「忌むべき血」団事件 ~ある少年の見た、もう一つの亜人戦争~ (魔女教大罪司教『虚飾』)
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プロローグ 語られる歴史と語られぬ歴史

閲覧の前には、目次部分の諸注意に目を通すことをお勧めします。それでもいいという方、ありがと。それでは、多分に作者の自己満足を含みますが、どうかお付き合いよろしくお願いします。



 

「じいちゃん! フォビアじいちゃん!」

 幼げな声と共に、家の扉がバタンとけたたましい音を立てて開かれる。

 扉の先にいるのは、近所の家の子供だった――それも、よく私の家に話を聞きに来る。

 しかし、ここミルーラでは現在は砂時間だ。近場とはいえあまり出歩くのは感心しない。

「なんじゃ騒がしい。しかも、今は砂時間じゃろ。目を傷めるから出歩くなとおやじさんから言われとらんのか」

「う……ごめんなさい。でも、大変なんだ! 白鯨が倒されたんだって!」

「なんじゃと! そりゃあ本当なのか?」

 白鯨――三大魔獣が一翼。

 過去幾度と無く討伐が試みられ、そのいずれも成功することの無かった、最悪の魔獣。

 亜人戦争を終わらせた剣聖、テレシア・ヴァン・アストレアですらもその力の前に膝を屈した抗うことの許されない災害のような存在。それが、今になって? そして、誰に?

「本当だって! 昨日からお父さんとお母さん、お客さんとずっとその話をしてるんだ!」

「なるほどのう……じゃが、剣聖すらかなわなんだ相手じゃ。一体誰が……?」

「それが父さんの話だと、王選候補者のクルシュ公爵様とアナスタシア様、そして……エミリア様? が中心になって、ってことらしいんだ。そしてこれが一番大事なんだけど、クルシュ公爵様と一緒に『剣鬼』ヴィルヘルム様がいて、それはもう大活躍だったらしいんだ!」

 カッコいいよね、と瞳をきらきらさせて熱っぽく語る少年。

 当然といえば当然だ。『剣鬼』ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアは、この世界において生ける伝説であり、少年のような年頃の子供にとっては永遠の憧れといって良い。

 先の亜人大戦において彼の活躍と恋路を唄った『剣鬼恋歌』は、ルグニカ王国の住人ならば知らない者はいないだろう。

 

 その物語に、妻を倒した白鯨を討つという新たな一ページが刻まれたということなのだろうか。

「それで、じいちゃん。また『剣鬼恋歌』を聞かせてよ! 」

 なるほど、と少年が私の家に来た理由に合点がいく。

 宿屋を営む少年の両親は、当然昼間には客の応対やその他さまざまな準備などが忙しいはずだ。その両親に英雄譚をせがむのは難しいと考えたのだろう。

 私は何度も少年にこの物語を語っているし、また彼は私が亜人戦争で生き延びたということも知っているのだから、それも彼の背中を押した要因かもしれない。

 

 ちらり、と暦を確認するが今日は領主様のところで書類仕事のお手伝いをする日でもなければ何か特別な用事があるわけでもない。ならば、良いだろう。

「しょうがないのう。それじゃあ最初からじゃな。『今は昔、王国北部はトリアス領にて、一心に剣を振る少年有り。齢のほどは――』」

 英雄譚に熱心に耳を傾ける少年を前に、滔々と『剣鬼恋歌』を語り始める。

 

 ――だが、物語を紡ぐ口とは別に、頭ではどうしても思い出してしまう。

『剣鬼恋歌』の舞台となる亜人戦争、それは人間と亜人の戦争だとされる。けれども、亜人戦争は必ずしも人間と亜人の戦争だけではなく、また同時に人間と人間の戦争でもあった。

 ――「忌むべき血」団事件。本来は一連の騒動の中心である王国有数の大貴族だったヴァロワ伯爵家の名を冠して「ヴァロワ伯爵事件」とでも称されるはずだった。

 

 尤も、現実にはその名前が広がることで貴族への不信が高まることを懸念した王国貴族たちが反亜人感情を利用して別の名称を使ったため、そのように呼ばれている。

 本当に、くそったれだ――心の底からそう思うのは、自分がこの事件の当事者の一人だからか。

 あの事件の当事者は軒並み死んでいるし、この事件自体既に市井の記憶から風化して久しい。

 人々の関心は英雄である『剣聖』『剣鬼』に集中しているし、こういった暗い不祥事など嬉々として語ることなどでもない。それでも、この事件を忘れつつある市井にどうしてもやりきれない思いを抱くのだ。

 『剣鬼』の活躍に胸を躍らせる少年を前に、私の心はあれからもう何度目になるのか解らないほど湧き上がってきた、どこか暗くやりきれない思いに満たされていた。

 ――これは、語られることの絶えて久しい、もうひとつの戦争の物語。亜人戦争で動揺するルグニカ王国を舞台にした、人間同士の争いの記録。それもまさに、消え行かんとする類の。

 



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01 遭遇

 ゴトゴトゴト、と竜車が走る音が聞こえる。窓も締め切られ暗く狭い車内には、いくつものすすり泣く声。悲しげな声を挙げる老若男女さまざまな彼らは、人身売買の被害者たちである。

 かろうじて隙間から差し込む弱々しい月光から解るが、皆両手両足に枷を嵌められ、檻に入れられて自由に動き回ることすら許されていない。尤も、それは自分――フォビアも例外ではない。

 両手と両足に感じる冷たい鉄の感触が、これ以上ないほど今の自らの立場を表していて、憂鬱な気分はいっそう強くなった。

 どうして、こんなことになったのか。これまでに何度も何度も繰り返してきた問い。それに対する回答は、あまりにも単純かつ残酷なものだ。巡り会わせが悪く、また自分が迂闊だった――これに尽きる。

 きっかけとなったのは、僅か数日ほど前のこと。亜人の部隊がフォビアの暮らしていた村を襲った。当然村の青年団はフォビア含め戦いに繰り出したが、何せ相手はこちらよりも強い身体を持ち戦い慣れた一団である。

 勝負になるわけも無く青年団は敗北し、村の人の多くは物を奪われた上で殺された。――勿論、自分の家族も。フォビアが生きていたのは全くの偶然でしかなかった。

 苦難はまだ降り注ぐ。家も家畜も耕すべき畑も焼かれ、それまでの全てを失い途方にくれて、糊口をしのぐためにも徒歩で一日程度の小さな街へ向かい、そこで働こうとした。しかし、田舎育ちでかつ自身の性格もあり人を疑うということを知らなかったために、良い働き口があると唆されてめでたく自分が奴隷として売り飛ばされる契約書にサインをしてしまった。文字の読み書きもできないのに何故そんなことをしてしまったのか、今となっては後悔するばかりである。結果はごらんの有様で、冷たい鉄の枷としたくもない交流を一晩近く強制されている。

 呪うべきは、自分のうかつさかはたまた村を襲った亜人の集団か――などと、後悔をしてもしきれない。

「こんなことなら、じいちゃんの言葉をもっと聴いとくべきだったかな」

 およそ十年ほど前にフォビアが5つほどの頃に死んだ祖父は、かつて街で騙されかけて命からがら帰ってきたことがあるらしく、フォビアに「街のモンは信用ならん」と口をすっぱくして語っていた。図らずも、こんな形でその言葉を実感することになるとは!

 だが、嘆いたところで何も変わりはしない。竜車は走り続け、フォビアや同じくこれから奴隷として働かされるであろう人たちを目的地へと運び続けている――――

 ――――そうして、どれほど時間が経っただろうか。

 現実逃避気味に「これまで出荷してきた家畜たちはこんな気持ちだったのかな」などと思いをめぐらせていたフォビアは、鉄の檻に思い切り頭をぶつける。痛い。頭のてっぺんが熱を持っている。思わず手でさすろうとして動かすも、鉄に拘束されていた手は動いてはくれない。

「一体、何が……?」

 恐らく、竜車が急に止まったのだ。しかし、一体何故? 目的地についた、あるいは一端休憩でもするのならば、ここまで急に速度を落とすものだろうか。速度を急に落としたために大きく揺れた車内で、泣きつかれて眠ってしまっていた者も檻に体をぶつけてしまいその痛みで、目を覚ましてしまったようだ。

 そこから、にわかに騒がしくなる車の外。怒鳴り声や重い金属がぶつかり合う音が聞こえてくる。本当に、何が起こっているのだろうか。まさか、亜人部隊の襲撃とかだろうか。この王国北部は現在の主戦場となっている南部と違って、それほど激しい戦闘は内戦開始直後のものを除けば行われていない。

 ただし、それは亜人側の抵抗が弱いことを必ずしも意味しているわけではない。王国北部にそびえるレーゼル山脈を根城として、ノーム族を中心に団結した一派が北西部の各地に出現して、王国の交易や作物の生産を邪魔しているのだ。レーゼル山脈から少し離れたフォビアの村にまで現れたのだから、北部の何処に現れても可笑しくは無い。

 そうこうしているうちに、バタリ、と竜車の扉が開かれる。開かれた扉の先にいるのは、見違えようも無い自分達を輸送しようとした奴隷商だ。手には長剣を持ち、傍目から見てもその表情は――決して穏やかなものではない。

「へへへ……もうおしまいだ。全部終わった、終わっちまった」

 手に持った長剣を床に引きずりながら、一歩ずつこちらへ歩み寄ってくる商人。目は血走り、顔はこわばっていた。口元は不自然に釣り上り口からは不気味な笑い声が聞こえ、どう考えても正気ではない。

 ぞぞ、と背中に悪寒が走った。狂ったような表情、手に持った長剣。嫌な予感がする。

「おしまいだあ、おしまいなんだよおおお」

 予感から幾ばくもしない間に、それは現実のものとなった。手枷と足枷を嵌められ檻の中でまともに逃げ場が無い奴隷に向かって、商人はその長剣を突きたてた。

 最初の犠牲者になったのは、粗末な衣装の下からでも鍛えられた肉体が伺える、30歳手前ぐらいの男性。まともな抵抗など出来よう筈もないが、何度も何度も身じろぎして剣が当たる位置を変えて生き延びようとする。けれどそれも、僅かな抵抗に過ぎない。傷はだんだんと増え、辺りには鉄の臭いが充満し始める。さらに、その凶行をまじかで見つめ次は自分の番であると悟った奴隷たちが、構わず叫び声を挙げ泣きじゃくる。

「ええい、うるさい!」

 次にやられたのは、一際大きく泣き叫んでいた妙齢の女性。檻の外から剣を突きつけるのに慣れたのか、商人の一撃はそのまま妙齢の女性を黙らせた。

 その後も、商人の凶行は続く。その間自分は――ただ恐怖に震え、叫び声を挙げることすらできなかった。すぐそこに感じる死の臭い。視界のところどころに映る赤い泉。両手両足に感じる冷たい鉄の感触。口の中はカラカラに渇いて、呼吸も浅くせわしないものへと変わる。心臓の音が嫌に大きく聞こえる。数日前にも体験した地獄、けれども、それに慣れる筈が無い。

 そうして、他の全員に剣を突きつけて黙らせた後、商人はいよいよ竜車の入り口から一番奥の自分の檻の前までやってきた。

「くたばれ、奴隷ども! お前たちとさえ関わらなければ! 亜人がレーゼル山脈にさえ来なければ!」

 そのまま、付き出される長剣。思わず目をぎゅっと瞑る。身じろぎすらまともに許されない拘束の中で、両手はぶるぶると震え、歯はかちかちとぶつかり合う音を奏でる。いやだ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ怖い怖い怖い――

 「――そこまでよ!」

 凛とした声とともに、重い金属同士がぶつかり合う音が響く。そのまま、何かが突き刺さるような音と、もみ合うような物音が聞こえる。

 瞑っていた目を開ければ、差し迫ってまさに命を奪おうとしていたはずの剣は何処にも無く。代わりに、拘束される商人と、彼を拘束する少女の姿が見えた。

 ――目鼻立ちの整った、勝気そうな少女だった。年の頃は僕と同じぐらいだろうか。亜麻色の髪を短く切りそろえ、ややつり目がちだからか、気が強そうな印象を受ける。銀色の無骨な鎧を身につけているが、戦装束も彼女の魅力を損なうようなことは無く、むしろ戦場の華としてよりいっそうの魅力を彼女に与えているかのように思えた。

「助かった、のか……?」

 声に出して、ようやく実感する。差し迫った、商人の長剣と言う脅威は無くなった。そのことを理解した瞬間、安堵ともに極限まで高まっていた緊張が弛緩し、またしても意識が闇の中に落ちていく――

――

――――

――――――

 ふと目が覚めた。頭が動き出し、目覚める前に一体自分が何をしていたのか考える。

 奴隷商に騙され、荷物のように運ばれて、そして――

 意識を失う前に体験した、地獄のような光景。迫り来る長剣から間一髪で助け出された自分。では、一体ここは何処なのだろうか。瞑ったままの目を開けば、暗い空間の中あかあかと燃える焚き火とそのオレンジの光に照らされた洞窟のごつごつとした岩肌が目に飛び込んでくる。あの奴隷商に嵌められた冷たい鉄の枷の感触も無く、両手両足も自由に動く。

「目、覚めたみたいね」

 左の方から、どこかで耳にしたことのある、凛とした声が聞こえた。慌ててそちらを向けば、先ほど自分を助けてくれた少女が座っていた。先ほどと違い鎧は装着していなかったが、暗がりの中で揺らめく炎に照らされた彼女にはまた別の魅力すら備えているかのように思えて――とても綺麗だと、そう思った。

「心配しなくても、危害は加えないわ」

 彼女の顔を伺う自分を、心身の心配をしているのだろうと受け取ったのだろうか。彼女はそう言って安心しなさいといわんばかりに声をかける。そこでようやく、彼女に見惚れている場合ではないことを思い出した。ここは何処なのか、これからどうなるのか、自分に関することを聞くのが先ではないか。能天気なものだと自嘲する。

「その、ここは一体……」

「あー、まあ、私たちが基地として使ってる洞窟の一つね。詳しい場所までは教えられないわ。王国北西部の何処かとだけ。今は冥日地の刻――まああんたを助けたのが大体早朝だったから、あれから半日以上経ってるわ」

 北西部、ということは、フォビアが暮らしていた地域からはあまり離れていないのだろうか。奴隷商人が何処に自分達を売り飛ばそうとしていたのかは解らないが、もしかしたら北の方だったのかもしれない。こちらの質問に答えた後、少女はそのまま喋り始める。

「あたしたちは、あんたたちを売り飛ばそうとした奴隷商を襲撃して、そして生き残りのあんたをここに連れ戻ったって訳。他の皆は、もう助けられなかったわ」

 そこで少女は一端話を切り、こちらの様子を伺っている。とはいえ、それは既に知っていたことだ。またしても回りの皆は死に、自分だけが生き残った、ただそれだけ。狂った商人が剣を突きたてていく光景を思い出してしまい、すこし手が震える。目の前で人が死んでいくのは二度目とはいえ、慣れる訳もない。押し黙った様子を見て、ためらいがちに少女が何かを口に出そうとして。

 

 ――が、それは予想外の方向から飛んできた大声によってかき消された。

「おうおうおう、目え覚めたか兄ちゃん!」

「父さん! 話がややこしくなるから出てこないでって言ったのに……」

 

 そこにいたのは、自分の身長を優に超える巨大な筋骨隆々の体をした男。けれども、人間にしては、あまりにも毛むくじゃらだった。胸元、肩口などさまざまなところからごわごわとしていそうな毛が生えている。あ、亜人!? つい数日前の、村を襲う亜人たちの姿を思い出し、顔も体もこわばる。

 けれども、亜人にしてはどうにも人間族の特徴が強い。肌などは多少灰色っぽく目が大変鋭いがそれを除けば完全に人間である。一体目の前の男は何者なのか。だが、そんなフォビアの疑問をよそに、男性は話を進める。

「まあ良いじゃねえか。それで兄ちゃん、俺たちはアンタをあの奴隷商から助け出した。ここまでは良いな?」

「え、ええ。それは先ほど聞きましたし、状況から見てそうだと思いますが……」

 そんなことをしても無駄であるが、身構える。もしかして、何か対価を要求されるのだろうか。もしそうなったら自分に渡せるものなんて無い。もともと財産なんてあってないようなものの上に、それも全てここ数日で失ってしまった。

 だが、身構えたフォビアを見て、苦笑する毛むくじゃらの男。

「あー、別に何か取って食おうとするわけじゃない。ただ、お前さんを何処に送り届ければいいか知りたいだけだ」

「そ、それじゃあこのまま返してもらえるんですか!?」

 助かった。再び緊張が弛緩して、安堵が胸に広がる。そして一瞬後に――何処に帰れば良いのかなど解らないことを思い出した。生まれてからずっと過ごしてきた村が燃えていく光景がまぶたの裏に浮び、一縷の望みをかけて訪れた近隣の街で奴隷にされた経緯を思い出す。

 喜びの声を挙げた直後に、またしても落胆するフォビアの姿を見て、少女と毛むくじゃらの男は顔を見合わせる。男の方が口を開きかけたところで、何処か自棄気味に先んじてその言葉を放った。

「帰る場所……もう無いんです、何処にも」

 少女と男は、今度こそ本格的に困惑して、顔を見合わせた。



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