屋上にて (VRT)
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プロローグ

初めましてこれからよろしくお願いします。




穏やかな風が吹いていた。先月まであれほど猛威を振るっていた太陽はその勢いをひそめ、過ごしやすい気温が続いていた。空を見上げればこれでもかと言うほどの青空。水の入ったバケツに絵の具の青をこれでもかというほど溶かし、それを画用紙にぶちまけた様な空模様だった。視界の端に申し訳なさそうに映る丸く小さな雲以外にどこにも雲は見当たらない。綺麗に澄んだ秋空はどこまでも高く感じられた。

 

秋の空は高い。この空を見ているとその言葉が本当だということが分かる。

 

まぁ、何で秋の空が高く見えるのかは知らないが……。

 

そんな秋空の下、俺は校舎の屋上にいた。年季の入った我が校の屋上は普段は鍵が掛かっているのだが、何せ古くボロいため、コツさえつかめば鍵が無くても入れるようになっていた。

 

何処からか掛け声が聞こえる。屋上の転落防止のフェンスまで近づき声の方角を見れば、体操着に身を包んだ集団が体操をしていた。その中には見知った顔がちらほら……なるほど、ウチのクラスはどうやら体育の時間らしい。

 

――確か、体育はまだ出席に余裕があったよな。

 

海馬をフル活用して記憶を引っ張り出す。そして出た結論は。

 

――よし、この時間はサボるか。

 

どのみち今から行っても遅刻だろうし、遅刻をして体育の教員に怒られるくらいなら、行かない方がましだ。体育はまだ出席に余裕がある。それならば、サボりと言う選択肢一択だ。

 

――授業は昼休み後から出るか。

 

寝坊して起きたのが先ほど、今はもう四限の時間帯だ。それならここで四限をサボり、そのまま昼休みを過ごした後から授業に出ればいいか……。どうせ遅刻ならとことん遅刻しよう。どうせ、遅刻の二文字が変わることはないのだ。もし、変わるとしてもそれは同じ二文字の欠席かもしくは三文字のサボりに変わるまでだ。

 

――さて、何するかな……。

 

何となく何時もの癖で屋上にやって来た物の特にやることがない。普段サボるときは昼寝をしたり漫画を読んだり、雑誌を読んだりしているのだが、今日に限って言えば先ほどまで寝ていて睡眠はばっちりだ。

 

――まぁ、とりあえず本でも読むか……。と、その前に。

 

制服の左胸の内ポケットから紺色の緑色のパッケージのタバコと百円ライターを取り出す。

 

トントンとタバコの箱の底を叩いて浮いてきた一本を取り出す。取り出したタバコの先端をそのままライターの腹で数回叩く。そして、タバコの葉が偏ったのを確認すると吸い口のフィルターをキュッと絞る。両切りのこのタバコは口を絞らなければ葉っぱが入って吸いにくいからな。

 

そして、ライターで火をつけ、ゆっくり息を吸い込み、紫煙を吐き出す。

 

――あぁ、やっぱりここで吸うタバコは美味い。

 

昔から校舎を一望できるこの場所で吸うタバコが好きだった。誰もいない空間で何も考えず、ただ紫煙を燻らせる、これ以上の幸せは人生においてない。この屋上と言う空間は俺だけの隠れ家だった。

 

――まぁそれもここ最近は怪しくなって来たけどな。

 

俺がそんなことを考えていた時だった。屋上の扉がガチャガチャと音を鳴らしたと思ったら急に開けられた。俺の口には未だにタバコがある。教師ならば一発でアウトな状況。しかし、俺は慌てない。こんな偏狭な場所にくる教師なんて一人しかしらないし、その一人も今日のこの時間は授業なはずだ。だと、すれば他に考えられる相手なんて一人しかいない。

 

――噂をすれば影ってやつか。

 

屋上の柵に体重を預け扉の方を向いていた俺の目線とソイツの目線が交差する。

 

「やぁ、先輩。今日もサボりかい?」

 

いつも通りチューリップハットを被った侵入者は女性にしては少し低めの落ち着いた声で右手を上げるのだった。

 

「何だまた来たのか、授業はどうした? バリバリの四限中だぞ」

 

予想していた通りの人物に呆れ半分に声を掛ける。一か月ほど前からこの屋上によくやってくるようになったコイツの事を俺は良く知らないし、知ろうとも思わない。それはお互い同じなのか、彼女も俺の素性について一切聞こうとしなかった。

 

唯一分かる事と言えば彼女が俺の事を先輩と呼ぶため、恐らく俺よりも年下だろうということだけ。いや、それも彼女が適当に呼んでいる可能性が強いためあっているかも分からない。ちなみに見ない顔なので同級生ではないのは確かだ。

 

「ちょっと風に流されて早めの昼休みをね。それに現在進行形でタバコを吹かしてサボっている先輩には言われたくないな」

 

彼女はいつも通りの口調でそう言うと手にもつうよく分からん弦楽器を指ではじいた。チューリップハットと同じく彼女の代名詞とも呼べるその楽器はギターのような琴のようなハーブのような、よく分からん形をしていた。前に聞いた時に何て言ってたっけな……たしかカンテルとかカンテレとかいう名前の楽器だったと思う。あまり、興味のないことだったので直ぐに忘れてしまった。

 

まぁ、名前は忘れてしまったが、その楽器の音色は好きだった。落ち着いているがかと言ってノリが悪いわけでもない。彼女によく似合う楽器だと思う。

 

――確かにそれはごもっともで。

 

それにサボる生徒なんてそれなりいるのが我が校だ。自由というか緩いというかそんな校風の高校で単位さえ取れば後は適当にやれと言うのが我が校の特色だった。そんな校風だからこそ、ど貧乏で古臭く何時穴が開くかも分からない校舎だとしても廃校にならずにいるのかもしれない。まぁ、生徒数は年々減っているみたいだけど。

 

彼女の正論に俺は次に話すべき言葉をなくしたためとりあえず、タバコをゆっくり吸いこみ、吐き出した。紫煙は緩やかな風に吹かれ空えと上がり徐々にその色彩をなくして溶けていった。

 

「本当に美味しそうにタバコを吸うね。先輩は……」

 

「まぁ、これが生きがいみたいなもんだからな」

 

「何を言っているんだい。高校二年生の癖に」

 

先輩を先輩と思っていない口調で彼女は言う。まぁ、俺も厳格な上下関係は嫌いなため、彼女のような口調の後輩は嫌いではなかった。年功序列や上下関係なんて、それは社会で必要な話であり、この俺と彼女しかいない屋上に持ち込むことはしなくていい。

 

世間のしがらみやら、うっとうしい人間関係やらに囚われなくていいのが、この屋上と言う場所なのだ。

 

「まぁ、俺も人には勧めないけどな」

 

ここで会話が途切れた。

 

そこまで言うと俺は元々屋上に何故かあった小屋をあける。損傷が激しかったためそこらの廃材を使って勝手に修理した小さなその小屋は雨の日以外は物置になっており、そこには俺の私物が適当に投げ込んであった。

 

その中から適当に漫画本を引っ張り出す。

 

そして何時もの定位置屋上の縁に腰を掛け本を開く。

 

いつも通り適当に過ごす俺に対して、ソイツも同じく適当に過ごすつもりなのかいつも通り楽器を軽快に鳴らしていた。どうやら、演奏をしながら過ごすらしい。陽気な音楽が屋上に響く。うん、嫌いじゃない。

 

こうして、ある日の午後とある高校の屋上ではカンテレと紙を捲る音が聞こえるのだった。



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第一話

ソイツは出会った時から小難しい話をするのが好きだった。

 

今日も今日とて天気は快晴。空には小さな綿菓子のように純白な丸っこい雲が浮かんでいる以外どこもかしこも青く染まり雨の降る心配は一ミリたりともしなくても良さそうな日だった。

 

そんな秋晴れの下、俺は勝手知ったる他人の家とばかりに屋上で昼寝をしていた。秋の穏やか日差しを受け続けた地面は温かく、辺りには穏やかな緩い風が吹いている。まさに昼寝をするには好都合の陽気だった。

 

「……ん」

 

どれほど眠っていたのか分からないが何処からか音が聞こえた。優しい音色で風と同化してどこかに飛んでいきそうなその柔らかな音色で目を覚ます。

 

上半身をとりあえず起こして大きく伸びを一つ。ぐーっと体を伸ばすと、縮こまっていたあちこちの筋肉が伸びていくのが分かった。

 

――まぁ、まずはタバコだな。

 

とりあえず、その動きの延長戦で、胸の内ポケットに入ってる緑色のパッケージを取り出すと、ズボンのポケットに入っている百円ライターで火をつける。

 

「……あぁ、美味い」

 

ニコチンが脳内に行きわたり脳が覚醒するのが分かる。寝起きにはまず、タバコだと古今東西相場が決まっているのだ。

 

え? そんな相場は知らないって?

 

まぁ、俺の中だけの相場かもしれないが、世界中のどこかには俺の考えに納得してくれる人もいると思う。

 

「おや、起こしてしまったかな?」

 

楽器の音色を聞いた時点で分かっていた。いつもいつも屋上で弾いていては馬鹿な俺でも覚える。

 

いつも通りのトレードマークであるチューリップハットを被ったソイツが壁に体重を預けながら座っていた。勿論その両手にはあのよく分からん楽器が握られていた。

 

「いや、別にお前の楽器がなくても起きていたよ」

 

最近は特に睡眠不足という訳ではないので、昼寝をしてもすぐに目が覚める。寧ろ、コイツの楽器の音でよりリラックスをして眠れるくらいだ。

 

「そうか、それなら良かったよ。先輩の眠りを妨げたんじゃあ、少しばかり極まりが悪いからね」

 

ソイツはそう言って笑う。少し色素が薄い黒髪に大きくな瞳、顔の彫りもはっきりしていて、とても整っている。よく見れば美人だよな、コイツ。十人中九人が美人というほど彼女の顔は整っていた。まぁ、本人には言ってやらないが。

 

「――ん? どうしたんだい、先輩。私の顔をまじまじと見つめて? まさか、私に惚れているのかい?」

 

「寝言は寝て言うことをお勧めする。というよりも、今寝ているのか? 寝ながら楽器を弾くとは器用な奴だ」

 

うん、やはり美人だの顔が整っているだの言わなくて正解だったな。コイツの事だ絶対に調子に乗る。いつも通り飄々とした何食わぬ顔で絶対に俺の事を小ばかにしてくる。間違いない、火を見るよりも明らかだ。

 

「さっきまで寝ていたのは先輩だろうに……」

 

彼女はそう言ってまた笑うのだった。

 

――曲が変わる。

 

さきほどの穏やかな優しい曲に比べ、こちらはどこかノリのいい曲だった。そして、いつも屋上で彼女のライブを聞いている俺にはどこか耳に馴染みのある曲でもあった。

 

「ねぇ、先輩」

 

弾くのがあきたのか、それもとも、曲の区切りがついたのか、それは分からないが、ソイツは楽器から指を離した。

 

「うん、どうした?」

 

ソイツは出会った時から小難しい話をするのが好きだった。

 

「――幸せについてどう思う?」

 

そして、今回も唐突にこんな話題を振ってきた。

 

「幸せについて?」

 

「そう、先輩は何が幸せだと思う?」

 

ソイツはどこか楽しそうに、でも、いつも通りの飄々とした態度で言う。

 

幸せ、幸せねぇ……。

 

俺はそんな彼女の小難しい話が嫌いじゃなかった。それは、彼女の話題は少し難解だがそれでも私生活に何ら影響を及ぼさない話だったからだ。

 

哲学にしろ、心理学にしろ、彼女の小難しい話は頭の中でどう考えようとも、そして俺がどう答えようと俺の私生活に何の関係もない。何も考えずに気軽に話せる話は好きだ。

 

 

そして、考える。幸せについて。

 

「まぁ、あれだな。俺は日がな一日こんな風にタバコを吸いながら屋上でのんびり昼寝を出来ればそれが幸せかな」

 

でた答えがこれだった。大金を手に入れたところで、それが増えすぎれば寝る間も心配になるだろう。それに、我が家は貧乏だ。きっと前世も貧乏だったに違いないそれに何となく来世も貧乏なような気がする。そんな俺が大金を手に入れたところでロクなことには使わないのが目に見えている。

 

人間高望みしたところでどうしようもない。身の丈にあった幸福が大切なのだ。

 

俺の答えに満足したのか、それは分からないが彼女は笑うと、弦を弾く。

 

「刹那主義には賛同できないね」

 

どうやら、納得はしていないようだ。

 

「そうか、どうせ人生刹那みたいなもんだろ」

 

「先輩がそう思うのならそうだろうね」

 

それ語尾に、先輩の中ではね、って言葉つくやつだろ。

 

「まぁ、そうは言うが、刹那を大事にしないで長い時間を大切に出来ると思うか?」

 

「確かにそう言う意見もあるだろうけど、でも種を蒔くということも大切だと思わないかい?」

 

「確かに、そうだな……」

 

「まぁ、先輩には刹那主義が良く似合っていると思う」

 

「それ、褒めてないだろ?」

 

「さぁ、どうだろうね」

 

彼女はいつも通りの璆鏘琳瑯となる声で笑う。

 

――あぁ、これ絶対に褒めてないやつだな。

 

「それに私が何と言ったところで先輩は刹那主義を変えないだろ?」

 

「まぁ、確かにな。例え刹那主義が馬鹿の考えでも俺の幸せはのんびりタバコを吸いながら昼寝でも出来ればそれが幸せさ」

 

「でも、先輩が言うその幸せというのは今の生活のままじゃないか」

 

「まぁ、そうだな」

 

「現状に満足しているようじゃあ、それから先の成長はないと思うんだ」

 

「精神的に向上心のない者は馬鹿だってか」

 

「ふふ、先輩にしては良く知っている」

 

何が楽しいのか彼女は笑う。まぁ、楽しそうで何よりだ。どういう状況であれ、女の子は笑っている方がいい。例えそれが俺を小ばかにする笑みであっても。

 

「漱石は好きなんだよ」

 

「そうか、私も好きだよ」

 

しかし、いい加減彼女に小ばかにされ続けるのも癪なのでここらで反撃しておこうと思う。

 

「まぁ、俺の幸せはさっき言ったとおりだけど、一つ付け加えたいことがあった」

 

「それは何だい?」

 

彼女は適当に音を奏でながら言う。

 

「タバコを吸って昼寝をして、そして更に君の音楽もあればもっといいね」

 

「……」

 

音が止まった。どうやら意趣返しはそれなりに成功したようだ。

 

「それでお前の幸せって何だ? 俺だけ話すのも不公平だろ?」

 

「……うん、そうだね。私はこんな風に音楽を日がな一日奏でていれればそれでいいかな」

 

――なんだそういうお前も刹那主義じゃないか。

 

俺がそう言おうと口を開こうとした時だった。先に彼女が声を発した。

 

「――それに、その音を聞いてくれのが先輩であればさらにいいね」

 

――どうやらからかわれたのは俺の方だったようだ。

 

 

 



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第二話

それはある秋の昼下がりだった。四限が終わり昼休みに入ると購買部で適当に食い物やらを買った俺は何となく屋上に向かった。俺は確かにサボることは多いがそれでも勿論年がら年中サボっているわけではない。出席日数とその日の気分ではちゃんと授業に行くこともある。そして、そんな授業に行った日には屋上に行くことはそこまで多くはなかった。昼休みに屋上に行ってしまうとそのままあの居心地に良さに負けてズルズルと昼過ぎまでいてしまうことが多いからだ。

 

少しリスクは高まるが、タバコを吸うのも屋上ではなくて校庭にある体育倉庫裏で事足りる。そうなると別に屋上に行く意味がなくなるのだ。

 

屋上へ続く階段を上ると進行方向から楽器の音色が聞こえた。何時ものように陽気で優し気な音色。どうやらアイツは既に屋上にいるらしい。

 

錆び付いた扉をガチャガチャといじり、鍵を開けるとそのまま扉を開く。

 

「やぁ、先輩こんにちは」

 

予想通りそいつは楽器を弾いていた。

 

いつも通りのチューリップハットによく分からん楽器、彼女は変わり映えせずそこにいた。

 

「あぁ、こんにちは」

 

そんな彼女に左腕を上げて挨拶を返し、屋上の扉を閉める。錆び付いた音を上げて扉はしまった。

 

――あぁ、後でグリス乗っとかないとなぁ。

 

そんなことを思いつつ何時ものように屋上の縁付近まで向かっていた時だった。

 

「先輩その右手に持っている袋は何だい?」

 

音色が止まった。そして彼女の目は俺の右手を見る。俺の右手に提げられているのは白いビニール袋。そして中には先ほど購買で買った食い物やら飲み物が入っていた。

 

「あぁ、これか?」

 

「うん、それだ」

 

「あぁ、俺の昼飯やらお菓子やらだけど……」

 

それがどうかしたか、と問いかけてみれば彼女はいつも通りの声色を変えずに飄々と答えた。

 

「実は私は今日、何も食べていないんだ」

 

そして、指で弦を弾く。

 

「そっか、それは大変だな」

 

「そうなんだ、それはそれで空腹でね」

 

「ふーん、そっか……」

 

何も解さぬ様子でそう答えるとそのまま何時のも定位置に座り、ビニール袋から菓子パンを取り出す。そして、一口。

 

「うん、美味い」

 

「……先輩? それは少しひどくないかい?」

 

「酷いのはどっちだよ。俺が買いだめて置いた食料を勝手にちょこちょこ食いやがって」

 

屋上に元からあった小屋は今では俺の物置件、自室のような扱いになっている。その小屋には色々と物が置いてあるのだが、その中には食料もあった。基本的に午前中をサボると、購買に行くのも食堂に行くのも億劫になるし、そもそも購買部も食堂も一階にあるため、屋上から遠い。だから、そんな時に備え結構な量の食料を買い込んでいたのだが、最近ちょこちょこ量が減って来ていた。勿論俺が食べる時もあるのだが、それにしても減る量が早い。そして、一昨日とうとう空っぽになってしまった。

 

俺が食べていないとすると、犯人は一人しかいない。そもそも、この屋上を訪れるのは俺を含めて三人しかいないのだ。そして、その一人は教師であり俺の非常食をネコババするほど懐は寒くはない。となれば、もう犯人は言うまでもない。

 

「あの食料はね、風に吹かれてどこかに飛んで行ってしまったのさ」

 

「なわけあるか!」

 

いけしゃあしゃあとまるで私は知りませんと言うわんばかりの態度。

 

「どうしてそう言い切れるのかな? 先輩は私がその倉庫から食料を食べているところを見たのかい?」

 

コイツ日が経つにつれ俺に対する遠慮の二文字が無くなってきていないか?

 

いや、そう言えば態度が分かりやすくなっただけで、根本的に出会った当時とから遠慮はなかったな。

 

「現行犯では見てないが、状況証拠はお前が犯人だって物語っているんだよ!」

 

「日本は推定無罪の原則を採用しているみたいだけど、それは何時無くなったんだい?」

 

「ったく、反省の色はなしか」

 

わざとらしくため息をつくと袋からさらにパンを取り出す。

 

「少しでも反省の色が見えたら少しくらいは食料を分けてやってもよかったんだけどなぁ……」

 

そう白々しく言っておく。

 

「……くっ、どうすればいいんだい?」

 

よっぽど空腹なのか、彼女はそう言った。

 

「それは俺の口から言わなくても自分で分かるだろう?」

 

普段から散々小ばかにされているのだ。こんな時くらいからかっておきたい。それくらいの意趣返しは許されるだろう。

 

「まさか、体を使って……」

 

「ふはははは、そうだな。誠意と言うのは言葉よりも体で表すものだろ? 人の気持ちは見えないからな」

 

高笑いをしながらそう答える。まぁ、体を使うと言ってもどけ座をしろとかそんなことは言っていない。ただ普段小ばかにしている俺に対して少し頭を下げれば、許してやろう。俺の心は西シベリア平原より広いからな。

 

――にしてもコイツが悪ふざけとは言え俺に媚びるかぁ……。

 

もし、本当に頭の一つでも下げるのなら写真でもこっそり撮ってやろうかな。今度馬鹿にされた時にそれ反撃してやる。あぁ、今から非常に楽しみだ。

 

そんな俺の邪な考えを抱いていた時だった。

 

「先輩」

 

「どうした? とうとう頭を下げる準備が出来たか?」

 

ふははははは、と悪役のような笑い声を上げる俺に彼女の冷静な声が刺さった。

 

「これ何だと思う?」

 

彼女の手には黒く長方形の物体が握られていた。

 

「ボイスレコーダー?」

 

「そう、その通りさ」

 

「そのボイスレコーダーがどうかしたのか?」

 

「いやね、先ほど面白い音声が取れてね。先輩にも聞いてほしいんだ」

 

彼女はそう言うと再生ボタンを押す。

 

『それは俺の口から言わなくても自分で分かるだろう?』

 

『まさか、体を使って……』

 

『ふはははは、そうだな。誠意と言うのは言葉よりも体で表すものだろ?』

 

そして流れ来るのは先ほどの俺と彼女の会話、その一部。

 

――あぁ、ヤバイ。

 

全体的には何も問題ない会話なのだが、この部分だけ切り取ると犯罪臭しかしない。勿論その場合、俺が加害者で彼女が被害者だ。

 

――ニヤリ。

 

彼女の口端が持ち上がるのが見えた。

 

「この音声を周りの人に聞かせたらどうなるだろうか……。そして私が聞かせる時に泣いてみせれば、それはそれは面白いことになりそうじゃないかい?」

 

――あ、終わった。

 

「何が望みだ?」

 

「それは私が言わなくても先輩自身が分かっている筈さ」

 

「分かったよ。これでいいんだな」

 

手にもつパンを彼女に投げ渡す。

 

彼女はそのパンを受け取ると、さらに笑みを浮かべて、

 

「おっと、それが先輩の誠意かい? 先輩の誠意とはその程度だと……。これでは何かの間違えで私の指が滑ってこの音声を校内放送で流してしまうかもしれないな」

 

さらに追い打ちをかけてくるのだった。

 

「す、すみませんでした! それだけは何卒、何卒ご勘弁を!」

 

袋に入った食料を全て彼女に奪われたのは言うまでもないだろう。

 

――あれ、おかしいな。俺、何も悪いことしていないのに……。

 

そのことに気付いたのは放課後のことだった。

 



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第三話

それは秋も本格的に始まり、校庭の木々が色を付けはじめたある日のことだった。その日は雨が降っていた。

昼前からポツポツと降り始めた雨は昼休みに入るころにはその勢いを強め、土砂降りといっても過言ではないほどになった。朝はあれだけ晴れていたというに、女心と秋の空というわけか。

 

そんな中俺は、屋上のボロ小屋で勝手知ったる他人の家とばかりにソファーに座り、雑誌を読みながらくつろいでいた。ちなみにこの小屋にあるもののほとんど全てはどこから拾ってきたものであり、今俺が座っているソファーもその内の一つである。余り大きくないが柔らかく座り心地がいいため気に入っている一品だった。

 

雨の日にサボるときや寒い日なんかは、こうして屋上のこの小屋でサボることが多かった。ここなら雨に打たれる心配も雪に埋もれる心配もない。それに暇な時を見つけてちょくちょくと整備しているここは案外過ごしやすかったりする。電気も引っ張ってきているし、食料もある。私物であふれたここは第二の自室といってよかった。本格的に冬に入る前には、更に床と壁に断熱材を貼ろうかと考え中だ。

 

ただしどれだけ快適だろうが所詮小屋は小屋。大きさは少しばかり心もとない。俺一人なら快適に過ごせるのだが……。

 

雑誌から目を離し横目で隣を見る。

 

「はむ……はむはむ……うん、やはりこのパンは美味しいね」

 

俺の隣、ソファーに陣取ってパンを食べる奴が一人。いつも通りのチューリップハットは遠慮という二文字を知らないのか我が物顔で俺の横に座っていた。

 

ちなみに彼女が食べているパンは俺が後で食べようとして買ってきたやつだ。

 

ザーザーと屋根を打つ雨音を聞きながら口を開く。

 

「お前、こんな雨の日にわざわざここに来なくてもいいだろ」

 

「たまには雨の音を聞きたくなったのさ」

 

パクリとパンを口の中に放り込むと彼女はいつも通りの声色で言った。

 

「なるほど」

 

よく分からなかったが、とりあえずそう言って頷いておく。どうやらソイツもまともに答える気はないようだし。

 

それに彼女が何のためにこの屋上を訪れるかなんて俺には関係ないことだ。それをもし聞こうものなら俗になる。俗になるなら聞かないほうがいい。俺はここにいて、彼女もここにいる。必要なのはこれだけで、他には何も必要ない。

 

「それよりも先輩……」

 

「悪いがおかわりはないぞ」

 

「まだ、何も言ってはいないじゃないか」

 

「お前の言わんとすることはいい加減分かる」

 

「ほうほうそれはツーカーという関係かな?」

 

「全く違うな」

 

どちらかといえばお前の傍若無人な態度にこちらが慣れて来たということだ。

 

「本当に先輩はつれないね」

 

彼女は俺の言葉を気にも留めてないかのように笑う。事実、その通りなのだろう。

 

「それよりも……」

 

「ん? どうかしたのかい?」

 

「なんか近くないか?」

 

ソファーが小さいこともあり、二人で座るとある程度距離は近くなっていまう。しかし、それにしても近すぎだ。肩と肩がもう少しで触れ合ってしまいそうな距離に彼女は座っていた。

 

「そうかい?」

 

彼女はそう言いながら首を傾げる。

 

「お前まだ向こうに空きがるだろ」

 

よく見れば彼女の座っている方にはまだ奥に余裕があった。

 

「うふふふ、まさか先輩照れているのかい?」

 

「何を言っているんだ。誰がお前なんかに照れるか。俺は年上の包容力がある女性がタイプなんだ。お前のような年下のガキに誰が――いってぇ!? 何すんだよ」

 

彼女に弱みを見せたくないのと、照れ隠しとして得意げにそう言った時だった。急にわき腹をつねられた。それも結構な威力で。

 

「…………ふん」

 

 

文句を言ってやろうとソイツを見れば、彼女は不満げな顔で、そっぽを向くとあのよく分からん楽器を弾き始めた。その音色は力強く、いつもの穏やかな音色ではなかった。

 

「おい、もしかして怒ってる?」

 

「――どうしてそう思うんだい?」

 

楽器を弾く指は力強く、口から出た声色は冷たい。

 

「あぁ、なんかすまん」

 

――女心と秋の空。どうやら、俺が女心を理解する日はまだ遠いみたいだ。

 

そして、彼女の機嫌をとるのに俺が苦労したのは言うまでもないだろう。

 

 



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第四話

それはいつも通りの昼下がりのことだった。お馴染みのチューリップハットを被ったソイツはこれまたお馴染みのよく分からん弦楽器を弾きながら、いきなりこんなことを言い始めた。

 

「To be or not to be that is a question……」

 

「は? いきなり、何言ってんだ?」

 

いきなり聞こえた英語に思わずそんな言葉が口から出た。英語がサッパリな俺には彼女のその言葉の意味が全く持って分からない。

 

「ふと、ある本の冒頭が頭に浮かんだだけだから、気にしないでくれ。それよりも、時に先輩、生きていくために必要なことは何だと思う?」

 

俺と違ってソイツは頭がいいため、時々こんな哲学めいた人生において何の役に立たないことを話すことがあった。

 

「さぁ、どうだろうな。男なら強さって答えるのが、男らしいか?」

 

「強くなければ生きていけない……」

 

「だろ?」

 

「しかし、優しくなければ生きていく資格がない」

 

「なんだそれ……?」

 

「レイモンド・チャンドラーのプレイバックの中に出てくる言葉だよ。先輩はもう少し本を読むべきだと思うな」

 

「悪かったな学が無くて……」

 

紫煙を空に吐き出してながら感情の籠っていない声で言う。そりゃ俺も本を読むことは大切だと思っているが、今は本を読むことに時間を使うよりもこうやって寝そべりながらタバコを吸い、そして空に浮かぶ雲の数でも数えている時間の方が何倍にも有意義に感じるからしょうがない。

 

それに彼女も本気で言っている訳ではないだろう。この屋上という空間にいる以上、お互いに相手の話は話半分に聞いている。教室や寮に帰ればそんなことは許されないだろうが、この屋上という空間は特別だ。ここには俺と彼女しかいない。そして、お互いに相手の事を気遣うことなんてせずに好きに過ごしている。そんな地上にはない楽園だからこそお互いに好き勝手に言葉を投げ合うことが許されるのだ。どうせ、ここでの会話何て一歩この屋上から出てしまえば何の意味を持たないのだ。ならば、ここでの会話は気軽なものになる。

 

「別に攻めてはいないさ。ただ、本は読んでおいて損はないと言いたかったのさ」

 

――それに先輩が少し頭がよくない事くらいしっているよ。

 

そう彼女は付け加えて笑う。

 

「最後の一言は余計だ」

 

「あはははは、それは悪かったね」

 

彼女は更に目を細めて笑う。何だか楽しそうで何よりだ。出来ればその愉快さを俺にも分けてほしいね。

 

「それで先輩は何が人生において大切だと思っているんだい?」

 

「そうだな……」

 

ここまで言葉を出すと視線を彼女から空に向ける。青い空に羊雲が泳いでいた。

 

「やっぱりタバコと空を見上げる時間さえあれば世はこともなし、かな」

 

「あはははは、先輩は面白いね、やっぱり」

 

「それ褒めてんのか?」

 

「さぁ、どうだろ? 先輩はどう思う?」

 

「じゃあ、褒め言葉として受け取っておくよ」

 

「そうか、そうか、先輩がそう思うのならそうだろうね」

 

彼女の笑い声が収まったころあいを見計らって俺は口を開いた。

 

「そう言うお前は何が生きていく上で大切だと思っているんだ?」

 

「うん、そうだね」

 

――美なんて、どうだろ?

 

思いもしていなかった言葉が出たため純粋に驚いた。

 

「美って……?」

 

「美しき所作は正である、義である、直である。正と義と直を行為の上にもって示すものは天下の公民の規範である。私も一人の芸術家としてこの境地に至ったのさ」

 

――最も私は画家じゃないけどね。

 

彼女は最後にそう付け加えた。

 

「人に言うだけあってよく本を読んでるな」

 

「うふふふ。ありがとう。まぁ、この話は置いておこう」

 

彼女の話は始まるのも突然だが終わるのもまた突然だった。

 

「別に好きにすればいいさ」

 

「あぁ、好きにさせてもらうよ――」

 

こうしてある日の午後は過ぎていくのだった。



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第五話

今更隠す事でもないが我が継続高校は貧乏校だ。それも生半可な貧乏はない。筋金入りの貧乏校だ。年季の入った校舎は控えめに言ってもボロボロという四文字で片づけられ、台風の時は吹き飛びそうになる。そもそも今どき旧校舎とはいえ、木造校舎があるのはウチ位なものではないだろうか。平成に入りすでに今年で二十年以上もたつと言うのに昭和の残り香が凄いのが我が継続高校だった。

 

貧乏校は貧乏校なのだが、その分継続高校は色々と格安だ。授業料に始まり、寮費や、光熱費、さらに売店の価格など色々とリーズナブルなのだ。ここまでボロ臭い高校なのに毎年一定数の志願者がいるのはきっとそう言う所が学生にうけているからだろう。安さとは誰にでも分かりやすい正義なのだ。

 

その代わりやっぱり貧乏校なりの苦労があるも事実。例えば部活動などは一応学校側から予算が降りるのだが、雀の涙程度しかならず、備品や消耗品は基本的に各自で調達しなければいけない。それに部室、時には校内の補修なんてのも学生が自らやることが多いので、そこらの工業高校のやつらよりも場慣れした奴がいるのがウチの高校だった。

 

軽い大工仕事なら継続高校男子なら大抵の奴が出来る。もちろん、俺もその例には漏れず、日曜大工くらいのことなら鼻歌交じりに出来る自信がある。屋上にある小屋の補修や改装をしたのは俺自身だし、寮なんかでもそれなりに頼まれるのである程度の事は出来ると自負している。

 

それはある昼下がりの事だった。

 

屋上にていつも通り授業をサボり紫煙を燻らしている時だった。

 

ピンポンパンポーン、と今どき時代錯誤な甲高い音が校庭に設置された数個のスピーカーから聞こえてきた。どうやら、放送が入ったようだ。

 

『あーあー、マイクテスマイクテス』

 

聞こえてきたのは高い女性の声。どこか幼い印象を受ける声だった。その声は聞き慣れた声だった。

 

――なんか嫌な予感がするなぁ。

 

タバコを咥えながらそんなことを考えていると、

 

『――君、――君、至急職員室に来なさい。繰り返す』

 

――あぁ、やっぱりか。

 

悪い予想ほどよく当たるとは上手いことを言ったものだ。聞き慣れたそれは俺の名前。

 

職員室は一階にあり、今俺が居る屋上とは対角線上にある。別にどうってことはない距離なのだが、行くのが面倒と言えば面倒だ。

 

――正直言ってバックレたいんだけどなぁ

 

『なお、もしもバックレた場合は、期末試験、覚悟しておくように! 今までのサボりの件も含め、冬休みは補習で消えると思いたまえ!』

 

校内放送で堂々とこんなことを言っていいのだろうか。恐らく我が校でなければ問題になっていることだろう。

 

――生徒も生徒なら、教師も教師か……。

 

自由すぎる校風が我が校の良い所ではあるが、それがいい意味でも悪い意味でも働く時がある。、教師一人の権限が他の高校に比べて大きいため、その気になれば、生徒一人の成績をいじるくらいはわけがない。それも普段、サボってばかりの生徒だと平常点をいじるくらいは簡単だろう。それに放送の声には聞き覚えがある。あの人なら間違いなくやる。もしも、俺がこのままバックレたのなら、問答無用で冬休みは消えるだろう。

 

――はぁ、ここまで脅されたらいくしかないなぁ……。

 

ため息を吐き、口に咥えていたタバコを箱に戻す。

 

――面倒ごとは勘弁願いたいなぁ。

 

そして、今までの高校生活を思い出す。今回のように放送で呼び出しをされた時は殆ど間違いなく面倒ごとだった。

 

屋上を出る足取りは重い。

 

さきほど校内放送で俺を呼んだ教師は俺の担任だ。そして、彼女は戦車部の顧問教師だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――音が聞こえてきた。

 

弦楽器の聞き慣れた音だった。落ち着いたメロディーだが、かと言ってノリが悪いわけでもない不思議なメロディー。聞いているだけで心が安らぐそんな曲だった。

 

徐々に頭が覚醒していく。うっすらと目を開ければ澄んだ青空が広がっていた。様々な絵の具の青を混ぜ合わせ、それを空という名のキャンパスに塗りたくった様な快晴だった。

 

寝転がったまま、胸ポケットから煙草とライターを取り出し、タバコを口に咥える。そして、そのまま火をつける。ニコチンが肺から吸収され脳が急速にクリアになる。やっぱり寝起きは一服に限る。

 

「起こしてしまったかな?」

 

音が不意に止んだ。そして聞こえてきたのは聞き慣れた声。もう言うまでもないと思うが、屋上に来て楽器を演奏する人間なんて一人しかない。あの少女だ。

 

「いや、別に。むしろ、その音楽のおかげでぐっすり寝れたくらいだ」

 

グッっと腹筋に力を入れて、上体を起こす。最早、トレードマークになりつつあるチューリップハットを被ったソイツはいつも通り壁を背もたれにして座っていた。屋上の彼女の特等席だ。その両手には見慣れた弦楽器が一つ握られていた。

 

「そうかな。先輩にそう言われると嬉しいね」

 

ソイツは嬉しそうに笑う。整った顔といい、笑顔が本当に映える奴だと思った。絶対につけあがるため本人には死んでも言わないが、一般人のレベルをはるかに超えるくらいソイツは美人だった。

 

「今、何時だ?」

 

「えーっと、もうすぐ五限が始まるくらいの時間かな」

 

「そうか……」

 

頭の覚醒具合といい、体の強張り具合といい大分寝ていたとは思っていたが、予想よりも寝ていたことに少しだけ驚いた。

 

「お疲れの様だね」

 

彼女はそう言うと弦を弾いた。聞き慣れた音が響いた。

 

「まぁな……。少し色々あってな」

 

紫煙を吐き出しながら首を回す。長い間固い地面で寝ていたせいかポキポキと骨が鳴った。

 

「ふーん、それは大変だ」

 

そう言って彼女は他人事のように笑った。そこで、会話が途切れる。彼女は必要以上に俺の内情に踏み入ろうとしない。俺が何者かなんて関係ない、それが彼女のスタンスだった。あくまでも俺と彼女は赤の他人なのだ。俺にはそれがやけに嬉しかった。

 

この屋上という所において、社会の柵というのは毒だ。ここには年齢による上下関係も、性別における格差も、個人の才能による順位付けも何もない。

 

ここに俺がいて、彼女がいる。

 

この一行で全てが完成している。故にそれ以上の何ものいらない。深くその人のことを知りすぎると気遣いが生まれる。そんな人間関係はこの屋上以外で繰り返し、飽き飽きだ。

 

――非人情の付き合い。

 

これが俺と彼女との付き合いであり、屋上という楽園の唯一の決まりだった。この屋上に人情を持ってきたのならすぐにここは楽園ではなくなる。地に落ちる。地獄になる。ならば、それを持ち出してはいけない。

 

だからこそ、俺は彼女の名前すら知らない。彼女は俺の事を先輩と呼ぶため恐らく後輩だとは思うがそれすらも怪しい。同じ学年ではないことは確かだが、もしかすると先輩かもしれない。

 

結局のところ俺は彼女のことを深くは知らない。彼女も俺の事を深くは知らないだろう。

 

名前も年も分からない距離間、これが彼女と俺との距離だ。故に遠く、だからこそ近い。

 

屋上という場所はこうでなくては面白くない。

 

穏やかな風が一撫で吹いた。グランドからは声が聞こえる。きっとどこかのクラスが体育の授業でもしているのだろう。

 

会話はない。ただ彼女が気まぐれに奏でる音楽が聞こえるだけ。

 

ゆっくり目を閉じる。

 

――最近はろくに寝てないんだ。もうひと眠りするか。

 

最高のBGMの中、束の間の休息を味わおうと、人知れず心に決めたのだった。

 

 

 

 



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第六話

普段よりも文章が多いです(当社比)


外に出ると既に空は明るく東の空には輝かしい太陽が堂々と昇っていた。雲一つない秋晴れであり、空はまるで水の入ったバケツに青色の絵の具をこれでもかと溶かしたあと、それを画用紙に思いっきりぶちまけた様なさっぱりとした快晴が広がっていた。

 

――あぁ、くそねみぃ……。

 

ここまで清々しい快晴を見たなら普段だったら今日も良い昼寝日和になりそうだと、穏やかな気持にでもなったのだろうが、生憎今日はそんな余裕はない。ここ連日の徹夜と肉体的疲労に精神的疲労、そしてなんといっても睡眠不足により今のコンディションは最悪だった。

 

空に浮かぶ太陽は何故か黄色がかって見えるし、頭は変なところに痛みを感じている。人間睡眠は大事だということ改めて思い知った。そしてその事実は出来れば思い知りたくないことでもあった。

 

――しっかし、漸く終わったな。

 

作業を始めてこれまで長かった。毎日のようにこの倉庫にこもりただ只管にに作業、寝る暇、食う暇を惜しんでの作業だった。しかし、不思議とそこまで達成感はない。まぁ、そりゃそうか、脅されていやいや始めた作業だもんなぁ。

 

真っ黒になった手をグッと空に伸ばすと、縮こまっていた体の筋が伸びていくのが分かった。そして、そのまま大きく息を吸い込み、吐き出す。タバコを吸い始めて既に結構な時が経つ、きっと俺の肺はいい感じで薄汚れているだろう。しかし、そんな俺でも秋晴れの下で吸う空気は純粋に美味いと思った。

 

――とりあえず、一服して寮に帰って風呂入って寝るか。

 

もう今日はこれ以上は何もしたくない。いくら華の高校生と言えども体を酷使にするのには限度がある。そして、今までの経験上これ以上起きておくのは危険だ。どうせ、学校に行っても屋上でサボるだけだろうし、それならば寮で大人しく寝ておこう。唯一の気がかりは某担任だが、生憎さま俺のここ数日の寝不足の原因はその担任様なのだ、仕事が終わった今日くらい学校をさぼったとこで文句は言われまい。というは言われようが、言われなかろうが今日はサボる。

 

――ん? あの制服はウチの生徒か……。もうそんな時間か。

 

タバコを咥えながらぼーっと視線を動かしていると、少し離れた所に見慣れた学生服を着た集団が歩いているのが見えた。時計を見ていなかったため正確な時間は分からなかったが、どうやら登校時間真っ只中らしい。

 

――そう言えば屋上の小屋に携帯の充電器置きっぱなしだったよな……。

 

その集団を見て、そんなことをふと思い出した。

 

――寮に帰る前に回収していくか。

 

俺が今いる第二グランドと俺が暮らしている寮はちょうど学校を挟んで向かいになる。どうせ寮に帰る時に学校近くを通るのならば寄り道をしてもそこまで苦ではない。寝るまでの時間が伸びると言えば伸びるが、最早ここまで来たら十分や二十分伸びてもそこまで変わりないだろう。

 

――あぁ、そう言えば着替え持って来てないんだったな。

 

目線を下にやればグリスや油、煤で黒く汚れた作業着が目に入った。俺には既に感じないが、油や煤の匂い、そして眠気覚ましで吸い続けていたタバコの匂いが相当染み込んでいそうだ。正直この格好で学校に行くのはどうかとは思うが、まぁ、授業を受ける訳でもないしいいだろうと自分自身に言い訳する。そうと決まれば早く行って早く帰るに限る。澄み切った青空の下俺は頭痛を戦いながらトボトボと歩くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学校までの向かう途中、見知った後ろ姿を見つけた。

 

「ねぇねぇ、この間の練習試合凄かったよね! あれだけの強豪相手にあそこまで戦えたんだよ! これは戦車道大会も期待出来るかも!」

 

少し赤みが掛かった黒のショートヘアを左右で結んだ少女の楽しそうな声が聞こえてきた。よほど興奮しているのか、声は弾んでおり、後ろで頭を頭痛がする頭を押さえながら死人の様に歩いていた俺にもその声は届いた。その声色を聞くだけで彼女の顔を見るまでもなくその表情は手に取るように分かる。

 

「うんうん。凄かったね!」

 

その横を歩くブロンドの髪を二つ結びにしたおさげの少女が首を縦に振りながら応える。

 

「いやー、思い出しただけで興奮してきた! だって私たちだけで敵の戦車を五両も倒したんだよ! いやー凄かったね!」

 

「うんうん、ミカの指示とユッコの運転技術があったからだね!」

 

先に言っておくが俺は決して他人の会話を盗み聞きする様な人間ではない。前を歩く馬鹿二人の声が大きくて勝手に聞こえるのだ。周りをそれなりの生徒が歩いていると言うのに二人の少女は何も気にせずに興奮した面持ちで話し続ける。

 

「いやいや違うよ! やっぱりアキの装填のスピードや砲塔旋回の腕が良かったからだよ!」

 

「――そ、そうかな! じゃあ、これは私たち三人の力ってことだね!」

 

「そうそう! そういう事! ――あっ、そう言えば試合で思い出したけど、帰り道で破損しちゃった戦車、今週末か来週には直るって、タキちゃん先生が言ってたよ!」

 

――ん? 

 

そんな会話が聞こえてきた。ちなみに彼女たちが言っているタキちゃん先生とは俺のクラスの担任のことだ。

 

「え? あのミッコが試合終わった後の帰り道で調子に乗ってスピード出し過ぎて急カーブを曲がり切れずに崖から落ちて壊したあれ?」

 

「うんうん! いやー、あの時はビビったよ……。もう少しで大惨事になるところだった」

 

「いやいやいや! 私の方が驚いたよ! だって、急に車体が傾いたと思ったらそのままゴロゴロと転がっていったんだよ! 全くミッコの運転は荒いんだから……」

 

「あははははは。ごめんごめん」

 

「もう全く笑い事じゃないんだからね……! それにそんなとこで戦車壊したって整備してくれている人が知ったらとんでもなく怒られるよ」

 

ブロンドのお下げの少女が言った言葉に黒髪の少女は――

 

「――あぁ、それなら大丈夫だって! 言わなきゃ絶対に帰り道で遊んで大破した何てバレないから!」

 

初めに言っておきたい。俺は別に最近巷で噂になっているキレる十代とかいうよく分からん若者でもないし、なんなら自身では大らか方だと思っている。だからきっとこれは睡眠不足による弊害とでも思って貰えばいい。普段の睡眠たっぷりな俺ならきっとこんな小娘の言葉なんて華麗にスルー……いや出来ないな。きっと同じことをしたに違いない。

 

「ホントかなぁ……」

 

俺は歩くスピードを上げると、黒髪のクソガキの直ぐ後ろにつく。

 

「うんうん、大丈夫だって! あの先輩馬鹿だから!」

 

そして、そのままグリスまみれの手で肩をポンポンと叩いた。多少制服が汚れるかもしれんがそんなことは知らん。全てはそうこの小生意気な後輩が悪いのだ。自業自得と言える。

 

「――ん?」

 

黒髪の少女が振り向く――。

 

それと同時にその顔を右手でガシりと掴んだ。要するにアイアンクローの状態だ。

 

「――よう、いい天気だな。おはよう」

 

徹夜明けのせいか口から出た声は思った以上にガラガラで低かった。

 

「ま、まさか先輩……? な、なんでこの時間に……まだ登校時間には大分早いですよ」

 

 

「あぁん? 簡単なことだ。徹夜明けでやってた修理が漸く終わったからだよ」

 

「そ、そそうですか……」

 

「さて、ミッコ。一つ聞きたいことがあるんだが……遺言はそれでいいか?」

 

「い――」

 

手の内の後輩が何か言おうとしているが、そんなこと構いなく力一杯右手を握る。手加減抜きの全力だ。イメージ的には林檎を握りつぶしている感覚だ。

 

「いたたたたったたたぁああああああ!!! うぎゃいたいいたいたい! 頭が割れる! そして何か油臭い! タバコ臭い!」

 

「あぁん? 黙って聞いてりゃ、あの戦車が大破したのはお前が遊んでいたのが原因らしいな? 死ぬか? 死ぬんだな?」

 

「いたたたたたた! ごめんなさい! すみませんでした!」

 

「お前あの戦車の修理どれだけ大変だったのか知ってるのか? あぁん?」

 

「すみません! すみません! だから、この手をどけて下さいぃぃぃ!」

 

頭蓋骨がミシミシと言っているがそんなことは知らない。俺の怒りはその程度では収まらない。これが初犯ならまだ情状酌量の余地があったかもしれないが――

 

「ミッコこれで何回目だ? 戦車を大破させたのは?」

 

「さ、三回です」

 

「そして、その度に修理してきたのは誰だ?」

 

「せ、先輩です」

 

「前にも言ったよな? てめぇの運転は荒いから気を付けろってな」

 

「は、はい」

 

「てめぇの頭には脳みそ入ってるのか? あぁ?」

 

「で、でも戦車道をやる以上は故障は――」

 

右手の中で馬鹿が何か言い訳がましいことを言っているがそれを完全に無視をする。今日と言う今日は徹底的にこの馬鹿に教え込まないといけない。

 

「そんなことは分かってる。でもな、お前大破させた三回とも戦車道の試合関係ないよな?」

 

「そ、それは……」

 

「どうなんだ?」

 

「そ、その通りです」

 

その言葉を受け右手に更に力を籠める。

 

「――いだだだだだぁあああああ!」

 

刹那絶叫が響き渡った。確か、高校生男子の握力の平均は四十キロそこそこだと記憶しているが、普段から日曜大工や色々な物の修繕を自ら行っている俺の握力はその平均よりも上だ。その俺が全力で頭をアイアンクローしているため、痛いに決まっている。しかし、それがどうした? この世には素敵な言葉がある。

 

「――因果応報、自分で蒔いた種って良い言葉だよな」

 

まぁ、その場合普段の行いが悪いせいで戦車の整備に時たま回される俺自身にも当てはまるのだが、そもそもコイツがまともな運転させしてくれればここまでの苦労はないはずだ。毎度毎度戦車道の試合以外のところで戦車を大破させられたら溜まったものではない。

 

「それとアキ」

 

未だに悲鳴を上げている馬鹿を無視してその横で苦笑いを浮かべながら成り行きを見届けていたアキに声を掛ける。

 

「はい? 何ですか?」

 

俺の呼びかけに首を傾げながらこちらを向いたアキの額に左手でデコピンを入れる。

 

――バシッ!!

 

おっ、手加減したつもりだったが結構いいのが入ってしまった。

 

「――いったい! 先輩いきなり何するんですか!」

 

「お前にも言ってただろ、コイツの無茶苦茶な運転どうにかしろって。それにお前も同じ戦車に乗っていたから同罪だ」

 

「うぅ、そんなの酷いです!」

 

「酷いと思うなら、次からは帰り道安全運転させるんだな」

 

いい加減しんどくなってきたので右の力を緩め、馬鹿を解放してやる。本当ならもう少しお灸をすえたいが、これ以上ギャーギャー騒がれてはたまったもんじゃない。今ですら登校中の生徒の怪訝な視線を集めていると言うに。

 

「うぅ、痛かった……」

 

「これに懲りたら試合以外で戦車を大破させるような馬鹿な真似はやめるんだな」

 

「ぜ、善処します」

 

お前それ、絶対に守る気が無いだろ……。

 

――はぁ。馬鹿は死んでも治らないっていうしなぁ。

 

一つ大きなため息をつく、出来ればもう戦車の修理はしたくはないが、無理だろなぁ。

 

そんな俺の内心を知ってた知らずか、空はこれ以上ないってくらいに秋晴れが広がっていた。

 

 



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第七話

それは秋も深まってきたある日のことだった。グランドの木々が葉の色を翠から橙、もしくは赤に変え始め、冬服の奴らがちらほらと出始めたころだ。

 

いつも通りに屋上にてサボっていた俺の耳にガチャガチャと屋上のドアノブが回る音が聞こえてきたと思ったら、バタンとその扉が開けられた。グリスを塗ったばかりの扉は前の様に錆びついた金切り声を上げることなく、静かに開く。

 

この屋上を訪れる人間は俺も含めて三人しかいない。そして今は四限目の授業中であり、その内の一人は授業をしているため、消去法で訪れた人物は分かる。

 

「よう、今日は遅いじゃないか」

 

見知っている相手の為気軽に手を上げてそう挨拶すれば、

 

「やぁ、先輩。少しばかり数学の出席日数が危ないからね、三限目に顔を出したんだよ」

 

トレードマークのチューリップ帽を被った後輩がいつも通りの弦楽器を鳴らしながら優しげな笑みでこう返してきた。

 

「あぁ、そう言えば俺も現国の出席がそろそろ危ないんだったな五限目は出るか」

 

彼女の言葉をうけて出席日数がそろそろ危ない授業があったことを思い出す。面倒だがここは出ないと後々もっと面倒なことになる。ここは重い腰を上げて休み時間が終わり次第教室に行くか。

 

そんなことを俺が考えていた時だった。

 

「先輩、その手に持っているものは何だい?」

 

彼女が俺が手に持っている物に気付いたのかそう聞いてきた。

 

「あぁ、これか?」

 

手に持った串に視線を落としながら答える。

 

「うん、それだよ」

 

「昨日の謝肉祭で余った肉と今日の朝捌いた肉だけど」

 

――謝肉祭と呼ばれる行事がある。

 

正確には行事でないかもしれないがそう言ったイベントがこの継続高校の寮にはあった。流石に全ての寮で行われていることではないだろうが、半分程度の寮では行われているイベンドではないだろうか。

 

前にも話したと思うが継続高校は貧乏校でありある程度の自由がきく学校でもある。そんな継続高校の寮は基本的に学生が自治を務める学生寮が多くある。寮費も各自自分たちで決め、学校からの補助金を加味して計算し、全てを学生が運営する、それが学生寮だ。

 

勿論貧乏校ゆえに学校からの補助金も少ない。しかし、寮費も高く出来ない。そこで、寮では修繕も食事も全て自分たちで行うことになる。寮が壊れたからと言って修理費は出ない、出て材料費がいっぱいいっぱいだ。だからこそ自分たちで修繕する。そんな考えだ。

 

料理も勿論自分たちで作るのだが、そこで考え出されたのが謝肉祭だ。

 

――謝肉祭。

 

読んで字のごとく、肉に感謝する祭りだ。何をやるのかは至極単純。有り余る寮の土地で育ているウサギや鶏などの家畜や罠にかかった動物たちを自分たちで捌いて食べるだけの話だ。勿論毎日という訳にはいかないが、何かの打ち合げ、例えば体育祭や文化祭、寮の誰かの誕生日など、特別な日には必ずといいほど行われ寮生みんなで肉を味わう祭りとなっている。

 

そんな祭りが昨日の夜と今日の朝にかけて俺の寮では行われていた。

 

「へぇー、何か昨日特別な事でもあったのかい?」

 

「いや、学園祭の出し物を何するかの話し合いで実際に出すものの味見と称して謝肉祭をしたまでだ」

 

「ふーん、そうだったのか」

 

彼女は俺の隣に腰を落とすと弦を軽く弾いた。

 

「そう言えば先輩、継続高校の学園祭はすごく盛り上がると聞いたけど本当かい?」

 

俺は彼女の正確な歳は知らない。彼女が俺の事を先輩と呼ぶために一年生だろうと勝手にあたりをつけているがもしかしたら年上の可能性もある。でも、もしも彼女が本当に俺の後輩だったとしたら文化祭は初めての体験となるはずだ。

 

「学園祭かぁ……」

 

――継続高校学園祭。

 

それを一言で現すのなら、ぴったりの二文字がこの世には存在する。

 

「一言でいうなら、戦争だな。あれは」

 

――戦争。

 

そう、あれは紛れもなく戦争だ。

 

「……戦争?」

 

彼女はその言葉に首を傾げる。確かにそうだろう普通の高校の文化祭であれば祭りと言う言葉は使っても戦争と言う言葉は使わないだろう。しかし、この継続高校の文化祭は戦争だ。

 

「あぁ、文字通り戦争だ。寮と寮、部活と部活、そして寮と部活のお客さんを取り合っての大戦争だ」

 

先ほども話したと思うが、寮の運営において学校側からの補助金が出るには出るがそれは微々たるものだ。それはもちろん部活にも当てはめられ、各部活動に支給される予算なんてないにも等しい。だからこそ、各団体はこの学園祭という資金調達に本気で挑む。学園祭での売り上げはそのまま各団体の物になる。つまり黒字になればなるほど設備はよくなるのだ。寮であれば設備が増えたり、寮費が安くなったり、部活であれば新しい道具やユニフォームを買えたりする。

 

客を取るには質で勝負するほかない。

 

学生同士が利害対立で切磋琢磨した継続高校学園祭のレベルは凄い。そんじゃそこらの大学の学園祭を遥かにしのぐ。さらにそれが噂話にもなり、外のお客さんも多くの訪れるので、学園祭の一週間この継続高校のある学園艦の人口は少ない時で10倍多い時だと50倍にも膨れ上がる。継続高校周辺に無駄にある建物はそう言った艦外からくるお客さんのために歴代の継続高校の生徒達が立てたものであり、宿泊施設としての機能を果たしているのだった。普段は森と山と川しかないと言われる継続高校学園艦だが、学園祭のシーズンだけはどの学園艦にも引けをとらない活気があった。

 

「へぇーそれは楽しみだ」

 

俺の説明をうけ彼女は面白そうだと微笑んだ。

 

「あぁ、楽しみにしているといいよ」

 

確かに利益を争っての戦争だが、楽しむことが出来るのも確かだ。質の高い出店や劇、自作映画を見て回るのは面白いし、楽しい。俺も去年は大いに楽しみ盛り上がった。

 

「ところで先輩それは何の肉だい?」

 

「あぁ、食うか? 俺は昨日散々食ったし」

 

どうせ彼女のことだ。大方俺の横に腰を下ろしたのもこの肉が目当てに違いない。そう辺りをつけて串がまだ数本入った紙袋を彼女に差し出す。

 

「先輩がそう言うのならご相伴にあずかろう」

 

彼女は楽器を自らのわきに置くと「いただきます」と手を合わせ、紙袋から一本の串を取り出し、ぱくりと噛みついた。

 

「うんうん、美味しね。これは何の肉かな?」

 

「あぁ、それは昨日の謝肉祭で余ったワニの肉だ」

 

「ワニ?」

 

「俺らの寮の池で飼っててな。毎年学園祭でワニ肉の出店も出してるから試食代わりだな」

 

初めは食えるのかと思っていたワニ肉だが食ってみると意外と美味い。難点として檻から脱走した時に面倒なのと捌くのが少し手間なくらいだ。

 

「へぇー、じゃあこれは?」

 

何時の間か食べ終わったのか彼女の手には新しい串が握られていた。

 

「あぁ、それはアナグマだ……多分?」

 

「どうして疑問形なんだい?」

 

「いや、今日の朝、狐摑まえるための罠に掛かっていたやつらしいんだけどな、アナグマと狸って見た目じゃ殆ど分からないんだよ。それこそ猟師でもない限り無理だ」

 

「じゃあ、どうしてアナグマだって分かるんだい?」

 

「あぁ、それは簡単だよ。美味いからな」

 

食ってみて美味かったらアナグマで、不味かったら狸。俺たちの寮ではそうやってこの二つを判断していた。俺も寮の先輩方にそうやって聞いただけなので本当にその見分け方であってるのかどうかは分からないが、まぁどちらでも美味ければ構わないのでアナグマだろうと、狸だろうとさしたる問題ではない。

 

「美味しかったらアナグマで、不味かったら狸か……。なるほど先輩の見分け方は簡単でいい」

 

彼女はそう言って笑うと「ごちそうさま」と手を合わせた。



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第八話

「時に先輩、生きていく上で大切なものって何だと思う?」

 

空には羊雲の群れが漂い、穏やかな秋風が優しく辺りを吹き抜けていく昼下がり、いつも通りの屋上で彼女は、毎回お馴染みの定位置に腰を下ろしながらそう言うと、手に持っていた弦楽器の弦を指で弾く。柔らかな音色が辺りに響いた。

 

そんな彼女の質問に俺は読んでいた雑誌の記事から目を逸らすことなく応える。

 

「何かこの前もそれ聞いてこなかったか?」

 

少し前にもそんな事をコイツから聞かれたような覚えがあった。

 

――あの時は何て答えたっけな……。

 

少し思い出してみようと努力をして見たが、海馬の方のやる気はないようで霞が掛かったようにあと一歩思い出せない。

 

――まぁ、別にいいか。

 

そいつに何て返したのかなんてさしたる重要性はない。当時の俺も恐らく思いつくまま適当に答えたに決まっている。彼女が問いかける問いは確かに小難しいことが多いが、ただ小難しいだけだ。答えのない問いであり、答えしかない問いを投げかけてくる。別にその問いになんと答えようとも何の問題もない問いかけを彼女は投げかけてくることが時たまあった。

 

長いとは決して言えない付き合いだが、それでも彼女が聡明な人間だと言うのは分かる。そんな聡明な彼女だからこそ、このような問いを投げかけるのだ。

 

――ここは、非人情には持って来いの理想郷だ。

 

学校の試験の様に答えのある問題を問いかけてきたのなら、この屋上はすぐさま理想郷でなくなる。人情を感じざるを得なくなる。それでは面白くない。生きていく上では避けられない人情から束の間の間でも逃れようとして俺はここに辿り着いた。ある画工の言葉を借りるのなら芸術的観点から物事を見るためと言ってもいい。

 

だからこそ、俺はここに居る間は芸術的観点の立場からあらゆる物事を、あらゆる人々を、人情という色眼鏡をとってただ純粋に眺めることが出来る。同級生も、先輩も、下級生も、担任の先生も、教頭も、校長も、ことごとこく大自然の点景として描き出されたものと仮定して見ることが出来る。もっとも彼らは画中の人物とは違って自分自身で勝手な真似をするだろう。その行動の原因を、動きの理由にあるものを勘ぐってしまうと、俗である、人情が生まれる。なら、こう考えればいい。

 

別に動いても構わない、と。

 

画中の人間が動くと見れば何も差し支えはない。人情も生まれるはずもない。この屋上と言う場所を理想郷に変える方法はただそれだけだ。

 

「あの時聞いたのは、“生きていくために必要なことは何だと思う?”という問いかけで、今回は“生きていく上で大切なものって何だと思う?”という問いかけさ。似たような問いかけだけど、大きく違うよ」

 

ソイツはそう言うとまた楽器の弦を指で弾く。柔らかな音色は秋風に解けてすぐに消え去った。

 

「確かに違うな」

 

読みかけの雑誌をわきに置き、高い秋空を眺めながら少し考えを巡らせる。

 

生きていくために必要なことは何だと思う、という問いと、 生きていく上で大切なものって何だと思うという問いは一見似通っているように見えるが確かに違うものだ。

 

考えるついで上半身を起こし、胸ポケットから煙草とライターを取り出す。そしてそのままタバコを何時もの要領で吸い口を縛ると、火をつけて大きくゆっくりと煙を吸い込む。

 

――はぁ。

 

豪快に吐いた紫煙はゆっくと高い秋空へと昇って行った。風はどうやら吹いていないようでたなびくことはなくただ真っ直ぐ上へ上へと。

 

「本当に美味しそうにタバコを吸うね、先輩は」

 

「まぁ、これが生きがいみたいなもんだからな」

 

「うふふふふふふ。何を言っているんだい、高校生の癖に」

 

自称後輩と目が合った。ソイツはニコニコと嬉しそうに笑った。何がそんなに楽しいのか俺には分からないが、楽しそうで何よりだ。そして出来ればその楽しさの何割かを俺にも分けてほしいものだ。

 

「そういう高校生がいてもいいだろう。それにここの学生なら酒もタバコも結構な割合でやってるから珍しくはないだろうし」

 

「まぁ、それもそうだね。で、答えは出た?」

 

「答えねぇ……生きていく上で大切なものか」

 

「そう生きていく上で大切なもの」

 

タバコを燻らしながら思いついた言葉を口から音にして見る。

 

「何て言ったらいいか、イマイチよく分からないけど、信念やら哲学ってやつだと思う」

 

「信念とか哲学?」

 

「そうそう、適当な言葉が思いつかなかったけど、ようするに、その人の人生の筋となるもんだよ。ソイツの人格を形成する考えみたいなものさ。人によってそれは違うだろう。哲学や宗教、知人の言葉や、今までの経験体験で培ってきたもの……要するに“俺の人生はこのためにある”っていう確証だな」

 

自分の口から出した言葉にも関わらず、心の中でストンと落ちた。

 

浮かんだ言葉を適当につらつらと口から出していただけだが、非常にしっくりきた。きっと、俺がどれだけ思い悩もうともこれ以上の答えはだせないだろう。それくらいにしっくりときた。

 

「宗教、哲学、自分自身の芯となる考え方ね……」

 

彼女はどこか納得したように頷く。

 

「そうだな、言い換えればこうだな。I am I。俺は俺だってこと 」

 

他人がどうこうではなく、自分が自分であるという確証こそが人生において最も大切なことだと俺は思う。この考えこそが俺の哲学だ。

 

「お前はどう思うんだ?」

 

俺ばかり答えていただけでは面白くないとばかりに、後輩に問いを投げ返せば、

 

「…………」

 

ソイツはしばらく楽器を片手に何かを考えた後に、その繊細な細指で、弦を弾くと、

 

「私も先輩と往々にして同じ意見かな」

 

「――私が私である。その確証こそが人生において一番大事なことで、私の芯でもあるよ。そしてその確証こそが生きていく上で大切なものだと思う」

 

そう言って薄く微笑むのだった。なるほど、どうやら俺と彼女も似たようなところが少しはあるらしい。



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第九話

それは秋も深まり、文化祭の準備で学校どころか学園艦全体がさわがしくなってきたころだった。曇天の重い鉛空が頭上を覆う中、俺はいつも通り屋上にて紫煙を燻らす。耳を澄ませば聞こえてくるのはガヤガヤと騒がしい声と作業音。

 

――おう、やってるやってる。

 

屋上からグラウンドを見下ろせば、そこには数人の生徒がウォーキングメジャーや巻き尺をもって色々と長さを図っていた。その数人の中には俺が知っている顔もあった。継続高校生徒会、

彼らの業務の中には文化祭の運営も含まれる。勿論、文化祭実行委員会という臨時組織もあるのだが、それとは別に生徒会の仕事も多くあった。その中の一つに文化祭時に出される出店の場所決めと、その区画の決定がある。今グラウンドでせっせとやっている作業はきっと、各団体が使える場所の幅の区割りに目印を付ける作業だろう。

 

「なぁ、お前は作業に参加しなくていいのか?」

 

いつも通り屋上にやってきたソイツの方を向きながら言う。

 

「クラスの方も、寮の方も今日私がやらないといけないノルマは終わったよ」

 

最早トレードマークとなりつつあるチューリップハットを被ったソイツは弾いていた弦楽器を演奏を止めることはなくそう応えた。それに私は一年生でそこまで作業は任されてないしね、と本当か嘘か分からない言葉を付け加えた。

 

「それよりも先輩の方はいいのかい? あまり準備の方に顔出していないみたいだけど」

 

「俺は寮の方で作業をやってるし、それ俺の担当は別にあるしな」

 

「ふーん、そっか」

 

俺の回答に彼女が満足したのかしていないのか、それは分からないが、ソイツは興味なさげにそう応えただけだった。

 

会話が途切れる。屋上には、普段ならあまり聞こえてこない雑踏と、何処からか聞こえてくる鳥の鳴き声、そして、自称後輩が奏でる弦楽器の音が響き渡る。

 

会話はない。しかし、それは気まずい沈黙ではなかった。言うなれば心地よい沈黙とでもいえばいいだろうか。誰の事を気にしなくてもいい地上の楽園であるこの屋上だからこそ生まれる優しい沈黙だった。

 

――そう言えば、沈黙は詩的ってどっかで聞いたな。

 

ふと、そんなことを思い出す。誰からか聞いた言葉なのか、それとも何かの本で読んだ言葉のなのかは思い出せないが、上手いことをいったもんだと感心する。当時はイマイチ沈黙と詩的という言葉が結びつかなかったが、確かに今の沈黙は詩的だ、と納得する。

 

タバコの火を消し、吸殻を飲み干したコーヒーの空き缶に入れる。

 

空を見気れば重い鉛色をした空が見える。風はほんとどないため寒さは感じないが、気温は日を追うごとに下がってきている。もうそろそろ冬服を着た学生が目立つようになってくるだろう。風さえ吹いていれば今日でも肌寒いと感じるだけの気温にはもうなっていた。

 

――しかし、まぁ曇天の空と言うのも悪くはない。

 

ボンヤリと重い空を見ながら、新しいタバコを取り出し、火をつける。最近はずっと晴れ続きだったためなんだか曇り空を見ることが新鮮に感じた。真っ直ぐに上へと昇る紫煙は曇天の空に辿り着く前にいつしか消えていく。しかし、人間の目には見えなくなっただけで、煙はきっとあの雲に届いてるだろう。いや、実際に届いていようがいまいが関係はない。そう思った方が面白いということだ。

そう考えると手にもつタバコから昇る煙が何だか頭上の雲を作っているように思えて面白くなる。

 

そんなどうでもいいことを考えていた時だった。

 

ふと、演奏が止んだ。

 

「ねぇ、先輩一つ聞いてもいいかい?」

 

「ん? なんだ?」

 

どうせ何時もの問いかけかと気軽にと答えれば、

 

「如何なる是仏?」

 

予想外の問いが返ってきた。

 

「いきなりどうした?」

 

「いや、先輩ならどう答えるか気になっただけだよ」

 

ソイツは俺の驚きなどあずかり知らないとばかりに何時もの飄々とした態度で言う。

 

「うーん、そうだなぁ……」

 

その問いかけの答えを少しばかり考えてみる。

 

――如何なる是仏?

 

この問いは碧巌録に記されている有名な禅問答だ。中国の高僧趙州はこの問いに対して、『庭前の柏樹子』とされる。もしも試験に出たのなら、正しい答えはきっと、「庭前の柏樹子」だろう。しかし、これは試験でも何でもない上に、彼女もその答えは望んでいない。

 

なら、俺自身の答えを出さないといけない。そして考える。

 

「月下の覇王樹とでも答えるのが正解か?」

 

「先輩は本当に漱石が好きだね。まぁ、正解がない以上それも正解だけど、でも先輩の答えではないよね」

 

俺の回答に対して彼女は微笑みながらそう言った。

 

確かに彼女の言う通りだ。これは俺の答えではない。ある小説の人物はこの問いに対して、「月下の覇王樹」と答えた。それをそのまま答えただけだ。

 

それでは彼女は納得しないらしい。

 

「うーん、そうだな……」

 

少しばかり考えを巡らした結果、

 

「――昼下がりの屋上」

 

出た答えがこれだった。俺とってのその問いの答えは、庭前の柏樹子でも月下の覇王樹でもなく、これだ。

 

「なるほど、この答えは先輩らしい。私は好きだよ」

 

そう言って彼女は柔らかく微笑んだ。どうやら及第点は貰えたみたいだ。

 

 



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第十話

それは本格的に冬の始まりを感じるようになったある日の昼下がりの事だった。空はさっぱりとした青空が広がり、穏やかな日差しが辺りを照らしているにも関わらず肌寒いと感じるようになっていた。多くの生徒が冬服の上に防寒着を羽織り登校する光景は文化祭が終わるとこの継続高校では見られる風物詩だ。十一月も中旬になると一気に冷え込むのがこの継続高校がある学園艦の特色だった。もう少しすれば雪もちらつく季節になる。

 

そんなお世辞にも過ごしやすいと言えない気温の中俺はいつも通り屋上にいた。基本的に雨や雪が降らない限りはここでサボるのが俺の去年からのスタイルだ。別に俺がここを訪れるのは過ごしやすい環境を求めている訳ではない。ただ、この屋上いう空間が社会や世間と切り離されてる場所だからだ。学園艦にいる以上、どこにいたとしても世間の患いからは逃れられない、人間関係を辞めることは出来ない。教室にいればクラスメイトや教師と付き合わなければいけないし、寮に帰えれば、寮生との付き合いがある。人と人が付き合う以上衝突は避けられない。人は人間関係を続ける中で時には怒り、時には悲しみ、時には嫉妬し、時には嘆く。俺は今まで散々にそんな経験を繰り返してきた。繰り返して飽き飽きした。

 

智に働けば角が立つ、情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ、とはとある名作の冒頭だと記憶しているが、この世は本当に生きにくい。理屈ばかりだと人と衝突し、情をかけると足元をすくわれる。そして自分の哲学は突き通し難いのがこの世の中だ。

 

数百万人もの足をその肩で支えているはずの官僚は汚職に塗れ、重い天下がおぶさっているはずの政治家は自らの利益のために国を動かす。子供を導く立場にいるはずの教師には信念が無く、目を輝かせて成長するはずの子供には夢はない。これが世の中だ。

 

そんな折に見つけたのがこの理想郷だ。どこにいたって人がいるこの世の中でここだけは別だった。本当の意味で一人になれた。煩わしい仮面を捨てて息苦しい猫の皮を破り捨ててありのままの自分を出せる場所がここだった。

 

制服の内ポケットから煙草とライターを取り出し、火をつける。敷島という名のこのタバコは昨日寮の大掃除をした際に何処からか出てきたものだ。調べて見れば第二次大戦時に発売されていた煙草らしい。風味も何もかも飛んだ煙草だが、どうやら湿気てはいないらしく、簡単に火が付いた。

 

――こりゃ、ひでぇ……。

 

一口吸ってみてその辛さに思わず眉を潜めた。風味もクソもなくただただ辛いだけだ。何とも言えない渋い表情を作っている俺を尻目に、吐き出した紫煙は悩みも何もないようにゆっくりと宙を漂い消えていった。

 

――タバコ代浮いてラッキーだと思ったけど、こりゃ吸えないな。

 

試しにもう一口吸ってみて、これはダメだと確信する。辛すぎて吸えたものではない。はぁ、と一つため息をついて飲み干した缶コーヒーの中に吸殻を入れようとした時だった。ガチャガチャと屋上のドアノブが音を立てた数秒後、扉が開かれた。

 

「やぁ、名も知らない先輩。こんにちは」

 

やって来たのは最早説明するまでもない何時もの後輩だ。トレードマークのチューリップハットによく分からん弦楽器を持った彼女は俺を見るなり陽気な笑顔で右手を上げた。

 

「よう、名無しの後輩。こんにちは」

 

彼女に合わせて俺も右手を軽く上げて挨拶をする。彼女と知り合って既に半年近くになるが、お互いに名前も学年も知らないのが俺たちの関係だった。彼女が俺のことを先輩と呼ぶため、俺も後輩扱いしているが、それも彼女の自称なため怪しい。もしかすれば先輩の可能性もある。まぁ、彼女が先輩だろうと後輩だろうと同級生だろうと俺と彼女の関係は何も変わらないため関係はない。

 

――コイツはコイツで、俺は俺。

 

そう、この理想郷では年齢や肩書何て何も関係ない。ここにいるのはただの個人だ。ペルソナをとった一人の人間として、ただの一個人としてのあり方だけが大切だ。だからこそ、俺は彼女の事を何も聞かないし、彼女も俺の事は何も聞かない。ここには、俺が居て、そして彼女がいる。ただその事実だけで十分だ。

 

「一気に冷え込んで来たね、先輩」

 

ソイツはそう言いながら何時もの定位置に腰を下ろすと、一つ弦楽器を指で弾いた。

 

「あぁ、そうだな。文化祭終わりになると一気に冷え込むのがこの学園艦の特徴だ。来週辺りにはもっと冷え込むぞ」

 

胸ポケットからいつも吸っているタバコを取り出し、火をつける。

 

――あぁ、やっぱりこの銘柄は美味い。

 

紫煙を吐き出しながら、ついでに「体育の持久走も来週辺りに始まるから体育の出席日数だけは注意しておけよ」と忠告をしておく。

 

「その点は心配ないよ。私、持久走好きだから」

 

「へぇ、珍しいな。女子高生は持久走を嫌う生き物だと思ってたけど」

 

それに何だかこの後輩が真面目に長距離を走っている姿が想像できない。

 

「それは先輩の周りだけじゃないかい? 私は好きだよ持久走。長い道のりを自分の足で努力しながら進んでいく。まるで人生の縮図のような気がするじゃないか。それに、走り終えた時の達成感も一入だしね」

 

「へぇ、そう言うもんかね」

 

「何だか意外そうな顔をしているね」

 

「まぁ、意外だったからな」

 

「それにしても先輩は持久走嫌いそうだね」

 

彼女はそう言って笑った。

 

「まぁ、好きではないな。持久力ないんだよ。直ぐにばてる」

 

運動自体は別に嫌いではないのだが、長距離だけは本当にダメだ。1km以上を走れる気がしない。

 

「それはタバコの吸い過ぎじゃないのかい? 辞めたらどうだい?」

 

彼女の最もな意見を、

 

「馬鹿野郎、これが俺の生きがいなんだ」

 

笑いながら否定するのだった。こうしてある日の昼下がりは過ぎていった。季節は初冬。長くて、辛い継続高校の冬の始まりだ。



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第十一話

――はぁ。面倒くさい。

 

ため息を隠す気も無く堂々と一つ大きな息を吐きながら手を動かす。目の前にそびえるのは巨大な鉄塊。鈍色に怪しく光るそれは恐らく一般人が見ることは殆どないと思われる品物だ。人の体ほどある大きな履帯と車輪。そして特徴的な長く飛び出た主砲。

 

そう、これはまごうことなき戦車である。

 

『戦車道』、そう呼ばれる武道があることを既に知っている人が多いだろう。そう、乙女の嗜みやらと呼ばれる武道だ。男子の俺からして見れば火薬の匂いをぷんぷんさせ、爆音を上げて地響きを響かせながら進む戦車のどこに“乙女”の二文字が入っているのか謎な武道だが、それでも世界的に人気のある武道であり、競技人口もかなりの数に上る。

 

今は昔、厳頭之感という句を残し滝に飛び降りた青年がいた。その青年が残した遺書曰く、「この世はまさに不可解」らしい。戦車道が乙女の嗜みと言われて伝統があることも、この世の不可解の中の一つと考えると納得できる。かの青年のようにこの世の全てを悟った訳ではないが、それでもこの世の全てを不可解だと思えばある程度の事に納得できる。不可解であろうとも現実に存在するのだ、その事実だけは納得しなければいけないし、認めないといけない。

 

まぁ、そんな俺のどうでもいい内心はさておき、この継続高校にも戦車部という戦車道を行う部活が存在する。全くもって悲しいことに俺とこの部活には少ないくない縁がある。あまり授業態度がよろしくない俺は一年の時から担任に目を付けられていた。その担任こそが戦車部の顧問だったのだ。そんな担任に授業態度や平生の行い、素行の悪さを弱みとして握られた俺は戦車道で使う戦車の整備を時たまやらされることがあった。全くもって要らない縁であり、出来れば切ってしまいたいところだが、この縁を切ってしまうと色々と好き勝手出来ない為、切るにも切れないのが現状だった。

 

「うーん、もうひと頑張りやるかね」

 

いつも通り放送で呼び出され戦車整備に精を出すこと、およそ三日、大まかな作業は殆ど終わりあとは履帯部分の修理だけとなっていた。このままいけば今日中に作業は終わりそうだ。大きく肩を回しながら「頑張るか!」と人知れず気合を入れていた時だった。

 

「あれ……この部分部品足りなくね」

 

いきなり出鼻をくじかれた。

 

よく見れば履帯に必要なパーツが一つ破損していた。戦車道とは武道だ。武道とは文字通り戦いだ。だからこそ、戦車の故障や破損などはよくある。日常茶飯事だ。そのため戦車部がある学校にはある程度の部品とパーツがあるのが普通だ。しかし、それはあくまでも一般的な学校の話だ。ここまで付き合ってくれている人なら既に知っていると思うが、我が継続高校は貧乏校である。破格の学費、寮費と引き換えに色々な物が不足している。おおよそ全ての事に関して自分たちで対処しているのが継続高校の生徒なのだ。例えば古くなった寮の雨漏りやらちょっとした配線いじり、そんな物は全て寮生で行っているし、部活で何か困ったことがあれば基本的に部内の人間が色々な伝手を使い解決する。

 

Qそんな継続高校の戦車部にまともな部品があるだろうか?

 

Aない。ついでにいえば勿論予算もない。

 

某戦車部顧問である教師から渡された修理費という名の茶封筒には樋口さんが一枚しか入っていなかった。これでどうやって部品を買えというのか。五千円程度では戦車どころか車の部品すら満足に買えやしない。毎回謎だが、どうしてこの学校には金がかかる戦車部が未だにあるだろうか……。あれか、学生自治とかの象徴なのか?

 

――別にここのパーツはないならないで戦車は走るが……。

 

弄ばせた右手でスパナを回しながら、ふむと唸る。

 

――でも、このパーツがないと、戦車の機動力が随分と落ちるなぁ……。

 

大きく紫煙を吐きながら後ろ髪を掻く。そして、数刻の間考えを巡らし、

 

「……しょうがない。あまり借りを作りたくはないが、この際だ」

 

人知れず決断を下した時だった。倉庫の扉が甲高い金切り声を上げて開かれた。開かれた扉から差し込む太陽光。どうやらいつの間にか太陽も空高く昇る時刻になっていたようだ。基本的に薄暗い倉庫の中にこもっていると時間間隔が狂うから困る。まぁ、おかげで時間を忘れて作業に没頭できるという良い面をあるのだが。

 

「せんぱーい! 差し入れ持ってきましたよー!」

 

開けられた扉から聞こえる威勢のいい声。聞くからに活発な印象を与える声の主は戦車の前でスパナをクルクルと回していた俺に気が付くなり手を大きく振りながら小走りに近づいてきた。

 

「ん? ミッコか……」

 

赤茶色の短いツインテールを揺らしながら近づいてくる彼女の名前はミッコ。継続高校戦車部の一年生であり、戦車部では操縦士を務めている少女だ。元気のいい溌剌とした声そのままに見た目も活発そのままであり、よく犬歯を見せて笑う奴だ。

 

「お疲れ様です、先輩。はい、これ差し入れです」

 

そう言ってミッコは右手に提げていたビニール袋から缶コーヒーを差し出してくきた。俺の好みに合わせてブラックコーヒーを買ってくるあたりコイツの気の利きようがわかる。活発な性格とは裏腹に意外とミッコは気が利く。人のことをよく見ているし、よく覚えている。気配りもきちんとできる出来た奴なのだ。

 

ただし、戦車の運転は除く。

 

コイツのおかげで戦車を修理した回数はいかばかりだろうか……。

 

戦車道はさっきも言ったが武道だ。だからこそ、戦車の故障はしょうがない。俺もそれは重々にして分かっているつもりだし、戦車道の試合で壊れた戦車を修理するなら渋々でも修理をすること自体はやぶさかでない。

 

しかし、ミッコの場合は違う。コイツの場合、戦車を壊した原因が九割方試合とは関係がない。ある時は練習試合に勝って調子に乗って帰り道にスピードを出し過ぎてカーブを曲がれる崖から落ち唯の、またある時は戦車でドリフトの練習をして、バランスを崩して三回転横倒しで戦車が真上を向いてひっくり返っただの、とりあえずしょうもないところで戦車を壊してくる。本当、普段の気の利き方が戦車の運転にまで生かせればいい奴なんだけどなぁ……。

 

「おう、サンキュー。ブラックコーヒーとはわかってんじゃねーか」

 

「先輩がブラックコーヒーしか飲まないことくらい知ってますよ!」

 

差し入れパーフェクトでしょ! とそう付け加えて満面の笑みで笑うミッコに、

 

「まぁ、後タバコも買ってきてくれたらパーフェクトだったんだけどな」

 

「何言ってんですか……後輩になんて物要求してんですか……ってかそもそも先輩いつもタバコ吸ってますけどどこで手に入れてるんです?」

 

「ん? 普通に売店で売ってるじゃねーか」

 

「いや、私たちじゃ買えないじゃないですか……」

 

「なんだお前たち知らないのか。第二売店に夜の九時くらいに行けば学生バイトしかいないからタバコも酒も買い放題だぞ」

 

うちの寮やクラス内では有名な話なため、一年生であるミッコも知っているかと思ったが、どうやら知らなかったらしい。俺の言葉に驚いていた。

 

「そうなんですか……ってか、思ったんですけど売店でお酒や煙草って売ってるんですね」

 

「まぁ、教師とか用務の人とかが買うために置いているんだろうな。まぁ、学生が買う売り上げの方が多いのは間違いないだろうけど……。タバコ何て吸う教師、タキちゃんしか知らないし、俺」

 

「え!? タキちゃん先生吸うんですか!?」

 

ちなみにタキちゃんとは俺の担任であり、戦車部の顧問である女史だ。非常に個性的な教師であり、継続高校の生徒でタキちゃん知らない生徒はいないだろうとまで言われる教師だ。身長145cm、髪は黒のポニーテール。いつも着ている白衣が最早コスプレにしか見えない、どこからどう見ても小学生なのが、タキちゃんだ。

 

「おう、しかもガラム吸ってるぞ、あの人」

 

「……ガラム?」

 

「まぁ、あれだ。とんでもなく重いタバコだよ」

 

「へぇ……意外です」

 

「まぁ、人は見た目によらないってことだな」

 

「たしかにそうですね。それよりも、先輩、作業は終わりそうですか?」

 

ミッコの言葉に吸い終えたタバコを灰皿代わりに使っていた空き缶に入れて応える。

 

「あぁ、もうほとんど終わったよ」

 

「流石ですね、先輩。それにしても、先輩って意外ですね」

 

「ん? どういうことだ?」

 

「いや、先輩って授業とかもサボりまくっているって聞いたんですけどこう言ったことはちゃんとサボらずにやるんですね。いっちゃなんですけど、別にサボったところで誰からも文句を言われないのに……」

 

意外そうにミッコは言った。たしかに以外に見えるかもしれない。俺は確かに真面目ではない。授業なんて基本的に出ないし、学校行事も興味あるものしか参加しない。でも、そんな俺にもポリシーがある。

 

「――良心に恥じぬ」

 

「え?」

 

「良心に恥じぬと言うことだけが我々の確かな報酬である」

 

「なんですか、それ?」

 

「アメリカの弁護士が言った言葉だよ。まぁ、この言葉はベトナム戦争の詭弁として使われたんだけどな。俺はそのままの意味で使っているよ」

 

誰かに褒められるとか、報酬を貰えるとかではない。俺が何かをこなす上で指針となっているのは自分の良心に恥じぬ仕事をしようと言うことだけだ。それがどういう仕事か、与えられた経緯がどのような物かは置いておいて、何かをこなさねばならない以上俺は良心に恥じない程度には頑張ろうと思っている。

 

「まぁ、要するに自己満足だよ」

 

イマイチ理解していないのか頭の上にハテナマークをうかべているそう答えながら、胸ポケットに入っている携帯を取り出し操作する。

 

「そうだ、ちょっと待ってろミッコ」

 

電話の相手は2コール目に出た。

 

「――よう、久しぶりだな。――――あぁ、元気にやってるよ。そっちも元気か?」

 

「――――そうか、それは吉報吉報。で、まぁ要件なんだがな――って部品そっちの戦車部で余ってないか」

 

 

「――うん、うん。良かったら譲って貰えないか? ―――――よし、じゃあ近いうちにとりにいくわ」

 

「――――おう、さんきゅー。あ、そうだ。あのちびっこにはくれぐれも黙っておいてくれよ。鉢合わせたら面倒くさい。――おう、頼んだ。じゃあま、ノンナ」

 

そして通話を終えて、ミッコを見る。

 

「よし、ミッコ。今からちょっと出かけるぞ」

 

「へ!? 出かけるってどこにですか、先輩?」

 

話が見えないと首を傾げるミッコに、

 

「プラウダ高校の学園艦」

 

呆気なくそう言った。

 

「へ? ……ぇえええええええええええええええ!?」



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