それは此処ではない何処か (おるす)
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プロローグ「たった一つの(それなりに)冴えたやりかた」

(ここでは)初投稿です。
ハーメルン良いとこ一度はおいでと言われたので、ホイホイ来てみました。
前置きが長くなってもアレなので、本編、どうぞ。


 ――それは此処ではない何処か、別の世界。そこにあるお城の一つの部屋。

 

 狭いながらも豪奢に飾り立てられた室内。その最奥は澱んだ空気に包まれていた。

 そこでは一人の少女が半ば書類に埋もれ、ぶつぶつと何事かを呟きながら事務作業に勤しんでいる。

 ……言うまでも無く、澱んだ空気はこの少女のものである。

「足りません……」

 ぽつりと一言漏らすと同時にため息、作業を一息つけ目を揉む。

 こんな毎日はいつまで続くのだろうかと少女は憂う。何の気なしに壁に掛けられた鏡を見れば、眼の下に隈が出来てしまっているのが見えた。

「時間が足りませんよう……」

 二言目もまた弱音。私にしては珍しく完全に参ってしまっているようだ、と少女は自嘲する。

「空はこんなに青いのになあ……」

 現実逃避し、濁った眼で窓の外を見る。空がとても綺麗だ。蝶々も飛んでいる。何て平和な光景なんだろう。でも太陽が眩しくてちょっときつい……

 目を瞬かせて見慣れ過ぎた室内へ視線を戻す。と、見慣れないものが机の端にちょこんと置いてあることに気付いた。……誰かが不在時に送り届けてくれたものだろうか。書類の処理に忙殺されていて、今まで気付けなかったのだろう。

 書類を掻き分け、手に取ってみる。

「えーと、なになに……あ、これは……!」

 それは一冊の魔導書。一縷の望みを託し、知人に送るよう依頼していた稀覯本。

「これさえ……これさえあれば……!」

 ……そして、それこそがこの少女への救いへとなりうるものであった。

 

 

 ――三日後。とある個人宅にて。

「ふんむむむむ……」

 机上に所狭しと置かれた薬草、薬品を前に部屋の主――エニシダは眉間に皺を寄せながら格闘していた。

 桃色の髪を長く伸ばし、服装はミニスカートが目立つ全体的に白い服装。こんななりであるが魔女である。加えて、目下勉強中の身でもある。

 そしてそんな魔女が何をしているかというと、友人に依頼された高級薬品の調合であった。

「これが最後……し、集中集中……」

 依頼された調合はエニシダにとっては非常に難易度が高く、何度も何度も、面白いくらいに失敗した。当然、材料も面白いくらいに減っていった。結果、これが最後の機会。

 調合手順を暗唱しながら、作業を開始しようとする。

 そこへ――

 バンッ!

「お邪魔しますよー!」

「ひゃああああああ!?」

 勢いよく扉が開けられ、部屋の中へ誰かが入って来る。

 突然の出来事にエニシダは素っ頓狂な声をあげた。

「あ、ああああああっ……」

 驚いたせいで最後の薬品をぶちまけてしまった。友人には何と言い訳したものか……

 ひとしきり嘆いた後、来訪者へと向き直る。そこには息を切らしつつも、剣呑な雰囲気を纏った少女がいた。……この少女は見知った顔だ。団長補佐官のナズナさんである。

「な、ナズナさん? どうしたんですか、そんなに血相を変えて……というか、何故うちに……?」

 持ち前の親切心で声をかけるも、無言でナズナさんはつかつかと近寄ってくる。そして目の前まで来て、むんずっと何かを差し出してきた。

 ……顔をよく見れば焦燥からかはたまた過労からか、眼は血走り、深い隈が出来てしまっています。

 ……なるほど。乙女にあるまじき形相ですね。これだけでただ事じゃない要件だってのがひしひしと伝わってきます。

「えーと、なんですかこれ……?」

 気圧されつつも差し出されたものを見てみる。それは一冊の書物。背表紙には、

『異界からの召喚の儀 ~初心者から超級者まで~』

 などと冗談なのか本気なのか分からない文言が並んでいた。そして差し出した当人はというと。

「……てください……」

「はい?」

「人手が足りないので新しい団長を召喚してください!」

「はいぃ!?」

 

 

 とある先代騎士団長の急死。

 死因は害虫に潰されての圧死であった。

 倒した巨大害虫が墜落し、ピンポイントで団長を潰すという、偶然に偶然が重なった不慮の事故である。奇跡的に死んだと言ってもいい。

 噂で耳にはしていたけれど、現実だったとは……

「もう本当にやってられないんですようー! 代わりになる人材が全くいないし! あの人がいなくなってから慕って付いて来てた花騎士達はみんな国に帰っちゃうし! 結果、騎士団も解散になるし! それに残された大量の書類の後始末に加えて、補佐官宛に次々と増える書類も全部一人で捌かないといけなくなったし! この一ヶ月間、馬車馬のように働いても働いても仕事の終わりが見えないし!」

「は、はあ……ご愁傷様です……」

 これまでの鬱憤を晴らすかのように、鬼気迫る勢いで捲し立ててくるナズナさん。

 こわい。帰りたい。あ、家ここでしたね……くそう。

「ですが! そんな日々の中! このナズナは閃いたのです! 使える団長がいないなら、即戦力になる有能な団長を召喚すればいいじゃない、って!」

「ええー……」

 ナズナさんは勢いのままにぐっと私の手を握ってくる。ああ、これでは逃げられませんね……いえまあ、逃げる先なんてどこにも無いのですが。

「そこで! エニシダさんにはこの異界召喚の儀式をなるべく早く実行してもらいたいのです!」

「ちょ、ちょっと待って下さい! 私、召喚なんてしたことないですよ!?」

「いえ、あなたなら出来るはずです! 伝説の魔女のお孫さんですし!」

「そ、それあんまり根拠になってないですよね!? 私なんてお婆ちゃんの足元にも及ばないし……」

 確かに私のお婆ちゃんは伝説の魔女と呼ばれる程の凄腕の魔女ですけど、その孫ってだけでちょっと過剰評価し過ぎじゃないですかね……

「そりゃあ努力はしていますけど、お婆ちゃんに比べたら私なんてミジンコ以下の実力ですし……うううっ、言ってて死にたくなってきた……」

 だがそんなネガに入る私などお構いなしにナズナさんは言う。

「いいんですよ。駄目で元々なんです」

「え……?」

「本当はこの世界の別の団長を代理として任命する、もしくは一から鍛え上げていくのが筋だと、私も分かってはいます。ですが、事態は一刻を争っていまして――」

 そこで話を一区切り。

「もう、限界なんです……何処も仕事がいっぱいいっぱいで余所から任命するわけにもいかないし……でなくても一から鍛える間、何か月もこの激務が続くと思うと……どうか、私を助けると思って、ひっく、引き受けては頂けないでしょうか……ぐすっ、ううう……」

「……ちょ、ちょっと」

 本当に限界なのでしょう。座り込んで泣き出してしまいました……困る。非常に困る。

 ここで泣き崩れたナズナさんを切って捨て「知らんこっちゃないです」と断るのは余程図太い人間でなければ出来ないでしょう。私のようなちっちゃい人間には無理です。お手上げです。

「しょ、しょうがないですね、もう……一回だけですよ?」

「あ、ありがとうございます……!」

 正直言って異界召喚の儀式なんて、魔女仲間から噂として聞いたことはあれ、やった事などない。精々、出来て使い魔作成といったところです。

 ……ですが、目の前で困っている人がいるのならば、力にならなくては。

 それに未知の儀式を経験するというのも悪くは無いのかもしれません。

 最初は勢いで拒絶しましたが、こういう事は前向きに捉えるべきですよね。ええ、お婆ちゃんもそう言うはずです。たぶん。

「異界召喚の儀式を勉強するのに少し時間がかかるとは思いますが、詳細が分かり次第こちらから連絡するので、それまで、その、何とか頑張ってください」

「あああ……ありがとうございます! ナズナ、頑張ります!」

 泣き顔から一転、笑顔を咲かせるナズナさん。やっぱりこの人は笑っているほうが良いですね。これで隈や目もきちんとしていれば言うこと無しなんですが、それは現状望み過ぎというものでしょう。

「あ、それと一つだけ聞きたいことが……」

「はい? なんでしょう?」

「何故全部一人で仕事を捌いてたんです? 他の人にも頼めばよかったでしょうに」

「……! そ、それは……」

 ピキリ、と笑顔が固まる。

「盲点でした……いつも団長と二人で片付いていたので、つい」

「か、考えもしなかったんですか?」

「ええ、まったく……」

 ……万能の天才は得てして一人で何でもやってしまうというけれど、目の前に実例がいるとは……

「仕方がないですね……では予定を変えて、明日から私もお手伝いしますよ。儀式の勉強をしながらになりますが、私のような取るに足らないゴミ虫でも、いないよりはマシなはずです。それに一緒にいた方が有事の際に質問もすぐに出来るでしょうし」

「エニシダさん……本当に何から何までありがとうございます!」

「……それと、人が増やせないか、上にもちゃんと嘆願書を出したほうが良いですよ?」

「あ、はい、それももちろん!」

「それでは明日からそちらに伺いますから、よろしくお願いしますね、ナズナさん」

「はい! あ、もうこんな時間……急いで戻らないと! で、ではまた明日!」

 来た時と同様、勢いよく扉を開け放って退出していくナズナさん。心なしか足取りが軽やかになっていましたが、気のせいではないでしょう。ああ、嵐のような時間でした……

 しばらく放心して扉を見る私。三分ほど経って忘れていた大切な事実に気が付く。

「そういえば、頼まれてた薬品……どうしよう……」

 後日、友人には謝罪と詫びの品を持って行きませんとね……

 

 

 ――翌日

 約束通りにお手伝いしようとナズナさんと一緒に作業部屋に足を踏み入れた私は、あまりの書類の量に絶句した。とてもじゃないが机上に収まりきっていない。床の上にうず高く積んであるものまであって、見るからに「私、圧倒的な仕事量やってます!」って感じ。

「こ、これ全部捌いてるんですか……?」

「ええ、そうですよー。これでも減った方なんですから!」

 えへんと胸を張るナズナさん。所々に付箋やメモが挟まっているのを見るに、カテゴライズはキチンとされていそうです。出来る女性カッコいい。

「それで、人手不足は解消できそうなんです?」

「いえそれが、上に要望は出したのですが、どうも今の人員配置で最適化出来ていると判断されていたらしく……しばらくはこのままで我慢してくれと……」

 そう言うと肩を落とすナズナさん。どうもうまくいかなかったみたい。まあ、一朝一夕で人事異動なんて出来る筈もないですよね……

「……気を取り直していきましょう。エニシダさんへのお仕事は私が選んで投げていきますので、待っている間に儀式の勉強をお願いします」

「は、はい、お手柔らかにお願いします……」

 言い終えるとナズナさんは書類の中へとざばざばと入っていく。あれが日常なのかな……っと、こっちも勉強を始めませんとね。

 昨日貰った魔導書に向き直る。

 あれから結局友人への謝罪や詫びに奔走していたので、開くのはこれが初めてです。

「……それにしても、こんな魔導書よく見つけましたね」

「ああ、それは知り合いの輸送隊の方が送ってくれまして――」

 ナズナさん曰く、この魔導書は元々眼鏡をかけたような外見をした、へんてこな害虫が持っていたそうで。

 輸送隊がたまたま出くわしたその害虫を討伐し、その魔導書を鑑定に出したところ、未知の召喚技術と膨大な魔力を有していたようで、安易に解読もしようとした鑑定人は発狂。危険視した輸送隊の隊長が塩漬けにして現在まで保管していたらしい。

「正直言ってかなり危険なマジックアイテムなんですが、無理を言って送ってもらったのです。状況が状況ですので、背に腹は代えられないって奴ですね!」

「え。そんな危険物を私は今から解読させられる所だったんですか……?」

「…………」

「…………」

「えへっ♪」

「いやいやいや、可愛く笑って誤魔化そうとしてもダメですからね!?」

「大丈夫です。私はエニシダさんを信じていますから!」

「ぐむぅ……そう言うのは卑怯ですよ……」

 信じられてしまったなら期待に応えない訳にはいかない。お婆ちゃんもそう言うでしょう。たぶん。きっと。メイビー。

 意を決して表紙を開く。

「むー……? これは鏡文字ですね……」

 魔女の修業を通じて暗号等にも慣れ親しんだ私にとって、鏡文字など物の相手ではありません。ですが油断は禁物です。慎重に解読を進めていきましょう。

 ……一章から早速召喚の詳細について書かれているがこれはダウト。実際に召喚しようとすると無色透明な名状し難い異形が召喚され、生き血を全て吸われてしまうらしい。異形は消える。

「ってこわっ! 何この本こわっ!」

「どうかしましたかー?」

「あ、い、いえ、何でもないですよ。私のような未熟者がお仕事の邪魔をしてすみません」

「そうですか。あ、これお願いしますねー」

「は、はい」

 ナズナさんから仕事を貰いつつ第二章。これは一見まともなことが書いてあるが、理論が一部破綻している。術式に組み込もうとすると、魔力がオーバーフローし爆発。最悪クレーターが出来る。

「あのー、ナズナさん……」

「なんでしょう?」

「この本って本当に異界召喚について書かれているんですかね……読み進めているんですけど、ロクな事が書かれていないっていうか……」

「でも表紙には異界召喚について、と書いてあるのでは? 高度な魔導書ほど題名で中身を匂わせるものって聞きますけど?」

「うーん、そうなんですけど……」

 魔導書は中身を名で表す。古今東西不変の言い伝えですけれど、この本はどうなのでしょう……まあナズナさんを疑っても仕方がない。最後まで読んでから判断しましょう。

 

 そんなこんなで。

 

 仕事を手伝いつつ解読を進めること三日。

 ついに最終章へと到達しましたよ、やったー。

「やったー。じゃないんですよね……ここまで全部ブラフでしたし……変な魔術がかかってたから読み飛ばしできなかったし……」

 正直言って疲労困憊である。最終章の前の五章なんて、無限ループになってる箇所があったし。それも気付くのに半日もかかるとは……

「ですがこれで最終章。きっとまともなことが書いてあるはず……!」

「おお、ついに最後まで到達したんですか! おめでとうございます!」

「ああ、ナズナさん。ありがとうございます」

 ナズナさんもお仕事をばっさばっさと片付けながら祝ってくれる。そういえば途中から解読にかかりきりになってしまって、お仕事が全然手伝えてなかったような……

「あの、手伝うとか言っておきながら、全然出来なくてすみませんでした……」

「いえいえ、お気になさらずに。解読してるお姿を見るのも結構な息抜きになりましたので」

 一緒にお仕事しているうちにナズナさんとも結構仲良くなれたなーと思うと感慨深い。やって良かった解読作業。

「では最終章、見ていきましょうかね!」

 と、頁を捲った瞬間、

 パンパカパーン♪

 気の抜けた音と共に、一枚の紙片が飛び出してきたのでした。

「きゃあ!?」「ひゃあ!?」

 突然の事に驚くも咄嗟に紙を掴む。ナイスキャッチ、私。

「何なんですか、もう……」

 本の方を再度見るも、そこには白紙の頁。どうやらこの紙が最終章という訳らしいですね。

 成程、また手の込んだことをしたものだと思いつつ紙を見ると、

 そこには想像を絶する内容が書いてあり――

 

 ~異界召喚のレシピ~

 鉢植:一個(召喚対象のサイズに合わせて用意)

 華霊石:五十個~(多ければ多いほどレア確率アップ!)

 世界花の水:たっぷり(鉢植が満たせるくらい)  以上

 

「な、う、あ」

 余りにも想像を絶する簡潔な内容に私は、

「や、やっぱり私のようなヨワ虫以下の存在でも解読出来る魔導書なんて、こんな、こんなメモ用紙程度の価値しかなかったんですね……」

 思わずへなへなと崩れ落ちてしまいました。

「え、エニシダさん落ち着いて!?」

「うううう~っ、三日もかけてこの体たらく……死にたい……いえ、死んでも周りの迷惑ですよね……このまま塵になって何処かに運ばれて、お花の肥料にでもなって余生を過ごします……」

「ですから、落ち着いて! 裏見て下さい! 裏!」

「へ? 裏?」

 ナズナさんの言葉にはたと我に返り、裏を見る。

「……っ!」

 そこには表とはかけ離れたものがあった。

 まず、膨大な魔力。ややもするとこちらが浸食される程に濃密。次に、あらゆる用途に適応できるであろう多種多様な詠唱方式。そして本命の魔方陣の染料の調合法と描き方。それらが一枚の紙(裏だけ)にびっちりと書き込まれていたのでした。

 確かにこれだけあれば初心者から超級者まで、誰でも何でも召喚できるでしょう。

 ……ここまで読み進めることが出来れば、の話ではありますが。

「この本、本物だったんですね……」

 食い入るように見つめながら呟く。

「ナズナさん、もう少しです。あとちょっとで召喚の儀式ができますよ……!」

 

 

 それから準備を進める事丸一日。

 ナズナさんの権限を用いれば要求される素材はあっさりと集まった。

 召喚時刻は正午。場所は王城内部の庭を貸切って決行。……どうやら陽の当たる場所の方が世界花の加護が受けられ、良い結果が出易いようです。理屈は不明ですが、そう書いてありましたので、ええ。

 召喚対象は男性。ナズナさんと協議した条件として、召喚されてもこちらの願いを聞き届けてくれそうな人物。さらに向こうの世界から来てもあまり影響のない人物に固定。

 また、実験的な試みとして、世界花の加護を受けられるように術式を組み込む。

「男性でも加護って受けられるんですかね……?」

「うーん……こちらの世界の常識は向こうと違うことを祈りましょう」

 世界花の加護は女性しか受けられない。これは不変の真理である。だがそれはこちらの世界では、の話だ。

「別に加護なんて無くても団長職は勤まると思うんですけど……」

「甘いですよ! エニシダさん! どうせ召喚するなら強いほうが良いじゃないですか!」

 ふんすふんすと鼻を鳴らすナズナさん。ものすごく強欲だ。テンション高めなのは現状を打破する瞬間に立ち会っているからでしょう。

「失敗しても知りませんよー……?」

「大丈夫です! これだけ準備してるんですから! 大丈夫なはずです!」

「はいはい。それじゃあ準備しますねー」

 もうどうにでもなあれ。

 早速魔方陣を書き始める。つつがなく二十分ほどで終了。

 続いて人一人が入れるサイズの鉢植をセット。

 そして中に華霊石を入れて、世界花の水で満たしていくのですが。

「……あれ、何か石の量多くないですか?」

「二百です」

「へ?」

「気合いを入れて二百個用意してきました!」

「いやいやいや、多過ぎませんかナズナさん!?」

「多ければ多いほどレア率アップなのでしょう? ならばとことんやるのがナズナ流です!」

 どれだけこの儀式に期待しているのでしょう、この人は……私なんかが召喚していいものか不安になってきました。失敗したらこの責任は何処に行くのでしょう……

 ……降って湧いた不安を振り切るように石を入れていきます。ざらざらーっとね。

「あのー、ナズナさん。石が入りきらないんですけど……」

「鉢植が小さすぎましたか……まあいいです。上に積んじゃいましょう」

 そう言うと石を積み始めるナズナさん。これ、大丈夫なのかな……

 何とか石二百個を入れ(入りきらないものはナズナさんによって賽の河原の石のように積まれた)世界花の水を慎重に入れていく。

 ……これで準備完了です。

「いよいよ召喚ですね……緊張してきたなぁ……」

「ええ、エニシダさん! ファイトです!」

 本番前に深呼吸を一つ。気持ちを切り替え詠唱のみに集中。

 魔力を開放しながら告げる。

 

「素に石と陽光。礎に水と土」

 詠唱を始めると魔方陣が発光し、鉢植がガタガタと動き始めた。

「全てを救う清廉なる魂よ。寄る辺なき魂よ」

 次第に光は輝きを増していき、目を開けているのが難しい程になっていく。

 「名を忘れ花の加護を受けよ。来たれ。我は汝を求める者也……!」

 それでも何とか詠唱を終える。次の瞬間、世界は白に包まれ――

 ……

 …………

 ……恐る恐る目を開けると、そこには変わらず鉢植だけがあった。変わったところと言えば、なみなみと入れてあった石と水が無くなっていることくらい。

「そ、そんな……失敗……?」

「手応えはあったのに……」

 二人して肩を落とす。と――

 ピロン!

「今の音なんでしょう……?」

「あ、鉢植が銀色に……!」

 見ると鉢植が銀色に輝いていた。

 どういう原理なのか全く不明だが、これが儀式の成果なのは明白だ。

 それにしても何故でしょう。見ていると実家のような安心感が湧きあがってきますね……

 ピロン!

「おお、金色!」

「えっ、えっ、なにこれ」

 次は銀から金へ、鉢植の色がまたしても変わる。金色の鉢植は見るからにゴージャスなのですが、実用性としてはどうなのでしょう。私だったら絶対に使いたくないですがね……ご近所さんから成金趣味だと誤解されそうですし……

 そんな事を見ながら考えていたのですが、鉢植は金へと変化した後、プルプルと震えたまま変化しなくなってしまいました。

「な、何だかよく分からないけど、頑張っているみたい?」

「が、頑張って下さいー! 鉢植君―!」

 固唾を飲みながら二人でエールを送るも、三十秒ほどプルプルし続けた鉢植君。

 もう駄目なのかな、と思いかけたその時。

 ピロン!

「おおおお!? 金から虹に!?」

「虹きたー! 虹来ましたよー!」

 これには二人とも身を乗り出してグッとガッツポーズ。何が何だかよく分かりませんが、否応無しにテンションの上がる光景です。

 金を超えた、虹……!

 もうこれはスペシャルなサムシングが召喚されること間違いなしでしょう。

 これは、勝ったな……! 具体的に何にと言われると困りますが、勝ちましたね……!

 

 ――そうして期待する私達をよそに、次の瞬間、

 虹になった鉢植君は、閃光と轟音を響かせながら爆発四散したのでした――

「「きゃあああああ!?」」

 

「うー……酷い目に会いました……ナズナさん、大丈夫ですか?」

「ええ、何とか……」

 まさかあそこから爆発するとは……自分でやっておいてなんですが、この儀式危険すぎる……

 周りを見れば先の爆発で白い煙がもうもうと立ちこめ、鉢植の破片が周りの壁や木々に突き刺さっている。貸切にしておいて本当に良かった……

「上手くいったのかな……」

 煙でよく見えないが、鉢植のあったところに何かがあるのは見える。

 何でしょうね、あれ。人間にしては大きいような……

 次第に煙が晴れていき、詳細が分かってくる。

「やけに平べったいですね……なんというか、白くて四角で、ふかふかしてそうな……って、あれは……!」

 そう、白くて四角でふかふかで、

 それは紛れもなく奴さ――

 

「「何故にお布団ですかー!?」」

 

 




恵まれたガチャ演出からのクソみたいなオフトゥン召喚。どうしてこうなった。
あ、続きます。


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一日目「事の始まり」

 ――そう、現実というものはいつだって突然だ。

 いつ何が起こるのかなんて分かったもんじゃない。

「うーん、むにゃむにゃ……すやぁ……」

 休日だからと三度寝の贅沢を享受していた俺だったが、

「……? むむー」

 何事かの違和感を感じ目を覚ますと、

「…………」

 何故か爆心地のど真ん中で布団にくるまっていた。

「…………何だ夢か」

「いやいや、夢じゃありませんからね!?」

 再び寝直そうとする俺にツッコミがかかる。やけにかん高くて耳に残る声だ。

 声のした方を見ると少女が二人。二人とも白を基調とした前衛的な――いや、個性的な――もといお洒落な格好をしている。

 声をかけてきたのは茶髪の少女だ。もう一人の少女は桃色の髪。二人とも結構な美少女だ。ってよく見ると茶髪の方はすごい服装だな……あれは見せパンという奴なのだろうか。正直言って直視し難い……

「夢じゃなかったら何なんだこれは。爆心地の中で眠った記憶なんて無いんだが……」

 喋った自分の声に若干の違和感を感じつつも、茶髪の少女へ質問を投げかける。

「貴方を私達が召喚したのですよ!」

「はぁ…………はぁ!? 召喚!?」

 召喚という耳慣れぬワードに過剰に反応してしまう。ファンタジーかメルヘンかよ。

「やっぱり現実じゃないじゃん……四度寝しよ……」

「いやいやいやいや、現実ですから! 何で寝ようとするんですか!?」

「いやだって、寝れば現実に戻れるかもしれないし……」

「これ現実ですから! 現実逃避しないでください!」

 そういうと茶髪の少女は布団を剥ぎ取ってきた。抵抗する間も無くあっさりと取られる。流石にこれじゃ四度寝は無理か……

「はぁ、わかったよ。起きます。それで? 千歩ほど譲って召喚されたのだとして、俺に何の用なんだ?」

「貴方を召喚した理由はですね……」

「はいはい」

「騎士団の団長になっていただくためです!」

「へー」

「……何ですか、そのうっすい反応は」

「いやだって、目が覚めたら変な所にいて、そんでもってよく分からない団長になってくれーなんて言われても、へーそうなんだって思うしか……」

「うっ。た、確かに……」

「という訳で最初から最後まで分かりやすい説明をお願いします。あ、この世界についてもちゃんと教えてね」

「は、はい……」

 その茶髪の少女(ナズナとか名乗ってた)曰く――

 この世界はスプリングガーデン。そしてここはブロッサムヒルって言う国のお城の庭らしい。この世界には害虫という人類の天敵がいて、すごい事に千年ほど戦い続けている。一進一退の攻防って奴だろう。よく知らないけど世紀末みたいだな……

 そんでもってその害虫ってのは神出鬼没でとても強大で数が多く、世界花の加護を受けた女性――花騎士にしか討伐できないらしい。なんてふぁんたじーなんだろう。……そしてそこはかとなく殺伐としている。もっとゆるふわっとしていて欲しい。

 更に更に、その花騎士とやらを率いて害虫討伐を専門の職業とする者を団長と言うらしい。団長職は常に人材不足らしく、先代のとある団長が死んだ所為で仕事が立ち行かなくなり、にっちもさっちもいかなくなって自分が召喚された、というのが大まかな流れのようだ。

 ……そこまで説明されて、ふと思う。

「あれ、俺ものっそいとばっちり受けてね……? っていうか、そんな大層な職業に就いて大丈夫なの……? 何にも知らないんだけど……」

「ご迷惑をかけることは本当に申し訳なく思っています……ですが、こちらも非常事態なのです。団長になるための教養、知識、経験は全責任を持ってお教えしますので! どうか、よろしくお願いします!」

 深々とお辞儀されて頼まれてしまう。無責任に召喚した訳ではなさそうだ。

「むぅ、取り敢えず話は分かった。で、聞きたいことがあるんだけど」

「はい、何でしょう?」

「元の世界に戻る方法とか無い?」

「ありません。というか、帰しません」

「ですよねー」

 ……まあそうだろうなとは思っていたとも。折角召喚したのに、「え、君帰りたいの? オーケーオーケー!」なんて言う馬鹿はいないだろう。そんな奴がいたらこっちが正気を疑うわ。

「もう一つ、いいかな?」

「はい」

「団長以外でこの世界で生きていく方法、無いかな?」

「ありません。というか、させません。こう見えてお偉いさんなのです、私」

「あっ、はい……」

 どうやら召喚された時点で詰んでいたようだ……思わず頭を抱える。

「くそっ、どうしてこうなった……いきなり召喚されて、どう聞いてもブラックな職業を強制されるとか、悪運極まり過ぎだろ……泣けてきた……」

「色々諦めて一緒に頑張りましょう? 大丈夫です。慣れれば楽しいですよ!」

「ぐぬぬぬぬ……」

 朗らかに笑うナズナ。だが俺はここまでの短いやり取りでこの笑顔の裏にある計算高さと漆黒の意思を知っている。くそう、滅茶苦茶良い笑顔なのにどす黒さが見えるぞ……!

「分かった。分かりました……団長やります……やるしかないんでしょ……」

「ありがとうございます!」

 後に、半ば背景となっていたエニシダ嬢は語る。

「あれはなんというか、悪魔の手口でした……私なんかよりずっと魔女してましたねー……」

 

 

「それでは場所を移して色々と相談事を進めていこうと思うのですが、その前に。あなたのお名前は何というのでしょう?」

「そういえば言ってなかったな……俺は……?」

 そこまで言って気付く。

「あれ、名前何だっけ……? 思い出せない……」

「へ?」

 確かにあった自分の名前。それがまるっと消えているのだ。他の事は思い出せるのに。昨日の晩御飯とか。ちなみに麻婆豆腐だ。

「あ、あ、あの」

「うぉう!?」

 おもむろに桃色の髪の少女が話しかけてきた。さっきまで背景になってたのに急に出現するんじゃあない。

「そ、それですね。召喚の際に消し飛ばしちゃいました……名前……」

「ええー……何てことしてくれちゃってるの……」

「元の世界の名前があると、元の世界への未練とか残るかなって……私の独断でやっちゃったんですが……えへへ」

 何故か照れ顔で鬼畜な事を語る桃色の髪の少女。そこ照れる所じゃないぞ。

「って、そう言うって事はあんたが召喚したのか」

「は、はい。エニシダと言います。魔女やってます」

「名前を消し飛ばしておいてここで自己紹介とか、喧嘩売ってるんです……?」

「へぁ!? あ、い、いえ、そんなつもりではないふぁいいふぁいれす! やめへふだはい! やめふぇ!」

 急に湧いたやり場のない怒りをエニシダとやらの両頬へぶつける。何このほっぺた。すごい柔らかい……ぐりぐりと気が済むまで弄った後、開放してあげる。

「うううっ、酷いれす……」

「まあ、これくらいで許してあげよう」

「あれ、あんまり怒ってないんです……?」

「いやー、あんまり物には執着できない性質でさ……よく考えたら別に元の名前とか無くてもいいやって」

「い、意外とドライですね……」

「という訳で、新しい名前下さい。無いと不便だし。名無しとか名乗るのもあれだし」

「それじゃあ、エニシダさん。お願いします!」

「へぅ!?」

 狼狽するエニシダ。傍から見ても驚く程の、流れるような無茶振りである。

「な、なんでっ私がっ!?」

「実際に召喚したのはエニシダさんですし、ここは召喚者が責任を持って名前を付けてあげるのが道理かと!」

 なるほど、こっちの世界では召喚者が名付けるのが常識なのか。あっちでは召喚とかできないから知らなかったなー。

「う、えぅ……分かりました……私なんかが名付けていいものか疑問ですが、頑張ります……」

 それなりに説得力のある提案だったのか、素直に応じるエニシダ。微妙に卑屈な発言をしつつも、こちらをじっと見てくる。

「名前、名前……」

 心なしかこちらを見る顔が赤い。ちょっとぐりぐりし過ぎただろうか……

 視線に耐えかねて同じく自分の体を見る。すると、今更ながらある変化に気付いた。

「あれ、今更気付いたけど俺の体……」

「どうかしましたか?」

「何か縮んでいるような?」

 寝間着はぴったりのものを着ていたはずなのに、今では袖が余りだぼついていた。

 何だろう、ちょっと嫌な予感がする……

「あのさ、鏡とかないかな?」

「あ、手鏡なら持ってますよー」

 ナズナから借りた手鏡を覗く。そこには予期していたものがあった。

「なんとぉ……若返ってる……」

 鏡の中にいた人間は、年の頃は恐らく十代半ば、色白で童顔の少年。

 髪は不精をしていたため長く、若干ボサついている。

 そして体つきは良く言えばスレンダー、悪く言えばもやし体型。

 ……総合すると、中性的な見た目の、不健康そうでいかにも無愛想な少年である。

 紛れも無く我が青春時代の姿であった。起床後に感じた、声の違和感の正体もこれで推測が付く。要するに変声期前位まで若返っているのだろう。

 元々高くなかった身長も更に下がり、目の前のナズナと視線を合わせるには少し見上げなければならなかった。相手がどれ位なのかは分からないが、恐らくは百五十程度まで縮んでいるのかもしれない。

「ええっと? 若返ってるって……元々いくつだったんです?」

「二十代後半……」

「いや、何でぼかすんですか……それはそうと、結構な若返りっぷりですね」

「何で若返ってるんですかね……? これも召喚の際に何かしでかしたとか?」

「いや、これはちょっと分からないですねー。召喚の際には何も……あっ」

「あっ、って何だよ!? やっぱり何かしてたんだ!?」

「いえ、ちょっとですね。実験的な試みとして、世界花の加護が男性の貴方にも受けられないかなぁと、召喚の際に加護も受けられるようにやってみたんですよ」

 ニコニコと笑いながらナズナは続ける。

「多分若返ったのは加護を受けられた証拠ですね! 多分ですが!」

「多分って……それが違って加護を受けるのに失敗してて、別の要因で若返ってたとしたらどうするんだ?」

「その可能性は否定できませんが、そういった心配はご無用ですよ」

「……?」

 返答の意味が分からずに首を傾げる。

「加護を受けられていようがいまいが、貴方には団長以外の道はありませんので!」

「ああ、そうだったな畜生!」

「何にせよ若返ったのは好都合です。バイタリティ溢れる若い体で、一緒にきりきり働きましょう!」

「ぬおおおお……働きたくない……!」

 本当にどうしてこうなったんだ……若返れてラッキー、とか思う暇くらい与えてくれ、神よ……!

「よ、よし、名前決まりましたよ!」

 再びブラックな絶望に頭を抱える俺などお構いなしに、エニシダが何事か話し始める。

「って、あれ、どうかしたんですか……? すごい辛そうですけど、大丈夫ですか?」

「……大丈夫、だから……」

 こいつ、今までずっと名前決めるのに集中してたのか……

 途中から何か遠い目をしてたもんな……

「で、では決めましたので言います。言いますよー! 貴方の名前はイルさんです!」

「……して、その心は?」

「私が召喚して、貴方がここに居るから、それでイル!」

「えらく安直だなぁ、おい!」

「えっ、えっ、駄目ですかね……?」

 きっと一生懸命考えたのだろう。ツッコミを入れたら涙目になってしまった。

「や、やっぱり駄目ですよね……私なんかが決めた名前じゃ……うう、どうせセンスなんて無いんだし、考えるだけ時間の無駄でしたよね……ううっうっ」

「あー、いや、駄目じゃないんだが、うん、うむむ……」

 何だろう、非常に面倒臭い。あと女性に泣かれるのは非常に気まずい。初対面だからなおさらだ。

 ……そう思ったら、口が自然に動いてしまっていた。

「あーもうっ! イルでいい! 俺の名前はイル! 決まり!」

「え、やっぱり気に入ってくれたんですか!?」

「ああ、気に入ったさ! 気に入ったよ畜生!」

「わぁ……頑張って考えた甲斐がありましたよー!」

 ピンクの魔女はそう言うと小躍りし始めた。さっきまで卑屈になっていたかと思うと、この喜びようである。何て極端な奴なんだ……きっとこいつの周りの人間は苦労していることだろう。

「あーくそっ、何だってこんな疲れるんだ……」

「イルさん、イル団長ですか。良い名前ですね!」

「お世辞はいいよ、もう……誰か助けてくれ……」

 こうして俺は新世界にて、団長と言う新しい職、世界花の加護によって若返った(と思われる)身体、そしてイルという新しい名前を手に入れた。

 これから先、嫌な予感だけしかしないが、この理不尽な状況を何とかしていかなくてはいけない。

 ひとしきり腐った後、ナズナへと向き直る。気持ちを切り替えていかねば……

「……んで、今後の相談をするんだったっけか? 名前も決まったしさっさと行こうか……」

「はい、では行きましょうか!」

 断頭台へと赴く受刑者のように悲壮な決意を胸に、俺は団長への一歩を踏み出したのだった……

 

 

 ナズナの先導で場所を移し、ここは城内の一室。

 中はそれなりに広く、机や椅子、筆記用具等が無造作に置かれており、ちょっとした教室のような感じである。元々そういう用途で用意された部屋なのか、黒板も備え付けられてあった。この世界にも黒板とかあるんだな。

「ではその辺に適当に座って待っててください」

「ほいよ」

 室内に入ると、ナズナにそう促される。

 言った本人はというと、そのまま何かの準備をするのか、更に奥の部屋に入ってしまった。

 残された俺は言われるがままに、適当なイスと机を見繕い座る。

「よっこいしょっと」

 ……すると何故かエニシダも隣に座ってきた。

「……近いからもっと離れて」

「えー、なんでですかー。いいじゃないですかー」

「気が散るんだよなぁ……」

「ふふんふーん♪」

「……」

 こっちの悪態が聞こえてないのか、上機嫌に鼻歌まで歌ってらっしゃる。

 思えば移動中も妙に近くにいたような気がする。何でこんなに懐かれてるんだろう……

「それじゃあ始めますよー」

 準備ができたのか書類を携えてナズナが戻ってきた。すると、俺達が隣同士くっ付いて座っているのを見て微笑む。

「あらあら、仲良しさんですねー」

「仲良しですよー」

「いや、こいつが勝手に隣にだな……」

「またまたー、照れちゃって♪」

「照れてる顔も可愛いです……」

「な……!? かわっ……!?」

 可愛いだと……今俺を可愛いといったのかこいつは……! 驚愕する俺をよそに、エニシダはつらつらと語り出す。

「何ていうか、イルさん女の子みたいで、見てると保護欲がむらむらと出て来るというか……近くで見るとお肌も綺麗だし、服もだぼだぼで……ふぅ……抱いていいですか?」

「何かさっきからやたらと近いのはそれが理由かっ!? あと抱こうとするな! 離れろ!」

「えへへ、召喚した責任もあるし、ちゃんとお世話しますからねー」

 そう言うと顔を赤らめながらこちらの頭を撫でようとしてくる。完全に子供扱いだ。即座に伸ばされた手をはたき落とす。

「あうぅ、いけずぅ……」

「あらかじめ言っておくが、俺はこんななりになったが中身は成人男性だからな? 抱かれたりしたらそのまま襲うかもしれないぞ?」

「イルさんに襲われるならそれはそれで……」

「いいのかよ!?」

 想像しているのか、更に顔を赤くするエニシダ。忘れていたが、これでいて結構な美少女なのだ、こいつは……

 何というか、非常に扱いに困る……

「惚気は終わりましたかー?」

「ひゃうぅ、惚気だなんてそんな……もっと惚気てもいいですか……?」

「惚気てないからな!? というか、いいから早く話してくださいお願いします!」

 隣の珍人を視界から外しつつ、ナズナへと催促する。横から刺さる視線が痛いが、無視だ無視。

「えー、それでは今後の予定を黒板に書いていきますねー」

 カッカッっと予定が書きだされていく。書き出されていくのは未知の言語だ。

「えっと、イルさん読めますか?」

「何か、読めるみたいだな。変な感覚だが……」

「加護のおかげでしょうね。若返っただけでなく、ちゃんと受けられていたようで何よりです」

 ふと思い立ち、その場にあった筆記用具で書き物をしてみる。

「おー、俺もちゃんと書けるな。何だこれ気持ち悪い……」

 あいうえお、と書いたつもりが黒板のものと同じ言語になって出力されている。加護とやらのおかげだろうが、勝手に脳が書き換えられたようであまり良い気分ではない。

「確認もできたところで、今後の予定といきましょうか」

 黒板をなぞりつつ、ナズナは語り始める。

「まず今日は召喚疲れもあるでしょうし、このまま休息です。エニシダさんとイチャイチャしててください」

「イチャイチャ!? します!」

「いや、しねえよ」

「次いで明日からですが、一日づつ集中学習をしていきます。イルさんは本当に何も知らない状態ですから、まずはこの世界と団長についてのお勉強ですね。それを二日取ります」

「二日……それで足りるのか? 団長の仕事って難しいんじゃないのか?」

 率直な疑問を言う。

 先の説明では人材不足と言っていたから、激務且つ複雑という印象を受けたんだが……

「いえ、職務の基礎的な所はそれほど難しくは無いのですよ。ただ……」

「ただ?」

「この世界って男性が少なくて、優秀な担い手が中々出てこないんですよね……」

「へえ、そうなのか」

「そのせいで団長一人当たりにものすごい件数の案件が集中して、いつもパンクしているんです」

「その辺の人を団長には出来ないのか?」

「それが出来たら苦労してないんですよう……」

 そこで溜息を一つ吐くナズナ。意外と苦労人なのかね……?

「団長になるのには特殊な条件がありまして、花騎士に慕われるような素養がどうしても必要なのです。これを普通は騎士学校に何か月か通って身に着けるのですが……」

「で、その素養というと?」

「まず第一に体力、次にコミュニケーション能力、そして花を従える魔力です!」

「最後以外は普通だな……」

 正直言って素養というのだから、もっと超人的な能力を要求されるのかと思っていた。

「そうですね。とりわけ無くてはならないのが花を従える魔力です。これだけは先天的な才能で、修練で身に付くことはありません。大半はここで振るい落とされます。しかもその魔力も大抵最初は微々たるものでしかなく、育て上げるのに何か月もかかるというのが現実です」

「なるほどなー。ちなみに俺にはそのなんたらの魔力ってのはあるの?」

 世界花の加護を受けているらしいことは分かってきたが、魔力は別物だろうと思い質問する。

「イルさんの魔力は! びんびんですよ! 最初からマックスです!」

「うおぅ!? いきなり横で大声あげるな!」

「何たって花騎士でもある私がここまでメロメロなんですから! はぁぁ、真面目にお話を聞くイルさんも可愛い……」

 駄目だこいつ……早く何とかしないと……

「……こいつはこう言ってるけど、本当なんですかね……?」

「私は花騎士じゃないので分かりませんが……エニシダさんが言うならそうなのでしょう。この人、こう見えて結構なサラブレッドですので、実力は折り紙つきですよ?」

「ふーん……?」

 意外とすごい奴なのか。人は見かけによらないってのはこの事だな。ってうわっ、鼻血出しやがった……

「……というかエニシダさん。さっきからイルさん可愛い可愛いとしか言ってないですが、大丈夫ですか? 召喚して脳がやられましたか? キャラが壊れていますよ?」

「だ、大丈夫ですよ! ちょっときゅんきゅんしてるだけですから!」

「もうお前本当、黙っておけな……?」

 鼻にティッシュで栓を詰めながら抗弁するエニシダ。折角の美少女が最早見る影もない。こんな奴に召喚されたのかと思うと、ちょっとやるせなくなるな……

「で、だ。その世界と団長についての勉強ってのは分かった。次は何するんだ?」

「はい。三日目にはイルさんの受けた加護について詳しく調べようかと思います」

「俺の受けた加護……」

「加護というものは本来、女性の花騎士しか受けられないものです。そして、加護を受けた花騎士は何らかの才能、異能に開花します。イルさんも男性ながら加護を受けているので、何らかの能力が開花するはず。それを調査します」

「はい、質問」

「何でしょう?」

「その能力ってのは具体的にどういうものがあるんだ?」

「まず、基本として身体能力が飛躍的に向上します。加護の強弱や個人によって程度は違いますが。具体的に脚力で言うと、短時間であれば馬と並走できる程度にはなりますね」

「馬と一緒に走れるのか……」

 それ殆ど人間辞めてるじゃないか。そんな奴らを従えて仕事していくのか……気が重い。

「他には個人差が大きいですが、千里眼や未来予知、炎や氷、雷を操ったり、使い魔を強化したり光線を出したりといった多種多様な能力が報告されていますねー」

「何だよそれ、超人もいいところだな!?」

 あまりの現実離れした能力に頭がくらくらする。アメコミのヒーローか何かかよ……

 ふと思い立ち、隣のエニシダを見る。確かこいつも花騎士だ、って言ってたな……

「なあ、あんたも花騎士って事は色々できるのか?」

「私ですか? できますよ。あんまりすごくないですけど、箒で空飛んだりとか、ビーム出したりとか」

「うわ、こわっ……近寄らんとこ……」

「ええっ!? 何で!?」

「にしても、加護で身体強化か……」

 エニシダを放置し、その辺の鉛筆を手に取る。それを左手の親指と人差し指で挟み、へし折ろうと力を込める。

 ……以前の非力な俺であれば相当苦労していただろう。だが、鉛筆はべきりと、本当に軽々と折れてしまった。

「おお、加護で強化されるってのは本当なんだな」

 調子に乗って二本三本と折っていく。折る瞬間が最高に気持ち良い。

「あのー、備品なのであんまり壊さないでくださいね?」

「あっと、つい……ごめん」

「調子に乗ってべしべし折るイルちゃんかわーいーいー」

「お前は喋んな! というかちゃん付け!? 絶対にやめろ!」

「雑に扱った仕返しです!」

「いちゃいちゃしてないで次進めますよー?」

「いちゃいちゃしてない!」

 くそう、エニシダに話を振ると碌なことにならない……というかこのやり取りがいちゃいちゃしてるように見えるのか、この人は。激しく謎だ。

「それで、三日目の加護の調査が終わり次第になりますが、次は戦闘訓練に移っていきます」

「戦闘……」

「団長職の方は本来、後方支援に徹して害虫とは戦わない、というより加護が無いため直接的な戦力になれないというのが常識なんですが、イルさんは例外的に加護を受けているので、折角ですから戦えるようになってみましょう」

「いきなりハードル上げてきたな!? 俺戦った事とか無いぞ!?」

 何だろう、こっちに来てから無茶振りしかされてない気がする……

「大丈夫です。こちらもその筋のスペシャリストの訓練官さんを呼ぶ予定ですので、大船に乗った気持ちでいてください!」

「そう言われてもなぁ……」

 実際問題、運動は苦手だった。加護で強化されているとはいえどこまで出来るのか、不安で仕方がない。

「戦闘訓練の期間はイルさんが仕上がるまでずっとです。訓練官さんのお墨付きが出るまでですね」

「はい、質問」

「なんでしょう?」

「仕上がらなかったらどうしよう?」

「絶対に仕上げますのでそういう心配はしなくて結構です!」

「うぐぐぐ……」

 俺としてはこのまま仕上がらず、一生戦闘訓練していればいいかなとも思ったが、そうは問屋が卸さないようだ……

「戦闘訓練が終わったら、次は実戦訓練ですね。実際に郊外へ出て害虫を倒してもらいます」

「実戦もやるのか。ってまあ普通そうだよな……害虫って強い?」

「街道辺りの害虫ならそれほど強くないかと。ただ……」

「ただ?」

「害虫って本当に神出鬼没なので、調子に乗って雑魚を狩っていると、すごいのが出て来た時にこれも弱いと勘違いして、無謀にも挑んで死んじゃうというケースがそれなりに」

「この世界怖いな!?」

 流石千年も戦い続けている世界は格が違った。カッコよくもないし憧れもしないのが非常に嫌だ。

「まあ、実戦訓練にも訓練官さんは随行するので、死ぬような目には合わないでしょう、多分」

「その多分ってのが引っ掛かるんだよな……」

 これがゲームのチュートリアルだったりしたら、大抵最後の最後でイレギュラーな事が待ち構えてるんだよな……騙して悪いが、って感じに。

「実戦訓練が終われば、実質的な訓練期間は終わりですね。その後は一日休息を入れた後、部下となる花騎士達と面接。晴れて団長職に就任という流れになります」

「戦闘訓練がどれくらいになるか分からないけど、大体全部で一週間程度って認識でいいのかな?」

「はい、それ位の認識でいいかと。こちらも色々とカツカツなので……あまり時間が取れず申し訳ないです」

 本当に時間が無いようだ。短すぎると思ったが、ぐっと飲み込む。もう後戻りは出来ないのだ。

「それにしても花騎士達か……もううちに来る人は決まってるんだ?」

「いえ、これから決めます」

「これから?」

「はい、なるべく優秀な人材を集めるために、直近でフリーになった人、現在の配属で戦力の余っている人なども含め、使えそうな方に手当たり次第連絡します」

「なるほど……」

「それで、ときにイルさん」

「ん、なにか?」

「イルさんの誕生日を教えてくれませんか? 選ぶときの参考にしますので」

「ああ……って、この世界も一年は三百六十五日の十二ヶ月なのか?」

「ええ、この世界もそうですよー。うるう年ってのもありますね」

 この世界も太陽暦なのか。意外な共通点だ。どの世界でも人間の発展の歴史は一緒なのかもしれない。

「それじゃあ、三月の十二日だな」

「ふむふむ」

「……!? イルちゃんさん今何と!?」

 誕生日を告げた瞬間、すごい剣幕でがぶり寄ってくるエニシダ。ちゃんとさんを同時に言うな。

「だから、三月十二日が俺の誕生日って言ったんだけど?」

「……っ! そう、そうでしたか……なら……理由が……」

 再度告げると、ぶつぶつと何事か呟いた後、考え事を始めたのか、遠い目で窓の外を見始めてしまった。

「どうしたんだ、こいつ……」

「三月十二日……ああ、なるほど」

「何か知ってるのか?」

「ごめんなさい。知っていますが、これは貴方とエニシダさんの問題になりますので、私が口を出すべきではないかと。エニシダさんの心の整理が付いたら話をしてくれると思いますので……」

「ふーむ? 俺と誕生日が一緒だったとかかな……」

「いえ、そういう訳ではないですよ? まあ気長に待ってあげてください」

 見当違いの推測をしたようだ。まあ何かしらこいつとは因縁があるみたいだし、話をしてくれるまでは待ってやろう。ロクでもない話でなければ良いが……

「それでは今後の予定の話はおしまいです。今日はもうゆっくり休んでください。泊まる部屋へ案内しますので」

「ああ、わかった」

 席を立ちナズナの案内に従って部屋へ向かう。移動中も終始無言で歩くエニシダが少しだけ気がかりだったが、何なんだろうなこいつとの因縁って……

 

 

「では、この部屋をお使いください。食事などは後で届けさせますので、今はゆっくりと休んでくださいねー」

 そう言い残すとナズナは退出していった。俺を召喚した為に色々と忙しくなるのだろう。まあそれ位は働いてもらわなくてはという気持ちと、若干の申し訳なさを感じる。……道理で言えば申し訳なく感じる必要などないのだろうが。

 複雑な思いを馳せつつ、思考を室内へと戻す。案内された部屋は少し狭いながらも、居住用としては申し分のない部屋だった。椅子とテーブルにベッド、ちょっとした書物の入った本棚、動力不明の照明、そして驚いたことに、トイレや風呂といった水回りの設備もあった。

「中世チックなお城だと思ったのに水回りもちゃんとあるんだな……」

 意外とこの世界も技術が高いらしい。召喚などといったファンタジーな事が出来るくせに近代技術もあるとか、中々欲張りな世界である。

「で、あんたはどうするんだ?」

 一通り部屋を調べ終わった後、付いてきたままドアの前で突っ立っているエニシダへ問いかける。

「はっ」

 声をかけられて我に返ったのだろう。わたわたと周りを見回すエニシダ。

「う、あ、すみません……ちょっと用事があるので私も一旦帰ります……」

「そうか、気を付けてな」

「あ、えと、ありがとうございます。い、イルさんもお気を付けて」

「あ、うん……」

 部屋の中で何に気を付けろというのだろう……エニシダも言った事がおかしいと気付いたのか、顔を赤らめて黙ってしまう。

 ……そうしてしばらく黙っていた後、何かを決心したのかこちらに向き直る。

「そ、それでイルさん! また後でお話しに来ても良いですか? ……大切な話があります!」

「ああ、俺は別に今でもいいけど……」

「私は良くないので! 準備してから来ます!」

「お、おう……」

 言い終えるや否や、バタムとドアを閉じて出ていくエニシダ。すごい勢いで走る足音が廊下から聞こえる……

「何なんだろうな、一体……」

 取り敢えず話してくれるらしいし、期待して待っていよう。と、一人になった瞬間どっと疲労が押し寄せてきた。未知の世界に来るという怒涛の展開に緊張しっぱなしだったようだ。

「ああもう、本当、今日は疲れたな……」

 窓の外を見れば陽が落ちかけていた。それに何故か桜の花のようなものが散っているのも目に取れる。確か向こうでは十月だったような……本当に異世界に来たんだなぁ。

「そういえば風呂があったな……体でも洗うか」

 風呂場へと行く。流石に湯船に湯は張ってないか。シャワーだけでいいな……

 シャワーだけで手早く済ませた後、堪らずベッドへ身を投げる。よく手入れされているのか、フカフカで気持ちが良い。

「ふへー……」

 安心感に気の抜けた声が出る。すると今まで棚上げにしていた不安が首を擡げてきた。

 これからの事。これまでの事。

 明日からの学習、付いていけなかったらどうしよう?

 加護の調査、何も出て来なかったら?

 戦闘訓練、才能が無さ過ぎて訓練官に呆れられたりしたら?

 どれもこれも耐えられそうになかった。自分自身、何も持ってないのは分かってる。けど、実際に指摘されるのは辛い。

 突然俺の消えた世界。最初はみんな戸惑うだろうけど、まあ何とかなるだろう。社会には俺がいなくても代わりはいくらでもいる。

 ……だが家族は? 両親は大丈夫だ。最初は悲しむだろうけど、貯金はいっぱいあるだろうし、何とか割り切って余生を楽しんでくれるだろう。楽しんでくれ、頼む。けど、もうちょっと親孝行しておけば良かったな……結局してやれたことなんて何も……

 等と考えているとすぐに意識は飛び――

 

 

「イルさん。起きてください、イルさん」

「……めん………なさ…………」

「イルさん……?」

「うあっ……?」

 目を覚ますとベッドの端にエニシダが腰掛けていた。どうやら眠ってしまっていたようだ。

「鍵が掛かってなかったから、勝手に入っちゃいました……って、怖い夢でも見ましたか? 涙が……」

「……っ!」

 言われて確認すると頬が濡れていた。寝ながら泣いていたのか……我ながら情けない。

「泣いてない! 泣いてないからっ!」

「……」

「…………」

「あの、ごめんなさい……呼んでしまって」

「……何で今更謝るんだよ。必要だったんだろ」

「でも、寝言で……誰かに謝ってたみたいだから……」

「でも、も糞も無いっ! 呼んだなら謝らないで、行動で責任取れっ! この馬鹿っ!」

 泣いてたところを見られたからか、自然と言葉が荒くなってしまう。また涙が出そうになるが、何とか耐えた。

「ああ、くそっ。…………ごめん」

「いえ……その、イルさんは私にもっと当たってくれてもいいんですよ?」

「……もういい。こんなの誰も得しないし、疲れるだけだから……それよりここに居るって事は話があるんだろ?」

「はい。あ、でもその前に」

 そう言ってテーブルの上にあったトレイを持ってくるエニシダ。来る時に運んできたのだろう。

「ご飯でも食べて、元気になって下さい」

 乗っているのはパンとシチュー。二点だけだが大盛りに盛ってあった。

「どれくらい食べるか分からないので、大盛りにしてきちゃいました」

「……うん、ありがとう。それじゃ遠慮なく……いただきます」

 ベッドに腰掛けたまま夢中でパンを齧り、シチューを啜る。自覚は無かったが相当お腹が空いていたようで、すぐに皿は空になった。

 食べている間、隣のエニシダから何やら優しい視線を感じたが、敢えて見ないようにした。こっちにも意地ってものがあるのだ。

 それにしても、昼の一件の前とはキャラが全然違うな……? 可愛い可愛い言わないし。こっちが素なのかもしれない。

「ごちそうさまでした。……って、もう夜なんだな」

「ええ、今は大体七時くらいですね」

「結構寝ちゃってたみたいだな……それで、今度こそ話って何なんだ?」

 話を振るとエニシダは居住まいを正す。

「はい、ええっと……イルさんは誕生花って知ってますか?」

「いや、知らないな。でも何となくわかる。誕生石とかみたいなものだろ?」

「ええ、大体合ってます」

 ああ、何となく読めて来たぞ。

「それでその、イルさんの誕生花なんですが、えっと、複数あるんですが」

「早く言いなさい。何となく分かってきたから」

「あうう……」

 急かすとエニシダは赤面して固まってしまった。……しょうがないなぁもう。

「推測だけど、俺の誕生花の中にエニシダ、お前がいるんだろ? それが特別な意味をこの世界では持っている。そんなところか?」

「あうぅうう……うううっ」

 図星だったのか、更に赤面するエニシダ。泣きそうである。

「で、その特別な意味って何なんだ?」

「そ、それは……!」

「早く言え。言わないとずっとこのままだぞ?」

「い、いい、言いますから! ちょっと深呼吸させて、ください」

 スーハーと深呼吸、そして語り始める。

「……特別な意味というのはですね。花の名を冠する私達花騎士、その間で一つの教えというか、言い伝えがありまして」

「ほうほう」

「『団長の誕生花と同じ花の名を持つ者は、その両者こそが最良の相性、もとい伴侶となり得る相手である』って言うのが、あるんです……」

「ほう、ほ……う……?」

 最良の相性? 伴侶?

「なんじゃそりゃ!?」

「だ、だからイルさんの誕生日聞いた時、私、この人がその、運命の人なのかなって思っちゃって。そ、それから、段々と頭が真っ白に」

 伝え終えるや否や、またしても湯気が出そうなほどに赤面するエニシダ。そんな教えに信憑性なんてあるのだろうか……問い質さずにはいられない。

「待て、ちょっと待て。その教えだか言い伝えだかが間違いって事は無いのか? 統計は取れているのか? 実際、周りに幸せになった奴はいるのか?」

「い、います……統計も、団長の婚姻なんかはすぐ噂になるし……」

「…………」

 こちらも思考が真っ白になりかける。異世界に来て早々、色恋沙汰に巻き込まれるとは……しかも相手は召喚した当人と来てる。本当にどうかしてる。

「あ、あのイルさん。それで、提案なんですけど……」

「な、なんだ?」

「これからなるべく一緒にいてもいいですか? 出来る限りでいいので……貴方が本当に私にとって大切な人になるのかどうか、確かめたいんです」

「…………」

「う、や、やっぱり駄目ですよね。私みたいなヘッポコ魔女が一緒だとイルさんの邪魔にしかならないし……」

「はぁー……いいよ、それくらいなら」

「へぅ!? いいんですか!? あ、ありがとうございます……!」

 予想以上に奥ゆかしい娘で助かった……

「にしても良かった。一旦仕切り直して夜に来るんだもん。夜這いしに来たのかと思った」

「そ、そんなことしませんよ!?」

「昼間は抱いてもいいですかー、なんて言ってたのにな?」

「あ、あの時はイルさんをペットみたいに思ってた時なので!」

 こいつ、俺のこと愛玩動物か何かかと思ってたのか……あの言動もちょっと納得がいったぞ。

「襲われるならそれはそれでー、とかも言ってたよな?」

「そそ、それもペット的な意味で!」

「んじゃ、今襲われたらどうする?」

「え!? えぅえぅぅ」

 想像したのか、奇声を上げ涙目で俺から離れるエニシダ。昼間から思ってたが、弄ると面白いな、こいつ。

「……冗談だよ。襲う訳ないだろ」

「……いじわるです」

「まあこれでおあいこってことで」

「何のおあいこなんです……?」

「召喚から何から色々と全部、ひっくるめてだな。面倒な事はもうこりごりだ……それで、だな」

 右手を差し出す。

「これからよろしくな、エニシダ。俺も、この世界の事、お前の事、何にも知らないから色々教えてくれ。あと団長とやらになるのも手伝ってくれ、頼む」

「……ええ、こちらこそよろしくおねがいします。イルさん」

 右手と右手が重なり、握手になる。

「何だかこれ、プロポーズみたいですねー♪ 名前も初めて呼んでくれましたし……感激です」

「ばっか、お前! 折角人が恥ずかしいの我慢してやったっていうのに、茶化すんじゃない!」

「ふふっ、照れてる照れてる。やっぱり可愛いですねぇ、イルさんは」

「可愛くないからな!?」

「そうやって言い返してくるところが最高に可愛いです」

「……っ! 前言撤回! お前なんかに頼まない!」

「ああっ、言い過ぎました! ごめんなさい! 撤回しないでー!」

「……」「……」

「……ふっ」「……えへへ」

 二人同時に笑い始める。弄り弄られる関係という奴だろう。確かにこいつとの相性は悪くないのかもしれない。

「何だか明日の事とか悩んでたの、どうでも良くなったなー」

「そうですねぇ。私もさっきまでウジウジ悩んでたのが馬鹿馬鹿しくなりました」

「明日からお勉強だったか。まあ何とかなるだろ」

「あ、そうそう、その勉強私が教えることになったんですよー。さっきナズナさんに頼まれちゃって」

「そうか、それはさらに気が楽だ」

「ええ、大船に乗ったつもりでいて下さいねー」

「そういや、大船と言えばこんな話があってな――」

 この日はこのまま何時間も取り留めのない会話を続けた。家族や友人、そういった話題は二人とも意識的に避けたが、不思議と長続きするものだった。双方にとって互いの世界が刺激的だったからかもしれない。そうしてしばらく話し続けて、どちらからともなく眠りについた。

 俺の人生において初めての話疲れの寝落ちというやつだった。こいつにとってはどうだったか分からないが、まあ多分、悪くない経験にはなってくれただろう。

 ……気心の置ける友人というものを今まで作ってこなかった、もとい作れなかった俺にとっての、今までで一番幸福な夜だったかもしれない。今は、今だけはそう思いたい。

 



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二日目「チュートリアル:この世界のあらまし」

 ――翌朝

 

「…………」

「すやすや……」

 目が覚めるとエニシダに後ろから抱きしめられていた。朝っぱらから何だこの状況。

 こいつ、俺をぬいぐるみか抱き枕と勘違いしてるのか……? 抜け出そうと身をよじるも、がっちりとホールドされていてとても抜け出せない。

「おい、起きろったら!」

「んむー……」

 起きるそぶりが微塵も見えない。仕方ないので声をかけ続ける。

「おーきーろー! 早く! ハリー!」

「んんん……あと十分……」

 こいつ、寝起きが弱い人間か……! だが早急に起きてもらわないと困る。さっきから色々と背中に当たっていて非常に良くないのだ。他人から見れば役得だろうが、良くないものは良くないのだ。

 と、そんな風に俺が足掻いていると部屋の扉がノックされ、声が掛けられる。ナズナの声だ。

「イルさーん、起きてますか―? 朝ですよー」

「あ、はい! 起きてます!」

「ああ、起きてましたか。ではお邪魔しますねー」

「ちょ、ああ、待って!」

 ガチャリ。

「……何やってるんです?」

「こ、これには事情が……」

「……ゆうべはおたのしみでしたね?」

「やってないから! 未遂だから! というか、助けて下さいお願いします!」

 

 

「……なるほど、エニシダさんと話し込んでいたらそのまま寝てしまった、と」

「……はい」

「えぅ、えぅぅ……」

 ナズナにエニシダを起こしてもらい取り敢えず解放された俺は、そのまま何故か正座で申し開きをすることになった。

 エニシダはというと、俺を抱いて寝ていたのを見られたという現実に耐えかねているのか、そのままベッドの上でごろごろと転がり続けている。羞恥ゆえの奇行というやつだろう。

「話は分かりましたが、気を付けてくださいね。イルさん?」

「な、何をですか?」

「花騎士の中には気に入った団長の寝込みを襲う方もいますから、今日みたいに無防備に寝るのは危険ですよ」

「そんな奴いるの!?」

「ええ。いわゆる既成事実を作ってしまおうというアレです。ただでさえ男女比が偏っているので」

「うわー、うーわー……」

 この世界、思ってた以上に生々しい……ファンタジーなのかリアルなのか、よく分からなくなって来たぞ……

「エニシダさんもエニシダさんですよ? 夜に訪ねてそのまま一緒に寝るなんて、イルさんが紳士じゃなかったら美味しく食べられてましたよ?」

「た、食べ……!?」

「だから、二人とも気を付けてくださいね? 仲良くなるのは結構ですが、ちゃんと考えて行動しましょう」

「はい……」「は、ふぁい……」

「……まあこの話はこれくらいにして、今日から二人とも勉強の時間でしたね。早速身支度を整えてくださいな。着替えと朝食も持って来てありますので」

「そうだったな……」

 持って来たという朝食を見る。あれは牛乳とサンドイッチか。種類も様々で見た目にも美しい。昨日も思ったが食事が意外と高水準だ。着替えも簡素なシャツとズボンではあったが、確かな技術を感じる。

「今日の勉強は城内の図書館で行います。ですので準備が整い次第、移動をお願いしますね。エニシダさん、イルさんへ場所の案内をお願いできますか?」

「あ、はい。わかりました。……ナズナさんは来ないのですか?」

「私はこの後、各地への交渉や手続きを進めないといけないので……イルさんの事、頼みましたよ?」

「分かりました。頑張って教えます!」

「それでは……イルさんも頑張ってくださいね?」

「ああ……ありがとう」

 こちらに笑みを返すとナズナは足早に退出していった。本当に忙しいのだろう。

「よし、んじゃ支度するか」

「まずはご飯ですかね。あ、このフルーツサンド貰っていいですか? 好きなんですよー」

「お前、結構切り替え早いよな……」

「?」

 さっきまで羞恥に悶えてたのに、今はもう笑いながら食事をぱくついている。何というか、腹の底が見えない奴だ……

 

 

 食事と着替えを終え、エニシダの案内の元、図書館へ着く。……何というか、蔵書量がすごい。うず高くそびえる本棚はまさしくファンタジー。

「すごいな……全部で何冊あるんだか」

「これでも少ない方ですよ? 城下町の大図書館に比べたら十分の一もあるかどうかですし」

「ほへー……」

「知徳の世界花のお膝元は伊達ではないんですよー」

 他愛無い会話をしつつ、受付へ向かう。受付では司書さんが作業しているようだ。

「あのー、ナズナさんからここへ行けって聞いて来たのですが」

「ああ、存じ上げております。イル様ですね。……本当にお若い……」

「……」

「これは失礼。部屋へご案内します。付いて来てください」

「よろしくお願いします」

 司書さんに案内されて通された部屋は図書館最奥の一室だった。事前に用意してくれたのだろう、机の上には大量の付箋が付けられた本が何十冊と置いてある。他にはメモ用の紙と鉛筆。それで全部だった。準備はしておいたので頑張って勉強してくださいね、っていう環境だ。

「うへぇ、これ全部か……」

 大量の書物を前に辟易する俺。そこに司書さんが注意事項を話してくれる。

「勉強するにあたって少し注意事項があります。まず本の持ち出し、飲食の禁止。他の利用者への迷惑行為全般の禁止。そして退出する際は職員へ一言お願いします」

「はい」

「それと利用時間は午後の六時までとさせていただきます。これも大丈夫ですね?」

「ええ、全く問題ないです」

「それでは、お勉強頑張ってください」

 司書さんはそう言い残すと帰っていった。残されたのは俺達と大量の勉強グッズ。

「さて、どこから手を付けたもんか……」

「まずはジャンル分けしませんか? これだと何が何やら……」

 という訳で、手分けして本の整理を始める。表紙から察するに、この世界について書かれた本と魔力の基礎的知識について書かれた本が半々だった。

「ふーむ、なるほど? 今日は仕事についての本は無いんだな」

「まあ、イルさんはこっちに来たばっかりですし、順当ではないかと」

 取り敢えずはと世界についての本を一つ手に取り、ぱらぱらとめくってみる。なるほど、見た事も無い土地や街のオンパレードだ。

「これ全部を読み込むのは流石に無理だな……付箋があるって事はそこを見ておけば何とかなるんだろうけど」

「あの、提案なのですが……本の要点を書き写すのはどうでしょう? 本の持ち出しは出来ませんが、メモなら大丈夫でしょうし。後で読み返せるのなら今覚える必要もありません」

「おお、冴えてるな」

「えへへー」

 という訳で、これまた手分けして書き写していく。世界については俺が、魔力に関してはエニシダにお願いした。

「……にしてもお前から教わるって話だったはずだが、どうしてこうなってるんだ?」

「知りませんよ……量が多過ぎるのがいけないんです」

「まあ、お前はいつも一緒にいるだろうし、教わるのなんていつでも出来るか……」

「何かしれっと恥ずかしい事言われた!?」

 また赤くなってるし……無視して書き写し始める。どれどれ、まずは世界地図でも見てみるか。

「ふーん、異世界ってのは分かっていたが、ここまで違うとは……」

 そこにあるのは今まで暮らしてきた世界とは全く異なる地図だった。

 

 とある一つの本曰く――

 七つの世界花を生命の源とし様々な花と人々が生きる豊かな世界。

 生命の源泉であり大地として生きる巨大な花――世界花に支えられた花の世界。

 

 ……それがこの世界の在り方とやららしい。正直言ってよく分からないです。

 それでも頑張って付箋のある所を読み進めてみるが、いまいち頭に入って来ない。昔から地理はダメだったな……

「むー、こういうのって苦手なんだよな」

「イルさんイルさん」

「おう、なんだねエニシダさん」

「何ですかその返しは……そういう時は各地の特色だけ書き写せばいいんですよ。場所や地形なんて後で地図見ればいいだけですし」

「お前って実は要領良いだろ……」

「そんなことないですよー。私なんてお婆ちゃんに比べたらミジンコ以下ですし……」

「お前の婆ちゃん何者だよ……」

 ハイスペックお婆ちゃんは気になるが、言われるがままに各国の特色を列挙し、書き連ねていく。

 

 ブロッサムヒル:大陸北東部。温暖な気候。学校や闘技場など花騎士に関する技術が充実。田園果樹園を有し、織物産業や酪農が盛ん。それらを扱った交易も盛ん。

 リリィウッド:大陸中央部。森林の生い茂った地形。きのこや果実等が主産物。大陸中央部なので交易の要所か?

 バナナオーシャン:大陸南部。熱帯気候。三方が海に面しているため漁業、観光業が盛ん。造船技術や熱気球、飛行船といった空の移動手段を有する。

 ベルガモットバレー:大陸西部。峻厳な高地が国土。水力、風力を利用した装置を有する。秋には特産品の果実がある模様。

 ウィンターローズ:大陸北部。寒冷気候。クリスタルを使った工芸品が特産。

 ロータスレイク:大陸南東部。鎖国中。詳細不明。

 コダイバナ:大陸南西部。害虫によって枯れた土地。害虫発生の原因?

 

「うむ、我ながら良く纏められた」

 細かい地名などは今後覚えていけばいいだろう。ピンとこないままいきなり詰め込んでも混乱するだけだし。現時点では大まかな場所さえわかればいいのだ。

 ……それにしてもやっぱりあれだな。昨日、部屋を見た時にも感じたが、中々に文明レベルが高い。熱気球や飛行船まで存在しているとは……城の敷地から一歩も出ていないから分からないが、外には近代的な街並みが広がっていたりするのかもしれない。

「イルさん……」

 思考を中断して振り返ると、何故だろう、エニシダから憐みの視線を向けられている。

「纏めるの、へたっぴですね……最低限の所は押さえられていますけど、これはあまりにも……」

「う、うるさいな! 何となく分かるから良いんだよ!」

 要は自分が分かればいいのだ。実用性を重視しただけだし、これで問題ない……はず。多分。

「それよりそっちはどうなんだ?」

 自分の分が終わり手持無沙汰になったので、エニシダのメモを覗いてみる。

「うわ、何かすごい事になってる……」

 そこには魔力についての概要から基礎、発展までみっちりと書き込まれていた。みっちりし過ぎててちょっと怖い。

「しかも理路整然としてて読み易いし……内容は理解できないけど……」

「そりゃ魔女ですのでー。これくらい当然ですよ?」

「そういえばお前魔女だったな。すっかり忘れてた」

「魔女じゃなかったら何だと思ってたんですか!?」

「ただの残念なピンク」

「うううっ、イルさんの扱いが酷い……」

 ともかくメモは作る事が出来た。部屋の時計を見ると時刻は正午のようだ。……って正午?

「うお、こんなに早く終わるとは思わなかったぞ……」

「ものすごい端折りましたからね……九割くらいぶん投げてますよ?」

「だって知っててもしょうがない事ばっかりだったし……」

「はいはい、また余裕が出来たら覚えに来ましょうねー」

 丁度お腹も空いたし、食事に行くことにしよう。

 どうやらエニシダ曰く食堂があるらしいので、職員さんに一言告げて図書館を退出。移動しながらつらつらと話し合う。

「いやー、お前がいたおかげで今日は楽出来たなー」

「というか、殆ど私がやっちゃったんですが……」

「あのメモを見れば俺でも魔法とか使えるようになるのかね?」

「どうでしょうね。イルさんの適正次第ってところじゃないでしょうか?」

「そうかー。どうなんだろうなー」

「使いやすいのがあるといいですねー」

 などど、会話しながら廊下を歩いていると、

「あら、お二人とも。ご飯ですか?」

 ナズナとばったり出会った。書類を抱えていていかにも忙しそうである。

「あーはい。一段落着いたのでご飯ですね」

「ふむふむ、ちなみにどこまで進みましたか?」

「えーと……全部?」

「は!? あの量全部ですか!?」

「はいこれ」

 何だか信じてくれてなさそうなので、先ほど作ったものを手渡す。

「要点だけ纏めたものだけど、これあればもういいかなって」

「むー、魔力については申し分ないですね……完璧です。ですがこの、世界について纏めたのはもうちょっと何とかならなかったんですか……? なんていうか、分かるんですけど最低限過ぎて分からないというか……」

「あんたまでそんな事言うんだ!?」

「ですよね。イルさんが作ったんですけど、あまりに酷くて……」

「酷いとか言うなよ! すごい頑張ったのに!」

「はあ……まあいいです。午後はイルさんに魔力についてちゃんと教えてあげてくださいね、エニシダさん」

「分かってますー。もとよりそのつもりですので」

「…………」

 頑張ったのに評価されないって悲しいな……ちょっと凹むぞ。

 その後ナズナと別れて一路、食堂へ。ごった返す人に難儀しながらも食事を済ませ、とんぼ返りで図書館に戻ってくる。これからが後半戦だ。

「えー、それでは紆余曲折ありましたが、予定通りイルさんに授業をつけたいと思います」

「よろしくお願いします。エニシダ先生」

「何か態度が変わり過ぎてませんか!?」

「勉強では歯が立ちそうもないので、殊勝な態度で臨みたいと思います」

「どうしよう。すごいやりづらい……」

「いつも通り、分かりやすい説明でお願いします」

「いつも通りってのがそもそも……会ってまだ二日目ですし……」

「はあ、じゃあ何でもいいので早くお願いします」

「何かもう態度が雑になってません!?」

「気のせいですよ。早くしやがって下さい」

「……分かりましたよー。いいですか、魔力って言うのはそもそも――」

 エニシダ先生曰く、魔力というものは、この世界に揺蕩うエネルギーの一種らしい。出所は曖昧なものの、世界花や古代からあるアーティファクト、はては害虫の巣などから魔力が出ることだけは確認されている。魔力は遍く場所に存在し、この世界の技術開発や文化発展の根幹を担う。また、ほぼ全ての生物が先天的に魔力を扱うことができ、この世界の生物にとっては無くてはならないものである。

 ここまで聞いて思う。

「魔力ってすごいんだなー。うちの世界だと電力とかがメインなんだが、それの完全に上位互換だよね」

 汲めども尽きせぬ無尽のエネルギーとか、正直言って反則だと思う。

「イルさんのいた世界は電気で発展してきたんですか?」

「ああ。電力と火力と、あと原子力とかかな」

「げんしりょく……?」

「おっと、どうでもいいことだから気にしないでくれ。あんな危険なもの……」

「危険なんです?」

「雑に扱うと世界がヤバイ」

「おおーぅ……?」

 俺の言葉で神妙な面持ちになるエニシダ。あれは信じてないな。まあ信じてくれないほうが良いが。与太話として終わった方がこの世界の為だろう。

「おほん、それはともかく次は魔力の使い方です。魔法の話ですね」

 魔法とは、その身に宿した魔力を術式によって出力・展開する、一種の奇跡のようなものだそうな。身に宿した魔力の質と量に応じて使える術式の数は増えていくが、魔力量を増やすことで暴走する危険性も増えていくため、己の力量に応じた魔力をキープするのがこの世界では常識なようだ。

 ちなみに、魔力が暴走しないよう動物の耳や尻尾を生やすことでセーフティ装置として運用している人間もこの世界には居るらしい。……油断するともっふもふになったりするんだろうか。

「ふーむ、魔法を使うには術式ってのが必要なのか……術式って難しい?」

「難しいかは人それぞれですねー。適正ってものがあるので。でも、火熾し程度なら誰でも使えるから……イルさんやってみます?」

 そう言って手渡されたのは術式の一文。こうなることを予想してたのか。手回しが良いな。

「指を立てて唱えてみてください」

「えーなになに、『火精よ ここに集え』」

 すると――何も起きない。

「あれ、何も起きないじゃん」

「むー、何ででしょう? 魔力が無い訳でもないですし。……私は簡単にできるんですが」

 そう言うと詠唱無しで指に火を灯すエニシダ。ちょっとだけカッコいい。

「まあ使えなくても俺は困らないからいいや。必要になったらお前に頼むし」

「またドライな事言ってるし……」

「という訳で、魔法の授業もおしまいって事で……」

「だーめーでーすー。イルさんが団長になった時、魔力特化の花騎士を部下にすることになったらどうするんですか。何も知らないと鼻で笑われますよ?」

「ぐぬぬ……」

「それに害虫も魔法は使ってきますし、絶対に覚えておかないといけませんからね?」

「害虫も使ってくるのか……それだったら害虫について勉強した方がいいんじゃないか?」

「なんでそうなるんです!?」

「いやだって……使えないものを勉強してもしょうがないし……それだったら、敵の事を知った方がはるかにマシかなって」

「……鼻で笑われるのはいいんですか?」

「それくらいは覚悟の上だ。何事にも犠牲や代償というものは付いて回る」

「そんな覚悟はいりませんから! いいから、魔法について教えますよ! 害虫については明日やります!」

「うぇー……」

 そのままエニシダは魔法の説明をし始めてしまう。説得失敗か。結構いい切り返しだったと思うんだけどな……

 結局その後、刻限の六時になるまでエニシダの講義は続いた。教え方は驚いたことに非常に丁寧だったが、どうにもこうにも興味が持てない内容だったので、俺は存分に苦しむことになった――

 

 

「うあー……結局最後まで残っちゃった……」

「イルさんはだらしなさすぎです。途中何度も寝そうになってたし……」

 図書館を後にし自分の部屋に戻ったが、何故か今日もエニシダは付いて来た。今日も何か用があるのかね、こいつは。

「興味無い内容の勉強とか苦痛でしかないだろ」

「そんなのでよく今まで生きて来れましたね……」

「今まで興味無い所は必要最小限だけやってきたからな」

「……ちなみに興味ある事ってなんです?」

「ん―……食べる事と寝る事? あとは何か楽しい事があれば」

「…………」

 ものすごく呆れられてしまった。人間の本質を突いた回答だと思うのだが……

「初めてイルさんが誕生花の相手で後悔しました……まさかこんなずぼらだったなんて……」

「ずぼらじゃないぞ、やりたくない事はやらないだけだ」

「……はあ、もういいです」

「……んで、何で今日も俺の部屋に来てるんだ? またナズナに怒られるぞ?」

 きょとんとするエニシダ。そこではたと気付いたようだ。

「あ、あはは……何となく付いて来ちゃってました……」

「おいおい大丈夫か。教え過ぎで疲れたか?」

「いえ、大丈夫です。……でも、イルさんと一緒にいると不思議と落ち着くんですよね。お話してると楽しいからかな? 自分の事で不安になることも無いし」

「……お前でも不安になる事なんてあるんだ?」

「そりゃありますよー。いっつもお婆ちゃんと比べられて大変なんですからね」

「ああ、例のハイスペック婆ちゃんか……何やってる人なの?」

「世間では伝説の魔女とか呼ばれてますねー」

「伝説か、伝説と来たかー……」

 ハイスペックどころか伝説になってた。そりゃ重圧もすごかろう。

「はい。それの孫ってだけで周りから期待されちゃって参っちゃいますよ……私も努力はしてるんですけど、全く追い付ける気がしないし……はあ、言ってて死にたくなってきた……」

「死ぬな死ぬな、俺が困る。……でもさ」

 当然の事実をこいつは見落としているようだ。人生の先輩としてアドバイスをしてやろう。

「お前はお前だろ。婆ちゃんじゃない」

「……!」

「お前に何ができるのかとか、全く分からないけど。やれる事や、やりたい事をすればいいんじゃないか? 世間体を気にして、自分のやりたい事をやらないと後で後悔するぞ?」

「……そうですね。そうですよね……分かってはいるんですけど……」

「ああもう、面倒臭いな……んじゃ、今やりたい事とか無いのか? 欲しい物でもいい」

「ええと……何でもいいんですか?」

「何でもい……あ、俺はダメだぞ」

「ちぇー」

「冗談で言ったのに合ってただと!?」

「あははっ……ありがとうございます、イルさん。何だかちょっと気が抜けました。やりたい事、探してみますね」

「ああ、そうしろそうしろ。誰かの背中ばっかり追っかけてると、それが無くなった時大変だからな……」

「妙に実感篭ってますね」

「生きてると色々あるんだよ」

「……その見た目で言っても説得力ないですよ?」

「うるさいよ! 好きでこうなったんじゃないからな!?」

「あはははっ」

 若返ったのはまあ割と嬉しくはあるが、いまいちこういう場面で決まらないのが悲しい……

「ってもう夜も遅いし、私はここで。おやすみなさい、イルさん。また明日」

「ああ、明日もよろしくな」

 エニシダを扉の外まで見送る。何やらスッキリしたようで一安心である。人間、良い事をすると気持ちが良くなるものだ。

 部屋に戻り改めて室内を見ると、テーブルの上に食事が置かれている事に気付いた。帰る前に置かれていたのであろう。布巾が被せられていて中身は分からない。

「最初に気付けないとか、今日も疲れてるなー、俺……」

 独り言を言いつつ布巾を取り払う。そこには予想外のものが鎮座していた。

「和食……だと……!?」

 お椀に盛られた白米、そして味噌汁。極め付けには漬物と焼き魚(種類不明)。ド直球の和食である。まさか異世界に来て食べられようとは……そういえばさっきの地理でブロッサムヒルには田園地帯があったっけか。っと、そんな事より早く食べなければ。勉強漬けでこちとら腹ペコなのだ。

「いただきます!」

 急かされるように食事にありつく。美味い。この一言に尽きる。和食イズビューティフォー。

「ごちそうさまでした……ふぅ」

 あっという間に平らげてしまった。にしてもこの世界なんでもあるなぁ。

 案外食事を通して、この世界も捨てたもんじゃないぜ、って事をアピールしてるのかもしれない。誰が作ってくれたのかさっぱり分からないが、中々に策士じゃないか。相手を落とす時は胃袋から、ってのは良く聞く話だしな。

 とりとめのない事を考えながら、しばらくぼーっと部屋を見渡して過ごす。

 と、部屋の隅に戸棚がある事に気付く。何だあれ。

 昨日はいっぱいいっぱいで気付けなかったか……?

「おおお、これは……!」

 気になったので開けてみると、これまた予想外の物が出て来た。ワインである。

「酒……っ! 酒だ……っ!」

 思わぬ発見に小躍りしそうになる。こう見えて寝酒が趣味だったのだ。今はどう見ても少年だが。まあ、中身は成人してるし飲んでも問題なかろう。

「よし、そうと決まれば……」

 速攻で他の事を終わらせなければならない。

 入浴はシャワーで済ませ、新しい服へ着替える。勉強の復習は……まあ今日はやらなくてもいいよね? 他にはっと……あら、意外とやる事なんて無いもんだな……だがこれは嬉しい誤算だ。

 用事を済ませ、テーブルに着席。同じく御棚にしまってあったグラスへワインをなみなみと注ぐ。

 よし、準備完了。

「乾杯―!」

 奇妙な発見に圧倒的感謝をしながら、ごくごくと一気に飲み干す。これこれ、生きてるってこういう事だよ。

「っぷはぁ!」

 間髪入れず二杯目を注ぐ。これは時間をかけてちみちみと飲もう。

 飲んでいる間、暇潰しにでもと昼間に作ったメモも読んでみるが、当然ながらあまり頭に入って来ない。飲み干す。ああいけない、ゆっくり飲むはずがすぐに空になってしまった……

「この魔法ってのがなー……最初は結構分かりやすいと思ったんだけどなー……」

 愚痴りながら三杯目を注ぐ。我ながらハイペースである。ここで吹っ切れて加減など知らないとばかりにぐいぐいと呷っていく。つまみが無いと酒ばっかり飲んでよくないね。

「エニシダもなー……もうちょっとこう、手加減してくれてもいいのにねー……なー?」

 エア友に話しかけてしまった。これはちょっと不味い。最後の力を振り絞って残ったワインを一気に飲み干し、そのまま机に突っ伏してしまう。

「…………すやぁ」

 突っ伏すと程なくして意識が軽やかに飛んでいった。眠る前に面倒な事を考えなくて済むってのは素晴らしいが、せめてベッドで寝ような俺。でもまあ、今日だけはストレスが溜まっていたという事で……

 

 




きっと彼は説明書を読まずに、突っ込んで死ぬタイプの人間ですね。死んで覚える。
……まあ死んだら終わりなんですが。


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三日目「チュートリアル:団長と害虫」

ばりばりとぶん投げていきます。早く続きが書きたいんじゃよ。


「おはようございます、イルさ――ってきゃああああ!?」

「すやすや……」

「何ですかこれ!? ワイン!? 何飲んでるんですか、この……お馬鹿―!!」

「……ぐっはぁ!?」

 目覚めた俺が最初に知覚したのは、背中への痛みだった。俺、何されたん?

「あたた……朝から激しいな……」

 床の上にいることから、多分エニシダに投げ飛ばされたのだろう。意外とパワフルだ。いや、俺が軽いのか。

「朝から激しいな――じゃないですよ! 未成年なのに何お酒飲んでるんですか!?」

「いや俺、中身大人だし」

「そういうのはよくてですね! ……ってあれ、いいのかな……?」

「良くなくても俺は飲むぞ。飲まないと死ぬ」

「どういう生活してきたんですか貴方は!?」

「寝酒が趣味の、ささやかながらつましい生活だ。文句あるか」

「……はあぁぁ~~……」

 深々と溜息をつかれた。

「昨日からイルさんの残念な部分がどんどん出て来る……」

「俺は元々残念な奴だぞ。期待するんじゃない」

「うううぅ……夢くらい見させてください……」

 嘆くエニシダを放置し、身支度にかかる。よし、酒精は残ってないな。

「さてと、今日も頑張りますかねー」

 

 

 昨日と同様に図書館で手続きを済ませる。最奥の部屋には昨日と同じ光景があるだろうと予想していたが、今日はどうも違うようだ。

「あら、ナズナさん。今日はナズナさんが教えてくれるんですか?」

「ええ。おはようございます、お二人とも」

 そこにいたのはナズナである。今日は先生役をこの人がやってくれるらしい。

「もう仕事は一段落ついたんですか?」

「はい、イルさんの手続きなどは昨日で全て終わらせましたので、残っているのは通常業務だけですね。まあこれも多いんですが……」

「お、お疲れ様です」

 自然と敬語になってしまう。何となくこの人には頭が上がらないんだよなぁ……苦労人らしいし、今も俺なんかの為に頑張ってくれてるし。

「おほん、仕事が残っているので午前中だけですが、今日は団長の職務について私がお教えします。午後は害虫やその他気になる事項について、エニシダさんと一緒に学んでおいてください」

「はい、分かりました。よろしくお願いします」

「……イルさん、私の時と態度違いすぎやしません?」

 不満たらたらなご様子のエニシダ。そんな事言われてもなー。

「うるさいぞ。俺は頑張ってる人にはちゃんと接するだけだ」

「私も頑張ってるのに!?」

「お前は何か、頑張ってるんだろうけど残念な所あるし……」

「残念なのはお互い様ですよ!」

 そんなやりとりをニコニコしながら見ているナズナ。ふっと一言。

「昨日から思っていましたが、エニシダさん、イルさんと随分仲良くなりましたねー。何よりです」

「え、あ、はい。何とかなりました……」

「誕生花だって言おうかどうしようか、私に相談された時とは大違いです」

「ひぇあああ!? 言わないで下さいよー!」

 なるほど、詳しく?

「あの日の夕方、エニシダさんがダッシュで私の執務室に突っ込んで来た時はすごかったですよー。『イルさんにどう話せばいいのかわからないですー! いやそもそも男の人に話しかける時って、どうすればいいんですか!? 助けてナズナさん!』なんて言って泣き付いてきましたし。四の五言わずに当たって砕けろってアドバイスしましたが、上手くいったようで何よりです!」

「それ、アドバイスとしてどうなのよ……」

 傍から聞いてると面倒臭いから適当に追い返したようにしか聞こえないんだが。

 んん……? でも状況としてはそれがベストなのか……?

「あうう、知られてしまいました……私のダメな所が……」

「いや、大して変わらないからな? お前が割と残念だってのは最初から知ってたし」

「残念に残念を重ねて、超残念になってしまいました……」

 よっぽど知られたくなかったのか、すごい凹んでるし。面倒だしそっとしておこう。

「まあこいつは放っておいて、早速授業をお願いします」

「あ、はい。ではお教えしますのでちゃんと板書して下さいねー」

 エニシダをちょっとだけ気にかけつつもナズナは話し始める。

「まず、戦場における団長の役割についてですね――」

 戦場における団長の役割とは、花騎士達の魔力を管理し、その力を十全に発揮できるように努めること。魔力が多い者からは分けてもらい、足りない者へは注ぎ込んでいく。そしてそれでもなお余る魔力は自身へと蓄え、機を見て放出する。

「そんな器用な事、俺に出来るとは思えないんだが……というか、分けたり注いだりってどうやるんだ……?」

「それはですね、花騎士との絆です。絆を繋いでいくと自然とその相手の魔力が分かるようになり、無意識下に分配されます。そして絆が深ければ深い程、その速度・量も増え、花騎士の戦闘力は飛躍的に上がっていきます。花を従える魔力を持つ、団長ならではの能力ですね」

 ほむほむ、そう言うのならばそういうものなのだろう。意識しなくていいってのは助かる。

 だが、それよりも気がかりな事があった。

「むぅ、絆ねぇ……」

「イルさん、何か問題でも?」

「いや、色んな人と仲良くなれる自信があんまり無くて……」

「それは別に大丈夫だと思いますけど……ね、エニシダさん?」

「あ、え、そうですね……」

 何故かしどろもどろに答えるエニシダ。

 色んな人と楽しげに話す俺でも想像したのだろうか。確かにちょっと気持ち悪いな……

「あ、あと放出って言ってたけど、それは何?」

「極陽解放――ソーラードライブのことです。貯めに貯めた魔力を天から降ろす大技ですね」

「ほう、大技……出し方とかあるの?」

「出し方は、私は団長ではないので詳しい事は分からないのですが、亡き先代団長曰く、『なんか貯まったら勝手に出る』らしいです」

「な、なんてアバウトな……」

 なんか貯まったらって……大や小じゃないんだから……

「戦場における役割についてはこんなところでしょうか。イルさんはこれに加えて戦闘もするので頑張ってください」

「そういや俺、戦闘もする予定だったっけか……その話聞くと無茶だとしか思えないけど」

「大丈夫です。戦っていようがいまいが、死ぬときは死ぬので!」

「…………」

 安心させたいんだろうが、今ので一気に不安になったぞ。改めて過酷な仕事だなぁと思い知る。この世界だとこれが普通なんだろうけど。

「では次、団長の職務についてご説明します。職務は大きく分かれて通常任務と緊急任務の二つに集約されます」

 通常任務とはある土地一点に留まっての防衛、巡回、戦闘といったものを指し、緊急任務とはそれ以外のイレギュラー対応、イベント時の特別警護等へ対応する際に出される指令のようだ。職務内容は多岐に渡るのだろうが、ここは必要最小限覚えておけばいいだろう。どうせ仕事してれば嫌でも覚えるんだろうし。

「イルさんが団長職に就任した際には、慣例に従いフォス街道の巡回任務に就いていただきます」

「ふーん、慣例ってことはそこでどの程度なのか見極めるって感じですかね?」

「その通りです。イルさんの能力次第では、先代団長の穴を埋めるための女王直属の特務部隊となる可能性もあるので頑張ってくださいね」

「直属の特務部隊……」

 何やらすごそうな響きだが、俺は平穏に生きたいのだ。そういうのには選ばれないよう、適当に手を抜かなければ……

「あ、イルさんがずぼら根性を発揮してそうな顔になってる」

「ずぼらじゃない。手を抜く覚悟をしただけ……あっ」

「イルさん?」

 怖い笑顔でナズナが見てくる。失敗した……

「手を抜いたらお給金半分にしますから、そのつもりでよろしくおねがいしますね?」

「ぐぬぬ……」

 おのれエニシダめ……余計な事を言うから藪蛇になったじゃないか。

 こっちが睨むとニヤリと笑い返してきやがった。確信犯か、あいつ。

「気を取り直して、次に部隊の構成についてです。新任の団長の持てる部隊は五人から構成される一部隊のみですが、経験や実績を積んでいくことで最大二十人からなる四部隊を率いることになります。もっとも、実際は控えも入るのでもっと多くなりますが」

「うへぇ、そんなに多いのか……」

 二十人とか無理無理。しかも全員女性とか……前に言ってたコミュ力が重要ってのはこの事なんだろうな……

「ずっと一部隊がいいなぁ」

「最初はみんなそう言うんですよ。ですがじきに慣れていくのであまり気にしなくてもいいかと」

「むーう……」

「それに勤務地次第で部隊数も変わりますし、あまり難しく考えても仕方ないですよ?」

 そう言うのならそうなのだろう。上手く丸め込まれている気もするが、現状考えても仕方ないのは確かだ。

「ここまでが職務の概要になります。何か質問はありますか?」

「はい。先代団長がやってた仕事って今どうなってるんです?」

 先ほど出て来た特務部隊について聞いてみる。単純な好奇心だ。

「ああ、特務部隊ですね。解散しました」

「え、うそ」

「うそじゃないです。マジです。今は特務部隊の抱えた案件は各地の団長へ、やっとこさ引き継ぎが終わったところです。いやぁ、大変でしたよー……」

 遠い目をするナズナ。本当に大変だったのだろう。ちょっと涙目である。

「でも引き継いだところで、こなせるほど優秀な団長もそう多くないのが現状なので、早く代理を立てないといけないんですよね。……イルさん、分かってますね?」

「いえ、分かりません。何のことやら」

「とぼけてもダメですよ? 私が何の為に私財を擲ってまで召喚したと思ってるんですか」

「え、あれ経費で召喚したんじゃないんですか……?」

 エニシダがおずおずと質問する。どうやらこいつも初耳なようだ。というか経費で召喚ってすごい言葉だな……

「自腹です。給料二ヶ月分消えましたとも」

「ひええ、そういう事は初めに言っておいてくださいよー! そんな大役だと知っていたら絶対に引き受けなかったのに……今更だけど心臓がバクバクしてきた……!」

「絶対に引き受けなさそうだから敢えて内緒にしておいたんですよ。エニシダさんは自己評価が無駄に低いですからね」

 頭を抱えるエニシダに容赦ない評価を突きつけるナズナ。どうやら完全に性格は把握されていたようだ。にしても俺は給料二ヶ月分の価値だったのか。多いのやら少ないのやら……

「まあ、期待されてるのはよく分かりました。出来るだけ頑張ります。出来るだけ」

「……手を抜いちゃダメですからね?」

「へいへいー」

「本当に分かってるんだか……他に質問は無いですか?」

「はい。事務処理とかの実務内容は教えてくれないんですか?」

 これは聞いておきたい。先の質問とは違って、これは良く考えた上での質問だ。

「実務内容ですか。それは実地で花騎士の皆さんに教えてもらって下さい」

「なんで今じゃダメなんです?」

「教えてもらう過程でイルさんと花騎士の皆さんが仲良くなってくれれば、という算段ですね。それとイルさんに今教えても多分実務までに忘れてそうですし……」

「…………」

 耳が痛い話だ。多分じゃなくて絶対に忘れてるだろう。隣でエニシダがしたり顔でうんうんと頷いてるのが非常に腹立たしい。

「えっと、他に質問は無いですか? 無ければこれで終わりますが」

「あ、では最後。団長には女性ではなれないんですか? 聞く限りだと男性限定みたいですけど」

 思い返すとこれまで男性限定とは一言も言ってはいないが、暗に男性でしか団長になれないという事は仄めかしていた気がする。そこはどうなんだろう?

「ああ、こちらでは基本常識だったので教えていませんでしたね……申し訳ないです、イルさん」

「あ、いえ」

「仰る通り、団長は基本的に男性にしか就く事ができない職業です。一時代理や特殊な事例として女性が勤めることもありますが、ごく稀です。その理由としては先ほど言った通り、花騎士と深い絆が作れないためです」

「深い絆……あっ」

 色々と察してしまった。男女の深い絆といったらそれしかないよね。

「……察していただけて助かります。ちょっと言い辛いですし」

 ちょっとだけ恥ずかしそうにナズナが笑う。だが俺にはさらなる疑問が浮かんでしまった。

「あの、ちょっと疑問が。団長って花騎士をたくさん部下にするじゃないですか。その……深い絆って事は複数の相手とそうなるって事ですよね? 道徳的に大丈夫なんです……?」

 修羅場かハーレムかのどちらかにしかならないと思うんだが……

「その点は大丈夫です。この世界では一夫一妻と一夫多妻、両方とも法律上許可されています。それに、殆どの花騎士の皆さんはそういった事情は弁えていますし、最初に契約も交わすので、今まで問題が起きたことはありませんよ」

「むぅ、一夫多妻……」

 職務で必要な事とはいえ、そういう法律まであるとは……正直言って想像できないな。自分がそうなるとも限らないし、何とも言えないが。

「では最後の質問にも答えましたし、ここまでという事で」

 時刻を見れば十一時過ぎ。意外と早く終わったなぁ。堪らずうーんと伸びをする。ずっと座ってたせいで体がバキバキだ。というか、座学なんて本当に久しぶりだな……

 そんな俺を横目に、トントンと書類を整え席を立つナズナ。

「それでは、私はこれで業務に戻りますので、あとはエニシダさんと害虫などについて学習しておいてください」

「あっはい、お忙しい中ありがとうございました」

「……節目節目では礼儀正しいですよね、イルさんって。途中素が出たりしてますけど」

「向こうでは色々あったので……」

 昔をちょっとだけ思い出して遠い目になる。本当に色々あったんだよなぁ……

「えっとその、こちらでは苦労しないよう出来る限りサポートしますから、強く生きてくださいね?」

 事情を察したのか、フォローしてくれるナズナ。有能すぎる。向こうでもこういう上司がいれば苦労しないで生きていけたんだろうなー、と思うと有難いのやら有難くないのやら。

 これからやらされる事を考慮すると、全く有難くないんだろうけどな……

「優しさが身に染みる……」

「イルさん、ずぼらに生きてきただけじゃないんですね……」

「いい加減お前は俺のずぼらイメージを捨てろ」

「えーだってー」

「ふふっ……では私はもう行きますので、お二人とも仲良く勉強してくださいねー」

 そう言うと返事を待たずにナズナは行ってしまった。仕事溜まってるから仕方ないね。

「ふう、やっと終わったか。ちょっと緊張したなー」

「イルさん緊張してたんですか? 意外です。ボケとかかましてたのに」

「あれはお前のせいだろ……でも俺、ナズナさんってちょっと苦手なんだよな。良い人なんだろうけど、上司オーラが醸し出されてるからついつい萎縮しちゃうっていうか……」

「上司オーラって……イルさんもそのうち出さなきゃいけないと思うんですが」

「上司力が高まれば対抗できるのかもな……」

「何アホな事言ってるんですか……」

 アホな会話をしてリラックスリラックス。

「よし。んじゃ飯食べたら害虫の本探すか。他に見ておいた方が良い本ってあるかな?」

「んー、戦術とか武術についての本とかどうでしょう? 明後日には戦闘訓練が始まるようですし」

「おー、そういえばそうだった……」

 あんまり思い出したくない事を思い出してしまった。訓練官が優しい人であることを祈ろう……

 食堂で簡単に食事を済ませた後、目当ての本を探す。あまり苦労せずに見つかった。流石に千年も戦ってるからか、害虫や戦術についての本は多いようだ。

 部屋に戻り、まずは害虫の本を開いてみる。どんなものかとぱらぱらと頁を捲って流し読み。

「ほうほう、これは……ひどい……」

 そこには予想以上に酷い情報が詰まっていた。

「ねえ、エニシダ?」

「はい、何でしょう」

「何でこの世界の害虫は変な名前ばっかりなの?」

 そうなのだ。真面目につけたであろう名前に混じって、へんてこなのがこれでもかと言わんばかりに紛れているのだ。マイドアリとか、コガネモチィとか。

「えっ、えっ、変ですか?」

「名付けた奴の頭がラリっていたとしか……」

「そこまで言いますか!? ちゃ、ちゃんと理由があるんですよ!?」

 なんでも、名前に落差があるのは、害虫は古代から居るものと最近になって発見された新種が入り混じっているためらしい。真面目そうな名前は古代から居るものや、頻繁に遭遇するものに付けられていることが多く、片や変な名前は新種や希少種、主にあまり遭遇する機会が無いものに付けられているようだ。

「ぶっちゃけ、最近発見される新種や希少種は一期一会、それ以降もう確認することもできないものが殆どなので、その場に居合わせた方々のセンスで名前が決まってたりするんですよね」

「何て適当な……」

「害虫も種類が増え過ぎて真面目な名前を付けるが馬鹿らしくなってるんです……会うたび会うたび新種が出て来るんですよ? 普通は嫌になります」

「なるほど……んじゃこのふざけた名前の奴らは覚えなくていいな」

「いえ、それがそのふざけた名前の害虫にも結構頻繁に遭遇するものもいて……」

「ややこしいな!?」

「なので、イルさんはここに書いてある、遭遇度と危険度の高いものを覚えた方がいいかと」

「なるほど、こんな項目が」

 エニシダに教えられたとおりに遭遇度と危険度の高いものをチェック。その中でブロッサムヒルに生息するものをリストアップしていく。勤務先が当分はフォス街道らしいので、今はここだけ覚えておけばいいだろう。

 作業中、ある疑問が浮かんだので聞いてみる。

「そういやさ、害虫ってどれくらい大きいんだ? 大きさとか書いてないんだけど」

「んーと、個体によりますね。同じ種類でも二倍から三倍は個体差が出ますし」

「んじゃお前が見た中で一番大きいのってどれくらいだった?」

「うーん……スコルスコヴィルっていう集団討伐推奨のサソリ型害虫ですかねー。体長は人間の五倍はあったかも」

「で、でけえ……」

 気になったので手元の本で調べてみる。あった。

 

 スコルスコヴィル:

 赤く燃えるような表皮が特徴な害虫。

 体温は数千度に達していると言われ、その体液すら凶器となる。

 ただ、その肉は食べる事ができる。

 人によっては一ヶ月舌が痺れるほどの激辛っぷりで、

 一部の激辛マニアの間で珍重されている。

 

「…………」

 体温が数千度とか気になる事は書いてあるが……これは……ほほう……

「……こいつ食えるんだな」

「い、イルさん? 何か目つきが変ですよ?」

「しかも激辛……」

「……食べたいんです?」

「うん、ちょっと。いや、すごい食べてみたい」

「イルさん、辛党だったんですね……?」

 こう見えて向こうでは激辛行脚などしてぶいぶい言わせていたものだ。こんな未知の食材、心惹かれ無い訳があろうか、いや無い。どんな味がするんだろう……気になって仕方がないぞ。

「いやぁ、ちょっとした人生の目標ができたなー。こっちに来て良かった。エニシダ、呼んでくれてありがとうな」

「へ? いや、どういたしまして……?」

「という訳で、俺は他に食べられそうな害虫を調べる。戦術の方は任せた」

「って、なんか変な方に興味が向いちゃった!? 駄目です! 戦術もちゃんと勉強してください!」

「そっちとか俺素人だし、それにお前が纏めた方が綺麗だし……俺纏めるのへたっぴだし……」

「さらりと自虐しないでくださいよ!? というか気にしてたんですね!?」

「…………」

「イルさん!? 無視しないで下さい! イルさーん!」

 尚も説得しにかかるエニシダを無視し、害虫図鑑に集中する。しばらく説得を試みてきたエニシダだったが、無理だと分かると「なんで私が……」「魔女が戦術覚えてどうするんですか……」とか文句を言いながら、なんだかんだで覚え書きを作り始めてくれた。持つべきものは頼れる隣人である。

 一方俺はというと、刻限ぎりぎりまで害虫図鑑を調べたものの、食べられる害虫は結局見つけられず大いに失望した。その代わりと言ってはなんだが、害虫についての見識は驚くほど高まった。(といっても真面目な名前の奴限定だが。ふざけた名前の奴が食べられるとは到底思えなかったからだ)

 害虫というものは存外に面白い生態をしているものばかりで、失望はしたものの学習すること自体は非常に面白かった。あっちでいう怪獣図鑑みたいなものだ、心ときめかない男子は多分いない。

 ……そんなこんなで三日目の勉強はつつがなく終わった。帰る途中、エニシダからものすごい剣幕で怒られたが、俺は後悔してない。してないったら。

 

 

「エニシダ、すごい怒ってたなぁ……」

 夕食を済ませ湯船に浸かりながら一人ごちる。今日は奮発して湯を張ってみたが、やっぱり湯船は良いものだ。読書疲れが洗い流されていく。ぼんやりと今日の勉強を思い出していると、ある一つの考えが浮かんだ。

「そうだ、あの肉が取れたらあいつにも食べさせてあげよう、そうしよう」

 我ながら名案だ。明日エニシダに言ってみよう。どういう反応が返ってくるかな。すごい怒りそうな気もする。

 ゆっくり温まったので湯船を出る。と、風呂場から出る前に鏡を一瞥してみる。

「そういや、髭とか伸びなくなったか? あと腕毛とかって昔無かったっけか……? 綺麗になってるな……」

 ちょっとした発見である。身支度の際、何か忘れてるなーとは思ったがこれだったか。何にせよ楽ができるのは良い事だ。

「~~♪ ……って、なんでお前がいる」

 上機嫌で風呂場を出ると、何故か今日もエニシダがいた。まだ怒ってるんだろうか?

「イルさんに飲酒をさせないためです!」

 見ればワインを抱えている。なんと、俺の一日の締めの楽しみが……奪われてはたまらないので説得を試みてみよう。

「エニシダ、大人しくそのワインを渡すんだ。今ならまだ間に合う」

「ダメです! イルさんはまだ体は未成年なんですから、少しは自重してください!」

「落ち着くんだ、お前は酷い思い違いをしている」

「どういうことです?」

「どういうことって、それは……」

 咄嗟に言葉が出ない。むぅ、こいつの言ってることの方が正論ではあるんだよなぁ……

「特に無いみたいですので、これは私が没収していきますね」

「ま、待ってくれ!」

 そのまま部屋を出ていこうとするエニシダを呼び止めた。

 ……こういう場合はこうするしかあるまい。

「まだ何か――ってきゃあ!?」

「もはや言葉など不要……返してもらうぞ!」

 エニシダからワインをひったくろうと飛びかかる。だが、思いのほか力が強い。そのまま引っ張り合いになってしまう。

「はーなーせー! これは俺のだ!」

「はーなーしーまーせーんー!」

「ぬおおおおっ!」「ふぬぬぬぬ!」

 一進一退の攻防を繰り広げる俺達。だが――

「ふぎゃん!」

「はーっ……はーっ……」

 善戦したものの俺は突き飛ばされてしまった。くっ、戦闘経験の差が出たか……

「うううっ、俺のワイン……」

「…………ふっ」

 そこで何か思いついたのか、不敵な笑みを浮かべる眼前の魔女。

「そんなに飲みたいんですか、イルさん?」

「飲みたい……」

「どれ位?」

「飲まないと死ぬ……」

「ふーん? そうなんだー?」

 笑みをさらに強めるエニシダ。嫌な予感しかしない。

「じゃあ私が代わりに飲んであげますね!」

 こいつ……! 目の前でワインをラッパで飲み始めやがった!

「うわあああ!? なんてことを!」

「んぐっ……んぐっ……ぷはっ」

 しかも一気かよ。俺が半分くらい飲んでたとはいえ、結構残ってたはずだぞ……というか、呆気にとられてたら全部飲まれてるし。何もそこまで体を張らなくても……

「んむー……ひっくっ」

「お、おい……? 大丈夫か……?」

 様子がおかしいと思い、近寄って見てみると顔が赤い。そんでもってふらふらし出した。あれ、こいつひょっとして……

「魔女の癖に酒に弱いのか……?」

 酒に弱い癖に何故一気飲みなんてしたのか甚だ疑問だが……仕方ない、こうなってしまった以上介抱してやらなくては。

「はぁ、全く世話のかかる……エニシダ、歩けるか? こっち来い」

「んんん、いるひゃん……」

 手を引きベッドに座らせる。水持って来ないと……

「おい、エニシダ。手を離せ」

「いるひゃん……」

 水場へ行こうとするも、手を放してくれないのでは行きようがない。にしてもいるひゃんってなんぞ?

 仕方が無いのでエニシダの横へ腰を下ろし、そのまま容態を見る。目は半開きだし、こっくりこっくりと舟を漕いでいて非常に危なっかしい。それに何だろう、さっきより顔が赤くなっているような……

「本当に大丈夫か? 吐いたりしないよな……?」

「――っ! もうがまんできまひぇん!」

「ってうおあっ!?」

 次の瞬間、ベッドに押し倒された。そしてそのまま抱き締められてしまう。

「おおお落ち着けエニシダ!?」

「んんっ、かわいいっ、しゅきぃ……だいしゅきぃ……」

 頬擦りまでしてきた。かけられる息がとても酒臭い……この状況は不味い、すごく不味い。

「え、エニシダさん落ち着いてくださいおねがいします」

 返答は無く、そのまま色んな所を押し当ててきたり、すりすりされたりした。色んな所とは色んな所だ。流石にこればっかりは黙秘権を行使します。つまびらかにすると俺の名誉がマズイ。

 ……しばらくすると、ぴたりと身動きが止まった。恐る恐る顔を覗くと、

「すー……すー……」

 何とか眠ってくれたようだ。そのまま頂かれる覚悟でいたが間一髪で助かった……

「…………」

 それにしても、こないだは後ろから抱かれていたから見えなかったが、寝顔が結構可愛い。黙っていれば美人なんだよな……言動が残念なだけで。

 そのままじーっと見てると何だか意地悪したくなってきた。おでこに肉とか書いてみたい。

「……はっ。いかんいかん」

 邪な考えが浮かんでしまった。慌てて振り払う。会って数日の相手に酒を飲ませて色々したなんて噂が出たら、この世界で生きていけなくなってしまう……

「にしても、こいつが起きるまでこのままか……はぁ……」

 またナズナに見つかったら怒られるんだろうなぁと思うと憂鬱である。そして、眠れそうもないのに動けないというこの現実。俺が何をしたというのか。ワインを飲もうとしただけではないか。

「…………」

 出来ることが無いのでエニシダの顔を再度見つめる。幸せそうに寝やがってこいつは……状況は相変わらず抱き締められたままだ。されるがままというのは癪だが、どうしようもない。

「っと、腕は少し動かせるか……」

 肘から下だけ動かせるようだが、それでどうしたものか……

 抱き返す? いやいやいやいや。

「…………」

 ……特にできることも無いし、抱き返してみた。酒で火照った体が温かい。今までの人生、こうやって誰かと抱きあった事なんてあったかな……意外と悪くない。

「こういう時って大抵、胸がどきどきしてーとかなるんだろうけど、全然ならないな……」

 むしろ安心感の方が大きい。実家のような安心感だ。そこまで思ってある考えが閃く。

「ああそうか、なるほど。最良の関係ってのはこの事か……」

 何となく合点がいった。こいつが伴侶とか運命の人とか言うから、すっかりその気になっていたな。

 ……こいつとの最良の関係。それは要するに家族に対するそれかもしれない。元々、俺は恋人なんて欲しくなかったし、むしろ家族と別れた事が心のどこかで引っ掛かっていたのかも。それをこいつが埋めに来たのではないだろうか?

 誕生花の相手として。

「なんだ、気付いたらそんなもんか。今まであたふたしてたのが馬鹿らしいな……」

 色々と吹っ切れたので再度エニシダを強く抱きしめる。温かい。今夜は良く眠れそうだ。

「ふむー……イルさん……」

 寝言でも俺の名前呼んでるし……だが何となく嬉しい。出来の悪い妹ができた気分だ。

「新しい家族、か……まあ悪くはないか……」

 




妹って言ってますが、傍から見るとどう見ても姉弟です。本当にありがとうございました。


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四日目「基本操作説明:加護と魔力について」

ごりごりといきます。それにしても予約投稿というものは素晴らしいですね。


 鳥の囀りで私は目を覚ました。頭がガンガンと痛い……

「う、うーん……?」

 元々寝起きが良くない上に、この痛みだ。しばらく起きられそうもない。

 と、そこで自分が何かを抱き締めていることに気付く。妙に温かいのはこのせいか。

 ってこんな展開、ちょっと前にもあったような……

「やっぱりイルさんだ……」

「…………」

 恐る恐る確認すると、案の定イルさんである。今日は正面から抱き合う形で眠ってしまったらしい。

「ええっと、どうしてこうなったんだっけ……確かワインを一気飲みして……」

 そうだ、思い出した。イルさんが余りにもワインに執着するから、つい悪戯しようと思って一気飲みしたのでした。あの時のイルさんの顔といったら……今思い出しても笑ってしまう。

 ですが、ワインを一気飲みしたのは悪手でしたね……私はあんまりお酒に強くないのです。

「……状況としてはイルさんが介抱してくれて、そのまま疲れて一緒に眠っちゃった、ってところでしょうか」

 推測してみるがあまり自信はない。周りを見てもお水とか無いし、きっと私が何かしでかしたのが筋でしょう。

 ……それにしても、ですよ?

「…………」

「…………」

 イルさんの寝顔が可愛い。もう食べちゃいたいくらい。いや実際には食べませんが。

 いつもは毒を吐いたりずぼらだったりして、げんなりさせられることばかりだけど、こうして黙っていると童顔で非常に可愛らしい。中途半端に長い髪も相まって、中性的でお人形さんみたいだ。天使か。天使なのか。

「……いけないいけない」

 思わず思考が暴走しかかった。だがこんな機会はそうそう無いだろう。今のうちに目に焼き付けておきましょう。眼福眼福。

「こないだとは違って、何だか安らかに寝てるなぁ……良い事あったからかな?」

 その良い事があったであろう昨日を思い返すと、私にとってはもう本当に散々で。

 この異世界人、スコルスコヴィルの肉に興味を抱くとは誰が予想しましょうか……そのせいで何故か私が戦術について全部纏める事になったし……なんだか腹が立ってきた。鬱憤をちょっとだけ晴らすとしましょう。

「それ、うりうりー」

 頭をなでなでしてやる。髪がサラサラしていて気持ちいい。ああもう可愛いなぁ……

「お次はむぎゅーっと」

 続いて胸に飛び込んでみる。身長差があるからいつもは逆になるんだろうけど、今は寝転がっているからこれもあり。ちゃんとお風呂に入っているからか、良い匂いがするし抱き心地も抜群です。勉強の時はずぼらなのに、こういう所はちゃっかりしてるんですね。

 ……いつも思ってますけど、イルさんは体が細い。ちゃんと食べてるのにこれって、ちょっと、いや、すごく羨ましい。

「はあ、堪能した……」

 満足して顔を上げると、

「……っ」

 イルさんの顔が近い。……これ以上いけないのは分かっているけれど、でもちょっとだけ。

「き、キスとか……しし、しちゃおうかな……?」

「……したら絶交だからな?」

「――!? いいい、イルさん!? いつから起きてたんですか!?」

「……頭撫でられた辺りから?」

「――――」

 どどど、どうしよう。怒られる。これは絶対怒られるやつだ……! 思わず身を固くする私。

 けれど、そんな私を知ってか知らずか、

「どうした? 何か固まってるけど……」

 意外にもイルさん全然怒ってないみたいです。何だこれ。夢かな……?

「お、怒らないんです?」

「いや、別に。色々されたけど悪くなかったし」

 しかも悪くないと返してきましたよ、この人。頭でも打ったのかな?

「い、イルさん、様子がおかしいような……?」

「何言ってるんだ。俺はいつも通りだぞ? ……それ、仕返しだ」

「――!?」

 逆に頭をなでなでされてしまった。……何だこれ。やっぱり夢かな……?

「ほ、本当にどうしたんですか!? イルさん!?」

「…………」

 そこではたと我に返ったのか、赤面するイルさん。照れた顔も可愛いですねぇ。

「……何でもない、ちょっと寝惚けてただけだ」

「何でもないって事は無いでしょう!? 前は近寄っただけで鬱陶しいとか言ってきたのに!?」

「こっちの顔見てニヤニヤするお前が悪い」

 可愛いと思ったのが顔に出ていたようだ。失敗した……! そんな私を横目に、弁明するかのように語るイルさん。

「実は昨日、色々合点がいったんだけど、お前に話すと面倒臭そうだから黙っておくことにした」

「ええっ、何か分かったんですか? 教えてくださいよー!」

「やだよ。……恥ずかしいし」

「恥ずかしい事なんですか!?」

「その反応が既に面倒臭い……」

「ええええぇ……」

 何なのだこれは。私はどうすればいいのだ……

「いいから、いつまでも俺に引っ付いてないでとっとと起きるぞ。ナズナに見つかると厄介だからな」

「……分かった事、いつか教えてくださいよー?」

「……善処する」

「あ、これ絶対教えてくれない返し方だ! イルさんのケチー!」

「うるさい馬鹿! ……ああもう、なんでこんなのを――」

 イルさんが何かぶつぶつと呟いていたが聞き取れなかった。私はどう思われてるんだろう……

「?」

「……何でもない。んで、今日は何処に行くんだったっけ? 何も聞いてないんだが」

「あ、えっと、今日は中庭で加護の調査ですね」

「分かった。ならさっさと準備だな。ほら、きりきり動け」

「あうぅぅ……」

 そう言うとイルさんは私の頭をバシバシと叩く。私の扱いが露骨に雑になったのは照れ隠しだと思うことにしよう。照れ隠しですよね? ね?

 

 

 身支度を済ませ、私の先導で中庭に着く。前に来た時というか、イルさんを召喚した時にはクレーターとか出来てたけど、その辺りは徹底して修復された模様。またしても人払いがされているのか、私達以外に人影はない。

「で、着いたはいいけどここで何するんだ? 何もないのに調査とかどうやるんだ?」

「ここに結界を張り、その中でイルさんの加護を引き出します。そのためにちょっと広い場所が必要でして」

「ほうほう。って、お前がやるのか。誰か専門家が来るのかと思ってた」

「最初はその予定だったらしいんですけど、私とイルさんの相性が良すぎるので急遽変更した、とナズナさんが言ってました」

「なるほど……」

「という訳で、準備を始めるのでイルさんは離れて見ていてください」

 早速準備を始める。といっても魔方陣を描けば終わりなんですけどね。内から外へ、外から内への干渉が出来ないよう術式を込めていく。

「……それにしてもこの魔方陣は何の意味があるんだ?」

「これはですね。内外不干渉の結界と言って、イルさんの魔力が暴走した際に、周りに被害が出ないようにしているんです。要するに保険ですね」

「加護の引き出しとか言ったか。それって危険なのか?」

「今からやろうとしているのは、その人がどんな加護を受けているかが分からない状態での強制発動ですからね。慎重になり過ぎるということはないんです」

「え、お前そんな危険なこと今からやろうとしてたの……?」

「あれ、言ってませんでしたっけ……?」

 ……朝から色々あったからか、伝え忘れていたようです。まあ大丈夫でしょう。危険はないはずだから……多分。イルさんは何やら複雑な表情をしていますが、ここは気にしないでおきましょう。

「よしっと、描けました。イルさんここの真ん中に来てください」

「ああ、分かった……お前を信じるしかないな」

 イルさん大分緊張なさっているご様子。まあ無理もないですね。結界の真ん中に来てもらって作業開始です。

「では、始めますね。『――閉じよ』」

 先ずは結界を閉じる。これで万が一の事が起こっても被害は私だけで済む。

「座って、目を閉じてリラックスください」

「……」

「そのまま……じっとしていて……」

 イルさんの頭に触れ、魔力を同調させていく。イメージは瓶の蓋を開けるように。

 探る。探る。――掴んだ。

「――よっと」

 カポンと蓋が開く感覚。相性が良いからか、速攻で終わってしまいました……もうちょっと苦戦するはずだったのに、予想外です。

 早速何か変化が起こっていないか、イルさんを覗き込んでみる。

「イルさん、終わりましたよー? んんー?」

 ……特に変化が無い? そんな筈はないんだけど……

 しばらく観察を続ける。一分。二分。変化も無いし、イルさんも起きてくれない。少し不安になってきた。

「イルさーん、起きてくださいよー」

 がっくがっくと揺さぶってみる。全く起きてくれない。

 ――だがここで一つの変化が起きた。

「黒い、涙……?」

 イルさんの目から一筋、真っ黒な涙が流れてきたのだ。何でしょうこれは……

「って、うわわわっ!?」

 疑問に思う暇も無く、それは止めども無く流れに流れて来て――

「よく見たら色んな所から黒いのが出てるじゃないですか!?」

 口、耳、鼻、あらゆる所から黒いものは出てきていた。

「これ、どれだけ出てくるんです……!?」

 ごぼりごぼりとイルさんから吐き出されていくそれは、水溜りを作り、やがて結界一面にまで広がっていく。必然、私の足元も黒い水に浸かってしまう。

「これは……魔力? そして何でしょう……?」

 この水に触れると何だか心がざわつく。この感情は……憂い? 哀しみ? 何にせよあまり触れていて良いものでもなさそうだ。

「何なんですかこれ……! イルさん早く起きてください……!」

 

 

「ん――」

 頭が酷く重い。ここは何処だろう? 周りは真っ暗だ。確か俺はエニシダに加護の引き出しとやらを受けていたはず。

「…………」

 これは死後の世界という奴だろうか。真っ暗だから多分そうだろう。エニシダめ、失敗しちゃったか。

「……あいつ、肝心の本番で失敗しそうなタイプだったもんな」

「いえ、失敗はしてませんよ?」

 何処からかエニシダの声が聞こえる。幻聴か。未練たらたらだな俺。

「にしてもここが死後の世界か……何もないな、真っ暗だ」

「死んでもいませんよ!?」

 また幻聴。そうか、これはそういう事か……

「そうか、エニシダも一緒に死んでしまったか……」

「だーかーらー、違いますって!」

 またエニシダの声。やたらと威勢がいいこのツッコミ、幻聴ではなく本人なのか……?

「……もしかして死んでない?」

「さっきから言ってるじゃないですか! 寝惚けてないで、この黒いの何とかしてください! 障壁でガードし続けるの大変なんですから!」

「何とかしろって言われても……どうすればいいんだ……?」

 全く状況は分からないが、俺の所為でこの真っ暗な空間になっているらしい。

「引っ込めとか、自分の中に戻れとか、そんな感じで強く思って下さい!」

「よく分からんが、やってみよう」

 引っ込めー、戻れ―。……こんな感じか?

「お、おお?」

 すると闇の帳は下り、上の方から光が入ってきた。徐々にだが周りが見えるようになる。

 それに足元からか、ぞぶぞぶと音が聞こえる。これは何だろう?

「お、エニシダ。ちゃんと生きてたな」

「な、何とか……窒息死するかと思いました……」

 闇が下がり続け、ようやくエニシダが現れた。あいつの周りだけ空洞が出来てたけど、あれが障壁とやらか。器用な事も出来るもんだな……

 関心している間も闇は下がり続ける。下がりに下がり……綺麗さっぱり無くなった。

 邪魔なのが無くなったので、再度周りを確認してみる。周りの光景は中庭、自分の下には魔方陣。どうやら結界の中が黒いので埋まっていたようだ。

「にしてもあの黒いのなんだったんだ?」

「……あれがイルさんの加護です」

「は?」

 思わぬ返答が来た。あれが俺の……?

「あの黒い水、全部イルさんの中から出て来たんですよ? 今は影の中に引っ込んじゃったみたいですけど」

「黒い水、影の中って……」

 何かぞぶぞぶ音がしてたのはそれか。俺の加護って意外とグロテスクだな……

「それよりもイルさん……髪伸びてません?」

「え、髪? ……うお、ほんとだ」

 言われて確認すると、確かに背中の中ほどまで伸びていた。暗い所にいたから気付くのが遅れたか……にしても前から後ろまで全部伸びることは無いだろうに。非常に鬱陶しい。

「切らないとなぁ。面倒臭い……」

「リアクション薄すぎませんか……? 普通はもっと驚くと思うんですけど」

「いやだって、なんか変な黒いのが俺のものですよー、とか言われた後だし……というか、若返ったり、変なの出せるようになったりするのに比べれば、こんなの普通だし」

「いや、全然普通じゃないですからね!?」

 こっちに来てからというもの、身体の変化が著しい。いちいち気にしてたらやってられないのだ。

「んでだ。髪はどうでもいいから、加護のコントロールの仕方を教えるんだ。ハリー」

 またこいつを生き埋めにしかねない。それは流石に御免である。

「コントロールですか……その前に、このままだと動けないので魔方陣を解きますね。ほいっと」

 エニシダが手を振り上げた次の瞬間、魔方陣は綺麗さっぱり消え去ってしまった。消すときは一瞬なんだな……

「それで加護なんですけど、こればっかりは人それぞれですので、個人個人で扱い方も違うんですよねぇ。取り敢えずさっき引っ込めたときみたいに、出てこいーって思ってみればいいんじゃないですかね?」

「また適当な……」

 だが言われたとおりに念じてみる。出て来てくれー、頼むー、何か扱いやすいのー。

 すると、自分の影の中からごろりと丸い球体が出て来た。扱いやすいもので無意識にボールを連想したようだ。

「おお、本当に出て来た」

「まずは第一歩ですね」

 手に取って眺めてみる。真っ黒だ。それ以外の感想が出てこない。

「……これ、何の役に立つんだろうな?」

「それを今から調べるんですよ」

「ああそうだった。取り敢えず弄ってみるか……溶けろ」

 直観的に溶けるよう命じてみる。すると球体は溶けて手から抜け落ち、影の中に吸い込まれていってしまった。

「ほむぅ、固化液化は出来るのか。……気化はどうかな」

 イメージする。霧散して周りに漂え。

 程なくして影から霧が立ち上り俺を覆った。これもイメージ通りにいったようだ。

「……気化も出来るな。これは何だか使えそうだ」

「何か最初から大分器用な事してるような……」

「何か言ったか? ……よし次。霧になって漂えるという事は、空中に固定することも可能か……?」

 イメージ。眼前に黒い槍。固定。ぼちゃりと影から槍が飛び出し、眼前で待機する。

「おお、できた」

 何だか面白いな。こういうの漫画とかでよく見たぞ。このまま飛ばしたりして攻撃できるんだろうそうだろう。試してみる価値はありそうだ。

「――射出」

「ほえ?」

 目標、エニシダ……の足元。少しびっくりさせてやろう。

「ひゃああああ!?」

 次の瞬間、槍はイメージ通りエニシダの足元へ炸裂する。結構なスピードが出たのか、土煙を上げ深々と突き刺さった。

「うむうむ、攻撃もちゃんとできそうだ」

「うむうむ――じゃありませんよ!? なにいきなり攻撃練習してるんですか!?」

「お前が平和そうな顔でぼへーっと眺めてるから、つい」

「つい、じゃありません! 殴りますよ!?」

 ぷんすかと怒るエニシダ。ちょっと練習の的にしたくらいで怒らなくてもいいのにな。突き刺さった槍を溶かして戻す。

「殴るな殴るな。んー、ちょっと違うのを試してみるか……」

「こ、今度は何を……?」

 一個づつの力の行使は何となく掴めてきた。次の段階は複数。イメージするものは――

「って、しょ、触手!?」

 影から出現させたものは触手。それを四本。

「複数行使。結構辛いな……動かせるか……?」

 しばらくずるずると這い回らせて感覚を掴む。中々に名状し難い光景だったが、練習なので仕方ない。それにしてもこの使役する感覚ってのは難しいものだ。

 例えるのなら利き手じゃない方で箸を扱うような感じ。普段全然使わないところを使うから疲労も激しいし、何より神経を使う。

「よりによって何で触手なんか……」

「無機物の次は有機物ってな。……何でお前そんなに離れてるんだ?」

 影の集中を解き視線を巡らすと、何故かエニシダは遠くの木の影から隠れるようにしてこっちを見ている。いつの間にあんな遠くまで行ったんだ、あいつは。

「え、だって絶対それ使って悪戯してくるじゃないですか。……流れ的に」

「……悪戯して欲しいのか?」

「して欲しくないから隠れているんです! 何なんですか、もう!」

 今度はぷくーっと膨れてしまった。リアクションが面白いからとぼけた返事をしてるのに、自覚が全く無いらしい。いいぞもっとやれ。

「よし、これも感覚が掴めてきた。ちょっと休憩するか……」

 触手を影に戻し、ふぅ、と一息つく。理屈は全く分からないが、何となく動かせるようになってきた。

 危険は去ったとみたのか、そんな俺に再度近付いてくるエニシダ。

「あ、イルさん。休憩するならちょっと確認したい事が」

「ん、なんだ?」

「前に魔法の授業やった時、術式が使えなかったじゃないですか。今なら使えないかなって」

「ああ、そんなこともあったな……」

 あの時は火が付かなくてちょっとガッカリしたなぁ。すぐ割り切ったけど。

「試してみるか。ええと、たしか……『火精よ、ここに集え』」

 指を立て、術式の文言を思い出し呟く。程なくして指先に火が灯った。

「おお!? 俺にもできたぞ!」

「あー、やっぱりそういうことだったんですね」

 何やら合点がいったようなエニシダ。

「どうやらイルさんの魔力は加護と一緒に封印されていたみたいです。最低限の身体強化だけはしてあったみたいですけど」

「ほう、そうだったのか。封印されていたからこないだは使えなかったと?」

「その通りです。今は全部解放したので魔力、身体能力、加護の異能、全て十全に使えるはずですよ」

 使いこなせればの話ですが、と続けるエニシダ。使いこなせればと来たか……

「なら、体の方も試してみるか」

「あ、イルさんちょっと、休憩はいいんですか?」

「休憩がてらだ。ちょっと走ってみる」

 エニシダをその場に残し走り出す。

「なんだこれ、すっごい速いぞ……?」

 走り出して数歩ですぐに最高速になった。いつもの二倍、いや三倍は出てるか……? こんなに速く走れるものなのか、人間ってのは。

 中庭の端まで行って帰ってくる。全然疲れないしあんな速度出るし、加護って半端じゃないな。

 すると、戻って来た俺を何やら難しい顔で見てくるエニシダ。さっきまでのほんわかした雰囲気が嘘のようだ。

「…………」

「どうしたエニシダ?」

「……いえ、思い過ごしだったらいいんですけど、ちょっと……」

「気になる事があるなら言ってくれ」

「……イルさんの適正と加護が強すぎる気がするんです。引き出した加護はすぐに使いこなすし、身体能力の強化具合も並の花騎士以上ですし」

「そうなのか……?」

 こいつが言うならそうなんだろうが、あまり実感は無い。多分俺がまだこいつ以外の花騎士を見た事が無いからだろう。

「そしてその強さの心当たりもあるといっちゃあるんですよね……」

「心当たりがあるのか。教えてくれるか?」

「もちろん……それは若返ってこちらの世界へ来たこと、です。イルさんは元々二十代後半って言ってましたよね?」

「あ、ああ」

「ですが、今のイルさんはどう見ても十代半ば。その十数年分のギャップを養分として、加護と魔力が形成されたのではないかと、私は推測しています」

 なるほど理には適っている。が、一つだけ違和感がある。

「待て。俺の記憶や経験は養分にならなかったのか? 大体は覚えてるし趣味嗜好も変わってないみたいだが……?」

「それは……名前が、それの代わりになったのではないかと。今のイルさんは最早ジョン・ドゥ、誰でもない誰かなので、その存在自体が代償になったのではないかと……」

「……なるほどな」

 誰でもない誰かか。随分と詩的な表現だ。こういう所では頭の良さを発揮出来るのに、何で平素の言動は残念なんだろうな、こいつは。

「しかし、割と理屈の通った話で良かった。これで何で強い加護が受けられているのか不明です、分からないけど頑張って使いこなしてください、とか言われてたら色々と悩んでいたぞ」

「そうですか? 私の推測なのであんまり当てにならないと思うんですけど……」

「いやいや、納得して使えればいいんだよ。合ってるか外れてるかはあんまり重要じゃないんだ」

「……重要じゃないんです?」

「そう、重要じゃない。気持ちの問題だからな。あぶく銭で遊ぶのとコツコツ貯めた貯金で遊ぶのの違いみたいなもんだ」

「……??」

 顔面に疑問符を浮かべるエニシダ。いまいち例えが理解されなかったようだ。

「要するに……あー、まあいいかこの話は」

「気になるところで切り上げないでくださいよ!?」

「面倒臭くなって」

「またイルさんの悪い癖が……」

「そんな事より加護の調査を続けるぞ。まだまだ出来ることは多そうだからな」

 加護の出処も分かったし、心置きなく力を試す事ができそうだ。立ち上がり、再度影を意識。

 ごぼりと波打ち、半身が応える。

 さて、次は何を試そうか――

 

 

「ふう……」

 ついつい調査に夢中になってしまった。空を見れば陽が傾きかけている。

「って、もうこんな時間か。昼飯食べに行くの忘れちゃったな……」

 結局一日かけて調べてしまったようだ。終わったことを察したのか、それまで木陰から様子を見ていたエニシダが近寄ってくる。見る限り不満たらたらなご様子である。

「やっと終わったんですね……ううう……お腹ぺこぺこです……」

「別に昼飯食べに抜けても良かったのに……お前、遠くから見てただけだろ」

「だって、イルさんから目を離すと、何しでかすか分からないじゃないですか」

「……」

 失礼な奴である。今度力を試すときはこいつにもっと協力してもらおうかな……標的としてとか。

「それはともかく、加護については大方分かったな」

 俺の加護の詳細についてはこうだ。

 

 ・この黒い水は自身、もしくは自身の影から湧かせる事ができる。

 ・固化、液化、気化させることができ、形も自由に変化させる事ができる。

 ・純粋な魔力の塊であり、指向性を与える事で移動、固定、射出、爆発といった行動が出来る。また、共感覚のようなものがあり、何かに触ったりした際には感知可能。

 ・目や耳などの複雑な感覚器官を作ることは出来ない。故に、分離しての独立操作は現時点では不可能。射程は見える範囲までで、遠距離に行くほど操作は困難になる。

 ・自身の魔力が減ると影の量も減り、動きも鈍くなる。大量の影を使うと魔力消費も激しい。

 ・おまけ:髪は切っても何故かすぐに元に戻る。非常に鬱陶しい。

 

「……何ていうか、柔軟性の高い能力ですよね」

「そうかなぁ、器用貧乏な感じもするけど……」

「それは使い方次第じゃないでしょうか? ほら、例えば影を張り巡らせて、触れたら爆発、とか面白いと思いますよ?」

「発想としては面白いけど、今は魔力が無いから試せないぞ……」

 調査で使い果たしたのか、今はもう影が応える感覚は無い。自身の魔力量については今後も調べていく必要があるな……

「まあ、やれることはやったし、今日はもうおしまいだな。とっとと帰って飯にしよう」

「わぁ、やっとご飯が食べられる……!」

「っと、そうだった、帰る前に一つ質問いいか?」

「まだなにかあるんですか……早く帰りましょうよ……」

「すぐ終わるから。……魔力ってどうやって回復させるんだ? 俺、今ほとんど空っぽみたいなんだけど」

 魔力については一通り講義を受けたが、この点は教えてもらってない。多分こっちの世界での常識だから抜け落ちていたのだろう。

「ああ、魔力ならご飯を食べたり寝たりすれば貯まりますよ。前に言った通り、この世界には魔力が溢れているので、空いている器には勝手に貯まるんです」

「何かこの世界結構いい加減だな……魔力は自然に回復させるしかないのか?」

「他の方法ですと他者からの魔力供給や、マジックアイテムを使う方法などがありますね」

「他者からの魔力供給……」

 怪しげな単語だが、何となく想像がついてしまう。要するにアレやコレであろう。精は魔力になるとか昔のオカルトでよく聞いたし。こちらではそれが現実になっている可能性は高い。

 だがこっちの気持ちを知ってか知らずか続けるエニシダ。それいじょういけない。

「ええ。色々方法はありますが、手っ取り早い方法だとセック――」

「わー! わー! 言わんでいい!」

 やっぱりそうだったよ畜生! というか見た目少年の前で堂々と言うんじゃない!

「イルさん、何を慌てているんです? 基本常識を教えているだけですよ?」

「その基本常識がこっちにとっては色々とアウトなんだよ!」

 そこで何かを察したのか、手を叩いて納得するエニシダ。顔を赤らめて聞いてくる。

「……も、もしかして今私に魔力供給して欲しいとか?」

「ねえよ! 馬鹿か!」

 こいつは髪だけでなく頭の中もピンク色なのだろうか……

「会って数日の奴を抱きたいとかぬかす程、こっちは頭お花畑じゃないんでな!」

「わ、私もそんなアレじゃないですし! 変態さんじゃないですし!」

「なら、んなこと聞くな! 勘違いするだろ!」

「し、仕方ないじゃないですか! 思い付いちゃったんですから!」

「はぁ~~……」

 想像したのかよ……思わず頭を抱えて深々と溜息が出てしまった……

「何でお前そんな残念なの……お兄さん悲しい……」

「また残念って言われた……! ううぅ、憐みの視線までも……!?」

「もういいから、とっとと帰って飯食って寝るわ……今ので無駄に疲れた……」

「うぅぅ~。いつか残念って言われないよう、立派な魔女になってみせますからね!?」

「へいへい。まずは脳味噌をピンクから灰色になるまで脱色するんだな。まあ、こんな年端も行かない見てくれのと、アレコレしちゃう想像をするような奴には無理だろうがな」

 ぷすーっとこれ見よがしに笑ってやった。しょうもない想像するような奴はちょっと煽ってあげよう。

「うううううぅ……!」

 逆鱗に触れたのか、うーうー唸り始めるエニシダ。やりすぎたかな……? ちょっと謝っておこう。

「……あーその、すまん。言い過ぎた」

 だがそんな当たり障りのない謝罪は焼け石に水だったようで、

「……っ! もう知りません! 今日はもう帰ります!」

 そう言うや否や何処からともなく箒を取り出し、跨って飛んでいってしまった。あいつ本当に飛べたんだな……箒で飛ぶとか魔女みたいだ。

「ってそうだった。あいつ魔女だったな……」

 一応、見えなくなるまで見届けてから部屋に帰る事にする。何かあいつ飛んでる途中で落っこちそうな気が……

「きゃあああああ!? か、風が!! わっぷぷ!」

 って、案の定強風に煽られて木の枝に突っ込んでるし。

「うっ、ぐすっ……うううっ……」

 葉っぱまみれでめそめそ泣いてる姿はもう本当に何と言ったらいいか……

「あいつ大丈夫かね……色々と……」

 思わず世の無常さを考えてしまう夕暮れ時であった。

 




この二人の関係が今後どうなるかは……未定です。未定という事で。


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五日目「戦闘演習:武器の選定及び基礎戦闘について」

サブタイを付ける作業が一番大変かもしれない。


 ――翌朝

 

「ふぁ、良く寝た……」

 気持ちの良い目覚めである。加護が引き出されたせいなのか、異常に体が軽く感じる。これくらい快適だとなんか召喚されたこともどうでも良くなるな……いやまあ、まだ仕事もしてないからこんな呑気な事を言ってられるのかもしれないが。

「さて今日も――ってあら?」

 体を起こしてドアの方を見たのだが、隙間に何かが挟まっている。何だろう?

「ええとなになに、『今日は魔女の会合があるのでお供できません。戦闘訓練は訓練場で行うらしいのでその辺の人に聞いて向かって下さい。 ――エニシダ』」

 今日はあいつも何か用事があるらしい。にしても、魔女にも会合なんてあるのか。残念なあいつの事だ。誰かに弄られまくっている姿が想像できるぞ……

「会合ねぇ……まあ何でもいいけど」

 いないものはしょうがない。さっさと身支度を整えて向かうとしよう。

「このウザったい髪は……影で縛るか」

 伸び過ぎた髪は訓練の邪魔になる予感しかしなかったので、今のうちに後ろでまとめておく。

「むう、こんなもんか……この長さだとどう見ても野郎に見えないな……」

 鏡を見て確認するも、想像通りというか、呪いの人形然とした髪型になっているのは自分でも引く。俺の加護は一体何がしたいんだろうか。これでは色々と間違われて大変だと思うのだが……

 だが落ち込んでも仕方がない。気持ちを切り替えて準備を進める。

「はぁ。にしても訓練場か。廊下で誰かに道を聞かないとなぁ……」

 

 

「あのー、すみません」

「はいなんでしょう? ってあら、可愛い子……」

「…………」

 廊下で道行く人、それも声のかけ易そうな人を選んだのだが、この妙齢の侍女さんしかいなかった。にしても第一声で可愛いとか言われて、もう恥ずかしいんだか悔しいんだか。

「どうかしたのかな? 迷子?」

「あ、いえ、そうではなく――」

「親御さんは?」

「いえ、だから」

 やばい。この人ちょっと面倒なタイプかもしれない……強引にでも切り出さないと。

「く、訓練場! どう行けばいいですか!?」

「ああ、訓練場に親御さんがいるのね」

「……」

 何か微妙に勘違いしてるが、この際行ければどうでもいい。

「訓練場なら一階へ行って、突き当りへ向かえばいいはずよ」

「あ、ありがとうございます! では!」

 即座にその場を離れ訓練場へ、加護の力も出し惜しみせず全力で行く。……決して面倒な人から早く離れたかったわけではないぞ。

「気を付け――って早っ!? 何あの子……」

 後ろで驚く声が聞こえるがキニシナイ。

「ああくそ、エニシダがいればああいう苦労も無かったんだがなぁ……」

 残念で色ボケ気味なピンク魔女だが、いなきゃいないで支障が出るな……そんな事を思いながら訓練場を目指す。程なくして到着。中々の大きさである。

「お邪魔しまーす……」

 恐る恐る中へ入ってみる。目に付くのは訓練用の武器、木人。そんなものが向こうで言う体育館ほどの大きさの室内に無造作に散らかっている。奥は庭と繋がっているのだろうか、陽光を取り入れる構造になっているようで、室内というよりは吹き抜けといった感じである。さらに見渡すと訓練中の騎士グループだろうか、無心で木人と格闘したり、先輩から熱心に指導を受ける様子がそこかしこで見受けられた。

「ふーん……」

 当方、戦闘のド素人なので特に何も思う事は無い。無いのだが、食事が高水準だったせいで筋トレ用具などもある高機能な訓練場かと期待していたのだ、文化水準的に。言っては何だが割と原始的な訓練風景である。

「誰も気付いてないのかな……」

 室内に入っても誰も声を掛けてこない。余程訓練とやらに熱中していると見える。遠目から見ていても女性の甲高い掛け声が聞こえるばかりで、どういった訓練を行っているのかまるで分からない。

「訓練ねぇ。俺もなんかしてみるか」

 気付いてくれるのをぼーっと待つのもアレなので、訓練とやらをやってみることにした。郷に入れば郷に従え、って奴だ。

 まず、手近なところに立てかけてある訓練用の木剣を手に取ってみる。ブンブンと振り回してみるが、特に問題なさそうだ。加護が引き出されたおかげか、剣がすごく軽く感じる。

 次に標的の木人を探す。これも近くに転がっていた。何かそれっぽい穴もあったので、刺して立たせる。これで準備完了だ。

「っと、殴ってみる前に確認確認……」

 意識を集中させ影を動かしてみる。ごぼごぼと反応があった。魔力は十分に回復したようだ。そのまま動かし、何となく木剣に塗ってみる。魔力を付加させて戦うのとか一回やってみたかったのだ。かっこいいし。

「エンチャント完了ってね。……これでよし」

 木人に向き直り黒べたに塗れた剣を構える。剣道で言う所の正眼の構えだ。

「昔授業でやったっけなぁ……せいっ」

 軽く振りかぶり、振り下ろす。剣を受けた木人が揺れる。思いのほかスピードが出るな……もっと速くいけそうだ。

 振りかぶり、振り下ろす。まだ遅い。

 今度は切り返す。遅い。これでは隙が出来る。

 袈裟切り。いいぞ、速くなってきた。もっと早く、もっと速く、もっと強く、もっと滑らかに――

「――――」

 無心で剣を振るい続ける。時間の感覚が泥のように歪んでいく。思うように動かない自分の体がもどかしい。

(もっと速く動けないものか……)

 そこでふと、影を纏わせていることを思い出した。

 こいつの魔力を使えばもっと速くなるんじゃないのか……?

「……」

 振りかぶったまま一旦動きを止め、影に集中。呼びかける。

「――放出ッ!」

 影に込められた魔力を開放、同時に袈裟切りに木人を切りつける。

 次の瞬間――木人は真っ二つになった。

「……!」

 木人の上半身はそのまま何処か飛んでいってしまった。残されたのはプスプスと音を立て、断面から焦げ付いた匂いを出す残骸のみ。

 自分でやった事ながら衝撃的な光景だった。こんな力を人様に向けてなくて本当に良かった……

 しばし呆然と残骸を見ていたが我に返って周りを見ると、そこにも予想だにしない光景が広がっていた。

 周りには何故か騎士達が集まっており、何事かひそひそと話しながら、好機の目で俺の事を見ていたのだ。何だこいつら、いつの間に……

 距離もそれほど離れていないので、否応にも話していることが聞き取れてしまう。

「ねえあの子、何? 知ってる?」「いや、知らない……っていうか今のあれ見た……?」「見てたけどなんなの、あれ……」「最後に黒いのがぶわっとなったような……」

「……っ」

 こういう好奇の的になるのは苦手である。とはいえ、集合場所がここだから逃げ出すわけにもいかないし……非常に困った……

 そんなところへ助け舟が出される。

「……なあ、そこの君」

「……?」

 声のした方を向くと一人の女性が立っていた。桃色の髪ですらりとしていて、細目が印象的な方である。豪奢な騎士装束っぽいものを着ているようだし、偉い人だろうか……?

「君がイルさんか?」

「あ、はい、そうですが」

「ああ、やはりか。なかなか来ないなと気になっていたところだったんだ」

「では貴方が……」

「ああ、本日訓練官を務めるウメという。……ここで話すのも何だ。場所を変えるとしよう」

 

 

 場所を変えてここは訓練場内の一室。クローゼットなどの収納スペースがあったり、備品が集められていることから察するに、準備室か何かのようだ。

「まあ、取り敢えず座って」

 促されるまま、備え付けの椅子に座り向かい合う

「――さて、イルさんだったか。ええと、団長見習いという話だったが……?」

 何やら戸惑っているご様子の訓練官殿。どうしたんだろうか。

「君は何なのかな……?」

「何、と言うと?」

「団長は成人男性にしかなれないんだが……?」

 ああ、そういうことか。恐らくは詳しい説明もないままに、団長見習いを鍛えてくれとでも頼まれたのだろう。それに俺の見た目もややこしすぎるんだろうな……

「れっきとした男です。異世界から召喚されて若返ってますが、とっくに成人してます。この髪はなんか加護で伸びました」

「召喚……? 若返って……? 男性なのに加護……? 伸び……?」

 ……ものすごく混乱してしまったようだ。そのまましばらくうんうんと唸り続ける。

「……よし、よく分からないな」

 どうやらすっぱり理解するのを諦めたようだ。これまでエニシダとかの事情の分かっている人間としか関わってこなかったから、こういうリアクションは新鮮である。

「よく分からないが、訓練官としての責務は果たさせてもらう。これからよろしく、イル君」

「あ、よろしくお願いします。ウメ……さん?」

「……何故疑問形なんだ?」

「いえ、訓練官なので様とか先生とかの方がいいのかな、って」

「何だそんな事か。普通にさんでもいいし、呼び捨てでウメでもいいぞ」

「ではよろしくお願いしますウメ先生」

「何故そうなる!?」

「いやなんか、ウメせんせーって言った方が良い気がしたので」

「君と話していると疲れそうな気がしてきたな……」

「いえいえ、軽いジョークですって。初対面なので場を和ませようかと」

 ウメ先生は呆れたのか気が抜けたのか分からない表情になってらっしゃる。

「まあ何でもいいが、程々にな……? とまあそれはともかく……」

 席を立ち、クローゼットへ向かうウメ先生。ごそごそと服を探しているようだ。

「むむ、サイズはこれくらいか……よし、取り敢えず訓練の前に着替えるんだ。加護のかかっていない服では怪我をしてしまうからな」

 そう言うと着替えを差し出してきた。

「はい、分かりました。って、あのこれ……女性物なんですが……」

 渡された着替えは何故か女性物であった。上の方は鎧も付けてあってまあ着られないことも無いのだが。スカートはちょっと、ねえ?

「ああ、そうだった。君は男性だったな……そうすると装備が無いぞ。困ったな……」

 またしてもうんうんと唸りだしてしまう。花騎士には女性しかなれないという話だったし、女性物しかないのは当たり前か……困らせてばかりで本当に申し訳ない。

「あの、ウメ先生。加護がかかっていればいいんですよね?」

「ああ、そうだが……?」

「俺に考えがあります」

「考え?」

「はい。――影よ」

 影を操作。着ている服や手足にぞぶぞぶと影を纏わせていく。こいつが加護由来のものであるならば、防御も何とかなるはずだ。

「……完了です。この影も加護由来ですし、これで防御は大丈夫ですよね?」

「驚いたな……」

 こちらの頭からつま先まで眺めてくるウメ先生。そんなに驚くことなのだろうか。

「君、加護を受けたのはいつなんだい?」

「召喚された時から加護は受けていたらしいんですけど、開放したのは昨日です」

「は……!?」

「昨日一日弄り倒して何とかここまで出来るようになったんですよ――」

 昨日の調査の成果を語ってみた。影の性能性質全て、余すことなく伝えていく。何か努力の成果を人に話すのって楽しいよね。

 一通り聞き終えるとウメ先生は神妙な面持ちで考え込んでしまった。そしてぽつりと一言。

「……あり得ない」

「はい?」

「いや、君が使いこなしているという事はあり得るのだろうが、うむむ……」

「……?」

「……ここで考えても仕方のない事か。取り敢えず、だ。君が特別なのはよく分かった」

「はあ、特別ですか」

 要領を得ない返事をする俺に、ウメ先生は事の詳細について説明してくれる。

「ああ、そうか。君はここの生まれじゃなかったな……いいかい。本来加護というものは一朝一夕に扱えるような代物じゃないんだ。開放した当日は大半の者は力を制御できずに体調を崩すか、暴走するか、極少数は耐え切れずに命を落とす。それを君は何の不調も無く、それどころか自由自在に扱っているじゃないか」

「あ、いえ、俺も最初暴走しかかってたみたいなんですが。起きたら辺り一面真っ黒でしたし……」

「そうなのか? それは少しだけ気掛かりだが、今はもう制御できているのだろう?」

「ええ、もう大丈夫……なはず」

 あの時はあまりにも現実離れした光景だったから考えが及ばなかったが、立会人がエニシダじゃなかったら暴走して殺していたかもしれない。もしもの話ではあるが、少し怖い。思わず寒気が走る。

「どうかしたか?」

「いや、少し……何でもないです」

「……そうか、まあ大体分かった。そろそろ訓練に移ろうか」

 察してくれたのか、話を切り上げ席を立つウメ先生。慌てて俺もそれに続く。

「ああ、そうそう」

 部屋を出て訓練場へ向かう途中、何でも無い話題のようにウメさんはこちらへ話しかけてきた。

「聞き忘れていた。君の加護の花の名前は何だろうか?」

「名前?」

「ああ、開放したのなら分かっているはずだが」

「…………」

 言われたことが理解できず、足を止め考え込む。名前? 加護に名前があるなんて習っていないぞ……これも基本常識なんだろうか。

「……もしかして知らないのか?」

「……ええ。察するに開放する時に普通は分かるのでしょうか?」

「ああ、普通はそうだな。もしくは、両親などから花の名を貰ってこの世に生を受ける」

「なるほど……」

 色々と謎の多い加護である。暴走したと思ったら自由自在に扱えたり、あるはずの名前が無かったり。こちらの事情に疎い俺からすると訳が分からない。

 考え込み続ける俺を見て、ウメ先生は軽く息を吐いた。

「君は本当に謎だらけだな……いや失礼。失言だった」

「いえ、お気になさらず。自分でも気味が悪いとは思っていましたので」

「……まあ初対面の相手に冗談が言える余裕はあるようだし、大丈夫だろう。何かあったら私が何とかする。保証しよう」

「ありがとうございます」

「つまらない時間を取らせた。急ぐとしようか」

 

 

 再び戻ってきた訓練場。相変わらず騎士たちが訓練をしていたが、こちらに集まってくるようなことは無かった。誰かが釘を刺しておいてくれたのだろう。有難い事である。

 ウメ先生は訓練場に着くや否や、何処からか多種多様な武器を持ってきた。事前に用意しておいたのだろうか。訓練用ではなく本物の武器だ。

「さあ始めるとしようか。まずは武器の選定からだ」

「選定ですか」

「ああ、どれが向いているのか、私が見定めさせてもらう。こう見えて目利きには一角の自信があるのでな」

 そう言うとえっへんと胸を張るウメ先生。今気付いたが先生、胸が……

「……何か言いたそうだな?」

「いえ、ナンデモナイデスヨ?」

「……まあいい。まずは剣だな。持って構えてみるんだ」

「は、はい」

 言われるがままに剣を取り構えてみる。無論、本物の剣を持つのなんて初めてなのでおっかなびっくりだ。本当にこんなので分かるんだろうか……

「ふむ、まあまあか……次は斧だ」

「斧ですか……あの、構えとか分からないんですけど?」

「適当でいい。それも適性の内だからな」

「はあ……」

 今度は斧を持ち、構える。当然だが剣より全然重い。金属の塊だから当然なのだが。

「斧はダメか。次は――」

 次々と武器を持たせては構えを見ていくウメ先生。言われるがままに武器数十種を持ち替え、構えていく。一時間くらいそうし続けただろうか。

「うむ、これで最後だな。お疲れ様」

「はふぅ」

 最後に持ったモーニングスターを降ろし、嘆息する。こういった検査じみた作業は思いのほか疲れるものだ。

「ふむ……構えを見る限り適性があったのは長物、槍だな。迷いの無い良い構えだった」

「途中から流れ作業みたいになってましたが、それでも分かるもんなんですかね……?」

「むしろ、無心になってくれた方が素の状態が見易いのだよ。加護の適正が分かりやすいんだ」

「なるほど……?」

 いまいちピンとこないが、今はウメ先生の観察眼を信じるしかないようだ。まあド素人の俺が選ぶよりかは遥かにマシだろう。

「よし、次は攻撃練習だな。……ほら、受け取れ」

「わっと」

 渡されたのは訓練用の槍。長さは身長と同じくらい、木製で使いやすそうだ。先程まで金属製で殺傷力の高そうな武器ばかり持っていたので少しホッとする。

「それで木人を思うがままに攻撃してみるといい」

「あれ、構えとかは教えてくれないんです?」

「適性があるから大丈夫だ。私を信じろ。何かあったらアドバイスする」

「……」

「ああ、それとさっきみたいに魔力で叩き切るんじゃないぞ。まずは基礎を身に着けるんだ」

 何だか腑に落ちないが、取り敢えずやってみよう。両手で持って突いてみる。

 ザクリと木人に突き刺さった。そのまま何度も何度も突き刺す。……ちょっと楽しい。

 そこへウメ先生からの助言が入る。

「ああ、アドバイスだ。利き手は石突きの方を持て。あともう少し柄を短く持った方が良いな。その方が近距離に対応できる」

「はい」

 言われたとおりにやってみる。石突きってのは穂先の逆だったっけか。利き手を後ろ、柄を短く……そして突く。

「おお、取り回しやすい……」

「ふふっ、面白いだろう? そのまま続けてみるんだ。突きだけでなく、切り、払いといった動きもしてみろ」

「はい!」

 教えられたとおりに突き、切り、払いと繋げてみる。ザクザクと切り刻まれていく木人。

 確かに柄を短く持った方が早いし、連携もしやすい。

「…………」

 そのまま没頭し、突き、切り、払いの基本動作を何度も何度も繰り返す。もっと早く、もっと滑らかに……

 意識は次第に離れ、己を俯瞰しながら動きを改善していく。自分を見ながら自分を操作しているような感覚。

 そうこうしている間もブオンブオンと槍は唸り、木人はさらに切り刻まれていって――

「……イル君……イル!」

「……はっ」

「そこまでだ。木人がダメになってしまった」

「あ、すみません……」

「謝る事じゃない。だが替えないといけないのでな。それにしても……」

 ウメ先生は楽しそうに笑う。

「君、意外に没頭すると周りが見えなくなるタイプなんだな? 私の声は聞こえていたか?」

「いえ、その、一番最初だけ……」

「なるほど、全部聞こえてなかったか……まあいい、それだけ基本が出来ればどんな応用もすぐに覚えるだろう」

「……何だか楽しそうですね?」

「ああ、飲み込みの良い人間に教えるのは楽しいからな。というか、君は本当に戦闘経験は無いのか? 上からは無いと聞いていたが、動きを見る限りはとてもそうとは思えないのだが……?」

「ええ、これっぽっちも。でも強いて言うなら、本を読んだりアニメを見たりとか、それの真似事ですかね……」

「あにめ……?」

「ああ、すみません。分からないですよね……動くマンガみたいなものなんですが」

「動くマンガか。素敵なものが君のいた世界にはあったのだな……よし、予定を切り上げるか」

「……?」

 ウメ先生はそう言うと、自身も訓練用の槍を手に取りこちらへ向かい合う。

「応用は打ち合いながら覚えるとしよう。君にはこっちの方が手っ取り早そうだ」

「えっ、も、もう打ち合いですか!?」

「ああ、手加減はもちろんするから安心していい」

「で、でも心の準備ってものが……うおっ!?」

 そんな俺に構うことなく、槍で一突きしてくるウメ先生。会話中だというのに攻撃してきたよこの人……やる気満々である。

「うむ、良く避けたな。続けていくぞ」

「ちょ、ちょっと!? ごふぁ!?」

 続く二撃目の突きは避けきれず、腹部に喰らってしまう。訓練用のものとはいえ直撃すると結構痛い。怯む俺に容赦無く追撃をかけるウメ先生。三度目も突きだ。

「う、くそっ!」

 咄嗟に槍を合わせ突きを逸らす。だがその勢いを利用され、今度は上段から斬撃が降ってくる。堪らず柄で受けた。衝撃でたたらを踏むも、何とか受け切ることに成功。

「ほら、怯んでいる暇はないぞ?」

「……っ!」

 だが、ウメ先生はそのまま距離を詰めながら突きを繰り出す。半身をずらし何とか回避。そこからの切り払いが迫る。これも再度柄で受ける。今度は怯まず受け切れたので反撃。掬い上げるように突きを放つ。難なくバックステップで回避される。

 だが距離が離れたので呼吸を整える隙が出来た。大きく息を吸って吐く。

 ……それにしても、対峙して数打打ち合っただけで分かる。この人、全く隙が無いぞ。打ち込んでも通るイメージすら湧かない……

「どうした? 怖気づいたか?」

「いえ、正直言ってどうしたものかと……全く攻撃が当たる気がしないので」

「まだ一突きしただけだろうに……まあ、無理もないか。君は何もかもが初めてだものな」

「……」

「そういう時は、だ。考えるより行動だ」

「むぉ!?」

 ウメ先生はそう言い放ちつつ、踏み込み薙ぎ払ってくる。

「くっ!」

 距離があったので姿勢を下げ掻い潜り、同時に足払いでカウンターを狙う。軽い跳躍で回避されてしまった。跳躍からの上段の叩きつけが迫るも、横に転がり回避。床を砕く音が轟く。

「とにかく動け。ちゃんとやらないと痛いぞ」

「痛いってレベルじゃ済まないと思うんですが!?」

 見れば先の叩きつけで軽いクレーターが出来ていた。直撃したら即死じゃないのか……?

「なに、加護があるから大丈夫だ。確かに今のはちょっと力み過ぎたが……当たっても大丈夫だったろう。……多分」

「多分って……っ!」

 返答の代わりに突きが三発繰り出される。一、二発目は何とか凌ぐも三発目が肩口に当たる。

「ぐっ……!」

 加護のおかげで痛みは押さえられているが、攻撃されているという恐怖で萎縮してしまう。

「怯むな。動け。いちいち立ち止まっていてはすぐに害虫の餌になるぞ」

 このままでは埒が明かない。それに一方的に攻撃されていて面白くない。

 そして何よりも、痛がったり考えたりするのが面倒になってきた。俺は面倒な事が大嫌いなのだ。

「はあ、仕方ないか……」

 仕方が無いので何も考えず打ち込む事にする。思い付いたら即実行である。

 先ずは突き三発。すべて腹部狙い。簡単に避けられる。

 踏み込んで横薙ぎ。柄で受けられる。カウンターの掬い上げが来るが、甘んじて受ける。浅いので無視。

 そのまま一回転しさらに横薙ぎ。大胆な動きに驚いたのか、バックステップで避けつつ距離を離してきた。

「……そこっ!」

 踏み込みの勢いを乗せつつ突き。これも柄で受けられるが、さらに距離を詰める。

 持ち手を変え石突きで掬い上げの打撃。柄をかち上げる。少しだけ姿勢が崩れた。

 持ち手を戻し勢いを殺さずに掬い上げの斬撃。……やっと一本入ったぞ。

「……!」

 痛みは無視。相手の動きや思惑も極力無視。こちらの攻撃を強引に押し通してやっとの一本である。

「こんな感じでどうでしょう。言われたとおりに無心で動いてみたんですが……」

「……君、動きが変わり過ぎだ。まるで別人だったぞ」

「そうですかね……?」

「ああ、だが悪くなかった。その調子で頼むぞ」

 そう言うとまた槍を構え、突撃してくるウメ先生。どうやら更にやる気にさせてしまったようだ。飛び退いてかわすも、その先に置くように斬撃が飛んで来た。咄嗟に柄で受ける。そのままぎりぎりと鍔迫り合いが続く。

 ……少し疑問が湧いたのでここで聞いてみることにしよう。

「あの、先生。この打ち合いっていつまでやるんですかね……?」

「ちゃんと君が強くなって、私が満足するまでだ」

「あ、はい……」

 ……これは当分かかりそうだ。腹を据えてウメ先生と対峙していかねばなるまい。

 鍔迫り合いから逃れるために力を抜いて、くるりと半身を回す。その勢いを利用し足払いを放つ。刃先で受けられた。間髪入れずに突きを三発。最後の一発が槍先でからめ捕られ、そのまま揺さぶられる。姿勢が崩れたところへ胸部に一突き。完璧に入れられてしまった。

「……っ」

 痛みに耐え、極力動じないように意識しながら反撃に移っていく。

 ……それにしてもこうして動いていると、次第に自分の中にも闘志のようなものが湧きあがってくるのが分かる。

 次はどう動いて、どう攻めようか? 少し楽しくなって来たぞ。例えるなら自分自身を手駒として対戦に興じている気分だ。運動は苦手だったが、元々こういう競い合いは嫌いではない。むしろ大好物である。

 そんな俺を見てウメ先生も不敵に微笑む。

「良い目つきになってきたな。……いや、もう言葉は不要か。存分に学ぶといい」

 雑念を取り払い、無心で打ち合っていく。訓練はまだ始まったばかりだ……

 

 

「あ、イルさんおかえりなさい」

「た、ただい、ま……」

「今日は遅かったですね。ちょっと待ちくたびれちゃいましたよー。……ってうわっ!? ボロ雑巾みたいになってるじゃないですかっ!?」

「ボロ雑巾……言うな…………」

「と、取り敢えず治癒魔法……いや着替え……? それともご飯……!?」

「な、何でも……いいから、早く……」

 

 

「はあ、死ぬかと思った……」

 エニシダの甲斐甲斐しいお世話によって俺は息を吹き返した。持つべきものは頼れる隣人である。そんな俺を見てエニシダもまた息を吐く。

「こっちも死んだかと思いましたよ……帰ってきたと思ったらボロ雑巾みたいになってるんですもん。どういう訓練受けたらあんな風になるんですか……?」

「あーいやその、先生が予想以上にハッスルしちゃってな……」

 あの後結局、打ち合いは日が暮れるまで続いた。本当は途中で休憩を取りたかったのだが、次第に早くなるウメ先生の猛攻の前には休憩を申し出る余裕も無く、無理矢理付き合わされるような形になってしまった。

「先生も先生だよな。日が暮れたのを見てようやくやり過ぎって気付くんだもん。あの人、努力のお化けかなんかなの……」

 最終的にボロ雑巾になった俺は何度も申し訳ないと頭を下げられつつ、訓練場を後にここまで帰ってきたのだった。ちなみに、ウメ先生は俺を送ると言ってきかなかったが、それだけは固辞した。ボロ雑巾にされた相手に送られるとか、いくらなんでも格好がつかないしな……こっちにも最低限の面子ってものがあるのだ。

「はあ、そんな事になってたんですねぇ……って、イルさんの訓練官って結局誰だったんです?」

「あれ、言ってなかったっけか。ウメっていう人だったよ」

「は……!? ウメって、あの王国最強の……!?」

 驚きで硬直するエニシダ。え、あの人すごい人なの……?

「ウメと言ったら、ブロッサムヒルにおいてサクラと並んで及ぶもの無しと言われるほどの凄腕の花騎士ですよ!」

「ふーん……? 二人なのに最強なんだ?」

「ええ、お互いに切磋琢磨し合う旧知の仲であり、しかもお互いに謙遜し合うので、仕方なく二人とも最強と称されているんです」

「なるほど……」

 あのウメ先生の他にもサクラって人が同じ最強にいるのか。最強の座をどうぞどうぞしあう仲という事は恐らく親友か何かなんだろうなぁ。

「イルさんそんな方とボロ雑巾になるまで稽古してきたんですか……何というか、お疲れ様です……」

「ああ、まさかお前に労われる日が来るとは……」

「というか、ナズナさんのコネもすごいですね。何で訓練官に最強の人呼んじゃってるんですか……?」

「それは俺も問い質したいぞ」

 なんで団長どころか、この世界も駆け出しの俺にそんな御方を付けるんだ……過剰投資もいい所である。株をやったら大損どころでは済まない。

「というか、明日以降もウメ先生来るのかなぁ。投げ出すような人には見えなかったけど……」

 何と言っても王国最強である。スケジュールとかカツカツじゃないんだろうか。

 そんな俺の独り言にエニシダは意外そうな顔をする。

「へえ、ウメ先生、ですか」

「……? どうかしたか?」

「いえ、イルさんが茶化す以外で他人を先生付けで呼ぶなんて初めてだな、と思いまして」

「いや実際に会うと先生と呼ぶしかないからな? 何かもうほんとに。教えるの上手かったし」

 努力お化けなウメ先生の事だ。恐らくは自分もやってきたことだから教えるのが上手いのだろう。

「実際に会った事は無いので分からないですけど、鈍いイルさんが言うって事は相当なんでしょうね……」

「鈍いは余計な? 俺、そんなに悪くないからな? ウメ先生も褒めてくれたし」

「えっ、褒められたんですか? 何て?」

 何て言ってたかな……ああ、確かこうだ。

「『動きがとても戦闘経験が無いとは思えない』だってさ」

「……ふーん? いつものイルさん見る限りそんな風には……」

「俺もそう思うんだが……動きだってどこぞの受け売りだし」

「……受け売りでも打ち合えるって事は相当なんじゃないでしょうか?」

「んん……? そうなのか……?」

 いまいちピンとこない。何というか、自然にやってたことを評価されてもすごいのか全然分からないもんだな……

「アレですよ、イルさんは真似っ子が得意なんでしょう、きっと」

「ああ、なるほど。それなら何となくわかるな」

「でしょうでしょう? 影でも色々作れましたし!」

 俺は真似るのが得意ということか。こうやって他人と振り返ると思わぬ発見があるからバカにならない。

「だから明日からは積極的にウメさんの技をパクっていって、ガンガン強くなりましょうね!」

「おいちょっと、パクるとか言うなよ……何か一気に悪いことしてる気分になるじゃん……」

 こいつのデリカシーの無さはもうちょっとどうにかならないだろうか……

「大丈夫ですよ。真似しても減るもんじゃないですし」

「何だかなぁ……ふぁ」

 話し込んでいたら眠気が込み上げてきた。流石にボロ雑巾から回復したとはいえ疲労困憊である。

「今日はもう寝るから、お前も早く部屋に戻れな……」

「あ、はい。お疲れ様です。イルさん、ちゃんと休んでくださいね。……寝酒はダメですよ?」

「……寝酒が必要に見えるか?」

「あはっ、冗談です。それと明日は私も付いて行きますから、よろしくお願いしますね。ではではー」

 そう言い終えるとエニシダは部屋から出ていった。そういえばあいつから魔女の会合とやらについて聞き忘れていたな。まあいいか、今度聞こう……

「俺もとっとと寝ないと……」

 ベッドに移り目を閉じる。疲れからか即座に意識が狩り取られ、深い眠りへと落ちていった……

 




ようやっと新しい人が出てきました。当小説は登場人物少なめでお送りいたします。


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六日目「戦闘演習:武器の再選定、加護の実戦活用法」

昨日はゴールド二倍もりゴブヒャッハーしていたら投稿を忘れていました。テヘペロ


「――よし、起きた」

 大事を取って早めに就寝したからか、いつもより早い時間に起きたようだ。

 早速身体の確認を始める。昨日の訓練の内容から手酷い筋肉痛を覚悟していたが、意外にも皆無である。疲れなども特に残っていないようだ。

「これも加護のおかげか……? それともエニシダの魔法とやらか……?」

 どっちが正解か分からないが、まあ動けるしどっちでも大した違いはないな。

 早々と朝の支度を終え訓練場へ向かう。まだエニシダが来ていないが、待たなくても行先は知っているだろうし、問題無いだろう。

 つつがなく訓練場に到着。ウメ先生は……もう来ているようだ。奥で何やら準備をしている。

「おはようございます。ウメ先生」

「その声は……イル君か。今日は随分早いな?」

「ええ、ちょっと早寝したら早起きしちゃいました」

「そうか、それは殊勝な事だ。ああ、それとだな……」

 そこでウメ先生はバツが悪そうな顔をする。

「昨日は本当にすまない事をした。私としたことが君の調整に熱中して、日がな一日、休憩も入れずに訓練するなど……」

「あ、いえ。特に気にしてませんので……この通りピンピンしてますし」

「だが……」

「それに、それだけ熱を入れてくれたって事は、俺もそれだけ鍛えられたって事でしょう? 感謝こそすれ、謝ってほしいなんて思ってないので、それ以上は……」

「……ああ、そうか、そうだな。これ以上は野暮というものだな」

「ところで、今日は何をするんです?」

「うむ。取り敢えずは昨日のおさらいから始めようか。その程度によってどうするか決めようと思う」

「分かりました。昨日と同じ打ち合いからですね」

 答えつつ影を身に纏い、渡された訓練用の槍を構える。ウメ先生も同じく槍を構え準備万端なようだ。

 意識を研ぎ澄ませ、昨日の感覚を呼び起こす。

「んじゃ、行きます――」

 

 

「うぅぅ……置いてくなんてイルさん酷いです……」

 愚痴をこぼしながら私は訓練場への通路をとぼとぼと歩いていた。行き交う方々から怪訝な目を向けられるが、いつもの事なので気にしない。

 魔女なので目立ってしまうのです、多分。

「こんな時に箒でぴゅーって飛んでいければいいんですけどね……室内は飛行禁止ですし……仕方ないんですが……」

 それもこれもイルさんが悪いのだ。朝起こしに行ってみれば部屋はもぬけの空。何かの冗談かと思い部屋中を探し回って、それでもいなかった時は流石に少し途方に暮れた。

 書置きの一つでも残しておいてくれれば、こんなに苦労しなかったんですけどね……

「でもこれでいなかったら失踪ですよね……やっぱり昨日からの訓練が辛すぎて……? うう、そうとしか思えなくなってきた……」

 もし失踪していたら、責任は私に来るんだろうか。ナズナさんは許してくれるだろうか?

 嫌な予感ばかりが募る。イルさんと一緒にいる時はそんなでもないのに、一人になるといつもこうだ。悪い方、悪い方へと考えが引っ張られてしまう。

「私、一人じゃダメダメですね……イルさんにも残念って言われて当然かも……」

 はあ、と溜息が漏れる。

「昨日の会合でも散々弄られたし……期待に応えるって大変だなぁ」

 そうこうしているうちに訓練場が目に入ってきた。

「…………」

 しばし躊躇した後、意を決して室内に入る。中ではいつものように見習い騎士等が訓練に精を出していた。まだ午前中なのに感心な事だ。

「それで、イルさんは……っと、あそこなんだろう?」

 室内をぐるりと見渡すと、一角に人だかりが出来ていた。それも声をあげたりすることもなく、ただ集まっているという感じだ。

「……?」

 何事かと思い近寄ってみると、皆一様に何かに見入っているようだ。その視線の先にはものすごい速度で打ち合う二者の姿。

 一人は騎士装束の女性。もう一人は全身を黒く染め上げたような格好の――

(って、イルさんじゃないですか……!?)

 声をあげそうになるがぐっと我慢。周りの人達と同じように観戦に集中する。

(昨日はボロボロになってましたけど、何だか普通に打ち合えてますね……?)

 よくよく見ると、二人とも涼しそうな顔をしながら踊るように打ち合っている。騎士装束の方が昨日言っていたウメさんなのだろう。一方のイルさんが真っ黒なのは加護を防御用に使っているからだろうか。相変わらず器用なものですね。

 というかイルさん、王国最強相手にあれだけ打ち合えるんですか……昨日は鈍いとか言ってすいませんでした……

 しばしぼんやりと観戦していたが、突然ウメさんの方が動きを止める。

「よし。ここまでだ」

「はい」

「一日にしては良い塩梅に仕上がっていると思う。次の訓練に行っても問題ないだろう」

「ふぅ……ありがとうございます」

 どうやら、あれは本訓練前の小手調べだったようだ。

 小手調べであれって……昨日の訓練だけでどれだけ強くなったんですか……?

「次は加護も混ぜた実戦訓練に移ろうと思う……っと」

 ウメさんはそこで初めて周りの観衆に気付いたのか、少し困った風に周りに言う。

「君達、昨日も言ったがあまりじろじろと人の練習を見るものではないぞ? それにこの子は少し特殊なんだ。配慮してもらいたい」

「あ、ご、ごめんなさい……!」

 注意され散っていく観衆の騎士達。私だけがぼんやりとそこに立ち尽くす。そんな私にもウメさんが注意しかける。

「ほら、君も戻って」

「あぅ……えっと……」

 おろおろと狼狽えてしまう。初対面の相手にどう説明したものか……そんな私に気付いたのか、イルさんが助け舟を出してくれた。

「あ、待って下さい。こいつは俺の連れです。というか元凶です」

「ほう……?」

「元凶ってなんですか!?」

 会って早々扱いが酷い。人を何だと思っているんですかね。この異世界人は。

「間違ってないだろ」

「ま、まあ、間違ってはなくもないですが!」

「お前のせいでちっこくなったり髪がずるずる伸びたりしたしな?」

「そ、それは私のせいではなく加護の……」

「いや、全部お前が悪い」

「わ、私は悪くない……ですよ……?」

 そんなやり取りを見てウメさんが苦笑する。

「何というか、君達仲が良いな……?」

「仲良くないです。ただの腐れ縁です」

「辛辣ですか!? もう四日間ずっと一緒だったっていうのに! 一緒に寝た日もあったのに!?」

「一緒に寝たとか言うな馬鹿! 誤解されるだろうが!?」

「事実ですし! 二回も寝ましたし!」

「ああもう、馬鹿! ピンク馬鹿! ウメ先生、違いますからね!? 寝たといってもそういう男女のアレではないですからね!?」

 力説するイルさんだったが、ウメさんの苦笑は深まるばかり。

「あー、何だか分からないが、君達の関係を一から説明してもらえないだろうか。何がなんだかさっぱりだ……」

 

 

「……なるほど。そこのエニシダちゃんが召喚して今までお世話したと」

 俺がこれまでの経緯を一通り説明し終えると、ウメ先生は納得したようだった。それにしてもエニシダをちゃん付けとは。ウメ先生意外とお茶目だな……

「途中でエニシダが無駄な説明もしましたが、そこはどうでもいいので忘れてください」

「あ、ああ……」

「どうでも良くないですからね!? イルさんのずぼらーな所とかもちゃんと説明しないと、ウメさんが困りますからね!?」

「何度も言うが、俺はずぼらじゃない。面倒が嫌いなだけだ」

 相変わらず失礼な奴である。まだ何やら言いたげにしているが、もうこいつは放っておこう。話がこじれそうだ。

「まあそれはどうでもいい。ウメ先生、今日は何をするんです? 何か実戦訓練とか言ってましたが」

「ああ、実戦訓練、具体的に言うと君の加護を絡めた戦闘スタイルの確立だな」

「戦闘スタイル……」

「君には昨日までの基礎訓練の経験も踏まえて武器の再選定から加護の使い方、それをここで固めていってほしいと思う。害虫相手に試行錯誤しなくて済むようにな」

「なるほど、武器からですか……」

「そうだ。昨日からの訓練を踏まえて、再度選んでみて欲しい。今度は君自身で選んでみるんだ」

 そう言うとウメ先生は昨日と同様に準備してあった武器を持って来てくれた。無論全部本物である。

「うーん……」

 唸りつつも武器を物色してみる。ウメ先生は長物が良いって言ってくれたし、長物から選ばないとな。しばし、がちゃがちゃと武器と戯れる。

「ああ、これがいいかな?」

 数分後、一本の得物を見つけ俺は満足した。その長物は訓練用の槍よりも長く、大体二メートルくらいだろうか、槍先の横に斧頭と鉤爪を備えた、より実戦的で技量が必要とされる武器――

「なるほど、ハルバードか。悪くない選択だな」

 そう、ハルバードである。昨日の打ち合いでも槍だけでは対応できない状況に何度か出くわし、どうにも歯痒い思いをしていたのだ。これならばあらゆる状況に対応できるだろう。

「ちょっと試しに使ってみてもいいですか?」

「ああ、そこの木人を使うといい」

 ハルバードを構え、木人と対峙する。まずは試しに振り回してみるが、長さも重さもちょうどいい。経験を積んだからだろう。丁度訓練用の物では物足りなくなってきていたところだ。

 しばし馴染ませるために振り回し続ける。……そろそろ調子が掴めたので木人に攻撃してみよう。

「――せいっ!」

 突く切る払うの槍の基本に加えて、叩き付ける、引っ掛けるといった動きも入れてみる。

 うむ、悪くない。選択肢が増えるというのは良い事だ。

 これまた昨日の訓練の成果か、最初とは比較にならない速度で武器を振るう事が出来ている。筋力が一日で増えたわけでもないし、無心で武器を振るい続けたことで無駄な動きが削ぎ落とされた結果だろう。強くなるというのは純粋に嬉しいものだ。

 そんな上機嫌な俺の猛攻によって木人はみるみると体積を減らしていく。

 ……機嫌を良さそうにしている俺を見て、何故かエニシダは呆れかえっているな。

「うーわー……さっきも思いましたけど、ちょっとイルさん強くなり過ぎじゃないですか……? 新しい武器も何かすぐ使いこなしてるし……」

「いや、私も昨日練習しながら矯正はしたが、ここまで出来るようになるとは……戦闘未経験という割にはハルバードの使い方まで知っているみたいだし……」

 ウメ先生まで少し困惑している。何でだろう。ハルバードくらい、最近のゲームやらなんやらでは腐るほど見るだろうに。動き方もそこから取り入れているだけだし……

(ああ、そういえばこっちにはそんなものなかったな……っと!)

 仕上げとばかりに斧槍を全力で叩き付ける。受けた木人は派手な音を立てて粉々になってしまった。

「ふぅ、すっきりした……って、エニシダどうかしたか?」

 そんなスッキリした俺を見て何か悲しげなご様子のエニシダさん。

「うぅぅー、イルさんが一日見ない間に遠い所へ行ってしまいました……」

「いや、ここにいるからな?」

「あの頃の愛玩動物のようなイルさんは何処へ……」

「それいつの話だよ!? 記憶を捏造するのはやめろ!」

 言うに事欠いて愛玩動物とか……ああでも、こいつ最初は俺のことペットかなんかだと思ってた、とか言ってたっけ。

「あ、愛玩動物……ふ、ふふ……」

「ウメ先生!?」

 ウメ先生にまで笑われてしまった。余程ツボに入ったのか苦しそうにお腹を押さえてるし……

「……エニシダ。お前のせいで俺の風評被害が広がっているんだが、どうしてくれようか?」

「わ、私は何も悪い事言ってないじゃないですか。これは必然です!」

「す、すまない。予想外の言葉が出て来たもので、つい……ふ、ふ」

 少しだけ持ち直したウメ先生が必死に弁明してくれる。同じピンクなのにこの差は何なんだろうか。

「俺、そろそろお前と縁切ってウメ先生に鞍替えしようかな……」

「い、イルさん!? 何を仰っているのです!?」

「俺はお前と漫才するために召喚されたんじゃないんだよ!」

「ま、漫才って……私との会話の何処に漫才要素が……?」

「全部だよ! ウメ先生見てみろよ! これが一般人の反応なんだよ!」

「って、あら? ウメさんお腹を押さえて何を……?」

 今更気付いたのか、ウメ先生を不思議そうな顔で見つめるエニシダ。俺なんかよりこいつの方がよっぽど鈍いよなぁ。

「というか、本当にウメ先生大丈夫ですか……? なんかさっきより酷くなってますけど」

「き、君達のやり取りが、ふっくく、ふふふ、絶妙で、ぷぷふ……」

 更にツボってしまったようだ。ちょっと待たないとこれは無理だな……

 

 

 ――数分後

「すまない。本当にすまない……」

「いえ、謝らなくてもいいので……」

 完全に持ち直したウメ先生は赤面しながら何度も何度も頭を下げてくる。よっぽど恥ずかしかったのだろう。耳まで真っ赤である。

「何というかさっきのは君達の呼吸というか、距離感がぴったり過ぎて本当に危なかった……」

「えへへー、それほどでも……」

「いや、褒められてるわけじゃないからな? そろそろ自覚持とうな?」

 別に俺達は漫才で成り上がろうとかそういうのではないのだ。誕生花の相性もこんなところまでばっちりじゃなくても良いだろうに……

「エニシダに話の腰をへし折られましたが、そろそろ次行きましょうウメ先生」

「あ、ああ……武器の選別も終えたし、次は加護を絡めた戦闘スタイルの確立だな」

「それなんですが、俺の能力だと何すればいいのかさっぱり分からないんですが……」

 加護を絡めた戦闘。正直言って俺の能力は出来る事が中途半端に多過ぎて、どういう風に戦うべきなのか見当も付かない。せいぜい、思い付く事といったら武器に纏わせてぶった切る事や、固めた影をぶん投げる事くらいである。

「参考までになんですが、ウメ先生は加護を使ってどういう風に戦っているんです?」

「私か? 私の加護は身体強化と観察眼に特化しているから、あまり参考にならないかもしれないが……まあ見せておこう」

 そう言うと、ウメ先生は腰に帯びていた自前の刺突剣を抜き放ち、木人と対峙する。

「まあまずは基本のエンチャントからだな」

 言うや否や刀身が光り輝いてゆく。普通の加護だとあんな風に綺麗になるんだなー。俺もああいう綺麗なのが良かった……

「これに身体強化と魔力放出を合わせると、こうなる」

 次の瞬間、魔力を伴った剣閃が木人に叩き付けられたようだ。ようだ、というのは全く目で追う事が出来なかったためである。木人も上半身がどっか行っちゃったし、確認しようがない。

「あの、凄すぎて全く参考にならないんですが……他には何かないんでしょうか……」

「他にか……いつもやっている事といったら後は移動方法くらいなんだが」

 そう言うとウメ先生、今度は別の木人に狙いを定める。

「こんな風に魔力を吹かして移動したり……」

 猛スピードで木人の周りを回るウメ先生。目が回ったりしないんだろうか。

「後は魔力の足場を蹴って敵を撹乱したり……」

 回っていたかと思うと今度は急に方向転換。木人の周りを飛び回りながらザクザクと削いでいく。方向転換の度に魔方陣が出ているから、あれを足場にして動いているのだろう。

「それで最後に死角からズドンっと」

 いい加減動きを追うのにも疲れた頃、ウメ先生は木人の後頭部から深々と刺突剣を突き立てていた。

「どうだろうか。こちらは参考になっただろうか?」

「はい、参考になりませんでした」

「そ、そうか……」

 しょんぼりしてしまうウメ先生。だが待ってほしい。あんな動きは正直言って無茶苦茶である。完全に人間を辞めた動きだ。あれの何を参考にしろというのか。

「ダメですよイルさん。頑張って見せてくれたウメさんが可哀そうじゃないですか」

 そんな俺とウメ先生のやり取りを見てエニシダが割り込んできた。

「そんな事言ってもな……あんな動き方真似できそうもないし」

「諦めたらそこで試合終了ですよ。というか、最初からウメさんみたいに動けるわけないじゃないですか」

「まあ、それもそうだが……」

「さっきの動きで見るべきところは二つ。魔力放出による高速移動。そして魔方陣を起点にした移動範囲の拡張。最初からウメさんみたいに組み合わせて運用しなくてもいいんです」

「なるほどなるほど?」

 そうやって分解してみると確かに単純な技術だ。それくらいなら俺にも出来そうな気がしてくる。

「なるほど、最初から完成形を出したのは悪手だったか……加護の使い方を教えた事など今まであまりなかったから勉強になるな」

「あうぅ、恐縮です……」

 ウメ先生もうむうむと感心している。どうやら魔力や加護の分野はエニシダの方が得意なようだ。伊達に魔女っ娘やってないってことか。

 ともあれやるべき事が定まったのは非常に喜ばしい。まずはその二つをマスターしてみよう。

「まずは高速移動か。何をイメージしたもんかな……」

「普通に魔力をぶわーっとだせばいいんじゃないですかね?」

「……よく分からないし、取り敢えずそれで」

 ウメ先生がやっていた事を思い出しながら、武器を構え木人と対峙。見据えながら移動を開始する。次に纏っている影を魔力として放出。咄嗟に思い付いたブースターの要領で燃やしていく。

 が――

「ダメだこりゃ……俺の魔力量じゃ移動用には足りなすぎるみたいだ」

 最初こそ勢いよく動けたが、すぐにガス欠になってしまった。纏っていた影の量では圧倒的に足りなかったようだ。

「大量の影をのんびり補給している暇なんて戦闘中は無いだろうし、高速移動は諦めるか……」

「でもでもイルさん、移動自体は出来てたみたいですね」

「ああ、ただ単に魔力を吹かすだけだから簡単だったぞ?」

「その感覚は忘れないようにしておいた方が良いですよ。組み合わせれば何かに使えるかもしれませんし」

 なるほど、一理ある。戦いにおいて技の引き出しはいくらあっても困る事は無いだろう。

 再度影を纏い、次の練習に備える。

「ええと、次は魔方陣を足場にして移動だったか」

「はい、ウメさんとは違ってイルさんの場合は影を固定できますから、それを足場にすればいいかと」

「わかった、やってみよう」

 エニシダのアドバイスを参考に空中に足場を作ってみる。イメージするのは黒い板切れ。大きさは手のひらサイズでいいか。取り敢えず三枚を影から出して空中へ固定させる。

「よっと」

 固定させた足場へ乗り移ってみる。が、しばらく乗っていると崩れてしまった。手のひらサイズの魔力量ではそんなにもたないようだ。

「ふーむ。やっぱりウメ先生みたいに足蹴にして方向転換する方がいいのか……」

 今度は纏った影を足先から分離して足場にする方法でやってみよう。向こうのゲームで散々見た壁キックや多段ジャンプの要領だ。

 足先から影を分離。今度は形には拘らないで取り敢えず蹴れるものとする。それを足場として跳躍、跳んだ先で更に影を固定し、それを足場にまた跳躍する。

「これはなかなか……」

 しばらく一連の流れを繰り返し感覚を掴む。空中を跳ねる感覚というのも悪くないものだ。慣れれば走り回る事も出来るかもしれない。

「おっと、ここまでか」

 纏っている影が尽きてしまった。仕方なく地上へと戻る。接地しないと影が纏えないというのは結構不便だな。だが、さきの魔力放出より格段に魔力の消費量が少ない。これは中々使えそうだ。

 魔力切れで戻った俺をエニシダが笑顔で出迎えてくれる。何故かすごく嬉しそうだ。

「おかえりなさいイルさん! すごいじゃないですか!」

「いや、ただ単に足場作って渡っただけなんだが……」

「いやいや、そう言いますが最初から一発でできる人なんてそういないですよ? なんでそんなホイホイできるんです?」

「あ、そうなの? 今の結構難しいの……?」

 聞き返すとエニシダもウメ先生もうんうんと頷いて返してきた。

「少なくともそういう芸当の出来る加護が無いと無理だろうし、仮に適性があったとしてもそこまで到達するのに一ヶ月以上はかかるな」

「おおぅ、俺すごいのか……ただの見よう見まねなんだけどなぁ」

 正直言って何がすごくて何がすごくないのか、こっちに来てから判断に困る事ばかりだ。だが、向こうでの経験が無駄にはなっていない感じがして、悪くない気分ではある。

「まあ、魔方陣での移動はこれくらいでいいかな。感覚は掴んだし、後は実戦でどう動くかってところだけだし」

 エンチャントについては既に出来ているので割愛する。ウメ先生程の威力は出せないが、現時点では出来るだけで及第点だ。威力は今後高めてけばいい。どう高めるかは後でエニシダにでも聞けばいいだろう。

「それで、他に俺の加護で出来そうなことって何だろうな? あと出来る事といったら槍ぶっ放したりする事くらいなんだけど……」

「うーん……あ、そうだ。一昨日も言いましたけど、影で糸を作るのはどうです? こないだは触れたら爆発とか思い付きで言っちゃいましたけど」

「ああ、そういやそんな事言ってたな」

 糸と来たか。確かに相手を拘束出来たら便利だろうし、何より糸はイメージしやすい。

 早速試してみよう。なるべく細くて長い糸をイメージ。ウメ先生が串刺しにした木人相手に絡ませてみる。程なくしてぐるぐるとミイラ男のようになっていく木人。

「むーん、この後どうしよう……」

 取り敢えず糸から魔力放出してみた。

「放出。……ってうおぁ!?」

 次の瞬間、木人は爆音をたて跡形も無く消し飛んでしまった。あれ、そんなに魔力は籠ってなかったはずなんだが……

「イルさん割とえげつないことしますね……」

「いや、せいぜい表面が焼ける程度かなって思ったんだけど、まさか消し飛ぶとは……」

 だがこれは使えそうだ。しかし問題は糸の強度がどれ位なのか、木人相手ではさっぱり分からなかったことだ。動く相手にやらないと本当に拘束できるのか判断が付きかねる。

「…………」

「イルさん? どうかしましたか?」

 ……ちょうどいい動く相手が目の前にいるじゃないか。

「……あのー、ひょっとしてなんですけど私で試そうとして――」

「拘束ッ!」

 気付かれそうになったので全力で糸をエニシダに殺到させる。

「ひゃあああ!? や、やっぱり!?」

 必死で抵抗するエニシダだったが、健闘も空しく立ったままぐるぐる巻きになってしまう。一度に無数の糸を出せば素早く拘束できそうだな。メモメモ。

「ば、爆殺は嫌ですー!」

「お前は何を言っているんだ……ちょっと破れるかどうか試してみてくれないか?」

「え? あ、はい。やってみますね……?」

 指示した次の瞬間には拘束はあっさりと破られてしまった。一本一本に魔力がそれほど込められてなかったのが原因だろうか。

「……ありゃ、意外とやわっこいですね。この影」

「むー、お前にあっさり破られるんじゃ実戦投入は無理だな……」

 影の糸で拘束するのは残念ながら現段階では実用的ではなさそうだ。魔力を込めた強靭な糸なら大丈夫なのだろうが、それだと拘束するのに時間が掛かり過ぎるし、逆だと今のように拘束すらできない。

 技術自体は何かに使えるかもしれないのでちゃんと覚えておこう。

「俺の影の性質について少しは分かったし、他に何か考えるか」

「……すまない。一つだけ提案があるんだが」

 そこでウメ先生が割って入ってきた。

「私と戦いながら加護の使い方を探すというのはどうだろうか?」

「ウメ先生と……?」

「ああ。戦いながらなら今みたいにはずれを引いてもすぐに修正できるし、何よりこういうものは動いていると自然と閃くものだ」

「そういうものなんですかね……」

「そういうものさ。私を信じてほしい」

 そう言うとウメ先生は得物の刺突剣を抜き放ち、こちらへと近づいてくる。

 ……あれ、もしかしなくても本気モードです……?

「え、えっと、練習用の武器じゃなくていいんです? 俺、ウメ先生に攻撃されて無事でいる自信が無いんですが……」

「おっと、忘れる所だったな。……これを身に着けるんだ」

 そう言うとウメ先生は何かを投げて寄越してきた。何とかキャッチしてしげしげと眺めてみる。これは腕輪だろうか……?

「私が常に装備している防御の腕輪だ。限界まで鍛えてあるから、生半な攻撃では傷も負わなくなる逸品だぞ?」

「おー、そんな物が……」

 促されるがままに装備する。特に守られている感覚などは無いが、攻撃された時に機能する感じなのだろうか。

「よし、準備は出来たな。――行くぞ」

 次の瞬間、ウメ先生は魔力放出によって一瞬で距離を詰めてきた。

「って、相変わらずいきなりですね!?」

 刺突剣による連撃を何とか斧槍でいなす。昨日とは違い得物のリーチに差がある為、懐に入られると非常に苦しい。何とか距離を放そうと、連撃の合間に苦し紛れの蹴りを放つ。

「見え見えだぞ?」

 そんな蹴りも軽々と避けられてしまう。カウンターで後頭部へ柄の打撃が強かに打ち付けられる。

「ごふっ!?」

 腕輪のおかげで痛みはあまりないが、衝撃はちゃんと届いているようで視界がぐわんぐわんと揺らぐ。これは不味い。咄嗟の判断で自身の周りに影を展開。そこから無数の槍を勢いよく生やす。

「おっと、危ない危ない」

 バク宙でひらりと躱すウメ先生。だがこれで距離が開いた。かぶりを振って視界を回復させた後、地面を蹴り追撃に入る。今度はこちらの攻撃範囲に上手く入った。

「どぅりゃああ!」

 なりふり構わず攻勢に入る。ここぞとばかりに全力の乱撃をウメ先生めがけ放つが、全て紙一重で躱されてしまう。

「そら、隙だらけだ」

「ぐっ!? がはっ!」

 しかも一瞬の隙を突かれて喉笛に刺突剣を突き立てられてしまった。加護や腕輪が無かったらここでゲームオーバーだったぞ……

 しばし呼吸が出来ずに苦しんだが、何とか回復させる。そんな俺を見ながら悠然とウメ先生は待機している。どうやら一撃だけで済ます程度には手心を加えてくれているらしい。

 ……しかしなんだ。この人、加護もあると化け物のように強いな……昨日にも増して攻撃が当たらないし、何よりすり抜けてくるように来る一撃が全く見えない。

 まあ王国最強だから当たり前なんだろうが、流石にちょっと抗議せざるを得ない。

「先生! もっと手加減してくださいよっ!」

「いや、これでも十分手加減してるぞ?」

「にしてはこっちの攻撃がかすりもしないんですが!?」

 これは後で知った事だが、この時ウメ先生は相当に手加減してくれていた。実際に本気を出されていたら初撃で頭が柘榴のように弾け飛んでいただろう。研鑽を重ね、極まった攻撃の前には腕輪による防護など紙にも等しい。

 だがこの時のいっぱいいっぱいだった俺にはそんな事など分かるわけも無い。

「なに、昨日からの君の上達具合ならすぐに合わせられるはずだ。艱難汝を玉にす、と言うじゃないか。立派に超えていってほしい」

「やっぱりスパルタだよこの人……!」

 くそっ。ウメ先生は現時点では貴重な一般人枠だと思ってたのに、ただのスパルタンXだったよ……

 いやまあ、昨日の時点で大分スパルタだとは思ってたけどさ。見て見ぬふりをしてきたけどさ。

「お喋りはここまでだ。続きをやるぞ」

「くっ……!?」

 またしても会話をぶった切り、魔力放出で距離を詰めてくる。移動しながらの刺突を辛うじて躱す。そのまま移動したウメ先生に背後を取られてしまう。

(後ろ……! っていない!?)

 振り返り攻撃に備えるも、そこにウメ先生の姿は無く、

「上だ」

「ぐっ!?」

 再度頭部へ柄が叩き付けられる。今度は踏み止まる事が出来ず、そのまま頭から倒れ込んでしまう。今のは移動後に空を蹴って瞬時に頭上を取られたか。

 二度目の打撃で流石に意識が飛びかけたが、気合いを入れて何とか立ち上がる。

(それにしても、だ……)

 魔力放出による高速移動。あれが厄介過ぎる。どうにかして封じないと、一太刀まともに浴びせる事も出来やしない。何か良い案はないか。

(と言っても俺に出来る事なんて、影を色々弄るくらいしか……)

 油断なく武器を構えながら、俺自身の加護の詳細について思い出してみる。

 固化。液化。気化。魔力による変質。

 ……気化? そういえばそんな事も出来たな。最初は便利かもと思ったが、ここまで使ってこなかった要素だ。これで何か……

 ――ああ、何か閃いちゃったぞ。これなら勝てるかもしれない。

 思い付いたら即実行である。まずは加護と魔力全てを気化させていき、俺自身の周りに濃密な霧として纏わせていく。視界が確保できなくなったがまあ仕方ない。必要経費である。

 そんな俺の様子を見てウメ先生はほう、と息をつく。

「どうやら何か思いついたみたいだな?」

「ええ、ウメ先生の攻撃、次は必ず見切って見せますよ」

 ……厳密には見切る策ではないが、ミスリードを誘う意味でもここは自信満々に宣言しておくとしよう。

「……言うじゃないか。では見せてもらうとしよう」

 三度、魔力放出で距離を埋めてくる気配を感じる。だがこの策では相手の動き方などどうでもいい。攻撃される瞬間に全神経を注ぐ。

 程なくして喉笛を刺突剣が捉える感覚が来る。纏った濃霧に惑わされることなく、ピンポイントで捉えてくるあたりは流石の技量か。

(――今だッ!)

 だがそれも今は重要な事ではない。喉に来る衝撃を歯を食いしばって耐える。そして糸でエニシダをぐるぐる巻きにした時とは違い、全魔力を注いで濃霧を即座に固化させた。

 ……よし、刺突剣をがっちりとホールドする事が出来たぞ。

「ぐっ!? 抜けん……!?」

 流石に全魔力を投じればそれなりの強度にはなるようだ。状況を把握され拘束から抜けられる前に、急いで刺突剣と装者を分断しなければ……!

「くっ……!」

 即座の判断で魔力放出し、拘束から抜け出そうとするウメ先生。だがこちらの方が一手早い。魔力が放たれる前に片手で腕めがけ斧槍を振るい、もう片方の手で影に包まった刺突剣を引き寄せる。……間一髪で武器を奪取することに成功。

「ごほっ、がはっ! ど、どうですか……やりましたよ……!」

 奪い取った刺突剣を影に突き立て勝利宣言をする。打ち合ったのはほんの数合。それも全魔力を用いての武器の奪取という無理矢理な勝ち方。加えてむせこんでいてと大変無様な形ではあるが、勝利は勝利だ。

「……参ったな。私も色んな相手に稽古を付けてきたが、武器を奪われたのは流石に初めてだ……」

 そんな俺を見てウメ先生は呆れたような困ったような、そんな笑顔を浮かべるのだった。

 




ウメ先生のあの動きは実際に戦うと本当にヤバイと思ふ。


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六日目「実戦訓練:街道における害虫との戦闘」

がちょがちょいきます。引っ越し作業に終わりが見えてきました。


「……それでだな。どうしてこうなったんだろうな」

「イルさんイルさん。お握りですよ。はい、あーん」

「何があーんだ、誰が食うか。飯よりも唐揚げ寄越せ唐揚げ。あむあむ」

「ああっ!? それは私の唐揚げですよ!?」

「私は戦いを通じて戦闘スタイルを確立してほしいと思ったはずなんだが」

「お前のだったらちゃんと名前でも書いておけ。あぐあぐ」

「ああっ!? 二個目も!? ウメさん! イルさんが横暴です!」

「……君達、人が話してるのに何を……って、もう唐揚げが無い……だと……」

 場所は移ってここは訓練場の準備室。少し早めのお昼ご飯をみんなで頂く。魔力がすっからかんになって動けなくなった俺を見かねたウメ先生が、先に休憩を取ろうと提案してくれたのだ。

「魔力がごっそり無くなるとこんなに腹が減るなんてなー」

 振舞われているのはウメ先生御手製のお弁当だったが、その殆どを俺が平らげていた。弁当の中身は梅のお握りに沢庵、唐揚げといった極々シンプルかつ定番な内容であったが、今の俺にはそのどれもが有難かった。何というか、定番のほっとする味っていいよね。

 仕上げとばかりにお茶をぐびりと飲み干す。

「ふぅ、人心地ついた……」

「わ、私の唐揚げ……」

 見るとエニシダが呆然と弁当の残骸を眺めていた。唐揚げが取られたのが相当ショックだったようだ。うむ、魔力回復のためだ、許せ。

「ま、まあ、唐揚げはともかくだ。食事に夢中で聞いていなかったようだし、もう一回言おうか」

 ウメ先生は呆れつつも俺達に問いかけてくる。さっきも何か言ってたのか。全く気付かなかった……

「君の戦闘スタイルを定着させるための稽古だったはずなんだが、何故いつの間にか勝敗を決するような戦いになっていたんだろうな……?」

「うーん? 何ででしょうね……?」

 二人して「はて?」と首を傾げる。そんな俺達を見てエニシダがげんなりしたような顔で言う。

「二人とも熱くなり過ぎなんですよ……傍から見てて思っていましたが、あれは最早稽古ではありません……違う別の何かですっ……!」

「えっ」「えっ」

「えっ、じゃないです! 防御の腕輪が無かったらイルさん何回死んでると思ってるんですか! というか、最後の剣を取り上げた技だって死なないの前提じゃないですか!?」

「いやぁ、それほどでも……」

「褒めてないですからね!?」

 キレッキレのツッコミを披露してくれるエニシダ。俺達の漫才も更なる高みへと昇華してきているな。感慨深いものだ……いやまあ別に、更なる高みを目指しているわけではないのだが。

「とにかく! ウメさんとの稽古はもう駄目です! 保護者として許可できません!」

「お前はいつ俺の保護者になったんだ……?」

「むう。保護者殿が言うのでは仕方がないな」

「って、先生も乗っからないで下さいよ!?」

「ふふっ、まあまあ。先の稽古で君がどう動けばいいのかは大体教えられそうだしな。加護ありで手合せしてよく分かった」

「えっと、先生何かわかったんです?」

「ああ、君の戦闘スタイルなんだが、そんなものは『無い』というのが分かった」

「俺には『無い』……?」

 どういうことだろう。現時点で俺には何もないということは自分でよく分かっているが、他人にズバリと言われるとちょっと堪える……

 ちょっとだけしょんぼりした俺に弁明するかのようにウメ先生は続ける。

「ああ、気を悪くしないでほしい。言い方が悪かったな……君には戦闘スタイルなんて必要ないって事なんだ」

「必要ない……」

「そう。君の影は恐らく万能だ。成長すれば千変万化する状況にことごとく対応できるだけの可能性を秘めている。だから、戦闘スタイルといった型にはめる事で可能性を潰すのは惜しい、そう感じた」

「なるほど……?」

 よく分かるような、分からないような……つまりさっきみたいに好き勝手やればいいって事かね?

「……ただまあ、全魔力を使い切るような真似はやめた方がいいぞ? 稽古だったから良かったものの、害虫相手だったら魔力切れは即、死へと繋がるからな」

「肝に銘じておきます……」

「えっと、という事は稽古はもう終わりなんです?」

 俺の代わりにエニシダがウメ先生へと問いかける。こいつにとってはそっちの方が重要なようだ。

「ああ、その必要ももう無いだろう。基礎は十二分に教えたし、後はイル君の心構え次第だ」

「ああ、よかった……」

 ほっと胸を撫で下ろすエニシダ。なんだろう、こいつがこんなに心配してくれるなんて予想外だ。いやまあ、俺を気にかけてくれているのは以前から分かっていたんだが、こうも素直な反応を見せてくれるとは……

 さっきは唐揚げ食べたりしてごめんな……

「もうこれでボロ雑巾になったイルさんをお世話したりしなくてもいいんですね……!」

 前言撤回である。人をボロ雑巾呼ばわりする奴に食わせる唐揚げなんぞ無い……! 何でこいつはいらんところで人の評価が微妙になるようなことを言うのだ。当の本人は嬉しそうなのが本当に始末に困る。ウメ先生も「ボロ雑巾……?」とか言って困惑してるじゃないか。

 ……変な空気になりそうだし、話題を変えようそうしよう。

「あーあー。稽古はもういいんだったら今日はこの後どうするんです?」

「あ、ああ。この後は街道へ出て害虫相手に実戦訓練といこうかと思っていたんだが、イル君はいけそうか? 無理そうだったら明日にするが」

「いえ、俺は大丈夫です。ご飯食べたら少しは魔力も回復したみたいですし、雑魚程度だったら何とかなるはず……」

「そうか、ならすぐ移動するとしよう。行き先はフォス街道だ」

 

 

 場所は変わってフォス街道……から少し離れた草原。

 色取り取りの花が咲き乱れ、一年を通して桜舞い散る領域はブロッサムヒルにおいてはごくありふれた日常風景。だが俺にとっては全てが珍しく、色鮮やかに映る光景である。

「さて……着いたぞ」

 そう何処かへと声を掛け、乗ってきた馬から降り立ったウメ先生。その様は非常に堂に入っていて、優美なことこの上ない。百戦錬磨の騎士様ならば乗馬など朝飯前なのだろう。

「はいはいー」

 そして、その声に導かれるように空から降りてくる箒、もとい魔女。もちろんエニシダである。こちらもまた危なげなく、ふいよふいよと目標地点へと着地。

「さあ、イルさん着きましたよー。……ってあれ?」

 エニシダは同乗者に声を掛け到着を伝える。が、そこで意外なものを見てしまったようで。

「つ、着いたか……? もう目を開けても大丈夫か……?」

 ……具体的に言うと、目を固く閉じ、エニシダへとぎゅっと抱きついている俺の姿だった。全身を影で包んで完全防御の構えだ。

 郊外へ移動するにあたって、乗馬経験など無い俺は仕方なくエニシダの箒に相乗りしてきたのである。最初は名案だと思ったのだが、どうも自分の性能を過剰評価していたようだ……

 そんな俺を見てエニシダはによによと笑う。

「ははーん? イルさん、もしかしなくても高所恐怖症だったんですね?」

「わ、わわ悪いか! 怖いもんは怖いんだよ!」

 そうなのだ。自分の高所恐怖症をすっかり失念していたのだ。

 乗る前は加護があるから大丈夫だろうと高を括っていたのだが、人のトラウマなどそう簡単に覆るはずも無く。結果、このような醜態をさらす羽目になってしまった。

「どおりで最初からなんかぎゅーってしてくれてるなぁって思ってたんですけど、高い所がダメだっただなんて……ほうほう、これは良い事を知っちゃいました」

「くそっ、現状で一番知られたくない奴に知られてしまった……!」

 思わずぐぬぬと歯噛みしてしまう。だがそんな俺の様子がエニシダには心底不思議なようだ。

「それにしても意外です。さっきの練習では空中もホイホイ動けてたじゃないですか。何で私と一緒に飛ぶのはダメなんです?」

「……お前さ。落っこちたら確実に死ぬような高度で、問答無用でハイスピード出された俺の身になってみ……? 高所恐怖症でそんな体験したから、ショック死するかと思ったぞ……!」

 そう、こいつはあろうことか「イルさん外出るの初めてでしょうから、高い所から街並みでも見てみましょうかー」などと能天気にのたまい、俺の返答も待たずに急上昇。恐怖で固まる俺を背に、ウメ先生から離れない速度(馬並み)で空中散歩を体験させやがってくれたのだ。例えるなら何の心の準備もせずにバンジージャンプをさせられたに等しい。

 同じトラウマ持ちなら分かってくれるはずだ。この恐怖が。絶望が。

 あれ、俺は今誰に向かって話しているのだろう……

「おかげで折角の異世界の街並み初体験がおじゃんだよ……缶詰からの解放……シャバの空気……」

「…………」

 そこまで説明して、ようやくやらかしてしまった事に気付いたエニシダさん。しばらくわたわたと何事か思案していたようだが……

「あの、イルさん。えっと……その……」

「…………」

「ごめーんね☆」

 ……きゃるーんと擬音が聞こえそうな態度&ポーズで謝ってきた。思案の末、魔女っ娘だから可愛く行けば何とかなるとでも思ったのだろうか。斜め上過ぎる発想である。

 何というかもう、本当に、こいつは……!

「何だこの野郎! 馬鹿野郎!」

「あっあっ!? いふぁい! やめふぇ! ほっぺふぁ! あぅああぁ! じょうふぁんです! じょうふぁん!」

 いつぞやと同じようにほっぺたをこねくりまわしてやる。前回よりも念入りに、かつ執拗にぐりぐりと。

「ふーっ、ふーっ……」

「あぅ……ふぁぁっ……」

 数分後、そこには全力を尽くして倒れ伏した俺と、完全にオーバーキルされ両頬が真っ赤になったエニシダの姿があった。戦いというものは残酷なものである。

 そんな俺達のやり取りが終わった頃合いを見計らって、ウメ先生がおずおずと近づいてきた。

「……あの君達、もう終わったか? ここに来た意味を忘れているとかは……?」

「は、はい、俺は大丈夫です……こいつが馬鹿な事やったせいで無駄に体力使っただけです……」

 ……着陸からこっち、エニシダにかかりきりで忘れていたなんて言えない。

 だがそんな俺の思考を知ってか知らずか、ウメ先生は感心したように続ける。

「何というか本当に、君達は放っておくとすぐに言い争いを始めるんだな……いや、言い争ってもいないか……? 何だろう、姉弟喧嘩……? やっぱり漫才……?」

 先生、その感想はすごく正しいんだろうけど、まったく嬉しくないです。あと姉弟じゃなくて兄妹にしてください。

「おほん、まあそれはともかくだ。今から虫寄せの香を焚いて害虫を呼び寄せるぞ。この辺りのものはそれほど強くはないが、用心してかかる事だ」

「は、はい」

 そう言うとウメ先生は香を焚きにかかった。たちまち独特な匂いが周囲に立ち込めていく。俺も言われるがまま、香から離れて武器を構える。見ればエニシダもようやく回復したのか、のろのろと立ち上がり俺の後ろに隠れるように移動してきた。

「……いや、何でお前俺の後ろに来るの?」

「え? いや私、後方支援専門ですし……というか今回はイルさんの訓練だし、私が手を出しちゃダメじゃないですか?」

「ちっ、気付いてたか……囮くらいにはなるかと思ったんだが……」

「さらっと物騒な事考えてた!? イルさん私のこと嫌いなんですか!?」

「いや、割と好きだけど? けど、使えるものは使わないと勿体無いというか……」

「妙な勿体無い精神は捨ててください! あと好きって言ってくれてありがとうございます!」

「べ、別に好きじゃないぞ!? 割と好きって言っただけだぞ!?」

「何でそこで動揺するんですか……!?」

 そんな軽口を叩きながら時間を過ごす。そんな俺達のやり取りにももう慣れたのか、ウメ先生は苦笑しながらも涼やかに臨戦態勢で待機してくれている。万が一の事が起こらないように訓練官としての責務は果たしてくれるのだろう。頼もしい限りだが、出番をあげるわけにはいかない。これは俺の訓練なのだから。

 そうして待つこと十数分。草原の彼方からソレは一目散にこちらへ飛んで来た。

「あれが害虫……」

 匂いを嗅ぎつけ寄ってきた害虫は全部で五匹。大きさは俺より少し小さい程度。ブブブブと耳障りな羽音を立てながら、香の周囲を探るように飛び交っている。こちらに気付くのも時間の問題だろう。

「あれはヨワ虫ですねー。ただの雑魚ですからイルさんなら余裕かと」

 そうエニシダは分析してくれているが、何分初めての害虫である。想像以上に大きいし羽音は五月蠅いしで、ちょっと気後れする。何故かあまり恐怖心は湧かないが、これは多分加護のおかげか。

「まあでも、訓練だしなぁ……ちゃちゃっと倒して終わりにしようかね」

 こういう場合、何は無くとも先手必勝だ。匂いに気を取られているうちに殲滅するのが一番だろう。

 そうと決めたら行動あるのみ。最大限、力の限りに跳躍し、一息で彼我の距離を詰める。一薙ぎで間近にいた三匹を切り潰す。残った二匹はそこでこちらに初めて気付いたようだ。

(害虫って言うからもっと機敏かと思ったが、意外と遅いな……?)

 返す刀でもう一匹を切り伏せる。最後の一匹は逃げようとしたため、背後から影の槍を投擲。これもあっさりと命中。結果、五匹の死体だけが後に残った。害虫の破片が斧槍にこびり付いていたので、ブンッと振り回してこれを払う。

「なんか、大したことなかったな……」

 思わず落胆の言葉が漏れてしまう。正直言って拍子抜けである。

「いやまあ、ヨワ虫ですし……というか、イルさんが強くなり過ぎたってのもあるんですけど。普通だったらもうちょっと苦戦するはずなんですが……」

「ウメ先生みたいに死ぬ気でかからないといけないかと思ってたんだがな……」

「それは比較対象が悪すぎますからね!? 何でヨワ虫如きと王国最強を秤にかけてるんですか!?」

 そんな事言われてもなー。他に戦ったことあるのいないし。

 微妙に肩透かしをくらったような俺を見て、ウメ先生が涼やかに声を掛けてきた。

「どうも不完全燃焼なようだな、イル君」

「ええ、まあ……」

「そんな君に朗報だ。次の挑戦相手が来たようだぞ」

 ずびしっとウメ先生が別の方角を指さす。釣られて指された方向を見ると、遠方から別の害虫がこちらへ突進して来ているのが見えた。一見すると三本角がある馬鹿でかいカブトムシのお化けのようだが……

「あれ本で見たな。何て言ったっけか……」

「あー、あれはトライサンボンですね。お腹を空かせて寄って来たみたいですねー」

 見ると確かに口元からだらだらと涎を垂らしながらこちらへ向かってきている。食いしん坊か。

「あのまま放っておくと近隣の農家が荒らされそうですし。イルさん、ここはズバッとサンボンちゃんを倒しちゃってください!」

「言われなくてもやりますよ、っと」

 エニシダの言葉を背に、髪をなびかせながら駆け出す。にしてもサンボンちゃんって……何あいつ、愛されキャラなの? 害虫なのに……?

 少しだけ無駄な雑念に囚われたがすぐに振り払う。向こうも接近する俺に気が付いたのか、方向を変え真っ直ぐにこちらへ向かってくる。近づいて分かったが、体長は目測で俺の二倍程度ってところか。

 ……上等だ。力比べと洒落込んでみよう。

「――どっせいッ!」

 真正面から斧槍を大上段で叩き込む。その衝撃であちらの真ん中にある一番立派な角が圧し折れたが、それも意に介さず尚も突っ込んでくる。負けじと俺も叩き込んだ姿勢のまま踏ん張り押し止めようとする。がしかし、ずりずりと押されていってしまう。やはり膂力では拮抗できても、圧倒的な質量差はどうしようもないようだ。

 そんな俺が気に食わないのか、害虫は涎を撒き散らしながら吼える。

「ゴアアアアアアアッ!」

「ぐぬぅ……ッ!」

 このままでは止められそうもないので、叩き込んだ斧槍の先端へ力を込めその後に跳躍。相手の突進力も利用し、走り高跳びの要領で相手の背後へと回り込む。

「ゴアア!?」

 急に視界から俺が消えたせいで混乱したのか、見当違いの方向へと走っていくトライサンボン。しばらく走った後に立ち止まり、周囲をぐりぐりと見回している。

 ……確かに結構可愛いかもしれない。愛嬌ある食いしん坊って感じだ。

「ゴアアアアッ!」

 程なくして再度俺を見つけたトライサンボンが突進してくる。どうやらあまり頭は良くないらしい。突進しか攻撃手段がないようだ。それならば如何様にでも倒す手段はある。

「よし、それなら……」

 今度はこちらからは接近せず、近寄ってくるのを待つ。そんな俺の考えも関係なしに突進してくる害虫。ぶつかる刹那、影から厚さ一メートル程の壁を湧き出させる。回復した魔力の大部分を込めたため、強度はばっちりだ。

 ……よし成功。壁に頭から強かにぶち当たったようだ。

「ゴア!? ゴアアッ!?」

「おっと、これは予想外」

 見ると影の壁を残った二本の角が貫通していて、抜けなくなっているようだった。がしょがしょと足を必死に動かして逃げようとしているようだが、壁はビクともしない。あまりの必死さにほんの少しだけ憐憫の情が湧いてしまう。それ程までに見事に嵌ってしまっていた。

「お前に落ち度は全くないが、死んでもらう。悪く思うなよ」

 言語を解するとは思えなかったがそう言い捨て、もっとも柔らかそうな腹部へ渾身の刺突を放つ。

「グオアッ!? ガアア……ッ!」

 斧槍が中程まで飲み込まれたものの、確かに手応えがあった。斧槍を突き立てた地点から勢いよく血液――体液と言った方が本当は正しいのだろう――が噴き出し、こちらに降りかかって来る。それに伴い急激に動きが弱々しくなっていくトライサンボン。だが絶命にまでは至らない。何とか逃げようという動物的本能だろうか、全身を激痛で痙攣させながらも脚を動かすのをやめようとしない。このままでは相当苦しんで死ぬだろう。

 …………何となくだが、それは、嫌だった。

 たとえ害虫が人類の敵であろうとも、苦しんだ後に果てるのは理不尽だ。そんなのはこちらの世界では度し難い考えなのかもしれない。害虫に情けなど――と。

 しかしだ。俺にも少なからず矜持ってものがある。ひとかけでも憐憫の情を抱いた相手、せめてもの礼は尽くしてやりたい。

「……仕方がない。介錯してやる」

 斧槍を速やかに引き抜き、壁として展開していた影でトライサンボンを包んでいく。せめて一瞬で存在を消し去る方法。今の時点の俺ではこの方法しか思いつかない。害虫は抵抗らしい抵抗も出来ず、完全に影に包まれた。

「――放出ッ!」

 次の瞬間、周囲をつんざくような爆音、衝撃とともに巨体が爆ぜた。魔力放出による圧縮爆破である。衝撃の後に残ったのは焼け焦げた大地と肉の焼ける悪臭のみ。

 ……跡形も無くトライサンボンは爆殺された。他ならぬ俺の手によって。

「…………」

「……お見事だ」

 討伐を終えた俺に、近寄ったウメ先生が短く賛辞を送ってくれる。だがそんなものなど今の俺には不要である。今、命を自分自身で刈り取ったのだ。あの巨大だったモノの命を。嬉しさなんて微塵も湧いてこない。

「……イルさん? 大丈夫ですか? 顔が真っ青ですよ……!?」

 エニシダも俺を見てそんな風に声を掛けてきた。こいつのこういう表情なんて初めて見たかも。……大分心配させるような顔をしてるんだろうな俺は。

 ああ、大丈夫。大丈夫だから……あんまり不安そうな顔をしないでくれ。お前が不安そうにしてるとこっちまで不安になる。いつもみたいにほんわかしてろよ、まったく……

「――? ――――!」

 そんな風に声に出したつもりだが全く出ていないようだ。なんだこれ、くそっ。

「声、出ないんですか? ちょ、ちょっと、いつもみたいに悪態付いてくださいよ。イルさん……!」

「……初体験で大分ショックを受けたみたいだな。時間もあるし、少し休もうか」

 

 

「あっあー、あーあー、ふう……」

「もう声、出るみたいですね。良かったです」

 小一時間かかって声の不調はようやく治ってくれた。ショックで声が出なくなるとか、俺の体は想像以上にデリケートだったようだ。いや、この場合は精神か。どちらにしろ全くもって不甲斐ない。

「……心配させてごめんな、エニシダ」

「いえいえ、イルさんのお世話をするのは当然ですから」

 今この場にいるのは俺とエニシダだけだ。ウメ先生はというと、トライサンボンの討伐をもって実戦訓練も取り敢えずは問題ないと判断したらしく、一足早く報告の為に城へと帰っていっている。その際、

「私がいては体調の回復も遅れるだろうし、後は二人でゆっくりと帰ってくるといい。なに、私は空気が読める人間だからな」

 などと言っていたが、あれ絶対勘違いしてるよな。こいつとはそういうアレではないというのに。変な噂が広まらないといいんだが……

「それにしても本当にビックリしました。サンボンちゃんを一人で討伐したのはまだしも、その後声が出なくなるだなんて……」

「ああ、そうだな……」

 衝撃を受けたのは確かに事実なんだが、まさか声が出なくなるとは。初めての害虫討伐は予想以上に堪えていたようだ。

「あんなでっかい生き物をまるっと消し去るとか、人生初体験だったからな。声が出なくなっても当然かもしれない」

 ハッ、と自嘲めいた乾いた笑いがこぼれる。

「イルさん……」

「でも、もう大丈夫。もう慣れた、ことにする。これからもっともっと殺さなきゃいけないんだろう? ああいうのを」

 何しろ団長、もとい加護を受けて花騎士ってのにもなってしまったのだ。これからは手を汚さずにいられる訳がない。忙しく活動すればするほど、この手は汚れていくだろう。どうしようもない程に。

「…………」

 そんな俺の言葉にエニシダは黙ってしまう。良く考えなくても、こいつも花騎士なんだから害虫討伐なんて腐るほどやってきたはずだ。なのに、

「イルさんは、殺すとか、言わないで下さい……」

 ぽつりとそんな事を言われた。

「それは、どういう……?」

「イルさんはもっとお気楽に生きていてください! 殺すとか物騒な事はもう言わないで下さいっ!」

「おいちょっと待てそれは……」

「待ちません! 私の知ってるイルさんはずぼらで、皮肉屋で、どこか抜けてて――」

 がばっとこちらに向き直りまくし立ててくるエニシダ。その表情は真剣そのものだ。

「そんな風に体中返り血塗れで、もっと殺さなきゃいけない、とか言うような人はイルさんじゃありませんっ……!」

「……!」

 痛い所を突かれた。二の句も継げずに今度はこちらが黙ってしまう。

「だから、イルさんが今度思いつめるようなことがあったら私が助けます。絶対に。何があっても」

「……そうか、ありがとな。ちょっとどうかしてた」

「ちょっとどころじゃなくどうかしてましたし! 全くこれだからイルさんは……」

 確かに……職業意識に燃えるなんて俺らしくもない。挙句の果てにもっと殺さないと、だって? 本当にどうかしてた。

 ……害虫討伐は確かに過酷な体験だった。向こうの世界では生き物なんて、わざわざ自分で殺さなくても生きていけるのが当たり前だったのだ。それがこちらに来て数日でこの有様。初見で実質様子見のはずの今日ですら、計六匹も討伐している。エニシダからの叱責が無ければ、そのまま思いつめて精神病院コースまっしぐらだったかもしれない。

 心の中で再度お礼を言いつつ、俺は立ち上がった。

「お前からの有難いお言葉も頂いたし、そろそろ帰るとするか……」

「そうですね。陽が暮れる前に帰りましょう。今日はもう疲れたでしょう?」

「ああ……っとその前にだ」

 ……大事な事を忘れるところだった。最重要と言ってもいい。

「何か体を拭くものとか無いかな……? 全身血塗れで、このままってのは流石に……」

「…………」

 

 

 結局拭くものなんて無かったので、身体に影をぐるぐると纏わせて誤魔化した。体は汚れたままなので大分不快感はあるが、城へ戻るまでの我慢である。

「やっぱり帰りも飛んでいくのか……」

「し、仕方ないじゃないですか。徒歩で帰ると夜になっちゃいますし……」

 なんやかんやでもう夕刻になってしまっている。エニシダの言うとおり、急がないと間に合わなさそうだ。……特に門限などは聞いてないが、遅れるとナズナが心配するかもしれないし。

「よ、よし。ではお手柔らかにお願いします。高度低めの安全運転でな……?」

 そう言うと、来た時と同様にエニシダの後ろにくっ付いて乗る。

「流石に私も学習しましたし、大丈夫です。大船に乗った気持ちでいてくださいね」

「……泥の大船じゃないといいんだが」

「何か言いましたか!?」

「いーえー、何もー」

 そんな俺達を乗せて箒が浮き上がる。今回は本当に加減してくれているらしく、地上からそれほど離れずに飛行しているようだ。速度もまあそれなりに調整してくれている。だが――

「へぶっ、んむむ!」

 問題というものは次から次へと出てくるものである。

「ちょっと、ストップストップ!」

「どうかしましたか、イルさん?」

 言葉と共に空中で急ブレーキする箒。

「さっきからお前の髪がべしべし当たって痛い……」

「…………なんと」

 来た時には完全防御の構えでいたから大丈夫だったが、こいつの髪の毛のボリュームは結構なものなのだ。油断すると口や目に入ってきて大変危ない。

「という訳でちょちょいっとな」

 影を使って鬱陶しい髪を纏めて一塊のお団子状にしておく。見てくれはちょっとアレだが、今は実用性重視だ。

「もう大丈夫ですかね?」

「ああ、もう平気だ。手間を取らせた」

 再度移動を始める俺達。程なくして壁のようなものが見えてきた。何だろうあれ。指さしてエニシダに問うてみる。

「エニシダ、あれなんだ?」

「来る時に見ませんでしたか? ってああ、イルさんは来る時は目を閉じていたから見てなかったですよね……」

 小声ですみません、と謝ってくるエニシダ。

「いやそれはもう終わった事だからいいよ」

「あれはですね、都市全域を取り囲んでいる城壁になります。あれがあるおかげでブロッサムヒルは産業や交易が発展できたんですよ?」

「ほへー」

「……というかイルさん、こないだの勉強で習いませんでした? もう忘れちゃったんですか?」

「うむ! 忘れた!」

「はぁぁぁ…………」

 自信満々に答えてやると、エニシダは心底呆れたのか長々と溜息を吐いてくれた。

「あれだけ端折ったのに残った部分すら覚えてないとか、もうほんとガッカリを通り越して感心すらしちゃいますよ……」

「ふっ、あんまり褒めるな」

「褒めてないです! というかこのやり取り既視感があるんですけど!?」

 などと気の抜けたやり取りをしていると、程なくして城壁へ到着。続いてそのまま壁沿いに上昇していく。……にしても近づいてみるとこの壁本当に高いな。周りに点在している家屋と比べて倍以上は軽くある。なるべく下を見ないようにしないと……

 加えて気を紛らわすため、エニシダに再度会話を投げてみる。

「こんなくっそ高い壁で都市まるごと囲ってあるのか……なんというか、作るの大変だったろうな」

「そうですねー。作る時は本当に大変だったらしいですよ。もうずいぶん昔の話だそうですけど、建設途中で何度も害虫に襲われたり、転落事故もたくさん起きたらしいです。昔、お婆ちゃんが教えてくれました」

「どこの世界でも建設って大変なんだなぁ……っと、もうすぐ抜けるか」

 そろそろ壁の頂上付近に到着のようだ。視界が途端に開ける。

「――――!」

 そこには花があった。夕陽に照らされ、美しく咲き誇る花が。

 都市中央部と思しき場所にあるのは、どうしようもないほどに大きい桜の花。そしてその根元には城が、そこから周りにかけて石造りの建物が規則正しく建てられている。建築様式は定かではないが、どことなくイタリアやその辺りの雰囲気を髣髴とさせられた。それらを結ぶ通路に規則正しく敷き詰められた石畳の文様も非常に美しい。

 さらに周りを見ていくと、噴水のある大広場や、夕刻だというのにいまだ活気にあふれている市場らしき場所、建物の上に作られた空中庭園なども見て取ることが出来る。

 息を飲み幻想的な光景に見惚れている俺を乗せたまま、箒はそのまま都市中央部へと進んでいく。

 眼下には忙しなく行き交う人々。もう夕方だし家路へと急いでいるのだろうか。髪の色が色とりどりで、異世界に来てしまったんだなぁ、という実感が改めて湧いてきた。花が歩いているみたいで綺麗だな、などといった俺らしくもない感想までも出てくる。

 そんな考えが溢れたのか、知らず言葉が零れた。

「なんていうか、想像してたよりずっと綺麗な世界なんだな……」

「そうですか? うふふっ、ありがとうございます」

「何でお前が礼を言うんだよ……」

「いえ、私もこの世界の住人なので? お礼には返しておかないと」

 思いがけず返答があったので少しバツが悪い。話題を変えよう。

「にしても、こんな綺麗な世界なのに争いが続いているとは……いや、綺麗だから続いているのか……?」

「綺麗だから? というと何故です?」

「綺麗だからみんな欲しくなるんだろうさ。まあほんとのところはどうだか分からないけど」

「……」

「……ただの思い付きだ。あんまり気にしないでくれ」

 再び黙り景色に見入る。夕陽で辺り一面がオレンジに染まった光景、そこを泳ぐように舞い散る桜花は見事と言うほかない。本当に、本当に綺麗だ。その一言に尽きる。

 

 

「…………」

「イルさん。イルさんってば」

「……はっ」

 大分長い事ぼーっとしていたようだ。何故かエニシダに声を掛けられている。

「もうお城着きましたよ?」

「おお、ほんとだ……」

 前へと振り向くと城門があった。景色に見惚れているうちにもう到着してしまったようだ。そんな俺ににこにこと笑いかけるエニシダ。

「景色に見惚れて着いたのにすら気づかないなんて、イルさんって意外と感性豊かだったんですね?」

「意外とは余計だ。……まあ、本当に綺麗だったからな。前に言っただろ。俺は面白い事が好きなんだ」

「あれ本当だったんですか。てっきり口から出まかせを言っていたのかと……おっと、そんな事より」

 ゆっくりと下降しながらエニシダは前方を指さす。

「ナズナさんが出迎えてくれているみたいですね」

 見ると確かに、こちらへ手を振りながら歩いてくるナズナが見えた。降り立って近寄ると開口一番、労いの言葉をかけてくる。

「イルさん、エニシダさん! 今日はお疲れ様でした!」

「あ、いえ、出迎えてくれてありがとうございます」

「ウメさんから一通りの報告は受けています。……その、イルさんの体調はもう大丈夫なのですか……?」

 トライサンボン討伐後の失調までちゃんと報告されていたようだ。まあウメ先生だし当然と言っちゃ当然か。

「ええ、すっかり元通りになりました。声もこの通りですし」

「それは良かった。まあエニシダさんが一緒にいたらしいので、あんまり心配はしてませんでしたが。……まあそれはともかく」

 そこで一旦言葉を区切るナズナ。

「ウメさんからのお墨付きも出ましたし、これでイルさんの訓練はすべて終了です。改めて、本当にお疲れ様でした!」

「おお、これで訓練終了なのか。……長かったような、短かったような」

 思わず今までに起きたことを回想してしまう。若返ったり勉強漬けにされたり影が操れるようになったり髪が伸びたりボロ雑巾にされたりと、本当に色んなことがあった。あり過ぎたとも言う。

 ……というか、本当に一週間も経たずに一人前に仕上げられてしまった事にビックリだよ。向こうの新入社員に同じ事やったら確実に辞めていかれるわ。いや、殆どの過程が向こうでは不可能な事ばかりだから比べるべきではないのかもしれないが。何にせよ不可能を可能にした世界花の加護、恐るべし。

「ああ、イルさんが遠い目をしてる……そんなに嬉しかったなんて……」

「違うわ! 今まで散々苦労したなって思ってただけだ!」

 即座にツッコミを入れる。嬉しそうな人は遠い目なんかしないぞ、エニシダよ。

 まあそんなことはどうでもいい。ちゃんと確認しておかないといけない事を思い出した。ナズナに聞いておかなくては。

「それでナズナさん。明日から俺は何をすればいいんですか?」

「そうですね、明日は取り敢えず予定通りに休暇を楽しんでください。イルさんは今までほとんどお城の中しか見て来てませんし、街の散策でも楽しんできてはいかがでしょう?」

「外出ていいの!?」

 思わずがぶり寄って問い返してしまう。今、休暇って言ったような? 街の散策って言ったような?

「え、ええ?」

「うおぉぉ、ようやっとこの世界が本格的に見て回れる……! 美味しいものとかあるかな!? それと酒も! そんでそんで、色々買いたい!」

 来た……! 来てしまった街イベント……!

 これまでのストレス鬱憤その他諸々を晴らして下さいと言わんばかりのタイミングに、テンションも鰻上りだ。てっきり休日も城内で飼い殺しにされるのだと思い込んでいたので、その喜びもひとしおである。

 これはもう色々見て回って、食って、買い込んで、遊び尽くすしかねえ……!

 そんな散財の妄想にはしゃぐ俺を見て、エニシダもほわわんと笑う。

「ふふっ、今度こそ超嬉しそうじゃないですか。でもその見た目でお酒は買えないですよ?」

「そうか。んじゃエニシダ、お前に買ってもらうからよろしくな」

「何でそうなるんですか!?」

「だって俺、お金持ってないし」

「私もそんなにお金持ってないですし!」

「え、お前貧乏なの……? 魔女なのに……?」

「魔女は関係ないです! 最近、調合を派手に失敗したからオケラになってるだけですし……! あれは本当に嫌な事件でした……」

 その事を思い出したのか、プルプルと震え始めるエニシダ。……何があったのかは詳しく聞かない方がよさそうだ。そっとしておこう。

「あのー……」

 そんな俺達のやり取りを聞いていたのか、ナズナが会話に割り込んでくる。

「お金なら、ありますけど? はいこれ」

 そう言うと俺達二人にがまぐちの財布を一個づつ渡してくれる。今時がまぐちって……おばあちゃんか。いや待て、こっちの世界ではこれが普通なのかも?

「今時がまぐちって……おばあちゃんですか」

 エニシダも受け取りつつそう毒づいている。あ、やっぱり俺の認識合ってた。

「今回の訓練成果に対する私からの餞別だと思って下さい。それと、エニシダさんに対しては訓練に付き添って頂いた報酬という形で支給させていただきました」

「はあ、ありがとうございます」

 早速中を開けて確認してみる。貰った直後に中身の確認など失礼にも程があるが、今はそうも言ってられない。明日の休暇の是非がこの財布にかかっているのだ。

 カパリと開けて中を覗く。中には見た事もない貨幣が詰まっていた。うむ、さっぱりわからん。

 ひっくり返して全部出してみる。

「こんな道端で何やってるんですか……って結構ありますね」

 俺の突飛な行動に呆れつつも、エニシダもお金の多さに興味があるようだ。一緒になってお金を数えてくれた。ついでにそれぞれの貨幣の価値も教えてくれる。

「この金貨が一万、銀貨が千、銅が百で……えーと、全部合わせて……十万ゴールド!?」

「なに、十万ゴールドって多いの? さっぱり分からないから例えが欲しいんだけど」

「この世界の平均月収は大体十五万~二十万ゴールドなので、一週間足らずの報酬にしては破格の金額ですよ! ……ってそうだ、私のも!」

 ざらざらと自分の分も開けてお金を数えだすエニシダ。微妙に必死さが漂っているが、なに君、よっぽど困ってたのかね……?

「わ、私のにも十万ゴールド……!?」

 どうやら同じ金額が向こうにも入っていたようだ。二人で顔を見合わせた後、揃ってナズナへと向き直る。

「えへへ、驚いちゃいましたか? 頑張って結構奮発しちゃいました♪」

「おおお……貴方が神か……」

「ナズナさん、本当に、本当にありがとうございますっ……!」

 二人して深々とお辞儀をする。感謝、圧倒的感謝である。何か一生この人に頭が上がらない予感しかしない。なにしろ二人合わせれば月収丸々ポンと渡してきたのである。こんな豪勢な話があるだろうか、いや無い。

「……」「……」

 お辞儀を終えた後、俺達は神妙な面持ちで黙り込む。

「あの、お二人とも急に黙ってどうしましたか……?」

 堪らずこちらへ問いかけてくるナズナ。そんな彼女を尻目に、

「これで明日は色々買い込む事が出来るな……何買おう? というかこの世界何があるんだ……? 何にせよまずは美味い飯、酒、あとそうだ、服も買わないと……! それとそれと……」

「これだけのお金があれば使い込んだ薬品薬草その他諸々まるっと買い揃える事が……いえ、いえいえ、それよりもずっと前から欲しかったあの魔導書やあんな写本に手が届く……!? 落ち着け、落ち着け私……!」

 思い思いの使い道を妄想しながら、ウロウロとその辺りをふらつきだす物欲の奴隷達。口から考えがダダ漏れだし、傍から見ると不審なことこの上ない。

 だがそんな事に気を払える精神的余裕など、金に目の眩んだ俺達にある訳が無かった。

「……あのー、用も済んだので私もう帰っていいですか……?」

 後には所在無く立ち尽くすナズナだけが残されたのだった……

 




ゲーム画面ではさっくりやられる害虫君。実際に倒すとなるとそりゃまあなんか色々出るよね。
人によってはトラウマになりもしますよ、ええ。


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七日目「装備品購入:洋服を買いに行こう」

ここからはお買い物フェイズです。
RPGにおいて、最初の街で買い物するのは何度経験しても心躍るもの。
手持ちの資金とにらめっこしながら武器防具を揃えるのって楽しいですよね。


 時は早朝……には遅い時間。場所は城門前。

 

 俺はぼうっと街灯の一つに寄りかかり時間を潰していた。暇潰しの為に行き交う人々を眺めているが、何というか本当に女性が多いなこの世界。しかも大抵美人さんという。眺めているとたまにこちらに手を振ってくれるお茶目な方もいるし、性格もみんな良さそうだ。

 ああいうお茶目な人と結婚したら薔薇色の人生が待っていそうだが、今の俺では結婚相手なぞ望むべくもないだろう。見た目未成年のチンチクリンだし。

「にしても遅いな……」

 人間観察にも飽きてきて、思わず独り言が零れる。そうなのだ。何も好き好んでこんなところで俺は観察などしているのではない。本当はとっとと街に繰り出したいのだ。

「お、遅れましたー!」

 声のした頭上を見る。どうやらようやく待ち人が来たらしい。

「遅いぞバカチン。何分前から待ってると思ってるんだ」

「す、すみません。準備に手間取っちゃって……よっと」

 待ち人――エニシダは乗ってきた箒から軽快に飛び降り、俺の前に降り立つ。こいつが案内してあげますよー、とか言うから待ち合わせしてたのに、言った本人が遅れてくるとは……

「お待たせしました。イルさん」

「おう、とっとと行くぞ――って」

 直前の不機嫌さを忘れ、思わずしげしげとエニシダを眺めてしまう。

「ど、どうかしましたか……?」

「いや、今日のお前、その服……」

 そう、今日のエニシダはいつもと違った。いつもの白い魔女っ娘(自称)服は完全に鳴りを潜め、下はデニムのロングスカートにショートブーツ、上は白のブラウスに浅葱色のカーディガンを羽織っていて、大きめの肩掛けカバンをその上から斜め掛けしていた。

 ……有り体に言うと私服である。いつもどおりなのは手に箒を持っているのと、近くに蝶々がふよふよと羽ばたいていることくらいだ。

 あれ、蝶々なんていたっけ……? まあいいや、多分居たはず、たぶん。

「こ、この服がどうかしましたか……? もしかして全然似合ってませんか……?」

 俺の指摘におずおずとエニシダは聞き返してくる。

「いや、似合ってるな。可愛いじゃん」

 思った通りの事を言葉にして伝えてやった。するとどうだろう。

「か、かわっ……!? 私が、可愛い……!?」

 ものすごい勢いで赤面していくエニシダ。あれ、何かこの展開俺も経験した気がするぞ……?

「わ、私なんか可愛くないです! この服が可愛いだけです! イルさんと一緒に街を回るからと、気合いを入れて選んで来たので!」

 自身の魅力を全力で否定するエニシダ。それにしても俺と回るのがそんなに楽しみだったんですか。そうですか。

「……ほう、遅刻した理由はそれか」

「はい! それはもう念入りに念を入れて選んで来たので!」

 なるほど。ならばその気合いには応えてやらねばなるまい。

「そうか……ところでその服を選んだのはエニシダだよな?」

「……? それはもちろん私ですが?」

「つまりその可愛い可愛いチョイスをしたエニシダさんも可愛いという事なのでは?」

「……っ!?」

「つまりエニシダは可愛い」

「わ、私はっ、可愛く! ないですっ……!」

「いや、可愛いのでは?」

「可愛くないですっ! お、怒りますよ!?」

 何故ここまで頑なに卑下するのだろう。こっちもこのままでは引き下がれなくなって来た。

 ……なんというか、ノリ的に。

「エニシダ可愛い超可愛い」

「や、やめ……っ! それ以上言わないで……!!」

 わたわたと手を突き出しながらこちらの口を塞ごうとしてくる。だがそんな妨害では俺の口撃は止められないぜ。

「マジ可愛い最高に可愛い超絶可愛い」

「うううぅぁ……!」

「マジラヴューエニシダベリーベリーファッキンキュート」

「あうああぁっぁぁぁぁあ……!」

 流石に持ち上げすぎたのか、エニシダはしばしもうもうと湯気を上げて硬直した後、唐突に走り出した。行き先は手近にあった街灯。何をするのかと思ったら、そのまま街灯へガンガンと頭を打ち付け始めてしまった。いかん、ぶっ壊れた。

「私なんかが! 可愛かったらっ! 他の方々に! 申し訳なさ過ぎて! 今すぐ消し炭になって! 風に運ばれてっ! 世界を漂うアストラル体になりますっ!」

 言ってることは全く分からんが、なんとなく狂気を感じる文言だ。そのまま何事か呻きながらも頭を打ち付け続けるエニシダ。

 ……うん、止めようと思ったけど鬼気迫るものがあり過ぎて、完全にタイミングを逸したよね……道を歩いてた人も何事かと足を止めてこっちを凝視してるし。痴情のもつれとかだと思われてそうだなーいやだなー。

 しばらくしてようやく正気に戻ったのか、街灯から離れてこちらに向き直る。頭から血がたらりと垂れていてとても魅力的――猟奇的だ。

「ふ、ふふっ……こ、これでも可愛いですか……?」

 にたりと笑いながらそう問いかけてきた。足を止めて見ていた周りの人はドン引きである。

 ソウダネ、ウン、トテモカワイイデストモ。

 

 

 場所は移って大広場。

 

 ここはブロッサムヒルにおいて憩いの場として親しまれた場所らしく、親子連れや年配の方々がのんびりとした時間を過ごしている。広場の中央には噴水があり、その周りをぐるりと囲むように飲食店などが軒を連ねていた。休憩用のベンチやテーブルもあるあたり気が利いている。

「それでこれからどうしましょうか、イルさん。あむあむ」

「どうしたもんかね、エニシダさん。あぐあぐ」

 俺達は二人とも朝食がまだだったので、軽食を取るためにと仕切り直しも兼ねてここへ移動してきたのだった。エニシダはクレープ。俺はシシケバブ。それぞれをベンチに腰掛けながら食す。

 朝っぱらから派手にやらかしたエニシダだったが、既にその事は忘れたのか、にこにこしながらクレープを頬張っている。……いつも思うが、こいつの切り替えの早さだけは見習うべきものはあると思う。言動は全く見習いたくないが。

「……いつも食べてますけど、ここのクレープ屋さん最近になって急に腕を上げましたね。この『ブロッサムヒルの安らぎ~あなたの心に花束を~』って新作は中々……サクランボを主体とした酸味と甘味が混然一体となった味わいは……ふむ……」

「なんだその頭から常識が抜け落ちたような名前は。というか食レポしなくていいから普通に食え……!?」

 自分の分を夢中で食べ終えエニシダの方を見ると、既にさっきまで食べていたのは食べ終え、何か片手で持ちきれない大きさのクレープを食べていた。なにあれこわい。両手でがっしりと構えて、はぐはぐしてらっしゃる。

「お前そんなでっかいの朝からよく食えるな……」

「甘いものは別腹ですから!」

「……太るぞ?」

「あーあーあー! 聞こえませんー!」

 俺の忠告を無視し猛然と食い進めるエニシダ。カロリー過多の自覚はあるのか、忠告の後で食べるスピードがもりっと速くなった。早食いするともっと太ると思うんだが……

 何か見てたら俺もまた腹が減ってきたので、ケバブを買った店に再度向かう。

「マスター、いつもの」

「あいよ、いつものな」

 注文を終え料理が出てくるのを待つ。ノリの良い店員さんだとさっき来た時に知れたのでちょっとボケてみたのだが、案の定ノリノリで返してくれましたよ。

「ほいよ。いつもの、『ゴートレッグ』だッ!」

 手渡されたのは山羊足に串がおまけ程度に刺さった代物に、これでもかと言わんばかりにヨーグルトソースをかけ丹念に焼き上げた、まさしく異形だった。

 ……何かすげーの出て来たよおい。というかここケバブ屋だよな? 何で山羊肉が出てくるの? 普通は豚肉とか羊肉だと思うんだけど。

 だがここで引いたらこちらの負けだ。お代を払った後にサムズアップをひとつ、こう返す。

「サンキューマスター。相変わらず良い仕事だぜ」

「いいってことよ。あの嬢ちゃんに見せつけてやんな!」

 あちらもサムズアップし返してくる。良い仕事をしたと言わんばかりに、額から流れる汗が眩しい。

 そのままエニシダの元へ帰る。がじがじと歩きながら齧ってみるが、これが意外と美味しくて困る。山羊肉独特の風味がヨーグルトで上手く中和されていて、とてもグッドだ。だが食べられる所がすくねえ。あぐあぐ。

「おや、何処かへ行っていたかと思えば追加ですか。……って、すごいの買ってきましたね……」

「うむ、あそこの店員は話の分かる御仁だな。俺もこの世界に馴染めそうな気がしてきた」

「そんな禍々しい料理出されて馴染めそうとか言えちゃうのは、多分イルさんだけですよ……」

 しばし料理を堪能する。しかし俺達は何で二人してこんなの食ってるんだろう。まあいいか、美味しいし。

「ふう……」

 食べ終えて満足したので、山羊足を捨てそのままベンチでゆったり過ごす。周囲には相変わらず家族連れや、日向ぼっこに興じるご年配の方々がおられて実に平和である。とても千年も争いが続いている世界とは思えない光景だ。昨日の殺伐体験が嘘のようである。

 エニシダも食べ終えたのか、幸せそうにお腹をぽむぽむしてぼへーっとくつろいでいる。こいつ本当に隙しか無いな。……それにしてもだ。

「ほら、クリームはねてるぞ」

 見るとほっぺたのあたりにクリームがはねていた。器用な汚し方をしたもんだ。

「えっ、えっ、どこですか?」

 口の周りを手で探り始めるエニシダ。まったくもって見当違いな場所を探っているので思わず溜息が出る。まあ、場所を言わなかった俺も悪いのではあるが。

「しょうがないな……ほれ、動くな」

 仕方ないので取ってあげる事にした。サクッと指で掬ってあげる。

「あう、そんなところに……って、イルさんどうしました?」

「……」

 掬ったはいいものの、このクリームどうしたものか……このまま俺が食べると間接キスになるんじゃなかろうか。というかここまでのやり取りそのものが、恋人同士のソレみたいで既にヤバイ。元いた世界から爆発しろという念が届きそうだ。

 なので、クリームの付いた指をエニシダの口の前まで持って行く。

「ん」

「……? あむっ」

 何の躊躇もなくクリームに喰らいつくエニシダ。ああこら、俺の指にまで食い付くんじゃない。まったく、食い意地の張ってる奴だ。

「うむぅ、ケバブっぽいしょっぱいクリームでした……」

「しょっぱいクリームで悪かったな。さて、そんなことよりもだ」

 ぱすんと服を払ってベンチから立つ。

「これから何処行こうか?」

「そうですねー。何処行きましょうか?」

 ……会話が振り出しに戻ってしまった。だがまあ腹が膨れたので良しとしよう。

「……ああ、そうそう、思い出した。今朝のお前を見てから、まず買わないといけないものがあるなって思ったんだ」

「私を見て? 買わないといけないもの?」

 はてと小首を傾げるエニシダ。

「服だよ服。俺もお前みたいに色々着たい。今の服だとちょっと……」

 そうなのだ。いい加減ナズナから用意された服を着続けるって訳にもいかない。幸い資金もあるし、ここいらでそろそろ自活できるアピールをしていかなければ。まずは見た目から入っていくのも分かりやすくて良いと思う。

「はあ、服ですか」

「そう、服。取り敢えずお前の知ってる一番良い店に案内してくれ」

 

 

 エニシダの案内の元、着いたのは中央通りから一つ道を入ったところに店を構えた洋服店である。なるほど確かに人通りも多いし、立地からして有名店でございますという雰囲気バリバリだ。

「ここが一番良いお店ですかい。ほへー」

「私も聞いただけで来るのは初めてなんですよねー」

 二人連れだってドアを開け店内に入ると、チリンチリンと鈴が鳴った。どうもこっちの世界でも向こうと同様のアイデアが採用されているようだ。こういう共通点があると親しみやすくて非常によろしい。

 早速店内をしげしげと見回してみる。中はそれなりに広く、多種多様な衣類が飾り立てられていた。それでいてごちゃりとした印象は皆無で、むしろ瀟洒さに満ちている。余程センスの良い者がデザインしたのだろう。確かに期待できそうな店だ。

 幸い俺達以外に客は女性客が一人。服選びに集中しているのか、こちらを顧みることもなくあーでもないこーでもないと物色している。どこの世界でも女性はお洒落に妥協しないってのは共通事項なようだな。

「いらっしゃいませ。お客様、本日はどういったご用件でしょうか?」

「あ、えっとですね……」

 入って程なくして店員さんがこちらへと近寄ってきた。妙齢の女性でビシッと仕立てたスーツを粋に着こなしており、いかにも仕事が出来るといった印象だ。

 どうもエニシダの方が買い物の主導権を握っていると判断したらしく、俺を無視してエニシダの方へと話しかけてくる。

「……察するに、お子さんのお洋服を買いに来たと見受けましたが」

「お子さん……? 俺がエニシダの……? ぶふっ!」

 いけない、堪え切れずに吹き出してしまった。こいつ、子持ちに間違われてやんの。

 まあこいつと俺が一緒に入ってきたらそう判断するよな。姉弟でこんな高級店に来るケースなんてそう無いだろうし。友人同士ってのもシチュエーション的に考えづらい。

「ちょっと!? イルさん笑わないで下さい! 店員さんも! 私まだ結婚すらしてませんので!」

「こ、これは失礼しました……!」

 俺が吹き出したのを見てエニシダがすごい勢いで訂正する。店員さんもやらかしてしまった事に気付いたのか、冷や汗をかきつつ平謝りに謝ってきた。

「ぷぷぷ……エニシダが親とか……こっちに来てから初めて腹がよじれるかと……く、くく!」

「もう! いつまで笑ってるんですかっ!」

「くくく……いいんじゃないか? 若・奥・様? ……っくく、くははははっ!」

「イールーさーんー!!」

「……!? あがががが!」

 尚も哄笑し続ける俺に、エニシダはあろうことか実力行使を仕掛けてきた。俺の顔面をむんずと掴み、そのまま握力任せに握り潰さんとしてくる。俗に言うアイアンクローだ。魔女の使っていい技じゃないぞ。

「謝るまで離しませんからっ!」

「ぐごごご、俺は悪くねえ……っ!」

「何か言いましたか!?」

 めきりと更に力が込められる。これあれだろ、魔力で筋力強化してるだろ。こんなどうでもいい場面で本気出すとか、こいつ馬鹿じゃなかろうか。

「ぬぐぐぐ、俺が悪かった……! ごめんなさいエニシダさん……!」

「ふう、分かればいいんです」

 謝ると一転、即座に拘束を解いてくれる。顔を見ればいつものにこやかなエニシダが戻っていた。さっきまでの鬼女は何処へ行ったのだろう。まあ、顔面を掴まれていたので実際にどういう顔をしていたのかは分からないのだが。

「うぐぐ、暴力反対……」

「イルさんがいつまでも笑い続けてるのが悪いんです。乙女の心は傷付き安いんですよ……?」

「…………」

 アイアンクローをかけてくる乙女などこれまでの人生で見た事が無かったが、黙っておくことにした。藪蛇になったら嫌だし。

「え、ええとお客様。それで本日はどういったご用件で……?」

 俺達のやり取りを呆気にとられて見ていた店員さんだったが、ここでやっと職務を思い出したらしく、再度コンタクトを取ろうと試みてきた。まあ目の前で子供相手に本気出す奴見たら呆気にとられるわな……

「あ、えっと、今日はですね――」

「俺の服を買いたい。希望だけ伝えるのでコーディネートはお任せしたいのですが、大丈夫でしょうか?」

 エニシダに任せていると多分というか絶対話が進まなさそうなので、無理矢理割り込んでオーダーを伝える。俺のはっきりとした物言いに一瞬戸惑った店員さんだったが、すぐに調子を取り戻して問い返してくる。優秀なようでこれまた非常によろしい。

「コーディネートですか、まったく問題ありません。ああ、失礼ですがご予算はいくらほどでしょうか?」

「五万ゴールド。これで上から下まで全部、それと替えの服も何着か用意して欲しいです。足りないようであれば十万までなら出せます」

「承知致しました。弊店の世評に恥じぬよう、誠心誠意、ご期待に応えられるよう尽力致します」

 うむと頷き合う俺と店員さん。そんな中一人取り残されたエニシダさんはこんなことを思うのでした。

「あれ、私来なくても良かったのでは……? というか弄られ損じゃ……ううう……」

 

 

 ――数十分後

「……こんなものでしょうか。ご確認してみてください」

 姿見で自分の姿を確認してみる。

 上は紺色のドレスシャツに漆黒のテーラードジャケット。ジャケットは丈の長いデザインで、原料不明ながら厚みのある素材で作られている。加護で強化すれば戦闘にも耐えられそうなほどに頑強だ。細部には細かな意匠も凝らしてあり、それとなく品の良さが滲み出ている。

 下に穿いている黒色の細身なスラックスも、コートほどではないにしろ厚手の素材である。こちらは伸縮性もそれなりにあり、激しい運動にも耐えられそうだ。それとついでにシークレットシューズも用立ててもらった。今後部下が出来るのにあたって、最低限舐められないよう身長だけは盛っておきたかったのである。

 ……別にチンチクリンなのは気にしてないのだが。全くこれっぽっちもだ。本当だぞ。

「うむ、うむうむ。……素晴らしい。完璧だ」

 くるりと回ったり腕を伸ばしたりして姿見の前で何度も再確認する。動かしても特に問題ないようだな。

「ふむふむ…………ふっ。シュタッ。ドヤァ」

「何カッコつけてるんですか……まあ気持ちは分かりますけど。その、似合ってますし」

 満足そうに姿見の前でポーズを決める俺に、呆れてツッコミを入れてくるエニシダ。それでもちゃんと似合ってるって言ってくれる辺り、こいつは何だかんだで優しい。

「ご予算に余裕がありましたので、弊社のブランドで統一させていただきました」

 店員さんも満足いった仕事が出来たのかドヤ顔である。良い仕事すると気持ちいいよね。わかるわかる。

「こっちの世界にもブランドとかあるんだな……?」

「ええ、弊店――アスファルと言いますが、ウィンターローズ発祥のファッションブランドを展開しております」

「ほえー」

「ほえー、じゃないですよ。アスファルと言ったら王室御用達の超有名ブランドなんですから」

 間抜けな返答をする俺にエニシダが補足をしてくれる。えっ、超有名ブランドって……マジか、お高いのか……? その辺り考えないでノリノリで注文しちゃったんだけど。

 思わず店員さんに問い質してしまう。

「……あのこれ、全部でお値段どれ位になるのでしょう……?」

「着替え等全部込みで十万ゴールドといったところでしょうか……今なら一括購入割引で七万ゴールドにできますが?」

 こちらを値踏みするかのように返してくる店員さん。今が商機と捉えたのだろう。こいつ、やりおる。

「ふむむ、七万、七万か……」

「ど、どうします? イルさん?」

 出せない数字ではない。ないのだが、今後を見据えるとどうしても考え込んでしまう。いきなり手持ちの七割が飛ぶのだ。考え込まない人はいないだろう。だが、この服装は非常に魅力的なのだ。気に入ってしまった手前、「ごめんやっぱいいや」なんて言い出しづらい。なにしろもう着ちゃってるし。

 むむむと考え込む俺とにこにこしながら待つ店員さん。その様子を固唾をのんで見守ってくれるエニシダ。そんな所へ――

「こんにちはー。今大丈夫かしら?」

「いらっしゃ――あ、お嬢様!」

 ちりんちりんと鈴を鳴らしながら誰かが入店してきたようだ。それまでにこにこしていた店員さんがハッと来客へと向き直る。微妙に緊張しているみたいだし、VIPでも来たのだろうか。

「今日はどういったご用件でしょう?」

「ちょっと通りかかったから様子でもって。……あら、接客中だったのね。ごめんなさい」

「いえ、滅相もありません。お嬢様でしたらいつでも来て下さって構いませんので」

 店員さんとのやり取りもそこそこに、来客はこちらへと近寄ってくる。ツインテールで桃色の長髪を纏めた、いかにも仕立ての良い服装で身を固めている女性だ。柔和な表情からは抑えきれない人の好さがにじみ出ている。するとどうやら機嫌が良いのか、にこにこしながらエニシダへと話しかけてきた。

「今日はお子さんのお洋服でも選びに来たのですか? どうぞゆっくりと選んでいって下さいね」

 ビキリとエニシダの空気が凍りつく。やべーよ、一発目で地雷踏んで来たよこの人……!

「ぶはっ! また親だと間違われてやんの! 傑作だ! 良かったな若奥様! くくくっははははははははは!」

「えっ、えっ、私何か……?」

 堪らず吹き出してエニシダの肩をバシバシと叩く俺。女性は何か間違ったのかと困惑しながら俺とエニシダを交互に見ている。……あ、店員さんも今のはツボに入ったのか、必死に口を押えながらプルプル震えていらっしゃる。まあ笑うよな、こんなの。

 それはそうと当のエニシダはというと、

「……………………」

 ……完全に固まってしまっていた。いつもの人の良さそうな表情は消え失せ、まるで魂が抜けたかのように直立している。心に深い傷を負ってしまったようだ。

 

 

「あの、本当にごめんなさい。私、気付けなくって……」

「いえ、大丈夫です……もう私、奥様でいいです…………」

 数分後、ようやく動くようになったエニシダに女性は何度も何度も謝罪していた。だがそれも効果が無いのか、エニシダは店内の隅っこで体育座りになって完全にいじけてしまっている。

 目にいつものような快活とした光は無く、商売道具であろう箒も無造作にその辺に転がっていた。何というかもう、見るからに「私、傷付きました……」ってのを全身で表現している。嫌というほど気持ちが伝わってくるあたり、こいつの才能は本物だ。俺はそんな才能は願い下げだが。

「ああもう、私ったらなんてことを……」

「いいんですよ……私のようなクソザコナメクジなんかがイルさんと一緒にいるのが悪いんです……ああ、何で生きてるんでしょう……このまま土に還りたい……」

 二人とも涙目になって不毛な会話を続けている。店員さんも流石にこの状況はどうしたらいいのか分からないようで、オロオロするばかりだ。

 ……仕方がない、俺が一肌脱ぐか。エニシダの前に立ち説得を試みる。

「ほらエニシダ。いじけてるんじゃない。まだ行く場所あるんだからな」

「一人で行けばいいじゃないですか……私なんていなくても、イルさん一人でちゃんと買い物できますし……私も一緒だとまたお子様扱いされますし……」

 尚もいじけ続けるエニシダ。これは奥の手を使うしかあるまい。

「……一番最初お前と出会った日に、なるべく一緒に居たいって言ったのはお前だったよな? その約束破るのか? 俺は許さないぞ?」

「……! それは…………」

「それに昨日も、何があっても助けてくれるって言ってくれたよな? あれも嘘だったのか? この街に土地勘も無いし、俺一人じゃ満足に買い物もできないんだがな?」

「嘘じゃ……無いです……!」

 ようやく目に光が戻って来てくれた。呼応するように箒も自立してエニシダの元へ走り寄ってくる。……何か箒の先が二股に分かれて足みたいになってたけど、多分見間違いだろう。

「んじゃとっとと立て。あとそこの人にも謝るんだ。オーケー?」

「は、はい」

 立ちあがり女性へと向き直るエニシダ。ぺこりと頭を下げ謝り始める。

「あ、あの、迷惑をかけてすみませんでした……貴方も悪気があったはずじゃないのに……その、ごめんなさい」

「い、いえ、元はと言えば私が悪いから……こちらこそごめんなさい……!」

 謝られた女性もまた謝り返す。何はともあれこれで一件落着だ。

「ふう、ようやく丸く収まったな……」

「……それでときにイルさん」

 そこで何故か再び俺に話を向けてくるエニシダ。

「何でしょうかエニシダさん」

「先程の爆笑してくれた件の謝罪がまだなんですが、また折檻が必要でしょうか?」

「……!?」

 こいつ……! 固まってたからスルーしてくれたのかと思ったが、ちゃんと聞こえてやがった! エニシダはこちらへ向き直ると、ゆっくりと歩みを進めてくる。顔面には笑顔を張り付けているが、何というかその、抑えきれていない凄みを感じる……!

「私としてはこれ以上細腕を振るうのは気が引けるのですが? 誠意ある返事を期待しますね?」

「何度でも言うが俺は悪くねえ……っ! 間違われるお前がわる――」

 次の瞬間、視界が暗転した。

「がああああっ!?」

 

 

「……お見苦しいものをお見せしました。大変反省しております」

「あ、いえ……」

 何故か店員さんの前で深々とお辞儀させられている俺。顔にはいまだ赤い跡がくっきりと残っていて、ずきずきと痛んでいる。手加減しない折檻というのはあそこまで恐ろしいとは……あいつ、細腕ってレベルじゃねーぞ。

 やってくれた張本人はというと、つーんとそっぽを向いて窓の外を眺めている。もう後は勝手にしろという事だろう。

「それで、ええと、どこまで話は進めたんでしたっけ……」

「……確か、お支払いの所で止まっていたのでは?」

 店員さんがようやくといった風に話を戻してくれる。

「ああ、そうだった。確か七万ゴールドでしたよね……うむむ」

「なになに、お金に困ってたの?」

「お、お嬢様……?」

 そこで何故か話に割って入ってくるお姉さん。店員さんも困惑気味だ。

「いえ、出せないことも無いんですが……ええと、貴方は……?」

「あ、自己紹介がまだだったわね。私はサフラン。花騎士よ」

 あっけらかんと自己紹介をしてくるサフランさん。ほうほう、こんなあか抜けたお姉さんも花騎士なのか。

 それにしても、花騎士ってのは騎士というからにはウメ先生みたいにかっちりとした衣装の方が主流だと思ってたのだが、そういうことも無いのか……? 割と服装は自由なのかね? これで会うのは三人目だが、如何せんサンプル数が少なすぎる。もっと見識を広めていかないとな……

「あ、どうも。俺達は――」

「エニシダさんとイルちゃんよね? 散々言い合っていたから覚えちゃった」

「ちゃん……」

 イルちゃんって……訂正させたい所だったが、この人の好さそうなお姉さんに突っ込むのは流石に躊躇われるなぁ。あ、エニシダが窓枠に突っ伏して肩をプルプルさせてる。後でぶん殴っておこう。

「それで提案なんだけど。貴方の洋服代、立て替えてあげましょうか?」

「……は? え? いいんですか?」

 あまりにも予想外な提案に思わず変な声が出る。瓢箪から駒とはこのことだ。

「もちろん条件付きだけど、のんでくれるのなら構わないわ。お連れさんに失礼な事言っちゃったお詫びも兼ねて、ね」

「ええと、その条件というと……?」

「貴方の写真、撮らせてほしいなって。それ、全身アスファル製でしょ? ちょうど店用のモデルを探してたのよ」

 またまた意外な条件が出て来た。写真のモデルとかやった事無いけど大丈夫なんだろうか。というか俺みたいな子供でいいのか……?

「俺なんかにモデルが勤まりますかね……」

「謙遜しない。ばっちり着こなせてるし、顔立ちも整ってるからモデルとしては十二分な素材だと思うわよ? ただ、ちょっとだけメイクさせてもらうけど」

 指でシャッシャッと空を切るサフランさん。この様子だとメイクも得意そうだ。

 ……にしても、メイクって。この人は俺の性別分かってるんだろうか? まあ話がこじれそうだし、立ち消えになっても困るから黙っておくけど。

「……ええと、それで立て替えてくれるのなら、是非お願いしたいのですが」

「本当? やった! 交渉成立ね!」

「それにしてもサフランさん、貴方は一体……?」

 店員さんからお嬢様って呼ばれてたり、妙に洒落た服を着てたり、挙句の果てに代金立替の見返りにモデル撮影を要求して来たり。

 何かものすごい人らしいのはこれだけでも十分に分かるが、肝心な事は本人から聞いておかなければ。

「え? 私? 私はただのこの店のブランド――アスファルを経営している家の娘よ」

 それこそ本当に何でもないように、サフランさんはとんでもない事実をさらりと言ってのけたのだった。

 何という事でしょう。異世界で街に繰り出して早々、セレブとコネが出来そうです。

 ……夢かな?

 




奥様は魔女(言いたかっただけ)
奥様ではなく若奥様って言ってあげるあたりに彼の優しさを感じます。



それにしても、投票イベント……だと……
…………取り敢えずエニシダに七千票ぽいっとな。


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七日目「装備品購入:武器を買いに行こう」

ずいずいいきます。この辺になって要領が掴めてきたからか、手直しが少なくていい……そして票集め苦しい……でもがむばる……


「うあー、何かすごい人に会っちゃったな……」

 洋服店を後にし、街の往来を歩く。歩きながらメイクを落とそうとタオルで顔を拭くが、鏡が無いから落ちているのかさっぱり分からない。そこへ丁度窓の反射で顔が映るような場所を発見。早速チェックしてみる。……うむ、落ちているはずだ、多分。

 短い間の薄いものとはいえ、慣れないメイクは不快感しかなかった。女の人って常にこれに耐えてるのか。見栄を張るのも大変だ……

「私がちょっと目を離した隙に、どうしたらモデル撮影するなんて話になったんですか……そっちの方がよっぽどすごいと思うんですけど。どういう交渉をしたんです……?」

 そんな俺を見てエニシダが呟く。手には俺の洋服一式の入った紙袋をさげている。タオルで拭くから邪魔だろうという事でそれとなく持ってくれたのだ。

「いや、何か似合ってるからモデルやらないかって言われただけだし。あとお前への謝罪も込みで」

「はあ、そうですか……まあなんにせよ、洋服代立て替えてもらって良かったですね」

「ああ、本当にな。何だかんだあっておまけも付けてくれたし」

 結局あの後、店の奥のスペースで約束通り写真撮影を行った。その際のメイクの途中でサフランさんには男であることがばれてしまったのだが、これまた予想外に琴線に触れたらしく、

「この顔立ちで男の子……髪も長くてサラサラ……はっ、男装女子……!? 新しい発想だわ。終わったら纏めてデザイナーに掛け合ってみないと……!」

 などといった具合に新作のアイデアになってしまったようだ。おい有名ブランド、それでいいのか。

 メイクの後、サフランさんは俺の服装に思う所があったらしく、小物の追加やベルトの変更をし、それから怒涛の勢いで撮影を済ませたのだった。終わったらこれまた凄い勢いで店を出て行ったけど、多分アイデアが消えないうちに書き留めたかったんだろうなぁ。なんにせよ才気溢れるというのはああいうのを指すのだろう。俺には真似できそうもないです。

「このベルトとかも勝手に追加されてどうしたもんかと思ったけど、一緒に支払ってくれてたみたいだし」

「流石御令嬢なだけあって追加された小物も一級品ですねー。イルさんにはちょっと勿体無いかも……」

 しげしげと小物を見るエニシダ。……その小物なのだが。

「にしても何で蝶のアクセサリーなんだろうな」

 襟元に小さく輝く銀色の蝶。素材は何で出来ているのか不明。光をきらきらと反射し非常に高価そうである。前述した通りサフランさんが追加したものだ。

「まあいいじゃないですか。似合ってますし」

「何かこれ、お前が常に肌身離れずくっ付いているみたいで落ち着かないんだが……」

 朝から蝶々を漂わせているエニシダをずっと見てきたせいか、俺の中で蝶=エニシダの構図が出来上がってしまっている。ほわほわと漂う姿はこいつと雰囲気がそっくりだと思う。

 ……なんだか害虫で蝶型のが出て来ても思い出しそうだな。躊躇いなくぶった切るけど。

「私が肌身離れず……」

 俺の発言に思う所があったのか、蝶のアクセサリーを見つめ続けるエニシダ。心なしか満足そうである。だが、こうも見つめられるとちょっとだけ居心地が悪い。あと前をちゃんと見て歩け。お行儀が悪いぞ。

「ま、まあそれはともかくだ。次は武器を買いに行きたいんだけど」

「武器って……早速武器を変えるんですか?」

「一応その予定はまだ無いんだが、いつまでも借り物で戦う訳にもいかないだろ。これも服と一緒で自分のくらいは持っておかないと」

「それもそうですね。では案内しますよー」

 エニシダの先導の元、街をてくてくと歩く。

 洋服店に行くときも思ったが、すれ違う人々の服装や髪の色が実に多種多様だ。眺めていて飽きる事が無い。中には相当きわどい露出をした御方なんかも混じっているのだが、あれは逮捕されないんだろうか。わいせつ物陳列罪は無いのだろうか。この世界への疑問は尽きない。

 ……俺の部下になるような人はああいうのじゃないといいなー。目のやりどころに困る部下とか、どう接したらいいんだろう……っといけない、こういうのは言うとフラグが立ってしまうのだ。くわばらくわばら。

 程なくして武器屋と思しき店に到着。中央通りから結構歩いたので、人通りもまばらだ。ドアを開け店内へ入る。

「ごめんくださーい。お邪魔しまーす」

 またしても店内を観察してみる。店内には多種多様な武器各種が飾ってあり、ちょっとした展示室のようになっていた。盗難や強盗対策の為か、武器は全て手の届かない場所に金具で吊るされるか、ケースの中に鍵付で保管されているようだ。

 さきの洋服店とは違い大分ごちゃっとした印象を受けるが、武器は全部ちゃんと手入れされているようで、ケースの中から鈍い輝きを放っていた。

「いらっしゃいま……ってなんだ、エニシダちゃんか」

 奥のカウンターで何やら作業してきた店員さんがすぐ俺達に気付き挨拶してくる。これまた顔つきからして人の好さそうなお兄さんだ。

「えへへ、いつもお世話になってます」

 和やかに挨拶を交わすエニシダと店員さん。なになに、知り合いなのか、お二人とも。

「来てもらって悪いけど、今日は荷運びの仕事は無いんだよね」

「いえ、今日はお仕事しに来たわけではなくて……」

「ああ、武器を買いに来たんだが」

 そこで俺に目を向ける店員さん。何やら怪訝そうな顔をしてるな……

「君が武器を……? いやまあ、護身用に欲しがるのは分かるんだけど、親御さんの許可はあるのかい?」

「……」

 やっぱり何処行っても子供扱いされるなぁ……若干不機嫌になったのを察したのか、エニシダがフォローを入れてくれる。

「あ、あの、この子のは護身用じゃなくて、本番用というか、ガチ戦闘用というか……」

「……? ちょっと何言ってるかよく分からないんだけど……」

「あ、えっとですね。この子も花騎士で……いや、正確には多分花騎士ではないんですけど。ああでも、ちゃんと加護もあるから花騎士なのかな……? あうぅ、こんがらがってきました……!」

「???」

 エニシダが俺の謎すぎる現状を説明してくれようとしているが、全くうまく説明できていない。何という事だろう。俺を受け入れすぎた結果、説明できなくなっているなんて……

「とにかく、花騎士っぽい何かなので武器が必要なんです!」

「は、はあ……?」

 強引に押し切りやがった。あの様子だと店員さん絶対納得してないぞ。

「……とまあそんな感じらしいので、武器を買いに来ました。店の中見て行っていいですか?」

「んん、まだよく分かってないけど、見るだけなら、うん」

 不承不承といった様子の店員さんだったが、まあ店内を見る許可が出ただけ良しとしよう。

「ふーむ……」

 エニシダと一緒に店内をゆっくり歩きながら、端から順番に武器を一つ一つ見ていく。

 オーソドックスな長剣から始まり、槍、斧、ダガー、日本刀、長弓、銃……ん? 銃?

「この世界にも銃器はあるのか……」

「ああ、実弾銃と魔力銃の二種類があるよ。前者は誰にでも扱える利点があるけど、デメリットとして弾切れの危険があるね。逆に後者の魔力銃は弾切れの危険は無いけど、扱う人の魔力量で威力が左右される。結構な魔力量がないと害虫なんかは倒す事すらできないね」

「へー」

 俺の呟きに懇切丁寧な説明をしてくれる店員のお兄さん。何かね、説明好きなのかね。それとも武器フェチ?

 武器の観察を再開する。銃の次はガントレット、薙刀、銃剣、重大剣、ウォーピック、丸太。

 …………は? 丸太?

「何で丸太があるんだよ……!?」

「気になるかい? その丸太はね。リリィウッドにあるオズの神霊樹林ってところの霊験あらたかな大樹から切り出したものなんだ。加工して弓にでもしようかなって思ってたんだけど、ある日フラッと来た客がどうしても欲しい、って言うから保管してあるんだ。持ち運ぶ準備が出来たら取りに来るって言ってたから触らないでね。結構お高いんだよ、それ」

「…………」

 色々と問い質したい事があり過ぎる説明だった。丸太を欲しがる客って何だよ。武器屋に来て欲しがる丸太って事はそのまま使うのかそうなのか。

 丸太は万能武器であるという噂は向こうの世界でまことしやかに囁かれていたが、こっちの世界では現実なのか……? 困ったら丸太なんだろうか。俺も丸太を持つべきか……?

「丸太、丸太か……丸太も悪くないのか……?」

「イルさん!? 落ち着いてください! 普通、丸太は武器にならないです! というか、イルさんの身長じゃこの丸太振り回せないじゃないですか!」

「はっ、確かに」

 エニシダの突っ込みで我に返る。超然とした丸太の存在に思考が持って行かれたようだ。

 ……確かにこいつは立派な武器だ。ただ在るというだけでその場が変容してしまう。言うなれば概念武装といったところか。まったく、恐ろしい存在だぜ。

 またしても武器観察を中断させられたが観察再開だ。今度は変なものを見ても突っ込まないぞ。絶対にだ。

 ええと、どこまで見たっけ……そうだ、丸太だ。

 丸太の次は……

 チェーンソー……だと……

「な、何故こんなものが……!」

 再開五秒足らずにしてまたしても突っ込んでしまう俺。あまりのギャップに頭がくらくらしてきた。チェーンソーには勝てなかったよ……

 ……というかなんだよこれ! 何であるんだよ! 完全に世界観ぶっ壊れてるだろ! 中世めいたオシャンティーな街で何でこんなもの見せつけられなきゃならないんだよ!

「ああ、それ? それはだね――」

 そんな俺を見て、またしてもしたり顔で説明し始める店員さん。もうやめろ、やめてくれ! お願いだから……!

 だが、カルチャーショックで言葉を失った俺の無言の制止など届く筈もなく、

「バナナオーシャンのとある花騎士の使っている武器のレプリカで、これが中々どうして良い出来で――」

 店員さんはまたしても立て板に水の如く、長々と語り始めてしまうのだった……

 

 

「やっと全部見終わった……」

「お、お疲れ様ですイルさん……」

 ……あれ以降、自棄になった俺は珍品を見ては突っ込んでいったため、そのたびに店員さんから精神攻撃、もとい説明を受ける羽目になった。店内の時計を見ると数十分しか経っていないようだが、体感時間はその倍以上はある。

 とにかく疲れた。疲れ切った。今以上に自分のツッコミ体質が恨めしいと思った事は無いぞ……

「も、もういいのかな? 今までのはさわりだけだから、もっと突っ込んだ説明も出来るけど……?」

 うずうずしながらそうのたまう店員さん。ごめんなさい、もうお腹いっぱいです。というか今までのでさわりなのかよ。

 ……まあそれはともかくだ。

「……何というか、全部見た甲斐はあったな。一応目星は付いたし」

「え、イルさん何か気に入ったんですか? ……ひょっとして丸太ですか?」

「丸太じゃねえよ!?」

 さっき自分で否定しただろうが。こいつも説明ラッシュで脳味噌が若干やられたようだな。うん、そういう事にしておこう。

「俺が気になったのは、あれだ」

 店内の一点を指さす。釣られてその方向を見るエニシダと店員さん。指さした方向には――

「まさかのチェーンソーですか……!?」

「そっちでもねえよ! その後ろだ後ろ!」

「……なるほど、黒曜石のハルバードか。中々良い目利きをしてるね」

 チェーンソーの後ろに掛けてあるハルバードがさっきから気になっていたのだ。それにしても刃先や柄の途中、石突きの頭等に黒々とした何かがくっ付いているのは分かっていたが、黒曜石だったのか。

「……折角だから手に取ってみるかい?」

「えっ、いいんですか?」

「ああ、君が良ければだけど。説明もたくさん聞いてくれたしね。ご褒美って事で」

「あっと、是非ともお願いします!」

 そう言うと店員さんは脚立でハルバードに近寄り、金具を解いて俺に手渡してくれた。

「よいしょっと。すごく重いから気を付けてね」

「お、おお……」

 手に取るとずしりと重い。なるほど、結構な重量感で頼もしい限りだ。

 そのまま矯めつ眇めつ眺めてみる。昨日使った物より装飾が凝っているな。所々に加工された黒曜石が謎の技術で溶接されていて、口金のあたりからは赤い布が垂れ下がっている。横に備え付けられた刃の大きさ、厚さも昨日の倍以上あるようで、これぞまさしく“斧槍”と呼ぶに相応しい形状をしていた。

「…………」

「どう? 気に入ったかな?」

 気に入ったなんてもんじゃない。これは……

「ちょっと素振りして来てもいいですか? ……良いですか。分かりました、してきますね」

「ちょ、ちょっと!? 何も言ってないんだけど!?」

 店員さんを無視し店外へ。人通りがないのを確認する。……よし、いないな。

 得物へ影を這わせる。何だろう、影の乗りが良い。黒曜石に触れると、ざぶざぶと嬉しそうに波打つのだ。

 ……直感で分かってしまった。こちらの相性も抜群なようだ。そのまま振り回してみる。

「――せりゃあッ!」

 ブオンブオンと唸る斧槍。昨日より増えた重さがたまらなく心地良い。

「~~♪」

 自然と鼻歌が零れる。元々は運動もろくに出来なかった俺だが、ウメ先生の徹底的なしごき――もとい、指導のおかげで今では武器を振るうのが楽しくなってしまっていた。向こうで憧れ続けた、物語の登場人物のように戦う事が出来るのだ。楽しくない訳がない。

 サンボンちゃん爆殺のようなショッキングな出来事さえなければ、一日中害虫相手に武器を振るうのも悪くは無いとさえ思えている。

「え、な、何あの子……? あんな重いの軽々振り回して……ほんとに花騎士だったの……!?」

「だから最初に言ったじゃないですか……って、イルさんがまた遠い場所に行きそうです……!?」

 店の外に出てきた店員さんとエニシダが何か話しているが良く聞こえない。振り回すのが楽しくてしょうがない。あと、気を抜くと周りの物も壊しそうだし。この辺はちゃんとしないとね。

「せいッ!」

 最後に一回振りおろして動きを止める。本当はテンションのままに石畳に叩き付けたかったが、流石に弁償するのが大変そうなので、ね……

「ふう……店員さん、これ下さい」

「あ、ああ。五万ゴールドになります……?」

 五万ゴールドか。意外と安い。武器なんだからもっとするのかと思った。がま口から金貨五枚を取り出して店員さんへ手渡す。

「ほい、五万ゴールド」

「ま、毎度あり……って、即金で出せるの!?」

「え、普通は出せないものなの?」

「あ、いや、その……」

 何故かしどろもどろになる店員さん。何だろう? 何か悪いことしたかな……戸惑う俺にエニシダが耳打ちしてくる。

「イルさんの見た目と行動にギャップがあり過ぎるんですよ……普通、子供は五万ゴールドなんてポンと出さないです……!」

「……あー、なるほど……」

 確かに、子供から大金をポンと渡されたら俺だって困惑するな……だがまあ今日ばかりは仕方がない。早急に必要最低限の生活インフラを整えねばならないのだ。次の休暇がいつになるのかとか、全く知らされてないし。

 俺は困惑する店員さんを敢えて無視し、更なる要求を突き付ける。

「あとこの武器なんですが、お城のナズナって人宛に送り届けてください。手紙を添えたいので何か書くものと紙を。必要ならお金も出します」

「ああ、いや、そんなのでお金はいらないよ。用意するから一旦店内に入ろう」

 みんなで店内へ戻ると、店員さんはすぐにカウンターへ行き、紙とペンを持ってくる。何故かちょっと苦笑しているな。

「紙とペンにお金を出そうとする客なんて初めてだよ。君はあれかな。ひょっとしてお貴族様かな?」

「いえ、そんな大した者ではありませんが。ただの一般市民です」

「本当かなぁ……にしては良い服着てるしなぁ……」

「お洒落な一般市民ですので」

「……」

 尚も疑念を向けてくるが、正直俺にとってはどうでもいい。まあ、貴族に間違われるような格好だというのは覚えておこう。紙にさらさらと書き綴る。

「……よし、できた」

「どういう文面でナズナさんに送るんです?」

 気になるのか、エニシダが覗き込んできた。

「えーなになに、

『イルさんがよせばいいのに武器を買ってしまいました。重すぎて買い物の続きが出来なくなりそうなので、ナズナさんの所へ送ります。どうかよろしくお願いします。 ――エニシダ』

 なるほど、これなら受け取ってもらえそうですね……って、何で私名義で送りつけようとしてるんですかっ!」

 読み終えると同時にスパーンと俺の頭を叩いてきた。うむ、中々のノリツッコミだ。

「分からないか? こういうのはワンクッション置いた方が相手も仕方がないかーって、納得してしまうものなのだ」

「い、いや、何となく分かりますけど……」

 尚も少し不服そうなエニシダ。そんなこいつを見ていたらふとある考え、というか今まで必死に目を逸らし続けていた現実が口をついて出てしまう。

「……よく考えたら俺ってこっちに来てもう一週間経つのに、実際に頼れる人間がお前くらいしかいないんだよな……ナズナさんやウメ先生は忙しいだろうし……他に頼れる人がいたらもっと楽出来るんだろうな……」

「…………」

 気まずい沈黙が流れる。俺は友達が少ない。というか、友達どころか知り合いも少ない。こいつとナズナとウメ先生と、さっき知り合ったサフランさんくらいだ。店員さんは……知り合いとはちょっと違うかな、うん。覚えてくれていたら嬉しいけど。

 ……それにしても四分の三が髪色ピンクなんですが、これはどういう事でしょうか先生。俺の第二の人生はピンク色に染まっていくのでしょうか。誰でもいいから教えて欲しい。

「イルさん……可哀そうなイルさん……」

 エニシダも俺の問題点に今更気付いたのか、ぼそぼそ呟きながら物悲しそうな目で俺を見てくる。や、やめろ。そんな目を向けるんじゃない……! こっちも悲しくなるだろ……!

「ね、ねえ、君達大丈夫? 何だかお通夜みたいな雰囲気だけど……?」

「あ、いえ、すみません。唐突に人生について考えちゃって……」

「……は?」

「ごめんなさい、なんでもないです。手紙は書いておいたので後はよろしくお願いします」

「あ、ああ、ちゃんと送っておくよ」

「それでは……ほらエニシダ、行くぞ」

「は、はい。ではまた、お仕事あったらお願いします……!」

 ひらひらと手を振るエニシダを連れ、足早に武器屋を後にする。後に残されたのはごっつい斧槍と手紙と店員さんのみ。

「何ていうか、礼儀正しいけど破天荒な子だったな……」

 店内で一人呟く店員さん。相当疲れたのか、顔にはさっきから苦笑が張り付きっぱなしだ。

「それにしてもエニシダちゃん、付き合う友達はもっとちゃんと選んだ方が良いよ……?」

 




エニシダさんは武器屋で小遣い稼ぎの為に何度か運送業をしたという設定。魔女の宅急(ry


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七日目「装備品購入:アイテムを買ってみよう」

ノルマの一日一万票を終えたので投稿できましたよやったー。


「ふう、買い物終わったー!」

「終わりましたねー。ってあれ、もう終わりなんです……?」

 武器屋を後にし近場のベンチに腰掛ける俺達。洋服店、武器屋と立て続けに濃い買い物をしたせいか、一仕事終えた感がすごい。

「何だかんだで総額十二万ゴールド以上の買い物したからな。これ以上の出費はちょっと……」

「確かに、サフランさんに出会ってなかったら、あの武器買えてませんでしたもんね」

「まあそれ以前に、お前があの店に案内しなければもっと節約できたはずなんだがな……」

「むぅ。でも一番良い店に連れて行ってくれ、って言ったのはイルさんじゃないですか」

「まあ、そうなんだが。あそこまで高級な店だとは思わなくて……」

 エニシダと取り留めのない話をしながらぼんやりと疲れを癒す。たらればの話はあんまり好きじゃないが、こういう風に今までの行動に問題が無いかを見つめる時間は大事だと思う。

「でも結果的にこんな良い服が手に入ったし、気に入った武器も買う事が出来た。お前のおかげだな」

「いえいえ、私は案内しただけですし……あと弄られただけですし…………」

 洋服店での出来事を思い出したのか、少しだけテンションが下がるエニシダ。

 ……いつまでも引きずられても面倒だし、ちょっとフォローしておこう。

「ほら、凹むなよ。……そうだ。何か食べたいものないか? お兄さんが奢ってあげよう」

「え、わ、悪いです。私まだお腹空いてないですし。あとイルさんはお兄さんって柄じゃ――」

 そう言った途端にエニシダのお腹がぎゅるると鳴る。

「うぅ、あうぅ……」

「……無駄に謙遜しなくていいから。取り敢えず何か買ってくるわ」

 返答を待たずにその場を離れ、近くに店が無いか探す。……お、発見。パン屋があった。おばちゃんが一人で店番をしてるみたいだ。

 ここは腕の見せ所だな。意識して子供っぽい声を作りおばちゃんへと話しかける。こう、なるべく愛らしく、可愛い感じで。

「すみませーん。お昼のおススメを二つー」

「あら、お買いものかしら。おススメを二つね」

「それなりにお腹に溜まるものがいいですー。友達がお腹を空かせているので」

「あらあらまあまあ。それじゃあバタールサンドとかどうかしら」

 そう言うとおばちゃんは奥へ引っ込み、二つに折ったフランスパンに、ハム、チーズ、レタスと言った具材をこれでもかと詰め込んだサンドイッチを出してくれた。めっちゃ美味しそう。

「おおー」

 素朴な反応で子供っぽい無邪気さをアピール。おばちゃんもにこにこ嬉しそうだ。

「お代は四百ゴールドね。二つだから八百ゴールドよ」

「はーい」

 銅貨を八つ渡して紙袋に入ったサンドイッチを受け取る。

「あ、そうそう。これもおまけであげるわ。自家製のレモネードなんだけど。パンだけじゃ喉がつっかえるでしょ?」

「え、いいんですか?」

「子供は遠慮するもんじゃないわよ? ああ、飲み終わったら容器は返してね」

 そう言うと、グラスを二つ乗せたトレーも手渡してくれる。紙袋とトレーで両手が塞がったが、何とか持てそうだ。

「おばちゃ――お姉さん、ありがとう!」

「あらあら、お嬢ちゃんったら上手いんだから……」

 お礼を言いエニシダの元へと戻る。にしてもお嬢ちゃん、お嬢ちゃんときたかー……男子らしく振る舞ったつもりなんだが、難しいものだ。

「あ、おかえりなさ――って、なんでそんなに大物なんですか!?」

「ふっ、我ながら完璧な立ち回りだった……」

 想像以上の成果だったのだろう、俺を見て目を丸くするエニシダ。それそれ、その反応が見たかったんだよ。お嬢ちゃんとか言われたこともどうでも良くなるね。

「ほら、腹が減ってるんだろ。とっとと食うぞ」

「あ、えっと、お金は」

「いいから、早く食え」

「あうう」

 二人してしばしサンドイッチに舌鼓を打つ。どうも焼きたてのパンだったらしく、外はカリカリ、中はふんわりと仕上がっていて非常に美味しい。ハムやチーズの塩気も相まってもりもり食が進む。おまけで付けてくれたレモネードもパンで乾いた口内を程よく潤してくれた。あっという間に完食。

「ふう、ご馳走様でした」

「あむあむ。イルさん食べるの早いです……」

 エニシダはまだ時間がかかりそうだな。手持無沙汰なので何となく食べる姿を見てみる。

「……じー」

「あぐあぐ」

「じー」

「……あの、見られてると食べづらいんですが……」

「ああ、お構いなく。ただの暇潰しだから」

「暇潰しなら私なんかじゃなくて周りを見ればいいじゃないですかっ」

「もぐもぐしてるエニシダが面白くてな……」

「何で!? ただ食べてるだけですが!?」

「うーむ、見てると何となくほんわかするというか、なんというか……はっ、これが親心って奴なのか……? 年頃の子を持った親の心境……!?」

「もう、何でもいいから話しかけないで下さい! ちゃちゃっと食べちゃいますので!」

「ちぇー」

 見過ぎたせいか急いで食べられてしまった。もうちょっと見たかったなー。

「それじゃ、容器返してきますね」

 エニシダはそう言うとパン屋へ向かって行く。おばちゃんと二言三言話してすぐに戻ってきた。

「えっと、どういう会話してきたんですか……? イルさんの事、よく出来たお嬢ちゃんって褒めてたんですけど」

「……企業秘密だ」

「あと私の事も綺麗なお姉さんって褒めてくれましたよ。お姉さんって」

「良かったな、若奥様――ごがががが!」

 

 

 仕切り直して。

「さて、これからどうするべー」

「ベーってなんですか、べーって」

 近場の時計で時間を確認してみる。時刻は午後二時を回ったところか。日没までは結構時間があるなぁ。

「取り敢えずこの街の事まだ全然分かってないし、その辺ぶらぶらするか」

「そうですね、ぶらぶらしましょうかー」

 当てもなく移動を始めようとする俺達。と、そこへ――

「え、あれ……? エニシダ……? もしかしてエニシダ……?」

「ん、なんでしょう。聞き覚えのある声が……?」

「ああ、やっぱりエニシダだー! うわーい!」

「って、その声はブルーエルフィンちゃ――ひぐぅ!?」

 声のした方へ振り向いたエニシダに突如として何者かが突っ込んできた。良い感じに頭突きがみぞおちに入ったようである。ナイスなチャージだ。

「遠路はるばるブロッサムヒルに来たし、折角だからってエニシダのおうちに行ってみたんだけど、留守だったから何処行ったんだろうってすっごい探したんだよー!? 朝からずっと探してて、もう疲れたからって何となくここに来てみたらやっと見つけたし! というか、何でいつもの服じゃないの!? そんなお洒落な服を着て今まで何してたの!? はっ、もしや良い人でもできた……!? そこんとこどうなのさエニシダー!?」

「……! ……!!」

 何者かは尚も頭をぐりぐりとエニシダのお腹に押しつけながら一方的に話し続ける。金髪を三つ編み二つで纏めた、ファンシーな装いの少女だ。背中には何故か羽根が生えている。こういう人種もいるのか。

 ……それにしても何かエニシダの顔が青くなってきてるし。そろそろ止めないと不味そうだ。

 仕方がないので少女の肩を掴み、両者を引きはがす。

「誰かは知らんがもうやめてやれ。こいつリバースしちゃうぞ」

「あ、えっと、ごめんなさい……?」

 少女は突然俺に掴まれたことに驚いたのか、先程の勢いから一転、借りてきた猫のように大人しくなってしまった。開放されたエニシダもむせてはいるが何とか無事なようだ。

「げほっ、ごほっ……お久しぶりです、と言っても一昨日以来でしょうか」

「なに、この子はやっぱり知り合いなの?」

「ええ、ブルーエルフィンちゃんって言って同じ魔女仲間なんですよ」

「ふーん? 魔女なのか」

 手を離してしげしげと眺めてみる。あ、よく見たらこの羽根作り物なんだな。何でこんなの背負ってるんだろう。……罰ゲームかな?

「あ、あんまりじろじろ見ないでくれない?」

「ああごめん、つい」

「で、エニシダ。この子はだあれ?」

「えっと、この人はイルさんと言いまして、色々と複雑な事情があって今街の案内をしてるんです」

「ふうーん?」

 今度はこちらがじろじろと見られる。見るなと言った本人が見てくるのは中々理不尽だ。

 ……まあ子供だししょうがないな。だが俺はこの程度で怒るほど狭量ではないのだ。

「なんていうか、良い服着てるし、髪長いけど、ええと、男の子……だよね……?」

「……うむ、男だが」

 男の子と言われて若干ムッとしたが、子供相手に苛立つのも大人げないので華麗にスルー。

「そんな子が滅多に私服なんか着ないエニシダと一緒……これはやっぱり……」

「いやいや、ブルーエルフィンちゃん。私服は割と着てるよ? 会合で会う時にはいつもの服で通してるだけで……」

 エニシダの訂正もブルーエルフィンには届いていないようだ。にしてもブルーエルフィンって名前はちょっと長い。三文字位に省略した方が良いと思うんだが。

「やっぱり、エニシダの彼氏……!? 年下が好みだったなんて……!」

「ぶふぉ!?」

 想像の斜め上の言葉が出てきて思わず吹き出してしまう。今こいつとんでもない事を口走りやがった。

「あう、あ、ち、違いますよ!? イルさんとはそういう関係じゃ……」

「何が違うのさ!? こんな真昼間から男女二人で歩き回ってるのは大抵恋人同士でしょ!」

「こ、ここ、恋人……」

 恋人というワードに反応したのか赤面して固まるエニシダ。おい、そういう反応すると誤解が更に深まるぞ。

「ああ、やっぱり赤くなったって事は付き合ってるんだね! 付き合い始めの初心な感じなんだね!?」

「ち、違いますよ! まだ付き合ってませんからね!?」

「まだ!? まだって事はそのうち……!? やっぱりそうなんだ!」

「あ、うあ、そういう意味じゃ……」

 案の定というか、これ以上ない程に燃え上がるブルーエルフィン。それとは対称的に段々と狼狽えていくエニシダ。お前ほんと説得下手だな……

 それにしてもこの辺で止めておかないと。変な噂になるのも嫌だし。

 またしても少女の肩をがっしと掴み、正面から顔を見据える。

「おい、ちょっと黙れブエル」

「な、ブエ――!?」

「ブルーエルフィン、略してブエルだ。まあそれは今はどうでもいい。俺とエニシダは全然そういう関係ではないし、今後そうなる予定もない。分かったか」

「え、でも」

「付き合っていない、いいね?」

「あっはい」

 俺の有無を言わさない説得で大人しくなるブエル。よしよし、いい子だ。

「あぅ、予定もないと明言されてしまいました……」

 ……エニシダが若干不穏なことを口走っているが無視だ無視。落ち着いたので話を仕切り直そう。

「んで、ブエルは何でエニシダの事探してたんだ?」

「えっと、その、ちょっと用事でブロッサムヒルに来たから、折角だし終わらせたらエニシダと一緒に色んな所、行きたかったなって……」

「ふむふむ、なるほど?」

「ウィンターローズからここまで来るのに結構かかっちゃったし、今日を逃したらもう帰らないといけなくて。だから、さっきエニシダを偶然見かけてすっごい嬉しくなっちゃって、その、ごめんなさい……」

「……」

「ブルーエルフィンちゃん……」

 たどたどしく俺達に説明してくれるブエル。なるほど、それならしょうがない。まったくもってしょうがないな……

「……エニシダ。俺の事はもういいから、ブエルと遊んでいってやれ」

「え、イルさん……? いいんですか?」

「ああ、どうせこの後は特に予定もないからな。ぶらぶらするのは一人でもできるし。それに、友達は大切にしてやるもんだ」

 ……友達のいない奴の言うセリフではないが、まあここはカッコつけておこう。

「え、いいの? エニシダと遊んでいいの?」

「ああ、もちろんだ。むしろ今まで借りていて申し訳なかった」

「わぁぁ……!」

 そんな俺の言葉で途端に笑顔になっていくブエル。根は素直な良い子なのだろう。微笑ましい限りだ。

「ありがとう、イルさん!」

「うむ、ちゃんと遊び尽くすんだぞ。ブエルは子供なんだから色々経験しておくことだ」

「言い忘れてたけど、そのブエルって略すのやめて!?」

「……ブエルって名前、カッコいいと思うけどなぁ。由緒正しい悪魔の名前だし、魔女にはぴったりだぞ?」

「悪魔の名前だったの!? というか、変なあだ名付けないでって言ってるの! そんなので喜ぶなんて、本当に子供なんだから!」

「……今度子供って言ったら、その羽根縫い合わせて二度と開かないようにしてやるから。覚悟しておけ……?」

「ひぃ!?」

「ちょっと、イルさん大人げないですよ!? 影も動かさないで下さい!」

 いけないいけない。ついカッとなって隠していた本音が出てしまった。いや、影だって勝手に動いただけだし。もー、制御のきかない能力なんだからーまったくー。

「まあ、その、なんだ。……エニシダ、後は任せた。また明日な」

「あ、はい。任されました。また明日会いましょう」

「何あの子……一瞬だけすごい殺気がしたんだけど……影も何か蠢いてたし……?」

「さ、さあ、ブルーエルフィンちゃん、気を取り直して遊びにいきましょう! イルさんはちょっと体調が悪いみたいなので!」

「あ、うん、そうだね……?」

 仲良く手を繋いで街へと繰り出していく二人。若干強引だったが、特に不審がられてはいないようだ。ナイスフォローエニシダ。

 見えなくなるまでしっかりと見届けた後俺も行動を開始する。

「さて、気を取り直してぶらぶらしますかねー」

 

 

 ブロッサムヒルの街並みを、ぶらり。

 中央通りに戻ってきた俺は取り敢えず南に行ってみる事にした。なんで南なのかは本当に気まぐれだ。特に意味は無い。露店や店先を覗きながら人混みに紛れふらふらと歩く。

「ふーむ……」

 時折世界花と太陽の位置から方角を確認しつつ歩いているおかげで、道に迷う心配などはないのだが、地図を持っていないので何処に何があるのかがさっぱり分からない。まあ、こういうのもいいだろう。特に目的がある訳でもないし。

「おお?」

 そうこうしているうちに何やら城壁に面したでっかい門に到着。門の向こう側では馬車などが止められており、大勢の人――守衛さんかな――が積み荷や書類のチェックのためだろうか、慌ただしく働いていた。恐らくは審査や検疫の類だろう。お勤めご苦労様です。けど重要な仕事なので頑張ってください。

「街の外には出ない方が良いか……」

 街道へ出て見聞を広めるのも悪くはないとは思うが、流石に買い物袋をぶら下げて出る気にはなれない。踵を返し、再び街を歩き出す。

「……」

 中央通りをそのまま取って返していく。行きには見落としていた店なども結構あるので自然と見回しながら歩いているが、中々にこれが面白い。

 と、見落としていたであろうある一店の露店に目が留まる。一見すると小物を売っているようだが……ちょっと近づいて見てみるか。

「へい、らっしゃーせー」

「らっしゃーせーって……」

 露店へと近づいた俺に呼び込みのお姉さんはコンビニエンスな声を掛けてくる。フードを目深に被っていて怪しいことこの上ない外見だ。どことなくやる気が感じられないのは気のせいだろう。

 ……にしても、何処でも呼び込みの声はこういう風に最適化されていくんだろうか。

「なんか色々あるな……?」

 露店の売り物を見渡してみる。

 敷物の上にある品々は大抵がデフォルメされた動物や建物、人形といったもので、それが所狭しとスペースの上で並べられている。例えるなら、フリーマーケットの中古品販売といった雰囲気だ。

 ……遠目では分からなかったが、この店は小物店なんかじゃないな。言うなればキャラグッズだ。キャラグッズが売っているのである。大事な事だから二回言いました、はい。

 取り敢えず、まずは露店のど真ん中で強烈に自己主張をしているこいつについて聞いてみよう。

「なあ、何で埴輪があるんだ?」

 そう埴輪である。土偶でもなく火焔土器でもなく、埴輪が鎮座している。なんだこれ。

「ああ、それは花騎士にハゼっていうめんこいのがいるんすけど、その子が持ってるのをパクっ……参考にぬいぐるみとして作ってみたんっすよー」

 俺の疑問にあっけらかんと答えてくれるお姉さん。本当だ、よく見たらこれぬいぐるみだ……というか、パクったって言いかけたけどこの店大丈夫か。著作権とか肖像権とか、色々と。

「大丈夫っすよー。ばれてもちょっぴり怒られるだけっすから。というかその前に逃げますしー」

 そんな俺の訝しげな視線を感じ取ったのか、フランクに釈明を始めるお姉さん。悪気はバッチリあるようだ。何というか商魂たくましいな……

「……通報した方がいいのかな?」

「ああ! 今のは冗談、ちょっとした冗談っすよー! 通報はやめてよねお兄さん。あっはっは!」

「……」

 ……ちゃんと俺の性別を看破しているあたり観察眼だけは確かなようだ。その腕に免じて通報はやめておいてあげよう。

 埴輪の事はそれなりに分かったので他の品も見てみる。

 緑色のゆるキャラめいた兎。真ん丸でそのままボールにも使えそうな、もっふもふのよく分からないもの。どう見てもキウイフルーツにしか見えない物に何故かくちばしと脚が生えた何か。スズメを極端にデフォルメして、更に巨大化させたぬいぐるみ。

 あと何故かアルマジロ。あれ、何でこいつだけまともなんだ……?

「……なあ、この店の買っていく奴いるの?」

「いやぁ、さっぱりっすね! 品に縁のある方には好評なんですが、それ以外はお兄さんみたいな反応しかしないっす! あっはっは!」

「あっはっはって……」

 売る気があるんだか無いんだか……売っている人といい品といい、謎が多過ぎる……

 少しだけげんなりしつつも他の品も物色していく。

 ……すると、敷物の奥の方に予想外の物を見つけてしまった。

「こ、これは……」

 それは楕円形の球体、大きさは両手で抱えるくらい。申し訳程度に付けられた耳と四肢に、目、口、鼻、眉毛といった顔を構成するパーツがあざといくらいに可愛く付けられている。

 これは……どう見ても……

「ああ、それはビワパラさんっすね。可愛いでしょー?」

「いやこれ、カピ○ラさんでしょ?」

「違うっすよー。ビワパラさんっすよー」

「どう見たってカ○バラさんなんだが……」

「違うっすよー。ビワパラさんっすよー」

「…………」

「違うっすよー。ビワパラさんっすよー」

「何も言ってないだろうが!?」

 ……同じ返ししかしてくれなくなってしまった。しかしそうか、ビワパラさんか。なら仕方ないな、うん。

 何となく手に取ってみる。

「おおぅ、結構肌触りが良い……」

 すごい、モフモフだ。モッフモフである。それ以外言葉が見つからない。ハイモフリティ。あと、カ○バラさん特有のこの憎めない顔つきが実にチャーミングだ。

「はぁぁ……」

 見つめていたら思わず深々とした溜息が出てしまった。何て愛らしいんだろうか。こっちに来て初めて癒された気がする。エニシダにもそれなりの癒し力があったが、これには勝てないだろう。

 そんな俺を見て、お姉さんがニヤニヤ笑いながら話しかけてくる。

「お兄さん、ひょっとして可愛いもの好きー?」

「いや、これは別格というか、何というか……」

「……ギャップ萌え狙い?」

「うるさいよ!」

 いらんことを言う人だ。まあそれはそれとして。

「……これ、おいくらです?」

「五千ゴールドっすー」

「うわ、たっか……」

 想像以上の値段だった。だがこのモフリティ、見逃すには惜しい。露店って事はいついるか分からないし、何より運良く次に見かけても売り切れてたら多分、いや絶対絶望する。

「これ一つ、いや、二つ下さい」

「はいよー。色はどうするっすか? 茶色と白があるけど?」

「……両方一つずつで。あ、茶色い方は送ってもらいたいんですけど、できますか?」

「あいあい、出来るっすよー。送り先はー?」

「お城のナズナって人に送りたいんですが。あと、紙とかペンありますか。手紙も添えたいので」

「ほいほい、お城宛で紙とペンねー」

 さきの武器屋と同じ要領で手紙を書く。……書けた。お金と一緒にお姉さんへ渡す。

「ではよろしく頼みます」

「ほほい、毎度ありっすー。また来てねー。次もここに居るか分からないっすけど! あっはっは!」

 ひらひらと手を振るお姉さんの言葉を背に、店を後にする。手にはカピ……ビワパラさんの入った紙袋がある。

「ふふっ……」

 ちらちらと紙袋の中から覗く顔を見ると、自然と頬が緩んでしまう。ああもう可愛いな、ちくしょうめ。

「あらあら、あの黒い子。ニコニコして嬉しそうねぇ」

「よっぽど欲しかったものでもあったのかねぇ。ほほほ」

「……!」

 ……どうやら今のたるみ切った顔が誰かに見られていたようだ。声のした方を見ると井戸端会議に興じているおば様達がいた。どうやら話題のダシにされてしまったらしい。これ以上何か言われるのは嫌なので足早にその場を離れる。今後はなるべく人前で紙袋の中を見ないようにしないとなー……

 




初っ端から癒しグッズに大金を出すあたり彼の金銭感覚は歪みまくってますね。
良い子は真似してはいけません。


……話は変わりますが、風の噂だと三月末に設定資料集が出るようで。
あんな所やこんな所の設定が分かるとなるともう……しゅごい……
しゅごい書き直す所が出てきそう……


だがそれがいい。


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七日目「市街探索:街で見聞を広めよう」

エニスィダザァン!? ジュウニイドェズガ!?
……すみません取り乱しました。本編どうぞ。


 またしてもブロッサムヒルの街並みを、ぶらり。

「ふぅ……」

 両手が戦利品で埋まっていてちょっと歩きづらい。加護で強化されたとはいえ、ダウンサイズされた俺の体には紙袋が大きすぎるのだ。これなら洋服もついでに送ってもらえばよかったなぁ。……ビワパラさんは貴重な癒しなのでこのまま持ち歩くが。

 世界花を見上げて方角を確認してみる。どうやら大分東へ移動して来ていたみたいだ。手頃なベンチもあるし、少し休憩しよう。

「よっこいしょっと」

 紙袋をベンチに放り出しどっかりと座りこむ。

「今の声をエニシダに聞かれたら、『何おっさん臭い声出してるんですかー』とか言われそうだなー……」

 自然と独り言が零れる。それにしてもエニシダはブエルと仲良くやってるだろうか。のほほんとしたあいつの事だ。振り回されてないといいが……

 

「へぶちっ!」

「あれ、エニシダー? 風邪―?」

「ふぐぅ……あ、いえ、大丈夫です。誰かが噂してるんでしょう、きっと」

「ふーん? ……あ! アイス売ってるよ! アイス! 食べよー!」

「ちょ、ちょっと、服を引っ張らないでください……ああ!? さっき買った焼き菓子が……! あ、あう、釣られて魔導書まで……!? ああ、側溝に! 側溝に!」

「おじちゃーん、アイスー!」

 

 ……何だか現在進行形で災難を受けているような気がしたが、気のせいだろう。

「さーこれからどうするかー……ん?」

 何気なく周囲を見回したら変なものを発見。それは街路樹の根元、芝生の上で転がっていた。よく見てみようと何となしに近寄ってみる。

「すやぁ……うにゃぁ……」

 そこには簡素な白いワンピースに身を包んだ茶髪の少女が丸まって寝ていた。周りには野良ネコも何匹も一緒にごろごろと寝ていて非常に和やかな光景である。

 これだけだったら不用心な子だなー、で済ませるのだが――

(何でこいつ、ネコ耳と尻尾が生えてるんだ……?)

 そう、ネコ耳に尻尾である。さっきのブエルの羽根は作り物だったがこれはどうなんだろう。本物? あと尻尾は何処から生えてるんだ?

 好奇心に突き動かされるまま、まずはネコ耳に触れてみる。ピクピク動いて本当の猫みたいだ。髪とも毛とも付かない手触りで、これまた何とも判断が付かない。

(猫なのか、人間なのか……それとも全く新しい何か……?)

 しばらく頭を撫でたり耳を伸ばしたりしながら思案に暮れる。むーん、これは難しい……

 尻尾はどうだろうかと思い、思案から戻り目を下げると、

「……ふぁ……うにゃ……?」

「……」

 寝起きの猫少女と目が合ってしまった。……えっと、こういう時はだな。

「あ、その、おはようございます……?」

「…………にゃふぅ……」

 取り敢えず挨拶したものの寝惚け眼でこちらを凝視してくる猫少女。

「……その黒髪はブラックバッカラ様……? にしてはちっこいのにゃ……?」

 声音から察するに大分寝惚けているご様子。

 それにしても語尾に“にゃ”とか……すごい。本当に言う奴いるんだな……

「俺はそのブラックなんたらという人ではないんだが……」

「……にゃぁぁ……取り敢えず頭撫でるのやめるにゃ……」

「おっと、これは失礼……」

 どうやら無意識下で機械的に撫で続けていたようだ。さっと手を戻す。

「……で、あんた誰にゃ?」

「通りすがりのお兄さんだ。名乗るほどの者じゃない」

「にゃあ……? お兄さん……? ふんふん」

 不思議そうに鼻を鳴らしながら俺を上から下まで見る猫少女。そんなに見つめるなよ。照れるぜ。

「確かに匂いは男の人だけど、見た目でどっちなのか分かりにくいにゃ。分かりにくいから髪をもっと短くするのにゃ」

「それが出来たら苦労しないんだがなぁ。切ってもほら、この通り」

 見せつけるように前髪を影の刃でバッサリと切る。瞬時に再生する俺の髪。何度見ても気色悪いよなこれ……

「すぐ伸びちゃうんだよねー」

「にゃにゃにゃ!?」

 驚いたのか目を丸くする猫少女。反応も猫みたいだな……

「お兄さん、今どうやって髪切ったにゃ? あと切った髪はどこ行ったにゃ?」

「ふっふっふ。企業秘密だ」

「き、気になるにゃー……」

「……気になるといえば、俺もあんたの事が気になってしょうがないんだが」

「にゃ?」

「そのネコ耳と尻尾は何なんだ? 作り物じゃないみたいだけど……」

「これはこういうものにゃ!」

 尻尾をたしたし叩き付けながら自信満々に言う猫少女。うむ、全くわからん。

「お兄さんの髪の毛の秘密を教えてくれたら教えてあげてもいいにゃ~♪」

「むう、取引と来たか」

 猫人間の癖に取引を要求してくるとは中々の知能レベルだ。猫又なのかもしれない。

 まあ別に秘密と言うほどのものでもないし、教えてあげるか。ネコ耳と尻尾の方が気になるし。

「では教えてやろう。俺の髪の毛はだな――」

「……ごくり」

 固唾を飲んで俺の話に耳を傾ける猫少女。

「……とある魔女から奪ったものでな。魔女を出し抜いて影を操る能力を手に入れたはいいんだが、同時に若返りと髪が一生このままになる呪いも受けてしまったのだ……!」

「にゃ、にゃんだってー!?」

 咄嗟に口から出まかせが出てしまった。まあ魔女が絡んでいることには間違いないし、嘘はついてないな、うん。

「さあ、見るがいい。これが俺の能力だ!」

 仰々しく宣言した後、自分と猫少女の周りを取り囲むように無数の影の槍を生やす。ものすっごい厨二行動だ。我ながら惚れ惚れする。

「にゃ!? にゃにゃににゃ!?」

 仰天し、目を白黒させてその場に固まる猫少女。周りで寝ていた猫も驚いたのか、にゃあにゃあ鳴きながら散り散りに離れていく。

 即座に槍を溶かして影に戻す。……街中で能力使ってるのが見られたら通報されそうだし。

「お兄さん何者にゃ!? あれなのにゃ!? 魔女にゃ!?」

「いや、魔女じゃないし。そこは男だし、せめて魔人にしておいて……?」

 猫少女の貧困な語彙力に突っ込みを入れる。というか、それだと話の中で魔女と魔女で役割が被って面倒臭いだろうに……

「まあ俺の事はこれで明かしたとして……」

「髪のこと聞いただけなのに謎が深まったにゃ!? その影なんなのにゃ!? 呪いをかけた魔女って誰にゃ!?」

「……ここから先は有料になります」

「そ、そんにゃー……お金なんて無いのにゃー……」

 がっくりと項垂れてしまった。ネコ耳と尻尾も連動するかのように縮こまってしまう。

「それにしてもそのネコ耳と尻尾、本当に何なんだ……? 俺は教えたんだし、さっさと教えたまえ」

「……この耳と尻尾は魔力を制御するためのものにゃ。私の器に対して加護の魔力が強すぎたから、こうやって具現化させて制御してるのにゃ」

「ほうほう、魔力制御か。なんかどっかで聞いた話だな……」

「こんな一般常識聞いてきたのなんて、お兄さんが初めてにゃ……本当に何者なのにゃ……?」

 ……一般常識と聞いて思い出した。エニシダ先生から教わった内容じゃないか。たったの数日前の出来事のはずなのに、何故だろう、すごい遠い記憶のように感じる……

「急に遠い目をしてどうかしたにゃ?」

「いや、今までの人生を振り返っててな……色々あったなって……」

「今の話の流れからどうして人生について考える事になったのにゃ……」

 呆れ顔でそう言い放つ猫少女。まあ事情をこれっぽっちも知らないこいつからしてみれば俺の言動は不可解極まりないだろうな……

「まあそれはそれとして、だ」

「んにゃ?」

「お前さんは猫なのか人間なのか、どっちなんだ?」

「今までの説明聞いてなかったのにゃ!? 正真正銘人間にゃ!」

「普通、人間は語尾ににゃとか付けないと思うんだが……」

「こ、これはその……」

 俺の指摘に口ごもる猫少女。……おかしい自覚はあるのか。

「仕方ないのにゃ! この耳と尻尾がいけないのにゃ! 普通に話してもにゃってつい言っちゃうのにゃ! でもそれ以外はれっきとした人間にゃ!」

「ほーう……」

 頑なに自分は人間だと主張してくるな……ではここでちょっと試してやろう。

 手近にあった木の枝を拾い、先っぽに短めの影の糸をくっ付ける。糸の端はぐるぐる巻きにして丁度良い重さに調整。

 ……これでよし。即席の猫じゃらしの完成だ。猫少女の目の前でふりふりと振ってみる。

「ほーれほれほれ」

「にゃ……にゃ……!?」

 途端に揺れる猫じゃらしへと目が釘付けになる猫少女。反応するのを我慢しているのか、手がプルプル震えている。

「ほらほら、どうした。人間ならこんなのどうとでも無いよなー?」

「や、やめるにゃ……! 目の前で揺らすんじゃないにゃ……!」

 ぶらぶらと揺れる猫じゃらし。それに対して段々震えが大きくなっていく猫少女。

「くくく、我慢なんかしないで早く飛びついてきたらどうだ……? 震えているじゃないか……?」

「う、うるさいにゃ……私は人間だから……こんなのには屈しないにゃ……っ」

「そういう割にはさっきから必死に目で追いかけてるみたいだがな?」

「にゃ……にゃあぁ……!」

 それから数分ほど膠着状態を続ける俺と猫少女。だがとうとう――

「にゃああ!」

「おっと危ない」

 唐突に両手を突き出し、猫じゃらしを捕まえようと飛びかかってくる猫少女。捕られてはかなわないのですんでの所で引っ込める。どうやら本能には勝てなかったようだな。

 再度猫じゃらしを眼前で揺らす。

「にゃ、にゃあぁ! こんな玩具に負けるなんて……! にゃぁぁぁ!」

「くくっ、ははは! 俺の勝ちだな! 存分に遊ぶがいい猫少女、もとい猫よ!」

 躍起になって捕まえようとしてくるが、それら全てを躱し、時には影を切り離していなしていく。……切り離してもすぐ別のを生やせば何の問題もないしな。このにゃんこは夢中になってて生え変わったのにすら気付いてないみたいだが。

「猫じゃないにゃ! にゃ! にゃあ!」

「そう言う割にはすっかり夢中じゃないか。説得力がないぞ?」

「にゃぁぁぁ! 体が勝手に動くのにゃ! そのぶらぶらさせるのやめろにゃ!」

「それ、ぶらぶらー」

「うにゃあああ!」

 ひとしきり猫少女と戯れる。何て楽しい午後の一時だろうか。にゃんこと遊ぶのは癒されていいなぁ……

「ふぅ、あー楽しかった……」

「にゃ……にゃああ……身も心も思いっきり弄ばれてしまったのにゃ……」

 影を外し、木の枝をその辺に放り投げる。猫少女は疲れ果てたのか、その場にぺたんと座り込んでしまった。

「もう、どっか行くにゃ……! 疲れたからまた寝るのにゃ……!」

「おう、お疲れ様」

「誰のせいで疲れたと思ってるにゃ!!」

 猫少女は最後にふしゃーと威嚇して、別の木陰へ行ってしまった。最後まで猫々しい奴だ……

 

 

「さて、たっぷり遊んだし、俺もまたぶらぶらするか……」

 満足した俺はその場から離れようと振り返る――

「――ぬおっ!?」

「うふふふ……」

 ……振り返ったのだが。目の前には見知らぬお姉さんがにこにこと笑いながら立っていた。

 突然の闖入者に思わずしげしげと眺めてしまう。中々の金髪美人さんだ。シスターっぽい紫色の服装に頭に被ったヴェール、察するに修道女さんか何かだろうか? この世界だとどうなのかは知らないが。

「ええと、どちら様でしょうか……?」

「うふふっ、通りすがりのお姉さんよ。名乗るほどのものじゃないわ」

 俺が猫少女にしたような説明をしてくれるお姉さん。……という事は。

「……もしかして、さっきの見てました?」

「ええ、最初から最後まで、余すことなく見させてもらったわ。それにしても貴方――」

 一旦言葉を切ると、こちらの顔を覗き込んでくる。覗き込んでくる目には妖しい魅力が嫌というほど湛えられていた。

「中々見どころがあるわね。お姉さん感心しちゃった」

「ええと、それはどうも……?」

「ええ、あのにゃんこ相手に中々の弄びっぷりだったわよ……最後の方の、『こんな奴の思い通りになっちゃいけないのに、体が勝手に動いちゃう……!』って展開、本当に素敵だったわ……凌辱され尽くし、苦悩に満ちたにゃんこの表情……ふぅ……」

「は、はぁ……」

 困惑する俺を余所に恍惚とした表情で溜息をつくお姉さん。仕草が無駄にエロい。

 ……にしても、この人危ない人かな……?

「ああ、ごめんなさい。出先で思いがけぬものが見られてちょっと悦に入っちゃった。うふふふっ」

「いえ、お構いなく。なんか気に入ってくれたようで何よりです」

「……でもね。あんなのじゃまだまだ生温いわ」

「……はい?」

「私だったらもっと苦しめる事が出来る。あのにゃんこの苦悶と恐怖の表情をもっと堪能することが出来る。貴方よりも、ずっとずっと上手く出来るわ!」

「あの、言ってることが分からないんですが。俺はあのにゃんこと遊んでただけ……」

「私の前ではそんな建前は言わなくていいのよ? 確かに他の人に堂々と言える趣味じゃないってのは分かるけど」

 何か勘違いしていらっしゃるのか、うんうんと頷きながら納得するお姉さん。あの俺、加虐趣味とか無いんですが……

「まあいいから見ていなさい。先達としてお姉さんがお手本を見せてあげる♪」

 困惑する俺を残し、歩き始めるお姉さん。向かう先には猫少女が眠りこけている。この短時間でもう寝入ったのか、あのにゃんこは。

 ……これから何が起こるか分からないが、すごく嫌な予感がする。逃げて。超逃げて。

 でも怖いもの見たさで呼び起こしたりはしない俺なのでした。いやぁ、実際何が起きるのかわくわくですよ。

「―――。――――」

 そんな俺を余所に、ゆったりと歩みを進めるお姉さん。何処からともなく本を取り出し何事かを呟く。気のせいか、手に持っていた本が光ったような……?

「……はっ?」

 本に意識がいった次の瞬間、お姉さんは跡形もなく消えていて――

「うにゃああああ!?」

「うふふふっ、つーかまーえたー♪」

 声のした方、猫少女の眠りこけていた方を見ると、お姉さんが猫少女の尻尾を握って嬉しそうに笑っていたのでした。何という早業だろう。いや、あれは魔法の類か……?

「今度は何なのにゃ!? 尻尾を掴むのは誰にゃ!?」

 突然の事態に混乱しながらも、状況を確認しようと試みる猫少女。尻尾を捕まえている何者かを確認し驚愕に目を見開く。

「げえっ!? ベロニカ!!」

「はぁい♪ お目覚めね、良い顔してるわよ? うふふっ」

 確認すると同時に、大量の冷や汗をかきながら震え始めた。それと対照的にうっとりと微笑を浮かべるお姉さん。予想通りの反応が得られたのか、とても満足そうだ。

 猫少女の反応を見る限り、やっぱりこのお姉さんヤバイ人なの……?

「何をする気にゃ! 取り敢えず尻尾離すにゃ!」

「やーねぇ。そこの黒い子とは楽しく遊んでいたのに、私と遊ぶのは嫌だなんて。連れないにゃんこね。お姉さん悲しいわ……」

「遊んでないにゃ! 勝手にあいつが絡んで来ただけにゃ!」

 ふしゃーと抗弁しながらもがき続ける猫少女。だがその努力も空しく、拘束から逃れることは出来ないようである。あの尻尾にはそれほど力が入らないようだな。

「そんなにはしゃがなくても、ちゃんと遊んであげるわ、よっ!」

「にゃあ゛あ゛!?」

 そう言い放つと一息に尻尾を結ぶお姉さん。すごい、猫の尻尾を結ぶ人とか初めて見た……やられた猫少女の方も凄まじい鳴き声出したな……

「くすくすっ、良い声出せるじゃない。もっと鳴いてよ? ほら、ほらっ!」

「や、やめお゛お゛ぉ゛ん! にゃあ゛あ゛あ゛!!」

「うふふふっ! じゅーりん♪ じゅーりん♪ あははははは!!」

「にゃあ゛あ゛あ゛あ゛!!」

「あの黒い子も楽しんでいたんだもの。今日くらい、私だって自分で楽しんでもいいわよね? 『嗚呼。主よ、我を許し給え』……なーんちゃって♪ うふふっ、あっははははっ!」

「お゛お゛お゛お゛ぉん!!」

 ぐいぐいと尻尾が引っ張られるたびに閑静な街中に絶叫と哄笑が木霊する。

 おお、神よ。あなたの従僕たるシスターが現在進行形で外道を行っています……見るも無残な光景だ……

 そんな光景を見て少なからずいた行き交う人々も最初は凍り付いてたけど、今はもうなるべく危険人物には関わり合いにならないようにと、そそくさと立ち去ってしまっている。

「ねえ、おかーさん? あのひとなにしてるのー?」

「しっ! 見ちゃいけません!」

 こんな具合に。まあ普通そうするよね。

 なので俺もそうすることにした。矛先がいつこっちに向くか分からないしな……

 ……十中八九原因は俺なんだろうけど、あのお姉さんを御する自信とか微塵も持ち合わせていませんので。主よ、我を許し給え。

 あちらが盛り上がっている最中なのを利用して、息を殺しなおかつ最速でベンチへと帰還。荷物を確保した後に跳躍。影を蹴り、直近の建物の屋根伝いに逃走を図る。

 ……さらば、猫少女よ。

 短い付き合いだったが、お前の猫々しさ、嫌いじゃなかった、ぜ……

「さあ、黒い子さん、ちゃんと見てなさい。これからが本番よ! って、あらら、どっか行っちゃった……?」

「……にゃああ……うにゃあぁあ……」

「……まあいいわ。それにしてもあなたの鳴き声、やっぱり最高よ♪ もっともっと鳴かせてあげるから、お姉さんと仲良く遊びましょうね~♪ 今度はこの尻尾を……」

「も、もうやめるにゃ! 尻尾はそこに入れるものじゃないにゃ!? お゛ぉ゛ぉ゛ん゛!? 助げでにゃあ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛……」

 ……背後から断末魔の如き絶叫が聞こえたが、振り返らずに屋根から屋根へ、とにかく遠くへと駆ける。行先に当てなど無いが、とにかくあの悪夢のような光景から逃れるために。遠く、ひたすらに遠くへ……

 

 

「はっ……はっ……はあっ……」

 屋根を走る。飛び移る。走る。飛び移る。

「は、はあっ……ふうっ、酷いものを見たぞ……」

 悪態を付きながら走るのをやめる。流石にこれ以上は走れそうもない。ぜえぜえと肩で息をしながら呼吸を整える。

 戦闘はそうでもないけど、単純な運動はやっぱり苦手だなぁ……苦手意識が固定観念として根付いているのがいけないんだろうか。

 あれから遮二無二走り続けた俺は疲労の極致にある。この矮躯で荷物を両手に持ちながら、屋根から屋根を伝って走り続けたのだ。疲れない訳がない。誰かに良く走ったと褒めて欲しいくらいだ。

 ……こんなに疲れるのだったら途中で止まってもよかったんだけど、ほら、あのお姉さん変な転移とか使ってたし? 中途半端な所で安心して立ち止まったりしたら余裕で追いつかれそうだし?

「まったく、にゃんこで癒されたと思ったら、恐ろしい人が出て来たせいで台無しだよ……」

 癒しのプラマイ収支で言ったらぶっちぎりでマイナスだ。ダブルスコア付けてるくらい。

 呟きつつ屋根から跳躍し、裏路地へ降り立つ。また着地と同時に周囲も見渡す。……特に人目には付いていないようだ。例のお姉さんもいないな。

「大分走ったけど、ここはどのあたりかな……」

 裏路地から表通りへ出て、空を仰ぎ方角を確認してみる。なるほど、また南側へと戻って来てしまったようだ。世界花の逆を見ると例の大門も見ることができる。

 ついでに近くの時計で現時刻もチェック。

「時間はっと。……ああ、もう四時か。随分油を売っちゃったな……」

 エニシダと食事をしたのが二時だから、あれから二時間も経ってしまったのか。遅いんだか早いんだか……だがまあ、ビワパラさんという思わぬ収穫を手に入れたので良しとしよう。

「ああ、それにしても本当に疲れた……」

 またしても溜息と共に愚痴が零れる。こう易々と出てしまうあたり、早々に何処かで休憩を入れなければいけないな……

 疲れた体を押し表通りをそぞろ歩く。歩きながら視線を巡らせ、何処か休憩できそうな場所を探す。あった。通りに面しているどこかへと通じる階段。あそこなら座れそうだ。

「はふぅ……」

 矢も楯も堪らずに座り込んでしまった。まあここなら人通りも少ないし、迷惑にはならないだろう。また、座ると同時に紙袋からビワパラさんを取り出し、気の赴くままにモフモフと撫でる。ほとんど発作的な行動だ。しばしモフモフと戯れる。

「お前はこんなにモフモフで可愛いのに、何で俺はこんな疲れてるんだろうな……」

 自然とそんな独り言が出てしまう。だがその声に応えてくれる者はいない。ビワパラさんもぐにぐにと形を変えながら癒してくれるばかりだ。

 それにしても疲れた心と体にモフモフが染みる……何やらちらちらと人の視線を感じるが、もはやどうでもいい。俺には早急に癒しが必要なのだ。

「…………」

 衝動的に抱きかかえて、ボフッと頭を押し付ける。さながら抱き枕やその類の扱いだが、そこは流石のビワパラさん。比類なきモフリティで俺の要求に完璧に答えてくれた。

「……………………」

 ……ああ、これはまずい。疲れからかはたまた安心からか、眠気がどっと押し寄せてきた。

 驚くべき肌触り。気持ち良すぎる……何という気持ち良さ……恐るべきモフリ……ティ……

「………………すやぁ……」

 ……こんなところで寝るなんて我ながら不用心だとは思うけど、まあしょうがないよね。疲れたら休む。眠い時には寝る。これ重要ですよ。覚えておきましょう。無理のし過ぎは本当にやめたほうがいい。ほら、人生まだ長いんだし。

 そんな言い訳を薄れゆく意識で思いながら、安らかに寝入る俺なのでした……

 




彼は否定してますが、ベロニカさんの言うとおりそっちの素質も中々のものです。あてられてちょっと信条を緩くするくらい。
それにしてもベロニカさん書くの本当に楽しい。愉悦麻婆食べさせたい。


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七日目「ある騎士との邂逅」

気付いてしまったんだ。周回しながらでも校正作業は出来るという事に……!


 ガタガタゴトリ。

 フォス街道をガタガタと揺れながら馬車が進んでいく。

 ガタンゴトンゴトゴト。

 馬車の窓から見える光景は、畑、農家、どこまでも続くようなだだっ広い街道。点在する木々に花々、時折擦れ違う行商や旅行中の人々、そして巡回任務をする花騎士達。

 馬車の中はというと、私のように最初から乗り続けている人は少なく途中から乗ってきた人が殆どだ。穏やかそうな老夫婦や、畑仕事の移動にと少しの間だけ乗り継いでいく農夫、さらには荷物だけ載せてくる酔狂な人さえいたりした。誰かに呼び止められるたびに馬車は止まったり速度を緩めたりするので、中々に進みが遅い。

 ……まあこのご時世、助け合いは大事なんだけど、もうちょっと急いでもいいんじゃないかなって思う。

「ふぅ……」

 そんな人間模様や風景を見ながら私は溜息を漏らす。いい加減見飽きた光景である。もうかれこれ一日中見ているのだ。飽きるなという方が難しい。それにそろそろお尻も痛くなってきた。フォス街道は比較的舗装されているとはいえ馬車が揺れない訳もなく、ガタガタと揺れるたびに自然と顔を顰めてしまう。

(いつになったら着くのかな……)

 そう思いつつ空を仰ぐ。太陽も大分傾いてきた。角度からすると大体四時かそれくらいだろうか。日没までに着けばいいんだけど……ああ、それにしてもこんなに暇なら本の一冊や二冊でも用意しておくべきだったなぁ……

 ぼんやりと取り留めもない事を考えながら時間を過ごす。こんな風に馬車に長く揺られるのはもう何度も体験したけど、一向に慣れる気がしない。毎回お尻は痛くなるし、酷い時には酔ったことさえあった。

 そんな自分には歩いたり走ったりする方が性に合っているのだと思う。まあ、もっと早い移動方法もあるにはあるのだけど、あれは短距離しか移動できないうえにちょっと危険だし……

「もうそろそろ街に着くぞー」

「……!」

 馬車の御者さんの声で我に返る。つまらない事を考えていたら結構時間がたっていたようだ。窓から乗り出して前を見ると、なるほど、城壁が見える。もう十数分も待てば着くだろう。……ちょっとだけ緊張してきた。自然と、自分が一日中馬車に揺られる羽目になった理由について思い出してしまう。

(王室からの呼び出しなんて……私、何かしちゃったのかな……)

 事の発端は数日前に届いた一枚の手紙だった。

『王城にて火急の任務あり。可及的速やかに参られたし。なお、貴殿は現時点を以て転属となる。転属先は王城に到着次第伝達予定。部隊再編等の手続きは上官へと一任せよ』

 こんな簡潔ながらも強制力に溢れた手紙が突然私宛に送られてきたのだ。しかもご丁寧に王室紋章の焼印というおまけ付きで。

 それから先の忙しさといったらなかった。

 まず取り敢えずはと上官に手紙を見せたらこれは本物なのかと問い質されたし、次に焼印を見て本物に違いないなと暗澹とした表情を見せつけられ、しまいには自分一人では再編なんて無理だからと醜聞も無く泣きつかれてしまう始末。

 仕方がないので渋々、部隊編成について一から十まで面倒を見てきた。……上官なのに私より各員の力量を把握できていないのはどうかと思う。

 それが終わったら息つく間もなく荷造り、部屋の掃除、仲間への挨拶に追われ、諸々の事をやり終えて馬車に乗りこんだのが今朝の事。正直言って手紙一つでここまで疲れさせられるとは思わなかった……王室の命令は絶対なんだけど、ちょっとくらいこちらの事情も考慮して欲しい。

「おおい、お嬢さん。もう到着したぞ」

「あ、す、すみません」

 またもぼうっとしてたようだ。御者さんに急かされて馬車から降りる準備をする。気付いたら私以外全員下りてしまっていた。

「いけない。荷物忘れるところだった……」

 ……反射的に立ち上がったので忘れ物をするところだった。外套を羽織り、着替えやお金の入った大切なリュックと武器を背負い、今度こそ馬車から降りる。

「おう、ガルデからの長旅で疲れたかい? 大分長いこと揺られてたもんな」

「うん、ちょっとだけ……ありがとう」

「いいってことさ。気を付けてな」

「おじさんも、お気を付けて……」

 御者さんと言葉を交わし別れる。どうにもそっけない言葉しか出てこないのは自分の悪い癖だ。いい加減治したいなとは思うけど、長年染み付いた言動は一朝一夕でどうにかなるものでもないし、半ば諦めている。まあ、困るようなことはあんまり無かったし――

「……いや、結構困る事、あったかも……」

 …………昔を思い出して胸がちくりと痛んだ。

 ある昔日の思い出。

 人を心から信じられなくなった、忘れてしまいたい、けれど絶対に忘れられない出来事。

 今更思い出してもどうしようもない事なのに。何故、事ある毎に思い出してしまうのだろう……

「昔は昔、うん、今はもう大丈夫。大丈夫なはず……」

 言い聞かせるように一人呟いてみる。そして足早に歩きだす。過去を振り払うように、決別するかのように。

 目指す先はブロッサムヒル王城。これからどうなるのかは全く分からないけど、少なくとも昔よりはよっぽど良い事があるはずだ。そんな淡い期待を抱きながら、私は市街へと通じる大門をくぐったのだった。

 

 

 大門を抜け、ブロッサムヒルの市街に到着して早々、私は息を飲む光景に見惚れてしまっていた。

「相変わらず、綺麗な街……」

 石造りの整った街並みに夕陽が降り注いで、さながら燃えるように輝いている。もう幾度となく見た光景だが、こうして見るといつ如何なる時だって綺麗だと思えてしまう。私のような人間でもそう思うのだから、他の人が見たらひとしおだろう。

「…………」

 しばらく堪能した後に一つ深呼吸。気持ちを切り替えて歩き出す。いつまでも呆けているわけにもいかない。

 カツンカツンと石畳を踏みしめ、大門から続く中央通りを歩く。

 ……それにしても、こうして市街へ戻るのは何ヶ月ぶりだろうか。ここ数年は交通の便の悪いガルデに勤めていたせいで、戻る機会もめっきり減ってしまった。街並みは全く変わっていないようにも見えるし、よくよく凝らして見てみると細部が変わったようにも思える。

「あれ、あそこにあんな店なんてあったかな……んん、あそこの花屋は昔もあったはず……? あったよね……?」

 一人、記憶を手繰りながらきょろきょろと周りを見渡す。間違い探しの様でちょっと楽しい。夕暮れ時とはいえ、まだ今日という一日は終わっていないのだ。ちょっとした休憩がてらにこうして遊ぶのも悪くないだろう。

 しばし記憶と戯れながら街をゆらりと歩く。目指すべき目的地には世界花が堂々とそびえ立っているので何の問題もない。迷ってもあそこの下に王城があるのだから、簡単な話だ。

「ん……?」

 そうして一人楽しんでいると、何やら見過ごせそうもないものに出くわしてしまう。

 それは中央通りに面した階段の一角に座り込み、何かを抱えながらうずくまっている。全身黒っぽい服装で建物の影に隠れるように縮こまっていたので、危うく見逃す所だった。

 何故か胸騒ぎがしたので、取り敢えず確認してみようと近寄ってみる。

「……子供、かな……?」

 遠目では分からなかったけど、結構なおちびさんだ。さらりと長く伸びた黒髪に仕立ての良い服装、何かよく分からない白いものを枕のように抱き締めて眠っている。もしかしなくても良い所のお子さんなのかも。何でこんなところで眠っているのか理由はさっぱり分からないけど、大方疲れてどうしようもなくなったのだろう。隣には紙袋も置かれているし、買い物疲れかな。

 ……まあこの子の事情はともかく、このままにはしておけない。もうすぐ日も暮れるし風邪でも引いたら大変だ。

「……もしもし? こんなところで寝てると風邪引くよ?」

 少しだけ躊躇ったが、頭をポスポスと叩き呼び起こそうとしてみる。

「ん、んー……?」

 程なくして起きてくれる黒い子。声が意外と可愛らしい。眼をぱちぱちと瞬かせた後、顔を上げてこちらを見てくる。

「…………」

「…………」

 言葉もなく見つめ合う私達。濃茶色の瞳にそれなりに整った中性的な顔立ち。服装から察するに男の子かな? それとも髪が長いし女の子……? どっちだろう……

「…………あの」

「ん?」

「えっと、どちらさまでしょうか……?」

 思案に沈んだ私に声を掛けてくる黒い子。表情は薄いが、声音からは困惑した様子が伝わってくる。

「あ、その、ごめんね。こんなところで寝てると風邪引くよって思ったから、つい起こしちゃった」

「あ、それはご親切にありがとうございます。……ってそうじゃなくて」

 そこで立ち上がりこちらを見上げてくる。

「あんたは何処の何方で何の意図があって起こしたんだ? 放っておいてもよかっただろ? なんで俺に構うんだ?」

「あ、えっと、その……」

 矢継ぎ早に質問されてちょっと気圧されてしまう。声はとても可愛らしいのに、言葉尻には隠しきれない勝気さを感じる。それにしても一人称が俺って事は男の子なのかな? 髪がサラサラしていてとても綺麗なのに、良いとこ取りって奴なのかな……

「…………あのー? 質問に答えて欲しいんですが」

「あ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」

 綺麗だから見惚れてたなんて言えるわけがないので適当にはぐらかす。黒い子はそんな私を怪訝そうに見てくる。

「お姉さん、大丈夫……? 初対面の相手に言うのも何だけど、ちょっとぼんやりしすぎじゃない?」

「う……」

 辛辣な言葉が容赦なく私を襲う。何だろう、何で私は初対面の相手にダメ出しされてるんだろう。やっぱり起こさない方が良かったかな……

 ……だがそんな弱気を抑えてこれだけは伝えておかなければ。相手の名誉にかかわる事だ。

「えっと、取り敢えず」

「はいはい」

「……よだれの跡ついてるよ?」

「……!!」

 指摘した途端、がばっと回れ右して顔をごしごしと拭う黒い子。再度私の方へ向いた時にはちゃんと綺麗になっていた。……心なしか顔が赤い。夕陽の所為じゃないだろう。

「あっと、その……」

 何を話していいのか分からなくなったご様子。まあ、よだれの跡を付けながらダメ出しなんて上から目線で話をしていたのだ。格好がつかなくなるのも無理はない。

「……さっきの質問なんだけど」

「は、はい」

「私はブロッサムヒル所属の花騎士、アネモネ。わけあってこれから王城に行く道すがら、貴方が道端で眠っていたのを見過ごせなくて起こしてあげたの。……これでいいかな?」

「あ、えっと、満点です……」

 先の質問に返してあげるとこれまた恥ずかしそうに俯いてしまった。こうも委縮されるとちょっとやりづらい。……ちょっと趣向を変えてこっちからも質問してみようかな。

「ところで、あなたの名前は? ここで何してたの?」

「な、名前ですか……イルです。買い物して疲れたからここで休んでました」

「ふぅん……イル…………ちゃん?」

「ちゃんじゃないです! 女じゃないです! あと子供でもないです!」

「ああ、ごめんね。ちょっと見分けづらくて……」

 うがーっと捲し立てて修正を求めてくるイル……君。今まで相当言われてきたのだろうか。あと、このくらいの年の子は子供扱いされると怒るよね。私の周りもそうだった記憶があるし。

「間違われたくないなら髪、切っちゃえばいいのに」

「うっ、それを言われると何も言い返せない……でもこれには海よりも深い事情が……」

「何か大変そうだね……?」

 ぐぬぬと歯噛みしているあたり本当にどうしようもないのだろう。多分私が聞いても何もできない事だろうし、そっとしておいてあげよう……

「それで、イル君はこの後どうするの?」

「ええと、それより先に今何時……って、もう五時ってことは一時間も寝てたのか……」

 時計を見上げ、頭を抱えるイル君。数秒ほどそうしていたけど、吹っ切れたのかはたまた割り切ったのか、ブンブンと頭を振った後に私へと向き直る。

「取り敢えず、今日はもう帰ります……日が暮れたらお城に入れるか分からないし」

「お城だったら別に夜でも入れるけど……って、お城に住んでるの?」

「え? あっはい。仮住まいですけど……」

「それなら目的地が一緒なんだし、一緒に行こうか? 夜になるとちょっと危ないし」

「えっと、いいんですか? アネモネさんは何か用事とかは?」

「ううん、ちょっと暇潰ししてただけだから。特に無いならもう行こうか」

「それじゃお言葉に甘えて……よろしくお願いします」

 こくりと頷いてお辞儀をしてくれた。最初の剣幕からうって変わってとても礼儀正しい。きっとすごく警戒されていたのだろう。まあ確かに、起きて目の前に見ず知らずの人がいたら普通はビックリするよね。私もちょっと軽率だった……

 心の中で少し反省しつつ、王城へ向け歩きだす。イル君も白いなにかを紙袋にしまい、てくてくと横に並んでついて来てくれた。

 ……何だか座ってた時よりも背が高いなって思ったら、この子、結構な厚底の靴を履いてるのか。そんなに身長が低いのを気にしてるのかな。中々の見栄っ張りだ……

「……」

「……」

 ブロッサムヒルの街並みを連れ立って歩く。特に会話などは無いけど、何だろう、一緒だとちょっと安心する。……私の気のせいかもしれないけど、この子から少し懐かしいような感じがするのだ。何処かで会ったことあるのかも。それともただ、我知らず人恋しく感じていたのかもしれない。

 そんな事を考えながらしばらく歩いて、これなら日没までには余裕をもって到着できそうだなぁ、などと考えていたのだけど――

 ぐぎゅうるるるごあああ。

「…………」

「…………」

 何かすごい音が聞こえた、ような。

「……えっと、今の……?」

「…………………」

 隣を見ると、イル君が立ち止まってお腹を押さえていた。俯いていて髪に隠れて表情は見えないが、きっとものすごく赤面しているだろう。

「……お腹、空いてるんだ?」

「……はい。大変不本意ながら……」

 絞り出すように出された声は可哀そうになるくらい震えていた。初対面の相手に恥ずかしいとでも思っているのだろう。背伸びしていて何だかすごく可愛い。

「……イル君は可愛いね」

「なっ……!?」

 ……思わず考えていたことが零れてしまった。私の言葉に反応してこちらを見上げてくるイル君。ほらやっぱり。これ以上ないくらい赤くなってる。

「か、可愛いとか言わないでください! からかっているんですか! 怒りますよ!?」

「ご、ごめん……つい……」

「次そんなこと言ったらもう一人で帰りますので!」

「ごめんったら……」

 またしてもうがーっと食って掛かってきた。この反応も身長があんまり高くないからすごく微笑ましいのだけど、これを言ったらもっと怒りそうだ。

「俺の事はいいから、お城までさっさと行きましょう! さあさあ、ハリー!」

「ちょ、ちょっと」

 困惑する私を置いて家路へと急ごうとするイル君。だが――

 ぐぎゅううううるるるるぐぐごごご。

「……………………」

「……………………」

 またしても鳴り響くお腹の虫。さっきよりもおっきくなってる、ね……

 それと同時にイル君はとうとうしゃがみこんでしまった。ぶつぶつと何事か呟いている。

「ううぅ……なんでこんな……」

「……ねえ」

「ぐぬうぅ……初対面の相手になんて無様……」

「ねえ、ちょっと」

「こんな醜態、エニシダには絶対に知られるわけには……」

 ……仕方なくこちらもしゃがみ、目線を合わせて語気を強める。

「ねえってば!」

「っ!?」

「折角だし、ご飯でも食べてからお城に行こうか? 奢ってあげるよ」

「えっ……」

 予想も付かない提案だったのだろう。目を丸くしてこちらを見てくる。そしてちょっとだけ思案した後、おずおずと口を開いた。

「えっとその、お金はあるので奢らなくても良いです。……でもそれはそれとしてお腹は空いてるので、美味しいご飯のあるところ連れてって下さい……お願いします……」

「うん、決まりだね。良いところ知ってるから、期待してて」

 安心させるようにニコリと笑みを浮かべる。上手く笑えているだろうか、ちょっと自信は無い。

 ……ああ、それにしてもだ。こんな提案をしたのはいいけど、久方ぶりの市街なんだった。あのお店、残っているといいけど……

 多少後悔しながらも、私は記憶を手繰りながら件の店へと歩き始めたのだった……

 




はい、そんなこんなでアネモネさんです。今ホットな御方ですね。書いていた一ヶ月前にはまさかここまでになるとは……
というか、登場してる方々みんな順位高いな? あれか、人気取りか、人気取りなのか、昔の自分よ。

……まあそんな冗談はともかく、次の話で書き溜めていたものも終わりです。どうぞよしなに。


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七日目「市街探索:現地民と親睦を深めよう」

「うーむ……」

 ここは何処かの食堂、いや、レストランかな。そのカウンター席に座り俺は思案する。右隣の席にはアネモネさん。周りを見るとそれなり程度の客が談笑しながら、あるいは黙々と食事に舌鼓を打っている。店内には蓄音機からだろうか、クラシックのような音楽も流れていていかにも落ち着いた雰囲気の店だ。出される料理の種類は不明。だが、良い匂いがするから多分美味しいはず、たぶん。

 ……それにしてもどうしてこうなったのだろう。訳が分からないまま流されるまま、美味しいご飯に釣られてホイホイ付いて来てしまった。アネモネさんは悪い人ではなさそうだけど何分初対面だし、こんな無警戒でこれから先大丈夫だろうか、俺……

 というか本当にここ何処だろう……背中を追いかけて入り組んだ小道を出たり入ったりしたからもう何が何やら。あれ、これってちょっとした拉致みたいなものではなかろうか……?

「はいこれ、メニュー」

「あ、どうも……」

 俺の思考をぶった切るかのように、隣のアネモネさんがメニューを手渡してくれる。外套を椅子に掛けてゆったりとリラックスしてる姿はなるほど、勝手知ったる我が家のようで、行きつけの店というのは本当だったらしい。

 ……それにしても、外套を羽織っていて分からなかったけどこの人スタイル良いな……それに加えて長めの青髪といい整った顔立ちといい、ストライクど真ん中である。今更ながらドキドキしてきた。何でこんな美人さんと俺なんかが隣に座っているのか不思議なくらいだ。

「……どうかしたかな? 私の顔、何か付いてる……?」

「あ、いえ、その……ちょっと、綺麗だなって」

「へ……?」

 しどろもどろになりながらも感じた事を口に出す。こういう事はちゃんと伝えるのが良いと思うんだ、うん。というか、適当にはぐらかしても俺の場合ボロが出るだけだろうし……

 そんな俺の言葉に面食らったのか、しばし固まるアネモネさん。

「綺麗だなんて、そんな……えっと、イル君も綺麗だからね? 服とかすごいお洒落だし……」

「……」

 少し頬を染め、そんな事をのたまって下さった。

 ……予想外の返答が来たな。いや、俺は別に綺麗じゃなくてもいいんだが……

 返答に困ったので、メニューに視線を移し難を逃れる。……ああなんだ、意外と普通の料理じゃないか。洋風から中華まで手広く揃っているようである。これなら困ることも無さそうだ。店内を歩く店員さんを呼び止め注文を伝える。

「あの、オーダーお願いします。タコスとホットチキンと麻婆豆腐とライス下さい。全部辛さマシマシで」

「はーい、かしこまりました」

「あ、えっと、私はパエリア大盛りで」

「はいはいー」

「……あ、それと追加でビールもお願いしま――」

「未成年は飲酒禁止です!」

「ぐぬぬ……」

 ……しれっと追加しようとしたら怒られてしまった。

「イル君、お酒はダメだよ? もっと大人になってからじゃないと」

 俺の事情を知らないアネモネさんもそんな事を言って嗜めてくる。いや、中身はもう多分貴方より大人なんですよね……

「……それにしても、見事に辛いものばっかり頼んだね。好きなの?」

「ここ最近手ぬるい食事ばっかりだったので反動が……アネモネさんも大盛り頼むとか、見かけによらず結構食べるんですね」

「あ、うん、我慢してたけど一日中馬車に揺られてたからもうお腹ペコペコで……あはは……」

 そんな事を言い合いながら苦笑いする俺達。それほど待たされることも無く料理が運ばれてくる。

「はーい、お待たせしましたー!」

「お、おおお……」

 眼前の食卓が見事に赤く染まっていく。辛さマシマシオーダーはちゃんと受理されたようだ。子供だからって手加減するような店じゃなくてよかった……

「いただきまもぐもぐもが」

 挨拶もそこそこにまずはタコスを三口で平らげ、次にホットチキンに噛り付く。肉に味付けされた迸るような辛さが五臓六腑に染み渡っていく。これこれ。こういうのでいいんだよ、こういうので。

「イル君がっつき過ぎ……それじゃ私も頂きます」

 俺の勢いに呆れながらも、アネモネさんもスプーンを取りパエリアを食べ始めた。……お腹が空いていたのは本当だったのだろう、俺に勝るとも劣らないスピードでパエリアが消えていく。

「アネモネさんも人の事言えないじゃないですか、もがもが。食べるの早過ぎ」

「んぐっ、し、仕方ないでしょ。お腹ペコペコってさっき言ったじゃない……」

 俺の指摘にまたしても頬を染めるアネモネさん。そうは言いつつスプーンが全く止まらない。その事を更に突っ込んでやろうかとも思ったけど、やめた。今は眼前の料理に集中せねば……

「もごもご、んぐっ。ぷはぁ!」

 麻婆豆腐をライスと一緒に掻き込み、お冷で流し込む。

 脳が痺れるような素晴らしい辛さだった……お洒落な内装とは裏腹に、なかなかどうして本格的な味わいである。麻婆豆腐のキモである辣味と麻味の割合も絶妙で、これだけでもここの料理人の高い技量が窺い知れるレベルだ。いやぁ、久しぶりの感覚に多幸感でいっぱいですよ。

 一呼吸着いた後にまたしても店員さんを捕まえる。

「すいません、追加オーダーお願いします!」

「うわ、食べるの早っ!? こほん、失礼。追加ですねー」

「麻婆豆腐大盛りとライス下さい。あ、もちろん辛さマシマシで」

「はーい。って、また麻婆とか、大好物ですか?」

「はい、大好物ですので、麻婆豆腐」

「わ、私も追加でラザニア下さい……」

「お姉さんももう食べたの!?」

 そんなやり取りをした後、料理が出るまで二人してぼへーっと待つ。

「はあぁ、美味しいものを食べると幸せになりますなー……」

「そうだね……君にあてられて私までなんかいっぱい食べてるし……ああ、太ったりしたらどうしようかな……ふふっ……」

 自棄になってるのか、椅子に寄りかかりながらそんな事を言うアネモネさん。言葉とは裏腹に満足そうな表情をしていらっしゃる。それにしても何気に初めて笑顔を見たけど、こうして見るとすごく可愛いなって思う。もっと笑うといいのにね。

「……またじっと見てる。私を見るの、そんなに楽しい?」

「ああ、いや、ごめん。笑顔が可愛かったから……」

「……っ!」

 ぷいっとそっぽを向かれてしまった。むぅ、失言だったかも……これはどう挽回したものか……

 そんな時だ。

「いらっしゃいませー」

 店のドアが開き誰かが入店してきたようだ。その誰かは店内を横切り、真っ直ぐに俺の左隣の席にどっかと座ってきた。

「はぁー……どっこいしょっと……疲れたぁ……」

 床に荷物をどさりと置きメニューを探るお隣さん。どっこいしょとかおっさん臭いな……それにしてもどこか聞き覚えのある声のような。

「すみませーん、注文お願いします」

「はいはーい」

「えっと、デラックスパフェと杏仁豆腐とメロンフロート下さい」

「かしこまりましたー」

 うへぇ、全部甘味で固めて来るとかどんだけだよ……どんな顔をした奴がそんなオーダーしたのか、ちょっと気になったので確認してみる。

 横に座るのは桃色の長髪を揺らしながら椅子に寄りかかる女性で――

「…………って、エニシダかよ!?」

「ほえ、その声は……! な、ななな、何でイルさんがここに!? こんな一部のブロッサムヒル市民しか知らない穴場スポットに何故イルさんが!?」

 二人して指刺し合い驚愕する。何だこの出来過ぎた偶然は。というかここそんな場所だったのね……

 そんな俺達を見てアネモネさんだけが事情を全く呑み込めずにポカンとしている。

「えっと、知り合い……?」

「んー、何て言うか、腐れ縁です……」

「またそんな説明するんですか!? というか、そちらの女性は誰です!? 何でちょっと別れた間に知らない人とホイホイ仲良くなってるんですかっ!? 私はもうお役御免ですか……!? チリ紙にくるんでポイされちゃいますかっ……!?」

「うるさいよ! 会って早々何でそんなやかましいんだお前は!」

 矢継ぎ早に捲し立ててくるピンク魔女。騒々しい事この上ない。というかちょっと他の人と仲良くなっただけでお役御免という発想に何故なるんだ……相変わらずこいつのネガティブ思考は絶好調なようである。

「はい、おまちどうさま。デラックスパフェと杏仁豆腐とメロンフロートと麻婆豆腐辛さマシマシとライスとラザニアです!」

 ……だがそんな俺らを無視して料理が運ばれてきた。運び終えるとぱたぱたと忙しそうに去っていく店員さん。何て言うか、空気なんて読んでたらこんな仕事回せないんだろうな……

「…………」

「…………」

「…………」

「取り敢えず、ご飯食べようか……」

「そうですね……お腹ペコペコですし……」

「私は、何でもいいけど……でも料理が冷めるのは良くないよね」

 三者三様、思い思いの食器を手に食事にとりかかる。

 幸いな事に、この場には健啖家しかいないようだった。うん、ご飯が大好きなのは悪い事じゃない。むしろ大変喜ばしい事だ。

 それからしばらくは、ただただ食器と皿の擦れ合う音だけが俺達の間で鳴り響く。

「……イルさんの麻婆豆腐、凄まじい赤さですけど、それ本当に美味しいんですか……?」

「……食うか?」

「やめておいたほうが……」

「そ、それでは一口……はむっ。…………――――ッ!!?」

「おお、エニシダが変色していく……!」

「ああもうっ、言わんこっちゃない……もぐもぐ」

 

 

「ふむむ、なるほど。眠りこけていたイルさんをアネモネさんが回収してくれたと……」

「回収とは何だ。回収とは」

「イルさんに代わってお礼を言います。アネモネさん、ありがとうございました」

「あ、いや、大したことしてないし……」

「いえいえ、多分アネモネさんが見つけてなかったら今頃途方に暮れていたと思いますし。『うがー! ここ何処だ!?』とか言って街中走り回ってたと思いますし」

「お前は俺の事を何だと思っているんだ……!?」

「ふふっ、イル君なら何か言いそうだね」

「ちょっとー!? 俺そんな残念じゃないからな!? 世界花と太陽見て方角くらい判断できたからな!?」

 食後のお茶を飲みながら談笑する俺達。既に自己紹介やこれまでの足跡などは手短に情報交換し終えた後だ。

「イルさんって見た目に似合わず大分行き当たりばったりですからね。何とかなったから良いものの、このお洋服だって本当は予算オーバーしてたんですから」

「へえ、そうなんだ? それでも何とかなったってのは凄いんだか、呆れるんだか……」

「本当ですよねー」

 エニシダとアネモネさんは何だか波長が合うのか、二言三言言葉を交わしたらすぐに仲良くなってしまった。きっとお人好し同士、互いに共感する所があるのだろう。

 ……それはそうと俺の扱いがそこはかとなく雑なのは何故だ。俺についての認識にまで波長を合わせなくてもよかろうに……というか、アネモネさんはさっき会ったばっかりだよな? 何で言いそうとか分かるんだろうか……

「おほん、まあ俺の事はどうでもいい。エニシダも何か苦労したみたいだし……ブエルはちゃんと遊んで帰ったのか?」

「ええ、ブルーエルフィンちゃんなら一緒に色んな店を見て回った後、馬車に乗り込むところまで見送りましたよ。これで安心してウィンターローズに帰れる、なんて言ってましたっけ」

「あれ、この時間から乗って大丈夫なの……? 馬車でウィンターローズに行くとなるとリリィウッド経由になるし、結構かかると思うんだけど……」

「ああ、それなら大丈夫です。道中にはスカネもありますし、万が一の時は街道に隣接したお宿とか民家を借りるって言ってました。何よりあの子も花騎士なので旅慣れてはいるんですよ」

「なるほど、それなら大丈夫そうだね」

 うむうむと納得したように首肯するアネモネさん。それよりもなんか思いがけない事を口走ったな……

「ブエルも花騎士だったのか……あんなちっこいのに……」

「イルさんにはちっこいって言われたくないと思いますよ……」

「俺は好きでこんなちっこくなってるわけじゃないからな!? というか十中八九お前のせいだからな!?」

「ま、またそんなこと言うんですか! 何度も言いますが私のせいじゃありませんから! 事ある毎に蒸し返さないでください!」

「頑なに認めないんだな!?」

「不可抗力ですし! 私はそんなに悪くありませんし! 強いて言うなら世界花が悪いですし!」

「おーまーえーなー!」

 ぎゃーぎゃーと口喧嘩をする俺とエニシダ。何故だろう、別れて数時間しか経っていないはずなのに、こいつと話すのが酷く懐かしく感じる。

 そしてこんなくだらない会話で安心している自分もいる。何だこれ。まるでこいつと一緒にいるのが自然で、別れているのが不自然みたいな……

 ……そんな俺達を見ながらアネモネさん。ふっと一言。

「……本当に二人とも仲が良いんだね」

「は!? いや、仲良くないです!」

「そうは言っても、今のイル君、すごい嬉しそうだよ?」

「なっ……!?」

「え、イルさん私と話すの嬉しいんですか……?」

「う、嬉しくない! ちょっとだけ安心しただけ……」

「安心してるって事はそれだけ信頼してるって事でしょ? イル君はエニシダさんの事、もっと大事にしてあげたほうが良いと思うけど……」

「……それは……」

 あまりの正論に二の句が継げなくなる。確かに第三者からはそう見えるのだろう。だが、俺とこいつの関係はそう簡単なものではない。というか、割と異常な関係だよな……なんだよ、召喚者と被召喚者って。しかも誕生花とかいう因縁まであるし。

 そこまで考えて、ついエニシダの顔を見てしまう。

「んー……」

「どうかしましたか、イルさん? 何やら神妙な顔をしていますが……」

 ほわわんと問いかけてくるエニシダ。今まで主観やら複雑な事情やらで真っ当な評価をしてこなかったが、こいつは美人だ。まごう事なき美少女だ。そして俺を信頼してくれていて、何だかんだあって無二の相棒になりつつある。あと、こいつ大丈夫かって位優しい、というかチョロい。今日も俺なんかの為に街の案内なんてしてくれたし、お人好しにも程がある。

 まあ、性格が残念ですぐネガったりするのは珠に傷だが、それを差し引いても俺には過ぎた人材だ。

「んー……?」

「ほ、本当にどうかしましたか……?」

「……なあ、エニシダ」

「何でしょう?」

「俺とお前ってどういう関係なんだろうな……?」

 ……思わず聞いてしまった。このままこいつとなあなあの関係でいくのも俺はまあ悪くは無いと思っているが、こいつはどう思ってるんだろう……

「ど、どど、どういう関係とはどういう事でしょう?」

「お前が俺を見定めたいから一緒にいたいってのは前に聞いたし、了承もした。だけど、この一緒にいたいってのは第三者から見たらどういう関係に見えるのかなって」

「な、ななな……」

「もしかしなくてもブエルの言ったように恋び――」

「はい、ストップーっ! ストップですイルさん!!」

「あばっ!?」

 バチコーンと俺の顔面を叩いてくるエニシダ。……困るとすぐ暴力で訴えてくるのは良くないと思うぞ。

「その話は今度です! 今度にしましょう! 分かりましたか!?」

「……ふぁい」

 ……言われるがままにここはエニシダに従っておこう。よくよく考えたらこんなところで話す話題でもなかったな。それに聞く機会なんてこれからいくらでもあるだろうし。

「ふうぅぅ、分かればいいんです、分かれば。危ないところでした……」

「俺からしてみればすぐにぶっ叩いてくるお前の方がよっぽど危ないんだがな……」

「さきのイルさんの質問の方がよっぽど凶悪でしたからっ!?」

「そ、そうだったか? ちょっと聞いておきたかっただけなんだが」

 またしてもがやがやと話し出す俺達二人。

「なんていうか、その、お惚気ご馳走様……?」

 そんな俺達を見ながら、耳に入らないような小声でぼそりと漏らすアネモネさんなのだった。

 

 

「はふぅ、今日はご馳走様でした」

「何か、結局奢ってもらっちゃって……すみません……」

「ううん、いいから。今日のご飯楽しかったし」

 店を出て互いにぺこぺことお辞儀し合う俺達。何というかすごい日本的光景だ。奥ゆかしさを感じる。周りは中世めいた景観なのにな……

 結局あの後もひとしきり駄弁った俺達は、もう良い時間だろうという事で解散と相成った。時計を見るともう夜の七時だ。夜でもお城へは入れるとアネモネさんは言っていたが、こんな時間に城外に出たことが無い俺からしてみれば割とドッキドキである。治安とか大丈夫だろうか。いきなりカツアゲとかされないだろうか。

「さあ、それじゃ私は家に帰るのでここでお別れです。アネモネさん、イルさんの事よろしくお願いしますね」

「うん、任せて。ちゃんと送り届けるから」

 がっしと握手をしながら言葉を交わす両者。一緒に食事をすると人は仲良くなりやすいって話は良く聞くけど、この二人にもばっちり当て嵌まったようだ。仲良きことは美しきかな。

「それじゃ、イルさんまた明日――」

「あ、ちょっと待った」

 その場を離れようとするエニシダを呼び止める。そうそう、まだやる事あったんだった。

「? どうかしましたか?」

「これ、お前にやるよ」

 ぐいとビワパラさんの入った紙袋をエニシダの前に突き出す。

「何でしょう……ってこれは、ぬいぐるみですか?」

「ああ、露店で見つけたんだ。これさ、俺の世界に良く似た見た目のぬいぐるみがあったんだけど、偶然見つけて、しかも結構良い出来だったから。……えっと、一応今までのお礼として」

「へえ、イルさんの世界に良く似たものが……うふっ、何だかとぼけた顔してて可愛いですね。それにすごいフカフカ……」

 取り出してモフモフと感触を確かめながら、ビワパラさんの顔を見つめ微笑むエニシダ。うん、気に入ってくれたようで何よりである。というかお前、ビワパラさん似合うな?

「あれ。なんかここだけガビガビしてますね……?」

「…………」

 ああ、そこは俺が枕にしてよだれが付いちゃったところか……咄嗟にアネモネさんにアイコンタクトを送り、黙っているように念を送る。

 ……よし、苦笑しながらも頷いてくれた。空気の読めるお人だ。知り合えて本当に良かった。

「とにかく、ありがとうございます、イルさん。お部屋に飾って大事にしますね!」

「ああ、でもそいつモフモフだから、飾るより枕とかにしたほうが良いと思うぞ。熟睡安眠間違いなしだ」

「そうなんですか。……それじゃあ、毎晩イルさんだと思って一緒に抱いて寝ますね」

「そう言うと誤解されるからやめて!? というか俺だと思う必要ないだろ!?」

「うふふっ、冗談ですよー。すぐ引っ掛かるんだから……それじゃ今度こそ、イルさん、また明日会いましょうね」

「……ったく、ああ、また明日な」

 今度こそ本当に踵を返し、街の雑踏へと消えていくエニシダ。姿が見えなくなるまで見送った後、アネモネさんへと向き直る。

「すみません、お時間取らせました。お城に行きましょうか」

 そう声を掛けたのだが、

「…………」

 何やらぼうっとしているアネモネさん。出会った時も思ったけど、この人結構なぼんやりさんだよな……

「あの、もしもし?」

「あ、ご、ごめん……」

「体調でも悪いんですか? それともさっき食べ過ぎちゃいましたか?」

「ううん、大丈夫。だけど、ただ……」

 そこで少し口籠るアネモネさん。何やら考えているようだけど、どうしたんだろう?

「ただ?」

「……ちょっと、君達を見てたら、羨ましいなって」

「羨ましい……?」

 思いがけない言葉が出て来た。エニシダと俺とのやり取りでそんなに羨ましがるところなんてあったかな……

「私、あんまり友達多くないから……君達みたいに笑いながらご飯を食べたり、物を贈り合ったり、そういうの、良いなって」

「……」

 意外だ。こんな美人さんが友達少ない系の人間だったなんて……一気に親近感が湧いてきたぞ。

「ずっと辺境のガルデに勤めてたから、この街にも友達なんてほとんどいないし。羨ましがってもしょうがないのにね……ふふっ……」

 そんな事を言って自嘲気味の笑みを漏らす。結構なこじらせ具合のようだ。

 ……こういう手合いはちょっとアレだ。ガツンと言っておいたほうが良いな。

 いやまあ、お節介なのは百も承知だし別に放っておいてもいいんだろうけど、なんていうか友達いない系の先達として、こちらへは来ないようアドバイスをしておかないとって思うんだ……

「……羨ましいと思うなら、行動すればいいんじゃないですか? アネモネさんなら友達なんてすぐ出来ると思うんですけど」

「え……? そ、そうかな……」

「ええ、そうですって。何事もやってみないと分からないもんですよ?」

「う、でも……話しかけるの苦手だし……人と仲良くなるのも、ちょっと怖くて……」

「でも、も糞もありません。この街にいる間、ずうっとお一人様で過ごすんですか?」

「うう……そ、そのうち話しかけてくれる人が……」

「待ってるだけで何もしない人と仲良くなろうと思います……?」

「うっ……それは、うう……」

 問い質し過ぎたのか、俯いて返答もしてくれなくなってしまった。ちょっとやりすぎたかも。でもここまで他人と仲良くなるのに躊躇するって事は過去に何かあったんだろうか。こう、トラウマ的な何かが。

「全く、しょうがないなあ……」

 はあ、と溜息を吐き、一歩近づいてアネモネさんの顔を見上げる。

 ……見上げた顔は何故だか酷く怯えているようで、困惑したように俺を見ている。

 これは、そう、まるで……

 

 ――まるで、誰かに手酷く裏切られた後の、全てを諦め、手放した人間のような――

 

「……俺と、友達になろう」

「へ……?」

 ……直前の幻視のせいか、そんな事を口走っていた。

「だから、俺が友達になってやる。文句あるかっ」

「え、えっと……」

「俺はいいぞ。何しろエニシダ以外ろくな友達がいないからな! だから絶対に裏切らないし、困った時は何でもしてやる。何でもだ!」

 啖呵を切って怒涛の勢いで捲し立ててやる。青髪の少女は目をパチパチと瞬かせて呆気にとられていたが、しばらくして思い出したかのように質問を口にした。

「い、イル君友達いないの……?」

「いるわけないだろっ。一週間前にこっちに来て、今日初めて街に出たんだからな! だからアネモネがこの街での友達一号だ!」

「今日が初めてって……それよりも、よ、呼び捨て……敬語も……」

「ああ、俺は友達に敬語は使わない主義なんで。これからはこういう感じでよろしく……んでだ」

 おほんと咳払いをし一旦言葉を切る。

「……アネモネは俺と友達になってくれるか?」

「…………」

 俺の提案を考えあぐねたように、視線をあちらこちらへ漂わせ思案するアネモネ。

 ……たっぷりと時間をおいた後ようやく決心したのか、俺の目を見てこう告げる。

「……うん、いいよ。なってあげる。いや、違う……友達になって下さい」

 にこやかに微笑みながらそう言ってくれた。そこには先程の幻視で見えた悲壮感など微塵もない。

「よし、友達ゲッチュ! これでようやくエニシダ以外に頼れる人が出来た……!」

 色よい返事を聞き、思わず渾身のガッツポーズを決める俺。断られたらどうしようかと内心バクバクでしたよ、ええ。

「そ、そんなに友達欲しかったんだ、イル君?」

「そりゃ欲しいに決まってる。だって今、ガチで何にもないんだから……ああ、それと」

「ん、なに?」

「イル君はやめてな。もう友達なんだから呼び捨てでいいよ」

「わかった。これからよろしくね……イル」

「ああ、こちらこそよろしくな、っと」

「わわっ……!?」

 アネモネの手を取り、ブンブンと振ってやる。自分でも大分ハイになっている自覚はあるが、こうでもしないと気が済まないのだ。……だってこんな親近感の湧く美人さんと友達になれたんですよ? しかもエニシダと違って空気が読める。何という事だ。完璧じゃないか……! ああ、一週間前は本当にどうなる事かと思ったけど、俺の運もようやく向いて来たようだ。ここまで長かったなぁ……

「い、イル? 大丈夫? 何か急に止まったけど……」

「ああ、ごめん、何でもない……ちょっと感極まっちゃって……」

「そんなに嬉しかったの……!? なんか逆に私なんかでいいのかって、申し訳なくなるんだけど……!」

「いや、そこは謙遜されると困るんだけど……」

 ……なんていうか、俺の周りって自己評価の低い人が多いな。エニシダもアネモネも、もっと自信を持って強く生きて欲しい。まあ人それぞれだってのは分かるんだが。

「っと、延々と話してたらいつまでたっても帰れないな。お城に早く行こうか」

「あ、うん、そうだね。はぐれないように気を付けてね」

「大丈夫大丈夫、はぐれたら一人でお城行けるし」

「それは大丈夫って言わないよ? というか、それなら一緒に帰る意味無いよね……?」

「……? 友達と一緒に帰るのに意味なんているのか? それにはぐれてもそれはそれであちゃーってなるけど、また次会う時が楽しみになるだろ?」

 盲点だったのか、毒気を抜かれたような顔をするアネモネ。友達と帰る理由なんて“楽しいから”で十分だろうに。

「……確かに。それもそうかも。ふふっ、イルはすごいね。今日は教えられてばっかりだ」

「ふふん、伊達に長く生きてないしな! お前より年上なんだぞ? 多分だけど」

「え、イルって未成年なんじゃ……」

「色々あって若返ってなー。成人してもう何年になるか……」

「うそ……年上……? 嘘だ……嘘……」

「何故頑なに否定する!?」

 互いに言葉を交わしながら家路につく。

 こうして誰かと語らいながらゆったりと帰るのなんて、本当に久しぶりだ。一人寂しく電車に乗り、人混みに揉まれて帰っていた生活とは雲泥の差である。

 ……向こうとは違って足りない物もたくさんあるし、常に安全とは言い難いこの世界。

 これからどういう生活が待っているのかもさっぱり不明だし、もしかしたら明日にでも野垂れ死んでいるかもしれない。

 だが、友と呼べる相手と語らうこの一時。

 素朴な優しさに満ちたこの一瞬は、間違いなく幸福と言えよう。

 断言できる。この世界で生きていくためなら、俺は必死になれるだろう。

 向こうでは子供の頃に無くしたまま、ついぞ得られることの無かった、友人というかけがえのないものをもう二人も手に入れたのだ。ちょっとくらい頑張ってみようじゃないか。

 ……何を頑張ればいいのかはまだ分からないが、まあなに、出たとこ勝負だ。ここぞと思う瞬間に己の全力を出せばいいだろう。

 人知れずそんな決意を固めながら、俺の長い長い最初の休日はこうして終わりを迎えるのだった。

 




何も無い人間にはささやかな幸せすら生きるよすがとなるのでしょう。
たとえそれが一時の安らぎでしかないのだとしても。
……そしてしれっと友達認定されてるねエニシダさん! よかったね!

はい、ここまでがストック分になります。投票イベのアンブッシュのせいで時間かかり過ぎたね。しかたないね。
次回以降もモサモサと書き進めてはいますが、今までのようなハイペースにはならないかと思われます。ご了承ください。


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八日目「部隊創設:優秀な部下を仲間にしよう」

推敲に時間がかかりました。それにしても話を進めるのは楽しいですね。


「さてと、だ」

 自室にて身支度を整え準備万端の俺。昨日バッチリ楽しんだおかげで、気力体力ともに十分。大分散財したため財布は大変軽くなったが、昨日の街の様子を見る限り一ヶ月は生きていけるだろう。どうしようもなくなったらエニシダかナズナにどうにかしてもらうという最終手段もあるし。まあ、出来るだけ使いたくはないが……

 だが、それよりもだ。

「何しよう……」

 そう、今日は何をするのか全く分からないのだ。あちゃーである。

 昨日は結局ナズナと顔を合わせなかったし、最後に会った一昨日にも今日の予定なんて聞いていない。確かお金を貰って夢中になってたら、気付いた時にはいなくなってたんだよな……

 仕方がないので椅子に座り、数日前に作った纏め書きなどを読んで時間を潰す。

「むーん……つまらん」

 しばらく読んで時間を潰すも、すぐに飽きて放り出す。こんなつまらないもの、何で作ったんだろうな……昨日街を回った時に本でも買っておけばよかったか……いやでも、いきなりこんな暇な時間が出来るとは思わないしな……

 思考を走らせつつも椅子に座ったまま意味も無く体をぐにぐにと動かす。

 んー、自由って素晴らしい。アイムフリーダムなう。

 そんな奇行をしていると、しばらくしてドアが開いた。エニシダだ。昨日の私服とは違って今日はいつもの魔女っ娘服か。後ろにはナズナもいるな。

「おはようございま――って、何やってるんですかイルさん」

「おお、エニシダか。見ての通り自由を謳歌していた」

「私には異国の面妖な儀式にしか見えないのですが……」

「ふっふっふ。特に意味の無い動きだ。参ったか」

「参りませんし……」

 俺の説明にげんなりとするエニシダ。それと入れ代わって今度はナズナが話しかけてくる。

「おはようございます。一昨日振りですね、イルさん」

「あ、どうも。朝からお疲れ様です」

「聞くところによると随分と休日を楽しんだようで……」

 そこで言葉を切り俺をしげしげと眺めるナズナ。この動きで惚れてしまったか……?

「これまた随分と高価な服を仕立ててもらったのですね? 買った他の品も私宛に送られていたみたいですし、お金は足りましたか?」

「いえ、足りませんでしたが?」

「えっ?」

「足りませんでしたが、何か親切なお姉さんが料金を立て替えてくれました」

「は……!?」

 俺の発言が理解できないらしく、鳩が豆鉄砲くらったような顔してるな。この人のこういう顔も中々愉快だ。ふっふふー。

「イルさん! ナズナさんをからかって遊んじゃいけません! いいですか、ナズナさん。この服はサフランさんって御方が――」

 俺を嗜めてナズナへと説明を始めるエニシダ。むう、もうちょっとからかおうかと思ったのに。つまらん。

「なるほど、サフランさんが……あの方ならそうしても不思議ではありませんね。それにしてもよく知り合えましたね?」

「何かあの人、エニシダに挨拶したら勝手に自爆したんだよな……」

「しーっ! イルさんその話はダメです! 言ったら絶交しますよ!?」

「分かったよ、若奥さ――おっと危ない」

 咄嗟に伸びてきた手を捕まえ、折檻を回避する。昨日嫌というほど喰らったので流石に俺も学習したぞ。そんなに速くないし、来ると分かれば意外と対処しやすいものだ。

「なんですとっ!?」

「くはははっ! そう何度も同じ手にかかる俺ではない! 少しは手を変えてきたらどうだこのピンク魔――あばっ!?」

 ……この魔女、あろうことか掴んだ手からビームを顔面に放ってきやがった。子供相手に何て酷い事をするのだこいつは。おかげでちょっと頬に火傷が出来てしまったぞ。

 それはそうと本当にビーム出せたんだな……初めて俺の前で披露してくれたのがこんな状況ってのがアレだが。

「ふぅ……ちょっとイラッと来たのでイルさんは黙っててくださいね♪」

「あの、室内でビームはこれ以降やめて下さいね……?」

 スッキリ顔のエニシダに困惑気味のナズナ。まあエニシダ弄りはやめて本題に入らないと。

「……それでナズナさん、今日は何をするんでしょうか? 一昨日は何も聞かずにいたので今日は何をするのかさっぱり分からないんですが」

「あれあれ、初日に言いませんでしたっけ?」

 俺の問いにそんな答えを返してくれるナズナ。初日……初日っていうと、俺が召喚されてそのすぐ後に段取りを話してくれた記憶があるな。この一週間、毎日が濃ゆい体験の連続だったからどういう話だったか全然思い出せない……

「むむむ、話してくれた記憶はあるんですけど、詳細が……」

「イルさんったら相変わらず忘れっぽいですね……」

「どうせ前日になったら誰か教えてくれるだろって」

「ええー……」

「仕方がないですね……それでは今日の予定をお話ししますよ」

 そこでおほんと一つ咳払い。

「今日はイルさんの部下になる予定の花騎士との面談です。昨日最後の方が到着したので、期限ぎりぎり、ようやくの打ち合わせとなります」

 

 

 場所は移って城内のとある一室。

 

 ナズナに案内されるがままに移動してきた俺達だが、ここはうんあれだな、いつぞやの予定説明の時に使った部屋だな。無造作に置かれた机に椅子、そして黒板。見間違えるはずもない、まごう事なきあの部屋である。意外と自由に使える部屋が少ないのかもしれない。

 そして、そんな懐かしの場所で俺達は待たされているわけだが。

「…………」

「…………」

「んー……むー……」

「…………」

「何か……緊張してきた……」

「な、なに緊張してるんですか……い、いい、いつも通りにしててくださいよ」

「いや、何でお前も緊張してるの……?」

「き、緊張してませんし! 武者震いですし!」

「武者震いってそんなに椅子ががたがた揺れるものだったっけか……? 取り敢えず落ち着こう? な?」

「だ、だって、私の全力をもって召喚したイルさんを、何かの手違いで花騎士さん達が受け入れてくれなかったらと思うと……うううっ……想像しただけで体の震えが……! そんな事になったら、全世界に申し訳なさ過ぎて耐えられそうもないですっ……!」

「受け入れられないのが前提か!? 今だけはもうちょっとポジティブになってくれ、頼む! 俺も割と今いっぱいいっぱいなんだから!」

 ……待つこと数十分。俺達は緊張の真っただ中にあった。なんていうか、この雰囲気は受験発表とか内定発表の瞬間のようで非常に落ち着かない。俺が緊張して何とかなるものでもないのだが、こう、待つだけの時間って辛いよね。しかもこいつと話す位しか時間を潰す手段がないのに、当の相方が緊張しまくっているという救いの無さ。ああくそ、こういう時に泰然自若としてるような肝の据わった奴に召喚されたかった……!

「お待たせしました。花騎士の皆さんを連れてきましたよ。……って、お二人とも大丈夫ですか……?」

「大丈夫じゃないです! もう緊張しすぎて今にも爆発しそうで……!」

「だから何でお前の方が俺より緊張してるんだよ!? 魔女なんだからもっと自信を持てよ!」

「魔女以前に私という小っちゃいミジンコ人間にこの状況は辛すぎますっ!」

「ミジンコ!?」

「あー、エニシダさんは放っておいて……イルさんは大丈夫そうなので、もう部屋に入れちゃいますね?」

「あうああ!? ま、待って――」

「ああもう面倒臭い! お前はこれでも被ってろっ!」

「んああ!? 前が! 前が見えないですっ!? ううんっむぐぐ!」

 エニシダに影を被せ視界と口を塞ぐ。ついでに暴れられても困るので、念入りに魔力を込めて椅子にも縛り付け、部屋の隅に移動させる。我ながらちょっと扱いが酷いとは思うが、今後の円滑な進行の為だ、許せ。

「むー! むーーー!?」

「悪いな。後でクレープ奢ってやるから……ナズナさん、もう大丈夫です」

「とても大丈夫そうには見えないのですが……まあいいでしょう。――お待たせしました、入って来てください」

 ドアの外へと声を投げるナズナ。すると、ややあって数人の女性が入ってきた。

 数を数えてみる。一人、二人、三人……あれ、何か少ないな……? 部隊って五人構成だったような……というか、最後の一人には見覚えが――

「……アネモネ?」

「……うそ」

 互いに顔を見合わせる俺達二人。お城に用があるとは聞いていたけどこう来るとは……だがまあ、顔見知りが部下になるかもしれないというのは嬉しい誤算だ。おかげで少しだけ緊張も解けた。

「あら? イルさんはアネモネさんと知り合いなのですか?」

「ああ、昨日ちょっと知り合って……まあそれは後にしましょう」

「あ、ええ、そうですね。他の方とは初対面でしょうし、まずは全員の紹介からしましょうか」

 ナズナはそう言って一旦言葉を切ると、最初に入ってきた女性から紹介を始めていく。

「まずこちらの方はサンゴバナさん。お隣の国のリリィウッド所属の花騎士ですが、丁度所属していた部隊の人員に余裕が出たので急遽駆け付けて頂きました。実戦経験豊富で頼れる御方です」

 紹介を受けた女性がぺこりと一礼する。

 外見は長く伸びた髪から服装まで見事に全身ピンク。可愛らしくフリルでふんだんにデコレートされた服装はどう見ても騎士に見えない。だがしかし、長裾のスカートに隠れているが、足に付けた金属製のグリーブが堅気の仕事をしてはいない事を如実に物語っている。

 でもさ、足だけ防具付けてても意味あるのかね……?

「続いてこちらの方はキルタンサスさん。この国、ブロッサムヒル所属の花騎士で元特務部隊所属の凄腕の人なんですよ」

 続いて紹介されたのは色素の薄い髪を長く伸ばした、ショートパンツが印象的な女性である。この三人の服装の中では一番肌面積が多いが、何とか許容範囲内だ。うっかり昨日立てそうになっていた裸族フラグは見事に粉砕されたようで何よりである。

 それにしても気になる事をナズナが言ったな……

「特務部隊……ああ、あの解散になったっていう……」

「ええ、その特務部隊です。キルタンサスさんとは解散してから今まで音信不通だったんですけど、先日ようやく連絡が取れまして……」

「音信不通だったのか……あの、今まで何してたんですか?」

 興味本位で件の凄腕な御方に話を振ってみる。

「家」

「はい?」

「部隊が解散してやる事無くなっちゃったから、ずっと家にいたわ」

「…………」

 ……それって、つまり……

「音信不通になってた間、ずっと家に引き籠っていたと……?」

「そうよっ! 急に団長が死んで部隊が無くなって、どうしていいのかさっぱり分かんなかったのよっ! 悪いっ!? いきなり心の準備も出来ないままに放り出されて、もうこっちも精神が参っちゃって何にもできなかったんだからっ! ここに来るのも超大変だったんだからっ!!」

「あの、その、何かすみません……」

 ……初対面の人にいきなり捲し立てられてお兄さん泣きそうです。でもそっか、リストラからの社会復帰は大変だよな……しかも精神面での病み上がりっぽいし、優しくしてあげないとな……

「……なによ。変な目で見ないでくれる?」

「いや、ごめん。色々あって大変そうだなって。……お菓子食べる?」

「いらないわよっ!」

「ちゃんとご飯とか食べてるか? 何かあったら相談に乗るからな?」

「あんたは私のおかんかっ!?」

「……打てば響く……」

「何の話よっ!? 脈絡も無く変なこと言わないでっ!?」

「なるほど、確かに凄腕だ……!」

 これは素晴らしい。俺のボケに対して的確なツッコミが最速で返ってくる。凄腕の騎士ってのは本当のようだ。引き籠っていて腕が錆びついたとかそういう心配は必要なさそうである。

「あの、イルさん。凄腕ってのはツッコミの腕ではないですよ……?」

「分かってますよ? ただツッコミのキレが半端ないから、特務部隊ってのはすごいんだなって……」

「あれ、これそういう面接だったの……!? 新部隊創設って話は……!? なけなしの気力を振り絞って来たってのにこの扱いは何……!?」

「ああ、キルタンサスさん! 混乱しないで下さい! 落ち着いて!」

 うずくまり頭を抱え始めるキルタンサスさんと、それをなだめ始めるナズナ。俺の会話術で和やかな雰囲気を出そうとしたのだが、どうもうまくいかなかったようだ。

「あの、そろそろ私の紹介もして欲しいんだけど……」

「あ、す、すみません。どうどう。キルタンサスさん、大丈夫ですからね……貴方はなにも間違ってないですからね……」

「…………」

 あやされてキルタンサスさんが大人しくなったのを確認すると、ナズナはようやく最後の一人の紹介を始めた。

「もうご存知かとは思いますが、こちらはアネモネさん。前はガルデ地方に勤務していたのですが、新部隊創設にあたって転属していただきました。こちらも実力は折り紙付きの大変優秀な花騎士さんです」

「転属理由ってそれだったんだ……」

「あれ、知らされてなかったの?」

「うん。手紙には火急の用って書いてあっただけで、何をさせられるのかはさっぱり分からなかったんだよね……」

「うわぁ、お粗末ぅ……」

「お、お粗末とは失礼な! ちょっと忙しすぎて内容にまで手が回らなかっただけですし! 断じて手抜きではありませんよ!」

「それを世間一般では手抜きというんですよ?」

「アネモネさんには絶対に来て頂きたかったので、職権を最大限に行使して王室の焼印まで入れましたし! 厳密に言うとギリギリアウトですが!」

「……そしてそれを職権乱用というんですよ?」

 ……いかん、この人も意外とダメなのかもしれない。目的のためには手段を選ばない人間ってのは結果は残すが、周りに多大な負担を強いるからあんまり好きになれないんだよな。何か苦手な理由がちょっとだけ分かった気がするぞ……

「私、そんなに期待されてたの……? が、頑張らないと……」

 そしてこっちはこっちでなんかやる気出してるし。無理矢理呼ばれたみたいだけど良いのか? やる気が出てるって事は良いんだな?

「……そういえば聞きたいんだが、なんでアネモネにそこまで来て欲しかったんです? 他の人じゃ駄目だったんですか?」

「……イルさんの誕生日聞いたじゃないですか?」

「うん? ……あっ、もしかしてエニシダと一緒ですか?」

「ご名答。ですので多大な戦力になるかと。後でアネモネさんにも教えてあげてくださいね」

「ああ、了解しました」

 そうか、アネモネも俺の誕生花だったとは……昨日一瞬で仲良くなれたのも納得がいく。何か他人に思えない感覚とかもしたし、エニシダとはまた違う関係になったりするのかも。

「??」

 そしてそんな俺とナズナのやり取りに要領を得ないのか、頭上に疑問符を浮かべるアネモネ。知らない人からすれば何の話だよって思うわな……

 それにしてもこういう話を切り出すときはどういうシチュエーションが良いんだろうか? エニシダの時は確かどうだったか――

「あのー、みなさん話し込んでいるところ悪いのですが……」

 ……そこで思考を遮るかのように見知らぬ声が響いた。

 声の方を見ると、最初に一礼したっきりで黙っていたサンゴバナさんだ。見た目通りの非常に可愛らしいお声だが、何か気になる事でもあるのだろうか?

「あちらの後ろでうーうー唸っている女性は何なのでしょう……? 目隠しと口枷してるって事は何か罰でも受けているんですか……?」

「あっ……」

 やばい。何か忘れてると思ったら……!

 恐る恐る振り返り、もう一人の誕生花を確認する。うわー、気持ち的には絶対見たくない……

 するとそこには、

「……ううっ、うっ、ずぞぞ、ずびっ、ふぐぅ、うーうううぅ……」

 ……鼻水やら涙やら涎やらでぐちゃぐちゃになったエニシダさんがいたのでした。おーまいがっ。

 

 

「あの、エニシダさん」

「………………」

「すみませんでしたエニシダさん」

「………………」

「本当にごめんなさいエニシダさん」

「………………ずずっ……」

 ……あの後、即座に拘束を解きタオルで顔を拭いてあげたのだが、それっきり部屋の隅っこで体育座りしたまま、何の反応も示さなくなってしまった。顔も膝に突っ伏しているからどんな表情なのかも分からないぞ……

 完璧に俺が悪いから平謝りに徹するしかないこの状況。とてもつらい。

「初対面の人達の前で拘束プレイとか、流石に弁解のしようも無いですエニシダさん」

「………………」

「……あの、何でもしますので、機嫌直してくださいエニシダさん……」

「…………いるさんのばか」

 おお、ようやく反応が返って来てくれた。たったの悪態一つだがこんなに嬉しい事はないぞ。

「はい、大馬鹿ですから。何でもしますから」

「ほんとうに……」

「はい?」

「ほんとうになんでもしてくれますか……?」

 そう言うと顔を上げてこちらを見てくるエニシダさん。泣き腫らしたのか目が真っ赤だ。本当に可哀そうな事しちゃったな……

「ああ、うん。本当に何でもするから機嫌直してください」

「わかりました……とりあえず」

「取り敢えず?」

「…………すぐにはおもいつかないのでこんどいいます」

「あっ、はい……」

 何が来るかと身構えていたので思わずずっこけそうになる。だがここは我慢だ。我慢だぞ俺……

 そんな俺の胸中を知ってか知らずか、立ち上がり再度タオルで顔をごしごしと拭くエニシダ。それで切り替えたのか、タオルを下ろした時にはいつもより控えめながらも快活な様子が戻っていた。

「えっと、その、面談に戻りましょうか……」

「そうだな。……本当にごめんな?」

「もう謝らなくていいですから。早く戻りましょうっ」

 二人で部屋の隅から皆の待つ方へと戻る。

「お待たせしてごめんなさい。続きをしましょうか」

 エニシダの声で思い思いに休憩していた面々がこちらへ向き直る。その一人、サンゴバナさんがエニシダへと労わりの言葉をかけてくれた。

「あの、大丈夫でしたか?」

「あ、えっと、おかげさまで……サンゴバナさんでしたか、ありがとうございます。助かりました……」

「いえ、お礼を言われることのほどでは……えっと、私は何も見てませんので、エニシダさんも気にしないで下さいね……?」

「うぅ……あんな見苦しい醜態を見せてしまったのに、何てお優しい方でしょうか……」

 かけられる情けに絆されるエニシダ。まあ、同性としてあんな醜態が見過ごせなかっただけだと思うんだが、えらく感動してるし水を差さないでおこう。

「えっとそれでナズナさん。どこまでやりましたっけ? 続きでしたよね?」

「ええ。こちらの三人の紹介が終わったので、次はイルさんとエニシダさんをご説明しようかと」

「おー、なるほど」

「そうよ。さっきから気になってたんだけど、結局この子は何なの?」

 我慢できないと言わんばかりに声を上げるキルタンサスさん。……それにしてもキルタンサスさんって言い辛いな。今度ブエルみたいに何か良い愛称でも考えてあげないとね。

「それを今からご説明します。こちらのイルさんなんですが――」

 ナズナが俺についてとこうなった経緯を簡潔に説明していく。

 団長が死んで切羽詰まった事。即席の代替労力としてエニシダの協力の元、俺が召喚された事。俺の現状についての詳細やその後の教育課程について。

「何というか、にわかには信じがたい話ですねー……召喚されたら若返ったとか……」

「それよりも男性なのに世界花の加護を受けられたってのが異常ね。副作用とかないのかしら……髪が伸びたってのもまあ聞いたことないけど、それだけで済むとは思えないわ」

「王国最強から直接手解きを……」

 一通り説明を聞き終え、三者三様の感想を漏らす。総評としては俺は色々と規格外で、評価しかねるといったところか。それにしても我が身ながらどうしてこんな事になってるんだろうな……一週間前はのんびりと暮らしていただけなのにな……

「おほん。これで全員一通りの説明が終わりました。何か質問のある方はいますか?」

 ナズナはそう言って見回すも、誰も手をあげる者はいない。

「……特に無いようですね。それではこれで面談を終えて部隊創設の手続きへ――」

「ちょっと待った!」

 話を進めようとするナズナを遮り、止めにかかる何者か。――キルタンサスさんだ。

「部隊創設の為に私たちが集められたってのは理解したわ。……だけど納得はしてない」

 そこまで言うと俺の方をズビシッと指さし、なおも続ける。

「こっちに来て一週間ちょっとのよく分からない子供を上司にしてこれから働いていけだなんて、私達の扱いが酷過ぎると思うんだけど? この子がどれだけ凄かろうと、それで『はいそーですか、明日からよろしくね』なんて言うとでも思ってるのかしら?」

「あー……確かにな……」

 至極もっともな意見だ。ぐうの音も出ない。俺だって向こうの立場だったら絶対反発するだろう。

「えっと、実は私も同意見で……」

「……イルの事は嫌いじゃないけど、私も一緒かな……」

 次いで他の二人も同じ意見を口にする。

「えっ、えっ、ちょっと!? ここはみんな仲良く協力して任務を頑張りましょうって、一致団結するところだと思うんですけど!?」

 この反応が予想外だったのか、狼狽えだすナズナ。いやまあ、俺だってそうしたいところなんだけどさ……如何に有能な上司でも信頼できない相手じゃ、仕事のモチベーションなんて出るわけないし……

 だがこの状況はまずい。非常にまずい。何とかしないといけない。

 ……というか、俺からしてみれば、だ。

「……なあ、俺からも一ついいか?」

「ん? あなたも何か言いたい事あるの?」

「うむ、すごく大事な事だな。ひょっとするとお前たちに信用されない事よりも、もっとずっと大事なことかもしれない」

「へぇ、何よ? 言ってみなさいよ?」

「ああ、それはだな――」

 それはこの状況をひっくり返すであろう一言。

 ともすればこの場を良くも悪くも粉砕するに余りある言葉。

 

「…………お前ら本当に使えるの?」

 

 ピシリ、とその場にいた全員が凍りついた。

 凍りついた空気を顧みることなく、尚も俺は続ける。

「いやまあ、お前さん達が各地から集められた優秀な人材様だというのはさっき説明されたわけだが。俺からするとそれはただの情報。本当に強いのか、使えるのか、腐った性根をしていないのかがさっぱり分からない訳で」

「……あにが言いたいのよ……?」

 俺の言葉を受け、怒気を孕んだ声をキルタンサスさんが漏らす。他の二人も剣呑な空気を少なからず醸し出しているな。

 よし、何とか挑発には乗ってくれたようだ。

 ……本音を言えばもうほんと、初対面の相手にこんな事はひっじょーに言いたくなかったのだが、この状況を打破するためには仕方がない。部隊創設できなければ俺の食い扶持が無くなってしまうのだ。

「つまりだ。良く聞け」

 指を一つ立て、出来の悪い教え子に教えるかのように続けていく。

「お前たちが俺を見て感じた事、思った事をそっくりそのまま俺も感じていたって事だ。

 要するに、全く以て、これっぽっちも、信用ならない!」

「あんですって……!?」

「あわわわ……キルタンサスさん! 落ち着いて!?」

 激昂し腰を浮かせたキルタンサスさんをなだめるナズナ。

「信用ならない……それは、ちょっと、うん、聞き捨てならないかな……?」

「使えるのか、と来ましたか……まあ初対面ですし、そう思うのも仕方ないですよね。……大分心外ですけど?」

 キルタンサスさん程ではないがあちらもいたくプライドを刺激されている様子だ。騎士って言うからにはこういう挑発は効果的だろうと踏んだのだが、予想以上に効果覿面でお兄さんちょっと後悔してますよ。

 

 ……だがしかし、既に賽は投げられた。ならば最後まで突き通すのみ。

 

「……そこで、だ。お互いの事をより良く知るために、ある一つの提案をしようと思う」

「て、提案ですか……? 一体どんな……」

 はらはらしながら事の推移を見ていたエニシダが言葉を挟んでくる。

 ……これから言う事でこいつの心労もすごい事になりそうだが、まあ仕方がない。ここが力の見せ所だ。声が震えないよう昨日の決意を思い出し、騎士三人を見据え言い放つ。

「試合だ」

「は……?」

「俺とお前たち三人でこれから試合をしよう。加護の異能を振るい、死力を尽くし、持てる力を余さず見せ合って、相互理解と洒落込もうじゃないか」

 




わーい! たっのしー!


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八日目「部隊創設:試合が始まるその前に」

お待たせしました。試合前の準備回です。準備は大事。


「あーくそ……どーしてこうなった……」

 部屋の隅に座り両手で顔を覆いながら自嘲する俺。胸中にあるのは後悔だけだ。勢いで啖呵を切ったものの、現役バリバリの花騎士さん相手に試合なぞ、俺はとうとう正気を失ったか……? いやいや、あの場はああするしか無かった、はず……あのまま物別れに終わったら、何日プー太郎生活をする羽目になるのか分かったものじゃないしな。あれで正しかった、うん。

 ……相互理解の提案をしてから場所は移り、ここは訓練場。試合をするにあたって全員でここへ移ってきたところだ。相変わらず木人や木剣が無造作に転がるこの場所は、ウメ先生と死合った記憶も新しい、大変思い出深い場所である。

 そう言えばウメ先生、元気にしてるかな……また唐揚げ食べたいな……

 思い出に浸りながら何とはなしに室内を眺めてみる。向こうでは花騎士三人達とエニシダが何やら話している。ここまでに移動しながら聞いた話だと、エニシダはブロッサムヒル所属の二人とは面識があるようだが、特に接点があったという訳ではなく合同任務中に二言三言話した程度の関係らしい。まあ、所属国家が一緒と言っても色々あるのだろう。同じ場所、会社、コミュニティに属していても、縁が無いとそうそう会話なんてしないしな。人の縁ってのはそんなものだ。

 更に奥を見ると、部屋の中央では急遽試合の準備をするにあたって、ナズナが訓練中だった花騎士達を一ヶ所にまとめて何か話し始めたようだ。何を説明しようとしているのだろうか? 少し気になったので、近寄って聴衆に混じり話を盗み聞いてみる。

「はい、えー。これからここでですねー。ちょっとした花騎士同士の試合が行われます。皆様の今後の糧になると思いますので、是非是非見学していって下さいね♪」

「おい、ちょっと待てぃ!?」

 思わず大声を上げてしまった。驚いた周りの人が俺の事を見て来るが、そんな事は今はどうでもいい。

「あら、イルさん。どうかしましたか?」

「俺は確かに試合をするとはいったが、オーディエンスのおまけまで付いて来るとは聞いてないぞっ!?」

「えー、いいじゃないですか。別に減るものじゃないですし?」

「俺の神経が減るんだよ! ずたぼろになるのを見られるのとか勘弁だからな!」

「いやいや、ここにいる皆さんの経験値になれると思って一肌脱ぎましょうよ? 物理的にも精神的にも?」

「いやいやいやいや、そんな人身御供みたいに言わないでくれる!? ……って、ちょっと隣のあんた、何で顔を赤くしてる!? そういう趣味なの!? 絶対見られたくないんだけど!?」

 お互い一歩も譲らず主張をぶつけ合う。これではどこまで行っても平行線だ。

 ……だが、そんな所に救いの女神が現れた。

「こら、ナズナちゃん。あんまり私の愛弟子を困らせないでくれるかな?」

「……!? そ、その声は……!」

 凜とした声が響き、一瞬この場が静寂に包まれる。俺はこの声の主を知っている。何しろついこないだ死合った相手だ。間違えるはずがない――

「ウメ先生!」

「やあ、イル君。一昨日振りだな。……それにしても随分とお洒落になったものだ。それだけで大分見違えたように見えるな?」

「あ、はい。色々と幸運に恵まれまして。先生もご健勝そうで何よりです」

「ふむ……なるほど?」

 そこで言葉を切ると俺の顔をまじまじと見てくるウメ先生。

「……変わったのは見かけだけという訳でもないようだな。殊勝な事だ。大方この状況も君が何か提案したんだろう?」

「よく分かりますね。ええ、ちょっと啖呵を切ってしまいまして……」

「ああ、そんな事だろうと思った。本当に、すぐ無茶をするんだから……」

 互いに言葉を交わす俺と先生。王国最強と親しげに話す俺に余程驚いたのか、周りの聴衆も再びざわめき出す。そんな周囲に苦笑しながらもウメ先生は続けて話していく。

「……やれやれ。こんな状況では試合どころではないんじゃないか? ナズナちゃん、この場は仕切らせてもらってもいいかな?」

「え、あ、はい。ウメさんがそう仰るのなら……」

 少しだけ不服そうな顔をしながらも渋々と従う姿勢のナズナ。

「そういう顔をしないでくれないかな。代わりと言っては何だが、イル君とナズナちゃん、双方が納得できる試合形式を私が考えてあげよう」

 

 

「さてと、だ」

 ウメ先生の采配の元、試合形式が決められようとしていく。試合に参加する俺と三人、それとエニシダとナズナはウメ先生の号令で部屋の中央へと集められている。ちなみに、さきまでいた聴衆は部屋の隅っこに纏めて待機中だ。

「私がやると約束したが、まさかまだ何も決めていなかったとはな……まあ、おかげで仕切り直す手間が省けて良かったと考えるべきか」

「いやぁ、急な話だったもので……取り敢えず場所だけは確保しようと頑張っていたところだったのです」

 頬をかきながらバツが悪そうに釈明するナズナ。どことなく肩の荷が下りたように見えるのはウメ先生が仕切ってくれると分かったおかげだろう。これまで見た感じ、事務方だから人を動かすのには慣れていないのかな。

「……まあいい。それで、イル君とこちらの三人が試合をするんだったか」

「ええ。俺が是非手合せをして実力を見たいと提案をしたんです」

「私達も同じ意見よ。この子がどの程度なのか見定めないと、部下になるとしてもおちおち安心して戦えないもの」

 四人して首肯する。花騎士の皆さんもやる気満々なようだ。士気が高くて大変よろしい。俺としてはあんまりよろしくないが。

「なるほど、ならばイル君は三連戦することになるが……大丈夫か?」

「は!? さ、三連戦って……!」

「大丈夫です」

 顔を青くするエニシダを横目に即答する。まあこれは想定の範囲内だしな。向こうの三人もちゃんと納得しているようだ。

「……そして実力を見るという事は加護の異能有りでの試合になるが、本当に大丈夫なのか?」

「くどいですよ、ウメ先生。もとより覚悟の上ですので。これから部下になるかもしれない人達相手に礼を尽くさないでどうするんですか」

 ……本当は全く大丈夫ではないし、これから戦闘することを思うと気が滅入って仕方がないが。

 まあ今更がたがた喚いたところで何か変わるわけでもなし、せめて気取られないよう胸を張ってウメ先生の言葉に応える。

「まあそう言うのなら大丈夫なのだろう。だが、これだけは言っておこうか。……あまり無茶はするんじゃないぞ?」

「んー……ちょっとそれは自信無いです。というか、今無茶しないでどうするんですか?」

「ふふっ、それもそうだな。なら言葉を変えよう。……死なない程度に頑張れよ? 折角私が気合いを入れて教えたのだから、存分に見せつけてやるといい。……それじゃ、三人とナズナちゃんは向こうで順番でも決めようか」

 ニコリと微笑むウメ先生。それを最後に、他の方々と一緒に俺から離れ、話し合いに入っていった。その場に残されたのは俺とエニシダだけ。

「い、いい、イルさん!」

 ……そして二人だけになったタイミングを見計らいエニシダが慌てた様子で話しかけてくる。

「どうしたエニシダ」

「何ですか三連戦って! 聞いてないですよ!?」

「いや、全員の実力を見るんだし、普通は三連戦になるだろ?」

「私はてっきりあちらの代表一人と戦う程度だと……」

「いや、それだと角が立つじゃん。戦ってないのに納得させられた、とか後でごねられる可能性もあるし。全員平等に戦わないと」

「で、でもそれじゃイルさんの体が持たないです!」

「……持たせるんだよ。そのためにお前がいるんだろうが」

「へ……?」

 言った事の意味が分からないのか、キョトンとした顔でこちらを見てくるエニシダ。

「お前の魔法と、他に使えるものも全部使う。即効性の疲労回復とか怪我の治療とか、こっちの世界にはそういうアイテムもきっとあるんだろう? だから、それを試合の合間合間に使わせてもらうんだ。万全の状態で戦うためにな」

 エニシダに頭を下げて更に続ける。

「もちろん、使った分の金とかその他諸々はこれが終わったら利子も付けて必ず返す。だから頼む。俺が戦っている間に準備してくれ。お前なら箒で空飛べるし、色々掻き集められるはずだ。多分あんまり時間は無いと思うけど、何とかしてくれるって信じてる」

 そこまで言い切ると再び顔を上げ、エニシダの反応を見てみる。

「あぅ、えっと、その……」

 俺の急な頼みにしどろもどろになりながら思案している様子。相変わらず顔は真っ青だし今の話で涙目にもなっちゃったし、非常に頼りない。

 だがしかし、今の俺にはこいつだけが生命線なのだ。

「ううぅぅ……! そんな目をするのはずるいですよ……もう、分かりました。分かりましたからっ」

「じゃあつまり……」

「ええ、イルさんのお願い、聞いちゃいます! 街中ひっくり返して使えるものたっぷり持ってきますから! 首を洗って待っていてくださいねっ!」

 そう言い放つと訓練場奥の吹き抜けから箒に跨って飛んでいってしまった。……よし、これで仕込みは万端だ。あいつの言うとおり首を洗って待つとしよう。

「って、首を洗って待っちゃダメだな……それじゃこの場を生き延びてもあいつに殺されるみたいじゃん……」

 実際はテンパったエニシダの事だ。誤用と知りつつもつい口から滑ったのだろう。ここぞという所で間抜けなのが非常にあいつらしい。今頃は変な事を口走ったと自己嫌悪にでも苛まれているだろうな。

 飛んでいったエニシダについて思いを馳せながら時間を潰す。十分ぐらい経った後だろうか。ウメ先生とナズナが戻ってきたようだ。

「お待たせした。……おや、エニシダちゃんは?」

「ちょっとお使いを頼んでおきました。三連戦はしんどいので」

「ああ、なるほど。流石に無計画って訳ではなかったんだな。少しホッとした」

 ……いや、大分無計画だったんだけどな。この案も思い付いたのさっきだし。

「イルさん。私からもお話が」

 ホッと胸を撫で下ろすウメ先生と代わり、今度はナズナが話しかけてくる。

「話し合ってる間に昨日買った武器を持ってくるよう手配しておいたのですが、この試合で使いますか?」

「お、あのハルバードですか。是非」

「分かりました。ではあちらです」

 ナズナが先導するように歩き出す。行き先は訓練場の入口のようだ。

「侍女に持ってくるように言っておいたのですが、入口まで持ってきたら根を上げてしまって……」

「ああ、まああれ大分重いですからね……」

 程なくして入口に到着。そこには布に包まれた斧槍と、疲れ果てて座り込んでいる侍女さんの姿が……ってこの人は。

「……お久しぶりです。いつぞやの侍女さん」

「はっ、はああっ、ふぅ……え? あの時のお子さん……?」

「おや、イルさんはお知り合い?」

「何日か前に訓練場への行き方を教えてもらいまして」

 あまり人様の顔が覚えられない俺ではあったが、ド親切なこの人は何となく覚えていた。何やら見ると額から汗をダラダラと流しているし、すごく頑張ってくれたようである。女性の方に無理をさせてしまったようで大変心苦しい……

「まあそれは今はいいでしょう。はいこれ侍女さん、チップをどうぞ。何か飲み物でも買って下さいな」

「わわっと……!」

 ピーンと銅貨を指で弾き、侍女さんへと渡してあげる。こういう文化があるのかどうかは知らないが、お疲れの様だしこれで缶ジュースでも……ってこの世界には無いか。

「ありがとう……って、その武器あなたのだったの!? それ滅茶苦茶重いから気を付けて――」

「あ、よっこいしょいっとな」

「なっ……!?」

 片手で斧槍を持ち上げ肩に担ぐ。うむうむ、相変わらず良い重さで非常に頼もしい。傍らでは侍女さんが驚いて口をあんぐりと開けているが、見なかったことにする。この体になってからこんな反応なんてもう慣れたものだし。

「いやぁ、随分と軽々と持っちゃってまあ……」

「んじゃ、ナズナさん戻りましょうか」

「あ、はい。呆れてる場合じゃなかったですね。……ほら、貴方もお疲れ様です。急なお仕事を頼んですみませんでした。もういつものお仕事に戻っていいですよ」

「は、はいぃ……」

 

 

 武器を持って帰って数分後。

「それでは試合を始めようと思う」

 ウメ先生の至極簡潔な言葉を皮切りに、試合が始められることになった。

 試合形式はこうだ。

 

 ・何でもありの戦闘。相手が降参するか、審判が戦闘不能と判断するまで戦う。

 ・相手の殺害は禁止。それと五体満足で終わるよう、最低限の手加減はする事。また万が一の保険として防御の腕輪を着用すること。

 ・三対一という形式のため、一戦ごとに十分な休息を挟む。俺が十分な戦闘が出来ると審判が判断した後に次戦を行う。

 ・聴衆の観戦は許可する。ただし歓声をあげたり、試合の進行を妨げたりする行為をした場合には即座に退場してもらう。

 

「全員異論はないな?」

 この場にいる全員に問いかけるウメ先生。異論を挟む者などいるわけがなく、この場はシンと静まり返ったままだ。

「よろしい。ならばイル君とサンゴバナちゃん、前へ」

「はい」「はーい」

 返事をしながら前へ出て対峙する俺とサンゴバナさん。最初の相手はこの人か。経験豊富な方と聞いてるし、気が抜けそうもない相手だ。見るともう臨戦態勢に入ってるのだろう、双剣を交差させて構え、興味深そうにこちらを見ている。あれがこの人の得物か。二刀流はちょっと厄介そうだな……

 と、そんな風に相手を観察していたのだが、

「イルさん……その武器……」

「ん? ああ、このハルバードが何か?」

「すっごく……」

「すっごく……なんでしょう?」

 

「ものすっごく綺麗ですね!!」

 

「…………は?」

 くっはー、もう辛抱堪らんといった表情でサンゴバナさんはそんなことを言い放ってくれたのだった。

「ああ! ああ! 本当になんて綺麗なのでしょう! その黒光りする黒曜石! これでもかと言うくらい丹念に磨き上げられていて、作者の類稀なる技量、飽くなき執念を感じますっ! それにそれに、その黒曜石を被っていないところもまた……溶接された継ぎ目が全然見えないじゃないですか!? ああ、何という……」

 一息でそこまで捲し立てると、ふらふらとした危なっかしい足取りでこちらへ近付いてくる。

「ちょ、ちょっと?」

 止める間も無く斧槍を手に取り、そのまましげしげと眺め始めてしまったではないか。

「ああ、近くで見るともっと綺麗……! うーん、最の高。略して最高ですよ……! うふふふっ……可愛い可愛い……」

 斧槍にぺたぺたと頬擦りをしながら、うっとりとした顔でそのまま呟き続けるサンゴバナさん。やだ何この人こわい。第一印象がまともだったせいで落差にくらくらするぞ……

「はあ、全く……こらっ、サンゴバナちゃん! イル君の武器を返してあげなさい」

「……はっ! 私としたことが……!」

 見かねたウメ先生の一喝でやっと我に返ったようだ。即座に斧槍を俺に返してくれる。

「ごめんなさい。あまりにも綺麗だったのでつい……」

「あ、いえ、別に大丈夫です。……刃物好きなんですか?」

「ええ! それはもう! 刃物が好きで花騎士になったようなものなので!」

 えへんと胸を張り自信満々に答えてくれた。……想像以上に尖った感性を持った御方のようである。でもまあ、好きなものなんて人それぞれだしな。逆にここまで開けっ広げにフェチズムを話してくれると親しみが湧くというものだ。裏表の無い良い人なのだろう。

 だがそんな分析を始めた俺の様子に思う所があるのか、

「……? どうかしましたか? ……あっ、も、もしかして今のでちょっと引いちゃいましたか……?」

 不安で顔を曇らせながら、おずおずといった風に尋ねてきたのだった。

「え? あ、いや、別に引いてはいないですよ。ただ変わった感性持ってるなって感心してただけです」

「ああ、そうでしたか。それならよかった……」

 心底安堵したのか、ホッと胸を撫で下ろすサンゴバナさん。何だかこの人も色々抱えてそうだなぁ。好きなものが変わってるってだけで誤解されたり、白い目で見られて来たりしたのかもしれない。

 ……人というのはどうしたって普通と違うものを排除したがるものだ。先の反応を見る限り、今までの人生も紆余曲折、色々と困ることもあっただろうことは想像に難くない。

 そこまで考えると、どうしても一言言っておかねばならなかった。

「……一つ言っておきますが」

「……? 何でしょう?」

「俺は人と違う趣味嗜好を持ってるってだけで軽蔑したりは絶対にしないので、そこだけは安心してください」

「え、あ、はい?」

「あとはまあ、そうですね……無事に同じ職場に就く事が出来たら、何でも頼って下さい。俺ってしがらみとか何にもないから気軽だと思いますし」

「…………」

「……って、ああ!?」

 あ、やべ。今後の事を決める試合の前になんて申し出をしているんだ俺は……! これじゃ俺が勝つのは当然だとでも言ってるようなものではないか。

「ああああ、今のは忘れてください! 試合前になんて事を……」

 慌てて先の発言を取り消す。そんな俺の一人芝居を呆気にとられたように見ていたサンゴバナさんだが――

「…………ふふっ」

 何と、怒るどころか笑っておられるではないか。思わず凝視してしまう。

「イルさんは、何と言うか、不器用ですけど優しい方ですね」

「……はい?」

 何だか思いがけぬ言葉を掛けられてしまったぞ……?

「まだ二言三言話しただけですけど、何となく分かります。……貴方は根っからの善人ですね。いやむしろお人好し過ぎます。いくら未来の部下予定とはいえ、初対面の私に何でそこまで言うんですか。善意の投げ売りですか。そのうち痛い目を見ますよ?」

「いやいやいやいや、そんな事無いですからね。俺はやりたい事やるだけのただの一般人なので。ああ、今はもう元一般人に成り果ててしまいましたが……ともかく、お人好しでも何でもないので。痛い目も見ないので。と言うか、サンゴバナさんも大分お人好しじゃないですか?」

「な、私も……?」

「俺の主義主張や提案なんか鼻で笑ってくれてもいいのに、そこまで真摯に返してくれるなんてドの付くお人好しですよ。俺の事を言えないんじゃないですか?」

「し、仕方がないじゃないですかっ。そんな風に気遣ってくれた人なんて本当に久しぶりなんですからっ。そもそも――」

「おほん。君達、いつまで喋っているんだ。さっさと試合に移るぞ」

「あ、すみません……」「は、はい……」

 再度ウメ先生の一喝が飛んで来たため、舌戦は中断されてしまった。再び離れ所定の位置へ戻り武器を構える。

 ……それにしても、だ。今のやり取りで俄然やる気が出てしまった。何があろうともこのピンクのお人好しは仲間にしたい。何となくエニシダと属性が被ってはいるが、ネガネガしないし上位互換と言っても過言は無いだろう。それに刃物好きも見ようによってはプラスの技能だ。今後戦闘していくにあたって絶対に武器の知識は役立っていくだろう。

 向こうも向こうで、最初に見た時よりも心なしか楽しそうにこちらを見つめている。今の会話でやる気に更に火が付いたようだ。まあ、折角戦うのだからそうでないとな。ぐんにょりしてる相手を叩きのめすのよりかはよっぽど後腐れがない。

 そんな俺達の様子を満足そうに眺めたウメ先生が手を振り上げ――――そして降ろす。

「……始めッ!」

 その言葉を皮切りに俺達二人は同時に思い思いの行動を開始――

「――いざ」

「――尋常に」

「「勝負ッ!」」

 

 こうして、戦いの火蓋は切って落とされたのだった。

 




ようやっと試合開始ですね。
……開始した所で難なのですが次はちょっと遅れるかも。


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八日目「第一試合:煌めきの双剣使いⅠ」

 お久し振りです。何とか生きてます。遅れに遅れましたが、どうぞ。


 私は地を駆ける。得物を構えながら。獲物を見据えながら。

 凝視するのは全身黒塗りの少年――イルさん。何かの術を施したのか、その姿は頭から影を被った様で、まるでそこだけ色彩と言う概念が取り払われたかのように、酷く現実離れしている。

 ……あんな子供相手に全力を出していいのかな? 逡巡は一瞬。これは試合ですから、本気でやらないと。相手にも失礼です。

 今までの人生で積み上げた技能を総動員させ、疾駆の後に双剣を紫電の如く突き立てる。狙うは左腕の関節。先ずは利き手と思しき箇所を狙い、様子見と行きましょう。

 双剣はあっけないほど簡単に突き刺さった――はずだった。

「……っ!」

 刺突はイルさんの持つ斧槍によって、完璧にガードされていた。寸分過たず斧槍の刃の腹で受けられている。

「……なるほど。速いな」

 ぼそりと一言。影法師が漏らす。

「だが、ウメ先生の地獄のようなしごきを耐えきった俺を、舐めてもらっては困るなっ!」

 凜と響く男女どちらとも判断の付きかねる声。次の瞬間、

「先ずは餞別だ。串刺しになってくれるなよ?」

 足元の影が蠢いたかと思うと、無数の槍が飛び出してきた。

「……くっ!?」

 バク宙で距離を大きく離しながら槍を躱す。

(……これがこの子の加護……! 大分厄介そうな能力ですね……!)

 跳躍しながら空中で思考する。黒ずくめの外見といい、影由来の召喚術だろうか。あの様子だと他にも隠し玉をたっぷりと持っていそうだ。

 程なくして着地。そして同時に元いた場所へと油断なく視線を投げかける。が、

「……いない?」

 そこに相手の姿は無い。何処へ行ったのでしょう……?

(この感覚……何か……不味い!)

 数多の実戦で培った直感が最大級の警鐘を鳴らす。こういう時は、そう――

「……死角!」

「ご名答ッ!」

 振り返り双剣を交差させ防御の構えを取る。そこへ目視で確認する間も無く、衝撃が全身に走った。

「っつうっ……!」

 一歩遅れて視界に収めるも、果たしてどうやって移動したのか、そこには中空から斧槍の腹で横薙ぎに殴りかかっていた黒い悪魔がいた。

「もういっちょおおッ!」

 横薙ぎの勢いを活かして第二撃が飛んでくる。今度は大上段の斬撃。あれを貰ったら加護の防御があっても無事では済まないだろう。

「危ないっ、ですねっ!」

 衝撃で怯む体を押しサイドステップで躱す。元いた場所に破砕音を轟かせながら、斧槍が深々と突き刺さった。

「……ちっ。今のは決まったと思ったんだけどなぁ……」

「いやいや!? 今の直撃したら一発で昇天してたと思うんですけどっ!?」

 思わず抗弁してしまう。どうもやり過ぎだと分かっていないような……この子、常識とか無いのかな……?

「いや、ウメ先生はもっとすごいのやってきたし……ねえ、ウメ先生? ……あっ、バッテン? バッテンって事は今のはダメなのか……むむむ……加減が分からない……」

 審判のウメさんを振り仰ぎ嘆息するイルさん。……加減が分からないとか、恐ろしい事は言葉に出さず、胸の内にそっとしまっておいて欲しいのですが。

「……まあちょっとやり過ぎちゃっても大丈夫でしょ。戦闘経験豊富なサンゴバナさんなら避けてくれますよ……ねッ!?」

「……!」

 にこやかにそんな事をのたまいながら再度急接近してくる。今度は突進しながらの刺突。寸での所で躱し、お返しとばかりに斬撃を叩き込もうとする。だが――

「おっと、危ない危ない」

 斬撃が届くか届かないかの所で急速に方向転換。まるで何かを足蹴にしたような、あまりにも不自然な軌道だ。あっさりと私の射程外へと逃げられてしまった。

「何ですかその曲芸はっ!?」

 斬撃がすっぽ抜けたせいで間抜けな抗議の声が出てしまう。そんな私をあざ笑うかのように再度空を駆け強襲してくるイルさん。振るわれる斧槍を双剣で防御する。

「空間跳躍の応用とかなんとかだとさ! よく分からんけどなッ!」

「よく分かってないもので人の攻撃を避けないでくださいよっ!?」

「使えるものは何でも使う主義なんでな!」

 今度も双剣を振るう前に射程外へと退避されてしまった。……なるほど、あれは空間跳躍ですか。リリィウッドの花騎士にも使い手はいましたが、実際に相対すると厄介な事極まりない。それにしてもこれでは埒があきませんね……

「仕方がないです……早々にコレを使うのは癪ですが……」

 己の得物へと魔力を込めていく。煌めきが際限無く広がる様をイメージ。今まで幾度となく繰り返した行動だ。間違えるわけも無く、

「――覚悟してくださいっ!」

 跳ね回る相手めがけ十字の斬撃を振るう。それと同時に魔力を放出させる。

 一見するとただ空を切っただけの無意味な行動だが、私の場合は違う。魔力は剣閃によって刻まれ無数の衝撃波となり、高速で獲物へと殺到していく。

「んな……!?」

 振り返り殺到する衝撃波を見たイルさんが言葉を失う。私が遠距離攻撃できないとでも決めつけていたのでしょう。胸のすくような光景です。

「くっそっ、何でもありか!? ぬおおっ!」

 辛うじて衝撃波を斧槍でガードするイルさん。だがそれでバランスが崩れたのか、空から降りて地面へと着地。……この機会を逃す私ではありません。

「ようやく捕まえましたよ! ここからは私のターンですっ!」

 地を駆け懐へと入り込み、そのまま二刀による斬撃のラッシュを叩き込んでいく。

「ふっ! はっ! ええいっ!」

 横薙ぎ、縦切り、袈裟切り、掬い上げ、それにフェイントも織り交ぜ、相手に太刀筋を読まれないよう、ありとあらゆるパターンで切り付けていく。

「ああくそっ! 防ぎきれるか馬鹿っ!」

 流石に全ては斧槍で防ぎきれないのか、斬撃は防御を越え何度か直撃する。しかし、有効打にまで至ってはいない。よくよく見ると、服の表面に影を纏わせていて、それで防御しているようである。

 ……この人、色々と器用過ぎませんかね。まあ、ずっと切りつけていればいつかは魔力切れになりますし、それまでの辛抱でしょう。

 偉い人はこう言いました。一回でダメなら十回、十回でダメなら百回、百回でダメなら千回切り付ければいいと。これ、重要ですよ。

 だが、この一方的な攻勢、相手にとってはそりゃもう不服の極みらしく、

「いい加減離れろッ!」

 斬撃の合間を縫い何とか距離を離して仕切り直そうとするイルさん。バックステップ、かな?

「いーやーでーす! このまま微塵切りになって下さいっ!」

 ……だがそれを許す私ではありません。動きを読み、相手の動きに合わせこちらも距離を詰める。この射程ならば双剣の本領発揮です。それに長年戦い続けた経験もある。素人に毛が生えた程度の相手の行動などお見通しなのです。

「ぐぬっ、かくなる上は……」

 何事かぼそりと呟くイルさん。……何か策でもあるのでしょうか。さきのように槍を生やしたりしてくるのかも。もしかしたら地面から以外にも、服の上からだって生やしたりしてきたりするかもしれません。

 斬撃を叩き込み続けながら最大限に警戒する。何しろこれまで予想から外れた行動ばかりしてきた相手です。戦闘の素人とはいえ、その発想には油断など全くできません。

 ……などと思考しながら斧槍の防御を縫い、何度目かの斬撃を肩口に叩き込んだ時。

「っ!?」

 叩き込んだ箇所がごぼりと波打つ。そのままそれはみるみるうちに膨れ上がり――

「初めてやるんだからな! 上手く加減出来てなくても恨むなよッ!」

 次の瞬間、両者の間に爆発が生まれた。

「きゃあっ!?」

「ぐうっ……!」

 耳をつんざくような爆発音と閃光、魔力を帯びた強烈な爆風に、条件反射で防御姿勢を取ってしまう。

「…………しまった!?」

 しばらくして爆風が止み、固く閉じた目を開いた時には、あんなに近くにいた相手の姿は既に無く、

「ああ、初めて自爆なんてしたけど、こんなのはもう二度とごめんだな……あたた」

 首を巡らして焦げた匂いを辿ってみれば、遠く離れた所にブスブスと黒い煙を出しながらぼやくイルさんの姿が確認出来ました。

「……自爆なんて普通は思い付いてもやらないと思うんですけど。というか、普通はやれませんが」

「いやまあ、離れられそうな手段が他に思い付かなくてな……この一張羅が丈夫じゃなかったらもう三十秒ほど悩んでたところだな。うむ」

「どちらにしろ自爆はするんじゃないですかっ! もっと自分の命を大事にしてくださいよっ!?」

「あれぐらいやらないと動きが止まらなさそうだったんで……つい……」

「つい、じゃないですよ!? はあ、本当にもう……」

 思わず呆れて溜息を吐いてしまいます。一歩間違ったら無事では済まなかったでしょうに……この人は自分の命を何だと思っているのでしょう。

「だがなんにせよ、だ……」

 そこで言葉を一旦切るイルさん。何をするのかと眺めていたら、次の瞬間には再度跳躍して切りかかって来たではありませんか。

「これで仕切り直しだな、っと!」

「くっ……!」

 ギシリと組み合った双剣と斧槍が軋む。咄嗟に振り払い衝撃波を放つも、これまでの行動で学習されたのか、軽々と避けられてしまう。

 ……さっきまで言い訳していたかと思ったらこれだ。こちらが呆れている不意を突いての行動なのだろうけど、素人にしては如何せん切り替えが早過ぎるし、一回見せた技に対応してくる学習速度も異常です。なんでしょう、野生の獣か何かですかね。この人は。

 再度距離を離そうとするイルさんを追い、衝撃波を飛ばしながらこちらも最大速で距離を詰める。これではいたちごっこで全く埒が明きませんが、現状こちらの取れる選択肢としてはこれが最善手。奥の手を出すにしても、もっと相手を消費させてからの方がよいでしょう。

 ……ああ、それにしても、ですよ?

「まったくもう……! こんなに大変なら最初にガツンとやって、さっさと終わらせておくべきでしたっ……!」

 

 

「ああ、本当に、最初でとっとと終わらせたかったんだがなぁ……」

 後ろから追いすがるサンゴバナさんと全く同じことをぼやきながら、俺は心中で苛立を噛み殺していた。

(経験豊富とは聞いていたけど、ここまで隙の無い戦闘スタイルだとは……)

 背後からひっきりなしに飛んでくる衝撃波をジグザグに動いて回避しながら、時には斧槍で切り払いながら思考を走らせる。

 現状取りうる手段は隙を突いての強襲からの即時離脱。下手を打ってあの双剣のラッシュに捕まると、先のようにずたずたに引き裂かれかねない。ああ、あの時加護で防御していなかったらと思うと本当に怖気が走る。

「はっ……はあっ……それにしてもっ、本当、どうしたもんかね……」

 絶え間ない移動により呼吸が荒れ、焦りからぼやきまでも漏れる。……魔力、体力共に大分疲弊してきたようだ。流石に自爆したダメージは無視できるものじゃないか。その上、強襲離脱は思っていた以上に神経を使う。絶えず緊張しっぱなしのこの状況。想像以上に早く、身体にガタが出始めているようだ。

 何か状況を好転させる方法は無いか考える。……策を弄するにしても、この状況では取りうる手段が余りにも少なすぎる。地上に降りて影を十分に補給しようにも、その時には待ってましたと言わんばかりに襲ってくるだろうし、

(兎にも角にも、出来る事は現状維持か……)

 疲労により纏まらない思考を切って捨て、簡潔な結論を下す。今すべきことは一回でも多くの有効打を叩き込む事。贅沢を言うなら斧槍で頭を一発ぶん殴れれば最高だ。それだけで決着がつくのだから。

「――でりゃあッ!」

 斬撃を縫い、何度目かの強襲をかける。……またしても双剣で防がれた。即座に離脱。

「くそっ……! はあっ……」

 安全圏まで退避するも、今回は相手は動く気はないようだ。それどころか俺を興味深そうに見てくる。

「……大分息が上がってきましたね? 鬼ごっこにも疲れましたか?」

「ああ。ふう……ちょっと飽きてきたところだよ」

「またそんな強がりを……」

 呆れたように肩をすくめるサンゴバナさん。続けて諭すように言い放ってくる。

「軌道も太刀筋も露骨に雑になって来てますし、実際のところ、限界なんじゃないですか? そろそろ降参した方が身のためですよ?」

「降参、だって?」

 降参、降参と来たか。なるほど。この上なく甘美な選択肢だ。だがしかし――

「……ふっ。ふははっ」

「……? 何かおかしいですか?」

「いやごめんごめん。降参なんて考えたことも無かったからさ。ついおかしくって」

「だから、それの何がおかしいんです?」

「……言い忘れてたんだけどさ。俺って大分負けず嫌いみたいなんだよね」

「はあ」

「だから、降参はしない。絶対に。何があっても。意識を手放すまで抗い続ける」

 ……またしても無駄に見栄を切ってしまった。こんな事ばっかり言ってるからいつも苦労するんだよな……でも勝てそうで勝てないこの状況は、非常に燃えるというか何というか。例えるならそう、ウメ先生と手合わせした時ととても良く似ている。

 なればこそ。抗うのを止め、思考を放棄した時点で、敗北が決定するのではなかろうか――

「…………」

 俺の独白に返答は無い。サンゴバナさんはただ無言で双剣を構え直しただけだ。

 ……だが、ただそれだけで明確に雰囲気が変わったことが知れた。俺もまた武器を構え直し、続けて言い捨てる。

「……次で決めよう。ぶっちゃけ、動き回るのも疲れたし、そっちもそろそろ頃合いかって思ってるところだろう?」

「……よく分かりましたね。ええ、こちらも次で決めます。疲弊した今のイルさんなら確実に仕留めてあげられます。……降参するかしないかなんて、考える必要がないくらいに、完膚なきまでに完勝してみせます!」

 ……決意の言葉を皮切りに、互いに魔力を全身に巡らせる。こちらはとりわけ足元を重点的に。残っているありったけの魔力を込めていく。

 決着が着くとしたら一瞬だろう。全神経を集中させ、僅かな動きにも反応できるよう備える。

「…………」

「…………」

 場に満ちるは静寂。緊張故か、時間の進みが泥のように遅く感じる。

 ……相手に動く気配は見られない。ならば――

「――――!」

 ……自然体で気取られないよう、僅かに前傾姿勢を取る。しかる後に瞬時に足裏の魔力を爆発させ、文字通りの爆発的速度で己が身を弾丸と化して相手へと殺到させた。……俗に言う無拍子とやらの魔力応用だ。

 接敵するタイミングに合わせて斧槍を振り下ろす。我ながら完璧な軌道、今まで精彩を欠いていた斬撃とは程遠い、まさしく必殺の一撃。

(この一撃、避けられるか……ッ!)

 だが――

「…………!?」

「ぐっ……でやああっ!」

 あろう事か、全力を込めた斬撃は……サンゴバナさんによって真っ向から受け止められてしまった。斧槍を受け止めた双剣は、こちらを全力で押し戻さんと、眩いばかりに煌めき、己の存在をこれでもかというほどに主張してくる。

「くっ……! なら……ッ!」

 まだだ。まだ初撃が防がれただけだ……! 即座に次撃へと移行。最初の突撃時と同様に身を捩りながら影を蹴り、横薙ぎの斬撃へと繋ぐ。今度は悠長に斧槍の腹などで殴らず、ありったけを叩き込んでやる……!

「貰ったッ!」

「――いいえ! 貰うのはこっちです!」

 あらん限りの速度で視界を向けた俺を待っていたのは、予期せぬ光景だった。

「――――!?」

 双剣から放たれる煌めき。それは見る間に膨れ上がり、こちらの視界を白く染め上げていく。

 白く。更に白く。止まることなく際限無く広がっていき――

「ぐっ……眩し……!? あああっ…………!」

 次に知覚したのは、双眸に走る激痛。堪らず、武器を振る片手を放し、瞳を抑える。……無論片手で振るう武器にはそれまで漲っていた勢いなどある訳も無く、明後日の方向を惰性のままに切り付けていた。

 今のでこちらの網膜が焼け付いたか――そう理解した時にはもう遅かった。

「まずは一つ!」

「――ぐっ!? ごふっ……!」

 腹部に衝撃。同時に肺の中の酸素があらかた絞り出され、呻き声が漏れる。

 双剣で殴られたか……!? だが、それにしては質量が重すぎる……! 明滅する視界を酷使し、相手を辛うじて視界に収める。

(……そのための……グリーブか……ッ!)

 確認できたのは、足を上げながらロングスカートを翻している剣士の姿。恐らくはこちらを蹴り飛ばした後、足を戻している途中なのだろう。

 ……重力を振り切り、己の体がぐるぐると回転しながら高く飛ばされていくのを感じる。ああ、ハイキックで人はここまで高く飛び上れるんだな……だけど、飛ぶにしてももっと穏便な手段で飛びたかったものだ。エニシダの箒の方がまだ安全だっただろうな……

 身体と共に飛びかかる意識で、そんな益体も無い事を考える。我ながら悠長なものだ。さっきまでの気合いは何処へ行ったのだろう。

 だが、次に耳に飛び込んできた言葉で、そんな呑気な事を考えていられなくなってしまう。

「まだまだいきますよっ!」

(…………!? まだ来るのかッ……!?)

 ハッと目を見開き、再度相手の姿を探す。視界は相変わらず最悪なままだが、声のした方を頼りにして何とか姿勢を制御。落ちながらではあるが、最低限の迎撃できるだけの用意は出来た――

「……って! またそれか!?」

 少しだけ回復した視界に入ったのは、こちらへと殺到するおびただしい量の衝撃波。……どうやら、次で決めるという言葉は誇張でも何でもなかったらしい。

「こなくそッ!」

 既に目と鼻の先にまで迫ったそれら相手に、回避という選択が取れる訳も無く、咄嗟に斧槍を盾代わりとして身を隠す。……身を隠すにはあまりにも面積が足りていないが、急場凌ぎの思い付きなど所詮こんなものだ。当然、全てを防ぐことなど出来る訳が無い。

「ぐっ! …………ッ!」

 為す術も無く全身が切り刻まれていくのを、歯を食いしばりながら必死に耐える。まるでミキサーやシュレッダーにでもぶち込まれた感覚だ。斬撃によって全身を覆う影が次々と剥ぎ取られていく。

(まだか……まだ終わらないか……!?)

 時間にすれば数秒程度の攻撃だっただろう。だが、耐え続けるだけの時間というものは得てしてその数倍、数十倍の時間に感じるものだ。

 ……体感時間にして耐え続けること数刻。待ち望んだ時は唐突に訪れた。

「や、やっと終わった……ぐえっ!」

 衝撃波が止んだと思った次の瞬間、防御姿勢のままに地面へと熱烈なダイブをかましてしまう。受け身姿勢など取れるわけも無かったからまあ、仕方ないのだが。おかげで無様な声が漏れてしまった。ああ恥ずかしい。

「だがこれで、終わり……」

 痛む体を押して何とか起き上がる。それとなく全身も確認してみるが、影はほとんどが剥げ落ちており、最早満身創痍である。服がずたずたになっていないのだけが不幸中の幸いか。

 次に確認するのはこんなになるまで攻撃しやがってくれたピンクの悪魔だ。あれは今どうしているか……

「……ってまあ、そうだよな。これで終わりな訳が無いよな……」

「ええ。ようやく起き上がってくれましたね。これで心置きなく必殺の一撃が放てるというものです」

 再度相対した相手はそんな事を言い放ってくれた。見れば双剣もこれでもかと言わんばかりに煌めいていて……まあ、その、あれだ。殺る気満々ですね……

「……私としてはあのまま起き上がらずに終わってくれていた方が良かったのですが。仕方ないですね。とっても心が痛みますが……」

 そこで更に煌めきを増す双剣。最早光が剣の形をとっているかのようだ。

「この必殺の一撃で! 決着を付けますっ!」

「いやいや、ちょっと待って落ち着こう。ほら見て、俺もうぼろぼろだよ? 必殺の一撃なんて受けたら、今度こそあの世行きかもだよ?」

 動転した俺は思い付くままに時間稼ぎの言葉を並べてしまう。だがそんなもので止まる相手でもなく、こちらを見据えたまま、ただただ目を細めるばかり。

「この期に及んで命乞いですかっ。だったら今すぐ降参してくださいよ!」

「いや、それは、うーん……」

 ……降参という言葉に反射的に難色を示してしまった。まあ、ここまで来て降参するとか、ちょっと間抜けにも程があるしな。例えるなら、マラソンのゴール直前で「もう無理です走れません」と言ってリタイアするようなものだ。お前は何しに来たんだよ、と。

 ……それに何より。今はこの先が見てみたい。この煌めきの剣士が放つ必殺の一撃が……!

「……やっぱり無理なんですね。では、もう言葉は不要――」

 そこまで言うと唐突に跳躍するサンゴバナさん。跳躍と言ったが、より正確に言うと側宙――それで二回転ほどした後に双剣を地面へと叩き付ける。

 ……するとどうだ。こちらの身の丈の二倍、いや三倍はありそうな衝撃波が、地面を割り裂きながら、圧倒的な物量で押し寄せてきた……!

「また衝撃波……! でもこれなら……!」

 高速で襲い掛かってくる衝撃波を躱しながら、避けられそうもないものは斧槍で切り払っていく。

 物量こそ膨大だが、一つ一つ丁寧に処理していけば何とか――

「――何とかなるかも?」

 こちらの思考が読まれたのか、そんな言葉が投げかけられた。背筋に氷柱を突っ込まれたような、嫌な予感が総身に走る。

「……でも、これで終わりじゃないんですよ?」

 言葉と共に地面が、視界が、世界が煌めいていく。

「なっ……!? まず――」

「さあ、微塵切りです!」

 次の瞬間、辺り一面から文字通り“生えた”煌めく刃によって俺の全身は切り刻まれ、その勢いのままに、またしても高く高く吹き飛ばされたのだった……

 




 サンゴバナさんは強キャラっすなー。

 あ、設定資料集読みました。世界考察が当たらずとも遠からずだったので一安心……って、相変わらず地図とか人口とか分からないじゃないですかやだー! もう好き勝手書くから!


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八日目「第一試合:煌めきの双剣使いⅡ」

後半戦です。もっと文章力を高めたい……!


「はっ……はっ……はあっ……」

 戦技を放った私は膝を突き、肩で息をする。まだまだ魔力には余裕はあるが、限界を超えて出力したおかげで、体の方にツケが行ったみたいです。……まあそもそも、元々が対大群用の戦技を最大出力でぶっ放したのですから、疲れない方がおかしいのですが。

「はぁー……すぅー……はぁっー……」

 肺の機能を総動員し、全身に酸素を送り込む。だが、供給する速度がまるで足りていない。頭はガンガンと痛むし、目の前もチカチカする。典型的な酸素欠乏症の症状だ。

 体を回復させる間、何とはなしにおぼろげな視界で前方を見ていると、空から黒い何かが降ってきた。恐らくはさっき私が渾身の一撃を放った相手でしょう。ソレはぐちゃりと、おおよそ人が立ててはいけない音を発し、地面に激突。そのまま動かなくなった。それと同時に、ガキィンと轟音を立てながら、黒塗りの斧槍がほぼ同じ場所に突き立つ。

「ふぅ……はぁ……」

 ……何度も深呼吸をしたおかげで随分和らいできた。未だ気怠い体を叱咤し、立ち上がる。……再度状況の確認といきましょう。

 まず、前方にいるのは対戦相手のイルさん。先程渾身の一撃を叩き込んだために、恐らくは再起不能。倒れ込んだまま黒い染みになっているのがその証拠です。武器も手放しているため、気絶しているのでしょうか。ちょっとやりすぎたかも……

 次に遠方でこちらを見守るのは審判のウメさんと、一緒に集められた花騎士の皆、それとナズナさん。全員一様に渋い表情をしていますが、私がやり過ぎたとでも思っているのでしょうか。まあ傍目から見るとそうとしか思えないのでしょうけれど……アレと相対した事が無いから、あんな悠長な顔をしていられるのでしょう。

 そしてそのさらに遠方では、訓練中だった花騎士達が部屋の隅に縮こまって観戦している。こちらは青い顔をしていたり、啜り泣きながら顔を覆っている者まで様々だ。恐らくは実戦経験など皆無なのでしょう。この程度、前線では日常茶飯事だというのに。

 ……誰かの血を見たり。傷付く様を見たり。

 それならまだしも、死に目に立ち会う事だって……

(こんな事には慣れない方が良いのかもしれませんがね……)

 今までの思い出を振り返り、思わず溜息が漏れる。前線での思い出なんて、大抵ロクな事がなかったなぁ。……しかし、私らしからぬ感傷でした。“明るく楽しく煌びやかに”が信条の私だというのに。

「まあ、花言葉に『繊細な思い』ってのもありますから。これ位は許容範囲ということで……」

 一つ、独り言を零した後、審判のウメさんへと向き直る。

「さあ、ウメさん。決着は付きましたよ。これで今日の試合はお開きですよね?」

「あ、ああ……そうだな……そうしたいのは山々なんだが……」

「…………?」

 何だろう。酷く歯切れが悪い。私の怪訝そうな視線を感じ取ったのか、ある一点を指さすウメさん。

「ほら、まだ彼は終わったとは思っていないみたいだぞ……」

「えっ……?」

 指さす方に視線を動かす。するとそこには、

「…………ごほっ! げほっ! うええ~っ……死ぬかと思った……」

 斧槍を杖代わりに立ち上がろうとする、少年の姿があった。

「……そんな、馬鹿な……」

 呆気にとられ、思わず気の抜けた声が漏れてしまう。

 だって、あの全力の一撃を、持てる力の全てを叩き込んだんですよ?

 だってだって、為す術も無く吹っ飛んで、ロクに受け身も取れてなかった相手ですよ?

 …………何で立ち上がろうとしているんです?

「……分からない……」

 分からない。あり得ない。現実味がない。……これは夢なのでしょうか。

「あの一撃は、完全に入ったのに……」

「……げほっ。……ああ。あんたの一撃は完璧に入った」

 私の言葉を継ぐように、イルさんが話し始める。

「だが、それに一瞬だけ早く、俺の対策が追い付いたってだけだ」

「対策、ですって……?」

 ……あんなに満身創痍だった彼に何か出来たとは到底思えない。

「何も出来ない様に疲弊させた後、丁寧に加護の防御を剥ぎ取り、万全の準備を整えて放ったというのに? 何が出来たというんですか……!?」

 思わず問い詰める言葉が口を衝いてしまう。半分は興味から、もう半分は理解できない苛立ちから、自然と言葉尻が荒くなってしまった。

「……そもそも、その前提がちょっとおかしい」

 そんな私を宥めるかのように、穏やかな口ぶりで少年は語る。見た目とは程遠い、老成した語り口だ。

「あんたは俺の防御を剥ぎ取ったと、そう言ったけど、あれは剥ぎ取られてたんじゃない」

 そこで服から黒い液体を一塊飛ばす。べちゃりと音を立て、床に黒い花が咲いた。

「……防御しながら飛び散っていただけなんだ。まあ、衝撃波で結構持って行かれたのは事実だけど」

 飛んだ一塊はうぞうぞと床を這い纏まると、元の服へと戻っていく。何と言うか、酷く名状し難い光景だ。

 ……だがこれで察しが付いてしまった。

「つまり、私が必死こいて畳みかけたのは全部無駄だったと……?」

「いやいや、無駄じゃなかったよ。俺も最後の最後まで剥ぎ取られた影がまだ生きていたなんて思ってもいなかったし。それに、飛び散ったのを集めて防御するのは本当にギリギリだったんだ。あの時間稼ぎをしてなかったら今頃病院送りだったはず……」

 ああ恐ろしい、と呟きながらおどけた様にブルリと震える眼前の少年。

「あの時間稼ぎ…………って、まさかっ!」

 “いやいや、ちょっと待って落ち着こう。ほら見て、俺もうぼろぼろだよ? 必殺の一撃なんて受けたら、今度こそあの世行きかもだよ?”

 記憶を遡り、思い当たる節があったことに気付く。あの時はただの命乞いの妄言だとばかり思っていましたが……なるほど、ちゃんとあれにも意味があったと……

「……っ」

 己の失敗に思わず歯噛みする。戦技を放つことに集中していたせいで気が付けなかったとは、私もまだまだ修行が足りませんね……

「以上。解説終わり。それじゃ――」

 もう話は終わりだと簡潔に締めくくるイルさん。それと同時に、纏っていた影をずるりと削ぎ落とす。足元には黒い水溜り。

「ここからは俺のターン……だッ!」

 再戦の言葉と同時に、ざばりと水溜りを蹴り上げてきた。黒い水がこちらへと降りかかって来る――

「くっ!? …………って、あれ?」

 ……おかしい。降りかかって来るのかと身構えていたのに、水は霧散し辺りを黒く染め上げただけだ。

「ただのこけおどし……? いや、違う。これは……」

 モクモクと広がっていく黒い霧。それは眼前だけにとどまらず、周囲へ、更には室内へと充満していく。

 ……これは不味い。絶対に不味い。視界を奪う気ですか……!

「てやぁっ!」

 振り払えないものかと、試しに衝撃波を放ってみるも、全く効果が無い。雲を掴むような、とはまさにこの事だ。

「な、なにこれ……!?」「まだ何かやるのあの子……!?」「き、霧が……っ!」

「こ、こらっ。静かにしないかっ!」

 ……耳を澄ませば観戦中の子達が混乱しているようだ。ウメさんが注意をして何とか静かにしようとしているようですが、あれでは焼け石に水。無駄な努力というもので――

「……って、後ろですかっ!」

「――――!」

 微かに風を切る音がしたと思ったら、背後から強襲された。咄嗟に双剣で防御。即座に離れていく強襲者。走り出して追い縋ろうにも、この視界ではままならない。すぐに立ち止まる事を余儀なくされた。それに、騒ぎ立てる子達の甲高い声で相手の足音すら掻き消えている。どちらへ走り出せばいいのか、これまた見当が付かない。

(混乱に乗じて一気にケリを付けるつもりですか……!)

 冷や汗が一筋、たらりと頬を伝う。恐らくはこの混乱が収まるまでの勝負になるでしょう。

 逃げ切れば私の勝ち。逃げ切れなければ私の負け。そう考えるととてもシンプルです。

「この上なく状況が悪いという点を除けば、ですけどね……!」

 自嘲気味の一言を吐き捨て、私は決断的に走り出す。向かう先は訓練場の壁だ。

「はっ……ふぅ……」

 壁に背を預け、双剣を構える。死角から襲って来るのならこうして死角を無くしてしまえばいい。未だ戦技を放った反動の残る体を叱咤し、油断無く辺りを警戒する。

「……」

 三十秒経過。相手が来る気配はない。そして周囲に漂う霧もまた消える気配はない。

「…………」

 一分経過。同じ光景。同じ喧噪。未だ混乱が止む気配は無く、霧が晴れる気配も依然として皆無だ。

「………………」

 ……二分経過。ウメさんの努力が実ったのか、遠くに聞こえる混乱は収束しつつある。代わりにこの場に満ちていくのは静寂。

(来るとしたら、そろそろ、でしょうか)

 そんな事を考えた瞬間、変化の時は唐突に訪れる。

「…………!」

 またしても風を切る音。反射的に双剣を構える。音の出処から察するに、かなり遠くからの突撃、それも恐ろしいまでの速度……!

「……てぇいっ!」

 衝撃の瞬間、双剣を煌めかせ音の主を弾き返す。この機を逃すまいと、前進しながら返す刀で切り付ける。のだが――

「――――え?」

 ここで自分が致命的な間違いを犯してしまった事に気付く。いや、気付いてしまう。

 唐突に霧が晴れていく。まるでもう用済みだと言わんばかりに、重く垂れこめていたものが一瞬で散っていく。

 ……そして、そこにあったのは黒塗りの斧槍のみ。弾かれた斧槍はぐるぐると中空を回りながら、まるで私を嘲笑うかのように、漆黒の煌めきを投げかける。

「…………武器、だけ……!? じゃあ――――きゃっ!?」

 持ち主は何処に、という言葉は横合いから突っ込んで来た何者かによって中断されてしまう。

 突き飛ばされた私はそのまま床をゴロゴロと転がる。……異変に気付いたのはその時だ。

「う、が……っ! い、きが…………!? あ、ああっ…………!」

 ぎりぎりと首が何かに締め付けられている。必死に視線を落として確認してみると、そこにあったのは、華奢ながらも万力のような強さで締め上げる腕。

「っぷはっ! そのまま動くなよっ!」

「あ、やめ…………っ! あ、がっ………!」

 更に締め上げる力が強くなる。何とか拘束から逃れようと双剣を手放し、回された腕を掴み引き剥がそうと力を込める。だが――

「そう来るだろうと思ってたさ。……影よッ!」

 次の瞬間、視界が暗転する。

 ……何も見えない。腕が動かない。息が吸えない! 息が吐けない――!

「んっ、んーっ! んうううぅ!」

 未知の感覚に恐怖ばかりが募る。声を上げようにも声は出ない。腕だけでなく体を動かそうと身を捩るも、背後に回っている相手がそうさせてくれない。

 ……一瞬で悟ってしまう。チェスで言うならばチェックメイト。これは完全に詰んでしまったのでは……!?

「んっ…………ぅ…………」

 ……もがいたせいで余計に消費したのか、急速に意識が遠のいていく。

 全力で気道を塞がれると、こんなにもあっけなく人は。

 こんなにもあっけなく。

 死んでしまうの、でしょう、か……

「………………」

 ……意識が深淵へと沈んでいく。その刹那――

「……んな勝ち…………出来……ご…………さい……」

 何事かを呟く声が耳朶に滑り込んできた。そして、唐突に視界が開き、拘束から解かれる。

 投げ出されるままに、私はどさりと倒れ込んだ。

「……はぁっ……あ、ごほっ! げほっ! はあぁっ! ふっうっ! あぁああぁ……」

 突然の事で呼吸が上手く出来ない。何度も何度もむせ込み、えずきながらも本能のままに酸素を求める。

「はっ……はあっ……! 死ぬかと、思いました……っ!」

「……うん、ごめん。こういう事しか出来なくて、本当にごめんなさい」

 目の前に立つ少年は、まるで懺悔をするような表情で私を見下ろしていた。手にはいつの間に回収したのか、斧槍を携えていて、刃先はこちらに向けている。

「でも、勝敗は決した。……降参してくれませんか、サンゴバナさん」

「…………」

 この状況、誰がどう見ても私の敗北だと分かるというのに、この人は……

「……はあ……ええ、分かりました。私の負けです。イルさん」

 敗北を認めると、それまで必死に押し殺してきた疲れが堰を切った様に押し寄せてきた。堪らず仰向けになり、久方ぶりの解放感に身を委ねる。

「あ~あ。負けちゃったなぁ……悔しいなぁ……」

「……なんか、全然悔しそうな声じゃないんですけど」

 そう言いながら私の近くに腰を落とすイルさん。私の心と同じように、その表情はひどくスッキリしているように見えた。

「ふふっ。そうですね……何故か、不思議と全然悔しくないんですよね。全力で戦ったのが久しぶりだから、そっちの方が嬉しいのかも」

「そういうもんですかね……?」

「そういうもん、ですっ! ああ、ちょっと疲れちゃいました……」

「俺ももうへとへとですよ……まったく、勝つのって大変だ……」

「ええ、すっごく大変なんですよ。だから、頑張ってください。応援していますか、ら……」

 ……そこまで言い終えると急激に眠たくなってきた。……もう限界ですか。

 瞼を閉じ、睡魔に導かれるままに意識を落としていく。……応援しています、なんて言っておいてちょっと無責任ですが、流石に抗えそうもない。見届けたいのは山々なんですけどね……

 ……近くに慌てるような気配を感じる。あの戦闘時以外は優しい少年の事だ。きっとやりすぎたとでも思っているのでしょう。

 何だかそれがすごく可笑しくて。愛おしくて。

 ……自分でも驚くほど安らかに、眠りについたのでした。

 

 

 

「……すぅ……すぅ……」

「ああ、もう、ビックリした……眠っただけか……」

 傍らに眠る少女を見下ろしながら、安堵の息を漏らす。そんな俺の元へ近付いてくる人影――ウメ先生だ。

「……どうやら、決着は付いたようだな」

「ええ、最後の最後で降参してくれました。本当は審判の判断を待ちたかったんですけど……」

「いや、別に気にしなくていいさ。……彼女の寝顔を見れば分かる。きっと納得して敗北したのだろう。……ふふっ、まるで遊び疲れた子供みたいじゃないか」

 眠る少女の顔を一瞥しながら、ウメ先生は穏やかに笑った。その後、少女を抱き上げながら言葉を続ける。

「さてと。取り敢えず一試合終わったし、君にも休息が必要だな」

「ああ、良かった。やっと休めるんですね……俺もう全身ぼろっぼろで……ふう……」

 嘆息し、思わずその場でぐったりとしてしまう。だがそんな俺の行動に眉根を寄せるウメ先生。

「ああ、確かに休息なんだが、その前に、そうだな……」

 そこで一区切り。酷く言い辛そうに続ける。

「……場所を移そうか? 君達の試合で訓練場が大変な事になってしまってな……」

「え……?」

 大変な事……? そこではたと思い当り、周囲を見渡す。

「……あー……これは……」

 まず目に付いたのは、度重なる衝撃波の応酬によって傷付いた床と壁。まるで巨人が刃物を手に暴れ回ったかのように、悉くが裂き砕かれ、この広い訓練場の傷付いていない場所を探す方が難しい程だ。

 次に目にしたのは文字通り微塵切りになった木人や、訓練用の武器の山。見ればアネモネやキルタンサスさんがせっせと掃除してくれていたようだが、量が尋常ではない。立てかけてあったり、放置されていたものは軒並み犠牲になったとしか思えない量である。

 最後に、部屋の隅にはガタガタと震える見学中だった花騎士見習いの皆様。と、これまた青い顔で放心しているナズナ。……特にナズナの方の様子がおかしい。何事か呟いているようだが……

「事後処理……修繕費……人員の手配……上への報告……うふっ、ふふふ……あははっ……」

「………………」

 ……俺は何も聞いていない。聞いていませんので。

「……ウメ先生。さっさと移動しましょうか!」

「あ、ああ? そうだな。もう体は良いのか?」

「ええ! ここだとちょーっと上手く休息できそうもないので! 場所を移してゆっくり休みたいなぁと!」

 すっくと立ち上がり、いつでも移動できますよという姿勢をアピールする。……アレと関わってはいけない。とばっちりがこちらへ来る前に早々に退散しておかなければ。

 ……いやまあ、確かに恩人ではあるんだけどさ。だからといって身の丈を越えたお節介が出来るかというと、ちょっと、ね……

「それじゃ早く移動しましょう。あ、そういえば、ここの代わりになりそうな場所ってあるんですか?」

「うーん、そうだな……闘技場……は今からだと申請が間に合わないか……となると、中庭はどうだろう?」

「ああ、中庭ですか。確かにあそこなら十分広いですし、大丈夫そうですね」

「あそこを借りる位なら私の一存で何とかなるしな。早速移動しようか」

「ええ、分かりました」

 ウメ先生の提案に首肯し、移動の準備を始める。と言ってもまあ、持ち歩く物なんて斧槍しか無い訳だし、これを拾えばもう準備完了なんだけどな。眠っているサンゴバナさんでも持とうかとも思ったけど、そっちはもうウメ先生が担いでるし……

 常々感じているが、俺ってちょっと身軽すぎやしないか……? 何だか、さっくり死んでも誰も文句言わなさそうなレベルだ。遺品管理とか、そういう所で全く苦労しなさそう……

「……と、移動する前に一ついいかな?」

「へ? ああ、何でしょう?」

 己の命の軽さについて考えていたら、ウメ先生に話しかけられた。何だろう?

「こうしてサンゴバナちゃんが倒れていたって事は、確かに君はこの子に勝ったんだろう。だが、どういう勝ち方をしたんだ? あの時は騒ぎを収めるのに躍起になっていて、君達の方は全く見えてなくてな……」

 言いたくないなら別にいいんだが、と付け加えながらウメ先生は疑問を口にする。なるほど、至極もっともな疑問だ。あんなに防戦一方だった俺が、どういった経緯で勝ちを拾ったのかが気になって仕方がないのだろう。いつも泰然とした雰囲気のウメ先生だが、今ばかりは何処となくそわそわしているような、そんな気がする。

 ……そんならしくない姿を見せられては仕方がない。先生相手に説明するのは大分緊張するが、何とかやってみるとしよう。

「……まず、俺は霧で視界を奪い、なおかつ追加の案として観客もそれに巻き込んで、混乱を誘発させようとしました。その機会に乗じて強襲。死角からの一撃でケリを付ける予定でした」

「……一言目から観客を巻き込むとか、何やら聞き捨てならない事を言っているが……まあいい。続けて」

「ですがそれは失敗。一度目の奇襲でこっちの思惑に気付いたサンゴバナさんは、あろう事か、壁を背にして防御を固めたんですよね。あれにはちょっと参っちゃいましたね……ただでさえ隙が無いのに、どうしろっつーの……」

 思わず悪態が漏れてしまう。そんな俺に眉根を寄せながらも、ウメ先生は話の続きを促す。

「だが、君は勝利した。……一体何を?」

「……あの時、本当に時間が無かったから無い知恵絞って必死こいて考えたんですよ。そしたらピーンと閃いたんです。

 “死角が無いのなら作ればいい”って」

 そこまで話すと、おもむろに投槍の要領で斧槍を構える。

「魔力が殆ど無いから再現できるか怪しいですけど……ちょっと見ててください」

 斧槍に十分な量の影を纏わせ、過たず壁に突き立つよう投げ放つ。

 斧槍は逸れる事無く、真っ直ぐと壁に向かって飛び――

「おい君。何だその芸当は……?」

 ……斧槍は飛ぶことなく、空中に投げ放たれた瞬間のまま“固定されていた”。

「ああ、良かった。もう出来ないかと思った。これ結構大変だったんですよ、魔力を無駄に食うし……んでですね。コレを固定したまま、こうやって移動して……」

 ぐるりと移動して壁にぺたりと手を当てる。そして――

「それで、ドーンと!」

 斧槍に纏わせた魔力を爆発させる。それと同時に自身も地を蹴り、斧槍の突き立つ位置へと目がけ疾駆する。そして交差する瞬間に飛んで来た斧槍を掴み、ウメ先生へと向き直った。

「……ってまあ、こんな感じで一人時間差攻撃って奴を試したところ、ドンピシャで成功しまして! ハルバードを弾いて無防備になったサンゴバナさんを組み敷いて、勝利をもぎ取ったってのが事の顛末になります!」

 ……本当は組み敷いたなんて生易しい事はしていないが、オブラードに包んでおく。「首絞めて勝ちました♪」なんて言ってもドン引きされるだけだしな……

 そんな俺の報告を聞いて、何故か頭を抱えるウメ先生。

「どうしてそう、変な曲芸をポンポン思い付くんだ君は……我が弟子ながらどういう脳味噌をしているんだ……?」

「あっはっは! 凄いでしょう! 我ながらあの土壇場でよく閃いたものだと……」

「いや、褒めてないからな!? 呆れてるだけだからな!? はあ、本当にもう……」

 再度顔を伏せ溜息を吐くウメ先生。だがそれで気持ちを切り替えたのか、再び顔を上げた時には、落ち着いたいつものウメ先生に戻っていた。

「……まあ色々思う所はあるが、聞かせてくれてありがとう。時間を取らせてしまって申し訳ない。すぐに中庭へ向かうとしよう。……まだ続きがあるのだからな」

 ウメ先生はそこまで言い放つと、サンゴバナさんを担ぎながら、未だ片付けを自主的に続ける騎士二人の元へと歩き出して行った。

「あー……そういえばまだこれで一試合終わっただけだったな……」

 俺も一言漏らし、ウメ先生の後ろに続いて歩き出す。

 ……第一試合からもう既に魔力が底を突いているが、これからどうしよう。サンゴバナさんに勝てただけでもまあ及第点だとは思うが、ここまで来た以上、残るあの二人にも何とかして勝ちたい。というか、アネモネの武器は槍らしいってのは昨日会ったから分かるけど、キルタンサスさんの武器が分からないんだよな……あの人何も持ってないし……まさか武器無し? いやいや、そんな馬鹿な。害虫相手に素手とか、蛮勇も良いところだろう。

 歩きながら相手についての考察を開始する俺。色々と考えることは多いのだが……

(うん。でも最終的には魔力不足がネックなんだよな……という訳で――)

 ……もはやどう足掻こうとも、結論はここに帰結する。

(エニシダ……! 早く帰って来てくれ……ッ!)

 ……半ベソになりながらそんな事を思う、お昼下がりなのでした。

 




……という訳で、第一試合終了です。何か気付いたら死ぬほど泥臭い勝ち方になってた。でもまあこういうのも良いよね!


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八日目「第二試合:蒼炎纏う拳士Ⅰ」

第二試合です。みんな大好きキルタンのターン。


 ――ブロッサムヒル市街。その上空。

 

「うわわっわっ! 風がっ! あ、あわわっ……鞄が風に煽られて……!」

 びゅうっと吹き荒ぶ一陣の風に煽られ、箒に乗った私は大きく揺さぶられる。その後に真下からパリンと何かが割れる音が一つ。箒を安定させて恐る恐る下を見ると、ガラスの破片と共に緑色の何かが飛び散っているのが確認できた。……どうやら、今ので買った薬瓶の一つがダメになってしまったみたいです。

「ほっ……良かった。下に誰もいなくて……」

 安堵の息が我知らず漏れる。取り敢えずは道行く人に直撃しなかっただけ良しとしましょう。

「あれも結構お高かったんですけど……まあ、仕方ないです、ね……はぁ……」

 息つく間もなく今度は溜息が漏れ出てしまう。……でもまあ仕方がないのです。何しろあれは一個五千ゴールドもする代物だったのですから。

 ……即効性の薬品は対害虫戦等で重宝するせいか、恐ろしく高い。そしてとても希少だ。今しがたお釈迦となった代物も、薬局を巡る事三件目にしてようやく手に入れたものだった。

「って、嘆いていても仕方がないですね……次のお店行かなくちゃ……」

 ぱしぱしと頬を叩き、気持ちを切り替える。今は急ぎの用事の最中。ウジウジしている時間なんて、これっぽっちも無いのですから。

「はあ、それにしてもどうしましょう……これで市街の有名な薬局は全部回っちゃったんですよね……」

 肩に掛けた鞄をちらりと覗く。中身はこれまでに掻き集めた薬品やら何やらがギッシリと詰まっていて、箒が無ければ持ち運べそうもない程に重い。もうこれで十分なようにも思えるし、全然足りないような気がしないでもない。いや、さっき落っことしたものがあれば完璧だったのかも?

「うーん…………」

 ……どうしよう。すごく迷う。

 こんな時は誰かに判断を仰ぎたいけれど、当然ながら街の上空には相談できる人なんていないのです。イルさんだったらシュババッと即決しちゃうんだろうなぁ……あの決断力が本当に羨ましい。無い物ねだりだとは分かっていますが……

「はっ、いけないいけない。またしても考え込んでしまうとは……!」

 箒に意思を込め、空を駆ける。こういう時は動きながら考えた方が良いのです。散歩しながらだと良いアイデアが浮かぶ、なんて言いますしね。普通の人の場合は歩きながら、私の場合は飛びながらという違いはありますが。

「んー……うー……むーん……」

 何かアイデアが絞り出されでもしないかと、飛びながらぐるぐる回ったり、身を捩ったりしてみましたが、案の定効果は無し。ただの魔力の無駄使いにしかならなかったようです。

「ん……魔力……」

 ……魔力?

 何か大事な事に気付いた気がする、ような。

「そういえば、イルさんは怪我の治療とか疲労回復についての物を探して来てくれー、なんて言ってましたけど、戦闘するなら魔力も大分消耗するのでは……?」

 ……そうです。加護の異能を十全に使うのなら、魔力は不可欠。あの無鉄砲なイルさんの事ですから、最初の試合で魔力が底を突いていてもおかしくはありません。

「おかしくはないというか、絶対無茶してるはず……!」

 ……ウメさんとの訓練を見学した時の事を思い出す。あんな自己保身という大前提をどっかに置き忘れたような人間がいるのかと、あの時はただただ呆れるばかりでしたが……

 ……今となっては、それが恐ろしい。

 万が一にでも、あの人がいなくなってしまう様な事があったら。死んでしまう様な事があったら――

「……っ!」

 あり得ない、なんて言い切れる事の無い未来を想像してしまい、全身が総毛立つ。……一人になったせいで、いつもの悪癖が戻って来てしまったようです。

「あの人がいなくなったら、私は……」

 ……長い黒髪を揺らしながら、私の横を歩く少年を脳裏に浮かべる。

 それと同時に、これまでの思い出がどっと溢れてきた。

 一番最初は可愛い子が出て来て良かったなぁなんて思ってたけど、そんな感想は一日で粉砕されて。

 勉強を教えれば眠そうにしていたし。変な事にばっかり興味を持つし。お酒は飲むわ、食い意地は張っているわ、口を開けば悪態ばかり吐いてくるわ。……本当に、見た目からかけ離れた、酷く残念な人間だと思う。

 ……それでも、ですよ?

 それでもちゃんと、肝心な時には優しく気遣ってくれて。

 落ち込んだ時には励ましてくれて。

 言葉にはしてくれなかったけれど、私の事も大切にしてくれているのだと知れた。

 ……魔女としてではなく、一人の人間として。

「ああ、たったの一週間とちょっとなのに、思い出が沢山あるなぁ……」

 思わず頬が綻んでしまう。他人から見たらどれ一つとっても、取るに足らない、ロクな思い出では無いだろう。実際、私自身も呆れてばかりだったし。

 けれど、私にとっては大切な、かけがえのない思い出ばかりだ。

 ……あの人と一緒にいると、世界が違って見えた。

 私の持てる知識、出来る事、知る世界なんて本当にちっぽけだと気付かされた。

 この世界は綺麗なんだって、再認識させてくれた。

 夕陽に燃える街並みを見た時なんて、時間を忘れる程感動していたっけ。あんなに心を動かす人を見たのは何年振りだろうか。あの時はこっちも嬉しくなっちゃったなぁ。

 もっともっと、あの人と一緒に世界を見てみたい。あの人を通して見る世界が知りたい。

 ……だから、こんな所で立ち止まっていてはいけない。もっと先へ行かなければ……

 此処ではない何処かを、一緒に見に行かなければ――

「……よしっ」

 決意を固めた私は、当て所無く闇雲に飛行していた箒を制御し、行き先を変更。出せる限りの速度で、桜花舞い散る空を駆け抜ける。そこには先程まであった懊悩は微塵も無い。

「そうと決まれば、お家に戻ってアレを取って来ないとですね……!」

 

 

 

 時を同じくして、ブロッサムヒル城内。その中庭。

 

「ぐっ……!」

 青い残像を残しつつこちらへ肉薄する相手へと斧槍を振るう。だがその一振りは真っ向から殴り返され、こちらへと戻されてしまう。堪らず地を蹴り後退する。

 ……相手の間合い外から攻撃出来るのはこちらのアドバンテージだが、一度懐に入られた際に引き剥がすのが大変なのだ。それは先のサンゴバナさんが証明してくれている。

 だが、今度の相手は少し様子が違う。いや、少しどころではない。大分厄介だ。

「さっきからこっちに直進しかしてこないんですが! あんたは猪か何かかッ!」

「うっさいわね! 近付かないと殴れないじゃない! そっちもそっちよ! 逃げ回ってないで、真っ向からかかってきなさいってのっ!」

 前進してくる相手を視野に収めながら、全力で後退し続ける。……さっきからずっとこんな調子だ。試合が始まって以来、前進コマンドを取り続けるキルタンサスさんを往なし続けているのである。

「いいからっ、離れてくださいよッ! おちおち休憩も出来ない――」

「試合中に悠長に休憩なんてさせるわけないでしょーが! というか、まだ試合も始まったばっかりだって言うのに、もうバテちゃったのっ? あなたの実力はその程度なのっ?」

「ぐぬっ……」

 サンゴバナさんはそれ程でもなかったが、今回の相手は口も悪い。まったく、一ヶ月部屋に引き籠っていたんじゃなかったのか……何だこの面倒臭さは。

 それに、面倒臭いと言ったら相手の得物もそうだ。

(本当に素手で殴りかかって来るとは……予想が外れたぞ……!)

 そう、先に斧槍を殴り返した、と言ったがあれは見間違いでも何でもない。実際にこちらの攻撃に合わせ、硬化させた拳で殴りかかってきているのだ。これだけでもやりにくいというのに、それに加えて青く燃える焔――恐らくはこれがこの人の加護なのだろう――を全身から吹き出させており、さながら等身大の怪獣か怪人のようである。非常に怖い。全く以てお近付きになりたくない。ぶぶ漬けを投げ付けて帰らせてしまいたいレベルだ。

「暑っ苦しいし、離れないし、口も悪いし! もう何なんだよこの人ぉ!」

「あ、暑っ苦……っ!? もう一回言ってみなさいよ……! 顔面にヤキ入れてあげるんだから……!」

「うげっ、藪蛇った……! っとと!」

 跳躍から繰り出された、槍のようなサイドキックを寸での所で躱す。身体強化に重点を置いた魔力の使い方をしているのか、凄まじい速さだ。見れば踏み込んだ時に付いたのだろう、芝生は焼かれ、さながら滑走路の如く焦げ付いていた。

 ……それにしても、安全だろうと踏んでいた距離が一瞬で詰められてしまったな。この距離も危ないか……となるともう逃げ続けるしかないぞ……

「こっちはもう戦いっぱなしなんだからさっ! ちょっとは手加減ってものをしてくれてもいいんじゃないかな!?」

 躱しついでに再度言葉を投げかけてみる。この一方的な攻勢、何とか精神的動揺でも引き出さないとどうにもならなそうだし。何かきっかけでも掴めれば……

「そっちも連戦は了承したでしょうに……それに手加減されて勝っても、あなたの場合は全然嬉しくないんじゃない?」

 そんな問いかけは愚問だとばかりに、姿勢を戻したキルタンサスさんは言い放つ。

「な、何でそう断言できる……?」

「さっきの試合を見てれば大体分かるわ。……あなた、根っからの戦闘バカね」

「な……? いや、俺は……」

「素人だから、とでも言いたいの? だけど、これは経験とかそういう次元の話じゃないの。あなたの性格が、行動が、その在り方が戦闘に向き過ぎている。どれだけ加護の影響を強く受けたとしても、あのサンゴバナさんには普通の人は勝てないわ」

 そこまで言い終えると再び拳を構え、蒼炎を迸らせる。

「……だから私は、はなっから手加減なんてしない。あなたが私を従えるに相応しいか、力で証明してみせなさいっ!」

「くっ……! 言われなくてもッ!」

 またしても接近してくる拳士。燃える拳を突き出しこちらへ突進する様は、さながら鉄杭を突き立てる重機のようだ。そんな相手に俺が取る行動は……

「……やっと逃げるのをやめたのね!」

「ああ! 証明してみせろ、なんて言われちゃ逃げるわけにもいかないんでな!」

 売り言葉に買い言葉、こちらも同じく地を駆ける。

 散々逃げ回ったおかげで、ようやっとアレの準備が整ったところだ。こっからは攻勢に出させてもらおう……!

「どっせいっ!」

「どうりゃっ!」

 蒼炎と漆黒が交錯する。その刹那、相手の拳に合わせ、こちらの斧槍を振り下ろす。過たず両者は打ち合わさり、周囲に魔力を帯びた衝撃波が吹き荒ぶ。

 ――ここだ。ここで決める!

「――影よッ!」

 打ち合った瞬間、自分自身へと呼びかける。……鈍いながらもぞぶりと応える感覚。

 足裏で魔力を爆発させ、その勢いを利用し斧槍を更に押し付けていく。だが――

「生温いってのっ!」

「……がっ!?」

 ……突如炎が爆発したかと思うと、次の瞬間には吹き飛ばされていた。飛ばされるままに芝生の上をゴロゴロと転がる。

(あっちも似たようなことをしてきたか……)

 吹き飛ばされたダメージも無視できないが、それとは他に、じりじりと燃えるように全身が痛んでいる。何事かと身を起こし素早く確認してみると、青い焔が残り火のように全身で燻ぶっていた。……先の爆発でこちらに取り付いたか。ぼすぼすと手で払い消していく。

「あたた……何ともまあ、未練ったらしい炎だこと……」

「うっさいわね! 私の事を口が悪いとか言っておきながら、そっちの方がよっぽどじゃないっ!」

「うぇー……」

 我知れず呟いた声に、抜け目なくツッコミが返ってくる。見れば大分離れた距離に件の拳士がいた。……結構な距離を吹き飛ばされたみたいだ。後ろに障害物が無くて本当に良かったと思う。

 それにしてもあの距離で分かるとはな……地獄耳かよ。

「……それにしても、あなた」

「うん?」

「さっきの試合で魔力を使い切ったはずじゃなかったの? 何でまだ使えるのよ?」

「ああ、それはウメ先生が気を利かせてくれてな――」

 

 

 

 遡る事数十分前。同じく中庭にて。

 

「あー……エニシダ帰って来ないかなぁ……」

「……ほら、イル君。これを」

「んー……? ってウメ先生。何ですかこれは」

 休憩時間中、どこかへ姿を消していたウメ先生。突然戻って来たかと思うと、ぼけーっと呆けていた俺に何かを手渡してきた。見れば、怪しげな色の液体が入ったいかにもな瓶だ。ものすごく怪しい。怪しさしかない。

「世界花の蜜というものだ。甘くて美味しいぞ」

「はあ。そりゃどうも……」

 甘いの苦手なんだけどなー、などと思いながら蓋を開けちびちびと舐めてみる。

 甘い。あまあまだ。甘過ぎる……

「おおぅ、テイスティスイート……」

 ……あまりの甘さに面妖な感想が零れてしまった。そんな様子に苦笑しながらも、ウメ先生は説明してくれる。

「ああ、甘いだけじゃないんだぞ? それは滋養強壮に良いばかりか、魔力の回復を促す効果もあって、今の君には必要だろうと――」

「それ!」

「わっ!?」

「それを早く! 言って下さいよっ!」

 魔力。魔力と確かに言ったぞ。このスパルタンX。そういう事は渡した時に言えっての!

「回復するなら――」

「おい、ちょっと待つんだ! 絶対ろくでもない事を考えてるだろ! これは一度に大量摂取するものじゃ」

「こうだ!」

 蜜を瓶ごと影の中に放り投げた。ぼちゃりと跡形も無く飲み込まれていく。

「あああっ!? 何て事を……」

 ……ややあって影の中からゴリゴリと咀嚼する音が聞こえ、半身がゆっくりと、だが確かに力を取り戻していく感覚がしてくる。

「……なるほど確かに。魔力が回復していくな。時間はかかりそうだけど……」

「一瓶まるごと飲み込む奴があるかっ! この馬鹿っ!」

「あだっ!?」

 なるほど、と感心していたら何故か脳天に手刀が落ちていた。

「ううっ……俺、何か悪い事しましたか……?」

「あ、しまった。そうか君はこっちの世情には疎いんだったな……最初に言っておくべきだったか……」

 バツが悪そうに頬をかくウメ先生。

「その蜜は一瓶で数週間は持つ代物だったんだ。知らなかったとはいえ、それを一度に全部飲み干すなんて……」

「ほえー、超すごい栄養ドリンクだったのか……」

 なるほど。例えるならレッド○ル数十本をいっぺんに飲み干したようなもんか。

 ……そう考えると恐ろしい事をしたな。血流がおかしくなって死ぬのかもしれない。

「…………」

 何事か起こらないかと自分の体に集中する。

「………………」

 ……先程からぽわぽわと体が温かい。まるで芯から温められているかのようだ。それと共に依然として魔力が満ちていく感覚。これは……

「……別に平気みたいですね!」

「いや、別に危険だとは一言も言っていないのだが……」

「え? でも一瓶まるごと飲む奴がって……」

「あれは貴重品なんだからもっと丁寧に扱えという意味だ。そもそも世界花の恩恵で花騎士が倒れる訳が無いだろうに……」

「そういうもんなんですか……」

「そういうもんだ。まったく……まあこれで次の試合も何とか頑張れるだろう。エニシダちゃんはまだ帰って来ないみたいだし、急場凌ぎとしてこんなものしかあげられないが……まあ何とかしてみなさい」

「はい! 師匠!」

「し、師匠!?」

 

 

 

 以上、回想終わり。

「――という事があったのだ。よッ!」

「あったのだよ、じゃねーわよっ!? 急に元気になったと思ったら、回復するまで逃げ回ってたって訳、ねっ!」

 幾度となく斧槍と拳が重なり、その度に魔力を含んだ熱風が吹き荒れる。熱風は芝生を撫で、木々を揺らし、空気を四散させていく。

 先程までとは打って変わり、キルタンサスさんへ目がけ遮二無二斧槍を振り回して突き進む。先の説明中も全力の攻勢をかけていたところだ。それにしても、さっきから結構な質量をぶつけ続けているというのに、拳が破れたり損傷する様子が微塵も見られないのは何故なんだろう。ちょっと聞いてみようかね。

「それにしてもっ、何で俺の攻撃全部弾き返してそんなピンピンしてるんですかねっ!? あんた頑丈すぎだろっ!」

「うるっさいわね! 気合よ気合! あと魔力!」

「まさかの根性論!? そんなだから心が圧し折れるんだよ、馬鹿かっ!」

「ば、馬鹿じゃないわよっ! ちょ、ちょっと頑張ればこのくらいよゆーだし!」

 押されているという状況と俺の言葉に動揺したのか、拳に纏った焔がブスブスと不機嫌そうな音を立てた。攻撃しながら良く見ると、若干だが火の勢いが弱まっている……気がする。

「余裕だったら押し返してみてくださいよっ! あんたの実力はそんなもんか!?」

「う、うう、うるさい……!」

「そんな防戦一方で力で証明してみなさい、なんて啖呵がよく切れたな! 恥ずかしくねえのかよっ!」

「うるさいって、言ってるでしょうがっ!!」

 更に剣戟を交わしながら、先程投げられた言葉をお返しとばかりに投げ返していく。その度に相手の顔に浮かぶ焦りの色は濃くなっていった。纏う焔は不安定さを増し、合わせる拳もあからさまに精彩を欠いていく。

 …………何だか突破口が見えてきた気がする。

 だがこのやり方は、あまりにも……

(いやだが、ここは勝たないと……勝たなくてはいけない……!)

 疑念が一瞬だけ首をもたげるも、即座に押し殺す。己の為、これからの仕事の為にもここは絶対に勝たなくては。

 ……それに何より、

(ここで負けましたってなったら、エニシダやアネモネに何て言われるか、分かったもんじゃないしなぁ……)

 お節介な誕生花二人を思い出し、思わず苦笑が漏れる。ちらりと庭園の端を見れば、こちらを熱心に見入る青髪の少女が確認できた。訓練場の時は見る余裕が無かったが、恐らくは先の試合もああして見てくれていたのだろう。

 ……ああも見られていては無様を晒すわけにはいかないというものだ。攻撃の合間を縫ってひらひらと手を振ってみる。……あ、返してくれた。

「なによそ見してんのよっ!!」

 そんな俺目がけ高速のミドルキックが文字通り飛んでくる。斧槍を立て即座に防御。……大分衝撃がキツイが、努めて涼しい顔のまま言葉を返す。

「ああ、ごめんごめん。ちょっと手緩いから、つい」

「あ、あああ、あんたねぇ…………!!」

 ボスッボスッと焔を立ち上らせながら激昂するキルタンサスさん。これ以上ない程顔を真っ赤にし、更なる連撃を叩き込んでくる。だが、あからさまに動きが雑だ。ウメ先生の槍の方がもっと見切りづらかったな。全てを躱し、防御し、お返しとばかりに再度切り付ける。

 ……やっぱりこの人の弱点はあれだ。

「ほらほら、そんな雑だと全部防いじゃうぞ?」

「んうううっ……!」

「ちゃんと攻撃して下さいよ? さっきからちょっと雑すぎるんですけど?」

「んぐぐぐううう……!」

 こちらの挑発で更に攻撃の雑さが上がっていく。時折攻撃がかち合うが、最初のような勢いは既に無く、熱風が吹き荒ぶことも無くなっていた。

 ……やっぱりだ。これで確信した。

 この人、弄られるのにとことん弱いな……!

 ……そうと決まればこのまま弄り倒してくれよう。だが、どう弄ったものか……? メンタルを病んで引き籠ってた人だからなぁ。言葉は慎重に選ばないと……

 だが、攻撃しつつ思案する俺を尻目に、件のキルタンサスさんはというと、

「…………っ!」

 一際大きくこちらを殴り付けたかと思うと、その反動のままに大きく距離を離した。

 ……何だ? 何かする気なのか……? まさか、サンゴバナさんみたいにとっておきの必殺技が……!?

「…………」

 ……だが、そんな風に警戒する俺を余所に、眼前の少女は直立したまま動こうとしない。俯いた顔も髪に隠され、表情が読み取れない。何だ? 何なんだ?

「おい、あんた……?」

 思わぬ状況に困惑し、何気なく声を掛けてしまう。

「…………」

 だが返事は無い。少し待ってみたが、動く様子も無い。

 ただ気のせいか、肩が震えているような……?

 業を煮やした俺はさらに声を掛け続ける。

「なあ。おいってば! どうしたんだよ!?」

 ……それが更なる困惑をもたらすとは、この時の俺に予想出来るはずも無かった。

「………………」

 少女が、俯いた顔を上げた。表情が露わになる。

 その瞬間、思考が止まった。

「……うううっ……ぐすっ……うあぁっっ……」

 ……少女は嗚咽を漏らしながら、双眸から止めどなく涙を溢れさせていたのだった。

 




あーあーあーあー! なーかーしーたー!


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八日目「第二試合:蒼炎纏う拳士Ⅱ」

後半戦です。キルタンは強い子。


 ――どうしよう。

 ――どうしよう。

 ――どうしよう。止まらない。止められない。

「う、ううっ…………」

 ぐしぐしと両手で目をこする。止めどなく溢れてくる涙を必死に拭う。

 さっきまで全然平気だったんだから、こんなのすぐ終わるんだから。そう思い、ただただ必死に涙を拭い続ける。

 ……こんな無様な姿をあいつには見られたくない。

 こんなのはすぐ終わる、だから、これが終わったらまた強気の仮面を付けて、あいつの相手をしないと。そんなのは虚勢だって分かってる。でも、私はあいつの先輩なんだから。

 これから一緒に仕事をやっていく相手に、使えない奴だなんて、思われたくない――

「ぐっ……!? う、うう……う、あああっ……」

 ――使えない奴。

 その言葉が脳裏に浮かんだ瞬間、収まりつつあった涙がまたしても溢れ出してきた。

 そして過去の忌まわしい思い出も、呪いのように眼窩の裏で再生されていく。

 ……思い出すのは巨大な害虫。あれは何て事のない街道での、ごくごく簡単な任務の時だった。

 それは駆け付けた時には既に事切れていて。

 それでも、その下には何故か不釣り合いなほどに害虫の体液が、いや、違う、

 ……血の池が出来ていて。

 害虫の下には、手が、見慣れた、あの人の体が、潰れて――――

「が……は、あ、あ、ああ、あああっ……!」

 ……思い出してしまった。

 呼吸が出来ない。体が酷く寒い。涙が止まらない。目の前が滲んでよく見えない。

 ……なんて無様なの。

 こんなのであの人の部隊の一員とか、自分で嫌になる。

“そうよ。あの人が死んだのはあなたのせい!”

“あなたがそんなにも無様だから、助けられるものも助けられないのよ!”

「…………っ!」

 誰かの罵る声が聞こえる。

 ……違う、これは幻聴だ。だってあの日以来、誰も私を責めてはいないのだから。

 私が、私だけが自分を許していないだけ。

 もういっそのこと殺して欲しい。

 大好きなあの人のいない世界も、こんなになっても助けてくれない社会も、

 そしてなにより、こんなにも無様な自分が大嫌いなの……!

「…………」

 口をきつく結び、震えないようただただ必死に身を強張らせる。

 思考は千々に乱れ、言葉が思い付くままに頭を埋め尽くしていく。

「……う、うう……」

 気が付いたら座り込んでいた。お尻からは芝生の感触。

 俯いていた顔を上げ、周囲を確認してみる。

 ……涙で視界が滲んでよく見えない。

 だけど、

 前に何か、黒いのが――

「……大丈夫か?」

 黒い何かは、気遣う言葉をかけてくれた。

「……………………」

 何か言葉にしようとするが、上手くいかない。ぱくぱくと口だけが動く。

 ああ、これじゃもっと気遣われてしまう。そんなのは嫌なの。優しくしないで。私を憐れまないで。

 これ以上、私に無様だって思い知らせないで――

「……ああ、そうか。分かった」

 ……そんな思いが通じたのか、黒い何かはそれ以上は何も言わなかった。

 代わりに、少し遠くで何かが腰を落とす音がした。

 付かず離れずといった位置で、こちらにあまり意識させず、それでいて何かあったらすぐに近寄れるような距離だ。……恐らくはあの黒いのだろう。

「…………」

 ……こんな対応をされたのは初めてだ。今まで発作が起きた時は、周りのみんなはきゃいきゃい喚いたり、必要以上に気遣ってきたものだ。……それが私の負担になるのだと気付かずに。お節介を焼くことが、最大の対策なのだと言わんばかりに。

 ……だから、引き籠った。誰にも会いたくなかった。世話を焼かれるのが怖かった。誰かに後ろ指を指されるのかと思うと、体が動かなくなった。

 ……そう、だから今日は本当に、本当に頑張って来たのだ。

 このままじゃいけないって、馬鹿でも分かるから。

 どうにかしなきゃいけないって。

 そうしないとみんなに、あの人に笑われるから……

「…………」

 こんな私を労わるかのように一陣の風が吹く。……秋めいた風は涼しくて気持ちが良い。昂った心まで冷やしてくれるかのようだ。

「……ぐすっ」

 ……だんだん落ち着いてきた。鼻をすすり、顔を上げる。

 どれくらい時間が経ったのだろう。いつもだったら落ち着くまでに一時間。悪い時には三時間はかかっていたのだけど……

 ……辺りはまだ明るい。夕方になってはいないようだ。

「……もう平気か?」

 と、そんな私に横合いから声がかけられた。

 戻った視界で声の主を見ると、例の黒塗りの少年だ。薄い表情で何かを突き出している。

「ほれ、ハンカチ。酷い顔してるからこれで拭いとけ」

「…………」

 開口一番、酷い顔とか……相変わらず口の悪い相手だ。だが好意を無下に扱うほどの余裕は今の私には無い。無言で受け取る。

「……んっ……」

 ごしごしと顔を拭う。それなりに良い値段の代物なのか、肌触りは悪くない。

「……ぶーっ!」

「あっ! こら馬鹿! 鼻をかむな!」

 ……ただ返すのも癪なので鼻をかんでやった。顔も心もスッキリして一石二鳥だ。

「はい、どうも。返すわ」

「……いやいい。やるよ。というか、鼻かんだ奴を返すなよ……」

 げんなりした表情でこちらを見る少年。それにしてもさっきから聞きたい事があるんだけど……

「ねえ、あなた」

「ん? どした?」

「私の事……その……幻滅してない?」

「……なんで?」

「えっ……」

 予想外の返答が来て、思わず固まってしまう。

 だって、あんな、いきなり泣き崩れる私なんか見たら、普通は幻滅すると思うんだけど……

 そんな私の懸念を目の前の少年は、

「あれくらい、誰だってなる可能性あるだろ。……俺もそうだったし」

 何を当たり前のこと言ってるんだこの馬鹿は、とでも言わんばかりに切り捨ててくれたのだった。

「あ、あなたもって……どういう……」

「俺、一番最初に害虫を倒した時に、言葉が出なくなっちゃってさ。いやぁ、あれは参っちゃったね」

「こ、言葉が……?」

 本当なら大変な事なんじゃないの……? なんでそんな何でもない風に言えるの……?

「……それと、これはまだ誰にも言ってないんだけどな」

「……?」

「俺、向こうでもあんたと同じ風になった事があるんだわ」

「え…………」

 皆には、特にエニシダには内緒だぞー、と続けながらあっはっはと笑う少年。

 いや、それ本当なら、なんであなた笑えるの……? こんなに辛いのになんで……?

「……何か不思議そうな顔してるな?」

「え、いや、だって……」

「まあ、こっちはもう終わった事だからな。あの時は辛かったなーって割り切れるもんなのさ」

「…………」

「……でも、お前さんの辛さも、それなりによく分かる。……大変そうだな」

 ……本当に大変だと思ってくれているのだろうか。何だか判断に困る。それに同じ風にって……泣き崩れてる顔とか想像できないんだけど……?

 そんな私などお構いなしに、言葉を続けていく。

「……まあその、なんだ。困った事とか、どうしようもない事があったら、お兄さんが相談に乗ってあげよう」

「…………」

「カウンセラーとかじゃないから、ロクなアドバイスはできないかもしれないが……まあ、一人で抱えるよりはマシだろう。ああ、当たり前だけど、誰にも言わないでおいてやるから、その辺は安心してくれ。こういうのは色んな奴に広まると面倒臭いんだよ……」

 何しろ自分でも体験した事だからなーなどと、またしてものほほんとのたまう眼前の少年。

 ……それを見ていたら、何だか気が抜けてしまった。

 何で私だけこんなシリアスやってるんだか……

「はぁぁぁぁ……」

「ど、どうした? 盛大に溜息なんか吐いて」

「何と言うか……」

「何と言うか?」

「あなたと話したら色々とどうでも良くなったわ……」

「お、そうかそうか。そりゃ良かった」

「全然良くねーわよ……」

 頭を振って立ち上がる。いつまでもこうしてくっちゃべってるわけにもいかないだろう。

 ……結果的に相手に慰められたおかげで大分バツが悪いが、コレにならちょっとぐらいダサい所を見せても平気、なんて今は思えている。きっと、あっちも赤裸々に話してくれたおかげだろう。

 恥ずかしさで赤くなる顔を背けて隠しながら、私は続ける。まだコレとの決着は着いていないのだから。

「んじゃ、続きやりましょうか。その……時間を取らせて悪かったわ……」

 

 

 

 中庭の中央へと戻り、再度相対する私達。

 審判のウメさんは事の推移を見守ってくれていたのか、移動したときには何処からともなく現れていた。きっと、全部見られていただろう。そう思うと自然と顔が熱くなるが、努めて表情には出さないようにする。何も言ってこないし、あっちもこちらのプライバシーには必要以上に口出しする気はなさそうだ。

 太陽の輝きを受けて漆黒の輝きを放つ斧槍を見つめながら、私は聞いてみる。……少し、この人に興味が湧いた。

「……ねえ、あなた」

「うん?」

「あなた……イルは、やりたい事とかあるの?」

「何だ、藪から棒に……聞いてどうするんだ?」

「別に。ちょっと聞いておきたいなって。ああ、別に言いたくないならいいのよ?」

「やりたい事……やりたい事なー……」

 むむむーん、と悩ましげな表情を作るイル少年。そんな難しく考えてもらわなくてもいいんだけど……でもまあ真剣に考えてもらえるのは何となく嬉しい。

 それなりに時間が経った後、返答は帰ってきた。

「……ご飯」

「はい?」

「この世界の美味しいご飯が食べたい」

「…………」

 ……なるほど。ご飯ね。ご飯と来たか。なるほどなー。

「あなた、それ本気で言ってるの……?」

「あ、その目は信じてないな!? ものすごく悩んで悩んで悩み抜いて、最終的にご飯に行きついたってのに!」

「絶対そんなに悩んでないでしょーがっ!?」

「さては食事の重要性を分かっていないな……!? 美味しいご飯を食べる事はな。何よりも尊い事なのだ! ご飯が美味しいってだけで生きる気力がムンムン出て来るんだからな! 俺と一緒に仕事をするなら覚えておくがいい!」

 黒いのはこちらを見上げながらうがうがと熱弁を振るう。……この様子だとあの返答は本気だったのか。

 ……折角ちょっとだけ「気遣いの出来る良い奴だなぁ」なんて見直したというのにコレである。なんて残念なの……

「分かった! 分かりましたから! もういいわよ何でも!」

「ふっ。分かってくれればいいんだ」

「若干上から目線なのがイラッと来るわね……」

「……何か言ったか?」

「何も言ってない! いいからさっさと始めるわよっ」

 再び拳を構える。……聞きたい事は全部聞いた。あの人とは似ても似つかない返答だったけど、まあいい。これはこれで素敵な上司になってくれるかもしれない。そう思うと、すっと肩の荷が下りた。ガチガチに固まっていたさっきまでとは違い、上手く身体が動いてくれそうだ。

「次で、決めるわ」

「……ああ」

「次に全力を込める」

「……分かった」

 ……これで本当に会話はおしまい。

 魔力を巡らせ、蒼炎を全身に宿す。気を循環させ、反応速度を限界まで引き上げる。

 ……彼我の距離は五メートル程。一挙手一投足を見逃さぬよう、黒塗りの少年を注視し続ける。

 一秒。二秒。三秒。……動かない。ならばこちらから――

「――――」

 右足を一歩出し、大地を踏む。

 ……一ヶ月前の、腑抜ける前の私を思い出す。

 今の私なら、出来るはず……!

「――それッ!」

「――――なっ」

 驚愕する声が一瞬聞こえるも、次の瞬間には別の音によってかき消された。

 踏みしめた大地が軋み、蜘蛛の巣のように亀裂が入っていく。

 地鳴りを響かせながら大地が揺らぐ――

「おおおおッ!」

 全身に巡らせた魔力を開放し、地を蹴る。地面が爆ぜ、破砕音が遅れて耳に届く。

 今までとは比較にならない、圧倒的速度で相手へと肉薄していく。

「――寝ときなさいッ!!」

 ……減速なんてしない。むしろ更に加速させ、己が身を弾丸と化して相手へと突進。

 ぶつかる刹那に身を捩らせ、肩口から全体重を乗せた体当たりを叩き付ける!

「――――があッ!?」

 相手は斧槍で防御しようとした様だが、流石に間に合わなかったようだ。中途半端な格好で私の一撃を受けた相手は、勢いを殺すこともままならず、進路上にあった不運な木々を圧し折りながら吹き飛んでいった。

「すぅーっ、はぁぁぁぁ……」

 ……未だ燻ぶる魔力を制御するため、深呼吸を一つ。

 鉄山靠と言うらしいこの技は、とある任務の折にベルガモットバレー出身の花騎士から教わったものだ。強敵相手への切り札として今まで愛用している。それこそ滅多に使うものではなかったが、ここぞという時には必ず戦果を挙げてきた。文字通りの必殺技だ。

 ――だが、これで終わらせる私じゃない。

 あのサンゴバナさんを倒した相手だ。これで終わる訳が無いんだから、嫌と言うほど叩き込んであげよう。

 ……吹き飛んでいった先を見据えながら、両手にあらん限りの魔力を集める。それと共に掌の中に蒼炎が集っていく。

 限界を超えて溜められた魔力により、ブチブチと音を立てて指先の血管が裂ける。そうして流れ出た血液は蒼炎によって即座に蒸発していく。

 丸い文様を描くように掌を動かす。

 魔力を、焔を込めて。

 丸く。集え。集え。凝縮せよ。

 ……今だ。

「これで――」

 集い凝縮した焔を解き放ち、青き炎花の波動を全身全霊で叩き込む――!

「――決めるってのッ!」

 放たれた焔の奔流は木々を飲み、地を薙ぎ、空気を焼きながら目標へと殺到していく。

 ……さっき吹き飛ばした時に出た土煙のせいで、若干狙いが甘くなってるかもしれない。だが、それも些細な問題だ。これだけの物量。先の鉄山靠を食らった直後にこれが躱せる訳が無い。

「……ぐっ、はあぁっ……」

 全霊の一撃を放った私は膝から崩れ落ちる。

「く、はぁっ……は、うっ……」

 ……流石に反動が大きい。両手にも力が入らない。見れば、手首から先が無残に焼け付いていた。後先構わずにぶっ放した結果だろう。今日一日はまともに動かせないかもしれない。

 ごうごうと音を立てながら焔が爆ぜている。

 防御の腕輪があるから命に別状はないと思うけど、ちょっとやり過ぎたかな……この勝負が終わったらさっさと消火しないと。訓練場みたいに、この中庭も荒らしたら出禁にされても文句は言えないだろう。

「くっ……よいしょ、っと……」

 腰を上げ、相手が吹き飛んだ先へと歩き始める。土煙に加えて木々の燃える煙も混じってきたため、視界はすこぶる悪い。

「自分でやったとはいえ、中々の大惨事ね……あははっ……」

 先の訓練場よりははるかにマシだけど、なんて嘯きながら更に歩みを進める。

 ガキィン!

「……は……?」

 ……音がした。半笑いの表情を残したまま、私はそれを見る。

 足元に見慣れた斧槍が突き立っていた。

「え…………」

 呆けた表情が抜けぬまま視線を戻し、歩く先にあるものを見る。

「はーっ……はーっ……げぼっ、ごほっ……」

 ……あいつが腕をだらりとぶら下げたまま、こちらに歩いて来ていた。全身には未だ蒼炎が纏わり付いたままだ。ごほごほと咳き込む口からは黒い血がだらだらと零れている。

「大分いいのをもらったぞ……おかげで腕がイカれちゃったじゃないか……は、はは……」

「あ、あなた……」

 呆然と立ち尽くしてしまう。

 あれを受けて、まだ立ち上がるというの……!? 私の全力が、駄目、だったなんて……何て、こと……

「あ、ぐうっ……」

 ……己の無力さを認識した途端、また例の発作が出てきてしまった。咄嗟に顔を伏せ、歯を食いしばって耐える。

(何だって、こんな時に……!)

 ……だが次の瞬間にはそんなのを気にする余裕も無くなってしまう。

「……正直こういうのは好みじゃないが、他に方法も無いんでな。恨むなよッ!」

 言い放たれた言葉を認識する間も無く、足に衝撃が走る。

「な、に……?」

 視線を落とす。

 ……足が踏まれてる? 疲れと発作で頭が上手く回らない。何が――

「せぇぇのぉぉッ!」

 直後、視界が明滅した。

「あ、ぐぁ!?」

「ぐぅぅぅ! ったあっ……!」

 頭が痛い。何かをぶつけられた?

 ……距離を離そうにも足を踏まれているから下がれない。視線を上げていく。

 上げていく途中、少年と視線がかち合う。

「ぐうぅぅ~~……頭突きなんてやるもんじゃないよな……! でもこれしか出来ないんだもんな! 仕方ないよなッ!」

 かち合ったと思ったら、存分に振りかぶられた頭突きが飛んできた!

「あ……! が……ッ!」

 今度は鼻先に叩き付けられた。堪らず顔を抑えようとする。だが、腕がうまく動かない。

 痛い。ものすごく痛い。

「もういっちょッ!」

「あ……! やめ……!」

 ……焼け付いた両手で防御しようとするも、やはりビクともしない。

「ぐっ……ああっ……!」

 二度三度と絶え間なく頭突きが飛んでくる。全てまともに受けてしまう。

「ううううっ……」

「んぐぐぐ……! こなくそぉ!」

 あっちだって痛いはずなのに、何でここまで抗おうとするんだろう。そんなに涙目になって、どうして頑張るんだろう。

 あのまま倒れていれば終わったのに。こんなに痛い思いをしなくても楽に終わったのに。誰からも責められることなく、ちゃんと終われるのに……!

 ……何だか、ものすごく腹が立ってきた。

 相手の頭突きが再び迫る。もう嫌だ。こいつの思い通りになんてさせてやらない……!

「いいかげんに、してよぉ……ッ!」

「ぐぅ!?」

 相手に合わせてこちらも頭を振りかぶり、渾身の頭突きを放つ。

「「~~~~っ!」」

 二人してしばらく激痛に身を悶えさせる。……我ながら馬鹿な選択をしたなって思うけど、この状況下で早く終わらせるにはこれしかない。涙目になりながらも、何度も頭突きをぶつけていく。

「あんた、なんかの思い通りにさせて……ッ!」

 ガツン!

「うぁ……!」

「こんな所で頭突きし合って……ッ!」

 ゴツン!

「んぅ……!」

「私、負けないんだからぁ……ッ!」

 ガツン!

 ……出るに任せてるから、言葉が支離滅裂だ。それでも、出さないと気が済まない。

 パリンと何かが砕ける音がした。けれど、何の音だろう? ……思い出せないなら、どうせ大したことじゃないだろう。

「……こんのっ、石頭がぁッ!」

 ゴッチン!

「っつあっ!」

 ……あちらも負けじとぶつけ返して来た。見れば口からだけでなく、額からもだくだくと血が流れている。……相手も相手だ。もう意地だけで動いてるんじゃないの?

「あんた、ほんと馬鹿よねッ!」

「馬鹿はお前もだろがッ!」

「馬鹿に馬鹿って言われたくないわよッ!」

「うるせー! 馬鹿って言った方が馬鹿なんだッ!」

「こんのっ……! 馬鹿馬鹿!」

「あんだとっ……! バカバカバーカ!」

 馬鹿馬鹿と罵り合いながら、ガッツンゴッツンと、何度も何度も頭突きをぶつけ合う。

 視界はとっくのとうに真っ赤に染まっている。というか、もう良く見えない。頭だって痛いじゃ済まないはずなのに、何だかとても清々しい気分だ。

 ……ガッチンゴッチンとぶつける度に、心に溜まった鬱屈とした感情が、どばどばと振るい落とされていく。そんな気がした。

「ふっ……あはははっ!」

「……何だよ。頭がおかしくなったか石頭?」

「誰が石頭よ! ……ただスッキリしてきたから、笑いたくなっただけよ!」

「はっ! スッキリしてきたとか、やっぱ馬鹿だな!」

 そう言い放つと再度ゴッチンとぶつけてくる少年。

「っつぅぅ……く、くく、はははっ! 確かに、ちょっと愉快な気がしてきたな! たまには馬鹿の真似事も悪くないッ!」

「最初にやってきたのはあんたでしょーがっ! はっ、あはは!」

 それからはもう、あれだ。

 ヒドいの一言に尽きた。

 全力でぶつけて、ぶつけ返されて。

 ただただそれの繰り返し。

 お互いに笑いながら。何事か喋りながら。

 ただひたすらに己をぶつけ合った。

 

 

 

 ……永遠に続くかと思ったそんなやり取りだけれど。何事にも終わりというものは訪れるものだ。

「……!」

 ごしゃりと音がした。どこからだろう。もう良く分からない。どうでもいい。……あいつにまたぶつけ返さないと。

「…………ぁ」

 ずるりと足が滑り、視界が反転する。転んでしまったようだ。立ち上がらないと……腕は……そうだった。もう動かないんだった。これじゃ起き上がれない。

(ここまでかな……)

 私の負けか。……何だかとても悔しい。でも、すごく楽しかった、気がする。こんなボロボロになった感想が“楽しかった”ってのは私らしくないな……

(楽しかったけど、ちょっと、疲れた……)

 倒れ込んだまま瞳を閉じる。……すぐに意識が飛んでいきそうだ。もう力が入らないのだから、起きていても仕方ないし……とっとと眠ってしまおう。すごく、すごく疲れた……

 

 ――けれど、眠りに就くその刹那。

 少しだけ、夢を見た。

 ……甘く切ない夢を。

 

『ねえ、あなた』

『なに?』

『あなたは、やりたい事とかあるの?』

『やりたい事? うーん、そうだなぁ……』

『何でもいいのよ? あ、でも、できればお仕事以外で教えてくれると嬉しい、かな……』

『…………何処か』

『?』

『仕事で行けないような何処かへ旅をして、色んな人に会ったり、色んな景色を見たり、そういうのが、したい。変かな……』

『へぇ……す、素敵ね!』

『お、キルタンサスは分かってくれるか。これ言うと、いつもやってるじゃない、とか言われてさ……』

『仕事で行くのと好きで行くのは全然別だと思うもの。そ、それでね……』

『うん?』

『お、お仕事一段落したら、それ、やってみたら?』

『……ああ、そうだな。最近根を詰めてたから、次の休暇にでも行ってみるか。あんまり遠出は出来ないだろうけど、良い気分転換になるだろうし』

『わ、わあ……!』

『……キルタンサスも、一緒に来てくれるよな?』

『ど、どど、どうしてもって言うなら、行ってあげなくもない、けど!』

『あははっ、素直じゃないな。……でも、ありがとう。一緒に行こうな。約束だぞ』

『えっと、その、うん。……こちらこそ、ありがと――』

 




それは幸福の残滓。もう零れ落ちてしまった日常。
戻り得ぬ日々は甘く、とても幸せで。
けれど、残された者はそれに縋り続けるしかないのだ。
いつまでも。……いつまでも。


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八日目「■■■の為に」

GWのせいで遅れました。
……特に言うことが無い……!


「はーっ……はーっ……」

 相手が立ち上がらないのを確認してから、俺は膝を突いた。……流石にもう限界だ。

「は……ぐっ……! げほっ、げほっ!」

 咳が漏れる。それと共にびちゃびちゃと口から黒いものが零れていく。……自分の血が黒くなっているのはさっき気付いたが、なるほど、人間辞めるってこういう事なんだなぁ……もっと嫌悪感とかを抱くべきなんだろうけど、何だか黒い方が安心する。今は何故かそう思えるのだ。

 ぼうっとそんな事を考えながら、膝立ちのまま時間が過ぎていく。

 魔力は尽きた。影の異能は蒼炎のせいで全部燃え尽きている。

 体力も尽きた。体当たりを防御して腕はお釈迦になったし、先のぶつけ合いで何もかも出しきっている。防御の腕輪も気付いたら何処かへ行ってしまった。

 ……だが、気力は尽きていない。

 膝は突いてしまったが、意識だけは手放してはいけない。ここで折れては示しがつかないのだ。……あいつは無駄にお人好しだから、俺がまだ頑張っていると信じて、その辺を飛び回ってくれているだろう。

 まだ帰って来ないかな。もう帰ってくる頃かな。

「……う…………」

 ……そろそろ帰って来てくれないと、なんか、死にそうな気がしてきた。ただ倒れないようにしているだけなのに、こんなに辛いとは。

「ぐ……うっ…………」

 内臓が軋むように痛い。また胸からせり上がってくるものを感じるが、必死に耐える。これ以上血を出したら流石にヤバイ、気がする。

「――――! ――!?」

「――! ――!!」

 遠くで声が聞こえる。……良く聞こえない。聞こえるのに聞こえないなんて、おかしな話だ。多分さっきので脳味噌までやられたんじゃないのかね。

 ああ、こんなんじゃあいつを馬鹿呼ばわりなんて出来ないな……

「…………」

 ぐらりと、風を受けて体が揺れるのを感じる。ああ、駄目だ。倒れちゃ駄目なのに。

 必死に持ち直そうとするも、力が入らない。ああくそっ。

 そんな俺の努力も空しく、体は倒れていって――

「――イルさんっ!!」

 倒れる途中で誰かに抱きとめられた。

 ……ああ、この声は、あいつか。やっと帰って来てくれたのか。時間をかけすぎなんだよ。まったく……

「…………」

 でも、良かった。安心した。これで無様だって笑われなくて済むな。

 だったら、少しだけ休もう。流石に、しんどい……

 ……その思考を最後に、俺の意識は落ちて行った。

 まるで、黒い泥濘へと沈んでいくかのように。

 

 

 

「イルさんっ!! しっかりしてください! イルさん!」

 崩れ落ちる少年を支えながら私は呼びかけ続ける。

「ああ、ああ、どうしてこんな事に……! ち、血だらけだし、服もボロボロだし! あああ、血が止まらない……っ!」

 ポケットの中をまさぐり、取り出したハンカチで少年の顔を必死に拭う。だが、拭けども拭けども次から次へと血が流れ出てくる。……すぐにハンカチが真っ黒になってしまった。

「か、かばん……! 包帯、とか、何でもいい……!」

 真っ白になりかける頭を何とか働かせ、体を支えながら鞄を漁っていく。

 薬瓶を放り出し、その他諸々の雑多な品々をその辺にぶちまけ、目当ての物を探す。……あった!

「ち、血を止めないと……!」

 探し当てた布を額に押し当て、何とか止血しようと試みる。しばらくはじわじわと布が黒く染まっていったが、何枚か交換するうちにそれも収まっていった。

「あ、ああ、止まった……つ、次は」

 黒く染まった布を清潔な物と交換し、ひとまずの応急処置として治癒魔法をかけていく。……薬などによる治療はこれが終わった後にすれば良いでしょう。

「…………っ」

 両手をイルさんの青白い顔に当て、魔力を循環させる。……それで分かったのだけれど、

「案の定魔力が空っぽじゃないですか……っ。なんでいつもいつも……!」

 想定していた最悪の事態が当たってしまった。……この人はちょっと目を離しただけで、本当にロクな事をしてくれない。私がいないと本当に……

 

 いや、私が呼んだから……こんなに傷付いているんじゃ……?

 私が軽い気持ちで呼んだから。こんな、やりたくもない事で……

 

「……ぐっ……」

 ……気付いたら視界が滲んでいた。これじゃイルさんの顔が良く見えない。目を擦りたいけれど、ここで手を離すわけにはいかない。早く治療しないといけないのですから。

 ……ああでも、そうだ。せめてこれだけはしておかなくては。

「……お待たせして、すみませんでした。あと、頑張ったんですね……すごいです……」

 一言そう呟き、両手を回して抱き締めてあげる。……服が血で真っ黒になっていくが、そんな事は今はどうでもいい。

 ……まだ来たばかりで、何がどうなってこんな事になってるのか皆目分からないけれど、イルさんがものすごく頑張ったのだけは分かる。

 だから、その頑張りは労わってあげないと。誰だって頑張ったら褒めてもらいたいですものね。……今は意識が無いから、起きたらちゃんともう一回言ってあげよう。喜んでくれるかな? けど、お前なんかに褒められても嬉しくないー、なんて言われそうだなぁ……

「……こっちは、その、大丈夫かな?」

 と、そんな風に治療を続けている私に声が掛けられた。

「……あっ、ウメさん!」

 振り向くと、申し訳なさそうな表情を浮かべるウメさんの姿がそこにはありました。ああ、やっと話が出来そうな人が来てくれた……!

「これは一体何があったんですかっ? こんな、イルさんがボロ雑巾以上のサムシングになるとか……というかですね! 審判してたのなら何で止めてくれなかったのです!? 場所も何故か訓練場から中庭に移ってますし! あとナズナさんは何処です!? サンゴバナさんもいないじゃないですか! それからそれから……あああ、もうっ! 聞きたい事だらけで混乱してきました……!」

「エニシダちゃん取り敢えず落ち着こう!? これから順を追って説明するから!」

「本当に、本当ですか!?」

「本当だから!」

「こんななってる理由がしょーもなかったら、間髪入れずにビームしますので、よろしくお願いしますっ!」

「ビームはやめなさい!?」

 

 

 

 ……ウメさんは言ってくれた通り、今までに起きた事を簡潔に教えてくれました。

 既にイルさんが二人と戦い終え、辛うじて勝利を収めた事。

 一試合目で訓練場がダメになった為、中庭に場所を変えた事。

 後片付けの為にナズナさんや見学の人達は一緒について来ていない事。

 たった今、キルタンサスさんの治療をアネモネさんに任せ、こちらに来てみたら私が先に来ていた事。

「……大体状況は分かりました。ですけど、一番聞きたい事が聞けていません」

「……何かな?」

「どうしてイルさんや、キルタンサスさんがこんなになる前に止めなかったんですか……?」

「いや、私としてもこの状況は想定外で……」

 そこでウメさんはちらとイルさんを見る。

「……まさか、彼らが防御の腕輪が壊れる程の応酬をしているとは思わなかったんだ。先のサンゴバナちゃんの時はちゃんと致命傷は避けていたみたいだし、今回も大丈夫だろうと踏んでいたのだが……だから、あの時は中庭の保全が最優先だと思い、火を消しに行っていたんだ。ああ、この火というのは、キルタンサスちゃんの仕業で……ああ、もう……説明し辛いな……!」

 そこまで一息に言ったウメさんだったが、そこで困ったように押し黙ってしまった。

 ややあって、再度口を開く。

「とにかく!」

「ひゃい!?」

「今回の件は私の監督不行き届きだ! 全面的に私が悪い! 煮るなり焼くなり好きにするといい!」

「え、えーと……」

 煮るなり焼くなりと言われても……ウメさんは煮ても焼いても何だか美味しくなさそうだし……いやでも、甘かったりするのかな? こう、綺麗な髪色だし……

「……って、そんなことしてる場合ではありませんでした! どうしてこうなったのかはもういいですから、イルさんを早く治療しましょうっ!」

「あ、ああ。そうだった。私も若干動揺していたみたいだ……」

「私は引き続きイルさんへ治癒魔法をかけているので、その辺に転がっている薬品で使えそうなものを持って来てくれませんか?」

「分かった。少し待っていてくれ」

 そう言うと即座に行動を開始するウメさん。流石に行動が早くて頼れるなぁ。

「……ちょっと、エニシダちゃん? その、薬品って何処にあるのかな?」

 ……なんて思ってたけど、すぐにそんな質問が返ってきた。意外と頼れないかもしれないです……

「止血する時にその辺にばら撒いちゃったから、すぐ見つかると思うんですけど……」

「いや、それがだな……」

 何とも歯切れの悪い返事。何事かと私も首を巡らして確認してみます。

「え……?」

 あれほど豪快にぶちまけた薬品やその他諸々の何かが、無い。

「え……あれ……あの、なんで無いんですか?」

「それは私が聞きたいのだが……疑う訳じゃないが、本当にこの辺りなのか?」

「そ、それは間違いないです! うーん、おっかしいなぁ……」

 二人して首を捻り、その辺りをきょろきょろと見渡してみる。

 ……何も無い。強いて言うなら、瑞々しく生い茂る芝生ぐらいしか目に入らない。

 と、そんな時だ。

「あれ、何か聞こえないか……?」

「へ……?」

「ガリガリと、こう、何か固い物を齧るような……そんな音が……」

 ウメさんに言われるままに耳を澄ましてみる。……確かに、何処からか音が聞こえる。

「何の音でしょう……?」

「しかしこの音……どこかで……」

 そこではたと思い当ったのか、ウメさんがハッとした顔で私のかき抱く少年を見た。

「まさかっ!?」

「わわっ……!?」

 突然ウメさんはこちらに近づき、イルさんをがっしと捕まえて何かを確認しだす。

「う、ウメさん! 乱暴は……!」

「……やっぱり!」

「や、やっぱりって、何が……」

「これ、エニシダちゃんが持ってきたものだろう?」

 そう言うと、ウメさんはイルさんの足元――ちょうど、私にもたれかかっていたおかげで死角になっていた場所――を指さし、確認するよう促した。そこには……

「え……影が……?」

 ……そこではイルさんから落ちる影が、薬瓶をガリガリと咀嚼していたのです。

 よくよく見てみると、薬瓶だけではありません。良かれと思って家から持ち出して来たマジックアイテムの数々も、影に浸かりながらぷかぷかと浮かんでいるではないですか。こっちは幸いな事に手付かずなようですが……

 ……いや待って。

 嘘……!? 華霊石まで齧られてる……!?

「た、食べちゃダメですっ! 特にっ、華霊石はダメです! これはお家から持ってきた、なけなしの物なんですぅぅ!」

 イルさんを地面に置き、齧られている華霊石を引き剥がそうとしてみるが、ビクともしない。まるで万力か何かで咥え込まれているかのようです……!

 でも、これだけは死守しないと。折角イルさんの魔力補給用に持ってきたというのに……!

「ふんぬうう……! どんだけ食べたいんですか……っ! ウメさんも手伝って下さい!」

「こっちもさっきからやってるが……! つ、掴むところが殆ど無くて……!」

 何とか引き出そうと二人でしばし奮戦するも、そんな努力を嘲笑うかのようにガリガリと咀嚼は続けられていく。

 そして――

「ああ、ああああっ……全部……食べられちゃいました……」

 ……何という事でしょう。鞄一杯に詰まっていた薬品や華霊石、魔力の残る物は粗方食べ尽くされてしまいました。がっでむ。

「ううううっ……薬品はまだしも、私の商売道具……貴重な華霊石までも……」

「え、エニシダちゃん……気を落とさずに……」

「……折角、気を利かせればイルさんに褒められるかもー、なんて思って持ってきたのに、このザマですよ……ええ、ええ、どうせ私なんかが気を利かせても、結局は裏目に出るだけなんです……」

「ちょ、ちょっと……」

「はぁぁぁ~……何でいつもこうなるんでしょう……ぽんぽこぴーのへっぽこだとは自覚していますが、ここまで情けないと本当に……ああ、死にたくなってきました……ウメさん。イルさんが助からなかったら、私の介錯をお願いできますか……? 頭を、こう、サックリと……」

「エニシダちゃん!?」

 ……自責の念からか、いつものネガが始まってしまう。いや、自分で言っておいてなんだけど、いつもより酷いですね……そんな私相手に、ウメさんもらしくなく狼狽えておられるご様子。

 イルさんの役に立てないだけでここまで落ち込むなんて、我ながら大分入れ込んでたんだなぁ……

「二人ともお待たせ。あっちはもう大丈夫だよ。……って、ええっと……?」

 そんなところに何も知らないアネモネさんまでやってきた。

 けれど、複雑怪奇なこの状況が、一目で分かる訳も無く、

「……どういう状況?」

 駆け付けたは良いものの、どうしたものかとただただ困惑するアネモネさんなのでした。

 ……ですが、次にはある事に気付いたようで、

「取り敢えず、イルが影に飲まれそうになってるけど、これは大丈夫なの……?」

「んなっ!?」

「なんですとっ!?」

 二人して再度イルさんへと向き直る。……私がネガ芸を披露している間にも、状況は刻一刻と変わっていたようです。

「こ、これ……」

 アネモネさんの言うとおり、イルさんの全身には影が纏わりついていました。いえ、纏わりつくなんて生易しい状態ではありません。いつも以上に分厚い影が全身を覆い尽くしていて、さながら丸呑みにされているような、そんな状態です。

「何か不味いような気がするのですが!」

「ああ、同感だ。剣圧で吹き飛ばせるか……?」

「そ、それは駄目。イルに当たったらどうするの……?」

「そ、そうだが……だが、このまま見ているというのは……」

「ああっ! だ、駄目です! ちょっともう手遅れかも……」

 ……そんな風にまごついている間に、影はとうとうイルさんの全身を飲み込んでしまいました。こうして見てみるとさながら卵か繭のようで、何だか酷く現実感の無い光景です。

 ……でもこれ絶対不味いですよね……? 呼吸とかどうするんだろう……

「「「……………………」」」

 三人して何か変化が起きないか、影の塊を注視する。

 ……密度の濃い影に覆われているせいで、中がどうなっているのかがさっぱり分からない、

 でも、気のせいでしょうかね。

 じゅくじゅくと、あんまり想像したくないような音が聞こえるのですが……

「……あの、ウメさん」

「…………」

「この音って、肉を食べ――」

「違うから!?」

「でも、そうとしか……」

「い、いや! 絶対違うはずだから! 多分!」

 私の質問にブンブンと頭を振るウメさん。そういうの苦手なのかな……あ、アネモネさんも何だか顔が青いです。

 クールな外見なのに……二人ともこういうの苦手かー。そっかー。

 ……ですが確かに、これでイルさんが名状し難い肉塊になっていたらと思うと、恐ろしいものしかありませんね……なんだか少し、いやものすごく不安になって来ました……

「「「……………………」」」

 再度影の塊を注視しながら、何が起こっても良いように臨戦態勢で待機する。

 ……影の塊は相変わらずじゅくじゅくと音を発し続けていて、それに加えて表面が脈打ち始めたようにも見える。

 

 ……そうして見守ること十数分。

(これいつまで見ていればいいのかな……何て言うか、変化が無いから対処に困る……)

 なんて思っていたら、突然変化が訪れた――

 バリッ!

「ひょえあああ!?」

「うわわっ!?」

 ……影の塊を突き破って黒い腕が飛び出してきたのです! 何ですかこれは!

「う、うう、ウメさん! 何ですかアレ!? 何なんですかアレ!?」

 突然の事で咄嗟にウメさんの後ろに隠れてしまいます。我ながら流れるような自己保身ムーブ。

「わ、私に聞くんじゃない!」

「あれイルさんですよね!? その筈ですよね!?」

「だ、だから! あれだけで何を判断しろと……!」

「あ、アネモネさんはどう思い……? って、アネモネさん……? アネモネさ――」

「………………」

「し、死んでる……」

「死んでないから!? ショックで魂が抜けてるだけだから! きっと! ああもう、とにかく――」

 ウメさんは怒涛のツッコミを披露しつつ、一歩前に出ながら刺突剣を抜き放った。

「な、何か危害を加えてくるようなら、一刀の元に切り捨てりゅっ!」

 ……あの、ウメさん。あんまり言いたくないのですが、腰が引けてます……

 あと語尾が裏返ってて、すごく、カッコ悪い……です……

 けれど、そんな警告の声がちゃんと届いたのか、それまでゆらゆらと虚空を撫でていた腕は、唐突に動きを止め、こちらを指差してきた。

「……え……?」

 指差した次には手招きされた。え、え、なんです?

「そっちに行って?」

 声が聞こえたのか、動きが変わる。あの手の形は、えーっと?

「……握手?」

 グッとガッツポーズ。……どうやら合っていたみたいです。

 次は握手の形のままぐぐーっと引っ張るジェスチャー。

「なるほど。近寄って手を握って引っ張り上げて欲しい、と。合ってます?」

 またしてもガッツポーズが返ってくる。

 ……片手だけだというのに、中々どうして表情豊かです。あのイルさんがやっているのかと思うと、何だかちょっと気が抜けてきました。

「はぁ……ちょっと待っててくださいね。今そっちに行きますので……」

「ちょ、ちょっとエニシダちゃん……? まさかと思うが、あれを引っ張り上げるつもりか……!?」

「え。いやだって、なんか困ってるみたいですし……」

「ま、まあそうだが……十分に気を付けてな……?」

「はいはい」

 腰の引けたウメさんを尻目に、伸ばされた黒い手に近づいていく。

 近寄って見てみると、真っ黒ながらちゃんとイルさんの手をしていて、それだけで安心する。怖がる必要なんて何一つ無い。イルさんは悪い事なんてしませんもの。

「それじゃ掴みますよ、っと」

 声を掛け、手を握る。……こうして手を握るのも久し振りな気がするなぁ。

「よいしょ……って、重っ!」

 引っ張ればかるーく抜けるかと思っていたのですが、これ、ものすごく重いですね……!? 中で何か引っかかっているのでしょうか。

「ふんぐぐぐぐ……!」

 両手で手を握りながら、踏ん張って渾身の力で引っ張る。さながら一人綱引きのようですが、魔女にこういう肉体労働をさせないで欲しいです……明日、筋肉痛になっていたらどうしましょう。

 そうして格闘すること数分。

「ふぬぬぬ…………うわっと!」

 スポンッっと軽妙な音を立てた後、中身がずるりと這い出て来た。

「あたた……」

「げほっ、げほっ……」

 ……引っ張り上げた拍子に尻餅をついてしまいましたが、今は私の事よりイルさんです。大丈夫でしょうか?

 すぐに引っ張り上げたものに目を移す。

 ……先程まで黒い影に覆われていたのに、何だかピンピンしている。というか、怪我も治ってませんか……? 額がパックリ裂けていて、腕もボロボロだった筈なのに……

「イルさん! 大丈夫ですかっ!? 何か黒いのに包まれてましたけど、生きてますかっ!?」

「あ、ああー……」

「何処か痛い所はないですか!? 私も、誰だかわかりますよねっ!?」

「う……」

 ……何だか様子がおかしい。返事はたどたどしいし、今も四つん這いで立ち上がるのも難しそうなように見える。体もぐらぐらと揺れていて、非常に危なっかしい。

「い、イルさん……!? どうかしたんですか!」

「ち、ち……」

「ち……?」

「ち……ちょ、ちょっと待って下さい……す、少し慣れなくて……時間を……」

「あ、はい……ちょっと待ちます……」

 ちょっと待てと言われた私、そのまま待機。

 ……でも、少しだけ違和感が。

 イルさんが私に敬語なんて使いますかね……?

 

 

 

 ……待つ事数分後。

「すー……はー……ふぅ、お待たせしました」

 回復して立ち上がったイルさんは、

「えっと、その……何と言ったらいいのか……」

 困ったようにはにかみながらも、

「……こうしてお目にかかるのは初めてです。エニシダさん。それと他の皆様も。……初めまして。お会い出来て嬉しいです」

 ……そんな風に嫣然と笑いながら挨拶してくれたのでした。

「は…………?」

 はじ――えっと?

「えっと……? イルさんと……? 私が……初めて……? は? え、ええ?」

 ……何だろう。単語の意味がよく分からない。状況が理解出来ない。

 一週間も一緒に過ごしてきた相手から「初めまして♪」なんて挨拶された時は、どうしたらいいのでしょうか……

「あ、は、はははっ……」

「え? う、あ、あははは……」

 ……私の場合、乾いた笑いしか出てこなかったのでした。それに釣られたのか、相手も苦笑いを返してくれます。

 多分これ不合格でしょうね……コミュニケーションの難しさを痛感します。

「……ええと、聞きたい事があるんだが、良いだろうか?」

「! ええ、なんなりと!」

 そんなフリーズした私の代わりに、ウメさんが質問をし始めてくれた。その隣にはいつの間に復活したのか、アネモネさんも興味津々といった様子で見つめています。

「……単刀直入に聞くが、君はイル君ではないな?」

 え……? ウメさん何を仰って――

「はい。立て続けに試合をこなしたことで消耗したのでしょう。あの人は今は眠っています」

 眠って……? いやいやいや、じゃあ貴方は――

「ふむ、そうか……じゃあ、次の質問。君は一体何者だ?」

「……私はあの人の影。加護そのもの。幽明の境を揺蕩っているうちに、この体へと漂着した魂。それが私です」

「漂着した魂……」

 ……嬉々として会話をしてくれるのは正直有難いのですが、今の説明は正直言ってピンと来ない……召喚した私が分からなくてどうするって話ですが。

「よく、分からないけど……イルの体に居候している誰か、って事で合ってる?」

「ええ、それで大体は。いつもはこのように表層に出る事も無く、遠くから眺めていたのですが……」

「出る事無く、遠くから……?」

 アネモネさんも何とか会話を投げてみたようですが、いまいち良く分かってないご様子。

 そんな置いてけぼりな私達に苦笑しつつも、影であると名乗った人は話し続ける。

「あの人の意識が無くなりこのままでは危険だろうと、影ながら躍起になって魔力などを取り込んでいたら、こんな風になっていて……気付いた時には体の主導権を取っていたみたいです……」

「な、なるほど……?」

「ああ、でも勘違いしないで下さいね? 私はこの人の体を乗っ取りたいからとか、そういう意図でこうしている訳ではありませんので」

「へ、へう……」

 あまりによく分からない状況に、我知らず間抜けな返事が出てしまいました。……でも、何だか悪い人では無さそうです。礼儀正しいし、こっちの理解に合わせて話してくれているのがひしひしと伝わってきますし。

「そ、それで、いつまでこのままなんでしょうか? イルさんは……」

「これは推測、なのですが……」

 コホンと一つ咳払いをし更に続ける影さん。

「魔力を取り込み過ぎてこうなったのですから、逆に考えればいいのです。全ての魔力を放出すればいい、と。そうすれば私の意識は薄れていき、必然的に元の体の主へと主導権が移っていくことでしょう」

「な、なるほど……」

 ほうほう。これは実にシンプルです。分かりやすいってのは最高ですね。

「と、言う訳でですね……少し提案というか、ぶっちゃけてしまうと、ちょっとした我儘に付き合って頂きたいのですが……」

 茶目っ気たっぷりに笑いながら、私との会話を切り、ある方へと向き直る影さん。その先は――

 

「アネモネさん。私と手合わせしてください」

 

「は――!?」

 何故そうなるの……!?

「え……? 私……?」

 ほら、アネモネさんも困って――

「別にいいよ。よく分からないけど、それでイルが助かるなら」

「困ってなかったー!? アネモネさん! 思い切りが良すぎませんか!?」

「いや、別に戦うだけなら何も困る事は無いよね? 元々戦う予定だったし」

「えあ、いやまあ、そうですが……! そうですけど、そうじゃないというか……」

 そんな風に混乱する私の肩に手がポムッと置かれた。……ウメさんだ。

「エニシダちゃん……」

「あ、えっと、何でしょう……?」

「もう、成行きに任せよう、ね?」

「……ええー……」

 ……この目まぐるしく変わる混沌とした状況に、理解する事をかなぐり捨てた王国最強の姿がそこにはあった。

「あははっ。なんか今日は無性に疲れるな……早く帰って梅酒でも飲みたい気分だ……」

「ウメさん!? 現実逃避はやめましょう!?」

 

 

 

 ……そんなこんなで。

「えっと、よろしくお願いします」

「うん。こちらこそ……」

 中庭で相対するは孤影と青髪の騎士。

 影は斧槍を、騎士は三叉槍を無造作に持っているが、殺気やそういった類のものはこの場には皆無だ。むしろ両者の間にはどことなく親密さすら漂っている、そんな風に見て取れた。

「あの二人、大丈夫ですかね。大丈夫ですかね!?」

「まあ、防御の腕輪も付けてあるし大丈夫だろう。なるようにしかならんさ」

 ……そしてそれをはらはらと見守る我らピンク二人。

 ウメさん大分やさぐれているけど、ちゃんと審判は続けるあたり律儀だなぁって思う。

「あの、我儘を聞いて下さって、ありがとうございます。私、ちょっと不器用で……こういう風にしか魔力を扱えないんです」

 そう言うと、持った斧槍に手を這わせ始める。

 ……するとどうだろう。斧槍は見る間に影に飲まれていき、やがて濁流を纏ったかのような螺旋を描きながら、禍々しい異形へと変質していった。

 変化があったのは斧槍だけではない。前髪もそれに呼応するかのように伸びていき、両目を覆い隠した。そして、揺れる髪の合間から見える双眸が蒼銀の輝きを宿していく。

「……後は出来てもこの人の真似事くらい。生前の私とはかけ離れた戦い方をするから、見ていてとても楽しかったんですよね。ああ、こういう事は考え付かなかったなぁって」

「そうなんだ……? まあ、確かに。イルの戦い方はちょっとおかしいよね」

「ええ、本当に。戦い方だけでなく、日々の過ごし方も私とはまるで違っていて……本当に、本当に楽しかったんですよ」

 懐かしむように影は微笑む。屈託なく笑う姿は少年のそれではなく、年相応の少女のようだ。

「…………」

「ああ、いけないいけない。体を返すための手合わせなのに、私ったら……」

「こっちも一つだけ、いいかな?」

「はい。なんでしょう?」

「……貴方の名前を教えて欲しい」

「…………」

 しばしの沈黙の後、返答の代わりに武器が構えられた。黒水が唸りを上げ、ざぶざぶと音が残響する。

「言いたくないなら、仕方ないか……」

 騎士はそう判断し、こちらも槍へと雷光を纏わせ始める。雷光もまた空気を分解し、清澄な空気がその場に満ちていく。

 武器を構え向かい合う両者。このまま戦いは始まるかと思われた。だが――

「……シダレヤナギ」

「……?」

 孤影は静かに呟いていく。謳うように。噛み締めるように。

「今、頑張って思い出しました。

 私の名前はシダレヤナギ。

 花言葉は、『哀しみ』、『哀悼』、『悲嘆』……

 ……生前は辺境において一人戦い続け、その果てに自刃した、ただの花騎士……いえ、一人の人間です」

「そう……」

 騎士は言葉を受け、短く返事をする。努めて無感情に返事したつもりなのだろうが、そこには隠しきれない憐憫が込められていた。

 ……それも仕方がないだろう。

 今の名乗りの言葉は、簡潔ながらあまりにも悲哀に満ちていたのだから。

(最期に自ら命を絶つなんて、どういう……)

 そこまで想像しかけて、考えるのをやめた。……どちらにしろもう終わった事だ。

(今の私にどうこう出来るものでもない……いや、だけど……)

 そんな懊悩を感じ取ったのか、僅かに苦笑しつつ、孤影は続けて話していく。

「……これもまた我儘になってしまうのですが……どうか、私の事を覚えておいてくれないでしょうか。私、消えるのは全然平気なのですが、折角だから、そうして悩んでくれる貴方には、どうか……」

「……わかった。貴方の事は忘れない」

「……ありがとう」

 短い会話を済ませ、再び武器を構える。

 穏やかな雰囲気は霧散し、空気が張り詰めていく。そして――

「では、改めて――」

「うん。全力で行く……!」

 

 ――その言葉を最後に、濁流と雷鳴を轟かせ、両者は激突するのだった。

 




彼女が何を思い、その選択をしたのか?
……それは追々、語るべき時が来たら。







という訳で、オリキャラその二が登場してしまいました。しかも花騎士で。そしてここに来て伏線を回収しにかかるという……作りの甘さが露呈していますね!
……それにしても、設定練り練りするのは楽しかったのですが、アプデが来るたびにキャラ被りしないかと気が気では(ry
まあ、杞憂に済んだようなので一先ずは安心といったところでしょう。
これから来るのかもしれませんが! 夏ですし!

あ、設定等々のツッコミは随時お待ちしておりますので、どうぞよしなにー。


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八日目「黒影ト雷龍」

 剣戟の音。魔力の爆ぜる臭い。轟く雷鳴。迸る熱風。

 今この場にあるのはそれだけだ。それだけが空間を支配している。

「…………」

 開いた口が塞がらない。目の前の光景に、ただただ圧倒されていた。目を奪われていた。

「――――」

 黒影の人型は濁流を全身に纏わせながら、一撃一撃に渾身の魔力を乗せ、全てを使い果たさんと騎士へ迫る。黒髪に隠れ表情は窺い知れないが、少なくとも悲壮感や焦燥といったものとは感じられない。己が消えることには何の躊躇もないように見えた。

「……っ!」

 それを往なす青髪の騎士は、その攻撃全てを槍で受け、捌き、躱しながら、それでも尚涼しい顔で相対していた。濁流と雷光の渦中にあっても、一時も逸らすことなく眼前の相手を見据え続けている。

 ……既に両者が打ち合う事、数十合。

 荒れ狂う魔力の奔流によって、中庭はこれ以上に無いくらいに荒らし尽くされている。

(何と言うか、これもうどうしようもないです、ね……)

 ……今後どうなるかを考えると頭が痛くなるが、今はただこの戦いの結末を見届けねば。

 

「でぇいッ!」

 黒影によって一際大きく斧槍が振りかぶられ、横薙ぎの斬撃が叩き付けられた。黒き濁流を纏ったそれは、叩き付けられると同時に魔力を爆発させ、騎士を強かに打ち据える。

「……!」

 渾身の斬撃を受け止めた騎士は押されるがままに後ずさったが、どうにかこれを踏ん張り、耐えた。

 ……幾度となく防いできた攻撃。だが、防いでいるとはいえダメージが無い訳ではない。既に具足のあちこちはひび割れ、擦り傷も数え切れない程にある。槍を握る手も既に血が滲んでいた。

「くっ……」

 ……それでも、騎士は相対し続ける。友人を助けるために。

「……」

 ……友人、友人か。この私が。

「ふふっ……」

「……? どうかしましたか?」

「いや、ちょっと、ね。昨日知り合ったばっかりの相手とこうして戦っているなんて、何だかおかしいなって」

「そういえば、そうでしたね……この人と友達になってくれたんですよね」

「……いや、違う。イルが私と友達になってくれたんだ。手を差し伸べてくれたのはそっち。私が何も言わなかったら、友達でも何でもなかったと思う」

「…………」

 黒影はその言葉に何を思ったのか、おもむろに武器を下げこちらに歩み寄ってくる。

「……あの、アネモネさん」

「なに、かな?」

「この人……イルさんの事、どう思います?」

「どうって……?」

 少しはにかみながらも少女は続けていく。朱に染まった頬は、酷くこの場に不釣り合いだ。

「あの、ええっと……あんな会ったばっかりの相手と友達になるなんて、気でもあるのかなと」

「…………」

 その言葉を受け、ポカンと口を開けてしまう。……少し、呆気にとられてしまった。

「あ、えっと、イルにはそういう感情はまだ……いや、まだって言ってもこれからどうなるかは分からないし、でも気にならないって訳でもなくて……」

「あははっ……ごめんなさい。少し意地悪な質問でしたね」

「う……」

「……でも、嫌われていないようで良かったです。だって、あんなに強引な友達のなり方なんて無いですもの。影ながらヤキモキしていたんですよ?」

「そう、だったんだ……」

「ええ。……だって、好きな人がどう思われているのか、気になるのは普通の事でしょう?」

「え……?」

 何か、凄まじい事を唐突に言われた、ような。

「シダレヤナギ、さん……? イルのこと好きなの……?」

 そうして問い質すと、そこで自分が言った事に気付いたのか、

「え……? あ! す、好きって言ってもこう、男女の好きという訳ではなくてですね……!」

 ……わたわたと片手を振り回しながら必死に抗弁してきた。酷く微笑ましい光景だ。先程までの凄絶な攻勢が嘘のよう。

 どうでもいいけど、外見がイルのままだから、油断するとギャップで吹き出しそうになるんだよね……あの強気と皮肉塗れだったイルが可愛い行動をしている……って。

 表情に出すまいと格闘する私を余所に、コホンと一つ咳ばらいをした後、シダレヤナギさんは片手を胸に当てて話し始めた。

「……イルさんはですね。私の憧れなんです」

「憧れ……?」

「ええ。……私はイルさんと一緒になってから色んな物を見てきました。……生前に見る事なんて叶わなかった色とりどりの光景を、たくさんたくさん見てきました」

「…………」

「綺麗なお城。夕陽に燃える街並み。息を飲むような戦い。美味しそうなご飯。見た事も無いような人々に、その人達が住んでいる街。……全部が目新しさに満ちていました」

 楽しそうに影は話し続ける。……まるで、宝物を前に語る少女のように。

「……そして、それと一緒にいるイルさんは楽しんだり苦しんだり、笑ったり怒ったりしてて……上手く言えないんですけど、ああ、生きるってこういう事なんだなって……だから……」

「だから、好きなんだ?」

「……はい。私のような亡霊に好かれても迷惑だとは思いますが……」

「違う」

「え……?」

「貴方は亡霊なんかじゃない。此処にいる。……私と話している。だから、そんな事を言っちゃダメだよ」

「……すみません」

 一言謝ると、再度武器を構えてこちらを見据えてくる。……どうやら話はここまでみたいだ。

「それと、ありがとうございます。私に付き合うのなんて、大変なだけなのに……」

「それは、まあ、大丈夫なんだけど……最後に一つだけ。そろそろ聞かせてもらってもいいかな?」

「……?」

「……魔力を放出するだけなら、私と手合わせする必要なんて無い。それこそ、その辺りにでも放ち続ければいいだけ。……なのに、貴方は私と手合わせしたいと」

「ああ、戦う理由、ですね……」

「そう。まだ聞いていないから……ちょっと、気になって……」

 ……蒼銀の瞳が瞬く。その双眸は過たず私を映している。

「私がイルさんの代わりに、貴方が信頼できるか見定める為。……なんて言ったら?」

「…………」

「……半分冗談です。見定めるのはおまけのようなもので……本当は…………」

 突如、黒影が無音でこちらへ肉薄してくる。斧槍を振りかぶり、圧倒的速度で。

(この、奇襲は……サンゴバナさんにやった……!?)

「羨ましかったからですよ……ッ!」

 ……為す術も無く初撃で弾き飛ばされた。受け身を取って体勢を立て直すも、すぐさま空を蹴りこちらへ追い縋って来た。乱撃が雨あられの如く降り注がれていく。

「ぐっ……!?」

「あんな風に私も遊びたかった! 勉強したかった! 誰かと話したかった! 誰かと腕を競い合いたかった! 笑って泣いて怒って苦しんで……! それでも生きたかった……ッ!」

 堰を切ったような言葉が、乱撃が濁流を纏っていく。

 さながら癇癪を起こした子供のような変化に圧倒され、防いでいくので手一杯だ。

「だから! せめてッ! せめて、あの人の代わりに! 貴方と戦うんです……ッ! 私の居る証を、刻ませて、下さい……ッ!!」

 血を吐くような告白。それと共に一際大きい螺旋を描きながら、黒の旋風が迫る……!

「――雷龍槍ッ!」

 けれど、ソレは私に届かない。

 紫電を纏った私には、誰も触れられない。

「きゃっ……!?」

 黒の旋風に真っ向から刺突を放つ。全力の雷光と共に放たれた一撃は斧槍を弾き返し、黒影にたたらを踏ませた。

「……言いたい事は、よく分かった」

「ぐっ……!? そんな技が……」

「いいよ。気が済むまで戦おう。……貴方がそれで、救われるなら」

「……! ええ、ええ! 私の為に、この人の為にッ! 死力を尽くして戦いましょうッ!!」

 

 

 

 昂揚。苦痛。歓喜。悲哀。憧憬。憎悪。

 様々な感情が私の中で渦巻き、蠢き、最後にはある一つの衝動へと集束していく。

 ……生の実感。そこから生まれ出る生への渇望。

 あらゆる感情が私を後押しして、このまま生き続けろ、意のままに生きろと急き立てる。

(でもそれは、出来ない相談なんですよね……)

 ……迸る激情を心中で噛み殺し、私は雷龍と戦い続けている。

「……こんのぉッ!」

 文字通り雷光の如き速度で強襲する雷龍を斧槍で切り払う。ガキィンとかち合う音。それと同時に小規模な魔力爆発。

「ぐっ……ううっ……!」

 さっきから斧槍と雷龍がぶつかる度に、こちらの影は軒並み吹き飛ばされている。

 それ程までの、圧倒的な戦技。

(でも、これで良い……早く、早く魔力を使い果たさないと……!)

 再度影を全身に纏い、雷龍へと切りかかる。さっきから強襲した次の瞬間にはもう遠くまで離脱しているのだが、この数発受け切ったおかげで相手の癖が少しだけ分かった。

「――!」

 影を足蹴に、空中の相手へと無拍子を放たんとする。

 ……あの人がやっていた事の真似事だけど、二つ同時なんて初めてだ。上手く出来るだろうか。

「てああッ!」

 不安とは裏腹に体はするりと動き出した。音も無く跳躍、魔力爆発を受けて雷龍へと食らい付く。

「……!? その程度!」

 相手は一瞬だけ驚いたものの、すぐに反応しこちらの攻撃を弾き返した。そしてまたしても雷光を纏いこちらから離れていく。

「逃がさない、ですよッ!」

 ……だが、私も往生際が悪いのだ。逃がす訳が無い。

 溢れ出てくる影を何度も蹴り渡り、雷龍へと追い縋る。あとちょっと、もう少しで届く……!

「しつっ、こいっ!」

 ……だが業を煮やした相手は急速に方向転換。一転してこちらへと突撃してきた。

「う、がふっ!?」

 対応できずにその一撃をモロに受けてしまう。影が霧散し、支えを失った私は地面へと墜落していく。

「あ――がっ――!」

 背中から強かに叩き付けられてしまった。しばし苦痛にのた打ち回る。

 ああ、でも。

 ……この苦痛が。

 この苦痛こそが。

「…………っ!」

 生きているという実感。

 なんて、甘美な。なんて、愛おしい。

「……あ、ははっ……いたい……あははは……」

 堪らず乾いた笑いが漏れてしまう。傍から見たら気でも狂ったと思われそうだ。

 ……でも、こうして痛さに悶えるのも、自分に何が出来るのか試してみるのも、

「とっても、楽しいな……本当に、楽しい……」

 一通り噛み締めた後、身を起こす。

 ……どうやら相手は律儀に待っていてくれたようだ。起き上がった私を見て一言、こう声を掛けてくれた。

「えっと、その、何だか笑っていたけど……大丈夫?」

「……」

 この人は……優しいんだか、ズレているんだか……

 そもそも今の私を見て大丈夫か、なんてどの口が言うのだろう。

 ……そっちだって、もうボロボロのズタズタ。

 魔女さんに言わせればボロ雑巾の一歩手前だというのに。

「ええっと……?」

「……ぷぷっ」

 そう思ったらまた笑いが零れてきた。……本当におかしな話だ。強さと中身がまるでチグハグなんだもの。

「な、なんで笑うの?」

「……アネモネさんがとぼけたこと言うからですよっ」

「う……そ、そうかな……」

「ええ、そうです。とぼけている上に不器用にも程があります。そもそも昨日も思ってましたが、貴方はなんでそう言葉が足りないんですか? 大丈夫? なんて言われても何がどう大丈夫なのかさっぱり分からないんですがっ」

 叩き付けられたお返しとばかりに容赦ないダメ出しを行う。

 ……まあ、私としては敢えて黙っていた事を言っているだけなので、特に苛めているつもりは無いのですが。ええ、これっぽっちもです。

 だがそんな私の言葉に何がしか思う事があるのか、

「…………」

 ……直立したまま動かなくなってしまった。

 あ、よく見たらちょっと泣きそうになってない? この人……

「あのー……? 今ので何かトラウマでも踏みましたか……?」

「だ、大丈夫! 全然、大丈夫だからっ」

「……だから、何が大丈夫なのか分からないのですが……」

「ぐぅぅ……」

 呻き声を上げ、またしてもその場に立ち尽くすアネモネさん。

 ……何だろう。さっきまでの攻撃よりよっぽど効いていて、すごく複雑な気分……

「………シダレヤナギさんは」

「……?」

「何て言うか……初対面でザックリやるのは、イルの真似なのかな……?」

「え、いや、そんな事はないのですが……」

「じゃあきっと、イルと良く似ていたんだろうね。一瞬戻ったのかな、なんて思っちゃった……」

「…………」

 きっと、じゃないんですよね。

 この人は私と――

 いや、私がこの人と――?

(違う。こんな事をやっている場合じゃなかった……)

 ブンブンと頭を振り、無駄な思考を追い払う。武器を握り、再度相手へと構える。

 ……本音を言えばもっとお話ししたいけれど、こうしている間にも生への渇望が膨れ上がっているのだ。このままいったらどうなるのか、私にも分からない。

 先のように激情が唐突に溢れ出して、癇癪をぶつけてしまうかもしれない。いや、もっと酷い事をしてしまうかもしれない。……それだけはごめんだ。あの時どう思ったか聞いてみたくもあるけど……いや、駄目だ。

 駄目だから、早く終わらせないと……

「名残惜しいですが、お話はここまでです」

 会話を強引に打ち切って、ありったけの影を動員させる。相手も即座に変化を見て取ったのか、雷光を再び全身に纏いだした。

 ……ここまでやって、やっと半分消費ってところだろうか。相手の戦技が予想以上に強烈だったから、それで一気に消費量が増えたのだけど……

 そこまで考えて、ふとある事を閃いた。

「……ねえ、アネモネさん?」

「……?」

 怪訝そうな顔を向けてくるアネモネさん。まあ、ここまでと言った直後に話しかけたのですから、当然ではありますが……

「そんな顔をしないでください。すぐ終わりますから。その戦技――雷龍槍でしたっけ。それって連発できたりするんですか?」

「えっと、出来る……けど?」

 ……私の予想は外れていなかったようだ。何しろ全身ボロボロなくせに、あんなに涼しい顔をしているんだもの。まだまだ余裕があるかもって思ったら案の定、ドンピシャだ。

「ああ、良かった。……それじゃあお願いがあるんですけど」

 それは咄嗟に思い付いた事だけど、多分この人がいないと出来ない事。

「私に向かって雷龍槍を絶える事無く、全力で放ち続けてください」

「なっ……!?」

「私も文字通り、死力を尽くして凌ぐので。……というか、最初に全力で行くとか言ってたくせに、今まで手加減してたなんて、酷いと思うんですが?」

「うっ……それは、加減しないと本気で殺しちゃうかなって……」

「言い訳はいいですっ! 出来るか出来ないかで答えてくださいっ!」

「で、出来ます……」

「よろしい! それじゃあ――」

 動員させた影をぐるぐると纏い、決意の言葉を言い放つ。

 

「全力でッ、私を殺してください……ッ!」

「……! それが貴方の希望ならっ……!」

 

 言葉と共に雷龍が迫る。これまでとは比べ物にならない、圧倒的熱量。どうやらやっと本気を出してくれたようだ。

先ずは一発目。

「――!」

 斧槍で横薙ぎに振り払う。爆発で影が消える。即座に纏う。

 ……間髪入れずに二発目が来た。

 斧槍が間に合わない。影の奔流を纏わせた片手で受け流す。

「ぐッ……!」

 ……右腕が焼け付いてしまった。これ位ならまだ治せる程度だろう。後の事は魔女さんに任せて、私はさっさと消えてしまわないと。

 次いで三発目。

 抉るように斜め上から迫ってくる。斧槍を両手で構え、バットをスイングするかの如く打ち返す。

 ……ギィンと嫌な音がした。

「あっ……はは、折れちゃった……」

 見ると先端が持って行かれたようだ。即座に影の刃を生やして代用するが、あまりにも心許ない。まだ三発目なのに、先が思いやられることだ……

 ……四発目。

 地面すれすれから迫る雷龍目がけ、今度は影から壁を生やして対応してみる。イメージするのは城塞。

 そういえば、大きな城壁の上から見た夕焼けは、綺麗だったな……

「ぐ、ああっ……!?」

 厚みのある城塞はしかし、雷龍に食い破られていく。

 ぶちぶちと己が食われていくような気分に吐き気を催したが、何とか耐えた。突破される頃には流石に勢いも弱くなっていたので、影の刃で弾き返した。

 …………五発目。

 殆ど真上から穿たんと来る相手に、今度は槍を生やして対応する。

 ……槍と言えば、あの猫ちゃん、可愛かったな。シスターさんも何だか変な人だったけど、友達になれたらよかったのに……

「…………っ」

 無数に生えた槍はボロボロと、砂糖菓子のように無残に砕かれていく。

 ああ、防ぎきれないな、なんて思ったら、

「…………あ……」

 ……衝撃と共に視界が反転していた。背中に何かを感じる。

 これは、地面、かな……? そして――

「…………そ、ら」

 ……そして、目いっぱいに広がる、青い空。

 どうやら一撃であっけなくやられてしまったようだ。体がピクリとも動かない。全力で魔力を吐き出し続けたのだから、当然と言えば当然か。

 ああ、そういえば、私が死んだ時もこんな風だったかな……

 あそこの空も綺麗だったけれど、ここも綺麗だなぁ……

 そうしてぼんやりと思い出していたら、視界の端から何かがひょっこりと出て来た。

 青い空に負けないくらい、青い髪をした少女だ。

 ……どうしてだろう。目に涙をいっぱい溜めている。悲しい事でもあったのかな。

「もう、やめよう……っ」

 やめるって、何をだろう。

「やめ……を…………」

 ……返事が言葉にならない。魔力が、力が抜けていくのを感じる。

「もう、悲しい事も……苦しい事もっ……! 何も無いから……! 頑張らなくてもいいからっ……!」

 そんな私を見て、とうとう少女は泣き出してしまった。

 ああ、泣いたら綺麗な顔が台無しなのに……

「なか、ないで……」

「……うっああっ……!」

「だいじょうぶ、だから……」

 力を振り絞って言葉を紡ぐ。けれど、これじゃ逆効果だった。

「なんにも大丈夫じゃないっ……! 大丈夫だけじゃ、何もわからないよっ……!!」

「ごめん……」

 ……さっき言った事を返されてしまった。不器用なのはお互い様だったみたい。

「でも、わたし、は……もう、ここまで……」

「……っ!」

「あなたの、おかげ……ありがとう……」

「ぐっ、うっ……」

 嗚咽を必死に殺しながら、少女は私を抱きしめてくれた。……どうしてここまで同情してくれるんだろう。分からない。私なんて最初から死んでいるんだから、泣かれても困るんだけどな……

 ……けれど、少し、少しだけ。

 …………私の為に泣いてくれる人を見たら、少しだけ、やりたい事が出来た。

 息を吸って吐く。……お願いする時はちゃんと相手に聞こえるように言わないと。

「……ねえ、最後に一つだけ、いいですか」

 ちゃんと呂律が回ってくれた。誰かが最後の最後で気を利かせてくれたのだろうか。

 祈るべき相手は世界花と神と……どっちかな。……まあいいか。あの世で会えるだろうし、その時にでも聞いておこう。

「……いいよ」

 ひとしきり涙を拭った後、少女は私の顔を見てくれる。泣き腫らした目を見て、少し心が痛んだ。

「アネモネさん、私と友達になってくれませんか」

 ……私の言葉を噛み締めるようにゆっくりと頷いた後、返事は返ってきた。

「……アネモネ」

「……?」

「友達には敬称なんていらない。……そう言ってたでしょ?」

「ああ、そうだった。そうだったね……」

 ……あの人が言った事をちゃんと覚えていてくれた。自分の事じゃないのに、それが酷く嬉しい。

「それじゃ――アネモネ、また会う日まで。……今度会ったら一緒に色んな所を見て回りましょう?」

 そうして思い付いた言葉を伝えると、ぎこちなく微笑みながら、

「うん、また会う日まで……絶対だよ? シダレヤナギの事、『信じて待っている』から……」

 そんな約束を返してくれた。

 信じて待っていると来たか……出来もしない約束を取り付けちゃったなぁ。

 このまま消えたら、多分、いや絶対会うことは無いだろうとは思うけど……

 ああそうか、天国で会えばいいのかな? でもその場合、私はいつまで待てばいいんだろう……? アネモネは強いから、お婆ちゃんになってもしつこく生きてそうだし……って、こんな事を考えちゃ失礼だな。

「……ふふっ……」

 自分が消えるかも、なんて時にこんな事しか思いつかないなんて。我ながら悠長なものだ。

 ……ああ、でも。

(こうやって誰かに見送られるのは、悪い気分じゃないんだね……それだけで、救われた――)

 ……その思考を最後に。

 私の意識は黒い泥濘へと沈んでいった……

 

 

 

「また、会おうね……約束だから……」

 言葉は風に乗り、誰かに届く事も無く消えていく。

 ……だが、その想いは、きっと。

 



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?日目「黒影ト魔女」

 それは此処ではない何処か、別の世界。そこにある白く染まった場所。

「…………」

 俺は一人佇み、誰かを待ち続けている。

 腕を組んで、苛立ちながらも、それでも辛抱強く待ち続けていた。

「…………」

 ……そうしてどれだけ待っただろうか。

「……あっ」

「やっと来たか……」

 ようやく待ち人が来たようだ。何処からともなく現れたソレは、俺から少し離れた場所で俺を確認するや、目を丸くしながら立ち尽くしている。

 ……時計も何も無いから実際どれくらい待ったのかは定かではないが、くたびれる程度には待ったのだ。言いたい事をこれでもかとぶつけなければ気が済まない。

 つかつかと歩き出し、待ち人へと近付いていく。

 ……そいつは長い黒髪に中性的な顔立ち、華奢な体躯をしていて……要するに俺だな。

 その俺が、俺の前で申し訳なさそうに指をもじもじさせていた。

 しおらしい自分を見るのは何だかものすごい違和感しかないが……まあいい。声を掛けよう。

「よう。あんたが俺の加護って奴なんだろう? 多分だけど」

「そう、です……」

「名前は?」

「シダレヤナギ……です……」

「そうか。俺の名前は……もう無くなったが、イルって呼ばれているな」

「し、知ってます……ず、ずっと見てましたから……」

「へえ、ずっと見てたのか……」

「ふぁ、ファン、です……」

「…………」

 ……いつの間にかファンが出来ていた。しかも身近ってレベルじゃない。

「……それにしても、何でそんなにウジウジしているんだ?」

「えっ……だって、体を勝手に使っちゃって、色々迷惑かけ――」

「……そんなことはどうでもいい。些細な事だ」

「へ……?」

「生きてりゃ多かれ少なかれ迷惑なんてかけるもんだ。いちいち気にしてたら胃に穴が開くぞ? 実際俺も開けかけたしな!」

「は、はい……」

「……ここは笑う所なんだが……まあいいか」

 言葉をぶった切って主張をぶつけたせいか、なおさら萎縮してしまったようだ。小粋なジョークを交えたから平気かと思ったんだが……ままならないものである。

 そんな風に居心地の悪さを感じつつも、言葉を探していると、

「あの、聞きたいんですけど……」

 今度はあちらが話しかけてきた。……渡りに船だ。即座に乗っかろう。

「何だ?」

「ここって何なんでしょう……? 私が体の主導権を取った時はこんなところ通らなかったんですけど……」

「知らん」

「えっ」

「気付いたら此処にいたんだが……まあ、難しく考えることも無いだろう」

「そういうもの、ですかね……」

「そういうもんだ……んで、だな。ちょっと話したい事があるんだが……」

 話の流れのままに、なあなあで主導権を再度握る。それにしてもこの子、なんか遠慮してるからすぐ話が取れるな……意外と話せる相手かもしれない。

「な、何でしょう……?」

「お前は……お前には、未練とかあるんだろう?」

「……無いと言ったら、嘘になります……」

 少女は苦虫を噛み潰したような表情で目を逸らした。……俺の代わりに出た時になんかやらかしたんだろうか? 見てないから何とも言えないが……

 だがまあ、これで確信できた。待ち続けながら考えていたことを話していく。

 

「……だったら、このまま俺の代わりに生きてみないか?」

 

「そ、それは……っ!?」

 ハッとした顔でこちらを見る少女。ものすごく焦っているように見えるが、そんな不味い提案だったか……?

「ダメですっ! それだけはダメです! 私は死んで、貴方は生きながら召喚されて! 本当に偶然に、二人一緒になったんですから! 私のような死人が――」

 なんだ、そういう理由か。……だったら似た者同士なんだな、俺達は。

「……死人だったら、俺も同じだ」

「え……?」

 必死に話す少女を遮り、話し始める。

「お前にだけは言うが、俺は元の世界では廃人一歩手前でな……仕事のストレスで心を壊したんだよ。人間関係とかそういうので、ちょっと無理をし過ぎたんだな……」

「そんな……」

……苦々しい過去をを思い出しそうになるが、努めて脳裏から振り払う。今は感傷に浸る時ではないのだ。

というか、あんまり思い出したくないしな……

「……それでも何とか復帰しようと、医者に通って薬を出してもらったんだけど、全然良くならなくてな。焦る俺とは裏腹に、体は段々動かなくなっていった」

「…………」

「終いには一日中寝て起きての繰り返し。何か出来る気力も無く、意味も無く毎日を過ごしてた。……薬の副作用でさ。起きれなくなってたんだよ。それでも、いつかはまともになれるって信じて、必死に生きていたんだ……」

「…………っ」

 こっちに来てから誰にも言ってない事を、己の半身へと打ち明ける。

 ……少女は言葉を詰まらせながら、こちらを見続けている。その目には涙がいっぱい溜まっていた。……そんな同情されても困るんだがなぁ……もう終わった事だし。

「……そんな顔をするな。こっちに来てからは調子が良いんだからさ。そりゃ最初はビックリしたけど、慣れたらそんなに悪いものでもないし。吹っ切れたら後は楽だったしな」

「だから、あんなにすんなりと順応したんですか……」

「……人間って現金なもんでな。元気になると、それまでの事とかどうでも良くなるんだ。家族も社会も、自分には代えられないって事だろうさ。はははっ……」

「……そんな貴方が、私に生きろと言うのですか……?」

「……そうだ」

「なんで……っ」

「お前が、嬉しそうだったから」

「……!」

 涙が一筋、少女の頬を伝う。

「ここにいても伝わって来たよ。……お前、俺の体で動いてた時、ものすごく嬉しかったんだろ?」

「そ、れは……」

「……だから、俺の代わりにあいつらと一緒に生きろ。なに、俺はもう十分に楽しんだ。だから――」

 そこまで言うと突然少女は近付き、俺の手を取ってきた。

「て、提案が、ありますっ!」

「お、おう……?」

「半分こに、しませんか!?」

「半分こ……?」

 ……言っている事の意味が分からず、オウム返ししてしまった。

 そんな俺などどこ吹く風とばかりに、少女は続けていく。

「そうです! 半分です! ああ、勢いで言ったのに、何故だか良いアイデアのように思えてきました……!」

「お、落ち着け……? どういう事だか説明してくれないと分からんぞ……?」

 ……勢いに気圧されて、何だかんだと押し切られているな、俺。……でも、さっきまでしおらしかった相手がすごい勢いで捲し立ててきたんだ。誰でも押し切られる状況なのでは……って、誰に言い訳しているんだろうな。

「だから――」

 そんな混乱する俺を余所に、少女は思い付いた事を耳元で打ち明けてくれた。……別に二人しかいないんだから普通に話せばいいのに……まあ、雰囲気作りという奴だろう。たぶん。

「……ふむ?」

 ……だが大分エキセントリックな提案をしてきたな。こやつ、中々やりおる。

「なるほど……だったら――」

 提案に穴が無いか確認していく。この提案が上手くいけば、そうだな……みんなハッピーになれるな。出来れば、の話ではあるが。

 何しろ、恐らく誰もやった事の無い事だ。十二分に話し合っておこう。

 ……そう、俺達の為に。

 

「――大体こんなもんか。ザックリだけど、多分上手く行く気がする」

「多分じゃなくて絶対ですよ! 命を賭けてもいいです!」

 ……そうして話し合う事数分。

 相談を終え、うむと頷き合う俺達。相互理解が完璧に出来た証左である。

 ……まあ実際に出来るかどうかは出たとこ勝負なのだが。いつもの事だし気にしない様にしよう。出来なかったらまあそれはそれ。いざとなったら俺が消えればいいだけの話だし。

「という訳で。よろしくお願いします、イルさん。後はお任せしました」

「ああ、よろしくな。頼りにしてる。……俺じゃなくてそっちが出た場合は、任せたぞ」

「はいっ!」

 がっしと握手をしてにやりと笑い合う。……なんだ、良い笑顔も出来るじゃないか。上手く行ったら胸を張って第二の人生を生きていって欲しいものだ。

 

 ……握手を済ませた俺達は、繋がったまま同時に虚空を見上げ、遥か遠くを見つめる。

 

 次の瞬間には視界が薄らいで行き――

 

 意識はまるで蒼穹へ飛び立つが如く、するりと飛んでいったのだった。

 

 

 

「ん、むむー……?」

 漏れ出た呻きと共に意識が覚醒する。……瞼が酷く重い。このまま再度閉じてしまいたかったが、何とかして見開く。

「んん……」

 二度三度と瞬きをして、眠気を完全に追い払う。よし、もう大丈夫。……目の前がやけに暗いが、今は夜なのだろうか。

「ここは……――あだっ!?」

 状況を確認しようとして首を動かそうとしたら――バキバキという音と共に体が軋んだ。

「うごごごご……! 何だこれは。どういう状況だ……?」

 軋む体に難儀しつつも、何とか身を起こす。

 ……どうやら城内の自室のようだ。枕元に茶色いビワパラさんがいるから、多分そうだろう。

 室内を確認しながら視線を横へ滑らせていく。すると――

「……エニシダか」

「…………」

 ベッドの横に椅子を付けて、ピンク髪の魔女が座っていた。状況から察するに、俺の世話でもしていてくれたのだろうか。

「…………」

「すー……すー……」

 よく見ると、剥きかけの林檎とナイフを持ちながら舟を漕いでいるようだ。顔を覗いたら何だか疲れたような顔をしているな……寝ている間に大分迷惑をかけてしまったようだ。

「おーい、エニシダさん。朝ですよー」

「すー……んんっ……」

 声を掛けてみたが、起きる気配が無い。……取り敢えず、ナイフを持ったまま寝ているのは非常に危ないので取り上げておこう。

「ぐっ……ぬおお……! 体がベキベキする……!」

 無理して動かしているせいか、全身に激痛が走る。起き抜けの運動にしては大分ハードだが……まあ、これ位はいつもの事だ。こないだの戦闘に比べればなんて事はない。

 そんな風に軋んだ体と格闘しながら、エニシダの体へと手を伸ばす。が――

「うわっ……!?」

 ……無理をし過ぎたのか、態勢が崩れてしまった。堪らず、前のめりになってエニシダの体へと倒れ込んでしまう。その拍子で持っていた物が落ち、カランカランとナイフが音を鳴らす。

「っと、とととっ……!」

 ……何とか加減が効いたようで、二人して倒れ込むような真似にはならなかったようだ。だが、

「んっ……あ、私ったら……林檎剥いてる途中で寝ちゃって……って……?」

「…………」

 暗闇の中、目と目が合う。

「…………」

「…………」

 ……どうしよう。抱きついたままだし、非常に気まずい。こういう時は、えーっと……

「えっと、その、オハヨウゴザイマス」

「……い、いいいい、いいい」

 ……あれ、何か間違えたかな。壊れたラジオみたいになったぞ? ……ならもう一度。

「オハヨウゴザイマス。エニシダサン」

 だがそれでも返答は無く、どうしたものかと抱きついたまま思案し始めた所で――

「い゛る゛ざぁぁぁぁん゛!!!」

「むぎゅああああああ!?」

 力の限り抱き締められてしまったのでした。

 同時にバキバキと体が悲鳴を上げる。

 おいおいおいおい。死んだわ、俺。

 

 

 

「ああ……やっとイルさんが目を覚ましてくれました……良かった……本当に良かった……」

「おい、エニシダ」

「ずっと考えていたんですよ? このまま目覚めなかったらどうしよう、って……毎日毎日お世話し続けて、気が付いたらヨボヨボのお婆ちゃんになってしまうのかと……」

「いいから話を聞けエニシダ」

「ずっと一緒にいるって約束した手前、放り出して何処かへ行っちゃう訳にもいきませんし……それに、何でも言う事聞いてくれるって、そんな約束もしましたし……」

「話が長い! あといい加減離せ! 俺を抱き締めながら語るんじゃない!」

 ……あれからエニシダは唐突に叫び、一通り泣いた後、語りながら俺の体を抱き締め続けている。

 語りながら魔法でも使っているのか、さっきから体が温かい。だがそれより俺としてはさっさと離れてしまいたいのだが……

「むんぬぬぬ……! 寝起きだからか、力が入らない……!」

 ジタバタと身を捩るも、がっちりホールドされていてにっちもさっちもいかない。

「ああ、そうでした! イルさんが起きたら、やってあげたい事があったんでした!」

 ……そんな俺など気にすることなく、自分の世界に入っていたエニシダは唐突にそんな事を言いだした。そして――

「……イルさん。本当に、本当にお疲れ様でした。みんなに勝っちゃうなんてすごいです……」

「――――!?」

 そう言いながら、頭を撫でてくれたのだった。

 ……

 …………

「……なあ、エニシダ?」

「は、はい? 何でしょうか?」

「何か変な物でも食べたか……?」

「んなっ!?」

 ……ようやく俺の言葉が届いたのか、ちゃんとしたリアクションが返って来てくれた。やったぞ。これでようやく解放され――

「私がどれだけ心配したと思っているんですかっ!? この三日間、朝から晩まで付きっきりで傍に居たというのに……!! なのに第一声がそれって……あんまりにもあんまりですよぉ……!」

「第一声って……今までの抗議の声は黙殺するつもりかおまえっ!? いいから離れろっ!」

 ……さらに無視された。頭を撫で続けながらよよよと泣き崩れるエニシダ。何だこいつは、とうとう頭がおかしくなったか……?

 だが、気になる事を口走ったぞ。ちょっと問い詰めねば。

「それにしても三日間って……おい、ちょっと待て。あれからもう三日経ったのか……?」

「そうですよう……アネモネさんと一緒にズタズタのボロボロになって、それから糸が切れた人形みたいに、ピクリとも動かないんですもん……」

「…………」

「あの時は流石にもう『うわ、死んじゃった!?』って顔面蒼白になりましたけど、息だけはしていたので、今日まで私が責任をもってお世話を……」

「……そうだったのか」

 ……確かに、こいつの側から見てみれば、全然動かなかった奴が突然動き出したのだ。そりゃテンパるってもんだな。ちょっと無下にし過ぎたかも。

「取り敢えず、その、だな……」

 ちょっと恥ずかしいが、礼はちゃんと言っておかないと……いや、だけどどうしたものか……

 ……今の話で腕の拘束が弱まっているか。なら――

「よっと」

「きゃっ……!?」

 拘束から抜け出し、今度はこちらから抱き締め返してやる。そして、お返しとばかりに頭をぐりぐり撫で回してもやった。

「……心配をかけた。ありがとうな」

 ……

 ……いかん。我ながらものすごくキザな事をしてしまった――!

「…………っ」

 咄嗟に頬を寄せて、絶対に顔が見られないようにする。

 ついでに気でも紛れないかと、高速でエニシダの髪をわしゃわしゃとかき混ぜた。

「…………」

「…………」

 ……なんて事をしてしまったのだ俺は。次の一手が思い浮かばない。顔が熱くなるのを感じる。だが、本心からの言葉だから撤回する訳にもいかないし……随分前に抱き合った時はこんなに動揺しなかったんだが、今は何故だか胸がバクバクしているし。……何なのだこれは。どうすればいいのだ。

 ……だが動揺する俺に対してこいつは、

「……イルさん。ありがとうございます。……その、大好きです……」

 そんな風に、優しく返してくれたのだった。

 ……

 …………

 ……ん?

 ……んんー?

「……なあ、エニシダ?」

「な、なんでしょう……?」

「今お前、どさくさに紛れてすごい大胆な発言したような……?」

「えっ、す、好きって言っただけなんですが……イルさんの事……」

「…………は?」

 ……あまりに突然すぎる告白に、胸の高鳴りも忘れて素に戻ってしまった。

「は? じゃないですよ!?」

「え、いや、だって、確かに前々からそうなのかなーとは思ってたけど、この状況で言うか……!? というか言っちゃなんだけど、お前にはツッコミした記憶しか無いから、好かれる理由が分からねえ! そりゃずっと一緒にはいたけど……って、まさか……」

 ……ある現実味のある思い付きに全身が震えた。咄嗟に身を離してベッドへと戻り、眼前の魔女へと向き直る。

「い、いきなりどうしたんですか……?」

「お前……もしかしてツッコまれるのが気持ち良くなってたとか……!?」

「何かすごい結論に行き着いてるっ!?」

「俺にツッコまれるのが快感になったから、それを錯覚して俺が好きとか思うようになったんだな!?」

「違いますからっ!?」

「うう、俺がツッコミ過ぎたせいで……異常な性癖に……目覚めて……!」

「異常性癖とか言わないでください!? あとさっきからツッコミツッコミ言い過ぎです!」

 怒涛の返しで俺の懸念を滅多切りにしてくるエニシダ。だがイマイチ信用できない。そうだな、ならば――

「……じゃあさ。俺のツッコミ以外で好きな所、何かあるのか……?」

「えっ……」

 問いかけつつ、じとーっとエニシダを見る。

「…………」

「……えーと……んっと……」

 何だかものすごく返答に困ってるな。やはり怪しい……

「…………」

「……その、や、優しい所……とか……ですかね?」

 ……ものすごく平凡というか、無難な答えが返ってきた。

「……お前は俺の何処に優しさを見出したんだ……? というか、俺より優しい奴なんて、その辺にごろごろ転がっているだろうに……」

「うっ……自分でそれ言いますか……でも、否定出来ないのが悲しい……」

 はふぅと嘆息するエニシダさん。だがすぐに気を取り直して、こちらに捲し立ててくる。

「……というかですね! 理由なんて何でもいいじゃないですかっ!? 私はイルさんが好きなんです! 大好きなんです! 文句ありますかっ!?」

「え? いや、特に無い……です……」

 ……そんな好き好き大好き言われると、ものすごく恥ずかしいんだが……

 あ、言った本人もこれでもかと言わんばかりに赤くなってる。何で俺達自爆しあってるんだろう……

「……うう……」

「……むぅ……」

 ……気まずい沈黙がこの場に垂れ込める。お互いに次の言葉が思い付かない。

 普通だったら、「この後キスをして、後は流れでお願いします」という展開になるんだろうが、俺達は普通ではなかった。

 ……奥手過ぎた。経験が無さ過ぎた。というか初体験だ。

 未知の領域過ぎて、何をすればいいのか見当も付かない。

「…………」

「…………」

 ……睨み合ったまま時間だけが過ぎていく。

 どうしたものかと、考えあぐねていると――

(イルさ……聞こえ……すか……)

「……?」

 何やら聞こえたような気がした。何だろう、状況についていけなくてとうとう幻聴が……?

(幻聴じゃ……いです! シダレヤナギです!)

「ぬおお!? 頭に直接……!? というか思考が読まれた!?」

 唐突な内からの呼び声に思わず声が漏れてしまった。……あいつ、随分と器用な事をしてきたな。

「い、イルさん……?」

 そんな俺を戸惑ったように見てくるエニシダ。だが今はこいつの相手をしている場合ではない。

(あまり余裕も無いので簡潔に言いますが、例の件どうなりましたか……? エニシダさんはそっちにいるんですよね……?)

「あ、ああ、そうだった……!」

 状況を確認するのに手間取っていて、危うく忘れそうになるところだった……!

(そ、それじゃあ早くエニシダさんにアレをやってもらって下さい。そろそろ限界で――)

「分かった。何とか持ちこたえるんだぞ!」

「あの、イルさんさっきから何を――」

 突然切羽詰まった様子になった俺に、困惑しきりのエニシダ。

「エニシダ! 頼みがある!」

「ひゃい!?」

 そんなエニシダの手をがっしと握る。……こいつが居ないと出来ない事なのだ。逃がす訳にはいかない。まあ、逃げる可能性は限りなくゼロに近いのだが、念の為だ。

「あの、加護を引き出した時のアレ! もう一回やってくれないか!?」

「あ、あの、カポッてやる奴ですか……? で、出来ますけど、何で今……」

「詳しくは終わってから話す! 急いでくれ!」

「よ、よく分かりませんが……分かりました!」

 混乱しながらも俺の頼みを了承したエニシダは、即座に俺に近付いて頭へと手を乗せてきた。

「心を穏やかにして……私に身を委ねて下さい……」

「…………」

 乗せられた手がずぶずぶと中へと入っていく感覚。……だが、これは幻覚だ。

 幻覚だと理解しながらも、尚も受け入れていく。

「探って……探って……よっ、と!」

 ……そうしてしばらくすると、カポリという感覚が走った。

 それと共に、薄氷の下に潜んでいたのだろう、もう一つの意識がするりと這い出て来た。すかさず問いかけて確認する。

「居るな? シダレヤナギ」

『……ええ、私は此処に居ます。……上手く行きましたね!』

「ふっ、はははは! こうもあっさりと行くとは! 仕組みが分かれば大したことも無いな!」

『あははっ、そうですね! 何であんなに悩んでいたのか、昔の私を張り倒したいくらいです! これで約束も果たせますし……ああ、悲嘆に暮れていた前世とはもうおさらばですよ!』

「大手を振って街を歩けるという訳だ! 美味い物もたらふく食えるなっ!」

『ええ! 皆と一緒にこれでもかと言わんばかりに人生を謳歌してやります! ふふっ、あははははっ!』

 二人してあっはっはーと笑い合う。最高に気分が良い。

 何と言うか、勝手に書かれていた筋書きを根底から叩き壊して、復元不可能なまでに滅茶苦茶にしてやった、そんな気分だ。

 作者ざまあみろ。いるのか知らんけど。

「え、ええっ、えええっ!?」

 ……だがそんな俺“達”が理解できないらしく、事を為した張本人である魔女は、目を白黒させている。

「あの、ええっと、理解が追い付かないんですが……さっきからイルさんは独り芝居をしているのではなく、もしかして会話を……?」

「ん? ああ、見ての通りだが……」

『イルさん。二人同時に表に出ているから、エニシダさんが混乱するのも無理もないかと……さっきからちょいちょい口が引っ張られて、発音が怪しくなったりもしてますし』

「そ、そうか……んじゃちょっと俺が引っ込んでみるから、試しに引っ張ってみてくれないか?」

『はいはい』

 意識を委ね、為されるがままに任せる。

 ……その一瞬で、どんでん返しの如く世界が反転した。

(おお、なるほど。お前はいつもこんな感じで見てたのか)

「ええ、今度やり方を教えますから。意外と簡単ですよ?」

 ふむふむ。自分の体を他人に明け渡すってのは斬新な体験だ……今度色々とメモにでも纏めておかないと。忘れたら困るし。

「あ、えっと、その目は……もしかして……」

 こちらの顔を覗き込み、確認するように問いかけてくるエニシダ。……こう見えて変な所で勘が鋭いよな、こいつ。

「目の色で判断しましたか。確かにそれが一番早いかもですね……」

「じゃ、じゃあ……」

「ええ、数日前はお世話になりました。シダレヤナギです」

 蒼銀の瞳を瞬かせ、穏やかに笑いながら、もう一人の俺は続けていく。

 

「イルさんと協力し、疑似的な二重人格として、恥ずかしながら黄泉帰ってきました。……今後ともよろしくお願いしますね」

 

 ……その姿はひどく誇らしげで、楽しげで。

(いやぁ、良い事をすると気持ちが良いなぁ……祝杯でも上げたい気分だ)

 俺は裏から見ながら、ホッコリと温かい気持ちになるのでした。

 




前回でしんみりさせておいて即復活とは……
でもまあ、ロストするよりはいいよね!
……それはそうと、いつかガチ鬱なのも書いていきたいデスネ。今回ハッピーに終わらせたし……いいよね。イイヨネ。


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「これまでとそれから」

事後処理のお時間。そろそろ一区切りの予感がしてきました。


 ――城内のとある一室にて。

 

「…………」

 私はベッドから身を起こし、窓から見える風景を眺めていた。

 青く澄み渡る空。風に舞う花びら。

 時折空舞う鳥が黒い影を投げかける以外は、何の変哲も無い平穏な世界。

「…………」

 それらをぼうっと眺める私には、以前あったような身を焦がす焦燥や苛立ちは既に無い。

 先の戦いで洗いざらい吐き出したおかげだろうか。意識が戻った時にはすっかり気分が良くなっていて、自分でも驚いた程だ。あいつの荒療治も中々どうして悪くなかったみたい。

「あの時は馬鹿なことしてるなー、なんて思ってたけど、馬鹿な位が丁度良いのかもね……」

 自嘲気味の独り言が漏れる。もっと早く誰かに打ち明けていれば塞ぎ込まずに済んだのかも。そう、例えばあのヒガンバナとかに……いや、弱っているところを見せるのは癪だからって、門前払いしたんだった。今度謝らないと……

 そんな風に解放感に身を浸していると、不意に扉がコンコンとノックされた。

 どうぞ、と言うより先に開けられ、入ってきたのは――

「キルタンサスさん、お久しぶりです」

「……ナズナじゃない。久し振りね」

 我等が団長補佐官殿であった。……いや、今は元が付くかな。

「お体の具合はどうですか?」

「たっぷり休ませてもらったからもう大丈夫よ。むしろ、色々スッキリして前より調子が良い位ね」

「そうですか、それは何より。では……」

「ええ。あいつの部隊に参加させてもらうわ。その為に来たんでしょう?」

「話が早くて助かります。実を言うと、まだ回復しないのかとイルさんから毎日苦情が来てまして……」

「あの馬鹿……」

 確か、団長の研修期間中はフォス街道での実地訓練だったはず。主要街道だから人員なんて有り余ってるはずだし、何より私を寝込ませるような強さで苦戦することも無いだろうに……

「あいつなら私なんていなくてもどうにかするでしょうに……」

「いえ、苦情の理由なんですが……」

 一瞬、眉を寄せながら言い淀むナズナ。

「……『誰も報告書の書き方が分からなくて困っています。早く来て下さい』との事です」

「…………」

 ……なんて事だ。戦闘面以外で詰んでいるとは……

 というか、他の皆も分からないのか。今までどうやって花騎士の業務をしてきたんだろう……

「どうやら想像以上に必要とされているみたいね……」

「起き抜けにこんな事を頼んで大変心苦しいのですが、どうかよろしくお願いします」

「いやいや、頭とか下げなくてもいいから!」

 深々と頭を下げてくるナズナを制し、ベッドから這い上がる。

 ……今までさんざん引っ張ってきたが、やっと社会復帰だ。これまで腐っていた分も含めて十分に気合を入れていこう。

「それじゃ、ちょっと着替えとかするから……」

「あ、はい。私も仕事に戻るので、後はお任せしました。詳細は机の上に置いておきますので」

「ええ。任されたわ」

 体に異常がないか確認をしていく。……手や頭に巻かれた包帯を外してみたが、特に跡などは残っていないようだ。動かしてみて痛みもあまり無い。これなら戦闘をしても差し支え無いだろう。

「よし。特に異常は無し、と……」

 そんな私を横目で見ながら退出しようとするナズナ。

 ……だが思い出したかのように、一言付け加えてきた。

「……ああ、一つ言い忘れていました」

「……? 何かしら?」

「イルさんの今の役職なんですが……」

「役職……? 騎士団長の見習いじゃないの?」

「……いえ、それがですね――」

 

 

 

「はぁ~~……」

 澄み渡る青空の下、俺は深々と溜息を吐いた。誰もが「良い日だねー」なんて感想を漏らす、絶好のお出かけ日和だ。

 程良い温度に湿度、雲一つない空。なるほど、洗濯をするのも一興だろうか。

 ……だがそれとは裏腹に、俺の心には暗く重い雲が垂れこめていた。

「…………」

 眼前の光景を見る。

 長く長く、どこまでも伸びる街道。

 道沿いには草木が生い茂り、そこかしこで色んな花が顔を覗かせている。なんともまあ、底抜けに牧歌的な風景だ。心が癒される事この上ない。

 そんな世界で――

「イルさーん! 害虫の掃討完了しましたよー!」

 ピンク髪の少女が笑いながらこちらへと駆け寄って来てくれた。

「いやぁ、フォス街道の害虫なんて久しぶりですねー。昔と一緒でよわっちい限りで……まあ試し切りには丁度良いのかもですが」

 ……一つ付け足すと、返り血に濡れた双剣を携えながら、だが。

 あらやだ、すっごい猟奇的。

「……サンゴさん、ばっちいから返り血は拭って下さい」

「ああ、すみません。私としたことが……」

 俺の指摘で気づいたのか、自身の得物を見てあちゃーとバツの悪そうな顔をするサンゴさん。

「あそれ、しゅばばっと!」

 無造作に剣閃を一振り。返り血は即座に蒸発していった。

「はい、これでよしっと。それで、掃討終わったんですけど……これからどうしましょう?」

 言葉を受けて俺は持参してきた周辺の見取り図を広げる。……ここ数日、これと睨めっこしっ放しだったので大分頭には入ってはいるが、念には念の為だ。

「……地図を見る限りだとここまでが俺達の管轄みたいだし、今日の見回りはこれでおしまいです」

「ええっ!? 今日はまだ十匹しか倒してないんですけど!?」

 俺の終了宣告に、物足りないと抗議の声をあげるサンゴさん。

「いや、十匹でも十分多いと思うけど……というか、俺何にもしてないのに仕事終わっていいのかな……」

「いえいえ、イルさんは私達の頭なんですから、どっしり構えていて下さい」

「頭って……たまには武器でも振り回して息抜きしたいんだけど?」

「そうは言っても、こないだの試合で武器がダメになっちゃったんじゃないですか?」

「うぐっ、それな……何か起きたら無くなってると思ったら、壊されてるとはな……」

 ……そう。今の俺はブキナシィ、もといヒノキの棒一本でこの場にいる。

 あの試合以降、俺に残された物は替えの衣類と、刃先の消えた斧槍、それと茶色いビワパラさんだけだ。あまりにも少ない。というか、殆どゼロからのスタートと言ってもいい。

「早くお給金を貰って、もっかい武器とか買わないとなぁ。上着もボロボロになるとは思わなかったから、新しいの買わないといけないし……」

 せめて誰かお金でも貸してくれないものかと、知っているツテには全員聞いてみたのだが……

「エニシダにはそんなお金無いとか言われるし、アネモネには何か借りづらいし、ウメ先生はそもそも捕まらないし。ナズナに至っては逆に中庭と訓練場の修繕費を要求されるし……」

 ……結局誰も当てにならなかった。むしろ修繕費の分マイナスだ。初仕事が借金スタートとか、悲しいにも程がある。失職したらどうしよう。

「……サンゴさんもお金貸してくれなかったもんな」

「し、仕方がないじゃないですかっ。家への仕送りと異動の際の備品の整備、それと大きい買い物をしたばっかりで、丁度お金が無かったんですからっ」

 サンゴさんは剣をブンブン振り回して必死に自身の言い分を主張してくる。

 どうでもいいけど、剣を振り回すたびに衝撃波が飛んで来ないかと冷や冷やするんだよな……アレに追われた経験がトラウマにでもなってるのかな、俺。

「だから、せめて今月の二十五日まで待って下さい! 具体的に言うと二十五日の朝九時まで!」

「何ですか。サラリーマンですかあんたは」

 この世界でも給料は振り込まれる形式なのか……でもネットとかは無いし、電報でも届くのかね?

「まあいいです。今日のお仕事は終わりですし、もう帰ってご飯にでもしましょう」

「はーい」

 二人揃って掃除し終わった街道を歩く。日没まではまだ時間があるが、何分徒歩での移動なので、余裕を持って行動しておきたかった。帰り際に害虫と鉢合わせ、なんて事もあり得るだろうし。

「…………」

 てくてくと歩きながら再度空を見上げる。これからのお財布事情を考えると中々憂鬱だが、こうして手に職があるってのは涙が出るほど嬉しいものだ。

 健全な体と健全なお仕事。そしてちょっとした悩みという日常のスパイス。

 これ以上の幸せがあるだろうか、いや、無い。

「イルさん何笑っているんですか? 無言でニヤニヤしてるとちょっと気持ち悪いですよ」

「キモいとか言うなし……ちょっと人生上手く行ってて嬉しいなって思っただけだ」

「ふーん? 私はもうちょっと刺激が欲しいかなって思いますけど」

「……だったら俺の下で働かなくてもいいんじゃないか? もっと過激な所に行けば……」

「うーん、それは、そうですけどね……」

 何か思案するように顎に手を当てるサンゴさん。そしてややあって、俺の顔を覗き込んで来る。

「私、イルさんに負けちゃいましたし、もういいかなって所までは一緒にいますよ」

「……そっか、ありがとな」

「それに研修期間は退屈ですが、これが終わったら何処に飛ばされるか、興味ありますしね!」

「…………」

 そういや、ナズナには特務部隊の後釜とか言われてたなぁ……前任のお人はどういう仕事をこなしていたんだろう。サンゴさんなら何か知ってるかもしれない。

「サンゴさんや」

「なんですかー?」

「一ヶ月前に死んだ団長のお仕事について何か知らない?」

「えっと、一ヶ月前というと……ああ、特務部隊とやらですね!」

「そうそれ。なんか後任として期待されてるから、どういう事してたのとか気になって……」

 俺の言葉を受け、空を見上げながらうーんと頭を捻るサンゴさん。

「任務の内容自体は私も詳しく知らないんですが……ベルガモットバレーの奥地へ行ったり、ウィンターローズの封印大氷壁を見て来たとか、果てにはバナナオーシャンにある絶海の孤島にまで足を伸ばしたとか、そんな噂は聞きましたねー」

「……なんか、団長と言うよりもはや冒険家だな……」

 しかも行く先がヤバ気な所しかない。……良く知らないけど、封印大氷壁とかパワーワード過ぎるし、絶対危険ってレベルじゃ済まないだろ。封印ってのは大抵ロクでもないものがあるもんだろうし。

 ……というか、そんな所がある事にビックリだよ。この世界どうなってんだ。

「はぁ~……俺も研修が終わったらそんな僻地に飛ばされるんだろうか……」

「イルさんはそんな所には飛ばされないと思いますけどね……指名されるにしてもそれなりの下積みをしてからでしょうし、少なくとも一年は平穏無事に過ごせるかと」

「……まあ、先の事を考えても仕方がないか」

 とにかく今日の業務を終了させるのが先決だ。今は途方もない話にしか聞こえないが、毎日コツコツとやっていけば、いつかは大物になっているのかもしれない。

 

 ……あんまり、いや絶対なりたくないけどな!

 

 

 

 ……そんな他愛のない話を続けながら、歩く事数分。

「集合場所はいつも通りの南側大門だったな」

「……ええ。どうやら二人とも、もう来ているみたいですね」

 サンゴさんの言うとおり、他の二人は既に哨戒任務を終えて集合しているようだ。大門の前で検疫を受ける馬車や商人達から外れ、端っこで所在無さ気に壁にもたれかかっていた。

 ……手を振ると即座に気付いたのか、振り返してくれた後こちらへ歩み寄ってくる。

「お疲れ様です。イルさん!」

「おう、お疲れ。問題無かったか?」

「はい。ヨワ虫とかに適当にビームして、追い払っておきました!」

 自信満々に雑な仕事してきましたと報告されても、俺は困るんだが……

「はぁ、適当じゃなくてちゃんとやれ。……アネモネも大丈夫だったか?」

「……こっちはサンボンさんを三体ほど倒しておいたよ。相変わらず、この辺りの害虫は大して強くないね」

「まあそうだな。俺でも倒せるくらいだからな……」

 アネモネの言葉で思わずトライサンボンを仕留めた時の事を思い出す。

 駆け出しも駆け出しだった頃の俺ですら倒せたんだから、アネモネだったら楽勝にも程があるだろう。

「それで、イルとサンゴバナさんの所は平気だった?」

「ああ。サンゴさんが十体ほどバラして、それでおしまい」

「……イルは?」

「俺? 突っ立ってただけです」

「…………」

 じとーっとこちらを見てくるアネモネさん。ちゃんと仕事しろと言いたげだ。

 一緒に仕事をし始めて気付いたけど、この人ものすごく職務熱心なんだよな。エニシダみたいに抜けてないし、かといってサンゴさんみたいに楽しんでもいないし。

「……一応釈明しておくけど、サンゴさんが楽しそうに切り刻むのを見てたら終わってたんだよ。あんなに楽しそうなのに邪魔しちゃ悪いなって思って」

「はい! 今日も私と私の剣は絶好調でした! 害虫も微塵切りでしたよ!」

「そ、そう……それなら、いいんだけど……」

 嬉々として語るサンゴさんの報告に、顔をひきつらせながら答えるアネモネ。いまいちこのテンションに付いていけていないご様子。まあまだ出会って数日しか経ってないし、これから嫌でも慣れてくれるだろう。

 そんな風にうむうむと考え事をしていたら、エニシダがおもむろに提案してきた。

「あ、あの! そろそろ移動しませんか? ここだと門番さんのお仕事の邪魔になるかもしれませんし……」

「ん……それもそうだな。んじゃとっとと帰るか」

 そそくさとその場を離れ大門をくぐる。

 くぐる途中で門番さんから「お勤めお疲れ様です!」などと敬礼されたが、愛想笑いを浮かべるので精いっぱいだ。

 今日の俺、何にもしてないしな……給料泥棒呼ばわりされても文句言えないぞ……

「……あら?」

 ……心中で自嘲する俺を余所に、一足先に大門を抜けたエニシダが何かに気付いたようだ。ある方向を指差して言葉を続ける。

「あそこにいるの、キルタンサスさんじゃないですか?」

「キルタンサス……? あ、ほんとだ」

 見れば道の脇にあるベンチに足を組みながら腰掛け、行き交う人々を値踏みするかのように見渡しているようだった。……あら、目が合ったぞ。

「……!」

 どうやら探し人は俺達だったようだ。すぐさま立ち上がってこちらへと歩み寄ってくる。

 ……それにしても、何だか前にあった時よりも穏やかな印象を受けるな。どこがと言われると困るのだが、何となく、こう、雰囲気が丸くなったような……

 そんな風に何やら変化のある彼女を前に俺が首を傾げていると、目の前まで来て……

「ご、ごご、ごきげんよう! 久しぶり!」

 ……ガチガチに緊張した挨拶を披露してくれた。

「……はい。ごきげんよう」

「き、今日も良い天気ね!」

「そ、そうだな……」

「…………」

 二言話したら、何故か黙り込んでしまった。何だろう。俺何か悪いことしたかな。

 流石にバツが悪いので、こちらから話しかけてみよう。

「……大丈夫か? 何かものすごく緊張してるみたいだが……」

「だ、だっ、だいじょびよ!」

「…………」

 これだいじょびじゃないよね。キルタンサスさんちょっと緊張しすぎだよね。

 そんな俺の懸念を感じ取ったのか、

「……ああ、もうっ! 緊張するな、私!」

 唐突にバシバシと頬を叩き始めるキルタンサスさん。二回三回と小気味良い音が鳴る。

「ふぅ……これで、よし」

 次にこちらを見る時には、この間のように勝気な顔付きに戻っていた。

「それにしても、もう体は回復したんだな。……という事は今日からうちに合流してくれるのか?」

「え、ええ、うん、そうよ?」

「……時にキルタンサスさんは、報告書とか書けます?」

「ああ、その話ね。ナズナから聞いたわよ。……まさか全員書き方を忘れたなんて、今までどうしてたのかしらね……」

 そこで俺から視線を外し他の面々へと向き直るキルタンサスさん。

「「「…………!!」」」

 即座にババッと明後日の方へ目を逸らす花騎士の皆様。……なに君達、そんなに恰好が付かない事だったのかね?

「ひゅー、ひゅぴー」

「……エニシダよ。吹けない口笛をしてまで誤魔化そうとしなくていいぞ……」

「ぴひゅー……うぅ、すみません……」

 こいつは時々奇行に走るよな……相方として反応に困るから、あんまりやらないで欲しいんだが。

「……はぁ、まあいいわ。大方他の人に任せっぱなしにしてて忘れちゃったんでしょ。……結構いるのよね。作戦に従って戦闘さえしていれば文句なんてそうそう言われないから……」

「その口ぶりだと、お前さんはちゃんとしてるみたいだな?」

「ええ、当たり前じゃない。……昔は副官として事務処理なんかも手伝っていたしね」

「……そうか。頼りになる事この上ないな」

 そう言えばこいつは元特務部隊とか言ってたっけ。しかも副官だったとは……想像以上に職務経験豊かだったようだ。だからあそこまで背負い込んで……

 ……いや、やめておこう。あんまりほじくり返して良いものでもないだろう。こういうのは時間をかけてゆっくり解決しないとな、うん。そうだ、今度一緒に酒でも……

「……それで、ちょっと聞きたいんだけど」

「……うん?」

 あーでもないこーでもないと気遣いをうじうじと考えていたものの、あちらさんの言葉で現実へと引き戻される。

「……えっと、その……」

 なんだろう。酷く言いにくそうな表情をしている……

「…………」

 無言のまましばらく待ってあげる。

 そうするとようやく決心したのか、ある一言を絞り出すように言ってくれた――

 

「……あなた、結局団長にはなれなかったんだってね?」

 



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「部隊創設:祝杯」

ここまでで一区切り。想像以上に文字数が増えていてびっくらこいてます。


 場所は移り、ここはいつぞやの食堂。ブロッサムヒル市民のみぞ知る穴場スポット。

 相変わらず洒落た内装に流れるクラシック。ぱたぱたと忙しなく店内を歩き回る給仕さんに、厨房からは何かを焼く小気味良い音が聞こえてくる。

 お昼時から少し遅れたこともあってか、店内に客はまばらである。だがそれでも、談笑や時々笑い声が聞こえる事から、決して閑散としてはいない事が知れた。

 立ち話もなんだという事で、俺達は仕事終わりの食事も兼ねてここへ訪れている。

 そこで一通り注文を済ませた後、キルタンサスさんへ俺の現状を説明したのだが……

「はあ。なるほど……素性不明で住民票も無い人間は団長なんて要職に就けないわよね」

 テーブルに乗せた手を組みながら、キルタンサスさんは呆れたように呟いた。

 そうなのだ。俺には市民権が無かったのである。

 異邦人である。流浪の民である。何という事だ。

 呼び出されておいて人権が無いとか、あまりにも酷い話だと思う。

「そう。そこなんだよ。ナズナさんそこがすっぽり抜けたまんま、とにかく代替戦力があればなんとかなる! って思ってたみたい……んで、いざ登録しようって時に気付いたらしく……」

「他は敏腕なのに、肝心な所で抜けてるわね……しかも誰も指摘しなかったなんて……」

「本当になー。ワンマンだとそう言う所が困るよな……」

 そこで俺の隣で気まずそうに指を揉むピンクに話を振ってみた。

「……なあ、エニシダ?」

「そ、ソウデスネ……コマリマスヨネ……」

 顔を逸らしながら片言で返してくれるピンク。……今まで敢えて聞かないでおいたが、やはり知っていたか。

「何で誰も指摘しなかったんだろうなー?」

「ホントウデスヨネ……ナンデデショウネ……」

「誰かが止めていたらこんな事になってなかったのになー? 訓練場とかぐちゃぐちゃになって大変だったしなー?」

「ソウデスヨネ……タイヘンデシタヨネ……」

 ……俺の追及がいちいち突き刺さるのか、冷や汗がすごい事になっている。

 だがそこへテーブルの対面から助け舟が出される。アネモネだ。

「ほら、あんまりエニシダさんをいじめない。どうせ押せ押せで頼み込まれて口を挟む暇も無かったんでしょ? そうだよね?」

「うぅ……仰る通りです……」

「……それに結果論だけど、こうやって私達が集まれたのもエニシダさんのおかげだし、悪くは無いんじゃないかな」

「……まあそれもそうだな。俺も何だかんだで助かったし……」

「助かったって……何にです?」

「いや、何でもない」

「……??」

 不思議そうに俺を見てくるエニシダから目を逸らす。

 ……もし、呼び出されずに向こうに居たままだったら、今頃俺はどうなっていただろうか。

 多分どうもなっていないだろうけど……生きたまま死んでいる生活が続いていただろう。

 そう考えるとこいつに色々振り回されたこの数日は充実していたな……

「お待たせしましたー!」

 ……そうこう思いを馳せていると、頼んでいた料理が運ばれてきた。

「激辛麻婆丼とラザニアとミートパイとカルボナーラと、ヨークシャー・プディングのローストビーフ添えです!」

「ほいほい」

 流石に五人前ともなると結構な量だ。みるみるテーブルが埋まっていく。

「ご注文は以上でお揃いでしょうか?」

「はい。大丈夫っす」

「ではごゆるりと~」

 パタパタと去っていく給仕のお姉さん。相変わらず忙しそうである。

「さてと、話は一旦置いておいてご飯にするか」

「……あんた、結構アレよね……切り替え早いわよね……」

「こないだも言っただろ。俺は美味しいご飯が好きなのだ」

 呆れるキルタンサスさんもそこそこに、麻婆丼を引き寄せて即座に一口。うむ、美味い。

「うめ……うめ……」

「しかももう食べ始めてるし……というか、それ尋常じゃない色してるけど、大丈夫なの……?」

「イルさんは毎日こうなので、すぐ慣れますよ! 私もミートパイ頂きますねー」

「いや、すごい、あ、これ目が痛いんだけど!? ちょっと、匂いに乗って刺激がっ!」

「サクサク~っと! ああ、やっぱりここのナイフは切れ味が良いですね! 感激です!」

「サンゴバナさん、パイを寸刻みにするのはどうかと思う……」

「……そう言うアネモネさんも一口が大分大きいですよね。もっと味わって食べた方が……」

「う……ごめん。いつも急いで食べてたから……前に居た前線だと時間が無くって……」

「あ、いえ、別に謝らなくても……人それぞれですし……」

「んぐんご……エニシダ。手元見ろ手元。グレイビーで池が出来てるぞ」

「へ? ……わわっ、プディングがふにゃふにゃに……!」

「げほっ! ごほっ! ちょ、ちょっと誰か席代わってくれない!? カルボナーラを早く食べたいんだけど……! ここに居るとむせてダメだわ……!」

「わ、私は代わりませんよ! パイを刻むのに忙しいので!」

「いや、普通にイルに端っこに移動して貰えばいいだけでしょ。ほら、イル。がっついてないでちょっと立って……」

「もごもご……ふぅ、店員さん! おかわり!」

「「「早っ!?」」」

 かくして想像以上に姦しい、俺達の食卓の火蓋は切って落とされたのだった。

 ……まあ俺は美味しく食べていただけなんだけど。

 

 ――十数分後。

「……とまあ、そういう訳でだ」

「いや、どーいう訳よ。あんた麻婆食べてただけでしょうが」

「うるさい。麻婆に罪は無い!」

「何でキレるのよ!?」

「いや、何となく。それにキレてないからな?」

「……あんたといると退屈しないわね……」

「ふっ。褒めても何も出ないぞ?」

「褒めてねーわよ……」

 結局あの後、全員がお腹いっぱいになるまで食べたので、目の前には食器の山がずらりと並んでいる。そんな中でゆったりと茶をしばきながらくつろいでいるのだが……

「うふふー♪ ミルフィーユをサクサクーっと……」

「やっぱりご飯も良いですけど、デザートが本番ですよねー。パフェパフェっと」

 ……何かまだ食ってる奴もいるな。あれは放っておこう。

「……とまあ、そういう訳でだ」

「何事も無かったかのように仕切り直した!? ……おほん、まあいいわ。話が進まないものね」

「俺達の現状について改めて伝えておこうと思う。……アネモネ、任せた」

「ん……? え、私? まあいいけど」

 のほほんと渋いお茶を啜っていたアネモネへ一任する。多分俺より説明上手いだろうし……

「今の私達は、イルを部隊長としてフォス街道の巡回任務にあたってる。イルは初めてだから、色々覚えないといけないし……」

「その辺は駆け出しとおんなじか……って、あんた住民票無いのに部隊長にはなれたんだ?」

「ん? ああ、隊長って実力があれば何とかなるらしいし……ノリで……」

「ノリでって……えらく適当ね……まあ、それならあんたでも問題ないわね。……それで今はどれくらいこなせるようになったの?」

「イルはもう実戦では言う事無いくらい。見つけた敵は全部倒してるし、集団討伐対象に出会っても落ち着いて救援を呼んだり出来るし」

 アネモネから見た俺の客観的情報を聞き、呆れた風に溜息を吐くキルタンサスさん。

「なるほど。あんた戦闘だけは馬鹿みたいに得意だものね」

「馬鹿みたいとか言うなよ……それに俺そんなすごくないぞ……」

 前の訓練の時も言っていたが、どうもこの人は俺を過剰評価し過ぎている気がする。つい先日まで一般ピーポーだった俺はそんな大層な人間ではないのに。

「いや、実際イルの戦い方は理にかなってるから、自信を持っていいと思うよ? そこはキルタンサスさんも認めてるところだし」

「そ、そうか?」

「うん。攻め時と引き際がちゃんと分かってるから、安心して指示に従えるんだよね」

「ま、まあ、私はこないだの訓練で感じた事を言っただけだし? 指示どうこうはこれから見て判断させてもらうわ」

「…………」

 二人ともなんだかんだで褒めてくれているが……何だか居心地が悪いな……

「はふぅ……あ、褒められてイルさんが照れてます」

「んなっ、ちょっとエニシダ!?」

 そこへ追撃をするかのように、パフェを平らげたエニシダが茶々を入れてきた。

「え、これって照れてる顔なの……?」

「表情が薄いから分かり辛いわね……」

「イルさんはちょーっと無愛想ですが、顔にすぐ出るのですごく分かりやすいんですよ?」

「ふーん? エニシダさんはスゴイですねー。私にはまださっぱりですよ……サクサク」

「無愛想で悪かったな! あとサンゴさんはいつまでサクサクしてる!?」

 ちょっと照れただけでここまで言われるとは……人が増えると中々大変だ。主にツッコミが。

「おほん。まあそれはそれとして」

「あ、逃げた」

「うるさい! いいから次行くぞ次!」

 机をバシバシと叩いてこれ以上の妨害を阻止する。

 ……あ、やべ。給仕の人にすっごい睨まれたぞ。ぺこりと謝っておいた。

「……という事で、我々四人は俺を隊長として、経験を積むためにフォス街道の巡回任務に従事していたのであった。ここまでは現状の説明。おーけー?」

「特に問題ないわね。あんたの実力は嫌と言うほど叩き込まれたし、ちゃんと仕事としてお返ししてあげるわ」

 おお、なんと頼もしい……流石出来る御仁は言う事が違う。

「それじゃあ、明日からは一緒によろしくな」

「ええ、こちらこそ。お互いに良い仕事をしましょう」

 二人して頷き合い、がっしりと握手を交わす。やっぱりちゃんと信頼関係を作るのは大事だな。……手段こそ乱暴だったが、結果的に仲良くなれたから良しとしよう。うむ。

「っと、そういえばこれでやっと全員揃ったんだったな」

「ん、そうみたいだね。今は巡回任務しかしないから、一部隊で十分だろうし」

「それじゃ丁度良い機会だし、あれやっておくか……すみませーん!」

 手を上げて給仕さんを呼ぶ。

「はいはい。なんでしょ麻婆君」

 ……程なくして来てくれたが、若干怒り気味だ。さっきのをまだ引きずっているのだろうか。あと麻婆君言うな。

「……マスターに頼んでおいた例のブツ、持って来れますか?」

「……あー、あれですか。今日丁度仕入れた所ですよ」

「おー、ナイスタイミング。ではよろしくお願いします」

「はーい」

 俺のオーダーに了承すると、給仕さんはひらひらと手を振りながら厨房へと引っ込んでいった。

「あの、イルさん。何か頼んでたんですか?」

「ん、ちょっとな。それと、あれとは別にみんなに紹介しなきゃいけない奴がいるんだが……」

「……もしかして……いや、そんなはずは……」

 俺の言葉に戸惑いを隠せない様子のアネモネ。無理もないか、聞くところによれば色々とやらかしたみたいだし……

 ……それと同時に何か拒絶するような、そんな意思を己の半身から感じ取った。

 いや、遅かれ早かれ言わなきゃいけないんだから、ここでゴネられても困るんだがな……

「……まあ、アネモネは予想出来ているとは思うが、ちょっと今代わるから……」

「え、あ、はい……?」

 小首を傾げるサンゴさんやキルタンサスさんを視界に収めながら、目を閉じて意識を集中。

 ……世界を、反転させた。

 

(…………)

 ぐるりと回る世界。影から光へ。陰から陽へ。

 相克する螺旋の如く、世界を巡らせる。

 

「…………」

 突如表舞台へと引きずり出された少女は、恐る恐る目を開けると、

「……あ……」

 蒼銀の瞳を対面の青髪の少女へと向けて、恥ずかしそうにはにかんだ。

「えっと、その、ですね……」

「…………」

 青髪の少女は信じられないものを見たと言わんばかりに目を見開いている。

 ……まあ、あんな別れ方をしたらもう会えないと思っていても仕方ないよね。

(おーおー、がんばれー。ちゃんと説明しろよー)

 何か意識の裏側では無責任な声援が飛んでるし。

 もうちょっと説明してから代わってくれれば、こんな苦労しなくても済んだ気が……

(いや、お前に任せた方が面倒じゃないし。というか、自分の現状くらい自分で説明しろし)

 はいはいわかりましたよー。まったくもう……

「……ええと、あなたイルよね? 何か急に雰囲気が変わったけど……」

 そんな風に内からの声にげんなりとしていると、おずおずと声が掛けられた。確かこの人は……

「……いいえ。違いますよ、キルタンサスさん。私はイルさんではありません」

「えっ……って、よく見たら目が……?」

 戸惑う相手を見てようやく決心がついた。もうウジウジしても仕方ないよね……

「……あまり説明が得意ではないので、単刀直入に言います。私はシダレヤナギ。イルさんと体を共有する、魂だけの存在だった者です」

「ちょ、ちょっと待って下さい。理解が追い付かな――」

「イルさんの力の源泉となっていたのは私。戦闘のコツをこっそり教えていたのも私。陰日向から色々と支えていたのも全部私です!」

 思い付くままに言葉を叩き付けた。なんだ。吐き出してしまえばどうってことも無い。

「あっ、やっぱりそうだったんですね……」

(おーい。それちょっと初耳なんだけどー! 確かに自分にしては要領が良すぎるなとは思ってたけどさ……)

「…………」

(おいおーい。無視ですかー!?)

 裏からの声を黙殺し、部隊の面々を見渡す。

 キルタンサスさんは何だか考えあぐねているようで、落ち着かない様子でこちらを見ていた。

 サンゴバナさんは理解出来ていないのか、頭上に疑問符を大量に浮かべながらミルフィーユを細切れにしている。何か切ると落ち着く性格なのだろうか……中々サイコな御方だ。

 エニシダさんはもう既にこちらの事情は理解はしていたが、戦闘面での事に納得がいったらしく、ふむふむと一人頷いていた。

 そして肝心のあの人はというと……

「……ねえ、シダレヤナギ」

「え、あっはい」

「……おかえりなさい。待ってたよ」

 私を見つめてにこりと微笑んでくれた。

「……はい。ただいま。アネモネ」

(うわ、何この雰囲気、めっちゃ仲良し……!? 俺より仲良くなってない!? なになに、何があったの!?)

「さっきから五月蠅いですよっ!」

「う……その、ごめん……」

「ああ!? 今のはアネモネに言ったのではなく……! 謝らないでください!」

 しまった。衝動的に裏からの声にツッコミを入れてしまった……

 でも怒られてシュンとしたアネモネも可愛いなぁ……って、いけないいけない。私にはそう言う趣味は無いのだ。

 三者三様――いやこの場合は五者五様とでも言うべきか――の反応を示す纏まりのない私達。

 するとそこへ――

「はいはいー。お待たせしましたー」

 ……先程イルさんから何らかのオーダーを受けた給仕さんが戻ってきた。

 手に持ったトレーにはグラスが五つ。そしてその隣には氷張りの桶に入ったボトルが入っている。

 それまで物思いに耽っていた面々も運ばれて来た物に興味津々なようで、視線は給仕さんへと集中している。

「ええと、何でしょうそれ……?」

「……? 麻婆君が頼んだんでしょうが? 早速開けちゃうけどいい? それとも自分で開ける?」

「あ、いえ、お願いします」

 ……何を頼んだのか全く分からないが、任せておいたほうが良さそうだ。

「んじゃ、ちょっとお時間を……」

 トレーをおもむろにテーブルへと置いた給仕さんは氷の中からボトルを取り出すと、何処から取り出したのか、コルク抜きを刺してぐりぐりと捻り始めた。

「んー……こういうの久しぶりだなぁ。いつもは栓抜きばっかりだから新鮮……」

「は、はぁ……」

 捻りながらそんな事をのたまう給仕さんに気の抜けた相槌を打つ。……我ながらあまりにも気の利かない事だ。でも、こういうの慣れてないし、仕方ないよね。

「そろそろいいかな。……よっとぉ!」

 そんな風に自己弁護を心中でする私を余所に、給仕さんが掛け声をあげる。すると――

 シュポン!

「きゃっ……!?」

 空気の抜けるような一際大きい音が響く。あまりの大きさにビックリして声が出てしまった……

「……?」

 恐る恐る給仕さんの方へ視線を戻す。……ボトルからシュワシュワと何かが溢れて来ている。何だろうあれ……

「シャンパン、かな?」

 まじまじと見る私への説明だろうか、アネモネがそんな事を呟いてくれた。

「いえ、シャンパンではないですよ。未成年いますからねー。……これはシャンメリー、昔はソフトシャンパンとか言いましたかね」

「へー」

 給仕さんの説明に間の抜けた声が漏れる。あんなもの、生きていた頃は見た事も聞いた事も無いなぁ……やっぱり都会って何でもあるんだな……それにしてもこんなものを用意して、イルさんは何がしたいのだろう?

(ほら、ボーっとしてないでグラス回せ。グラス)

「え、あ、うん」

 声に促されるままに全員へとシャンメリーの注がれたグラスを回す。……五人だからすぐに行き渡った。

「……ねえ、この後どうするの?」

(どうって……お前知らないのか?)

 知る訳無いでしょうに……何しろさっき叩き起こされたばかりなのだから。

(しょうがないな……ヒントを教えてやろう。これはお祝いの時に景気付けに飲む物なんだ。……今俺達がお祝いするものは何だ?)

 お祝い事? 何か喜ばしい事なんてあったっけ……うーんと……

「……あっ」

 ……ようやくある事に気付いた。そして、私は同じテーブルの面々を見渡す。

「…………」

 そこでは皆一様に待ちきれないと言わんばかりに、グラスを持ったまま待機しているではないか。

 何か可笑しいのか、笑顔を張り付けながらじっと私を見ながら待ち続けている。

 きっと、私の言葉を待ってくれているのだ――

「……あっと、その……」

 ……はっきり言って、こういうのは苦手だ。今まで目立つ位置で音頭を取って何かをやった事なんて一度も無い。人前に出るのすら恥ずかしい。誰かと目線が合うだけで緊張したし。

 というか、こういう事はイルさんがやった方が良いのではないだろうか――

「……ええっと」

 ……けれど。けれど、だ。

 今回は前向きに生きると決めたのだ。

 決めてしまったのだから、こういう楽しい行事も頑張ってこなさなくては。

 恥ずかしくても、失敗しても、それでも後ろを向かずに、笑って遊んで生きていく――

(――――)

「……それでは、部隊創設を祝して、代理の身ではありますが、乾杯の音頭を取らせて頂きたいと思います」

 椅子から立ち上がり、裏側から言われた事を一語一句真似して言葉に出していく。

 ……彼なりの助け舟なのだろうけど、私に言わせる必要は何処に在るんだろうか。

(いや、お前も色々経験しないと、人生つまらないだろ? 俺が起こさないとお前起きようともしないし……)

 それは、まあ、そうなのかもしれないけど……それに起きようともしないのではなく、遠慮しているのだと……

(はいはい。何でもいいから続きはちゃんとやれよ)

「ねえ、続きは……?」

 じれったそうに催促する声が何処からか聞こえた。ああ、いけないいけない。

「あ、ごめんなさい。……では、こうして巡り会えた幸運と、共に歩んでいく同胞への最大限の敬意を込めて……」

「……ああ、それとこれからの仕事の成功祈願もしておきましょうか」

「へ……?」

 乾杯と続けようとしたところで、キルタンサスさんがそんな茶々を入れてきた。

「……シダレヤナギが戻って来た事も祝っておこうよ」

「あ、それも入れましょう。というか、戻って来たっての初耳なんだけど? この子、死にかけてたとか?」

「まあ、うん。色々あって……」

 アネモネもそんなやり取りをしながら、何だかんだでお祝い事の追加をしてきた。

「それじゃあ、私も! 今日の切れ味が最高だったことを祝っておきましょう!」

「いやそれ何の関係も無いんじゃ……」

「日々の感謝は大事! これ、重要ですよ!」

 ……サンゴバナさんに至ってはよく分からない事を口走っている。この人は我が道を行き過ぎていてスゴイなー。

「あ、その、それじゃ私は……えーっと……」

「……エニシダさん、無理に出さなくても良いんですよ……?」

「あぅ……んー……特に思い付かない……あ、一つだけあった、かも……」

 エニシダさんは何か思い付いたのだろうか。しかし、もじもじと指を揉み始めてしまった。

「……エニシダさん?」

「えっと、わ、私は、イルさんと出会えたことを祝おうかなー……なんちゃって……」

「……惚気ですか?」

「……惚気だね」

「うわ、あんたらそういう関係だったの……? なんか妙に仲良いなーとは思ってたけど……」

「の、惚気……!? 違いますからね!? イルさんとはまだそういう関係じゃないですからね!?」

 顔を真っ赤にしたエニシダさんが必死に抗弁するも、あれでは火に油というものだ。

 あ、全員から生暖かい視線を受けて涙目になってる……何だか気の毒になってきたな。

 そしてそれに加えて、裏側からは何だか胸を掻き毟るような、声にならない声が聞こえてくるのだけど……まあ、こっちもそっとしておこう。

「えー……おほん。色々追加はありましたが、グラスを拝借」

 私の言葉で色めき立っていた全員がグラスを掲げる。そして――

 

「では、諸々の事を祝して――乾杯!」

「「「「かんぱーい!」」」」

 

 ……これはささやかな一歩への祝杯。

 そして、これからの人生への祝辞。

 私と、私に関わる全てへの、最大限の祝福。

 これまでと、これから。

 その全てに幸在らん事を、ここに願う。

 ああ、願わくば――

 

「あれ、シダレヤナギ。泣いてるの?」

「……いえ、泣いては……ううん、そうですね。嬉し泣きです……」

「ああほら、ハンカチありますから、どうぞ」

「嬉し泣きとか、中々乙女ねー。イルの体に入って無ければ抱き締めてあげたのになー」

「嬉しい時は嬉しいって、体が頑張っちゃうんですよね! 分かりますよー!」

 

 これからの旅路に、皆に価値ある人生を。

 此処に居る全員が幸福になって欲しい。

 いや、出来るのならば……私がしてみせよう。

 ――それが私の望みだ。

 




はい。これで団長育成~部隊創設編終了です。
今後どうするかは全くのノープランですが、気が向いたら短編でも放り投げてみようかなーと。ノープランですが。
練り込めたら今後の話も繋げていこうかとは思っています。

それでは一旦の区切りではありますが、ここまでお読み頂いて、本当にありがとうございました。


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