ストライク・ザ・ブラッド―真祖の守護者― (光と闇)
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未知の人形篇
真祖と人形


第四真祖に守護者がいたらどうなるか。そんなもしもの話。


 真夏の街。

 その都市(まち)は絃神島と呼ばれた、太平洋上に浮かぶ小さな島。カーボンファイバーと樹脂と金属と、魔術によって造られた人工島。

 この都市(まち)にはある噂話がある。

 

 世界最強の吸血鬼、第四真祖。

 それは不死にして不滅。一切の血族同胞を持たず、支配を望まず、ただ災厄の化身たる十二の眷獣を従え、人の血を啜り、殺戮し、破壊する。世界の理から外れた冷酷非常の吸血鬼。過去に多くの都市を滅ぼした化け物、と。

 

 

 

 

「―――ったく凪沙のヤツ。こんな夜中にアイス買ってこい、とかないぜ」

 

 はぁ、と気怠げな表情で溜め息を吐く少年。

 彼がその噂の第四真祖なのだが、姿は化け物ではない。違いがあるとすれば、まるで狼の体毛のように、前髪の色素がやや薄い………という程度。至って普通の少年であり、年齢十五、六歳の高校生だった。

 その彼は白いパーカーのフードを被り、コンビニ袋をぶら下げている。近所のコンビニでアイスを購入したその帰りのようだ。

 そして凪沙、というのは彼の妹であり、その彼女がこんな夜中にアイスを頼んだ犯人だった。

 しかし彼は気怠げながらも妹の為にアイスを買ってあげている。それは彼が妹想いの良い兄なのか。それとも単なるシスコンなのか。

 

「………ん?」

 

 その帰り道、少年はふと、路上に転がっている人影を見つけて立ち止まった。

 彼は気になり近寄って見ると、其処には―――小柄な身体を真っ白な服で包んだ、真っ白い少女がいた。

 

「え………?」

 

 髪色は白。

 肌色も白。

 服装(ワンピース)も白。

 眉毛も睫毛さえ白。

 もしかしたら瞳の色まで白ではないかと思える程に白い少女―――否、幼女だった。

 白き幼女の顔立ちは人間というよりは人形に近い。

 そして、少年は彼女の白くて細い首筋へと視線を持っていき―――

 

「………ぐっ!?」

 

 少年は不意に呻いた。強烈な渇きと赤く染まる虹彩―――吸血衝動というものに襲われたのだ。

 本来は性的興奮により発生する症状だが、少女の首筋に目を向けた時に青く透ける血管を見つけてしまったがためだろう。

 更に相手が無防備なのが不味かった。気を失っているのか、寝ているのかは不明だが、早いとこ此処から離れないと彼女の血を―――

 

「……………っ!」

 

 しかし、その心配は無かった。それは、吸血衝動を緩和してくれる出来事が起きたからだ。鼻血の前兆が。

 少年は、自分の鼻先を押さえて、ホッと安堵の息を吐いた。が、

 

「………!やばっ!?」

 

 その指先から深紅の液体―――鼻血が零れ、少女の僅かに開いていた口の中に一滴、入ってしまったのだ。

 少女の顔を覗き込むような体勢を取っていったのが仇となったようだ。

 少年は、やってしまった、というような表情で少女を見つめた。

 見知らぬ人の血を、それも鼻血を飲まされたのだ。眠って(?)いるとはいえ、少女にとっては不愉快極まりない出来事だろう。

 

「……………」

 

 少年は、どうすればいいのか考え込む。このまま何事も無かったかのように少女を放置して帰宅するか。それとも少女を起こして不可抗力とはいえ鼻血を飲ませてしまったことを謝るべきか。

 

「―――う………ん……」

 

「!?」

 

 少年が悩んでいると、不意に少女が唸った。そして、閉じられていた瞼は開かれて白い瞳が―――否、青白い焔のように輝く瞳が現れた。

 少女の瞳は少年の瞳と合い、暫しの間、見つめ合う。

 長い沈黙の中、堪えきれなくなった少年は、空いている手を軽く上げて少女に挨拶した。

 

「………よ、よう」

 

「……………」

 

 しかし、少年の挨拶に少女は返事しなかった。じーっと、穴が開くほど少年を無言で見つめる少女。

 参ったな、と少年が頬を引き攣らせていると、少女はようやく口を開き―――

 

 

「……………(ヌシ)様?」

 

 

「…………………………は?」

 

 全く予想外の言葉が少女の口から零れた。

 少年は間の抜けた声を洩らして、暫くぽかんと口を開いた状態で固まる。

 そんな彼を、上体を起こした少女は不思議そうに見つめ小首を傾げた。

 

「………主様?どうしたのですか?」

 

 少女の言葉を聞いて、少年はハッと我に返る。そして直ぐ様、少女を睨みつけて吼えた。

 

「誰が主様だ!俺はあんたのマスターじゃねえよ!」

 

「………?主様は、僕の主様なのですよ?」

 

「―――え?〝僕〟?ってことはあんた、女装した男なのか!?」

 

 少年のその発言に、少女はムッと不機嫌そうな表情で睨んできて、

 

「失礼なのですよ主様!僕は女装したオス型ではないのです!歴としたメス型なのですよ!」

 

「そ、そっか。悪いな、疑ったりして―――ん?メス〝型〟?」

 

 怒る少女に謝罪する少年。だがふと違和感を感じて眉を寄せる。

 女でも、メスでもない、メス〝型〟と。これは一体どういうことなのか。

 少年はその疑問を、思い切って少女にぶつけてみることにした。

 

「………なあ、あんた。〝メス型〟っていうのは―――どういう意味なんだ?」

 

「………え?」

 

 少年の問いに、一瞬、少女は面食らったように驚く。が、直ぐに表情を戻すと、胸に手を置いて告げた。

 

「僕は人間でも、魔族でもないのです。僕は―――主様の人形(ドール)なのですよ♪」

 

人形(ドール)、か。俺のではないけどな!」

 

 少年が否定すると、人形の少女は首を振り、

 

「いいえ。主様は僕の主様なのです!僕は、主様の血を飲んで起動したのですから」

 

「……………はい?」

 

 少年は一瞬、聞き間違えではないかと思った。自分の血を飲んで目覚めた、と。

 確かに、少年の血は人形の少女の口の中に入った。鼻血だが。

 血を媒介にして動く人形など、聞いたことがなかった。況してやたったの一滴だけで。

 少年が頭を悩ましている中、人形の少女はニコリと微笑んで、告げた。

 

「これからよろしくお願いしますのですよ!主様♪」

 

「………勘弁してくれ」

 

 少年は弱々しく呟く。

 だが彼女を起こしたのは他でもない、少年だ。知らなかったとはいえ、起こしてしまった以上、彼が面倒を見なければならないだろう。

 少年―――暁古城は諦めて現実を受け入れ、人形の少女のマスターとなるのだった。



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暁家にて

 古城の自宅は絃神島南地区(アイランド・サウス)にあり、九階建てのマンションの七階で、七〇四号室の3LDKに住んでいる。

 本来は凪沙に頼まれたアイス達のみを連れ帰るはずが、彼の後ろには白いワンピースを着た人形の少女が追従してきていた。

 どうしてこうなった、と古城は溜め息を吐き、とりあえず人形の少女に、外で待っているように伝えてから自宅のドアを開けて中に入る。すると、廊下で仁王立ちしている人影が彼の帰宅に気づいて声を上げた。

 

「あ、やっと帰ってきた。もう、遅いよ古城君!中々帰ってこないから凪沙、寝ちゃうところだったよ」

 

「あー、悪い。ちょっと色々あってな。おまえに頼まれたアイスだけじゃなくて、オマケ付きになったんだよ」

 

「………?オマケ?それってどういうこと?あたしにもわかるように説明して」

 

 古城の曖昧な説明に、長い髪を結い上げてピンで止め、顔立ちや体つきがまだ少し幼い印象のある彼の妹・暁凪沙が怪訝顔で訊いてきた。

 古城はポリポリと頭を掻きながら、口で説明するより、実際見てもらった方が早いな、と思い、外で待ってもらっていた人形の少女を招き入れた。

 

「おい、もう入ってきていいぞ」

 

「え?」

 

「はいなのです、(ヌシ)様!」

 

 こんな夜中に兄が誰かを招き入れるなんて、と凪沙が驚いていると、とてとて、と真っ白い少女が自分の前まで駆け寄ってきた。

 そして深々とお辞儀して挨拶した。

 

「ぼ、僕はき、きょ、今日から主様のお宅にお邪魔します!主様の人形(ドール)なのです!主様の妹様、どうか何卒よろ、よろしくお願いしまひゅ―――!」

 

 挨拶した―――が、噛み噛みだった。古城は、噛んだな、と苦笑を零す。

 凪沙も、暫し唖然としたが、次の瞬間には弾けたような笑顔で、

 

「な、なにこの子―――すっごく可愛い!」

 

「ひゃっ!?」

 

 凪沙の奇声にビクッと驚く人形の少女。そんな彼女の白い頬を指で突っつきながら興奮したような声音で早口に言った。

 

「うわあ、なにこの子の肌!ぷにぷにのすべすべだよ!?本当に人形なの?赤くなった頬は触ったら温かいし、恥ずかしそうにしてるところを見ると感情もあるみたいだね。ねえ、古城君。本当にこの子は人形なの?実は攫ってきた可愛い女の子だったりしない!?」

 

「攫うかっ!犯罪者かよ俺は!?その子は買い物帰りに見つけて、とある事情で俺が流した鼻血がその子の口の中に入って―――」

 

「………え!?血………!?」

 

 不意に凪沙の顔色が青ざめていった。瞳を一杯に見開いて人形の少女から後ずさる。

 古城は、しまった、と自分の失言に気がつき、慌てて弁解した。

 

「ち、違う!その子は魔族じゃない!本当に人形なんだよ!」

 

「………ほ、本当に?」

 

「あ、ああ!ただその子の動力源が血っていうだけで、吸血鬼ってわけじゃないんだ!」

 

「……………っ、」

 

 古城は必死に妹を説得する。だが凪沙は半信半疑だった。

 彼女は四年前に起きた魔族絡みの列車事故に巻き込まれて生死の境目を彷徨ったことがある。それが切っ掛けで魔族恐怖症になってしまっているのだ。………本当は違うが。

 兄の言葉を信じたいが、それでも目の前にいる人形の少女が本当は魔族だったら、と思うと恐怖で足が竦んでしまう。

 凪沙が恐怖でカタカタと歯を震わしていると、突如、温かい何かが彼女を包み込んだ。

 

「………え?」

 

 凪沙は驚いて声を洩らすと、優しい声音が彼女の耳に届いた。

 

「―――大丈夫なのですよ、凪沙様。僕は主様にも、貴女様にも危害を加えたりはしないのです。()に誓って絶対に」

 

「………!?」

 

 声の主が、自分を優しく抱擁している主が、人形の少女のものだと気がついて、凪沙は恐怖のあまり乱暴に彼女を突き飛ばそうとした。

 だが、その行為に至る前に、凪沙の心を蝕んでいた恐怖が薄れて、何故か心地好いものとなっていった。まるで全身を温かな光が包み込んでいるような感覚に。

 暫くして、落ち着きを取り戻した凪沙はフッと笑って、人形の少女の頭を優しく撫でた。

 

「ありがとね。あなたの不思議な力のおかげで落ち着いたよ。本当に、ありがとう」

 

「………!ぼ、僕は当然のことをしたまでなのですよ♪」

 

 そう言いながらも嬉しそうな笑みを浮かべる人形の少女。彼女にとって古城の妹に頭を撫でられるのは、とても誉れなことなのだろう。

 そんな妹と人形の少女のやり取りを見つめ、古城は、これならなんとかやっていけそうだな、とホッと胸を撫で下ろした。

 喜ぶ人形の少女を、ニコニコと眺めながら彼女の頭を撫でていた凪沙は、ハッと何か重大なことを思い出して、訊いた。

 

「そういえば、あなたの名前、なんていうの?」

 

「え?」

 

 凪沙の質問に、人形の少女は固まる。名前………付けられたような、付けられていないような、と記憶は曖昧で即答出来ずにいた。

 そんな彼女を不思議そうに見つめる凪沙。視線を兄に移して無駄かもとは思ったが、訊いた。

 

「………古城君はこの子の名前、知らない?」

 

「いや………俺も知らないな。自分が人間でも魔族でもない、人形(ドール)だ、としか聞いてない」

 

「そっか。古城君も知らないんだね………名前、どうしよう」

 

 うーん、と暁兄妹が唸り始めた刹那、人形の少女は、あ、と思い出したように声を洩らした。

 

「僕は確か………名前ではなく〝零番(ゼロ)〟と番号で呼ばれていた気がしますのです!」

 

「ぜろ?」

 

「そうなのです!ですから僕のことは〝零番(ゼロ)〟とお呼びください♪」

 

 人形の少女が胸に手を置いて笑顔で言った。しかし凪沙は首を振って、

 

「うーん。ゼロだと女の子らしくないから―――レイちゃんなんかどうかな?」

 

「ゼロ………レイ………。そうだな。凪沙の言う通り、ゼロよりもレイの方がいいと俺も思うぜ」

 

「凪沙様………主様………」

 

 暁兄妹が『ゼロ』よりも『レイ』の方がいい、と言ってくれた。人形の少女にとっては『ゼロ』でも構わなかったが、折角彼らが考えてくれた名前だ。人形の少女は喜びの笑みを浮かべて、

 

「分かりましたのです。では、僕のことは『レイ』とお呼びください♪」

 

「ああ」

 

「うん、わかった」

 

 人形の少女―――レイ(凪沙命名)は満面の笑みを見せる。

 そんな彼女に、凪沙が手を差し出して微笑んだ。

 

「ようこそ、暁家へ。これからよろしくね。レイちゃん」

 

「はいなのです!僕こそよろ、よろしくお願いしまひゅのでひゅ………!」

 

 また噛み噛みなレイ。そんな彼女をクスクスと笑う凪沙と、また噛んだな、と苦笑する古城。

 こうして未知の人形・レイは暁家の仲間入りを果たし―――運命の歯車が廻り始めたのだった。



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聖者の右腕篇
ファミレスにて


 八月最後の月曜日。天気は快晴。

 午後のファミレス。窓際のテーブル席で気怠げな表情で、明日の追試に向けて勉強に励む制服姿の古城。

 その隣には、下敷きでパタパタと懸命に古城を扇ぐ人形の少女・レイがいた。先日、古城の人形(ドール)となったばかりのモノで、暁家に居候させてもらっている。

 正直、古城に来ている微風は生温かい。が、フル稼働しているエアコンの来ない冷気よりは幾分かマシだ。

 しかし、だからといって彼の気怠さが癒えるわけではない。眼前の問題集のせいで。

 

「今、何時だ?」

 

 古城が独り言のように呟く。すると、下敷きで懸命に古城を扇いでいるレイ………ではなく、彼の正面の席に座っていた友人の一人が、笑いを含んだ口調で応えた。

 

「もうすぐ四時よ。あと三分二十二秒」

 

「………もうそんな時間なのかよ。明日の追試って朝九時からだっけか」

 

「今夜一睡もしなけりゃ、まだあと十七時間と三分あるぜ。間に合うか?」

 

 レイの正面の席に座っていたもう一人が、他人事のような気楽な声で訊いてきた。その問いに古城は沈黙し、積み上げられた教科書を無表情に眺め、

 

「なあ………こないだから薄々気になってたんだが」

 

「ん?」

 

「なんで俺はこんな大量に追試を受けなきゃなんねーんだろうな?」

 

 自問するような古城の呟きに、友人二人が顔を上げた。

 因みに古城が追試を命じられたのは、英語と数学二科目ずつを含む計九科目。それにプラスして、体育実技のハーフマラソンである。

 

「―――ってか、この追試の出題範囲ってこれ、広すぎだろ。こんなのまだ授業でやってねーぞ。おまけに週七日補習ってどういうことだ。うちの教師たちは俺になんか恨みでもあるんか!!」

 

 そんな古城の悲痛な叫びに、友人達は互いに顔を見合わせる。レイだけは古城を憐れに思った。

 しかし、古城と同じ学校の制服を着た男女は、何を今更、と呆れたような顔をした。

 

「いや………そりゃ、あるわな。恨み」

 

 シャーペンをくるくる回しながら、短髪をツンツンに逆立てて、ヘッドフォンを首にかけた男子生徒・矢瀬基樹が答え、

 

「あんだけ毎日毎日、平然と授業をサボられたらねェ。舐められてるって思うわよね、フツー………おまけに夏休み前のテストも無断欠席だしィ?」

 

 優雅に爪の手入れなどしながら、華やかな髪型と校則ギリギリまで飾り立てた制服を着た女子生徒・藍羽浅葱が笑顔で言う。

 

「そうなのですか、(ヌシ)様?」

 

 浅葱の話を聞いて、レイは扇ぎながら古城に訊いた。純粋に知らないレイの瞳に、古城は一瞬、うっと後ろめたい気持ちになるが、

 

「………だから、あれは不可抗力なんだって。いろいろ事情があったんだよ。だいたい今の俺の体質に朝イチのテストはつらいって、あれほど言ってんのにあの担任は………」

 

 こっちだって辛い思いをしているんだ、と苛ついた口調で言い訳した。

 だが古城のその言い訳を聞いて、レイが不思議そうに小首を傾げる。

 

「体質ってどういうことなのですか、主様?」

 

「え?………あ、」

 

「そうね。レイちゃんの言う通り。古城って花粉症かなんかだっけ?」

 

 レイの疑問に浅葱も同調して訊いてくる。古城は、自分の失言に気づいて唇を歪める。

 

「ああ、いや。つまり夜型っていうか、朝起きるのが苦手っつうか」

 

「それって体質の問題?吸血鬼でもあるまいし」

 

「だよな………はは」

 

 引き攣った笑顔で言葉を濁す古城。

 そんな彼を余所目に、矢瀬が思い出したようにレイを見つめ、

 

「そういや、レイたんは古城の血だけで生活できるんだっけ?」

 

「え?あ、はいなのです。僕は、週一に主様の血を少し分けて戴ければ生活出来ますのですよ、基樹様」

 

 レイが微笑しながら答える。古城を扇ぐ手は止めずに。

 それに浅葱が、ニヤニヤと笑いながらレイに言った。

 

「レイちゃんは古城の血だけで本当にいいの?浅葱お姉さんがこのスパゲティをおすそ分けしてあげるわよ?」

 

「ありがとうなのです、浅葱様。ですが僕は主様の血だけで十分なのです。お気遣いは無用なのですよ」

 

 丁重にお断りするレイ。浅葱はちょっぴり残念そうな表情をするが、直ぐにニヤニヤ顔で古城を見つめて、

 

「―――だってさ、古城。レイちゃんがあんたの血を飲みたいってご所望よ」

 

「なにがだってさ、だ。こんな場所でレイに飲ませられるか!」

 

 常識的に考えろよ、と古城は浅葱を睨んだ。そう。此処はファミレス。ジュースを飲むのはいいが、血を飲む場所ではないのだ。

 古城のその言葉に、矢瀬は、くっくっと笑って指摘した。

 

「おまえな。こんな場所でレイたんに〝ナニ〟を飲ませるって?言葉には気をつけた方がいいぜ、古城」

 

「なっ………!?」

 

「………?」

 

 矢瀬の言葉の意味を理解した古城は、ぎょっと瞳を見開いた。何のことかさっぱりなレイだけは、頭上に疑問符を浮かべる。

 一方、浅葱は突然フォークを乱暴に食器の上に置くと、矢瀬を睨んで言った。

 

「基樹、あんた下品。ご飯がマズくなるじゃない」

 

「おっと、悪い悪い。古城をからかうことに夢中だったわ」

 

 ツンツン頭を掻きながら怒った浅葱に謝罪する矢瀬。浅葱は、ふん、と鼻を鳴らすと、レイに視線を向けて、

 

「基樹ってこういうヤツだから。様付けなんかしなくていいわよ、レイちゃん」

 

「え?」

 

「おいおい、そりゃないぜ浅葱。せっかくこんな俺にも様付けしてくれる可愛い子がいて気分上々だってのにさ」

 

 苦笑いを浮かべながら肩を竦める矢瀬。浅葱はそんな矢瀬を冷たい瞳で見つめる。そんな二人を、きょとんとした表情で眺めるレイ。

 そんな光景を、古城は苦笑しながら眺めていた。同時に、浅葱も矢瀬も、レイを受け入れてくれていることに安堵する。

 今から数時間前、古城はレイを連れて―――否、レイが付いてきてファミレスに入ると、浅葱と矢瀬が席を取って古城を待っていた。

 そしてレイを見るや否やで、『恋人?』だの『隠し子?』だのと古城はあらぬ誤解を受けた。

 レイは色々あって自分の人形(ドール)になった、と伝えると、妹と………凪沙と同じ反応を見せた。

 そして、本当に人形なのか?とか、良く出来てるな、などの感想が飛び交った。

 問題の、血が動力源だから吸血鬼なのか、という疑惑が生まれたが、古城の説明を聞いて納得してくれた。

 妹のようにトラウマがあるわけではないが、古城の言葉を信じてくれたのだ。やはり持つべきものは親友に限る。

 そんなことを思い出していると、浅葱が古城をニヤニヤ顔で見つめてきて、

 

「そういえば、古城。さっき担任がどうのって愚痴こぼしてたけど、あんたは那月ちゃんが嫌いなの?」

 

「え?」

 

「あたしは那月ちゃん好きだけどね。いいセンセーじゃん。出席日数足りてないぶん、補習でチャラにしてくれたんでしょ」

 

「ああ、そうだな。その点では那月ちゃんには感謝してる」

 

 浅葱に同意する古城。それにね、と浅葱は続けた。

 

「あたしも、あんたを憐れに思ったから、こうして勉強を教えてあげてんだし」

 

「そうなのですか?主様のためにありがとうなのですよ、浅葱様♪」

 

「ふふ。どういたしまして」

 

 古城の代わりにお礼を言うレイ。浅葱は満足げに笑うが、古城が彼女の前に積み上げられた料理の皿を、恨みがましい目付きで睨み、

 

「騙されるな、レイ。いい人ぶってるが、実際は他人の金であれだけ好き勝手飲み食いしてる、恩着せがましいヤツなんだからな」

 

「え?」

 

 古城に諭されて、目を瞬かせるレイ。すると矢瀬が、何言ってんだよ、と割り込んできて、

 

「おまえこそさも自分の金みたいに言うなよな。レイたん、浅葱のメシ代は俺の貸した金なんだよ。そこんとこは間違えないでくれな」

 

「わ、分かったのです」

 

 矢瀬に言い聞かされたレイは、慌てて頷く。古城も言われなくても分かっている。が、

 

「わかってるよ、畜生………おまえらそれでも温かい血の通った人間か」

 

「いやいや、借りた金を踏み倒そうと思ってるやつのほうが、どう考えても悪者だろ………あと、それ。血が温かいだの冷たいだのってのは、差別表現だからな。気をつけろよ」

 

 取り敢えず、この島の中じゃな、と矢瀬が皮肉っぽく笑って言った。

 

「面倒な世の中だな………本人たちはべつに気にしてないだろうに」

 

 少なくとも俺は気にしないし、と内心で呟き、古城は投げ遣りな溜め息を吐く。

 

「あー………もう、こんな時間?んじゃ、あたし、行くね。バイトだわ」

 

 そう言って、携帯電話を眺めていた浅葱が、残っていたジュースを飲み干して立ち上がる。そんな彼女を古城が見上げて、

 

「バイトって、あれか?人工島(ギガフロート)管理公社の………」

 

「そそっ。保安部のコンピュータの保守管理(メンテナンス)ってやつ。割がいいのさ」

 

 浅葱は、空中でキーボードを叩くような仕草をしてみせたあと、じゃね、と手を振って店を出て行った。そんな浅葱にレイが、バイバイなのです、と笑顔で手を振り返した。

 

「いつも思うんだが、あの見た目と性格で天才プログラマーってのは反則だよなあ。いまだに信じられんっつうか………たしかに成績は、ガキのころからぶっちぎりでよかったんだが」

 

「浅葱様は天才なのですか?凄いのです!」

 

「おう。そうだろ?凄いだろ?」

 

 レイが瞳を輝かせながら言うと、何故か矢瀬が自慢げに笑った。なんでお前が自慢するんだよ、と溜め息を吐く古城。

 矢瀬と浅葱は小学生になる前からの古い知り合いで、人工の島の上に造られた、完成してまだ二十年も経っていないこの絃神市に十年以上前からの暮らしているという。

 

「俺は試験勉強さえ手伝ってもらえるならなんでもいい」

 

 古城は問題集とにらめっこしながら言う。矢瀬はそんな古城を観察しながら、何気無い口調を装って呟いた。

 

「そういや、浅葱が他人に勉強を教えるなんて意外だったな。あいつ、そういうの嫌いだから」

 

「嫌いって?なんで?」

 

「頭がいいとかガリ勉とか思われるのが嫌なんじゃね。ああ見えて、ガキのころにはけっこう苦労してんだ、あいつも」

 

「へえ………それは知らなかった」

 

 ややこしい因数分解の問題に苦悩しながら、古城が素っ気ない口調で言う。

 古城が絃神市に引っ越してきたのは四年前の中学入学直後で、矢瀬達とはそれから間も無く知り合って、それ以降、たまにつるんで行動するようになったとか。

 

「あいつ、俺には文句言わずに教えてくれるけどな。今回は宿題もだいぶ写させてもらったし」

 

「ほほう。そいつは不思議だなあ。なんで古城だけ特別なんだろうなあ。気になるよなあ?」

 

 大袈裟に首を傾げながら、わざとらしく呟く矢瀬。〝特別〟という言葉を聞いて気になったのか、レイも興味深そうに古城を見つめる。

 しかし古城は、いや別に、と首を振り、

 

「だってあいつ、きっちり見返り要求してんじゃん。メシおごらされたり、日直やら掃除当番やら押しつけられたりで、こっちだって苦労してんだからな」

 

「そ、そっか」

 

 矢瀬が落胆したように肩を落として、駄目だこいつら、と目元を覆う。

 すると、レイは小首を傾げながら、うーん、と唸り、

 

「………本当にそれだけなのですか?」

 

「え?」

 

「ん?それはどういう意味だ、レイたん?」

 

 古城と矢瀬が一斉にレイを見る。レイは頷いて、言った。

 

「これは僕の憶測なのですが、浅葱様は本当は、ただ主様のために尽くしたいと思っているだけなのですよ。だけどそんな自分が恥ずかしくて、素直になれない浅葱様はついつい照れ隠ししてしまうのではないのでしょうか」

 

「は?俺に見返り要求してくるのが、照れ隠しだと………?」

 

 怪訝な顔で言う古城。一方の矢瀬は、成る程、と納得したように頷き、

 

「それはあり得るかもな。そういう方面はあいつ、不器用なところがあるからさ」

 

「は?矢瀬までなに言ってんだ?つか、そういう方面でどういう方面だ?」

 

 二人の話に付いていけない古城が首を傾げながら訊く。それにレイと矢瀬は一度顔を見合せると、呆れたような顔で古城に視線を向け、

 

「主様は、鈍感なのです」

 

「ああ、鈍感だな」

 

「………?」

 

 そして二人は深い溜め息を吐いた。そんな二人を古城は、どうしてそんな反応をする、と困惑した。

 そんな古城を、くっくっと笑いながら見つめる矢瀬。

 

「さて。じゃあ、そろそろ俺も帰るわ」

 

「あ?」

 

「いやいや。宿題も写し終わったし、浅葱がいなきゃ、こんなとこで勉強しても意味ねえだろ。俺の追試は一教科だけだから、今夜一晩あればどうにかなるしな。まあ、おまえはせいぜいレイたんに励まされながら頑張ってくれ」

 

 じゃあな、と荷物を纏めて立ち上がる矢瀬を、古城はぽかんと間の抜けた顔で見上げる。レイは、バイバイなのです、と手を振って見送った。

 追試の準備で宿題が殆んど手付かずの古城は、既に崖っぷちにいて、心はポッキリ叩き折られてしまった。

 

「やる気なくすぜ………」

 

 脱力してテーブルに突っ伏した古城。そんな古城の頭の上に、レイが手を乗せて優しく撫でた。

 

「お疲れ様なのですよ、主様。ジュースをどうぞなのです」

 

「ああ。サンキューな、レイ」

 

「いえいえ。僕は、主様の人形(ドール)なのですから」

 

 ニコリと微笑むレイ。そんな彼女に感謝してジュースを受け取り、喉を潤す。

 それからレイは、立て掛けてあったメニューを手に取り、

 

「主様、お腹は空いてませんですか?何か食べたいのがありましたら、遠慮なく言ってくださいなのです!」

 

 そう訊いてきたレイに、古城は一瞬、誘惑に負けそうになったが、首を振り、

 

「いや、気持ちだけありがたく受け取っておくよ。レイの金は凪沙がくれたおこづかいなんだし、自分のために使いなって」

 

「うー………主様がそう仰るのなら、僕は従うのです」

 

 しょんぼりとしながらメニューを元の場所に返すレイ。古城は彼女の気遣いを嬉しく思った。

 凪沙がレイにお小遣いをあげた理由は、彼女の服が白のワンピースしかなかったからだ。

 レイは、服はこれだけで十分なのです、と答えたが、凪沙は、駄目だよ。人形でも女の子なんだからお洒落しないとね、と言い、このお金を彼女に渡したのだった。

 今はまだ白のワンピースだが、凪沙が部活動のない休日に、レイを連れて服を買いに行く予定である。

 そのお金で奢ってもらいたくなかった古城は、レイの提案を拒否したのだ。

 

「そういや、レイ。俺が勉強してる間ずっと扇いでくれていたが、疲れてないか?」

 

「え?あ、はいなのです。僕は人形(ドール)なのでこれくらいはへっちゃらなのですよ、主様」

 

「そっか。ならよかった」

 

 元気そうな様子のレイを見て、古城は安心したように笑みを浮かべる。

 だが、不意にレイは表情を曇らせて、

 

「だけど、ごめんなさいなのです、主様」

 

「ん?なにがだ?」

 

「僕は、主様の人形(ドール)なのに、勉強の手伝いが出来なくて」

 

 レイの言いたいことを理解した古城。彼女は日常生活に於いての知識はあるものの、勉学には疎いのだ。

 それで彼女は、古城の役に立てないことが悔しくて、悲しくて、申し訳ないと思っているのである。

 そんなことか、と古城は苦笑すると、レイの頭に手を乗せて優しく撫でて言った。

 

「レイは、俺のためにずっと扇いでくれてたんだ。勉強を手伝えなくても、それだけで十分だからな」

 

「………!主様………ありがとうございますのです♪」

 

 古城が笑って許すと、レイはとても嬉しそうな笑顔でお礼を言った。

 さて、と古城は正面の席二つを眺めたあと、

 

「浅葱も矢瀬も行っちまったし、俺たちも帰るとするか」

 

「はいなのです、主様」

 

 レイは頷き、せっせと教科書と問題集を纏めて、古城の鞄の中へ綺麗に仕舞う。

 古城は、彼女から鞄を受け取り、伝票掴んで立ち上がる。

 レジで清算しながら古城は、凪沙のやつ、メシの支度を忘れてないといいな、などと考えていた。

 そして、レイがしっかり付いてきていることを確認しながらファミレスを出ようとして―――

 

「………ん?」

 

 ファミレスの正面の交差点の向かい側に、一人の少女の姿を発見してふと足を止めた。

 黒いギターケースを背負った制服姿の女子生徒が、無言で此方を見ていたのだ。

 

「どうかしたのですか、主様?」

 

 そんな古城を不思議そうに見上げたレイが、訊いてくる。

 

「………いや、なんでもない」

 

 レイの質問にそう答えて、古城は彼女を連れてファミレスをあとにした。



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尾行の少女

 絃神島は、大平洋のど真ん中の東京の南方海上三百三十キロ付近に浮かぶ人工島で、ギガフロートと呼ばれる超大型浮体式構造物を連結して造られた、完全な人工の都市。

 総面積は約百八十平方キロメートル。総人口は約五十六万人。行政区分上は東京都絃神市と呼ばれているが、実体は独立した政治系統を持つ特別行政区。

 暖流の影響を受けた気候は穏やか。真冬でも平均気温は二十度を超える、熱帯に位置した所謂、常夏の島。

 だが、この島の主要産業は観光ではなく、それどころか島への出入りには厳重な審査があり、唯の観光目的で訪れる客はあり得ない。

 絃神市は、製薬、精密機械、ハイテク素材産業などの、日本を代表する大企業、或いは有名大学の研究機関が犇めき合っている学究都市である。

 それはこの人工島でだけ、ある分野の研究が認められているからだ。

 それを意味する絃神市のもう一つの名―――魔族特区。

 獣人、精霊、半妖半魔、人工生命体、そして吸血鬼―――この島では、自然破壊の影響や人類との戦いによって数を減らし、絶滅の危機に瀕した彼ら魔族の存在が公認され、保護されている。そして彼らの肉体組織や特殊能力を解析し、それを科学や産業分野の発展に利用する―――その為に造られた人工都市が、この絃神市なのだ。

 島の住民の大半は、研究員とその家族、及び市が認めた特殊能力者。その中には、研究対象となる魔族達も当然含まれている。特区の運営に協力する魔族には、その見返りとして市民権が与えられ、人類と同様に、学ぶことも、働くことも、暮らすことも許される。

 絃神市は、云わば魔族と人類が共存するためのモデル都市―――或いは、壮大な実験室の檻なのだった。

 

「―――にしても、この暑いのだけは勘弁してくんねえかな、くそっ」

 

「………僕が、主様より身長が高ければ日陰の役割が出来ますのに」

 

 暑さで苦しむ古城に、何もしてやれない人形の少女・レイが落ち込む。

 自分のことより他人の心配をする彼女に、苦笑いを浮かべる古城。

 しかし、レイは何かを閃いたのか、古城を追い抜き、彼の前に飛び出すと、ニコリと笑って言った。

 

「主様。僕を―――肩車するのです!」

 

「……………は?」

 

 突然のレイの頼みに、間の抜けた声を洩らす古城。何故この状況で〝肩車〟を要求するのか。

 そんな古城の疑問を察したように、レイは自信満々に笑って、

 

「大丈夫なのですよ、主様。僕に任せて欲しいのです」

 

「………本当に任せてもいいんだな?」

 

「勿論なのですよ♪」

 

 ニコニコと笑うレイを、古城は暫し無言で見つめ、

 

「―――よし、わかった。おまえを信じて肩車してやる」

 

「………!ありがとうなのですよ、主様♪」

 

 古城に信じてもらえて、嬉しそうな笑みを浮かべるレイ。

 古城は、やれやれ、とその場にしゃがみこんで頭を下げると、レイが彼の首に跨がった。

 

「準備はいいな、レイ?」

 

「はいなのです。いつでもいいのですよ!」

 

 レイからOKをもらった古城は、よし、と気合いを入れて立ち上がる。が、気合いを入れる必要はなかったようだ。何故ならレイが、羽根のように軽かったからだ。

 一方のレイは、いつもより高い位置から見た景色に、喜びの声を上げていた。

 

「わあ!主様の肩車は高い高いなのですよ♪」

 

「って、おい!なに喜んでんだよレイ!」

 

「ご、ごめんなさいなのです………!」

 

 すると案の定、古城に怒られるレイ。レイは慌てて謝罪すると、古城の頭に両手を乗せてやや前傾姿勢を取った。

 

「どうですか、主様?少しは楽になりましたでしょうか?」

 

「ん?あー………、たしかにレイが陰になってくれたおかげで、頭は陽射しを浴びずにすむな」

 

 古城の言葉を聞いて、ホッと安堵するレイ。が、

 

「―――けど、レイの身体が密着してる肩回りは暑苦しいな。それに、背中に至っては陽射しが直に当たって結局意味がないし」

 

「……………ぁ」

 

 古城のその指摘に、か細い声を洩らすレイ。そして、古城の肩の上から飛び降りると、申し訳なさそうな表情で彼に頭を下げた。

 

「………ごめんなさいなのです、主様。いい考えかと思ったのですが、駄目でしたね。………僕はやっぱり、役立たずの駄目人形なのです」

 

 そう言って酷く落ち込んでしまうレイ。自信満々だったのもあるが、一番は古城の信頼を裏切ってしまったことが堪えたのだろう。

 そんなレイに古城は苦笑すると、コツンと彼女の頭を軽く叩いた。

 

「痛っ!」

 

「そんなことを言うなって、レイ。俺はべつに気にしてないし、むしろ嬉しいくらいだからな」

 

「………主様……」

 

 涙目で叩かれた頭を押さえながら、古城を見つめるレイ。古城は、ポンとレイの頭の上に手を乗せて言った。

 

「それよりも早く帰ろうぜ。こんなところにいつまでもいたくないからな」

 

「………!はいなのです」

 

 古城の提案にレイは頷き、二人は自宅に向かって歩き出した。

 暫く二人は海沿いのショッピングモールを歩いていたが、古城はふと何気無い仕草で後ろを確認する。

 

「尾けられてる………んだよな?」

 

「………?どうかしたのですか、主様?」

 

 独り言を呟く古城を、レイが不思議そうな表情で見上げる。

 古城は逆に、え?と驚いたようにレイを見つめ、

 

「レイは気づいてないのか?」

 

「え?さっきから僕たちを尾行してる方のことなのですか?」

 

「気づいてたのかよ!」

 

「はいなのです。ですが、一定距離を保ったまま近づいて来ないようなので、僕はあの方を空気と思って無視しているだけなのですよ、主様」

 

 ふふ、と笑いながら答えるレイ。空気扱いかよ!と古城は驚愕し、思わず内心で叫んだ。

 が、レイは尾行者(?)の服装を見て、ふと思い出したように呟く。

 

「………彼女の着ている服、浅葱様のものと同じなのですよ」

 

「みたいだな。ということはうちの学校の女子生徒………ネクタイじゃなくてリボンをつけているから中等部か」

 

「中等部なのですか?」

 

「ああ。凪沙の知り合いか何かかもな」

 

〝凪沙〟と聞いて、レイは、成る程なのです、と頷き、

 

「それなら、こちらから接触しましょうです、主様」

 

「は?いや、待て。まだそうと決まったわけじゃないからさ。様子見しよう、レイ」

 

「了解なのです!」

 

 敬礼の真似事をするレイに、古城は苦笑した。一先ず相手の出方を探るべく、たまたま目についたショッピングモールへと二人は入っていった。目的地は入り口近くにあるゲームセンター。

 すると尾行者とおぼしき少女は、ゲームセンターの前で動きを止めた。明らかに動揺した面持ちで。

 そんな彼女を、古城とレイはクレーンゲームの筐体越しに観察する。

 まだ幼さを残しているが、綺麗な顔立ちの黒髪の少女。ベースギターのギグケースを背負っている。

 

「……………」

 

 はあ、と長い溜め息をついた古城は、レイの肩をトントンと叩き、

 

「いつまでも隠れているわけにはいかないし、レイの言った通りにこっちから接触してみるか」

 

「………!はいなのですよ♪」

 

 自分の提案を飲んでくれたことに嬉しそうな笑みを浮かべるレイ。

 だがタイミングが悪かったようで、黒髪少女も動き出し―――三人は入り口でばったり鉢合わせした。

 古城と黒髪少女は暫くの間、見つめ合う。レイだけは眼前の少女を警戒していた。

 そんな中、先に声を上げたのは、黒髪少女の方だった。

 

「だ………第四真祖!」

 

「―――え?」

 

 黒髪少女は上擦った声で叫び、重心を落として身構える。一方のレイは、〝第四真祖〟と聞いた途端、瞳を見開き凍りついたように動かなくなった。

 古城は、黒髪少女が〝第四真祖〟と口にした瞬間、落胆し深い溜め息を吐いていた。そして、どうしたもんかな、と古城は一瞬だけ黙考し、

 

「オゥ、ミディスピアーチェ!アウグーリ!」

 

 唐突に大袈裟なアクションで両腕を広げた。そんな外国語もどきを叫ぶ古城を、黒髪少女は呆然と見上げる。

 

「は?」

 

「ワタシ、通りすがりのイタリア人です。日本語、よくわかりません。アリヴェデルチ!グラッチェ!」

 

 早口でそう喚き散らして、固まっていたレイの手首を掴むと、硬直している黒髪少女の横をすり抜け、店を出た。が、

 

「な………!?待ってください、暁古城!」

 

 ハッと我に返った黒髪少女が、古城の名前を呼んだ。

 古城はうんざりと顔を顰めて振り返る。

 

「誰だ、おまえ?」

 

 古城は、警戒しながら黒髪少女を睨む。すると、黒髪少女は、生真面目そうな瞳で古城を見返し、答えた。

 

「わたしは獅子王機関の剣巫です。獅子王機関三聖の命により、第四真祖であるあなたの監視のために派遣されて来ました」

 

 は?と古城は、気の抜けた顔で黒髪少女の言葉を聞いたが、彼女が何を言っているのかさっぱりだった為、何も聞かなかったことにした。

 

「あー………悪ィ。人違いだわ。ほかを当たってくれ」

 

「え?人違い?え、え………?」

 

 黒髪少女が困惑したように視線を彷徨わせた。古城の出任せを信じてしまったようだ。

 その隙に、レイを連れて立ち去ろうと背を向けた古城を、黒髪少女が慌てて呼び止める。

 

「ま、待ってください!本当は人違いなんかじゃないですよね!?」

 

「いや、監視とか、そういうのはホント間に合ってるから。じゃあ、俺たちは急いでるんで」

 

 そう言って、古城はぞんざいに手を振ると、レイを連れて急ぎ足で離れていく。

 黒髪少女は、混乱したような表情のまま、その場に立ち尽くしていた。古城の作戦は成功したようだ。

 だが、問題が一つだけ残っていた。それは―――

 

「………主様。主様が、第四真祖というのは、本当なのですか?」

 

「―――!?」

 

 レイに聞かれてしまったことだった。彼女も凪沙と同じで、古城が第四真祖であることを知らない。教えれば、彼女が自分の前から消えてしまうのではないか、と思っているからだ。

 根拠はない。が、もしそうなってしまったら、彼女は凪沙に言いふらすかもしれない。浅葱や矢瀬にも言う可能性がある。終いには彼らとの関係が崩壊し、毎日研究づくめの地獄が待っているに違いない。それだけはなんとしても避けたかった。

 

「……………っ」

 

 古城は動揺しながら、どうすればいいか悩んでいると、不意に何かが彼を包み込んだ。

 

「………え?」

 

 古城は、視線を下に向けると、其処には―――彼の胸に顔を埋めるような形で優しく抱擁してきたレイの姿があった。

 レイの身長は、幼女のように小柄な為、こうなってしまうのは仕方がないわけだが。

 そんな小柄な人形少女は、優しい声音で古城に言った。

 

「―――平気なのですよ、主様。貴方様がたとえどんな存在であろうとも、僕は逃げたりはしないのです。誰にも言ってはならないのなら、僕は胸のうちに留めておきますのです。約束は、()に誓って絶対に破らないのです。何故なら僕は貴女様の………主様の人形(ドール)なのですから」

 

「………!」

 

 レイのその言葉と共に、古城は、まるで温かな光に包まれたような感覚を味わった。

 そして、彼女のこの不思議な力が、あの時、取り乱した凪沙を落ち着かせた力なのだと古城は悟った。

 古城は、冷静さを取り戻すと、レイの頭にポンと手を乗せて言った。

 

「悪い、レイ。もう大丈夫だ」

 

 古城がそう言うと、レイはゆっくりと顔を上げて、安心したような表情で古城を見つめる。

 そんな彼女を見て、古城は意を決したように口を開いた。

 

「………怒らないで聞いてくれ」

 

「はいなのです」

 

 レイは静かに頷いて返す。古城は真面目な顔で告げた。

 

「隠しててすまん。実は俺は人間じゃなくて―――吸血鬼なんだ。それもただの吸血鬼じゃない………第四真祖っていう世界最強の吸血鬼だ」

 

 古城は正体を明かした。あとはレイの返事待ちなのだが、彼女はニコリと笑って、

 

「勿論―――知ってましたのですよ、主様」

 

「……………は?」

 

 レイの衝撃の一言に、古城は間の抜けた声を洩らす。

 レイは、ふふ、と楽しそうに笑うと、胸に手を置いて言った。

 

「主様の血を飲んでいる僕が、主様の正体を知らないはずがないのですよ?」

 

「な、」

 

「だけど、主様がどうして正体を隠しているのか………とても気になったので知らないフリをしていたのです」

 

「……………」

 

「僕こそ、騙してごめんなさいなのです、主様。いかなる罰も、受けるつもりなのです」

 

 そう言って、レイはぎゅっと瞼を閉じた。痛みに堪える為に。

 しかし、いつまで経っても痛みはやってこなかった。そのことを不思議に思い、閉じていた瞼をゆっくりと開け―――ズビシッ!

 

「痛っ!?」

 

 その瞬間を待っていたように、古城がレイの小さな額にデコピンをかました。

 

「これはさすがの俺もお咎めなしとはいかないからな。これぐらいはさせてもらわないと気が晴れないんだよ。悪いな」

 

「うー………容赦ないのですよ、主様」

 

 涙目で額を擦るレイ。吸血鬼の力を全快にした一撃………というわけではないが、幼い彼女にとっては強烈だったようだ。

 

「―――幼い子供を泣かせるほど容赦のない暴力を振るう………さすがは第四真祖。噂に違わぬ凶悪な方ですね」

 

「は?」

 

 古城は、失礼な奴だな、とムッとした表情で声の主に向き直り―――固まった。声の主が、古城を第四真祖と口にしていた例の黒髪少女だったことに。

 

「―――っ!おまえは、さっきの!」

 

 古城は、黒髪少女を警戒して一歩後ろへ下がる。もしかしたらさっきの会話を聞かれていたかもしれない。そうだとしたら警戒せずにはいられない。

 そんな古城を庇うように、涙を拭ったレイが彼の前に立ち、黒髪少女を睨んだ。

 

「僕の主様に何かご用なのですか?」

 

「………え?暁古城が、あなたの主ですか!?………あなたはいったい、」

 

「僕は、主様の人形(ドール)なのです。主様の―――奴隷なのですよ♪」

 

「は?」

 

 レイの言葉にきょとんとした表情で彼女を見つめる黒髪少女。

 

「ちょっと待て!いつ俺が、おまえを奴隷のように扱った!?デタラメなことを言うなよな、レイ!」

 

「………?僕は主様の人形(ドール)なのですよ?だから僕は主様の奴隷同然じゃないですか」

 

「いやいやいや!その理屈はおかしいだろ!?そもそも奴隷は人間が所有物みたく扱われていることを言うんだろうが!」

 

 古城は、必死にレイを説得する。変な誤解をされる前に。

 そんな光景を黒髪少女が呆然と眺めていると、

 

「ねえねえ、そこの彼女たち。そんな男はほっといて俺たちと遊ばない?」

 

「そうそう。俺ら、給料出たばっかで金持ってるし、そいつより楽しませてあげられるぜ?」

 

 派手に染めた長髪と、余り似合っていないホスト風の黒スーツを着た男達二人組が声をかけてきた。



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魔族と眷獣

 声をかけてきた男達二人組を見た古城は、ぎょっと目を剥いた。彼らが手首に嵌めている、金属製の腕輪の存在に。

 生体センサや魔力感知装置、発信器などを内蔵した魔族登録証を持っているということは、彼らは普通の人間ではなく人外―――魔族(フリークス)だ。

 しかし、腕輪をつけた登録魔族が、人間に危害を加えることは余りない。何故なら、特区警備隊(アイランド・ガード)の攻魔官達が大挙して押し寄せてくるからだ。

 とはいえ、彼らを刺激させるのは良くない。万が一ということもある。だから此処は穏便に済ませて欲しいのだが、

 

「結構です。わたしはそこの彼に用があるので」

 

「そんなこと言わないでさ。少しつき合ってくれよ」

 

 黒髪少女の態度が冷ややかだった為、男の一人がうっすらと青筋を浮かべていた。

 その一方で、もう一人の男がレイに歩み寄り、

 

「お嬢ちゃんもどうだ?俺たちと一緒に遊んでかない?」

 

「ごめんなさいなのです。僕は主様の人形(ドール)なので、貴方様と一緒には遊ばないのです」

 

「そう言わずに―――って、は?」

 

 レイの言葉に、男は目を瞬かせた。目の前にいる少女が、人形?と疑いの目をレイに向ける。

 

「………はは。お兄さんをからかってるのかな?」

 

「からかってないのですよ。僕は正真正銘、主様の人形(ドール)なのです」

 

 レイはただ事実だと男に告げる。彼女の瞳には、嘘偽りがない。男はそれを悟って暫し唖然とした。

 その様子を傍で見ていた古城は、レイの方は問題ないな、と安堵した。が、

 

「―――てめェ!俺が下手に出てやりゃあ図に乗りやがって………!」

 

 黒髪少女の方は、別の男を刺激して怒らせてしまっていた。

 マジかよ、と古城は溜め息を吐きつつ止めに入ろうとした―――その時。

 

「………は?」

 

 黒髪少女のスカートを男が捲って、古城の視界にパステルカラーのチェックの布切れが映った。

 

「………ッ!?」

 

 黒髪少女は慌てて捲れ上がったスカートを押さえると、恥ずかしさで頬を赤らめた。

 そんな彼女を、男はしたり顔で見ていた。が、その余裕が命取りだった。

 

「―――若雷(わかいかずち)っ!」

 

「ガッ………!?」

 

 黒髪少女が見せていた羞恥は直ぐに怒りの表情となり呪文を叫ぶと、余裕の笑みを浮かべていた男の鳩尾に掌底を叩き込み、吹き飛ばした。

 その光景に、古城とレイだけでなく、片割れの男も驚愕の表情をした。

 魔族を掌底一つで吹き飛ばせるただの人間は聞いたことがない。吹き飛ばされた男は獣人種―――人狼だ。強力な個体………というわけではなさそうだが、それでも彼らの筋力や打たれ強さは人間の比ではない。

 だというのに、黒髪少女の一撃を喰らい、壁に叩きつけられたきり動けないでいた。

 

「あのガキ、攻魔師か―――!?」

 

 ハッと我に返った男の片割れが怒鳴った。

 攻魔師。それは魔術師や霊能力者などの、魔族に対抗する技術(スキル)を身につけた人間の総称。

 軍人や警察の特殊部隊員、民間の警備会社の社員、或いはそれ以外の組織に雇われている者―――彼らの身分は様々で、使用する技術体系も千差万別。いずれにしても彼らは魔族の天敵であり、魔族狩りを生業としている殺し屋のような攻魔師も少なくない。

 勿論、魔族特区であるこの絃神市では、攻魔師の活動も厳重に制限されている。

 

「……………っ!」

 

 男は恐怖と怒りに表情を歪ませると、真紅の瞳に牙を剥き出しにして、魔族としての本性を露にした。

 

「D種―――!」

 

 男の正体に気づいた黒髪少女が表情を険しくして呻いた。

 D種。様々な血族に分かれた吸血鬼の中でも、特に欧州に多く見られる〝忘却の戦王(ロストウォーロード)〟を真祖とする者達を指す。人々が一般的にイメージする吸血鬼に最も近い血族。

 吸血鬼には、常人を遥かに超える身体能力と、魔力への耐性、凄まじい再生能力がある。そして、魔族の王と呼ばれるに相応しい圧倒的な切り札が彼らにはあった。

 

「―――〝灼蹄(シャクテイ)〟!その女をやっちまえ!」

 

 吸血鬼の男が絶叫し、その直後、彼の左脚から何かが噴き出した。鮮血に似ているが血ではなく、陽炎のように揺らめく、どす黒い炎。

 その黒い炎は、やがて歪な馬のような形をとって現れた。甲高い(いなな)きが大気を震わせ、炎を浴びたアスファルトが焼け焦げる。

 

「こんな街中で眷獣を使うなんて―――!」

 

 吸血鬼男の非道な行為に黒髪少女が怒りの表情で叫んだ。

 吸血鬼男が左手首に嵌めていた腕輪が、攻撃的な魔力を感知してけたたましい警告を発している。すると、ショッピングモールに来場者の避難を促すサイレンが鳴り響いた。

 眷獣。そう呼ばれる使い魔を、吸血鬼は自らの血の中に従えている。

 吸血鬼は、確かに強力な力を持った魔族だが、怪力も敏捷さも、生来の特殊能力でも吸血鬼を凌ぐ魔族は幾らでも存在している。だというのに、何故吸血鬼だけが魔族の王として恐れられているのか―――その答えが眷獣だ。

 眷獣の姿や能力は様々。が、最弱の眷獣でさえ最新鋭の戦車や攻撃ヘリの戦闘力を凌駕する。〝旧き世代〟の使役する眷獣の場合だと、小さな村を消し飛ばすことが可能らしい。

 若い世代である吸血鬼男の眷獣には、〝旧き世代〟ほどの力はないが、ショッピングモール壊滅ぐらいの被害は出るだろう。

 解き放たれた妖馬の眷獣―――〝灼蹄(シャクテイ)〟は、半ば暴走状態になって、周囲の街路樹を薙ぎ払い、街灯の鉄柱を融解させている。それはまさに、意思を持つ破壊的なエネルギーの塊。人間が受ければ一瞬で消し炭になるだろう。

 しかし、その眷獣を見ても黒髪少女の表情に恐怖は刻まれていなかった。そればかりか、

 

「雪霞狼―――!」

 

 黒髪少女は背負ったままのギターケースから、楽器ではなく―――銀色の槍を抜き放った。

 槍の柄が一瞬でスライドして長く伸びる。それと同時に、格納されていた主刃が穂先から突き出した。まるで戦闘機の可変翼のように、穂先の左右にも副刃が広がる。

〝雪霞狼〟と呼んでいた銀の槍を構えた黒髪少女。それを見た古城は、あんなもので眷獣と戦う気か!?と焦っていた。

 だが時間は待ってくれない。〝灼蹄(シャクテイ)〟は黒髪少女をめがけて突進してきた。

 迫り来る眷獣を冷ややかに睨んだ黒髪少女が、銀の槍で迎え撃とうとした―――その時。

 

「………え?」

 

「なっ………!?」

 

 黒髪少女と眷獣の間に、レイが割り込んできた。驚く黒髪少女と古城。吸血鬼男の表情も同様だった。

 レイは青白い焔のように輝く瞳で〝灼蹄(シャクテイ)〟を見つめると、両手を広げた。

 その行為とほぼ同時に、〝灼蹄(シャクテイ)〟がレイと衝突した。

 

「―――レイ!?」

 

 古城がレイの名を叫び、彼女の下へと駆け寄ると、

 

 

「いい子いい子なのですよ♪」

 

 

 レイは頭を下げてきた〝灼蹄(シャクテイ)〟を撫でていた。

 

「は?」

 

 思わず素っ頓狂な声を洩らす古城。レイが眷獣の頭を呑気に撫でているのだからそうなるのも無理はない。

 その光景に、銀の槍を構えたまま唖然とする黒髪少女と、己の眷獣の様子がおかしくなっていることに愕然とする吸血鬼男。

 レイは古城に気がつくと、振り返ってニコリと笑った。

 

「この子は僕が大人しくさせておいたのですよ、主様」

 

「そ、そうか―――じゃねえ!どうやってその眷獣を鎮めたんだ!?つか平然と触ってるが熱くないのか!?」

 

「うー………いっぺんに質問しないで欲しいのですよ、主様」

 

 古城の質問攻めに困惑するレイ。たったの二つしか訊いてないが。

 レイは少しだけ古城の質問の内容を頭の中で整理して、回答した。

 

「………この子を大人しくさせた方法は単純なのです。ただ『大人しくしてください』ってお願いしただけなのですから」

 

「は?お願いした?」

 

「はいなのです。そしてこの子に触っても僕は全然熱くないのですよ。主様も触りますですか?」

 

「いや、俺は遠慮しとくよ………」

 

 絶対触りたくねえ、という本音を心の中で洩らす古城。そんな古城に残念そうな表情を浮かべるレイ。

 一方、ハッと我に返った吸血鬼男は、己が眷獣に命じた―――が、

 

「〝灼蹄(シャクテイ)〟!?くそ、なんで俺の言うことを聞かないんだ!?」

 

 吸血鬼男がそう叫ぶと、レイは彼に向き直り、

 

「無駄なのですよ。貴方様の眷獣は、僕が支配しているのですから」

 

「なに………!?」

 

 眷獣を支配している。そう口にしたレイに、吸血鬼男は驚愕し瞳を見開いた。

 人形少女のレイが、吸血鬼の眷獣を支配出来る力を有している。そんな馬鹿な話があってたまるか。

 だが彼は気づく。レイの全身から迸る濃密な魔力に。銀水晶のような輝きを放っていたことに。

 レイは吸血鬼男を細めた瞳で見つめ、訊いた。

 

「どうしますか?降参しますか?その気になれば、僕はこの子で貴方様を攻撃出来るのですよ」

 

「………!わ、わかった!降参する!降参するから、殺さないでくれ」

 

 命乞いをする吸血鬼男。それにレイは満足そうに見つめると、パチンと指を鳴らして〝灼蹄(シャクテイ)〟を消滅させた。

 それと同時に、吸血鬼男は腰を抜かしてその場で尻餅をつく。恐怖ではなく、助かったという安堵によるものだった。

 だがそんな彼を、レイは鋭く睨みつけて冷たく言った。

 

「では、()()はさっさと仲間を連れて消えてください。目障りですので」

 

「は?」

 

「は?ではないのですよ。僕は主様ごと攻撃しようとした貴方なんか大ッ嫌いなので、これ以上顔も見たくないのです」

 

「………!?」

 

 さっきまで優しかったはずのレイの豹変ぶりに、驚きを隠せない吸血鬼男。

 レイは構わず、彼にトドメを刺した。

 

「早く消えろというのが聞こえなかったのですか?それとも―――僕に消されたいのですか?」

 

「ひいっ!?」

 

 邪悪に笑うレイに吸血鬼男は怯えると、倒れていた仲間を連れて全速力で走り去っていった。

 そんな彼を見送ったレイは、嫌悪感を消して古城に振り返り、笑顔で言った。

 

「邪魔者は追っ払ったのですよ、主様♪」

 

「あ、ああ」

 

 古城は引き攣った顔で笑う。レイの恐ろしい裏の顔を知って。彼女はとんだ猫被りである。

 一方、黒髪少女は銀の槍をレイに向けて訊いた。

 

「あなたは何者なんですか?人形と名乗っていましたが、先程のは明らかに魔力によるものです」

 

「………?僕は主様の人形(ドール)に違いないのですよ?」

 

「嘘です!ただの人形が、魔力を行使できるはずがありません!本当は魔族じゃないんですか?」

 

「………………」

 

 黒髪少女の問いにレイは口を閉ざした。この無言は肯定ではない。答えない意思表示だった。

 それを察した黒髪少女は、そうですか、と目付きを鋭くしてレイを睨み、

 

「わかりました。力ずくで聞き出すほかないみたいですね」

 

 そう言って臨戦態勢に入る黒髪少女。レイも彼女を睨み返して身構えた。

 一触即発な状況の中、古城が慌てて止めに入る。

 

「待ておまえら!少しは落ち着けよ!なあ?」

 

「邪魔しないでください、暁古城!わたしはそこの彼女に用があるんです!」

 

「ならその槍はしまえよ。それから話し合いを―――って、なんでおまえは俺の名前を知ってんだ?自己紹介した覚えないんだが」

 

「え?それはあのとき言いましたけど?わたしはあなたの………第四真祖の監視役と」

 

 それを聞いて古城は、確かにそんなことを言ってたな、と思い出す。が、思わず頷きそうになった首を慌てて横に振り否定した。

 

「いや、第四真祖とか言われてもなんのことだか」

 

 惚ける古城に、黒髪少女は、はぁ、と深い溜め息を吐く。この男はあくまでもしらを切るつもりか、と。

 しかし、古城が幾ら否定しようが、もう黒髪少女を騙すことは出来ない。

 最初は彼の言葉に乗せられそうになったが、第四真祖がこの絃神島にいて、彩海学園の生徒であることを知っている。写真だって見せてもらっているのだ。見間違いなわけがない。

 そして、その第四真祖を斃し得る最強の武神具―――〝七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)〟という獅子王機関が開発した対魔族用の秘奥兵器を三聖から託されている。それがこの〝雪霞狼〟だった。

 だが、彼女にとって想定外な事態が起きている。それが古城と一緒にいる〝レイ〟という謎に包まれた少女だ。

 三聖からも彼女がいることは聞かされていない。ましてや、人形と名乗っておいて魔力を行使し、他者の眷獣を操る存在など知らない。

 彼女の正体は恐らく魔族。人形と名乗っているのは、それを隠す為だろう。魔力の行使及び他者の眷獣を操るのだから吸血鬼以外に考えられない。

 とはいえ現時点、レイという少女は正体不明の〝未知の人形〟としか言いようがない。故に、多少強引な手を使ってでも彼女の情報を入手したかった―――

 

「―――おい、なに一人でぶつぶつ言ってんだあんた?」

 

「え?………っ!」

 

 黒髪少女はハッと顔を上げると、古城が怪訝な表情で見ていた。少女は慌てて後方に跳んで彼と距離を置く。

 銀の槍を構えて古城を警戒する黒髪少女。そんな彼女に古城は、はぁ、と溜め息を吐き、

 

「おまえが第四真祖とかいう監視者だかなんだか知らないけど、レイはべつに悪くないだろ?おまえになにかしたか?」

 

「え?………いえ。特になにもされてませんけど」

 

「だろ?ならその槍はしまいなって。さっきの魔族みたいにスカートめくりされたとかじゃないんだ―――し………」

 

 其処まで言って、古城は、やばっ、と慌てて口を塞いだ。が、時既に遅し。黒髪少女の頬が紅潮していき、

 

「………見たんですか?」

 

「え?あ、いや。俺はなにも見てな―――」

 

「主様は、バッチリ見ていましたのですよ」

 

「な、レイ、おまえ!?」

 

 古城が裏切り者のレイを睨みつけて、彼女の頬を引っ張った。

 

ひた()()ひた()()ひた()()()()()()ぬひ()さは()!」

 

「知るか!そこはフォローしろよな!俺を嵌めた口はこれか!?」

 

 レイの良く伸びる柔らかい頬を目一杯引っ張る古城。レイは容赦ない古城のお仕置きに泣き叫ぶ。

 そんな、傍からみれば『幼女を虐待している悪いお兄さん』的な光景を、黒髪少女は暫しの間眺めていた。が、

 

「………もういいです」

 

 黒髪少女は醒めた口調でそう言って、構えを解く。すると展開していた刃が格納され、槍は元のサイズに戻りそれをケースの中に仕舞う。

 

「え?あ、おい………!」

 

 無言で立ち去ろうとする黒髪少女に、レイを解放した古城が声をかけ、

 

「いやらしい」

 

 それに黒髪少女は頬を赤らめながら古城を一瞥し、そう言い捨てると走り去っていった。

 古城は呆然と彼女の背を見送ると、赤く腫れた頬を半ば本気の涙を目に浮かべながら擦るレイを見下ろして訊いた。

 

「なあ、レイ」

 

「ひっ!?」

 

 古城に声をかけられてビクッと肩を震わせるレイ。ついさっき受けたお仕置きがまた来ると思って怯えているのだ。

 そんなに容赦なかったか?と古城は苦笑いを浮かべて、レイの頭に手を乗せて優しく撫でる。

 

「………俺は、悪くないよな?」

 

 古城はレイに訊くと、彼女は涙を拭って頷き、

 

「………はいなのです。あれは不幸な事故なのです」

 

 だよな、とホッと胸を撫で下ろす古城。さっきは裏切られたが、レイは古城の味方だった。さっきのもただ真実を黒髪少女に教えただけで、彼女は別に間違ったことを言ったわけではないのだ。

 だから古城はレイに八つ当たりしてしまったようなものだった。とはいえ、真実を伝えるのは構わないが、もう少しオブラートに包んだ言い方が出来ないものか、と古城は思う。

 一方、レイは古城に頭を優しく撫でられたことで、泣きそうだった表情は一転して嬉しそうな表情に変わっていた。

 そんなすっかり調子を取り戻したレイの両肩に手を乗せた古城は、フッと真剣な表情で訊いてみた。

 

「なあ、レイ。おまえっていったい―――何者なんだ?」

 

「………………」

 

 しかし、レイは答えなかった。古城を主様と慕っているはずの彼女が。

 古城は答えないレイを責めたりはしなかった。それは何故か、彼は気づいていたのだ。答えないのではなく―――答えたくないという彼女の気持ちに。

 

「言いたくないなら無理には聞かない。本当は気になるけどな」

 

「………主様。ごめんなさいなのです。そして―――ありがとう、ございます」

 

 古城の優しさに、レイは深々と頭を下げてお礼を言った。何れ知られるであろう自らの正体のことを想いながら。

 そんな彼女を古城は苦笑しながら見つめたあと、よし、と頷き、

 

「俺たちも早く帰るか」

 

「はいなのです」

 

 レイは頷き、古城の隣を歩く。が、

 

「―――ん?」

 

 ふと道路に落ちていた何かに気づいて、眉を顰めた。レイもそれに気づいて、しゃがみ込み白地に赤い縁取りの財布を手に取った。

 

「………さっきの方が落としていったお財布なのでしょうか?」

 

「さあな。………って万札が一枚入ってるだと?」

 

「主様、盗んでは駄目なのですよ」

 

「盗らねえよ!?人を犯罪者扱いするな!」

 

 レイにとんでもない誤解をされて叫ぶ古城。そんな彼にレイは慌てて謝罪した。

 古城とレイは、カードホルダーに差し込まれていたクレジットカード………ではなく、学生証に目を止める。すると其処には、

 

「「姫柊雪菜………?」」

 

 その名前とぎこちなく笑う黒髪少女の顔写真があった。



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夢見の真祖

今回は八巻のネタバレ回となっています。

ネタバレ上等な方だけお進みください。


 古城は夢を見た。それは余りにも現実味のある―――古城がかつて経験したことのあるような夢。

 

 

「おまえの………勝ちだ………」

 

 黒髪の少女は満足げにそう呟き、眠るように目を閉じた。

 脱力した黒髪少女の身体を支えて、金髪の少女が古城を見た。その少女の唇は黒髪少女の血で濡れている。

 

「〝――〟か」

 

 青白く輝く金髪の少女の瞳を睨んで古城が訊くと、驚いたように目を瞬かせ、少女は首を振った。

 

「や、約束を果たそう………」

 

 少しだけ誇らしげにそう呟いて、金髪少女は黒髪少女を地面に横たえる。

 

「〝――〟と融合したんだな………『―――――』」

 

「……………」

 

 古城の問いかけに、金髪少女は沈黙で答えた。

 そうか、と古城はクロスボウを下ろして、彼女の方へ一歩踏み出す。

 金髪少女は無言で後ずさり、自分の足元を見た。其処には―――血塗れの白髪の少女が倒れ伏していた。

 

「『―――』は無事………?」

 

 金髪少女は瀕死の白髪少女を心配そうに見下ろす。古城は、さあな、と首を振り目を伏せる。

 古城達は、この白髪少女とはついさっきまで闘っていた。そして死闘の末、彼女を倒すことに成功した。

 ―――いや。本当は彼女は倒されることを望んでいたのかもしれない。そう思えたのは、彼女が古城を殺せなかったからだ。

〝――〟に絶対に逆らえないはずの彼女が、古城にトドメを刺そうとした瞬間、涙を流し殺すのを躊躇ったのだ。

 その僅かに出来た隙に、『―――――』が氷の槍で彼女の胸を貫き、彼女を倒した。………そして今に至る。

 

「……『―――』………っ」

 

 金髪少女は、白髪少女を刺してしまったことを酷く後悔していた。幾ら古城を助ける為とはいえ、白髪少女もまた、自分達の仲間だった。それなのにこんな形でしか彼女を止めることが出来なくて堪らなく悲しいのだ。

 そんな金髪少女に古城は歩み寄って、彼女の頭に手を乗せて優しく撫でる。

 

「大丈夫だ、『―――――』。『―――』がおまえを恨んだりはしないよ。あいつだって、これ以上仲間を傷つけたくなかったはずだ。だから止めてくれたことに感謝してると思う」

 

「………古城」

 

 古城の言葉に、金髪少女はほんのりと頬を赤らめて頷く。もしそうなら、彼女が許してくれるのなら、これで心置き無く眠りに就ける。

 そう思い、金髪少女は古城から離れようとした。が、古城はさせまいと彼女の手首を掴み、

 

「………また眠りにつくつもりなんだろ」

 

「………っ!」

 

 金髪少女が驚いて唇を噛む。古城は、やはりな、と予感が的中して表情を曇らせる。

 だが、直ぐに古城は優しい笑みを浮かべて告げた。

 

「つき合ってやるよ。おまえから目を離すのは、不安だからな」

 

「………古城?」

 

「次に目が覚めたとき、俺がいないと困るだろ。服のボタンを留めるときどうするんだよ」

 

 冗談めかして笑いかける古城。そんな彼を金髪少女は泣き出しそうな表情で見上げた。

 そして金髪少女は古城の手元に視線を落とし、不意に柔らかく笑う。真っ直ぐに古城を見返した彼女は、覚悟を決めて口を開いた。

 

「………我は、汝の望みを叶えた………次は………次は、古城の番………」

 

「え?」

 

 金髪少女の不可解な言葉に、古城は不意に恐怖した。

 そんな古城の右腕が、意思に反してゆっくりと持ち上がる。その手には真祖殺しの聖槍―――第四真祖を滅ぼし得る銀色の杭が装填済みのクロスボウが握られており、それが金髪少女の心臓へと向けられる。

 

「『―――――』!?」

 

 金髪少女の輝く瞳を見て、古城は何が起きているのか理解する。自分は彼女の―――第四真祖の血の従者。その主人たる彼女が古城の操り〝自分を撃て〟と命令している。

 

「やめろ………!やめろ、『―――――』!」

 

 古城は必死に抵抗する。が身体が言うことを聞かない。血の呪縛に逆らえないのだ。

 

「兵器として造られた〝呪われた魂〟は、我とともに、ここで消える………だが………」

 

 金髪少女が動けない古城の首筋へと牙を突き立てる。

 

「第四真祖の力のすべては汝に託そう。受け取れ」

 

「やめろ、『―――――』っ!」

 

 古城の血をちらりと舐め取って、金髪少女は泣き笑いのような表情を浮かべ、そっと目を閉じる。古城の指が彼女の意思に導かれるまま引き金にかかる。

 

「古城………」

 

 金髪少女の唇が、最後に言葉を紡ごうとした―――その刹那。

 

 

「―――そうはさせませんよ、『―――――』」

 

 

「………!?」

 

 金髪少女はハッとして声の主に振り返る。すると其処には―――瀕死の白髪少女が立っていた。全身から銀水晶のように輝く魔力を放出しながら。

 

「『―――』!?」

 

「『―――』………!」

 

 古城と金髪少女は驚愕の声と共に、白髪少女の名前を叫んだ。

 そして古城は直ぐに気づいた。自分の身体が動かなくなっていることに。

 白髪少女が、金髪少女の支配を上書きして古城の身体を制止させているのだ。

 その白髪少女は柔らかく微笑み、ゆっくりと金髪少女の方へ歩み寄る。

 

「貴女が〝――〟と、私の『――』と共に死を選ぶことは、断固許しません」

 

「『―――』………っ。だが我が身に、〝呪われた魂〟を受け入れた以上、我には滅びの道しか非ず」

 

 金髪少女は、他に方法がないと、こうするしかないと哀しげな表情で言う。

 そんな彼女を見た白髪少女は、平気ですよ、と笑いかけ、

 

「私に任せてください。私が貴女を―――解放します」

 

「解、放………?」

 

「はい。『―――――』。貴女が〝――〟を背負うのは重すぎます。だから私が貴女を蝕む残酷な運命を―――断ち切ろう!」

 

「………!?」

 

「え!?」

 

 金髪少女と古城は驚愕に瞳を見開く。白髪少女の背中から極光(オーロラ)に輝く魔力の翼が生えたのを目撃したからだ。

 その翼は六対十二枚。〝――〟が背に生やした三対六枚の倍だ。それを意味するのはたった一つ。

 白髪少女は―――第四真祖の眷獣を十二体、即ち全ての眷獣を従える権限を有しているのだった。

 

「―――違いますよ、古城。私は『―――――』達とは違い、この身に眷獣は一体も宿していません」

 

「え?」

 

「私の中にあるのは『――』の、〝――〟の『――』のみ。そして私が扱えるのは―――第四真祖の眷獣の能力(ちから)だけで、眷獣は召喚できません」

 

 白髪少女の言葉を聞いて、古城と金髪少女はハッと思い出す。

 確かに自分達と戦った彼女は、眷獣を一切召喚しなかった。それは召喚しないのではなく、召喚出来ないからだったのだ。

 眷獣を使役出来ず、傷も癒えない彼女は、もはや吸血鬼とは言わない。

〝――〟の『――』が与えられ、眷獣の能力のみを行使出来る特異な人形―――それが彼女の正体だった。

 白髪少女は、古城と金髪少女を見つめ、微笑んだ。

 

「話はこれでお仕舞いです。では『―――――』、目を閉じて」

 

「う、承った………!」

 

 金髪少女は頷き目を閉じた。身動きが取れない古城は、そんな彼女をただ見守る。

 白髪少女は、金髪少女が目を閉じていることを確認すると、右腕を掲げて告げた。

 

「………()の者達の『―――』を断ち切れ―――〝―――――〟!」

 

 その刹那、白髪少女の全身を包む銀水晶の魔力の輝きは、虹のような輝きに変わる。

 掲げていた右手の中に現れたのは―――光り輝く黄金の長剣。

 それを見た古城は嫌な予感がして思わず叫んだ。

 

「ま、待てよ『―――』!その剣で、『―――――』を斬るつもりか!?」

 

 だが白髪少女は、大丈夫、と古城に伝えると、金髪少女に光剣を振り下ろした。

 

「やめろ。やめろ、『―――』!『―――――』―――っ!!」

 

 古城の悲痛の叫びも虚しく、白髪少女の持つ光剣が、金髪少女を斬り下ろした。

 

 

 其処で古城の夢は途切れ、新しい朝を迎えた。



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転校生のお知らせ

「………ん」

 

 古城は耳障りなアナログ式目覚まし時計のベルの音で起きた。

 苦悶の息を吐き、その時計を手探りで黙らせると、寝返りを打ち―――

 

「………は?」

 

 古城の眼前に真っ白い髪の少女が、人形少女・レイが健やかな寝息を立てて眠っていた。

 彼女の愛らしい寝顔を見つめたまま暫しの間、古城は固まる。

 だが、それは直ぐに終わりを告げた。何故なら、

 

「―――古城君、起きてる?目覚まし鳴ってたし今日も追試あるんでしょ。朝ご飯、作ってあるから早く食べちゃってよ。洗い物片づかないから」

 

 古城の妹・凪沙の声が扉越しに聞こえてきたからだ。律儀にドアをノックしながら。

 ………まずい。非常にまずい。この状態を妹にでも見られたらあらぬ誤解を受けるのはほぼ確定だ。

 古城の隣に眠っているのは人形。だが、凪沙はレイを人形ではなく女の子として接している。それが何を意味するか。想像するだに恐ろしい。

 きっと古城に『幼女と就寝を共にする変態のロリコン』というレッテルが貼り付けられるだろう。

 そんなのは御免だ。古城はレイの小柄な身体を持ち上げて、急いで布団の中に隠した。

 それとほぼ同時に古城の部屋が開けられ、凪沙が中に入ってきた。

 

「あ、起きてたんだ。よかった。レイちゃんに起こしに行かせたのは正解だったみたい」

 

「え?」

 

 凪沙は短パンにタンクトップのラフな恰好の上にオレンジ色のエプロンをつけていた。が、妹の姿よりも、彼女の言葉を聞いて、古城は瞳を見開く。

 ………レイが起こしに来ていた?

 つまり、彼女が古城のベッドに潜り込んできていたのは、彼女が古城を起こしに部屋を訪れ、中々起きない古城を待っていたら、いつの間にか彼女も眠ってしまったということか。

 なんだそういうことか、と古城は安堵の息を洩らし、

 

「それはそうと、レイちゃんはどこ?古城君を起こしに行ってから、この部屋から出て行ってないはずだけど」

 

「………!?」

 

 凪沙がキョロキョロと見回しながら訊いてきて、古城はピシリと石化したように固まった。

 一難去ってなんとやら。古城はレイが勝手に自分の部屋に来たと予想して布団の中に隠したのは失敗だった。

 凪沙がレイの行動を把握していたとなると、古城がレイを隠した行為は逆に誤解を招く可能性が高い。

 つまり、レイを布団の中に隠したことがバレたら非常にまずい。故に古城は凪沙にこう言った。

 

「あ、あー………レイならたしか、俺が起きたのを確認したら部屋を出て行ったっけな」

 

「え?それ、本当?あたし、古城君が起きたら報告しにきて、ってレイちゃんにお願いしたはずなんだけどなあ………忘れちゃったのかな?」

 

「そ、そうなんだ………へえ………」

 

 冷や汗をダラダラと流す古城。レイに限って約束をすっぽかすのは考えられない。何せ相手は古城の妹で、レイが彼女のことも慕っているからだ。

 なんとも苦しい言い逃れをしたな、と古城は溜め息を吐いた。

 そんな彼を凪沙が怪訝な顔で見つめ、

 

「どうしたの、古城君。溜め息なんかついちゃって」

 

「え?あ、いや。べつになんでもないよ」

 

 古城は慌てて平静を装って返す。それに凪沙は、そう、と相槌を打ち部屋を出て行こうとした。が、何か思い出したように振り返り、

 

「あ、じゃない。起きてたなら早くそこどいて。お布団干すから」

 

「え!?」

 

 古城はぎょっと目を剥いた。布団を干す………即ち、布団を捲られレイを隠していることがバレる―――!

 

「ちょっと待ったァ!」

 

「は?」

 

 いきなり吼えた兄に、凪沙は目を瞬かせる。一体どうしたのかと。

 そんな妹に、古城は布団を奪われまいと握り締め告げた。

 

「今日は気分がいいし、布団は俺が干しとくよ」

 

「え?古城君が?」

 

「ああ。だから凪沙は先に洗い物を始めててくれ」

 

 古城が早口にそう言うと、凪沙は疑わしい目を向けてきて、

 

「怪しい。ものすっごく怪しいよ、古城君。朝起きるのでさえ気だるそうな古城君が、凪沙の代わりにお布団を干すなんて今まで言われたためしがないよ」

 

「う………いや、ほら。本当に今日は平気なんだって!だからさ、凪―――」

 

 が、古城の言葉は此処で途切れる。それは布団がもぞもぞと動き出したからだ。

 やめろ。頼むから今出て来ないでくれ………!

 古城は必死に心の中で叫ぶ。レイに伝わることを信じて。

 しかし、現実はそう甘く出来てはいなかった。古城の思いも虚しく、布団の中からひょこっと真っ白い髪の少女が顔を覗かせる。

 

「むにゃ………(ヌシ)様、おはようございます………」

 

 眠い目を擦りながら古城を見上げて挨拶するレイ。そんな彼女に、古城は頬を引き攣らせながら、お、おう、と返す。

 そして彼は恐る恐る凪沙の顔を窺い見る。すると、凪沙はとても良い笑顔でニッコリと笑い、

 

「古城君。これはいったいどういうことかな?レイちゃんは古城君の部屋から出て行ったんじゃなかったの?ねえ、凪沙にもわかるように、そこんとこくわーしく教えてくれるよね?」

 

 矢継ぎ早に質問してくる凪沙。青筋が浮かんでいるように見えたのはきっと見間違いだ。否、見間違いであって欲しい。

 古城はそんなことを願いつつも、痛い頭を抱え、

 

「勘弁してくれ………」

 

 誰に言うわけでもない言葉を弱々しく呟いた。そんな彼の隣で、レイは状況が読めずに頭上に疑問符を浮かべながら小首を傾げた。

 

 

 

 

 顔立ちはそれなりに可愛らしく、成績も悪くなくそこそこで、家事全般も器用にこなせる。故に凪沙は出来の良い妹だと、古城は自負している。

 だが、病的なまでの清潔好きで片付け魔であることと、口数の多さという欠点がある。

 誰に対してもというわけではないが、心を許した家族に対しては容赦なしだ。況してや口喧嘩では勝てる気がしない。

 ………そういえば、レイには初対面にも関わらず口数の多い感想を述べていた。彼女はよっぽど気に入られたのだろうか。

 それとも、実は初対面ではなく知らない間にお互いが既に出会っていたのか。―――いや、まさか。それはないだろう。

 凪沙は裏表のない性格で他人の悪口は滅多に口にしない。腹黒い裏の顔を持っていたレイとは大違い。

 が、怒らせるととても恐ろしい。その犠牲者の一人は古城の親友・矢瀬だ。中学の頃、エロビデオを持ち込んだことがバレてしまい、怒り狂った凪沙の苛烈な言葉責めによって暫く女性恐怖症に陥ったほどだ。

 そして、凪沙には別の問題が一つ。それは魔族に対してトラウマがあるということだ。

 四年前に起きたローマの列車事故。それが魔族がらみのもので、凪沙はそれに巻き込まれて生死に関わるほどの重傷を負った。なんとか命は取り留めたが、その事故が切っ掛けで魔族にトラウマを持つようになった。

 レイの正体が吸血鬼だと誤解した時は、凪沙は恐怖で彼女を拒絶してしまった。だが、レイの不思議な力のおかげと誤解も解けて、今では凪沙とレイは姉妹のような関係を築きつつあるとか。

 

「―――ねえ、古城君ってば、聞いてるの!?」

 

 不意に古城は凪沙に早口で怒鳴られる。

 

「ん?何がだ?」

 

 全く別のことを考えていた古城の耳には凪沙の話は入ってきてないらしい。

 そんな彼に、凪沙の代わりにレイが言った。

 

「転校生という名前の方が来るそうなのですよ、主様」

 

「は?」

 

「違うよ、レイちゃん。転校生っていうのは名前じゃなくて、入学の時期以外に別の学校から来る生徒のことをいうの」

 

 レイの言葉を苦笑しながら訂正する凪沙。まあ、レイは〝転校生〟どころか〝学校〟すら知らないのだから間違えるのは仕方がない。

 古城はレイと凪沙の話を聞いて首を傾げる。

 

「………転校生?」

 

「うん。夏休み明けからうちのクラスに転校生が来るの。女の子。昨日、部活で学校に行ったときに先生に紹介してもらったんだあ。転校前の手続きに来てたんだって。すっごく可愛い子だったよ。そのうち絶対、高等部でも噂になると思うなあ」

 

「可愛い子なのですか?それはとても気になりますのです!」

 

「ふうん………」

 

 興味津々なレイと、興味ないと素っ気ない態度で聞き流す古城。

 

「でね、古城君。その転校生ちゃんに、なんかした?」

 

「は?なんだそりゃ?」

 

 凪沙の唐突な質問に、わけが分からず訊き返す古城。すると、レイが青白い瞳を輝かせて古城を見つめた。

 

「え?主様、既に会ったのですか!?僕の知らない間に………羨ましいのです!」

 

「いや、知らないし転校生と会った覚えはないんだが」

 

 興奮気味に訊いてくるレイに、古城は苦笑いで返した。

 一方の凪沙は何処か不機嫌そうな、真面目な表情で古城を見返し、

 

「だって訊かれたんだよ、その子に。あたしが自己紹介したら、お兄さんがいるかって。どんな人かって」

 

「………なんで?」

 

「あたしのほうが訊きたいよ。てっきり古城君と前にどこかで会ったことがあるんだと思ってたんだけど」

 

「いや、年下の知り合いはいないと思うが………」

 

 古城は腕を組んで考え込んだ。そして然り気無くレイを横目で見る。

 すると、レイの表情が険しくなっているように見えた。そんな彼女を見て、まさか()()()のことか?と古城にも嫌な予感が過る。

 

「で、おまえはなんて答えたんだ?」

 

「いちおうちゃんと説明しておいたけど、あることないこと」

 

「なにぃ?」

 

「うそうそ、本当のことしか話してないよ。この島に来る前に住んでた街のこととか、学校の成績とか、好きな食べ物とか、好きなグラビアアイドルとか、あとは矢瀬っちとか浅葱ちゃんのこととか、あとは中等部のときの大失恋の話もしたかなあ………それとレイちゃんのこともね」

 

「………!?」

 

 淀みなく答える凪沙。彼女の話を聞いて、レイの表情がますます険しくなっていく。古城もまた苛々と奥歯を鳴らした。

 

「おまえな………なんで初対面の相手に、そういうことをペラペラ話すわけ?」

 

「いや、だって可愛い子だったし?」

 

 凪沙は悪びれない口調で言う。

 

「女の子が古城君に興味を持つ機会なんて、滅多にないからさ、少しでもお役に立てればと思ったんだよね」

 

「うそつけ………単におまえが話したかっただけだろ」

 

 古城は投げ遣りな態度で息を吐いた。すると突如、レイが挙手して、

 

「凪沙様!僕も主様のことをもっともっと知りたいのです。だから主様の色々なお話を聞かせて欲しいのですよ!」

 

「な、レイ!?冗談じゃ」

 

「うん、もちろんだよ。レイちゃんも可愛い子な上に、あたしたちの家族みたいな子だからね。凪沙の知っている古城君のすべてを教えるよ」

 

「ちょ、凪沙!?頼むからやめてくれ!レイは実はとんでもなく腹黒なやつなんだ!俺の恥ずかしい過去を知られるわけにはいかないんだよ!」

 

 自分のプライバシーを守るために、必死に凪沙を説得する古城。

 腹黒?と凪沙が不思議そうにレイを見つめた。レイは小首を振って否定した。

 

「いいえ。たとえ僕が主様の恥ずかしい秘密を知ったとしても、勝手に言いふらしたりはしないのですよ。僕は主様の人形(ドール)なのです。だから主様が嫌がることは絶対にしません―――」

 

「神に誓って、か?」

 

「………!はいなのですよ♪」

 

 いつもの台詞を古城に奪われて一瞬だけ驚くレイだが、直ぐに優しく笑って頷いた。

 古城は、そうだな、と頷きかけて慌てて首を横に振った。

 

「いや、駄目だ駄目だ!たとえレイが俺の秘密を保証してくれるといっても、どのみち俺が恥ずかしい思いをするのは変わりねえだろ!?だからいくらおまえでも、教えられねえよ!」

 

「うー………主様のひとでなしぃ」

 

 古城に拒否されてレイはしょんぼりと項垂れた。そんな彼女を憐れに思った凪沙が、ポンと彼女の頭に手を乗せると優しく撫でて言った。

 

「大丈夫だよ、レイちゃん。古城君が補習に行ったあと、あたしがコッソリ古城君のこと、いっぱい教えてあげるからね」

 

「凪沙ぁ?」

 

 古城の殺気の籠った声音にドキッと凪沙の心臓が跳ねる。古城にバレてしまった時点でコッソリもへったくれもなくなったわけだが。

 レイは凪沙の気遣いに感謝するものの、首を振って言った。

 

「ありがとうなのですよ、凪沙様。ですが僕は主様が嫌がることはしないのです。だから本当は知りたかったのですが、僕は主様の秘密を知るのは諦めます………」

 

「レイ………!」

 

 レイの言葉を聞いて、古城は思わず感動した。なんて良い子なんだと。

 真実を伝えて古城を傷つけることもあった。だが、それ以上にレイは古城のことを第一に考え、彼を慕う最高の味方なのだ。

 彼女がどうして此処までして古城を想ってくれるのかは理由は分からないが、これほど心強い味方がいてくれるのはとてもありがたいことだった。

 そんな真っ直ぐなレイに凪沙も感動し、

 

「ありがとう、レイちゃん。古城君なんかのためにそこまでしてくれて」

 

「………なんかってなんだよ」

 

 凪沙の余計な言葉に唸る古城。レイはニコリと微笑み、

 

「当然なのですよ。僕は主様の人形(ドール)なのですから♪」

 

 眩しすぎる彼女の笑顔に、古城と凪沙はまともに見ることが出来ずに瞳を細めた。

 前言撤回。腹黒いなんてとんでもない。レイは古城にとって天使のような存在なのだと認識を改めた。

 それから古城は話を戻して、

 

「………それで凪沙。その転校生はなんて名前だったかわかるか?」

 

「え?あ、うん。なんか変わった名字だったよ。えっと………そう、王女様みたいなヒラヒラした感じの」

 

「ヒラヒラ?もしかして姫柊のことか?」

 

 古城が苦々しく訊き返すと、凪沙がぱあっと表情を明るくして、

 

「あ、そうそれ!姫柊雪菜ちゃん」

 

「………あいつが凪沙のクラスの転校生………だと!?」

 

「そうだよ。やっぱり古城君の知り合いだったの?ねえねえ、どこで知り合ったの?凪沙にもちゃんと説明してよ、ねえ。古城君ってば!」

 

 凪沙が何かを叫び続けていたが古城の耳には届いてなかった。やっぱりあいつだったのかと、古城は嫌な汗を全身から噴き出しながら。

 そんな彼をレイは心配そうに見上げる。

 

「………主様」

 

「………心配するな、レイ。俺は、平気だ」

 

 そう言うが、古城の握り締めた手は汗で濡れている。それを見たレイは優しく笑い、

 

「大丈夫なのですよ、主様。僕が、ついてますから」

 

「………!レイ………。そうだな、あんたがいてくれれば心強―――」

 

「何を言ってるのレイちゃん。今日はあたしとお洋服買いに行く約束のはずだよ?それにレイちゃんは生徒じゃないんだから関係者以外は基本学校の中には入っちゃ駄目。わかった?」

 

「うー………ごめんなさいなのです」

 

 レイと古城は本日別行動になるようだ。古城は追試で、レイは凪沙とお買い物。

 古城は、それなら仕方がないな、と苦笑し、凪沙とレイの二人に別れを告げて追試を受けに学校へ向かうのだった。




凪沙の部活を休みにしました。

原作でも部活の有無が不明確だったので。


追記。単なる見落としでした………部活ありが原作ですが、このままいきますので悪しからず。


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家事と教師

今回からレイsideと古城sideの同時進行です。


 追試の為、学校へ向かっていった古城をレイと凪沙が見送り、

 

「さて。古城君は追試に行ったし、洗い物を始めようかな。レイちゃん、悪いけど手伝ってくれる?」

 

「はいなのです!」

 

 レイは元気良く返事して凪沙と共に片付けを開始した。

 凪沙が皿洗いをし、それをレイが受け取り布巾で水気を拭き取る。そして食器棚に仕舞っていく。

 ものの数分で皿洗いは終わり、次は洗濯。古城が朝食を摂っている間に、彼のパジャマを洗濯機の中に入れて回したから、そろそろ切れる頃合いだ。

 脱水が終わると、洗濯機から洗濯物を取り出し、干していく。これもレイと凪沙の二人でテキパキとこなしていった。

 布団は既に凪沙が干し終えて、残るは風呂掃除やら床掃除などだが、

 

「そういえば、古城君の制服のズボンが珍しくハンガーに掛かってたけど………もしかしてレイちゃんの仕業だったりする?」

 

「え?」

 

 床掃除をしながら唐突に訊いてきた凪沙に、レイは手を止める。

 兄のだらしなさを知っている凪沙の目は誤魔化せないようだ。

 レイは申し訳なさそうに頭を下げて白状した。

 

「ごめんなさいなのです、凪沙様。古城様は僕の(ヌシ)様なので、つい勝手にやってしまったのです。だから悪いのは僕なのです」

 

「え?いや、なんでレイちゃんが謝るの?悪いのは凪沙がいつもお願いしていることができない古城君だよ。そんな出来の悪いお兄ちゃんの代わりにレイちゃんがズボンをハンガーに掛けといてくれたんだよね?ありがとう」

 

「そ、そんな………僕には勿体無いお言―――はにゃー♪」

 

 凪沙に頭を優しく撫でられて、レイはうっとりとした表情で瞳を細めた。

 古城に頭を撫でられるのは勿論、嬉しい。が、それ以上に凪沙の撫で加減の方が上だったらしい。

 そんなレイを凪沙は笑顔で見つめて、

 

「ねえ、レイちゃん」

 

「なんですか、凪沙様?」

 

「凪沙のお願い………聞いてくれる?」

 

「………?お願い、なのですか?」

 

 レイが訊き返すと、凪沙はフッと真剣な表情で言った。

 

「あたしのことは、様付けじゃなくて呼び捨てにして欲しいかな」

 

「え?」

 

「え?じゃないよ。古城君を様付けするのは構わないけど、凪沙は様付け嫌だなあ。なんか他人行儀みたいだし、レイちゃんと距離を感じちゃうの」

 

「……………」

 

「レイちゃんはあたしたちの家族同然なんだからさ、遠慮しなくていいんだよ?逆に遠慮されちゃったら壁があるみたいであたしは悲しいかな」

 

「凪沙様………」

 

 凪沙の言葉にレイは嬉しく思った。

 暁家に来てまだ三日目だというのに、凪沙はレイを家族の一員として面倒を見てくれている。

 それだけじゃない。人形のレイを普通の女の子として見て接してくれるし、実の妹のように想ってくれている。

 凪沙が兄だけでなく、妹もしくは弟が欲しかったからという理由かもしれないが、それでもとても嬉しかった。

 こんなにも優しい彼女だからこそ、()()()のことも救ってくれたのだろう。

 ならば凪沙のお願いを聞くとしようか。本当は彼女に敬意を払い続けたかったが、本人がそれを否とするならこのまま様付けするのは逆効果なのだろうから。

 レイはそう決めると、ニコリと微笑み言った。

 

「分かったのですよ。()()が望むのならば、僕はそれに従いますのです」

 

「………レイちゃん!ごめんね、あたしのワガママを聞いてくれて。とても嬉しいよ。改めてよろしくね、レイちゃん」

 

「はいなのです。こちらこそよろしくなのですよ、()()

 

「うんうん!よろしくー!」

 

 初めてレイに『凪沙』と呼ばれて機嫌を良くした凪沙。そんな彼女を見て、レイも笑顔になる。

 その後、レイと凪沙は手分けして掃除を行い、それを終えると、凪沙は頷き、

 

「うん、今日も完璧。手伝ってくれてありがとうね、レイちゃん」

 

「ふふ、どういたしましてなのですよ、凪沙」

 

 えへんと胸は張らずににこやかに笑って返すレイ。

 さて、と凪沙がレイの手首を掴み、

 

「それじゃあ、買い物に行こっか。レイちゃん」

 

「はいなのです♪」

 

 家事を終えたレイと凪沙は、レイの服を買いに出掛けた。

 

 

 

 

 南宮那月。彼女は彩海学園の英語教師である。

 自称二十六歳だが、実際はそれよりもかなり若く………というより幼女と言っていい。

 顔の輪郭も体つきも兎に角小柄で、まるで人形のよう―――否、実際に人形(ニセモノ)なのだが、その事を古城達は知らない。

 そんな彼女だが、何処かの華族の血を引いているとかで、妙な威厳とカリスマ性があったりもして、教師としては有能、生徒からの評判も悪くはない。

 一つの問題―――時と場所を弁えるという要素が欠落しているファッションセンスを除けば。

 

「あのー………暑くないんすか、那月ちゃん?」

 

 茹だるような猛暑の中、だらしなく制服を着崩した古城が訊いた。ちなみに追試に来ている生徒は古城のみで、エアコンは使わせてもらえないでいる。

 そんな状況に立たされていた古城は、レイが必死に下敷きでパタパタと扇いでくれていたあの生温い微風が恋しくなる。

 古城は年下にしか見えない担任教師監督の下、『後期原始人の神話の型の研究』なる怪しい英文を翻訳させられながら、ふとそう思った。

 

「教師をちゃん付けで呼ぶなと言ってるだろう」

 

 教壇の中央に陣取る那月は、何処から運んできたのか不明なビロード張りの豪華な椅子に凭れ、淹れたての熱い紅茶を飲んでいる。

 レースアップした黒のワンピースの襟元や袖口からはフリルが覗き、腰回りは編み上げのコルセットで飾り立てている、ゴスロリと呼ぶには少々上品な恰好をしている教師―――いや、愛らしく着飾られた幼女にしか見えない。純白の涼しげなワンピースを着ているレイとは、まさに対照的な恰好である。

 彼女の恰好は教師が着るような服装ではないし、何より、唯でさえ暑苦しい状況に立たされている古城にとっては目の毒でしかない。まあ、似合ってないといえば嘘になるが。

 が、当事者である那月は、黒レースの扇子で優雅に扇ぎながら平然と答えた。

 

「この程度の暑さなど、夏の有明に比べれば、どうということはない」

 

「いや………見てるこっちのほうが暑いんですけどね」

 

 幼女という点では、うちのレイの恰好を是非見倣って欲しいと古城は思った。………割と本気で。

 

「それでいったいなにを飲んでるんですか、自分だけ」

 

「うむ。セイロンのキャンディ茶葉をベースに、ハーブで軽くフレーバーをつけてみた。適量のブランデーが紅茶の味わいを引き立てているな」

 

「補習を受けてる生徒の前でアルコールの匂いを振りまくのもどうかと思うんですが………俺はもう帰ってもいいんですかね?」

 

「酒でも飲まなきゃ夏休みに試験監督なんかやってられるか。採点するから少し待て」

 

 那月は洋酒の匂いを漂わせながら、古城の追試の解答用紙を摘まみ上げ、高速で採点していく。

 

「ふん。まあ、いいだろう。残りの試験勉強も済ませておけよ」

 

「へーい」

 

 那月の許可を得た古城は、気の抜けた返事をして机の上の荷物を片付け始めた。その様子を那月はティーカップを傾けながら黙って見ていたが、ふと思い出したように質問した。

 

「そうだ、暁。昨日、アイランド・ウエストのショッピングモールで、眷獣をぶっ放したバカな吸血鬼(コウモリ)がいたらしい。おまえ、なにか知らないか?」

 

「え?」

 

 那月の唐突な質問に、古城は思わず動きを止める。何故なら、その内容は古城にとって心当たりがありすぎだったからだ。

 だが、古城は面倒事を回避する為にも、ぎこちない動きではあったが首を振った。それに那月は、ふん、と息を吐き、

 

「そうか。ならいい。私はてっきり、おまえの正体を知って尾け回していた攻魔師が、そこらの野良吸血鬼と遭遇して揉めたんじゃないかと心配していたんだ」

 

 まるで見て来たような口振りで言ってくる那月に、古城は引き攣った笑みを浮かべた。()の魔族達を撃退したのは姫柊雪菜だけではなくレイも関わっていたわけだが、強ち間違っていないので内心、冷や汗が止まらない。

 

「は、ははっ………まさかそんな………」

 

「そうだな。まあいい。なにか気づいたことがあったら、私に知らせろ」

 

 そう言って意外にあっさりと引き下がる那月。そんな彼女にホッと安堵の息を吐く古城。

 那月は英語教師だけでなく、もう一つ―――攻魔師という肩書きを持っている。

 魔族特区内の教育機関には生徒の保護の為、一定の割合で国家攻魔官の資格を持つ職員を配置することが条例で義務付けられており、那月もその一人。しかも実戦経験者で特区警備隊(アイランド・ガード)の指導教官も兼任しているんだとか。

 そして那月は古城の正体を、第四真祖であるということを知っている数少ない人間の一人。彼が学校に通えているのは彼女のお陰なのだ。

 

「ああ、そういえば、ちょっと訊きたいことがあったんですけど」

 

 ふと思い出したように顔を上げて訊ねようとすると、那月が鬱陶しげな目付きで見返してきた。

 

「なんだ」

 

「獅子王機関………って知ってます?」

 

 古城が訊くと那月は沈黙し、露骨に不機嫌な表情を浮かべて立ち上がる。

 

「どうしておまえが、その名前を知っている?」

 

「いや、知ってるというか、ちょっと小耳に挟んだだけなんだけど」

 

「ほう。そうか、それは詳しく事情を聞かせてもらいたいものだな。挟んだのは、この耳か?」

 

 グイッと古城の耳を容赦なく引っ張る那月。その仕打ちに古城は、痛て痛て、と悲鳴を上げた。

 

「………もしかして、なにか怒ってます?」

 

「嫌な名前を聞いて、少々むかついているだけだ。連中は私の商売敵だからな」

 

 そう言って荒々しく息を吐いた那月は、古城を解放する。古城は痛む耳朶を押さえながら、

 

「商売敵って………国家攻魔官の?」

 

「ついでに言うと連中はおまえの天敵だ」

 

 那月は古城を見下ろして警告する。

 

「たとえ真祖が相手でも、やつらは本気で殺しに来るぞ。連中はそのために造られたんだからな。獅子王機関の関係者には、せいぜい近づかないようにするんだな」

 

「………造られた?」

 

 古城が怪訝顔で訊き返すと、那月は、喋りすぎたな、と内心で呟き舌打ちする。それ以上は何も言うとしなかった。

 一方、古城は『獅子王機関』がどういう存在なのかを那月から聞いて、別の意味で不安が過っていた。

 それは、もしも姫柊雪菜がその『獅子王機関』の関係者であり、古城を殺しに来た存在だとしたら、レイがその人間を逆に殺すかもしれないということだった。

 ()の吸血鬼男を追っ払った時のレイは、とても追い返すだけの口実とは思えなかった。もしレイの忠告を無視してあの場に彼が残っていたら………そう思うと身震いしてきた。

 レイの主だからなのか、古城には分かるのだ。彼女は古城に危害を加える存在に対しては、容赦しないかもしれないということを。

 そんな古城をニヤリと笑って那月が見つめてきて、

 

「どうした、暁?獅子王機関とやらの存在がそんなに怖いか?」

 

「え?あ、いや、そうじゃないんですよ。俺が心配なのは、むしろ獅子王機関のほうであって」

 

「は?それはどういう意味だ?」

 

 古城の不可解な発言に、眉を顰める那月。そんな彼女の反応に古城は慌てて首を横に振った。

 

「あ、いや!べつに那月ちゃんには関係ない話ですよ!」

 

「ほう?この私に隠し事とはな。いい度胸だ、暁」

 

 ずいっと古城の顔を覗き込んでくる那月。そんな互いの息が触れ合うほどの至近距離に、古城は不覚にもドキリと心臓が高鳴った。

 こう間近で見てみると、那月も結構可愛い。童顔というのが尚更そう思わせるのだろうか。………まあ、これでも教師(オトナ)だが。

 古城がそんなことを思っていると、那月がまたニヤリと笑ってからかってきた。

 

「なんだ、暁?顔が赤いようだが………まさか私に惚れたのか?年上も狙っているとは見境のないやつめ」

 

「は?なんでそうなるんだよ!つか見境ないってなんだよ!?まるで俺が今まで色んな女に手を出してきたみたいに言いやがって!」

 

「ん?違うのか?」

 

「違うわっ!」

 

 絶叫する古城を、那月はくっくっと笑いながら彼から離れた。

 何故か機嫌を良くした那月を見て、古城は首を傾げた。今のやり取りで彼女の機嫌が良くなる要素でもあったのだろうか?

 

「………あ、そうだ。那月ちゃん。中等部の職員室って、今日は開いてますかね?」

 

 古城がふと思い出したように質問すると、上機嫌だった那月の表情は納得いかないような顔へと変わり、

 

「中等部におまえがなんの用だ、暁?」

 

「ああ、いや。妹んとこの担任の笹崎先生にちょっと頼みたいことがあって」

 

「岬に?」

 

 那月の機嫌は一瞬で損なわれて嫌そうに顔を顰めた。そう言えば、同じ大学出身である那月と岬の仲は最悪なんだっけ、と古城は思い出す。そして那月の表情は露骨に刺々しくなり、

 

「中等部のやつらのことなど私が知るか。自分で行って確かめろ」

 

「………そうします」

 

「それからな、古城」

 

「はい?」

 

 古城が返事をした瞬間、那月の黒レースの扇子が彼の頭に奔った。

 

「ぐお………っ!?」

 

 しかも軽くではない。古城が普通の人間ではなく吸血鬼―――第四真祖だということを知っている那月の一撃は、頭蓋骨が陥没しそうなほどの強烈なものだった。

 古城はその衝撃に耐えきれず、仰向けに転倒した。なにすんだよ!と文句を言うとしたが、やめた。那月の怒りに満ちた表情を見たからだ。

 

「なんであいつが笹崎先生で私が那月ちゃん呼ばわりなんだ!?私をちゃん付けで呼ぶな!」

 

 那月がそう苛立たしげに言うと、スカートをふわりと翻して去っていった。

 

「くそ………体罰反対………だぜ」

 

 那月の姿が見えなくなるのと同時に、古城はそんな言葉を弱々しく呟いた。



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再会と試着

 彩海学園は中高一貫教育の共学校で、生徒数は計千二百人弱。都市(まち)の性質上、若い世代の人工が多い絃神市ではありふれた規模の学校といえよう。

 が、慢性的な土地不足は所詮、人工の島であるこの絃神市の宿命で、学園の敷地も広々とは言い難く、体育館やプール、学食などの多くの施設は中等部と高等部の共用で、その為、高等部の敷地内で中等部の生徒の姿を見かける機会も多々ある。が、逆は訪れる必要がない為、いたとしても稀である。

 そんな稀の行為を古城がしている。目的は、昨日、例のショッピングモールで拾った姫柊雪菜の落とし物―――白い財布を凪沙のクラス担任である笹崎岬に届ける為だった。が、

 

「済まんな、暁。今日は笹崎先生は来てないそうだ」

 

 顔見知りの老教師のその言葉で古城の計画はいきなり頓挫してしまった。

 

「あ、そっすか………」

 

「なにか届け物か?こちらで預かっておこうか?」

 

「ええ、まあ………そうなんですけど、今日のところは出直します。ちょっと面倒な代物なんで」

 

 古城は老教師に礼を告げて職員室をあとにした。

 面倒なことになった、と古城は思い溜め息を吐く。出来ることならさっさと持ち主に返したいところだったのだが。

 

「せめて連絡先がわかるものでも入ってればな………」

 

 そう思って、古城は何か姫柊雪菜について情報がないか探し始めた。決して疚しいことをしようとしているわけではない、と自分に言い聞かせて。

 丁寧に扱われている財布。それに微かだがいい匂いがする。これは恐らく女の子の―――姫柊雪菜の残り香なのだろう。

 姫柊雪菜………そう言えば彼女は魔族を素手で叩きのめしたんだっけ。眷獣相手に槍一本で立ち向かおうとした勇気ある少女。

 そんな彼女が、スカート捲りされて赤面していたのを古城は思い出す。現れたパステルカラーの布切れ。それに脚も綺麗だった―――

 古城が昨日の光景を思い出した途端、彼の全身を異様な渇きが襲ってきた。

 

「う………」

 

 まずい、と古城は咄嗟に口元を覆う。青ざめた顔で膝を突いて肩を震わせた。よりにもよってこのタイミングで、と唇を歪めた。その唇の隙間からは鋭く尖った犬歯が覗く。

 これは吸血鬼特有の生理現象、性的興奮により発症する吸血衝動だ。

 ―――やばいやばいやばいやばい………!

 人の血を吸いたい、という欲望が古城の肉体を支配し、視界が真っ赤に染まる錯覚を覚える。

 

「くっそ………勘弁してくれ」

 

 鼻の奥に鈍い痛みを感じながら呻く古城。口の中に広がっていくのは金臭い血の味―――鼻血だ。たったこれだけで彼の吸血衝動は収まる。血さえ飲めば収まる現象だからだ。

 ダラダラと流れ出した鼻血を拭いながら、うんざりと溜め息を吐く古城。

 そんな彼の背後にはいつの間にか中等部の子がいたらしく、その子は静かに息を吐いて言った。

 

「女子のお財布の匂いを嗅いで興奮するなんて、あなたはやはり危険な人ですね」

 

「………え!?」

 

 聞き覚えのある声に驚いて古城は振り返る。其処にいたのは、ギターケースを背負った制服姿の黒髪少女。彼女は蔑むような目付きで古城を見下ろしていた。

 

「姫柊………雪菜?」

 

「はい。なんですか?」

 

 古城が呆然と彼女の名前を呼ぶと、黒髪少女―――姫柊雪菜は表情を変えずに冷ややかに訊き返してきた。

 古城はますます放心したような表情になる。余りにも驚いたせいで吸血衝動も、鼻血も止まっており、犬歯のサイズも元通りになっていた。それを確認した古城は口元を覆っていた手を下ろした。

 

「どうしてここに?」

 

「それはこちらの台詞だと思いますけど、暁先輩?ここは中等部の校舎ですよね?」

 

「う………」

 

「それと、今日はあの子は一緒じゃないんですね」

 

「え?あ、ああ。レイのことか?あいつはうちの学校の生徒じゃないし、今ごろは凪沙のやつと買い物してるだろうな―――っ!?」

 

 古城は、思わずペラペラと喋ってしまった口を慌てて塞ぐ。これでは凪沙に文句言える立場ではないじゃないか。

 そんな古城に、雪菜はクスッと笑って、

 

「情報、感謝します」

 

「お、おう………」

 

 古城は頬を引き攣らせながら返す。勝手にバラしたことをレイが知ったら怒るだろうな、と深い溜め息を吐く。

 彼女は古城の敵に対しては容赦ない子だ。古城の正体を知る雪菜のことを、彼女は警戒していたし、もし雪菜が古城に危害を加える存在だとしたら、何をしてくるか分からない。

 一方、雪菜はレイが不在と知って安堵していた。第四真祖・暁古城の監視をするにあたって、彼女は障害になると予想していたからだ。

 レイの不在は何しろ好都合。彼女がいないこの機会に古城の、第四真祖の情報収集と監視にあたろうではないか。

 ………まあ、それは一先ず置いといて。

 

「それはそうと、そのお財布、わたしのですよね」

 

「え?あ、ああ。そう、これを届けに来たんだった。けど今日は笹崎先生が休みだって言われて」

 

 雪菜が、成る程、と頷き、然り気無くポケットティッシュを古城に差し出す。それを古城はありがたく受け取って鼻血を拭う。

 雪菜は納得したと思い気や、急に冷めた目付きで古城を見つめ、

 

「届けに来てくれたことは感謝します。ですが匂いを嗅いで、鼻血を出すほど興奮する意味がわかりません」

 

「は?いや、べつに財布の匂いで興奮したわけじゃねえよ。ただ、昨日の姫柊のことを思い出して―――」

 

「え?昨日………のっ!?」

 

 古城の言葉の意味を理解した雪菜は、無意識にスカートを押さえて後ずさる。下唇を噛んで、みるみるうちに赤面していった。

 

「き、昨日のことは忘れてください」

 

「いや、忘れろと言われても………」

 

「忘れてください」

 

「……………」

 

 雪菜に睨まれた古城は黙って肩を竦める。不毛なやり取りが続きそうな予感がしたので引いたのだ。

 

「届けに来たんでしたら、お財布、返してください」

 

 雪菜がお財布を要求する。が、古城は応じず彼女の手が届かないように財布を持つ手を高々と上げて立ち上がった。

 

「その前に話を聞かせてもらいたいな。おまえいったい何者だ?なんで俺を調べてた?」

 

「………わかりました。それは、力ずくでお財布を取り返せという意味でいいんですね」

 

 雪菜はそう言って古城を睨み、背負ったギターケースから銀色の槍―――〝雪霞狼〟を取り出そうとする。

 それに古城が姿勢を低くし、バスケのディフェンスの要領で身構える。

 互いに警戒して睨み合い、先に仕掛けようとした雪菜のお腹が、グルグルグル………という低い音が廊下に響き渡った。

 古城は無言で眉を寄せたが、雪菜の動きが止まっているのと、彼女の頬が羞恥で赤く染まっていくのを見て、そういうことか、と気まずい表情を浮かべた。

 

「えーと………もしかして、姫柊、腹が減ってる?」

 

「……………」

 

「昨日からなにも食べてないとか?あ、財布がなかったから?姫柊って、実は一人暮らしだったりする?」

 

「だ、だったらなんだっていうんですか!?」

 

 古城の質問に声を上擦らせながら答える雪菜。

 古城は少し困った顔で頭を掻き、そっと財布を雪菜に差し出す。

 

「返す代わりに昼飯、おごってくれ。財布の拾い主には、それくらいの謝礼を要求する権利があるだろ」

 

 緊張感の乏しい声音で古城がそう言うと、雪菜は何度か瞬きを繰り返して彼を見る。

 そうしている間にも雪菜のお腹がもう一度低く鳴る。まるで、雪菜には選択する余地はないのだと教えているかのように。

 

 

 

 

 一方、凪沙とレイは市内を走るモノレールを利用して絃神島西地区(アイランド・ウエスト)のショッピングモールに来ていた。

 目的は勿論、レイの服を買いに来たわけだが―――

 

「レイちゃんは何色の下着にするの?やっぱり白?清潔感のある純白はたしかにレイちゃんにぴったりだけど、ここはあえて真逆の黒なんかもいいってあたしは思うなあ。あ、それとも赤にする?勝負下着といえば赤だよね。それに真っ白なレイちゃんには似合うと思うなあ、紅白みたいだし」

 

「あ、えっと………」

 

 凪沙の忙しなく動く口から発せられる口数の多さと早さに唖然と立ち尽くすレイ。

 レイの持つ買い物カゴの中には無数の服達が入れられている。

 ブラウス、カーディガン、パーカー、ジャケット、ベスト、セーター、Tシャツ、タンクトップ、ワンピース、コート等々………最早季節なんて関係無しである。

 下に穿くものも様々で、ジーンズ、ショートパンツ、長ズボン、半ズボン、短パン、ミニスカート、ロングスカート、キュロットスカート、スパッツ、レギンス、タイツ等々。

 これだけの種類の服達が入っているのは、主に凪沙の仕業であり色々なレイの姿を見たいのだとか。まさに着せ替え人形である。

 でも嫌ではなかった。古城の妹だからというのが強いのかもしれないが、凪沙ともっと仲良くなりたいという気持ちもあるからだろう。

 それにレイ自身も創造主に与えられているこの(ワンピース)以外の服にも興味があったりした。

 

「―――レイちゃん聞いてる!?」

 

「え?な、なんですか、凪沙?」

 

 考え事をしていたレイは慌てて凪沙に返事する。と、凪沙がレイの目の前に一枚の下着を突き出してきて、

 

「こういう動物系が描かれた下着のほうがレイちゃんに似合うとあたしは思うんだけど、どうかな?」

 

「………熊さん?」

 

「うん、そうクマさん!ほら、無地もいいけど子供らしさが出るのはこっちのほうだと思って凪沙が選んだんだあ。あ、それともクマさん以外がよかった?他にもネコちゃんとかワンちゃんとかいっぱい種類あるけど」

 

「僕は子供じゃないのですよ!」

 

 体型が幼いからって子供扱いは酷いのです!とレイが叫ぶ。

 そんな彼女に凪沙は目を瞬かせて、

 

「え?レイちゃん子供じゃないの!?」

 

「はいなのです。造られたのはずっと昔なので少なくとも凪沙よりはずっと年上なのですよ。見た目で判断しては駄目なのです―――ってそんなに驚くことなのですか!?」

 

 ショックなのです、と項垂れるレイ。そんな彼女に凪沙が、ごめんね、と謝りながら頭を優しく撫でてくる。

 これこそ子供扱いされているところだから怒るべきなのだが、レイは単純かつ気持ち良いので怒れず喜んでしまう始末。

 まあ、こんな彼女だから喧嘩には発展しなくていいかもしれない。チョロすぎるのもどうかと思うが。

 ある程度着せたい服を決め終えた凪沙は、大人しくなったレイを連れて試着室へと向かった。

 

「それじゃあ試しに色々着てみて。気に入った服はこっちのカゴの中に入れて、いまいちだったのはあっちのカゴの中にお願いね」

 

「わかったのです」

 

 凪沙の指示(?)に従ってレイは山積みになっている試着用の服を持って、試着室へ入っていった。

 カーテンを閉めて試着開始………といきたいところだが、

 

「………色々ありすぎてどれから着ようか悩むのです」

 

 山積みの服を見下ろして溜め息を吐くレイ。数着どころではなく何十着もの服が入っているのだからそうなるのは仕方がないことだろう。流石に百以上はないと思うが。

 取り敢えず片っ端から着てみるのがいいだろう。動きづらい服は却下だけど。

 動きづらい服装。例えば脚が曲がりづらいのとかだとジーンズはアウト。試着する分はいいかもしれないが、俊敏に動けそうにないから購入はよそう。

 レイはそんなことを考えながらガサゴソと試着用の服を漁り―――手にしたのはアニマルパンツ。可愛らしいウサギの絵が描かれている下着だ。

 

「………っ、だから僕は子供じゃないのですよ!!」

 

 思わず叫ぶレイ。恐らくカーテンの外で待っている凪沙の頭上には疑問符が浮かんでいることだろう。

 

 

 一着目。いつの間にか追加されていた、麦わらで作られた円筒形で頭頂部が平ら、水平のツバが特徴の黒のリボンが結ばれているカンカン帽に、夏用の背中や肩を広めに開けた花柄つきの白いサンドレス。

 サンドレスは海岸や高原などで着用することを前提とした服で、常夏の島であるこの絃神市にはもってこいの服装だ。

 二着目。見頃にギャザーで余裕を持たせたピンク色のスモック・ブラウスに、ギャザーで横を三段に飾り裾部分にレースのフリルが施された白のティアード・スカート。

 ちなみにスモック・ブラウスは画家の作業着の他に、園児などの子供服に使用されるそうだが、レイはこの事を知らずに着ている。知っていたら、誰が子供ですか!と怒っていただろう。

 三着目。水色の無地Tシャツの上に、首の部分にフードと腹にポケットが付いている白のパーカー、股下が五センチ以下の黒のホットパンツ。脚が出過ぎな為、膝上まである白のニーハイソックスを穿いている。

 ホットパンツがパーカーで隠れているので穿いていないように見えるが、ちゃんと穿いている。古城が、なんで下穿いてないんだよ!とツッコミを入れてきそうな服装である。

 四着目。ローゲージの平畝編みのグレーのシェーカー・セーターに、パンツのように裾が分かれた赤色のキュロット・スカート。

 キュロット・スカートはパンツより動きやすく、下着が見える心配がないので戦闘に適した服といえよう。

 五着目。白の半袖Tシャツの上に、ニット製でVネック形状の黒のニット・ベストと、外見はスカートでインナーに足を入れる二股に分かれた青と白のチェック柄のスカパン。

 スカパンは外見が丈が短く広がりがあるスカートな為、男達は期待するかもしれないが実はパンツだったことを知った時のガッカリ感が否めない服装である。

 六着目。大きな水色のリボンを頭に付け、水色のワンピースの上にレースのフリルまみれの純白のエプロンが設けられているピナフォア(エプロンドレス)。それと白のニーハイを穿いている。

 ピナフォア(エプロンドレス)は元々は衣類の上に重ねて着るワークウェアでもあるが、子供服やメイド服、ロリータファッションとしての認知度が高い服装だ。また、『不思議の国のアリス』の主人公アリスの衣装としても良く知られている。

 

「―――ってなんでこんな服が売ってるのですか!?」

 

 レイは思わず絶叫する。確かにこんなメルヘンチックな衣装、専門店でもない限り売っているとは思えない。

 一方、アリス衣装のレイを暫し唖然とした表情で見ていた凪沙は、次の瞬間には瞳をキラキラと輝かせながら一言。

 

「か………可愛い!」

 

「へ?」

 

 きょとんとするレイに凪沙はお構い無しに抱きついた。

 

「ひゃあ!?」

 

「他の服も可愛くて似合ってたけど、この衣装があたし的には一番だなあ!伊達に人形を名乗ってるだけあるのかな?もう我慢できないから抱きしめてもいい!?もう抱きしめてるけどね」

 

 いきなり抱きつかれた為、レイはバランスを崩して凪沙ともつれ合うように試着室へ倒れ込んだ。

 盛大に尻餅をついたレイが涙目で尻を擦っていると、凪沙が、大丈夫?と手を差し伸べてくれた。その手をレイが掴んで立ち上がる。

 

「あ、ありがとうなのです、凪沙」

 

「いいよ、お礼なんて。原因はあたしにあるんだ………し」

 

 ふと凪沙の視線がレイの顔より下へ向けられる。そんな彼女を不思議そうにレイが見つめていると、

 

「………レイちゃん」

 

「はい?」

 

「スカート捲れてる」

 

「え?………あうっ!?」

 

 凪沙の指摘にレイは顔を真っ赤にしながら捲れ上がっていたスカートを急いで正す。

 

「………お見苦しいものを見せてしまいごめんなさいなのです、凪沙」

 

「え?ううん。そっちは気にしてないから大丈夫だよ。それよりも今の下着………凪沙がおすすめしたクマさんだよね?レイちゃん、子供っぽいのは嫌いだったんじゃ」

 

「………!」

 

 凪沙の疑問の声にレイは、うっ、と言葉に詰まるが、恥ずかしそうに頬を赤らめながら、

 

「………だって、凪沙が僕のために選んでくれたのですよ?だから穿かないわけにはいかないのです」

 

「レイちゃん………!」

 

 やっぱり彼女はいい子だ。自分の感情を押し殺して着たという風には思えないし、ましてや嫌々着たようにも思えない。純粋に凪沙に喜んでもらいたかったのだろう。

 そんなレイの想いを理解し、凪沙は嬉しそうな笑みを浮かべて言った。

 

「ありがとうレイちゃん!あたしとってもうれしいよ!」

 

「お、お礼なんてそんな………!僕はただ―――」

 

「じゃあ、まだまだ凪沙の着せ替え人形になってくれるんだよね?」

 

「………え?」

 

 凪沙の言葉に固まるレイ。着せ替え人形に………?それってつまり―――あの山積みになっている残り何十着以上もの服達を全て着ろということか!?

 そんなレイを凪沙が瞳を輝かせながら見つめてくる。そして結局、凪沙の輝かしい瞳には逆らえず、再びレイの試着タイムが始動した。

 レイがこの着せ替え地獄から抜け出せたのは、陽が傾き夕焼け空が絃神島を包み込んだ頃だという。




ギャザー:布を縫い縮めて寄せる(ひだ)(衣服などにつけた細長い折り目のこと)。

フリル:細い布やレースなどの片側にギャザーやプリーツ(スカートなどに取った襞、折り襞のこと)をとった襞飾り。裾・襟・袖口などにつけるもの。

ローゲージ:ニット製品の編み目の粗いもの。ゲージは編み目の疎密を表す単位。

平畝編み:畝編みは編み上がりが畝状になる編み方で、それが平たいもの。


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ハンバーガーショップにて

文字数が増していく………

今回はレイ登場しません。話題には出ますが。


 絃神島南地区(アイランド・サウス)にある大手チェーンのハンバーガーショップは、彩海学園から徒歩五分のところにある。

 其処で雪菜は復刻版クラシックテリヤキバーガーとオニオンリング、グレープフルーツジュースのセットを頼み、古城と向かい合わせでテーブル席につく。

 行儀良く両手でテリヤキバーガーを掴み、幸せそうに齧り付く雪菜をぼんやりと古城が眺めていた。

 すると、雪菜が怪訝そうに古城を睨み、

 

「なにを見てるんですか?これはわたしのなのであげませんよ」

 

「いや、べつに狙ってないから。俺はただ、姫柊も普通にハンバーガーなんか食べるんだな、と思っただけだ」

 

「どういう意味です?」

 

 ムッと眉を顰めて訊き返す雪菜。それに古城は氷だらけの薄いアイスコーヒーを啜りながら答えた。

 

「いや、なんとなく、こういう店とは縁がなさそうな印象があったから。ナイフとフォークはどこですか、とか言い出しそうなイメージが………」

 

「よくわかりませんけど、もしかして馬鹿にしてますか?」

 

「え?いや、べつに馬鹿にしてるわけではないんだが………ただ俺は姫柊にそういうイメージがあるだけで」

 

 言い訳を始める古城に、雪菜は、はぁ、と溜め息を吐いた。

 

「たしかに高神の杜がある街は都会じゃないですけど、ハンバーガーくらいは売ってますよ」

 

「………高神の杜?姫柊が前にいた学校のことか?」

 

「はい。表向きは神道系の女子校ということになっています」

 

「表向き?ってことは、裏があるのか?」

 

「………獅子王機関の養成所です。獅子王機関のことは知ってますよね?」

 

「いや、知らんが」

 

 古城が首を横に振ると、雪菜が、は?と目を瞬かせた。

 

「どうして知らないんですか」

 

「そんな知ってて当然みたいに言われても………初めて聞いたぞ、そんな名前」

 

 古城が渋い表情で言うと、雪菜は、え?と困ったように呟いた。

 

「獅子王機関は、国家公安委員会に設置されている特務機関です」

 

「特務機関?公務員ってことか?」

 

「はい。大規模な魔導災害や魔導テロを阻止するための、情報収集や謀略工作を行う機関です。もともとは平安時代に宮中を怨霊や妖から護っていた滝口武者が源流(ルーツ)なので、今の日本政府よりも古い組織なんですけど」

 

源流(ルーツ)とかはよくわからないけど………要するに公安警察みたいなものか」

 

 そう言って古城は一応納得する。

 

「で、養成所から来たってことは、姫柊もその獅子王機関の関係者なわけだ」

 

「はい………仮採用(みならい)ですけど」

 

 雪菜がそう答えると、成る程、と再び納得する古城。

 

「だったら姫柊が俺たちを尾けてたのはどうしてだ?その特務機関ってのは、魔導災害やテロの対策が仕事なんだろ?俺やレイとは関係なくないか?」

 

「え?」

 

「尾行してただろ、昨日」

 

「まさか気づいてたんですか………!?」

 

「え?いや、気づかれてないと思ってたのか、あれで」

 

 雪菜が驚いたことを古城が逆に驚くと、彼女は、う、と弱々しく呻いた。

 

「それもありますけど………あの、暁………先輩?ひょっとしてご存じないんですか?」

 

「なにをだ?」

 

「………レイさんはともかく、先輩は、存在自体が戦争やテロと同じ扱いなんですよ」

 

「は?」

 

夜の帝国(ドミニオン)を支配する真祖は、彼ら自身が一国の軍隊と同格なんです。当然、第四真祖も同じ扱いになります。先輩が日本国内で問題を起こした場合、犯罪ではなく侵略行為と見なされるわけです。だから警察庁の攻魔局ではなく、獅子王機関が動いたんだと思いますけど」

 

「軍隊と同じ扱いって………なんだそれ………?いったい誰がそんなことを………」

 

 流石に古城は動揺を隠せない。戦争やテロと同じ扱い。つまり存在しているだけで国家的な非常事態。人間扱いどころか、生物扱いすらしてもらえないとかあんまりだ。

 

「先輩、本当に知らなかったんですね………」

 

 雪菜が呆れたように溜め息を吐いた。彼女の浮かべた憐れみの表情を見た古城はカチンと来たが、心を落ち着かせる為に自棄食いのような勢いでフライドポテトを口に突っ込みながら言った。

 

「ほかの真祖のことはともかく、俺はそんな扱いされる覚えはねーぞ。俺はなにもしてないし、支配する帝国なんかどこにもねーし」

 

「そうですね」

 

 雪菜が静かに頷くと、古城に冷たく攻撃的な眼差しを向けて訊いた。

 

「わたしもそれを訊きたいと思ってました。先輩は、ここでなにをするつもりなんですか?」

 

「なにをする………って、なんだ?」

 

「昨日、先輩の妹さんに会って話を聞きました」

 

「ああ………らしいな」

 

「あなたは、自分が吸血鬼であることを妹さんにも隠してますよね」

 

「まあ、そうだけど………」

 

「家族にも正体を隠して魔族特区に潜伏しているのは、なにか目的があるんじゃないですか?たとえば、絃神島を陰から支配して、登録魔族たちを自分の軍勢に加えようとしているとか。あるいは自分の快楽のために彼らを虐殺しようとしているとか………なんて恐ろしい!」

 

 何処か思い詰めたような、或いは妄想しているような口調で雪菜が呟くと、古城は、なんでそうなる、と低く唸った。

 

「いや、だから待ってくれ。姫柊はなにか誤解してないか?」

 

「誤解?」

 

「潜伏するもなにも、俺は吸血鬼になる前からこの街に住んでたわけなんだが」

 

「………吸血鬼になる前から………ですか?」

 

「ああ。記録でもなんでも好きに調べてくれ。俺がこういう体質になったのは今年の春だし、この島に引っ越してきたのは中学のときだから、もう四年近く前の話だぞ」

 

 古城が苦々しげな口調で説明する。

 古城は生まれついての吸血鬼ではなく、ほんの三カ月と少し前まで彼は魔族ではなく普通の人間だった。が、今年の春、とある事件に巻き込まれたことで彼の運命は変わった。彼は其処で第四真祖と名乗る人物に出会い、その能力と命を奪った。

 しかし雪菜は信じられないという風に首を横に振る。

 

「そんなはずはありません。第四真祖が人間だったなんて」

 

「え?いや、そんなことを言われても実際そうなんだし」

 

「普通の人間が、途中で吸血鬼に変わることなどあり得ません。たとえ吸血鬼に血を吸われて感染したとしても、それは単なる〝血の従者〟―――疑似吸血鬼です」

 

「ああ。そうらしいな」

 

「だったら、どうしてそんなすぐバレる嘘をつくんですか?」

 

「べつに嘘をついてるわけじゃねーよ」

 

「というより、レイさんが先輩の〝血の従者〟だったりするんじゃないんですか?あの子は先輩を慕っていましたし」

 

「いや、べつにレイは俺の………〝血の従者〟なのか?」

 

 ふと疑問に思った古城は首を傾げる。たしかレイは古城の血を飲んで起動したんだっけか。ならある意味、彼女は古城の〝血の従者〟と言えるのかもしれない。それなら彼女が古城を慕うのも納得がいく。

 

「先輩………?どうかしましたか?」

 

「え?あ、いや、なんでもない。続けてくれ」

 

 古城は思考を中断して促す。雪菜は、はぁ、と溜め息を吐きながらも頷いて続けた。

 

「レイさんが何者かはいったん置いときましょう。ですがね、先輩。真祖というのは、今は亡き神々に不死の呪いを受けた、もっとも旧き原初の吸血鬼のことですよ」

 

「いちおうそれくらいは俺も知ってるが………」

 

「普通の人間が真祖になるためには、失われた神々の秘呪で自ら不死者になるしかないんです。先輩にそんなことができるとでも?」

 

「いや、まさか。さすがに神様の知り合いはいねーよ」

 

「だったらどうやって吸血鬼になったというんですか。真祖になる手段なんてあとはもう―――」

 

 其処まで言って不意に雪菜は何かに気づいたように言葉を切った。その顔色が微かに青ざめる。融合捕食。即ち真祖喰いを思い出して。

 

「先輩………まさか、あなたは………真祖を喰らって、その能力を自らに取りこんだとでも………!?だけど、そんなことが………」

 

 雪菜の表情から少し前までの柔らかさが消えて、代わりに畏怖の感情が浮かんでいた。

 真祖の存在を喰らってその能力と呪いを自らの内部に取り込み真祖になる。

 だが、魔力の劣る者が神々に近い力を持つ真祖を取り込むことなど出来るはずもなく、下手に手を出せば逆に自分自身の存在を吸い尽くされて消滅するだけ。ただの人間なら尚更あり得ないことだ。

 

「真祖を喰った………って、そんな人をゲテモノ喰いの変人みたいに言わないでくれ」

 

 古城はだらしなく頬杖を突いてアイスコーヒーを啜った。雪菜は険しい表情のまま、

 

「だったら、ほかにどうやって真祖の力を手に入れたと言うんですか」

 

「悪いけど、詳しいことは俺にも説明できないんだ。俺はただこの厄介な体質を、あの馬鹿に押しつけられただけだからさ」

 

「押しつけられた………?」

 

 驚いたように目を瞬かせる雪菜。

 

「先輩は、自分の意志で吸血鬼になったわけではないんですか?」

 

「誰が好きこのんでそんなもんになりたがるか」

 

 古城が投げ遣りな口調で言うと、雪菜は疑惑の眼差しで彼を睨み、

 

「あの馬鹿というのは誰ですか?」

 

「第四真祖だよ。先代の」

 

「先代の第四真祖………!?」

 

 雪菜が愕然として息を呑む。

 

「まさか、本物の〝焔光の夜伯(カレイドブラッド)〟のことですか!?先輩は、あの方の能力を受け継いだとでも?どうして第四真祖が先輩を後継者に選ぶんですか?そもそもなぜあの〝焔光の夜伯(カレイドブラッド)〟なんかに遭遇したりしたんです?」

 

「いや、それは………っ!?」

 

 言いかけた古城の顔が突然、激しい苦痛に襲われたように歪み、飲みかけのコーヒーカップを倒して中身を零してしまう。

 しかし古城はそれにも気づかずにテーブルの上に顔を伏せ、頭を抱えた。噛み締めた唇から苦悶するような吐息が洩れる。失われた記憶が古城の全身を呪いのように苛んでいる。

 

「せ、先輩?」

 

 古城が見せた全く予想外の反応に狼狽えるような声を出す雪菜。

 

「悪い、姫柊………その話は今は勘弁してくれ」

 

 しかし古城は顔を上げられず、見えない杭に貫かれたような激しく疼く心臓を押さえてただ苦しげに息を吐き、弱々しい口調で返した。

 古城の脳裏に浮かんだのは一人の少女の姿。もう顔すら思い出せない彼女が、炎の中で笑っている。今朝、夢で見た時に出てきた少女と良く似ていた。

 そんな古城に雪菜が小さく首を傾げた。

 

「え?」

 

「俺には、その日の記憶がないんだ。無理に思い出そうとするとこのザマだ」

 

「そう………なんですか?わかりました………それじゃあ、仕方ないですね」

 

 ようやく顔を上げた古城を見て、ホッとしたような表情を浮かべる雪菜。そんな彼女に古城の方が拍子抜けして、

 

「信じてくれるのか?」

 

「はい。先輩が嘘をついてるかそうでないかくらいは、だいたいわかりますから」

 

 雪菜が当然のような口調で言うと、立ち上がり紙ナプキンでテーブルに零れたコーヒーを拭き取る。

 それから彼女はハンカチを取り出して古城の隣に屈み込んで言った。

 

「こっちを向いてください。ズボン、拭きますから」

 

「あ、いや。いいよ、そこは」

 

「染みになっちゃいますよ。ほら」

 

 そう言って雪菜が古城のズボンに手を伸ばす。彼女の細い指先で太腿やもっと上のデリケートな部分などを触られて古城は呼吸も身動きも出来ない。

 そんな彼に雪菜はお構いなしに作業を続ける。そして古城の両脚の間に屈み込んでいた彼女は、無防備に白いうなじを晒したまま話し始めた。

 

「わたし、獅子王機関から先輩のことを監視するように命令されてたんですけど………それから、先輩がもし危険な存在なら抹殺するようにとも」

 

「ま………抹殺?」

 

 平然と告げられた不穏な言葉に古城は硬直する。が、雪菜は穏やかな口調で、

 

「その理由がわかったような気がします。先輩は少し自覚が足りません。とても危うい感じがします」

 

「いや、姫柊もそうとう危なっかしいと思うが。財布も落とすし」

 

「なにか、言いましたか先輩?」

 

「………いや、なんでもないです」

 

 良い笑顔とは裏腹に冷たすぎる声音の雪菜に、古城は冷や汗を掻く。

 

「とにかく、今日から先輩のことはわたしが監視しますから、くれぐれも変なことはしないでくださいね。まだ先輩のことを全面的に信用したわけではないですから」

 

「監視………ね」

 

 まあいいか、と古城は肩の力を抜く。監視くらいならレイも目を瞑ってくれるだろう。

 

「そうだ、姫柊。凪沙のことなんだけど」

 

 古城はふと不安に駆られて雪菜を見るが、彼女は少し悪戯っぽい笑顔で頷いて言った。

 

「わかってます。先輩が吸血鬼だってことは内緒にしておきます。ですから、わたしのことも」

 

「ああ。普通の転校生ってことにしとけばいいんだろ」

 

「ありがとうございます」

 

 肩を竦めて答える古城に、雪菜はお礼を言って立ち上がった。

 だが、あ、と古城は思い出したように雪菜に告げた。

 

「レイにも、姫柊の正体を隠しとかねえとな」

 

「え?レイさんに………ですか?」

 

 古城の言葉に不思議そうな表情で訊き返す雪菜。それに古城は、ああ、と頷き、

 

「あいつは俺のことを第一に考えて行動してくれるいい子だけど………その反面、俺の敵には容赦ないからさ」

 

「ああ………たしかにそんな素振りを見せてましたね」

 

 魔族二人組の件を思い出して苦笑いを浮かべる雪菜。彼女もレイの豹変っぷりに驚愕していたのだ。

 

「だろ?だからさ、監視っていうキーワードならまだセーフかもしれないからいいけど」

 

「『抹殺しにきた』という言葉は口にするな、ってことですね」

 

「ああ。姫柊が俺を殺しにきた刺客………なんてことがバレたら、あいつは最悪、返り討ちにするかもしれないしな」

 

 古城が真剣な表情で言うと、雪菜は、大丈夫です、と返し、

 

「逆にわたしが、彼女を返り討ちにしますから」

 

「いや、それだけはやめてくれよな!そういうのは本当にどうしようもなくなったときの最終手段にしてくれ。頼むから」

 

「はい。もちろん冗談ですよ。その最悪な結末を迎えないように、先輩が彼女を説得してくれるんですよね?」

 

「え?あ、おう。任せろ。レイの説得ならたぶんなんとかなると思う。『姫柊を殺すな』って一言告げれば、レイなら守ってくれるだろ」

 

 うんうん、と頷く古城。そんな彼を雪菜がクスッと笑い、

 

「先輩は、レイさんのことを信用しているんですね」

 

「そうだな。あいつは俺のことを信用してくれてるんだ。だから俺もあいつのことを信用してやらなきゃ駄目だろ。………まあ、俺にも教えてくれない秘密があいつにはあるけど」

 

「秘密、ですか?」

 

 雪菜が真剣な表情で古城を見つめてくる。それに彼は、ああ、と頷き、

 

「悪いが俺もレイの正体を詳しくは知らないんだ。わかるのは、俺の〝血〟で動く―――ってことくらいだな」

 

「先輩の〝血〟で………ですか?」

 

 雪菜はきょとんとした表情で固まった。

 古城の〝血〟がレイの動力源。ならば、その魔力の拠り所である〝血〟は、古城の〝血〟には第四真祖の魔力が含まれているはずだ。

 ならばレイが魔力を行使出来たのも納得がいく。但しそれはレイが古城の〝血の従者〟であるならの話だが。

〝血の従者〟。それは吸血鬼が自らの肉体の一部を与えて創り出す疑似吸血鬼。血を与えることで従者を創り出すことが出来るとされるが、更に強力な従者を創り出す為により重要な臓器を与えることがあるともいわれている。

 ………いや、臓器の話は今は関係ない。問題はレイが古城の〝血〟を取り込んで〝血の従者〟になっているか否かだ。

 そもそも、レイは人間ではなく人形だという。人形を〝血の従者〟にすることは可能なのだろうか?それとも〝血〟ではなく、第四真祖の魔力が与えられることで起動する術式がレイには組み込まれているのか?

 その疑問はさておき、レイの使用した魔力の正体がわかった。それは古城の―――第四真祖の魔力だったのだ。

 だとしたら、レイが行使した他者の眷獣を支配する銀水晶の魔力。あれは第四真祖の眷獣の能力だったのではないか。

 精神支配の能力を持つ眷獣………それが世界最強の吸血鬼・第四真祖の十二体の眷獣の中に含まれているのならば恐ろしいことこの上ない。

 雪菜がそんなことを考えていると、

 

「―――おい、姫柊?どうしたんだ、ぼうっとして」

 

「………え!?あ、すみません先輩。少し考えごとをしてました」

 

 古城が雪菜の眼前で手を振りながら声をかけることで、ようやく彼女が反応を示した。

 雪菜はハッと我に帰って古城に謝罪する。

 考え事ってレイについてか?と古城が思っていると、

 

「………!?やばっ………また口を滑らしちまった。レイの情報、姫柊に喋ったことがバレたら、怒るだろうなあ………」

 

 そう言って、はぁ、と古城が深い溜め息を吐いていると、雪菜が、大丈夫ですよ、と笑い、

 

「レイさんは先輩のことを慕っているんですよね?」

 

「え?あ、ああ………そうだな」

 

「でしたら彼女が先輩を怒ることはないと思いますよ。いえ、怒れないと表現した方が正しいかもしれませんね。先輩を傷つけたくない彼女ならばなおさら」

 

 雪菜がそう言うと、成る程、それはあり得るな、と古城も納得した。確かにレイが古城を怒る光景は浮かんでこない。

 

「そうだな。レイなら笑って許してくれる気がするよ」

 

「はい」

 

 笑みで返す雪菜は、ふと思い出したように古城に訊いた。

 

「それはそうと、先輩は変なヒトですよね」

 

「は?そりゃどういう意味だ、姫柊?」

 

 変なヒト扱いされてムッと眉を顰める古城。そんな彼に雪菜は頷いて言った。

 

「だって先輩、自分の命を狙う人の心配をしてるんですよ?普通なら、逆に消してやろうとか思いませんか?」

 

「え?………ああ、俺が姫柊を心配した理由か?」

 

「はい。どうしてレイさんに狙われるかもしれないと、わたしに忠告してくれたんですか?」

 

 雪菜が真剣な表情で訊いてくると、古城はポリポリと頭を掻きながら答えた。

 

「いや、だってさ。姫柊は俺を今すぐに始末しにきたわけじゃないんだろ?」

 

「え?あ、はい。獅子王機関から先輩を監視するように言われてますので。抹殺は万が一の場合のみです」

 

「だろ?なら俺が姫柊を見殺しにするわけにはいかねえよ。姫柊だって中等部でまだまだ若いんだし、人生まだまだこれからだろ?若くして死ぬのはごめんじゃねえのか?」

 

「は、はぁ………」

 

「だったらもっと自分の命を大切にしなって。レイに殺人鬼になってほしくないのももちろんあるが、姫柊にも死んでもらいたくないかな。べつに悪いやつには見えないんだし」

 

 古城が理由を述べると、雪菜は何故か頬を赤らめて、

 

「わたしに死んでほしくない、ですか………そうですか」

 

「ん?おい、どうした姫柊?顔が赤いみたいだが………熱でもあるのか?」

 

 古城に指摘されて、雪菜は首を振り、

 

「わたしは平気です。それよりも先輩。このあとはどうするつもりなんですか?」

 

「え?あ、ああ………図書館にでも行って夏休みの宿題をやるつもりだったんだけど………」

 

 そう言いかけて古城は不意に嫌な予感を覚えて、雪菜に訊いた。

 

「姫柊、まさかついてくるつもりなのか?」

 

「はい。いけませんか?」

 

 機嫌を良くした雪菜がそう言ってくる。

 

「いや、いけないってことはないけど………もしかして、この先ずっと?」

 

「もちろんです。監視役ですから」

 

 ニコリと微笑みながら答える雪菜。そして雪菜は槍を詰め込んだギターケースを背負って食事の後片づけを始めた。

 一方、微笑んだ雪菜を一瞬、可愛い、と思ってしまった古城。彼女の機嫌がどうして良くなったのかは古城には理解出来なかったが、あの笑顔が見れたから良しとするか、と自分に言い聞かせるのだった。




オイスタッハとアスタルテ登場回はカットします。


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引っ越しの剣巫

 絃神島南地区(アイランド・サウス)。九階建てのマンション、七階。

 夏休み最後の一日。古城が目を覚ましたのは、今日の追試にギリギリ間に合うかどうかという、太陽が既に高い時間帯だった。

 

「うー………(ねみ)ィ」

 

 そう呟いて、古城はふと隣を確認すると、

 

「あ、おはようございます(ヌシ)様!」

 

 昨日の朝と同じように、レイが古城の布団の中に潜り込んでいた。しかし今朝の彼女は青白く輝く焔のような瞳がパッチリと開かれている。

 

「あ、ああ………おはよう、レイ」

 

 古城はそう挨拶を返すと、気怠げに起き上がり寝惚け目を擦る。

 追試は残り四教科。手つかずの宿題とハーフマラソンもまだ残っていて気分は芳しくない。が、

 

「………もしかして、俺が起きるまで、起こさないでくれてたのか?」

 

「はいなのです。主様があまりにも気持ち良く寝てましたので、ギリギリまで起こさないでおきましたのですよ」

 

 レイは笑顔でそう答えた。成る程、と古城は納得する。

 凪沙が古城の安眠を邪魔してこなかったのは、レイのおかげだったのか。レイはまるで、古城の安眠を守護する天使のように思えた。

 だがまあ、欲を言ってしまえば、せめてギリギリではなくもう少しだけ早めに起こしてほしいものだ。乱暴にではなく優しくの条件付きだが。

 古城は相も変わらず優しすぎるレイに感謝しながらベッドから降りる。

 レイは、あ、と思い出して握っていた五百円硬貨を、はいなのです、と古城に差し出しながら、

 

「凪沙は部活でもう家にはいませんのです。それと主様に伝言なのです。『朝食の用意が出来てないから、コレで何か買って食べて』―――だそうです。コレがそのお金なのですよ」

 

「ん、悪いな………たしかに受け取った」

 

 レイからお金をありがたく受け取る古城。それを確認したレイはパタパタと古城に背を向けて部屋から出ていき、

 

「それでは僕は廊下で待っていますので、身支度を済ませてくださいなのです」

 

 レイは振り返ってそう言うと、パタンとドアを閉めた。

 古城は、レイが覗き見してないか良く観察したあと、身支度を始めた。

 今は大人しくなっているが、暁家の一員に成り立てだった頃のレイは酷かった。

 何が酷かったかというと、兎に角、古城の世話を一から………いや、全部やろうとしたことだ。

 古城の身支度の手伝いをしようとしたり、食事を持ってくるだけでなく食べさせようとしてきたり、風呂に乱入してきては体を隅々まで洗われそうになったり、仕舞いには寝る時に古城の布団の中に潜り込んできて、『僕を抱き枕にして寝てほしいのです!』などとねだってきたりなど散々だった。

 勿論、それらは全て凪沙が阻止してくれた。そしてレイは延々と凪沙に説教されて、泣きそうになっていたっけか。

 それからレイは、凪沙を怒らせるとまずい、という事を学習し、凪沙の言うことには素直に従うようになった。古城優先事項なレイが大人しくなったのは、凪沙のおかげなのだ。

 だから今度お礼に、凪沙のお気に入りの『るる家』に連れていって、凪沙に鱈腹アイスを食べさせてやらないとな、と古城は思った。財布の中身が残念な今は無理だからすぐには実行出来そうにないが。

 ………まあ、その話題はさておき。レイが凪沙を呼び捨てにしていたことには正直驚いた。

 昨晩のことだ。図書館で雪菜に勉強を手伝ってもらった古城が自宅に帰ると、凪沙とレイは既に家に帰っていた。

 そしてレイの口調こそ変化はなかったものの、凪沙のことは呼び捨てにしていた。話を聞くに凪沙自身のお願いだったようで、レイは躊躇したが、凪沙のお願いを無下に出来ず受け入れたんだと。

 成る程、と古城は納得し、なら俺も呼び捨てで呼んでくれ、とレイにお願いしたが、『主様のお願いは却下なのです♪』とあっさり一蹴された。

 レイ曰く、『主様は僕の主様なので、呼び捨てには出来ないのです。なので主様は主様なのですよ』―――うん。さっぱり意味が分からん。つか主様連呼すんな、うぜぇ………というのが昨晩の古城の心境である。

 何にせよ、レイが古城を呼び捨てにしてくれる日は永遠に来ないのだろうと諦めている。呼び捨てにしてもらえてる凪沙がとても羨ましく思えた古城だった。

 そんなことを思い出しながら身支度を済ませた古城は、パーカーを羽織りながら部屋を出た。

 部屋を出ると直ぐ其処にはレイが待っていた。レイの服装は花柄の涼しそうなワンピースだ。凪沙に買ってもらった七着のうちの一着である。

 

「では行きましょうか、主様」

 

「ああ、そうだな」

 

 古城は頷いてパーカーのフードを被る。レイも麦わら帽子を被って家を出た。それから冷房の効かないエレベーターで地上に降り、マンションの正面玄関へと向かう。

 行くといっても、レイは彩海学園の生徒ではないので、古城を見送るくらいしか出来ないわけだが、

 

「………ん?」

 

 ふと見覚えのある後ろ姿を発見した古城は目を細めた。

 彼の見たその後ろ姿は、彩海学園の制服を着て、ギターケースを背負っている黒髪少女・雪菜だった。

 

「あ………先輩。それにレイさんも、こんにちは」

 

 自動ドアの前に立ち尽くす古城と警戒心剥き出しのレイに気づいて、雪菜はゆっくりと振り返って挨拶した。

 古城は雪菜に警戒するレイを横目に見ながら苦笑いを浮かべる。それから視線を雪菜に向けて、

 

「姫柊、ずっとここに立っていたのか?もしかして俺を見張るために………?」

 

 古城は不安になりながら訊いてみる。雪菜は無表情に古城を見返して答えた。

 

「はい。監視役ですから」

 

「マジか、おい!?」

 

「冗談です」

 

 そう言って雪菜はクスッと小さく笑った。冗談なのかよ、と古城は唇を歪めた。内心、ホッとしながら。

 

「引っ越しの荷物が来るのを待ってたんです。この時間に届くと言われていたので」

 

「………引っ越し?」

 

 雪菜の予想外の言葉に古城は微かな戸惑いを覚えた。それにレイが雪菜に警戒したまま言った。

 

「主様が寝ている時に、僕達のおうちに其処の()()()()が挨拶にきたのですよ。隣に引っ越してくるからとかで」

 

「へ、へえ………そうなん―――ってはあ!?うちの隣だと!?」

 

 雪菜が隣に引っ越してくる。それを知った古城は思わず絶叫した。

 なんでそんな急に!?しかもうちの隣に!?

 古城が困惑していると、一台の小型トラックが歩道を乗り越えてマンションの敷地に入ってきて、古城達がいる玄関前に停車する。

 トラックから運送会社の制服を着た配達員二人が降りてきて、お荷物を届けに上がりました、と威勢良く叫んだ。

 

「すみません。こちらです」

 

 そんな彼らに雪菜が、ついさっき古城とレイが乗ってきたエレベーターを指差して言う。

 それを見て、マジか、と古城は頭を抱える。レイは、大丈夫なのですよ、と古城に微笑んで、

 

「僕がこのストーカー女から主様を護りますのです」

 

「レイ………!」

 

 レイの言葉に古城は嬉しそうな笑みを浮かべる。が、雪菜がムッと眉を顰めてレイを睨み、

 

「誰がストーカー女ですか。わたしは彼の監視役です。そんなふうに言われる筋合いはありません」

 

「………?貴女は主様の監視役なのですよね?つまり、これからずっと主様に付き纏う者。悪く言えばストーカーと解釈できますので、貴女なんかストーカー女で十分なのですよ♪」

 

「なっ………!」

 

 レイの容赦ない言葉に雪菜は頬を引き攣らせる。雪菜の口が悪ければ、このクソガキ、とでも言いたそうな表情である。

 睨み合う雪菜とレイに、古城は、まあまあ、と止めに入る。

 レイは、ふん、と鼻を鳴らして雪菜から視線を外しそっぽを向いた。

 レイにとって雪菜は古城に害を為す者と認識しているようで、雪菜に対して様付けもしなければ平気で悪態をついている。

 まあ、古城を監視するというストーカー紛いな雪菜を、古城自身も嫌そうにしているからというのもあったりするわけなのだが。

 そもそも古城に、監視されて喜ぶマゾな性癖は持ち合わせていない。それが仮令、可愛い女の子でもだ。

 一方、台車に乗って運ばれてきた荷物と共にエレベーターに乗り込む雪菜。そんな彼女に、本当にうちの隣に引っ越してくるのか気になって古城がついていく。と、やはりというかレイもついてきた。

 雪菜はそんな二人を確認しながら、迷いなくエレベーターの七階のボタンを押すと、配達員の二人に向かって、

 

「七〇五号室です」

 

「マジかよ………」

 

 古城は再度頭を抱える。七〇五号室とか、古城達が住む七〇四号室の隣ではないか。てっきりレイの冗談かとも思っていたが、どうやら本当だったらしい。

 そう言えば、七〇五号室の山田さんがいきなり引っ越していったっけか。それがまさか雪菜と入れ替わる為だったとは、皆目見当がつかなかった。

 一体どんな方法を使ったのか気になるし、かつての隣人一家が古城のせいで不幸な目に遭っていないといいが。

 やがてエレベーターは七階に到着して、扉が開く。運ばれてきた荷物は、段ボール箱が三つ。配達員の二人は荷物の受領印を雪菜にもらい、挨拶し帰っていく。

 

「先輩、その段ボール箱、中に運んでもらえますか?」

 

 雪菜が玄関の鍵を開けながら無遠慮に頼んできた。

 

「なんで俺が………」

 

 古城はぶつぶつと文句を言いつつ、段ボール箱を一つ持ち上げようとして、

 

「主様は手伝わなくていいのですよ。代わりに僕が運びますから」

 

 それをレイが阻止して、古城が持ち上げようとした段ボール箱の前にしゃがみ込む。

 そんな彼女を心配そうに見下ろしながら古城が言う。

 

「重そうだが持てるのか?」

 

「平気なのですよ、主様。この程度の荷物、僕の手にかかれば―――!?」

 

 などと威勢良く言ったレイだが、肝心の荷物は微動だにしなかった。

 

「………あれ?」

 

「レイ?どうした?」

 

「い、いえ!なんでもないのですよ」

 

 訊いてくる古城にレイは、大丈夫なのです、と返してもう一度持ち上げ―――

 

「せーの!」

 

 ―――られなかった。掛け声も気合いも十分なはずが、さっきと変わらず荷物は一ミリ足りとも動いていない。

 見兼ねた古城は、やっぱり俺が運ぶよ、と言いかけたその時。

 

「………え?」

 

 レイの全身から漆黒の魔力が迸った。

 古城と雪菜が瞳を見開いて驚くなか、レイは三つの段ボール箱を漆黒の魔力で包み込んで腕を振り上げた。

 すると、まるで手品のように、漆黒の魔力に包まれた段ボール箱達がふわりと宙に浮き始めた。

 

「は………!?」

 

 愕然とする古城と雪菜。あの黒い魔力は何なのか。物を浮かせる力でもあるのか。

 そんな二人を余所目に、レイは浮遊させた段ボール箱達と共に雪菜の家に入っていく。

 雪菜の七〇五号室も、古城達が住んでいる七〇四号室と同じ造りの3LDKだ。

 浮遊させていた段ボール箱達を殺風景な部屋の床にゆっくりと下降させて置くと、レイは雪菜に向き直り、

 

「これでいいですか、ストーカー女?」

 

「はい、ありがとうございます。ストーカー女ではありませんけど」

 

 レイの相変わらずな態度に溜め息を吐く雪菜。まあ、彼女の古城(あるじ)に荷物を運ばせようとした雪菜にも非はあるが。

 一方、古城はレイの下へと歩み寄り、

 

「なあ、レイ。さっきのはなんだ?段ボール箱が宙に浮いていたが」

 

「ふふ、知りたいのですか、主様?」

 

「ああ、知りたい」

 

「内緒、内緒なのですよ♪」

 

「教えてくれないのかよ!?」

 

 ガクリと項垂れる古城。そんな彼に、レイは申し訳なさそうな表情で、ごめんなさいなのです、と内心で謝罪した。

 今はまだ、知られるわけにはいかないのだ。()()()()の関係を。故に、先の能力についても教えるわけにはいかないのである。

 教えてくれないレイに古城は、まあいいや、と諦めると、雪菜の荷物を眺めて、

 

「もしかして、姫柊の荷物ってこれだけか?」

 

「はい。そうですけど………」

 

 雪菜は首を傾げて古城を見返して訊いた。

 

「学生寮に住んでいたので、あまり私物を持ってないんです。なにかまずいですか?」

 

「まずくないけど、いろいろ困るだろ。見た感じ、布団もなさそうだし」

 

「わたしなら、べつにどこでも寝られますけど。段ボールもありますし」

 

「頼むからやめてくれ、そういうのは」

 

 そう言って古城はぐったりと壁に凭れた。そんな彼とは対照的に、レイはニコリと雪菜に微笑む。

 

「僕は貴女の私生活なんてどうでもいいので、貴女がどんな恰好で寝ようが知ったことないのです。むしろ主様の監視役には丁度いいと僕は思いますのですよ」

 

「レイ、おまえな………」

 

 雪菜には容赦なしのレイに、はぁ、と溜め息を吐く古城。護ってくれるのはありがたいが、何も雪菜を目の敵にしなくてもいいじゃないか。

 しかし、雪菜はレイの悪態に諦めがついているのか、表情を変えないでいる。そして、何も聞いてないかのようにレイを無視して、

 

「先輩。いちおう生活に必要なものは、あとで買いに行くつもりだったんですけど………」

 

 古城の顔をちらりと見ながら呟く雪菜。それに古城はムッと眉を寄せ、

 

「もしかして俺を監視しなきゃいけないから、買いに行く時間がない、とか思ってる?」

 

「ええ、まあ。でも任務ですから………」

 

 真顔で頷く雪菜。そんな彼女に古城は呆れたように息を吐いて、

 

「だったら、俺が姫柊の買い物に一緒に行けばいいのか?」

 

「………え?」

 

「先輩と一緒に………ですか?」

 

 古城の言葉に瞳を見開いて驚くレイと、きょとんとした表情で古城を見返す雪菜。

 

「それなら監視任務もサボったことにならないだろ」

 

「そうですけど、でも先輩はいいんですか?」

 

「昼過ぎまでは追試があるけど、そのあとでよければつき合ってやるよ。試験勉強を手伝ってもらった借りがあるからな」

 

 古城は時計を確認しながらそう言うと、雪菜は少し嬉しそうに微笑み、

 

「そうですか。そういうことでしたら、先輩の試験が終わるまで校内で待ってます」

 

 雪菜は降ろしていたギターケースを背負い直しながらそう言う。

 決まりだな、と古城は頷き、レイにそれを伝えようとして彼女の方へと振り返る。

 

「そういうことだから、留守番よろしくな、レイ」

 

「……………」

 

 しかしレイの返事はない。代わりに古城のパーカーの裾を摘まんで、

 

「主様。そのストーカー女と一緒に行動するならば、僕も行きますのです」

 

「は?」

 

「主様とストーカー女を二人にするのは危険すぎますのです!なので僕が―――」

 

「いや、いいよ」

 

 レイの言葉をばっさり切る古城。レイは、え?と目を瞬かせ、

 

「………主様?」

 

「姫柊の買い物につき合うだけだし、べつに危険でもなんでもねーよ」

 

「う………で、ですがね、主様」

 

「それにおまえは姫柊が嫌いなんだろ?なら、俺たちと一緒にいるのは嫌なんじゃねえのか?」

 

「………っ、そ、それは」

 

 古城の尤もな発言に、言葉が詰まるレイ。だが古城の口は止まらず、

 

「あと、俺のことを想ってくれるのは嬉しいが、過保護すぎるのはマジ勘弁な。はっきりいって迷惑だから」

 

「………っ!?」

 

〝迷惑〟と言われてレイは瞳をいっぱいに見開いた状態で固まる。そんな彼女に古城は不思議そうな表情をして、

 

「どうした、レイ?」

 

「………いえ。なんでもないのですよ」

 

 そう返すが、レイの声音は何処か弱々しかった。

 そしてレイは、儚げな表情で古城に訊いた。

 

「主様。僕は―――いらないですか?」

 

「え?あ、うん。レイはいらないな。だって―――」

 

 用事は買い物だけだし、と古城が言おうとしたが最後まで言えなかった。何故か泣きそうな表情をしているレイを見たことによって。

 

「………レイ?」

 

「―――分かりましたのですよ、主様。僕が不要だと言うのなら帰ります。………()()()()()()()()

 

「え?あ、おう。またな」

 

 古城がそう返すと、レイは踵を返して雪菜の家から出ていった。

 レイの背を見送った古城は、さて、と雪菜に振り返ると―――何故か雪菜に睨まれて、

 

「先輩。帰ったらちゃんとレイさんと仲直りしてください」

 

「え?」

 

「仲直りしてください。絶対ですよ?」

 

「お、おう」

 

 真剣な表情で言ってくる雪菜に、古城は驚きながらも頷いた。

 雪菜の言葉の意味は一体どういうことなのだろうか。たしかに迷惑は言いすぎたかもしれないが、レイにも古城の気持ちを分かって欲しかったのだ。少し過保護が過ぎるのだと。

 レイもそれを理解してくれたからこそ、家に帰ってくれたのだろう。

 でも、もしそれでレイを悲しませてしまったというなら、ちゃんと謝ろう、と古城は思った。

 だがこの時の古城は知らなかった。レイが最後に言った別れの言葉は、家に帰ることではなく―――本当の意味でのお別れの言葉だということに。




予告

レイが家出?

古城と雪菜に立ちはだかるは―――人工生命体(アスタルテ)未知の人形(レイ)

かつての最高の味方は、最悪の敵と化す………


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歓迎会は中止

 古城と雪菜は近場のホームセンターで、彼女の日用品を揃えることにした。が、雪菜にとって初めての場所だったらしく、陳列された商品達に警戒していた。

 スポーツ用品のゴルフクラブを(メイス)だとか。

 車とか洗うときに使う高圧洗浄器を火炎放射器だとか。

 仕舞いにはただの洗剤を、酸性の薬剤と塩素系の薬剤を混ぜて毒ガスを発生させる為に使うだとか、とんでもないことを言い出してきたりした。

 ………獅子王機関、頼むから馬鹿な事を雪菜に教えないでくれ。いや、教えんな!

 そんな感じで雪菜が必要な物を買い揃え、古城の体力は完全に消耗し尽くした。

 そんな古城はふと、レイの顔が浮かんだ。きっと彼女なら、疲れ果てた古城を気遣い、『お疲れ様なのですよ、主様』と優しく労ってくれたことだろう。

 レイは過保護気味ではあるが、なんだかんだ言って彼女は古城の癒やしであり、心休まる存在なのだ。

 そう考えると、レイを置いてきたのは失敗だったな、と肩を落とす古城。雪菜との衝突を回避させることを考えていたばかりに、自分の心配をすっかり忘れていたようだ。

 はぁ、と溜め息を吐く古城。だが、買い物を随分と楽しそうな表情でする雪菜を眺めて、まあいいか、と思う古城だった。

 

 その帰り道。古城と雪菜が買い物袋を手にぶら下げながらモノレール乗り場に辿り着くと、

 

「―――古城?」

 

 古城の良く知る声が聞こえた。

 

「え?」

 

 名前を呼ばれて古城が反射的に顔を上げると、目の前に華やかな容姿の女子高生・藍羽浅葱がいた。

 

「あれ、浅葱?どうしてここに?おまえん()ってこっちじゃないよな?」

 

「うん。バイトの帰りだから………こないだ頼まれた世界史のレポートを、古城の家まで持ってってあげようと思ってたんだけど………その子、誰?」

 

 古城の疑問に浅葱は何故か警戒したような態度で答えると、彼の隣にいる雪菜に視線を向けて訊いてきた。

 

「ああ、姫柊か。えーと、今度うちの中等部に入ってくる予定の転校生」

 

 古城が雪菜を紹介し、彼女もぺこりと頭を下げる。浅葱は雪菜をじっと見つめて更に質問した。

 

「どうしてその中等部の転校生と、古城が一緒にいるわけ?」

 

「いやそれは―――!そ………そう、姫柊は凪沙のクラスメイトなんだよ」

 

「凪沙ちゃんの?」

 

「ああ。なんか転校の手続きにきたときに、凪沙と知り合ったみたいで」

 

「………それで古城は、凪沙ちゃんにその子を紹介してもらったってこと?」

 

「まあ、そうかな」

 

 浅葱の問いを適当に受け流す古城。そんな古城と浅葱のやり取りを聞いていた雪菜は、何かに気づいてハッとした表情を浮かべた。

 

「綺麗な子だよねー」

 

「だよな」

 

 浅葱に同意する古城。が、ピキッと頬を引き攣らせた彼女を見て、少し慌てて言葉を付け足した。

 

「………って、凪沙も言ってた」

 

「ふーん。そっか」

 

 浅葱は作り物めいた笑顔を浮かべたまま古城から離れ、ボソッと呟いた。

 

「………レイちゃんも一緒にいたなら、許せたんだけどね」

 

「え?」

 

「ううん、なんでもない。電車来たから、あたし帰るね」

 

 浅葱が誤魔化してそう言うと、丁度彼女が乗る方のモノレールが到着した。

 それに乗ろうとした浅葱を古城が慌てて呼び止める。

 

「あれ?世界史のレポートを見せてくれるんじゃなかったのか?」

 

「うん。そのつもりだったんだけど、どっかに忘れてきちゃったみたい」

 

 静かな怒気を孕んだ笑顔で言ってくる浅葱。瞳は、明日、学校できっちり説明してもらうわよ、という無言のメッセージを伝えてくる。

 

「え?おい、浅葱?」

 

「バイバイ」

 

 困惑する古城の目の前で車両の扉が閉まる。浅葱は何故か古城を無視して雪菜にだけ愛想良く手を振り去っていった。

 

「なんだ、あいつ」

 

 古城が首を傾げて呟くと、雪菜は責任を感じているような表情で、

 

「すみません、先輩。わたしのせいで、なにか誤解されてしまったかも………」

 

「誤解?」

 

 何故か悄然としている雪菜を古城は不思議そうに見返すと、ああ、と納得して、

 

「いや、ないない。誤解とか。あいつはただの友達だから」

 

「ただの友達………ですか」

 

「まあ腐れ縁というか、男友達みたいなもんかな」

 

「先輩………」

 

 あっけらかんと答える古城を、何故か雪菜は責めるような眼差しで見上げて、

 

「なんだ?」

 

「いえ、なんでもありません」

 

 鈍感過ぎる古城に、雪菜は呆れたように深々と溜め息を吐いた。

 

 

 

 

 時刻は夕方。古城と雪菜がマンションに帰り着くと、

 

「―――あれ、古城君たちも今帰り?遅かったね」

 

 古城達がマンションのエントランスを潜ると、エレベーターのドアを開けたまま、制服姿の女子中学生・暁凪沙が彼らに声をかけ、早く早く、と手招きしてきた。

 

「凪沙か。なんだ、その荷物?」

 

 エレベーターに乗り込んだ古城は、妹の姿を見て眉を寄せた。部活の荷物を詰めたスポーツバッグ。これは凪沙がチアリーディング部員だから驚く必要はない。

 問題は彼女の左手に提げられている、大量の食材を詰め込んだ買い物袋だ。大量の肉や刺身など普段口にしない高級食材達ばかりだ。

 

「なにって、歓迎会だよ。転校生ちゃんの」

 

「歓迎会?」

 

「そだよ。だって引っ越してきたばっかりで、今日はご飯の支度なんてできないでしょ」

 

「まあ、そういやそうか………って、ん?凪沙、おまえ、姫柊が隣に引っ越して―――あ、いや、なんでもない。レイが知ってたんだし、おまえが知らないわけねえよな」

 

 レイの言葉を思い出して納得する古城。凪沙も、もちろんだよ、と頷く。

 一方、雪菜は凪沙に遠慮がちに質問した。

 

「あの………でも、いいんですか、歓迎会なんて」

 

「いいのいいの。お肉ももう買っちゃったし。あたしと古城君だけじゃ食べきれないよ」

 

 本当はレイちゃんにも手伝って欲しいくらいあるんだけどね、と凪沙が人懐こい表情で言うと、古城も、たしかに、と苦笑する。

 レイは今のところ古城の血以外を口にするつもりがないらしい。凪沙の手料理は旨いんだけどな、と食べないレイを残念に思っている古城。

 ………意外と古城が命令すれば食べてくれたりするのかな?余りレイをそういう風に扱いたくないが、この際は仕方がないなと割り切る。

 ちなみに、暁家は両親が四年前に離婚したせいで、レイが来る前までは三人家族だった。しかも市内の企業で研究主任を勤めている母親は、仕事の都合で週に一、二回しか自宅に戻らない。

 だが、会いに行けばいつでも会えるから寂しいと思うことはないし、レイが来たことで賑やかな日々を過ごしているので尚更寂しくなどない。

 とはいえ、レイ抜きで凪沙が抱えているお徳用特選牛肉一・五キログラムは食べきれるとは思えないが。

 

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えます」

 

 雪菜が少し考えてそう言うと、凪沙は嬉しそうに笑って、

 

「よかった。じゃあ、荷物を置いたらうちに来てね。あ、寄せ鍋だけど大丈夫?雪菜ちゃん、食べられないものとかないかなあ。やっぱり真夏に冷房をガンガンに効かせて食べるお鍋は、贅沢な感じがしていいよねえ。そうそう、味噌味と醤油味はどっちがいいかな。おダシはね、いちおうカツオとコンブと鶏ガラとホタテを使うつもりなんだけど、今日はカニも用意してあるからやっぱりお醤油仕立てかなあ。カニはオホーツクの毛ガニだよ。ちょうど今が旬―――」

 

「その辺にしとけ、凪沙。姫柊が固まってる」

 

 早口で捲し立てる妹の頭頂部を軽く叩いて黙らせる古城。あ痛、と涙目になった凪沙が恨みがましく古城を見た。

 雪菜は圧倒されたような表情を浮かべながらも凪沙に訊いた。

 

「あの、わたしも手伝いましょうか?鍋物の下ごしらえくらいなら………」

 

「いやいや。雪菜ちゃんは今日はお客様だからね。のんびりくつろいでてよ。遠くからやってきたばかりで、疲れたでしょ。それに凪沙のお手伝いさんならレイちゃんがいるから平気だよ。ほら、古城君も雪菜ちゃんをもてなして」

 

「そういう思いつきだけで適当なことを言うな。俺は自分の部屋で宿題の残りを―――の前にレイの様子を見に行かないとだな」

 

 古城がそういうと凪沙が、え?と驚いた表情で兄を見つめて、

 

「古城君、レイちゃんとなにかあったの!?まさか、喧嘩でもしちゃった?」

 

「いや、喧嘩ってわけじゃ―――」

 

「はい。先輩はレイさんに酷いことを言って彼女を泣かせました」

 

「は?ちょっ、姫柊!?」

 

 雪菜の言葉にギョッと目を剥く古城。凪沙は怒りに満ちた表情で古城を睨み、

 

「古城君、最低だよ!なんでレイちゃんに酷いこと言って泣かせたの!?あの子が古城君のことをどれだけ大事に想って尽くしてくれてたかわかってるの!?あの子が古城君を傷つけたことなんてなかったのに、なんで古城君は平気であの子を傷つけられるの!?」

 

「ち、違う!聞いてくれ凪沙!これは誤解なんだ!俺は、あいつを傷つけるつもりなんてなかった!」

 

「なにが違うっていうの!?あの子を傷つけておいてそれが誤解?冗談言わないで!今、あの子がどんな思いをしているのか考えたことある!?きっとすごく悲しんでるよ。もしかしたら部屋の隅で小さくなって震えてるかもしれない!」

 

「な、凪沙?」

 

 異常なほどに取り乱す妹に、古城は唖然とした表情で見つめる。まるで凪沙が別の何かに取り憑かれているようにも思えた。

 凪沙は、こうしちゃいられない、と自宅へ駆け足で向かいながら、

 

「凪沙が行って仲を取り持つから、ちゃんとレイちゃんと仲直りするんだよ古城君!」

 

「お、おう」

 

 そんな妹に古城は面食らいながらも頷く。だが、直ぐに雪菜を睨み、文句を言ってやろうと思ったが、

 

「姫柊ぃ?」

 

「なんですか先輩?べつにわたしは間違ったことは教えてませんよ?あのときのレイさん、泣きそうでしたから」

 

「う………ま、まあそうなんだけどさ」

 

 雪菜の尤もな意見に古城は言い返せずに苦笑いを浮かべる。

 そんな感じで二人が暁家に足を踏み入れたその時―――バタンッ!と誰かが勢い良く倒れたような音がした。

 

「………っ!先輩!」

 

「あ、ああ。凪沙の部屋からだな―――!」

 

 その音を聞いて妹が倒れたことを悟り、急いで妹の部屋へ駆け込む古城達。

 扉を乱暴に開けると其処には、床に倒れている凪沙の姿があった。

 

「な、凪沙!?いったいなにがあったんだ!?」

 

 倒れている妹へと駆け寄る古城。凪沙はそんな兄を見て、弱々しく口を開き、

 

「ど、どうしよう古城君。レイちゃんが………いなくなっちゃう」

 

「は?」

 

 それはどういう意味だ?と質問しようとした古城だが、余りのショックで凪沙は気絶してしまった。

 

「な、凪沙!?おい、しっかりしろ!」

 

 そんな凪沙を見た古城は必死になって呼びかけるが、彼女からの返事はない。

 くそ、と顔を歪める古城。そんな彼の視界にふと、レイと凪沙が共有しているベッドの上に、丁寧に畳まれた服と、その上に置かれた麦わら帽子が映った。

 その畳まれた服が何なのか、古城には分かってしまった。恐らくレイが今朝着ていたはずの、花柄のワンピースに違いない。ならば現在着ているレイの服は、純白の無地のワンピース。即ち、レイが着ていた本来の服だった。

 嘘だろ、とショックを受ける彼の下へ、雪菜が一枚の紙を持って駆け寄ってきて、

 

「せ、先輩………これ」

 

「ん?姫柊、なんだその紙切れ―――は!?」

 

 古城は雪菜から手渡された紙切れに目を通して、愕然とする。

 その紙切れは、レイが書き置きしたもので、内容はこう書かれていた。

 

 

『―――親愛なる古城様と凪沙様へ。

 今まで僕の事を本当の家族のように大切にしてくださり、ありがとうございました。

 本当に突然ですが、僕はこの家を去ろうと思います。いきなりでお別れの挨拶もなしに去ろうとする身勝手な僕をどうかお許しください。

 だからこんな僕なんか直ぐに忘れて幸せに暮らしてください。どうか、僕を捜さないでください。それが僕の望みなのです。

 最後に、短い間でしたがとても楽しかったのです。神に造られし人形たる私の身には過ぎる沢山の幸せをありがとうございました。

 お二人に永劫の幸あれ―――名も無き天使・レイより』

 

 

 ぐしゃり、とその書き置きの紙切れを握り潰す古城。ふざけやがって!と怒りに満ちた表情で歯を噛み締める。

 

「なんであいつは、俺や凪沙のもとから去ろうとすんだよ!俺はレイを追い出した覚えはねえのに!」

 

「先輩………」

 

 そんな古城を悲し気な瞳で見つめる雪菜。だが、ハッとしてあの時のレイの言葉を雪菜は思い出し、彼女が去ってしまった原因を推測し始めた。

 

「そういえば、先輩。レイさんが先輩に質問した内容を覚えてますか?」

 

「え?レイの質問?」

 

「はい。レイさんは先輩にこう質問したはずです。『僕はいらないか?』と」

 

「―――っ!まさか、あいつ………!」

 

 古城もハッと気づいたように顔を上げて雪菜を見る。雪菜が、はい、と頷いて、

 

「レイさんは恐らく、先輩の返事を勘違いしてしまったんだと思います。だから彼女は、先輩に必要とされていない存在だと思い込んで、この家から去ろうとしたんです」

 

「ああ。あの勘違いの大バカ野郎!見つけたら絶対に連れ帰ってやる!嫌なんて言わせるかよ!」

 

 絶叫に似たような声を上げる古城に、雪菜はクスッと小さく笑った。なんだかんだ言って、やっぱり古城はレイのことが大切なのだと。

 そして、そんな彼が本気で心配してくれるほどの存在であるレイに、雪菜は嫉妬の感情を芽生えさせ始めていた。

 古城は、それにしても、と怒りの感情を消して苦笑いをすると、握り潰した紙切れを開いて、

 

「あいつは天使のような優しい子だな、と思っていたが………まさか本物だったとはな。ときどき、あいつが口にする〝神〟っていうのは、自身を造った聖書とかいうのに記された〝神様〟への忠誠心だったんだな」

 

「そうですね………」

 

 古城の言葉に同意する雪菜。だが、引っ掛かる点が彼女にはあった。それは―――レイが第四真祖の眷獣らしき能力を使えると使えるということだ。

 仮にレイが天使ならば、第四真祖の魔力を行使出来るのは不可解である。それに天使達にとって魔族は天敵のはず。

 なのにレイは魔族にして神に呪われた〝負〟の生命力の塊である吸血鬼を、真祖である古城を殺そうとするどころか、傷つけることもせず、逆に彼を慕い守護しようとしている。全くもって理解出来ない行為だ。

 やはりレイという人形の少女は雪菜にとっては〝未知〟なる存在。天使であるはずの彼女が、天使らしからぬ行為に走り、魔族の、吸血鬼の能力を行使出来る謎多き者。

 雪菜は改めてレイのことを詳しく知る必要があると思った。そして彼女を知ることで、古城がどうして第四真祖になったのかということも分かるかもしれないのだから。

 

「悪いな、姫柊。せっかくの歓迎会が台無しになっちまって」

 

「え?いえ、わたしは特に気にしてませんよ。けど、」

 

 雪菜は気絶している凪沙を見て表情を暗くする。凪沙は雪菜の歓迎会をするんだと張り切っていたのだ。それが潰されてしまって一番悲しい思いをしているのは彼女なのだと雪菜は理解しているからなのだろう。

 古城は、そうだな、と頷き、

 

「姫柊、悪いが凪沙のこと、頼んだ」

 

「え?先輩?」

 

「俺はレイを捜して連れ帰ってくるから、それまで凪沙のそばにいてやってほしい」

 

「……………」

 

 古城のお願いを雪菜は暫し無言で考え込んだ。たしかに今の状態の凪沙を一人にするのは駄目だ。だけど、古城のお願いを引き受けてしまうと彼の監視を怠ってしまうことになる。

 どうすればいい?と雪菜は葛藤し―――

 

「わかりました。妹さんのことはわたしに任せてください。その代わり」

 

「ああ。レイの誤解を解いてちゃんと連れ帰ってくる。だから凪沙のこと、頼んだぜ、姫柊」

 

「はい。お気をつけて、先輩」

 

 雪菜の言葉に、おう、と古城は返事して家を飛び出した。

 もうじき夜を迎えようとする絃神市を、古城は駆け抜ける。レイという名前を付けられた小さな天使を捜しに。




次回、バトルメインです。

旧き世代VSレイ、アスタルテ戦。

古城(と後から雪菜)VSアスタルテ、レイ戦

レイは実は元天使。が、天使の力は失っており現状は使えません。詳しくはおのおの本編にて説明していきます。


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真夜中の闘い 前編

 時刻は深夜に近い夜。絃神島東地区(アイランド・イースト)の倉庫街。ほとんど無人の工業地区に白いワンピースを着た白髪少女・レイがいた。

 古城に別れを告げてから適当にぶらついていたレイだったが、強大な魔力を感じ取ってこの倉庫街に来ている。

 強大な魔力とはいえ、真祖には程遠く、長老(ワイズマン)貴族(ノーブルズ)ともいかない〝旧き世代〟の吸血鬼だが。

 その〝旧き世代〟は眷獣をまだ召喚していない。が、レイには吸血鬼が魔力を発しただけでその位置を把握出来るのだ。

 そして、

 

「………?〝旧き世代〟と対峙してるのは―――人間(ヒト)人形(ホムンクルス)!?」

 

 魔力を発している〝旧き世代〟の下へ辿り着いたレイが見たのは、彼と対峙していたのが吸血鬼(どうほう)ではなく、人間と人工生命体(ホムンクルス)だった。

 人間の方は大柄な男だが、人工生命体(ホムンクルス)の方は小柄な少女だ。男は歴戦を潜り抜けた猛者に思えるが、少女の力では〝旧き世代〟どころか吸血鬼にさえ勝てそうな雰囲気はない。

 故にレイは動いた。〝旧き世代〟から彼らを護る為に。既に主を失っていた彼女に最早迷いなどない。

 

「―――そこまでなのですよ!」

 

 そう言ってレイが彼らの間に飛び込んで両手を広げた。

 

「ぬ!?何故、このようなところに民間人が………!?」

 

 レイの乱入に驚く大柄な男。彼の隣にいる無感情な人形も驚いているのか瞳を見開いていた。

 一方、〝旧き世代〟の吸血鬼は落ち着いた物腰でレイを真正面から見つめ言ってきた。

 

「私は民間人に危害を加えるつもりはない。大人しく退()くならば見逃そう。それにお嬢さん、貴女は勘違いしている」

 

「………勘違いですか?」

 

「ええ。私が彼らを襲っているのではなく、彼らが私に喧嘩を売ってきた。故に私はそれに応えようとしているだけだ」

 

 上品な背広(スーツ)に身を包んだ〝旧き世代〟の長身の男はそう言った。

 レイは目を瞬かせると、振り返って大柄な男に訊いた。

 

「………そうなのですか?」

 

「ええ、その魔族の言う通りですよお嬢さん。故に我らの戦いの邪魔はしないでいただきたい」

 

 そう言って大柄な男は鋭い視線でレイを睨む。

 レイは、そうですか、と納得する。が、ふと彼の恰好が気になってじっと眺めた。

 金髪を軍人のように短く刈った、身長二メートル近い外国人。四十前後の年齢とは思えないガッチリとした体格の男。

 聖職者のような法衣を纏い、その下には金属製の鎧―――軍の重装歩兵部隊が使用する装甲強化服。そして、彼の右手には金属製の巨大な刃を備えた重そうな戦斧・半月斧(バルディッシュ)

 ………()()()のような法衣?まさか、彼の正体って―――!

 レイがハッとして大柄な男の正体に気づくと、彼に近づき訊いた。

 

「失礼ですが………貴方様はもしかして―――西欧教会の者ですか?」

 

「む?はい、そうですが………それが何か?」

 

 法衣の男が怪訝な表情でレイを見下ろす。

 まさかこの娘、教会の関係者か?それにしては幼すぎるし見かけない顔だが。

 法衣の男がレイを観察していると、彼女はふいに背を向けて告げた。

 

「なら、貴方様方は下がってください。〝旧き世代〟は僕がお相手しますのです」

 

「む?貴女が、ですか?」

 

「はいなのです」

 

 レイは首だけを動かして法衣の男を見返し、頷く。

 この娘、我々の獲物を横取りする気か!?それはさせない。あの魔族の魔力は我々にとって重要な餌なのだから。

 一方、〝旧き世代〟の男はフッと笑い、

 

「その選択は感心しないな。貴女のようなお子様が、この私に勝てるとでも?」

 

「はいなのです。むしろ貴方()()()に負ける気はしないのですよ」

 

 レイが余裕の笑みで返すと、〝旧き世代〟の男は眉をピクリと上げて彼女を睨みつけた。

 

「愚かな小娘。この私を舐めたことを―――後悔するがいい!」

 

 そう言って〝旧き世代〟の男は全身から膨大な魔力を放出させ、己が血の中に潜む眷獣を召喚した。

 彼が召喚した眷獣は、巨大なワタリガラスに似た漆黒の妖鳥。

 翼長は余裕で十メートルを超えており、闇を固めたような巨体が姿を現した。

 妖鳥の全身を暴風が包み込んでいる、爆発そのものを象徴している眷獣だった。

 

「ほう………!さすがは〝旧き世代〟の吸血鬼ですね。昨夜の彼とは段違いの魔力です」

 

 法衣の男の口元に笑みが浮かぶ。これほどの魔力があれば、計画に移っても支障はないだろう。一つの問題を除けばだが。

 レイは漆黒の妖鳥を見上げるだけでその場から動こうとしない。

 それを見た〝旧き世代〟の男はフッと嘲るようにレイに言った。

 

「どうした小娘。さっきまでの威勢はどこへいった?」

 

「……………」

 

 しかしレイは答えない。じっと妖鳥の眷獣を見上げたまま身動ぎ一つもしないでいる。

 そんな彼女の様子に〝旧き世代〟は、恐怖で動けないようだな、と思い込み更に笑う。

 

「ふふ、私の力を目の当たりにして動くことさえ出来ないようだな。だが逃しはしない。貴様に舐められたままでは気が収まらないからな。恨むなら、己が力量を見誤った己自身を恨め―――!」

 

 そう叫び〝旧き世代〟の男は両腕を広げる。すると、妖鳥の眷獣はレイを威嚇するように両翼を大きく広げて突風を巻き起こす。

 だが彼の攻撃はまだ始まってすらいない。ただ翼を広げただけで、レイ達を吹き飛ばしかねない突風が巻き起こっただけなのだ。

 それから直ぐに妖鳥の眷獣の巨体が溶岩に似た琥珀色(アンバー)に輝くと、大きな口を開けて巨大な火球を吐き出した。

 

「む、まずい!アスタルテ!」

 

命令受諾(アクセプト)―――」

 

 法衣の男の命令に従い、藍色の髪に薄い水色の瞳、膝丈までのケープコートで身体を覆っている小柄な少女・アスタルテが抑揚のない人工的な声で応え、右手を上げた。

 防御結界でも張ろうとしたのだろう。だがその必要はなかった。何故なら妖鳥の眷獣が吐いた火球はレイには当たらず―――逆に〝旧き世代〟の男に直撃して彼の方が吹き飛ばされたからだ。

 

「………ガハッ!?」

 

 自身の眷獣の攻撃をまともに受けた〝旧き世代〟の男は、凄まじい爆発に巻き込まれて吹き飛び、倉庫の壁に叩きつけられた。

 全身血塗れになった〝旧き世代〟の男は、ズルズルと背中を壁に擦り付けながら地面へと崩れ落ちる。

 妖鳥の眷獣は、宿主たる〝旧き世代〟の男が重傷を負ったことにより実体化を保てず消滅した。

 その光景に法衣の男は驚愕し瞳を見開いた。一瞬、レイが何をしたのか理解出来なかった。が、彼女の眼前に展開されている光のようなものを見て理解した。

 レイの正面に浮き上がっていたのは、宝石のような美しい煌めき。彼女を護るように突如出現した白く透き通った宝石の壁は、金剛石(ダイヤモンド)のような輝きを放っている。

 これはまさか、魔力を反射した!?相手の眷獣の攻撃をそのまま返したというのか………!

 そしてレイ自身からも金剛石(ダイヤモンド)のように輝く魔力が迸っている。彼女から放出されている魔力は〝旧き世代〟とは比べ物にならないほど桁外れなものだった。

 それこそ貴族(ノーブルズ)と同等もしくはそれ以上の―――もしやこの娘が噂の第四真祖なるものか?………いや、それはないな、と否定する。

 何故なら、レイは吸血鬼とは思えないからだ。彼女には吸血鬼特有の巨大な牙や紅い瞳、そして何より眷獣を召喚出来ていないのが吸血鬼ではないことを教えてくれている。

 ならば、どうして彼女は真祖に匹敵するほどの魔力を有しているのか。とても興味深い内容だ、と法衣の男は笑う。

 一方、レイは〝旧き世代〟の男が動かなくなっているのを確認すると、魔力を消して法衣の男と人工生命体(ホムンクルス)の少女の方へ向き直る。

 

「もう大丈夫なのですよ、西欧教会の方と人形(ホムンクルス)さん」

 

「そのようですね―――む?」

 

 頷こうとして、不意に眉を顰める法衣の男。そんな彼をレイが不思議そうに見つめると、

 

「………アスタルテ」

 

命令受諾(アクセプト)執行せよ(エクスキュート)、〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟」

 

 法衣の男がアスタルテに命じて、その彼女は頷き、人工的な声で告げた。

 すると、彼女のコートを突き破って半透明の巨大な腕が出現した。それは虹色の輝きを放ちながらレイの真横を通過し、

 

「―――ガッ!?」

 

 彼女の背後にいた〝旧き世代〟の男を殴り飛ばした。巨大な腕に殴られた彼は苦悶の声を洩らしながら吹き飛び、別の倉庫の壁に叩きつけられた。

 如何に〝旧き世代〟といえど眷獣の攻撃を二度もまともに喰らってしまえば、最早立ち上がる力も残っていない。彼はそのまま力尽きたように地面に倒れて動かなくなった。

 レイは目を瞬かせながらアスタルテを見つめる。人工生命体(ホムンクルス)が眷獣を?と言いたげな表情で。

 法衣の男は、やれやれ、と呆れたようにレイを見つめた。

 

「あの魔族が最後の力を振り絞って貴女の寝首を掻こうとしていましたので倒しておきました。これであの魔族は暫く動けませんが………油断大敵ですよ、お嬢さん」

 

「え?あ、ありがとうございます」

 

 慌ててお礼を言うレイ。〝旧き世代〟の再生力を侮っていた自分が恥ずかしいのか赤面していた。

 そんな彼女に、まあいいです、と法衣の男は息を吐く。今は彼女に説教するよりも何者なのか訊く方が先だ。瀕死のダメージを負わせた〝旧き世代〟の吸血鬼の再生が完治する前に。

 

「お嬢さん、貴女はいったい何者ですか?私が西欧教会の者だと知って、我々を護ってくださいましたが。それに先ほどの魔力もそうです。真祖と比べても遜色ない魔力を持っているようですが」

 

 法衣の男の質問にレイは、それは、と口を開きかけたが直ぐに閉じて返答を躊躇った。

 自分の正体を話すのは簡単だ。しかし、本当にこの男に打ち明けてよいものなのか?()の新しい主になってくれるのだろうか?

 レイがそんなことを考えながら中々答えられないでいると、

 

 

「―――見つけたぜ、レイッ!」

 

 

 聞き覚えのある声に呼ばれて、え?とレイは振り返る。すると其処には、全身汗まみれで呼吸を乱している男が―――元主・暁古城がいた。

 

 

 

 

 絃神島南地区(アイランド・サウス)。九階建てマンションの七階・七〇四号室、暁家。

 雪菜は気を失っている古城の妹・凪沙をベッドに運んだあと、彼女の様子を心配そうな表情で見つめていた。

 レイの家出を知ってショックを受けて気絶してしまった凪沙は、あれから一向に起きる気配がない。

 雪菜は、凪沙がレイのことを本当の妹のように可愛がっていたことを知っていた。彼女がレイの話をする時はとても楽しそうだった。

 彼女達が出会って一緒に暮らすようになったのは数日と浅いが、凪沙にとってレイは大切な妹のようなものだったのだ。

 それなのにレイは去ってしまった。きっとレイの家出が自分のせいなのだと彼女は思ってしまい、そのことが辛くて悲しくて堪えきれなかったのだろう。

 けどそれは誤解だ。凪沙は何も悪くない。かといって勘違いして出ていったレイが悪いというわけでもない。悪いのは―――暁先輩とわたしだ。

 レイにとって古城は主であり、彼女の拠り所だった。だから彼女にとって、その主である古城に『いらない』と告げられてしまえば、それは『捨てられた』と思うのが自然なのだ。

 古城は彼女の主なのにそれに気づけなかった。いや、気づいてやれなかった。彼はもっと彼女の気持ちを理解してあげるべきだったのだ。

 そして、レイの気持ちに気づいていたのに気づかないフリをしてしまった雪菜にも非があった。

 雪菜は本当は、レイの異変に気づいていた。古城に『迷惑』と言われた時の彼女の表情を見た時から。

 そのあとのレイの儚げな表情で紡いだ古城への質問の意味も。

 レイが古城を慕っていたからこそ、彼のちょっとした言葉が彼女を深く傷つけてしまうものだと雪菜は理解していた。

 理解していたはずなのに雪菜は、レイの気持ちを古城に伝えなかった。それを伝えなかったのは、雪菜がレイに嫉妬してしまったせいなのだろう。

 いつからだろうか。最初に古城と出会った時は、ただの監視する、もしくは抹殺すべき危険な存在としか彼を見ていなかった。

 だが、ハンバーガー店の時の、古城から色々話を伺った時のことだったか。雪菜に古城は〝天敵〟でしかないはずの自分を心配して『死なれては困る』と言ってくれたのは。

 雪菜はそんな彼に心配されて、その優しさが嬉しかった。思わず彼にときめいてしまいそうなほどに。

 だから雪菜は、その彼に大事に想われているレイを羨ましく思い、いつの間にか嫉妬し、彼女を邪魔な存在と思ってしまったのかもしれない。

 それ故に、レイが古城の下から去ろうとしているのを止めずに、むしろ彼女が消えたことを内心喜んでしまったのだろう。

 わたしはなんて最低な人間なんだ。レイの方はたしかに自分には冷たく容赦なかったものの『出ていけ』とは一言も口にしていないというのに。

 ………先輩があの子を連れ帰ってきたら、あの子を無視しないで今度はちゃんと向き合おう。それから彼女と仲良くなろう。仮令それを彼女が望もうとしなくても―――

 

 ズンッ!

 

「………え?」

 

 雪菜はハッと顔を上げる。今の揺れは!?それにこの魔力………かなりの大物吸血鬼が暴れている!?

 

「―――っ!?まさか、先輩が巻き込まれてるんじゃ………!」

 

 雪菜は嫌な予感がした。もしかしたら古城がレイを捜している途中で吸血鬼に襲われてしまったのではないか?いや、でも彼を襲う理由が見当たらない。

 何故なら古城の正体を知るものは、少なくとも魔族にいないはずだからだ。

 なら大物吸血鬼が暴れている理由は何?もしかして、実はレイは新しい主を見つけていて、それが今暴れている吸血鬼。その吸血鬼から古城がレイを取り返そうとして戦闘になった………という線はどうか。

 これなら吸血鬼が暴れている理由に説明がつく。だとしたら先輩が危ない!助けにいかなきゃ!

 其処でハッと我に返る。違う。彼に凪沙のことを頼まれたではないか。その彼女をほったらかしにして助けに向かえばきっと彼は怒るだろう。

 けど古城が心配で助けにいきたい想いの方が強い。一体どうすれば―――

 

「―――あの坊やが心配か、獅子王の剣巫よ」

 

「………え?」

 

 不意に冷たく澄んだ声が雪菜の耳に届く。その声の主の方に目を向けると、気絶していたはずの凪沙が目を覚ましていた。

 

「凪沙………さん?」

 

 が、彼女が纏う気配はさっきまでのとは別人のようで、虹彩の開ききった彼女の大きな瞳は凪いだ水面のようになんの感情も写していない。

 雪菜は凪沙のこの状態を知っているような気がした。神憑りか、或いは憑依かもしれないと。

 凪沙の姿をした『何か』はフッと笑って雪菜に告げた。

 

「心配なら()()くがいい。この娘のことなら心配は無用だ。………我が共に在るからな」

 

「我が共に在る………?あなたは、いったい………」

 

 雪菜が彼女に問うが、彼女は何も答えない。代わりに凪沙が纏っていた異様な気配は消え、凪沙の健やかな寝息が聞こえてきた。

 そんな凪沙を見て雪菜は安堵した。しかし、先程の謎の存在が気にかかる。

『我が共に在る』。その意味は一体なんなのか?それに彼女は一体何者なのか?

 だが、それを考えている余裕など今の雪菜にはない。古城の身に危険が及んでいるかもしれないのだから。

 

「先輩………!」

 

 雪菜はギターケースを背負い、急いで吸血鬼が暴れている現場へと向かうのだった。




予告詐欺すみません。思ったより文字数が多くなってしまったので今回はここまでです。

次回 真夜中の闘い 後編

ようやくレイを見つけた古城。だがそんな彼に法衣の男と人工生命体が立ちはだかり………さらには瀕死だったはずの〝旧き世代〟の吸血鬼も再生を終えて乱入してきて、古城はその闘いに巻き込まれる羽目になった。


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真夜中の闘い 中編

「―――見つけたぜ、レイッ!」

 

 古城がそう叫ぶと、レイは驚いたような表情で振り返ってきた。

 

「………古城、様?」

 

 あり得ないものを見たような表情で呟くレイ。彼が自分を捜しに来ることなどあり得ないと思っているからだ。

 古城はそんな彼女へと歩み寄り、怪我をしていないことを確認すると、安堵しながら言った。

 

「こんなところにいたのか。駄目だろ、急にいなくなっちゃ。凪沙のやつが心配してるし、早くうちに帰るぞ」

 

 そう言って古城はレイの手首を掴もうとした。が、それを彼女は拒み後ずさる。

 

「………レイ?」

 

「今さら………今さら僕に何の用ですか!貴方は、僕を捨てたくせにっ!」

 

 レイが攻撃的な瞳で古城を睨んでくる。どうしてなのですか!と涙を滲ませながら。

 古城は、そういやそういうことになってるんだったな、と頭をポリポリと掻きながら返した。

 

「それなんだけどさ………べつに俺はおまえを捨てたわけじゃねーよ」

 

「え?」

 

 古城のその言葉に、レイは思わず目を瞬かせた。それはどういう意味?とレイが訊こうとすると、その前に古城が言った。

 

「俺があのときおまえの質問に『いらない』って返したのはさ、姫柊の買い物にはつき合う必要はない、っていう意味で言った言葉なんだよ」

 

「………!?」

 

 驚愕して瞳をいっぱいに見開くレイ。

 ………え?それってつまり、僕の勘違い?勝手に自分は捨てられた、と思い込んでそれを本気にして家出してきたということ?

 そう思い、レイは途端に恥ずかしくなって赤面して俯いた。

 

「………でも、古城様は、僕を〝迷惑〟だって言いましたのです」

 

「あ、ああ。だっておまえ、俺のためを想ってやってくれるのは嬉しいんだけど………やりすぎは、な。周りの目も気になるし、誤解もされるっていうかなんというか」

 

「………?僕は貴方との関係を誤解されても気にしないのですよ?」

 

「俺が気にするわっ!」

 

 さらりと言ってのけるレイに、声を上げる古城。そんな彼を見上げてクスッと笑うレイ。

 それからレイはじっと古城を見つめて、

 

「あ、あの………!」

 

「ん?なんだ、レイ」

 

 何やら恥ずかしそうにモジモジするレイを古城は見下ろして訊き返す。

 するとレイが口を開き、恐る恐る訊いてきた。

 

「古城様。僕は………僕は、また貴方の人形(ドール)になっても………いいですか?」

 

「は?」

 

 レイの問いに、古城は間の抜けた声を洩らす。そんな彼の反応に、レイは悲しげな表情で俯く。

 

「………やっぱり、駄目ですよね。ごめんなさいなのです、古城様。今のは忘れて―――」

 

「馬鹿だな、おまえ」

 

 古城の呆れたような声音に、え?とレイが顔を上げる。その瞬間、まるでタイミングを見計らっていたかのように古城はレイの頭にポンと手を乗せて笑った。

 

「俺がいつ、おまえを捨てたんだ?言っただろ。あれはおまえの勘違いだって。それとも、捨てて欲しかったりする願望でもあるのか?」

 

「………!?や、それは嫌なのです古城様!僕を、捨てないでください………!」

 

 必死になるレイを、古城はほくそ笑みながら見つめる。古城は、よろしい、と彼女の頭を優しく撫でて、

 

「これからもよろしくな、レイ。それから―――()()()

 

「!は、はいなのです!………()()()()なのですよ、()()♪」

 

 涙を拭って嬉しそうに微笑むレイ。その天使のような………もとい天使の微笑みを見て、やっぱりレイはこうじゃなきゃな、と古城は思った。

 結局、彼女から『主様』と呼ばれることになってしまったが、彼女の笑顔に免じて許してやろう。

 古城とレイのやり取りを見ていた法衣の男が、ふむ、と頷き、

 

「よくわかりませんが、仲直りできたようですね。とりあえず、おめでとうと言っておきましょう」

 

 男の声にハッとして古城は向き直り、どうも、と軽く挨拶した。

 

「レイが世話になったみたいだな。けど悪いがレイは俺の人形(もの)だから返してもらうぜ、オッサン」

 

「構いませんよ。その娘は我らのものではありませんので」

 

 古城の言葉に、意外とあっさりした返事をしてくる法衣の男。それに違和感を感じたが、争いに発展しないならありがたい。

 古城はレイに目を向けると、何故か彼女は嬉し恥ずかしそうに両手を赤くなった頬に添えていた。

 

「俺の人形(もの)………主様が遂に僕を所有(もら)ってくれるというのですね!ああ、僕は今、とても幸せな気分なのですよ~♪」

 

「は?―――って違う!いや、違わなくないけど………そういう意味で言ったんじゃねえよ!」

 

「え?主様は僕を人形(モノ)として所有(もら)ってくれるのではないのですか?」

 

「え?………あ、そっち?」

 

 てっきり、嫁としてもらってくれ、と言われたのかと思ったぜ、と内心で付け足す古城。

 ホッと胸を撫で下ろす古城を、レイは不思議そうに眺める。

 そんな彼女を古城は見返しながら、でも人形(モノ)としては扱いたくないんだよなあ、と苦笑いを浮かべた。

 それはさておき、レイを取り返したことだしうちに帰るか………と古城が彼女の手を取って自宅に帰ろうとした、その時。

 

 

「―――逃がすと思いますか?」

 

 

「―――ッ!!?」

 

 いつの間にか古城達の直ぐ後ろに立っていた法衣の男の無感情な声音に、ハッとして古城はレイを抱き寄せて横に跳んだ。

 その僅か数瞬後には、先程まで古城達が立っていた場所を巨大な戦斧が襲い、虚空を袈裟懸けに斬り下ろした。

 古城は法衣の男を睨み付けて吼える。

 

「危ねえだろオッサン!殺す気か!?」

 

「ええ、殺しますよ」

 

 法衣の男がにべもなく答えると、古城はゾッと背筋を凍らす。

 ………このオッサン、今なんて言った?俺やレイを殺す、って言わなかったか!?

 古城はレイを背に隠して身構える。バスケのディフェンスの要領でどんな攻撃にも対応出来るように。

 

「あんたは、俺たちを帰してくれるんじゃなかったのかよ!?」

 

 古城が法衣の男を睨みながら叫ぶ。法衣の男は、首を横に振り、

 

「その娘を()()とは言いましたが、()()()とは一言も口にしてませんよ」

 

「なっ!?」

 

「それにその娘は我らの獲物を横取りしようとした悪党なのですよ。その娘を庇うというなら、貴方も我らの敵ということです」

 

 法衣の男が戦斧を古城達に向けてそう言ってくる。彼の瞳には怒りのような感情があった。

 古城は、え?とレイに目を向けて、

 

「それは本当なのか、レイ?」

 

「ち、違うのです!僕はただ、魔族から貴方様方を護ろうとしただけで―――!」

 

 レイは首を横に振って否定するが、法衣の男は鋭く彼女を睨み、

 

「なにが違うというのですか?我々は貴女なんかに助けなど頼んだ覚えはありません。勝手に邪魔しにきてよくそんなことがいえたものです」

 

「う………それは」

 

 法衣の男の言う通りなので言葉に詰まり、何も言えなくなるレイ。

 古城もレイをフォローしようにも出来ない。法衣の男の話を聞くからに、彼女が彼らの危機を救ったわけではないからだ。

 なら、彼女が魔族から彼らを護ろうとした行為は別の意味で捉えるのが自然か。

 法衣の男は息を吐き捨てると、古城達を睨み告げた。

 

「最早言葉は無用です。少年よ、死にたくなければその娘を置いて去りなさい。拒否するならば、まとめて始末するまで」

 

「―――っ!?」

 

 法衣の男の凄まじい威圧に怯みそうになる古城。だがこちらも存在感なら劣りはしない。古城は世界最強の吸血鬼なのだから。

 それに、

 

「あんたこそ、覚悟は出来てんだろうな」

 

「なにがです?」

 

「レイは俺たちの大切な家族だ。手を出すってんなら、容赦しないぜオッサン!」

 

 古城は獰猛に笑って一歩前へ出る。彼の全身から濃密な魔力が迸った。

 それを肌で感じ取った法衣の男は、ムッと眉を顰めて、

 

「その魔力………貴方はただの民間人ではないですね。吸血鬼、それも貴族(ノーブルズ)と同等かそれ以上………なるほど。噂の第四真祖は貴方で、その娘が〝従者〟ということですか」

 

 法衣の男の鋭い洞察力に内心、冷や汗を掻く古城。レイが〝血の従者〟というのは正直はっきりしていないが、古城の正体を彼はあっさり見抜いてきたのだ。油断ならない相手に違いないだろう。

 そんな法衣の男を庇うように人形(ホムンクルス)が前に出てきたのとほぼ同時に―――もう一体の人形・レイが、彼らに背を向けた状態で古城の前に立ち塞がり両手を広げた。

 

「む………これはなんの真似ですか、娘」

 

 法衣の男がレイの不可解な行為を問いただそうとすると、古城も驚いたような表情でレイを見つめ、

 

「なにやってんだよレイ!俺たちの敵は、あのオッサンたちだろ!?」

 

 古城がそう言うが、レイは小首を横に振り、

 

「僕は彼らを守護しなければいけないのです。だから僕には彼らを攻撃することは出来ません」

 

「は?」

 

 古城は間の抜けた声を洩らすが、ハッと思い出したようにレイに訊いた。

 

「………それは天使としての、レイの役目なのか?」

 

「はい、なのです」

 

 申し訳なさそうな表情で頷くレイ。そっか、それなら仕方ねえな、と息を吐き、古城は臨戦態勢を解いた。

 古城は、流石に彼女とは戦いたくなかった。実力云々ではない。純粋に仲間同士、ましてや家族ならば戦うなどという選択肢はない。

 これはレイを抱きかかえてオッサンたちから逃げるしかねえな。吸血鬼の力を全開にすれば逃げ切れるだろう。問題は、タイミングだな。やっぱり隙は作った方がいいかな………

 古城が逃げる前提でその方法を考えていると、法衣の男がレイを驚愕の表情で見つめて声を上げた。

 

「その娘が、天使………ですか!?あの、聖書に記された〝神の御使い〟だと!?」

 

 あり得ない、というような表情でレイを見る法衣の男。

 あの娘が天使?主なる神がお造りになった〝神の御使い〟?

 その割には、魔族のような強大な魔力を有している。それに天使だというのに、背に翼はなく、神聖さがまるでない。

 ………本当にこの娘は天使なるものか?嘘を吐いているだけではないのか?

 その真偽をどう確かめようか考え込み、ふと良案が思いついたように法衣の男は言った。

 

「………いいでしょう。貴女が真の天使ならば、先程の件は水に流しましょう」

 

「え?」

 

 法衣の男の言葉に、レイと古城は驚いたような表情で彼を見た。随分あっさりしているな、と。

 だが、そう思えたのは一瞬だけだった。それは、

 

「ですから貴女には―――目の前の魔族(しょうねん)を始末していただきましょうか」

 

「………ぇ?」

 

 法衣の男の衝撃的な発言に、レイの全身が氷のように冷たくなっていく。

 彼は今、なんて言った?私に………古城(ぬしさま)を始末しろと?そんなこと、出来るわけ―――

 

「出来ないというのですか?貴女が天使だというのなら、魔族は天敵、滅ぼすべき悪ですよ」

 

「………っ、」

 

「さあ、証明してみなさい。貴女が天使だということを、この私に!」

 

 法衣の男が両手を広げてレイに告げる。それにレイは拳を握り締めたまま俯いてしまった。

 そんな彼女を、古城は心配になって触れようとしたその時。

 

「ぐっ………!?」

 

 レイの全身から迸った黄金の魔力が、古城の手を弾く。まるで古城に触れられるのを拒むように。

 

「………レイ?」

 

「……………」

 

 古城が呼びかけると、レイは徐に顔を上げて、

 

「………ごめんなさい、なのです、主様」

 

 謝罪の言葉と共にレイの右手に黄金の魔力が集まっていき、巨大な槍を形作った。

 その槍の正体は―――凄まじい雷の塊だった。そしてレイは、雷光の槍の切っ先を古城の心臓に向けて踏み込んできた。

 

「うおっ!?」

 

 レイの刺突を辛うじて回避出来た古城は、彼女を困惑の眼差しで見つめて、

 

「ど、どうしてなんだよレイ!俺のことを一番に想ってくれてたんじゃなかったのか!?」

 

「………ごめん、なさい」

 

 古城の質問には答えず、レイはただ雷光の槍を構えて彼を串刺しにしようとしてくる。

 古城にはその攻撃を避け続けるしか方法はなかった。それはレイにカウンターをぶつけるわけにはいかないからだ。

 

「やめろ、やめてくれ!俺は、おまえとは………戦いたくねえ!」

 

 古城は必死に訴えかける。が、レイは感情を殺した瞳で、ごめんなさい、と謝り続けながら雷光の槍を振るってくるだけだ。

 でも、古城には分かっていた。彼女もまた、自分と戦いたくないということを。天使としての運命に逆らえず苦しんでいるということを。

 だから、どうにかして彼女を救ってやりたい、と古城は彼女の攻撃をギリギリで躱しながら思う。

 ………けど、どうしたらレイを救える?俺にそれだけの力はあるのか?

 古城はそんなことを考えていると、不意に誰かがこちらへ突っ込んできた。

 

「―――さっきはよくもやってくれたな、小娘ッ!」

 

 それは上品な背広(スーツ)を着ている〝旧き世代〟の男だった。満足に回復していないまま、レイにやられた分の仕返しに来たのだ。

 しかし、標的にされているレイは、古城に向けて雷光の槍の刺突を繰り出したままの状態な為、とてもじゃないが〝旧き世代〟の拳を躱せるとは思えなかった。

 

「危ねえ、避けろレイ!」

 

 思わず叫ぶ古城。だが、レイは特に焦ることもなく、左手を〝旧き世代〟の男に突き出し―――

 

「な………にぃ!?」

 

 ―――緋色の魔力が彼を迎撃した。その不意打ちの攻撃に、〝旧き世代〟の男の長身は呆気なく吹き飛ばされ地面に転がった。

 古城は一瞬、レイが何をしたのか理解出来なかった。が、彼女の突き出された左手の周囲の空間が揺れて―――否、振動していることに気がつく。

 つまり、先程〝旧き世代〟を吹き飛ばした力の正体は………振動の塊をぶつけられたからだった。

 レイの右手には黄金の雷光の槍。左手には緋色の振動波。そんな芸当は古城には出来る気がしなかった。

 

「ほう………反射の次は雷に振動ですか!さすがは第四真祖の〝従者〟といったところですね」

 

 法衣の男は興味深そうにレイを見つめる。彼女を天使としてはまだ認めないが、侮ってはいけない存在だと彼は認識した。

 一方、吹き飛ばされた〝旧き世代〟の男は、傷付いた身体に鞭打ち立ち上がる。

 

「図に乗るなよ、小娘がッ!」

 

 そして怒号と共に〝旧き世代〟の男は、再度己の眷獣を召喚する。

 再び召喚された巨大な妖鳥の眷獣を、法衣の男は見上げて笑う。

 

「あの娘の戦いを邪魔しようとはなんと愚かな。ですが、眷獣を召喚してくれたのはありがたい」

 

「ありがたい、だと!?」

 

 法衣の男の意味深な発言に怪訝顔になる〝旧き世代〟の男。

 法衣の男は、隣に控えていた人工生命体(ホムンクルス)に呼びかける。

 

「さあ、やりなさい、アスタルテ」

 

命令受諾(アクセプト)執行せよ(エクスキュート)、〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟」

 

 藍髪の少女は、彼に人工的な声音で応えて、半透明な虹色の巨大な腕を出現させて〝旧き世代〟の男の眷獣を襲った。

 その巨大な腕が妖鳥の眷獣を薙ぎ払うと、妖鳥の翼は根本から千切れて溶岩のような灼熱の鮮血が飛び散った。

 

「ぐあっ………!」

 

 眷獣が受けたダメージが、宿主たる〝旧き世代〟の男に逆流して苦悶の声を上げる。

 しかし、アスタルテの攻撃は止まらない。体勢を崩した妖鳥の眷獣に畳み掛けるように、巨大な腕を操り妖鳥の巨体を貪るようにして切り裂いていく。

 それと同時に〝旧き世代〟の男も激痛に苦しみ、額から脂汗を流す。

 実体化を保てなくなった妖鳥の眷獣は単なる魔力の塊へと変わって地面に落ちる。が、それでもアスタルテは攻撃をやめずに、破壊した眷獣の身体を蹂躙する。

 そんな光景を見ていた法衣の男は、〝旧き世代〟の男へと突進するように接近し、

 

「今度こそお仕舞いです。我が斧の錆となりなさい、憐れな魔族よ」

 

「くっ―――!?」

 

〝旧き世代〟の男を斬り殺すつもりで容赦なく戦斧を振り下ろした。

 その一撃から避けようと咄嗟に後ろへ跳んだ〝旧き世代〟の男。だが、躱し切れずに肩口から深々と斬り裂かれて致命傷を負い吹き飛ばされてしまった。

 

「………む、仕留め損ねましたか。ですが、これでこの魔族は再生できませんね。次の一撃で確実に仕留めるとしましょう」

 

〝旧き世代〟の男の返り血を浴びた法衣の男は血塗れの戦斧を片手に、トドメを刺しに瀕死の吸血鬼の下へと歩みを進める。

 それを古城が慌てて叫び止めようとした。

 

「やめろよ、オッサン!それ以上やったら―――」

 

「関係ありませんね。我にこの魔族を生かしておく理由はなし」

 

「なっ………!」

 

「それに少年。貴方は―――自分の心配をした方がいいですよ」

 

「―――っ!?」

 

 古城はハッとしてレイの方を見る。すると、彼女の雷光の槍の切っ先は古城の胸元を貫く寸前まで迫っており、回避する余裕すらなかった。

 

「………ッ、しまっ―――!」

 

 走馬灯を見ているかのように、自分の胸を貫こうとゆっくり進んでくる雷光の槍を見つめて、古城は死を悟った。

 如何に第四真祖だろうと、吸血鬼は不老不死であろうと、その能力の根源である心臓を貫かれれば死ぬと理解しているからだろう。………本当は仮令心臓を失ったとしても死なないのだが。

 古城は目を瞑り、死を受け入れようとした、その時。

 

 

「―――〝()()()〟!」

 

 

 え?と聞き覚えのある声に古城は思わず目を開ける。すると突如、銀色の閃光が煌めいて雷光の槍を斬り裂き消滅させた。

 そして、古城の視界に映ったのは、驚愕の表情で瞳を見開くレイと―――凜とした顔で銀色の槍を振るった黒髪の少女・姫柊雪菜の姿だった。




思ったより長引いてしまったので、今回はここまでです。

次回、雪菜の乱入で、この戦いは終局へ向かいます。そして古城が眷獣を………


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真夜中の闘い 後編

今回でこの戦いは終了です。


「ひ、姫柊!?」

 

 全く予想外の人物・雪菜の登場に驚愕する古城。

 なんで姫柊がここに!?凪沙を頼んだから来るはずがないはずだぞ!?

 そんな古城に振り返って雪菜が言ってきた。

 

「ご無事ですか、先輩!助けにきましたのでもう安心してください」

 

「あ、ああ………じゃなくて!凪沙はどうしたんだよ!?」

 

「凪沙さんなら、安心して眠りについています。ですから先輩はもう心配しなくても大丈夫ですよ」

 

「………!そ、そうか。それならもう大丈夫、なのか?」

 

 疑問形で返す古城。雪菜はクスッと小さく笑って頷き返した。

 先輩ってレイ好き(ロリコン)な上に、凪沙好き(シスコン)なんですね、と内心で思いながら。

 

「―――それよりも、先輩」

 

「ん?」

 

「どうしてレイさんと戦っていたんですか?彼女は、たしか先輩を慕っていたはずですよ?」

 

「ああ、それはな―――」

 

 古城は、どうしてレイと戦う羽目になっているのかを雪菜に説明する。

 雪菜は古城の説明を聞いて、そういうことだったんですね、と納得した。

 一方、レイは自身の魔力で形作った雷光の槍をいとも簡単に斬り裂き消滅させた雪菜の槍を見て、驚きを隠せないでいた。

 あの槍は、第四真祖の魔力さえ無力化出来る兵器だというのですか!?それに、あの力は―――まさか………!?

 レイは、雪菜の正体に気づきより警戒―――ではなく、逆に警戒するのをやめた。そして、不意に罪悪感に苛まれていく。私は、あの子に()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 突如、レイから強大な魔力の気配が消失したことに、古城と雪菜は訝る。

 急に力を消してどうしたのか?〝雪霞狼〟の一撃で消滅したとも思えない。何故なら、雪菜が斬り裂いたのはレイ本人ではなく雷光の槍だけだからだ。

 ならばどうして?という疑問が生じるなか、法衣の男は愉快そうに笑った。

 

「その槍………もしや七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)ですか!?〝神格振動波駆動術式(DOE)〟を刻印した、獅子王機関の秘奥兵器!よもやこのような場で目にする機会があろうとは!」

 

 法衣の男は口元に歓喜の笑みを浮かべた。眼帯のような片眼鏡(モノクル)が紅く発光を繰り返し、雪菜の槍の情報を直接投影する。

 雪菜は法衣の男を警戒するように見返して、

 

「あなたはいったい何者ですか?」

 

「む、私ですか?ふむ………本当は名乗るのは控えたかったですが、獅子王機関の剣巫ならばいいでしょう」

 

 法衣の男は雪菜の質問に答えることにした。

 

「我が名はロタリンギア殱教師、ルードルフ・オイスタッハです。娘よ、是非この私と手合わせを願います」

 

「ロタリンギアの殱教師!?なぜ西欧教会の祓魔師がこの絃神島に!?」

 

「我に答える義務はなし!」

 

 法衣の男・オイスタッハが大地を蹴って猛然と加速し、彼の振り下ろした戦斧が雪菜を襲った。

 

「な、姫柊!」

 

 古城が叫ぶが、雪菜は、大丈夫です、と笑って―――オイスタッハの一撃を完全に見切って紙一重ですり抜けた。

 そして、雪菜は攻撃を終えた直後のオイスタッハの右腕へと、槍を旋回させて反撃する。

 オイスタッハは、回避不能と判断した雪菜の攻撃を、鎧に覆われた左腕で受け止めた。

 魔力を帯びた槍と鎧の激突が青白い閃光を撒き散らす。

 

「ぬううん!」

 

 オイスタッハの左腕の装甲が砕け散り、雪菜はその隙に離れて距離を稼ぐ。

 

「我が聖別装甲の防護結界を一撃で打ち破りますか!さすがは七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)―――実に興味深い術式です。素晴らしい!」

 

 破壊された左腕の鎧を眺めてオイスタッハが満足そうに舌舐めずりをする。片眼鏡(モノクル)は忙しなく点滅を繰り返す。

 そんな彼を見て、雪菜は表情を険しくした。そして、剣巫の直感が彼は危険な存在だと判断し、

 

「―――獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る。破魔の曙光、雪霞の神狼、鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え!」

 

「む………これは………」

 

 雪菜が厳かに祝詞を唱えると、彼女の体内で練り上げられた呪力を〝雪霞狼〟が増幅させた。槍から放たれた強大な呪力の波動に、オイスタッハが表情を歪め、

 

「はあ―――ッ!」

 

 その直後、雪菜がオイスタッハに猛然と攻撃を仕掛けてきた。

 

「ぬお………!」

 

 閃光のように放たれた雪菜の銀色の槍を、オイスタッハの戦斧が受け止める。その腕に伝わる衝撃に、彼は驚愕の表情を見せた。

 雪菜の攻撃を受け止めきれずに数メートル近くも後退するオイスタッハ。過負荷によって各部の関節が火花を散らしていた。

 ………っ!なんと重い一撃ですか!昨夜の獣人の一撃とはまるで違いますね!

 オイスタッハは内心で喜んでいたが、雪菜の攻撃はまだ終わっていなかった。彼女の至近距離からの嵐のような連撃が彼を襲う。

 

「―――ッ!」

 

 オイスタッハは反撃の糸口を見つけることが出来ずに、防戦一方となっていた。

 そうなっている原因は、雪菜が霊視によって一瞬先の未来を視ることで、オイスタッハの攻撃パターンを見切っていたからだ。更に様々なフェイントを含む高度な武技と組み合わせることで、彼女の攻撃速度は彼の装甲強化服の人工知能を上回っているのだった。

 

「ふむ、なんというパワー………それにこの速度!これが獅子王機関の剣巫ですか!」

 

 見事です、とオイスタッハが賞賛する。そして、雪菜の〝雪霞狼〟の攻撃を受け止めきれずに、遂に半月斧(バルディッシュ)がひび割れると、音を立てて砕け散った。

 だがその瞬間、戦斧を失ったオイスタッハに攻撃するのを躊躇ってしまい、雪菜の手が僅かに止まってしまった。その一瞬の隙にオイスタッハは強化鎧の筋力を全開にして後ろへ跳躍した。

 

「いいでしょう、獅子王機関の秘呪、たしかに見せてもらいました―――やりなさい、アスタルテ!」

 

 オイスタッハの指示に従って、アスタルテが雪菜の前に飛び出してきて、

 

命令受諾(アクセプト)執行せよ(エクスキュート)、〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟」

 

 虹色の半透明な巨大な腕を雪菜に向けて放った。雪菜はその腕を〝雪霞狼〟で迎撃しようとするが、

 

「やらせるかよッ!」

 

 古城が雪菜の前に飛び出してきて、アスタルテの巨大な腕の眷獣の攻撃を―――魔力を籠めた拳で力いっぱい殴り返した。

 

「………!」

 

 古城に力いっぱい殴られた巨大な腕は勢いよく吹き飛び、〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟の宿主たるアスタルテもその衝撃で転倒した。

 

「………え?先輩!?」

 

 ギョッとした表情で古城を見つめる雪菜。なんて無茶苦茶な攻撃なんですか!と呆れていた。

 そんな雪菜の気持ちを理解したように、古城は苦笑いを浮かべながら返した。

 

「俺にはレイみたいな芸当(まね)はできないから、こうすることぐらいしかできないけど―――これでさっきの借りは返したぜ、姫柊」

 

「先輩………ありがとうございます」

 

 少し嬉しそうな笑みを浮かべる雪菜。本当は自分でも対処出来たのだが、それよりも古城が護ってくれたことの方が何よりも嬉しかったのだ。

 一方、オイスタッハは、盲点でした、と呟いて古城を睨み、

 

「そういえば貴方もいましたね。第四真祖の少年」

 

「ああ。忘れてもらっちゃ困るぜ、オッサン。眷獣の腕の迎撃くらいなら、俺にだってできる」

 

 古城は笑ってオイスタッハを睨み返す。とはいっても、レイが俯いたままその場から動かずにいてくれるからこそ勝機を見出だせているだけなのだが。

 オイスタッハは暫し古城と雪菜を見つめ、自分が不利であることを悟った。

 天使を名乗る少女・レイは〝雪霞狼〟の力で魔力を無効化されてからずっと動かない状態で、とてもではないが彼女が自分を護ってくれるとは思えない。

 それに、〝雪霞狼〟のデータが録れたとはいえ、アスタルテの眷獣はまだ未完成。そのデータを組み込み、調整しなければ第四真祖とは渡り合えないだろう。

 潮時ですか、と思ったオイスタッハは、アスタルテに撤退を命じようとした、その時。

 

再起動(リスタート)完了(レディ)命令を続行せよ(リエクスキュート)、〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟―――」

 

 オイスタッハの意思とは裏腹に、アスタルテが再び人工的な声音で呟き〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟を操り始めた。

 

「ハッ、来るなら来いよ!何度でも打ち返してやるぜ!」

 

「待ちなさい、アスタルテ。今はまだ、真祖と戦う時期ではありません!」

 

 迎撃態勢に入る古城とは対照的に、オイスタッハが叫びアスタルテを制止する。

 アスタルテは困惑したように瞳を揺らすが、宿主の命令を受けた眷獣は止まらず、虹色の鉤爪を鈍く煌めかせ古城を襲った。

 

「先輩、下がってください!」

 

〝雪霞狼〟を構えた雪菜が古城を護ろうと前に飛び出した刹那、

 

 

退()()()()()、〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟」

 

 

「―――ッ!?」

 

 落ち着いた声音でアスタルテに告げるレイ。すると突如、アスタルテの巨大な腕の眷獣は見えない檻に阻まれたかのように動きを止めた。

 それと同時に、アスタルテはレイの青白い焔のような瞳に射抜かれて動けなくなった。

 

「む、どうしたのです、アスタルテ………!?」

 

 アスタルテの異変に驚愕し瞳を見開くオイスタッハ。一体何があったのか、と。

 その一方で、レイの全身から迸る銀水晶の魔力を見た古城と雪菜は、彼女が何をしたのか直ぐに理解した。

 あれは一昨日、〝若い世代〟の吸血鬼男の眷獣〝灼蹄(シャクテイ)〟の支配権を奪った―――他者の眷獣の支配権を奪う、精神支配の能力。

 もしかして、俺達を護ってくれたのか!?と古城はレイを見たが、彼女は古城ではなくオイスタッハへと向き直り、

 

「彼らは僕の標的です。盗らないでください、殱教師様」

 

「………っ!?」

 

 レイの言葉を聞いた古城は、途端に悲しくなった。彼の期待は見事に裏切られてしまったからだろう。

 雪菜は古城の震わせている拳にそっと手を添えて、大丈夫ですよ、先輩、と励ました。

 一方、オイスタッハはムッと眉を顰めてレイを見下ろし、

 

「アスタルテの様子がおかしいのは、貴女の能力でしたか、真祖の〝従者〟」

 

「はい。彼女の眷獣の支配権を奪いました。これで彼女は何も出来ない非力な人形(ホムンクルス)にすぎません」

 

 隠す素振りも見せずに、さらりと答えたレイ。それを聞いてオイスタッハは再び驚愕する。

 今度は精神支配ですか!?どれだけの能力を秘めているのですか、第四真祖の力は!?

 オイスタッハは少しの間、開いた口が塞がらない状態に陥ったが、直ぐに冷静になり、

 

「わかりました。我らの妨害をしたのならば、その落とし前をつけてきなさい」

 

「わかったのです」

 

 オイスタッハの言葉に頷くレイ。だが、その場から動こうとはせずに、代わりに彼を見上げて、

 

「殱教師様。〝雪霞狼〟に対抗するために、なにか武器を僕に貸してほしいのです」

 

「………む、武器ですか?―――ふむ、なるほど。確かに貴女の魔力では七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)の〝神格振動波駆動術式(DOE)〟に対抗する術はありませんでしたね」

 

 いいでしょう、とオイスタッハは小柄な彼女でも振るえそうな武器―――短剣を懐から取り出して渡した。

 

「こんなもので構いませんか?」

 

「大丈夫なのですよ、殱教師様。むしろ使いやすくて助かります」

 

 レイはニコリと微笑み、オイスタッハから短剣を受け取り、彼に背を向ける。

 オイスタッハはその頼りない背に不安を抱くが―――突如、レイの全身から迸った漆黒の魔力を見て、彼の不安は瞬く間に消失していった。

 レイは短剣を除いた全身に漆黒の魔力を纏いながら数歩進んだところで、雪菜を見つめた。

 

「姫柊雪菜………いいえ、()()()。僕と手合わせ願います」

 

「え!?」

 

 レイからご指名を受けて驚く雪菜。否、指名されて驚いたわけではない。彼女がフルネームではなく、名前で、それも様付けで呼んできたことに雪菜は驚いたのだ。

 それに、レイが雪菜に向けてきたのは殺気ではなく、まるで自分に古城を護る力があるのかどうかを量ろうしているかのようだった。

 そして何より、今朝の彼女の冷たさはなく―――まるで保護者のような温かさを雪菜は感じた。

 そんなレイの変貌っぷりに雪菜は困惑したが、それを振り払って古城の前に出た。

 

「ひ、姫柊………?」

 

 古城が不安そうな表情で雪菜を呼ぶ。しかし、雪菜はそんな古城に優しく微笑んで、

 

「大丈夫ですよ、先輩。レイさんは、わたしが取り戻してきます」

 

 ですから先輩は、待っててください、と告げて雪菜はレイの下へと数歩進んで止まった。

 そして両者は互いに見つめ合い、口を開いたのはレイだった。

 

「―――さあ、始めましょう。私たちの聖戦(たたかい)を」

 

 レイの開戦の合図と共に、雪菜は〝雪霞狼〟を構えた。それを確認したレイはクスリと笑い、トンと地面を蹴って―――

 

「―――え?消えた!?」

 

 唐突にレイを見失って焦る雪菜。すると、古城が雪菜に叫んだ。

 

「姫柊、下だ!」

 

「………っ!?」

 

 古城の声にハッと目を下に向ける雪菜。そこには、低い姿勢で雪菜の懐に飛び込んでいたレイの姿があった。

 ………ッ!?いつの間に!?

 ギョッとする雪菜に、レイは短剣を下から上に振り抜いた。迫る短剣の刃を、雪菜は上体を反らすことで辛うじて躱すことに成功した。

 不安定な体勢になってしまった雪菜に、レイはすかさず短剣を振るった。

 

「く………っ!」

 

 雪菜はレイの短剣を眼で捉えて、不安定な体勢のまま〝雪霞狼〟を振るい短剣を弾き返した。

 雪菜は短剣を弾くと直ぐに後ろへ跳んで距離を、

 

「え!?」

 

 距離を取れなかった。直ぐにレイが間合いを詰めてきたからだ。それと同時に彼女は短剣を振るってきて雪菜に休む暇も与えない。

 雪菜は霊視で一瞬先の未来を見て、レイの攻撃を〝雪霞狼〟で捌き続けていくが、

 ―――っ、この子、(はや)い!私の霊視じゃ追いきれない………!

 オイスタッハの強化鎧の人工知能とは比べ物にならないほどのレイの攻撃速度に、雪菜は防戦一方どころかしだいに追い詰められていく。

 

「姫柊!?」

 

 レイの剣技に追い詰められていく雪菜を見ていた古城は、酷く焦りを感じていた。

 ―――くそ!俺は、見ていることしか出来ないのか………!?

 古城は自身の無力さに苛立ちを覚える。何が世界最強の吸血鬼だ!女の子を一人も護れないなんて、俺は人間以下じゃねえか!

 そんな古城に、『何者か』が声をかけてきた。

 

 

 ―――あの娘を救いたいか?と。

 

 

 

 

 

 一方、雪菜は必死にレイの攻撃に耐えてみせるが、

 

「―――あ、」

 

 レイの短剣が遂に〝雪霞狼〟を弾き飛ばして、雪菜の手から零れ落ちてしまった。

 そして武器を失ってしまった雪菜を、レイは残念そうな表情で見つめて、

 

「その程度ですか、雪菜様?()()が救った貴女の力は、こんなものなんですか?」

 

「―――――ぇ?」

 

 レイの言葉に雪菜は石化したように固まる。

 ()()?私を救った()()………!?その()()って、まさか―――!?

 雪菜は驚愕の表情でレイを見つめ、

 

「レイさん………どうしてあなたが、()()を知ってるんですか!?」

 

「……………」

 

 しかし、レイは雪菜のその質問に答えなかった。代わりに、武器を持たない雪菜へと、レイは短剣を振り抜き―――

 

 

「姫柊ィ――――――ッ!」

 

 

 紫電の如き速さで奔った古城の拳が、レイの短剣を殴り飛ばした。

 

「………!?」

 

 予想外の横槍に瞳を見開いたレイは、咄嗟に後ろへ跳んで距離を取った。

 それは雪菜も同じで、あり得ないものを見るような表情で古城を見た。

 

「せ、先輩!?」

 

「大丈夫だ、姫柊。あとは、俺にやらせてくれ」

 

 そう言って古城は雪菜に笑ってみせると、彼女を庇うように前に出てきてレイを真正面から捉えた。

 

「悪いな、レイ。待たせちまって」

 

「………主様」

 

 立ちはだかる古城を、レイは何処か嬉しそうな表情で見つめた。

 古城はニヤリと笑うと、全身に雷光を纏い右腕を掲げた。その黄金の魔力は、レイの雷光の槍と全く同じ魔力ではなかったか。

 

「嫌でもうちに連れ帰ってやるぜ。だから覚悟しな、レイ!ここから先は、第四真祖(オレ)戦争(ケンカ)だ」

 

 雪菜を護り、且つレイを取り戻す戦争(たたかい)を。

 そんな古城を、泣き笑いに似た表情でレイが見つめてきて、

 

「できるものなら、やってみるのです、主様。この私を―――倒してみなさいッ!!」

 

 そう言ってレイは全身から古城の纏っている魔力と全く同じ黄金を迸らせ、右手に巨大な雷光の槍を形作る。

 それを見た古城は、雷光を纏った右腕を掲げたまま吼えた。

 

「いくぜ。約束通り、力を貸してもらうぞ!」

 

 

 ―――ふん、いいだろう。我を召喚せよ、小僧ッ!

 

 

 古城の右腕から鮮血が吹き出し、それはやがて輝く雷光へと変わる。膨大な光と熱量、そして衝撃。

 無差別に撒き散らされるのではない。凝縮されて巨大な獣―――即ち眷獣が姿を現す。

 

疾く在れ(きやがれ)―――〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟ッ!」

 

 出現したのは雷光の獅子―――戦車ほどもあるその巨体は、荒れ狂う雷の魔力の塊。その全身は目が眩むような輝きを放ち、その咆哮は雷鳴のように大気を震わせる。

 本当は、古城にこの眷獣を召喚する資格はまだない。誰の血も吸ったことがない、この童貞吸血鬼(みけいけん)には。

 では、何故〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟は古城に力を貸したのか。それは―――雪菜(れいばい)レイ(てんし)を失うわけにはいかないからだった。

 そして、古城も〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟と想いは同じだった為、彼がこの眷獣を召喚できたのだ。

 

「な、なんという魔力………!これが第四真祖の眷獣ですか!」

 

 古城の眷獣の存在感に圧倒されるオイスタッハ。アスタルテも、凄まじい眷獣の魔力に瞳を見開いていた。

 ………これが、先輩の………第四真祖の眷獣―――!

 雪菜もまた、古城の眷獣が放つ圧倒的な魔力に魅入るように眺めていた。

 一人だけ、〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟を愛おしく、懐かしむようにレイが見つめ、

 

「最初は、貴女なんですね………()()()()

 

 眷獣の名ではなく、レイが〝―――〟に付けた名前で優しく呼びかけた。

 そして、雷光の槍を構えて〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟へと突貫した。

 古城も、レイが動くのを見て〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟に命じた。

 

「迎え撃て、〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟!」

 

 古城の命令に従って〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟は咆哮し、嬉々としてレイに突進を仕掛けた。

 そして、古城の雷光の獅子の眷獣と、レイの雷光の槍が衝突し、鬩ぎ合いを始め周囲に甚大な被害を齎した。

 

「ぬお………!」

 

「―――!」

 

「きゃあ………っ!」

 

 オイスタッハやアスタルテ、雪菜の三人が悲鳴を上げる。

 これはいけません!と思ったオイスタッハは、急いでアスタルテに撤退を呼びかけた。

 

「天使の娘は諦めます。いきますよ、アスタルテ」

 

「………命令受諾(アクセプト)

 

 アスタルテは人工的な声音で応えて、いつの間にか解放されていた眷獣を消滅させ彼の下へいく。

 そして、古城とレイが戦っている隙に、彼女に貸していた地面に落ちている短剣を回収し、撤退していくオイスタッハとアスタルテ。

 雪菜は〝雪霞狼〟の結界で自身を護るのが精一杯で、彼らを追うことはできなかった。

 それよりも、古城とレイの戦いが気になって仕方がない。第四真祖の魔力同士の衝突に、終わりが見えてくるのか?と。

 雪菜は、まるでギリシャ神話の()の獅子と英雄の戦いを彷彿させるような光景を見ている気がした。

 だが、そんな神話のような戦いは間もなく終わりを告げようとしていた。

 

「―――っ!」

 

 それは、レイの表情に疲労が見え始めてきたからだ。彼女は古城と違って有する魔力量が劣っているのだろうか。

 遂に、レイの魔力が底を突いたのか、片膝を突き、それと同時に雷光の槍が消滅した。そして、古城の眷獣〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟がレイを捉えて、雷光が彼女を呑み込んだ。

 

「せ、先輩!?駄目です!これ以上はレイさんが―――!」

 

 雪菜の悲鳴に似た叫びを聞いて古城は、ヤバッと慌てて〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟を解除した。

 すると、雷光に呑み込まれていたレイの姿が浮き出てきて―――彼女の着ていた白いワンピースが所々雷に焼かれて黒くなって破れていた。

 ゆっくり前に倒れようとしたレイを古城が慌てて抱き止める。不思議なことに、彼女の服以外は()()だった。

 そんなレイを見て、ホッと胸を撫で下ろす古城。

 ………あいつ、ちゃんと手加減してくれてたんだな。

 そんなことを思いながら古城は、自分の腕の中で健やかな寝息を立てているレイの頭を優しく撫でた。

 雪菜も〝雪霞狼〟をギターケースの中に仕舞うと、古城の下へ歩み寄りレイの寝顔を眺めてクスッと笑った。

 二人が見守るなか、眠っているはずのレイの口が不意に開き―――

 

「―――ありがとう、ございます。雪菜様………主様………ネメアス………」

 

 え?と古城と雪菜は一瞬驚いたような表情を見せたが、直ぐに笑って、

 

「「どういたしまして」」

 

 二人がそう返すと、レイは嬉しそうな表情で、再び寝息を立て始めるのだった。




レイは雪菜を救ったあの彼女にも接触しています。もちろん天使としてですが。

原作と違って古城が眷獣を召喚しました。今回限りの仮契約のような感じでですが。

描写にはなかったですが、このあと古城が瀕死の〝旧き世代〟の男の存在を雪菜に伝えます。

最後に、〝ネメアス〟は獅子座になったとされる〝ネメアーの獅子〟からとってつけており、某アニメの〝ネメシス〟風につけた名前だったりします。


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悪夢の剣巫

古城の夢は書いてるので、今回は雪菜の夢です。………短いですが。


 雪菜は悪夢にうなされていた。原因は、レイの口から告げられた〝彼女〟というキーワードによるものだった。

 

 

 

 

「………?ここは?」

 

 雪菜は何もない真っ暗な―――虚無の空間にいた。

 雪菜は、なんでわたしはこんなところに?と疑問に思いながらも、果てしなく続く漆黒の空間を歩き始めた。

 ………あれからどれくらい歩いたのだろうか。時間の感覚などなく、雪菜はただひたすらこの終わりが見えない闇の中、前に歩みを進めていく。

 すると、不意に雪菜の目の前に闇を貫く一筋の光が射した。雪菜はその光を追い求めるかのように、我を忘れて駆け出していた。

 

「………っ!」

 

 だが、雪菜は幾ら走ってもその光の下へは辿り着くことができなかった。

 次第に疲れていき、遂に走れなくなった雪菜は、その場で立ち止まり、遠ざかっていく光を呆然と眺めた。

 すると、そんな彼女の肩をポンと誰かが後ろから優しく叩いてきて、

 

 

 ―――雪菜。

 

 

「………え!?」

 

 その懐かしい声に雪菜は驚愕の表情を見せた。そして、その表情のまま振り返ると其処には―――〝彼女〟が優しげな表情で立っていた。

 

「………!!〝――〟様ッ!?」

 

 雪菜が〝彼女〟の名前を呼ぶと、〝彼女〟はニコリと微笑み雪菜の頭を優しく撫でてきた。

 雪菜は〝彼女〟の優しく、温かな手に撫でられて、とても嬉しそうな笑みを浮かべ瞳を細めた。

 ………会えた。もう二度と会えないと思っていた、〝――〟様にまた会えた………!あの時、伝えられなかった言葉を、お礼を言おう。それから、〝彼女〟と色々な話をして―――

 雪菜はそんなことを考えながら、まず〝彼女〟に触れようとした。が、

 

「………え?」

 

 雪菜の手は〝彼女〟に触れることができず、空を切る。

 ―――ッ!?どうして!?〝――〟様はわたしに触れられるのに、わたしは〝――〟様に触れられないの!?

 理解できない、というような表情で〝彼女〟を見つめる雪菜。しかし、雪菜は気づいてしまった。〝彼女〟の身体が消えかかっているということに。

 

「〝――〟様!?そんな―――!嫌っ!消えないでください………ッ!」

 

 雪菜は必死に手を伸ばして、身体が消えかかっている〝彼女〟を強く抱き締めようとする。このまま〝彼女〟が消えてしまわぬように。が、その行為は虚しく雪菜の身体は〝彼女〟をすり抜けて、前に倒れてしまった。

 ―――そんな、〝――〟様ッ!!お願いですから、わたしの前から、消えないで………!

〝彼女〟が光の粒子へと変化していくなか、雪菜は必死に、『消えないで!』と強く願った。

 そんな雪菜の想いに気づいたように、〝彼女〟は優しく笑って告げた。

 

 

 ―――大丈夫よ、雪菜。きっとまた、直ぐに会えるから。

 

 

「………え?」

 

〝彼女〟の意味深な言葉に、雪菜はきょとんとした表情で見上げた。すると突如、光が闇を照らし出したかと思ったら、〝彼女〟の頭上に神々しい黄金を全身に纏った少女が舞い降りてきた。

 その少女の背には、純白の美しい翼があり、頭上には光の輪が浮かんでいる。

 ―――!?彼女はまさか………〝神の御使い〟………本物の天使!?

 雪菜が驚いている間に、その天使の少女は〝彼女〟の下へと舞い降りると、〝彼女〟の手を取り、翼を羽ばたかせて天へと導いていく。

 

「―――ッ!?や、やめてください!〝――〟様を、連れていかないで………!」

 

 雪菜は懇願し、天使の少女が天に連れていこうとする〝彼女〟へと手を伸ばす。が、天使の少女に引かれて天へと昇っていく〝彼女〟には、雪菜の手は届かない。

 届かない………けど、雪菜の必死な想いが伝わったのか、天使の少女はふと上空に留まると、雪菜を見下ろしてきた。

 

「―――――ぇ?」

 

 雪菜は、一瞬時が止まったかのように身体が動かなくなった。

 雪菜の見た天使の少女。その容姿を見て、雪菜の血の気が引いていく。

 黄金の輝きを纏った少女の髪は()()、真っ白な薄布を纏った―――()()()()()()()()()を持つ幼い天使。

 その天使の少女の正体は紛れもなく雪菜の知っている………()()()だった。

 

「どうして………どうして、あなたが………!?」

 

「……………」

 

 しかし、雪菜の質問に白い天使の少女は答えない。代わりに、声にならない言葉を、唇が紡いだ。

 

 

 ―――ごめんなさい、と。

 

 

 白い天使の少女は、何処か悲し気な表情で雪菜にそれだけを伝えると、〝彼女〟と共に天へと昇っていってしまった。

 そして、光を失ったこの空間を、再び闇が黒に染めていく。その純黒の空間にただ一人、取り残された雪菜は涙を流しながらポツリと呟いた。

 

 

「……………どうしてなんですか………()()、さん―――」

 

 

 雪菜の悪夢は其処で終わりを告げて、新しい朝を迎えたのだった。




レイが『―――』した〝彼女〟を天に導く―――というシーンですが、雪菜視点だと、レイが〝彼女〟を連れ去ろうとしているんですよね。だから雪菜がレイの行為に、どうして?と思ってしまっているわけです。


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四人家族………?

サブタイ良いの思いつきませんでした………


 絃神島南地区(アイランド・サウス)九階建てマンションの七階、七〇五号室―――姫柊雪菜の家。

 雪菜は悪夢から目を覚めると、何故か眼前に………レイの顔があった。

 

「は?」

 

「あ、おはようございます。雪菜様!」

 

 開いた口が塞がらない雪菜に微笑みかけてくるレイ。

 

「凪沙が雪菜様の分のお料理を準備してお待ちしています。身支度を終えましたら(ヌシ)様のおうちに来てください」

 

「え?」

 

「では、僕は先にうちに戻っていますのです」

 

 雪菜に用件を伝えると、踵を返して立ち去ろうとするレイ。雪菜は慌てて彼女を呼び止めた。

 

「ま、待ってください!」

 

「………?」

 

 雪菜の声に振り返るレイ。不思議そうに小首を傾げる彼女に、雪菜は真剣な表情で、

 

「レイさん」

 

「はい?」

 

「不法侵入ですよ」

 

「………!?う、ご、ごめんなさいなのです………!」

 

 雪菜の指摘にハッとしたレイは、自分が犯罪行為に走っていたことを悟り慌てて頭を下げて謝る。

 雪菜は、仕方がない子ですね、とクスッと小さく笑う。

 

「先輩の………第四真祖の能力をこんなことに使っては駄目ですよ」

 

「え?」

 

 雪菜の発言に、レイはぎょっとした表情で彼女を見つめた。そんなレイに雪菜はクスリと笑い、

 

「隠しても無駄ですよ。レイさんが先輩の〝血の従者〟で、第四真祖の能力を扱えることに気づいていますから」

 

「……………」

 

 雪菜の言葉を聞いて、レイは暫し彼女を無言で見つめ、それから首を横に振って否定した。

 

「不正解、なのですよ雪菜様」

 

「え?」

 

「僕は主様の〝血の従者〟()()()()()()()。ある〝方々〟から、第四真祖の能力を()()()()()のです」

 

「………え?与え、られた!?」

 

 レイの口から告げられた事実に、雪菜は衝撃を受ける。雪菜の予想が全く違っていたからだ。

 

「え?その、レイさんに第四真祖の能力を与えた〝方々〟というのは?」

 

「それは教えられないのです。その〝方々〟から、『我々が与えたことは極秘にせよ』と言われていますので」

 

 申し訳なさそうな表情で答えるレイ。雪菜は歯痒い気持ちを抑えて苦笑いする。

 

「………では、どうやってわたしの家に侵入してきたのか、教えてもらえますか?」

 

「え?あ、はいなのです。吸血鬼の能力の一つ、〝霧化〟でドアの隙間から侵入しましたのです!」

 

「自信満々に答えるのはどうかと思いますが………〝霧化〟、ですか」

 

 たしかに霧になってしまえば僅かな隙間からでも侵入は可能だ。………最早セキュリティのへったくれもないが。

 それにしても、レイが古城の〝血の従者〟ではなく、『何者か達』に第四真祖の能力を与えられた、というのは予想外だった。

 その『何者か達』が第四真祖に関係する存在であるのは予想できるが、何故レイに第四真祖の能力を与えたのか理解できない。

 天使にとって魔族は滅ぼすべき敵だ。レイが吸血鬼化していないのは、彼女の創造主である神への冒涜、或いは反逆になるからだろう。

 ならば何故、〝神の御使い〟であるレイは、その『何者か達』によって魔族の―――それも神に呪われし負の生命力の塊である吸血鬼の真祖の能力を与えられているのか。

 そしてもう一つ。どうしてレイは〝彼女〟を知っているのか。それにあの悪夢は一体―――

 

「雪菜様?」

 

「―――ハッ!?」

 

 考え込んでいた雪菜を心配そうに見つめてくるレイ。雪菜はハッと我に返り、

 

「な、なんですか?」

 

「………早く着替えないと遅刻してしまいますよ?」

 

 え?と雪菜は急いで時計を確認する。が、別に遅刻するような時刻というわけではなかった。

 雪菜は、まだ大丈夫ですよ、とレイに返そうとしたが、

 

「………あれ?いない!?」

 

 肝心の彼女はいつの間にかいなくなっていた。

 雪菜が視線を逸らした隙に、レイは逃げるように帰っていったようだ。

 まるで雪菜に、これ以上の情報は提供しない、という意思表示をしているように。

 雪菜は溜め息を吐くと、身支度を始めて古城宅に向かうことにした。

 

 

 

 

 七〇四号室、古城宅。

 雪菜が訪問すると、凪沙が快く中へ迎え入れた。

 

「おはよう雪菜ちゃん。昨日はごめんね、せっかくの歓迎会ができなくなっちゃって。代わりと言ってはなんだけど、朝ご飯、一緒に食べようかなと思って凪沙が誘ったの。もしかして駄目だった?」

 

「い、いえ!駄目ではないです。誘ってくれてありがとうございます、凪沙さん」

 

 早口で言ってくる凪沙に苦笑いを浮かべながら返事する雪菜。凪沙は、よかった、と嬉しそうに笑って雪菜を朝食に招く。

 

「あ、それとね、雪菜ちゃん」

 

「はい?」

 

「あたしのことはちゃん付けで呼んで欲しいかな。さん付けだと、なんか他人行儀みたいで距離を感じちゃうから」

 

「………!は、はい。凪沙ちゃん」

 

 雪菜が呼び方を改めると、また凪沙は嬉しそうに笑って頷いた。

 そして、雪菜を加えた古城、凪沙、レイの四人で食卓を囲む。

 

「………あの、凪沙?」

 

「ん?どうしたの、レイちゃん?」

 

「えっと………どうして僕の分まで用意されているのですか?」

 

 レイが自分の分の朝食を指差して質問する。凪沙はニコリと微笑んで、

 

「レイちゃんはべつに食べないだけで、食べられないわけじゃないんだよね?」

 

「え?あ、うん」

 

「だから今日からはレイちゃんにもあたしの料理を食べてもらおうと思って。それともあたしの料理は食べたくなかったりする?」

 

「………!?そ、そんなことは―――!僕は凪沙のお料理を食べてみたいと思っていますのですよ!」

 

 悲しそうな表情をする凪沙に、レイは慌てて手を振る。

 凪沙は、え?と目を瞬かせ、

 

「………本当に?」

 

「本当なのです」

 

「本当に凪沙の料理を食べたいと思ってくれてる?」

 

「はいなのです!僕にも凪沙のお料理を食べさせてください………!」

 

 レイはそう言ったところで、あ、と自分の失態に気づく。これでは余計に断れないじゃないか、と。

 凪沙はとても喜ぶと、手を合わせて言った。

 

「もちろん食べていいよレイちゃん!よかったー、やっとあたしの料理を食べてくれる気になったんだね!さあさあ食べて食べて。あ、でも残しちゃ駄目だからね」

 

「は、はいなのです………」

 

 まんまと凪沙の術中に嵌まったレイはガクリと項垂れた。まあ、彼女には昨日多大な迷惑をかけてしまったわけだから逆らうなどできるはずもないが。

 今朝、凪沙と顔を合わせた途端、彼女が抱きついてきて頭を撫で回された。その心配度は人間でいう母親のようだった。

 勿論、それから説教も受けた。おもに主様が。悪いのは全部僕だと言ったけど、凪沙がそれで納得してくれたかは正直微妙であるが。

 ちなみに私が天使だということは凪沙には隠している。魔族ではないけど、此処とは異界(べつ)の存在だから彼女を怖がらせてしまう要素は避けたい。

 本当は正体を隠すのは心苦しいが、彼女の日常を壊さない為にも〝(神の造った)人形〟ということで通すつもりである。

 

「………!?こ、この玉子焼き、とっても美味しいのですよ!」

 

「本当!?よかった、レイちゃんの口にあって。雪菜ちゃんはどうかな?」

 

「はい。とても美味しいですよ。味付けも、焼き加減も、食感も申し分ないです」

 

 レイと雪菜に褒められて嬉しそうな表情を浮かべる凪沙。古城も妹の料理を褒められて嬉しそうにする。流石は俺の妹、胃袋を掴むのが上手いな、と。

 そんな感じで四人は朝食を平らげていった。

 

 

 

 

 食事を終えて、レイは凪沙の後片付けを手伝う。雪菜も手伝おうとしたが、

 

「雪菜ちゃんはいいから座ってて」

 

 と凪沙に一蹴された。雪菜はちょっと残念そうな顔をしたのち、ちゃっかり古城の隣の席に移動して座り、

 

「先輩。レイさんは、先輩の〝血の従者〟ではないそうですよ」

 

「………そうなのか?」

 

「はい。レイさん本人が言っていましたし、嘘ついているようにも見えませんでしたから」

 

「レイが教えてくれたのか!?」

 

 驚いたような声を上げる古城に雪菜は、シー、と唇に指を持っていって彼を黙らせる。

 

「どうやらレイさんに、第四真祖の能力を与えた〝方々〟がいるそうなんですよ」

 

「は?なんでだ?」

 

「それがわかれば苦労はしません。わたしもその〝方々〟については教えてくれませんでしたから、なぜかはわかりません」

 

「そうだな。………そっか。レイは正真正銘、吸血鬼ではないんだな」

 

 安心した、と古城は胸を撫で下ろした。これでレイが凪沙に怖がられる〝魔族〟ではないことがわかったからだろう。

 そのことには雪菜も安堵している。とはいえ彼女が〝天使〟であることは凪沙には伝えない方がいいかもしれない。

魔族(トラウマ)〟ではないにしろ、〝天使〟は非現実的な存在であるし、何よりレイ本人が正体を隠している。故に余計なことはしない方が賢いだろう。

 それはさておき、と古城は雪菜をじーっと見つめて、

 

「なあ、姫柊」

 

「はい?」

 

「倉庫街のときからだが、いつの間にかレイと仲よくなってるよな」

 

「え?あ、そうですね。昨日の朝のような冷たさはなくなりました」

 

「だろ?姫柊はあいつとなにかあったのか?」

 

「そうですね………そういえばどうしてでしょう?」

 

 疑問系で返してくる雪菜。姫柊もわかんねえのかよ、と古城は困ったように表情を歪める。

 疑問系で返した雪菜だが、実はなんとなく分かるような気がした。

 鍵はやはり〝彼女〟だろうか。〝彼女〟とレイの関係を知ることができるならば、自ずとレイの態度の変化の理由を理解できる………雪菜はそんな気がしたのだ。

 といっても、レイが口を割ってくれない以上、簡単にはいきそうにない。獅子王機関に聞けば何か掴めるだろうか。

 そんなことを考えていると、後片付けを終えた凪沙とレイが戻ってきた。

 

「古城君、雪菜ちゃん。二人でこそこそとなに話してたの?よかったら凪沙にも教えて!気になって学校にいけなくなっちゃうから」

 

「僕も気になりますのです!主様と雪菜様は何の話をしていたのですか?」

 

 訊いてくる凪沙とレイに、古城と雪菜は正直に答えられるわけにはいかないので、

 

「………な、謎の爆発事件について話し合ってたんだよ。な、なあ………姫柊?」

 

「は、はい。原因不明だと言われていますが、わたしは落雷による倉庫火災が怪しいと思っているんですが、先輩はそれは違うって言うんですよ」

 

 取り敢えず、今話題の事件の話をしていたことにした。

 レイは古城達の嘘だと直ぐに見抜いたように苦笑いを浮かべていたが、凪沙は、別の意味で苦笑いをして、

 

「落雷なんて、そんなの誰も信じてないよ雪菜ちゃん。爆発テロとか輸送中のロケット燃料の誤爆とか、みんないろいろ言ってるけど、凪沙は隕石が怪しいと思ってるんだよね。ツングースカ大爆発だっけ?昔これによく似た事件がロシアであったんだって、スドーさんが言ってた」

 

 凪沙がうろ覚えの情報を引き出して言う。そんな彼女に、古城とレイは冷や汗を流しながら、実は古城(おれ)レイ(ぼく)の仕業なんだ、と内心で呟く。

 雪菜は、凪沙にバレないように苦笑いを浮かべながら、瞳だけ古城とレイを冷たく睨んでいた。

 雪菜に責められるのは当然だろう。幾らレイを止めるからといって、古城は遠慮無用に眷獣を使うし、レイも古城の眷獣に全力で応えたりするから倉庫街は大惨事になってしまったのだ。

 古城もレイも、自分の目的のことばかりで、周りに気を配れなかった事に深く反省している。

 それにしても、不可解な出来事が一つあった。それは、あれだけの被害が出たのにも関わらず、〝旧き世代〟の男が無事だったことだ。

 無事、というわけではないが、オイスタッハが付けた裂傷以外に傷が見当たらなかった。雷に打たれたような怪我など一切なかったのだ。

 だとしたら考えられるのは、あの時、古城達以外に誰かもう一人いて〝旧き世代〟の男を護っていたのではないか。そう考えるのが普通だろう。

 しかし、第四真祖の魔力から護れる力を持っている存在となると、真祖に匹敵するほどの者だと認識しておいた方がいいかもしれない。

 

「それじゃあ、あたし、チア部のミーティングがあるから、先に行くね」

 

 バタバタと部屋の中を走り回りながら凪沙が言う。古城は、おー、と投げ遣りに手を振る。雪菜とレイは、はい(なのです)、いってらっしゃい、と返し手を振る。

 

「お留守番よろしくねレイちゃん。雪菜ちゃん、古城君が遅刻しないように、面倒見て欲しいかな。無理強いはしないけど、もしよかったらお願い。………あ、それと古城君、新しいハンカチとティッシュはレイちゃんに渡してるから、ちゃんと受け取ってから学校に行ってね」

 

「わかったからさっさと行け」

 

「はーい」

 

 凪沙が最後まで騒々しく出て行くのを確認して、古城はぐったりと息を―――

 

「―――あ、そうそう。昨日できなかった雪菜ちゃんの歓迎会、今夜行うから。寄り道しないで帰ってきてね古城君、雪菜ちゃん」

 

「お、おう」

 

「それじゃあ」

 

 重要なことを思い出した凪沙がドアから顔を覗かせながら用件を言ってきて、それから直ぐに学校へ向かっていった。

 ようやく行った凪沙に古城は一息吐く。雪菜も、朝から賑やかですね、と苦笑を零す。

 一方、レイは、凪沙は今日も平常運転なのですよ、と楽しげに笑いながら古城の下へ歩み寄り、

 

「はい、主様。ハンカチとティッシュなのです」

 

「おう、サンキュ」

 

 古城はレイから受け取り、立ち上がる。雪菜も立ち上がりギターケースを背負う。

 

「先輩。わたしたちも出ましょう。じゃないと遅刻してしまいますよ」

 

「そうだな。じゃあ、俺と姫柊もこれから学校だから、留守番頼んだ、レイ」

 

「はいなのです!いってらっしゃいませ、主様、雪菜様!」

 

 古城と雪菜を元気良く見送るレイ。そして、彼らが出て行ったのを確認して、

 

 

「―――いるんですよね、〝――〟」

 

 

 レイは自分以外、誰もいないはずの廊下に向けて言う。すると突如、レイの眼前に人影が浮き出てきて―――

 

 

「〝――〟様♪」

 

 

「ひゃあ!?」

 

 その人影が、レイを強襲………否、飛びついてきた。

 青色の長髪に、黄金の瞳を持ち、純白の薄布を着た少女だ。年齢は古城と同じ高校生くらいだろうか。

 小柄なレイとは違い、〝――〟と呼ばれた青髪の少女は長身の分類に入る。

 その青髪少女に抱きつかれたレイは、バランスを崩して転倒した。

 

「ようやく邪魔者―――いえ、〝――〟様と二人きりになれましたわ!うふふ、(わたくし)の愛しき〝――〟様♪」

 

「ちょ、〝――〟、離れてください!み、身動きできません………!」

 

「あら、それは大変ですわね。でも、もう少しだけ〝――〟ニウムを補充させてもらいますわよ」

 

「〝――〟ニウムってなんですか!?………ま、まあ、解放してくださるのなら少しくらいはこのままでもいいですけど」

 

 レイは諦めたように溜め息を吐き抵抗をやめる。それに青髪少女はニヤリと笑って、

 

「まあ!つまりこのまま〝――〟様をお持ち帰りしても構いませんのね!?」

 

「そんなわけないですよ!?私には、第四真祖を御守りする役目があるんですからね!?」

 

「うふふ、勿論冗談ですわ。おほほほほほ!」

 

「………本音は?」

 

「〝――〟様お持ち帰り(テイクアウト)コース一択ですわ!」

 

「やっぱりそうなりますか!?」

 

 予想通りの答えが返ってきてショックを受けるレイ。

 一方、青髪少女はレイからたっぷり〝――〟ニウム(栄養補給)したあと、レイから離れた。

 

「うふふ、〝――〟様の愛をたっぷり戴きましたわ」

 

「あげてませんよ!?………それより、〝――〟は私のところへなにしに来たんですか?」

 

 乱れた服を正しながら質問するレイ。ちなみに今日のレイの服装は、凪沙に買ってもらったピンク色のスモック・ブラウスに、裾部分にレースのフリルが設けられている白色のティアード・スカートだ。

 そんな園児のような愛らしい恰好のレイを、青髪少女はうっとりとした表情で見つめながら答えた。

 

 

「私が〝――〟様の下へ訪れたのは―――真祖(かれら)から〝――〟様の()()()を任されたからですわ」



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密会天使と不穏な影

「………監視ですか?」

 

 レイが目を瞬かせながら訊き返す。青髪少女は、ええ、とにこやかな笑顔で答えた。

 

「〝――〟様は真祖(かれら)にとって危険な存在だからですわ」

 

「私が危険………?あ………そうですね。真祖(かれら)にとって〝――〟は脅威の存在でしたね」

 

「そうですわ。たしかに天使としての力を失っていても〝――〟様は十分お強いですけれど、真祖(かれら)にとっては他愛のない子供のようなものですわね」

 

「うぐ………」

 

 青髪少女が淡々と告げる容赦ない言葉がレイの胸を深々と抉る。まあ、真祖(かれら)に今の自分が勝てるとは思えないが。

 

「〝――〟様にもしものことがあっては、〝――〟が表に出てきて大惨事になりかねませんわ!………(わたくし)としては後者よりも〝――〟様の身の方が心配ですけれど」

 

「そうですね………無理はしないように心がけます。ふふ、ありがとうございます、〝――〟」

 

 自分の心配をしてくれる青髪少女に優しい笑みを浮かべながらお礼を言う。青髪少女は照れ臭そうに頬を掻く。

 

「………ところで〝――〟。他の子達の様子はどうですか?」

 

「他の子達かしら?そうですわね………〝――〟は第一真祖(ロストウォーロード)の監視を、〝――〟は第三真祖(ケイオスブライド)の監視を続けておりますわ」

 

「そうですか。それで、第二真祖(フォーゲイザー)様の監視はどうするつもりですか、〝――〟?」

 

「も、勿論両方頑張りますわよ!………〝――〟様優先で♪」

 

「……………〝――〟?主なる神の命は『絶対』ですよ?」

 

「う………わかりましたわ。第二真祖(フォーゲイザー)の監視優先で、〝――〟様の監視もこなしてみせますわ」

 

 拗ねたように唇を尖らせて言う青髪少女。そんな大きな子供に苦笑いを浮かべるレイ。

 しかし、直ぐに調子を戻した青髪少女は、突如右手を前に突き出して―――一振りの長剣を虚空より出現させた。

 

「え?」

 

「〝――〟様。私が四六時中ご一緒できない代わりに、護身用としてこの剣をお渡ししておきますわ」

 

 そう言って青髪少女は、たった今、顕現させた長剣をレイに渡した。

 それは黄金の柄を持つ両刃の片手剣。フランスのある叙事詩に登場する、()の英雄が手にしていた聖剣によく似ていた。

 

「………〝――〟、この聖剣は」

 

「うふふ、〝――〟様の想像通りの代物ですわ」

 

「………どうして〝――〟が?」

 

「それは―――内緒ですわ」

 

 悪戯っぽく笑う青髪少女。レイはムッと納得いかないような表情で青髪少女を見る。

 そんなレイを、青髪少女はニヤリと笑って見つめ返し、

 

「〝――〟様は、そんなに私の秘密が知りたいのかしら?」

 

「………へ?」

 

 青髪少女の意味深な発言にきょとんとするレイ。青髪少女はレイの顎を持ち上げてクスリと笑い、

 

「私の秘密が知りたいのならば………〝――〟様のその愛らしい唇を奪ってもよろしいのなら、教えて差し上げてもいいんですのよ?」

 

「ふぇ!?」

 

 とんでもない発言をした青髪少女に、レイは堪らず悲鳴を上げた。そして、みるみるうちに頬を紅潮させていく。

 その愛らしい悲鳴を聞いた青髪少女は、まあ!と興奮気味に声を上げる。

 

「『ふぇ!?』って言いましたわね、『ふぇ!?』って!あぁ、いいですわねぇ………かつての凛々しいお姿の〝――〟様も素敵でしたけれども、こういう一面もありですわね………なんだか新鮮で」

 

「………あの、〝――〟?できればそろそろ離して欲しいのですが」

 

「え?『抱き締めて欲しいです』!?まぁまぁ、なんて積極的かつ大胆なんですの!勿論、私の胸はいつでも〝――〟様を受け入れる準備万端ですわよ!」

 

「そんなこと一言も口にしてませんよ!?あと、然り気無く私を引き寄せて抱き締めようとしないでください!」

 

 レイが指摘すると、青髪少女は唇を尖らせて渋々離れた。

 

「〝――〟様に拒まれてしまいましたし、私はこの辺で失礼させてもらいますわ」

 

「え?いえ、別に〝――〟を拒んでるわけではないんですが………!」

 

 レイが慌てて手を振り否定する。それに、え?と驚いたような表情で青髪少女は見つめてきて、

 

「………それは本当ですの?」

 

「はい、本当ですよ」

 

「本当の本当にですの?」

 

「本当の本当にですよ」

 

「本当に、私と愛を語らってくださいますの!?」

 

「もちろ―――ってそれは違いますよ!?」

 

 頷きかけたギリギリのところでハッとおかしな点に気がつき、慌てて否定するレイ。

 青髪少女は、惜しかったですわ、と非常に残念そうな表情で呟き、

 

「仕方がありませんわね。本当は〝――〟様の唇を奪えればよかったのですけれど………今回は頬で我慢しますわ」

 

「え?頬は確定なんですか!?」

 

「うふふ、そうですわ!カ・ク・テ・イですの!」

 

 楽しげな表情でレイに迫る青髪少女。右頬をレイに向けながら。

 レイは暫く逡巡したが、まあ頬くらいなら、と青髪少女の両肩に手を乗せると、背伸びして―――

 

「………ん」

 

 ―――青髪少女の右頬に口づけした。その瞬間、青髪少女はとても嬉しそうな笑みを浮かべていた。

 

「………〝――〟様の愛、今度こそ戴きましたわ♪」

 

「ふふ、仕方のない子ですね、〝――〟は」

 

 苦笑しながら青髪少女を見つめるレイ。喜んでくれたのなら別に構わないけど。

 青髪少女は満足したような表情を浮かべると、レイにニコリと微笑み、

 

「それでは〝――〟様。私はこれで失礼致しますわ」

 

「はい。わざわざ遠いところから来て頂きありがとうございました。道中はお気をつけてくださいね、〝――〟」

 

「うふふ、第二真祖(フォーゲイザー)の下へ転移すれば一瞬ですので心配はご無用ですわよ〝――〟様」

 

「あ………そうでしたね。転移出来ないのは私だけですね」

 

 私としたことが、と恥ずかしそうに頬を掻くレイ。そう、天使の権能が使えなくなっているのはレイだけなのだ。

 ………完全に使えなくなった、というわけでもない。凪沙の恐怖や古城の焦りなどを落ち着かせた()()()()()は使えた。

 今のところ、自分が出来ない天使の権能は―――転移や翼、そして神気くらいだろう。

 

「うふふ、そうですわね。私や他の子達は〝――〟様のような状態ではありませんので、主なる神に与えられた天使の権能はどれも使えますわ」

 

「………ということは、天使の中で最も弱いのは、私になりますね」

 

「そうなりますわね。かつて最強の天使だった〝――〟様は、今は最弱の天使………けど安心してくださいまし。私が魔族魔獣悪魔などの全ての『魔』から〝――〟様を御守り致しますわ」

 

「〝――〟………!」

 

「御守り致しますから、〝――〟様、是非私の(もの)に」

 

「な・り・ま・せ・ん!」

 

「むぅ………〝――〟様のいけずぅ!」

 

 唇を尖らせて拗ねる青髪少女。まったく、油断も隙もないですね、この百合天使は、とレイは溜め息を吐く。

 

「………ふふ、聖剣、ありがとうございます、〝――〟。大切に使わせていただきますね」

 

「うふふ、どういたしましてですわ」

 

 微笑み合う天使達。それから、青髪少女は会釈して、

 

「それでは〝――〟様。ご武運をお祈り致しますわ」

 

「ありがとうございます。またお会いしましょう、〝――〟」

 

 勿論ですわ、と青髪少女はニコリと微笑むと、虚空に溶け込むようにして姿を消―――

 

「―――あ、あと最後にお一つ。〝――〟様に忠告がありますの」

 

「………え?忠告、ですか?」

 

 青髪少女の言葉に、表情を硬くするレイ。そして、青髪少女は、聖母に神の子の誕生を『お告げ』した時のように、レイに忠告(よげん)した。

 

 

「今日の昼過ぎに、殱教師様の手によって―――()が殺されますわ」

 

 

「―――――ぇ?」

 

 天使の残酷な忠告(よげん)に、レイの全身は氷のように冷たくなっていく感覚がした。

 

 

 

 

 その頃、古城と雪菜は学校に向かう道中で昨夜の件について話し合っていた。

 

「………昨夜は、ずいぶん派手にやらかしましたね。被害総額は五百億円だそうです」

 

「う………」

 

「先輩は不老不死の吸血鬼ですから、五百年くらいかければ弁償できるかもしれませんね。それでも毎年一億円ずつ返済しなきゃなりませんけど。利子はいくらくらいになるんでしょうね」

 

 なんで俺だけなんだよ!?と内心で叫ぶ古城。それを口にしないのは、文句を言える立場ではないからだ。

 

「………もしかして、もう昨日のことは報告したのか?獅子王機関だかなんかの上司に?」

 

 古城は雪菜の顔を恐る恐る見つめて訊く。雪菜は薄く溜め息を吐き、

 

「もちろん報告しました。レイさんを取り戻すからといっても、あれはやりすぎです」

 

「う、そうだよな………あれはやりすぎだよな」

 

 古城は深く反省する。が、ハッと嫌な予感がして雪菜を見つめ、

 

「………まさか、姫柊と()り合うことになったりするのか?」

 

「それは獅子王機関からの返答次第ですね。先輩やレイさんが危険な存在と判断されてしまったら、その時は、わたしは二人を抹殺しなければなりません」

 

「はぁ!?なんで俺だけじゃなくてレイまで抹殺対象になってるんだよ!あいつは関係ないだろ!」

 

 古城が雪菜を睨みつけて叫ぶ。しかし、雪菜は古城を睨み返し、

 

「レイさんは先輩と同じ第四真祖の能力を自在に使えるんですよ?関係ないわけないじゃないですか」

 

「ぐ………」

 

「それに、昨夜のあの爆発事件は先輩とレイさんが引き起こしたんですよ?危険度は先輩の眷獣と同じと見てもおかしくありません。それでも彼女は安全だと言いきれるんですか?」

 

「それは………!」

 

 雪菜の尤もな意見に、反論できずに歯噛みする古城。

 そんな彼を、雪菜は、大丈夫ですよ、励まして、

 

「まだそうとは決まってわけではありませんから。それにわたしだって、先輩やレイさんを討ちたくありません」

 

「………え?」

 

「だって、先輩とレイさんは危険な存在ですが………悪い吸血鬼と天使(ひとたち)には見えませんから」

 

「―――っ、姫柊………!」

 

 微笑んで言ってくる雪菜。古城は彼女のその言葉だけで救われたような気がした。

 だからなのだろうか、古城も雪菜の為に、何かしてやれることはないか、と考えるようになったのは。

 

「ありがとうな、姫柊。俺たちのことを想ってくれて」

 

「ふふ、先輩こそ、あのときはありがとうございました」

 

「ん?なにがだ?」

 

「………先輩、言ってくれましたよね。わたしに、死なれちゃ困る、って」

 

「………ああ。たしかに言ってたな。それがどうしたんだ姫柊?」

 

 古城が問うと、何故か雪菜は頬を赤らめて、嬉し恥ずかしそうに頭を掻きながら答えてきた。

 

「先輩に、死なれちゃ困る、って言われてわたし、とても嬉しかったです。その………ありがとうございました」

 

「お、おう」

 

 素直にお礼を言ってくる雪菜に、古城は照れ臭そうに頬を掻く。

 ………けど、姫柊のその愛らしい表情が見れるなら、言った甲斐があるな。

 古城はフッと笑い、それから覚悟を決めたような瞳で雪菜を見つめ、

 

「………なあ、姫柊。一つ、わがまま言っていいか?」

 

「え?なんですか、先輩?」

 

 雪菜はきょとんとした表情で古城を見つめ返す。古城は頷き、言った。

 

「もし、獅子王機関が俺やレイを抹殺しろって言ってきたらさ、その時抹殺するのは―――俺だけにしてくれねえか?」

 

 え?と雪菜は目を瞬かせる。それは一体どういう意味だろうか。

 古城は雪菜の疑問にこう答えた。

 

「レイは俺と違って第四真祖の能力を自在に使えるだろ?」

 

「………そうですね。これまででわたしが知る限り、レイさんは四種類の能力を使用していました」

 

 雪菜のいう四種類。それは、銀水晶・漆黒・黄金の魔力と、今朝彼女が話してくれた〝霧化〟の四種類のことだ。

 古城は、ああ、と頷いて続ける。

 

「それに比べて俺は………眷獣を一体もまともに制御できない駄目吸血鬼だ。危険性ならあいつより断然高い」

 

「え?制御できないんですか………?」

 

「ああ。あいつらは、俺のことを宿主だと思ってないんだよ。昨夜、あの獅子の眷獣を使えたのは、姫柊とレイを救いたいって想いが、眷獣(あいつ)にもあったからなんだ」

 

 そう。古城が〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟を従えたのは、雪菜とレイを救いたい想いが一致したからだ。今はもう、古城が召喚できる眷獣ではなくなっている。

 そうなんですね、と雪菜は納得する。ということは、昨夜の眷獣は完全に制御出来てなくて、半ば暴走していたのではないか。

 

「………先輩の言う通り、レイさんの危険性は、先輩に比べたら極めて低いと思います」

 

「だろ?だから―――」

 

「先輩」

 

 古城の言葉を遮って、雪菜が口を挟んだ。

 

「レイさんを庇う理由は、それだけじゃないですね?」

 

「………わかるのか?」

 

「はい。わたしは先輩の監視役ですから」

 

 雪菜がそう答えると、いや、監視役は関係ねえだろ、と密かに心の中で突っ込む古城。

 だが、雪菜が自分の想いを理解してくれるような気がして、彼は真の理由を告げた。

 

「………なんていうかな。もし、レイが死んだら―――アヴローラのやつが悲しむと思うんだ」

 

「アヴローラ………というのは、もしかして先輩が前に言ってた先代の第四真祖のことですか?」

 

「ああ。それに凪沙だって、レイが死んだなんて知ったら、絶対に悲しむ」

 

「凪沙さんが悲しむから、ですか。それなら先輩も同じじゃないですか。なのに、どうして自分はいい、みたいなことが言えるんですか?」

 

 雪菜の尤もな発言に、古城は、そうだな、と頷く。それから、古城は雪菜を優しげに見つめて、

 

「………俺もよくわからねえけど、なんだろうな。()()()()()、殺されてもいい、って思えるんだよ」

 

「え?………せ、先輩?それって―――」

 

 古城の意味深な発言に、雪菜の頬がみるみるうちに真っ赤になっていく。

 古城も、わけもわからず恥ずかしくなって頬を赤らめる。俺は一体なにをいってるんだ、と。

 これじゃあまるで、自分が雪菜のことを―――

 

「………っ!?」

 

 古城と雪菜は、不意に間近に禍々しい力を感じて振り向く。するとそこには、見知らぬ人影があった。

 背格好はレイの一回り高い、黒のフードを目深に被った者だ。

 雪菜は怪訝な表情で、黒フードを睨み、

 

「あなたは、何者ですか?」

 

「……………」

 

 雪菜が何者かと問う。だが黒フードは何も答えない。代わりに黒フードは口を開き、

 

 

「―――あの娘に、手を出すな」

 

 

 黒フードは、少年のような声音で言ってくる。どうやら性別は男のようだ。

 黒フードの少年の放つ禍々しい力に警戒しながら、古城も彼を睨み、

 

「あんたのいう娘ってのは、レイのことをいってるのか?」

 

「あの娘はレイ、という名ではないが………そうだ」

 

 黒フードの少年は肯定する。それを聞いて雪菜が驚いたような表情で彼を見つめ、

 

「え?あなたはレイさんの本名を知っているんですか!?」

 

「………フン。人間の小娘に教えてやる義理はない」

 

 雪菜の質問を一蹴する黒フードの少年。どういうわけか、彼は『人間』に冷たいようだ。

 黒フードの少年は雪菜から、古城に視線を向けて、

 

「安心しろ、真祖の小僧。あの娘と一緒に貴様も我々が守ってやる。―――『暁』の子よ」

 

「は?」

 

 黒フードの少年の意味深な発言に、間の抜けた声を洩らす古城。

 一方、雪菜は〝暁の子〟というキーワードに驚愕していた。

〝暁の子〟といえば、西欧教会でいう堕天使ルシファーの異名ではなかったか。

 それを暁先輩に向けて言うこの少年は、一体何者なんですか!?

 雪菜が一層警戒して黒フードの少年を睨みつける。彼は、フン、と鼻を鳴らすと、最後に雪菜へ忠告した。

 

「そこの小娘。獅子王機関(虫けらども)に伝えておけ。第四真祖(こぞう)天使(むすめ)に手を出せば―――〝―――(われわれ)〟が容赦しない………とな」

 

「―――――っ!?」

 

 黒フードの少年の凄まじい殺気とドス黒い魔力に当てられて、思わず怯みそうになる雪菜。

 そんな彼女を一瞥した黒フードの少年は、虚空に溶け込むように姿を消していった。

 その禍々しい少年が消えても、古城と雪菜は暫しその場に立ち尽くしていたのだった。




青髪少女の正体………恐らくバレましたね。

〝――〟の中に入るのは単純に天使名の最初二文字だったりします。
真祖が四人なので、監視役の天使も四人。
レイの正体は、最強の天使。
レイ達の主なる神は生or死?

流石に最後に登場した黒フードの少年の正体は誰にも分からないはず………〝―――〟の三文字はバレてるかもですが。


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