アナザーワールドトリガー 3人目のすごいチビ (亀川ダイブ)
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第1話 「赤城 ヤト」

 どうも初めまして、もしくは毎度閲覧ありがとうございます。
 亀川ダイブです。
 本作は、ハーメルンのある作者さんに影響を受けて読み始めたワールドトリガーにドはまりした亀川がついに手を出してしまった二次創作小説です。どなたにも楽しんでいただきたいのですが、亀川としては原作既読をオススメします。

 あと、木虎さんは我が女神です。(断言)

 ではでは、どうぞご覧ください。


 界境防衛機関(ボーダー)

 ゲート、トリガー、トリオン兵の存在が常識となった現在において、その名を知らぬ者はない世界の護り手である。今この瞬間も多くの少年少女が、世の平穏を守るため、ボーダーで競い合い高め合っている。

 ――そんな中。大人たちもまた、世の平穏のため暗躍(・・)していた。

 

「最近、予知が乱れるんですよ」

 

 自称・実力派エリートにして、実質・ボーダーの作戦立案の要の中の要、迅悠一の言葉。唐沢は内心の動揺を押し隠して、飲みかけたコーヒーのカップを静かに置いた。

 

「急に話があるなんて何かと思えば……それは穏やかじゃないね」

 

 普段はスポンサー企業との交渉に出回っている唐沢は、本部の執務室にはめったにいない。しかし珍しく執務室でコーヒーなど淹れた途端に現れて、ボーダーの戦略を揺るがすようなことを言う。それこそ自分が部屋にいるタイミングを『視た』のだろうが、しかし……

 

「いやぁ、そうでしょう? さすがは唐沢さんだ、事の重大さ、わかってくれてるなあ」

「学生時代はラグビーをやっていたからね。君の『未来視』ほどではないけど、先読みはできるつもりだよ」

 

 相変わらずの飄々とした態度。政財界の古狸たちを相手に一歩も譲らぬ交渉術を持つ唐沢でも、この男の心中は読み切れない。

 黒トリガー『風刃』の使い手にして『未来視』の超感覚(サイドエフェクト)保有者、迅悠一。隊員たちの中では「趣味は暗躍」などと嘯かれているらしいが、この男の暗躍によって何度ボーダーが、いやこの世界が救われたかわからない。

 その迅悠一が、ボーダー上層部の一角たる自分に、わざわざ自分の組織内での優位性を失うような話を持ってくる。今回はどのような暗躍を目論んでいるというのか。

 

「唐沢さんなら、いろいろ面倒な話抜きでも通じると思って。くつろいでいるところに失礼しちゃいました」

 

 先手を打たれた。質問を封じられた形だ。

 迅の人好きのする半笑いでそう言われてしまっては、ボーダーの敏腕営業・外務担当とされている唐沢としては、わかったような顔をして話を聞くしかない。下手な質問をすれば、何もわかっていないことがバレてしまう――あるいは、それも『予知』の範囲内か?

 唐沢は、一度はデスクに置いたコーヒーカップをゆっくりと取り上げ、一口飲んでから仕草だけで続きを促した。

 

「今度の九月入隊の新人が一人……それから、一月入隊の新人、これはたぶん二人。そこらへんを起点に、大きく『予知』が乱れています。未来が無数に分岐して、俺にもどれが本筋だか。今、どの筋に乗っているかも判然としないほどです」

「…………」

「だけど」

 

 ここで一度、迅は言葉を切った。交渉の場ではよくある手だ。次の一言に重みを持たせるためだろう。唐沢は横目でちらりと迅の表情を窺う――そこにあったのは、いつもの迅らしくない、悲痛な決意を秘めた顔だった。

 

「ボーダーから、死人が出る。二月までに。これはほぼ確実だ」

 

 ボーダーは戦闘集団だ。シールドの改良や緊急離脱(ベイルアウト)の実装等、生存のための方策にはボーダー全組織を挙げて取り組んでいるが、戦う以上は死は免れない。過去にも、殉職した隊員はいる。近界民(ネイバー)に攫われ、いまだ所在不明の400人以上の人々も、遺された家族たちからすれば死にも等しい別離だろう。

 しかし、確実に死人が出るとなれば。迅悠一がそれを『視た』となれば。事は大きい。

 

「確実に、か。犠牲者は多いのかい」

「数は――それこそ予知が乱れていて、重なっていて、不確定。だけど、誰かが必ず死ぬ(・・・・・・・)。俺はそれを、最小限に食い止めたい」

 

 気づけば、迅の右手はポーチに刺した『風刃』の柄を、硬く握りしめていた。

 本気だ、と唐沢は判断した。迅は確かに飄々として本心が掴めない暗躍趣味だ。しかし、熱い男でもある。暗躍と交渉の戦場に立つ身ながらラガーマンでもある唐沢には、それがわかる。

 

「……私に、できることは?」

「ちょっと前に、たぶん玉狛支部にもう一つ部隊ができるって予知、しましたよね」

「ああ。『玉狛第2』の話は聞いたよ。形式上の書類は、あと名前を書くだけにしてある。約束通り、城戸司令にも林藤さんにも秘密にしてあるよ」

「さすがは唐沢さん、仕事が早い。それじゃ、仕事ついでになんですけど――」

 

 迅の表情が、少し緩む。にへら、と口元を笑わせた、いつもの人好きのする笑みだ。

 

「――『玉狛第3』、準備してくれません?」

 

 

 

 

 

 

 九月。年に三度あるボーダー正式入隊日。

 体力、学力の試験、そして面接、さらにはいつの間にか行われていたらしいトリオン量の測定。それら狭き門の全てを突破した前途有望な若者たちが、正式にボーダーC級隊員としてデビューする晴れの舞台。

 

「ボーダー本部長、忍田真史だ。君たちの入隊を歓迎する」

 

 ノーマルトリガー最強の男・忍田本部長が壇上で挨拶をしています。アイドル部隊の嵐山隊ももちろんカッコいいけれど、三十代半ば、精力的な若さと大人の魅力を両立する忍田本部長のカッコよさもなかなか素晴らしく。入隊式では生・本部長にお目にかかれるとウキウキしていた私のひんそーなのーみそも、今は頭痛にズキズキと。

 

「……私からは以上だ。この先の説明は、嵐山隊に一任する」

 

 本部長が降壇した……らしい。嵐山隊が登場した……らしい。会場のざわつきが遠く聞こえる。マイクを通していた本部長の挨拶とは違い、嵐山隊の声は聞こえてこない。ああ、もし私のサイドエフェクトが聴覚を強化するようなものだったなら。嵐山隊長のイケボをこの耳に焼き付けておくことができたのに。

 今はただひたすらに、自身の呪われた特殊体質(サイドエフェクト)を悔やむほかにできることなどありはせず。

 

「えっと……赤城、ヤト……さん? 気分はどう? 大丈夫かしら」

 

 ボーダー正式入隊日。記念すべきその日を、私、赤城ヤトは、

 

「緊張するのも無理はないわ、でも無茶をしちゃダメね」

「だ、大丈夫……ですが。た、ただの寝不足……ですが」

 

 医務室のベッドで、迎えていました。

 ただし、A級5位嵐山隊のアイドル、完璧美人・木虎藍さんの看病付きでッ!!

 嗚呼、赤いジャージが、慈愛に満ちた視線が眩しい。年は一つしか違わないはずなのに、この完璧な大人の女性感はいったい何なのでしょうか。私の身長が139㎝しかないのがいけないのでしょうか。本来は新入隊員へのオリエンテーションの仕事に行くべき木虎先輩を、私のようなちんちくりんが独占してしまっていいのでしょうか。罪悪感にさいなまれつつも、私は今、幸せです。

 

「入隊式、楽しみで眠れなかったのね。ふふ……目の下のクマが大変よ」

 

 ぅお姉さまぁぁぁぁっ!? 木虎お姉さまの白く繊細な指先が、私の目の下のあたりを優しく撫でておりますれば! 血圧上昇、鼻血噴出の危険アリ! 落ち着け私! ……OK、ギリギリでこらえました。

 

 

「でも、すごいわね赤城さん。小学生(・・・)で入隊なんて、小太郎君とあと数人しか」

「ちゅ、中二ですが! 十四才ですが!」

 

 反射的に起き上がり、大声を出してしまう私。

 

「え、あ、ご、ごめんなさい……」

 

 木虎先輩の表情が曇る。嗚呼、またやってしまった……一瞬にして自己嫌悪モードに突入する私。チビでコミュ障で一生目の下のクマが消えず女神のような木虎先輩にさえ気を遣わせてしまう私なんて、人類史上最低のイモムシです。こんな私は入隊式にも出席できず、医務室で這い蹲っているのがお似合いなのです。もぞもぞと。

 布団をかぶって蹲る私こと最低イモムシにも、木虎先輩は優しく声をかけてくれます。

 

「あ、赤城さん。そろそろ入隊指導が始まるわ。訓練も体験できるし、体調がよくなってきたら、一緒に行きましょう」

「是非ともぉぉっ!」

 

 一緒に! 木虎先輩と一緒に! 十把一絡げの一般C級どもの羨望の眼差しの中、完璧美人にして慈愛の女神・木虎お姉さまと一緒に訓練場デビュー!

 このテンションの乱高下こそが、赤城ヤトのコミュ障たる所以。私は布団を撥ね飛ばしてベッドから飛び降り、取って付けたような敬礼をして見せるのでした。

 

 

 

 

 

 

「まずは、入隊おめでとう。君たち攻撃手(アタッカー)組と銃手(ガンナー)組を担当する、嵐山隊の嵐山准だ」

 

 意気揚々と医務室を出た私ですが、この私が見ず知らずのC級隊員の好機の視線に耐えきれるはずもなく、入場二秒で木虎先輩の陰に隠れました。そして今、じりじりとすり足で木虎先輩周辺から離脱中。そもそも私など引き連れていなくても、木虎先輩は周囲の視線(主に男子の……いや、結構女子からのもあるぞコレ)を独り占めなのです。

 そしてほら、木虎先輩から離れさえすれば、生来の眼つきの悪さと壮絶に色濃い目の下のクマのもたらす威圧効果で、周りのC級隊員が私から目を逸らすこと逸らすこと。嗚呼、心地よいパーソナルスペース。人の視線に怯えないですむ。

 私がそんな消極的撤退を遂行している間にも、有能イケメン嵐山先輩の入隊指導は滞りなく進んでいきます。さすがはボーダーの顔、司会進行もそつなくこなします。

 

「じゃあどうすればB級隊員、つまり正隊員になれるのか説明する。各自、左手の甲を見てくれ」

 

 言われた通りに手の甲を見ます。そこにはデジタル時計のような表示が。もしこれが時計なら現在時刻は十時五十分のようです。しかし私の数少ない特技の一つ・正確な腹時計によれば、それよりはもう少しお昼ごはんに近い時間のハズ。

 

「そこにある数字は、君たちのトリガーホルダーに一つだけ入っているトリガーを、君たちがどれだけ使いこなせているかを表している。普通は1000ポイントからのスタートだが、仮入隊期間中の働きや入隊試験での成績によって、多少の上乗せがされている者もいる」

 

 このデジタル表示は、ボーダーのトリオン技術の粋を結集したオシャレな腕時計というわけではありませんでした。どうやら私のスタート地点は、1050ポイントのようです。

 

「週二回の合同訓練やC級個人同士でのランク戦でポイントを稼ぎ、その数字を4000まで上げること。それがB級に昇格する条件だ」

 

 どちらかと言えば恵まれている方らしい私のトリオン量は、50ポイント相当の評価だそうで。ゴールが4000ポイントということを考えれば、実に微妙なアドバンテージです。

 

「まずは訓練を体験してもらう。木虎、みんなの案内を頼む」

「はい! 訓練生、こちらへ」

 

 大勢の前だからか、医務室での慈愛の女神バージョンとは違う、少し凛とした雰囲気の木虎先輩。去り際に、さりげなく私に視線を送って手を振ってくれました。嗚呼、木虎お姉さま。なんという女神。私が男だったらもう十回は恋に落ちてます。おっとよだれが……

 

「……変な子」

「ひぎぃっ!?」

 

 気付けば背後に立っている、嵐山隊のジト目ツッコミ担当・時枝先輩。その真意の測りづらいジト目に追い立てられるようにして、私はそそくさとC級隊員たちを追いかけるのでした。

 

 

 

 

 

 

 対近界民(ネイバー)戦闘訓練。仮想戦闘モードの部屋の中でトリオン兵・バムスターと戦い、新入隊員の実力を測る、入隊式後の恒例行事。

 

「んー……緑川レベルは無理にしても、黒江や木虎ぐらいの新人はいてほしいモンだがな」

「諏訪さん、理想高すぎですよ。一時期の新人は異常でしたから」

 

 咥えタバコでモニター前にふんぞり返る男と、気優しそうな短髪の男。B級中位の実力派、諏訪隊の隊長・諏訪と、同じく隊員・堤である。

 

「一分切りが五人。どうだ堤、賭けるか?」

「遠慮しときます……ん?」

「お、筋の良いヤツがいたか!」

 

 堤の声に反応して、諏訪はガバっとモニターに顔を寄せた。しかしモニターに映るのは、やや小さめのバムスター一匹に苦戦したり善戦したりする、極々平均的な新人たちの姿ばかり――いや、一人だけ。他の新人隊員たちとは、明らかに違う動きをしている者がいた。

 

「なんだこのバサバサ黒髪チビ。眼つき悪ィし。影浦の妹か?」

「似ている気もしますけど、影浦くんに妹はいなかったはずですよ。それよりもほら、諏訪さん」

 

 堤は画面の端に表示された、訓練開始からの経過時間を指さした。それを見て諏訪は、盛大な溜息をついてシートに体を沈める。

 

「……あー、いるよな何期かに一度。いつだったか、ほらミシマ? ミクマ?」

「三雲、だったかな。いましたね、確かに……この子、このままじゃ時間切れで失格ですね」

 

 

 

 

 

 

 やや恵まれている程度のトリオン量が、何になるというのでしょう。寝不足の原因にしかならない特異体質(サイドエフェクト)が、何の役に立つのでしょう。精々が50ポイントばっかしの初期値ボーナスを得た程度のものです。魔王を倒しにいく勇者に、裸一貫では可哀想だからと「ひのきのぼう」と「ぬののふく」を渡す程度のものです。王国の財政と王様の正気を疑います。パーティーは女魔法使いと女僧侶と女武闘家でウハウハです。砂漠の街でぱふぱふです。当然、女魔法使いは女賢者に転職予定。

 ……はい、お察しの通り、錯乱しています。モニター越しに観戦していらっしゃるC級の有象無象どもや監督役の嵐山先輩、我が女神木虎お姉さまの目には無表情かつ仏頂面でバムスターを睨み付けるバサバサ黒髪チビが見えているかもしれませんが、時枝先輩あたりには見透かされているような気もします。

 この眼つきが、寝不足が、目の下のクマが悪いのです。街で古式ゆかしいヤンキーさんの一団にぶつかってしまった時も、怖くて内心ガタガタで言葉が出なかっただけなのに、ヤンキーさんたちが勝手にお帰りになってくださいました。初対面の小学生から、「ころしやさん。いじめっこをころしてください」との手紙を渡されたこともありました。こんなチビ女をいったい誰と間違えたのか、見るからにヤバそうな白い粉を「例のブツだ」といって押し付けられたこともありました。警察を呼びました。連行されました。私が。

 そんな走馬燈を幻視する私の目の前で、バムスターのぶっとい足が、盛大な地響きを上げて床を踏み割ります。その足裏と床面の間に私が挟み込まれていないのは、ひとえに私の残り少ない幸運のおかげでしょう。続いて丸太のような尻尾が唸りを上げてしなり、襲い掛かってきますが、某ヒゲの配管工のようなジャンプで回避。ゲーマーでよかった。回避パターンだけは私の脳内に豊富に蓄積されています。

 

『赤城さん、制限時間は五分間よ。回避が得意なのはよくわかったわ。怖いかもしれないけれど、そろそろ攻撃する時間よ』

 

 砕け散る破片、襲い来るバムスター。パニック映画さながらの私の脳内に唯一の安らぎを与えてくれるのは、我が女神・木虎お姉さまのお優しい助言の声だけです。

 

『大丈夫、私も最初は戸惑ったわ。でも、攻めなければトリオン兵は倒せない。トリガーを起動するのよ』

《四分経過》

 

 おいクソ時報、女神様のお声に被さるんじゃねぇ。私の耳の幸せを奪うな。え、でも今、四分って言った? つまりはあと一分以内にこのデカブツを倒さないと、初日から不合格ということですか。

 逃げ回る合間にちらりと周囲を窺うと、なんということでしょう。恐るべきことに、私以外のC級隊員の訓練はすべて終わっているじゃあありませんか。こんな衆人環視の中で初日不合格なんて伝説を作った日には、私のあだ名は「クソ不合格イモムシちび女」に決定です。

 

『すごい身のこなしだな。回避だけなら相当なレベルだ。木虎、あの子とは?』

『初対面です、嵐山先輩。医務室で少し話をしたぐらいで……』

 

 耳から入ってくる女神ボイスとイケメンボイスを心の糧に、赤城ヤト、反撃タイムに突入します。再び迫ってきた尻尾の横薙ぎをリンボーダンスで潜り抜け、バネのように跳ね起き、トリガーホルダーを手にします。

 私が選んだトリガーは、レイガスト。攻撃手(アタッカー)用の重装型トリガーです。自在に形を変える重く頑丈な刀身も魅力ですが、最大の特徴は、オプショントリガー無しでも使用可能なシールドモードの存在。盾もなしにトリオン兵に相対するなんて、小心者の私には考えられません。

 鈍重な足取りでこちらに振り向きつつあるバムスターを前にして、私はいよいよ、あの憧れの言葉を口にします。雄々しく逞しく叫ぶことができればよかったのですが、そこは私。噛まないことを最優先に、かつ小声でゆっくり慎重に。シャイな私に出せる声の大きさは、周囲の人々の数と反比例していくのです。こんな大舞台で、果たして私の口はちゃんと動くのでしょうか。心配しかありません。

 さあ、言います。言いますよぉ!

 

「っととトリガー! うおんっ!」

 

 ……噛んだのですが。

 

 




☆アナザーワールドトリガーを百倍楽しむ講座☆

《登場人物紹介》
赤城ヤト
ポジション  :アタッカー(訓練生)
メイントリガー:レイガスト(訓練用)
サブトリガー :なし
性別     :女
年齢     :14才
身長     :139㎝
血液型    :AB型
誕生日    :7月29日
星座     :ぺんぎん座
職業     :中学生
好きなもの  :こたつ、お布団、ゲーム全般、いいトコのプリン、木虎お姉さま



次回 アナザーワールドトリガー
第二話「赤城 ヤト②」に――トリガー、起動(オン)






 お読みいただきありがとうございました。
 アナザーワールドトリガー第一話、お楽しみいただけたなら幸いです。
 本作はオリキャラ「赤城ヤト」が基本的には原作沿いながらも幾分改変されたワートリ世界で木虎お姉さまとキャッキャウフフしたいと願いながらも叶わないお話です。
 私、他にもGBF小説も書いている途中の段階でこちらに手を出してしまいましたので、今後の更新スピードは私にも不明でございます。そんな状態ではありますが、お付き合いいただければ幸いです。
 感想、批評等お待ちしております。どうぞよろしくお願いします。


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第2話 「赤城 ヤト②」

おはようございます。亀川です。
ワールドトリガーという原作の持つパワーはすごいですね。すでに拙作をお気に入りにいれていただいている方がいるなんて。感動しております。
原作の力、そして我が女神・木虎さまのお力だと思います。
兎も角、第2話です。どうぞご覧ください!


 木虎と嵐山、そして時枝は、モニタールームで訓練生たちの様子を見守っていた。ほとんどの部屋で対近界民戦闘訓練はすでに終わり、無事バムスターを討伐した新入隊員たちが、自分の記録を自慢したり悔しがったりしている。

 そんな中でたった一つ。まだ訓練が終わっていないのが、ヤトが入室した五号室だ。

無機質な訓練室の中で暴れまわる、やや小型化されたバムスター。その足元に、C級隊員用の白い隊服に身を包んだ小柄な少女がいる。床面は数か所が割れ砕け、バムスターの踏みつけ攻撃が幾度も繰り出されたようだ。

 訓練開始からすでに四分が経過。彼女も無傷だが、バムスターもまた無傷。つまり彼女は、一度も反撃することなく、攻撃を避け続けていたことになる――眉一つ動かさない、無表情のままに。

 

「大した落ち着きだ。新人とは思えないな」

 

 嵐山の評である。時枝は特にリアクションを返さなかったが、木虎は「ええ」と短く首肯した。

 クマの濃い鋭い眼光には、怯えも竦みも、微塵もない。助かったという安堵も、避けてやったぞという驕りも、その無表情からは読み取れない。まるで、自分がそこに立っているのが当然だとでも言いたげな、傲岸不遜な仏頂面。

 

『…………オン』

 

 集音マイクが拾えるかどうか、ぎりぎりの小声。誇るでもなく、張り切るでもなく、ただトリガーを発動するためだけに発音した、というような起伏のない呟き。

 そして発動するトリガーは、重装の大剣・レイガスト。

 

「大きい……!」

 

 木虎の口から、感嘆が漏れる。

 そのレイガストは、大きかった。切っ先から柄頭までの長さは、ヤトの身長とほぼ同等。刀身の変形や調整をまだ学んでいない新入隊員のトリガーだけに、その大きさは彼女のトリオン量を如実に表していると言えるだろう。

 

「大きいな。彼女の体格で扱いきれるか?」

「レイガストは重いのが弱点ですからね……」

 

 訓練時間は、残り五十秒ほど。いまから一撃でバムスターを倒せたとしても、今期入隊の新人の中ではすでに最下位が決定している。

 しかしそれでも、木虎はヤトにバムスターを倒してこの訓練を終えてほしかった。後輩に慕われたいと常日頃から思いながらも、なぜかその機会にあまり恵まれない木虎にとって、ヤトは少し良いカンジで接することができた貴重な後輩だ。優しいお姉さん的に見てくれていたらなあ、と思うのである。

 

(べ、別にだからと言ってひいきするという訳ではないのだけれど。A級隊員として、後輩の面倒をしっかり見ないと、っていう……!)

 

 木虎が誰にともない言い訳をしている間に、状況は動いていた。

 機械的にも生物的にも聞こえる、バムスターの雄叫び。重厚な足音を響かせて、バムスターは全速力でヤトに向かって突っ込んだ。

 

「あ、危ない……!」

「いや、これは!」

「へぇ……」

 

 木虎たちは、目を疑った。

 宙を舞う、バムスターの尻尾。ヤトは体全体を地面スレスレまで倒し、右の踵一点だけで体を支えている状態。トリオンの飛沫を血のように散らし、レイガストの刃が豪快な弧を描いていたのだ。

 物理的に、常識的に、絶対に背中から倒れるしかないような体勢から、一体何をどうやったのか、ヤトはぐるりと身を翻して起き上がり、顔色一つ変えずに一跳びでバムスターの側面に回り込んだ。その遠心力をも巻き込んで、レイガストを横薙ぎに振り抜く。

 

《残り、三十秒》

 

 機械的なアナウンスに、バムスターの苦悶の叫びが重なる。ヤトのレイガストは、バムスターの右前足を付け根から斬り落としていた。

 

「へぇ。体幹、強いね」

「い、いや時枝先輩、体幹どうこうってレベルでは……!」

 

 驚き、戸惑う木虎。しかし戦闘は進んでいく。

バムスターは牙を剥いて首を伸ばし、ヤトを噛み砕こうとするが、その牙は二度、三度と、空を噛むばかり。レイガストを地面に突き立て、棒高跳びの要領で飛び回るヤトには追いつけないのだ。ヤトはそのまま壁や瓦礫に着地、それを足場代わりにして跳ね回り、見ている方が目を回しそうな変則空中機動を繰り返す。その間も相変わらず、ヤトは眉一筋も動かさない――いや。無表情な中にも、僅かに眼つきが鋭くなる。ヤトはバムスターを真っ直ぐに見据え、地面に降り立った。

 

《残り、二十秒》

 

 いよいよ、攻勢に転じるのか。その気配を感じ取ったバムスターは、後ろ足二本で立ち上がり、巨大なボディでヤトを押し潰そうとしてきた。だがその足元に、隙があった。ヤトはバムスターの足元に文字通り転がり込み、すれ違いざまに両足首を切断。支えを失った巨体が、地響きを上げて倒れ込む。

 

《残り、十秒。九、八……》

 

 カウントダウンが始まった。バムスターは尻尾と手足を失い、もはや虫の息。せめてもの抵抗に、牙を剥き出しにして唸り声を上げるばかりだ。ヤトはそんな半死半生のバムスターへと、残り僅かな制限時間もまったく気もしていない様子で、ゆっくりと歩み寄った。レイガストの切っ先がガリガリと地面をこすり、火花を散らしている。

 そして、

 

『…………』

 

 何の言葉もなく振り上げ、振り下ろしたレイガストが、慈悲なく「目玉(ウィークポイント)」を断ち斬った。

 

《五号室、終了。記録、4分59秒98》

 

 仮想戦闘モードが終了。シンと静まり返った空気の中、ヤトが訓練室から出てきた。戦いを見ていたほかの訓練生たちは、ヤトを遠巻きに眺めるばかり。4分59秒という、狙ってもできないような記録。終盤で見せた圧倒的な戦闘力。返り血のようにトリオンを浴びながらも、一切変わることのなかった鉄のような無表情。訓練生たちが一歩引いてしまうのも無理はない。

 

「赤城さん、合格おめでとう」

 

 そんな冷たい雰囲気の中、モニタールームから降りてきた木虎は、努めて笑顔を作りながら声をかけた。ヤトは何事もなかったように、目の下のクマの濃い鋭い目線を木虎に向けた。木虎はその無言の迫力に多少気圧されつつも、平静を装って言葉を続ける。

 

「よく頑張ったわね。戦闘中、少し表情が……顔色が、優れなかったようだけど。大丈夫?」

 

 木虎の言葉に、ヤトはぐるりと周囲を一通り眺め、つまらなそうにため息をつく。そして、

 

「……少し、寝不足で」

 

 ニタリと、口の端をつり上げて。ギラリと、尖った犬歯を剥き出しにして――笑ったのだ。

 

 

 

 

 

 

「っととトリガー! うおんっ!」

 

 ……噛んだのですが。一世一代の大舞台、初めてのトリガー起動で噛んでしまったのですが!

 きっとモニターしているであろう木虎お姉さまの前で、醜態を晒してしまいました。しかしヘタレな私なので、声はかなり小さかったはず。マイクがうまく声を拾ってくれなかったことを祈るのみです。

 それはそれとして、はい出ましたレイガスト。重装型の名に恥じず、なかなかのサイズの刀身が私の右手に出現しております。切っ先から柄頭までの長さは、およそ私の身長と同程度。まるで身の丈ほどの大剣を担いでいるように誤解されてしまうかもしれませんが、私が身長139センチの矮躯であることをどうぞお忘れなく。通常のレイガストは1メートル少々だったはずですから、それよりちょっとばかり長くて大きい程度のものです。

 しかし問題は、この重さ。そりゃあ大きい分重いのは当然なのですが、もう腕がキツイです。トリオンで作られた戦闘体である今の私のボディは、素晴らしい身体能力を持っているはずです。しかし重い。素体たる私がもやしっ子だからなのでしょうか。よく基礎体力試験通ったな、私。

 そんなことを考える暇も、巨大トリオン兵・バムスター氏は与えてくれないようです。電子機器と鯨の鳴き声を足して割って若干低音にしたような咆哮を上げながら、突撃してくるではありませんか。

 さあ、ここからが私の腕の見せ所です。訓練開始から四分間、正直ビビッて逃げ回るばかりだった私もついに反撃タイムスタートです。主観的には両手持ち両刃大剣(ツヴァイハンダー)のようなサイズのレイガストをいざ振り上げ、突っ込んでくるバムスターを一刀両断してやりませう。というより、たぶんそうでもしないと時間切れの可能性大。狙うは一撃必殺、ただそれだけ。

 さあ、このクソ重いレイガストを大上段に振り上げおわっふ!?

 

(重過ぎィっ!)

 

 バムスターの巨体が、私の脇を走り抜けます。私のトリオン体がどうやら健在ということは、きっとレイガストは何かしらバムスターを攻撃してくれたのでしょう。訓練終了の報が聞こえないということは、倒せてもいないのでしょうけれど。

 しかしこのレイガスト、か弱い私の小柄なボディを思う存分振り回してくれやがりました。今の私は、右手のレイガストを自由の女神よろしく高く掲げ、しかして体は出来損ないの太極拳のように傾き、右足一本で全体重を支えるという不思議な姿勢。いつ、このまま背中から床に倒れてもおかしくない姿勢ではありますが――私は、倒れません。

 

否、正確には。

 

私は、倒れることができません(・・・・・・・・・・・)

 

(はぁ……もっとカッコいいサイドエフェクトだったら、よかったのですが)

 

 副作用(サイドエフェクト)

 トリオンが脳やその他の感覚器官に作用し発現する、未解明の特殊能力。

 このファンキーな姿勢を易々と維持する――いいえ、無意識に維持してしまう「強化平衡感覚(バランサー)」。これこそが私のサイドエフェクトなのです。

 ほら、時々いますよね。そこらへんの河原の石とかを無造作に積み上げて、見事にバランスを取ったタワーを作ってしまう人。もしくは、高い高い棒の上でアクロバティックなポーズをキメる曲芸師。私のサイドエフェクトは、そのようなバランス感覚を強制的に発動してしまうのです。

 まあこのサイドエフェクトのせいで、ベッドが右に二度傾いているとか、ほんの少し枕の形が歪んでいるとかいったことをアレもコレも感知してしまって、気になって気になって寝不足なのですが。目を閉じるとより鋭敏になるのです、この能力。

 

(こんなに緊張してビビってても、ちゃんと働くんだなあ)

 

 少し手首を捻ってレイガストの重さを斜めに逃がすと、あら不思議。重量バランスが変わった私+レイガストはくるりと回って身を起こします。傍目にはCGかワイヤーアクションのように見えるらしいのですが、私にとっては物心ついたころからできているコトなので、特に感慨もなく。私の「強化平衡感覚(バランサー)」は重心や加速度に対しても働くらしいので、このような芸当はお手の物です。小学生時代には「一輪車の女王」として昼休みのグラウンドでぶいぶい言わせたものでした。一人で。心配したおじいちゃん先生が、一緒に遊んでくれました。

 ……話が逸れました。とりあえず、バムスターは鈍重な獣といった外見をしているので、側面に隙があるかなあ、という程度の予測で右サイドへと回り込んでみます。重たいレイガストは低く構えてあまり動かさず、レイガストを中心に、自分の体の方を振り回すイメージですね。一跳びでサイドを取ることに成功した私は、その勢いを利用して体を一回転、レイガストを横薙ぎに振るってみました。狙ったのは、右前脚。刀身の切っ先から半分ほどまでが、意外なほど抵抗無くバムスターの甲殻を切り裂いて前足に食い込み、そして斬り抜けました。回避から攻撃まで遠心力を働かせた一連の動きは、どうやら大成功のようです。

 手負いのバムスターは前足を失ってさらに鈍重になりましたが、等間隔に牙の並んだ大口で次々と噛み付きを繰り出してきます。

 

《残り、三十秒》

 

 さらに私の豆腐メンタルに追い打ちをかける、冷徹なアナウンス。このままだと三十秒後には、私は訓練初日から不合格を叩き出すという素晴らしい不名誉を手にしてしまいます。嗚呼、血の気が引いていく。こんな衆人環視の中でなぜ恥をかかねばならないのか。内心ビクビク、心臓バクバクですが、酷い寝不足による目の下のクマが私を無表情に見せてくれることに、今だけは感謝です。

 バムスターの牙をジャンプしまくってかわす私ですが、どうにもレイガストが重すぎて思ったように動けません。仕方がないのでレイガストは地面に突き立てて足場にし、そこからさらに大ジャンプ。噛み付きを空振りしたバムスターの顔を蹴って壁に着地、そこからさらにジャンプ。おお、まるで忍者のようだ。我ながらちょっとカッコイイ。トリオン体の身体能力と、強化平衡感覚(バランサー)のおかげです。ありがとうボーダー開発室。ありがとうサイドエフェクト。

 生身では絶対不可能な空中機動に、調子に乗った私はレイガストの柄頭に着地するつもりが足を滑らせ向う脛を強打。いわゆる、武蔵坊弁慶ですら泣き出すというあの部分です。

 

(いっ、だぁぁっ!)

 

 でも泣かない。だって、木虎お姉さまが見ているんだもの。眉根にギュッと力を籠め、バムスターを睨みつけて涙をこらえます。

 サイドエフェクトのおかげで尻餅をつくような無様は晒しませんでしたが、再び地面に降りました。お怒りの様子のバムスター氏は、後ろ足二本で立ち上がり、ボディプレスを仕掛けてきます。広いとはいえあくまでも室内である訓練室には、逃げ場などあるわけもなく。

 

《残り、二十秒》

(こここ、こーゆーときのためのシールドモード!)

 

 ああもう、焦らせるなよアナウンス。脳内で悪態をつきながらも、私はそもそも初期装備にレイガストを選んだ理由である、シールドモードの存在に思い至ります。

 ……しかし、はて。どうやったら発動するんでしょうか、シールドモード。私の手元で大振りな刃を発現し続けるレイガストの持ち手に、それらしきスイッチの類は見当たらず。

 そういえば私、仮入隊期間中のトリガーの使い方講習、寝不足で爆睡してました。

 

(……詰んだのですが)

 

 見上げれば、蛇腹状の白き巨体。バムスターのお腹の下ってこうなってるんだー、へー。C級最下位が確定した私はがっくりと肩を落として項垂れ、そしてレイガストの重さに引っ張られて前に倒れそうになりました。

 

(あっ、マズ……!)

 

 そう思っても後の祭り。私のサイドエフェクトは、私が転倒することを許しません。強化平衡感覚(バランサー)が暴走します。

 無意識に右足が前に出て、レイガストの重さが左へ逸れ、左足が出て、体が反転し、握力の限界を迎えた左手が離れ、右手一本で握ったレイガストが横一線に振り抜かれます。

 そして、強化平衡感覚(バランサー)は安定。気づけば私は、かなりかっこいいポーズでレイガストを真横に振り抜き、バムスターの後ろ足を二本まとめてぶった斬っていました。

 

(なな、なんという幸運……!)

《残り、十秒。九、八……》

 

 自らの悪運に身を震わせる私の耳に、無慈悲な宣告が響きます。時間切れどころか敗退という最悪の結果すら見えかけた私ですが、もちろん合格できるならそれに越したことはないのです。四肢のうち三本までを失ったバムスターなど、もはや恐るるに足らず。我がレイガストの錆にしてくれようぞ。

 バムスターをはじめ、多くのトリオン兵が共通して持つ弱点は、口らしき部分の中にある目玉状の機関。あと7秒以内にそこにレイガストを叩き込めれば、私は不合格クソイモムシではなくなるのです。

 しかしホントに、レイガストが重い。普通に構えるのすらしんどいので、ずるずると切っ先を引きずるようにしてしか歩けません。地面を引っ掻く先端から火花が散って、これはこれでカッコイイ気もするのですが、そんなことより今は時間が惜しいのです。

 あと三秒。なんとか間に合いました。バムスターの「目玉」の前に立ち、私は最後の腕力と握力を振り絞って、レイガストを天高く振り上げました。そして!

 

「あっ……」

 

 何かカッコイイ台詞を言おうとしましたが、私の腕力はそこまで持ちませんでした。ほとんど自由落下のような斬撃が、「目玉」を真っ二つに断ち切り、私の訓練は終了したのでした。

 

《五号室、終了。記録、4分59秒98》

 

 訓練モードが終了し、私はできるだけ目立たないよう、誰とも目を合わせないようにしながら部屋から出ましたがウワォなんだこのアウェイ感MAXの冷たい空気。

 私が目を逸らすまでもなく、注目されているのに誰とも目が合わないこの感じ。これでクスクス笑いなどがあれば、小学生時代にヒエラルキー上位の女子グループに目を付けられたときに経験済みですが、こうも無言だと逆に不安になります。

 いや、あの、別に私の半径5メートル以内に入って来ても何の問題もないのですが? 私が一歩踏み出すたびに二歩ほど下がるの、やめていただきたいのですが?

 ……なんて思いつつも口に出すことなど出来るはずもなく。嗚呼、私はボーダーでもデビューに失敗してしまったようです。睡魔と戦いながら聞いた入隊時のボーダー組織についての説明によれば、B級以上の隊員はチームを組むのがボーダーの常なのだとか。しかし私は、入隊初日にしてもうすでにチームを組みたくないチビ女ランキング第一位です。私のボーダー出世街道は閉ざされました。

 ゆくゆくは木虎お姉さまとチームを組んでうぇへへへとか、那須隊の那須お姉さまと熊谷お姉さまに挟まれてうぇへへへへへとか、オペレーターのきれいなお姉さまたちとうぇへへへへへへへへという純粋無垢な野望の数々もここで打ち止めです。

 

「赤城さん、合格おめでとう」

 

 ぅぅおお姉さまぁぁぁぁっ!?

 こんなクソ虫にも劣る私に労いの言葉をかけてくださるのは、我が女神木虎お姉さま! 慈愛に満ちた聖母のような微笑みは、暗黒面に落ちかけた私のハートを癒してくださいます。ええい、動け私の不器用な顔面表情筋。また睨んでるとか誤解されるぞ。

 

「よく頑張ったわね。戦闘中、少し表情が……顔色が、優れなかったようだけど。大丈夫?」

 

 嗚呼、何という女神。一部の男子などは、おそらく嫉妬か照れ隠しでしょう、木虎お姉さまのことを高慢ちきな高飛車女などと的外れなコトをいっているようですが、この天使の微笑みを前にして同じことが言えるのでしょうか。

 木虎お姉さまのやさしさに応えるべく、私はオドオドと視線を左右に泳がせながらも、取るべき対応を思案します。

 やっぱり笑顔でしょう。終日終生仏頂面の目のクマちび女たる私ですが、人のやさしさには笑顔で感謝するのがコミュニケーションの最善手であろうことは知っています。できないだけで。

 さあ仕事だぞ私の顔面表情筋。不器用とか言ってる場合ではないのです。笑顔なんて学校の給食にプリンがついていたとき以来久しく作っていませんが、大丈夫、木虎お姉さまのご尊顔を拝見しながらならできるハズ。

 口角を上げて白い歯を見せ、目を見開いて笑顔を作る。ほら、できました!

 

「……少し、寝不足で」

 

 赤城ヤト、会心の笑顔です。気遣いに感謝しつつも、慎み深い後輩の姿を演出できたかと思います。木虎お姉さまも、天使の微笑みを返してくださいました。

 C級の皆さんがなぜかさらに一歩引いたのは気になりますが、兎も角。

 こうして、私の対近界民戦闘訓練は、終わりを迎えたのでした。




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《独自設定》
サイドエフェクト「強化平衡感覚(バランサー)

 赤城ヤトが持つ、Cランク・強化五感に属するサイドエフェクト。平衡感覚は五感のひとつとは言えないが、便宜上、そのように分類されることになった。
 バランス感覚が大幅に強化され、ほんの数ミリの傾きやごくわずかな重心移動を感知できる。また、その応用で、自分自身の身体のバランスをかなり精密にコントロールできる。常時強制的に発動し続けているタイプの能力で、意識的に寝転んだり、体勢を崩そうとしたりしない限り、勝手に体が動いて体勢を整えてしまう。
 本人曰く、目を閉じると感覚はさらに鋭敏になるらしい。そのため、睡眠をとる際にベッドや床面の傾き、枕の位置や形などが少しでも歪んでいるとそれを精密に感知してしまい、気になってなかなか寝付けないという反作用(マイナス)が出てしまう。
 ヤトはかなり幼い頃からこのサイドエフェクトが発動していたらしく、消えない目下のクマや年齢のわりに小さな体格などは、ほぼこの反作用による睡眠不足が原因である。



次回 アナザーワールドトリガー
第三話「三雲 修」に――トリガー、起動(オン)






 以上、アナザーワールドトリガー第2話でした。
 ここまでは本作の自己紹介的な内容でしたが、いかがでしたでしょうか。
 ここから先、主人公・赤城ヤトが原作のストーリーに関わっていきます。基本的には原作沿いですが、少しずつ流れが変わっていく予定。迅さんの予知からどこまで外れてしまうのか。私にもわかりません!
 兎も角。感想・批評お待ちしています。今後もどうぞよろしくお願いします!



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第3話 「三雲 修」

 おはようございます。亀川です。
 連絡事項が二つほど。
 ひとつ、今回は、前回最後の次回予告からサブタイトルを変更してお送りしております。ご了承ください。
 そしてもう一つ、今回は、我が女神・木虎さまの出番がありません。木虎さまのいない拙作など、鬼怒田さんのいないボーダー開発室のようなものですが、ご了承ください。




 〝C級最下位の寝不足姫〟

 それが私、赤城ヤトに付けられたあだ名です。

 不本意ながら初日の対バムスター戦は制限時間ギリギリの最下位クリアだったので、C級最下位というのは不名誉ながら仕方なく。「寝不足姫」などという言われようも、B級上位やA級の大先輩方にも「弾バカ」だの「槍バカ」だのと呼ばわれる方がいると聞けば、「姫」なんて一字がついているだけ良しというもの。寝不足は事実ですし。

 いやしかし、光陰矢の如しとはよく言ったもので、入隊初日の戦闘訓練から早や三か月。九月入隊の同期たちの中からは、B級に上がってチームを組み、ランク戦や防衛任務に参加するものもちらほらと。

 やれ、ランク戦で何々隊と当たっただの。やれ、防衛任務で誰々先輩と一緒になっただの。食事時ともなれば、本部の食堂ではそんな会話があちらこちらで花咲きます。

 しかして孤高のシングル一匹狼(ロンリーウルフ)ぼっちたる私は、そんなピーチクパーチクに加わることもなく。一人黙々と中々に美味なA級定食(海鮮丼+麻婆豆腐。私、週3はコレです)を平らげつつ、たまに食堂に現れる木虎お姉さまや那須お姉さま、熊谷お姉さま、オペレーターの美人お姉さまがたに熱い視線を送り、そして一人黙々と訓練室で仮想現実(ヴァーチャルリアリティー)を相手にレイガストを振り回す日々なのです。

 はい、私、焦っております。同期からB級昇格者が着々と増えつつあるということは、つまり合同訓練や個人戦で4000ポイントを稼ぎだした者が出てきているということ。そんな中、私の左手の甲のデジタル表示は、まだ3000にも届いていません。……すみません、少し盛りました。2500程度です。

 しかしながら、誤解しないでいただきたいのです。私は決して、訓練をさぼっていたわけではありません。そりゃあたまには徹夜で飛竜の尻尾から紅玉や逆鱗を剥ぎ取ったり美少女アイドルを画面越しにタッチしてパーフェクトコミュニケーションをしたり新規実装の外国艦を求めて溶鉱炉で資源を熔かしたりはしていましたが、私の合同訓練への参加状況や、その他ボーダー隊員としての振る舞いは、まあ合格点といえるでしょう。

 ではではなぜなぜ、こんなにもポイントを稼げないのか。

 理由は明白、誰も個人戦をやってくれないからです。

 所詮はバムスター一匹倒すのに五分もかかるC級最下位だというのに、私との対戦を避けようとする同期の諸氏の多いこと。やはりここでも、私の凶悪過ぎる眼つきはマイナスにしか働かないようです。

 ボーダーに入ってから知り合った、私の唯一の話し相手からの情報によると、「C級最下位の寝不足姫」という異名には、あることないこと様々な噂がついて回っているらしく。

 

 曰く、いつでも倒せるバムスターと時間ギリギリまで遊んでいた。

 曰く、バムスターの両手両足をわざわざ切り刻んでからゆっくりとブッ殺した。

 曰く、A級5位・嵐山隊の木虎藍に、「眠いんだよテメェ」と凶悪な笑みでガンを飛ばした。

 曰く、狂犬・影浦の妹で、彼女もまた狂犬だ。すでに何人か噛み付かれたらしい。

 曰く、彼女のレイガストは剣というにはあまりにも大きすぎた。ぶ厚く重くそして大雑把すぎた。それはまさに鉄塊であった。

 曰く、曰く、曰く――

 

 えー、私、なんだかとんでもない実力者か戦闘狂のようなキャラ付けを、勝手にされているようなのですが。なんか五つ目の「曰く」とかもうそれ完全に黒い狂戦士のアレなのですが。バムスターの手足は四肢のうち三本しか斬ってないのですが。必死で逃げ回っていただけですが。影浦さんとやらにはお会いしたこともないのですが。実は「に、兄さん!」とかそんな展開ありませんが。一人っ子ですが。狂ってませんが。

 しかして一番有り得ないのは! この私が! 我が女神・木虎お姉さまにガンを飛ばすなどと!

 自他ともに認めるコミュ障たるこの赤城ヤト、かなりガンバって渾身の笑顔を捧げたというのに、ボーダーの有象無象共は眼球を尻にでも付けているのでしょうか。目ん玉かっぽじって塩水で洗って来い。

 

『ま、まあ落ち着いて、ヤト』

 

 ――とまあこんな具合で、グチグチと愚痴をぶちまけていたのですが。タブレット越しに聞いてくれていた、ボーダーで唯一の話し相手・三雲修先輩は苦笑いを浮かべます。

 三雲先輩は、私と同じくC級隊員。入隊は私よりも何期か前で、年齢も一つ上。ランク戦ロビーで一人ぽつんと放置プレイを楽しんでいた私に個人戦を申し込んでくれた、非常にモノ好きな先輩です。ちなみに、三本勝負で2-1、私の勝ち越しでした。

 

『ランク戦なら、また僕とやろう。僕のレイガスト捌きも、少しは上達したんだ』

「でもー、それじゃあ結局、私と先輩でポイントぐるぐる回っているだけですよ。まーた、万年C級メガネなんて言われちゃいますよー」

『うっ……ま、まあ合同訓練は真面目にやってるつもりだから。僕だってもうすぐ……』

 

 へへん、痛いところを突いてやりました。画面の向こうで、三雲先輩が頬に一筋、汗を垂らします。その表情を見て、私は少しばかりの嗜虐心を満たされました。安物のベッドに寝転がって、「にひひ」と悪戯っぽく笑います。

 

「私、B級になったら、三雲先輩ぐらいしかチーム組む相手いないですから。なるべく早く上がってきてくださいね」

『そ、それって僕の方が上がるの遅いってことじゃ……』

 

 同じC級下位でウロウロしているからでしょうか。それとも、ボーダー内で一人ぼっち同士だったからでしょうか。なぜか私のコミュ障は、三雲先輩に対しては発動されません。

 別に、お昼を一緒にするとかはありません。学校でも挨拶はするかな、という程度です。でもなぜか、三雲先輩と一対一でなら、しゃべれます。きっと三雲先輩が、私を色眼鏡で見ることをしないからでしょう。メガネですが。

 

『ん、着信……千佳からだ』

「お、例の可愛いちっちゃい彼女さんですね。ひゅーひゅー!」

 

 会ったことはありませんが、三雲先輩の話によく出てくる女の子、雨取千佳さん。話を聞いているだけでも、彼女を大切に思っていることはリア充爆発しろと叫びたくなるほどに伝ってきます。日曜日の夜ともなれば、三雲先輩も彼女とお話をしたいでしょう。

 

「さすがは三雲先輩、できるメガネですね。スミに置けませんね」

『い、いや、千佳はそんなんじゃないよ。じゃあヤト、また明日』

「はい、先輩。おやすみなさい」

 

 タブレットから三雲先輩が消え、ゲームアプリばかりがずらりと並んだホーム画面が戻ってきます。はー、愚痴を聞いてもらって、少しだけスッキリしました。明日もまた、学校帰りにでも本部に寄って、一人黙々と訓練室に籠れそうです。

 私は就寝前の恒例行事として、微妙にガタついているベッドの足に、折り畳んだ新聞紙を挟み込みました。今日は、右上に八つ折りを二枚。あらためてベッドに寝転がり、目を閉じて私のサイドエフェクト・強化平衡感覚(バランサー)を鋭敏に働かせます。うん、よろしい。完全に水平です。一発で調整完了とは、幸先が良い。今夜は安眠できそうです。明日は月曜日、学校もあることですし、健全な女子中学生としては、早く寝るに限ります。

 

「お父さん。お母さん。おやすみなさい」

 

 ベッドの上に正座をして、写真立ての中の両親にペコリと一礼。布団の中に潜り込みます。

 三門市旧市街地、警戒区域ぎりぎりの安アパート。一人暮らしの一室で私は、久々の安眠の予感に身を委ねるのでした。

 

 

 

 

 

 

 そして目覚めれば、遅刻でした。

 普段の寝不足が祟って、珍しく快眠できたと思ったらザ・ダイナミック遅刻。始業のチャイムに間に合わないなどというレベルではありません。今頃きっと学校では、お腹を空かせた成長期真っ盛りたちが、屋上や中庭でお弁当の包みを広げようとしている頃でしょう。

 こんな時こそトリオン体の身体能力でズババッと通学路を駆け抜けたいものですが、C級隊員の基地施設外でのトリガー使用は隊務規定違反。厳罰に処されてしまいます。

 

「然らば……」

 

 私はどうせバサバサの黒髪に櫛を入れることを諦め、ブレザータイプの制服に袖を通し、愛用の厚手の黒タイツを着用します。吸湿発熱繊維仕様の上等なヤツです。I LOVE 黒タイツ。ニーソ? レギンス? スパッツ? 馬鹿を言うな、冬場のスカートの下がどれほどスースーするかを知らぬのか。そんな輩は毛糸のパンツでも穿いておれ。黒タイツに勝る穿き物はナシ。それがわからぬ者は、地に這い蹲って私の黒タイツのデニール数でも測っておるが良いわ!

 ……話が逸れました。兎にも角にも、一般的な女子中学生の登校スタイルを形作った私は、最後の仕上げに食パンを一枚、口に咥えます。これで「遅刻遅刻ぅ~!」と十字路に突っ込みイケメン転校生と正面衝突すれば新たな恋の予感なのですが、あまりに遅刻がダイナミック過ぎるためにそんなことにもならず。私が無事に食パンを食べ終わる頃には、学校の正門前に到着してしまいました。

 いやしかし、学校の方が無事ではなかったのですが。

 

《ウゥゥゥゥ――――――――――――――――ッッ!》

 

 耳を劈くサイレンの叫び。ポケットに突っ込んだボーダーの携帯端末が、激しく振動します。端末を開くと、そこには真っ赤な漢字四文字が。

 

「……緊急、警報……!?」

 

 ぜいぜいと肩で息をしながら正門に寄りかかる私の頭上で、黒い稲妻が迸りました。まるで世界を、空間を押し退けてこじ開けた様な、真っ黒い光球が上空に出現。

 〝(ゲート)〟です。

 四年前に一斉に、そして現在も散発的に開いては異世界の脅威を吐き出す、この世界と近界(ネイバーフット)とを繋ぐ漆黒の闇。現在では、ボーダー本部の誘導装置により、その発生個所は警戒区域内に限定され、市街地には被害が及ばないようになっているはずなのですが――

 

《緊急警報! 緊急警報! (ゲート)が市街地に発生します。市民の皆様は、直ちに避難してください。繰り返します……》

 

 ――ついに開き切った(ゲート)から、三体のトリオン兵が這い出してきました。

 頑丈そうな甲殻に覆われた、自動車ほどの体躯。四本の脚は昆虫のものに似た形をしており、その先端には見るからに切れそうな湾曲したブレードが、鈍く光ります。

 三体のトリオン兵たちは、特徴的な口の中の目玉をぎょろりと動かして、視線だけで周囲を一舐め。そして、動き出しました。

 

「きゃああああああああっ!」

 

 女子生徒の悲鳴を皮切りに、恐怖と混乱は一気に広まります。思い思いの昼休みを過ごしていた生徒たちの日常が一瞬で非日常へとシフトし、状況も掴めないままに、誰も彼もが我先にと逃げ出します。そんな人間たちに興味はあるのかないのか、三体はそれぞれ違う方向へと走り出しました。校舎へと向かった一体は、そのまま校舎に突撃、建物の内部にかなり強引に侵入していきます。

 

「みんな急いで! 訓練通り地下室(シェルター)へ避難して! 早く!」

 

 こんなぐちゃぐちゃの状況でも、生徒たちを逃がそうと大声を張り上げる先生が一人。たしかあれは、三雲先輩のクラスの水沼先生だったはず。まだ若い女性だというのに、まったく教師の鏡です。子どもを守る大人の姿とは、かく在るべきよなあ、などと考える私。

 ええ、わかっています。こんな状況下で、いったい私は何をしているのだと。逃げるなり、ボーダーに通報するなり、できることがあるだろうと。しかしそう言われましても、今の私はそうやって、現実逃避をするしかないのです。

 

「え、あ、は、はろー……ま、まいねいむ、いず、ヤト・アカギ……」

 

 私の気の利いた自己紹介にも何の興味を示さずに前足の大鎌を振りかざす、一体のトリオン兵という現実から。

 

「でで、ですいす、あ、ぺーん……」

「やめろおぉぉっ!」

 

 聞き慣れた、しかしいつもとは違う声。全身が硬直して身じろぎひとつできなかった私とトリオン兵の間に、C級隊員の白いジャージ姿が割って入りました。

 

「み、くも……先輩っ!?」

「大丈夫か、ヤト!」

 

 連続的に振り下ろされるトリオン兵の左右のブレードを、三雲先輩は高く掲げたレイガストでガード。突然登場したヒーローに、私は驚きその場に棒立ちになってしまいます。

 

「さ、さすがヤトっ、だな! この、状況でっ! そんな、にっ! 落ち着いっ、てるなんてっ!」

 

 ブレードの一撃を受けるたび、三雲先輩の声が苦しそうに途切れます。頑丈なはずのレイガストの刀身も、ガリガリと削られているようです。それもそのはず、私達C級隊員が持たされているのは訓練用トリガー。訓練室の仮想現実ではない、本物のトリオン兵と満足に戦えるはずもありません。

 そして先輩、私のこの無表情は恐怖のあまり固まっているだけで。度胸とか根性とか落ち着きとか、そういうモノとは無縁なのですが。

 いやいや、それよりなにより。

 

「せ、先輩……トリガー、使って……!」

「違反は分かってる! でも、ボーダーが来るっ、までっ! 時間をっ、稼ぐはぁっ!?」

 

 ブレードの峰で横殴りにされ、三雲先輩が吹っ飛びます。先輩は正門の門柱に背中から叩き付けられ、門柱が砕けます。もし生身なら、きっと門柱ではなく背骨の方が砕けていたことでしょう。

 普段から数少ない話し相手としてお世話になっている後輩としては、今すぐ駆け寄って助けに行きたいところ。しかしながらビビリな私の両手足は、竦んでしまって動きやしません。硬く握った拳はぶるぶると小刻みに震え、目を逸らしたいはずなのに眼球ひとつ動かせない。

 怖い。

 だって私は、生身だから。

 

 訓練室の仮想現実(ヴァーチャルリアリティ)とは違って。殺されたら死ぬ(・・・・・・・)から。

 

 なぜかトリオン兵は三雲先輩には興味が無いようで、大口を開いて私を威嚇しています。大きく掲げられた両腕のブレードがギラリと日光を反射し、今にも振り下ろされそうな剣呑さを放ちます。

 どうにも、逃げられそうにはありません。防衛任務中の部隊が来るか、ボーダー本部から迎撃部隊が出るにしても、このブレードが振り下ろされるより早いということはないでしょう。三雲先輩はきっと、また私を助けようと飛び込んできてくれるのでしょうが……でも。だったら。私は一体何のために、訓練を積んできたのでしょう。

 それは、この日のためでしょう。隊務規定違反など、知ったことではありません。自分の身は。命は。自分自身の手で守る。それを超える正義などありますまい。

 

 私は、殺されて死ぬ(・・・・・・)なんて認めない。

 

 私は金縛りを振り切ってブレザーのポケットに手を突っ込みます。そこにあるのは、レイガストただ一つだけが装備された、訓練用トリガー。しかしまあ、私の手汗のひどいこと。自分で若干引くレベルです。その手汗ごと握り潰す勢いでトリガーを掴み、引っ張り出します。

 ガチガチと、歯の根も合わぬほどに震える自分自身を叱咤激励。我が愛用のトリガーをトリオン兵に突きつけ、静かに、けれども力を籠めて!

 

「トリガふっ、オン……」

 

 ……畜生、また噛んだ。

 

 

 




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 二つ名「C級最下位の寝不足姫」

 赤城ヤトのあだ名。
 「C級最下位」の部分は、入隊初日の対近界民(ネイバー)戦闘訓練で、バムスターの撃破に4分59秒98かかるという、ボーダー史上最低(・・)のタイムでクリアしたことに由来する。ちなみに、クリアした者の中で最低のタイムなのであって、三雲修のようにクリアできなかったものもいることを考えると、入隊時の実力が本当にC級最下位だった訳ではないと思われる。また、定期の合同訓練でのヤトの成績は、攻撃手(アタッカー)組の中では中の上程度で安定している。
 「寝不足姫」の部分は、その戦闘訓練終了後に、気遣いから声をかけたA級隊員の木虎藍に対して、凶悪な目付きで睨み付けながら「寝不足だから」と言ってのけたことに由来する。ボーダーの広告塔という役柄上、木虎藍のファンは多く、赤城ヤトはこの一言でボーダー内の木虎ファン全体を敵に回したと言っていい。当初は陰口のように「寝不足女」や「寝不足チビ」などと言われていたようだが、合同訓練への意外と真面目な取り組みが評価されたり、やっぱり眼つきが凶悪すぎて陰口を言う方がビビったりといった理由から、「姫」の一字が付いたという経緯がある。


 次回 アナザーワールドトリガー
 第四話「三雲 修②」に――トリガー、起動(オン)




 ついに登場した原作主人公。きっとメガネ君はコミュ障にも優しいはず。そして万年C級仲間のよしみで、名前で呼び捨てにもしているはず。
 拙作はこのあたりから、原作と同じ時間軸に突入します。世界線は微妙にずれていますが。基地施設外でトリガーを使ってしまったメガネ君と寝不足チビは、まとめて木虎さまに怒られてしまうのか!? ヤトには寧ろご褒美かもしれませんが。
 次回も読んでいただければ幸いです。感想・批評もお待ちしております。


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第4話 「三雲 修②」

 どうもこんばんは。亀川です。
 今回も我が女神・木虎さまは出番がありません。きっと今頃、イレギュラー門の発生を受け、ぴょんぴょん跳んでこちらへ向かっているところです。ジャンプする木虎さまも非常にキュートだと思います。
 
 そんな第四話(?)です。どうぞご覧ください。


『モールモッドを一匹殺すには、少なくともオサムが20人はいなきゃムリだ。それで勝てたとしても20人中18人のオサムは死ぬ』

 

 修の脳内で、遊真の言葉が繰り返される。

 空閑遊真。強力な、未知のトリガー使い。そして、人型近界民。世間知らずの常識外れ、あまりにこちらの世界のことを知らない、背の低い白髪の少年。出会って間もないイレギュラーな存在だが、修は、遊真の真っ直ぐな瞳と嘘のない言葉には、一定の信頼を置いていた。

 

『行くか行かないか、決めるのはオサムだ。でもおれはいかない方がいいと思う』

 

 だからきっとその言葉も、自分とモールモッドとの実力差を考慮して、現実的なアドバイスとして述べたものなのだろうとわかっていた。

 しかし修は、砕けた門柱のコンクリートに埋もれながら、飛び出したことを後悔してはいなかった。修が悔やんでいるとするならば、それは、「自分がすべきと思ったことをする」という単純に過ぎる信条を貫くには、自身の実力があまりにも足りなかったことだ。

 

「大丈夫か、オサム」

「空閑……!」

 

 この状況下にも関わらず、緊張感のない軽い声かけ。小柄な白髪の少年・空閑遊真は、それが何気ない日常の一コマででもあるかのように、コンクリート片を払いのけ、ひょいと修を助け起こす。

 

「だから言っただろ。他のボーダーを待とうぜ、って」

「目の前で学校が襲われて、見ていられないだろ。それに、ヤトが……」

 

 反駁し、レイガストを構え直した修の目に、信じられない光景が飛び込んできた。

 今まさに振り下ろされる、モールモッドの鎌腕。鋭利なブレードがギラリと光り、凶悪な切れ味を誇示し、ヤトを両断しようとする。対するヤトは、避ける素振りすら見せない。修との模擬戦では見せたことがないような眼光でモールモッドを睨み付け、ポケットに手を突っ込んだまま仁王立ちする。

 修の眼前に真っ二つに切り裂かれるヤトの姿が幻視し、思わず叫び出しそうになったその時――遊真が、ぼそりと呟いた。

 

「ほう。〝居合い〟か」

「…………オン」

 

 聞こえるか聞こえないか、短く簡潔なトリガー起動のキーワード。同時、ヤトの手元からトリオンの光が噴出し、レイガストの分厚い刃が出現する。修は訓練で何度もヤトのレイガストを見ているが、それにしても彼女のレイガストは大きい。同じレイガスト使いの修としては、嫉妬を禁じ得ないほどだ。

 しかしその大振りなレイガストの刀身は今、握り手に近い側の半分ほどしか、修の目には見えなかった。なぜなら、残りの半分は。切っ先から、刀身の中ほどまでは。

 

「なっ……!」

 

 それは、太刀筋で言うならば逆袈裟斬り。ヤトが左下から右上へと振り上げたレイガストは、モールモッドの下顎を断ち切り、「目玉(コア)」に深々と喰い込んでいた。

 

「い、一撃……っ!?」

 

 冷や汗を垂らして絶句する修。

 ヤトの上半身は、まるでフェンシングのような極端な半身の構え。左足はモールモッドの懐に大きく踏み込み、ブレードの太刀筋の内側に入り込んでいる。胸を大きく逸らしているのは少々不格好なようにも見えるが、ブレードの回避と攻撃を両立したためだろう。

 

「ニホンのサムライが使うアレだろ? 居合いとか抜刀術ってヤツ。あのでっかい剣でよくやるなあ」

「ば、抜刀術……ヤトが!?」

「敵を目の前にして、ポケットに手を突っ込んでた。あの時点でもう予備動作は終わってたってことだな」

 

 遊真は目と口を「三」と「3」にして一人で納得していたが、修は驚愕を禁じ得なかった。今までに二十戦以上は模擬戦を繰り返しているが、その中で修は、ヤトのそのような剣技を見たことはない。それよりなにより、

 

(ただ単に、トリガーホルダーがポケットに引っかかってただけに見えたけど……)

 

 だが実際に、モールモッドは撃破されている。

 ヤトの体がトリオン体に換装され、C級隊員共通の白いジャージ姿に変身する。そしてヤトが無造作にレイガストを引き抜くと、モールモッドはずぅんと重い音を立ててその身を校庭に沈めた。

 

「……三雲先輩」

 

 瓦礫から抜け出した修の耳に、ヤトの声が届く。二人でしゃべっている時とはまるで違う、低く抑揚を抑えた声色。いつも以上に細められたクマの濃い三白眼が、得も言われぬ迫力を醸し出している。

 

「……校舎の方……お願い……します」

 

 言うや否や、ヤトは走り出した。その向かう先は、グラウンドの奥。多くの生徒たちが避難しているであろう学校の第二シェルターだ。いつものふらついた足取りとはまるで違うヤトの機敏な動作に面食らいつつも、修は「校舎の方」というのが校舎地下の第一シェルターのことであろうと思い至る。出現した三体のうち少なくとも一体は、壁をぶち破って校舎に侵入していた。

 

「行くのか。もう一回言うけど、オサム、死ぬぞ?」

 

 駆け出そうとした修の背に、緊張感に欠ける遊真の声が投げられる。

 

「行くかどうか、決めるのはオサムだ。でもあの女の子のトリガー、オサムのやつよりだいぶ質が良かったぞ。バムスターを斬れないオサムのじゃあ、モールモッドはもっとムリだぞ」

「……空閑は避難しろ。校舎に残された人がいるかもしれない、僕は助けに行く。それに……」

 

 修の脳裏に、遊真が持つ強力なトリガーのことが浮かぶ。遊真ならきっと、警戒区域でバムスターをたやすく葬り去ったように、モールモッドだって倒せるのだろう。だが、彼は近界民(ネイバー)だ。ボーダーの管理下ではないトリガーを、そう易々と使わせるわけにはいかない。

 だが、それ以上に。まず、何よりも。

 

「勝ち目が薄いからって、逃げるわけにはいかない!」

 

 ちょうど、校舎の二階部分で生徒の悲鳴が聞こえた。窓ガラスが割れ砕け、モールモッドのブレードが突き出す。修は震える右手を抑え込むようにレイガストを握り、校舎に向かって駆け出した。

 遊真はぽりぽりと頭を掻きながら、その場で修を見送る。

 

『いいのか、ユーマ』

 

 その傍らに、いつの間に出現したのか、黒い物体が浮かんでいた。その外見は、ウサギっぽい耳が生えた黒い炊飯器、とでもいうべきか。ともかく、その物体は遊真に話しかけていた。

 

『さっきの女子生徒はともかく、オサムにモールモッドの相手は荷が重いだろう』

「うーん……そうだよな」

 

 遊真は腕組みをして、うんうんと頷いた。

 その間に修はトリオン体の運動能力を存分に発揮し、二階の窓から校舎内に飛び込んでいた。狭い場所ならモールモッドはブレードを振り回せないという読みだろうが、それは甘い。全トリオン兵の中でもトップレベルの硬度と切れ味を誇るモールモッドのブレードなら、壁自体を切り裂きながら振り回すことだってできる。

 更に追い打ちをかけるように、もう一体のモールモッドが、修からは死角になる方向から、校舎の壁をよじ登っているのが見えた。このままでは修は、狭い室内で挟み撃ちに遭うことになる。もちろん、修のレイガストには、壁をぶち抜くような攻撃力は期待できない。

 

「おれは助けに行くべきか、レプリカ」

『それを決めるのは、ユーマ自身だ』

 

 レプリカと呼ばれた宙に浮く炊飯器の、短くも的確な返答。

 

「……オサムとの約束を守りながら、あいつらを殺し切る方法、か」

 

 遊真は腕組みを解いて、にやりと笑った。

 

「よし、やろうか」

 

 

 

 

 

 

 ……イメージは、完璧だったのです。

 ブレードを振り上げるトリオン兵にトリガーホルダーを突きつけ、カッコよくトリガー起動(オン)。初手からシールドを展開し、まずは身を守る。迫る眠気を我慢して「C級隊員向けレイガストの使い方講座(特別講師:鬼怒田開発室長)」に参加し、シールドモードの使用方法を身に付けたのはこの時のためです。

 しかし、なぜでしょう。

 

「トリガふっ!?」

 

 畜生、また噛みました。我が制服ブレザーの左ポケットに収まったトリガーホルダーは、何に引っかかっているのかまったく取り出せません。

 三雲先輩の冷や汗なんて比べ物にならない量の汗がだらだらと顔面を流れ落ちた気がしましたが、私の鉄面皮は幸い何も変化なし。その代わりではないでしょうが、手汗が倍プッシュです。ぬめります。ますます、取り出せません。左ポケットに右手を突っ込むからいけないのでしょうか。いやでも私右利きですし。そもそもトリガーホルダーを左ポケットに入れたのが間違いだったのでしょう。

 嗚呼、ブレードが迫る。トリオン体への換装すらまだ終わっていない私はつまり、生身であのブレードを受けるということ。今から一秒後には、赤城ヤト(右)と赤城ヤト(左)の完成です。リアルに迫る死神の鎌を目の前にして、私は生きることを諦め――

 

(――る、もんかああああああああああッ!)

 

 と、心のままに叫べたならば私も少年漫画の主人公になれたのでしょうが、それができないからこその私です。しかし心中の絶叫に効果がまるでなかったわけではなく、手汗で滑るばかりだったトリガーホルダーが、ぎゅっと私の手に収まったのです。

 

「オンッ!」

 

 ほとんど吐き出した息だけ、といった擦れた声で私は言います。ポケットの中でトリガーが起動、制服のポケットは破れますが、そんなことは気にしていられません。トリオン体への換装すらままならないままにレイガストの刃が噴出し、女子中学生の細腕には支えられない超重量が私の体を傾けます(・・・・)

 

(――〝強化平衡感覚(バランサー)〟っ!)

 

 身体が、勝手に動きます。レイガストの切っ先が重さに引きずられ地面をこすり、その負荷を逃がそうと左足が踏み出されます。その一歩によりレイガストは振り子運動、私の腰を捩じ切るつもりかというような勢いで、左下から右上へ、凄まじい勢いの斬り上げが繰り出されます。

 もしこれが空振りに終われば、生身の私はレイガストの振り子運動に腰を捩じ切られ、赤城ヤト(上)と赤城ヤト(下)に引き千切られるところでしたが、

 

「当たっ……た……?」

 

 振り上げた私のレイガストは、トリオン兵の下顎を断ち切りました。そして口の奥にある不気味な「目玉(コア)」の中ほどまで、その分厚い刃を喰い込ませていたのです。……ってアレ? 確か「目玉」ってトリオン兵共通の弱点で……

 

(……もしかして、私……倒しちゃいました……?)

 

 コアが色を失い、トリオン兵が止まります。まさかの一撃で、まさかの一体撃破。なんという戦果でしょう。

 しかし私も危機一髪。トリオン兵が振り下ろした鋭利なブレードは、私の平坦な胸板の僅か2ミリ前を通過し、グラウンドの土を深々と切り裂いていたのです。もし私の発育具合が、もう少し女性らしかったら。きっとその部分(・・・・)を斬り落とされていたことでしょう。ひぃっ、想像しただけで寒気が……

 一拍遅れて、私の身体がトリオン体に変換されていきます。本部での訓練と同じ腕力が戻ってきて、自分の身長とほぼ同じ大きさのレイガストでさえ、片手でほらこの通り、引き抜けます。

 レイガストを引き抜かれたトリオン兵は力なくずぅんとグラウンドに腹をつけて倒れました。ピクリとも動きません。

 初の実戦。命のやり取り。いや正確には、トリオン兵は機械人形のようなものらしいので、命はないのですが。それでも私は、あと2ミリの差で、死ぬところでした。死ぬようにしんどい模擬戦や訓練を何百回重ねても、私の胸の前を通り過ぎたブレードの一振りの冷たさには、到底及ばないのです。

 動かなくなったトリオン兵を前にして、それを実感した私は、

 

(うっ……おぇっ!?)

 

 猛烈な吐き気に、襲われました。

 胃袋からせり上がってくる、不快な波。トリオン体には胃袋などないのに。ということは、これは私の精神が、心が、感じているもの。

 どうにかいつもの無表情で耐え抜きましたが、波は収まりそうにありません。第二波にはもう耐えられない。ふと気づけば、瓦礫から抜け出した三雲先輩の近くには、たぶん後輩であろう白髪の少年がいます。三雲先輩になら模擬戦後に疲れすぎてゲロった姿ぐらいならすでに見られているのでいいのですが、他の生徒にまで見られてしまえば私のあだ名は「規則違反暴走げろんちょチビ」に決定です。暗黒の中学校時代の幕開けです。いや、元からぼっちではあるのですが。

 

「……三雲先輩」

 

 収まらない吐き気を誤魔化しつつ、声の動揺で悟られないよう声量を押さえます。三雲先輩はとても頼りないメガネですが、時々とても頼れるメガネです。私が人前でげろんちょするかどうかという乙女の危機を、きっと感じ取ってくれるはず。

 

「……校舎の方、向いて……ください……お願い、ぅえっぷ、ですから……」

 

 ヤバい、第二波到来。気遣いとかじゃねぇ、今すぐトイレに! ここからならどこだ、グラウンドか! 運動部用の! きったねぇトイレですが仕方がありません。背に腹は代えられぬ。ゲロインの名をほしいままにするにわけにはおぅうぇえええ!

 大丈夫、まだ出てない。まだ口からは何も出ていません。まだ私はゲロインではございません!

 私は動かなくなったトリオン兵の脇を全速力で駆け抜け、一目散にグラウンドの運動部用トイレを目指すのでした。

 




☆アナザーワールドトリガーを百倍楽しむ講座☆

《独自設定》
 赤城ヤトの発育具合

 ワールドトリガー原作では、女性キャラはコミックス表紙裏などでバストサイズ・カップ数について言及されるのが常だが、ヤトの場合は言及が不可能である。(理由:ないものは測れない)


次回 アナザーワールドトリガー
第5話「三雲 修③」に――トリガー、起動(オン)






 次回はサブタイトルからしてもう、我が女神のご登場ですね。コミックス一巻の最後の方は木虎の木虎による木虎のためのページがたくさんで幸せでした。
「できますけど」木虎。シャッターチャンス木虎。ボーダー組織説明木虎。トリガー起動木虎。「私が始末するわ」木虎。そして裏表紙折り返しのカッコいいポーズ木虎。
 次回は木虎さまの魅力が読者の皆さまにも伝わるように頑張ります。
 感想・批評もお待ちしております。よろしくお願いします。



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第5話 「三雲 修③」

 五話にしてすでに恒例となりつつある予告詐欺。申し訳ありません。
 そして今回も、我が女神・木虎さまはちょっとしか出てきません。原作主人公のパワーってすごいですね。出番喰われちゃった(笑)

 そんな第五話です。どうぞご覧ください。



「イレギュラー(ゲート)……昨日からもう何件目だ」

「これで十一件目です、嵐山先輩」

「気が休まらないね」

 

 立ち並ぶ家々の屋根よりも高く跳躍し、地に足がつくや否や凄まじい速度で疾駆する。トリオン体の身体能力の限りを尽くして、真紅のジャージ姿が住宅地を駆け抜ける。ボーダー屈指の精鋭部隊、A級5位・嵐山隊は急いでいた。

 昨日から頻発し出した、〝イレギュラー門〟によるトリオン兵の侵攻。今までの十件はすべて非番の隊員が近くにいたため事なきを得てきたが、今度の〝(ゲート)〟は本部から若干距離のある――嵐山の弟妹も通っている、中学校に開いた。

 家族を守るためにボーダーに入った、と公言する嵐山である。その表情には、隠しきれない焦りが滲んでいた。

 

『ラッシーくん。焦りは禁物だよ』

 

 そんな嵐山の心中を見透かしたかのようなタイミングの、体内通信。ハスキーな、大人の女性の声。人が良い嵐山ではあるが、彼をそんなふざけたあだ名で呼べる人間などそうはいない。嵐山は全速で走りながら、ちらりと後ろを振り返った。

 住宅街の広くない道幅を大柄な車体でほぼいっぱいにして突っ走る、一台のジープ。角ばったデザインのボンネットには、ボーダーのシンボルマークがでかでかと刻印されている。開け放たれた天窓から上半身を乗り出し、白衣の裾をはためかせる美女が一人、跳躍する嵐山を見上げていた。

 

『しかしまあ、トリオン兵はできるだけ原形を留めて行動不能にしてくれるかい。調査がしやすいからね』

「努力しますよ、志摩さん」

『ふふっ、それで上々だよ。――ところで』

 

 白衣の美女は、中性的な整った顔立ちに、妖艶な笑みを浮かべた。そして、嵐山と体内通信を繋いだままにも関わらず、そんなことなど意識の外に投げ捨てたかのように、声色が甘ったるい猫なで声に変わる。

 

『ねぇキティ、なんでボクを無視するんだい? つれないじゃないかぁ』

 

 また始まったか。嵐山はげんなりと気力をそがれ、苦笑した。

 そのとなりで木虎は、きゅっと唇を真一文字に引き締めて、顔が真っ赤に茹で上がりそうになるのを堪えていた。

 

『キティ? 聞いているのかい、キティ? ひどいなあ、ボクとキミとの仲だろう、キティ?』

「ぐ、ぬぬ……っ!」

 

 必死で無視する木虎、耳まで真っ赤である。

 ボーダー開発室きっての才媛にして変人、残念美人の副室長。人呼んで〝奇才(マジシャン)〟志摩いつき。

 B級時代の、今より少し刺々しく、そしてトリオン量不足で悩んでいた木虎を救ったのが、彼女だった。しかし――

 

(本当に志摩さんは、あだ名のセンスさえまともだったらなあ)

 

 この二人の関係を知る嵐山としては、苦笑いでこの場をやり過ごすしかない。

 

「目標地点、視認したよ」

 

 そんな空気をまるで無視して、時枝が冷静に告げた。彼もまた、B級時代の木虎と志摩のことを知る一人。ちなみに時枝を「とっきー」と呼び始めたのも、志摩である。

 だが今は、そんなことより。嵐山は意識を切り替え、愛用の突撃銃(アサルトライフル)型トリガーを起動した。弾種は〝アステロイド〟を選択。想定される戦闘領域は学校だ。一般生徒の避難が完了しているとは思えないし、志摩のジープもいる。〝メテオラ〟による爆撃は避けるべきだろう。

 

(副、佐補……無事でいてくれよ……!)

 

 愛する弟妹の無事を祈りながら、嵐山は大きく跳躍した。

 

 

 

 

 

 

「おっ……うぇええぇぇぇぇ……」

 

 私の口から流れ出す、キラキラと美しい液体。どうぞご安心を、これはよだれです。

 いや、トリオン体になれば胃袋も何もないのに何を吐くのだろうと思っていたのですが。これは液体のトリオンなのでしょうか。トイレに向かって背中を丸める私の口から垂れるのは、無色透明のよだれのようなモノです。若干ラメっぽい。どうやら、汚い絵面にはならずに済みました。

 赤城ヤト、無事、ゲロイン回避なのです。

 

「……三雲先輩」

 

 ふぅと一息、落ち着いてみれば気にかかるのは三雲先輩の安否。サイドエフェクトと幸運が重なって、私はトリオン兵を撃破できましたが、本来アレはC級の訓練生が対処できる相手ではありません。それが後二体、いたはずです。

 私は意外と綺麗だった運動部用トイレから出て、数か所から灰色の煙を上げる校舎へ目を凝らします。

 すると、

 

「あれ……先輩、じゃない……?」

 

 割れた窓やぶち抜かれた壁から見え隠れするのは、トリオン兵の灰色の甲殻。そして、真っ黒いジャージ姿の白髪頭。メガネはなし。三雲先輩ではありません。

 

「隣にいた後輩くん……?」

 

 私の視力は両目ともに2.0ですし、今の私はトリオン体なので動体視力も大幅に向上しています。見間違えではないでしょう。

 小柄な黒ジャージの白髪頭は、模擬戦での三雲先輩の何倍も素早い身のこなしで、トリオン兵を翻弄します。後輩君、ボーダー隊員だったのでしょうか。あんなハイレベルな高機動戦闘、A級ランク戦の記録映像でしか見たことがありません。三雲先輩に、A級の知り合いがいるとは思えませんが。

 私がそんなことを考えている間に、白髪の後輩くんは目にも鮮やかにトリオン兵のブレードと切り結び、切り払い、壁や天井すら足場にして跳ね回ります。そして、すれ違いざまの一閃。レイガストにしては小振りなブレードが、恐らく「目玉(コア)」を切り裂いたのでしょう。トリオン兵はぐらりと足元から崩れ、半壊した校舎の壁をさらに壊しながら、グラウンドに落下します。

 あ、三雲先輩がいました。生身で、制服姿です。すでに変身が解けているということは、やはりあのトリオン兵は、C級隊員には荷が重すぎる相手だったのでしょう。しかし三雲先輩、そんな生身の状態で、逃げ遅れたらしい一般の女子生徒に肩を貸して階段の方へと逃がしています。もう一体のトリオン兵が、すぐそばに迫ってきているというのに。変身していても、まったく歯が立たなかっただろうに。なんと漢気溢れる行動でしょうか。どうやら今の三雲先輩は、頼れるメガネらしいです。

 

(助けに、行かないと……!)

 

 三雲先輩には、模擬戦でけっこうな量のポイントを稼がせていただいた恩もあります。先輩が声をかけてくれなかったら、私の模擬戦ロビーでの放置プレイは今も続いていたことでしょう。

 三雲先輩を、死なせるわけにはいきません。

 私は、刀身を消し休止状態(スリープモード)にしていたレイガストを、今度こそシールドモードで再起動(リブート)。形状はオシャレに不等辺七角形にしてみました。某錬金術師が錬成陣に描いていたアレです。さすがはやや大振りな私のレイガスト、シールドモードでも結構な重量を誇ります。私の細腕にずっしりくるこの重みが頑丈さを表しているかのようで、とても心強いです。私は身を守る手段を得てちょっとだけ強気になりながら、校舎の方へと駆け出し

 

「ピギャ」

 

 うふぉぇあ何か踏んだっ!?

 驚き小ジャンプした私は、思わずレイガストを取り落とします。不等辺七角形のシールドの、鋭角になった下の角が、私が踏みつけてしまった何かにズブリと突き刺さりました。 

 

「ムギュッ……ガ、ガガッ……ピ……」

 

 それは、軽く火花を散らして活動を停止。やたらと角ばったデザインのお掃除ロボットに見える小型機械ですが、一体なんだコレ。そしてなぜにこんな場所に。私は刺さってしまったレイガストシールドをうんしょと引き抜き、ソレをしげしげと眺めます。

 

(……育ち過ぎた、ミドリガメ……?)

 

 色や全体的な造形センス、そして目玉のようなパーツこそトリオン兵っぽいですが、サイズとしては用水路とかで保護されて人間の身勝手さを警告してくれる育ち過ぎたミシシッピアカミミガメ程度のモノ。腹から生えた昆虫風味の六本脚が、実に気持ち悪いです。

 ……いえ、現実逃避はやめましょう。どうみてもコレ、小型のトリオン兵です。背中にクリスタル状のパーツが埋め込まれているのは初めて見ますが、コイツは間違いなくトリオン兵です。

 赤城ヤト、本日二体目の撃破です。決まり手(フィニッシュブロー)は盾の角。

 

(座学でも、聞いたことのないタイプですが……)

 

 ボーダーでの訓練には、当然、トリオン兵についてのお勉強も含まれます。常に睡魔に襲われながら講義を聞くことになる私ですので、ちょうどこの小型トリオン兵の説明の時に睡眠学習に勤しんでいた可能性もなくはないのですが。

 ともかく。取り敢えずコイツは無害なようです。後でボーダー本部に報告するとして、三雲先輩を助けに行かないと。トリオン兵の相手はあの白髪おチビの後輩くんに任せるとしても、避難誘導の真似事ぐらいは私にもできるハズです。

 私はレイガストを右手に構え直し、灰色の噴煙立ち昇る校舎へと小走りに向かうのでした。

 

 

 

 

 

 

 三雲修は、悔やんでいた。

 自分のトリガーを使用して、モールモッドを手玉に取る遊真。自分のレイガストで、訓練用トリガーで。ここまで結果に差が出るものか。

 遊真に襲い掛かるモールモッドのブレードは、今や前足の二本に加えて六本の副腕までもが展開し、修の目にはその動きを追うのがやっとだ。回避運動など出来る気がしない。しかし遊真は縦横無尽なブレードの嵐を、時に飛び跳ね時に潜り抜け、受け太刀や受け流しを駆使しながら、身を躱し続けている。

 そして、隙を見て一斬。コアを両断されたモールモッドは、半壊した校舎の壁から転げ落ちていった。

 

(訓練用トリガーで、こんなにも……!)

 

 修は遊真の実力に感嘆するとともに、自身の実力不足を悔やんだ。

だが今は、悔やんでいる場合ではない。戦闘体を失った自分にできることは、一人でも多くの一般生徒たちをシェルターまで避難させること。修は自分にそう言い聞かせ、悲鳴の聞こえる方へと走った。

 

「オサム、そっちは!」

「えっ?」

 

 遊真が叫ぶのと、修の目の前の壁が吹き飛んだのは、ほぼ同時だった。

 教室を突き破って現れたモールモッドが、無機質な目玉でぎょろりと修を睨みつける。しかし修の目は、モールモッドの後方、黒板の前にへたり込んで震えている、一人の女子生徒に向けられていた。

 

「い……一之瀬っ!?」

「み……くも、くん……っ」

 

 修のクラスメイト、一之瀬。いつもはクールで落ち着いた表情の彼女だが、トレードマークの二つ括りの髪は片方がほどけ、少し細めの目には涙を浮かべている。モールモッドから距離を取ろうと必死に足掻いているのだが、腰が抜けているのか立ち上がれそうにない。そして、彼女のスカートはぐっしょりと濡れている――恐怖から、失禁してしまったらしい。

 

「逃げ遅れたのか! 今、助けに行くっ!」

「三雲くんうしろっ!」

 

 鈍く光るブレードが、教室の扉だったものを真っ二つに切り裂いた。生身の身体能力で避けることができたのは、単なる幸運だった。あと一瞬でも床に転がるのが遅ければ、両断されていたのは修の身体だった。修は全身を強く打ちながらもなんとか立ち上がり、教室へと駆け込んだ。その直前、教室内の一之瀬からは見えない角度から、遊真がモールモッドに切りかかった。ブレードとレイガストがぶつかり合い、弾け飛ぶトリオンの欠片が閃く。修は遊真に感謝しつつ、一之瀬に駆け寄った。

 

「大丈夫か、一之瀬。歩けないなら肩を貸す、シェルターまで頑張れ!」

 

 修は手を差し伸べるが、一之瀬は頬を赤くして躊躇した。修から視線を逸らし、自分の濡れたスカートを気にしている。

 

「あ、ありがとう……で、でも、私、その……きたない、よ……」

「大丈夫だ、ぼくは何も見ていない(・・・・・・・)

 

 そう言いながら修はブレザーを脱ぎ、一之瀬の腰に袖を巻き付けて縛った。濡れたスカートを覆い隠す形だ。

 

「……っ!?」

 

 一之瀬の頬が、一層鮮やかな朱に染まった。

 

「さあ、掴まって。階段を降りよう」

「う……うんっ」

 

 どうやら一之瀬は足も挫いていたらしく、修は一之瀬の肩を抱きかかえるようにして歩いた。背後では、遊真の刃毀れした訓練用レイガストと、全ブレードを解放したモールモッドとが激しく切り結んでいる。一本、モールモッドの腕が飛んだ。遊真が優勢のようだ。

 

(空閑、この場は頼む……!)

(りょーかい、オサム)

 

 一瞬だけ目が合って、たぶん気持ちは通じたはずだと、修は感じた。遊真はモールモッドの副腕をもう一本斬り飛ばし、一之瀬から見えない方へと回り込んだ。モールドモッドもそれを追い、修たちに完全に背を向ける。

 

(空閑……この後のことまで考えながら戦って……)

 

 近界民(ネイバー)であることがバレれば、どうなるかわからない。トリガーを使うな。自分と交わした言葉をちゃんと覚えていたらしい。修は遊真の誠実さに感謝しつつ、一之瀬に肩を貸しながら階段を下りた。

 

 

 

 

 

 

 ようやく校舎前にたどり着いた私の頭上に、腕が降ってきました。ブレード付きの。

 

「ひぎぃっ!?」

 

 ガィィン!

 金属質な音がして、咄嗟に掲げたレイガストシールドがブレードを弾いてくれました。シールドに感謝。今日も私は生きています。

 どうやら白髪の後輩くんが、トリオン兵の鎌腕を切断したようです。校舎三階の激闘も、後輩くんの有利で進んでいるのでしょう。このまま私の出番なくボーダーの迎撃部隊が到着してくれればよかったのですがそんなにうまくなんていきませんよねハイ。

 

「あかぎやと、危ないぞ」

「ぬわひっ!?」

 

 おそらく白髪おチビ後輩であろう少年の声(ボーイソプラノ)、それと共に降ってくる瓦礫と傷だらけのトリオン兵。乗用車ほどもある巨体の落下、シールドで防げるレベルではありません。私は全身全霊のヘッドスライディングで緊急回避です。ゲームなら何フレームかの無敵時間があるものですが、現実にはそんなことなどあるはずもなく。何とか下敷きぺしゃんこだけは避けたものの、飛び散った瓦礫の破片が容赦なく、散弾のように私を打ちます。

 

(あ痛だだだだ!)

 

 かなり緩和されてはいますが、トリオン体にも痛覚はあります。私はぐっと唇に力を入れ、悲鳴を我慢します。そして私の〝強化平衡感覚(バランサー)〟が勝手に発動、ややみっともないヘッドスライディング状態から、レイガストシールドで地面を叩き、その反動でくるりと身を捻って片膝立ちの姿勢に。

 見れば目の前には、全身を滅多切りにされたトリオン兵が、ピクリとも動かずひっくり返っています。コアにも深い刀傷が一筋。これが致命傷となったようです。

 

「ふむふむ。やっぱり体術がスゴイな、あかぎやと」

 

 そして気づけば私の傍らには、その致命傷を刻んだ張本人、黒いジャージ姿の白髪おチビ後輩が。目と口を「三」と「3」にして、何やら一人で納得しています。

 

「…………」

 

 私としては、これは体術などという大層なモノではなく、偶然授かったサイドエフェクトによるものだと説明をしたかったのですが。口下手な私としては言葉を探す間、相手を見つめることしかできないわけでして。

 

「おまけに、死にかけたのにこの落ち着き。度胸もあるな」

 

 言いながら後輩くんはレイガストを解除し、特注品っぽい黒いジャージから制服のブレザー姿に変身していきます。

 しかし、嗚呼。毎度おなじみの勘違いパターン。きっとこの後輩くんも、私がただコミュ障で黙り込んでいるのを、睨みつけているとでも思ったのでしょう。この眼つきが、目の下のクマが恨めしい。今、私のこのチキン心臓(ハート)はけっこうな勢いでバクバク鳴っています。

 私はせめて自分がそんな大物ではないことをわかってもらおうとしたのですが、

 

「……落ち着いて、など……私は、これで……精一杯、ですが」

「――ふぅん。ウソは言ってないな(・・・・・・・・・)。無傷でモールモッドを一撃必殺してたっていうのに、謙虚なんだな。あかぎやと」

 

 後輩くんは私に向けて、びしっと親指を立てます。はてさて、これはわかってもらえたのやら。

 取り敢えず学校を襲ったトリオン兵はこれで最後のようなので、私も戦闘体を解除します。白いC級ジャージから、ポケットの破れた制服ブレザーへ。まずい、このポケットどうしましょう。私に裁縫スキルなどないのですが。対人スキルと同じぐらい、手先が不器用な私なのです。

 と、まあ、そのようなことを考えていると、地上での騒ぎが収まったことを感じ取ったのか、地下シェルターから出てきたらしい人影が、グラウンドや校舎の向こうにちらほらと。

 

「……これはまずいな。オサムとの約束が」

「三雲先輩との……?」

 

 後輩くんは、白髪頭をぽりぽりと掻きます。そして思案すること数秒、「三」の目をこちらに向け、何かを思いついたようにポンと手を叩きました。

 

「あかぎやと、オサムと友達なんだよな。ちょっと協力してくれないか。オサムやあかぎやとのためにもなることだから」

「え……あ、は、はい……」

 

 戦闘中とは打って変わって、人畜無害そうな後輩くんの微笑み。私は頼み事の内容も聞かずに、承諾してしまうのでした。




☆アナザーワールドトリガーを百倍楽しむ講座☆

《登場人物紹介》
・一之瀬 真由(いちのせ まゆ)
性別     :女
年齢     :14才
身長     :156㎝
血液型    :A型
誕生日    :2月20日
星座     :みつばち座
職業     :中学生
好きなもの  :体を動かすこと、シーザーサラダ、おじいちゃん、おばあちゃん

 修のクラスメイト。花も恥じらう14才。こう見えて運動部。
 モールモッドの襲撃に遭い恐怖のあまり恥ずかしい失敗をしてしまうが、原作主人公・できるメガネくんに優しくフォローされて、青春真っただ中の乙女心はあえなく陥落。頬を染める。
 今後も登場予定だが、彼女の恋路が実る予定はない。現実は非情である。




次回 アナザーワールドトリガー
第6話「木虎 藍」に――トリガー、起動(オン)





 赤面する木虎たまに始まり、主人公のげろんちょ、そして女子中学生のおもらしという実に充実した(?)内容の今回でしたが、いかがでしたでしょうか。原作主人公は無自覚ハーレムの形成に向けて動き出しました。このメガネ、できるメガネだ。次回こそ木虎さまにご活躍していただきたいものです。

 拙作への評価を何名かの方から頂いておりますが、感謝の極みです。励みになります! 感想・批評もお待ちしております。今後とも拙作をよろしくお願いします。
 




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第6話 「木虎 藍」

 どうもこんばんは。亀川です。

 ついに来ました。この時が。
 いえ「狙撃手界に新たな風が」ではありません。倒置法ですが。

 ついに拙作に、我が女神・木虎さまがご降臨です。
 宙を舞う赤ジャージ、敵を切り裂く脚部スコーピオン。
 ワートリ随一の全領域戦乙女(オールラウンダー)にして高飛車系女神(アルテミス)、木虎藍さまの活躍をどうぞご覧ください。






※なお、愛ゆえのキャラ崩壊が若干含まれています。悪しからずご了承くださいませ。


「あ! 出てきたぞ!」

 

 男子生徒の声に、シェルターから出てきた生徒たちの視線が一点に向いた。もうもうと立ち込める土煙の切れ間から、人影が現れる。

 

「三雲くんっ!」

 

 擦り傷だらけの三雲修と、その腕に肩を抱かれた一之瀬真由。二人の姿を見て、修のクラスメイト達数名が駆け出した。

 

「三雲くん、真由、ケガはない? 大丈夫?」

 

 真っ先に駆け寄ってきたのは、真由の親友・二ツ木だ。いつもは活発で勝気な瞳に涙を浮かべ、修と真由の顔を交互に覗き込む。

 

「二ツ木、ぼくは平気だ。一之瀬を頼む」

 

 憔悴しきった笑顔で、二ツ木に頷いて見せる一之瀬。その腰に修のブレザーが巻いてあるのを見て、事情を察したのだろう。二ツ木は一之瀬の肩を優しく抱き「真由、行こう」とシェルターの方へと連れて行った。入れ替わりに、修の友人二人がやってくる。

 

「ありがとうな、三雲。お前が時間を稼いでくれたから、みんな避難できたよ」

「っていうか修、おまえボーダーだったのかよ! ちっくしょー、羨ましいぜ!」

 

 ポンと修の肩に手を置く、四ツ谷。少々騒がしく修の背をバンバンと叩く三好。やや遅れて、他のクラスメイト達も集まり、修の周りに人だかりができる。皆興奮した様子で感謝や質問を次々と口にするので、修は対応に困り、額に汗を浮かべてしどろもどろになってしまった。

 

「ありがとう、三雲くん!」「いつからボーダーだったの?」「あいつらはもう出てこないのか?」「助かったぜ、三雲ぉ!」「か、カッコよかったです、先輩っ」「なんで警戒区域外にトリオン兵が出たんだよ!」「私、本当に殺されそうだったの! かばってくれてありがとう!」「他のボーダー隊員は来ないのか!?」

 

「ちょ、ちょっと待って。確かにぼくはボーダーだけど、まだ訓練中の……」

「あ! おい、また出てきたぞ!」

 

 再び、校舎の方に注目が集まる。土煙の向こうから、人間二人分のシルエットが少しずつ近づいてくる……やけに小さいシルエットが。

 

「もう一人戦っていた女の子がいただろ、あの子じゃないか?」

「ああ、あのちっちゃい子! ボーダーのジャージだったよな、三雲の仲間か?」

 

 修がその質問に応えようとした、その時。季節外れのつむじ風がざあっと土煙を吹き払った。そして、そこに現れたのは――

 

「ひっ!?」

 

 ある女子生徒が、短く悲鳴を上げた。

 ――そこに、現れたのは。鬼のような眼つきで真っ直ぐに前を見据え、白髪の男子生徒を背負った赤城ヤト。歩きにくそうな瓦礫だらけの地面を踏み締めるその歩みは、微塵も揺らぐことがない。

 修を取り囲んでいた群衆の熱が一気に引いて、何とも言えない緊張感に場が支配される。ヤトは自然と開けた道の真ん中を無言で数歩進み、そしてどさりと無造作に、男子生徒を地面に降ろした。白髪の男子生徒は、ぐったりとして動かない。よほど怖い目に遭ったのだろう。気絶しているようだ。

 

「あちらの、敵は……全滅させた、です……」

 

 言葉遣いこそ丁寧語だが、口調に抑揚はなく淡々と。言い終わったその口元には、ニヤリと、野獣のような笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

「……こ、これで……良いの……ですか、空閑先輩」

 

 不安です。不安しかありません。周りの視線が少々、優しさに欠ける気がするのは気のせいでしょうか。一応私、モールモッドを三体撃破(という設定)して、逃げ遅れた(という設定)空閑先輩を助け出してきた、有能なるボーダー隊員(という設定)なのですが。しかしそんな不安だらけの私だけに聞こえるように、気絶したフリを続ける空閑先輩は言います。

 

「ばっちりだ、ヤト。なあ、レプリカ?」

 

 空閑先輩の襟もとから、うにょんとケーブルのようなものが出てきました。もちろん、周りからは見えないようにほんのちょこっとだけ。

 

『第一印象はやや不安だが、必要条件は満たしているだろう』

 

 ケーブルの先端にはちょっとしたゆるキャラのような顔があり、その顔には似合わぬ落ち着いた男性の声が聞こえてきます。

 

『ヤトがモールモッドを撃破し、逃げ遅れたユーマを救出した。そう受け取られているはずだ』

 

 彼は自律式トリオン兵のレプリカ氏。彼自身の自己紹介の言葉を借りるなら、『ユーマのお目付け役だ』とのこと。突然レプリカ氏が空閑先輩の指輪から現れたときは、そりゃもう度肝を抜かれましたが、話してみると常識人で、けっこう年上の落ち着いた人格者といった印象でした。三雲先輩との約束を守るのに協力することと引き換えに、空閑先輩が近界民(ネイバー)であることと、レプリカ氏の存在を教えてもらった形です。結構重大な秘密だと思うのですが、「オサムの友達なら大丈夫だ」とも言っていました。さすがは三雲先輩、できるメガネです。まさかすでに近界民(ネイバー)とも仲良くなっていたとは。未だに三雲先輩以外のボーダー友達がいない私とは大違いです。

 

「ヤト! 空閑も! 大丈夫だったのか」

 

 周囲の冷たい空気もものともせず、できるメガネ先輩は私達の身を案じてくれました。三雲先輩は空閑先輩を助け起こし、軽く揺さぶります。

 

「空閑、大丈夫か……大丈夫だろうけど。敵はもういないんだな?」

 

 台詞の後半は、私たちにしか聞こえない程度の小声です。空閑先輩は親指をびっと立てて微笑んで見せました。その襟元からレプリカ氏がうにょんと顔を出し、小声で答えます。

 

『もう敵はいないが、高いトリオン反応が複数接近している。おそらく、ボーダーの部隊だろう』

 

 レプリカ氏の言葉とほぼ同時、学校の高い塀を軽々と飛び越えて、三つの人影がグラウンドに着地しました。お揃いの赤いジャージに、少しずつデザインの違う銃型トリガー。

 

「嵐山隊だ……!」

「ほほう。あらしやま隊」

 

 もう気絶の演技はいらないと思ったのか、空閑先輩はむくりと起き上がります。

周囲の中学生諸君が、ざわついています。女子生徒の何名かは口元に手をあて「きゃっ」と可愛らしく叫びました。

 

「これは……もう終わってる!? どうなっているんだ……!?」

 

 緊急出動してきてみれば、目の前には滅多切りにされたトリオン兵の残骸。驚く表情すら実に男前なのは、A級五位・嵐山隊の隊長にして名実ともにボーダーの顔、嵐山准先輩です。中学生女子たちの視線はボーダーの誇る男前・嵐山先輩にくぎ付けのご様子。まあ私は、ボーダーでも何度かお目にかかっているので「きゃっ」なんて言って喜ぶほどではありませんが。

 そしてその横に控え、凛とした立ち姿を披露してくださる我が女神。

 

「嵐山隊、現着しました」

 

 木虎お姉さまああああああああああああああああああああああああああああああ!!

 

 可憐さと精悍さを併せ持つ涼しげな瞳で周囲を油断なく見まわしつつ、体内通信で本部と連絡を取る木虎さま。その耳元を指先で抑える仕草すら尊く麗しく。赤いジャージの胸元を窮屈そうに押し上げるあの膨らみに飛び込んでみたいと思うのは私だけでせうか。いいえ、だれでも。

 ……失礼、久しぶりの我が女神との遭遇に少々テンションが。

 しかし私もわかってはいるのです。私が一方的に木虎お姉さまを慕っているだけで、木虎お姉さまにとっては、私など所詮はただの入隊初日医務室直行小娘に過ぎないのです。ボーダーの広報任務にも引っ張りだこの木虎お姉さまとは、入隊から今日までの数ヶ月、何度か本部内でお見かけしただけで、言葉を交わすこともありませんでした。よって、お姉さまが私のようなちんちくりんを覚えていてくださるはずも

 

「……っ!」

 

 目が合ったアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!

 

 ダイヤモンドにも勝る麗しき輝きを宿す女神の瞳が、今、バッチリと私を捉えて見開かれました。あの表情は驚きでしょうか。目を見開いた木虎お姉さまもまた可憐です。一瞬にして心拍数が急上昇する私ですが……あれ、木虎お姉さまの表情が……?

 

「あなたっ……!」

 

 形の良い両眉の間にぎゅっとしわが寄せられ、睨むような表情に。お姉さまにそんな目で見下されたらそれはそれで、などと考える私の方へ、木虎お姉さまはツカツカと歩み寄ってきます。

 

「赤城さん、あなたC級隊員でしょう! なんでトリガーを使っ」

「危ないよキティ」

「てへぶあっ!?」

 

 ぅお姉さまああああああああああああっ!?

 

 突然の交通事故!? 横っ面から突っ込んできた大型ジープが、木虎お姉さまを撥ね飛ばしました!? 名前覚えててくれたんだ嬉しい! 嗚呼っ、木虎お姉さまがギャグ漫画みたいに校舎の壁に、壁にめりこみっ!? っていうかキティって!? いやまずあのジープと白衣の女性だれっ!? それから時枝先輩、冷静に負傷者確認してる場合じゃっ!? 負傷者ゼロとか、いやそれはそれで大事ですが! なのですが!

 

「……志摩さん、いくらトリオン体だからって」

「はっはっはー。すまないね、ラッシー君。このジープは少しばかりジャジャ馬らしい。大丈夫かいキティ?」

「っぷはあっ! い、いつきさんっ! あなたって人は本当にっ!」

 

 あ、木虎お姉さまがめりこみから脱出しました。人前でこんな姿をさらしてしまったことを恥じているのでしょうか、顔を真っ赤にしています。志摩さんというらしい眼鏡に白衣のお姉さんに、噛みつかんばかりに犬歯を剥き出しにして怒っていますが……そんな木虎お姉さまも、正直、可愛いです。

 嵐山先輩はそんなやり取りにはもう慣れっこなのでしょうか、ぽりぽりと頭を掻きながら、私の方に近づいてきました。

 

「そのジャージ、君はC級隊員だね。トリオン兵を倒したのは、君かい?」

 

 はい、と言いかけて言葉に詰まります。

 C級隊員による、基地施設外でのトリガー無断使用。完全に、確実に、隊務規定違反。厳罰処分の対象事案です。身を守るためには仕方なかったとはいえ、それはこちらの事情。訓練生に過ぎないC級の私などは、一般市民と一緒に避難することに全力を尽くすべきだったのでしょう。嗚呼、トリオン兵撃破の功績と相殺・帳消しとかにならないものでしょうか。まだ、クビにはなりたくないなあ……

 

「待ってください」

 

 ……三雲先輩?

 いつものように、頬に冷や汗を一筋。まっすぐに嵐山先輩を見据えながら、三雲先輩が一歩前に出ました。

 

「きみは?」

「C級隊員の三雲修です。僕が最初にトリガーを使いました。一人では手が足りなかったので、彼女にもトリガーを使うように、ぼくが指示を出しました」

 

 三雲先輩は、さらに一歩前へ。私を背中に庇うようにして、嵐山先輩の前に出ます。

 

「他の隊員を待っていたら、間に合わないと思ったので……ぼくが、自分の判断でやりました。彼女は、ぼくの指示で動いただけです。ですが、トリオン兵を倒せたのは彼女のおかげです」

 

 厳罰処分のことは、三雲先輩もわかっているはず。空閑先輩のことを隠すためというのもあるのでしょうが、この言い方ではトリオン兵撃破の功績だけ私のもので、トリガー無断使用の責任は三雲先輩が被ることになってしまいます。そんなことになってしまっては、寝覚めが悪いというものです。私は「そうじゃない」と嵐山先輩に伝えようとしますが、なぜでしょう。

 三雲先輩の背中が、大きい。確かに私の矮躯に比べれば、ごく普通の男子生徒である三雲先輩の方が大きいのは当然です。でも、なんというか、そういうことではなくて……三雲先輩の両手は拳を握り、微かに震えています。

 

「ですから、責任はぼくが」

「そうだったのか! よくやってくれた!」

 

 春風のように爽やかな、嵐山先輩の笑顔。ぽんと三雲先輩の肩に手を置いて、その肩越しに私の顔も見ながら、嵐山先輩は言葉を続けました。

 

「君たちがいなかったら、犠牲者が出ていたかもしれない! うちの弟と妹も、この学校の生徒なんだ」

 

 言うが早いか、嵐山先輩はぐるりと後ろに振り返り、何十、何百とグラウンドに出てきていた一般生徒たちの中から、迷うことなく二人の生徒を見つけ出し、ぎゅーっと抱きしめ、愛情が大洪水を起こしているとしか思えない勢いで頬ずりを始めました。

 

「うお~~っ! 副ぅぅ! 佐補ぉぉ! 心配したぞぉ~~~~っ!!」

「うぎゃーっ! や、やめろよ兄ちゃーんっ!」

「は、恥ずかしいってばぁ、このバカ兄ぃ~~~~っ!」

 

 先刻までの非日常の反動か、嵐山の弟妹愛を見せつけられた中学生と教職員たちの間に、温かい笑いが起きました。

 

「ほめられたじゃん、オサム。ヤトも」

「……ああ」

「そ、そう……ですね……」

 

 遊真の言葉に、そう返すのが精一杯の私と三雲先輩なのでした。厳罰処分を覚悟していただけに、拍子抜けといいますか。真面目で清廉潔白な木虎お姉さまの前で隊務規定違反を白状しなければならないことに、私の卑小な肝っ玉は縮み上がっていたのですが。その木虎お姉さまは、白衣の志摩お姉さんと楽し気な口喧嘩(?)を続けています。ジープから降りてきたボーダー職員の皆様方が時枝先輩指揮の下テキパキと現場調査をする間、私達は、嵐山家のホームコメディを参観するしかないのです。

 まあ私は、顔を真っ赤にして志摩お姉さんと言い争う木虎お姉さまの御姿を楽しんでいるのですが。

 

「なんか、良いヤツっぽいなアラシヤマ」

「……嵐山隊は、特に優秀な部隊なんだ。ボーダーの顔として、テレビなんかにもよく出ている」

「入隊時の、オリエンテーションでも……お世話に、なりましたが……」

「ほう、てれび。それに、おりえんてーしょんか。なかなかやるな、アラシヤマ」

 

 わかっているのかいないのか、空閑先輩はお馴染みの「三」「3」「三」の顔でコクコクと頷いています。

 結局その場では、私たちに隊務規定違反についての処罰が下されるようなこともなく。モールモッド(と、一部は私や空閑先輩)がばら撒いた瓦礫を、ボーダー職員の方々と共にトリオン体の身体能力を駆使してお片付け。そして、放課後に私と三雲先輩の本部への出頭のため、木虎お姉さまがお迎えに来てくださるという幸せ過ぎる約束をして、解散となったのでした。

 

 

 

 

 

 

 ヤトや修たちが瓦礫の撤去作業をしているのと、同じ頃。木虎との口喧嘩(コミュニケーション)を存分に堪能し適当に逃げ出してきた志摩は、グラウンド端の屋外トイレの近くにいた。

 

「……おやおや、これはこれは」

 

 志摩はお気に入りのアンダーリムメガネをキラリと光らせ、それ(・・)を拾い上げる。

 全長は30センチ程度、カメの様な不等辺八角形の甲殻に、六本の昆虫タイプの脚部。初めて見るタイプの、小型のトリオン兵だ。

 背部甲殻の中央部に、クリスタル状の器官を確認。体格のわりには高密度なトリオン反応が検知されたが、それは全てこの器官に集中しているようだ。ざっくりと刃物で抉られたような傷があるが、その程度なら解析に支障はない。志摩特製のトリオン解析機(スキャナー)内蔵式メガネのレンズ上に、解析結果が次々とAR表示されていく。

 

「ふぅん、これは実に興味深い。お持ち帰りだな……♪」

 

 トリオン兵もだが、この傷も面白い。トリガーで物体を破壊すれば特有のトリオン反応が残るのだが、この反応はC級訓練生用のレイガストだ。それも、シールドモードの。シールドでトリオン兵の甲殻を貫くとは、奇妙な真似をするものだ。

 先ほど自分が戦ったと申告してきたメガネ男子くんのトリオン能力は、簡易スキャンした限りでは戦闘員になるにはギリギリの水準だった。となれば、このレイガストの持ち主は寝不足みたいな眼つきの女子だ。志摩は軽く肩を竦め、彼女をスキャンし逃したのを悔やんだ。

 

「ちっちゃくて可愛い子だったなあ。みわしゅーは身体イジらせてくれないし、きりりんは玉狛に行ったきりだし。キティはツンデレがひどいからなあ……そろそろ新しい子、手を出しちゃおうかな。はっはっはー」

 

 志摩は高らかに笑いながら、資料回収用ボックスに小型トリオン兵を放り込むのだった。

 そのトリオン兵が〝イレギュラー門〟の謎を解くカギになるとも、知らずに。

 

 




☆アナザーワールドトリガーを百倍楽しむ講座☆

《独自設定》

・原作との差異(C級隊員への情報開示、修とレプリカの出会い)

 原作では、「トリオン」の存在についてC級隊員にはほとんど知らされていない。コミックス一巻で、レプリカから「トリオン器官」について説明をうける修の様子からも、それはうかがえる。正式隊員になるまでは、トリオンやトリガーについてはほとんど知らされないのだろう。
 しかし本作では、ヤトが自分のサイドエフェクトを自覚していたり、修がレイガストのサイズ差から自分とヤトのトリオン量の差を推測していたりしている。原作の世界線よりも、ボーダーのC級隊員への情報開示は進んでいると思われる。
 また原作では、修とレプリカはモールモッドの学校襲撃の場面で初めて会話をしているが、本作ではそれよりも前の段階ですでに修はレプリカの存在を知っている。原作第一話に当たるバムスターの襲撃ではバムスターは一気に二体出現し、逃げながら戦う中で修はレプリカを知った、という設定である。
 本作の世界線では、近界からの玄界への侵攻が原作よりも激しい。C級への情報公開が進んでいるのも、緊急脱出(ベイルアウト)を持たないC級隊員が少しでも身を守れるようにとの配慮からであると推測できる。
 近界からの侵攻が激しい理由は、今後作中で明らかになっていく予定である。






 ……あるぇ!? いつのまにか我が女神がギャグマンガみたいにッ!?
 しかしそんな木虎さますら愛おしい。さすがA級隊員、ギャグでもエリート。
 次回は木虎さまによる華麗なるイルガー撃墜の予定です。木虎さまの魅力の何分の一でも表現できるように頑張ります。
 感想・批評もお待ちしております。今後も拙作をよろしくお願いします。


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第7話 「木虎 藍②」

 みなさんこんばんは。亀川です。
 アナザーワールドトリガー第7話、美しくも凛々しい我が女神・木虎さまのシャッターチャンス満載でお送りいたします。
 どうぞ妄想力を全開にしてご覧ください。きっと見えるハズ。遊真に言いくるめられる木虎さまの「ぐぬぬ」顔が。


 放課後。

 いつもなら、青春に時間を費やす部活生たちを横目にそそくさと退散する私ですが、今日ばかりはそういう訳にも行きません。

 

「すまない、待たせたなヤト」

「お待たせしてもうしわけない」

 

 小走りで下足室から出てくる三雲先輩と空閑先輩。

 昼間に近界民の襲撃があったというのに、さすがは高校受験を控えた三年生、授業や終礼はきっちり最後まで行われたようです。まあ私も、瓦礫撤去作業のお手伝いが終わってから、二年生の授業に合流したわけですが。……眠かった。寝不足からのバトルからの肉体労働からの日本史はきつかった。歴史ファン垂涎、激動の幕末期の授業はずなのに、睡魔が黒船の如く、なのです。

 兎も角。そんなこんなで下校のチャイムがBGMを奏でる中、私は二人の先輩方と合流したのでした。

 

「いえ。私も今来たトコ、です……が……く、空閑先輩も……ですか」

「おう? どうしたヤト。おれがなにか?」

「い、いえ……なな、何でも……」

 

 うう、やっぱり三雲先輩以外とはうまくしゃべれない……空閑先輩から目を逸らしてしまう私なのでした。

 空閑先輩、何か当たり前みたいな顔をして現れましたが、まさかボーダー本部までついてくるつもりでしょうか。隠しているとはいえ、近界民(ネイバー)がボーダー本部へ。今の空閑先輩は中三にしては幼い顔に、人畜無害そうなゆるい表情を浮かべていますが、正体がバレればどうなるかわかりません。

 

 なにせボーダーは基本的に、近界民(ネイバー)を殺して、この世界を守っているのですから。

 

「木虎は? 本部まで連行するって言っていたけど」

 

 三雲先輩はそんな危うい立場にいる空閑先輩をどうするつもりなのか、さして気にした様子もなくきょろきょろと辺りを見回しています。

 

「ええ。あそこ……ですが」

 

 私は、何やら人だかりの出来ている校門付近を指さします。

 三雲先輩が衝突して砕け散った門柱は、黄色いテープでぐるりと囲まれ、刑事ドラマの事件現場のよう。しかして、下校する中学生たちが注目しているのは規制線の内側ではありません。校則違反の携帯電話を鞄やポケットから平然と取り出してカメラを向けるのは、正門前通路のど真ん中に凛として立つ美の化身にして高貴なるA級エリート、木虎藍お姉さまです。

 

「あ、あのっ。ししし、写真っ、撮ってもいいですかっ!?」

「あー、悪いけどそういうのはやめてくれる? 写真なんて。正直迷惑なの、芸能人じゃあるまいし……」

 

 クールです。軽く手をかざしてクールに断りつつ、ちょっとしたポーズをとってシャッターチャンスを作ってくださる木虎お姉さま、最高にクールです。さすがはボーダーの顔、広報(アイドル)部隊の紅一点。数秒おきにポーズを変えて、自分を取り囲むカメラの一台一台に最適な角度で映るよう気を遣っています。しかしながら超ローアングルを狙って足元に滑り込んできた不逞の輩は、木虎お姉さまが通うお嬢さま学校指定のローファーで、微笑みながら踏みつけます。踏まれた相手がなぜか満足そうなのですが、私も激しく同意です。

 私も撮影会に参加したいのは山々なのですが、今の私は三雲先輩と共にボーダー本部まで連行される身。あまり調子に乗ったことしていては、お迎えに来てくださった木虎お姉さまの立場が悪くなってしまうかもしれません。私は二人の先輩と共に、てちてちと木虎お姉さまに歩み寄ります。

 

「……なにやってんだこいつ?」

「はっ!?」

 

 空閑先輩の何気ない一言に、木虎お姉さまの頬が朱に染まります。テレビでのツンと気高い姿とのギャップのせいでしょうか、三雲先輩はぽかーんと口を開けて立ち尽くしています。

 

「ご、ごほん。……待っていたわ。三雲くん。赤城さん」

 

 木虎お姉さまは咳ばらいを一つ、不機嫌そうに眉をしかめた表情を作り直して、私たちに相対しました。

 

「あらためて、名乗らせてもらうわ。私はボーダー本部所属、嵐山隊の木虎藍。あなたたちを本部基地まで連行するわ」

 

 

 

 

 

 

 十二月の風が冷たい河川敷を、私たちは徒歩でボーダー本部まで向かいます。

 私と三雲・空閑両先輩は普通の冬用制服ブレザーですが、木虎お姉さまは、これもはやりお嬢さま学校の指定なのでしょう、上品で暖かそうなコートに身を包んでいます。厚手のコートに、きっちりひざ丈の制服スカート。そして黒のハイソックス。

 お姉さま、完璧です。生粋の黒タイツ派の私、赤城ヤトですが、黒ハイソ派に心変わりしてしまいそうです。

 

「勘違いしないでほしいのだけど」

 

 はひぃすみませんごめんなさいっ!

 医務室で聞いた時よりも数段硬くて冷たい声色に、私の極小チキンハートはびくりと跳ね上がります。思考を読まれてしまったのでしょうか。まさか木虎お姉さま、〝読心術〟のサイドエフェクトを……!?

 

「私はあなたたちをエスコートしに来たわけじゃないわ。連行、という言葉の意味をよく考えることね」

 

 どうやら心を読まれた訳ではなさそうです。ほっと胸を撫で下ろす私。いや、木虎お姉さまと違って撫でるほどの胸はありませんが。比喩的表現というヤツです。

 

「見張られなくたって、逃げたりなんかしないよ」

 

 三雲先輩は、軽い感じで言います。医務室で私を介抱してくれた女神モード木虎さまであれば、慈愛に満ちた微笑みを返すところだったのでしょうが、今日の木虎お姉さまは、なにやらお疲れのご様子です。つっけんどんな口ぶりで三雲先輩に言い返します。

 

「簡単にルールを破る人間の言うことが信用できるほど、今のボーダーに余裕はないわ。ここ数日、〝イレギュラー(ゲート)〟の対応だけでどれだけ人手と時間を取られているか……挙句、C級隊員の隊務規定違反。頭が痛くなる一方よ」

「イレギュラー門って、そんなに開いているのか?」

「本当に何も知らないのね。C級なら仕方ないけど……昨日から、もう十一件よ。どれも非番の隊員が近くにいたから、今のところ犠牲者は出ていない。でもボーダーの情報管制もそろそろ限界、いつ一般市民にパニックが広がるか……もう時間の問題ね」

 

 青いため息をつき、軽く額に手をあてる木虎お姉さま。防衛任務にランク戦、後方任務に加えてイレギュラー門の対応も重なるとなれば、ただでさえ多忙なA級5位嵐山隊、お疲れになるのも無理はありません。もしパニックが起きれば、その鎮圧の最前線に向かわされるのも市民人気の高い嵐山隊なのでしょう。そんな中、規則違反のC級隊員の連行まで押し付けられては溜息の一つだってつきたくなるというものです。

 私は気の利いた労わりの言葉の一つも言おうとするのですが、

 

「ほう。大変なんだな、おまえ。それなら遅れたのも仕方ない」

 

 私の固有スキル〝コミュ障〟が発動。唇がもごもごしている間に、なぜかついて来た空閑先輩が会話に入ってしまいます。

 

「なっ、なんなのあなたいきなり!? なんでついて来てるわけ!?」

「いや、木虎。空閑は最初からいたぞ」

「ふっふっふ……おれはクガ・ユーマ。オサムのお目付け役だ」

 

 空閑先輩、ノリノリでレプリカ氏のモノマネをしていますが木虎お姉さまにそれ通じないじゃないですか。バカにされたと思ったのでしょう、木虎お姉さまの眉間に、明らかに不機嫌そうなしわが寄ります。

 

「お目付け……? ねえ赤城さん、この子、一体何なのかしら」

「え、えっと、その……三雲先輩の……あー……」

「友人だ。トリオン兵が出たとき一緒にいたから、ある程度事情は知ってるんだ」

「要救助者だった、ってことね。自分に有利な証言でもしてもらうつもりかしら、三雲くん」

 

 面倒ごとが増えた、と木虎お姉さまの顔に書いてあります。いくら生粋の天使かつ女神たる木虎お姉さまといえども、多忙が過ぎれば心の余裕もなくなるというモノ。今日のちょっと不機嫌な木虎お姉さまも、まあそれはそれでぐへへへへ。

 

「トリオン兵を撃破したっていう赤城さんは、違反と功績とで相殺されるかも知れないけれど……三雲くんはどうかしらね。避難誘導をしたというだけでは、相殺まではされないかもしれないわね。まあ、そもそも」

 

 木虎お姉さまは刃物のような眼つきをさらに鋭くして、三雲先輩に詰め寄りました。……いいなあ、三雲先輩。私もあの距離でお姉さまに睨まれたい。ぐへへ。

 

「はっきり言って、あなたがやらなくても私たちの隊が事態を収拾してたわ。あなたはたまたま私より現場の近くにいただけよ。あまり調子に乗らないことね」

「いや、別に……乗ってないよ、全然」

 

 人差し指を突きつける木虎お姉さまに、どう対応していいかわからないといった様子の三雲先輩。見かねた空閑先輩が「はぁ」とため息を一つ、三雲先輩と木虎お姉さまの間に、にゅっと割って入ります。

 

「なんだおまえ。自分が校舎にめりこんでる間に、オサムがアラシヤマに褒められたのがそんなに悔しいのか?」

「んなっ……!?」

 

 赤面です。耳まで真っ赤です。空閑先輩の遠慮の欠片もない急所一点突きは、見事にクリティカルヒットを叩き出した模様です。

 

「べ、別に私は悔しくなんて! C級隊員が褒められても、A級の私には関係ないわよ!」

「ほほう。おまえ、わかりやすいウソつくね」

 

 ドヤ顔でニヤつく空閑先輩に、木虎お姉さま、たじたじです。超絶可愛いのですが。

 

「それにな。別に責めるつもりは全然ないけど、おまえ全然間に合ってなかったから。オサムとヤトがいなかったら、確実に何人か死んでたぞ? おまえ、もっと二人に感謝したほうがいいんじゃないか。ルール違反だってちゃんとわかってて、トリガー使って人助けしたんだぞ」

「そ、そうよ! ルール違反よ!」

 

 反撃の糸口をつかみ、木虎お姉さまは少し落ち着きを取り戻します。腕組みをして仁王立ちし、背の低い空閑先輩を見下ろすようにして言葉を続けます。

 

「部外者が口出しすることじゃないわ。彼らのやったことは、ボーダーのルール違反なの。きちんと評価されたいなら、ルールを守ることね」

「ヤトがトリガー使ったのは、そうしなきゃ殺されてたからだ。オサムだって、褒められるどころか怒られるってわかってて、それでもやっぱり逃げ遅れを助けに行ったんだから、逆にエラいんじゃないの?」

「それとこれとは……!」

「なんかおまえ、ヤトはともかく、オサムに対抗心燃やしてるな。だけどさ、おまえとオサムじゃ勝負になんないよ」

「ばっ……バカ言わないで! 私がC級に対抗心なんて……!」

 

 図星を突かれる、という言葉がこれほどピッタリな状況もそうないでしょう。コミュ障の私にすら、木虎お姉さまの動揺が見て取れます。お姉さま、一般隊員たちからは「高飛車優等生」だの「生真面目風紀委員」だのと言われていますが、意外と隙だらけなんですね。そんなところがまた素晴らしく魅力的でございます。

 木虎お姉さまと空閑先輩の口喧嘩はまだ続きそうでしたが、

 

『……ユーマ。敵襲だ』

 

 空閑先輩の襟元からこっそり顔を出したレプリカ氏の言葉と、

 

「ん? なんだ?」

「あら、緊急通信」

「……私にも、ですが」 

 

 ボーダー隊員三人の携帯端末に同時に届いた緊急通信、そして、

 

《ウゥゥゥゥ――――――――――――――――ッッ!》

 

 一秒差で鳴り響いたサイレンにより、状況は一変しました。

 

《緊急警報! 緊急警報! 〝(ゲート)〟が市街地に発生します。市民の皆様は、直ちに避難してください。繰り返します……》

 

 ボーダー管理下の屋外放送設備から響き渡る大音響。しかしその音よりもはるかに強く激しく耳朶を打つのは、空間を抉じ開ける黒い稲妻の炸裂音。私たちが歩く河川敷から水平距離で数百メートル、そして河の上空数十メートルの地点に〝門〟は開かれました。

 

「おいおい、忙しい日だな」

 

 呟く空閑先輩の顔から、ゆるい微笑は消え去っていました。

 真っ黒な空間の裂け目から、太く長い胴体を引きずり出すトリオン兵。全長は軽く数十メートルはあるでしょう。その巨躯はまるでクジラ。それも昆虫の様な半透明の羽根と、甲殻類の様な装甲を身に纏った、一ツ目の白鯨(モビー・ディック)です。

 

 それが、二体(・・)。お互いの尻尾を追いかけ合うようにして、悠々と旋回しています。

 

「あの近界民(ネイバー)……確か、資料映像で……!」

 

 驚きに目を見開きながらも、記憶を辿ろうとする木虎お姉さま。私と三雲先輩は、木虎お姉さまに気づかれないように空閑先輩に近寄ります。

 

「空閑、レプリカ、あれは……!?」

「イルガーだ。珍しいな、こっちに投入してくるなんて。意図が読めん」

『大型トリオン兵、イルガー。主に敵拠点や市街地への爆撃に用いられる』

「ば、爆撃……だって……!?」

 

 三雲先輩の頬に、冷や汗が垂れます。私も顔にこそ出ませんが、先輩の危惧は理解できました。

 市街地への、爆撃。

 良くも悪くも緊急警報のサイレンに慣れてしまった三門市の住人たちは、空を泳ぐイルガーの巨体を、放心したように眺めています。目の前の光景を、避難命令を、まだ現実として受け止め切れていない様子です。

 このままでは――死人が、出ます。

 

「トリガー、起動(オン)ッ!!」

 

 木虎お姉さまの声が、凛と響きました。

 真紅のジャージ姿のトリオン体が瞬時に構築され、実体と換装されます。専用拳銃を吊るしたガンベルト、脛部装甲板付きのブーツ。A級5位嵐山隊のエース、木虎お姉さまの戦闘形態です。

 

「他の部隊は待っていられない。私が行くわ」

「ぼくも行く!」

 

 即座に反応する三雲先輩ですが、木虎お姉さまは冷たい視線で三雲先輩を睨みつけます。

 

「あなた、C級でしょう。訓練用トリガー一本で、空の相手に何ができるの」

「それは行ってから考える! トリガー、起動(オン)ッ!」

 

 しかし三雲先輩は、木虎お姉さまの視線などものともせず、トリガーを起動してしまいました。C級訓練生用の白いジャージに身を包み、換装完了。続いてレイガストを構築しようとしますが、三雲先輩の右手には、僅かにトリオンの粒子が集まっただけで、一向に刀身が形作られません。

 

武器(レイガスト)が、出ない……!?」

『トリオンが足りていない。学校での戦いで消耗しすぎだ』

 

 レプリカ氏の小声の解説に、私も納得です。三雲先輩は元々、トリオン能力にはまったく恵まれていません。何度かトリオン量有限の設定で模擬戦をしたことがありますが……結果は、私の個人ポイントが結構な勢いで増えることとなりました。

 また新たな冷や汗を垂らす三雲先輩に、木虎お姉さまは冷たく言い捨てます。

 

「やっぱりC級ね。戦闘はムリよ。せっかく戦闘体に換装したんだし、せめて赤城さんをシェルターに送るぐらいはしておきなさい。基地施設外でのトリガー使用は、今だけ特別に目をつぶってあげるわ」

 

 嗚呼、お姉さまの優しさ。あまりにもセリフがなさ過ぎて、ただの視点キャラ化していた私にもちゃんと目を向けてくださる木虎お姉さま、マジ女神。

 

 ではその優しさ(・・・・・)に、私も甘えることといたしましょう。

 

「……トリガー、起動(オン)

「ちょ、ちょっと赤城さんっ!?」

 

 おお、噛まずに言えました。赤城ヤト、実体を戦闘体に換装。私のトリオン量にはまだ余裕があったようで、右手にはシールドモードのレイガストが無事構築されています。木虎お姉さまを驚かせてしまいましたが、恐らく爆撃が降り注ぐことになるであろう市街地に、トリオン不足の三雲先輩が一人で乗り込むなど愚の骨頂。私のレイガストシールドがあれば、文字通りの意味で弾除けにはなるはずです。

 

「わかっているの、赤城さん。一日に二度も違反行為をしたら……!」

「したら、マズい……の、ですが。目を、つぶってくださる……の、ですよね」

「そ、それは……っ! もう、しょうがないわね。今回だけよ!」

 

 嗚呼、神様女神様木虎さま。私は何て悪い子なのでしょう。あの憧れの木虎お姉さまに、違反を見逃すとの言質を取ってしまうなんて。とても生真面目な木虎お姉さまですから、一度自分が口にした言葉を覆すわけにもいかず、とても悔しそうに「ぐぬぬ」しています。

 背徳的……! 嗚呼、背徳的です。「ぐぬぬ」しながらぷいっと顔を逸らす木虎さまの、なんと可愛らしいことか……!

 などと私が一人で悦に入っている間に、上空のイルガーたちは周回軌道を外れ、それぞれ河の両岸へと移動を始めました。あのデカブツどもがひとたび攻撃を始めれば、その被害は甚大なものとなるでしょう。

 

「……なあオサム。ヤトって、けっこう良い根性してるな」

「……ぼくも、あの子の性格は時々読めないんだ」

 

 先輩二人のひそひそ話も、あーあー、何も聞こえない聞こえない。

 

「と、とにかく! あなたたちC級は、避難誘導に専念しなさい。戦いは私の仕事よ」

 

 何とかいつもの凛とした表情を取り戻した木虎お姉さまは、右手に薄く鋭い光の刃――〝スコーピオン〟を出現させます。自由自在に変形する、軽量にして鋭利な刃。手数で勝負する高速機動型の攻撃手(アタッカー)に人気の高い、近接戦闘用トリガーです。

 

「キトラ、おまえ一人で大丈夫なのか?」

「愚問ね。私はA級隊員よ」

 

 空閑先輩に言葉を返す木虎お姉さまの表情は、どこか誇らしげです。専用拳銃をホルスターから引き抜きながら、木虎お姉さまは断言しました。

 

「あの近界民(ネイバー)は、私が始末するわ」




☆アナザーワールドトリガーを百倍楽しむ講座☆

《独自設定》
・原作との差異(トリガーの呼称)
 ヤトは劇中で、レイガストのシールドモードを〝レイガストシールド〟と呼んでいる。これはヤトのオリジナルではなく、ボーダーが正式に名付けているもの、と本作では設定している。原作マンガでは、レイガストがブレードモードなのかシールドモードなのかは絵を見ればすぐにわかるが、文字媒体ではそうもいかない。そのため、本作ではトリガーの呼称を原作とは多少変更している。今後もストーリーの展開に応じて、独自のトリガーの呼称は増えていく予定である。


次回 アナザーワールドトリガー
第8話「木虎 藍③」に――トリガー、起動(オン)






 AWT第7話、お楽しみいただけましたでしょうか。
 今回で拙作も、原作時間軸で言うところのコミックス一巻ラストの時点までやってきました。次回は対イルガー戦。ただし、二体。さらに敵戦力は増強予定です。この世界線、どんだけ侵攻受けてんだってなモンですが、木虎さまならきっと街を守ってくださるハズです。
 次回もお付き合いいただければ幸いです。感想・批評もお待ちしています。


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第8話 「木虎 藍③」

 みなさんこんばんは。亀川です。
 今回は我が女神・木虎さま大活躍の第三回目ということで、作者も気合が入っております。壁にめりこんだりはしません。
 原作ではプライドの高さと意外と詰めの甘いチャーミングな一面が出てイルガーに後れを取ってしまった木虎さまですが、拙作ではどのような展開になるのか……どうぞお楽しみください。


「あの近界民(ネイバー)は、私が始末するわ」

 

 戦闘態勢に入った木虎お姉さまは、華麗なおみ足に力を籠め、ぴょいんと河川敷をひとっ跳び。ゆっくりと空を泳ぐイルガーたちを追って、市街地に突入していきました。

 私としてはもう少し木虎お姉さまの勇姿(主に、ややぴっちりめのジャージ越しに見える引き締まりつつも柔らかさを感じさせるアスリート体形のお尻からふともものラインがハァハァ)を眺めていたかったのですが、そんな気の抜けた私を怒鳴りつけるように、轟音が大気を震わせます。音の出所に目を向ければ、崩れ落ちるビル、そして悲鳴、逃げ惑う市民の皆さん。ついに爆撃が始まったようです。

 

「くっ……急がないと!」

 

 三雲先輩はぐっと拳を握り、走り出しました。私もそれに遅れまいと、重く大きく邪魔になるレイガストシールドを背負って走り出します。しかしこのレイガストシールド、どうやって背中にくっついているのでしょうか。全く見当もつきませんが、背負えば走る邪魔にはならないのでボーダーの謎技術に感謝です。

 

「オサム。キトラ、行っちまったけど……イルガーの情報、ボーダーは持っているのか。けっこう面倒だぞ、アレ」

「どう面倒なんだ?」

 

 なぜか当然のようについて来ている空閑先輩に、三雲先輩は生真面目に聞き返します。いやしかし三雲先輩、このヒト、トリオン体の私たちの全力疾走に平然とついて来ているのですが。そこへのツッコミはナシなのでしょうか。

 

「爆撃だけじゃない、近づいてもヤバい。中途半端に殺そうとすると、もっとヤバい」

『近接防衛システムを有し、迂闊に取りつくと、光線砲(トリオンビーム)装備の触手で迎撃される。また、大きなダメージを受けると、体内の全トリオンを使って自爆する。その際、最も人的被害が大きくなる地点に落下するようプログラムされている』

 

 空閑先輩の端的すぎてよくわからん説明を、レプリカ先生が言い直してくれます……ってそれ木虎お姉さまが危ないということでは!? こんなことをしている場合ではありません、今すぐにお姉さまをお助けに向かわなければ。トリオン属性のビームとあらば、同じくトリオン製のボディであるボーダーの戦闘体はダメージを受けてしまいます。しかも触手だと!? 木虎お姉さまの赤い隊服ジャージもきっとボロボロに……そして触手に捕らわれ、あられもない姿が、姿が……! いいい今すぐ堪能、いや見学、いやお助けに行かなければなりませんっ!!

 

「ぼくとヤトで街の人を助ける。空閑は木虎に付いてくれ」

 

 お姉さまの下に馳せ参じようとした矢先、三雲先輩が勝手に私を市民救助チームに組み込んでしまいました。いやまあ確かに、冷静に考えて訓練用レイガスト一本きりしか持たない私が、空中の大鯨モドキに何ができるわけもないのですが。でも、だからといって、空閑先輩も学校の時のように三雲先輩のトリガーを借りなければ、何もできないでしょう。いくら近界民(ネイバー)だからといって、生身でトリオン兵と戦うことなど出来はしません。

 

「木虎がもし危ないようなら、おまえのトリガーを使っても構わない。ただ、バレないようにうまくやれよ」

 

 三雲先輩、今、「おまえのトリガー」っていいましたか。空閑先輩、近界民(ネイバー)な上に自前のトリガーまで持ち込んでいるのですか。それ、もしバレたら、知ってて隠していた三雲先輩までけっこうまずいことになるパターンのヤツなのでは……そしてたった今、私も共犯に……嗚呼。

 

「え~~。本人が自分でやるって言ってんだから、放っといてもいいんじゃないの?」

「空閑、頼む」

 

 内心動揺する私などお構いなく、話は進んでいきます。三雲先輩はできるメガネモードの真剣な表情で空閑先輩の目を見ています。空閑先輩は「ふぃー」と長いため息をつき、軽く肩を竦めました。

 

「やれやれ、オサムは面倒見の鬼だな。自分は無鉄砲に突撃するくせに……レプリカ」

『心得た』

 

 空閑先輩の黒い指輪から、うにゅいーんと実体化したレプリカ先生。その黒く丸っこいボディから、まるでパン生地を小さくちぎり取るような形で、小さなレプリカ先生が二体ほど、生成されたではありませんか。ちびレプリカ(仮称)は、レプリカ先生本体のような耳状のパーツこそありませんが、無表情とも半笑いともとれる独特の顔の造形はそっくりです。

 

『持っていけ、オサム、ヤト。私の分身〝子機〟だ。私を介して、ユーマとやりとりできる』

「困ったときはすぐ呼べよ」

「ああ、わかった」

「ヤトも、気をつけてな」

「りょ、りょーかい……です……」

 

 ここまで来たら、乗り掛かった舟です。精々、多くの市民を避難誘導しまくって、せめて学校でのトリガー無断使用だけでも帳消しにしてもらうしかありません。三雲先輩の分も。

 ともあれ私たちは空閑先輩と別れ、三雲先輩と共に市街地に突入します。同時、更なる爆音。またも街に爆弾が投下されたようです。

 

「ヤト、ぼくたちは今、トリオン製の戦闘体だ。一度だけならどんな攻撃を受けても死にはしない。もし、誰かが危ない目にあっていたら……」

「私達が、体を張る。ついでに三雲先輩も、守ってあげてもいいのですが」

 

 背中に回していたレイガストシールドを右腕に構え直しながら、私はニヤリと笑って見せました。嗚呼、話し相手が三雲先輩一人になるだけでこんなにも小粋な会話を楽しめるとは。私のコミュ障が恨めしい。そして私のコミュ障を発動させない三雲先輩、マジできるメガネです。

 しかしまあ、それはそれとして。

 

「よし、行くぞ。人命救助が最優先だ!」

「了解です、先輩」

 

 逃げ惑う人々でごった返す街中に、私と三雲先輩は飛び込んでいくのでした。

 

 

 

 

 

 

(あの巨体なら、きっと装甲も厚い。この距離では弾丸は徹らないわね)

 

 河川敷を駆け抜けながら、木虎は二体のイルガーを観察していた。一体は、川を中心にした長い楕円軌道で市街地上空を周回。市街地の真上に来た時に、生体爆弾らしい有機的なパーツを投下し、爆撃している。そしてやや小型なもう一体は、木虎とは反対側の河川敷を、上流から下流に向けて飛行している。まだ爆撃はしていないようだ。

 

(……あっちは後回しね。まずは、市街地を攻撃してるほうを)

 

 A級隊員として数々の防衛任務を遂行してきた木虎の頭は、瞬時に戦闘プランを弾き出していた。周回軌道のイルガーを、河川上空で撃破。川に墜とす。その後、もう一体を追撃。無駄に時間をかける気もないが、その頃にはボーダーからの部隊も到着していることだろう。

 木虎は自分で自分に頷き、川を横断する鉄橋を駆け上がった。太い鋼鉄製の骨組みの天辺から両足で踏み切り大ジャンプ、愛用の改造拳銃〝モデル・キトラ〟から、細く強靭なトリオン製ワイヤー〝スパイダー〟を射出した。

 

「その巨体で、飛行型なら……!」

 

 鋭い矢じり型になったスパイダーの先端が、イルガーの脇腹に浅く刺さる。ダメージを与えるには遠く及ばないが、専用拳銃(モデル・キトラ)下部のワイヤーリールが猛然と回転、スパイダーを巻き取り、その勢いで木虎はイルガーのさらに上空へと飛び上がった。

 

「やっぱり、上はがら空きねっ!」

 

 木虎は満足げに微笑み、銃口を眼下のイルガーへと向けた。

 

 

 

 

 

 

「あー、上から行くか」

『やはりボーダーは……少なくともキトラは、イルガーの情報を持っていないようだな』

 

 河川敷沿いの遊歩道から、遊真とレプリカは木虎の様子を見上げていた。ワイヤーアンカーのようなもので一気にイルガーに肉薄した木虎だったが、やはり、上を取ってしまった。そして落下しながらハンドガンを連射。近づいた甲斐もあって、銃弾はイルガーの装甲を撃ち抜いてはいるのだが――

 

『イルガー、近接防衛システムを発動。あの距離では避けられないだろう』

 

 突如、イルガーの背部から無数の触手が飛び出した。その先端にはトリオンを高密度に圧縮した結晶体が輝いており、木虎がイルガーの背中に着地するのと同時、目も眩むような閃光が炸裂した。近接防衛用の光線砲(トリオンビーム)だ。

 

「ふぅ、オサムの心配性が大当たりか。行くぞ、レプ……」

『いや、待てユーマ。キトラの反応は健在だ』

「ほほう?」

 

 遊真は右手の指輪を触りかけた手を止め、もう一度、上に目を向けた。閃光が止み、白煙の中から木虎の姿が現れる。

 

「へぇ……こっちのトリガーも、いろいろあるんだな」

 

 

 

 

 

 

「ふふん。この程度?」

 

 ボーダー製防御用トリガー〝シールド〟。シンプルな名前と同様に、その機能も単純明快。トリオン製の防御壁を任意の形状で展開し、あらゆる攻撃を防ぐというものだ。木虎はシールドを多角形のテント状に展開し、高エネルギーの光線砲(トリオンビーム)を防いでいたのだ。

 

「図体ばかりで、私の敵ではないわね」

 

 木虎は余裕の表情でシールドを解除、右手のスコーピオンで周囲の触手群を切り払った。続いて、流れるような連撃でイルガーの装甲を切断。露出したどす黒い体内に、モデル・キトラの弾丸を次々と撃ち込んだ。

 ドン、ドン、ドン、ドン……! 威力重視の通常弾頭〝アステロイド〟がイルガーの体内で暴れまわり、トリオン体内部を破壊していく。ほどなくして、イルガーは傷口から真っ黒なトリオンの血煙を噴き上げ、飛行高度を落とし始めた。

 

「こんなもの? 拍子抜けね」

 

 木虎は自慢げに言い捨て、愛銃をホルスターに収める。

 

「さて、もう一体は……!? 何!?」

 

 ――ごぅん。イルガーから飛び降りようとした木虎の足元で、不穏な音が鳴った。

 

 

 

 

 

 

「キトラ、思ったよりやるな。イルガー墜としたぞ」

『しかし、そうなるとまずいな』

「うん、まずい……自爆モードだ」

 

 高密度トリオンで作られた制御棒が、イルガーの背に露出。偶然だろうが、ちょうど背に乗った木虎を取り囲むような形だ。さらにトリオン兵共通の弱点である目玉(コア)が、歯のようなシャッターで閉鎖される。

 イルガーは巨体をくねらせて、進路を急変更。今までの楕円軌道から外れ、河川上空から徐々に高度を下げながら、じわじわと市街地へ降下していく。

 

『市民の避難はまだ不完全だ。街に墜ちれば、被害は甚大なものになる』

「だろうな。んじゃまあ、行くかレプリカ。オサムの頼みだ!」

『承知した』

 

 遊真の声にレプリカが答え、そして遊真は変身した。

 紫電を纏って実体化される、近未来的なデザインのボディスーツ。漆黒の戦闘装具に身を包んだ遊真の左腕に、レプリカがとけ込むように同化した。

 

『イルガーを破壊すれば、ユーマ固有のトリオン反応が残る。撃破は避けるべきだ』

「壊さずに、バレずに、木虎と街の人を守れ……本当、オサムは面倒見の鬼だな!」

 

 言い捨てる遊真の表情は、どことなく楽しそうだった。そして遊真は両足に思いっきり力を籠め、イルガーに向かって飛び出すのだった。

 

 

 

 

 

 

「まさかこいつ……このまま街に墜ちるつもり!?」

 

 この巨体ならただ落下するだけでも甚大な被害が出るだろうが、鈍く発光する棒状の器官も気になる。

 木虎はスコーピオンを一閃、棒状の器官を斬り付けた。しかし、一体どれほどのトリオンを圧縮してあるのか、掠り傷の一つすらつかない。続いてモデル・キトラを連射するが、銃弾は器官表面で空しく弾かれるばかりだ。

 

(硬い……なんなのこのトリオン密度……!)

 

 今の装備では、破壊は不可能。頬を伝う冷たい汗を手の甲で拭い、木虎はぐるりと周囲を見回した。

 

(壊せないなら、せめて街に墜ちるのだけは……!)

 

 先ほど駆け上がってきた鉄橋が、下流側百メートルほどの所に見えた。スパイダーで鉄橋とイルガーを繋いで、無理やり進路を曲げるか。川に引き摺り落とせば、被害を最小限に……いや、鉄橋の上に逃げ遅れた市民がいる。逃げようとして事故を起こしたのだろう、横転した乗用車に親子連れが閉じ込められていた。もし川に落とせば、その余波であの親子がどうなってしまうか……街には落とせない、川にも落とせない。

 木虎は、自分の顔が青ざめていくのをはっきりと感じた。

 

「くっ……止まれっ、止まりなさいっ!」

 

 モデル・キトラを連射、連射、連射。スコーピオンを何度も何度も振り回す。しかし、先ほどまでは容易に切り裂けていた装甲すら、まともに傷もつかなくなっていた。爆撃機能も航行機能も捨て自爆モードに入ったイルガーは、確実に自爆攻撃を遂行するため、装甲強度が大幅に向上するのだ。

 

(そうだった、イルガーは追いつめられると自爆を……! C級のとき、座学で! 私のバカっ、迂闊、浅薄、考えなしっ!)

 

 木虎はひたすらに銃弾を撃ち続けながら、後悔していた。

 かつての第一次侵攻から四年半、ボーダーには膨大な量の戦闘記録が集積されている。その中に、確かにあったのだ。イルガーとの戦闘記録が。そして木虎は、入隊間もないC級隊員の時にその記録映像を見ていた。生体爆弾による爆撃、そして自爆モードへの移行……一撃でその巨体を両断して見せた、現在では個人第一位攻撃手(アタッカー)となったA級隊員・太刀川慶の〝旋空弧月〟。それは言い換えれば、木虎のスコーピオンでは今のイルガーは斬れないということだ。

 

 木虎は、強く、唇を噛んだ。

 

 正直に言って、功を焦る気持ちはあった。自分を慕ってくれる後輩(ヤト)の前で、出来る先輩でありたかった。軽々に隊務規定違反をするC級隊員(オサム)の前で、A級として舐められるわけにはいかなかった。しかし、そのせいで……!

 もし生身であれば血が出るほどに唇を噛み、木虎は両手で銃を構えた。持てるトリオンの全てを注ぎ込み、ひたすらにイルガーを撃ち続ける。

 

「止まれ、止まれっ……お願いっ、止まって……っ!」

 

 木虎の言葉は、ほとんど悲鳴のようになっていた。しかしイルガーは、トリオンの血煙を噴き上げながらも、市街地へとゆっくり、ゆっくり墜落していく。

 あと、200メートル。180メートル。160、150、140……その時だった。

 

『キトラ、衝撃に備えろ』

 

 やけに機械的な、耳慣れない声。ほぼ同時、市街地へ突入するイルガーの進路をふさぐように、巨大な円形の紋様のようなものが展開された。

 

「なっ、何!? 誰よ!?」

『おれ? おれは、あー……仮面トリガーだ。そう、仮面トリガー・クーガ。さて、警告はしたぞ。三秒前。二、一……』

 

 突然の出来事に面食らいながらも、木虎はその場にしゃがみ込んだ。

 直後、衝撃。足元から突き上げるような、天地が逆転するほどの衝撃が木虎を襲った。次の瞬間、木虎は猛烈な勢いで空中に放り出されていた。目まぐるしく回転する景色、ぐるぐる回る空と街と川。その中で、木虎はそれ(・・)を見た。

 ビルの屋上に一人立つ、真っ黒なボディスーツに身を包んだ仮面の男、いや小柄な少年を。

 そして、上空数百メートルの高さまで打ち上げられたイルガーが、まるで大輪の花火のように爆散する光景を。

 

 

 

 

 

 

『弾』印(バウンド)五重(クィンティ)

 

 手ごろなビルの屋上に駆け上がった遊真は、迫り来るイルガーに向けて左の掌をかざしていた。その掌を中心に、漢字のようにも見える複雑な刻印が宙に刻まれ、光り輝く。その刻印を取り囲むように、円形の刻印が五重に展開された。

 遊真が所有する、遊馬専用トリガーの能力の一つ、〝『弾』印(バウンド)〟。この刻印に触れたものは、それがどんなに巨大なモノであれ、凄まじい反発力で弾き飛ばされる。遊真がよく使う〝印〟だ。

 

『ユーマ。避難が完了していない以上、イルガーを上空で自爆させるのは良案だ。だが……』

「ん、なんだレプリカ?」

『その仮面はなんだ』

 

 黒いアームカバー付きの、近未来的な黒いボディスーツ。そして、フルフェイスヘルメットのような、黒い仮面。レプリカは遊真の言うままにトリオン体の外見を調整したのだが、そんな注文を受けたのは初めてだった。

 

「ふふふ……カッコイイだろ? これでオサムとの約束も守れる」

 

 遊真は楽し気に微笑みながら、〝『弾』印(バウンド)〟の角度を調整している。仮面に隠されて見えないが、きっと得意げな顔をしているに違いない。こんな時の遊真には、何を言っても聞いても無駄だ。レプリカは早々に諦め、トリオンの操作に集中することにした。

 イルガーとの距離は、200メートル少々。墜落まではあと十秒ほどだろう。

 

「レプリカ、キトラに通信を。声変えて。できるか?」

『承知した』

 

 こちらの世界のトリガー技術は、近界の様々なトリガーとは少しばかり勝手が違う。純粋なトリオン操作だけでなく、〝科学技術〟と複雑に絡み合った技術体系となっている。しかし、こちらの世界に来て早や数日。近界でも最高クラスに優秀な自立型トリオン兵であるレプリカは、ある程度、こちらの世界のトリガー技術を解析できていた。

 

『通信回線への割り込みを完了した』

「さんきゅー、レプリカ。……キトラ、衝撃に備えろ」

『なっ、何!? 誰よ!?』

「おれ? おれは、あー……仮面トリガーだ。そう、仮面トリガー・クーガ。さて、警告はしたぞ。三秒前。二、一……」

 

 ――直撃。瞬間、大鯨が跳ねた。

 舞い踊る衝撃波に乗り、砕け散ったトリオン粒子が撒き散らされる。〝『弾』印(バウンド)〟に弾かれたイルガーは、一瞬にして遥か空の彼方。それから約二秒の間を置いて、三門市上空に巨大な火球が膨れ上がった。

 

「おぉー。びゅーてぃほー」

『……キトラの反応が、川に落ちたぞ』

「そのぐらいは自分で何とかするだろ。謎のヒーローは人知れず撤退だ。次、行くぞ」

『もう一体のイルガーは、河川下流方向に1200メートルだ』

 

 遊真は花火見物もそこそこに、ビルの壁面をほぼ垂直に駆け下りた。人気のない路地裏に音もなく着地し、乗り捨てられた自家用車が散在する川沿いの舗装路を、下流に向かって走り抜ける。

 

「ボーダーの部隊は?」

『半径1500を索敵。強いトリオン反応は、ヤト、キトラ、イルガー。ヤトはイルガーに向かっているようだ』

「……オサムは?」

強い(・・)トリオン反応を索敵した。察してやれ、ユーマ』

「まったく、そんなトリオン能力で人助けばっかり……変なヤツだな、オサムは」

『同意するが、そのオサムとの約束を守ろうと決めたのは、ユーマ自身だ』

「はは、そーだったそーだった!」

 

 600メートルほどを瞬く間に駆け抜け、舗装路から河川敷の草原に跳び下りた。もう少し走れば、戦闘圏内に入る。遊真は相変わらずゆっくりと飛ぶイルガーを見上げ、思案した。

 

「さて、ぶっ壊さずにどうやって止めるか……」

『ユーマ、待て。新たな反応を検知した。ボーダーのトリガーだ』

 

 レプリカの言葉と同時、閃光が天に突き抜けた。

 イルガーの下顎から脳天に向かって、〝目玉(コア)〟を一直線に貫いて。

 一撃で急所を貫通されたイルガーは、自爆モードにもなれずに河川敷へと墜落。河川敷の草原は大きく抉れて茶色い土肌が剥き出しになり、濛々と土煙が上がる。数百メートルも離れた遊真の足元まで地響きが届き、周囲の民家の窓がビシビシと割れんばかりに振動した。

 

「通常モードとはいえ、イルガーを一撃か。すごいな」

『……トリオン反応が、急に一つ増えた。索敵範囲外から、ボーダーの部隊が来たとは考えづらい』

「気になるな。オサムたちと合流するか。一応、仮面はつけたままで」

『承知した』

 

 遊真は落着したイルガーに向かって、再び走り出した。少し近づくと、土煙の向こうに人影が見えてきた――やたらと小さいのはヤト、中学生にしてはやや長身なのが修だろう。

 そして、もう一人。修よりもさらに頭ふたつ分ほども背が高く、肩幅も広く胸板も厚い。ヤトと見比べると、その体格差は三倍ほどにも錯覚してしまうような、大柄な人影がいた。

 オサムたちとああも近い距離で接しているということは、敵ではなさそうだが……

 

(仮面、つけっぱなしにしておいて正解だったな)

 

 遊真は仮面の表面を軽く撫で、ちびレプリカとの通信を繋いだ。

 

「よう、オサム。調子はどうだ」

 

 




☆アナザーワールドトリガーを百倍楽しむ講座☆

《独自設定》
木虎藍専用改造拳銃型トリガー〝モデル・キトラ〟

 木虎が愛用している拳銃型トリガー。〝モデル・キトラ〟は木虎自ら命名した愛称。元々は開発者である志摩いつきによって〝ウルトラキトラ・キティスペシャル〟と命名されボーダーのデータベースに正式登録されかけたが、木虎の必死の抵抗と哀願、懐柔、恫喝、アメと鞭、最終的には三門駅前のクレープ屋さんで女同士の私服デートという条件で命名権を買収した。
 射撃精度や射程、威力などは通常の拳銃型トリガーと変わらないが、銃身下部に強靭なトリオン製ワイヤー〝スパイダー〟の射出・巻取機能が装備されており、木虎の創意工夫によって様々な場面で活躍することができる。さらに、トリオン能力が高いとは言えない木虎のために、弾丸一発当たりの消費トリオン量を軽減する機構が採用されている。ただし、スパイダーが固定装備となっていることで、撃てる弾種は通常弾(アステロイド)一種のみとなっている。
 また、様々な機能を追加しているために、銃本体の消費トリオン量(コスト)は高い。戦闘中に破損すると、木虎はクールに対応策を考えるフリをしながら心の中では涙目になっているので、なるべく武器破壊は狙わないであげてほしい。


次回 アナザーワールドトリガー
第9話「砂井 応司」に――トリガー、起動(オン)





 ちなみに、志摩さんとの私服デートでは対ダメ成人更生用汎用ヒト型女子高生・真木理佐先輩を召還し女三人での女子会という形にもちこみ、事なきを得ました。
 次回は新オリキャラ登場でございます。原作ではささっと話が進んだ対イルガー戦ですが、拙作ではもう少しだけ続きます。どうかお付き合いください。
 感想・批評もお待ちしております。どうぞよろしくお願いします。





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第9話 「砂井 応司」

 みなさんおはようございます。そしてお久しぶりです。亀川です。
 三月はリアル労働が修羅場ってまして、少々更新間隔ががががg……さらには今回は我が女神・木虎さまの登場シーンも、誠に遺憾ながら、ありませんので筆もなかなか進まず。
 それはともかく、オリキャラ・砂井応司の登場回です。世界観を壊さない範囲になるよう気をつけながら、オリジナルトリガーも出してみました。どうぞご覧ください。


 ズン、ズズゥン……。

 腹の底まで震わせるような重低音が、三門の市街地に響き渡ります。先ほどまで周回軌道で爆撃を繰り返していたイルガーは、恐らく木虎お姉さまが抑え込んでいるのでしょう、今はもう市街地上空に姿は見えません。しかし爆撃の爪跡は既に深く、ビル群から剥がれ落ちた壁面などの巨大な瓦礫が、次々とアスファルトに叩き付けられているのです。

 

「そこの人たちと早く逃げなさい! ママは大丈夫だから!」

「いやだぁ、ママもいっしょがいいのぉ!」

「バカ! 言うことを……っ!?」

「危ないっ!」

 

 瓦礫に閉じ込められた母親、泣き叫ぶ女児、降り注ぐ瓦礫。そして、飛び出す三雲先輩。先輩は女児を抱きかかえて走り抜けようとしますが、どう見ても間に合いません。しかも、数か所から鉄筋の突き出したコンクリート塊が、よりにもよって三雲先輩の直上に。

 

「三雲せんぱぁいっ!」

 

 一歩出遅れてしまった私は、せめてその凶悪な形状のコンクリ塊だけでもどうにかしようと、レイガストシールドを投げ槍(ジャベリン)のような円錐形に変形。そして〝強化平衡感覚(バランサー)〟を調整、身体の安定をあえて捨て去り、ほとんど顔面から地面に倒れ込むような動きで投擲しました。重たいレイガストをぶん投げるには足りない腕力を、体重・重心移動と遠心力で補った形です。

 

(うほげっ!?)

 

 顔面から倒れる私、でも悲鳴は我慢。生身だったら鼻血では済まないレベルの衝撃が、私の顔面を襲いました。胸部に引き続き顔面まで平面化してしまったら、私、一人の少女として絶望してしまいます。まあ、今の私はトリオン製の戦闘体なので、そんなことはないのですが。

 そんなことを考えつつ何とか顔を上げれば、そこには幾片かの瓦礫を背に受けてはいるものの、無事に女児を抱きかかえている三雲先輩。そして母親の感謝と安堵の声。私のレイガストシールド――否、レイガストジャベリンは、落下してきたコンクリ塊を打ち砕くには足りなかったものの、軌道を逸らすことには成功していたようです。うまくいってよかった。私はストンと胸を撫で下ろし……いや、ストンってなんですかストンて。いや確かに私の胸には引っかかるような膨らみなど皆無なのですが。

 

「大丈夫? けがは?」

「ううん、大丈夫。あの、お兄ちゃん、ママが……!」

「任せてくれ。ちょっと下がってて」

 

 私がへたり込んでいる間にも、三雲先輩は涙目の女児を気遣いつつ、ビルの非常口を塞ぐ巨大な瓦礫を押し退けようと奮起します。

 

「ふっ……んぎぎぎ……」

「わ、私も手伝います」

 

 肩を押し当て、十メートル以上もあろうかという巨大な柱を押す三雲先輩。私もいそいそとレイガストを拾い、先輩の横について柱を押すのですが……私のサイドエフェクトが、感知しました。この柱は、このやり方では動きません。

 重量。傾き。重心の位置。押し当てた掌から、私の〝強化平衡感覚(バランサー)〟はそれらの情報を読み取っていました。このままこの柱の根元を二人掛かりで押し続けても、絶対に動かすことはできないでしょう。動かすためには――

 

「三雲先輩。踏み台になってください」

「え? ふ、踏み台?」

「ほら、先輩が手を組んで、私が足をかけて、私を放り投げるヤツです」

 

 アクション映画やゲームの2P協力プレイなんかで、高い段差を乗り越える時とかによくあるアレです。三雲先輩の筋力にはやや不安を感じますが、まあそこはボーダーの戦闘体の性能を信用しましょう。私は三雲先輩から少々距離を取り、助走の態勢に入ります。

 

「あ、ああ! 来い、ヤト!」

 

 流石は、ボーダー帰りのゲーセンや休日のネットゲーム対戦で私との協力プレイに慣れている三雲先輩。私の意図をちゃんと読み取ってくれたようです。三雲先輩は私と相対して腰を落とし、両手を組んで腰の前で構えました。

 

「……行きます!」

 

 私はぐっと息を詰めて、走り出しました。先輩の組んだ手をステップにして足をかけ、先輩が私を押し上げると同時に思いっきりジャンプ。戦闘体の身体能力も相まって、傾いた柱のほぼ頂点近くまで跳び上がることに成功します。

そして、

 

(重量、傾き、重心の位置……ここですっ!)

 

 がこぉんっ!

 レイガストシールドで、思いっきり殴りつけました。するとどうでしょう、二人掛かりでもびくともしなかった巨大な柱が、まるでドミノのように反対側へと倒れてしまいました。

 三雲先輩が、目を瞠っています。少し気分がいいのですが、これは別に私のパワーが急激に増した訳ではありません。〝強化平衡感覚(バランサー)〟の恩恵により、私には、手に触れた対象のバランスを〝崩す〟ポイントが、文字通り、手に取るようにわかるのです。

 

(……計画通り!)

 

 にたりと、新世界の神にでもなったかのような笑みが、私の顔に浮かびます。いやいや、だめだめ、こんな表情をしているからまた誤解されるのです。私はいつもの無表情を努めて維持しながら、華麗な着地をキメます。ちなみにこの着地も〝強化平衡感覚(バランサー)〟の恩恵です。生粋のインドア派であるこの私に、体操選手のような着地のセンスなんてあるはずもないのです。

 

「あ、ありがとうボーダーの人! 」

「助かったよ、感謝してる! 本当にありがとう!」

 

 嗚呼、避難していく人々がかけてくれる言葉の何と温かいことか。ボーダーに入る前はただひたすらに寝不足の原因でしかなかったこのサイドエフェクトも、きっと人助けのために神様が……

 

「まだ小学生なのにすごいわね。がんばってね!」

 

 中二ですが! 十四才ですが!

 

「ママー、あのお姉ちゃん顔が怖いー」

「こらっ、命の恩人に何てこと言うの! ごめんなさい、気を悪くしないでね。助けてくれてありがとう!」

 

 ええ、良いのですよ。別に。どうせ私なんて、所詮は絶対眼つき悪いことで人生損するマシーンなのです……しくしくしく……

 

「どうしたんだヤト。平気か?」

「え、ええ……」

 

 心で泣いていた私の肩を、三雲先輩がポンと叩きます。できるメガネ先輩は、額の汗を手の甲で軽く拭い、ぐるりと周囲を見回しています。

 

「ぼくのレーダーには敵も市民もナシだ、ヤトの方は?」

「はい、私のもナシです。一般市民もですが、ボーダーの増援も、まだ……」

 

 視界の隅にレーダー画面を呼び出し、確認します。ここら辺一帯には、もう逃げ遅れた市民はいないようです。

 しかし、イルガーの出現からすでに十分程度が経過していますが、いまだにボーダーの増援が来ないというのは非常に気がかりです。ボーダーは、三門市内においてかなり高レベルの防衛体制を敷くことができているハズなのですが。

 

「対応が遅れてる……まさかほかにも、イレギュラー門が……ヤト、あれを!」

 

 三雲先輩の汗が、一瞬にして、冷や汗に変わりました。先輩の指さす方に目を向ければ――川沿いを下流に向かうイルガーの腹には、生体爆弾が蟲の卵のようにびっしりと吊り下げられているではありませんか。爆撃準備は整っているようです。

 

「三雲先輩、下流の住宅地の避難は……」

「まだ、終わっていないはずだ……行くぞ、ヤト!」

「は、はいっ」

 

 走り出した三雲先輩に遅れぬよう、私も全速力で駆け出します。

 嗚呼、木虎お姉さま。きっともう一体のイルガーを華麗に撃墜せんと奮戦しておられよう木虎お姉さま。C級最下位の私と、トリオン切れ寸前の三雲先輩では戦力的に不安しかありません。どうか、どうかお早いお助けをお願いいたします。

 そんな祈りを胸中に繰り返しながら、川沿いの舗装路を下流の住宅地へと走る私なのでした。

 

 

 

 

「よぉ、ボウズ。嬢ちゃん。こんなところで何してんだ」

「ひっ!?」

 

 川沿いの住宅地の中にある、小さな児童公園。公園の四隅にある街頭スピーカーからは避難警報が間断なく鳴り響き、周囲の家々に人影はない。すでに避難は進んでいるようだが……その中にあって、小さな子供が、二人。公園の遊具の陰に隠れて、震えながら小さく縮こまっていた。

 

「かくれんぼをするにゃあ、ちょいと状況がシビアだぜ。おじさん、あんまりオススメしないなぁ」

 

 火の消えた咥えタバコに、くたびれたロングコート、グレーのスーツ。灰色の髪に無精髭、肩幅が広く背の高い、中年の男性。男はまるで酒場のバーカウンターの中でも覗き込む様な仕草で、遊具の上から、兄妹らしい子供たちを見下ろしていた。

 

「い、妹とあそんでたら……きゅうに、びーびーって、なって……に、にげようとしたら、こけて……」

 

 十歳ほどに見える、お兄ちゃんが答える。見れば、イヌのぬいぐるみを抱いた妹の右足首は、遠目に見てもわかるほどひどく、紫色に変色していた。男の眼つきが、一瞬、鋭くなる。

 あの様子じゃあ、骨折もあり得る。まず歩けねぇだろうな。異常な発汗、荒い呼吸。発熱してるな。この短時間で? 色白で、手足もやけに細い……入院生活? 持病アリ、か……?

 

「お、おじちゃん、妹をたすけて! ぼくひとりじゃ、はこべなくて……」

「――ボウズ、どうして一人で逃げなかった」

 

 少年の必死の頼みを、男は質問で返した。いかにも子供の相手をするというようなわざとらしい笑顔を作り、猫なで声で問いかける。

 

「そりゃあ、助けてやるさ。おじさん、大人だからね。でもボウズよぉ、おまえが妹ちゃんをここにおいて、助けを呼びに行けばよかったんじゃあねぇのか。おじさんが偶然、ここを通りかからなかったらどうするつもりだったんだ。ただでさえ――」

 

 男は親指で、空を指した。少年の視線が上を向き、そして凍り付く。

 

「ひっ、あっ……!?」

「あんなデカブツが、近づいてるってぇのによ」

 

 重爆撃型トリオン兵、イルガー。体長数十メートルにおよぶ巨大な空飛ぶ鯨が、公園のほぼ真上に迫っていた。その腹部には生体爆弾を鈴なりにぶら下げ、今にも爆撃をはじめそうな雰囲気だ。イルガーの性能など知らない少年も、本能的にその危険を察知したのだろう。怯え、竦み、泣き出し、悲鳴を上げ――そして妹を守るように(・・・・・・・)覆い被さった(・・・・・・)

 

「――気に入ったぜ、ボウズ」

 

 男はニィっと口の端をつり上げて笑い、咥えていたタバコを、ぽいと投げ捨てた。きれいな放物線を描くタバコが、そのままきれいにゴミ箱に入る。同時、男は古ぼけたロングコートの内ポケットから、それ(・・)を引き抜いた。

 

「トリガー、起動(オン)ッ!」

 

 輝く粒子が渦を巻き、男の身体を戦闘体に換装した。黒を基調とした、ミリタリーテイストの強いデザイン。今はもう誰も着用する隊員のいない、旧ボーダー時代の共通隊服だ。

 

「お、おじさん……ボーダーなの……っ!?」

「んー……まあ、だいたいそんなようなモンだ」

 

 少年の目がこれ以上ないぐらいに大きく見開かれ、戸惑いと共に憧れの色が溢れ出す。男は左手でガシガシと乱雑に少年の頭を撫でると、「頭、低くしてろよ」と言いつけて、公園の中心あたりへと歩み出た。無精髭のざらつく顎を軽く撫でながら、目を細めて上空のイルガーを睨みつける。

 

「死ぬほど久しぶりだが……まあイルガーぐらいなら何とかなるだろ」

 

 すっと自然にかざした男の右手に、トリオン粒子が収束する。武装の実体化――大きい。長い。形状的には、銃型トリガーのようだが……

 

「〝試作重狙撃銃(プロトアイビス)起動(オン)

 

 それは、狙撃手用銃型トリガーの中でも最も大きく、そして破壊力も強大なトリガー、アイビスによく似ていた。しかし、アイビスよりも大きかった。生身のままでは、いかに男が鍛えていたとしてもまず抱えられないであろう、長大な巨砲。それを男は片手で持ちあげ、ほぼ真上に銃口を向けた。

 

弾種選択(ローディング)……〝対装甲貫徹弾(ギムレット)〟でいくか」

 

 銃の機関部にある回転式弾倉(リボルバー)が、ゴトリと重い音を立てて回る。それと同時、なにか銃全体に力がみなぎった様な、目に見えない波がトリガー表面に迸った。

 男の視界に表示された十字線(レティクル)の中心に、イルガーの頭が重なる。引き金に指がかかり、男の口元に野性的な笑みが浮かぶ。まるで肉食獣のようなその笑みは、灰色の髪と相まって、まるで銀色の狼にも見えた。

 

「ざっと四年ぶりの一発だ。遠慮なく持っていけ……っ!」

 

 轟音が、大気を震わせた。それもはや、銃声をこえて砲声。一直線に天に駆け上った対装甲貫徹弾(ギムレット)は、イルガーの分厚い装甲を、コアごと一撃で貫通した。

 赤黒い、トリオンの血煙を上げてゆっくりと墜落していくイルガー。白い巨体が河川敷の草原に落着し、茶色い土塊が巻き上げられ、飛び散る。一拍遅れて、地面が大きく揺れた。

 

「お、おじさん……すごい……!」

 

 数秒続いた揺れが収まると、少年が遊具の影から顔を出した。男はプロトアイビスを解除、トリオン粒子に換えて宙に散らす。そして笑顔の質を変え、子供好きのする優しい顔で頷いた。

 

「もう大丈夫だぜ、ボウズ。嬢ちゃんを病院まで連れて行こう――ボーダーの少年少女も、到着したみたいだしな」

「大丈夫ですか! 逃げ遅れた人は!?」

「ちっちゃい子、と……おじさん……?」

 

 公園に駆け込んでくる、やや長身の男子と、非常に小柄な女子。二人とも、C級隊員用の白い隊服だ。ボーダー本隊の動きが遅いとは思っていたが、まさか見習い隊員が救助活動に当たっているとは。どうやら今の三門市には何か、不測の事態が起きているらしい。

 男は胸ポケットからタバコを取り出そうとして、自分が戦闘体であったことを思い出し、ふぅとため息をついた。

 

「よう、ボーダーのボウスと嬢ちゃん。こっちでチビッ子が救助を待ってるぜ。連れて行ってやりな」

「ありがとうございます。ヤト、あっちの子たちを頼む……ところで、あなたは……?」

 

 男が軽く手を挙げて挨拶をすると、いかにも真面目そうなメガネの男子は怪訝そうに聞き返してきた。男は無精髭を掌で撫でながら、男子を見返す。

 落ち着いた雰囲気だが、まだ中学生ぐらいか。あっちのお嬢ちゃんはそれより小さい……きっとまだ小学生だろう。若い方がトリオン器官の成長度が高いとはいえ、子供を戦わせるのは気が進まない……まあ、兎も角。その年ならば、自分を知らないのも無理はない。

 男は戦闘体を解除し、元のスーツとロングコート姿に戻った。そして今度こそ、胸ポケットからタバコを取り出して、慣れた手つきで火をつけた。

 

「ボーダー特別軍事顧問、砂井応司だ。……〝元〟だがね」

「特別、軍事顧問……ですか?」

 

 その肩書を聞いてもピンと来ない様子のメガネの少年に苦笑いしながら、砂井は味の薄い紫煙をゆっくりと吸い、ゆっくりと吐いた。

 

(くくくっ、年はとりたくねぇもんだなあ。城戸の野郎、俺の功績をちゃんと若人に伝えやがれってんだ)

 

 つい一服だけはしてしまったが、子供の前でタバコなど吸い続けるものでもない。砂井はまだほとんど吸っていない吸殻を、首から下げた細長い携帯灰皿に放り込むのだった。

 

 




☆アナザーワールドトリガーを百倍楽しむ講座☆

《独自設定》
 試作重狙撃銃型トリガー〝プロトアイビス〟

 砂井応司が使用する、特別製の銃型トリガー。
 現在では狙撃手用トリガーとなっている〝アイビス〟と似た外見を持つが、機関部に回転式弾倉を備え、銃身は太く長い直方体、よりSF的なシルエットとなっている。これは、銃型トリガーを開発していくうえで様々な改造を重ねてきた結果であり、現在の回転式弾倉と箱型銃身を備えたプロトアイビスは、正確には7代目プロトアイビスとでもいうべきもの。砂井が特別軍事顧問としてボーダーに参加していた最後の時期に実験中だった「合成弾を銃型トリガーで使用する」ためのセッティングが施されている。回転式弾倉にあらかじめ仕込んでおいた合成弾(最大六発)しか射撃できないが、合成の手間と時間的ロスなしで強力な合成弾を速射・連射できる。




次回 アナザーワールドトリガー
第10話「砂井 応司②」に――トリガー、起動(オン)




 ……以上、第九話でした。次こそ川に落ちた木虎さまには上陸していただき、キリっとした顔で補償だ賠償だと騒ぐ市民共を薙ぎ払っていただきたいと思います。
 感想・批評もお待ちしております。どうぞよろしくお願いします!


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第10話 「木虎 藍④」

みなさま、おはようございます。亀川です。
 毎度恒例となりつつある予告詐欺、今回の主人公は我が女神木虎さまでございます。さすがは女神かつ天使たる木虎さま、新キャラやオリ主、原作主人公を押し退けて早くもサブタイトル四回目。これはもう運命としか言いようがありません。世界が木虎さまを求めているのです。世に木虎さまのあらんことを。

……兎も角。第十話です、どうぞご覧ください。


「よう、オサム。調子はどうだ」

『イルガーを撃った人と合流した。砂井さん……ボーダーの特別軍事顧問……だった、と名乗っているけど』

「ほう。とくべつぐんじこもん。レプリカ?」

『ボーダーのデータベースにハッキ……アクセス。旧ボーダー時代の特別軍事顧問・砂井応司。44歳、男性。既婚。旧ボーダーにおいて、銃型トリガーの研究・開発とその実用試験、および隊員への銃器・爆発物等の取り扱い訓練を指揮・統括』

 

 修たちのいる公園から少し離れた、アパートの上。遊真は黒仮面をつけたままの姿で屋根の上に座り込んでいた。遊真の顔と同じ高さにふよふよと浮かんでいるレプリカが、検索結果をさらに告げる。

 

『自身も銃手(ガンナー)狙撃手(スナイパー)として戦闘に参加。四年半前の第一次大規模侵攻では、特級戦功を受賞。その後の戦闘記録は無し。現在もボーダーに籍はあるが、役職は無し。ボーダー入隊前は、陸上自衛隊中央即応集団特殊作戦群に所属』

「昔からボーダーにいるなら、親父とも知り合いかな」

『ユーゴとの会話中に該当人物の名が出たことはあるが、親しい印象は受けなかった』

「ふーん、そっか。さんきゅー、レプリカ」

 

 遊真はレプリカの頭を軽く撫で、左腕のアームカバーに同化させた。父親とのつながりが薄いのであれば、わざわざ会いに行く必要もなさそうだ。遊真は黒仮面を外し、戦闘体への換装も解除する。生身の――実は、生身ではないのだが――状態でアパートの屋上からひょいと飛び降り、ちらほらとシェルターから出てき始めた市民たちの中に、何食わぬ顔で紛れ込む。

 

「オサム、お前とヤトはどうするんだ。おれは面倒ごとにならないうちに逃げるけど」

『子供を二人、病院に運ぶ……って、そうだ! 木虎はどうなった!?』

「川に落ちた」

『川っ!?』

「ふっふっふー……謎のヒーロー・仮面トリガーが自爆するイルガーを空中に打ち上げ、見事街を守ったのだ。そのとき運悪く、高慢ちきなツンツン優等生はイルガーの背中から弾き飛ばされ……」

 

 「三」の目に「3」の口、顔の横にきらりんと星を出しながら得意げに語る遊真。しかし、調子よさげな語り口が、突如、止まった。

 

「……あれは」

『どうした、空閑?』

「いや、なんでもない。またな、オサム」

 

 遊真はそういうと一方的に修との通信を切り、小走りに駆け出した。向かう先は、川に架かる鉄橋。先ほどのイルガーとの戦闘時に見えた、事故車が横転している現場。

 

「……ただのツンツン女じゃなかったんだな」

 

 遊真はほんの少しの後悔を込めて、一人呟いた。

 横転した車と、それに追突する大型トラック――全身びしょ濡れになった木虎の姿も、そこにあった。

 

 

 

 

 ボーダーの戦闘体には、基本スペックにおいて個人差はない。誰の戦闘体でも軽量刀剣(スコーピオン)で斬れるし、炸裂弾(メテオラ)で吹き飛ぶ。民家の屋根ぐらいなら軽々と飛び越え、瓦礫が落下してきた程度ならほぼノーダメージだ。肉体疲労はほぼ感じず、重い荷物も軽々と持ち上げる。しかしなぜ、ボーダー隊員が生身での筋力トレーニングやランニングに勤しみ、それが実際に戦闘能力に影響を与えるのか。

 それは、〝体を動かすイメージ〟が、実際の動きに影響を与えるからだ。戦闘体が平等なのはあくまでも基本(・・)スペックであり、それ以上の部分は各個人の鍛錬や、生身での筋力・運動能力によるものが大きい。つまり――

 

「んっ……ぐぐ……!」

 

 ――鍛えているとはいえ、まだ15才の女子中学生。木虎藍の細腕に、総重量15tはくだらない大型トラックを持ちあげることは、不可能と言えた。

 川に架かる鉄橋のほぼ中央、横転した乗用車の中に閉じ込められた父親と娘。大型トラックに敷き潰された乗用車は大きくひしゃげ、歪んだフレームがドアの開閉を妨げている。木虎は大型トラックの車体下に手を突っ込み、歯を食いしばって持ち上げようとするのだが……

 

(私……一人じゃ……!)

 

 乗用車の圧潰を防ぐのが、精一杯。もう少しだけでもトラックを持ちあげることができれば、割れ砕けたフロントガラスから親子を引っ張り出せそうなのだが。

 イルガーの背から弾き飛ばされ、川に落ちた木虎。宙に浮かんだ謎の紋章、イルガーへの正体不明の攻撃。気になることは山ほどもあったが、上空から見た逃げ遅れの親子のことが、木虎には放っておけなかった。木虎は岸に上がると同時、濡れた髪も泥だらけになったジャージもそのままに、この鉄橋に駆け付けていたのだ。

 幼い女の子は、気丈にも涙をこらえている。父親は、何とか娘を逃がそうと潰れた車内でもがいているのだが、その肩口から少なくない血が流れている。顔色も悪い。どちらかといえば、父親の方が状況は悪そうだ。

 

「ぼ、ボーダーの人! もう少し、もう少し持ちあげてくれ! 頼む、娘だけでも……!」

 

 その状況でも、なんとか動く片腕で、娘を外に押し出そうとする父親。娘はその父親の腕にしがみつき……いや、違う。出血の止まらない傷口を、小さな掌で押さえているのだ。

 

「だいじょうぶだよ、パパ。ボーダーのおねえちゃん、あらしやまたいのきとらさんだよ。かっこいいんだよ。だ、だから、だいじょうぶなんだよ……っ!」

 

 ――そうだ、私は木虎藍だ。A級五位嵐山隊の万能手(オールラウンダー)だ。ボーダーの顔の一員だ。近界民の脅威から市民を守る、総数一千のボーダー隊員の代表だ。

 

(諦めない……諦めないっ! 諦めるっ、もんかああああっ!)

 

 腕が千切れても構わない。木虎は満身の力を籠めて、大型トラックを持ちあげた。

 しかし、その時。

 

「きゃああっ!」

「ぐああっ!」

「な、何っ!?」

 

 突然の、激震。鉄橋が波打つように揺れる。何とか手を離さずに耐えたものの、大型トラックはより深く倒れ込み、木虎の両腕に先ほどまでの倍ほども重量がかかる。乗用車のフレームが音を立てて軋み、親子の脱出スペースはほぼなくなってしまった。

 

「あ、あれは……もう一体のイルガーっ!? タイミングの悪い……っ!」

 

 木虎の視界の端に、頭部に風穴を開けられて河川敷に墜落した、二体目のイルガーの姿が見えた。爆撃の心配がなくなったのはいいのだが――このままでは、もうトラックを支えきれない。

 

「おねえちゃん! おねえちゃん! パパが、パパがぁぁっ!」

「た、のむ……嵐山、隊の、ひと……娘、だけ……でも……たのむ……」

 

 女の子の悲痛な叫びが、途切れ途切れの父親の声が、木虎の胸を掻きむしる。生身だったら血が出ているほどに歯を食いしばり、力の限りを尽くすのだが、トラックの車体は1ミリ、5ミリ、1センチと沈み込んでいく。もはや木虎の腕力では、時間稼ぎしかできない。その時間稼ぎも、もう長くはもたない。

 

「くっ、うぐっ……もう、一人……誰か……!」

「大変そうだな、キトラ」

 

 何の気配もなく、突然に。背の低い、白髪頭の少年が木虎の側に立っていた。

 

「あ、なたは……三雲修の、友達……?」

「あらためまして、空閑遊真だ。よろしく」

 

 遊真は気の抜けたような「三」と「3」の目と口でしゅばっと片手を上げて挨拶。しかしその表情は一瞬で引き締まり、真剣そのものの眼差しで木虎を見据えた。

 

「もう少しでいい、トラックを持ちあげろ。おれが中の人を引きずり出す。いいな?」

「い、一般人に、こんな危険な作業をさせるわけには! ここは、私ひとりでもなんとかなるわ!」

「キトラ。つまんないウソをつくな。一人じゃ限界だ、そうだろ?」

 

 こんな小さな少年のどこにそんな迫力があったのか、有無を言わせぬ調子で言い切り、遊真は乗用車の近くにしゃがみ込んだ。

 

「よう、聞こえるか中の人。えーきゅーたーいんのキトラが、作戦を思いついたぞ。あとちょっとのガマンだぞ」

「ちょ、ちょっとあなた勝手に」

「三つ数えたらいくぞ。3、2……」

 

 遊真は勝手にカウントダウンを初め、木虎は仕方なく、しかし内心では遊真に感謝しながら、覚悟を決めた。この一動作で、戦闘体が壊れてしまっても構わない。すでに限界を迎えつつある両腕に、最後の力を籠める――

 

「……『強』印(ブースト)二重(ダブル)

 

 ――遊真が何か、呟いた気がした――

 

「……1、今っ!」

「やああああああああああああっ!」

 

 木虎らしからぬ、全力の絶叫。トリオンが木虎の気合いに応えたのか、それとも奇跡的な何かか。先ほどまでの苦戦が嘘のように、トラックはぽーんと吹き飛ばされ、数十メートルも先に落下した。荷台から積荷が散乱し、漏れていたらしいガソリンに火が付き、爆発する。

 

「ほい、救出」

 

 押さえつけるもののなくなった乗用車から、遊真は手際よく父親と娘を引っ張り出していた。父親の腕に縋りついて泣く女の子を無造作にぽんと脇によけ、父親のジャケットの袖を引き千切り、即席の包帯にして手際よく傷口を縛る。

 木虎はその光景を、ぺたんと尻餅をついて、呆気にとられたように眺めていた。

 

「……キトラ。おい、キトラ」

「……えっ? はっ!?」

 

 遊真にぺしぺしと頬を叩かれて、木虎ははっと目を覚ました。その次の瞬間、お腹にどーんと突っ込んでくる小さな女の子。意識と理解が追いつかず、木虎は目を白黒させた。

 

「おねえちゃん、ありがとう! ありがとう! こわかったよぅ! ありがとう!」

「え、あ、はい……いや、私は……」

「キトラ、父親の方は血を流し過ぎだ。早く医者に診せた方がいい」

「あ、うん……そ、そんなこと言われなくてもわかってるわよ!」

 

 木虎はふんと鼻を鳴らして立ち上がり、ボーダー本部への通信を開こうとした。ちょうどその時、避難していたシェルターから出てきたのか、数人の市民たちが鉄橋をこちらへかけてくるのが見えた。

 

「おーい、大丈夫かあーっ!」

「見ろ、ボーダーの人だ! 事故のやつも助け出されてるぞ!」

「担架だ、担架もってこーい! 三門市民病院、近くだったよな! 運び込むぞ!」

 

 続々と現れた市民たちが、状況を見て動き始めた。体格のいい男たちが担架にケガをした父親を乗せて運び出し、エプロン姿の中年女性が、女の子を優しく抱きあげてそれについていく。その去り際に、父親がまだ動く右手を必死に伸ばし、木虎の手を強く、強く握った。

 

「あり、がとう……ありがとう……っ!」

「ありがとうよ。俺らも逃げるのに必死で……どうしようもなくて。後味、悪かったんだ。助けてくれて、ありがとう」

 

 担架を担いでいた金髪の若者が、バツの悪そうな顔をしながら木虎に頭を下げた。

 

「い、いえ、私は……」

 

 木虎は遊真の方をちらりと見て、言い淀んだ。当の遊真はどこ吹く風でピヨピヨと口笛など吹いている。結局、木虎が何と言っていいか迷っているうちに、担架は病院へと向かってしまった。小さくなっていく担架を見送る木虎の顔に、何とも形容しがたい、温かみのある微笑みが浮かぶ。

 

「どうしたんだよ、キトラ。『当然の結果です。私はA級隊員ですから。えっへん』ぐらい言うのかと思ってたぞ」

「べ、別に私は」

「こんな顔で」

「なっ……ちょ、ちょっと空閑君っ!」

 

 木虎のドヤ顔でも真似したつもりなのか、遊真はコミカルな表情で偉そうに胸を張って見せた。木虎はわずかに頬を赤くして大声を出したが、それも一瞬だけ。すっと真剣な面持ちに変わって、遊真をじっと見つめた。

 

「ねえ、あなた何者……」

「ああああああああっ! 我が社の商品がああああっ!」

 

 頭を抱えて絶叫する、上等なスーツ姿の男性。木虎と遊真、そして市民たちの目が、一斉にその男の方を向く。男はばりばりと頭を掻きむしりながら血走った眼で周囲を見回し、ボーダーの隊服を着た木虎を発見すると、ずかずかと足を踏み鳴らしながら詰め寄ってきた。

 

「おいボーダーッ! どうしてくれるんだ、あのトラックは! 億単位の! 我が社の! 商品を! 輸送中だったんだぞおおおおっ! 一体いくらの損失になると思っているッ! 我が社がボーダーにいくら出資してるかわかってるのかアアァァンッ!? 市民の財産を守るのがボーダーの仕事じゃあないんですかねぇぇぇぇッ!?」

 

 唾を飛ばし、恫喝するように木虎に迫るスーツの男。遊真の表情が、一瞬にして変わった。周りにいた市民たちの視線も、その温度が急速に下がっていく。しかし男は周囲の視線など気にも留めていないのか、神経質そうな色白の顔に青筋を浮かべ、一方的に木虎を怒鳴りつける。

 

「億だぞ、億ぅ! おまえらのようなガキのお小遣いとはわけが違うんだ! 商品がダメになったらよォッ! 我が社の社員が路頭に迷っちまうんだよぉぉ! 寄付金でお小遣いもらってるボーダーのお子ちゃまには大人の苦労はわからねぇだろうけどなぁッ、社会人は金稼ぐのに命張ってるんだよぉぉぉぉっ!」

「……おまえな」

「いいわ、空閑君」

 

 拳を握って一歩踏み出した遊真を、木虎は片手で制した。遊真はちらりと木虎の顔を見上げ、そして黙って引き下がった。木虎は無言で頷き、なおも高圧的に迫るスーツの男に、毅然とした態度で相対した。一歩も引かず、むしろ一歩前に踏み込んで。スーツの男は木虎の予想外の行動に、一瞬、たじろぐ。

 

「なな、なんだよガキぃ! 言いたいことでもあんのかッ! 何億って損失なんだぞ、こっちは! どうしてくれるんだよボーダーはぁぁぁぁッ!! 補償だっ! 賠償だぁぁっ! 正式に謝罪しろぉぉっ!」

「ボーダーA級隊員、木虎藍です。イレギュラー(ゲート)の発生に伴う、予測不能の戦闘でした。防衛活動が後手に回ったこと、申し訳なく思います」

「そんな口先なんてどうでもいいんだよ! 金だよ、金ぇッ! 損失をどう埋め合わ」

「詳しくはッ! ……近々ボーダーから正式に発表があります。損害の補償に関する話はその時に。今はまだ非常時です。特にケガ等の無い市民の方には、救助活動にご協力いただくが、おとなしくシェルターに引っ込んでいただきたいのですが」

「アァんッ!? てめぇ、何言ってやがる! 今すぐ上の人間呼んで来い、金の話を……はなし、を……」

 

 ――いつの間にか。木虎とスーツの男の周りには、近くにいた市民たちが十重に二十重に集まっていた。大声を上げるでもない。威嚇するでもない。だた、男性も女性も老人も若者も、小さな子供まで。皆一様に音もなく、冷たく鋭い、しかし強く熱の籠った視線で、スーツの男を睨みつけている。

 木虎は腕組みをして男を真っ直ぐに見つめ、特に強い調子でもなく、ただ淡々と繰り返した。

 

「救助活動にご協力いただくか、おとなしくシェルターに引っ込んでいただくか。お好きな方をお選びください」

 

 

 

 

 ――その日の夜。

 

「ボーダーA級隊員、か……」

 

 半壊し、立ち入り禁止になった校舎。その瓦礫の山の上に寝転がり、遊真は三門市の夜空を眺めていた。それなりの規模の地方都市である三門市だが、それにしては空気は澄んでいるらしい。都会には珍しいほどの星空が、キラキラと輝いていた。

 

『ユーマ。夕方のことを思い出しているのか』

「ああ。キトラ、ただのツンツン女じゃなかったんだな、と思って」

 

 今、オサムとヤトは、トリガーの無断使用やその他もろもろの件について、ボーダー本部で呼び出しを受けている。もしボーダーが組織の体面を保つことを最優先にするような組織だったら、二人はクビになってオシマイだろう。だが、あの親父が「ボーダーを頼れ」と言っていたのだ、そんな狭量な組織ではないはずだ。とはいえ、組織というものは中々面倒で、人を罰するのに理由がいるのと同様に、人を許すのにも一々理由がいる。

 その点、キトラがオサムやヤトの人命救助活動をちゃんと報告してくれれば、プラスの判断材料になるのだが……あのキトラならきっと、オサムへの嫉妬などには左右されずに動いてくれるはずだ。

 

「オサムとヤト、ボーダー辞めさせられなきゃいいけどな」

『……この世界の映像ネットワークにアクセス。該当人物の映像を検索……ヒット。ニュース映像等にオサム、ヤト両名を確認。〝メガネのボーダー隊員が助けてくれた〟〝目の怖い小学生隊員が頑張ってくれた〟他、感謝の声を確認。同様にキトラの映像も多数。好意的な反応が圧倒的多数を占めているようだ』

「そのあたりをうまく使えばなんとかなりそうだけどなぁ。オサムもヤトも、そのあたりの駆け引きというか、裏工作というか……〝暗躍〟みたいなの、下手そうだもんなあ」

『駆け引きや交渉を得手とする人物が、オサムとヤトを支援してくれればよいのだが』

「時々いるよな、そーゆー〝暗躍〟とかが趣味みたいなヤツ。それか、オサムが頭脳派キャラになるかだな。せっかくメガネなんだし、それもありかもな~」

 

 遊真はぷいっと口をとがらせながら軽く言い、ごろりと寝返りを打つのだった。

 

 




《独自設定》
 戦闘体の身体能力

 なぜ、〝賢い筋肉〟こと木崎レイジは、ああも筋肉なのか。筋トレに勤しみ、筋トレを愛し、筋トレに愛された筋肉の化身。その筋肉の躍動はトリオン製の戦闘体においても変わることはなく、鍛え抜かれた筋肉から繰り出されるレイガストパンチは敵のなまっちょろい筋肉など易々と撃ち抜く。入隊直後の初心者・アマトリチャーナに足回りの筋肉を鍛えるべくランニングを課した賢い筋肉の真意は一体どこに。
 拙作では〝動けるイメージ〟が戦闘体の身体能力に影響するという原作設定を拡大解釈し、筋力の補正にも個人で差があるとしています。補正の基準は生身での身体能力。筋トレはそのために有効。
 戦闘体の木虎さまにお尻を思いっきり蹴られても一命はとりとめるというかむしろ我々の業界ではご褒美ですが、賢い筋肉さんにお尻を狙われたら即終了ということですね。(意味深)




次回 アナザーワールドトリガー
第11話「ボーダー上層部」に――トリガー、起動(オン)




 ……以上、アナザーワールドトリガー第十話でした~。木虎さま大活躍。作者、満足。
 進行の遅い拙作ですが、ようやく原作コミックス二巻冒頭部分が終わり、話数で言うと一話遅れで「ボーダー上層部」に突入です。原作では実力派エリートによる沢村女史への華麗なるセクハラから幕を開ける話ですが、このあたりから拙作では展開を大幅に巻く予定です。早くヤトをバトルさせたいので。
 兎も角。次回以降もお付き合いいただければ幸いです。感想・批評もお持ちしております。どうぞよろしくお願いします!


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