女神転生Ⅳ the begin(メガテンⅣ×ペルソナ5) (アズマケイ)
しおりを挟む

遭遇イベント①

ペルソナ5 第1話

20××年に入ってから東京がおかしくなっている。そう、彼は思っている。突然、意識を失い廃人状態になり、大事故を引き起こす運転手、容態が急変して亡くなる政治家。こころ惹かれる事件はたくさんある。エコービルやサンモールでカルト集団の内紛と思われる猟期的な事件が起こったり、ガス爆発によってビルが突然消失してしまう奇怪な事故も起こっていた。彼が一番聞いたのは一瞬で多くのテナントを抱えたビルごと消え去った事故だろうか。竜司や杏から中学時代の友人が消息不明になっていると聞かされた。この事件に心ひかれる。この事故の原因をつくった人間がいたら、きっと極悪人なはずだ。怪盗団続行を決定した時点で必要になってくるのは次のターゲットである。なかなかパレスを形成できそうな大物がヒットしないなか、つぶやかれた言葉だったが建設会社の問題なのか、地盤沈下で地下に飲まれたか情報まちだ。スマホをいじっていた彼に階段から声がする。

 

「いつまで寝てんだ、おい。休みだからって寝坊できる立場かよ。さっさと起きろ」

 

彼はあわてて階段を駆け下りた。

 

「よう。今日はよく寝てたみたいだな、パトカーあんなにすごかったのによ」

 

くあ、とあくびをしながら男は乱暴に涙を拭った。彼はベルベットルームでイゴールたちにこれからについて説明をうけるため、深い眠りに落ちていたのだ。目が覚めるわけがない。たしかにぜんぜん起きなかったなあと足下で少年のような声が眠そうにあくびする。なんのことだと疑問をとばせば、テレビみたほうがはやいといわれる。

 

緊急ニュースが入ってきた、とアナウンサーは告げる。

 

「これで3件目かよ、さっさと捕まえてくれねえと困るっての」

 

佐倉はぼやいた。

 

井の頭公園で猟期的な殺人事件が起こったらしい。またカルトの仕業かね、と佐倉はつぶやく。ここのところ、カルトを思わせる事件が続発しているが、あまりにも陰惨なためかかえってニュースにはされないようだ。ネットの方がよくもわるくも伝達が早い上に詳細だ、真偽はおいといて。犯人がまだうろついてるかもしれないから、吉祥寺周辺は道路封鎖するという。半年もこう似たような事件が続いていると佐倉は教えてくれた。最初は怖かったが最近は慣れてしまってふつうに外出する人間もいるらしい。カルトなんて非現実的な抗争だ、よほどのことがないと一般人はまきこまれようがない。佐倉は気にもとめない。まじかよ怖すぎだろとモルガナは声を震わせた。大いにうなずきたい。

 

「これじゃメシがまずくなるな。テレビ切るぞ」

 

詳細を説明しはじめたアナウンサーに顔をしかめた佐倉は彼がうなずく前にテレビを切った。

 

彼の朝食は喫茶店ルブランの主人お手製カレーである。コーヒーとよく合うカレーであり、ここにやってくる常連はだいたいそのセット、もしくはコーヒー目当てにやってくる。住居は別に持つマスターは閉店後家に帰ってしまう。喫茶店ルブランの屋根裏部屋が彼の居城だ。ルブランとは別に家がある佐倉は閉店するとすぐ帰ってしまう。そうなれば外から鍵をかけられてしまい、外出を禁じられている彼はどこにもいけなくなる。保護観察処分で親元から引き離されて東京にやってきたばかりの彼は、まだ自由に動けるほど信用を勝ち取ってはいなかった。転校初日からパレスという異なる世界に迷い込んでしまい、昼休みにようやく現実世界に帰還、学校に遅刻した。もちろん1年間限定の保護者である佐倉に連絡が行き、それなりの長話があったらしく風当たりはきつくなるばかり。しばらくは大人しく真面目に学生生活を送らなければならない。土日になればなにかと雑用を言いつけられる。さっさとすませて竜司たちと遊びたい。彼はテレビから流れてくる朝のニュースをBGMに、カレーを食べ進めていた。

 

「やっちまった」

 

カウンターの向こうでたくさん並んでいる、選りすぐりのコーヒーをひとつ持ったまま佐倉はため息をつく。スプーンをとめ、どうしたのかと聞いてみれば、にやりと笑みが浮かぶのが見えた。これはやぶへびだったかもしれない。こないだのように夜までこき使われるコースだろうか、と身構えていると、佐倉はちょうどよかったとすっからかんの瓶をおいた。

 

「ストックが切れちまったんだ、買い出し頼むぜ。どうせいつかは行かせようと思ってたしな、ちょうどいい。いってこい」

 

3つ、4つ、と瓶が並べられる。ルブランで扱っているコーヒー豆や入れ方は夜の手伝いのついでに教えてもらっている彼は、それがどれも市販ではないことをしっている。どこで売っているのかまではしらなかった。どこかと聞けば新宿と返される。

 

「神舞供町だ」

 

思わず目を見開く彼になに想像してんだと佐倉は笑った。

 

「安心しろ、田舎もん。未成年がいけねえとこ俺が使いに出すわけねえだろ」

 

『いやいやちがうそうじゃねーよ、さっきのニュース見てなかったのか、この親父』

 

モルガナはじっと佐倉をみる。似たような顔をしている彼に佐倉は肩をすくめた。

 

「大げさなんだよ、吉祥寺なんて遠いだろうが」

 

しぶる彼に、駄賃はずんでやるから、と万札を追加される。しぶしぶ彼は了承した。

 

佐倉は常連の知り合いから彼の両親に相談を受け、身元引受人となっただけでありほとんど赤の他人だ。家庭環境に問題があると家庭裁判所に判断されてしまった以上、地元に彼の居場所はもうない。ここを追い出されたらそれこそ行くところがなくなる。それを連日言い続けている佐倉が問題行動を唆すわけがない。でも、更生を促す立場としては放置がすぎる上に待遇がすさまじく悪い。皿洗いをしたら看板をクローズからオープンに掛け替えてくれ、とついでのようにいわれ、うなずくと素直なとこあるじゃねーかと笑った。いつもこうなら楽なんだがなとぼやかれる。1週間の記録を促され、日記を手渡す。ぱらぱらめくり始めた佐倉は裁判所におくる資料づくりのために預かるぞと一声かけると奥に引っ込んでいった。

 

『かぶくちょうってどんなところなんだ?』

 

興味津々で足下にじゃれついてきた猫の声が頭に響く。隣のイスに上った少年のような声に、彼はスマホの検索結果を提示する。ウィキペディアの受け売りだ。ま、まじかあ、と及び腰なのは彼と同じ反応だ。器用に画面をスライドさせていく猫はペルソナ使い以外にはにゃーにゃーないているようにしか聞こえない。モルガナはついて行く来満々のようで、はやくゴシュジンの仕事片づけようぜとしっぽを揺らして待っている。

 

「にゃーにゃーうるせえな、わかったわかった。ほらメシだ」

 

ふたたび佐倉が帰ってくる。猫用に小さく分けられたそれが皿におかれ、水も用意された。モルガナは待ってましたとばかりに飛びかかる。猫の体ではおいしそうなにおいが漂うカレーが食べられない拷問である、と毎朝嘆いているのだ。毎晩スーパーで調達した夕飯と銭湯の往復を繰り返す彼からすれば、お手製のご飯が用意してもらえる時点で自分より待遇がいいんだから文句言うなという気分である。モルガナの餌箱も洗うのは彼の仕事なのだ。皿を平らげたころ、佐倉がやってきた。

 

「こいつがメモだ、そんで代金。種類間違えるなよ」

 

どうやら事前に連絡を入れるような気遣いは全くする気がないらしい。心配なら電話してけ、とカウンター隅の電話を指さされる。彼はとりあえず電話することにした。電話の相手は佐倉くらいの男性の声で、ルブランと名を告げればいつのまにアルバイトを雇ったんだと驚かれた。タダ働きだけどなとモルガナが茶々を入れる。紙を読み上げると準備しておくといわれた。配送サービスはやってないようだ。個人経営の店なのだろうか、というかルブランのような喫茶店のようだ。てっきりコーヒー専門店だと思っていた彼は拍子抜けである。とりあえずいこう、と準備を整え、彼は土曜の街に繰り出した。

 

 

あらかじめ聞いていた住所を入力したスマホを頼りに新宿地下街の東階段を上る。東口大通りから北の歌舞伎町に入り、北東へ。知る人ぞ知るといった通路を歩いていく。ルブランとよく似た雰囲気の昔ながらの喫茶店があった。やっとついたな、と鞄の中で猫がぼやく。

 

いかにも昭和の雰囲気を醸し出している赤い電話がおいてあり、煉瓦づくりの建物をくぐると年季の入った木製のイスやテーブルが並んでいる。壁にはたくさんの落書きがある。若い客もわりとくるのか、愛想のいい店主が応じた。ルブランの名前を出すと待ってたよとフロリダと名前の入った紙袋を渡された。

 

『せっかくだしなにか頼んでこうぜ、ジョーカー』

 

すでに客はちらほらいる。並々と次がれたイチゴジュース、ぶあつくてふわふわのピザトースト、ピザ、ウインナーコーヒー、たまらずモルガナが顔を出す。彼は無言でチャックを狭めた。彼はおすすめだというウインナーコーヒーを注文した。ルブランとはちがった趣だが落ち着いて話をするにはいい場所だ。

 

『本でも読むか?』

 

たしかに読みかけの本があったはずだ。こんなに落ち着いた雰囲気の喫茶店ならいつもより読むスピードが上がりそうである。お釣りは駄賃だと佐倉からいわれているのだ、ピザトーストを追加で注文して、彼は本を広げた。

 

すっかり読むのに夢中になり、気づいたらお昼ほど近い。着信を告げるブザーが鳴る。午前中はルブランの手伝いで明いていないと知っている竜司たちはこのころだいたい見計らってメッセージを送ってくるのだ。確認してみると竜司だった。

 

「今、暇?」

 

「暇だけどルブランじゃない」

 

「え、どこ?」

 

「神舞供町」

 

「はあっ!?」

 

「の喫茶店」

 

「びっくりさせんなよ」

 

「買い出し頼まれた」

 

「こんな時間まで?どこで道草くってんだよ、俺も混ぜろ」

 

「ならこい、待ってる」

 

「いやどこだよ」

 

スクショを張り付けると、渋谷のゲーセンにいたらしい竜司は、待っててくれと絵文字を最後にコメントがとぎれた。

 

『にゃはは、まだ帰らない気かよ。ゴシュジン怒るぞ』

 

どのみち今日は吉祥寺の事件のせいで警察の目が東京中で光っているのだ。メメントスにいくことはできない。それに未だ捕まらない殺人犯の情報をお願いチャンネルや三島あたりがつかんでくれないか確認するにはこき使われるルブランは向かない。たしかになとモルガナはうなずいた。思いつく検索ワードをメモに羅列してみる。思いつかなくなると彼はこのままお昼もすませるつもりでメニューを広げた。

 

「シュバルツバース?」

 

聞き慣れない言葉が隣から聞こえてくる。視線を投げれば周囲の注目に気づいたらしい青年は声が大きいですよとメガネの男性に冷ややかなまなざしをむけた。声が落とされる。彼はそれとなく聞き耳を立てる。

 

「それ、ほんとうなのかい?」

 

「気になるなら調べてみたらどうですか?東間夫妻、医療チームで乗ってるはずですよ、ニュースにもなりましたしね」

 

「それならボクもしってるよ、2回目なら」

 

「まあ、そっちの方が大ニュースでしたしね」

 

「そっか、君が」

 

「どうです、交渉材料になりませんかフジワラさん」

 

「いいね、いいよ。ボク、君みたいな賢い子供はきらいじゃない」

 

「それはよかった」

 

「なら、君のお義父さんに取り次ぎお願いしてもいいかな、アキラくん。いつもいつも門前払いくらっちゃってね、困ってるんだ」

 

「いいですよ。そのかわり」

 

「うん、わかってる。ボクのもってる情報はぜんぶ渡そう。それでいいかい?」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

彼はカレーを注文した。ルブランとは方向性は違うからお手柔らかに頼むよと笑う。こっちはこっちでうまそうだなとうらやましそうにモルガナはぼやく。ふいに青年がこちらをみた。

 

「ん?」

 

「どうしたんだい、アキラくん」

 

「いえ、なんでも。気のせいかな」

 

「?」

 

モルガナは沈黙した。飲食店に猫はまずい。

 

「まずはなにが知りたいんだい?」

 

「悪魔の目撃情報、きいても?」

 

「準備いいねえ」

 

地図を広げ始めるアキラという青年に、フジワラと呼ばれた男は苦笑いした。

 

悪魔?一般的な会話では聞き慣れない言葉である。なんの話をしてるんだろう、さっきから。カレーを食べながら、彼は耳をそばだてた。

 

シュバルツバースについて知りたがるモルガナに、無言で検索結果を渡す。21世紀初頭、南極に突如出現した謎の巨大空間だと彼は習った。あらゆる物質を飲み込み、拡大し続ける自然災害。国連が有人探索機を送り込み、4隻のうち1隻しか帰らなかった。しかも隊長は殉職、帰還を指揮したのは日本人。彼らの持ち帰ったデータによりシュバルツバースは縮小され、世界はブラックホールに飲み込まれる危機から去り、すでに××年になる。ついでにアキラについて検索をかけると、調査隊だったが帰ることができず、未だどこに亡骸があるのかわからない日本人夫妻がヒットした。どうやらアキラという青年は彼らの息子のようだ。おとうさん、ということは今はどこかに養子になっているのだろうか。こっちの世界もたいがいだな、とメメントスを思い出したのか、パレスを回想したのかモルガナは神妙な面もちである。音量は小さめだ。

 

そのとき、豪快に扉をあける音がする。

 

「おーっす、お待たせ」

 

彼はたまらず竜司をにらんだ。

 

「声が大きい」

 

周囲の視線に状況を察したらしい相方は、周囲にすんません、と謝りながら彼の向かいに座る。

 

「わりい、わりい。まさかこんな雰囲気あるとこだとは思わなくてよ」

 

「外から見えるだろ、ちょっとは察しろ」

 

「だって窓際はみんなしゃべってる感じだからさ、つい」

 

たしかに主婦層が目立ち始めている。彼は肩をすくめた。

 

「ここっておすすめなんだった?」

 

「カレー」

 

「はは、ほんとそればっかだな、お前。どんだけカレー好きなんだよ。いや、ルブランのカレーうまいけどさ」

 

「トーストもいける」

 

「んー、ならカレーかな。がっつりいきてえし」

 

すんませーん、と竜司は声を上げる。彼はコーヒーのお代わりを注文した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

遭遇イベント②

大衆の共有する意識によって作り上げられた起源不明の異なる世界、メメントス。現実世界の天候が反映されるそこは、その広大さに加えて、無数のシャドウが徘徊する迷宮となっている。一度の探索で踏破できないほどの難易度だというのに、内部の構造は出入りするたびに変化するというのだから、入念な準備が求められる。

 

 

破棄された地下鉄に毛細血管のような導線が張り巡らされ、そのさきは常に闇。機能している路線もあるのだが、シャドウで満員となる地下鉄はずっとずっと奥まで彼らを運んでいる。その先はどんな場所なのかわかったものではなく、定期的に走る列車を追いかけるほどモルガナカーはスピードが出ない。ひかれでもしたら死ぬ。それでも、大衆が怪盗団を知るたびにメメントスは怪盗団を受け入れていき、奥へ奥へと進入を許し、顔パスできる範囲は着実に広がっている。その最も深い階層あるお宝を求めてモルガナは侵入を試みたが、一個人の欲望が強大すぎるためにひとつのエリアとなってしまう現象が頻発し、その時発生する歪みによって今の姿になり記憶がなくなってしまったらしい。怪盗団が活動するのは、人々が怪盗団の存在を信じ受け入れ、大衆意識を変えることでメメントスへの侵入を容易にする目的もあったのだった。そこでは多くのアイテムを入手することができるのだが、出所不明のお宝を事情も聞かずに買い取ってくれる店はそう多くない。

 

 

渋谷のセントラル街にあるミリタリーショップは、怪盗団の装備を調え、換金も出できる貴重な資金源だった。メメントスやパレスでは、モデルガンは本物に似せてあればあるほど、本物だとシャドウが勘違いしてくれれば銃弾が勝手に補充される仕組みになっている。だからこそ、裏通りに構えているこの店の主人のカスタマイズ技術は、かかせないものだった。人相が悪く口も悪い店主は昔やくざだったとの噂もあり、それなりに危ないつきあいが今でもあるのか、時々警察が出入りしたり怪しい人間が出入りしたりしている。定期的に出所不明のお宝を持ち込み、モデルガンの改造を頼む謎の高校生に、店長の岩井はバイトをすることを条件に応じてくれた。指定された場所への運び屋、相手とのやりとり、そして交渉中の見張り、危険性がひくいもの、という条件をこちらがつけたこともあり、ちょっと危険なアルバイトは怪盗団をする上での予行練習みたいな側面があった。

 

 

今日はクラスメイトの三島が運営している怪盗お願いチャンネルにあった、複数の依頼を達成したためお宝がたくさん手には入った。パレスが形成される一歩手前のシャドウは、倒すとその欲望を吐き出していく。メメントスから出ればよく似た偽物ができあがるので、よく似た贋作ということで岩井は引き取ってくれた。

 

 

「毎度思うが、ほんとどっからこんなもん仕入れてくるんだ。よっぽどお前の方があぶねえことしてんじゃねえのか」

 

 

深入りする気はみじんもないが、ダイヤモンドにパール、サファイアと鑑定すれば恐ろしい完成度の紛い物、といわれるだろうお宝の数々。保証書がなく出所不明のものを定期的に売りにくる高校生。岩井はなんとなく彼の正体を勘ぐっているようだが、深入りしないのはお互い様だと軽口をたたく程度である。ばれないと思ってる方がおかしいので、そっとのほうが彼としてもありがたいのだった。

 

 

「でもま、そのおかげで新しい取引先が見つかったから感謝するぜ」

 

 

なんのことだと疑問を投げれば、さきほど買い取ったばかりのメメントス産のダイヤモンドを手に、岩井は笑う。

 

 

「ちょっと大口の取引先なんだがな、お前から買い取ったこの宝石どもはまとめてそっちに卸すことにしたんだよ。流すルート調節する手間が省けてありがてえ上に、結構でかい取引してくれることはもう契約済みだ。礼として、ちょっとはグレードあげてやるよ」

 

 

モデルガンが本物に近づけば近づくほど、メメントスでは絶大な威力を発揮する。現実世界ではたんなる良くできたおもちゃでも、あちらでは状態異常や属性攻撃を付与できる。願ったりかなったりである。彼はありがたいと笑った。ほんとお前ぶれねえなと岩井は笑う。岩井の中では筋金入りのガンマニアに勘違いが加速しているが、直に交渉したいというかと思ったというつぶやきには首を振らざるを得ない。怪盗団としての活動は匿名が絶対だ、正体がばれたら保護観察処分をくらっている身の彼は一発で少年院に送られる運命にあるのだ。岩井が仲介してくれるなら、それにこしたことはない。

 

 

「ま、報酬ははずんでやるから期待しろ」

 

「大丈夫なのか?」

 

 

さすがに心配になった彼の声に、岩井は口をつり上げる。

 

 

「心配しなくても、俺もお前もやべえことにはならねえから安心しろ。津木のことはよく知ってる、今の仕事する前からな。義理堅い上に口が堅い。それにこの取引だって公にゃできねえんだ、お互いそこはわきまえてる。建前ではな」

 

 

建前、の言葉に彼はひきつる。岩井は楽しそうに肩を揺らす。

 

 

「俺が前いたところと同じだろうって?いや、違うな。むしろ俺たちが捕まる側だ」

 

 

仰天する彼にいよいよ笑いがこらえきれなくなったのか、いつも冷静沈着でやけに肝が据わっている高校生が狼狽するのが楽しいのか、声を上げて笑った。ひとしきり笑ったあと、岩井は引き出しから名刺ケースを取り出し、1枚彼に手渡した。

 

 

「これが新しい取引先だ、覚えとけ。いいな」

 

 

岩井のいうとおり警備会社である。彼もよくしっている会社であり、イベント会社や警備会社、人材派遣会社など手広くやっている大手企業である。CMや広告はよく目にする。その警備会社はその大企業グループの支社であり、東京駅ほど近い場所にある。岩井からの意味深な言葉を聞いてしまうと意識してしまうのは霞ヶ関である。霞ヶ関ってまさか警察かなにかのOBがやっているのかと疑問を投げれば、その程度の想像はできるみたいで安心したといわれてしまう。津木という男はここの警備の部門を担当する人間のようだ。警備会社がなぜ偽物の宝石をほしがるのかよくわからないが、さすがに教えてくれそうな雰囲気ではない。

 

 

「さっそくだが行ってくれるな?」

 

『い、今からか!?スパルタだな、イワイ』

 

 

ぎょっとしたのは彼も同じである。

 

 

「今回ばかりはお互いご挨拶程度だ、心配すんな。これから運ぶ場所の確認をしてもらいてえだけだ」

 

 

岩井が提示したのは、3カ所である。井の頭公園、喫茶店フロリダ、そしてミッドタウン。今回の指定先はミッドタウン。チケットを渡される。どうやら予約席のようだ。相手が女の人だったらいいのになとモルガナはあからさまにがっかりして見せた。なにが悲しくて男二人、ミッドタウンのおしゃれなレストランでカスタマイズした銃なんて危ない代物を交換しなきゃいけないんだという話である。困ったように髪をいじる彼だが、岩井から渡された時間が刻々と迫っていることに気づいて、あわててミリタリーショップを後にしたのである。

 

 

 

スマホ片手に乗り換えを繰り返し、ようやくたどり着いた東京都で一番高いビルを見上げ、でけー、とモルガナは興奮気味にいう。ショッピングセンター、オフィスビル、ホテル、美術館、医療機関、いろんな施設で形成されているが、今回用があるのは一番メインとなるビルだ。指定されているのは、4階にあるレストランだった。いってみると、すでに用聞きはすんでいるのか、あっさりと通されてしまう。貸し切り状態なのか、警備会社の重役の取引とでもスタッフたちは思っているのだろうか、営業スマイルは全開である。ガーデンテラスには、すでに先客がいた。

 

 

「あれ、君は」

 

 

そこにいたのは、名詞にある古めかしい名前から想像される男性ではなかった。彼は一度だけみたことがある。喫茶店フロリダで記者と思われる藤原という男と謎の会話をしていた青年だ。たしか名前はアキラ。悪魔なんて単語が飛び出す奇妙な会話が気になり、何度か喫茶店フロリダに足を運んでいたのだが結局一度も遭遇できずだった。でも、どうやら覚えていたようだ。

 

 

「喫茶店フロリダにいたよな?」

 

 

うなずけばやっぱりとアキラは笑った。

 

 

「もしかしなくても、来栖暁って君のことか?岩井さんが雇ったバイトのガンマニアの高校生って」

 

 

どうやら岩井はこの警備会社によほどの信頼をおいているらしい。

 

 

「奇妙な縁もあるもんだね、一度ならず二度までもとは。僕は××警備会社の津木アキラというんだ、よろしく」

 

 

アキラは名刺を差し出す。今年入ったばかりだから着られてるでしょこれ、とセンスのいいスーツを指さし、アキラは笑う。新入社員らしい。下っ端は大変だよねと彼がじぶんより年下の高校生、しかもバイトだと岩井から聞いていたらしい。としるやアキラはあっさりと警戒心をといていた。津木?この間藤原から盗み聞いたときは、東間だった気がする。やはりこちらが今の名前なのだろう、両親が不慮の事故で行方不明になってからもう何年もたつのだ。身寄りがなければ養子になって名字がかわることもあるだろう。

 

 

「君も岩井さんの代理?」

 

 

そうだ、とうなずけばやっぱりとアキラはため息をついた。

 

 

「だからこんな高いところやめとけっていったのに。予約しといて、柄じゃないからいってこいとかお互い苦労するよね。まあ、代金はもう払ってあるし、食べちゃおうよ、もととらなきゃもと。あ、敬語とかいらないよ、気楽にいこう。どうせ秘密のバイトみたいなもんだしね、お互いさ」

 

 

余計なところで見栄はっちゃって、と上司に向けるにはあるまじき暴言の数々である。もしかしなくても、アキラは津木という男の養子となっているのだろう。想像していたよりもラフな感じの夕食となりそうで彼はほっとした。

 

 

「僕、シュージン卒なんだけど、来栖くんは?コーセイかい?」

 

「シュージンだ。今年の春、越してきた」

 

「へえ、そうなんだ。意外だな、来栖君はコーセイっぽいのに」

 

「そうか?」

 

「うん、真面目っぽいし、冷静沈着って感じだし。ずっと僕のこと観察してるみたいだしね。あ、でも、ガンマニアっていうならシュージンもありかな、結構な個性的なやつ多いでしょ?」

 

「ああ、たしかに」

 

 

竜司や杏、生徒会長、個性的な先生たちを思いだし、彼は大きくうなずいた。

 

 

『それお前も含まれてるぞ、ジョーカー』

 

 

えっ、という反応をする彼に、モルガナはおいおいとじとめである。

 

 

立ち話もなんだし座ろうと促され、彼は向かいに腰掛けた。こだわりの厳選野菜や自家製ハーブを取り入れ、素材重視のフランス・イタリアンを軸にした創作料理の店のようだ。桜の季節はもうすぎてしまったが、初夏の兆しが濃厚な緑の木々が目下に広がる公園はライトアップされていて、それなりに見応えがある。彼女とイルミネーション見に来たほうがよっぽど有意義だ、不毛すぎる、男二人とか、いないけどさ彼女なんて、とアキラはぼやいた。なかなかおもしろいやつだとモルガナはにやついている。上質な素材を使った上質なコース料理なんて滅多にこれるもんじゃない。打ち上げでつかった高級ホテルのビュッフェとはまた違った楽しさが味わえそうだ。

 

 

「すいません、ベジタリアンコースありますよね、ここ。追加してもらってもいいですか?支払いはここに」

 

 

ちゃっかり養父の名刺を差しだす。領収書をお願いする。経費で落とすつもりらしい。大丈夫なのだろうかそれ。ちょっと心配になるが彼はなに

もいわなかった。それよりベジタリアンコースの方が気になる。そういう主義なんだろうか。

 

 

「え?変更か?違いますよ、もう1コース追加してください」

 

 

は、はあ、と戸惑いながらもスタッフは引っ込んでいった。

 

 

「一応貸切だし、話は聞かれないと思う。だからさ、出してあげたらいいんじゃない?モルガナくん、いや、ちゃん?変わってるよね、喋る猫」

 

 

彼とモルガナは凍りついた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

遭遇イベント③

怪盗団アジトの会話を録音した生徒会長は、その音源を再生しながら顔面蒼白の彼らに条件を提示した。校長先生に提出するまで2週間の期限を与える。現在高校生を中心に、あらゆる手段で弱みを握られ、運び屋などをさせられる被害が渋谷で多発している。その犯罪の元締めを改心させろ。それができたら通報はやめる。心の怪盗団を自称するなら、これくらいたやすいだろう、君たちの正義を見せてほしい、と不敵に笑った。最初から最後までリードを握られてしまい、おもしろくないと竜司は舌打ちをする。なんなのあの上から目線、と杏は去っていった生徒会長の後ろ姿に不機嫌さを隠さない。

 

『気をつけろよ、お前ら。相手はなかなかの切れ者だ、気持ちはわかるけどここは条件をのもうぜ』

 

「でも名前すらわかんねーんだろ、どうやって探せっつーんだよ」

 

「そうそう。つーかなんでそんなこと生徒会長が私たちにお願いしてくるのかな?そこがよくわかんないんだけど」

 

「ほんとにな。どーするよ、リーダー」

 

「まずは情報を集めるしかないだろう、被害にあった生徒から一味の活動場所を聞き出して、末端を捕まえて、そこから名前だけでも聞かないと」

 

「そうだよなあ」

 

心の怪盗団には流儀というものが存在する。まずは大衆の共通意識であるはずの迷宮メメントスから、あまりに強大すぎる意識を持つために独立してしまったエリア、通称パレスを特定しなくてはならない。アクセスするアプリを起動するには、まずパレスの持ち主の名前、そしてその持ち主が固執している場所、そしてそれをなんと認識しているのかキーワード検索してヒットしなければならない。たとえば怪盗団の初仕事だった体育教師の鴨志田は、オリンピックも経験したバレーの実力者であり、私立の知名度を上げるために召集された経緯があるため表だって悪行を告発できない土壌ができあがっていた。ある程度の違法行為は黙認され、隠匿され、そして生徒は我慢を強いられる環境は、好き勝手できる城のようなもの、と無意識のうちに考えていた。そのため、鴨志田、学校、城、と検索すればパレスに侵入することができる。今、怪盗団に生徒会長からもたらされた情報は、正直なにひとつないのである。名前がわからない、どこで悪行をしているのか渋谷という漠然とした場所しかない、あとどんな場所だと勘違いしているのかなんて連想しようがない。たった2週間で3つも検索ワードを見つけなければならないのだ。かなりの突貫工事である。

 

「でもさ、それが正義だって思ってたらどうするの?パレス自体なかったりして」

 

『それが一番やっかいなとこだな、正直パレスがないと我が輩たちはお手上げだ』

 

うーむ、とみんな頭を悩ませる。高校生相手に搾取を繰り返す犯罪者集団の頭は、今の現状を無意識のうちに悩むことなんてあるのかと。そもそもパレスは正常な状態であれば存在しない。メメントスの中に溶けていく。パレスは持ち主がどこかおかしい、どこか間違っている、なにか違う、認識はどうあれ何か思うところがあってこそ発生しうるものなのだ。その核となるものを取り除くことで、凝り固まった視野が一気に開け、持ち主は自由に思案し、思考し、その結果改心につながっている。簡単にいえば、根っこがまともであることが前提なのである。ただパレス自体が存在しないことがある。たとえば端から見ればいくらゆがんでいたとしてもそれが本人にとっての正義、信念、あるいは平常時となんらかわらない場合。それは本人の認識と心の感情が一致しているため、ペルソナになりえることはあってもパレスにはなり得ない。怪盗団が洗脳ではなく改心というのはそのためだ。人間は三大欲求で生きている。それもメメントスを形成するお宝だが、それを盗むことは廃人になることを意味する。あるいは精神を書き換えてしまうことにつながる。そうではなく、パレスを形成する、あるいは形成しうるほどその人間のあり方を根本からゆがめてしまう欲望限定で盗むことが怪盗団なのである。だから自然とねらうのは大物だ。小さなお宝を盗んでしまうとその人にとっては洗脳になってしまうこともありうる。

 

 

「まあ、たしかにそうだな。でも、もしパレスがあって、改心に成功したらどうなる?」

 

どこか楽しげな彼の声に、反応したのは竜司だった。

 

「やっべえ、興奮してきた。怪盗団の知名度、やっべえことになんじゃねーの?」

 

「そっか、たしかにぜんぶ自白しちゃうんだもんね。警察すら手がだせない大物だっていってたし」

 

「怪盗団がやったと世間が認知すればメメントスのさらに奥までいけるはずだ。やってみる価値はあるだろ?」

 

「失敗したら警察に捕まるけどな!」

 

『背水の陣ってわけか!さっすがは我が輩の見込んだ男だぜ、ジョーカー!よーし、しばらくは情報収集といこうぜ、おまえら』

 

メンバーがやる気を出したところで、話が変わるんだが、と彼は1枚の名刺を差し出した。

 

「んだこれ、警備会社?なんだよ、バイトでも見つけたのか?」

 

竜司の言葉に彼は首を振る。そして、先日の土曜日に起こった一連の出来事についてかるく説明した。

 

「はああっ!?んだよそれ、まさかモナと会ったことあんのか?」

 

『そんなわけないだろ、竜司。こっちの世界の我が輩にわざわざフルコース注文するなんてあんなおもしろい奴一度あったら絶対覚えてる』

 

「ああ、たしかにモナが男か女かもわかってなかった。初対面だと思う。しゃべる猫だと思ってたしな」

 

「ペルソナ使いとか?」

 

「そこまではさすがにわからないな」

 

「もしかして、斑目がいってたメメントスを悪用してるやつと何か関係あるんじゃない?」

 

『我が輩もちょっと思ったんだが、あのミリタリーショップ経由で知り合ったからな。下手に探りをいれてこっちつつかれても困るんだ。あそこにはパレスやメメントスのお宝持ち込んでるからな』

 

「んだよ、次から次と問題出てきやがって、めんどくせえ!」

 

「これくらいの方がおもしろいじゃないか」

 

「楽しそうだなあ、おい」

 

いつまでも中庭の自販機コーナーでだべっている訳にもいかない。別の高校に通っている新しい仲間である喜多川と合流するため、彼らは渋谷駅に向おうとした。

 

「あれ、通行止め?」

 

「うわ、まじかよ。これじゃ通れないじゃねーか」

 

『そういえばパトカーがやたら多かったな』

 

「なんかあったのかな?」

 

「でもなんも聞いてなくね?でけえ事件なら早くかえれってなるだろ、ふつう」

 

「そうだね、どうしたんだろ?」

 

モルガナが入っている鞄がやけに重く感じた彼は、ふと鞄に目を落とす。ぎょっとした彼はあわてて竜司たちを呼んだ。振り返った二人は、メメントスでもパレスでもないのに、二足歩行の黒猫となっているモルガナに絶句する。あわてて自分の姿を確認するがさいわい学生服のままだ。鴨志田のパレスを攻略しているときは学校が舞台だったからなんら違和感はなかったが、パレスは核となる劇薬レベルの欲望を奪われると大衆意識と同化してなくなってしまう。鴨志田のパレスがなくなってからは、このあたりまで広がったメメントスを攻略する以外怪盗団として活動することはなくなっている。だから晴天の霹靂なのだ。モルガナが二足歩行の黒猫のような生き物になるのは、メメントスやパレスといった世界に限定されている。だから現実世界とそちらの世界の区別ができないくらい忠実に再現された世界でも、モルガナを見ればどちらか判断することができる。モルガナがこの姿ということは、ここはメメントス、もしくはパレスだろうか。そちらの世界に入るアプリは起動すると問答無用で周囲の人間を巻き込んでしまい、自由に行き来ができるモルガナすら気づかないことの方が多いのだからやっかいである。もしかしてなにかの罠だろうか、それとも気づかなかっただけで誰かのパレスがヒットしてしまったのだろうか。彼らはスマホを操作してみるが起動した形跡がない。というか、メメントスやパレスを表示しない。現実世界であちらの世界にいくときの検索モードのままである。彼らは混乱した。これは現実世界だといっている。でもモルガナは。

 

「おいおい、なんだよこりゃ」

 

「モナがこっちの姿ってことはここってメメントス?」

 

「いや、違うな。お前等が怪盗の姿になってない」

 

「モナがこの姿になったのは、このあたりからだ。ちょっと調べてみよう」

 

彼は慎重にすれ違う生徒たちに気づかれないようモルガナを隠しながら歩いてきた道を戻る。パトカーが封鎖するように立ちはだかる通学路から離れるに従い、鞄が軽くなっていく。気づけばモルガナは黒猫の姿に戻っていた。

 

「わけわかんねえ、なんだこれ」

 

『聞きたいのはこっちだ』

 

「ほんとにね、なんだろこれ。こわいんだけど」

 

「現実世界とメメントスの境界が曖昧になってるのか?」

 

「え、なにそれ怖い」

 

「洒落になんねーこというなよ、暁」

 

竜司はひきつった笑みを浮かべる。彼は歩きなれた通学路を見渡す。意識を集中させると青い扉の前で囚人録をくるくる回して遊んでいる双子の片割れを見つけることができた。

 

 

「牢獄が恋しくなりましたか、囚人」

 

「なんで君がいるんだ。今までベルベットルームのアクセスポイントじゃなかっただろ」

 

「すでにわかっているのではないですか。メメントス、パレス、あなたの更生を促進する場所ならば扉は開かれるのです。どのようなところにも」

 

「つまり、今のこのあたりはメメントスだっていいたいのか?」

 

「そういうことです」

 

彼はためいきをついた。意味が分からない。メメントスなら登下校している生徒たちはなんの違和感も持たないまま歩いていることになる。この先は最寄りの駅だ。駅の真ん前に学校はある。その通学路を封鎖するようにパトカーがあるせいで、生徒たちは迷惑な顔をしながら一つ先の駅を目指して歩いている。

 

「境界はこの辺、ゆがみの中心はどっちだ?」

 

「あそこです」

 

彼女が指さすのは駅である。彼が嫌でも連想するのは破棄された地下鉄で構成されている広がり続ける謎の迷宮、メメントスである。パトカーさえなければ警戒したが、KEEPOUTの線が張られ、両脇を警官が固めているのだ。近づくことはできない。ここがメメントスというならペルソナ能力はつかえるはずだ。怪盗のときのように身体強化したペルソナの力を駆使して不能侵入という手もあるが、いかんせん一般人もいることを考えると通報されたら困る。考えあぐねていると彼女は不思議そうにいった。

 

「変なことをいいますね。あれが人間にみえるのですか。あなたの目は節穴のようですね、囚人」

 

「なんだって?」

 

その意味を彼が問うより先に、ずっと警官たちを見ている彼らに気づいたらしい警官が近づいてくる。やばい、と思ったらしい杏たちは、野次馬です、と不自然な敬語で返した。警官は不自然に沈黙したまま、目深にかぶった帽子の向こうから不自然に赤い目を向ける。

 

「本日より・・・・・・新たな・・・を配備・・・」

 

「え?なんかあったんすか?」

 

「本官の・・・術・・・・・・貴様・・・も・・・・・指導ッ」

 

躊躇なく拳銃が抜かれる。ぎょっとした竜司はちょ、ちょっとたんまと叫んだ。

 

「・・・を・・・・・へ移動させるか?ならば・・・突入・・・・・・・許すまじ・・・・・・」

 

90度曲がってしまった腕を回し、むちゃくちゃな方向から無線を始めた警官は、その先にいる彼に目を向けた。

 

「本部・・・・応答せよ・・・・!逃走中の・・・・・・怪盗・・・発見ッ・・・!さあ、観念しろ・・・・本官・・・・・・からは・・・逃げられんッ!」

 

「暁、よけろ!」

 

「逃げて、暁!」

 

乾いた音がする。モルガナの悲鳴が遠い。ガラスが砕け散る音がした。

 

「なにを突っ立っているのだ、怪盗共。我がそんなに珍しいか」

 

地の這うような声がした。彼とモルガナの前に立ちふさがり、放たれた銃弾をいともたやすく粉砕して見せたのは牛の獣人である。

 

「我らによく似た者共を相手にしているとみたが、我をみたことはなかったか」

 

ちょっと残念そうに化け物はいう。

 

「まあいい、その異形の力が飾りでなければ我が主に力を貸せ、怪盗共。我を退屈させてくれるなよ」

 

「お前は?」

 

「忘れられし我が誇り高き名は、我が主のみが口にすることを許される。この唯一至高の古き盟約により、貴様等にはこの名を呼ばせてやろう。我が名は邪獣ミノタウロス。

コンゴトモヨロシク」

 

「モナ、こいつはペルソナなのか?」

 

彼の問いかけにモルガナはぶんぶん首をふる。

 

「ちがう、こいつはペルソナじゃない。シャドウでもない。人間がもっていいもんじゃない!」

 

「そこの人形はよくわかっておるではないか。よもや逃げるなどするまいな?貴様等も我が主と同じならば誇り高く戦い抜いて見せよ」

 

「に、に、人形ってなんだよ!我が輩そんな暴言はかれたの初めてだぞ?!せめて猫にしろ、人形ってなんだよ、我が輩がそんなにかわいいからってなああ!」

 

「モナ、落ち着け。いってることがむちゃくちゃだ」

 

「だ、だってよ、ジョーカー」

 

「さあ、覚悟を決めるがいい、怪盗共。ここからは空虚な言の葉ほど無意味なものはない。聞くだけ無駄な言葉などいらぬ。死して血の海に溺れるか、決意を新なる強さに変えるか、ふたつにひとつだ。さあ選ぶがいい。これより世界は戦場となる」

 

ミノタウロスと名乗った化け物がそう宣言した瞬間、世界は彼らの知るメメントスとよく似た異空間に様変わりした。人々がいる日常は塗りつぶされ、メメントスが覆い隠してしまう。そしてパトカーに乗っていたゾンビと化した警察官が大群となって襲いかかってきたのである。

 

 

彼はペルソナ能力が使えると確信した。根拠はなかったが、それはみんな同じだった。襲いかかってくるゾンビをアルセーヌの火炎攻撃で焼き払い、ナビゲートモードに入ったモルガナが弱点を記憶する。背後ががら空きだよ、という聞き慣れた声に、彼は振り返った。斬り伏せられたゾンビコップから黄緑色の光があふれ出す。どろりとした液体となり、それは溶けてしまった。

 

「こい、アエーシュマ!」

 

「わたくしはアエーシュマ、憤怒と激怒の帆を張りて、血の荒海を渡る者。貴方には残忍なる舵取りを任せましてよ。さて、我が主はなにをお望みかしら?」

 

「わかってるだろ、アエーシュマ。辺り一帯のゾンビコップに蜃気楼だ」

 

鮮やかな光に満たされたゾンビコップたちは幻に惑わされ、ろくに攻撃が当たらなくなる。これはチャンスだ、と彼は杏にバトンタッチした。高火力の火炎地獄があたりを覆い尽くす。一瞬にして化け物たちは焼き尽くされたのだった。こ、こわかったあ、とへたり込む杏に、下手なゾンビ映画より迫力あったな、と竜司は軽口をたたきながらも心臓の音がうるさいらしく息が荒い。大きく息を吐いた彼はアキラに礼を言う。いつのまにか加勢してくれていたミノタウロスたちの姿がない。

 

「会うのは3度目だね、来栖くん。もうこれは偶然じゃないな。僕の仲間を解放してくれてありがとう」

 

「仲間?」

 

「彼らは悪魔に殺されたあげく、使役されてしまったゾンビなんだ。僕の本職はこっち。コンゴトモヨロシクね」

 

アキラが見せたのは警察手帳によく似た身分証明書である。

 

デビルバスターズ、有り体に言えば悪魔討伐隊。詳しくは君のお仲間さんとどこかで話そうかと提案され、彼らが拒否することはなかったのである。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

遭遇イベント④

20xx年、かつて日本が資源のない国だったといったら、笑われる時代になっている。今や日本海溝に繋いだパイプラインからアジアに向けて電気を輸出するほどのエネルギー強国にのし上がったのには、理由があった。

 

航空自衛官を4年間つとめ、政治家に転向したその男は、43歳にして防衛大臣に任命される。海外の軍事情報をはじめとする各種情報を扱う日本最大の情報機関を通して、世界の動向に不信感を抱いていた彼は、対等に渡り合う手段として新しいエネルギーをシュバルツバースに求めた。かつて世界の危機であった存在も縮小、消滅の実績がある今は違う。制御できることが証明された今、それを利用することができれば、きっと日本は途方もない技術を手に入れる。

 

 

 

某国と繋がりを深める中でその機密情報を入手し、内閣府の了承も得て防衛省地下で始まった研究は思わぬ方向に向かって転がり出す。シュバルツバースの研究に外郭団体である量子物理学研究所をはじめとした様々なスタッフ、施設を投入した結果、彼はついに究極のエネルギーを手にする。東京すべての電力を補うだけでなく、海外に輸出することも可能な夢のエネルギー。無限発電炉ヤマトはこうして生まれた。

 

 

そこに至るまでの副産物で、瞬間転送装置、通称ターミナルを開発にも成功する。物質を電子情報に置き換え、瞬間的に移動させるシステムは、間違いなくこれからの日本の武器になる。その確信は現実となり、ターミナル技術は今の日本にとってなくてはならないものとなった。

 

 

ここまでなら現役高校生の来栖たちは、社会や公民の時代に習ってきたことである。アキラはそれとなんの関係があるのだといいたげな怪盗団にいう。

 

 

「君たちは学校でこう習ったよね?高速増殖炉もんじゅに失敗した時点で、核を再利用は無理だと言われたのにたった××年で同じ技術を成功させた。奇跡だ。実際は違うんだ。タマガミさんが求めたシュバルツバースは、簡単に言えば現実世界を飲み込むレベルで成長しつづけるメメントスみたいなもんだった、といえばわかるかな?」

 

『おいまてこら、怖いこというなよ。まさかタマガミってやつは人工的にメメントス作ろうとしやがったのか!?』

 

「そのまさかだ。シュバルツバースはもう解析されてる。制御可能な自然現象だ。ただちょっと精神世界と人間世界に穴を開けてエネルギーを拝借してるだけ」

 

「メメントスってみんなの意識でできてるんじゃないの?」

 

「それがエネルギーに変換できる技術を教えてくれる奴らがいたのさ。精神世界の住人だ。そいつらはそのエネルギーでできてる。それが悪魔、僕たちの恐るべき隣人だ」

 

 

ここから先は養父からのまた聞きになるとアキラは注釈をいれる。

 

 

しかし、待望のヤマトの試運転の際、突然ヤマトが虚数というあり得ない数値を叩き出し、同じ原理で連結して動いているターミナルも暴走、ありえない座標とありえない移転ルートを開拓、その先にいたのは人知を越えた存在、悪魔だった。

 

 

 

彼、いや彼女は、無限発電炉ヤマト、ターミナルが彼らの住む魔界のエネルギーを無断で借用することで実現していることをつげ、ヤマトを使う限り魔界と地上はつながったままだと警告にきた。その言葉を証明するために人知を越えた力を見せつけた彼女に、ヤマトの試運転に立ち会っていた彼は会談を持ちかける。そこで行われた秘密会談の内容は不明だが、彼はヤマトの計画の続行を宣言。このままでは地上に悪魔があふれる。

 

 

危険な研究に関わっているその事実に気づいたあるスタッフは危機感を持ち、水面下でヤマトにハッキングを試みたり、いずれ地上にわいてくる悪魔に対抗する手段をターミナルの技術を使用することで構築、自身が運営する掲示板にばらまくなどの工作にでるが行方不明になってしまう。

 

 

 

彼、タマガミが悪魔との会談で得たたくさんの情報の中で、ヤマト計画の続行を決意させた理由は不明だ。ただシュバルツバースの技術を手にした大国はすでに悪魔と接触していることは確定している。神話上で語られる存在はすでに秘密裏に世界を牛耳っている。悪魔の手に堕ちているという事実を彼は知ってしまった。海外をはじめとする様々な情報を扱う日本最大の情報機関を有する大臣だった彼は、その裏付けをとるのが難しくはなかった。まして、彼にシュバルツバースの極秘情報を渡してきたのが悪魔に憑依されたA国の外交筋だったのだから。すでにA国は光の勢力に上層部を完全に掌握されていた。光の勢力は狡猾だった。世界各地の民族が信仰する多数の神々の信仰を取り込み、あるいは排斥してきた歴史がある。科学と秩序を把握した光の勢力は文明という名の下に多数の信仰を絶滅させ、その地域の神々を悪魔に貶めた。古くから存在する神々はそのあり方を奪われ、魔界においてもその貶められた姿を強要された。

 

女は問う。

 

「アナタはどうなの?それでいいと本気で思っていて?アナタがいくらこの事実を高らかに歌い上げようが、我が身を捧げて訴えようが、アナタが救いたい人たちはきっとその志を理解してくれない。誰も。それでもアナタが救いたいと思うほど、価値があるのかしら?その人たちは」

 

「くだらない。私たちの運命は私たちが決めるべきだ。たとえ私が私自身を生け贄にささげて、その志を訴えて理解されず排斥され、憂国の礎になって眠ることになっても後悔など誰がする。そういった自由意志を守るために私はここにいるのだ」

 

「すべて無駄だとしても?アナタの願いがすべて無駄に終わり、アナタが愛するこれからを作る若者がだれも立ち上がらなかったとしても?それではあまりにもアナタが報われないわ。死すら安らぎにはなれやしない」

 

「そうだな。だがどうした。杞憂は一番嫌いなんだ。二度と口にするな」

 

 

タマガミの言葉に、女は妖艶な笑みを浮かべた。

 

 

「いいだろう。この魂、貴様にくれてやる。そこかわり力を貸せ」

 

「そういってくれると思っていたわ。これでも男を見る目はあるのよ」

 

「くだらんことを言うな。さっさと名乗れ」

 

「リリス、といったら?」

 

「アダムより古い女、いや、神に逆らって闇に落とされた女か。×度も世界が滅んでいるならば、一度くらい悪魔の力をもってしてもあがいてやるのが人と言うものだ。見せてやろう、人間の可能性を」

 

「アナタを一人にはしないわ、アナタが裏切らない間はね。それじゃ、今日からアタシのことはユリコと呼びなさい。こちらの方が慣れているの」

 

 

リリスからもたらされた情報は、有益なものばかりだった。ある研究者の裏切りにより、ネットにばらまかれた悪魔召還プログラムと解析プログラム。あまりにも高性能なOS。シュバルツバース調査隊のデモニカスーツに搭載されているそれを改良、さらに手を加えている。人ならざる者の入れ知恵があったか、その研究者が人ならざる者かは調べようがなかった。これを光の勢力との対抗策に使えないか。既存のデモニカスーツをさらにブラッシュアップし民間に払い下げることも検討したが、猶予はない。光の勢力との全面戦争を前にこちらはあまりに手数が少ない。あちらは核保有国をいくつも掌握しすぎている。ここまで考えてタマガミは息を吐いた。鬼と畜生と罵られても走らなければならない理由ができてしまった。今のタマガミに必要なのはネットにばらまかれた悪魔召還プログラムが使える人間だ。どんな手を使ってでも集めなければ。ここまで考えて、防衛大臣として自分にできることを考える。ここは法治国家だ。単独でできることはたかがしれている。さいわい今はまだ内閣府による信任がある。あらゆる手段を持ってでも動かなければ、止まったら終わりだ。

 

 

 

しかし、シュバルツバースの出現により各地の神々の封印は揺らぎ、統一された思想はゆらぎ、彼らが考える秩序と平和は破綻をきたし、混乱しつつあった。

 

 

堕とされた神々はレイライン、東洋でいうところの竜脈から吹き出す魔力で生き抜いてきたが、シュバルツバースの影響による霊地の復活により力を取り戻しつつある。

 

 

人工的なシュバルツバースは人間世界と魔界をつなぐ入り口を作ってしまう。無限のエネルギーと引き換えに悪魔が湧き出す源泉と化す。

 

 

それは人間世界で存在するために、マグネタイトの供給を確保する戦いでもあった。本来、実体を持たない彼らは水のようなものだ。しかし、物質世界である現実世界に存在し続けるには、器を用意しその中に精神体である己をそそぎ込む必要がある。その器の材料となるのがマグネタイトと呼ばれるエネルギーであり、精神体である彼らそのものでもある。このマグネタイトを作ることができるのは人間、あるいはそれに近しい生命体、そして悪魔だけである。魔界にいれば、いつでもどこでも供給されるマグネタイトである。彼らは様々な感情の発露によって発生するこのエネルギーで自在な存在となれる。しかし、物質世界にいるためには器を維持し続け、しかも枯渇しないように供給もとを確保しなければならない。マグネタイトの供給方法としては、人々の信仰を集める、他の生命体に憑依する、大量の生体エネルギーを器に変換し続ける、という方法があげられるが、彼らにとって効率的なのは神話としてよく知られた姿を形づくることだろう。もっとも、それは人々の信仰、思想、様々な無意識から形成されるもの、伝承を身にまとうことを強制される。魔界にいたころとは全く異なるあり方だ。

 

しかし、それを拒絶することは、多くの派生神からマグネタイトやあらゆる情報を伝播される特権を備えた主神クラスの悪魔であっても死を意味する。肉体を持たない悪魔が実体化を維持するためには、マグネタイトを消費しつづける。マグネタイトの枯渇は肉体の崩壊、スライム化、そしてマグネタイトを求めて暴走する本能の固まりと化し、そして消滅を意味する。A国を背景とした古き神々と光の勢力の戦争は、世界各地の霊地の争奪戦となった。追われた者達がマグネタイトの供給地を求めて、その首謀者たる勢力が及ばない地である東京に集結するのは当然の流れだった。

 

 

それが三年前までの話。神々と東京の人々、どちらが勝ったのか、それは来栖たちが一番知っている。

 

 

「僕はヤマトから湧いてくる悪魔を討伐するのが主な仕事なんだ。今はメメントスに近づかないようにね」

 

「待ってくれ、アキラ。そのマグネタイトはメメントスそのものじゃないか」

 

「その通り。悪魔が魅せられて寄ってくるんだ。認知を歪められて在り方を失うとしても耐え難いだろうね」

 

「え、じゃあ、悪魔がシャドウと似てるのは?」

 

「シャドウは悪魔じゃないよ。悪魔は物質世界と精神世界の間にある異空間にいる精神体の総称だ。神様や天使みたいな想像上のものが本当にいると考えてくれたらいい。ただ、想像したのは人間だから、人間がみんな死んだら死ぬ。ほんとにいると思ってくれないと生きられないからね」

 

竜司は疑問符が乱舞している。杏はなんとなく理解することにしたようで、若干歯切れは悪いがうなずいている。来栖は冷静に思考したまま先を促した。

 

 

「人がいろんな状況に応じてみせる一面がペルソナだとしたら、シャドウは認めてもらえなかった一面みたいなものだよ。どっちもメメントスでは認めてもらえなかった一面が固まりになってあたりを漂う。共通意識はだいたいみんなが知ってるものに近いからという理由で結びつけていく。みんなが知ってるヒーローやファンタジーにでてくるモンスターみたいなものになっていく。天使や神様も似たような発想で生まれたから、姿が似てるのは仕方ないよ。でも、悪魔にとってはそうじゃない。マグネタイトの塊だ、お腹空いてるときにご馳走があったら誰だって飛びつくだろ。そんなことされたら廃人化の大量発生だ。だから僕はここにいるんだ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

遭遇イベント⑤

「ねえ、君達、今日時間はあるかい?」

 

「時間?」

 

「なんで?」

 

「僕の上司が聞きたいことあるんだってさ」

 

「......アキラは防衛大臣のタマガミさんがつくった組織だったな。大丈夫なのか?」

 

「というか、怪盗団てバレてるのに捕まえる気ないよね、アキラ」

 

 

アキラはうなずいた。

 

 

「メメントスの起源はわからないけれど、人間の無意識が物質世界と精神世界の間でない場所にできるなんて異例中の異例なんだ。僕の上司はそれを危惧してる。メメントスの最下層になにがあるのかは、僕たちとしても気になってるんだ。一応僕たちも出入りはしてるんだけどね、いかんせんさける人間が限られてる。僕たちはメメントスに寄ってくる悪魔の掃討が任務だから、持ち場を離れるにはいかない。そんな中現れたのが君達だ」

 

 

どうやらアキラの組織は三年前の戦争で人員が激減し、慢性的な人員不足になっているらしい。メメントスにパレスが出現するようになったのは知っているがそこまで潜るには人がたりない。手をこまねいていたところ、怪盗団が消してくれた。目的はどうあれパレスの有無は悪魔の出現を激減させる。だからアキラの組織は怪盗団を敵対視する気はないようだ。アキラの組織は政府組織の外郭団体のひとつである。勝手な行動はとれない。ただこちらの不都合になることは公式な申し出がなければ開示しない。お役所仕事はよくもわるくも怪盗団にとっては幸運だった。

 

 

「だって僕の管轄外だからね。僕らの相手は悪魔が基本だ。あとはメメントスや魔界との境界があいまいになったところに迷い込んだ一般人の保護。君達はただの学生だろ、ちょっと世間を騒がせてるけど」

 

「やっぱり大人にはまだまだその程度の認識なのか。我輩たちの活躍もまだまだたりないってことだな」

 

「なんか悔しいな」

 

「正式に申し込むと君達未成年だから親に連絡いくけど?」

 

「それは困る」

 

「それにさ、正直僕たちは手が回らない。それだけに悪魔とたたかえる人は貴重なんだ。上司がね、君達と会いたいのはどんな人なのか知りたいのもあるんだと思うよ、たぶん。今僕らは人不足でね。情報流すから代わりにメメントスいくなら調べてくれないかな」

 

 

悪い話ではない。怪盗団も世間の知名度を上げなければメメントスの奥にはいけないのだ。いずれ大物を狙うことになる。その情報が貰えるなら。彼らはアキラについていくことにした。

 

アキラに案内されるがまま歩いて行くと、蒼山一丁目駅の関係者以外立ち入り禁止な扉に入る。スタッフだけが入ることを許された通路を抜け、その先にあるエレベーターみたいな場所に出た。入って、といわれるがまま足を踏み入れる。

 

 

ミラーボールの内側に閉じ込められてしまったようだ。そう錯覚しそうになる。白、白、白、白、見渡す限り真っ白な世界が広がっている。辛うじて角度によってアクリルのようにきらめく白い筋があるおかげで、立体の世界に立っているのだという確信を得ることができている。恐ろしく変わり映えのしない真っ白な世界は、たくさんの長方形が無数に幾重にも折り重なって、球体のような空間として広がっている。その四角と四角の間には小さなコードが張り巡らされていて、電気が通っているのか物凄い早いスピードで光の粒子が走り抜けては消えていく。じいっと見つめていると目がちかちかしてきそうになって、目のやり場に困っていた来栖はその流れを追いかけるのをあきらめた。違和感と圧迫感がある。息が詰まりそうになる。

不安になって後ろを振り返ると、そのいくつもある四角い平面のうち、いくつかが発光しているのに気が付いた。

 

 

「これがターミナル、いわゆるワープゾーンだよ」

 

 

アキラの声がよく響く。

 

 

「残念ながら僕みたいに所属する人間しか使えない。でも制服姿のまま、東京駅の警備会社にみんなを引率するのは目立っていけない。それはよくないだろ、お互いにさ。一応、公的な機関にも悪魔に対する部署はあるんだけど、たてわりの弊害で横の連携がうまくいった試しがないんだ。だから、僕らは警察の悪魔対策室とは仲が悪いし、君たちが逮捕される事態になったら手が出せない。だからせめてこのターミナルシステムは有効につかってね。あ、日常的につかうのは構わないけど夜しか使えないから注意だよ。一度いったことがないと使えないしね。アクセスするにはアドレスがいる。セキュリティクリアランスに直結してるから僕はあんまりいけないんだけどね」

 

「すげえ、ゲームみてえ!ほんとにあんだな、ワープゾーン!」

 

「電気だけなら無限にあるからね、今の東京は」

 

「どうやってワープするの?」

 

「みんなを1と0にして転送するんだ」

 

「マトリックスみたいな?」

 

「古い映画知ってるね」

 

「DVDで見た」

 

「へえ。まあ、あんな感じだよ」

 

「駅にあるのか?」

 

「うん、だいたいの地下鉄には網羅されてる。僕の職場は東京駅だからね。駅にあった方が便利だろ?」

 

 

ちょっとした節約である。冗談めかしていうアキラの笑いの後、座標を求めるアナウンスが流れ、アキラは慣れたようにキーボードを叩く。中央の球体が遠心力で宙に浮かび始めたころ、世界は琥珀色に塗りつぶされた。

 

さあいこう、とアキラはスイッチを押す。スタッフオンリーの通路を抜け扉に向かうと、何度もテレビで見たことがある雑踏がある。竜司は興奮気味にすごくねあれとまくし立て、しんじらんない、と杏はぼうぜんとしている。目を丸くした来栖は時計をみる。たった数秒の出来事であった。

 

 

「地下鉄はこんな感じ。わかったかな?それじゃ、僕の組織の支部にいこうか。ここから降りたら秘密基地の意味がないからね」

 

 

同じ手順を踏み、彼らはターミナルに再転送された。エレベーターのような浮遊感とほんの少し音が遠くなる感覚。次第に慣れてきたミラーボールの真ん中で彼らはアキラがなにかをスキャンするのをみた。音をたてて四角い光がさしこみ、ミラーボールが乱反射してあたりを眩しく照らした。

 

どこかの建物の内部のようだ。ちょっとしたスペースがあり、右と左に別れた廊下は細長くつづいている。さすがに職場だからだろう。アキラは何度もここに赴いているようだ。こっちだよ、と怪盗団に振り返ると軽く案内してくれた。シフトが入っている隊員の寝泊まりする寮のスペース、購買、訓練場、談話室、変わりばえしない風景がつづいたことで、来栖たちはここがどこかの地下施設だと察した。下がることはあっても上がる気配がない。どんどん先に進んでいく。たぶん、この真上が警備会社なのだろう、岩井から来栖が預かった住所は。スマホで検索しようとするがさすがに圏外だ。ジャミングされているのか、地下だから電波がとどかないのかはわからなかった。

 

 

そして不意にアキラは来栖がみたことのない表情になる。ノックを数回、想像していたよりもずいぶんと若い男の声がする。アキラはノブを回した。なれた様子で様々な所作をこなしたアキラは、男を見上げる。おそらく、彼がアキラの上司であり父親でもある津木という男だろう、とようやくこちらを向いた男をみて、杏がえっと声をあげる。うわ、と思わず口に出たのは竜司。そして来栖の鞄の中で目を丸くして、なんだこりゃフランケンシュタインか?とこの間来栖が読んでいた本を思い出したのはモルガナだ。来栖は二の句が告げない。

 

 

男は顔の大部分をひどく損傷した形跡があり、上からチグハグな形で縫い目が走っている。現代医療でここまで杜撰な処置はありえないだろう。ならば自分で行ったか、それしか行えない環境にいたかのどちらかだ。もともと無愛想な男なのだろう、ただでさえ人相の悪い顔が悪化していた。アキラはあーもうとため息をつく。

 

 

「なに高校生威圧してるんですか、ツギハギさん。ただでさえ顔怖いんだから笑顔くらいつくらないと、いつまでたっても結婚できないですよ?」

 

「おい、アキラ。何度もいってるがツギハギはやめろ。おまえの真似して他の奴らまで呼び始めたぞ」

 

「だって津木じゃ僕と被るじゃないですか。ツギハギってニックネームくらいフレンドリーにネタにしないとだめですよ。そもそも回復を悪魔任せにするからそんなことになったんでしょーが」

 

「ああ、いつものサポート役かいなかったからな」

 

「いつの話してるんですか、しかも根に持ってるし。だいたい悪魔に逃げられるなんて信頼関係なさすぎですからね?どうせ使い捨て道具みたいな扱いだったんでしょ」

 

「おまえみたいな関係構築できるほど柔軟じゃないんでな」

 

 

ツギハギと言われた男はようやく笑う。だいぶん雰囲気が和らぎ来栖たちはほっとした。座ってくれ、と促され、怪盗団はソファに座った。

 

とりあえず、ここに来てくれたことを歓迎すると言われた怪盗団は、少々戸惑う。アキラから言われていたとはいえ、生真面目そうな男である。怪盗団の存在には眉を寄せそうだが、アキラによほど信頼をおいているのか、全く警戒するそぶりはない。

 

 

「まずは初めまして、とでも言おうか。俺は津木、アキラが何を吹き込んだかはしらんが、一応説明しよう。ここは防衛省が管轄している悪魔専門の討伐組織だ、他にもいくつも悪魔を専門に扱う部署はあるが基本的には内閣府の要請で専門対策室がつくられない限りは横の連携より上からの指示で動く場所だ。俺は陸上自衛隊からこちらを任されている。アキラや君たちのように特別な力よりは重火器の扱いの方が慣れてるんでな、あまり攻撃に悪魔はつかわん。だから悪魔について聞きたいならアキラに聞いてくれ。怪盗団についてはアキラに一任してある。なにかあればアキラを通じて俺に連絡してほしい。よろしく頼む」

 

 

これをつかってくれ、と差し出されたのはカードである。アキラがスキャンしていたあれだ。特別性らしくターミナルを転送するためのキーらしい。

 

 

「どうしてそこまで我輩たちに協力してくれるんだ?って聞いてくれないか、ジョーカー」

 

「心配しなくても聞こえるんだがな」

 

「にゃうっ!?」

 

 

思わず来栖の膝の上に避難したモルガナはぶわっと毛を逆立てた。ツギハギは吹き出す。つられて来栖も笑う。アキラがモルガナの声がききとれるのだ。上司のツギハギも聞こえて当たり前だろうに。わ、笑うなよう、とモルガナは情けない声を出す。咳払いしたツギハギは目を細めた。

 

 

「悪魔を使役したり、交渉したりできるプログラムがあるんだが、それを起動できるやつのみがここにいる。適正があるらしいが基準はよくわからん。まあ、そういうことに縁がある奴らがたくさんいる。だからおまえの声はつつ抜けだから注意しろ、黒猫」

 

「猫じゃねえ、モルガナだ!」

 

「モルガナねえ」

 

 

ツギハギはスマホを取り出すとアプリを起動した。そして来栖たちに投げてよこす。

 

 

「俺が協力しようと決めたのはこいつだ」

 

 

そこにはメメントスやパレスを検索できる不気味な目玉のマークがある。

 

 

「アキラのスマホが最初だった。そして今じゃここの奴らで送りつけられてないやつのが稀だ。俺たちは時折迷い込む一般人の保護にあたってた。肥大化するパレスを跡形もなく消し去ってくれたおかげで、どれだけの人間が救われたと思う」

 

 

手口はしらないし目的もわからない。でもそれを上回るだけのことを怪盗団を名乗るやつらはやってのけた。それだけで十分だ、とツギハギはいう。東京を守るためなら悪魔だって使うのがこの組織の方針なのだと。

 

 

「始めはメメントスを広げて何考えてやがると思ったんだがな。メメントスが広がるたびに現実との境界はあいまいになり、悪魔が湧き出して来やがる。でもパレスを消し去れるのはおまえらだけなんだ。パレスさえ消えてくれれば、よってくる悪魔もだいぶ減る」

 

「え、ちょ、ちょっと待ってくれよ!メメントスが現実にも影響及ぼしてんのかよ!?」

 

「いや、ただしくはメメントスにつられて悪魔がくるんだ」

 

「あ、そっか。パレスって悪魔にとってご馳走がたくさんあるとこなんだっけ?」

 

「だから俺たちの学校近くにあいつらが?」

 

「ああ」

 

 

メメントスが広がるたびに悪魔が出現しやすくなるが、パレスがなくなってくれることでその確率は下げられる。メメントスがみんなのパレスならば、怪盗団が消してくれるかもしれない。なら支援すべき、そう考えたらしい。怪盗団にとっては思わぬ収穫である。かつてパレスがあった場所に悪魔という異形がいるなら、人間が被害にあうまえに。深入りしない代わりに協力関係とはこいつわかってんなとモルガナは満足げにわらった。交渉成立である。

 

 

 

「しかし奇妙なこともあるもんだ。怪盗団にまさか岩井んとこのアルバイトがね」

 

「僕も驚きました」

 

「おまえと会うのは3度目だもんな」

 

「ほお、どこでだ?」

 

「ああ、そういえばフロリダで」

 

「フロリダだと?おいこらアキラ」

 

「仕方ないじゃないですか。僕だって不本意ですよ。でも様子がおかしいって入り口で張られたらどうしようもないじゃないですか」

 

「もっと慎重にやれとあれほどいっただろう。やはり手を引くか?」

 

「いやですよ。絶対に手を引いてなんかやるもんか。ツギハギさんが協力してくれないなら、今度こそフジワラさんのところに行くまでです」

 

「部外者に情報を漏らすなと何度も言ってるだろう」

 

「そもそもせっかくの非番に呼びつける方が悪いんですよ」

 

「そう拗ねるな、アキラ。おまえがやると言ったんだろう、男なら有言実行だ。いいな」

 

「はいはい、わかってますよ。いわれた通りちゃんと怪盗団連れて来ただけまだいいじゃないですか」

 

「昨日の今日だというのに全く。謹慎くらってもろくに反省しないんじゃ意味がない。大人しくしろといったのにおまえは。これじゃ他の奴らに示しがつかん」

 

「いつの話してるんですか。僕はもう18ですよ、ツギハギさん」

 

 

ツギハギはためいきをついた。

 

 

「あとで情報やるから来い。諜報部が特定した情報だ、信憑性は折り紙付きだ。安心しろ」

 

「了解です」

 

 

アキラは笑った。

 

今日は帰っていいよといわれ、怪盗団たちは喜多川に詳細を告げるため渋谷に向かったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

コープ開始

世界は漠然とした痛みに満ちていた。

 

「アキラ」

 

彼に呼ばれて、アキラは振り返る。ずっと探し求めていた悪魔のわき出す源泉が、悪魔討伐隊の本拠地である防衛省の地下の無限発電所ヤマトだった。そこを破壊することは地下にブラックホールを形成し、東京ごとすべてを吹き飛ばすことになる。そこを掌握することは悪魔と東京中のエネルギーをすべて手にしたことを意味する。対立する2つの勢力の最終目標がそこである。もう一刻の猶予もない。アキラはいらだちも隠さず怒鳴る。焦りが先行するあまり、言葉尻はさらに鋭い。

 

 

転がり落ちるように階段を駆け下りていたアキラを彼は引き留め、立ち止まる。手をふりほどこうとするアキラの手を強く握りしめた。困惑するアキラに、彼はなにかいう。音声はないがアキラはその意味を理解する。今にも泣きそうな顔で、お願いだから嘘だといってくれ、とアキラは訴える。しかし、彼は首を振る。あちこちが炎上している。焦げ臭い、肉の焼かれるようなにおいが立ちこめていた。

 

 

彼の言葉にアキラは目を丸くした。その意味を悟り、血の気が引く。一瞬呼吸をわすれた。それだけ衝撃だったのだ。ふざけるな、そう思った。これは怒りだ。ここまで強烈な殺意を抱くほど怒り狂っているのは、この現状をどうしようもできなかった自分への無力さ。理不尽さにあらがう力を持つにはあまりに遅かった嘆き。そして劣等感や嫉妬、様々な要因が一気に爆発した。どうしようもない感情の爆発だった。すべてが崩壊する。足下がもろとも崩れ去ってしまうような、感覚。奈落の底に突き落とされたような感覚。それは絶望だと初めてアキラは知った。

 

 

誰よりも憧れていた先輩に突き放された。この、状況で。勢いに任せた言葉だけが先走る。今まで押し殺してきた感情があふれた。彼の隣で肩を並べることができるような存在になりたい。その一心で今まで追いかけてきたのに。親友であり、相棒であり、誰よりも信頼されるような、隣にいることがあたりまえみたいな、そんな存在になりたい。年齢差、境遇、そしてあらゆる状況が奇跡的に重なって今のポジションに落ち着いたアキラにとって、かえって呪縛だった。それを見せつけられる羽目になっている。

 

 

アキラは我を忘れていた。未だかつてないほどの激情に任せた、支離滅裂な叫びだった。アキラは彼のように英雄にも、救世主にもなれない。なるつもりもない。みんなのためといいながらいつもアキラが守りたいのは紛れもなく彼のような日常を作っている周りの人々だけだった。ただ彼らとずっとともにあれるなら。それを他ならぬ彼らが振り払っていったのだけれども。憤りをにじませた言葉を聞いて、彼はただ静かに聞いていた。

 

 

「守れない約束はするもんじゃないね」

 

「ほんとですよ。共に行こうっていったのは、あなたじゃないですか、××さん」

 

 

それはエゴだとあざけることができれば、どんなに楽だっただろうか。あなたは最低だとせせら笑うことができたらどんなに愉快だっただろうか、でも、そんなこと、世界がひっくり返ったってできるわけがないのだ。すきだった、と悪魔に誘拐され未だに消息が知れない姉に秘めていた思いをたった一度だけ彼はいった。アキラが大きくなるにしたがって姉とよく似た笑い方をするようになったとしんみりしていたことを、なぜあのタイミングで思い出してしまったのかわからない。もう嗚咽混じりの泣き声である。なんとか絞り出す言葉はせいいっぱいだった。頭をなでられ、つらい決断を強いるけど後は頼むといわれてしまう。

 

 

「今、どんな顔してるか、わかってます、×××さん?泣いてるじゃないですか。そんなの、卑怯ですよ」

 

 

彼のいうとおり、きた道を引き返していったアキラは、悪魔討伐隊本部にいる津木たちの部隊と合流し、防衛省の最深部を目指した。

 

 

とほうもないマグネタイトが観測されたのは、ヤマトの目前だった。分厚い入り口からでさえ、強烈な光が漏れ出て迸る。瞼の裏に残像が残り、アキラは世界の終わりを悟った。彼の名を呼んで手を伸ばしたが、届かない。彼がなにをしようとしているのか、アキラはわからなかった。でも、これが永遠の別れであることは、あの会話で察していた。アキラは叫ぶ。さようなら、すらいわせてくれないなんてひどい人だ、と冗談でめかして笑うことができるようになったのは、つい最近である。世界が金色の螺旋に包まれ、気づけばなにもなかった。ヤマトを確認してみたが、敵対していた勢力の頭領は彼に打たれたらしく、残党しかいなかった。でも、彼もいなかった。必死で探したが骨一つみつからないでいる。まただ、とアキラは思う。アキラの大事な人はいつも行方不明になってしまう。

 

 

「や、久しぶりだね、アキラ君」

 

「あなたは、松田さん」

 

「津木隊長から話は聞いてるよ。大変なことに巻き込まれてるみたいだね」

 

「いえ、僕が望んでやってることです。そんなこと」

 

「相変わらず仕事熱心だ。そんな期待新鋭の若手をささやかながら応援させてもらうよ。ガントレット貸してくれるかな?」

 

「はい」

 

 

アキラはアームに装備していたハンドベルトコンピュータを取り外して、白衣姿の男に渡す。ガントレットは、悪魔を掃討する上でなくてはならない端末であり、悪魔討伐隊に入隊する時必ず支給される。もとはシュバルツバースで国連の探査部隊の為に作成されたものをブラッシュアップし、改良したものだ。未だに行方不明の両親がつかったものを手にした瞬間から、アキラは戦うことを誓った。その端末の改良や新たなプログラムの製造を一手に担っているのが、悪魔討伐隊研究開発班所属の技術者である松田なのだ。端子をつなぎ、データをダウンロードしているメガネの男は、アキラが悪魔討伐隊に入隊を志望する見習いだった頃からよく知っている。

 

 

悪魔に姉を誘拐され、瀕死の重傷を負った12歳のアキラを悪魔討伐隊が保護することができたのは、彼が開発した悪魔召還プログラムをアプリゲームに偽造してネット上にばらまいたからなのだ。つまりは命の恩人である。それを教えてくれたのは、3年前、行方不明になった青年だった。彼は悪魔討伐隊のエースともいうべき人間で、リーダーでもあった。姉の幼なじみであり、アキラにとっては年の離れた幼なじみだった。アキラは彼の背中を追いかけて悪魔討伐隊を志した。彼から松田について聞いたことがあるのだ。

 

 

松田はDDSネットという掲示板の管理人だった。そこはプログラミングが大好きな人たちが集まり、コミュニティを形成している場所であり、連日連夜様々なプログラムが公開され、活発な交流が行われる土壌が形成されていた。彼は自作でパソコンをつくることができるくらいには、技術者だった。そして高校時代からその掲示板の常連だった。忘れもしない10月某日、松田がデビル・バスターというゲームを掲示板に投稿した。リアルの友人からプログラムをブラッシュアップし、より洗練されたフリーゲームにしたいという提案だった。常連たちは深夜のテンションもあって盛り上がり、あっという間に完成、掲示板の名前をとってDDSと名付けられたフリーゲームは後日配信された。その完成度が某携帯獣のパクリゲームだったのも相まってネット上で話題になり、興味本位でダウンロードする若者たちの間でささやかなブームになった。彼からDDSを教えてもらい、姉のスマホに勝手にダウンロードして遊んでいたアキラである。ただのゲームだと思ってやりこんでいたプログラムが、東京を跋扈することになる悪魔の解析や交渉という驚異的な威力を発揮するだなんて誰が思う。

 

 

「ガントレットの性能を上げておいたから、確認してね」

 

「はい、わかりました。ありがとうございます」

 

「それとさ、こないだの事件、どうだった?」

 

「井の頭のですか?」

 

「うん、どうも古巣だから気になっちゃってねえ」

 

 

アキラは目を伏せる。あんまり気持ちがいい光景じゃなかったのはたしかだ。事態の沈静化に出動を命じられ、現場に突入したとき、一面に広がっていたあの陰惨な光景を思い出すと気分が沈む。かつての同僚の死を察した松田は、そうかあ、と残念そうに笑った。うまくいけば引き抜きたかったんだけどねえ、という言葉はどこか寂しげだ。

 

 

松田は井の頭公園近くにある防衛省の外郭団体である量子物理学研究所のスタッフであり、瞬間転送装置というオーバーテクノロジーの開発に関わっていたのだ。物質を電子情報に置き換え、瞬間的に移動させる画期的なシステムをシュバルツバースの情報によってつくりあげたシステムの開発者は、悪魔召還プログラムの生みの親だ。本人曰く、今では無作為にネット上に悪魔召還プログラムをばらまいたこと後悔しているようで、そのプログラムを渡すのは見込んだ人間と方向を転換しているらしい。なにせDDSはセーフティ機能がない。悪魔が召還者の器量を越えていた場合、その先に待っているのは交渉の余地のない死、もしくはマグネタイト補給のためのタンク、被害は多岐にわたる。でもはじめからその方針だとアキラは間違いなく死んでいた。なによりDDSが使える若者を集めた悪魔討伐隊はそもそも結成されなかった。

 

 

タマガミ配下の病院に幽閉されてしまった彼を救出することが、タマガミに設立された悪魔討伐隊から、東京から悪魔を掃討する悪魔討伐隊に方向転換する大きなきっかけだった。今でこそ表向き悪魔討伐隊の反乱ともいうべき行動はタマガミが許したことで、解散の危機は免れている。でも、それは悪魔討伐隊が3年前の戦争で思想の違いで分裂し、内紛状態になったため、かつての半分以下の戦力しか残っていないのもきっと大きいのだ。悔しいけれども、今は力を蓄えるときなのだ。だから松田がいてくれることはとても心強いのである。その報復が古巣の研究所が対立する組織、もしくはタマガミの息がかかった組織の悪魔使いが放った悪魔による虐殺事件だったとしても。

 

 

「ペルソナ、シャドウ、メメントス、パレス、新しくデータを更新しておいたから確認してほしい。うん、やっぱりおもしろいね、ペルソナ使いか。悪魔使いとの違いが気になるところだ。できれば今度つれてきてくれないかい?」

 

「いいですけど、お手柔らかにお願いしますよ、松田さん。彼らはペルソナという特別な力があるけど、ふつうの高校生です。なにかあったら今度こそまずいことになりますよ」

 

「うーん、そうか、残念。なら、ふつうじゃないアキラ君にがんばってもらうしかないな」

 

「またそういう流れですか、もう」

 

「まんざらでもないくせに。コードネームとか決めちゃうんだろ?ガントレットのコードネームも本名からそっちに変更したらどうだい?」

 

「絶対いやですよ、僕!?」

 

「ふっふっふ、いやあ研究がはかどるなあ。是非ともアキラ君には怪盗団としてたくさんデータを持ち帰ってもらいたいね。怪盗家業、がんばるんだよ」

 

「いや、あの、僕はですね」

 

「わかってる、わかってる。子供はみんなルパンにあこがれるものさ」

 

 

はっはっは、と松田は笑ってアキラの頭をなでる。松田とアキラが出会ったのは15のときだった。3年たったところで、扱いはかわらないのである。

 

 

「今日はオフかな?」

 

「はい、ちょっと遊びにいこうかなって」

 

「そうか。引き留めてわるかったね。いってらっしゃい」

 

「はい、失礼します」

 

 

一礼して去っていったアキラを見送って、松田は目を細めた。

 

 

「すまないね、アキラ君。私はこれ以上の干渉は許されていないのだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・喫茶店ルブラン、ここか」

 

 

ちりん、と年季の入った呼び鈴が来店を知らせる。つけっぱなしのテレビが先月おこったばかりの井の頭公園の殺人事件について報道していた。報道規制がかけられ、悪魔なんて人知を越えた存在が主犯である上、政治的思惑が根深い今回の事件が解決することはない。真相に近づこうとした人間は取り込まれるか、排斥されるかはわからないが、非日常から日常に戻ってくることはきっと不可能だ。そんなことを思いながら、こんにちは、とアキラは店主に声をかける。

 

 

「いらっしゃい。ん、どっかでみた顔だな」

 

「フロリダで、ですかね。佐倉さんのお店、ここらへんにあるとマスターに聞いていたのできちゃいました。ちょっと用事できてたので」

 

「あー、そういわれてみれば、そうだ。いつもきてる常連の。そうか、こういう店好きなんだな?」

 

「はい、大好きです」

 

「そうかそうか、ならゆっくりしてってくれ。一応聞くがなんにする?」

 

「そんなの決まってるじゃないですか。カレーとコーヒー、ください」

 

「あいよ」

 

 

フロリダとは方向性が違うものの、趣があるシックな雰囲気が魅力の喫茶店ルブランは昔雑誌に載ったこともある知る人ぞ知る名店なのだ。フロリダは活気があるが、それはお酒がでない悪魔関連の仕事に携わる者たちの社交場の側面があるからだ。お酒が飲めるようになれば、べつの社交場に連れて行ってもらえる予定だが、あと2年はかかる。日常の象徴として最高の環境である喫茶店は紛れもなくこちらだ。アキラはあたりを見渡しながら一番奥のカウンターに座った。

 

 

「見渡したってそんなおもしろいもんはないし、ずっと見られてちゃ緊張しちまうだろ。テレビみてな、テレビ。どうせ今の時期はなかなか客がきてくれないからな、あっちのソファに座っててくれ」

 

「あはは、わかりました」

 

 

アキラはテレビが見やすい位置にあるソファに移動する。店内を見渡していたアキラは目を留めた。

 

 

「あれは?」

 

「ああ、これか?預かってほしいっていうから飾ってるんだ。いい絵だろ。うちにはもったいないくらいだ」

 

「へえ、そうなんですか」

 

「そうそう。たぶん、模写ってやつだよな。赤ん坊はなかったはずだ」

 

「あ、そうなんですか?僕、美術ってあんまり興味ないからわからないんですよね」

 

「安心しな、俺もパソコンで調べただけだ」

 

「あはは」

 

「あいにくうちは豆の販売はしてないんでね、ほしかったらフロリダにあたってくれな?」

 

「はい、わかってますよ、残念ながら。マスターから聞いてます」

 

「ならいいけどな」

 

 

佐倉は軽口をたたきながらカレーとコーヒーのセットを出してくれた。

 

 

「チャンネル変えてもいいですか?」

 

「あー、そうだな。せっかくきてくれたのに、これじゃ食う気が失せちまう」

 

 

佐倉は夕方のワイドショーにチャンネルを変えてくれた。8年前、不倫報道と愛人が猟奇的な殺人事件の被害者になってしまったことで、世間を騒がせた元政治家秘書の代表候補出馬の噂が取りざたされている。これもどうかと変更をかさねる。5年前に1年の休養をして復帰したアイドルが20さいになり、お酒やたばこ、水着といったものが解禁された影響かスポットライトが当てられた番組が流れている。消去法でアイドル特集が流れ始めたルブランの外は相変わらずの雨模様である。今の時期は商売上がったりだから、今日をきっかけにまたきてほしいと佐倉はそれとなくアキラにふる。アキラは二つ返事でうなずいた。佐倉はうれしそうに笑った。そしてフロリダについて、世間話が続く。お手製のメニューを眺めていたアキラは、ふと時計をみた。そろそろだろうか。ずいぶんと長居している。番組は天気予報にかわっている。

 

 

裏口はないらしい。ルブランの扉をあけて、ただいま、とぼんやりとした声が聞こえる。天然パーマに黒縁のメガネをした真面目そうな青年が入ってきた。もぞもぞと鞄が不自然に動くたび、彼は持ち直している。アキラを見つけた彼は目を見開いた。

 

 

「おう、帰ったか。今は営業中だから、さっさと引っ込むかどっかいってろ」

 

「うん」

 

『お、アキラじゃねーか。めずらしい』

 

 

もしかしなくても、鞄の中にいるのはおなじみのモルガナのようだ。重くないんだろうか、とどうでもいいことを考えながら、アキラは軽く会釈した。

 

 

「あ、君はたしか・・・・・・そうだ。よくフロリダにお使いにきてる・・・・・・バイトくんだっけ?」

 

「にたようなもん、です」

 

「おいこら、お客さんだ。口の聞き方考えろ、来栖。すまねえな、ちょっと事情があって預かってるんだ。バイトなんていいもんじゃない、居候だ、居候」

 

『家にすら入れてもらえてないけどな、にゃはは』

 

「おう、なんだその目は。おいてやってるだけいいと思え」

 

『ほんとゴシュジンはジョーカーに容赦ねーな!しっかし、演技上手だな、アキラ。さすがは政府機関のくせに怪盗団に肩入れするだけはあるぜ!』

 

「さっきからにゃーにゃーうるせえな。おい、来栖、餌の準備してやれ」

 

「わかった」

 

「餌箱はあっちのおくな」

 

「うん、わかってる」

 

『ワガハイ、まだおなか減ってないんだけどな。ビックバンバーガーであんなどでかいの平らげたこいつの食べっぷり見てたからむしろ気分悪い。うっぷ』

 

 

アキラは思わず吹き出す。

 

 

「まあ学生鞄から猫でてきたらそうなるか。なんか、めっちゃ懐いちまって追い出すに追い出せないんだ。ごめんな、すぐ引っ込めるから」

 

「いいですよ、気にしないでください」

 

 

アキラは笑った。しばらくして、私服に着替えた来栖が降りてくる。そしてカウンターの手前にある黄色い電話ボックスを使い、どこかに電話し始めた。そしてたくさんの洗い物を抱えて近所にあるコインランドリーにいくといってしまう。モルガナをつれていないということは、すぐ帰ってくる気だろう。あんなにたくさんあってすぐ終わるのか不思議に思っていると、どうやら代行サービスを呼んでいるらしいと佐倉は教えてくれた。バイトに精を出しているのは知っている。だからお金があるのだろう。コインランドリーくらい自分でやればすむのに、なにをそんな一生懸命洗濯乾燥する必要があるのかよくわからん、と肩をすくめる。佐倉のいうとおり、来栖は家に帰ってきた。あわただしく二階に上がっていく。どうやらどこかに出かけるようだ。

 

 

「もうこんな時間だ。僕、そろそろいきますね。ごちそうさまでした」

 

「おう、またきてくれ」

 

「はい、是非」

 

 

アキラはルブランを後にした。四軒茶屋駅についたあたりで着信がある。でてみれば、来栖からだった。

 

 

「聞いてない!!」

 

 

珍しく取り乱した文面である。アキラはこみ上げる笑いのまま、おちゃらけるキャラのスタンプを送信した。

 

 

「言ってないし」

 

「びっくりした。アキラって暇なんだな」

 

 

気に入ったのか、ノリがいいのか、じとめのキャラクターがこっちをみてくる。

 

 

「急にシフトの変更があったから暇になっちゃってね」

 

「休みの過ごし方がわからないおっさん?」

 

「やめてよ、僕まだ18だ」

 

「暇なら暇っていってくれればいいのに」

 

「暇」

 

「今も?」

 

「今も」

 

「今どこ?」

 

「四軒茶屋のターミナル前」

 

「!?」

 

「あれ、知らなかった?」

 

「知ってるけど、定期使えるから使わない」

 

「ああそうか、なるほど。懐かしいな、定期とか」

 

「ってことは車?」

 

「ターミナル前(二回目)」

 

「ざんねんだ」

 

「なにをたくらんでるのかな、君は」

 

 

意味深な笑みを浮かべたスタンプが送られてくる。TAKE YOUR TIMEのロゴは、美術学校の特待生をしている祐介がデザインしたとあって、かっこいいものとなっていた。これはきっと来栖が使っているペルソナのアルセーヌがモチーフなのだろう。なにも知らない人間にはアルセーヌ・ルパンかルパン三世、怪盗キッド他世の中にあふれた怪盗というイメージがうかぶはずだ。もっとも、アキラにとっては、来栖暁その人なのだが。

 

 

「待ってろ、すぐいく」

 

 

やけに男前な返事に笑ってしまう。彼女に向ける言葉じゃないんだから。さて怪盗団のリーダーはなにを持ちかけてくるだろうか。しばし、アキラは思考の海に沈んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベッドに寝っ転がったまま、スマホをいじっている来栖の上に我が物顔でのっかったモルガナは、興味津々でのぞき込む。

 

 

「やめろ、モルガナ。手元が狂う」

 

『ワガハイに隠れてなにしてるんだ、ジョーカー。ワガハイとジョーカーの仲だろ、みせろよ』

 

 

近所にすむ闇医者か、メイドの副業にいそしむ訳あり女担任か、それとも数日前に知り合ったばかりの飲んだくれ女記者か。年上好きかとモルガナがにやにやするくらいには交流が深まっている。誰が本命だとちゃちゃをいれても、今のところ来栖から明確な返事が返ってきたことはない。おいこら、と抵抗する来栖をくぐり抜け、スマホをのぞき込んだ黒猫は、知り合ってからちょくちょくターミナルの使い方や悪魔と遭遇したときについて質問するため、フロリダで会っているアキラ相手だと気づいて落胆する。

 

 

『なんだ、違うのか。また質問?』

 

「ああ。アキラに、いや今回はツギハギさんに聞きたいことができた」

 

『お、やっと動くのか?情報提供してもらおうって?』

 

「ああ。こっちの手の内はだいぶ見せたつもりだし、そろそろ踏み込んでもいいんじゃないかと思って」

 

『やっとか、長かったな!やーけに慎重だからヤキモキしちまっただろ!』

 

「仕方ないだろ、モルガナ。あっちはなんて言おうが政府の側にいるんだ。俺たち怪盗団とは立場が違いすぎる。今は俺たちがパレスを消せる唯一の存在だから黙認されてるだけなんだ。もしパレスの消し方がバレた瞬間に手のひら返しなんてされたらたまったもんじゃない。交渉する前にある程度カードが欲しかったんだよ、パレスのことがバレても期待される位置にいないといけない」

 

『やけにミリタリーショップに入り浸ると思ったらそのせいか!』

 

「ああ、そうだよ」

 

『なるほどー。お前がちゃんと考えてるのはちゃーんと見てたぜ。やっぱお前ついてるよな、そういうこと考えなきゃいけないけど、そんだけ価値のあるやつらと知り合えてんだから』

 

「それほどでもない」

 

『いうなあ、このやろ。で、どんな感じで切り出すんだ?生徒会長の依頼してる奴はもうわかってるだろ?』

 

「今回はそっちじゃない、もっと大きいのを狙いに行く。ミリタリーショップで得た情報も、生徒会長がいってたやつも、どっちも大きなお金が動いてる。今まで必要なかったのに、いきなりだ。岩井さんもいってただろ、嫌な予感がするって。三年前みたいなお金の流れを感じるって。たぶんアキラたちは知ってるはずだ」

 

『あー、そういやイワイ、そんなこといってたっけ。今回のターゲットもアキラの言ってた戦争で勢力拡大したっていってたな。なるほど、うまいことわかれば次のターゲットがすぐ見つかるな』

 

 

来栖はうなずいた。アキラは夜にシフトが入っており、返事は日中の方が多い。だが今日は休みのようで、速攻で返事が来た。返事はすぐするタイプらしい。どおりでルブランにいるわけだ。出会ってまだ一週間と少しである。びっくりしないほうがおかしいだろう。あのときは一日でいろんなことがありすぎたのだ。

 

ターミナル前で待っているらしいからいかなくては。来栖はベッドから起き上がった。

 

 

「今日はどこいくんだ、暁」

 

「フロリダで竜司たちと勉強してくる」

 

「ったく、教えなきゃよかったか?高校生がコーヒー一杯で粘るような店じゃねーんだ、俺の顔はつぶすんじゃねーぞ」

 

 

口ではそういいながら、どこかうれしそうな佐倉は、ついでに届け物を押しつけてくる。学生鞄と紙袋を抱えて、来栖はルブランをあとにした。アキラとターミナル前で合流し、喫茶店フロリダに到着すると、一番奥の席に向かう。ここのマスターはどうやら悪魔討伐隊御用達の店のようで、悪魔に関する依頼も請け負っている窓口だとようやく教えてもらえたのだ。怪盗団の話とも絡んでくるため、SNSよりはよっぽど安全なセキュリティである。アキラたちと対立しない限りは。マスターに届け物を渡して、来栖はアキラのところにきた。モルガナが鞄から這いだして大きくのびをする。動物がしゃべるのもあっさりと受け入れてしまうあたり、マスターもただ者ではないのだろう。メニューを注文すればわざわざモルガナ用にも用意してくれるので、モルガナはたいそうこの喫茶店が気に入っていた。

 

 

「待ってたよ、来栖君。そろそろくる頃だと思ってたんだ。渋谷にまでメメントスが広がったのは、僕らも確認してる。その中心にあるパレスもね。なにかするつもりなんだろう?なにが聞きたいんだい?」

 

 

うなずいた来栖はマスターにメニューを注文しながら、ここまでの経緯をかるく説明した。

 

 

「すごいな、想像以上だ。君の情報網には驚かされるよ」

 

「大したことじゃない」

 

「いうね。で、不自然なお金の流れのバックになにがいるのか知りたいだっけ?それは次のターゲットという意味で?それとも警戒するため?」

 

「もちろんどちらも考えてる」

 

『ワガハイたちの活躍を認めさせるには、どんどんビッグを狙わねーといけないからな。今回、渋谷のマフィアがターゲットなんだ、今度はさらにグレードあけてかねーとな!』

 

「そっか・・・・・・なるほど。わかった、ツギハギさんに聞いてみるよ、返事はそのあとでもいいかい?」

 

「ああ、はじめからそのつもりできてる。さすがにアキラだけで判断できることじゃないだろ」

 

「そういってくれると助かるよ、来栖君。なるべくいい返事が出せるようがんばるとして、だ。うーん」

 

 

アキラは少々思案する。

 

 

「ただ、この案件をツギハギさんに投げるには、ちょっと条件があるんだ」

 

『条件?』

 

「今のままだと、こちらも釣り合わないからいってみてくれ。俺たちはなにをしたらいい?」

 

「君たちがターゲットにするかもしれない人間は、僕たちの最終目標のうちの一人なんだ。このままだと僕たちは同じターゲットを狙うことになる。共同戦線といきたいところなんだけど、僕たちが敵対してる時点でわかるだろ?相手は悪魔使いなんだ。今の君たちの実力をはからせてほしい。そうすれば、ツギハギさんを説得しやすくなるし、仲間も協力してくれる」

 

『おお、そりゃ願ったり叶ったりだぜ!今んとこ、ゾンビコップみたいな雑魚しかいねーけど、今回は渋谷のあちこちで悪魔がでるようになっちまってるからな!ほんと悪魔討伐隊が規制線はってくれなきゃ、ワガハイたちも安心して怪盗できねー。メメントスやパレスに悪魔が入り込んだら、ワガハイたちもその掃討作戦に協力しきゃなんねーならな!』

 

「ただ、どうやって実力をはかったらいいか考えなきゃいけないんだ。なにかいいアイディアないかい?」

 

「それなら、アキラも俺たちに同行してくれないか。そうすれば一番わかりやすいと思う」

 

『あ、それいいな!アキラはペルソナねーけど、ペルソナよりおっかねえやつ従えてるし、倒し方も知ってるし、問題ない』

 

「それにツギハギさんから俺たちのことを一任されてるんだろ?規制線の段取りとか楽になるんじゃないか?」

 

「君たちはほんとこう、人をその気にさせるのが得意だね。ああ、そうなる気はしてたんだ。でも、それだけじゃだめだ。ターゲットになる人間はそこらへんの悪魔とは比較にならない神霊レベルの悪魔を使役する。その戦いに挑めるだけの実力があるかはからせてくれ」

 

『アキラの仕事に参加しろってことか?』

 

「もちろん、いきなりはじめからとはいわないよ。さいわい、シャドウと同じ姿をした悪魔は、同等の価値観で存在していることがわかっている。つまり、雑魚は雑魚ってことだ。悪魔はそもそも成長しない種族なんだ。変化しない、成長しない、ただそこにある自然現象から崇拝は始まったからね。だから、君たちがメメントスでみたことあるシャドウを教えてくれないか。それにあわせた任務をシフトに入れるから」

 

「わかった。でも今はそれどころじゃない。怪盗団は全会一致が原則なんだ。いずれ返事する。今は保留でいいか?」

 

 

もちろん、とアキラはうなずいた。これはお互い様である。それに怪盗団に同行することが決定したのだ、現状を把握する必要があるのはアキラの方である。

 

 

さっそく来栖が怪盗団メンバーにアキラの臨時加入を知らせると、TLがにわかに活気づく。リーダーにより事情説明がネット上で行われている間、モルガナが代わりに説明をはじめた。

 

 

「これは責任重大だな。わかった。よろしく頼むよ、ジョーカー?」

 

 

アキラは手をさしのべる。来栖はしっかりと握手を交わした。

 

 

「ところでアキラ、悪魔はどうする?」

 

「そうだな・・・・・・悪魔にとってシャドウが徘徊するメメントスやパレスは格好の餌場だ。僕のマグネタイトで補える上に、好き勝手行動しない、最小限の影響しか与えないレベルの悪魔だけ連れて行くことにするよ。もちろん、僕の一番の相棒だ。信頼してくれていい」

 

『話が早くて助かるぜ。ちなみにどいつなんだ?』

 

「魔獣ミノタウロス、彼にするよ。僕が一番最初に仲魔にした悪魔だ」

 

『えええ!?あの偉そうな牛野郎呼ぶのかよ!あの女の人はだめなのか?』

 

「アエーシュマはだめだ、パレスは個人の精神世界だろ。影響がでかすぎる」

 

『むうう、そういうことなら仕方ねえ。たーだーし!怪盗団の中では、ワガハイが先輩で、アキラは後輩なんだ、そこんとこ、よーくあの牛野郎にいっといてくれ!!』

 

「え、あ、う、うん、わかったけど・・・・・・来栖君、僕のミノタウロスがなにかした?」

 

「ああうん、まあ」

 

「ほんとに?ああもう、なにしたんだよ、ミノタウロス」

 

 

アキラはためいきをついた。

 

 

「ミノタウロスは僕が初めて仲魔にした悪魔だから、いつまでたっても僕を12歳だと思いこんでる節があるんだ。ごめんよ、モルガナ」

 

『ま、まあ、アキラがそんなにいうなら許してやらねえこともねえけど・・・・・・って、え、12?』

 

「12って、6年も前?そんな小さい頃から?」

 

「まあね、悪魔使いにはよくあることさ」

 

 

アキラはなんでもないように笑う。

 

 

「それより、こちらの世界でもパレスの影響で、近づこうとする悪魔が活発化してる。はやいこと怪盗団の仕事をやらなきゃいけないね。新入りとして、精一杯つとめさせてもらうよ。今後ともよろしく」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

悪魔を描く者たち

 

今回の依頼人であるサングラスの男が笑いかけた。

 

 

「ようやくきてくれたね、アキラ君。時間の概念がない僕がわざわざ呼ぶなんてめったにないことなんだが、君は人間だ。百年もたったら君が死んでしまう。時間がもったいなくてね。おかげで描きたいものがたくさんあるんだ。また、付き合ってくれるね?」

 

 

アキラの報告やガントレットのデータを元に絵を描く彼は、恐ろしい再現率で悪魔辞典を更新していく。悪魔討伐隊のデータの全てはこの男の能力で成り立つところもあるのだ。ゆえに知らない悪魔がいるとこの男の目の色が変わる。ミノタウロスをつれて来店したとき、DDSをやりこんでいた時代からの相棒だと紹介した。そのときから気に入られてしまった。なんでも悪魔絵師がみたことがない姿だったらしい。かつては悪魔に特定のスキルを取得させてくれるから重宝した。今はガントレットの性能が上がり、悪魔のスキルをいつでもアキラはガントレットを通して発動できる。悪魔の力を体に入れる時点で負担は大きいが、契約した悪魔のマグネタイトを肩代わりしているのだ。それくらい当然である。

 

 

 

悪魔絵師は笑った。そして、ゆっくりと手招きする。促されるまま、アキラはステージに上がった。あまりしゃべることは得意ではない悪魔絵師は、アキラに近況を訪ねてくる。話し始めると、やはり君は面白いよと断言される。久しぶりに創作意欲が掻き立てられると静かながらその口ぶりにはたぎるものがあるようで、悪魔絵師はキャンパスをみつめる。

 

 

「僕は死を知らない。永遠の時を手にしたと同時に、僕は絵画以外のものに執着しなくなってしまったんだ。ここに来て、一番よかったと思えることは、現世の人々の心が、手に取るようにわかることだ。それが荒んでいく様子も、実によく分かるよ。人のありようによって悪魔は変化していく。興味深いことだ」

 

 

サングラスがゆがんだ彼を映す。画家は筆を走らせる。斜めに彼を見ながら続けた。

 

 

「悪魔の姿は、人間が考えたものだ。しかし、人間に悪魔を想像させた原型が必ずある。そう僕は考えている。僕はこのキャンパスにそれを描きたいんだ。僕が君たちに悪魔を現出させる媒介として悪魔辞典のページを渡すのは、その一環でもある」

 

 

悪魔絵師は新しい絵の具を走らせる。

 

 

「時たま考えるんだ。現実、いわゆる僕らにとっての世界というやつは本当に一つしかないのか、否かとね」

 

「それはメメントスや魔界ではなく?」

 

「いや、ちがうね。パラレルワールド、いわゆる並行世界のことだ。その世界にはきっともう一人の自分が存在する。その人格は、この僕を見て、何と言うだろう・・・フフ・・・きっと、腹を抱えて笑うんだろうな。なんてくだらないことで悩んでるんだと」

 

「なにかあったんですか?」

 

「いや、大したことじゃないさ。同じ、普遍的無意識から生じたという点ではシャドウもペルソナも悪魔であっても変わらないはずなんだ。それが違うものとなる理由が僕は知りたい。扱えるものと扱えないもの。その境が知りたい。所詮、人の心はままならない。君も僕からすれば絵に魂が宿った一つの形だ。君はまだ迷っている。答えはいつもすぐ近くに合って遠いものだ。だが、一度それを捕まえれば、後は迷うことはない。君にはそれが見つけられることを祈っているよ」

 

 

筆がとまる。男はキャンパスに最後の一筆をいれた。

 

 

「アキラ君はここに現実を持ち込んでくるものだから、無性に懐かしくなってしまっていけないね。死なんてとっくに忘れてしまったはずなんだが奇妙なものだ。僕はいつでもここにいる。また以前のように立ち寄るといい。ここでは、時間は意味を為さないからな。タロットは心のひな形だ。心が人の運命を回す。さて、アキラ君にはこれをあげよう」

 

 

キャンパスが一瞬でトランプサイズの小さなカードに圧縮される。それを手渡された彼は、見たこともない絵柄に見入る。

 

 

「これから君はこのカードを通して、世界の真実と戦うことになる」

 

「しんじつ?」

 

「いやなに、こちらの話だよ。ペルソナという力は、本来、神や悪魔の姿をしたもう一人の人格を憑依させることで発動するんだ。悪魔使いである君と違って、身体を強化できるのが特徴だ。本来なら特定のエリアでしかできないが、魔界と境界があいまいになりつつある今の東京に生まれたメメントスは、東京を模した分だけ境界があいまいになっていく。それがなにを意味するのか、聡明な君ならわかるだろう、アキラ君」

 

 

悪魔絵師がアキラを見る。

 

 

「そのマグネタイトに魅せられて近寄ってきた神話の存在がパレスの歪みにより変質し、人間の想像の型にはめられ、力を制約された状態に貶められたシャドウのような何かがいたとしよう。人間と契約することでマグネタイトを確保し、その想像の力で一部の力を解放できたとしたらどうなる?貶められたとはいえ神話の存在はいわば劇物だ、すさまじい負担がかかる。劇物を劇物のまま使役する悪魔使いである君ならよくわかるはずだ。そんなことを企む輩がいるかもしれない。気をつけるんだよ」

 

 

渡されたのは、スキルカードではない。ミノタウロスが描かれたカードである。

 

 

「ガントレットにダウンロードしてみるといい。先ほどいったペルソナ使いの原始的なやり方が君には向いている。すなわち神世の存在を体に降ろすやり方だ。降魔、とかつてここにきたことがある人々はいっていたよ。忠誠度や信頼関係が必要になるが、ミノタウロスとならそれが可能だろう。ただし、ペルソナ化している間はミノタウロス本体を戦闘に呼び出すことはできないから注意だ」

 

「ありがとうございます」

 

「なに、これからメメントスのガイドを頼むんだ。それくらい前払いさせてもらうよ」

 

 

 

ガントレットにダウンロードしたチャネリング機能を起動する。悪魔召還プログラムで待機しているミノタウロスをチャネリング機能に指定、連動させる。不思議な感覚がアキラを襲った。

 

「おめでとう、どうやら成功のようだね」

 

悪魔絵師は軽く拍手をしながら笑った。

 

「ペルソナは内なる自分を模した悪魔を憑依させることで異能を獲得するけれど、悪魔もペルソナもシャドウも人の無意識からいでたものという共通点はある。どこから違うのか、どこから同じなのか。それを僕にみせてくれないか、アキラ君。そしたらきっと、僕は悪魔の原初を描くヒントになると考えているんだ」

 

「まあ、今までガントレットを通して悪魔から魔界の魔法を獲得してきましたからね、それがより直接的になっただけと考えたらいいんでしょうか?」

 

「そうだね。悪魔を憑依させてその力を使うから、ペルソナ使いと同じように身体強化の恩恵にあずかれる代わりにアキラ君の属性相性もすべてその悪魔と同じになる。相性の善し悪しがあるから注意がひつようだ。それにペルソナは自身の力だから乗っ取られることはないけど、アキラ君は常にその危機感を持って挑んでくれ。そのかわり、降魔している間、ミノタウロスの技能が使える」

 

「戦術の幅が広がりますね」

 

「だろう?」

 

「召還できないと頭数が減るし、今の僕は降魔と悪魔召還を同時にできるほど慣れてないけど、使い分けたらこれはこれで楽しそうだ」

 

「そういってくれるとありがたいよ」

 

悪魔絵師は画材を抱えて立ち上がる。

 

「さあ、行こうか」

 

「はい」

 

アキラは今年に入ってから、突然スマホやガントレットに勝手にダウンロードされた謎のアプリを起動する。世界がゆがみ、物質世界と精神世界の境界線が限りなく曖昧になり、混じり合っていく。どちらでもない異質な世界は着実にその範囲を広げつつあり、以前は小さな世界でしかなかったが、今や東京中を飲み込もうとしているスピードである。そのうち東京と全く同じ面積のメメントスが形成されてしまうのではないだろうか、と危機感は募るものの、今のところ打開策はない。

 

違和感があった。いつもきている悪魔討伐隊の装備ではない。

 

 

「なんだ、これ」

 

 

思わず体を見渡す。メメントスに入った瞬間に服そうが変わってしまった。

 

白いスカーフ、白の和装、茶色いベルト、そして上から羽織る青いコート。ガントレットは装着されているものの、両脇にあるはずの小刀の位置が落ち着かない。銃が見あたらなくて困惑する。四苦八苦しているアキラに悪魔絵師は笑みを浮かべたまま待っている。

 

 

「ここに入るたび、ペンキのようなものがあたりに四散するだろう?それは僕たちが異物である証なんだ。今まではメメントスに物質世界の住人が土足で侵入してきたから、異物だった。動き一つでゆがみが生じる。シャドウでさえ、人の移ろいやすさの影響を受けて不定形だ。形を保てない。実体がはっきりしていることは意志の強さを意味する。それこそパレスが形成されるほどのね。でもアキラ君や怪盗団の彼らのように、自ら欲望を自覚し制御しうる者はパレスを作らない。代わりにふさわしい姿をとるのさ。アキラ君は今回降魔という形で大衆意識に溶けない存在と認識されたから、敵と認定された。その目印は目立つ方がいいだろう?」

 

「なんだか、昔の日本の格好みたいですね」

 

「アキラ君は悪魔討伐隊の隊員だからね。東京を守るために奔走するその意識がいまの君をそうさせているんではないかな?

 

「なるほど、わかりました」

 

 

悪魔絵師は姿が変わった様子はない。まあ、僕はもともとこちらの世界の住人のようなものだから、と冗談めかして笑われた。シャドウに同族だと認識されるなんて言い回しをしながら、スケッチブックに鉛筆を走らされるとなんだか恥ずかしくなってくる。もういいですか、と気を使って止まっていたアキラだったが、照れてるかい、と笑われてしまい、半ば強引にメメントス探索を開始した。

 

 

 

遺棄された地下鉄を空目する光景が広がる。鉄格子の向こう側にはまだ機能している地下鉄があり、一定の時間で電車がやってくる。そして並んでいた不定形の生命体がたくさん入っていき、しばらくするとその先に消えてしまう。ずっとずっと奥までシャドウを運び続けているのが見えた。それが延々と繰り返されている。地下鉄の整備士が使用する通路にしては広く、あまりにも入り組んでいる通路。どこからきているのかわからない電気の灯る通路には意味をなさない改札口があり、止まっているエスカレーターが待ち受ける。悪魔絵師を案内しながら、アキラは現在わかっていることについて説明する。時折足を止めてはスケッチブックに鉛筆を走らせる悪魔絵師は、どんどん口数が少なくなっていく。熱中し始めると態度がどんどんおざなりになっていくのは芸術肌だからなのか、自称通りの口べただからだろうか。

 

悪魔の出現が比較的少ないエリアを抜け、いよいよ大衆の精神が形成している無意識の世界が作り上げた奇妙な場所を歩き出す。

 

 

「いましたよ、シャドウ」

 

「なるほど、あれがシャドウなのか」

 

「いえ、あれはまだ姿がはっきりしてません」

 

「どういうことだい?」

 

「大衆意識に浮かんでは消える感情の固まりだからか、シャドウはみんな不定形なんです。形がはっきりしない。でも、戦闘にはいると、その感情が発露して、それに応じた悪魔の姿を模した生命体になります」

 

「へえ、それは興味深いな」

 

「松田さんと同じこといいますね」

 

「まあ、彼とは同じ部署のつきあいもあるからね」

 

「ですよね。悪魔辞典は開発部の担当でしたっけ」

 

「ああ、そうだよ」

 

「類は友をよぶですか」

 

「言い得て妙だ」

 

「そこは否定してくださいよ。だいたいこのアプリ、まだ未実装のものを先行して使わせてるだけですよね、明らかに」

 

「さあ、どうだろう?」

 

 

アキラはため息をついた。そして躊躇なく引き金を引く。攻撃を食らったシャドウは衝撃のあまり豪快に吹っ飛び、その先でどろりとしたものが幾重にも折り重なり姿が変化していく。アキラのガントレットが戦闘モードに移行することを教えてくれる。

 

 

『アキラよ』

 

 

いつもはガントレットから聞こえてくるはずの声が、アキラの中から聞こえてくる。なるほど、これが降魔なのか、とアキラは理解する。人間の頃とは比べものにならないレベルで五感がさえ渡っている。ありえない距離の情景まで情報として理解することができるのに、気が狂う気配はない。これがミノタウロスとアキラが6年間培った絆というやつだろうか。そうだとしたらすてきなことだ。悪魔の能力が我がものとして使用できる高揚感がわきあがってくる。これは注意しないといけないな、とテンションがあがりつつある自分を笑う。癖になりそうだ。

 

 

『我が主、アキラよ』

 

「ミノタウロス?」

 

『さあ、存分に我が力をふるうがいい。我が名はミノタウロス、汝と共に行くことを決めた者!』

 

「ああ!君の力、僕のために使わせてもらうよ、ミノタウロス!」

 

 

不定形から姿を脱却し、大衆の深層意識からすくい上げられた姿が形作られる。それはアキラが日々戦いを繰り広げている悪魔とよく似た存在だった。シャドウめがけて、愛刀を振り上げる。ミノタウロスによる身体強化をうけている為だろうか。いつもならガントレットを通じて取得した魔界の魔法で体を強化し、戦闘に挑む前段階が必要ないほど体が軽い。いつもならあり得ない軌道で攻撃を回避し、そのままの流れで一気に切り込む。息をのむようなスピードで一体を撃破した。悪魔絵師が感嘆した瞬間、鼓膜をふるわせるような轟音が響いた。即座にアキラは距離をとる。なにかが破裂するような音がした。どうやら増援を呼んだらしい。危機感がよぎる。ちら、と視線を走らせればスケッチブックと熱心ににらめっこしている悪魔絵師がいる。アキラはため息をつきたい衝動に駆られるが、なんとかこらえて戦闘を続行した。

 

 

侵入者に目印、は言い得て妙だとアキラは思った。次々とシャドウを撃破するけれど、きりがない。ガントレットの悪魔改めシャドウ解析をもとにガントレットで魔法を発動させるがきりがない。なにかが焼け焦げる不快なにおいがあたりに漂っている。ようやく辺り一帯のシャドウを撃破したアキラは悪魔絵師と共に先を目指した。悪魔絵師はアキラのつゆ払いにより、どんどんシャドウのデッサンをかきあげていく。悪魔と違う挙動、発言、そういったものが創作につながっているらしい。よくわからないが悪魔辞典が充実するならなんだっていいのだ。

 

どれだけ歩いただろうか。

 

 

ちゃり、ちゃり、と鎖を引きずるような不快な音がメメントス全体に響いている。

 

 

ぞわりと悪寒が走る。勢いよく振り返ると、そこには鎖を引きずる異形がいる。かなり距離をとっていたはずだが、そいつがアキラを看破するのははやかった。アキラは銃を連射させるが、あまり効いている気配はない。無効や吸収ではないが耐性があるか恐ろしく防御が高いかなのだろう。アキラは追尾してくる巨大な弾丸をたたき落とす。すさまじい轟音をたてて砕け散る壁の先には通路が見える。万が一くらったときの衝撃はきっと貫通して体が2つに割れるだろう。生かす気がないことはわかった。今すぐにでも撤退したいが許してくれそうな気配はなかった。アキラのように多様な魔界の魔法を使ってくる敵はアキラの弱点を探しているのか、いろんな攻撃を仕掛けてくるが、お生憎様場数だけは踏んでいるのだ。アキラはとんだ。衝突する寸前に体を翻し、そいつにまたがり体を翻す。そして豪快に斬撃が炸裂した。こちらも吸収や無効ではないが、耐性はある。なら問題はない。アキラは再び切りかかった。

 

 

「おいおいおい、なにやってんだ!?」

 

 

アキラの耳に聞き慣れた少年の声が飛び込んできたのは、だいぶ疲弊してきたころだった。精彩を欠きミスが続く。時折悪魔絵師がキャンパスに描いた悪魔を実体化させ、回復させてくれるが気力までは回復できない。じりじりと追いつめられているところだった。

 

 

「今回の新入りは肝が据わってるな」

 

「違うだろ、フォックス!ワガハイたちの肝が冷えてどーすんだ!」

 

「大丈夫か、アキラ!」

 

「なんとか、ね」

 

「むう、加勢するには俺は準備ができてないな」

 

「いってるばあいか!あーもう、だからメメントスで絵の題材探すならもっと上でっていったんだ!ワガハイ、嫌な予感してたんだよおっ!」

 

「加勢するぞ、モルガナ」

 

「わーかってるよ!新人見殺しにするほど怪盗団はバカじゃねーぜ!

 

「ありがとう、助かる」

 

 

ずいぶんと精鋭部隊である。怪盗団の活動ではないようだ、人数が半分ほど足りない。それでも今のアキラにとっては最高の援軍だった。

 

 

『我は逢魔の略奪者アルセーヌ。暁よ、今一度我が力が必要か?ならば存分にふるうがいい!新入りに怪盗団の実力を披露するのだ』

 

「言われなくてもやってやる。力を貸せ、アルセーヌ」

 

 

来栖の背後に、黒の翼を持つ真っ赤なタキシードと真っ黒なシルクハットをきたペルソナがちらついた。なにかの術式を唱え始めた来栖を先んじてモルガナがアキラのところに駆け寄る。

 

 

「さあ、我が決意の証を示せ、ゾロ!弱気を助け、強気をくじく!正当派ヒーローってのはこういうもんだってこと、みせてやるよ!」

 

 

二足歩行の黒猫がフェンシングの剣を構えた勇ましい男を召還する。そして、大量の金色色の閃光が舞う。追従する形でアキラにもすさまじい力がたぎってくるのがわかる。アキラはモルガナの支援を受けた加護により、さらにスピードを上げて接接近し、その武装の合間を縫って接近し、間接を切断する。悶絶が聞こえる。詠唱がやみ、あたり一体に魔界由来の魔法が発動する。自然の力を宿した光があたりに四散した。爆発音がして、閃光が走り、辺り一帯が焦土とかす。敵は躊躇することなく、直下からアキラにその太刀を振り下ろした。鈍い音がひびく。ミノタウロスの強化により気絶までは避けたがすさまじい痛みがおそってくる。反射的にその武器をつかみ、はなすまいと妨害する。アキラに迫る第二打に来栖は暴風を打ち落とす。爆発的に四散した光がとけていった。

 

 

「大丈夫か、アキラ!よーし、待ってろ!」

 

 

ゾロを呼びだしたモルガナは全体に回復を命じた。

 

かすかに聞こえた声は、何かを発動させる。アキラの生存本能が悲鳴を上げていた。アキラが来栖をかばえたのは、ほぼ反射的だった。周囲にあるものが粉みじんになる。殺意をたぎらせた一撃が過ぎ去った周囲が瓦礫とかす。二人の無事をわきあがる粉塵の向こうから確認したモルガナは暴風をたたきこむ。ありがとう、と返した来栖にアキラは笑う。冷静さを欠きながらも、繊細さを欠きながらも、アキラは太刀をふるった。

 

 

物言わぬ骸になるのは、あの男をこの手でほふってからだ。許されざる蛮行だけは阻止しなければならない。ここで終わるわけには行かない。躊躇せず敵の目の前まで踏み込み、その武器を受け止める。じわりと血がにじむがこらえられる。積み重なった瓦礫から金色の閃光が光る。あたりが光に包まれた。

 

 

 

 

 

待合所があるエリアにようやくたどり着いた来栖は、迷うことなく全面ガラス張りの大型の待合室に飛び込んだ。多数の椅子が設置され、たって電車を待つことができるようにスペースも確保されているそこは、怪盗団にとって休憩の合図らしい。シャドウの出現する確率がとても低いことも相まってようやく一息つくことができる。自動販売機、無人の売店が鎮座しているが、そこにある新聞、雑誌、軽食はどれもよく似たなにかであり、読むことはもちろん食べることはできない。残念ながら個室を提供するほどのスペースはないらしく、周囲を囲っており冷暖房完備なところが再現されている程度にとどまる。それでも、モルガナカーには冷暖房がなく、現実世界の環境が反映されるメメントスではこれから夏に向かう季節柄、単純に暑いのだ。一歩はいればひんやりとした空気があたりを包む。あーつかれた、とモルガナは大きく伸びをする。おつかれ、と来栖から水筒を渡されたモルガナはうれしそうに受け取ると一気に飲み干した。来栖から渡されるお茶に置いておいてくれ、といいながら側の椅子を叩いた祐介は、その返事を待つことすら惜しいのか熱心にスケッチを書き込んでいる。祐介の向かいに座ったアキラの隣で、悪魔絵師はぱらぱらと溜まったデッサンを眺め見ている。記憶の中に刻まれたものと向き合うように鉛筆を走らせている。来栖はアキラにもお茶を差し出した。

 

 

「ありがとう」

 

 

一応携帯食は持ち込んでいるが、冷えたお茶があるならそちらの方が体も喜ぶだろう。お言葉に甘えて受け取ったお茶を口にすれば、ひんやりとした感覚が一気に身体を落ち着かせてくれる。ようやく精神的に落ち着くことができそうだ。

 

 

「アキラたちはどうしてここに?なにか事件でも?

 

「いや、違うよ。この人は僕の組織の開発部の人でね、メメントスのことが知りたいから連れて行ってくれって頼まれたんだ。いわゆる護衛任務。来栖君は?」

 

「似たようなもの、だな」

 

「みたいだね」

 

 

アキラは苦笑いした。悪魔絵師も祐介もお互いに似たようなことをしているにも関わらず、スケッチブックに目を向けたままいっさい口にしない。ただ黙々と作業を進めている。これならあちこちモルガナカーでかけずり回らなくてもよかったのに、とすっかり身体を来栖に預けてリラックスモードの黒猫はぼやく。どうやら彼はコウセイの美術の特待生であり、マダラメのパレスを攻略した時の衝撃から極度のスランプに陥っているらしい。その脱却に向けてメメントスという新しい題材に目下挑戦中なのだという。集中し始めたら周りが見えなくなるのだ。来栖がつゆ払いを申し出た結果、今日はずっとメメントスに潜りっぱなしなのだという。

 

 

「元はといえば、ジョーカーが悪いんだぞー」

 

 

膝の上のモルガナの両頬をつかんでぐりぐりし始めた来栖の目は笑っていない。

 

 

「なにすんだよ、ジョーカー!元はといえば、ジョーカーがフォックスの約束いつまでも放置すっからワガハイまで拉致られたんじゃないかあ!」

 

「うるさいモルガナ」

 

「やめろおっ!八つ当たりすんならスカルにしろよな!フォックスにジョーカーの忙しさの理由ちくったのスカルだぞ!」

 

「スカルはいつかシメるからいいんだ。今はモナ」

 

「なんでだあっ!」

 

 

羽交い締めにされてくすぐられ始めたモルガナは、ひいひいいいながら涙目になって大笑いし始める。アキラは助けを求められるものの、来栖の目が若干マジになっているため、流れ弾を回避することを優先することにした。先輩のSOS無視するな新入り、とモルガナの悲鳴が聞こえるが、リーダー命令で待機を命じられてしまえばアキラは肩を揺らしながら待つしかない。ひとしきり笑った後、気づけばモルガナがくすぐられて疲れたのかぐったりと伸びていた。

 

 

「一応、理由を聞いてもいいかい?」

 

「いいのか?」

 

 

モルガナを盾に使われ、次はお前がこうなる番だと言外に言われ、アキラはやめとくよと笑った。

 

 

「さっきからなにを楽しそうにしてるんだ、おまえたち」

 

 

ようやく次回作の構想に納得がいったのか、不思議そうに来栖たちを見てくる祐介にモルガナは恨めしげに見上げるだけだ。捕まった宇宙人のごとくぶらさがっていたモルガナだが、来栖はようやく膝の上に戻した。

 

 

「いや、なんでもない。それより、かけたのか?」

 

「ああ、テーマについては方向性が固まった。今度は構図、構想、想像を膨らませるにはデッサンあるのみだ。今日はとことんつきあってもらうぞ、ジョーカー」

 

「はは、フォックスは熱心なんだね」

 

「俺の協力をしてくれると言ったのは、他ならぬジョーカーだからな。だが、モナが言ったとおり、多忙な男だ。約束を取り付けるのも一苦労でな、スカルが深夜にメールすることを教えてくれなかったらもっと遅れるところだった」

 

「それについては謝るよ、フォックス。でも、ここのところ毎晩真夜中に爆撃して、メメントス、ルブランで夕飯の繰り返しはそろそろ勘弁してもらいたいんだけどな」

 

「なにをいっているんだ。前は町医者、その前はゴシップ記者、その前は占い師、メイド服の女だ。真夜中のメールをやめたらお前はまた俺の誘いを断り続けるだろう。約束は早いもの順だといったのはお前だろう」

 

「確かにそうだけど、限度がある。今月の奨学金はどうしたんだ」

 

「もうないからルブランに世話になってるんだが」

 

「いいかげん、そのよくわかんねえものにお金つっこむ浪費癖なおさねーとやばいんじゃねーか、フォックス?」

 

「ふん、モナはわかっていないな。何事も経験からだ。有名になった画家はいずれも様々な女性遍歴や人間関係、人生経験があってこそ、その豊かな表現力が磨かれた。その片鱗はジョーカーがみせてるじゃないか。さすがはリーダーだ」

 

「いやそれ違うと思うぞ?」

 

「フォックス」

 

「ん?なんだ、ジョーカー」

 

「・・・・・・天才か」

 

「だろう!」

 

 

なにいってんだこいつら、とモルガナは大げさにため息をついて見せた。

 

 

「なるほど、これがアキラ君がこれから入団する怪盗団か。ずいぶんと楽しそうだね」

 

 

悪魔絵師はようやくスケッチブックから顔を上げた。大きなサングラスから表情は読みとれず、その恰幅の良さからくる威圧感がある。しかし、人好きのする笑みと落ち着いた口調から警戒心はなくなった。画材を片づけながら悪魔絵師はスケッチブックだけ抱えてアキラの隣に改めて腰を落ち着ける。祐介はようやくアキラの同行者に興味がわいたようで、なにやら思考を巡らせる。

 

 

「もしかして、画集を出されたことがありますか?」

 

「ん?ああ、まあね。これでもささやかながら個展や画集といった活動をしていた時期もあるよ」

 

「やはりそうか、なら、何度目かの画集の企画で、斑目と、いや、斑目先生と対談したことがありませんでしたか?」

 

「よく知ってるね」

 

「俺は、いえ、僕は斑目先生に師事していたんです」

 

「ああ、なるほど。そのときにもしかしたら会ったのかもしれないね。僕は展覧会に出展するのではなく、商業絵を描いていた人間だ。それでも、斑目先生はどこか印象に残ったらしくてね、あちら側からの提案だった。興味深かったことを覚えているよ」

 

 

だからか、と祐介はひとりごちる。目の前の男が描くものは非常に特徴的だ。斑目の家に住み込みで絵ばかり描いていた頃、斑目が編集者が持ち込んでくる企画の資料として持ち込んでいた表紙をすぐに思い出すことができた。商業絵を作るデザイナーとの対談は非常に珍しかったことも相まって祐介の印象に残っていたのだろう。ピカソや岡本太郎を好んだ斑目にしては珍しい対談だったから。

 

 

「今もそういった活動を?」

 

「いや、ここにいるからわかるだろ?僕は今アキラ君の組織にいるんだ。そして多くの悪魔について描かせてもらってる。その悪魔を生み出した人間の想像力の源泉になったものが是非とも描いてみたいんだ。その悲願を達成するためにも、こうしてメメントスにつれてきてもらったというわけだ」

 

 

たんたんとではあるが、饒舌に語る悪魔絵師にアキラは祐介が気に入ったんだと言うことがすぐにわかった。スランプ気味だという祐介はその語りをうらやましそうに見つめている。俺も是非ともその境地までいきたいものだ、という言葉は少々落ち込んでいるようにも見えた。

 

 

「僕はアキラ君の組織に入るときに名前は捨てた。今は悪魔絵師と名乗っている。人のうちに住まう神と悪魔を描く絵師とね。また会う機会があればそう呼んでくれたまえ」

 

「悪魔絵師、ですか」

 

「悪魔ばっかり描いてるから悪魔絵師か、すんげえな」

 

「悪魔を描いているということは、俺たちが知らないシャドウについて知っているんですか?」

 

「今日シャドウに会うのは初めてだったけど、どうやらシャドウは悪魔とは違った形で絵に魂が宿ったようだね。だから、君の問いにはYESと答えるとしよう。しかし、あれでは本物とは呼べない。もう少し修行が必要なようだね、シャドウを生み出している誰かさんは」

 

「なら、ワガハイたちが知らないシャドウの情報、もらえるかもしれないな!」

 

「その程度ならいくらでも渡すよ。ただし条件がある。君たちのペルソナを見せてもらえないか?ペルソナが使える人間はとても少ないからね」

 

「わかった。怪盗団らしく取引といきましょう、よろしくお願いします」

 

「悪魔絵師に会いたいなら、僕に連絡をくれれば仲介するよ」

 

「ありがとう、アキラ」

 

「どういたしまして」

 

「誤ったイメージは現実に直面することで修正されるが、自分というイメージだけは修正することができない。修正できるチャンスはそう多くはないが、答えはいつもすぐ近くにあって遠いものだ。それを捕まえれば迷うことはないだろう。君の悩みも解決するといいな」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

お袋を改心させてほしい

「あった、これだこれ。俺こいつ知ってるかも」

 

 

竜司が見せてくれた怪盗お願いチャンネルのコメントに割り振られたナンバーを確認し、来栖はそこまで画面をスライドさせる。

 

 

【お袋を改心させてほしい】

 

 

母子家庭の兄を名乗る匿名の投稿だった。【賛美歌が聞こえる】という謎の言葉を繰り返し、妹を一度も外に出さず家に閉じ込めつづけている母親を改心させてほしいという内容だ。自分にはなんの干渉もせずネグレクト寸前であり、妹も連れて逃げ出そうとしたが頑なに母親が手放さない。引き離そうとするとヒステリックに叫ぶ。生きるのに精一杯な彼は家から出て離婚した父に身を寄せるしかできなかったらしい。母の名前、具体的な容姿、家出直前の様子、そして写真がはられている。

 

 

「でもこれってスパムじゃないの?」

 

「三島がそんなこと言ってたな」

 

「俺も初めはそう思ってたんだけどさ、なんかひっかかってたっつーか。気になってちょっと調べたんだよ」

 

「どの辺が気になったんだ?」

 

 

不思議そうに祐介は言葉を投げる。どうして通報しないのか。警察に助けを求めないのか。湧き上がる質問は掲示板の住人も同じらしい。煽りや荒らしも意に介さずひたすらコピペが繰り返されていた。気になった来栖が一度聞いたことがある。スマホの向こうでおたすけチャンネルの管理人はよくあるスパムだ、ユーザーごとブロックしたはずだとぼやいていた。大量にコピペしてくるから、たぶんなにかの改変なのだと。新しいパソコン媒体でも使って、新しいメルアドを取得して、新しいハンドルネームを用意して、執拗にここに書き込みを試みていた荒らしは、とうとう運営側の監視をくぐりぬけてしまったらしい。最近、書き込みの確認が追いつかず自動的に転送する設定にしていたがはじくワードが含まれていなかった。ごめん、今度からは気をつける、といわれた。そういわれてみれば、特大掲示板によくあるコピペにもにている。スパムにも似た文言だ。

 

 

「だってさ、変じゃね?こいつさ、ここのスレの奴らに特定されてんだよ、あんまり同じことコメントすっから。でも続けてんだわ。そんだけ助けてほしいんじゃねーかなって」

 

 

自分が特定されてしまうことも構わず書き込みつづける投稿者が気になり、なんとなく竜司はその特定と晒しがあっているのかの検証も兼ねて調べたらしい。アルコール依存と暴力が絶えない父親から逃れるように離婚した母子家庭の竜司はこのコメントに思うことがあったのかもしれない。怪盗団の面々は家庭事情をすでにカミングアウトされている、なんとなく察したらしく咎めはしなかった。

 

 

「だってここ、うちのアパートなんだぜ?どーりで最近シュージンの奴らよく見かけると思ったら」

 

「そうなのか」

 

「ああ、そういえば」

 

「そっか、この辺だっけ」

 

「おう。暁は来たのあんときだけだもんな、覚えてねえのも無理ねえか」

 

「なるけど、いいことを聞いた」

 

「おいこら祐介、俺ん家はルブランと違って広くねーんだよ来んな」

 

「......そうか」

 

「なんでそんな残念そうなんだよ、お前さ。なんか俺が悪いみたいな流れになるだろ、やめろよ」

 

 

あーもういい、続けるぞと竜司は無理やり話を戻す。何日も前の新聞や手紙が詰め込まれ、入りきらないものが散乱している部屋があるという。スーツを着た人間が何度も呼びかけているのを目撃したことがあるらしい。あと、そこに住んでいるのがかなりやつれているから中年の女性だと初めてみたとき勘違いしたけども、竜司の母親がご近所づきあいで聞いた話では意外と若い。かなり厳重に、病的な数の鍵をかけ、掛け持ちしているパートに勤しんでいるとのこと。名前は回覧板で把握している。コピペと一致する名前だ。

 

 

「でも女の子とかみたことねーんだよな一度も。つーか一人暮らしだって聞いてるぜ?」

 

「泣き声とか聞こえないのか?」

 

「いんや全然。むしろ静かすぎて不気味っつーか」

 

「ねえ、それってやばくない?警察とか行かないの?」

 

「ガセの可能性はないのか?竜司」

 

「異世界ナビがヒットしなきゃ俺だってそう思ったよ」

 

「そんなにやばいの?じゃあ急がなきゃ」

 

「竜司の家の近くだろ、やばいな」

 

「そういうことなら早くいえ」

 

「わるかったな、どーせ俺は順番考えるの苦手だよ」

 

 

竜司は苦い顔をする。今はパレスを形成するには至らなくても、いずれ強力なシャドウはやがて特異な異空間をつくり独立してしまうのだ。メメントスから湧き出したそれは現実世界を侵食し、悪魔を呼び寄せる事態にまで発展してしまう。自分の家と目と鼻の先にまでメメントスが広がりはじめていて、その原因がパレス寸前の異空間を作りはじめているのだ。万が一がよぎると竜司は焦燥感ばかりが先走り、うまく伝えられないようだった。気持ちはわかる。がしがし頭をかいた竜司にモルガナは笑う。

 

 

「そう拗ねんなよ、竜司。たまには役に立つじゃねーか。今回は珍しくお手柄だぜ」

 

「珍しくってなんだよ、珍しくって。いちいち一言余計なんだよ、この化け猫」

 

「誰が化け猫だ!ったく、せっかく人が心配してやってんのに」

 

「えっ、さっきのどの辺りにそんな要素あったんだよ!?」

 

「褒めてやっただろ」

 

「いやわかんねえよ」

 

 

もちろん全会一致である。

 

 

「アキラに連絡入れた方がいいな」

 

「おう、頼むぜ暁」

 

 

今回初めてのパーティ加入となる。合流場所はメメントスの入り口だ。メメントスが拡大するたびに警備範囲が増えていく悪魔討伐隊は来栖が説明するまでもなく、竜司の家ほど近くまで巡回の範囲は拡大していたらしい。アキラ曰く適当な人払いの情報が自治体から流され、黄色いテーピングが該当エリアを囲う。怪盗団が暴れることでメメントス内のシャドウが活性化し、放出されるマグネタイトは現実と魔界の境を曖昧にして悪魔を引き寄せる。今まではその強大なシャドウが消えるまでひたすら待機と討伐だったが、ようやく力をふるえるとアキラはやる気に満ちていた。

 

 

「アキラは免許もってたよな?」

 

「え?ああ、うん、一応ね。でもなんだい、突然」

 

 

来栖たちは顔を見合わせた。

 

 

「おー!これでやっと壁にぶつけなくてすむのか!頼むぜ、アキラ!」

 

 

モルガナは嬉しそうだ。疑問符が乱舞するアキラの目の前で、モルガナは突然クラシックな真っ黒の車に姿を変えた。さーどうぞと運転席に押し込められ、隣には昨日までモルガナカーをゲーム経験のみで運転していた来栖が乗り込む。ようやく悪酔いから解放されると祐介は嬉しそうだ。興味津々で後ろから覗き込む彼らの視線を感じながらアキラは大衆意識に刷り込まれたバスになるネコに苦笑いした。どうやらオボログルマのように白骨化した中の人はいないらしい。

 

 

「よーし、出発だ!」

 

 

モルガナカーのライトが点滅する。車はゆっくりとはしりはじめた。

 

 

「そーいえばさ、アキラって臨時加入だけどコードネームどうするの?」

 

「たぶんメメントスだけだろうし、僕はいらない気がするけどね」

 

「却下だ」

 

「まさかの即答?!」

 

「ったりまえだろ。カッコつかねえじゃねーか。な、ジョーカー」

 

「ああ。それに俺たちの実力が図りたいとはいえ、一時的にでも俺たちの仲間になるんだ。流儀には従ってもらう」

 

「あっちの世界でも力を振るうかもしれないとジョーカーから聞いたぞ、アキラ。ならなおさらお前から俺たちの素性がバレたら困る」

 

「う」

「じゃあさ、じゃあさ、なにがいいかな、アキラのコードネーム」

 

「サムライなんてどうだ?東京を守るために戦う悪魔討伐隊はまさにサムライだ」

 

「なんか言いにくくね?ブシドーはどうよ、ブシドーは」

 

「ブシドーってなにそれ、いいやすいけどなんか違わない?サムライかー、ブシ?ムシャ?モノノフ?」

 

「あはは、外国人みてえ。ニンジャ、サムライ、ブシドー」

 

「あのね、君達。なんか遊んでないかい?サマナーとかバスターでいいからね?」

 

「サマナーって、アキラたちみたいな悪魔使いのことだよな?」

 

「ああ、そうだよ。デビルバスター、デビルハンター、色々呼ばれてるけどデビルサマナーが一番知られてるね」

 

「たしかアキラは悪魔を憑依させてペルソナのように使ったり召喚したりするんだったな?じゃあサマナーでよくないか?」

 

「えー、サマナーってまんまじゃね?」

 

「まあサマナーって呼び名は悪魔にも知られてるから、シャドウと悪魔の識別にも使えるしありかもしれないね」

 

「んー、でもサマナーってなんか魔法使いみたいじゃない?アキラって銃も刀も本物だしなんか違うかも。どっちかっていうと前衛タイプじゃない?」

 

「僕が前衛?」

 

「あれ、違うの?」

 

「一応悪魔使いの僕はサポート特化なんだけどね」

 

「はあ?刈り取る者に一人で向かってたやつが前衛なわけねーだろ!」

 

「たしかにあれは後衛じゃないな」

 

「あれは見事な手合いだった」

 

「うわまじかよ、あいつに一人で?アキラって以外とバトルジャンキー?」

 

「違うからね?あの時は依頼人の護衛任務中だっただけで、戦う人間が僕だけだっただけで」

 

「ないわー、さすかにないわ。後衛が護衛任務受けるかよ普通」

 

「君達意外と容赦ないな」

 

「やっぱサムライだよ、ラストサムライ」

 

「いや、悪魔討伐隊は僕以外にもいるからね?」

 

「アキラは外務省の外郭団体にいるんだ、サムライみたいな階級なのもあながち間違いじゃないだろ?」

 

「やけにサムライ押すね、来栖君。気に入ったのかい?」

 

「正直祐介は天才だと思った」

 

「ジョーカーがいうならなおのこと俺は賛成だ」

 

「でも言いにくくね?」

 

「そのうち慣れてくるんじゃない?サムライは英語でもサムライだし」

「まーたしかにそうか。なら俺もさんせー」

 

「あたしもー」

 

「にゃはは、決まりだな?じゃあ今日からアキラのコードネームはサムライな!」

 

「これでいいな?」

 

「YESしか認めない流れだよね、これ。まあ僕はなんでもいいけどさ」

 

「ならいっそのこと、ガントレットのコードネームもサムライにしたらいいんじゃないか?」

 

「なにいい事思いついたみたいな顔してるんだよ、ジョーカー!僕は絶対に嫌だからね!?」

 

 

 

 

 

「さて、着いたぞお前ら」

 

 

メメントスでより強い自我をもつシャドウを探知できるモルガナカーが促してくる。来栖たちは軽く体を動かしながらあたりを警戒する。おしゃべりは終わりだ。来栖は慣れた様子で編成を伝える。変に歪んでいる空間をくぐり、彼らは先を急いだ。

 

 

「んだこりゃ?」

 

 

それは明らかに今まで退治してきたシャドウとは違うものだった。

 

 

「なんで規制線が張られてるんだろ?」

 

 

アキラは驚いたのか目を丸くしている。無理もない、それは昨日までの職場そのものだった。

 

 

「うわ、とうとう出やがったか」

 

 

モルガナはめんどくさいという顔をしている。そして説明を始めた。メメントスは、大衆意識から生まれた欲望の吹き溜まりである。だれもが持ち得る強すぎる感情から生じたゆがみは時にパレスとなり、メメントスから独立して孤立無援の領域となる。そこの主の意識を投影した人間が生まれる。認知上の人間、とモルガナは称した。まるでクローンのようにそっくりだが、現実世界ではいっさい影響を与えない、いわば偽物だと。その偽物はこまったことに、メメントスが大衆意識であるが故に、大衆がイメージするものが具体化してしまうことがよくある。

 

 

凶悪事件が起こるたびに規制線が張られ、物々しい警備体制がひかれ、その中に入っていく武装をした集団を目撃した大衆によって生まれた悪魔討伐隊と出会ったのは数日前の話だ。銃声が響くのに、情報規制がかけられ、内部で行われている掃討作戦の内容が全くわからない。軽率にその様子をネット上に乗せようとしても、決まって不自然な形で圏外になってしまう。それもこれも悪魔によって魔界化してしまったエリアの奪還作戦のため、悪魔の掃討を行っている。しかも敵がスマホを通して悪魔を召喚するのを防ぐためのジャミングなのだが、なにも知らない一般人にとっては凝り固まったイメージは覆しようがない。悪魔の存在は非公開が原則だ。

 

 

認知上の悪魔討伐隊は、ランダムで出現し、突然経路を道路封鎖してしまう。自己生成される迷宮が一本道だった場合、怪盗団は無理矢理突破することになる。困ったことに侵入者に対しても問答無用で攻撃を仕掛ける彼らである。見た目は普通の人間である。

 

 

「うわ、まじかよやりずれー」

 

「僕ほどじゃないと思うよ、スカル」

 

 

アキラは苦笑いして指差す先には、来栖たちが顔を合わせたことがあるアキラやツギハギ、といった人間によく似た顔があるのだ。やりにくいことこの上なかった。思わず来栖たちは同情した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幸い現役の悪魔討伐隊は、認知上の悪魔討伐隊の装備や戦術を知っている。ようやく銃撃戦が終わりを告げ、来栖は息を吐く。認知上の存在は死んでしまってもすぐ復活する。はやいとこ、封鎖された場所を突破しなければならない。たいてい黄色いテーピングがされている。その先は大衆が知らないためだろうか、何かを隠している、という期待からか、高い確率で宝箱が出現するのだ。

 

 

「よし、宝箱だ」

 

 

この間作ったばかりのピッキングツールを使用して、宝箱をあける。中には貴重な宝石が入っていた。そういえば悪魔討伐隊は悪魔と交渉するために宝石を集めて回っている。怪盗団にとっても貴重な取引先だということを考えれば、ほかにも宝石を集めて回っていることをしっている人間がいるのかもしれない。なにはともあれ宝石をしまい込んだ来栖は、振り返る。認知上の悪魔討伐隊はランダムに出現する、シャドウとは異なる存在だ。倒してもうまみがないため、基本的に状態異常にして戦闘終了をもくろむ。今回も混乱している彼らは自滅を繰り返している。

 

 

来栖は混乱状態にある彼らがばらまいたお金を拾いあつめる。次々に倒れては不定形のなにかに戻り、近くにある排水溝の中に吸い込まれていく様子をながめていた。広範囲にかけられた混乱の効果はテキメンで、敵味方の判断すらわからなくなった彼らは差し違えたり、自滅したり、スキルカードやお金をばらまいたりして、次々に倒れて消えていく。

 

たいてい最後まで残るのは、状態異常に耐性があるのか、モデルとなった仲間のように運がバカ高くてそもそもかからない個体のいずれか。今回はアキラによく似た個体が残った。

 

偽物か、そうでないかはすぐわかる。アキラの怪盗服は白と茶色の和装の上から青色のコートを着ているのだ。そして左手にはガントレットとよばれている端末がついた機械仕掛けの腕の装備。偽物は悪魔討伐隊が悪魔掃討作戦を決行すると着ることになっている服装のはずだから、自衛隊やSWATとよく似た服装なのだ。だから、目の前にいるアキラは大衆のイメージでできあがったよくわからない部隊の人間である。

 

 

 

返事はない。ただ、呼ばれたことに反応した気がした。一瞬驚く来栖だが、ありえない、とすぐ否定した。あたりまえだ、彼はアキラの姿をしているだけで、よくわからない部隊、という概念が形になっただけなのだから。大衆は悪魔を使役していることを知らないから、偽物は悪魔を召喚してこない。武装している剣や銃で攻撃してくる。それでも自身のエネルギーを転化して精製する攻撃だ、一定数をすぎると転化するマグネタイトが枯渇してなにもできなくなる。回復要員をつぶしてしまえば、ただ殴ってくるだけになる。今の来栖には回避すらたやすい。振りかぶった勢いで剣は壊れかけのLEDを破壊し、あたりに破片が四散する。一瞬あたりが暗くなるが、電気で光っているわけではない。すぐに原理不明の光があたりを照らす。剣が突き刺さり、抜くのに手間取っている偽物を来栖は捕まえた。

 

 

「さあ、お楽しみはこれからだ」

 

 

抵抗する身体を羽交い締めにする。そして魔法を発動させる。認知上の存在を攻撃してもアキラには何ら影響はない。彼らは不定形にとけ、どこかに消えていった。

 

「アキラ、ちょっといいか?」

 

「なんだい、来栖君」

 

「これ、もっててもらってもいいか?」

 

「これは?」

 

渡された袋を開けてみる。いろんなアイテムが入っていた。

 

「見てて思ったんだが、アキラはぜんぜん状態異常にかからないよな。いざというとき、もっててもらえた方が助かる」

 

「え?そうかな?」

 

「あ、そういえばそうだよね。一回も攻撃食らってないかも」

 

「そもそも標的にならねーよな、なんでだ?」

 

「そーいや、結構よけるよな、アキラ。悪魔討伐隊だから経験積んでんのかと思ったけど、また別の理由でもあんのか?」

 

「うーん、意識したことなかったな。たしか、今の僕はミノタウロスの能力がそのまま反映されてるんだよね?」

 

「まあな。でもアキラ自身の能力に上乗せされる形だから、まるきり同じになるって訳じゃないぞ」

 

「あ、そうなのかい?そんなにいわれると気になるな、ちょっと待って。えっとたしかステータス表示は・・・・・・」

 

 

ガントレットを操作し、アキラは能力を見せてくれた。

 

 

「運高すぎじゃね!?」

 

「え、そう?」

 

「なんか極端な能力値だね」

 

「あー、うん、ペルソナ使いのときと、悪魔使いの時じゃ戦い方が違うからね、僕は」

 

「え、そうなのか?」

 

「うん、そうだよ」

 

 

ステータスは、極端に幸運と速さ、そして魔力に極端に振られており、それなりに銃撃が高い。そのかわり体力や防御といった数値は瀕死の状態となっていた。ペルソナの補正がなければ簡単に吹き飛ばされてしまいそうな耐久性のなさである。

 

 

アキラはペルソナ使いである前に、悪魔使いである。人知を越えた存在を使役することができる、それ自体が大きな技能だ。腕っ節が強ければ補助を悪魔に任せて、攻撃の主戦力は自分とすることができたが、あいにくアキラは12のことから悪魔使いである。求められる戦力は悪魔のほうだった。だから、今も昔もアキラが担うのは補助役、回復、裏方、援護、そういった役割だった。攻撃は悪魔に任せて、自分はそれを円滑に行えるようにする能力を磨いてきた経緯がある。悪魔を召喚し、人頭指揮を執る。余裕ができれば銃による援護射撃。求められるのは状況を把握して迅速に動ける判断力と早さ、そして銃の腕。最近、ようやく斬撃が使い物になるようになった。そんなアキラの戦い方が加入してから1週間でようやくわかったらしい。

 

無理もない。ミノタウロスをペルソナとして降魔しているアキラは、物理と銃撃と早さに特化した完全脳筋野郎なのだ。魔法なにそれおいしいのレベルでスキルを全く覚えない。物理や銃撃に耐性がある奴には物置になるのかと思いきや、まさかの貫通効果のスキルを持っている。耐性を無視してごり押しすることが可能なのだ。そんな思考停止の戦い方をするアキラが印象的だったのだ、ペルソナを使わなければ補助役になるなんて誰が思う。

 

 

「悪いこといわないから、アイテムもっててくれアキラ。その幸運なら状態異常にもかからない」

 

「うん、それいいかも。さんせー。たぶん、メンバーで一番速いし、なにかとお世話になるかも」

 

「つーか、アキラってやたらクリティカル出すから、敵のダウンねらって俺らに回してくれた方が攻撃食らわなくてすむんじゃね?」

 

「お、いいこというじゃねーか、スカル。バトンタッチしてくれりゃ、ワガハイたちがアキラを守ってやれるぜ」

 

「あはは、ありがとう、スカル。しっかり繋げるから、あとはよろしくね。やらないといけないことをはっきりしてもらった方が僕も動きやすくなるからありがたいよ。じゃあ、今から僕はアイテム係だ。どのみち限界がきたら回復するアイテムが必要になるしね」

 

アイテムを受け取ったアキラだったが、まだ知らないのだ。来栖が迷うことなくアイテムをアキラに託したその訳を。

 

「うわっ、ジョーカーが激怒してる!しっかりしろ!」

 

「ジョーカーが絶望してるー!誰かサポートまわってやれー!」

 

「おーい、誰かジョーカー起こしてやれ!なにやってんだ、おいー!」

 

「ジョーカーが凍った!」

 

「ジョーカーが洗脳されて、敵と味方の区別が付かなくなってる!だれか目を覚まさせてくれ!」

 

またか!!

 

いくらなんでも状態異常にかかりすぎだ、とアキラは声を上げる。だが、ほかのメンバーたちは慣れたもので、さっさと敵を片づけた方が早いとばかりにシャドウをなぎ倒す。さすがに数が多いときは、アキラにヘルプが飛んだ。運の能力値はここまで影響するのだろうか。アキラは今まで意識したことがなかったが、こうも状態異常を起こすスキルに狙われすぎている来栖を見ていると、じぶんの能力が高いことを自覚せざるをえなくなる。シャドウは来栖君に親でも殺されたのか!?とアキラが勘ぐりたくなるくらいには、来栖は状態異常の餌食になっていた。冤罪で前科をつけられる来栖だ、運が悪い、といえばそうなのかもしれない。とはいえ洗脳はいただけない。ただでさえ来栖はメンバーきってのエースなのだ。

 

アキラ、お願い!」

 

「はやいとこ、あいつを正気に戻してくれアキラ!」

 

「ごめんな、アキラ。ワガハイは回復に手一杯で手がまわらない!」

 

「ああうん、わかったよ。みんなはシャドウを頼む」

 

了解、と頼りになる仲間を背に、アキラは走る。

 

目が完全に据わっている来栖を前に、アキラは冷や汗だ。物理反射のペルソナをつけている来栖である。貫通持ちのアキラでなければ吹き飛ばされてしまうだろう。まったく、状態異常になりやすいなら、精神耐性のスキルを取得すればいいものを。アキラはもう慣れてしまったアイテムを手に、来栖に向き直る。

 

「目を覚ましなよ、来栖君」

 

呼びかけても返事はない。ただ不敵にわらった来栖は仮面を剥いだ。

 

「こい、ギリメカラ!」

 

容赦のない呪詛がアキラに絡みつく。笑えない冗談はよしてくれ、と冷や汗を掻きながら、不発に安堵する。ミノタウロスが払拭してくれたようだ。ミノタウロスが耐性をもっていなかったら死んでいたに違いない。背筋が寒くなる衝動にかられながら、アキラは来栖に近づく。最近の怪我は来栖からもたらされたものの方が多い気がする。なんてことだ、完全なフレンドリーファイアじゃないか。

 

「悪く思わないでくれよ、毎回毎回かかる君が悪いんだ!」

 

アイテムを封を開けた勢いで投擲する。クリーンヒットしたアイテムが来栖に降り注ぎ、ようやく瞳が正気を宿す。

 

「おれ、は?」

 

「まただよ、来栖君」

 

アキラ、あ、ごめん大丈夫か!?」

 

「もういいよ、慣れた」

 

「ジョーカーふっきー!ありがとな、アキラ!」

 

「今度は挽回してくれよ、来栖君」

 

「ああ、まかせてく」

 

「っていってるそばからああああっ!」

 

運が低いやつはこれだから!!せっかく洗脳を解除したのに、全体にぶちまけられた全体攻撃の影響をもろにくらった来栖が再び狂気を宿してアキラに襲いかかる。わざとやってんじゃないだろうな、とアキラが勘ぐりたくなるくらいには即落ちである。鍔迫り合いを回避して、アキラは距離を取る。ああもう洗脳解除できるアイテムはあと1つしかないんだぞ、誰かさんのせいで!絶叫するアキラにモルガナはあちゃーという顔をしている。

 

「はあっ!?まじかよ、ほかの奴倒した方がはやいじゃねーか!」

 

「ごめん、アキラ!せめてジョーカーがこっちこないよう押さえてて!」

 

「ああうんわかったよ、くそう!」

 

主戦力に襲いかかられたらほかのメンバーは為すすべがない。アキラは半ば意地になりながら隙あらば攻撃してくる来栖と相対する。怪我をさせるわけにはいかない、うかつに攻撃できない、にしたってこれで何度目だ来栖君のカバーにはいるの!?こっちの気遣いをいいことに来栖は全力で攻撃してくる。受け流しだって楽ではないのにだ。ああもうめんどくさいな!アキラはアイテム袋から最後のひとつを引っ張り出し、引きちぎる。ミノタウロスの強化により容易な封じ込めにかかった。そのナイフを剣でで受け止め、そのまま一気に間合いに入る。足蹴にしてバランスを崩させる。ミノタウロスの加護により反射は無効となり、アキラの攻撃はそのままダイレクトに伝わる。ナイフを遠くに弾き飛ばし、そのまま倒れ込んだ来栖にアイテムをぶん投げた。

 

「状態異常にかかる君が悪いんだ、少しは反省しろ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

お袋を改心させてほしい②

シャドウは共通して強烈な金色の瞳が特徴である。そして隠しようのない、体を形作っている不定形の黒い物質。シャドウ自身を形作る過程で成形から漏れてしまった液体が、背後でゆらゆらと音を立てながら波打っている。足下は冷たいはずのアスファルトと同化し、人外の存在であることを来栖たちに教えてくれる。

 

彼女の殺意が明確な意思を持って怪盗団に向けられた。

 

 

『またあなたたちなの』

 

 

もちろん彼女と怪盗団は面識はない。接点もない。ただ誰かと混同しているようだ。

 

 

『この子は私が責任をもって育てます。だから放っておいて』

 

 

そこにだっこされているのは、どこをどうみても小学低学年ほどの大きさの女の子である。ベビー服を着せられてあやされているという異様な光景でなければ、きっとほほえましい母親と赤ちゃんだったに違いない。みているだけでぞわぞわとしてしまい、大切な何かが削れてしまいそうな光景だ。

 

 

『あの子はだめだった。文明なんて野蛮なものに触れてしまった。知識は人を堕落させると教えたのに。捨てるものがなく、知識も無く、貧乏で純粋であれと教えたのに。腐ったリンゴは箱ごと捨てなきゃいけないわ。この子だけでも守らなきゃ。そして返さないといけない。3歳までは神の子だったのに。もう6年も過ぎてしまった。はやく返さないといけない。ああどうしよう、腐ったリンゴは箱ごと捨てなくちゃいけないのに』

 

 

ぶつぶつと訳の分からないことをつぶやいて、鬼気迫る様子で彼女は無表情のままされるがままの我が子をあやしている。

 

 

『国を創るのに我々は知識を持ってはいけないのよ。伝統はいらない。病院はいらない。学校もいらない。お金もいらない。私たちは新しい理想郷で生きるのよ、選ばれたのだから』

 

 

そして不気味な子守歌が聞こえる。

 

 

『私たちはこれより過去を切り捨てるの。泣いてはいけないわ。泣くのはこれからの世界をいやがっている証。笑ってはいけないわ。笑うのは昔の生活を懐かしんでいるから。私たちは帰るの。ひとつになるの』

 

 

やばい、という言葉が怪盗団の脳裏によぎる。静寂を破ったのは、来栖の言葉だった。

 

 

「それを、その子は望んでいるのか?」

 

 

ぴたりと彼女の動きが止まる。そして来栖の方を見る。どうしてそんなことを聞いてくるのか、まるでわからないという顔で、ゆっくりと首をかしげた。不気味だった。自分が言っていることの異様さがまるでわかっていない、純真無垢な顔だった。

 

依頼が正しければ、依頼人の妹は生まれてから一度も母親の手を離れたことがないらしい。幼稚園にも、託児所にも、保育園にも頼らず、ただひたすら家に閉じ込め、自分のむちゃくちゃな教育をひたすら施していたという。ここまで来ると自治体の人間が出てこないということは、出生届が出されていない可能性すら浮かんでくるが、さすがに来栖はそこまでわからない。ただ依頼人が妹と交流を持つこと自体忌み嫌い、まるで人形のように溺愛という名の虐待を延々し続けていたというのだ。極貧の生活の中で、このままでは死んでしまうと妹を見殺しにすることと葛藤しながら、最終的に空腹に限界を感じた彼は万引きの末に引き取り先に父親を指定し、脱出することができたという。このままだと妹がしぬ。母親が犯罪者になる。それだけはいやだと依頼人はいつも同じ言葉を結んでいた。匿名のコピペはそれだけ必死だったのかもしれない。食生活すらままならないせいで、どうやら彼はまともに学校に通うことすらできていなかったようだ。小学生すらしっているはずのネットマナーすらろくにわかっていないのかもしれない。

 

怪盗団の目を引くため。その目的のために、多少脚色はあるだろう、と正直来栖たちは思っていた。三島がピックアップする依頼はたいていそんな感じだからだ。しかし、その母親のシャドウと相対する今、来栖たちは確信せざるをえなくなる。名前も知らない匿名の依頼人は、ほんとうに妹を救ってほしくて、母親を改心させてほしいと願っているのだと。

 

やるしかない、そう決意を新たにしたときだった。シャドウが口を開いた。

 

 

『だから貴方は腐ったリンゴなのよ。たとえ私の子供であっても、この子にとっての毒でしかないわ』

 

 

彼女はどうやら依頼人と勘違いしているようだ。微笑みながら殺そうとしてくるシャドウに来栖たちは身構える。どろりとシャドウがとけていく。大衆意識という精神世界の中で、明確な意思を持っている者は異物として扱われる。すべての動きがぶちまけられたペンキのように四散し、消えていく。怪盗団の陽動とも似ているはっきりとした意思の発露に感化され、うつろいやすい不定形の中でも比較的形を保っていたシャドウはさらに存在を強固なものにしていく。それが怪盗団の場合ペルソナであり、シャドウの場合は伝承として知られている神話上の存在だった。ただそれだけの違いである。

 

 

液体をすべて飲み込んで、ふたたび彼女のシルエットは再構成される。ただし今度は別れ坂の山乙女と来栖たちは呼んでいるシャドウに変貌を遂げた。

 

 

「ハリティーか、我が子だけは可愛がってる悪魔なんだけどね。ちょっとその姿はいただけないかな」

 

 

アキラは強い口調で返す。ハリティの姿をしたシャドウの腕の中には、べつのシャドウが生成されていく。

 

 

破棄された地下鉄には不釣り合いな子守歌が聞こえてくる。なかなか泣き止まない我が子をあやしているハリティ。その姿は異様だった。ほつれがひどく、あちこちに乱雑な修復の後がある茶色いクマのぬいぐるみである。それをまるで我が子のようにベビー服を着せて、女の子なのだろうか、リボンをつけて、まるで人間のように扱っている。茶色いぬいぐるみは彼女の腕の中に抱かれ、がくがくと体を揺さぶっていた。そのぬいぐるみはよく見ると口のあたりに大きな牙がはえており、口からは真っ赤な血が滴っている。このぬいぐるみはただのぬいぐるみではない。中に何か居る。それに気づいてしまった来栖たちは、いいようのない悪寒に晒された。

 

ちぐはぐに繕われた腹の中からこぼれているのは綿毛ではなく、無数の毛だと気づいてしまったからだ。全身を毛で覆われた何かがぬいぐるみの中にいる。小さな何かがその茶色い布の裂け目からこちらをのぞいている。それにあちらも気づいたらしい。ぎょろりという大きな目が腹のところから大きく動いた。そして、ハリティの子守歌が静かにやんでしまう。

 

彼女は生気の無い目で来栖たちを見据えた。

 

 

「あのシャドウは・・・・・・!?」

 

 

初めて見るシャドウである。怪盗団の動揺を感じ取ったアキラが銃を構えた。

 

 

『さあ、我が主よ。我が名を呼べ。馳せし、その名を!』

 

 

せっかちだなあ、とアキラは笑う。けれども躊躇はなかった。

 

 

「頼むよ、ミノタウロス!」

 

『我が名は魔獣ミノタウロス。唯一至高の古き盟約により参上した。さあ、何を望む、我が主よ』

 

「まずは回復役を叩く!バグスは放置だ」

 

 

あいわかった、という言葉と同時にミノタウロスにより身体強化の恩恵をうけたアキラは、そのまま一気にハリティに向かって切り込んでいく。バグスの戦闘開始と同時に発動した強化魔法により、ハリティもバグスもあるまじき攻撃性能の恩恵を受けているのだ。頭数は確実に減らさなければならない。貫通効果を持つはずのアキラがバグスを放置と宣言する時点で、物理攻撃に対する何らかの対策がとられていると把握した来栖は魔法の発動の準備にかかる。

 

我が子をかばうようにバグスを抱き込んだハリティは、その布地を翻し、呪術を唱える。強烈な閃光があたりに広がった。強烈な光がまぶたに残像を焼き付け、視界を遮る。ミノタウロスの強化がなければひれ伏していただろう。あいにくアキラの性能自体はあいにく極端なほど運と速さと魔にふっているのだ、この程度でめまいにはならない。確率を上昇させる呪詛など振りまかれるより先に叩かなければ。来栖は地面を蹴った。

 

 

どご、という鈍い音がする。

 

 

強烈な一閃により我が子を放り投げてしまったハリティは絶叫する。たたみかけたアキラだったが、一撃で屠るにはいかなかったようだ。発狂したハリティはバグスではない、おそらく依頼人の妹なのだろう、ひたすら女の子の名前を叫んで狼狽する。ヒステリックに泣き叫ぶのは、ハリティの姿をしているだけでただの女性が本体なのだと強く意識させるものだった。アキラがその刀を抜こうとしたとき、ハリティはマグネタイトが垂れ流されるのもかまわず強く握りしめる。

 

 

『ああ、憎らしい、憎らしい。そうやって貴方は私からなにもかも奪っていくのね』

 

 

超至近距離から雷撃がたたき込まれる。ぐう、とアキラの苦悶の声が漏れた。利き手が全く力を入れることができない。ばちっという火花が散る。さいわい感電は免れたが強烈な電撃はアキラの動きを鈍くする。今度はバグスの超至近距離のトリプルワンが炸裂した。口が切れたのか赤が四散する。けほ、と咳き込んだアキラは乱雑に口元をぬぐった。追撃しようとするハリティたちの前にまっすぐに伸びてきた影がたちふさがった。

 

 

「固まってくれてありがとよ!いっけえ、ゾロ!」

 

 

暴風がたたき込まれる。ハリティは甲高い声を上げて倒れ込む。

 

 

「もういっちょ!」

 

 

いよいよ気絶してしまった。その隙をつき、モルガナは杏にバトンタッチする。ようやく回復魔法が飛んできてくれたおかげか、アキラは少しだけ動きが戻る。

 

 

「いよっしゃ、いくぜ!」

 

 

ペルソナの名を高々に宣言し、竜司は追撃を命じる。物理攻撃が通用するとわかってしまえばこちらのものだ。

 

 

合室でしばしの休憩タイムとなった怪盗団は、今回の戦利品を眺め見る。

 

「うーん、これって売れるのか?」

 

「せめて洋服だったら売れると思うんだけどなあ」

 

「おもいっきりベビー服にアレンジされちまってるな。これってイワイんとこで引き取ってくれんのか?」

 

「微妙じゃない?さすがに無理そう」

 

「怪盗団はいつもここで得た戦利品を資金源にしてるんだよね?これって、あちらの世界ではどうなっているんだい?」

 

「それについては心配無用だぜ。こいつは精神世界でシャドウの核となってたもの、欲望の発生源、つまりは概念がかたまってできた偽物だ。すっげえ執着してたんだ、精巧なのはあたりまえ。どこまでいってもよくできた偽物だぜ。ほんものがあるとしたら、それはシャドウの持ち主のそばに相変わらずある」

 

「なるほど、認知上の人間みたいなものか」

 

「そういうこと。メメントスを突然封鎖しちまう認知上の悪魔討伐隊がほんとに本人と連動してたら、今頃サムライはスプラッタになってると思うぜ」

 

「たしかに混乱して差し違えたり、金ばらまいたり、自爆したり、いろいろえらいことになってるだろうね。自分で言ってて怖くなってきたよ」

 

「あはは、大丈夫大丈夫。ちゃんと生きてるよ」

 

ひとしきり笑ったあと、アキラはその白い布地に青の特徴的な刺繍が彫り込まれているベビー服を見つめ、来栖をみた。

 

「もし買い手がないなら僕が引き取るよ。お金がいるなら払うけどいくらにする?」

 

「えっ、君が?」

 

「どうしたんだよ、いきなり。もしかして同僚に赤ちゃんいるとか?ならやめとけよ、こんなとこで手に入れたやつとか」

 

「スカルの言うとおりだ。さすがに俺は反対するぞ、サムライ。バグスがつけてたベビー服なんて曰く付きにも程がある」

 

「いやいやいや、違うからね。さすがに僕だってそんな横着しないよ。僕の目当てはこの刺繍だ。べつにベビー服のまま引き取りたいわけじゃない」

 

「たしかに綺麗な刺繍だけど、どうしたの?」

 

不思議そうな顔をしている怪盗団に、アキラは告げる。今回の竜司が持ち込んできた案件は、実は悪魔討伐隊が追いかけている集団と深い関わりがあるらしい。凶悪な悪魔がらみの事件をいくつも起こしている疑惑が取り沙汰されているカルト集団。3年前の戦争で壊滅状態にはしたものの、有力者が何人も行方不明になっており、東京に潜伏していることだけ判明しており、懸命に足取りを追っているという。むろん監視対象のひとつ。警察とも公安とも仲が悪い悪魔討伐隊は、横の連携から証拠物件などの情報提供を求める余裕はない。こうやって独自に証拠を集めていかないといけない。だから、と続けるアキラに来栖は今回の初陣の報酬代わりに持って行けと渡した。これを所持していること自体がそのつながりの証拠となる。本人がそれを持っているのは間違いないわけだから、悪魔討伐隊にとっては信奉者かその協力者か末端だろうが情報がつかめたら大成功らしい。

 

「うーん、このままだと歓迎会の資金にはちょっと足りないかもね。どーする、ジョーカー。もう少し粘る?」

 

「みんな調子はどうだ?俺は正直まだ居座りたい」

 

「刈り取る者が出てこねえくらいの時間ならいいぜ」

 

「俺達はまだ余裕があるが・・・・・・」

 

「ああうん、僕のことなら心配しないでくれ。ただ運転はたまには休ませてくれるとありがたいな」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

姑獲鳥奇譚

「え、こられない?」

 

スマホ越しに困惑するアキラの声が聞こえてくる。来栖はすっかり水っぽくなってしまったアイスコーヒーを飲みながら、様子をうかがってみるがまだまだ電話は長くなりそうだ。えー中止かよ、せっかく杏殿の誘い断ってきたのに、と来栖の鞄の中でモルガナが不満そうにぼやく。

 

もともと気が滅入る依頼だったから、中止になるならそっちの方がいい。そう来栖は思う。悪魔退治を手伝ってほしいという、アキラに言わせれば陰鬱な声が指定してきたのはフロリダ。深夜の12時。さすがに真夜中出歩いているところを見つかり、補導されて佐倉に話がいってしまえば、ようやく勝ち得た信頼が一気に失われてしまう。それは困ると仲介のアキラに頼み込み、なんとか時間をずらしてもらったのに、肝心の依頼人が遅刻、しかもこられないかもしれない、もう約束から1時間もたっているのにだ。はあ、と何度目になるかわからないため息のあと、アキラは申し訳なさそうに戻ってきた。

 

フロリダで名前を出すと、すでに依頼人の名前で予約が入っており隅の席に案内された。この時点で嫌な予感はしていたらしい。遅れるかもしれないが絶対に待っていてくれと言われていた時点で。

 

「もう少しまとう、来栖君」

 

「じゃ、そのあいだの料理はアキラもちな!」

 

「うん、仕方ない。いいよ、僕が誘ったしね」

 

「やった!なにする、ジョーカー?」

 

「そうだな、じゃあ、これを」

 

「おごりとわかった途端容赦ないな、君」

 

「ばっかいえ、ビックバンバーガーのチャレンジ制覇する男だぞ、ジョーカーは。サンドイッチひとつで腹一杯って柄かよ」

 

「たしかにそうだ」

 

アキラは苦笑いして、万が一今回の依頼がキャンセルになった場合の段取りを組み始めた。時間をつぶすついでに店内を見渡していると、カウンターに若い女性が一人いる。ボックス席には中年の男女が座って談笑している。ここにいるのは悪魔に関わる職業の人間ばかりだそうだから、きっとふつうの職業の人はいないのだろう。フロリダはいつもより客足が少ない。どうやら依頼も少ないようでマスターはいつもよりひまそうだ。

 

オーダーを頼んで料理が並び、夕飯をかねた食事も終わり、すっかり皿が片づけられた。そろそろ悪魔討伐隊の本部に行って悪魔絵師の依頼を受けようか、とアキラが提案してきたころ。突然の轟音が響く。ドアを蹴破って入ってきたのは悪魔だった。押し止めようとしたカウンターの女性が強烈な一撃を食らって豪快に吹っ飛ぶ。あやうく巻き込まれかけた来栖はアキラに誘導され、難を逃れた。なんだなんだと飛び出したモルガナは自身が二足歩行の姿になっていることを確認する。どうやらフロリダがメメントスと現実世界の境が曖昧になる現象に飲まれてしまったようだ。中年の女が悲鳴を上げる。男はマスターに声をかけ、女をスタッフルームに押し込んでいる。

 

「アキラ君、頼んだよ!」

 

「はい、わかりました。マスターはツギハギさんに連絡、お願いします」

 

悪魔退治の専門家がいてくれて助かった、とマスターの言葉を背に、青いコートをなびかせアキラは魔獣に拳銃を向ける。

 

「ワガハイたちも行くぞ、ジョーカー」

 

「ああ、いわれなくてもわかってる。平穏な時間は取り戻させてもらう」

 

討伐が完了したことを知らせているアキラの隣で、モルガナは大きく伸びをした。

 

「ほんと物騒だな、悪魔をけしかけてくるなんて、どこの悪い奴なんだ」

 

「まったくだ」

 

「ワガハイたちも気をつけような、ジョーカー」

 

「ああ」

 

ツギハギへの連絡を終えたアキラをマスターが呼び止める。どうやら依頼人も悪魔の奇襲に合い大けが、今回の依頼は延期、穴埋めはいずれする。代わりに今フロリダにいる家出した娘をこっちまでつれてきてくれないかという依頼だったらしい。

 

ようやく目を覚ました女性は、よく見ると背伸びしたいお年頃の女子高生だった。

 

「助けてくれてありがとうございます」

 

お辞儀する彼女に事情を聞いてみる。

 

「私、滝水ケイといいます。ごめんなさい、ご迷惑おかけして」

 

ケイは父親が悪魔使いであり、何度かここに来たことがある。ちょっとした喧嘩で行くところがなくなり、ここで時間をつぶしていたらしい。お父さんが大けがをしたと聞いて、さすがに顔色が悪い。衝動的な家出のようだ。ケイがいうには、今回の悪魔襲撃は父親が追いかけている悪魔からの報復らしい。人間に化け、人間社会に紛れ込んでいる宿敵は、こうやって何度もケイたちを襲撃するらしい。けがをしたら宿敵の思うつぼだ。傷が重いなら動けない。入院場所がアキラたちの組織とつながりが深いところだと判明してちょっと安心のようだ。

 

「お父さん、おかしいんです。ここのところ、お父さんもお母さんもおかしくて。ちょっとしたことで怒られて」

 

滝水が追いかけている悪魔について、ケイはなにも知らされていない。ただこれを肌身話さず持っていろといわれただけだ、と差し出されたのはお守りである。どうやら悪魔を寄せ付けない由緒正しい神社のもののようだが、アキラは管轄外である。詳細はわからない。葛葉に聞けばわかるかもしれないがそれはまた別の話だ。

 

送ろう、と来栖が提案すると、さすがに父親が大けがを負ったとなれば気分も変わったらしい。ケイはあっさりとうなずいた。悪魔退治の専門家がいることも心強いようである。そしてケイは来栖たちにつれられて、吉祥寺の郊外に足を踏み入れたのである。

 

「ケイ、なにをしていたの!」

 

玄関を開けるなり血相かえてかけてきた母親の悲鳴がひびく。ごめんなさい、と縮こまるケイに母親はあきれ顔である。人様にまでご迷惑をおかけして、とめまいを覚えるのか、頭が痛いのか眉を寄せた。そしてアキラたちに気づいた彼女はどちら様でしょうかと困ったように続けた。

 

「私をここまで護衛してくれたの」

 

「護衛って、まさか、ケイ、またヘアリージャックにおそわれたの?大丈夫だった?」

 

「うん、大丈夫。来栖さんと津木さんが助けてくれたの」

 

「まあ、そうなの?こんなに若いのにデビルサマナーだなんてすごいわね。娘を助けてくださりありがとうございます。ってことは、ケイが家出したときお父さんが連絡入れていたのはあなたたちだったのね。ところでうちの滝水は?」

 

「今治療を受けています。命に別状はないかと」

 

「えっ」

 

「申し訳ありませんが、滝水さんの希望で入院先をお教えすることはできません。俺がくい止めるから心配するな、という伝言を預かっています」

 

「・・・・・・そう、ですか、ありがとうございます」

 

「お母さん、なんでお父さんそんなことになってるのに、なにも教えてくれないの?私のこと嫌い?」

 

「滅多なこと言うもんじゃないの!ケイはもう寝なさい、今何時だと思ってるの!」

 

「お母さん!」

 

「お母さんはこの子たちとちょっと大事な話があるから、ほら、ケイは先にご飯たべなさい。夜食用意してあるから」

 

おなかが空いているのは事実なのだろう。不満げな顔をしたままケイは引っ込んでいった。大きくため息をついた母親は悲しげに目を伏せる。もう限界かもしれない、とつぶやかれた言葉は悲痛に満ちている。

 

「ねえ、来栖さん、津木さん。うちの旦那からの依頼はケイをうちまで送り届けることなんでしょう?それなら、お金は出すから、別件依頼を受けてはもらえないかしら?」

 

「どんな依頼です?」

 

「うちの旦那が追いかけている悪魔の目的は私なの。だから、送り届けてくれないかしら?そこですべて終わらせるから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

別件依頼を受けるにしろ、断るにしろ、事情を聞かなければならない。ケイを滝水の実家にあずけ、急かす彼女を説き伏せ、来栖とアキラは事情を聞くため場所を移動した。なるべく人に話を聞かれない落ち着いたところ。しかもあまり距離が離れていない場所。悪魔に関する依頼をうけるとなれば、もういけるところは限られてくる。フロリダは数時間前の悪魔の奇襲で後かたづけを強いられており、休業状態。ミッドタウンのレストランは営業時間が17時から。あとは井の頭恩賜公園は日中だと目立っていけない。そういうわけで、アキラは来栖たちを悪魔討伐隊の支社に案内したのだった。

 

「というわけで、応接室使わせてもらいますね、ツギハギさん」

 

「だから毎回事後承諾を求めるな、アキラ。それとツギハギはやめろ」

 

「だって事前に連絡したら断るじゃないですか」

 

「あたりまえだ」

 

「でも、今回の件はあれに関わってるので退きませんよ、僕は」

 

はあ、と大げさにため息をついたツギハギは、好きにしろとだけいって応接室を指さした。軽くこづかれたものの、アキラが全く悪びれる様子もないあたりいつものことなのだろう。来栖と彼女は、アキラに案内される形で隊長部屋の奥にある応接室に通された。質のよいソファで待っていると、コーヒーを持ったアキラがやってくる。ツギハギが煎れようとしていたから、あわてて取り上げたらしい。ツギハギにやらせるとクリープと砂糖をいれた状態で煎れるので、香りも風味も飛んでしまい、ただのカフェインを飲むだけの液体と化すので飲めたものではないという。今回の犠牲者は僕だけですんだ、と冗談めかしながら、インスタントですけど、とふたつちゃんとしたものが出されたのだった。

 

「どこから話したものかしらね」

 

コーヒーに口を付けてから、彼女はアキラと来栖を見て、静かに目を伏せる。しばしの沈黙の後、意を決したように彼女は顔を上げた。

 

「見てもらった方が早いわ。ちょっと、これをみてもらってもいい?」

 

そういいながら、彼女はどこからともなく高そうな毛皮を出してきた。突然出現したそれは、まるで鳥の羽のようだ。色はとても美しく、クジャクのようだと来栖は思った。藍色から黒に流れ、そして翡翠色に変化していく鳥の羽でできた毛皮は、すっぽりと人を包んでしまえそうな大きさである。突然出現した羽毛に戸惑っている来栖と対照的に、それをみたアキラの表情は変わらない。彼女が突然依頼してきた理由も察しがついていたのだろうか、予感めいたものはあったがここで初めて確信を得たのかもしれない。じっと毛布を見つめる眼差しは恐ろしいほどに冷静だった。アキラと来栖の反応を見比べ、彼女は小さく笑うとその毛皮ですっぽりと身体を覆った。

 

「えっ」

 

来栖は愕然とする。毛皮があっという間の彼女を覆い隠し、一体化していくではないか。まるではじめから彼女の一部だったかのように、両手をすっぽりと覆った毛皮は彼女をきれいな青い鳥に変化させていく。翡翠色から黒藍色に変化していく翼と化した両手、翼の先端と同じ翡翠色に変化していく肌の色。着物と見まちがうような、身体の一部なのか、装束なのかよくわからない藍色の鳥の羽。足と着物と羽毛の境界がかぎりなく曖昧になり、彼女の面影はその顔つきだけとなる。その怪しい美しさを備えた鳥となった彼女は、変異した髪を手慣れた様子で結い上げると、野鳥の頭部を人に落とし込んだような造形になっていく。たった数分の出来事だった。

 

「来栖さん、は私のような悪魔は初めてみるようね。私は怪鳥コカクチョウ。ケイの母親を名乗ってはいるけれど、本当は滝水と契約している悪魔なの。とって食べやしないから、安心してはもらえないかしら」

 

くすりと笑う彼女に、ケイの母親の面影がある。来栖はうまく飲み込めないまま、うなずくしかない。

 

「これ、みる?」

 

アキラが装備している端末をはずし、なにかを起動させ、来栖に見せてくれた。

 

コカクチョウは人間の少女を誘拐しては自分で育てることで仲間を増やすと中国に伝えられる悪魔らしい。普段は鳥の姿をしているが、羽毛を脱ぐことができ、羽毛を脱いだあとは人間の女性となることができる。子供がいない状態のコカクチョウは人間の少女をさらっては養女にして育てることを好み、養女としてさらわれた少女は同じコカクチョウになる運命なのだという。

 

目の前にはコカクチョウという悪魔であり、滝水さんの仲間である悪魔。しかもケイの母親ではないと明言するコカクチョウ。来栖は思わず問いかけた。

 

「ってことは、ケイは?」

 

「お察しの通り、ケイは私が、いえ、私たちが引き取った子供なの」

 

口振りから察するに悪魔と使役する人間以上の関係ではあるようだ。

 

「一応聞きますが、誘拐したわけじゃありませんよね?」

 

「もちろん。あなたの仕事を増やすことはしていないわ」

 

「ならいいんです」

 

あっさり言及をやめたアキラに来栖は戸惑う。コカクチョウに育てられた少女がコカクチョウになるというなら、なんらかの事情でひきとったケイが彼女に育てられるのはまずいのでは。来栖の挙動を察したらしい彼女は、説明する気力がようやく沸いてきたようで重い口を開いた。

 

「6年、いえ、7年ほど前になるかしら。来栖さんも津木さんもたぶんケイと同年代でしょう?東京のあちこちで未成年の子供たちが行方不明になる事件があったんだけど、しってるかしら?」

 

彼女の問いかけに来栖はうなずいた。まだ小学生だったが、全国ニュースで何度も流れていたし、今でも番組改編の時期の特番で一度は取り上げられる迷宮入りの事件だからわかる。アキラも同じなのか似たような反応だ。

 

「コカクチョウは少女をさらう習性をもつ悪魔よ。だから犯人ではないかと疑われたわ。その調査に来ていた滝水と私は知り合ったの。忘れもしないわ。私たちの疑いを晴らすため、協力体制を敷いた私たちはたまたま誘拐されかけた女の子を助けたのよ。それがケイだった。まだ小学生の女の子だったわ。家族と出かけた帰りに襲われたのね、きっと。彼女以外はみんな死んでたからくわしくはわからないけど」

 

「まさか、悪魔に?」

 

「結局、犯人は今も捕まっていないからわからないわ。私たちも調べたけれど、悪魔が襲ったとしか思えない惨状だったとしかいえない。なにせ、何も残っていなかったのよ。すべて燃え尽きたあと。身元不明の焼死体が転がっていただけ。おかげでケイは自分の名前以外、ぜんぶ忘れてしまった。病院で目を覚ましたケイが私たちを見てなんていったと思う?お母さん、お父さん、っていったのよ」

 

彼女は悲しげにため息をついた。

 

「犯人が捕まらない限り、顔を見られたかもしれない犯人がケイを殺しに来る可能性が捨てきれない。だから、私たちは政府の機関に掛け合って、世間体は夫婦として彼女を子供に迎えることにしたの。こんな状態で、なにも解決しないまま7年もたってしまったわ。今更、帰れるわけがないじゃない」

 

苦悩に満ちた告白は続く。

 

もともと彼女はコカクチョウたちに向けられた疑惑を晴らすため、人間たちと協力体制をとる代表として派遣され、滝水と契約を交わして仲間になった。滝水に惹かれ、仲間以上の関係になっている。でも、彼女を派遣したコカクチョウたちはそうではない。あくまで代表として彼女を派遣しただけ。ただでさえ現代の東京でコカクチョウたちが数を増やすには、非常に雑多な手続きが必要となる。そんな中、彼女がケイを育てているということは、コカクチョウたちにとってとても大事な事実なのである。ケイをコカクチョウにして、一緒に帰ってこい。彼女が派遣されたときから背負っている任務である。もちろん滝水はすべて把握しており、コカクチョウたちからの嫌がらせを懸命に払いのけていたが、ここのところ嫌がらせがエスカレートしている。いくら事情を説明しても、色恋沙汰にうつつを抜かしていると端から相手にされない。

 

「それで、一人、コカクチョウたちに話を付けようと?」

 

「ええ。最悪、私一人だけでも帰ろうと思っていたわ」

 

「ケイはどうなる?」

 

「でも、これ以上あの人にもケイにも迷惑をかけたくはないわ」

 

難しい問題である。来栖はなんと答えたものか悩んでいた。するとアキラがおもむろに立ち上がり、応接室から出ていく。いきなりの行動に見つめていることしかできなかったが、1冊のファイルを片手に戻ってきた。

 

「これを見てもらっても?」

 

アキラが差し出したのは、彼女が説明した子供の連続誘拐事件のスクラップブックだ。当時の写真の切り抜きや事件が起きた場所の報告書などが時系列順にならんでいる。ぱらぱらとめくりだしたアキラはページを差し出す。

 

「この事件の少女がケイさんですか?」

 

 

「ええ、そうよ。よく覚えているわ。この記者の人、しつこかったから」

 

当時の忙殺された日々を思い出したのか、彼女はあからさまに嫌そうな顔をする。ケイの誘拐未遂事件のルポのようだが、その記事は他の新聞記事と比べてずいぶんと詳細な取材が行われたことがわかる。当時の個人情報の扱いがずさんだったこともあり、特定できてしまいそうな内容だ。それでもルポはシリーズのようだから、ずいぶんと熱心に追いかけていた記者がいたのだろう。藤原という名前をみつけた来栖の脳裏には、フロリダで初めてアキラを見かけたとき同行していた男がよぎる。間違いない、このスクラップブックは悪魔討伐隊の資料ではなく、アキラが個人的に集めているものだ。

 

「この写真、ほんとですか?」

 

スクラップブックの一番新しいところをめくったアキラは、彼女に提示する。

 

「よくこんなものが残ってたわね。ええ、そうよ。たしかにケイの家族はここの教会に通っていたわ」

 

ケイの家族が身元をはっきりと判断できない状態になるまで燃やされる形で殺され、ケイだけが誘拐未遂。あきらかに怨恨である。家族の周囲をさぐるのは当然だ。アキラが見せたのは警察から事情を聞かれた人間の中にリストアップされたある新興宗教の関係者だった。

 

「ありがとうございます。藤原さんからもらった資料なんですけど、本物かわからなくて。いかんせん、警察のとことうちは仲が悪くて、資料見せてもらえないんですよね」

 

「あ、やっぱりあの記者の人からのタレコミだったの?相変わらずすごい人脈してるわよね、あの人」

 

「でも、どこまで本当かわからないのが困ります」

 

「ふふ。でも、津木さんがその資料をみせてくれたってことは、まだあの事件は終わってないとここでは思ってるってことよね?」

 

「もちろんですよ。何一つ終わっちゃいない」

 

「そういってもらえて安心したわ。ありがとう」

 

「いえ、どういたしまして」

 

「その、よかったらなんだけど、私と一緒にコカクチョウたちの説得に来てくれないかしら。その資料と津木さんたちの証言があれば、もう少しだけ待ってくれる気がするの」

 

ちら、とアキラは来栖をみる。来栖は間髪入れずにうなずいた。ほっとした様子でアキラは笑うと、快諾したのだった。予定については彼女とアキラのやりとりで確定したら、すぐに来栖に送ることになった。彼女はしばらく滝水の実家に身を寄せるということで、送り届けたのだった。

 

「つきあってくれてありがとう、来栖君」

 

「オレはいただけだ。なにもしてない。それに、アキラだけでよかったんじゃないか?」

 

「とんでもない。君がいてくれたおかげで、僕がどれだけ冷静になれたと思う?僕一人だったら、こうはいかなかったよ、きっと」

 

「そうか?」

 

「うん、きっとそうだ。間違いなく僕はあの人を傷つける暴言を吐いたに決まってる」

 

「え?」

 

「どうして助けてくれなかったんだって、ね、うん。どうして、ケイさんだけ」

 

その言葉は押し殺していた怒りに満ちている。アキラの目が恐ろしくなるほど据わっているのが見えた。

 

「アキラ?」

 

「え?」

 

「大丈夫か?」

 

「あ、ああ、うん、ごめん、来栖君。・・・・・・僕としたことが。まだまだだなあ。だからツギハギさんに怒られるんだ」

 

いつもの調子に戻ったアキラである。来栖はほっとした。

 

「そのファイル、アキラのだろ?なんでそんな熱心なのか聞いてもいいか?大丈夫?」

 

「ああうん、いいよ。どうせ隠すことでもないし、新聞のアーカイブを見ればすぐにばれることだし。ケイさんみたいに誘拐される子供はたくさんいたんだ。それと同じくらい、その子の帰りを待ってる家族もたくさんいるってことだよ、来栖君」

 

アキラはまっすぐに来栖をみる。

 

「僕の姉さんも誘拐されたんだ、悪魔に。そして助けようとした僕は悪魔たちに襲われたけど、DDSのミノタウロスが助けてくれた。ここの傷はそのときの。シュバルツバースから父さんたちが帰ってこなかったから、姉さんと僕はおじいちゃんの家に引っ越した。でも、今度は姉さんが誘拐されて、ケイさんと似たような事情で僕はツギハギさんに引き取られたんだ。12の時から、ここが僕の家だ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

姑獲鳥奇譚②

アキラから連絡があったのは、1週間後のことだった。

 

滝水の家は調布市の奥、深大寺近くの閑静な住宅地からはずれた竹林の奥にあった。竹林の手前で車を止めたアキラより先に降りた来栖は、その先に続く小道を見つける。

 

「はえー、ぜんぶ私有地かよ。滝水の実家、金持ちだな」

 

モルガナは大きく伸びをしながらつぶやいた。

 

「あ、来栖さん」

 

「お、噂をすればさっそく来たぜ」

 

「こんばんは」

 

「こんばんは。今、帰り?」

 

「ええ、部活の帰りなの」

 

ケイはどこか恥ずかしそうにしている。あのときは補導されないようにがっつりメイクをしていたから、ずいぶんと大人びて見えたが今はどこからどう見ても普通の高校生だ。ここでようやくアキラはケイがコーセイの学生だと気づく。このジャージは祐介がルブランに泊まったとき、パジャマ代わりにきていたはずだ。こんなことなら制服でかえればよかった、とケイは後悔しているらしい。制服とジャージの合わせ技はクラスメイトがよくしてたなあ、とアキラは思う。なつかしい。

 

「お待たせ」

 

「あ、津木さんも。どうしたんです?お母さんに用事ですか?」

 

「うん、そんなところ」

 

「じゃあ、案内しますね」

 

「お願いできるかな?一応、アポはとってあるんだけどね」

 

「わかりました。ちょっと待ってくださいね」

 

竹林を囲う生け垣の先にケイは手を伸ばす。そして機械に向かって話をはじめた。どうやらセキュリティはそれなりに機能しているらしい。

 

アキラから聞いた話では、滝水の実家はそれなりに昔から悪魔を使役してきた家系のようだ。悪魔に対する知識も対応も知っている。跡継ぎが悪魔を嫁にしても受け入れてしまうくらいには寛容らしい。金持ちの考えることはよくわからないとはアキラの談である。

 

精神世界の恐るべき隣人は、一定の距離を保たなければ、デビルサマナーはいい意味でもわるい意味でも影響をうけてしまう。関係が破綻するのは目に見えているのに、絡みついた糸をたぐり寄せて、深い関係になってしまう者たちが一定数はいるらしい。人間が死ぬのが先か、いつかくる別れに悪魔が耐えきれずに手を出してしまうのか、チキンレースははじまっている。アキラが知るだけでも人間ではなくなる呪詛をかけられてしまった者、物理的に一緒になってしまった者、懇願されてなくなく手を下した者、あまたの終わりがある。先人が悲劇に見舞われていることはわかっているのに止められないのが恋なのだとしたら怖いなあ、とアキラは他人事のようにつぶやいていた。たしかに12のころから、そんな苛烈な恋愛模様を目の当たりにしてきたら、普通というものが遠くなってしまっても無理ないかもしれない。だから、コカクチョウと滝水の関係について、あんなに淡々としてたのか、と来栖は思った。いちいち気にしていたら精神が持たないのだろう。だから未だに恋人できたことねーんだな、と笑ったモルガナをアキラは否定しなかったが、肯定もしない。ただ苦笑いを浮かべただけだった。でもその手は信号待ちの間鞄の中に手を突っ込み、モルガナが呼吸困難で死を覚悟するまでくすぐり倒したから思うところはあったようだ。

 

 

ケイは、なにも知らないままでいてほしい。コカクチョウと滝水のいつか迎える終わりを目の当たりにしないままの人生を歩んでほしい、とコカクチョウは望んでいるように思う。音を立てて門が開いていくのを確認して、ケイが振り返る。

 

「いきましょう、来栖さん、津木さん。迷子にならないように、しっかりついてきてくださいね」

 

ケイがいう通り、竹林はまるで山道のような小道以外先を許してくれるところはなさそうだった。

 

「おーい、ケイちゃん」

 

ずいぶんと歩いたところである。ようやく母屋があるという小道の岐路にたったとき、竹林の中から声がした。来栖は反射的にケイを守るように側に寄せると、あたりを見渡す。突然抱き寄せられたケイは顔を赤くしたまま硬直した。鞄の中から顔を出したモルガナはあっちだと身を乗り出し、腐葉土の大地に降り立つ。すでに忍ばせていた端末を構えているアキラの視線の先には、見慣れない民族衣装の少女がいた。いや、少女たちがいた。

 

「ケイちゃんってどれ?」

 

「どれだろ?」

 

「おーい、ニンゲン。死にそうな顔してるのがケイちゃん?」

 

一見すると、寒い地方にありそうな真っ赤な民族衣装を身にまとった、普通の黒髪長髪の少女たちだ。空を飛んでいること以外は。目を凝らせば、それは赤毛ではなく、鳥のはねだとわかる。髪と鳥の翼の境界が曖昧になり、民族衣装との境界がわからなくなる不思議な造形をしたイケイの少女たち。間違いなく、ケイの母親がいっていたコカクチョウたちの嫌がらせで派遣されている悪魔だろう。

 

「近づいたらだめだ、来栖君、モルガナ。こいつらは怪鳥モーショボー。モンゴルに伝わる悪しき鳥。幼くして死んだ少女が変異して生まれた悪魔だ。顔を鳥に変えて頭蓋骨を割って延髄を啜るえげつない悪魔だよ」

 

えげつない警告に来栖たちの顔がひきつる。ケイは通り越して真っ青だ。アキラの失礼すぎる解説に、不満げに顔をゆがめた彼女たちは口々にひどーいと口をとがらせる。

 

「レディに向かってなんてこというの、ニンゲン」

 

「そーそー、口の聞き方がなってないぞー」

 

色白のかわいらしい少女たちは、艶やかな黒い髪の先端を羽のように左右に広げ、飛び交っている。一生懸命羽をばたつかせながら、3体、4体、と姿を現し始めた彼女たちの目は煌々と輝いている。

 

「アタシたちだって好みがあるんだから」

 

「いくらニンゲンがおいしそうなマグネタイトたれ流してても、こうも生意気だと食べる気なくなるー」

 

ねー、と両手をあわせ、まるで鏡写しのように少女たちは来栖たちをみる。無邪気な笑顔が今はただただ恐ろしい。きゃはは、という笑い声が乾いた破裂音で絹を裂く悲鳴に変わる。

 

「食べなくて結構だ、さっさと消えろ」

 

ばっさりと切り捨てたアキラは端末から悪魔を召喚する。そして、火炎攻撃を命じた。幾度も退治してきた悪魔なのだろう。銃撃と火炎が弱点だと看破したアキラは容赦なく防衛省から支給されている銃を打つ。

 

「おそーい」

 

「っ!?」

 

「アキラ!」

 

後ろから抱きついてきた少女がアキラの首に指を這わせる。その冷たさとこれからなにをしようとしているのかわかっているアキラの抵抗は迅速だった。んー!とだだをこねる子供のように離れようとしない彼女をアキラの使役する悪魔が火をとばす。髪が燃え、悲鳴を上げた彼女は一瞬ひるんで手を離す。アキラは身を翻して銃口を向けた。発砲するがモーショボーは身体が吹っ飛んでも抱きつこうとしてくる。黄緑色に発光する蛍光塗料が四散した。

 

「バフォメット、マハムドだ!」

 

「だからおそいってば!いっしょにいこうよ、ニンゲン」

 

次の瞬間、モーショボーの身体が粉々に四散する。

 

「アキラ!」

 

巻きおこる爆発に巻き込まれたアキラと使役する悪魔の姿が見えなくなる。助けにいこうとするが他のモーショボーたちが容赦なく暴風をたたきつけてくる。耐性があるモルガナがあわてて来栖を支援するが、今度はかばっているケイめがけてモーショボーが飛んでくる。

 

「いやあっ!」

 

たまらず悲鳴を上げたケイをかばう来栖を背に、モルガナがその突撃をはじき返した。

 

 

「ワガハイたちもいくぞ、暁!」

 

「ああ」

 

「ケイのこと頼んだぜ」

 

「いわれなくても。こい、アルセーヌ!」

 

黒い羽があたりに四散する。赤を基調としたカラーデザインとシルクハットのように伸びた頭部、そして黒い翼が強烈にケイにやきついた。黒と白の仮面をつけた異形は、長い爪、ハイヒールのように長い足を蹴り上げ、来栖の背後に降り立つ。

 

『己が信じた正義のために、あまねく冒涜を顧みぬ者よ』

 

凛と響く男の声は、紛れもなく来栖の声である。ケイは始めてみるペルソナの力に愕然としている。デビルサマナーではない、とわかったのだろう。アキラのように召喚機を使う気配がないのだ、突然現れた異形の秘めた強い意志は紛れもなく来栖由来のもの。瞬きすら忘れて見入っている。

 

『我の名を呼んだな、来栖暁。今一度我の力が必要か。ならば存分にふるえ、その怒りを』

 

初めて対面したときから、もうひとりの自分は己の原動力が怒りだと称した。ならこのわき上がる激情をぶつけるのが来栖のとるべき行動なのである。迷いはなかった。

 

 

「マハエイガオン!」

 

 

モーショボーの身体が呪詛にむしばまれ、闇にのまれて消えていく。少女たちの悲鳴が木霊した。

 

 

「アキラ!」

 

「津木さん!」

 

「おいおい、大丈夫かよ、アキラ!」

 

 

ようやくあたりを覆い尽くしていた砂埃が消え、視界が明瞭になる。そこに倒れている姿を見つけた来栖たちは駆け寄った。けほ、と口の中に入ってしまった土を吐き出し、乱暴にぬぐったアキラは大丈夫だよといいながら軽く手を振った。その手を取り、引き上げてくれた来栖に笑いかける。

 

「心配してくれてありがとう。あ、モルガナ、魔法はいいよ。無駄に場数はふんでないよ、身体だけは丈夫なんだ」

 

「にしては下手こいたけどな!」

 

「僕としたことがうかつだった。だいぶん、事態は悪い方に向かってるみたいだね。まさかケイさんがいるのにバイナルストライクかましてくるとは思わなかった」

 

身体の土を払いながら、アキラはケイをみる。

 

「急いだ方がいいかもしれない。ケイさん、たてる?」

 

「あ、はい、大丈夫です。でも、津木さんは」

 

「僕なら大丈夫だよ、いつものことだ。ほっとけば直るさ。そんなことより、先にいそごう。時間を稼がれてしまった」

 

 

 

コカクチョウの繁殖のために、数少ない仲間になる可能性があるケイを連れ帰ってほしいという願いとあきらかに矛盾した状況である。いやな予感しかしない。不安な顔をしたままケイは道を案内する。来栖たちは先を急いだ。

 

 

 

「ここに来たということは、もはや人間の姿に未練はないわけね?つまらない遊びもやっと飽きたみたいだし。さあ、アタシたちのところに戻ってきなさい。一緒に人を狩る者となりましょう」

 

「残念だけど、そうはいかないわ。たとえ同族であろうとも、あの人とケイにけがをさせた時点で貴女たちは私の敵よ。話が違うわ」

 

「いつの話をしてるのよ、もう7年も8年も前じゃない。今のアタシたちは、そんなどうでもいいこと、とっくの昔に興味なくなってんの。わかる?なんでそこまで人間にこだわるの?わからないわね。悪魔は悪魔、いくらアタシたちが人間に化けられるからって、人間になれるわけじゃないのよ?人間とずっと一緒になんか生きられやしないわ。さあ、バカなこといってないで、そこの人間共を食い殺して悪魔の姿に戻るのよ、ほら」

 

「嫌だといってるでしょう。私はあの人と、ケイと、一緒に生きると決めたのよ」

 

「そう、残念だわ。すっかり人間に毒されちゃって。だからアタシは反対したのよ、最後まで。仕方ないわね。いやだってんなら、無理矢理連れて行くまでよ」

 

「そうはさせないわ」

 

彼女がコカクチョウに戻ったとき、お母さん、という声が響いた。

 

「あ」

 

ケイは言葉が続かない。

 

「ケイ、こっちに来ちゃだめよ。津木さん、来栖さん、力を貸してもらえる?」

 

 

「もちろん」

 

「ああ」

 

「ケイ、こっから先はいっちゃだめだぜ、あぶねーよ」

 

「あ、あ、」

 

彼女は悲しげにほほえむ。

 

「ごめんね、ケイ。こんな化け物で。できることなら、私が貴女のお母さんになりたかったわ」

 

先ほど爆発四散したモーショボーを蘇生する魔法を唱えるコカクチョウを前に、アキラと来栖は戦闘体制に入る。上り始めた月が竹林を明るく照らし始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月が竹林を照らしている。

 

凄まじい風が荒れ狂う。ケイたちの強奪の邪魔をするアキラと来栖を排除しにかかる数多のモーショボーたち。もろとも爆発しようと群がってくる少女たちめがけて、乾いた銃声が響きわたり、アキラの召喚した悪魔の放つ業火が少女の悲鳴ごと焼き払う。来栖の放った呪詛はすべてを蝕み、粉々に四散させる。コカクチョウがモーショボーを倒しても倒しても蘇生させるところを真っ先に目撃した二人の意志疎通は早かった。コカクチョウを狙った方が得策だ。アキラは端末を操作し、新たな悪魔を召喚する体勢に入る。属性相性がわからない来栖はそのロスタイムをカバーしに、ナイフを抜いた。ケイの母親も来栖と共に凄まじい火炎を広範囲にわたって発動させる。一瞬にしてなぎ払われたモーショボーたちによって、コカクチョウを守っていた布陣が一時的にがら空きとなった。

 

 

「こい、アエーシュマ!」

 

黄緑色の目が痛くなるような蛍光塗料があたりに四散する。あふれるそれが魔法陣を形成し、向こう側から召喚された女は妖艶に笑った。

 

「わたくしは魔王アエーシュマ、憤怒と激怒を張りて、血の荒波を渡る者!さあ、残忍なる舵取りを任せしサマナー、アキラ。今回はなに用かしら?」

 

「コカクチョウを凍らせてやれ」

 

「あらぁ、こわいこわい。でも了解よ、アキラ。あの悪魔はいけ好かないにおいをしているわ。情緒ってもんがないやつはわたくし嫌いなの」

 

 

アキラの召喚した悪魔が親玉を叩くために魔法陣から飛来するや否や、身体に這わせている不気味な造形の木々が地面に突き刺さる。壷を抱え、くるりと浮遊したまま翻るスカート。来る攻撃を避けるべく、幼児の泣き声によく似た甲高い音が響きわたり、強烈な風の渦を産み落として敵は空高く舞い上がる。その直後、コカクチョウの足下から氷の木々が這いだし、一気にコカクチョウの全身を貫いた。発光した黄緑が粒子となって四散する。

 

 

「そこか!頂いていく!」

 

 

属性相性を把握した来栖はアルセーヌを呼ぶ。高らかな笑い声と共に飛来した真っ赤な怪盗は、身動きがとれないコカクチョウめがけて、凍てついた暴風をたたきつける。かんしゃくを起こした赤子のような声が木霊した。蛍光塗料に似たえげつない発光を繰り返す液体の雨が降る。降り注ぐそれが頬に落ち、つうとケイから伝い落ちる。

 

 

「あ」

 

 

やったぜ!とうれしそうに飛び跳ねるモルガナの傍らで、呆然としているしかなかったケイは、ふと手のひらをみた。ぽたた、と落ちてくる液体は赤色ではなく緑色である。そして発光している。

 

 

「あ、あ、」

 

「だ、大丈夫か、ケイ?落ち着け、それはマグネタイトだ」

 

 

それが悪魔を形作っているマグネタイトであるとアキラ経由の知識をモルガナは披露した。やがて気化したそれはすぐに消えてしまい、痕すら残らず粒子はあたりに消えていった。マグネタイトは貯蔵することがきわめて困難なエネルギー体だ。だからこそ、物質世界である現実に生きる悪魔はその調達に誰しもが苦慮するのである。そんな話が右から左に抜けていく。ケイはじっと掌を見つめている。ずるずると地面に座り込んでしまったケイは、なにかにおびえるように縮こまる。寒いわけでもないのに身体のふるえがとまらない。顔面蒼白になったケイは、あふれてくる涙をこらえることができない。

 

 

「どーしたんだ、ケイ?どっか痛いのか?」

 

 

モルガナは心配そうにのぞき込む。ふるふる首を振ったケイは、言葉が出てこないのか、呼吸するのがやっとなのか、紫色の唇をふるわせた。悪魔使いの来栖がつれているから、普通の猫ではないとはじめから思っていたらしいケイである。二足歩行の黒猫がモルガナだ、と認識した瞬間からケイにも声が聞こえるようになったらしい。魔界と現実世界のゆがみの中心だったコカクチョウを倒したからだろうか、モルガナは元の黒猫にもどっている。竹林を揺らす風の音だけが静かに流れている。武装をとき、銃を装填、端末を操作する音が聞こえる。モルガナとケイを案じてかけてくる足音がする。ケイの尋常ではない反応に、ふたたび羽毛をぬいだコカクチョウは、悲しげに目を伏せた。

 

 

「ケイさん、大丈夫かい?たてる?」

 

「ごめ、な、さ、力が」

 

「どうしたんだ、モルガナ?」

 

「マグネタイトみたらこうなっちまったんだ。なあ、どうしたんだ、ケイ?」

 

「やっぱり私が悪魔なのはいやだったのよね?ごめんなさいね、今まで隠していて」

 

 

ケイはぶんぶん首を振る。ちがう、それだけはちがう、そういいながら首を振る。来栖たちは顔を見合わせた。てっきり母親が人間ではなくコカクチョウであることにショックを受けたのだと思っていた。ケイは父親が悪魔使いだと知っている。だから神話などの本を読むのが好きだし、父親のことを尊敬しているから仕事の内容を聞くのが好きだという。きっとケイのことだ。コカクチョウだとばれた瞬間に、いつか自分もコカクチョウになる運命にあり、それに抵抗するか受け入れるか選択するときが来ると理解すると母親は覚悟していた。ちがう、とはっきりいわれたことで母親の表情はほっとしたい気分だが、ケイが明らかにおかしいため心配なことがわかる。

 

アキラは泣いている幼い女の子を相手するように、ひざを折り、うずくまっているケイの目線にあわせる。嗚咽が混ざり始めたケイをのぞき込み、辛抱強く対応するアキラ。やがてちいさくうなずいたケイは、すっかり力が入らないようでアキラに背負われると母親の案内で母屋に向かったのだった。

 

 

応接室に通された来栖たちに、ケイが母親に付き添われてやってきたのは、30分後のことだった。

 

 

「津木さん、来栖さん、ありがとうございました」

 

「一度ならず二度も助けていただいて、ほんとうにありがとうございます」

 

 

女性二人は深々と頭を下げる。ケイは泣きはらした顔をしている。それでも出てきたのはお礼を言いたかったから、そして伝えなくては行けない、という気持ちが羞恥心を上回ったからなのだろう。向かいに座ったケイは、たったひとこと、思い出した、とだけ告げた。

 

 

「津木さん」

 

「なにかな?」

 

「悪魔討伐隊には、×××という人、いませんか」

 

「×××・・・・・・ああ、ニッカリさん?うん、いるよ」

 

 

ニッカリは通称で本名は違う。でもみんなアキラが悪のりで呼び始めたあだ名を呼び始めたものだから、諸悪の根元は本名をすぐに思い出せなかったのだった。ケイはうれしそうに笑った。

 

 

「私、ニッカリさんに助けていただいたんです。また、機会があれば逢わせていただけませんか。お礼がいいたいんです」

 

「うん、いいよ。たぶん、ニッカリさんも喜ぶと思う」

 

 

民間人が逢うにはちょっと面倒な手続きがいるんだけどね、と前置きして、アキラは話し始めた。悪魔を討伐する組織は、秘密裏に政府機関でも民間機関でも存在している。アキラが所属する悪魔討伐隊は、防衛大臣であるタマガミが創立、主導権を握る政府機関である。従来の政府機関は都内のオカルト事件の解決に奔走する点は、民間と変わらないが解決の方法には政府の要請が優先される。それぞれの管轄する省庁の立場で捜査に参加し解決にあたるため小回りが利かない。海外の進めている霊的な兵器の調査や悪魔がらみの国際的な陰謀を政治に持って行ってしまう。続発する政治家に対する悪魔の憑依に、内々で強権を発動できるところは紛れもなく強みだったが、様々なしがらみはいつだっ手現場にいる人間にとっての憂いだった。それ故に悪魔討伐隊のように表向き民間機関に偽装した小回りが利く部隊は、始まりはタマガミの私的な投資から始まった。タマガミが防衛省の大臣になったことで所属は防衛省の特殊2課となった。タマガミが某国と取り引きして入手したシュバルツバースの情報をもとに、霊的な存在を実践支援に用いる研究を行う施設から派生し、実践する人間がやがて部隊となった。霊的な国土防衛のため、能力に特化した者を先導役とし、少数部隊の実行部隊を有するまでに規模が拡大した時期もある。それがアキラの知る悪魔討伐隊だった。主に異世界化した地域の解放作戦を担当し、日本に関わる霊的な侵略に対応するため様々な実験が行われ。実践に耐えうるとされたものが投入された。それが3年前までの話。今は日本の防衛に関わらない些細な事件、と政府機関が切り捨てる事件を中心に処理することが多い。

 

 

アキラの上司であるツギハギをはじめとした、最初期の悪魔討伐隊は、警視庁や自衛隊のエリート、シュバルツバースの調査隊に属していた者などで構成された一種のSWATで、武装に関しては様々な権限を有していた。東京地下に存在する無限発電所ヤマトの警備という大義名分があるため、特例的に銃を保持することが許されている。そこにシュバルツバースにしかいなかったはずの悪魔が出現するようになり、水面かでその存在がささやかれはじめ、スマホのアプリで爆発的に認知度が高まった。松田によって悪魔召喚プログラムを偽装したアプリ、通称DDSがばらまかれ、使いこなす若者が出始めた。DDSは個人が持つマグネタイト量を参考にアプリが起動できるか、できないかで適正を見極めていた。それを起動できた若者たちこそがアキラが尊敬してやまなかった先輩であり、失踪する直前までつきあっていた姉の彼氏であり、最後まで仲良くすることができなかった喧嘩友達だった。

 

 

きっとケイを助けてくれた滝水と共にいた男性は、最初期の隊員だった。そして×××という名前、そして使っていた悪魔なら間違いないだろう。

 

 

小さな女の子がないている。たくさんの人間が倒れている中、生存者がいると叫ぶ声がする。むせかえるような血の香りをまとい、誰の血かわからない赤をかぶり、ケイは泣くことしかできなかった。その感情の発露から発生するマグネタイトによってくる悪魔をなぎはらい、駆け寄ってきてくれたのはだれだったのか。ケイの記憶の向こうで、アキラの持つ悪魔召喚プログラムがダウンロードされた端末は見つけることができなかった。お父さんとお母さんがと繰り返し泣いているケイに、驚きの余り目を見開いた男性はよかった、とだけつぶやいた。こんな小さな子供までさらおうとしたのか、悪魔め。その言葉は怒りに満ちていた。

 

 

 

 

 

ケイの脳裏によみがえる幼少期の忌まわしい記憶。コカクチョウたち、来栖たち、彼らの激戦による濃厚な血の香りにケイは思い出してしまう。余りにも久し振りな感覚だ。思わず飛び込んだ廊下からは、怒号と悲鳴が飛び交っている。まさに阿鼻叫喚、いてもたってもいられなかった。ケイは知っている。どんどん強くなる血の香り。そこに混じる異形のにおい。人間だってその違和感にさえ気づければ、わかるのだ。それは日本であるまじき殺し合いだった。

 

 

「私のお父さんとお母さんは、私が小さい頃から吉祥寺近くにある教会に通っていたんです。私も一緒でした。お菓子を買ってもらえるから、いくのが楽しみだったんです。あの日は日曜日で、みんなでお話を聞きにいった帰りでした。みんなで歌を歌ったんです。いつも教会で歌うんですけど、そのときは教会にまだ人がいるのか誰かが歌っているのが聞こえてきました。私、歌うの好きだから、ちょっと難しい歌だったけど、とってもきれいな歌だったから歌ったんです。そしたら、お母さんたちが喜んでくれて。いつも上手だってほめてくれるんですけど、そのときはものすごく喜んでくれて。誕生日でもクリスマスでもないのにケーキを買ってくれたんです。そして、明日、学校だけどお休みして教会に行こうって。私の歌、すぐにでも神父様に聞かせてあげないと行けないって。マラソン大会が近かったから、体育でるのいやだったんで、私、うんっていったんです。そしたら、いい子だな、ケイは、それでこそ、うん、その先はわからないです」

 

「無理に話さなくてもいいよ、ケイさん」

 

「ううん、だめです。津木さん、私の事件のこと、追いかけてくれてるんですよね?お父さんとお母さん、殺した人捕まえるために。なら、私も思い出したこと、話さなきゃ」

 

「そういうことなら・・・・・・うん、続けて」

 

「たくさんの悪魔が私たちを取り囲んで、私を連れていこうとしたんです。あと1人足りないから、つれていけって」

 

「あと1人?」

 

「はい、3人まであと1人って。お前は別格だからって。そのとき、おとうさんとおかあさんは・・・・そしたら、教会の人が来てくれたんです」

 

「教会の?」

 

「はい、たぶん。教会でいつも警備なのかな、白い服を着て、教会の外や中を二人で歩いてる人たちだったんです。でも、」

 

アキラの目がすっと細くなった。

 

「ケイさん、聞きたいんだけど、いいかな」

 

「は、はい」

 

「白い服の二人は、ケイさんを助けてくれた。保護してくれるはずだったけど、悪魔に負けた」

 

「・・・・・・はい」

 

「悪魔みたいに、マグネタイトまき散らして消えた」

 

「どうしてそれを?」

 

「企業秘密、かな」

 

 

信じてくれないかもしれない、を言い当てられ、ほっとしたのかケイの言葉はふたたびそれを補強するような形で進んでいく。最後にアキラはスクラップブックを広げ、事件の質問者リストから見覚えがある人間がいないか確認を求めた。

 

 

「あれ?あれ?どうして、でも、あれ?」

 

 

協会関係者の写真を見たケイは固まる。

 

 

「この二人なんだね?」

 

「はい」

 

 

来栖はケイの反応と写真を見比べ、まさかとアキラをみる。

 

 

「現場にはケイさんの両親の遺体しかなかったんだ。なら、そこにいた人間はみんな悪魔だった、そういうことだと思うよ。悪魔は死んでも魂さえ砕けなければ蘇生させることが可能だ」

 

「そんな」

 

「ケイさん、事件はまだ終わっちゃいない。わかっただろ、その教会には近づいちゃだめだ。いいね?」

 

「は、はい」

 

うなずいたケイにアキラは満足そうに笑った。協力してくれたおかげでだいぶ事件の全体像が見えてきた、と感謝したものの、すべてが終わるまで話すわけにはいかないから、とアキラは断る。ケイは残念そうだが、うなずいた。来栖は促されて立ち上がる。そしてケイたちに門の前まで見送られ、車に乗り込んだ。車はゆっくりと走り出す。

 

 

「アキラ」

 

「どうしたんだい、来栖君。なにか気になることでもあった?」

 

「さっきのスクラップ、ケイのお母さんにも同じ人を見せてたよな。もしかして、知ってたんじゃないか?はじめから」

 

「教会の人間が悪魔だって?」

 

「ああ」

 

「だとしたら?」

 

「なんでわざわざ確認するんだ?藤原って人からの情報は正しかったんだろ?」

 

「子供の頃の記憶なんてあてにならないからね」

 

「ケイのことか?ならなんで」

 

「違うよ、僕のこと」

 

「え?」

 

「12歳の僕のこと。ケイさんにも、滝水夫妻にも確認がとれたから、僕はいよいよ現実を受け入れなくちゃいけないってわけだ。覚悟はしてたけど正直きつい」

 

「待ってくれ、アキラ。話が見えない」

 

「グーグルで検索すればすぐにわかるよ、調べてみたら?シュバルツバース調査隊、3号艦エルブス号、観測班」

 

 

ああ、それは。入力するまでもなく、かつてモルガナにシュバルツバースについての検索結果をみせたから履歴にすぐでてきてしまう。アキラの両親の記事が飛び込んできた。

 

 

「ごめん、来栖君。正直、僕自身頭が混乱してるんだ。しばらく、この案件は僕に預けてくれないかな」

 

 

もちろん、と来栖はうなずいた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

コープ中盤

「や、まさかと思って声かけちゃったけど、ほんとに君だとは。こんなとこで会うなんてね、怪盗フリークくん」

 

「大宅さんこそ。なんでここに?怪盗ネタですか?」

 

「うんうん、君はこの調子で私のノルマ達成に貢献してくれたまえ。それはそれとしてさ、最近神舞供町の喫茶店に出入りしてるよね?なになに、実はアルバイトだったりするの?」

 

「よくわかりましたね」

 

悪魔を討伐するちょっとどころじゃない危険なアルバイトだけどな、と看板の中でモルガナがにやにやしている。喫茶店フロリダで請け負った悪魔に関する依頼をうけるアルバイトだ。喫茶店フロリダでのバイトには変わらない。だれもウエイターや裏方としてのバイトだとは一言もいっていないのだ。なにも間違ってはいない。

 

「ふふん、記者の勘なめないでよ、なんてね。簡単だよ、あの喫茶店に入ってく君をみかけたもんだからついね。いやー、助かる」

 

「どうかしました?」

 

「いやー、私ら恋人(のふりしてる怪盗ネタ提供者と記者の)仲じゃん?人捜してるんだけどさ、なかなか捕まらなくてね。やっとこさ昔のツテ頼ってたどり着いたのが、よく出没するっていう喫茶店フロリダなわけ。ね、さすがに入りづらいから手伝ってよ」

 

「俺がいるのに男捜してるんだ」

 

「あっはっは、安心してよ、君(の怪盗ネタ)が一番だってね。私が探してんのは同業者。フリーな記者なもんだからほんと捕まらなくてね、困ってんの。アルバイトしてんなら見たことない?藤原っていう元新聞記者のおっさんなんだけどね」

 

「藤原?」

 

「お、らっきいー。ほんと私もってるなあ。その反応からして見たことあるんだ?」

 

来栖はうなずいた。アキラを初めて喫茶店フロリダで見かけたとき、話していた記者だったはずだ。悪魔討伐隊の隊長であるツギハギへの仲介を頼む代わりに、アキラが6、7年前行方不明になった姉の誘拐事件を解決するため悪魔が関わっていたという証拠を渡した男。一応、茶色い中折れ帽子とサングラスをつけている男か、と聞いてみると間違いないと大宅は返した。

 

「もしかして、怪盗がらみ?」

 

「うーん、残念だけど今回は別件。ほら、ララちゃんとこで話した件、私からのお願いぶっちぎって音信不通になりやがったのあいつなの」

 

「ほんとうに?」

 

「ほんとに。信じらんないでしょ?一応、同業者として仲良くやってたつもりなんだけどね、こんちくしょう」

 

別件ではない、つながっている、と来栖はいいたくてもいえないでいる。彼女、大宅一子は、かつて某出版社の精鋭雑誌記者としてコンビをくんでいる女性がいた。彼女はある大物政治家の不正にかかわるスキャンダルを入手し、裏取りをすすめているさなかにその大物政治家が不審死。あきらかに他殺だとわかる状況なのにホテルは施錠され、証拠が一切見つからない完全犯罪の殺人としてゴシップネタとしてネットを騒がせた。彼女は政治家が不審死を遂げる直前、最後にあった人物であり、重要参考人だったが雲隠れしたのだ。行方は大宅すらわからない。一人残された大宅は様々な方面からの圧力に屈した上層部により社会部から三流記事の部署に左遷、今はほとんど飼い殺し状態になっている。今は来栖経由で入手した怪盗団関連の記事を書いており、そこそこ評判となっていることで怪盗がらみとかこつけて、こうやって表だって動きやすくなっているのだ。大宅から聞いた大物政治家の不審死は、まさにメメントスにおけるシャドウ、人にとっての行動基準である欲望を根こそぎ奪ったときに発生する廃人化、そしてそれにともなう衰弱死、そのものだ。メメントスの存在を関知し、それを悪用している人間の存在はパレスの主の言葉から見え隠れしている。大宅のかつての相棒もその餌食になったのではないか、と来栖は気が気ではない。

 

 

大宅は政治家の不審死と相方の行方を知りたがっている。それを知る同業者が深入りするな、と忠告してにのべもないとグチっていたのは覚えている。スナックで酒浸りの彼女が見慣れているため、こうやって素面の状態ではきはき話すのは妙に新鮮だった。それにしても、大宅がいっていた同業者のひとりが藤原だとは。世間は狭いものである。明らかにメメントスにおける廃人化と関わっている事件だ、深入りしようとする抵抗手段を持たない彼女に、藤原が諦めろと諭すのはわかる気がした。

 

 

「電話じゃだめだと思って、直談判しにいくの。つきあってくれるわよね?」

 

「わかった」

 

「やりい。今日は私が奢るからさ、言質取るためにフォローよろしくね」

 

大宅はウインクする。来栖は苦笑いした。

 

 

「やあ、来栖君。君も佐倉に似てきたね」

 

 

若い頃は女性遍歴が豊富だったという居候先の佐倉惣治郎は定番のネタである。おおかた前回の依頼人であるケイの母親、コカクチョウだった女性のことをいっているのだろう。心外だからやめてくれと来栖は正すのだが、訂正される気配はない。しゃべった覚えもないことまでネタにされることを考えると、おそらくアキラが来栖をネタにしているのだろう。来栖はためいきである。たぶん、ここに来てはいるのだ。なんとなく、そう思った。

 

 

あの日からアキラはSNSに顔を出さなくなったし、メメントスへの召集も反応がない。電話やメールをしてみるが電源がそもそもはいっていないか、電源が届かない場所にあるか、全く反応がない。シュバルツバースを調査するための南極調査部隊で、帰らなかった両親が実は生きていた。しかも新興宗教の警備を担当している天使になっていた。察するに余りある状況だが、こうも連絡が取れないと心配になる。

 

 

もしここに藤原が来ているなら、ついでにアキラについて聞いてみよう。そう思った。

 

 

「ちょうどよかった、来栖君。アキラ君がこないから、結構アルバイトがたまってるんだ。気が向いたらまた来てくれよ」

 

「やっぱりアキラ、来てないんですか」

 

「うーん、まあ、副業なとこあるしね、うちのアルバイトは。仕事が忙しくなっちゃうと、どうしても来れないだろうしね。なにか聞いてるかい?」

 

「いえ、なにも。連絡が取れないから心配で」

 

「あー、まあ、忙しいときはほんと連絡する暇ないみたいだしね。そんな心配しなくても大丈夫だと思うよ、アキラ君は昔からああだから。きっとそのうち、無理矢理休暇取らされてうちにグチりにくるさ」

 

「あれ、マスター、アキラ君きてないのかい?」

 

「ああ、藤原さん。そうみたいだよ」

 

「あちゃー、困るんだけどな、取り引きした直後のタイミングでこなくなるとか。責任感じちゃうんだけどな」

 

カウンターですでにコーヒーを飲んでいた男が肩をすくめる。茶色の中折れ帽子とサングラスをみにつけ、のんびりとコーヒーを楽しんでいる男は、どこか浮き世離れした雰囲気を持っている。飄々とした佇まいの男は来栖をみて、やあ、と笑った。来栖はかるく会釈する。アキラもそうだが、悪魔のような非現実的な事象に関わりが深い人間はどうしてこうも妙に隙がないのだろうか。大宅のかつての相棒の現状を知っているあたり、裏社会にも通じているからなのかもしれないが。

 

「君、どっかで・・・・・・ええと、ああ、そうだ。金髪の友達とここきてたことあったね」

 

うなずいた来栖に男は息を吐く。

 

「僕の記憶力もまだまだ捨てたもんじゃないな」

 

『こいつと会ったの三ヶ月くらいまえだぞ、よく覚えてるな』

 

まったくだ、と来栖は思う。デニムのジャケットにカーゴパンツとずいぶんカジュアルな格好をしており、アキラのように悪魔召喚に使う端末はもちろん、ツギハギのように負傷の傷もない、みてくれだけなら一般人だ。おそらく悪魔と直接対峙するような仕事ではないのだろう。ずいぶんと余裕ある笑みである。食えない笑顔がなにを考えているのかよくわからない不安さをあおっている。サンイズデットというロゴが入ったドクロマークの太陽があしらわれたTシャツは、竜司と似たセンスを感じた。

 

「君、ちょくちょくアキラ君とバイトしてるんだろ?最近あえてないってのは本当なのかい?」

 

「ぜんぜん連絡が取れなくて」

 

「どれくらい?」

 

「一週間くらい」

 

「うわ、そんなにか。参ったな、僕もアキラ君がいないと津木さんがろくに話聞いてくれないんだけど」

 

うーん、と困ったように肩をすくめた。その困り顔の原因は、ちゃっかり隣のカウンター席を陣取って、隣のおっさんのつけでケーキセットひとつ、なんてしている大宅がいるからだろう。注文を促された来栖は、便乗して同じものをたのむ。おいおい、初対面の人間になんてことするんだ、と藤原は笑う。常連でアルバイトやってるならぜんぶふっちゃって大丈夫だろうと丸投げしてくる大宅に、来栖はモンブランを勧めた。アキラが討伐した悪魔が材料に使われていると冗談めかして笑っていたことを思い出す。なんど来てもそこまで奇抜な味はしない。きっと冗談だ、と思いながら、来栖たちは店内を見渡した。

 

 

 

「で、なんでここにきちゃうかな、一子ちゃん」

 

「私の性格把握してるくせに雲隠れなんかするからよ、ばーか」

 

「おーこわいこわい。でもま、ここまで心配してくれる友達がいて、あの子も幸せだな」

 

「もったいぶってないでさっさと話せよ、チキンやろう」

 

「チキン野郎はやめてくれ、僕に刺さる。さて、じゃあマスター、奥の借りるよ」

 

「はいよ」

 

「ありがとね、来栖君。たすかった」

 

「そんなことないさ」

 

「ふっふっふ、次なる活躍に乞うご期待ってね。じゃ、私はこいつが吐くまでここにいるわ」

 

「おいおい、勘弁してくれよ」

 

「うっさいばーか」

 

 

ケーキとコーヒーを携えて、大宅は一番奥の席に引っ込んでいく。

 

 

「そうだ、来栖君」

 

「え?」

 

「アキラ君が心配なら、一度悪魔討伐隊の支部に行ってみたらどうだい?」

 

「でも俺、アキラの連絡先しかしらなくて」

 

「ああ、そういう。ならこれ使うといい。僕の名前を出したらなんとかなるよ、たぶん」

 

 

来栖は藤原から名刺を受け取る。フリーライターの藤原、そしてアキラの上司であり、いまの保護者でもある津木隊長の連絡先だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「よくきたな」

 

「失礼します」

 

まあはいれ、とツギハギは応接室を促し、静かに扉を閉めた。

 

「ひとつ確認したいんだが、アキラは君たちのところに来てないのか?」

 

「え?」

 

「一応休みをとるなら、どのあたりにいるのか報告する決まりなんだ。すぐに召集をかけられるようにな。てっきり君たちと遊んでると思ってたんだが」

 

「え、いや、ぜんぜん。アルバイトはしばらく中止だって連絡来てから、ぜんぜん会ってないです。電話もメールもつながらないし、フロリダにも来てないっていうし」

 

「なんだと?まったく、高校生に心配されるとはなにやってるんだ、あいつは」

 

頭が痛いのかツギハギはため息をついた。

 

「てっきり仕事が忙しいのかと思ってました」

 

「俺は遊ぶのが忙しいのかと思ってたがな」

 

「てことはもしかして」

 

「ああ、こないだの月曜から休暇申請だしてそれきりだ。こっちには帰ってきてない」

 

「え?」

 

「たまりにたまった有給を消化させてくれといってきたから、月曜から俺はみてない。てっきり君たちと遊んでるんだと思ってたんだが」

 

「は?え、あの?」

 

「三年ほど前に、ここではいろいろあってな。アキラは一番仲がよかった友人を三人、いや二人失ってる。もう一人は未だに行方不明だ。すっかりふさぎ込んで仕事ばかりやってたんだ。君たちと会ってから、だいぶん笑うようになったから安心してたんだが・・・・・・目を離したらすぐこれだ」

 

ツギハギはメモを広げると端末からなにか書き写し、来栖に渡す。

 

「違反だがこれくらいは大目にみてもらうとするか、まったく。いくつになっても心配をかける。こいつがアキラの現在地だ。どこに行ってるのかはしらんが、帰ってくる場所はここしかないからな」

 

それは吉祥寺にある開業医の住所と電話番号だった。そういえば、シュバルツバースの調査で両親が行方不明になったあと、姉とアキラは引っ越したといっていたはずだ。もしかして、姉が悪魔に誘拐される事件を目撃し、その報復などを考慮してツギハギと暮らすようになる前はここに住んでいたのだろうか。

 

「心配じゃないんですか?」

 

「もちろん心配だ、家族としても、部下としてもな。だがどうも昔から俺はこういったことは苦手でな、うまくいった試しがないんだ。連絡こそ取ってるんだがみるか?」

 

ツギハギから見せてもらえたログには、友人と遊んでいることを偽装するような画像が添付され、位置情報も特定可能な情報が並んでいる。代わり映えのしない内容である。悪魔討伐隊をまとめ上げ、防衛省にある本部に掛け合う中間管理職もかねているツギハギはただでさえ多忙な身だ。慢性的に人員不足である。ひとり休むだけで凄まじい負荷がほかの隊員にかかる。まして正規の隊員になってまだ1年のアキラだが、ここに12の頃から住んでいるのだ。下手をすればずっと年上のツギハギより少ししたくらいの在籍であり、古参の域にいる。見習いのまねごとの方がずっと長かったのだ、それに加えて正規になるまでの3年間は私生活をなげうって仕事に打ち込む日々だった。それを考えるならたかが1週間という感覚が隊員たちにはあるようだ。今までの功績や組織への貢献度を考えると、1週間くらい好きにさせてやれ、それくらい許してやれ、という雰囲気が生まれているという。

 

「じいちゃんの家に1週間ほどいく、といわれて不審に思うやつなんぞここにはいないさ」

 

「なるほど・・・・・・わかりました。ありがとうございます」

 

「ああ。これからいくんだろ?気をつけてな」

 

「はい」

 

来栖は悪魔討伐隊の支部をあとにした。

 

「はいはい、どちらさまですか」

 

初老の女性の声がする。アキラの祖母だろうか。来栖はシュージンの後輩であり、今日遊ぶ約束をしていること、連絡がとれなくて困っていることを告げる。ツギハギのログには午後から来栖と遊ぶという報告が羅列していたのだ、この時点で察しがいいアキラならわかるだろう。どうやらいるようだ。ドラマのテーマ曲が流れ、しばらくして再び女性がでた。

 

「あなたが来栖さんかしら?」

 

「あ、はい」

 

「今、ちょっと手が放せないみたいだから、伝えるわね。今日はうちで遊ぶ約束してるんでしょう?大丈夫だそうよ。うちに来るの、はじめてよね?家はわかる?」

 

「××病院ですよね?」

 

「ええ、そうよ。クリニックの反対側に入り口があるから」

 

「ありがとうございます」

 

「いいえ、こちらこそ。アキラが誘ったのにお手数おかけしてごめんなさいね」

 

「じゃあ、失礼します」

 

「はい、どうもね」

 

門前払いは免れた。ほっとした来栖は息を吐く。アキラは話してくれるつもりではいるようだ。

 

井の頭公園以外で吉祥寺をこうして目的にするのは初めてかもしれない、と来栖は思う。都心から15kmばかり西に位置する武蔵野市の一角にある街だが、いったことがなかった。なにせ4月に起こった井の頭公園の猟奇的な殺人事件はまだ未解決のままである。現場から離れたところは封鎖がとかれて数ヶ月、アキラと待ち合わせたり、杏たちと遊んだりしているが、気にする人は気のするのだろう。そのせいだろうか、駅周辺の人影はまばらだった。

 

吉祥寺駅の近くに隣接する駅前のビルはなぜか封鎖されている。改装などのポスターも特に見あたらない。

 

異様に駐車スペースが空いている病院を通る。さっきから救急車とよくすれ違う気がした。そういえばあの病院は経営不振が続いて、どこかの会社に買収されたとニュースに出ていた気がする。

 

そして井の頭公園の事件現場近くなのだろう、黄色いテープが貼られたほど近くを通る。大正6年に開園した武蔵野の面影を色濃く残す広大な公園が見えてきた。案内図には広大な敷地内に遊歩道、動物園、美術館などの文化施設が整っているようだが、半年前に起こった殺人事件のせいで閑静な公園は人の出入りが減っているようだ。警察の巡回はもちろん、現場となったエリアは未だに警察が見張っているのだ、中の様子はうかがうことができない。もしかしたら、メメントスの影響でこちらの世界にわき出してきた悪魔が関わっているのだろうか。だがさすがにここでペルソナが使えるか試すわけにはいかない。今はアキラの様子を見に行くことが先だ。規制線が張られ、物々しい雰囲気の井の頭公園の一角は異様な雰囲気がただよっていた。

 

吉祥寺のアーケード街が見えてきた。サンロード、チェリナード、ローズナードの通りを中心に様々な店が軒を連ねている。こころなし人の入りが悪い気がする。アキラがアジトに持ち込むお菓子はたいていここで調達したものだったことを来栖は思い出す。もしかしたら、非番の時はわりと頻繁に祖父の家に顔を出しているのかもしれない。

 

なんか買ってくか?と顔を出すモルガナにそれもそうだなと来栖は足を向けた。

 

閑静な住宅街の一角にそのクリニックはやっていた。住宅とクリニックが一体化しており、車が何台か止まっている。ぬいぐるみやチャイルドシートがあるから、どうやら子供連れがよくくるようだ。ガラスに営業時間がかいてある。どうやら午後から休みのようだ。クリニックに用があるわけではない。来栖は自宅の方の玄関にいくとチャイムを鳴らした。

 

「はいはい、どちら様ですか」

 

どこかのんびりとしている女性の声が聞こえてきた。

 

「来栖です」

 

「ああ、あの。はいはい、どうぞ」

 

いらっしゃい、とアキラの祖母は招き入れてくれた。どうやらアキラは二階で待っているらしい。来栖はスリッパに履き替え、階段を上った。

 

「空いてるよ」

 

声はずいぶんとかすれていた。

 

「や、久しぶり」

 

「よかった、死んでるのかと思った」

 

「あはは、冗談。さすがに死ねないよ」

 

ずいぶんと眠そうな顔をしている。

 

「寝てないのか?」

 

「寝れないんだ。やっとうとうとし始めたのに」

 

「それはごめん。でも心配するだろ、普通」

 

「うん、そうだね。ごめん」

 

どーぞ、との言葉に甘えて来栖は中にはいる。おかれているものは基本的に小学生の頃のものなのだろう。ちょくちょく家には帰っているようで、さすがにランドセルや教科書などはないが、ものが少ない印象を受ける。やはり生活の拠点は悪魔討伐隊の支部にある独身寮なのだろう。勉強机やベッド、タンスといったものは小学生の時に買ってもらったものがそのまま使われており、ずいぶんと古いキャラクターもののデザインが目立つ。わりかし綺麗なのはあの祖母が定期的に掃除しているからのようだ。

 

アキラはほんとに眠いようで、うつらうつらしている。

 

「ごめん、ほんとに眠いんだ。少しねかせてくれ」

 

「何分?」

 

「30分、すぎたら起こしていいから」

 

「わかった」

 

よほど気を張っていたのか、ほとんど気力で今まで行動してきたのだろうか。ぷつんと糸が切れたように眠ってしまった。全く起きる気配がない。少々心配になるが規則的に肩は上下しているし、呼吸も聞こえる。慢性的な睡眠不足なのだろうか、ずいぶんと疲れている様子を受ける。すでに1週間が経過している。たしかに追いつめられても仕方ない状況にあるのだ、人間は睡眠を3日取らないと死ぬらしいが睡眠を妨害させるだけのこととアキラは戦っているのだろうか、ここまで動ける強靱な精神には感服するほかない。だが頼ってくれても、と思うのだ。

 

結局、1時間半、起こすのが忍びなくて待っていた。

 

「ごめん、今何時?」

 

「3時」

 

「!?」

 

アキラは飛び起きる。

 

「起こしてくれていいっていっただろ?!」

 

「寝てないんだろ?」

 

「そうだけど。いったけど。でもさ、来栖君」

 

「無理するなよ」

 

「・・・・・・ほんと君は。かなわないなあ」

 

アキラは頬を掻いた。

 

「ツギハギさんからなにも聞いてないんだ、その様子だと」

 

「まかせるっていわれた」

 

「えー」

 

「1週間もみんなに嘘ついてなにしてたんだ、アキラ。俺はいいけど、ツギハギさんたちにまで嘘つくのはどうかと思う」

 

「ああうん、ごめん。まったくもってその通り」

 

「そんなに頼りない?」

 

「そんなわけないだろ」

 

「手伝えない?」

 

「頼りたくなるからやなんだよ」

 

「なんでいけない?」

 

「僕がいやなんだ」

 

「なんで?」

 

「そうやって手を伸ばしてくれた人はいつだって僕の前からいなくなる。父さんも、母さんも、姉さんも。そして先輩も」

 

「ツギハギさんがいってたのってその人?」

 

「ああうん、まあ、そんなとこ」

 

「3人も?」

 

「3人も」

 

「つらかったな」

 

「うん」

 

アキラはめをふせた。

 

「僕が守りたい人はいつもいなくなる。一緒にいるっていったくせに自分から突き放す。後は任せたってそればかりだ。ずるいひとばっかりだ」

 

「それで一人で追いかけていたのか」

 

「そうだよ」

 

「大事なことを忘れてるな、新人は」

 

「?」

 

「怪盗団の掟をだ。いっただろ、なんにしろターゲットを狙うのは全会一致だって」

 

「正気かい?これは僕の個人的な事情だし、さすがに会ったばかりの君を巻き込むのは......」

 

「別に個人的な事情に巻き込まれるのは初めてじゃない。嫌なら俺とモルガナだけ。だから頼れ」

 

「どうだか。そういう人に限ってぜんぶ背負い込んでいなくなるんだ」

 

「アキラがそうだからじゃないのか」

 

「類は友を呼ぶって?冗談にもならないよ」

 

「少なくても俺は心配した」

 

「ああ、うん、そうか。そうなるか。似たようなことやってるね」

 

「アキラ」

 

「ほんときみはもう、わかったよ。僕の負けだ」

 

かなわないなあ、と首を振ったアキラはため息をついた。

 

「ここから先は本当に危険だ。しかもアルバイトじゃないからお金は出ない。途中で抜けるのはなしだ。それでもいいかい?」

 

「何度もいわせるな」

 

「わかったよ、来栖くん。いや、暁。これからは僕の個人的なことに君を巻き込むことになる。よろしく頼むよ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

繭の女

「なにがあるかわからない。できうる限りの準備をしてきてくれ」

 

 

アキラと約束したのは一週間後だった。迎えに行くという言葉に頷いた来栖は、ベルベットルームで今生成できる最高レベルのペルソナを揃え、ペルソナを装備に変換し、女医や武器屋が眉を寄せるようなレベルでアイテムを調達した。やがて時間はあっというまに過ぎ、アキラの指定した場所にいくと、すでに車が乗り付けてあった。

 

 

「目的地を告げる前に、まずは長話につきあってもらえないか?」

 

 

ウインカーを出しながらアキラは告げる。それは来栖に説明するというよりは、これからを覚悟するための地ならしのようだ。あるいは決意が揺らがないように口に出したい気持ちが先走る。来栖が話についていけるかよりも、アキラが自身を納得させるために言葉を紡ぐことを優先していた。それでもよかった。来栖はたまたまアキラの隣にいることができている。でもそれはアキラの18年間のうちほんの数ヶ月にすぎない期間だ。アキラにはアキラの物語があり、来栖には来栖の物語があり、ペルソナがなければ交差しようがなかった人生の交差点に二人はいる。共にいるのはほんのすこしかもしれないが、そのすこしを大切にするために暁はどうしてもアキラが知りたかった。

 

 

 

 

 

 

 

人は美しい歌を聴いて感動し、その世界観に浸ることで心を癒すことができる。文字が読めない人々のために作られた絵画や歌は、神様の存在を教えるときにそういったものを利用することで巧みに心に響かせたのだという。退屈な礼拝のお話の中で、アキラが唯一覚えているのは、賛美歌についてのお話だった。

 

 

ステージにあがった教会のお姉さんたちがよく歌っていた美しい旋律は世界観を知ることでより深く感動することができる。お姉ちゃんが一番好きだといっていたのは、ガヤなんとかという歌だったきがする。いつも子守歌にしてうつらうつらしていたから、よく覚えてはいないのだが、初めてその歌を聴いたときの感動は今でも生々しいくらいの鮮明さで思い出すことができる。感動のふるえだった。美しい旋律に取り込まれてしまいそうな、そんな恐ろしささえあった。

 

 

ソロで歌っていた外国人の女性がロシアかどこかの人だと聞いたから、日本人離れしたその外見と相まって強烈に刷り込まれたのかもしれない。アキラでさえ感動したのだ、敬虔な信徒だったお姉ちゃんはその歌の感動の先に世界観を見いだし、浸り、自分の心を癒すことができたのかもしれない。賛美歌やゴスペルが響きわたる教会で涙を流す人たちの中で浮いていたきがしてならない。なんとなく、泣いているふりをした。

 

 

隣で聞いているお姉ちゃんはぼろぼろ涙を流して、涙が止まらないと震える声でいっていた。美しい旋律とその歌詞の内容の優しさが混ざり合い、心に響くそうだが、アキラはなにをいっているのかわからなかったし、早く終われとぼやくたくなるくらいには興味なかったから涙はでなかった。お姉ちゃんがいうには、とっても古い歌らしい。膨大な種類のリズムと歌詞があって、同じ歌であっても全く違うように聞こえるけども、旋律の美しさは無条件に人の心に染み渡っていくのだと大絶賛していた。そして彼らは歌い始める。何度も何度も賛美歌は繰り返し紡がれ、その歌の世界が人々の感情と同化していく様子をアキラはみていた。不思議でたまらなかった。なにがそんなにおもしろいんだろう。

 

 

どういう意味だと聞いたら、お姉ちゃんは熱心にその賛美歌に込められたメッセージを教えてくれる。お姉ちゃんのように敬虔な信徒は無意識にそれを肯定して受け入れたが、どうもアキラはそういうのと相性が悪かったらしい。賛美歌が美しすぎて拒否反応が起きてしまっていた。美しい旋律の中にちりばめてあるメッセージが人々を取り込んでいくのを見ているのがたまらなく苦痛だった。みんなと共に歌い、感動を共有し、一体化していく周りをみているのがたまらなくおそろしくなった。アキラもお姉ちゃんも、幼い頃から賛美歌などのメロディを聴いて育った。歌って育った。その世界観の中で生きていき、その染み着いた思考は成人になる頃には染み渡っていき、離れることができなくなるはずだった。

 

 

でも、アキラはちがった。アキラの家族はみんな神様の存在をいろんな捉え方はあるけども前向きに肯定していて、アキラにとっては無糖滑稽なフィクションでしかないが、体に染み着いた大切な価値観だったり、思考だったり、世界観、精神世界にまでいたっていた。子供の頃から繰り返し聞いて、それを歌い、思考の基盤になるはずのものが受け入れられないと気づいたとき、礼拝はアキラにとって苦痛の何者でもなくなってしまった。お父さんもお母さんもお姉ちゃんも近所の人も、自分の周りがすべて、新興宗教だけども地域に根ざした活動が好意的に受け入れられた教会に染まっている。アキラが自覚するころには、その世界観を否定することは家族や地域や文化をすべて裏切ることになってしまうと気づいてしまった。美しい賛美歌の旋律があって、そこには大切な思い出が蓄積されている。だから、いくら苦痛に感じても、それを否定することはできなくなってしまっていた。否定する意味もなかった。それを否定することは、大好きな家族や近所の人、まわりの人たちを否定することになってしまう。それは体が裂かれるよりつらかった。

 

 

そんな、誰にもいえない秘密をこっそり明かすことができるのは、隣に住んでいた姉の幼馴染である。のちに先輩とよぶことになる彼は、のちに姉が好きだったと明かした。

 

 

「前からいってるだろ、アキラ。お前の話はいつも長すぎるんだ」

 

「え、なにその反応。僕、結構まじめに考えてたのに」

 

「ようするに興味ないだけだろ?大げさだな」

 

「ひっどいなあ。僕の話聞いてた?」

 

「よーするに教会行くのめんどくさいし、嫌いなんだろ?ちがうか?」

 

「違う、違う、ぜんぜん違う。それもあるけど、怖いんだよ、あの歌。だから苦手。でもみんな好きにならないといけないし、嫌いっていったらめっちゃ怒られる」

 

「なにそれこわいな。夏でもないのにホラーな話するなよ」

 

 

めんどくさいのはよくわかったけど、と彼は笑った。

 

アキラのいうことは難しすぎてよくわからないけども、自分の気に入った歌の世界観がアキラの世界観でいいんじゃないかと彼はいう。彼は大好きなゲームテーマは最高に燃えるし、大好きな歌はやる気をだしたりする可能性を秘めているし、なんたって威力がある。アキラのお姉ちゃん、彼からすれば初恋の幼馴染、にとっては美しい旋律が人生を形作るレベルだとして、それがたまたまアキラと一緒じゃなかっただけだ。アキラは自分の好きな歌を思い出すべきだ。きっとアキラは無意識にその歌の世界観をなぞって生きている。自分を否定するんだから苦しいに決まってる。アキラはたまたま気づいてしまったから恐ろしくなっているだけだ。ちっちゃい頃から無駄に頭がいいからよくわからないところでつまずくのを彼はよく知っている。

 

 

「ちっちゃいころから知ってる歌の世界観が僕たちの世界観か。最高にかっこいいな。誰に聞いたんだ、それ?」

 

「教会のお兄さん」

 

「......撤回する」

 

「まだ好きなんだ?」

 

「簡単に諦められる訳ないだろ」

 

「そっか。無理だと思うけどなあ、ラブラブだし」

 

「なんでわかるんだよ」

 

「こないだ夜のドライブいってきたんだ、僕も連れてってもらえた」

 

「そのわりに盛大にdisるアキラのがタチ悪いだろ。......なあ、それってお姉ちゃんとられるのがイヤなだけじゃないよな?」

 

「なんでそうなるんだよ、違うよ」

 

「その沈黙はなんなんだよ、アキラ。否定する必要なくないか?アキラにとっては、たった一人の家族だろ。僕だって母さんの新しい恋人にいわれたら絶対にやだし」

 

 

アキラはほっとしたように笑った。

 

教会のお兄さんはいっていた。自分の愛する歌は、それ自体が自分の感情に対する訴えかけを失ったとしても、ずっと残り続けると。意志決定や性格形成に影響を与え続けると。それが賛美歌であるべきだと。アキラのお姉ちゃんにとってはそれが教会の賛美歌で、アキラにとっては彼と一緒にするゲームや幼なじみのお兄さんと一緒にいくカラオケで聞いた歌、たくさんの歌があった。心を奪われるものはたくさんあった。たくさんの歌が、アキラをひとつの思考や世界観にとどまることを許さなかった。それだけである。

 

 

「賛美歌が聞こえるか」

 

「なんだよ、急に」

 

「さあ?昨日の礼拝んときにいわれたんだ、突然。お姉ちゃんたちは聞こえたっていうのに、僕だけ聞こえなかったみたい。怖かったなあ。なにもしてないのににらまれてさ」

 

「なんだそれ。興味ないのにわざわざいってあげてるのにか?感謝しろって話だよな」

 

「うん」

 

 

突然の着信にあわてて時間を確認する。

 

 

「あ、今日、お姉ちゃんと買い出しにいくの忘れてた!ごめん!DDSはまた明日でもいい?」

 

「えっ、ここまで来といてか!?仕方ないなあ。じゃ、明日か。新しいバージョン更新されたんだ、早くやろう」

 

「うー、わかったよ。じゃあね、また明日!」

 

「ああ、またな」

 

 

それが両親がシュバルツバースから帰還せず行方不明になってから半年後の話だ。

 

 

その足でアキラはコーセイの通学路に向かった。姉はすぐ見つけることができた。一人で生垣前に座り込んでいたからである。

 

 

「どうしたの、姉さん」

 

「あ、あきら」

 

 

ほっとしたように、姉は笑った。顔色が悪い。心配するアキラに姉はいう。品川にできた教会に両親によく似た人を見かけたというのだ。半信半疑だったが、反抗期を迎える間もなく両親が亡くなり、感情をぶつけられるのではなくうちうちに溜め込む姉は弟ながら心配だった。家族がきょうだいだけなのだ、支えなくちゃ。敬虔な信徒である姉が初めて見せた違和感。これだけ必死に訴えてくるとなれば無碍にできない。今度、教会にききにいこう。それだけ約束して家に帰った。

 

 

両親がシュバルツバースから帰らず、母方の祖父母に引きとられたとき、新興宗教との繋がりを祖父母はいい顔しなかった。止めはしないが無理強いはしなかった。おかげでアキラはようやく解放された。姉がいくからいってあげている、という感覚に変わった。いずれ姉がいかなくなる日を待っていた。

 

 

数日後、教会にいってみた。

 

 

そもそも胡散臭いのだ。救世主の出現を信じており、その力によって世界が救われることを待ちわびると謳っていた。信じる者はみな救われると代表の男はいった。秩序を重んじ、すべては法の下に管理されるべきである、と。物静かな態度で慈悲深い男だった。好奇心から訪ねてくるアキラのような子供にも紳士的に教えを説くような口調で応じてくれた。みな、白地に青のラインが入った服装で統一されており、階級によって服飾が違うようだが、姉がいうような服の男女は見つけられない。男にも聞いてみたが、両親によく似た風貌の信者はいないらしい。悩みがあるなら相談に乗る、とセラピストのようなこともしているらしい男に名刺をもらい、その日は帰った。

 

 

賛美歌が聞こえた。

 

 

アキラに転機が訪れたのはさらに5ヶ月が経過してからだ。タダノヒトナリさんが家に訪ねてきた。シュバルツバースから帰還できた部隊を率いていた英雄だ。わざわざ墓前に手を合わせにきてくれた彼は、両親に似た新興宗教の信者を見たという話を聞いて、顔色が変わった。根ほり葉ほり聞かれたアキラはその真剣さに当惑しながらすべてを話した。そしたら、ひとこと、忘れろと言われた。そして、二度と教会に近づくなとも。根拠はないけれど、あの宗教団体はきな臭い噂が流れていると教えてくれた。近頃、未成年の子供が行方不明になる事件が多発している。最後の目撃証言は必ず品川、吉祥寺、もしくは白い布地に青のラインが入った人間がそばにいたと。

 

 

「姉さん」

 

 

姉が複雑な心境なのはわかった、今付き合っている男はその新興宗教の幹部クラスの人間なのだ。アキラはわからないが様々な悩みがあったに違いない。同じコーセイのクラスメイトから告白されたとこぼされたとき、アキラは幼馴染をそれとなく推したのだが近すぎて伝わらない魅力もあることを知った。

 

 

これが姉がいなくなる前日の話である。

 

 

車が品川のやたら大きな敷地がある白い建物の近くに駐車した。アキラは警備している警察に手帳をみせる。あっさりと通された。辺りを見渡す来栖に、アキラはいう。

 

 

「ここが協会だった場所。そして三年前、僕達と敵対してた組織のアジトだった場所だ。姉さんの彼氏を討伐するはめになるとは思わなかったけどさ」

 

 

三年ぶりにアキラは悪魔の巣窟だった場所に足を踏み入れようとしている。

 

 

廃墟と化した教会には目もくれず、アキラは横倒しになったドアを踏みつけて懺悔室に向かう。そして来栖とモルガナの前を照らすために懐中電灯をかざしながら、足元に気をつけるよう言葉をなげる。いってるそばからつまづいた来栖にアキラは笑った。ここからはひたすら暗くて埃っぽい隠し通路の移動だ。パレスやメメントスで慣れてるとはいえペルソナによる強化がされていない今の来栖には少々きついものがある。おい大丈夫か?と心配そうなモルガナの声がひびいた。

 

 

ようやくひらけた場所に出た。

 

 

「疲れたとこ悪いけど、ここからが本命なんだ。手伝ってくれるかい?」

 

 

三年間誰も足を踏み入れなかった地下設備。一歩足を踏み入れた瞬間に来栖は悟る。すさまじい腐臭が広がる。世界は腐敗に満ちていた。

 

 

足の踏み場もないほどのスライムのような泥の塊たちであふれている。いろいろな顔が浮かんでは消え、どの黒い液体も中央にあるどろりとした球体めがけて行進し続けている。巨大な水たまりのような、泥のような、強烈な刺激臭がする黒いものが蠢いていた。鳥肌が立つのは当然のこと、モルガナは大きく後ろに下がる。悲鳴は来栖の手に遮られ、我に返ったことで居場所を知らせるフレンドリーファイアは免れた。ありがとなとモルガナは申し訳なさそうに肩をすくめる。来栖はいつものことだと流した。

 

 

「やっぱりコープスか。なんで今更!」

 

 

アキラはにがにがしげにいう。コープスはいわゆるゾンビに属する悪魔だという。体が腐り落ち体を保てなくなり、周囲と一体化してしまい、誰が誰だかわからなくなってしまい、それでも死ねない哀れな悪魔の成れの果て。三年前みた光景だ、とアキラはいう。

 

 

地下はだいぶ広い。なにかを建築した形跡があるが、破壊された上に片付けたあとがある。

 

 

「三年前、ここで天使どもは誘拐した人間を繭みたいな蜂の巣の中に押し込んで、好き勝手してたんだ。繭に入った人間は構成を作り変えられて天使と同じになる。穢れに触れると悪魔になる改造人間になる。なにも知らなかった僕達は、繭を破壊して中にいた人達を助けようとしたんだ。天使どもが動力源だとも知らずにね」

 

 

アキラはアエーシュマを召喚する。

 

 

「もともと賛美歌は嫌いだけど、おかげで天使はもっと嫌いになったよ。まさか三年前焼き払ったコープスの中にお姉ちゃんがいたかもしれないなんてな!」

 

「わたくしは魔王アエーシュマ......憤怒と激怒の帆を張りて、血の荒海を渡る者。ふふ、わたくし好みの感情を滾らせる貴方はやはり美しいわ。惨忍なる舵取りをまかせましてよ。さあ、思う存分力を振るいなさい、わたくしが許します」

 

 

無数の蠢く死体の塊。不気味なうめき声。アエーシュマは歓喜の業火を炸裂させるため、詠唱の準備に入る。アキラはミノタウロスやバフォメットといった物理に特化した、あるいはゾンビの弱点と相場が決まっている火炎攻撃を得意とする悪魔を召喚する。ある者は銃で、ある者は魔法で、ある者は斬激で。あまりに多くのコープスたちである。広範囲魔法を使われたらその威力はどれだけ重ねがけされることか。精神を集中させていたアエーシュの警護を兼ねなら、アキラはミノタウロスやバフォメットたちとコープスを殺戮する。アエーシュマたちの足りないマグネタイトは流した血の分だけアキラのマグネタイトで補う。超特大の異界魔法がコープスたちをおそった。

 

 

「さっすがだな、アキラ。おい、暁!ワガハイたちも負けてらんないぞ!」

 

 

目に見えて蒸発したコープスたち。パーティの志気は上昇する。ふたたび大砲のような広域魔法のために準備する体制に入ったアエーシュマの邪魔をすまいと、彼らは思い思いの攻撃方法で戦果を稼ぐ。

 

アキラのおかげで弱点を把握できたならこっちのものだ。

 

 

「こい、アルセーヌ!マハラギダイン!」

 

 

すさまじい熱風が辺りをつつみこんだ。こげくさい匂いだけが残された。すべてが消し炭となった一帯を見渡し、アキラは小さく首を振る。

 

 

「火葬か、なんて笑えもしないよ。繭からお姉ちゃんを助け出した瞬間にコープスになる夢ばかり見る。どうして助けてくれなかったのか、って僕を呼んでる」

 

 

似たような症状は覚えがあるとアキラは泣きそうな顔のまま笑う。PTSDだ、きっと。三年前、ここで脱落する隊員は多かった。救出した家族や友人が腕の中で腐り落ちていく悲劇から、悪魔討伐隊をやめて復讐に走る勢力が出たことをアキラは話してくれた。

 

 

「まだ復讐に走るわけにはいかない。まだ僕はやらないといけないことがある」

 

「アキラになにかあったら俺が止める」

 

「ありがとう、暁。君のおかげでまだ僕は人間でいられる」

 

「ワガハイもいるぞ、アキラ。やらないといけないことってなんだ?」

 

「......ケイさんの事件、覚えてるだろ?まだ終わっちゃいないんだ。天使どもか、天使に復讐したい奴らかはわからない。でも誘拐事件も、失踪事件もまた起き始めてる。もうごめんだ、僕がとめる」

 

「ツギハギさんたちには?」

 

「いえるわけないだろ、討伐対象に両親がいる時点で僕は担当から外される。三年前もそうだった。もう嫌だ。知らせてもいいよ、その瞬間に僕はどんな手段を使ってでも暁とモルガナを倒す」

 

「アキラ......」

 

「だからいったんだよ。誰かを頼るのはもう嫌だって」

 

 

来栖が選んだのは、同行の続行だった。

 

 

 

 

 

翌日から、アキラは悪魔討伐隊に復帰した。そしてオフの日は、ひたすらコープスの討伐のアルバイトという日々がつづいた。フロリダのマスターはアルバイトが溜まっているとはいっていたが目撃情報が多発している。特定悪魔の大量発生は異変の兆候だ。困ったことに目撃情報は地下である。コープスそのものは呪殺魔法に気をつければ問題はない。さほど驚異の悪魔ではない。しかし数が尋常ではないのだ。焼いても焼いても減らない悪魔。さすがにアエーシュマほどの威力は望めない来栖たちでも、数を積み上げればそれなりに目減りする。

 

 

最期の遺体を焼き払い、ようやくコープスの群は消滅した。

 

 

お疲れさま、とアキラがチャクラドロップの入った袋を放る。いいかげん飽きてきたお馴染みのあめ玉を砕き、来栖は息を吐いた。ワガハイもほしいとよってきたモルガナの分はよこから出てきたピクシーが強奪してしまう。おいこら!と追いかけ始めたモルガナを笑っていた来栖はスマホをみる。アキラはため息をついた。

 

 

「クソッタレ!また逃げられた!」

 

「コープス多すぎて近づけないんだ、仕方ないだろ」

 

「わかってるけど硬すぎなんだよ、なんだあれ!未だに弱点わからないとかおかしいだろ!」

 

「で?あの球体はなんだったんだ?まだわかってないのか?」

 

「調査中だってさ。もう松田さんたちが隠してる気がしてきたよ、悪魔絵師に聞いてみたほうが早いかなあ」

 

「今回はずいぶんと遅いんだな、情報。また発生地が送られてくるんだろ?きりがないな」

 

「ほんとにやんなるね、全く!」

 

 

これで数日をまたぐコープス討伐である。正体がわからない敵に繋がる唯一の手がかりだから頑張れるが、ただのアルバイトだったらいやになっている頃だ。さすがにアキラもうんざりと言った様子で剣によりかかる。コープスを呼び寄せる謎の黒い球体をたたく任務はまだまだ続きそうだ。

 

 

ようやくチャクラドロップにありつけたモルガナは、大きく息を吐いた。

 

 

「なあ、二人とも。ぶっきみだよな、あの丸い奴」

 

 

たしかに不気味である。浮遊しながら静止し、こちらになにもしてこない。攻撃しても手応えがない。特定の攻撃以外は吸収するらしい。しかもターンごとにランダム。弱点アナライズが機能しないせいで破壊前に逃げられてしまう。コープスを呼び、なにをするでもなく中央に鎮座するのは非常に不気味だ。それもあるけど、とモルガナはうなる。

 

 

「なんかドクドクいってるだろ、あれ。近づくとどんどんおっきくなるのがなんかいやな感じだ」

 

 

まるで鼓動だ。脈打つ鼓動だ。あの球体の中に何かいる。それだけは確かだからより不気味でたまらない。そう告げるモルガナはふと周囲の視線が集中していることに気づいた。

 

 

「え、なんだよ、お前等」

 

「心臓の音?なに言ってるんだ、コープスどものうめきしか聞こえないだろ」

 

「うん、僕も初耳だな」

 

「それほんとなのか、モナ?俺、そんな音聞こえない」

 

「あ、人間には聞こえないとか?」

 

「えっ、えっ、なんだよそれ!?余計に怖いじゃねーか!なあなあ、アキラの悪魔に聞いてくれよ!聞こえるよな!?な!?」

 

 

アキラは送還する手を止めてミノタウロスに問いを投げると、うなずく。えーうそ、とアキラは驚く。みんな似たような反応だ。幻聴ではないとわかって安心したのかモルガナはうれしそうだ。しかしアキラの表情は硬い。休憩にしようか、といいながら浮かない顔のアキラに、来栖は視線を投げる。

 

 

「どうしたんだ、そんな顔して?」

 

「ん、ちょっと気になることがあってね」

 

「いいから話せ。そしたら決める」

 

「なんだよそれ。ま、いいけどさ」

 

 

アキラはそれとなく来栖をみて、たじろいだ。この目は一度見たことがある。様子を見に家まできてくれたときの顔だ。苛烈な色を宿していながら驚くほど感情が凪いでいる。ものすごく怖い目だ。真実だけを容赦なく見通している。なにをいっても誤魔化されてはくれないだろうな、と諦めにも似た気持ちになりなかまら、アキラは苦笑いする。

 

 

「あれコープスじゃないんじゃないかと思ったんだ、ふとね」

 

「え?」

 

「コープスはゾンビの成れの果てだから、死体がないとダメなんだ。いくら魔界と東京が繋がってるったって大量発生にも限度はあるよ、ゾンビは東京にしかいない悪魔だからね」

 

「物質世界だから?」

 

「そうそう、実体がないと。にたようなやつにはスライムがいる。種族としてのスライムじゃない。マグネタイトが足りなくて実体化できなくなった悪魔のなれの果て。そいつもスライムになる」

 

「悪魔だったやつがああなった?」

 

「え、それまずくないか?」

 

「問題はここからだ。マグネタイトの枯渇から生まれるスライムは今の東京にはいちゃいけない悪魔なんだ。今の東京は実体化できなくなるなんてまずない」

 

「魔界と繋がってるから?」

 

「うん、それも今年で何年だって話だ」

 

「なんか原因があるってことか?」

 

 

アキラはうなずいた。

 

 

「もしかして、あれが原因、とか?」

 

「うん、もしそうならあれはマグネタイトを吸収してる。あいつらは引き寄せられてるんじゃない。枯渇したマグネタイトを回収しようと寄り集まってるんだ」

 

「え、え、じゃあ、あの中にはそのマグ、なんとかってやつがたくさんあるってことだよな?やばくないか?」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

謎の少年

アルセーヌの知る限り、かつて彼のベルベットルームはすさまじい蔵書数を誇る迷宮じみた規模の図書館だった。たんなる比喩にすぎないが、彼が生きている間に得た知識はすべてこの世界に反映されるわけだから、いきることすべてがここの所蔵品となるのだから謂えて妙なはずである。所蔵品のすべてをアルセーヌは把握できていなかった。おそらく所蔵品の数は数千万冊の書籍、各種資料を含めると一億を越えるはずだ。それくらい、楽しい場所だった。好奇心を満たす知的な活動はなによりも代え難い人にとっての財産である。己の生まれが、彼が例の事件について数多の価値観を押しつけられ、どれが求める真実なのかわからない不安を反映した世界で、必死であがこうとする抵抗心、理不尽にあらがおうとする怒りからだと知ったのはそのためだ。かつてアルセーヌはシャドウだった。移ろいゆく心を反映した不定形にすぎない、形を持たない感情、それが形をなしシャドウになるほど彼は思うところがあったのだ。そして、アルセーヌがまだシャドウにすぎない存在だったころから自由意志を持って動けていたのだ。それほど克明な欲望をもつ人間は少ない。そんな人間に人ならざる者は心惹かれるらしい。いい者も、悪い者も。

 

 

悪意は突然やってきた。

 

 

世界は一瞬にして闇に染まり、図書館は監獄に変貌した。そしてアルセーヌは自身の生まれた理由を知る。ひたすらアルセーヌは待ちわびた。自分を生んだ存在は理不尽な状況にそれに打ち勝つだけの存在だと誰よりもアルセーヌはしっている。もうひとりの自分なのだから。

 

彼のもとに向かわなければならない。そのときを監獄の中でアルセーヌは待ちわびた。

 

 

端正な顔立ちの男だった。もう一人の自分より少々年上の男だろうか。

 

 

「You are slave」

 

 

アルセーヌは不敵に笑う。奴隷とはいわせてくれる。囚人に成り下がってはいるが奴隷ではない。見せ物ではないから帰れ。

 

 

「Wnat emancipation?」

 

 

解放だと?脱獄でもさせてくれるのか?と冗談めかして問いかければ、それは笑う。悪魔と取り引きするとは度胸が据わっていると。悪魔だろうがなんだろうがかまわないのだ、もうひとりの己が抗うと怒りを秘めるなら、その理不尽さに抵抗するためにアルセーヌは存在しているのだから。自由意志で参戦することが許されない身の上なのが屈辱だったが、ここから脱獄できるならそれに越したことはない。

 

「ずいぶんと大人しいんだな、もう諦めたのか?」

 

「まだ我の出番ではないともう一人の我がうるさいのでな」

 

「我が身可愛さでもうひとりの自分の苦悩を見殺しにするのか?なにも教えずに?このままだと本当に彼は冤罪の死刑囚じみた重さで死んでしまうよ?」

 

「我、いや、暁を愚弄するのはやめろ。あの程度でつぶれる人間ではないとほかならぬ我が一番よく知っている。あのとき助けたのは間違いだったと抜かすような男なら我は生まれぬ」

 

「そうか、それは失礼なことをいったね。すまない」

 

「全くだ、いずれその非礼は相応の対価で払ってもらうぞ」

 

男は静かに笑う。脱獄に手を貸すには条件があるという。そちらの方がいい。無条件で助けてくれるという方がよっぽどおそろしい。男はうなずいた。男が口にしたのは知らない名前だ。

 

男はいった。

 

「アキラと共に、僕を殺しに来てくれ」

 

「いいだろう、我こそは己が信じた正義のためにあまねく冒涜を省みぬ者、逢魔の略奪者アルセーヌ。貴様の魂、頂戴する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その視線に気づいたのは、ほんの偶然だった。

 

 

悪寒がした。世界のすべてが静止し、なにひとつ動かない中、来栖だけが動ける。はじめて学校に向かうため渋谷の雑踏を横切ったとき、いつの間にかメメントスに繋がるアプリがダウンロードされ起動し、それを誤って押してしまったときと同じだ。あの時はスクランブル交差点の向こうに、来栖によく似た人間、いやあれは今思えばアルセーヌだったのだろうか、ペルソナになる前のアルセーヌだろうか。シャドウとよく似たオーラにつつまれた不敵な笑みを浮かべた男がいた。アキラと別れた渋谷の雑踏の中で、今は、その男ではなくアキラによく似た男、いや少年がいる。今のアキラよりだいぶ幼い。二、三歳年下だろうか、みたことがない服を着ている少年がいた。その少年も来栖と同じなのか動けるようだ。退屈そうに脚をバタつかせていた少年だったが、来栖の視線に気づいたのか瞬き数回、口元を釣り上げる。そしてその途方も無い高さから音もなく降り立つとまっすぐ来栖の方に向かってくる。

 

 

「へえ、あんた、俺がみえるんだ?」

 

 

ふてぶてしい態度の少年だ。織田信也くらいの生意気さだが、可愛げは全くない。なによりも強烈な蛍光色の緑の光が滾る。マグネタイトの発色だ。どうみても人間にしか見えないが、その瞳が人間ではないと知らせている。ベルベットルームの住人のように、時と精神の狭間の人間なのかもしれない。あるいは悪魔をペルソナに変換しているだけで、アキラにはアキラのシャドウがいるのだろうか。

 

 

「ああ」

 

「ふーん、少しは楽しめそうだな」

 

「なんのことだ?」

 

「なんでもねーよ、こっちの話」

 

「君は誰なんだ?」

 

「誰だと思う?」

 

「アキラのシャドウ?」

 

「あははっ!マグネタイト垂れ流しのシャドウなんて、悪魔がよってきまくりじゃねーか!死んじゃう死んじゃう」

 

「違うのか?」

 

「違う違う」

 

「でもアキラとそっくりだ」

 

「それはお前が連れてる黒猫もそうだろ」

 

「どういう意味だ?」

 

「そのうちわかるだろ。答えは自分で見つけるもんだぜ、怪盗サン」

 

「!?」

 

「そう警戒すんなよ。俺は単に面白そうだから口出しに来ただけなんだから」

 

「無理言うな」

 

「あはは、忠告は素直に聞くもんだぜ人間」

 

 

少年は楽しげに笑う。

 

 

「転生ってのはその感覚が抜けなくなってくると、めんどくさいもんだぜ。時間を重ねるにつれて記憶や想いが鮮明になり、頭の中で混じり合い、融合し、昇華しようとし始めやがる。しまいには今感じていることがどこまで前の自分なのか、今の自分としてなのか、わからなくなりやがる。迫り来る恐怖と葛藤しながら、誰かを思い描くたびに知らない誰かと重なり、無性に泣きたくなる衝動に駆られる嫌悪に苛まれながら、どうすっか決めるんだ。すべては地続きなのか、今は今だと割り切るかは好きにしろ」

 

「なにがいいたいんだ?」

 

「人間にあるマグネタイトってのは個人差がある。その理由を教えてやるっていってんだ」

 

「ずいぶんとメルヘンチックな話だな」

 

「悪魔は信じてるくせにか?」

 

「悪魔はみたからな」

 

「まあいいや。お前がどうかは知らねえけど、アキラはそうは思ってねえってことだ。今度こそ、ケリを付けようと思ってやがる」

 

「そんなに強い敵なのか?」

 

「ああ、初見殺しにもほどがある」

 

「まるでみてきたみたいないい方だな」

 

「そのせいで負けたんだよ」

 

「なんだって?」

 

 

来栖は目を丸くする。

 

 

「絶対悪魔を出すなよ。そんで近づくな。攻撃すんなら銃か火炎だ。繭の女を孵すな」

 

「繭の女?」

 

「あいつは魔人だ。悪魔とはレベルが違う」

 

「魔人?」

 

「詳しくはアキラにでも聞いてみろよ、俺よりよく知ってるはずだ。あいつが孵ったら世界が歪んでまた繋がるっていってみろよ」

 

「また?」

 

「今はただでさえ魔界と人間界が繋がってんだ。あいつらがほっとくわけがないっていっとけ。口でいってもわかんないだろうからな、ご対面といこうぜ」

 

 

少年が後ろを指差した瞬間、広がるのはなにもない渋谷である。悪魔も人間もいない。ただ荒廃しきった渋谷の街並みが広がる。

 

 

『アキラ』

 

 

姿をとらえることができないほど、高速で動く人間だった。いや人間というのもおこがましい、人間だったなにか、である。

 

 

『アキラアキラアキラ』

 

 

来栖は目を見開いた。来栖はこの声を知らない。だが愛おしげにアキラをよぶ少女の声は、まさか。

 

 

『アキラアキラアキラアキラアキラ』

 

 

腐り落ち、ぽっかりと空いた二つの黒い穴からどろりとした黒い液体を垂れ流し続けるそれは、歩く屍というにはあまりにもオゾマシい異彩を放つ。喉をふるわせる独特な声が脳内に響く。けだるい甘さがあった。

 

 

悪寒が走る。来栖が逃げようとする先を潰すように放たれたどろりとした黒いものはすべてを飲み込み、黒い波紋が広がっていく。

 

 

「おっと、離脱はなしだぜ。あいつから言われてんだろ、誰かを頼るのはもう嫌だって。逃げたら最後、あいつは悪魔と合体してでも力を手に入れようとするぜ」

 

 

近くにいた悪魔が泥をかぶった瞬間、すべてが溶解した。スライムに変化し、消えていく。現界するためのマグネタイトが足りなくなったのだ。それだけでは足りず、すべてが黒い泥の中に溶けていく。どうやらすべてマグネタイトに変換するとんでもない悪魔のスープでできているようだ。一体どんなことをすればこんな悪魔ができるのだろうか。

 

 

『どこ、どこ、アキラ、アキラ、アキラ』

 

 

ずるずる、ずるずる、と声が近づいてくるにつれて、なにか重いものを引きずっている不気味な音がこだまする。来栖はそれを知っている。

 

 

それは、アキラが教えてくれた、かつて仲間と懸命にかき分けた巨大な繭なのだろう。真っ白な繭だ。天使が選ばれし人間だけを誘拐し、放り込んだオゾマシい機械。神の御心に沿うよう改造を施すための装置。改造人間にするための装置。天使の力が動力源だったらしい。

 

 

この包帯に巻かれた巨大な繭の中に広がる蜂の巣の空間がどういうところなのか、考えるだけでおぞましい。人間がひとつひとつの穴に閉じこめられ、環境に適応できるように強化し改造を施した場所。植物の種子や動物も運んだ巨大な選ばれし者を運ぶための船。

 

正六角形を隙間なく並べた空間が広がっていて、その中はどれも空っぽだったらしい。回遊型の階段をぐるぐると上っていくと、中央に位置する動力源不明の発光体があたりを黄金色に輝かせ、その真下には大きな球体が浮遊している。わずかに揺れているのがわかる。黒い球体をみるたびにアキラは思い出していた。

 

ガラスが砕け散るような、きれいな音がしたという。球体の中に満たされていた、この繭の中にいたはずの人間のスープが溶けだし、すこしずつ形を作り始めたと。体が組成され、すみからすみまでスープが流れ込んでいき、とけ込み、出来上がるはずのマネキンが不完全でコープスになっていく。一体の悪魔として一体化していく。とても静かな空間だった。空高く誘拐しようとした天使たちを殲滅して繭は墜落したという。そしてアキラは外に出るべく繭をかき分けた。そして、どうなった?

 

 

「なにをぼうっとしているのだ、暁」

 

 

視界が炎に包まれた。来栖はアルセーヌの言葉に我に返る。どうやら勝手に出てきたようだ。アルセーヌはあきれている。来栖が自覚する前から現れた自己顕示欲全開のもうひとりの自分は、勝手に行動することがある。それを当てにして何度も危機に陥られたら面倒だからとアルセーヌは基本的に助言はするが手は貸さない。自分で考え、行動し、責任を持つことを繰り返し説いている。未だになぜ自分のペルソナだけここまで自立しているのかは分かっていないが、今のところ来栖と致命的なすれ違いはない。だから問題はなかった。他者の評価に振り回される環境に怒りを抱くことが原動力らしいから、抑えがきかないペルソナなのだろう。

 

 

女の悲鳴が聞こえる。アキラ、と居もしない誰かを捜しまわる繭と一体化した化け物は、黒い液体を垂れ流しながら這いずり回っていた。どうやら炎が効果的なようだ。

 

 

空気が焼かれて呼吸がままならない。立ちこめる黒煙が悪魔の位置の補足を邪魔する。濃厚すぎるマグネタイトがあたりを支配している。感覚が麻痺してぼやけてしまっていた。それを突き破ったのは、爆発的な炎だった。

 

 

「もうひとりの俺をそそのかすのはやめろ」

 

「あんたのペルソナは過保護だな」

 

「勝手に幽閉しておいてなにを」

 

「あんなやつと一緒にすんな、殺すぞ」

 

「暁、さっさと帰るのだ。我々がいるべき世界ではない」

 

「ああ、頼む。アルセーヌ」

 

 

 

炎属性を付与した特別製の弾丸によってえぐられた跡が地面に刻まれる。すべてを溶かし、マグネタイトに変換する蟲毒の液体にも効果は抜群なようで、あきらかに蒸発しているのがわかった。アルセーヌの業火が勢いよく蛍光色の緑をかき消す。

 

 

とりあえず、敵が近すぎる。戦闘はもっと遠くで行いたい。来栖はいつのまにか変わっていた怪盗服を翻し、アルセーヌにより強化された身体能力で跳躍する。ビルまでよじ登る。

 

 

 

降り注ぐ炎に身を焼かれながら絶叫する繭の女めがけて連打を浴びせる。よく燃えているが効いている気配がない。さきほど放った炎属性の銃撃を喰らわせたときの方がよっぽど効いていた。これはどろどろの液体の方が本体だろうか。来栖は息を吐く。意識を集中させる。前衛がいないのはきついが攻撃あるのみだ。液体が蒸発するにつれて、繭の女の絶叫は小さくなる。

 

あたりは焦げ付いた大地が燻され、焦げ臭い。

 

異空間を形作っている闇が見えてきた。このまま業火に飲み込もうとしたとき、繭の女を中心に毒々しい紫が渦を巻き、そして空間ごと世界を飲み込んだ。どうやら広域魔法である。悪魔の悲鳴が聞こえた。来栖の世界が闇に染まる。

 

 

「悪魔をマグネタイトに変換しやがるんだ。だから悪魔は出すな、あるいは直前に送還しろっていえ」

 

 

ガラス玉が砕け散るような、きれいな音がした。濁りきった闇に取り込まれ、影に取り込まれていきそうになった体が蘇生される。留まっていた血の巡りが再開し、マグネタイトが隅々まで流れていき、とけ込み、一体化していく。静かだった。

 

 

「悪魔をマグネタイトに変換しやがるんだ。直前に送還するか、はじめから連れて行くなってといっとけ」

 

 

思わず周りをみると、静止している渋谷が広がっていた。刈り取る者に似た殺気の塊だった。どっと汗が湧き出す。あれが魔人、と来栖は呟く。たしかに悪魔ともシャドウとも違う存在だった。

 

 

「アキラは自分の血筋に興味がないみてーだが、降魔できる体質だったからあいつの姉は狙われたんだ。自分の体質くらい把握しとけと伝えろ」

 

「降魔?」

 

「あいつが悪魔をペルソナにしてるのは知ってるだろ、あれ自体あいつのババアから遺伝した体質だ。魔界に高校ごと飛ばされたババアは数少ない生き残りだった。それで、生き残れた理由がこれだ。悪魔の魂を自分の体に憑依させてその能力を得る。この状態で死ぬと、悪魔の能力を自分のものにして復活できる」

 

「待て、アキラはそんなこと」

 

「悪魔絵師や松田の野郎が伝えてねえから知らねえのさ。知ったら今度こそ死に対する躊躇がなくなる。あらかじめ悪魔を守護霊として降ろしておけば憑依させる悪魔が体と心を乗っ取り好き勝手しない。そのためには守護霊の悪魔よりレベルの低い悪魔を降魔させることで未然に防ぐ必要がある。うまいこと考えやがったな。ペルソナの力を解明するとかいいながら、俺みたいな奴らからミノタウロスをつけることで邪魔しやがる。悪魔に殺されかけたとき、この降魔の力が覚醒してたら、俺が介入できたのによ。近くを通りかかった悪魔が守護霊になることを快諾してくれた、なんてお楽しみつきでな」

 

 

来栖は黙れと告げる。少年は笑う。

 

 

「コープスは複数のゾンビが融合した塊だ。複数の頭が存在するが、それぞれの意識は自分と他人の区別が付かなくなって、ひとつの意識になってる。個人のつぶやきが常に響きわたり、そのつぶやきに対する感情がまるで自分のことのように同調してしまう。個人でありながら一つの意識になってしまっている苦悩がいつもうめきとなって漏れ出る。解放してやるには物理的に跡形もなく消失させるのが一番だ。呪殺攻撃の射程にさえ入らなければ、それほど驚異じゃねえ。ゾンビである以上、弱点が多い。だが、その中核になる女が、もし悪魔を憑依させて力を得る体質だったらどうなる?マグネタイトの保有量も多かったら?」

 

 

来栖は血の気がひいた。今、コープスの目撃例が多発している。異臭騒ぎがするたびにコープスの徘徊が目立ち、その範囲が拡大してるとなれば早急にたたく必要があるとアキラが焦っていた理由はこれか。アキラは降魔についての体質は知らないようだが、コープスが蟲毒状態になりなにかを生み出そうとしていると気づいたのだろう。

 

 

冷たい手で心臓を握られた心地がする。繭の中で腐り落ちた人たちを回収し、埋葬したあの日以来アキラがはあの場所に足を踏み入れることを決意させるだけの事態が迫っているのだ。

 

夢をみているとアキラはいっていた。

 

どうして助けてくれなかったの。

 

どうして殺したの。

 

アキラ、アタシのこと嫌いだった?

 

そういって腐り落ちていく姉の亡骸を抱いて、崩れ落ちて号泣する夢ばかり見るからイヤでも覚えている。もう7年も経っているのにはっきりとわかるのは、それだけ大好きなお姉ちゃんの声だったからだと。

 

 

来栖には容易に想像できる。繭の女が孵ったら間違いなくアキラは戦意を喪失する。泥に引きずり込まれる。ゆるやかに溶けていく四肢を見て、繭の近くにいたコープスも仲魔も溶けていったのだと悟る。そうなる運命だと悟る。懸命に抵抗するが、すべては闇の中に溶けていく。知らせなきゃいけない。この泥が湧きだしたら危険だ。悪魔も人間もシャドウもペルソナもすべて溶けてしまう。それだけはいけない。

 

 

『アキラ?』

 

 

降臨した繭の女が探し求める存在は、もうこの世にはない。そんな世界が待っているはずだ。そこまで考えて、それはまさしく先ほど少年が見せた繭の女が徘徊する世界だと気づいた。悪魔が巣くう異界と化した東京。ただ荒廃しきった街並みが広がる風景そのものだ。場所を特定できるようなものは残されておらず、わかるのは誰もいないことだけ。人間はいない。ただ蟲毒状態となった世界で生き残るために融合し続け、恐ろしいほど強化された悪魔が跋扈するだけ。

 

 

「やっとわかったか」

 

「あの黒い球を壊すにはどうしたらいい?」

 

「話が早くて助かるぜ」

 

 

少年は耳打ちした。

 

 

 

 

 

 

 

コープス討伐の打ち合わせのため、フロリダにきたアキラに来栖はさっそく魔人について問いをなげる。いきなり聞かれたアキラは唸った。

 

 

「誰から聞いたんだい、そんな情報」

 

 

来栖は謎の少年との邂逅を話すが、アキラは首をかしげた。とうやら知らないようだ。

 

 

「君はいろんな存在を惹きつけるみたいだね。気を付けなよ」

 

「いや、アキラに用があるみたいだった」

 

「勘弁してくれよ、明らかに危険人物じゃないか」

 

 

アキラはため息だ。

 

 

「悪魔は一般的に、どの秩序を重んじるか、どの心の傾向があるかで分類分けされてるんだけど、どうしてもできない奴らがいるんだ。そいつらをまとめて僕らは魔人と呼んでる。存在自体は確認できるんだけど、出現場所や遭遇条件がわからない正体不明の存在なんだ。松田さんは万人に等しく凶事と死をまき散らす害悪だと言ってる。一定周期で現れるみたいだけど、僕もまだ会ったことないなあ」

 

「死、そのもの......」

 

 

魔人は恐ろしく低い確率で出現する正体不明の悪魔としかアキラは知らなかった。この世界の死の気配に引き寄せられたのか、それとも蟲毒を繰り返す悪魔から生まれる魔人が起点となり、いずれ魔人しかいなくなった世界がやってくるのかはわからない。ただ刈り取る者のような存在だと理解する。魔人が跋扈するようになれば待っているのは破滅の未来しかない。穴は小さいうちにふさがなければならない。来栖の話を聞いたアキラはそう思っているようだ。

 

 

「でも、それがほんとうなら魔人が産まれる前に倒さないといけないね。産まれてしまったら、できれば暁には戦ってほしくはないな」

 

「なんでだ」

 

「あいつらが名乗る名はすべて【死】そのものだと言われてるんだ。本来、人間が太刀打ちできる相手じゃない。考えすぎかもしれないけど、【死】そのものを退けたら、どうなる?人間でいられるのか?」

 

 

来栖は言葉を返すことができなかった。

 

この世に生まれて死なない命はない。死は避けられない運命だ。魔人が【死】そのものなら、魔人に挑むことは襲いかかる死の運命に自ら勝負を挑んでいることになる。

 

 

少年がアキラや来栖になにをさせるつもりなのか、想像するだけで薄ら寒くなる。迫り来る死をはねのけた先に待っているのは、死を否定し、死を克服した存在だ。それは人間といえるのだろうか。いつか死ぬから生命は尊いのだ。それを否定したら、生命ではない。人間でありながら不死性を獲得してしまうおぞましさを予感しているのだろう身体は鳥肌がたつ。ただでさえ人間からはずれた精神に傾倒しつつあり、降魔や悪魔の使役と生命の理からもはずれていく道を邁進しているアキラが、死すら否定する存在となったら、残された道はなんなのか。来栖にはわからなかった。それは来栖にもいえることだが。

 

 

「止めないのか?」

 

「そんな話を聞いて、やめられるとでも?魔人は倒しても期間をおけば復活するんだ。その理由も含めて不明だから、正体不明という分類となってる。【死】という概念そのものだから、自然現象と同じで消滅という概念がないのかもしれないけど」

 

 

参ったなあ、とアキラはぼやく。

 

 

「また調べてることバレたら、津木さんに怒られる」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

繭の女②

魔人を孕んだ黒い球体が繭の女を産み落とすまで、秒読み段階に入っている。謎の少年から受け取った悪魔のデータはただちに松田に送られ、解析が行われた。謎の少年の忠告どおり、繭の女の弱点は火炎と銃撃。体力が減ると近くにいる物質を無理やりマグネタイトに変換し、様々なマグネタイトがとけこんだスープの中に溶解させる呪詛を放ってくる。その対象は生命体ならば全てが対象であり、万が一仕留め損なったら待っているのは悪魔の存在が世間に知られてしまうレベルの甚大な被害が予想された。なにがなんでも黒い球体の時点で屠る必要がある。そのためには黒い球体がターンことに弱点が変更され、それ以外は吸収してしまう能力が最大の難関となった。アキラたちが討伐に失敗すればいずれ人は繭の女の餌食になり、死の気配によってきた魔人たちが湧き出す危険エリアとなるらしい。謎の少年の話を聞いたアキラは血相変えた。もともと魔人は満月のみ恐ろしい低さの確率で出現する悪魔なのだ。ただでさえ途方もなく強く、すぐに復活する。そんな悪魔の出現が常態化などおぞましい現実が待ち受けていると想像するのは容易い。松田にいわせれば死そのものが跋扈する世界などわずかな可能性だろうが摘み取らなければならない。アキラは謎の少年から受け取ったデータから新しくアプリをもらい、探知できる機能を追加した。そして来栖とともに黒い球体が出現した場所にいそいだのである。

 

 

送られてきたデータを入力する。アキラは未踏の地であるターミナルに転送された。転送完了の電子音が聞こえる。立て付けの悪い扉を開くと、真正面には機械が鎮座していた。悪魔の姿は見えない。

 

 

低いコンピュータの唸る音が響いている。静寂が支配する薄暗いこの空間ではやけに響いた。あたりを警戒しながら、電源を探る。ターミナルにほど近いところにスイッチがあった。あたりが一様に明るくなる。コンピュータの前には大きなモニタが設置され、電源が復旧したことでスイッチが入ったらしい。砂嵐のあと、ノイズ混じりの映像が流れ始めた。引き寄せられるようにアキラは前に経つ。

 

 

それはアキラが経験した事件のニュースや新聞、マスメディアの情報を乱雑にまとめた映像だった。

 

 

2010年頃から奇怪な事件が立て続けに起こり、猟奇的な殺人事件が多発し、行方不明者が急増する。不穏な、オカルト的な噂が流布しはじめる。震度5以上の大きな揺れがありながら震源地が特定できない奇妙な地震が東京を中心に頻発した。吉祥寺は謎の大災害に巻き込まれ、政府は戒厳令を発動、自衛隊によって封鎖されてしまう。地震はやまない。交通機関は寸断され復旧のめどが立たず、避難命令が出たが輸送手段のめどが立たないのか連絡がない。混乱した人々はSNSや掲示板で情報を求めた。しかし、信憑性ある情報は真っ先に死に、根拠のない無作為な言葉に埋め尽くされていく。そのうち、DDS、通称悪魔召還プログラムと呼ばれるアプリとANS、通称悪魔分析プログラムというアプリが勝手にスマホや携帯、ノートパソコンにダウンロードされる事件が相次ぐ。そして、某国から発射されると一方的な最終通告があった核攻撃、それを防ぐように指示を出すダダノヒトナリ特別顧問がアキラがかつて慕っていた先輩を呼ぶ。アキラが乱入したところで映像は終わっていた。

 

 

「悪趣味だな、誰だよこんなの残したのは」

 

 

アキラは顔をしかめる。

 

 

「内部カメラ使われてないか」

 

「ああ、うん。たぶん悪魔討伐隊から離脱したグループのアジトだったんだよ、ここ。技術班が抜けちゃうとこうやって情報が抜かれる」

 

「核兵器って恐ろしい言葉が出てきたような」

 

「あのときは僕らも死を覚悟したよ。なぜ落ちなかったか、今でもわからない」

 

「ずいぶんと古い映像が残ってたな。まさか当時の映像が見れるなんて思わなかったぞ、ワガハイ」

 

「僕もだよ」

 

「なんかこわいな」

 

 

うん、とうなずこうとしたアキラだったが、沈黙したまま、静かに愛刀に手をかける。

 

「どうしたんだ、アキラ?」

 

「さがってて、モナ。新手だ」

 

 

アキラの視線の先にはいつの間にか消えたモニタ。その鏡状態となった真後ろが映る。ずるりとした液体が溢れてきて、床から黒い塊が湧いてきた。来栖たちは身構える。

 

 

「貴方たちもこの世界の苦難から逃れたいのね、かわいそうな人の子よ。死は誰にでも平等にやってくる。さあ、手を取りなさい。私とひとつになればなにも怖くはないわ」

 

 

アキラは唇を噛む。来栖は心配でアキラに視線をなげる。繭の女と同じ声だ。恐らくは。

 

 

「お姉ちゃんの声で語るな、悪魔風情が」

 

 

恐ろしく冷え切った声が響いた。今から生まれ落ちようとしている魔人の声がする。声が響きわたる。黒い球体の真下に魔法陣が形成され、すさまじい殺気を放ってくる悪魔が召還された。

 

 

「勝手に決めつけるな」

 

「そーだぞ!ワガハイたちの人生がどうかなんてワガハイたちがが決めるんだ。お前に決められてたまるか」

 

「僕は僕の道を切り開くだけだ。悪魔だろうが神だろうが必ず出し抜いてみせる。そのためだったら、なんだって利用してやるさ、たとえ僕の命だろうとね!」

 

 

アキラの返事は即答だった。何事も最後まで諦めるな。決して諦めなければ、いつか希望が見える。そして、希望は決して人を見捨てない。先輩と共に行方不明になってしまった特別顧問のダダノヒトナリの言葉だ。今は亡き戦友からの言葉だと聞いていた。いつかアキラに託したいとも言っていた。その理由を知ることは永遠にないが、それでも構わない。

 

 

「おあいにくさま、僕は諦めが悪いんだ。少なくても、お前の手を取るかもしれないやつよりはずっと。だからここで死ね」

 

 

すさまじい閃光が炸裂する。閃光弾にも似た特大魔法の洗礼を皮切りに、アキラたちの魔人狩り、掃討作戦は始まった。

 

 

魔人たちの討伐には半日を要した。

 

 

最後の1体を撃破し、黒い球体の弱点をパターン化する方法により攻略したアキラたちはアジトへ帰還する。任務を終えた証として、スマホの写真を提出すると、提示された通りの報酬と貴重な能力アップのお香が支給された。

 

 

翌日、同じ依頼がアキラのスマホにやってくる。どうやら取り残しがいたらしい。あらかた掃討したはずなのだが、珍しいこともあるものだ。召集に応じてくれた来栖たちを首を傾げながらも、もう一度シェルター内に再侵入する。黒い繭は平然とした様子でアキラたちの前に立ちふさがる。どうやら同じ個体のようで、アキラに業火でなぶられた憎悪から真っ先に攻撃してきた。少々苦戦しながらもなんとか撃破し、出現場所とおぼしきコンピュータやディスプレイを丁寧に破壊し、ふたたびアキラたちは帰還する。報酬はやや減少したが、復活したデータを提出した分が補填され、全体的には黒字になった。

 

 

さらに翌日。

 

 

今度こそ、別のクエストを受注しようと試みたアキラだったが、飛び込んできたのは再々調査の依頼である。3度目ともなれば嫌な予感しかしない。案の定、黒い球体が復活したという悲報である。埒があかない。これは一度相談した方がよさそうだ。アキラは来栖たちを呼んだ。さすがに3回も同じ任務が続くとうんざりといった様子の面々だが、討伐が先である。

 

 

すっかりなれてしまった討伐のルーチンをこなし、アキラはあたりを見渡した。

 

 

「やっぱりどこか別の場所から転送されてるのか?」

 

「でも回線は見あたんないぜ?」

 

「回線はすべて切断したはずだよ。転送は考えられない」

 

「そうだよな。うーん、どう思う?アキラ」

 

 

投げられた質問に、アキラはぺたぺたと冷たい機械をさわりながら、考えているから静かにしてくれと告げた。わかった、とうなずいた来栖あたりを見渡す。

 

 

「なにを悩んでいるんだ、僕は。よく考えろ。ターミナルはそもそも魔界からエネルギーを供給しているんだぞ。壊したものはもはや選択肢には入らないはずだ。それはわかってる」

 

 

アキラは上を見上げる。煌々と電灯があたりを照らしていた。

 

 

「暁、モナ」

 

「なに?」

 

「なんだ?」

 

「伏せてろ」

 

「え?って、おうわっ!?」

 

 

おもむろにガラクタを投げつけたことで、火花が散る。ガラスの砕け散る音がして、あたりは一瞬で真っ暗になった。

 

 

「ちょ、おい、アキラ、なにしてんだよ!?」

 

「うるさい、モナ。静かにしてくれ」

 

「でも・・・・」

 

「いいから」

 

 

悲鳴をあげそうになって、口をふさがれていたモルガナは、ばしばし手をたたく。息を殺す後ろ姿を手探りで探り当て、手を離してくれとのばそうとした。だんだん目が慣れてくる。そのうち、電気が復旧したのか、あたりは明るくなった。モルガナはあわてて来栖から離れる。アキラは我関せずと上を見上げたままだ。

 

 

「やっぱりか。本命はこっちだ」

 

「どういうことだ?アキラ」

 

「そーだぜ、アキラ。ちょっと教えてくれよ、一人で納得してないでさ」

 

「黒い球体を復活させてる奴がわかったんだよ。犯人はこいつだ」

 

 

アキラがにらむのは電灯だ。疑問符がとぶ2人を後目に、来栖はアキラを見上げる。

 

 

「ここの電気はどっからか知ってるか?」

 

「うーん、そうだな。さすがにそういうことは、本部に聞いた方が早いんじゃないかな。松田さんがターミナルを設置したはずだし」

 

「じゃあ、聞いてくれ」

 

「なるべく早く。球体がまた復活しちまう」

 

「わかった」

 

 

アキラは苦笑いして、メールを送る。

 

10分ほどして、松田から返事がきた。

 

今から6年ほど前のこと。今はなきメシア教との抗争で劣勢になっていたガイア教の過激派が、封印していた邪神を復活させようとした時の儀式の遺産がまだ生きていることが判明した。このシェルターを管理する自立した独立発電所とコントロールするコンピュータに仕込まれた悪魔召還プログラム。それが諸悪の根元である。発電で得たエネルギーをマグネタイトに変換することで、黒い球体を何度も復活させている。このプログラムにはセキュリティがくまれており、そこにハッキングするウィルスを松田が放ったところである。これから発電所の場所を教えるから、そこにいるであろう本体の黒い球体を討伐してほしい、ときた。

 

 

「えーっと、つまり、発電所は壊しちゃだめってことか?」

 

「そうなるね。ライフラインが使えないと大変だ。仕方ない」

 

「えー、でも面倒だな。黒い球体が人質にとったらどうすんだよ、発電所」

 

「僕らが戦うのはこれで4度目だ。その分利がある。問題はないよ」

 

「アキラ、なにか他に策はないのか?」

 

「松田さんがDDSを止めてるんだ。その間は黒い塊は復活できない。再起動する前に無力化してしまえばいい」

 

ウィルスと人智の及ばない戦いを繰り広げた黒い球体がそのウィルスを取り込むことでさらなる進化を遂げ、電霊として再臨していたと知るのはその後だ。

 

 

「暁!」

 

アキラの声が飛ぶ。いいのか、と振り返ると、早くしてくれ、僕の決意が揺らがないうちにとアキラは口走る。

 

「ああ、わかった。期待に応えてみせる」

 

 

「誰モガ同ジ量ノ時間ヲ持ッテイル。貴様ラ人間ハ過ギサッタ日々を思イ出スノデハナク、過ギ去ッタ瞬間ヲ思イ出スノダ。過去ノコトハ過去ノコトダトイッテ、片ヅケテシマエバ、ソレニヨッテ、貴様ラハ未来ヲモ放棄シテシマウコトニナル。サア、【次コソハ】ト自ラヲナグサメヨ。ソノ【次】ガ貴様ラヲ墓場ニ送リ込ムソノ日マデ」

 

 

「暁!」

 

「ああ、アキラ。行くぞ!」

 

 

彼らの戦いは始まる。呪怨を残し、黒い球体は姿を消した。来栖は大きく息を吐く。

 

「大丈夫かい、アキラ。一度支部に戻ったほ・・・・・アキラ?」

 

じわりじわりと目尻から熱いものがこみ上げてくる。ぬぐってもぬぐってもあふれてくるそれに、感情の高ぶりも押さえきれなくなってきたようで、アキラはそのまま乱雑に顔を拭い、目を真っ赤にした。泣き顔を見られてしまった気恥ずかしさからか、やけにアキラは視線を合わせない。目が赤いのをみられたくないのかもしれない。

 

 

「その、ありがとう」

 

「ああ、どういたしまして」

 

 

バツ悪そうにアキラは頬をかく。

 

 

「泣くのは倒してからだよね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その昔、地上を見張る任務を与えられた天使団エグリゴリが人間の娘に魅了されて堕天したことがある。彼らは巨人ネフィリムを始めとした悪霊を生み出して地上を荒廃・堕落させた末にアザゼル達が幽閉されて、大洪水によりノアの一族を除いて全ての生物が滅ぼされた。洪水から二世代の時が経った頃、ネフィリムや悪霊がノアの子孫を脅かしたことから、神は悪霊を捕縛する為に天使達を派遣した。 このとき、一人の天使が神に「悪霊達を自分の部下として残し、人間を堕落させ、滅ぼす任務に使用できるようにしてほしい」と懇願した。神はこれを承諾し、悪霊の十分の一をその天使に与え、残りは予定通り捕縛させた。 この懇願を行った天使こそが、マンセマット、敵意の天使とよばれている。

 

 

敵意の天使であるマンセマットは、試練によって人の神に対する信仰を見極めようとする必要悪である。天使でありながら堕天使を従えているから、そう呼ばれていた。

 

 

マンセマットは配下を駆使して人間を堕落させ滅ぼし、カラスなどを用いて不作をもたらしたり、預言者に対する数多の試練を与えたりした。特に有名なのはモーセの海渡りだろうか。預言者モーセと対立したエジプトの背景にはマンセマットの協力があった。モーセとファラオの宮廷にいる魔術師の術比べでは魔術師側に力を貸したし、モーセがヘブライ人を連れて国外に脱出した時は、モーセを追撃するようエジプト人達を唆した。

さらにエジプトにすら敵意をむき出しにして、信仰に沿わない家の子供や建物を全て破壊するようなことすらしてのけた。

 

彼を敵対者としてのサタンの原型とみなす人もいる。サタンもマンセマットも神に許されているか否かに違いはあるが、神の信仰に貢献している意味では同じなのだ。

 

 

今、大天使たちは混迷のただなかにいる。創造主の預言が聞こえないのだ。創造主が明確な意志を示さないことは、大天使に救済の解釈を強いた。人間を徹底的に管理するのか、人間の統治を見守り不干渉を貫くのか。どちらが神の意志なのか対立は深まり、四大天使とマンセマットの勢力は決裂した。四大天使は無垢なる人間と小さな箱庭を用意する道を選び、世界を滅ぼすために手を回す。マンセマットは方法こそ違うが神への信仰を試すため、様々な工作に出ていた。

 

 

魔界と人間界がはじめて接触したシュバルツバースにて、マンセマットは人間の手駒を手に入れることに成功する。敬虔な信徒のロシア人の女だった。クルーの変装をして彼女に接触し、以後苦境に立たされるとどこからともなく現れ手助けをした。潔癖症で劣悪な環境や悪魔の苛烈な攻撃に精神的に不安定になっていった彼女が信頼してくれるのははやかった。主である“神”の命を受けてシュバルツバースに降臨したと称し、数多の天使を配下に従え『良き霊』という言葉を使うなど、天使然とした振る舞いをした。らしくないと部下に笑われたのも今は昔だ。言葉の端々に人間を馬鹿にしたような物言いが漂い、隠しきれていないと警戒する人間がいたが、彼女は盲目的にマンセマットを信じた。このときのマンセマットの目的は現在の人間を支配する“天使の歌唱”の獲得と、それによって人類から神の意を伝える者のみを選別し、一つの霊に統合することだった。現在の人間は古代から「変容」しているため、普通の天使の歌唱が無効化されてしまう。そこで、マンセマットは現代の人間を天使に変えて歌唱機とし、バニシング・ポイントを通じて地上を歌唱の力で満たして、他者と争い合うことのない、ただ『神』のみを崇める世界に変えようとした。 マンセマットがいう“新たな高み”とは、実際は地球を神のために作り変え、それを手柄に天使からさらに上の存在になることが目的だった。天使はみな火から生まれたため、土から生まれた人間を見下しているのだ。ただの道具としかみていない。このときは残念ながら一部の人間の活躍により探索部隊の天使を崇める盲目な魂にしてひとつに統合化する作戦は失敗したが、彼女は手に入った。天使の詠唱、いわば人間を強制的に無垢なる人間にかえる広範囲の呪詛を撒き散らす蓄音機はマンセマットのものになった。

 

 

 

次にマンセマットが蓄音機の彼女と一部の探索部隊から引き込めた信徒たちが根を下ろしたのが吉祥寺だった。もともと四大天使が世界を滅ぼす前に無垢なる魂を選別して繭にいれる作戦の拠点となる新興宗教の本部があった。しかも信徒が信者だった。無垢なる魂を横取りするために紛れ込むのは簡単だったのである。

 

 

悪魔討伐隊の噂を耳にした信徒に意図的に情報をリークさせたり、戦局を撹乱させたり、四大天使に対する妨害工作を繰り返した。もちろん四大天使は気づいていたが、マンセマットがそういうものだと知っている。異なる立場で神の信仰を実践しているに過ぎない。だから見逃された。悪魔討伐隊に協力したり、悪魔と人間への不可侵を保つという契約を取り付ける仲介者になったり、悪魔討伐隊が東京における地位拡大の悪魔側の後ろ盾を務めるまでいたるとは思わなかったようだ。彼の目的は四大天使たちと同じく“主の意思を実践すること”である。 ただし四大天使が人間を管理すべきという方針を取ったのに対し、マンセマットは人を見守る立場を取ることこそ神の言う天使の役目であると主張した。対立していた。さらに“秩序”は人自身によって保たれるべきというスタンスだった。でも、今の人間世界を滅ぼし、無垢なる人間だけ生き残らせてから、がつく。四大天使もマンセマットも人間を滅ぼすまでは共通認識だった。

 

 

 

 

 

人間を神の望む姿に作り替え、その人間のみが永遠に神を信仰する国を作ろうとした計画のため地上に降りていたマンセマットは、無垢な子供を選別し、誘拐した。動きやすくするために宗教法人の形で東京に根を下ろし、表向きは新興宗教の活動に尽力。裏では人々の意識を根本からねじ曲げる賛美歌の蓄音機をならし、その賛美歌に反応する人間だけを狙った。賛美歌を聞き取ることができるのは、無垢なる魂になる可能性がある人間だけだ。反応を示した子供を中心に誘拐し、あ秘密裏に建造した繭に幽閉した。巨大な蜂の巣である。六角形の部屋で子供達は問答無用で遺伝子操作を施され、来るべき環境に備えて改造、強化、が行われた。自我を持たない人間ができあがる。神を信仰するためだけに生まれた人間ができあがる。動力源は天使だ。人間でありながら、天使と同じ構成の人間の誕生である。

 

 

神を盲信する人間にするため、自我を奪う徹底したギミックはどこまでも無慈悲だ。さすがは火から生まれた天使、愛すべき同僚。土から生まれた人間が神に愛されたことがよほど気にくわなかったらしい。神は人間を自らを模して作ったから愛すべきなのに。その人間から自我を奪ったらそれは神が自らを模したという事実を貶めていることにも気づかないとは。自我が芽生える、もしくは大天使がいない状況下になると、自動的に神に愛される前の土人形に貶め、強制的に神に盲目にさせるギミックは神を冒涜するにもほどがある。人間を道具としか考えていない口でそううそぶいた。

 

 

いずれ天使に造られた子供達は、文明を放棄し、原始的な生活をする選ばれた始まりの民として繭から出され、生活をはじめる。赤子のように無知で、無垢で、真っ白な人間の世界ができる。神の御心に沿うような人間として生まれ変わるのだ。

 

 

残念ながらこの計画も失敗に終わったが。

 

 

四大天使と背反する思想から神の意志を示そうとするマンセマットが四大天使の協力をしていながら、悪魔討伐隊の支援の中心だと判明した時点で瓦解ははやかった。マンセマットは大天使でありながら堕天使や魔神の軍勢を率いることを神に許されている。人間を誘惑し、迷わせる、試練を与えることで神への信仰を示そうとする特異な天使だ。天使勢力にいるにもかかわらず、ルシファーに宿命づけられた定義と同じ存在である。計画は失敗に終わった方が神の信仰に貢献したことになる。三年前、気にいっていた青年は行方不明になってしまった。退屈していたところである。

 

 

久しぶりに面白いものがみれたとマンセマットは笑う。

 

 

「そう、気を落とすなよ、アキラ」

 

 

青年はうなだれていた。四大天使が放棄した繭の中である少女の遺体が悪魔を降ろす特異な体質が変質しマグネタイトを溜め込み、蟲毒となった繭の中でコープスを取り込みなにかが生まれようとしている。その討伐に失敗したらしい。傍に誰もいなければすぐに参上して唆かすことができたが、仲間がいる時点で難しい。

 

 

「ありがとう、暁。僕から誘っておきながら励まされてばかりだね。そうだ、君のいうとおりだよ。こんなところで落ち込んでいるわけにはいかない。今度こそ、お姉ちゃんをこの手で」

 

 

青年は拳をつくる。

 

 

「棺桶が空の葬式はもうごめんだ」

 

 

「そういえば、どこかで...?」

 

 

マンセマットはしばらく思考の海に沈む。そして思い出す。いつもの敵意の天使の姿ではなく、大天使の姿となり、人間に変異する。

 

 

「たしか、この姿のときに...?」

 

 

人間の皮をかぶったその天使は、おぞましいほどに美しい男だった。魅入られるほど妖艶で玲瓏な青年だ。同時に恐ろしい。いつもするりと心の中に入り込んでくる上に、人付きのする穏やかな笑みをたたえていながら、見下している。その瞳の奥に欲望を解放することを是とする矛盾した信条が浮かび、抵抗することを待ち望む恐ろしさが付与される。似ていながら全く違う。普通の天使との違いからくる擬態の異質さ。

 

 

 

「ああ、賛美歌が聞こえなかったガキか?」

 

 

マンセマットの口元がつり上がる。もしこの姿で現れたらどうなるだろうか。青年の感情を激しく揺さぶるだろうか。マンセマットの脳裏に濁流のような高ぶりがちらつく。ようやく線が繋がった。

 

 

「あのときの見習いか」

 

 

濁流のような高ぶりは怒りでもない、悲しみでもない、ただ驚くほど凪いでいた。そのゆらぎをみるたびに、マンセマットは楽しかった。

 

これはお膳立てしなくては。繭は今どこだ。そしてあの信徒は。ふふ、とマンセマットは笑う。

 

 

「私はどうあがいても絶望的なこの状況の中でも、最後まであがき続ける人間が美しいと思っているから協力してさしあげるのです、人間よ。どうか最後まで私を楽しませてくださいね。くれぐれも私を興ざめさせないように」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

コープ終盤

「残念なお知らせだよ、暁」

 

アキラの声が暗い。

 

「どうしたんだ、アキラ」

 

「ツギハギさんにばれた」

 

「えっ、繭の女が?」

 

「いや、違うな。僕たちが追いかけてた魔人の卵がツギハギさんたちのところにまで情報があがっちゃったみたいでね、対策本部がたてられることになったんだ」

 

「えっ」

 

「案の定、僕は担当をはずされたよ」

 

「アキラの姉が繭の女の本体だって、誰も知らないんだろ?なのにか?」

 

「お姉ちゃんの方じゃない」

 

「まさか、シュバルツバースの?」

 

「ああ、天使の眷属になっちゃってる父さんと母さんの方だ。二人ともマスコミに顔出したことあるからすぐ身元が割れちゃった。どうやら、今、繭は品川の大聖堂にあるらしくてね」

 

「ケイの両親が通ってたあの教会か」

 

「うん、そうだよ。どうやら3年前に本部を壊滅してから、行方不明になってる幹部の一部が入り込んでるみたいだ。さすがに入れてもらえなかった。これでも直談判したんだけどな。おかげでまた休みたくもないのに休暇をもらったよ。どうしようかな」

 

ためいきしかでてこないアキラは、どこか投げやり気味になっている。繭の女の誕生を阻止しろという謎の少年の助言通り、ダメージを与える方法を把握し着実に攻略していたはずなのだが、失敗続きである。物質世界のものを問答無用でマグネタイトに変換する黒い液体が噴出する前にすべてを燃やし尽くさなければならないのだが、来栖とアキラのペルソナ、悪魔、そして銃火器では火力がぜんぜん足りないらしい。実力不足を痛感しているアキラは、寝る間も惜しんで任務やアルバイトをシフトに入れ、少しでも強い悪魔を手にするために懸命なのを来栖はつぶさに見てきた。さすがに無理をしすぎているときは止めた。それがアキラが求めていることだと知っているから。来栖がアキラを見放したが最後、アキラは焦燥のあまり地獄の業火を求めて強力な悪魔と自身を生け贄に邪教の館で悪魔合体の儀式を執り行いかねないのである。どうもアキラの先走る焦燥の正体は感情から発生するマグネタイトから使役する悪魔に垂れ流されているようで、強かな者はアキラをそそのかすようなそぶりを見せてはミノタウロスに睨まれてスマホに戻っていく。我が主を頼んだぞとミノタウロスにいわれてしまっては、ますますアキラから目が離せない来栖である。

 

「追い出されたのか」

 

「まあ似たようなものだよ。独身寮だとみんなの動きがわかっちゃうからね。それに後からついて行きかねない。ああもう、なんで筒抜けなんだろう、僕の行動パターン」

 

「どれくらい?」

 

「休暇?」

 

「ああ」

 

「二週間くらいかな」

 

「長いな」

 

「でしょ?やんなるよ全く。今度はちゃんと遊べよだってさ、くっそう」

 

ツギハギに釘をさされた時のことを思い出したのか、アキラは悔しそうだ。あんなんだから未だに独身なんだよ、と不満をぼやくアキラに、来栖はカレンダーをみながらいった。

 

「またあのクリニックに行くのか?」

 

「んー、どうしようかな。さすがにまた休みだとおじいちゃんたちを心配させちゃうかなーと思ってね。ホテルかな、高くつくけど」

 

「うちにくるか?」

 

「え、ルブラン?」

 

「ソファでよかったら貸す」

 

「ほんとに?それは助かるな、いちいち車で迎えにいく手間が省けてありがたいよ。でもいいのかい?佐倉さんにいわなくて」

 

「大丈夫、たぶん」

 

「あはは、期待しないで待ってるよ。だめだったら滝水さんのところにでも転がり込もうかなって思ってるんだ。退院したらしくてね、進捗が聞きたいらしい」

 

「女子高生がいるから?」

 

「うるさいな」

 

「たしかにケイは美人だけど、一般人だろ」

 

「でも悪魔について理解があるのは得点たかいよ、僕的に」

 

「やっぱり女子高生だから?」

 

「だから違うって。あ、そうか。もしかして狙ってる?」

 

「なぜわかった」

「年上趣味じゃなかったのか!これは大ニュースだ。他のメンバーに知らせないと」

 

「おいバカやめろ」

 

「あはは、冗談冗談。それじゃあ、学校がんばって」

 

「ああ、ありがとう。今日はどうするんだ、アキラ?」

 

「ん、今日はいつも通りフロリダでアルバイトでもしようと思ってね」

 

「わかった。学校が終わったらすぐにいく」

 

「ありがとう、待ってるよ」

 

スマホを切った来栖の足下でうろうろしていたモルガナが近くの棚からテーブルによじ登り、学生鞄の中にすっぽりと収まる。

 

「ってことはアキラ、今日からうちに泊まるんだよな?」

 

「そうだな」

 

「やったぜ、お土産は寿司にしてくれってメッセ送れよ、暁!」

 

回らない方の寿司の差し入れを持ってきてくれるのは、たいてい給料日なのだと覚えてしまったモルガナはご機嫌だ。ケイと知り合ってからもう1ヶ月以上たっていることを思いだし、時間がたつ早さを自覚する。滝水が退院できるほどなのだから、当然といえば当然だ。

 

 

滝水の家に二週間もいればきっとアキラとケイは仲良くなるだろう。もともと彼女がほしいといってはばからないアキラである。悪魔に関する理解がないと仕事について明かすことができない。一般人にたいするハードルの高さは、ケイははじめから低くなっているのだ。さすがにそれは難敵すぎるからやめて欲しい。

 

 

まして、暁やモルガナが止めているからまだ人間でいられる、なんてこぼすアキラである。コカクチョウにいずれ変異する運命にあり、それに抵抗するか受け入れるかの二つの道に思い悩むケイと共にいたら、もしかしたら、がよぎってしまうのだ。さすがに仲間が悪魔になるのは寝覚めが悪すぎる。アキラにはせめて自分が東京にいる間は人間でいてもらいたい。

 

 

悪魔は変化しない生き物なのだという。成長しない、変化しない、人間と契約することでより強い存在に変化することもあるがあくまで人間との関係ありきのイレギュラー。そしてより強い存在への渇望は本能であり、悪魔同士で合体という邪教により強い存在に生まれ変わることもまた肯定される、力ありきの世界だという。もしアキラが悪魔になったら、永遠に今の精神のまま年も取らずにずっとそこにあり続けることになる。それはなんとなくいやだった。生きることは変わり続けることだ。まだアキラがこちら側の世界に未練があり、その楔のひとつが怪盗団というのなら、来栖は邪魔する気しかないのだ。

 

階段を下りていくと天気予報が聞こえる。どうやら今日は不安定な天気のようだ。

 

「おはよう」

 

「おう、今日は早いな」

 

「着信に起こされた」

 

「あっはっは、また遊びの誘いか?人気者はつらいな、色男」

 

「残念だけど男」

 

「お、どいつだ?」

 

「暁」

 

「へえ、久しぶりだな。なんだって?」

 

「急な休みが取れたけど金がないんだって」

 

「ほお、警備会社ってのは大変だな。薄給なのに最近物騒だからろくに休みもとれねえっていってたもんな、こないだ。やっととれた休みだ、用心棒ってことで泊めてやってもいいぞ。好きなだけ泊まってけ」

 

「ありがとう」

 

「ただし金は払わせるなよ、こないだ断りそびれちまったからな」

 

初めてアキラが家にきたとき、1日ルブランの来栖の部屋でゲームをしたり、マンガを読んだりしながら晩ご飯までご馳走したことがある。門限の関係で夜遅くまでいられなかったものの、祐介たちがわりとそのコースをたどるので、すでに夕飯の仕込みに入っていたら遠慮されたときのことを思い出したらしい。佐倉と来栖に押し切られる形でご飯をご馳走になったアキラは、社会人にもなってなにも出さないのは、と思ったのかこっそりテーブルにカレーセットの代金をおいて帰ってのである。来栖の友達からお金は受け取れない、と来栖にわたされたそのお金。そのまま返しても受け取ってくれないだろう、というわけでミリタリーショップで購入した新規装備品の足しになった。アキラはなにも知らないけれど、返ってきているのだ。

 

「わかった、そういっとく」

 

「ああ、そうしてくれ。今日からか?」

 

「うん」

 

「よし、じゃあ席に着け。そろそろメシにしよう」

 

「あれ、双葉は?」

 

「好きなアニメの一挙放送とラジオをぶっ続けだからな、まだ寝てるぞ」

 

「そっか、わかった」

 

「今日は雨降るかもしれねえ、傘もってけよ」

 

「わかった」

 

「なーなー、暁。もっとでっかい傘買おうぜ?ワガハイ濡れちまう」

 

「はいはい、おまえの分は今用意してやるよ」

 

テーブル席に着いた隣のイスによじ登るモルガナに佐倉は笑いながら返事をする。ちがうんだけどな、とにやにやしながら、ご飯は楽しみなようでモルガナはご機嫌だ。

 

「お金はいらねーから、寿司にしようぜ、寿司!食べ物なら返せないしな!」

 

「そればっかだな、モルガナ」

 

「いいじゃねーか!元はといえば、ワガハイ留守番してる間に寿司食ってくるおまえ等がわるい!お土産もねーし!」

 

「だからごめんって」

 

「だめだな、誠意は形が重要だぞ、ジョーカー。だから今すぐアキラに寿司をねだるんだ!」

 

「おいおい、いつまでスマホさわってんだ。メシの時くらいおいとけ。おめーもにゃーにゃーうるせえんだよ、静かにしろ」

 

「なんでワガハイまで」

 

不満げに鳴くモルガナに、ほんとうに言ってることがわかってるような返事をする、賢い猫だと佐倉は感心したようにつぶやく。その言葉にちょっと機嫌がよくなったモルガナは皿の上のに食らいつく。猫じゃねーけどな、の言葉に説得力は皆無である。

 

ちなみに、来栖が出したメールの返信にはそこそこ値段が張りそうなお寿司が添付されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『来栖君、悪魔討伐のアルバイト、いつごろ行ける?』

 

『今忙しいんだ、ごめん』

 

『わかった。じゃあ、来月にしよう。シフト期限金曜だからそれまでによろしく』

 

『了解』

 

来栖の予定は早めに予約しておかないと、あっというまに先約で一杯になってしまう。優先順位は女性陣、怪盗お願いチャンネルのクエスト、多すぎる趣味、そして男性陣。女性、とりわけ怪盗団の活動に重要な人物だとかこつけて、連日連夜いろんな年上の女性と会っているとは竜司のタレコミだ。誰が本命だ、とモルガナがちゃちゃを入れても、さあ?と笑うだけでなにもいわないものだから、彼らの間では来栖は女好きという暗黙の了解が生まれていた。こっちが策を講じないと平気で放置を決め込む厄介な友人に、祐介や竜司は寝る寸前を見計らって、嫌がらせのようなタイミングで遊ぶ約束をぶっ込むそうだ。数日続けばたいていは音を上げた来栖が渋々応じてくれるという。アキラもそうした方がいい、と提案されたが、今のところ実行したことはなかった。

 

 

 

アキラが来栖にメッセージを送るのは、悪魔討伐のアルバイトの日だ。怪盗団の実力をみるにはリーダーである来栖に相談した方がいいとの判断である。悪魔討伐のちょっと危険なアルバイトの誘いをしたとき、夕方から夜にかけて時間が拘束されるから、真っ先に予定を入れる。だから1ヶ月前に決めてしまおうと提案したのは他ならぬ来栖だ。もちろんアキラはそのやる気を感じて快諾した。定期的に怪盗団のペルソナの成長具合を確認するには、毎日会うより期間をおいた方がいい。怪盗団がもっとスケールの大きい巨悪を求めており、その情報ルートとして悪魔討伐隊であるアキラを期待しているのは知っている。なら、それに答えるのが筋というものだ。

 

 

なんとなくメッセージのやりとりと眺めてみる。代わり映えのしない内容だ。アルバイトの内容、待ち合わせ、依頼人、参加するメンバー、打ち合わせ、交わす回数こそ多いが怪盗団と協力者のやりとりだ。そういうスタンスなんだから今更である。

 

とはいえ、さすがになんとなくルブランに顔を出しただけで驚かれたのはショックだったアキラである。3年前のあの日から、仲のよかった同僚、もしくは30以下の若い先輩たちは半分以下になってしまった。仕事の量は変わらないのに人員は増える気配がない。当然仕事に忙殺される。ただでさえ、かつての同級生たちと会う機会に恵まれない特殊な仕事だ。もう2年もたつと大学に進学した友達とは話題が会わなくなってしまうし、高卒組と遊ぶ機会があっても気を張っていないと世間との接触が寸断されて数ヶ月がざらな仕事だ。おいてきぼりを食らってばかりいる。話すにしても特殊すぎて話すに話せない。自然と交流は減ってしまい、たまに予定があった友達、オフが重なった同僚と遊ぶくらいだった。

 

せっかく悪魔について知っている子たちと知り合ったのだ。いつまで怪盗団をするのかはしらないが、もうちょっと仲良くなってもいいかもしれない。たまには誘ってみるか、とスマホを眺める。

 

『ついでに空いてる日、教えて。どっか行こう、みんなで』

 

そういえば最近遠くにいってないなあ、と思いながら愛車を添付する。なんとなくノリで投げたメッセージである。ものの数秒で既読がつく。反応はやいなあ、と笑っていたアキラはまさかの電話に戸惑いを隠せない。え、何で電話、と動揺するアキラに、当たり前だろ、と来栖はうれしそうに笑った。

 

「大げさすぎるだろ、来栖君」

 

「どこがだよ。タイムラインは見てるのに反応ないし。映画とか、遊びにいったとか、ぜんぜん食いついてこないから、興味ないのかと思ってた」

 

「いや、反応してるだろ」

 

「アキラもいきたいって?いったことないだろ。どっか行こうって今日が初めてだ」

 

「あのさ、仕方ないだろ、気軽に遊べないのは。僕の仕事はシフト制だし、悪魔が出たら非番だってすぐ動員かかるんだ。振り替えなんて死んでるし」

 

「俺たちがパレスを消したらオフの日も長くなるっていったのは、アキラだろ。でも反応ないだろ、いつも最後にちょっと顔出すだけだし」

 

「君たちのやりとりが面白いから、つい読んじゃうんだよね。というか、タイムラインの流れが早すぎるんだよ。追いかけてるだけでもう話終わってるし。明らかに授業中にやってるだろ」

 

「あれで早いとかアキラ、ほんとに18?」

 

「う、うるさいなあ。僕以外はみんなガラケー世代のおっさんばっかりなんだよ!だいたい寮の電波が死んでるんだ、察して」

 

「え、今、寮からしてる?俺たちが来たとき、圏外だったけど」

 

「当たり前だろ、部外者が気軽にスマホ使える部隊がどこにいるんだ。僕たちの敵はスマホ使って悪魔召喚するんだよ?」

 

「あ、そっか」

 

「たまにそういうとこ抜けてるよね、来栖君て」

 

「うるさいな」

 

すねたようにつぶやく来栖にアキラは笑う。

 

「じゃ、みんなの空いてる日、聞いといてくれるかな、来栖君。僕の車でどっかいこう」

 

「せっかくだから遠くがいいな」

 

「残念ながら僕は東京から出られないよ」

 

「任務が入るから?」

 

「緊急のね」

 

「ターミナルは首都圏にしかないのか?」

 

「え?うーん、さすがに主要都市にはある気がするけど。えー、やだな。なんで女の子じゃなくて男の子乗せないといけないんだよ」

 

「惣治郎さんと同じこというんだな、アキラ」

 

「え、ほんとに?心外だなあ、あの人昔は結構遊んでたってフロリダのマスターいってたよ。人のこといえないだろ、来栖君。君だって噂はかねがね聞いてるよ?」

 

「竜司か?祐介か?」

 

「早いね、察するの」

 

「どっち?」

 

「どっちもかな。だいたいさ、僕のやってる仕事考えてよ。女の子と会う機会が壊滅的に少ない上に、一般人の恋人作るの絶望的な職場だからね?ああもう、いっそのこと悪魔の恋人でもつくるかなあ」

 

「それだけはやめとけ」

 

「君にだけはいわれたくないかな」

 

「アキラって恋人ほしいんだ?」

 

「できたらね。楽しいなとは思うよ、想像だけど」

 

「いってて悲しくないか?」

 

「うるさいなあ」

 

「アキラ」

 

「なんだよ」

 

「今度のオフはいつだっけ」

 

「嫌味?二週間は暇だよ」

 

「暇?」

 

「暇」

 

「なら、さっきの話、どこいくか考えとく。あとでメッセ送るな」

 

「あ、まじな流れだこれ。わかった、ターミナルどこにあるか調べておくよ」

 

「ああ、よろしく」

 

 

一度支部に帰還した理由を聞いたツギハギに笑われ、バツ悪そうにアキラはほほをかいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほんとに人が住むところなのか、ここ」

 

「今はましな方だよ。きたばっかのころはもっとすごかった」

 

 

写メをみせてくれた来栖にアキラは思わず二度見した。完全なる物置である。保護観察を請け負う人間は事前に調査が入ると思うのだが、そうではないのだろうか。

 

 

「何日かかったっけ、モルガナ」

 

「んー、3日くらいかかってないか?」

 

「3日?!」

 

「ほんと屋根裏のゴミ屋敷だったんだぜ、ここ。あっちに全部押し込んであるけど、それが全体に広がってた感じだからな。ワガハイが来たときは粗方片づいて、使えそうな者を引っ張ってくる作業してたけど」

 

「最初は一日かかったんだ、惣治郎さん手伝ってくれなかった」

 

「ほんと最初は暁に風当たりきつかったよなあ」

 

「まあ、知り合ったばかりだったし、よく知らなかったしな」

 

「お疲れさま、っていった方がいい?」

 

「いや、いいよ。今はそれなりに居心地よくなってるし」

 

「住めば都?」

 

「まあな」

 

 

今でも十分雑多な部屋である。潔癖性の人間なら発狂しそうな部屋だ。さいわいアキラは12の時から隊長の津木と二人暮らし、18からは独身寮で男だらけの共同部屋である。お世辞にもきれいとは言い難い環境で育ってきたつもりだが、そんなアキラでもヒドいといわせるような部屋だった。

 

 

光源は2つの裸の豆電球のみ。階段を上がってすぐ飛び込んでくるのは年季の入った棚。両親からの仕送りがつめこんである巨大な段ボールが雑に押し込まれていて、埃がかぶらないようにタオルがかけられていた。スペースを確保するために押し込んだものは、階段の向こうにある渡り廊下の先の物置にぶちこまれている。自転車、梯子、棚、ぼろぼろのさび付いた棒、いろんなものがほこりをかぶっている。ここに移動させることからはじまったようだ。私物が入った棚の向こうは地デジ対応のブラウン管テレビ、レトロゲームがつないである。

 

 

そしてぼろぼろのシミだらけのソファ。ピッキングツールなどのメメントスで欠かせないアイテムを生成する。作業机は工具などが並べられている。そして物置から救出したという観葉植物は、数年放置されていたにも関わらず生きていたという。ないよりはましということで、唯一の緑だった。そしてその両脇には棚、棚、棚。怪盗団の仲間、あるいは利害関係が一致した協力者との思い出がつまったものがいろいろ並んでいる。モナリザの彫刻、有名なアニメのフィギュアなどくれた人間がすぐ特定できてしまうのはきっと笑うところ。これはこれで来栖の友好関係を象徴しているようだった。

 

 

「でもさ、来栖君」

 

「ん?」

 

「テレビとかゲームより、もっと買うものがあるだろ」

 

 

とりあえず、近くにあったベットに座ったアキラはあまりの感覚の落差におどろく。

 

 

「よく寝られるな、こんなとこで」

 

「ああ、ベッド?」

 

「ベッドですらないだろ、これ。モルガナもよく寝られるね」

 

「ワガハイは暁の上にのっかるからな」

 

「今の時期だとあったかいんだ、モルガナ」

 

「あはは、カイロ代わり?それにしたって寝返り打てないだろこれ、痛そう」

 

「案外そうでもないよ?」

 

「いろんな意味で尊敬するよ、来栖君。ソファという選択肢はないのか」

 

「だって足伸ばせないし」

 

「いや、そうだけどさ、うーん」

 

 

酒瓶を運ぶプラスチックケースをひっくり返して敷き詰め、その上からベッドマットをひき、上からシーツをかけただけ。簡易ベットだってもう少し寝心地がいいだろう。びっくりするほど固いそれはベットというにはあんまりな寝床だった。アキラの反応も部屋に人を招くたびみてきた反応なのだろう、来栖は特に気にする様子はない。ああまたか、そんな声すら聞こえてきそうだ。かったいなあ、とぺしぺし叩いているアキラに来栖は笑う。

 

 

「まあなれたよ」

 

「そっか、まあ、来栖君がいいなら僕は何もいわないけどさ。東京の冬はほんと寒い。悪いこといわないから、ストーブだけは用意してもらいなよ」

 

「そんなに寒いのか、東京って」

 

「あー、モルガナも来栖君も東京の冬は初体験か。結構冷えるよ、こういうとこだとなおさらね。寒すぎて目が覚めちゃうんじゃない?」

 

「うげ、そんなに寒いのか」

 

「電気ストーブじゃたりない?」

 

「無理無理、外と気温が変わんなくなるよ、きっと。せめて石油ストーブつかいなよ、暖房ないんだからさ」

 

「夏は暑すぎて死にそうだったけど、今度は寒すぎて死にそうになるのか・・・・・・暁、今回はちゃんと用意しようぜ」

 

「ああ、やすいの探してみる」

 

「リーダーが体調崩して寝込むとか大変なことになるからほんと頼むよ、来栖君」

 

「ああ、そうする」

 

「うん、そうしてくれ。リーダーが倒れちゃ大変だ」

 

 

みんなそういうんだな、と来栖は思う。訳ありで副業をやっている女担任も、来栖の部屋をみて驚いていた。食生活、生活環境、いろんなものが不安にさせるようで、家事代行サービスのはずなのにまるで母親のようなことまで口に出し始めている。さすがにちょっと辟易しはじめていた来栖である。無意識に伸びた手が髪の毛をいじった。

 

 

「もしアテがないなら、寮からもってこようか、ストーブ」

 

「うん、探してなかったらよろしく」

 

「わかった」

 

「じゃあ準備するか」

 

「ああ」

 

「坂本君たちは?」

 

「祐介と買い出しにいってる」

 

「じゃあ遅くなりそうだね」

 

「だな、たぶん歩いてくる」

 

「電車賃浮かせてアイスでも買う?」

 

「いや、じゃがりこだと思う」

 

「だよね」

 

 

いつだって竜司や杏からの差し入れのコンビニ袋から、真っ先にじゃがりこはなくなっていく。無限じゃがりことか、CMでやってた食べ方をやってるあたり、祐介が好きなのはみんなわかっているのでわざわざ買ってくるのだ。今回はあとから割り勘になるだろうから、買い出しに出かけた祐介はすきなものをどんどこ詰め込んでくるに違いない。祐介だけなら心配だが、竜司も一緒だ。そういうところはきっちりしていることに定評がある彼がいるなら安心して任せることができる。

 

 

「まさかブラウン管テレビを見るとは思わなかったよ」

 

「向かいの店で売ってたんだ」

 

「まじか。すごいなあ」

 

 

レトロゲーム機をどけ、DVDプレイヤーを引っ張り出す。端子に接続し始めた来栖の横で、アキラは借りてきたDVDを並べる。どんな映画なんだ、とアキラの背中によじ登ってくる。うわ、とくすぐったいのか首をすくませたアキラは、モルガナを降ろそうと手を伸ばす。不満げに鳴いたモルガナは反対側に飛び乗った。そのうち諦めた彼は後ろに書いてあるあらすじを読み上げ始める。どれも面白そうだなあ、とモルガナはしっぽを揺らしながら待っている。できた、という声に振り返る。

 

 

「どうする?一応みれるか確認する?」

 

「ブルーレイじゃないだろ?」

 

「もちろん」

 

「ならいいよ。たまに映画みるけどばぐったことはないし」

 

「そっか、ならいいか」

 

「さーせっかくの映画観賞だ、どれみる?」

 

「あ、もうみていいんだ」

 

「メッセ来たけどまだかかるみたいだし」

 

「わかった」

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

車輪の女①

来栖が目を覚ましたとき、すでにアキラは起きていた。近場で買ったという毛布と枕をもちこみ、お休み、と寝る時間はほぼ同じなのにいつもアキラは起きる時間がはやい。仕事内容が仕事内容だから、もともとそういう訓練をしているのか、と聞いたら高校卒業後半年は訓練生だったと聞いた。銃の撃ち方、剣の使い方、心構え、いろんなことをたたき込まされ、基礎的なことを学び、ある程度使い物になるようになったから半年後に実践投入されたという。3年前は非常事態にも関わらず人員が離反する事態になり、指揮系統は分断され、抗争状態になったせいであらゆるものが非常事態という名の下に正当化された。だから15歳だったアキラは未成年だというのに戦場にかり出された。本来は訓練するのがふつうであり、この国では今でも18以下ではこういった職業に就くこと自体禁止されている。それもこれも悪魔という存在に対抗できる人間が少なすぎたためだ。アキラはあまりにもその才能が飛び抜けていた。それが幸運なのか不幸なのかいまでもアキラはわからないという。

 

 

普通を知らないアキラは来栖が友達と遊んだり、誰かとなにかをしたり、そういったことを話すたびに、とても楽しそうに聞いてくれる。なにかあるたびに悪魔討伐隊にアルバイトの名目で呼び出され、一見多忙なアルバイターという体だったという高校生時代である。ひとつ下だから真たちは知っているはずなのに、対して記憶に残っていないということは、目立たない生徒だったということだ。次のターゲットの娘が学校にいると知り、在校生の一覧をみているさなか、なんとなく卒業生の一覧をみたら名前で発見できたことを思い出す。名前がわからなければきっとあっさり見つからなかっただろう。その写真を見てようやく、真がそういえば見かけたことがある、と思い出すレベルだったのだ。案外わからないものである。

 

 

くあ、と大きく伸びをしたモルガナは寝心地のよくないベッドもどきから降りる。そしてアキラの近くに寄っていく。

 

 

「おはよう」

 

「どーしたんだ、アキラ?」

 

 

スマホを食い入るように眺めていたアキラは、はたと我に返ったように顔を上げると、おはよう、と笑った。

 

 

「ツギハギたちから何か連絡があったのか?」

 

「なにか気になることでもあった?」

 

「いや、違うんだ。むしろその逆」

 

「逆?」

 

「なにもないんだ」

 

「連絡が?」

 

「うん、昨日から何度もツギハギさんたちにメール送ってるんだけど帰ってこない。そんな暇がないほど忙しいのか、僕だけ爪弾きにされてるのかはわからないけど。今までこんなことなかったのにな」

 

 

困ったように頬をかくアキラは、どうしたものか決めかねているようだ。

 

 

「もう少し待ってみるよ。君たちが学校から帰ってきても連絡がないなら、少し身の振り方を考えないと」

 

「そーか、じゃあ学校行こうぜ暁」

 

「ああ、そうする。アキラは今日どうする?」

 

「今日は滝水さんのところに顔を出してみるよ。近況が聞きたいって連絡入ってるし」

 

「滝水の家か?」

 

「うん、そう」

 

「じゃあ、放課後、そっちにいけばいい?」

 

「うーん、まだなんとも。なにか動きがあったら伝えるよ。急を要する時は押し掛けるかもしれないけど」

 

「わかった」

 

「いってらっしゃい」

 

「ああ、いってくる」

 

 

アキラの見送りを背に、来栖は身支度もそこそこに学校に向かったのだった。

 

 

放課後を知らせるチャイムが鳴り響く。見計らったように振動するスマホを開いてみると、アキラからの着信だった。SNSではない時点で急を要する自体なのは明白だ。どーした、どーした、と目を丸くするモルガナとともにスマホをのぞき込む。

 

 

「どーした、アキラ」

 

「今、校門前にいるんだ。すぐきてくれ。車の中で話す」

 

「わかった」

 

 

いやな予感が的中してしまった。来栖は鞄を抱えて足早に校舎を後にする。校門前にでてきょろきょろあたりを見渡すと、少し離れたところに見慣れた車が止まっていた。来栖はあわててそちらに向かう。アキラは徐行しながら近づいてくる。不思議そうにすれ違う生徒の視線は無視して、来栖は反対側の扉を開けた。

 

 

「シートベルト頼むよ、飛ばすから。舌かんでも知らないよ」

 

 

ああ、とうなずいた来栖を確認するまもなく、アキラはウインカーを出す。生徒がまばらに登下校しているところを徐々にスピードをあげていく。信号すれすれを通り過ぎ、彼が向かうのはどうやら品川のようだ。

 

 

「どーしたんだよ、アキラ。ずいぶん急なお出迎えだな」

 

「僕もできるならこんなことしたくなかったよ。でも、そうもいってられなくてね」

 

「ツギハギさんたちに何かあったのか?」

 

「ああ、そのまさかだよ」

 

 

アキラは苦虫を噛み潰したような顔をする。

 

 

「一応報告書は出したんだよ。独断で調べてたこと怒られるのは承知の上でね。でも、暁があった少年が言ってたように、すべてをマグネタイトに変換してしまうような恐ろしい魔人が生まれてしまうなら、対策立てないと全滅しちゃうだろ。これ以上置いていかれるのはいやなんだ、僕は」

 

「わかってる」

 

「うん、ありがとう。ツギハギさんは受け取ってくれたよ。こんなことがわかるってことは、戦ったのかってすごく怒られたけど。まあ、適当にでっちあげたよ。一応、時間を操る魔人はいるんだ。僕は討伐したこともある。前言ったと思うけど、魔人は死そのものだから死ぬという概念がない。何度だって復活する。常駐させないことが大事なんだ。あいつらの勢力下に置かれた土地はなにもいきられなくなる。狂いきった世界になる。そいつらを討伐する途中で見せられた幻影だってことにしておいたよ。だから、なにも知らないまま大聖堂に討伐作戦を決行したわけじゃないはずなんだ」

 

「連絡がない?」

 

「うん、一度もね。ダメもとで松田さんや悪魔絵師に連絡を入れてみたんだけど、詳しくは教えてくれなかった。でも、松田さんのところに連絡が入ったのが聞こえた」

 

「どんな?」

 

「まさか、なにかあったのか?」

 

「そこまではわからない。ただ、あの松田さんがひどく動揺してたからただ事じゃないはずなんだ。あの人が取り乱したのは、先輩が無限発電炉ヤマトで行方不明になったことを聞いたときだけだから」

 

ハンドルを持つ手が白む。アキラは気持ちばかりが急いているようだ。ほんとうは来栖やモルガナが帰ってくるのをまつ前に、単独で向かってしまいたい衝動を必死でこらえながらきたことが伺える。一人になったらまともではいられなくなる。アキラが常々口にしていることだ。来栖たちを迎えにきたということは、まだ人間でいたいのだ、アキラは。きっと。それにほっとしてしまう来栖である。

 

運が悪いことに赤信号に捕まってしまう。ここはなかなか青信号にならない上に時間が短い。舌打ちをしたアキラに、落ち着いてくれよ、とモルガナが乱暴な運転になりつつあるアキラをたしなめる。わかってるよ、と返す言葉には刺があるが、大きく息を吐くことでなんとか落ち着こうとしているのがわかる。でも歩いていくには、各駅にあるターミナルにアクセス制限がかけられてしまい、きっとアキラは大聖堂がある最寄りの品川の駅にすぐいくことができない。それがわかっているのだろう、だから車で行こうとしているのだから。

 

「どうするんだ」

 

「もちろんいくよ、このままね。あ、もしかしてなにか準備した方がいいかい?」

 

「いや、大丈夫。この間のままだろ、後ろのトランク」

 

「ああ、もちろん」

 

「ならいい。いこう」

 

アキラは青信号が点滅し始めたあたりでようやく回ってきた手番、一気に車を進めてしまう。アクセルを踏み込むタイミングが早い気がする。ハンドルがやけに大きくきられている。気持ちが焦っているのはわかる。来栖はただ静かに前を見ている。そんな人間が隣にいることはかえって自分の焦りを自覚してしまうようで、アキラはばつが悪そうに沈黙した。ごめん、と小さくつぶやく。気にするな、と来栖は返した。どっちが年上だかわかったもんじゃねーな、とモルガナがちゃちゃをいれる。ようやくアキラの口元がゆるんだ。

 

ここのところのアルバイトは、移動手段がもっぱらアキラの車だったものだから、装備品といった持ち運びに困るものはトランクにつっこむ日々が続いていた。アキラはその職業柄銃や剣を携帯することが特別許されている特殊な職業である。おかげで怪盗団はアキラがルブランに滞在することをかぎつけてから、アジトがルブランなのをいいことに自分の荷物まで近くの契約駐車場に止めてあるアキラの車に押し込めるようになってしまっていた。アキラは注意はするもののとがめはしない。銃刀法違反などのリスクはいつだってつきまとうのだ、一般市民の隠れ蓑をしている彼らは。そのめんどくささは高校生時代にいやと言うほど味わっているそうだから、むしろアキラは理解者だった。それに味を占めた怪盗団の荷物は増えることはあっても減ることはない。おかげで彼女ができても乗せられないとアキラは冗談めかしてわらっている。そんな暇がないくらい忙しくしてやると思いながら、来栖はここにいるのだ。

 

これが終わったら、悪魔討伐隊の標的である大物政治家を教えてもらう約束をしているのだ。なにがなんでもアキラには人間として生きてもらわないと困る。そう告げるとアキラはちゃっかりしてるなあと笑うのだ。もちろん来栖にとってはそれだけではもうすでになくなっているのだけれども。

 

「さあ、ついた」

 

それはアキラの過去に影を落とす事件の集結をまってからと決めている。だから来栖は車から降りて大聖堂を見据えるのだ。モルガナは二足歩行の黒猫になっている。

 

「メメントスの浸食がひでーな、これじゃシャドウにつられて悪魔がよってきちまう」

 

「これじゃ、ツギハギさんたちは一般市民の保護に手間取ってるのかもしれないな。想定より人員がさけなかったのかもしれない。これは作戦が長引いてるのかもしれないな。応援にいかないと」

 

アキラはためいきだ。いつもの悪魔討伐隊の抱えているジレンマを思い出したのだろう。

 

「怪盗団の出番てわけだな」

 

「そういってくれると助かるよ、ジョーカー、モナ」

 

「なにいってるんだ、俺たちだけじゃないだろ」

 

「ああ、そうだね。ありがとう」

 

来栖の言葉にアキラはうれしそうに笑う。そしていつのまにか変わっていた怪盗服を翻し、来栖たちは大聖堂に侵入を決行したのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

車輪の女②

大聖堂の周りを囲う塀をよじ登り、真っ白な建物の周りに施されたきれいな装飾をよじ登る。塀の遙か下には、二人一組で歩いている真っ白なローブを着た教徒とおぼしき人間がみえた。アキラは苦い顔をする。どうしたんだ、ときいた来栖に、アキラは腕にある端末を渡してくる。

 

そこには悪魔が表示されていた。

 

アークエンジェル

 

下級第二位に位置する天使。なお、天使の階級は天使と大天使にわかれるもの、さらに細かく分かれるものとに分類される。前者は名前のある有名な天使はすべて大天使とされ、それ以外はすべて天使という位置づけだった。しかし、後の世でつくられた分類では、大天使というくくりでしかなかった天使がさらに細かく分けられた階級に割り当てられたため、役職と地位が矛盾している。そのためどういった解釈がなされるのかで今でも議論がわかれている。ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルの四人ももとは大天使(アークエンジェル)であった。アークエンジェルの役目でもっとも重要なのは、神の意志を使者として伝えるということである。いわば人間と神の意志を使者として伝えるということである。いわば人間と神の間の橋渡し的存在であり、天国における戦士であり、悪魔たちや身の軍勢と戦う際にはアークエンジェルらが点の軍勢を率いた。

 

「ここまでメメントスが浸食しちまってるんだ。まともな人間はいないって考えた方がよさそうだぜ」

 

「倒すか?」

 

「いや、やめておこう」

 

アキラは不安げにあたりを見渡す。

 

「賛美歌が聞こえないか?」

 

「賛美歌?」

 

「なにも聞こえないけど」

 

アキラは唇をかむ。

 

「アキラは聞こえるのか」

 

「ああ、聞こえるよ。おかしいな、あのときは聞こえなかったのに、どうして」

 

「落ち着け、アキラ。どっちから?」

 

「あっち」

 

指さす先には、おそらくミサを開くと思われる大聖堂の一番大きな建物が見える。ステンドグラスがみえるから、様子をうかがうことはできそうだ。大聖堂の見張りは異様なほど厳重である。メメントスに取り込まれたことで、シャドウが出現し、そこにつられてやってくる悪魔を警戒しているのか。それともシャドウという最上級のマグネタイトの塊を補給するために目を光らせているのか。さすがにそこまではわからない。これまで培ってきた怪盗団としての経験則から、見つからないルートを的確に見つけ出し、アキラたちは目的地を目指す。やがて大きな鐘が設置されているメインの建物の死角になるところに入り込んだふたりは、そっと中の様子をうかがった。

 

ステンドグラスは、文字を読めない人々に信仰を伝えるために設置されているため、モチーフとなる神話がわからないと意味がわからないただのきれいなガラス細工の作品に過ぎない。だが厳格にわけられた色、描かれている花ひとつに込められた意味、そういったものをひとつひとつ拾い上げていくことで、同じガラス細工でも受け取る情報はすさまじいものとなる。かつてそういった環境にいたためだろうか、アキラは置かれているステンドグラスの意味をひとつひとつ読み取ることができているようだ。聖書の有名な一場面が多いのだが、そのうち1つを見て、アキラは歩みを止めた。

 

「どうした?」

 

「これだけ違う。初めてみたな、こんなデザイン」

 

幼少期にみた記憶である。8年もたち、あたらしいものが加わったと考えてもいいが、はめ込まれているガラスはほかの作品と古さは変わらないように見える。

 

「これは天使?」

 

「でも羽が黒い」

 

「となりにいるのは女の人だな、これ」

 

「たぶん、ミサ?いろんな人がいるしな、うん。でも、着てる服が」

 

「賛美歌?」

 

「なんでそう思うんだ?」

 

「だって、これ、ここに」

 

アキラが手を伸ばす先にはなにか外国語の言葉が彫られている。英語ではないがアルファベットが使われている。ラテン語だろうか、それとも古い英語圏の言葉だろうか。わからないものの、アキラがいうには見たことがある単語だという。小学生のころ、お姉ちゃんと一緒に行ったミサで配られたひらがなの歌詞がついていた紙にはこの文字があった気がするという。

 

「とりあえず、のぞいてみようぜ」

 

「そうだな」

 

来栖に促され、アキラは立て付けが悪くなっている窓のひとつをあける。ここでようやく来栖とモルガナは女性の歌声を聞いた。アキラがいっていた賛美歌とはこのことだろうか、どうしてアキラにだけ聞こえたのかはわからないものの、背筋が寒くなる歌声だと来栖は思った。ベルベットルームでは、慰問にきているオペラ歌手がスピーカーごしにきれいな旋律を聴かせてくれた。牢獄に押し込められてはいるものの、彼女の歌があることである程度正気を保てている部分はあるのだ。イゴールとの対面はいつも鉄格子ごし、双子の看守は見張り、つめたくて狭い牢獄で、足かせをつけられ、囚人服を着せられている来栖にとっては彼女の歌だけが正常を保ってくれていた。それとはあまりにも落差がある。たしかに美しい旋律だ。だが、こう、心の中が塗りつぶされるような、ざわざわとしたものがこみ上げてくる、そんな不愉快な違和感と同居している、そんな音色だった。アキラはやっぱりすきではないようで、眉を寄せている。モルガナはうーん、と首をひねる。なにがこんなにいやなのか言葉に説明できない。アキラたちは様子をうかがう。

 

「あれは、」

 

「知ってる人か?」

 

「ああ、僕がお姉ちゃんといってた教会で、賛美歌を歌ってた人だ」

 

「じゃあ、やっぱりこっちに越してきたのか」

 

アキラはためいきをついた。

 

「違う、そうじゃない。いっただろ、モルガナ。ここにまともな人間は誰もいないって」

 

「じゃあまさか」

 

「3年前、僕たちの手で倒した悪魔の一人だ。でも、悪魔は本体をたたかないと分霊がたくさん生まれるから正直きりがない。本体が死んでも分霊はしなない。だから、彼女は分霊だと思う。本体は倒したはずだから」

 

「あんなにきれいな人なのにか」

 

「違うぞ、モルガナ。ここにはきれいな人しかいないんだ」

 

「そ、そういわれるとなんか怖くなってきたな」

 

どうやらミサの会場は戦闘が行われたらしい。会場はあらゆるものが破壊され、壊され、そしていろんなものが持ち去られている。おそらくここで悪魔討伐隊の作戦は決行され、誰もいないということはすでにいろんなことが終わったあとなのだ。隊員を見つけることはできないが、別のところにいったのだろうか。いやな予感がよぎるたびにアキラは必死であたりを見渡す。

 

白い独特の形状の衣装に身を包んだロシア人の女が賛美歌を歌っている。ドアが開いた。警備にあたっていた男女が入ってくる。この建物を警備していた幾人も入ってくる。どんどん並んでいく白いローブを着た人々。

だれも何も言わないのがただただ恐ろしかった。そして賛美歌がやむ。

 

そしてアキラと来栖、そしてモルガナは異様な光景を目撃することになる。

 

それは突然ロシア人の女の前に出現した。アキラたちが必死で討伐しようとしていた、魔人が生まれる卵である。白いローブを着た人々はそれをあがめるように恭しく礼をした後、ひとり、またひとり、と囲っていく。ふたたび女が歌い出す。

 

「どくどくいってるぞ、あれ。やばくないか」

 

モルガナは思わず身構える。

 

来栖は強烈なめまいに襲われた。恐ろしいほどの静寂があたりを包む中、巨大な繭が巨大な繭の鼓動がどんどん大きくなり、何かが産声をあげた瞬間が浮かんでしまった。アキラを探してあの巨大な繭を引きずりながら這い回る女がいたことを思い出してしまった。大丈夫か、と心配そうにのぞき込むアキラとモルガナに、気にするなと笑った来栖は冷や汗をぬぐう。その直後だ。

 

強烈な光があたりを包み込む。

 

すべてが白に塗りつぶされる。

 

視界が開ける。

 

「アキラ、どこ、アキラ」

 

「おねえ、ちゃ、」

 

ありし日の姉の声がする。アキラはひどくぐらいついたようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それはいびつな天使だった。巨大な車輪に小さな子供が括り付けられているような、そんな姿をしていた。その車輪は壊れているのか、不安定な動きをしていた。子供は底の抜けた壺を抱え、羽の生えた靴をはき、そしてくたびれた服を着ていた。すべての髪が束ねられているが、その不安定にゆれる車輪のせいで髪は今にもほつれてしまいそうだった。

 

賛美歌が鳴り響いている。

 

車輪に見えたそれが動き始めると、すぐに車輪ではないと来栖たちは理解する。それは白い羽毛で覆われた塊のようだった。よく見ると、巨大な塊の中で膨大な数の翼が螺旋のように渦巻いているのがわかる。翼の大きさはまちまちで、数メートルのものもあれば、数センチのものもある。共通しているのは、すべてが白く輝く光沢に覆われているということだ。とても柔らかくしなやかな翼は、折り重なり、とぐろを巻き、その塊の中心には胎児のように体を丸めた人間のようなものがいる。すべての翼はその人間のようなものの脊椎から生えていた。

 

「アキラ」

 

十代の少女の声が教会の大聖堂に響き渡る。

 

「おねえ、ちゃ」

 

ぶわりと光が舞った。いや、羽毛が舞った。きらきらと粒子のように広がった羽毛があたりに四散する。来栖は鳥肌がたった。アキラの声にあの塊は反応している。アキラの声が聞こえたのだろうか、隣にいる自分がかろうじて拾えるレベルのつぶやきだったのに。あきらかに塊から生えている羽毛が反応した。新しい翼が生え、羽毛が成長し、塊が大きくなった。成長したのだ。とっさに来栖はアキラの口をふさいだ。

 

賛美歌が響いている。

 

翼で覆われた塊は何も音を発しないが、賛美歌、アキラの声、それらに反応してどんどん大きくなっているのが分かる。やがて賛美歌をオルゴールのように延々垂れ流し続けていた、奇妙な衣装に身を包んだ目が死んでいるロシア人の女性が、その塊と隣接するまで成長してしまう。大きくなった翼が女性を飲み込んでいく様子を来栖たちは見ていることしかできなかった。彼女は三年前アキラたちが倒した、人間から悪魔に変異した悪魔人間なのだという。本体はすでに死んでいるから分霊である。はじめから助ける気などみじんもないアキラの冷酷さにぞっとしながら、目の前で展開されるオゾマシイ悪魔の誕生を目撃することしかできない。見た目は柔らかそうな翼なのに、それはあっというまに女性の体を貫き、突き刺さり、やがて賛美歌は苦痛を伴った断末魔に姿を変えた。翼が成長する速度がさらに速くなる。

 

中央にいる膝を折っている胎児のような塊が目を覚ました。翼の成長が加速する。それは白く輝く光と灼熱の炎を伴った、膨大なマグネタイトによる暴力だった。モルガナが反応することができたのは、あの翼が車輪のように渦を巻いている魔人の誕生をずっと前から予感していたからなのかもしれない。とっさにアキラと来栖の手を引いて転移魔法を叫んだのと、吹き出した灼熱が彼らの頬を焼いたのはほぼ同時だった。あの灼熱の中で無表情のままうずくまっている何かが見えた。

 

「こい、アリラト!」

 

アキラが叫ぶと同時に魔方陣が形成され、巨大な黒い石が出現する。奇妙な彫り物がある黒石は浮遊したまま、アキラたちを守るように鎮座する。

 

教会の壁が豪快に爆ぜる音がする。衝撃で瓦礫が四散し、きれいに整備されていた中庭が一瞬にして、瓦礫の雨に飲まれてしまった。少しだけ遅れて、耳をつんざくような音が響いた。瓦礫が瞬く間に教会の中庭を破壊していく。あっという間に庭園は崩壊し、破裂し、アキラたちを揺らす衝撃がおそってくる。舞い上がる砂埃、土煙で視界は最悪だが、アキラは端末を手放さない。迅速に来栖たちも戦闘態勢に入る。冷静さを失っては何も分からないまま取り込まれる。それだけはわかったのだ。

 

「ありがとな、アキラ。助かったぜ」

 

「いや、お礼を言うのは僕の方だよ。ありがとう、二人とも」

 

「話はあとだ。くるぞ!」

 

来栖の声と同時だった。視界をふさいでいた粉塵が一気に消し飛び、あっという間に見晴らしが良くなる。何もかもが吹き飛ばされ、えぐられた地面しか残らない。先ほどまで様子をうかがっていた建物は見る影もなく、むしろ大きなクレーターが大地をえぐっている。その中心部には、見上げるほどの大きさにまで成長した螺旋に渦巻く翼で覆われた生命体がいる。大聖堂の敷地と近隣住宅の境などもはや分からない。転がった車、東海仕掛けの建物ばかりが目につく。浮遊しているのだろうか、それはゆったりとしたスピードでこちらに近づいてくる。音も何もないというのに、その塊が動くだけであらゆるものが消滅していく。繭の女となにが違うというのだろうか、マグネタイトに物質を変換するという性質は変わっていないというのにこちらの方がオゾマシイのはどうしてだろうか。

 

螺旋を描く翼に覆われ、もはやどこにあるのかすら分からない胎児のような塊は、起床したらしい。明確な意思を持って来栖たちのところに近づいてくる。威圧すら感じるのは気のせいではない。アキラにはかくれんぼをしているのか、早く出ておいでと優しく呼ぶ姉の声が聞こえてくるという。当時17歳だった、女子高生だった、6歳の弟に手を焼く優しいお姉ちゃんのまま、精神が止まっている。時間が止まっている。彼女は目の前の青年がアキラだとはもう判断がつかない。ただお姉ちゃんと呼ぶ声に反応しているのかもしれない。すべては憶測だ。なにせ相手はなにも語らない。自我などない。魔人は死そのものだ。自然現象に自我などない。何も感じていない、感情が一切抜け落ちた声にも関わらず、アキラの脳内はその声がお姉ちゃんだと脳内保管してしまうのだ。実際に聞こえているのが姉によく似たおぞましいなにかなのだという現実を直視するのを拒否している。アキラは心臓が暴れ回っている。

 

「来てくれ!アエーシュマ、アリラト、ミノタウロス!」

 

今のアキラにできるのは、来栖たちと共にこのおぞましい天使を倒すことだけだった。悪魔召喚プログラムが起動し、鮮やかな光を放ちながら、突如空中に魔方陣が形成され、そこからアキラの仲魔が召還される。アキラの使役する悪魔はこわいやつばっかりだと茶化されたのは今に始まったことではない。8年前からアキラにとって天使に名を連ねるすべては敵なのだ。迅速な行動は経験故だ。アリラトによる能力強化の魔法が来栖たちにももたらされる。本来あるべき能力を大幅に強化し、それを補強する回復魔法がかけられる。来栖もモルガナも悪魔使いとしてのアキラと戦いを共にするのは初めてだった。補助に特化していると自称するだけはある。アキラは後方支援に徹する気のようだ。今の状態では激情が先に来て戦えないという判断からだろうか、あのオゾマシイ姿から姉の魂を解放してやりたいと願うのはほかならぬアキラだというのに。来栖はペルソナを呼ぶ。アキラがそのつもりなら、来栖は代わりにあの天使を討つだけだ。アエーシュマたちから取得したという魔法砲台と化すための詠唱を始めたアキラとアエーシュマの支援を期待しつつ、来栖は短刀を振りかざす。モルガナと来栖は翼の車輪を回す女に攻撃を仕掛けた。

 

それはさながら死の舞踏だった。渦を巻き襲いかかってくる翼を避け、取り込もうとしてくる翼を避け、無数の羽毛に阻まれている本体が姿を現すのを懸命に待つ。ペルソナにより強化された身体能力に、アキラとアキラの仲魔により重ねがけされた強化魔法により、拮抗できていた。翼は来栖たちが攻撃することにより発生する音により成長を加速させているようだった。次第に攻撃のスピードが加速しており、一定の動作をくりかえす自我のなさがかろうじて回避を可能にしていた。万が一、この魔人が悪魔として人格を獲得するまでに成長していたら間違いなく手に負えなくなる。今のうちに殺す必要があるのだ。なにがなんでも。それがせめてもの手向けだった。

 

来栖は跳躍した。その戦闘における初めての前進だった。力をためたことにより、一時的に爆発的な加速を可能にする。機械的なルーチンで最小限のロスで攻撃を避け、アルセーヌを呼ぶ。

 

「こい、アルセーヌ!エイガオン!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

謎の少年②

ぱち、ぱち、ぱち、と乾いた拍手がする。

 

「きみは、いつかの」

 

「おめでとう、怪盗サン。やるじゃん」

 

いつの間にか、アキラによく似た少年が穏やかな笑みをたたえて立っている。

 

「セラフィムより翼が多いあの天使によく勝ったな」

 

「・・・・・・あの映像は君が?」

 

「ああ、役に立ててくれたみたいで助かる」

 

穏やかな笑みの下は狂いきっていると来栖は知っている。あったかもしれない未来を来栖に見せては、警告をしてくる謎の少年である。人間でもシャドウでもない、悪魔の可能性が高いが来栖の前にしか姿を現さないから正体が全く分からない。ただ格上の存在だということだけはわかる。

 

来栖が直前に見せられた光景は、繭の女のときとは比べものにならない、陰惨なものだった。蓄音機と化している悪魔人間の賛美歌が車輪の女を叩き起こした。まるで花弁の多い白い花の開花だった。鮮やかな光沢を放つ白い花弁が次々と広がり、オゾマシイ速度で成長し、女を串刺しにする。断末魔の叫びにより車輪の女は成長を遂げ、来栖たちの前に立ちふさがったあの魔人と同じ大きさにまで成長を遂げる。そして、音もなく浮遊し、この品川区のはるか上空に舞い上がったそれは、一気に成長を加速させるのだ。

 

東京は11月下旬である。至る所でクリスマスに向けた音楽であふれていた。クリスマスソングとして知られるその賛美歌もまた、街中にあふれていた。クリスマス商戦にご熱心な街頭から、繁華街のあちこちから、そしてスマホで音楽を聴いている若者達のイヤホンから。ハンドベルの発表会やピアノの演奏会、ジャズバンドによるアレンジ、いろんな音楽イベントで一度は歌われるような音楽だったから、あふれていた。題名は知らないけれども、一度はどこかで聞いたことがある、そんな音楽だったから、美しい旋律は東京中を満たしていた。その賛美歌は確かに車輪の女に届くのだ。翼のひとつひとつがその音楽によって広がっていく。羽毛のひとつひとつがぶるりと震えて、ゆっくりと拡大し、それに伴い渦を巻いていく。悪魔人間はとうに翼の螺旋に飲まれてもはや車輪のように渦巻く翼の塊の中に取り込まれてしまい、見る影もない。もはや数えることすらできない、すさまじい数の翼が風もないのに震えて、広がり、どんどん車輪のように渦を巻く塊は大きくなっていった。人々の営みにより、もともと星空が見えない空はその翼の塊によって覆い尽くされ、やがては月明かりすら消してしまい、真っ黒な空が広がっていく。翼の先端はとうとう東京中を覆うほどにまで成長し、すべてを覆い尽くしてしまった頃、誰もが突然暗くなった空を見上げるのだ。

 

突然出現した真っ白な空。それも柔らかそうな羽毛に覆われた塊に覆われた空。驚きばかりが浮かぶ中、ゆったりときらきらと輝く羽が降り注ぎ始める。雪ではない。鳥の羽毛だ。白くて美しい光沢を持った羽である。思わず人々は手を伸ばす。それらが地上に届き始める頃、東京中を阿鼻叫喚が覆い尽くした。羽毛は軽くて柔らかく美しいが、そのひとつひとつが魔人の触媒だった。好奇心から手を伸ばした人々に突き刺さり、食い込んだ。そして悲鳴から発生するマグネタイトを吸引して、本体である魔人はどんどん力を蓄え、大きさを増し、翼から羽毛がどんどん四散していく。人々の叫びを余すことなく食い尽くした白い羽が大地を真っ白く染め上げる頃、東京は白に満ちた。降り積もっていく羽毛がすべてのマグネタイトを奪い尽くし、地上からマグネタイトを供給するものがすべて死に絶える。それでも魔人の成長は止まらない。今度は物質をマグネタイトに変換し、成長していく。無数にうごめく翼を抱える胎児はいつしかその翼の大きさに見合った大きさにまで成長し、まるで少女のような出で立ちに変わっていく。巨大な車輪のように渦を巻く翼によりがくがくとゆれる姿は、まるで拷問用の車輪に括り付けられた女性のようでもある。体が絡め取られ、身動きがとれずに苦心する女性のようにも見えた。それはひたすら、愛おしい弟の名前を呼んでいる。もはやその羽毛の下に解けてしまったというのに、延々と呼び続けていた。

 

繭の女とはまた違った世界の終わりだった。車輪の女は呪詛と火炎、と言う言葉が聞こえた。

 

車輪の女は見た目が天使だし、いかにも燃えそうな羽毛に覆われていた。だから来栖がアルセーヌに呪詛と火炎の特大魔法を命じたとき、誰も疑問を呈するものはいなかった。弱点をつかれて炎上する翼を停止させたため、成長速度が遅れて攻撃が緩むのを目視で確認した瞬間から、アキラたちは戦闘を有利に進めることができたのだ。悔しいかな。少年の警告ともとれるデジャヴュの光景がまたしても来栖たちの窮地を救ってくれたのである。

 

「俺の見込んだとおりの男で安心したぜ、怪盗サン」

 

来栖は眉を寄せる。初めて会ったときから、この少年はこちらを試すような言動が目立つのだ。

 

「君はいったい」

 

「あとはその理不尽なゲームの勝者になってから、ってことにしようぜ。お楽しみは最後にとっといた方がいいだろ?」

 

くつりと少年は笑う。

 

「脱獄の報酬は払えよ、アルセーヌ」

 

突如、来栖の中からアルセーヌが出現する。少年から主を守るように立ちふさがったアルセーヌは、高笑いした。炎のように揺らめく仮面の向こう側からは、間違いなく怒りが浮かんでいる。

 

「ああ、もちろん。貴様らの命もらい受ける」

 

「楽しみにしてるぜ、来栖暁。津木アキラと共に俺達を殺しに来いよ。そしたら、××の魂、返してやるって伝えろ」

 

にやりと笑った少年は姿を消した。

 

「どうしたんだい、暁。ぼうっとして」

 

「時々こうなるんだよ、暁は。なあ、今度は何考えてたんだ?」

 

心配そうにのぞき込む二人がいる。なんでもない、と来栖は首を振る。

 

遠くから、ツギハギ達の部隊が突入してくるのが見えた。

 

「なあ、アキラ」

 

「なんだい?」

 

「××ってだれかわかるか?」

 

アキラの表情が凍り付く。アキラ?と問いかけるより先に、取り乱したアキラに詰問される方が先だった。

 

「暁、どうしてその名前を!?」

 

「さっき、あの少年がまた現れたんだ」

 

「あのって、あの繭の女を教えてくれたって言う?」

 

「ああ」

 

「そいつがいったのか?××さんって」

 

「そいつの魂を返してやるから、俺達を殺しにこいって」

 

「殺し・・・?!」

 

「穏やかじゃねーな?そいついったい何者なんだ」

 

「分からない。ただシャドウでもペルソナでもないし、人間ではない」

 

「じゃあ、悪魔?」

 

「わからない。ただ、理不尽なゲームに勝ったら、っていってた」

 

「理不尽・・・・・・今の状況をいってんのか?どこまでおちょくってんだ、そいつ」

 

「なるほど、怪盗団としての活動を完遂させないと、会う気はないっていってるんだね。ずいぶんとなめられたもんだな。間違いない、そのナチュラルな上から目線は相当格上の悪魔だよ」

 

「どうする、アキラ」

 

「どうするもこうするも、ないよ。怪盗団として勝利することが条件なら、いずれ会うってことだ。そうだろ?」

 

「よくいったぞ、アキラ。そーだぜ、わざわざ条件にしなくたっていいんだよ、全く」

 

「アキラ、それで、その、××ってのはいったい?」

 

「ああごめん、言い忘れてたね。××さんは3年前、行方不明になった悪魔討伐隊の元リーダーなんだ。僕がずっとあこがれてた先輩でもある。その魂をそいつが持ってるなら・・・・・・いや、やめておこう。今考えたって無駄だ」

 

「アキラ」

 

「今は怪盗団のことに集中しよう、暁」

 

「無理するなよ」

 

「ありがとう。耐えられなくなったら、またドライブにつきあってくれ」

 

「ああ」

 

「今は帰ろう。ツギハギさんに怒られる仕事がまだ残ってる」

 

いこう、とさしのべられた手を来栖はとる。モルガナは黒猫の姿に戻り、来栖の鞄に収まったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

???との戦い

1月某日、アキラから連絡が入った。アルバイトを再開しないかと持ちかけてきたのだ。もちろんだ、正体不明の少年の約束が守られるとすれば、間違いなくそろそろである。そう告げれば察しがいいねとアキラは困ったように笑った。なんでも去年のクリスマスの次の日から、アキラと来栖を名指しで指名した依頼が喫茶店フロリダに入っているらしい。期限は特になく、依頼人はアキラによく似た少年だという。警戒するに越したことはない。

 

フロリダで待ち合わせた依頼人は、少年ではなかった。代理人を名乗る男を前に、明らかにアキラの動揺が目立つ。にこにこしながら名刺を差し出した男は、依頼人のところに案内するからきてくれと促した。

 

「ええ、そうです。私はあくまでも案内役にすぎません」

 

そういって男はフロリダの扉をくぐる。その先にはどこかの研究所が広がっていた。思わず後ろを振り返った来栖だが、通路が続くだけである。

 

「ここは」

 

「ずいぶんなお膳立てだね。暁、ここは東京中の電力を補うだけでなく、日本の電気輸出の要である無限発電炉ヤマトだ」

 

「魔界とつながっている、あの?」

 

「ああ、そうだよ。どうやら招待状だったようだね」

 

「準備はいいかい?」

 

凜と通る声が響き渡り、あたりはしんと静まりかえった。問いかけているのではない、有無を言わさぬ先導である。ごくりと来栖は息をのむ。殺気を滾らせているアキラが男に斬りかかりやしないかと、発砲しやしないかと気が気では無かった。アキラの心境を知っているのか、男は嘲りの笑みをたたえている。微塵も言葉には出さないが態度が語っている。

 

「覚悟はできてる。はやく通せ」

 

「相変わらず落ち着きがありませんね、アキラくんは。あのときのように私の忠告は聞いておくべきですよ」

 

アキラの眼光が鋭くなる。

 

「僕の心は僕一人のものだ。誰のものでもない。勝手に入ってくるな、僕は今アンタの相手をする気分じゃない」

 

「いやですねえ、私はあなたの願いを叶えて差し上げようとしているだけですのに」

 

「彼がそれを望んでるとしても、アンタが仲介する理由はなんだ。彼は人間のまま逝かせてやるべきだ。余計なことするんじゃない」

 

「一人にしないでくれ、寂しい、そう思っているのはほかならぬ貴方でしょうに」

 

「うるさい」

 

歪な感情がアキラに浮かんでいる。お姉ちゃんの彼氏であり、一緒に遊んでもらった記憶もあるお兄ちゃんだった人だ。同時にお姉ちゃんを誘拐して、悪魔に貶めた犯人であり、アキラが悪魔使いになるきっかけになった惨劇の首謀者でもある。憎悪とかつての親愛がない交ぜになった複雑な感情は男を満足させた。アキラの感情を激しく揺さぶっているのが分かる。来栖はその様子を見守ることしかできない。アキラには濁流のような感情がちらつく。その揺らぎを見るたびに面白そうに男は笑い、来栖は心配でたまらなくなる。

 

「あのとき私はいったはずですよ、どうあがいても絶望的な状況で最後まであがき続けろと。これだから人間は面白い。どうか最後まで神の信仰を示す偶像としての活躍を果たしてください、英雄よ。契約はいまだ果たされず、対価も支払われない。はやいこと私の手を取りに来てください」

 

「それは断ると前もいったはずだ」

 

「そのせいで貴方はその手でお姉ちゃんを殺しましたね」

 

「今でも夢に見る。でも間違ったとは思ってない」

 

「おやおや、そうでしょうか。まあ、貴方の中ではそうなんでしょう、貴方の中ではね。まさしくその通り。ですが私はいつでも最適解を常に提示してきたではありませんか、何がご不満なのです?」

 

「最適解がいつだっていいとは限らない」

 

「これだから人間は変質しすぎているのですよ。大いに悩んでください、その生を終えたとき、時を忘れる最高の瞬間でもって永遠に貴方をもてなして差し上げますよ」

 

「それを人は洗脳と言うんだ」

 

「人聞きが悪いですね、神に対する信仰を失った人間に対する再教育と言っていただきたい」

 

「好きにしろ、僕は興味ない」

 

アキラの言葉に男はため息をついた。ヤマトの扉を開く。来栖たちは光に飲まれた。かなり広い円形のドームである。そしておもむろに後ろの重厚なドアが閉まり、退路を断たれる。おそらく来栖たちが全滅するか、相手が敗北するか、どちらかを満たさなければ、男は扉を開ける気はないのだ。来栖はおそるおそるあたりを見渡した。その先にはふしぜんにゆがんだ空間があった。

 

「いこう、暁」

 

「ああ」

 

来栖は先に進んだ。

 

「ここが魔界?」

 

「僕も初めて来たけど、想像と違うな。魔界はあの世とこの世をつなぐ間の空間だと聞いていたんだけど」

 

「あの世?」

 

「ああ、いってなかったね」

 

「ってことは、ここで死んだら、あの世に直行?」

 

「まあ、そうなるかな」

 

「なんでそんな大事なこと言わないんだ」

 

「メメントスもパレスも同じような精神世界だったじゃないか、何を今更。君たちが体験してきた世界は、すべて現実世界まであの世が浸食していた証なんだよ」

 

「そうなのか、知らなかった」

 

「知らない方がいいこともあると思ってね」

 

「ならなんでいった」

 

「いい言葉があるんだ、一蓮托生」

 

「やめてくれ、まだ死ぬ予定はない」

 

あたりはまるで宇宙のように広い広い空間だった。遠くでは星々がきらめくのに、あたりは銀河系も何もない。ただ浮遊しているわけではなく、しっかりと足がついているのは平面の空間が存在しているからだろう。視認できないが謎のパネルが設置されているような感覚である。こつこつと冷たい音がする。音がする時点で宇宙ではない。息ができる時点で宇宙ではきっと無い。来栖もアキラも油断することなくぐるりとあたりを見渡した。張り詰めた緊張感の中、アキラは悪魔を召喚し、陣形を作る。来栖もペルソナを召喚する手はずを整える。彼らを焦らせるように、時間だけが過ぎていった。耐えきれずに来栖が声をかけようとしたとき、先に声を上げたのはアキラだった。

 

「花畑だ」

 

「え?」

 

それは不自然なほどの赤だった。名前は分からない。ただ真っ赤な花が咲いている。気づけば存在を視認できない足下にただひたすら広がる謎のプレート、つまり足下あたりは真っ赤な花で覆われており、来栖たちはそのただ中に居た。香りはない。ただ目に焼き付いている。

 

「あの世?」

 

「にしては悪趣味だな」

 

「たしかに毒々しいというか、きれいすぎて怖いね」

 

きっと普通の花ではないのだ。それだけはわかる。来栖たちは思うのだ。ここにはたしかに何か居ると。そして途方もない時間、彼らは歩いた。そしてその果てで、不気味な椅子をみつけた。その異様さに気圧されてしまうが、アキラは進もうとした。来栖の脳裏に光がちらつく。反射的に来栖はアキラを引き留めた。

 

『ここまでよくぞたどり着いたな、我が主よ』

 

勝手に来栖から出てきたアルセーヌが高笑いする。アキラは驚いた様子でアルセーヌを見上げた。

 

「アルセーヌ、それはどういう」

 

『なに、不自然だとは思わなかったのか?主よ。主のベルベットルームは偽神に乗っ取られ、大衆意識の最深部に幽閉されたも同然だったのだ。なぜ我が主の危機に出てこれたと思う』

 

「それはゲームの演出に利用されたんじゃないのかい?」

 

『我もそれを覚悟していたのだがな、ある男が我に取引を持ちかけてきた』

 

「取引?」

 

『ああ、ベルベットルームに幽閉されていた我を出してやる代わりに、アキラと共に自分を殺しに来いという奇妙な取引だった』

 

「それはどんな男の人だったんだい?」

 

『それはお前が一番知っているのではないか、アキラ』

 

アキラは今にも泣きそうな顔をしていた。

 

その刹那、突然の閃光と轟音がとどろく。反射的にアキラたちは目をかばった。強烈なまぶた裏の残像が消え去る頃、ようやく視界が回復した来栖たちがみたのは、二人の少年だった。

 

「あ」

 

来栖は声を上げる。いつもいつも来栖の前に現れるのに、ベルベットルームの住人のように他の人は全く存在を知覚できない奇妙な少年。こうしてみると本当にアキラと似ている。その身に纏っている衣装が日本人離れしすぎているから、かろうじてそれがアキラとの違いを強調していた。あと、彼はアキラより幾分幼い。その少年は不気味な椅子に座っている。傍らには青年がいる。来栖はアキラがいよいよ泣きそうな顔をしているのに気がついた。

 

「待ってたぜ、怪盗サン。ちゃんとアキラも連れてきてくれたんだな」

 

「君がここの王様かい?」

 

「王様ねえ、そんなガラじゃねーけどな。みろよ、人が誰も居ねーのに王も神もあるかよ。ただまあこの世界の主かといわれたらそうだな」

 

「俺達を呼んだ理由は?」

 

「ん、おもしろそうだから?」

 

「そうではなく、アルセーヌと取引をしたためでは?」

 

「ああ、そうか。人はなにを行動するにも理由がないと不安になるみたいで大変だな。わすれてたわ、そんな感覚。アンタたちの目当てはこいつだろ?」

 

少年の手の中には、煌々とゆらめく光がある。

 

「それは?」

 

「ん、アキラがセンパイとよんでた人間の魂?」

 

「!?」

 

「いっただろ、ここは魔界だ。あの世とこの世の境目にある。俺はここの主だっていっただろ、それくらいできるさ」

 

来栖たちは身の毛がよだつのだ。ここでようやく少年の足下に転がる光の砕け散った破片の山に気づいたから。槍で貫かれたり、剣で切られたり、獣の牙でかみちぎられたり、それはまさしくスプラッタホラーも真っ青な虐殺の現場だった。はたからみれば赤い花のそばできらめく謎の光のかけらたちなのに、意味を知ってしまうと恐ろしい。来栖たちよりずっと小さな躯のくせに、たいして強くなさそうに見えるのに、この異様な重圧感はなんだろう。見た目通りの存在ではないことは確かである。傍らで控えている青年は、その体躯に見合った巨大な太刀を構えたかと思うと、足下にかろうじてあった一瞬でその光のかけらを葬り去った。そして、もったいぶるような動きで、ゆっくりと動作をして、椅子に座る青年に視線を投げた。許可をといっているようにもみえる。プレッシャーしか感じない。アキラたちは汗が伝う。

 

「お前が呼んだんだ、きっちりもてなせよ」

 

青年は礼をしてアキラたちに向き直る。

 

「これで取引は履行された。協力に感謝するぞ、アルセーヌ」

 

『その魂をお前達から奪い返し、滅するのが取引なのでな、まだ達成されてはいない」

 

「たしかにそうだ」

 

無表情な青年である。来栖はアキラを見た。

 

「センパイじゃないのか?」

 

アキラは困った顔をしている。

 

「似てる。それは間違いない。でも違うんだ。僕の感がそう言ってる。あいつらは悪魔だって」

 

少年はにやりと笑う。そしておもむろに立ち上がった。

 

「おもしろそうだから、相手になってやるよ」

 

その言葉に静寂が訪れた。青年はゆっくりと太刀を抜く。体躯を悠々と超すその大きさをものともせず、振りかざす。

 

「それは、ガントレット?いや、もっと新しい・・・・・・君はいったい」

 

少年は腕にある端末を操作し、悪魔を召喚する。アキラは戸惑いを隠せない。悪魔がなぜ悪魔召喚プログラムをつかうのか、いや使えるのかが分からないのだ。それでも戦うというのならやるしかない。来栖から投げられた視線に、アキラはうなずいた。ぴりぴりとした緊張感が肌を焼く。

 

「さあ、ショータイムといこうじゃねえか」

 

「神殺しとして主殿と共に戦うことをお許しください」

 

「ああ、いいぜ」

 

だれもしらない戦いが幕を開けた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

the END

桜が舞っている。去年は見上げる気力も無かったが、今年は見上げることができている。ただ、それは別れの合図でもあった。

 

 

新島の借りたワンボックスカーに押し込められた来栖は、楽しそうにドライブの段取りをしている女性陣に占領された前の席を見て、男性陣が奥の席に追いやられたことを悟る。そして連行される犯人のごとく縮こまって座った。まさかのサプライズである。昨日しんみりと挨拶回りをしたというのに、これでは台無しではないか、とこみ上げてくるものをぬぐいながら、笑った。おおげさなんだよ、と竜司は笑う。来栖の地元を知ったとき、会えない距離じゃないと分かっていたではないかとも。そりゃそうだ。来栖の涙にあえて気づかないふりをして、車酔いの前科から窓際一択の祐介は問いを投げた。

 

「なぜ反対のホームに行こうとしてたんだ?」

 

彼らが呼び止めたとき、来栖は地元とは正反対の方向、学校の通学路となっていた路線に向かおうとしていた。

「まだ挨拶回りが終わってないんだ」

 

「えっ、まじで?誰よ、近くならよってもらおうぜ」

 

「アキラか?」

 

「ああ、昨日は悪魔がらみの事件があったらしくて、一日連絡がつかなかったんだ」

 

「相変わらず忙しそうだよなー」

 

「だが、彼らのおかげで俺達はこうして暮らせるんだ。感謝しなければな」

 

「だな。で、今日、会う約束でもしてたとか?」

 

来栖は首を振る。ダメ元でツギハギに連絡をしてみたら、今日は午前中有給をとっているという。その行き先を教えてもらえた来栖は、怪盗団としての活躍に敬意を表して記念に所持を認めてもらえたターミナルのパスを使い、移動しようとしていたという。来栖たちの会話が聞こえていたのだろう、女性陣がこっちを見ていることに来栖は気づいた。

 

「で、どこに行けばいいの?」

 

ハンドルを握る新島の表情は真剣そのものだ。大人数を乗せたレンタカーなんて責任重大な運転手を任されたのである、事故があろうものならえらいことになる。散々姉から脅かされたのだろう。彼女は若葉マークがよく似合う安全運転をしていた。

 

「真ちゃんは前見てて。カーナビは私が操作するから」

 

「ごめんなさい、助かるわ。ありがとう」

 

「私、これくらいしかできないから気にしないで」

 

ふふ、と春は笑った。

 

「暁君、どこにいるの?アキラさん」

 

来栖は青山霊園に向かってくれと告げた。

 

「驚いたな、どうしてここがわかったんだい?」

 

「ツギハギさんから聞いた」

 

「また?いつだったかと同じだね。ったく、あの人も何考えてるんだか。個人情報筒抜けじゃないか」

 

アキラは困ったような顔をして、頬を掻いた。さっきまで家の墓の手入れをしていたのだ。ただひたすらに無心で作業に没頭していた彼は、来栖が声を掛けるまで全く気がつかない有様だった。それだけ集中していた証である。ぎょっとした様子のアキラだったが、しんみりとしていたのを隠しようがない現状に諦めたようで、そのまま作業を中断して応じてくれた。

 

「今日が姉さんの命日だってわかったからどうしてもね」

 

「今日だったのか」

 

「ああ、そうだよ。今日があの男を除く大天使を皆殺しにして、悪魔討伐隊のみんなと白い繭を墜落させた日なんだ。僕が姉さんを殺した日だ」

 

「葬式は?」

 

「一応やったよ、ずいぶん前にね。父さんも母さんも。あのときはからっぽだったけど、今はやっと中身がはいった。できれば骨のひとつでも残っていればよかったんだけどね、どうしようもない」

 

アキラは淡々と線香を手向け、手を合わせる。来栖もなにもいわないまま、見たこともないアキラの家族の墓前に手を合わせた。アキラが言うには、このお墓に入っているのは位牌でも形見でもなく、姉だった人とたくさんの子供達が溶け出したマグネタイトが結晶化してできた鉱石なのだという。車輪の女、とアキラの悪魔辞典に登録されたあの魔人を討伐後、あそこに唯一のこされたもの。残滓、ともいうべきものだった。通常なら悪魔に渡せばあの魔人が取得していたスキルを覚えることができるが、アキラはそれをしなかった。換金すれば途方もない金額になるが、それもしなかった。ここに保管することは、マグネタイトの発露によってくる悪魔の出現率を高めることは分かっていても、アキラはどうしても墓に入れたかったらしい。もともと霊園地帯は人ならざる者が寄ってきやすい。霊脈にあるマグネタイトにより顕現化が容易になることを考えれば当然だが、ここは古くからその歴史が長いためほかの霊園よりも対処が可能だ。管轄している東京都が専属の部署を設けるくらいには対策は講じられているから安心だという。

 

「いくんだろ?」

 

「ああ、ほんとは昨日のうちに挨拶したかったんだけど」

 

「ごめん、どうしても今日が確保したくてね。無理言って変わってもらったんだ」

 

「そうなのか」

 

「ああ。君たちのおかげでメメントスの脅威は去った。でも、無限発電所ヤマトが稼働している限り、魔界と現実世界はつながったままだ。僕たちのやることはわからないよ。ずっとね。でも、変わることもある」

 

「なにかあったのか?」

 

「うん、僕も帰ることにしたんだ。おじいちゃんたちの家に」

 

「え?あの病院に?」

 

「ああ、もともと僕がツギハギさんのところに居たのは、お姉ちゃんの事件が未解決で犯人が捕まってないことが最大の理由だったんだ。何もできない子供だった僕を孤児院に預けるのはあまりにも危険だってね。でも、僕は悪魔使いとして部隊に所属してるし、事件も解決した。いつまでも男所帯の職場の寮にいたんじゃ彼女だってできないだろ」

 

来栖は思わず笑う。

 

「なんだよ、笑うなよ。これでも真剣なんだからね?」

 

「でも、そんなあっさりできるのか?」

 

「なんで?」

 

「津木って名乗ってただろ?無かったことにできるのか?」

 

「ああ、あれ?あれは僕が関係者だってバレるから名乗っちゃだめだっただけさ。僕は津木隊長の養子になったわけじゃないよ。僕の戸籍はそのままだ。今はたぶん、おじいちゃんたちの籍に移動して、そのままじゃないかな。だいたいあの人、まだ30代だよ?そんなこといったら殺されるって」

 

『うっそだろ、あの顔で30代!?』

 

モルガナの驚愕につられて来栖ももっと上かと思ってたと告げた。アキラは苦笑いする。実は三者面談のとき、シュージン側に事情を説明して保護者代わりに出席してもらったことがあったのだが、父兄代わりだと思われたのかずいぶんと若いという発言すらなかったと隊長が落ち込んでいたと白状した。あのときは機嫌が直るまで苦労したとぼやくのが聞こえる。やっぱり傷がわるいのだ、傷が。ブラックジャックじゃあるまいし、いろんな肌をかき集めて縫い合わせるなんて素人仕事をやったせいでビジュアルに致命的なファンブルが生じてしまっている。茶化すアキラを見ていると、たしかに保護者と子供というよりは、年の離れた親友同士といったほうが近いのかもしれなかった。戦友であることには違いないのだろう。そして、彼らとはまた違ったつながりがアキラと来栖にもあるのだ。

 

「今度遊びにいくときは、そっちに電話したらいい?」

 

「ああ、そうして。たぶん、夜勤だとあっちに詰めることになるけど、たいていはあっちから通うことになる」

 

「わかった」

 

『ってことは、今度アキラと会うときは、あの寿司いっつも食えるってことだな!』

 

「いやいやいや、さすがに僕だって給料日じゃないとみんなの分出すのは無理だからね?!」

 

『よーし、暁、ツギハギにアキラの給料日聞こうぜ!』

 

「頼むからやめてくれ、洒落にならない。というか先輩に集らないでくれ、後輩だろ」

 

「全然そんな気しないけどな」

 

「まあ今更だけどね」

 

来栖は周囲を見渡す。

 

「あの人は、どうなるんだ?」

 

「ああ、先輩のこと?」

 

来栖はうなずいた。

 

「どうもなにも、行方不明のままだよ。お姉ちゃんと違って、なにも残らなかったし、あそこであったことは僕たちだけしか知らない。説明しようがない。この国の法律に則り、あと4年経てば市ヶ谷駐屯地の敷地内にある霊園にからっぽな棺がまたひとつ増えることになる」

 

「市ヶ谷の・・・・・・ああ、悪魔討伐隊は防衛省の管轄だからか?」

 

「うん。もし僕が仕事中に死んだら、僕も埋葬されることになる」

 

「縁起でも無いからやめてくれ」

 

「これは事実だからね、忌避することじゃないよ」

 

アキラはおだやかである。ずっと安否が不明だった人々が残念な結果だったとはいえ、それが判明するのとしないのでは残された人たちの心境はずいぶんと違うらしい。

 

アキラのいう霊園とは、この国が悪魔の脅威にさらされる覚悟を決めたときから、着々と進められてきた国の方向転換によって誕生した、いわば戦没者慰霊施設だ。悪魔がらみの事件の戦没者や犠牲者などの墓地が存在する。自衛隊の管轄にあり、一般人は入場が制限されているものの、来栖のように協力者として功績を残した人間は立ち入りが許されることもある。アキラがいうには、識別番号が刻印されており、情報センターでデータベースに氏名を入力すれば場所が確認できたり、あらゆる宗教、宗派、宗旨による埋葬を許容しており、信仰の自由を保障することでいろんな宗教性を受け入れたりしているのは、モデルにした某国を参考にしているようだ。

 

「いずれ、赴く日もあると思う。まだそのときじゃないけどね」

 

「行っても?」

 

「もちろん」

 

アキラが行くならば、来栖も行かなければならない。彼が望んだとはいえ、思念体が砕かれる音をはっきりと来栖は聞いていた。モルガナも来栖もアキラの共犯なのだ。説明しようがない、彼らだけの現実である。4年後か、と来栖は思う。4年たったら自分はなにをしているだろうか。さすがにそれはまだわからない。

 

「待たせてるんじゃないかい?」

 

「ああ、じゃあ、そろそろ」

 

「じゃ、元気で。あっちでもなにかあったら連絡してくれ。力になれることがあるかもしれない」

 

「わかってる。ありがとう」

 

『ワガハイがいるから安心だな』

 

「あはは、そうだね。暁をよろしく、モルガナ」

 

『おーよ、もちろん!まかされたぜ!』

 

手を振るアキラを背に、来栖は元来た道を帰る。桜色の綺麗な道が目前に広がっていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。