私だって甘えたい。【完結】 (イーベル)
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私だって甘えたい。

 仕事の疲れと憂鬱な気分を誤魔化すために、今日も俺は自室で晩酌を行っていた。

 コンビニの袋に缶ビールを入れてやって来た隣人を招き入れ(させられて)気が付いたら、俺の右腕は温かく、柔らかい彼女の肢体に包まれていた。首元には彼女の黒髪が触れてくすぐったい。何だか甘い香りもして、本能で襲い掛かってしまいそうだった。 

「千冬さん。その、離してくれませんか?」

「……嫌だ」

 アルコールによって赤らめた顔を二度横に振ってそう答えた。どうやら言う事を聞く気はないらしい。

 理性で何とか踏みとどまっているが、あと少し押せば割れてしまう薄氷のような物。いつまで持つか分からない。いや、何としても持たせなくてはならない。空いている左手で炬燵(こたつ)の中の太ももをつねった。

 この女尊男卑社会が成立した現代で織斑千冬、ブリュンヒルデに手を出したと知れ渡れば今の仕事『IS整備士』として働いて行くのは厳しくなるだろう。それどころか再就職できる未来が見えない。二十代にして無職になるのは避けたかった。

「ほら、右手が使えないと箸が使えませんよ」

「ビールなら左手でも飲める。つまみは楊枝(ようじ)があるから箸はいらないだろう」

 適当にでっち上げた理由で説得を試みたが間髪入れずにそう答えた。

 天板の上にある缶ビールと、枝豆、から揚げなどといった食べ物は基本的に一口サイズ。箸を使うまでも無いものばかり。知らず知らずのうちに自ら逃げ道を塞いでいるとは思わなかった。

 自分のうかつさに呆れつつ開き直って、から揚げに楊枝(ようじ)を刺して頬張った。カリッとした衣を噛み切ると中からアツアツの肉汁が溢れる。うん、おいしい。適当に作ったにしてはいい出来だ。

 

 さて、現実逃避をやめよう。

 

 このまま抱き着かれ続けるのは精神衛生上良くない。文句言うなって? まあ聞いてくれ。俺だって男だ。世界中の誰もが憧れる美人に抱き着かれて嬉しい気持ちも勿論ある。だがそれと同時にいつクビになってもおかしくないリスクにストレスを感じるのもまた事実だ。今の俺の精神状態を説明するなら『上半身はマッサージ、下半身は鞭打ち』きっとこんな感じ。

 そんな事を考えていると俺の右腕を締め付ける力が強くなった。まるで万力に締め付けられているみたいな強烈な痛みが走った。

「今ろくでもない事を考えていただろう?」

「痛いです! 痛いですって千冬さん!」

「余計な事を考えるからだ」

「すみませんでした」

 激しい痛みに耐えかねて机に顔を伏せると同時に締め付ける力が弱まった。

 これからは気を付けよう。次やられたら俺の腕が割りばしみたいにへし折られてしまいそうだ。

 肩を軽く揺すられて顔を上げる。そこには申し訳なさそうに頬をかく千冬さんがいた。

「済まない。やり過ぎたな」

「本当ですよ。俺の右腕を間違っても壊さないで下さいよ。大切な商売道具なんですから」

「ああ、分かってる」

 千冬さんは少しばかり弱気になっているように見えた。普段は誰に対しても強気の彼女にしては珍しい。孤高で完璧で美しい彼女の弱い面を垣間見て不覚にもドキっとしてしまった。

 ここでもう少し彼女をいじめたらいったいどのような反応をしてくれるのだろう? 更に可愛らしい一面を見せてくれるのだろうか? 俺はその疑問を解消するために行動を起こした。

「千冬さんも謝れるんですね」

「ほう……喧嘩を売っているのか?」

「いいえ事実ですよ。生徒を注意する時に出席簿で叩いてますけど、その後一回も謝っている所を見た事が無いです」

「そ、それはだな……」

「入学当初は憧れの目線で見ていた生徒も今はどう思っているんでしょうね?」

 千冬さんは顔を伏せて肩を震わせている。心なしか抱き着かれる力が弱まっている気がした。

 このまま行けばひょっとすると俺から離れてくれるかもしれない。勢いをそのままに口を動かす。

「『暴力教師織斑千冬』なんて思われているかも」

 嘘ではない。俺から見ればそういう風に見えるときもあるだけの事。大半の生徒は『ご褒美』と思っているふしがある。それでいいのかIS学園……。

「本当か? 本当にそんな風に思われていたら私は……」

 両手で俺の右手を握って、俺を見上げるようにして千冬さんはそう問いかけてきた。その目にはうっすらと涙が滲んでいて妙に色っぽい。破壊力抜群だ。自分を逆に追い詰めてしまった気がする。息子が炬燵の中でウォーミング・アップを始めていた。

 これ以上はマズイ。抑えがきかなくなりそうだ。自分の精神を安定させるために先程の言葉を訂正する。

「冗談ですよ。安心して下さい。千冬さんは優しい人だって、俺は知ってますから」

 今度はさっきと違って慎重に言葉を選んでしっかりと目を合わせてそう言った。

「私だって傷つく。あまりそういう冗談は言わないでくれ」

 千冬さんは右手の親指で目に溜まっていた涙を(ぬぐ)った。

「すいません。(へこ)んでる千冬さんが可愛いかったのでつい……」

 話している途中で右腕が抱き込まれた。再び女性特有の柔らかさと香りが俺を襲った。

「……馬鹿者」

 呆れたように俺を半目で睨み付ける。

「すいません」

「謝罪の言葉はいらん。行動で示せ」

「行動ですか? 具体的に言うとどのような」

「そ、そうだな……笑わないか?」

「笑いませんよ」

 そうは言ったが、正しくはどんな厳しい要求をされるのか恐くて笑えない。

「…………」 

 俺の返事の後に千冬さんは何やら言葉を発したのだが、聞き取ることは出来なかった。

「えっと、すいません聞こえなかったのでもう一度お願いできますか?」

「何度も言わせるな! あの、その……頭を撫でて欲しい」

 最初の大声から段々と小さくなっていき最後の方は虫の囁きの様だったが今度は聞き取ることが出来た。

 なんか思った以上にあっさりとした要求で拍子抜けだった。もっとこう、『コンビニまで酒を買って来い』とかそういった方面を想定していたので、俺はすぐに動けずにいた。

「は、早くしてくれ」

 何度か右腕の袖を引っ張られて催促される。俺の腕はいつの間にか解放されていたようだ。腕は正座をしていた足の様に痺れていた。

 その痺れに抗って千冬さんの頭に移動させる。サラサラとした黒髪に触れた。それを乱さないように優しく撫る。

「んっ……」

 千冬さんは目をつむってされるがままに頭を撫でられている。言葉にしたら失礼なんだろうけど飼い犬を撫でているかのような、そんな気分になった。

 

 ▼ ▼ ▼

 

「寝ちゃったか」

 撫で続けていると千冬さんは俺の腕に抱き着いたまま寝息を立てていた。俺以上に担任、寮の監督としてがむしゃらに働いている彼女の疲れがピークに達したのだろう。寝ているその姿は無防備でいつもの凛々しい彼女からはかけ離れていた。

 緩くなった腕の拘束を外して、横に寝かせた。座布団を半分に折って枕代わりに彼女の頭の下に敷く。

 炬燵から抜け出して空になった食器を手に取り重ねる。キッチンにそれらを運び、水につけてから戻った。

 未だ肉親以外に見たことが無いであろうその寝顔。それを躊躇(ためら)い無く見せてくれている。俺に対してそれだけ心を開いてくれているのは嬉しい。

 その反面、クビがどうとかは置いておいて、一介の整備士である俺といて彼女は幸せなのだろうか? もっとふさわしいパートナーがいるのではないないか? と、そんな事ばかり考えてしまう。

 いつかその答えが分かる時が来るのだろう。

 彼女を幸せにするのは俺ではないのかもしれない。

 例えそうだとしても今はただ、もう少しだけ……彼女の寝顔を眺めていたかった。

 




何とか連休中に書き終えた事に安堵。
続く……?


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私だって嫉妬する。

 短編日間最高二位達成!
 感想をくれた方、評価してくださった方、お気に入り登録をしてくださった皆様ありがとうございます。テンションが上がったので続編です。

 続きを書くにあたり、名無しのままではかわいそうだったので主人公の名前を倉見(くらみ) (じゅん)としました。
 
 では本編をどうぞ~


 俺は今、生徒たちが今日一日使い潰した訓練機のメンテナンスを行っている。これが中々面倒で辛い作業だ。だが手を抜く訳には行かない。ISは人を乗せて動くものであり、ちょっとしたことで事故に繋がるかもしれないからだ。

 生徒達はまだ若い。理不尽な事故で彼女たちの未来を奪いたくはない。そんな想いを秘めて作業を続けた。

 アリーナ閉館時間を過ぎてから開始した作業はほぼ終わりかけている。後は動作確認だけなのだが、俺は男だ。当然のことながらISに乗ることは出来ない。普段は残っている生徒に手伝ってもらうんだが、運が悪い事に今日は整備室に人っ子一人いない。

 気は進まないが教師陣に頼みに行くとしよう。仕事に文句言うなって? いやだってさ、口を開くごとに「こんな事も出来ないの?」って言われるの辛いじゃん? あんなのパワハラだよ。

 その点生徒へのお願いは大変気が楽だ。だって数百円のお菓子で釣れるからな。知らない人から貰った物は食べちゃいけませんって教わらなかったのだろうか。

 いや待て、就任してから一年経つのに認知されてないのかよ。うわっ…俺の知名度低すぎ…?

 そんな事を考えながら工具箱に使った物を片付け終えると、タオルで手にこびりついたオイルを拭って職員室へと歩き出した。

 

 ▼ ▼ ▼

 

「失礼します」

 職員室の扉を何度か叩いてから入室する。もう遅い時間だからか残っている教員は余りおらず、片手で数えられるほどだった。首を左右に動かして暇そうで尚且(なおか)つ俺をディスらない、そんな人間を探す。すると山田先生がデスクから立ち上がるところが見えた。早速声を掛ける。

「山田先生」

「あれ? 倉見(くらみ)さん。どうもお疲れ様です」

 山田先生は軽く会釈してそう返した。彼女は何というか、男の俺に対しても変に上に出ようとしない。話していて心地いい人だ。マイナスイオンとか湧き出てそう。

 彼女にもプライベートがあるだろうから早く済ませよう。

「この後時間ありますか? 少し手伝って貰いたい事がありまして」

「ええ、大丈夫ですよ。何を手伝えばいいですか?」

「ISの動作確認をお願いしたくて……」

「分かりました! 任してください!」

 そう言って有り余る胸部装甲を強調しつつ了承してくれた。即座に俺は目を背ける。

 見ちゃ駄目だ! 見ちゃ駄目だ! 見ちゃ駄目だ! 見たら最後、他の教師陣によって豚箱に放り込まれるぞ! 精神を理性の鎖で繋ぎ止め、体を反転させた。

「どうかしましたか?」

「……何でもないですよ。行きましょうか」

「はいっ」

 山田先生は廊下に出ると自然に隣の位置にポジショニングしてきた。手が触れそうで触れない距離感に驚きつつも足を動かす。

「そう言えば倉見さんはどうしてIS学園に来たんですか?」

「どうして、とは?」

 俺は質問の意味を探るためにそう返した。IS学園に男はお呼びじゃねぇんだよ! 的な意味合いが込められているのだろか? 女性は怖いからな……思いもよらぬ所に地雷を仕掛けてくる。踏みしめたら最後、下手したら刑務所行き。そりゃ慎重にもなる。

「いえ、私、以前に倉見さんの事を見かけたことがあって」

「私のような裏方をどこで?」

「これでも私、元代表候補だったんですよ。それで一度、日本代表のピットを見学した事があったんです。その時に」

「……記憶力が良いんですね」

「いえ、唯一の男性スタッフで選手と仲良さげに話していたのが印象的だったんです。他の候補生達といいなーって、言ってました」

 山田先生は懐かしむようにそう話した。取りあえず悪意が無い事は読み取れたので、胸をなでおろす。

 俺は日本代表の専属整備士だった事がある。その縁から未だに選手たちとは交流があったりする。特に某織斑選手とかはよく酒を飲みに来るしな。

「成程、それで」

「はい。日本代表は給料も良いって聞きますし、どうしてこっちに来たのか気になりまして……」

 確かに日本代表専属の方がIS学園(ここ)より給料は良い。だが……。まあ、隠すほどの事じゃないから言うか。

「あれです。クビになったんですよ。俺」

「ええっ!? すいません! 失礼な事を聞いてしまって」

 ものすごい勢いで頭を下げて謝った。慌てふためく感じが面白い。打てば響くとはこのことだな。

「頭を上げて下さい山田先生。別に気にしてませんから」

「で、でも……」

「成績が落ちたらクビになるのが当然です。競争も激しいですし。ここに拾ってもらっただけ運が良かったですよ」

「そ、そうですか」

 山田先生は「ああっ! やってしまった!」と言わんばかりに自分の顔を両手で隠した。責任感が強いぶん失態をいつまでも引きずるタイプなんだろうな。非常に分かりやすい。

 このままだと自己嫌悪に陥って気持ち良く手伝って貰えそうにないので、テコ入れをすることにした。

「山田先生」

「ひゃいっ!? 何でしょうか」

「今度、都合のいい日に食事にでも行きませんか?」

「お食事、ですか?」

「はい。気が早いですが、今日のお礼も兼ねて」

「で、でも……私なんか」

「私なんか、なんて言わないで下さい。俺は山田先生のような素敵な女性と食事がしたいんです。ダメですか?」

 目を合わせながらそう言い放った。

 歯の浮くようなセリフに自己嫌悪する。言っていて気持ちが悪い。

 だがこれも女尊男卑社会を生き延びる(すべ)。好印象のみを与え続け、トラブルを避ける。悪印象が噂で伝染するように、好印象は伝染し、更なる好印象を生むのだ。

 代わりに自己嫌悪の毒が自身を蝕むが、仕方あるまい。

「今日……でも良いですか?」

 一度うつむいてから顔を上げてそう問いかけてきた。少し顔が赤い気がした。

「構いませんよ」

 すぐに返事をした。自然な作り笑いを浮かべるのを忘れない。

 その直後、ゾクッと体中に寒気を感じて辺りを見渡すが誰もいなかった。

「どうかしましたか?」

「いえ、なんでも」

 視線を前へ戻すと整備室の室名札が見えた。ドアに手を近づけてスライドさせる。

「じゃあさっさと片付けて行きましょうか」

「そうですね。頑張りましょう!」

 二人で中に入ってドアが閉まると寒気は自然と収まっていた。きっとこの部屋と廊下との温度差が原因に違いない。そう決めつけた。

 この後、上機嫌な山田先生に手伝って貰った作業はいつになく早く進み、その後二人で食事に出かけた。

 

 ☆

 

 私が仕事を終えて職員室へ戻ろうとすると、目の前に並んで歩く真耶と(じゅん)が目に入った。何を話しているのかは聞こえないが、真耶は楽しそうに笑顔を浮かべて楽しそうだ。

 今日は金曜日で休日の手前。二人と飲みに誘おうと声を掛けようとしたときにその声が聞こえて来た。

「俺は山田先生のような素敵な女性と食事がしたいんです。ダメですか?」

 後頭部を鈍器で殴られたのかと思うほど衝撃的だった。

 私には普段そんな事言ってくれたことは一度だってない。それなのに真耶に向かってはスラスラと言い放った。その事実をどうしても受け入れる事が出来ず、その場に立ち尽くした。

「今日……でも良いですか?」

 話し声が私を現実に戻した。堂々と声を掛ければいいのだが、私は何故か曲がり角に身を隠してしまった。片目で様子を覗き見る。

「構いませんよ」

 そう言いながら、准は爽やかな笑みを浮かべた。

 あいつめ、真耶にばかりいい顔をして! 私が迫っても涼しい顔をしている癖に……!!

 握りこぶしを作りつつ准を睨み付ける。

 その時、ビクッと肩が跳ねた。慌てて顔を引っ込める。もしかして殺気が漏れていたか? 私は慌てて存在感を薄めた。

「どうかしましたか?」

「いえ、なんでも。じゃあさっさと片付けて行きましょうか」

「そうですね。頑張りましょう!」 

 ドアが開閉する音が聞こえて、私は物陰から廊下に出た。もう二人の姿は無い。

 目の前にある整備室へと入って行ったのだろう。この時間だと遅いがまだメンテナンスを行っているのだろうか? だが二人っきりで密室、何をしているのかは分かったものじゃ……

 ああッ! 想像するだけで頭にくる! さっさと帰って酒を飲んで忘れよう。

 私は踵を返して自室を目指した。

 

 ☆

 

 酔いつぶれた山田先生を部屋まで送った後、俺は自室の鍵を開けて部屋へ入り、靴を適当に脱ぎ捨てた。

「ふうっ……」

 ネクタイを緩めてため息をつく。人の事を気にしながらの食事は辛いものがある。常にアンテナを張って何をすべきか模索し、それをさりげなく実行に移す。そう、さりげなくだ。気遣いを表だってしてはいけない。

 山田先生は他の教師陣に比べ相手が楽だった為、そこまで疲労感は無い。

 明日は休日。ありったけ飲んで、寝てしまおう。二日酔いが心配だが構うものか。休みの前ぐらい羽目を外したい。

 冷蔵庫から缶ビールを取り出して天板に置いた。炬燵の電源コードを手に取る。

「あれ? 電源入れっぱなしだったか」

 コードはコンセントに差し込まれていてスイッチも入れられていた。手を入れると炬燵の中は既に温まっている。電気代がもったいないし今度から気を付けよう。

 冷え切った足を中に突っ込んで伸ばす。するとそれを阻むかのように何か弾力のある物にぶつかった。何だ、これ? 確認するために足で何度か押す。炬燵布団のような感触ではない。何というか生き物のような感触。いやそれはおかしい。俺はペットを飼っていないし、そもそもこの寮はペットも禁止だ。

「うおっ!?」

 動いた。俺は驚きのあまり炬燵から飛び出ようとしたが、得体のしれない何かに足首を掴まれて動けない。

 そこから伝うようにして徐々に俺の上半身へ向かってくる。毒蛇に襲われているような恐怖感が俺を襲う。母さんごめん。俺ここで死ぬかもしれない。

 炬燵布団から這い出て来たのは手だ。人間の手。それが俺の胴体を強く押した。 

「がふっ!?」

 不意打ちだったので腹に力を入れることが出来ずに変な声が出てしまった。背中から床に倒れ込む。その直後、両腕を抑えられて、謎の物体の正体と目が合った。

「ち、千冬さん?」

「ようやく帰って来たな。危うく寝るところだったぞ」

 見知った人物であった為、俺は恐怖感から解放された。だが一つ疑問が生じる。

「千冬さん、どこから入って来ました? 鍵かけといたはずなんですけど」

「窓が開いてたからベランダから乗り移った。戸締りはしっかりしろ。こんな風に襲われるかもしれん」

「そんな度胸と身体能力を持っているのはあなたぐらいですよ」

 皮肉を込めてそう言い返した。千冬さんは知らん顔して、話を続ける。

「何処に行っていたんだ? 一緒に飲もうと思っていたのに……」

「山田先生と食事に行ってました。言ってくれれば誘いましたよ。連絡してくれれば良かったのに」

「そしたら三人一緒になってしまうだろう! 私は、その、(じゅん)と二人っきりがいい」

 はっきりとそう答える。千冬さんには羞恥心というものが無いのだろうか? 俺は照れくさくて顔を背けた。

「それと聞きたい事が有る」

「何でしょう?」

 彼女に目をくれる事無く返事をする。

「准はいつもあんな事を言っているのか?」

「あんなこと?」

「『俺は山田先生のような素敵な女性と食事がしたいんです』って言ってただろう」

「っ!?」

 聞かれてたのか。ヤバい死ぬほど恥ずかしい。今すぐに枕に顔を埋めて足をバタバタさせたい。

 だがそんな姿を見られるのも恥ずかしいので、冷静を装って話を続ける。

「それがどうかしましたか? 実際、山田先生は素敵な女性じゃないですか」

「じゃあ准は真耶みたいなタイプが好みなのか!? 胸があれくらい大きいのが好きなのか!?」

 腕を押さえつけていた手が肩へ移動し俺を揺すった。確かに山田先生のおっぱ……胸部装甲は大きい。だが俺の好みはもっとこう……。考えてて恥ずかしくなってきた。

 黙っていても肩を揺するのをやめてくれそうにない。こうなったら、やけくそだ、どうとでもなれ!

「俺は黒髪で、もっとスレンダーで、凛々しい女性が好きだ!」

 手が止まる。ようやく離してくれたか。俺は千冬さんの顔を見上げる。

「なっ、なっ……!」

 千冬さんは言葉を失って顔を赤くしている。俺と目が合った事に気が付くと慌てて顔をそらして立ち上がった。

「今日はもうか、帰る!」

 そう言ってベランダに出ると、隣の部屋に乗り移った。彼女はくのいちとか言われても俺は信じてしまいそうだ。

 外の冷たい風が吹き込んで、俺の熱を冷ました。

 落ち着いて自分の行動を振り返ってみると再び顔が熱くなっていった。

「ああ、くそっ。恥ずかしい」

 独りでにそう漏らして顔を床に伏せた。



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私だって風邪を引く。

短編日間、週間で一位を達成! 
たくさんのお気に入り登録、評価、感想を下さった読者さんありがとうございました。

では、調子乗って第三話です。


「あ! 倉見さん。丁度いいところに」

 山田先生に声を掛けられたのは職員室へ整備室の鍵を返しに来た時だった。

 今日はもう整備が早めに終わり、残る生徒もいなかった為、早く帰ってダラダラと酒でも飲もうかなと思っていたのだが、そうは問屋が(おろ)さないらしい。このパターンは間違いなく厄介ごとを押し付けられるパターンだ。まあ、教師陣に比べれば俺の仕事量は雀の涙ほどなので、文句の付けようが無い。仕方なく俺は仕事の内容を聞くことにした。

「どうかしましたか?」

「実は今日織斑先生が早退しちゃったんですよ」

「早退、ですか?」

 あの千冬さんが早退……? 体調を崩すなんて珍しい、というか初めて聞いた気がする。

「それでも授業をしっかりやりきる所は流石だったんですけど、無理矢理帰したので荷物を持ってくのを忘れちゃったみたいで」

「はぁ」

「そこでですね、倉見さん。荷物、届けてくれませんか?」

「はい?」

 荷物を届ける? 俺が? 部屋を訪ねるんだったら同姓の方が気が楽だろう。

 それに俺は先週の一件以降、気恥ずかしくて顔を見れていないので、まともに話せる気がしない。

「でも女性同士の方が気が楽じゃないですか? 俺が行ったら千冬さん、気疲れするんじゃ……」

 やんわりと断るためにそう口にした。女性を気遣う男性の行動は妨害しずらい筈だ。何故なら普段からさんざんその様に言って来ているからだ。女性相手をすることが多いこの職業では、女性の頼みを受け流すのは慣れた物であった。

 しかし山田先生の対応は俺の予想に反していた。

「そんなこと無いですよ~。むしろそっちの方が……フフッ」

 山田先生はうつむき、前髪から覗かせた肌がほんのりと赤みを帯びていた。いったいどんな想像をしているのやら。

 このままでは埒が明かない。話を進めるために俺は声を掛ける事にした。

「山田先生?」

 俺がそう声を掛けるとハッとしたように首を左右に振った。彼女の緑色の髪が揺れる。それに連動するように体の一部が揺れた。どこが、とは言わないが。

 俺は視線をそこから逸らす。

 山田先生は俺に向かって一歩踏み出した。

「すいません……! と、ともかく私達が行くより倉見さんが行く方が絶対に喜びますって! 早く行ってあげて下さい」

 俺は荷物を持たさせると、背中を押されて職員室から追い出されてしまった。

 山田先生、そこまで仕事を押し付けたかったんですね……。

 諦めて俺は千冬さんのトートバッグを肩に背負って職員室を後にした。沈みかけた太陽が放つオレンジが廊下に差し込んでいて、思わず俺は目を細めた。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 俺は自室に荷物を置いて隣、つまりは千冬さんの部屋のドアの前に立っていた。

 普段から一歩も俺を部屋に入れたことは無かったし、今回は病人なんだから余計な事に気を使わせたく無かったのだが、他に引き受ける者もいない以上は仕方あるまい。

 扉を手の甲で叩く。

「千冬さん? いますか?」

 返事は帰って来ない。もしかしたら寝ているのかもしれない。

 だとするとこのバッグはどうするか……、預かるのもなんか違う気がする。俺は業務の性質上午後からの出勤が多いのでここで渡せていないと、明日千冬さんが困るかもしれない。

 ここでドアノブ付近の隙間を見ると錠受(じょうう)けにデッドボルトが入っていない事に気が付く。

「……鍵がかかっていないのか」

 試しにドアノブを引くと難なく扉は開かれた。あれだけ俺に戸締りをしっかりしろと言っておいて彼女は不用心すぎやしないだろうか。ならさっさと玄関に荷物を置いて帰るとしよう。俺は中に足を踏み入れる事にした。

「お邪魔しまー……すっ!?」

 一歩目で認識を改めることとなった。俺の目に移ったのは脱ぎ散らされた靴と衣服、そこら中に落ちているビールの空き缶。何だよこれ、ちょっとしたバイオハザードだよ。

 まあ、それ自体は大目に見よう。俺だって体調がすぐれなければ後回しにするだろうし。問題はその数だ。一日やそこらで溜まる量ではない。余程長い間体調が悪かったのか、それともただ単に片付けが苦手なのか、だとすれば俺の部屋でよく酒を飲むのは汚い部屋に居たくないからなのか……。憶測が憶測を呼んだ。

 帰ってしまってもいいのだが、千冬さんが復帰できない状態が続けば俺にも事務仕事が回ってくる可能性がある。それだけは避けなくてはならない。余計な仕事はしたくないのだ。

「……掃除、するか」

 俺は一度、ゴミ袋と掃除機を部屋に取りに戻った。

 

 ▼ ▼ ▼

 

「んっ……」 

 千冬さんはうっすらと(まぶた)を開けてベッドの上で伸びをした。俺はそれを見て声を掛ける。

「ようやく起きましたか」

「済まない。一夏、体調が優れない……。水を飲んだらまた寝る」

 千冬さんはベッドから抜け出し、素足で俺のいるキッチンに歩いてくる。白のジャージに(ほど)かれた髪がかかっている。フラフラとした足取りで、髪が左右に揺れた。

 まだ寝ぼけているのか俺を一夏君と勘違いしているようだ。彼はまだ中学三年生だし、ここはIS学園。例外以外で男は入って来れない。訂正するのは面倒だったのでそのままにする。

「千冬さん。水じゃなくてポカリ買って来たんで良かったらどうぞ」

 俺はポカリを掃除をして見つけたマグカップに注いで手渡した。千冬さんはそれを両手で受け取る。

「済まないな。それよりどうした一夏。そんなよそよそしい態度を取って。いつもみたいに……ん?」

 半目で開かれていた瞼を右手で何度か擦る。どうやら違和感に気が付いたらしい。熱でほんのり赤くなってた顔が更に色濃くなっていく。

「なっ、じゅ、准!? お前いつからここにいた!」

 そう言って一歩後ろへ引き下がった。

「そんなに騒がないでくださいよ千冬さん。悪化しますよ」

「そういう問題じゃない! まずどこから入った!」

「玄関からです。鍵空いてたんで。ちゃんと戸締りしないとだめですよ」

「ノックとかチャイムを鳴らすとかいろいろあるだろう!」

「無断で部屋に入る千冬さんには言われたくないですね」

「うっ……」

 正論の刃で千冬さんの言葉を切って捨てた。痛い所を突かれたのか千冬さんは勢いを失って黙り込んでしまった。会話の主導権を握ったので、俺はこの部屋の有様を注意しようと口を動かした。

「それといくら体調が悪いとは言っても、片付けぐらいはした方が良いと思いますよ」

「なっ、何のことだ?」

 うわぁ、俺が片付けたのを良い事に全力で無かった事にしようとしてるな、千冬さん。なら現実を見せつけてやろう。証拠は既に抑えてある。俺はポケットの中からスマホを取り出すと、写真を表示させた。そこに収まっているのはベッドに眠る千冬さんと掃除する前の部屋である。

「これを見てもそんな事を言いますか」 

 俺は目の前にディスプレイを見せつけた。覗き込むように千冬さんは顔を近づけた。その表情は段々引きつって行った。

「ん? ……うわぁ!? け、消せ! 消してくれ准!」

 千冬さんは慌てて近づいて来たので、俺はスマホを持った手を頭上に掲げた。千冬さんはそれに向かって手を伸ばすが、わずかに届かない。

「何でですか? 千冬さんはこんなに可愛い寝顔写真を消せって言うんですか?」

「背景が大問題だ!」

「いやぁ、人間の外面と内面を表した見事な一枚だと思いますがね」

 まさかこんなにいい写真が撮れるとは思わなかった。整備士より写真家を目指した方が良かったのではないかと思うほどだ。

「お、お前はそこまで私の汚い部屋を見たいのか!」

「ようやく認めましたね」

「しまった!?」

「今回は大目に見て消しますが、片付けぐらいちゃんとして下さいね」

 スマホを操作して画像を消去する。背景が問題。つまりは部屋さえ写って無ければいい、という証言を頂いたのでいつかまた寝顔が見れる時が来たら写真に収めるとしよう。

「うぅ……」

 千冬さんは唸りながら、伸ばした手を引っ込めて俺の胸に顔を(うず)めた。よっぽど部屋を見られたくなかったらしい。だけど、千冬さんにもだらしがない一面がある事に、俺は親近感を覚えた。

 これ以上千冬さんをいじめると鉄拳が飛んできそうなので、話題を切り換えることにした。

「部屋の話はこのぐらいにしておいて、千冬さんが思ったより元気で安心しましたよ」

 そう言うと千冬さんは顔を上げて俺の顔を見る。目元に数滴の涙が滲んでいた。

「心配、してくれたのか?」

「まあ、それなりに長い付き合いなのに風邪を引いた所なんて一回も見たことがありませんでしたから」

「たまたまだ。私だって体調の悪い日くらいある」

「そうですね。でも、千冬さんは隠して授業やってそうですけど」

「それはだな、私の代わりがいないから仕方が無く……」

「無茶し過ぎは良くないです。いつか体を壊しますから、ほどほどに周りを頼って下さい。俺もできることなら手伝いますから」

「ああ、そうだな」

 千冬さんが俺から一歩離れた。俺の胸にはほんのりと彼女の温もりが残っていた。

 バッグも部屋まで届けたし、千冬さんが起きたから、俺が出てからも鍵を閉めて貰える。目的は果たしたのでこれで帰る事にしよう。

「じゃあ俺はこれで。鍵をしっかりかけて、温かくして寝て下さいね」

 体を玄関に向けて歩き出す。その途中で袖が何かに引っかかった様に動かなくなった。振り返ると千冬さんが袖を掴んでいた。

「その、なんだ。起きたばかりでしばらく寝れそうにない。もう少しだけ、話をしてくれないか」

 申し訳なさそうに見上げてくる視線。普段は見せることは無いであろうその仕草に、俺の拒絶という選択肢はいつの間にか消えていた。

「分かりました。少しだけ、ですからね」

「済まない、准」

「こういうときは「ありがとう」の方が俺は嬉しいです」

「ああ、ありがとう准」

 始まった談笑は千冬さんが再び寝るまで続いた。その時間は俺にとって心地のいい時間で、たまにはアルコール抜きの会話も悪くはないと思った。

 ベッドですやすやと寝ている千冬さんを見て俺は一つ思い出した。

「そうだ。忘れないうちに」

 ポケットに仕舞っていたスマホを起動させてカメラでこの瞬間を切り取った。

 今日の苦労を考えればこれぐらいの役得はあってもいいはずだ。 



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私だってデートしたい。

お気に入り登録300件突破ァ! ありがとうございます!
感想を下さった皆様、モチベに繋がってます。暇だったらまたよろしくお願いします。
評価して下さった皆様、より良い作品にしていける様頑張りますのでこれからもどうぞよろしくお願いします。

今回はタイトルで分かる通りデート回。本当は昨日のうちに書き上げたかったんだが……本当に済まない。


 土曜日だが今日もISの調整を終えて職員室に戻る。入学試験も近づいていることもあり教師陣は皆忙しそうだ。毎年たくさんの受験生がここに試験を受けに来る。試験問題等を制作しているのだろう。

 俺の出番は当日。訓練機の調整くらいしか無いが、その日に限り誰よりも忙しくなることは予想がついていた。

 整備室の鍵を返して自分の机に荷物を取りに戻ると、封筒が置いてあることに気が付いた。俺はこんな丁寧な物を頂くほど大層な人間ではない。いったいどこの物好きなのやら。

 宛名には間違いなく俺の名前が刻まれていたので、差出人を確認するために封筒を手に取ってひっくり返した。

倉持技研(くらもちぎけん)、か」

 倉持技研。純国産IS「打鉄」を生産している企業の一つで、俺の古巣でもある。騒ぎを起こして止めた俺に今更何の用なんだか。考えるだけでも億劫になる。今の気分を例えるなら「辞めた部活の顧問に呼び出された時」だ。

 俺は目柱を抑えてため息をつく。

「准?」

「うおっ!?」

 とっさに封筒をジャケットの中にいれた。

 別段見られて困る訳でも無いのだが変な声を上げてしまった為、怪しさが際立っていた。

 振り返ると片手を腰に当ててバッグを持った千冬さんがいた。これから帰る所なのだろう。

「なんだ、千冬さんか」

「なんだとはなんだ。声をかけてやったのに」

 眉がわずかに動いた。今の返答は癇に障ったらしい。即座に機嫌のリカバリーを試みる。

「いえ、急に声を掛けられたので驚いただけです。それで何の用ですか?」

「お前も今日は上がるんだろう? 一緒に帰ろうと思ってな。構わないだろう?」

「ええ、構いません。でも仕事いいんですか?」

「土曜ぐらい私を休ませろ。准は私を過労死させる気か……まあいい。行くぞ」

 千冬さんの態度を見る限り、機嫌は通常通りに戻ったらしい。俺は小さく息を吐いた。

 肩にこの間届けたバッグを担いで俺を先導する。本人に言ったら怒られるんだろうが、後姿が何というか男らしい。女性にファンが多いのも仕方がない気がした。だって、おっぱいが付いているだけでそこらの男よりよっぽどイケメンだしな。

「今変な事を考えていただろう」

 前に居た千冬さんのが振り返りそう言った。

「いえ、全然!」

 俺は目を細めた千冬さんの威圧感に抗って早口でそう答えた。

「ハァ……まあいい。次は無いからな」

 そう言うと、再び前を向いて歩き出した。

 千冬さんは時折俺の考えていることを見透かしたように言い当ててくる。その精度は高く、エスパーですからと言われても俺は信じてしまうだろう。何処の学園のアイドルキャラですかね……。どうでもいい事を考えているとまた怒られそうなのでこの程度にしておこう。

「なあ准」

「ッ!?」

 またしても前にいる千冬さんに声を掛けられた。その手はバッグの中に入れられている。あの予備動作はまずい。魔刀シュッセキボが――来る! 

 俺はバックステップで間合いを取り、肉のカーテンの体制を取った。これで悪行超人からリンチを受けても三日三晩耐えられる(気がする)

「何やってるんだ」

「へ?」

 何事も無く話しかけてきたので俺は腕を退()けた。警戒していた千冬さんの手元を見ると、握られているのは出席簿では無く、小さな紙切れ、いや、チケットだった。カラフルで自己主張の強いそれは見ているだけで目がチカチカする。

 あれはいったい何のか気になるが、話を切り出して来たのは千冬さんなので俺は黙って聞くことにした。

「なんだその腑抜けた(つら)は……緊張した私が馬鹿みたいじゃないか

 千冬さんは呆れたように俺を見つめると呟いた。最後の方はほとんど聞き取る事が出来なかったが何を言っていたか気になった俺は聞き返す。

「最後の方聞き取れなかったんですけどなんて言いました?」

「何でもない。気にするな」

「そう言われると気になるじゃないですか」

「何でもないと言ったんだが」

「はい……すみません」

 睨みに俺は屈して、早々に謝った。もっと張り合えって? からかうのは楽しいがその代償が命となると話は別だ。少なくとも俺はやりたくない。

 話を戻そう。 

「それで、何ですかそれ。見た所チケットみたいですが」

「ああ、映画の前売り券だ。雑誌の取材を受けたら貰ってな、よかったら一緒に行かないか?」

「千冬さんは俺で良いんですか?」

「ん?」

 不思議そうに千冬さんは首を傾げた。

 明日は日曜日。この曜日は千冬さんにとって重要な意味がある。それは帰省予定日だ。千冬さんには年の離れた弟がいて、彼に家を預けている。その監視に週末は戻るのだ。

 まあ、それは建前で溺愛する弟に会い行くというのが正しい(と俺は思っている)映画に行くなら彼を誘うのが妥当だろう。

 そう思ったので一夏君について聞くことにした。

「一夏君に会いに行かなくていいんですか?」

「ああ、あの愚弟は明日は友達の家に泊まりに行くとのことだ。迷惑をかけないか心配でな……」

 顔に手を当ててため息をつきながらそう言った。

 成程、それで俺にこの提案が回って来たと言う事か。彼女の説明で納得がいった。

「それで、准……どうだ?」

 千冬さんは顔を逸らしながらも、チラチラと俺の様子を窺う。そんな挙動不審にならずに堂々としてればいいのに。

 別に俺は明日は暇だし、たまには外に出るのも悪くない。俺はその提案を受けることにした。

「良いですよ、どうせ暇ですし」

「そうか。じゃあ明日の一〇時、部屋に行くから待っててくれ」

 千冬さんは控えめにガッツポーズを決めた後、スキップで廊下を進んでいった。後から聞いた話だが、それを見ていた一部の教師陣の中では明日は天変地異だとか、IS学園沈没だとかそんな噂が立っていたらしい。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 翌日、俺は寝坊しないように早めにかけた目覚ましに叩き起こされた。目を擦りながら身支度を済ませる。その片手間にポットで水を沸かし、マグカップにインスタントコーヒーを入れて(すす)った。

 目が徐々に冴えて来て昨日の出来事を思い出す。友達と遊ぶ感覚で了承したが、後で考えて見るとこれはデートの約束で、しかも相手はあの織斑千冬だ。よしんば彼女が二位だったとしても世界一位の織斑千冬なのだ。なんだか今更ながら緊張してきた。

 カーテンを開けて窓の外を見て見ると雲ひとつない快晴で水平線が見える。太陽の光が差し込んで眩しい。絶好のお出かけ日和になりそうだ。

 しばらく窓から海を眺めているとインターホンが鳴った。恐らく千冬さんだろう。他に休日に訪ねてくる人もこの島にはいない。カップを炬燵の上に置いてドアを開けた。

「おはよう、准」

「おはようございます千冬さん」

 紺のコートに赤いマフラーが際立つ服装で千冬さんはうちの玄関前に立ってた。普段はスーツでズボン姿である事が多い彼女だが、今日は膝上のスカートに黒のニーソックス。スラッとした足が更に引き締まって見える。

「その、あんまりじろじろ見るな」

「似合ってますよ」

「ば、馬鹿なこと言ってないで行くぞ!」

 千冬さんは視線を逸らすと口元をマフラーで隠した。

 ちょっと照れすぎじゃないですかね。褒めた俺も恥ずかしくなった。

「じゃあ戸締りとかするんで少し待ってて下さい」

 千冬さんにそう告げて俺は扉を閉める。コートを羽織って、窓の鍵とガスの元栓を確認してコップに残ったコーヒーを飲み干して外に出た。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 映画館に到着して、カウンターで手続きを済ました後ので上映時間を待つだけとなった。待ち時間はあと二〇分と言った所か。ポップコーンでも買ってこよう。

「千冬さんポップコーン買ってきますけど一緒に行きますか?」

「ああ、行く」

 隣に並んで最後尾に向かった。カウンターの上にあるメニューを見上げていると、千冬さんが話しかけて来た。

「ポップコーンで好きな味とかあるのか?」

「塩とかシンプルな味付けも捨てがたいですが、なんだかんだで俺はキャラメルが一番好きですね」

「そうか、私も好きなんだ」

 そう言ってにこやかに微笑む。普段凛々しい姿を見ることが多いからか彼女の表情にドキッとして、俺はつい顔を逸らしてしまった。今のは反則的だ。

 恥じらいを誤魔化す為に俺は話を進める。

「じゃあ大きめのを一つ買って一緒に食べましょうか」

「そうだな」

 何を頼むかを決定したところで丁度カウンターにたどり着くと、手早く注文を済ませてシアターへと向かうのだった。

 

 ▼ ▼ ▼

 

「結構良かったですね」

「ああ、見どころのあるアクションシーンが多かったな。特に侍がISに立ち向かうシーンが……」 

 映画の感想をお互いに話しながら注文したコーラをストローで吸い上げた。

 俺と千冬さんは近くにあったハンバーガーショップ『モズバーガー』に来ていた。近くのお洒落な店でも探そうかと思ったのだが、たまにはこういう所に行きたいと言う希望が出たのでこちらにした。

「でも意外でしたよ。千冬さんはもっとザ・和食! って感じが好みだと思ってたんですが」

「基本的にはそれであっている。一夏の奴が「体に悪いから」の一点張りで行かせてくれなくてな。たまに隠れて食べに来るのさ」

「ハハ、彼ならいいそうですね」

「私の事じゃなく、自分のまわりに気を配って欲しいものだがな。まったく」

 千冬さんはため息混じりにそう言った。弟まっしぐらのあなたがそれを言ってしまうのかと突っ込みたくなったが、ここは言わないでおこう。

「でもまあ外食じゃなくて自分の料理を食べて欲しいが故の禁止令だったらと思うと、一夏君の気持ちも分かりますがね」

「そういうものか?」

「ええ、作ったものを「おいしい」って言ってもらえるだけで嬉しいものですよ。それに千冬さんいい食べっぷりですからね。見ていても嬉しいです」

「な、何を言う! それだと私が食い意地が張っているみたいじゃないか! あれは、その、そう! アスリートだから消費カロリーに負けないくらい食べないといけないんだ!」

 恥ずかしがっているのか早口でまくし立てた。顔も心なしか赤みを帯びている。そこまでむきにならなくても良いのに。

 俺は彼女の興奮を抑える為に口を開いた。

「別にいいと思いますよ。千冬さんが食べている所、俺は好きですから」

 そう言うと彼女は言葉を失って沈黙してしまった。うつむいてしばらくブツブツ言った後に首を左右に振ってから復旧した。

 やはり千冬さんはからかうと面白い。山田先生がからかう理由がよく分かった気がする。身をわきまえないと後々彼女の様に制裁を受ける羽目になるので気を付けようと心に決めた。

「お待たせしました~こちら……」

 店員がバスケットに入ったハンバーガーやポテト、オニオンリングをテーブルに運んできた。出来立て、揚げたての香ばしい香りが食欲をそそった。

「じゃあ食べましょうか」

「ああ、頂きます」

 そうして昼食を取り始めた。多くは語らないが、普段より一口を小さくした千冬さんは微笑ましかったとだけ言っておこう。



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私だって悩む。

感想を下さった皆様ありがとうございます。最新話です。


 ベッドから体を起こして時計に目をやると時刻は六時。いつもより一時間早く起きてしまったようだ。カーテンの隙間から見える景色は深い闇。まだ日が出ていない。

 普段なら二度寝を決め込むところだが、意識は冴えていたのでどうもそんな気にはなれなかった。

 最近は起きる時間が遅くなっていたけど、高校生の頃は今の時間にはグラウンドに出て練習を始めていたっけ。がむしゃらに白球を追いかけていた頃が懐かしい。

 そんな事を考えているとなんだか体を動かしたくなってきた。最近は運動不足だったからな……。たまにはランニングにでも行ってみようか。

「そうとなれば、善は急げってな」

 ジャージを引き出しの奥から引っ張り出して着替える。温まっていない生地が肌を冷やした。

「冷たっ……あー炬燵の中に入れて温めておけば良かった」

 そう呟きながら着替えを終え、運動靴を靴箱から取り出して靴を履く。ネックウォーマーを(かぶ)って俺は外へと繰り出した。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 怪我をして仕事が出来ないなんてことになったら目も当てられないので準備運動を忘れずに行う。屈伸から始めて手首足首。しっかりと体の筋肉をほぐす。最後に数回その場でジャンプして外周へ走り出した。温まり切っていない空気が頬を撫でた。

 やっぱりこの時期の朝は肌寒い。外に出るのはよっぽどの変わり者だ。その中でもグラウンドの水抜きをしろとか指示する奴は人間じゃない(個人的な感想です)

 あれ終わった後、手が動かなくなるし結構辛いんだよな。

 そんな事を考えていると、そんな変わり者を発見した。白のジャージに長い髪を一つに束ねた後姿はテンポよく足を進めている。間違いなく千冬さんだ。

 体も温まってきたし少しペースを上げれば追いつけそうだな。声をかけて見よう。

 俺は歩幅を広げてペースを上げた。千冬さんは朝だからか全力で走っている訳じゃ無く、体をほぐしているって感じだった。そのため二十秒ほどで追いつく事ができた。

 ポニーテールを揺らしながら悠々と走る千冬さんは上機嫌なのか鼻歌を歌っていた。走っているというのに随分と余裕がある。流石は元世界王者と言った所か。隣に並走して俺は声をかけた。

「何か良い事でもありましたか? 千冬さん」

「うわっ!?」

 声をかけられたことに余程驚いたのか肩をビクっと跳ねさせた。そこまで驚く必要ないだろうに。

「なんだ准か、どうしたんだ? こんなに朝早く。珍しいじゃないか」

「千冬さんこそ珍しいじゃないですか。鼻歌を歌っている所なんて初めて見ましたよ」

「き、聞いてたのか……頼むから忘れてくれ」

 恥ずかしいのか千冬さんは視線を逸らしてそう言った。恥ずかしがっている千冬さんは中々見られないから少し(いじ)ってみるか。

「いやー、良いものを聞かせて貰いました。CD出しても売れると思いますよ」

 嘘はついていない。千冬さんは一部の女性たちにカルト的な人気を誇るので売り出し許可さえ出ればオリコンチャートで上位は確実と言っていいだろう。

 握手券を付けたら一位は決定だな。CHY48としてデビューしたりして。48とか分身しちゃうのかよ……。

「准、私は弄られるのが嫌いだ。それ以上言ったら、」

「はい、すいませんでした!」

 俺は千冬さんの睨みに耐え切れずに言葉を遮って謝った。

 ただでさえ鋭い目つきを細める。あの目つきはヤバイ。視線で人を殺せそうだ。流石の俺でも命は惜しかった。

「分かればいい。それで? 准は何で走り込みをしてるんだ」

 千冬さんは俺の行動に付いて質問してきたので俺は答える。

「別に、これと言った理由は無いですよ。強いて言うなら運動不足解消ですね」

「その割には良く動けてるじゃないか。今年の一年にも見習わせたいくらいだ」

「腐っても元高校球児ですから、運動にはそこそこ自信がありますよ。それに、女性と男性を身体能力で比べるのはどうかと思います」 

「そんなことは無い。気合が足りんのだ。気合が」

「そんな精神論で何とかなるのは千冬さんくらいですよ……」

 そう言えばここに男子と遜色は無いどころかそれ以上の人がいましたね。

 全盛期の千冬さんは凄まじく、ウィキにのっていた情報によると、剣を空振りしても相手はエネルギー切れになるとか、睨んだだけで試合に勝利するとか、手刀でも零落白夜(れいらくびゃくや)が使えるとか……確かそんな感じだったはず。

 世界一位になるのもある意味当然だったな。

「そうですよ織斑先生。私にもう少し優しくして下さいよ~」

 いつの間にか隣に並走していた水色の髪に赤目の少女がそう言った。その姿はここ数か月で何度も見たもので、誰なのかすぐに分かった。

 更識楯無。生徒最強の生徒会長にして、ロシアの国家代表。

 まるで猫のような印象を受ける彼女にはよくISの動作確認を手伝って貰っていた。この学園では珍しく俺と交友がある生徒の一人だった。

「現役代表のお前がそんなこと言ってどうする。もっと厳しくしてもいいくらいだ」

「え~そんな~。倉見さんも何とか言って下さいよ」

「逆に言えば、君はそれだけ期待されているという事だ。誇っていい」

「そう言うものですかね?」

「そう言うものだ」

 更識さんはわずかに眉間にしわを寄せて不機嫌になったかと思えば、何かを思いついたのか、晴れやかな笑顔になった。表情がコロコロ変わる。相当な気分屋気質のようだと察した。 

「ところで倉見さんと織斑先生ってどんな関係なんですか?」

 千冬さんは少し顎に手を当てて考えているような仕草をすると、口を開いた。

「――答えてやれ准」 

 答えるのが面倒になったのか、またとんでもないキラーパスを……。

 俺はいきなりピンチに陥ってしまった。どんな関係……か。また答えるのが難しい質問だな。下手な答え方をすると千冬さんの機嫌を損ねてしまう。しかし更識さんにからかわれる情報を提供するのは避けたい。ここは慎重に答えなくてはならないな。

 彼女とは一応、小中高校は同じだが、そこまで仲が良いと言えるほど交流があった訳でも無い。しっかり話したのはIS整備士になって代表所属になってからだ。まあ、それからは現在に至るまで仲良くしている。となると、

「仕事仲間ってところかな」

 これが一番無難な選択肢。今の千冬さんとの関係はこれが正しい。これなら更識さんにからかわれることは無い。

「へぇ、こっちの情報とあまり差異は無いんですね~。てっきり付き合ってたりするんじゃないかと思ってましたが」

「ば、馬鹿な事を言うな」

「そうだよ更識さん。あんまり大人をからかうものじゃない。一介の整備士の俺と千冬さんじゃあ、釣り合わな過ぎてそこら辺の女性に刺されかねない」

「ハハッ、倉見さんは面白い冗談が得意ですねー」

 ケラケラと笑う更識さんの隣で千冬さんは浮かない顔をしていた。機嫌を損ねてしまっただろうか? 

「千冬さん、どうかしましたか?」

 俺は千冬さんの機嫌を取るために呼びかけた。千冬さんは束ねた髪を揺らしながらこっちに振り向く。

「へっ!? いや済まない、何だ?」

「いえ、何だか浮かない顔をしていたので。どうかしましたか?」

「いや……何でもない。ペースを上げるぞ」

 突然ペースを上げて俺の前に飛び出した。

「ちょっ、はやっ!?」

 まさに目にも止まらぬ速さで千冬さんはペースを上げた。そして更識さんも俺の隣から前へ踏み出す。

「じゃあ私もペース上げるね。倉見さん。また私のISのメンテしてくれたら嬉しいな♪」

 更識さんと千冬さんは一気に俺を引き離していった。

 それに俺は対応する事が出来ず取り残されてしまった。運動不足の一般人とアスリートの差なのか。

 俺は自分の運動不足を嘆き、これからは定期的に運動をしておこうと心に誓った。

 

 ☆ ☆ ☆

 

 汗を吸ったジャージを洗濯機に放り込み、シュシュを取って束ねていた髪を解いた。

 浴室に入って熱いシャワーで汗を流す。外気によって冷えた体を少しずつ温めながら今朝の出来事を思い出していた。

「仕事仲間、か」

 准が言った言葉を呟く。

 あの時の更識の質問を利用して准に私をどのように思っているのか聞いた結果がそれだった。

 改めて言われると結構キツイな。分かっていたはずだったのに。

 今や私は国どころか世界の英雄扱い。准は一般の整備士。良くも悪くも立場が違い過ぎる。私と仲睦まじい様子を見て、いい顔をしない者は星の数ほどいるだろう。それを恐れて准は一定の距離をおいて接してくる。いつまでたっても『さん』付けなのが良い証拠だ。

 でも、それでも、私は准が好きだ。准が私の背中を押してくれたあの時から。

 この気持ちに嘘は付けない。本当にずっとそばにいて欲しいと思う。今まで以上に親密な関係になりたい。そのためには…… 

「どうしたらいいんだろうな……」

 私が呟いた声は小さいながらも浴室に響いて、シャワーにかき消されていった。




真面目な話、この世界だったら二期ED(織斑千冬鼻歌Ver)とか売り出したら世界中で大ヒットすると思うんよ……。


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私だって羨ましい。

 日間ランキング最高三位&お気に入り登録1500件達成! ありがとうございます!
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 これからも応援よろしくお願いします。
 誤字報告をして下さった方ありがとうございました。
 
 今回は砂糖を増してみました(当社比)

 


 昼休み。午前中の仕事を終えて職員室の机の上に弁当を広げた。

 今日のメインは昨夜(ゆうべ)の残りのハンバーグ。それにニンジンやブロッコリーといった付け合わせ。白いご飯には黒ゴマを振って質素さを誤魔化して、見てくれはいい感じに仕上がっていた。

「む、准は手作り弁当か」

 千冬さんは俺の後ろから覗き込むようにして話しかけて来た。

「ええ、昨日の残りですけどね」 

「そうか、昨日はハンバーグだったのか。行けばよかったな……」

 千冬さんは顎に指を添えてそう言った。そこまでじろじろ見られると食べづらいです。

「千冬さんは好きなんですか? ハンバーグ」

「ああ、好きだぞ。家庭の味って感じでいいじゃないか」

 これは遠回しに『さっさと寄越せ』って言っているのだろうか。まあ別にそこまで腹が減っている訳でも無し、千冬さんにお裾分けしてみよう。

 三個あるうちの一個を弁当箱の蓋に乗せて差し出した。

「良かったらどうぞ」

「いや、別に催促していた訳じゃ無い。悪かった」

 手をひらひらと振って否定する。

「昨日多く作り過ぎて食べ飽きてるんですよ。千冬さんに食べて貰わないと俺が困ります」

「……そういう事なら」

 ダメ押しの台詞に折れた千冬さんは、俺から差し出された蓋を受け取ると、隣の空席の椅子を引いて隣に座った。

 片手に持っていたビニール袋を机に置く。チラッと見えた中身は総菜パン。どうやら購買に行って来たみたいだ。

「割り箸か何か持ってないか?」

「ああ、それなら」

 机の引き出しを開けて、コンビニで貰った割り箸を取り出す。忘れたとき様にストックしてある物の一つだ。

 千冬さんに俺はそれを渡す。

「済まない」

「いえ、このぐらいは」

 早速千冬さんは箸でハンバーグを切り分けると、口に入れて何度か咀嚼してから飲み込んだ。

「旨いな」

「気に入って貰えたようで何よりです」

「叶うなら出来立てで食べたいな。ご飯が進みそうだ」

 千冬さんは残念そうに目を細める。そこまで食いつきが良いとは思わなかったな。作った側からすると嬉しい。

「そんな顔をしないで下さいよ。今度作る時に呼びますから」

「――絶対だぞ」

 じっと俺の目を見てそう言った。そこまで念押ししなくても良いのに。夕飯に突撃されたのも一度や二度ではないし、もう慣れたものだった。

 残りのハンバーグを食べている千冬さんを眺めていると、目の前に置かれた電話が鳴った。

 俺が受話器を取ろうとすると千冬さんがもう既に手を伸ばしていた。

 髪をかきあげて耳にかける。普段見えない首元が見えて、何だか色っぽい。

「はい、こちらIS学園です。はい……」

 逆の手で近くのメモ帳をめくってから、胸ポケットからボールペンを取り出した。

 しばらく受け答えをした後、俺に向かって受話器を渡してきた。

「准、倉持技研から直接指名だ」

「え? 聞き間違いじゃないですか?」

「いや、それは無いとは思うが、もしそうなら変わってくれ」

 受話器を受け取って口を開く。

「お電話変わりました。IS学園整備担当の倉見です」

『おー准。久しぶり』

 受話器から聞こえてきたのは緊張感もへったくれも無い女性の声。敬語を使った事を後悔した。

「……何の用だヒカルノ」

『もう敬語辞めちゃうのかい? 礼儀のなっていない先生だね』

「最初っから敬語を使う気が無かったお前がそれを言うのか。あと俺は先生じゃない」

『それもそうか』

 ヒカルノは電話越しにゲラゲラと笑い声を上げた。

「笑ってないでさっさと要件を言え。俺も忙しいんだ」

 嘘だ。実際はそこまで忙しくはない。だがこんな奴に貴重な休み時間を使うのは気に食わなかった。

『いやーね。君が提案していた『打鉄弐式』って機体あったでしょ。あれを開発する事になったんだ』

 それは嬉しいと言えば嬉しい知らせであった。何せ自分が提案した機体が本当に組み立てられるのだ。

 だが不安要素しか感じない。何故なら『あったら面白いよな』程度に開発部の連中と話していた物であり、実際はミサイルポッドの砲身が多くメンテナンスが面倒であること。重い装備を機体に積んでいるため機動力が低すぎることを理由に雑談の中ですらボツにしていた。

「本気であのポンコツ機体をロールアウトまで持って行ったのか? 馬鹿じゃないのか?」

『ハハハッ! このヒカルノ様にかかれば、あの程度の欠陥は解決済みさ! 来年IS学園に入学する子に受け渡す予定だからメンテナンスとかよろしくね~』

「しれっと仕事を押し付けるな! メンテナンスはお前らの仕事だろうが!」

『んじゃね~』

「待て、無視するな!」

 プツリ。その音の後は無機質な機械音が流れ続けた。あの野郎切りやがったな……。

 ため息をついて受話器を元の場所に戻した。

「随分と楽しそうだったが、知り合いか?」

 隣に座っていた千冬さんが普段通りに声をかけてきた。しかし苛立っているのが俺には手に取るように分かった。確かに言葉だけならば平静を装えている。しかし手に持っていたボールペンをへし折っているとなれば話は別だ。むしろ普段より五割増しで怖い。

 何に苛立っているのかは分からないが、普段より慎重に接しなければならないようだ。

「前の勤め先の同期ですよ」

「同僚か、それにしては仲がいいんだな」

「まあ、長い付き合いですから」

 ヒカルノとは家も近かったし、小中高校、就職先も一緒だった。いわゆる腐れ縁って奴だ。

「そうか……」

 千冬さんが呟くと同時にチャイムが鳴った。今日はISの実習があるため、この後すぐにアリーナに行かなけばならない事を思い出した。

「千冬さん、俺はこれで。じゃあ、また」

「あ、ああ。またな」

 弁当箱を風呂敷に包んでバックに仕舞って職員室を後にした。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 今日も仕事を終え、部屋に戻って炬燵に足を入れる。中はまだ温まり切っておらずヒンヤリとしていた。

 何だか夕飯を作るのが面倒になって、食事を食堂で済ました。細かいことを除けばあとは寝るだけだ。

 まだ時刻は八時。寝るにはまだ早いから酒でも飲むとしよう。

 冷たい床を素足で歩いて冷蔵庫から缶ビール、棚に置いてあるポテチを手に取った。

 炬燵の足にキャスターでもついてれば温まりながら移動できるのになーとか、どうでも良い事を考えながら開缶。ビールを口に含んだ。

 席についてからもポテチをつまみにちびちびビールを飲む。鼻が尖った人の影響でこの組み合わせにハマってしまった。もうこの組み合わせは生涯やめられないだろう。

 だって暖房で温まった体にキンキンに冷えたビールだ。旨すぎる、犯罪的だぜ……!

 脳内で『カイジごっこ』をしていると、テーブルに置いてあったスマホが振動する。手に取るとメッセージが表示されており、相手は千冬さん。内容は『今部屋か?』と短いものであった。

 その内容から予測は難しくない。きっと部屋に飲みに来るのだろう。

 俺はスマホに『部屋で飲んでます。来てもいいですよ』と打ち込んだ。

 その直後に部屋のチャイムが鳴った。部屋の前で待機していたんですかね? メリーさんかよ。

「はーい」

 返事をして鍵を開ける。着替えてラフなジャージ姿の千冬さんが立っていた。

「……入ってもいいか?」

「ええ、どうぞ」

 決して広くは無い廊下を並んで歩く。何度か手が振れそうな距離だった。

「千冬さんも何か飲みます? と言ってもビールぐらいしかないですけど」

「ああ、貰う」

 声色が何だか暗い。空気が重い。なんか落ち込む事でもあったのだろうか? 聞き出すという訳にもいかないから、話を聞くしかないか。

「適当に座ってて下さい。冷蔵庫から取ってくるんで」

「分かった」

 冷蔵庫からさっきと同じようにビールを取り出した。リビングに戻って千冬さんに缶を手渡して横の席に座る。

 千冬さんは無言で缶を開けた。空気が抜ける音が静まった室内に響く。

 だから空気が重いって! 俺がお酒が好きなのは飲んでれば明るい気分になれるからであって、こんなしんみりした空気を味わいたい訳じゃ無い!

 でもどうしたらこの状況を打破できるか分からない。

 女性の感情は複雑だ。

 下手に踏み込んだら地雷だったりするし、何がどうなるか分かったものじゃない。

 三十分近い沈黙を先に破ったのは千冬さんだった。

「なあ、准」

「ひゃ、ひゃい何でしょう」

 突然口を開いた事に驚いて、思わず声が上ずってしまった。気持ち悪い声だ。

「何だそれ、ビックリしすぎだ」

 フフッと吹き出す。腹を抱えて、笑いを堪えていた。

 部屋に入ってきてから見せることのなかった笑顔を見て、少しホッとした。

「そこまで笑う事は無いでしょう」

「悪い、あんまりにも変な声を上げるから、つい、な」

 千冬さんは手で滲んでいた涙を拭った。俺の奇声がそこまで面白かったんですかね。

「そのくらいにして下さいよ。それで何ですか? 聞きたいことがあったんじゃないんですか?」

「ああ、そうだった」

 缶を傾けて一口ビールを煽ると、目を閉じて間を空けてから再び口を開いた。

「准と私はもう、随分と長い付き合い、だよな?」

「まあ、そうですね」

 俺と千冬さんは第一回モンドグロッソからの付き合いだからもう五年になる。長い付き合いと言っても過言ではない。

「だったら……私だって、ちゃんと名前で呼んで欲しい……」

 小さい声だったが聞き取る事が出来た。

「えっと、どういうことですか? 千冬さん」

「それだ、それ! その千冬『さん』ってよそよそしいにも程がある!」

 俺の顔を指差してそう言った。

 ああ、千冬さん、酒が回って変なスイッチが入っちゃってるな。

 適当にあしらう事にしよう。

「じゃあ、なんて呼べばいいんですか?」

「千冬って呼び捨てにしろ!」

「千冬」

 俺はタイムラグ無しにそう言った。素直に条件を呑んだことに驚いたのか、千冬さんはしばらく視線を俺から逸らす。

「も、もう一回」

 再び俺に視線を戻してそう言った。顔は赤く染まっている。それがお酒によるものなのか、恥じらいによるものなのかは俺には判別することが出来ない。確かめる為にもう一度口を動かす。

「ち、千冬」

 言っているうちに自分自身が恥かしくなってきて言葉に詰まってしまった。何で俺がこんな思いをしなきゃいけないんだ……。

「もう一回っ!」

「嫌です」

「な、なんで?」

 千冬さんは俺との距離を詰めた。体が密着して体温が伝わって体が熱くなる。

 俺は明後日の方向に顔を逸らした。

「なんでって、恥ずかしいからですよ。言わせないでください……」

 顔に両手が添えられて無理やり向きを変えられた。下から見上げてくる視線が潤んでいるのが見える。

「どうしてもダメか……?」

 じっと目を合わせていると罪悪感を感じて、俺は仕方なく折れることにした。

「ハァ、二人でいるときだけですからね」

 俺は視線を遮るために頭を撫でた。これ以上目を合わせていると、どうにかなってしまいそうだった。

「んっ、それでいい」 

 指から伝わる髪の感触。俺の頭とは違ってサラサラしていて、いつまでも触っていたいと思った。



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私だって休みたい。

 お気に入り登録2000件突破! ありがとうございます。
 感想や評価を下さった皆様ありがとうございました。
 おかげさまでこうして悩みながらも最新話を書き上げることが出来ました。
 また誤字報告して下さった皆様、ありがとうございました。

 この最新話を全国の千冬さん好きに捧げる!



「じゃあ今日はここまで!」

『ありがとうございました!!』

 部室前でのミーティングを終えて部員たちが一斉に帽子を取って礼をする。高い声がグラウンドに響く。

 部員達は荷物を持ってそれぞれ部室に引きあげていった。

 今日は冬の寒空の下ソフトボール部の練習に顔を出していた。何でそんな事をしているのかと言われれば俺がソフトボール部の顧問だからだ。

 基本的にどの職場でも若い者はこき使われる。近年は女尊男卑の傾向なので男性なら尚更だ。

 まあ、別に運動が嫌いな訳ではないので構わないが。

 ダッシュメニューやシートノックを(おこな)って汗をかいたので、体が冷えないうちに体を拭こう。タオルを探してバッグを漁る。だが、いくら手を動かしてもタオルの感触は無い。

「あれ? タオルを忘れたか?」

「どうかしましたか? 倉見先生」

 ショートカットの女生徒に話しかけられた。彼女はこの部活の部長で佐々木さん。二年生の整備科の生徒で、その繋がりで俺に顧問を要請してきた。

 近年の女性には珍しく、男性相手でも丁寧に接してくれる。俺は誠意には誠意で返す主義なのでそれに答えた形で顧問になったのであった。

「いや、タオルを忘れてしまったみたいでな。あと俺は先生じゃない」

「そうでしたね。タオルなら私のをどうぞ」

 タオルをバッグから取り出して俺に差し出して来た。それに手を伸ばそうとして止める。

 ここで受け取ってしまったら『女子高生のタオルに顔を埋める成人男性』という絵面が出来上がってしまう。(はた)から見たらただの変態みたいになるな。それだけは避けなくては。

「いや、佐々木さんも使うだろう? 遠慮しておくよ」

 やんわりと手を振って断る。

「私にはもう一枚あるので遠慮しなくていいですよ」

 バッグからもう一枚タオルを見せると俺にもう一度タオルを近づけた。ここまで言われてしまうと断ることは難しい。仕方が無いか。

「そう言う事なら貸して貰おうかな。また今度洗って返すよ」

「お構いなく。そのまま返して下さい」

 受け取ろうとしていた手が再び止まる。

「いや、俺の汗が染み込んだタオルを持って帰るのは嫌だろう?」

 借りたものは綺麗にしてから返すのはマナーだと思うので、彼女の気遣いを否定する。後で『汗くさいタオルを押し付けられました』何て言われても反論できないしな。

「そんな事気にしませんよ。むしろ私としてはそっちの方が嬉しいし……

「え? 今なんて?」

「何でもないですよ~。ささっ、遠慮なく私のタオルを使って下さい」

 何を言っていたかは気になるが、突っ込むだけ野暮だろう。どうせ煙に巻かれるだけだろうし。拭いたら強制的に持ち帰って洗わせて貰おう。

 俺は佐々木さんが握っているタオルに向けて手を伸ばした。

「あー! 部長が抜け駆けしようとしてる!」

「何!? どこだ一年!」

 運動部特有の良く通る声質で叫んだ。それによって部室の中に居た部員たちも扉を開けて出て来る。

 佐々木さんは目にも止まらぬはやさで羽交い締めにされ、他の部員に取り押さえられてしまった。

「さて、キャプテン。何か言い分があるかね?」

「ち、違うのみんな! 私はただ倉見さんがタオルが無くて困っているみたいだったから」

「本当ですか?」

 部員の一人が問いかけてきた。俺は無言で(うなず)く。

「ふむ、他に証言は?」

 ビシッと元気よく手を挙げる子がいた。最初に声を上げた少女だ。

 仕切っている二年生から促されると口を開いた。 

「洗わないで返して下さいって言ってました!」

有罪(ギルティ)。連れて行け」

「そ、そんな! キャッ!?」

 あれよあれよと言う間に佐々木さんは複数人の部員に担ぎ上げられる。その様子はまるで神輿の様であった。

 一瞬の出来事だったので、止めることも出来ずにその場に立ち尽くす。可哀想なので何とかして止めてあげたいが俺が言っても火に油を注ぐだけな気がした。

「全く騒がしいな、何をしている」

 凛とした声が耳に届く。さっきまで騒ぎたてていた部員達は静まっていた。

 奥を見ると千冬さんがいつもの黒のスーツ姿で立っている。片手には紙袋を持っていた。

「どうしてこのような騒ぎになったのか教えろ。場合によっては……分かっているな?」

「は、はい! 実は……」

 部員の一人が耳打ちで千冬さんに事のあらましを伝えた。

「ハァ、取りあえずそこから下してやれ、騒ぐのもいいが問題だけは起こすなよ」

『はい!』

 全員が返事を返す。カリスマ性の違いなのだろうか? 俺にはあの様に生徒をまとめることが出来ない。千冬さんのすごさを改めて実感した。

 そして千冬さんは俺に視線を移すと、紙袋からタオルを取り出して俺に向かって投げてきた。

 俺は左手でそれをキャッチする。

「准、お前にはそのタオルを貸してやる。そのうち洗って返してくれればいい」

「ありがとうございます」

 借りたタオルで汗を拭っていると、千冬さんは俺の近くまで歩いて来た。

「この様子からして部活は終わっているな。一緒に帰ろう。ちょっと先で待ってる」

 声の大きさを抑えてそう言った。特に断る理由もないので首を縦に動かして了承する。

 それを確認すると千冬さんは先に歩いて行った。

「じゃあ俺も行くけど、ちゃんと部室の鍵をかけて職員室に戻しておいてね」

「はい、お疲れ様です」

「お疲れ様」

 俺は荷物を背負って挨拶を返すと、上着を羽織ってその場を後にした。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 しばらく歩いて部室棟の外にいた千冬さんに合流した。

「来たか」

「寒いのに外で待たせてすみません」

「私から言い出したことだ。別に構わない。行くぞ」

 俺の隣に立って帰ろうと促す。髪が風で(なび)く。シャンプーの香りだろうか? 何だか甘い香りを感じてドキッとした。匂いを嗅いでドキドキするとか俺は変態かよ……。

 気分が沈みそうだったので話題を提供して、思考を切り換えることにした。

「千冬さんはどうして部室棟に居たんですか?」

「私も部活を見ていたんだ」

「そういえば茶道部の顧問でしたね」

「ああ、その帰りにあれを見てな……」

「うちの部員がお騒がせしました」

「准には世話になってるからな。あれぐらいは構わないさ」

 やって当然みたいに、さらっと流せる所が男らしいと言うかカッコイイよな。

 よっ! 男前! ……これ本人に言ったらすごい怒られそうだな。

 そんな事を考えながら歩いて、やがて自室の前にたどり着いた。ポケットの中から鍵を取り出して鍵穴に差し込んで開錠した。

「じゃあ俺はこれで」

「ちょっと待て」

 上着の袖を引っ張られたので振り返って彼女の顔を見た。

「どうかしましたか?」

「この後、時間はあるか?」

 俺の様子を窺うようにして問いかける。視線をあちこちに移動させて落ち着きが無い。

「用事も特にありませんし、暇ですね」

「なら丁度いい。茶道部の連中から余りの菓子を貰ってな。一人じゃ食べきれそうにないから手伝ってくれ」

 そう言って手に持っていた紙袋を掲げる。

「いいですよ。あ、でもシャワー浴びたいんで少し待ってもらっていいですか?」

「ああ、じゃあ炬燵で待ってる」

 俺よりも先にドアノブに手をかけて中に入って行った。

 なんか最近千冬さんが部屋にいる事が増えた気がする。逆に来なかった日はいつだったけ?

 ……思い出せないな。こんなんじゃ交際してるなんて噂が立ってもおかしくない。世界女王(ブリュンヒルデ)のスキャンダルとなったら日本どころか世界中が大騒ぎだ。ハァ、頭が痛い。

 考え事は後回しだ。いつまでも待たせる訳には行かないしさっさと風呂に入ろう。

 俺は入ってすぐ横のバスルームの扉に手をかけた。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 髪に残った水気をバスタオルで拭き取りながらキッチンでお湯を沸かす。マグカップを二つ棚から取り出して振り返る。

「千冬さんは何飲みます?」

 そう聞いたがまるで聞かなかったかのように窓の外を見つめている。聞こえてないのか?

「千冬さーん。聞こえてますか?」

 手を振りながらそう問いかけるも微動だにしない。しばらく黙って様子を見ていると、こっちを向いて目を細めた。

「だから、『さん』はやめろって言っただろう」

 覚えていたのか。あの後酔っぱらって寝てしまったから忘れている事を期待していたが、世の中そう簡単に行かないらしい。約束した以上はこちら側から破る訳には行かない。こうなったら腹をくくろう。

「千冬は何が良いですか?」

「緑茶で頼む」

 今度は普通に受け答えをしてくれたが、俺は呼び捨てをすることに恥じらいを覚える。そんな俺に対して嬉しそうに微笑んでいる千冬さんを見て余計恥ずかしくなった。

 俺の恥ずかしがる姿はそんなに面白いですかね? 動揺を抑える為に視線をマグカップに戻して、一つには緑茶のティーパックを、もう一つにはインスタントコーヒーを入れた。

 お湯が沸くまでに表情を戻して、それぞれのカップにお湯を注ぎ炬燵へ向かった。

「お待たせしました。どうぞ」

「ありがとう」

 千冬さんはマグカップを受け取って机に置いた。紙袋からお菓子を取り出して机に並べて行く。饅頭や最中(もなか)、茶道部のお菓子だからかあんこ系が多い。俺も緑茶にすればよかったかな。

「さ、遠慮なく食べてくれ」

「じゃあ、遠慮なく頂きます」

 一番近くにあった饅頭を手に取ってパッケージをはがして一口目を齧った。皮のふわっとした食感とあんこの甘味が口に広がった。

「久々に食べたけど美味しいですね」

「気に入ってくれて良かった」

 千冬さんはマグカップを両手で包んで暖を取る。水面に二度息を吹きかけてから口元に近づけた。

「あちゃっ」

「フッ」

 俺はあまりにもシュールな光景に思わず吹き出してしまった。

 あの千冬さんが「あちゃっ」だって……

「そう笑う事無いだろう!」

「いやだって……」

「ええい、忘れろ!」

「分かりましたよ。次は少し(ぬる)めで入れますね」

「だから忘れろと……」

 うつむいてそう呟いた。

 これ以上弄ると鉄拳制裁を食らいそうなので話題を切り換える事にしよう。

「そういえば、今年もあと少しで入試ですね。千冬は今年も実技試験担当なんですか?」

「そうだ。だが毎年毎年、記念受験の奴が多くて困る。面倒だ」

 IS学園は世界中から生徒が集まる。知名度も桁違いだ。そのため毎年記念受験として試験を受けに来る輩が多いのだ。面倒だからといって試験を行わない訳にもいかないし、厄介な事この上ない。

 俺の様な裏方ですらそう思うのだから実際に試験を行う千冬さんはたまったもんじゃないだろう。有名だから千冬さん目当てで受験する奴とかいそうだし。

「それに今年は休みたかった」

「なんかあるんですか?」

「一夏も今年受験なんだ。前日と当日くらいは休みたかったがガッツリ試験日と被ってな」

「ああ、成程」

 そう言えばよく話題に出てくる一夏君も中学三年生か。受験日当日ぐらい家族としてエールを送りたかっただろう。だが千冬さんの代わりもいないのが現実。いないと試験が回らないぐらい受けに来るからな……。

「しっかり応援してやりたかったんだがな……」

 ハァーとため息をついて顔を伏せた。

 思い出してまた落ち込んでしまったみたいだ。うーん。触れてはいけない話題だったか。

 何とかしてあげたいが俺が代わってISの実技試験をするって訳にもいかない。だって俺男だし。

 じゃあどうするか。打開策を考えて俺が中学のときにしてもらった事を思い出した。

 立ち上がってパソコンが置いてある机の前に移動、引き出しを開けてある物を取り出した。

「千冬」

「ん?」

 呼びかけに答えて顔を上げた。

「良かったら使って下さい」

「これは便箋か?」

 千冬さんは俺が差し出した物を受け取った。

「ええ。何の解決にもなってませんけど直筆メッセージでも書いてあげて下さい。電話とかより手間がかかる分、受け取る側からすれば嬉しいですし、何回も読み返しが出来ます。俺も中学のとき両親に貰ったのを覚えてます」

 千冬さんは俺の話を聞きながら、じっと便箋を見つめた。

「准、ボールペン貸して貰えるか」

「いいですよ」

 俺は筆立てから一本ボールペンを取って差し出すと、千冬さんは早速便箋にメッセージを書き出した。

 その食いつき具合からしてどうやら喜んでくれたみたいだ。表情もさっきとは打って変わって明るいものに変わっていた。

 だがその優しい微笑みは俺では無く、まだ見ぬ少年に向けられたもので、これからも俺に向けられることはないのだろう。

 そう思うとほんの少しだけその少年が羨ましかった。

 ほんの少し。そう、ほんの少しだけだ。決して嘘はついていない。ホントだよ。



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私だって食べに行きたい。

 感想下さった方々、毎度ありがとうございます。活力になっています。

 では、最新話更新です


 二月中頃、入試を終えて今年のピークを乗り切ったかと思いきや、予想だにしていなかった出来事が職員を襲った。

 世界で初めてISを男性が動かしたのである。それも千冬さんの弟の一夏君がだ。

 そのニュースが世間の注目を集めない訳が無く、職員室で付けられているテレビでも彼の事が繰り返し報じられている。

 それに触発されたのか、職員を苦しめる『問い合わせラッシュ』が発生した。

 休む暇など与えないとばかりに鳴り響く呼び出し音。電話に出ると発せられる分かり切った質問。「答えられない」という事を丁寧且つ機械的に対処する職員一同。

 それは徐々に、そして確実に、気力を削ぐデスマーチ。終わりが無いのが『終わり』の作業。こんな経験は全然ゴールドじゃない。むしろブラックだ。ああ、これ以上働きたくない……。

 俺はぐでーと上半身を机に預ける。この状況が続くのなら、俺は海を漂う海藻になりたい。そう思うほど今の業務は苦痛だった。

「倉見さ~ん、大丈夫ですか?」

 体が揺さぶられて顔を上げると山田先生が心配そうな顔で俺を見ていた。普段は癒し効果のある彼女でもここ数日の激務でやつれていた。

「山田先生こそ大丈夫ですか? くま出来てますよ」

「へっ!? 嘘っ! 隠してきたはずなのに」

 山田先生は顔を両手で覆った。相変わらず慌てふためく様が面白い。

「嘘ですよ。鎌かけました」

「心臓に悪いですから、冗談でも止めて下さい……」

 ふぅ、と息を吐いて胸をなでおろした。大きいですね。

「疲れてるならこうやってだらけてみるのもいいですよ。山田先生もやってみませんか」

「え?」 

「ほら机が冷たくて気持ちいーです」

 自分の顔の横をペチペチと叩く。

「じゃあ少しだけ……」

 山田先生は俺と同じように体を机に預けて、顔を机にひっつけた。

「――――本当に気持ちいいですね、これ」

「でしょう?」

「でもこんな所を織斑先生に見られたらなんて言われるか分かったもんじゃないですね」

「それは無いですよー。だって今日は千冬さん非番ですよ。何でも弟の様子を見に行くんだとか」

 まあ、あんな事があった後じゃあ様子を見に行かざるをえないだろうし、千冬さんに注意される心配が無い。鬼の居ぬ間に洗濯というやつだ。

「それじゃあ心配要りませんねー」

「そうですねー」

「「ハハハハ」」

「ほう、随分と楽しそうじゃないか」 

 それは本来ここにいる筈のない声だった。俺はまるで古いブリキの人形の様にゆっくりと振り返る。

 後ろにいたのは、両腕を組んで俺達を見下ろす千冬さん。一瞬空気が凍り付いたかのように思えた。

「私の前で堂々とサボるとは、随分偉くなったものだな准」

「いや、これはその、あれです。働き蟻と同じです」

「蟻だと?」

 千冬さんは眉をぴくっと動かして俺への視線を強くした。

「サボっている様に見えて実はこれも必要な行動なんです。疲れた人のヘルプだったり、脱落した人の代わりだったりと、欠員が出たとき、すぐ代われるよう、自分のコンディションを整える行動なんですよ。ねえ? 山田先生」

「はい。こちらIS学園です。はい……」

 俺が同意を求めようとした山田先生は既に持ち場に戻り、電話対応を再開していた。

 逃げられた……だと!? 裏切ったな山田先生! 絶対に許さねぇ!

 目線を合わせると、片手で拝むようなジェスチャーをしながらウィンクをしてきた。

 畜生……! 可愛いから許そう。やっぱし可愛いは正義だね。

「なら休みの私の分まで働け馬鹿者!」

「つあっ!」

 拳骨が頭に振り下ろされ、激痛に耐えかねて変なうめき声が出る。

 世界一位の拳は今までに受けた事が無いもので、ハンマーで殴られたのかと思うほどだった。自業自得なので文句は無いが。

「今回はこれで手打ちにしてやる。次は無い」

「はい。すみませんでした……」

 もうサボるのは控えよう。少なくても職員室では。

「でも千冬さんはどうしてここに? 今日は休みでしょう?」

「いや、准に話があってな。上の許可は貰っているから来てもらっていいか?」

「分かりました」

 上から許可を貰ってでもしたい話、いったい何なんだろうな? 疑問に思いながら俺は千冬さんの後に続いた。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 応接室に二人きり、机に向かい合って座った。千冬さんは真剣な面持ちで俺に話し始めた。

「准には頼みごとがあってな」

「頼み事ですか?」

 千冬さんが頼み事とは珍しい。俺の助けがいる事なんてほとんど無いだろうに。考えられるとすれば、また部屋を掃除して欲しいとか? でもそれって上が許可を出してまでする頼み事ではないしな。

「うちの愚弟がISを動かしただろう?」

「おかげでこっちは大忙しですよ」

「サボっていたお前がそれを言うか……」

 千冬さんは頭に手を当て、ため息をついた。「まあいい」と話題を元に戻して続ける。

「それでここ数日、日本政府が保護、というか軟禁しているんだ」

「世界初の人材ですから、それぐらいは仕方が無いでしょうね」

「分かってはいるんだがな……。私としては心配でならん。この状態は精神的にも良くないだろうしな」

 健康面はある程度管理してくれるとは思うが、精神的には不安要素しかない環境だ。親代わりを務めてきた千冬さんとしては心配だろう。

「そこでだ。一足先にIS学園側で身柄を引き取るように掛け合って、受け入れさせた」

「国相手に個人で交渉できちゃうんですね」

 というか交渉にすらなっていない。一方的な押し付けだ。それを鵜呑みにしてしまう方もどうかと思うが……。

「まあ、日本にはいくらでも貸しがあるからな。――では本題に入ろう」

 俺は組んでいた腕を崩して机に肘を立て、口元を隠した。俗に言う碇ゲンドウのポーズだ。

「准には一夏に会ってやって欲しいんだ」

「はい? どうしてですか?」

 俺が一夏君に合わせる。その意味がいまいち俺には理解が出来なかった。

「ISを動かしてしまった以上、一夏はIS学園に入る事になるだろう」

「逆に入れない訳には行かないですしね」

「ああ、今の所一夏の他に適正者は見つかっていない。となると女子高に一人放り込まれることになる。あいつも年頃の男だ。それはキツイだろう」

「想像に難しくは無いですね」

「そこで、IS学園にいる男の知り合いを作っておいた方が、ある程度は気が楽だと思ってな」

「それで俺、ですか」

「ああ」

 俺以外の男性ってなると轡木さんぐらい、轡木さんは七十代だから年の近い俺の方が適任か。

「――引き受けてくれるか?」

 答えは決まっていた。他でもない千冬さんの頼みだ。断る理由など有りはしない。

「任せて下さい」

 俺は二つ返事で了承した。 

「助かる。ありがとう准」

 千冬さんは安心したのか、ふぅと息を吐いた。

「まあ、俺がほどほどに頼る様にと言いましたからね。頼ってくれて俺は嬉しいですよ」

「そうか、嬉しいのか」

「ええ、だからもっと頼って下さい」

「何だかお前といると私がダメ人間になっていく気がするな……」

 頬杖をついて俺の顔をじっと見る。前に垂れた髪を掻き上げて耳にかけた。

「別にいいんじゃないですか? 完璧な人間よりも多少欠点がある人物の方が好感が持てます」

「そういうものなのか?」

「まあ、少なくとも俺にとっては」

「ふむ……」

 千冬さんは頬杖を崩して顎に手を添える。何か考え事をしているみたいだ。下を向いてブツブツと何か呟くと、軽く深呼吸をして、俺に目を合わせた。

「准、もうすぐ定時だろう? 夕飯に付き合え。奢ってやる」

「別に奢って貰わなくても、」

「今回の礼だ。気にするな」

 俺の言葉を遮るようにして千冬さんがそう言った。でも女性に奢らせるのはどうかと思った。特にこんな世の中で、それも千冬さんに奢らせてしまっては女性に目の敵にされてしまう。

 俺はそれを避ける為に反論する。

「でも、千冬さん、」

「千冬」

 またしても俺の発言を遮った。鋭い目線が俺に突き刺さる。威圧感に屈して先程の言葉を修正する事にした。

「……千冬」

「なんだ?」

「女性に奢って貰うっていうのは世間的に気まずいです」

「私の礼が受け取れないって言うのか?」

「そういう訳じゃ……」

「なら決まりだな。行く店は私が決めておく。終わり次第連絡を寄越してくれ」

 千冬さんは立ち上がって、応接室の扉に手をかけた。ドアノブをひねって振り返る。

「待ってるからな、絶対に連絡しろ」

 いや千冬さん、そんなに釘を刺さなくても俺は約束を守りますよ……。

 

 ▼ ▼ ▼

 

「ここだ」

「ここ、……ですか」

 仕事を終えて校門前で千冬さんと合流し、歩くこと数十分。たどり着いたのはラーメン屋だった。

 こじんまりとした店に擦り切れた看板が立てかけられて、その下には暖簾が垂らされている。

 俺自身としてはこの寒い季節により美味しく感じるラーメンというチョイスは嬉しくはある。だがそれを女性が選択するということは予想外であった。

「千冬はラーメンが好きなんですか?」

「好きだな。ただ……女性同士だと誘いづらいし、かといって一人で入るのもなんだか抵抗があってな」

「それで俺に白羽の矢が立った訳ですか。寒いですし、早く入りましょうか」

 右手で引き戸を引いて店に入ると気前の良さそうなおっちゃんが「いらっしゃーい」と独特のイントネーションで声を出して、カウンター席に水を二つ置いた。俺達はそこに並んで座る。

「注文何にしましょうか」

 挨拶をしてきたおっちゃんが俺達に問いかける。

 壁に貼ってあるメニューのリストを見た限りではこの店のオススメは豚骨醤油であるようだ。

「じゃあ、俺は豚骨醤油で。千冬はどうします?」

「やたら決めるのが早いな。なら私もそれで。あ、あと餃子。以上で」

「はーい。では。確認お願いしまーす……」

 おっちゃんは俺達が頼んだメニューを繰り返して読み上げて確認すると、奥の厨房へ引き上げて行った。

「准はラーメンは豚骨醤油が好きなのか?」

「どうしてそう思うんですか?」 

「注文が早かったからな。豚骨醤油には目が無いんじゃないかと思ったんだ」

「ああ、成程。ラーメン屋って店によって特色があるじゃないですか。それも数えきれない程多種多様に」

「そうだな」

「作っている人が違うんですから得手不得手があるのも当然です。だから一回目はその店のオススメを頼む事にしてます」

 千冬さんは納得したようで腕を組んで頷いた。

「逆に千冬は何かこだわりとかありますか?」

「どのラーメン屋に行っても必ず餃子を頼んでいるな。ここは譲れない」

「確かに餃子の美味しい店は魅力的ですね」

「だろう?」

 その後もラーメン談義を続けていると厨房からおっちゃんが出て来た。両手で二つのどんぶりを乗せたトレーを持っている。

「ヘイ、豚骨醤油二つと餃子! お待たせしやしたっ!」

 カウンターに器が置かれる。濃厚そうなスープに浮かぶ二切れのチャーシューと味玉、ほうれん草。そしてそのしたに眠るちぢれ麺。セオリーに沿ったシンプルな一品だった。

 箸立てから箸を二膳取り出して、千冬さんに手渡す。

「ありがとう。では頂きます」

 両手を合わせてから千冬さんは食べ始めた。俺もそれに習って手を合わせた。

 添えられていた蓮華を手に取ってまずはスープを掬う。底が透けて見えないスープは濃厚で、まろやか。のど越しが素晴らしい。ほうれん草、麺、チャーシューと均等に食べ進め半分ぐらいまで食べ進めた所でお酢を投入。味わいがサッパリとしたものに変わり、さらに箸が進む。

 夢中で食べている途中でシャツの腰辺りが引っ張られた。

「准、こっちの餃子も旨いぞ、一つやろう」

 餃子が乗った皿を俺に向けて押し出してきた。

 俺は一つ箸で取って醤油にお酢、少量のラー油を組み合わせた「千冬ブレンド」のたれに付けて頂く。

 パリッと焼きあがった皮を嚙み切ると中からジューシーなアツアツの肉汁があふれ出る。口の中を軽く火傷するかと思った。餃子を飲み込んで、コップを手に取って水を口に含んだ。

「熱かったか?」

「いえ、大丈夫です」

 心配そうにこっちを見てくる千冬さんを手で制した。

「そうか、ならいい」

 千冬さんは素っ気無い態度で耳に髪をかけると、再びどんぶりに意識を向けた。本来千冬さんは基本的に食べるときは口数が多くないタイプなのかもしれない。いつもうちで食べるときは基本的に酒入っているから気がつかなかった。

 そんな事を考えながら、二人とも残さず完食、店を後にした。

 隣で白い息を手に吹きかけていた千冬さんに話しかける。

「美味しかったですね」

「ああ、今回は当たりだった。他のメニューが気になるな……」

「じゃあまた誘って下さい。予定が空いていれば付き合いますよ」

「そうだな、また行こう。約束だ」

 そう言って千冬さんは俺の少し前を歩いて行く。

 今日はただラーメン屋に行っただけだったが、この世界中でラーメン屋に行きたがる千冬さんを知っているのは俺や親族だけだと思うと何だかすごい貴重な体験をした気がした。




元々は一夏君と初会合させる予定で書き始めたのにいつの間にか千冬さんとラーメンを食べに行く話になってた事に驚きを隠せない。



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私だって取材を受ける。

一週間程お待たせしました。
誤字報告下さった方、感想を下さった方、毎度ありがとうございます。
今回も、愛のままにわがままに書きました。


 忙しさも落ち着き、俺は無事テレフォンボーイから脱却を果たした。

 今日は本職の整備士としての仕事を切りの良い所で中断し、職員室で焼きそばパンを頬張る。 

 弁当を作るのが面倒だったから、手を抜いて購買のお世話になりました。カツサンドとか焼きそばパンとか好きなんだよな。

 衣とパンに染みたソースとか、麺と絡んだソースがたまらなく好きだ。味付けソースばっかじゃねぇか……。もうパンにソース塗って食ってろとか言われちゃいそうなレベル。

「むっ、准。今日は弁当じゃないのか」

 パンを食べていると、千冬さんが話しかけてきた。

「ええ、今日は手抜きで購買のパンですよ。千冬さんは?」

「私も見ての通り私もパンだ。隣良いか?」

 俺が頷くと、千冬さんは隣の空席に座って、自分が買ってきた物を袋から取り出す。

「何を買ったんだ?」

「カツサンドと焼きそばパンです」

「随分とボリュームがある物を買ってきたな」

「総菜パンが好きなんですよ。二個も買えば腹が膨れますしね。逆に千冬さんはそれで足りるんですか?」

 千冬さんが買った物は菓子パン一個と豆乳だけ。現役時代はかなり食べる方だったので、あの量で満足するとは思えなかった。

「朝食べ過ぎたからこのぐらいのカロリー摂取が丁度いいんだ」

「この間人の弁当を摘まんでいた人の台詞とは思えませんね」

 今日もてっきり俺の弁当を摘まみに来たのかと思っていたが、言うと怒られそうなので心に留めておく。

「あれはお前が勧めてきたのがいけないんだ! 私だって体重管理してるんだぞ!」

 体重管理、つまりはダイエットか。千冬さんもそういうの気にするようになったんだな。

 十代の頃は食べた分以上に動けばいいんだと言っていた気がするが、まあ現役のときとは違って動く機会が減ったからこの変化は当然と言えば当然か。

「食べる量が減ってるってことは増えちゃった訳ですね。(たい)じゅ、」

「――准、少し黙れ。それ以上言ったら……」

「はい、言わないのでその出席簿を下して下さい」

 寒気がした。謝るのが少しでも遅れたら俺の頭に出席簿が叩き込まれただろう。あれは痛いからもう二度と食らいたくない。

「ふむふむ、織斑先生はダイエット中っと。思わぬ所でスクープゲット!」

 千冬さんの眉間にしわが寄る。

 誰だよ、火に油を注ぐような事をした奴は……! とばっちり食らうの誰だと思ってんだ。頼むから止めてくれよ。

 憎しみを込めて振り返ると、そこに立っていた身の程知らずは、俺の見知った人物だった。

 黛薫子。一年生の新聞部員だ。黛さんはニヤリと口角を上げて、メモを取っていた。――己に迫っている危険に気付かずに。

 背後から魔刀シュッセキボが振り下ろされた。

 打撃音、破裂音、何と例えればいいのか分からないが、とにかく本で出せる音とは思えない音が出る。

「ッ~あ……!!」

 黛さんは声にもならない叫びを上げて、頭を抱えてうずくまった。

 同情はしない。今のは君が悪いぞ。

「黛、分かっているよな」

 千冬さんが爽やかな笑みを浮かべながら、そう言った。

 笑顔なのに殺意しか感じられない。

 殺気を浴びせられた黛さんはガタガタと震えていた。

「は、はい。この情報は墓場まで持っていきます」

「ならいい」

 千冬さんは再び隣の椅子に座り直す。黛さんは痛みが収まって来たのか、ズレた眼鏡を直して、よろよろと立ち上がった。

「大丈夫か、黛さん」

「ええ、何とか」

「それで? ただ千冬さんに喧嘩売りに来た訳じゃないでしょ? 何のよう?」

「そうでした。倉見さんと織斑先生にお願いがありまして」

 お願い、ねぇ。大方新聞部の取材だとは思うが、正直な所そう言った物は苦手だ。

 好奇心の赴くままに人のプライバシーに土足で踏み入って、ある事、無い事を広める。そういった連中がどうしても好きになれなかった。

「この雑誌知ってますか?」

 黛さんが机に置いたのはよくある女性が表紙を飾っている雑誌だった。

「『インフィニット・ストライプス』か、確かIS関連の情報を提供する雑誌だったな」

「織斑先生よくご存じで」

「まあ、この仕事をしていると嫌でも目に入るからな」

「それで? それがどうかしたんだ。黛さん」

「実は姉がこの雑誌の編集部に勤めてまして、何とか二人に取材をお願いできないかと……」

 話を聞きながら俺は置かれた雑誌を手に取る。ページを(めく)って流し読みをすると、どのページにも男性の姿は無い。まさに女尊男卑の雑誌と言えた。

 何、こんなアウェイな雰囲気の場所に取材を受けに行かなきゃいけないの?

「私は准が良ければ行ってもいいが、どうだ?」

 流石は千冬さん。俺の意思を尊重してくれるんですね。そこいらの女性とは大違いだ。

 では、はっきりと断らせて貰おう。

「嫌です。絶対に行きたくないです」

「そんな!? どうしてですか!」

「いや、何となく居心地悪そう」

「そんな理由で!? 今なら報酬にペアで行けるディナーチケットが付いてきますよ」

 断ると言おうとした瞬間に口を塞がれた。

 あれ? 千冬さーん。何してるんですか?

「黛、日時と場所は?」

「受けてくれるんですね! 今週土曜、駅前のスタジオです」

「わかった。こいつは無理やり連れて来るから安心しろ」

「助かりまーす。では姉に連絡しておきますねー」

 黛さんは軽い足取りで職員室を出て行き、俺が週末に取材を受けることが決定した。

 拒否権なんて無かったんだ……。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 千冬さんと一緒に歩いてスタジオにたどり着く。

 隣に立っている千冬さんは何だかそわそわしていて、口数が少ない。

「えっと、織斑千冬さんと、倉見……准さん? で合ってますか?」

「はい。そうです」

 眼鏡をかけたスーツの女性が話しかけてきた。よく見ると、顔つきが黛さんに似ている。恐らく彼女が黛さんのお姉さんなのだろう。

「インフィニット・ストライプスの副編集長、黛渚子(なぎさこ)です。今日はよろしくお願いします」

「ご丁寧にどうも」

 差し出された名刺を受け取って懐に仕舞った。

「写真撮影から行きますので、こちらの更衣室へどうぞ。隣接しているスタジオがあるのでそのまま進んで下さい。私は先に行ってお待ちしてますね」

 そう言って黛記者は先に行ってしまった。

「じゃあ千冬さん、後で」

「ああ、後でな」

 千冬さんと入口で別れて男子更衣室へと足を踏み入れた。

 正面にあったハンガーラックに掛けられていた衣装を見る。

 真っ白で厚手の生地に、背中の日の丸。かつて着ていた日本代表スタッフの作業着。

 懐かしい気分だ。日程が進むにつれて汚れて、最後の方は真っ黒になっていたっけ。選手の着ていたユニフォームならまだしも、よくこっちを用意できたな。

 撮影スタッフの努力に関心を覚えながら、衣装に袖を通してスタジオへ出た。

 壁際にあったソファに腰かけて千冬さんの到着を待つ。

 俺が代表の衣装となると千冬さんもそうなのだろう。

 千冬さんの衣装を思い浮かべると、出て来たのはISスーツ。競技中はこの姿であったので、織斑千冬と言えばこの姿という人も多いだろう。

 ISスーツは露出がそこまで多くないが体のラインが強調される。正直言って裸よりもエロい。

 違うものであるとは思うが、着替えに時間がかかっている事を考えると可能性も捨てきれない。

 ――――期待しちゃうよね。

「待たせたな准」

 千冬さんの声がして振り返る。さあ、どんな衣装だ!? 

 髪は後ろで一つに纏められていて(うなじ)が見える。肌覆う真っ白に赤いラインの生地。それが肌に密着して……いない。

 ジャージだった。

 うん、知ってたよ。常識的に考えてあんな衣装はあり得ないよね。

 分かっていたのに、なんでこんな気分が落ち込むんだろうな……。

「ふふっ、その恰好も懐かしいな」

「……そうですね」

「どうした? 気分でも悪いのか?」

「大丈夫ですよ」

 作り笑いをして表情を変え、誤魔化す。

 ISスーツを着た千冬さんを妄想していた、なんて口が裂けても言えないからだ。

「二人ともそろったみたいなので撮影始めましょうか!」

 スタッフに声を掛けられて、照明が当たっている幕の前に移動した。

「では織斑さん。倉見さんの腕を抱いて貰って良いですか?」

「ああ、分かった」

 恥じらいを見せる事無く、俺の腕に千冬さんが抱き着く。過去にもこのような撮影をやった事があるのだろうか? 妙に手慣れている感じがした。

「いいですねー。こっちに目線を下さい。では取りまーす」

 フラッシュが焚かれて、シャッター音が聞こえた。

「では今度は倉見さん。織斑さんの後ろに回って肩に手を回して下さい」

 結構ハードルが高くないか? 女性に後ろから抱き着くってことだろ? そんな事しでかしたら、セクハラで訴えられてしまいそうだ。

「准、早く……してくれ」

 俺が躊躇(ちゅうちょ)しているとそう急かされた。

 本人がいいのなら、ためらう事は無いか。

 後ろから肩に腕を回す。千冬さんの頭と顔が近くなる。何だか甘い匂いがした。これ長時間やったら(はず)()(恥かしくて死ぬこと)しそう。 

「ポーズは良いですけど二人とも顔を上げて下さい」

「「は、はい」」

 この後も様々なポーズに四苦八苦しながら撮影が続いた。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 羞恥心を堪えながら撮影を終えて場所をロビーに移した。

「撮影お疲れ様です。では取材の方をしますので、こちらの椅子に掛けて下さい」

 言われるがままに二人並んでソファに腰を掛ける。

 黛記者は正面の机にボイスレコーダーを置いて、スイッチを入れた。

「では、始めさせて頂きます。今回は第三回モンドグロッソが一年後に迫っていると言う事で、第一回、第二回で活躍した二人に来て頂きました。早速一つ目の質問ですが、二人が思う公式戦で勝ち進めた理由は何でしょうか?」

 ザックリと言えば「千冬さんが味方だったから」で済む。……真面目に答えよう。

「千冬さんが機体性能を生かし切れていたからですかね。こちらの想像以上の動きをしてくれましたよ」

 一人だけ高速切替(ラピッドスイッチ)瞬時加速(イグニッションブースト)といった高等技術を持ち合わせていたからな。あれで勝てない方がおかしい。

「織斑さんはどうですか?」

「私が気持ち良く試合を出来るように、准が機体の調整をしてくれたからですね」

 模範解答と言えばそれまでだが、ここまで素直に褒められると何だか照れくさい。

「素晴らしい信頼関係ですね。今は信頼し合っている二人ですが、初対面の時はどうだったんですか?」

 初対面の千冬さんは確か、

「無口で孤高の狼って感じでしたね」

「准がそれを言うか、代表唯一の男子で人と一緒にいるのを避けてたくせに」

「女性と接するのが苦手だったんですよ。距離感が掴めなくて……」

「ははっ、お互いに無口の印象だったんですね。似たもの同士だった、っと」

 黛記者は笑ってメモを取った。

「では話をモンドグロッソに戻しまして、織斑さんは第二回大会の決勝戦で辞退しましたよね? どうしてですか?」

 これまた答えづらそうな質問をしてきたな。隣を横目で見ると、千冬さんの表情はこわばっていた。

 無理もない。あのとき千冬さんにはいろいろあったからな。思い出すのも苦しい筈だ。

 ここは俺がフォローしよう。公式に発表された言い訳を記憶から掘り起こす。

「あのとき、整備不良があったんですよ」

「整備不良ですか?」

「ええ、俺が土壇場で調整をミスしてしまって、とてもじゃないけど、あの機体は人が乗れる状態じゃなかった」

「そうだったんですか」

「大事を取って千冬さんには辞退して貰いました。もし何かあってからじゃ遅いので」

 これで何とか誤魔化せたはずだ。

 黛記者は納得のいったようで、メモを取った。

「ふむふむ成程。では最後に次回の出場者の方たちにエールをお願いします!」

「では、俺からは未来のIS整備士に。直前まで確認を怠らない、選手達を気持ちよく試合に臨ませる。この二つを大事に次回のモンドグロッソを頑張って貰いたいです。千冬さんは?」

「え、ああ。私からはそうだな。日々の努力があの大舞台では生きてくる。今の努力を継続して一年後に備えるように、とだけ」

「では、これで取材を終えます。ありがとうございました」

 

 ▼ ▼ ▼

 

「良かったのか? あんなことを言って」

 スタジオからの帰り道、千冬さんはそう問いかけてきた。

「何の事ですか?」

「とぼけるな。あの時准は整備ミスなんかしなかっただろう。どうしてあんな嘘をついたんだ」

 千冬さんが洋服の袖を引っ張って引き留める。視線がぶつかった。鋭く、力強い視線。それに耐えかねて俺は目線を逸らした。

「専用機『暮桜』は整備ミスによって暴走、そして破損。織斑千冬は辞退する事になった。これが世間での事実です」

「でも、んっ」

 言葉を遮るために頭に手を置いて撫でた。

「本当の事は千冬だけが知ってればいい。それだけで俺は十分だから」

「そうか……」

 どうせあの時起こった事は表に出ることはないだろう。公表して称賛を浴びようとも思わない。そんなことしたら後ろから刺されるかもしれないしな。

 千冬さんは撫でられっぱなしで恥ずかしくなったのか、俺の撫でていた手を掴んで止めた。

 そして俺の方をじっと見る。

「なんだその、ちょっと目を閉じろ」

「何ですか?」

「いいから」

 言われるがままに目を閉じると、頬に柔らかい感触。

 戸惑って目を開けると至近距離、いや零距離にまで千冬さんの顔が近づいていた。

 一瞬時間が止まってしまったかのように感じられ、ゆっくりと千冬さんが離れて行く。

「礼だと思って受け取っておけ。私は寄るところがあるから、じゃあな!」

 千冬さんはものすごい勢いで走って行ってしまった。

 一歩下がって右手で頬に触れる。

「え?」

 今……キスされた? どうして? なんでだ? 意味が分からない。

 俺はしばらく混乱から抜け出せず、その場から動き出す事が出来なかった。 



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私だって不意を突かれると弱い。

大分手間取りましたが、ようやく出来ました。
感想、評価を下さった皆様、心が折れそうなときに支えになってます。ありがとうございました。
では最新話です。


 今日は珍しく朝から職員室へ顔を出していた。

 普段は整備室に行って授業前の最終確認を行うのだが、今日は実技の授業が無かったのでその必要はない。その代りに備品の補充の書類を書かなければならなかった。

 ISは精密機械、少しの狂いが事故に繋がる可能性がある。だから、その整備の肝である備品は常に万全な状態にしておきたい。新年度を迎える前にしっかりと処理すべき重要な仕事の一つであった。

 だが、そんな大切な作業をしているにも関わらず、俺は目の前の仕事に集中することが出来ないでいる。

 何故かと言えば、考え事をしていると、どうしても昨日の出来事が頭をよぎってしまうからだ。

 千冬さんが唐突にしてきた頬へのキスは、俺に精神的被害を与えた。被害じゃないだろって? いや、ね。正直嬉しかったよ。千冬さんからキスされたのは。でもおかげさまで、家に帰った後も心臓バックバクで、一睡もできてないんだよ……。心臓がフル回転し続けて、胸が苦しいどころか痛い。

 そんな俺の精神状況を知って知らずか、千冬さんはいつも通りに扉を開けて出勤してきた。その姿が近づくにつれて鼓動を打つスピードが更に上がる。

「おはよう准」

「おはようございます、千冬さん」

 挨拶を普段通りに返す。表情を取り繕えているか不安だ。

「ん? どうした准。顔色が良くないな」

「そうですか?」

「ああ、少し顔が赤いぞ。熱があるんじゃないか?」

 そう言って千冬さんは俺の額に手の平を当てる。急に触られた事に驚いて、ビクッと肩が跳ねた。

「熱はそうでもないか、でも一応保健室に、」

「大丈夫、大丈夫ですよ。じゃあ千冬さん、俺ちょっと備品の確認に行くのでこれで!」

 早口で捲し立てると、俺は書類を手に整備室へ向かう。

 走ったら怒られるので、早歩きで。

 誰ともすれ違うことなく整備室の前に到達する。鍵を開けて中に入り、整備室の作業台の上に顔を伏せた。まだ朝早いからか、俺の他に人はいない。

 そうしていると、職員室に居たときよりも鼓動が落ち着いて、まともな自分でいられる気がした。

 今日はここで仕事を済ませるつもりだった。備品も直接確認できるし、生徒がここに来ることもない。まさにうってつけの場所と言えた。

 さっさと仕事に取り掛かろう。時間は有限だ。考え事はやる事をやってからにしよう。

 ワイシャツの胸ポケットからボールペンを取り出して、書類に書いてある備品の状態を確認しに行った。

 

 ▼ ▼ ▼

 

「これで終わったか」

 一通り確認を終えて、書類に記入を終える。

 時刻は六時。もう外はすっかり暗くなってしまっていた。期限までには余裕があるから書類の提出は明日にして、今日はそのまま帰ってしまおう。整備室の戸締りをして鍵をかけ、外に出る。

 夜風が当たって肌寒い。春も近づいていると言うのに、今日はだいぶ冷え込んでいた。

 歩いていると服の隙間から風が入り込んで、体温を奪う。

 俺は寒さに耐えかねて、自動販売機で温かい飲み物を買う事にした。

 バッグから財布を取り出して小銭を投入、コーヒーかココアどちらにするか悩んだ末にココアのボタンを押した。プルタブを起こして、口にする。外気にさらされ続けたベンチに座る。尻が冷たい。長時間何も口にしていなかったから、その甘さが体に染みた。

 

 さて、現実逃避(しごと)は終わった。考え事を再開しよう。

 時間が経ち、羞恥も薄れて、昨晩より幾分か冷静に考えることが出来る筈だ。

 どうして俺がここまで取り乱したのか、それは分かり切っている。俺が千冬さんの事が好きだから、好きな人にキスをされたから、そんな単純な理由だ。

 だが、これ以上踏み込んでいいのか、どうか。その疑問が俺を踏みとどまらせていた。

 前提として俺は大した人間ではない。学生時代に打ち込んだ野球は中途半端、IS整備士として代表入りはしたが、所詮整備士、ミックスグリルで言う所のグリンピースの様な存在。ちゃんと食べて貰えるかどうかも怪しい。

 それに対して千冬さんは完全無欠という言葉が似合う、外見も実力も世界の中でトップクラスの選手だ。比べる方がどうかしている。

 でも、そばにいるだけで良い、話しかけてくれるだけで嬉しい、それで十分、そう言って諦めていた事にあと一歩で届くかもしれない。そう思うと心が揺れたのだ。

 だがそれと同時に、この一歩で今の関係ですら崩れ去ってしまうかもしれない。そう考えるほどに弱気になってしまう。そんな自分が情けなくて、嫌いだった。

「はぁ……あと少し、自分に自信が持てたらいいのにな」

 そう呟いて、ココアを飲む。結構長々と物思いに耽っていたようで、すっかり(ぬる)くなっていた。

 それを一気に飲み干して、ゴミ箱を探す。自販機の横に口を大きく開けた金網のゴミ箱を見つけた。距離は目測で約十八メートル。懐かしい距離感だ。

 その懐かしさに引かれてベンチから立ち上がり、セットポジションで構えた。

 左足を上げてから前に踏み出し、突き出した左手を引き込んで、右腕を上から振り下ろす。だが、その途中で右腕は止まり、空き缶は中途半端な所からリリースされた。空き缶はゴミ箱の遥か手前に着地。カランと気の抜けるような音を立てて、転がって行く。

「やっぱダメか」

「やっぱダメか、じゃない。ゴミぐらいちゃんと捨てろ」

 千冬さんは呆れた顔でそう言って空き缶を拾うと、ゴミ箱に入れた。

「……以後気を付けます」

 突然現れた千冬さんに驚いて返事をするのが遅れたが、何とか表情を取り繕う事が出来た。

「そうしてくれ」

 そう言うと、千冬さんは俺の隣に立った。その動きはとても自然で、千冬さんにとって昨日の出来事は何でもないごく普通の事だったのかもしれない。

「なあ、准」

「何ですか?」

「その、悪かったな」

「はい?」

 千冬さんに謝られることに覚えが無かったので、思わずそう聞き返した。

「その、昨日は突然あんなことをして済まない。嫌だった……よな」

「そんな事、ないです」

 むしろ嬉しくて一日中悩んでいたまでだ。

「じゃあ、何で今日は私を避けてたんだ。昼も戻って来なかっただろう」

「別に避けた訳じゃないですよ。仕事が忙しかっただけです」

 なぜ避けていたか、そりゃあ昨日あれだけの事をされれば意識して顔を合わせづらいに決まってる。ただそれを素直に口にするのは気が引けたので、そうはぐらかした。

「嘘ついてないか?」

「俺はそこまで信用無いですか?」

「そんなことはない、ただ……不安だったんだ」

「不安、ですか?」

「准に嫌われたんじゃないかって。おかげで今日は仕事が手に付かなかった」

 きっと千冬さんは千冬さんで昨日の事で悩んでいたのだろう。自分がした事に対して俺がどう思っているのか? もしかして嫌われたんじゃないか? そんな疑問と不安に駆られて、一日中。

 俺は昨日、黛記者に言われた事を思い出す。“似たもの同士”、か。あの時はそこまで意識していなかったが、考えていたことも一緒とか、似ているにも程がある。そう思うと何だか笑えてきた。

「なっ! 何も笑う事無いだろう!」

「いや、すみません。気にしないでください」

「私がどれだけ悩んでいたかも知らないで……!」

 それはこっちの台詞だ。そう言い返したくなったが飲み込む。

「分からないですよ、心が読める訳じゃ無いんで」

「はぁ……ああ、要らない心労をしたじゃないか」

 ため息をついて千冬さんはそっぽを向いた。

「でもまあ、俺の為に悩んでくれたってのは嬉しかったです」

「またお前はそういうこと言って私をからかう気だな! 騙されないぞ!」

 俺の言葉はあっさりと否定されてしまった。一応本心なんだけどな……。女性のご機嫌取りにあれこれ言っていたのがここにきて裏目に出てしまったか。訂正するのも面倒なので、そのままにする。

「じゃあ、そういう事にしておいて下さい」

「じゃあって何だ、じゃあって!」

 千冬さんは振り返って、シャツの腰辺りを掴むと揺さ振った。それ止めて、伸びちゃうから。

 しかし……こうして精神的に余裕が出ると、昨日は自分だけがからかわれた様で気に食わなくなってきた。やられっぱなしは性に合わない。何とかして千冬さんを戸惑わせてやれないだろうか? 色々考えた末に思いついたことを実行することにした。

 シャツを掴んでいる千冬さんの手を引き剥がして、指を絡める。

 それに驚いて、千冬さんは一歩下がるが、手は決して離さなかった

「手、冷たいですね」

 俺が触れた手はすべすべしていて、柔らかかったが、それよりも先に出て来た感想がそれだった。

「……准のせいだぞ、こんな分かりづらい場所にいるから」

 弱々しい声でそう呟く。その言葉を聞いて俺は申し訳ないと思うと同時に、嬉しかった。自分がそれだけ千冬さんに想われているという実感が持てたからだ。我ながらめんどくさい奴だと再認識する。

 自分の体温が移りやすくなるように手を握る力をほんの少し強くした。

「そろそろ帰りましょう。ここは冷えますから」

「ああ、そうだな」

 手を引いて寮を目指す。その間千冬さんはうつむいていて、その足取りはたどたどしい。少し心配になったので声を掛ける。

「千冬、大丈夫ですか?」

「……っ、ああ、大丈夫だ。何かあったか?」

 少し間があったが、ちゃんと返事が返って来た。別に特に聞きたい事は無かったが、呼びかけた以上は何かしら話さないと。そうだ、今日の夕飯の話にしよう。どうせ今日も部屋に来るんだろうし。

「今日の夕飯どうします? 良ければ御馳走しますが」

「行く。今日は何にするんだ?」

「トマト缶があったのでトマト鍋にしましょうかと思ってます。シメをリゾット風にすると美味しいんですよ」

「そうか、期待してる」

 そう言って微笑んだ千冬さんは、月明かりに照らされていつもよりも綺麗に見える。

 戸惑わせるつもりだったのに、俺はその表情にドキッとしてしまって、思わず視線を逸らした。

 心臓の音が意識しなくても聞こえる。その音が繋いでいる手から伝わっていないで欲しいと願いながら、俺は歩を進めた。 



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彼だって姉が心配になる。

おかげさまで日間ランキング一位を達成しました! 
これも読者皆様の感想や評価のおかげです。ありがとうございます。
これからも頑張って書いていきたいと思いますので何卒よろしくお願いします。



 三月になってしばらくが経ったころ、卒業式が終わって新入生を迎える準備を始めた。

 その一つが寮の手入れである。

 三年間使われ続けていた寮を整備し直し、快く新入生を迎え入れようと言うものだ。基本的に退寮前に卒業生が掃除してくれている為、ほとんど手を加える必要が無いのだが、廊下のワックスがけや、壊れかけのドア等といった備え付けの備品取り換えは俺達整備担当者や用務員が総出で行う。

 そんな作業に向かう途中、数少ない男性の上司、轡木さんに呼び止められた。

 轡木さんはこの学園の学園長であり、クビになってフリーターになっていた俺をスカウトした人物。こうして再び仕事が出来るのも、その報酬が貰えるのも、全部轡木さんのおかげ。……別に過去を挟み込まれているわけでは無い。たぶん。

「それで、何の用でしょうか。轡木さん」

「今日はこっちに来なくていいですよ。代わりに織斑先生の手伝いに行ってくれませんか?」

「ちふ……織斑先生のですか?」

「そうです」

 千冬さんの仕事の手伝いを学園長から直々に依頼されるのは中々珍しい。それほど大変な仕事があるなんて話は聞いていないが、いったい何をするのだろう? まあ、行けば分かるか。

「分かりました。どこに向かえば良いですか?」

「校門に向かってください。織斑先生は先に行っています。それと今日はその仕事が終わったらそのまま帰って下さい」

「え? いいんですか?」

「ええ。その代わり明日は頑張って下さいね」

 心の中でガッツポーズを決めた。

 そうと決まれば今日はさっさと仕事を終わらせて帰ってやる!  

「じゃあ、もう行きますね」

 俺は千冬さんが待つ校門へと急ぎ足で向かった。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 満開の桜がひらひらと散っていく様を眺めながら校門に行くと、もう既に千冬さんは腕を組んで待っていた。時折花弁を掴もうと手を伸ばしては、肩を落とす様が遠くから見て取れる。花弁を中々上手く捉える事が出来ていないようだ。

 こっちの方へ花弁を追って手を伸ばした所で、遠目に俺の存在に気が付いて手を引っ込めると、歩いてこっちに向かって来た。

「准! いるなら声をかけろ!」

「いや、楽しそうだったので邪魔するのも悪いかな、と」 

「そ、そんな事無い! 准が遅いから暇だったんだ」

 直接来た千冬さんより、別の場所を経由した俺の方が遅くなるのは必然なのだから、そこら辺は何とか察して欲しい。IS学園は島一つが校舎なので無駄に広いんだよな……。

 そんな事より、仕事内容を全く聞いていないので千冬さんに確認を取らないとな。場合によっては俺より適任がいるかもしれない。

「所で千冬、轡木さんに頼まれて来たんですけど、何すればいいんですか?」

「言われてないのか?」

「ええ、行けば分かると思って聞きませんでした」

「ちょっとは確認したらどうだ? 変な仕事だったらどうする」

「千冬がいるなら安心でしょう。その可能性はほぼないと見ました」

「そうか……まあいい。では本題に入ろう。今回、准に頼むのは荷物運びだ」

「荷物運び、ですか」

 男手が必要になるほどの大量の荷物が送られてくるのか、まあ千冬さんも人間だ。力はあるが腕は二本しかない。持てる荷物には限りがある。面倒だが、その程度で今日の仕事が終わってしまうのなら万々歳だ。

「あとついでに一夏の奴が送られてくる」

「え? 例の一夏君ですか?」

「ああ。今日からIS学園で保護する事になるな」

 ええ……。そんなの聞いてない。報告ぐらいしてよ。頼むから。

「今日から、ですか。いつ決まったんですか?」

「昨日の夜だ。一夏の奴が電話で泣きついて来て、『今すぐIS学園に行かせてくれ』って言われたから、流石に限界だと思ってな。日時を早めた訳だ」

 それなら仕方が無いか、きっと一夏君も精神的に参っていたんだろう。監視状態でホテルに缶詰とか精神的に辛いだろうし。となると荷物は一夏君の生活用品か。

「でも、まだ空いている寮は立ち入り禁止ですよ。しばらく中は作業中になりますから」

「ああ、それは私も轡木さんから聞いている。だから、私の部屋に一緒に住むことになるな」

「成程、それなら安心ですね」

 となると、俺もしばらくはお隣さんとしてやっていく事になるのだから、早めに顔を見せた方が良いだろう。それにいつも千冬さんの世話になって……、いや世話をしているから挨拶ぐらいしておきたい。

 それにはこの荷物持ちは丁度いい機会だった。

 桜を眺めながら待つこと数分、遠くから黒塗りの車が走ってきて目の前に停車した。

 中には黒服で筋骨隆々の男達に囲まれる青年が見えた。彼が一夏君なのだろう。黒服の人達に頭を下げて、しっかりと礼を言ってこちらに向かってくる。そして千冬さんを見て安堵の表情を見せた。

「千冬姉!」

「久しぶりだな一夏。元気そうで何よりだ」

「俺も千冬姉に会えて嬉しいよ」

 そんな和やかな会話で、姉弟の仲の良さを見せつけられる。酔うと千冬さんは一夏君の自慢を始めたりするので察してはいたが、想像以上に仲がいい。俺は一人っ子だから、そういうのが羨ましかった。

「で、えっと千冬姉、その人は?」

「ああ、紹介がまだだったな。こいつが准だ」 

 一夏君の問いかけに千冬さんが答える。俺も挨拶を済ませておこう。

「初めまして、一夏君。俺は倉見准。これからよろしく」

 俺が名乗って手を差し出すと、一瞬目付きが鋭くなったが、すぐに元の表情に戻った。

「えっと、よろしくお願いします。倉見さん」

 一夏君と握手を交わす。第一印象としては爽やかさがにじみ出ている好青年だった。が、その中に違和感を感じ取った。何かを必死になって包み隠している気がする。

 もしかしたら俺は嫌われているのかもしれない。

 手を離すと、黒服の人達がトランクから段ボール箱を取り出しているのが見えた。

「千冬さん、俺はあれを部屋まで運べばいいんですね」

「ああ、頼む。一夏、お前の荷物なんだから准に頼り過ぎるなよ」

「分かってるよ。むしろ倉見さんに頼らなくたって、俺だけでも余裕だ!」

 そう言うと一夏君は積み重なった段ボール箱を全て持ち上げた。千冬さん譲りで、運動能力も高いみたいだ。織斑家は化け物揃いか。

「そうか、余裕か。じゃあ准、走って部屋に戻るぞ。一夏もついてこい」

「すいません。やっぱり無理です」

「一夏、無駄な時間を少なくするために私達がここにいるんだ。見栄を張るのも良いが、後で後悔することも多い。止めておけ」

「わかったよ、千冬姉」

 一夏君は持っていた物を降ろした。俺は四つあった段ボール箱の内二つを抱える。

「じゃあ、行きましょうか」

「ああ、そうだな。一夏付いてこい」

 残りの荷物を二人が一つずつ持って歩き出す。俺はその後ろに続いた。

 

 ▼ ▼ ▼

 

「倉見さん、少し待ってて貰えますか?」

 千冬さんの部屋の前で一夏君にそう促された。

 何? 新手のイジメ? そろそろ俺の腕もキツイんだけど。

「どうしてだい?」

「少し確認したい事があって、倉見さんには見せられないです」

「はぁ、そこまで心配しなくてもいいぞ一夏。掃除ならちゃんとやっている」

 そうだね。掃除なら(俺が)ちゃんとやっているね。

 目を離すとすぐ散らかすからな。定期的に部屋に行っているから、以前ほどは問題はない筈だ。

「千冬姉が言ってたじゃないか、見栄を張るのは止めておけって。大人しく俺に部屋を掃除させてくれよ。千冬姉は家事は何にも出来ないんだから、俺がちゃんとしないと」

 そう言いながら一夏君はドアにかかった鍵を開けて、中を見る。

「……え?」

「だから言っただろう。准、中に入って適当な所に荷物を置いてくれ」

 千冬さんに促されて中に入り、荷物を置いた。

 これで俺の今日の仕事は終わりか、時計を見ると一二時を少し過ぎたくらいだ。帰って昼食でも食べよう。

「じゃあ千冬さん。俺はこれで失礼します」

「もう行くのか。仕事か?」

「いえ、今日はもう休みです。明日から忙しくなりそうなのでゆっくりしますよ」

「そうか……。今日はありがとう准、助かった」

「これぐらいどうという事はありませんよ」

 というか今日はこれで後は休みになるのだから、俺がお礼をしたいぐらいだ。

「じゃあ千冬さん、また明日」

「ああ、また明日」

 体の前で小さく手を振る千冬さんを横目に見ながら俺は部屋を後にした。

 

 その後、余りもので昼食を済ましてボケっと窓の外を眺める。本来は仕事だったから特に予定を入れておらず、やる事も無い。

 ゆっくりするとは言ったものの、いざそうしていると本当に退屈だ。部屋に戻ってからまだ一時間も経っていなかった。何かやる事を探して暇を潰したいが、掃除はこの間済ましたし、夕飯の支度にはまだ時間が早い。他にやる事といえば何があったか……。

 そういえば、押し入れに何本かヒカルノに貰った釣竿があったな。IS学園に来たばかりの頃は良く釣りに行っていたが久しく行っていない。久々に行ってみるのも良いか。

 早速押し入れの奥に眠っていた釣竿とバケツを取り出して、外に出る。

 廊下を歩いていると、一夏君を発見した。彼の手にはペットボトルが握られており、自動販売機でジュースを買った帰りなのだろう。向こうも俺に気が付いたようで手を振ってこっちに歩いて来た。

「どうも、倉見さん。どこかに行くんですか?」

「いや、あんまりにも暇だったんで、釣りにでも行こうかと思ってね」

「へぇ、釣りですか。俺も暇なんでついて行っていいですか?」

 しばらく軟禁されていた彼にとって、海に行くのも良い気晴らしになるだろう。それに以前、千冬さんに頼まれていた事もあって、俺はその頼みを了承することにした。

「いいよ。一夏君は竿持ってるかい?」

「残念ですが、持っていないです」

「じゃあ俺のを一本貸して上げるから、ちょっと待っててくれ」

「ありがとうございます!」

 一度俺は部屋に戻ってもう一つ竿を取ると、一夏君と一緒に近くの堤防を目指した。 

 

 ▼ ▼ ▼

 

 竿を両手で持ち、左肩を引いて沖へとリリースする。竿がしなった反動でルアーが放物線を描いて飛び、着水した。

「と、言った感じだ」

「おおー。じゃあ俺も」

 投げ方を教えて実演すると、一夏君も見よう見まねで海へとリリースした。だが真っすぐに飛ばずに左に逸れる。

「あれ? 上手くいかないな……」

「一夏君、もっと力を抜いていい。体じゃなくて竿の反発力を使うんだ。まあ、また投げればいいさ」

「……そうですね」

 リールを巻いて水中のルアーを動かす。一夏君は集中しているのか、無言になっていた。

 その後何度か投げ直し、獲物がかかるのを待つが中々当たりは来ない。

 しばらくの間波の音だけが聴覚を支配する。手が潮風にさらされ続けて冷えてきた。竿から片手を離して息を吹きかけ暖を取る。手袋ぐらいして来れば良かったな。

「冷えて来ましたね」

 沈黙を破って一夏君が話しかけてきた。

「……そうだね」

 上手く会話を続ける事が出来ずに会話が途切れる。一夏君の趣味を知っていれば、もっと話題が広がるんだろうが、残念ながら今の俺にはそんな都合のいい情報は無い。どう返したものか……。

「倉見さんは、千冬姉とどんな関係なんですか」

 俺が考え込んでいると、一夏君はそう切り返して来た。

「どうしてそんな事を聞くんだい?」

「いえ、この間雑誌を見たら、倉見さんと千冬姉が一緒に取材を受けていたので気になって」

 雑誌……この間の奴か。腕を組んだり、抱き着いたり、色々と反感を買いそうな写真を取られたからな、一夏君としても気になる所だろう。

「まあ、仕事仲間だよ」

 この手の質問に対して一貫している答えを口にする。

「ただの仕事仲間が部屋の掃除をしますか?」

「……千冬さんだって自分で掃除ぐらいするさ」 

 ばれてる? 何処から漏れた? まさか盗聴してたのか? だとしたら怖すぎだろ……

「千冬姉を問い詰めたらあっさり吐いたので、そんな嘘を付かなくてもいいですよ」   

 千冬さん……俺の気遣いをあっさりと無にしたな。こうなった以上、別に隠すことは無いか。

「正直な所見てられなかったんで、つい手を出してしまった」

「ご迷惑をおかけしました」

「好きでやった事だ。気にしないでくれ」

「そう言ってくれると助かります。それでも、仕事仲間って言い張りますか?」

 一夏君は竿を投げ直すと、再び話を仕切り直した。

 確かに部屋の掃除を進んでやる仕事仲間なんて信じがたい。もっと親密な関係だと疑う。

 一夏君にとって千冬さんは姉であり、唯一の肉親だ。だからこうして逃げ道を塞いだ上で、俺を見極めにきている、彼の質問の意図(いと)は恐らくこんなところか。

「ああ、変わらない」

 少なくとも今は俺の答えは変わらない。答えが変わる事が怖いから。良い方にも、悪い方にも。

 勿論、良い方に変わって欲しいとは思う。だが、悪い方に変わる可能性が一厘でもあるのであれば、変わらない事を望む。俺はそんな人間だ。

「別に嘘を付かなくても」

「信じて貰えなくてもそれでいいさ。他でも無い俺がそう思っているのなら」

 俺の言葉を聞いて一夏君は納得のいかない様子で、リールを巻く速度を上げた。

「……分かりました。そういう事にしておきます」

「ああ、そうしてくれ」

 そう言って会話を終えて竿に視線を集中させた。

 するとピクリと竿が動いた感触が伝わる。これはかかったか? ゆっくりとリールを巻いて様子を見る。次の瞬間、竿の先が曲がり腕を引かれた。

「よし来た!」

 リールを巻いて、陸に引き上げる。釣れたのはサバみたいだ。針を外して海水を張ったバケツに入れた。

「お! 釣れましたね。夕飯はサバですか?」

「そうしようかな。一夏君も一緒にどうだい?」

「一緒に、ですか?」

「ああ、千冬さんともよく一緒するから一夏君もどうかなって」

やっぱりさっきのは嘘なんじゃ……

 一夏君の呟きは波の音にかき消されて、よく聞こえなかった。

 



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私だって祝いたい。

感想評価、毎度ありがとうございます。
今週も頑張って『一週間に一回千冬さん』略して『一冬(いちふゆ)』。
(個人的に)生クリーム、ガムシロ多めでお送りします。


 新年度準備も一段落して、入学式まであと一週間と迫った今日この頃。仕事を終えて整備室の鍵を返しに職員室まで戻ると、俺の机に千冬さんが座っていた。手元にはマグカップが置かれていて、完全にリラックスモードになっている。目が合ったので俺は近くに行って声をかけた。

「何してるんですか千冬さん」

「准を待っていたんだ。今日は思っていたよりは早かったな」

「まあ山場は超えましたし、今日は定時で上がれたので。それで、何の用ですか?」

 俺の疑問はそこだ。用があるのなら帰ってから俺の部屋を訪ねればいい。それなのにわざわざここで待っていた理由が分からなかった。

「いや、()()()()()()話をしたかったんだ。部屋に戻ってからだと一夏の奴が付いてくるからな。まあ、帰りながら話そう」

 千冬さんはやけに「二人っきりで」を強調してそう言った。 

 補足説明をすると、最近千冬さんが俺の部屋に来るときは、もれなく一夏君が付いてくるのだ。

 姉の事が心配なのか俺の行動に目を光らせている。行動に制限がついたようで息苦しいが、その半面、千冬さんのボディタッチの頻度が減って助かっている。酔った勢いで襲いそうになる前にセーフティロックが付くことはありがたい。そんな姉想いの一夏君を除外してまでしたい話というのが何なのか気になった。

「どうした准、支度終わったから行くぞ」

 考えている間に千冬さんは身支度を終えていたようで、袖を引っ張って俺を急かしてきた。

「千冬さん、袖伸びちゃうんで止めて下さいよ」

「なら、袖を引きたくなるほど私を待たせるな」

「そんな無茶苦茶な……。伸びたら千冬さんにこのワイシャツ押し付けますからね」

「なっ……!?」

 千冬さんは言葉を失ってしまった。

 流石にこれは失言だったか。使用済みのワイシャツを押し付けられるなんて不愉快極まりないだろう。これ以上ダメージを与える前にさっさと訂正することにした。

「冗談です。だからそうなる前に俺の袖から手を離して下さいよ」

「――――行くぞ」

 千冬さんは袖を掴んだまま俺を引きずって職員室を出た。

 まずいな、完全に怒らせてしまったか。何とかして機嫌を直して貰わないと俺のワイシャツの腕が彼女のパワーによって千切られかねない。

「千冬さん俺が悪かったです! だからどうか袖を離してくれませんか?」

「なんだ、せっかく私がシャツを貰う気になったのにそんな事を言うのか? 遠慮はいらんぞ」

「だから冗談ですって。シャツだけは勘弁してください! 何でもしますから!」

 そう言うと千冬さんはピタッと歩みを止めて、袖から手を離すと、ゆっくりと俺の方に振り返った。

「ふむ、何でもか。なら丁度いい。明日予定を開けて私に付き合え」

 

 ▼ ▼ ▼

 

 そんな経緯があって、俺は拒否権を行使する事もなく外に繰り出していた。

 前の様に部屋で待ち合わせをしないのは、今日出かける事を一夏君に秘密にしたいからだそうだ。事前に聞いた今回の目的は一夏君の入学祝いを選びの手伝い。知られたくないというのも納得の理由だった。

 駅前のベンチに座って待つこと数十分。改札から黒髪をなびかせて、颯爽と俺の待ち人は登場した。

 白いシャツに黒いパーカー、サングラスをかけた彼女は、俺に気が付くと周囲の視線を集めながら歩いて来た。

「待たせたな」

「いえ、さっき来たばかりです」

「そうか、ならさっさと行こう。ここは居心地が悪い」

 千冬さんは周囲をチラッと見てそう言った。

 確かに視線にさらされ続けるというのは良い気分がしない。グランドやアリーナだとそうでもないが、ここまで近い距離だと流石に気になる。

「そうですね。行きましょう」

「ああ」

 千冬さんと並んで歩き始める。目的地は近くで「ここに無ければ市内何処にもない」でお馴染み、大型ショッピングモール『レゾナンス』だ。

「それで、千冬は何にするのか決めてるんですか?」

「いや、それが、考えれば考えるほど分からなくなってしまってな……」

「成程、それで俺の出番という訳ですね」

「ああ、男の目線から意見をくれ。まずこういう時は何が定番なんだ?」

「定番ですか。まあ、時計、財布辺りが定番なんじゃないですかね」

「成程、ちなみに准は何を貰ったんだ?」

「俺ですか? 確か……現金でした。味気なかったのを覚えてます」

 うん、忙しかっただろうから、しょうがない。そう割り切った事は記憶に新しい。

「そ、そうか。確か時計は持っていたから、財布を見て回るぞ」

 千冬さんが自動ドアに向かって踏み出したとき、ふと言い損ねていた事を思い出した。

 間違いなく言って置いた方が機嫌が良くなるだろう。少し恥ずかしいが、悩んだ末に俺は言う事にした。

「千冬」

「なんだ?」

「その服、似合ってますよ」

「ッ……~!!」

 振り返ったかと思ったら再び前を向いて、両手を頬に添えて立ち止まった。

「不意打ちは卑怯だ……」

「早く行きましょう。時間は限られてますから」

 立ち止まった千冬さんを急かしつつ先を歩いた。手を引いてエスコートできたりすれば女性から見てもポイントが高いんだろうが、今の俺は赤くなっているであろう自分の顔を見られないようにするので精一杯だった。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 そのまま前を先導して、財布売り場にたどり着いた。棚の上には色とりどりの財布が取り揃えられていて、それぞれに値札が添えられていた。

「さて、どうしたものか」

 しばらく歩いて冷静さを取り戻した千冬さんは棚を前にして顎に手を当てて考え込んで、財布を手に取っては手触りやポケットの場所などを確認して、時折ムッとしたり、頬を緩めたり、普段は見せないであろう表情を浮かべていた。

 俺はそれを見るたびに一夏君が羨ましくなる。それだけ大切に想われている事が分かってしまうからだ。俺だってもっとこう……。いや、考えるのは()そう。相手の弟に嫉妬するなんてアホらしい。別の事を考えよう。

 そういえば俺も長らく財布を変えていなかった。少し見て回ろう。一人だとこういうショッピングモールに来る機会は無いだろうし。

 千冬さんがいる場所から少し離れて、一人ワゴンセールになっていた安い財布を漁る。俺は特にブランドに拘りがある人間ではないので、こういう所にあるそこそこの物が買えれば満足だ。

 手に取って重さや大きさを確かめて、丁度良さそうな二つ折りの財布を買う事にした。さっさと会計を済ませて千冬さんと合流しよう。

「ちょっとそこのあなた」

 声を掛けられたが振り返らない。関われば面倒な事になる事が分かっているからだ。聞こえなかった事にして立ち去ってしまおう。

「男のあなたに言っているのよ!」

 無視されて相当腹が立ったらしく、肩を掴まれて振り返らされた。

「――――何か用ですか?」

「まあ! 男の癖に生意気な態度ね!」

 三十代と思われる濃い化粧をした女は苛立ちを隠そうともせず、ヒステリックに、声高々に、叫ぶ。

 こういう輩は嫌いだ。まるで「自分が世界の頂点」みたいな振る舞いをする奴は。本当に頂点に立った彼女は、もっと気高く美しいのだ。それを汚されたようで、腹が立つ。

「……だからあんたは何の用なんだ」

「まあいいわ。そこの物を全部箱に戻して置いてちょうだい! そうすればその態度は水に流してあげるわ!」

 ワゴン上に散かった空き箱を指差す。大方中身を確かめる為に開けたのだろう。見たら戻す程度の事が出来ないのだろうか? 

 このまま突っぱねたいのは山々だが、断ると更に話がこじれる。警備員を呼ばれて冤罪でもかけられたのならば、IS学園をクビになりかねない。そうなった場合、再就職は難しくなるだろう。ここは大人しく従っておくのが無難か。

 聞こえないようにため息をついて、口を開く。

「分かり」

「おい貴様。聞いていれば随分な言い草じゃないか」

 俺の言葉を遮るように、背後から声がした。誰なのかは言うまでもない千冬さんだ。心なしか普段より声が低い。

「なによあんた。文句でもあるわけ!」

「そいつは私の連れだ。文句があるなら私が聞こう」

「あなたの男なの? はぁ、手綱をしっかり握っておきなさいよね!」

 女はそう言い捨てて立ち去った。手綱、ねぇ。俺は馬扱いかよ。男を荷物持ち的な感じで見ているのなら正しい使い方なんだろうが……。

「はぁ……。准、離れるなら声ぐらい掛けろ」

「すいません」

「こういう時は「ありがとう」だろう。自分で言った事を忘れるな」

「そうでしたね。ありがとう千冬」

「ああ、そっちの方が謝られるよりは良い気分になれる」

 そう言って千冬さんは俺の隣に立つと手首を掴んだ。俺は驚いて思わず後ずさりしてしまう。

「な、何ですか急に」

「また准を一人にすると絡まれそうだからな、離れられないようにしてやる」

「べ、別に、大丈夫ですよ」

「そうしていたらあの(ざま)だろう? 次も無いとは言い切れんぞ」

「うぐっ」

 この間は手を繋いだら黙り込んだってのに、今回は恥ずかしがる素振りは微塵も無かった。俺だけが動揺しているようで何だか気に食わない。何とかしてこの状況を抜け出さなければ。

「でもこんな風な事をしてもあまり変わりませんよ。だから離してくれませんか?」

「そうか、これでは生温(なまぬる)いか。なら……」

 千冬さんは俺の腕を抱くようにして体を絡めた。体温が伝わって腕が熱い。押し当てられた控えめとは言えない軟性物体が、理性を融かしていく。

「こ、これで文句は無いだろう?」

 千冬さんは少しずれたサングラスの隙間から見上げるように俺の様子を窺う。透き通る様に白かった肌は薄紅に彩られて、恥じらいを感じている事が手に取る様に分かる。

 これでイーブンと言えたらいいのだが、俺の動揺は収まる所を知らず、むしろ酷くなっていった。まさかここまで精神的に良くない方向に転がるとは誰だって思わないだろう。

「……准、なんか言ったらどうだ」

「その、当たってるんですが」

「当ててるんだ。言わせるな」

 当ててる……? なんだよそれ、童貞なめんなよ! この後妄想で三度は夜のおかずになるぞ!

 ――なんてことは言わないが、無防備過ぎやしませんかね。いつ襲われても知らないぞ……。いや、襲われても返り討ちに出来るから無防備っぽく見せれるのか。千冬さんにとってこの腕をへし折る事なんて造作もないだろうし。

「准も会計に行くんだろう? 私は済ませたから早く行って昼食にしよう」

「こ、このまま行くんですか?」

「当然だ。文句は言わせんぞ」

「……分かりました」

 

 この後、抱き着かれた腕に感覚器官が全て集中したんじゃないかって思う程、感触を過剰に伝えてきて、俺は千冬さんの顔をしばらくまともに見ることが出来なかった。



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私だって彼が好きだ。

お待たせ、本当に長らくお待たせしました。
感想と評価をくれた読者方々に感謝っ…!圧倒的感謝っ…!



『えー、整備担当の倉見さん。整備担当の倉見さん。応接室までお願いします』

 いったい何の用だろうか? 書類の不備か、それとも俺が何か問題行動を起こしたとか?

 前者はともかく、後者は覚えが無い。行動には最大限に注意を払っているし、女性から反感を買うような事は極力避けているつもりだ。他に俺が呼び出されるようなことは何かあっただろうか? 

 いや、ここで考えてもしょうがない。行けば分かる筈だ。

 俺は面倒になった思考を放り投げると、応接室に向かって歩く。

 今日は入学式も半日で終わり、新入生が部活動の見学会に行ったりしているからか、廊下ですれ違う人数が少ない。まるで貸し切り状態だ。これが遊園地だったらもう少しテンションが上がるんだろうが、俺は今絶賛仕事中であり、「仕事を貸し切りにしている」って考えると気分も落ち込む。そんなお得感の無い貸し切りは絶対にやりたくないな。

 

 そんなどうでもいい事を考えていると、応接室にたどり着いた。手をかざすとプシュッと空気を吐いてドアがスライドする。

 視線に飛び込んできたのは三人。その中の一人が物理的に飛び込んできた。

 助走をつけていたのもあって、威力があり俺の身体はふらつく。倒れそうなところを下半身に力を入れて踏みとどまった。

「ひっさしぶり~准っ!」

 白衣に頭のゴーグル。ウエーブのかかった緑髪のツインテール。この特徴が当てはまる人物は一人しか知らなかった。

「ヒカルノ? どうしてお前がここにいる?」

「君に会いに来たに決まっているじゃないか」

「帰っていいか」

「そんな釣れないこと言わないでくれよ。私と君の仲じゃない」

 そう言って俺を抱きしめる力を強くした。ふんわりとしたマシュマロの様な体が押し当てられる。昔はよくこういう事をやってきたが、その頃よりも心地いい気がした。成長してるんだな……。

「そこまでにして下さい」

 そんなヒカルノの行動に待ったをかける人物がいた。その人はヒカルノの首根っこを掴んで俺から引き離す。

「はぁ、ったく。IS開発者にはまともな奴はいないのか……」

 ため息をつきながら千冬さんはつぶやくと、ヒカルノをソファに座らせた。

「何するのさ、せっかくの感動の再会なのに」

「今は業務中です」

「堅いなー君。そんなんだと彼氏もいないだろう」

「やっ、やかましい! 私だって、その……」

 千冬さんは何かを言いかけて飲み込むと、チラッとこっちを見た。千冬さんでもヒカルノは流石に手に負えないから助けを求めてきたって所か。

 まあ、このままだと話が進まないし、さっきからおどおどしている最後の一人も気になる。さっさとヒカルノを大人しくさせよう。

「ヒカルノ、いい加減にしておけ。仕事終わったら相手してやるから」

「嘘じゃないよね?」

「ああ。約束する」

 そう言うとヒカルノは拳を握り、その隣にいる千冬さんは腕を組んで一瞬眉を動かした。何やら気に障ったか? いや、取りあえず今はこの場を乗り切る事にしよう。

「それで千冬さん、俺は何でここに呼び出されたんですか?」

「ああ、全員そろったから、始めよう。准と更識簪も座れ」

 俺ともう一人、更識簪さんを見てそう言った。更識という事は二年生になった彼女の妹なのだろうか? 髪色も似ているし、恐らくそうだろう。妹がいるって聞いた様な気もするし。

 俺と更識さんは並んでソファに腰をかけて、その対面に千冬さんとヒカルノが座った。

「えっと、言いにくい話なんだけど、変に引き伸ばすのも面倒だから率直に言うよ。更識さん。君の専用機、『打鉄弐式』の開発は凍結された」

「え……?」

 隣の少女は震えた声を漏らした。動揺を隠しきれていない。

 斯く言う俺もそこまで落ち着いているわけでは無い。何せ自分が開発案を出した機体が開発中止になったのだから。

 だが、事情を聴かなければ何とも言えない。自分を押し殺して、そのまま話を聞く。

「倉持技研は今、データ収集の為に男性操縦者の機体を調整してる。それに人員を割かれてしまってね。研究を続けられるほどの人数じゃないんだ……」

 データ集めに一夏君の専用機を支給するのは理に適っているが、だとしても日本の代表候補生の専用機開発中のところに依頼するか? 普通。

 大方国からの依頼で、断ったら補助金打ち切るとか、そういうけん制を受けての苦肉の策なんだろう。

 だが、ここで切り捨てるつもりならわざわざ所長のヒカルノが出向くとは思えない。何か別の提案をしてくるはずだ。そう思い横目に見ると目が合って、ヒカルノは目を逸らし話を続ける。

「でも何とかコアは抑えることが出来た。組み立ても終わっていない状態だけど渡すことは可能だ。どうする?」

「……分かりました。受け取ります。私が、組み立てます」

 更識さんはそう言ってヒカルノの策を了承した。いや、了承させられたと言う方が正しいか。この状況で受け取らないと言える訳が無い。

 何故なら「彼女には三年しか」ないからだ。このチャンスを逃せば次はほぼ無い。来年二年生になった彼女に専用機を渡すぐらいなら、時間のある新入生に渡す事は明確だ。

 だが読めない。ここまでしてヒカルノが更識さんの専用機を完成させたい理由が。

 基本的に自己中心的な人物だし、余程の事が無ければ人のためには動かない。そんなヒカルノが知り合って数ヵ月程度だと思われる少女に肩入れする理由はなんだ?

 気になって隣の少女に視線を移す。そこまで千冬さんみたいに雰囲気に凄みがある訳でも無ければ、度胸もありそうにない。

 そうしていると彼女もこちらを向いて、目線が合う。驚いた彼女の肩が跳ねた。

「ひっ、えっと……何か?」

「いや、すまない。気にしないでくれ」

 視線を正面に戻す。

 やはり分からない。俺の視線にすら驚く彼女の何が気になるって言うんだ……。考えれば考えるほど、その疑問は深まっていく。ヒカルノに素直に聞いた所で疑問は解消しないだろう。俺が納得する答えを得るためには、自ら動くしかないか。

 目を閉じて息を吐いてから、ヒカルノに目線を向ける。

「ヒカルノ」

「何だい?」

「別に一人で組み立てなきゃいけないって決まりは無いだろ?」

「そうだね。むしろ一人で組み立てるなんてあり得ない。専門職の人間でも複数人で組み立てるのが普通だよ。君もうちにいたんだからよく知っているだろう?」

「確認だ。更識さん、俺も組み立てを手伝うよ」

「えっと……」

 更識さんは一度俺を見てから、ヒカルノへ目線を移した。

「安心していいよ。腕は私のお墨付きさ。なにせ『魔術師』とまで呼ばれた整備士だからね」

「ヒカルノ、その呼び方はやめろ」

「はいはい」

「はいは一回だ」

「は~い」

「伸ばすな!」

「フフッ……」

 そんな光景を見て隣の更識さんは耐えられなかったのか小さくふき出した。

 俺が更識さんの方を見るとハッとして普通の表情に戻す。

「まあいい。それで更識さん、どうかな?」

 俺がそう聞くと少し間を空けてから目を合わせてきた。

「えっと……よ、よろしくお願いします」

「ああ、よろしく」

 手を差し出すと、更識さんは俺の手を握った。

 

 ☆ ☆ ☆

 

「これで君の弟に書いて貰いたい書類は全部だね」

「はい、後で本人に提出させます」

 准と更識簪が専用機を受け取り出て行った後も、私はその場に残り篝火博士と話をしていた。それも一夏に支給させる専用機の概要説明やその書類の受け取りをするためだ。

 それが一通り終わって、書類を手に持ち、立てて机に当てて端を揃えた所で、じっと准と親しそうにしていた篝火博士と目線がぶつかった。 

「……どうかした?」

「いえ、少し気になって」

「何が?」

「それは……」

 准とどんな関係なのか気になる、というのが本音だ。敬語では無い素の状態で話すのは恐らくこの篝火博士だけだ。長い付き合いと言っていたが、どれだけ長い付き合いなのか、どれぐらい長い付き合いなら敬語ではなくなるのか、気になって仕方がなかった。きっと、准に聞いてもはっきりとした答えは返ってこないだろうし。

 もしかして付き合っているから距離感が他人より近いのか?

 だとしたら……いや、悩んでいてもしょうがない。逃げずに聞くことにしよう。

「篝火博士は准とどんな関係なんですか」

「ん? ん~そうだね。()()幼馴染って言うのが正しいかな」

「……今は?」

「うん。今は、でも最終的には婿に貰いたいかな」

 頬に両手を添えて体をくねらせ、笑顔でそう言った。

 思考が一瞬凍り付いて、反応することもできなかったが、何とか持ち直す。

「ど、どういう意味ですか?」

「そのままの意味さ、私は准が好きだ。子供の頃からそうだし、これからも変わりない。そんな人と結ばれたいと思うのは当然じゃないか」

 篝火博士は私に知らしめる様に堂々とそう宣言した。視線は力強くて気後れしそうだったが、私も負けじと睨み言い返す。

「私だって准が好きです。これ以上ないぐらいに。譲る気は毛頭ありません」

「へぇ、言うね。私だってぽっと出の君に負ける気はないよ」

 しばらく睨み合いが続いたが、篝火博士は目線を外して席を立った。

「まあここで睨み合って時間を無駄にするのも馬鹿らしいね。私は()()約束があるから失礼するよ」

 やけに「准と」の部分を強調して篝火博士はこの部屋から去って行った。

 

 一人になった応接室でソファに体を預け、天井を眺める。

 思わぬ伏兵がいた物だ。まさか准に幼馴染なんてものがいるとは思わなかった。そんな話一度も聞いたことが無かった。

 思えば私は准の過去の話をあまり聞いたことがない。

 学校は同じだったが、接点は無く、小さい頃は何をしていたんだとか、なにも知らない。

 だが、あの女は全て知っている。ふとした時に一緒に思い出に浸れる。

 私の立場を脅かす、一緒に過ごした時間の量という圧倒的なアドバンテージ。それはこれから私がどんな行動を取ろうとも覆る事はない。

 譲る気はないとは言ったが、私に勝ち目なんてないんじゃないかと、考えれば考えるほど、私は不安になった。

 チャイムがの音が聞こえて、終業時間である事に気が付く。

 窓の外はすっかり暗くなっていて、街灯の光が点々と続いているのが見えた。

 鞄を持って応接室を後にする。

 最近は准と一緒に帰る事が多かったが、今日は誘えそうもない。今頃あいつは篝火博士と出かけているのだろうから。

 久々に一人で歩いた廊下は薄暗くて、肌寒く感じた。



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私だって寂しくなる。

おかげさまでお気に入り登録4000件突破ァ! ありがとうございます!
感想や評価モチベに繋がってます。これからも何卒よろしくお願いします。
では本編をどうぞ。


 土曜日だというのに、今日も授業をこなして家路につく。このIS学園では通常授業に加えて専門の授業が行われるため、休みが少ない。

 それだけで気分が重いというのにある事が私の気分を更に下向きにさせていた。

 准にまともに会えていないのだ。この間の更識簪の専用機の件で整備室にこもっていることが多く、昼休みも戻らないどころか自室に帰らずにそのまま作業している。

 何度か様子を見に行こうかと思ったのだが、一夏が入学したこともあって、ただでさえ忙しい年度始めが更に忙しい。結局一度も顔を見ることが出来ないまま今週を終えてしまった。

 来週もこんな日々が続くのかと思うと自然とため息がこぼれる。

 何とかして会いたい。准の事を考えるほどその気持ちが日に日に強くなっていく。でもこんな忙しい時に会いに行く口実も予定も無い。

 ベッドに横になってスマホを手に取って准の連絡先を開く。口実が無ければ作ればいい。適当な事を考えればいいじゃないかと。そう思って画面に集中する。

 『寂しいから会いたい』だとか『買い物に付き合って欲しい』とかそんなことを打ち込んでは恥ずかしくなってしまって、文面をリセット。それを三度ほど繰り返し、いい考えが出ずに諦めてスマホを枕に叩きつけた。

「ああダメだ……」

 こんな事私に出来そうにない。会えればいつもの様に誘えるのに。

 思い通りにいかない事に苛立ち、枕に顔を(うず)めて足をバタつかせる。今までは思った事は何でも出来たし、こんな気持ちになったのは初めてだった。

 そんなとき着信音が部屋に鳴り響く。いったい誰だろうか? 下らない用事だったら怒鳴り散らしてやる。

 そう思って体から遠いところに着地したスマホに向かって手を伸ばした。出る前にディスプレイに表示された名前を見ると『倉見 准』と表示されている。それを確認した私は慌てて受信ボタンを押した。

「も、もしもしっ!」

『こんばんは。お時間大丈夫ですか?』

「ああ、大丈夫だ」

『ならよかった。今外に出てこれますか?』

「分かったすぐ行く。今どこだ?」

『職員寮の前ですね』

「少し待っててくれ」

 私は電話を切ると慌てて身支度を済ませて下に降りる。入口付近には准が立っていた。ワイシャツにネクタイという格好からしてさっきまで仕事をしていたみたいだ。

 まだ私に気が付いていないようなので声をかける。

「准っ!」

「こんばんは、千冬」

「ああ、こんばんは」

 こんな何気ない挨拶も久しぶりで私の気持ちが高鳴る。この一週間、この声がずっと聞きたかった。だから無性に嬉しくて、何の用事なのかも聞かずにここに来てしまった。今更だが聞いておこう。

「それで、何の用だ?」

「まあちょっと、以前ハンバーグを御馳走するって約束をずっと放置していたなと思いまして」

 そう言えばそんな約束をしていたような気がする。約束を取り付けた私ですら忘れかけていた。

「そんな事もあったな」

「あったなって、忘れてたんですね……」

「そ、そんな事無い!」

 私はそう訂正した。呆れられたりしていないだろうか? ほんの少しだけ不安だ。准は一夏と違ってあまり顔に出さないから考えが分かりづらいからな。

「まあいいです。ちゃんと会うのも久々なので、せっかくだからリクエストを聞いてから一緒に買い物に行こうかと思いまして、何かありますか?」

「そうだな……」

 顎に手を当てて考える。准のハンバーグもおいしいかったのだが、せっかくだから別のメニューも試したい。悩みに悩んだ末に一つに絞り込んだ。

「オムライスがいいな」

「良いですね。じゃあ買い物に行きましょうか」

 私達は並んで買い物に向かった。

 

 ☆ ☆ ☆

 

「じゃあ袋そこに置いて貰って良いですか?」

「分かった」

「テレビでも見て待ってて下さい。すぐ作りますから」

 千冬さんと買い物を済ませて自室へと帰宅する。

 この一週間はこの学園に来てからかつてない程に忙しく、今日も無理矢理早く仕事を終わらせて帰宅した形だ。今日を逃したら次はいつになるのかも分からない。だから電話での急な呼び出しだったが応じてくれた時はホッとしたものだ。

 そして、千冬さんに意見を聞きながら買い物をしたところ、シンプルなタイプのオムライスに決定した。ケチャップライスにふわとろ卵を乗せるあれだ。

 さっそく俺はレジ袋から玉ねぎと鶏肉を取り出しキッチンに置くと、エプロンを身に着け作業を開始する。

 鶏肉を一口大に切り分け、玉ねぎをみじん切り。バターを融かしたフライパンでそれらを炒めて、火が通ったところで塩コショウで味を付けて、ご飯を投入。そしてご飯がぱらっとしてきたらケチャップを入れて馴染ませる。白米がきれいなオレンジに染まったらケチャップライスは完成。

 器を取り出そうとした所で、千冬さんが椅子を反対に座ってこちらを見ている事に気が付いた。

「どうかしましたか?」

「いや、器用なものだなと思ってな」

「なんだかんだで一人暮らしももう六年になりますからね。こんなものです」

「……それは私に対する嫌味か?」

「いえ、そんなつもりじゃ」

「まあいいさ。二十四にもなってまともに料理が出来ない女なんて私ぐらいだろう」

 千冬さんは不貞腐れてそっぽを向く。思わぬ地雷を踏みしめてしまった。家事が全くと言っていいほど出来ない事がコンプレックスだったのかもしれない。

 でも仕方のない事だ。今まで聞いて来た話からして、千冬さんはここまで一人で一夏君をここまで育てて来た。自分の時間を削って、バイトを掛け持ちして、部活も完璧な成果を出す。

 それがどれだけ大変な事なのか、俺には想像する事しか出来ない。

 けれど、これからは手を貸すことが出来る。……邪魔って言われないか心配だけど、出来る限りはやってやる。

 俺はその一歩目として行動を起こす事にした。

「じゃあ一緒にやりましょうか」

「一緒にって料理をか?」

「ええ」

「無理だ。私にできるわけない」

「誰でも初めはそうですよ。俺だって初めて作った時はまともに食べれる物じゃ無かったですから。それに手伝いますから安心して下さい」

 そう言うと千冬さんはしばらく顔を伏せてから「わかった」と小さな声で呟いてキッチンまで歩いて来た。

「じゃあ見本を見せるのでしっかりと見てて下さいね」

「わかった」

 千冬さんの返事を聞いた後、俺はオムレツを焼き始めた。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 千冬さんが作り上げたオムライスは固めに焼き上がり、形は歪で焦げ目もついている。それを隠すためなのか大量のケチャップで彩られていた。

「……なかなか上手くいかない物だな」

「初めてでここまでできれば上々でしょう。一朝一夕でできてしまったら俺の立つ瀬がないですよ」

「そういうものか」

「そういうものです」

 とは言ったものの、思っていた以上に筋が良い。見た所食べれる状態にはなっているし、経験を積めば更に上達すると思う。これからの成長が楽しみだ。

「じゃあ冷めないうちに食べましょうか」

「そうだな」

 俺は二つの器を持って机に移動して、千冬さんが作った方を自分の目の前に置いた。

 それを見て千冬さんはスプーンを机に落とす。

「准が私のを食べるのか?」

「ええ、何か問題でも?」

「いや、別に構わないが」

 それを聞いて机に落ちたスプーンを一つ拾うと、両手を合わせた。

「じゃあ頂きます」

「……頂きます」

 器の端からスプーンで掬って口へと運ぶ。

 旨いな。表面に焼き目がついているぐらいで至って普通のオムライスだ。普段はなんとなくオムライスは半熟にしていたから、固めに焼いたものは新鮮だった。

 千冬さんはまだ自分の分に手を付けずに、チラチラと俺の方を見て落ち着きが無い。

「どうかしましたか?」

「味はどうだ?」

「美味しいですよ。もっと自信をもって下さい」

 そう言われると、ふぅ、と息を吐く。まるで一仕事終えた後の様だ。

 たかが料理なのだから、もっと趣味の様に気楽にやっていいと思うのだが、千冬さんは何事に関しても全力投球で取り組むタイプなので無駄だと思い口には出さなかった。

 ようやく千冬さんはスプーンを手に取ってオムライスを口にする。一口食べては、固く結んでいる口を少し緩めて、小さく頷く。

 普段はあまり見せない少し気の弛んだ表情。俺はそんな千冬さんを見るのが、他でも無い俺が作った料理を食べる千冬さんが好きだった。このためだけに今週を乗り切ったと言って過言ではない。

 許されるのなら眺める事を仕事にしたいぐらいだ。

 そんな事を考えながら見つめていると、千冬さんと目が合う。

「准、その、あんまりじろじろ見るな……」

 千冬さんは視線を水の入ったコップへと移した。

「嫌でしたか?」

「そういう訳じゃないんだ。ただ、落ち着かない」

「すいません。食べている姿が可愛らしかったので、つい」

 とっさに思いついた言い訳を口にする。

 その裏で口を開けたときチラッと見える白い歯やピンク色の舌が官能的だなぁ、とかそんな事は微塵も考えていない。絶対に。

 もし仮に、仮に考えていたと仮定して、そんな事を知られてしまったら部屋の押し入れに一週間は立てこもれる自信がある。

「また、お前はそういうことを言う……。あまり言ってると勘違いされるぞ」

 俺の言い訳のスタイルに慣れてきたのか、恥じらいもせずに言い返した。

 少し前まではこの手の言い訳に過剰に反応して顔を赤くしていたのに、最近は平然としている。もうあの慌てた表情を見ることが出来ないと思うと少し残念な気持ちになった。

「千冬にだったら別に――」

 勘違いされたっていい。嘘偽りのない事だから知って貰っても構わない。

 でも、打ち明ける勇気が無くて口をつぐんだ。だからこんな回りくどく、相手を動かす様に行動している。我ながら情けない話だ。

「別に、なんだ?」

「――何でもないです。ところでどうですか、俺のオムライスは?」

 今日もまた、自分の気持ちを隠すために話題を逸らす。

「文句なしに旨いぞ。確かめてみるといい。そら、口を開けろ」

「へ?」

「いいから早くしろ」

 言われるがままに口を開けると、即座にスプーンに乗ったオムライスが口の中に入れられた。

 口を閉じると唇の隙間をスプーンがすり抜ける。口内に置かれた物を何度か咀嚼して飲み込む。

「どうだ?」

「まあ、その、わ、悪くない……ですね」

 言葉に詰まりながらそう言った。正直味なんて気にしてはいられない程今の精神はごちゃごちゃだ。

「ふっ、私をからかった罰だと思え」

 千冬さんは悪戯が成功した子供の様な笑みを浮かべていた。

 



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私だって放っておけない。

はい、お待たせしました。
毎度のことながら感想評価、モチベに繋がってます。ありがとうございます。
これからも頑張って書いて行きます。そんなこんなで最新話をどうぞ。


 入学式から時間は流れ、そろそろ五月になろうかという時期。今日も俺は仕事を一通りこなして更識さんの手伝いに来ていた。

 組み立ては順調。苦労した甲斐もあって本体は組みあがった。後は微調整と武器だけ。

 機体だけなら「学年別個人トーナメント」までには仕上がるという所まできていた。

「更識さん。そこの高周波カッターこっちに貰える?」

「は、はい。ど、どうぞ……」

「ありがとう」

 彼女の手から機材を受け取って再び機体と向き合う。脚部関節を動きやすくするために装甲の大きさを微調整、内部の配線に影響を及ぼしていないかを確認する。あとは本人が動きをどう感じるかを聞くだけだ。

「更識さん、今調整した部分を動かして貰って良いかな」

「分かりました」

 膝を曲げたり元に戻したり足首を回してみたりといろいろな動きを確認していく。一通り確認を終えた後、更識さんは少し考えるような素振りを見せた。

「どうかした?」

「関節については問題ないんですけど、その、もう少し……反応速度を上げて欲しい……です」

「了解。ちょっと待ってね」

 コンソールを立ち上げて、内部の数値を操作し、反応速度を高めた。

「これでどうかな?」

「……はい。大丈夫です」

「じゃあ、きりが良いから一旦休憩にしようか。なんか飲むかい?」

「いえ、お構いなく……」

 そうは言われたが念のため紙コップを二つ取り出して、冷えたペットボトルの緑茶を淹れて机に並べた。

「置いとくから良かったら適当に」

「……すみません」

「良いよ別に。こっちが勝手にやった事だから」

 席について紙コップを手に取り、お茶を口に含んで喉を潤す。数時間作業に没頭していたこともあって、いつもより二倍は美味しく感じた。

 しっかし、もう知り合ってから一か月は経っているにもかかわらず、未だに更識さんはどこかぎこちない。

 姉の方とも去年同じようなことをやったが、姉の方はこの時期には妙に馴れ馴れしくて、うっとうしいと思った物だったが、ここまで距離を取られると逆に不安になる。

 もしかして嫌われているのか? そんなようなことをした覚えは……いや、モンドグロッソの一件以降むしろ女性からは忌み嫌われていると考えた方が良い。ならばこの距離感が普通だろう。

 露骨に「私、貴方が生理的に無理です」って感じの態度を取らないだけ更識さんは優しい人間だ。そう思う事にした。

「……倉見さん」

「ん? どうかした?」

 休憩時間でも口数が少ない更識さんが珍しく俺に話しかけてきた。とうとう我慢できずに俺を追い出そうって魂胆だろうか? 本当は俺に手伝って貰うのが嫌で言い出せなかったとか?

 だとしたら俺はトラブルを避ける為に素直に出て行く事にしよう。自分が考えた機体を組み立てられないのは残念だが、これ以上社会的に吊し上げられるのはごめんだ。

 まあ、予想は予想。結論を出すのは話を聞いてからにしよう。

「そ、そのどうして倉見さんは手伝ってくれるんですか?」

「どうしてって?」

「だ、だって……私を手伝ったって何の得にもならないし、その、織斑先生程美人じゃない……です」

 ……ん? どうしてそこで千冬さんが出てくるんだ? いまいち意味が伝わってこない。 

「何でそこでちふ、……織斑先生の話が出てくるのか分からないけど、更識さんは俺から見ても美人だと思うよ」

「ひゃい!? び、美人……?」

 しばらく両手を頬に添えてうつむくと、ブンブンと顔を左右に振った。

「噂通り、そ、そうやって女性を手玉に取ってるんじゃ……」

「どうしてそうなった……」

 女性を手玉に取っているつもりは一切ない。普段から女性が喜びそうなセリフを選択するのはトラブルを起こしたくないからで、手玉に取りたいからじゃない。

「だって、女性と出会い目的でIS整備士になったんじゃ……」

「そんな事言い出したのはどこのどいつだ!」

 思わず大声を出してしまった。

 まさかトラブルを避ける為にしていた事が裏目に出るとは……。これからはもっと考えてから言葉を選ぶことにしよう。

「声を荒げてしまった。悪いね」

「い、いえ、お気になさらず……。じゃあ、あの噂は嘘ってことですか?」

「嘘だよ。はぁ、周りからそう思われていたとは……」

「さ、災難でしたね……」

「全くだ。俺は更識さんや生徒に手を出す気はないし、だいたいそんなことしたら牢獄へ直行だよ。それに、」

 

 今、俺の好意は千冬さんにだけしか向く気がしない。

 

 そう言いかけて口を堅く結んだ。この想いは他の誰にも知られたくなかったから。

「そ、それに?」

「……何でもないよ。誤解の無いように言って置くと、俺がIS整備士になったのは約束を果たす為だよ」

「や、約束ですか?」

「ああ、約束。小学生ぐらいの頃、ヒカルノと自分達でロボットを創るって約束したんだ」

 それは忘れかけていた約束。俺が折れかけたとき、立ち上がる動機をくれた約束だった。

「……そんな昔なのに、よく……忘れてませんでしたね」

「約束は自分から破らないのが俺の信条だから」

 打鉄弐式の一件もその約束の範疇だ。俺がデザインした物をヒカルノが形にして、それを組み立てる。

 もう果たせないと思っていた約束果たすチャンスが巡ってきたのだ。これを逃すつもりは無い。

「えっと、す、すごい真面目なんですね」

「……変かな?」

「いいえ、そういうの、なんか……素敵です」

 更識さんは微笑んで、ようやく彼女を素の状態を見れた気がした。

 時計を見てある程度の時間が経っている事に気が付く。紙コップを握りつぶしてゴミ箱に入れると、立ち上がってスパナを手に取った。

「じゃあ、そろそろ作業を再開しようか」

「……はいっ」

 

 ▼ ▼ ▼

 

 切りの良い所まで作業を進めて、窓の外を見ると水たまりが出来ていた。そこに何重にも波紋が重なっている。かなり雨がひどい事が見て取れた。

 スマホを立ち上げて天気予報を見ると夜にかけてもっと酷くなっていくらしい。となると今日はもう帰った方が良いだろう。

 確かこんな時の為に傘を置いてあったはずだ。私物を押し込んであるロッカーを開けると折り畳み式の傘が一つ目に入った。

「更識さんは傘持ってる?」

「こ、こんなに降るとは思ってなかったので……その、持って来なかったです」

「そうか、じゃあこれ使って。後で返してくれればいいから」

 傘を下手で投げて渡すと更識さんはしっかりと両手を使ってキャッチした。

「すいません……。く、倉見さんはどうするんですか?」

「俺はここ閉める作業があるからまだ残るよ。これからもっと雨が酷くなるみたいだから、更識さんは早く帰っちゃって」

「そ、そうですか……。じゃあ、お先に失礼します」

「はい。お疲れ様」

 俺は更識さんが整備室から出て行くのを見送って一通り片付けを済ませると、キャスター付の椅子に体を預けた。

 さて、どうしたものか。

 この整備室に置いてある傘は更識さんに渡した傘だけだ。それは緊急時の予備の傘。予備の予備を用意する程、俺は用意周到では無い。

 よって俺に取れる選択肢はずぶ濡れになって帰るか、ここに泊まるかの二択だ。

 前者は風邪を引いてしまうかもしれないし、後者は必然的に夕飯が食べれなくなってしまう。整備室には食堂はないし、冷蔵庫には飲み物しか入っていない。まさに苦渋の選択と言えた。

 でもまあお腹がすいたまま寝るのはしんどいから、今日はずぶ濡れになってでも帰る事にした。すぐにシャワーを浴びれば何とか体調を崩さずに済むだろうし。

 方針を固めると荷物を詰めて外に出る。窓ガラスに遮られていた雨粒が地面を叩く音が大きくなった。バケツをひっくり返したかのような雨。わずかに残った桜の花びらに止めを刺す事になりそうだ。

 後一年は夜桜を肴に飲めないと思うとこの雨が憎らしい。

 鞄を傘がわりに頭に乗せて屋根の下から飛び出した。雨粒が激しく体に当たる。シャツの色が白から半透明へと変化していった。

 足を少しでも速く動かして自室を目指す。進むにつれて段々と体温が奪われて肌寒くなっていく。ああ、こんな事なら空腹に耐えて整備室に泊まっておけばよかった。

「……准?」

 透き通るような凛とした声。雨音にかき消されてもおかしくないのに何故か俺の耳にすっと飛び込んだ。立ち止まって振り向くと、紺色の傘を差した千冬さんが目に入る。

 俺の顔を確認すると早歩きで向かって来た。

「やっぱりそうか。天気予報を見てなかったのか? 傘を忘れるなんてらしくない」

「最近テレビなんてまともに見てませんでしたから」

「そうか」

 千冬さんは傘の下でふぅ、と息を吐いた。そしてわずかに間を空けると俺に向かって傘を差しだしてきた。

「傘を持ってくれ」

「何でですか? そんなことしたら千冬が濡れちゃうじゃないですか」

「馬鹿者、私も入るんだ。准の方が背が高いんだからお前が持たないでどうする」

 それはつまり俗に言う「相合傘」という奴なんじゃなかろうか。漫画やアニメでの定番のシチュエーション。ただ、今の状況とそれらの状況は違う。彼らは濡れる前にそれを実行しているが俺は既にずぶ濡れだ。入れて貰った所であまり効果はない。

「今更入れて貰った所であまり変わらないので別にいいですよ」

「なら聞くが、お前は目の前にずぶ濡れの私がいたとして傘を差しださないのか?」

 意地悪な聞き方をする。確かにその状況だったのなら俺はためらい無く傘を差しだすだろう。傘を差しだして自分がずぶ濡れになって帰るまである。仕方なく俺は折れる事にした。

「……分かりました」

「分かればいい」

 傘を手に取って傘の中に二人で入る。俺の肩が少し外に出ているが女性用の傘だから仕方がない。

「准、もう少し近くに寄れ。肩が濡れている」

「いや、俺の服濡れてますから。近くに行ったら千冬も濡れちゃいますよ」

「別に気にしない、気にしているならそもそも傘に入れない」

「それは、そうですが……」

 俺にも意地がある。好きな人の前ではある程度、格好をつけておきたかった。

「どうした、早くしろ」

「いや、でも……」

 俺が躊躇(ちゅうちょ)していると、千冬さんは「はぁ……」と深いため息をついて胴体に抱き着いて来た。俺よりも高い体温、俺には無い柔らかな物が押し当てられる。

「えっ、ちょっ……はぁ!?」

 上手く口を動かせなくて、まともな言葉にならない。千冬さんは何を考えてるんだ……。

「冷たいな」

「そ、そりゃ……そうでしょう」

 あれだけ雨に打たれたのだから同然だ。

「っていうか、突然何するんですか」

「何って、見ての通り抱き着いている。嫌だったか?」

 千冬さんは俺を見上げながら首をほんの少し傾けた。だがその時に問題が発生している事に気が付く。俺のシャツから水分が千冬さんの服に移動している。つまりはシャツが透けて、その……見えるのだ。何がとは言わないが。

 俺は千冬さんから目を逸らして口を動かす。

「嫌じゃ……ないですけど……」

「ならいい。さっさと帰るぞ、ここは冷えるからな」

 千冬さんは強引に俺の背中を押した。これ以上俺の文句を聞くつもりはないらしい。目を逸らしたまま。諦めて俺は足を進ませる。

 その後まともな会話はほぼ無かったが、息苦しさは無く、心地いい。

 こんな気分になれるなら、このままもう少し、この温もりを感じたまま、雨の檻に閉じ込められていたかった。 



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私だって遊びたい。

感想評価をして下さった読者のみなさん、ありがとうございます。モチベに繋がってます。
これからも頑張るので何卒よろしくお願いします。
では、大変長らくお待たせした16話です。




 今日は早く起きた。具体的に言うと五時半には。

 どうしてこんなに早く起きてしまったのかと言えば、連休初日であった昨日、ハードワークの疲れを取るために一日中寝ていたからだ。

 そんなこんなで、想像以上に暇になってしまった休日をどう過ごしたものかと、コーヒーを飲みながらまだすっきりとしていない頭を動かす。

 せっかく暇なのだから運動をしたい。結局、この間のジョギング以降まともに運動は出来ていないしな。

 だが、ジョギングと言ってもフルマラソンみたく四時間以上も走る訳ではない。長くやってもせいぜい一時間弱。そうなると時間が余ってしまう。

 いい具合に時間を潰せる運動は何かないかと考えて、ふと、バッティングセンターへ行ってみたくなった。社会人になってからは一度も行っていないし、移動時間で時間も潰せる。それに何となく元野球少年らしくていい。

 早速身支度を済まして、押し入れで埃を被っていたバットケースを手に取り外に出た。

「ん? 准じゃないか。おはよう」

 鍵をドアに差し込んでいると少し遠いところから話しかけられる。顔を上げるとジャージ姿の千冬さんが首にかけたタオルで汗を拭いながら俺の方に歩いて来た。

 髪が水気を含んでいて、何となくこの間の相合傘を連想してしまう。

 気まずくて俺は鍵を閉めるふりをして目を逸らす。

「お、おはようございます、千冬。どうしたんですか? こんな朝早く」

「私は日課のジョギングの帰りだ。准こそ珍しいな、こんなに時間に」

 千冬さんは俺を頭からつま先まで見ると、気になったのか、背負っているバットケースを指差した。

「その細長いケース、中身は竹刀か? 稽古なら付き合うぞ」

「違います」

 ……そんな事したら俺が死んでしまう。

「ならなんだそれは?」

「バットですよ。久々にバッティングセンターに行こうと思いまして」

「バッティングセンターか……。楽しいのか?」

 顎に指を当てて、少し間を空けてそう口にする。少しずれている言葉に、俺はしばらく考えて一つの疑問が浮かんだ。

「……もしかして行った事が無いんですか?」 

「い、いや、存在は知っているが行ったことは無い。……変か?」

「いえ、別に変じゃありませんよ。むしろ行った事の無い人の方が多いんじゃないですかね」

「そうか」

 俺の言葉を聞いた千冬さんはホッと息を漏らす。

 でも、行ったことが無いのならこれを機に連れて行ってみるのも面白い。野球なら俺の得意分野だし、運動で千冬さんに負けっぱなしの俺でも良い所を見せられる。

 そんな下心ありきで千冬さんを誘ってみることにした。

「ええと、千冬さん。この後、

「ああ、空いている。だが、身支度に少し時間をくれ」

 千冬さんは食い気味でそう言った。……俺まだ何も言ってないのに何で分かったんだろう。

「そうですか。なら外で待ってるんで、準備が出来たら声をかけて下さい」

「ああ」

 俺の隣の部屋に入る千冬さんを見送ると、外に出るために階段を下った。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 千冬さんと合流した後、車を走らせる事数十分。グーグル先生が示した最も近いバッティングセンターにたどり着いた。自動ドアを並んでくぐり入店する。

 店内にはバッティングマシンの他にエアホッケーや卓球台が立ち並び、俺の地元にあったものよりもスポーティな印象を受けた。

 客もそこそこ入っているようで、既に何人か打席に立ち心地のいい金属音を響かせている。

「ああやって機械が投げたボールを打つわけか」

「ええ。ちなみに的に当てるとそれに応じて景品が貰えたりします」

 俺が『ヒット』とか『ホームラン』と書かれた的を指差しながら説明すると、千冬さんはわずかに口角を上げた。

「そうか。なら准、それで勝負しよう」

「勝負、ですか?」

「ああ、ただ打つだけなのはつまらない。だから一ゲームで的に当てた数で勝負だ」

「それは別に構いませんが……いいんですか?」

「何がだ」

「俺、勝っちゃいますよ」

 仮にも経験者、打撃には自信がある。それにバッティングセンターに来たことすらなかった千冬さんに負けるとは到底思えなかった。

「ほう、自身満々だな。なら勝者は敗者に一つお願いができるという事にしようか」

「まあ、いいですけど。千冬こそ負けても文句は言いませんよね」

「当然だ」

 先行と後攻をジャンケンで決める。俺がチョキ。千冬さんがグー。

「フッ、では私からだな」

 千冬さんは硬貨を投入して、バッティングケージに入った。

 後ろから見ていても、ダメージジーンズに白いシャツのすらっとした立ち姿、ジーンズの隙間から見える生足が眩しい。その美しさは、俺だけではなく横のケージに立っていた人達の視線をも奪っていた。

 千冬さんがじろじろ見られるのは少し嫌な気分だ。千冬さんのラフな姿は他の誰にも見せたくない。そんな気持ちなった。

 独占欲。いや、結局のところ自分に自信を持てないからなのだろう。

 見せびらかしたら取られてしまいそうだから。俺の近くにいる千冬さんではなくなってしまいそうだから。

 ……情けない。ここで俺が『そうなったら奪い返してやる』と言えるぐらい強気で自信のある人間だったらこんな気持ちにならないのに。

 自己嫌悪に陥りそうな気持ちを息を吐いて切り替え、視線を戻す。

 すると千冬さんは左打席に立っていた。……左打席? 確か千冬さんは右利きだったはずだ。もしかして打席の立ち方を知らないのだろうか? まあ初めてだって言ってたから仕方がないか教えてあげよう。

「千冬。打席逆ですよ」

「いや、これでいい」

 バットは逆手に持ち、左腰に添えるように、つまりは抜刀術の構えで、球が発射されるのを待つ。

 ディスプレイに表示された投手が振りかぶり第一球を投じると、目にも止まらぬ速度でバットを振り抜く、打球はさも当然の様に的に着弾していた。

 

 ▼ ▼ ▼

 

「フッ、私の勝ちだな」

 満足げに腕を組んで勝ちを宣言する。

 俺も残り一本差にまで差を詰めたのだが健闘も虚しく、千冬さんのサムライ打法(仮)を前に敗れ去った。

 よくよく考えて見れば、勝算も無しに千冬さんが挑んでくるはずも無い。現役時代そばで見ていた俺が良く知っていただろうに。

「ええ、完敗です。煮るなり焼くなり好きにして下さい」

「なら早速だが一緒にカウンターに行こう。詳しくはそこで話す」

 千冬さんは俺が打っている間に何をやらせるか決めていたようで間を空けずにそう言うと、急かす様に俺の手を引いた。そんなに俺に言う事を聞かせるのが楽しみなんですか……。

「すみません。お待たせしました」

 千冬さんはカウンターにいた女性店員に敬語で声をかける。

「お待ちしてました。では記念撮影しましょうか」

「……記念撮影?」

「はい、ここではホームランを打ったお客様に記念品の贈呈と撮影を行っているんです」

 何気なく発した呟きに店員さんは丁寧に答える。

「と、いう訳だ。一緒に写真を撮るぞ」

「良いんですか? そんなので」

「良いも何も、私がそれでいいと言っているのだから、良いだろう」

 俺としては写真を撮る程度でお願いごとを消化できるのならそれに越したことは無い。

「分かりました。じゃあさっさと取りましょう」

「物分かりがよくて助かる。じゃあ、お願いします」

 千冬さんは店員さんに声をかけた。それを聞いて店員さんが今となっては珍しいポラロイドカメラを持って、俺達の反対側へ移動した。

「もう少し体を寄せて貰って良いですか~?」

 その言葉を受けて千冬さんは躊躇(ちゅうちょ)することも無く俺の腕を抱え込む。いくら変装しているとはいえ、(それもサングラスだけの軽い物だ)織斑千冬が男性と……なんて広まったらと思うと、胃が痛かった。

「えっと、その、そこまでひっつかなくてもいいんじゃ」

「ほう、敗者が盾突くのか」

 けん制を兼ねてなのかさらに強く腕を抱きしめられた。わずかな痛みと圧迫感が同居したような感触。挟まれている。俺が持ちえないナニカで。

 強引に断る事もできる。千冬さんは俺が嫌がる事はしないだろう。だがこの感触を味わっていたい気持ちもある。俺だって男なのだ。さらに言うのなら童貞なのだ。こんな美女が、世界でもトップクラスの美女が、その肢体を絡ませてきて、嬉しくないはずがなかった。

「……好きにして下さい」

「分かればいい」

「はーい。じゃあ写真撮りますよ~。はい、チーズ」

声に合わせてシャッターが切られた。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 帰り道。

 あの後も千冬さんに付き合ってエアホッケーや卓球で勝負をした。前半はそこそこいい勝負をしていたのだが、後半になるにつれてバテて、叩きのめされ、来る前の『ちょっと良い所を見せられるかも』といった俺の考えは見事に玉砕することとなった。

 運動不足の肉体で無茶をしたからか、ハンドルを持つ腕がビリビリと痛い。

 その傍らで千冬さんは余裕の笑みを浮かべて、最初に撮った写真を眺めていた。

「千冬、そんなにじろじろ見て、なにか珍しい物でも映ってましたか?」

「いや、准のこんなに戸惑った表情は珍しいと思ってな」

「……そうですか」

 否定はしない。ここで写真を取り上げたり、変に恥ずかしがったりはしない。それが一番自分が恥ずかしがっている事を示しているからだ。

 俺が運動だけでなく、精神的な勝負でも負けた気になる。そんなしょうもない理由からくる行動だった。

 そんなつまらない意地を張りながら車を走らせ、赤信号で停車したとき、ふと頭によぎった言葉を口にする。

「そういえば千冬はどうして変装が雑なんですか?」

 そう、さっきも言ったが、千冬さんの変装はサングラスだけ軽いものだ。ちょっとじっと見るだけで見破られてしまいそうなもの。

 近年ではどこで誰に写真を取られるか分かったものじゃないのに、その警戒度は低い。その事に俺は疑問を持ったのだった。

「雑、か。准はこの格好が気に入らなかったか?」

「いえ、むしろ似合ってると思いますよ。それこそ他の人の目を引き付けてしまうぐらいに。でも帽子をかぶるとかマスクをするとかいろいろあるでしょう。ただでさえ千冬さんは有名なんですから」

 その言葉を聞いて千冬さんは小さくため息をついてから切り出した。

「私は変装という行為があまり好きじゃない。何だか自分を偽っているような気がしてな。それに、」

「それに?」

 言葉に詰まった千冬さんを急かす様に俺は相槌を打つ。

「――准には私を見て欲しいから。そのままの、ありのままの私を」

 不意打ち。例えるなら出会い頭にボディブローを食らったような。精神的にはそのぐらいの衝撃だった。

 もちろんそう言ってくれたことは嬉しいのだが、それを伝える口は中々動き出そうとはしない。

「なにか言ったらどうだ?」

 急かされた挙句に俺は、

「――千冬さんのそういう所、ちょっとずるいです」

 自分の気持ちを誤魔化した。



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私だってこれぐらいできる。

お・待・た・せ。
評価人数も95人を超え、100人が見え始めた今日この頃。モチベを上げて頑張りました。
何とかギリギリ二週間以内に間に合ってほっとしています。
では本編をどうぞ。


 ゴールデンウィークも明けて五月中旬、クラス対抗戦を迎えた当日。俺はやや上機嫌でアリーナのピットに待機していた。試合が終わって引き上げた機体を整備し、再び送り出すためだ。

 だがこの一大イベント、忙しいかと問われれば、そうではないとはっきり言える。なぜなら、普段の様に延々と機体を整備するわけでは無いからだ。試合に出るクラス代表の人数は限られているし、そのうち二人は専用機持ち。となると俺が受け持つ人数は普段と比べると格段に少ない。

 イベントの準備の方は俺の管轄外なので知ったこっちゃないが、整備士側からすると正攻法で楽ができるイベントだ。これでテンションが上がらない訳が無かった。

 冷蔵庫から冷やしたお茶を取り出して椅子に座ると、ペットボトルに口を付けてグイッと喉に押し込んだ。食道を冷えた液体が通り抜けていく感覚が気持ちいい。

 そして試合が観戦できるよう、開けっ放しにしたピット搬入口から外を見る。中央の大型ディスプレイには第一試合のメンバーが表示されていた。

 

 織斑一夏vs凰鈴音。

 

 中国の代表候補生vs世界王者の弟。このカードが注目されないはずが無く、観客席は超満員。五月とはいえ暑苦しい。あの中に入らずに済んで本当に良かった。あれだけの人数の女性に気を配り続けるのは酷だし、少しでも気に食わないと判断されれば、俺はクビになっていたかもしれない。

 そんな事を考えているとドアが空気を吐き出して、中に人が入って来た。

「失礼します」

 今では聞きなれた声の主は更識さんだ。今日はこの後で試合を行うようでつい先日、俺に訓練機の整備を頼んできたので、この時間に来るように言っておいたんだった。知らない人が来るよりも、ある程度見知った人が相手だとこっちもやりやすいので比較的気が楽だ。

「うん。じゃあ試合前の最終調整を始めようか」

「はい。お願いします」

 コンソールを接続して数値を確認、異常は無い。後は微調整だけ。

 更識さんの様子を見つつコンソールを叩き、機体の調子を上げていく。本人が動きやすいように、思い通りになるように、()()()()()()()()()()()()()

 最後にエンターキーを押して、目線を更識さんに向ける。

「更識さん、じゃあ調子を見てくれるかな。不満があればをもう少し調整するから」

 そう言うと調子を確かめるようにその場で体を動かす。体全体から関節や指先といった細部まで。それが終わるとゆっくりと口を開いた。

「……す、凄いですね。とても、訓練機とは思えないぐらい動きやすいです」

「そこまで言ってくれると嬉しいね。整備士冥利に尽きる」

 コンソールを閉じて作業を終了させ、椅子に腰をかけた。再びお茶を口に含む。

「えっと、倉見さん。少し……聞きたいんですけど良いですか?」

「いいよ。何について聞きたい?」

 珍しく更識さんが俺に質問を投げかけてきたので、快く了承する。

「どうしてこんな試合直前の調整にしたんですか?」

「ああ、それはね、当日になってみないと本人のコンディションが分からないからだよ」

「コンディション、ですか?」

「うん、コンディション。体の調子ってのは日々変化しているからね。もし仮に前日に完璧に調整できたとして、それが試合当日のコンディションと合致しているとは限らない」

「だから、その誤差が少ない試合直前の調整……ですか?」

「そういうこと。理解が早くて助かるよ」

 この調整には欠点がある。この方法は自分が感じる違和感、直感だよりに体の状態を見て、機体と同化させる。普段の状態をある程度知っていないとできないのだ。ベストな状態を掴むのに時間もかかる。かつて俺が日本代表に帯同していたのもこれが理由だ。

 話をしていると外から歓声が聞こえてきた。恐らくいよいよ試合が始まるのだろう。外を見ると二機の機体が宙に浮いている。

「試合が始まるみたいだね」

「そうですね」

「一回戦からの専用機の直接対決とはくじ運がない。いや更識さんにとってはそうでもないか」

 情報アドバンテージ。こういう一発勝負のトーナメントでは大きな意味を持つ。学園(ここ)では専用機は研究の意味合いが強く、武装を自由に取り換える事ができない。故に、一度手の内を晒してしまえばそれは知っていて、当たり前のこととして、学園内の情報になる。

 それに対し訓練機で挑む生徒は自由に武装を変えることが可能だ。

 自分は手の内を晒さずに対策を練れる。無知の相手と既知の自分。試合のイニシアチブを握る事はそう難しくはない。

 もっとも、それを生かすには専用機持ちを操縦技術で凌駕(りょうが)する事が必要不可欠。それができる生徒はこの時期にはそうそういない。だが、更識さんなら。本来専用機を受け取るはずだった更識さんなら。十分に可能な領域だ。

 専用機を訓練機が下すジャイアントキリング。

 下馬評を覆すような神がかった試合。

 俺はそんな『ご都合主義』的な展開が好きで、そうなる事を期待していた。

「はい、しっかり、目に焼き付けておきます」

 更識さんはそう言って外を見た。

 試合開始のブザーが鳴ると当時に二つの機体が刃をぶつけ合う。(つば)迫り合いとなったがその刹那、一夏君の機体が不自然に体制を崩された。まるで見えない何かに殴りつけられた様だ。その様子からして導き出される武装は一つ。

「衝撃砲か」

「みたいですね」

 中国は衝撃砲の研究に熱心で、モンドグロッソでも試作品を運用していた。代表候補を送り込んできたのもそれが完成したからなのだろう。

 衝撃砲の特徴は肉眼では確認できない。ハイパーセンサーを使えば空気の歪みから着弾点を予測できるらしいのだが、ISに搭乗して日が浅い一夏君はそれを掴むまで時間がかかるはずだ。となると、この勝負を分けるポイントは『このまま削り取れる』か『一撃でも当てる』か。

 状況は変わらず凰さん優勢。衝撃砲の乱射でゴリゴリとシールドエネルギーを削っていく。あと数発貰えば負け、という所で一夏君はこの状況をひっくり返すカードを切った。

 『瞬時加速(イグニッションブースト)』。瞬間的に移動スピードを高めて距離を詰めることができる技能。千冬さんの得意技の一つ。

 突然の事に対応が遅れた相手に一撃必殺の一太刀を浴びせる寸前。轟音が響く。アリーナの中央に土煙が上がった。

「なんだ……あれ?」

 煙が晴れていくにつれて明らかとなるその姿は、全身装甲(フルスキン)。やたらと長い腕。肩と同化した首。()()()()()()()()()()()()()()

 目が合う。

 蛇に睨まれた蛙の様に体が動かない。

 かつてない程の寒気に汗で手の平がべたついている。

 謎の機体は俺に向かって手を伸ばした。

「倉見さん伏せて!!」

 訓練機を纏った更識さんが俺に向かって叫び、俺の盾になるように覆いかぶさった。

 その直後、再び轟音。

 ピットに高威力の光学兵器が着弾。衝撃に俺と更識さんは吹き飛ばされて壁に叩きつけられる。声にならない叫びと共に酸素が吐き出され、代わりに口内を鉄の味が満たす。

 ああ、きっと俺はここで……。

 強烈な痛みに耐えられず、俺の意識は電源を切られたテレビの様に――――――――

 

 ▼ ▼ ▼

 

 うっすらと意識が戻る。目を開けると視界はぼやけていて、自分がどこにいるのかサッパリ分からない。辛うじて分かるのは、部屋の明るさが薄暗いことぐらい。

 そのまま目を開け続けていると、俺の目の前ある何かに、焦点が合さっていく。それは少しづつ近づいていて、俺の顔に触れる直前になってようやくその正体を把握することができた。

「――――ち、冬……?」 

 (かす)れた声。口がさび付いた機械の様に上手く動かなかった。

 目を閉じていた千冬さんは声に驚いて、慌てて距離を置いた。なんで近くに寄っていたのかは分からないが、取りあえず俺はこの状況を把握しようと体を起こす。

「ぐっ、がっ……!」

 体を突き刺す様な激痛が走り、思わず途中力を抜いてしまう。少し持ちあがった胴体はベッドに落ちた。

「馬鹿者、無茶しなくていい。私が起こしてやる」

 そう言って俺とベッドの隙間に腕を入れる。仮にも成人男性だからそれなりに重いはずなのだが、千冬さんにとっては些細な事らしく軽々と俺の半身を壁に預ける。

「とにかく、意識が戻って良かった。准が撃たれたと聞いて焦ったぞ」

 そうだ。俺はあの奇妙な機体に撃たれて……。

「更識さんは? 更識さんが俺を庇ってくれて!」

「更識簪はISを身に着けていたからな。絶対防御のおかげで怪我は無い」

「そうですか。……良かった」

 更識さんに命を助けて貰ってしまった。彼女がいなかったら俺はどうなっていたことやら……。後で必ずお礼に行こう。

「真っ先に他人の心配とはな。全く……少しは自分の心配をしたらどうだ」

 呆れた様に千冬さんがため息をつく。

「俺に関しては生きていれば儲けものというか、半分諦めがついていたというか……いっ!」

 手の甲を軽くつねられて、本調子になりつつあった口を止める。

「あまり、そんな事を言わないでくれ……頼むから」

 眉間にしわを寄せて、明らかに『私、怒ってるからな』と雰囲気で意思表示をしつつ、千冬さんはそう言った。

「……すいません」

「分かればいいんだ。分かれば」

 室内の空気が重苦しくなり。しばらく沈黙が続く。

 千冬さんはさっきつねった場所に手を重ねる。すべすべとした感覚を感じているだけで、十秒が一分に感じられるような気がした。

 もう少しだけこのままでいたい。

 そんな俺の気持ちを妨害するように空気の読めない腹の虫は音を上げ、情けない音を立てた。

「腹が減ったのか?」

「……はい」

 そう言えば朝食以降、何も口にしていない。窓の外が暗くなっていることから正確な時刻は分からないが、夕食を摂りたくなる時間なのだろう。

「そうか、なら丁度いい。見舞いにリンゴを持ってきたんだ。剥いてやろう」

 何処から出したのか包丁とリンゴを持って、俺の返事を聞くまでも無く剥き始めていた。手慣れた動作で、耳付きの可愛らしい姿へと変えていく。

「千冬、リンゴ切るの上手ですね」

「まあな。家事ができずともこれぐらいは、一夏が寝込んだ時にはよくやってやったものさ」

 懐かしむように微笑みながら手を動かし続ける。やがて完成されたそれを俺に向かって一つ差し出した。

「そら、口を開けろ。食べさせてやる」

「いや別に自分で食べれますから」

 重ねていた右手を持ち上げようとすると、体重をかけられて拘束され、逆の手を動かそうとした隙に口に放り込まれた。

「怪我人は黙って、私の言う事を聞いておけ」

 その言葉を聞きながら口に含んだ兎を粉々にかみ砕く。その味はいまいちよく分からなかった。



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私だって癒されたい。

まずは、いつも呼んでくれている読者の皆さんありがとう。
おかげさまで評価も100件を越え、投稿後チラッとランキングにも顔を出していたみたいです。
これからも、本作を楽しんでいただければ幸いです。では、最新話をどうぞ。



「准、終わったか?」

 襲撃事件から一週間程たった頃。職員室にて声をかけられた。名前で呼ばれた時点で誰だか分かっているし、相手を確認するまでも無いのだが、俺は間を置かずに振り返った。

「お疲れ様です千冬さん。もう少しで切りの良い所までいくのでもう少し待ってくれませんか?」

「なら、横で待ってる」

 そう言ってキャスター付きの椅子を引くと、鞄を机に置いて俺の真横に陣取った。頬杖をついて俺の方をじっと、舐め回すように見つめる。別に嫌という訳じゃ無いのだが、集中しずらい。なので声をかけることにした。

「えっと、どうかしましたか、千冬さん。そんなじっと見つめて。……俺になんか変な所でも?」

「いや、ちょっと気になってな。眼鏡かけているなんて珍しいと思ってな。目が悪いのか?」

「ああ、これですか」 

 納得。今日の俺は珍しく職員室で眼鏡をかけていたのだった。何でかと言えば、別に目が悪い訳でも無く、仕事のためだ。これは投影型のディスプレイ。眼鏡のレンズ上に画面やコンソールを映し出す事ができる。場所を取らず、そこそこの値段で使う事ができる優れモノ。デスクワークをするときには重宝している。整備室では時々かけているが、昼時ぐらいしか戻らない職員室でかけるのはあまり無い。千冬さんから見れば俺は珍しい格好だった。

「目が悪い訳じゃ無いですよ。これは投影型ディスプレイです」

「ほう、使っている人を初めて見たな。便利なのか?」

「ええ。パソコン使いながら別の事できますし、何かと重宝してます」

「ふむ、成程な……」

 興味ありげに俺の方へと顔を寄せる。そして画面が開かれているレンズをじっと見つめた。鼻と鼻が触れそうな距離。かつてキスをされたときのことが頭によぎった。千冬さんの吐息が肌に触れて、俺は思わずタイルを蹴って、椅子を滑らせる。

「どうした、准」

「いや、その……仕事終わらせたので帰りましょうか」

 嘘だ。ただ単に恥ずかしかったから距離を取っただけで仕事は終わっていない。たがこれ以上近づかれるのは、ここが職員室である事もあり、避けたかった。……というか、恥ずかしかった。

 眼鏡を外してケースにいれると、バッグに荷物をしまうと椅子から立ち上がる。

「あっ……」

 名残惜しそうに眼鏡ケースを見つめ、声を漏らす。もしかして眼鏡が好きなのだろうか? だったら、少しの間貸してあげよう。千冬さんは意外に眼鏡も似合いそうだし。

 再びケースから眼鏡を取り出して、そっと、千冬さんの顔に添えた。

「おお、やっぱり似合いますね」

 素直な感想を口にした。やはり美人には何をさせても絵になるな。普段は着飾らない千冬さんの透き通るような白い肌に黒いフレームが映える。

 また一つ、彼女の魅力を発掘してしまった。

「そういう訳じゃ無いんだが……まあいい。行くぞ」

 スッと立ち上がった千冬さんはバッグを手に取ると、眼鏡をかけたまま俺を先導する。まだ職員室に残って仕事をしている先生も手を止めて俺たちの方を見ていた。

 それぐらいにその姿は新鮮で、神聖だった。誰が見ても美しい。

 俺はそんな彼女の横に立てていることが、何よりも嬉しかった。

 外に出て、赤く染まった空を眺めながら職員寮に向かって二人並んで歩く。今日は雲一つない、というのは言い過ぎかもしれないが快晴で、水平線に沈む太陽が良く見えた。もう季節は六月に入る手前、梅雨も近い。もしかしたら、しばらくは綺麗な夕焼けが見れなくなるかもしれない。そう思うと、少し残念な気分になった。

「良い、景色だな」

「ええ。こんなに晴れているなら、今日はきっと、星も良く見えるでしょうね」

「星か。准は星を見るのは好きなのか?」 

「まあ、好きですよ。別に特別詳しい訳ではないですけど」

 以前からそこまで意識して見ていた訳では無かったけれど、IS学園(ここ)は明かりが少ないからか、より一層星が輝いて見える。仕事後とかに何気なく見る夜空というのは、心を癒してくれる気がした。

「そうか」

 千冬さんはうっすらと笑みを浮かべると、

「じゃあ今夜、星を見に行こう」

 そう口にしたのだった。

 

 ☆ ☆ ☆

 

 帰り道から数時間が経ち、各自で夕食を済ませて適当な服に着替えを済ませると、私は准と共に外に繰り出していた。消灯時間を過ぎ、寮の明かりも消えて、街灯だけが私たちをうっすらと照らしている。

「でもいいんですか。こんな時間に外に出て」

 准が隣から話しかけてきた。時計を見れば一〇時を回った辺りで、普段なら出歩くような時間ではない。

「別に構わんだろう。私たち大人に門限はない」

「そりゃ、そうですけど……」

 准はそう言いながらキョロキョロと周りを見渡した。何を警戒しているのだろう? 別に特に人目もないし、神経を使う状況ではないだろうに。

「それとも、なんだ。もしかして准は暗いのが苦手だったりするのか?」

「別にそんな事はないです。そんなこと言って千冬の方こそ怖いんじゃないですか?」

 表情こそあまり変わっていないが、いつもより少し早口。そこから嘘を付いていることが分かる。些細な変化に気が付けたことが嬉しくて、仕事あとの重い足が軽くなった気がした。

「無理しなくてもいい」

「別に無理してなんか、」

 准の反論をかき消すために手を取って、指と指を絡めて繋いだ。大きくてゴツゴツした手の温かい感触が伝わる。誰かがそばにいるという安心感を、私に与えてくれた。

「こうすれば安心できるだろう?」

 自分の気持ちをそのまま口にした。准の顔を見るために覗きこむ。私と同じ気持ちならいいのに、と想いながら。

「……そうかも、しれませんね」

 拗ねたようにしてそっぽを向いた。そっけない態度とは対照的に手を握る力がわずかに強くなる。これも、准なりの意思表示なんだろう。もっと素直になって欲しい、そう思いつつも、私は気持ちを確かめられた満足感に満たされた。

 その後は分かれ道を選択する以外は、あまり口を聞かなかった。沈黙の移動時間だった。風が草木をかき分ける音だけが、耳に届いている。傍から見ればつまらないと思われるかもしれない。それでも私にとっては、何よりも幸せで、大切な時間。誰にも譲りたくない大切な時間なのだ。

 そのまま歩いて、やがて海岸線にたどり着いた。辺りに街灯は無く、月と無数の星だけが私達を照らしている。

「………………おぉ」

 准が静かに声を漏らした。

 目の前には透き通った海が薄く星々を映して、まるで地面までもが星空になったかのような、幻想的な景色が広がっている。期待通りに美しい光景だった。

「どうだ?」

「その……なんて言うんですかね、言葉にならないってのは、きっとこんな感じなんだろうなって、思いました」

「そうか」

 准は噛み締めるように、一言一言をじっくりと吟味しながら、そう答えた。この光景をそれだけ真剣に見てくれているのが分かる。ここに連れて来て良かったと、実感させてくれた。

「立ちっぱなしなのも疲れるだろう。座って話をしようか」

 体の調子が万全でないであろう准を気遣って、そう提案した。

「そうしてくれると助かりますけど、ベンチも何もないですよ?」

「大丈夫だ。レジャーシートを持って来たからな」

 名残惜しいが、手を離して、持っていたバッグからレジャーシートを取り出して地面に敷く。広げて地面に置くと違和感に気が付いた。……やたらとサイズが小さい。本当は二人で横になれるぐらいの物を持って来たつもりだったのだが、どうやら間違えて一夏が小さい頃に使っていた方を持ってきてしまったようだ。これだと横にはなれない。頭が混乱する一歩手前で踏みとどまり、どうしたものかと考えていると、准はためらいも無くそこに腰をかけた。

「千冬、座らないんですか?」

 首をかしげながら、自分の真横を軽く叩く。『間違えた』なんて、言えるはずも無い。私は自分のドジを隠したまま、准の横に座った。肩と肩が触れ合うどころか、ひっついてしまうような距離感だった。心臓が脈を打つ速度が上がった。焦りで熱くなってしまった頭をごまかすために、自分から話し始める。

「――そういえば准、体の具合はどうなんだ?」

「体ですか? まあ、良くなってきましたよ。骨に軽くひびが入ってるから、重い物を運ぶのは控えろって言われてますけどね」

「そうか。なら良かった」

 安心した。仕事に復帰してから数日。准は整備にはあまり行かずに、職員室でデスクワークをしていることが多かった。もし怪我の影響が酷かったら、兎へのペナルティを倍に増やす所だった。拳骨一発で許してやろう。

「俺の体調よりも、千冬の方こそ大丈夫ですか? しっかり、休めてますか?」

「どうしてそんな事を聞くんだ?」

「最近、特に疲れてそうに見えたので」

 確かに私の方はここ数日、通常の仕事に加え転校生の手続きをしていたこともあり、疲労が溜まっていた。この仕事は機密情報だから、誰にも言っていない。だからこそ、自然と笑みがこぼれた。

「そうかも、しれないな」

「なら明日はしっかり休んで下さいね。俺は元気な千冬の方が好きです」

「ああ、そうする。私も元気でいたい」

 准が好きな、元気な私でいたい。できることなら、いつまでも。

 頭を准の肩に預けた。私より一回り大きな体が小さく揺れる。

「だから――もう少し、ここで癒されていたいな」

 きっと、どんな寝具でも准の肩に敵うはずも無いだろうから。

「……そうですか」

 またしても准はそっぽを向いてしまった。その表情を伺う事はできない。だが、後ろから見える耳はいつもより濃い紅色に染まっている。

 私は腕と腕を絡ませて、さらに体重をかけた。



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彼女だって心配だった。

毎度、感想、評価等々ありがとうございます。励みになってます。
今回はいつもと違う感じの一話。ヒカルノさんメインの一話にしました。


 千冬さんと星を見に行った翌日。日曜日。俺は自室で惰眠をむさぼっていた。怠惰に過ごしていた。時刻は昼の一歩手前になった頃、重い腰を上げてベッドから立ち上がる。カーテンを開けて日差しを浴びた。

「う、眩し……」

 目元を(こす)って、覚醒し切らない意識のまま、いつもの様にお湯を沸かしてインスタントコーヒーを淹れた。机の上にカップを置き、椅子に座る。

 そのときふと、充電中だったスマホが目に入った。というのも、普段あまり見ない画面になっていたからだ。「着信あり」と表示されている。俺に電話をかけてくる人物は少ない。せいぜい両親と千冬さんぐらいなもので、それ以外となるとまったくもって見当が付かない。

 ロックを解除して通知画面を見ると、同じ番号から五回も連続してかかってきている事が分かった。ここまでしつこいとなると、相手も限られる。もしかすると海外に行っている両親が機種変更をして番号が変わった、とかそんな要件なのかもしれない。通知から電話でその番号を呼び出す。するとワンコールで相手が応答した。

「やっほー准。元気かい? 待ちかねていたよ」

 女性の声だ。はっちゃけていて、聞き覚えのあるテンションの高い声だった。だけれど、近年の技術進歩は凄まじい。声を偽装するぐらい雑作も無い。確認を行うために寝ぼけた頭で口を動かす。

「どちら様ですか?」

「やだな~忘れたとは言わせないよ。貴方の恋人のヒ」

 台詞を言い終わる前に切った。少なくとも俺に恋人はいない。きっとあの電話は新手の詐欺なのだろう。せっかくの休日を数分無駄にした気分になった。スマホを置き直す前に再び振動する。へこたれずにかけ直してくるとは根性のある奴だ。ムカつくが、褒めてやる。それに敬意を称して、苛立ちをそのままぶつけてやる事を決め、電話にでた。

「……もしもし」

「まったく、ヒドイじゃないか。この篝火ヒカルノの、恋人の電話を切るなんてさ」

「……切るぞ」

「待って待って待ってってばっ! 切らないでよ。何か気に障ったなら謝るから!」

「いやなに。これ以上下らない詐欺電話に付き合っている暇なんてないからな。篝火ヒカルノって奴が誰だか知ったこっちゃないが、彼女いない歴=年齢の俺に彼女からの電話とは、腹の立つ業者もあったものだなと、思っただけだ。じゃあ切るぞ」

「嘘ついたのは悪かったけど、誰だか知らないとかひどい事言わないでよ。私、本物だよ……」

声が震えていた。少しやり過ぎたかもしれない。八つ当たりはこの程度にしておこう。泣きだされたらたまらないからな。

「冗談だ。それで? 何の用だヒカルノ。朝から複数回電話してくるなんて」

「そうだった。准、君さ私との約束すっぽかしてない?」

「約束?」

 俺は約束は守るようにしている。ヒカルノとの約束を果たすため、ここ数ヵ月は更識さんの専用機組み立てを手伝っていた。ヒカルノとの約束を、俺を立ち直らせた約束を、忘れたことなんて一度たりとも無かった。

「ああ、忘れるわけ無いだろう。打鉄弐式は必ず完成させる。手を抜く気は毛頭ない。そんな確認の為に電話してきたのか?」

「えっと……それは嬉しいんだけどさ。そっちじゃなくて、この間私がIS学園に行った時、『仕事終わったら相手してやる』なんて言ったじゃないか。その日は結局、仕事が忙しいって言ってたから諦めたけど、その埋め合わせをまだして貰ってないよ」

 そういえば、そんな事を言ったような気がしする。数ヵ月前に何となく言ったものだったので、記憶から抜け落ちていた。どうせ今日丸一日は予定が無い事が予定、みたいなものだったから、相手をしてやってもいい。それに、伝えたい事もある。だから、俺はその誘いに乗ることにした。

「分かった。今からでいいか?」

「うんっ! 実家の方で待ってるから」

「ああ」

 電話を切って、身支度を始めた。

 ▼ ▼ ▼

 

 IS学園から車で数十分。今は殆ど出入りしない家に駐車してその真横の家へと向かう。表札の横にあるインターフォンを押すと、チャイム音がした後に機械越しに『はいはい~』と軽い声で返事をして玄関から跳び出て来た。

 いつもの様に緑の髪を二つに結び、ひらひらと純白のワンピースをはためかせ俺の隣に立つ。ヒカルノの私服姿は久々に見たからか、大人びて見えた。

「待ってたよ、准」

「それは悪かった、とは思わないぞ。当日にいきなり連絡してくるアホがいるか」

「ここにいるよ」

「誇らしげに胸を張るな……」

 目のやり場に困る。

「だって准はいつだって暇でしょ?」

「俺にだって予定はあるんだ」

「まーたそんな事言う~。どうせ予定が無いのが予定とか言い出すんでしょう?」

「悪いか?」

「悪いに決まってるじゃん。女の子から誘われて断る理由がそれとか、彼女だったら絶対怒られるよ」

 ヒカルノは両手を腰に当てて、呆れた顔でため息をつく。なんでそんなに怒るんだか、お前は俺の彼女じゃないだろうに。

「まあいいや。今回はちゃんと来てくれたし。文句はこれぐらいにしとく。それよりお腹すいたから何か食べに行こうよ。どこ行く?」

「そうだな」

 腕時計を見て時間を確認する。この時間帯ならまだギリギリあそこも空いているだろう。再就職を決めてから顔を出していなかったし、丁度いい。

「じゃあちょっとついて来てくれるか? 近くにバイトしてた店があるんだ」

「バイト? 学生のとき准がバイトしてる暇があったけ?」

「いや、倉持をクビになった後にしばらくな。世話になったから挨拶もしておきたい」

「そっか。じゃあそこにしよっか。お腹がすいちゃったから早く行こうっ!」

 ヒカルノは俺の手を取り、引っ張って俺を急かす。そういった無邪気さは昔から変わらないままだった。

 

 ▼ ▼ ▼

 

「ここだ」

「思ったより近かったね」

「まあ近くないと、疲れたときに行きたく無くなっちゃうだろう?」

 俺たちの家から徒歩十分。目的の場所五反田食堂にたどり着いた。真新しい訳ではないが、活気のある食堂だ。就職してから一度も来ていなかったのだが、相変わらずで何だか安心した。

 ドアを開け、暖簾(のれん)をくぐる。閉店時間ギリギリで客足はまばらだ。でも、その少ない視線が俺に集まっているのが分かった。

「もしかしておめぇ、准か?」

 年を感じさせない強靭な肉体、浅黒い肌に張りのある渋い声。それがやけに懐かしく感じた。

「はい。お久しぶりです、厳さん」

「顔見せにくるのがおせぇじゃねぇか」

「それなりに忙しかったんですよ」

「その割には女連れて遊びまわってるみてぇじゃねぇか。彼女か?」

 そう言って俺の後ろにいたヒカルノをにやけながら見る。振り返るとヒカルノは照れくさそうに頬をかく。なんでだよ……。誤解されないように否定ぐらいして欲しい。

「いえこいつは違いますよ。幼馴染、いっ!」

 腕にズキッと痛みが走る。横を見るとヒカルノが俺の腕をつねっていた。

「痛い。離せよ、ヒカルノ」

「准が悪いんだよ」

「俺が何したってんだよ」

「さあ、なんだろうね? 自分で考えなよ」

「分かんないから聞いてんだ、痛い痛い痛いッ! 爪を立てるな爪をッ!」

 そんな風に俺が苦しみ、もがいている姿を見て、厳さんは堪えられなくなったようで、大声で笑われてしまった。恥かしかったのか、ヒカルノはようやく俺をつねる事を止めてくれた。爪の後がくっきり残った腕をさすりながら厳さんの方へと目線を移す。

「厳さん、なにも笑う事は無いじゃないですか」

「いや悪い、悪い。お前がそこまで手玉に取られてるのは初めて見たもんでな。まあ座れや。注文はどうする? お前はいつものでいいだろうが、嬢ちゃんは?」

「えっと……じゃあ、同じので」

「はいよ。ちょっと待ってな」

 注文を受け取ると厳さんは厨房へと引き上げていった。そこから一番近いカウンター席にヒカルノと並んで座る。中華鍋から炎が上がったのが見えた。

「そんな適当に俺と同じの、なんて適当に注文して良かったのか?」

「ん? いや、適当じゃないよ。君はよく『店が一番自信を持ってるからオススメなんだよ』っていつも言ってたじゃない。だからハズレは無いかなって」

「なんだよそれ、やっぱり適当なんじゃないか」

「違うよ。信用してるからね」

 そんな所で信用されてもちっとも嬉しくは無い。

「そうか」

 そのあとすぐに厳さんが完成した定食を運んで来て、二人で食べた。懐かしく、変わりの無い味だった。途中からは店を閉めた厳さんが隣にやってきて、俺を挟み、二人で俺が子供の頃の話を始める。なんだか、自分のアルバムを解説されながら見せられているかのような気分だった。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 五反田食堂を出る。ヒカルノは厳さんと意気投合したようで、長々と話をした。結局、時刻は夕方。辺りは日が傾いて薄暗い。

 実家が直線で見え始めた頃、ヒカルノが沈黙を破り、話しかけてきた。

「今日はありがとう、准」

「どうした? 急に」

 礼を言ってくるなんて珍しい。

「だって、久々だったからさ。こうやって二人っきりで出かけたの」

「そういえば、そうだったかもな」

「そういえばって、君ね……。倉持を辞めてからはまともに連絡はしてこないし、こっちから電話したらすぐ切っちゃうし、それなりに心配だったんだよ?」

「それは、悪かった」

 その後に「でも、俺だって忙しかったんだ」という言い訳をしかけて、やめた。「言い訳しない!」って怒られるのが目に見えていたからだ。俺だって伊達に付き合いが長いわけでは無い。

「だから、今日は嬉しかったよ」

「大げさだな。一緒に飯食いに行っただけだぞ?」

「それでも、それでも、私は嬉しかったの」

「そうか」

 これ以上突っ込むとややこしくなりそうだったので、俺は深く聞かないことにした。俺が倉持をクビになってから、(くすぶ)っていたように、ヒカルノにはヒカルノなりに思う所があったのだろうから。

 あと数メートルで家に着く所で、俺は新しい話題を切り出すことにした。今回、ヒカルノに伝えたかったことを、切り出すことにした。

「なあ、ヒカルノ」

「どうかした?」

「あの約束、ようやく、あと少しで果たせそうだ」

 自分に言い聞かせるように、そう告げた。もうひと踏ん張りするために、自分の逃げ道を塞ぐために。

「ホント!?」

 本当に嬉しそうに俺の手を取って、ブンブンと上下に振った。今日最初に会った時の大人っぽさが消え失せて、子供みたいな仕草だった。

「ああ、本当だ。このまま順調に行けば、打鉄弐式は一ヵ月後には完成する」

「そっか、そっか……。やっぱり准はすごいな。私が諦めてた事、簡単にやっちゃうんだもん……」

 手を振り回すのをやめて、両手で包むように、ギュッと握る。ヒカルノがうつむくと、堪えきれなかったのか、声が震え出した。

「いいや、大変だったよ。組み立てに何ヵ月もかかちまった。それに今回はお前がチャンスをくれたおかげだ。正直な所、諦めかけてたからな、俺も。ありがとうなヒカルノ」

「うん、どういたしまして」

 ヒカルノは顔を上げて人差し指で目元をぬぐうと、笑って見せた。

「ああ、もう家についちゃった」

 そう言われて、ヒカルノから視線を外すと、並んだ実家にたどり着いていたことに気が付く。繋がれていた手が解かれた。

「じゃあ、またね。准。私達の夢が叶うのを待ってるから」

 そう言ってヒカルノは手を振りながら、家へと帰って行く。

 俺も手を振って見送った。明日からまた、頑張れる気がした。俺達の夢を、実現させるために。



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私だって確かめたい。でも……

お待たせしました。記念すべき? 20話です。
感想等に励まさせつつ、頑張りました。



 空気がじっとりと、纏わりつくかのようだった。時期は六月中盤、日本では梅雨と呼ばれる時期。ここ、IS学園も日本国内であり例外ではなかった。

 雨がコンクリートを叩く音が窓の外から聞こえてくる。この音が子供の頃は嫌で仕方が無かったなぁ、なんて懐かしい気分に浸りつつ、風呂上がりに棒アイスを冷蔵庫から取って口にくわえた。火照った体を冷ますために窓を開け、薄着で椅子に座る。

 口の中にじんわりと広がる冷気とバニラ味を感じながら、部屋をぐるっと見渡す。掃除も抜かりないし、見られて困るような物は見当たらない。体臭もシャワーを浴びたから問題は無いはずだ。

 何故俺がこんなにいろいろと気にかけているかというと、千冬さんが今日の夜俺の部屋に遊びに来るからだ。なんでも、ホラー映画を借りただかで、どうせなら一緒に見ないかと誘われたのだ。興味のあるタイトルだったし、好きな女性に「じゃあ部屋……行っていいか?」なんて聞かれて断る野郎はいない。そんなわけで、俺は悩む間もなく提案を了承したのだった。

 下準備を済ませてしばらく待つと、インターフォンが鳴る。いつもは鳴らさずに唐突にベランダから現れたりするから、何だか逆に新鮮だった。

 ドアを開けると、ラフなパジャマ姿の千冬さんが廊下に立っていた。純白の生地に、真っ黒な髪が映える。夜にジャージ以外でいる所を初めて見た気がする。

「待たせたな、准」

「いいえ、そこまで待ってませんよ。まあ、上がって下さい」

 廊下を歩いて、リビングへ招く。

「そのパジャマ、似合ってますね」

「あ、ありがとう。そう言って貰えて安心した」

「新しく買ったんですか?」

「ああ、この間真耶に勧められてな」

 真耶? ……ああ、山田先生か。聞き慣れない呼び方だったから一瞬分からなかった。千冬さんも公私で呼び方を変えるのか。その調子で俺の呼び方を仕事中ぐらいは変えて欲しいものだ。これ以上、変な噂が広がらずに済みそうだし。 

「へぇ、ところで千冬は飲み物何にします?」

「いや、別にそこまで気を使わなくてもいいぞ?」

「でもこれから映画見るんですよ? 何かあった方がいいですって」

「それじゃあ、准と同じ物で頼む」

「分かりました。じゃあ緑茶にしますね。適当に腰かけといてください」

 キッチンの冷蔵庫から冷水ポットを取り出し、お茶をグラスに注ぐ。

 コップを両手に持って戻ると、千冬さんは椅子でなくベッドに座っていた。しかも枕を抱えるおまけ付き。確かに「適当に」とは言ったけど、あのままでは俺は千冬さんの香りが染みついた枕で寝ることになってしまう。不眠症になること間違い無しだ。なんとか説得しないと。

 俺は両手のコップを机に置いて、千冬さんと向き合った。

「千冬、そっちはやめて、こっちの椅子にしませんか?」

「どうしてだ? なかなか快適だぞ」

「でも、テレビ見にくくないですか?」

「角度を変えればいいだろう」

「そしたら俺が椅子から見づらいですよ」

「……? いや、なんでそんな離れて座るんだ。准が私の隣に座ればいいじゃないか」

 当然の様に、首をかしげてそう言う。一瞬で内容が理解できなくて、言葉を返せなかった。そんな俺を見かねて、千冬さんは俺の腕を強く引っ張る。ボスッと音を立てて体がベッドに沈んだ。

「映画は長いからな。楽な体勢の方がいい」

「それは、そうですけど」

「じゃあ決定だ」

 俺がお茶を入れていた間に見る準備を済ませていたようで、リモコンをテレビに向けてスイッチを押す。テレビに映像が流れ始めたので、横になっていた体を起こして、画面に集中し始めた。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 エンドロールが流れ始める。机に置きっぱなしで、すっかり(ぬる)くなったお茶を口に含む。映画の内容はよくあるゾンビ物で、主人公とヒロインが必死になって逃げに逃げて、最後はヒロインと結ばれる。そんなベッタベタな内容だった。でも、俺はそんなありきたりな内容が嫌いじゃなかった。現実はそんなに甘くないから、フィクションぐらいは多少ご都合でも良いだろう。

 俺がそんな事を考えていると、千冬さんは抱えていた枕をリモコンに持ち替えて画面を消した。

「――准」

「えっと、どうかしましたか?」

「ちょっと、腕を貸せ」

 そう言うと俺の返事を聞くまでも無く、腕を抱えた。体全体を使って、蛇の様に締め付ける。少し驚いたけれど、この密着感が気持ちよくて、拒む気にはならなかった。

「怖かったんですか?」

「……いや、別に」

 呟いて、そっぽを向く。素直じゃないなぁ。でも、そんな所が愛おしい。逆の腕を動かして千冬さんの頭に手を添えて、頭を撫でる。

「な、何をする」

「嫌でしたか?」

「い、嫌じゃない。だから、そのまま……続けて欲しい」

 千冬さんはつっかえながら告げる。俺は返事をすることもなく、再び手を動かし始める。撫でるたびにいつもよりも濃いシャンプーの香りがして、心臓が鼓動を速めるのが自分でも分かった。

 恥かしがっている表情を出すのが嫌で、必死でポーカーフェイスを装う。

「なあ、准」

「なんですか」

 返事をすると、一呼吸を置いて、

「私の事、どう思ってるんだ?」

 そんな質問を投げかけてきた。

 思わず頭を撫でていた手が止まる。

 いつだったか、生徒会長に聞かれた質問と同じ内容。あの時は他人に聞かれる訳にはいかなかったから、「仕事仲間」と誤魔化した。

 だけど、今は部屋に二人きり。誰にも聞かれる心配はない。

 もし仮に、ここで心情を吐露したとして、千冬さんは受け入れてくれるだろうか。逆に受け入れて貰えなかったら俺は、どうしたらいいのだろうか。そう考えると不安になって、腕が震えた。

「悪い。変な事を聞いたな。……忘れてくれ」

 千冬さんは俺の思考を遮るかのようにそう言い放った。抱えられていた腕が解放されると、立ち上がって玄関の方へと歩きだした。

「今日はもう帰る。明日もあるしな。おやすみ」

「お、おやすみなさい……」

 パタンとドアが閉じられたのを確認して、鍵を閉める。俺はベッドに崩れ落ちて、ため息をついた。自分の気持ちを伝えられなかった事に呆れてしまう。

 度胸が無くて、情けない。

 そんな自分が嫌で、そのままふて寝してやろうかと考えた。だけれど、予測していた通り千冬さんが抱えていた枕でそう簡単に寝れるはずも無く、意識を手放したのはそれから二時間ほど経ってからだった。



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私だって独り占めしたい。

はい。お待たせしました。更新です。
感想・評価・お気に入り、活力になってます。ありがとうございます。これからも何卒よろしくお願いします。


「――ハイパーセンサー、スラスター出力……、問題ありません」

「よし、じゃあこのアリーナを一周飛んでみて」

「はい!」

 更識さんには珍しく返事に強く力がこもっていた。いや、普段は熱意が無いとかそういうことを言いたい訳じゃ無い。今日が特別なのだ。何せ、俺たちが機体を組み始めて約二か月、やっとの最終動作テスト、気合が入らないはずが無かった。

 重力に逆らって『打鉄弐式』がふわっと浮き上がる。そのまま空中を滑るように移動。手元のコンソールで異常が無いかどうかを確認しつつ、プライベートチャネルで指示を出す。加速、減速、旋回、急上昇、急降下、急停止……その他諸々の動きを一通り試して貰ったが異常は見当たらない。

「よし、大丈夫だ。更識さん戻ってきて」

「分かりました」

 上空から俺の目の前に着地。展開を解除すると、右手中指に指輪として収まった。

「動かしてみて違和感を感じた所はあったかな?」

「特には無かったと思います」

「そう、なら良かった。じゃあ次は武装のテストをしてみようか。的を出すから。『夢現(ゆめうつつ)』、『春雷(しゅんらい)』、『山嵐(やまあらし)』でそれぞれ、撃破してみて欲しい」

 コンソールでデジタルの的を出現させて、アリーナにばらけて配置させる。

「はい、行きます!」

 再び機体と薙刀『夢現』を同時に展開、スラスターを吹かせ、最初に出て来た的を一気に薙ぎ払う。その後、機体を反転させながら、武装を荷電粒子砲『春雷』に切り替え、そのまま発射。的確に的を射抜いていく。

 そして、今度はミサイルの弾頭が姿を現した。打鉄弐式の目玉であり、切札。ミサイルポッド『山嵐』。その総数は四八発にも及ぶ。空中にばらまかれた嵐は、出現した的を巻き込みながら、膨張し、消滅した。

 

 ▼ ▼ ▼

 

「お疲れさま、更識さん。お茶で良かったかな?」

 近くの自動販売機で購入したペットボトルを手渡す。更識さんはそれをぺこりと頭を下げてから受け取る。端末を開いて今回得られたデータを見せながら話を進める。

「機体、武装、共に問題無しだね。ただ、少し動きがたどたどしかったけど、更識さん、どこか違和感とか感じた?」

「それはその、情けないですけど訓練機と比べて反応が早くて、少し戸惑ったというか……」

「ああ、それならよくある事だよ。どんな候補生だろうと、それどころか代表だって、初めは新しい機体に振り回される。一週間乗ってみて、それでも慣れないようだったら俺に言ってね。また調整するから」

「だ、大丈夫です。絶対、乗りこなして見せます。……絶対」

 更識さんは決意を固めるように、そう言った。

「うん。その気概は良し。だけれど、動きがしっくりこないまま乗り続けていると、後々のセカンドシフトにも影響が出かねない。だから、無理はしないようにね」

「はい。分かりました」

「まあ、これで打鉄弐式は完成だ。この二か月、よく頑張ってくれた」

「そ、そんな事無いです。今回は倉見さんにおんぶに抱っこでしたから」

「いや、あの時君の熱意が無かったら、打鉄弐式は凍結されていただろうからね。改めてお礼を言わせて貰いたい。ありがとう。君のおかげで俺の目標を、ヒカルノの夢を、叶える事ができた。本当に……ありがとう」

 頭を下げて、感謝の言葉を、嘘偽りのない言葉を漏らす。心なしか視界が滲んでいた。

 学生相手にみっともない姿を見せて、恥かしくてたまらなかったけれど、それだけ真剣に感謝の気持ちを伝えなければいけないと思ったのだ。

「えっと、その、頭を上げて下さい。むしろ私が倉見さんに感謝したいんです。私だけだったら完成にどれだけかかっていたのか、想像もつきませんから……。ありがとう、ございました」

「……そうか。そう言ってくれると嬉しいね。技術者冥利に尽きる」

 そう言ってから親指で目元を拭い、頭を上げた。すると、更識さんの背後から何人かの生徒が慌てて走ってくるのが目に入った。いったい何の騒ぎだろうか?

「急いで! 隣のアリーナで代表候補生どうしの模擬戦だって!」

「ちょっと待ってってば、置いてかないでよ~」

 そんな会話を盗み聞いて、違和感を覚えた。候補生どうしの模擬戦、という部分だ。学年別個人トーナメントまであと数日。そんな時期に最大のライバルである候補生どうしが、手の内をさらしたりするだろうか。……嫌な予感がするな。行ってみるか。

「更識さん、悪いけど俺はアリーナに行くよ。また今度ご飯でも御馳走するから!」

「え!? く、倉見さん!?」

 俺は更識さんに声をかけると、隣のアリーナへと走って向かった。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 ピットにたどり着いて、目に入ったのは一方的な試合展開だった。二対一を苦にせず、黒い機体が圧倒していた。それは見事、実力もあるんだろう。だがやり過ぎだ。遠目からでも相手側の機体は酷い損傷。確実にダメージレベルCに突入している。

 止めるべきなのは明らかだった。

 しかし、どうやって?

 こういった場合に一番手っ取り早いのは武力行使だが、俺はそんな大層な物を、『武力』を、持ち合わせてなんかいない。いつだって、俺は肝心な時には無力なのだ。思わず歯を噛み締めた。

 そのとき、観客席の方から一本の白い矢が飛び込み、二つの機体の間に割って入る。純白のアーマーにエネルギーで構成された刃。その特徴から割り出される機体は一つしかない。

「白式……一夏君か!」

 しかし、ホッとしたのも束の間。黒い機体と格闘戦に入った彼は静止させられてしまった。まるでテレビ画面を一時停止させたみたいに動かない。その間に大型カノンが彼の顔に突き付けられた。

 AIC、ドイツのPICの発展型の武装。もう実用段階にまで至っていたのか。だが、驚いている場合ではない。先にいた他の二機がほぼ動けない状態で、実質的な一対一。そうなると一夏君はあそこから抜け出すのは難しい。争いを止めることができない。

 他の誰かが何とかしなければならない。

 俺には、何ができる?

 考えろ、考えろ、考えろ……! 

 放送で止める?

 いや、今から放送室へ行っても間に合わない。遠すぎる。

 更識さんを連れてくるか?

 それも駄目だ。彼女が今もさっきの場所にいるとは限らない。

 置いてある武器を……。

 馬鹿か俺は。ここにある物はISで使う事前提だ。刀剣類は持ち上げることすらままならないし、銃の(たぐい)は撃てたとしても反動で体がどうにかなってしまうだろう。

 結局俺には何をすることもできないのか?

「全く、お前が慌てて走っているから何かあったとは思ったが、はぁ……あの愚弟は、落ち着いて過ごせんのか」

 諦めていたそのときだった。背後から聞きなれた声がした。聞き間違えることなんて、あるはずがなかった。

「千冬……!?」

「これ借りるぞ」

 そう言って、壁に立てかけてあったブレードを手にピットから飛び降りる。

 さっと、血の気が引いた。

 体がゾクッと震えた。

 手を伸ばして、声を出すために息を吸った。

「まっ……!」

 引き留める声が届く前に、千冬さんはものすごい速さで乱戦地域へと割り込むと、鶴の一声でこの場をあっさりと収めたのだった。

 俺はその光景を、見ていることしかできなかった。

 

 ☆ ☆ ☆

 

「……千冬」

 拝借したブレードを返しにピットに戻ると、准に呼び止められた。ついこの間の一件以降、何だか気まずくて、話しかけづらかったから、。

「ど、どうした、准」

「助かりました。今回の一件、俺じゃどうにもなりませんでしたから」

「なに、当然の事をしただけだ。礼を言われることじゃない」

 元の位置にブレードを戻して、乱れた髪を手ぐしで最低限整えた。今さら取り繕った所でって感じだが、准にはなるべくだらしがない部分を見せたくは無かった。振り返って准と再び顔を合わせる。

「でも、千冬。これからはああいう事はなるべく、止めてくれると嬉しいです」

「……? どうしてだ?」

 疑問に思って聞き返すと、准は呆れたように大げさにため息をついて、こう切り出した。

「千冬、今でこそISはスポーツだけど、兵器としての一面も大きい。その事を忘れてませんか?」

「何を言う。私が何年ISに乗ってると思ってるんだ。そんな事あるはずがないだろう」

 そう答えると准の雰囲気ががらりと変わった。あまり感情を表に出さない准が、鋭い目つきで、眉間にしわを寄せて、一歩、また一歩と近づいてくる。

「じゃあ何で、IS同士が戦っている所にブレード一本で、それも生身で向かって行ったんだ!? 信じられない! 死んでいたっておかしくないところだぞ!」

「そ、それは……」

 乱暴な言葉遣いで正論を叩きつけられる。それ故に私は准のその問いに答えることができなかった。

「俺がどれだけ……どれだけ心配して、さっきの光景を見ていたか、分かるか!?」

 私は准の迫力に押されて後ずさりをする。しばらくすると、私の背中は壁にピッタリと張り付いてしまった。これ以上は後ろに下がれない。准は狙いすましたかのように腕を壁に突き付けて、私の逃げ場を塞ぐ。これは俗に言う壁ドンという奴だ。か、顔が近い。目と鼻の先だ。怒られているのに何だかドキドキする。申し訳ない気分になって、私は目線を逸らした。

「わ、悪かった。私が悪かったから、あまり怒らないで欲しい……」

「じゃあ、俺と約束してくれ。もう二度とあんな事はしないって」

「ああ、約束……する」

「なら、許すよ」

 壁から手が離れ、元通りの距離感に戻る。私の鼓動も徐々に減速していく。

「……すいません。感情的になりました」

「いや、今回は私が悪い。別に気にしてはいない」

 それよりも気になった事があった。それは、准が口調を変えてしまうほどに真剣に怒った、という事だ。それはあの時、数日前に准の部屋で聞いた問い。怖くて踏み込めなかった答え。その一部を答えてくれたようなものだ。

 私のことを真剣に想ってくれている。

 それが分かっただけでも今は十分だ。

「ありがとう、准」

「えっと、何がですか?」

「フッ、いや、何でもない」

 そう笑って誤魔化す。この事実を、准も無意識に漏らしたと思われる事実を、独り占めしたかったのだ。 



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私だって離したくない。

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「倉見准さん、ですね」

 いつもの様に整備室で仕事をこなしていると、突然ドアが開いて話しかけられた。振り返ると小動物の様な体躯に腰まで伸びた銀髪。左目を覆う眼帯といった特徴的な外見の人物が背後に立っている。

 この生徒を俺は見たことがあった。それもついこの間、あのアリーナでのいざこざで。彼女の名前はラウラ・ボーデヴィッヒさん。転校してきたばかりのドイツの代表候補生。かつて千冬さんがモンドグロッソの後、ドイツで教鞭を取っていた時の教え子。ついこの間、騒動の後にそう聞かされていた。

「ええ、俺が倉見です。そういう貴方はボーデヴィッヒさん、で合ってるかな?」

「……私の事を知っているのですか?」

「少しだけね。織斑先生から話は聞いているよ」

「教官がですか?」

 教官、違和感がある呼び方だったが、ドイツではその様に呼ばれていたのだろう。俺はその言葉に相槌(あいづち)を打った。

「それで、教官は私の事を何と言ってましたか!?」

 ボーデヴィッヒさんは興奮気味に問いを投げかけてきた。俺は聞いた通りに「ドイツにいた時の教え子と聞いた」と返す。それを聞いた彼女は少しシュンとして、うつむく。

 てっきり、ああいった騒ぎを起こしたりするほどだから、もう少しツンケンした問題児を想定していた。だけれど、こうしてみると年相応というか、むしろ幼い印象を受ける。

「えっと、それよりも俺に何か用があったんじゃないかな」

「……そうでした」

 頭をフルフルと二度振って、元のシャキッとした表情に戻る。

「あなたの事は教官からよく話を聞きました。『私の中で一番の整備士』だと」

「前置きは良いよ。別に、ご機嫌取りをするために来た訳じゃ無いんだろう?」

「では、単刀直入に」

 そう言って一拍開けると、

「倉見さん、ドイツでご指導をお願いできませんか?」

 思わぬ発言をしたのだった。

 それに対して俺は言葉を返すことができなかった。面倒だったから会話を急かしたが、まさかスカウトだったとは想定外だ。行動の真意が、彼女の狙いが全くもって読めない。

「……どういうことかな?」

 俺は聞き返す。

「言葉のままですよ。貴方の技術は素晴らしい。それはこれまで開かれた二度の大会からも読み取れます。まさに、世界で一番の整備士と呼ぶにふさわしい」

「そんな事はないよ。たまたま、偶然にも、織斑先生と組むことになったからそう言われているだけだ。俺自身はそこまで腕がある訳じゃ無い」

 それは俺自身がよく知っていた。あの舞台(モンドグロッソ)で、身をもって知っていた。

 俺よりも上の存在は星の数ほど、とは自信を無くすから言わないけど、両腕両足で数えきれない程にはいる。「自分が一番だ」なんて、恐れ多くて口にはできなかった。 

「……だとしても、その卓越した技術がこのような極東の地で活かされず、眠っているのは惜しい。間違っている」

 だから、とボーデヴィッヒさんは続ける。

「ドイツに来て頂きたい。貴方が本当に活躍すべき場所に」

「……ありがたいね」

 思った事をそのまま告げる。組織として、国として、自分を評価してもらえるとは思っても無かったからだ。

「でも、その誘いは受けるつもりは無いよ」

「なぜ、ですか」

「俺は今に満足しているからさ。これ以上を望むつもりは無いよ。それに……」

「それに?」

「いや、何でもないよ。ところで用事はそれだけかな? 俺もそろそろ仕事に戻りたいんだけど」

 失言をかき消すために、話題を切り換える。卑怯な手口だが、根掘り葉掘り聞かれるのは避けたかった。

「は、はい……。失礼、しました……」

 俺に断られた事がこたえたのか、弱々しい口調でそう言うと頭を下げてから整備室から出て行った。

 何だか悪い事をしたような気分になったが、俺にだって「譲れない物」があるのだ。それを具体的に、上手くは言えないけれど、他人の頼みなんて、比べるまでもないだろう。

 

 ▼ ▼ ▼

 

「准、いるか?」

 あれから作業を進め続けて、日も沈み切った頃に千冬さんが整備室に姿を現した。職員室からそのまま帰った方が近いのに、どうしたのだろうか。

「いますけど、千冬はどうしてここに?」

「いや、な。様子が気になって。最近はトーナメントの準備で忙しいとか言ってたじゃないか」

 そう言えばそんな事を言ったような気がした。実際に今回のトーナメントでは前回のクラス対抗戦とは異なり生徒全員が参加する。故に、訓練機の調整量は莫大であり、面倒なのだ。

 でも、あの千冬さんが気にかけてくれた事は嬉しくて、気分が高まる。

 我ながらちょろい。

「まあ。忙しいですけど何とかやってますよ」

「そうか。今日は後どのぐらいかかるんだ?」

「今やってるのは撤収作業なので五分もかからないと思いますよ」

「なら良かった。じゃあ、一緒に帰ろう」 

「了解です。超特急で片付けますね」

 なるべく感情を出さないようにそう答えた。内心ではゴールを決めたJリーガーの如く、膝立ちでスライディングをしているのだけれど、決して表には出さない。だって恥かしいし、ドン引きされるのが目に見えていた。

 宣言通りに五分未満で残りを片付けて、机の横にあったバッグを手に取る。

「じゃあ、帰りましょうか」

「ああ」

 整備室のあるアリーナから出て、教師寮に向けて並んで歩く。お互いに今日あったことや、苦労した事なんかを話ながら。その途中で、一番印象に残った彼女の話をする事にした。

「そういえば今日、ボーデヴィッヒさんが俺に会いに来たんですよ」

「ボーデヴィッヒが准にか?」

「ええ、千冬からよく話を聞いたって言っていましたよ」

「そこまで話をしたつもりは無いんだがな……」

 千冬さんは視線を逸らして、頬をかく。

「おかげさまで、スカウトされましたよ。ドイツで技術を活かしませんかって」

「……それは本当か?」

 その直後、そっぽを向いていた顔を元に戻すと、狼の様な目付きで睨みつけられた。首に氷をいきなり当てられたような寒気が走る。俺は急いで言葉を付け加えた。

「ええ、断りましたけど」

「そうか、なら……良かった」

 ふう、と一息着く。腕に寄りかかると、手と手を重ね、指と指を絡めた。じんわりと温かな感触が伝わる。

「い、いきなり何を」

「こうしていないと、また勝手にどこかに行きそうだからな」

「またって、」

「もう一度やったらまた、だろう。忘れてないぞ私は。第二回モンドグロッソの後、会社も辞めて行方をくらました事」

 千冬さんは俺の言葉にかぶせてそう言った。

 確かに俺はモンドグロッソの後、「責任を取って辞める」だとかそんな事を言って倉持を辞めた。今思えば、その行為ほど無責任な事は無いのだが、その時は最善だと思ったのだ。

 自分の気持ちを隠すには。

 千冬さんを、諦めるには。

 だけど、再会した時に気が付いたのだ。自分の気持ちを隠す事はできても、変える事はできない。できたとしても苦しいだけだ。だったら、素直になった方が良い。

「安心して下さい。二度目はありませんから」

「本当か?」

「ええ」

「絶対だな?」

「だから、そう言ってるじゃないですか」

「――そうか」

 食い入る様に俺の目を見ていた千冬さんは、元の通りに視線を逸らして、代わりに手を握る力を強くする。ちょっと痛くて、手がビリっと痺れた。別に嫌という訳ではない。むしろ心地いいと言ってもいい。

 これも俺が上手く言えなかった「譲れない物」の一つ、……なのかもしれない。決して誰にも言う気はないが。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 自室に戻った俺は身支度を済ませて、スマホからヒカルノの番号を呼び出した。二度のコール音の後、いつもの軽い口調がスピーカーから聞こえ出す。

『もしもーし。准が電話してくるなんて珍しいね。何かあった?』

「まあ、一応。報告をしようと思ってな」

『報告?』

「ああ、打鉄弐式はこの間完成したよ」

 俺たちの夢であり目標の達成を告げる。ヒカルノが渇望していたであろう情報にどんな反応をしてくるのか、楽しみであったが、帰って来たのは意外な事に素っ気無いものだった。

『そう。准ならやってくれると思ってたよ』

「驚かないのか?」

『それはこの間あったときに十分驚いたし、喜んだよ』

「そりゃあ、そうかもしれないけどよ……」

 何と言えばいいのだろうか、俺の知っているヒカルノはもっと感情を抑えるのが下手で、喜怒哀楽が激しい奴だったんだが。この間から、大人っぽくなった所が見え隠れしている。そう思った。

『私は君の事を買っているからね。よっぽどの事が無ければヘマしないでしょ』

「開発からならまだしも、今回は組み立てだけだったからな。時間さえあればミスはしないさ」

『ならいいじゃない』

「……そうだな」

 なんというか期待外れ、いや、驚くのを期待し過ぎて空回りしたというのが正しいか。ついこの間まで距離を取っていたから、過去のヒカルノと今のヒカルノ、そのギャップが修正できていないのを感じた。

「予想してたってことは来るんだよな? 学年別個人トーナメント」

『うん。まあどの道、私の立場上は行かなきゃいけないんだけどね』

「ん? どうして?」

『どうしてって、君ね……私は研究所の所長だよ。テストパイロット選抜も仕事の内さ』

「へぇ、随分出世したんだな」

 俺が辞める前は副所長ですらなかったし、出世なんて割とどうでもいいとか言っていた気がするが……。きっと、ヒカルノなりの事情があったんだろう。

『まあね。それはさて置き、今回は見学だけになりそうだよ。倉持技研(うち)は今『白式』と『打鉄弐式』だけで手一杯だからね』

「だろうな」

『だから、今回は既存機のデータ取りがメインになるかな。その分打鉄弐式の動きはしっかり見れるよ』

「なら大丈夫か。後は、寝坊とかそういう事やらかすなよ」

『な、そんな事はしないよ!』

「なら、日程は分かってるか?」

『三日後でしょ! いつまでも子供じゃないよ、私は』

「そうか、そうだよな。からかって悪かった」

『はぁ、全く君は……』

 しばらくお互いに喋らない時間が続いて、話題が無くなった事を察する。俺から伝えることも、もう特にない。そろそろ寝るために電話を切った方が良いか。

『ねえ』

「なあ」

 声が被った。

「先にいいぞ」

『う、うん。えっと、その……ね。あの』

「おい、ハッキリしろヒカルノ。何言いたいのかわかんねぇよ」

『やっぱいいや。また今度会った時にする。准こそどうかしたの?』

「いや、夜遅いからそろそろ切ろうかなって」

『それもそうだね。じゃあまた今度』

「ああ、じゃあな」

 通話を終了してスマホを机の上に置いた。

 誤魔化した事が気になったけど、次会った時に分かるのなら、変に考えることも無いだろう。その時まで待てばいい。

 俺は部屋の明かりを消して、ベッドに横になると、目を閉じて日付を進めた。

 



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彼も珍しく見蕩れた。

今回は珍しく筆が進みました。
皆さんの感想、評価、お気に入り、モチベ貰ってます。これからもどうぞ、よろしくお願いします。


 そして迎えた学年別個人トーナメント、もとい『学年別タッグトーナメント』当日。なぜ急に種目が変更になったのかと言うと、つい先日の襲撃事件を受けて、より「実践的な戦闘経験を積ませるべき」という意見があったからだ。

 その意見はごもっともで、反対する気はない。だが、個人的には不満がある。この試合形式は整備士の負担が大きいのだ。一試合の整備量が倍に増える。その分、試合が半分になるからいいじゃないか、という意見もあるだろうが、それは仕事の密度が上がる事を意味する。例えると『フルマラソンの距離を半分にしたから、ペースも倍に上げてね』って言われたようなものだ。ハッキリ言って辛い。

 でもまあ、このデスマーチの中にも楽しみが無い訳じゃない。それは『打鉄弐式』の試合だ。試合の時間帯は、休憩を貰う事に成功した。さらに千冬さんに交渉して、観察室に入れて貰える事になっている。準備は万全だ。後は、たどり着く前に、仕事に殺されない事を祈るばかりだった。

 

 ▼ ▼ ▼

 

「お疲れ様です」

 そう言って観察室に入ると、中にいた千冬さんと山田先生がこちらを向いた。

「あっ、倉見さん。お疲れ様です」

「准か、よく来たな。まあ座れ」

「ありがとうございます」

 千冬さんの隣の空席に腰を下ろした。正面に見えるディスプレイには対戦する生徒の名前が並んでいる。その中に更識さんの名前を確認することができた。ブザーが鳴り、カタパルトから四機のISが飛び出して来る。その全てが歓声を浴びながら所定の位置につく。

「ところで准。あの機体、打鉄弐式はどんな機体なんだ?」

 隣の千冬さんがそう聞いて来た。恐らく試合を見る前に要点を押さえておきたいのだろう。俺は大雑把にまとめて説明をする事にした。

「近接特化でも無ければ、射撃特化でも無い。状況に応じて使える装備や戦術を変更して対応する。オールラウンダーな機体って所でしょうかね」

「成程な。選択肢の多い分操縦士の腕が光る機体、と言う事か」

「ええ、そう言う事です」

 一通り解説し終えた所で視線をアリーナへ戻す。試合開始の秒読みが始まっている。零になった瞬間、両陣営が一斉(いっせい)に動く。その中でいち早く攻撃を仕掛けたのは打鉄弐式。つまりは更識さんだ。すれ違いざまに薙刀で一閃。ノーガードの胴体にクリーンヒットする。シールドエネルギーを大幅に削った。

 敵もやられっぱなしではない。ブレードを展開し応戦する。流石はIS学園に入学できた生徒、優秀だ。一度してやられても精神的に負けることは無い。

 だが、格が違う。更識さんには及ばない。現に格闘戦になっても刀剣と薙刀のリーチの差を活かし、一方的にエネルギーを削り取っていく。余裕シャクシャクで一機を落とすと、応援に向かい、数の利を活かしもう一機を倒した。

 こうして、打鉄弐式の初戦は圧倒的な勝利を収める。

 他の手札をさらさず、先の戦いを意識しながら。

 その姿を見て俺は、フッと息を吐きだした。

 自分の役目をしっかりと終えられた事に安心感を得たからだ。

 ヒカルノの夢が達成された瞬間。

 俺が初めてやり遂げた目標。

 その達成感に浸りながら、一言。「仕事に戻ります」と伝えて廊下に出た。

 今の顔は誰にも見せたくは無い。

 ――気持ち悪い笑顔になっていそうだから。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 学園内で数少ない男子トイレで高ぶった精神を落ち着かせた後、整備室に戻ろうと歩を進めていた。試合に熱中している歓声が遠くに聞こえる。対戦カードは確か、ボーデヴィッヒさんペア対一夏君ペア。盛り上がるのも納得の専用機対決だ。時間の関係上見ることは叶わなかったが、後で録画した物を貰えたりしないだろうか。

「すいません。ちょっといいですか? 倉見さん」

 俺が考え事をしていると背後から声をかけられた。振り返るとロングヘアに(失礼だが)張り付けたような笑顔の美人が立っていた。

 俺はこの人を見たことがあった。五反田食堂でバイトしていた時に会っている。名前は……

「えっと、ま、まき……」

巻上(まきがみ)です。巻上礼子(まきがみれいこ)

 そうだ。巻上さんだ。彼女は俺がISの仕事から離れている時にスカウトをしてきた人物。IS学園とほぼ同時にオファーが来たから断ったのだが、まさかまた会う事になるとは思わなかった。

「失礼しました。巻上さん」

「いえいえ、私の様なただの営業を覚えている方が珍しいですよ。お気になさらず」

 そう言って俺にフォローを入れる。

 ハッキリ言うと俺はこの人が苦手だ。なぜかと問われれば、同族嫌悪というのが近い。いつも貼り付けたような笑顔を浮かべ、決して自分の感情を表に出そうとはしない。そのスタンスが、自分のやって来たことを思い出させる。

「そう言ってくれると助かります。ところで、私に何の要件でしょうか?」

 気になるのはそこだ。俺に話しかけてきた理由。それをさっさと聞き出して、この会話を終わらせたかった。嫌いな人間といつまでも話すのは精神的に辛い。

「はい。ぜひ我が社に来て頂きたいと思いまして」

 また、か。この手の話は少ない訳じゃ無い。特に、IS学園に来てからは俺当てにスカウトの手紙が頻繁に届く。もっとも、先日ボーデヴィッヒさんに伝えた通り、ここを離れる気はないので全て断っている。だが、こういって直接話をしに来るのは久しい。特に断った後の二度目となれば、なおさらだ。

「……その話は以前、断ったはずですが」

「そう言わずに聞いてくださいよ。あの時はIS学園のオファーが同時に来ている、と言っていたではありませんか。IS学園で働いてみて分かったこともあったでしょう。もしかすると、気が変わった可能性だってある。そう考えて、私は再び伺ったのですよ」

「はぁ……」

 そうですか、としか言えない。ぶっちゃけた話どうだっていい。早くこの話から逃れたい。その一心で会話のカードを切る。

「お断りしますよ。私の能力を買って下さるのは素直に嬉しいですが、この職場に、不満はありませんから」

「そうですか……残念です」

 巻上さんは断られたにもかかわらず表情を変えない。笑顔を貼り付けたままだった。

「では、俺はこれで。まだ仕事が残って、」

 いるので。と続けようとしたがそれをやかましいサイレンが遮る。

「な、何が!?」

 流石の巻上さんも貼り付けた笑顔を崩して、緊張感のある表情へと変わった。

『非常事態発令! トーナメントの全試合は中止! 状況をレベルDと断定、来賓生徒は至急避難してください! 教師部隊は至急、次の場所に向かって……』

 告げられていた場所はさっきまでいたアリーナ。つまり一夏君が試合をしている最中に何かが起きたのは明白である。分かったところで、俺にこの状況を何とかするだけの事はできない。せめて、今できることをしておこう。

「巻上さん、聞いての通りです。避難しますから、ついて来て下さい!」

「は、はい!」

 その後俺は、巻上さんと最も近い避難所に向かって移動をした。不本意ながら、一緒に移動をした。嫌いだから案内しない、なんてできないからだ。そんな事をしたら、嫌な気分がずっと続く。それが容易に予想できた。

 でも、巻上さんを避難所に案内した後、俺はその場を離れた。彼女と一緒にいることが苦手、つまりは精神的に苦痛だったからだ。好き好んでその場にとどまることは無い。 

 だから代わりに、途中の廊下で迷っている人を誘導したり、やれる事をやれるだけやった。

 一夏君の武運を、千冬さんの大事な弟の無事を、祈りながら。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 そうした事を続けて、日が傾いた頃、ようやく騒ぎが収まる。そして職員一堂に業務連絡が行われた。トーナメントを一回戦のみしか行わない事。騒動に関与した人間には箝口令(かんこうれい)が敷かれた事。生徒に負傷者はいない事。その三つが伝えられて、今日は解散になった。

 職員一同が明日からやらなければならないのは、残りの試合を消化し、アリーナの復旧作業をする事。俺は両方に関わることが確定しているので、かなり憂鬱だ。倦怠感を感じずにはいられない。

 ため息をつきながら、自室を目指して歩き始めた。ポケットのスマホが振動する。画面のロックを解除し、通知の内容を確認した。メール。それもヒカルノから。普段は用があるなら電話なので珍しい。内容は短いものだった。『校門で待ってる』とだけ。

 進路を変更し、その脚で校門へ向かう。四月頃は桜々(おうおう)としていた木々は、すっかり青々(あおあお)と変わっていて、今年ももう半分を切ったのだと実感する。校門が近づいてくると、ヒカルノの姿が見えてきた。緑の髪と白衣をなびかせて、校門に寄りかかっている。夕焼けが葉のフィルターを通してスポットライトの様に彼女を照らす。

 本当にヒカルノを見ているのかどうか怪しくなるぐらいに、その光景は幻想的だった。一瞬、声をかけるのをためらうほどに。

 でも、話が進まなくなるので、一度深く呼吸をしてから声をかけた。

「待ったか?」

「うん……待ってた。ずっと、待ってた」

「何だよそれ、嫌味かよ」

「いや、そんなつもりじゃなかったんだ。ごめん」

「別に、いいけどな……」

 あっさりと謝って来たことに違和感を覚える。拍子抜けだ。いつものヒカルノなら、待たせた事で散々弄ってくるかと思っていた。何だか、調子が狂う。

「それで? 何の用だよ。急に呼び出したりして」

「うん。ちょっと、待ってくれるかな」

 そう言うとヒカルノは右手を胸に当てて、大きく二度深呼吸をすると、腰を上げて俺の正面に立つ。その目付きは細く鋭い。こんな目付きで真剣そうなヒカルノは初めてだった。

 

「君に、伝えたい事があるんだ」

 



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彼女だって伝えたかった。

読者の皆さん。今回も閲覧していただき、ありがとうございます。
毎度の事ながら感想、評価、お気に入り等に励まされつつ、最新話を書き上げることができました。これからも「私だって甘えたい。」を楽しんで頂ければ幸いです。


 伝えたい事がある。

 ヒカルノはそう言った。

 三日前、電話越しでも何か言いたげで、その時は「また今度会った時にする」と含みのある言い方をされたのを記憶している。その正体が明らかになるのだ。真剣なヒカルノの姿を見ていると、手が湿ったのを感じた。

「まずはお疲れさま。よく私の無茶ぶりに答えてくれたね」

「……ん? ああ、そうだな」

 意外にも最初に来たのは(ねぎら)いの言葉だった。もっと何か仕掛けて来そうな、言うならば居合の達人の様な雰囲気だったから、気構えていたがどうやらその必要は無いらしい。気楽に返事を返す。

「でも、無茶ぶりはいつもの事だろ?」

「そうかもね」

「いや、そこは否定してくれよ」

「そうしたいのも山々だけどね。今回に限り認めざるをえないよ。今までのに比べてもトップクラスの無茶だった。私は、それが分からない程愚かじゃないさ」

 らしくない。そう思った。俺が知っているヒカルノはもっと自己中心的なはずだ。

 思えば、打鉄弐式の組み立てを引き受けた時から違和感があった。数か月前、更識さんの専用機を無理を押して、凍結を回避させ、会社から離れた俺を頼ってまで組み立てるメリットが分からなかった。読めなかったのだ。

 俺がこの依頼を受けたのは自分の目標もあるが、それを知るためでもあった。

「でも、君はその無茶を乗り越えて見せた。それも私の想像を超えて。まさかこんなに早く組み上げてくるとは思わなかった」

「別に、俺だけでやった訳じゃ無い。今回は更識さんだって、頑張っていたさ。彼女の働きはとても生徒とは思えない物だった」

「だとしても、そうだったとしても、准はすごいよ。専用機を組み上げたんだ。……これで、誰も文句は言えない。君の実力を、証明することができた」

 今日は疑問が次から次へと湧く。ヒカルノの言動を、行動パターンを、(ことごと)くすり抜けてくる。

「なんで、そんな事をする必要があるんだよ。俺の実力を証明って、そんなことして何になるっていうんだ」

 その疑問をそのままぶつけた。ヒカルノは頭をかいて、質問に答える。

「それは……そうだね。言わなきゃ伝わらない、か。私はね、准。君に戻ってきて欲しいんだ。倉持技研に」

 今まで散々もったいぶっていた割にはあっさりと、包み隠さずそう告げた。頭に無かったことだったので、即座に言葉を返すことができなかった。

「――今更、あそこに戻る場所なんてないだろう。俺は会社の面汚しだ。第二回モンドグロッソでしでかした俺のミスはお前だって知っているはずだ」

 倉持(あそこ)では常識になっているであろうカードを切った。真実を隠すワイルドカード。世間が認めた嘘を、場に出した。それを聞いたヒカルノは大きくため息をつく。

「どうして、そんな嘘つくのさ」

「嘘じゃない。ちょっとネットで調べれば記事が出てくる。なんだったら今調べてやっても――」

「だから、なんでって聞いてるの」

 ヒカルノは目を細めて、ワントーン低い声で俺の台詞を止めた。逆鱗に触れられた竜の様な威圧感。背中に汗がじっとり吹き出す。

「なんでって、本当の事だからだ。嘘なんて、これっぽっちも着いちゃいない」

「それも嘘だね。君、昔から嘘をつくとき目を逸らすよね。私は君の事なら大体知っている。他の奴らとは違うんだよ。甘く見ないで」

 俺すらも把握していない癖を指摘しつつ、一歩前へ進んで俺との距離を詰めた。

 マジか、俺にそんな癖があったとは……。いや、まだブラフの可能性も捨てきれない。このまま自然体で話を続けよう。

「ヒカルノ、確かにお前との付き合いは長い。でも、お前の判別が正しいのかどうか、その保証はどこにもないぞ」

「そうかもね。今のやり取りの真偽は誰にも分からない。でも、第二回モンドグロッソの方はどうだろうね?」

「……どういうことだ」

 俺は聞き返した。すると俺に更に近づいて、横に立てかけてあったバッグを手にを突っ込む。その中から一つの紙束を取り出すと、俺に渡した。表紙は白紙で何も書いていない。

「暴いてみせるよ、二年以上、ずっとつき続けた君の嘘をね。まず一枚目をめくってみて」

 表紙をめくると出て来たのは新聞のスクラップ。日付を見ると二年以上前のもの。見出しは『まさかの辞退! ブリュンヒルデ大舞台で不戦敗! 原因は整備不良か?』だ。

「これが、どうしたか?」

「まずは確認だよ。ここを見て欲しい」

 ヒカルノは蛍光色のマーカーが引かれた一文を指差した。その内容は「日本代表整備部は機体の大幅な改造による負荷が原因としている」と、なっていた。

「これ、間違いない?」

「ああ」

 頷いて俺は肯定する。

「じゃあ、続いて二ページ目」

 再びホチキスで止められたページをめくる。

 現れたのは整備報告書。日付は新聞の数日後。また、所々にマーカーが引かれている。対象の機体名は『暮桜(くれざくら)』つまり千冬さんが乗っていた機体だ。

「これは君の後輩たちが書いた報告書だ。君の言う通り機体の大幅な改造がされているみたいだね。スラスターの増設、装甲の変型。確かに元の機体からは大幅にかけ離れている。これだけの大改造を短期間で、それも手動で行ったら、機体にとてつもなく負荷がかかるだろうね。動かなくなってもおかしくない」

 俺はあの場でやったことは、それだけ大きな変化を及ぼした。俺の後輩たちはそれを利用、日本政府の箝口令(かんこうれい)に従い報告したようだ。その理由に合わせて口を動かす。

「ああ、だから『暮桜』は動かなくなった。試合に参加できなくなったんだ」

「確かに、普通ならそれは通用する言い訳だ。でも、そんなものISにおいては一言で解決するんだ。ある一言でね……」

 さあ、次のページを開こうか。そのヒカルノ言葉に従ってさらにページをめくる。三枚目にあったのは今までに見たことのない書類だった。

「これは……?」

「これはね、ISコアの解析結果のデータさ」

「コアの、解析結果……? そんな事ができるのか」

「うん、うちは国内のIS研究の老舗だからね。初期からこの研究はやっている。最初はわずかしか読み取れなかったけど、今ではもっと詳細に読み取れるようになった。准は整備科だったからこの研究は知らなかったかな?」

「――ああ、知らなかったな」

 未知のデータに俺は、焦りを覚える。書類に慌てて目を落とす。目に付くデータに上から目を通していく。コアナンバー。製造日。搭乗時間……。そして、マーカーの入った一行に行きつく。

「機体形態……第三形態(サード・フォーム)……!」

「そう、織斑千冬の機体は第二形態(セカンド・フォーム)だと思い込んでいたからいけなかった。あの機体は改造によって変化したんじゃない。形態変化(フォーム・シフト)によって変化した。なら動かないなんてことはあり得ない。なぜなら――」

形態変化(フォーム・シフト)は機体自身が行うものだからだ。機体自身が耐えられないように変化する訳が無い」

 ヒカルノが完全に言う前に俺が理由を告げる。これ以上続けてもこのような証拠が突き立てられ続けるのが目に見えてたからだ。現に紙の束は厚みがまだまだ分厚い。嘘を完全に見破られるのも時間の問題だった。

「参ったよ。認める。俺は、嘘をついてた」

 両手を上げて敗北宣言をする。それを見てヒカルノは大げさにため息をついて見せた。

「まったく、いつも君は手間がかかる……」

「そうだな。かけっぱなしだ」

 ヒカルノの言ったことを肯定する。

 俺は小さいころからこいつに迷惑をかけてきた。

 両親が仕事で忙しくて寂しかった時は、外へ連れ出して貰った。

 怪我で野球が続けられなくなった時、整備士への道を示して貰った。

 挫けた時はいつだって、俺のそばにいて、立ち上がるきっかけをくれたんだ。

 逸らしていた視線を戻すと、目と目が合う。

「これで准が取るべき責任とやらは、張りぼてで構成された責任とやらは、きれいさっぱり私がぶっ壊したわけだ。これを社長にでも知らせれば、すぐに復帰の手筈は整うはずだよ。だからこの手を取って、私のところに戻って来てくれないかな?」

 そう言ってヒカルノは俺に向かって手を差し伸べる。

 確かに、俺の表面上の責任は瓦解した。崩壊した。だけど、ヒカルノの言葉に従って倉持に戻る事はできない。ヒカルノの言う所の、『張りぼてで構成された責任』の裏にある物は消えないからだ。『織斑千冬をその場に留めろ』という政府の命令に逆らった責任は、決して消せない。

 そして、俺には今ここに居たい理由がある。ここでしかできない事がある。だから、意を決して言わなければならないのだ。俺のためにここまで尽くしてくれたヒカルノに対して。

「なあ、ヒカルノ」

「なに?」

 とぼけた顔で少し頭を傾ける。

「お前がここまでしてくれたことは嬉しいよ。だけど、その誘いを受けることができない。……悪い」

 断りの言葉を告げた。覚悟を決めて。ヒカルノの表情が曇る。差し伸べられた手がゆっくりと下がっていく。

「理由を、聞いてもいいかな……?」

「……ああ」

 頷いて、理由を語り始めた。

「俺にはここでやりたいことがある。一度は避けて、逃げてたけど、やっぱり諦められない」

 ヒカルノはじっと目を見ながら俺の話を聞く。一度も目を逸らす事は無い。

「野球の時は、怪我でプロになるって夢は諦めざるを得なかった。だけど、今回はそうじゃない。手を伸ばせば届く、……かもしれないんだ。だから、今度こそ、自分の気持ちに素直になって挑戦したいんだ。この気持ちには嘘をつきたくはないから」

 俺の気持ちを包み隠さず、嘘偽りなく言い切った。じっと見ていたヒカルノは一度目を閉じて、ゆっくりと開ける。

「そっか、今度は嘘じゃないか。准はそこまであの女の事が、好きなんだ。織斑千冬の事が好きなんだ?」

「な、なっ、んで、そうなるんだよ。そんなこと一言も、」

 思わぬ台詞に戸惑って言葉が上手く出てこない。

「ブラフだよ。あっさり引っかかちゃって。それだけ本心出してたって事かもしれないけど」

 しまった。まだ他の誰にも言っていないのに。想っている相手にすら告げていなかったのに。まさか、寄りにも寄ってヒカルノにばれるなんて思わなかった。

「でも、そんな顔、初めて見た。ずっと一緒に居たのにさ……。はぁ、これは諦めざるを得ないかね……」

 俺は「何を諦めるんだよ」と聞こうとしたが、その前にヒカルノが話し始めたので、言葉を飲み込む。

「ねぇ、准……『約束と我が儘』聞いてくれるかな……? これで、最後にするから」

 言葉が後半になるにつれて、震えて、途切れる。瞳は潤んでいたが、強いまなざしで俺を見つめていた。

「――分かった」

「まず『約束』。准のやりたい事。絶対、ぜーったい。最後まで、諦めない事……」

「ああ、約束する。絶対、最後までやり遂げて見せる」

 ヒカルノはうつむきながらも話を続ける。前髪が彼女の表情を隠した。

「じゃあ、『我が儘』。しばらく、准の胸、貸して、貰ってもっ……いい、かな?」

「ああ」

 俺の体に抱き着く。ヒカルノが必至にこらえていた物が、瞳から溢れてワイシャツに染み込む。殺した声の代わりに振動が体に伝わる。

 俺はヒカルノの頭をそっと、撫でた。

 しばらく撫で続けてた。

 泣き止むまで、ずっと。



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私だってムキになる。

毎度感想や評価等に励まされてます。ありがとうございます。
そんなこんなで最新話です。


 昼休み。最近はアリーナの復旧作業で忙しかったが、それもようやく一段落して、落ち着いて昼食を取れる時間が戻って来た。自分の机の上で弁当箱を包んだ風呂敷を広げる。

 今日のメニューはサンドウィッチの王様(と俺が勝手に呼んでいる)クラブハウスサンド。トーストしたパンにいろいろ挟んで、爪楊枝で止めるあれである。何となく普通のサンドウィッチよりかは豪華な気分を味わえるのが好きなのだ。

 一つ手に取ってかぶりつく。カリカリに焼いたベーコン、コンビニで買ってそのままだったサラダチキン、今朝慌てて作ったスクランブルエッグ、雑に千切ったレタスにバラバラな大きさのトマト。それぞれが主張し過ぎず調和する。我ながら会心の出来だった。一口ごとに味わえる幸せな気分を誰かに分けてあげたいぐらいに。

 チラリと俺は空席に視線を向けた。その席の主、千冬さんは今日はまだ戻って来ていない。俺はため息をつく。

 俺がヒカルノと『約束』をして数週間。それを果たすための行動は未だ起こせていないのだ。さらにここ数日、千冬さんは忙しくて中々会う事ができていない。こうも全く会わない日が何日も続くとは、つくづく運が無い……。少し上向いた気分も、それを思い出して下を向く。

「今日もおいしそうな弁当だな、准」

 背後から待ち望んでいた声が聞こえて、俺は椅子を回転させると彼女を視界にいれた。黒いスーツに身を包み、凛と、引き締まった雰囲気を纏っている彼女は、俺の隣の椅子を引く。

「隣、良いか?」

「……ええ」

 突然の事で俺は頭が追い付かずに、遅れて返事を返した。正直な所今日も会うのを諦めていたので、嬉しい誤算、嬉しすぎる誤算だった。でも何を話していいのか分からない。数日前までいろいろ考えていたのに、いざその場面になったらこれだ。俺の脳内シミュレートは全くもって当てにならない。

 千冬さんは今回も購買のビニール袋を隣の机に置いた。

「なんか、久しぶりだな。こうして准と昼に一緒になるのは」

「そうですね。最近千冬さん忙しかったですから」

「まあ、臨海学校も近いからな。今年はお前だって関係が無い訳じゃないだろう?」

「そうですね」

 例年通りなら俺は臨海学校にはついて行かないが、今年は専用機持ちの人数が多いことと、各国から換装パッケージが支給されることから、IS装備および整備の専門家として同行することがついこの間決定したのだ。そろそろ持って行く道具をリストアップした書類を提出しなければいけない。

「何とかしますよ。余裕はありますから」

「ならいいが」

 そう言って袋の中からあんパンと紙パックの牛乳を取り出す。何だか張り込んでいる警察官みたいな昼食だ。そんなんじゃ栄養が傾くだろうに。ちゃんとした物を食べているのか少し心配になった。

「千冬さん、最近昼に何食べましたか?」

「ん? どうしてそんな事を聞くんだ?」

「いいから答えて下さい」

 言葉を強めて千冬さんの疑問をかき消す。千冬さんは片手の指を一つ一つ折りながら数え始めた。

「昨日はカツサンド、おとといは焼きそばパン、その前日は鮭おにぎり、だったか……」

「――一応聞きますが、サラダとかは?」

「食べてない。食べる時間が無いんだ」

「そんな事してると体壊しますよ。しっかり、食べないと」

「いや、分かってはいるんだがな……。私は准みたいに料理ができるわけじゃない。こうなってしまうのも仕方が無いだろう」

「成程……」

 言い分が分からない訳では無い。慣れてない人が朝早く起きて、弁当を作るのはかなり大変だ。実際に俺も経験がある。それに一度見た千冬さんの手際から察するに、朝から料理をするのは厳しいだろう。となると、どうするべきだろうか? 少し考えて俺は、距離を縮めつつ解決する策を思いついた。

「じゃあ、俺が作ってきましょうか?」

「作るって、弁当をか? 正直ありがたいが、お前に迷惑をかけるのは気が引けると言うか、なんと言うか……」

「いえ、一人分も二人分もさして変わりませんから大丈夫ですよ。毎日作ってもいいです」

 そう言うと千冬さんは、顎に手を添える。一瞬、五秒ほど黙ってから言葉を返した。

「じゃあ……頼む。食費は月いくら払えばいい?」

「別に要りませんよ。好きでやるんですから気にしないで下さい」

「これは私の気持ちの問題だ。罪悪感を抱えながら昼食を取りたくはない」

「そこまで言うなら……そうですね。じゃあ代わりにスーパーに買い物に行くとき、一緒に来てくれれば俺は構いませんよ。リクエストとか聞きながら買い物したいですし」

「それも私の意見を聞くためだろう。もっとないのか? 准が、私にして欲しい事は」

 そう言われて考える。俺としては了承してくれたことで、毎回千冬さんと昼食が取れる権利を貰ったようなものなので不満もないし、文句も無い。これ以上望む事も……いや、こういうのがいけないのか。もっと人に深く踏み込まない感じが。変えていかなければならないだろう。せめて、好きな相手ぐらいには。

 だから、俺は意を決して切り込む事にした。

「じゃあ今度、俺と一緒に出掛けてくれませんか? 臨海学校は初めてなので、何を持って行ったら良いかいまいち分からないんですよ」

 場所が場所なので出掛けるとぼかしたが、実質デートの誘いだ。遊びに行く事は以前からあったけれど、改めてそう意識すると何だか気恥ずかしい。心臓が脈打つ速度が速くなった気がした。

「そんな事でいいのか?」

「いいんです。逆に俺にはこれ以上が想像できません」

「ならいいが……。じゃあ、今週の日曜日でいいか?」

「はい。楽しみにしてます」

 頷いて肯定する。まさか話す機会を増やそうとしただけだったが、海老で鯛を釣ってさらにマグロも釣れた、みたいなそんな感じ。……俺は近いうちに後ろから刺されるんじゃなかろうか。

 話しながら食べていたあんパンも無くなり、飲み干した牛乳のパックを折りたたんでから千冬さんは席を立つ。

「じゃあ、私は行く。明日の昼は楽しみにしておく」

「ええ、任せておいて下さい」

 手を振って彼女を見送ってから、俺は明日のメニューを考え始める。彼女の食べる昼食が今から楽しみで、仕事が早く終わらないかと、この後の業務は時計が気になって仕方が無かった。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 そして翌日。俺は弁当箱を持って屋上へと出向いていた。珍しいどころか普段だったらあり得ない行動だが、今日は違う。食堂の夏季限定メニューが発売開始されるそうなのだ。よって、ここに来る生徒はほぼいない。視線を気にせずに千冬さんと昼食ができるという訳である。教えてくれた食堂のおばちゃんには感謝せねば。

「早いな、准」

 階段を上り切ると、千冬さんが姿を見せた。既に芝に座っている所から察するに、どうやら待たせてしまったようだ。

「いや、千冬の方が先に来てるじゃないですか」

「まあ、今日は昼の前に授業が無かったからな。早くて当然だから気にしなくていい」

「そうですか」

 その一言に安心して、彼女の隣に座り保冷機能の付いたバッグから、弁当箱と底の浅い魔法瓶を手渡した。

「一つは弁当なのは分かるが、これは?」

 そう言って魔法瓶を持ち上げる。

「ああ、それは……まあ、開けてみて下さいよ」

 説明しようとして中断、空けるように促した。千冬さんは不思議そうな顔をしてから蓋をひねって開ける。

「これは、味噌汁か」

「ええ、今日は朝作った味噌汁が上手くできたので、ぜひ食べて貰いたいなぁ、と」

「そうか、それは楽しみだ」

 千冬さんは両手を合わせて「頂きます」と呟くと、味噌汁を口にした。その様子を俺は固唾を呑んで見守る。

「うん、旨いな。温かくて、落ち着く」

 その一言に安堵する。今朝作った中でもトップクラスの出来とはいえ、口に合うか心配だったのだ。

「良かった。じゃあ弁当もどうぞ」

「ああ。でも、准も食べ始めたらどうだ? 時間なくなるぞ」

「そうですね。じゃあ俺も頂きます」

 その後も弁当のおかずの話をしつつ食べ進めた。千冬さんの家では卵焼きは甘くて、俺が作るのはしょっぱいだとか。俺の箸の持ち方が少し変だとか。そんな他愛のない話をするうちに弁当箱は空になっていて、残念ではあったが元通りに蓋をして風呂敷で包んだ。

「ごちそうさま」 

「お粗末様でした。弁当箱貰いますよ」

「ああ、済まない」

「いえ、別にこれぐら……い」

 あくびが出そうになった所をかみ殺してこらえる。じんわりと出て来た涙を親指で拭った。昨日はいろいろ考えたり、気持ちが高ぶってしまって、中々寝付けなかったのだ。そのしわ寄せがここにきている。

「眠いのか?」

「正直な所ちょっと。すいません。みっともない所を見せちゃって」

「まあ、昼を食べた後だからな」

 程よい温度の風が頬を撫でて、俺の眠気を更に誘う。もっと千冬さんと話していたいのに。全く、肝心な時に俺は情けない。こらえろ俺。

「なあ、准。お前さえ良ければの話なんだが……」

「何でしょう?」

「ひ、膝枕をしてやろうか?」

 あまりにも突拍子も無く切り出された台詞で俺の眠気は、宇宙の果てまで蹴り飛ばされた。えっと、なに? 「実は昨日の時点から夢でした」とかそんなんじゃないよね? 

 俺は確かめるために腕を思いっきりつねったが、ただただ痛いだけだった。

 夢では、ないらしい。

「急にどうしたんですか? 千冬さん。もしかして、何か悪いものでも食べさせてしまいましたか?」

「今は“さん”はやめろ」

「は、はい」

静かで鋭い声に気圧され、俺は頷く。 

「それで? どうしたんですか急に」

「いや、されっぱなしなのは気に食わないからな。何か返してあげたいと思ったんだ」

「それはまた今度出かけるって事で良い、ってなったじゃないですか」

 俺の言葉を聞いて千冬さんはため息をつく。

「私だってな、お前の喜ぶことをして上げたいんだ。私だけじゃなくて、お前にだって喜んで欲しい」

「俺はこうしているだけでも、十分嬉しいですよ?」

「それは、私が気に食わない」

「強引ですね。千冬さん……」

 千冬さんは俺の返した台詞を私情で切って捨てた。その後もいろいろ考えたみたいだが、否定できなかったようで、頭をクシャクシャっとしてから人差し指を立てて宣言する。

「そうだ。私がしたいからする! 文句は言わせん!」

 あそこまで取り乱すというか、ムキになった千冬さんは初めて見た。おかしくて、思わず吹き出してしまう。

「な、なにも笑う事無いだろう」

「すいません。面白かったもので。じゃあ、お願いしてもいいですか。文句は言わせてくれないみたいですし」

「いつまでも弄らないでくれ……」

 そう言いながら一度立ち上がると、スカートを叩いて正座で座り直した。

「さあ、いつでも来い」

「そんな気構え無くても良いですよ。試合でも何でもないんですから」

 俺は千冬さんの横に移動して、頭を彼女の太ももに頭を預けた。スカートのザラッとした感触とその奥に隠された太ももの弾力、そして体温が頭に伝わってくる。今更ながら何だか緊張して手が汗ばんできた。

「どうだ?」

「気持ちいい、ですよ」

「そうか……なら目を閉じて、力を抜いて寝てしまえ。時間になったら起こしてやる」

 覗き込みながら微笑む彼女の言葉を信じて瞼を閉じる。さっきまで影を潜めていた眠気が戻って来て力が抜けていく。

 そして俺の意識はゆっくりと睡魔の海に沈んでいった。



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私だって頼みたい。

えー、前回祝い忘れていたのですが、実はお気に入りユーザーが5000人を突破しました! いつも読んで下さっている読者の皆さんありがとうございます!
これからも本作をよろしくお願いします。


 千冬さんと買い物に行って、その数日後に迎えた臨海学校。海に沈む夕日を眺めながら俺は車を走らせ、宿泊先の旅館を目指していた。というのも俺は訓練機の持ち出し機体や工具の確認、更にはそれを貨物車への搬入をついさっきまでしていたからだ。本来ならば前日には済んでいたはずなのだが、俺が提出した書類の紛失や、部品の不足と言ったトラブルが併発し、その場で片付けざるを得なかったのだ。

 おかげである意味この臨海学校のメインイベントであった、千冬さんの水着を拝む事が叶わなくなってしまった。非常に残念だ。俺が選んだものだったというのに。かなり前から楽しみにしたというのに。なんという間の悪さ。まるで神様が俺を不運の弾丸で狙い撃ったかのような……。そんな正体不明の何かのせいにしないとやっていられなかった。

「酒、飲もう。さきイカも買おう。旅館に付いたら人目のない所でビール飲む。決まり」

 イライラを投げ飛ばすため、独りでにそう呟く。失った楽しみは別の楽しみによって補うしかない。カーナビに音声で「近くのコンビニ」と入力して、ルートを出した。

 赤信号で止まって、ウインカーを出した所で鞄に入れていたスマホが振動する。連続で数回振動していることからメールでは無く、電話であることが分かった。誰からかは確認せずにスピーカーにして電話に出る。

「もしもし」

『倉見准だな』

「違います」

『ええ!?』

 知らない女性の声に、とっさにそう答えてしまった。詐欺かもしれないし、このご時世、女性に絡む話にろくな物は無いのだ。少なくとも俺にとっては。それに運転中に長電話をしたく無かった。

『騙されない! これで間違いないんだ。この私が間違える筈がないんだ!』

「いや、どなたか知りませんが、人間なんだから間違える事もあるでしょう。ミスに盲目なのはどうかと思いますよ。じゃあ、切りますね」

 電話を切ろうと画面に触れた。が、

「切れない……?」 

『ふっふー、この私にそんな手が通用すると思わない事だね!』

 電話越しの女性が得意げに胸を張った気がした。なんか腹立つな。

『ともかく、君に忠告だ。これ以上先に行くことはオススメしない』

「いったいコンビニに何が待ち受けているってんだ」

『コンビニ!? 君は臨海学校に行くんじゃ……』

「だから人違いですって。俺は仕事終わりの会社員です。コンビニの安酒で日頃の疲れを癒す途中なんですよ。分かったらさっさと開放して下さい」

『本当に、違う……?』

「そうです」

『倉見准じゃ、無い?』

「はい」

『――――――』

 切られたか。すいませんの一言も無しかよ。

 さて、嘘を付き通したが、俺に忠告とはいったい何者なんだ。俺に臨海学校に行かれたら困るのか? それはなぜだ? 千冬さんと違って俺にできる事なんて限られているし……。

 いや、発想が逆か。俺じゃ無ければ妨害できない事を考えた方が良い。となると、まさかとは思うが訓練機に何か仕掛けたのか? 今回の妨害工作はそれが原因か? 調整を後回しにしてコンテナに突っ込んだから、データの詳細が確認できていない。

 現場でできると気を抜いていたが、このままじゃ最悪事故も……ヤバいな、想像したら血の気が引いてきた。今すぐコンテナの中身を隅から隅まで確認しつくしたい……!

 もう酒なんか買いに行っている場合じゃないな。急ごう。

 信号が青に変わった瞬間。アクセルをべた踏み。俺は法定速度ガン無視で旅館へと急いだ。警察には見られていない事を祈るばかりである。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 車を駐車。そこから走って旅館に向かった。情けない事に息が上がるのが早い。運動不足がここにきて響いている。こんな事なら運動を継続しておくべきだったな。後悔しかない。

 やっとの思いで旅館の玄関にたどり着くと、腕を組んだ一人の人物が立っていた。

「ん? 思っていたより早く着いたな、准」

「千冬! 丁度良い所に! あのコンテナ、訓練機と道具積んだコンテナって、はぁ、もう届きましたか!?」

「へ? コンテナか? あれはまだついてないが……」

「そ、そう、はぁ、ですか。くっそ、このままじゃ、夜も、寝れない……!」

 息が整わなくて、さっきから話すのが苦しい。途切れ途切れだ。

「何かあったのか? そんなに慌てて」

「えっと、変な電話がかかって来て、『臨海学校に行くのはオススメしない』って言われて、俺を行く事を妨害する理由を考えたら、コンテナに何か仕込まれたんじゃって不安になって、俺、業者の番号も知らないし、急いで、こっち来たんですよ」

「落ち着け、准。その電話の内容を落ち着いて話せ」

 そう言われて俺は深呼吸をして呼吸を整えて、ゆっくり思い出しながら語り始めた。脅迫電話の事。とぼけた事。切ろうとして切れなかった事。勘違いと思わせた事。順番に話していく。

 話が進むごとに千冬さんの顔色が曇っていき、しまいには両手で頭を抱えた。

「千冬、大丈夫ですか?」

 まあ無理もないか。脅迫電話の話をされて明るい顔になるはずも無い。

「……済まない准。心配しなくてもいい。それと、コンテナも気にしなくていい。たぶん何にもないから」

「どうして分かるんですか?」

「嫌でも分かる、私が散々振り回されたからな。その電話の主に」

 はぁ、とため息を隠そうともしない。余程あの人物に振り回されたと思われる。ともかく、千冬さんがそう言うなら安心か。ホッとして体が膝から崩れた。

「お、おい大丈夫か准」

「すいません。なんか、力抜けちゃって」

「ったく、しょうがないな。ほら、手、貸してやる」

 差し伸べられた手を取って、引っ張り上げられた。急に準備運動も無しに走ったから足がガクガクと震える。

「すいません。情けない所見せちゃいましたね」

「いいさ。それよりも准、お前は部屋知らなかったよな」

「ええ、当日に知らせるとしか。確か一夏君と相部屋でしたっけ」

「ああそうだ。こうしておかないと、女子が部屋に詰めかけるからな」

「まあ、彼は人気者ですからね。仕方ないですよ」

「お前も人の事言える立場じゃないだろうに」

「どうしてですか?」

 いまいち理解ができない。俺は一夏君ほど表立って活躍しているわけでは無いし、一年女子と交友がある訳でも無い。そんな俺のところに誰かが訪ねてくるとは想像しがたい。

「はぁ……もういい。行くぞ、ついてこい」

 千冬さんは意味ありげなため息を付いてから踵を返す。浴衣の袖が体の回転に合わせて揺れた。さっきまで慌てていたので目にも入っていなかったが、改めて見ると中々男性の目には眩しい。緩めな着こなしに、まだ少し湿っている髪。髪をかき上げる仕草。その一つ一つに目を奪われてしまう。まさに湯上り美人という言葉がピッタリな佇まいだった。

「どうした? 何かあったのか?」

「いえ、何でもないですよ」

 俺はそう言って誤魔化(ごまか)すと、彼女の後に続いてまだ見ぬ自分の部屋を目指した。

 

 ▼ ▼ ▼

 

「……盗み聞きとは良い趣味だとは思えんぞ小娘共」

 俺達が廊下を歩いていると、扉に耳をピッタリとくっつけている着物姿の生徒達がいた。四人ほど。それに対して千冬さんが明言したのだ。

 それと同時に生徒たちは慌てて扉から飛び退く。

「お、織斑先生! いつからここに!?」

「さあ、いつからだろうな?」

 生徒の疑問を適当にはぐらかして、数歩進むと生徒たちが盗み聞きしていた部屋の扉をためらう事無く開け、そのままずんずんと歩みを進めた。

「准、お前の部屋はここだ。一夏、入るぞ。……ほぅ、なかなか隅に置けないなオルコット」

 女性の軽い悲鳴が聞こえた。たぶん千冬さんがちょっかいかけたな。基本的に同姓相手では無敵だから生徒はされるがままだろう。ちょっとかわいそうだから止めてあげよう。

「まあまあ千冬さん、その辺にして上げて下さいよ。宿泊合宿なんでテンション上がってたんでしょう」

 そう言いながら中に入ると、千冬さんに壁まで追いやられた金髪の少女。一夏君はそれを眺めているという状態だった。俺の言葉を聞いた千冬さんは「まあ、今日ぐらいはいいか」呟いてと少女を開放する。

 俺は部屋の隅に荷物を置いた。

「あれ、倉見さん? もしかして同室って……」

「ああ、悪いね一夏君。かわいい女の子とかじゃなくて」

「いえ、そうじゃなくて。むしろ最近男性と話す機会が無かったので嬉しいんです! よろしくお願いします!」

 一夏君は勢いよく俺の手を取って、ブンブンと上下に振った。

 まあ、気持ちは分からない訳じゃ無い。この環境下ではどうしても男性と話す機会は限られてくるし、女性と話すときは男性の価値観が通じ無いので、常に思考を張り巡らせている。その点、年が離れているとはいえど、同姓相手なら幾分か気が楽で、嬉しいのだろう。

 だが、ここまで喜ばれるのは予想外だ。それに周りの生徒の視線が痛い。大事にしていた物を取られたかのような、嫉妬に満ちた目。きっとこの娘たちは一夏君が好きで、しかし本人は気が付いていない。そんな感じなんだろうと察した。

「そろそろ離して貰って良いかな」

「あ、はい。すいません興奮しちゃって」

 俺が言うと思ったより素直に離してくれた。人の恋路を邪魔する奴はなんとやら、だ。下手するとこの業界ではISで蹴られかねないので、彼女達を刺激したくはない。

「なあ、一夏君。俺はちょっと風呂に行ってくるよ。ちょっといろいろあって、汗でぐっしょりなんだ」

 上に着ていたシャツをパタパタと動かして風を通して見せる。

 彼女達の敵意から脱し、尚且つ、「一夏君との時間」というギフトを提示するとことで俺の印象をコントロールするつもりだ。だが――

「じゃあ、俺も行きますよ。マッサージしたら俺も汗かいちゃったんで、男同士裸の付き合いってのも良いですよね!」

 そんな一言で俺の作戦はあっさりと瓦解した。彼女たちの鋭い視線が俺に集中していく。正直予想外だ。このままでは俺は彼女達に悪い印象しか持たれない。即座に修正しなければ。

「いやいいよ、そんなに俺に気を使わなくても。同級生との時間も大切にした方が――」

 俺がそう言いかけると、誰かが俺の肩に手を置いた。千冬さんだ。彼女はそのまま俺の耳元に口を近づけて、周りに聞こえないように(ささや)く。耳に髪が当たってくすぐったい。

「悪いが准、頼めるか。あいつにも男同士でしか話せない悩みとかあるかもしれん。小娘達は私が上手く言いくるめておく」

 真剣な声のトーンだった。こんな千冬さんの頼みを無下にするのは気が引ける。俺は無言で頷いた。

「いや、何でもない。行こうか一夏君」

「はい! 行きましょう!」

 少女達と千冬さんを部屋に残し、一夏君より先に出た。彼女達は彼女達で話したいことがあるそうで、あの部屋にしばらく残ると言っているのが聞こえた。内容は……聞いてはいけない気がしたのでスルーした。聞いたら最後、それこそISで蹴られてしまう気がする。放っておいて温泉で疲れを癒させて貰うとしよう。

 フッと息を付いて気を抜く。そのたびに、頭の片隅に置いていた脅迫電話の事が浮かんでいた。千冬さんは心配しなくてもいいと言っていたが、それでも不安は消えない。

 もし、俺が言う事を聞かなかったばっかりに生徒が危険な目にあったら?

 更に、俺が力を貸すどころか足手まといになるような状態だったら?

 考えれば考えるほど憂鬱になる。一夏君と会話をしながら温泉に行った後も、布団に入ってもそれは変わらず、結局俺はズルズルと引きずる。

 そして、熟睡できないまま迎えた翌朝。見上げた空はどんよりと真っ黒い雲に覆われていて、俺の不安な心を更に煽った。



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彼だって苛立ちを覚える。

おかげさまで最新話です。毎度、感想・評価・お気に入りには力を貰ってます。モチベ上がるので、これからもどうぞよろしくお願いします。


 合宿二日目。朝からISスーツ姿の生徒たちが忙しく動くのを眺め、苦戦している所があればフォローに行く。その繰り返しを続けていた。

 生徒の対応にも慣れて、余裕が出始めたあたりで俺はある異変に気が付いた。生徒たちが騒がしいのだ。その視線の先をたどって行くと、傾斜のある崖を土煙を立てて、何かが落ちてきている。距離があるので目を凝らす。落石か? いや、違う。土煙の発生源に居るのは人だ。

 紫がかった長髪。

 自己主張の激しいドレス。

 そして、機械のうさ耳。

 その特徴はもはや世界中の誰もが知っているISの開発者であり、誰もが認める天才、篠ノ乃束の物である。学生時代によく話題になっていた問題児で、ウサギと呼ばれていた。俺も遠目でしか見たことは無かったが、その印象は高校時代から一ミリもぶれてはいない。

「ちーちゃ~~~~ん!」

「はぁ……やはり来たか」

 両手を広げ叫びながら、千冬さんへ一直線。それを千冬さんは片手で制した。頭をがっしりと掴んで動きを止めている。

「痛い痛い痛いよちーちゃん! 手加減してよ!」

「やかましいぞ束。お前には言いたい事が山ほどあるが、今は憂さ晴らしに付き合って貰おうか」

「ちょ、ちょっと待って、いきなりそれは酷くない!?」

「これに懲りたら、己の行動を見直すと良い」

「え? 私は常に完璧で、ちーちゃんやいっくん、箒ちゃんの為になる事をしてるんだから、見直す所なんてな――無言で力を強めないでよちーちゃん! 痛いから!!」

「お前のせいで、昨日はなぁ……昨日はなぁ!!」

 うわぁ……指が頭にめり込んでいる。昨日千冬さんの身に何が起こったのか分からないが、流石に止めないと世界の頭脳が失われてしまいそうな勢いだ。俺は千冬さんの近くへと歩いて声をかけた。

「千冬さん、ストップ、ストップです。流石にやり過ぎじゃ……」

「准、止めるな。こいつは言っても伝わらないから、こうやって行動で訴えていくしかないんだっ!」

 そう言いながらさらに力を強める。ミシミシと天才の頭蓋骨が悲鳴を上げてるのが分かった。だが、ここまでされるがままであったウサギも限界だったようで、手を掴んで無理やり拘束から逃れた。余程痛かったのかうずくまって、頭をさすっている。千冬さんがわざとらしく舌打ちをした。

「危ない危ない~。危うくこの束さんの頭脳が砕かれるところだったよ~。相変わらず容赦ないね~ちーちゃんは。ところで――」

 篠ノ乃博士の視線が俺の方へと向いた。にこやかな顔でありながら威圧感をはらんだ敵意丸出しの笑みで俺を見る。

「誰だよ君は? 私のちーちゃんとの感動の再会、ひいてはスキンシップに水を差すとは良い度胸じゃないか。ホント、理解に苦しむなぁ……腹立たしい」

 篠ノ乃博士のその言い分に、俺の感性が逆なでされたような気分になる。折角こっちが心配してやったって言うのに……! 初会話でここまで悪い印象を受けたのは初めてだ。自分の中でブチっと何かが切れた。

「へぇ、随分と面白いこと言いますね。あれがスキンシップだったとは気が付きませんでした。申し訳ない。でも、篠ノ乃博士は随分変わった感性の持ち主の様ですね。まさか頭に強い圧力を受ける事によって親密感を高めるとは……。無礼を承知で聞きますが、もしかして、一番の親友はプレス機ですか?」

「なっ、何を言うのさ君は! 初対面の人間に失礼にも程があるでしょ!」

「あなたにだけは絶対に言われたくはないですね」

 お互いに一歩ずつ間合い詰めて睨みあう。自然と拳に力が入る。

「准、束、その辺にしておけ」

「どうして止めるのさ!」

「そうですよ千冬さん!」

「いや、流石にみっともないだろう……」

「千冬さんだって、さっきこいつの行動に腹を立ててたじゃないですか! その怒りはどこに行ったんですか!?」

「それは、まあ……そうだが、一歩下がって見ると哀れだぞ。……二人とも」

『うぐっ!』

 千冬さんの言う事はごもっともだ。でも、だからと言ってここで引く訳には行かない。何故なら――

 

『こいつには礼儀ってものを教えなきゃいけないんだよ(ですよ)!!』

 

「以心伝心で何よりだ」

『絶対に違う!』

「ほらみろ、息ぴったりじゃないか」

『だから違う!!』

 三度連続で台詞が被ったところで千冬さんからウサギへと視線を戻した。なんだろう、気に食わないというか……もう生理的に無理だ。ついさっきまで何でも無かっただろうが、今では嫌悪感を感じずにはいられない。

「俺、あんたの事が嫌いだ。過去に類を見ない程」

「奇遇だね、私もだよ。世界中の凡人の誰よりも嫌いだ」

 お互いにそう宣言してからそっぽを向いた。もう二度と会いたくない。そうならないよう、地球の外に出て行って貰えないだろうかと思わずにはいられなかった。元々ISはそのために創られたのだと、彼女の発表論文に書いてあったし。

「はぁ……。悪いな准、こいつはこういう奴なんだ。気を悪くしないでくれ」

 千冬さんが俺の肩に手を置きながらそう言った。彼女の気遣いを無下にしないために不本意ながら、渋々、本当に気が進まないが……頷くことにする。

「……分かりました」

「それと、束。お前も目的も無く来た訳じゃ無いだろう」

「おっとっと、そうだった、そうだった~。私にはこんな凡人に構っている暇は無いんだよ~。待たせちゃったね。愛しの妹、箒ちゃん! さあ、大空をご覧あれ!」

 そこからは空からコンテナが落ちて来たり、その中から専用機が出てきたりといろいろと訳の分からない事をあのウサギはやらかしたが、俺は特に関わらない事にした。わざわざ喧嘩しに行くのもアホらしいからな。

 その間俺はひたすら訓練機の整備作業に没頭。ウサギに気を取られて作業効率の悪くなっている生徒の穴埋めをした。時間をかけてゆっくりと自分の頭を冷やしていく。

 そしてようやく落ち着いてきた頃。学園から職員に配布されている端末が振動した事に気が付く。ポケットから取り出して通知の内容を確認する。内容は、『特命任務レベルA。現時刻から即刻対応を始められたし……』これ以上は誰が見ているか分からないから後にしておこう。

 端末をスリープモードにして表示画面を消す。頭を上げると、山田先生が慌ただしく千冬さんに話しかけているのが見えた。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 そして、生徒たち全員の避難を終え、専用機持ちが集められて作戦会議を続けている。その隣の部屋で俺は機材の準備に取り掛かっていた。今回の特務任務は、軍用IS『銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)』の暴走、その対処をする事が目的である。

 この学年にはイベントごとに厄介ごとに巻き込まれる呪いでもあるのだろうか? 誰か裏で手を引いているかのように感じてしまう。

 機材の準備を終わらせたところで、機密情報となっている『銀の福音』のスペックを見る。

 軍用。攻撃と機動の特化型。特殊武装。その他にもいろいろと目を見張るものがあった。だが、一番気になるのが――

「虫食い、穴だらけ過ぎるだろう。データ取ったのはどこのどいつだ……」

 仕事が雑にも程があるだろう。軍用故に、意図的にデータを伏せているというのもあるかもしれない。だが、この非常事態に、本来であれば自衛隊が動くべきであろうこの事態に、それを行うのはどうだろうか。対処にあたるのはまだまだ若々しい一五歳の少年少女達だというのに……。何かあったらどうするつもりなんだ。

 まあ、お偉いさんにはお偉いさんなりの言い分があってこんな情報を出しているのだろう。俺の言う事は二十代の若造の戯言と捨て置かれるのは目に見えている。だから、その何か、万が一が、起こらない無いよう俺達が全力を尽くさなければなるまい。

「倉見さん、準備の方はどうですか?」

 襖を開け、山田先生が顔だけ出してそう聞いてきた。少し騒がしいのが気になるが、そこら辺は千冬さんや山田先生、他の教師陣の仕事だ。気にしないでおこう。

「機材の方は問題ありません、山田先生。そちらの準備ができ次第(しだい)作戦行動を開始して下さい」

「はい。ありがとうございます! 織斑先生、準備は大丈夫みたいです」

「よし、では作戦行動に移る! 指定されたメンバーは出撃準備。それ以外はここで待機だ」

『はい!』

 一同の返事の後、廊下を歩いて行く千冬さんと一夏君、ポニーテイルの少女と何故かいるウサギ。合計四人が目に入る。そのうち千冬さんは指揮官。ウサギも戦闘を行うことは無いだろう。となるとあの二人で『銀の福音』をやるのか? リスクが高すぎるように思える。

 だが、俺がそれを口にすることはできない。なぜなら俺は整備士、IS戦闘のエキスパートではないからだ。その道のプロに任せるしかない。プロにはプロなりの考えがあるんだろう。その中で俺ができる事と言えば、彼、彼女らの無事を祈るだけだった。

 

 ▼ ▼ ▼

 

「担架だ! 担架持って海岸へ急げ!」

 千冬さんは怒号を飛ばすと、自分自身はそのまま走って部屋から出て行く。専用機持ちもその後に続いた。バタバタと足音が静まり返っていた廊下に響く。

 作戦は失敗した。

 あってはならないその場のミスとトラブルによって崩れ去った。

 対処に向かった二人は逆に迎撃され、一夏君は意識が無い。もう一人はその彼を運び撤退している。

 それに対して『銀の福音』は二人が撤退した(のち)、ステルスモードになり消息を絶った。衛星カメラによって行方を追っているらしいが完全な位置を未だ把握しきれていない。考えられる最悪の展開だ。

 今ここに居る専用機持ちの中で切札とも言える一夏君の離脱はかなり痛手だ。作戦を一から立て直さなければならない。

 それに、千冬さんも心配だ。なにせ最愛の弟である一夏君の一大事。取り乱さない訳が無い。今後の指揮にも影響が出ることは容易に予想できた。

 シャっと(ふすま)が空く音がして振り返る。そこに立っていたのは山田先生。普段なら常に笑顔が絶えない彼女の表情も影が差していた。

「……織斑君は意識不明の重体、別室でしばらく安静にしてます。我々は状況が動くまで現状待機だそうです」

 千冬さんが出したであろう作戦指示を伝える。それに釣られるように教員たちの雰囲気も落ち込む。完全に悪循環。この状態で状況が動いたら他の専用機持ちにまともなサポートをできるとは思えなかった。

 この空気を打破しなければ、確実に次がどんな作戦であろうと失敗する未来しか見えない。だが、どうする……? ここで俺が何を言ったとしても変わらないだろう。俺にそんな影響力なんてない。

 だとしたら、誰に言って貰えばいい? ……って、そんなの考えるまでも無いじゃないか。この状況を何とかできるのは結局、彼女しかいない。

「山田先生」

「は、はい。何でしょう、倉見さん」

「千冬さん、今どこにいるか分かりますか?」



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彼は特別になりたい。

最新話です。いつも読んでくれてありがとうございます。感想や評価等には毎回力を貰っています。これからも『私だって甘えたい。』をよろしくお願いします。


 結局、山田先生から聞けた情報は外にいるというものだけ。なので俺はこの暑い中走り回る羽目になった。

 これがラブコメ漫画だったら、主人公がヒロインのいる場所を一発で見つけるのだが、残念ながら現実はそうはいかない。昨日の筋肉痛が癒えていないというのに更なる負荷が俺の太ももを襲う。それに耐えてながら走って。奥歯を噛み締めながら走り続けて。そして最後に来た海でようやく、千冬さんを視界に捉えることができた。

 彼女は砂浜に膝を抱えるように座り込んでいる。顔を伏せ、体全体を丸めるようにしているから、俺と比べて小柄な体が余計に小さく見えた。

 深呼吸で息を整えて、ポケットのハンカチで滲んだ汗を拭う。とにかく何事も無かったように見せたかった。なぜなら彼女は心底不安だろうから。だから、この瞬間だけでも頼れる自分で、言うなれば『インスタントヒーロー』でいたかったのだ。

 そして、意を決して俺は千冬さんに声をかける。

「こんなところで何してるんですか? 千冬」

「…………准、か。悪いがしばらく一人にしてくれ」

 うつむいたまま俺の言葉に対してそう返す。今まで俺なら彼女の意思を尊重してこの場を立ち去るだろう。「分かりました」と一言伝えて。

 でも、それじゃあ駄目なんだ。

 気遣って、割れ物に触れるように接し続けて、自分の想いを隠したままでいる。そんなんじゃ、いつまでたっても関係を進める事なんてできない。絶対に。

 だから俺は一歩進む。距離を縮める。これまで死守してきた一線を踏みにじって。

「嫌です。そんなの、絶対に嫌です」

 その勢いで言葉を続ける。

「そりゃあ、千冬さんにだって一人になりたい時もあるでしょう」

 でも、と続ける。

「辛そうなとき、一緒に居てあげたい。支えてあげたい」

 それを聞いても千冬さんはしばらくだんまりを決め込んだまま、顔を隠し続けた。

 俺はまた一歩近づく。千冬さんは足音に反応して口を開いた。

「来ないでくれ。そう思うのはお前の勝手だ。好きにしたらいい。だがな、私にだって一人で考えたい事はある。頼むから……」

「考える、ねぇ。どうせ、自分の事を責めているんでしょう?」

「…………」

 俺は知っていた。弟に何かあると自分の事を責める癖を。孤独に抱え込もうとする悪癖を、良く知っていた。あの時も、そうだったから。

「そうやって、ふさぎ込んで、自分を苦しめて……何になるんですか」

 千冬さんはピクリと反応して少しづつ言葉を漏らし始めた。

「――じゃあ……じゃあ私はどうすればいい……。一夏を酷い目にあわせた。篠ノ之や他の生徒にも、不安な思いをさせた……!」

 顔をあげた。見えた表情はしわくちゃで、普段の彼女とは似ても似つかない。俺の作業着の裾を掴んで、

「これを、私のせいにしないで、背負わないで……どうしろっていうんだ!」

 苦しそうに、振り絞るようにして叫んだ。震えながら心の内をさらした。

 だから俺も隠さず、偽らず、思うがままに言葉を返そう。

「それは分かりませんよ。どうしたらいいかなんて、俺には分かりません。だから、一緒に考えて、苦しんで、悩んで……その答えを見つけさせて欲しい。一緒に、背負わせて欲しい。それじゃあ、駄目ですか?」

「そんなの、無責任だ。自分のしたことを他人に背負わせるなんて……」

「確かに、そうかもしれない。そうに、違いないです。俺は他人だ。それは事実です。でも、だからこそ俺は……他人じゃ、無くなりたい。俺は千冬の、特別になりたい」

 そうだ。俺は、彼女の特別になりたいんだ。

 だから、正直に告げよう。

 俺の心の内を。

 数年間抱え続けてきた、彼女への恋心を。

 

「だって俺は、俺は……千冬の事が好きだから」

 

 今更ながら緊張で手が震える。それを誤魔化したくて、ズボンを力強く握りしめた。心臓の音がかつてない程大きく聞こえた。

「な、なんで、なんでこんなときに言うんだお前は。もっとタイミングってものがあるだろう……」

 ため息をつきながら千冬さんは俺の服から手を離して立ち上がる。

「嬉しい。まさか、お前から言ってくれるとは思わなかった」

「じゃあ!」

「でも、駄目だ」

 了承してくれるかと思いきや、告げられたのは断りの言葉だった。胸が抉られた様に痛み、まともに前を見ていられなくなる。おぼつかない足取りで一歩下がった。

「今は、な。返事はこの騒動が収まるまで待って欲しい。一夏はまだ戦っている。私だけこんな思いをするのは気に食わない。だから――」

 頭を両手でつかまれて正面を向かされる。彼女の顔が目の前まで迫っている。

 一瞬だけ唇に柔らかく、温かな物が触れた。

 何をされたのか把握できなくて、何度も自分の唇を触る。

 千冬さんはしてやったりと、悪だくみが成功した子供のような表情を浮かべた。

「しばらくはこれで我慢しておいてくれ」

 そう言って千冬さんは歩き始める。俺が来た旅館の方へと。俺はしばらくそれを目で追うことしかできず立ち止まる。俺は、成功したのか? 千冬さんを立ち直らせること、それと……告白に。感情が揺さぶられ過ぎて理解が追い付いていない。

「おい。何してる准。早く行くぞ」

「は、はい……?」

「はぁ、もっとシャキッとしろ。これからお前を『特別扱い』するんだから。そんなんじゃ、困る」

「ッ! はい!」

 千冬さんの言葉に大きく返事をする。彼女に受け入れてくれた。それが分かったこと嬉しくて、つい走って隣を目指した。だが俺は忘れていた。筋肉痛を押して走って来たのを。

 その結果、足をもつれさせて、顔面から砂浜に派手に転んだ。ださい。最高にださかった。告白した途端にこんな無様な姿を見せるとは……。

 そんな俺を見て千冬さんはさっきまでの暗い雰囲気が嘘だったかのように笑った。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 そして、俺は再び自分が派手に転んだ跡残る砂浜へと舞い戻っていた。というのも、持ち直した千冬さんが出した俺への指示が専用機の調整だったからだ。

 専用パッケージをインストールして大幅に変わった機体を調整し彼女たちの感覚に合わせ、最適な状態で戦闘に行かせられるようにする。

 それが俺に与えられた役目だった。

「倉見さん」

「ああ、更識さんか。よく来たね」

 一番最初に現れたのは勝手知ったる更識さん。それに続いて五人も歩いてこちらへ来る。全員がそろった所で俺は概要を説明を始めた。

「え――これから皆さんの専用機の調整を行います。パッケージをインストールされたばかりで体に馴染んでいない機体をフィッティングして、最高の状態で送り出したいと思っています。では準備ができた方から順番に行きますので声をかけて下さい」

「じゃあ、私からお願いできますか」

 真っ先に手を上げたのはボーデヴィッヒさん。俺は頷いて工具箱を開けて彼女の整備を始めようする。

「ちょっと待ちなさいよ! ラウラ!」

「ん?」

 俺達に待ったをかけたのは八重歯が映えるツインテールの女の子だった。確か名前は凰鈴音(ファンリンイン)さん。中国の代表候補生だ。

「あんた、そんな見ず知らずの奴に専用機を預けるわけ!?」

「そうですわ! その何者か分からない方を信じられると言うのですか!?」

「まあまあ、落ち着いてよ二人とも。気持ちは、分からなくはないけど……織斑先生の指示なんだし」

 二人の金髪女子が彼女の後に続く。彼女達も代表候補生。イギリスから来ているセシリア・オルコットさんとフランスのシャルロット・デュノアさん。彼女達がそう言うのは当たり前だ。自分の体の一部とも言えるISを見ず知らずの人間に預けるなんて不安で仕方がないだろう。このご時勢、それが男であったのなら尚更だ。

「いや、ごもっとも。俺が名乗っていないのが悪かった。不安にさせたようだったら申し訳ない。初対面の子も多いのに。自己紹介しなきゃね」

 とは言っても時間はない。いつ『銀の福音』が再び動き出すか見当はついていないのだ。だから、最短で彼女達を安心させる為。信頼してもらえるように普段は使わない以前の肩書を口にすることにした。

「初めまして。俺は元日本代表所属IS整備士、倉見准です」

 力強く、自信をもってそう告げた。



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私だって怖くなる。

 倒れた。砂浜に体を預けていた。全員の整備を終え、精も根も、気力を出し尽くした俺は、最後の一人を指令室に送り出した所で眠ってしまったらしい。日がほぼ沈んで、星が見え始めている。

 上半身を起こし、体に張り付いた砂を払ってから辺りを見渡す。砂の上に工具が散らばっているのが確認できた。

 後先考えず整理整頓なんて頭の隅にも置いていなかったのだから仕方がないと言えば仕方がないのだが、片付けない事にはこの場を後にはできない。なので立ち上がって工具を拾い始めた。

 ふと頭に彼女達は大丈夫だろうか? と言う疑問が浮かぶ。整備自体には応じてくれたし、納得のいくクオリティには仕上げた。限りなくベストに近い状態で送り出せた。そう確信を持って言える。

 だが、今回の相手は軍用機だ。競技用じゃないからリミッターも解除されているだろうし、敵からすれば一対多だが、それも想定している用途通り。有利にはなりえない条件だ。確実な勝利のためにはもう一枚切札が欲しい。一夏君の様な……。そんな事を考えても仕方が無いことは分かっているのだけれど、不安で仕方が無くなってきた。このまま待ち続けるのは精神的によろしくないな。片付けが終わったら一刻も早く指令室に確認に行こう。

 そう心に決めてから、作業は滞りなく進んだ。工具をまとめ終えた後、筋肉痛で痺れる足を労わり、歩いて指令室に向かう。

 その途中だった。ここにいる筈がない人物が見えた。戸惑いを隠すことができずそのまま口から漏れ出た。

「どうして、どうして一夏君がここに居る」

 彼は意識不明の重体。意識が戻ったとしても原因が分からない以上、安静にしていなければならないはずだった。

 進行方向からして行先は生徒全員が演習をしていた岩場。まさかとは思うが、戦闘区域へ行く気なのか? 正義感が強い彼なら、衝動に任せて彼女らの助けに向かう可能性は大いにある。

 それは危険だ。彼の体はそんな事できる状態では無い。もしまた、彼の身に何かあったらと思うと気が気では無かった。何としても彼の出撃は避けなければならない。

「待ってくれ一夏君!」

 息を大きく吸って叫ぶ。俺の声に気が付いた一夏君は脚を止める。声の主を探しているのか辺りを見渡して、俺と視線が重なった。

「どこにいくんだ?」

「みんなの所です。仲間を守りに行くんです」

 一夏君は俺の問いにそう答える。その眼差しは真剣だった。一瞬たりとも視線をずらすことはない。

「本気で言っているのかい?」

「はい」

「一夏君、まだ君は学生だ。これから先の人生、まだまだ先は長い。さっきまでは意識不明だったんだ。今度なにかあれば君は……死ぬかもしれない。それを、分かって言ってるのか?」

勿論(もちろん)です」

 俺の投げかけた二つの言葉に対して、愚問だと言わんばかりに即答する。彼の意思は固く動かない。

「だって、みんながピンチなんです。そんなときに自分の体を気にして、閉じこもって、生き続けたとして、俺は絶対後悔し続ける。倉見さんの言う長い人生で、後悔し続ける。そんなの絶対に嫌です」

 だから、と彼は続ける。

「俺はみんなを助けに、守りに行くんです。これから先、後悔しないために」

「……見逃し三振より空振り三振って事か?」

「なんで三振する前提なんですか? 意地でもバットに当てますよ」

 当然の様に何の疑問を抱くことなく彼はそう返した。そんな返しをしてくるとは思わなくて、思わず吹き出してしまう。

「……何も笑う事は無いじゃないですか」

「いや、悪いね。まさかそんなこと言うとは思わなかったんだ」

 不覚にもカッコイイと思ってしまう自分がいた。今の彼はまるで物語の主人公、『ヒーロー』の様だった。俺の様なその場で取り繕っただけの『インスタント』では無い。どんな言葉を紡いでも、今の彼を止めるのは俺には無理だ。そう察した。

「千冬さんにこのことは言ったかい?」

「はい。ボロボロに言われましたけどね……」

「そうか」

 でも、彼がここに居るのは千冬さんが彼を信じて送り出したからだろう。なら、俺に言えることはもうない。俺が彼のためにできる事も、もうない。

 唯一の特技である整備は、前回の作戦のときにあのウサギが調整しているはずだしな。

 自分の役割を取られたようで(しゃく)だが、ISにおいてあの天災に勝るものを持ち合わせていないのだから仕方が無い。

 俺も千冬さんに習って彼を信じて送り出そう。自分なりの精一杯のエールを添えて。

「分かった。引き留めて悪かったね」

「いえ、俺を心配してくれての事ですから」

「そう言ってくれると俺も気が楽だね。時間も無いだろうし、最後にもうちょっと言わせてくれ」

 俺は拳を握って前へと突き出した。

「さっきは『意地でもバットに当てる』って言っていたけど、そんな謙虚にならなくていい。勝負を分ける打席に立つならもっと強気で、『ホームラン打ってくる』ってぐらいの気持ちで行ってこい!」

「はい!」 

 一夏君は俺の拳に拳を当ててから走って行く。

 どんどん小さくなってく彼の姿を、見えなくなるまで眺めていた。

 

 ☆ ☆ ☆

 

 銀の福音事件は途中で参戦した一夏の活躍もあり無事に、と言うにはトラブルがあり過ぎた気がするが……まあ何とか収束した。その後の書類整理やら、後始末は面倒だが、しっかりと全員が帰って来たことを思えば許容範囲内だった。

 だが、それよりも私の頭を悩ます出来事があった。それは――

「どう返したものか……」

 そう、私の思い人である准。倉見准に告白されたのだ。いや、悩みと言っても別に断りたいわけでは無い。寧ろ気持ちは決まっている。准の事は年単位で想い続けていたのだから。

 問題はその返事をいつ、どうやってするか。

 その答えを出すために人気(ひとけ)のない岬を目指す。あそこなら誰にも邪魔されずにじっくりと考えられる。ちゃんと満足のいく返事する計画を立てたかった。

 だが、たどり着いた誰もいないはずの岬には、見覚えしかない人影があったのだ。

「やあ、ちーちゃん。待ちかねたよ。遅かったね」

「……束」

 木製の柵に座って、足をブラブラと揺らしながら私を見つめていた。

「どうしてここに居る」

「どうしてって、うーん……なんでだろう? ちーちゃんが難しい顔をしていたから、とか?」

「絶対今考えただろう。それ」

「へっへー、ばれちゃった。でもちーちゃん、なんでそんな顔をしてるのさ。事件も解決したのに」 

「………………」

 黙秘する。こいつにだけは絶対に知られたくなかった。私が色恋沙汰で悩んでいるなんて知られたらと思うと……想像もしたくない。

「あれ? 黙っちゃうんだ? そんなに言いたくないかな――告白されたこと」

「っ!?」

 ドンピシャで当ててきた事に焦る。冷汗が背中を伝った。

「な、何のことだ?」

「隠さなくたって、私はちーちゃんの事なら何でも知ってるよ。例えば、そうだね……一緒にデートに行った夜は枕を抱えながら、何回も名前を呟いてるのも知ってるし、キスした日なんて――」

「そ、それ以上言うな!」

 言葉を無理やり遮る。束は「えーまだまだあるのにー」と口を尖らせて不満足そうにしていた。

 これ以上、私生活に対して客観的に語られるのは嫌だったので、仕方がなく私は自分の口から語り始める。

「そうだ。認める。私は告白されたんだ。ずっと好きだった、あいつに」

「ふーん、そう。あいつが相手なのが気に食わないけれど、良かったねちーちゃん。でも、どうしてそんな浮かない顔をしてるのさ?」

 束の疑問に対して私は考える。嬉しい筈なのに、どうしてこうも浮かない気分なのか。数十秒の間を空けてようやくそれらしき理由に行きついた。

「――たぶん不安なんだろうな。関係を進めて、もっと私を知って貰う。でも、それは私の弱くて、醜い部分も相手に見せるって事だろう? その上で嫌われたとしたら、もう元には戻れない。あんなに楽しい時間が崩れ去ってしまう。……それが、たまらなく怖い」

 楽しさ、嬉しさの裏に抱えていた闇。ずっと、自分の気持ちに無意識でかけ続けて来ていたブレーキを、親友にさらした。

 束はそれを聞いてゲラゲラと笑った。それにムカついて、言葉を荒げる。

「笑うな! 私は真剣なんだぞ!」

「いや~ごめんね。やっぱ、ちーちゃんは馬鹿真面目だ。そんな事でうじうじ悩んでたなんてアホらしい~」 

 そう言いつつも、笑いに笑う束。それが少し落ち着いてから再び口を開く。

「そんなの考え続けたらさ、キリがないよ。時間が経つに連れてどんどん大きくなる悩みだろうしね。だからさっさと言っちゃった方が良いよ」

「でも、ちゃんとした計画だって立てられてない」

「いやいや~そんなのちーちゃんには無理だって」

「そんな事……」

「考えて、考え過ぎて、ドツボにはまるに違いないね~」

 束はそう断言した。このままここで悩み続ける自分が容易に想像できてしまう。情けない事に。

「だからさ~。ちょっとだけ手助けしちゃった♪」

 ポケットに入れていたスマートフォンが振動する。嫌な予感がする。取り出して電源を入れると、そこには通知履歴が表示されていた。手短に『すぐ行く』とだけ。相手はもちろん准だった。

 画面のロックを解除して詳細を確認する。彼のメッセージの上には私から位置情報が送信されていた。

「なっ、束、お前いつの間に!」

「さあ、いつだったかな? 忘れちゃった」

 束はわざとらしくとぼけて見せると、さっきまで座っていた柵の上に立った。

「じゃあ頑張るんだよちーちゃん。バイバイッ!」

「お、おい! 待て束!」

 崖の下へ飛び降りた束の後を追って崖の下を覗き込むが、既に姿は消えてなくなっている。置き去りにされた私はただ、呆然と立ち尽くすしかなかった。




突然ですが、次回「私だって甘えたい。」最終回です。

ここまでこれたのも読者の皆さんのおかげ。最後までお付き合いしてくれたら嬉しいです。次回をお楽しみにっ!


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彼は忘れない。

 千冬さんから送られてきた位置情報。それを確認してからすぐ返信をして、俺はその場所へと向かう。身体全体が痛んで、走るのは無理だったけどなるべく早く歩く。大した距離も無い筈なのに、酷使した肉体には酷く長く感じられた。

 そうしてたどり着いた岬には彼女がいる。崖に設置された柵に寄りかかって、髪をなびかせ、どこか遠くを見つめる彼女は美しく、気高く、そしてどこか儚げな雰囲気を放つ。いつまでも見ていたい気持ちもあったが、それを振り切って声をかけた。

「千冬」

「……早かったな」

「たまたまスマホを見てたので」

「そうか」

 千冬さんは多くは語らず、自分の隣をトントンと軽く叩いた。隣に来い、と言う事なのだろう。俺は彼女の隣に並んで柵に腕を預ける。

 肌を撫でる生暖かい浜風、降り注ぐ月光。沈黙の中にも温かみのある、そんな光景が目の前には広がっていた。

「なあ、准」

「はい」

「本当に、私でいいのか?」

 その問いは今日の告白についてだろう。俺は迷うことなく即座に言葉を返す。

「俺は、千冬じゃなきゃ嫌です」

「自分で言うのもなんだが、面倒な女だぞ。家事はまともできないし、片付けもしない。今日だって、情けない所を見せた。幻滅、したりしない……のか?」

 言っていて辛くなったのか、だんだん言葉に詰まる。少し呆れた。俺がそんなので嫌いになると思われていたなんて、がっかりだ。だから改めて、自分の気持ちを伝えることにする。

「しませんよ。俺が好きになったのは、完全無欠、誰もが憧れる織斑千冬(ブリュンヒルデ)じゃない。そんなのが好きだったら機械と結婚しますよ」

 笑いながら続ける。

「俺が()れたのは、不器用で打たれ弱くて、意外と臆病だけど、いつだって真っ直ぐ、直球勝負の織斑千冬だ。そんな貴方が、ずっと前から好きなんだ」

 一度想いを告げたからには隠す必要も、ためらう必要も無い。恥かしかったけれど、思いっきりぶちまけた。

 きっと今、俺の顔は夕焼けさながら、真っ赤に染まっているだろうな……。千冬さんの視線が海へ向いていて本当に良かったと思う。

「そうか、ありがとう。嬉しい。他の誰かじゃ無くて、准がそう言ってくれて、本当に嬉しい。夢みたいだ……」

 横を見ると千冬さんは親指で目を拭っていた。まさか泣かれるとは思わなくて、どうしたらいいか分からず、あたふたしてしまう。

 そんな俺を見て千冬さんは笑みを漏らした。

「ああ、悪い。別に悲しくて泣いてる訳じゃない。単純に嬉し泣きって奴だ。准に改めてそう言って貰えて、泣くほど嬉しかった」

 そう言って、フゥ……と一呼吸置いて元のニュートラルな状態に戻る。体の向きを変えて俺の方に向けた。俺もそれに習って彼女を体の真正面に捉える。

 じっと俺の顔を見つめてから、彼女は俺に抱き着いて、耳元で(ささや)く。

 

「お前の事が好きだ……愛してる。私と、恋人になってくれないか」

 

 長い間、望んでいた瞬間だった。諦めようとしたときもあったけれど、最後まで手を伸ばしてようやく夢に届いた瞬間だった。じんわりと視界が滲む。

 腕を回し彼女を力強く抱き返す。そして――

 

「はい……もちろんです」

 

 そう答えると俺は(こら)えられなって、彼女の肩に顔を(うず)めて上着を濡らす。千冬さんは俺の頭をそっと撫でてくれた。俺が落ち着くまで、ずっと。

 その温もりをきっと、俺は忘れることは無いだろう。

 

 ★ ★ ★

 

「ねえねえ、お母さん」

「ん? どうした千秋(ちあき)

 休日。食後にコーヒーを飲んでいると、もう十歳になる一人娘に声をかけられた。カップを机に置いて彼女と目線を合わせる。

「えっとね。どうしても聞きたい事があって……」

 両手の人差し指をひっつけたり離したりしながらそう言った。何やら聞きづらい事なのだろうか? 悩み事があるのなら親として、しっかりと聞いてやらないとな。

「いいぞ。何でも聞いてくれ」

「そうなの? じゃあ聞くよ? お父さんがね。嘘ついてたみたいなんだ」

 チラッとキッチンで洗い物をしている准を見た。どうやらこちらには気が付いていないらしい。どんな嘘かは分からないが、聞き出すなら今しかない。再び目線を千秋に戻す。

「嘘? どんな嘘をついてたんだ?」

(うち)はさ、毎年、七夕になるとお父さんがケーキ買ってくるよね?」

「そうだな。でも、それがお父さんの嘘にどうつながるんだ?」

「うん、お父さんがね。『七夕は年に一度しか会えない夫婦が、ケーキを一緒に食べてお祝いする日だから、俺達もそれに習ってケーキを食べてるんだ』って言ってたから、この間友達に教えたの。そしたら笑われちゃって……」

 予想の斜め上だった。てっきり私は浮気かなんかだと思ったが、そんな心配は必要無かったらしい。疑って申し訳ない気分なる。

 でも、それと同時にまた准の面白い所を見つけた事が嬉しくて、頬がほころぶ。まさか娘にすら言えないなんて、本当に恥ずかしがりやだな、准は。

「……ニヤニヤしちゃって、お母さんまでチアキを笑うの?」

「ああ、面白かったからな。いや、でもお父さんがそんな面白い嘘ついてたのか……」

 堪えきれなくて、吹き出してしまう。あの准が千秋にこんな嘘を必至になって付き通したのだと思うと、笑わずにはいられなかった。

「ああもう! お母さんばっかりずるい! チアキにもホントの事教えて!」

 そう言ってドタバタと足踏みする千秋。まあ、隠していたとはいえ、相手が娘なら別に教えても構わないだろう。そう判断して話すことにした。

「そうだな……お父さんにはナイショに出来るか?」

「うん! 絶対に約束する!」

「そうか、なら話そう。だいたいはあってるんだが、その夫婦がケーキを食べるって言うのはお父さんの嘘だ」

「うん。それは友達から聞いた。じゃあどうして家ではケーキを食べるの? 教えて! 教えてよお母さん!」

「そう慌てるな。ちゃんと言うから」

 興奮気味の千秋の頭を撫でて、落ち着かせてから言葉を続ける。

 

「今日、七月七日、七夕はな、お父さんとお母さんが恋人になった日なんだ」

 

 今はもう遠い出来事になってしまった彼の告白を、岬での私の返事を思い返しながら、そう告げた。

 

 

 

 

『私だって甘えたい。』 完




あとがきは活動報告にて。


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番外編
朝とネクタイ。


番外編です。今回は後日譚。楽しんでくれれば嬉しいです。


「ただいま」

 リビングに彼女が日課であるランニングを終えて戻って来た。お気に入りの白のジャージ姿、その袖で頬を伝う汗を(ぬぐ)っている。そんな彼女対して俺はエプロン姿のままキッチンから言葉を返す。

「おかえり千冬。もうすぐ朝食できるから、シャワー浴びて汗流しておいで」

「ああ、いつもありがとう、准」

「いや、好きでやってることだから」

「そうか」

 そう言って微笑むと千冬はタオルを手に取ってバスルームへと姿を消した。その間に俺は朝食の準備の最終段階に取り掛かる。

 アジの開き焼き加減を見つつ、隣の味噌汁の味を調え、それが終わったらほうれん草のお浸しにかつお節を乗せた。盛り付けができた物はさっさとテーブルへ、ご飯も炊飯器からお茶碗によそる。

 この動作に淀みは無い。あっては困る。何故なら今の俺は専業主夫。仕事にはプロ意識を持っていたいのだ。彼女に気持ち良く、日常を送ってもらうために。

 そんなこんなでテーブルに本日の朝食のメニューを並び終えたあたりで、彼女がバスルームから姿を現す。

 水気を帯びた黒い髪。体温が上がったからか、ほんのりとピンクに染まる肌。要所要所を隠す白いバスタオル。全ての要素が料理におけるスパイスの様に彼女を引き立てる。

 いつ見ても風呂上りの彼女は色っぽくて、俺はじっと見つめることができずにいた。もし、舐めるように彼女を眺めたとして、逆に俺が赤面することが目に見えていたし、それをからかわれるのも容易に予測ができるからだ。

 だから俺は俺なりに足掻いているのだ。彼女にはお見通しらしいが。

「ふむ、今日は焼き魚か。良い匂いだ」

 彼女はそんな俺の気持ちをいざ知らず、俺の隣へ立って話し出した。視線をそちらに向けると角度が付いたからか、正面からとはまた違う景色が見える。

 うっすらと浮き出る鎖骨。そしてバスタオルから顔を覗かせる山と谷。それらから即座に目を逸らして、適当に話を合わせる。

「昨日、魚屋のおじさんにサービスしてもらってね。美味しく焼けたと思うよ」

「そうか、それは楽しみだな。さっさと着替えてくる」

 彼女は寝室へ行った。俺の心音が少しずつ速度を落としていく。胸を撫で下ろす。これ以上あの姿を見せつけられたらまともな自分でいられる気がしなかった。

 とはいえ、ここからも難所が続く。これは習慣。彼女がこの後どのような姿で現れるのか、俺は知っている。それに備えて、席についてしばらく待つ。少しでも精神的な余裕を持つために深呼吸を繰り返す。

 そうしているうちに足音が聞こえた。ドアが開く。その音に反応して、唾を飲み込んでから視線を送った。

 彼女の肌を遮るのはワイシャツのみ。いや、正確に言うのなら下着とワイシャツだ。それに湿った髪をターバンの様にタオルで包んでいた。特に目に付くのは、ワイシャツの端から伸びる生足。髪を上げた事によって露わになったうなじ。的確に俺のフェチズムをくすぐってくる。

 先程のバスタオル姿は全体的な魅力だとすれば、このワイシャツ姿は特化型。例えるなら男の性癖を打ち抜くスナイパーライフル。この数分の間で「ええい! 織斑千冬の私服は化け物か!」と大佐でなくても叫んでしまいたくなっていた。

「待たせたな」

「いや、それほど待ってないよ」

「そうか、じゃあ、頂きます」

「はい。召し上がれ」

 二人で向き合って食事を摂り始める。彼女は基本的に黙々と食事を撮るタイプなので、俺も同様に食事中に話すことは無い。故に皿にのみ目線を向けていればいいのだ。それは唯一の救いである。その間に別の事(次の献立)を考え、心を休ませる事ができるからだ。

 そうして食事を終えて、皿を片付けて水に付ける。そして、スポンジを手に取って洗剤を付けて、皿の上をなぞった。

 その合間合間で、ふと視線を皿からリビングに移したりする。恥ずかしいとはいえ、俺とて男、恥ずかしがっている姿を見られるのが好きじゃないだけで、見るのは嫌いじゃない。

 ほらあれだ、例えるならそう、小説を読んで、ニヤニヤしているのを見られるのは好きじゃないけれど、読むこと自体は嫌いじゃない……みたいな。我ながらめんどくさい人間だな。

 話を戻そう。

 リビングにいる彼女は頭に巻いていたタオルを解いて、ドライヤーで髪を乾かしている。温風で揺れる髪に窓から日光が差し込んで、キラキラと輝いて見える。さながら森林浴で見る木漏れ日のようだ。本当に何をしていたとしても絵になる。日常の動作一つでさえドキドキしっぱなしだ。

 そのまま眺めていると、彼女と目が合う。俺はビックリして視線を逸らす。すると彼女は一言、俺の名前を呼ぶと笑って手招きをした。

 それを見て俺は洗い終わった最後の皿を水切りカゴの中に立てかけて、リビングに向う。

 ソファに腰をかける彼女はその隣を二度叩いて、座る位置を指定してきた。俺はそれに従って体を預ける。拳一つ分ほど間を空けていたのだが、彼女はピッタリと俺へ張り付いた。

「ど、どうかした?」

「まあ、なんだ。ちょっと……話したい事があってな」

 そう言って彼女は乾いた髪の先をくるくると指に巻いたりして弄る。何か言いにくい事なのだろうか。

「話したいこと?」

「ようは、相談だな。お前には絶対に聞きたいんだ。いいか?」

 ふむ、何だろうか。彼女が改めて相談とは珍しい。俺はそのまま「いいよ」と頷いて、彼女に耳を傾ける。

「准、お前はその私の髪についてどう思ってる?」

「どう思ってるって?」

「特に何も考えずに思うがままに言って欲しい」

 そう言われて顎に手を添えて考え始める。さっきじっと見られていたのを気にしているのだろうか。しかし、俺だけが彼女の気持ちについて考えた所で、解が得られる訳でも無し、素直に返して彼女の言葉を直接聞くことにした。

「綺麗だと思うよ。見ても、触っても気持ちいいし」

 言葉にはしないが、いい匂いがするという事も付け加えておく。

「……そうか」

「でも、どうしてそんな事を聞くんですか?」

「いや、今度美容院に行く事にしたんだが、悩んでいるんだ。髪を短くするかどうか」

「髪を短く? どうして? そのままでも十分綺麗だと思いますよ」

「そう言ってくれるのは嬉しいが、面倒な事も多くてな……」

 頭をワシャワシャッとかきつつ、彼女は続ける。

「例えば、ほら。髪を乾かすのも時間がかかるし、トリートメントやらいろいろとしないとすぐ毛先が荒れてしまうのがな。髪が長いといろいろと髪型にアレンジが効くのが利点でもあるのだが、私は……」

「あまり弄らない、か」

「ああ、だからもういっそ、短くしてしまおうかと思ってな」

「成程」

 だから俺に髪について聞いたのか。納得がいった。

 そして想像してみる。ショートカットの千冬。隠れていた首元や耳が見えて、ボーイッシュな感じの彼女。そのイメージに意外とは感じない。全然ばっちりと似合いそうだ。

「――いいんじゃないか? 千冬はずっと長い髪のイメージだったから新鮮だと思う」

「そうか。楽になるとは言っても、切ってお前に気にいられないんじゃ意味が無いからな。そう言って貰えてちょっと、安心できた」

 彼女は胸に手を当てるとフー、と息を吐き出す。どれほど彼女が悩んでいたのかは俺には分からない。だけれど、それほど俺について考えていてくれたことを嬉しく思う。自分がそれだけ彼女に想われているのだと実感できたからだ。

 その幸福感に浸りつつ、ふと時計を見るともう彼女が出かけるまであまり時間が無い事に気がついた。話はここらへんで締めて彼女を送り出す事にしよう。

「でも俺は今の髪型の千冬も好きだし、まだ見ていないから何とも言えないけれど、短い髪の千冬も、きっと好きになる。だから、自分の好きなようにしたらいいんじゃないか?」

「お前は、普段は恥ずかしがりな癖に、時々とんでもない発言を持ってくるな……そういう所、何か……ずるい」

「ははっ、面白い事言うね千冬。俺は昔から、ずるくて予想外、相手の裏をかくのが好きなんだよ」

「調子に乗って強がりは止めろ。照れ隠しなのは分かってるから」

 ……ばれてたか。その言葉を無視して俺は続ける。

「ところで千冬、そろそろ時間だし、着替えて行く準備をしないと遅刻するよ」

「……そうだな。追及はこの程度にしておいてやる」

 ソファから立ち上がった彼女は振り返りつつ、笑ってそう言った。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 いつものスーツ姿へと着替えた千冬は玄関先でつま先で地面を何度か叩いて、しっかりと足を靴にフィットさせていた。その様子を見つつ俺は彼女に確認の言葉を投げかける。

「弁当は持った?」

「ああ」

「水筒は?」

「ああ、問題ない」

「財布とスマホは?」

「それも大丈夫だ」

「それじゃあ、俺が知る限り忘れ物はないか」

「毎朝心配性だな准は。私とて社会人になってからそれなりに経っている。そう簡単に忘れ物はしないさ」

「性分なんだよ。野球にしろ、IS整備にしろ、要所での確認は必須だから」

「そうか。しかしそう思うと、私はその慎重さに知らず知らずのうちに救われているのかもな」

「そう? それは言い過ぎだと思うけど。……でも、そうだったら嬉しいな」

「ああ、私が言うんだからそうに違いない。太鼓判を押してやる」

 そう言って拳を握って胸を叩く。あまりにも自信たっぷりに言うものだからあっけに取られて、反応が遅れる。『ありがとう』と一言って、ふと違和感に気が付いた。ネクタイがずれているのだ。千冬にしては珍しい、こんな初歩的なミスをしたのは結婚生活史上初だ。

 そこで俺は少し悩む。指摘して彼女本人に直してもらうか、それとも俺がドラマのように結び直すか。選びたいのは当然後者。だが、問題点が一つあった。それは俺がネクタイを逆の目線から結んだことが無いのだ。

 誰だって最初は初めて。確かにそうだ。だが、ぶっつけ本番って言うのは気に食わない。それは俺にとって上司の無茶振りの次に嫌いな事なのだ。

 では前者を……いや、こんなビックチャンスみすみすと見逃すのか? それは余りにも勿体(もったい)ない。じゃあ俺はどうすれば……。

「准、大丈夫か? 私はもう行くが、体調が悪いならゆっくり休んで……」

「いや、大丈夫。大丈夫だから」

 千冬の言葉を遮って、いやいやと手を左右に振って誤魔化した。

「そ、そうか。私はもう行くが、無理はするなよ」

 そう言って、彼女は俺に背を向けてドアノブに手をかけた。まずい、このままでは彼女がそのまま職場に行ってしまう。せめて伝えるだけはしないと。だがそれは……。

 諦めて伝えようとしたときだった。俺の脳裏に電撃が走る。全ての条件を満たす第三プランが出現したのだ。俺は悩むことなくそれを実行した。

「千冬」

「ん?」

 足を止めた彼女が振り返るのを待たずに、俺は後ろから彼女に抱き着いた。

「なっ……いきなりなんだ、准。こんなことされても、その、仕事の前だから困る……」

「そのままじっとしてて。すぐに、終わるから」

 耳元でそう囁くと彼女は目をつむって小さく「分かった」とだけ口にした。彼女の肩から顔を出して、その間に見慣れた視点でネクタイを結び直す。そして彼女の肩を叩く。

「終わったよ。ネクタイずれてた」

「へ? ああ……」

 千冬はネクタイを触って確認する。それも二度三度間違いないように念入りに。

「そ、それだけか?」

「ん? うん。本当は正面から結んであげたかったんけど、上手くできる自信が無かったから」

 俺がそう言うと、千冬は額に手を当てて深くため息をついた。

「……期待した私が馬鹿だった」

「期待? ……何を?」

「分からないか? なら、教えてやる」

 彼女は俺の頭に手を回すと、強引に引き寄せて唇を奪った。そっと触れるだけのキス。時間にして数秒だったと思われるのだが、俺にはその時間が三倍以上に感じられた。

 唇が離れた後、まだ何が起きたのか、頭の中で整理できずにいた俺は、人差し指で自分の唇を繰り返しなぞる。

「じゃあ行ってくる。それと……明日の朝も期待してるから」

 そう言って彼女はドアノブをひねって外に出た。 



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不安な夜。

なんか書けたので投稿です。


 時折、あの冷たい寝床を夢に見る。それは私がまだ織斑千冬じゃなく1000番と呼ばれていた頃。あの場所では明日が遠くて、一度目を閉じれば次に目が覚めるかどうかも分からなかった。

 いつ私が姉妹たちの様にこの世界から切り離されるのか分からない。結果が出せなければすぐに自分も後を追うことになる。

 自分からそれを望む事はしない。姉弟たちとは立っているラインが違う。生まれながらに決まってしまった資質。彼女らが持っていなかったものを、持ちたかったものを、私は持っている。だから、私は生き残らなければならない。生きたかった彼女らの分まで。

 それが唯一の約束だった。

 身体の震えを誤魔化すために与えられた布を被る。冷たいそれは私からじっくりと熱を奪っていく。目を閉じて深呼吸をする。生きるために、そのための成果を出すために、私は意識を手放す。明日も生きていられますようにと祈りながら。

 

  ▼

 

「あ、起きた。おはようございます、と言っても夜ですけど」

 うっすらと瞼を開けた先に彼の姿が断片的に映る。頬杖を付いて手にマグカップを握っていた。ゆらゆらと湯気が顔の前を通って天井へ上っている。

 私は何度か瞬きをして目からを完全に開けて上体を起こした。肩から毛布がずり落ちていく。きっと准がかけてくれたのだろう。

「寝てしまっていたのか、私は」

「ええ、風呂から上がったら力尽きたみたいにそこで寝てましたね」

「そうか。毛布、ありがとう」

「いえ、これぐらいは」

 准がマグカップを持って、飲み物を一口。私はそれをぼうっと眺めている。見かねた彼は「千冬もいりますか」と聞いて来たので私はそれに頷いた。

 彼はふらっとキッチンへ。急須に入っていたお茶を私専用の湯呑みに注いだ。

「どうぞ」

「悪いな。ありがとう」

 カウンター越しに湯呑みを受け取るとお茶を口に含んだ。寝起きで乾いた喉を潤して、その温もりを分けてくれる。

彼はまた元にいた椅子に足を組んで座った。

「何を考えてたんですか?」

「……何の話だ」

「いや、考え事がしたいって言ってたじゃないですか。ここで寝る前に」

「ああ。そういえば、そうだったな」

 寝起きでまだ頭が回っていない。寝る前もイマイチだった気がするが、それは置いておこう。何せ内容が内容。根本的に向いていない相談だったのだ。結果として答えが出せないまま私は眠りについてしまった。

 しかし、准が来たのは都合が良い。経験値が絶対的に少ない私一人よりも准がいた方が実のある回答が期待できるだろう。生徒には悪いが、彼にも打ち明けて話を聞いて貰う事にした。

「実は、少し失敗をしてな」

「へぇ、珍しい。どうしたんですか」

「相談を持ち込まれてな。それ自体は慣れたものだがその、なんだ。今回は恋愛相談だったんだ……」

 そう恋愛相談である。色恋沙汰が好きな女子高生らしいと言えばらしい。困ったことに私には経験がないのだ。

だが、彼女達から見れば私は恋愛でも百戦錬磨。左の薬指に輝く指輪がその証らしい。素直に言えればよかったのだが、教員も周りで「私も相談を受けたい」と言い出す始末だ。

 大まかな流れを聞いた准は両手を合せて「ご愁傷様です」と私を拝む。

「だいたい、私に聞いたって、そこまで実のある話ができる訳では無い」

「そうですかね? きっちり意中の相手を射止めたじゃないですか」

「自分で言ってて恥ずかしくないか、准」

 彼にそう言うと視線を逸らす。調子のいい事を言ってくるときは決まって何かを誤魔化したいときなのだ。私は彼に問い詰めてみることにした。

「お前はどうなんだ? 高校の時はかなり人気があっただろう。色恋沙汰の一つや二つぐらい経験済みなんじゃないか」

「……無かったというと嘘になりますかね」

「だろうな」

 高校の記憶を掘り返すと、片隅に彼の記憶が引っかかる。お互い面と向かって話をした覚えはない。だが、准は学内で名前が広く知れ渡っていた。母校を初の甲子園に連れて行った二年生エースとして。だからそういった話題も事欠かないと思ったのだ。

「呼び出しの手紙を貰う事もよくありましたし、バレンタインデーとかも慌ただしかったですかね。でも、千冬さんだってそうじゃないですか」

「私か? 高校の時にそんな事をされた覚えはない」

「でもISの試合に出始めてからそういうの増えたでしょう」

「それは、そうだが……大半は女性からだ。お前が考えているようなことは無い」

「そうですか。それは良かった」

 何が良かったのか分からないが彼は嬉しそうに言う。心なしか声も弾んでいた。そんなにかつて自分の方がモテていたことが嬉しかったのだろうか。少し気にかかった。

「何が良いものか。あの時に何かしら経験できていれば失敗する事も無かっただろうに」

「そんなこと言わないで下さいよ。そうしたら俺が不慣れで慌ただしかった千冬の相手ができなくなっちゃうじゃないですか」

「そういえばお前は事あるごとに私をからかって来ていたな」

 思い返せば山の様にある。最初の頃は彼にほとんど会話のイニシアチブを取られていて、良いように弄ばれていた。その度に私は慌てて顔が熱くなって、また彼にからかわれたのだ。

 今ではそれは思い出話で、ここ最近ではそれもずいぶん減ったと……思う。

「仕方無いじゃないですか。千冬が良い反応するんだから」

「他人事のように言うな。お前だって最近は良い表情をするようになったじゃないか」

「どうですかね。あれは千冬さんだって突然手を繋いだり、キスしたりとアプローチが直接的になって来たからですよ。恥ずかしがるのが普通、というかむしろ恥ずかしくなかったんですか?」

「なっ、あれはお前がやって来たから悪い。同じ分だけやり返しただけだ」

「そういう事にしておきましょうか。きりが無い。そろそろ寝ましょうよ。時間も時間ですしね。千冬は先に向こう行ってていいですよ」

 私が言い返す前に彼は立ち上がる。空になった二つの容器を持ってキッチンへ足を向けた。寝る前に使った物を片付けてしまうつもりなのだろう。

 時計を見ると日付が変わる少し前。これ以上ここに居ても明日に響くだけだと判断して、私は彼の言葉に頷いた。

 

  ▼

 

 リビングから寝室へ移動して一足先にベッドに潜り込んだ。柔らかいスプリングは形を変えて私の体重を受け止める。放置されていた寝床は冷え切っていて、私の熱を奪った。

 彼と話している間に薄れていた夢がまた形を取り戻す。体が小刻みに震えていた。

 きっと今日した失敗のせいだ。私には間違える事の危機感が、期待されたことが実行できなかったことの恐怖が染みついている。

 お前はあの頃から一つも変わっていないのだと、誰かに言われているような気分だ。

 それを誤魔化すために目を閉じて深呼吸をしてみるのだけれど、一向に気分は変わったりしない。むしろ余計に思考の沼に落ちて――

「お待たせ、ちょっと手間取ってさ」

 その一言が私をこの世界に繋ぎ止めた。私を覆っていた布団をめくって、少し冷たい風と共に彼がすぐ近くに侵入してくる。

「……遅いぞ。危うく寝る所だった」

「ゴメンって、寝る前に来たんだから許してよ」

「まあいい。寒いから早く入ってくれ」

 外気との接触が断たれて、肌に触れる空気が僅かに熱を帯びる。彼の背中が私の目線に入った。私とのわずかな距離にして大きな隔たり。自分と彼は違う存在なのだという事実を突き付けられる。当たり前のことだけれど、私の琴線に触れてさっきの思考をぶり返す。

 それに耐えきれなくて私は准に声をかけた。

「……なあ准」

「……何ですか?」

「今日は私を抱きしめて寝てくれないか」

「珍しいですね。どうかしたんですか」

 准が振り返って私を見た。柔らかな笑みを浮かべながら私の前髪に触れる。何だかこそばゆくて、顔を少し引く。

「別になんだっていいだろう。私がして欲しいから頼んだんだ。ダメか?」

 私は准の瞳を見上げて、そう問いかけた。彼は「ズルいな」と呟いてから私との距離を詰める。シーツの擦れる音が聞こえた。無骨な腕が後ろから私を抱き寄せて、肌と肌の距離をゼロにする。

「これでいいですか」

「ああ、ありがとう」

 じんわりと伝わる熱。耳を澄ませば聞こえてくる心臓の音。陽だまりの様な優しい匂い。その全てが私を包む。

「……震えてる。そんなに寒かったんですか?」

 准が問いかけてくる。欲望に負けて、悟らせたくない部分の一部を見せてしまった。

「不安なんだ。失敗なんて、久々にしたから」

「ああ、成程。まだ引きずってたんですか。でも失敗しない人なんていませんよ。問題はそれをした後、いかに素早くフォローできるかです」

「そういうものなのか?」

「ええ、少なくとも俺はそう思いますよ」

 彼の唇が額に触れた。じんわりと熱が残る場所を確認するように手で触れる。唇の感触がまだ残っている気がした。

「おまじないです。これで明日は大丈夫ですよ。きっとうまくいく。俺が保証します」

「またそんな根拠もない事を言って。……でも、分かった」

 准はそれ以上何も言うことは無かった。返事の代わりに私よりも大きな手で規則正しいリズムで頭を撫でる。やがて意識はぼやけて、瞳を開けているのが億劫になっていく。私はそれに逆らう事無く意識を手放した。冷たい寝床はもう無い。



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