを見るアマデウスの瞳には余裕などなく全神経がエルランドへと注がれていた。

「・・・では、私に一撃入れることができれば合格、という条件でどうでしょう?」

 少し悩んだ後エルランドの出した条件、それは端から見れば無謀でしかないものであった。この国最強と言われる男、どんな奇策を講じたところで純人間(ピュアヒューマン)の子供が一撃を与えることなど誰にも想像することさえ出来ない。

「わかりました。エルランドさんに一撃入れれば合格、それでお願いします。」

 しかし、アマデウスはあまりにもあっさりとその条件を飲んだ。

 

 広場の中央に二〇mほど距離を置いて二人が向かい合う。アマデウスの試験開始時刻は一五時一五分。開始までは残り一分。

「アマデウス君。私は本気を出してもよいのでしょうか?」

「当然です。本気を出していただかないと僕も刀を振るえません。」

 優しく柔らかい空気に包まれていたエルランドは『そうですか。』と一言呟くとそれまでの空気を破り捨てた。戦場を生き抜いてきた者だけの本物の殺気。この場の重力が突然強まったかのように体が重くなる。手のひらにじわりと汗が滲み喉が渇く。

 呼吸が速まるとともに視界がエルランドだけに絞られていく。

ひやっ。

突如アマデウスの意識の外からひんやりとした柔らかな何かが触れた。突然の冷感にふと視線を向けると、固く刀を握り締めた拳にアリスの小さな手が添えられていた。ぐいと拳に寄せられたアリスの顔では二つの大きな瞳が力強い眼差しが輝いていた。

「兄様、絶対負けない。自由に舞って!」

「アリス・・・・・、はい!」

アリスの言葉を飲み込むように大きく一つ深呼吸すると、一つずつ体の感覚を確かめる。

 (・・・・・大丈夫です。呼吸も正常ですし、体に重さも感じません。)

 もう一度大きく息を吸いながら空を見上げ、ゆっくりと長く息を吐き出した。

「ありがとうございます、アリス。もう大丈夫です。」

 アリスは手を背中に隠し少し恥ずかしそうに笑って見せた。

「必ず勝ちますから離れたところで見ていてください。」

笑顔で大きく頷くとアリスはトタトタと走って去っていく。

 アマデウスが視線を前へ戻すと、その先には淡々と準備運動を行う自衛団団長の姿。アマデウスの視線に気がつくと余裕の笑みを見せた。その笑みがまた一段と身に纏う殺気を不気味なものにする。

(僕は一人で戦っているのではありません。アリスの分も、二倍速く動き二倍強く戦って見せます。それでもまだ足りないというのなら防御を捨ててでもさらに早く、もっと先へ。)

 エルランドの殺気に気圧されそうになりながらも、アマデウスは心を奮い立たせ口を開く。

「エルランドさん、僕と舞ってくれますか?」

 緊張の色の見えるアマデウスの問いにエルランドは笑みで応えた。

 

一五時一四分五五秒、五六・・・五七・・・五八・・・五九・・・

ダン!試験の開始と同時に動いたのはアマデウスの方だった。刀は構えずに両腕を後方へと流したまま前傾でエルランド目がけて走り出す。

(エイラから聞いたスタイルとは随分と違いますね。ですが、)

アマデウスの動きを確認してからエルランドはゆっくりとその腰に下げられた剣に手を伸ばした。エルランドが剣の柄に触れるとまるで血液が循環するように剣や鞘に光が流れ、鼓動を打つ。

「剣の名はエクスカリバー。この世に名高き聖剣です。ですがただの聖剣とも違いますので、気を付けください。」

 鞘から現れる刀身は強い光を放ちやがて長い両刃の剣の姿にとどまった。

 アマデウスはエクスカリバーを振りかぶるエルランドを変わりなく視界の中央に捉え、前へ足を送り続ける。

「はっ!」

 エクスカリバーが振り下ろされるその瞬間、剣身は再び強い光を放った。

 光はアマデウス目がけ空間を塗りつぶしていく。

ダッ!アマデウスは光が放たれた瞬間に横へ飛び退き走行ルートを二メートル右へとずらした。

―――ザザン・・・。アマデウスを目がけた一本の光の筋はその後方一〇mの辺りまで至ったところで霧散した。光が散った後には斬撃の跡が深々と地面に刻まれていた。

「まさか予備知識もなく初見でエクスカリバーの一撃を躱すとは、驚きました。」

 『驚いた』そう口で言ってはいるもののエルランドからは微塵も動揺が感じられなかった。―――キンッ!

エルランドに対するアマデウスの初撃は全速力からの低い足元への一撃。エルランドはこれを正面からは受けずにエクスカリバーの背で受け流し即座に返しの一撃を振るう。アマデウスの前後に伸び切った体目がけエクスカリバーは振り下ろされる。

(今回は初見でしたし、まあこれぐらいのものでしょう。初撃を躱しただけでも見事です。)

アマデウスに対する評点をつけながら試験終了を告げる剣を下す。

ギンッ!

試験終了を告げるはずの剣は想像とは大きく異なった強い金属音を響かせた。

「何を惚けているのですか?試験はまだ終わってはいません。」

 想定外の金属音はエクスカリバーが弾かれる音だった。最後の一撃で気絶するはずだったアマデウスは未だ健在ですでに次の一撃を放つところだった。

 

 アマデウスが一気に踏み込んだことでお互いに相手の武器の間合いの中に入った。激しい剣劇が繰り広げられる。

 エクスカリバーでアマデウスの攻撃を正面から受けその全てを弾き、次の剣を振るうエルランドはまさに騎士の手本といった様を見せていた。

それに対しアマデウスは決して正面からは受けず、体の回転も合わせエルランドの攻撃の全てを体全体で受け流しロスなく次の攻撃にへと流れをつなぐ。絶えず流れていながらも重心の移動と回転運動により繰り出される攻撃は確かな重みと威力を持つ。不規則で流動的な動きの中に緩急が存在しているアマデウスの攻撃は、まるで美しい舞を見ているようで周囲の目を惹きつける。

 長剣のエクスカリバーでは絶えず流れるアマデウスの攻撃は追い難く、次第にアマデウスの攻撃が先行し始める。

(このまま流れに乗っていれば必ずチャンスが、)

ギギン!『このまま押し切れる。』その思考がアマデウスの集中に一瞬の隙を生んだ。その一瞬にしてエルランドはアマデウスの刀を弾き体に二つの切り傷を刻んだ。

見ると両手長剣だったエクスカリバーは片手長剣のサイズにスリムアップしている。

「最初の一撃から感じていましたが、エクスカリバーは生きているのですね。」

「生きてる、ですか。端から見たのでは剣そのものに形状変化魔法をかけた、と考えるのが普通なのですが・・・。魔法の扱える者であれば分かりますが、魔力を持たない純人間(ピュアヒューマン)である君が一目見た時点で気づいたのはなぜですか?」

「なんとなく鼓動を感じた気がしたというだけです。」

 どうしてそんなことを聞くのかとでも言いたげに、不思議そうな表情を浮かべるアマデウスはただの子供で力を隠しているようには全く感じられない。

(先ほどの一撃を防いだことと言いエクスカリバーの鼓動を感じたり、どうやら君は普通の純人間(ピュアヒューマン)とは違うようですね。)

 ただ感覚が鋭く反応がいいだけなのか、本人の自覚していない何か特別な力が隠れているのか、エルランドの頭に一瞬議論されかけたが今は試験の最中であり会議室はすぐに撤収された。

「エクスカリバーには光の精霊が宿っているのですよ。初めはただの光の力を持つ剣、というだけだったのですが、今では思った通りの形に成形出来ますよ。」

 エクスカリバーを慈愛顔で見つめながらその剣身を優しく撫でるとエクスカリバーもまた喜びながらエルランドの手のひらにすり寄っているような気がした。

(さっきよりも気配が大きくなってます。まだ強くなるなんて本当冗談になりませんね。)

 エルランドから感じられていた余裕という外壁が削られ圧倒的な存在感と実力が徐々に露わになっていく。その大きさを全身に感じながらアマデウスは集中を一層研ぎ澄ます。それを感じたのか、エルランドも改めてアマデウスに向き直る。

「まだまだ舞ってくれそうですね。」

「もちろんです。まだエルランドさんに一撃入れていませんので。」

 言葉を言い終わるかどうか、そんなタイミングで第二ラウンド初撃は繰り出された。

「不意打ちすれすれですよ、騎士道に反するのではありませんか。」

 速度が段違いに上がった上に不意打ちまがいなエルランドの一撃をアマデウスは咄嗟に受け止める。

「あまりゆっくりもしていられないようですので・・・。」

「えっ、今なんて・・・。」

 アマデウスに聞こえるか聞こえないか、鍔競り合いの最中呟かれたエルランドの言葉にアマデウスは注意を奪われた。

「集中力が足りていませんよ。」

 純粋な力勝負では当然エルランドに分がある。跳ね除けられたアマデウスは態勢を崩し後ろ足を踏む。そこに降る次の一撃を辛くも刀を当てて防いだアマデウスはさらに後ろ足を重ねた。

繰り返されるエルランドの攻撃は徐々にその速度を上げアマデウスに押し迫った。

 ガギン!

 足元から斜め上に振り上げられたエルランドの一撃がアマデウスの上半身ごと刀を天空へとかち上げた。完全に伸びきったアマデウスの体は次の一撃に備えることなど不可能だった。無常にもエクスカリバーは振り下ろされる。

(まだ、・・・こんなところでは終われません!)

 アマデウスの五感が視覚だけに集中していく。聴覚・触覚・嗅覚・味覚、他四つの感覚から得られる情報を捨てさり剣を見ることのみに一〇〇パーセントの神経を費やす。世界から音も肌を撫でる風の感触も匂いや味も失われ、やがて色彩さえなくなっていく。得る情報が少なくなるごとに振り下ろされる剣の動きはスローモーションになっていく。

コンマ二秒もあればアマデウスの右肩から左腰にかけて深く溝を刻みつけていただろう斬撃はアマデウスの体感で四秒たった今右肩に切っ先を入れようとしていた。

「うあああああああ!」

 どれだけ早い斬撃だろうがこれだけスロー再生してもらっていればたとえカタツムリだろうと躱せるに違いない。

しかし、上空に飛んでいきそうなほど強くかち上げられたおかげで体は伸び切ってしまっている。両腕は上空へ飛んでいってしまいアマデウスの指示など届きそうにもない。両脚だって体を浮かさないように地面を捕まえておくのに必死でそれどころではなかった。回避の要となるはずのユニットが全く使えない。それでも脚が地についているおかげで体幹だけは生きている。

 『体幹が生きているのでしたら』と言わんばかりに、体幹のみの力で体をひねり上空への力に占められた体に無理矢理回転方向への動きを生み出す。

――――ヒュン。

 間一髪。振り切られたエクスカリバーは服を掠めただけでアマデウスの体に溝を刻むことなく地に切っ先を向けることになった。

アマデウスは絶体絶命の危機を回避しただけでは止まりはしなかった。

「うおおおおおおお、」

(この人に一撃を入れるには、勝利するには今しかありません。)

エルランドは今、勝負を決めるはずの一撃を躱され態勢を崩している。対するアマデウスはその一撃を躱した時点で次の一撃の準備は完了している。

回避のために生み出した回転は反撃への流れとなり、倒れこむ体に対し踏み出された足がそこに力を吹き込む、致命傷を与えるに足る重さ、速さの一撃を繰り出す力は用意された。あとは体を伝う力を流れのままに刀に乗せ振るうだけだ。

「りゃあああああ!」

――――シュッ。

 振り切られず獲物を捕らえることもなかった刀の切っ先からは、そこに込められた力だけが空中へと放たれた。

 アマデウスの刀はエルランドの喉元手前五㎝のところで制止していた。

「惜しかったですね。」

 エルランドは汗一つない爽やか笑顔で言ってみせた。

「なにが『惜しかったですね』ですか・・・。」

 対照的にアマデウスは汗にまみれ悔しさと苦しさを滲ませながら口元だけで笑ってみせる。その顎の下一㎝にも満たないところでは、エクスカリバーが厭味ったらしく太陽に負けない光をギラつかせていた。

「・・・はあ、・・・はあ。・・・もう一戦、お願いできますか?」

 体を起こし乱れた息を整える、頬を伝う汗を拭いながらアマデウスは再戦を申し込んだ。

「アマデウス君が望むのであれば何度でも・・・、と言いたいところなのですが申し訳ない。今日は時間切れのようです。」

「何か予定でもあるのですか?」

 悔しさに顔を曇らせながら尋ねるアマデウスを見て、エルランドは『まあちょっとね。』と頭痛を庇うような苦笑いを作った。

―――ヴー、ヴー。

苦笑いを作るエルランドの右耳に装着された通信機からバイブ音がし始めた。

「はあー。」

 声には出していないものの脳内でアテレコしてしまうほどあからさまなため息をついた後、エルランドはしぶしぶ着信に応答する。

「はい、こちらエルランドです。」

 電話先で何をそんなに怒られているのか、ただひたすら頭を下げ続けた後もう一度、今度は声に出して大きなため息をついた。

「通信の内容は何だったのですか?」

 ここで相手を聞かなかったのは知ってしまうと面倒そうだからではなく、単に聞いたところでアマデウスの知っている者ではないだろうと言う確率的推測からである。

「ああ、はい。実は今日ある集団が大規模な襲撃計画を立てているという噂が上がっていまして、その会議の途中で抜けてきたのですよ。」

「つまり、仕事をサボタージュしてきたのですか?」

「い、いやいや違います!仲間がものすごーく優秀なので私が居なくても大丈夫かなーと思いまして、任せてきただけですよ。」

 必死に汗マークを飛ばしながら、一〇歳の子供それも話に関わりのない外部の者に言い訳する姿はなんとも情けないものだった。エルランドのことを見るアマデウスの目も自然と冷淡になっていった。

(エルランドさんとはまだ会ったばかりですが、この人は多重人格者なのではと思ってしまいます。)

 まだ言い訳を続けているエルランドの正体に対しアマデウスは現実逃避に等しい解釈を脳内会議に提出していた。

「とにかく、申し訳ないのですが私は戻らなくてはならなくなってしまいました。再戦の話ですがよかったら明日、自衛団の本部に来ていただけますか?」

「明日ですか・・・。」

「本当に申し訳ない!それでは私はこれにて失礼します。」

 アマデウスが取り付く島もなく、帰っていくエルランドは戦っているときの二倍は速度が出ていた。

第二章   ミスティル

自衛団入団をかけて行われたエルランドからの入団試験は結果だけを言えばエルランドが呼び出しを受けたことによる中断・保留であり、続きは翌日に持ち越しとなった。しかし最後の瞬間には結果が出ていた。アマデウスが最後に振るった一刀は確かにエルランドの喉元を捕らえる寸前にあった。だが、それより先へと刀を振り切ることは出来なかった。

アマデウスは顎下に居座ったエクスカリバーの存在感を確かめるように顎下から喉元を触った。

「つっ!」

 触れた部分に痛みが走った。そろーっと確かめてみると皮膚がただれていた。おそらくエクスカリバーの放つ光の熱で皮膚を溶かされたのだ。見てみれば服もあちこち焦げ、体も服が擦れる度にあちこちで刺激が走る。

「本気で戦っていたら何度死んでいたかわかりませんね。」

 あまりの力の差に呆れ諦めるかのような声とは裏腹に、アマデウスは拳を固く握りこんだ。

「兄様!大丈夫?」

「あ、はい。大丈夫ですよ。」

 アマデウスを心配してアリスが袖を振り乱しながら駆け寄ってくる。固く握られた拳を開きアリスの頭を優しく撫でた。

「すみません。負けてしまいました。」

「ううん、アリスこそ、いつも兄様に任せてる。ごめん。」

「いいんです。アリスを守るのは兄である僕の役目です、謝らないでください。」

 アマデウスの言葉には何一つ意思と思えるものが含まれていないように感じられた。ただ役目だからする、業務連絡と何ら変わらない話し方にアリスは少し顔を曇らせた。

「でも、兄様惜しかった!もう少しで勝てた!」

「そんなことありませんよ。あの人は全然本気ではありませんでしたから・・・。もっと鍛錬しないとだめですね。」

「うー・・・、牛の人相手だったら兄様勝って試験も合格!絶対!」

 服を握りしめ溢れ出しそうな悔しさを小さな体に抑え込んでいむアリス。まるで戦い、敗れたのが自分であるかのように悔しがるアリスを見ていると、アマデウスは心がじわりと温かくなるのを感じた。

「ありがとうございます、アリス。僕のためにそんなに悔しがってくれて。でも勝負に『たられば』はありません。偶然も奇跡もありません、あるのはそれまでの自分が導いた結果だけです。」

「うー、兄様もっと悔しがる!」

 年齢に不釣り合いな大人な物言いで淡々と結果を受け入れ次の一歩に備えるアマデウス。アリスはそんな兄に自分の悔しさを分けてやるとでも言うように、兄の胸に力いっぱいに拳を打ちつけた。

「エルランド・メランデル!次兄様が勝つ、絶対!」

 スカッと晴れた気持ちのいい青空目がけ啖呵を切るアリスをアマデウスはやれやれと言った顔で見守っていた。

 

「へっくしゅん!」

 『メルマリア王国』自衛団本部。その会議室で書類を確認していたエルランドは、大きなくしゃみで書類を巻き上げた。

「大丈夫、エル?」

 ゆっくりとクロールしながら空中をスライドする幼女が、気だるげに心配の声をかける。見た目五~六歳のボーイッシュなその少女は全身から淡い光を発していた。

「ええ、私は何ともありませんよ。心配していただいてすみません、エクス。」

 エクスと呼ばれた幼女は体を捻りこみ水泳のターンみたく空中を蹴り、エルランドに向って進行方向を切り替え突進した。

「そんなことはどうでもいいんだけどさっ!さっきの子すんごい強かったな!アタシちょー楽しかった!明日また遊べるんだよな?」

「どうでしょう?確かに明日とは言いましたけど、ギルドはたくさんありますし他のギルドに所属する、という可能性もありますから。」

 顔のすぐ前で大きな身振り付きで興奮を伝えてくれる少女を避けつつエルランドは散らばった書類をかき集めた。

「え~、なんでえ!ならさっきの合格でいいじゃん!あんなに戦えるのそうそう居ないって!もったいないじゃん!」

 かき集めた書類が摘まれた机をバシバシ叩きながら全身を大きく使って少女は抗議した。当然、書類は再び宙を舞いエルランドの苦労は全てリセットされた。

「はあー、あなたが遊び相手を欲しがっているだけのように聞こえるのですが。」

「うっ、そ、そんなことないもんねー。魔法使ってアタシのこと確認したわけでもないのに、アタシが生きてるって気づいたんだよ。それも一撃目で!そんな子初めてじゃん!絶対もったいないよ!」

「ですがルールはルールです。あの試験での合格条件は彼が私に一撃を加えること、これは彼も同意したことです。そしてその結果、彼は私に一撃を加えることは出来ませんでした。であれば彼が不合格になるのは当然のことです。」

 まさかの書類拾いのリテイクに思わずため息をつきながらも同じ作業を同じように行う。その姿には、エクスに対し自分は仕事があるから構ってはいられない、と無言ながらに抗議の意思が感じられた。

 拾い集めた書類の束を机で整えるエルランドの右腕にしがみつき、おねだりする子供のように大きく体を揺らすエクス。エルランドの無言の圧力はエクスには感知不可能であったらしい。

自分がしたいことをするのが一番だと考えるエルランドからすれば、どうするかなんていうのは当人の自由でありこちらの都合を押し付けてはいけない。それでもいつまでもこうしていては仕事にはならないしアマデウスが戦力として欲しいというのも事実だった。

 『どうしたものか・・・』と少女に揺さぶられながら目を閉じ思考していると扉の開く音がした。

―――ガチャッ。

 開いた扉のすぐ奥に居たのは書類を抱えた自衛団副団長エイラ・メランデルだった。すでに扉は全開になっているのに、エイラは入室しようとせず部屋の外から顔色一つ変えずにただ冷たい視線を送っていた。

 エイラの目から見える景色にはねだり声を出しながら、少女におねだりされ悦に浸っている夫の姿があった。

「何をされてるのでしょうか、団長?」

「ああ、エイラ副団長、お疲れ様です。何をって、今は書類を・・・」

 思考を中断しエイラの問いに答えようと自分の現状を確認しなおす。そこには少女に迫られされるがままの自分が居た。

「いや、これはですね・・・」

――――シュ、コン。

 現状確認を行い報告義務を果たすべく顔を上げたエルランドを迎えたのは一本の投げナイフだった。エイラの手から放たれたナイフは『シッ』と音を立てながらエルランドの頬に直線を刻んだのち、後ろの壁で少しの間唸っってから黙り込んだ。壁に刺さったナイフは『あなたの意見を聞く必要はない』と言っていた。

「永遠の沈黙と死、どちらが良いでしょうか?」

 エイラは腰に備えられた二本目のナイフを取り出し、無表情のままエルランドに選択肢を与える。

「それは君の頭の中では同義になってはいませんよね?」

(もしここで発言を誤れば即デッドエンドですね。)

 あまりの緊張に冷や汗を流しながらエルランドは恐る恐る口を開いた。

 それに対するエイラの回答は、

――――スッ。

 無言で二本目のナイフを構える、だった。

「ちょ、ちょっと待ってください!これは誤解、誤解ですから。」

 両腕を前へ突き出した全身での抗議にエイラは二本目のナイフを納めた。

「あっ、エル、ここ血出てるよ。」

 先ほどまでエルランドの右腕で駄々をこねていた少女は腕を引き剥がされるとエルランドの右頬に付いた傷に気付いたらしく、顔が並ぶ高さまで浮遊して

―――ペロッ。

 いつものこと、とさも当たり前のように傷口に舌を這わす。傷口は舐められたところから治癒していき舐め終わった時には跡形もなくなっていた。

「これで良し。」

傷があったところを至近距離で見つめ具合を見る。

「あっ、まだ血痕が・・・」

 そう言って少女が舐めとろうと舌を近づけたとき。

――――シュ、コン。

 同じ軌道を辿り、二本目のナイフが一本目が刺さるその穴に割って入った。

「ちょっとエイラ、何すんの!治したばっかなのに、また傷が出来たじゃん!」

「黙っててください。手元が狂って団長を殺してしまいます。」

「えっ、殺されるのは私なのですか?」

――――シュッ。

「大体、命にかかわるような傷でもないものを一々治癒しないでいただけますか、エクスカリバー。任務のとき以外は人型で居ることを許可しているだけでも大きな譲歩なのです。これ以上団長を堕落させないでください。」

「あれ?もしかして『大事な旦那が寝取られちゃう~』とか思ってるの?」

――――シュッ、シュッ。

 発光する少女改めエクスカリバーはどうやら空気が読めない上にどうしようもなく悪ガキ気質のようで、エイラの逆鱗を無邪気に愛撫でしていた。

「今は勤務中であり、そこに居るのは団長のエルランド・メランデルで私は副団長のエイラ・メランデルです。夫だとか妻だとかそう言った私事は一切関係ありません。第一エルランドの私に対する愛情はその程度のことで揺らぐようなものではありません。」

――――シュシュシュッ。

 エイラが夫エルランドとのことを仕事に持ち込まないというのは、二人が結婚する際に自衛団全員の前で宣誓されたことなのだが、その時点で大いに私事が自衛団内に影響を与えたことをエイラは理解していない。そして今現在、メランデル夫妻に関する話題はむしろ団員たちが自らタブーとしていた。

「とか何とか言ってホントは、」

「ストーップ!」

 忘れられかけていた当事者の一人エルランドが次の口撃に移っていたエクスカリバーにストップをかけた。

「エクス、止めてください。それ以上続けられると、いよいよ私が死にます。」

 見ると六本のナイフが衣服をとらえエルランドの体を壁に貼り付けている。

「エルはなんでそんなとこに貼り付けられてるの?」

 『あなたのせいですよ』とエルランドが目眉で訴えていると視界の端でエイラが動くのが見えた。

「待ってください、エイラ!」

 エルランドの必死の呼びかけにエイラは動きを止めたものの、その手にはナイフがしっかりと握られていた。

「大丈夫ですよ。私はあなたが生物として機能しなくなろうとも愛せますから。」

「いえ、エイラが大丈夫でも私が大丈夫ではありません。生きていなければエイラのことを愛せないではないですか。」

 ぽっ、と音を立てて顔を赤く染めると照れていることを隠したいのか顔を引き締め怒りに似た表情を作り体を小刻みに震わしている。

「そ、そんなことを言っても騙されませんよ!どうせエクスカリバーにも同じようなことを言っているのでしょう!」

「何をバカなことを言っているのですか。エクスは私の相剣であって愛剣ではありません。私が愛しているのは妻であるエイラ、あなたただ一人です。」

「・・・・・わかりました。あなたの言うことを信じます。」

 ナイフを仕舞いツカツカと部屋の中に入ってくるエイラ。その足取りは軽く横顔からは機嫌の良さが感じられた。ひとまず嵐が去ったことにエルランドはほっと胸を撫で下ろした。

「ちょっと、さっきの本気でエルのこと殺す気だったよ。あんなのが奥さんで本当に、」

 エルランドの耳元にエクスカリバーが寄ってきたかと思えば、とんでもないことを言い出すのでエルランドは慌ててとっ捕まえ口を塞ぎ込んだ。

「それで・・・」

 エイラがそんなタイミングで口を開いたものだからエルランドは心臓を締め上げられたようだった。その緊張はエクスカリバーにまで、伝わりエクスカリバーまでもが目を白黒させた。

「それで・・・、アマデウス・レンクヴィストはいかがでしたか?」

 まったく予想していなかった言葉にエルランドは思わず黙り込んでしまった。

「・・・?さっきまで居なかったのは試験場に行って彼の事を見てきたからではないのですか?」

「あ、ああ。はい、そうです。見に行ってきました。」

「それで、彼はいかがでしたか?」

「エイラの話から想像していたのとは全然違っていました。状況的に自ら攻める必要があったからでしょうが、ずいぶんと攻撃的なスタイルでした。ですがあなたの言う通り、根本的には守備的なスタイルのようですから体に馴染んでいない様にも感じました。それでも素晴らしい戦闘技術とセンスを持っています。戦いの中で成長を感じさせてくれるほどでしたから。・・・まだまだ強くなりますよ、彼は。」

「その口ぶりですと団長自ら彼の試験を行ってきたようですね。」

「うっ。」

「そのことは別に咎めません。何か事情があったのでしょう。それに勝負しても構わない状況で強者を前にしては、あなたに我慢など出来るわけがないとわかっていますから。」

 さっきのように怒られるかと思い、『しまった』と思ったがエイラの様子は想像と異なり優しく包む妻の顔をしていた。

「エクス、さっきの質問ですが、こういう時に彼女が妻でよかったと感じます。私のことをちゃんと理解して支えてくれる。私が無茶をしてもちゃんと帰ってくる場所を守っていてくれる。そう感じさせてくれる時に、彼女が妻で本当に良かったと、そう感じるのです。」

 そう言ってエルランドがエイラを見つめる顔は、剣であるエクスカリバーでさえ『これが愛なんだな』と、そう感じられるものだった。

「でも、それは残念ですね。今日アマデウスさんに合格を出さなかったとなれば彼が自衛団に入団することはなさそうですね。」

「ええっ!」

「どうしてですか?」

「実は今日、『戸陰』に行ったときに『ミスティル』のラウラ・ラーゲルベックに会ったので彼女にも彼のことを教えたのですよ。」

「そう言うことでしたか。『ミスティル』の・・・。」

 

 自衛団入団試験場前広場。エルランドとの試験戦を終えたアマデウスはまだ広場から移動もしていなかった。

「兄様?」

「今日の宿は試験に合格して団員専用の寮、という予定だったのですが、野宿するしかないでしょうか。」

「野宿・・・・・。お風呂、ベッド、ご飯・・・。」

 昨日も旅商人の荷馬車に泊めてもらい、もう一週間ほどまともな寝床で休めておらずお風呂にも入れていない。せめてアリスだけでもまともなところで休ませてあげたいがアリスを一人にすることは出来ない。

(どこかお店にでも一晩だけ泊めてもらえるようにお願いしてみるか、ギルドホールに行って人員募集をしているギルドに入れてもらうか・・・。)

「何やお困りのようやな。」

 あーでもないこーでもないと思考を巡らすアマデウスの後ろから聞き覚えのある言葉使い聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「ラウラさん!一体どうしたんですか?」

 金髪ショートカットの人間の女性、名はラウラ・ラーゲルベック。入団試験に向かっている途中、オーガ達に追われていたところをアマデウスが救った。

「今晩泊まれるところをお探しやとか。」

「はい。実はそうなのです。お金がなくて宿には泊まれないし、入団試験も不合格になってしまったので、行く当てがないのです。」

 ニヤリ。この瞬間のラウラの顔は悪徳業者も顔負けのしたり顔だった。

「そうか~、可哀そうに・・・。ほんなら二人揃ってうちへ来たらええねん!」

「えっ!ラウラさんのお家ですか?そんないきなり悪いです。」

「ちゃうちゃう。うちが今所属してるギルドっちゅうか、ファミリーの寮みたいなもんやから。ん、でも普段からそこに住んどるし結局うちの家っちゅうことになるんか?」

「??」

「まあええわ!これから行かなあかん所あるわけとちゃうんやろ?ほな付いといで。」

 説明を途中から投げ出したまま、半ば強引にアマデウスの手を取るとラウラは足を進めた。

 ラウラを先頭にアマデウスたち兄妹は『メルマリア王国』の西側国境を出て外に広がる森の中を一五分ほど進んだ。

「そろそろやで。」

「・・・清水の匂い。」

 ラウラの言葉にアリスは鼻をスンスンと鳴らし周囲の変化を匂いで感じた。

 日も傾き始め暗がり始めた森の中、前方に光で満たされた場所が見えてきた。近づくと西日が目に注ぎこまれ視界をくらませる。暫くすると目も慣れその景色が姿を現した。

「きれい・・・。」

 開けた場所には大きな湖があり、これこそが目をくらませた正体だった。湖に降り注いだ西日が湖に反射して森へと差し込んでいたのだ。広場は直径一㎞ほどの正円形、湖は長径二〇〇m・短径五〇mほどの楕円形をしていた。そして、その奥、

「あれが、うちらの家『ミスティル』や。」

 湖の奥、ラウラが指さしたところにあったのは、大きな大きな一本の木だった。軽く二〇〇〇~三〇〇〇年は生きているだろう。

 近づいてみるとまたその大きさに驚かされる。建造物にはない生物独特の存在感を感じる。それは決して人を圧するものではなくむしろ全てを受け止めくれるようなそんな大きくて温かいものだった。

 よく見ると木には扉や窓が取り付けてあり、中から明かりがこぼれている。晩御飯の準備を始めているのか刺激的な香辛料の香が鼻腔を通過し胃袋を刺激する。

「二人とも、覚悟はええかな?・・・ほんなら、お二人様ご案内~!」

 二人が頷くのを確認するとラウラワザとらしく溜めを作り扉を開いた。

 大きな木の扉をくぐると中には思っていた以上に広い空間が広がっていた。入り口から奥の壁までは二〇mぐらいありそうだが、扉の付けられた壁を見ると木の表皮まではさらに三mぐらいありそうだった。壁に沿って階段が取り付けられているが、外で見た窓の数から四階まであるようだった。中の照明には魔法火が使われており、オレンジに近い暖かみのある優しい炎がゆらゆらと部屋の中央で揺れている。

「おかえり、ラウラ。その子たちがあんたが仲間にしたいって言ってた兄妹ね?」

「ただいま、アル姉。せや、この子らめっちゃキュートやろ?おまけにこっちのお兄ちゃんめっちゃ強いねん!」

 部屋の奥には広間とは区切れるようになった一室が見える。そこに居るやたらと長い煙管をふかしている一人の女性がラウラに答えた。

 ラウラにアル姉と呼ばれた彼女はとにかく色気を感じる大人の女性、そんな印象だった。、エルランドと同じぐらい背の高さがありながら、その上一五㎝はあるヒールを履いているものだから頭の位置がその辺の男どもよりも高い。遠目からでもはっきりとわかるほどにボディーラインの強調されたタイトな服、それに締め上げられた見事な巨乳が淫靡さをより一層盛り上げている。肩に掛かったコートがボディーラインをカバーするはずなのだが、それさえも色気を増幅させる手助けをしていた。

「こんなに離れてちゃ、ちゃんと見れないわね。」

 ダンッとその場で踏み切った彼女がふわっと舞い上がったかと思えば、

―――カカンッ。

 一息に兄妹の目の前に降り立った。

「これでいいわね。」

 先ほどまで遠くてはっきりとわからなかった彼女の顔は、目口が大きくはっきりとした顔だちに強めのウェーブがかかった赤髪のロングヘア―、その隙間から覗く耳は人間と比べると少し尖っているように感じた。

「あんたたち、名前は?」

「アマデウス・レンクヴィストです。こっちは妹の、」

「アリス。」

「アマデウスにアリスね。私の名前はアルヴァ・フォルシアン、よろしく。」

そう言ってアルヴァはニカッと笑顔を作って見せた後ずいっと顔をアマデウスに近づけ見つめる。

五秒ほど見つめると次はアリスに顔を近づけ同じく見つめる。アリスは少し長めに七、八秒ほどかかっただろうか。一通り見つめるとアルヴァは突然立ち上がりこう宣言した。

「決めた。あんたたち二人、今日から私の家族になりな!」

 両手を腰に当て、アマデウスたちに向かって腰をくの字に折り曲げて宣言するとまたニカッと笑顔を作った。

「ちょおっと待ったあ!」

 ただ顔を見つめられただけで家族に迎えられることになろうとしていたこの瞬間、右側に見える扉の奥から大きな抗議の声が上がった。

「意義あり!意義あり!意義あり!意義あり!意義ありいいいいい!」

抗議の声が上がると扉は勢いよく開かれ、一人の男が速足で詰め寄ってきた。

「こんなクソチビが新しい家族になるだなんて俺はぜってー認めねえ!」

 彼はアマデウスの目の前で立ち止まると人差し指を突き立て怒鳴りたてた。

「なによクー公、あんた盗み聞きしてたの?てか飯は?」

「ちょっと待ってくださいよ!この格好見たらわかるでしょう!絶賛調理中ですよ!厨房に居たら嫌でも聞こえますから!」

 アルヴァから粗末なものを見るような冷めた視線を受けるクー公と呼ばれた男は確かに調理中の姿をしている。肉の油と複数の香辛料の粒を付けたままのナイロンの手袋を両手にはめ、足首辺りまである長いエプロンに三角巾まで装備している。

 銀色の髪に鋭い目と大きな口、口内には鋭い牙が並ぶところから見るに人間ではないようだった。

 アマデウスが観察していると、視線に気づいたクー公が眉間にしわを寄せ下から視線を捲り上げる。

「おいこら、クソチビ。お前今俺のこと『ハッ、何この子、自分の方が小さいのにクソチビとか呼んですごく・・・無様!』とか考えてただろ?おお、コラ。」

「そんなこと全く思ってません。・・・確かに僕より小さいですけど。」

 アマデウスはまだ一〇歳の子供なのだ。たとえ思ったことをそのまま口にしてしまったとして誰に責めることが出来るだろうか。

 クー公は顔やその雰囲気から二三歳ぐらいに思われたが一〇歳のアマデウスよりも一五㎝ほど背が低い。こんな状況を指摘しないなど子供に出来ようか、いや出来るわけがない。

「何だとコラッ!もう一回言ってみろや!八つ裂きにしてくれるわ!」

 チンピラの標準装備的なフレーズを振りまきながらクー公はアマデウスの胸倉を掴みにかかった。

 繰り出したまま、クー公の手はそれ以上前へは進まむことはなかった。体もろとも氷漬けになってその場に静止していた。

「全く何やってるのよ。こ~んなに可愛い子に暴力なんてサイッテー。しばらく頭だけじゃなくて全身冷やしとけばいいのよ。」

 突然後ろから誰かが寄りかかり耳元で話し始めた。

「大体聞きたくない話なら耳栓して料理してればいいのよ。ねえ、そう思わない?」

 凛とした雪解けの滴のような澄みきった美しい声だった。

声のする方へと首を回すとそこに居たのはとても美しいハーフエルフの女性が居た。

エルフの美しさは幻想的で自分は今夢を見ているのではと錯覚させると言うが、彼女は幻想的なだけでなくどこか儚く、より夢のように感じられた。

「うおりゃあああ!」

―――バキァン!

全身を氷漬けにされていたクー公が氷を砕き復活する豪快な音が部屋に響いた。

「この、クソビッチが!よくも氷漬けにしてくれやがったな。」

「ちっ。・・・別にいいじゃない。あんた去年の雪まつり見逃したって騒いでたでしょ?ちょうど良かったじゃない。」

(あれ?ビッチ?舌打ち?)

 先ほどまでの儚げな美人のお姉さんはどこへやら、そこに居るのは高飛車で気の強そうなお姉様だった。

「ふざけんなよ。俺は雪まつりを見たかったんだよ!勝手に出場サイドに加えてんじゃねえ!・・・気を付けろよ、クソチビ!こいつはエルフと雪女のハーフでショタコンかつロリコンの幼児限定両刀超肉食系女だかんな!」

(なるほどー、半分が雪女ということはさっきの感覚も雪女の妖力が影響していたのですねー。)

 などと冷静に解説しつつアマデウスは

(女の人って怖いなー。)

 と男が人生で必ず学ぶことになる大きな問題との初対面を迎えていた。

「あんたこそドワーフで狼人間(ウェアウルフ)のくせに女に声もかけられない超草食系ヘタレ童貞じゃない。どうするの?もう二三なのよ、魔法使いまでのカウントダウン始まってるわよ。このままだとあなたの部屋に漁船が間違えて突っ込んじゃうわね、イカ臭くて。それに・・・」

 ビッチVS童貞なんて勝負になるわけがなかった。試合のゴングがまだ鳴り響くうちに即死コンボが炸裂、童貞は体力が底をついてもなお殴られ続けるサンドバッグと化した。

「そのぐらいにしときなさい、ヘレン。クーが泣いちゃうでしょうが。それに端から見るとただの弱い者いじめになってるわよ。」

 レフェリーの居ない野良試合に終了の合図を出したのはこの家の責任者でありながら、通りすがりの傍観者ポジションに居座っていたアルヴァだった。

「まあ、アルヴァが言うなら。・・・ごめんね、クー。私も調子づいてたわ。お願いだから泣き止んで、ね。」

「ふざけんじゃねえ、泣いてねえから!大体なんだ調子づいてたって、『調子に乗ってた』だろうが!絶好調か!?ゾーン状態なう、とでも言いてえのか!」

 下を向いたままだったクーも顔を上げた途端、目くじら立ててまくしたて始めた。怒っているはずなのだがその様子もどうしてかアマデウスにはとても楽しそうで見てると自分の胸の奥には穴が開いてるような気がした。

「あはははは!ならヘレンには私たちがスローモーションに見えてるって訳ね!あははは。」

「姐さん何笑ってんですか!俺のこと弱い者扱いするのもいい加減に止めてくださいよ。ラウラてめえもそんなとこで黙ってんじゃねえ!そもそもはてめえが連れてきたクソチビが発端だろうが!」

 アルヴァに首根っこを掴まれて空中でジタバタ暴れるクーをヘレーナが突っつくとクーが一層大きく暴れる。未だに他種族同士が憎み合い、本当に分かり合うことなど想像することも出来ないこの世界に、これだけ気の置けない関係で居ることはとても素敵で、兄妹二人だけで過ごすアマデウスにとっては羨ましい光景であった。

「どない?これが今のうちの家族や。皆おもろいやろ?」

「はい。すごく・・・素敵だと思います。」

 このときアマデウスが作った笑顔は彼が見せた年相応の屈託のない見ているこっちまで楽しくなるそんな笑顔だった。

「改めて、私が『ミスティル』の大黒柱アルヴァ・フォルシアンよ。父親は違うけど母親は人間だから。まあ、父親に関してもそのうちわかるわ。今は説明が面倒なんで時が来たら教えるということで、よろしく。」

「私はヘレーナ・フェーリーン。さっき言ってたかと思うけどお父様がエルフでお母様が雪女なのよ。二人が亡くなった後アルヴァに出会ってここでお世話になってるの。」

「クルト・ブラードだ。狼人間(ウェアウルフ)とドワーフのハーフだ。・・・ってちょっと、姐さん。こいつら本当にこのまま家族になるんですか!」

「なに?私の決定に何か意見でもあんの、クー公?」

「ちょ、犬みたいに呼ばないでくださいよ。・・・いや、ほら俺の時は実力が見たいって言って試験したじゃないですか。俺も彼らの実力を知っておきたいっていうか。彼らだけ試験しないのはずるいっていうか。」

 アルヴァの気迫に目がマックス泳ぎながらも主張するクルトには何だか応援せずにはいられない気にさせられた。

「試験って何のこと?私やってないわよ。」

「うちも試験なんかしとらんよ。」

「えっ?もしかして俺だけ?」

「当たり前でしょ。あんた初対面で私に弟子入りしたいとか言いだして、怪しい事この上なかったんだから。何度断っても諦めないし、無視してたら今度は家の前に泊まり込み始めるから。」

「う~わ、キモッ、クー公先輩マジありえへんっすわ~。でも、そんな人よー家族にしたな、アル姉。」

「まあ、根負けってやつよ。二週間も家の前に張り付いてるもんだから試験をクリア出来れば家族にしてあげるって言ってやったのよ。」

「そうなんだよ。その試験ってのがさ、カイセ火山に住んでる六m級のファイアボアを狩ってこいってのでさ、これがまた大変だったんだよ。なんか一週間くらいかかってさ。」

「私もまさか本当に狩ってこれるとは思わなかったわ。」

 意気揚々と武勇伝を語っていたのに、それがまさかの諦めさせるための無茶ぶり試験だったと今になって知らされるクルトであった。

「と、とにかく俺はこれから家族になるヤツの実力を今の内に見ておきたいわけ!わかっていただけます?」

 自分は望まれず入ってきた子じゃない、とクルトは必死に自分を奮い立たせた。それでもこれ以上のダメージは避けようと自然と話題転換させていた。

「まあ、それは一理あるわね。彼の戦いを実際に見たことあるのはラウラだけだからね・・・。」

 『そうねー』と腕を組み考え込むアルヴァ。ヘレーナとクルトがすっと視線を部屋の外に向け、アリスも同じ方向を向いた。

「兄様、何か来る。」

 アリスが警戒心を外に向けたまま袖を引っ張るのでアマデウスも外に目を向けると扉の窓越しに物影が近づいてくるのが見えた。

「よし、外のやつらの討伐!これを試験にするわ!」

――――バキャン。

外から飛んできたのは牛ほどの大きさの岩石だった。バラバラと崩れるドアには気にも留めず。『ミスティル』の面々はクルトを残して外に出てきた。

「あれ?クルトさんが出て来てないですけど?」

「クーはいいのよ。大切なものを取りに行っただけだから。」

 そう言って、ウインクして見せたアルヴァはどこか楽し気に見えた。

「なるほど。あんたたち、最近ほんの少し名前が売れていい気になってるって噂の『レッドファング』ね?」

「そんな、人を舐め腐った噂に聞き覚えねえが、・・・。確かに!俺たちこそあの悪名高き『レッドファング』だ!」

 シャキーンと効果音でも流れそうな感じにポーズを決めているが何分人数が多すぎる。どこを見ればいいのやら、と悩んだだけで誰の決めポーズも頭に残ることはなかった。

「しかし、一体何人連れて来たんだか・・・。」

 レッドファング御一行様ぞろぞろと広場を囲う木々の間々から姿を現していたが、その最後尾はまだ視界にとらえることが出来なかった。

「んっふっふ、気になるか?その戦力差!いいだろう、教えてやる!絶望するがいい!その数なんと・・・」

「五〇〇。」

「この短時間に数えたの、アリス?」

「数える必要、ない。わかる。」

「すごいわね~、アリス。可愛いだけじゃなくてそんなことも出来るなんて。お姉さんがご褒美にハグしてあげる。」

 ヘレーナのハグを瞬時に回避しアマデウスの後ろに隠れて威嚇するアリス。そんなアリスを見てさらにヘレーナは身を悶えさせていた。

「アリス。他にも何かわかることはあるかい?例えば、あの中で一番強いのは誰か、とか?」

「・・・・・あれ。」

 じっとアルヴァのことを観察するように見つめた後アリスは御一行様の奥を指さした。

「ん?なあヘレン、あれは確か北の森を縄張りにしてたっていう・・・。」

「うん、間違いないと思う。双子のトロール兄弟ね。」

「あれ?ほなさっきから偉そうに喋っとるあのリーダーっぽいオーガはなんなん?」

 ラウラはアリスに決め台詞をとられ、先ほどから地団太を踏み叫んでいる一人のオーガを予備指して尋ねた。そしてその問いにアリスは無言で首を横に振った。

 無言でジェスチャーのみの返答はアリスがまだラウラに対し警戒心を解いていないからではなく、幼いながらに空気を読んでしまったが故の行動だった。六歳の少女が目一杯気を使ってとった行動を無駄にしないためにも明言することは控えた。それでもこの絶対実力主義の世界にあって実力のないお飾りの指揮官など目も当てられない。

「あー。」

 非常に痛々しい相手指揮官に嘆息にも似たリアクションをミスティル一同でとってしまった。

(なんちゃって将軍。)

(客引きパンダ。)

(お飾り指揮官。)

「おい。お前ら、なんか失礼な称号つけてるだろ?」

「全然。」

「その残念なものを見る目も止めろ!」

 これ以上自分の恥部を裏から責められてはたまらないと止めにかかったが恥部いじりは思いがけず波及していた。

「ごめん、俺らリーダーがそこまで強くねえの知ってた。」

「わざわざ言わなくていいよ!何?俺のことずっと陰で笑ってたわけ?」

・・・くすっ。

「笑ってんじゃねえよ!ここは笑っちゃダメでしょうよ。もう少し気い使えよお、お前らさあ。」

「大丈夫か?泣くなよ。」

「泣かねえよ!てかこのタイミングでの優しさなんて余計に傷広げるだけだわ、空気読めよ!」

 まさかの仲間の裏切りにお飾りのキャプテンは半泣きになっていた。きっとこれまで実力がないなりに仲間をまとめるために苦労をしてきたのだろう。

「なんだか、あいつ・・・不憫だな。」

「そうね。さすがにちょっと・・・。」

「うるっせえ!敵に気い使われたくなんてねえよ。・・・大体、用があるのはてめえらじゃねえんだよ!」

「そうなのか?ならここに何しに来た?」

「ここに金髪の純人間(ピュアヒューマン)の女が居るだろ。」

(ここに居る金髪の純人間(ピュアヒューマン)と言えば・・・)

 全員がシンクロしてラウラを見る。

「えっ、うち?」

「そうか、てめえか。今日俺らの仲間を滅多打ちにしたってのは。」

 『今日』『レッドファング』と言えば確かに試験場に向かう前にレッドファングの連中には会っている。だがその時は、

「いやいやいやいやいやいや、滅多打ちにしたんはうちやなくてこの子や。」

 ノーシンキングタイムで自分より幼いアマデウスを差し出したラウラはきっと、ただの正直者なのだろう。自分たちの身内のことだ、きっとそうに違いないと誰もが信じた。

「そう、滅多打ちにしたのはそのガキだ。」

「ふう、助かった。」

「おい!」

 利己心全開の身内には総ツッコミが入れられた。『そんなんボケに決まっとるやん!皆ナイスツッコミやで!』などと襲撃を受けているという状況など忘れて談笑を始めるミスティルの面々に、オーガは神妙な面持ちで話を続け始めた。

「確かに実際に戦っていたのはそこのガキだ。・・・だけどな、満身創痍の仲間が俺にこう言ったんだ。・・・『気を付けろ。あのガキを差し向けたのは野蛮な言葉使いの金髪の純人間(ピュアヒューマン)の女だ。かつて鬼と同一視され恐れられていた俺たちオーガをまるで虫ケラを見るような目で見たまま、とどめをさせとガキに命令した。俺たちよりよっぽど鬼みたいだった。いや、悪魔のようだった。』と。」

「あははははは・・・。ラウラ、あんた私の知らないうちに悪魔に転生してたの?」

 大きな二つの目にいっぱいの涙を溜めてアルヴァはお腹を抱えて笑っていた。

「ふふふ・・・、ばれてしもたらしゃあないのお。せや、わしがあん虫ケラをやれ言うたんや。・・・・・って、んなわけあるかあああああ!」

 前髪をかき上げながらの子芝居からのノリツッコミ、無駄のない見事な流れであった。

「こんな美少女捕まえといて、言うに事欠いて悪魔とはどういう要件じゃワレ!責任者出て来んかい!」

「まあまあ、とりあえず落ち着きな。」

 怒り狂うラウラをアルヴァが抱え上げたもののラウラは空中で体をバタつかせ口から火を噴きそうなほどに怒っていた。それでもアルヴァが声をかけた途端、

「まあ、アルヴァが言うなら。」

 それまで怒っていたのは冗談だとでも言うようにピタリと静止した。

 アルヴァが止めるまでにラウラの口から発せられた言葉はかなりアレだったらしく、卑怯で下劣なことに定評があるレッドファングの面々も心を砕かれたようだった。腰砕けの恰好で隣の者と体を支え合い涙目で足腰をガクつかせていた。しかしアルヴァに言われて下がろうとラウラが背を向けるとお飾りが中指を立てた。

「ああん?」

 とんっでもなく不機嫌そうにラウラが反応した。

コンマ二秒、オーガたちの脊髄はラウラの視線を危険と判断したらしい。瞬時に体を一本の棒のように硬直させた。アリスは気だるげに体もろくに反転させずに首だけ倒して後ろの様子を確認しようとした。

「のぉ?誰か今うちに向かってろくでもないこと願わんかったか?」

 オーガたちの首が一斉に右左に振られた。

「ホンマやろのぉ?」

 レッドファング御一行に対しラウラは反転するとズボンのポケットに手を突っ込み中腰前かがみの姿勢で睨みを利かせた。

「いい加減にしな。」

 とん、とラウラの頭にアルヴァの手刀が下ろされた。

「あーあ、おもろいとこやのに。」

 ラウラはわかりやすくぶーたれながら片足を軸に反転した。

「先戻って扉直しとるから皆も早よ戻ってきてな。」

 『後はよろしく~』などと言いながら頭の上で手を大きく振りながら家の中に戻っていった。

 状況の変移に置き去りを食らったオーガたちは三秒かけてようやく現状に追いついた。

「って全部、演技だったのか!ふざけんな!戻って来い!」

現状に追いついたものの時すでに遅し。ラウラの姿は屋内に消えた後だった。

「建物に引っ込んだってんなら、そいつごとぶっ殺してやる!全員構えろ!」

 さんざんいじり倒された挙句、標的に逃げられてしまったリーダーは完全に自棄になっていた。号令に合わせ火の灯された矢が一斉に構えられる。

「そうか。ならあんたらも覚悟することね。私の家族に手を出そうとしてるのよ。五体満足で監獄に行けるだなんて思わないことね。」

 アルヴァから感じる圧力がその場を飲み干していく。重く熱い、息を吸うと喉が渇き目まいがする。真夏の日差しでも受けているかのように肌がひりつく感覚に襲われる。だが不思議とアマデウスにはこの暑さが嫌なものには感じられなかった。

「放て!」

 アマデウスがアルヴァに気をやっていると、レッドファングの一団はリーダーの号令で一斉に火矢を放った。

「悪い、遅くなった。・・・って、うわっ!何だこりゃ!」

 大切なものを取りに行っていたというクルトは二mもある赤い大剣と一六〇㎝ほどの真っ黒な大太刀、白銀のレイピアを持って戻ってきた。

「クー、いいタイミングで戻ってきたわね。私の寄越しなさい。」

「うす!姐さん!」

 クルトが赤い大剣を投げ渡すと、アルヴァは受け取るままに抜刀する。アマデウスは鞘からその剣身が見えた瞬間、エクスカリバーに近い圧倒的な存在感、でもそれとは全く異なる禍々しさを感じた。

「あれは・・・魔剣、ですか?」

「へっ、クソチビのくせにいい勘してるじゃねえか。そうだ、あれはこの世界で唯一姐さんだけが使える魔剣、レーヴァテインだ。」

 ヘレーナにレイピアを渡したクルトは自分のことかのように自慢げな表情で説明した。

 空から雨のように降り注ぐ矢の群れに対し、自分の身長よりも大きなレーヴァテインを軽々と構えるアルヴァ。構えられたレーヴァテインはその身を染める赤色を一瞬炎のようにゆらり、と揺らめかせた。

「はあっ!」

 まだ一〇mは離れている矢の群れに向かってアルヴァがレーヴァテインを一振りするとその剣身は炎を巻き上げ、矢の群れを一瞬にして消し飛ばしてしまった。

「そ、それは!この国の王ドグラス・フレイヴァルツが愛用してたっていう魔剣じゃねえか!なんでてめえがそんなもん持ってんだ!」

 メルマリア王国の国王ドグラス・フレイヴァルツはまだ多くの種族が入り乱れ、大戦が幾度となく繰り広げられていた頃、このレーヴァテインを手に多くの戦場に終止符を打ったという。野望に絶望、怒り、恨み、憎しみ。混濁したこの世界の中でその強さの元多くの種族を束ね、『メルマリア王国』ほどの大国を築いた物語は全ての国民が強く憧れた。

「・・・だが、」

 空に出来た炎の壁を突き破るように扉を破ったものよりも数段大きな鉄鉱石が二つ、炎を纏ったまま向かってくる。

「これは消し飛ばせやしねえだろ。さっさとくたばっちまえ!」

「はあ・・・。クー、ヘレン。」

 呆れ返るように大きなため息をつくとアルヴァはクルトとヘレーナに任せ鉄鉱石に背を向けた。

「おっしゃあ!いくぜ、同田貫!」

 アルヴァ同様に自分よりも長い刀『同田貫』を首をくぐらせななめに肩にかけると、クルトは自分の雄たけびを追うように鉄鉱石目がけて飛び出した。

 抜刀され姿を現した刀身は鞘以上に濃く、美しい漆黒を纏っていた。色ムラもなく美しい孤を描くその姿は剛毅直諒と言った感じだった。

「どおりゃあああああ!」

鉄鉱石に対し真っ直ぐに打ち込まれた刀は妨げられることなくただ振り下ろされたままに鉄鉱石を二つに分かち通過した。斬り裂かれた鉄鉱石は左右に逸れ地面に刺さった。

「私、戦うのあんまり得意じゃないんだけど。・・・・・ま、今日は可愛い子ちゃんの前だしお姉さん頑張っちゃおうかしら!」

 二、三歩前に出て仁王立ちしたヘレーナは両手を前に突き出すと燃える鉄鉱石に狙いを付けた。

「はあー・・・」

 ヘレーナが力を籠め始めると手の内から冷気が流れ始めた。

「・・・はあっ!」

掛け声とともにヘレーナの手から強力な冷気が燃える鉄鉱石目がけ放たれ一息に吹き抜けた。後に残った鉄鉱石は周囲を氷の膜が覆い完全に死に体となっていた。

氷を纏ったまま自由落下してくる鉄鉱石を見ながらヘレーナはレイピアを抜いた。全身を白銀に染めた剣はヘレーナの表情も相まって極めて冷徹なものに見えた。 

「やあっ!」

 ヘレーナがレイピアを突き立てると鉄鉱石は内部から破裂するように砕け散った。

「・・・まじかよ。」

 三m近い大きさの鉄鉱石まで軽々とあしらわれオーガたちは慌て始めていた。一方アルヴァはそんなオーガたちに対し呆れ果てていた。

「この程度でよく私たちに勝てると思ったわね。せめて街で私たちについて少しでも調べてくるべきだったわね。」

 アルヴァは飛んできたリンゴ大の鉄鉱石のかけらを受け止めると、オーガたちに向けて突き出し素手で砕いて見せた。

「ひっ!」

 ゴブリンたちの内何割かの者は情けない声を上げ前を向いたままに下半身は逃げ始めていた。

「聞き込みしてたらここまで来れてないだろうけどな。」

 クルトの切り替えしに『それもそうね』などと言って笑うミスティルのメンバーはアマデウスたち兄妹にとって初めて出会うタイプの人たちだった。

これまで出会った者といえば盲目的に戦いを求め、築き上げた地位を背に他人を支配しようとする者か、戦いを避け続け時には自分より弱い者を盾に争いの嵐を凌ぎ逃げる者ばかりだった。幼い彼らにとって世界は自分勝手で理不尽なただ醜いだけのもので、その中で生きる者は支配する者と支配される者の二種類だけ、そう考えずには居られなかった。

「ぶおおおおおおお!」

 逃げ腰の入ったゴブリンたちに喝を入れたのか、はたまたいつまでも動かない戦場にしびれを切らしたのか、トロールの一人が突然大声を上げた。

「ぶおおおおおおお!」

 兄弟の雄たけびに呼応するかのようにもう一体も大声を上げると雄たけびは共鳴し合い地響きを起こした。

「おらあ!お前らビビってんじゃねえぞ!五〇〇対四だぞ!一気に囲んでやっちまえ!数は力だ、どれだけ強かろうが数で押せば関係ねえ!」

「うおおおおおお!」

 トロールの雄たけびをきっかけに息を吹き返した『レッドファング』は周囲を囲うように左右に広がりながら突撃を始めた。押し寄せる試験の相手、さすがの数の多さにアマデウスにも緊張の汗が見えた。

(こんなにも多いとゴブリン相手とはいえ捌き切れないかもしれない。でも、やってみないとわからないですよね!それに・・・)

 それに、気になった。これまでに会ったことのないタイプの彼女たち『ミスティル』のことが。有り余る強さを持ちながら欲を感じさせない。彼女たちは何を求め、何のために暮らしているのか。彼女たちのことをもっと知りたい。

 アルヴァにヘレーナ、クルトそしてアリス、皆の顔を順番に眺めると、アマデウスはフードを深く被り前に出た。

 

 ゆっくりと歩いてくるアマデウスの周りをオーガたちが取り囲むと前後から同時にワンテンポ遅れて左右からもゴブリンたちが突っ込んでくる。

「僕を舞わせてください。」

 ゴブリンたちの攻撃に対し間を縫うように体を運びそれらを躱していく、躱した先の無防備なゴブリンの体を叩く。ゴブリンたちの攻撃は今日目にしたのエルランドの攻撃と比べれば受け止めたくなるほどに遅い攻撃だった。

だが、一度に向かってくる攻撃の数、倒しても次々に補充される敵、アマデウスの体力が先に底をつくことなど火を見るよりも明らかなことだった。

「あーあー、んんっ。姐さん?」

 わざとらしい咳払いの後、クルトはアマデウスには届かないぐらいの声でそわそわしながら声をかけた。

「なに?どうかしたの、クー?」

「いやー、なんと言いますか。最近あんまり任務もなかったじゃないですかー。・・・ちょーっと運動でもしたいなーと思うのですが・・・。」

 腕をぶんぶん振り回したり伸びをして運動不足ですよアピールをするクルトにアルヴァは思わず吹き出してしまった。

「ぶっ!クー、あんたアマデウスのこと手伝ってやりたいの?なら素直にそう言いいなさいよ。まあ、あんたから吹っ掛けた手前、あまりの無茶ぶりに『大人げないことしたな』なんて思ってるとは言えるわけないわよね!」

「そ、そそそ、そんなわけないじゃないですか!本当に運動がしたくなっただけですよ!」

「まあいいわ、そんなこと。」

 クルトが自尊心を保てるかどうかの瀬戸際をアルヴァは『そんなこと』で一蹴した。おかげ様でクルトは目を点にして口をぱくぱくさせている。

「皆であれ、三分の一ずつやりましょ。」

「あれ、それって私もカウントされてる?」

「当たり前じゃない。可愛い子たちのために頑張るんでしょ?お・ね・え・さ・ん。」

 自分の発言を引き合いに出されてはヘレーナは黙って前線に出るほかなかった。

 アマデウスは森の中にぽかんと開いた広場の中央でオーガたち『レッドファング』に囲まれていた。二、三十人ほど倒したもののその数は一向に減っている気がしない、それどころか包囲を狭めてくる分数が増えているようにすら感じる。

「随分とてこずらせてくれたな。だがさすがに疲れが見えてきたか。てめえをやったら次は向こうの奴らを順番にやってやる。」

(向こうの奴ら・・・?)

 アマデウスの視界がゴブリンの群れをかき分けその向こうを捕らえる。

(アリス!)

 そこにはアマデウスのことを信じるアリスの強い瞳があった。

(僕がここで倒されたら、アリスは、僕の唯一の家族は・・・。)

「死ねえ!」

 振りかぶるオーガの姿は見えているだが体が動かない。一瞬気を逸らしたためか今日一日での連戦の疲れか腕も脚も首でさえもピクリとも動こうとはしなかった。

「安心しな!お前をやった後てめえの妹も向こうの奴らと一緒にしっかり殺しといてやるからよお!」

(あの子だけは僕が守らないと!)

――――――ゾクッ。

次の瞬間、オーガが振り下ろした両手斧は宙を舞い森の中へと吸い込まれていった。

クソガキを一人仕留めたと思ったその刹那、眼の前を冷気が駆け抜け斧を握る拳を凍てつかせた。握力を奪われたところで斧はかち上げられ吹き飛ばされた。

冷気が駆けてきた方向には右手を正面に突き出したヘレーナの姿があった。青白く繊細な髪はより青みを増し、白い肌は夕日を受けきらめいていた。突き出した右手の平ではまだ氷がパキパキと音を立てている。ヘレーナの姿を視界が捕らえると眼球の奥視神経が凍り付くように感じた。

即座に目を逸らし標的の子供が居る方向に向きなおすとそこには小さな狼が長い漆黒の刀を担ぎ唸っていた。

混じりっ気のない純粋で真っ直ぐな殺意が獣の形をしてそこに居る。だがそれ以上に、狼の後ろに感じる得体のしれない何者か、それがどうしようもなく恐ろしかった。狼の陰に隠れて姿は見えないがそれでもそこに居るのは感じる、人でも獣でも妖怪でも超獣でもない、何者か。

オーガは腰を抜かしながらその場に尻もちをつくことも出来ず、その場に固まったまま汗を滝のように流した。

「全く、あんまりにもだらしないから出てきちまったぜ。・・・とでも言ってやろうかと思ったが余計な世話だったか、クソチビ?」

 狼人間(ウェアウルフ)の姿になったクルトが振り返るとそこには刀を構えたアマデウスの姿があった。

(すごく自然な構えをしてやがる。どこも意識していないようにもどこもかしこも全てを意識しているようにも感じる。それに一瞬とんでもなくデカイ力を感じたような・・・。)

 どこかぐったりとしているようにも見えるアマデウスはひどく息を切らしながら顔を上げ口を開いた。

「いえ、助かりました。あれだけの攻撃、躱すだけでも精一杯で・・・。」

 アマデウスがそう言って見せた苦笑いは立っているのもやっとだと言うくらいに辛そうなものだった。

(さっきまではここまで消耗はしていなかったように見えたんだが。)

「アマデウス!試験内容は変更よ!あんたの試験はトロール二体の撃退、それ以外は私たちが引き受けるわ!いいかしら?」

 アルヴァがレーヴァテインを担ぎカツカツと戦場に向けて進みながら大声で試験内容の変更を呼びかけてきた。

「あ、はい!。」

「そんなに気にしなくてもいいぞ。最初から五〇〇対一なんてやらせるつもりもなかったんだからな。」

 クルトはアマデウスの急な消耗が気になり不器用な優しさを見せた。

「誰かさんが文句を言わなければ試験自体なかったんだけどね~。」

「よ、よーし、いっちょやったるかー。」

 ヘレーナに痛いところを突かれたクルトは逃げるように戦場に乗り出していった。

「あいつもあんなこと言ってたけど、アマデウス君が戦ってるの見て、家族に迎えていいって思ったみたいよ。」

「そう・・・、ですか。」

「ヘレン、てめえさっさと来ねえと全部倒しちまうかんな!」

 気が付けばアマデウスを取り囲んでいた敵はアルヴァとクルトの襲撃で広場のあちこちに散り散りになり遠くで戦いを始めていた。

遠くから見るとクルトの戦闘はまるで刀が独りでに暴れまわっているようにでアルヴァが暴れているところに至ってはもはや大火事になっていた。

「ああもう、アルヴァが暴れるとすぐこうなるんだから。」

 やれやれと言った様子でヘレーナは湖へと向かった。彼女が呪文を唱えると湖の水は龍の姿に立ち上がると、炎に向かい突進しそれらを呑み込み鎮火した。

「いい加減戦うたびに辺り一面火の海にするのやめてよね、アルヴァ。」

「あはは、別にいいでしょ。そのために湖がそこにあってヘレンが居るんだから。」

 アルヴァに抗議するヘレーナの背後にはゴブリンが忍び寄っていた。

「ヘレーナさん!」

「大丈夫、わかってる。」

 炎を食らいつくした水龍は背後のゴブリンを捕らえると天目がけて立ち昇り巨大な氷の柱となった。

「す、すごい。」

「アマデウス君、よそ見してちゃダメ。あなたの試験対象が来てるわよ。」

――――ズズウン・・・。

アマデウスの背後で試験対象たちの大きな足音が響いた。振り返るとそこには三mはありそうな大きな巨体、ゾウのように厚い皮膚、一人は大きなこん棒をもう一人は幅の広い片刃の直刀を手にしていた。

アマデウスは二人のトロールを前に何度か屈伸を繰り返す。

「・・・よし。」

 体の状態を確認すると一言気合を込め刀を構えた。重心は体の中央に、刀はその前に。

(呼吸は薄く、意識を空間に溶け込ませる。相手をよく見て流れを捉える。)

 薄く長く息を吐きだすと体の余計な力は抜け、意識は相手を中心に広げられていく。

「ぶおおおお!」

 力任せに振り下ろされる直刀に対し刀の背を当て軌道を変える。水龍が走った後の地面はぬかるみ直刀はその身の半分を地面に沈めた。アマデウスが地面に刺さった直刀を飛び越え続くこん棒を躱すと跳ね上げた泥は直刀を持ったトロールの視界を奪った。

「ごああああ!」

 顔の上半分に飛び付いた泥を拭い取ろうと顔を両手で掻きながらもがくトロールにアマデウスは次なる刃を向けた。

――――フッ。

 アマデウスの体が追い打ちに向いた瞬間大きな影が被さった。

――――ズドォォォン・・・・。

「ぶおあああああ!」

 打ち取った。全力で叩き込んだこん棒の先を見つめ不気味な笑みを作るとトロールは勝利の雄たけびを上げた。

「何を興奮しているのですか?」

「ぐぁ?」

 もう聞こえないはずの子供の声が自分の足元から聞こえた。視線を落とすとそこには自分の右手に握られたこん棒の下でミンチになっているはずの子供の姿がある。

(おかしい。確かに振り下ろされる瞬間こん棒の下に居たはず、それも意識は他を向き回避する素振りすら見られなかった。なのに・・・)

「ごがああああ!」

 そこに居る子供の存在を否定するようにこん棒を振るい叩きつける。しかしそこに手ごたえはない、そもそもそこに居るのが本当に生物なのかどうかさえ疑いたくなる。さっきからそこに居るはずの子供目がけてこん棒を振るっているのにかすりもしない、ひらりひらりと宙を舞う花弁のように掴もうとする手を躱していく。

「ごあっ!」

子供が躱した先に蹴りを入れる。その足さえも体を回転させ躱す。

――――カクン。

 次の瞬間、トロールの体を支えていた左膝は抜け、三mの巨体はその場に崩れ転がった。何が起こったのかトロールは理解が出来なかった。さっきまで攻めていたのは自分だった、それなのになぜ今地面を這わされているのか。

左膝は全体重を受け切れずに負傷、使い物にならなくなっていた。それでも片腕で上体を起こし、こん棒を振り下ろす。襲い来る棍棒をくぐり躱したアマデウスはこん棒を握る小指を抱え拳の上を背面飛びの要領で飛び越えた。腕を捻られたトロールは再びその体をぬかるんだ地面に押し付けられる。

「ぐ、があ。」

 腕を捻られたときに右肩の関節は外れ、もはや身動きなど取れなかった。

「まず一人目です。」

 高く飛び上がったアマデウスをトロールは顔だけで追いかけた。夕日を背に宙を舞うアマデウスは美しくトロールは目を奪われた。

――――ザン!

 持ち上げられた顎に対しアマデウスは体を回転させながら一閃を描いた。トロールの大きな頭は糸の切れた操り人形のようにその場に力なく落ちた。

「ふぅ。」

 一山越えアマデウスが一つ息を吐いていると次の山がもうすぐ後ろにまで迫っていた。

 アマデウスの小さな体は伸びてきた影にすっぽりと覆われた。影はゆっくりと右腕を持ち上げる。アマデウスはもう一つ、今度は大きく長く息を吐いた。

「ごああっ!」

 二回戦開始の咆哮とともにトロールは初撃を振り下ろした。アマデウスは宙を舞うと地面に突き立てられた直刀の上に降り立った。そのまま直刀の上を駆け上がりトロール対し速攻をかける。右腕の上をかけ上がってくるアマデウス目がけトロールは左パンチを繰り出す。だが、そんな攻撃アマデウスにとっては簡単に躱せる単純な攻撃である。

 

「きゃあ!」

 突然上げられた悲鳴にアマデウスは体を止め振り向かずには居られなかった。

――――ズム。

 悲鳴に気を取られた瞬間普段であれば取るに足らない攻撃がアマデウスの体を捉えた。歓喜の声を上げるトロール以上に、アマデウスには悲鳴の主が気になって仕方なかった。後ろによたつきながら悲鳴のした方向を確認する。

「アリス!」

 アマデウスの視線の先では妹のアリスに迫りよるゴブリンの姿があった。

「アリス!すぐに助けに行きます!」

 アリスの元へと駆け出すはずのアマデウスは後ろへと跳躍した。

――――ザンッ!

 目の前にはトロールが振り下ろした直刀が壁になっていた。

「きゃあああああ!」

 目の前に立ちふさがる巨体の向こう、ゴブリンたちが今にも妹に手をかけようとしていた。

「アリス!」

 トロールを躱してアリスの元へ向かおうとしても体が思うように動かない。

さきほどのダメージがアマデウスの足を引っ張る。『早くアリスの元へ』逸る気持ちから体のリズムが乱れる。トロールの攻撃を躱す余裕などなく守りを固め受け続けることしか出来ずに居た。その間にもゴブリンたちはアリスへと詰め寄っていた。

「くけけ、せめて一人だけでも。」

 ゴブリンの一人が斧を振り上げた。

(そんな、目の前でもう一度大切な家族を殺されるなんて。絶対に嫌だ!)

 そんなことをどれだけ思っても何も起きない。力なき者はただより強い力を持つ者によって与えられる運命を受け入れるしかない。これこそがこの世で唯一で絶対のルールである。

叫びを上げるアマデウスに無常な運命が降り注ぐ。

――――――。

ゴウッ!

 目を逸らしたアマデウスの耳に飛び込んできたのは、脳内で準備されていたものとは全く異なる音だった。視線をふらつかせながらアリスが居た方へと向けるとそこにはまだアリスの姿が傷一つない状態で存在していた。

 ゴオオ・・・・。アリスの周りには球状になった炎が壁を成していた。ゴブリンが振り下ろした斧は刃が全て溶け落ち芯となる木材は炭と化していた。

「あんたたちつまんないことしてんじゃないわよ。」

 一瞬にして斧を鉄材と炭にされただけで既に腰を抜かしていたゴブリンは地響きのように腹の奥に響いてくる声に身を凍り付かせた。

「あらら、あの子たちアルヴァを怒らせたわね。」

 ゴブリン一〇人ほどを相手にしながらヘレーナはへらへらと笑っていたが、今のアルヴァを見て笑っていることなど出来はしない。アマデウスは本能がビシビシと危険信号を発しているのを感じた。

「他の奴らに敵わないからって弱そうな子を狙ってんのにも腹ァ立つけど今はどうでもいいわ。あんたらは私の子供に殺意と刃を向けたんだ。」

 知らぬ間に支配領域をずいぶんと広げた夕闇の中から舞う火の粉とともにアルヴァが現れる。アルヴァが一歩一歩と地を踏みしめる度に足元からは火の粉が舞い、闇の中に光る瞳は獲物に狙いを定めた爬虫類のようだった。

「当然、あんたらも殺される覚悟があってのことでしょうね?」

 アルヴァの言葉に同調するようにレーヴァテインが大きく炎を噴き上げる。一瞬の明かりでよく見えなかったがアルヴァの手足は赤い鱗を纏っていた、そんな風に見えた。

 ゴブリンたちはアルヴァの放つ殺気だけで失禁し泡を吹いて崩れ落ちてしまった。

「何よ。まだ何もしてないのにあなたたち失礼じゃないかしら?」

 夕闇から姿を現したアルヴァはアマデウスも知っている姿をしていた。

「全くこんなのでもちんぽ付いてるのかしら?」

 もうすでに戦闘不能になった相手に対してまだ精神ダメージを与えるアルヴァを見て、流石に相手に同情したくなってしまった。だが、自分の妹の危機に怒ってくれるアルヴァを見てアマデウスは合点がいった気がした。

「そうか、・・・この人は・・・・・。」

「アマデウス。」

「は、はい。」

「アリスのことは私に任せなさい。あなたもトロールごときにいつまでも遊んでちゃダメよ。さっさとケリつけなさい。」

「はい!」

 自分の背中を支えてくれる人が一人増えた、ただそれだけのことなのに、不思議と力が湧いてくる。さっきまでの体のダメージも疲れも感じない、それどころか今日一番体が軽く感じられる。

「ぶあああああああ!」

「ごめんなさい、さっきまでの僕とは思わないでください。」

 アマデウスが口にした通り、その動きはそれ以前とは比べ物にはならなかった。トロールがどこをどう狙おうが直刀を振り始めるころにはアマデウスはもうそこには居ない。体の感覚を確かめるかのようにトロールの攻撃を躱しながら舞を舞う。手足刀の先まで長さを目一杯使用した大きく力強い舞は美しく刀や髪、衣服が反射させる夕日はとても神々しく見る者の心を奪った。

「とても、いい感じです。」

「うがあっ!」

 一瞬動きの緩やかになったところに渾身の一刀が振り下ろされる。

 ふわり、と宙に舞い上がったアマデウスはそのまま直刀の上に降り立つと直刀、腕を駆け上がった。

「ぎいやっ!」

 再び横から飛んできたパンチを今度は見もせずに掻い潜るとそのままトロールの顔目がけて踏み切った。

「これで、終わりです。」

――――ズバァン。

 刀で顎を打ち抜かれたトロールは顔から地面へと倒れこんだ。

「兄様!」

 炎の球を飛び出したアリスはアマデウスの元まで駆け寄ってくると勢いそのままに愛する兄の体に飛びついた。戦い終わりで完全に体の力が抜けていたアマデウスはそのまま仰向けに押し倒された。

「兄様、ごめん。」

 ダメージを受けたアマデウスの体に気づきアリスは慌てて上半身を起こした。

「僕の方こそごめんなさい。アリスを危険な目に合わせてしまいました。」

「大丈夫。アルヴァが守ってくれた。アルヴァ、すごい!」

 アリスは立ち上がりアマデウスの手を引いて体を起こすと小さな体を最大限利用して興奮をアピールした。

「でも兄様、一番!」

 興奮にキラめかせた大きな瞳が突然ズイと近づけられアマデウスは思わずドキリとした。大きな赤紫の瞳、アマデウスにとってすでに見慣れたはずの瞳、それでも鼻がつきそうなほどの距離、これほど近くで見ているとその美しさと不思議な魅力に吸い込まれてしまいそうになる。

「兄様の敵、一番大きい!兄様一番!」

(そうか、僕トロールを二人も倒したんですね。)

 きゃっきゃ言いながら抱き付いてくるアリス越しにアマデウスは地面に突っ伏した二人のトロールを眺めた。

「これで試験は合格ね。」

 トロール兄弟以外、すべてのオーガとゴブリンを倒したアルヴァ、ヘレーナ、クルトの三人とすでに入り口の修理を始めていたラウラが少し距離を空けて並んだ。

「勝手に入団試験みたいなことまでさせておいて今更なんだけど私たちの家族になるかどうかはあんたたちが決めなさい。ここは『ミスティル』逆境を耐え忍び困難に打ち勝つ、そのための場所よ。私たちは家族のためならば逆境を耐え忍ぶための盾にも困難に打ち勝つための矛にもなるわ。でも、何かを乗り越えるためには前に進む心がないと意味がない。だからこれから先どうするのかはあなたたち自身が決めなさい。」

 てっきり流れのままに仲間になるものだと思っていた。にも関わらずこんな質問を突きつけられると途端に不安になる。アマデウスにとってのこれまでの選択は全てアリスのための選択だった。アリスのために集団に属しアリスのために戦い、アリスのために逃れてきた。だから今回も・・・。

――――ぐいっ。

アリスの意見を聞こうと顔を向けようとすると両手で頬を押し返されてしまった。アマデウスが唖然としているとアリスは手をとり胸に引き寄せた。

「兄様頑張るの、いつもアリスのため。だから、兄様望み言って。・・・戦ってるとき兄様笑ってた。」

「えっ?」

 自覚していない自分の感情を人から教えられる、これほどに驚くことはなかった。ゆっくりとアリスの方を向くとアリスは満面の笑みを見せてくれた。アリスの笑顔を受け取るとアマデウスはアルヴァたち三人へと視線を向けた。

「逆境とか前に進む心とか正直よくわかりません。ですが、今日皆さんとお会いしてからずっと、心臓の音が大きくて早くてそわそわしていました。それがアルヴァさんがアリスを助けてくれて声をかけてくれたとき僕の心の中に溶けていった気がしたんです。・・・僕はまだアリスのことを一人で守り切れるほど強くありません。でも皆さんと一緒ならもっと強くなれる、そんな気がします。・・・・・だから、」

「なげえ!長すぎる!チビ助、男ってのはな、口にしなきゃいけねえ大事なことは短くストレートに相手にぶつけるもんだぜ!」

 しびれを切らせたクルトが結論を急がせようと大声を上げるが、

「クー先輩、カッコつけとるとこ申し訳ないねんけど尻尾めっちゃ振れてますよ。」

「ぷふ。ちょっとクー、あんたお預け食らった犬じゃないんだから待ち切れずに吠えるなんてやめてよ、みっともない。」

 今まで真面目な雰囲気だったはずなのにたったの三ターンで場の空気を入れ替えられてしまう。だが、このせわしなささえもすでにアマデウスにとっては心地よく感じられた。

「あんたたち止めなさいよ。アマデウスが続きを話せないでしょうが。」

 ヘレーナに食って掛かるクルトにそれを実況するラウラ、アルヴァの声に元に戻ると各々に埃を払い髪を整え咳ばらいをする。全員の準備が整うとラウラが『さあ、どうぞ』と手を差し出した。

(かえって話しにくいです・・・。)

 アマデウスがミスティルの面々を見ると期待の眼差しを返される。なんだか今更な感じもしてきてすごく背中がむず痒くなる。アリスを見るとまた笑顔を返してくれた。

アマデウスは場と心を整えるために大きく深呼吸した。

「僕たちを『ミスティル』の家族にしてください。よろしくお願いします!」

「します!」

 アマデウスに続いてアリスも頭を下げる。三拍、四拍・・・沈黙が時を打つ。たとえ結果が分かっていようがその言葉を耳にするまでの時間は何百、何千倍にも感じられる。

「・・・もちろん!こちらこそよろしく。クー、あなたももういいわよね?」

「まあ、実力もあるようですから。別に最初から誰が仲間になろううと俺は構いませんでしたけどね。」

「クー公はどうして視線逸らして顔を真っ赤にしたままツンキャラ的セリフを吐いているのかしら、気持ち悪い。」

 もじもじそわそわしていたクルトは、ヘレーナの氷の視線と言の矢により射抜かれ地にひれ伏した。ここからまた小競り合いが始まるかと思いアマデウスは傍観者に徹していた。

「・・・それはさておき、おめでとう!アマデウス、アリス!・・・そして私!」

 ヘレーナが大ジャンプで抱き付いてきた後クルト、ラウラも加わり三人に胴上げされた。ずっと輪の外側に居たつもりのアマデウスは宙を舞いながら、今自分は輪の中に居るんだ、とそう強く実感していた。胸の奥は暖かさで満たされ心地よさを全身で感じていた。

地面へと落とされるまでは。

久しく感じることのなかった心のぬくもりとどこか幸せな背中の痛みを感じているとアルヴァが手を引き、起こしてくれた。

「いつもこんな感じだけど皆頼りになる良い子たちだから仲良くしてあげてね。」

「はい、ありがとうございます。」

「これからは家族になるんだし、あんたのことはアーデって呼ばせてもらうわね。私のことも好きに呼んでくれて構わないから。」

「ありがとうございます、アルヴァさん。」

「あはは、固いわね。まあ徐々に慣れればいいわ。・・・これからあんたたちは私の子供よ。間違ったことをすれば当然叱る。でもね、あなたたちが私の子供で居る限り私は絶対にあなたたちの味方で居ることを誓うわ。たとえ相手が国であろうと世界であろうと戦ってあげる。そのことをちゃんと覚えていなさい。」

 アマデウスの頭に手を乗せ目線を合わせるように屈んだアルヴァはそう告げた。

 

第三章   妹(アリス)

 世界有数の大国『メルマリア』、その西側領域外には大きな森を見ることが出来る。森の中央付近には丸く開けた土地が存在する。その地に根を下ろす巨木を住処とした一つの集団、それこそがアマデウスとアリスの兄妹が新たに迎えられる『ミスティル』である。

 つい先ほどまでゴブリンやオーガたちの闇ギルド『レッドファング』の襲撃を受け戦闘が繰り広げられていた広場では新人歓迎会という名の宴会が開かれていた。

「アーデもアリスももっと食べなさい。クーは料理だけは一級品なのよ!腹いっぱい食べるのよ!」

「ちょっ、姐さん。料理だけってどういうことですか!俺は戦闘技術も男としても一級品ですから!」

「ぷぁは~。」

「って全然聞いてないし!しかもそれ何杯目ですか!最近酒が洒落にならないぐらい高いんすから加減してくださいよ。」

 食費の管理を担うクルトからすれば大蟒蛇のアルヴァは頭痛の種である。今日もすでに大きな酒樽を三つも空にしている。

「クー、あんたは馬鹿なの?新しく二人も家族が増えたのよ、こんな時に飲まないでいつ飲むって言うのよ。」

「いつもなにも毎日飲んでるじゃないですか。少しは家計も気にしてくださいよ。」

「クー、あなたわかってないわね。この飲みっぷりの良さもアルヴァの魅力じゃない。」

「ヘレン、お前・・・。」

 アルヴァのことを言いながらヘレーナもくいっと一〇本目の冷酒を飲み干した。

「それに今日はお金の心配しなくても大丈夫よ。」

「ああ?どういうことだ。」

「ん。」

 ヘレーナが立てた指の先にはろくに下調べもせずに『ミスティル』に喧嘩を売った結果一人残らず返り討ちにされた『レッドファング』たち五〇〇人が無造作に積み上げられていた。

「こいつら小悪党の割りにいい値段かけられてるのよ。自衛団にとっても悩みの種だったんじゃないかしら。事件は小さいけど件数が多いから一般市民からもかなり苦情が出てたみたいだし。一番の戦力だったトロール兄弟に頭の悪いボスや幹部も居るみたいだから二〇〇万ナクロぐらいにはなるんじゃないかしら?」

「まあそれならいいか。」

 二〇〇万ナクロ。ヘレナの言葉に一人耳をピクリと反応させた者が居た。

「あの~ヘレン姉?」

「何?どうかしたの、ラウラ。」

 腰をかがめた状態で両手を擦り合わせながら近づいてきたのはラウラだった。

「ははーん。さては『戸陰』の借金まだ返してないのね。」

「いや~、お恥ずかしい限りで。」

「で、おいくら万ナクロ?」

「それが、こんなけ・・・。」

 ラウラはヘレーナだけに見せるようにこっそりと人差し指を立てた。

「なによ一万だけ?つまんないわね。」

「いやいや、そうやなくて・・・。」

 人差し指の立てられた右手に左手で作られた○がそっと近づけられた。ラウラは差し出す自分の両手からも顔を背ける。

「うっそ、十万?ぷははは、あなたよくそんなに踏み倒せるわね。あの店長相手に大したものよ。」

「アルヴァ姉とクー先輩には言わんといてな、店長よりもあの人らの方がおっかないわ。」

 わかったわかったと言うようにヘレーナは優しい笑顔でラウラの肩を二度叩いた。

「さすがヘレン姉。おおきに!で、そのお金なんやけど・・・」

「クー!ラウラが『戸陰』への一〇万の借金立て替えてくれってー!」

「うおおい!言ったそばから何大声でリークしてくれてんねん!誰も家族内放送なんか求めてないっちゅうねん!」

「何言ってんの、家族に隠しごとなんてナンセンスでしょ?」

 人差し指を立てウインクするヘレーナからは呆れるほどのうさんくささが匂っていた。

「ラウラ、てめえまた借金して飯食ってやがったのか。もういっそ食えねえように手斬っとくか?それとも外に出れねえように脚斬るか?」

「いや、クー先輩?『同田貫』はないんじゃないっすかね。いや冗談じゃなく死ぬっすよ。」

 愛刀の黒刀『同田貫』の刃を見せながら近づいてくるクルトは死神のようにすら見えた。

「全く、あんまりご店主に迷惑かけるなっていつも言ってるでしょ、大概にしときなさいよ。」

「いやアルヴァ姉はもうちょっと気合入れて怒らなあかんやろ!あんたの娘が借金して人様に迷惑かけてんねやから!・・・ってなんでうちがこないなこと言うてんねん!」

(なんでもかんでもツッコミ入れて、ホンマにうちはアホやなー)などと自ら墓穴を掘り進めたことを後悔しつつラウラはこの後二時間は続くと思われるお説教タイムを覚悟した。

「すでに全て片付いてしまったようですね。」

 突然広場に聞こえた声は『メルマリア』王国の治安を守る自衛団団長エルランド・メランデルのものだった。

「エルランドさん、どうしてここに?」

「おお、アマデウス君。私たちはここで暴れているという『レッドファング』の討伐に来たのですが、遅かったようですね。」

 エルランドはアマデウスと挨拶を交わすとレッドファングの山を見て自嘲的な笑みを浮かべて言った。

「まったく・・・。今更何しに来たのよ、エルランド。」

「やあ、アルヴァ久しぶりですね。『レッドファング』の連中がここで暴れているという情報を聞いて来たのですが。」

「それ何年前の情報かしら?あいつらならそこよ。さっさと引き連れてバカな国王の所へ帰りなさい。」

「いくらあなたと言えど国王様をバカ呼ばわりするのはやめなさい。」

 もう一人、広場へと入ってきたのは自衛団副団長エイラ・メランデルだった。

「エイラさん。」

「こんにちは、アマデウスさんアリスさん。昨日ぶりですね。」

「あれエイラ?久しぶり~。一緒に飲みましょ。」

「ヘレーナ、そんな下品な飲み方は止めてください。私はまだ勤務中ですので飲酒は出来ません。」

 アマデウスと会話しているエイラの姿を見て、宴会に誘いに来たヘレーナはすでにグラスなど持たずにラッパ飲みをしていた。

「アルヴァ、あなたのせいでヘレーナがまた品を損なっているのですが、どうしてくれるのですか!」

「いや、そこまで私に面倒見ろと言われてもね~。上品にしたところで疲れるだけだし自然体で居ればいいんじゃないかしら。」

 昨日アマデウスが出会った時の真面目で芯が強い、鉄のような女性のエイラはどうやらアルヴァのことが受け入れ難く否定したい存在のようだった。

「・・・アマデウス君。君もこいつらと戦ったのですか?」

 エイラがアルヴァたちに食ってかかっていると、一人積み上げられたゴブリンたちを見ていたエルランドが少しトーンを落として尋ねてきた。

「いえ、僕は最初の何人かとトロールを二人倒しただけです。後はアルヴァさんたちが。」

「そうですか。」

 エルランドはレッドファングの山とは別に転がっている二人のトロールを観察するようにじっと見ると振り返り改めて口を開いた。

「アマデウス君、今日私が試験をしておきながら言い難いんですが、君さえ良ければ自衛団に入りませんか?」

 思いがけない申し出にアマデウスは固まってしまった。

 自衛団は国営組織であり給料が良く、各団員にはその家族構成に見合った部屋が家具付きで貸与される。他にもいくつかの特権や特典もあり多くの国民がその一員になることを夢見る栄誉ある組織である。だが、そんなことはもう、アマデウスにとってはどうでもいいことだった。

「・・・・・すみま」

「エルランド!悪いけどアーデはもう私の息子なの。」

 アマデウスが口を開いた瞬間、アマデウスの顔はアルヴァの胸の谷間へと仕舞い込まれた。

「やはりそうでしたか。」

「だから私は言ったのです。団長との試験結果など気にせずにあの場で合格にしておくべきだったと。アマデウスさんは感覚が鋭いようですから必ず『ミスティル』のメンバーになると思っていました。この人たちは問題も多く抱えていますが皆さん優秀でメンバーの絆も強い。素敵なチームだと私も思います。」

「エイラ~、あなた本当はただのツンデレだったのね。可愛いやつめ~。」

 よしよしとヘレーナがエイラの頭をなでるとエイラは恥ずかしさに顔を赤らめながらその手を振りほどいた。

「別に、私は事実を述べただけのことです。」

「照れずともよいのだよ、君~。」

 うりうりと無理矢理にエイラの体を抱え込みヘレーナが頭を撫でていた。

「そうですね。私もエイラに同意です。ですがせっかくこうして知り合えたのですから、どんなことでも相談してください。私も、アマデウス君やアリスさんの味方ですから。」

「はい、ありがとうございます。」

 一体いつ振りであろうか、アマデウスの心は温かな感情で満たされていた。昔、母親と一緒に過ごしていた頃に感じていた感覚。これが幸せというものなのだろうとアマデウスはゆっくりと心のぬくもりに浸っていた。

「さてと、私たちは罪人を連れて戻るとしましょう。エイラ。」

「はい、団長。」

 エイラが風魔法を詠唱するとゴブリンの山とトロールはゆっくりと上昇を始めた。エイラとエルランドの体も続けて宙に浮かびあがった。

「ヘレーナ、皆さんお元気で。」

「アルヴァ、楽しむのは構いませんがあまり羽目を外しすぎないでくださいね。」

 各々に言葉を残しエルランド、エイラたちは王国の方へと飛んで行った。

 その後。エルランドの注意などアルヴァの耳には届いてなど居らず、この日うっすらと空が明るむまで新人歓迎会は続けられた。

 

 早朝、日が昇ると広場は最高の陽だまりとなり動物たちが体を目覚めさせに集まる。ラウラは眩しい日差しと小鳥のさえずりに目を覚ました。

「んん・・・。あ、ててて。頭痛っ!やっぱ皆純人間(ピュアヒューマン)のうちとは比べものにならんな。全員酒強すぎやわ。」

 昨晩は結局アルヴァの一人早飲み大会だのヘレーナの長ったらしいうんちく付き利き酒選手権だの、あげくは自棄になったクルトが大酒樽の一気飲みをしていた。ラウラはと言えばアルヴァたちがアマデウスたちに酒を飲ませないように見張りながら普通に食べて飲んで大笑いしていた。満足気に大の字で寝るアルヴァににやけ顔で何か寝言を呟いているヘレーナ、泣きながら寝ているクルト。アリスもアルヴァの胸にしがみついて寝ているところを見ると大いに打ち解けてくれたように見えた。

「ホンマ昨日は楽しかった。・・・クー先輩はなんで泣きながら寝てんねや?なんや不憫やわ。・・・ん?アーデは?」

 新人歓迎会のまま皆揃って外で寝ていたはずだがそこにアマデウスの姿だけがなかった。

―――ひゅん。

 近くを探すラウラの耳に風切り音と芝を踏み鳴らす足音が湖の方から聞こえる。広場の中でも一際強く朝日が差し込むそこに多くの動物たちに見守られながら舞を舞うアマデウスの姿があった。

水浴びをした後のようで髪からは水が滴り着用している襦袢は肌に張り付いていた。一振り舞うごとに髪や襦袢、刀からは水が払われ光を反射しながら飛んでいく。見守る動物たちは身動き一つせずじっとアマデウスの舞を見つめていた。その光景はあまりに美しく貴く、ラウラも目に映した後アマデウスが舞を終えるまで心を奪われ立ち尽くしていた。

 

「随分と早起きなんやね。」

 アマデウスの舞が終わった後、ラウラが声をかけると動物たちは一斉に森の中へと駆けていった。

「あ、ラウラさん。おはようございます。」

「おはよう。今のは?戦いの時の型みたいなもん?」

「いえ、今のはただの舞です。毎朝清水で体を清めた後舞を舞うのが日課・・・、なので。」

 アマデウスは寂しそうに笑った。

「そうなんか。なあアーデ、その刀見せてもらってもええか?」

「えっ、ああ、はい。どうぞ。」

 手に取ると感じられる重さは見た目よりはるかに重い。刃は美しく刃こぼれ一つない。何か変わった刀だった。刀自身が持つ独特の存在感、人を傷つけるために作り出された物が持つ殺気にも似た重圧がこの刀からは一切感じられない。

「これ、守り刀やんな?」

「!・・・・どうしてわかるのですか?」

「まあうちも鍛冶師の端くれやからな。でも、鍛冶師やなくてもこの刀が人を傷つけるために作られたんと違うっていうんはわかるよ。こないにも恐怖を感じひん刀なんて見たことあらへん。」

「それは僕の刀が鈍だってことですか?」

「ちゃうちゃう、むしろその逆。刀としての質は超一級品にもかかわらず誰も傷つけようとはせず持ち主を包んで守ろうとしとる、そんな感じがする。やから刀自身とその外側に纏っとる雰囲気がちぐはぐになっとるんよ。・・・この刀、一体誰からもろたん?」

 アマデウスはラウラから刀を手渡されると少しの間見つめたまま黙り込んだ。

「・・・この刀は、僕が初めてこの舞を教わった日に母様からいただいた刀なのです。母様が僕のために打ってくれた、僕だけの刀。」

「せやけど、その刀では戦われへん。だから敵にやって刃は向けへん。そうやんな?」

「ラウラさん、気づいていたのですか?」

「うん、最初にアーデがオーガ相手に戦ってた時からな。あんときは『こんなやつ斬るまでもねえ』みたいな自己陶酔しとる痛い子なんか思とったけどな。やけどエルランドさんと戦っとる時も刃向けてへんかったからな、なんか理由があんねやって思ったんよ。」

「鋭いですね。・・・・・ラウラさんは御神刀ってわかりますか?」

「確か大昔、まだ神なんかが信じられとったころに打たれとった、魔やら厄やらを断ち切るお守りみたいな刀、やったっけ?」

「はい、大体そのようなものです。用途に関しては色々ですがこれは神前で舞を奉納するときに使用する儀式用の刀です。刀は人が強い思いを注ぎ込んで作られています。また、美しい刀や多くの功績を上げた刀は他の人々の思いも受け崇拝の対象となるのです。それはかつてこの世界を統べていたとされる神が強大な力を持つ経緯と同じなのです。つまり人はその刀を手に舞を舞うことで神に近しい所まで上り、願いを伝えることが出来るとされています。」

 あまりにも突拍子のないアマデウスの話にラウラは唖然としていた。儀式?崇拝?神?実力、強さだけがすべてのこの世界でそんな不確かな存在があり得るわけがない。この子はまだ幼いから現実を理解できていないのだろう。ラウラはそう判断しようとした。的確に相槌を打ち相手に気持ちよく喋らせてあげる、これこそが大人の対応だとラウラは相槌を入れた。

「なるほどな~。」

「・・・いいですよ。こんな世界で神だなんて話をしてもわかるわけがありませんから。」

 十歳の子供に心無い相槌を見抜かれた。ラウラは恥ずかしさと敗北感それから少しの苛立ちを感じた。黙り込んだラウラを他所にアマデウスは地面に置いてあったタオルを手に取ると頭をしとやかに拭き始めた。

「神なんかホンマに居ると思うんか?」

 

「ッ!」

 考えるよりも先に言葉が出ていた。この場で言ってはいけない言葉だとわかっていたのにもかかわらず。それでも、ラウラには許すことが出来なかった。神の存在を肯定する言葉を。

(神なんてもんがもしホンマに居るならそいつはうちにとって敵でしかない。)

 姿は見えずどんな能力を持っているかもわからない攻略不可能な敵、そんなものの存在を認められるわけなどない。

「居ます。母様が居ると言っていましたから。」

「でも、そんなんアーデの母ちゃんが間違っとるかもしれんやん。」

「それはあり得ません。ラウラさんは母様に会ったことがないからそう言えるのです。」

「なら・・・、ならアーデの母ちゃんに会わせてえや。」

「それは出来ません。」

「なんで!」

「母様はすでに亡くなっていますから。」

「え・・・。」

 この瞬間ラウラを熱くさせていた何かが一斉に引いていった。純人間(ピュアヒューマン)として生まれ家族も失い常に最弱の存在として孤独に生きてきた、自分の人生が最悪だと、自分の気持ちのわかる者など絶対に居ないとラウラずっとそう思っていた。

「僕とアリスは四年前に故郷と家族を失いました。一人の男が村に火を放ち村の皆を、家族を皆殺しにしたのです。母様はその時僕たちを逃がすためにその男に殺されました。」

 タオルを被ったままのアマデウスの表情は見えない。それでも彼がどんな顔をしているのかラウラにはわかる気がした。

「アーデ・・・、ごめん。」

「・・・。」

俯いたまま黙り込む二人の間、気まずさだけが時を刻んだ。

「あははは!この話、誰かにしたの初めてです。どうしてでしょう、ラウラさんには話たい気になってしまいました。どうしてか僕の言葉を僕と同じように受け取って感じてくれる、そんな気がしましたので・・・。」

 この時見せたアマデウスの笑顔はすごく大人びて感じた。安心と不安を同時に感じていながらその両方を塞ぎ込んで作ったような笑顔。

 その笑顔に対してラウラは不器用な作り笑いを浮かべることしか出来なかった。

「なあ、アーデらはなんでこの国に来たん?」

 ずっと、アーデはこの国の自衛団に憧れて来たのだと思っていた。だがそんなのはラウラの勘違いでもっと他に目的があるように今は思う。幼い子供が二人で故郷と家族を失った後四年かけてこの国までやってきたのだから。

「それは・・・母様のように強くなりたかったからです。」

 一瞬躊躇うような間があったもののアマデウスははっきりと言葉にした。

「母様は最後に『これから先アリスはあなたが守りなさい』そう言って僕にこの日記を渡してくれました。」

タオルと一緒に置かれた上着の懐からぼろぼろになった一冊の日記を取り出し見せてくれた。

「日記には母様が結婚するまでのことが書かれています。訪れた国や出会った人、訓練や戦いの記録。・・・僕は一人でアリスを守れるほど強くはありません。これまでだって戦った数より逃げた数の方がずっと多いです。でもそれは二人だけだから出来たことです。だから母様のように多くの人を守れる強さが欲しくて、アリスに安心できる場所を作ってあげたくてこの国まで来たのです。」

 アマデウスが見せてくれたページには『メルマリア王国』で過ごした日々のことが書かれていた。圧倒的な力を持った国王、確立された自警団体、豊かな資源。一五年前のメルマリア王国の様子がアマデウスの母の感想を交えて記されている。

ラウラよりもはるかに若い彼がこれまでに何を見てきたのかそれは想像も出来ないが少なくとも、ただ長く生きてきたというだけの自分がこの子のためにしてあげられることなど何もないように感じられた。

(あの小さい背中にどんなけ大きい思い背負い込んでんねやろ。うちやってもうアーデの家族や・・・、一緒に背負ってあげたい。)

「アー」

「ラウラさん!」

「は、はい?」

「クルトさんが呼んでるので僕先に行きますね!」

「・・・ああ、また後で。」

「はい!失礼します!」

 まだ開きっぱなしになっている入り口の向こうでクルトが手招きをしている。頭を下げるとアマデウスは心底楽しそうにクルトの元へと走っていった。

(まあ、あない楽しそうにしとるし、ここに居れば大丈夫か。)

 自分だけではアマデウスの助けにはなれずともここにはアルヴァもヘレーナもクルトだって居る皆でアマデウス、そしてアリスのことを守り支えていこう、そうラウラは心に誓った。

 

 朝入り口の修理をした後、アルヴァの起床を待って全員で昼食をとる。アリス以外の人と食事するのもアマデウスにとっては母親と過ごしていた四年前以来のことだった。暖かな料理が埋め尽くす食卓、それを囲む人たちもまた暖かな笑顔に溢れている。大したことのないただの世間話に日常会話。それでも気の置けない者同士のどこまでも自然で隔たりのない会話は聞いているだけで顔をほころばせてくれた。

「どうだチビ助。俺の作る飯はうめえだろ!」

 さっきまで最早『恒例の』と言いたくなてしまうヘレーナとの小競り合いを繰り広げていたクルトが突然アマデウスの顔を覗き込んできた。

「へへ、顔がにやけちまうほどうめえってか。お前わかってんな~、もっと食え食え!」

 勝手に理解したクルトはフォークで肉の塊を突き刺すとアマデウスの口に押し込んできた。下味に使われた香辛料たちの幾重にも重なった奥深く腹の虫を十二分に興奮させる豊かな香りが口内から食道を通過し胃袋に充満する。『早く噛みしめ飲み込め』と急かす虫を抑えつつ肉に歯を入れる。表面はこんがりと焼きあげられていながら中は舌で押せば身がほぐれるほどに柔らかく甘みの強い脂がどんどんあふれ出してくる。

「ふごく、おいひいれふ~。」

 幸せ指数の急上昇でアマデウスの顔は完全に緩み切っていた。暖かい料理に新しい家族、自分を心から受け入れてくれる場所、『ミスティル』にはそう感じさせる何かがあった。

「兄様、アリスも!」

 隣を見ればアリスが大きく口を開けて待ち構えていた。

「ん~。」

 アリスの口に合うように小さく切り分けた肉をアリスの口へと運ぶ。料理を噛みしめると頬に手を当て幸せにとろけきった笑顔を浮かべていた。

(アリスのこんな笑顔、きっと僕だけじゃ見なられなかったですね。)

 これまでアリスを守って生きてきたアマデウスにとってアリスの笑顔は何よりも幸せを与えてくれた。アリスに言われたものの自分の好奇心から『ミスティル』入りを決めたアマデウスはアリスが今の状況を受け入れてくれるのかどうかが気がかりであった。だがそれもアリスの笑顔を見れば杞憂だと思えた。

 ヘレーナから頬っぺたを弄ばれても全く気にも留めずアリスは口の中の幸せを噛みしめ続けている。昨晩も宴の中皆と一緒に食って飲んで踊って笑い転げていた。もしかするとアマデウス以上にアリスの方が馴染んでいるかもしれないとそう思ってしまうほどであった。

(ミスティルの皆さんならあの事も・・・)

「アーデ。」

 アリスをいじっていたヘレーナは突然その手を止めるとアマデウスへと興味を移した。

「は、はい。なんですか?」

 アリスの幸せそうな顔に気を取られ考え事をしていたアマデウスは突然の声かけに慌てて取り繕うように返事をした。

「観光・・・、行こっか。」

 『君たちの知らない大人の世界を教えてあげよう』などと若い女子に声をかけるオヤジのような仕草を交えつつヘレーナはアマデウスとアリスを連れ出した。

「いやー、アリスとアーデがついて来てくれて本当によかった。一人だと退屈だったから。」

 アマデウスたちを連れ出したヘレーナは大した説明もなく一人上機嫌に先頭を歩いていた。

「あのー、観光ってどこに行くのですか?」

「ああ、観光ね。うん、行くわよ。でもその前に一つだけお使いに付き合ってね。」

 笑顔でそう言うとヘレーナは鼻歌混じりにまた先頭を歩き始めた。

 前を歩く一人の女性の見た目は他より薄い色素を含めても違わずエルフである。高い魔力に優れた細剣さばき、おまけに妖術まで扱える彼女だ。戦力としては喉から手が出るほどの存在に違いない、そんな彼女がどうしてエルフたちの国『エルゲンホルム』ではなくここ『メルマリア』に、それもこんな少人数の集団『ミスティル』に属しているのにはどんな理由があるのか。アマデウスはその理由が気になっていた。

「ヘレンさん、一つ聞いてもいいですか?」

「うん?何かな?」

「ヘレンさんはどうして『ミスティル』に居るのですか?」

 楽し気に上下するヘレーナの体が一瞬制止した気がした。

「ヘレンさんだけじゃありません。アルヴァさんもクルトさんもあんなに強いのですから、この世界どんなところも欲しがる逸材だと思うのです。それなのに皆さんが『ミスティル』に居る理由は何なのですか?」

 アマデウスが口を閉じた後も少しの間ヘレーナは黙ったまま歩みを進めた。

「・・・そうね。皆には皆の理由があるんだろうけど私がここに居る理由は、私が私で居ることを求めてくれる場所だから、かな。」

「私が私で居る?」

「私ぐらい美人で強ければ世界中で求められるのはもちろん当たり前のことなんだけどね。それはエルフの魔法であって私じゃない。雪女の妖術であって私じゃない。エルフと雪女の情報を持つ稀有な遺伝子であって私じゃないのよ。だけど『ミスティル』はヘレーナ・フェーリーンを求めてくれる。だから私はここに居る。・・・アーデにはまだよくわからないかもしれないわね。この世界では力のない人は力のある人に押しつぶされてしまう、だけどたとえ力を持っていてもそこには多くの責任と敵が生まれる。そういう世界なのよ。」

 ヘレーナの言葉はアマデウスにも幼いながらに理解できるところはあった。

故郷と家族を失って四年、二人はいくつもの国や村を渡り歩いてきた。多くの集団に属し生き繋いできたがそのどこにも二人の名前は存在しなかった。二人だけじゃない、その場に居るほとんどの者が一握りの上位の者の力の一部でしかなかった。中途半端な力では力を持たないことと同じ、その場の全てを叩き均すほどの力が無ければ自身の存在を証明することは出来ない、それこそがこの世界での習わしだった。

 ヘレーナが横目に覗くアマデウスは檻の中、自由に飛ぶことが出来ずに苦しんでいる鳥のようだった。

 

 ヘレーナの足は王国の中心街へと向かっていた。その道中アリスが興味を持つたびに色々な店に立ち寄った。そしてその全ての店でヘレーナは親し気に挨拶を交わし誰もが笑顔でそれに答えていた。初対面のアマデウスとアリスに対しても『へー、あなたたち『ミスティル』の新入りさんなのね。じゃあこれ、お近づきの記しに。』などと敵対心も猜疑心もなく声をかけ、おやつまでくれた。

「皆さんお知り合いなのですか?」

「まあね。私たちは自衛団やギルドとは違って直接依頼を受けてるからね。その分依頼主との距離が近いのよ。まあアルヴァの方針なんだけどね、『依頼主の心の見えない依頼は受けない』だそうよ。」

「全然意味が分かりません。」

「ぷはは、そうよね。要は気分の問題って話みたいよ。気分が乗れば受けるし乗らなきゃ受けない、それだけのことよ。」

 アマデウスはアルヴァと知り合ってまだ一日しか経っていない、それでも『気分の問題』ただそれだけの説明で妙に納得が出来た。

「さ、目的地に着いたわよ。」

 立ち止まるヘレーナに合わせて前を向くと目の前には大きな円形の建物があった。セメントの厚い壁に鉄の扉、そして何よりその大きさにアマデウスとアリスは上を向いたままで居た。

「ふふ、驚いた?ここが『メルマリア』のギルドホールよ。」

 ギルドホールと言えばクエストの発受注に達成報酬の支払い、メンバーの募集に応募、腕に自信のあるありとあらゆる種族の者が集まる場所である。当然大柄で体格の良い者も多く集まるが、流石に大きすぎる。入り口の高さは三階建ての民家ぐらいはありそうだ。

「『メルマリア』にはね巨人族のギルドもあるのよ。それで入り口もこれだけ大きく作ってあるって訳。」

「はー。」

 昨日対峙したトロールも大きく感じたが巨人は全く比べものにならない生き物のようだ。姿の想像さえ追いつかずアマデウスの口からは空気が漏れるような力ない返事が出ていた。

「さ、入りましょ。」

 ヘレーナは呆気に取られている二人の手を引くとホール内へと歩みを進めた。

 三人が扉に近づくと扉は自動で開き中へと招いてくれた。

「?」

「あの扉はねホールの稼働時間内は登録された人間であれば通してくれるのよ。アーデとアリスの登録ももう済んでるはずよ。」

「??」

 ヘレーナの話ではあの扉は魔法道具の一種らしい。アマデウスたちのホールへの登録については権力を持ったあの人がしてくれたとだけヘレーナが言っていた。

 ヘレーナからクエストボードや受付カウンター、闘技場に訓練場、浴場に酒場、緊急時用の転送魔法陣など各所を案内してもらった。まるで巨大複合施設のようでアマデウスもアリスも楽しんでいたのだが、アマデウスには終始気になっていたことがあった。

「どう?楽しんでもらえたかしら?」

「はい。・・・あの・・・ヘレンさん。」

「ん、どうしたの?」

少し回りを伺い口をつぐんだ後、アマデウスは小声で尋ねた。

「ここに来てからずっと僕たちにらまれているようなのですが、どうしてでしょうか?」

「ふふん、気づいてたのね?」

「当たり前です!一人残らずこちらを見ていたら誰だって気づきます!」

 興奮気味にアマデウスが訴えるとその陰でアリスもしきりに首を縦に振った。

「それもそうね・・・。まあ、彼らが見てる理由はそのうちわかるわ。私たちは用事を済ませましょ。」

 ヘレーナは周りの人間など道端の小石同然とばかりに気にも留めずにホール奥へと歩みを進めた。ホールの最奥、最後のドアを開けると中には誰も居らず厳かな空気が流れていた。突き当りの壁にはドアなどはなく窓口が一つ空いているのみだった。それまでとは全く異なる景色に緊張するはずなのだが、アマデウスはそれとは違うもののせいで緊張していた。

「ヘレンさん、どうしてあんなところに、あんなものがあるのでしょうか?・・・・その・・・、棺桶が・・・。」

 アマデウスが指さした先、窓口から人一人分ほど空けたところに立てかけられていた。郵便受けのように内開きの窓が一つ付いただけの真っ黒で飾り気のない棺桶、しかしその下部には小さな車輪が取り付けられており、不気味なのだか滑稽なのだかよくわからない珍品になっていた。

「あら、もう着いてたのね。アランが時間通りなんて珍しい。」

「えっ?ヘレンさん、あの棺桶と知り合いなのですか?」

「まあねー。」

 ヘレーナは揚々と棺桶まで近づくといきなり蓋に手をかけ棺桶を開いた。

「おっはよー!アラン!」

勢いよく開け放たれた棺桶の住人はTシャツ一枚に自衛団の制服を羽織りズボンは裾を七分丈の長さまで捲ったなんともラフなスタイルで本を読んでいた。

「さっ、私らも到着したんだからちゃんと仕事しなさい。」

 閉ざされた空間を開け放たれ声をかけられてもなお読書に耽る住人からヘレーナは本を取り上げた。

「あーもう!何をする!今ちょうど良いところだったというのに!」

 いきなり手を離れた本を追うように住人は飛び起きてきた。背丈は一六〇㎝半ば、筋骨隆々というわけではないが骨肉のしっかりとした体格をしている。丸顔にくりくりとした瞳の幼い顔つき肌は白く開かれた口の中には尖った牙が二本、左右に見て取れた。

「・・・ってヘレンか。遅かったな。あまりに遅いから一冊読破するかと思ったぞ。きゃは。」

「アランがいつも通り遅刻すると思って合わせてあげたのよ。」

 クルトなら間違いなく頭に血を登らせているであろう皮肉もヘレーナにとってはカウンターパンチのターゲットにしかならない。何を言おうと敵わないと知っているアランは早々に白旗を振った。

「で、そっちの二人が例の新入りか?」

「そ、アマデウスにアリスよ。二人とも、こちら自衛団の副団長アラン・オークランス。世界でも数少ない純血のヴァンパイアなのよ。」

アランの言葉をきっかけにヘレーナがお互いの紹介をする。完全に初対面であるはずのアマデウスとアリスのことをアランはすでに知っているようだった。

「あの・・・どこかでお会いしましたか?」

「いいや、正真正銘初対面で間違いない。」

「?」

「アランはね、あなたたち二人の個人情報をギルドホールに登録してくれたのよ。つまりデータの上ではすでに彼はあなたたちに会ってたってこと。」

 ヘレーナが何を言っているのかアマデウスたちには全く分からなかったがそれとなく頷いておくことにした。

「首は縦に振ってるけど全くわかってないって感じね。まあいいわ。それよりもアラン、報酬の受取がここってだけじゃなく、あなたが直接報酬支払の立ち合いに来たってことはかなりの高額報酬になったってことよね?」

――――ニヤリ。とアランはヘレーナの問いにいやらしい笑顔で答えた。

 

「・・・おい。飼い犬に野良犬どもが仲良く一緒に出てきたぜ。」

ギルドホール最奥の多額報酬受取所から戻ってきた四人+棺桶を出迎えたのはホール内でアマデウスたちに視線を送り続けていた他ギルドのメンバー約三〇人だった。

「これはこれは我らが同胞諸君。こんなに大勢で一体どうした?」

アランが悠々と大きな態度で迎えると一人の大柄な熊の混血人間(ハーフヒューマン)が奥からのそりと姿を現した。

「いやなに、俺たちも働き相応の報酬をいただこうと思いまして参上しただけですよ、副団長様。」

「働き相応の報酬?一体何の話だ?」

「何を仰いますか。今そこのハーフエルフの姉ちゃんたちが持ってる袋に入ってるレッドファングの討伐報酬ですよ。」

 ギルドホール最奥、多額報酬の受取所から出てきたヘレーナとアマデウスは各々大袋二個と中袋一個を担いでおり、その中身はジャラジャラと音を立てていた。

「これは彼女らがレッドファングの幹部陣を含めた構成員の多くを討伐し、チームを壊滅させた報酬だ。その報酬がどうしてお前たちに関係あると言うんだ。」

 食事を前にした猛獣よろしく我慢の限界などとっくに超えている男どもを前にしてもアランは飄々と事実だけを告げる。だがそんな対応では余計にクレーマーのボルテージを高めることになるのは火を見るよりも明らかだった。

「ふざけんじゃねえぞ!これまでに俺たちが討伐したレッドファングの報酬の四〇倍はあるじゃねえか!きっちり分け前はいただくからな!」

「分け前?お前らの討伐数はたったの一五、それも何の情報も持ってない末端の者ばかりだろ?それに比べミスティルの討伐数は五〇〇、その中にはトロール兄弟など主力や幹部のほとんどが含まれていた。その結果が素直に報酬金額に現れただけのことだ。それのどこに不満がある?」

 理路整然、事実に基づいた至極最もな話だが、だからと言って大金を目の前に素直に受け入れる者などその場には一人も居ない。

「くそっ!話の分からねえ奴だ!所詮は親の七光り、自分の力で生きたことのないボンボンの飼い犬には何を言っても無駄みてえだな。」

「それがどうかしたか、この世界力を持ってこそだろ?なら親の力であろうと使わねば勿体ない。それに俺は今の立場を気に入っている、飼い犬と呼ばれようがそれで結構。」

 のれんに腕押ししたような手ごたえのなさ。裕福な家庭に育った子供だからこそのゆとりなのかそれともアランの心の強さが成す業なのか。どちらにせよアランの態度が男どもをさらに苛立たせていることは間違いなかった。

「くくっ。そうか、そうだな。確かに、この世界力が全てだ。ならここで俺たちが力づくで金を奪おうともこの世界ではそれも純然たる正義ってわけだ。」

 熊男の言葉を合図に男たちは武器を手に構えた。相手は三十人、昨日五〇〇人の襲撃を目の当たりにしているアマデウスからすれば何ともない数のように思える。しかしだからと言って楽な相手なわけではないゴブリンやオーガを相手にするのとでは話が違う。

「ヘレンさん。何だかあの人たちやる気になっていますけど大丈夫なのですか?」

「大丈夫大丈夫。あれぐらいアランに任せとけばいいのよ。」

 左腰に携えられた刀に手を添えつつアマデウスはヘレーナにそっと耳打ちをするがヘレーナはけたけたと笑い流した。

「ちっ、てめえはへらへら笑ってんじゃねえ!だいたいてめえらみてえに生まれ持った力だけで遊んで暮らしてる奴らにくれてやる金なんてねえんだよ!その金だって本当は我らが国王様が身内に向けて出したお小遣い何じゃねえのか?ああ?」

 大きな賛同の声が男どもから上がる。ミスティルに向けた非難に盛り上がる中、アランは打って変わり黙り込んでいた。

「何だ図星か?これだから生まれ育ちに恵まれた奴らは・・・。国王の親族にエルフに狼人間(ウェアウルフ)、そこのガキどももどうせ大層立派な育ちをしてるんだろうよ。どうせ国から甘い蜜だけ吸って自分じゃ何もしてねえんだろ?なら、」

「・・・ていろ。」

「あ?なんか言ったかよ。」

 顔を俯けたまま呟くアランの顔を覗き込もうと熊男が近づくとアランは勢いよく顔を上げた。その瞳は赤く輝き、髪は風に煽られているかの如くなびいていた。

「少し黙っていろとそう言ったんだ!」

「ッ!」

 先ほどまでそこでのらりくらりとしていた青年は姿を消し確かな強者の空気を纏ったヴァンパイアがそこに居た。突如目の前に現れた強者の存在に熊男はその場に腰を抜かした、はずだった。地に落ちるはずの尻はその影を強めず、熊男の体は宙へと浮かんだ。

 熊男は首元を掻きむしりながら宙にぶら下げられる。その体はアランの差し出した右腕に合わせその高度を上げていく。

「お前に何がわかる。彼らの歩む道にある苦痛や苦悩お前に理解出来るものがあるのか。俺や親父の事を何と言おうが別に構わん。だが彼らのことをお前が口にしていい理由などありはしない。知っているのか、彼らがどれだけこの国の・・・、国民のために、」

「アラン!」

 アランが右の拳を握りこむ寸前、ヘレーナが声を上げた。熊男は地面に落下し、アランはまた元のやる気の感じられない青年に戻っていた。

「・・・げほっ、げほっ。てめえ、自衛団の副団長様が善良なる一般市民に手ぇ上げて、ただで済むと思うなよ。」

 咳込みながらも最後まで食って掛かる熊男にアランは身をかがめて口を開いた。

「俺は公共の場で武器を抜いたギルド所属者を制圧しただけのこと、何が悪い。」

 元の事実だけを口にした切り返しであったが先ほどのヴァンパイアの姿が焼き付いた男どもは手にした武器も投げ出し一目散に逃げだしていった。

 

「まあその・・・、さっきは悪かったな。」

「ん、んん、んぐんぐ。うん、まあいいわよ、別に。」

ギルドホールの職員たちへの謝罪と騒ぎの後処理を済ませたアランはアマデウスたちを連れて『戸陰』に来ていた。

「あの、さっきのは結局どういうことなのですか?」

「さっきの?」

「はい、そのーうまく言えないんですけど『ミスティル』の皆さんは一般市民の方々にはすごく親密にしていただいているようなのに、ギルドに入ってる同業者?の方々には恨まれてる、と言うか嫌われていたみたいなのですが・・・。」

「あー、まあね。あれは醜い男の嫉妬よ。」

「嫉妬、ですか?」

「そう、アーデもさっき言ってたけど私たちって結構貴重な戦力なのよ。だからだいたい皆欲しがる、でも手に入らない。それならどうするか。」

 ヘレーナは皿に盛りつけられたわらびもちの内一つだけを取り分けきな粉と黒蜜をかけると、それを黒文字で指しながら話した。

「・・・排除する。」

 アマデウスは嫌悪感に顔を曇らせながらデコレートされたわらびもちを見つめた。

「そっ。自分の味方にならない、でも力があるそんな奴邪魔者以外の何者でもないからね。それに私たちはホールでの仕事は受けてない。他のギルドからすれば一体どこで仕事を受けてるんだってなるわけよ。」

 ヘレーナはアマデウスが見つめるわらびもちを黒文字で刺すとそのまま口の中へと運んだ。

「依頼主と直接やり取りをするから他のギルドは何もわからないの。そしてここにも依頼主が直接来てるってわけ。」

 ヘレーナがそう言って視線を送った先に居たのは自衛団副団長アラン・オークランスだった。

「アランさんが依頼主、ですか?」

「そっ、さあさっさと本題を話しなさい。」

「そうだな。勿体ぶったところで仕方のない話だ。・・・ヘレン、今この国で起きている連続殺人は知っているか?」

「ええ。事件が起きてるってことぐらいわね。今は確か・・・七件だったかしら?」

 『メルマリア王国』で現在起きている連続殺人、全ての被害者は夜間一人で居る所を襲われ一撃で命を奪われていたという。目撃者は一人も居らず手がかりは未だに何一つ得られていない。

「いいや、九件だ。」

「九件?」

「ああ、昨晩うちの団員が二人殺された。」

「二人、ですか?」

「ああ、一人はアマデウス、君も知っている者だ。五番隊特別攻撃部隊員アードルフ・オーグレーン。」

 アードルフ・オ―グレン、昨日行われた自衛団入団試験の受付に居た男で牛の混血人間(ハーフヒューマン)である。アマデウスとは入団試験絡みで一悶着あった記憶に新しい相手だった。

「昨日、君との一悶着があった後、夜中まで一人で訓練していたらしくてな、今朝訓練場で死体が発見された。」

 奪い奪われることがこの世の常である以上誰かが死ぬことなど呼吸をするように当たり前のことなのだが、自衛団によって一定の治安が保たれている『メルマリア』にあっては九件もの連続殺人、それも自衛団員を含んでいるとなると非常事態であり到底見過ごすことなど出来ない。

この国に来たばかりのアマデウスですらそのことは理解出来た。何より過去を反省し前進するべく努力を始めたばかりの者の道が閉ざされたと聞くとその無念に心が痛んだ。

「それで、もう一人は?」

 俯きこぶしを握るアマデウスに代わってヘレーナが言葉を続けた。

「五番隊隊長ハンス・ルンベックだ。」

「ハンスがっ!」

 九人目の被害者を耳にして声を上げたのは『戸陰』の店主だった。

「おじさん知ってるの?」

「知ってるも何も俺の部下だった奴だ。俺が面倒見てきた中じゃずば抜けた天才だったんだが・・・。」

 『メルマリア王国』で軍がまだ機能していたころ、分隊長を務め幹部の一人であった店主は軍を退役するまでに多くの部下を育成している。『戸陰』に来る客も教え子やその知り合いがほとんどだ。

「ハンスは・・・、力の限り戦って死んだのか?」

店主の声からは悲しみこそ感じられたが怒りや憎しみは全く感じられなかった。育てた部下の数はそのままに失う部下の数になる、店主がハンスの死に怒るにはこれまでに失った命があまりに多すぎるようだった。

「今回も目撃者は居ない。だからハンスの死に様は誰にもわからないが、状況から察するにアードルフと敵との戦闘を目にして駆けつけたようだ。部下を目の前で殺され怒り、戦い、そして命を落とした。彼の性格からしてそんなとこだろう。」

 アランの話ではハンスの剣は切断されその切断面と同じ傾きでハンスの体にも斬り傷が刻まれていたという。傷はその一本のみ犯人の一閃を受けた剣もろとも右肩から左腰まで一直線に斬り込まれていた。

「そうか・・・・・。」

 悲しみで出来た店主の呟きに店内は静まり返った。

「それで、私たちにどうしろって言うの?」

 沈黙に満たされた空気を打ち破るようにヘレーナが話を前へと進める。

「・・・実は事件の間隔が縮まったここ二週間、自衛団では国内全域で夜間の巡回を行っていた。そんな中一昨日の七件目が起き、昨晩の巡回では数を倍にして国内の巡回に臨んだ。そしてその瞬間に足元を掬われた。おまけに敵は五番隊隊長を負かす程の手練れだ。どうしても力のある者の協力が要る。手を貸して欲しい。」

 真っ直ぐに力強い瞳がヘレーナに向けられる。

「そこまで必死に戦うのはどうして?自衛団が王国を守る立場だから?それとも国王や政府、自衛団の信用を保つため?」

 アランの熱い視線に対し、ヘレーナは冷え切った瞳を向けて尋ねた。

「いいや、仲間のためだ。」

 瞬き一つせず、アランは即座に回答する。その後数秒の沈黙が場を流れた。

「わかったわ。アルヴァには私から言っといてあげるわ。夜間の巡回にも参加するし戦いになれば全力を提供してあげる。」

「ありがとう。助かる。」

「いいのよ。でも、どうするの?何も手がかりないんでしょ?それじゃあ仮に街中ですれ違ったとしても気づきようがないわ。誰かが殺されてからじゃ遅いでしょ。」

 ヘレーナの心配も当然である。敵のことが分からなければ備ることなど出来るわけがない。敵がこちらを認識しているにも関わらずこちらは相手を認識できないのでは確実に後手に回ることになる。そんな状態で自衛団の隊長に勝った敵と戦う等心配で然るべきである。

「敵の手がかりだが、公に公開されてはいないが二つだけわかっていることがある。」

「つまり、不特定多数の人に知られては困る情報ということ?」

「いや、国民に不安を与えないためだ。」

「どういうこと?」

「とりあえずは手がかりについて聞いて欲しい。まず一つ目だがこれは切り裂き魔が狙う対象についてだ。奴が狙うのはある程度の力を持った者だ。そしてその力の程度は数を重ねるごとに大きくなっている。」

 そう言ってアランが差し出した紙にはこれまでの被害者が事件が起きた順に記されていた。

「あの、この名前の横に書かれた数字は何ですか?」

 アマデウスが指したのは用紙に並べられた被害者の名前の右隣にそれぞれ記された数字、上から順に八七三、六五二、五九四、四一二、二〇六、一四三、八三、一二と並んでいる。

「そうか君はこの国に来たばかりだから知らないのか。この国では年に一度王国最強を決めるランキング戦が開かれる。これは去年のランキング戦の結果、つまりはこの国で何番目に強いかを現した数字だ。」

 ランキング戦は国民からの事前に行われる推薦投票の上位一〇〇人と希望者全員で行われ多い年では一〇〇万人以上が参加する。

「一〇〇万人の内の一二位、すごいですね。」

「だけど、その一二位がやられてるのよ。」

「まあランキング戦の順位がそのまま強さの値になるわけでもないがな。力があっても出場しない奴も居るからな。」

 アランのじとっとした視線がヘレーナを捉えていた。

「あら、どこかの血液オタクも推薦出場を蹴ってなかったかしら?」

 ヘレーナはふんっと鼻を鳴らしながら嘲笑混じりに視線を返した。

 出場していれば勝つのは自分だと強く主張する意地がぶつかり合っていたが、ヘレーナが呆れたようにため息を一つこぼし再び数字の並んだ用紙に視線を落とした。

「・・・それにしても、まるで力試しでもしてるみたいね。」

 ヘレーナは用紙に書かれた数字の列を指ですうっとなぞった。

「やっぱりそう思うか?」

「まあね。だけど、仮に一二位が相手にならなかったのだとすれば私たちでも危ない相手ってことになるわね。」

 グッ、と空気が重くなる見えない敵の大きさに体が強張り視線が下がっていく。

アリスの左手を握る右手にも力がこもる

「それでも・・・戦闘において、アルヴァやエルランドさんに勝てる生き物がこの世に存在するとは思えないのよね。」

 重たくなった空気の中ヘレーナは随分と簡単に、軽い言葉を放った。それでもその言葉が空気中の重さを吸収してくれる。

「そうですよね。あの二人ならたとえドラゴンが相手でも一撃で仕留めてくれそうです。」

 安心したアマデウスは優しくアリスの手を握りなおした。

「・・・それが、そうとも言い切れない状況なんだ。」

 重さのとれた空気の中、アランだけが重く言葉を引きずっていた。

「どういうこと?何か根拠があるのかしら?」

「ああ、そしてそれこそが二つ目の手がかりだ。」

 二つ目の手がかり、公には発表されない切り裂き魔への糸口、その二つ目。

「奴は妖力を使う可能性が高い。」

 妖力、ヘレーナのような雪女や世界崩壊の兆しと言われる九尾の妖孤のような妖怪やそれに相対する陰陽師やエクソシストが戦いに用いる力。魔力のように精霊や人体が保持する自然エネルギーに役割を持たせ変換・生成するのではなく、強い感情を孕んだ自然エネルギーを利用した攻撃や呪いに特化した力とされている。

「被害者の体の傷跡から妖力が検出された。これまでの者からも同様に検出はされたもののその濃度は大したものではなかった。それが昨日に至っては到底無視できるレベルではなくなっている。」

「妖力か・・・、それは確かに公には出来ない情報ね。」

「ああ、この情報が国民に知れれば心を乱すことになる。大きな不安や怒りそれに悲しみや憎しみは妖力の源にもなる。そうなれば敵はより力を増すことになる。」

 アマデウスにも多少なりとも妖力の知識は有りここまで聞けばどういう事態になっているかは明確だった。

「つまり敵は強化系の妖術を使っていて、標的としているのはただ力のある人ではなく妖力を高める贄としてより高純度の者、ということですね。」

「・・・そういうことだ。・・・・・君らも気をつけろ。」

 いきなりに事の本質を突き話題を二段飛ばしに進めた少女のような少年、資料では知っていたし実物もこの目で確認をした。なのに捉えきれない何かがある、アランの目は猜疑心を向け警戒するようにアマデウスを見ていた。だが、『君らも気をつけろ。』そう言ったアランの視線はアマデウスではなくその陰に隠れたアリスへと向けられていた。そのことにアマデウスは身構え固唾を飲んだ。

「俺は敵を捕らえられればそれでいい。君らに干渉するつもりはないし、君らを守るのはもう『ミスティル』の連中の役目だ。」

 何かを知っている、そんな口ぶりで話しながらもそれ以上言及する様子もないアランにアマデウスはその身の緊張を解いた。

「・・・うんまあ、ヘレン一応君も気を付けろよ。」

 アランがヘレーナの方へ向き直ったあと、心配の言葉をかけるまでにはブランクが三秒ほどあった。

「せめてもう少し心配そうに言いなさいよ。」

 『はあ、わかってはいたけど・・・。まあありがと、そうするわ。』とヘレーナは何かをあきらめたかのようなため息をつきつつもお礼は素直に口にしていた。クルトの時とは違ってはいるがヘレーナとアランの間にも分かりあえているものがあるようにアマデウスには思えた。

「敵は強い、その上まだ力を隠している可能性が高い。十分に気をつけて事に臨んでくれ。」

「力を隠してるのはこっちも同じことよ。私アルヴァが本気で戦ってるところなんて見たことないから。」

「もちろん、うちの団長も同じことだ。」

 

「ということなんだけどどうかな、アルヴァ。」

 アランと別れ、『戸陰』へのツケの精算を終えた三人は『ミスティル』のファミリーハウスに帰宅した。ヘレーナはすぐに面々を集め自衛団から受けた依頼の話をした。

「そう、切り裂き魔の事件は耳にはしていたけどそこまでの大事だったとはね・・・。もちろん受けるわ。文句ないわね、クー。」

「当たり前っすよ。やられた仲間の無念に立ち上がるなんてサボり魔のアランのくせに男見せるじゃないっすか。」

 すでにボルテージの上がりきったクルトには確認など不要だった。二つ返事で○を得たヘレーナがアランへ任務の承諾を連絡し、改めて任務内容の詳細の説明が行われた。

 ミスティルからはクルトとヘレーナのA班とアマデウスとアリス、ラウラのB班とで巡回を行う。各班員はお互いの状況が確認出来る距離を保ちつつ個人行動の形をとる。敵と遭遇した場合には戦闘行為は極力避け時間稼ぎに努める。接敵が確認されると直ちに西側はアルヴァ、東側ではエルランドが応援に駆け付ける手筈となっている。巡回の開始時間は午後十一時。それまでは各人心身と装備の準備に当たるようにとのことだった。

 

 午後十時、任務開始時刻まで残り一時間。

 今朝と同じくアマデウスは湖の側で刀を手に舞を舞っていた。

ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、・・・ヒュッ、ヒュヒュン。

 今朝とは異なりギャラリーの動物たちの姿は一つも見えずアリスだけが静かに見つめていた。クルクルと移り変わる景色の中アリスの姿が時折現れては消える。舞を舞ってる最中アマデウスの頭の中ではアランとの会話が思い返されていた。

『奴は妖力を使う可能性が高い。』

『標的としているのはただ力のある人ではなく妖力を高める贄としてより高純度の者・・・』

『君らも気をつけろ。』

(アランさんが僕たちを、アリスのことを心配したことは間違いなく正しいこと・・・。)

ヒュヒュン、ヒュン、ヒュッ、ヒュヒュン。

(敵が本当に純度の高い強力な妖力を求めているのであれば今夜の標的は間違いなくアリスです。)

ヒュヒュヒュヒュン、ヒュヒュン、ヒュン、ヒュヒュヒュッ、ヒュヒュン。

(恐らく僕よりも強い敵、それなら、)

―――シュッ

 

「おいおい、随分と血気盛んな刀じゃねえか、チビ助。」

 速度の上がった刀はクルトの左手の人差し指と中指に挟まれピタリとその動きを止めた。

「ご、ごめんなさい。考え事をしていてクルトさんが来ているのに全然気づかなくて、その、本当にごめんなさい!」

 クルトがアマデウスの刀を止められていなければ今頃クルトは隻眼になっているところだった。動きを止められた刀はクルトの左眼球まで五㎝のところに置かれていた。

「何だ何だ、任務直前だからって緊張してんのか?ガチガチじゃねえか!」

 ガハハと大笑いしながらクルトは大げさにアマデウスの背中を叩いて言った。力加減のわかっていない仲間の鼓舞にむせたアマデウスは地面にしゃがみ込み咳き込んいた。

「けほっ、けほっ、えほっ、・・・はあ、はあ。・・・・・クルトさんは緊張しないんですか?」

 呼吸が落ち着くとしゃがみ込んだまま顔を上げずに尋ねた。

「はあ?緊張?バカ野郎、そんなもんするわけねえだろ。逆境?危機?どっちも俺の大好物だからな。」

「なんでっ!」

 クルトならそう答えるだろう、そう思っていたのに、耳にした理解し得ない回答に心が、体が反抗的な態度を示した。

「どうしてですか?敵は何者でどこから襲いかかってくるかもわからない、もしかすると自分では何をどうしても勝ち目がないかもしれないのですよ?」

アマデウスは一息置き逸る心をなだめると再びクルトに尋ねた。

「小せえなチビ助!」

 突然に大きな声を上げたクルトにアリスは驚いてファミリーハウスの方へ駆けていってしまった。

「クルトさんの方が背、小さいです。」

 アマデウスは拗ねたように顔を背けて言った。

「ううう、うるせえ!俺が言ったのは身長の話じゃねえんだよ!てか小さくねえ!俺の方がデカイわ。」

 いやクルトの方が小さい。ぶっちゃけ一五㎝ほど。

「いえ、それはどうでもいいんですが、それなら何が小さいのですか?」

「おまっ、どうでもって・・・。はあ、小せえってのは身長のことじゃねえ。男として小さいって言ってんだ。」

「?」

「『何を言ってんだこの男は、』って顔してんなあ、オイ。・・・いいか、男のデカさは心のデカさだ。どんな面倒、どんな危機も全部受け止められるような心のデカい男になれ。そのためにはな、男なら格好つけろ。どんな逆境に陥ろうが笑って立ち上がれ。」

 クルトの瞳は静かにしかし熱く燃えている。クルトが語る言葉もまた熱を持ちアマデウスの心に飛び込みその熱を広げた。『一言も漏らすことなく耳に通しその全てを心に焼きつけろ』と本能が告げているのを感じる。

「限界を知って尚その上を行け。自分にはまだ先があると信じろ。格好つけるってのはそれを態度に示した結果だ。敵の姿が見えないからなんだ、自分より強いからなんだ。そんなもの限界でもなんでもねえ。死にたくねえなら、守りたいもんがあんなら、乗り越えろ。限界なんてものは死んだ後に決めろ。」

 まだ一〇歳のアマデウスにでも理解できる。今この瞬間こうして語るクルトはどこまでも格好いい。

それでも、どれだけ強く憧れようと高く望もうと、必ずそうなれるわけではない。一度自分の心が引いてしまった限界という境界線は、踏み越えることも踏み越えようと足を上げることさえも出来ない。

「僕は、アリスのことを母様から任されました。どんな窮地に立たされても守りたいです。それでも、僕より強いアルヴァさんやエルランドさんよりも強いかもしれない敵に勝つなんて出来ません。だけど、アリスだけは死んでもっ、」

 『死んでも』、その先の言葉をアマデウスは発することが出来なかった。腹部に強烈な痛みを受け言葉は失われた。そのまま前に傾くアマデウスの体をクルトの小さな体が力強く受け止める。

「死んでも守る?刺し違えて危機を乗り切るのか?それとも自分の命を代わりに差し出すのか?どっちにしろそんなものはただの甘えだ!その危機が人生で最後のものなのか?代わりに守ってくれる誰かが居るのか?もしそのどちらでもないってのならお前が死んだ後誰がアリスが守るってんだよ、なあ?」

 確かにクルトの言う通りだった。アリスの身に及ぶ危機が今日限りになる保障など全くなく、アリスを任せられる身寄りどころか頼ることの出来るアテもない。

「なら・・・、ならどうすればいいのですか!家族も仲間も友達だって一人も居ない、アリスを生涯守りきれるだけの力も持っていない僕に!一体何が出来るって言うのですか!」

 アマデウスはのどの痛みを感じて初めて、自分が叫んでいることに気がついた。家族や仲間、生まれ育った村、アリスだけを残し全てを失ったあの日。アリスを守り生きていくと決めたあの日から四年間、自分の感情を塞ぎこみ他人と深く関わることを避け続けたアマデウスにとって初めてのことだった。どうにかしたい、でも力がない。何一つ諦めてはいけない、なのに他に選べる選択肢もない。どれだけ心が前進・飛躍を望もうが頭と体がそこにブレーキをかける。アマデウス・レンクヴィストという一人が引きはがされバラバラになっていき、離れかけた心は冷たく冷えていった。

「どうすればいいか、今の自分に何が出来るかなんて考えなくていいんだよ。大事なのは何が出来るかじゃねえ、何をしたいかだ。・・・・・それにお前はもう一人じゃねえだろ。」

 とんっ。

 アマデウスの胸にクルトの拳が当てられる。じわり、とクルトの温もりが拳を通してアマデウスの心を温めていく。

「アーデにはもう姉さんやヘレン、ラウラに俺だって居る。いざって時はお前たちの事は俺たちが守ってやる。足りない分の力にだってなってやる。だからお前は先だけ見てればいい。」

 心が温かい。頭は冴え体も軽くなっていく。昨日、トロールと戦っている時にも感じた感覚、さっきまでとはまるで違う。強く望み行動すれば何でも出来る。求めれば全てを手に入れられる。そんな感覚を全身で感じる。

「心のデカさってのは容れ物の大きさだ。てめえ一人でどこまででも大きく出来る。そんでもって心の強さってのが中身だ。でもな、こいつに限っては自分一人じゃどうしたって詰め切れねえ、手と足の数みてえに限りがあるんだよ。だからな他の人に詰めてもらうんだ。てめえの心の中にどれだけ多くの人の顔や名前、声や言葉が入ってるか。絶対に守りたいもんの数がてめえの心の強さだ。男としてデカくなれ。そんでもって、人として強くなれ。」

 もう一度クルトは右の拳を握りなおし、もう一度アマデウスの胸に当てた。この時アマデウスの胸に伝えられたのは温もりだけでなくしっかりとした重みのある熱く硬いクルトの思いも伝えられた。

「さあ、そろそろ出発しねえとな。一度家に戻るぞ。」

 アマデウスの元を離れていくクルトの小さな背中はとても大きく見えた。

 

 アランから指定された集合地点は王国の中心街にある自衛団の本部前であった。

「ミスティルの皆、協力を快諾してくれて本当にありがとう。犯人を捕まえるまでの間よろしく頼みます。」

 自衛団本部前でミスティルのメンバーを待っていたのは、自衛団団長のエルランドに副団長のエイラとアランだった。

「別にあんたのために来たんじゃないわ。御託はいいからさっさと仕事の話をしなさい。」

 エルランドに対するアルヴァの容赦のない発言にエイラが目くじらを立てるがエルランドはそれを制止した。

「だけど、自衛団の団員のために戦ってくれるのですよね?それならばやはり、ありがとうと言わせてほしい。」

 そう言って頭を低く下げお辞儀をするエルランドの姿は彼が本当に心の美しい人なのだと場に居た全員に改めて思わせてくれるものだった。

「待たせて申し訳ない。詳しい説明をしましょう。」

 

 ミスティルのメンバーはアルヴァを除き二手に分かれ王国の西側の巡回エリアの内二ヶ所を担当する。各担当区画内にてさらに二手に分かれ体裁として一人の状況を作る。パートナーとはお互いの姿は確認出来ないがどちらかに襲撃があれば即座に駆けつけられる位置を保つように、とのことだった。敵の姿を確認した際に救援信号を発する簡単な発信機を手渡された。発信機同士が半径二〇〇m以内にあれば青いランプが点灯し近づけばより強く光る、それを頼りにパートナーとの距離間を保つとのことらしい。

自衛団の他のメンバーについてはすでに巡回に出ているらしく敵もそろそろ動きを見せ始めるころかもしれないとも言っていた。

 

 アマデウス・アリスとラウラのチームB班は王国の中心に比較的近いところにある商業地区が巡回エリアとして割り当てられた。

 巡回エリアの中には日中にヘレーナやアリスと訪れた店が見られた。足を止め店の前に立つと昼間の光景がすぐに思い出される。威勢のいい声のおじさん、おやつをくれたおばさん、素敵な笑顔で頭を撫でてくれたお姉さん。昼間の光景とともにファミリーハウスを出発する前のクルトの話が思い出された。

『心の中にどれだけ多くの人の顔や名前、声や言葉が入ってるか。』

(名前は聞けていませんが顔も声も交わした言葉も全て心に入っています。)

 思い出した人たちは皆戦いから離れたところで生きる、他人に優しくすることの出来る心の穏やかな人ばかりだった。そんな人の存在こそがアマデウスがこれまでに訪れた他の地域にはない『メルマリア王国』の素晴らしさだと思った。だからこそ、

(この国の人たちを守りたい。)

 アマデウスは強く心に思った。

 とにかく巡回に戻ろうと体を動かすと右の袖が引かれた。

「アリス?」

 振り返るとアリスが胸元を握り締め息を荒げ苦しそうにしていた。

「兄・・・様。ここ・・・何か、・・・・・変。」

 それだけ告げるとアリスはその場に倒れこんでしまった。呼吸も苦しそうにではあるが出来ているし心音にも異常な乱れはなかった。それだけにアリスが倒れた理由が分からずにアマデウスは手に汗を握った。

「ぎゃはっ!」

 背後から気味の悪い笑い声が辺り一帯に響き渡った。アマデウスが周囲を見渡すと辺りには濃く霧がかかっていた。その中アマデウスの視線の先一〇〇m程、一つの影がこちらに近づいてくるのが見えた。

「ぎゃはは・・・。やっと見つけたぜ!すげえ、すげえ妖気の塊じゃねえか!」

 狂気の声を発しながら近づく影はゆっくりとその姿を露わにする。

足首まである真っ黒いローブ、大きめのフードを被った深い猫背の人影。声からしておそらく三〇歳後半の男。そいつは両腕をだらりと垂らしたまま体を左右に揺らして前進を続ける。ローブで体のラインが隠れてしまっているが、背は一七〇㎝前後肉付きは極端に悪く必要最低限の筋肉と脂肪しかないように思われる。その風貌の不気味さ以上にその手に持たれた武器がそいつを敵だと体の髄から感じさせた。

垂れ下がったローブの袖から覗く黒と赤を纏う刀。黒と言ってもクルトの持つ同田貫の黒とは全く違う印象の黒だった。ただただ黒い。そこに意味はなく何も知らない無垢ゆえの生まれながらの黒、まるで全てを飲み込んでしまう闇のような黒だった。そして刃文から刃の部分、人を斬る部分のみが濁った血のようなくすんだ赤に染められている。

敢えて思いを込めずに打たれた刀、刀本来の役割『斬る』それ以外には何も覚えさせられていない刀、そんな印象だった。

(あの人が切り裂き魔に違いありません。)

 アマデウスはフードを被るとアリスを背後に庇い、エルランドから手渡された救援用の発信機のボタンを押した。

「ちょろい!ちょろすぎるぜ!全く何をしているんだ国王様はよお!」

 霧のカーテンを斬り裂くように刀を振るう切り裂き魔はアマデウスの視界にはっきりとその姿を現した。

「さあて、本日も妖気をいただきますか。・・・って、ああん?てめえは一体何だ、何で気絶してねえんだあ、おい!」

 『本日も妖気をいただきますか』目の前のローブの男は確かにそう言った。その風貌から確信はしていたが男の口から発された言葉がさらに裏打ちする。そしてアリスが意識を失ったのも体の異変などではなくこいつの仕業、その事実にアマデウスは少し安心した。

「ていうか何だあ、こいつ。一切妖気が感じられねえじゃねえか。さっきのデケエ妖気はどこだよ!」

 男はアマデウスを視認するとあからさまな苛立ちを見せた。

「ここ最近の九件の殺人は全てあなたの仕業ですか?」

 アマデウスはその場に立ち上がりながら男に尋ねた。

「ああそうか。妖気を蓄えてんのはそっちの奴かあ!」

 深いローブの下で瞳が覗く。ギョロッとした下卑た瞳がアマデウスの足元に向く。その瞳はアマデウスの後ろ、横たわるアリスに向けられていた。

「妖気を求めて人を立て続けに殺しているのはあなたですか!」

 アマデウスはアリスへ伸びる視線を遮るように立ちなおすと声を強め再び尋ねた。

「ああん?だったらどうなんだよ。安心しろ、どういうわけか知らねえが妖気を持たねえてめえには用はねえ。俺が用があんのはそっちのメスの方だからよお。」

 アリスを見て男は気色の悪い笑みを作り舌なめずりをしてみせた。そんな男に対しアマデウスは腹の底で怒りが沸くのを感じた。

「この子は僕の大切な妹です。なので、あなたのような汚れた人に渡すことは出来ません。」

 背後に大切な者を感じながら、アマデウスは刀を構える。

「そうかよ、邪魔するってんなら容赦はしねえぜえ。昨日、途中で邪魔しに来やがった奴みてえにさくっと殺してやるよ。」

 『昨日』、昼にアランが話した憶測は正しかった。ハンスはやはりオークランスを助けに入りこの男と戦いそして殺された。

「・・・何のために殺したのですか?」

 アマデウスは怒っていた。昼間ハンスの死に怒るアランや悲しむ『戸陰』の店主を見たことで強く思った、『たとえこの世がどれだけ戦いに溢れ、力こそが全てであると、そう思われても、強者が正義、弱者は悪、そんな世界であってはいけない。命を奪う行為は等しく悪でありそれは裁かれ償うことで赦されなくてはならない』と。

「理由?理由なんてねえよ。邪魔だったから殺した、それだけだ。道端に転がってる石ころを蹴飛ばして何が悪い?辺りに沸く虫を殺して誰が困る?てめえもこれから同じように殺されるんだぜ、そんなこと気にしてる場合じゃねえだろうがあ!」

 男は奇声を上げながらアマデウス目がけ飛び込んできた。

「あなたには僕と一緒に舞ってもらいます。」

「わけのわからねえこと言ってんじゃねえぞ、ガキい!」

 男は走り込んだ勢いを乗せた突きをアマデウスの喉元目がけ打ち込む。

「どこに打ってるのですか?」

 男の突きは空を打ち、アマデウスは男の背後に降り立った。

「オラア!」

 男は体を振り向かせずに乱暴に腕・刀だけを振るう。アマデウスはしゃがんでこれを潜るとそのまま体を回転させ男の脇腹に後ろ回し蹴りを入れる。

 家屋の壁に突っ込んだ男はガラガラと音を立て瓦礫の中から起き上がる。

「やってくれんじゃねえか、ガキがあ!」

 瓦礫から飛び出した男はアマデウスには直接突っ込まず自分の間合いギリギリで制止、攻撃へと移った。自分のリーチ外からの一方的な攻撃にさらされるアマデウスであったが、それを刀で受け流しもせずに全てを躱していく。全ての斬撃の軌道を予め教えられているかのようにその身に掠めることもない。

 ひらひらと斬撃の間を舞うように簡単に躱し続けられることに苛立つ男の斬撃は、より大振りになっていく。アマデウスは大振りになった攻撃を一つ躱すごとにその間合いを詰め、あと一歩で刀が男を捉える距離にまで詰めていた。

ニヤリ。

 男の口角が一瞬吊り上がった。その次の攻撃が振るわれた瞬間、

シュッ!

 男の袖口からは投げナイフがアリス目がけ飛びだした。

「おら、どうしたあ!てめえの大事な妹が死んじまうぞお!」

 男の叫びに後押しされるようにナイフはどんどんアリスに迫る。

キンッ!

 先ほどまで男の斬撃を躱していたはずのアマデウスが今、一〇mほど離れたところに居るアリスの手前で男の放ったナイフを弾いていた。

「はあ?何なんだてめえはよお!」

「あなたのような人がやることぐらい簡単にわかります。」

「くそがあ!」

 男は走りこんでくるアマデウスに対しさらに三本の投げナイフを放つがアマデウスは走りながらにいとも容易くこれら全てを弾いた。男が四本目を手にした時にはアマデウスはすでに目の前にまで詰めていた。アマデウスは男の左手首を叩くとそのままに次の一撃を打ち込む。

 男もアマデウスの攻撃に対抗しようとする。しかし辛うじて繰り出す斬撃はアマデウスの影さえ捉えられず一方的にアマデウスの攻撃だけが次々と撃ち込まれる。

「・・・・・らねえ。」

ぞくっ。

 男の手元から異様な感覚を感じたアマデウスは即座に距離をとった。

「気に入らねえ、ああ、気に入らねえ。何なんだてめえの戦い方はよお!ひらひらとこっちの攻撃を躱すだけ躱しておいててめえは刃をこっちに向けることすらして来ねえ!人のことをバカにするのも大概にしとけよ!ガキ相手にこの手は使うつもりなかったのによお。てめえもう死ねよ。」

 男の言葉に呼応するように、異様な感覚が鼓動を打ち大きくなっていく。その鼓動にリンクするように男の手にした赤い刃は不気味に光り始めた。

「行くぞおらあ!」

ダンッ!

男が一歩踏み切ると瞬時にアマデウスとの距離を詰め刀を振り下ろした。アマデウスは辛うじて刀で受け流すと反撃の一打を打ち込む。

「それじゃもう効かねえんだよ!」

 だが、男はアマデウスの一撃を体に受けたままアマデウスを蹴り飛ばした。アマデウスは飛ばされながらも態勢を立て直し追撃に来る男を迎え撃った。

 一撃目こそ傷を負ったもののその後は全ての攻撃を受け流し逆にアマデウスの方が男に攻撃を入れていた。しかし男の言葉通りに刀による打撃は効いている様子がなく男はすぐに反撃に出る。

「いい加減死んどけえ!」

 男はアマデウスの攻撃を受けながら無理矢理に攻撃を繰り出そうと腕を振り上げた。

「次の一撃は出せませんよ。」

アマデウスのセリフが魔法であったかのように振り上げられた男の腕は止まった。アマデウスは銅像のように直立したままの男の首に全体重を乗せた一撃を打ち込んだ。

 男は再び家屋に叩きこまれ瓦礫が降る中倒れたままで居た。

(これなら、僕一人では倒すまでは行けなくても援軍が来れば必ず倒せます。)

 救援信号を送ってから五分が経とうとしていた。

「ぎゃはは、ぎゃははははは!そうか、そういうことか!どうしてこんなにもムカつくのかようやく分かったぜえ!」

 男は突然に笑いだすと勝手に何かを理解したと言い出した。アマデウスには一体何のことを言っているのかさっぱりだったが援軍を待っている今、勝手に時間を無駄にしてくれるのは有難かった。

「俺はてめえによく似た戦い方をする女を知ってる。そしてそいつは俺がこの世で一番憎かったからなあ。てめえがそいつと被ってムカついて仕方ねえ!」

(僕に似た戦い方をする女の人・・・)

 アマデウスは自分と似た戦い方をする女性など一人しか知らなかった。そもそもその女性から教わったのだ、アマデウスに似ているのではなくアマデウスが似ているのだ。

「ま、そいつも四年ほど前に俺が殺して今はこの世に居ねえけどな!」

 四年前、アマデウスとアリスの故郷が襲撃され母親が殺された年。

「まあ安心してなあ。お前もすぐにその女の元に送ってやっからよお。」

 瓦礫の中からゆっくりと立ち上がる男の体は大きくなりローブの丈が脛辺りまでになっていた。

「・・・あの時、母様を殺したのはあなたなのですか?」

 アマデウスの声はひどく冷めていた。もちろんこれまでの比でなくアマデウスは怒っている。だがそれは言葉に表せるレベルを裕に越え、事実確認さえすればすぐにでも怒りを発散させるつもりだった。アマデウスの瞳からは青みが抜け紫色に近くなっていた。

「あいつにガキが居たなんて知らねえなあ。だがてめえがあいつのガキだったとして、俺があいつを殺してどうだってんだあ、んん?」

 男はアマデウスを煽るようにわざとらしく笑みを作り挑発する。

ギンッ!

 次の瞬間、アマデウスは男に対し一撃を打ち込んでいた。男はそれに反応し刀を合わせ受ける。

「どうして・・・・・どうして母様を殺したのですか!」

 大の男を相手に刀を押し込みながらアマデウスは怒りに満ちた声を上げた。

「ぎゃはは!さあなあ、昔のこと過ぎて忘れちまったよ。」

 ぎりりと奥歯を噛みしめアマデウスはさらに刀を押し込む。

「おいおい、あっちは気にしなくて大丈夫なのかあ?」

 男はアマデウスに押さえつけられながら顎で方向を指す。アマデウスもその方向に視線を向けるとそこには、

「ウ、ウウウ~。」

 地面にうずくまり苦しむアリスの姿があった。

「アリス!」

 アマデウスが声を上げた瞬間、男はアマデウスを押し切りバランスを崩したところを殴り飛ばした。

アリスのそばまで飛ばされたアマデウスは定まらない焦点でアリスの姿を探した。

漸くアリスの姿を捉えるとアリスの髪は白く染まっていた。

「アリス!どうしてっ!」

「おいおい、どうしてじゃねえだろうよお。これだけ濃い妖気の中に居るんだ。そりゃあ、出て来ちまうわなあ。俺としちゃあ何ともねえてめえの方が不思議でならねえぜ。」

 瓦礫から出てきた男はさらに一回り大きくなっていた。

(まだ強化されるのですか・・・。これでは儀式用の守り刀でダメージを与えることなど・・・。)

 アマデウスが手にしている刀は元来舞の奉納、儀式のための刀。それを彼の母親が守り刀としての意味を持たせ鍛え直したものである。

守り刀と言っても物理的あるいは魔法的な優れた防御力を持っているわけではない。神的あるいは霊的な加護を望んだ極めてスピリチュアルな代物であり、力こそが全てのこの世界においては付加価値は全て無力でただの鉄の棒と同等の扱いになる。

もちろん、アマデウスはこのことを理解している、理解した上で母親の形見であるこの刀を使い、アリスと己が命を守り続けてきた。しかし、限界が来ることもわかっていた。もっと長く、もっと多くの命を望むにはただ防ぎ守るだけの刀(ちから)だけでは足りない。

(援軍はまだですか。もう到着していもおかしくないはずなのに。)

 救援信号を送ってからすでに一〇分が過ぎていた。エルランドの話ではもう当人が到着している時間だ。それ以上に一番近くに居るはずのラウラが来ないことがおかしかった。

「一つてめえに教えといてやるよ。援軍なら来ねえ。」

「!」

「てめえが俺の姿を確認したときに救援信号を出してんのは知ってんだよ。ここの霧、これなあ妖気が元なんだわ。だからなあこの場所は外からじゃ歪んで見えねえようになってんだよ!もちろん電波の行き来も出来ねえ!」

 ここが隔離されている以上ラウラの援護は期待出来ないが逆を言えばラウラに危険が及ぶこともない、アマデウスはそう思った。

「俺はそっちのメスの妖気を手に入れたらこの国を亡ぼす。他の奴らもすぐに殺しててめえの所に送ってやるから安心して死ね。」

(他の奴ら?それは誰のことですか。アリスですか?アルヴァさんですか?それともヘレーナさん?クルトさん?ラウラさん?エルランドさん?エイラさん?アランさん?戸陰の店主さん?今日会ったお店の人たち?)

 アマデウスの頭の中を色んな人の顔が、名前が、声が、言葉が駆け巡る。胸が熱い。

 

ドクン。

 

「誰を殺すと申すか?」

「誰って、てめえとてめえの妹とこの国の他ぜんい、ん・・・」

 男は途中で言葉を失った。

「おいおいおいおいおい!ふざけんじゃねえぞお!その力、てめえマジであの女のガキだってのかよ。・・・はっ、どこまで俺のことを馬鹿にしたら気が済むってんだ。ウルスラあ!」

 アマデウスの瞳は深い紫に染まりその体は淡い光に包まれていた。男は天に向けて声を荒げながらも手足は震え腰も抜けかけ強化されていた肉体は元に戻っていた。

「貴様ごときがわしの家族や親しき者を、わしから奪うと申すのか?一度ならず二度までも・・・。わしの家族を手にかけるなど、一度であろうとも到底赦されることではない。今ここで、その命散らしてくれる。」

 下卑たものを見る目が男に向けられる。今のアマデウスは表情も口調も先ほどまでとは全くの別者だった。振り上げられた刀は刀身を白く輝かせアマデウスを覆う霧を払う。

「終わりだ。」

―――――ゴォッ!

 アマデウスの刀が振り下ろされようとしたその瞬間男の間に光の壁が走った。

「っ!」

 見覚えのある光を目にしたアマデウスの瞳には青さに戻り、体を覆っていた光も光の壁の勢いにかき消されるかの如くなくなっていた。

光の壁が走ったことで妖気の霧は散らされたが、その時には男の姿もなくなっていた。

「アマデウス君!」

「・・・エルランドさん。」

 光の壁が走ってきた方向からやってきたのはエクスカリバーを手にしたエルランドだった。エルランドの姿を確認したアマデウスは全身の力が抜けたようにその場に座り込む。

「おいおい、一体なんだってんだこの荒れようはよう。」

 さんざん人を叩き込んだ家屋の主人も霧が晴れたことで初めて騒ぎに気付いたのか今更ながらに外へ出て来ては壁の穴に驚いていた。

「ん、あれは何だい?・・・おい!あれはもしかして・・・。」

 壁の穴に騒ぐおじさんの声に辺りの家々から見に来ていた住人の一人がアマデウスの方を見て何故か慌て始めていた。

「九尾だ!九尾の妖狐が居るぞ!」

 指をさして大声を上げる住人にアマデウスは慌てて振り返るとそこには白い髪に白い耳、それに白い九つの尾を生やした小さな少女が居た。

「アリス!」

「アマデウス君、目を閉じて!」

 アマデウスの声に被せるようにエルランドは大声を上げるとエクスカリバーを天に向けて突き上げた。

―――ッ!

 エルランドが天にかざしたエクスカリバーは目一杯の光を放ち辺りの人の目を眩ませた。

「アマデウス君、よく聞いてください。この場は私に任せてアリス君を連れてミスティルのファミリーハウスへ帰りなさい。アリス君は君の刀で軽く触れれば元に戻ります。本当によく頑張ってくれました、ありがとう。さあ、後のことは任せて、早く行きなさい。」

 アマデウスはエルランドの言葉を聞くと苦しむアリスを抱えその場を後にした。

 

第四章   家族

「おはよう、アーデ。」

「おはようございます。」

 切り裂き魔に対抗するための巡回任務に『ミスティル』が参加した夜から三日が経過した朝。アマデウスはミスティルで変わらず朝を迎えていた。

「アリスの様子はどう?」

「まだ目を覚ます様子はありません・・・。ですが、熱もようやく下がって今は気持ちよさそうに眠っています。」

「そう、アリスには早い所目を覚ましてもらわないといけないわね・・・。家族が一人居ないだけでご飯も味気ないもの。」

 アルヴァの言葉にアマデウスは一瞬ドキリとしながらも、続くアリスを思う言葉に胸をなでおろす。

 あの日敵の妖気に当てられ九尾の妖孤の姿を現したアリスは、エルランドの言った通りアマデウスが刀で叩くと姿はすぐに戻った。しかしその後三日の間熱にうなされ続け、四日目の今朝ようやく落ち着きを見せた。アリスの状況は落ち着きを見せた、だがそれでもアマデウスの心中は穏やかではなかった。

「おい、チビ助。お前ここんとこアリスに付きっきりでちゃんと休んでねえだろ。ほら、ガツッと朝飯食ってドカッと睡眠とっとけ。」

 ドスンッとアマデウスの前に置かれた朝食は普段の三倍はあるドデカ盛りになっていた。

「そうよアーデ。次にその男が来た時には私が守ってあげるから、今はちゃんと休みなさい。」

「ヘレンさん・・・。」

 自分とアリスをこんなにも労り気にかけてくれることがアマデウスには何よりも幸せだった。しかし今のアマデウスにはどうしてもその優しさを素直には受け取ることが出来なかった。

「どうして・・・・・どうして誰も、アリスのことについて聞かないのですか。」

 クルトの作ってくれた朝食に手をつけようとフォークをとりながらも、その手をそのまま机に降ろしアマデウスは尋ねた。

「アリスのこと?何の話かしら?」

 アルヴァはすでに朝食を終え食後の一服に浸っていた。白い煙を長く吐き出しながらとぼけるように答える。クルトとヘレーナは全ての意向はアルヴァに委ねるとでも言うように口を閉ざし見守っていた。

「誤魔化さないでください!皆さんエルランドさんから聞いてるのですよね?アリスが九尾の妖孤だということ。」

「ああ、確かそんなことも言ってたかしら。」

 アマデウスが覚悟を決めて発した言葉に対しアルヴァは眉一つ動かすことなく呆けて答える。

「どうしてそんなに落ち着いているのですか!九尾の妖孤ですよ!世界崩壊の兆し、災厄の根源、そう呼ばれている妖孤がすぐそばに居るのにどうしてそんなにものんびりしていられるのですか!追い出したり殺したり膨大な妖力を利用しようとは思わないのですか!」

 これまでアマデウスたちが多くの国や街、集落を転々としてきた理由は母親の日記を辿っていただけではない。

アリスは普段こそアマデウス同様に純人間(ピュアヒューマン)の姿をしてはいるが、先日のように過度な妖気に晒されたり感情が高ぶりることで妖孤の力が表に出てきてしまう。そして、アリスの正体がバレればその日の内には逃げなければならなかった。

それは訪れる災厄を恐れ命を狙う者や切り裂き魔のように力欲しさに妖気を求め襲いかかる者によってアリスに危機が降りかかるからだった。

 これまで通りであれば昨晩アリスを連れてファミリーハウスに戻った後必要な荷物だけをまとめ『メルマリア王国』を出ていくはずであった。だが戻った二人を待っていたのは『ミスティル』のメンバーからの力強い抱擁だった。ヘレーナとラウラはすぐにアリスをアマデウスから預かり、看病のため部屋に連れていった。アルヴァは力強くアマデウスの頭を撫で、クルトは背中を軽く叩き『よく守った。』と一言だけ告げてくれた。

 翌朝にはもう食卓で朝食を食べ、いつもと変わらない日常が流れていた。

 ここ『ミスティル』での反応がアマデウスには嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。だがそれと同時にその嬉しさを失う時が怖かった。四年前、母親を、故郷をあの男に奪われたことが脳裏に刻まれたアマデウスは嬉しさを感じる毎に心の不安を大きくさせていた。

「で、だから?」

「へっ!」

 カンッ!と煙菅を灰皿に叩きつけると真剣な顔、落ち着いた声でアルヴァは答えた。あまりに冷静で無欲な答えにアマデウスは間の抜けた声を出してしまった。

「アリスはもう私たちの家族なのよ。たとえ九尾の妖孤だろうが災厄の根源だろうがそんなもの関係ない。そのせいで危機が及ぶってんなら全員でぶちのめす!災厄が起きようが何も変わんないのよ。私たちは『ミスティル』、逆境を耐え忍び困難に打ち勝つ、ただそれだけ。だから、あんたたちが何者でこれから先、どんなことがあろうとも、あんたたちは私らの家族よ。・・・何か文句ある?」

 アルヴァは本当にどこまでも挑戦的で格好良く男より男らしい。アマデウスが同意を求めるようにクルトを見ると大きくうなづいてくれた。

「ありがとうございます。・・・これからもよろしくお願いします。」

 アマデウスの心にあった不安はアルヴァの言葉一つで一気に引っこんでしまった。今はただアリスが目覚めることが待ち遠しくて仕方がなかった。

「だいたい、あんたも王国の奴らも皆間違えてんのよ・・・。」

「はい?アルヴァさん何か言いましたか?」

 ヘレーナやクルトからもみくちゃにされていたアマデウスはアルヴァの言葉を聞き取ることが出来なかった。

「あれ?そう言えば、ラウラさんはどうしたのですか?」

 アマデウスたちが切り裂き魔に襲われた時もっとも近くに居たのは同じ『ミスティル』の仲間で純人間(ピュアヒューマン)のラウラ・ラーゲルベックであった。しかしその日アマデウスたちを助けたのは自衛団団長エルランド・メランデルでラウラとはその日以降顔を合わせていなかった。

「ラウラはね、アーデと顔を合わせ辛いのよ。今は自分の工房に籠ってるわ。」

 純人間(ピュアヒューマン)であるラウラにとって『ミスティル』での役割は元来戦闘員ではなく鍛冶師である。なのでファミリーハウスの中にある自室とは別に森の中に作業用の工房を持っている。

 ヘレーナから工房の場所を教えてもらったアマデウスはラウラの工房へと向かった。

 ファミリーハウスから王国とは逆方向に森の中を一五分ほど進むとまた開けた場所に出る。ファミリーハウスのある広場と比べると二〇分の一ほどの広さ、同じく水溜まりがある。幅は最長で五m底までの深さは深いところでも七〇㎝ほどの大きさの泉。泉の水は底が見えるほどに澄んでいてその底からは絶えることなく清水が湧き続けている。

 泉のすぐそばに一件の木造家屋が佇んでいた。家というにはつつましく納屋と呼んだ方が幾分かふさわしい大きさの建物。屋根にはそんな外観には似合わないしっかりした煙突が取り付けられている。

 煙突からは黒い煙が立ち上り建物からは甲高い金属音が聞こえてくる。

「ここが、ラウラさんの工房・・・。」

 いざ、広場に足を踏み入れると、その空気の違いを感じた。そこには動物の声も木々のざわめきもなく分子一つ動かすこともはばかられるような厳かな空気で満たされている。だがその空気は決して重くはなく、軽やかでそこの泉のように澄んだ清らかさを感じる。アマデウスはこの場に似た感覚を昔別の場所で感じたことがあった。

「まるでお社のようです。」

 四年前、まだ母親が生きていたころ。月に一度彼女は村とそこに住まう全員の安全を祈り舞の奉納を行っていた。その時に訪れていた村のお社、アマデウスが中に入ったことがあるのはたったの数回ではあったがその感覚は体と心にしっかりと刻まれていた。

 工房は窓も扉も完全に閉ざされ外からの光が一切入らないようになっており、中からは金属が叩きつけられる音が聞こえてくるだけだった。

 厳かな空気の中アマデウスは眼を閉じ母親の舞う姿を思い出していた。毎日見つめ憧れ続けた母親の舞。目を開くとそこには舞を舞う母親の姿が見えた。アマデウスは母親を追うように舞い始めた。母親と一緒に過ごし練習をしていた頃を思い出し胸が熱くなる。

 舞を終えると母親の影はアマデウスに向けて優しく微笑み手を差し出した。だが、アマデウスはその手を取らずに母親の目を見て静かに首を横に振った。母親の影は一度だけうなづくと目を閉じすうっと霧のように空中に消えていった。

「母様はもう居ません。今は僕がアリスを、家族を守らないといけません。だから、僕に今必要なのは過去の思い出ではなく未来を生きるための力です。」

 アマデウスは拳を強く握り顔を上げた。

ギイ・・・。

 アマデウスの後ろで、閉め切られていた工房のドアが突然開かれた。

「あ、ラウラさん!」

 工房からは頭に手ぬぐいを巻いた作業着姿のラウラが出てきた。

「あ、あああ、アーデ!ななななな、なんでここに居んの!」

 ラウラはアーデが工房まで来ていることに驚き、作業着姿を見られたことを恥ずかしがり、そしてまたアーデを見て驚いた。

「アーデ・・・、泣いてんの?」

「えっ?」

 アーデが頬に手を当てると一粒の涙に触れた。

「ホントですね。どうしてでしょう?」

 キョトンとした表情で居るアマデウスに対し『なるほどな』と何かわかったように微笑むと口を開いた。

「それは精霊に見せられたんやな。」

「精霊ですか?でも僕魔力ありません。」

 精霊はこの世に存在する全ての生命全ての自然に宿るエネルギーの源であり、魔法では魔法力、魔力を消費することで精霊を使役し強大な力を得ている。なので魔力を持つ者は精霊の存在を感じることが出来、素質の高い者の中には精霊の姿をその目に見ることが出来る者も居るという。

 しかし、純人間(ピュアヒューマン)に魔力を持つ者は居らず精霊の存在を感じることすら出来ない。

「それはな、認識違いやねん。確かにうちらが精霊を感じることは出来ん。せやけどそれはうちらにとっての話や、この子らからすればうちらのことはちゃあんと見えとるしさわれふ・・・。」

 精霊に対する認識の違いを丁寧に説明するラウラの頬が引っ張られ釣り上げられていく。さらに頭に巻かれた手ぬぐいは宙を舞い、髪は逆立ち踊っていた。

「っへ、ひふはほははは・・・止めんかい!」

 ラウラが釣り上げられた頬の先目がけて手を振り上げると頬はその手を躱すように元の位置へと形状記憶されたゴムのように戻っていった。

バチン。

「あんたら、アホか!痛いわボケ!」

 ラウラは何もない空中をぶんぶん腕を振り回して暴れまわっている。

 一体何が起こっているのかさっぱりなアマデウスは一人唖然として突っ立っていた。

くすくすくす・・・。

きゃははは・・・・・。

 唖然とするアマデウスの右肩、注意しなければ聞き逃してしまうほどの小さな笑い声がそこから聞こえた。見れば肩の上に赤に青、黄、緑、それぞれ帽子を被った者被ってない者、羽のある者ない者様々な姿をした小さな何かがそこに居た。

「もしかしてこの人たちが・・・?」

「そっ、その子らが精霊。」

 宙を舞っていた手ぬぐいをようやく捕まえ頭に巻き直しながらラウラは話してくれた。

「うちが鍛冶師として『ミスティル』に入った後、工房を近くに建てよってなった時にな、ヘレン姉がここがええって教えてくれたんよ。ここには力の強い精霊たちがよーさん居るからって。」

「どうして工房の場所に精霊が関係あるのですか?」

 純粋な疑問だった。魔法道具の生成であれば精霊が関係することはわかる。だがそもそも魔法の使えないラウラにとって工房の場所選びに精霊の存在が関係することが理解できなかった。

「精霊、特にここに居る子らみたいに力の強い子らはな、人と関わりを持つことを嫌うんよ。自分らが人と一緒に居るせいで争いが起こることを知っとるからな。」

 どの国にとっても精霊の質と量はそれだけで戦局を大きく左右する程の重要な問題である。だからこそ、より多くより強い精霊を所持する国はそれだけで支配する価値が生まれ永く渦中に身を置いて来た。

「だとすれば、僕たちがここに居るのも本当は良くないのでは?」

「それはちゃうよ。この子らは別に人のことを嫌っとるわけやないんよ。むしろ大好きやからこそ、自分らが原因でよーけ人が死ぬんが嫌やねん。せやなかったらそんなに寄って来んやろ?」

 気が付けば右肩だけでなく左肩にも頭の上にも足元にも、体中に精霊たちがくっついていた。

「それにアーデもその子らにええもん見せてもろたから涙流しとったんやろ?」

「?」

「この子らは人が大好きやからな、誰かの心が不安定になってるとそれを落ち着けるためにその人が一番望むものを魅せてくれる。アーデも感じたやろけどこの広場の空気が無駄な感情の含まれてない清らかで厳かなものになっとるのはそのせい。そしてこの空気こそが刀を鍛えるんにもっとも大事なんよ。」

「刀、ですか?」

 アマデウスは普段ラウラがミスティルの皆の装備のメンテナンスをしていることは知っていたが、自分で武具防具の作成まで出来ることは知らなかった。

「ああ、・・・うん、まあな・・・。」

 普段の快活すぎるラウラからは想像もつかない、歯切れの悪い返事であった。

「実はな、うちの家は刀鍛冶の家系なんよ。爺ちゃんは稀代の刀鍛冶と呼ばれたそれはもうすんごい人で名刀と呼ばれる刀をよーけよーけ生み出した人やねん。そんでもってその息子、うちの父ちゃんも爺ちゃんに負けへんぐらいの腕利きやった。」

 誇れる自分の家族にラウラはいつも以上に明るく話してくれていた。しかし次の瞬間にはラウラは表情を曇らせ、言葉が重たくなる。

「・・・けどな、父ちゃんはいつからか妖刀しか作らんくなってしもて爺ちゃんに破門された。その後すぐに爺ちゃんは死んでもてな。父ちゃんを後継者にって思てたから門下生も居らん。うちは女やからって鍛刀技術は何も教えられてん。つまり我が家の刀鍛冶としての名はそこで途絶えたってわけ。没落鍛冶一家となったうちの家族はバラバラになってもてな、行き場を失くしたうちはその後アルヴァさんに拾われたんよ。」

 話の最後にラウラが見せた笑顔はとても寂しく、アマデウスの胸をきつく締めつけた。

「・・・・・じゃあ、ラウラさんは刀は、」

「そ、打てへん。」

「でも、ラウラさんがいつも持ってる小太刀、あれはラウラさんが打ったものですよね?」

「なんでわかんの!」

「初めてラウラさんに会った時あの小太刀を手にしたらラウラさんの真っすぐで力強い心を感じたのです。『お爺様、お父様を超える刀を作ってお父様に帰ってきてほしい』と。」

「いやっ、・・・あのっっ、・・・・・そっ、それはっ・・・・・。」

 ラウラの顔が茹でられた甲殻類のようになり最終的には頭から湯気を噴き出し始めた。

「ラウラさん本当は可愛い話し方なのですね。」

 ボンッ!ラウラの頭は爆発してしまいその場でたたら足を踏んでいた。

「ちゃ、ちゃうねんそれは!父ちゃんが出ていった後すぐに打った刀やったしうちもまだ幼かったというかやなあ・・・・。」

 わたわたとセリフの三倍ぐらいの身振りをつけ真っ赤な顔で話すラウラは本当に可愛らしく普段の姿と違って愛おしく思えた。

「今でも、帰ってきてほしいですか?」

「えっ・・・?」

 アマデウスからのいきなりの質問に一瞬で全身の細胞が冷静になった。

「お父様が出ていって家族はバラバラになってしまっていますし、今のラウラさんには『ミスティル』という新たな家族が居ます。それでもまだ、家族を見捨てたお父様に帰ってきてほしいのですか?」

 アマデウスから聞かれるまでラウラは考えたことがなかった。正直に言うと父親が帰ってくることを刀に願っていたことすらも忘れかけていた。

ラウラが考えを整理しているとアマデウスが続けて話し始めた。

「今日ここに来た時、精霊たちは僕に母様の姿を見せてくれました。昔一緒に舞の稽古をしていたことを思い出してとても幸せでした。でも、それは僕が望むものであっても僕が必要としているものではないとも強く感じました。母様との時間はもちろん僕にとって大切なものですが、僕が生きるべきは思い出の中ではありませんから。今の僕には『ミスティル』という新しい家族が居ます。だから今僕に必要なのは今を守り先へ進む力だと思います。」

「アーデ・・・。」

 ラウラはこれまで自分が祖父や父親の影を追ってきたのと同じようにアマデウスも母親の影を追って過去に生きていると思っていた。それなのにこの数日の内にこんなにも大きく強く成長していることに素直に驚いた。

「だから、ラウラさん!僕にかた―――」

「ストップ!そこはうちに言わせてくれるかな。」

 アマデウスが意を決して口にした言葉をラウラは慌てて止めた。

「まず・・・切り裂き魔の襲撃の時助けに行けんくてほんまにごめんなさい!霧で二人がどこに居るんかどうしてもわからんくて、エルランドさんを呼びに走ることしか出来んかった。・・・・・うちは戦闘ではアーデとアリスの助けにはなられへん。けどうちやって二人の家族や。二人の助けになりたい!せやから・・・。」

 そこまで一気に話すと一つラウラは大きく深呼吸をした。

「うちにアーデの刀を打たせて欲しい!」

 そう言いきったラウラの表情は覚悟に満ちていた。ラウラが他人のために打つ初めての刀、没落鍛冶一家が再起をかけた一本、ラウラの肩にかかる重みがそのまま表情に表れているようだった。

「僕も、ラウラさんに刀を打ってもらいたいです。よろしくお願いします。」

「ほんまおおきに!こちらこそよろしく!」

 深々と膝の高さまで頭を下げるアマデウスに対しラウラも脛まで頭を下げた。

「・・・それでなアーデ、刀なんやけど何か希望とかあるかな?言うても三日前から作業は始めとって皮鉄も心鉄もすでに出来とるから形とか拵えとか見た目的な話になるんやけど・・・。」

「いえ、全てお任せします。僕はラウラさんのことを信じていますから。」

 そう告げるアマデウスの表情は溌剌として瞳は強い力が込められキラキラと輝いていた。アマデウスの迷いのない信頼の表情と言葉にラウラは武者震いしアマデウスの両手をひしと握り改めて宣言する。

「任せとって!」

 ぐっと力の入った握りこぶしを見せラウラはにかっと笑って見せた。その笑顔にはひどく硬さがあるように見えアマデウスは思わず声をかけた。

「ラウラさん!僕にも何か手伝えることはありませんか見守るだけでも・・・。」

「大丈夫。・・・これはうちの、ラウラ・ラーゲルベックの戦いやから。」

 アマデウスに背を向けたまま言った言葉、後半はほとんどラウラ自身に向けて言った言葉のようだった。

「安心しとき!絶対に、うちがアーデの力を十二分に発揮できる刀を仕上げるからな!」

 緊張と覚悟の大きさを理解したラウラの顔には余裕が戻っていた。

 ラウラは『ほなまたしばらく工房に籠るから皆によろしく言うといて』と手をぶんぶん振って工房に戻っていった。

 

 ファミリーハウスへ戻る間アマデウスは終始笑顔だった。一秒でも一瞬でも早くアリスに伝えたくて走っているのに、気を抜くと心に釣られて体まで弾み出し前へ進めなくなってしまう。

「浮かれている場合ではないのですが・・・。アリスはまだ目を覚ましていないですし、切り裂き魔もあれからずっと行方の分からないまま、次はいつ襲ってくるかもわかりません。」

 不安要素なんて数えてみればいくつだって出てくる。切り裂き魔だって本気を出していたようには見えなかった。それなのに、強化された切り裂き魔には傷をつけるどころかダメージを与えることさえ出来なかった。今以上に多くの妖気が集まれば、さらに強化されるに違いない。あの時妖孤の姿のアリスを見た一般人だって居る。ミスティルの事を良く思っていないギルドの者の耳に妖孤の話が入ればどうなることか。

 心配事を上げ始めるときりがない。それでも、今日だけ、今日一日だけは浮かれて過ごしてもいいのではと思った。

 アリスの正体を知っても全く動じることもなく受け入れてくれる家族に出会ったのだから。表面だけ見繕った優しさはこれまでにも受けたことはあった。でもそうではない『ミスティル』はアルヴァはヘレーナはクルトはラウラは、これまでの人たちとは違う。受け入れるふりをして悪人に売ろうとしたり殺そうとした者とは違う。そういう者は全員心の冷たさで笑顔が冷めている。そして同じ笑顔で同じことを口にするのだ。

「それは大変だったろ。大丈夫だ、これからは俺たちが守ってやる。」

「それは大変だったね。大丈夫よ、これからは私たちが守ってあげるから」

「それは大変でしたね。大丈夫ですよ、これからは僕たちが守ってあげます。」

 だけど、アルヴァは違った危機が及ぶなら共に戦うと言ってくれた。危機が及んでも共に居ると言ってくれたのだ。

 そもそもアルヴァやクルトに関してはこの先降りかかるかもしれない危機や災厄など頭の片隅にもないのだ。『そんなものは来てから考えろ』『乗り越えられない危機?ならその危機を乗り越えられない自分を乗り越えるまでのこと』そう言って実際にやってのけてしまう。人によってはそんなものは生まれ持った力のせいだと言うだろう。だがアマデウスはそうは思わなかった。本人たちと接したからこそ、アマデウスにはそうは思えなかった。アルヴァたちの強さは臆さない心と、どんな逆境も耐え忍び乗り越えてきたことの積み重ねの結果としか思えなかった。

「アリスももう目を覚ましたでしょうか?」

 アリスに話したいことがたくさんある。アルヴァやヘレーナ、クルトにラウラ、『ミスティル』のメンバーだけではない、エルランドやエイラにアラン『メルマリア王国自衛団』の団長や副団長もアマデウスたちのことを気にしてくれている。もう二人きりで逃げながら生きる必要はないのだ。二人きりの粗末な食事も藁が敷かれただけの寝床ももう見ることはない。今は毎日温かい食事を家族で食べ、自分だけの部屋にふかふかのベッドもあり、毎日お風呂にだって入れる。

「こんなに幸せな気持ちになれるのもアリスのおかげですね。」

 あの日、ミスティルを襲撃しに来たレッドファングと戦った日にアリスがアマデウスの望みを汲んでくれたからこそアマデウスは『ミスティル』の一員になることを素直に望むことが出来た。

「そうです!エルランドさんにもアリスの事を助けてもらったお礼を言っておかないとですね。」

 エルランドは妖孤の姿のアリスを見せない為にエクスカリバーに閃光を放たせてくれた。アマデウスやアリスの味方で居ると言ってくれた。

もし、『ミスティル』に入らずに『自衛団』に入ると言っていたらどうなっていたか、今と同じようにとはいかなくても違う形で幸せな気持ちになれて居たのかもしれないと、そう考えるとアマデウスはまた幸せな笑みをこぼした。

 

 工房を出てファミリーハウスへと向かっていたアマデウスは広場の入り口まで戻ってきた。広場の中へ目をやるとファミリーハウスの前に人だかりが出来ているのが見えた。

「自衛団の人たち・・・?」

 ファミリーハウスの前に集まっていた人は自衛団の制服を着ていた。広場に入っていくとその奥にはエルランドがアルヴァ、ヘレーナ、クルトに何かを話していた。

「エルランドさん!」

 エルランドを見つけたアマデウスは広場の入り口付近から大声で呼びかけ駆け出した。

「あ、・・・アマデウス君。」

 アマデウスの呼びかけに答えるエルランドの様子がおかしい。駆け出したアマデウスの足はその速度を落とし、そして止まった。いつもと違うたどたどしい返事、アマデウスの呼びかけに一度振り向いたきりエルランドは振り返ろうとしない。

コツ、コツ。

 アマデウスがエルランドの普段と違う様子に気を取られているとファミリーハウスから誰かが出てきた。

「エイラさん!」

 『ミスティル』のファミリーハウスから出てきたのは自衛団副団長エイラ・メランデルだった。

「・・・アマデウスさん、戻られたのですね。」

 エルランドの様子がおかしかったので一瞬緊張してしまったがエイラは平常運転のようでアマデウスは安心した。

変な緊張感からふうっと一息つけると再び足を進め始めた。だが、その足も三歩目には再び止まってしまう。

「エイラさん・・・。その、エイラさんが抱えているのは・・・誰、いえ・・・何ですか?」

アマデウスにはその目に映る光景を信じることが出来なかった、いや信じたくはなかった。エイラが『ミスティル』のファミリーハウスから何か、いや誰かを抱えて出てきた光景を。

「エルランドさん?エイラさんが抱えているのは何なんですか。・・・ねえ、エルランドさん?」

 エイラが抱えているのが誰なのか、そんなもの選択肢自体一つしかない。アルヴァもヘレーナもクルトもそこに居てラウラは今は工房に籠っている。さらにアマデウスを除けばファミリーハウスに居る者なんて一人しかいない。そもそも自衛団が来ている以上、彼女に用がある以外考えられない。だがそれでも、それでもアマデウスはそんな彼女の名前が選択項目に並ぶこと自体があり得ないことだと、そう思っていたかった。

 エルランドを見ても彼は何も答えてはくれなかった。ただ俯いたまま拳を震わせているだけ。

 黙ったままのエルランドを見て間を測るようにエイラが口を開いた。

「アマデウスさんも戻られたのでもう一度申し上げます・・・・・。本日、国王様より勅命が下りました。これより、ここに居ますアリス・レンクヴィストが『九尾の妖狐』であるとして我々『メルマリア王国自衛団』の監視下の元、隔離・保護させていただきます。これは自衛団団長エルランド・メランデルと数名の国民の証言に基づいた判断です。」

(エルランド・メランデルの証言・・・?)

 エイラが何を言っているのかアマデウスには理解できなかった。

『私もアマデウス君やアリスさんの味方ですから。』

『さあ、後のことは任せてください。』

 エルランドの言葉、声、それを口にした顔がアマデウスの頭の中をぐるぐると回りそれをさらにエイラの言葉がかき乱す。これまでのエルランドの言葉も表情もどれも嘘だなんて一瞬も思うことはなかった。ならどうして?状況が変わったから?アリスが妖狐だったから?だがエルランドは妖狐のアリスを見た上で、それでも助けてくれた。ならどうして!

 

(わかりません・・・。)

 アマデウスには何がどうなっているのか全くわからなかった。あれほど強く誠実で真っ直ぐだったエルランドがどうしてここで俯き拳を握ったまま動かず、口を開こうともしないのか、わからなかった。

だが、確かにわかることもある。

 それは、アマデウスたちがエルランドに裏切られたこと、そして妹(アリス)が連れ去られようとしていること。

「もう一度言います。これは国王様の勅命です。私たちにはどうすることも出来ません。言いたいことがあれば国王様へ直訴されることをお勧めいたします。」

 エイラの発言などもはやアマデウスの耳には届きはしない。

「・・・・・何でですか。・・・・・返してください。」

 アマデウスは刀を抜きながらゆっくりとアリスを目指して足を送る。

「団長!副団長!」

 アマデウスが近づくのに気付いた団員が声を張り上げ武器を構える。

ぞくり。

 団員の声に顔を上げたエルランドは身震いした。こちらに向かって歩みを進める少年はもはやエルランドの知る者ではなかった。入団試験で剣を交えたときともミスティルに入ったあと顔を合わせた時とも切り裂き魔と対峙していたあのときとも違う。深く暗い紫色の瞳。目が合うだけでまるで心の奥まで見透かされ、細胞一つ一つまで見張られているような悪寒が全身を突き抜ける。

身動き一つしてはいけない、この者に逆らってはいけないと本能が強く訴えてくる。

「貴様、刀を仕舞え!それ以上近づけば容赦はしないぞ!」

 団員の言葉などアマデウスに届くわけもなくアマデウスの歩みは止まらない。

「くっ!・・・うおおおおお!」

 忠告を無視し歩みを進めるアマデウスに対し団員三名が地面を蹴り出した。

「ダメです!今のその子に近づいては!」

 エルランドが叫んだ声が届くよりも先に、団員三名の体は空中で三度回転し地面に落下した。

「なぜだ、なぜ裏切った。信じておったのに、うぬはわしらの味方だと信じておったのに、なぜ裏切った。」

 団員を払ったところでアマデウスは立ち止まりエルランドの喉元に刀を突きつけた。エルランドとアマデウスの距離はまだ三〇mほどある。それなのにアマデウスの刀はエルランドの喉元に突きつけられていた。ひやりとした金属の冷たさを顎下に感じる。首には殺意が舌が這うかのように纏わりつく。だがそれでも、エルランドは口を開こうとはしなかった。

「アマデウスさん。先ほども申し上げました通り、これは国王様の勅命です。我々を脅したところで何も事態は好転しません。」

「だからなんだと言うのだ。国王の勅命であろうがなかろうがわしには関係のない話だ。わしには守るべき者が居る、ただそれだけのことだ。早くわしの妹を返せ。」

 アマデウスはエルランドに突きつけていた刀を下ろしエイラに向けて手を差し出した。

「それは出来ない相談です。これは私の任務なのです。アリスは私たちが連れていきます。」

 エイラは剣を抜くとアリスを人質に取るように構えた。

「やめてくださいエイラ!早く刀を仕舞ってください!」

 エルランドが声を張り上げるがエイラは無視してアリスにさらに剣を近づけた。

「わしの大事な妹に、刃を向けるな!その手を離せえ!」

 吠えるアマデウスに対しエイラは身構えた。だが身構えるその一瞬の間にアマデウスはエイラの手前二mにまで跳んできていた。

 

ズドンンンンン・・・!

 エイラが一瞬で目の前にまで詰め寄ったアマデウスに、死の恐怖すら感じられずにいるとすぐそこに迫っていたアマデウスの体は、次の瞬間地面に叩きつけられていた。

 舞いあげられた土煙の中、地面に押し付けられたアマデウスの上に人影が見える。

土煙が晴れていくとそこには背中に赤い大きな翼を生やし、両手足を赤い鱗で覆われたアルヴァの姿があった。

「ア、アルヴァさん。・・・どうして、止めるのですか?」

 アマデウスは地面に叩きつけられた衝撃で元に戻っていた。

「今あいつらを倒してアリスを取り返しても、何も変わらないわ。今は待ちなさい。アリスは必ず助ける!この命に懸けて約束してあげる。だから、今は少し眠っていなさい。」

 アルヴァの言葉を最後まで聞くと同時にアマデウスは眠るように意識を失った。

―――へた。

 エイラの肉体は今になって死の危機に直面していたことを認識したらしく腰を抜かしその場に座り込んでしまった。

「どうして?どうして私を助けたのですか?アルヴァ・フォルシアン。」

 エイラは腰は抜かしながらもまだ力のこもった目でアルヴァを見上げていた。そんなエイラをアルヴァは少し関心したように見て鼻を鳴らして答える。

「フッ、別にあんたを助けたわけじゃないわよ。私はアーデを助けただけよ。あんな力これ以上使ってたら体も心もおかしくなってただろうからね。それにあんたの言ってた通りのことよ。ここであんたたちを責めても仕方がないってだけ。あんたたちをどうにかすればアリスが帰ってくるってんなら私が真っ先にあんたたちを締め上げてるからね。」

 笑顔で言ってはいるが目は全く笑っていない上に殺気が駄々漏れだった。アルヴァは元の人間の姿に戻るとアマデウスを担ぎ上げエイラの手を引っ張り体を起こさせた。

「あんたたちはさっさと帰りなさい。これから日が落ちるとまたあの男がアリスを狙いに出てくるかもしれないからね。」

 アルヴァはそう言うとアマデウスを抱えヘレーナとクルトとともにファミリーハウスの方へ歩き出した。

「ア、アルヴァ!」

 アルヴァに呼びかけたのはエルランドだった。普段からは想像も出来ない情けない顔をしている。いざアルヴァを呼び止めたはいいが、その次の言葉までは随分と時間があった。

「・・・・・す」

「エルランド!そこから先の言葉はよく考えて口にすることね。もし、『すまない』なんて口にしたら今すぐあんたのこと引き裂くわよ。」

 この時振り返ったアルヴァの目はエルランドを向き、完全に据わっていた。アルヴァだけではないヘレーナやクルトからも同じように蔑むような視線と静かな殺意を浴びせられたエルランドはその場に縮こまっていた。

「はあー、この子たちの目に今のあんたがどう映っているかは知らない。でもあんたにはあんたの信じる正義があってそれに従っただけ、そうでしょ?なら胸を張ってなさい。この子たちにもきっとわかる時が来るわ。」

 エルランドはアルヴァの言葉を最後まで聞くとゆっくりと顔を上げて胸を張った。

「さあ皆さん、王宮へ報告に向かいましょう。」

「ああ、それとねえ。あの頭の固い国王に伝えといてくれる?アーデが目を覚ましたら、お望み通り直訴に伺ってやるってね。」

「・・・わかりました。一字一句そのまま伝えておきます。」

 エルランドはアマデウスに倒され気絶していた三人も連れて去っていった。

 

 アリスが連れ去られてから三日目の朝、アマデウスはファミリーハウスの自室のベッドの上で目を覚ました。自室の天井はアマデウスのその日一番に目にするものとしてすでに違和感のない景色となっていた。

ズキッ。

 うすぼんやりとした頭のまま体を起こそうとするとアマデウスの体中に痛みが走った。

「アリスはっ!」

 全身に走った痛みがアマデウスに意識を失う前に起きたことを思い出させた。九尾の妖狐の存在は王国内で周知され国王が妖狐の捕獲を自衛団に命じた。妖狐の正体がアマデウスの妹アリスであることをエルランドが証言したことで昨日アリスを連れ去った。

「どうして、どうしてですか・・・。」

 アマデウスはエルランドは自分とアリスの味方で居てくれるとそう思っていた。切り裂き魔に襲われたあの日かばってくれた背中は大きくて優しい確かに安心させてくれるものだった。だがその背中は昨日のエルランドには見る影もなかった。アマデウスの問いに一言も答えず顔を背け続けるエルランドの姿は見るに堪えなかった。

「アルヴァさんも、どうしてあの時止めたのでしょうか?」

 アリスを取り返そうと自衛団に挑んだあの時、普段では考えられない力が出ていた。あのまま戦っていれば絶対にアリスは取り返すことが出来ていたのに。

「もちろん、アーデのためよ。」

 突然の声に見てみると扉に手をかけアルヴァが入り口に立っていた。

「おはよ、アーデ。」

「アルヴァさん!つっ!」

 アルヴァを目にしたアマデウスはベッドから飛び出そうとしたがその瞬間全身にひどい痛みが走り足を布団から出すまでもいかなかった。

「言っとくけどその体の痛みは私のせいじゃないわよ。・・・全身の筋肉が断裂してる。今日一日は激しい動きは控えるようにしなさい。」

 アルヴァはいつも通りのアルヴァだった。ただアマデウスの体のことを口にするアルヴァは少し険しい顔つきをしていた。アドバイスというよりは忠告のように聞こえた。

「わかりました。・・・・・あの、アルヴァさん。」

「ん?どうした?」

「昨日止めたの、僕のためってどういうことですか?」

 アルヴァは煙管をくわえると一服し、細く長く吐き出した。

「確かに、あのまま戦ってれば間違いなくあんたはアリスを取り返していたわ。でもね、それじゃ、アーデは強奪者として国を追われることになってた。今はまだ正攻法でアリスを取り返す余地があるのよ。強奪者になるのはそれがダメだった時でいいのよ。男が簡単に揺らいじゃ駄目よ。真ん中に重り付けてるんでしょ?だったらどんと構えてなさい!」

 アルヴァがそう言ってアマデウスの股の付け根を凝視するのでアマデウスは赤面しつつ隠した。それを見て明るく大声で笑うアルヴァを見てアマデウスは少し心を落ち着けた。

「あとね、あの力は簡単に使うんじゃないよ。あれはアーデの力ではあってもアーデ本来の力じゃないからね。今回は筋肉が断裂した程度で済んだけど使いすぎると体も心もバラバラになるわよ。」

 アルヴァはベッドに腰掛けアーデの手を優しく労わるように撫でながら話した。話すアルヴァの横顔はとても儚げで美しくアマデウスはただただ見惚れていた。

バシッ!

「痛っ!」

 アルヴァは惚けたアマデウスの背中を力強く叩くとベッドから勢いよく立ち上がった

「さっ!アリスを連れ戻しに行くわよ!」

「はい!」

 

「あのー、アルヴァさん。」

「なにかしら?」

「ここって・・・王宮ですよね?」

「そうよ。」

「さっき門兵に『おかえりなさいませ』とか『アルヴァお嬢様』とか言われてましたよね。」

「そうね、いい加減やめろって言ってるんだけどね。」

 アルヴァは特に説明もなく『私に着いてきなさい!』とだけ言ってアマデウス、ヘレーナ、クルトを引き連れファミリーハウスを出た。そして今、四人は王国の中心に建てられた『メルマリア王国』の国王の家つまりは王宮、その廊下を闊歩していた。

「王宮ってこんなにすんなり入れて大丈夫なのでしょうか?」

「ふふっ。アルヴァはね国王の一人娘なのよ。つまりここはアルヴァの実家ってわけ。アルヴァはすっごい嫌がるんだけどね。」

 王宮のセキュリティーの甘さをアマデウスが心配しているとヘレーナが横からそっと耳うちしてくれた。

「あんたたち無駄話はもう辞めなさい。謁見の間に着いたわよ。いい?話は私がする。あんたたちは何を言われても黙ってなさい。」

 いつもとは違う。この時のアルヴァは全員を隠す大きな大きな盾のように見えた。アルヴァが初めて見せる雰囲気にアマデウスは体を緊張させた。

ゴンゴンゴン。

「入りなさい。」

 アルヴァが扉を叩く音が廊下に響く。音が鳴りやみ少し間を置いて中から威厳を感じさせる低く太い声が聞こえた。

ギイ・・・。

 扉が開かれ中に入るとそこは荘厳な広間になっていた。きらびやかと言うよりは寡黙で堅実と言った感じで飾りが少ない。だがその分、実際の広さ以上に広く感じられる。重く固く真面目にただ真っ直ぐに、そんな国王の人となりが現されているようだった。アマデウスには緊張感を煽られ息が詰まるようなそんな部屋に感じられた。

「久しぶりだな、アルヴァ。」

「ええ、御無沙汰しております、お父様。」

 初めて聞くアルヴァの話し方だったが驚くほど自然で彼女が王女であることを実感するには十分であった。

「わしも忙しいのでな、早いところ本題に入ろう。確か妖狐の娘のことだったか。」

 娘であるアルヴァとの会話を『久しぶり』の一言で済ませると国王は部下から手渡された書類に目を通しつつ話を進める。

「お父様は相も変わらず、お仕事がお好きなようで。」

「国王が国民のために全力を尽くし働くことの何が悪い?」

 アルヴァの棘のある言葉にも国王は書類から目を離しもせずに淡々と答える。

「全く・・・。本当に昔から変わらないのねあんたは。・・・・・私たちは私たちの家族、アリス・レンクヴィストを連れ戻しに来たのよ。」

 国王の淡々とした態度にアルヴァは敬意という衣を脱ぎ捨ていつもの挑戦的な話し方に戻った。

「そうか。だが返してやるわけにはいかん。今民の多くは妖狐がこの国に居ることに戸惑い怯えておる。妖気を集めておる敵もこの国に居る以上、これ以上不安を広げるわけにはいかん。」

「ならアリスを捉えたのは殺すためかしら?」

「いや、殺しはせん。だが騒ぎが鎮まるまでは隔離させてもらう。騒ぎが鎮まればお前たちの元へ返してやろう、しかしまた妖狐の姿になられては困る。こちらから監視をつけさせてもらう。」

(監視?アリスは何も悪いことなんてしていないのに?そんな犯罪者か家畜のような扱いなんて・・・)

 アマデウスの中ではふつふつと怒りが湧き上がっていた。

「彼女一人を抑えておくだけで多くの国民の安心が得られるのだ。安いものだろう?第一九尾の妖狐は災厄をもたらす害獣だ。全ての国民の命が危機に晒されることを考えれば今の内に摘み取って然るべき命とも思うが、お前の仲間ということだから監視で済ませているのだぞ。」

・・・・・・・・ぷつん。

「いい加減に」

「ふざけんじゃねえぞ!クソ親父!」

 耐え切れず声を出したアマデウスの言葉はアルヴァの怒声で微塵も残らずかき消された。

「さっきから黙って聞いてれば、勝手な事言ってんじゃねえぞ!監視?命を摘み取る?アリスはあんたのもんじゃねえんだよ。あんたの言葉一つに左右されていい命なんてこの世に一つもねえ。アリスは犯罪者でも家畜でも害獣でもない、何もしてない子供とっ捕まえて勝手なこと言ってんじゃねえ!」

「ちょっ、アルヴァ様。謁見の間でそんな暴言は。それも国王様相手に・・・・止めてください、幾らあなたでも国家反逆罪になってしまいます。」

 広間の脇に並んでいた兵士たちがうろたえ口々にアルヴァを止めにかかるがアルヴァが口で止まるわけがない。

「何が国王だ。来るかどうかもわからない危機に怯えて一人の命を簡単に切り捨てることが王の器だと言うのなら私は王族で居ることすら恥ずかしい!私は家族を守る一家の主で構わない!国家反逆罪?結構!家族のためならたとえ国だろうが世界だろうが相手になってやるわよ!何の罪もない大事な私の娘に手を出すというならあんたたち覚悟しなさいよ!」

 一気に捲し立てるアルヴァの姿は、体表を鱗で覆われ背中には大きな翼が生えた姿になっていた。頭には角、赤い鱗を纏った尖った耳に鋭利な歯、瞳は爬虫類のようで体の周囲には火の粉が舞っている。

「お前がどうしようとわしの考えは変わらん。彼女は騒ぎが落ち着くまでは隔離する。」

 あくまで決定を覆そうとはしない国王の姿勢にアルヴァは元の姿に落ち着いた。

「わかったわ。ならそのうち取り返しに来るからしっかり首を洗っておくことね。」

 山場を乗り越えた兵士たちは大きなため息をついた。

「あとアリスの事を預かる以上、あの子の身に何かあったらあんたたち全員、喉元食いちぎってやるから。」

ギイイイ、バタンッ。

 アルヴァは三人を連れて部屋を出た後、扉が閉まる間際に部屋の中にその言葉だけ残して去っていった。

 

「アルヴァさんありがとうございました。」

 王宮を出た四人は『戸陰』に立ち寄り一休みしていた。王宮でアルヴァがアリスのために本気で怒ったことにアマデウスはひどく興奮し感動していた。

「何言ってんの、結局アリスは取り返せてないのよ。これからでしょ。それに、私たちは家族よ。家族のために怒るのは当然でしょ。」

「そうでしたね。でも、ありがとうございました。」

 『・・・ホント、おかしな子ね』と言ってくすっとアルヴァは笑った。

 その後いつどうやってアリスを奪還しようかという話し合いを『戸陰』で繰り広げた。

 ファミリーハウスに戻ってからはクルトと軽く訓練をし、ヘレーナとラウラの工房まで様子を見に行った。

ラウラは後は研ぎの作業だけ、完成は早ければ明日の明け方とのことだが、『ちゃんと完成した姿でアーデに手渡すまでがうちの役目やから』と言って刀を見せようとはしなかった。工房のある広場ではヘレーナとラウラそれにたくさんの精霊に見守られながらアマデウスは誠心誠意、全神経を注ぎ舞を舞った。

何度かアマデウスの舞を見てきたラウラだったが、この日の舞はこれまでと全く違うもののように感じられた。

「何と言うか、アーデやのにアーデやない、みたいな。なんかうまく言われへんのやけど、陶酔しきってたっていうか、何かが乗り移ってたみたいな!この場所もいつも以上に異空間に感じた!他の場所が無くなってこの場所しかないーみたいな。」

「私もそれは感じたわ。それに精霊たちがあんなに誰かに追従してるところも初めて見たわ。」

 精霊が誰かを気に入ることはあっても無条件に従うことはないという。だがアマデウスが舞っている間、精霊たちはアマデウスの動きに合わせ風を起こし水しぶきを上げ火の粉を散らした。今はと言えばキャッキャッ言って楽しそうに辺りを飛び回っている。

 日も落ち始めアマデウスたちはファミリーハウスへ戻ることにしたが、ラウラは完成するまでは帰らないと二人に話した。

「うちは早いとこアーデに刀渡したりたいからこのまま仕上げまでやってまうわ。」

「そう、じゃあ晩御飯だけいつも通り置いておくわね。」

「ヘレン姉、おおきに。アーデ、楽しみにしとってな。」

 打ち始める前は見ている方まで不安になるような顔をしていたラウラが、今はアマデウスに自分の打った刀を早く手にしてもらいたくて仕方ないという顔をしていた。アマデウスは自分のためにこれだけ力を注ぎ、夢中になってくれているラウラのことを本当にありがたく感じた。

 

 二人が戻るとすでに食事の準備を終えたクルトが迎えてくれ、四人で食卓に着く。ここでも話はアリスのことについてだった。

『アリスが帰ってきたら何をしよう、どこへ行こう、何を食べさせてあげたい、何を教えてあげたい。』

 その光景はアマデウスにとってはまさに夢のようであった。自分たちのことを本当の家族のように扱ってくれる仲間が居ること。上辺だけの優しさじゃないアマデウスやアリスの中身を見てその上で与えてくれる優しさ、そのぬくもりでアマデウスの胸は満たされ溢れ返っていく。その瞳から一粒の熱い涙がこぼれた。

「・・・だから、皆でアリスを連れ帰るわよ。」

 アルヴァの言葉にアマデウスの目から次々と涙が溢れ出し止まらなくなってしまった。

「どうしてでしょうか?拭っても拭っても涙が止まりません。心が熱くていっぱいで目から熱い涙がどんどん溢れてきます。」

 アルヴァは黙ってアマデウスを自分の胸へと抱きしめた。

 

 その日の話し合いでアリス奪還作戦は明日の夜、決行されることになった。内容は作戦とは名ばかりの正面突破である。面と向かってアリスを返せと言っては歯向かうものを倒していく。いかにもアルヴァらしい作戦である。

『明日の夜までは一日かけて体調を整えておきなさい』

 アルヴァが口ではそうは言いながらも、アリス奪還前夜祭は夜遅くまで開かれ全員が眠りに就いたのは結局二三時を回った頃だった。

 

日付が変更されたころ。全員が居間でそのまま眠る中アマデウスは一人、目を覚ました。

アルヴァ、ヘレーナ、クルトの三人が眠っていることを確認するとアマデウスは居間を抜け出し自室に向かった。いつもの服に着替えあらかじめ用意していた荷物を持つとアマデウスは決意とともに自室を後にする。

「皆さんの気持ちは本当に嬉しかったですし本当の家族が出来たみたいで幸せでした。でも、だからこそ皆さんを巻き込むわけにはいきません。僕と一緒にアリスを連れ戻しに行けばは皆さんまでこの国を出て行かなくてはならなくなってしまいます。でも、それじゃ駄目なんです。皆さんはこの国にとって必要な人たちです。ヘレーナさんに街へ連れていってもらった時にわかりました。」

ファミリーハウスを出て行くには必ず入り口に隣接した居間を通ることになる。アマデウスは居間のそばで立ち止まる。

「クルトさん、アリスは僕の妹で絶対に守りたい、いえ守ると決めている人です。まだまだ大きくも強くもないですが、アリスと自分の命は絶対に最後まで守ります。」

「ヘレンさん、ヘレンさんがここに居る理由、僕にもわかりました。ここに居る皆さんは種族とか性別とか能力とか力とかそんな表向きなものを見てるのではなく内面、心を見てくれているのですね。それがどれだけ尊く大切なことかわかりました。世界中の人間が同じ考えを持つことが出来れば世界はきっと素敵になるのでしょうがそれは難しいことなのですね。」

「アルヴァさん、勝手に家を出て行ってごめんなさい。アルヴァさんと居ると母様と暮らしていた頃を思い出してすごく幸せでした。また帰ってくることが出来たらもう一度家族に迎えてもらえると嬉しいです。」

・・・ポタ。

 アマデウスは瞳から零れる滴を拭うと強い思いを胸に『ミスティル』に背を向ける。 アルヴァをヘレーナをクルトを大切に思っているからこそ迷惑をかけたくない、アマデウスはそう思った。

(これまでならアリスが助かるのであれば何を犠牲にしてでも、そう思っていたのに変ですね。)

 助けの手を差し伸べてくれている者が居る中、その手を払い自ら敵地に赴こうとするアマデウスの心は不思議なほど温かな気持ちで満たされ驚くほど落ち着いていた。

 アマデウスには王宮に行く前に立ち寄らなくてはならない場所があった。それはラウラが居る工房である。ラウラが他人のために打つ初めての刀、刀鍛冶としての初作をアマデウスがもらうという約束であったが、ヘレーナと訪れた時の話ではまだ刀は仕上がってはいないだろう。

「アリスを助けた後ここを離れる前に寄れるといいのですが・・・。」

 アマデウスは残念そうに呟きながらラウラの工房がある広場に足を踏み入れた。

「・・・・・ラウラさん、こんな時間にどうして?」

 工房の前には一本の刀を抱えたラウラが腰掛けていた。

「アーデは絶対に今日アリスのこと助けに行くと思たからな。これだけは絶対に渡さなあかんって待っとってん。」

 ラウラはにひっと歯を見せて笑顔を作りながら抱えていた一本の刀を差し出した。

「これって・・・、でも、完成は早くても明け方だったのでは!」

「まあラウラさんが本気を出せばざっとこんなもんよ!あっ、一応断っとくけど手抜きなんか一切しとらんからな!」

「ふふふ、あははは。そんな心配してないですよ。・・・本当に、ありがとうございます。」

 ラウラはこんなに笑っているアマデウスは初めて見た気がした。いつも何かを背負い悩み苦しんでいた少年がその長く暗いトンネルを抜け新たな旅立ちに向かう。今のアマデウスはこれまでより垢抜け大人びて見えた。

「え、ええから刀の方ちゃんと見たってか。」

「そうですね。」

 アマデウスはラウラが差し出した刀を両手で受け取る。手の平にずしりと確かな重みが伝わり、この刀に注いだラウラの想いの強さが感じられる。

鞘から抜かれ姿を現した刀身はアマデウスの心を奪った。初めて出会った気がしない、失われていた片割れに再会した、そんな感覚、その刀は驚くほどにアマデウスの手に体に心に適し馴染み合致した。

「・・・少しだけ舞ってみてもいいですか?」

 ふと我に戻ったアマデウスは緊張してラウラに尋ねた。

「もちろん。」

 ラウラの答えを聞くとアマデウスは急いで離れ新しい刀を手に二、三度舞って見せた。

「この刀、すごいです・・・。あまりにも切れ味が鋭いので振った瞬間に空気が切れたような感覚がしました。長さがあるのに、舞の速度が落ちるどころか勢いが出やすくて、まるで体の一部みたいに馴染んでます。でも、何より手にしていると心が熱くなって力が湧いてくるんです。」

 ラウラが打ってくれた刀が与えてくれる熱、アマデウスはこれがきっと心の強さになってくれるのだと、クルトの話を思い出しまた心の熱を大きくした。

「あの・・・、この刀、名前は何ですか?」

「名前なんやけどな『童子切』ってのはどないかな?これからはたくさんの人を守れるようになりたい、今度は自分が大人になろうって言うてるアマデウスに送る刀やから。アマデウスが大きくあれるように強くあれるように小さくて弱い子ども、童子を切る刀。・・・どないやろ?」

「『童子切』・・・。僕が強くなるための強くあるための刀。素敵です、とっても・・・。ありがとうございます!」

 ラウラはひとまずアマデウスが『童子切』を気に入ってくれたことに胸を撫で下ろした。

「こちらこそおおきに。・・・『童子切』はどんな時でもアーデの助けになるように、そう願いを込めて打った刀や。アーデが望む限り欠けず折れずこの子はアーデの力になり続ける。」

 ラウラはアマデウスの手にした『童子切』を愛おしく見つめ鞘の上からその身を撫でた。そんなはずはないのに、アマデウスには『童子切』がラウラの手に擦り寄るように見えた。

「この子を打たせてくれたんはアーデや。うちはずっと逃げとった、刀からも弱い自分からも。『アルヴァ姉たちが特別でうちはそうやない』、『皆が頑張れるんは才能があるから才能のないうちはどれだけ頑張ったところで意味がない』、刀のことかてそうや打ち方はずっと見とったから知っとった。せやけど『うちが打ったところでどうせ爺ちゃんや父ちゃんの刀は越えれん、全部無駄や』そう思て逃げとった。」

 ラウラは姫に忠誠を誓う騎士のようにアマデウスの前に跪き胸の内をさらけ出す。

「せやけどうちよりも幼い純人間(ピュアヒューマン)のアーデが頑張ってんの見てわかったんや、うちは結果が出えへんことを怖がってただけ、努力は結果が出るからやるもんやない、結果が出るまでやるもんやって。だから、うちがこの子を打てたんもアーデのおかげや。ほんまおおきに。」

 ラウラはアマデウスの手を上から握る。握るラウラの手が震えているのがアマデウスにはわかった。

「・・・『童子切』はうちが誰かのために初めて打った刀や。せやからちゃんとアーデの物になっていくところを見届けたい。・・・うちも連れて行ってくれへんやろか?」

 ラウラの手の震えは止まり力のこもった強い瞳がアマデウスに真っすぐに向けられた。

「でも、ラウラさんは・・・。」

 そう、ラウラは戦いにおいては全くと言っていいほど役に立たない。自分がこの世で最弱の種族であることに甘んじ先を望むことを諦めていた弱者なのだから。

「せや、うちは弱い。戦闘においては役立つどころから足手まといにしかならへん。それでもそれはいつまでも弱いままで居ってええ理由にはならへん・・・。それに戦闘では今はあの人らがうちの代わりにアーデの力になってくれるから。」

 ラウラはそう言うとアマデウスの後方に視線を向けた。アマデウスもラウラの視線を追って振り返ると、そこには二人の見慣れた姿があった。

「私のこと置いて行くなんてひどいわ、アーデ。あなたとアリスの居場所はここしかないと思うんだけど一体どこへ行くつもりなのかしら。」

「一人で背負い込んでんじゃねえよ、アーデ。てめえはまだまだ小せえし弱え、だから今は大人しく俺らの力を借りとけ。・・・だいたいアリスはもう俺たちの家族でもあるんだ、だから俺たちにも守らせろよ。」

 月光に照らされる広場に現れたのはヘレーナとクルトの二人だった。二人が装備も万全の状態で現われたところを見ると、今晩アマデウスがファミリーハウスを抜けてアリスを助けに行くことは始めからばれていたようだった。

「ヘレンさんもクルトさんも、どうして気付いたのですか?」

「それはもちろん・・・家族だからよ。」

「それはもちろん・・・家族だからな。」

「普段は喧嘩ばかりしているのにこんな時だけ息が合うなんて卑怯ですよ。」

 今日は四年分の涙が出ているんじゃないかと思うぐらいアマデウスは泣かされていた。

「アーデ、今度はお姉さんの胸で泣いても良いのよ。さ、おいで。」

 今日の夕食の時にアルヴァの胸の中で泣くアマデウスを見て羨ましく思ったのか、ヘレーナは腕を大きく広げアマデウスを呼んだ、つもりだった。

「おいヘレン。お前乙女を追い詰める強姦にしか見えんぞ。」

 外から見たヘレーナの本当の姿は前かがみでアマデウスの退路を塞ぐように腕を広げている。アマデウスの名を呼ぶ口からは胸いっぱいの愛情がよだれという形で溢れ出してしまっている。

「ハァ、ハァ・・・、アーデ、さあお姉さんの胸でお泣き。」

「止めんかあ!」

 アマデウスに詰め寄るヘレーナの後頭部にクルトのドロップキックが炸裂する。

「ねえ、クー?あんたレディの頭に蹴りかますって一体どういうことかしら?」

 月明かりを背に髪を逆立てゆらりと立ち上がるヘレーナは勇者の前に立ちはだかる魔王かの如く恐怖を体現した姿に見えた。

「くっ、ついに本性を現したか・・・。お前だけは絶対に俺が倒してやる!」

 ヘレーナの魔王ぶりにクルトは思わず勇者風なセリフを吐きファイティングポーズをとる。

「あははははっ。二人は一体何をしに来たのですか。」

「アーデに力を貸しに来た!」

 二人は両手を突き合わせ取っ組み合いの真っ最中ながらアマデウスの問いに再び見事なハモリをみせた。アマデウスはずっとこの二人は反りが合わないのだと思っていたが、最近はこうしているのがお互いに落ち着くのだと納得していた。

「んでアーデはどないするつもりなん?うちらのこと連れてく?それとも一人で行く?」

 ラウラはにたにた笑いながらアマデウスに確認してきた。

「どうする?」

「どうする?」

 ヘレーナとクルトがアマデウスの返事を交互に急かしてくる。今のアマデウスにはそんなちょっかいも少しむず痒いながらに幸せにも感じられた。

「分かりました。皆さんの力を僕に貸してください。この借りは一生懸けてでも返しますから。」

 アマデウスは三人に対し深々と頭を下げた。

「そうじゃないのよ、アーデ。」

「そうだぜ。貸しとか借りとかそんな話じゃねえんだよ。俺らは家族だ。家族なんてものは迷惑かけあってこその関係だ。そこに貸しだの借りだのくだらねえもん持ち込んでんじゃねえよ。」

「クー兄の言う通りや。そう言うんはな、野暮っちゅうもんや。」

 口々に文句を言うだけ言って、各々に歩みを進め始めた。

「私たちはね、すぐにでもアリスを助けに行きたかったの。でもね強行するほどのきっかけがなかったのよ。アマデウスみたいに直接の家族でもないし一緒に居た時間もまだまだ短い。だけどね、それでもアリスのことも、もちろんアーデあなたのことも本当に大切に思ってるの。だから、アーデが一言『一緒にアリスを助けてほしい』と望んでくれさえすれば、私たちは初めからなんだってやってあげるつもりだったのよ。」

 前を一人でズカズカと進んでいくクルトを見ながらヘレーナはアマデウスにそっと伝えた。本当にこの人たちはずるい、普段はふざけてばかりで全然しっとりとも出来ないくせにちゃっかりかっこいい大人を見せてくれる。

「本当にずるいですよ・・・。」

「コラア、チビ助え!もたもたしてっと俺が一人でアリス助け出してくっぞお。」

 一人静かに涙を拭うとアマデウスは走って三人の後を追いかけた。

 

 王宮までは東西南北それぞれの国境の関門から大通りが走っている。だが王宮への入り口は王宮をぐるりと囲んだ城壁の南に作られた正門ただ一つである。城壁を飛び越えようにもその高さは三〇m近い、その上城壁の延長線上の上空と地中に王宮を包むように球状の魔法結界が張られている。つまりは正門を通る正攻法を取るほか王宮に辿り着く道はない。だが、

「おい、見てみろよ。あんなところに裏切り者が立ってるぜ。」

「本当ね。地面に突き立てた剣の柄頭に両手を重ねて仁王立ちしてるわ。」

 正門前には門番が居た。もちろん門番が居ること自体は当たり前でいつものことなのだが本当ならそこに居るはずのない、居てはいけない人がそこに立っていた。

「エルランドさん!そこで門を立ち塞いでいるということはやっぱり僕たちの敵、ということなのですね。」

 公的記録上、現在この国最強である人物自衛団団長エルランド・メランデルがそこに立っていた。

「アマデウス君・・・。君には私が裏切ったように見えるのですね。そうであるのなら私は君のことを裏切ったことになるのでしょう。ですが私はまだ君とアリス君の味方で居るつもりです。今回のアリス君のことも君たちをむやみに引き離したわけではありません。君たちを助けるためなのです。全てが終わればアリス君はアマデウス君の元へ必ずお返しします。今は私のこの言葉を信じて引き返してもらえませんか?」

 この人の言葉は信じられる。エルランドの言動に対するアマデウスの思いはアリスが連れていかれるまでも今も変わってはいない。だが、アリスの命が自分の手の届かないところにある今だけはその思いに従うことは出来なかった。

「ごめんなさい。今は、今だけはその言葉を信じるわけにはいきません。アリスの命を守るのは僕の役目ですから。それだけはたとえこの国最強のあなたでも譲れません。」

 アマデウスは力のこもった笑顔で答えた。その笑顔にエルランドはアマデウスの成長を見た。

「よく言ったぜ、アーデ。お前は先に行ってな。俺がこの国最強の座を奪ってきてやるからよ。」

「何言ってんのよ。あんた一人じゃ時間がかかりすぎるわ。この先どれだけ邪魔が入るんだかわかんないのよ・・・。だから二人でさっさと突破するわよ。ラウラはアーデのこと頼むわよ。」

 アマデウスの前にクルトとヘレーナが武器を構えながら入ってきた。その背中はとても温かくとても力強かった。

「わかりました。ですが私には私の守るもの、信じる正義があります。なので手加減は出来ません。二対一とはいえ本気の私から簡単にアマデウス君を逃がせるとは思わないでください。」

 エルランドは地面に突き立てたエクスカリバーを手に取り静かに構えた。本気と宣言したエルランドはもはや人の型に押し込まれた怪物だった。ただただ戦いに飢えより強い者との対戦だけを求める怪物がそこに居た。光の剣は二本に増えそれらを両手に持ち前傾の攻撃的な構えを取る。全身からは誰に向けるわけでもなく殺気が漏れ出し、彼の間合いがそのままデッドゾーンで立ち入り禁止になっているのが遠目からでもビシビシと感じられる。

「ちょっと、ちょっと。ちょー本気なんですけど。さすがにあれはやばいわね。というかあんなのが自衛団の団長って大丈夫なのかしら?私もし実在するなら魔王ってあんな感じだと思うわ。」

ヒュン。

「・・・・・おう、そーだなー。」

 ゴゴゴゴ・・・という効果音が自然と脳内で取り付けられるエルランドを前にさすがのヘレーナも焦りを感じている中、クルトはぼんやりと西の空を見上げていた。

「ちょっとクー!何ボケっとしてんの!あんたもさっさと本気だしてわんわんモードになりなさいよ。」

「おう、まあ気持ちはわかるけどよお。あれ見ちまったら『とりあえずこの場はお役御免かな』って気が抜けちまうぜ。てかわんわんじゃねえよ!」

「あれって?」

 ヘレーナもクルトの言葉に釣られ同じ方向を見る。クルトの視線は上空に向いたまま何かを追いかけ、

ズドン!

 そしてクルトたちとエルランドの間に降りた。

 舞い上がった土煙が風に流されると角の生えた赤髪ロングの頭に大きな翼よくよく見覚えのあるシルエットが露わになっていく。

「全くあんたたち私だけ置いていくなんて随分親に対する態度が冷たいのね。もしかして反抗期かしら?」

 いきなり飛んできてわけのわからないことを言い出したアルヴァはきっと、自分が置いていかれた理由も自分が飛び込んだ場の状況もわかっていないのだろう。アマデウスたちは揃ってそう思った。

「アルヴァ、あなたも来たのですか。あなたなら私の信じる正義もわかってくれるかと思いたいのですが。」

「あんたの信じる正義?そんなもの知らないわよ。私が信じるものはこの子たちだけよ。私にとってはぶっちゃけこの国の平和だとか国民の心の安寧だとか知ったこっちゃないって話。私はあんたたちみたいな正義の味方じゃない、私はいつだってこの子たちの味方なのよ。」

 胸を張って言い切るアルヴァの背中はどこまでも大きくいつまでも敵わないとそう感じさせられる。

「ほら、あんたたちは早く先に行きなさい。」

 アルヴァは優しく背中を押してくれた。

「この国を守る自衛団の団長としてこの門を潜らせるわけにはいきません。」

 エルランドが両手に構えた剣をアマデウスたちに対し振るうが誰一人として足を止める者は居ない。

ガギン!

「あんた何してんのよ。うちの子に向かってエクスだけじゃなくカリバーンまで出してきて・・・。もしうちの子が怪我したらどうしてくれんの?」

 アルヴァのレーヴァテインをエクスカリバーとカリバーンの二本で受け止めるエルランドは呆れたようにため息を吐いた。

「はあ。あなたがそれを言うのですか。レッドドラゴンのドラゴニュートである上に魔剣レーヴァテインまで使っているではないですか!」

ギギン、ドドォン、ゴゥ、ビカッ、ズガガァァァンン・・・・・。

 アマデウスたちは後ろで繰り広げられている高次元の戦いは無視して王宮へと急いだ。

 王宮の入り口である巨大な分厚い扉を押し開けると声が反響しないほどの広間が広がりその奥に先に続く入り口と階段が見られる。

「さて、一体アリスがどこに居るかだな。手あたり次第に探すか?」

「こんな広い城を四人で?んなアホな。ヘレン姉魔法で探されへんの?」

「ちょっと待ってね。」

 ヘレーナが目を閉じ詠唱を始めようと息を吸う。

すぅ・・・

「無駄ですよ。」

 突然の発言とともに広間の奥からは二人の人影が現れた。

「この城は特殊な反魔法構造になっていて、国王の許可なく魔法の使用は出来ません。」

「エイラにアラン・・・。」

 広間の奥から姿を現したのは自衛団副団長であるエイラ・メランデルとアラン・オークレンの二人だった。

「あなたたちこんなところに居ていいのかしら?アリスの守りが手薄になってないか心配なんだけど?」

 外ではエルランドがアルヴァが戦っていることを考えると自衛団の上位三名は少なくとも監視にはついていない。各番隊の隊長も当然実力者揃いではあるがエルランド、エイラ、アランの三人と比べると大きく見劣ってしまう。

「それは問題ない。彼女が居る部屋には私が内と外、両側から防御魔法をかけた上にアリスさんにも防御魔法をかけている。」

「それは息も詰まるほどの手厚い保護ね。」

「そもそもそんなことをするまでもないのでしょうが、念のためです。」

「保護の必要がないっていうのはどういうことかしら?」

「彼女には国王様が自ら、ご自分の部屋で警護しているからだ。この国にあの部屋より守りが固い部屋はないし、あの方より強い人は居ないだろう。」

 確かにこの国でもっとも重視される人物の部屋ならば敵襲を受けにくく守りも堅いに違いない。事実、国王の部屋はこの城の最上階に位置しているため国王を襲おうとも城壁と魔法結界のおかげで今のアマデウスたちのように最下層から上ってくる他ないのである。

 だが、国王であるドグラス・フレイヴァルツがメルマリア王国最強という点は容易に頷けるものではなかった。多くの種族を従えわずか一代で世界有数の大国を築き上げたのだ、もちろんその力量に疑う余地はない。それでもメルマリア王国が建国されたのはもう四〇年近く昔のこと、すでに戦列を離れた者が未だなお健在とは考え難い。

「『国王がどれほど戦えるというんだ』とでも言いたそうな顔だな。お前たちは俺たちの訓練を見ることがないから知らないだけだ。あの方の力は未だに健在だ。『むしろ年を食った分昔より洗練された動きをしている』とか親父は言っていたかな。さらに言えば、エルランドさんはずっとあの方の弟子でそれは今でも変わらない。」

 今でもエルランドの師匠として稽古をつけている、そう聞くと思わず身震いさせてしまう。

「さっきのエルランドさんよりもまだ強い・・・。」

「チビ助、まだ見てすらもねえ相手に呑まれてんじゃねえ。いいからお前はラウラと一緒に先に行きな。こいつらは俺とヘレンが相手しといてやるよ。」

「そうね。私とクーが相手しとくわ。」

「おい、ヘレン。わざわざお前を先にして言い直したのはどういうことだ?ああ?」

「さ!さっさとやるわよー。あんたも変態しなさい。」

「なあ、今字がおかしくなかったか?なあ、なあ!」

 自衛団の二番手三番手を相手にいつも通りのヘレンとクルトにアマデウスもすっかり緊張が解けてしまった。

 正門前のエルランドとは異なり意外なことに副団長の二人はすんなりとアマデウスとラウラを通してくれた。

「おい、アーデ!」

 階段を駆け上がるアマデウスをクルトが呼び止めた。

(しっかりやれよ!)

 クルトは親指を立て拳を突き出しただけで言葉にはしなかった。それでもアマデウスの心にははっきりとクルトのエールが聞こえていた。アマデウスは大きく頷くと再び階段を駆け上がっていった。

「随分と簡単に通してくれたけど、止めなくてよかったのかしら?」

 レイピアを抜きゆっくりと構えながらヘレーナはエイラに尋ねた。

「さあ、なんのことでしょうか?彼はアリスさんの兄妹です。きっと面会だと思いましたので通したまでのこと。」

「あら、あなたにしては随分といい加減な解釈ね。仕事に関してはもっとドライなのかと思ってたんだけど。」

「普段の私であればそうでしょう。ですが私にだって信じる正義があります・・・。今回の作戦は少々気に入らないのです。」

 剣を構えヘレーナを見据えるエイラの瞳は力を街で見た振るいたくとも震えずにいたアマデウスの表情に似ていた。

 

「はあ・・・はあ・・・最上階の、一番奥の部屋!」

アマデウスとラウラは城の階段を上り切り、真っ直ぐに続く廊下を走っていた。飾りの少ない単調な柱と壁が順番に一〇〇mほど続く廊下。城全体がそうであったが、ここもよほど大きな者が通るのか幅も高さも四〇m近くはありそうな広さをしていた。その広さも手伝い一〇〇mという距離がいやに遠く感じられた。

ここまでくる間二人はただの一人にも合わなかった。だがアリス奪還を目の前にアマデウスにはそんなことを気にしている余裕はなかった。ラウラもそのことをおかしく思いながらも今のアマデウスには声をかけることは出来なかった。

「・・・はあ・・・・・はあ。この部屋、ですね。」

(今何か起きたらうちがアーデをフォローするんや!)

「行きましょう!」

 アマデウスは最上階最奥の部屋、その扉に手をかけた。

ギイィ・・・

 

ガギィン!

「アルヴァ、確かにあなたたち『ミスティル』は強い。ですがたった五人ではアリス君を匿うには人手が足りません。それはあなたもわかっているでしょう?」

 激しい剣劇が繰り広げられる中、エルランドは諭すようにアルヴァに言葉をかける。

ギギギィンッ!

 エルランドの振り下ろす二本の剣を一振りではね上げるとアルヴァは沈んだ低い調子で言った。

「あんた、少し見ない間に随分と汚い大人になったみたいね。」

 アルヴァの端的な言葉はエルランドの心をえぐり、真っ直ぐに向けられた視線が心の奥深くに突き刺さる。

「本当はわかってんじゃないかしら?これはアリスを隠すことで妖狐の存在を国民の心から消し去るのが目的じゃない。真の目的はアリスを餌にあの男をおびき寄せることだって。」

 

ギイィ・・・

ズドオォン!

 アマデウスが扉を開けようとした瞬間、扉左の壁から巨大な衝突音が起きるとともにその衝撃が扉を伝ってアマデウスの体にまで届いた。

「アリス!」

 身に覚えがないほどの衝突音に危険を感じるよりも先にアマデウスは声を張り上げ部屋に駆け込んだ。

 ラウラも急いでアマデウスの後を追うがアマデウスはどうしてか部屋の入り口近くで立ち止まっていた。

「アーデ?」

 ラウラはアマデウスのそばに駆け寄ると立ち止まったアマデウスの視線の先を追った。

「アリスッ!」

ラウラの目に飛び込んできたのは真っ黒なローブを羽織った男の小脇に抱えられ、すでに妖狐化したアリスの姿だった。

ラウラは即座に飛び出そうとしたがアマデウスがそれを制した。

「ダメです、ラウラさん。僕より前には一歩も出ないでください。」

 男は間違いなく先日対峙した切り裂き魔、だがあの時に見た姿よりさらに体が大きく、纏う雰囲気は禍々しくなっていた。

「アーデ・・・。」

 アマデウスの後ろに隠れていることしか出来ない自分の弱さがラウラは憎かった。だが、

「アーデ、頑張れ。」

 アマデウスの戦いをそばで見守ることこそが今の自分に出来ることなのだとラウラは気を引き締めた。

「いや、アマデウス君。君も下がりなさい。」

「国王様!」

ラウラたちの後ろ扉の左の壁から起き上がってきたのはメルマリア王国国王ドグラス・フレイヴァルツだった。

「おいおい、いい加減止めとけよ、おっさん。さっきからこのメスガキが気になって全然戦えてねえじゃねえかよ。」

「黙れ。貴様はわしが殺す。この者たちには戦わせん!」

「そんなこと言ってもよお。だっておめえ・・・」

 無言を押し通すエルランドに対しアルヴァは続ける。

「だけどあんたらはその作戦で二つ、見誤ってることがあんのよ。」

 アルヴァは動きも止めうつむいたままのエルランドに向けて二本の指を立てた。

「まず一つ。敵の力。」

二本立てた指を一度仕舞うと改めて一本人差し指を立て直した。

「これだけ見え見えの罠に突っ込んでくる奴が本当にバカならそれでいい。でもそうじゃなければ?絶対にアリスを連れ去れると、それだけの自信があるのだとしたら?」

「国王様が負けるというのですか!」

 師の敗北を暗示されたエルランドは思わず声を荒げたが、すぐに我に返りまた静まり返った。

「普通に戦えればあの人は絶対に負けないわよ。だけどあの部屋はレッドドラゴンのあの人が本気で戦うには狭すぎる。それに幾ら防御魔法を張っていようが同じ部屋に居るアリスを気にせずに戦うなんて出来やしないのよ。」

 

 アルヴァの予想は正しかった。男は防御壁を破り侵入し、戦場の狭さとアリスの存在をうまく使いドグラスを翻弄、一方的な戦いを繰り広げた。その結果、

「だって、おめえ・・・右腕斬り落とされてんだぜえ!それで俺とどお戦うってんだ、国王様よお?」

「たとえどんなに追い詰められた状況であろうとわしは絶対に諦めん。わしが国王である限り民の命はわしの手で守る。」

 そう言うと国王は人型のレッドドラゴンの姿になり男に向かっていった。

「そういう態度がムカつくんだよお!てめえがそういう態度で居っからあの女も偽善者面してたんじゃねえのかよお!」

 ドグラスの攻撃は男の動きよりもはるかに速い、だが相手がアリスを盾に構えるせいでドグラスの攻撃は止まりその後の回避行動も遅れる。

「だからよお、俺があいつを殺したことを恨んでるってんならよお。そりゃあ、てめえのせいだ!あっちで詫び入れて来いやあ!」

 ドグラスが怯んだところに一気に攻め立てた男はとどめを刺しにかかった。

(いよいよ終わるか。わしは良い国王で居れたことなど一度もなかったのではないだろうか。いつも民のためにと仕事ばかりしていたせいでフレヤを失い、アルヴァにも随分と寂しい思いをさせてしまったな。やはりわしには民を導くことなど出来なかった、お前の代わりなどわしには荷が重すぎたのだ。すまない、ウルスラ・・・。)

 ドグラスは静かに目を閉じた。

 

「二つ目!」

 人差し指の隣、中指が立てられる。

「あんたら、アーデのことも見誤ってんのよ。」

 この時アルヴァの顔には苛立ちの色が見えた。

「わかっています。彼は強い。直接手合わせをしてそれは十分理解しています。そして今もすごい勢いで強くなっているのも知っています。敵と正面からぶつかったとしても打ち勝つことが出来るかもしれません。ですが、相手は彼の・・・。」

 そこまで話すとエルランドはまた口を噤んでしまった。『もしアマデウス君があの男と再び戦うことになってしまったら』そう思うとそれより先は言葉に出来なかった。

 

ギキンッ!

 男の振り下ろした刀がドグラスの命に幕を下ろすかと思われた瞬間、その刀はアマデウスと童子切によって止められた。

「ギャハハ・・・。やあっと出て来やがったかあ。また会えて嬉しいぜえアマデウス、・・・我が息子よお。」

 男はそのままに受けた刀諸共アマデウスたちを斬り飛ばした。ドグラスとアマデウスは飛ばされた勢いそのままに壁に叩き付けられた。

「・・・息子?どういうこと、ですか?あなたは一体何を言っているのですか?」

「そのままの意味だぜえ。俺あ、てめえの母親ウルスラ・レンクヴィストの唯一の夫だったからなあ。てめえだって知ってたんじゃねえのかあ、国王様よお?」

 『国王様』どうしてここでその言葉が出てきたのかアマデウスには理解することが出来なかった。それでもアマデウスは即座に振り返り後ろで壁にもたれ座り込んでいるドグラスの反応を窺わずにはいられなかった。

「・・・・・。」

 ドグラスは座り込んだまま顔を上げず身動き一つ見せなかった。

「ギャハッ。沈黙は是なり、だよなあ?」

 男が高笑いする様にドグラスは強く奥歯を噛みしめた。

「アーデ・・・・・。」

 ラウラはアマデウスに懸ける言葉を見つけられずに居た。アマデウスの心が未だかつてないほどに乱れていることはわかっている。それでもラウラには言葉一つかける事も出来ない、それが自分が何も出来ないことを殊更に強調し胸をきつく締めつけた。

「・・・だとすれば、あなたは自分の妻を殺したのですか?母様のこと愛していなかったのですか?」

 アマデウスは男に対し正面に向き直すと静かな調子で問う。

「・・・もちろん愛していたさ。だけどなあ、愛ってのは嫉妬、嫉妬ってのは憎しみ、憎しみってのは殺意だ。愛なんてもんは特定の状況の中だけでの不安定で不確かな感情、状況が変わればそれはそのまま殺意にだって変わんだよ。俺の状況は変わった、だから殺した。第一俺はあいつの夫であいつは俺のもんだったんだ殺して何が悪い?」

ギリリ・・・

 アマデウスの耳の奥で歯の軋む音がした。右の手のひらに爪が食い込み血が流れ出る。全身の血が沸騰し、頭の中を一つの感情がひたすらに駆け回る。

(そうだ。やつこそお前の家族を奪った張本人だぞ)

 憎い、憎い憎い。

(やつを殺ってしまえばもう、うぬを苦しめる者は居なくなる)

 あて先もなくずっと積り続けていたこの思いがなくなる?

(そうだ、今までうぬを苦しめてきたもの全て奴のせいだ。さあ)

「殺してやる。」

 アマデウスの瞳は深い紫色に沈んでいた。心は憎しみに支配され体はアマデウスの意識はなく動き出していた。

 

ゴオウッ。

 俯いたエルランドのすぐそば、頬を火の粉が掠めるようにレーヴァテインの炎が駆け抜けた。

「ッ!」

 エルランドが驚き顔を起こすと視線の先には激しい怒りを表情に見せるアルヴァの姿があった。

「それがアーデを見くびってるって言ってんのよ!自分の親とのことだ、あの子が自分で何とかするしかないんだよ。あの子はこれまで私たちが想像出来ないほどの多くの困難を耐え忍んできてる、そして今これまでの困難全てを乗り越える時が来てる。あの子はもう私たち大人と対等になれるとこまで来てんだ、邪魔してんじゃないよ!」

 エルランドはミスティルのメンバーはアマデウスを守ってあげているのだと思っていた。自分はそれと同じことを彼のためにしているのだと、そう考えていた。

 だがそれは大きな勘違いであった。彼らはただアマデウスが自分の望む先へ迷わず進めるように道を整えていた、道を違えることがないように見守り手を差し伸べ背中を押していただけ。自分たちはアマデウスたちを危険から引き離し安全という檻の中に閉じ込めようとしていただけだったのだと痛感した。

「ですが、まだアマデウス君も一〇歳、精神的に不安定な面もあります、それにあの謎の力のこともありますし。」

 前回の切り裂き魔との戦闘の時やアリスを拘束しに行ったときにエルランドも目の当たりにした異常な能力の向上。

(もしそれが精神の乱れが原因なのだとすれば恐らく今回も・・・。ですが、あんなデタラメな力を放っておいてはアマデウス君の体が壊れてしまいます。)

「そのために、私たちが居るんでしょうが。」

 エルランドの心配を表情から読み取ったアルヴァは呆れた様子で言うとニッと笑って見せた。

 

「けっ、その力・・・。てめえウルスラ以上に好かれてるみてえじゃねえか。いいぜえ。俺が気に食わねえなら殺せばいい。てめえには俺と同じ血が流れてんだぜえ。憎くて人を殺したって仕方ねえんだよなあ。」

(そう、憎い人は殺して仕方がない。だからその人が僕の母様を殺したのも、)

「それ以上いったらアカン!アーデ!」

 男目がけ足を踏み出そうとしたアマデウスをラウラは後ろから抱きしめた。

「ラ・・・・・ウラ、さん?」

 アマデウスの瞳にすうっと青さが戻り全身に込められていた力が抜けていった。力が抜けたアマデウスはラウラに体を預けるような形でずるずると座り込む。

「大丈夫、大丈夫やでアーデ・・・。後ろにはうちが居るから、アーデは前だけ見て進んだらええ。」

「ありがとうございます。・・・もう大丈夫です。」

 アマデウスは抱きしめるラウラの手を握りその温もりを確かめると足に力を込め一人で立ち上がった。

「んだ、つまらねえ。あのまま暴走してりゃ面白かったのによお。・・・だけどどうするつもりだあ?てめえじゃ俺に傷一つつけられねえんだぜえ!」

 男の声など全く聞こえていないかのようにアマデウスは黙々と真っ直ぐに足を進める。

「どうするよお?今更でも命乞いしてみるかあ?」

 目の前で立ち止まったアマデウスに対し男は上から被さるように上体を傾け挑発の言葉を重ねた。

「命乞いなんてしませんし、あなたを殺しもしません。ですが僕はあなたには負けません。」

 アマデウスは上から見下ろす男に対し顔を上げ真っ直ぐに視線をぶつけた。

「行きます。」

 アマデウスは右手で構えた童子切に左手も添え下から男目がけて斬り上げた。

「だからあ、てめえの攻撃は効かねえって・・・、っ!」

シュッ!

 アマデウスの攻撃は強化された男の肉体には通用しない、はずだった。だから男は躱すつもりもなかった。だが、刀が振るわれる瞬間アマデウスが刀が纏っている空気が以前と全く違うことに体が飛び退いた。結果アマデウスの振るった童子切は空を斬り男は距離を取り態勢を立て直す。

(何だったんだあ、今の感覚はあ?前と全然違げえじゃ・・・)

 上体を起こしたときに首筋をつうっと何かが伝うのがわかった。手で触るとそれは血だった。

(バカな!んなわけねえ!今のは完全に躱したはずだ。切先すら掠めてるはずがねえ。・・・だとすればあいつの刀は空気さえも斬り裂き俺の喉に斬り込みやがったってえのか?)

「く、そ、ガキがあ!なんだあ、てめえのその刀はあ!」

 前回よりもなお一層強化された肉体に斬り傷をつけられたことにひどく怒った。

「この刀はここに居るラウラ・ラーゲルベックさんが僕のためだけに打ってくれた刀『童子切』です。僕が今を守り先へ進むための力です。」

 アマデウスの答えを聞くと男は少し黙り込み声を上げて笑い出した。

「ラウラ・ラーゲルベック・・・?ギャハハ、ギャハハハハ!おいおいまじかよ。ラーゲルベックって言やあ没落鍛冶師だろうが、確かあの男を最後に後継は居なかったと思ったんだがなあ。」

 アマデウスは前に居る男以上に後ろに居るラウラのことがこの瞬間気になった。だが、そんな心配は今のラウラには必要なかった。

「没落鍛冶師?それはうちが打った刀を負かしてから言うてもらおか。『童子切』を使ったアーデが負けたらうちは没落鍛冶師の末裔や。せやけどアーデが勝ったらその瞬間うちは鍛冶師ラウラ・ラーゲルベックや!」

 ラウラはいつも通りの威勢の良さで男に対し挑戦状を叩き付けた。

「そうかよ。ならてめえはこの場で親父越えをするってえわけだなあ?」

「え?」

「この妖刀を打ったのはてめえの父親だぜえ。この刀に勝つってのはつまり今親父を越えるってことだよなあ。てめえに出来んのかあ?」

 父親を越える刀を打つ自身がなくてずっと人の刀を打つことが出来なかったラウラはこの質問に答えることが出来なかった。だがこの質問に対し沈黙が続くことはなかった。

「出来ます。この刀は絶対に負けません。」

 何のためらいもなくそう言い切ったアマデウスに男は顔をしかめた。

「『童子切』はラウラさんが僕のことを思って僕だけのために打ってくれた刀です。思いの強さは刀の強さです。あなたの名前もない刀の形をしただけのただの金属の塊には負けません。」

「ハッ!上等だぜえ、クソガキがあ!死んで後悔しろお!」

 ボルテージの上がった男の体はまた一段と盛り上がり妖刀からは目に見えるほどの妖気が漏れ出していた。

「アーデ!」

 男とアマデウスの間、緊張に張り詰める空気を裂くようにアマデウスを呼ぶ声が部屋に飛び込んできた。

「クルトさん、ヘレンさん!それにエイラさんとアランさんも、どうしてここに?」

 クルトとヘレーナと一緒に来たのはさっきまで二人と戦っていたはずのエイラとアランだった。エイラは血相を変えてそのままアマデウスの横まで走りこんできた。

「あなた、一体何をしたのですか!今街を襲っている魔物たちは何なのですか!答えなさい!」

エイラは剣を抜き男に突きつけた。

「そうかあ、もお準備はできたってえわけかあ。ギャハハ・・・。」

「早く答えろ!」

 エイラはさらに男の方へと脚を踏み出した。剣の切先が男の喉元に狙いをつける。

「おいおい。そう殺気立つなよお。あれはあ、俺と志同じくした同士って奴よお。だけどよお仲間って訳じゃねえから俺を殺したって何も止まらねえぜえ。ほらあ、さっさと大好きな国民たちの所へ行かねえと、みいんな魔物の餌んなっちまうぜえ?ギャハハ。」

 どこまでも不気味に男は笑う。

「くっ!」

 エイラの剣を握る手が震える。

「じゃあ俺は引かせてもらうぜえ。」

「てめえ、待てこら!」

 叫び飛び掛かろうとしたクルトだが即座に体を止めた。

「ギャハハ、そうだよなあ。てめえらこのメスんために来たんだよなあ。死んだら困るだろお?」

 男はアリスの首に刀を当てゆっくりと後ろの窓へと後退していく。

「大丈夫です。あの窓の下には今エルとアルヴァが居ます。飛び降りれば取り押さえて終わりです。」

 エイラがアマデウスにだけ聞こえる声で呟いたが、アマデウスの心臓は依然騒ぎ続けていた。

「悪いなあ息子よお。後でちゃんと殺してやるから良い子で待ってなあ。なにこのメスのことは安心しなあ。俺がたあっぷりと面倒見てやるからよお。」

 男はアリスを顔近くに引き寄せるとその右の頬に舌を這わせた。

「この下衆が!今ここで斬り刻んでやる!」

 刀に手をかけたクルトをヘレーナが引き留めた。

「ギャハハハ・・・。すぐ立ち去ってやるからそう殺気立つんじゃねえよお。」

 男が窓際で立ち止まりそう話した瞬間。

ブワアッ!

 窓の外に大きなスカルワイバーンが現れ、窓から飛び移れる位置でホバリングする。

「また会おうぜえ、俺の愛しい息子よお。ギャハハハハハハ・・・・・。」

 アマデウスに粘着質な視線を残し男はスカルワイバーンに飛び乗り去っていった。

 

「・・・それで、結局あいつの正体は何なんだよ。」

 ドグラスの腕の応急処置と街に現れた魔物への団員の手配を終え、アルヴァとエルランドも合流したところでクルトが苛立ちを隠そうともしないまま話を切り出した。

「名前はニルス・レンクヴィスト。今回の連続殺人の犯人よ。アーデの実父に当たる人間でありアーデの母親、つまりは自分の妻であるウルスラと村の人全員を殺した張本人でもあるわ。」

 クルトの問いに対し答えようとしないドグラスとエルランドに変わりアルヴァが返答をした。

「ちょっと待てよ・・・。アーデの親父って、自分の妻を殺して今度は娘息子を殺すってのか?」

「クーあなたちゃんと聞いてなかったの?ニルスはアーデの父親、アリスの父親とは言ってないわよ。」

 怒りのあまり勇み足になろうとしているクルトに対しヘレーナが水を差す。

「はあ?だってお前アリスはアーデの妹だろうが、ならアリスだって・・・・あ。」

 そこまで言ってクルトは静止した。彼の中でこれまで疑問だった事が一本に繋がる。クルトの視線がゆっくりとアマデウスへと移された。

「はい。アリスは僕の本当の妹ではありません。アリスは僕が幼いころに見つけて一緒に暮らすようになりました。黙っててすみませんでした。もしアリスが僕の妹でもなく九尾の妖狐であるとなればどういうことになるかわかりませんでしたから。・・・だけど、アリスは今は僕の大切な妹なのです。これだけは嘘じゃ、」

 必死に回りに訴えるアマデウスの頭にアルヴァはポンと手を下した。

「大丈夫よ。あんたと同じでアリスは私たちにとっても大切な家族よ。義理だから何だっての?これまでの経緯なんてものは気にしたって変わんないでしょ?本当に大事なのは今の気持ちなのよ。」

 アマデウスはアルヴァの笑顔を受け止めもう一度周りを見渡す。ラウラもヘレーナもクルトも自衛団の者も全員が頷いてくれた。

「ですが、今回のことが本当に妖狐の存在が導いたというのであれば何かしら対策を考えなくては。」

「ばっ!エイラ、お前空気読めよ!今はそう言うこと言っていいタイミングじゃ・・・。」

「だがエイラが言うことももっともだ。」

「てめっ、アランまで。」

さっきまで怒り狂う一歩手前だったクルトが今度はアマデウスの心のケアに奔走するが、妖狐の存在から国の危機が訪れたという事実が場の空気を重くする。

「あんたたち、九尾の妖狐は災厄をもたらす害獣だって本気で思ってるの?」

 アルヴァはこの場にのしかかる重い空気をあざ笑うかのようにあっさりと声を出した。

「いや、ですがアルヴァ、今この国に訪れた危機の中心にはアリス君が居るのです。そうとしか・・・。」

「そんなもんたまたまでしょ?」

「はあ?」

 アルヴァのあっけらかんとした回答に全員が声を上げた。

「あんたはわかってんでしょ、お・と・う・さ・ま。」

 アルヴァの言葉に全員がドグラスを見るとドグラスは観念したように話し始めた。

「ああ、アルヴァの言う通りだ。九尾の妖狐は害獣などではない、あれは神の使い、神獣だ。神の行いはよく天災として表れるものだ、だから姿の見えない彼らの代わりに神の使いとしてその場に姿を見せる妖狐を『災厄をもたらす害獣』としたのだろう。」

 ドグラスの言葉に全員が息を呑み言葉を失った。

「で、でも・・・。神は大昔に居ったってだけで今はもう居らへんのと違うんですか?」

「確かに彼らは人の信仰を失い力のほとんどを失った。だが彼らは依代を得ることで今も生き続けている。わしの妻フレヤやアマデウスの母ウルスラは生前その依代だった。」

「そして今は、私とアーデが依代なのよ。」

「なら・・・なら何でみすみすアリスを攫われてんねん!神の力で奇跡でも何でも起こして助けえや!」

 ラウラには見ながらに助けの手を差し伸べない神を許すことが出来なかった。誰を助けることも出来ない自分がもどかしい、それゆえに力を持ちながらにそれを善行に使わない者に苛立ちを覚えて仕方がなかった。

「神が幾ら力のほとんどを失ってると言ってもそんなもの私たち一生命体ごときに扱える代物じゃないのよ。エイラたちがアリスを連れ去ろうとした時、わずかにだけどアーデは神の力を使ってるわ。・・・三分、たったそれだけの時間に得た力の代償が三日間の意識不明。・・・他人への力の譲渡は不可、使うタイミングも選べず使い過ぎれば死ぬ。私たちの中に居るのはそんな力の塊なのよ。」

 ラウラは言葉を失った。自分の考えが甘かった、力さえあれば何だって出来ると、自分が力が無いだけに力を持つ者の悩みなど考えたこともなかった。

「でもねラウラ、神なんかに頼らなくたって私たちは絶対に負けない、アリスも絶対に助ける。そうよね、アーデ。」

 アルヴァの言葉に促されるようにラウラはアマデウスを見るとアマデウスの青紫の美しい瞳は真っ直ぐにラウラの瞳に向けられていた。

「当然です!僕はあの人には負けません。それに『童子切』もあんな名無しの妖刀には絶対に負けません。」

 アマデウスは腰に据えていた『童子切』を外すとラウラに見せつけるように前に突き出した。

「信じてください『童子切』を、自分自身を。・・・僕たちは家族です。ラウラさんの分は僕が戦います。だから僕に足りない力をラウラさんが補ってください。そしてちゃんと見ててください、あなたの刀があなたの父様の刀を越えるその瞬間を。」

(アーデやって急に父親が現れたか思たら、そいつが自分の母親と故郷を襲った犯人やったとか、自分が神の依代になっとるとか。いきなりいろんな事知って頭ん中ぐちゃぐちゃのはずやのに・・・。)

自分よりも八つも年下の子が渦中に居ながら自分を励ましてくれているのを見ていると、さっきまで慌てていた自分が途端におかしく思えてきた。

「あはははははは・・・。知らん間に随分偉くなったもんやなあ、アーデ。よっしゃ、うちがちゃんと見守っといたる。せやからアーデも、あのおっさんぶっとばしてこれまでのこと全部乗り越えよ!」

「はい!」

 アマデウスはラウラが差し出した手を力いっぱい握り返した。

「さ、それじゃあ行きましょうか。最終決戦!」

 アルヴァの掛け声にミスティルのメンバーは声を揃え掛け声を上げた。

「エイラ、見つかったかしら?」

「当然です。あなたの予想通り大戦跡地、エーラムル盆地に居ます。」

「やっぱりか・・・。あんたたちもこれから街へ制圧に向かうってのに、魔力使わせて悪かったわね。」

「別に構いません。ヘレンは広範囲探知魔法のような繊細な魔法技術はありませんので。それにこれは大人の事情にアマデウスさんとアリスさんを巻き込んでしまったせめてもの償いです。」

 『気にしないでください』とアマデウスはそう伝えようとしたが、エイラは優しくアマデウスに微笑んだ。『私が望んでこうしているのです。好きにさせてくれますよね?』そう言っているようだった。

「では、私たちは街に現れた魔物の制圧に向かいます。」

 エイラはそう言うとアランと一緒に部屋を出ようとしたがエルランドだけは部屋を出ることをためらっているようで顔を曇らせ視線を泳がせていた。

「すみません、一つ言い忘れていたのですがあの男の口ぶりからして街に入り込んだ他にもまだ戦力を準備していると思います。こちらは私とアランが加勢すればそれで大丈夫だと思いますので団長はミスティルの皆さんの加勢をお願いします。」

 エイラの言葉を聞いた途端エルランドの表情は晴れやかになった。

「そうですか。すみません、ではそちらはお願いします。こちらは任せてください。」

「・・・全く、世話の焼ける人ですね。まあそこが可愛くもあるのですが。」

 エイラは誰にも聞こえないくらいに小さな声で呟きその場を後にした。

 

 メルマリア王国から北に一五㎞離れたところにはエーラムルと呼ばれる盆地がある。四一年前、『メルマリア王国』建国のきっかけとなった大戦の舞台となった。二〇を超える種族、八〇万にも及ぶ生物を巻き込んだ血で血を洗うひどい戦いだった。生き残ったのは三〇万ほどで他は戦場で命を散らしたという。

 この大戦で亡くなった者はエーラムル盆地に埋葬されている。つまりそこは妖気を求める者にとってはこれ以上にないホットスポットになっているのである。

「何やねん、あの数・・・。」

 エーラムルに到着したアマデウスたちは盆地そばの崖の上に身を潜めニルスの様子をうかがうことにしたのだが盆地にはひしめき合うように敵が集まっていた。

「あれは・・・死体だな。ここの土にアリスに妖気を流し込ませて埋葬されてた死体をアンデッドにしてんだろ。・・・バカにしてやがる。」

「居たわ。アリスは反対側の高台の上、ニルスと一緒ね。」

 敵の群れを挟んだ反対側、高台の上にアリスは両手を吊るされた状態で拘束されているようだった。その横では無強化状態のニルスが自分の王国でも手に入れたかのように満足気に高笑いしている。

「どうしますか?回り込んでいては時間がかかりすぎます。それにニルスと戦うにはどうしてもあのアンデッドたちと戦わなくてはいけません。」

 アリスの所までは直線でも三㎞、敵を避けて回り込むのでは一時間はかかってしまう。アリスが幾ら膨大な量の妖力を持っていると言っても、あれだけのアンデッドを生み出して大丈夫なはずがない。今はとにかく一秒でも早く駆けつけたかった。だがそれには目の前の盆地にひしめく五〇万のアンデッドを退ける必要がある。

「よっこらせっと。」

 全員がアンデッド対策に頭を捻っているとアルヴァはおもむろに立ち上がるとストレッチを始めた。

「アルヴァさん?」

「先陣は私が切るわ。端の方で暴れて雑魚は引き付けといてあげるから、道が開いたらあんたたちも来なさい。」

 アルヴァは一通りストレッチを終えるとドラゴニュートの姿になった。

「アーデ、しっかりやんのよ。」

 それだけ言うとアルヴァは空高く飛び出した。

ズッドオオオンン・・・・・。

 アルヴァが飛び立った数秒後、轟音とともに大地に降り立ったのは一頭の巨大なレッドドラゴンだった。ドラゴンの着地の勢いで地面はめくれ上がり大量のアンデッドたちが宙を舞う。

「あ、あのレッドドラゴン端の方で暴れてますね。ということはあれアルヴァさんですか?」

「ドラゴンの姿で戦う姉さんはレアだからな。普段ならあのサイズで暴れるだけで戦闘どころじゃなくなるからな。」

 レッドドラゴンの姿のアルヴァは体長三〇m、翼長は六〇m、さらに口から吐く炎は一〇〇m先のアンデッドも数秒で灰にしていた。

「先陣にしては破壊力がありすぎますね。」

 エルランドですら五〇万のアンデッドを相手に喜々として暴れるアルヴァに少し引いていた。

「何してるの、皆行くわよ。」

 次々と大量のアンデッドたちを蹴散らすアルヴァに視線を奪われていると、戦場はすでにアルヴァの登場で異様な偏りを見せ、アリスの元までの最短ルートが開かれていた。

「アリス!」

 アマデウスたちは大量のアンデッドたちに囲まれながら大暴れしているアルヴァを横目に見ながら戦場を真っ直ぐに走った。アリスの姿を肉眼で確認出来るところまで近づくとニルスもアマデウスたちに気が付いた。

「やあっと来やがったかあ。寂しかったぜえ、アーデえ。」

 ニルスはアマデウスの姿を確認すると待ちきれないとばかりに刀を抜きその刃に舌を這わせた。

「あなたの顔を見るのはこれで最後です。」

 アマデウスはニルスに対し神経を集中させていく。

「アマデウス君!」

 ニルスに意識が向いていたアマデウスを背後から鈍く光る剣が鞭のようにしなりながら襲いかかった。危機一髪、振り返るアマデウスの眼球その寸前にまで迫ったところをエルランドが弾き上げた。

「ごめんなさい、エルランドさん・・・。僕あの人を見て頭に血が上って・・・。」

「どうして謝るのですか?私はあなたとの約束を守るためにここに来たのです。私はあなたたち兄妹の味方です。後ろは私に任せて今は前だけ見ていてください。」

「あの・・・ありがとうございます。」

 アマデウスが何を言いかけたのかエルランドにも想像出来た。しかし、それはアマデウスが口にする言葉ではない。本当にその言葉を口にしなければならないのは他でもないエルランド自身なのだから。

「・・・すみませんでした。」

 すでに前を向いたアマデウスには聞こえてはいないそれでもエルランドがどれだけアマデウスとアリスを大切に思い自分の判断を後悔したかアマデウスには伝わっていた。

「ニルスさん、もう終わりにしましょう。」

「寂しいねえー、アリスう。お兄ちゃんが俺のことお父さんって呼んでくれないよお。アリスはアーデの妹だろお?なら俺のことお父さんって呼んでくれるよなあ?」

 ニルスは拘束されているアリスに近寄ると両手で上顎と下顎をそれぞれ掴んだ。

「ほらあ。『お・と・う・さ・ん』。」

ブチブチブチ!

「汚い手でアリスに触んなクソジジイ!」

 アマデウスより早く、ニルスにブチギレたのはヘレーナだった。

ヘレーナはレイピアを抜くと複数の氷柱空中に生成しニルス目がけ射出する。射出された氷柱は加速されうなりを上げてニルスを襲う。

「ギイャハハハ。」

 ニルスは迫る氷柱を前に気味悪く笑う。

ヴァサァ・・・キキキキン。

 氷柱は空から降り立ったスカルワイバーンの体にぶつかり砕け散った。

「家族水入らずの場面だろおがよお。そこに出張ってくるなんてナンセンスだぜえ!」

 ニルスの前に降りたスカルワイバーンは後ろとの壁になるように翼を広げた。

「骨鳥野郎は解体して出汁取ってやるぜ。」

 高台前に立ちはだかる高さ七m幅二二mの壁となったスカルワイバーンに向かいクルトは同田貫を担ぎ飛び出していった。

 しかしスカルワイバーンに対し斬りかかろうとするクルトに大きな影が覆いかぶさる。

「ちょっ、待てよ。なんだこいつ・・・。」

ゴゴオオオン・・・・・。

 巨大な何かが地面を抉りクルトとともに吹き飛ばした。

 大きく動く影、月明かりを遮るそいつをアマデウスたちは見上げた。

「巨人族・・・。」

 アマデウスたちの前に新たに現れた敵は体長二〇mの巨人の骸骨だった。地面諸共クルトを吹き飛ばしたのは巨人の腰までの長さに人一人が悠々住めるほどの太さのの巨大な木の棍棒。

 身長にしてクルトの約一六倍、高さの差はそのままパワーの差を意味する。

「これだけのポテンシャルの差、恐怖したかあ?絶望したかあ?この世界力が全て、これだけの力が今は俺のものだぜえ。嬉しすぎて震えが止まらないねえ。」

 スカルワイバーンの向こう、骨の隙間から力に酔い笑みを浮かべる父親の姿が見えた。

「くっ。」

 巨人に立ち向かおうと刀を抜こうとするアマデウスの手をヘレーナが掴んだ。

「あんたの出番はまだ先でしょ。こいつはあの脳筋童貞に任せておきなさい。奥の鳥は私がもらったげるからさっさとアリスを助けて来なさい。」

「ヘレンさん・・・、でも、クルトさんは・・・。」

 クルトは先ほど巨人の振るった棍棒に吹き飛ばされ大量の土の中に埋もれてしまっている。

「・・・・・だあーっ、くっそ!何の嫌がらせだこら!」

「クルトさん!」

 降り積もった土山を噴火させ立ち上がったクルトは口に入った土を吐き出すと、再び飛び掛からんと脚に力を込める。

「この身長差・・・、これ絶対俺に対する嫌がらせだろ!舐めんなボケ。身長だけで全てが決まるほど世の中簡単じゃねえんだよ!」

 脚に力を込めるのに合わせ、クルトの体は厚い毛に覆われ狼人間(ウェアウルフ)の姿になっていった。

「その高え頭、地に着けさせてやる!」

 巨人目がけ地面を蹴りだしたクルトは弾丸のように一直線に飛ぶ。巨人は自分目がけ飛んでくる弾を撃ち落とさんと棍棒を振り下ろす。

「クソ食らえやあああ!」

 クルトは振り下ろされる棍棒に正面から鞘に納めたままの同田貫を打ち込む。一瞬同田貫が押し込まれたように見えたがその次の瞬間。

ガゴオオオオオオンンンン!

 棍棒は同田貫と当たった点を中心に大きく陥没し弾き返された。弾かれた棍棒は巨人の頭上を越え尚その勢いは止まらなかった。

ドッスウウウウンン・・・。

 巨人はそのまま棍棒に引っ張られ後方に倒れた。

「へっ、人のこと見下ろしてっからそうなるんだぜ。」

「クルトさん!」

 巨人を打ち返しそのまま着地したクルトの元にアマデウスは駆け寄った。

「なんだ、アーデまだこんなとこに居るのかよ。早く先に行けよ。あのノッポ野郎は俺に任せとけ。」

「その、大丈夫なのですか?」

 心配そうなアーデの顔を見るとクルトは声を上げて笑ってみせた。

「前にも言っただろアーデ。男ってのは格好つけてなんぼだ。ここは俺が格好つけるとこだ。んでもって、お前が格好つける場所はアリスの前だろ。」

 何事もなかったように起き上がる巨人を見ると、クルトはアマデウスに向けて親指を突き立てると走っていった。

 巨人に飛び掛かるクルトの後ろ姿を見ているとヘレーナが後ろから抱き付いてきた。

「ちょっとだけ待っててねアーデ。今あの邪魔な壁退けてくるから。」

耳元でそう告げると、立ちはだかるスカルワイバーンの方へ歩き出した。儚げで幻想的なハーフエルフの姿、アマデウスは初めて会った時のヘレーナを思い出していた。

「全く、さっきの攻撃でわからなかったのかあ。てめえの攻撃じゃあこいつを倒すどころか傷一つ付けられねえんだよお。」

「へえ・・・、全然知らなかったわ。」

ひやあ・・・・・。

 足元を冷たい冷気が流れる。ヘレーナの体からは冷気が流れ出し、空気中の水分が凍り付きキラキラと光を反射させている。

「普段ならこんなセリフ、クーみたいで絶対に言わないんだけどね。」

 ヘレーナは右手をスカルワイバーンの左側の空中に向け静かにかざした

「そいうセリフは、私の本気を見てからにしなさい。」

突如ヘレーナが手をかざした空間から巨大な氷の柱がスカルワイバーンを殴りつけた。

「お待たせ、アーデ。」

 ヘレーナは背後でスカルワイバーンが吹き飛ぶ中振り返ると、またアマデウスを抱きしめた。

「ごめんね、私はあの鳥を抑えとかなきゃいけないからここから先は一緒に行けない。だけどアーデなら大丈夫よ。あなたはもう大切なものをたくさん持ってる。」

 ヘレーナはそっとアマデウスの胸に手を置くとしばらく目を閉じた後、優しく微笑んだ。

「後は頼んだわよ、ラウラ。ここから先はあなたがアーデたちを守るのよ。」

 アマデウスを放しすっと立ち上がったヘレーナはラウラに力強い眼差しを向け言葉を送った。

「う、うん。わかっとるよ。ヘレン姉・・・。」

 弱った返事をするラウラは今にも重圧に押しつぶされてしまいそうに見えた。

「何情けない声出してるのよ。あなたらしくないわね・・・。大丈夫よ。アーデのことを一番思って考えてきたのはあなたよ。今だったあなたはアーデの側に立ち続けているじゃない。大丈夫よ、あなたの思いは必ずアーデの力になるわ。」

 ヘレーナはラウラを抱き寄せると耳元で魔法をかけるようにそっと囁いた。

「おおきに。・・・おおきに!ヘレン姉!後はうちに任せとき!皆々ハッピーエンドに導いたる!」

「そっ。じゃあ、後頼んだわよ。」

 ラウラのガッツポーズを確認するとヘレンは優しい笑みを浮かべ戦いに戻っていった。

 

「もう、後はあなただけです!」

 アマデウスは高台に飛び上がりそのままにニルスに斬りかかった。ニルスはアリスを残し飛び退きアマデウスから距離を取った。

「うわあ、参ったぜえ。ここまで来られちまった上にアリスが向こう側に行っちまったあ。」

 アマデウスがニルスと対峙する間に、ラウラはアリスの拘束を解きにかかる。

「さあ、観念してください!」

 アマデウスが刀を突き付けるとニルスは顔を俯け体の動きをピタリと止め、

「全く残念だぜえ。せっかくここまで来たのによお。てめえら二人じゃあ俺が手をかけるまでもなく死んじまうだろうからよお。」

 にたにたと気持ちの悪い笑顔をアマデウスの前にうろつかせた。

「どいうことですか!まだ他に仲間が居るのですか!」

 アマデウスが目の前をうろつく気持ちの悪い笑顔めがけ刀を振るうと、ニルスはこれを大げさに躱した。

「ギャハハ、なあアーデえ。お前も俺に構ってる場合じゃねえんじゃねえかあ?」

 ニルスは眼を大きく見開くとわざとらしく首を傾けアマデウスの後ろを覗いた。

「きゃあ!」

「ラウラさん!」

 ニルスの言葉に警戒し、後ろを向くことを躊躇ったアマデウスであったがラウラの悲鳴に慌てて振り返った。悲鳴を上げたラウラは広場の方へと飛ばされ地面を転がっっていた。ラウラが居なくなった後には一つの影が残された。

「アリ、ス・・・?」

 妖狐の姿になったアリスはこれまでにも見たことはある。だがそこに居るのはアマデウスの知るアリスの姿ではなかった。

「どうしたのですか?その姿は・・・。」

 九つの尾を起こし全身の毛を逆立てこちらを威嚇している。体には黒紫の炎のような妖気を纏い瞳は真っ赤に染まり光を帯びている。その瞳からは殺意以外には何も感じられず、長く伸びた爪は間違いなく凶器なのだとそう悟らせた。

「やっぱキャパオーバーしたかあ。まあ仕方ねえわなあ。この場に溜まった妖気全部コイツに集めて死体に流させてたからなあ。」

「ニルス、あなた!」

「おっとお、今気にするべきは俺じゃあねえだろうよお。そっちのバケモンを何とかしねえと手当たり次第に殺しまくんぜえ。」

 ニルスを倒してアリスを連れ戻す。それで全て終わりだと思っていた。なのに、

「妖力の暴走・・・。」

 ニルスの言っている通り、このままでは妖気の化身となったアリスがその全てを発散しきるまで見境なく暴れ続ける。そしてアリス自身も限度を超えた妖力に体を侵食されやがて死んでしまう。

「ですが、アリスを攻撃するなんて・・・。」

 刀を握る手が震える。アリスを守りに来たのに、絶対に守ると誓ったのに、その大切な妹に刃を向けることなどアマデウスに出来るわけがなかい。

「ギィヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 躊躇うアマデウスを前にアリスが咆哮を上げた。身に纏われた妖気が一瞬大きく膨れ上がると一気に天目がけて妖気の柱を伸ばした。妖気の柱は天高く伸びると先端から無数に分かれ戦場へと降り注いだ。

「ギイヤアアアアアアアアアアア!」

 妖気が降り注いだ先々で雄たけびが上がる。

「くそっ!何だってんだこの野郎!いきなり肉体が復活したかと思えばこの力の上がり様、シャレにならねえぞ!」

 戦場に響くクルトの声に視線を向けると骸骨だったはずの巨人に筋肉が脂肪が皮膚が戻っている。巨人はそれまでの単調な攻撃ではなく、まるで意識まで戻ったかのようにクルトの攻撃を躱し、クルトの回避する先を予測した攻撃を繰り出していた。クルトの戦う巨人だけではない、ヘレーナが戦うスカルワイバーンも血肉を持ったワイバーンに、エルランドが戦う剣士も、戦場に居た全てのアンデッドが生前の姿に戻っていた。

「まさかここまでのことがそのガキに出来るとはなあ。てめえらに相当の恨みがあるんじゃねえのかあ?ギャハハハ・・・・。」

「恨み・・・・・。」

 アリスがミスティルのメンバーやエルランドに恨みを持っていたとすればそれは自分のせいであると、アマデウスはそう思った。ミスティルに入ってからもアマデウスはアリスと一緒に居た。だがそれは一緒に居たというだけでアリスと交わす言葉もアリスのことを考える時間も極端に少なくなった。さらに言えば意識を失ったままのアリスを他人に預けた挙句アリスの妖力を悪用する敵に連れ去られる始末、アリスが恨むのも仕方のないことだと思ってしまった。

 かと言って、アリスがこのまま妖気に生命力を消耗させられ衰弱するのを黙って見てなど居られなかった。

チャキ。

「なんだあ?やあっと妹のことを斬る気になったのかあ・・・。そりゃあそうだよなあ。ただのお荷物で偽物の妹だもんなあ?ずっと邪魔だと思ってたんだよなあ?殺しちまっても仕方ねえよなあ?」

 アリスに対し刀を構えたアマデウスにニルスが発破をかける。だがアマデウスはそんな言葉に動じはしなかった。

「殺す?何を言っているのですか?僕はアリスを助けるためにここに立っています。どうすれば殺すなんて判断になるのですか。」

 刀を構えたアマデウスに対しアリスは戦場に妖力を流すのを止め襲い掛かった。アマデウスは宣言通りにアリスに刀を振るわずアリスの攻撃を躱していた。

 アリスには殺そうと思えば殺す隙は幾らでもある。逆にアリスの攻撃も一撃でアマデウスの命を刈ることが出来る力を持っている。にも拘わらずアマデウスが自分の命よりも血の繋がっていない偽物の妹を救おうとしていることにニルスは腹を立てた。

「てめえこそ自分が何を言ってんのかわかってんだろうなあ!そのガキはもう体を妖気に支配されてんだ。後は妖気に生命力を食いつくされて死ぬだけだろうがあ。もうてめえにはどうすることも出来ねえんだよお!」

 確かにアマデウスにアリスを助ける手立てはなかった。その上アリスの攻撃は回数を重ねるごとにその速度と精度を高め躱すだけで精一杯で助ける方法など考えている余裕はなくなっていた。

「フウウウ、フウウウ・・・。」

 息を荒げアマデウスの命だけを狙うアリスの姿にアマデウスは心が苦しくなった。

『ごめんなさい・・・・・、ごめんなさいアリス。僕がアリスの優しさに甘えたせいで、欲に従がったせいでアリスに寂しい思いをさせて、つらい目に合わせてしまって・・・。』

 アマデウスがアリスに後悔の念を抱いた、その瞬間。

キィンンン・・・・・。

 アマデウスの気が逸れた一瞬にアリスが童子切をはね上げた。

「しまっ、」

 アマデウスが意識を戦闘に戻した瞬間にはアリスは右の後ろ回し蹴りをアマデウスに入れるところだった。

ズドン!

 アマデウスは広場目がけて打ち出された。

「ゲホッ、ゲホッ・・・。」

 地面を二度跳ね五mほど転がったところでアマデウスの体は止まりアマデウスは腹を抱え地面に蹲った。

ダンッ!

 高台の方から響いた音に顔を起こすと鋭く伸びた爪を突きに備えさせ、飛び掛かるアリスの姿が目に入った。『防御を』そう思った時、初めてアマデウスは右の手に刀の重みがないことに気付いた。もはやアリスの攻撃を恨みを受け入れる以外に選択肢はなかった。

「これも僕がアリスにしてきたことの報いということでしょうか・・・。」

 アマデウスは目の前の現実、恨みに狂うアリスを受け入れようと目を閉じた。

ギインッ!

「アーデ!何諦めてんねん!」

 アリスとの攻撃の間に突然人影が飛び込んできた。目の前ではラウラがアリスの攻撃を刀で受け止めていた。アリスの爪と刀の間には白い暖かな光が溢れラウラとアマデウスを包む結界のように広がる。

「アリスの事一生かけて守るんとちゃうんか!あんたが死んでどないすんねん!アーデが死んだらアリスは誰が守んねん!」

「そうだぜ!てめえの命もアリスの命も勝手に諦めてんじゃねえ!諦めんのは死んだ後あの世に行ってからにしろ!それまでは何があっても諦めんじゃねえ!」

 ボロボロになったクルトが巨人と戦いながらも笑ってアマデウスに激を飛ばした。

「そうよ!アリスもアーデも勝手に死んだら許さないわよ。あんたたちの居場所はあの世じゃなくて『ミスティル』なんだから!」

「グオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 ワイバーンを氷柱に閉じ込めながらヘレーナもアーデに向けて声を上げると、アルヴァも広場の一番端から咆哮を響かせた。

「ラウラさん、皆さん・・・。」

「アマデウス・レンクヴィストはもうアリスだけやない、うちやアルヴァ姉、ヘレン姉にクー兄の、皆の家族なんや!勝手に死んでええわけないねん!それはアリスも一緒や!誰にでも胸張れるような立派な人やなんて口が裂けても言えんし、血のつながりもない偽物かもしれんけど、それでもあんたらのこと本物の家族以上に大事に思っとる!あんたらはもう勝手に死んでええわけないねん!」

「でも、アリスは・・・アリスは僕たちのことを恨んで・・・・・。」

 アマデウスはそれ以上言葉には出来なかった。自分の中でアリスの恨みも自分の非も認めたつもりだった、だがそれでも自分のアリスを大切に思ってきた気持ちには偽りはないその気持ちがアリスには何一つ通じていなかったと、やはりそう思いたくはない。

「アリスがうちらのこと恨んどるかどうかなんて本人に聞いてみなわからんやろ?せやから、ちゃんと助けよ!」

「ラウラさん・・・・・はい!」

 家族の声に励まされたアマデウスは地に拳を突き立てると軋む体を起こした。

「・・・ごめん、アーデ。もうこれ以上は止めてられへん!」

 ラウラの持つ刀にひびが入り二人を覆った光の壁にもひびが入る。

「ギイヤアアア!」

 アリスが声を上げると纏う妖気はさらに大きく、押し込む力も強くなる。

「あれは・・・?」

 纏う妖気を大きくしたアリスの首元で妖気と同じ色に強く光る物が見えた。

「きゃあ!」

 刀が砕けるのと同時に光の壁は砕けラウラはその反動で弾き飛ばされた。

「ありがとうございました。ラウラさん、後は僕が。」

「・・・アリスのこと頼んだで。」

 アマデウスは飛んできたラウラを受け止めると自分の後方へとうながす。

スッ。

 アリスに対峙するように立つとアマデウスは母からもらった守り刀を手にする。

「ごめんなさい、母様。僕の力でアリスの事を守ると言ったのに・・・。もう一度だけ僕に力を貸してください。アリスと僕と大切な家族を守らせて下さい。」

 アマデウスは刀に祈りを捧げ構え直した。

「アリス、僕と舞ってくれますか?」

「ギャアッ!」

 アリスの動きが一段と早くなる。

手にした守り刀は童子切よりも短く、アリスの速度に合わせるだけでいっぱいだった。

アリスの爪がアマデウスの体を掠め傷を作っていく。それでもアマデウスは舞い続ける。それを狙う瞬間を待ち続けた。

「ギャウ、ハッ!」

 アリスが一度大きく息を吸った。この瞬間わずかながらアマデウスが待ち続けた隙が生じた。

『今です!』

シュッ。

 しかし、アリスに対し振り下ろされようとした刀はその動きを止めた。

「アリス・・・。」

 アリスは大きく息を乱し、手足を痙攣させていた。そんな姿が目に飛び込んできてはアマデウスは無意識に手を止めざるを得なかった。

この瞬間アマデウスの動きと思考は完全に静止し、

ドシュッ!

「っっあああ!」

 アリスの右腕がアマデウスの左腹部を貫通した。あまりの激痛にアマデウスの意識は飛びかけ、体はアリスに覆いかぶさるように寄りかかった。

がしっ。

 アマデウスは朦朧とする意識の中アリスの背に両腕を回し力いっぱい抱きしめた。

「ウッ、ガアアア!ギャウ・・・、ギャウ!」

 アマデウスの腕の中でアリスは激しく暴れたがアマデウスは絶対に離さなかった。

「アリス、ごめんなさい。こんなに辛い思いをさせてしまって・・・。帰ったらたくさん色んな話をしましょう。アリスに聞いてほしいことがたくさんあるんです。全部全部アリスが僕にきっかけをくれたおかげなのです。だから、僕にお礼をさせてください。一緒に帰りましょう、家族の所に。」

パキイィンン・・・・・。

 アマデウスのお守り刀がアリスの首元に触れると黒紫に光る輪は砕け散りアリスの姿は元に戻った。戦場を暴れまわっていたアンデッドや巨人も崩れ落ち土へと還った。

「おかえりなさい、アリス・・・。」

 アマデウスは力強く、しかし優しくアリスを抱きしめた。

「アーデ!」

 アマデウスの後ろに控えていたラウラが駆け寄るとアマデウスはアリスをラウラに預けふらつきながら立ち上がった。

「アーデ、あんた腹に風穴開いてんねんで!そんなんで動いたら・・・。」

 それでもアマデウスは庇うラウラの手を下ろし高台へと向かった。

 戦闘を終えたアルヴァ達もラウラとアリスの元へ駆けつける。

「アリス!・・・・・良かった無事みたいね。」

 駆け寄ったヘレーナはアリスの心拍を確かめその無事を確かめた。アルヴァやクルト、エルランドもヘレーナのことばに胸を撫で下ろした。

「アルヴァ姉!アリスは無事なんやけどアーデが!あの子腹に穴開けてんのにニルスんとこに・・・。」

「ラウラ、アーデなら大丈夫よ。あんたの家族でしょ、信じてやりなさい。」

 

 アマデウスは守り刀を鞘に納め高台を上ると童子切を拾いニルスの前に立った。

「残っているのはあなただけです。大人しく投降して罪を償ってもらえませんか?」

「何が罪だあ。これは俺が手に入れた俺だけの力だぜえ!力のねえ奴が力を欲することの何が罪だあ!てめえらみてえに初めから力を持った連中にはわかりゃしねえんだ、力ある奴の側で常に比べられ苛まれ続けるこの心の痛みはよお!」

 ニルスの心の涙が零れ落ちた。

 国王ドグラスから聞いた。『ニルスもあれで可哀想なやつなんだ・・・。』昔、ニルスとウルスラは軍の兵士としてともに戦っていた。ウルスラは周囲を圧倒する力を持ちながら誰に対しても態度を変えることのない気の優しい女性だった。凡庸な一兵士ニルスは分不相応にもその美しく気高い姿に憧れ恋い焦がれた。そしてウルスラもまた素質に恵まれないながらも決して投げ出すことなく地道な訓練を続けるニルスの真面目さ、ひたむきさに惹かれた。

 周囲の者からも好かれ信頼も厚い二人の結婚は大きな祝福を受けた。しかし、結婚した後ニルスに対する周囲の見る目は変わっていく。

『あれが、ウルスラの旦那か?ドラゴンとイモリじゃないか。』

『せっかくの恵まれた血縁にあいつの血が混ざるのか、残念でならんな。』

『せめてもう少し力を持っていれば良かったのだが・・・。』

 どんどんと昇進を重ねるウルスラに対し、ニルスはどれだけ努力を続けても成果は上がらずに一兵士のままだった。

ニルスの名は一兵士のまま大きくなることはなく『ウルスラの夫』という肩書だけが大きくなった。ニルスはその真面目さと責任感の強さから強い焦りを感じていた。睡眠時間を削り訓練の時間を倍にした。それでもウルスラの背中は遠ざかるばかりだった。

そしてアマデウスが生まれる半年前、過度の訓練と重圧に心身ともに疲弊し切ったニルスは任務中に足を滑らせ崖下へと転落した。その日現場はひどい嵐に見舞われ他の兵士はあっさりとニルスを見捨てたという。

「そうですね。僕はまだ誰かと比べられるという経験がないのであなたの気持ちはわかりません。力のない人が力を求めることが罪だとも思いません。ですが、その力はあなたのものではありません。」

「はあ?」

 アマデウスはドグラスからニルスの受けてきた理不尽を聞き激しく激しく怒りを感じた。だが、それ故にアマデウスは今のニルスを受け入れられなかった。

「今のあなたの力は他人がこれから生きるはずだった命を奪って手に入れたもの、それは誰かの未来で幸せです。それを奪うことは理由が何であっても罪です。」

「あいつと同じセリフ言ってんじゃねえ!あいつもそうだ、四年前俺が妖刀を力を手にして帰ったらウルスラの奴なんて言ったと思うよお?『あなた、その力のために何人殺したの!』だってよお。死んだかと思ってた夫が生きて帰ってきたってのに、俺に向けられた目は猜疑心に溢れ、心に至っては俺が殺した奴らのことでいっぱいになってんだよ。あいつのために手に入れてきた力は穢れたものだと言われ挙句『頭冷やしてくるまで帰ってこないで』だとよお。頭来て殺しちまっても仕方ねえだろうがあ。」

 アマデウスはもはや怒りを感じる気にもなれなかった。ニルスに対しては憐れみしか感じなかった。

「そうですか・・・。あなたにはここで僕と舞ってもらいます。」

「舞?舞えば許しが乞えるってかあ?一体誰が許すってんだあ?この世は力が全て、あいつらが死んだのは俺より力が無かったから、弱かったからだあ!そこにどんな悪があるってんだよ、ああ?」

 アリスの体から解き放たれ場を漂っていた妖気がニルスの妖刀へと集まりニルスの肉体へと吸収されていく。ニルスの体は五倍以上に巨大化、身長は九mを越え手足は丸太のように太くなっっている。手に持たれた妖刀も妖気を吸収しその身を成長、三m近い大刀と化していた。

「ギャハハ!ギャハッ、ギャハハハ、ギ、ギィハハ・・・・・。」

 今のニルスには元人間の面影すらない。許容値をはるかに上回る量と濃度の妖気を吸収し完全に自我を失い、さらなる力を求めるだけの怪物と化していた。

「ギイイヤアアアアアアアアアアアアアアア!」

 全身に漲る力に興奮の雄たけびを上げると怪物はアマデウスに対し一直線に突進してくる。体は巨大化し筋肉の塊のような怪物の突進はまるで大砲の弾のようだが、クルトのような速さはない。アマデウスからしてみればあくびが出るほどに退屈な攻撃だ。

 突進を躱された怪物はすぐに切り返し再度突進するがそんなもの幾ら繰り返したところでアマデウスに当たりはしない。怪物の体が左右前後に行き交う中アマデウスはその中央でひらりひらりと舞を舞う。

「フウ・・・・、フウ・・・。グウ、グウウウウウ・・・。グガアアアッ!」

 突進を躱され続け呼吸を乱した怪物は、怒りを咆哮に表すと大刀を振り回しアマデウスに迫った。アマデウスは舞を続けたまま怪物を迎える。

ブンッ、ブンッ。

 怪物の振るう大刀はことごとく空を切る。そこに居るにも関わらず掠りもしないことに怪物はまた頭に血を上らせた。怒りで視野が狭まり攻撃が大振りになるとアマデウスの舞は変調した。

 それまで相手の攻撃を躱し空いた場所で舞っていたアマデウスは足を前へと送る。怪物の攻撃の間を縫うように体を進め怪物の体を中心にその周囲を舞う。怪物の一振りに対しアマデウスは三つの傷を怪物の体に刻みつけた。体表の厚くなった怪物は自分が刻みつけられていることなど気にも留めずに大刀を振るった。そんな捨て身の攻撃の中でもアマデウスは呼吸するかの如く自然に舞を続ける。

 辺りに充満していた黒紫の靄はいつからか眩い白色へと変わろうとしていた。

「きれい・・・。」

「アーデ、雲の上で舞っとるみたいや・・・。」

「決めろ、アーデ!」

 クルトの声にアマデウスの刀速が上がる。

 怪物の背後を取り大刀を握る右手に狙いを定めた。

ぐらり。

 アマデウスの視界が大きく歪み足がふらつく。

ニィ・・・。

 怪物の口元が厭らしく笑みを作る。

「血が、足りません・・・。」

 倒れまいと刀を地面に刺し、貧血症状をこらえるアマデウスをほくそ笑みながら怪物は大刀を構え直す。アマデウスの視界は四重五重にぼやけ大刀を躱そうにも二本の足で立つことさえままならない。

「アーデ!」

 見守る仲間たちから声が上がる中、大刀が振り下ろされた。

ギイイインン・・・。

 振り下ろされた大刀はアマデウスの腰に当たることなく制止した。そこにはアマデウスが母ウルスラからもらった守り刀があった。先ほどのラウラの刀のように白い暖かな光の壁を作り出している。

カッ!

 守り刀から強い真っ白な閃光が発されると怪物は光に弾き飛ばされた。

「貴様は・・・。そうか、ここはわしの出る幕ではないということか。」

「そうよ、久しぶりの再会で悪いけであなたはしばらく眠っててね。」

 閉じられた瞼の向こうに強い光が感じられる。地面に寝ているのか、地面の温かさを背中に感じる。他に何も音が聞こえない中、かすかな話し声が聞こえてくる。

(誰かが近くで話しているのでしょうか?一人は最近聞いた声、もう一人はとても懐かしくとても聞きたかった大好きな声・・・。)

 アマデウスが目を開けると辺り一面真っ白な光の世界に居た。

「母様・・・。」

「久しぶりね、アーデ。」

 そこに立っていたのはアマデウスの母ウルスラだった。

「母様・・・、母様!」

 ウルスラの姿を目にしたアマデウスは駆け寄りその胸に飛び込むように抱き付いた。ウルスラは黙ってアマデウスのことを抱きしめた。

「母様、どうして!」

「ごめんなさい。これまで大変な目に合わせて・・・。この刀に私の力の一部を込めていたのよ。刀は人の思いを力に変えてくれるのよ。」

 ふふっ、といたずらな笑みを浮かべたウルスラだったが次の瞬間には後悔に顔をしかめた。

「あなたにはアリスのこともあの人のことも任せてしまって本当にごめんなさい。でも私にはあの人を殺すことは出来なかった。・・・どれだけ変わってしまっても、あの人のことを愛していたから。だけどあの人は多くの人を殺めたわ。今のあの人は決して許されてはならないわ。だからお願い、あの人を止めてあげて。それが出来るのはあの人の敵で私の息子のあなただけだから。」

 アマデウスの手を握るウルスラの両手はひどく震えていた。

「・・・わかっています。あの人は僕の父様です。僕はあの人のことも母様のこともちゃんと乗り越えてアリスとミスティルの皆と先へ進みます。」

 アマデウスが強く握り返すとウルスラの手の震えが止まった。

「ありがとう・・・ありがとう、アーデ。」

 ウルスラは零れ落ちそうになった涙を拭い笑った。

「そうだわ、これは母として守り刀としてあなたへのサポートよ。」

 ウルスラはアマデウスの腹に開いた穴を手で覆うとゆっくりと念を込めた。手を外すとアマデウスの腹に開いていた穴は見事に塞がっていた。

「あくまで応急処置よ。とりあえず塞いだだけだから終わったらちゃんと見てもらうのよ。」

「はい。」

「それじゃ、行ってらっしゃい。」

 光の世界は消え元の高台にアマデウスは立っていた。腹を触るとそこに穴はなく守り刀は沈黙したまま左腰に据えられていた。

「グウオオオオオオオオオオオオ!」

 弾き飛ばされた怪物は立ち上がると、大刀を振り上げアマデウス目がけ走り出す。

 アマデウスは静かに童子切を構えると細く長く、息を吐いた。

「もう、終わりにして先に進みましょう。」

ガキイイインン・・・・・。

 アマデウスは突撃しながら怪物の振り下ろした大刀に合わせ童子切を振るった。

シュンッ・・・・・・・・・サク。

怪物の手にある妖刀は真っ二つに折れ、先端は宙を舞い地面に刺さった。妖刀はその場でバラバラに砕け、塵になって空へと吹き上げられていった。

妖刀が砕け散ると怪物の体に吸収されていた妖気も吐き出されニルスの体は元に戻った。

その様子を見届けたアマデウスは息絶えるようにその場に倒れた。

 

 

終章   次なる一歩

「ニルス・レンクヴィストは連続殺人と王国襲撃の主犯として最厳重管理の地下監獄施設に送られました。アリス・レンクヴィストは改めて今回の件とは無関係であり、妖狐の存在自体が危険であるという話も真っ赤な嘘だと証明されました。今回王国の転覆を目論んだ輩の討伐に尽力いただきました『ミスティル』の方々には特別報酬をご用意させていただきます。尚この度国王様が片腕を失われたことを機に王座を返上されます。つきましては我が夫エルランド・メランデルが次期国王に着任することになりました。したがっては私エイラ・メランデルが女王、自衛団団長はアラン・オークランスが務めさせていただきます。」

 エイラは口を閉じると読み上げた書状を丁寧に折りたたんだ。

「と、事後報告に来てみれば・・・、一体何なのですか!この騒ぎは!」

 メルマリア王国の有名茶屋『戸陰』その店内は騒然としていた。

妖狐の姿のアリスが街の子供たちと店内を壁だろうが天井だろうが所狭しと駆け回り、ある机ではラウラ主催女だらけの大食い大会、ある机ではクルトによる腕相撲選手権、ある机ではヘレーナ様による従僕の慰労会が行われアルヴァは隅の席で酒樽を傾けながら大笑いして観覧していた。

「あ、エイラさん。お疲れ様です。今日はお仕事ですか?」

 『戸陰』の入り口でエイラが怒りを全面に出して立っていると、ウエイトレスの恰好をした可愛らしい女の子、に見えるアマデウスが声をかけてきた。

「ああ、アーデさん。お身体はもう大丈夫なのですか?というか何ですかその恰好は?」

「ええ、体はおかげさまでもう平気です。この格好は・・・。実は僕今日からこちらでお手伝いすることになりまして。僕の制服はこれ、ということだそうです。なんだか足がすーすーして落ち着かないのですが・・・。」

 アマデウスは笑っているがその制服はどこからどう見ても女性用だった。だが、エイラはあえて口にすることをしなかった。

「なるほど、自分たちの家族の初めての接客業が心配で見に来た、ということですか。」

「そうなのですよ。心配していただけるのはとても嬉しいのですが・・・ハハハ。」

 アマデウスはポリポリと人差し指で掻きながら困り顔で笑っていた。

 

 ニルスとの闘いの後妖刀のことや妖狐、アリスのことについて国王ドグラスから王国全土に向けて発表が行われた。このことによりアリスは国民からも受け入れられ改めてこの『メルマリア王国』が『ミスティル』がアマデウスとアリスにとっての居場所となった。アマデウスはニルスが投獄された後一度、面会に行った。妖刀を失ったニルスは大人しくなり『すまない』を連呼するばかりだった。

 アリスはあの後一週間眠っていたが目が覚めるとアマデウスに抱き付きしばらく泣きじゃくっていた。妖狐化していた間の事はうっすらと記憶にあるらしく兄の腹に自分が開けた穴について謝っていた。その後アリスがミスティルやアマデウスに恨みを持っていないことも分かり、ミスティルの絆はより固いものになっていた。

 

「ですが、妖狐の力に神の力、雪女のハーフエルフに狼男(ウェアウルフ)、他国の者の興味を引くには十分すぎる力が集まっているのも事実です。やはり住居だけでも国内に移しませんか?」

 今回、自衛団が大きな失態を犯したことで生まれた後ろめたい気持ちとエルランドさんたちが友人としてアマデウスたちを心配する気持ちもあって、色々と『ミスティル』のメンバーの安全を守る提案をしてくれた。だがアルヴァはそれを、

「そんなものいらないわよ。私たちにそんな余計な気を使うぐらいなら国民のために使いなさい。」

 と、一蹴した。そしてアマデウスもこの考えに強く同意していた。

「エイラさん、大丈夫ですよ。僕たちは『ミスティル』逆境を耐え忍び困難に打ち勝つ。ただそれだけですから。僕たち家族はいつも一緒です。」

END

 




mistel(ミスティル)本編を御拝読いただきありがとうございます。
いかがだったでしょうか?
今回が初めての執筆、投稿となるのですが、実はこの作品はあるライトノベル新人賞に応募するためだけに執筆しました。
ですが試しに友達に読んでもらったところ、本人は「小並感で申し訳ない。」などと言ってはいましたが「面白かった。」と言ってくれました。
人間、良いことがあると欲が出てしまうもので、私はもっと多くの方にこの作品を読んでもらいたいと感じてしまい、こうして投稿へと至りました。
今、また次の賞に向け新たな作品を書く今も、次はどう喜んでもらえるだろうか?、どうすれば友達の想像を上回る素敵な作品となるだろうか?とキーを叩きつつ気味の悪い笑みが止まりません。
などと、ぐだぐだと余計なことを語ってしまいましたが、こんな未熟な作品を読破していただいた上に、あとがきにまで目を通してくださってる方がもし居られましたら、ただ一言「読みました。」それだけでも構わないのでコメントいただけますと幸いです。
ではまた、次回作は3月末ごろに投稿する予定なのでその際は是非にお立ちよりください。


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