知らず、覚れど、覚れず (零ミア.exe)
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知らず、覚れど、覚れず
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注意:『彼』の声が出ない云々は個人解釈で。
彼との出会いは突然だった。
私はある日突然、部屋に開いていた次元の狭間によって外の世界に放り出された。八雲紫の管理が甘かったのか、偶然出来上がったものなのかはわからない。
こいし達は、突然姿を消した私に驚いていることだろう。そのくらいに突然の事だった。
そうして外の世界にはじき出された私は、『外の世界はこうなっているのか』とか、そんな暢気なことを考えていた。久しぶりに浴びる日光が、心地が良いものだったからだろう。
だが、日が暮れると途端に状況が変わってしまった。
──寝床がない。
当然、幻想郷にいた私には、外の世界に住む場所など無い。八雲紫のように、外の世界と繋がりがあるわけでもない。
気付けば、私は人気のない裏路地に一人で潜み、糸の切れた人形のように地面に崩れ落ちていた。
八雲紫が気付くまで時間がかかるだろうから、気付くまでの間の辛抱だと。
しかし、一向に迎えに来る気配がなかった。もう三回ほど日が沈んでいくのを見ただろうか。
そうして精神的に参っていたその時、彼が現れたのだ。
『きみ、だいじょうぶ?おかあさんとかは?』
そう書かれている紙を渡された時は、私も非常に驚いた。何故ここに彼が──人が通ったのかと。
話しかけてきた理由は、差し出された紙を見て察せる。私の容姿が幼いから、迷子か何かと勘違いしたのだろう。
一つの希望を胸に私が首を横に振ると、彼がメモ用紙に走り書きで文字を書き込む。そして、その紙を引き千切り、私に渡した。
『なら、うちにくるかい?』
私は思わず彼の顔を二度見した。
彼の顔には切りつけられた時に付くような傷跡がいくつか残っており、過去に何かがあったことを物語っている。
一番目に付く場所は、喉元だった。彼の喉には、『一』の字のような深い傷跡があった。
筆談なのは、恐らくこの傷が関係しているのだろうが、この場では関係ない。
彼のことを疑い、私は彼の心の中を読んでみた。しかし不思議なことに、彼の心には色欲や邪念など一つとしてなかった。
ただ純粋に、困っていた私を助けたかったらしい。
外の世界にも、物好きな人もいたものだ。でも、彼なら妥当なのかもしれない。
──彼は会話が出来ないから。
困ってる人を見ると、声を出すことが出来ない自分を投影してしまうのだろう。
彼はそういう性格なのだと思う。私の思い込みに過ぎないが。
「いいん、ですか…?」
『きみがいいならだけどね』
「えっと、じゃあ…お願いします……?」
『はい。おねがいされました。』
彼は私に紙を渡し、無言で私へ微笑みかけた。思えば、私はこの時、彼の微笑みに一目惚れしたのかも知れない。よくある、漫画のヒロインのように。
──彼は私を、『何も言わずに』拾ってくれた。
◇◆◇◆◇◆◇
彼の家に着くと、彼は私をリビングに案内してくれた。リビングにはテーブルと椅子のみが置かれている。他の家具のようなものは何一つとして見当たらない。
『それがなんだ』と思うかも知れない。だが、それ以上の言葉で言い表そうにも、この部屋には物が少なすぎた。椅子に関しては一つのみという有様。
そして、私はその唯一の椅子に座っている。
「えっと、辛くないんですか……?」
『だいじょうぶ。しんぱいしなくてもいいよ。いまきゃくようのベッドをととのえてくるから、まってて。』
「えっと、私漢字読めるので、普通に書いても良いですよ」
彼の表情が驚きに変わる。本当に子供扱いだった。これでも、彼より長く生きているのだが。
『分かった。じゃあ、少し待ってて。』
「はい。わかりました」
彼が戻った時は、私の事を話すとしよう。
──妖怪であることも含めて、だが。
◇◆◇◆◇◆◇
『君が妖怪だということはわかったよ』
「信じるんですか?」
純粋に驚いた。妖怪の存在は、外の世界では忘れ去られた過去のもの。存在すると信じるものはいないはずだった。
だというのに、目の前の彼は心から信じ込んでいる。純粋というかなんというか。
『そんな話を聞いて信じない方がおかしくないか?それよりも、聞きたいことある?僕は誰かとかさ』
「じゃあ、えっと……なんで声を出さないんですか?」
『聞きたい?』
「私の事も話したので、貴方が良いのなら聞きたいです」
彼は若干渋るような顔を見せたが、すぐに先ほどの和やかな表情に戻った。
疑問に思って心を読んでみたのだが、私の事を聞いた所為か、『自分の事も話さないと失礼だろう』という思いが強かった。
『実は昔、ある事件に巻き込まれたんだ』
「事件……?」
『僕はその事件で、喉をナイフで切り裂かれたんだ。この顔の薄い傷跡も、その時のものなんだよ』
「喉を切り裂かれたんですか!?」
『そうそう。幸い、傷が浅くて命は助かったけど、声帯はボロボロだったんだ』
「声帯……とは?」
『声を出すために必要な部分かな』
「そこが、無くなったと……?」
『無くなった訳じゃないよ。今は少しずつ治ってきているから、大丈夫』
「そうなんですか……」
彼は回復には向かってると言っているが、私にはそう思えない。もし回復に向かっているのならば、こんなことは思っていないはずだ。
──これで、少しは安心してくれるだろうか……などと。
◇◆◇◆◇◆◇
私が彼に拾われてから、約二十四日。
私は徐々にここでの生活に慣れ始め、こちらの世界の
今日も何事もなく一日が過ぎ、私と彼が各自の部屋に戻った頃。
私は喉が渇き、夜中に目が覚めてしまった。
私はその欲求を満たそうと台所に行こうとしたのだが、台所に行くには彼の部屋の前を横切る必要があった。
そのために、彼の部屋から廊下へと光が差し込んでいることにすぐ気が付いた。
彼がこんな夜遅くに何をしているのかが気になり、そっと部屋を覗き込んだ。
「……ッ!…………ァッ!ゲホッ……」
そこには、口から血を吐いている彼の姿があった。彼が声を出そうとすると、その度に血を吐きだしていた。
私は彼に近づく前に、彼の心を読んでみることにした。すると、その行動の理由がわかった。
──『私と声で会話したいから』だった。
その心の声を聞いた私は、そっと見守ることしか出来なかった。
きっと、その行いを私が邪魔してはいけない。彼は、私の為に必至だった。
そして彼は、私が近いうちに幻想郷へ帰ってしまうと知っていた。
私にはバレていないと思っているのだろうが、彼は私の知らないところで八雲紫と出会っていたらしいのだ。
そこで、彼が時間を欲していたのも、私は知っている。
だからこそ、私は見守ることしか出来なかったのだ。
◇◆◇◆◇◆◇
あれから七日後。
私達は今、とある神社の境内にいる。周囲に人の気配はない。
『今日でお別れだね』
目の前の彼から渡された一枚のメモ用紙には、書き慣れているであろう整った楷書の文字があった。
それを受け取る私の隣には、妖怪の賢者、私を迎えに来た八雲紫が立っていた。何故か分からないが、八雲紫の心が読めないのは、この際置いておこう。
彼は今、八雲紫と筆談をしている。八雲紫の美貌を見ても、彼の心は動かされていなかった。それがまた、彼らしいと言えば彼らしいのだろう。
結局、彼は声を出すことが出来ていなかった。何度も出そうとはしていたのだが、出るのは血の塊だけ。
彼は私の能力のことを知らない。妖怪だということは知っているが、私が何の妖怪なのかまでは知らずにいる。理由は単純で、私がそのことを口にしていないから。
──私は最低な妖怪なのだろうか。
陰で努力している彼のことを蹴落とすかのような能力を、私は隠し持っている。
このまま彼に隠していても良いのだろうか。隠したまま彼と別れたほうが、彼には良いのだろう。
──でも、私には出来ない。
ここまで私の為にと、体に負担を掛けてまで尽くしてくれた彼に、本当のことを隠したままなんて、きっと帰った後に後悔し続けるに決まっている。
それに、彼には私の本当の事を知っておいてほしい。
「では、これで失礼しますわ」
どうやら、八雲紫との話が終わったらしい。
だとすると、これがラストチャンス。
──勇気を出せ、私。嫌われても良いんだ。本当のことを、彼に伝えることが出来れば。
「あ、あのっ……」
私の呼びかけに首を傾げる彼。
この仕草も、今日で見納めとなるとすると、少し寂しい。
──だが、一つだけ方法がある。この仕草を、見納めにしない方法が、一つだけ。
でも、それには私が──。
「私の話、聞いてもらってもいいですか……?」
彼はコクン、と縦に頷いた。
何かを察し、気を利かせた八雲紫がスキマに入っていった。恐らく、時間は十分にあるのだろう。
「貴方は、私が妖怪だということは知ってますよね?」
『勿論。君が話してくれたからね』
「では、私がなんの妖怪なのか、知ってますか?」
彼は首を傾げつつ、メモ用紙に文字を書き込んでいった。
『わからない、かな。紫さんみたいに、容姿だけで判断するのは難しいみたいだし』
「です……よね」
──勇気を出せ、私。今日で彼とお別れでしょう!
「実は、私は──」
──心を読む妖怪、覚妖怪なんです。
その言葉を聞いた彼の表情は、見えない。否、見たくない。それでも、驚いていることだけは非常によくわかる。
「幻滅、しましたか? 私は、今までずっと、貴方の心が読めるということを、隠していたんですから……」
──可笑しい。彼の心から怒りだとか、嫌悪感だとか、そういった負の感情を読み取ることが出来ない。
心の中で動揺している私をよそに、彼はいつも通りに紙に文字を書き込み始める。そしてそれを切り取り、こちらに見せた。
『大丈夫。そんなことで君を嫌いになったりなんて、絶対しない』
「…………!」
彼は不意にこちらに近づいたかと思うと、私を優しく抱き包んだ。
呆気に取られている私に、彼は『声をかけた』。
「だから……僕の前で、泣かないで」
私はこの声に反応し、顔を上げた。泣いていたのは、恐らく無意識のうちだったのだろう。
だが、それよりも驚くことがあった。
「……あ、貴方……声が──」
「このくらいの声を出すことでさえ、今の僕には凄く……死ぬほど辛いんだ。それでも、『今だけは声で送り出す』って、決めてたんだ。二度と声が出せなくなろうと、ね」
彼の声は細く、今にも消え入りそうな声。それでも、私の心には強く残る声だった。
「ど、どうして……」
「君に、安心して、元の場所に戻って欲しかったから、かな」
今、彼の心を読んで、私は全て察した。
彼は、妻と子供、つまり家族を失っていたのだ。
彼が言っていた事件の犯人は、彼だけでなく彼の家族全員に手を下していたのだろう。
彼が医療施設に運ばれて一命を取り留めたというのは、一番最後に手を下されたのが彼だったから。
そして、彼が退院したその日の帰り道、路地裏に崩れ落ちていた私と出会った。きっと初めは、失った子供の姿を私に投影していたのだろう。
だから、見捨てることが出来なかった。
だから、何も言わずに私の事を拾ってくれた。
でも、私と暮らし始めると共に彼は、失った妻の姿を私に投影していた。
きっと、雰囲気が私に似ていたのだろう。容姿が似ているというには、私は幼すぎる。
「そういう、ことだったんですね」
「……ああ、だから……泣かないで、くれないか……?」
そういうことなら、仕方がない。いや、仕方がないというと、語弊があるだろうか。
「……わかりました」
──諦めざるを得ませんね。
この気持ちは、そっと私の心の中に仕舞っておくことにしよう。きっと、これが『正解』なのだから。
彼が私の涙を拭きとると、そっと私を離した。そろそろ、彼とはお別れしなければならない。
「今まで、ありがとうございました」
「いいんだ。僕が、好きでやっただけ、だし」
私は彼に微笑みかけた。それが、彼への恩返しになると信じて。
彼も、私を拾ったあの時に見せた、あの微笑みを返してくれた。
「では、お元気で」
「さとりも、な」
「はい」
その言葉を最後に、私は彼に背を向け、スキマへと歩いていった。私がスキマに入ると、徐々にスキマが閉じていく。
そうしてスキマが完全に閉じる前に読んだ、彼の心の中は────。
◇◆◇◆◇◆◇
「僕は……幸せ者……だな」
スキマが完全に閉じ切ると、僕は膝から崩れ落ち、境内に横たわった。
彼女はこのことまで読んでいたのだろうか。
まあ、どちらでもいいか。僕にはもう、知る手段などないのだから。
「……さとりの前で、声が出せる、ようになって、よか……った」
僕は元々受けていた余命宣告よりも、長く生きることが出来た。
それも、彼女の──さとりのおかげ、なのだろうか。だとしたら、彼女には感謝しないといけない。
僕の意識は、目を閉じると共に途切れた。
──我ながら、短かったけど、充実してた人生だった……なあ。
「彼は元気でやっているでしょうか……?」
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