泣き笑い (雨築 白良)
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試験編
開幕


 

 

 

 さぁさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。

 これからお見せしますのは、美しくも奇怪な大道芸。

 蝶のように軽やかに舞う少女の空中ブランコや、屈強な男たちが演じます殺陣。華やかな衣装で綱の上を踊る綱渡りや、火吹き男、はたまた獰猛な猛獣達を見事に操ってみせましょう。

 さぁて今宵の演目は、まずは何から始めましょう。

 そうそう、サーカスといえば忘れてはいけませんね。彼等がいなくては始まれない。

 それではどうぞごゆるりと。今夜の舞台のはじまりはじまり。

 

 

 

 

 サーカスの中心にはスポットがひとつ照らされていた。

 高らかな声で宣言する団長の言葉に呼応するように、消えた光が一瞬の静寂を連れてくる。

 観客席がざわざわと落ち着きなく騒がしくなり始めたのは、そのすぐ後のことだった。全て落とされた証明が煌々と輝き、舞台全体を照らしたのだ。

 宣言を終えた団長も幕裏にはけ終えて、誰もいない部隊の中に僕はひとり踊り出る。

 

 僕が舞台に出た瞬間、感覚を鈍くさせないと耳が痛くなるほどの歓声が客席から上がる。

 しかしこれは、決して歓喜の声なんかではない。

 何時だって僕等の役割は鬱陶しがられて、目的の演目を見る為に、引っ込んでいろと叫ばれる。それでも言われるがままに引っ込まないことが僕達の役割で、お仕事なのだ。

 

 舞台に出た僕は、たった一言さえ話さない。

 

 化粧で塗り潰した自分の顔を笑みの形に大げさに歪めて、求められてもいない愛想を観客に振りまく。

 まだ誰もいない舞台上全てを使うように、軽快な動きで跳ね回って駆け回って、重さを感じさせないジャンプを思い切りとばしてから着地した。

 着地したのはぎりぎり舞台上からは落ちない端のほう。

 間違えて飛び過ぎてしまったというように大げさな動きで焦りを表現して、落ちなくてほっとするように腕で汗を拭う仕草をする。

 そしてその時には叫ぶものも格段に少なくなって、大半の観客が目線をこちらへ向けたのを確認しながら大仰に一礼をした。

 

 これで取り敢えずの、演目が始まる前の前座は終わりだ。

 最初の芸はサーカスといえばこれ、空中ブランコから始まることとなる。

 僕がいま所属しているこのサーカスでは花形に数えられており、双子の少女が魅せる息の合ったパフォーマンスには殆どの観客が釘付けになるのだ。

 

 僕が舞台を跳ね回っている間に、双子は上の器具で待機をしている。

 一度集めた観客達の視線をそのまま上に持っていくように空中を指し、その瞬間、今までかかっていた証明が舞台ではなく空中を照らすように切り替わった。

 

 誰もが僕の存在を忘れた頃に、消えた照明の闇を縫って幕裏へ。

 予定そのままであれば次の出番は二つ目の演目が終わった後だ。ひとつの演目にもそれなりの時間はあるし、二十分の自由時間は堅いだろうと考えながら使う器具の点検を始める。

 

「フーラ、ちょっといいか」

「…はい団長、大丈夫です」

 

 幾つかの器具を点検し終えた頃に、声をかけてきたのはこのサーカス団の団長だった。

 声を掛けてきたのはそちらであるのに、どこか言い惑っているような口調は重く、言葉は続かない。

 何の話だったのかという疑問は、カーテンの向こうに隠れて僕たちを見ている複数人に気づいて霧散する。

 

「すまないが、今夜の公演でこのサーカスを辞めてほしい」

「そう、ですか」

 

 簡単で、わかりやすいことだった。

 今までだって、経験してきたような同じことだった。

 

 仕事ぶりが悪いわけでは無いつもりだ。ずっと続けてきた職業だし、評判も悪くはない。

 だったらどうしてこうなるのかと考えるならば、心当たりが多すぎてどれが原因であるのかはっきりしたことは分からなかった。

 

「君の仕事ぶりは私も認めている、君の道化師ぶりは確かに素晴らしいよ。だけどね、……わかるだろう? 皆怖がっているんだ」

「……はぁ、まぁそうですね」

 

 解らない。

 曖昧にぼやかされたって僕だって困る。具体的に何が原因なのか、言ってくれないと対処も出来ない。同じことを繰り変えしかねない。

 けれど、ここでそう言ってしまえば拗れることも学んではいた。

 

「来月には怪我をして休業していた道化師も復帰して来ることになっているし、君の噂や悪評でサーカスの評判を悪くしたくないんだ。分かってくれるかい」

 

 だから分からねーですって。

 噂? 悪評? そんなこといっても一体どれのことか。

 行き成り入団して公演に参加するようになった僕を疎んだ団員達の手によって、噂とか悪評なんていうものは日々更新されている。

 全部が嘘とは言わないが、大半が眉唾物である事実は変わりはしないだろう。

 実際とは悪意のある形に湾曲された噂だって有ることだし。

 

 元々の道化師が復帰するというのもきっと、後付けの言い訳なのだろう。

 団長が僕の仕事を認めてくれていたのは本当だとは思うけれど、いま僕を見るその目に映っているのは一体どんな感情か。

 気味の悪いものを直視し、視界からそれを追い払おうとしているようにしか思えない。

 

 影から覗き見ている人影が嘲るように、ほっとしたように小さく笑う気配を感じる。

 その中には一度認識し、それ以来少しだけ意識を向けるようになったものもあって、嗚呼ここまで噂が広まったのは彼が原因なのだと理解した。

 やはり、彼には見られていたのだ。

 

 仕方のないことだと、ため息をついて頷く。

 また仕事を失ってしまった。次を探すのも手間が掛かるだろうし、数日後にはまた会いに来ると連絡を寄こしてきた彼奴には何といって説明すべきか。

 次の職場を探す苦労を慮って意識を飛ばしかけていた僕へと、言った後に罪悪感に駆られたような目を一瞬見せた団長が言葉を続けた。

 

「とはいえ、唐突に辞めろというのもこちらの都合だ。幸いにも団員が他のサーカス団とも伝手が有ったらしくてな、君が望むならば紹介してやれる。…どうする?」

 

 それはつまり左遷のようなものか。

 それとも、たらい回しというやつか。はたまた他のサーカスに体良く面倒を押し付けているともいえる。

 僕はこれに何と思うことが正解なのだろう。伝手が有った先のサーカス団を不幸だと笑うべきか、そもそも断るべきなのか。

 そんなことを考えている余裕すら無いことが、僕にとっての正解なのであるが。

 

「あ、それなら助かります。お願いします」

「……すまないね、フーラ」

「、いえ」

 

 別に此処も、僕の居場所に成らなかったってだけのことですから。

 とは、勿論言わなかった。

 僅かでも団長は僕を惜しむ気持ちは持ってくれているみたいだし、道化師としてこれ以上のことは無いのかもしれない。

 そう考えれば結構、ここは幸せな終わり方じゃあないか。

 

 殺し屋を差し向けられたり、団員が狂って襲い掛かって来た訳でもない。

 石も投げられてないし、恐れはしても虐げはしてこなかった。

 疎んで嫌悪をしても、遠巻きにして僕が去るのを待っていた。

 

 嗚呼、幸せだ。

 幸せだとか思ってないとやってらんないよ。

 好かれたい訳じゃないけど嫌われたい訳でもないんだよ、上手くいかないなぁ。

 

 心の声は荒れても平坦な感情はそのあとの芸にも影響は欠片も残さず。

 今宵の舞台も終えて役割を追い出されたピエロはまた、荷物を揃えて次のサーカスへと放浪を続けないければ。

 

「あっ、ピエロさんだぁ!」

 

 公演をやり終えた達成感をわざわざ僕がいることで壊してしまわないように、纏めた荷物を抱えてそのまま去ろうとしていた。

 そんな大荷物を抱えた僕を見つけた小さな女の子が、そう言いながら駆けて近寄ってくる。

 背中や手元に大きな鞄を持っている僕の姿を彼女は不思議そうに見ていたけれど、すぐにその零れ落ちそうな大きな瞳を瞬かせて見つめてくる。

 

「ピエロさんは今日とおなじピエロさんなの?」

 

 じっと見つめていると思えばそう問いかけてきたのは、舞台上と今の僕の姿が違うからか。

 逆にどうして僕がピエロだと分かったのだろうとも思ったのだけれど、僕が今も付けている仮面はなるほど道化師のメイクと同じ模様をしている。

 そりゃわからない筈もなかった。

 むしろ自分から主張しまくっていた。

 

 目線を合わせるようにしゃがみ込み、こくりこくりと彼女の言葉に頷いて、無意識に伸ばしかけていた手を引っ込める。

 返事をしない僕の様子に、彼女はピエロさんは話せないのかと問いかけてきたけれど、今度は首を捻って答えた。

 どうだろう。僕は話さないけれど、話すピエロもいた筈だ。元々このサーカスにいたピエロも、話すタイプの人だったらしい。客いじりの得意な、話術上手。

 できれば復帰した彼の手腕を傍で見て聞いて学びたかったけれどまぁ、クビになったからには仕方ない。

 

「ピエロさん、またここにきたらピエロさんにあえる?」

 

 そろそろどうにかして話を中断させようと考えていた合間にそう問われ、一瞬答えに惑った。

 頷けば彼女は直ぐに帰るだろう。解放されるのも早くなる。

 けれど、少し思巡して僕は首を振った。

 目尻を下げて笑顔の消えてしまった女の子に、代わりに予備として幾つか持っていた仮面を頭の上から被せて立ち上がった。

 

「僕みたいなのにはもう会わない方がいい、特に君みたいな子は」

 

 仮面の下で、そう告げたのはただの気まぐれだったのか。

 幼くまだ顔つきのあどけない女の子の瞳がよく似て見えたことが理由なのかもしれない。

 

「なんで?」

 

 子どもらしく、不思議そうに首を傾げて見上げてくる女の子に、僕は少し仮面を指で持ち上げながら答えた。

 意図せず、口元が薄く緩む。

 少し滑稽で愉快ですらあった。

 

 

 

 

「こわぁい殺人鬼に殺されちゃうからさ」

 

 

 

 





 のんびりぼちぼちと書いていきます。
 漫画を片手に書いてはおりますが、色々飛び飛びになるかもしれません。
 文章や書き方がお好みに合わないかもしれません。
 ……作者の趣味で書き始めましたが、正直原作のキャラクターがつかめておりません。

 言い訳がましく、不定期更新な作品ではございますが、のんびり辛抱強くお付き合いいただけますと嬉しく存じます。
 はい。



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道中、壱

 

 

 

 ハンター歴2000年、1月。

 何とか間に合った試験応募の代わりに与えられた情報はごく僅か、それを元に試験会場を探さなければならない僕は現在、船の中に揺られていた。

 

 思えば、誘われた時にもう少し試験への興味を持っていれば良かったのかもしれない。

 受けるかもしれないと一言でも言っておけば、昨年の受験者特典として会場の場所を知っていたらしい彼奴が教えてくれていただろうに。

 それでも、その時の僕には全くもって関係も興味もない情報であったのだ。

 言われても片隅にさえ残していなかったような気さえするし、過ぎたことをいつまでも考えていたって仕方がない。

 同じ船に揺られているのは僕と同じように試験に臨む人間らしいし、それにこれだけ居れば一人くらいは正しい試験会場には着くのではなかろうかと、気楽に考えている部分もあった。

 これで辿り着かなかったなら、まぁ仕方ない。

 

 嗚呼、でもそれを彼奴に知られた時には煩く絡まれそうな気がする。

 だから誘ったのに、と厭味ったらしく告げる姿が簡単に想像できてしまって、何時もと同じ仮面の下で、こころもち顔を顰めた。

 

 ふと、視界の端を小柄な姿が横切ったのが見える。

 そういえば確か、数時間前に停泊した島から幼い少年が乗り込んだのだと男たちが話していたことを思い出した。

 幼い少年、と言われるだけあって見かけた人影は小さい。

 きっと僕よりも大分小さいだろうと考えれば、大体10代前半くらいだろうか。確かハンター試験にも年齢制限があった筈だ、流石に一桁ということは無いと思う。

 彼もまた、試験を受けるのか。

 子どもが試験を受けることは珍しいようにも思ったけれど、知り合いというわけでもなし、話しかけてみようという理由もない。

 そもそもが、そんなことをしている余裕も僕にはない。

 

 普段、僕がいるのは地震でも起こらない限り揺れることのない地上だ。

 走ったり跳ねたり、体感が不安定になるような動きだって良くしているが、それでも行っているのは舞台の上。地上である。

 それが、こう。向かう先が仕方ないのだとは言え、足場そのものが常に揺れる船の上。

 船に乗ったことがないとは言わない。放浪に近い多数の移動の中で、今にも沈没しそうな怪しい船にも乗ったことはある。

 ただ、苦手なのだ。船が。

 ぐらりぐらりと足元が揺れるそれだけで、血の気が引いて嘔吐感が喉の奥へと広がっていく。

 甲板に出て、冷たい海の風に当たっていればまだ気分は楽になるのだけれど、それも柄の悪い男達がうろつく場所へわざわざ出ていきたくない。

 この仮面が人間の中では嫌に目立つということを僕は知っているのだ。

 

 込み上げる嘔吐感を押し殺しながら、暇を潰すために本を読むことも出来ずに膝を抱えて座り込む。

 脇に寝そべらせた大きな荷物を手慰めに撫でた。

 

 そしてまた、数時間後。

 

「…………ぅぷ…」

 

 散々揺れた船上で荷物に凭れこみながら、僕は完全に死んでいた。

 

 自分ではわからないけれど、仮面越しに見ても既に目が死んでいるのかもしれない。馬鹿らしいことを考えて現実逃避をし始めるくらいには意識があるとはいえ、それでもつらいものはつらい。

 

 一晩挟んでいるのに、嵐に揺られていたせいで全く寝られもしなかった。

 いっそ意識なんて飛んでしまえば良かったのだけど、遠のきかける度に気持ち悪さで正気に還るのだ。地獄のような時間だった。

 船に乗ることを知った時点で酔い止めの薬を買って、合間にちゃんと飲んでいたのに効いた気もしない。薬屋じゃなくてちゃんと病院で買えばよかった。

 いや、そういえば酔い止めって医薬品ではなかったんだっけ? 医者が調合していないなら次はどこで買うべきだ、もう分かんないから次は彼奴に買わせてやる。

 

 吐き気を抑えることに一杯一杯で、支離滅裂なことを考える思考には余裕がない。

 枕代わりに荷物を抱きかかえながら僕は、仮面の下で口元を手で覆ってへたり込んでいた。

 

「おにーさん、大丈夫?」

 

 そんな僕に話しかけられたのは、子どもらしく声変わりのしていない明るい声。

 少年であることは相手をみなくても理解できて、彼はあれだけの揺れにも動じていないのかと内心驚いた。

 随分と屈強な若者だ。子どもだと馬鹿にしていた大人たちが床の上で転がっているのに、聞こえていた足取りも軽やかで無駄がない。

 

「あんまり、無事、じゃないかも…」

 

 無邪気に掛けられた問いへとどうにか返せば、また吐き気が襲ってきて押し付けるように手で留める。

 

「はい、水。この草も噛んでると楽になると思う」

「あ、どうもありがと…ね、坊ちゃん」

「うんっ、どういたしまして」

 

 渡された水と葉っぱを受け取って、取り敢えず仮面を押し上げてから水の入ったコップに口をつける。

 いつもの癖で化粧が落ちないように意識をしかけ、今は白粉さえも付けていないことを思い出して、戸惑いなく水を喉に流し込んだ。

 

 冷たい水が、喉に染み込んでいるようにも錯覚した。

 気持ちの悪さが残っていた喉がすっと洗浄されたようにすっきりとして、一瞬で酔いが醒めたような気がする。

 けれど、少し身体を揺らしてみればぐわんと脳みそがかき回されるような感覚を味わって、そんな気がしただけだったのだと息を吐いた。

 

 渡されたもう片方である葉っぱを見つめる。

 はて、とそして小首を傾げた。

 噛めといって渡されたは良いものの、これはどうやって使うべきか。

 葉の部分を噛めばいいの? それとも茎の部分だろうか。葉っぱをちぎって噛むのが良いか、口に放り込むのは駄目なのか。

 いやいや、そもそもこの葉っぱって飲み込んでも大丈夫なやつ?

 

 植物に関しての知識に僕は疎い。

 教えてくれる人もいなかったし、そんな知識がある人も周囲にはいなかった。

 本当の意味で食べるものに困ったことは無かったから、道端の草を食べて生きながらえるという経験をしたこともない。

 調理をしていない葉っぱを食べたことのない僕には、何も手の加えられたように見えないこれをどうするべきか分からないのだ。

 

「…どうしたの?」

 

 床に散らばった服や布を回収して運んでいた少年が、ふと立ち止まってそう言った。

 葉っぱを見つめて固まっている僕に気づき、疑問に思ったらしい。

 どう噛めばいいのかわからないのだと告げれば、どうして分からないのかが解らないというように彼も首を傾げて、ジェスチャーで教えてくれる。

 

「えっと…こういう風に口を開いて、普通に噛めばいいんだけ、ど…」

「噛みちぎるの?」

「嚙み千切らないよ! 噛んだら草の汁が出るんだけど、それがハーブみたいにすっとするんだ」

 

 なるほど、葉っぱは嚙みちぎらないらしい。

 ハーブはすっとするもので、この葉っぱはハーブみたいにすっとするのだと。

 またひとつ、知らない知識を蓄えて僕は言われるがままに葉っぱを噛んでみる。すると、確かに草を噛んだ口の中がすっと冷たい感覚がして、同時に少し苦い独特の味が舌に残る。

 

「……苦いね」

「苦いけど、それも酔いを醒ますから」

 

 苦いというのは悪いものでは無いらしい。

 なるほど確かに、眠気を覚ますコーヒーも黒くて苦くて一見おいしそうじゃないもんな。

 好きで飲みはしないけれど、眠気を堪える為に僕もお世話になっている。

 

「へぇ、なるほどね。理には適ってるや」

 

 普段しないような行動に出てみれば、こんなところでさえ知らない知識が学び取れる。

 意外とこの選択は悪くなかったかもしれない。と、考えながら礼を言えば、次に吐き出された彼の言葉に僕の思考は停止した。

 

「そういえば、もっと大きな嵐が来そうだけどその様子でおにーさん大丈夫?」

 

 大きな嵐。

 もっと大きな、さっきよりも酷い嵐。

 そう言われて叫ばなかったことに、なにより自分が褒めてやりたい。

 

 帰りたい。けれど、僕には帰る場所などない。

 なによりここをどうにかして抜けないと、会場にはたどり着けないだろう。どうにか、どうにかして堪えないと。

 

「だいじょーぶじゃ、ない、かも」

 

 嗚呼、とりあえず。

 死なないでいれたら良いな。

 

 

 

 






 何でわたしは船に乗っただけの描写をここまでだらだらと書いたのか。
 ある程度飛ばし飛ばしで書いて行かないと、第三者から見た原作キャラの紹介みたいになりまねません。
 …あ、なるかも。



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道中、弐

 

 

 思ったよりも船酔いが酷くならなかったのは、幸福なのか何なのか。

 酔っているような時間もなかった、というのが正しいのかもしれない。

 

 先ほどよりも大きな嵐が来ると放送が流れた瞬間、他の受験生たちは救命ボートで引き返すことを選択した。

 結果、船に残ったのはこの船の船員さん達と、全く酔っている様子のない3人。そして、船酔いしながらも意地だけで残った僕。

 これくらいで船酔いなんて情けねぇ、と船長さんに言われた僕は泣いても良かったような気がする。

 でも、辛くても残ることを選択した根性だけは認めてくれるそうで、受験した理由が誘われたからというだけだと告げた時には、何でこいつ残ってるんだというような目を向けられてしまった。

 僕、被虐趣味とかではないよ。いや本当に。

 

 他2人にも何とも言えないような視線を向けられて、そんな目は向けられ慣れていないから少し堪えた。

 何もなかったのはにこにこ笑って聞いてくれたゴン坊ちゃんくらいのものだ。

 彼は理由とか事情は人それぞれで当たり前だと思っている性質らしい。うん、付き合いやすくて良い子だ。

 頭を撫でると硬い性質の髪らしく、結構わかりやすい特徴だと思った。

 

 殆ど会話には参加しなかったけれど、というか出来なかったけれど、様子を見るに他2人の性格も捻じ曲がっているようにはみえなかった。

 むしろ、驚くほど真っすぐで意思が固い人間だと思う。

 クラピカ坊ちゃんと、レオリオの旦那。

 ゴン坊ちゃんも併せて3人とも、素直で真面目で少し似ている。決めたことには頑固そうであるけれど、意外と仲良くできる組み合わせではあるんじゃなかろうか。

 と、思っていれば喧嘩していたのに仲直りしていたから、度々喧嘩をしながらも信頼関係が出来ていくのかもしれない。

 

 そして船の上でばたばたと、嵐が来てからも走り回ることになっていた僕は船酔いしている暇もなく、どうにか乗り越えることが出来たのだった。

 

「フーラ、行かないの?」

「一緒に来るんじゃないのか?」

「何だよ、一緒に行こーぜ」

 

「あぁ、うん。そうだね、一緒に行きたいな」

 

 二人で旅をしていたことはあるけれど、今まで経験したことのない複数人での連れ合い。

 サーカスでこそ団体というくくりではあったものの、大体はぶられ続けていた僕にとって、こんな形での集団行動は初めてかもしれなかった。

 

「船で言ってたけど、フーラは知り合いに誘われて参加したの?」

「うん」

 

 道すがら、ふと問いかけられた問いに頷いて返すと、話す相手の顔を注視しようとする癖のあるように思う三人の顔が、ふと僕を見て困惑したものへと変わる。

 不思議に思いかけはしたものの、考えてみれば僕はやっぱり仮面をつけたまんまで、人間は相手の顔を見て感情を理解するらしいから、それが原因なのだろうと納得した。

 

「一回断ったんだけどね、仕事クビになったから行ってもいいかなぁって」

「……そんな感覚で危険極まりないハンター試験に参加したのか…」

 

 若干呆れたような乾いた口調でそう言ったクラピカは、一度口を閉じて沈黙する。

 何か思う所があったのかもしれない。

 僕には思惑も何もないのだけれど。

 

 船長さんが教えてくれた一本杉へと向かう道中。

 お互いに少し遠慮の混じった話し方をするクラピカとレオリオは、ゴンを緩衝材にして喧嘩が勃発しないように会話をしている。

 人と話すことに慣れていない僕もそのゴン坊ちゃんを間にしているから、彼の心労はいかほどか。

 屈託なく明るい調子で話題を振る彼には思わず脱帽する。

 見習いたいものだ。ゴンのそれは生まれながらにして持っているもののようだけど。

 

「ねえねえ、フーラのその仮面ってさ、ピエロっていうやつなんでしょ?」

「そうだよ。ゴン坊ちゃんはサーカスを見たことあるのかい?」

 

 くじら島に住んでいるおやっさんが街で見て、お土産や話を聞いたことがあるのだとゴンは言った。

 直接見たことは無いらしい。

 話したおやっさんとやらは話を誇張したのかすこし大げさな表現をしていたみたいだけれど、素直に目を輝かせて語ってくれる子どもの目を曇らせるのは大人として駄目だと思う。

 

「そっか、うーんじゃあ……次の職場を見つけたらチケットあげるからさ、見に来てくれると嬉しい」

「チケット?」

「うん。僕の本職ってサーカスの道化師だから」

 

 娯楽としての意味合いが強いサーカスには、裕福な家庭の人間ばかりしかやってこない。

 元々が貧困民の為の娯楽として発展したサービス業であるのに、お金を持っている者が優先されるのは人の世の常か。

 誰の為に、と言われれば不特定多数の観客の為に働いているのだけれど、それでも少しばかり観客の幅を広げたって悪くはないと思うのだ。

 

「その仮面って仕事のやつだったの!?」

 

 お洒落とかじゃなくて?

 と、ゴンだけでなく他二人も驚いてくれるから、少し楽しくなってこくりと頷いた。

 この間サーカス団追い出されたから、今はフリーなのだけど。

 一所に留まらずにこうも各所を転々としている道化師は、僕くらいなものなのかもしれない。

 けれど仕方ないじゃないか。僕だって何処かに収まりたいけど、そのうちあちら側から拒否して来る。

 僕からサーカスを辞めたことなんて、一度きりしかないというのに。

 

「普段は化粧してるんだけど、移動が多い時とかは落ちちゃうから。そういう時はこの仮面つけてるの」

 

 丁度、僕の化粧と同じ模様だったし。

 愛着がわいて、特注で幾つか作り置きしている。

 

「いや、普段は別に化粧とかしなくても良いんじゃねえの…?」

「うーん、でも僕、ピエロだから」

 

 そう答えた僕に、それは理由になってねえよとぼやくレオリオの旦那。

 ごめんなさい。やっぱり僕って道化師だから。

 

 息をひそめて隠れているように、誰の姿もない寂れた一本道に差し掛かるとしばらくの間会話が途切れた。

 ゴンとクラピカは感じる気配を掴もうとして沈黙しているのだろう。

 警戒の様子がみえないレオリオは、気配には気づかずただ不自然な静けさに飲まれているのかもしれない。

 

 ぽつりと言葉をもらしたレオリオに、二人が注意喚起をする。

 息遣いや衣擦れの音で人がいることに気づいていたらしいが、申し訳ないことに僕もその音を耳に捉えることなど出来てはいなかった。

 レオリオの旦那はまぁ判るとして、ゴン坊ちゃんはもしかしたら森の中で遊ぶような子どもなのかもしれない。その姿も容易に想像できてしまうし。

 ただ、クラピカ坊ちゃんも聞こえていたということは彼もサバイバルをするような環境に身を置いていたということか。勝手に知識傾倒なのだと思い込んでいたが、人は外見にはよらないのだろう。

 

 会話をきっかけにぞろぞろと現れた集団は、二択のクイズを投げかける。

 後から来た男性に先を譲って様子をみることにしたようだけど、彼に問われた質問はクイズでは無かったように思う。

 僕達への出題も同じような傾向なのだろうか。

 だったら困る。僕はその問題の答えを知らない。

 

「ふざけんじゃねぇっ!! こんなクイズがあるかボケェ!!」

 

 突然怒り出したレオリオが別のルートで向かうと叫んで立ち去ろうとする。

 しかし、この場を立ち去るなら失格とするという言葉を投げかけられて足を止めた。

 

 答えのないクイズ、そんなものがあるのか。

 彼等はクイズの意味を知っているようだったけれど、審査員らしい人におしゃべりを禁止されれば今聞くわけにもいかない。

 問われた質問に答えるだけではいけないのか。

 遮られはしたものの、何かを伝えようと焦るクラピカを見つめて困惑する。

 ゴンは考え込んでいるようだった。

 

「息子と娘が誘拐されたが一人しか助けることが出来ない。1.娘 2.息子 どちらを助ける?」

 

 そんな問題を出されても、娘も息子もいないから困る。

 むしろこんな問題を出して審査員は何を答えさせたいのか。子どもが生まれてもそれがどちらの性別なのかはわからないというのに。

 時間制限は淡々と終了へ近づく。

 間違えたら皆道連れだと言うから、誰かが答えてからそれに便乗しようと思ったのに誰も何も言わない。

 ゴンやクラピカは沈黙しているし、レオリオに至っては角材を振りかぶって怒り心頭のようだった。

 

 終了の言葉と同時に彼が審査員に向けて振り下ろした角材を、クラピカが棒状の武具で止めて跳ね返す。

 また、二人の言い合いが始まった。

 

「なぜ止める!」

「落ち着けレオリオ!!」

「いーや激昂するね!」

 

 怒鳴りあいのようになったそれも、丁寧に説明をするクラピカの言葉によって怒りが収まっていく。

 さっき通って行った男の末路を説明された暁には、むしろ消沈さえしていた。

 

 正解のない問いかけ。

 いつかは選択しなければいけない大切なものの切り捨て。

 その可能性を示唆されて、それでも進むべき道へ僕たちは歩み続けなければいけない。

 

 なるほどね、ふぅん。

 

 

 

 

 

 どうでもいいや。

 

 

 

 





 ちんたらと原作そのままを書いてしまわないように努力をしてはみるものの、そうすると一気に中身がなくなるという実力不足。

 気が付けば皆殆ど会話してません。驚きです。
 ……まぁ、元々会話を書くのが苦手なわたしのせいですね、努力します。


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試験、壱

 

 

 

 

 審査員の謎かけお婆さんが教えてくれた会場まで案内してくれるナビゲーターというのは、凶狸狐という喋る動物だった。

 話せる獣を魔獣と呼ぶらしい。クラピカ坊ちゃんは博識だ。

 しかも人間に変身するらしく、そういうのを変幻魔獣というそうな。

 

 喋るし身体も大きいし、説明をされるまで毛皮を着た人間だと思っていた。

 種族名を言われてもキリコという人なのだと思ってしまって、クラピカには呆れられ、レオリオには驚かれ、ゴンにはあらゆる部分が人間の骨格とは違うのだと諭された。

 ごめんなさい、僕完全に足手まといでした。

 

 ただ、夫婦の振りをしていた娘さんと息子さんの嘘には敏感に気づいていたものだから、お情けで僕も認めてもらえたのは有り難かったと思う。

 三人が居てくれて本当に良かった。

 もし僕だけで参加していたら、役として娘さんを浚う魔獣の姿をみても『場所間違えたかな』とスルーしてしまっていたと思う。

 現に、魔獣を見止めた瞬間武器を構えた三人の走り回る姿を、僕はぼーっと見ていたばかりだったから。

 レオリオに手伝うように言われようやく動いて、旦那さん役だった人の嘘に気づいたというのが一通りの流れだったか。

 

 キリコさん達の顔を見て、見分けたらしいゴン坊ちゃんは本当にすごいと思う。

 僕には出来ない。到底できない。どんなに頑張ったって彼のその目だけは、僕に模倣することは出来ないんじゃあなかろうか。

 

 空を飛ぶことも出来たらしいキリコさんに連れられて、僕たちはザバン市の試験会場へ。

 試験会場は、そうとは解らないように定食屋にあるらしい。

 皆なかなか納得しなかったけれど、案内されてみれば奥の部屋が会場行きのエレベーターなのだから、驚きを通り越して感動さえ覚える。

 

 小部屋のようなエレベーター内には、ただの合言葉では無かったのかじわじわ網の上で焼かれているお肉。

 それはまさしく焼肉。…あとで代金を取られたりするのだろうか。

 折角準備をして貰っているし、何より現在進行形で焼かれているお肉が焦げてしまうので、僕たちは席に座って焼けたものから食べ始めた。

 

「お前、本当に何も知らねーでテスト受けに来たのか!?」

 

 分厚い焼肉を咀嚼することに一生懸命になっていて、ぼーっと周囲の状態すら把握していなかった僕は行き成りの大声に頭をもたげる。

 再び言い合いになっている二人の様子を見るに、ハンターという仕事がどういうものなのかをゴンに説明しているようだった。

 

 ハンターの持つライセンスカードの価値。

 ハンターという権威が持っている富と名声への切符。

 文化や希少動物を保護し、犯罪者を取り締まるという活動。

 それを行うハンターが持つ知識と身体、信念。

 

 流し聞いているだけでも面倒くさくなるハンターの付与価値と義務。

 言い合いの果てには意見を求められてしまったゴンの助けを求める視線を見なかったことにして、最後の一口を口の中へと放り込む。

 食事の間だけ目元まで持ち上げていた仮面を下へおろせば、今更になって僕が顔を半分出していたことに気づいた二人の言い合いが止まっていた。

 

 いや、見損ねたと悔しがられても口しか出ないようにしていたし。

 というかもうエレベーター着いちゃったから。

 

 開いた扉の向こう側には、都会の街中にでも行かなければ見ないであろうほどのごった返す人混み。

 けれどそこへ行っても体格の良い男ばかりがいるようなこの光景を見ることは出来ないだろう。

 人混み特有のむわっとした生暖かい空気が、冷たいはずの地下道へと広がっている。

 数えるのが面倒な程の人数がいて誰一人の顔すら、僕には覚えることが出来なかった。

 

「何人くらい居るんだろうね」

「君たちで405番目だよ」

 

 横で周りを見渡してそう言った少年の問いに、応える声がある。

 地下道の壁に通っているパイプの上に座っていたその人は、両方の口角を持ち上げながら親し気に話しかけてきた。

 細められた目と、他の受験生達から時折注げられる視線に僕は首を傾げる。

 

 凶狸狐さんにも一応認められていた洞察力であるし、これくらいは直ぐにわかった。

 彼は“嘘つき”なのだ。

 

「おっと、そうだ。お近づきの記だ、飲みなよ」

 

 渡されたのは、四人分の缶ジュース。

 一人一本ずつ分けろということらしく、ふと見回してみれば地下道内にも幾つか同じ缶が転がっているのが見えた。

 誰かが同じように貰って、飲み終えた後なのかもしれない。

 

「はい、これフーラの分」

「あぁ、ありがとう」

 

 ぼへっとしている間に僕の分も受け取ってくれていたらしく、受け取ろうと手を伸ばす。

 缶を掴んだと思った瞬間、それは床に転がっていた。

 

「……あ、」

 

 空けていないはずの缶の口から、中身が流れ出て床を濡らす。

 それ以上流れ出ないように持ち上げて起こすと、半分以上が零れてしまっていた。

 

「ごめんなさい、トンバさん。折角貰ったのに手を滑らせてジュース零しちゃったみたいで」

「いや大丈夫、もう一本あるからそれを…」

「うーん、でもまた落としちゃったら申し訳ないですし。僕、一応飲み物持参してますから」

 

 すみません、と口調だけ神妙に謝るかたちをとれば、もう何も言っては来なかった。

 代わりに勢いよく口にジュースを流し込んだゴン坊ちゃんが中身を吐き出して、やっぱりなと言わんばかりに二人がジュースを捨てる。

 聴覚や視覚だけでなく味覚まで超人的らしいゴンに驚きながらも、やはり細工をされていたのかと内心思った。

 

 そもそもが、35回も落ちているのに受験し続けていることがおかしいのだ。

 そんなことをしているくらいならばもっと別のことをやり始めればいい。受かりたいならば数年を消費して確実に鍛えた方が確実だ。

 なのに毎年受験を続けているというのは、合格を目指す以外に目的があると言っているようなもの。

 彼の場合は、真面目に試験を受けに来た新人の純粋な思いを踏みにじることだろうか。

 どうやら楽しんでいるようで何よりであるが、巻き込まれるのは僕だって御免被る。

 

 さて、と。

 

「そろそろ合流しようかなぁ…?」

 

 うーん。腕を組んで首を傾げながら、考えた。

 いやどうせ話しかけても、自由に試験を受けておいでと言って放置されるだろう。

 彼奴のことだ、僕がここに来たことになんてとっくに気づいているだろうし。見つけていても来ないということは、別行動をしていろということなのだろう。

 

 まぁ、仕方ないか。

 きっと受験者達の中でも彼奴は、悪い意味で目を付けられているだろうから。

 あのこらえ性の無さは今もまだ変わっていないらしい。

 

「……あれ、そういえば今日って何日?」

 

 ふと、疑問を口に出す。

 結構な余裕をもって出たつもりの僕であったが、着いてみれば貰った番号も406番。それだけの人数が既に集まっていてまだ来るのだろうかと、不思議に思った。

 

「七日だ、今日が試験当日だな」

 

 その疑問にクラピカが答えると、結構ギリギリであったことにレオリオが驚く。

 僕も驚いた。しかしゴン坊ちゃんにかかれば間に合ったから大丈夫、となってしまうのだから色々と凄い。

 彼等がいなければ、本当に僕はここへと到着できなかったかもしれない。

 危なっかしく何とか間に合ったような状態で受ける試験というものは、はたして何をさせられるのか。

 

 思考が打ち切られたのは、突如鳴り響いたベル音が鳴り響いた時だった。

 

 カイゼル髭というのだったろうか。

 髭を生やしている団長だと大抵がその形へと整えている見慣れた髭。それが特徴的で、着ている服も併せてもしやサーカス団を営んではいないだろうかと期待しそうになる男性が一次試験の試験官らしい。

 

 後を着いてくるのが一次試験だと言って、歩いているような動きとスピードで地下道を進んでいく。

 それを慌てて追ったはいいものの、僕たちが走らなければ追いつかない時点で普通にできる動きじゃないことは一目瞭然であった。

 多分、アレだ。

 あの人もきっと彼奴が言っていた念能力者というやつなのだ。

 そうでないと生身の身体であれを再現するのは至難の業であるし、ちょっと変わった技はそうだと思えって言われていたから、その筈。

 

 背中に背負った大きな荷物を持ち直しながら、憂鬱になった。

 行先も走る距離も時間も不明なまま。

 求められているのは終わりの見えない状態でも耐え続ける精神力なのか、ただ単純に持久力か。あるいはその両方かもしれない。

 

 困ったものだ。

 そういう方向の試験があるとは思っていなかったから、僕は荷物を預けることもしていなかった。預けたくもないけれど、それでも長時間を揺さぶってしまうよりはまだマシだったろう。

 

 走りながら荷物を気にして、腕で抱えながら出来るだけの衝撃を殺す。

 こんな状況に置かれてしまえば、できるだけ早く目的地に着くことを祈る他なかった。

 

 

 

 






 だいじぇすとだいじぇすと。
 そうでないと話が……というよりも文が書けません、はい。

 ようやく試験です。
 でもやっぱり走るばかりの描写。次回は特に語り主が考え事ばっかりする回になるでしょうねぇ。
 ……作者の技量が足らんのです。



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試験、弐

 

 

 

 鉄さびのような酷い臭いが鼻をついた。

 多くの人がそこにいた証明のような生暖かい空気。僅かに混じっている血煙の味が、呼吸をした口の中一杯に広がっているようにも感じられる。

 床一面に広がった赤。

 それでも流したりない液体は今も尚、天井に吊り下がった肉塊からぽたりぽたりと波紋を描く。

 赤いスープに浮いているごろっとした具材は何なのか。

 それは一目見れば誰でも判別をすることが可能だろう、普段見慣れているモノのパーツ。

 手が、足が、腕が、頭が。

 ぐつぐつ煮込まれる具材のようにそこかしこに転がっていた。

 

 そこに、僕は立っている。

 赤い光景を目の当たりにしながら。

 深い安堵の思いに胸の内を支配されていて、ただただ俯きながら血溜まりを見下ろしている。

 濡れそぼった髪からは、雫が滴り落ちていた。

 

 全身が酷く強張っている。

 どうしてか自分でも身体の感覚が良くわからなくて、ふと右手に力を込めていたことに気が付いた。

 掴んでいるのは左腕だ。

 意識をしても指先ひとつすらまともに動かせない、垂れ下がったソレ。

 

 ……嫌だと思った。

 だから、……だから僕は、

 

 

 

 

 

 

「――――ラ…、フーラ!!」

 

 大きな声で僕の名前を呼ぶ声に、霞が掛かっていたような意識を取り戻す。

 顔を上げれば下から覗き込むようにゴン坊ちゃんの頭が見えて、変わり映えのない周囲の様子に自分はハンター試験を受けていたのだと思い出した。

 何度も呼んでたのに、と少し心配そうな声音で告げる少年へと、少しぼーっとしてしまっていたのだと言って謝罪する。

 

「何にも返事しなかったからそうだとは思ってたけど、これから階段になるから危ないと思って」

「うん……確かに声かけてくれなかったらすっ転んでたかも。有難う」

 

 いやはや、一体いつからぼーっとしていたのか。

 余りにも淡々と続く視界と持久走に意識の方が持たなかったのかもしれない。眠ってしまった訳ではないことがまだ救いだった。

 とはいえ、彼が声を掛けてくれなければ階段に差し掛かった時点で足を縺れさせていただろう。無意識に転倒した場合、どんな怪我をしたのか判ったものじゃない。

 

 ふと、大勢の汗と熱気がこもった地下道の空気の中に、思い出してしまった記憶の血煙が匂ったように錯覚する。

 もしかしたら錯覚でも無かったのかもしれない。

 今も尚、血の匂いを纏わせている人間がここにはいるのだから。

 

 目の前を走る少年へと、目を向ける。

 彼は途中から一緒になって走っていたそうで、ゴンと二人で並ぶと背の高さも余り変わらない。

 ゴン坊ちゃんの黒髪に対するような銀髪が、少し印象的だった。

 同じ年頃の子と話しているからかもしれない。先ほどまでよりまた少し楽しそうな様子に、子どもらしさを見たような気がしてほっとする。

 彼には、大人たちに挟まれるという苦労を掛けてしまっていた。

 

 同時に同じ年頃の子どもが試験に参加しているのもどうかとは思ったけれど、キルアという名前らしい少年もまた、血の匂いを纏っている人間だった。

 だったら、問題は無いのかもしれない。

 この試験にはそういう人間が集まりやすいとも、彼奴が以前言っていたから。

 

 僕が向けていた視線に気づいた少年がちらりと目線を走らせる。

 思わずへらりと笑って返したけれど、僕は仮面を被っているから意味がなかったかもしれない。

 少し目つきも警戒しているように見えたし、もしかしたら不審人物だと思われたのではないだろうかと少し落ち込んだ。

 そりゃあそうだ。

 普段道化師を見るようなことは普通無いし、居たら居たで怪しすぎる。

 治安が良い地域を放浪していたころには、彼奴と二人揃って職務質問をされてしまったこともあるのだ。これくらいはちゃんと自覚し終えていた。

 

「あ、出口だ!」

 

 いくつもの騒めく声に出口が近いことを知らされて、顔をもたげる。

 見上げたうす暗い通路の先には視界を埋め尽くすほどの白。

 直視はしていないというのにそう見えたということは、長時間を地下道の中で過ごしていたために目が闇へと慣れてしまっていたらしい。

 

 これで終わりだと期待はできないが、それでも外が見えるようになるだけで気が大分楽になるだろう。

 階段を抜けて光を潜った先には一面の緑と、それら全てを覆うような深い霧が広がっていた。

 

「ヌメーレ湿原、通称“詐欺師の塒”二次試験会場へはここを通って行かねばなりません」

 

 這う這うの体で辿り着く受験生が粗方集まり終えてから、試験官の男性は湿原であるらしいここの説明を始める。

 

「十分注意して着いて来て下さい、騙されると死にますよ」

 

 背後では、ある程度の所で受験生の取捨選択をしているらしく登ってきた階段を隔離するようにシャッターが下りていた。

 目の前で閉まるシャッターへと手を伸ばしていた脱落者は、どんな気持ちだったろう。

 振り返って見た顔は諦めと絶望の混じったもの。

 もっと複雑な感情があるのかどうかさえ僕にはわからず、そして彼らはまた来年か、それともハンターになることを諦めるのだろう。

 

 視線を戻せばどうしてか騒ぎになっていて、何故そうなったのか理解しきれないでいると数枚のトランプが騒いでいた男を切り裂いた。

 一瞬の騒めきの後には沈黙が場を支配し、カードが飛んできた先へと目を向ければ、投げたのであろう相手と目が合う。

 彼は、楽しそうに笑っていた。

 

 ぼんやりと眺めていれば、仕留められた二つの死体が群れた鳥に集られて捕食されていく。

 夢中になって啄んではいけれど、僕にはそれが美味しそうには見えない。

 当たりまえだ、僕は鳥ではなくて人間なのだから。

 

 …………?

 あれ、僕って人間だっただろうか。

 いけないいけない、忘れちゃうところだった。僕は道化師なのに。

 

 再び走り始めると前方を覆う霧が濃くなって視界を隠す。気を抜けば、前を走る受験生達を見失ってしまいそうだった。

 ふと気づいた時には前を走っていた筈の小柄な二つの影を見失っていて、だいぶ前方のほうからゴン坊ちゃんの大きな声が聞こえる。

 

「レオリオ―! クラピカ―! キルアが前の方に来たほうがいいってさー!!」

 

 それを切っ掛けに前後で響く大声の会話。

 体力的に辛そうだった二人はそんな会話をしていて最後まで持つのだろうか。

 というか、呼ばれた名前に僕の名前が入っていないということはもしかして忘れられているのか。

 そう思った直後にまた声が響いて、僕は面の裏で苦笑する。

 

「って、あれ? さっきまでフーラって後ろにいなかった!?」

「あの仮面男だったら大分前に後ろの方に行ってたよ」

 

 ゴンの声に、少し冷静なキルアの声が返事をする。

 忘れられていたというよりも、後ろを走り続けていると思っていたらしい。

 目を細めて声が聞こえる方向を凝視してみても、走る影がぼんやりと幾つか見えるばかり。そこに頭一つ二つ小さい彼等の姿はない。

 どうやら、思っていたよりも前の方にいるようだ。

 姿が見えないなら仕方ないので、取り敢えず僕の前を走る人影に着いていく形で走り続ける。

 

 叫び声が上がったのは、後方が先だった。

 続いて前方。

 道を間違えて襲われたのか、それともちゃんと走っていて途中で分断されたのか。

 あちらこちらの方向から、いくつもの悲鳴が木霊す。

 

 風を切るような音が聞こえたのも、そのすぐ後だった。

 

 反射的に、立っていたその位置から大きく飛びのいて飛んできた得物を視認する。

 それが何の変哲もないただのトランプカードであることを確認し、地面に落ちたそれを拾いあげた僕はため息をついた。

 

 なんてこともない。

 彼奴、霧で見えていないからって僕まで射的相手に含めやがった。

 

 血の匂いが鼻について、眉を顰める。

 暇つぶしであるかのように彼奴は言っていたけれど、僕への嫌がらせなのでは無いだろうか。

 そうではないと分かっているけれど、的確に僕の不快指数を突いてくるその手際は本当に天才的な奇術師だ。

 才能といっても良いんじゃなかろうか。

 

 そのへんの朽ちかけた木の枝を拾いあげて、適当に投げる。

 狙いも適当に投げたそれがもちろん当たる筈もなく、けれど彼奴の気は引けたようで、まだ立っている数人を追いかけるように歩む足が止まった。

 

「おやおや、やあフーラ♦ 試験に参加しないって言ってたけどどうしてここにいるんだい♠」

「……別に気が変わっただけだよヒソカ」

 

 僕が参加していたことくらいとっくに気が付いていただろうに、なんて今更な白々しい挨拶だろう。

 そんな思いを込めつつ見つめていれば、ヒソカは意地悪く笑って言う。

 

「だって君ったら、予定が変わっても僕に連絡ひとつ寄こさなかったじゃないか♣ 目が合っても無視するし、…随分悪い子に育ったなぁ♥」

「“悪い人”に育てられたからじゃないかな。ほら、子どもって大人の背中を見て育つっていうし」

 

 っていうかさ、ヒソカ。

 

「君のせーで僕ったら、完全な迷子になったんですけど」

 

 トランプ投げられるし霧が濃くて仮面付けているのも気持ち悪いし、足場はぐちゃぐちゃしてるし。

 髪はべったべただし、しばらく同行していた相手のせいか調子狂うし。

 最近の嫌なことは思い出すし、本当に不快だ。

 

 ふと、後ろに人の気配。

 振り返って誰か見てみればここ数日行動を共にしていた一人と特徴が丸被りで、そうつまりはレオリオだった。

 

「こちとらやられっぱなしで我慢出来るほど、気ぃ長くねぇんだよ――!!」

 

 振りかぶるのは僕が投げたのと同じような、細工も何もされていない変哲のない木の棒。

 そんなのじゃあ傷一つ付けらんないよな。とぼーっと考えながら眺めていれば、それを楽し気に眺めていたヒソカが口を開く。

 

「んー、いい顔だ♦ フーラ、そこで良い子に待ってたら後でちゃーんと試験会場まで連れてってあげる♣」

「はーい」

 

 まさに良い子の返事だっただろう。

 折角参加することになった試験なのだから、どうせだったら合格したい。

 保護者がおりこーさんにしてろというのだから、そうすれば問題が万事解決するのだし、僕は全力で眺めているのが正解だ。

 

 レオリオの旦那と、途中参加してきたゴン坊ちゃんが困惑したような目を向けて来るけど、僕はなーんにも言いません。

 でないと水を差されて機嫌を悪くしたヒソカに折檻されてしまいかねない。

 

 

 






 皆さんご存知の際物、奇術師さんの登場回。
 ……登場回?
 既に影はいくつも有りながらのようやく登場です。

 ここからは薄っぺらいキャラクター性に中身が入ると……いいなぁ。(遠い目


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試験、参


少しだけ描写注意、ってそこまででもないですね。



 

 

 

「油断して血ぃ流してやんの」

「大丈夫さ、これくらいだったら流しても余りある青い果実を見つけられたからね♥」

「それってゴン坊ちゃんのこと?」

 

 確かに面白く成長しそうだよね、と言えば、ボクの得物なんだから手を出すなと釘を刺される。

 出すかよ、ヒソカじゃあるまいし。

 僕の売りはお客様への丁寧な対応。殺戮快楽者でも何でもないし、むしろどうして僕が手を出さなければいけないのかを問いたい。

 

「で、何で君はここにいるのかな♠」

 

 先ほども問われた言葉がもう一度投げかけられ、沈黙した。

 ふと顔をあげてみれば、レオリオを担ぎ上げている左腕が見える。右腕に、それも小脇に抱えられているこの状態には色々な意味で不満しかないけれど、文句を言っても此奴は僕の背が低いからだと言って取り合いもしないのだ。

 甚だ不愉快だ。僕だって身長170は超えている。ヒソカや他の奴らが高すぎるだけなのだ、うん。

 

「そういえば何時だったかな、パドキアの辺境辺りを巡っていたサーカス団が団員全員惨殺されたっていうニュースを聞いたよ♣」

「……へぇ、そんなニュースあったんだ。知らなかったなー」

「警察が現場に踏み込んでみたら、どうやらそのサーカス団ってフリークショーを専門にしていたみたいでさ♠ ――――次の職場はどの辺りだって言ってたかな、フーラ♥」

 

 現実逃避をしてはみても、こいつは自分が聞いているときに逃がしてくれない。

 気まぐれや遊びで引き延ばしてはくれるけれど、基本的に快楽主義なヒソカを信用してはいけないのだ。

 諦めて、ため息を吐く。

 

「はぁ……確かに、殺したのは僕だよ」

「全員?」

「一人も残さず全員、目撃者も込み」

 

 公演中でもないサーカス団に居る目撃者なんてお客様ではないから、それこそ団員以外しかいないのだけれど。

 そしてフリークショーをやっていたそこでの団員以外となれば、言わずとも知れるだろう。

 

「誰が団長かわからなかったからさ、派手にやらかしちゃった」

「それで目撃しちゃった見世物も全員殺したと♣」

「……駄目だった?」

「ボクが駄目だとか言えないんだけどね♦」

 

 そりゃあそうだ。殺しがいのある人間を探すことが生きがいのようなこの男が、人を殺してはいけないだなんて他人に説教できる筈もない。

 いや、でもぶつかって謝らなかった男には説教したんだっけ。

 おまけとして相手の片腕吹っ飛んだみたいだけども。

 

 殺したことに対して、何かを思っているわけでは無いらしい。

 それならどこが引っかかっているのかといえば、ヒソカが気になっているのはどうして僕が彼等を殺したかということなのだろう。

 

 仕事に忠実で、必要もないのに殺さない僕が。

 鞭打たれても焼きごてを押し付けられても、仕事である限り僕は手を出さないし、サーカス団を害さない。

 そんな僕が今更、見世物になっている人間や幼子を見たって激昂する訳もない。

 そもそもが、その見世物であった彼等も殺しているのだし。

 

 ヒソカに何故かと問われれば、答えなければいけないだろう。

 気の乗らない重たい口を持ち上げて、僕は動かす。

 

「腕を、ね。――――左腕を、切り落とされそうになったんだ」

 

 その前にいたサーカス団の団長が持ち出してきた転勤話。

 彼も言っていたけれど、そのつながりを持っていたのは団員の誰かだったらしい。

 その“誰か”が持ってきた話というのが、僕に対しての悪意に塗れていたのだろう。次の職場として紹介されたのは、見世物を中心とするフリークショー。

 僕はその誰かに売られていたのだ。団長も、僕自身も知らないままに。

 ……知っていたのかもしれないけれど。

 

 フリークショーを基本とするサーカス団が、普通のピエロを必要とはしない。

 何をやっても滑稽で、笑えるような道化師が舞台上を駆け回らないと見世物にも前座にもならない。

 だから。

 団長が言うには、足を切り落としてしまえば歩けなくなってしまうから。

 右腕では利き手で無い方を切り落としても滑稽さが薄れてしまうから。

 利き手である、身体のバランスをとる片腕の、左腕を切り落としてしまおうということだった。

 

 足の指でもいい。でも、それでは客から見えない。

 耳でもいい。音が聞こえないなか踊らせたならば、どんなに滑稽な踊りを見せてくれるものか。

 目は駄目だ。この目は珍しくて良い見世物になる。

 指では物足りない。ジャグリングをして物を落とすだけならば何も面白くない。

 

 左腕を落として、その後舌を切り取ろう。

 いや、やはり舌を先に切るか喉を裂こうか。そうすれば悲鳴を上げても静かだろう。

 

 喉ならまだいいかもしれない。

 どうせ仕事中は話さないんだ、本当に話せなくなるだけだから。

 だけど、腕は駄目だ。

 腕がないと何もできない。今までできていた芸も出来なくなるだろうし、そうなれば後はただ朽ちていくだけだ。

 それを受け入れることは、僕にはできなかった。

 

「だから、団長を殺そうと思って。頭を潰せば逃げても追って来れないでしょう?」

 

 あのサーカス団の要は団長だったから。

 指揮系統さえ麻痺させれば簡単に逃げられるだろうと思ったけれど、いざ実行に移してみればどの顔が団長だったのかわからなくて、仕方ないから団員全ての頭を落とした。

 そうしたら檻の中に居た見世物が見ていることに気づいて、警察に情報が行って追われるのも嫌だったから殺した。

 

 実際、警察も殺し屋もなにも追ってきた様子が無かったから、間違いではなかったと思う。

 僕の対応は僕にとって間違いではなかったけど、他人には間違いなようだから。

 

 ただ、十数日経った今でも夢に見る。

 赤いスープのような一面の水溜りと、具材のようにごろりと肉塊が転がった部屋の中に自分が立っている光景。

 手も足も頭もない胴体が天井から吊り下がり、傷口からはまだ新鮮な血が滴って波紋をつくる。

 恐ろしい訳では無かった。

 殺したのが初めてな訳でもない、ヒソカと一緒に放浪をしていれば死体はいくらでも見たし、彼奴を殺そうとする相手を始末させられたこともある。

 だけど、そんなことは今までなかったから。

 

「道化師を続けられなくなるかもしれないなんて、考えたことも無かったんだよね」

 

 物心ついた時には、既に僕はそうだった。

 言われるがままに道化師としての技術を学んで、自分の顔を塗り潰すように化粧をして、まだ幼いうちから舞台の上に立っていた。

 それが当たり前で、そうあるべきで。ヒソカに辞めればいいと言われても、こう育った僕がそれ以外のことをしている姿すら想像がつかない。

 

 腕がなくなれば軽快に飛び回ることが出来なくなる。

 足がなくなれば歩くことすら出来なくなる。

 喉くらいなら良いけれど、それ以外のどこかが欠けてしまうだけで僕は道化師じゃなくなってしまうのだ。

 それが堪らなく嫌で、不快。ただそれだけの事だった。

 

「今考えると、月明かりで見える程度だっただろうし、やろうとすれば罪を押し付けることだって出来たんだろうけどさ」

 

 自分が自分でいられなくなってしまうような恐怖に、僕だって冷静では無かったのだろう。

 化粧を落として僕であった特徴さえ無くしてしまえば、気付かれなかっただろうことにさえ頭が回らなかった。

 服を着替えてしまえば良かった。

 月明かりの下で、どうせ僕の髪色は黒にしか見えない。

 特徴的なこの目の色も、殺害現場と共に連想されるのは全く別のものだろう。

 

「……ヒソカ?」

 

 問われたから正直に答えたというのに、肝心の本人が沈黙していることに不安を覚えて名前を呼んだ。

 見上げてみれば、いつもニヤニヤと弧を描いている口元が釣りあがっているようには見えなくて、首を傾げれば気づいた彼がこちらに目線を落とす。

 ちゃんと笑っていた。いつも通り、何かを企んでいるような楽しそうな笑み。

 気のせいだったのだろう。

 もし気のせいでなくとも、ヒソカだって笑いっぱなしが疲れることも有るのかもしれない。

 

「何でもないよ♦ 君がそこにいた証拠はちゃんと消したのかい? ほら、前のサーカス団とか♠」

「その可能性は低いと思ったけど、一応見世物の中でも体格が近くてまともな体つきに見えるのを僕の死体に偽装したよ」

 

 ちゃんと着ていた衣装を着せて首を落として、四肢も綺麗に切った。

 目は僕のを刳り抜いて嵌め込むわけにもいかないから、代わりに彼のものを刳り抜いて取った。

 化粧にまで意識が向かなくて気づいたのは後だったけれども、予備の仮面一つ死体の傍に転がしといたからきっと大丈夫。

 前の団員がそれを見せられても、僕のものだって証言してくれるだろうから。

 

「あ、ちゃんと取った目は生ごみに捨てたよ」

 

 だから今も持っていたりはしていない。腐らないようには出来るけど、そんなもの持っているだけでばっちぃから。

 

 よしよし、良くできました。と、両手は塞がっていたけれど代わりに口でヒソカは言った。

 そんな年齢でもなくなったし、僕だって頭を撫でろと我儘は言わない。

 それよりも腕に担がれた僕の代わりにヒソカが背負っている荷物の方が気になって、心配で仕方がない。

 早く休憩時間とか就寝時間が来ないだろうか。

 できれば個室が良い。昔、心配し過ぎて人の前で開けて確認したら、酷く怯えているような気味悪そうな視線を向けられたことがあるから。

 

「その荷物、あんまり揺らさないでよねヒソカ」

「箱の中はちゃんと揺れない仕組みだって前言ってたじゃないか♣」

「うん、だけどやっぱり駄目」

「……次の試験、また走らされなければいいね♠」

「そーだね」

 

 襲ってくる湿原の動物や通りがかりの邪魔な受験生を、ヒソカの指示で縊りながら会話を終える。

 わかりやすいように各所にばら撒けと言うし、多分これは道標なのだろう。

 ゴン坊ちゃんやクラピカ坊ちゃんの為の。

 出来るだけ血の匂いがするようにとも告げる辺り、こいつもゴンを野生児だと判断している。間違いは無さそうだけれど、現代の子どもにその判断はいかがなものか。

 まぁ、彼に関してはくじら島という島で山を遊び場としていたらしいから、確かに野生児なのだろうけれども。

 

 ふと、視界に続いていた木々がなくなって、開けたところに着くとヒソカは足を止めた。

 頭を持ち上げれば建物が見える。

 扉の上には二次試験が正午からである旨が書かれていて、ここが会場なのだと理解できた。

 

 ぽんと放り投げられるように抱えられていた手が解けて、久しぶりに足が地に着く。

 荷物を返してもらって、思い切り伸びをしながら受験生たちが集っているのを確認すれば、ヒソカはレオリオの旦那を気に凭れさせて立てかけていた。

 

「置いてくの?」

「ずっとボクが抱えている訳にもいかないからね♥」

 

 ふーん、と返事をしながらしゃがみ込んで見ていれば、レオリオの顔が腫れていることに気が付く。

 そういえばヒソカに殴られていたんだっけ、彼。

 適当に眺めて観察していれば、彼を宜しくと言われてヒソカは歩いて行ってしまう。

 多分、途中で連絡をとっていた相手と合流するんだろう。

 

 一緒に行動をしていても、僕が目を付けられるだけだ。だったら必要な時以外は別々に行動していた方がお互いに良い。

 わかっている。これは、子どもみたいな我儘だ。

 理解はちゃんと出来ていて、それでもどうしてか口角が下がる。

 

 嗚呼本当に何故だろう。

 彼奴と協力関係に有る相手が……少し、気に食わなかった。

 

 

 





《おまけ》

「ボクが居なくなった瞬間機嫌が悪くなるんだから、フーラったら可愛いなぁ♣」
「鬱陶しいし聞いた覚え無いんだけど、なにアレ、ヒソカの弟?」
「んー、そんな感じかな♦」
「そっか、じゃあ仕方ないね」
「仕方ない、仕方ない♥」

 可愛い弟だから仕方がない。


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試験、肆

 

 

 

「オッス」

「…おーっす」

 

 掛けられた声に、一瞬の間を挟みながら返す。

 誰だっただろうという疑問も数秒。そういえば自己紹介もしていなかったと思い出しながら、頭一つくらい低い銀色の髪を撫でた。

 反射的にしたのであろう警戒が、呆れたような気配と共に霧散する。

 目線を落とせば、吊りあがった猫目が胡乱げに僕を見上げていた。

 

「……何で撫でるんだよ」

「いやあ、癖みたいなもんでね」

 

 猫っ毛なのか少し乱雑なようにもみえるその髪は、思った以上に柔らかい。

 自分よりも余程近いその髪色と目つきに、恐らくは僕自身が思っている以上に気持ちが穏やかになったような気がした。

 若干、機嫌が悪かったから余計なのかもしれない。

 

 必要以上に少年の顔をじっと見つめて、意味の無いことだと軽く首を振って諦める。

 かわりにキルア坊ちゃんの疑問へと答えることにした。

 

「ゴン坊ちゃん達ならもう直ぐ帰ってくると思うよ」

「ばっ……ちげぇよ! いや、違くないけど……そうじゃなくて、」

 

 首を傾げる。

 違ったのだろうか、どことなく心配しているような、不愉快な気分であるような気配を感じ取っていたのだけれど。

 

 キルアの目に、霧散していた警戒心が若干宿る。

 ふとレオリオの旦那のことを思い出して木の方に目を向ければ、彼もそれにつられてその方向を目視し、暫く眠ったままの男を見つめて考え込んでいた。

 間違いないと思う、彼もまたレオリオのことを忘れていたのだろう。

 このおっさん誰だっけ、みたいな事を考えていたのではなかろうか。いや、レオリオの旦那はまだ十代らしいけれども。

 

「お前、ヒソカと知り合いなの?」

 

 自分の中でちゃんと答えが導き出されたのか思考を止め、投げかけられた問いへと僕は笑った。

 その質問は、僕がヒソカに抱えられたまま帰って来たからなのだと思う。

 一緒に担がれていたという意味ではレオリオもなのだけど、明らかに負傷して気絶しているのだから僕とは状況が違う。

 

 それにきっと、キルアは気づいているのだろう。

 ヒソカから移ったというには少し濃すぎる血の匂いというものに。

 頭から被った血の匂いはやっぱり暫くはとれないだろうし、そういうものに敏感な彼ならば、もしかしたら僕を同類のようにも思っているのかもしれない。

 キルアやヒソカや、もう一人のように。

 

 僕からすれば、違うのだけど。

 

「知り合いというか……まぁ、長い付き合いではあるよ」

 

 出会ったのは何時の事だっただろうか。

 回想をするように記憶を振り返ってみれば思い出したくないことまで思い出しそうな気がして、意識しないままに遡ろうとする思考を拒否した。

 

「ふーん……あ、オレはキルア。あんたは?」

 

 ゴン達とは違い、お互いに名乗り合っていないことに気が付いたのかキルア坊ちゃんはそう言った。

 間接的にはお互いの名前を知ってはいるものの、直接的に会話をするのはこれが初めてだったから、今更気づいてしまうのは仕方のないことだと思う。

 かくいう僕も、彼に言われて初めて気づいた。

 ゴン坊ちゃんから名前は既に聞いて自然に名前を憶えてしまったものだから、言われてみて、あぁそういえばそうだったのだと思い出したのである。

 

「フーラだよ」

「へぇ……、フーラだけかよ」

「そう言われても、君だってキルアとしか言ってないだろう?」

 

 キルアが告げた形式にあくまで則って返答すれば、ジト目のまま見上げられた。

 呆れているようにもみえるけれど、この場合は言われたことを返すのが当たり前なのではなかろうか。

 もしや僕が間違ってたのか? 僕もヒソカも普段ファーストネームしか名乗らないから良くわからない。

 ひょっとして、普段ちゃんと名乗らないからこそ僕って信用されないのだろうか。

 

「……キルア=ゾルディック」

 

 僕の発言が順当だと理解してくれたのか、それとも変な所で根負けでもしたのか、数秒の沈黙の後、彼が名乗る。

 へー。と適当な返事で応えれば、反応が薄かったことが不思議で仕方ないというような表情をありありと浮かべていたので首を傾げた。

 

 え、もしかして君のうちって有名なの?

 反応的には知らないことの方が変なレベル?

 そりゃ不味いや、後でちゃんと調べておかないと。世間一般で言う常識は身に着けておくべきだとは言われているし、だったら何でヒソカは教えてくれなかったのだろう。

 嗚呼、教えても関わりっこないからか。

 彼奴とは違って、僕は特に危険なことは何もしていないのだし。

 

 折角名乗ってくれたのだし、これはしっかりと返事をお返しせねばなるまいと口を開く。

 さてさて、これを言うのは何度目だろう。

 あんまりした記憶も無いし、実はそこまで言ったこともなかったかもしれない。

 

「ごめんキルア坊ちゃん。こんなこと言っておいて申し訳ないんだけど、……僕って自分のファミリーネーム知らないんだよね」

「はぁっ!?」

 

 清々しく思うくらいに良い反応をしてくれたキルア坊ちゃんの声で、意識を失っていたレオリオの旦那が目を覚ます。

 状況が良く理解できない彼が僕とキルアを見比べている内に、今度はゴン坊ちゃん達が辿り着いたようで、僕達を見つけるなり慌てて走ってきた。

 

 どうでもいいけど、クラピカ坊ちゃんもしっかりしているようで少し抜けているのかもしれない。

 こういうのを何と言うのか教えてもらったような気がするけど、何だったろうか。マイペース、じゃなくて。ポンコツでもなくて……あ、天然だ。天然呆け。

 集中して見るところを間違えてしまうのは僕もやってしまうけれど、レオリオの顔面にある腫れは結構目立つと思うんだ。

 

「ところで二人は何の話してたんだ?」

 

 散々な会話を繰り広げて、思い出したようにレオリオの旦那が僕達の会話を引き戻す。

 正直、そのまま忘れ去っていてほしかった。

 この説明はそもそもあまり名乗ったりしないからやらないのだけど、こうして正面から追及されるとちょっと困る。

 僕にだって、恥のようなものはあるのだから。

 

「そうだった、ファミリーネームが無いってどういう事なんだよ」

「……いや、そんなに正面きって言われるとちょっと…」

「おめェは何でそこで恥ずかしがるんだよっ」

 

 もう、全く調子が狂う。

 道中の会話では結構空気を読んで聞いてこない質問も多かったのに、どうして今に至ってしまうと追及を始めてしまうのか。

 しかもよりによってこの質問だ、これはちょっと、いやかなり恥ずかしい。

 仮面を付けていて顔なんて見えないのに、その仮面を皆の目に晒すことすら恥ずかしく思えて手で覆う。

 レオリオの旦那あたりは凄く微妙な顔をしていた。

 

「フーラ、フーラ」

 

 ちょいちょいと顔を覆う手元の袖を引いたゴン坊ちゃんが呼ぶから、手を放して顔をあげる。

 そうなの? と簡潔に聞いてくるので、ひとつ頷いて返事をした。

 

「そうなんだって」

「いや、どーいうことだよ」

 

 それもそうだ。

 何も言わずにそういうことだと告げても何の返答でも無かった。

 

 それでも、そのやり取りに気分が落ち着いたのは本当で。仮面の下で蒸れて熱い顔はまだ冷めないけれど、取り敢えずは声が出るようにはなった。

 誰のおかげかと言われれば、この場の功労者は間違いなくゴン坊ちゃんだ。

 この場だけじゃなくてどの場でもだったけれど。

 

「あー、えーっと…」

 

 いざ説明をしようとすれば、言葉に詰まる。

 いつも何気なく話して流そうとしていまうから、こうも聞かれているとわかっている状況で話すのは慣れていなくて辛いのだ。

 せめて自分の目線だけは外へ逃がそうと目をそらしてヒソカを見つければ、ふと気が付いてこちらを見た彼奴はこちらの状況も解っていないだろうに、どうしてか楽しそうに笑っている。

 僕が困っていることは、何故か把握しているようだった。

 その上で、助けを呼んだって来てくれないのだろう。彼奴はそういう奴だ。

 くそう、ちくしょーめ。

 

「こう、言っては悪いのだが……フーラは流星街出身なのか…?」

 

 粗方の事情を聞いて、考え込んでいたクラピカ坊ちゃんが問いかけてきた。

 警戒心からか緊張しているような彼の様子に疑問を持つ。その真っすぐに向けられた目は真剣で、覗き込んで見てみれば、奥の方に僅かな怒りと憎悪が混じっているようにも見えた。

 

 僕に向けられたもの、ではないだろう。

 その場合はもっと直接的で、良く見なくとも目には隠し果せるものでは無い。

 だからこれは、連想するように思い出してしまったもの。僕の発言や彼自身が放った言葉が、恐らくはそれに関係してくるのだろう。

 この場合は、そう。

 流星街。

 

「……ううん、違うよ」

 

 まぁ、僕には関係ない。

 話に聞いた流星街という場所は、確か命さえも捨てられているごみ捨て場みたいなもの、だっただろうか。

 名前すら与えられなかった人間が存在するだろう、無法地帯。

 ファミリーネームが無い、ということから戸籍がない、それならばもしかして、という思考だったのかもしれないけれど、僕の場合は少し事情が違うのだ。

 

「産まれたのはグラムガスランドだけど、その後はサーカスであっちこっち転々としてたかな」

 

 戸籍は、どうだろう。

 一応あるとは思うけれど、もしかしたら宙ぶらりんにはなっているかもしれない。

 生死不明扱いになっているかもしれないし、下手したら死亡扱いの可能性もある。

 だけどちゃんとした手続きをすれば必要な時は使えるとは思うし、存在しない人間扱いにはなっていない筈だ。

 

「僕がファミリーネームを知らないのはね、えっと。憶えてない、からっていうか…」

 

 お母さんにはちゃんと有ったのだと思う。

 父親にも有るのだろうけど、僕は父親の名前なんて知らないから使うならばお母さんの方だった筈だ。

 しかし、まぁ。

 幼い子どもにとっては、お母さんはお母さんな訳だ。

 名前で呼ぶようなことなんて勿論無いし、普段だってお母さんで事足りる。

 

 サーカス団というものは、本来団員の全員が身内であるような連帯感があった。

 だから、やっぱり他人を呼ぶときも名前で呼べば事足りて、団長ですら団員達を愛称で呼んでいたりもする。

 だから、ふとした時にその弊害が生まれた。

 

 例えば、その団員が事故をしてしまって急死してしまった時。

 死亡届。または遺族への死亡通知。

 やらない訳にはいかない。けれど、いざとりかかった時に団員達が戸惑うことがある。

 

 彼、または彼女の本名は何だったのか。

 実家は有って、遺族はいるのか。

 団員の本来の住所はどこなのか。

 入団の際にちゃんと調べて記録してあるようなところであればそうでも無かったのかもしれないけれど、遣っていないところも割とあった。

 

 僕が初めに属していたサーカス団は、しっかりと記録をしている処だった。

 団員が亡くなれば必要な連絡をし、遺体の引き取り手が無ければ団員達で小さなお葬式をする。そんな、心優しい人間が営んでいるサーカス団だった。

 だけど、お母さんが死んでしまって。

 酷く動揺してしまった当時の僕は、そのままサーカス団には戻らなかった。

 

 幼き無知故にお母さんの名前も知らず。教えてくれる所からも離れて。

 こうして僕は、今に至る訳だ。

 

「子どもだったから、っていっても流石にそれがおかしいって事は後から教えられて…」

 

 だから毎度説明するたびに少しどころかかなり恥ずかしい。

 僕が、昔はクラピカ坊ちゃん以上に抜けていたお馬鹿さんであることを、自分で説明しているようなものだから。

 

 

 





 何で君等は苗字に拘るのって回。

 レオリオにもちゃんとファミリーネームあったみたいですね。
 なので苗字があることがこの世界でも普通なのだろうと判断しました。ヒソカも苗字ありましたし。
 無いのは民族とか少し特殊な人たちだけかもですねぇ。

 ……え、オリ主君?

 あの子はただのおとぼけさんです。


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幕間、其ノ壱

 

 

 

 しんしんと月が夜を照らすテントの中で、彼女達は息を殺していた。

 静まり返ったキャンプ内の音を全て耳で拾えるように、誰かが着たら直ぐに察知して逃げられるように。

 

 ぶるりと時折酷く震える身体は、決して夜の冷えた空気だけが理由ではない。

 

 

「――――ねぇ、帰ってきた?」

 

 

 一人の少女の声が、僅かな蝋燭の火だけが灯りとして存在する暗闇の中に溶けた。

 その声に答えるようにして、もう一人の少女の声が同じ空間に吸い込まれる。

 

 

「ううん、帰ってきてないよ」

 

 

 やっぱり、と口に出す代わりに吐息が漏れた。

 

 お互いの存在を確かめ合うように相手の手を握りしめたまま、寝具に横たわる少女達は、直ぐそこに迫っているようにさえ思う恐怖に怯える。

 

 

「……ダートおじさんには教えるべきじゃなかったのよ」

 

「だって教えてって言ってきたのはおじさんだわ」

 

「そうだけど、でも私たちが教えなければ…」

 

「私たちが教えなくても誰かが気づいたのよ」

 

 

 切っ掛けになったのは彼女達だった。

 

 けれど、彼女達がそうしなくとも、何時かは誰かが同じように気付いて、同じように彼はこのサーカス団から追いやられていただろう。

 

 

「……彼は悪くない」

 

「悪いのは私たちとおじさんだわ」

 

「でも、悪気はなかったのよ」

 

 

 悪気はなかったけれど、好奇心とは時に恐ろしいものだ。

 

 知りたいからといって他人の、知られたくない部分を探り当ててしまうのはどちらにとっても不幸である。

 誰にだって、逆鱗というものはあるのだから。

 

 

「おじさんは見つかったのよ」

 

「悪魔に見つかってしまったの」

 

「きっと今頃殺されてしまっているわ」

 

「次はきっと、私たち」

 

 

 握った手が震えているのは、自分だけではなく相手の手もまた震えているからなのだろう。

 

 蒼白になった顔色だけではなく、食が細くなるにつれやつれていった少女達の姿は、余りにも憐れで滑稽だった。

 それはまるで、存在しないものに怯える道化のように。

 

 

「ラナ」

 

「ナジェ」

 

 

 

「死ぬときは一緒よ」

 

「二人一緒に死のう」

 

 

 ひたりひたりと、テントの外を徘徊して近づいてくる足音は幻聴か。

 

 

「嗚呼、悪魔が来る」

 

「ダートおじさんを殺した悪魔が遣って来る」

 

 

 足音が聞こえた。

 

 静けさの中、二人を探してさ迷い歩きながら、夜を闊歩する誰かの足音が耳に届く。

 

 それが誰の足音なのか、彼女達の言う悪魔が誰であるのかも、恐怖で既にいかれてしまった少女達にはわからない。

 

 

「…怖いわ」

「怖いよ」

 

 

 

 

 嗚呼、嗚呼。

 

 

 夜も更けた闇の中、

 

 

 

 

「「紫紺の目をした悪魔が殺しに来る」」

 

 

 



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試験、伍

 

 

 

「そういえば後で聞こうと思ってたんだけどさ」

「ん、なーに?」

「フーラを試験に誘った知り合いってヒソカのことだったの?」

「そうだよ」

 

 ゴン坊ちゃんの問いに、僕は頷いて返事を返す。

 思わぬ過去の恥を暴露する結果になってしまって、誤魔化すように二次試験へと話をそらした後の事だった。

 ついでに程度の疑問だったのかそれ以上の追及は特になかった。

 何か言いたいような、戸惑っているような。そんな気配はいくつか感じ取ってはいたけれど、聞かれてもいないことをわざわざ話す道理もない。

 聞いたとしてもそれに答えるかどうかは別問題でもあるけど。

 

「それよりさ、スシってなに? 食べ物?」

「試験官が食べ物って言ってんだから食べ物だろ?」

「知らない、食べたことねーもん」

 

 話をそらすように、戻すように問いかければ、返って来たのは一様に知らないという返事。

 二次試験の最初の関門はどうにかなったけれど、第二の関門であるこれには僕は太刀打ちできない。せめて何らかのヒントでもないだろうかと周囲を見回したけど、知っていそうな人間はごく少数だった。

 どっかの民族料理だから知らない人も多いと試験官が言っていたけど、僕が思うグルメのヒソカも知らないみたいだから、よっぽどマイナーなのだろう。

 そんなものを試験に出されても、どうしろというのか。

 

 それにしても、料理か。

 ただ走り続けるだけの試験も結構精神的な苦痛を感じたりしたのだが、今となってはそちらの試験の方がよっぽど良心的だったのだろう。

 技術というものを求められた時、役に立つのはどうしたって経験なのだから。

 土壇場に独学で学び取るなんて超人的なことは出来っこないし、普段目にもしていないようなことを実際にやろうとしても想像すら出来はしないのだ。

 

「あー……どうしよう、もう」

 

 困った困った。

 変に淡々と考えてしまうせいで困っているようには見えないかもしれないけど、本当に困り果てていた。絶望的だ。僕の力なんかじゃこんな状況覆せない。

 

 もし、僕がスシとやらを知っていて尚且つ作れるというならば。知らないらしいヒソカにも教えて二人で合格なんていう道も有ったかもしれないのに、今更になって“もし”を言ったって仕方ないのだ。

 残念、無念。試験はまた来年か。

 いやその時にはちゃんと次のサーカスを探し終えているだろうから、来年はヒソカひとりが頑張ってくれるだろう。

 だって、道化師をしていてハンターカードの出番なんて人生の何処にも無いし。

 

 試験が終わったら何をしよう。しばらくは職場を探すのを控えて、彼奴の傍にいてやろうか。

 嗚呼、そういえばヒソカも近年は少し忙しそうにしていた。

 前に会いに来たときは団長の招集がどーたらと言っていたので、もしかしたら僕みたいにフリーでサーカスでの公演をしているのかもしれない。

 それなら仕事の邪魔をするのは無粋か。

 

 殆ど合格を諦め終えた上で、スシというものがどんな形をしているのかを皆で首を捻って考える。

 ニギリ……握りと言われると、何時だったか食べたオニギリというものしか思いつかない。あれは何を使っていたのだったか。

 

「形は知らないが、文献で読んだことが―――確か……」

「魚ァ!? お前ここは森ん中だぜ!?」

 

 ライスを何かしらの形で使うのだろうと多少いじくりながら、相談をしていた筈のレオリオの旦那が突然大声を上げる。

 瞬間、声が大きいとクラピカに物を投げつけられていたので、クラピカ坊ちゃんがスシのことを何か知っていたのかもしれない。

 

 森の方へと走っていく受験生達に追いつかんと、クラピカ坊ちゃんに腕をとられて走り出す。

 途中事情を聞けば、盗み聞きがうんたらと言いながら説明をしてくれた。

 

「スシってのに魚を使うんだと!」

「え、魚?」

「ああ。具体的にどういうものなのかまでは知らないが」

 

 魚かぁ……うわぁ。

 思わず顔を顰めて、元々やる気の起きなかった気分が更に盛り下がる。

 

 僕はあまり魚が好きではないのだ。

 味がどうとか、気分的にどうとか、そういう意味ではない。単純に小骨が多く、けれどそのまま食べるわけでもなく骨を取りながら食べなくてはいけないその食べ方が面倒くさい。

 栄養がどうとか言われたりもしたけど、だったらいっそ磨り潰して粉々にしてから食卓に出してくれとおもう。

 彼奴は食感にもうるさかったからやってくれた事なんて皆無だけど。

 

「うわきも…」

 

 うねうね動く、生きている魚を目の当たりにして思わずつぶやいた。

 ゴン坊ちゃんが軽やかに釣り上げて、それにキルア坊ちゃんも楽しそうに参加していたけれど、どうしてあんなきもいモノに直で触れるのか不思議でならない。

 

 どうにか会場まで持って……持ってきてもらって、土台の上に置いてくれたのだけど、まだ生きているらしい魚は弱った様子でうねっていた。

 眺めていたらそのうち息絶えないかと思って見下ろしていたら、その目が合ったような気がして背筋がぞっとする。

 うん、気持ち悪い。

 

 暫く待ってもまだ動くので、準備されていた包丁を適当に手に取って眼下に構える。

 いくつか並んでいたけど種類は別に見ていない。とりあえず大きくて分厚い刃物を選んだ。

 片手では持ちきれないので、両手で掴んで持ち上げる。気味が悪い頭の部分を取り敢えず切り落としたかったから、勢いよく構えた包丁を振り下ろした。

 

「……って、ちょっと待てフー…」

 

 クラピカ坊ちゃんの静止の声が聞こえた気がしたけど、突進したグレイトスタンプが止まれないように僕だって手を止められない。

 大きな音がして、振り下ろした厚刃が魚の頭と胴体を両断する。

 

 力を込め過ぎたと僕でも気づいたその包丁は、反動で手から放てると飛んで行った。

 綺麗に弧を描いて、立っていた僕の後ろの方へ。

 叫び声は上がったけど悲鳴は聞こえなかったから、多分突き刺さって死んだ人はいなかったのだと思う。

 

 数回、瞬きをして目を丸くした。

 状況を理解しようと土台の上を確認して、分厚くはなかった木の板が真っ二つに割れているのを眺めながら息を吐く。

 

「あー、びっくりした」

「びっくりしたのはこっちだボケェ!!」

 

 レオリオの旦那に怒鳴られながら、板とや包丁と一緒に吹っ飛んで床に落ちた魚の胴体を拾いあげた。

 これはまだ使えるかな? 無理か、大勢の目の前で落ちたし。

 

「いやぁ、ごめんごめん。料理なんてしたことなくってさ」

 

 誤って指を切り落としたりなんてしていないだろうかと確認してきたクラピカ坊ちゃんに、へらりと笑って僕は返す。

 両手を見えるように広げてみせれば、彼はほっとしたように息を吐いた。

 

 料理なんてしたことない、それは言葉のままの意味だった。

 物心ついた頃から芸を磨いて、舞台に出るようになっていた僕にはいわゆる下積み時代というものがない。

 ジャガイモの皮むきや、皿洗い。雑用や掃除も担当したことなんて一度もなくて、ましてや誰かが料理をしている姿を見ることがある筈も無い。

 ヒソカと二人であちらこちらを放浪していた頃だって、大体は外食だった。

 偶に手料理を作ってくれることもあったけど、どうしてかヒソカは僕をキッチンには入れてくれなかったから、作っている様子を眺めていたこともないのだ。

 

「……刃物も専門外だしなぁ…」

 

 ぽそりと、無意識にそう呟いていたことに自分で気づいて口を噤む。

 包丁を握ったのも初めてだったから、それがどれだけ切れるものなのかも分からないままに力いっぱい振り下ろしてしまった。

 失敗だ。

 だけど、失敗というのはそれが間違いだったと学ぶこと。

 まな板というらしい土台までぱっくりと割ってしまったのだから、これは多分大失敗というものだろう。

 

 試験が終わったら、やっぱり暫くは彼奴の傍に居よう。

 料理とは言わないから少しくらい、刃物を持つ練習をした方がいい。

 もしかしたらそのうち、ナイフを持ってのジャグリングをする機会があるかもしれない。その時になって手が滑って腕に突き刺さったりしたら、正直目も当てられないだろう。

 あの失敗は、遠くで見ていてもちょっと痛そうだった。

 

 ちょっとした事件もどきが起こってしまっても、ハンター試験ともなれば良くあることらしい。

 騒めきは直ぐに収まって、使い物にならない魚の胴体だけが目の前に転がっている。

 泥だらけになったその断面もとうてい綺麗だとは言えず、どれかというと潰して千切った時の様子に少し似ていた。

 

 魚を分けようとしてくれる申し出は断った。

 実際の所、僕はこの試験を殆ど諦めているし、それなのに試行錯誤こねくり回されても魚の方が嫌だろう。

 第一、滑っている魚に触りたくはなかった。

 

 何もする気が起きなくて、取り敢えずぼーっと空を見上げる。

 走り続けていた時には容赦なく纏わりついて来ていた霧も無く、見上げた先の空は青い。

 気が付けば霧の水分を吸って肌に張り付いて来ていた髪も乾いていて、このまま目を閉じれば寝れるのではないだろうかと思った。

 

 試験を合格するために、あれやこれやと手を尽くしている受験生たちの騒めき声が遠くに聞こえる。

 その声が時折大きくなったり小さくなったりはしたけれど、ぼんやりとした思考はそれらを言葉とは捉えていない。

 

 ふと、傍に誰かが寄ってきた気配がして目線を落とした。

 落とした目線が捉えたのは僕より頭一つ小さい身長で、思わず手を伸ばしてその頭を撫でくる。

 手触りの良い猫っ毛だった。

 

「やあ、キルア坊ちゃん。試験は終わったの?」

「っだから、なでんなっっての!」

「だから癖だって言ってるじゃんか」

 

 撫でる度に良い反応をしてくれるからこそ余計にやめられないと言えば、彼は怒るだろうか。

 この様子ならば殺気を向けられることは無いだろうけど、やりすぎたら殺してやろうかくらいには考えられるかもしれない。

 面倒くさい、引いた一線を見極めることは苦手だ。でも人付き合いはこれからの為にも学ばなければいけないというから。

 

「時間切れ。試験官が腹一杯になったんだってさ」

「へぇ、それは合格者少なそうだね」

 

 そんなに長時間ぼーっとしていたつもりが無かったからそう告げれば、キルア坊ちゃんは解りやすく目を逸らしながら言いづらそうに頬を指で掻いた。

 

「あー…っと、合格者はいないらしいぜ」

「え、いないって?」

「合格者ゼロ、全員脱落」

 

 いやいや、まさか。そんな試験があるものなのか。

 そういえば合格者がいない年もあるという話を何処かで聞いたような気もする。だったら、確かに全員が不合格となったのだろう。

 どうしてそうなったのかは、僕の記憶には定かではない。

 周囲を見回した時には確かにスシというものを知っているだろう人もいた筈なのに、知っていた奴は何をしていたのか。

 

「随分と呆気なく試験が終わったものだね」

「だよなー、内容もそんなに面白くなかったし」

「…キルア坊ちゃんは面白さを求めて参加したのか」

 

 それは何というか、彼らしいと言えばいいのか。

 誘われてやることが無いから暇つぶしに参加した僕もどうかとは思うけど、その理由も真面目に参加した受験生にとっては挑発的な内容だろう。

 

 なんにしても、試験が終わったなら帰る準備をしなくてはいけない。

 凄惨な姿を晒している魚を何処かに捨てて、走る途中に落としているものが無いかどうか持ち物を点検しなくては。

 間に合わせで借りた服も汚れてしまって、着替えないと外では悪目立ちするだろうし。取り敢えずはどこか近辺のホテルを借りないと今夜寝る場所もない。

 

 再び意味もなく空を見上げる。

 思考の裏でこの後の予定を組み上げていた僕の意識を引き戻したのは、そのしばらく後にやってきたゴン坊ちゃん。

 彼が告げた、再試験の実地だった。

 

 

 






 何で君はわざわざオリ主君に話しかけに来たの、キルア。
 いや、まぁこの子ったら周囲に興味持たなすぎるから話しかける相手がいないと間が持たなかったんですけども。
 ええっと……怪しい人物を見張りにでも来たんじゃないですかね…?(適当)


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試験、陸


 今回は閑話みたいなものです、結局何も進んでない。
 後半から別視点、的なものがあります。意味は特にないです、多分。



 

 

 

「飛行船の中探検しようぜ」

「うんっ、フーラも一緒に行く?」

「のんびりしたいから僕はいいかなぁ」

 

 また後でね、と告げて軽く手を振りながら駆けていく子ども達を見送った。

 疲労困憊な様子のクラピカ坊ちゃんとレオリオの旦那が休みたいとぼやくのに頷きつつ、ようやく訪れた休息にため息をついて荷物を背負い直した。

 この後にあるだろう試験では、走らされなければいい。

 再試験では崖から飛び降りさせられたし、空中ブランコはどこのサーカスでも花形だったからやった事はあったものの、崖を登るのは流石に初めての経験だった。

 

 慣れないことはするものじゃない。

 指先の筋肉を扱うことは良くあるけれど、ロッククライミングの経験も何もない僕が崖をよじ登るのは思った以上に大変な作業で、変に力んでしまったのか軽くは有れど指を負傷してしまった。

 欠けた爪は適当に整えておけばいいけれど、血の滲む擦り傷や縦に入った罅に関しては、治るまでそれなりの時を必要とするだろう。

 

 幸いとすれば、爪が剥がれたり食い込んだりはせずに済んだというところか。

 下手なものよりまどろっこしくなくて楽だと同行人達は言っていたけれど、あれはあれで危険である。

 正直、またやりたくは無いものだと僕は思った。

 

 やりたいことは無いけれど、やりたくないことはそれなりにある。

 とりあえず今は次の試験の為にも休息が必要で、不安を煽るような言い方で与えられた嘘の言葉を交わしながら適当に眠れる場所を求めてさ迷い歩いた。

 

「フーラ♠」

 

 聞きなれた声に呼ばれた気がして周囲を見渡せば、まるで避けられたかのようにヒソカの周りには人がいなかった。

 事実、避けられたのだろう。

 作りかけのトランプタワーは使われていないものは床の上に転がっていて、少なくとも一度は出来上がっていたのだと予想がつく。

 あくまで予想であっても、完成したものを怪しい笑い声を上げながら壊して悦に浸っている男なんて、傍から見れば変態くさい。

 あぁ、そういえばヒソカは立派に変態だったっけ。

 

「……つかれた、かえりたい」

「ボク達に帰る場所なんてないよ♦」

 

 疲労から来る眠気に口調がおぼつかなくなるのを感じながら、手招きされるままに傍に寄る。

 引きずってしまわないように抱えていた鞄を床に置いて座り込めば、顔を覗き込まれているような気がした。

 仮面越しに顔色を窺っても意味ないだろうと思いながらうつらうつらと重たい頭を揺らしながら舟をこぎ、限界だと悟って目の前の身体へと体重を預ける。

 

「ひざ、…かして」

 

 嗚呼、眠い。

 まともに眠ったのは何時だっただろうか。しばらくは、気を抜けば刺されそうな気がして気を張ってばかりいたものだから、ようやく警戒せずに眠れるような気がした。

 深く眠れば夢もみない。

 

「そんなに疲れるなら、道化師やサーカスに拘らなければ良いのに♣」

 

 一緒に行こうって言ったじゃないか、と拗ねるような声が聞こえて、疲れたのは試験のせいだと口を開こうとし、閉じる。

 口を開くのも、目を開けるのも億劫だった。

 そして、簡単に言わないでほしいと勝手に拗ねる。

 

 僕に出来るのは、これだけなのだ。

 道化師しか僕に出来ることはなくて、道化師である為にはサーカス団に入らなければいけない。

 働かなければ金銭は手に入らないし、先立つものがなければ生きることさえ難しい。

 

 子どもの頃は、ただ必死だった。

 でも、年を重ねて行く度にそれではいけないのだと悟って、心にもある程度の余裕が出来るようになったから、自分の足で立たなくてはいけないと思った。

 僕だって、いつまでも子どもじゃないのだ。

 拠点として借りたホテルの中で、ヒソカの帰りをいつまでも待っている訳にはいかない。

 

「ぼく、は……人形じゃないよ、ヒソカ」

 

 墜落するように引き込まれてしまいそうな眠気のなか、ぽつりと言葉を零してみれば、数秒の間が開いて、無言のままに仮面が取られたような気がした。

 そのまま眠るのに窮屈ではあったから、抵抗もせずに僅かに身じろぎする。

 

「馬鹿だな、人形なんて思ってないよ」

 

 のっそりと重たい瞼を持ち上げても、朧げな視界は輪郭くらいしか判別できなくて、諦めて静かに目を閉じた。

 まだ幼い頃、子育てをしたことがある筈もないぎこちない動きで頭を撫でてくれた手が、昔より小さく感じて、自分が大きくなったのだと思い出す。

 

 目元をなぞるように撫でてくる指に、昔から良くそうされていたものだと遠く意識で考えた。

 ヒソカだけではなかった。どうやら、僕の目の色はとても珍しいものらしい。

 数年前に滅びたという何処かの民族が瞳ほど有名ではないけど、極まれにしか見かけることのないこの色は、ともすれば売り物にされるのだと。

 道化師の仮面を被っている時には対して目立たないそれも、舞台上に立って化粧だけの時には大勢に晒される。

 それでも、道化師として転々としながら生きるためには、珍しいらしいこの目が呼ぶ話題性に乗っかるしかないというのもまた事実なのだ。

 

 そういえば以前、ヒソカが言っていた。

 酔狂なことに、この目に惹かれたらしい人間が複数いるのだと。

 殆どはサーカスから別のサーカスへ渡り歩く僕の後を追い、それに財産を注ぎ込むことを楽しみにしているらしいけれど、一部の人間は金を払ってこの目を手に入れようとしているらしい。

 後者はまだ理解できるけれど、前者に関してはちょっと僕には理解できない。

 追いかけることに金を掛けるってどういうこと。ヒソカに問いかけても害はないとしか返って来なくて、変人はいるものだと思うしかない。

 後者の方からの被害にあった覚えも僕には余りないのだけど、誰かが雇ったであろう殺し屋やらの中にもしかしていたのだろうか。

 

 ほのかに感じられる人の体温を感じながら、再び意識はぼんやりと薄くなって溶けて行く。

 無駄なことを考えすぎてしまっていた脳裏がゆっくりと、停止した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 静かで落ち着いたものになった呼吸が一定になったのを確認し、ヒソカはゆっくりと撫でていた手を止めた。

 見下ろした足の上には、身体が冷えないように手足を丸めて眠っている自分より二回り程小さな青年が頭を乗せて眠っていて、久方ぶりの感覚に若干機嫌が上方修正される。

 

 誘ったのは自分ではあったけれど、まさか本当に参加すると彼は思っていなかった。

 いつも通りにすげない返答があっただけで、何に誘ったかもとうに青年は忘れ去ってしまっているのだろうと考えていたのだから。

 

 素直なようでいて強情なこの青年を、ヒソカは愛おしいとさえ思っていた。

 例えるならばそう、親類の情とでもいうべきか。

 家族のような同類のような。幼い時分から共にいたものだから、歳の離れた弟のようにさえ錯覚する。

 お互い情が欠けていて何処か歪であることを知っているけれど、それでいて誰よりも相手が自分に似ていることもまた、理解しているのだ。

 

 執着はしていない。

 けれど、依存はしているのかもしれない。

 

 フーラはその記憶を掘り返すことを嫌っているけれど、ふとした時、彼はあの記憶――――青年と出会った時のことを思い出す。

 正しくは初対面ではなかったけれど、お互いの存在を確固として認識したのはその時だっただろう。

 ヒソカはその子どもの背景も性格も、何を背負っているのかも知りはしなかったけれど、気まぐれに踏み入れたその場所で座り込んだ子どもを見た時、何の理由もなくそう思えた。

 

――――嗚呼、ボクに似ている。

 

 生まれも育ちも、似通ったところはあるけれど全然違う。

 それでも、やっぱり何かが似ているのだろうと時を重ねながら言葉を重ねながら納得していった。

 

 馴染まない、馴染めない。馴染む理由が無い。

 欲しいものは余りなくて、それでもほしいものは有って、だけどそれは在ってはくれない。

 似ているようで似ていない。それでも確かに二人は似ていて、だからこそ自分とは違う愚かしさを持つ子どもの手を取った。

 

 無欲で強欲な、かわいそうな子。

 

 何を求めているのかなんて未だ自覚していないフーラの行きつく先を、彼は何ともなく知っていた。

 だって、青年は彼と似ているから。

 

 

 

 ひっそりと、愛おしく思いながらも嘲るように、憐れむようにうっそりと笑う(ヒソカ)の顔を、青年はまだ知らない。

 

 

 






 今回は、もしかしたら何となく二人の妙な関係が読み取れなくもないかもしれない曖昧な回。深い意味はないです、うん。

 ヒソカって何歳なんでしょうね。何となくイメージで、この話ではフーラが幼い時も同じような姿だったってことになってます一応。
 結構ねつ造してます。性格も過去もねつ造しています。
 こんなんヒソカじゃねえよ! とか、他にも原作キャラ達の性格が崩れていく可能性がありますが、少なくともこの話ではそんな風なのだと思っていただけると有難いです。

 ……ゆで卵の話がとばされている…?
 地の文に少し書いてあるだけだって?
 だって淡々と言われるがままにしか主人公が動かないのだもの。
 作者知ってる、原作を生かしつつ盛り上がる面白い文章を書けるのって文才がある人だけだって。
 ゆで卵は、作者による誤魔化しの犠牲になったのだ……。


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試験、質

 

 

『――――お待たせしました、目的地に到着です』

 

 飛行船内全域に流された放送を聞いて、ふと顔を持ちあげた。

 反射的に声に反応して正面を向いてしまった僕の目に映るのは、同じ背格好の男が映り込む、壁に貼られた一枚の板。

 僕が右手に刷毛を持っていれば、目の前の男は同じものを左手に持っている。

 自分の姿が映り込んだ鏡の前に僕は立っていて、刷毛には白粉を溶いた水がたっぷりと含まされていた。

 それを戸惑いなく顔に塗りつけて、顔の形がわからなくなるほど大げさに上から色を付ける。

 

 長年見慣れた道化の顔が鏡の中に出来上がると、化粧の為に上げていた髪を下した。

 長い前髪が視界の端にちらついて邪魔ではあるけれど、仕事中でもあるまいしわざわざ撫でつけて整える必要も無いだろうと、僅かに癖の付いた髪に指で櫛を通す。

 

 母よりも色が暗いけれど、それでも良く似ている自分の灰色の髪を僕は嫌いではなかった。

 女でもないし流石に長く伸ばそうとは思わなかったが、愛着があるのは確かだ。

 ただ、気に食わないのは鏡と向き合えば嫌でも目に入るこの瞳。

 生物学上の父親に似ているらしい、紫の目。

 その二つの色が、確かに自分はあの二人の子であるのだと、仮面に隠していた不快感を燻らせる。

 これ以上見る必要も無いと、目線を外してため息を吐いた。

 

 そもそも、僕はあのまま試験が終わるまで仮面を付けていたって構わなかったのだ。

 そりゃ邪魔になる場面もあっただろうけれど、不便であると思ったこと自体は余りない。

 だというのに、暫くの睡眠をとって目を覚ませばあの男は、付けていたものも予備の仮面も全部取り上げて化粧の道具だけ置いて行くのだから、愉快犯にも程がある。

 

 僕がこの目を好いていないの知っているくせに。

 知っているからこそなのか、あの鬼畜め。

 嫌っているのに散々助けられて、商売道具としても優秀であるから尚の事複雑で。

 時折、わざと見せびらかして晒して、誰かの依頼で群がってきた後ろ暗い職業の男達を蹴散らして遊んでいるヒソカのことだから、これも意味のない事ではないのだろう。

 まぁ、彼奴が何を考えていても僕には関係ないのだけど。

 

 集まる受験生達の後を追いながら窓越しに外を見れば、せり立った崖の上に一つだけ建てられた塔のようなものが見えてくる。

 一所に集まった彼等の騒めきが聞こえるようになる頃には、それがへこみも出っ張りも何もない簡素な外観をしているのが分かって、窓も何もない作りそのものが次の試験を推測する材料になるのではないかと首を傾げた。

 

 数秒、思考を巡らせるも面倒になって放棄する。

 考え込んでも少しすれば内容がはっきりするだろうと考え、適当に見回して目に入った二人に僕は片手を上げた。

 

「おーっす、ゴン坊ちゃんとキルア坊ちゃんはよく眠れたかい?」

「いやお前誰だよ」

 

 最近の若者はこう挨拶するのだろうかと、前の試験時にキルア坊ちゃんが言っていたのを思い出しながらそう言えば、当の彼に素気無い言葉を返される。

 

 もしかして僕はキルアに忘れられたのだろうか。

 僕も人の顔を覚えるのは苦手だし、実は僕になんざ全く持って興味を持っていなかったというなら忘れられても当然かもしれない。

 憶えていないならそれもそれで良いだろうと内心頷いていれば、じっとこちらを見ていたゴン坊ちゃんが徐に口を開く。

 

「……もしかしてフーラ?」

 

 もしかしなくてもフーラだけど。

 と、思わず返してしまいそうになって、嗚呼そういえばそうだったと今は仮面のない顔に手を当てた。

 

「は、こいつあの仮面野郎なの!?」

「えっ、だって服とか体格もだけど、声だって同じじゃん」

 

 お互いに名乗り合ったはずなのに未だ仮面野郎と呼ばれていることに苦笑しつつ、仕方ないと肩を竦める。

 服は仕方なかったのだ。いい加減に着替えてしまいたかったのだけど、頼みの綱であったヒソカも僕が着れるものを持ち歩いてはいなかった。

 

「付けてた仮面はどうしたの、フーラ」

 

 さっきまでは付けていたよね、と問いかけてくる声にひとつ頭を縦に振って、困ったポーズを少し大げさにやってみせる。

 

「取られちゃった」

「取られた?」

「仮面ばっかりつけて楽をしてたら、化粧の仕方を忘れるよーって」

 

 意地悪だよね、と僕がぼやけば、それは意地悪なのだろうかと首を傾げる小さな二人。

 特にキルア坊ちゃんの方は、警戒は既にされてはいないようだけど苦手意識は持たれたようで、少し表情がぎこちない。

 

 僕は何もしていない筈だけど、何故だろうか。

 ……ヒソカのせい?

 そうかもしれない、この子もアイツに目を付けられているみたいだから。

 

 それが理由だったら僕もまだ警戒されたままである筈、なんていう答えは要らない。

 昔からどうにも子ども――無知で素直な子ならば兎も角、賢しい子どもにはあまり好かれてくれない質なのだ、二つほど前のサーカス団に居た双子の少女達しかり。

 

 あんな奴いただろうかと言わんばかりに投げかけられる不躾な目を流すように無視して、指示されるままに開いた扉から外へ出る。

 

 三次試験の合格条件を片耳に聞きながら見渡した塔の頂上は、見事に何もなかった。

 扉も道具も柵も、何一つ。

 余りにも何もないから、地上へ降りるとは壁を下って行けと言われているのだろうかと考えて、二次試験の崖のようにまた登ったり下りたりするのは御免だとため息を吐いた。

 

 地上まで降りる。

 72時間以内。

 合格条件を二つ頭の中に並べて、首を傾げる。

 

 少し変だ。

 時間があり過ぎる。

 壁を伝って降りる道を選んで、大きな鳥に食われた男を目の当たりにしながら僕は考えた。

 

 壁を伝って降りろというならば、問題なのはあの鳥だ。だけどこれだけの受験生がいれば、他を囮にするなり鳥を殺すなりして容易く降りることも出来るだろう。

 でも、それならば与えられた程の時間を必要とはしないのだ。

 発想を求めてのこの状況であっても、また同じ。

 限られた時間の中での行動を試験内容にするにしては、三日も猶予を与えられるのは長すぎる。

 

 ならば、与えられた時間に相当するような別の道が有るのだ。

 そう考えて、思考を巡らせるという柄にもない行動に疲れ、きょろりきょろりと周囲を見回す。

 適当に見渡した距離に小さな二人の姿は無かった。

 行動力のある彼等だから、僕みたいに立ち尽くして考えるでもなく歩き回ってみているのかもしれない。

 何か仕掛けてあるなら多分地面だ、歩いていればその内行き当たるだろう。

 

 わざと足音を立てながら地面とぶつかる音を確認し、赴くままに歩調を進める。

 特に考える必要もない単調な作業であったから、一歩足を踏み出すごとに少し前の出来事を思い出した。

 

 そういえば、少し口調がぎこちなかったのだ。あの少年は。

 ヒソカに仮面を持っていかれてしまったから、公演中でもないのに化粧をしなければいけなかったのだけれど、誰何されて僕であると判明して、クラピカ坊ちゃんだけが他とは違う反応をした。

 いや、僕だと気付く前から彼は動揺をしていただろうか。

 

 あの歯切れの悪い口調は、どんな理由から来たものであるのか。

 もしかして、知り合いだったのかもしれない。僕は他人の顔を覚えるのが本当に苦手であるから、こっちが忘れているだけなのかもしれない。

 もしかしたら、この目を知っているのかもしれない。

 父親の血縁関係なんて僕は知らないけど、クラピカ坊ちゃんの知り合いに、所謂僕の親戚という人がいたのかもしれない。

 

 様々な可能性があった。その中には、都合が悪い可能性もある。

 ただ単に、どこかのサーカスで僕の公演を見たことがあるという確率の方が、よっぽど高い。

 

「……そうだと良いのに」

 

 ぽそりと小さく呟いて、今は仮面に隠せない表情を慣れた形に整える。

 紅で塗り潰した真っ赤な口で弧を描き、面倒事が積み重なる予感に顔が歪みそうになるのを覆い隠した。

 

 遠くの方で僕の名前を呼ぶ声がして、そちらの方に顔を向けた。

 まだ声変わりをしていない少年の高い声は僕だけではなく、地面に隠し扉が有るのではないかと探っていた二人のことも呼んでいる。

 反射的に踏み出した足が、僅かな違和感を感じ取った。

 

「フーラ?」

「ん、あ、ごめん今行く」

 

 あれ? と、違和感を感じて足を止めたのも一瞬。

 もう一度呼ばれてゴン坊ちゃんの元へ行こうと足を踏みしめれば、唐突に地面が沈んだような感覚と、浮遊感。

 目の前の四人が視界から消えてしまったのに驚いて、自分が消えたのだと数秒経ってから気づいた。

 

 覚えのある感覚だった。

 何の意図もなく、偶々そこを通ったというだけで理不尽に穴の中に落とされた経験。

 以前落ちたことのあるそれは他の誰かを引っ掛けようとした子ども達の作ったものだったけれど、こんなところで同じ目に合うとはまさか誰も思わないだろう。

 

 嗚呼、いや僕が察しが悪いだけなのか。

 

「あーあ、やらかした」

 

 しかも子どもの目の前で。

 いやまあ、それを見たあの子達が笑ってくれたのなら別に良いのだけど、わざとでもない滑稽な様を見せたことには複雑な気分である。

 

 人生、多分二回目の。

 落とし穴に落ちました。でも、これは塔の仕掛けなのだと思います。

 

 






 目が、目が、といいながら一度もオリ主君の容姿には一切触れていなかったことに今更気づきましてのこの回です。
 急遽この子には鏡を見てもらいました。
 ヒソカには仮面を持って行ってもらいました。
 ……でないと仮面ばっか被って容姿の描写なんてなかなか出てきませんし。

 もう、あらゆる意味で文章力が欲しいです。


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試験、捌

 

 

 着地は無様なことに背中からだった。

 ちゃんと足から落ちたっていうのに、この体たらくは恥ずかしい。

 しかも、僕が落ちた部屋には既に二人の受験生がいて、着地に失敗して背中を強打した挙句、しばらく悶絶していた一通りの行動を見られていたのだから本当に。

 

 落ちた小部屋の道はどうやら三人用だったみたいで、一つの鎖に繋がれた三つの手枷を書かれた指示の通りにそれぞれが片腕につけると、隠していた扉が開いた。

 この道はどうやら罠の道と名付けられているらしい。

 これから三日間ほどよろしく、と言っていた彼等はわざわざ名乗りを上げてきたから、人当たりが良いだけで僕の知り合いではなかったらしい。

 落下して痛みに悶えていた僕に心配そうに声を掛けて来たから、てっきり何処かで会ったことがあって僕が忘れてるだけなんだろうと思っていた。

 

 石造りの面白味もない通路を淡々と歩く。

 一歩足を踏み出したり、身じろぎするだけでも音を立てる手枷の鎖はそれぞれが1メートル程の長さがあって、ただ歩く分には邪魔になりようもないけど、ふとした動きが阻害されて若干苛立つ。

 罠の道という割に仕掛けが少ないのは、もしかしたらこちらがメインなのかもしれないと考えた。

 完全に邪魔にはならないけど、意識していないと動きにくくて、けれど意識していれば時が経つほどに、身体だけではなく精神までもが拘束されているような錯覚を覚えるある種の忍耐。

 拷問、と言い換えてもいいかもしれない。

 精神実験、と言い表した方が適切かもしれない。

 単純ではあるけど時を重ねるほどに精神が破たんして自暴自棄になり、最悪狂いかねない精神攻撃。

 

 僕達の前に顔を出したことは無いけれど、この試験の担当官は相当意地が悪くて性格の悪い人間なのだろうと小さく笑った。

 三人が縦に並んで一番前を歩いているのが僕だったから、そんな僅かな行動にも気づいた後ろの人が訝し気な声をあげたけれど、その声には確かな苛立ちの色が混じっているのが感じ取れる。

 既に彼は策中に嵌っているのだろうと考えたら、なんだかとても可笑しくなった。

 

「なーんでもないよ」

 

 先頭を歩く僕の顔が彼等には見えないのを良いことに、楽しさを隠すことなく思うままに口元を歪める。

 彼等が僕を先頭にして歩かせているのは僕を背後にしたくないからで、先頭を歩かせることで罠探知機代わりにしているのだろうけど、精神攻撃が中心だったならばそれは全くの逆効果になるのだ。

 

 想像してみればいい。

 どれだけ歩いても大した変化のない、一方通行でうす暗い石造りの通路。

 左右を見ても何も面白いものはなくて、前を見ようにも狭い通路では、縦に並んで歩いている分前の人の頭ばかりが目に入る。

 一寸先は闇。

 仕方がないから足元に目を落としてみれば、片手とはいえ手を拘束する枷。しかも、前や後ろを歩く相手の動きに合わせて、時折意図せぬように引っ張られる。

 詰まらなくて、面白くなくて。ならば意識を遠くに飛ばして順応しようにも、不意に引っ張られる腕や定期的に音を立てる鎖に邪魔をされるのだ。

 些細なことだけど、積み重なれば苛立ちは酷くなる。三日間という長さは、人を狂わせるには十分すぎた。

 

「――――え、ぁ…」

 

 真っ先に精神が追い詰められて正常な判断が出来なくなったのは、案の定真ん中を歩いていた男だった。

 気が狂うまでは流石にいかなかったけれど、仮にも僕達が歩くのは罠の道。

 些細な迷いや失敗で、人間は簡単に命を散らす。

 壁から突き出てきた鉄杭を避けきれずに身体に風穴を開けた男を見て、最後尾を歩いていた男は酷く動揺しているようだった。

 目の前で人が死んだことで、今度は何とか耐えていたこの男も精神的に追い詰められてしまったかもしれない。

 

 どうしようかと首を傾げて、まあ死んだならばそれで良いかと思い直す。

 一番初めの部屋の説明文にも、三人で協力しろとか全員で出て来いとかそういうことは書いていなかった。

 三人集めて枷で繋いで、それらは全てお互いを足枷とすることが目的だったのだろう。

 集団としてより集められた人間には、関係を亀裂させることが一番の崩壊になる。お互いの足を引っ張り合い、果てには同士討ちなんてものが起これば、他人の不幸を蜜とする人間からしてみれば美味しい餌だろう。

 

 一歩さえも自律して歩くことの出来ない死体が枷に引っかかっても邪魔なだけなので、手枷に繋がれたその腕だけを僕は切り落とした。

 ひとり真ん中がいなくなったことで長くなった鎖は少しだけ圧迫感が無くなったような気がして、顔を青ざめて道にしゃがみ込んでしまった男の前に僕もしゃがみ込んでみる。

 どうかしたのかと問えば、何を言うでもなく力無さげに彼は首を振った。

 口元と胸元を掻くようにして掴む様子に、もしかして吐きたいのだろうかと思ったのだけど、昔見たことのある真似をして背中をさすろうとすれば、拒絶するように嫌がられてしまった。

 

 放って置けというならば、放って置こう。

 この道がどれ程長いかは知らないけど、時間はまだたっぷりある筈。

 

 男が立ち上がって歩けるようになるまで持ち直すのを待ちながら、ぼうっと先の見えない暗闇を眺めていれば、のっそりと背後の影が立ち上がった気配がして振り返る。

 僕が振り返った瞬間、びくりと肩を跳ねさせた男に対して微妙な気分になりながら、もう大丈夫なのかと問いかければ怯えた様子で頷かれた。

 

 最初は打算も込みで人当たりの良い気さくな男のように思っていたのだけど、どうしてここまで怯えられたものか。

 真ん中の男が罠に引っかかったのを、助けようともしなかったからだろうか。

 それとも、目の前で人が死んでもこの男のように動揺したり気分が悪くなる様子を見せなかったからだろうか。

 首を傾げて考えても男が怯える理由がわからなくて、取り敢えずはただ歩いて先へと進むことにした。

 怯えられるのも、その理由がわからないのも何時もの事なのだから、考えていたってどうしようもない。試験が終わっても解らないままだったら後でヒソカに聞こうと考えて、足を踏み出した。

 

「……ま、待ってくれっ! お願い、おね…」

 

 ぶちゅりと肉の潰れる音が聞こえた。

 この音を聞くのは結構久しぶりかもしれない。最近のヒソカのマイブームはトランプ遊びに戻ったようだし、僕の身の回りに肉を潰して遊ぶような悪趣味な人も最近はいない。

 

 同じような道がずっと続いた罠の道を歩き続けて着いた先は、簡素な闘技場に似た造りの部屋だった。

 そこで待っていた三人の試練官に勝負を求められて、既にこちらの一人死亡していることで勝ち抜き戦を提案され、指名された男の方から部屋の中央に出たのだけど、余りにも怯えていたその男は、あっさりと死んだ。

 部屋に置いてあった鍵で、取って良いと言われた手枷は外していたのに、何かに縛られているように動かなかった彼は一体何にそこまで怯えていたのか。

 

 先ほど告げられた勝ち抜き戦というのがまだ有効ならば、目の前の三人を自分一人でどうにかしなくてはならないのだと気付いて、困ったものだと溜息を吐く。

 嗚呼、もう。どうしようか。

 

「えーっと、とりあえず。……時間勿体ないのでいっそ、纏めてしまいません?」

 

 

 

 

『406番フーラ、三次試験通過第十四号。所要時間43時間17分』

 

 試験中、何回か聞いたような声がそう告げて視界が一気に明るくなった。

 試験通過の言葉もこの声が告げるならば、おそらくこの人が三次試験の試験官なのだろうと何となく思って、だったらこの人こそが意地の悪い試験の考案者なのだと面白くなる。

 

 誰かが既に辿り着いていないだろうかと、扉の並んだ広い空間を見渡した。

 十数人の受験生らしき人がちらほらといる中に座り込んだヒソカの姿を見つけて、気が滅入りそうな時間がやっと終わったのだと再認識した僕は、思わず駆け寄りそうになる。

 そしてふと思い出して、手に担ぐようにして持っていた盾代わりを手放して捨てた。

 伸びをすれば、強張っていた筋と関節が軋むような音が耳に残る。流石に自分より重い人間の身体を盾代わりに持ち歩くのは骨が折れた。

 意識が無くなると生き物の身体は重くなるらしいし、やっぱり人間の死体はそのまま持ち歩くものじゃあない。

 

 要らない荷物も捨ててある程度身軽になり、今度こそヒソカの元へと駆け寄って勢いのままに抱き着く。

 吃驚してひっくり返ってしまえば良いと思いながら勢いも殺さずに飛びついたのに、僕がそうすると見越していたのか、直前には抱き留める準備さえしていたこいつは瞬間さえも体勢を崩すことは無かった。

 なんか悔しい。内心子どものような駄々を捏ねつつ、嫌がらせに試験中に付いて殆ど乾いた血をヒソカの自慢の衣装に擦り付ける。

 

「お帰り、フーラ♦」

 

 何も言わないでただしがみ付く僕に、いつも通りに笑う彼はそう言った。

 もうやだ、と小さく零した声を聞きながら、慣れた動作で僕の頭をそっと撫でる。

 

「疲れたかい?」

 

 うん、疲れた。

 こくりと頷いてゆっくりと掴んでいた手を離せば、僕の顔色を窺うようにしてヒソカの目が見降ろしていた。

 急に視界が塞がれて手を顔に当てれば、取り上げられていた仮面を被せられているのだと気付いて外れないように固定する。

 そうしてやっと、一息を付けたような気がした。

 

 試験中、道の途中に設置された厠の鏡で何度か化粧は直していたのだけど、あんな環境では崩れたり落ちたりしているのではないかと気が気じゃなかった。

 一人になってからは誰にも会うことも無かったけれど、無様な面で人前に立つのは苦手だ。笑ってくれるならいいけど、子ども何かは泣くことがあるものだから。

 僕は泣き止ませ方なんて知らない。だから、泣かれてしまうと困るのだ。

 

 






 他の原作キャラとの絡みフラグだと思った? 残念っ、モブでした~って回。

 だって原作キャラって色々な意味でつかみ切れていないのだもの。
 メインの四人すら扱いきれていないという体たらく。だからこの作品のキャラクター達の口数は驚くほどに少ないです。
 画面外ではめっちゃ喋っているような様子を脳内補正しながら読んで下さい(?)

 いっそ括弧を使うことなく会話を完結させてしまうような作者が、小説の、それも二次創作なんてものに手を出しちゃいけなかったんや……。
 でも、まだ書きます。

 がんばる。


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幕間、其ノ弐

 

 

 “彼”は、こう表現するのもどうかとは思うけれど、優秀な道化師だった。

 そう、例えばその天才性に気づいてしまった団員達が酷く狼狽し嫉妬するくらいには、その青年は余りにも例外過ぎた。

 

 経験で補えるものではない。

 技術で賄えるものでもない。

 己にはもうその道しかないのだと信じて、血反吐を吐きながら身に着けた芸が、技術が、感性が、磨き上げた技が。

 ただ一度。

 その数回を見ただけで、呆気なく彼はそれをやってのけてみせる。

 

 青年は、疑いようもなく天才だった。

 何千人何万人に一人かしれない。けれど彼を目の当たりにした人間の尊厳を損ね、奪い取ってしまう程に、どうしようもなく天災でもあったのだ。

 

 無自覚に。

 意識など無く。

 

 彼は、団員達の僅かな自信と誇りを足掛けにしていた。

 

 それでも、男達の意思までが折れなかったのは、青年が道化師としてしか存在しようとはしなかったからか。

 団員としてある為の役割、立場。

 彼は、それだけ多くの技術を盗み蓄える才を持っているにも関わらず、どうしてか道化師という役割にしか執着しなかったのである。

 

 技術を学び取って、磨いて。

 けれど舞台に立って観客に見せるのは、芸のパロディ。

 滑稽な、それでいて上手い失敗の仕方を模索して自らの芸としている。

 誰にでも出来るようで、誰にも出来ないソレを道化師の彼は得意とした。

 

 まるで馬鹿にされているようで腹が立った者もいたかもしれない。

 それでも団員達が感じたのは、深い安堵の思いだった。

 

 嗚呼、良かった。

 “彼”が道化師で良かった。

 彼が道化師でいてくれて良かった。

 それなら、それなら私たちは――――まだ、此処に居られる。

 

 団員達には自尊心など、もう既に無かったのだ。

 

 その頃には、青年はサーカス団において恐れられる存在となっていた。

 出来る限り彼と関わることが無いように。これ以上の技術も芸も奪われることのないように、練習でさえ各自ひっそりと隠れてやるようになっていたのである。

 まだ幼い子供たちはそれでも無邪気に彼に近づいたけれど、誰かしらが言い聞かせて止めている内に態度が変わった。

 

 特に顕著に変わったのは、悪戯好きで団員達を困らせることの多かった双子の少女達だ。

 彼女達は、彼の姿をその目に入れた瞬間怯えたように身体を震わせるようになった。

 

 何に怯えているのか、何をされたのか。

 問いかけて宥めながら根気よく話を聞いたけれど、彼女達から聞き出せたのは要領の得ない話ばかり。

 それでも、二人が何かを見たということは理解できた。

 

――――今思えば、その時に止めていれば良かったのだ。

 

 下手に探ることもなく、放っておきさえすればその内、団員達には肌が合わないと気付いた団長が追い出してくれる。

 それまで、待っていれば良いだけだったのに。

 

 好奇心と、猜疑心。

 何度注意しても悪戯を止めない、無邪気な悪餓鬼であった少女達をここまで怯えさせた何かに興味を抱いて、そして同時に恐ろしかった。

 彼が何者であるのか、何を隠しているのか。

 気にしてはいけなかったものに踏み込んで、男はその足元を崩すことになったのだ。

 

 あの夜、公演後の機材整備に駆り出された彼の帰りが遅くなったその空き時間、男は彼のテントに侵入した。

 彼のテントは休職しているピエロのものをそのまま使用している。だから男達のものと型は同じだったし、そもそも鍵なんてものも付いていない。

 勝手に誰かのテントに入るのはプライベートを壊すとして推奨されていなかったけど、彼女達が悪戯目的で侵入したのだと言っていたのだから手がかりを探すにはそこしかない。

 

『悪戯してやろうと思ったの』

『彼、驚かそうとしても笑ってるだけだったから』

『ちょっと困らせてやろうと思っただけなの』

『大切なものをちょっと隠してやろうって』

『動揺させたかっただけなのよ』

『でもね、』

『『……みちゃった』』

 

 彼のテントには、私物なんて殆ど置いていない。

 仕事用具が箱一杯と、仕事用の衣装が何点か。公演時やメイクをしていない休日に付けているらしい道化師の仮面が予備なのか数枚あるだけ。

 それ以外には、ただ大きな鞄がひとつ。

 思い出す。

 この鞄は彼がここに来た時には既に持っていたものだ。手放すことなく、結構な頻度で持ち歩いている箱のような大きな鞄。

 

 楽器でも入れるような、長方形で細長い黒い箱。

 一見、棺桶のようにさえ見える鞄は頑丈なのか傷一つ付いていなくて、その大きさといえば人が一人寝転んだまま入れる程である。

 

 そこまで考えて、これには何が入っているのだろうかと男は思った。

 普通に考えればこれもまた仕事道具だろう。けれど、それが無いと落ち着かないというようにこの鞄を気にしていた青年の姿を知っているから、気になった。

 それが、好奇心からこのテントに侵入した幼い少女達と同じ行動をしているのだとも知らずに、男は鞄を開ける。

 

「…………? っ、…」

 

 なんだこれは、

 

 一目したとき男はただそう思った。

 

 それはまるで人形。

 陶器か蝋で出来ているような、精巧で繊細な等身大の人形。

 細身のドレスに身を包み、そのまま眠ってしまったとでもいうように儚くも未だ眠り続ける妙齢の女性。

 背徳的で、退廃的で、耽美な姿がそこにあった。

 それが、それ自体が美術品であるような、いっそ完成しているようにさえ思えるような“終わった”美しさ。

 

 息をのんだ。

 呼吸を忘れた。

 景色の色が褪せて見えた。

 

 あまりにもソレに飲まれてしまいそうになって、伸ばしてしまった手は人形の頬を掠めて止まる。

 一瞬触れた肌は、当然温もりなどなかった。

 生きている筈などない。それでも、その一瞬だけで男は気づいてしまった。

 

 悲鳴なんて上げられない、そんな余裕などとうに無い。

 ただ、ここから逃げ出したくて。

 こんな恐ろしいものを一瞬でも美しいと魅せられてしまった自分にも恐怖して、ソレがもう見えないように鞄を閉じる。

 

 嗚呼、自分はやってはいけないことをした。

 見てはいけないものを、知ってはいけないことを知ってしまった。

 双子の少女と同じように知る筈のないことを知ってしまって、同じように彼が恐ろしい人間であることに気づいてしまった。

 後悔をしても、もう遅い。

 

 逃げるようにして、テントを出る。

 途中で彼の姿を見てしまって、もしかして自分が彼のテントから出て来るのを見られてしまったのではないだろうかと身の毛がよだった。

 

 急がなくては。

 急いで逃げないと、遠くへ。

 あいつをどこか遠くへ追いやらないと今度は、自分たちの身が危ない。

 

 一瞬でも早く。一秒でも短く。

 少しでも、もう自分達が青年と関わらずに済む場所へ。

 

 殺すつもりはあった。

 敢えて碌な噂を聞かない同業者との繋がりをとって、団長にも黙ったままに身代と情報を売り払う。

 あわよくば、そのまま死んでほしいと思っていた。

 男がその手で殺そうとするには青年は余りにも恐ろしくて、だから誰かが殺してくれることを望んだ。

 

 あんな、

 あんな趣味の悪いものを持ち歩く彼を。

 穏やかに笑っているようで、誰の姿も認識していない狂人を。

 

 殺してくれ。

 死んでくれと。

 

 横たわった冷たい裏路地の道の上。

 ぼやけた視界で男が見たものは、暗い宵闇の夜空だった。

 

 



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試験、玖

 

 

 残りの試験が後二つだと告げられた瞬間、受験生達の間に緊迫感が走ったのを感じた。

 あともう一息だと言われたも同然で、そこで気を抜かずに引き締める辺り、流石難関といわれるハンター試験にここまで残ってきた人達だと思う。

 逆にまだ試験が続くのだと、憂鬱になった僕であったから余計にだ。

 

 先の試験での試験官だったらしい男の指示で、箱に入ったカードを一枚引く。

 装飾も何もない、ただシンプルな紙には三桁の数字。それを数秒見つめて記憶し、とりあえず覚えたのは良いものの、どういうことか理解できないまま男の説明に耳を傾けた。

 カードに書いてあった数字のプレートを獲れば三点、自分のプレートも三点。それ以外のプレートは一点。

 期間中に六点を集めて所持しておくことが合格条件、であるらしい。

 狩るものと狩られるもの、といっていたのはこれの事かと頷きつつ、自分のターゲットとやらは誰だろうと周囲を見回した。

 そうして困って首を傾げる。

 

 僕が周りを見回して誰が対象なのか確認しようとした頃には、既に殆どの人がナンバープレートを付けていなかった。

 ぼうっとしていて気づいていなかっただけで、実は誰かに回収されたのかとか、もしかして試験がもう始まっていたりするのだろうかと驚いて焦ってしまいそうになったけれど、周りの様子にそうでないと直ぐに気づいて息を吐く。

 試験開始までは二時間程、島へ向かう船が辿り着いてからのことらしい。それまでは休憩時間ということで、各自が思うがままに休息を取っている。

 とはいっても、こんなに殺伐と警戒し合っている状態で身体が休まるかといえば別問題なのだろうけども。

 

 ちらほらとプレートを胸に付けたままの人がいることも確認して、僕はどうしようかと視線を巡らす。

 全体的に隠している受験生の方が多いようだったから、それに倣って一度付けていたプレートを外すと、衣装の垂れている布の裏側に見えづらいようにして付け直した。

 

 二時間を与えられても、特にすることもない。

 余りにも暇で気の向くままに船を探検しつつ歩いていれば、丁度こちらに歩いてきた銀髪の少年と鉢合わせて少し微妙な顔をされる。

 本気で嫌がっているような様子ではなく、冗談めかした態度で、思いがけず会ってしまったと言わんばかりの表現をされた。

 いや、口にも出されたのかもしれない。

 

「おっす、……なんでここにいんの?」

 

 何でと問われても適当に歩いてきただけで、特に理由はない。

 僕という存在はそこまで怪しくみられるのだろうかと不思議に思いつつそう言えば、そういうつもりで言った訳では無かったのだと、きまり悪い様子で目を逸らされた。

 そして何かに気づいたのかそれとも思い出したのか、小さく声を上げて僕を見る。

 

「そう言えばフーラってヒソカと知り合いなんだろ? 良かったらゴンにアドバイスとかやってくれねーか」

「ゴン坊ちゃんに?」

 

 どうしてだろうと首を傾げて問いかければ、さっき引いたくじ引きでゴン坊ちゃんが、あろうことかヒソカの番号を引いてしまったらしい。

 難しい分やりがいはあるようで、集中し始めてきたのを邪魔しないように立ち去ったところを僕と顔を合わせてしまったのだと。

 丁度良かったから、と前置きをおいて話すキルア坊ちゃんに『友達思いだね』と何処かで聞いた言葉を掛ければ、再び何とも言えない微妙な顔をされる。

 今度の顔は、色々な感情が混ざって複雑で、何を思っているのかを見て取れない表情だった。それでもそっぽを向きつつ言葉を濁し、言い捨てるように言葉を落として去っていく後姿を僕は眺める。

 

 死ぬには惜しいだろ。

 

 言い訳のように残したその言葉は、彼のどんな気持ちで吐き出されたものか。

 見事ヒソカのお気に入りと登録された坊ちゃん方が殺されるようなことはまだ、間違ってもないと思うから心配なんて要らないのだけど。

 それが誰かと懇意になるということなのだろうか。

 思春期で遊びたい盛りの子どもは友達を作りたいと思うものらしいし、あの様子ではキルア坊ちゃんも友達になりたいと願っているんじゃなかろうかと考える。

 

「あれ、そういえば友達ってどうやって作るんだろ…」

 

 ぽつり、考えながらふと思った疑問を口にして小さくうめく。

 同年代の友達とか遊び相手とか思いやりとか相互の理解とか心の壁とか、そういう単語はいくらでも説明されているしいくらでも文章として書かれていたが、肝心のそれが説明されていなかったことを思い出した。

 ヒソカに聞いたことや、今までのサーカスで見てきたことを振り返ってつなぎ合わせてみても、前後は憶えているのに重要な間が良くわからない。

 そう考えると、実はこれって結構難しいことなのかもしれないと思えてきた。

 

 まぁ、それはいいのだ、僕には関係のない事なのだから。

 知らないことは出来ないし、彼等がどうなろうともどうでも良い。

 だが感情が変化していく様子を見れたことは有益であるし、頼まれてしまったからには僕の出来ることをやろうと、キルア坊ちゃんが出てきた方へと足を進め、受験生達の中でも小柄な身体を探して目を向ける。

 

 はたして、探していたゴン坊ちゃんの姿は直ぐに見つかった。

 船の壁に沿うようにして座り込んだ釣り竿を持った少年なんて、軽く見回しただけで直ぐに気付く。

 どうやって声を掛けようかと少し悩みながら近づけば、僕に気が付いたゴン坊ちゃんの方から声を掛けて来た。

 

「あれ、フーラ仮面は取り返せたんだね」

「うん。化粧も取れかけてたからねー、直ぐに返して貰えたから良かったかなぁ」

 

 本当に何で一度は取り上げられたのか。

 恐らくは多少の思惑と思い立った気まぐれが大部分だったのだろうけど、それなりに長年付き合いがある僕からしてもアイツはちょっと良くわからない。

 行動に規則性があまり無い割に、執着することにはとことん執着するし、かといって急に飽きて捨てることもあるし。

 奇をてらうけれど根っこは堅実、いややっぱり良くわからない。

 

「さっきキルア坊ちゃんに会ったら助言してやれーって言われたけど、ヒソカの番号引いたんだって?」

「オレ頑張るよっ」

「いやまぁ、胸を借りる気持ちで思うようにやればいいと思うけど」

 

 別に止めるわけでも説得をしに来たわけでもないのだ。

 助言といわれても特に言えることは余り無いし、下手に緊張しすぎてやらかして、ヒソカが不機嫌になることがあったら困ると様子を見に来た程度のものなのだから。

 

「それにしても……ヒソカ、かぁ」

 

 思わずため息混じりに呟けば、正面を見つめていた彼の目が僕に向けられて、意外そうな声が上がる。

 

「フーラでも難しいの?」

「そりゃ僕だってアイツを相手にするのは嫌だよ」

 

 相手が誰であったとしても、戦闘や殺し合いは苦手なのだけど。

 多分、ゴン坊ちゃんやキルア坊ちゃんと戦うことになったとしても僕が負けるのだろうと思う。二人とも僕の知らないような動きをするし。

 クラピカ坊ちゃんは良くわからない、単純な身体能力でいえばどっこいどっこいだろうか。レオリオの旦那ならもしかしたらどうになかるかもしれないけど、体格だったら確実に負ける。

 そもそも僕はヒソカみたいな戦闘狂でも無いし、戦闘は専門じゃないのだ。

 襲われるようなことこそ数多くあれど、それも職業柄鍛えられた身体能力にものをいわせて避けているばかりだし、実は人を殴ったことも無い。

 一応は保護者であるアイツと比べてみれば、なんて温和なことか。

 と、脳裏で最後にあったヒソカの姿を思い出して、一つだけ教えられることが有ったのだと口を開いた。

 

「あー、そういえばトリックタワーでヒソカってば怪我してたよ」

 

 左肩。見たところ刃物を受け止めた痕だったような気がする。

 やろうと思えばあんな傷もつかなかっただろうに、妙な所で気が長いのか何なのか、ある程度までは自らに枷を作って遊ぶのだから意地が悪い。

 

 嗚呼ヒソカの性格の悪さはどうでも良いのだ。

 僕が上げたのは今アイツが怪我をしていて、遊びの延長線上と認識しているが故に油断があるということ。

 身体能力が少しばかり恵まれているだけで正面から戦うなんて出来る筈もない僕からすれば、そこを突かない方がおかしいくらいの隙。

 ヒソカからプレートを奪おうというのだから、普通の方法じゃあ難しい。

 

 周りから指示を受けて大人しくその通りにするような子どもでは無いだろうと、役に立つかもわからない情報も落としたし、さっさと立ち去ることにする。

 離れながら振り返って見た様子は真剣で、人間は本気で考えている時にはこうなるのかと、小さく頷いた。

 

「まぁ、僕がやっても滑稽だよなぁ」

 

 





 今回は書きながら、ものすっごい平和だなぁと思った回。
 コミュ障は友達の作り方に悩むものです。…え、私だけじゃないですよね?

 くじ引きについては敢えて原作に関係する人にしようかなーと思っていたのですが、スマホのアプリでくじを作って、実際に引いて決めました。
 狩る人も狩られる人も。
 結果については……うん、これはきっと運命だったのです。
 未来は初めっから決まっているから大丈夫ですよ。


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試験、拾

 

 

 船の汽笛のような音が遠くから聞こえた。

 それと同時に試験終了の放送と、受験生達へ掛けられた集合の催促に、走っていた足が動きを止める。

 思わずため息を吐いて、面の上から顔を覆った。

 僕は、間に合わなかったのだ。

 

 

 果たして。この一瞬間を何して過ごしていたのだろうかと自問自答に、僕は正直に答えられるような気がしていない。

 それはもしかしたら特に何もやっていなかったからかもしれないし、結果として余りにも自分が無様だからなのかもしれない。

 ヒソカだって笑わなかったよ、珍しく困った顔はしていたけれど。

 

「君は何番を狙ってたんだっけ♦」

「403番です」

「……何番を持ってるんだっけ♣」

「118番です」

「何で合格できなかったのかなぁ…?」

「獲物が罠にかかるのを呑気に待って自分から追いかけなかったからですっ!」

 

 いやぁ、だって狙いの番号が誰だったのか分からなかったんだもの。

 そんな言い訳をしたところで、だったら他の受験生に聞けば良かっただろうと言われるのだけど、聞こうと思っていた相手が既に罠にかかって死んでしまっていた。

 その後も割とのんびり受験生が来るのを待っていたけれど、彼以降誰も近くに寄って来なかったのである。

 不思議なことに。

 

「一人目みたいに罠にかかったら死んじゃうし、ちゃんと死体を傍に置いてここに罠があるよーって目印にしたのにね」

「それが原因でしょ♠」

 

 逆に人避けを作ってどうするの、と呆れたような口調でヒソカに説教されながら、僕はそういうものなのかと大人しく頷く。

 蝶が死体に群がっていたものだから、血の匂いに人も寄ってくるものだと思っていた。

 ヒソカだって血の匂いがしそうな辺りを探るのが上手いのだし。でも、そうか。そんな人間は実のところ極少数なのかもしれない。

 

「そもそもフーラのターゲットって一緒に居た四人組じゃないか♥」

 

 ふと、そう告げられた言葉に次に紡ごうとした言葉が途切れる。

 それが本当なのかと問いかける意味でじっとヒソカを見つめれば、まだ気づいていなかったのかと不思議そうな目を向けられた。

 愕然とする。嗚呼、灯台下暗しとはつまりこういうことだろうか。

 まさか何となく一緒に行動していた中にターゲット指定されるとは思わなかったし、自然と別行動になったものだから狩場が被らないようにと距離を開けていたのに。

 そんな、珍しく気遣った結果が自分の首を絞めるとは。

 

 何故自らターゲットを狙いに行かなかったのかと問われれば、僕にそれだけの実力が身についていないからだ。

 ただでさえ、山や森を知らない僕にとっては不慣れな土地。受験生達の中にはアマチュアのハンターもいると聞いていたし、それこそ罠を扱うのは僕だけではない。

 罠は仕掛けても、相手の罠に引っかかりたくは無い。

 ならば無理して相手を狩りに行くのではなく、待ちの態勢になるのも当然だろう。

 そしてふと、終了日になってから何日経ったのかと数えて、慌ててターゲット探しに奔走するのも極当たり前だといえる。

 いや、最期のは流石に僕が間抜けなだけか。

 

 四次試験に落ちて、回収された飛行船の中。次に試験も控えていない僕は肩の荷が降りた気持ちで、放送に呼ばれたヒソカを見送った。

 どうやら面談というものをするらしい。

 それがどういうものかを僕は知らないけれど、意外そうにしていたヒソカの様子を見るに、ハンター試験には意外なものだったのかもしれない。

 大人しく待っていろと言いつけられたが、誰かに会いに行く用事も無いし、ようやくシャワーでも浴びることの出来る時間だ。有意義に使うに決まっていた。

 

 僕が落ちた試験だったけれど、思ったよりも怒らなかったヒソカはどうやらご機嫌のようだった。

 またゴン坊ちゃんが何かしら遣らかしたのだろうかと思えばやっぱりそうだったようで、一応は気にかけてくれとキルア坊ちゃんに言われた手前、問いかければ聞いていないことまで語ってくれた。

 

 どうやら彼は、一度はヒソカからプレートを奪うことに成功したらしい。

 成長が楽しみで楽しみで、楽しくて仕方がないという様子で語るヒソカの、ここまで興奮した姿を見るのは初めてだったけど、こうも執着されている相手が可哀そうだという感想しか出てこない。

 ご愁傷さまです。

 飽きられるとそれはそれで面倒くさいので、遺憾なく天才性を発揮して末永くヒソカの興味を引いてやってください。

 だってその間はアイツの機嫌が余りにも良くて、僕に構いにも来ないから。

 

 ヒソカ曰くの青い果実が中々見つからない時は酷いものだ。

 もう既に独り立ちと称してサーカス団を渡り歩いている僕に、何かしら理由を付けて会いに来る。忙しいと言いながらも数か月に一回は確実にやって来るから、その度に当時所属していたサーカス団の周囲で殺人騒動が起こるのだ。

 騒動の犯人が会いに来た僕が、サーカス団をクビになるのも当たり前。

 それが何度も繰り返されればアイツが来るとクビになると思って、若干苦々しく思えてくるのも当然だろう。

 

 仕事はあっちから勝手にやって来たりしないのだ。

 探しに行かないと見つからないし、そもそも働き口も限られているのだからいい加減にヒソカから来るのは勘弁してほしい。

 会いに来いと連絡さえしてくれれば一考くらいはするのだから、何も言わずいきなりやって来る度に、嫌がらせだろうかと首を傾げる事態になる。

 もしかして本当に嫌がらせだろうか。

 以前、どこぞの団に入らないかなんてヒソカが言ってきた勧誘を、別のサーカス団への所属が決まってるからと断ったのがそんなに気に入らないか。

 

 だって入団テストが団員の誰かを殺すこととか言っていたし、それって明らかに僕が今までやってきたサーカスとは別物でしょう。

 ヒソカも所属している辺り、やっぱり普通の健全なものとは全く違うものだと思うのだ。

 もしも血祭のサーカス公演を遣っているなら、道化師は僕ではなく観客の方じゃないだろうかと言っておきたい。

 でも、それなら。

 やっぱりそこに、道化師(ぼく)って要らないじゃないか。

 

 久しぶりにすっきりとした気分で、何をするでもなく無気力にぼーっと思考を停止する。

 替えの服は下着以外無い為、部屋に備え付いていた洗濯機で洗浄後、部屋干しをして乾くのを待っている状態だった。

 服の代わりに布団に包まってはいるが、動きづらいので出来れば早めに乾いてほしい。

 ついでに服だけではなく、使っていた面も流石に不潔だろうと洗って干している途中なので、今の僕を見ても知り合いの殆どは僕だとは気づいてくれないんじゃあなかろうか。

 

 それだけ、普段の僕の格好が特徴的であることはちゃんと知っている。

 けれどこれは幼いうちからの習慣であるし、例えイロモノと言われようとも、ヒソカよりはよっぽどマシであると僕は声を大にして言いたい。

 顔にあんなペイントするのは、僕にも無理だ。

 同じどころかむしろ僕の方が化粧が濃いだろうとも言われるけど、僕とアイツじゃあ化粧の意味合いが大分違う。

 だってヒソカの化粧には意味も理由も、何もないのだから。

 それこそ、何となく続けているだけの習慣。僕のようにそれに固執している訳でもなく、飽きてしまえば化粧をすることも無くなるだろう。

 

「あー、でも今は意味があるって言ってたっけ…」

 

 飛行船内の小さな部屋で、誰もいない空間に虚しい独り言がぽつりと落ちる。

 掛かった放送は何番目かもわからない番号を呼んでいて、ヒソカの番は終わったのだろうと一人用の布団の上を占領しながら考えた。

 

 そういえば、あの一行は四次試験を合格したのだろうか。

 ヒソカの話を聞く限り、意地悪はしたもののゴン坊ちゃんの合格は確定したようだけれど、他の三人はどうだったのか。

 受かっても落ちていても関係ないしどうでも良いが、一応顔見知りにはなっているし、普通知り合いの行動とは気に掛けるものなのだという。

 何人かいた合格者の中に、小さい子が二人いたことは憶えていた。ならばキルア坊ちゃんは合格しているのだろう。

 後の二人はどうだったか。

 まぁ、死に急いでいるような人もいたし、再び見えることはそうそう無い筈だ。憶えていないものは思い出せないのだし、気楽に考えても良いだろう。

 最終試験会場まではそのまま三日飛ぶというし、刃物の扱い位はその間にでもヒソカに学ぼうと考えながら、干してある衣装に手を伸ばす。

 

「…………」

 

 つまんでみた布はじんわりと冷たく、まだまだ乾きそうになかった。

 

 





 主人公、受験失敗。
 ……いやこの結果は初めから決めていました。
 本当はもっと早く試験を落とすつもりだったのですが、思った以上に何もしないで淡々と合格していたんですよね、何故か。

 HUNTER×HUNTERの二次創作ってこのハンター試験が醍醐味だと思っているのですけど、でもどうしてか自分が書くと、意地でも主人公に合格させたくない不思議な心境。
 同じ原作の別な二次創作案もありますが、そちらでもやっぱり主人公は合格しません。

 有るべきシーンが省略されているのは、書いてみると結果だけ並べたよりも間抜けな主人公に作者が笑うからです。
 でも、仕方ないのです。
 だってこの、オリ主君のポンコツさは、設定上の仕様。

 あと、作者の文章力の無さ。


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暗転、

 

 

 空から暗幕でも垂れ下がったような、帳が視界を遮断する夜だった。

 見上げれば、紺と紫が混ざり合ったような夜空に澄んだ星が美しく瞬いていて、こんなにも美しい夜なのだから今夜の公演は成功するだろうと、短絡的なことを考えてしまう。

 

 公演は成功するのだろう。

 ダートが所属しているそのサーカス団はこの近辺でしか興行をしないけれど、その分この辺りでは信用のある一団だ。

 それはきちんと理解していて心配など殆どしていないのに、それが堪らなく寂しいように思えるのは自分が“其処”から居なくなってしまうことを自覚しているからか。

 

 喉の奥からせり上がってくるものに咽て、力無く咳をした。

 咳をして失う体力を温存しようと口元に押し当てた手が、吐き出した血でべとりと塗りたくられる。

 自分がもう限界であることを、男は理解していた。

 

 諦めるように、諦観するように。

 力を抜いた腕は冷たく冷えきった地面に付いて、まだ意識ある程度には残っている僅かな体温を奪っていく。

 閉じた瞼の裏には、彼が先ほど目撃することになったその光景が未だ焼き付いていた。

 

 夜の闇夜に溶けて消えそうな黒髪をした、痩身の体躯。

 逃げ道を塞ぐようにして立っていたものだから、今宵が満月にほど近いといえども逆光になってその顔までは見えなかった。

 少なくとも、女では無かったのは判る。

 話すつもりは無いようだったけれど、その男は彼に対し一方的な言葉は告げていたから。

 

「気に食わないんだよねぇ、キミ」

 

 そう淡々と、人間相手に告げているような調子でもなく無関心にそう言った声は、男としては高くも低くもなくて、ただそんな時であるのにも関わらず耳障りの良い声だと思った。

 その男が何かを語り始めたら大抵の人が耳を傾けるのではないだろうかと、そんなことを考えながらふと“彼”のことを思い出して。

 

「――綺麗さっぱり消えてくれない?」

 

 殺気も敵意も殺意もなく、手慣れたように振り下ろされるナイフの奥をただ見つめていた。

 月明かりの下、ぼんやりと怪しくも美しく光る瞳。それは今宵の夜空とも違う、けれど宵闇を思わせるような眩い紫紺の瞳。

 男は、ソレから目を離すことが出来なかった。

 

 理解してしまったからなのかもしれない。少なくとも、彼はそう思ってしまったからかもしれない。

 理不尽のように唐突であった現状が、報いであるのだと。

 

 かつて、という前置きすらもいらないほどつい最近のことだ。

 彼自身もまだ完全に忘れ去ることなんて到底できていない、二月から三月程前のこと。

 男は、己を刺したのと同じ色をした瞳を知っていた。

 珍しい色だと、顔を合わせた時にはまじまじと見てしまったし、男以外にもその瞳に見惚れる団員は多かった。

 “彼”という道化師の人気には、瞳の色も少なからず関係していたのだろう。

 

 だけど、アイツは死んだ筈だ。

 一月近く前。この目でその死体を確認した訳ではないけれど、飛ばされた先の一団は誰かの襲撃を受けて皆殺しにされた筈で。

 身元確認といってもアイツを証明するものなんて何も知らなかったから、死体の中に転がっていたというアイツが愛用していた仮面を代わりに見せられた。

 あれは、確かに彼のものだった筈だ。

 

 それならば目の前にいるのは。

 嗚呼そういうことなのだと、突拍子もない事を男は思った。

 紫眼の亡霊が。死に追いやった自分を殺しに来たのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 カタン、と玄関側から聞こえた音を捉えて手を止めた。

 それは決して大きくもない物音。次いで、誰かが去っていったような微かな足音を確認し、飲む行動を停止していた手元のカップを机に置く。

 朝から一体何だったのだろうか。

 去っていったみたいだから来客では無かったようだけど、何の用も無しに誰が泊まっているかもわからない部屋の前で止まることなんてない筈だ。

 

 手伝えることは無いかと聞いた筈の僕は、ヒソカに言われたように大人しく椅子に座ったまま、いつも通り追い出されてしまったキッチンの入り口を睨むように見る。

 手元にはまだあたたかいホットミルク。

 ちびりちびりとそれを飲みながら、玄関の様子を見てこようかどうしようかと垂れた足を揺らした。

 

「フーラ、」

 

 ふと、聞きなれた声に呼ばれて反射的に返事をする。

 キッチンからの作業音が一部聞こえないと思えば、顔を覗かせていたヒソカが告げた。

 

「買ってた新聞が届いたから取っておいで♣」

「わかった」

 

 地に足を付けて立ち上がりながら、嗚呼あれは新聞の配達だったのかと納得して息を吐く。

 昨日部屋を借りた時に、数日分の料金と追加で幾らか払っていたのはこの為だったのだと、疑問ともいえない疑問が解消された。

 

 ハンター試験を終えて、約一週間。

 合格者への説明会後、解散ということでいつも通り一緒に行かないかと誘うヒソカの言葉に、数か月単位ならと頷いた僕等は天空闘技場へ向かっている途中であった。

 

 試験の為に十日間以上を外界と隔離されていた僕達は、その間に外では何があったのか何も知らない。流れを知る為に新聞を購入するのは確かに手だろうと思いつつ、扉の差込口に挟まれていた紙の束を手に取った。

 そしてふと思うことがあって、回収した新聞を開いて内容を軽く斜め読みする。

 

 政治経済、大統領、株の暴落、為替の変化。

 犯行予告、盗賊団、賞金首、注意勧告。

 強盗、犯罪、詐欺。

 数日前に起こった事件を追う記事や、昨日起こった出来事を載せている内容を適当に流し見て、一つの記事に目を止める。

 

『震撼、幼い少女を襲った悲劇』

 そんなどこかで見たような小見出しを付けられ、他のものよりも幅を取られた今が旬なのだろう記事。

 部分部分を拾って読んでみれば、その事件は丁度試験が始まった頃に起こり、他の要因を絡めながら今日まで関連性のある事件を追ってきたものだったらしい。

 

『今月七日に行方が分からなくなった五歳の少女が、翌日の夜殺害された状態で見つかった事件のことで――――またひとつ進展が――――数日前彼女が行ったサーカス団のメンバーが四人――――公演後、行方がわからなくなり翌日の未明~の路地裏で死体で――――最初の事件で亡くなった少女の目が刳り抜かれていたのと同様に――――犯人が持ち去ったものと――――…』

 

「ふーん…」

 

 内容が把握できる程度に読んで、意味もなく声を出してみれば、心底つまらなそうな声が出たことに自分でも驚いた。そして確かにつまらなくなってしまったと、訳もなく頬を膨らませる。

 

「あ~あ、だから折角忠告したのに」

 

 逃げきれなかったんだな、あの子。

 と、小さく呟きながら用の無くなった新聞を畳んで机の上に置いた。

 

 静かに目を閉じれば、サーカス団を移る時に話しかけてきた小さな女の子のことが思い出される。

 僕を見上げて大きく開いた金色の目。

 零れ落ちそうなそれの色は今思い出してもやっぱりよく似ていて、お客様だったのに思わずその目に手を伸ばしてしまった。

 

 あのサーカス団は、偽装した僕の死体を含めて四人の団員が死んだらしい。

 死んだのが誰で、誰が殺したのかはどうでも良いけど、事件の噂が影響してサーカス団が解散してしまったことに関しては、少しくらい思う所もある。

 

「紫眼の悪魔、ねぇ」

 

 死体に残された判りやすい特徴から、事件の犯人ではないかと言われている殺人鬼の呼び名を口の中で転がす。

 闇夜のなかで、その目だけが浮き上がって光っているように見えたことでそう呼ばれるようになったB級賞金首。快楽殺人者だとか、実は殺し屋だとか、容姿だけではなく目的も解っていない犯罪者。

 その殺しかたの特徴は単純明快、目だけが刳り抜かれている。綺麗に。

 それも金色の目ばかりが。

 目が細まって、思考を巡らしながら表情が乏しくなっていくのが自分で分かった。

 

 嗚呼、あいつが。

 

 目の前の机に倒れこむようにして、投げ出した腕で顔を覆う。

 まただ、と酷く荒れて暴走しそうになる思考と、これは違うのだ、と冷静になろうとする思考が交じり合った。

 蘇るのは思い出さないようにしていた一つの光景。

 その姿を思い出す度に、もうとっくの昔に経験して終わった筈の絶望が蘇って、あの時に戻ってしまったように錯覚する。

 

 殺さなきゃ、殺さなければあの男を。

 ゆるさない。なんで、ひどい。どうして僕は。

 八つ当たりだって、これは僕の虚しい反抗期なんだって自覚しているけど、でも、だからって。

 

「……母さん」

 

 はくり、と動かした唇で模ったその言葉は、音にならずに溶けて消えた。

 

 





 ひとまず試験編はこれで終わりっ!
 無理やりですけどとりあえず終了。

 ここから先は、恐らく原作無視です。
 原作の物語に主人公は関わっていきません。多分壊れもしません。
 オリジナル展開ではなく、うーん…オリジナルストーリー? に、なります。
 ほら、あらすじにも主人公の足取りを追っていく物語的なことを書いておりますし。(多分)

 原作に関わっていく主人公を読みたい方は、おすすめ致しません。
 そんなの関係ない、何でも読める雑食ですぜ。って方はのーんびり気楽に待っていただけると嬉しいです。


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