【完結】光ささぬ暗闇の底で (御船アイ)
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第一部 光ささぬ暗闇の底で
1話


「はぁ……」

 

 逸見エリカは、その日何度目か分からないため息をついた。頭を抱えながらも彼女が視線を向けた先には、やる気なさそうに立つ黒森峰の制服を来た複数人の女子生徒が立っている。

 彼女らは、訓練の終了した黒森峰の戦車格納庫に無断で侵入し、あまつさえそこで菓子を食べていたのを、偶然忘れ物を取りに来たエリカに発見されたのであった。

 無論、規律の厳しい黒森峰ではそのような行為許されるはずもない。

 

「あなたたち……自分が何をしたか分かってるの?」

「はい……すいませんでした、“隊長”」

 

 言葉だけみれば謝罪をしているが、まるで反省の色が見られないその口調に、再びエリカはため息をつく。

 現在のエリカは三年生であり、西住まほの後を継ぎ黒森峰の隊長を任されていた。

 しかし、それまで統制のとれていたはずの黒森峰戦車隊の規律は、彼女が隊長に就任してからというもの堕落の一途を辿っていっていると言っても過言ではなかった。

 理由としては、まず西住まほの隊長としてのカリスマ性が高すぎたというのがある。

 卓越した指揮能力と有無を言わせない威圧感を持っていた西住まほに憧れを抱いていた生徒は、その後続についたエリカと西住まほを事あるごとに比較し、エリカを蔑んだ。曰く「西住隊長ならばもっと上手くやれた」、「西住隊長と違って今の隊長には才能がない」などと。

 また、一部の生徒、さらには黒森峰戦車道OG会などから、エリカは“疫病神”扱いされていることも原因の一つとしてあった。

 黒森峰は現在二年連続で優勝旗を掴むことが出来ず、二年連続で準優勝止まりという、高校戦車道の王者黒森峰としては恥ずべき結果を残しているが、その原因をエリカがいるせいであると風潮するものがいた。

 もちろん、黒森峰準優勝の影にはどちらの大会にも“西住みほ”の存在が大きく影響しているのだが、現隊長となったエリカを批判したいものにとって、そんなことは瑣末なことであった。

 そしてエリカは、自らがそのような風評に晒されていること、その結果、黒森峰戦車隊の風紀が大きく乱れていることを理解していた。

 だからこそ、エリカは目の前の部下達のあからさまな態度にも、強く怒れないでいた。

 曲がりなりにも、そうなった責任は自分自身にあるのだから。

 そう思うと、エリカの中では目の前の彼女らへの怒りよりも、自分自身への不甲斐なさが勝ってしまうからである。

 

「……とにかく、このような行為が発覚した以上、処罰があることは覚悟しなさい。少

なくとも、明日の練習試合には出られないと考えなさい」

「はいはい、分かりましたよ。“隊長”。それで、私達はそろそろ帰らせてもらってもよろしいでしょうか?」

「……あなたたち、随分な態度じゃないの」

「そんなことはありませんよ、我々は此度の事を深く反省し、自室で謹慎していたいと思っている所存であります」

 

 エリカの高圧的な態度を意に返さず、ただ淡々と言うその口調に、エリカは奥歯を強く噛みしめる。

 

「っ……そう、だったら、はやくここを立ち去りなさい。言っておくけど、そうそう軽い処罰で済むなんて思わないことね」

「了解しました、“隊長”」

 

 最後までエリカを馬鹿にする態度を隠すことなく、部下達はその場を去っていく。

 そして格納庫にエリカ一人になったとき、エリカは右手で強く握りこぶしを作ると、大きく振りかぶり、目の前の戦車に強く拳を叩きつけた。

 

「ふざけんじゃないわよ……!」

 

 叩きつけた拳を強く握り直し、歯を強くこすり合わせながら、エリカは唸った。

 

「何よ、人が下手に出てれば調子に乗って……! 確かに私が悪いかもしれないわよ。だからといってあの態度は何!? 規律を重んじる黒森峰の戦車道が聞いて呆れるわね!」

 

 そう言いながらエリカは何度も拳を戦車に叩きつける。

 何度も、何度も。

 そして手の皮が破け戦車の装甲が真っ赤な痕がついたところで、エリカは肩で息をしながらも腕を止めた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 呼吸を整え、ゆっくりと体を落ち着ける。

 すると、いつの間にかエリカの瞳からは、じわじわと涙が溢れだしていた。

 

「ごめんなさい、隊長、私が、私が不甲斐ないばかりに……」

 

 さめざめと泣き出すエリカ。広く暗い格納庫に、ただ彼女の静かな泣き声だけが木霊する。

 どれほどの間泣いていただろうか、エリカは流れ出る涙を傷ついた手で無理やり拭うと、いつもの気丈な相貌を浮かべた。

 

「ダメね、こんなんじゃ。明日はアイツとの試合だっていうのに、これじゃみっともなくてアイツに合わせる顔がないわ」

 

 そう言ってエリカは目元を赤く腫らしながらも、持っていたハンカチで戦車にこびりついた血を綺麗に拭い去ると、ゆっくりと格納庫を後にする。

 厳しい苦境に立たされているエリカだが、そんな彼女にも譲れないものはあった。

 その一つが、翌日の練習試合にあった。相手校に、エリカが拘る一人の少女がいるからである。

 彼女の前では、無様な姿は晒すことはできない。彼女の前では、黒森峰の隊長として強者でいなければならない。

 それだけが、今のエリカを立ち直らせる原動力となった。

 

「……まってなさいよ、みほ……!」

 

 大洗女子学園三年、西住みほ。

 西住まほの妹にして、かつてのエリカの戦友であり、憧れであった少女。

 その彼女と戦って、自分自身という存在を認めさせること、それが、今のエリカにとって最も大きな目標の一つであった。

 

 

  ◇◆◇◆◇

 

 

「くそっ! くそっ!」

 

 エリカは狭い車内の中で、隠すこと無く大声で悪態をついた。

 大洗との練習試合は、一方的な戦況を呈していた。

 殲滅戦のルールで行われたその練習試合において、大洗は巧みな連携と奇抜な作戦によって黒森峰を翻弄。一方の黒森峰は、エリカの指示を聞かずに突貫する戦車が続出し、次々と撃破されるという事態に陥っていた。

 結果、大洗側は動ける戦車がまだ多く残っているのに対し、黒森峰側は殆どが白旗を上げ、まともに動けるのはエリカのティーガーを含め僅か数台といったところまで追い詰められていた。

 

「どうして、どうしてこうなるのよっ!」

 

 包帯を巻いた右手を強く自らの太ももに叩きつける。

 エリカは、互いの練度の差、そしてなにより統制力の差をひしひしと感じていた。

 一糸乱れぬ動きで連携を取りつつ、正確な射撃を見せる大洗。

 各隊の連携どころか、上官命令にすら従おうとせず、戦車の性能にあぐらをかいた戦い方をする黒森峰。

 その差は歴然だった。

 明らかな敗因。濃厚な負け戦。

 それがはっきりとすればするほど、エリカを苛立たせた。

 

「何なのよこれは! これが黒森峰の戦い方だって言うの!? こんなんじゃ、隊長にも、アイツにも顔向けできないじゃない!」

「た、隊長! 落ち着いてください!」

「わかってるわよそんなこと! ……そうよ、落ち着きなさい逸見エリカ、まずこの状況で最善を尽くすのよ。ここまでついてきている車両は、少なくとも私の命令は聞いてくれるから、例え数が少なくともここから挽回する策を……」

 

 そうエリカが思案しているときだった。

 目の前に、大洗のⅣ号戦車が――エリカにとって、とても大きな存在である“彼女”が乗る戦車が飛び出してきた。

 それによって、それまで冷静になろうとしていたエリカの脳は、一気に熱を帯びた。

 

「っ!! 前進! あの車両を追いかけなさい! 他の部隊と合流する前に、なんとしてもあの車両だけは仕留めるのよ!」

「はっ、はい!」

 

 Ⅳ号戦車を追って前進するエリカのティーガー。しかし、Ⅳ号戦車を追い続けていくうちに、エリカは気づいた。Ⅳ号戦車の砲塔が、いつの間にかティーガーに向けられていることを。

 

「しまっ――!!」

 

 気づいた時にはすでに遅く、Ⅳ号戦車の砲塔はティーガーめがけて勢い良く火を噴く。

 エリカのティーガーは、Ⅳ号戦車によっていつの間にか射撃に最適な状況へと持ち込まれていたのであった。

 激しい衝撃が車体を揺らす。ティーガーは黒煙を立ち昇らせ、白旗を上げる。

 

「うっ、うう……」

 

 強く頭を打ち付けた操縦士が、ゆっくりと上体を起こす。彼女は、自分たちの敗北を悟り、大きく落胆すると共に、これから自分たちの隊長がどんな癇癪を起こすか戦々恐々としながら、背後に目を向けた。

 しかし、そこで彼女が見たのは、予想外の光景だった。

 

「あ、ああああああああああ……」

 

 そこには、紅い液体を垂れ流している目を覆いながら、苦しげに声を上げている、自分たちの隊長の姿が、そこに転がっていたのだから――。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「うっ、うぁ……?」

 

 エリカは柔らかい感触に包まれながら意識を取り戻した。

 目の前には真っ暗な闇が広がっており、今自らがいる場所が何処か知ることができない。

 しかたないので、あたりに手を伸ばすと、ふかふかとした触り心地が続き、それから冷たい鉄の棒に触れることができた。腕だけでなく足を伸ばしてみるも、帰ってくる感触は同じようなものだった。

 エリカは自分の体の感覚とこれまでの経験を照らしあわせて、どうやら自分はベッドの上にいるのでは? と推察した。

 次に自分の体に触れていくと、今自分が着ている服は、試合中に来ていたジャケットではなく、裾口が大きく広がっている、薄い布製の服であることがわかり、自分が今ベッドの上で寝ているという状況から考えて、着ているのはきっと病衣であろうと判断した。

 そして指を自分の顔にもっていったとき、そこでエリカはとある違和感に気づいた。

 自分の目の周りを、何かが覆っている。ざらつきと柔らかさを感じるそれは、どうやら包帯のようであった。

 どうして自分の目に包帯が?

 エリカは不思議に思いながらも、視界を取り戻そうと、手探りで、半ば無理やり、その包帯を外していく。

 そして包帯をすべて外し終えたとき、エリカは混乱した。

 

「え……?」

 

 包帯を外したはずなのに、一向に視界が戻ってくる気配がないのだ。目の前には、未だすべてを飲み込むような闇が広がっている。それは夜よりも深く、まるで黒い絵の具で塗りつぶしたようであった。

 

「どうして……」

 

 そこでエリカの耳に、コツコツとこちらに歩いてくる音が聞こえた。その音は嫌に大きくエリカの耳に響いた。

 だんだんと大きくなってくるその音は、一旦止まったかと思うと、ガラガラと引き戸を開く音が聞こえる。

 そして、一瞬ハッっと息を呑む声が聞こえたかと思うと、足音はエリカの元から走り去って行き、そしてしばらくした後に、二つの足音が近づいてきた。

 今度の足音は止まることなく、エリカの元まで近づいてきたかと思うと、唐突に声がかけられた。

 

「逸見エリカさん。あなたに、伝えなければいけないことがあります」

「え? あ、はい……」

 

 深刻そうなその声に、エリカはただ応えることしかできない。

 しかし次の言葉は、エリカを混乱と絶望の淵に陥れるには十分な一言であった。

 

「単刀直入にいいます。逸見エリカさん。あなたの視力は、先刻あった事故により、失われてしまいました。……僅かながら回復することはあるかもしれませんが、基本二度と視力が戻ることはないでしょう」

 

 え……?

 

 どういうこと……?

 

 エリカの脳内は、まるでひっくり返したゴミ箱のようにグチャグチャになる。

 

「どうやら誰かが戦車の内部に仕掛けをしていたらしく、砲撃の衝撃と共に内部の装甲が炸裂するようになっており、その炸裂した装甲がエリカさんの目を襲い――」

 

 失明? この私が? どうして? なんで?

 

「……ちょっと、それどういうことなのよ……どういうことなのよ!!!」

 

 エリカはわけもわからないまま、激しい感情に身を任せて声の主のほうに飛びかかる。しかし、そのままベッドの上から転げ落ち、硬い床が彼女の頬を冷やした。

 

「ねぇ、嘘だって言ってよ……嘘でしょ? 嘘なんでしょ……? ありえないわよね? わたしが失明だなんて? ねぇ、ねぇ、ねぇ?」

 

 床に這いつくばりながらも、エリカは呟くように言う。しかし返ってくる言葉は――

 

「残念ながら……」

 

 とても冷たく感じる、その一言だけであった。

 

「うぁ、あ、あ、あ……うわああああああああああああああっ!!」

「っ! まずい! 君! 人を呼んできてきてくれ!それと鎮静剤を! エリカさん! 落ち着いて! 落ち着いてください!」

「これがっ、これが落ち着いてだなんてっ! ああっ!! がああああああああああああああっ!!!!」

 

 泣きじゃくりながら闇雲に手足を振るうエリカ。

 何も見えないため腕を振るうたびに何かに当たって痛みが襲ってくるが、それどころではなかった。

 大勢の足音がエリカの元へと押し寄せてくる。そしてエリカの体を羽交い締めにしたかと思うと、エリカの腕にチクリとした痛みが走った。

 

「あっ? あ、あああ……」

 

 エリカの意識がだんだんと闇へと落ちていく。消え行く意識の中で、エリカはただ何故? どうして……? と、あまりの理不尽な運命に対して、疑問を投げかけることしかできなかった……。



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2話

「う、ううん……」

 

 頭にかかったもやがだんだんと晴れていく。エリカはゆっくりと上体を起こし、覚醒する。

 

「私……一体」

 

 まだぼやける頭をなんとか回転させながらエリカは今までのことを思い出す。そして、ハッとして自分の目元に手をやると、そこには新たな包帯が巻かれていた。

 

「……そっか、夢じゃ、なかったのね」

 

 そう呟くと、エリカは顔を両手で覆い、大粒の涙で包帯を濡らした。

 

「なんで……なんでこんなことになったの……? 私が、何したって言うのよ……」

 

 突如視力を奪われたエリカは、あまりの不条理さにその理由を問うた。

 そして、今までの人生を思い返していく。

 小さい頃に覚えた、逞しい戦車の姿を見て戦車道への憧れ。

 ただひたすらに戦車道を追い求め、憧れの黒森峰に入学した悦び。

 そこで出会った、西住姉妹への尊敬の念。

 裏切られたと思った、みほの転校の痛み。

 すべてとはいかなくとも、みほとのわだかまりが解消していったあの全国大会の高揚。

 総力を掛けて戦った、大学選抜戦の興奮。

 まほから隊長を託されたときの悦び。

 そして、隊長になってからの苦しみ。

 振り返ってみれば、エリカの人生は戦車道漬けの人生だった。そして、もしそのなかで自分がこんな目に合わされる理由があるとすれば、それはやはり隊長になってからの苦難の数々がエリカの頭に浮かんだ。

 医者らしい男は言っていた。誰かが戦車内に仕掛けを施した、と。

 それはつまり、そこまでするほど自分は憎まれていたということになる。

 エリカはそう思うと、殊更に惨めな気持ちになった。

 

「何よ、私が悪いって言うの? 私が駄目な隊長だったから、これはその報いだって言うの?」

 

 しかしそう考えると、今の状況に陥った説明としてはもっとも合理的であるとエリカは思った。

 

「はっ、結局、自業自得ってわけ?」

 

 自嘲気味に笑うエリカ。

 今の彼女には、それが自分自身を慰める、もっとも心地の良い手段だった。

 

 

 それから三日後が経った。

 エリカは大分落ち着きを取り戻し、病室でも静かな生活を送っていた。

 否、送ることしかできなかった、というのが正しい。今のエリカは、何事にも気力がわかず、ただぼうっと、何もない虚空にすでに失われた視線を向けるだけだった。

 そんなエリカの病室を、トントンとノックする音が聞こえた。

 

「……誰」

「……私だ、入ってもいいか」

 

 エリカは驚いた。

 その声は聞き間違うはずもない、敬愛する西住まほのものだったからだ。

 

「隊長!? え、ええ、どうぞ」

「失礼する」

 

 カツカツと靴を鳴らしながら入ってくるまほ。エリカの脳裏に、キリッとした佇まいのまほの姿が浮かんだ。

 そしてまほはエリカの側で止まったかと思うと、しばらくの間沈黙を保つ。エリカには一体まほが何をしにきたのか分からず、何を言っていいか分からなかった。

 

「……その、大丈夫、か?」

「え? ええ、まぁ……」

 

まほは突如沈黙を破ったかと思うと、ぶっきらぼうにそう言った。

 

「いや、お前が大変なことになったと聞いてな……。つい、いてもたってもいられず、こうして足を運んでみたんだ。ああそうだ! 実は果物を持ってきていてな。よかったら食べてくれ」

 

 エリカの近くにとすんとモノを置く音が聞こえる。まほの落ち着きのない様子が、目は見えなくともエリカには手に取るように分かった。

 どうやら、随分と自分に気を使わせているらしい、エリカはそのことを理解した。

 果物に関しては、目が見えないのにどうやって食べろと言うのかと言いたくなったが、エリカはまほの厚意に水を差さないために、ぐっと堪えた。

 

「……その目、本当に見えないのか」

「……はい」

「……すまない、無神経な質問だったな」

 

 まほはエリカの回答に含みを感じたのか、申し訳無さそうに応える。

 

「いえ、いいんですよ。別に。……もう、受け入れましたから」

「そうか、強いんだな。エリカは」

 

 まほはエリカに笑いかける。しかし、その笑みがエリカに届くことはない。

 

「……そんなことないですよ。私なんて、隊長にそう言って貰える資格なんてないんですから」

「何を言うんだ。お前は十分強い。そうでなければ、私はお前を隊長に推薦したりなどしない」

「……」

「お前になら黒森峰を任せられる。そう思わせるほどの実力がお前にはある」

「……てください」

「卒業してからはあまり気にかけてやれなかったが、それでもお前なら黒森峰を導いてゆけると――」

「やめてくださいっ!!!」

 

 エリカの怒号が病室に響き渡り、しんと静まり返る。

 まほは目を白黒させ、言葉が出ずにいた。

 一方のエリカはというと、頭に血が上り、自分でも感情の制御が上手く行えていなかった。

 

「隊長は何も知らないんですね? 隊長がいなくなったあとの黒森峰がどんな有り様か!私がなんて呼ばれてるか! 疫病神ですよ!? 疫病神! 誰からも煙たがられて! 誰からも敬遠されて! 私は黒森峰を導くどころか、腐敗させていた原因なんですよ!? そのせいでこんなことになって! そんな私が強い? 馬鹿も休み休み言ってください!」

「……」

 

 まほは怒鳴り散らすエリカの言葉をただただ受け止めることしかできなかった。

 エリカがこれほどまでに自分に怒りをぶつけてきたことは今まで一度もない。それほど自分はエリカにとって踏み越えてはならないものを踏み越えてしまったのだと、まほは感じた。

 そして、しばらくの逡巡のあと、

 

「……すまない」

 

 と、一言だけ、ぽつりとこぼした。

 

「……謝らないでください。隊長が謝ることなんて、何一つ無いんですから」

 

 エリカはいつの間にか落ち着きを取り戻し、そうまほに返した。

 

「……すみません、せっかく来て頂いて申し訳ないんですが今日はもう帰ってくれませんか」

「分かった……」

 

 まほは申し訳無さそうにそう言うと、エリカに背を向け静かに去っていった。

 ガラガラと戸を閉める音が聞こえ、病室に一人になったことを確認するとエリカは、

 

「私の……馬鹿」

 

 と、小さく自分に悪態をついた。

 

 

 数日後、エリカの病室に再び足音が近づいてきた。しかもそれは一人ではなく、複数の足音だった。

 何事かと思いエリカが身を起こすと、戸を開ける音が聞こえ、多くの人間が入ってくる気配を感じた。

 

「逸見……隊長」

 

 その声にエリカは聞き覚えがあった。あの練習試合の前日、エリカが叱責した、格納庫にいた部下達の一人だった。

 

「あの……その……す、すいませんでしたぁ!!!」

 

 少女たちは一斉に頭を下げる。エリカにそれが見えたわけではないが、なんとなく雰囲気でそれを察することができた。

 突然謝られて、エリカは困惑する。

 

「何を言って――」

「本当はただのイタズラのつもりだったんです! ただ、撃破されたときに隊長を驚かせてやればそれでいいかなって、ただ、それだけだったんです! まさか、こんなことになるなんて思っても見なかったんです!」

「は……?」

 

 エリカはその言葉で、途端に頭から体の芯まで一気に冷え込むのを感じた。

 

「失明なんて、させる気は本当になくて……。炸薬の量を間違ったらしくて、それで、それで!」

「……」

「慰謝料でもなんでも払います! だから――」

「――いいたいことはそれだけ?」

「ひっ……!?」

 

 エリカは自分でも驚くような、低い声を口から発していた。

 先ほどまで謝罪の言葉を並べていた少女は、その威圧感に押され口を閉じてしまう。

 

「つまりこういうこと? あなたたちのちょっとしたイタズラ心で、私は生涯視力を失うことになったと? ハハッ、面白い話もあったものね! ほんと、馬鹿馬鹿しくて笑いがくるわ、ハハハハハッ!」

 

 エリカにとって、それは本当に馬鹿馬鹿しいことだった。エリカが、自分が招いたものだと思っている、黒森峰の堕落と腐敗。それが、こんな小さなイタズラがきっかけで自分自身に牙を向いていくるだなんて、まるで自分自身が道化になったような気がしてならなかったのだ。

 

「謝ってほしくなんかないわね。これは私自身の問題なのだし、それに、あなた達が謝ろうと、もうどうにもならないことだしね。でも、やはり私はあなた達を許すことはないでしょうね。だってそうでしょう? 理屈では理解していても、感情で抑えきれるとは限らないんですもの。 わかったら、さっさと帰ってくれる? あなたたちがいるだけで、不愉快なのよ」

「でも……」

「帰って……帰ってよ!」

 

 エリカは怒りながら、手探りでまほの置いていった果物カゴからリンゴを手に取ると、それを勢い良く投げつけた。だが目が見えないために、リンゴはあさっての方向へと飛んでいき、壁へとぶつかる。

 しかし、それは彼女たちを恐怖させるには十分だった。

 

「は、はい! すみませんでしたっ!」

 

 まさしく逃げるように去っていく部下たちだったが、エリカはすでにそんなことに興味はなく、大きな自己嫌悪に襲われていた。

 

「納得したと……納得したと思ってたのに……!」

 

 そう言いながら、エリカは大きく手を払いのけ果物カゴを地面に叩きつけた。

 

 

 それからさらに二週間が過ぎた。

 エリカはその間に病院で、目が見えなくとも歩く訓練や、日常生活を送るための訓練を施されていた。エリカは周囲が思っていた以上に飲み込みが早く、これなら退院も近いだろうと担当医がエリカに言った。

 しかしその言葉に決してエリカは喜べなかった。エリカの内心では、自分自身がこの惨状を招き寄せたという自己嫌悪と、それを納得することのできない感情のせめぎあいが起こり、疲弊していたからであった。

 

「私が悪いのよ……私が……」

 

 エリカは病室でただひたすらに自分に言い聞かせていた。

 

 毎日、毎日、毎日。

 

 そうしなければ、視力だけでなく、他のすべてを失ってしまいそうな気がしたから。

 

 しかし、そのような日々を繰り返して、心が持つわけもなく。

 

「私が……私が……嫌、もう嫌ぁ……」

 

 エリカはか細い声でそう言うと、そっとベッドから降り立ち、フラフラと外へと歩みを進め始めた。

 

「こんな惨めな気持ちのままでいるなら……いっそ、死んだほうがマシよ」

 

 戸を開き、壁に手を付きながら廊下を歩き始める。

 病院の喧騒が、病室にいるときよりも耳に刺さってくる。

 

 うるさい……うるさい、うるさい、うるさい!

 

 エリカはそう叫びたくなる衝動に駆られながらも、ゆっくりと廊下を進んでいった。

 病院の構造は、リハビリで何度か歩いたことがあるため大体は頭に入っていた。

 エリカは、ある一点を目指してひたすらに歩く。

 途中、何度もつまづきそうになるも、なんとか体勢を立て直し進み続ける。

 何も見えない状態で歩くのは依然恐怖を伴うものだったが、それでもエリカは歩みを止めなかった。

 廊下を抜け、階段をいくつも上がり、ついに目的の扉へと辿り着く。

 病院の最上階、屋上への扉へと。

 

「ここだ……!」

 

 エリカはそこで初めて笑みを浮かべながら手探りでドアノブに手をかける。

 扉を開けると、強い風が室内に吹き込んできた。エリカは思わず手で顔を隠す。

 屋外に出たエリカは一直線に前進した。屋上にさえ出てしまえば、もうどこに行こうと目的は果たせるのだから。

 

「はは……もう、これでこんな惨めな気持ちとはおさらばよ」

 

 笑いながら歩調を早める。一歩ずつ進んでいくごとに、エリカの胸は高鳴った。

 だが、その高揚はガシャン! という金属音と硬い感触によって阻まれた。

 

「え……?」

 

 エリカは呆けた顔で自分がぶつかったモノを確かめる。それは、細い金属が幾重にも結ばれたモノ――自殺者防止用の、金属フェンスだった。

 

「……なによ、死なせてもくれないの……?」

 

 エリカはフェンスに寄りかかりながら、ゆるりとその場に座り込んだ。

 

「ハハハ……ハハハハハハハハハハハハっ!」

 

 突如、エリカは狂ったように笑い声を上げる。誰もいない屋上に、エリカの声だけが響き渡る。

 

「馬鹿馬鹿しい……本当に、馬鹿馬鹿しい」

 

 エリカは自棄的に言うと、フェンスを強く握りしめた。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 それからというもの、エリカは日々の生活を怠惰に過ごした。

 元々何かすることがあったというわけでもないが、それでもまほが見舞いに来て以来は、たまには起きて病室を歩き回るなどはしていた。そうすることで、惨めな気持ちから少しでも逃避できたからである。しかし、今となってはそれすらもせず、訓練のとき以外はひたすらベッドの上で横になっているばかりであった。

 ただ、自らを蔑むということだけをしながら。

 そんなエリカのもとにふたたび来客があったのはいつ頃であっただろうか。

 日数を数えるのを止めていたエリカにはそれすら分からなかった。

 トントン、と扉を弱々しく叩く音が聞こえる。

 よく聞いていなければ聞き逃してしまいそうなほどの小さな音。

 しかし、今のエリカにはその音がよく聞こえた。

 

「……入っていいわよ」

 

 エリカがそう言うと、扉がこれまた静かに開かれ、足音がエリカに近づいてきた。

 

「……で、誰なのよ。あいにく見えないから誰だか分からないのよね」

「……エ……逸見さん」

 

 その自信なさげな声に、エリカはハッとした。その声は、エリカにとって因縁浅からぬ相手であり、一言では表せないほどに複雑な感情を抱えた相手だったからだ。

 その名は、西住みほ。

 西住まほの妹であり、大洗の隊長である。

 

「アンタ……今さら、何しに来たのよ……」

「……」

 

 みほはエリカの問いに答えない。

 

 昔からこの子はこうだ。イライラする。

 

 エリカの中で、不快感が湧き上がる。

 

「ちょっと、人の質問にはさっさと答えたらどうなの?」

「あ、うん……。そのね、ずっと前からエリカさんに会わないとって思っていたんだけど、ずっと心の整理がつかなくて……こんなに遅くなっちゃった。……本当はみんなで来たかったんだけど、大勢で押しかけても迷惑になるかなと思って、今回は私だけできたんだ」

「ふぅん、そう……。それで、私に会ってどうしたいわけ? 私としては、あんたに会う理由なんてないんだけど」

「その、まずは謝りたくて」

 

 ああ、またか。

 

 エリカは内心落胆した。

 

「その、ごめんなさ――」

「やめてよね」

「えっ?」

「謝られても、困るの。今回の一件は、私の人望のなさが原因みたいなものなの。それをいちいち謝られたって、惨めな気分になるだけだわ。だからやめて」

「あっ、うん、ごめんなさい……」

「……はぁ」

 

 イライラする。本当にイライラする。

 

 エリカはおどおどとしたみほの態度に、腹立たしさを感じていた。

 しかし、その腹立たしさは、どこか懐かしいものだった。

 

「本当にあんたは何も変わってないのね。昔からそう。そうやってオドオドオドオドして……もっと胸を張ってモノを言えないの?」

「あはは……」

 

 笑ってごまかすみほに対して、エリカは嘆息する。

 本当にどうしようもない子だ。しかし以前まほや部下達と対峙したときよりはずっと楽だと、エリカは思った。

 

「謝罪が目的なら、もう帰ってもらってもいいわよ。私はまともに受け取るつもりはないから」

「ううん、それだけじゃないんだ」

「へぇ? 他にどんな用件があるって言うのかしら?」

「逸見さんに、“お願い”があるの」

「……お願い? 今の私に? 何の冗談?」

 

 本当にふざけた冗談にしかエリカには聞こえなかった。視力を失った今の自分にできることなど、あまりに少ない。そんな自分にお願いとは、一体何をしろというのだろうか。

 

「ううん、冗談なんかじゃないよ。私は逸見さんに頼み事をしに来たんだ」

 

 みほがそれまでと打って変わって引き締まった雰囲気に変わったことを、エリカは感じ取った。

 

「……何よ、言ってごらんなさい」

 

 そして次の一言は、エリカを驚嘆させるには十分なものだった。

 

「……逸見……いや、エリカさん。病院を退院した後、もしよければ、私と一緒に暮らしませんか?」

「……はい?」

 エリカはつい間抜けな声を上げてしまう。

 

 暮らす? 私と、こいつが?

 

「私、エリカさんの生活を助けたい。エリカさんの代わりに目になってあげたいの」

「ちょっとちょっとちょっと、どういうことなのよそれ!? どうしてあんたが私のこれからの生活の面倒を見ようとするわけ!?」

「それは……」

「……もしかして、私の目がこんなことになったことに対する負い目を感じて、じゃないでしょうね」

「……確かに、それもある。でも――」

「だったらお断りだわ。そんなこと、私がよりいっそう惨めになるだけじゃないの! これ以上私を貶めないで!」

「違う! 違うの聞いてエリカさん! 私がエリカさんに負い目を感じてるというのは本当のことだよ。でもそれ以上に、私はエリカさんを助けたいの!」

「私を、助けたい……?」

「うん、そのためなら私、黒森峰にだって戻ってもいい」

 

 その言葉はエリカにとってあまりにも大きな衝撃を与えた。

 みほにとって大洗は今の彼女自身の戦車道を見つけられた、大切な場所のはずである。そんな場所を捨ててまで、自分を助けようとするだなんて、一体何が彼女をそこまでさせるというのか。

 

「どうして、そこまで……?」

「……だって、エリカさんは、私の大切な“友達”なんだもの。友達を助けたい。ただ、それだけだよ」

 

 そのとき、エリカは理解した。

 自分にこうして語りかけてくる少女は、芯の部分では昔と一切変わっていないということを。

 そう、それは一年生のとき、水没した戦車の中から命がけで自分を助けだしてくれたときと、何一つ。

 

「……少し、時間を頂戴」

「えっ、じゃぁ……!」

「あくまで、考えるだけよ。どうするかはまだ決めてない。……そうね、一週間ほど、考えさせて頂戴」

「うん、わかった……」

 

 そう言って、みほはエリカの病室から去っていった。

 

 

 それから一週間の間、エリカは悩み抜いた。

 みほの言葉は、正直嬉しくなかったと言えば嘘になる。「助けたい」と言ってくれたみほの言葉は、エリカがかつてまだ戦車道に対し喜びで胸を満たすことの出来たあの頃の懐かしい気持ちを思い出させてくれた。

 そんな彼女と一緒にいれば、もしかしたら自分が失った何かを取り戻せるかもしれない。そんな淡い希望を、エリカに持たせた。

 しかし一方で、やはり彼女の言葉は同情から来ているものでもあるということが頭から離れない。同情を浴びせられて暮らしていけば、自分はどれほど堕ちていってしまうのだろう。そんな恐怖もまた、エリカを襲った。

 さらに、彼女を大洗から引き離すというのも気が引けた。大洗は、みほにとってもはやかけがえのない場所である。そこで出来た新しい仲間たちとみほを引き離すなんてことはエリカにはできなかった。

 では、一体どうすればいいのか?

 エリカはその答えを一週間の間、探し続け、そして、一つの答えに到達した。

 

 一週間後、再びみほがエリカの病室に訪れた。

 

「エリカさん……それで答えは……」

「……すぅー、はぁー……」

 

 エリカは大きく深呼吸をする。そうすることによって、自分の決意にゆらぎがないことを確かめるために、である。

 

「……一つ、条件があるわ。それさえ飲んでくれれば、あなたの願い、聞いてあげる」

「本当ですか!? それで、その条件って……」

「なに、簡単なことよ。あなたが黒森峰に来るんじゃない。私が、大洗に行くのよ」

「えっ……!? で、でもそれじゃあエリカさんが……!」

「いいのよ、別に。今の黒森峰に私の帰る場所なんてないわ。どうせ帰ったって、はれもの扱いされて惨めに生きていくことしかできない……。だったら、いっそのこと知らない土地で過ごしてみるというのも、悪くないかなと思っただけよ」

 

 そう、それこそが、エリカが悩みぬいた末に出した答えであった。

 みほを大洗から引き離すことなく、かつ、もはや忌まわしい場所でしかない黒森峰からの逃避と、さらにはみほに迷惑をかけるその惨めさを少しでも減らしたいという、エリカにとってもっとも都合のいい結果になる道を選んだのだ。

 

「……エリカさん」

「……何よ」

「……よろしく、お願いしますね!」

 

 みほのとても嬉しそうな声が、エリカの耳に届いた。

 エリカと違って何の打算もなさそうなその声に、エリカの胸にチクリと痛みが走った。



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3話

 ヘリの重々しい扉が開かれる。ローターの回転によって巻き起こる突風に煽られながらも、エリカはみほと共に硬い地面に足をついた。

 場所は大洗女子学園艦ヘリポート。エリカは無事退院し、みほとの約束通り大洗へと訪れていた。

 

「エリカさん大丈夫? これから電車に乗るからまたしばらくかかると思うけど」

「ええ、問題ないわ。病院にしばらくいたとはいえ、そうそう体力は落ちてないわよ」

 

 エリカは白杖を片手に、もう片方の手をみほに引かれながら歩き始めた。

 エリカにとって大洗は知らない土地であるため、みほのこういったリードはありがたかった。

 みほに連れられ電車へと乗る。電車の不安定な足場の中歩いていると、エリカは他の乗客たちが自分を好奇の目で見ていることを肌で感じた。

 もう包帯はしていないとは言え、まぶたを閉じ、白杖片手に別の人間に手を引かれ歩いているのである。病院の中とは違い、健常者の多い外の世界でおいてこういった視線に晒されることは、エリカも覚悟していた。しかし、実際に晒されてみると、なかなかに不愉快なものである。エリカはこうした環境にもはやく慣れねば、と内心ごちる。

 

「エリカさん……その、ごめんね?」

 

 そんなエリカの心中を察したのか、みほが申し訳無さそうに謝ってきた。

 

「別にあんたが気にすることはないでしょう。こういうものよ、世の中ってのは」

「……でも」

「でもも何も無いわよ。さぁ、とっとと座りましょう」

「うん……」

 

 みほは気丈に振る舞うエリカにそれ以上踏み込むまいとし、エリカと共に優先座席へと腰を掛ける。

 

「そういえばエリカさん」

「ん? 何?」

「その……今さら聞くことじゃないかもしれないんだけど、ご家族のほうはいいの? 黒森峰から大洗に来るって、結構おおごとだと思うんだけど」

「ああ、いいのよ別に。私、もともと家族と折り合い悪いし」

「そ、そうなんだ……」

「……さっきも言ったけど、あんたが気にすることじゃないわ。それに、私としては、こうして手を引いてくれてるだけでも十分なの。だから、この話はこれでおしまい。いいわね?」

「う、うん。わかった」

 

 それ以降、二人は特に会話をすることもなく電車に揺られ、数駅ほど通過したところで降車、そのまま徒歩で進み、日が沈む頃になって、みほの住む学生寮へと着いた。

 

「はい、エリカさん。ここが私の家です。どうぞ」

 

 みほは嬉しそうに言いながら、エリカの手を引いて部屋へと引き入れた。そしてそのままエリカを自分のベッドのところまで導く。

 

「エリカさんはここで座って待っててね。今、晩御飯を作るから」

「ええ」

 

 そう言ってみほはエリカを置いて台所へと歩いて行った。

 エリカは何をするまでもなく、ただ静かにみほの料理が出来上がるのを待っていた。本当はみほの部屋のモノの配置を覚えておきたかったが、みほが料理をしている間に勝手に部屋を探るというのも申し訳ないため、止めておいた。

 包丁を扱う音や、香ばしい食材の匂いが漂ってくる。みほが料理している光景をエリカは見たことがなかったが、音や匂いでその光景を頭の中でぼんやりとだが想像した。

 それからしばらくして、みほは出来上がった料理を持ってエリカの元へと戻ってくる。

 

「さあできたよ! さっそく食べさせてあげるね!」

「大丈夫よ別に。どこになにが置いてあるかさえ分かれば、あとは自分で食べられるように訓練してきたし」

「えぇー……」

 

 露骨に不満そうにするみほの声を聞いて、エリカは「はぁ……」と一つため息をついた。

 どうやらみほは自分に食事を食べさせたかったらしい。そんなみほの気持ちが、嫌でも伝わってきた。

 

「しょうがないわね……じゃあ、今日だけよ」

「本当!? わぁい!」

 

 みほの明るい声が飛んでくる。

 ここでみほの好意を無下にすることもできたのだが、まだ初日だということと、これからお世話になるうえであまり冷たい態度を取るのもどうかと思ったので、みほの気持ちを尊重することにしたのだ。

 

「はい、エリカさん。あーん」

「あ、あーん……」

 

 エリカは恥ずかしげに口を開けながら、みほによって差し出された食事を口にする。

 

「あれ? これって……」

「うん、エリカさんの好きなハンバーグだよ! これから一緒に暮らし始めるんだから、最初はエリカさんの好きなモノを食べさせてあげたいなって!」

「……あなた、よく私の好きなモノなんか覚えていたわね」

「え、えへへへ……」

「いや、別に褒めたわけじゃないから」

 

 照れながら笑うみほにエリカはそういうと、再び食事を続けた。みほは主食、主菜、副菜をバランスよくエリカの口に運んだ。エリカは、細やかな気遣いもできるのね、と内心感心しながらも、そのことを口にすることはなかった。だが、みほの気持ちを嬉しく思っているのは確かだった。

 

 

 それから十日間ほどの間、エリカはみほの部屋と近所周辺の地理を覚えることに励んだ。

 みほがいるときはみほと一緒に屋外に出て、どこに何があるのかをみほに教えてもらいながら少しずつ行動範囲を広げていき、またみほが学校でいないときは、みほに許可をとって、部屋の中のどこに何があるかを白杖で確かめながら覚えていった。そうした努力が実り、僅かながらの範囲であるが、エリカはある程度自由に行動することができるようになった。

 みほはエリカの世話を甲斐甲斐しく焼いた。エリカ一人でできることが増えてきたとはいえ、まだまだおぼつかないことも多いため、何かとエリカのことを気にかけ、サポートしてくれた。着替えや食事、入浴、などにおいて、みほはできるだけエリカを手助けした。エリカはみほに助けられているという惨めさを完全に拭い去ることはできなかったが、みほの助けにはできるだけ感謝の意を示すようにしていた。

 そうやってエリカがみほとの共同生活に慣れ始めた頃、エリカはみほからある提案を受けた。

 

「ねぇエリカさん。お願いがあるんだけど……明日、私の友達に会ってくれないかな」

「あんたの? どうして?」

「えっとね、エリカさんと一緒に暮らしてるって話をしたら、エリカさんに会って話をしてみたいって人たちがいてね。私と同じ戦車に乗ってる人たちなんだけど……」

 

 エリカは思案する。

 

 みほと同じ戦車に乗っていたとうことは、あの日、自分を失明させたことに対してなんらかの責任を感じているのかもしれない。もし謝られでもしたら、また惨めさに襲われてしまうだろう。正直それは嫌だ。だが、このままその友人たちに重荷を背負わせたままというのも後味が悪いものがある。ならば、どちらがマシと言われれば、他人に自分のことでうだうだ悩まれるよりも、自分が不快な気持ちになったほうが幾分かマシだ。

 

「だめ……かな?」

 

 みほの不安そうな声が聞こえてくる。その言葉に対し、エリカは、

 

「いえ、いいわよ。明日、会ってあげる」

 

 とまるで気にしてないかのように答えた。

 

「本当!? よかったぁ!」

 

 みほの嬉しそうな声に、エリカは明日どのような感情を抱いても、それは自分の胸に仕舞っておこうと心に決めるのであった。

 

 

 翌日の午後、部屋でエリカとみほが今か今かと来客を待っていると、ピンポーンとインターホンが鳴り響いた。

 

「はーい、今出まーす!」

 

 みほが足早に玄関に迎えにいく。エリカは部屋の奥で座ってみほが友人達を連れてくるのを待っていた。

 

「やっほーみぽりん!」

「おじゃまするであります!」

「……失礼する」

「失礼します」

 

 みほが扉を開けたかと思うと、四人ほどの声が聞こえてきた。どうやらその四人が今回エリカに会いたいとやってきた友人達らしい。

 とすとすと大勢の足音がエリカの方へと向かってくる。エリカはこれから一斉に謝られるのではと思い、少し身構えた。

 

「えーと、あなたが逸見さん?」

 

 声の一つがエリカに話しかけてきた。

 

「……ええ、そうだけど」

「あたし、武部沙織っていいます! よろしく!」

「五十鈴華です。よろしくお願いします」

「秋山優花里と申します!よろしくお願いするであります!」

「……冷泉麻子だ」

 

 それぞれの声に聞き覚えがないわけではなかった。確か戦車喫茶でみほと一緒にいた子達の声だ。しかし、どの声が誰だったかまでは、エリカは覚えていなかった。

 

「……えっと、それで一体私に何の用があって?」

「それはね……実は、逸見さんと、友達になりたくてきました!」

「……はい?」

 

 無愛想に聞いた質問に、飛び抜け明るい声でそう返されたエリカは、思わず間抜けな声を上げてしまった。

 

 友達? 私と? 一体どういうこと?

 

「ちょっと、それってどういう……」

「逸見さんはみぽりんの友達なんでしょ? だったら、あたし達の友達と言っても過言じゃないかなーって思ってね! それで会いに来たってわけ!」

「もちろん逸見さんがよろしければ、ということなのですが……」

 

 エリカはただ唖然とするしかなかった。そんなエリカを見てか、優花里が不安そうな声で訪ねてくる。

 

「あのー、やはり迷惑だったでしょうか……」

「え? あっ、いえ別にそういうじゃないの。ちょっと驚いただけで……正直、予想外だったから」

「……予想外?」

 

 今度は麻子が訪ねてくる。エリカはこれは言っていいものかと思いながらも、口を開く。

 

「……その、実はあまり気乗りしてなかったのよ。また、謝られるんじゃないかと思って」

「……そのことなんですけど」

 

 次にしゃべり始めたのは華だった。華の口調はどこか重々しい。

 

「……本当は、直前まで謝ろうと思っていたんです。逸見さんがこうなってしまったのも、やはりわたくし達――というより、砲手であるわたくしに責任がありますから。一時期は戦車道も辞めようかと考えていました。でも、みほさんに止められたんです。逸見さんはそんなの望んでいないって。それで、どうにか逸見さんの力になりたいと考えて、皆で話し合いました。それで決めたんです。逸見さんが少しでも早く大洗に慣れてくれるよう、わたくし達にできることをしようと。そのためには、逸見さんとお友達になることが必要だと思ったんです」

 

 エリカは再び驚いた。みほが、そしてみほの友人達がここまで自分のことを考えてくれていることに。

 

「あなたたち……」

「逸見さんが嫌っていうなら、私達ももう関わらないよ。でもね、やっぱりあたしとしては、みぽりんと一緒に逸見さんと友達になれたら、嬉しいなーって思うの。だって、友達は多い方が楽しいでしょ?」

 

 目の見えないエリカにも、沙織が笑顔でそう言っていることがわかった。

 この気持ちに答えてあげたい、いや、答えなければならない。

 そんな感情が、エリカの中で沸き上がってきた。そうしなければ、自分はもっと惨めなことになってしまうだろう、そんな恐怖もあってではあるが。

 

「分かったわ……でも、まずは知り合いから! それでいい?」

「ほんと!? うんうん! いい! それでいいよ!」

 

 とてもはしゃいだ沙織の声が聞こえる。それに続いて、他の面子からも喜びや安堵の声が聞こえてきた。

 

「それじゃあ今後ともよろしくね! 逸見さん!」

「よろしくお願いいたします、逸見さん」

「よろしくお願いするであります!」

「……よろしく」

「……ふふっ、ありがとう、エリカさん」

 

 それぞれの嬉しそうな声と、みほの安心したような声が聞こえてくる。エリカは、なんだかとても気恥ずかしい気分になって、顔を真赤にしながら俯いた。

 それから一日中、エリカは五人と様々な会話をした。特にエリカに対する質問の数は多く、どんな男性がタイプ? といった女子らしい質問もあればどんな戦車が好み? という戦車道の選手らしい質問など、とにかくエリカは質問の嵐に襲われた。それは黒森峰にいた頃には味わったことのない感覚だった。だが、嫌なモノではなかった。

 いつの間にか日は落ち、あたり一帯が暗くなってきた。(と言っても、そのことはエリカには分からないのだが)。

 

「あ、もうこんな時間! そろそろ帰らなくちゃ! それじゃあね! みぽりん! 逸見さん!」

「大変長らく失礼しました」

「西住殿! 逸見殿! それではまた!」

「……じゃあな」

 

 四人はそれぞれそう言うとみほの部屋を後にした。そして部屋は再びエリカとみほの二人きりになる。

 

「……なんというか、凄い子達ね。あんたの友達って」

「えへへ、そうかな」

 

 みほが楽しそうに応える。エリカはそんなみほの頭を、わしゃわしゃと撫でた。

 

「え!? ちょっとエリカさん!?」

「……あんがと」

 

 エリカはみほの心遣いに対する感謝の意と、またしても自分のことしか考えていなかった自分自身のやましさを隠すために、しばらくの間みほの頭を撫で続けた。

 

 

 それ以来、エリカはみほとだけでなく、みほの友人達とも付き合うようになった。みほが学校から帰ってくると時たま誰かが一緒についてくることがあり、そのときは一緒にみほの部屋で話をしたり、外出してエリカの出来る範疇で遊んだりした。

 また、エリカの行動範囲が広がると、エリカ自ら大洗女子学園に行って戦車道の訓練をしているみほ達に会いに行くことをするようになった。初めの頃はかなり驚かれたが、繰り返していくうちに他の戦車道履修者達からも歓迎されるようになり、さすがに戦車に乗ることはできなかったが、作戦などについて口出しできるほどになった。

 

 そんなある日のことである。

 その日、エリカはいつものように大洗の戦車道の訓練に顔を出し、学校からみほと一緒に下校しているところだった。

 

「今日もお疲れ様」

「エリカさんこそ。エリカさんが来てから、なんだか皆の技術も上がったような気がするよ!」

「目の見えない私ができることなんて微々たることよ。もし練度が上がったのなら、それはあんた達の努力の結果でしょうよ」

「そんなこと……あ! ちょっと待って! ……そうだ、こっちこっち!」

 

 みほは突然話を中断したかと思うと、エリカの手を引っ張ったまま脇道に逸れていった。

 

「ちょ、ちょっとあんた? どうしたの?」

 

 みほはエリカを連れてあまり舗装されていない道を通る。繁茂する雑草が、エリカの足を撫でた。

 

「えっともう少しで……あ、ついたついた!」

 

 そう言ってみほがエリカの手を離したかと思うと、エリカの鼻にぶわっと甘い香りが押し寄せてきた。

 

「この匂いって……」

「うん、花の匂いだよ。ここには、いろんな花が咲くんだぁ。ちょうど咲き頃だって思い出して、目の見えないエリカさんでも花の匂いなら楽しめるかなって思って、連れてきたの」

 

 エリカはみほに手渡された花の香りを嗅ぐ。とても安らぐ匂いがエリカの鼻孔をついた。目が見えていた頃のエリカには花を愛でる趣味はなかったが、そんなエリカにも、匂いだけで今この手に持っている花が美しい花であることが分かった。

 そのとき、一陣の風がぶわっとエリカ目掛けて吹き込んできた。その風と共に、美しい花々の香りと、散ってゆく花びらの感触をエリカは感じた。

 美しい。

 

 エリカはそのとき、そう思った。

 実際に花々を目にしたわけではない。しかし、鼻を通して体を駆け巡る花々の香りと、風に揺られてかすかにハーモニーを奏でる花々と、体を撫でる花びらの儚さと、そしてなにより、目の見えないエリカにも花々の素晴らしさを伝えようとするみほの優しさが、エリカに美しい花畑の情景を『視』させた。それは、目が見えていた頃には決して感じたことのない感受だった。

 

「……いい香りね」

「でしょう? 私、ときどきここにこっそり一人で来るんだ。ここに来ると、とても穏やかな気持ちになれるから……。ここに誰かを連れてきたのは、エリカさんが初めてなんだよ」

「私が?」

「うん。今までは私一人だけの場所だったけど、これからは二人の場所だね」

 

 その言葉に、エリカの心臓が早鐘を打ちはじめた。見えないはずのみほの笑顔が、見えた気がしたから。

 

「……ありがとう」

 

 みるみる顔が赤くなっていくのを感じながら、エリカはやっとその一言を捻り出した。

 

 その日から、エリカのみほに対する意識は一変した。

 みほと一緒にいるととても心安らぐと同時に、胸の奥から得も言われぬときめきのような感情が溢れ出てきた。みほに手を引っ張ってもらえるときには、触れた手と手の感触が、とても暖かく、気持ちいいもののように感じられた。入浴や着替えのときにはかつては何も感じていなかったはずが、今となっては裸が見られるのがとても恥ずかしい気持ちになった。

 そんな悶々とした生活を送っていると、かつてエリカをあれほど悩ませていた自己嫌悪は、大分薄れていった。

 

 

 そして、エリカがみほと一緒に暮らし始めて二ヶ月が経った。

 その日の夜は、とても激しい雨が降り注いでいた。

 

「今日はとても天気が悪いわね……雨音がとてもうるさいわ」

「そうだね……あーあ、せっかく明日は久々に陸に上がるのになぁ」

「確か、みんなと一緒に大洗本土で遊ぶ約束をしてたはずよね?」

「うん……そうだ、明日もし晴れたらエリカさんも一緒に来ない!」

 

 みほは座っているエリカの太ももに両手を置きながら言う。しかしエリカは、

 

「いいえ、今回は遠慮しておくわ」

 

 と、みほの誘いを断った。

 エリカにとってみほと一緒に遊びに行くのはとても魅力的な提案だったが、久々にチーム全員揃って遊びに行く機会を、その土地を知らない自分のお守りで無駄にさせたくなかった。それに、みほが他の友人達と仲良くしている姿を想像すると、つい嫉妬してしまいいらぬ発言や態度を取ってしまいそうであるというのもあった。

 

「そっか、残念だなぁ……」

 

 みほの残念そうな声が聞こえてきた。エリカは、そんなみほの頭を優しく撫でる。

 

「そんなしょげないの。いつも私と一緒にいるんだから、たまには羽根を伸ばして遊んできなさい」

「そんな、エリカさんがまるで重荷みたいなこと……」

「あら、違ったの?」

「エリカさん!!」

「ふふっ、冗談よ、冗談。……本当は、少し前まではそう思っていたんだけれど」

 

 エリカは、みほに向かって柔和な笑顔を向ける。

 

「でも、最近はあんたと一緒にいられることが嬉しくて、そう思わなくなったのよね」

「う、嬉しいって、そんな……」

「ねぇ、私、今とてもあんたに感謝してるの。あんたがいなければ、私は今この世にいなかったかもしれない。でもあんたがいたお陰で、私は今色んなものが『視』えるようになった。目が見える頃よりも、ずっと色んなモノをね……その点では、目が見えなくなったことも、案外悪いことじゃなかったわね。……ありがとう、みほ」

「っ! 今、みほって……!」

「ん?」

 

 みほの声が途端に上ずったと思うと、みほはエリカに勢い良く抱きついた。

 その勢いのまま、二人は床に倒れる。

 

「ちょ……!?」

「今みほって! みほって呼んでくれた! 嬉しい! 初めて名前呼んでくれたね! エリカさん!」

「あ、あーその……別にたまたまよ! たまたま!」

「うん、それでもいいの! えへへ……!」

 

 みほはエリカに抱きつきながらエリカの顔に頬擦りをする。エリカは、血液が沸騰してしまいそうになるのを必死に堪えることしかできなかった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 翌日、昨日までの豪雨が嘘のように、大洗は快晴に恵まれた。

 エリカは、その日の朝、大洗本土に向けて出発しようとするみほを玄関で見送っていた。

 

「それじゃあエリカさん、行ってくるね! お土産楽しみにしててね」

「はいはい、気をつけて行きなさいよ。晴れたとはいえ、まだ地面とかぐしゃぐしゃでしょうから」

「うんうん、大丈夫だって! それじゃ!」

 

 底抜けに明るい声で言うと、みほは友人達の元へと駆けていった。そして、みほの足音が聞こえなくなると、エリカはゆっくりと部屋に戻る。

 

「さて……」

 

 するとエリカは、部屋の一角からとあるものを取り出した。

 毛糸と編み針、そして作りかけの不細工なマフラーだった。

 

「あともうちょっと……ってところかしら」

 

 手で作りかけのマフラーを触れながら進捗を確かめる。

 エリカは入院中に、目が見えなくともできる趣味として編み物を習っていたことがあった。

 その経験を活かし、今こうして編み物でマフラーを作っていたのであった。

 

「みほが帰ってくるまでに完成するといいんだけど……」

 

 そう、エリカがマフラーを編んでいるのはみほのためであった。

 マフラーはプレゼントとしては時期はずれなものだが、もうそろそろ戦車道大会が近く、もしプラウダと当たったときには極寒の土地で戦うことになるだろうから、そのときに使ってもらえるかもしれない、それにもしかしたら、冬場にも使用してくれるかもしれない、と考えていた。それ以上に、他に今の自分に用意できるものがこれぐらいしかないという現実的な問題があったのだが。

「しかし、目が見えないとちゃんと出来てるか不安ね……こういうとき盲目は不便かしら」

 そんな愚痴をこぼしながらも、エリカはマフラーを編んでいく。

 表、裏、表、裏。

 交互に糸を編んでいく。

 チマチマとした作業で昔のエリカなら絶対に苛ついて放棄していただろう。しかし今のエリカにとっては、そんな作業も楽しくて仕方がなかった。

 

「こんなことが楽しく感じられるなんて……生きるってことも、案外面白いものかもしれないわね」

 

 ふっと笑みを零しながら言うエリカ。今の彼女には、かつて死のうと思ったときに感じた惨めさは、微塵も残っていなかった。

 

「みほ、喜んでくれるかしら……」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 みほは大洗本土にて、同じあんこうチームの面子と談笑しながら歩いていた。

 

「美味しかったねあそこのスイーツ! あんな穴場があったなんて知らなかったよ!」

「ふふん、あたしのリサーチ力をなめちゃいけないよみぽりん! いつどんな彼氏と一緒に来ても大丈夫なようにいつだってシミュレーションは欠かさないんだから!」

「……男相手にそのシミュレーションとやらが発揮されることはないだろうがな」

「ちょっと麻子ぉ!?」

「ふふふ、でも確かにあそこのスイーツは美味しかったですね。サントノーレ? と言うんでしたっけ。でも強いていうならば、もうちょっと量が欲しかったところです」

「五十鈴殿は十個ほど食べていたと思いますが、あれでも足りなかったというのですか……」

「みぽりんはお土産として買ったんだよね? やっぱ逸見さんに?」

 

 沙織がみほの手元を見ながら言う。

 

「うん、エリカさん喜んでくれるかなぁ?」

「みぽりんからのお土産だもん、喜んでくれるに決まってるじゃない! あー、でも逸見さんもくれば良かったのになぁ」

「逸見殿としては私達に気を使ってのことでしょうが、私達はそんなこと気にしないというのに」

「……それが逸見さんのいいところでもあるな」

「友達思いの逸見さんと一緒にいられて、みほさんは幸せですね」

「いやぁー、まぁ……」

 

 照れながら頭をかくみほ。みほはこの友人達のひとときが、もっと続けばいいのにと思った。

 

 その時だった。

 

「……けて……」

「ん? 何か聞こえない?」

 

 沙織が何かを聞きつけた。

 

「確かに……川の方からですね」

 

 華がそれに続いて近くを流れていた川を指さす。川は昨夜の雨によって増水し、勢いの激しい濁流が流れていた。

 

「あ、あれを見てください!!」

 

 優花里が慌てながら指差す。そこには、

 

「助けてぇ! 助けてぇ!」

 

 小さな子供が今にも溺れそうになりながら流されていたのだ。

 

「っ!!」

 

 その瞬間、みほは手に持っていたお菓子を捨て、川に向かって駆け出していた。そのまま勢い良く濁流に飛び込む。

 

「西住さん!?」

 

 みほは激しい川の流れに流されそうになりつつも、なんとか子供の元へと泳ぎ、その体を抱える。

 

「もう大丈夫だよ! 頑張って!」

 

 みほはそのまま川岸まで子供を抱えながら泳いでいくと、川岸でうろたえていた沙織達に子供を突き出した。

 

「お願い!」

「う、うん!」

 

 沙織は戸惑いながらも子供を抱え上げる。

 

「さ、はやくみぽりんも!」

「うん! ……あっ!?」

 

 みほが沙織の手を掴もうとした瞬間であった。

 

「あ、足が……!」

 

 みほは足をつり、沙織の手を掴む前に川に流されてしまう。

 

「みぽりんっ!」

「みほさん!」

「西住殿!」

「西住さんっ!」

 

 苛烈な濁流は収まることを知らず、みほを飲み込んでいく。

 

「あばっ……あばっ!」

 

 必死に腕をばたつかせるが、体はどんどんと沈んでいった。胸元からだんだんと沈み、頭だけが水上に見えるようになり、やがては頭も水の中へと沈んでいく。そしてまもなく、みほの体は川の中へと沈んでいった。

 

 ……エリカ、さん……。

 

 仄暗い水の底で、みほの脳裏に最後に浮かんだのは、家で待っているエリカの笑顔だった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「……やった! できた! ……のかしら?」

 

 エリカは破顔しながらも疑問符を浮かべてマフラーを高々と上げた。

 マフラーはところどころいびつな形をとっているが、その結果は目の見えないエリカにはよく分からなかった。

 

「あとは、みほが帰ってくるのを待つだけね」

 

 エリカは完成したマフラーをぎゅっと抱きしめた。

 エリカはマフラーを渡すときに、あることをみほに伝えようと心に決めていた。

 それは、エリカが今彼女に抱いている一つの気持ち。

 エリカがみほと暮らすなかで芽生えた、かけがえのない、暖かな気持ち。

 

 みほのことを、愛している。みほのことが、好き。

 

 そんな、今まで抱いたことのない、女性としての気持ちを。

 もしかしたら拒絶されるかもしれない。もしかしたら、今の関係が壊れてしまうかもしれない。でも、それでも、エリカはその気持ちをみほに伝えたかった。たとえ、どんな結果になったとしても。

 

「……あら」

 

 ぽつぽつという音が聞こえてきたと思い窓の方に顔を向ける。どうやら、再び雨が降り始めたらしい。

 

「大丈夫かしら、みほ達」

 

 エリカは外出しいてるみほ達を心配する。雨に濡れていないだろうか。もし濡れていたら、暖かく介抱しなければ。

 エリカはそんなことを考えながら、みほの帰りを今か今かと待ちわびていた。

 時刻は、そろそろ夕方になろうとしていた。

 

「みほ、早く帰ってこないかしら……」

 

 

 

 



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第二部 残されしもの
4話


 その日、大洗学園艦は快晴に恵まれた。

 基本洋上に存在する学園艦において晴れの日というのは何も珍しくもないものだったが、雲ひとつ無い空というのはそれでも学園艦に住まう人々の心を陽気にさせた。

 広々とした空に浮かぶ太陽は街を優しく包み込む。煌めく陽日の恩恵は、そのマンションの一室にも与えられていた。

 開かれた窓からはうららかな陽光が差し込み、部屋を優しい暖かさで満たす。また、爽やかな風がその窓の隙間から入り込み、部屋を循環する。

 その窓の側には、一人の女性が安楽椅子に座っていた。彼女の髪は長く色は輝く銀色で、端正な顔立ちをしている。彼女は柔和な表情を浮かべながら、編み物を編んでいた。

 一見すれば、何の変哲もない、穏やかな昼下がりの光景。

 しかし、その光景の中心にいる彼女には、一つだけ普通の人とは異なる点があった。

 彼女には、窓の外に満天の青空が広がっていることも、太陽がさんさんと輝き彼女と部屋を照らしていることも、知ることができないのだ。

 なぜなら、彼女の瞳は、暗闇に閉ざされ、ものを見ることができないのだから。

 彼女の名は、逸見エリカ。

 彼女はかつて、彼女を嫌うものからの心ない悪戯によって、その視力を失ってしまった。

 そして彼女がその視力を失ってから、すでに十二年の時が流れていた――。

 

 

 エリカは今でも鮮明に思い出すことができる。視力を失ったあの日のことを。

 エリカは、かつての戦車道の名門黒森峰の隊長でありながら、隊内で孤立していた。前年、前々年における敗戦の責任、そして隊内の腐敗の原因を背負わされていたからである。もちろん、当のエリカ自身には何の責任もなかったが、そんなことは当事者達にとっては何の関係もなかった。

 そして、その歪みの行き着いた先が、部下の心ない悪戯を原因とする、エリカの失明であった。

 エリカは視力を失うと共に、深い絶望に落とされた。一時は生きる意味を見失い、死のうとまで考えた。

 しかし、そんなエリカを救うものが現れた。かつてのエリカの好敵手であり、憧れの存在、西住みほである。みほはエリカに救いの手を差し伸べた。

 エリカはその手を握り返し、彼女の住む大洗へと移り住んだ。そこで、エリカはみほ、そしてみほの友人達によって、だんだんと心を覆い隠していた暗い闇から救われていった。

 そして、エリカはいつからかみほを女性として意識するようになる。

 何もかもが上手くいっていたはずだった。しかし、その矢先、みほはエリカの前から姿を消した。川に溺れた子供を救うためにその身を投げ出し、そのまま行方知れずとなってしまったのだ。

 エリカはみほがいなくなった後も大洗学園艦に住み続けた。そして、いつしか十二年の歳月を積み重ねることとなった。

 

 

 ピンポーンと、インターホンの音がエリカの部屋に鳴り響く。家主であるエリカに来客を告げる知らせだ。

 

「どうぞ、開いているわよ」

 

 エリカは安楽椅子に座ったまま、少し大きな声を上げてその音に応える。すると、玄関の方からガチャリとドアノブを開く音が聞こえてきたかと思うと、とすとすとエリカの元に歩いてくる足音が聞こえてきた。その足音の主は、ある程度、エリカに近づくと、陽気な声でエリカに声を掛けてきた。

 

「やっほーえりりん、どう? 今日の調子は?」

 

 訪問者はエリカの大洗での友人の一人、武部沙織だった。沙織はエリカに笑いかけながら、エリカの近くにある椅子に腰掛ける。

 

 エリカは、見えるはずのない窓の外に顔を向けていたが、沙織が座ると共に、沙織の方に顔を向けた。

 

「ええ、沙織。今日もつつがなく快調よ」

「そう、それはよかったー。ここ数週間は寒い日が多かったのに、最近は様子を見に来れなかったからちょっと心配してたんだよー」

 

 沙織はよくこうしてエリカの様子を見に来ていた。理由は簡単で、目の見えないエリカの生活を手助けするためである。エリカは沙織の手助けを得て、長い間学園艦で生活をしてきたのだ。

 

「大丈夫よ。おかげさまで、いたって健康に暮らしてるわ。この目以外はね」

 

 そう言って、エリカは自分の目元をトントンと指でつつく。

 それがエリカなりの冗談であることを、沙織はエリカとの長い付き合いの中で理解していた。

 

「もー相変わらず冗談きついよえりりんー!」

 

 だからこそ、沙織はエリカに笑って返す。こんなやりとりを、エリカと沙織はもう何百回と繰り返していた。

 

「ふふ、ごめんなさいね。……それで、どうなの? “彼”との関係は」

 

 “彼”という言葉を出した途端、沙織は困ったような笑みを浮かべ、言い出しづらそうに頬をポリポリと描き始めた。その姿をエリカは目にすることが出来ないが、沙織の雰囲気が少し変わったことを、肌で感じていた。

「あーその、それがね……実は私達……結婚、することになったんだ」

 

 その言葉に、エリカは一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐさま破顔しまるで自分のことのように嬉しそうな声をあげた。

 

「あら、そうなの! よかったじゃない、彼とはまだ数回程度しか話したことがないけど、それでも分かるぐらいにはとてもいい人だしね。それに、あなたが常々言っていたように、ぎりぎり三十前に結婚することができたじゃないの。まぁ、あと三、四ヶ月ほどで三十になっちゃうから、ほとんど三十みたいなものだけど」

「もうー、そういう意地悪言わないでよー! ……まぁでも、確かにとっても嬉しいんだよ、ずっと夢だったお嫁さんになるっていうのが、とうとう叶うんだから。……でも、でもね。結婚しようってプロポーズされたときに言われたんだ。……一緒に、陸の上で暮らそうって」

 

 最後の言葉を紡ぐとき沙織の声と姿は、とても申し訳無さそうにしていた。

 エリカは、そんな沙織の様子を把握しながらも、まったく気にしていないように声をかける。

 

「いいじゃない。学園艦よりも、陸の上の生活のほうがずっと快適よ」

「そうだけど……でも、でも! 私が陸に行っちゃったら、えりりん、一人にしちゃうんだよ……!?」

 

 沙織は悲痛そうな表情と声色で、手のひらを膝の上でぎゅっと握りながらエリカに言った。沙織は心苦しいのだ。エリカを一人、学園艦に残してしまうことが。

 そしてエリカも、沙織のその気持ちを十分理解していた。しかし、エリカはそんな沙織から顔を背け、見えないはずの目で遠くを見るように、窓の方へと顔を向けた。

 

「……そうね。華も、優花里も、麻子も、みんな陸へと行ってしまった。最後に残ってくれたのは、あなた一人」

「うん……。ごめんね、えりりん……」

「別に謝る必要なんてないわ。私はあなた達を責めたりなんてしてない。ただ、ちょっとだけ寂しいだけ。……おかしいわよね、二度と会えないわけでもないのに」

 

 そう言ってエリカは再び沙織の方へと顔を向ける。その表情は、とても穏やかで、そしてどこか悲しそうな笑みだった。

 そんなエリカを見て、沙織は胸の内が張り裂けそうになる。そして、今日ずっと言おうと思っていたことを口にすることを、沙織は決めた。

 

「ねぇえりりん。私と一緒に、陸の上に行こう? 確かにえりりんにとっては全然知らない土地かもしれない。でもね、陸の上にはみんながいるし、きっとえりりんのこと支えていけると思うの。だから、ね。お願い」

 

 沙織はエリカの手を握りながら言った。それは、沙織の心からの願いだった。大切な友人を一人残しては行けない。どうにかして、助け出したい。そんな気持ちに、沙織は突き動かされていた。しかし――

 

「……ごめんなさい。私は、ここから離れるわけにはいかないの」

 

 エリカは、あくまで落ち着いた声でそう返した。

 そして、さらにエリカは、こう続けた。

 

「だって、私はあの子を待っていなきゃいけないんだもの」

 

 その回答は沙織にとって予想していた答えだった。だが、それでも沙織はそのエリカの言葉によって、ひどく悲しい気持ちへと沈んでいった。

 沙織は今にも泣きそうになりながらも、エリカの手をより強く握りなおして、なんとか重い口を開く。

 

「えりりん……みぽりんは、みほはもう――」

「わかってる! わかってるわよ……」

 

 エリカは沙織の言葉を遮るようにぴしゃりと、しかし消え入るように言い放つ。そしてエリカは、自分の手を握る沙織の手を、優しく包み込んだ。

 

「でもね、それでも、私にはなんだか彼女がいつか帰ってくる、そんな気がするの。……だからね、私は待ち続けるの。この場所だって、彼女いた寮に近いから選んだのよ? 彼女がすぐ私を見つけられるように……。わかってる、おかしいわよね、こんなの。でも私は、どうしても彼女を待ち続けなければいけないのよ……」

「えりりん……」

 

 沙織は思い出す。エリカが初めてみほがいなくなってしまったのを知ったときのことを。そのときのエリカの取り乱しようは尋常ではなかった。初めは信じられないといった様子で唖然としていたが、やがてそれが現実だと分かると、目が見えないために危うい足取りで沙織達に寄りかかり、大声で悲痛と怒気が混じった声で必死にその現実を否定しようとし続け、そしてひとしきり叫んだ後、力なく倒れさめざめと泣き始めた。そしてその後、数週間の間人形のように物言わなくなり、動くことすらしなくなった時期があった。その期間は沙織達が必死に介抱したために、なんとか大事にはならなかった。

 しばらくして感情を取り戻したエリカは、まるで喜怒哀楽における怒りと哀しみという感情が鈍くなっていた。ただただ笑みを浮かべ、どんな辛い事が起きてもまるで風を受けた柳のように受け流すのみ。穏やかな性格になったと言う人もいる。しかし、それは違うと沙織は思っていた。エリカは、悲しむことを、苦しむことをやめてしまったのだ。それは、決して健常な状態とは言えないことも、良くわかっていた。そしてエリカは、先ほどの発言の通り、いなくなってしまったみほの帰還を待ち続ける存在となっていることも分かった。そのことは沙織達にとってとても衝撃的なことだった。だが、沙織達にはどうすることもできなかった。ただ、友人としてこの一二年間を一緒に過ごすことしかできなかった。

 沙織には、そのことが、とても歯痒かった。友人であるのにエリカの深いところには入っていくことができない、そのことが。

 

「ねぇ沙織。私はあなたには幸せになって欲しいの。これは大切な友達としての願い。華も、優花里も、麻子も、みんな陸に行って幸せになった。だからあなたにも、私は幸せになって欲しい。大丈夫よ、彼はいい人だわ。私が保証する。私のことは心配しないで――幸せになって、沙織」

「えりりん……えりりん……!」

 

 とうとう我慢することが出来ず、沙織はエリカの手の上に涙をこぼしてしまった。

 沙織は嬉しかった。エリカが本当に友人として、自分のことをそこまで考えてくれていることに。

 沙織は悔しかった。自分の大切な友人が、どうしようもなく壊れてしまっていて、それを自分ではどうにもすることができないことに。

 

「ごめんね……! ごめんね……!」

 

 だから沙織は泣いた。泣いて、エリカに謝り続けた。色んな感情がないまぜになった謝罪の言葉を吐き続けた。

 エリカはただ黙って微笑みながら、その言葉を受け止めた。

 



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5話

 日曜日のことである。エリカは一人で大洗学園艦の上にある図書館を訪れていた。図書館にある視覚障害者用のサービスを利用するためだった。エリカは視力を失い大洗で、一人で生活するようになってから、時折図書館を利用していた。盲目になってからというもの出来る趣味が大幅に減ってしまったため、新しい趣味を見つける必要があった。その趣味の一つが、視覚障害者にもサービスを行っている図書館へ通うことであった。

 図書館前の大きな駐車場側の歩道を白杖片手に歩くエリカの姿に、近くを歩く人々は誰も目もくれない。それどころか、皆関わりたくないと言わんばかりに、エリカから距離を置いていた。

 無論、盲目とはいえそれに気がつかないエリカではない。エリカは長年の盲目生活において自分と他人との距離感は容易に測れるようになっていた。そして、自分がよく避けられることも。だが、それも仕方のないことだとエリカは理解していた。普通ならば、学生が殆どを占めるこの学園艦において、盲目の大人など珍しく、また関り合いになりたくない存在であるということを分かっていた。伊達に一二年間盲目で過ごしてはいない。

 

「…………」

 

 エリカは意に介することなく、図書館への道を歩いて行く。

 そして、図書館の玄関にある自動ドア前へと立ったときだった。

 正面から、突然飛び出してきた人影がエリカにぶつかってきた。

 

「きゃっ!」

「おっと……!」

 

 エリカにぶつかってきた相手は、可愛らしい声を出しながら地面に尻もちをついたようだった。接触した感触から、エリカよりも頭ひとつ小さい少女であるとエリカは把握した。エリカは少し体勢を崩されながらもなんとか踏みとどまる。

 ドサドサと、地面に何かが大量に落ちる音がした。どうやらぶつかってきた相手は本を大量に持っていたらしい。

 

「あっ、ご、ごめんなさい!」

「いえ、こちらこそ……」

 

 少女は謝りながら落ちた本を拾い始める。エリカもまた、ぶつかってしまいそのままというわけにもいかず、一緒に本を拾い始める。しかし、目が見えないためどれほどの冊数が落ちているのか、どこに散らばってしまっているのかが分からず、手探りで本を探し当てるしかなかった。

 エリカがおぼつかない手つきで本を拾っていると、そんなエリカを見てか、ぶつかってきた少女はしばらく沈黙し始める。

 

「…………」

 

 その視線を感じて、エリカは恐る恐る声を掛けてみた。

 

「……あの、どうかしたのかしら?」

「えっ? あっ、すいません! あの……もしかして、目が不自由なんですか?」

「……ええ、そうよ。私、両の目とも見えなくて……」

 

 そう言うと、少女はみるみる顔を真っ青にし――と言っても、その様子はエリカには分からなかったのだが――勢い良くエリカに向かって頭を下げてきた。

 

「す、すいません! そうとは知らず突然ぶつかったりして……! 本は自分で全部拾いますから、お姉さんはそのままでいてください!」

「わ、わかったわ……」

 

 お姉さんと呼ばれるほど若くもないけどね、と思いつつも、エリカは謝る少女の提案を受け入れることにした。目の見えない自分が下手にこれ以上意地を張って手伝っても、逆に面倒なことになるだけだと思ったからだ。

 少女はテキパキと本を拾い集めると、すくっと立ち上がる。しかし、一向にエリカの目の前から立ち去る気配がしないので、エリカは不思議に思い恐る恐る声をかける。

 

「あの……どうかした?」

「は、はい! そ、その! これからこの図書館に用があるんですよね!?」

「ま、まぁ……」

「だったら、私、お手伝いします! お姉さんが目的をちゃんと果たせるように、お力にならせてください!」

 

 その勢いに、エリカは思わず身じろぎしてしまう。エリカを避けて行く人々は数あれど、こうして力になりたいと言ってくるのは珍しかった。

 

「あの、ぶつかったことを気にしてるなら別に……」

「いえ、そうじゃないんです! いや確かにぶつかったことを悪いと思っているのは本当ですが……それ以上に、お姉さんの手助けがしたいというのが私の心からの気持ちなんです」

 

 本当に純真そうなその声に、エリカは断るにも断れず、仕方なくその厚意を受け取ることにした。

 これほどまっすぐな厚意を沙織達以外から向けられるのは、この一二年の間では、初めてのことだった。その感覚はどこかむず痒いものがあったが、久々に他人から受ける善意というものは、嫌なものではなかった。

 

「そうね……それじゃあ、お願いしようかしら」

「っ! はい!」

 

 少女は元気そうに答えると、本を片手に持っていたトートバッグへと押し込め、エリカの手を引いて図書館へと入っていった。

 そしてエリカをそのまま、視覚障害者用のサービスがあるブースへと連れて行く。音声資料と点字図書である。そのブースにおいて、少女はエリカが望む資料をすぐさま探しだして持ってきてくれた。

 

「ありがとう。これで十分よ」

 

 エリカは欲しかった本や音声資料を貰うと、これ以上は手伝わなくてもいいという意も含めて、礼を言った。

 すると、そのエリカの返答は少女にとって予想外だったのか、明らかに消沈し始めた。

 

「え……? あ、あの、もしかして何かご迷惑を……?」

「いえ、そういうことじゃないのよ。私はしばらくここにいるけど、あなたをそんな私の事情でここにずっといさせるわけにもいかないでしょう? あなた、随分本を借りているようだし、その本を読む時間がなくなってしまうしね」

「な、なるほど……」

 

 少女はエリカの心遣いは理解したらしいが、それでもまだ納得がいっていない様子だった。

 その気配を察知したエリカは、少女を安心させるためにそっと微笑んだ。

 

「大丈夫、私はこれでも一二年はこうやって生活してるし、この図書館にも何回も来ているの。一人で何も問題ないわ」

「そうですか……。だ、だったらあの!」

 

 少女が急に大声を出したものだから、周りの図書館を利用しに来た人たちが何事かとエリカ達のほうを向く。その視線を感じ、少女は顔を真っ赤にしながらシュンとし、エリカは苦笑いを浮かべた。

 

「あ、すいません……。その、もしよければ、今後も会うことがあったら、出来る限りお手伝いさせてもらってもよろしいでしょうか?」

「え? それはいいけど……」

 

 そう言うと、少女はぱぁっと笑顔を浮かべた。目の見えないエリカにもその姿が頭の中でありありと想像できるぐらいには少女が喜んでいるのが分かり、なんだか分かりやすい子だなと、エリカは思った。

 

「ありがとうございます! それでは、失礼させていただきますね、また今度!」

 

 少女はエリカに一礼すると、今度は大きな音を立てないように、しかし駆け足で去っていった。その微かな足音を、エリカは聞こえなくなるまで聞いていた。そして足音が完全に聞こえなくなった後で、ふぅと一息ついた。

 

「なんだったのかしらあの子……でも、悪い子ではなさそうね」

 

 軽く笑みを作りながらそう言うと、エリカは手元の点字図書を開き、ゆっくりと読書を始めた。

 

 

 翌日、エリカは大洗学園艦の上にあるとある中学校を訪れていた。なぜ学生でもないエリカが中学校にいるのかというと、エリカは戦車道における特別講師として呼ばれていたのだった。講師と言っても、実際に戦車の乗り方を指揮するわけではなく、戦車道の歴史について簡単に説明する程度であるが。

 大洗では一二年前に全国大会で優勝してからというもの、大洗女子学園において戦車道が活発となった。そして十二年間の間で着実に経験と練度を積んでいき、今ではれっきとした強豪校の一つとなっていた。

 それゆえ、高校に入ったら戦車道を嗜みたいという生徒が中学生の頃から多く現れ始めた。しかし、大洗の中学校には土地や資金などの関係から戦車道を行うことができず、実質高校生から始める生徒が大半だった。そんな生徒向けに、戦車道を将来履修したいという生徒用に簡単な講座を開きたいという学校側の考えがあった。本来ならばその講師には自衛隊やプロリーグなどから選手を呼んで行うのが普通ではあるが、やはり資金の問題や、相手側の都合がなかなかつかないということ、また教師陣にも戦車道経験者がいないために、教師から選出するわけにもいかず、そこでかつて黒森峰で隊長経験があり、学園艦にいる数少ない大人であるエリカに白羽の矢が立ったというわけだ。

 エリカにとっても、その講師を行うに際しての給与はありがたかった。エリカは障害年金と自宅でパソコンの音声読み上げソフトを利用した仕事で得たお金によって生活していたが、それでも生活には何かとお金が必要だった。だが、盲目の人間に出来る仕事は少ない。だから、こういった臨時収入の機会はなるべくものにするようにしていた。

 

「こちらです」

 

 学校の教師に今回担当する教室の前まで案内される。今回はもう一ヶ月もしないうちに三年生になる、二年生達の相手だった。白杖片手に廊下を歩くエリカの姿は、やはりどこかその場の風景から浮いたものに見える。

 だがエリカはもちろんそんなことを気にすること無く、学校の教師に手を引かれながら、教室の中へと入っていった。

 教室に入ると、多くの視線が自分の体に突き刺さってくるのが分かった。自分の感情を隠そうともしない、学生らしい好奇の視線だった。

 エリカは教卓の前に立つと、にこりと笑顔を浮かべた。

 

「みなさんおはようございます。私は今回特別講師として呼ばれた逸見エリカと申します。どうぞよろしく」

 

 エリカが挨拶をすると、パラパラとまばらだが拍手が帰ってきた。未だに目の見えない自分に不信感が持たれているらしいことを、エリカはよく分かっていた。

 だが、それもいつものことである。エリカは気にせず話を始めることにした。

 

「さて、本日は、まずは皆に簡単にですが戦車道の歴史を説明しようと思います。まず戦車道とは、第二次大戦の後戦車に男性が乗るのは戦争を彷彿とさせるといった考えから――」

 

 エリカの戦車道に関する講義は約五〇分ほど続いた。講義を聞く生徒達は、半分が聞き流し、半分が一応耳に入れておくといった感じで、あまり真剣味は感じられなかった。エリカはそのことを知ってか知らずか――概ね経験からほぼ理解していただろうが――構わず話を続けた。

 そしてエリカが頼まれていた内容を一通り話終えるとほぼ同時に、学校のチャイムが鳴り響いた。

 

「はい、それではこれまで。お疲れ様でした」

 

 エリカは軽く挨拶を終えると教壇から降りて教師に連れられながら教室から出て行く。と、そうして教室から廊下へと出た瞬間だった。

 

「お姉さん!」

 

 エリカの背後から、授業後の喧騒に負けないぐらいの大きな声で彼女の名を呼ぶ声が聞こえてきたのだ。その声に、エリカは聞き覚えがあった。エリカはもしやと思い声のした方向に振り返る。それに応えるかのように、エリカの元に駆け足で近寄ってくる足音がした。

 

「えっと、もしかしてあなたは……」

「お姉さん! 私です! 昨日、図書館であった……」

 

 そう、声の主は、昨日エリカが図書館で出会った少女だったのだ。

 少女は、とても興奮しながらエリカに話しかけてくる。

 

「お姉さん、いえ逸見さん! 逸見さん、戦車道をやっていらしたんですね!? 私、逸見さんの姿見たときびっくりしちゃって……まさか、きのう会ったお姉さんが、特別講師だなんて……」

「そうね、私もあなたとこんなところで会うとは思ってなかったわ。中学生だったのね」

「はい! 今年で十五になります! ……それでその、実は私、すっごく戦車道に興味があるんです」

 

 その言葉を聞いたとき、エリカは少女に関心を抱いた。今まで講義を行ったことは何回かあったが、こうして面と向かって戦車道に興味があるということを言ってくる生徒は、今までいなかったからだ。

 エリカは自分の講義がありていに言ってつまらないものだとは自覚していたので、自分の講義のあとにこうして自分に言ってくる相手は新鮮だった。

 

「へぇ、そうなの」

 

 エリカはそんな気持ちを表面に出すことなく、そっけなく返す。

 少し嬉しい気持ちになっていることは確かだったが、そのことを表に出すのはなんだか気恥ずかしかったのだ。

 

「はい! それでその、お願いがあるんですが……」

「お願い? この前のとは違った?」

「はい。あの……お願いします! 私に戦車道のことを教えて下さいっ!」

 

 少女は、昨日のときよりも激しく、地面に頭が付くんじゃないかという勢いでエリカに頭を下げた。

 その姿が見えたわけではなかったが、エリカは自分の前に立つ少女がきのう以上に懇願しているのを感じ取った。

 

「ええと……私に? 個人的にってこと?」

「はい! 私、高校ではどうしても戦車道を履修したくって! でも、戦車の知識は本やネットで調べて一人で特訓するのには限界があって! だから、今日来る人にこうしてお願いしようって決めてたんです! ただ、それが逸見さんだとは思わなくて……だからその、逸見さんに戦車道を教えてもらうことはできませんでしょうか!? もちろん、以前言ったように逸見さんのお力にならせてもいただきますから!」

 

 そのあまりの必死さに、思わずエリカはふふっと笑いがこぼれた。ここまで戦車道に対して熱意のある子は久しぶりに会った。それこそ、今では遠い記憶となった学生時代の記憶を呼び起こさないといけないほどには懐かしかった。

 そんな少女と触れ合っていると、たまにはそういうのもいいかもしれないと、そんな気持ちにさせた。

 

「分かったわ。それじゃあ……毎週土曜、日曜の午後一時に、あの図書館で待ち合わせはどう?」

「はい! 喜んで!」

 

 少女は頭を上げ、とても嬉しそうに応えた。やはりこの子は感情がとても出やすい子らしい。そんな子が、年上の自分と話したらこんなにも大げさに緊張したり喜んだりするのか。年上が年下の子と接するというのはこんな感じなのかと、エリカはしみじみと感じる。と、そこで、エリカはあることに気がついた。

 

「そういえば、私あなたの名前を知らないわね」

 

 これから毎週会う約束をしておいて、名前を知らないというのも失礼な話だろう。そう思い、エリカは気軽な気持ちで名前を聞いた。

 すると少女は、元気よく自分の名前を答えた。

 

「はい。私の名前は(あずま)美帆(みほ)と言います。東と書いてあずまと読み、美辞麗句の美に順風満帆の帆の字を使ってみほと読みます」

「美帆……?」

 

 その名前に、それまで和やかな気持ちだったエリカは内心大きく驚いた。

 美帆、みほ。エリカにとってそれは、かけがえのない名前。未だに彼女の心を占める、大切な人の名前。

 

「そう、美帆、って言うの……」

 

 落ち着け逸見エリカ。美帆だなんて、ありふれた名前じゃないか。たまたま、名前が一緒だっただけ。ただそれだけの話。それなのに動揺するなんて、おかしいじゃないか。

 

「それじゃあ、今週末からよろしくお願いするわね。“美帆”」

 

 エリカはあえてその名前を強調して呼んだ。そうすることで、自分の中に沸いたくだらない動揺を振り払うために。

 

「はい。逸見さん……!」

 

 そんなエリカの内心を知らずに、美帆は満面の笑みでエリカに応えた。



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6話

 その週の土曜日、エリカは約束通り美帆に会うため、図書館へと向かっていた。盲目用の腕時計で時間を確認すると、まだ約束の時間まで三十分もある。

 

「ちょっと早く来すぎたかしら……」

 

 とは言え、年下を待たせるわけにもいかないというエリカのちょっとしたプライドから、遅れて来るわけにもいかなった。

 エリカは自分の見栄っ張りな部分に苦笑しつつも、白杖を揺らしながら図書館への道を歩く。周囲の人々は、やはりエリカを避け気味に歩いていた。

 そして、図書館の玄関近くへと差し掛かったときだった。

 

「あっ、逸見さーん!」

 

 元気そうな声が、エリカの耳に響いてきた。エリカはまさかと思いつつも、その声の方向に歩いて行く。すると、案の定元気そうな声がエリカの耳に入ってきた。

 

「こんにちは逸見さん!」

「美帆……あなた、いつから待ってたの?」

「えっと……だいたい一時間前くらいからですかね」

 

 エリカは呆れてものも言えなかった。いくら年上相手の待ち合わせとは言え、そんな早くから来て待っていたとは。

 それとも、最近の若い子というのは、待ち合わせにこれぐらい早く来るのが普通だったりするのだろうか……?

 

「そんな時間から待っていたなんて……ちゃんとお昼食べたんでしょうね」

「はい、そこは大丈夫です。ただいつもよりはちょっと早めに済ませましたが……。逸見さんに一対一で教えてもらえるとおもうと、つい嬉しくて……」

 

 自分はそこまで技術や知識を持っている人間ではないのだが、とエリカは内心ごちる。

 エリカは美帆からの熱い信頼と期待の意に、なんだかとても申し訳ない気持ちになってきた。

 しかし、ここまできてやはり無理だと言うわけにもいかない。エリカは、自分に教えられるだけのことをできるだけ教えてあげようと、心に決めるのであった。

 

「……それじゃあ、少し早いけど中に入りましょうか」

「はい!」

 

 二人は図書館の中へと入っていく。そして、図書館の中でも戦車関連の本が収められている本棚が近いテーブルへと腰掛けた。

 そう指示したのはエリカであるが、案内したのは美帆である。

 

「それじゃあ、これから言う本を持ってきてもらえる?」

 

 エリカは古い記憶を掘り返して、昔自分が参考にした書籍を思い返し、それを持ってこさせた。自分が口頭で説明するだけでもよかったのだが、参考図書があったほうが美帆も分かりやすいだろうと思ったからだ。

 美帆はエリカに指示されると、素早く本棚から言われた本を持ってきた。どうやら美帆も図書館には通い慣れているらしかった。

 

「さて、持ってきたわね。じゃあ、今日は各国の戦車について話しましょうかね。本は『世界の戦車辞典』を使うわ」

「はい!」

 

 そしてエリカの講義が始まった。エリカは臨時講師以外ではもう一二年間も戦車道から離れていたため、最初は記憶を思い返しながらでゆったりとしたペースだった。

 だが、美帆はそのことに不満一つもらさず、むしろ必死になってノートを取りながら聞いていた。また、美帆は気になる点には要所要所で話の腰を折らないように気をつかいながら質問をしてきた。

 そのこともあってか、後半からはエリカも気持ちよく美帆に戦車に関しての知識を教えることができた。

 そうして、あらかた主要な戦車について話し終えると、エリカはそこで話を区切った。

 

「では、今日はここまでにしましょうか」

「えっ、もう終わりですか?」

 

 美帆は残念そうな顔をエリカに向ける。無論エリカにはその表情は分からないが、長年盲目で暮らしてきたエリカは他人の感情の変化には敏感であったため、すぐに分かった。

 

「一日にあんまり色々詰め込んでも、あまり効果はないわ。それよりも、少しずつだけど要点を確実に覚えていったほうが効果はあるのよ。継続は力なりってね」

「なるほど……」

 

 美帆は納得した様子で頷いた。エリカは美帆が理解したのを確認すると、ゆっくりと席から立ち上がった。

 

「それじゃあ、今日はこれぐらいで……」

「あ! ちょっと待って下さい!」

 

 そこで、美帆がエリカを呼び止めた。エリカは怪訝な顔を美帆に向ける。

 

「どうしたの? 分かったんじゃなかったの?」

「いえ、そうじゃなくて……逸見さん。これからお帰りになるんですよね?」

「ん? そうだけど?」

 

 エリカはイマイチ質問の意図が分からなかった。が、次の美帆の言葉にエリカは驚くこととなる。

 

「よかったら、逸見さんが一緒に帰るまでご一緒させていただけませんか!?」

「え……ええ!?」

 

 てっきり図書館で会うだけで別れるものだと思っていたため、その申し出は予想外だった。エリカは少し狼狽しながらも、その理由を聞いてみることにした。

 

「えっと……どうして?」

「ええっと……やっぱり目が見えない逸見さんを一人にしてはおけないというか、できるだけ逸見さんのお力になりたいというか……やっぱり、余計なお世話、ですかね……?」

 

 つまるところ、この少女は初めて会ったときのように、純然たる善意でこう言っているのだとエリカは理解した。

 正直、エリカは一人でも何も問題はなかった。目が見えなくなったばかりの頃は困ることも多かったが、今では一人でなんとかやっていける。だが、美帆の厚意が嬉しいというのも本当だった。実際、一人とは言っても今でも沙織の助けを受けて生活している部分もあるし、たまには別の相手に頼るのも悪くないと思えてきた。

 

「……いいえ、そんなことないわ。そうね、それじゃあお願いしようかしら」

 

 だから、エリカは美帆の申し出を受けることにした。一回りも年下の相手にそこまでされるというのも少々プライドに関わるものがあったとはいえ、断るほどの理由ではないからだ。

 

「本当ですか!? よかったぁ……」

 

 美帆は安心したように息を漏らす。

 だが、エリカには一つだけ心配な点があった。

 

「けど……あなたの家から遠くないかしら? 私の住所は……」

 

 エリカはそこで自分の住所を教えた。一緒に帰ってくれるのはいいのだが、美帆が帰る道のりが遠くなってはいけないとも思ったのだ。だが、みほはまったく気にせずにエリカに笑顔を向けた。

 

「あ、そこなら大丈夫です。というか、私のいる寮と目と鼻の先ですよ」

「あらそうなの? ということは、あの寮ね……」

 

 エリカは頭の中に寮の姿を――といっても実際はその目に映したことはないのだが――を思い浮かべた。かつてエリカがみほと一緒に暮らしていた、あの寮を。

 これもまた、不思議な偶然だと思った。

 

「知ってるんですか?」

「ええ、ちょっとね……。まあとにかく、帰りましょうか」

「はい!」

 

 そして、エリカは美帆の手助けを得ながら帰路についた。美帆はとても丁寧にエリカを導いた。他の歩行者や自転車、自動車の往来を細かくチェックし、エリカに危険が及ばないように心がけていた。そのおかげか、エリカはいつも以上にスムーズに歩くことができた。

 エリカは玄関まで美帆に送ってもらった。家に入っていくエリカを美帆が見つめている。

 

「じゃあ、また明日ね」

「はい。それではまた明日」

 

 美帆は朗らかな笑顔をエリカに向けた。その笑顔がエリカに伝わることはなかったが、美帆の優しい意志はたしかにエリカに伝わってきた。

 

 

 翌日も、エリカは美帆と図書館で待ち合わせをした。美帆はやはり約束の時間よりもずっと前にエリカを待っていた。

 エリカは呆れつつも、また昨日のように美帆に戦車道のことを教えた。美帆は大変覚えがよく、エリカも教えがいがあるというものだった。

 そしてその日も、エリカは美帆に送って行ってもらった。

 次の土曜日も同じだった。美帆はエリカよりも早く来て待っていて、エリカの教えをよく聞き、エリカの帰路に一緒に付いてきた。

 一緒に帰っている間は、二人で他愛のない話をした。戦車道に関することや、ただたんにいつもの学校生活のことなど。話を聞くに、どうやら美帆は学校でも人気者のようだった。それは、この数日しか付き合っていないエリカにもよく分かる話だった。

 美帆はとても感情的で、しかし負の感情は一切見せず、常に明るく振る舞って他人を楽しくさせるタイプの少女だった。また、他人のことを常に考えており、どうすれば他人の力になれるだろうかということを優先して動く人間でもあった。そのことが、エリカを助ける美帆の行動によく現れていた。

 なんだか沙織と少し似ているなと、エリカは思った。

 しかし、少し不思議な気もしていた。どうしてこの少女は、ここまで自分のことを考えてくれるのだろうかと。確かにエリカは目に障害を持っている。そのことが気になっているのは確かだろう。だが、普通の人ならば本来避けたくなるその障害に、積極的にここまで関わってくる人間は初めてだった。美帆の性格だけでは説明できない理由がある、そんな気がしたのだ。

 だからこそ、エリカは日曜日の最後、またいつも通りに美帆に送ってもらった帰りの玄関で、そのことを聞くことにした。

 

「ねぇ、美帆」

「はい、なんでしょう?」

 

 エリカの部屋の前で呼び止められた美帆は、きょとんとその場に立ち尽くした。

 

「あなた、どうして私にここまでしてくれるの? 自分で言うのも何だけど、障害者なんて普通はあまり関わりあいになりたくないものでしょう? でもあなたは、とても献身的に私に尽くしてくれる。そのことはとても嬉しいわ? でも、どうして? ……ただの親切心じゃ、ないわよね?」

 

 そのことを聞くと、美帆はいつもの明るい雰囲気から、少し落ち着いた雰囲気になったことをエリカは察した。やはり、何か裏があるらしい。

 エリカは、固唾を呑んで美帆の返答を待った。すると、美帆はハハハと困ったように笑って、もじもじと手をこねくり合わせ始めた。

 

「あー、なんとなくわかっちゃいましたか……。そうですね、逸見さんになら、話してもいいですかね」

 

 そうして、美帆は語りだす。とても落ち着いた、しかし想いの篭った口調で。

 

「私……実は過去に死にかけてるんですよ。三歳の頃に。川で溺れて」

 

 その言葉に、エリカは凍りついた。『三歳の頃』……つまり十二年前に。『川で溺れて』。

 いや、まさか、そんなわけはない。それもただの偶然のはずだ。だが美帆の次の言葉で、エリカのその考えは否定されることになる。

 

「それでそのとき、誰かが私を助けてくれたんです。私は当時幼かったのもあって、その人の顔も名前も知らないんですが、でもどうやら私を助けてくれた人はそのまま川に流されて死んじゃったらしくて……」

 

 確定的だった。十二年前に誰かが川で溺れたという話は聞いたことがない。少なくとも広いようで狭い学園艦の中で、その話が囁かれないのはおかしい。しかも、当時の美帆は三歳、学園艦にいるわけがなかった。そして、美帆を助けた人物はそのままいなくなった。

 それは、まぎれもない、みほのことだった。つまり、こうしてエリカがしゃべっている少女は、かつてみほが助けたという、幼子であるということなのだ。

 

「それで私、そのことを知って決めたんです。私も、困っている誰かを助けられる人になろう。私を助けてくれた人のように、王子様みたいな人になろうって。だから、目が見えなくて困ってる逸見さんを見たとき、思ったんです。この人は、私が助けてあげなきゃって……」

 

 エリカは何も言うことができないまま、その美帆の独白を聞いていた。

 まさか、こんな形で自分がみほが助けたという子供と関係を持つことになるとは思っていなかった。

 しかも、その子はみほに影響を受けて、今私を助けようとしている。なんという因果だろうか。これは、本当に偶然で片付けていいのだろうか?

 そんな考えが、エリカの頭の中でグルグルと回っていた。

 すると、みほは穏やかな口調で、再び口を開いた。

 

「逸見さん。今のお話を聞いてもらった上で、またお願いがあるんです」

「……何かしら」

 

 エリカには、その一言を言うのが精一杯だった。自分の心の中に溢れる動揺を悟られんとするので必死だった。

 

「私、来週から春休みに入るんですが……その間、逸見さんのご自宅に邪魔して、逸見さんの生活の手助けをさせてはいただけませんか? 私の自己満足なのは分かってます。でも、それでも、私は逸見さんのお力になりたいんです」

 

 その願いは、確かに美帆の心からの願いだった。エリカの助けになりたい。かつてエリカを助けてくれたみほのようになりたい、そんな気持ちが、よく伝わってきた。

 エリカは悩んだ。この少女と、これ以上関わってもいいのだろうか? 彼女は言ってしまえば、みほがいなくなった原因でもある。そんな少女と、付き合っていけるのだろうか? だが、美帆自体には何の罪がないのも分かっている。そんな少女の純真な思いを、私は自分自身の歪んだ感情で否定することができるのか?

 

「…………」

 

 エリカは見えない目で少女を『視』る。美帆という少女は、とても人間が出来たいい子だ。ここ最近付き合ってきて、楽しくなかったといえば嘘になる。そんな彼女が自分の生活まで助けてくれると言う。本来ならば、受けてあげるべきだろう。しかし……。

 

「……やっぱりご迷惑、ですかね?」

 

 美帆が苦笑いしながらうつむく。

 と、そこで、エリカは気づく。この子は、みほが助けた子。つまり、みほが『残していった』子だということだ。そこには、みほの自分を捨ててでも他人を助けるという、彼女の優しさが受け継がれていた。美帆の慈愛の心、他者を救おうとする心は、確かにみほから受け継いだものだ。つまり、彼女の中にみほは生きているのだ。

 生命(いのち)は、繋がっていく。

 そのことを、もっとも彼女が体現しているのではないか?

 私はみほを待っている。そのことは、今後も変わらない。しかし、彼女の残した子と接することで、何かが変わるかもしれない。

 そんな希望が、エリカの胸の中に灯った。

 だからこそ、エリカは美帆に応えることにした

 

「……わかったわ。いいわよ、私の家に来ても」

「本当ですか!?」

「ええ。人の手を借りて生活できるなら、それに越したことはないしね」

 

 エリカはあくまで冷静を装って、美帆に接した。あくまで、いつもの逸見エリカとして接した。そのことが、美帆にとって一番だろうと思ったからだ。だからこそ、美帆を助けた人物がみほであることを伝える気には、ならなかった。

 

「じゃあ、来週からよろしくお願いしますね、逸見さん!」

「ええ、こちらこそよろしく……あ、そうそう」

 

 エリカは喜んでいる美帆に、付け加えるように言った。

 

「私のことは、エリカでいいわよ。これから生活の世話まで診てもらうんだもの。苗字よりも名前で呼んだほうがいいでしょう?」

「……はい! エリカさん!」

 

 美帆はいつものように、とても嬉しそうな声で、エリカの名前を呼んだ。



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7話

 春休みに入った学園艦は、すっかり静けさに包まれていた。生徒の大半は帰省するか、学園艦の上にある自宅でまったりとした時間を過ごしている。

 エリカもまた、窓を開き春風を部屋の中に入れながら、安楽椅子に座ってゆったりとした時間を過ごしていた。

 だが、そんなエリカの心中は少々落ち着かなかった。なぜなら、今日は初めて沙織達以外の人間を部屋に上げるのだから。久々に緊張というものをしていた。

 そろそろ約束の時間だろうかと盲目用腕時計をしきりに確認していると、エリカの耳にインターホンの音が響いてきた。

 

「どうぞ」

 

 エリカは落ち着いた声で来客者を促した。年上として、あくまで平静を保っていたかった。

 

「失礼します」

 

 扉が開かれ、来客者――美帆が部屋の中へと入ってくる。美帆の両手には、大きなバッグやレジ袋などが握られていた。

 美帆はそれらをどさっと玄関に置くと、キョロキョロとしながらエリカの元へと近づいていった。

 

「こんにちは、エリカさん」

「ええ、こんにちは」

「やっぱり、外から見るのと実際に部屋の中に入って見てみるのだと、結構印象違いますね。結構綺麗ですねー、エリカさんの部屋」

 

 美帆は興味津々といった様子で、エリカの部屋を見回していた。エリカにも、美帆の声調から、その姿は頭の中にありありと想像することができた。

 エリカはそんな美帆の様子に、思わずクスクスと笑いが零れた。

 

「あっ、すいません! 私また失礼なこと……」

「ふふっ、いいのよ別に。それより、随分と荷物を持ってきたらしいけど、一体何を持ってきたの?」

「あれですか? ふふっ、掃除用具とお料理の材料ですよ」

 

 美帆はふふんと自慢げに言った。そして、玄関に一度戻ってバックから掃除用具と思しきものを取り出してくる。

 

「エリカさん一人だときっと掃除とかお料理とか大変だと思いまして。それで、家からいろいろと持ってきてみたわけですよ」

「へぇ、それはありがたいわね。確かに最近掃除もあんまりできてないし、料理も出来合いのものばっかりだったから……」

 

 エリカは美帆の気配りに感心した。エリカではまずこういった気配りをすることはできなかっただろう。

 それに偶然にも掃除というのは、沙織も最近来ていなかったため怠っていたから、タイミング的にもちょうどよかった。

 

「では、さっそく初めますね! まずは水回りから……」

 

 そう言って美帆はエリカの部屋の掃除を始めた。美帆の手際を実際に目にすることはエリカにはできなかったが、それでも聞こえてくる音から、美帆の手際が良いということは分かった。

 美帆はテキパキと水回りの掃除を終えると、今度はエリカの部屋においてあった掃除機を使って、部屋全体に掃除機をかけ始めた。久々の掃除機の騒音はあまり耳に心地いいものではなかったが、せっかく部屋を掃除してもらっているのにそんなことを言うほど常識知らずというわけでもなかった。

 さらに美帆は洗濯もついでに行った。エリカの洗濯物が溜まっていたのを美帆に見られて、見かねて全部洗濯機に入れられたのだ。

 そうして美帆はエリカの部屋の掃除を一通り終えると、パンパンと手を叩き、ふぅと軽く息を吐いた。

 

「お疲れ様、ありがとう」

「いえいえ、これくらいの簡単な掃除ならいつだって出来ますよ」

 

 結構本格的に掃除をしていたと思うのだが……とエリカは思ったが、もしかしたら自分の掃除についての観念がずぼらなだけかもしれないと思い、恥ずかしいことになりそうなので言うのを止めておいた。

 掃除を終えた美帆は、エリカの前でただ何をするわけでもなく、困ったようにもじもじと両手をこねくりあわせていた。エリカは急に黙った美帆のことを不思議に思い、声をかける。

 

「……どうしたの? 急に黙って」

「えっーと……そのですね、実は掃除から料理までの間、何をしようか考えてなくて……」

 

 エリカはついズッコケそうになるのをなんとか我慢した。計画的なのか無計画なのかよく分からない子だ。美帆が顔を真っ赤にしているのが、目の見えないエリカでさえ容易に分かった。

 

「しょうがないわね……それじゃあ、戦車道の勉強でもしましょうか。図書館から借りた本は持ってきてる?」

「持ってきてません……」

「でしょうね。次回からは持ってくること。いいわね?」

「はい……」

 

 エリカは萎縮している美帆を座らせると、口頭でも分かる程度の戦車道についての話をし始めた。主に前回教えたことの復習的な内容だった。

 初めは申し訳無さそうにしていた美帆だったが、話が始まると真剣にその話に耳を傾け、またエリカの確認的な質問に的確に答えた。

 そうしていくうちにあっという間に時間は流れ、空はだんだんと暗くなっていく頃になっていた。

 

「あ、そろそろいい時間ですね。では、料理を作らせていただきますね」

 

 そう言って美帆は玄関に置いてあったレジ袋とバッグを台所のところまでもってきた。バッグの中には、料理道具一式が揃っていた。

 

「一応自分で料理道具は持ってきたんですけど、エリカさんの台所もちょっと見させてもらいますね」

 

 そう言って、美帆はエリカの台所を調べた。すると、美帆は驚いたような顔をする。なぜなら、エリカの台所には、美帆が思っていた以上に料理道具が揃っていたからだ。

 

「へぇー、ちょっと意外ですね。エリカさんの家、あんまり料理道具揃ってないものかと……あっ、別にエリカさんが料理できないとか思ってたわけじゃないですよ!? ただ目が見えないと料理も難しいかなと思ってて……!」

「分かってるわよそれぐらい。ときどき料理をしに来てくれる友達がいるの。だから料理道具が揃ってるのよ」

 

 エリカがそう説明すると、美帆は落ち着いて、納得したように「へぇー」と声を上げた。そして再びゴソゴソとエリカの台所の料理道具を調べ始める。

 

「そんなご友人がいたんですね。……私も負けないようにしないと」

「ん? 何か言った?」

「い、いえ! 何でもありません!」

 

 美帆は慌てたように取り繕うと、料理道具と食材を台所に広げ、エプロンをつけて料理を始めた。トントントンと、美帆が包丁で食材を切っている音が聞こえてくる。

 そういえば、とエリカは美帆からまだ聞いていないと思い質問することにした。

 

「ところで、一体今日は何を作ってくれるの?」

「それはですね……ふふ、完成してからのお楽しみです」

 

 美帆は微笑みながら人差し指を唇に触れさせて言った。目の見えないエリカに対してその所作に意味があるのかはともかく、美帆がエリカを驚かせたいという気持ちは汲んで取れた。

 美帆はしばらく料理に没頭する。包丁を使う音や、水道が開かれ水が鍋に注がれる音、ピッと炊飯器が作動する音がエリカの耳に聞こえてきた。そして、グツグツと食材を煮込む音が聞こえてくる。それからしばらくして、美帆の「よし」という呟きが聞こえてきたかと思うと、とても香ばしい匂いが部屋に充満してきた。その匂いは、エリカもよく知っているあの食べ物の匂いだった。

 

「なるほどね……」

 

 匂いで今日の食事を理解したエリカは、あえてそれを口にせずに料理の完成を待つ。そして、お米が炊けたことを知らせる軽快なリズムの電子音が聞こえてきたことによって、その料理はほぼ完成したことを告げた。

 美帆はその料理を載せた皿を二つ、部屋の真ん中にあるテーブルへと運んだ。

 

「さあ出来ましたよエリカさん! 今日のご飯は……カレーです!」

 

 そう、美帆が作ったのは独特な香ばしさを漂わせる、カレーライスだった。

 確かに、カレーを嫌いという人間は少ないから、初めての食事としては無難な選択だろう。

 エリカが内心なるほどと思っていると、美帆がスプーンでエリカのカレーをすくい、エリカにその先端を向けてきた。

 

「はいエリカさん。あーん」

 

 どうやらエリカにカレーを食べさせようとしているらしい。美帆の「あーん」という言葉でそのことを知ったエリカは、ぶんぶんと手を振った。

 

「ちょっとちょっと、自分で食べられるわよ」

「でもカレーはこぼして服についたら取れづらいんですよ? 匂いも付きますし。それに、私がエリカさんにこうして食べさせてあげたいんですよ」

 

 その美帆の厚意に、エリカはデジャブを感じた。そういえば、みほに最初に料理を作ってもらったときもこうだったな。自分で食べられると言っているのに、不満気にするみほについ押し切られたっけ。

 そのことが急に懐かしくなって、エリカはふっと困ったように笑みを浮かべた。そして、

 

「しょうがないわね……じゃあ、今日だけよ」

 

 と、あの日と同じ返答をすることにした。すると、美帆はその言葉に笑顔を浮かべた。

 

「はい! では、あーんですよ。あーん」

「あーん……」

 

 エリカは大きく口を開き、美帆によって差し出されたカレーを口にする。カレーは、美味しかった。まぁ、カレーを不味く作ることのほうが逆に難しいだろうが。

 そうして、エリカは一口一口美帆にカレーを食べさせてもらった。ゆっくりとしたペースだったが、それを気にすることもなく、エリカはカレーを完食した。

 その後で美帆が自分のカレーに手をつけ始める。

 思えば、カレーを食べること自体が久しぶりだった。それに、カレーと言うとエリカはとある人物が頭に浮かぶのだ。

 

「懐かしいわね……」

「え? 何がですか?」

 

 美帆はしっかりとエリカの呟きを聞いていたらしく、美帆が不思議そうな顔で訪ねてきた。

 エリカは聞かれてしまったならばと、せっかくなのでひとつその人の話でもしようと思った。

 

「いえ、昔私がお世話になった人がカレーが好きでね、よく食べてたのよ。西住まほって言う人なんだけど」

 

 その名前を聞いた瞬間、美帆はスプーンを握りしめながらバンッ! とテーブルを叩いた。

 

「西住まほさんって、あの西住まほさんですか!? 世界でも有数の戦車乗りと言われる、あの!?」

「え、ええ……そうか、あなたも名前は知っているのね」

「もちろんですよ! 西住まほさんと言ったら日本戦車道界の星ですからねぇ。戦車道好きで知らないのはモグリですよ。そういえばエリカさんはいつ西住まほさんと知り合ったんですか?」

 

 突然興奮した美帆に気圧されながらも、エリカはなんとか話を進める。確かに、考えてみればまほはもう世界レベルの選手なのだから、知っていてもおかしくなかった。

 エリカは軽く咳払いをして、何も隠すようなことでもないだろうと、美帆の質問に応えることにした。

 

「いつ、というと私が学生の頃ね。私は黒森峰で戦車道をやっていたんだけど、私が黒森峰にいたときの戦車道の隊長が、まほ隊長だったのよ」

 

 思えば、まほとは最後に病院で喧嘩別れしたままだった。

 そして、まほはエリカの手の届かない人物へとなった。

 完全に自分の癇癪であんな分かれ方をしてしまって、申し訳ないと思っている。またいつか会って、和解することはできるだろうか。

 エリカが郷愁を感じていると、美帆は更に驚いた様子でエリカに詰め寄ってきた。

 

「え、ええ!? エリカさんて大洗のOGじゃなかったんですか!? 私てっきり……」

「あれ? 言ってなかったかしら?」

「言ってませんよ! 一体どうして大洗に?」

 

 その質問に、エリカは答えていいか迷った。それは、今こうしてエリカが視力を失っていることと、大きく関わるからだ。エリカは僅かな間逡巡した後、少しはぐらかして話すことにした。

 

「そうね……私、まほ隊長がいなくなったあとに黒森峰で隊長をやっていたんだけど、うまくいかなくてね……それで、下級生に悪戯されちゃって、こうして視力を失っちゃったの。それで……まあ色々あって、黒森峰を離れて、大洗で過ごすことにしたのよ」

 

 そのエリカの説明を聞いていた美帆は、最初は唖然とし、そしてすぐさま眉間にしわをつくり、またもやバンッ! と机を叩いた。

「……許せません! いくらなんでもひどすぎます! そりゃあ戦車道も人間関係の上に成り立つ競技ですからいろいろあるでしょう。だからといって失明までさせるなんて……!」

 

 まるで自分のことのように怒りを露わにする美帆に、エリカは微笑みながらそっと肩に手を置いた。

 

「怒ってくれてありがとう。でもね、これは私の自業自得みたいなものだから。私が、立派な隊長でなかったのがいけなかったのよ」

「そんなことありません! エリカさんに今まで戦車道のことを教えてもらいましたが、エリカさんはとても戦車道に対して真剣であることが私にも伝わってきました! それなのに、それなのに……!」

 

 未だ怒り冷めやらぬといった感じの美帆に、エリカは困りつつもなんだかとても嬉しい気持ちになった。こうして自分のことを思ってくれる人がまた現れてくれるなんて、思ってもみなかったことだった。だからエリカは、美帆を背後からそっと抱くことによって、その気持ちに応えることにした。

 

「エリカさん……?」

「ありがとう……私のことでこんなに怒ってくれるなんて、嬉しいわ。でも、もう過ぎたことなの。すべては過去のこと。だから、私は気にしてないわ。だからあなたも気にしないで欲しい」

「は、はい……」

 

 美帆はシュンとした様子で頷き、エリカの腕をそっと掴んだ。お互いの体温がそっと触れ合う。エリカは、その感覚がなんだかとても久しぶりのように思えた。

 

「ごめんなさい、私ちょっと頭に血が昇ってました。それにしても、黒森峰ですか……。でも、黒森峰って、今はその……」

 

 美帆が言い淀む。なぜなら、黒森峰は今、かつての栄光が嘘のように、戦車道においては弱小校になっていたのだから。

 

「そうね……今の黒森峰は、私の事件があってしばらくの出場停止処分を受けてからというもの、すっかり弱体化してしまった。かつて十連覇に王手を掛けたその面影は、どこにもない。寂しいものね。自分の母校が落ちぶれてしまうのは……。私ね、実を言うと、ちょっと後悔してる部分もあるの。隊長から任された黒森峰を、結局優勝に導くことができなかった。それどころか、今のような状態にしてしまった原因を作ってしまった。だから、どうにかして黒森峰にはかつてのように王者の風格を取り戻して欲しい、そんなことをたまに思うの」

「エリカさん……」

 

 そのエリカの淋しげな口調に、美帆はただ頷くことしかできなかった。そして、エリカの腕を握る手の力を、少しだけ強めた。

 エリカもまた、美帆をより強く抱きしめた。

 静かな時間が流れていく。

 太陽はいつの間にか沈み、青みがかった空に、月がその姿を現し始めていた。



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8話

 とある昼下がり、沙織は陽気な気分で学園艦の歩道を歩いていた。手には大きなトートバッグがぶら下げられ、中には食材が詰め込まれている。

 沙織は今、エリカの家に向かっていた。引っ越しや結婚のことなどでなかなかエリカに会えずにいたが、やっと一段落ついたので久々にエリカに会おうと思ったのだ。

 久々に友人と会える。そのことが沙織の気分を高揚させていた。

 きっとエリカはここ最近ずっと出来合いの食事ばっかりだったに違いない。だから私が花嫁修業で培った女子力で、エリカに美味しい料理を作ってあげるのだ。きっとエリカも喜ぶに違いない。以前は少し悲しい別れになってしまったけど、今度は終始明るく彼女に接しよう。そうしよう。それがお互いのためだ。

 そう考えると、沙織はエリカの家へと向かう足が駆け足になるのを抑えられなかった。結果予定よりも早く、エリカの家についた。エリカには事前には伝えていない。エリカをびっくりさせたかったからだ。

 沙織はうきうきとした気持ちで、エリカの家のインターホンを押した。

 すると少しして、「どうぞ」という声が中から聞こえてきた。なので沙織は、勢いよく目の前の扉を開き、おもいっきり声を張り上げた。

 

「やっほーえりりん! ひっさしぶりー!」

 

 と、そこで、沙織はいつも見慣れているはずのエリカの部屋に、何か違和感があることに気がついた。そう、それはいつも一人で窓辺に座っているはずのエリカの側にあって――

 

「……えっと、ねぇ、えりりん。その子、誰?」

 

 そう、エリカの側に見慣れない少女が立っていたのだ。その少女は、大洗の子にしては垢抜けた格好をしており、綺麗な黒髪で、肩を軽く越すほどまで伸びるその後髪をゴムで纏めていた。顔立ちはかわいいというよりは美人寄りだが、どこか幼さが抜けておらず、まだ中学生ぐらいなのだろうということを察することができた。

 沙織が困ったようにその少女を見ていると、その少女もまた困ったようにエリカを見た。すると、エリカは「はぁ……」と軽く溜息をつくと、顔を沙織のほうに向けてきた。

 

「沙織……あなた、アポなしで突然やってくるのは悪い癖よ」

「へっ……あ、うんごめんえりりん……ってそうじゃなくて、だからその子、誰!? 私、何かまずい現場に居合わせちゃった!?」

「なんでそんな方向に考えがいくのよ……ああもう面倒臭いわね、自己紹介して。美帆」

 

 みほ? 今、エリカはこの少女のことをみほと言った?

 沙織は混乱で頭がいっぱいになっている中、ずっとどうしたらいいものかと思い悩んでいたその少女が、おそるおそる自己紹介を始めた。

 

「えっと……私、東美帆といいます。大洗中学の二年で……もうすぐ三年になります。東と書いてあずまと読み、美辞麗句の美に順風満帆の帆の字を使ってみほと読みます。私はエリカさんに戦車道のことを教えてもらいながら、エリカさんの生活を手助けしているんです」

 

 その自己紹介で、沙織は一応混乱を鎮めることができた。どうやらエリカはいつの間にか、中学生と戦車道を通じて懇意になっていたらしい。そういえば、確かエリカは時々中学校にいって戦車道の臨時講師をしていたのであった。そのとき出会ったのだろうか? しかし、家にまで来て生活の手助けをしているとは……どうやら私がちょっといない間に、色々あったらしい。しかも、その少女の名前が美帆とは……。

 

「あぁ、その、私は武部沙織って言います。えりりんの友達……だね」

 

 つられるように沙織も挨拶を仕返す。軽く会釈をし合う沙織と美帆は、お互いの距離感がつかめていないなんともむず痒い光景だった。

 エリカの部屋に自分の知らない他人がいる。その光景は、やはり慣れないものだった。今まで人との交流をあまりしてこなかったエリカだから、尚更だった。

 と、そこまで考えて、沙織の頭の中に嫌な考えが浮かんだ。まさかとは思い頭から振り払おうとするが、どうしても振りきれない。だからこそ沙織は、その疑問を直接本人にぶつけることにした。

 そのためには、まず二人っきりになる必要がある。だからこそ沙織は、

 

「えっーと、東さん? 私、少しえりりんとお話したいことがあって……だから、ちょっとだけでいいから外で待っててくれないかな? お願い、ちょっとだけでいいから!」

 

 と、美帆に少しの間席を外してもらうことにした。

 

「ちょっと沙織、いきなりどういうこと?」

 

 エリカが不機嫌そうに言う。

 まぁ確かにいきなり部屋にいた人間に出て行って欲しいというのは控えめに言って失礼だろう。

 沙織も初対面の相手にこんなことを言うのは失礼だと分かりつつも、エリカとの会話をあまり聞かれたくなかったというのが勝っていた。

 沙織は両の手のひらを顔の前でパチンと合わせて頼み込む。すると美帆は、一瞬びっくりしたように目を見開いたが、すぐさま笑顔で「はい! 大丈夫です。それじゃあ、外に出てますね」と、沙織にぶつからないようにうまく避けながら玄関から外へと出て行った。

 沙織の気持ちを察してくれたのか、それとも年上の相手に言われて怯えてしまったのか、どちらにせよ、気を回せる子だなと沙織は思った。

 

「…………」

「…………」

 

 美帆が出て行ったことで、部屋にはエリカと沙織の二人っきりになる。エリカは気難しそうな表情を浮かべている。エリカのそんな顔を見るのは久しぶりだった。

 

「……で、話って何? わざわざあの子を追い出したんだから、それなりの話なんでしょ?」

「うん……ねぇえりりん、あの子、美帆って言うんだね。戦車道の授業で出会ったの?」

「……ええ」

 

 沙織が美帆という名前を呼んだとき、エリカの表情が一瞬変わった。それを、沙織は見逃さなかった。

 

「ふーん……ねぇエリカ、一つ、聞いてもいいかな」

「……何かしら」

「……エリカはさ、もしかして、あの子のこと、みほの代わり、だなんて思ってないよね?」

 

 それが、沙織の頭によぎった嫌な考えだった。エリカはみほの幻影に未だ囚われているままである。そんなエリカの前に、みほと同じ名をもつ少女が現れた。そしてエリカはその少女をいたく可愛がっていることが先ほどのやりとりですぐに分かった。

 だからこそ、エリカがあの美帆という少女を家にあげ、気にかけている理由がそこにあるのではと、沙織は疑念を抱かずにはいられなかったのだ。

 もしそうならば、友人としてエリカを止めなければいけない。それがエリカのためであり、あの子のためでもあるからだ。

 しかし、エリカはその沙織の言葉に、静かに頭を振った。

 

「……いいえ、そんなことないわ。彼女は彼女。みほはみほよ。名前は一緒でも、まったく違う人間だわ」

 

 そのエリカの言葉は、嘘を付いているようには聞こえなかった。少なくとも、沙織が知るかぎりのエリカにおいて、その真剣な表情と口調は、真実を語っているときのものだった。

 だから沙織は、エリカを信じることにした。

 

「……そっか。ごめんね、変なこと聞いちゃって。それじゃさっそくあの子呼び戻そっか! 急に部屋の外に出しちゃってかわいそうなことしちゃったしね!」

 

 そう言ってそれまでの真面目な表情からいつもどおりの明るい顔つきと語調に戻った沙織は、急いで玄関まで走って行き、扉を開く。

 

「ごめんね東さん! もう話終わったから入ってきていいよ!」

「あ、はい……。えっと、武部さん」

 

 まだどこか遠慮がある様子の美帆に、沙織は笑顔で彼女の頭をわしゃわしゃと撫でた。

 

「おおっ……!?」

「沙織、でいいよー! えりりんの友達なら私の友達ってことだしね!」

 

 大切な友達が友達と認めた相手なら、その相手も自分にとっては友達と変わらない。それは、沙織が大洗でエリカと会ったときに言った言葉と、何一つ変わらなかった。

 無論そのことは美帆は知らないが、美帆もまんざらでもない様子だった。

 

「は、はい……沙織、さん! だったら私のことも、美帆、でいいですよ」

 

 だから美帆も、沙織に笑って応える。そんな美帆を見て、沙織も嬉しい気持ちになる。だから沙織も、

 

「うん! よろしくね、美帆ちゃん!」

 

 と、底抜けに明るい声で応えた。

 その後沙織は美帆と一緒に部屋に上がり、エリカを含めた三人で話をしてみることにした。すると、美帆という人間のことがすぐさま分かってきた。美帆は感情豊かで、心優しい子だった。沙織やエリカの一言一言に大きく反応し、しかし常に話している相手のことを気遣っている。そして美帆がエリカの世話をしているということ、エリカから戦車道のことを教えてもらっていることを聞き、なるほどそういう経緯があればエリカもこの子のことを気に入るだろうということが分かった。最初に浮かんだ嫌な考えは、完全に杞憂だったと思った。

 だから沙織も自分が戦車道をやっていたことを伝えた。すると、

 

「えっ、沙織さんてあの大洗の初優勝の世代だったんですか!? 凄いです!」

 

 と、尊敬に満ちた視線を注がれた。そのキラキラとした視線が眩しすぎて「そ、そんなことないよー」と謙遜するも、美帆は興奮冷めやらぬ様子でいろいろと質問してきた。

 そのときのエリカは我知らぬといった様子で、でもどこか楽しげに窓の外を見ていた。

 そんなこんなで三人でだらだらと話していると、いつの間にか日が落ち始めていた。なので沙織が料理を作ろうとすると、美帆も手伝いたいと言い始めた。

 どうやら美帆も料理を作る気でいたらしい。

 

「そう、じゃあ一緒に作ろうか。ふふふ、私の女子力伝授しちゃうよー!」

「はい、お願いします!」

 

 ぴしっと腰を九十度曲げて頭を下げる美帆。そんな美帆を見て、これは大人としていいところを見せるところだと張り切る沙織だった。

 

「沙織の女子力なんて伝染されると、結婚するのが遅れるわよー」

「ちょっとえりりん!? いくらなんでもひどすぎない!? それにもう結婚するからそんなことないし!」

 

 エリカのあまりに無慈悲すぎるヤジに反論する沙織。そんな二人を見て、美帆はクスクスと吹き出し始めた。

 

「ふふふ……二人とも、本当に仲がよろしいんですね」

「んーまあね、これでもう十二年は付き合ってるし」

「干支が一回りするぐらいだものね。思えば随分と長い付き合いになったわね。ありがとう沙織」

「へ? う、うん……」

 

 唐突なエリカの謝辞に、沙織は顔を真っ赤にした。不意打ち的に褒められると、さすがの沙織でも恥ずかしかった。

 沙織はそれを美帆には悟られまいと、必死に笑って取り繕った。

 

「あ、あはは! もうえりりんたら! ささ、そんなことよりとにかく晩御飯作ろ? 今日は肉じゃが作るよ!」

「はい!」

 

 そうして沙織と美帆は一緒に料理を始めた。初め沙織は美帆にいっぱい自分の技術を教えこむつもりだったが、その沙織の目論見は外れた。美帆は、沙織が教えるまでもなく、上手に料理をこなしていったのだ。

 これはなかなかの女子力だなと、沙織は思った。何年間も花嫁修業を積んできた沙織に勝るとも劣らない腕前であり、思わず沙織は舌を巻いた。

 そんな美帆の助けもあって、肉じゃがはあっという間に完成した。そして出来上がった肉じゃがをテーブルに運び、予め炊いてあったご飯と一緒に作っておいた味噌汁をテーブルに運び、三人で食卓を囲む。

 

「「「いただきます」」」

 

 三人で一斉に口にした肉じゃがは、とても美味しかった。それに、こうして多人数で食べるというのも、かなり久しぶりだった。華や麻子、優花里といった友人たちは随分と前に陸に行ってしまったから、もう何年ぶりになるかも分からなかった。

 三人は楽しく談笑しながら食事を終えると、沙織はテキパキと洗い物に移った。当然のように美帆も手伝いにくる。おかげで、洗い物もすぐさま終わった。

 外を見ると、すっかり真っ暗になり、夜空には星が輝いていた。時計も短針が四分の三の位置にさしかかろうとしていた。

「それじゃあ、私はそろそろ帰らせていただきますね」

 美帆が名残惜しそうに言う。沙織はそんな美帆を見て、

 

「あ、だったら私が送っていくよ。すぐ近くとは言え、夜道に女の子一人は危ないでしょ?」

 

 と、美帆を送っていくことを決意した。

 

「え? でも、悪いですよ」

「いいのいいの。私だってちょうど帰ろうかなって思ってたところだしね」

「そうよ、送ってもらいなさい。私には見えないけど、もう結構暗いんでしょ? 沙織、頼んだわよ」

 

 エリカにも言われたおかげか、美帆は「じゃあ……お願いできますか?」と申し訳無さそうに言ってきた。

 沙織は、そんな美帆に「うん!」と一言元気良く応えた。

 そして二人はエリカの部屋を出て、ゆっくりと夜空の下を歩いて行く。他に歩いている人影もなく、とても静かで、落ち着いた空気が二人の間に流れた。

 

「ねぇ……美帆ちゃん」

 

 その沈黙を、沙織はそれまでの快活な雰囲気とは違った、落ち着いた声で打ち破った。

 美帆は今日初めて見る沙織の態度に驚いたのか、意外そうな顔を浮かべた。

 

「はい? なんでしょう?」

 

 そこで沙織は一呼吸置くと、美帆の夜空に輝く星々に目を向けながら、話し始めた。

 

「私、もう少ししたら学園艦からいなくなっちゃうんだ……さっき話したように、結婚してね。だから、もうえりりんの面倒見ることができなくなっちゃうの。だからね……美帆ちゃんにえりりんのこと、お願いしてもいいかな?」

 

 このことを伝えるのが、沙織が美帆を送ろうと言った本当の理由だった。

 自分はもうすぐいなくなる。すると、エリカは本当にひとりぼっちになってしまう。そのことが、ずっと気がかりだった。本当にエリカを置いて結婚してもいいのかと、悩んだ日もあった。だからこそ、この美帆という少女が現れたのは、沙織にとって嬉しい出来事だった。あのエリカが、心を開き始めている少女。もしかしたら、今まで自分たちにはできなかった、エリカの心を救うということが、彼女になら出来るかもしれない。なぜだか、そんな気さえしていた。

 だからこそ、沙織は美帆に、エリカを頼む、とどうしても伝えたかった。

 すると、美帆は立ち止まり、手をぎゅっと握って沙織のを見つめた。そして、

 

「……はい、約束します! エリカさんは必ず、私が支えていきます! 私が、ずっと……!」

 

 と、大きな声で、その瞳に決意を篭もらせて、沙織に言った。

 沙織はその返答に大いに満足した。ああ、この子になら任せていいと。この子になら、自分の大切な友人を預けることができると。

 そう安心させるものが、美帆の瞳には宿っていた。

 

「……ありがとう、美帆ちゃん」

 

 だから沙織は、微笑みながら美帆に、穏やかな声で礼を言った。

 その後二人は、不思議と満たされた沈黙のなか帰路についた。美帆と歩く時間は、実質的な距離もあって、あっという間に過ぎていった。

 沙織は美帆を最後まで見送るつもりだった。だから美帆と一緒に、寮の階段に足を載せた。二人で階段をコツコツと上がっていく。と、そこで沙織は懐かしい気持ちになった。ああ、昔もこうしてこの寮の階段を昇ったな、と。この寮にいた、大切な友人のところに通うために、何度も。

 そんなことを思っていると、美帆がとある部屋の前で止まった。そこで、沙織は息を飲んだ。

 

「では、ここが私の部屋なので。ここまでどうもありがとうございました」

「え? ここが……?」

「はい。……えっと、どうかしましたか?」

 

 沙織が言葉を失うのも訳なかった。なぜならそこは、かつて沙織がこの寮に通った目的である少女、みほが住んでいた部屋と、まったく同じ部屋だったのだから。

 

「……いや、なんでもない。なんでもないよ。それじゃあね、おやすみなさい」

 

 沙織は必死に誤魔化すと、頭に疑問符に浮かべている沙織に背を向け、階段を降りていった。こんな偶然もあるものかと、沙織は驚いていた。

 美帆と言う名の少女が、かつてみほが住んでいた部屋に住んでいる。不思議なこともあったものだ。エリカはこの事を知っているのだろうか? いや、知らないに違いない。ならば、このことは胸に秘めておこう。この小さな奇跡は、私の胸に秘めていたほうがいい。そんな気がしたから。

 沙織が歩く無人の道路には、虫の音すらせず、ただ彼女の足音だけが響いていた。



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9話

 それから一週間近く経った。その間も、美帆は毎日のようにエリカの部屋を訪れ、エリカの面倒を見、また戦車道について教導された。時折沙織もやってきて、三人で楽しい時間を過ごした。沙織もエリカと一緒に美帆に戦車道を教えることもあり、美帆はどんどんとその教えを吸収していった。

 そして、春休みにも終わりが見えてきたある日のことだった。

 

「あの……エリカさん?」

 

 勉強を終え、二人きりでまったりとした時間を過ごしていると、美帆が遠慮がちな感じでエリカの名前を呼んできた。エリカはこういうときの美帆は、何か言いたいことを躊躇っているということを、ここ最近の付き合いですっかり理解していた。

 

「ん? どうしたの美帆?」

 

 だからこそエリカも、美帆がそれを言い出すのを待つ。

 無理に聞き出すことはせず、あくまで彼女が自分の意志で口にするのを待つのだ。

 

「えっとですね……その、もうすぐ春休みも終わりじゃないですか」

「そうね」

「それでですね、もうすぐ新入生を迎え入れるのも兼ねて、学園艦が大洗に寄港するじゃないですか。で、その……もしよかったらなんですが、そのとき……」

「そのとき?」

 

 美帆はその先を何故か言い淀んでいるようだった。美帆がこういったことになるのは珍しくないが、今日は特に言いづらそうにしているなと思った。

 そして少しの間を置いて、美帆が口を開いた。

 

「そのとき……よかったら、一緒に陸の上に行きませんかっ!!」

 

 美帆があまりにも大音量で言うものだから、ついエリカは耳を塞ぎたくなった。

 だがそれ以上に、その提案はエリカにとって思いがけないものだった。

 

「陸に……?」

「はい、私、その、春休みが終わると三年生に上がって、そうするとエリカさんとこうして一緒にいられる時間がなくなっちゃうじゃないですか。その前に、思い出の一つでも欲しいと思いまして……」

 

 エリカはこの学園艦にもう十二年間居続けている。それは、彼女の最愛の人、みほを待ち続けているからだ。だから、エリカはいままで学園艦を降りる気はなかった。

 だが、美帆に今こうして頼まれたとき、すぐさまそれを否定しようという気持ちにはならなかった。

 何故だろう? 今まではあれほどこの学園艦にいることにこだわっていたのに……。

 

「……駄目、ですかね。やっぱり。そうですよね、突然こんなこと言われても、困りますよね」

 

 美帆の明らかに落ち込んだような声が聞こえてくる。その声は、今にも泣き出しそうにすら聞こえてきた。

 その声を聞いていると、大きな罪悪感に苛まれる。まるで、自分が彼女を虐めている、そんな気分になる。

 もちろんエリカにはそんなつもりはない。だが、美帆を満足させるには、彼女の提案に乗るということだ。今までずっとこだわり続けてきたことを、そのために止めるのには勇気が必要だった。

 いつか帰ってくるかもしれないみほのことを思い続けて十二年。いっこうに彼女は帰ってこない。本当に彼女は帰ってくるのだろうか? ただ、辛い思いをするだけじゃないのか? そう思ったこともあったが、自分は決して諦めてはいけない。そんな気がしていた。

 だけど……だけど、たった一日なら? たった一日なら、学園艦を離れていても問題ないのではないか? そう、たまにぶらっと図書館を訪れるように、陸の上に行っても、問題はないのではないか? 生活の場を陸の上に移すのではない。ただ、遊びに行く。それなら、彼女も許してくれるのではないか……?

 

「……いいわよ」

 

 いつの間にか、エリカの口からそんな言葉が零れていた。そう、エリカは決意したのだ。学園艦から降り、地上に立つことを。

 

「……! 本当、ですか……? 本当に、いいんですか!?」

「ええ、いいわよ。明日、一緒に陸に行きましょう」

「う……うれしいです。嬉しいです、エリカさんっ!!」

 

 美帆はそのエリカの一言で、喜びと驚きに満ちた声を上げた。

 エリカにとっても、それは驚くべきことだった。まさか、ここまで簡単に陸に行くことを決意する自分がいるとは、少し前までは想像もできなかったからだ。

 これが果たして自分にとって吉となるか凶となるか、それはまだ、エリカには分からなかった。

 だが、嬉しそうにしている美帆の声を聞くと、たまにはいいかもしれない、そんな気に不思議となるのであった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 

 一目惚れだった。

 初めて出会っとき、その美しさに目を奪われた。

 スラっとした長身、豊満なバストとくびれたウェスト、美しいヒップの織り成す女性らしいプロポーション、歌劇団の男役のように整った端正な顔立ち、そして、太陽の光を何倍にも輝かせるような、美しい銀髪。

 その姿を見た瞬間、心臓が鷲掴みにされるような、そんな気分になった。だが、その人には普通ではないところがあった。どうやら、目が見えないようだったのだ。

 そのことを知ったとき、どうしてでもこの人を助けなければいかないと思った。

 それは普段から抱いている誰かを助けたいという気持ちと、初めて抱いた恋慕の感情が混ざり合った結果だった。

 だが結局、その日は名前も知ることも出来ず帰ることになった。悔しかった。何も出来ず、何も知ることもできなかった自分が。

 そして共に嬉しかった。人生において初めて、恋という感情を胸に抱いたのだから。

 

「私って、同性愛者だったんですね……」

 

 その夜、ベッドの上で一人、自分の性的指向を確認した。

 そして翌日、天は彼女を見捨ててはいなかったことが分かった。意中のあの人が、学校に、自分の夢である戦車道の特別講師として現れたからだ。まさに運命的な衝撃だった。授業が終わった後、彼女はすぐさま意中の君の元へと駆け寄った。そして、どうか自分の先生になって欲しいと頼み込んだ。そのとき語った戦車道を学びたいという気持ちは半分本当で半分嘘だった。恋する人と一緒にいたいという気持ちを、隠していたのだから。そしてその提案は受け入れられた。そのことは、天にも昇る心地に彼女を誘った。

 それが、東美帆と、逸見エリカが、互いに名前を知り合った初めての日の出来事だった。

 美帆は必死にエリカへとアプローチを掛けた。エリカと毎回一緒に帰る約束を取り付け、そして、彼女の部屋へと通えるようにも頼み込んだ。そのために、あまり他人には話してこなかった自分の過去もあっさりと打ち明けた。

 その熱意が伝わったのか、エリカに承諾されて、彼女の部屋へ行けるとなると、そのことで頭がいっぱいになった。大好きな人の部屋はどうなっているのだろう。どんな香りなのだろう。はたしてちゃんとお世話を出来るのだろうか。そんなことを考えていたら、寝ることもできずに一夜を過ごしてしまった。

 いざエリカの部屋に入る段階になると、とても緊張し、インターホンを押すのに三十分はかかった。

 エリカの部屋で彼女の世話をするのはとても楽しかった。彼女の生活に直に触れるということが、とても嬉しかった。洗濯物を洗うときにエリカの下着に触れ興奮したことは、隠すのに苦労した。

 エリカに失明した原因についての過去を教えてもらったときは、今までの人生で体験したことのないほどの怒りが沸いた。自分の大切な人に酷いことをするなんて許しがたい事だと思った。だが、エリカになだめられると、途端に冷静に戻ることができた。それほどに、エリカの声は美帆の心に響くものだった。そして同時に、彼女の戦車道を受け継いでいきたい、そう思うようになった。

 それから毎日のようにエリカのもとに通った。そこで、エリカの友人である人とも出会った。その人、武部沙織はとてもいい人だった。さすがエリカの友人だと思った。そして、その人からエリカのことを任せると言われたときは、心の底から嬉しかった。十二年もエリカと付き合っている人からそんなことを任されるなんて、恋する身としては、とても喜ばしく、名誉なことだと思った。

 そのことを胸にエリカと一緒に生活をしていくと、美帆は何か大きくこの恋心を進展させたいと思った。何かないかと考えていると、そこで美帆は気がついた。そういえば、デートというものをしたことがなかった、と。

 自分とエリカとは恋人同士ではない。でも、どうにかデートはしたい。そんな気持ちが湧き出てきた。

 そのために今日、美帆はエリカに清水の舞台から飛び降りる気持ちで、デートを申し込んだ。正直、断られると思っていた。だが、意外にもエリカは美帆の頼みを受け入れてくれた。

 美帆は喜びを隠すことで精一杯だった。本当はその場で小躍りしたいぐらいだった。

 だから美帆は、家に帰った途端、手足をバタバタとさせて体全体で喜びを表現した。

 

「やったー! やったー! デート、エリカさんとデートです! やったー!」

 

 そのままドタバタとしながら、ベッドの上に体をダイブさせる。ボフッとした柔らかい感触が、美帆の体を包んだ。

 

「~~~~~~~っ! 良かった、本当に良かったぁ……!」

 

 美帆はにへらとだらしない笑みを浮かべながら、ベッドの上にあったクッションを抱きしめた。

 まさか本当にデートできるなんて思っても見なかった。どうしよう、一体何を着て行こう? エリカさんは目が見えないけど、でもそれでも精一杯のおしゃれをしておきたい。だって、エリカさんには恥をかかせられないから。明日は何をしよう。目が見えないエリカさんでも楽しめるようなプランを考えないと。まずあんこう鍋は食べにいこう。大洗と言ったらあんこう鍋を食べなければ。あっ、でもあんこう鍋って確か冬限定だった気がする。今でもやってるかなぁ。まぁ食事のことは後で考えるとして、それから、どうしよう? 二人っきりになれる場所とかがあったらいいな。もしかしたらいい雰囲気になって、キスとかしちゃったりしたり……。

 

「きゃーーーー!」

 

 美帆は急に恥ずかしくなって、ベッドの上でゴロゴロと転がった。だが勢いが良すぎ、ゴツン! と壁に頭をぶつけてしまう。

 

「お、おおおお……」

 

 ゆっくりと頭を抱える美帆。ヒリヒリと傷んだが、どうやらたんこぶにはなっていないらしい。そのことで、なんとか美帆は冷静さを取り戻した。

 

「ふぅ……ああ、それにしても、楽しみです。明日」

 

 美帆は時計に目をやる。時計は、午後九時を指し示していた。約束の時間まで、まだ十二時間以上もある。

 美帆はこんなにも時間がゆっくり進んでいると思ったのは、初めてだった。

 

「あーあ、早く明日になりませんかねぇ……」



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10話

今回はエンディングが二つに分岐します。
第三部へと続くルートはこちらの本編ルートであり、IFルートは本編を読んでいることを前提としていますので、まずはこちらを読んでいただくことを推奨します。


 約束の日、大洗はあいにくの曇り模様だった。

 エリカにはその空を目にすることはできなかったが、美帆が愚痴っていたためにあまりいい天気ではないのは分かった。

 だが、そんなことは関係なかった。せっかく美帆と楽しみにしてきた陸の上だ。精一杯楽しもうと、心に決めていた。

 エリカは美帆に手を引かれて大洗の街中を歩いた。大洗の土地は殆ど初めてのようなものなので、目が見える美帆の先導がどうしても必要だった。

 

「さ、こっちですよ」

 

 自信満々にエリカの手を引く美帆の手が、なんだかとても頼もしく思えてきた。また、一回りは上なのに、少々情けないとも思っていた。

 美帆はまず、エリカを神社へと連れて行った。エリカと一緒に参拝したかったのだと言う。エリカはあまり神頼みというのはしないタイプであったが、神社にまで来て何もしないというのもおかしいため、美帆に連れられそのまま参拝した。

 パンパンと、二人で一緒に柏手を打ち願い事をする。エリカは、とりあえず家内安全を願っておいた。特に願うことが思いつかなかったというのが主な理由である。その後、エリカは美帆に何を願ったのか聞いてみた。しかし美帆は「秘密です」と何処か楽しげにしながら、願い事を言わなかった。まぁこういうものは言ったら効力が無くなるものかもしれないと思い、特に気にすることもなかった。

 その後は、二人は温泉に寄った。露天風呂もある、大洗でも有数の日帰り温泉だ。

 温泉によってさっそく温泉に入ろうと美帆が言ったので、エリカは連れられるままに温泉へと向かった。そして、いいと言っているのに、美帆はエリカの脱衣を手伝うと言ってきた。

 

「大丈夫よ、服を脱ぐぐらい一人で出来るわ」

「いえ、せっかくですから手伝わせて下さい。これからお互い裸を見せ合うんですから」

「見せ合うと言っても、私には見えないんだけどね」

「あ、すいません……。だ、だったら触ってみますか!? 私、結構スタイルには自身あるんですよ!?」

「いや、遠慮しておくわよ……」

 

 そんなやりとりをしながら、結局押し切られ、しかたなく美帆の手を借りて服を脱いでいると、途中たまに美帆の手が止まったり「ほぁ……」と妙に艶かしい溜息が聞こえてきたりしてきた。何かと思い美帆に聞くと、美帆は慌ててエリカの服を脱がす作業に戻ったので、結局なんだったのか分からずじまいだった。

 そうしてエリカは美帆の手を借りながら温泉へと入った。美帆はエリカが滑って転ばないようにと、細かく目を光らせていた。そのおかげか、外を歩いているときよりも随分とゆっくり歩くことになった。

 もちろん、湯船に浸かる前にちゃんと体を洗う。さすがのエリカも、ここでは美帆の手を借りなければいけなかった。そうでなければ、まずどれがボディーソープで、どれがシャンプーかさえ分からないのだから。

 

「頭と体、どっちから先に洗います?」

「そうねぇ……それじゃあ、頭からお願いできるかしら」

「はい、分かりました」

 

 すると美帆はシャンプーを手に取り、エリカの頭をワシャワシャと洗い始めた。エリカの頭がどんどん泡だっていく。他人の手で頭を洗われるというのは、これまた久しぶりだなと思った。恐らく、みほと一緒に生活していた頃にまで遡るだろう。

 ざぱぁっとエリカの頭にシャワーがかけられる。エリカは泡が頭の上から流れていくのを感じた。そして、ある程度シャワーと共に美帆がエリカの頭を洗うと、今度は体へとその手が伸びた。

 ぬめっとした感覚がエリカの体を襲う。エリカは思わず笑い出したくなる感覚を我慢し、美帆の手のままにした。ぬるぬる、ぬるぬると、美帆の手がエリカの全身をまさぐる。

 その手は何度も同じところを触ったりしたが、エリカは他人の体の洗い方というものをよく知らなかったので、美帆の洗い方はそういうものなのだろうと特に突っ込まないことにした。

 そして、美帆の手がエリカの胸元にさしかかったときだった。美帆は、エリカの胸をわしわしと揉み始めたのだ。

 

「ちょ、ちょっと!?」

「うわぁエリカさん、おっきぃ……」

「あっ、んっ……こっ、こらっ……!」

 

 ねちっこくエリカの豊かに実った胸を揉みしだく美帆。エリカはその手つきに、思わず声が出てしまう。色のついた声色が響く。幸い、エリカ達の周りには人はいなかったが、エリカはそれでも顔がみるみる赤くなっていくのが分かった。

 

「もうっ、やめなさいっ……!」

 

 エリカはなんとかその一言を振り絞った。すると、胸を揉む手がぴたりと止まって、美帆は慌てて手を引っ込めた。

 

「す、すいません! その、あまりに大きな胸でしたから、その……!」

 

 美帆はとても申し訳無さそうにエリカに謝った。そして、エリカの背後でもじもじしながら言葉に詰まっているようだった。

 エリカはそんな美帆の様子を感じ取り、優しく頭を撫でた。

 

「エリカさん……?」

「もう、次からは気をつけなさいよ。さあ、泡を流して頂戴。早く温泉に入りましょう」

 

 揉まれたときは驚いたが、中学生ともなると、体の発育が気になる年頃なのだろう。そんな彼女の前に大人の体が出てきたのだ。気になって触ってみるのも、仕方のないことなのだろう。

 そう考えると、エリカにとっては先ほどの行為もなんだか可愛らしく思えてきたのだ。

 美帆はそんなエリカの優しさが嬉しかったのか、明るい声で「……はい! エリカさん!」と言って、エリカの体の泡をシャワーで流した。

 そして、二人でゆっくりと温泉に浸かる。エリカは「あぁー……」と少々年寄り臭い声を出しながら浸かっていった。その隣に、美帆も座り込む。温かいお湯に包み込まれて、エリカは確かに幸せを感じていた。温泉というのも、なかなかいいかもしれない。

 

「いい湯ねぇ」

「そうですねぇ……」

 

 エリカも美帆も、温泉の気持ちよさにすっかりとろけきっていた。エリカにとっては、もう十二年以上前に入ったきりだから、新鮮味もあった。

 そうしてどれだけ浸かっていただろうか。エリカはそろそろいいかなと思って、湯船から体を出した。

 

「あ、もう上がりますか?」

 

 そのエリカの姿を見た美帆が声をかけてくる。

 

「そうね、そろそろ上がりましょう。それとも、まだ入っていたい?」

「いえ、エリカさんが上がりたいなら、上がりましょう。……本当は、もうちょっとエリカさんの綺麗な体を見ていたかったんですが」

「ん? 何ですって?」

「い、いえ! 何でもありません! さ、私の手に掴まって下さい!」

 

 エリカは美帆が最後にとても小さな声で何かを呟いたので気になったが、美帆が何でもないというので、ならばそれほどのことでもないのだろうと、すぐさま忘れ去った。

 そのままエリカは美帆の手を掴み、温泉から上がる。そして、美帆に体を拭いてもらい、ドライヤーまでかけてもらった。まるで子供のようだと、エリカは内心苦笑した。しかし、エリカの面倒を見る美帆が楽しそうだから、あえてそのことは口にしないでおいた。

 そして二人は温泉から出ると、昼食を取りに行った。美帆が一緒に食べたがっていたあんこう鍋はあいにく終了していたため食べられなかったが、他のあんこう料理は食べられたので、それを食することにした。

 美帆にどこに何があるかを教えてもらいながらだったが、美味しく食事を取ることができた。

 そして食事を終えた二人は今、大洗の街中を歩いている。美帆はエリカの手を握りながら、次の予定を考えていた。

 

「さて、次はどこへ行きましょうか。ショッピングでもしましょうか、学園艦では買えないものも陸には沢山ありますし。それとも公園にでもいってのんびりしますか。今日は、天気は悪いですが気温的には心地いいですし……」

「そうね……」

 

 エリカも一緒に思案する。美帆は、目の見えないエリカでも楽しめるように、色々考えてくれた。その気持ちが、エリカには嬉しかった。

 他人とここまで楽しい時間を過ごすのは、考えてみればみほがいなくなってしまう前まで遡らなければいかないかもしれない。大切な人と、過ごす時間……。それは何よりもかけがえのないものだった。当時の私には、そんな自覚はなかったのだけれど。

 と、そこでエリカはふと思った。

 美帆はこの春休みの間ずっと私と過ごしてきたが、彼女には私生活で、誰か大事に思っている人はいないのだろうか? もしかしたら、私に関わることで彼女の時間を奪ってはいないのだろうか? 美帆はとても優しい子だから、今日の事だって私を気遣ってのことだってあるかもしれない。それではいけない。

 なので、エリカは美帆に聞いてみることにした。

 

「ねぇ美帆」

「はい。なんでしょうか?」

 

 美帆は考え事を止め、笑顔でエリカの方に顔を向けた。そんな美帆の所作も知らずに、エリカは言葉を続ける。

 

「あなた、大切な人っている? 心から一緒にいたい、そんな人が」

 

 その言葉に、美帆は「えっ!?」とわりと大きな声を漏らし、その場に立ち尽くしてしまった。美帆に連れられていたエリカも一緒に足を止める。場所は、ちょうど交通量の多い交差点付近だった。

 

「大切な人、ですか。それは、その……」

 

 美帆はエリカに見られるわけでもないのに、真っ赤になっている顔を隠すように両手で覆い隠す。そしてしばらく躊躇った後、

 

「……えっと、いますよ」

 

 消え入りそうな声で、そう言った。

 エリカはその答えを聞くと、「そう……」と呟き返し、美帆が手にしている自分の手にさらにもう片方の手を添え、両手で美帆の手を握った。

 

「あなたにもいるのね、大切な人が。だったら、その人を大事にしてあげなさい。大切だと思っている人との時間は、思いがけないことで終わってしまうかもしれないから」

 

 エリカは諭すような口調で、美帆に言う。しかし美帆は、そのエリカの話よりも気なることがあった。

 

「あなた“も”って……エリカさんにもいるんですか? その、一緒にいたい、大切な人が」

「……ええ」

 

 その瞬間、美帆の顔から表情が失われ、顔が蒼白となった。だが、エリカにはその様子を見て取れぬために、そのまま美帆を気にすること無く話を続ける。

 

「……実はね、私が学園艦にずっと残っているのは、その人を待っているからなの。その人はね、私を絶望の淵から救ってくれた。目の見えない私に光を与えてくれた。だから、ずっと一緒にいたい、そう思ったの。でも、その人はずっと前にいなくなってしまった……。だから待ってるの、私は。いつかその人が帰ってくる、その日を。だから美帆、あなたも……美帆?」

 

 そこで、エリカは美帆の異変に気づいた。美帆の手が、ブルブルと震えているのだ。しかも、何やら呼吸も荒い。盲目のエリカにもすぐに、美帆が良くない状態になっているのが分かった。

 

「そっか……エリカさんには、そんな人がいたんですね。それも知らず、私ったら……馬鹿みたい」

 

 その声は、今にも泣き出しそうな声だった。美帆は、そっとエリカの両手から自分の手を引き抜く。そこでエリカにもやっと、美帆が自分に向けている感情が、ただの親切心だけではないことが分かった。

 

「美帆、あなた……」

「本当に馬鹿みたいですよね。ははは、私ったら、一人で盛り上がっちゃって、でも、そんなの全然意味なくって……でも、私は……私はっ……!」

 

 美帆は、突如エリカに背を向け駆け出した。エリカは「待って!」と呼びかけつつ、美帆の足音を頼りに美帆を追いかけようとした。

 だが、そこで、エリカはとあることに気がついてしまった。ここは交差点で、すぐ目の前には信号機があった。そして、その信号機は青信号のときにはエリカのような視覚障害者にも分かりやすいように、音がなるはずだった。だが、今その音がなっていない。そしてさらに、ゴゴゴゴ……という低い音がエリカの耳に響いてきた。その音は、エリカにも聞き覚えのある音だった。重い鉄の固まりが力強い動力部によってその巨体を擦れ合わせながら動く音――トラックが、こちらに向かっている音だった。そしてそのタイミングで、美帆は道路に飛び出そうとしている。

 

「美帆っ!!」

 

 エリカは美帆に大声で呼びかける。しかし、遅かった。美帆は道路に飛び出しており、トラックの大きなクラクションが鳴り響く。

 

「っ!!!」

 

 美帆も初めてそのとき現状を把握したが、トラックはすぐさま彼女の目の前まで迫っていた。美帆は、突然の驚きと恐怖で、足が止まってしまう。

 

「くっ!!!!」

 

 その刹那、エリカは考えるよりも先に体が動いていた。足音を頼りに、美帆の位置を割り出し、その方向に向けてとにかく走る。周囲の時間は不思議とゆっくりと流れていた。一歩一歩、全力で踏み抜いて美帆の元へと向かう。トラックよりも早く、彼女の元へと辿り着くために、駆ける。目が見えないためイマイチ美帆との距離を測ることは出来ない。だが、それでも、彼女を助けたいその一心で、足を動かす。必死に腕を伸ばす。

 トン、と、伸ばした手の先に柔らかい手触りがした。紛れも無い、美帆の体だ。エリカはそのまま足と手にありったけの力を込め、美帆を突き飛ばした。

 美帆の体は大きく吹き飛ばされた。そのことを、エリカは感触で知ることが出来た。

 よかった。

 エリカは、安心でほっと、笑みが零れた。

 次の瞬間、エリカの体に計り知れない衝撃が加わり、高く空へと舞った。

 時間も止まりそうな静寂の中、不思議な浮遊感を味わいながらエリカは考える。

 何故、私はここまでして彼女を助けたかったのだろう? まだ会って一ヶ月ほどしか経っていない、彼女のことを。エリカの頭の中で、一瞬にして今までの出来事が流れてくる。熱心に戦車道のことを聞いてくる美帆、献身的にエリカの世話をしてくれる美帆、エリカに笑い声を聞かせてくれる美帆……。そこで、エリカは気がついた。

 ああ、私にとって美帆はもう、大切な人の一人になっていたんだ。みほと同じくらいに、かけがえのない存在に……。

 

 

 

「……カさん。エリカさん!」

 

 エリカの耳に、ぼんやりとした声が響く。エリカは見えない目を、ゆっくりと開いた。だんだんと声が鮮明に聞こえてくる。どうやら、美帆がエリカを呼び続けているようだった。

 

「……美帆?」

「っ! エリカさん!」

 

 美帆の痛ましい声を、エリカははっきりと聞き取った。どうやら自分は、美帆に抱きかかえられているらしい。

 そして、意識が確かになると共に、体中に激痛が走る。腕も足も、今まで味わったことのない痛みが襲ってくる。そして、額からはドロっとした生暖かい液体が流れ出していることも分かった。恐らく、血だろうと、エリカは何故か他人ごとのように思った。

 

「エリカさん! 今救急車を呼びましたからね!? すぐに来るはずです! だから、それまでどうかしっかりして下さい!」

 

 美帆がエリカを激励するが、エリカにはそれが無駄なことに思えた。救急車を呼んでももう遅い。そんな確信がエリカの中にあった。

 エリカは悟っていた。自分がもう、長くはないと。

 

「美帆……」

「エリカさん! 無理しないでください! もう少しの辛抱です!」

「ねぇ美帆、聞いて……たぶん、私もう、駄目だと思う……」

 

 エリカが掠れた声で美帆に言う。すると美帆は、エリカを抱く手の腕の力を、よりいっそう強めた。

 

「何言ってるんですかエリカさん……? そんなこと、あるわけないじゃないですか……?」

「ううん、分かるの。自分のことは、自分が一番……ゲホッゲホッ!」

 

 エリカは急に咳き込む。そのとき、一緒にエリカは口から自分の体に血を吐き散らしたのだが、その光景を目に出来たのは、美帆だけだった。

 

「エ、エリカさんっ!」

「だからね……私、あなたに伝えたいことがあるの……私、あなたに会えて、よかった」

 

 エリカは美帆に向かって、今自分に出来るとびきりの笑顔を見せた。それが、エリカにできる精一杯への美帆への感謝の印だった。

 ぽつり、ぽつりと、エリカの肌に冷たい感覚がした。それは、ざあっという音と共にしだいに数を増していく。どうやら、雨が降り始めたようだった。

 そして、雨粒と共に、頬に温かいしずくが落ちるのをエリカは感じた。

 

「うっ……うっ……!」

 

 美帆の嗚咽が聞こえてくる。どうやら、雨と共に、美帆の涙が流れてきているようだった。

 エリカは痛む左腕をなんとか動かして、手探りで美帆の頬に触れる。そして、そっと美帆の涙を拭った。

 

「もう、泣かないの……あなたは、笑い声が素敵な子なんだから……」

「エリカさんっ……無理です、無理ですよ……そんなの……」

 

 美帆はエリカに言われても、涙を流すことを止めなかった。止めることができなかった。美帆は泣きながら、エリカの手をそっと握る。

 そんな美帆の声が、だんだんと遠のいていく。エリカは、自分の意識が再び闇に沈もうとしているのが分かった。きっと、もう二度と帰ってこれないだろう、闇の中に。

 ああ、私はこのまま死ぬんだな。

 そんなぼんやりとした自覚が、エリカの胸中に訪れる。

 

 そのときだった。エリカは、不思議な体験をした。

 

 見えないはずの視界が、一面光に包まれたのだ。何事かと思い、すっかり視ることをしなくなったはずの目を凝らして見ると、その光の中に一つの人影を見た。

 その人影は、だんだんとエリカの方へと近づいてくる。

 誰だろう……? なんだか、とても懐かしくて、とても温かい、そんな印象を受ける。

 そして、人影がその姿がはっきりと見えるほどまでに近づいたとき、エリカは驚愕した。そこにいたのは、なんと――

 

「みほ……?」

 

 そう、エリカが十二年間待ち続けていた、想い人。西住みほが、そこにいた。

 

「っ!? なんですか、エリカさん!?」

『エリカさん』

 

 みほが、エリカに笑いかけてくる。エリカが久しく目にすることができなかった、優しい笑みを。

 

「みほ……そこにいるのね? みほ?」

「はい! エリカさん! 私はここにいます! 私は、ここに!」

 

 ああ、なんだ、そうか。そういうことか。

 

「みほ……あなた、ずっと私と一緒にいてくれたのね……? ずっと、ずっと……」

「私はここにいますよエリカさん! これまでも、これからも一緒です! エリカさん!」

 

 みほを待ち続けている必要なんてなかったんだ。なぜなら、みほは、最初から私といてくれたから。そうか、そうだったんだ……。

 

『エリカさん、よく、頑張ったね。本当によく、頑張ったんだね』

 

 光の中のみほが、そっとエリカに手を伸ばす。エリカもまた、それに応えるように、左手を天へと伸ばす。

 

「エリカさん……!?」

 

 そしてエリカは、その差し伸べられたみほの手を、強く、強く、握りしめた。

 

「……エリカさん? ねぇ、エリカさん? ……いや、いやあああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!!!!」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 エリカの葬式は彼女の実家のある熊本で、しめやかに執り行われた。エリカの実家はそこそこ裕福であるらしく、なかなかに豪華な葬式の様相を呈していた。どうやら葬式にも見栄を張りたいという、逸見の家の思惑が見て取れた。

 しかし、その掛けられたであろうお金に対し、参列者の数は少ないものだった。殆どが逸見のごく近い親類であり、友人などの関係者は殆ど来ていなかった。それが、エリカの生前の交流の少なさを物語っていたようだった。

 沙織は、その数少ない参列者として、沙織は五十鈴華や冷泉麻子、秋山優花里といった友人達と一緒にエリカの葬式に来ていた。

 エリカが死んだと聞かされたとき、沙織はまず信じることができなかった。あの学園艦に残ることに拘っていたエリカが、陸の上で車に轢かれて死んだと言うのだから。しかし、いざこうして葬式に参列し、その死体を目にすると、急に現実感が沸き、涙が溢れてきた。隣に座っていた華が慰めてくれなかったら、きっと大声で泣き腫らしていただろう。

 参列者の中には、中学校の制服を着た美帆の姿もあった。ずっと俯いており、その顔を確認することはできなかった。

 そして、参列者の中で一番目立っていたのが、みほの姉であり現在は世界的な戦車乗りとして名を馳せている西住まほだった。まさかまほがエリカの葬儀に来るとは誰も思っていなかったらしく、戦車道について知識のある人物は彼女の姿を見た瞬間こぞってひそひそとその名を呼んだ。

 だが、沙織は久々に見たまほの姿を見て驚いた。髪はボサボサでところどころ白髪が混じっており、目元には皺が目立っていた。さらに戦車乗りとは思えない覇気の無さが、昔のまほとのギャップを感じさせた。ご焼香に立つまほの姿は、なんとも頼りのない姿だった。

 葬儀は何の問題もなく進行し、静かに終わった。エリカの遺骸はあっけないと言いたくなるほどにすみやかに火葬された。火葬場から立つ煙を、沙織は生涯忘れることはできないだろう。そして式場に戻り、精進落としへと移ると、沙織は友人達に少し一人になりたいと言って、屋外へと出て行った。

 外はさすが熊本と言いたくなるぐらいに、太陽が燦々と照りつけていた。手で顔を覆いながら、階段に腰掛けると、「はぁー……」と大きく息を吐いた。心身共に、どっと疲れが襲ってきた。

 まさか、こんなにも早く友人の葬式に再び参列することになるとは思わなかった。しかも、あんなにつらい思いをしてきたエリカがこんなに簡単に逝ってしまうだなんて、人生とは本当に理不尽なものだなと、沙織は思った。

 

「武部さん……?」

 

 そんなことを考えていると、沙織は背後から声をかけられた。そこにいたのは、まほだった。

 

「……まほさん」

「……お久しぶり。ここ、座っても?」

「……どうぞ」

 

 沙織が許可すると、まほはゆっくりと沙織の隣に座り込んだ。その動きにも、どこか元気なさげだった。

 

「みほの葬式以来かな? こうして武部さんと会うのは」

「そうですね……」

「……まさか、エリカがこんなにも早くいなくなってしまうだなんてな。現実というのは非情だよ。だけど、みほのときと違って遺体はしっかりとあったから、ちゃんとともらってやることが出来ただけ、マシなのかな」

 

 まほはまっすぐ正面を見ながら、沙織に話し掛ける。その顔は、やはり疲れが濃く出ていた。

 

「……それにしても、ちょっと意外です。まほさんが、エリカの葬儀に出るなんて」

 

 沙織がそう言うと、まほは少しだけ間を置いてから「……そうだな」と口にした。そしてそのまま、沙織に話し始める。

 

「私は、エリカと最後に会ったときに、酷いことをしてしまったんだよ。エリカのことを何も考えること無く、自分が勝手に抱いていた彼女像を押し付けてしまってね。……エリカとはそれっきり、この十二年間顔を合わすことがなかった。みほが死んだときも、エリカは葬儀にこなかったしね」

「……エリカはみほが死んだって、認めていませんでしたから」

「そうだったね。……思えば、エリカは、私よりずっとみほのことを想っていたんだろうな。私はすぐに諦めてしまったのに、彼女は想い続けいたんだから。……私はね、武部さん。エリカが失明して、そしてみほがいなくなってしまってから、ずっと自分を騙して生きてきたんだ。戦車道を続けることによって、傷つけてしまった大切な後輩と、死んでしまった最愛の妹と、繋がっていられるって信じてね。……でも、そんなことはなかった。私はただ、逃げ場が欲しかっただけだった。辛い現実から目を逸らすための何かが欲しかった。それが、西住流で、戦車道だった。でも、そんな考えで戦車に乗り続けていくうちに、私はいつの間にか、戦車そのものが、だんだんと嫌いになっていった。自分が操っている戦車が、自分の大切なものをすべて奪い去った、そんな気さえしてきた。それでも私は戦い続けた。人として大切なものを失ってでも、西住の女として」

 

 そこまで話すと、まほは力を必死に振り絞るようにその場から立ち上がって、空を見上げた。

 

「でも、それも今日でおしまいだ。……今日、エリカの遺体を見て教えてもらったよ。私の現実というやつを。私が、すっかり戦車道へというものへのあらゆる熱意も尊敬も情熱も希望も失っているということがね。だからね、武部さん、私は――」

 

 まほは、座り込む沙織の顔を見下ろした。とても疲れた、だが、どこか清々しさを感じる、そんな笑顔で。

 

「戦車道を、止めるよ」

「……まほさん……」

「そう決めたら、なんだか今まで感じていた重苦しさが、一気に解消された気がするんだ。西住流なんてもう知ったことか。あんな流派、私の代で絶えてしまえばいいんだ」

 

 まほの笑顔は、それが心からの発言であることを容易に沙織に伝えた。沙織は、まほになんて言えばいいかしばらく考えたあと、なんとか重い口を開いた。

 

「……それで、本当にいいんですね?」

「ああ、もう決めたことだ」

 

 やはりまほの言葉には迷いがなかった。こうなった以上、沙織もこれ以上口出しすることができないだろうということが、よく分かった。だから、自分にできることは、せめて彼女の今後の人生を応援することぐらいだった。

 

「……そうですか、ぜひ頑張ってください。でも、これからどうするんです? 戦車道をやめてからの人生設計とか、あるんですか?」

「そうだなぁ……まあお金のことは心配ない。今まで散々稼いだから一生分ぐらいはあるはずだ。そのお金で……そうだなぁ、せっかくだ。カレースナックでも開いてみようかな。私の人生、戦車以外はすっからかんだから、残ってるものなんて好きな食べ物ぐらいしかないしな」

 

 まほはそこで大きく背伸びをすると、ゆっくりと踵を返し沙織に背を向けた。

 

「それじゃあ武部さん。私は会場に戻るとするよ。こういう新しい門出をした日には、飲むに限るしな。愚痴に付き合ってくれてありがとう」

「はい」

 

 そしてまほは、玄関から会場へと戻っていった。そのまほの後ろ姿は、どこか哀愁漂うものだった。

 そして、そのまほと入れ違いに、新たな人影が現れた。美帆だった。沙織はその姿を確認すると、素早く立ち上がった。

 美帆は一見すると、今までと変わりないように見えたが、その顔つきだけは以前とはまるで別人だった。あの太陽のように眩しかった笑顔は今では視る影もなく、冷たい無表情で、目の下にたっぷりと隈を蓄えていた。瞳も、かつての輝きが失われ仄暗い暗闇が垣間見える。

 

「沙織さん……今の人、西住まほさんですか?」

「う、うん……」

 

 美帆の声は重たく暗い。沙織が知っている美帆と本当に同一人物かと疑いたくなった。

 

「へぇ……沙織さん、やっぱ交友の幅広いんですね。ま、どうでもいいことですけど」

「…………」

「……沙織さん、私、決めましたよ」

「……決めたって、何を?」

 

 沙織は聞くのを一瞬躊躇ったが、なんとか勇気を出して聞いた。

 なぜだか、聞くことを随分と恐ろしくさせる、そんな迫力が、美帆にはあった。

 

「私……高校は、黒森峰に行きます」

「えっ……?」

 

 その告白は、沙織にとって驚くべきものだった。確かに、中学から高校になって、別の学園艦に移るのはおかしなことではなかった。だが、いまや戦車道強豪校となった大洗を蹴って、黒森峰に行く理由がイマイチ掴めなかった。さらに、美帆のその言葉には、何か並々ならぬ決意を沙織は感じ取ったのだ。

 

「どうして……?」

「以前、エリカさんが言っていたんです。黒森峰を優勝させることができなかったことが心残りだ、って。だから、私が黒森峰を立て直すんです。エリカさんの戦車道によって、かつてエリカさんを捨てた黒森峰を」

 

 沙織にとって、それは初耳だった。エリカがそんなに黒森峰に未練を持っているようには、この十二年間一度も感じさせなかった。せいぜい、少し過去を懐かしむ、そんな程度だったはずだ。

 

「えりりんが、そんなことを……? でも、どうして美帆ちゃんがそこまでして……」

「……エリカさんは、私が殺したようなものですから」

「そんな、あれは不幸な事故で――」

「違うんですよっ!!!」

 

 美帆が突然大声を出したものだから、沙織は驚きビクリと肩を震わせた。美帆は、顔中に皺を作るほどに顔を歪め、歯を今にも割れんばかりに噛み締めている。

 

「私が、私が道路に飛び出さなければエリカさんは死ぬことはなかった! 私が、私がエリカさんを殺したんだっ! 私が、私さえいなければ、エリカさんは死ぬことはなかった……」

 

 その剣幕は、とても声をかけられるようなものではなかった。しかし、美帆は途端に無表情になったかと思うと、カパッと目を大きく見開いて、ぽつりと呟くように語り始めた。

 

「……でも、エリカさんは最後に、私の名前を呼んでくれた。私の手を握り返してくれた。私のことを、私のことを一緒にいたいと言ってくれた。だから私はエリカさんのもの。私の人生は、エリカさんのためにある。私が証明しないと。エリカさんの戦車道を、エリカさんの人生を。私の人生を使って、エリカさんがこの世に生きた証を打ち立てないと」

 

 その様子は、控えめに言って狂気だった。エリカが本当に彼女の名を呼んだのかは分からない。しかし、美帆は少なくともそう思い込み、人生のすべてをエリカのために捧げようとしている。その姿が、沙織にはとても恐ろしく見えた。

 

「……み、美帆ちゃん……」

「私はエリカさんを愛しています。だから私は、エリカさんのためにすべてを捧げるんです。そうすれば、きっといつか、エリカさんは私を愛してくれる。私の愛が、いつかあの人に届く。そんな気がするんです。そのためなら、私はなんだってします。どんな外道と言われようと、どんな非道と言われようと、戦車道で勝利をもぎ取ります。黒森峰を、かつての栄光の座に引き戻してみせます。それが、私にできる、愛の形ですから」

 

 沙織にはもうそれ以上耐えられなかった。沙織は、その場から逃げ出すように走りだした。美帆の様子が恐ろしいというのもあったが、それ以上に、悲しかったのだ。叶わない恋心を抱えて狂っていく姿が、まるで、かつてのエリカを見ているようで。

 生命は繋がっている。

 過去にエリカがそんなことを言っていたと沙織は記憶している。だが、こんなつながり方、あんまりじゃないか……!

 沙織は泣いた。泣くことしかできなかった。泣きながら会場に入ってきた沙織を誰もが見たが、気にすることはなかった。

 そんな沙織の様子を見かねてか、華が静かに近づいてきた。

 

「沙織さん……どうかなさいましたか?」

「……ううん、なんでもない、なんでもないの……」

 

 沙織は先ほどのことを話そうとは思わなかった。話してどうなることでもないし、それに、このことは自分の胸に秘めておくだけでいい。こんな気持ちになるのは、自分だけで十分だと、そう思ったから。

 

「……そうですか」

 

 華はそんな沙織の様子を見て、すべてを察したかのように、その柔らかな胸で沙織の頭を包み込んだ。

 

「……でも、今は好きなだけ泣いていいんですよ、沙織さん」

「うん……うん……!」

 

 沙織は、微笑んですべてを受け止めてくれる華の胸の中、ただ、さめざめと泣き続けた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 

「ん……」

 

 エリカは暖かい風に吹かれながら、ゆっくりと瞳を開いた。

 ぼやける視界には、誰かの頭らしきものが朧げに映っている。

 

「おはよう、エリカさん」

 

 だんだんと視界がはっきりしていった。そこにいたのは、みほだった。

 

「……おはよう、みほ」

 

 と、そこで、エリカは自分の頭が柔らかい感触の上に置かれているのに気がつく。どうやら、みほに膝枕をしてもらっているらしかった。

 

「私、どれくらい寝てたの?」

「別に、そんな長い時間じゃないよ」

「そう……」

 

 みほの頭の上には、緑色の葉っぱが広がっており、そこから木漏れ日が差し込んでいた。エリカは自分たちが今、一本の木の下にいることを知った。

 小鳥たちの歌声が聞こえ、風は相変わらず優しくエリカを撫でる。とても気持ちのいい環境のせいか、エリカに再び眠気が襲ってきた。

 

「ふわぁ……」

「エリカさん、また眠たいの?」

「ええ、さっき起きたばっかりなのに、変ね……」

「いいよ。またゆっくりと眠っても。ここでは、何をやってもいいんだから……」

 

 みほのその言葉を聞くと、さらにエリカを襲う眠気は強くなる。

 エリカはお言葉に甘えて、再び眠りにつくことにした。

 

「……みほ」

 

 薄れゆく意識の中、エリカはふとこれだけは伝えなくてはと思って、口を開いた。

 

「……何、エリカさん」

「……愛してるわ」

「……うん、私もだよ。エリカさん」

 

 そうしてエリカは、ゆっくりと、再び静かに眠りについた。



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第二部IFルート

こちらはifルートになります。
本編を読んでいることが前提であり、本編の展開に満足された方は蛇足気味に感じてしまう可能性があります。
また、オリジナルキャラクターと原作のキャラクターが結ばれる展開となっておりますので、苦手な方はご気をつけ下さい。
なお、本編終了後にこちらのIFルートのアフター展開を連載する予定です。


 次の瞬間、エリカの体に計り知れない衝撃が加わり、高く空へと舞った。

 時間も止まりそうな静寂の中、不思議な浮遊感を味わいながらエリカは考える。

 何故、私はここまでして彼女を助けたかったのだろう? まだ会って一ヶ月ほどしか経っていない、彼女のことを。エリカの頭の中で、一瞬にして今までの出来事が流れてくる。熱心に戦車道のことを聞いてくる美帆、献身的にエリカの世話をしてくれる美帆、エリカに笑い声を聞かせてくれる美帆……。そこで、エリカは気がついた。

 ああ、私にとって美帆はもう、大切な人の一人になっていたんだ。みほと同じくらいに、かけがえのない存在に……。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「……ここはどこ?」

 

 エリカは、いつの間にか知らない空間に立っていた。そこは、一面が光で埋め尽くされ、壁どころか地面すら見えない、おかしな空間だった。

 エリカは、その空間の中にプカプカと浮いている。一目でおかしな状況と分かるが、それ以上にエリカには気にかかることがあった。それは――

 

「私、目が見えてる……?」

 

 そう、かつて視力を失い闇に包まれたはずの目が、その異様な空間を映し込んでいるのだ。

 いったい何がどういうことなのかと混乱してると、光の中から一つの人影が近づいてきた。

 エリカは一体何かと警戒する。しかし、その人影がエリカの目の前まで寄ってきたとき、エリカは驚き目を見開いた。そこにいたのは、なんと――

 

「み、みほ……?」

 

 

 そう、そこにいたのは、エリカのかつての想い人、西住みほだった。 みほは困ったような笑顔を浮かべ、エリカを見ている。そして、

 

『久しぶりだね、エリカさん』

 

 と、聞き間違えるはずもない、あの声でエリカに語りかけてきた。

 

「みほ? 本当にみほなの!?」

『うん……そうだよ』

 

 エリカは嬉しさのあまり、みほに抱きつこうとする。しかし、みほはそれを片手を突き出し止めた。

 

『駄目! ……エリカさん、駄目だよ』

「どうして!? やっと会えたのに!?」

『エリカさんは、まだこっちに来ちゃだめ。エリカさんを、待ってる人がいるでしょ?』

「私を待ってる人って……」

 

 そこで、エリカの頭に一人の少女の姿が浮かぶ――姿というのは、エリカがあくまできっとこんな姿なんだろうなと想像している姿であって、実際に見た姿というわけではないが。

 とにかく、エリカには一人思い当たる少女がいた。

 

「美帆……」

『そ、美帆ちゃん。私と同じ名前の、女の子。エリカさんは、その子のところに行ってあげて』

「……でも、私は」

『エリカさんは今までずっと私を待ってくれていたんだよね、ありがとう。でも、もういいの。その気持ちだけで、私はとっても嬉しい。だから、エリカさんはもう私にとらわれないで、エリカさんの人生を歩んで』

 

 どこか心配になる、だが優しさに満ちた笑顔をみほはエリカに向けた。そのみほの言葉が、エリカの胸に響く。

 

「……みほ。分かったわ。でも、最後に一言、言わせて欲しいの」

『……何? エリカさん』

 

 そこでエリカは、すぅっと息を吸い込み、そして、きっとみほを見据えて、はっきりとした声で言った。

 

「私、逸見エリカは! あなた、西住みほのことが……好き、でした!」

『……うん、ありがとうエリカさん。私も、好きだったよ』

 

 みほは静かに涙を流した。とてもまぶしい笑顔を浮かべながら、一筋の涙を。

 

 

 

「ん……んんん」

 

 エリカはふかふかとしながらも、どこか固めな感触に包まれながら目を覚ました。この感触には覚えがある。これは、病院のベッドだ。

 どうやら自分は病院に運ばれたらしい。その経緯を考えるために頭を働かせて、自分がトラックに轢かれたことを思い出した。

「そうか、私……そうだ、美帆は!?」

 と、そこで、エリカは自分の片手が誰かに握られていることに気がついた。そして、すぅすぅと寝息が聞こえてくることも。

 エリカは自分の手を握っている人物の顔を手で確かめる。

 

「……美帆?」

 

 その触った感触で、自分の手を握っているのは美帆だとエリカは気がついた。

 そして、エリカが触れたことで、美帆は「むにゃ……」とゆっくりと覚醒し始めた。

 

「ん……あ、エリカさん! 目が覚めたんですね!? 大丈夫ですか!?」

「ええ……私は大丈夫よ。あなたこそ、ずっと私に付き添ってくれていたの?」

「はい……エリカさんのことが心配で、私……」

 

 と、そこで美帆ははっとした様子でエリカの手から自分の手を離した。

 

「す、すいません! 私なんかが、エリカさんの側にいる価値なんてないですよね……変な癇癪起こして、怪我までさせて、だから、私、もうこれっきり、エリカさんには関わらないようにします。それが、きっとお互いのためですから」

 

 そう言って、美帆は病室から出ていこうとする。だが、エリカはその気配をいち早く察知し、素早く美帆の腕を握った。なぜだか、美帆の腕が見えた気がした。

 

「エリカさん……?」

「ねぇ美帆、聞いて。私、確かに大切な人を待ってるって言ったわよね」

「はい……だから、私は」

「でもね……今の私にとって、あなたは、その人以上に大切な人になったの。ずっと一緒にいたい……心からそう思ってるわ」

 

 その言葉に、美帆は出ていこうとした体を止め、ゆっくりとエリカの方向に向き直った。

 

「エ、エリカさん……それって」

「いいえ、もっとはっきり言ったほうがいいわね。……聞きなさい、東美帆。私、逸見エリカは、あなたのことが、好き。女性として、あなたのことを、愛しています」

 

 その瞬間、美帆の瞳からどっと涙が溢れだした。やはりエリカには、その光景が見えている気がした。美帆は顔をくしゃくしゃにしながら、

 

「私もです……エリカさん……エリカさぁん!」

 

 と、エリカの名を叫びながら、エリカに抱きついた。

 エリカもまた、力強く、美帆の体を抱き返した。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 ――三年後。

 

『大洗女子学園の勝利!』

 

 全国戦車道大会の決勝の勝利者を告げる審判の音声が、高らかに響いた。

 その宣言とともに、キューポラから頭を出していた少女が「やったー!」と両手で握りこぶしを作ってガッツポーズを取り、勝利を喜んだ。

 大洗女子学園の隊長となった、美帆である。美帆は彼女に駆け寄る大勢の他の女生徒達にもみくちゃにされながら、仲間たちと共に勝利を祝った。

 そんな姿を、遠くの観客席から『聴』いている姿がった。それは他の誰でもないエリカだった。

 エリカは美帆の勝利を確認すると、静かに「ふふっ」と笑いをこぼした。

 そんなエリカの背後に、人影が近寄ってくる。

 

「どうやら勝ったようだな、エリカ」

「その声は……隊長?」

 

 声の主は、かつてのエリカにとっての隊長であり、今は日本戦車道の星、西住まほだった。

 

「どうしてこんなところに……」

「いやなに、お前が手塩にかけた生徒が大洗で隊長をやっていると聞いてな。もしやと思い来てみれば、お前がいたのさ」

 

 エリカは立ち上がり、まほの方へと体を向ける。まほとは、最後に喧嘩別れをしてしまった。だから、いつか仲直りをしたいと思っていた。

 今が、きっとそのときだ。これは、きっと神さまがくれたチャンスなのだ。

 

「あの隊長、あのときは――」

「あのときは、すまなかった!」

 

 エリカが謝るよりも先に、まほが深々とエリカに頭を下げた。エリカはその姿が直接見えたわけではないが、まほが頭を下げていることはすぐに分かった。

 

「隊長……」

「私は、お前の気持ちを考えずに酷いことを言ってしまった。すまない。ずっと謝りたかったんだ」

「……私もですよ、隊長。私も、もっと冷静になってあなたと話し合えばよかったんです」

 

 二人の間を沈黙が支配する。だがその沈黙は決して不快なものではなく、互いが互いを許し合う、不思議と心地良い沈黙だった。

 

「……隊長、顔を上げて下さい。私達、これからやり直すことができるはずです」

「……ああ、そうだな」

 

 エリカに言われ頭をあげたまほの前に、手が差し出される。その意をすぐに理解したまほは、がっちりとその手を握った。まほとエリカの、厚い厚い握手だった。

 どれくらいそうしていただろう。二人は示し合わせたわけでもなく、自然と互いの手を離した。

 

「それにしても、まさかお前が育て上げた少女の名が美帆とはな……」

「はい。私の、かけがえのない人です」

 

 恥ずかしげもなく堂々と言うエリカにまほは一瞬驚いたが、すぐさま柔和な笑顔を浮かべ「そうか」と軽く頷いた。

 

「なら、今度二人で一緒に私のところにこい。実はそろそろ選手を引退してカレースナックでも開こうかと考えていてな。その客第一号になって欲しい」

「はい……ぜひ行かせて頂きます、隊長」

「ふっ……ありがとうな。ではそろそろ、私は行かせてもらうよ」

 

 そう言って、まほはエリカに背を向け、歩きはじめる。が、少し歩いたところで再び振り向き、こう言った。

 

「あ、そうそう。もう隊長というのはやめろ。もう何年前の話だと思ってるんだ」

「それもそうですね。それでは、また。まほさん」

「ああ、エリカ」

 

 そして今度こそ、まほは去っていった。エリカは、見えない目でその後姿でまほのことを『視』続けた。

 

「エリカさぁーん!」

 

 と、そんなエリカの背後から、元気そうな声が聞こえてきた。美帆だ。美帆はエリカ目掛けて勢い良く走ってくる。エリカは両手を広げ、美帆を受け止めた。

 

「おっと!」

「勝ちました! 勝ちましたよエリカさん!」

「ええ、そうね。『視』てたわよ、ちゃんと。あなたの姿を」

 

 エリカは自分の手の中ではにかむ少女の顔を『視』ながら言った。

 実はエリカが美帆に思いを伝えたあの日以来、不思議なことが起こったのだ。何故か、美帆のことだけは、見えないはずのエリカの目が、彼女を『視』ることができるようになったのだ。『視』ることができるのは美帆だけだった。それを医者に言うと、医者もまったく原因が分からず研究させて欲しいと言われたが、エリカは丁重に断った。

 きっとこれはみほがくれた贈り物なのだと、エリカは思った。新たな人生を歩み始めた、エリカへの。

 だから今のエリカには、美帆の顔も、体つきも、しっかりと分かった。

 

「これでプロリーグ入りは間違いなしですかね!」

「そうね、一体どこからスカウトが来るかわからないけど……あなたが行くなら、私はどこだってついていくわ」

 

 エリカにはもう学園艦にこだわる理由はない。だから、エリカは美帆の行くところにどこまでも着いていこう。そう決めていた。

 

「あっ、隊長―! 逸見先生―!」

 

 二人を呼ぶ声がする。他の大洗の生徒達だった。エリカは美帆のついでと、他の大洗の生徒にも戦車道について教えていた。そうしていると、いつの間にかエリカは先生と慕われるようになっていた。

 

「二人とも、これから写真をとるから早く来てくださいよー! あっもちろんお二人が中心ですからね」

「はいはい、わかったわかった」

 

 エリカと美帆は互いに手をつなぎあいながら、すでに写真を撮るために並んでいる生徒達の元へと向かった。

 そして、その列の中央へと座り込む。

 

「はい、それじゃあ撮りますよー」

 

 写真屋が気の抜けた声で合図を送る。そのとき、

 

「エリカさん……」

「美帆……」

 

 エリカと美帆は二人で見つめ合い、そして、写真のフラッシュが焚かれた瞬間、二人は、完璧なタイミングで、お互いの唇を重ねあわせた。

 



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第三部 想いの果てに
12話


 初めに私の視界を覆ったのは、大量の濁流だった。

 濁流はあっという間に体を飲み込んでいく。その苛烈な勢いに抗うことができず、体の自由は奪われ、どんどんと水の底に沈んでいく。

 それに抗うように必死に手足を動かし、なんとか顔を水から出して叫び続ける。

 たすけて、たすけて。

 水を飲み込まないようにしながら必死に叫ぶ。

 しかし、その叫び声に反して体はどんどんと沈んでいく。

 ああ、死ぬ。このままでは死んでしまう。嫌だ。死にたくない。誰か、誰か。

 抗いようのない水流のなかで、絶望の淵にゆっくりと落ちていくそのとき、私の体を誰かの腕が抱え込んだ。

 その手はとても暖かく、不思議な安堵感を与えてくれた。その腕の主はぐいぐいと私の体を運んでいき、そして、濁った水の中から別の手に渡され助け上げられた。

 そのとき、私を濁流の中から助け上げてくれた人の笑顔が見えた気がした。どんな顔かは分からなかったが、笑っていることだけは分かった。そしてそのまま、その人は水の中へと飲み込まれていった。

 場面は突如変わる。

 冷たい雨が降りしきる中、私は、地面にぺたりと座り込んで誰かを抱き上げていた。

 その人はぐったりとしており、頭からは真っ赤な血が流れだしていた。

 私はなんだかとてもつらい気持ちになり、何度もその人の名前を呼ぶ。するとその人は、力なく手を空に向かって上げてきた。私はその手を掴む。

 その人の体温は、どんどんと下がっていっており生命いのちの灯火が消えかかっていることを嫌でも伝えてくる。

 私はさらに必死にその人の名前を叫ぶ。するとその人は、消え入りそうな声で私の名を呼んで、私の手を握り返してくれた。

 そう、その人は確かに私の名を呼んでくれたのだ。「美帆(みほ)」と――。

 

 

 

「――――っ!!」

 

 東美帆は急に目を覚まし、勢いよくベッドから飛び起きた。裸で寝ていた体は、びっしょりと汗をかいている。

 まただ、またあの夢だ。

 美帆は右手で頭を抱える。

 美帆はこれまで何度も同じ夢に悩まされていた。最初に見た光景は彼女がまだ物心ついたばかりの頃、川で溺れて死にかけた時の記憶。美帆はそのときのことを死にかけた恐怖以外覚えていないのだが、こうして夢に見るときにだけはその記憶が蘇るのだ。だが、自分を助けてくれた人の姿だけは、朧げにしか思い出せない。

 もう一つは、大切な想い人を失ったときの記憶。それは美帆にとっての初恋だった。相手は同じ女性だったが、そんなことは関係なく、美帆はその人に恋焦がれた。だがその人は他に大切な人がいると言った。そして、そのことに取り乱して道路に飛び出してしまった美帆を救うために、その人は死んでしまった。その事件は美帆にとって二度と癒えぬ傷を残すとともに、その人が――逸見エリカが、最後に美帆の手を取り名前を呼んでくれたことは、彼女にとっての生きるためのよすがとなっていた。

 どちらの出来事も、美帆にとって大きなトラウマである。それゆえか、時間が経った今でも、美帆は鮮明にその光景を夢に見るのだ。

 部屋はまだ暗かったが、カーテンの隙間から見える窓の外は、うっすらと青みがかった空が見え始めていた。

 美帆はすぐそばにおいてあった目覚まし時計を手に取り、時計に付けられているライトを点灯させて時間を確かめる。時刻は、朝の五時だった。

 

「少し早いですが……まぁいいでしょう」

 

 美帆はベッドから出ると、裸体のまま洗面台へと行き、タオルを手に取るとそれで体中の汗を拭き取る。そして、そのタオルを持ったまま寝室へと戻ると、ベッドの側に置いてあるショーツを履き、ブラジャーを付け、さらにその上からジャージを着る。黒森峰女学園指定のジャージだ。

 美帆は、自分の故郷である大洗から離れ黒森峰へと来ていた。大切な人の生きた証を立てるために。

 

「さて」

 

 美帆は最後に髪をゴムで縛ると、そのまま部屋の外へと出て行く。日課の早朝ランニングをこなすためだ。

 朝の学園艦には殆ど人影はなかった。美帆はそんな外へと向かって、一人走って行った。

 黒森峰学園艦の風景も、美帆にはもう見慣れたものになっていた。なぜなら、美帆が高校入学と同時に黒森峰に来てからもう三年の時が流れたのだから。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 日も高く昇った頃、黒森峰の戦車格納庫内で、パンツァージャケットを着た美帆が背中で腕を組み立っていた。彼女の目の前には、彼女と同じくパンツァージャケットを身にまとった隊員達が整列していた。彼女達の間では、どこか緊迫した雰囲気が漂っていた。

 

「…………」

 

 美帆は一言も発しないまま、目の前の隊員達を見据える。そのことが、隊員達にさらに緊張を強いていた。

 

「す、すみませーん!」

 

 そのとき、とても慌てた様子の隊員が、一人遠くから整列している美帆達の方向へ走ってきた。その隊員は、ぜぇぜぇと息を切らしながら、美帆の前で立ち止まる。そして、そのまま頭を美帆に向かって下げた。

 

「す、すいません隊長! 遅れました!」

 

 隊長と呼ばれた美帆は、頭を下げているその隊員の方へと向き直った。

 美帆は黒森峰機甲科の戦車隊において、隊長を務めていた。だが、美帆の目の前で謝っている隊員は、美帆が隊長であるということ以上に、どこか美帆に恐れを感じているようだった。

 

「そ、その! わ、わたし! 今日がいつもより練習開始時間が早いってこと忘れてて! それで気づいたのがついさっきで! そ、その……」

「言いたい事はそれだけですか? ……頭を上げて歯を食いしばりなさい」

 

 そう言うと美帆は、言われたとおりに頭を上げた隊員の顔を、思い切り平手で叩いた。

 

「きゃっ……!」

 

 平手打ちされた隊員はそのまま地面に倒れこんだ。美帆はその隊員を鋭い目つきで見下ろす。

 

「遅刻は厳禁だと以前言ったはずです。あなたは一年でしたね? それで黒森峰の隊員が務まると思っているのですか? 時間は作戦遂行においてもっとも大事な要素の一つであるのに、それすら守れないのは、戦車乗りとして失格ですよ。しかも、大会の大事な試合を控えているこの時期に……わかったなら早く列に並びなさい」

「は、はい……」

 

 地面に倒れこんだ隊員は涙目になりながらも、よろよろと立ち上がって列へと戻っていった。

 美帆は、再び整列する隊員達を見ると、再び姿勢を正し、大きな声で言った。

 

「それでは、これより訓練を開始します! まずは射撃訓練から! 総員、搭乗!」

「「「はい!」」」

 

 美帆の号令と共に、隊員達は一斉におのおのの戦車へと搭乗し始めた。美帆もまた、駆けて自らの戦車へと搭乗していった。

 

 

 始まりこそ緊迫した雰囲気で始まった訓練だったが、その後は特に問題が起こることなく、すべての訓練内容を終えた。隊員達は次々と戦車を格納庫に戻し、降車していく。

 美帆もまた、戦車から降りその様子を眺めながら、クリップボード片手にその日の練習について書き込んでいた。

 その日の練習の結果がどうだったか、今後の改善点は、それらを総合しての作戦立案などについてである。それも隊長職の立派な仕事の一つであった。

 戦車から降りた隊員達が終了の挨拶を待つために整列しているなか、なにやら戦車の前で、一部の隊員が騒がしくしているのが聞こえてきた。

 何事かと思い美帆が近づいていくと、一部の隊員達が数人で一人の隊員を囲んでいるようだった。その隊員達は主に一年生で構成されていた。その様子を美帆が見ようとすると、その隊員達はビクっと肩を震わせた。

 

「た、隊長……」

「一体何事ですか」

 

 美帆がその人だかりの中を覗いてみると、一人の隊員が足を押さえ座り込んでいるのが見えた。その隊員は、今朝遅刻した一年生だった。

 

「どうしたんですか」

「あっ、隊長……!? 違うんです、これは、その……」

 

 美帆の顔を見ると、その隊員は怯えた様子で俯いた。美帆はそんなこと気にも留めず、屈んでその隊員が押えている足を見る。すると、足首が真っ赤になっているのが見て取れた。

 

「これは……」

「ご、ごめんなさい! その、戦車から降りるとき、足を捻っちゃって……! 本当に申し訳ありません!」

 

 美帆はその隊員にすっと手を伸ばす。その隊員はまた殴られると思ったのか、「ひっ……!」と小さな声を上げながら、ぎゅっと目をつぶった。

 しかし、一向に痛みが襲ってこず、足を挫いた隊員は恐る恐る目を開ける。すると、美帆は優しい手つきでその挫いたという足を触っていた。

 

「……ふむ、もしかしたら捻挫しているかもしれませんね。一応、保健室で見てもらいましょう」

 

 そう言うと、美帆は足を挫いた隊員に手を回したかと思うと、一気に抱え上げた。

 

「え!? そ、その……!?」

「副隊長」

「はい」

 

 美帆に副隊長と呼ばれた女性が前に出てきた。ウェーブのかかった金髪の髪と、大きなメガネが印象的な女性だ。

 

「私はこれからこの子をつれて保健室に行きます。少しの間ですが、任せましたよ」

「わかりました」

 

 副隊長が笑顔で返すと、美帆はそのまま足を挫いた隊員を運んで格納庫から出て行った。それを見ていた他の一年生達は驚いたような表情をしてその姿を見つめていた。

 美帆は人を抱えているにもかかわらず、早足で校内を歩く。抱えられている隊員は、動揺してかキョロキョロと目を動かしながらも、一言も発することができずにいた。

 そして、あっという間に保健室に着くと、美帆は隊員を抱えたまま器用に扉を開き、保健室にいる養護教諭にその隊員を見せた。すると、やはり捻挫であることが分かり、応急処置を行って、念のため病院で診てもらうことになり、養護教諭が車で送ることになりそのための車を用意するまで少しの間保健室でじっとしていることになった。

 養護教諭が保健室から出て行った後、美帆は「もう私は必要ないですね」と、格納庫で待っている他の隊員達のところへと向かおうとした。そのとき、

 

「まって下さい!」

 

 と、足を挫いた隊員が美帆を呼び止めた。

 

「……なんですか?」

「その……ありがとうございます。ここまで運んでくださって……。でも、どうしてですか? 私、今日は遅刻しちゃったし、それに、足を挫いたのも自己責任なのに……」

 

 足を挫いた隊員の口調は、後半からだんだんと元気が無くなっていっていた。どうやら、色々と責任を重く感じているらしかった。

 だが美帆は、まるでおかしいことを聞くものだと言いたげな顔でその隊員を見た。

 

「どうして……ですか。まぁ確かに今日のあなたはあまり褒められたものではありませんでした。しかし、それとこれとは別です……。困っている人間がいたら、助けないでどうするんですか?」

 

 美帆のその言葉に、捻挫した隊員は驚きを隠すことができなかった。だが美帆は、そんなことにも気が付かず、ただ当たり前のことを言ったという様子で、その場から去っていった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 副隊長である梨華子(りかこ)は、隊長である美帆と共に、一緒に小さな個室の中にいた。その個室は、隊長と副隊長、そして一部の許可を受けた車長しか入ることの出来ない特別な作戦会議室だった。本来の大人数が入れる作戦会議室と違うところは、そこはまず作戦の草案を練るための部屋だということだ。

 とは言え、美帆が来る以前はその部屋は休憩室の用な使われ方をされていたらしく、その名残が随所に残っていた。

 梨華子がいま使っているコーヒーメーカーもそのうちの一つだった。梨華子は、二つのカップにコーヒーを注ぐと、それを両手で持ち、片方を手元にある資料を眺めていた美帆に渡した。

 

「隊長、コーヒーです」

「ん、ありがとうございます」

 

 美帆はコーヒーを受け取ると、そのコーヒーにボトボトと角砂糖を入れはじめた。その個数、実に六個。さらに、使ったコーヒーフレッシュは二個。

 その光景に、梨華子は笑いを堪えることができず、思わずふふっと笑った。

 

「梨華子? どうかしましたか?」

「いえ、何でもありません」

 

 美帆は不思議そうな顔で梨華子を見るも、すぐに視線を資料に戻しコーヒーを啜り始めた。

 美帆のコーヒーの飲み方については、梨華子の誰にも話していない数少ない秘密の一つだった。

 梨華子は、美帆のことを他の隊員達よりも理解していると自負していた。一般的に、美帆はそれまで腑抜けていた黒森峰をかつての王者の威厳ある姿に戻した、人前では決して笑顔を見せることがない『鬼の隊長』として知られていた。規律に厳しく、訓練は遊び半分で戦車道を始めたものがことごとくリタイアするほどに激しい。梨華子が入学する前なので詳しいことは知らないが、美帆はまず一年のころから先輩達に食って掛かり、大揉めしながらも黒森峰のあり方を変えていったという。

 梨華子が入学するときには、すでに美帆は二年にして隊長になっており、黒森峰の戦車隊も現在の厳格な状態になっていた。

 それほどまでに、美帆の徹底した熱意と手腕が黒森峰に行き届いたということになる。

 何が美帆にそこまでさせるのか、誰にも分からなかった。だが、隊長となった美帆に誰しもがある種の恐れを抱いていることは確かだった。

 だが、美帆は恐ろしいだけではないことを、梨華子を含めた一部の隊員達は知っていた。

 美帆は、他の隊員が何か困ったり悩んだりしていると、誰よりも先に助けの手を差し伸べるのだ。それは『鬼の隊長』と呼ばれる美帆の姿しか知らないものにとっては、実に想像もできない姿だった。現に、先程の一年生達はとても驚いていた。

 梨華子がその美帆の姿を初めて見たのは、一年の夏だった。梨華子が退屈な授業に飽き、窓の外を見ていると、ちょうど美帆のクラスが体育でグラウンドを使っているところだった。ぼんやりとその光景を見ていると、誰かが怪我をして倒れこんだ。すると、美帆が先生と共に率先してその生徒の元に駆け寄り、おんぶしてその生徒を校内へと運んでいったのだ。それまで美帆の厳しい面しか知らない梨華子にとって、その光景は信じがたいものだった。しかも、それだけではなく美帆はその後怪我した生徒と放課後一緒に走っていたのだ。どうも後から聞いた話によると、その日の体育は体力テストであり、他に日程が空いていなかったらしい。なのに、そんなことを顧みずに怪我人を助けた美帆を見て、梨華子はこの人は厳しいだけではないことを知った。

 そして、美帆のことを知れば知るほど、梨華子は美帆に傾倒していった。卓越した戦車の指揮能力と時折垣間見せる優しさ。それが、美帆という人物を魅力的に見せるには十分だった。

 

「梨華子、これを見て欲しいのですが」

 

 美帆が梨華子に手元にクリップボードを渡してきた。どうやら資料を見ながら色々と書き込んでいたらしい。

 

「はい、分かりました。これは……」

「今度のサンダース戦で使用する戦車の一覧です。意見を伺いたいのですが……」

 

 そこには、ティーガーを中心とした重戦車で構成された部隊編成が書かれていた。

 梨華子はそれを見て、率直な意見を言うことにした。

 

「はい、おおむね問題ないとは思いますが……ただ、もう少し中戦車や軽戦車があってもいいとは思います。もしサンダースに機動力のある戦車を中心とした編成でかき回された場合、うまく対処できない可能性が」

「ふむ……やはり、ですか……」

 

 美帆はコーヒーを一口飲むと、カップを置いて考え込む。

 そして、僅かな間であったが沈黙が部屋を支配した後、美帆は口を開いた。

 

「……いや、やはりこのままで行きましょう。サンダースには、戦車の装甲と火力で差をつけながら、その動きを完全に予測してみせます」

 

 梨華子はやはり、と思った。美帆の戦術眼は確かに優れている。だが、美帆は作戦を立てるときに一つのやり方に固執する癖があった。それは重戦車を主体とした、古典的な戦車道だった。

 なぜ論理的に物事を考えられる美帆がそんな古いやり方に拘るのか、それは梨華子にとっても謎だった。

 しかも、相手はサンダースである。サンダースには、去年の決勝大会で敗退させられ、準優勝の結果を甘んじて受けることとなってしまった。つまり、今回は雪辱を果たすための負けられないリベンジマッチなのだ。

 それなのに、一度敗れた戦い方で再び戦いに挑むのは、愚策であるのでは、とも思ってしまうのだ。

 

「……不思議そうな顔をしていますね。なぜ私がこんなやり方に拘るか、と言ったところですか」

「えっ!? いや、その……」

 

 梨華子は心を見透かされたのかと思い、しどろもどろになる。一方の美帆は、いたって平静を保っていた。

 

「いいんですよ。自分でも分かっていることです。私のやり方は古い。月間戦車道にも古臭いだの、劣化西住流など書かれたこともありましたよ。それでも、私は私のやり方で勝たないといけないんです、どうしてもね……」

 

 そう言う美帆の瞳に、なにやら陰りが見えた気がした。だがそれも一瞬で、美帆は再びコーヒーを手に取ると、資料とのにらめっこを再開した。

 美帆がなぜ自分のやり方に拘るのか、それは結局分からなかった。

 だがでもきっと人には言えないなにかがあるのだろう。自分は隊長を信じてついていくだけである。この人は、私達の隊長なのだから。

 梨華子は内心そう誓うと、ずっと片手に持っていたコーヒーをブラックのまま一気に飲み干した。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 

「ふぅ……」

 

 美帆は学生寮の自室で、下着姿でベッドの上に転がった。片手にはハンドグリッパーを持ち、キコキコと握ったり開いたりを繰り返す。

 今日梨華子に話したことは、自分でも重々承知しているつもりだった。確かに、自分の戦車道は古臭い。大洗が初優勝を果たして以降大きく変遷していった戦車道界隈においては、それは致命的とも言える弱点だった。

 だが、美帆はその戦車道を捨てるつもりはなかった。なぜなら、美帆にとってそれは、大切な人――エリカから教えてもらった大切なものであり、エリカへの愛の証なのだから。エリカを捨てた黒森峰を、エリカの力で救う。それが、美帆に出来る復讐であり、愛情表現であった。

 だからこそ、次のサンダース戦は絶対に負けられなかった。去年の敗退は、エリカの戦車道を否定されたようで、実に心苦しかったから。

 そんなことを考えていたとき、突如として美帆の携帯がメールの着信を告げた。ちなみにガラパゴス携帯である。

 美帆が携帯を手に取ると、そこに表示されている名前は、美帆が数少ない心を許す相手である、妹からのメールだった。

 

『おねえちゃんへ。元気にしていますか。わたしは体の調子がときどき悪いときがありますが、それでも元気です。学校のお勉強はどんどんむずかしくなるけど、おねえちゃんみたいなりっぱな女性になれるようがんばっています。もうながいあいだ会えていないので、たまには帰ってきてください。おねえちゃんの戦車道の大会、楽しみにしています。 美魚(みな)より』

 

 美帆はメールを読み終えると、携帯をパタリと閉じて布団の上に転がした。

 美魚は美帆とは八つ年の離れた妹だった。美帆は妹のことを溺愛していたし、美魚も美帆のことを尊敬していた。しかし、エリカの一件があって以降、美帆は以前のように美魚に接することができなくなってしまった。

 美魚と接しても、どうしても楽しい気持ちにはなれなくなってしまったのだ。だから美帆は、黒森峰に入学して以来三年間、美魚を含めた家族とは一切会ってはいなかった。美魚は帰ってきて欲しいと言ってくれた。だが、三年も経って、どんな顔をして家族に会いに行けばいいのか分からない。それに、今の自分には何かを喜んだり、楽しんだりすることができない。胸の内に湧くのは、エリカを命を奪った自分への怒りと、エリカがいない世界への哀しみのみ。そんな自分に、いまさら家族に会う権利などあるのだろうか?

 しかし、このまま会わないわけにもいかない。メールのやりとりをしていると、昔から体が弱かった美魚は最近さらに病弱になっているらしいし、親にもずっと心配をかけている。

 だから美帆は決めた。もし、もし今回の大会で優勝できたら、そのときは胸を張って家族に会いに行こう。もし優勝できたなら、胸に残るしこりも、少しは軽くなるかもしれないから。

 

「……それよりも、まずは目先のサンダース戦ですね」

 

 そう、まずはそこから。そこから勝利を収めないといけない。

 すべては、エリカさんのために。

 そう決意を新たにすると、美帆はベッドから起き上がり、下着を脱いで洗濯機に入れると、シャワーを浴びるために浴室へと入っていった。



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13話

 一週間後、とうとう黒森峰とサンダースとの試合が始まった。サンダースは予想した通り、軽戦車と中戦車を中心とした、数と機動力を活かした部隊編成だった。試合前の下馬評においては、黒森峰の不利、去年の試合の再現などと囁かれていた。しかし、美帆はその周囲の予想を見事に裏切った。美帆は、サンダースの戦車の動きを完全に予測し、相手の戦車と自軍の戦車をそれぞれ一対一、または多対一の状況へと誘いこみ、着実に一両ずつ撃破していった。そして、相手が数での優位を保てなくなり陣形が崩れたところをついて、一斉に攻撃。敵フラッグ車を的確に射抜いた。

 結果、全国大会準決勝において、黒森峰はサンダースに勝利し、去年の雪辱を果たした。

 試合終了後の挨拶のあと、演習場の中戦勝ムードに浮かれる他の隊員たちを尻目に、梨華子に後を任せ、美帆はその場から離れていった。

 美帆にとっては、去年のリベンジができたとは言え、それは当然の勝利だった。なぜなら、目標は最初から優勝であるからだ。それゆえ、例え昨年負けた相手に打ち勝ったとしても、それは通過点でしかなかった。

 確かに、まったく嬉しくないと言えば嘘にはなる。だが、それよりも美帆は次の試合を見据えていた。美帆は素早く撤収し、次の相手がどこの学校になるかを見定め、勝利への方程式を練らなければいけない。そのためには、一足でも早く帰らなければ。

 

「ヘイ! そこのお嬢さん!」

 

 そのときだった。美帆は突如横から声をかけられた。とても明るい声だった。

 美帆が声をした方向を向くと、そこにはブロンドの髪を靡かせた快活そうな女性が立っていた。顔立ちは整っており、体型もグラマラスと言う言葉が合う女性だった。

 美帆は、その女性に見覚えがあった。

 

「あなたは……」

「どうも、私はケイ! よろしくね!」

 

 そう、確かケイと言った。月間戦車道で何度か顔を見たことがある。プロリーグで活躍中の、とてもフェアプレー精神に溢れた選手だとか。

 ケイは美帆に向かってビシッと手を伸ばしてきた。どうやら握手を求めているらしい。美帆は手を出さないのも失礼かなと思い、渋々ながらもケイの手を握った。すると、ケイは腕がちぎれんばかりの勢いで、ぶんぶんと握手した手を上下に動かした。

 

「どうも! サンキューね!」

 

 ケイが勢いにまかせて手を放すものだから、美帆はつい転びそうになってしまうも、なんとか堪えその場に踏みとどまった。

 

「……っ」

「いやーお嬢さん! さっきの試合見事だったわね! 久々に母校の試合を観に来たら、まさかあんな試合が見れるなんて思わなかったわ!」

「……そうですか」

 

 プロ選手に褒めてもらえるということは光栄なことではある。だが、美帆はそれよりも、目の前の女性の太陽のような明るさが、逆に美帆にとっては眩しすぎて直視することができなかった。

 

「……私は、自分にできる最善を尽くしただけですから」

「それでもよ! よくあそこまで動きを予測できたわね! あそこまで相手のことを研究しつくせる事なんて、プロでもそうそう見ないわよ!」

 

 何なんだろうこの人は。どうして私のことをここまで褒めてくれるのだろうか。仮にも自分の母校を打ち負かした相手だというのに。

 美帆はケイの事が不思議でならなかった。ケイとしては、それは純粋な感嘆と善意から来ているのだが、美帆がそのことに気づけるわけもなかった。

 

「……それはそうと、あなたは大丈夫?」

「……はい?」

 

 突然の発言に、美帆は思わず失礼な声を上げてしまった。

 一体、何が大丈夫だと言うのだろうか?

 

「試合中キューポラから頭を出すあなたを見ていたけど、とてもつまらなさそうな顔をしていたわ。戦車道ちゃんと楽しめてる? 駄目よ、ちゃんと心から戦車道を楽しまないと。戦車道は戦争じゃないんだから! ザッツ戦車道!」

 

 その言葉に、美帆は胸の内になんだかムカムカとしたものがこみ上げてくるのを感じた。

 何を言っているんだこの人は。人がどんな気持ちで戦車道に向き合っているのかも知らず、よくいけしゃあしゃあとそんなことが言えたものだ。

 美帆は今にも表にあふれ出てしまいそうな自分の中のマグマをなんとか抑えこむと、ケイに背を向けて歩き出した。そして、ケイの顔を見ずに言った。

 

「ご教授ありがとうございます。大変参考になりましたよ。でも、一つだけ異論があります」

「異論?」

「ええ。私にとって……戦車道は、戦争なんですよ」

 

 そう、これは戦争だ。エリカさんの生の証を立てるための、決して負けることのできない戦争なのだ。

 美帆はケイに一切振り返らず、その場を去っていった。ケイの視線が自分の背中を見続けているのを感じながら。

 次の対戦相手が大洗に決まったのを知ったのは、そのすぐ後のことだった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 黒森峰の学園艦は、戦車道全国大会の決勝戦を前にして、地元である熊本に寄港していた。点検や資材搬入などを兼ねた、三日に渡る滞在だ。

 美帆は熊本に寄った初日の訓練は休みにしていた。隊員達にも地元での休息が必要であると判断したことと、それになにより、美帆には熊本に寄りたい場所があったからだ。

 そこは、どこにでもあるような墓地だった。

 

「…………」

 

 美帆は黒森峰の制服姿で、とある墓前を前にしゃがんで手を合わせ、線香に火をつけていた。その墓には、こう刻まれていた。『逸見家之墓』と。

 そう、美帆は今、エリカの墓参りに来ているのであった。

 美帆は学園艦が熊本に寄港すると、必ずこうして墓参りに来ていた。だから、美帆は墓参りに来ている回数で言うなら、遺族よりも多く訪れている自覚があった。

 そのため、エリカの墓は他の墓と比べても綺麗に磨かれていた。もちろん、掃除をしているのは美帆だ。

 美帆はしばらくの間手を合わせていたが、やがて目を開き、両手を膝においてゆっくりと立ち上がった。

 

「……いよいよ、いよいよですよ。エリカさん。いよいよあなたの戦車道を、全国にしらしめるときが来ました。去年は失敗してしまいましたが、今年こそは、必ずや黒森峰を優勝させてみせます」

 

 美帆は握りこぶしを作りながら墓に向かって呟く。周囲の人影はまばらで、誰も美帆を気に留めようとしない。

 美帆の手が小さく震える。それは美帆がエリカの墓の前に立つと、毎回起こることだった。エリカの墓の前では、美帆はエリカと過ごした日々と共に、思い出したくもない嫌な記憶を夢で見る以上に思い出すからである。

 雨の中、大切な人が、頭を真っ赤に染めながら横たわっている姿――。

 

「――ふぅ……」

 

 美帆はなんとか呼吸を整える。とても嫌な感じが心の中で泥のように残っていたが、美帆はなんとかそれを見ないふりでいようとした。

 こんな思いをしながらも毎回エリカの墓参りに来るのは、美帆の中で罪悪感が未だ重くのしかかっているせいであるかもしれない。それとも、未だに捨てきれないエリカへの未練か。どちらにせよ、美帆にとっては気持ちのいいものではない。

 美帆は時間をかけて完全に呼吸を元に戻すと、墓のすぐ側においてあった柄杓を入れた桶を手に取り学園艦へと帰ろうとした。

 と、そのときであった。

 

「あ、君は……」

 

 美帆の背後から、美帆を呼び止めるかのような声がしたのだ。美帆は何かと思い振り返ると、そこには、美帆も驚くべき人物がいた。

 そこにいたのは、かつての戦車道界隈においてもトップクラスの腕前を持ち、名門一族の生まれでありながら、突如界隈から姿を消した人物が――西住まほが、美帆と同じく、柄杓の入った桶を持って、そこにいたからだ。

 

 

 どういうなりゆきか、美帆は今まほが経営しているというカレースナック『ゴン』へと訪れていた。まほにあったのは驚くべきことだったが、美帆は特に話すこともないため、そのまま帰るつもりだったのだが、いつの間にかまほに連れられ、カレースナック『ゴン』へと来る流れになってしまったのだ。

 

「いやあまさかこんなところで君に会えるなんて思っても見なかったよ。確か、一度エリカの葬儀のときに会っていたよな? そのときに顔は覚えていたんだが、話せずじまいで気になっていたんだ」

 

 まほは嬉しそうな様子で話しながら、厨房のほうでせわしなく動いていた。そして、大きな鍋におたまを入れてかき混ぜると、そこからおたまでカレーを取り出し、それを予め用意してあったご飯の上にかけていた。

 そして、そのまままほはそのカレーライスを美帆が座っているカウンターへと置く。

 

「はい、どうぞ。当店自慢のカレーライスだ」

「は、はぁ……」

「ん? どうした? カレーは嫌いだったか?」

「い、いえ。そんなことは……」

 

 どちらかと言えば、美帆もカレーは好物だった。だが、突然連れて来られてカレーをお出しされて困惑するなという方が無理であろう。

 だが、一度出された料理を食べないわけにもいかない。美帆は、スプーンを手に取り「……いただきます」と一言口にして、カレーを口に運んだ。

 

「どうだ、おいしいか?」

「……ええ、まあ」

 

 確かに不味くはない。だが、平均的なカレーと言った感じで、とりわけ美味しいというわけでもない。正直、よくこれで店を構えられたものだと思った。もちろん、そんなことは間違っても口にはしないが。

 

「そうか、よかった。それにしてもその制服、黒森峰のじゃないか。確か私の記憶が正しければ、エリカの葬式のときは大洗の制服だったはずだが?」

「……中学まではそうでした。でも、高校からは黒森峰に移ったんです」

「……そうか、まぁ、人には色々事情があるものだろうしな」

 

 まほは、美帆の転校について詳しく問いただしてはこなかった。正直、美帆にとってそのことは有りがたかった。あまりそこら辺の事情を根掘り葉掘り聞かれるのは、好きではないからだ。

 

「高校では、どの学科に? 黒森峰にはいろいろあっただろう」

「……機甲科です」

「機甲科!? ということは、戦車道を履修しているということになるのか!?」

「え、ええ……」

 

 まほの驚いた様子に若干引きながらも、美帆は相槌を打った。すると、まほは「そうか……」と、急に落ち着いた様子になった。なんだか躁鬱の激しい人だな、と美帆は思った。

 

「実は私も戦車道をやっていてな」

 

 知っています。というかあなたほど有名な選手他にいません。

 美帆は心の中で突っ込んだ。

 だが美帆は話の腰を折らないように、あえてそれを口にはしなかった。

 

「長いこと戦車道一筋で生きてきたんだが……まぁ色々あってな、戦車道をやっていることが辛くなってしまった。そして、エリカの葬式に参列したときに、戦車道から足を洗うことを決意したんだ……。もう、随分と戦車道には関わってないなぁ。今の界隈がどうなっているか、さっぱりだ」

 

 まほは自嘲気味に笑った。

 過去を語るまほの目は、どこか遠い目をしていた。そのことが、目の前の人物が計り知れない苦労をしてきたことをよく表していた。この人は、どこか自分と似通っているのかもしれない。そんな気さえした。

 と、そこで美帆は思い出した。確か、まほはエリカの恩人にあたる人間であったことを。美帆はそのとを思い出して、何となしに、エリカの過去を知りたくなってしまった。

 だから美帆は、失礼になるのを承知で、まほに質問することにした。

 

「あの……まほさんは、エリカさんと親しい仲だったんですよね?」

「ん? そうだな……少なくとも、私はそう思っていた。だが、今思うとただの勘違いだったのかもしれないな。私は、あいつのことを何も考えてやれなかったんだから……」

 

 まほが伏し目がちになる。やはり、エリカの話題はまほにとっても辛い過去になっているようだった。しかし、美帆の好奇心はもう止まらなかった。

 

「もしよかったら、エリカさんのことを詳しく聞かせてもらえませんか? 私、知りたいんです。私と出会う前のエリカさんのことを」

 

 美帆は真剣な眼差しでまほを見つめる。その意志がまほにも伝わったのか、まほは美帆の目をまっすぐに見返し、柔和な笑みを浮かべた。

 

「そうだな……どうやら君はエリカと親しかったようだし、話してもいいだろう。――エリカはな、黒森峰で副隊長として、私の右腕を努めてくれたんだ。口が悪い部分はあったが、根は真面目で、とても努力家だった。だからこそ、私はエリカに黒森峰の隊長を任せたんだ。だが、それが原因でまさかあんなことが起こるなんてな……」

 

 あんなこととは、恐らくエリカが失明した事件のことであろう。そのことは、美帆もエリカから教えられていたため知っていた。

 まほは苦虫を噛み潰したような顔になりながらも、更に話を続ける。

 

「それで、その後お見舞いに言ったんだが……そのとき、私はあいつにひどいことをしてしまってな。随分とあいつを傷つけてしまったよ。今でも後悔している。もっと、あいつのことを考えて接するべきだったとね。その後、みほが救ってくれなかったらどうなっていたことか――」

 

 みほ?

 美帆はその一言に引っかかった。

 なぜ突然自分の名前が? いや、それは自分の名前ではないはずだ。話の脈絡的にも自分が出てくることはおかしいし、そもそもまほは自分の名前を知らないはずだ。その証拠に、まほはこの店に呼び出してから、一度も美帆の名前を呼んでいない。

 あまりに不思議なその出来事に、美帆は聞かずにはいられなかった。

 

「あの、みほって……」

「ん? ああ、すまない。みほというのは、私の妹でな。私と違って大洗で学校生活を送っていたんだが、エリカが失明したときに一緒に同居しようと持ちかけて、そのままエリカはみほと一緒に大洗に行ったんだ。話によると、大分エリカはみほに救われたらしい」

 

 美帆は思い出す。エリカには、自分ではない、大切な人がいたことを。もしそれが、みほという少女のことだったら? 自分と同じ名をもつ少女が、エリカにとっての大切な人だったとしたら? 美帆の中に、嫌な予感がどんどんと大きくなっていった。もしそうだとしたならば、エリカにとっての大切な人と同じ名を持つ自分のことをどう思っていたかが、一気に変わってくることになる。

 もしそうだとしたら、美帆は今まで大きな勘違いをして生きていたことになる。そう、最後に名前を呼ばれたのが、『自分ではない』かもしれないのだ。

 そうだ、そのみほという人はどうなったんだ? エリカは言った。大切な人はいなくなってしまった、だからその人のことをずっと待っていると。

 ならば、その人は今どこにいる? エリカがそれほど恋焦がれていたほどの相手が、エリカを捨てて、一体どこに?

 知りたい。いや、知らなければならない。そんな義務感にも似た関心が、美帆の心に沸いて溢れ出てきた。

 

「あの……そのみほって人は、今どこで何をやっているんですか? エリカさんを置いて、一体どこに……?」

 

 そのことを聞いた瞬間、厳しい表情だったまほの顔が、さらに厳しく、暗くなった。そしてまほはしばらく躊躇った後、重い口をゆっくりと開いた。

 

「……死んだよ。十五年前にな。川で溺れた子供を助けようとして、そのまま流されてしまったんだ。遺体は、今でも見つかっていない」

 

 

 ……え?

 

 思いがけない答えに、美帆は凍りついた。

 死んでしまった。そこまではいい。でも、『十五年前』に、『川で溺れた子供』を助けて?

 まさか、いや、そんな馬鹿な。ありえない。だが、もしかしたら――

 

「あの、それって十五年前の、いつ頃の話なんですか……?」

「そうだな……だいたい、夏頃だったはずだが……」

 

 ああ、そうだ。私が溺れたというのも、ちょうど、十五年前の、夏だ。

 じゃあ、エリカさんの大切な人の命を奪ったのって――

 

「……ありがとうございます。ごちそうさまでした」

 

 美帆は力なく立ち上がると、財布の中から一万円札を取り出し、それをカウンターに叩きつけて、ふらふらと幽鬼のように店から出ていった。

 

「あ、ちょっと! ……突然どうしたんだ? それにしても、お代なんて、いらないのに」

 

 

 美帆の頭の中で、先程まほが話したことがぐるぐると回っていた。

 エリカの想い人の名前は、自分と同じ発音をする“みほ”だった。

 そしてその“みほ”は、川で溺れた子供を助けていなくなってしまった。

 たったそれだけの事実。だが、あまりにも戦慄すべき真実。

 いや、まだだ。まだ本当と決まったわけではない。

 美帆は、必死にまほから聞いた話を頭の中で否定した。そうだ、まほの話が本当の事を語っていたとは限らないじゃないか。だってまほは、エリカが退院してからのことを伝聞でしか知らないんだから。もし、他に当時のことに詳しい人間がいて、その人間も同じことを語れば、それを信じざるをえないが、他にそんな人物なんて――

 

「……いた」

 

 美帆の頭の中に、一人の人物が頭に浮かんだ。当時のエリカのことを、恐らくまほ以上に詳しく知っている人物が。

 そして、その人物は恐らく今の美帆でも少し距離はあるがおそらく簡単に会うことができる。

 ……どうする?

 ちょうど学園艦は三日間ほど停泊しているから、時間に関しては問題ないだろう。相手方の都合さえ会えば、簡単に事の真相を聞き出すことができるはずだ。

 だが本当にそれでいいのか?

 美帆の脳内にこれ以上踏み込んではいけないという警鐘が鳴り響いていた。だがそれ以上に、真実という禁断の果実の誘惑が、目の前で強烈に美帆を惹きつけていた。例えそれが開けてはいけないパンドラの箱でも、美帆は手を伸ばすことを堪えることができなかった。

 美帆は携帯を手に取ると、電話帳から一人の名前を探した。それは梨華子だった。梨華子の名を見つけると、美帆はそのまま梨華子に電話をかける。すると、梨華子は二コールもしないうちに電話に出た。

 

「もしもし、梨華子ですか? 私です」

『はい隊長、何か御用ですか?』

「ええ、明日の訓練なのですが……私は少々込み入った事情が出来、参加することができなくなりました。なので、明日の訓練を任せていいですか?」

『はい問題ありませんが……珍しいですね、隊長が訓練に出られないなんて』

 

 電話越しからも梨華子が不可解な面持ちでいることが分かった。

 美帆はできるだけいつもどおりに受け答えをする。

 

「ええ、私も歯がゆく思っています。ですが、どうしても外せない事情でして……本当に申し訳ありません」

『えっ!? いや、気にすることないですよ! そうですよね、隊長だって人間なんですから、そんな日もありますよね。分かりました、それでは明日の訓練、任せて下さい』

「ええ、お願いします。それでは」

 

 そこで美帆は電話を切った。そして、その後すぐに電話帳で別の名前を探しだすと、今度はその名前の主に電話をかけた。

 

「もしもし、お久しぶりです。東美帆です――」

 

 

 

 翌日、美帆は大洗へと足を運んでいた。目的の人物がいるのが、大洗だったからだ。

 しかし、まさか大会の前に大洗に足を運ぶことになるとは思ってもみなかった。ここに帰るときは、大会で優勝し、エリカの名を全国に轟かせてからだと考えていたから。

 美帆は炎天下の中、伝えられた住所へと向かっていった。大洗は彼女にとって地元であるが、学園艦生活が長かったのもあって、たどり着くのに少々時間を要した。だが、約束の時間にはたっぷりと余裕を持たせてはいたため、さほど問題はなかった。

 指定された場所へと辿り着く。そこは、そこそこ裕福な家庭が家を構える住宅街で、目的の場所もその中にある一軒家の一つだった。偶然なことに、そこは美帆の家からそれなりに近い場所であった。とは言え、初めてくる場所であり、昔自宅から小学校に通ったルートからは外れていたために、あまり地理には詳しくなかったのだが。

 美帆は玄関の横に取り付けられたインターホンを押し、自分の名前を告げる。するとしばらくして、目の前の扉がガチャリと開いた。

 

「……こんにちは、美帆ちゃん。久しぶりね」

「はい、お久しぶりです。――沙織さん」

 

 その家の主は武部沙織、かつてのエリカの友人の一人であり、美帆がエリカと一緒に仲良くしていた大人だった。

 

「ささ、早く中に入って。今日は暑いから、あんまり外にいると熱中症になっちゃうよ?」

 

 沙織は笑顔で美帆を迎える。美帆もそれに甘え、早々と沙織の家に上がった。家の中はクーラーがよく効いており、快適な温度だった。

 美帆は沙織に案内されて、リビングへと連れて来られた。広々としたリビングには大きなテレビや高級そうなソファーが置いてあり、家庭の裕福さを表していた。

 

「あ、ちょっと待っててね」

 

 沙織はそう言って少しの間リビングから姿を消したかと思うと、何事もなかったかのようにリビングに戻ってきた。

 

「ごめんなさい、ちょっと子供がちゃんと寝てるか確認したくて」

「お子さん、いるんですね」

「うん、今年で三歳になるんだ。かわいいんだよー!」

 

 満面の笑みで語る沙織に、美帆も思わず和やかな気持ちになりかける。だが、そこでここにきた理由を思い出し、気を引き締めな直した。

 

「それで沙織さん。今日訪ねてきたわけですが――」

「うん、わかってるよ。……みほのこと、でしょ。……まあ、座りなよ」

 

 真面目な顔をした沙織に促され、美帆は近くのソファーに腰掛ける。そして沙織は、ちょうどその正面にくるように置かれているシングルソファーに座った。

 

「電話で聞いたときは驚いたよ。まさか美帆ちゃんからみほの名前が飛び出してくるなんて。……でも、おかしくはないことなんだよね。エリカの事を調べようと思ったら、いつかは行き当たることだろうから……エリカとずっと一緒にいた美帆ちゃんには、聞く権利があると思う。それで、何を知りたいの?」

 

 いたって真剣な口調で美帆に話しかける沙織。その視線を向ける沙織の顔つきを、美帆は今まで見たことがなかった。ただ底抜けに明るい人だと思っていたが、こういう真面目なところもちゃんとあるのだなと、失礼ながらに思った。

 

「はい……みほさんとエリカさんの関係、そして、みほさんがその……いなくなったときの事を」

 

 美帆はなるべく死んだという言葉を使いたくなかった。それを認めてしまったら、まほの話を本当に認めることになってしまいそうで、嫌だったから。

 これから事の真相を聞くというのに、おかしなことであると、美帆は内心自分を蔑んだ。

 

「そうだよね、やっぱりそこが気になるよね……。そうだね、みほとエリカは……とっても深い絆で結ばれていたと思う。私達よりもずっと前から友達で、戦車道のことでぶつかったりもしたことがあったけど、それでも、エリカを助けるみほと、みほに助けられるエリカ、その二人の間には、私達が入っていけないような深いところで繋がってた、そう思ったよ。それに……多分、エリカはみほのこと、好きだったんじゃないかって思うの。もちろん、恋愛的な意味でね。そうでなきゃ、十二年間もみほのこと待ち続けるなんて、できないから……。エリカにとっては、みほがいなくなったことがとてもショックだったんだ。多分、私達よりも何倍も。でも、待ち続けた。みほが帰ってくるって信じて……。

 ええと、それでね、そのみほがいなくなった日のことだけど……その日、実は私も一緒にいたんだ。みほはちょうど私達とこの大洗で遊んだ帰りに、川で溺れた子供を見つけたの。はじめにその声を聞いたのは私だった。とても小さな声だったけど、助けて、助けてって声が聞こえてきて。そしてその声の方を見たら小さな子供が川で溺れちゃってたんだ。私、それを見たらパニックになっちゃって。でもみほの行動は早かった。すぐさま川に飛び込んで、その子を抱えると、川岸で見ていた私のところまで運んできた。そして、みほが私にその子供を手渡してきたから、私はなんとかその子供を掴んで助けだしたの。そして、次はみほの番ってなったときに、みほが足をつって、そのまま、川に流されちゃったんだ……今でも覚えているよ、みほが汚れた水の中にどんどんと沈んでいく姿を……。そしてそれっきり、みほは、いなくなっちゃった……」

 

 沙織はそこで口をつぐんだ。その目には、今にも溢れ出しそうな涙が溜まっていた。

 そして美帆は、そこまで聞いて確信した。

 これでもう疑いようがない。すべて、真実だったんだ。エリカの想い人はみほという人で、その人は私のせいで死んでしまっていたということが。

 美帆は、ゆらりとその場から立ち上がった。その体には力がまったく入っておらず、目はどこを見ているか分からないほどにぼんやりとしている。

 その様子に、沙織は不審に思い、恐る恐る声をかけることにした。

 

「み、美帆ちゃん……?」

「……ねぇ沙織さん。その助かった子供、どうなったと思います?」

「え?」

 

 沙織は質問の意味が分からず、動揺する。

 それ以上に、美帆の雰囲気が先程までとは打って変わって、何かとても恐ろしいことになっている、そんな気がした。

 

「……その子はね、ずっと助けてもらったことに感謝しながら、自分も誰かのためになりたいと必死に生きてきたんですよ。でもね、誰かのためになるどころか、その子が初めて恋した人の命を奪っていたとしたら……どうします?」

 

 そこまで聞いて、沙織はハッとした。

 

 まさか、そんなことが。

 

 沙織もまた、言葉にしがたい混乱に襲われた。そんな偶然が、本当にあるだなんて。

 その信じがたい運命の悪戯が、今こうして目の前に現れていることにただただ絶句するしかなかった。

 そして、自分がとんでもない過失を犯してしまったことに気がついた。

 

「……本当に、滑稽ですよね。私の人生って、何もかもが、本当に、滑稽……」

 

 美帆はそこまで言うと、その場から凄い早さで駆け出していた。沙織は一瞬反応が遅れるも、美帆の背中を追いかける。

 

「まって、美帆ちゃん!」

 

 そのときだった。子供を寝かしつけている寝室から「うわああああん!」という泣き声が聞こえてきたのだ。

 沙織はその泣き声に気を取られ一瞬後ろを向く。そして、次に沙織が振り返ったときには、美帆はもう影も形もなくなっていた。

 

 

 美帆は自分がどうやって自分の部屋に戻ったのか分からなかった。気がついたら、大洗から自分の部屋にいたのだ。外は完全に夜の帳が下りており、部屋の中も真っ暗だった。

 美帆は電気も付けずにその場に立ち尽くすと、片手で自分の顔を覆うように抱える。

 

「あ、ああ……私、私、なんてことを……」

 

 私がエリカさんの想い人の命を奪った。エリカさんは当然そのことを知っていたはずだ。それなのに、エリカさんは私に優しく接してくれた。

 本当に? 本当に、優しかった?

 実は心の底では、私を憎んでいたのではないか? 私と一緒に生活することで、復讐の機会を伺っていたのではないか? そうだ、そう考えるのが自然だ。

 それに、エリカさんが最後に呼んだ名前。それは、“美帆”ではなく“みほ”だったのではないか? そうだ、最後に手を掴んだのも、私の手を掴んだのではなく、その人の手を掴むつもりで、手を握ったのではないか。

 ああ、そうだ。思い出した。エリカさんは最期のときにこう言ったんだ。『みほ……あなた、ずっと私と一緒にいてくれたのね……?』と。ずっと一緒にいたのは私じゃない。“みほ”さんだったんだ。

 じゃあ、私がこれまで心の支えにしてきた、私の行動原理のすべてだった、あのときの想いは、願いは、一体何だったというんだ……?

 人を助けたいという気持ちは、エリカさんの生きた証を打ち立てたいという気持ちは、一体……?

 

「あ、ああ……」

 

 人の命を二度も奪っておいて、私に生きている価値はあるのか? 愛する人から愛する人を奪い、さらに自分の愛する人まで殺めて。そんな私に生きる価値が存在するというのか? いや、そんなものはない。

 そうだ、私に生きている価値なんてないんだ。私が生きているなんて、なんておこがましいのだろうか。死のう、死んでしまおう、今すぐに!

 美帆は台所に向かって包丁を取り出す。そして、それを自分の喉元に当てた。あとひと押しすれば、喉を突き破り大量の出血と共に彼岸へと渡れるだろう。しかし――

 

「……やだ。いやだ……死にたくない。死にたくないぃ!!」

 

 美帆の手はブルブルと大きく震えだし、ガシャンと包丁を地面へと落した。

 嫌だ、死ぬのは嫌だ。怖い、死ぬのは怖い。

 それに、私が死んだら、みほさんとエリカさんの死はどうなる? まったくの無意味と化してしまうではないか。それだけは、駄目だ。二人が命を投げ捨ててくれて私を救ってくれたのに、私まで死んでしまうなんて。

 しかし、なぜエリカさんは私を助けてくれたのだ? エリカさんにとって私は憎い相手だったはず。それなのになぜ? もしかして、みほさんが助けた命だから? 自分の恋する相手が救った命だから、嫌でも救わなくてはいけなかった? ああ、そうだとすると、やはりエリカさんの死は私が原因だ。私がエリカさんを殺したんだ。なぜそんな私が、のうのうと生きているんだろう。やはり死ぬしか、でも死ぬのはいけないことで――

 

「あ、あああああ、あっ、あっ、あっ、あああ……」

 

 美帆は自分の頭を両手で万力で押しつぶすかのように手で挟み込み、力を入れる。はちきれんばかりに見開いた目からは、だらだらと涙が溢れだしていた。

 

 死なないと。でも死んじゃいけない。でも死なないと。でも死んじゃいけない。死なないと。でも死んじゃいけない。でも、でも――

 

「うあああああ、あっあっあっ、あああ、あああっ、あああああっああああああああっあ、あっああっああああっああああ……」

 

 

 死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。

 

 

「う……あ、うわあああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!」

 

 その慟哭が、彼女の最後の叫びだった。

 次の瞬間、美帆はまるで糸が切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちた。



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14話

 梨華子は不安げな表情で、他の隊員達と共に整列していた。なぜそのような表情を浮かべているのかと言うと、理由は簡単で、未だに隊長である美帆が演習場にやってこないのだ。

 時間的余裕はまだある。しかし、美帆は誰に言われるまでもなく、いの一番に演習場に来ているのが常だった。それまで美帆よりも早く来たものがいないために、実は演習場に住んでいるのでは? とまで囁かれたほどだ。

 そんな美帆が、今までの黒森峰での戦車道において初めて、他人よりも遅れているのだ。何かあったのではと、不安になるなと言うほうが無理だった。

 どうやら不安がっているのは梨華子だけではなく、他の隊員達も同じだった。何かあったのでは? もしかしたら世界の終わりかもしれない。そんな話し声が聞こえてくる。

 いい加減、隊員達の不安もピークに達していた。

 そのときだった。

 カツカツと、軍靴の音を響かせながら歩いてくる人影が見えた。他の誰でもない、美帆だった。全員が、ひとまず美帆の無事に安堵する。

 だが、梨華子は違った。梨華子は、クリップボード片手に歩いてくる美帆の姿は一見いつもと変わらないが、どこか違和感があった。

 その違和感が何なのかと言われると答えられないが、とにかく、いつもの美帆とは違うことが分かった。

 梨華子が違和感を抱えたまま、美帆が整列する隊員達の前に立つ。美帆は隊員達を一瞥し、口を開いた。

 

「皆さん揃っていますね。それでは、少し早いですが訓練を始めましょう。その前に、皆さんに言っておかなければいけないことがあります」

 

 言っておかなければならないこと? 一体なんだろう。事前には何も連絡されてはいないが。梨華子は心の中で疑問符を浮かべた。

 

「次の大洗戦ですが、使用する車両を大幅に変更しようと思います。今までは重戦車中心の編成でしたが、次の大洗戦では重戦車の数を半分に減らし、その分軽戦車と中戦車を導入します」

 

 その発表に、隊員達はどよめきに包まれた。美帆の戦車隊の編成は、それまでは古典的な戦法を元にした重戦車中心の編成であった。そして美帆は、これまでどんな状況になろうとその編成を崩そうとはしなかった。もちろん次の大洗戦もそうだろうと全員考えていた。それが、まさかここにきてその編成を変更するとは、誰が予想していたであろうか。

 

「大幅な変更に伴い、皆さんのうち多くの方々に搭乗する戦車を変更してもらいます。申し訳ないとは思いますが、これまでも他の戦車を動かす訓練は積んできているはずですから、大丈夫ですね? それでは実際の車両の変更と、それに搭乗する隊員についてですが――」

 

 美帆が冷然と新しい編成について説明する。その結果、多くの隊員が今乗っている戦車から降り、新しい戦車に乗ることになった。そのこと自体に不満を言う隊員はいなかった。現在乗っている戦車に愛着を持っているのは確かだが、勝利のためなら仕方がない。黒森峰の隊員はそういう割り切りのできる隊員達だった。

 だが、梨華子は内心不満を持っていた。なぜ副隊長の自分に何の相談もせずにそんな重要なことを決めたのか。梨華子は今すぐにでもそのことを美帆に抗議したかったが、他の隊員達がいる前でそんなことを言うのは隊全体の士気に関わるため自重しておいた。

 そうして梨華子が胸中に不満を抱えながらもその日の訓練が始まった。最初は慣れない編成での作戦行動に苦労している姿が見て取れたが、すぐに順応していったあたりに隊全体の練度の高さが伺えた。

 そうしていくうちに訓練を終え、他の隊員達が帰っていった後、美帆と梨華子はいつものように小さな作戦会議室に篭っていた。

 梨華子は、そこで美帆に今日のことを問いただすつもりでいた。なぜ突然編成を変えたのか、なぜそのことを自分に相談してくれなかったのか、そもそもなぜ今日遅れたのか。

 聞きたいことは山ほどあった。もしかしたら美帆が休みを取ったあの日に、何かがあったのかもしれない。梨華子はそう睨んでいた。だがまずは、いつも通りに美帆にコーヒーを出すことにした。なるべく穏やかに話をしたかったからだ。

 梨華子はコーヒーメーカーで熱々のコーヒーを入れる。少し冷まさないと飲めないほどの熱さだ。

 

「はい隊長、コーヒーです」

「ええ、ありがとうございます」

「あ、熱いので少し冷ましてから――」

 

 梨華子が忠告しようとしたその瞬間、美帆はコーヒーをそのまま口に入れてしまった。そして美帆は、ぐびぐびとコーヒーを飲んでいく。

 梨華子は驚きを隠せなかった。もしかしてそれほど熱くないのでは? と思い、自分が持っているコーヒーを口にしてみたが、熱くてすぐさま舌を引っ込めてしまった。下手したら火傷しかねない。

 だと言うのに、美帆は気にせずコーヒーを飲んでいる。美帆は熱いのが平気なのだろうか? さらにそれに加えて、梨華子には気になることがあった。

 

「あの……隊長、砂糖とミルクは入れないんですか?」

 

 そう、美帆はいつもコーヒーがコーヒーと言えないほどに甘くなるぐらいに砂糖とミルクを入れてコーヒーを飲むのがいつものことだった。それは、梨華子が知っている美帆の数少ない癖のようなものだった。

 梨華子が聞くと、美帆はコーヒーを口から離し、マグカップをまじまじと見つめる。そして、

 

「ああ……そういえばそうでしたね。私は、コーヒーには砂糖とミルクを入れるのでした」

 

 と、残り少ないコーヒーに大量の角砂糖とミルクを入れた。多すぎてコーヒーに溶けきっていないぐらいだ。だが美帆はまったく気にせずにそれを啜った。

 梨華子はそんな美帆を見て、なんだか得体の知れない恐怖を感じ始めていた。目の前にいるのは、本当に美帆なのだろうか? いつの間にか、知らない人間と入れ替わってしまったのではないか? それだけではない。梨華子はその恐怖に加え、なぜだか美帆から生理的な嫌悪感を覚えていた。一体なぜなのかは分からない。だが、梨華子にとってそれは、よく知った嫌悪感であり、今日感じた違和感と繋がっている気がした。

 正直、この状況で今回の編成替えのことについて聞くのは躊躇われる。だが、知らなければ前に進めないとも思い、思い切って聞くことにした。

 

「あの、隊長……」

「なんですか? 梨華子」

「その……なぜ、今日急に編成を変えられたのですか? しかも、副隊長の私に黙って。そんな大事なことなら、一言ぐらい私に相談してくれてもいいじゃないですか。それに、なぜ今日遅れられたのでしょうか。何かあったのでは?」

 

 梨華子が質問すると、美帆は座りながらくるっと梨華子の方へと向き直った。梨華子を見つめてくるその目に、梨華子は恐怖を感じた。なので、梨華子はそっと目を逸らした。

 

「なぜ……ですか。特に大した理由ではありませんよ。大洗は軽、中戦車を中心に奇策によって勝利を勝ち取る学校です。その相手に、重戦車中心の編成では勝てないと踏んだまでです。勝つために編成を変えるのは当然でしょう? 何故伝えなかったのか、ですが、それを思いついたのが直前のことゆえ、伝えるタイミングがなかなかなかったためです。それに関しては謝罪します。今日遅れた理由ですが……恥ずかしい話、私は訓練直前までなぜだか倒れていましてね……過労かもしれません。それで遅れてしまったんですよ。隊長として不甲斐ないばかりです」

 

 淡々と事情を話す美帆に、やはり梨華子はおかしいと思った。美帆はそう簡単に自分の信念を曲げない人物のはずだ。美帆の中には確かな哲学があって、自分の戦車道を貫いてきた。だからこそ、去年敗退したサンダース相手にも同じ編成で挑んだのだ。

 それなのに、今の美帆は良く言えば柔軟に、悪く言えばなんの信念もなく勝利のために編成を変えた。隊長としては間違ってはいない判断ではあるが、美帆という人物を知っているとそれは間違った判断のように思えてくる。そこには、なんの感情も感じられなかった。そう、まるで機械のような――

 

「あっ……」

 

 そこで梨華子は気づいた。今まで美帆に感じていた違和感、恐怖、嫌悪感の正体を。

 美帆は、今日一日、まったく表情が変化していないのだ。存在していないとも言っていい。

 確かにいつもの美帆も、常に厳しい表情を浮かべ決して笑みを見せない人物だった。だが、表情がないというわけではなく、そこには微かだが、ちゃんと人間らしい感情の機微が見て取れた。

 それが今はどうだ。まるで人形のように、まったく顔を動かさないではないか。

 梨華子は昔から人形が嫌いだった。無機質なその顔が、怖くて気持ち悪くてたまらなかった。デパートの洋服売り場も、マネキンが苦手であまり近寄らないほどだ。

 今の美帆は、梨華子が嫌悪するその人形そのものだった。

 

「…………っ」

 

 梨華子は思わず後ずさる。すると、美帆は急にその場から立ち上がった。梨華子は怯え小さく「ひっ」という声を上げて肩を震わせる。だが美帆はそんな梨華子に目もくれず、自分の鞄を持ち机に広がっていた筆記用具をしまい始めた。

 

「今日は一足早く帰らせて頂きます。一人でゆっくりと大洗戦について考えたいので。もし具体的な作戦の草案がまとまったら、今度はちゃんと連絡しますので。それでは」

 

 そう言って美帆は帰っていった。一人取り残された梨華子は、へなへなと壁に背にもたれてその場に座り込んだ。

 美帆が休んだ日に何があったのかは、結局聞けずじまいだった。

 

 

 その日以降、梨華子は美帆とあまり話すことはなくなった。梨華子が、一方的に美帆を避けていたのだ。それでも、日々の訓練は何一つ不自由なく進んでいった。むしろ、以前よりも効率よく進められているようにすら思える。美帆は戦車道においては、以前以上の指揮能力を発揮していると言わざるをえなかった。それが逆に、梨華子の恐怖を煽った。まるで、戦車道のためだけの機械のように見えたからだ。

 機械と言えば、訓練中にとある出来事があった。その日、いつも通りに訓練を終えて、美帆が戦車から降車してきた。そのとき、同じ戦車に乗っていた搭乗員の一人が異変に気付いた。美帆の腕から、たらぁっと血が垂れているのだ。どうやら、戦車の中で怪我をしてしまったらしい。しかし美帆は、そのことをその隊員に指摘されるまで、なんと気がついていなかったのだ。怪我をしていると言われて初めて、怪我に気がついたのだ。まさにロボットのようで、梨華子は不気味がった。

 そうして梨華子が美帆に恐れを抱きつつも時間は流れていって、とうとう大洗との決勝戦の日がやってきた。

 大洗との決勝は苛烈を極めた。あの手この手の奇策を用いてくる大洗に、序盤黒森峰は苦戦を強いられた。血気盛んな隊員が敵の挑発に乗り、次々に撃破されていった。しかし、中盤からは美帆の指揮のもと、着実に大洗の戦車を軽戦車、中戦車の機動力を活かしながら各個撃破していき、その連携を崩していった。そして終盤には、黒森峰お得意の重戦車による装甲と火力差の暴力によって、敵のフラッグ車を討ち取った。もちろん、その状況に持ち込んだのは軽戦車および中戦車の活躍あってのものだった。そうこうして、黒森峰は全国大会において、悲願であった十七年ぶりの優勝を果たすことが出来た。

 隊員達は歓喜に震えた。各々が各々の健闘を讃え合い、あまりの嬉しさに涙を流すものが続出した。梨華子も、喜びを隠すことができず、同じ乗組員とお互い抱きしめあって余転んだほどだった。

 だが、一番その勝利を望んでいたはずの美帆だけは、いつもと変わらない無表情さで、一人その光景を見ているだけだった。

 祝賀会でも、美帆は変わらなかった。お祭りのような雰囲気の中、一人だけ沈黙しているのは異様としか言えなかった。その頃には誰もが美帆の異変に気づいていたが、皆言葉にできない恐ろしさを感じているのか、誰も美帆に近づこうとはしなかった。

 そんな中、慌てた様子の教師が、美帆のもとに駆け込んできた。そして、なにやら美帆に耳打ちをした。美帆は「わかりました」と一言言うと、すたすたと梨華子のところに歩いてきた。

 

「副隊長、すみませんがこの場を離れなくてはならなくなりました。後をよろしくお願いできますか?」

「はい。それはかまいませんが……何かありましたか?」

 

 その質問に、美帆はまるで人事のように、こう言った。

 

「妹がね、死んだんですよ」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 沙織は傘を片手に住居近くの街中を歩いていた。夕食の買い物をするためである。

 空は曇り模様で、いつ降りだしてもおかしくないと天気予報で言っていた。そのため、念のために傘を持って外出したのである。

 

「やだもーやな天気! はやく買い物済ませて帰ろう」

 

 沙織は歩調を早め素早く目的地のスーパーへと行こうとする。そして、その道の途中にある公園の近くを横切ったときだった。

 ふと公園に目をやると、公園のブランコに見知った人影が見えたのだ。

 

「……美帆ちゃん? 美帆ちゃん!?」

 

 そこにいたのはなんと、美帆だった。美帆は公園のブランコを漕ぐわけでもなく、ぼおっとしながら座っている。

 沙織は驚愕しながらも美帆の元へと駆け寄った。すると、美帆も気付いたのか視線を沙織に向け、ガシャリとブランコの鎖を響かせながら立ち上がった。

 

「沙織さん……」

「美帆ちゃん! 美帆ちゃんなんだね! 会いたかったよー!」

 

 沙織は美帆を勢いよく抱きしめる。美帆は、それに対しなんの反応も示さず、ただ抱かれるままだった。

 沙織は美帆を離すと、嬉しそうでありながらもどこかつらそうな顔をして美帆を見つめた。

 

「よかった……私、うかつなこと言っちゃったってずっと心配してて……。もしかしたら、し、死んじゃうかもって心配してて……でもよかったぁ。美帆ちゃんが無事で」

「私が、死ぬ? なんでまた」

「……そうだもんね、美帆ちゃんはいい子だもんね。そう簡単に命を粗末にしたりしないもんね。そういえば、どうして大洗に?」

 

 その問いに、美帆は平坦な声調で応えた。

 

「ああ、妹の葬式があったので、それに出席するためにここに」

「え……?」

 

 沙織は、その発言に言葉を失った。

 妹が、死んだ? 美帆の妹が?

 突然打ち明けられたその出来事に、沙織は混乱してしまう。そして、まるで世間話をするかのように、身内の死を平然と離す美帆に、違和感を覚えた。

 

「妹さんが死んじゃったって……なに、それ」

「ええ、昔から体の弱い子でしたが、どうやら私が実家に帰っていない間に質の悪い病気にかかっていたようで。私を心配させまいと黙っていたらしいですが、とうとう限界が来てしまったようです」

 

 その話し方は、やはり家族が死んだばかりの人間のものとは思えなかった。そこで初めて沙織は、美帆が尋常ではない状態になっていることに気がついた。

 

「ねぇ……美帆ちゃん。一体、どうしちゃったの?」

「どうしたというと?」

「だって、おかしいよ! 家族が死んだって言うのに……そんな冷静でいられるなんて!」

 

 沙織が叫ぶと、美帆は少しの間考えた後「ああ」と声を漏らし、自らの両手に視線を移しながら話し始めた。

 

「それがね、おかしいんですよ。私、妹の美魚は心の底から大事に思っていたはずなのに、なぜだか悲しくないんですよ。葬式でも、両親は涙を流していたというのに私は泣けなくて。両親は『強い子ね』と言ってくれましたが、そんなんじゃないんです。ただ、わからないんですよ。悲しいという感情が」

「そんな……」

 

 美帆の告白に、言葉を失う沙織。

 美帆は、そんな沙織をまったく気にすること無く、自身についての告白を続ける。

 

「それにね、それだけじゃないんですよ。先日、念願だったはずの戦車道の全国大会で優勝したんですが、そのときもまったくもって喜びが湧いてこなかったんです。頭の中ではずっと、戦車道で勝利しなければならない、なんてことをずっと思っていたのに。絶対に勝たないといけない、それだけは分かっていたはずなのに、それを果たした後に何の感情も去来しなかったんです。いや、そもそもなぜ私は戦車道で勝たなきゃいけないと思っていたのか、それすら分からないんですが……。日々生きていても、喜びも怒りも哀しみも楽しさも何も、感じないんです。それに、それにですよ。さらには私、どうも感覚っていうものもなくしちゃったみたいで、痛みとか熱さとか冷たさとか、そういったものも一切分からなくなったんです。だから、日常生活を送るのがちょっと不便で……。ねぇ沙織さん。どうしてだと思います? 不思議なんですよ。不快とかじゃなくて、ただただ、不思議なんです。どうして今まで持っていたはずのものが無くなったんでしょうか?」

 

 一切表情を変えずに、そのことを語る美帆に、沙織はとても心苦しい気持ちになった。

 美帆の状態は、はっきり言って異常だ。感情も感覚も無くすだなんて、普通の人間では起こりえないことだった。

 どうしてそんなことになった? それを考えていくうちに、沙織は一つの要因が思い浮かんだ。考えたくない、一つの要因が。

 

「もしかして、私のせい……? 私が、エリカとみほの事について、話したから……?」

 

 沙織は美帆のことを改めて視界に移す。まだ二十歳にもなっていない少女。その少女に重荷を背負わせたのは紛れもない、自分だ。

 だが美帆はその沙織の一言に、美帆はゆっくりと首を傾げた。

 そして、美帆はまたしても、信じがたい一言を放った。

 

「エリカ……? みほ……? 誰です? それ」

「え……?」

 

 沙織は凍りついた。

 初めは何かの冗談だと思った。しかし、本当に不思議そうにしている美帆を見て、そんなことはないとすぐに分かった。

 

「みほは……私のことではないですよね、話の流れ的に。それにエリカ……初めて聞く名前です。誰なんですか?」

 

 美帆は沙織の目を見て聞いてくる。その目は、空っぽだった。何も映しだしてはいない、伽藍堂の瞳だった。

 

「あ、あああ……」

 

 沙織は想像以上に壊れてしまっていた美帆を前に、思わず後ずさりをして、そのまま尻もちをついてしまった。

 まさか、まさかここまでとは思わなかった。ここまで美帆がおかしくなってしまっていただなんて、想像もしていなかった。あれほどに想っていたエリカのことを忘れてしまうほどだなんて、そんな、そんな。

 

「大丈夫ですか沙織さん?」

 

 美帆は転んだ沙織に手を差し伸ばしてくる。だか沙織は、後悔と哀れみと恐怖がないまぜになった感情の渦に囚われており、その手に気づくことができない。

 そのとき、ぽつりと沙織の顔に水滴が落ちてきた。どうやら、雨が降り始めたらしい。雨は一瞬のうちに勢いを増していく。

 美帆は、天を仰いで雨粒を体中で受けた。

 

「おや、どうやら雨が降ってきたようですね……それでは、もっと激しくならないうちに私は帰ろうと思います。沙織さん、また会いましょうね」

 

 美帆は、沙織を一瞥すると、腰が抜けた沙織を尻目に、ゆっくりと歩いて公園から出て行った。

 沙織は雨の中、泥だらけになりながらも立ち上がることができなかった。そして、雨にまぎれて、静かにその瞳から涙を流した。



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15話

 ――二年後。

 

「それでは本日のゲストに登場していただきましょう。戦車道界の期待の新星。東美帆さんです!」

 

 きらびやかなセットの元、噴射されるガスの中から美帆はタレントや観客の拍手を受けながらその姿を表した。

 美帆はその日ゴールデンタイムに放映されているバラエティ番組にゲストとして呼ばれていた。美帆は黒森峰での三年間の生活を終えた後、プロリーグのチームにスカウトされ、そのままプロの戦車乗りとしてデビューした。プロリーグでもその頭角をメキメキと表した美帆は、いつの間にか戦車道期待の新星と呼ばれるようになっていた。

 そこに目を付けた彼女の所属するチームと日本戦車道連盟は、戦車道の知名度アップと競技人口の増加を狙って、美帆を売り出すことにした。幸いにも、美帆の美人よりの外見は、お茶の間にとって受けが良かった。

 美帆は次々に露出を増やしていった。テレビ出演のオファーは可能な限り受け、時には肌を晒す仕事も受けた。

 美帆は次々と言い渡される仕事を拒否することはなかった。いや、拒否するという考え自体が思い浮かばなかった。今の美帆は戦車道以外の事に関しては主体性がなく、チームと連盟の言われるがままの人形と化していた。

 

「いやーこうして会うのは初めてですが、いつもテレビで見る以上にお綺麗ですねぇ」

「ありがとうございます」

 

 美帆は司会者とカメラに向かって笑顔を向ける。

 チームや連盟に練習させられて覚えた笑顔だ。無愛想なままではテレビ受けが悪いからである。

 今の美帆は練習を重ね、好きなときに笑顔や悲しげな表情を浮かべることができるようになっていた。もちろん、そこには美帆自体の感情は一切乗っていない。

 番組の収録はつつがなく進行した。他のタレント達と一緒にひな壇に座り、適度に笑い、適度にコメントを返していく美帆。

 初めて彼女を見たものからすれば、ただの礼儀正しい女性にしか見えないだろう。だが、少しでも彼女のことを深く知れば、その姿に違和感を覚えるだろう。

 彼女の歪さは、完全には隠しきれるものではなかった。

 その日の収録も終わり、美帆は楽屋ですぐさま帰り支度をしていた。すぐ後に訓練が控えていたからである。

 そのとき、トントンと扉を叩く音が聞こえてきた。

 

「はい」

 

 美帆が応えると、扉を開けてきたのは美帆と懇意にしているテレビ局のプロデューサーだった。

 

「いやー東さん今日もお疲れ様です。テレビ出演にも大分慣れてきましたねー」

「いいえそんなことは。まだまだ学ぶべきことは多いです」

 

 美帆は笑顔で返す。人と話すときは笑顔で話せと日頃から注意されているからだ。

 

「いやー勉強熱心ですねー東さんは。ところで、ちょっと予定を伺いたいんですが……明日、空いてますかね?」

「明日ですか? 問題ありませんが」

「ならよかった! 実はね、会ってもらいたい人がいるんですよー! いやね、その人にはずっとオファーをかけてたんですがずっと断られていまして。それがこの前、東さんとの共演ならオッケーだって言われまして! それでその条件として、前日東さんとお話したいって言うんですよー。どうにかお願いできませんかね! ねっ! どうかこの通り!」

 

 プロデューサーがわざとらしく拝み倒すように両手を合わせる。

 もとより美帆が断るとは思っていないが、形ばかりでもそういう態度を取るのがこのプロデューサーの癖だった。

 美帆はそんなプロデューサーの様子をまったく気にせずに応える。

 

「ええ、いいですよ。ところで誰なんですか? 私と話したいという人は?」

「それがですね、ふふっ、なんと、あの日本戦車道界に名を残す名選手、西住まほさんなんですよっ!」

 

 

 翌日、美帆はテレビ局にある指定された小部屋へと向かっていた。美帆が歩いている廊下には、せわしなく人が行き交うテレビ局にしては、珍しく人通りが少ない。まほは条件として、なるべく他人に話を聞かれない場所を指定したらしい。そして、その小部屋は殆ど使われていないらしく、一対一で話すのに適しているらしく、まほの求める条件に適しているようだった。

 小部屋の前に着くと、美帆は一応の礼儀として扉をノックする。すると、

 

「どうぞ」

 

 という声がしてきたので、美帆はそのまま扉を開けた。

 小部屋の中は、いくつかの椅子と、少し大きめの長方形のテーブルが置かれており、そのテーブルの真ん中ほどの位置にくるあたりの椅子に、まほは座っていた。

 

「おはようございます」

 

 美帆はまほに頭を下げ挨拶する。まほもそれに答え、

 

「おはよう」

 

 と表情を変えずに返した。

 美帆は頭を上げると、そのまままほの対面に来るように椅子に座った。

 

「お久しぶりですね、西住さん」

「ああそうだな。二年ぶりになるか。東美帆と言うんだね、君の名は。不思議な偶然もあったものだな。まさか自分の妹と同じ名の少女だったとは。そして、君がここまで有名な選手になるとは思っていなかったよ」

 

 まほは厳し目な表情のまま言う。美帆は、どこか以前に会ったまほとは違う印象を受けた。

 

「はぁ……その、みほさんというのが、まほさんの妹さんの名前なのですか?」

「……そうか、やはり憶えていないんだな」

「……?」

 

 美帆にはまほの言っていることがイマイチ分からなかった。美帆にとっては、偶然出会い、ただカレーを食べさせてもらった人、というのがまほの印象だったからだ。少なくとも彼女の記憶の中では。

 

「……担当直入に言おう。東さん。私は、君を救いに来た」

「……は?」

 

 救う? 私を? この人は何を言っているんだろう。今の私の生活には、何一つ問題はない。誰かに救ってもらうような事はないはずだか。

 美帆が頭に疑問符を浮かべているのを気にせず、まほは話を続けた。

 

「一年前、偶然武部さんに会ってね。私が君に出会っていたことを知ると、事の次第をすべて話してくれた。武部さんは本当に辛そうだったよ。会ったのは久しぶりだったが、見るからに憔悴していた。それで、どうにか君を助けられないか、私に相談してきたんだ。それで、私達は一緒になって必死に考えた。君のためにも、みほのためにも、そしてなによりエリカのためにも。そして、武部さんがとあることに気がついた。武部さんからそれを聞かされたとき、私もそれしかないと思った。そして、私は必死にそのために必要なものを探した。探せるのは、エリカの地元にいる私じゃないとできなかったからね。そして一年という時を費やして、やっと見つけ出したんだ」

 

 まほはそこまで話すと、懐から何かを取り出した。そして、それをテーブルの上へと置く。

 それは、長方形の、手のひらに収まるほどのコンパクトな機械だった。小さな液晶画面と、スピーカーが付いている。それは、使ったことはなくとも誰もが知っている機械だった。

 

「……これは、ボイスレコーダー?」

「ああ。雑多に処分されかけていたエリカの遺品の中から、なんとか見つけ出した。随分とエリカの家族には迷惑をかけたが、すべては仕方のないことだ。……実はな、エリカは誰にも内緒で、音声日記をつけていたらしいんだ。そのことを知っていたのは、エリカの生活の面倒を事細かに見ていた、武部さんだけだった。だから、今まで忘れられていた。……だが、今の君にはこれが必要なんだ。どうかこれを聞いて欲しい。これは、君のためなんだ。お願いだ、この通り」

 

 まほは座りながら、テーブルに手を着き美帆に向かって頭を下げた。

 正直、美帆には訳が分からなかった。なぜ、見ず知らずの人間の日記を聞かなければならないのだろう? それが、一体なぜ自分のためだというのだろうか?

 あまりにも訳の分からないその頼みは、本当なら断ってもおかしくなかった。だが、まほは知らない相手というわけでもないし、何より自分より一回りは上の世代の人間に頭まで下げさせておいて、それを断るというわけにもいかなかった。

 

「……分かりました。とりあえず、聞くだけですよ」

「……ありがとう」

 

 そして、美帆は疑いながらも、ボイスレコーダーのスイッチを入れた。

 そして聞こえてくる。ノイズ混じりながらも、どこかで聞いたことのある懐かしい声が。

 

 

『三月十七日。今日は図書館で不思議な子と出会った。その子は目の見えない私を避けるどころか、私のことを手伝いたいと言ってきた。正直戸惑ったが、久々に沙織達以外から受ける他人からの善意というのも気持ちがよかったので、受けることにした。その子は、私がもういいよと言うと、すごくガッカリした様子で帰っていった。本当に不思議な子だ。まだ世の中にはあんな奇特な子もいるものだと、少し感心してしまった。

 三月十八日。今日は学校で講師をしに行ったのだが、なんと昨日のあの子に出会った。しかもその子の名は、美帆と言うらしい。……美帆、あの子と同じ名前……動揺しなかったと言えば嘘になる。その子が、戦車道を教えて欲しいと言うのだから、尚更だ。私はその子の願い出を承諾したが……彼女と混同してしまわないか、不安だ。

 三月二十三日。彼女との約束の日だ。彼女は、私がくるずっと前に待ち合わせ場所で待っていたらしい。真面目というかなんというか……。とにかく、私は彼女に自分の知識を教えた。彼女はとても覚えがよく、また聞き上手だった。おかげで、こちらも気持ちよく教えることができた。帰りに彼女は、私のことを送って行きたいと言い出した。本当にいい子なのだな、と私は思った。だから、素直に彼女の厚意を受けることにした。最後まで送ってもらったというのに、彼女は明るく私に別れを告げた。彼女の明るさは正直、気持ちが良い。

 三月二十四日。まさか、彼女がみほが助けた子供だったなんて……。その告白を聞いたとき、私は気がどうにかなりそうだった。まさに運命の悪戯としか言い様がない。彼女は私の生活の手助けをしたいと言い出した。私は迷った。本当にこの子に関わっていいものなのかと。だが、その後気付いた。みほの生命は、この子の中に生きている、生命は、繋がっているのだと。だから私は、彼女の願いを聞き入れることにした。彼女と関わることで、止まっている私の生活が何か変わるかもしれない、そんな気がして。そんな私の内面を知らずに喜んでくれた彼女の声を聞くと……今でも、心が痛む。

 三月二十五日。彼女が家に来てくれた。彼女は、とてもテキパキと私の家を掃除してくれた。最近掃除ができてなかったから、とてもありがたかった。その後、簡単に美帆に戦車道のことを教えてから、彼女の料理を頂いた。彼女の料理はとても美味しく、久々に手作りの料理の良さを味わった。出された料理がカレーだったので、ふと私が自分の過去を――視力を失った経緯を話すと、彼女は我が身のことのように怒ってくれた。ここまで私のことで親身になってもらったのは、初めてかもしれない。その気持ちがとても嬉しくて私は彼女を……美帆のことを、抱きしめた。互いの血の通う感覚が伝わるというのは、案外、悪くない。

 三月二十七日。美帆と一緒にいるところに沙織がやってきた。沙織は、私が美帆をみほの代わりにしているのではないかと問い詰めた。私はそれにすぐさま違うと言った。そう、美帆とみほは違う。美帆はとても感情豊かで、でも決して他人には暗い感情を見せようとはしないで、人の心の機微にはとても敏感で、戦車道に関しては人一倍熱心で、料理洗濯なんでもできて、でもどこか抜けている一面があって……そしてなにより、一緒にいると、なんだかとても安らぐ。みほと一緒にいたときとは、また違った安らぎが、そこにはある。まだ出会って一ヶ月も経っていないが、これだけは分かる。彼女は、とてもいい子だ。できるだけ一緒にいたい。そう思えるほどに。

 四月二日。美帆が一緒に陸に行きたいと言い出した。それを聞いたとき、私は少し考えた。私はみほを待つために学園艦にいる。それなのに、学園艦から離れていいのかと。だが、少し離れるくらいならいいのではと思い、美帆の提案に乗ることにした。不思議な子だ。十二年間こだわり続けてきたことを、こんなにも簡単に崩すだなんて。私にとって、美帆とはいったいどんな子なのだろうか。みほとはまったく違うのに、一緒にいたいと思うこの子は。分からない、でも、嫌な気分ではない。……もし、もしもだ、もしもこのままずっとみほが帰ってこなかったとしたら、私は……いや、やめよう。私はみほを待つためにここにいるんだ。それはこの先も変わらない。でも、そのために美帆と離れるのは……辛いな。……ああもうやめだやめ! 我ながら辛気臭い! それよりもだ! 明日のことを考えよう! 明日は久々の陸の上なんだ。こうなったら思いっきり楽しんでやるんだから! 美帆と一緒に回る大洗、楽しみだな……』

 

 

「…………あれ?」

 

 すべてを聞き終えた後、美帆は異変に気がついた。

 自分の瞳から、大粒の涙が、つつっとこぼれ落ちているのだ。

 どうしてだろう? どうして私は泣いているんだろう? どうして私は……。

 

「……エリカさん」

 

 そうだ、エリカさんの声を聞いていて、そして、エリカさんの日記を聞いていたら、それで……。

 

「……見ててくれたんだ、私のこと。私のこと、憎んでなんかいなかったんだ」

 

 エリカさんはみほさんを奪った私のことを憎んでなんていなかった。

 私をみほさんの代用品として見ていたわけじゃなかった。

 エリカさんは……。

 

「エリカさんはちゃんと、私のこと、見ててくれたんだああああああああああああっ!!!」

 

 美帆は大声を上げて泣きだした。

 それほどまでに嬉しかった。エリカがちゃんと、自分の事を見ていてくれたことが。

 それほどまでに悲しかった。エリカのことを信じきれなかった自分が。エリカのことを忘れていた自分が。

 失っていた感情がどっと雪崩のように襲い掛かってくる。いろんな感情がごちゃ混ぜになって、形容しがたい色になっている。

 美帆は泣いた。とにかく泣いた。泣くことしかできなかった。

 まほはそっとそんな美帆を抱いた。美帆はその日一日中、体力が尽きるまで、まほの胸で泣き続けた。

 

 

 その日、美帆は夢を見た。

 ずっと忘れていた、大昔の夢だ。

 それは三歳ぐらいの頃、まだ美帆が川に溺れてしまう前の記憶。

 

「……おかーさん、あれなにー?」

 

 美帆はテレビにべったりとくっついていた。そこに映しだされていたものが、とても格好良かったから。

 

「ああそれはね、戦車って言うのよ。これはその戦車を使う戦車道っていう競技なのよ」

「へー……」

 

 美帆が見つめるテレビ画面の向こうにある戦車から、一人の少女が現れた。その少女は、漆黒のパンツァージャケットをまとい、輝く長い銀髪を靡かせ、鋭く青い眼光を輝かせている。

 幼い美帆は、一瞬にして魂をテレビの向こうに持って行かれた。

 

「んっ!! んっ!!」

「あら、どうしたの美帆ちゃん?」

「おかーさん! わたしきめた! わたし、おおきくなったらせんしゃのりになるの! そして、このてれびのむこうのひとみたいに、かっこよくなるの!」

 

 母親は興奮気味な美帆を見て、ふふっと笑った。

 

「あらそうなの、もうこんなに早く将来の夢が見つかるなんて、未来が楽しみだわぁ」

 

 微笑む母を尻目に、美帆は画面の向こうの女性から目が離せないでいた。

 いつかこの人のようになろう、この人のようなかっこいい戦車乗りになろう。美帆は幼い心に、そう誓った。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 某日、熊本。

 美帆は照りつける太陽の下、人通りの少ない通りを一人歩いていた。美帆の目当ての場所は、そんな人気のない場所にあった。

 美帆は一件の古びた建物の前に止まると、勢い良くその建物の扉を開いた。カランカランと、ベルの音がする。

 

「いらっしゃいませ」

 

 美帆を迎える声が飛んでくる。カウンターに立っている、まほの声だ。

 そう、美帆はまほのカレースナック『ゴン』へと再び訪れていた。

 そして、美帆を待っていたのはまほだけではなかった。

 

「あらどうも、待っていましたよ東さん」

「待っていましたぞー東殿!」

「……おぅ」

 

 そこにいたのは五十鈴華、秋山優花里、そして冷泉麻子だった。

 

「どうもみなさん、お久しぶりです」

 

 美帆は笑顔で頭を下げる。ちゃんと、心からの笑顔だ。

 美帆と華達は、美帆が心を取り戻した後に、大洗で沙織を仲立ちとして出会っていた。初めは色々と驚かれたが、それでも美帆はすぐ三人と仲良くなった。美帆の持つ元来の人当たりの良さと、彼女が戦車道で一線で戦っていることが話を潤滑にうまく回したのだ。

 

「ほら、挨拶もそこそこにそんなところにつっ立ってないで、早く座ったらどうだ東」

「あ、はい!」

 

 美帆はまほに促され三人の隣へと座る。三人は興味津々に美帆を見ていた。

 

「えーっと、沙織さんはまだ来ていないんですね」

「ええ、沙織さんはどうも少し遅れているようですね、どうしたんでしょうか」

「さぁー……それよりも東殿! 今日もプロリーグについて詳しく聞かせてくださいませ! 私、楽しみにしてきたんですよ!?」

「秋山さん。ぐいぐい行き過ぎだ。東さんが困ってる」

「ははは……」

 

 美帆は優花里に向け苦笑いを浮かべる。最初は面喰らったものだが、今ではもう慣れたものだった。

 

「そうだ東、これを」

 

 まほが詰め寄られている美帆に向けてペラペラとした紙のようなものを差し出してきた。優花里はそれを見ると、反省したように顔を伏せながら自分の席へと戻っていく。

 美帆はまほが差し出したものを受け取った。

 

「これは……」

 

 それは写真だった。そこに写っているは、黒森峰時代のみほとエリカのツーショットだった。

 

「前にエリカの写真が欲しいと言っていただろう? それで探したんだが……あいにく、それ一枚しかなくてな。それでよかったか?」

「……はい! とっても嬉しいです! 大事にします!」

 

 みほは写真を傷つけないようにしながらも、力を入れて写真を親指と人差し指、中指で挟んだ。

 そのとき、カランカランと扉のほうから音がした。

 美帆が懐に写真を入れて扉のほうを見ると、そこには待っていた客がいた。

 

「ごめーん遅れちゃって! この子がぐずっちゃって!」

 

 そこには、沙織がいた。否、沙織だけではない。沙織は子供を連れていた。五歳ぐらいの女の子だった。その子は、もじもじと沙織の背中に隠れている。

 

「お久しぶりです沙織さん。その子がお子さんですか?」

「あっ、そっか、美帆ちゃんは初めてだもんね。そう、この子が――」

「マシーン大元帥!!」

 

 その瞬間、沙織の背後に隠れていたはずの子供が、大声を上げた。何事かと思うと、その子は美帆を指さしながら必死にもう片方の手で沙織の服を引っ張っている。

 

「ママ! 見て! 本物のマシーン大元帥だ! 本物! 本物だよママ!」

「こら、ちゃんと美帆さんて呼びなさいって言ったでしょ!?」

「あ、あはは……」

 

 美帆はそんな沙織の子供を見て苦笑する。華と麻子は、突然のその状況についていけずに頭に疑問符を浮かべているようだった。

 

「あの、東さん。その、マシーン大元帥とは一体……」

「ああ、それは私から説明しましょう!」

 

 そこで、優花里が得意げな顔をして立ち上がった。

 当の美帆は、顔を真っ赤にしながら俯いている。

 

「マシーン大元帥とはですね、東殿の機械のようなクールさと的確な指揮から付けられたあだ名でありまして! 主に一般的な層からそう呼ばれることが多いのですよ! そもそもマシーン大元帥というのはその昔――」

「うう、もうやめてくださいよー……」

 

 まるで自分のことのように解説する優花里に、美帆はさらに顔を赤くさせて頭を抱えていた。

 

「今の私はそんなんじゃないのにずっとその名前で呼ばれるんですよ……。他の方につけられた鋼鉄参謀とか荒ワシ師団長とかはそこまで浸透しなかったのになぜ私だけ……」

 

 一人美帆が呻いていると、ちょんちょんと美帆は服を引っ張られる感覚がした。

 何かと思ってみると、沙織の子供が色紙を持って美帆を見ているのだ。

 

「あの……サイン下さい!」

「え?」

 

 色紙を突き出す子供を見て唖然としている美帆に、沙織が笑いながら説明を始める。

 

「あはは、この子ね、美帆ちゃんのファンなんだよ? 最初は三歳ぐらいの頃だったかなぁ。衛星放送で見た高校戦車道の試合を見てから、ずっと。そりゃもうそこらのファンなんてびっくりするぐらいの筋金入りなんだから」

「へぇー……」

 

 美帆は改めて沙織の子供を見る。沙織の子供は、目をキラキラさせて美帆を見ていた。

 それを見て、美帆はとても嬉しい気持ちになる。こんな子供に応援されるなんて、嬉しくないわけがない、そう思った。

 

「はい、いいですよ。では、さらさらら……と」

 

 美帆は慣れた手つきでサインを書くと、沙織の子供に渡した。すると沙織の子供は、サインを両手で掲げて「わーいわーい!」とぴょんぴょん跳ね回りながら喜んでいた。

 

「さ、みんなそろったんだ。そろそろ出してもいいかな」

 

 まほはそこでカウンターに全員分のカレーを出した。いたって普通のカレーだ。だが、今はそれがとても美味しそうに見える。

 沙織は子供を持ち上げ席に載せた。ちなみに、沙織の子供には甘口カレーが出されている。

 

「さて、それでは……」

「「「「「いただきます」」」」」

 

 美帆達は、一斉に食事を始める挨拶を口にした。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 夕方、美帆は一人エリカの墓前に立っていた。あの後、美帆は沙織達と熊本観光をし、日が落ちてきたところでそのまま別れたのだ。

 そして美帆は一人帰らず、こうしてエリカの墓参りに来ていた。

 

「エリカさん……私、やっと気づきました。私の生命は、ずっと繋げられて来たんですね。みほさんと、あなたに……。私の生命は、私だけの生命じゃない。死んだみほさんやあなたや、そして妹の分まで精一杯生きていかなきゃいかない」

 

 美帆は懐からみほとエリカの映った写真を取り出し、それを見つめながら語りだす。

 

「私は一時、あなたに憎まれているものだと思った。でも違った。あなたは、ちゃんと私のことを見てくれていたんですね。それだけで、十分です。例え、あなたが想っていた相手が、最後に手を握り、名前を呼んだのが、私でなくても……」

 

 美帆は再びエリカの墓に視線を移す。そして、写真をその墓に見せつけるように突き出した。

 

「エリカさん、見つけましたよ。私の戦車道。だから……そちらの世界では、みほさんと仲良くしてくださいね。そちらの世界では……」

 

 そして美帆は、写真の端を両手で持ち、そして――

 

「そう、そちらの世界では、ですけどね」

 

 そのまま、エリカとみほを引き裂くように、写真を破いた。

 

「あなたがみほさんのことを好きなことに今更何かを言うつもりはありません。でも、この此岸では、生命あるこちらの世界では、あなたは私のものです。私が生きている間は、エリカさん。あなたは、私の想い人です」

 

 そして、エリカの写った写真を懐にしまうと、ポケットからライターを取り出し、みほが写った側の写真に火を付けた。

 

「愛していますよエリカさん。あなたは、私のものです……」

 

 美帆は燃え盛る写真から手を離す。写真は、白い灰となり、風に乗ってどこかへと散っていった……。




『光ささぬ暗闇の底で』本編はこれにて終了となります。
これからはIFルートのアフターを綴っていきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。


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本編ルート補完 あのときのこと

こちらは本編のちょっとした補完になります。
具体的には美帆と梨華子についての補完になります。
読まなくても何も問題がありませんが美帆と梨華子のその後が気になった方はどうぞ。


 美帆はその日、とある人物と待ち合わせをしていた。

 もう随分と会っていない相手だが、ついこの間突然会いたいと連絡が来たのだ。美帆にとっては断る理由もなかったし、久々に会って話をしてみたいとも思っていた。

 美帆は待ち合わせ場所で時計を見る。相手が美帆が知っていた頃から、変わっていなければ、もうすぐ――

 

「隊長!」

 

 丁度そのとき、美帆のよく知った声が聞こえてきた。美帆のことを“隊長”と呼ぶ、その声の主が、美帆に向かって走ってくる。

 

「お久しぶりです、隊長!」

「ええ、久しぶりです、梨華子。それはそうと、私はもうあなたの隊長ではありませんよ。だから、名前で呼んで下さい」

 

 美帆がそう言いながら微笑みを向けると、元黒森峰の副隊長であった梨華子はとても嬉しそうな顔をして応えた。

 

「はい、東さん!」

 

 

 二人はとりあえず近場の喫茶店に入った。梨華子がゆっくりと話をしたいと言ってきたからだ。

 美帆は窓から外が見える席に着くと、店員にコーヒーを注文した。梨華子もまた同じく、注文はコーヒーだった。

 

「それにしても本当に久しぶりですね。高校を卒業してからですから……二年ぶりでしょうか? その後はどうしてるんですか?」

「はい、大学に進学して戦車道を続けています。東さんは……ご活躍をよくテレビで拝見させて頂いています」

 

 そう言われると、美帆は顔を赤くしながら、少し困ったように頬をポリポリと掻いた。

 

「あはは……まぁ、露出だけは多いですからね、私」

 

 美帆が疲れたようにそう言うと、梨華子はすっと両手を膝の上に置き、急に真面目な顔を美帆に向けた。

 

「実は……そのことで今日はお話があってお呼びしました」

「そのことと言うと……私のテレビ出演が何か?」

「正確には、そのテレビ出演がきっかけになった、というべきですね……」

 

 梨華子は佇まいを直し、膝の上に置いた両手をぎゅっと握りしめる。

 美帆もまた、梨華子の真剣な姿から察し、真剣にその話に耳を傾ける。

 

「実は私……ある時期から、東さんのこと、怖いって思ってたんです。まるで、心のない人形のようにしか見えなくて……最後の大会で優勝したときなんかは、特にそうでした。だから、それからしばらく私、東さんのこと戦車道以外のことでは避けてました。それは、東さんが卒業してテレビに出るようになってからもそうで……テレビで笑う東さんの顔も、作り物にしか見えなくて……でも、この前偶然テレビで見たとき、東さんの笑顔が変わっているように思えたんです。作り物じゃない、本当の笑い顔だって。そしてさっきの東さんの笑顔で確信しました。この人はもう、あのときの人形ではないって。……東さん、教えてください。東さんに一体、何があったんですか? 今は、もう大丈夫なんですか? そのことが気になって仕方なくて、こうして久しぶりに連絡させていただきました。……答えたくないのなら、答えなくて結構ですから」

 

 梨華子は最後に俯きながら呟くと、今度は不安そうに美帆の顔を覗き見た。

 美帆はそんな梨華子の様子を見ると、一呼吸置き、どこか遠くを見るように窓の外に視線を向けながら口を開いた。

 

「そうですね……確かに私は一時期、心と感覚をなくしていました。原因は……私が自分の人生の根幹としていたことが、すべて崩れてしまったからです。そのことについては……すみませんが今は話せません。でも、それから二年ほど経ったあるとき、ある人の助けによって、私は自分の心を取り戻しました。だから、今はもう普通の人と変わりません。いえ、むしろ黒森峰よりも前の、本当の私に戻れたと思っています。もう、大丈夫です。もちろん、心を失っていた間のことは本当に周りに迷惑をかけたと思っています。あなたや、当時の黒森峰の隊員たち、そしてなにより、泣いてあげるべきときに泣いてあげられなかった、私の大切な妹……。ですから、今は当時泣けなかった分、妹のために泣き、もう笑えなくなった妹の分、精一杯笑おうって決めてるんです」

 

 美帆はそこまで言うと、梨華子に再び顔を向け、ゆっくりと頭を下げてきた。

 

「すみませんでした。梨華子。あなたにもいっぱい迷惑をかけてしまって」

 

 梨華子はその姿を見て、大きく慌てて軽く立ち上がりながら、手を美帆の前に左右に揺らしながら突き出した。

 

「そんな……! こちらこそ、そんな事情があるとも知らず失礼な態度を取ってしまって……! いいですから、顔を上げてください!」

 

 美帆は梨華子に言われた通りに顔を上げる。その顔は、笑顔でありながらも、眉を八の字にした、どこか申し訳無さそうな笑みだった。

 その顔を見て、梨華子もまた気まずそうな顔をしながら席についた。

 そのときだった。二人の前に、トレーにコーヒーを載せた店員がニコニコとした笑顔でやってきた。

 

「こちらご注文のコーヒーになります。ごゆっくりおくつろぎ下さいませ」

 

 店員はコーヒーを二人の前に置くと、テーブルの中央に伝票を置き去っていった。

 

「…………」

「…………」

 

 二人はコーヒーを見つめながらしばし黙る。だが、

 

「……飲みましょうか」

 

 という美帆の一言で、固まっていた空気はいともたやすく溶けた。

 

「……はい」

 

 梨華子もそれに答え、コーヒーを口にする。至って普通の喫茶店のコーヒーの味だ。

 そこでふと美帆の方に視線を向けると、美帆がコーヒーにシュガースティックを五本、ミルクは二個も入れているのが見えた。

 梨華子はその姿を見てつい吹き出す。

 

「ぷっ!」

「おや、どうかしましたか?」

 

 美帆は不思議そうな目で梨華子を見る。梨華子は、必死に笑いを堪えながら口を開いた。

 

「いえ……東さんが――隊長が本当に帰ってきたんだなぁって思いまして」

 

 美帆はよく分からないといったような表情を浮かべながらも、未だにクスクス笑っている梨華子の様子に、別に悪いことではないのだなというのをなんとなく理解した。

 

「ええ、だから言ったじゃないですか、今の私はもう大丈夫だって」

 

 そこまで言うと、美帆は一旦言葉を区切り、とても小さな声で呟いた。

 

「……それに、エリカさんは私のものですしね」

「えっ? 何か言いましたか?」

「いえ、何も。さて、久々に会ったんです。もっとゆっくり話をしましょうか」

「……はい!」

 

 梨華子も美帆も、互いに微笑みあい、お互いについて様々なことを話し始めた。

 こうして、旧交を暖め合う二人の時間は、まだまだ続くのであった……。



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IFルートアフター
キスの後は……


こちらは第二部IFルートの続きになります。
エリカと美帆のその後の日常です。
本編と違って明るい展開でのオリキャラとのイチャイチャものですのでそういうのが苦手な人には注意です。
一応、少しばかり性的な描写があります。


 私、東美帆の初恋は、普通の人とはちょっと違った形の恋でした。

 まず、相手は男性の方ではありません。女性でした。私は女性でありながら同性に恋してしまったのです。それも仕方のないことです。その相手は、まさに絶世の美女と言うべき人だったのですから。

 スラっとした長身、豊満なバストとくびれたウェスト、美しいヒップの織り成す女性らしいプロポーション、歌劇団の男役のように整った端正な顔立ち、そして、太陽の光を何倍にも輝かせるような、美しい銀髪。

 まさに雷に打たれたかのような衝撃でした。こんな人がこの世にいるだなんて。

 私は最初見とれて言葉が出ませんでしたが、すぐさまその人が他の人とは異なっているということが分かりました。

 その人は、目が見えなかったのです。

 私はすぐさま助けないと、と思いました。惚れた相手だからというのもありますが、困っている人を助けるのが私の信条のようなものでしたから。

 そして、その日私は必死にその人の面倒を見ようとしました。しかし、なかなかうまく行かずその日を終えてしまいました。

 もう二度と会えないのだろうかと落ち込んでしまいましたが、次の日、まさかの出来事が起きました。

 その人が、私の学校にやってきたのです。私は心から喜びました。しかも、その人は戦車道の講師だったのです。戦車道を勉強したいと思っていた私にとっては、まさに運命的と言える出会いでした。その人は、逸見エリカさんという名前でした。美しい名前だと思いました。

 それからの私は、これまでの人生にないほどに積極的になりました。エリカさんに個人的に戦車道を教えてもらうことを約束してもらい、その次には一緒に帰る約束を、さらにその次にはエリカさんの部屋におじゃまさせてもらう約束を取り付けました。

 エリカさんの部屋に行こうとしたのは、もちろんエリカさんの生活をお手伝いしたいという気持ちが強かったですが、下心がなかったと言えば嘘になります。

 そして私は毎日のようにエリカさんの部屋に入り浸り、ついにデートをしてもらえることになりました。その日の私のはしゃぎっぷりと言ったら、とても人様には見せられません。

 そしてデート当日、私は必死にエリカさんをエスコートしました。結果としては、途中まではとても上手くいっていたと思います。でも、そのデートの最中、私は聞いてしまいました。エリカさんには他に想い人がいることを……。

 私はそのことを聞いた瞬間、目の前が真っ暗になり、分けも分からず道路に飛び出してしまいました。そのとき、一台のトラックが私に向かって走ってくるではありませんか。

 そのことに気付いたときはもう手遅れで、私は死を覚悟しました。ですが、その瞬間、エリカさんが身を体して私を守ってくれました。私の代わりにトラックに轢かれてしまったエリカさんの姿は、きっと二度と忘れることはできないでしょう。

 かろうじてエリカさんは一命を取り留めましたが、もしエリカさんが死んでしまっていたら私はどうなっていたか分かりませんが、きっとろくでもないことになっていたことは確かです。

 エリカさんが目を覚ますと私は安堵すると同時に、もうエリカさんとは二度と会わないようにしようと決めました。私のせいでエリカさんに大怪我させて、一体どんな顔をすればいいか分からなったからです。

 ですが、エリカさんは逃げ出そうとする私の腕を掴むと、私のことを好きだと言ってくれました。昔に想い人がいたのは確かだが、今好きなのは私だと。

 その瞬間、私は涙を堪えることができませんでした。罪悪感と幸福感が混ざり合った、不思議な涙でした。

 こうして私とエリカさんは結ばれました。それからはいろいろとありました。喧嘩したこともありましたし、壁にぶつかったこともありました。でも、どんなときでも二人で一緒に乗り越えてきました。まさに愛の力ですね。

 そうこうしていくうちに、三年の時が流れました。私は今のエリカさんと過ごす生活にとても満足していますが、一つだけ、一つだけ不満な点があって、それは……。

 

 

 

「キスより先に、いけないんですよ!」

 

 私は大洗にあるとある喫茶店で、ガシャンとテーブルを叩きながら叫びました。

 その私の姿を見て、対面に座っていた、エリカさんの友人であり私にとっても親しい仲である武部沙織さんが困ったように私に手のひらを向けてきました。

 

「ちょ、美帆ちゃん! 声大きいって!」

 

 確かに周りの人が何事かと見つめてきます。ちょっと大声を出しすぎたようですね。

 私は置いてあったクリームソーダをストローでずずっと飲んで冷静になります。うん、美味しいです。

 

「……で、私に話したいことってそれ?」

「はい」

 

 沙織さんはなんだか呆れ返ったような視線で私を見てきます。私、そんなにおかしなことを言ったでしょうか?

 なお沙織さんとは大洗に学園艦が寄港した折に、こっそり会う約束をしていました。エリカさんには、「ちょっと人と会う約束があります。すぐ戻ります」とだけ言ってあります。

 

「エリカさんたら酷いんですよ? いつも私がエリカさんとおやすみの口づけを交わしてドキドキしてるというのに、キスしたらそれっきりで寝てしまって。この前なんて全国大会に優勝して最高に盛り上がるタイミングだったというのに、結局何もなしだったんですから」

「あーはいはいお熱いことで……。というか、なんでそれを私に話すの?」

「え? だってこんなこと話せるの沙織さんぐらいじゃないですか?」

 

 何もおかしいことはありません。私とエリカさんの関係は隊内などでは半公式と化しているようですが、それでも深いところまで話せるのは私とエリカさんについて馴れ初めから知っている沙織さん以外ありえません。それに、沙織さんにはエリカさんを任せると言われましたからね。義務のようなものです。

 

「えーと、信頼されてるってことでいいのかな……? まぁそれはそれとして、大会に優勝したときの写真でキスしたって聞いたけど、それは大丈夫だったの?」

「……それはその、あとで必死に誤魔化す羽目になりまして……いやキスしたときは最高に盛り上がったんですけどね……いやー一時のテンションて怖いですね、はい。……エリカさんが素知らぬ顔でオーバーなスキンシップみたいなものと言い張ってくれたからなんとかなりましたけど」

 

 事情を知らない方々から必死に問い詰められたときはどうなるかと思いましたよ本当に。

 エリカさんとしては関係がバレても問題なかったようですが、エリカさんに迷惑をかけてしまうのは心苦しいですから、なんとか口裏を合わせてもらいました。私達の関係を公表するのは、私がもっと大人になってから、ということで。それにしても終始エリカさんは余裕の態度だったなぁ……これが年季の差というものでしょうか。

 

「それよりも! どうにかお願いしますよ沙織さん! かつて沙織さんはモテ道という道の名のもと数々の男達を手のひらの上で転がしてきたと聞きます! どうか私にその応用テクニックのご教授を!」

「え、ええ!? ちょっと美帆ちゃん!? それ誰から聞いたの!?」

「え? 沙織さんの昔の後輩さんからですが……」

 

 そのことを話すと沙織さんは顔を真っ赤にしながら手のひらで顔を覆ってしまいました。何か聞いてはいけないことを聞いてしまったのでしょうか?

 沙織さんはやがて顔を覆っていた手をどけると、一呼吸置いて私をきっと見つめました。

 

「ま……まぁね! 私ほどのモテ道を極めた女にかかれば、美帆ちゃんの頼みぐらい朝飯前よ!」

「本当ですか!? それでは……!」

「ええ! 相談に乗ってあげようじゃないの!」

 

 沙織さんは自分の胸をドンと叩き高らかに言ってくれました。

 ああ、やっぱり沙織さんに相談してよかったです!

 なんだか沙織さんの顔が依然として真っ赤で体をぷるぷるさせている気がしますがきっと気のせいでしょう。

 

「……でも、全国大会優勝のときの盛り上がりようで駄目だったら、えりりんにはその気はないんじゃ……」

「えっ……」

 

 確かにそうです。あの日は私もエリカさんもかなり喜びを分かち合って、心がつながっていた感覚があったのに、結局何もありませんでした。

 ということは、エリカさんにとって私はそんなことをする価値がない女ということで……。

 それでは、今まで一緒に生活してきた意味は……?

 あっ、なんだか泣きたくなってきました……。

 

「えっ!? ちょ、美帆ちゃん泣かないで!? 大丈夫だから! 冗談だから! きっとえりりんもタイミング見失ってるだけだと思うから! ねっ! ねっ!?」

「うう、そうでしょうか……?」

「そうだって! ほら元気だして! 一緒にキスより先にいける方法考えてあげるからさ! さ!」

 

 沙織さんが必死で私を慰めてくれます。

 そうです、まだ完全に芽がないとは決まったわけではありません。もしかしたら、エリカさんが奥手なだけかもしれないじゃないですか。

 そうです、きっとそうです。

 機嫌を直した私を見て、沙織さんはほっと胸を撫で下ろしたようです。

 

「ふぅ……それで、さっそくどうするかだけど……確か、えりりんには美帆ちゃんのことだけは見えてるんだよね?」

「はい、そうらしいです」

 

 本当に不思議な話です。目が見えないはずのエリカさんですが、私の姿形だけは見ることができるなんて。お医者さんもどうしてか分からずお手上げでした。

 エリカさん曰く「あの子からの贈り物ね」らしいですが、その話をすると私が不機嫌になるので最近はあまりしません。

 当然です。いくら私を助けてくれた恩人とは言え、それとこれとは別です。恋人の口から過去の女の話をされて楽しいわけがありません。今のエリカさんの恋人は私なんですから、私だけを見ていて欲しいものです。

 

「うーんそうだねぇ……あ、だったらこういうのどう!?」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 日はすっかり落ち、時刻は夕食時。

 家に帰った私は一人で食事の準備をしています。

 エリカさんは私が帰ったとき、何やら外に用があるらしく外出していました。しかし、それはこれから私が仕掛けるエリカさんへのアプローチを考えればむしろ好都合です。

 

「ふんふ~ん♪」

 

 私は上機嫌で料理を進めます。早くエリカさん、帰ってこないでしょうか?

 帰ってくれば、きっと今すぐキスより先の段階へと進みたくなるはずです。

 

「ただいまー」

 

 と、ちょうどいいタイミングでエリカさんが帰ってきました。私はいつも通り元気よく応えます。

 

「おかえりなさい、エリカさん!」

「ええ、もうご飯作ってるのかしら? 今日のご飯はな――」

 

 エリカさんが私を見た瞬間固まりました。ふふふ、どうやら私の姿から目が離せないようですね。

 それもそのはずです。今の私は、黒いマイクロビキニの上からエプロンを羽織っているのですから。

 正面から見たら完全に裸にエプロンです。とてもエッチです。

 これが作戦その一、擬似裸エプロン作戦です!

 扇情的な姿でエリカさんの情欲を掻き立てる作戦です。私はエリカさんほどではありませんが、プロポーションには自信があります。クラスでのプール授業では他の友人達からまじまじと視線を受けることだってあります。

 マイクロビキニは喫茶店を出た後大洗で買いました。沙織さんには「え、それ本当に着るの……?」と言われた気がしますが、きっとそれも気のせいでしょう。だって立案者は沙織さんなんですから。私がその作戦にノリノリで乗ったときに笑って返してくれましたし沙織さんもよく分かっているはずです。

 

「……ねぇ美帆、その格好何?」

 

 エリカさんが私の格好について訪ねてきました。ふふ、どうやら効果は覿面ですね。これは今すぐ押し倒されてしまうかもしれません。

 

「ああこれですか? いえ、ちょうど新しい水着を買ったので、今すぐ試しに着たくなったんですよ。せっかくいい水着を買ったのに、海までおあずけだなんて我慢できないじゃないですか?」

 

 私はあくまで平常心を保ちます。そんな気ないですよと素知らぬ顔を決め込みます。東美帆はクールな女です。

 しかしここでぐぐっとポーズを取ります。胸の谷間を強調するグラビアアイドルみたいなポーズです。

 肌色分マシマシです。殆ど裸のような姿から見せられる胸……これはかなり効果大なはずです。こんな格好、エリカさん以外にはとても見せられないほどです。

 きっとエリカさんはこんな私に耐えられるはずもなく……ほら、来てくださいエリカさん!

 

「……そう。風邪引かないようにね?」

 

 ……あれ?

 エリカさんは悩殺ポーズを取る私を横目に素通りしてしまいました。

 どういうことでしょうか。計画ではここで上手くいってもおかしくなかったのですが……。

 ま、まぁ! いきなり成功するなんてさすがにそんな上手く行き過ぎることは夢を見過ぎですよね!

 私は気を取り直して次の作戦へと移ることにしました。

 

 

 

「さあエリカさん! 晩御飯ですよ!」

 

 私は食卓に次々と料理を置きます。エリカさんは私から見て反対側の椅子に座っています。

 なお私は、服は着替えました。さすがにずっと水着でいるのは恥ずかしいです。

 もちろん、エリカさんには料理は見えませんから私が説明するまで匂いなどでしか料理の内容を推測することができません。

 なので、一体今日の食事は何なのかを当てる遊びというのが、半ば私とエリカさんの間で行われる遊びとしてありました。

 

「さあ、今日の料理はなんでしょうか?」

「そうねぇ……今日は一段と分からないわね。今まで嗅いだことのない匂い……。なんだかグツグツいっているから、鍋料理があるのは分かるのだけれど」

 

 エリカさんは指を顎に当てながら必死に今日の献立を考えています。ですが、今日の献立は当てられないはずです。なにせ今日はとびっきりを用意しましたから。

 

「……分からないわ、正解を教えて頂戴」

 

 エリカさんがとうとう音を上げ答えを聞いてきました。

 待っていましたと言わんばかりに、私は今日の献立を発表します。

 

「はい! 今日の献立は、すっぽん鍋にレバ刺し、うなぎの蒲焼きです!」

 

 そう、これがもう一つの作戦だったのです。

 作戦その二、精のつく料理作戦です!

 精のつく料理をエリカさんに食べさせ、エリカさんの精力を高めてその気になってもらう作戦です。

 沙織さんが旦那さんとキスより先の段階に行きたいときにはたまに使う手だそうです。そのことを沙織さんに詳しく聞こうとしたら、沙織さんは耳を真っ赤にして口ごもってしまいました。何故でしょう?

 

「さあエリカさん! 召し上がってください!」

 

 私は両手を広げてエリカさんに食事を進めます。ちなみにエリカさんは盲目の生活が長かったためか、食器を置く音でどこに何があるかがだいたい分かるらしいです。それと箸で触れさえすれば、後は健常者と同じ感覚で食事ができます。さすがですね。

 

「……まあなんというか、随分とスタミナのつきそうな献立なのね今日は」

「え? そうですか? まあ偶然ですよ偶然。ちょっと変わったものを作ってみたくなりまして」

 

 あくまで私は偶然を装います。意図してこんな料理を出したわけではないと言い張ります。

 そうすればほらエリカさんだって普通に食べてくれますよええ。

 

「それじゃあ……いただこうかしら」

 

 そう言ってエリカさんがうなぎに手を出しました。見えない目ながら器用にうなぎの位置を探り、それをそのまま口に運びます。

 

「ふむ……うなぎは久々に食べたけどやっぱり美味しいわね」

「ありがとうございます!」

 

 エリカさんに料理を褒められると、やはり作ったかいがあったなと思えます。エリカさんが食べ始めるのを見て、私も自分の分を食べ始めます。うん、自画自賛になりますがやはり美味しいです。

 そうして私達は談笑しながら食事を食べ進めていきます。すっぽん鍋は初めて作りましたし初めて食べますからお互い苦労しましたが、なんとか食べきりました。

 そして食事を終え、食器を片付けます。

 さあ準備は整いました。これでエリカさんがいつ襲ってきても大丈夫です。

 きっとエリカさんは精をつく食べ物を食べて昂ぶっているはずです。というかまず私が昂ぶっています。ああ、これ自分のことをすっかり忘れていました……。

 

「美帆、食器洗い終わった?」

「は、はい!」

 

 来ました! きっとこれはお誘いに違いありません! ただ呼ばれただけの気もしますが今のふやけた私の脳回路だとそういう風に聞こえたんです!

 私は意気揚々とエリカさんの元へと駆けました。

 

「じゃあ、そろそろお風呂に入りたいから手伝ってくれない?」

「え? は、はい……」

 

 あ、お風呂ですか……。

 私は消沈した気分をなんとか隠しながら、エリカさんの脱衣を手伝います。

 と、そこで気づきました。今の私の状態だと、エリカさんの裸は目の毒です。なんというか、いつも以上に興奮します。

 この三年間、ずっとエリカさんの入浴を手伝ってきましたが、こんなに興奮したのは初めてのデートで温泉に入ったとき以来かもしれません。

 ですが私だって成長しています。私はなんとかその興奮を隠しながら、エリカさんの入浴を手伝いました。エリカさんをお風呂まで連れて行って、髪と体を洗って、そのまま一緒に湯船に浸かって……。

 試練はお風呂から上がってエリカさんにパジャマを着せるまで続きました。

 正直、我ながらよく耐えたと思います。

 その後、私とエリカさんはいつも通りの時間を過ごしました。何の変哲もない、いつも通りの日常……。

 あれだけしたのに何もアプローチもないということは、やはりエリカさんは私とそういうことをする気がないのでしょうか?

 沙織さんに励ましてもらいましたが、やはり自信がなくなってきます。私は、本当にエリカさんに愛されているのでしょうか……。

 やっぱり、私なんかではエリカさんとは釣り合わないのでしょうか……。

 そんな悶々とした気持ちを抱えながら、夜は更けていきました……。

 

 

 時計はすっかりと頂点を指し示し、いつも就寝する時間となりました。

 私は今日一日何もなかったことにがっかりしながらも、ゆっくりとパジャマのボタンを外していきます。

 何故かと言うと私は寝るときいつも全裸だからです。服を着て寝られないわけではないのですが、どうも寝るときには何も身につけてほしくないんですよね。エリカさんには初め色々と言われましたが、これだけは譲れません。寝汗で濡れる服が妙に嫌な記憶を呼び起こすというか……まあ個人的な問題です。

 

「はぁ……」

 

 私はこっそりと溜息を付きます。結局、エリカさんは何もしてきてくれませんでした。

 このままでは、これからも何もないまま日々を送って行くことになります。

 それはそれでいいのかもしれませんが……いえ、やっぱり嫌です!

 こうなったら、最後の手段です。

 戦車道を嗜む淑女としてこの手は取りたくありませんでしたが……こうなれば仕方ありません。

 私のほうから、エリカさんに行為を求めます。私の理想としては、エリカさんの方から迫ってもらえるのが理想でしたが、もうそんなことは言ってられません。

 もしかしたら、エリカさんの気持ちを踏みにじってしまうかもしれません。今までの関係が壊れてしまうかもしれません。

 そんな恐怖が重くのしかかります。でも、これ以上は耐えられないんです。私はエリカさんとの繋がりを、心だけでなく、体でも感じたいんです。

 

「……よし!」

 

 私は自分の頬をペチンと両手で叩き気合を入れます。女は度胸、やらいでか!

 これから私は一大作戦に出ます。さしずめノルマンディー上陸作戦が如く重要な作戦です。

 そのとき、ギギギ……と寝室のドアがゆっくりと開きます。どうやら、エリカさんが入ってきたようです。私はエリカさんに、第一声でキスより先の行為を求めるつもりです。

 

「エリカさ……!?」

 

 しかし、そんな私の決意は、エリカさんの姿を見たとき、一瞬にして何処かへ行ってしまいました。

 なぜなら、エリカさんの格好は、普段とは大きく異なっていたからです。

 エリカさんは普段なら素っ気ないパジャマで私と一緒に寝ています。それが今日はどうでしょうか。

 なんとエリカさんは、ベビードールを纏っているではありませんか。

 しかも、ただのベビードールではありません。とても薄い生地でできていて透けていて、しかもそれだではなく、胸とか、大事な部分がその……ぱっくりと開いているのです。

 

「…………っ」

 

 その官能的な姿に、私は目を奪われてしまいました。なんと淫靡なのでしょう。もしサキュバスという存在がいるなら、きっとこういう姿をしているに違いありません。

 

「その……どうかしら?」

 

 エリカさんが、静かに口を開きました。

 

「えっ……?」

「人に選んでもらったから、自分ではどんな姿になっているか分からないのだけれど……変じゃないかしら?」

 

 エリカさんが少し顔を赤らめながら聞いてきました。どうやら、自分がどんな格好をしているか自体は分かっているようです。

 私は、素直にその感想を言うことにしました。

 

「はい、その……とっても、エロいです」

 

 ああ、我ながらなんと月並みな表現なのでしょうか。ですが、今の動転した私には、そう言う他出来ませんでした。

 そう言うと、エリカさんはふっと私に微笑みを向けてきました。

 

「そう……よかった」

 

 そしてエリカさんは、私の思いもよらない行動に出ました。

 まず、エリカさんはいきなり私の唇を奪いました。あまりにいきなりですから私は反応することができませんでした。

 そしてその後、私を、そのままベッドに押し倒したのです!

 

「ちょ、エリカさん……!?」

「本当は全国大会優勝のときにこうして上げたかったんだけど、この下着が届くのが思った以上に遅くてね……ごめんなさい。でも、ようやくこうして貴方を抱いてあげることができる。こんなおばさんの体で悪いけど、ね……」

 

 そうしてエリカさんは、そのまま私の体につつっと、指を這わせてきました。

 指は首筋から胸を経由して、腹部を通ると、そのまま私の大事な場所に……。

 

「ひゃん! ……エ、エリカさぁん……」

「大丈夫、私にはあなたが見えてるんだから。ゆっくりと天国を味あわせてあげる……」

「あっ、ああああっ……うむっ!?」

 

 エリカさんは私の唇を、エリカさんの唇で塞ぎました。

 そしてそのまま、舌を私の口の中へと入れると、まるで別の生き物のように私の体を這うエリカさんの両手は、私の体の弱いところをまさぐって……。

 

「んっ、んんんんんっーーーーーー!!!」

 

 

 結果だけを語りましょう。私はその晩、何度もエリカさんに喘がされてしまいました。

 何度脳内に閃光が走り、視界が真っ白になったことでしょうか。

 ベッドはまるで洪水があったかのようにびしょびしょです。

 体も、汗とか、エリカさんのよだれとか、そのほか色んな液体でびしょびしょです。

 でもなによりその……気持ちよすぎて、私は一方的にされるがままでした。それはもう、こちらで何も出来ず、エリカさんに申し訳なくなるほどには。

 とにかく、私が終始一人でよがっていただけで……。

 父よ母よ妹よ。

 私はとんだ淫乱娘でした。

 どうやら私は勘違いをしていたようです。私はこれをノルマンディー上陸作戦だと思っていましたが、どうやらガダルカナルの戦いだったようです。私が日本側の。

 すべてが終わった後、外はすっかり白んでいました。

 チュンチュンと、小鳥の鳴き声まで聞こえてきます。

 ベッドの上でぐったりとしている私の横には、エリカさんが笑顔で私の顔を見つめてきます。

 その姿は、体に汗をかけど、特に疲れた様子はありませんでした。どんな体力をしているんでしょうか。恐ろしいです。

 

「美帆」

 

 エリカさんは私の頬をそっと撫でてきます。その手がとても優しくて、私は疲れが一気に吹っ飛ぶような気持ちになりました。

 

「は、はい。エリカさん……」

「いままでごめんなさいね。あなたが一人の女性として立派にまるまでは、こういうことは控えようと思っていたの。それの契機を全国大会と考えていたのだけれど……こんなにも遅くなってしまったわね」

 

 そのエリカさんの言葉と瞳があまりにも優しくて、私は嬉しくて泣きそうになります。

 

「そ、そんなことは……! あっ、そういえば、そのベビードール、一体誰に選んでもらったんですか!?」

 

 私は誤魔化すために咄嗟に質問します。実際、それは気になっていたことでもありました。

 

「ああ、これ? これはね、ノンナに選んでもらったのよ。彼女、そういうことには詳しいから」

「ノンナって、あのブリザードのノンナですか!? な、なるほど……」

 

 エリカさんの交友関係は意外と広いようです。そういえば、エリカさん、学園艦が陸に寄ると時折一人で外出するときがありましたが、まさかそのときに……。

 エリカさんは頬を撫でていた手を、そっと私の頭に移すと、今度は何度も私の頭を撫でてくれました。

 

「これからは、毎日……とは言わないけれど、定期的にこうやって抱いてあげる。あなたも、私を楽しませられるようにはなってよね?」

 エリカさんが悪戯な笑みを浮かべます。私は喜んで「はい!」と答えました。私はもう一生エリカさんには頭が上がらなさそうですね。

「美帆……」

 

 エリカさんは私の体を緩やかに抱いてきました。私も、エリカさんを抱き返します。

 

「エリカさん……」

 

 どうやら、エリカさんが私のことをあまり好きではないのではという考えは、すべては私の杞憂だったようです。

 だってエリカさんの体は、こんなにも暖かいんですから……。



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責任と後悔と

 大洗の戦車道作戦会議室――大洗が強豪校となってから新設されたものである――において、緊迫した空気が漂っていた。

 暗闇に包まれる中、唯一発光しているプロジェクターの光を映し出す、天井吊りのスクリーンを、大勢の戦車隊の隊員達がどこか暗い面持ちで見つめている。スクリーンの横には、いつになく真剣な表情をしている、大洗女子学園戦車道隊長、東美帆が指示棒片手に立っていた。

 そして、その部屋の隅の暗がりに、美しい銀の長髪を持った女性、逸見エリカが、その見えない目に部屋全体を映していた。エリカは白杖を床に立て、その上に両手を乗っけている。

 作戦会議室にいる隊員達が見ているスクリーンには、戦車戦の光景が映し出されていた。片方の部隊には大洗のエンブレムが、そしてもう片方の部隊には黒い十字をあしらったエンブレムがあしらわれていた。大洗と黒森峰の試合である。

 スクリーンに映しだされている戦車戦は、大洗優勢で進んでいた。大洗の戦車が一方的に黒森峰の重戦車を翻弄しており、勝利は火を見るより明らかだと思われた。

 しかし、次の瞬間、大洗のフラッグ車であるシュトルムティーガーが黒森峰のキングティーガーに撃ち抜かれた。黒森峰が巧妙に隠していた戦車隊のところに誘い込まれたのである。

 そして、大洗のフラッグ車は白旗を上げた。

 

「……以上が、今回の練習試合の結果となります」

 

 美帆がそう言うと、部屋に明かりが灯り、スクリーンが上がっていく。美帆はわずかに移動し、背後にあるホワイトボードから見てちょうど中央になる位置に立った。

 

「今回の練習試合は、見事に黒森峰に誘導された結果となりました。戦況をこちらの有利と見せかけておいて、その実向こうの有利な状況に誘い込まれていた……悔しいですが、完敗です。今回の練習試合について、何か意見のあるものはいませんか?」

 

「…………」

 

 美帆が問いかけるも、隊員達はお互いに気まずそうに見合うだけで、口を開こうとしない。

 美帆もただ口を閉じて、隊員達が発言するのを待っているだけだった。

 気まずい静寂が続く。

 その中で、一人すっと手を上げたものがいた。それは、隊員達の中からではなかった。

 

「……エリカさん」

 

 手を上げたのは、エリカだった。その顔は、極めて厳しいものだった。

 

「少しいいかしら」

「……はい、おねがいします」

 

 美帆はエリカに恭しく頭を下げた。エリカは白杖片手に、器用に腕を組み、口を開く。

 

「はっきり言って、今回の責任はあなたにあるわ。美帆」

 

 はっきりと言い放つエリカのその言葉に、隊員達は息を呑んだ。

 

「黒森峰は現在でこそ弱小校になってしまったとは言え、保有している戦車はドイツの高性能な戦車ばかり。そこに高度な戦術が伴えば、いつ強敵になってもおかしくない。その可能性は十分理解していたはずでしょう?」

「……はい」

 

 美帆は沈痛な面持ちでエリカの言葉を聞く。他の隊員達も、気まずい表情で地面を見つめているものが多かった。

 そんな雰囲気を察しながらも、エリカはあえて語気を強める。

 

「だというのに、あなたはそのことを考慮せず単なる力押しで黒森峰と戦った。練習試合であるとは言え、大切な試合の一つであるというのに、相手の分析もしないで。そこに、驕りがあったのは明白よね? この前全国大会に優勝したばかりで、慢心があったんじゃないの?」

「……っ」

 

 美帆は唇を噛み締める。

 その日の大洗戦車隊の空気が悪かった要因の一つがそれであった。大洗はついこの間、全国大会で優勝の栄冠を勝ち取ったばかりであった。

 その全国大会優勝校が、現在は弱小校扱いされている黒森峰に敗北したことは、衝撃的なことだった。

 周囲が受けた衝撃もそうだったが、一番そのことに驚いたのが、当の隊員達である彼女らであった。

 十五年の間に培われてきた強豪校としての誇りを持っていた隊員達にとって、その敗北は信じがたいものだった。

 

「まず隊長であるあなたが、あらゆる可能性を考慮して慎重に敵の動きを見なければいけなかったのに、あなたはそれを怠った。それは普段のあなたならまず犯さなかったミスだわ。だからこそ、今回の過失は目立つのよ」

「…………」

 

 美帆は表情を変えずに、しかし指示棒をぎゅっと握りしめながらエリカの言葉を受け止めていた。

 普段のエリカと美帆からは考えられないようなエリカの厳しい言葉に、場の空気はより悪くなっていく。

 

「そもそも、今回の――」

「待ってください!」

 

 そこで、エリカの言葉を遮るような大声が飛んできた。何かと思い美帆は目を向け、エリカは耳を傾ける。

 それは、困惑する隊員達の中から飛んできた声だった。

 席に座っている隊員達の中から、一人の隊員が立ち上がっていた。

 その隊員は、まだ入隊したばかりの一年生だった。彼女はまだ戦車には乗ったばかりの、まだまだ未熟な部分の目立つ隊員だったと美帆は記憶している。

 しかしその隊員が今、手足を震わせながらも、一人立ち上がっているのだ。美帆は驚きを隠せなかった。

 その隊員は、恐る恐るといった様子で口を開く。

 

「お、恐れながら! さすがにそれは言い過ぎだと私は思います!」

 

 うわずり今にも裏返りそうな声でその隊員は言った。エリカに反論するその言葉に、周囲のどよめきは大きくなる。

 だが、当のエリカはただ黙って聞いているだけだった。

 

「相手の戦術を読めなかったのは私達に落ち度があったと思いますし、そ、それに、それに何より! 試合を見ることができない逸見先生にそこまで言われたくありません!」

 

 最後のその一言で、他の隊員達の困惑は喧騒となった。

 いくら不満があったとは言え、そのことだけは言ってはいけないと、誰もが思っていた。

 言った当人ですら、自分の言ったことのあまりの失言ぶりに気づき、口を手で押さえ顔を真っ青にしていた。

 誰もがエリカが怒り出すのではと思っていた。エリカは普段は温厚だが、怒らせると怖いことは大洗の隊員達にとっては一般的な常識として知れ渡っていた。

 しかし、エリカは黙ったままだった。それが逆に不安を煽った。

 一方、エリカとは違いあからさまに怒りが見て取れる人物がいた。

 美帆だった。

 美帆は表情こそ変わってはいないものの、その視線は抜身の刀のように鋭く、失言した生徒を今にも切り刻んでしまいそうな雰囲気だった。

 いつもはどんなことがあっても優しく諭してくれるため、誰も美帆の怒った姿を見たことがなかった。だからこそ、先程の失言がとんでもない地雷であったことを、失言した隊員は改めて思い知った。

 

「……ご、ごめんなさ――」

「あなた、今言ったことの意味を分かっているんですか?」

 

 その隊員が謝るよりも前に、美帆の冷たい声が場を凍りつかせた。

 美帆は指示棒をパシパシと手の上ではたかせながら、ぷるぷると震えている隊員を見る。

 その雰囲気に、先ほどまでどよめいていた隊員達は、一斉に口を噤んでいた。

 美帆はその場にいる隊員達の誰もが聞いたことのない声を出す。

 

「あなたは今、越えてはいけない部分を越えてしまったんですよ? 分別ある人間なら、そんな発言はしないはずですが?」

「ああ、うう……」

 

 失言をしてしまった隊員は完全に萎縮してしまっていた。

 そしてそれはその隊員だけではない。他の隊員も、雰囲気に飲まれ、萎縮していた。

 美帆は指示棒を、バチンを大きく手のひらの上に叩きつけると、すぅっと軽く息を吸った。

 失言した隊員はこれからどんな怒号が飛ぶのかと恐れ、さらに身をギュッと縮こまらせる。

 が、そのときだった。

 

「待ちなさい、美帆」

 

 その美帆を止めたのは、他の誰でもない、エリカだった。

 

「エリカさん、ですが――」

「いいから、少し冷静になりなさい」

「……はい」

 

 有無を言わせないエリカの口調に、美帆は少し肩を落としながらエリカの言うことを聞いた。

 そしてエリカは、見えない目で、声の方向から判断したその隊員がいる方向を見て話し始めた。

 

「……確かに、あなたの言うことも一理あるわ」

「……えっ」

 

 失言をした隊員は思わず声をこぼした。まさか、怒られるのではなく、肯定されるとは思ってもみなかったからだ。

 

「確かに私は、自分の目で戦いを見たわけじゃない。すべては聴いた上での判断。だから、そんな私が美帆に説教をするのがおかしいというのは、何も変じゃないわ。……それに、私はあくまで非常勤の教官。本来の教官ではないのだから、そもそも物事をあまり強く言える立場でもない」

「そんな、エリカさんは――」

 

 途中で我慢できずに口を挟もうとした美帆だったが、エリカにばっと手のひらを出され制止され、その口を閉じた。

 エリカはさらに言葉を続ける。

 

「……でもね、美帆には、あなたたちを隊長として導く役目がある。そして、その上で過失を犯したのならば、そのことは追及されるべきなの。そして今本来の教官がいないのならば、私がそのことを言うしかない。あなたがいくらそのことを不満に思ってもね」

「…………」

 

 失言をした隊員はコクリと小さく頷いた。もちろん、その姿はエリカには見えないのであるが。

 

「……まあ、今回の敗戦は美帆一人の責任とは言えないのも確かだけどね。あなたの言ったとおり、隊全体にも責任はあった。誰かが慢心せずに、冷静に戦況を把握できていれば、敗戦はなかったでしょう」

 

 エリカの言葉に、誰もが暗い表情で自分自身の失態を思い返した。

 誰もが、自分達の心に慢心があったと、相手を甘く見ていたと、深く反省を始めた。

 その場は、再度重い沈黙に支配された。

 

「……今日はこれまでにしましょう。まずみんな、ゆっくり頭を冷やす必要がありそうだしね。美帆、締めて」

 

「あっ、はい……。それでは、今日の反省会を終了とします。各車長は、今回の試合の反省点をレポートにまとめて、明日までに提出してください。それでは……解散」

 

 美帆の言葉で、隊員達はそれぞれ緩慢にだが立ち上がり始めて、作戦会議室から出て行った。

 失言をした隊員は、しばらく立ち尽くしていたが、部屋から殆ど人が消えると、彼女もまたゆっくりと部屋をあとにした。

 美帆とエリカは、誰もいなくなったのを確認してから、部屋を出て行った。

 

 

 ――その日の夜。エリカと美帆の部屋にて。

 

「……エリカさああああああああああああああん!!!! ごめんなざああああああい!!!!」

 

 美帆は、制服姿のまま泣きながらベッドに腰掛けるエリカの胸に飛び込んでいた。

 エリカは、そっと美帆を抱いて優しく美帆の頭を撫でる。

 

「おうおうよしよし、泣かないの」

「ううううううううううっ……」

 

 美帆はしばらくエリカの胸の中に顔を埋めていたが、ある程度泣くと、エリカの胸から顔を離した。

 その顔は、目も鼻も真っ赤になっていた。

 

「うう、本当にごめんなさい。私が調子に乗ったばっかりに……」

「反省してるならそれでいいのよ。ああ強く言ったのは、隊長としての立場が担う責任として、隊全体の過失をあなたに肩代わりさせたまでのことだし」

「そのことはよく分かってるつもりです。私が、隊長としての責任を果たさなければならないことはよく……。だから、エリカさんが気に病む必要なんてこれっぽっちもないんです」

 

 美帆はエリカの横にちょこんと座りながら言った。

 その顔は、未だに深く後悔したような面持ちだった。

 

「大丈夫、私はなんとも思ってないから。それよりも、あなた、あれはちょっとまずかったわよ? いくら失言したからって、あんな露骨に感情を表にして。もっと冷静に諭すことだってできたはずよ?」

 

 エリカが諫めるように言う。それはもちろん、昼の失言を言った隊員への態度のことだ。

 美帆が隊長としての責務以上に、感情を露わにしていたことは誰もが感じ取っていたことだった。

 そして、そのことはエリカにもよく伝わっていた。

 

「は、はい……で、でも」

「でも?」

 

 美帆が俯きながら言ったため、エリカは美帆の顔を覗くように顔を傾ける。すると、美帆はばっと顔を上げエリカの目を見ながら言った。

 

「私、悔しかったんです!!」

「悔しかった?」

 

 エリカが不思議に思い聞き返す。不適切な発言をしたことへの怒りなら分かるが、悔しかったというのは一体何のことだろうか?

 美帆は流れるように言葉を続ける。

 

「確かに、言ってはいけないことを言ったことへの怒りもかなりありました。でもそれ以上に、悔しかったんです。エリカさんがまるで馬鹿にされたみたいで……! 私、知ってるんですよエリカさん。エリカさんが私達のために、常日頃から新しい戦車道の勉強をしていること。そのために、昔の知り合いのところにいっぱい頭を下げに行っていること。わざと自分から憎まれ役を買って出ていること……」

 

 美帆がそこまで言うと、エリカは驚いたように美帆を見た。

 

「えっ!? あなた、どうしてそれを……」

「そんなの、分かります。エリカさんは隠し事あんまり上手じゃないんですから……。それに、この前エリカさんの知り合いだって言うプロリーグの選手の人と会う機会があって、そのときに教えてもらって……」

 

 美帆がそのことを言うと、エリカは苦笑いを浮かべながら親指を噛んだ。

 

「は、はは……一体誰よそれ。ノンナ? それともケイ? ああダージリンもありえるわね……」

 

 エリカが脳内で必死に犯人探しをしていると、美帆はエリカの肩に頭を傾けた。

 

「……だから、私、エリカさんのことを悪く言われたのが、どうしても許せなくて、悔しかったんです。でも、今では後悔してます。そのせいで、エリカさんをまた困らせてしまって……」

 

 美帆のエリカを思う気持ちが、エリカの心に、体にじんじんと伝わってきた。

 その気持ちに、エリカはとても暖かい気持ちになり、ぽんぽんと美帆の頭を叩いて、そのまま撫でる。

 

「……ありがとうね、あなたの気持ち、とっても嬉しいわ。私には、それだけで十分。例え他の誰かに分かってもらえなくても、あなたにさえ分かってもらえれば、私にはそれでいいの」

「エリカさん……」

 

 美帆はエリカのその手が、その言葉が、その微笑むエリカの顔が、とても嬉しかった。

 自分とエリカは、心の底では繋がっている。そんな気さえした。

 だから美帆は、感極まって言葉をこぼした。

 

「エリカさん……好き、です。大好きです。世界で一番、愛しています」

 

 美帆は、目を潤わせながら、儚げな笑顔で、エリカに言った。

 暗闇が支配するエリカの瞳に唯一映る、情欲すら掻き立てるその美帆の姿に、エリカもまた、心の奥底から感動と興奮が沸き上がってきた。

 そして、その噴火しそうな気持ちを、エリカは抑えることが出来なかった。

 

「美帆……私もよ。私も、愛してるっ!」

「きゃっ!?」

 

 エリカは、美帆の肩を掴みそのまま美帆をベッドの上に押し倒した。

 美帆は、顔を真っ赤にしながら、恥ずかしそうに片手で顔の下半分を覆った。

 

「や、やめてくださいエリカさん……」

「あら、どうして? こういうことされるの、いや?」

「いやじゃ、ないです……むしろ、嬉しいです……でも……」

「でも?」

 

 美帆はゆっくりと片手を顔から外し、赤らんだ顔と潤んだ瞳でエリカを見て、呟くように言った。

 

「制服……皺になっちゃいます」

 

 その言葉に、エリカはふっと口角をニヤつかせ、美帆の耳元で囁いた。

 

「気にしないで……印として刻み込んであげる。制服にも、体にも」

 

 エリカの唇が、静かに美帆の唇へと重なった。

 そうして、二人の長い長い夜が始まった……。

 

 

 翌日、美帆とエリカは一緒に学校へと足を運んだ。

 それ自体はいつものことだったが、美帆はいつも以上に機嫌が良かった。

 少なくとも、昨日の重たい雰囲気が嘘のようであった。

 

「うーん、今日もいい天気ですね。エリカさん!」

「ええ、体で感じる風が気持ちいいわ。……それにしてもあなた、随分と元気になりすぎじゃない?」

「え? そうですか?」

「まったく、わかりやすい子なんだから……。せめて隊員達の前では、しゃきっとしなさいよ」

 

 エリカは苦笑いを浮かべながら言う。

 美帆は、笑顔で「はい! もちろんです!」と言い放った。

 その様子に、本当に大丈夫かと、少々心配になるエリカだった。

 そして、二人が談笑しながら校門の前に差し掛かったときだった。

 二人の前に、さっと一つの人影が飛び出してきた。

 

「あっ、あのっ!!」

 

 美帆とエリカは驚き歩を止める。その人影は、昨日失言をしてしまった隊員だった。

 隊員は昨日と同じようにぷるぷると震えながら立っていた。

 その手には、何か長方形の薄い箱が持たれていた。

 

「隊長! 逸見先生! 昨日は本当に申し訳ありませんでしたっ!!」

 

 隊員は、激しい勢いで頭を下げる。

 その様子に、美帆もエリカもただ戸惑って立っていることしかできなかった。

 

「私、昨日からずっと考えてたんです! 私が悪かった、どうにかして謝らないとって! でも、なんて謝っていいのか分からなくて……それで、もうとにかく謝ろうと思って……その、あの……本当にすいませんでしたっ!!」

 

 そのあまりに必死な姿に、美帆とエリカは顔を見合わせる。そして、軽く笑うと、二人は再びその隊員の方を向いた。

 

「大丈夫です。もう怒ってませんよ。ちゃんと反省したのなら、それでもう済んだことですから」

 

 美帆が隊員を見ながら笑顔でそう言う。隊員は、恐る恐る頭を上げて、美帆の顔を伺った。

 

「……ほ、本当ですか?」

「はい、そうですよね? エリカさん?」

「ええ、もちろん。大切なのは失敗を反省し後に活かすことであって、それをいつまでも引きずることではないからね」

 

 二人がそう言うと、その隊員は心底ほっとしたような表情を浮かべた。

 そして、思い出したかのように手に持っていた長方形の薄い箱をエリカに差し出してきた。

 

「そうだ! あ、あのこれもしよかったら! お詫びの印としてどうぞ!」

「え? ええ……」

 

 エリカは手探りでその箱を受け取る。そして、その箱をぺたぺたと触って確かめた。

 

「ありがとう……でも、これは?」

「あっ、はい! タオルです! 何かお詫びの品がないかずっと考えてて……でも、ろくに思いつかなくて……それで、そんなつまらないものでよかったらですけど……あの、やっぱりこんなもの受け取れませんかね……?」

 

 不安そうにエリカを覗き見る隊員。

 エリカはその雰囲気を見えずとも察したのか、ふと笑顔を浮かべ、箱を小脇に抱えて声の方向から位置を割り出してその隊員の頭に手を置いた。

 

「大丈夫よ。迷惑なんかじゃないわ。ありがたく使わせてもらうわね。ありがとう」

 

 そのまま、エリカは隊員の頭を何度も撫でた。

 すると、隊員の顔がみるみるうちに頭から煙を出しそうなほど真っ赤になっていった。

 

「ひゃ、ひゃい!? こ、こちらこそありがとうございますっ!! あ、あの! その! それでは私、これで失礼させていただきますね!」

 

 隊員は慌てて一歩下がると、そのまま二人に背を向けて学校へと走り去っていった。

 エリカはそんな隊員の挙動を感じ取りクスクスと笑う。

 

「ふふふ、なんだかんだでいい子じゃないの。あの子」

「……ええ、そうですね」

 

 しかし、なぜだかそれに応える美帆は不機嫌そうだった。

 しかも、じぃっとエリカが抱えている箱を見つめている。

 そして、顎に手を当てエリカに聞こえないような小さな声で呟き始めた。

 

「……まず帰ったらタオルの色と柄を把握して……あっその前にどこで買ったのかを聞き出さないと……それで同じのを買って……」

「ん? どうかした美帆?」

「いえっ! なんでもありませんよ? それよりも、早く行きましょうよエリカさん!」

 

 美帆は素早く笑顔に切り替え、エリカに笑いかけた。

 エリカはよくわからないまま美帆と一緒にそのまま学校へと向かった。

 その日の作戦会議は、昨日の緊張を残しつつも比較的穏やかに進んだ。美帆は自分の過失を認め、また隊員達も自分たちの過ちを認めた。

 もう、彼女らは二度と慢心はしないだろう。

 そしてまた、美帆の戦車道がまた一つ前進したのは、言うまでもない。



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シスターズ・アタック!

 今回のSSに出てくる新たなオリキャラ「百華鈴」と「二瓶理沙」は私の別の作品「あのハンバーグをもう一度」の第二部から登場するキャラクターです。
 読んでいなくとも問題ありませんが、もし興味がでたら読んでみてくれると嬉しいです。


「えーと……」

 

 大洗にある大型デパート前、朝でありながら多くの人の雑踏でひしめき合う中で、東美帆は携帯を片手にキョロキョロとあたりを見渡していた。

 美帆は学園艦が暫く港に寄港するこの日、とある人物達と約束があって学園艦から降り、このショッピングモール前にやって来ていた。

 

「このあたりでよかったと思うのですが……」

「おーい美帆ー! こっちこっちー!」

 

 人々の声や車の音が合唱する中で、美帆の耳に大声で彼女の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。

 美帆はその声のした方向を見て、ぱぁっと顔を笑顔に染める。

 

「ああ、やっと見つけましたよ!」

 

 美帆は嬉しそうな声を上げてその方向へと走って行く。そこには、大きく手を振っている青い短髪の少女と、腰まで伸びる長い浅葱色の髪で片目を隠した笑顔の少女が立っていた。

 美帆はその二人の元に駆け寄ると、ペコリと頭を下げる。

 

「どうも遅れてすいません、鈴、理沙」

「いいーっていいーって。俺達も今来たところだし。なぁ理沙」

「ええ、そうですわね」

 

 鈴と理沙と呼ばれた少女は頭を下げた美帆に笑って返した。

 彼女らの名は百華鈴と二瓶理沙。

 青髪の少女の名が鈴で、浅葱色の髪の少女が理沙である。

 彼女らは美帆と同じ大洗の戦車道チームの隊員であった。鈴が副隊長を勤め、理沙が第一戦車隊の分隊長を務めている。美帆は全体を統括する隊長である。

 なぜ彼女らがデパートで集まったのかと言うと、今日は学園艦が港に寄港するのを利用して陸の上で買い物をしようと約束をしていたからである。

 美帆は副隊長である理沙と分隊長である理沙とプライベートでもとても仲良くしていた。美帆にとって大切な友人なのである。

 

「それではいきましょうか。今日はいろいろと買い込みますよ!」

「おっやる気だねぇ。ま、俺も色々と買いたいものがあるから同意だけどな!」

「せっかくの陸の上ですものねぇ。学園艦では手に入れづらいものも沢山ありますし楽しみですわね」

 

 美帆達はそんな会話をしながらデパートへと足を進める。

 そうして少女達の買い物が始まった。

 美帆も鈴も理沙も、それぞれ好きなところに行き様々なものを買い込んだ。食品コーナー、洋服コーナー、ゲーム売り場など、行った場所は多岐に渡る。

 そうして色々な物を見て回ると、時間はあっという間にお昼時となった。

 

「そろそろお昼ご飯にしましょうか」

 

 美帆のその一言で、一行はデパートにあるフードコートへと向かう。

 そしてそこでまた、彼女らはそれぞれ自分の好きなものを買ってテーブルへとついた。美帆はカレーライス、鈴はハンバーガー、理沙は蕎麦である。

 美帆達は食事をしながらも談笑を楽しんだ。

 最初の会話は普段の戦車道のことから始まり、そこから学校生活の話、話題のドラマやアニメについてなど、とりとめもなく女子高生らしい話をしていった。

 

「いやー梨華子も呼びたかったぜ。やっぱ学園艦が離れてると遊びづれえなぁ」

「梨華子さんとはまだ数回しか遊んだことはありませんがいい人ですよね。黒森峰の隊長さんとは思えません」

「あら美帆さん、それは黒森峰に対する偏見を持っているということですか? いけませんねぇ梨華子さんに伝えないと」

「えっ!? あっいや、そういうわけでは……!?」

「ぷっ……くっははははは!」

「くすくす……」

「あっ、からかいましたねもう……ふふふ」

 

 少女達の笑い声がフードコートに響く。とても和やかな雰囲気がそこに広がっていた。

 

 プルルルル……。

 

 と、そこでその笑い声の中に電子音が混ざる。

 

「おい美帆、携帯鳴ってんぞ」

「ああはい、分かってますよ」

 

 鳴っていたのは美帆の携帯だった。

 美帆は鞄から携帯を取り出す。そして、着信画面を見てそれまで笑顔だった表情をさらに明るくした。

 

「おお、誰かと思えば……!」

 

 美帆は大急ぎで電話に出る。

 

「もしもし、美帆です。お久しぶりですね、美魚(みな)!」

 美帆は電話の相手に嬉しそうな声色で話す。

 その美帆の姿を見て、鈴と理沙は顔を見合わせる。

 

「すっげぇ嬉しそう……」

「そうですわねぇ。相手は美魚さん……ですよね、美帆さんの妹の」

「ああそうだな。あいつ妹大好きだからなぁ……多分逸見先生の次か同じぐらいに」

 

 二人が顔を合わせながら話すもその話の内容は美帆には聞こえていないようだった。

 美帆は電話の向こうの相手――妹の美魚と嬉しそうに会話している。

 

「はい、はい……そうですね、ふふっ、ええそれで……えっ!? 本当ですか!? はい、大丈夫ですよ! はい! はい! それでは!」

 

 美帆は電話の途中で声を高らかに上げて電話を切った。

 鈴と理沙はそんな美帆をニヤニヤとした表情で見る。

 

「おいおいずいぶん嬉しそうじゃねぇか」

「ええまぁ……」

「何かいいことがあったのですか?」

 

 その言葉に、美帆は「はい!」と大きく頷いて、言った。

 

「妹がうちに来るんですよ!」

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「ふわぁ……」

 

 逸見エリカは一人家でくつろいでいた。

 今日は一緒に住んでいる美帆が友人達とショッピングに行っているため、一人で何もすることがなくゆっくりとしていたのだ。

 目の見えないエリカにとって、一人で暇を潰す手段はあまり多くない。

 元々趣味の少なかったエリカである。盲目になってからは編み物という趣味を見つけたが、それも夏場にはやりづらい趣味だった。

 美帆と出会う前の十二年間は一人で暮らしていたためそれも慣れていたが、美帆と暮らすようになってからは美帆との時間を共有するようになり、暇な時間は無いと行って良かった。それだけ充実していた時間を送っていたことになる。

 エリカは普段意外と美帆との生活に依存していたことに気づき、自嘲気味に笑った。

 

「まったく、もうちょっと趣味を見つけないとね……」

 

 エリカはそんなことを言いながら音楽でも聞こうと立ち上がる。

 そのときだった。

 

 ピロロロロ! ピロロロロ!

 

「あら電話? 誰からかしら」

 

 エリカは服のポケットから鮮やかな手つきで携帯を取り出し電話に出る。もう長い間目が見えない生活をしているため携帯に出るのも慣れたものである。

 

「はいもしもし逸見です……あっ、まほさん!?」

 

 どうやら電話の相手は元黒森峰の隊長でありエリカの先輩であった西住まほからのものだった。

 

「どうしたんですか突然? えっこっちにいる? へぇ……え!? うちに来たいって!? ええいいですよ! きっと美帆も喜びます! はい! はい! それでは!」

 

 エリカは笑顔で電話を切って元々入っていたポケットに戻す。

 

「ふふっ、きっと美帆も喜ぶわね……それにしてもまたまほさんに会えるのね……楽しみだわぁ」

 

 

「……どうしましょうか」

「……どうしようかしらね」

 

 その夜、美帆とエリカはテーブルに座り向い合って頭を抱えていた。

 理由は明白。美帆の妹とまほが明日来る予定が被ってしまったことである。

 

「まさか同じ日にこうして被るなんて……」

「こういうこともあるものなのね……」

 

 美帆とエリカは同時に「はぁ……」とため息をついた。

 

「……さすがにどちらかを断るわけにもいきませんよねぇ」

「そりゃそうでしょう。あなたの妹とまほさんよ。断れるわけがないじゃない」

「しかしお互い初対面の他人。大丈夫なんでしょうか」

「そうなのよねぇ……」

 

 美帆は携帯を取り出し写真フォルダから一枚の写真の画像を映し出す。

 そこには、美帆と一緒に笑顔で写っている長い黒髪の少女の姿が写っていた。

 

「ああ……この笑顔が曇る姿なんて私はみたくありません……!」

「私にはその子の姿を見ることができないけど、美帆が言うのなら本当に可愛い子なんでしょうね」

「もちろんです! 美魚は世界の至宝と言うべき可愛さを持つ私の最愛の妹です!」

 

 美帆はテーブルから立ち上がっていった。

 突然立ち上がった美帆にエリカが驚いた表情を浮かべたため、美帆は「あ、すいません……」と申し訳無さそうに席に戻った。

 

「あ、さすがにエリカさんには劣りますけどね。エリカさんは人類史に残る――」

「そういうのはいいから」

「あ、はい……。それにしても、やはり一緒にお出迎えするしかないでしょうね」

「そうねぇ……ちょっと大変そうだけど、頑張るしかないわね」

 

 美帆とエリカは再び声を合わせて「はぁ……」と溜息をついた。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「えーっと……」

 

 翌日の大洗学園艦の港との出入口。

 西住まほはメモを片手に並み居る学生の中立っていた。

 

「ここからのルートは……」

 

 まほは美帆とエリカの住んでいる家への道筋を確認しているところだった。まほは殆ど大洗学園艦を訪れたことがない。言うなれば初めての土地である。

 それゆえ、しっかりと道筋を確認する必要があった。

 とは言えまほももう三十を越すいい大人である。住所と道筋さえ分かればちゃんとその場所に辿り着ける自信はあった。それゆえ、美帆とエリカの迎えをあえてまほは断っていた。

 それは、自信があるとの同時に、美帆とエリカを驚かせたいという気持ちがあったからであった。

 

「うん、だいたい把握した。よし、行くか……」

 

 と、まほが完全に道を頭に入れていざ出発しようとしたところであった。

 

「おや?」

 

 学生の人混みの中に、まほはとある姿を見つけた。

 それは一人の少女だった。長い黒髪を風になびかせるその少女は、まわりの学生とさほど歳が変わらないようであったが、不安げな顔でその場をうろうろとしていたようであった。

 まほはその少女が気になり、声を掛けてみることにした。

 

「ねぇ、そこの君」

「は、はい!?」

 

 その少女は突然話しかけられて驚いたのか甲高い声を上げる。

 

「ああすまない。怪しい者じゃないんだ。どうにも落ち着かない様子だったからどうしたのかなと思って……」

「あ、あのその……」

 

 少女狼狽えながらもその小さな口を開く。

 

「私、実はこの学園艦に住んでいる姉を訪ねに来たんです。ただ、迎えよりも早く着いて驚かせようと思ったんですけど、いざ来てみると道がよく分からなくて……」

「なるほど……。じゃあ、こうしよう。お姉さんがそこに連れて行ってあげよう」

「えっ!? いいんですか!?」

 

 まほは驚く少女の言葉に笑顔で頷いた。

 

「ああ。私も似たような理由でここに来たが、こんな可愛い子を放っておいては気持ち悪いからね」

「あ、ありがとうございます!」

 

 その少女は大げさに頭を大きく振ってお辞儀した。まほはその姿を見てクスクスと笑う。

 

「ふふっ。良かった。じゃあ何か住所の分かるものは持っていたりするかい?」

「あっ、はい! お姉ちゃんから教えてもらった住所を書いた紙がここに!」

 

 まほはその少女から住所の書いてある紙を手渡される。

 そして、さてどこかとその紙を見たとき、まほは驚いた。

 

「あら? ここは……」

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「さて、そろそろまほさんの来る時間ですね」

 

 美帆は先ほどまでかけていた掃除機をしまいながら、時計を見てそう呟く。

 

「あら、もうそんな時間なの?」

「はい。まほさんは朝方に来るようですからね。そして妹が来るのはお昼ごろ。その時間帯になったら私は一旦部屋を出させてもらいます」

「そうね。初めての学園艦できっと分からないでしょうから。住所を渡していると言っても、まだ小学生には大変でしょうから」

 

 エリカは頷きながら言った。

 美帆とエリカの予定では、最初にまほを家に出迎えて、その後時間になったら美帆が妹のことを迎えに行くことになっていた。

 まほのいる中突然中座することになるが、まだ小学六年生である妹に広い学園艦が分かるとは思えない。そう思って、美帆は妹に迎えに行くと連絡していたのだ。

 

「美魚、まほさんとうまくやれるといいんですが……」

「きっと大丈夫よ。だってあなたの妹なんですもの」

 

 美帆とエリカがそんなことを喋っていると、ピンポーンと、部屋にチャイムが鳴り響いた。

 

「おっ、噂をすればですね。それでは出迎えてきます」

「はい。行ってらっしゃい」

 

 エリカは玄関に行く美帆に笑いかける。

 美帆もそれにまた笑顔で返し、玄関へと歩いて行った。

 

「はーい! 今出ます!」

 

 美帆は大声で玄関越しにいる相手に声を掛けて、扉を開く。すると――

 

「お姉ちゃーん!」

「うわっ!?」

 

 美帆は玄関の向こうの相手に突然飛び掛かられた。

 

「会いたかったよお姉ちゃん!」

「みっ、美魚ですか!? どうして!? まだ来る時間じゃなかったはずですが!?」

 

 その相手は、美帆の妹、東美魚であった。

 美帆は突然の妹の姿に驚く。

 

「えへへっ、お姉ちゃんを驚かせたくて」

「そうですか……それにしても、よく場所が分かりましたね?」

「うん! 親切なお姉さんが案内してくれたんだ!」

「親切な……?」

 

 美帆は美魚に抱きつかれたまま玄関の方を見る。そこには、落ち着いた服装の女性が立っていた。

 

「あ、あなたは……!」

「やあ東さん。以前エリカと一緒に私の店に来てくれたとき以来かな? 改めて、西住まほだ。よろしく」

 

 まほは美帆に笑いかける。

 美帆は二人が一緒にやって来たことに驚きながらも、コクリとまほに頭を下げた。

 

「あ、はい。よろしくお願いします……」

「美帆? どうしたの?」

 

 と、そこにエリカがやって来る。

 まほはエリカの姿を見ると、先程の笑みとは違った、優しい笑みを浮かべた。

 

「やあエリカ。久しぶり」

「その声は、まほさん? で、もう一人いるようだけれどもしかして……」

 

 エリカがそう言うと、美魚は美帆から離れ、ちょこんと立ってエリカに頭を下げた。

 

「初めまして。東美魚と言います。よろしくお願いします、えっと……逸見エリカさん!」

 

 こうして、二人の姉妹は無事美帆とエリカの家についたのであった。

 

 

「それでお姉ちゃんたらもう凄い剣幕でー」

「ちょ、ちょっと美魚、それ以上は……」

 

 二人が来訪してから数時間後、四人はくつろぎながら楽しげに談笑していた。

 美帆とエリカが椅子に座り、美魚とまほがソファーに座っている。

 今は、美魚による美帆の過去話に華が咲いていた。

 

「ええーいいじゃない、お姉ちゃんの格好いい話だよ?」

「そうだぞ東さん。格好いいじゃないか、喧嘩で女子が男子を倒した話だなんて」

「いや、私にとってはやはり黒歴史でして……」

「美帆もなかなか乱暴なところがあったのねぇ。ちょっと怖いわぁ」

「エ、エリカさん!?」

 

 美帆が狼狽しながらオロオロと立ち上がる。

 その姿を見て、三人は笑いが堪えられなかった。

 

「ははっ! お姉ちゃんたらもうー!」

「ふふっ……」

「くすくす……」

「あっ、そのこれは、あはは……」

 

 四人はとても和やかな雰囲気だった。最初に美帆とエリカが懸念していた、美魚とまほが仲良くできるかという問題は簡単に解決したようだった。

 その証拠に、美魚とまほは同じソファーでまるで親子のように寄り添い合っている。

 美帆はその光景に、心から安心していた。

 

「いやあでも美魚とまほさんがこんなに仲良くなってくれて、私は嬉しいですよ」

 

 美帆は椅子に座りながら言う。

 

「そうなのか?」

 

「はい。美魚は昔病弱であまり外に出られませんでしたから、家族以外と接することが少なかったんです。だから、ちゃんと人と話すことができるか不安で……」

「もうお姉ちゃんたら心配しすぎなんだよ! 私だってもう小学六年生なんだよ! ちゃんと人付き合いぐらいできます!」

 

 美魚はちょっと怒ったように腕を組んで言った。

 その姿に、美魚はたははと笑って頬をポリポリと掻く。

 

「そうですよね、美魚ももうすぐ中学生なんですから、それぐらいできて当然ですよね。うん私が過保護すぎましたかね」

「でも、そんなお姉ちゃんも好きだよ。私、お姉ちゃんが守ってくれたおかげでここまで元気になれたんだから」

「美魚……」

 

 美帆と美魚の間に暖かな空気が広がる。

 まほはその光景を穏やかな笑みで見つめ、エリカはその空気を見えずとも雰囲気で感じていた。

 そんなときだった。

 ゴォーン……と、壁に掛けられた時計が大きな音を立てた。

 見ると、時計の針は四時に差し掛かっていた。

 

「おや、もうこんな時間ですか。それでは、少し早いですが夕食の準備をしますね。お二人共、食べて行きませんか?」

「いいの!? わーいお姉ちゃんの手料理久しぶり!」

「ありがとう。せっかくだから食べさせてもらおうかな」

「ふふ、まほさん楽しみにしていてくださいね。美帆の料理は絶品ですから」

 

 得意げに言うエリカの言葉に、美帆は心から嬉しくなる。

 いつも料理を美味しいと言ってくれるエリカだが、他人の前でこうして言ってくれる機会は少なく、そのことは美帆にとってとても喜ばしいことだった。エリカからちゃんと評価されている。その事実だけで美帆は満たされるのだ。

 

「さて、では今日の料理は――」

「ああ待ってくれ東さん」

 

 美帆がいざ料理を作ろうと厨房に立ったそのとき、美帆のことをまほが呼び止めた。

 

「はい?」

「よかったら、一緒にカレーを作らないか? 東さんも好きだろう? カレー」

「え!? でもせっかくのお客様に料理させるなんて……」

「何気にすることはないさ。それに、東さんと一緒に料理がしたいというのが私の気持ちでもあるんだ。な、お願いだよ東さん」

 

 美帆が躊躇っていると、まほはふふっと笑って自信たっぷりに言った。

 その姿に、美帆は一種の諦めのような感情を抱いた。

 ここまで言われては断るのも失礼にあたるし、それにまほはカレースナックを経営している。その手腕を見せたいのもあるのだろう。そういうものだった。

 

「はい。では一緒に作りましょう! あ、でも材料がないから買ってこないと……」

「なら一緒に買いに行こう。二人でいろいろ相談しながら決めようじゃないか」

「は、はい! ではエリカさん、美魚、悪いですがお留守番をしてもらっていいでしょうか」

「ええいいわ。行ってらっしゃい」

「うん! 待ってるよお姉ちゃん!」

 

 エリカと美魚は二つ返事で了承した。

 こうして美帆とまほは二人で買い物に、エリカと美魚は留守番をすることとなった。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「まさかこうしてまほさんと一緒に買い物する日が来るなんて思ってもみませんでした」

 

 夕焼けの中、美帆とまほは片手に食材が詰まったビニール袋を持って歩いていた。

 二人は近場のスーパーで食材を色々と吟味して買い物し、今帰っているところだった。

 

「そうだね。私も君のような若い子と一緒にこうして料理の準備をするとはちょっと前まで考えてもいなかったよ」

「それにしても参考になりましたよ。やはり店を構えているプロは違いますねぇ」

 

 美帆は感心したように言った。

 その言葉に、まほは少し得意げな顔になる。

 

「ふふっ、ありがとう」

 

 周りには自分の家に帰るであろう学生の姿や車の姿が多くあった。その人影のどれもが、どこか皆楽しそうな雰囲気があった。

 その中でも、美帆とまほの二人は格段だった。美帆は、心から今の状況を楽しんでいた。

 

「ふふっ……それにしても、あこがれの西住まほさんとこうして普通にお話できるようになるなんて、本当に夢みたいです」

「そうなのかい? だったら、エリカに感謝しないとな。私達を繋いでくれたのはエリカなんだから」

「はい! それはもちろん!」

 

 美帆が元気に応える。

 すると、まほはそれまで進めていた歩を少しだけ止めた。

 

「ん? まほさん?」

「……ねぇ東さん。今君は、エリカと一緒にいて幸せかい?」

「え?」

 

 突然のまほからの質問に、美帆は驚いた。まほの様子は先程とは少し違って、とても真面目な音色をした声だった。

 だが美帆は――

 

「はい、もちろん」

 

 と、殆ど合間無く応えた。

 

「……そうか。私はね、心のどこかでずっと引っかかっていたんだ。君が、エリカのことに……いや、エリカと私の妹とのことに、どこか負い目を感じてエリカと一緒にいるのではないか、とね」

「…………」

「君も知っての通り、エリカは私の妹と少しの間だが一緒にいた。だが、その妹は……」

「……はい。私のせいで」

 

 まほの妹、みほは美帆を助けるためにその命を落とした。そのことを、美帆はエリカ達当事者から聞いて知っていた。

 

「いや、私は君のせいだなんて思ってはいない。それは覚えておいてくれ。……ただ、やはり君がそのことを責任に感じて生きているのではないかと、ずっと思ってたんだ。だから、目の見えないエリカと一緒にいるんじゃないか、とね」

「……確かに、私はみほさんのことを責任に感じています。みほさんのように、人を助けて生きていけたらいいなと思っています。でも! ……でも、私がエリカさんと一緒にいるのは、私が、エリカさんのことを好きだからです。エリカさんと共に生きたいと思っているからです。そこには、何の後ろめたさもありません」

 

 美帆は静かに目を閉じ、穏やかな表情で言った。

 その美帆の肩に、まほはそっと手を置く。

 

「……まほさん」

「その言葉を聞いて安心したよ。私は過去に、彼女を傷つけてしまったことがある。だからきっと、私はエリカの側にはいられないんだと思った。でもこうして君が一緒にいてくれている。それは、とても素晴らしいことだと思う。……東さん。これからも、エリカのことをよろしく頼むよ」

「……はい! もちろん!」

 

 微笑むまほに、美帆はとびっきり明るい声で応えた。

 これからも一緒にエリカと生きていこう。美帆は改めて心にそう誓った。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「お姉ちゃん達、まだかなー」

「きっと色々吟味しているのよ。それだけ美味しいカレーが出来るってことだから我慢しなさい」

 

 エリカは美魚と一緒に美帆達のことを待っていた。

 二人はただその場に座って少し会話をする程度で、あまり一緒に何かをしようとはしていなかった。

 どうにも美魚はエリカに遠慮しているらしい。エリカはそのことを感じ取っていた。

 ――四人ならともかく、一対一の場である。目の見えない自分にどう接すればいいのかわからないのは仕方ない。

 エリカは長年の経験からそのことを理解していた。

 

「……逸見さんは」

「うん?」

 

 そんなことを考えていると、美魚がポツリと問いかけた。

 

「……逸見さんは、お姉ちゃんといて幸せ?」

 

 それはとても真剣な雰囲気がする質問だった。

 エリカはその質問に、

 

「……ええ、もちろんよ」

 

 落ち着いた声で、しかしすぐさま返答した。

 

「……そっか。良かったです」

 

 美魚はエリカのその答えを聞いてほっとしたような表情を浮かべる。

 

「あら? どうして?」

「うーん……その、怒らないで聞いてくれます?」

 

 美魚は恐る恐ると言った様子で聞いた。

 

「ええ」

 

 エリカはそれに何も問題無しとわかりやすい声色で応える。

 それに安心したのか、美魚はゆっくりと話し始める。

 

「えっと……お姉ちゃんと一緒にいるなら知ってるでしょうけど、お姉ちゃんて人助けのためならかなり無茶をする性格じゃないですか。だから、もしかしたら逸見さんと一緒にいるのもどこか無理をしているんじゃないかって……逸見さんはそれを知って、逸見さんも無理してお姉ちゃんに合わせているんじゃないかって、そう思ったんです」

「なるほどね……」

 

 エリカはそれを当然のことだと思った。

 美魚の言うとおり、美帆は他人のためならどんな無茶も厭わない性格である。それゆえ、エリカのことも無理し、エリカもまたそれに合わせているのではないか、と考えるのは美帆と長く一緒にいる人間なら思いつくことだろうと思った。

 

「……でも、違うんですよね。逸見さんは、お姉ちゃんといて幸せなんですよね」

「……ええ、もちろん」

 

 エリカはゆっくりと頷いた。

 

「私は彼女に救ってもらったもの。最初は戸惑った。でも、いつしか美帆という人間が好きになっていった。そして、美帆は過去に囚われていた私を開放していくれた。おかげで今こうして、新しい人生を歩めている。だから私は、美帆が好き。美帆と一緒にいて、幸せなの。きっと、お互い心からそう思っていると、私は信じているわ」

「……よかった」

 

 エリカの語る言葉に、美魚は静かに応える。そこには、年齢以上の落ち着きがあるようにエリカには思えた。

 美帆の妹らしい、エリカはそう思った。

 

「ねぇ逸見さん! 私も『エリカさん』って呼んでいいですか?」

「えっ? いいけど……」

「ありがとうございます! 私も、さっきの言葉を聞いて、今日一緒にいて、お姉ちゃんの気持ちがちょっとだけ分かったから! だから私もエリカさんて呼ばせてもらいますね、エリカさん!」

 

 美魚は満面の笑みで言った。

 エリカもまた、それに優しい顔で返す。

 そこで、ガチャリと玄関の扉が開く音が聞こえた。

 

「ただいまー」

「ただいま帰った」

「あ! お帰りお姉ちゃん! お姉さん!」

「おかえりなさい、美帆、まほさん」

 

 美帆とまほが家に帰ってきたのだ。二人はビニール袋を台所に置くと、エリカ達の所に寄ってくる。

 

「いやーいろいろと料理に関する話し合いが熱くなっちゃって……遅れました」

「いえいえいいのよ。私達もゆっくりと待ってたから。ねぇ美魚ちゃん?」

「うん、エリカさん!」

「エリカさん……? 美魚、今エリカさんのこと名前で?」

 

 エリカを名前で呼ぶ美魚に、美帆は少しびっくりした表情をした。

 

「うん! 私もお姉ちゃんみたいにエリカさんと仲良くなりたくて、ね!」

「へぇ……いいですね。でも、エリカさんは渡しませんよ?」

「えへへ、分かってるよぉ」

「ふふ、まったく美帆ったら」

 

 美帆の言葉に美魚とエリカが笑う。だがまほは少しだけ苦笑いをしていた。まほは、美帆の言葉から妹相手にも少し本気の声色をしていたことを見抜いていたのだ。

 なので、まほはエリカにゆっくり近づき、ポンと肩を叩く。

 

「エリカ……頑張れよ」

「え? 頑張れって一体それは……」

「さぁ! さっそくカレーを作りましょうか! ではご教授おねがいしますよ、まほさん!」

「ああ、任せろ」

「ちょっと待って下さいまほさん!? 一体どういう意味なんです!? まほさん!?」

 

 こうして慌ただしくも夕食作りが始まった。

 四人の団欒はその日の夜が更けるまで、まだまだ続く。

 



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見参!二代目アールグレイ!

「…………」

 

 日も沈んできた頃、東美帆は今、無言で一人、戦車の整備をしていた。

 その顔は笑顔であったが、何もしゃべらないことと、その笑顔が妙に張り付いたような笑顔であった。

 そのせいか、周囲にいる他の大洗の生徒達も、声を掛けられずにいる。

 

「……ねぇ、美帆」

 

 その中から、白杖をつきながら現れたのは逸見エリカである。

 エリカは美帆を見て――エリカの目に見えるのは美帆だけなので当然なのだが――ついに我慢することができずに口を開いたのだ。

 

「おっすげぇ! 逸見先生あの状態の美帆に話しかけたぞ!」

「わたくし達にはとてもできませんわ……さすがエリカ先生」

 

 そう言うのは、美帆のチームメイトである百華鈴と弐瓶理沙である。

 二人とも、今の状態の美帆を見ていることしかできなかったのだ。それゆえ、率先して話しかけたエリカに感心を覚えている。

 

「はい、なんでしょうかエリカさん!」

 

 美帆は笑顔のまま振り返りエリカに答えた。表情は一切変わらない。そのことが逆に、チームメイト達を戦慄させる。

 

「美帆、もう少し冷静になったら?」

「冷静? 私は冷静ですよ? もうやだなぁ何を言ってるんですかエリカさん。はははは」

 

 エリカの言葉に、美帆は笑い声を上げて応えるも、その様子はエリカから見ればどう見ても冷静ではなかった。

 美帆は明らかに怒っていた。そんな彼女の笑い声で、聞いていた鈴と理沙がビクリと体を震わせるほどだった。

 

「……はぁ」

 

 エリカは頭を抱えため息をつく。

 そして、どうして美帆がこんな風になってしまったのかを、今一度思い出すのであった。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

 時はその日の昼に遡る。

 その日は、大洗女子学園と聖グロリアーナ女学院との合同訓練の日だった。

 それぞれ環境の違う学校同士が一緒に訓練をすることにより、お互いに高め合うことが目的だ。

 訓練は午前中に盛大に行われた。

 それぞれがそれぞれの戦車を操り、用意された課題をこなしていく。

 その過程で、大洗の生徒と聖グロリアーナの生徒は交流を重ねていった。その姿はとても微笑ましいものだった。

 学園艦はそれぞれの文化が独自に発展しているため、他校同士の交流は一種の異文化コミュニケーションのようなものになる。

 そのため、大洗も聖グロリアーナも、様々な驚きを持ちながらも楽しく交流していくのだ。

 

「あら、また会いましたわね小娘!」

 

 そんな中で、一際響き渡る声が演習場に轟いた。

 その声の主が呼んだ小娘という言葉が向けられていたのは、美帆だった。

 

「だから私のほうが年上だって言っているじゃないですか……相変わらず聞く気はないですね、アールグレイさん……」

 

 アールグレイと呼ばれた少女は、長い金髪を靡かせながらふんと紅茶を飲みながらしたり顔をする。

 

「アールグレイ様、あるいは二世様とお呼びなさい。私は先代アールグレイ、つまりお母様からアールグレイの名を譲り受け、一年からこの聖グロリアーナの隊長を任されている者。その私に敗北は許されないの。その私に偶然とはいえ土をつけた私にとって、あなたはにっくき小娘なのよ」

「はいはい……わかりましたから早く訓練を進めましょう。隊長同士で話してばかりだと示しがつきませんよ」

 

 美帆は呆れた様子で言う。

 かつて、美帆は全国大会で聖グロリアーナとあたり、勝利した。そのときの隊長がアールグレイだった。

 アールグレイは一年の身でありながら隊長を任せられるほど優秀な隊長であったが、あえなく美帆に敗北した。

 その日から、アールグレイは美帆に執着するようになったのだ。

 二人は話をそこまでにして共に訓練を行った。

 その訓練の内容は、さすが隊長同士なだけあって見事なものであった。

 隊長である美帆とアールグレイが会話を早々に切り上げ訓練に入ったことから、他の隊員もおしゃべりを止め訓練に入る。

 しかし、少女達はもっと他校の生徒と喋ってみたいと思うものが多かった。

 昼はそんな交流のために時間がとられた。戦車道漬けもいいが、彼女たちも華の女子高生である。様々な話に花を咲かせたいというのも当然だった。

 一番の山場である全国大会も過ぎているため、そのような時間を取ることのできる余裕があるというのもあった。

 エリカはその様子を耳で聞いて楽しんでいた。

 わいわいと少女達が楽しげな声を上げる。

 その声を聞いているだけで、エリカは幸せな気分になれた。

 

「うおっ!? うめぇ!? 紅茶ってこんな美味しいものなのか!?」

「もう鈴ったら、品がなさすぎですよ……まあでもそう言いたくなる美味しさですよね」

「ええ……こんな紅茶を用意してくれた聖グロのみなさんには感謝しなくてはいけませんわね」

 

 美帆達もかなり楽しんでいるようだった。

 エリカは自分の学生時代を思い出す。

 ――思えば、私の学生時代は他校との交流が少なかったのかもしれない。今になって昔のライバル達と交流をしているけれど、もっと当時から交流しておけばよかったかな。ちょっと後悔。

 そんなことを考えているときだった。

 突然ガチャン! という大きな音が聞こえてきたのだ。

 何事かと思うと、美帆がいつの間にかテーブルに両手を叩きつけて立ち上がっていた。

 

「な、何事……?」

 

 エリカは狼狽しながら唯一見ることのできる美帆の顔を伺う。

 その美帆の顔は、エリカが見たこともないぐらいに無表情と言えるものだった。

 美帆の前方には、エリカと同じく狼狽したアールグレイがいたのだが、その姿は残念ながら見えず、後からその様子を教えてもらうことになった。

 

「……なるほど、そうですかそうですか」

 

 美帆の冷たい声が響き渡る。

 そして次の瞬間、美帆はぱっと笑顔になった。張り付いたような氷の笑顔だ。

 

「はい、分かりました。だったらこうしましょう。来週、タンカスロンで勝負です。そこで白黒はっきりつけましょう」

「……え、ええ! いいですとも! こちらこそ願ったり叶ったりだわ!」

 

 美帆に気圧されながらもアールグレイが応える。

 エリカがわけも分からずに聞いていると、こっそりと誰かが近づいてくる音がした。

 

「あー逸見先生……」

 

 その声は鈴だった。

 

「す、鈴。何が起こったの? さっきまで和気あいあいとして話してたわよね?」

 

 エリカは鈴に何が起こったのかを聞く。一番近くで聞いていた人間がこうしてやってきたということは、そのことを説明しに来てくれたのだと思ったからだ。

 その通りだったのか、鈴は小さな声で話し始める。

 

「それなんだがよ……アールグレイのやつ、うっかり逸見先生のことディスっちまって……」

「私のことを?」

「ああ……戦車論のことで熱くなってさ、そのときついうっかりアールグレイが『こちらの教官のほうがずっと実績と名声をもっていてよ!』ってな……それを美帆のやつ、逸見先生を馬鹿にされたように感じたらしくて……」

「な、なるほど……美帆もそれぐらいスルーすればいいのに……」

 

 エリカがそう言うと、鈴は「だよなぁ……」と共感するようにため息をついた。

 

「でも、美帆ってすぐ先生のことでカっとなる節があるからよ。今までもそんなことあったけど、今回は別の学校の人間に言われたってのが来たんだろうなぁ……はぁ、付き合わされるこっちの気持ちにもなってもらいたいぜ……」

 

 鈴はそこでまた「はぁ……」とため息がついた。

 エリカは鈴が意外と美帆のことで苦労しているのだなということを思った。

 

「まぁなんというか……頑張ってね」

「おう……でもよ、逸見先生も大変じゃね?」

「え? 私は別に――」

「だって、あの状態の美帆と一週間いるんだろ?」

「……あ」

 

 エリカはそのことに気づき、静かに肩を落とした。

 そして、エリカと鈴はお互いにお互いの苦労を思い、ぽんぽんと肩を叩きあったのであった。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「…………」

「…………」

 

 その日の夕食は、お互い無言だった。

 普段なら美帆かエリカが何か話題を提供して雑談をしながら食べるのだが、その日に限っては互いに言葉を発しなかった。

 エリカは美帆の顔を伺う。美帆は相変わらずの張り付いたような笑顔だった。

 その顔がどうにもエリカに気まずい思いをさせていた。

 何をきりだそうかとエリカは考える。とりあえず、普段のように話しかければいいのだろうか? と悩むも、そもそも普段はどんなことを話していたのか、それ以前に普段通りの会話ができるのかという悩みに見舞われ、口を開くことができなかった。

 

「……きょ、今日の料理美味しいわね!」

 

 それがエリカの捻り出せた話題だった。

 その日の料理は、焼き魚と味噌汁という実に和風な内容だった。

 

「ありがとうございます」

「えっ、ええ……」

「…………」

「…………」

 

 そこで話題が切れてしまった。

 ――ああこれ、話題続かないわ。

 エリカは心の中でそう思った。

 もうどうすればいいのかエリカには分からなかった。美帆と喧嘩したわけでもないのに、こういった重い雰囲気になることは殆どなかったからだ。

 普段ならエリカが一喝すればいい話でもあった。

 だが今回は、美帆が自分のことで怒っているということであり、なかなか言い出せない部分があった。

 

「……エリカさん」

「ん!? な、何かしら!?」

 

 突然美帆のほうから話題が振られ、エリカは動揺する。

 しかし、美帆はというと落ち着いて茶碗を置いてから一言、

 

「……私、頑張りますからね」

 

 とだけ言った。

 

「……ええ」

 

 エリカはその一言に諦めたように頷いた。

 それはこの重苦しい空気があと一週間は続くことに対する諦めだったが、だが、同時にその言葉から美帆が自分のことを思ってここまで怒ってくれていることへの嬉しさも、わずかにだがあった。

 ――まぁ、たまにはやりたいようにやらせてみるのもいいか。

 エリカは諦観の中でそう思った。

 一週間ぐらいは我慢しよう。それで美帆の気が晴れるのなら。

 エリカはそんな考えを頭の中に浮かべながら、味噌汁をずずずっと啜った。

 

「……うん、美味しい」

 

 料理の味は、いつもと同じように美味しかった。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

 一週間後。

 美帆とアールグレイは本土の大洗の近くにある戦車道演習場で戦車を背にし向かい合っていた。

 そこは大洗が戦車道で優勝したあとに作られた演習場で、指定したのは美帆であった。

 

「それではアールグレイさん、今日は全力でやりあいましょうね」

「ええ。きっかけはともかく、あなたとこうして再び戦うことを嬉しく思いますわ、小娘」

 

 アールグレイは毅然とした雰囲気を保ちつついった。

 二人の背後には五両の戦車とその搭乗員が経っていた。

 聖グロリアーナ側は、Mk.ⅤⅡテトラーク軽戦車で統一されていた。

 一方の大洗側は、九八式軽戦車、CV33、T―26、Ⅱ号戦車、ルノーR35と国籍がバラバラの統一感のない車両だった。

 搭乗員はそれぞれ前日の合同訓練で見た顔がいた。それがお互いのベストメンバーだった。その証拠に、大洗側には副隊長である鈴と、分隊長である理沙がいた。

 二つの陣営が互いに互いの戦車を見比べるように見合っていた。

 その間に、二人の人影が立っていた。

 

「さて、そろそろ開幕ですね、先生!」

「そうね……ところで、何故あなたがいるのかしら、梨華子」

 

 一人はエリカ、そしてもうひとりは、黒森峰の隊長である、渥美梨華子だった。

 

「いやー偶然美帆さんから今回の話を聞いて、こんな面白そうなこと見ないわけにはいかないなーと、先生もいるでしょうし見たいなーと思ったら偶然黒森峰の学園艦が近くの港に寄港すると聞くじゃないですか。これはもう見ろということだと思いまして!」

「近くって結構離れてる場所だった気が……いやいいわ。それにしても、あなたも随分といい性格してるわね梨華子」

「いいえー美帆さんほどじゃないですよ先生」

 

 梨華子は笑って言った。

 エリカもそれに笑って応える。

 

「それもそうね。……それにしても、その先生って言うの、まだ言ってるのね。私は別に黒森峰の教官ってわけじゃないのに」

「いえ、先生は先生ですよ! 何回か黒森峰に来てくれたときに、先生から色々教えてもらいましたからね。私にとっては偉大な先生です」

「はぁ、まったく……それじゃあ梨華子、今回の審判は私に任せるわ。私の目が見えていたら私がやるんだけど、あいにくと……ね」

 

 エリカは梨華子の肩を叩きながら言う。梨華子はそれに「はい!」と満面の笑みで答えた。

 そこでエリカはなぜか美帆の視線を感じたが、梨華子が来ていて気になっているのだろうということで片付けることにした。

 

「ま、タンカスロンで審判することなんてないでしょうけどね。ぶっちゃけ、なんでもありだから。……って、あなたに言うのも釈迦に説法か。賞金稼ぎさん」

「あ、あはは……何のことだか……あ! そろそろ始めたいので、私達は移動しましょう。先生」

 

 話を逸らすように梨華子はエリカを客席に案内した。

 エリカは知っていた。梨華子が真面目な振りをして時折タンカスロンで小遣いを稼いでいることを。

 梨華子本人はそのことを秘密にしたいようだったが、わりと公然の秘密となっていることを。

 そんなことをしているうちに、大洗側と聖グロリアーナ側それぞれが戦車に搭乗し、それぞれ位置につく。

 完全に準備が整った。

 そのことを確認した梨華子は、

 

「それでは……始め!」

 

 とマイク越しに言いながら、合図の照明弾を打ち上げた。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

 はじめに動いたのは聖グロリアーナ側だった。

 聖グロリアーナは大洗の戦車を探すように横隊を組んで進軍していた。

 

「さて……どこにどんな風に手を回しているのかしら、小娘」

 

 アールグレイはニヤリと笑みを浮かべながら言う。

 アールグレイとしては、まず相手の数を減らしたいと考えていた。美帆の戦術は、良くも悪くも戦車の足と火力を活かした電撃戦が多かった。しかし、タンカスロンではそれが使えない。それは美帆の用意した戦車を見ても分かることだった。

 ならば、何か別の奇策を取ってくるはず。そう考えたアールグレイは、まず何よりも相手の戦車を減らし、策を封じようと考えたのだ。

 と、そんな風に考えているうちに、さっそく相手の車両を見つけた。

 

「アールグレイ様見つけました! 敵のルノーとCV33です!」

 

 そこにはルノーとCV33が、平原の上でぽつりと待機していた。

 アールグレイは訝しむ。

 ――なぜこんなところに、とりわけ弱い車両が? 相手の出方を伺うべきだろうか?

 そう考えつつも、アールグレイは、

 

「全車、攻撃態勢!」

 

 と攻撃することを選択した。

 まずこの二台で何ができるというのか、何かしかけてくる前に潰さなければ、と考えた結果だった。

 テトラークが砲撃する。それを間一髪で避ける大洗のルノーとCV33。

 そのときだった。

 大洗側の二車両がそれぞれハッチを開け、中の搭乗員が上半身を出してきたのだ。そのうちの一人、CV33から頭を出しているのは理沙だった。その手に握られていたのは、

 

「……ガーラント?」

 

 M1ガーラント。

 アメリカ合衆国で第二次世界大戦に使われた半自動小銃である。その先には、何やらでっぱりが出来ていた。

 それは見るに恐らく、擲弾だった。

 ガーラントを持った搭乗員はその銃先をテトラークに向けたかと思うと、そのまま擲弾を発射してきた。

 

「アールグレイ様!」

「落ち着きなさい! あの程度の擲弾では戦車はやられません!」

 

 確かにそのとおりだった。小銃に装着できる擲弾では戦車相手は心もとない。

 だが――

 

「これ……ガスグレネード?」

「ごほっ! ごほっ! アールグレイ様!」

 

 テトラーク横隊を包み込んだガスは、聖グロリアーナの搭乗員に多大な影響を与えた。

 具体的には、涙と鼻水が止まらなくなったのだ。

 

「げほっ! な、何なのこれは!」

 

 動揺する聖グロリアーナ。

 そこを、大洗は見逃さなかった。

 先程まで回避行動を取っていた二両が、突如聖グロリアーナの横隊を横切るように突っ込んできた。

 そして、ガスの中通り抜けざまに聖グロリアーナの車両を二台沈めた。

 

「なっ!?」

 

 アールグレイは涙を浮かべながらも困惑する。

 ルノーはともかくCV33には戦車を撃破する武装が付いている様子はなかった。なのに二両やられたということは、ルノーだけでなくCV33にもなんらかの兵装があるということだった。

 ルノーとCV33は一撃離脱が目的だったのか、すぐさま後退していく。

 

「お、追いますわよ! このガスの中にいては良い的だわ!」

 

 アールグレイの指示によって、ガスによって一時動きを止めていたテトラーク隊が動き出す。

 大洗の二両は、既に演習場の山岳地帯に向かっているところだった。

 

 

「おっ、上手くやったなぁあの二両」

 

 山岳地帯の頂上で、九八式軽戦車から上半身を出した鈴が言った。

 彼女は双眼鏡がことのすべてを観察していた。

 

「カラシに胡椒、ワサビにニンニクにタマネギ、極めつけのマスタード……とにかく目鼻に染みそうなものを混ぜ込んだ、文字通りのマスタードガス、効いてるねぇ」

「あの、副隊長……」

「ん? なんだ?」

 

 その鈴に、同じ戦車に乗っている搭乗員――彼女は一年生だった――が怖ず怖ずと聞く。

 

「あれってありなんでしょうか……私、タンカスロンってやったことないですけど戦車道的には駄目ですよね……?」

「ん? ああそうだな。戦車道的にはダメだ。でもタンカスロンならアリなんじゃねーの? 私もよく知らないけどさ」

「そ、そうなんでしょうか……?」

 

 一年生は不安そうな表情をする。その一年生に、鈴はさらに応える。

 

「まあCV33に積んでるアレってアリなのかなーとは俺も思うけどよ、まあ審判がノーって言ってないから大丈夫だろ」

「そういうものでしょうか……」

「そういうもんだろ」

「はぁ……それにしても、なんだからしくないですよね」

 

 一年生が疑問を口にする。鈴は双眼鏡を除きながらも、

 

「ん? らしくないって?」

 

 と疑問に疑問で返した。

 

「いえ、今回の作戦、いつもは正々堂々とした東隊長らしくないなって……」

 

 そう言うと、鈴は軽く笑った。

 

「ははっ、なんだそんなことか。……これがなぁ、あいつの素に近かったりするんだよ」

「素、ですか?」

 

 分かっていないという様子の一年生に、鈴は説明を始める。

 

「ああ。そうだな……お前、カードゲームってやる?」

「え? ええまあ……」

「なら話早いわ。あいつ、カードゲームだとパーミッション大好きってタイプだから」

 

 パーミッションとは、とにかく相手の行動を妨害し相手に何もさせずに勝つという戦い方である。

 カードゲームでは一方的に何もできなくなることがあるため、嫌われる傾向がある戦い方だ。

 

「あの東隊長が……」

「そ。いやーひどかったよ。俺あんまりあいつとやりたくねぇもん。それにあいつ、パーミッション主体にはするけどガチなときはそのときに一番流行ってるいやらしいデッキ作ってくるしよぉ……あとはそうだな、お前カードゲームが分かるってことは多分TRPGも分かるよな?」

「え? まあ……」

 

 テーブルトークロールプレイングゲーム、通称TRPG。

 机上の上でサイコロや紙を使い、主にプレイヤー同士の対話でゲームを進めていく、対話型のロールプレイングゲームである。

 

「ははっ、お前ゲーマーだなぁ。まあそのTRPGも俺はあいつとやりたくねぇんだよなぁ。特に私がゲームマスターするときは。だってあいつ、重箱の隅つつくみたいに細かいこと聞いてはこっちの予想してないセコいプレイばっかしてくんだから。いや予想してないこっちも悪いっちゃ悪いんだが、あいつがいると胃に悪くて」

「へぇ……」

 

 一年生が知らなかったと言うように言葉を漏らす。

 

「ま、つまりだ、面倒な戦い方があいつの素に近いってこっちゃな。逆に普段の戦車道はあいつらしくないというか……おっ、山岳地帯に入ったな」

 

 それを確認すると、鈴は喉頭マイクの電源を入れ喋った。

 

「こちら観測班。目標は地点Bへと作戦通り入った。オーバー」

 

 すると、マイク越しから美帆の声がする。

 

『了解。予定通り作戦の第二段階に移行します。……それでは皆さん、ハンティングの時間です』

 

 そこで通信が切れた。

 その通信が終わった後、鈴はニヤリとした笑みを一年に向けた。

 

「……聞いたか? ハンティング、だってよ」

「え、ええ……」

「俺、ノってるときのあいつのああいうとこは好きだぜ。後で言うと必ず恥ずかしがるんだもん、クククっ!」

 

 鈴はそれはそれは悪そうな笑みを浮かべると、戦車の中に戻り、山頂から移動を始めた。

 

 

「……まずいですわね」

 

 アールグレイは焦っていた。

 山岳地帯を進軍していって、だんだんと道が細くなっているのに危機感を覚え始めたのだ。

 

「もしここで奇襲されるようなことがあれば、避けることができないわ……まんまと嵌められたわね」

「どうします、アールグレイ様?」

「……いいえ、進軍しましょう。条件が悪いのは相手も同じこと。それに、この細道ならば奇襲する手段も限られるといったもの。ならば、逆に待ち構えて先手を取ります」

 

 アールグレイはあえて迎え撃つ方針を取った。

 引き返しまた策を練り直すという手もあったが、そこで逆に待ち構えられている可能性を考慮したからだ。

 アールグレイ率いる戦車隊は、慎重に細道を登っていく。

 そのときだった。

 

「っ!? アールグレイ様! 上!」

 

 後方にいたテトラークに乗っている搭乗員が、とあるものを見つけた。

 それは、今にも落ちてきそうな岩と、それを押し出そうとしている九八式軽戦車の姿だった。

 

「なっ!? 前方二車両は速度を上げなさい! 後続一車両は後退!」

 

 アールグレイは咄嗟に指示を出す。

 それが岩石を避ける最善の策と考えたからだ。

 アールグレイの目論見通り、岩石は戦車間に空いた空間を掠めていった。ほっと旨をなでおろす一行。だが――

 ガラガラガラッ!

 

「なっ!?」

 

 その落石により、前方二車両と後方一車両を隔てる細道が崩れてしまったのだ。

 つまり、戦車隊は分断されたことになる。

 

「ど、どうしましょうアールグレイ様……」

「仕方ないわね……私達はこのまま前進します。後方の車両については、後退し別の道を探しなさい」

 

 アールグレイの指示により、後方車両は後退を始めた。

 そして、アールグレイを先頭とした二車両は前進する。

 そしてそのまましばらく前進すると、アールグレイ達は、今度は山の向こうにある森林地帯へと到達した。

 

「さて、進むべきか、どうするか……」

 

 アールグレイは思案する。

 森の中もきっと敵の罠が仕掛けられているに違いない。

 それをわかっていて進むのは危険性が高すぎた。

 

『……アールグレイ様!』

 

 そのとき、後退していた車両から連絡が入った。

 

「どうしたの!」

『待ち伏せされていました……相手のT―26です! 撃破されました!』

「くっ、やはりか……!」

 

 アールグレイは膝に握りこぶしを叩きつける。

 完全に相手の術中に嵌められていることを理解した。

 

『相手はそちらに向かっています。遠回りになりますが、そちらに行くルートを取るようです』

「わかったわ……となると、このままここにいても相手の良い的になるでしょうね。ここは一か八か、森の中に進みますわよ。恐らく相手はこちらを挟み込もうと動いているはず。活を見出すには、先にどちらかを叩く必要があります。そして、後方にいるのは恐らくT―26と九八式と二両は確定しているわ。相手はさらにもう一台用意して、三両で後退する私達を待ち受けているかもしれない。なら、森の木々に紛れて待ち構えていたほうが生存率は僅かにだが上がりますわ。もちろん、相手がルノーとCV33、そしてⅡ号で待ち構えている可能性もあり、普通に考えたら後退のほうがまだ戦えますが……相手がこちらの戦法をセオリー通りに取っていると考えていることに賭けます。いきますわよ!」

 

 そうしてアールグレイは森の中に進軍した。

 森の中は木々によって戦車の方向性が定められ、うまく進軍することができない。

 その中を、アールグレイ達は後方に注意しながら進むことにした。

 そうしてしばらく進んだところだった。

 

『ほう……あえて後退せずに森の中に進んで来ましたか。悪くない判断です』

 

 前方から無線で声が聞こえてきた。

 そこにいたのは――

 

「いましたわね……小娘!」

 

 Ⅱ号から上半身を出している、美帆だった。そこにはⅡ号一台しかなかった。

 

『ふむ、こちらとしては安全策を取りあなた達が後退すると読んだのですが、読みがはずれましたか』

「ふふっ、お生憎様! さあ覚悟しなさい! 小娘!」

 

 アールグレイは一緒についてきた車両に指示を出し、美帆を狙う。

 構図としては二体一、ここで指揮官の車両を潰せればまだ勝利の芽はあるとアールグレイは思った。

 だが――

 

『おっと、油断大敵ですよ』

 

 美帆がニヤリと笑うと、アールグレイの後ろの車両が白旗を上げた。

 そこには、高速で森の中をかいくぐって接近してくるCV33の姿があった。

 そこから上半身を出している理沙の手に握られていたのは、

 

「なっ、パンツァーファウスト……!?」

 

 パンツァーファウスト。

 第二次世界大戦においてドイツが開発した、個人でも携行できる対戦車擲弾発射装置。

 戦車道では決して目にかかれない代物だ。

 

 

「うちの強さって、なんだと思う?」

 

 その光景を遠くから観測していた鈴が一年生に聞く。

 

「はい? えーと、いろんな戦車がある、ということでしょうか……?」

「半分正解。うちの強さはな、ロールプレイをしないってことなんだよ。他の学校はどこかのお国のロールプレイをしてる。だから使う武器や戦車が限られる。でもうちはロールプレイしないからそこら辺自由なんだ。国籍に縛られないってことは、それだけ自由な編成が可能になるってことになる。それは通常の戦車道もそうだが、タンカスロンにおいては無頼の強さを発揮することになる。だって、ああいうイタリアの戦車とドイツの携行兵器っていう無茶な組み合わせができるんだからな」

「はぁ……でも、パンツァーファウストはさすがにやりすぎじゃ……」

 

 一年生がやはり心配しそうに聞いた。

 

「あーそれは思わなくもないが……ま、梨華子が何も言ってないし大丈夫なんだろう。昔は弓矢持って戦ったやつとかもいたって聞くし。さ、追跡追跡っと」

 

 

「くっ、舐めるなああああああああ!」

 

 アールグレイは戦車を急旋回させ、CV33を撃ち抜く。

 すると、CV33は大きく吹き飛び、白旗を上げた。

 それを確認すると、美帆は森の奥へと逃げ込む。

 それを追うアールグレイ。後方からはアールグレイを追う大洗の車両が見えてきた。

 アールグレイは砲塔を後ろに向けたまま、応戦しつつも美帆を追った。

 その過程で、ルノーを撃破することに成功する。

 結果的に三対一の構図となった。

 そして森を抜け、人工物で囲まれたエリアへと入り込む。

 美帆は狭い路地を抜け、鉄塔に囲まれた空き地へと進軍する。アールグレイもそれに続く。

 

「さあ小娘! 勝負です!」

『ええ、勝負ですよ、アールグレイさん』

 

 美帆の車両とアールグレイの車両は互いに追いかけ回すように走り回る。砲撃は当たらず、時間だけが過ぎていく。

 このままでは、後ろから負われているアールグレイの不利は確実だった。

 

「くっ……このままでは……! そうだ!」

 

 アールグレイは急に方向を変えたかと思うと、空き地へと続く路地にあるビル群に砲撃した。

 すると、コンクリートがボロボロと落ち、そこに山を作る。

 

「さあ、これで一対一のままですわよ!」

『なるほど。考えましたね』

 

 美帆は笑う。アールグレイも笑う。

 そこには当事者同士にしか分からない愉悦があった。

 

『では、こういうのはでうでしょう』

 

 美帆の指示が飛ぶ。

 すると、美帆もまた戦車以外の部分を砲撃し始めた。

 それは、鉄塔だった。

 

「しまっ――」

 

 アールグレイが意図に気づいたときには遅かった。

 何本もの鉄塔が、戦車間、そして戦車に降り注ぐ。

 その位置は、見事にアールグレイの車両を中心としていた。

 鉄塔により、一瞬アールグレイが動きを止める。美帆はそこを見逃さなかった。

 

『チェックメイトですよ、アールグレイさん』

 

 美帆の主砲がアールグレイを射止める。

 それにより、勝敗は決まった。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「……負けましたわね」

 

 戦いの後、美帆とアールグレイは互いに並び合っていた。

 

「ええ、勝たせてもらいました」

「さすが……ですわね」

 

 そう称えるアールグレイの口調は、どこか重たい。すると美帆はこう言った。

 

「違和感を憶えましたか? 私の戦い方に」

「え? ええ……」

「あまり気持ちいい戦い方ではなかったでしょう」

「そんなことは……最後は楽しかったですし」

 

 アールグレイは否定するも、美帆はゆっくりと頭を振った。

 

「いいえ、分かっています。私本来の性分が、あまり綺麗な戦い方をしないことに。そんな私が普段の戦車道で正々堂々と戦えるのは、エリカさんのおかげです」

「あの方の……?」

 

 美帆はそこで、アールグレイの手を握り、笑顔で――自然な笑顔で、言った。

 

「エリカさんは私に戦車道のすべてを教えてくれました。私の戦車道は、エリカさんの戦車道なんです。エリカさんの戦車道は、お互いにすっきりとした気持ちになれる、そんな戦車道であるんです。そのことを、私はあなたに分かってもらいたかった」

「だから、タンカスロンを?」

 

 美帆はコクリと頭を振る。

 

「はい。私本来の性分で成長していたなら、こうしてあなたと手と手を取り合うこともなかったでしょう。エリカさんの戦車道は、あなたに綺麗に打ち勝つことで、私とあなたの間に絆を育んでくれたんです」

「……なるほどね」

 

 アールグレイは、美帆の言葉に笑みを浮かべ、そして、美帆の手を握り返した。

 

「でも、私はあなた本来の戦い方も嫌いじゃないわ。そりゃちょっとそれはないのではなくて? というやり方もあったけれど、戦いに対して真摯な姿勢は受け取りましたわ。だから……そうご自身を卑下なさらずとも良いではありませんの。こちらも失礼なことを言って申し訳ありませんでしたわ……美帆さん」

「っ!? 今美帆って……」

 

 アールグレイは驚く美帆の手を離すと、美帆に背を向けながら言う。

 

「さあ何のことかしらね? 小娘、私はあなたをライバルとして認めていますの。私がいる間は、誰にも負けないでくださる?」

「……はいはい、アールグレイさん」

 

 美帆はアールグレイの背中に笑いかけた。心なしか、顔の見えないアールグレイもどこか笑っているように感じられた。

 

「いやーいい試合でしたー!」

 

 そこに、梨華子とエリカがやってくる。二人共とても楽しそうに笑っている。

 

「まさか私の戦術のほうがいいっていうことを伝えるためにこんなことをしたなんて……本当に面倒臭いわね、美帆」

「うう、面倒なのは分かってますよ……あとこの一週間態度悪くてごめんなさい、エリカさん」

「いいのよ、気にしてないわ。それに、楽しい戦いを聞かせてもらったから私も満足よ。ねぇ梨華子」

「ええそれはもう! 個人的にマスタードガスとパンツァーファウストはパクらせて……いいえなんでもないですはい」

「おう梨華子! 元気そうだなぁ!」

「元気そうですわね、梨華子さん」

 

 そこに鈴と理沙も話題に加わる。二人の姿を見ると、梨華子はとてもうれしそうな表情になる。

 

「あっ、鈴ちゃんに理沙ちゃん! 久しぶり!」

「おう久しぶり! 元気してっか!」

「うんうん元気だよー、二人も元気そうだねー」

「ええまあ、美帆さんの元だと飽きずにやれますわ」

 

 理沙は楽しそうに会話している美帆とエリカを見て言う。理沙に続いて見た梨華子と鈴も、うんうんと頷いた。

 

「あの二人と一緒だと、確かに飽きなさそうだね」

「まあな! いろいろ面白いからなーあの二人」

 

 三人はそう二人を評していると、エリカと美帆、そしてアールグレイが三人の元に近づいてきた。

 

「ああ、鈴、理沙、それに梨華子。これからみんなですべてを水に流すパーティをしようと思っているのですが、もちろん参加しますよね?」

「ええ、もちろんですよ美帆さん!」

「おう! 当たり前だろ!」

「ふふ、当然ですわ」

 

 そうして、一週間前に途切れた続きをするように、いやそれ以上に盛大に、大洗と聖グロリアーナのパーティが行われた。

 その会場で、エリカと美帆が会場の雰囲気と周囲の期待に推され、集団の面前で濃厚なキスをさせられてしまったのは、また別の話……。

 



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思い巡る旅

「刺激が足りないんですよ!」

 

 のどかな昼下がり。私、東美帆はとある喫茶店の一角にて、友人達の前で勇気を振り絞って告白しました。

 私は普段、あまり人に相談事をしません。できるだけ自分の力で解決したいと思っているからです。

 ですが、ときに心から信頼できる相手には心のうちを見せようと思うことがあります。

 そして、今がそのときです。

 私は、頼れる仲間達に自分の悩みを曝け出したのです。

 きっと、私の心の友達は私の告白を受け取ってくれて――

 

「は?」

「うん?」

「へ?」

「はい?」

 

 ……受け取ってくれませんでした。

 何故でしょう。皆さん、なんというかとても……呆れた顔をしています。

「えーっと、一応聞くけどよう……今日は今度の旅行の話し合いってことで集まって、それでお前からの相談事があるからって切り出した話だよな?」

 

 目の前にいる四人の友人達を代表して、私の副官である鈴が聞いてきました。

 

「はい、そうですが……」

「よーしそこまではいい。それでだ、その第一声がなんで『刺激が足りない』なんだよ。わけわかんねえよ。いや大体は想像できんだけど唐突すぎんだよ。もっと順を追って話せや」

 

 むう……確かに彼女の言うことは正論です。

 私としたことが、焦りすぎたようですね。私の悪い癖です。

 私は、今度はちゃんと相談の内容を口にします。

 

「エリカさんとの生活で、刺激が足りないので今度の旅行で私とエリカさんに何か刺激のあるイベントが欲しいんです!」

 

 言いました。

 私の心の底からの悩み事です。

 私の同居人、逸見エリカさんとの生活についての悩みです。

 これで、きっと鈴達は真剣に受け止めてくれて――

 

「はい、解散」

「帰りましょうか」

「うん……」

「はあ……」

「え? ちょっと待って下さい!? ステイ! ステーイ!」

 

 

 それからなんとかして彼女達を引き止めて椅子に座らせました。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 疲れました……。周りに白い目で見られることも厭わずに引き止めるのにはかなりの労力を使いました……。

 

「はぁ……まあ、話だけでも聞いてあげてもいいですけれど……」

 

 そう言ったのは我が隊の分隊長を任せている弐瓶理沙です。

 こころなしか理沙の視線がなんだか痛いです……。

 

「はい……ありがとうございます……」

 

「それでその……今度の旅行で、何か刺激が欲しいということでいいんですよね?」

 次に聞いてきたのは、黒森峰の隊長、渥美梨華子です。

 梨華子も旅行の一員として参加するため、わざわざこの話し合いに来てもらっています。大変ありがたいことです。

 なんだか今その表情が後悔しているように見えるのはきっと気のせいでしょう。

 

「はい……今度みんなで行く温泉旅行、せっかくの特別な場ですから、何か普段と違うイベントがあってもいいと思いませんか? それに、最近エリカさんとの生活にも何か変化が欲しいと思っていたところで……」

「なんでそれに私達が付き合わされなきゃいけないのよ」

 

 そんな失礼なことを言ってきたのはアールグレイさんです。正確にはアールグレイ二世さんらしいですが、面倒なので私達は普通にアールグレイと呼んでいます。

 

「いや、そもそもなんであなたがいるんですかアールグレイさん」

「えっ!? ひどくないこと!?」

「いや、最初計画したときにはあなたいなかったじゃないですか……それを、飛び入りで参加してきたのはそちらでしょうに」

 

 そう、最初は私とエリカさん、鈴達幼馴染三人組、そして車を出してくれる武部沙織さんの六人の予定でした。

 それを、突然やってきたのがこの人です。

 ちょうど前回タンカスロンで戦った後のことでしたでしょうか。私達が旅行のことを話しているといつの間にか一緒に行くことになっていたのです。

 

「私としてはあなたを誘った覚えはないのですが……」

「あら失礼ね小娘! あなた達が何か楽しそうなことを計画しているというのに、私だけ仲間ハズレだなんてシャクじゃないの! このアールグレイ、遊びに関しても人の上に立つ存在であれと母から教えられているのよ!」

「ようは一緒に遊びたかっただけだよな」

「うぐっ!?」

 

 おぉ……鈴、容赦ないです。

 アールグレイさんが凄く大げさに胸を押さえちゃってますよ。大丈夫ですかねあれ。

 

「まあアールグレイさんのことは放っておくとして」

「ちょ、私を無視する気!?」

「ちょっと落ち着いてくれますかしらー? 話がすすみませんのー」

 

 アールグレイさんが理沙に抑え込まれてます。

 理沙ってこういうときに頼りになるんですよ。なんというか、お嬢様の貫禄というかそういうものが一番強いんです。

 お嬢様学校の聖グロのアールグレイさんをあそこまでねじ伏せるほどのお嬢様力……侮れません。

 

「それでですね!」

 

 私は未だ抗議を口にしているアールグレイさんに負けじを声を張り上げます。

 

「私としては今回の温泉旅行という特殊なシチュエーションで、こう、どうにか迫れないかと……」

「はあ……」

 

 ああ梨華子、そんな困ったような笑みを私に見せないで下さい。他校の隊長からそんな顔を見せられるって結構なダメージですよ。

 

「お前さあ……せっかくのみんなとの旅行なんだから、もうちょっと自重ってもんを……」

「私はエリカさんと素敵な時間を過ごすためならなんだってします」

 

 私ははっきりと言います。

 これだけは譲れませんからね。

 いや、分かってますよ? 馬鹿なこと言ってるってことぐらい。だってほら、みんなの苦い顔がびんびんに響いてくるんですからそれが自覚があるって証拠ですよ。

 

「……まあ、気持ちはわからなくてもなくてよ? 大切な人との旅行、女の子なら憧れるものがありますものねぇ」

 

 おお! 理沙が援護射撃をしてくれました! 大変ありがたいです!

 理沙のその言葉のおかげか他のみんなも一応考えてくれる素振りを見せてくれます。

 

「まあな。ただお前と逸見先生、いっつもイチャイチャしてるからなぁ。こういうタイミングでなんか特別なことっつっても難しいだろ」

「……ぷはっ! あ、あの! 私他校の人間だから分からないのだけれど、小娘と逸見さんはそんなに仲良くしているの?」

 

 鈴の言葉にやっと解放されたアールグレイさんが聞きます。

 お、聞きます? 聞いちゃいますそれ?

 

「ふふふ、それはもう――」

「あ、美帆は黙ってろ。お前が話すと無駄にのろけ話を聞かされて辛いから」

 

 ひどいっ!?

 

「そうだなあ……一応公私は分けてるんだよ。戦車道やってるときは、ちゃんと教師と隊長って関係を保ってるんだ。そして、学校じゃあその時間が長いから私達が見れる二人のプライベートは案外短いんだ。でもな、その短い『私』が濃厚すぎんだよ……」

 

 鈴が片手で頭を抱えて言います。

 そんなリアクションを取るほどですか?

 

「というと?」

 

 次に聞いたのは梨華子です。

 その言葉に、鈴と理沙は苦笑いを見せます。

 

「俺、二人がいちゃついている姿を見た日は倍以上の時間かけて歯磨く」

「わたくしは食物繊維をいっぱい取るようにしてますわ」

「私は虫歯や糖尿病の原因ですか!?」

 

 生活習慣病扱いですか!? 私とエリカさんの関係って!

 

「まあその……とにかく大変なのは分かったよ……」

「え、ええ……確かに、普段からそんな調子だと逆にイベント事のときは大変でしょうね」

 

 あっ、なんか二人も納得してます!

 今の説明で分かるんですか!? 分かっちゃうんですか!?

 

「まあ頑張れとしか言いようがないんだよなぁ普段の様子見てると。……そうだな、いっそ過激なことにチャレンジしてみるのはどうだ?」

「と言うと?」

「ほら、逸見先生の目って美帆だけなら見ることができんだろ? ならそれを利用してさ、こうエッチな格好になって『私がプレゼントです!』とかやれば――」

「あ、それ以前にやりました」

『…………』

 

 ちょっと、そこで沈黙しないでくださいよ。沈黙ってある意味一番人を傷つけるんですよ?

 

「……まーあれだ! 普段通りでいいんじゃねーの! 別に美帆は逸見先生との生活に不満持ってるってわけじゃねーんだしさ!」

「そーですわね! さ、旅行の話しましょ! えっと、行く温泉旅館って何が美味しいんでしたっけ!」

「私温泉なんて久々だよー! 楽しみだなー!」

「ふふっ、私が一緒に行ってあげるんだから感謝しなさいよねあなた達!」

「ちょ、完全に話を断ち切ってきましたね!? まだ話は……って聞いてます!? もしもし!? もしもーし!」

 

 結局、それ以降エリカさんとの特別なイベントを作る話は一切しませんでした。

 ま、いいんですけどね。確かに、鈴の言う通りエリカさんとの生活に不満を持っているわけじゃありませんし。

 そういうわけで、途中から私もちゃんと旅行の話に加わり、その日を楽しみにするのでした。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「ついたー!」

 

 車の扉を開けた沙織さんが高らかな声で叫びます。

 旅行当日、私達は沙織さんの運転する車に乗って、ついに目的地の温泉旅館にたどり着きました。

 沙織さんは運転の疲れをとるようにグッと伸びています。

 

「お疲れ、ありがとう沙織」

 

 エリカさんが沙織さんに言います。

 そのエリカさんはと言うと、私の手に引かれながら車を降りています。

 

「はい、エリカさん」

「ありがとう美帆」

 

 いくらエリカさんが慣れているとはいえ、見えない目で段差は危ないですからね。これぐらいのことはいつものことです。

 その後を続くように、鈴達も車を降ります。

 そこまで長距離のドライブというわけでもありませんでしたが、学園艦を降りての旅だったのでみんなに少し疲れの色が見えます。

 

「ささ、さっそくチェックインしよっ。そして、ぱぱーっとお風呂入ろっ!」

 

 一番疲れているはずの沙織さんが元気な様子で言います。

 その元気はどこから湧いてくるのでしょう?

 

「はは、元気ですねぇ沙織さん」

「ん? そりゃねー! こうやって女友達だけで旅行って久しぶりだし! いつもは家族と一緒だけど、たまにはこういうのもいいかなーってね! うーん! 旦那が子供と一緒に遊びに行ってくれるなんて、本当に優しいダーリンだようちの旦那はー!」

 

 沙織さんは頬を両手で挟み、ふるふると体を振りながら言います。

 その幸せそうな様子に、思わず私達の顔も綻びます。

 

「ほら沙織、幸せのおすそ分けはもういいから、早く旅館に入りましょう」

「あっそれもそうだね! ごめんねえりりんー!」

 

 私達は沙織さんを先頭にして駐車場から旅館の玄関に入っていきます。

 そしてチェックインを済ませると、まずは自分達の部屋に行きます。部屋は七人でも十分入れる二間の部屋です。

 

「さて、荷物を置きましたねみなさん。それでは早速……行きますか!」

 

 私がそう言うと、全員頷いて部屋を出ます。

 みんな、最初にお風呂に入ろうと車の中で決めていたのです。

 なので、誰一人部屋に残ることなく、みんなで一緒にお風呂に向かいます。

 

「いやー広い旅館だねー! 来て正解だったよー!」

「そうね沙織、これもあなたのおかげよ、ありがとう」

「にしても古風な旅館だなぁ。俺こういう場所初めてだぜ?」

「鈴ちゃんはあんまりそういうの慣れてないもんねー」

「わたくしは結構慣れていてよ? まあ自慢することでもないけれど」

「普段は洋式のものばかりだから、和風というのも新鮮でいいわね!」

 

 女性七人で歩く姿は外から見たら実に姦しいものがあるでしょうが、そこはすみませんと頭を下げることしかできません。

 

「ああ……温泉独特の香りが鼻を通ります。いいですねぇ……!」

 

 私としても、やはり旅行ということで、私もテンションが上がっているようです。普段より大きな声でつい喋ってしまいます。

 そのまま、私達は脱衣所に入ります。

 脱衣所では、みんなが服をテキパキと脱いでいきます。

 

「ふふっ、楽しみー!」

 

 沙織さんが一番に服を脱ぎ終えました。

 その体はとても経産婦とは思えません。やはり色々と努力しているのでしょうか。見習いたいものです。

 

「やー汗結構かいてるなー」

「そうですわね、早くお湯に使ってさっぱりしたいですわね」

「うん、そだねー」

 

 鈴、理沙、梨華子の幼馴染三人組がそんなことを話しながら服を脱いでいます。

 鈴と理沙は更衣室で下着姿を見ることがあるとはいえ、裸体を見るのは初めてです。やはり友人と言えど、裸体を見るのは気恥ずかしいものがありますが、同年代の友人の発育状況というものはどうにも乙女としては気になるもので目が行ってしまいます。

 うむ、鈴が少し発育が悪いのを除けばとりあえず三人共平均的な体型ですね、ちょっと安心です。

 しかしあまりマジマジと見つめると、それこそまるで男子中学生のようになってしまいそうなので、私はすぐさま目を逸します。

 

「ん? どした美帆?」

「い、いえなんでもありません」

 

 おっとどうやら鈴に気取られてしまったようですね。危ない危ない。

 友人の裸体をマジマジと見つめていたのがバレたら、なんてからかわれるかわかったものではありません。

 いえ、確かに私が同性を愛する女性であり、エリカさんとそういう関係なのはもう周知の事実ですからいいんですが、それとは別にからかわれるのは目に見えていますから。

 ……それにしても、やっぱり鈴は胸が平らですねぇ……。

 

「……おい、今なんか失礼なこと思ったろ」

「いえ、そんなことは」

 

 私は適当に誤魔化しながら視線を別の方向に移します。そこにはアールグレイさんがいました。

 アールグレイさんのプロポーションはとても整っており、実に美しいものでした。

 やはり日頃から食生活など気をつけているのでしょうか? お嬢様学校ですから、そこら辺は厳しそうです。

 

「あらどうしたのかしら小娘? 私の体に見とれて?」

「いえ、偶然目に入っただけですよ勘違いしないで下さい」

 

 まったくもって勘違いです。

 確かに綺麗な体なのは認めますが、見とれたりなんてしません。

 私が見とれるのは、一人だけです。

 私はその一人、エリカさんへと視線を移しました。

 ああ、やはりエリカさんの体はいつ見ても美しいです。普段からお風呂上がりなどに見る体ですが、こうして他の方と一緒にいるところを見ると、その美しさが格段に際立ちます。

 そういえば、今日は久々にエリカさんと同じ湯につかれるんですね。

 最近はあまり一緒にお風呂に入れていなかったので、そう考えると嬉しさが込み上げてきます。

 

「……ふふっ」

「あらどうしたの美帆? 嬉しそうにして」

「いいえ、なんでもありませんよ。さ、エリカさん。足元が滑るので気をつけて下さい」

 

 私はエリカさんの手を握り、ゆっくりと二人で湯船に向かいました。

 ……そうえば、エリカさんには私の裸体は見えているんですよね。

 エリカさんにだけ見える、私の体……。他の方々と比べられることがないのは少し良かったかもしれません。私は、正直自分の体に自信がないんです。

 他の方の体に興味があるのも、やはりそういうところが原因なのでしょうか。

 家族やエリカさんは私の体型をモデル体型だと言ってくれますが、私としては少し痩せすぎではないかと、少しだけ思ったりします。

 かといって乙女が太ることなんてできませんから、難しいところです。

 

「……美帆」

「は、はい? なんでしょう? ……ってえ!?」

 

 私がそんなことを考えていると、エリカさんが突然私の頭を撫でて来ました!

 どうしたというのでしょう?

 

「私は、あなたの体、好きよ。あなたはもっと、自信をもっていい」

「……エリカさんにはかないませんね」

 

 どうやらすべて見透かされていたようです。

 本当に、エリカさんにはかないません。

 私は気持ちを切り替え、精一杯の笑顔を作ってエリカさんをかけ湯の場所へ連れていきます。

 ちゃんとお湯に入る前に体を清めないといけませんからね。

 私達が体を湯で流すと、他の方々もやってきて体を洗い流します。

 そうして私達は、その日最初の温泉を、ゆっくりと楽しむのでした。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「くっ……じゃあ、とりあえず密輸人の回転翼機を……!」

「あ、瞬唱の魔術師唱えます。そして墓地にある呪文嵌めをフラッシュバックで」

「んあああああああああ!? おいその瞬唱四枚目だろうがよおおおおお! なんでそんな持ってんだお前はあああああああ!」

「もう特にすることないですか? ないですね? では私のターンですね。アンタップアップキープドロー、あ、ソーサリー呪文でしたのでデルバーを裏返します。血清の幻視でした。なのでさっそくこれを使って一枚引いて占術二しますね。蒸気の絡みつきを引いたのでそれであなたの競走路の熱狂者を戻して下さい。では戦闘を行います。龍王オジュタイとデルバーで攻撃。私の勝ちです」

「ぬあああああああああああああああああああっ!」

 

 鈴が大声を上げながら布団の敷いてある後方に倒れます。

 空には鈴が持っていたカードが宙を待っています。

 

「ちょっと鈴、夜なのに大声出すのはいけないと思いますよ」

「るせー! こんなん声出さずにいられるか! もう三連敗だぞチクショウ!」

 

 私と鈴は、浴衣姿で夜も耽ったこの時間に二人でカードゲームをしていました。その様子を同じく浴衣姿の他の面子が眺めています。

 

「ねえ理沙さん、私カードゲームはあまりやらないんですけど、小娘のデッキってそんな強いのかしら?」

「うーん、強いというか、いやらしいというか、お金の力がすごいというか、最後は完全に意味のない嫌がらせだったというか……少なくとも、鈴さんのファンデッキでは勝てませんわねぇ」

 

 疑問を持ったアールグレイさんに理沙が説明しています。

 なんだか人聞きの悪いことを言われている気もしますがまあ無視します。

 勝てばよかろうなのです。

 

「ふふっ、元気ねぇ」

「そうだねぇ……でもみんな! そろそろ眠る時間だよ!」

 

 エリカさんと沙織さんが私達に言いました。

 私達は「はーい」と応えます。

 もう時間は夜の十一時を回っていました。確かに高校生ならそろそろ寝るべき時間ですね。

 その証拠に、既に梨華子は布団に入って眠りについています。

 

「梨華子、ぐっすりですねぇ」

「そうだなぁ。まあ梨華子は温泉上がった後の卓球大会で優勝するぐらい頑張ったからな……その後もう一度風呂入ってたのもあるだろう」

「うーん……」

 

 梨華子がそんな私達の会話が耳に入ったせいか、声を出しながら寝返りをします。

 私達はそんな梨華子に続くように、次々と布団に入っていきました。

 左から順にエリカさん、私、鈴、理沙、アールグレイさん、梨華子、そして沙織さんと並びます。

 

「それじゃあ消すよー?」

 

 そう言ったのは沙織さんでした。沙織さんの手には電灯のリモコンが握られています。

 私達は再び声を合わせて「はーい」と応えます。

 そして、その直後に電気は消され、部屋の中は真っ暗になりました。

 本当に楽しい一日だったと思います。

 一緒に温泉に入り、卓球大会をし、カラオケスペースで歌いあい、設置されているレトロゲームで遊び、部屋で色々なゲームで遊ぶ。

 本当に遊び倒しの一日でした。この面子で来るのも、なかなかいいものだと思いました。

 人数が多いため、エリカさんとは普段のように絡めませんでしたが、まあいつもいっぱいくっついているんです。たまにはこんな日があってもいいでしょう。

 ちょっとだけ、寂しいですが……。

 

 

 ……眠れません。

 我ながら、子供のように興奮しているようです。もう一時間以上立つのに、まだ目が冴えています。

 他の面子は、すっかり寝入ったようです。鈴なんてだらしなく口を開けて涎なんかをたらしています。まったく、乙女の自覚がないのでしょうか。

 エリカさんも寝たでしょうか?

 私はエリカさんのほうに寝返りを打とうとします。

 

「……美帆」

 

 その瞬間でした。

 私の口が抑えられ、耳元でエリカさんが突然囁いてきたじゃありませんか!

 私は驚きます。しかし、エリカさんに抑えられているため動けません。

 すると、なんとエリカさんは私の浴衣に右手を入れ、直接私の体、特に胸の部分を触り始めてきました!

 え!? 何です!? なんなんです!?

 

「っ!?!?」

「ふふっ、ねえ美帆。聞いたわよ、刺激が欲しかったんですって?」

 

 なんでそれを!?

 あの面子の中の誰がバラしたんですか!? いや大体わかりますどうせアールグレイさんですあの人こういうことで絶対口が軽いタイプだと思うんですよいや今はそんな犯人探しをしている場合じゃなくて――

 

「……まったく、可愛い子ね。いっつも一緒にいるのに、それ以上に特別な思い出が欲しいだなんて。……でも、その気持はとっても嬉しい。だから、二人でちょっと冒険してみましょう?」

 

 そう言ってエリカさんの右手は胸からお腹に下がるように撫で始めました。

 その感覚がその……気持ちよすぎて、私は思わず声を上げそうになります。

 

「おっと、声を出しちゃだめよ。みんなにバレたら大変じゃない?」

 

 その言葉で私はなんとか声を抑えます。

 確かにこんなことがバレたらなんて言われるか分かりません。

 私は必死で歯を食いしばります。ですが、我慢すればするほど、あまりにも気持ちよすぎて……!

 

「……っ! ……っ!」

 

 私は声にならない声をあげます。だってしょうがないじゃないですか。普段の私なら卒倒しているレベルですよこれは。

 いや鈴とかにお前は普段から卒倒の水準が低すぎると言われることがありますが、それを踏まえても今回のこれは凄すぎます!

 

「~~~~~っ!!!!」

「ふふっ、可愛い子。さあ、二人でどこまでいけるか、試しましょう」

 

 エリカさんの悪戯な囁きが私の耳をすり抜けます。

 ああ、私、今なら死んでもかまいません……。

 私達二人の秘密の夜は、それからもまだまだ続いていきました……。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「さっ、みんな忘れ物はないね?」

 

 沙織さんの元気な声が飛んできます。

 翌朝になり、みな布団から出て、朝食を取って帰る準備をし始めたところでした。

 みんなぐっすり眠れたのか笑顔で素早く行動しています。

 一方の私はと言うと……。

 

「ん? どした美帆? なんだか眠そうだけど」

「え? いいえそんなことないですよぉ~……」

 

 嘘です。

 本当は凄く疲れています。

 だって、エリカさんの責めは一晩中続いたんですから。

 その甘美な責めは私を興奮させ、眠らせないのには十分でした。

 結果が、この寝不足です。

 

「ははは……」

「……? まあ、お前がそう言うならいいけどよう」

 

 鈴は頭に疑問符を浮かべながらも自分の準備に戻っていきました。

 私はその姿を見届けると、今度は背後を振り返ります。

 そこには、いつものように穏やかな笑みを浮かべるエリカさんの姿が。

 

「…………ふふっ」

 

 エリカさんが私に笑いかけました。その元気はどこからくるんですか……。

 私なんてヘトヘトだというのに。

 ……ただまあ、この疲労は心地の良い疲労でもあります。

 なぜなら、エリカさんと特別な夜を過ごせたという証の疲労なのですから。

 そのことを思うと、私の顔は自然を緩んでしまいます。

 ですが、それを悟られるわけにはいきません。私は素早く顔を引き締めると、自分の準備をし始めます。

 他の面子は既に準備をし終え、外に出て行き始めていました。

 結果、部屋には私とエリカさんの二人っきりになりました。

 ……二人っきりなら、いいでしょう。

 

「あの、エリカさん。昨日は……」

 

 私は言葉を紡ごうとします。

 その私の唇を、エリカさんはそっと人差し指で抑えます。

 

「あら、昨日のことは二人っきりの秘密。そう決めたでしょう?」

「はい、でも……」

 

 今なら、誰もいませんよ。

 私がそう言おうとした瞬間――

 

「――っ!?」

 

 エリカさんが、私の唇にエリカさんが突然その唇を重ねてきたではありませんか!

 突然の口づけです……!

 エリカさんとのキスは、実はそんなに経験がありません。エリカさんは、あんまりキスに応じてくれないのです。

 でも、たまにこうして、不意打ちのように、しかし抜群のタイミングで、私の唇を奪ってくるのです……!

 

「んっ! んっ!」

 

 エリカさんは私の口に舌を入れてきます。それは、濃厚な大人のキスでした。私はただ受けることしかできません。

 そして、しばらく私の唇を貪ったかと思うと、エリカさんは唐突に口を離しました。

 私は立っているのがやっとでした。

 そんな私に、エリカさんは言いました。

 

「……美帆。愛してるわよ」

 

 そう笑って言って、エリカさんは部屋を出ていきました。

 部屋に取り残された私。

 その寂しくも満たされた空間の中で、私は思いました。

 今回の旅は最高に刺激的で、記憶に残る旅になったと……。

 



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緊張してます!

本作品は某所の合同誌に寄稿したものです。
それゆえ、某所ローカルなオリキャラが出てきますが知らなくても特に問題はないつくりになっております。


 みなさんこんにちは! 東美帆です!

 初めての方ははじめまして! 久しぶりの方はお久しぶりです!

 今、私はとある戦車道用の演習場に来ています。なぜ来ているかと言うと、今日は全国大会で勝った学校の代表が、なんとプロリーグの選手と一緒に戦う権利を与えられたからなんです!

 正直とても緊張しています……。

 

「……うう」

 

 だってほら、今こうしてお茶を飲もうとしている手がプルプルと震えているんですから。

 普通のプロリーグの選手だったら楽しみというだけでここまで緊張しなかったかもしれません。

 ですが、今回一緒になる選手は、現在私が所属している大洗のOGであり、かなりの活躍をなされている名選手です。

 そんな方に会う訳ですから、一体どんな評価を下されるのか、ということを考えると緊張もするというものです。自分の母校の今の隊長ですから、きっと厳しい評価が待っているに違いありません。

 私って、自分にあんまり自信がないんです。

 人に話すと意外と言われます。

 副隊長の鈴《すず》に話したら、それはもう驚かれました。

 

『えっ!? ほえー知らんかったぜ、いっつも堂々とやってるもんだからさぁ』

 

 だそうです。

 でも私は、結構な怖がりなんです。

 隊長という責務ある立場ゆえ、周囲を不安にさせないように頑張っていますが、私は常に自分の中の不安と戦っています。

 ノリに乗れればそうでもないんですが、やはりそうそう乗れることって少ないんです。

 戦車道を本格的に始めた時期も遅いですし、本当に私が隊長でいいのかと思うときもあります。

 そんな私が、隊長として恐れずに指揮をできる理由は――

 

 コンコン。

 

 おや? 誰か来たようですね。

 まだ約束の時間ではないはずですが……。

 

「はい、今出ます」

 

 私は椅子から立ち上がり、扉に向かいます。そして、我ながら雑に扉を開けました。

 すると、そこにいたのは――

「どうも、美帆。調子はどう?」

 

「エっ、エエエエエっ、エリカさん!?」

 

 そこにいたのはなんと、私が心から愛してやまない逸見エリカさんじゃないですか!

 エリカさんは私と一緒に暮らしている、私の同居人です。

 その同居の理由は説明すると長いのですが……簡単に言えば、私はエリカさんに恋していて、それでエリカさんが私の気持ちに答えてくれたからなんですね。

 そのときは本当に嬉しかったです。その嬉しさを語るにはとても言葉が足りません。何せ、私の初恋、しかも同性に対する恋が実ったのですから。

 その話は置いておくとして、私は今とても驚きを隠せません。

 どうして、こんなところにエリカさんが!?

 その驚きで、私はいっぱいです。

 

「どっ、どどどどうしてこんなところに!?」

「どうしてって、様子を見に来たのよ。緊張しているんじゃないかなと思ってね」

 

 なんて嬉しい気遣いなんでしょう。エリカさんにそう思ってもらえるだけで私は幸せです。

 

「でも、ここまで来るの大変だったんじゃないですか? 大洗から結構距離がある場所なのに……」

 

 エリカさんは、とある事情から失明してしまい目が見えません。

 どうやら私の姿だけは見えるようなのですが……これについては、本当に奇跡のような出来事であり、お医者さんの先生も分からないと言っていました。

 とにかく、エリカさんは遠出するのにもかなり苦労するはずなんです。それなのに、こうして私の目の前に来てくれたことが本当に嬉しいことであり、そして心配になることでもあります。

 

「大丈夫よ。これでも人生の半分近くはこの目で生活しているのよ? ちょっとやそっとの遠出くらい、なんともないわ」

 

 エリカさんはそう言って私に力こぶを見せてくれました。

 ですが、やはりここにやってくるのに苦労しただろうことは想像に難くありません。

 

「……まあ実は、沙織に助けて貰ったんだけどね」

 

 なるほど。

 武部沙織さん。エリカさんの親友の一人で、私もかなり良くして貰っている大洗のOGの一人です。

 その沙織さんが手助けしてくれたのなら、ここまで来れたのも納得というものです。

 でも、やはり。

 

「それでも……やっぱり大変だったんじゃ……」

 

 私はつい俯いてしまいます。

 さっきは嬉しさと驚きでいっぱいでしたが、今は申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 エリカさんは言っていました。私が緊張しているんじゃないかと。

 エリカさんは私の心をたまに私以上に理解してくれます。

 その結果、エリカさんまで不安にさせてしまったということです。

 自分の心の弱さが情けないです。

 

「……すいません」

 

 私はエリカさんに謝ります。

 つい、口からこぼれた言葉でした。

 すると、エリカさんは私が謝罪の言葉をこぼしてすぐ、私の頭を撫で始めました!

 

「えっ、えええ!?」

 

 私は動揺します。エリカさんに撫でて貰えるのはとても幸せですが、突然撫でられると困惑もします!

 

「……もう、馬鹿ね」

 

 エリカさんは私に笑いかけて言います。

 

「私はね、あなたのためなら少しぐらいの苦労なんてまったく気にしないのよ。あなたはまだまだ子供なんだから、そんなことを気にしなくていいの」

「は、はい……」

 

 エリカさんの手はとても暖かかったです。

 そう、この温もりです。

 この温もりに包まれていると、私はとっても落ち着いた気分になるんです。

 エリカさんは常に私の味方でいてくれます。そりゃ、たまに喧嘩することだってあります。でも、やっぱりエリカさんは私を後押ししてくれるんです。

 私が恐れに打ち勝って堂々と戦車の指揮をできるのも、エリカさんのおかげです。

 私の戦車道はエリカさんの戦車道です。

 そのエリカさんの戦車道が、どうして負けることがあるでしょうか。

 そう考えるだけで、私の心は自信で溢れます。私だけの指揮なら不安でいっぱいです。でも、私にはエリカさんがついています。私の背後には、エリカさんがいます。私の戦車道は、エリカさんの戦車道の証明です。

 ですから、負けません。負けるわけにはいけません。負けるはずがありません。

 

「あなたはね、とっても頑張っている子よ。その頑張りが認められて、今こうしてこの舞台に立とうとしているの。それを、あなたは誇りに思っていいわ」

「エリカさん……」

「ふふっ、そんな顔しないの。ほら、笑って笑って」

 

 エリカさんはそう言うと、私の頬を握ってぎゅっと引っ張り、無理矢理私を笑顔にしました。

 

「えっ、えりかひゃん! くすぐったいれひゅ!」

「ふふっ、ほらほら、笑う笑う」

「わかりまひは! わかりまひはから!」

 

 私がそう言うと、エリカさんはぱっと私の頬から手を離しました。

 私は頬をさすりながらも、微笑みます。

 

「うん、いい顔じゃない」

「……はい、エリカさんに勇気づけて貰ったら、なんだか勇気が出てきました」

 

 本当に、心の奥底から温かいものが湧いてくる感じがします。

 今なら、自信をもってあの人と会うことができそうです。

 

「ふふっ、良かったわ。それじゃあ、最後に試合が上手く行くようにおまじない、かけてあげる」

「おまじない、ですか?」

 

 一体何でしょう?

 そう思い私がぽかんとしていると――

 

「んっ」

「っ!? ~~~~っ!」

 

 なんと、エリカさんが、エリカさんが私にキスをしてくれました!

 そっと触れるようなフレンチなキスでしたが、口と口、マウストゥマウスのキスです!

 あっ、あわわわわわわわわ!

 体がどんどんと真っ赤になっていくのを感じます!

 だって、こんなの不意打ちですよ!?

 いえ、確かに普段からキスはしてるんです。これまで累計すると結構な回数になるんじゃないですかね。で、でも、それはお互い気持ちが高まって、そういう雰囲気の中しているから大丈夫なことであって、つまり何が言いたいかと言うとこういう不意打ちには私、まったく慣れておりません!

 そのせいで、もう頭が爆発してしまいそうです!

 あっ、なんだか足元がふらついて……。

 

「ちょっ、美帆大丈夫!?」

 

 私が前方に倒れ込みそうになったところを、エリカさんがキャッチしてくれました。

 ただ、胸で受け止められたせいで、エリカさんの柔らかな胸の感触が当たり、私は再び赤くなります。

 

「ううっ、ずるいですよこんなの……」

 

 私はエリカさんの胸の中で言います。

 

「何がずるいよ。いつもしていることでしょ?」

「そうですけどー! それはそうですけどー!」

 

 私の抗議はエリカさんに届きません。いや、届いてはいるんですが、多分スルーされています。

 うう、やっぱりエリカさんはずるいです。これが大人の余裕という奴なんでしょうか。

 私はエリカさんに支えられながら、しっかりと足に力を入れます。

 うん。ちゃんと立てましたね。

 

「それじゃあ、私はそろそろお邪魔になるから、試合を沙織と一緒に観客席で聞いているわね。頑張ってね、美帆」

「は、はい!」

 

 エリカさんは立ち直した私の肩を両手でぽんぽんと叩くと、白杖をつきながら私の部屋から離れていきました。

 後ろ姿までエリカさんは優雅です。

 その後ろ姿を見送っていると――

 

「えっと……東美帆選手?」

 

 私の背後から声がかけられました。私は振り返ります。そこにいたのは、白髪のポニーテールを揺らし、キリリと鋭い目が印象的な人でした。

 

「あっ、愛澤こころさん!」

 

 そこにいたのは、私がこれから一緒に戦う、プロチームの選手、愛澤こころ選手でした。

 

「こころでいいよ。あなたが東選手……だよね?」

「はっ、はいっ!」

 

 私はこころさんに敬礼します。

 すると、こころさんは私のことを頭からつま先までじっくりと見ていました。

 

「ふぅん……そこまで似てるってわけでもないんだね」

「え?」

「いいや、なんでもない。噂は聞いてる。いい選手なんだってね。今日は楽しみにしてるよ」

「はい! ありがとうございます!」

「それより、さっきの人って……」

 

 こころさんが私の後ろを見るように頭を動かします。こころさんは恐らくエリカさんのことを言っているんでしょう。だから、私は、自信をもって、笑顔でこう言いました。

 

「はい……あの人は、逸見エリカさんは、私の最高のパートナーです!」

 



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Last summer memory

「んー……」

 

 まだ朝から日差しが厳しい夏の日。

 東美帆は、カレンダーを睨みつけ唸り声を上げていた。外で鳴く虫の声が美帆の声と重なり合う。

 

「どうしたの、美帆?」

 

 そんな美帆に、同居人である逸見エリカがソファーでくつろぎながら声をかける。

 

「あ、エリカさん。いえ、夏休みもあと一週間で終わりだなぁと思いまして」

 

 美帆はカレンダーの今日の日付を指でなぞりながら言う。日にちは八月二十四日。学園艦における夏休みの終わりは、殆どが八月三十一日である。そのため、八月最後の日まであと七日だった。

 

「あら、もうそれしかなかったのね」

「はい、そうなんですよ」

「エキシビションマッチもついこの前のようだったように思えるのにねぇ……」

 

 エリカが懐かしむように言う。

 大会後のエキシビションマッチは、大洗と継続対サンダースとプラウダの組み合わせで大洗本土を舞台に行われた。

 結果としては、大洗、継続チームが勝利を納めた。

 

「エキシビションは楽しかったですね。他の学校と一緒にチームを組むだなんて、そうそうない体験ですよ。連携して戦うというのは、いい経験になりました」

「そうね、なかなか得難い経験よね」

 

 エリカは美帆に対ししみじみと返す。

 

「私も昔、色んな学校と連合を組んで大学選抜と戦ったことがあったんだけど、あれも今思えば貴重な体験だったわ」

「そんなことあったんですか? 聞かせてください、その話」

 

 美帆はエリカの横にそっと座る。その美帆に対し、エリカは昔のことをゆっくりと思い出しながら話し始めた。

 

「そうねぇ、あのときは――」

 

 プルルルルル!

 そのときだった。

 美帆の携帯電話が、突如なり始めた。着信音からして、メールではなく電話のようだった。

 

「む……ちょっと待っててくださいエリカさん」

 

 美帆は少し不機嫌な顔をしながら、机の上に置いてあった携帯電話を手に取った。

 

「はい、もしもし東ですが」

『美帆さん! 助けてくださいませんか!?』

 

 美帆が電話に出た瞬間、電話越しから大声が飛んできた。

 

「えっと……理沙ですか? どうしたんですか突然」

 

 電話の相手は、大洗戦車隊で分隊長をやっている弐瓶理沙だった。

 美帆は少し驚いていた。

 理沙のここまで慌てた声は聞いたことがなかったからだ。

 

『はい、理沙です。それで美帆さん、助けて欲しいんです』

 

「まず落ち着いてください。慌てていては何がなんだかわかりません。落ち着いて何があったか教えてください」

 

 美帆は理沙に冷静になるように促す。

 何があったにせよ、落ち着いて相手の話を聞かなければどうにもならないと思ったからだ。

 

『はい……その……終わってないんですの……』

「終わってない? 何がです?」

『夏休みの課題が! 終わってないんですの!』

「……はぁ?」

 

 美帆は、今まで生きてきた中で一番かもしれないと思うほど、呆れ果てた声を上げた。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「……つまりこういうことだと。余裕こいて夏休み生活をエンジョイしていたらいつの間にか一人ではどうしようもないほどに課題が溜まっていたのに気づいたと」

「……はい」

 

 電話のほぼ直後、美帆は学園艦の上にあるとあるファミリーレストランへと来ていた。

 美帆の前には、申し訳なさそうに頭を垂れる理沙の姿があった。

 

「……理沙はもう少し賢い子だと思っていましたが」

「すいません……」

「しょーがねーよ理沙って育ちいい癖にこういうところは馬鹿なんだから。去年もギリギリだったし」

 

 理沙の横に座ってそう言ったのは、副隊長の百華鈴だった。鈴は頭を両手の後ろに乗せながら、カラカラ笑いながら言った。

 

「そうなんですか……というか鈴は大丈夫なんですか? 私のイメージだと鈴もちょっと危なそうなイメージなんですが」

「そのイメージはひでーなおい! いやまあ俺は大丈夫だよ。一応残ってるけど苦手な現代文だけだし」

「そうなんですか、苦手を先延ばしにするのはどうかと思う部分もありますが、それでも鈴は理沙よりしっかりしてるんですね……」

「うぐぅ!」

 

 理沙が声をあげる。

 鈴と比べられて駄目と言われたことが、かなり堪えたらしい。

 

「はははっ、理沙ちゃんは普段一番しっかりしてるのにこういうところだけはなんだか駄目だよねー」

「ふん、課題をやりきれないほど残すだなんて、自己管理のできていない証拠だわ」

「……それで、なんであなた達までいるんですか。梨華子、アールグレイさん」

 

 笑いをこぼしたのは黒森峰の隊長である渥美梨華子、嫌味を言ったのは聖グロリアーナの隊長であるアールグレイ二世だった。

 

「いやーそろそろ自分の学園艦に戻ろうと思ってたところで、理沙ちゃんが困ってるって聞いて……」

「私もたまたまこちらに用があったところを、たまたま面白そうな話があるから聞いて来たのよ。このアールグレイがあなた達の勉強を見てあげようと言う気持ちになったのよ。感謝しなさい」

「で、本音は?」

「私も丁度終わってない課題があったしタイミングいいなーと」

「私もその……計画的にやっていた課題の最後の残りをやるにはいい機会だと思いまして……」

 

 笑顔で問い詰める美帆に対し、笑顔で返す梨華子と少し恥ずかしそうに俯くアールグレイ。

 その二人を見て、美帆は大きくため息をつきながら片手で頭を抱えた。

 

「……まあいっぱいいっぱいになってる理沙以外は別にいいでしょう。終わる予定で組んできてますからね。それにしてももうちょっと……」

「そういう美帆はどうなんだ?」

 

 鈴が体勢を変えずに聞く。それにまた、美帆は呆れたようにため息をついた。

 

「あのですね、私一応受験生ですよ? それがいつまでたっても課題終わらせてないわけがないじゃないですか……」

「それもそうだな」

「この子頑張ってるからね。夏休み中はわりと勉強漬けだったのよ?」

「……あのよ。さっきから気になってたんだけどよ」

 

 鈴が美帆の横を向いて言う。

 

「……なんで逸見先生までここにいるんだ?」

 

 美帆の横では、微笑みながらグラスに入ったアイスコーヒーをストローで飲んでいるエリカの姿があった。

 ずずずとストローで少しコーヒーをすすると、エリカはそのコップを一旦机に置いた。

 

「だって、面白そうじゃないの」

「そういう動機のやつばっかりかここは!」

 

 鈴が大声で言う。

 それに対し、美帆は乾いた笑いをこぼし、理沙はエリカをすがるような目で見ていた。

 

「エリカ先生がいると心強いですわ! エリカ先生がいれば美帆さんが呆れて帰ってしまうなんてことがなくなるので……」

「エリカさんを都合のいいストッパー代わりにしないでください!」

 

 美帆がテーブルに乗り出して言う。その剣幕に、思わず理沙は体を怯ませる。

 

「あ、すいません……」

「いえこちらこそ……」

 

 お互いに謝りあう美帆と理沙。

 その姿に周囲は苦笑いをする。

 

「……まあ、とりあえずやりましょうか。みなさん、勉強道具を出してください」

「はい……」

 

 美帆のその言葉によって、各々が勉強道具を出した。

 それを見て、美帆はまた呆れた様子になる。

 

「鈴は現代文、梨華子は英語、アールグレイさんは物理、そして理沙は……全教科……はぁ……」

 

 美帆はやれやれと頭を抱えつつも、自らの勉強道具を出す。

 エリカはその美帆をクスクスと笑う。

 

「なんだかんだでやる気じゃない、美帆」

「ええまあ、乗りかかった船ですしね……よし、それじゃあ行きますよ!」

 

 美帆は頬をピシャリと叩いて、自らに気合を入れる。

 そうして、美帆と課題を残した彼女たちとの勉強会が始まった。

 

 

「……そうですそうです、そこを要約して……」

「うー……要約ってめんどくせぇんだよなぁ」

「現代文は要素を掴むことが大事ですからちゃんと汲み取ってください。答えはすべて文中にあるんですから」

「美帆さーん、ここの英文なんですけど……」

「ああ、そこは前の文章がかかってますから……ここが過去進行形だから……」

「小娘! この問題が分からないわ!」

「そんなことを偉そうに言わないでください! そこはですね、この公式を利用して……!」

 

 美帆は忙しそうにそれぞれに勉強を教えていた。

 横に長いテーブルに詰めて座る四人を見渡しながら、それぞれの課題を見る。

 そして、課題についてどんどんと飛んでくる質問を捌いていた。

 

「見事な手際ね。まるで先生みたいよ?」

「お、よかったな美帆。逸見先生に褒められたぞ」

「ありがとうございますエリカさん! でもなんだか複雑な気分です!」

 

 美帆はバッとエリカに対し頭を下げる。

 そしてその後、再び理沙達の勉強を見る作業に戻った。

 

「それで理沙、どうです進捗?」

「……進捗駄目ですのー!」

 

 理沙は美帆の言葉に大きく頭を振って頭を抱える。

 

「ま、まあ頑張ろうぜ……? 俺達も終わったら手伝うからよ」

「えっ」

「えっ」

「えっ」

 

 梨華子とアールグレイが驚いたような反応をし、それにまた鈴が驚いた顔をする。

 

「……やだなぁ冗談だよー私が理沙ちゃん見捨てるわけないじゃないー」

「……そうよーこの高貴たるアールグレイがそんな戦友を見捨てるようなことするわけないじゃないのよー」

「本当かよ……」

 

 笑いながら言う梨華子とアールグレイを、鈴はいまいち信じきれていないようだった。

 そんな三人を無視し、理沙に勉強を教える美帆。

 五人は苦労しながらも勉強を進める。

 そうしているうちに、理沙以外の三人は自分の課題を終えていった。

 

「終わったー!」

「終わったねー」

「終わったわー」

 

「三人ともお疲れ様。私が何か飲み物奢ってあげるわ」

 

 エリカが三人に言う。三人はその言葉に目を輝かせた。

 

「本当かよ! じゃあ俺メロンソーダ!」

「じゃあ私はコーラで!」

「私はレモンティーをお願いします」

「あなた達もう少し遠慮というものを……いえいいです」

 

 美帆が諦めたように言う。

 

「大丈夫、頑張ってる美帆にも奢ってあげるから」

「本当ですか!? じゃあ私はコーヒーで!」

 

 が、エリカのその言葉ですぐに美帆の機嫌は良くなった。

 

「うう、わたくしも……わたくしにも何か飲み物を……」

「今回の原因たる理沙は水で我慢してください」

「ひどいっ!?」

「まあまあ、理沙も好きな飲み物頼みなさい。少し休憩しましょう。少し涼しくなってきたわ。日が暮れてきた証拠ね」

 

 エリカの言葉に全員が窓の外を見る。すると、日が既に暮れ始め、空が赤く染まっていた。

 

「本当ですわ……エリカ先生、よく分かりましたわね。わたくし達でも気づかなかったのに」

「ええ、目が見えないとそういうのに敏感になってね。ところで理沙、あなた今物理やっているのよね?」

「え? ええはい……」

 

 エリカが突然理沙の勉強の内容を聞く。

 理沙はそのことに少し虚をつかれながらも応える。

 

「その問題、少し読み上げてみてくれないかしら?」

 

「は、はい。ええと……」

 

 そうして理沙は問題を読み上げる。するとエリカは――

 

「なるほど……じゃあ答えは……十六、といったところかしら?」

「え? えっ!? 凄いですわ……あってる」

「おいおいマジか!?」

「な、なんという……」

「凄い……」

 

 理沙達が驚きで口をポカンと開ける。

 そこに、「ふふん」と美帆が鼻を鳴らす。

 

「エリカさんは元黒森峰の隊長ですからね! 物理は戦車道に必須科目ですから、これぐらい脳内で出来てしまうんですよ!」

「なんでお前が偉そうなんだよ」

「私、黒森峰の隊長だけどそんなのできないよぉ……」

 

 鈴と梨華子がそれぞれ言う。二人ともかなり驚いている様子だった。

 

「いやぁ私も最初は驚きましたよ? でもエリカさんは言うんですよ、隊長たるものこれぐらいできないとって。なので私も頑張りました。結果私もそれなりにできるようになりました!」

「マジかよ……」

「私黒森峰の隊長なのに……」

「問題で苦しんでいるわたくしには無理な話ですわ……」

「わ、私もそれぐらいでき……でき……ううできない……」

 

 四人の間にどんよりとした空気が流れる。

 それを感じ取ったのか、エリカは申し訳なさそうに苦笑いをした。

 

「あー……私余計なことしてしまったかしら?」

「そんなことないですよ! エリカさん! エリカさんは何も悪くありません! 悪いのは頭の中での物理計算ができないこの子達です!」

「いやあなたもできるまでかなり時間かかったでしょ」

「うっ……はい……」

 

 美帆が反省したようにうなだれる。

 その様子に、エリカはクスクスと笑う。それに釣られ、理沙達も笑う。

 場の空気は、すっかり休憩ムードになっていた。

 

「さて、それじゃあみんなで飲みたいもの……だけじゃだめね。ついでに夕食も食べましょう。みんな好きなものを頼んでね。私が払うから」

『はい!』

 

 一同は口を揃えて答えた。

 そうして美帆達は一旦勉強道具を片付け、好きなものを注文した。そして、それぞれが談笑しながら食事をした。

 

「それでよう、あのときの美帆ったら傑作でよぉ!」

「ちょっと! それは口外しないでと言ったじゃないですか!」

「くすっ、美帆さんったら面白い」

「あのときは大変でしたのに、鈴さんはすぐ笑い話にするんですのねー」

「まあ、大変だったのは伝わってくるわ……」

「ふふっ、そういえばそんなこともあったわねぇ」

 

 六人はいつの間にか美帆の過去話で盛り上がっていた。だいたいが美帆と一緒にいることの多い鈴とエリカ、理沙からの暴露話だったのだが。

 そんな中で、こんな話題が上がった。

 

「そういえば美帆さんは、進路はどうするんですの?」

 

 言い出したのは理沙だった。

 

「え? 突然ですね」

「ええまあ……ただ、過去話をしていたら、なんとなく美帆さんがどういう道を目指しているのか気になって……」

「……なるほど」

 

 美帆が納得したように頷く。その話に、エリカを除いた三人も身を乗り出す。

 

「私も気になる!」

「俺も副隊長として興味あるな」

「私の終生のライバルがどんな道を目指しているか、興味あるわね」

「……そうですか」

 

 その四人の期待を受け、美帆は静かに椅子に座り直した。

 

「そうですね……最初に言ったように、私は一応受験生としての自覚を持って勉強しています」

「ということは、陸の大学へ進学を?」

「ええ……ただ、オファーを受けてはいるんですよ、プロの」

 

 美帆がそう言った瞬間、四人は驚きの声を上げた。

 

「えっ!? マジかよ! 初耳だぞそれ!」

「ドラフトで選ばれるものとばかり……」

「わたくしも聞いてませんでしたわ……」

「こ、小娘! 私を差し置いて!」

 

 鈴も梨華子も理沙もアールグレイも、それぞれがそれぞれの驚きの色を示していた。

 エリカは知っていたようで、静かに頭を縦に動かす。

 

「じゃあ、プロの道選ぶのか?」

「いえ、どうしようかと……」

「決まってないんですの!? この時期に!?」

 

 四人は先程とは別の驚愕をする。

 三年生がこの時期でまだ進路に悩んでいるというのは、かなり珍しいことである。

 

「一応大学進学で進めてはいるんですが、プロの道というものを示されると、どうしようかなと……」

「あー、なるほどな……」

「……まあ、わからない話ではないわね……」

 

 鈴とアールグレイがそれぞれ理解したように頭を小刻みに振る。梨華子と理沙も、同じように反応する。

 

「私は戦車道以外に取り柄がありませんから、プロの話はとてもありがたいんです。でも私は、本当にそれでいいのかなって……実は他にも道が……エリカさんと一緒にいられる道があるんじゃないかなって、そう思うんですよ……」

『…………』

 

 一同を沈黙が包む。

 美帆のエリカを思う気持ちは本物である。皆それを知っていた。それゆえに、それを茶化す者は誰もいなかった。

 

「……エリカ先生は、どう思っているんですの?」

 

 理沙が聞く。

 するとエリカは「うーん」と苦笑いしながら天上を仰ぐ。

 

「私はね、美帆が自分でその答えを出すべきだと思うの。私のことで悩んでいるのは分かってる。でもこれは、美帆の人生の選択だから。最後に選ぶべきは、美帆自身の選択が必要なのよ。だから……美帆にはギリギリまで悩んで欲しい。それは、若い子に許された特権だから、ね」

 

 そう言って、エリカは見えない目で一同にウィンクする。

 その茶目っ気のある仕草の奥に、エリカが美帆のことを本当に思っているのを全員が感じ取っていた。

 特に美帆は、うつむいて、泣きそうになっている。

 

「……ありがとうございます」

 

 そして、そう美帆はこぼした。

 

「……うん」

 

 エリカはぽんぽんと美帆の頭を撫でる。他の四人は、笑顔でその姿を見ていた。

 

「……さて! この話題はここまでにしましょう! それじゃあ勉強の続き、頑張りましょうね!」

 

 エリカが仕切り直すように言う。その言葉に一同は

 

『……はい!』

 

 と元気に答えた。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「……ふぅー。結局深夜までかかるとは……」

 

 深夜。美帆は家に帰り、ぐったりとソファーに倒れ込んだ。

 

「本当に一人じゃ無理な量があったわねぇ」

「本当ですよ。理沙があそこまで駄目な子だと初めて知りました……」

「……でも、嫌ではなかったでしょ?」

 

 エリカが美帆の側に立ちながら言う。

 その言葉に美帆は

 

「……はい」

 

 と微笑みながら答えた。

 

「……私、実は夏休みの課題を誰かと一緒にやるって初めての経験だったんですよ。いっつも一人で早々に課題を終わらせてましたから、そういう機会がなくて。でも、いいものですね……こういうのも。エキシビションと同じくらい、いい経験になりました」

「……そう」

「……おかげで、素敵な夏の思い出が一つ増えました」

「……そう」

 

 エリカは笑って応えるのみ。だが、二人にはそれで十分だった。

 

「…………」

「…………」

 

 二人は笑顔で見つめ合う。

 そしてどれほどたっただろうか。美帆が、ぽつりとこぼした。

 

「……エリカさん。私、素敵な夏の思い出が、もっと欲しいです。もっと、もっと。この最後の夏を……私が高校生でいられる最後の夏を、思い出で彩りたいです……」

「……そう」

「だから……」

 

 そこで、美帆が言葉を紡ぐ前に、エリカはそっと美帆の唇に自分の唇を重ね合わせた。

 

「……思い出って、こういうこと?」

「……はい。でも、もっと、もっと熱い思い出をください……」

 

 美帆のその言葉を受け、エリカは静かに美帆の服を脱がし始めた。

 二人の最後の夏の思い出は、熱帯夜よりもずっと熱い、灼熱の記憶になるだろう。

 



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未来の道は

「いい天気ですね」

 

 私、東美帆は大洗にあるとある屋外カフェテリアにて、コーヒーを片手に言いました。

 太陽はさんさんと輝き、九月になったというのを感じさせない暖かさを感じさせてくれます。

 

「そうだねー、もうそろそろ秋だって言うのに、全然そんな感じしないよ」

 

 私の言葉に、私の正面に座っている沙織さんが言います。

 沙織さんはコーヒーを口にしながら運ばれてきたショートケーキに目を輝かせていました。

 

「うーんここのショートケーキ、何度来ても食べたくなっちゃうんだよねー」

「はい、わかります。ここを使い始めたのは高校からなのですが、最初はその美味しさに驚きましたよ。いやぁ絶品ですねぇ」

 

 その最初に来たときというのはエリカさんとのデートのときだったのですが、まあそれはまた別の話です。

 私も目の前にあるショートケーキをフォークで切り分け、口に入れます。

 うん。美味しい。

 

「…………」

 

 私は黙々とケーキを食べます。

 いやあ美味しいですねケーキ。この美味しさだともう一つ頼んでしまいそうです。でも乙女たるものそんなに過剰に甘いものをとっては体に毒というもの。いえ、しかしここはもう一つ頼むというのも作戦としては十分考慮すべき――

 

「で、相談って何かな美帆ちゃん?」

 

 ……はい。今ここに私は現実から逃げていたことを告白いたします。

 だって、これからの相談は、ちょっと今更なことすぎて少し口に出すのに勇気が必要なんですから……。

 

「その……」

「うん」

「あのですね……」

「うんうん」

 

 ああ、沙織さんが凄い笑顔で私を見ています! そこにはなんの邪心もありません! 私の質問を静かに待ってくれている顔です! 呼び出したくせにこんな言いよどんでいる私に対して! 聖母ですかあなたは! 母親になってください! と言いたくなっちゃうじゃないですか!

 いやそれでは本題からズレてしまいますね……仕方ありません、腹を決めましょう。

 

「……決められてないんです」

「決められてない? 何を?」

「……その、進路、を……です……」

 

 ああ、沙織さんが呆気にとられています……。

 それから少しの間、私と沙織さんの間で微妙な沈黙がありました……。

 

 

「……と言うとつまりこういうわけ? 美帆ちゃんは未だに大学進学かプロリーグの選手になるかで悩んでる、ってこと?」

「はい……」

 

 ああ、顔から火が出そうです。高校三年の夏を過ぎたと言うのに、未だに進路が定まっていないなんて。本当に恥ずかしい限りです……。

 

「……一応、大学進学ってことで学校には言ってるんだよね?」

「はい、さすがにそうしておかないといろいろまずいので……ですが、今スカウトが来てるのも事実なんです」

 

 私達大洗女子学園は夏の全国大会で優勝しました。そして、その直後私はプロリーグにある数々のチームからスカウトを受けることとなりました。

 私としては大変喜ばしいことです。ことなんですが……。

 

「でも、美帆ちゃんとしてはそこが悩みどころなんだ」

「はい」

「どうして? プロでまで戦車道はやりたくないの?」

「いえ、そういうわけではないんです。むしろ、プロでやれるならこれほど喜ばしいことはありません。でも……」

「でも?」

「そうすると、エリカさんと一緒にいる時間がなくなってしまう可能性が……」

 

 そう、それこそが私の危惧することなのです。

 エリカさんは今、大洗学園艦に住んで生計を立てています。プロになって大洗学園艦を離れると、エリカさんとはなかなか会えなくなります。もちろん大学に入ってもエリカさんとは離れ離れにはなります。しかしそれは四年間の我慢であって、大学を卒業すればまた大洗に戻ってくるという選択肢を取ることができます。でも、プロになったらそれ以上の期間、エリカさんと離れ離れになってしまうことになるんです……」

 

「なるほどねぇ……」

 

 沙織さんは呆れることなく私の話を聞いてくれました。

 なんだかんだで、沙織さんは私とエリカさんのことをずっと見てきてくれました。だからこそ、私が本当に悩んでいることを分かってくれたのでしょう。

 

「でもさ、えりりんはもし美帆ちゃんがプロになるって言ったりしても、大丈夫だとは思うよ? 一緒についてきてくれるんじゃない?」

「はい、それは私も一応そんな気はしてるんです。多分、エリカさんは私と一緒についてきてくれるって」

「だったら」

「でも、私はそのことでエリカさんを大洗学園艦から引き離すのが心苦しいんです。エリカさんにとって大切な思い出のある、あの場所から……」

 

 エリカさんにとって大洗学園艦はただの学園艦ではありません。そこは、エリカさんが見えなくなった目のことで絶望していた状況から救われた場所であり、そしてなにより、エリカさんの大切だった人が守った場所でもあるんですから。

 

「……そっか。ちょっと意外。美帆ちゃんならえりりんが一緒についてきてくれるならてっきり喜ぶかと思った。『エリカさんは私のこと選んでくれたんだー!』って感じでね」

「……私ってそんなバカっぽいですか?」

「うん、わりと」

「うぐぅ」

 

 思わず声を上げてしまいました。

 確かにエリカさんが私のこと選んでくれたら嬉しいですが……。私のことだけ見てて欲しいとは常日頃から思っていますが……。

 

「……多分、どこか遠慮してるんだと思います。その……みほさんに」

 

 西住みほさん。私の命の恩人で、かつてのエリカさんの想い人。

 

「私はかつて、エリカさんから直接愛していると言ってもらいました。でもやっぱり、どこかみほさんには勝てないと思っている部分があるんだと思います。エリカさんが最初に選んだのは、私ではなくみほさんですから……」

 

 もし私が最初に会っていたら、なんて仮定はしないでもありません。でも、やっぱり現実としてエリカさんが最初に選んだのはみほさんということは変わりません。

 私がうつむきながらこぼしていると、沙織さんはいつの間にか立ち上がり、ぽんと私の肩を叩きました。

 

「美帆ちゃん」

 

 そして、沙織さんは笑いながらいいました。

 

「やだもーバッカみたい!」

「え、えええええええええ!?」

 

 ちょ、この流れでそれですか!? いきなりひどくないですか!?

 

「だって本当にバカバカしい悩みなんだもん! えりりんの初恋が何さ! 今えりりんが好きなのは美帆ちゃんなんでしょ? だったらそれでいいじゃん! 今を大事にしてもらえばさ!」

「で、でも……」

「でもじゃないの! もー美帆ちゃんってば思い詰めすぎだって! そんなんだったら、えりりんがもしいなくなったら死んじゃうんじゃない?」

「当然です。エリカさんがいない人生なら私は私を殺します」

「ははは……。でも、そういうことなんだよ」

 

 そう言って、沙織さんは再び椅子に座りました。

 私はよく意味が分からず、首をかしげます。

 

「そういうこと……?」

「うん、そういうこと。美帆ちゃんにとってもうえりりんはいないことがありえないぐらいに大切になってるんだよね? それはきっと、えりりんも一緒だよ。えりりんもきっと、美帆ちゃんのこともうかけがえのない存在だと思ってるはずだよ」

「そうでしょうか……」

「そうに決まってるって! ずっと二人を見てきた私が言うんだから間違いないの!」

 

 沙織さんはそう言って、私にウィンクをしました。

 とても自分の倍生きている人間のウィンクとは思えない、愛くるしいものでした。

 

「あ! 今失礼なこと考えたでしょ!」

「い、いえ決して」

「まあ話を戻すとして。もう二人はさ、どうしようもなーくべったりになっちゃってるんだから、美帆ちゃんがどんな道を取ろうと、きっと後悔しないしそれはもう当たり前のことになってるんだよ。むしろ、そうして美帆ちゃんが悩んでることを怒るかもよ?」

「怒る、ですか……」

 

 私は想像します。

 私のために怒ってくれるエリカさんを。

 あ、なんかこれはこれで幸せ……じゃ、じゃなくて! ちょっと申し訳ないです。

 でも、確かにその情景がありありと浮かべることができます。本当に、当然のことのように。

 

「……はい、怒るでしょうね。エリカさんは」

「でしょ?」

 

 沙織さんはふふっと笑います。そして、わしゃわしゃと私の頭を撫で始めました。

 

「あなたはまだ子供なんだから、自分のことだけ考えてればいいの! 子供のわがままを聞いてあげるのが、大人の役目なんだから!」

「わ、分かりましたから撫でるのやめてください! 恥ずかしいです!」

 

 この歳になって頭をなでなでされるのはさすがに抵抗があります!

 ああ、周りの人達がクスクス笑ってるじゃないですか……うう、恥ずかしいです。

 

「はいはい」

 

 そうして沙織さんは私の頭から手を離しました。

 うう、顔が真っ赤になっているのが自分でも分かります……。

 

「……分かりました! 私、今回は……いえ、今回も、ですかね。わがままになろうと思います! 私……プロになります!」

「おお! 良かったー! おめでとー!」

 

 沙織さんは自分のことのように喜んでくれました。ああ、本当にいい人です、この人は……。

 

「ふぅ、これで人生相談はおしまいかな?」

「はい。ご迷惑おかけしました」

「いいっていいってこれぐらい。気にしないで。それより、私ずっと気になってたんだけど……」

 

 と、そこで沙織さんが真剣な面持ちで私を見ました。

 はて、何かあったのでしょうか?

「はい? なんでしょうか?」

 

「……美帆ちゃん、コーヒーに砂糖とミルク入れすぎじゃない?」

「え?」

 

 そんなことないと思うんですけどねぇ。

 私は六個目の砂糖と二個目のミルクを入れながらそう応えました。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「……エリカさん! 私、プロになります!」

 

 私はその日の夜、家に帰ると、エリカさんと向き合って言いました。

 沙織さんと話して決めたとはいえ、とても緊張しています。

 

「……だから、私と一緒についてきてくれませんか!?」

 

 そして続けざまに私は言います。

 私の言葉に対し、どうエリカさんは反応するでしょうか。沙織さんは大丈夫と言ってくれました。でも、万が一断られたら――

 

「本当!? 良かったわ美帆がそう言ってくれて。美帆がそう望むなら、ついて行くに決まってるでしょ! さあ、美帆、色々と詳しい事を教えてちょうだい!」

 

 エリカさんは、笑って応えてくれました。

 満面の笑みで、肯定してくれました。そのことが、私にはとても嬉しくて、嬉しくて……。

 

「ちょ、美帆!? なんで泣いてるの!?」

 

 どうやら私はあまりにも嬉しくて、涙を流してしまったようです。

 私はすぐさま涙を腕で拭きます。

 

「えへへ……エリカさんの言葉が、嬉しくて」

「ふふ、もうバカな子なんだから」

 

 そう言うと、エリカさんは私に近づき、私の涙をペロッと、舌ですくい上げました。

 

「あっ……」

「美帆の涙、美味しい」

「か、からかわないでくださいエリカさん! こんなときに!」

「からかってなんかないわよ。美帆があまりにも可愛いものだから私、もう我慢できなくなっちゃった……」

 

 そう言って、エリカさんは私を近くにあったソファーの上に押し倒しました。

 

「あっ……」

「美帆……」

「……はい」

「大好きよ」

 

 そう言って、エリカさんは私に口づけをします。

 エリカさんの味が、私の口にいっぱいに広がってきました。

 ああ、もうだめです。私、幸せでどうにかなっちゃいそうです……。

 その夜、私とエリカさんは激しく燃え上がりました。

 

 何はともあれ、私の進路は決定しました。あとは、その進路に向かって突き進むのみです。私とエリカさん、二人の未来のために歩むべき道を目指して……。

 



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ガールズ&キョート

今回出しているオリキャラの「斑鳩」はてきとうあき様(ID:142816)の作品『~如何にして隊長を尊敬している戦車道に対して真面目な黒森峰女学園機甲科生徒達は副隊長の下着を盗むようになったか~』から借りさせて頂いたキャラですが、該当作品を読んでいなくとも本作品を理解するには問題ない内容になっていると思います。


「京都だああああああああああああ!」

 

 百華鈴は、人が行き交う京都駅で両手を上げ、短い青い髪が震えるほどに大げさな動きをしながら大声を出した。

 

「ちょ、鈴さん恥ずかしいからやめてくださいまし!」

 

 その隣で、腰まで伸びる長い浅葱色の髪をゆらゆらと揺らしながら、鈴の親友である二瓶理沙が顔を赤くして止める。

 二人の周りでは、彼女達と同じ大洗女子学園の生徒がくすくすと笑っていた。

 

「えー別にいいじゃねーかよー周りはうちの生徒ばっかなんだし」

「それでもです! それでも、周囲に人がいるという事実を忘れないでくださいまし!」

 

 鈴は「へいへい」と不満そうな顔をしながら、両の手を腰にあてた。

 

「もう、鈴さんたらそんなに京都が待ち遠しかったんですか?」

「まーなー。やっぱ京都ってなんかこう、憧れみたいなものがあるだろ。歴史的建造物多いし、それになんていうか華の都って感じがするじゃん?」

「ま、そうですわね。確かに、学園艦住まいの高校生の身では京都なんてなかなか訪れる機会がありませんものねぇ。それこそ、修学旅行でもないと」

 

 そう、鈴と理沙は今、修学旅行で京都を訪れたのだ。

 学園艦が様々な寄港地に寄るとはいえ、各学校で修学旅行は普通に行われる。そして、大洗女子学園は主に修学旅行の行き先として国内を選択することが多かった。

 学園艦は海外に通用する人物を育成するため海外を修学旅行の行き先に指定することが多いが、大洗学園艦のように国内を選択する学園艦も少なくはないのだ。

 

「そうそう。それに修学旅行ってだけでテンション上がるじゃん? だって修学旅行だぜ? 修学旅行」

「そうですわねー。確かに学校の授業よりは元気になりますわ」

「お前勉強は本当に駄目だもんなー」

「う、うるさいですわね! いいんですのわたくしは! 戦車道の授業で挽回してるので!」

「ああうちの学校戦車道の授業だけは単位めっちゃくれるもんなー。何故か戦車道のときだけは頭良くなるお前にはぴったりだよなー」

「……ふふふ、どうやら死にたいようですわね?」

 

 理沙は指の骨を鳴らしながら鈴に迫る。

 

「あっやべっ怒らせた。す、すまん理沙! 許してくれ!」

「いいえ今日という日はしっかりとその体に分からせますわ。そもそもあなたはちょっと理不尽だと思いますの。なんで勉強が人一倍嫌いなのにわたくしより成績がいいんですの? 理不尽ですわよね? ですのでその鬱憤を今からついでに晴らします」

「ぬあー! そんなの横暴だー!」

「こらぁそこ! いい加減静かにしてついてきなさい! 出発するわよ!」

 

 騒いでいた鈴と理沙に担任の教師から声が掛かる。

 他の生徒はいつの間にか整列していた。

 

「あ、すいません! ほら理沙、並ぼう並ぼう!」

「はぁ……後で覚えていてくださいね」

 

 鈴は一安心という顔で、理沙は不満げな顔で列に戻った。

 二人の京都における修学旅行はこうして幕を開けた。

 

 

「さーて待ちかねた自由行動だ!」

「そうですわねぇ」

 

 鈴と理沙は京都の町中で二人立っていた。周りには他にも観光客と思しき人々が歩いている。

 

「にしても、最後まで意見が割れてこうして別行動することになるとはなぁ」

「仕方ないですわよ。わたくしと鈴さんの目的である京都名所観光と彼女達の目的の京都グルメ観光ではどうしてもルートが合わないんですもの」

「まーそうだけどよぉ」

 

 鈴の自由行動の班は元々四人組の班であった。しかし、今はこうして二人と二人、別々のグループに別れ行動しているのだ。

 

「まあなんというか、こういうのも修学旅行らしいと言えばらしいじゃないですか。それよりも、わたくしは鈴さんが食べ歩きコースに賛成しなかったことが意外でしたわ」

「あ? 俺を見くびるなよ? 確かに食べ歩きは魅力的だ。だがそれ以上に、京都の歴史ある建造物を眺められるチャンスに比べたらよぉ……!」

「ああ確かに鈴さん、歴史の成績は地味にいいですものねぇ。案外歴史マニアなんですのね」

「悪かったな地味で。悪かったな案外で」

 

 苦笑いする鈴。

 対して、理沙は涼しい笑顔を見せていた。

 

「俺からしたら勉強アレなお前が京都の名所好きってのもなんか納得いかないけどな……」

「何か言いまして?」

「いえ! なんでもないっす! それよりほらさっそく行こうぜ! 時間は限られてるんだからよ!」

 

 鈴は慌てながら理沙の背中を押す。

 理沙はまだ少し納得がいっていないようだったが、時計を見て確かにと思い、二人で最初の観光地へと向かうのだった。

 

 

「さて最初に訪れたるは清水寺!」

「坂道大変でしたわ……」

 

 二人が最初に訪れたのは清水寺だった。

 長い参道を登り終えた理沙はすっかり疲れ果てている。

 一方の鈴はなんともなさそうにはしゃいでいた。

 

「なんだよぉもうへばったのか? 戦車乗りなのにその体力は恥ずかしいぞ?」

「うるさいですわね……女子高生の体力なんてこんなものでしょう」

 

 理沙は鈴にそう言いながらも、ゆっくりと山から突き出した、いわゆる『清水の舞台』へと歩を進める。

 鈴もその後を追った。

 

「まあ……」

「おお……」

 

 二人はその光景に言葉を失う。

 目に映る景色が二人を圧倒したのだ。

 季節は秋。よって、美しい紅葉が一面に広がっているのだ。その美麗さに、二人は飲み込まれた。

 

「すっげーなー……」

「ええ……この季節に修学旅行が行われたことを感謝しないといけませんわね。こんなの、学園艦では絶対に見られません」

「そうだなー……。それにしても高いな」

 

 鈴はふと舞台の下を覗き込んで言う。

 

「ですわね、確かに勇気を出すときに言う『清水の舞台から飛び降りる』という表現が分かる気がします」

「……なあ、俺この光景見て思うことじゃねえかもしれねえんだけどよ」

 

 鈴はなんだか申し訳なさそうな顔で言い始めた。

 

「はい?」

「……この清水寺って、戦車戦で戦う場合だとそれなりに要所になりそうだよなーって」

「ああ……」

 

 理沙は納得したような顔をする。そして、

 

「それ、わたくしも思いましたわ……」

 

 と同調した。

 

「だよなぁ!?」

「ええ、敵からは攻めづらく守るに易し。さらにこの高所からの展望は相手の動きを観察するには最適。まさに戦局を動かす一つの要因足りえそうですわ……」

「……考えることは一緒だなぁ」

「ええ……」

 

 二人がしみじみと舞台から紅葉を眺めながら言う。

 と、そのときだった。

 

「あれ? 鈴ちゃんに理沙ちゃん?」

 

 二人の背後から、突如二人の名前を呼ぶ声が聞こえてきたのだ。

 しかも、その声は聞き覚えのある声だった。

 鈴と理沙はまさかと思い振り返る。すると、そこにいたのは見知った顔だった。

 

「やっぱり! 鈴ちゃんと理沙ちゃんだ!」

「梨華子!?」

「梨華子さん!?」

 

 そこにいたのは、ウェーブのかかった金髪に眼鏡が特徴的な少女。鈴と理沙の幼馴染であり、黒森峰女学園戦車隊隊長でもある、渥美梨華子だった。

 梨華子は、黒森峰の制服を着て二人のすぐ側に立っていた。

 

「おいおい梨華子どうしたんだよこんなところで!?」

「それはこっちの台詞だよ! 鈴ちゃん達こそどうしたの!?」

「わたくし達は学校の修学旅行で……」

「そっちも!? 私もだよ!」

「マジで!?」

 

 三人はそれぞれ驚きの色を見せる。

 それはつまり、大洗と黒森峰の修学旅行が同じ日に行われているということである。驚くのも無理はないことであった。

 

「まさか同じ日に同じ場所で修学旅行するだなんて……」

「ははは……まあ京都は名所だしねぇ……」

「しかしこんな偶然もあるんだなぁ……」

 

 三人はしみじみと出会えた偶然の驚きと喜びを分かち合う。そして、そのまま三人で舞台から紅葉を眺め始めた。

 

「それにしても、綺麗だねぇ」

「ああ、そうだな」

「そうですわね」

「あ、私思ったんだけど、ここって戦車戦するときになかなかの要所になりそうじゃない!?」

 

 梨華子が少し興奮気味に言う。

 それに対し、鈴と理沙は乾いた笑いを見せた。

 

「それ、さっき俺達も話したよ……」

「考えることは一緒なんですのねぇ……」

「ははは、そうなんだ」

「あれ? 梨華子どうしたの?」

 

 三人がそんなことを話していると、梨華子に話しかける声が聞こえてきた。

 それは梨華子と同じ黒森峰の制服を着た三人ほどの女子生徒であった。

 

「あ、みんな。紹介するね。私の幼馴染の鈴ちゃんと理沙ちゃん。大洗に行って戦車道やってるんだけど、どうやら修学旅行の日が一緒だったみたいで」

「へーそんな偶然あるんだ!」

「驚きー」

「あっ、鈴ちゃん理沙ちゃん、紹介するね。この子たちは私と同じ班の子達なの」

 

 梨華子がそう言ってそれぞれの名前を言う。

 そうしていると、黒森峰の生徒の一人が、鈴達の顔を見て声をあげた。

 

「あーっ! どっかで見たことあると思ったら、大洗の副隊長と分隊長さんじゃん!」

「え? あ、本当だ! さらりと紹介されたからそのまま受け入れたけど今更気づいたよ!」

「お? なんだ俺達ってそんな有名か?」

「いやあだって決勝で私達を負かした相手の役職持ちだよ? 今まで気づかなかったのが不思議なくらいだよ!」

「ほほほ、なんだか嬉しいような恥ずかしいような……」

 

 鈴と理沙は少し顔を赤らめながら言う。

 黒森峰の生徒も、今まで気づかなかった自分達が少し恥ずかしいようであった。

 一方で、梨華子はそんな様子を見てケラケラと笑っていた。

 

「ハハハ! まあなんというか、そんなこともあるよ」

「梨華子は大雑把だなぁ。よくそれで隊長やれるなぁ」

「隊長は普段は確かにちょっと雑だけど戦車戦だと凄いんですよ!」

「ええ、それはよく分かっていますわ」

 

 鈴達と黒森峰生はすぐに打ち解け、どんどんと話が弾んでいった。と、その話の途中でこんな提案が黒森峰生から飛んできた。

 

「あ、そうだ梨華子。せっかくだし自由行動の時間は大洗の副隊長達と一緒に行動したら?」

「えっ!?」

 

 梨華子は驚く。さらに、鈴と理沙もその提案に驚く。

 

「おいおい大丈夫なのかそれ?」

「大丈夫ですってー集合時間までに集まればいいし!」

「だけど……」

「ほらほら梨華子は気にしないで! 遠くにいる友達と遊べる機会なんてそうそうないでしょ? 私達なら大丈夫だから! ね?」

「そう……それじゃあ、お言葉に甘えようかな! ありがとうみんな!」

 

 梨華子は笑顔で黒森峰生に頭を下げた。

 黒森峰生もまた笑顔で手を振る。

 

「いいのいいの。いつも隊長には世話になってるしね。こんなときぐらい、ハメはずして遊びなよ」

「梨華子……お前、いい仲間を持ったなぁ」

 

 鈴が梨華子の肩に手を置きながら言う。梨華子はというと、今にも泣きそうな顔で笑顔になっていた。

 理沙がそんな梨華子を見てくすりと笑う。

 

「ふふふ、梨華子さんは意外と泣きやすい質なんですからもう」

「わ、悪かったね!」

 

 腕を組んで、ぷいと一同から顔をそむける梨華子。

 そんな梨華子を見て、一同は笑うのであった。

 

 

 そして鈴と理沙は、梨華子を仲間に加え三人で京都を回ることになった。

 三人で次に訪れた場所は、数多の仏像が長いお堂に並んでいる、三十三間堂だった。

 

「はー……」

「ひー……」

「ふー……」

 

 三人はそこに居並ぶ仏像に圧倒され、間抜けな声を出す。

 

「凄い数……」

「だなぁ……全部でいくらぐらいあるんだこれ」

「えーっと……確か千と一体だったかなぁ」

「そんなに」

「どうも一個一個微妙に顔かたちが違うと聞いたよ」

「マジで」

 

 梨華子の解説に、鈴が驚きのあまり単調な言葉で返す。

 一方で理沙は、それぞれの仏像に近づいては、ゆっくりと観察していた。

 

「あら本当……少し違いがありますわね」

「よく分かるな。俺は全然わかんねぇよ」

「鈴ちゃんは間違い探しとか苦手だからねぇ」

「まあな。戦車の違いなら分かるんだけどな」

 

 そんなことを話しながらゆっくりと仏像を回って見る三人。

 と、そうして見ているときふと鈴が言った。

 

「……千と一体てあれかな、大隊かな」

「あー言われてみれば確かに!」

「千の隊員と一人の指揮官ですわね」

「数としては一個大隊だけど、ずっと昔からあると考えるとみんな一騎当千の古強者だよな」

「一個大隊で総兵力百万と一人の軍集団となりえるわけだね」

「ラストバタリオン!」

「三千世界の鴉を殺すような闘争を望んでそう」

「仏像だけに?」

「仏像だけに!」

 

 そこで三人は一旦会話を止めて、ふむとお互いの顔を見合った。

 

「なんというか……歴史的建造物とか見てこんな会話が出て来るあたり、駄目だね私達……」

「うん……」

「ええ……」

 そうして三人はがっくりを肩を落としたのであった。

 

 

「さて次は銀閣寺だ!」

 

 鈴が銀閣寺を指差しながら言った。

 

「おおーこれがかの有名な」

「情緒がありますわねぇ」

「だなぁ」

 

 三人はその雰囲気に圧倒されたのが短い感想を言った後に、まじまじと銀閣寺を見た。

 

「……銀色じゃないんですのね」

「……それ言っちゃう? 理沙」

「お前本当に馬鹿だよなぁ……」

「う、うちは洋式だからそういうことには疎いんですの!」

 

 頭を抱える梨華子と鈴に、理沙が顔を赤くし握りこぶしを作って言う。

 そんな理沙を見て、梨華子と鈴は苦笑いをするのであった。

 

「……まあこの馬鹿は放っておいて、。砂盛り見ようぜ砂盛り。人によっちゃそっちがメインなんだろ?」

「うん、そうだね」

「ちょ、放っておいてとはなんですのー!?」

 

 喚く理沙を二人は無視し砂盛りのある場所に入っていく。理沙も文句を言いながらもそれに続く。

 そして三人は細い道を通り、砂盛りを目の当たりにした。

 真っ白な砂が波打つ庭に、綺麗に山として守られている砂盛り。その芸術的な美しさに、またしても三人は言葉を失った。

 

「おお……話には聞いていたがすげーなこれ」

「うん……なんか、ここまで綺麗なもの作れちゃうんだなって感じだね」

「本当に素晴らしいですわ……うちにも一つ欲しいぐらい」

 

 そしてまた無言で庭を見る三人。

 と、そこでまたもや鈴が思いついたように口を開いた。

 

「……なんかこの庭の模様、履帯跡みたいじゃね」

「鈴ちゃんー! 私が言おうとして我慢していたことをー!」

「まあわたくしも思いましたわ……皆さんも思ってらしたのね……」

 

 三人はお互いの顔を見合わせ、そして苦笑いした。

 

「私達、頭の中が本当に戦車漬けだねぇ」

「だなぁ」

「ですわねぇ」

 

 そうして、三人はしみじみとした笑顔で銀閣寺の庭を見て回った。その後も銀閣寺の情景はさておき、戦車道話に盛り上がった三人であった。

 

 

「さて、今度は金閣寺だー!」

 

 今回も気分が高揚している鈴が、金閣寺を目の前にして言った。

 

「おおー……」

「あらまあ……」

 

 文字通り金色に輝く寺に、三人は本日何度も味わった感動を受けた。

 

「こっちは本当に金色ですのねぇ」

「うむ。実際に目にすると凄いな」

「うん……これって確か数十年前に一回貼り直したんだっけ金箔。火事で燃えちゃったとかなんかで」

「へぇ、そうなんだ?」

「うん。なんかあれだね、戦車のレストアみたい」

「あー古いものを改修するってのは通ずるかもな」

 

 うんうんと納得しながら首を振る鈴。

 それに、理沙が指を顎に当てながら言った。

 

「んー……戦車を金色にレストア……?」

 

 理沙がそう言うと、梨華子と鈴は「……っぷ。あっははははは!」と、大きな声で笑った。

 

「ないない! そんなの目立ちすぎだろ! アハハ!」

「そうだって! そんなの自殺行為だよー!」

「ですわよねぇ、ふふふ」

 

 三人はそんなのありえない、と笑い合うのだった。

 

 

「あ、そろそろお互い時間だな」

 

 鈴が腕時計を見ながら言う。時刻はそろそろ夕方近くになりそうだった。

 

「そうだね。それじゃあ鈴ちゃん、理沙ちゃん、ばいばい」

「おう、じゃあな」

「ええ、さようなら」

 

 三人は京都駅で二人と一人に別れた。そこがそれぞれの集合場所だったからだ。

 お互い背を向け歩く三人。

 と、そこで鈴が一回振り返って大声で言った。

 

「あ! そうだ! 今夜の通話、来るよな!」

 

 それに梨華子が答える。

 

「うん! もちろん!」

 

 梨華子は鈴と理沙に元気よく手を振り、そして自分の集合場所へと戻っていった。

 

 

 その夜である。鈴と理沙は宿泊先の部屋でノートパソコンを開いていた。その画面に、同室の子達も注目している。

 

「……そろそろかな」

 

 と、鈴が言ったとき、ピコンとノートパソコンが鳴った。通話用のアプリの反応した音だ。

 そのアプリ上に、『梨華子』という名と『アールグレイ二世』という名が出てきた。

 

『やっほー二人とも。お昼以来だね』

『どうもみなさん、紅茶の園からこのアールグレイ二世がやってきたわよ』

「おうおう二人とも。時間通りだな」

「ですわねぇ」

 

 ちなみに鈴と理沙は置くタイプのマイクで喋っている。それにより、二人の声が入るようになっていた。

 

『まだ中継始まってないかな?』

「うーん、そろそろじゃね? ……と、言っている間に」

 

 鈴はアプリの横に表示している画面を見た。そこには、インターネットテレビによる中継が行われている画面が映し出されていた。

 その画面には、沢山の記者がテーブルに向かい合っており、そのテーブルには、鈴達のよく知った顔がいた。

 

『どうもみなさん、このたび帝国エンパイアズに入団させていただくことになりました東美帆です』

 

 それは美帆だった。

 美帆が画面の向こうで挨拶すると、激しくフラッシュが炊かれた。

 

「あー美帆、エンパイアズに決めたのか」

『なるほど、まあ順当だねぇ』

『まあそうね。小娘が入るには妥当ではないかしら』

 

 四人が一緒に見ていたのは美帆のプロ入団会見だった。その中継が丁度修学旅行中に行われる予定だったので、こうして部屋にパソコンを持ち込み、美帆と関わりの深い面子でそれを見ようということになっていたのだ。

 画面の向こうでは、様々な質問が美帆に飛び交っていた。

 美帆はその一つ一つに答えていく。

 

『スポーツジャパンの小西です! プロに入団するのをしばらく迷っていたと聞きましたが、本当ですか?』

『はい。私はしばらくの間、プロに進出するかどうか悩んでいましたが、周りの人たちの温かい後援により、プロになることを心に決めました』

『月刊戦車道の斑鳩です。プロリーグでの意気込みを教えてください』

『はい。今回は皆様に大型新人と言われてもらっていますが、私としてはそのようなつもりはなく、一人の戦車乗りとしてチームの力になれるよう頑張りたいと思っています。そして、できれば私は私に戦車道を教えてくれた大切な人のためにも自分の持てる力を発揮したいと思います』

 

 美帆のその言葉に更にフラッシュが炊かれる。

 それを見て聞いていた鈴達は、一様に頷いた。

 

「まあつまり、逸見先生のために頑張りますってことだよなぁ」

「ですわねぇ」

『わかりやすいわね』

『アールグレイさんじゃないけど、確かにそうだね』

 

 そして、鈴は「よし!」と両手を合わせて口を開く。

 

「こりゃあ、例の計画はますますやるしかないようだな!」

「そうですわね。美帆さんがせっかくやる気なんですもの。わたくし達も頑張らないと、ですわね」

『うん、もちろん私達も助力するよ』

『ええ……あ、言っておきますがこれは小娘のためではないですわよ? あくまでこれは私のためであって――』

「わかってる、わかってるから」

 

 言い訳のようにまくしたてるアールグレイを鈴は抑えながら、ニヤリと笑った。

 

「まあ、とにかく楽しみだよ。この作戦を決行する日がね」

「ええ」

『うん』

『ええ』

 

 四人は、それぞれ画面の向こうで笑みを見せた。

 水面下で一つの大きな作戦が今、動き出そうとしていた……。

 



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夢の架け橋

 それは卒業を間近に控えた、冬休みの年明け頃だった。

 

「こんなところに呼び出して……一体何なんでしょうか?」

 

 東美帆は、逸見エリカと共にとある戦車道の演習場に呼び出されていた。

 美帆を呼び出したのは、百華鈴ら大洗のチームメイト達。しかし、なぜ呼び出されたのかは知らされていないままだった。

 

「さあ? でも、みんな集まっているって言うし、何か大切なことなんじゃない?」

 

 美帆の隣でエリカが微笑みながら言う。

 その笑みに、なんらかの意図を美帆は感じていた。だが、それがなんなのかは分からず、口に出さずにここまで一緒に歩いてきた。

 

「……そうだといいんですが。わりとくだらないことで呼び出したりされますからねぇ。夏休みのときみたいに」

「ははは……まあ、それでも来るあたり、なんだかんだであなたはあの子達のこと信じてるんでしょ?」

「ええまあ……と、言っている間に着きましたね」

 

 二人は演習場近くにある建物の中にある、大広間の扉まで来ていた。

 扉からは何も聞こえてこない。一向に静かだ。

 

「本当に誰かいるんですかこれ……? 入ったら私一人ってことは……」

「今日の美帆は疑り深いわねぇ。ほら、早く入りなさい」

「は、はい……」

 

 エリカに促され美帆は扉を開ける。すると――

 

 パァン! パァン!

 

「え!? え!?」

 

 乾いた炸裂音と色とりどりの紙テープが、美帆目掛けて飛んできた。

 

『隊長、プロ進出おめでとうございます!』

 

 そして、会場中から美帆を祝う声が聞こえてきた。

 美帆が周りを見渡すと、そこには大勢の大洗の生徒がクラッカーを持って美帆を迎えていた。

 

「こ、これは……」

「おーよく来たなー! 美帆!」

 

 と、そこで美帆に近づいてくる数人の人影があった。

 鈴と弐瓶理沙、それに黒森峰の隊長である渥美梨華子と、聖グロリアーナの隊長であるアールグレイ二世であった。

 

「おめでとう、美帆!」

「おめでとうございます、美帆さん」

「おめでとうございます」

「祝ってあげなくもないわ、小娘」

 

 四人がそれぞれ美帆に祝いの言葉を向ける。美帆はその状況にうろたえながらも、顔を赤くし笑みを見せた。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 美帆は照れながら会場の中心へと案内される。エリカはそれを笑顔で聞いていた。

 

「……エリカさん、知ってましたね?」

「ええ。もちろん。そして言うわけないじゃないこんなサプライズ」

「うぐぅ……でもエリカさんの気持ちはなんでも嬉しいから良しです!」

「ああ、東隊長!」

 

 美帆が会場の中央に行くと、そこで四人の大洗の生徒が手を振っていた。

 美帆はその姿を見ると、再び顔を明るくした。

米田(べいだ)さん! 歩場(ぼば)さん! 甲斐路(かいろ)さん! それに府頭間(ふずま)さんも!」

 

 美帆は嬉しそうにそれぞれ黒の長髪の米田、ショートカットの歩場、ツーサイドアップの甲斐路、銀髪の府頭間の四人の元に駆け寄る。その姿を見て、アールグレイ二世が不思議そうな顔をした。

 

「誰かしら? あの人達は?」

 

 その言葉に、鈴が呆れた顔をする。

 

「美帆が来る直前に来たとは言え、お前なぁ……あれは、美帆と同じ三年で同じ戦車に乗ってるチームメイトの先輩方だよ。砲手の米田先輩に操縦手の歩場先輩、装填手の甲斐路先輩に通信手の府頭間先輩だ。美帆と一緒にプロ入りするってさんざんテレビやネットで言ってるじゃん……美帆が来る前にも四人のプロ入りを祝ったんだぞこっちは……」

「あらそうなの。私、小娘にしか興味がなかったもので」

「そういうお前の清々しいところ嫌いじゃないよ……」

「ありがとうございますわ」

「へいへい」

 

 得意げに笑うアールグレイ二世に、鈴はただ頭を抱えるしかなかった。

 それを見て、梨華子が苦笑いをする。

 

「まあ戦車乗りってただでさえ人数が多いから、全員覚えるのは大変だよね……」

「梨華子さん、あの人をフォローする必要性はないかと」

 

 理沙が梨華子にぴしゃりと言い放った。

 そんな風に騒いでいる四人と、話に華を咲かせている美帆達五人の後ろに、また別の人影が現れた。

 

「プロ入りおめでとう、東さん」

「まほさん!? どうしてここに!?」

 

 それは、西住まほだった。思わぬゲストの登場に、美帆は再び驚いた顔になる。

 

「ああ、面白い催しがあると聞いてな。店もちょうど定休日だったし飛んできたんだ」

「そんな……祝ってくれているみんなには悪い言い方になってしまいますが、ちょっとしたお祝いパーティですよ? それなのにわざわざ熊本から来ていただけるだなんて……」

「それが、ただのお祝いじゃないのよねぇ」

 

 と、そこでエリカが美帆に言った。

 美帆は「え?」と驚いた表情をする。

 

「ただのお祝いじゃないって……」

「ああそうさ! いいか美帆、よーく聞け! 本日のメインは……これだぁ!」

 

 と、そこで鈴が会場のステージを指差す。

 それに合わせ、近くにいた生徒がばっと横断幕を壇上で広げた。

 そこには、こう書かれていた。

 

「『在校生チーム対卒業生チーム戦車戦対決』……!?」

「ああ、その通りだ! 今回はこれがメインなのさ。美帆達プロに行く三年を、気持ちよく送り出すには何がいいかと考えて、やっぱこれが一番ってなったのさ。それに、梨華子やアールグレイらも協力してくれるって言ってくれた。これ以上の見送りイベントはないだろう?」

 

 鈴が不敵に笑いながら言う。

 それに美帆も、不敵な笑みで返した。

 

「ふふ、そうですね。こんなに楽しい見送りもないでしょう。ですが、私は負けるつもりはありませんよ?」

「はっ、そんなのこっちもだよ。なあみんな!」

「うん!」

「もちろんですわ」

「ええ」

 

 鈴の言葉に、梨華子も理沙もアールグレイも頷く。

 見渡せば、会場に参加している生徒の目は皆、炎に燃えていた。

 

「いいでしょう……受けましょう、その戦い! 三年生の皆さん、いいですね!」

『もちろん!』

 

 三年生のほうからも一斉に返ってくる。

 こうして、在校生対卒業生の戦いの火蓋が、切って落とされた。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「まさか、こんなところで大洗の未来のプロ選手のプロ入り前の試合が見れるだなんて……!」

 

 演習場の観客席、そこで秋山優花里は首から下げたビデオカメラを揺らしながら目を輝かせていた。

 

「おーい秋山、テンション上がるのはいいが今回は取材も兼ねて来てるんだ。興奮しすぎて大事なシーン取り逃がさないようにな」

「はぁい、斑鳩殿」

 

 優花里を叱ったのは月刊戦車道の記者、斑鳩拓海だった。

 彼女ら二人は、この大洗の身内戦の話を聞きつけ、いい記事になると思いやってきたのだ。

 

「しかし秋山、よくこんな試合の話聞きつけてきたなぁ。確かに非常にそそる話だが、全然外には話が漏れてない練習試合みたいなものだろうに」

「ああ、それはお話をくれたいい人がいまして……あ! あそこにいました! どーも!」

「へぇ、誰だろう……って!?」

 

 斑鳩はそこで固まった。

 そこにいたのは、よく見知った顔だったからだ。

 

「ああ、よく来たね秋山さん。と、そこにいるのは……まさか斑鳩か?」

「あら、優花里以外にも聞いたことのある声がしたと思ったら……」

「西住隊長に……逸見!?」

 

 そこにいたのはまほとエリカだった。

 

「あれ? 斑鳩殿? どうしたんですか?」

「どうしたも何もなぁお前……知ってるだろ!?」

 

 斑鳩が優花里に動揺を見せる。

 それもそのはずで、斑鳩は元黒森峰生であり、そしてまほ達とは同年代で同じチームで戦っていたのだ。しかし、長い間まほ達とは会っていなかった。そのため、まほ達とは久しぶりの対面となるのだった。

 

「まさか、情報源て……」

「ええ、まほ殿です」

「ああ、私が秋山さんに教えたんだ。まあ、私はエリカから教えてもらったんだが」

「私はただ世間話として話したんだけど……まさか優花里にまで話が伝わるだなんてね。お久しぶりです。斑鳩先輩」

 

 エリカが席から立ち上がり斑鳩に頭を下げた。

 

「あ、ああ……久しぶり」

 

 斑鳩もつられて頭を下げる。

 

「二人がいるとなると、正式な取材としてやって来たんだな」

「え、まあはい……。お久しぶりです隊長……いえ、まほさん……」

「そんなに堅苦しくならなくていいぞ。私達は同年代じゃないか。今や立場は対等だよ」

「いえ! 私にとってまほさんはいつまでも隊長ですので……! しかし、二人がいるだなんて思ってもみませんでした」

 

 斑鳩がそう言うと、まほとエリカは顔を見合わせ笑い合う。

 

「そうか、斑鳩は知らなかったな。エリカは東さんとは同居している仲なんだ。そして、私は二人と仲良くしている。この試合を見に来るのも道理だろう」

「なるほど……って同居!?」

 

 斑鳩は驚きの色を隠さなかった。それに優花里が頷く。

 

「はい、東殿とエリカ殿はずっと昔から同居していますよ? もうそれは仲の良いことで、嫉妬してしまいそうになるぐらいです」

「いや、逸見が大洗で教官やっているのは知っていたが、まさかそんな仲とは……というか秋山ァ! お前色々と私に伝えるべきことを伝えてなさすぎだろうが!」

「いだだだだだだ! 許してください斑鳩殿ぉー!」

 

 斑鳩のヘッドロックが優花里に決まった。優花里はジタバタと動いているが、一向に抜け出せる気配はない。

 まほとエリカは、そんな二人の姿にクスクスと笑った。

 

「ふふっ、仲がいいのはそっちもじゃないですか先輩」

「えっ? い、いやそういうあれじゃないぞ私達は! だいたいこの馬鹿が馬鹿なだけであってだな……!」

「馬鹿でいいから解放してください斑鳩殿ぉー! いだだだだだだ!」

「あ、すまん」

 

 そこでやっと優花里がヘッドロックから解放される。

 優花里は、もじゃもじゃとした頭をすりすりとさすった。

 

「ふぅ、やっと解放された……。で、聞きますが今回の戦い、どっちが勝つと思いますかまほ殿! エリカ殿!」

「急に聞いてきたなぁ秋山さん」

 

 まほは苦笑いをする。そして、まほはこれから戦場となる演習場を眺めた。

「そうだな……戦力はそれぞれ悪くない。まず在校生チームは∨号パンターにティーガーⅡ、IS2にチャーチルMKⅦ、そして卒業生チームはⅣ号H型にファイアフライ、T―34/85にヤークトティーガー、さらにそれぞれ戦力を拮抗させるためにお互いM4シャーマンが四台ずつ配備されている。ルールは殲滅戦だ。プロリーグの試合に形式を合わせたんだろうな」

「ちなみに在校生側は隊長車のパンターが梨華子、ティーガーが鈴、IS2に理沙でチャーチルにアールグレイ。卒業生側隊長車がⅣ号の美帆、ファイファフライが米田、T―34/85が歩場、ヤークトティーガーが甲斐路、シャーマンの一台に府頭間が乗ってるわね。卒業生側は美帆の乗員をそれぞれ車長に分けたみたい」

「なるほどなるほど……」

 

 優花里がまほとエリカの言葉を逐一メモに取る。

 

「戦場はオーソドックスな平原に森林地帯、湖畔、山岳、市街地と一通り存在しているわ。それぞれをどう使うかも注目すべき点ね」

「それと重要な点だが……」

 

 そこでまほが一つ溜めを作った。

 優花里と斑鳩が息を呑んで次の言葉を待つ。

 

「チーム名だ。在校生側が反乱軍チーム、卒業生側が帝国軍チームに別れた」

「は、はい……?」

 

 斑鳩が間抜けな声を出す。

 

「それ重要ですか……? てかなんです反乱軍と帝国軍て」

「重要に決まっている。ちなみにそのチーム名になったのは、これから東さん達が行くチームが東京エンパイアズで帝国とされ、帝国と戦うのは反乱軍こそがふさわしいという大切な話し合いの結果だ」

「その話し合いにかなり口出しましたよねまほさん……」

 

 エリカが苦笑いしながら言う。

 優花里と斑鳩もまた苦笑を浮かべていた。

 一方のまほはその全員のリアクションに不思議そうな顔をする。

 

「ふむ……弐瓶さんとかはノリノリで乗ってくれたんだが……」

「まああの子は……そんなことより、そろそろ始まりそうですよ」

 

 エリカの言葉で一同が演習場を向く。するとそこには、整列している美帆達一同の姿があった。

 

「よくわかったな。その……見えないのに」

 

 斑鳩が言葉に詰まりながら言う。すると、エリカはそんな斑鳩にクスリと笑って、言った。

 

「あの子達の声は聞き慣れていますから。……気になりますか? やっぱり」

「えっ……そりゃ、なあ……。その、あのことと、その後のことは人づてに聞いて知っているとはいえ、こうしてちゃんとお前と話すのは久しぶりだからな……私からは、色々と大変だっただろ……なんて、ありきたりなことしか言えない……すまない」

「いえ、いいんです。確かに、いっぱい辛いこともありましたし、今もこうして私の目に光は戻っていません。でも、それでもいいんです。その代わり、得たものも沢山ありますから……。それに、あの子が彼女と一緒に生きてって、言ってくれたんですもの……」

「あの子って……もしかして」

「ふふ、どうでしょう……ああ、ほら! そろそろ本当に始まりますよ!」

 

 エリカが指差すと、そこには礼をしている美帆達の姿があった。

 

「あっ! おい秋山! カメラカメラ!」

「ああはいはい! 分かってますって!」

 

 斑鳩は慌ててカバンからカメラを出し、それを美帆達に向けた。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「それでは、試合初め!」

 

 戦車道連盟により派遣された審判により、高らかに開始の合図が宣言され、空に花火が打ち上がる。

 

「パンツァーフォー!」

 

 美帆は戦車から上半身を出しながら、戦車隊に前進の合図を出した。

 彼女の乗るⅣ号を中心に横隊を組み戦車が前進していく。

 

「まずは市街地を目指します」

 

 美帆が指示を出す。

 

「平原から相手部隊に直進するのではなく、市街地を抜け迂回しつつ反乱軍に接近します」

「了解。しかし隊長、正面からの砲撃戦でも十分勝算はあるのでは? 練度では我らのほうが上です」

 

 府頭間が無線越しに言う。

「そうですね。しかし相手の指揮官は梨華子です。普通に正面からの戦いを挑むのはあまりよろしくありません。さらに、相手にはもう一人相手にしたくない子がいますからね……」

 

 美帆の部隊は難なく市街地に入り込む。市街地は入り組んでいるため、ファイアフライを先頭にして細い道を進んでいった。

 そして、美帆達の車両は細い道路を抜け、四車線の幅の広い道路に出る。

 

「さて、ここまでは順調にこれましたが……」

 

 美帆が周囲を確認しながら言う。

 そのときだった。

 美帆の部隊目掛けて砲撃が飛んできた。

 

「くっ! 敵襲!」

 

 砲撃は美帆達の車両にはぎりぎり当たらず、美帆達は車両を下げる。

 美帆が双眼鏡で確認すると、シャーマンが横一列になり、美帆達のいる場所を見下ろせる展望台から砲撃をしかけていた。

 

「嫌な予感はしたんですよ……全軍、後退しながら砲撃! 撃破までは考える必要はありません! 相手部隊を牽制しつつ、進路を転換! 別ルートから市街地を抜けます! ただし十分に注意すること! おそらく本命は私達を後方から奇襲しようとする部隊です!」

 

 美帆の指示通り戦車隊は丘の上にいるシャーマンに砲撃しながら後退していく。

 その砲撃はなかなかの精度があり、シャーマン隊を見事に牽制する。

 

「隊長! 後方から敵が来るとわかっているのに後方に逃げるのですか? 前進しながらでもシャーマンなら突破可能です。なんなら撃破も」

 

 甲斐路が聞く。

 美帆はそれに頷く。

「ええ、前方に逃げればそれこそ相手の思う壺、後方から相手に追撃される形になります。それよりかは、向かっていくる相手を迎え撃ったほうが相手の本命に打撃を与えることができます。後の先を取ります。……とは言え、あの子にはこれも読まれている可能性がありますが」

 美帆率いる帝国軍はシャーマンとの砲戦をしつつも下がっていく。

 そして部隊はシャーマンが見えなくなると完全に進路を転換し、ある程度の広さがある公園に出た。

 そしてその公園を抜け、別の大通りへと出ようとしたタイミングだった。

 激しい砲撃音が鳴り響いた。そして、帝国軍のシャーマンが突如奇襲を受け、二台撃破された。

 

「くっ! 予想より早い襲撃。この砲撃は……!」

 

 砲撃のあった方向に視線を向ける美帆。

 そこにあった車両は、チャーチルとIS2だった。

 

「やはり待ち構えていましたか……理沙!」

 

 

「ふむ、分析通り、ですわね」

 

 理沙が戦車の中で呟く。

 理沙の乗るIS2とアールグレイ二世の指揮するチャーチルは公園に飛び出してきた帝国軍に打撃を与え、そのまま砲撃を続けた。

 初撃以外はうまく仕留められず反撃をされたが、それでも理沙は冷静だった。

 

「見事ね。小娘の動向をここまで読むだなんて」

 

 アールグレイ二世が理沙を褒める。

 その手には紅茶の入ったティーカップが握られていた。

 

「戦いでもっとも肝要なのは情報、そしてそれに基づく分析ですわ。わたくしは二年間美帆さんの指揮の下戦ってきました。ですから、美帆さんの戦い方はこの私が一番良く分かっているつもりですの。ま、さすがにエリカ先生には負けますけどね」

「なるほど……あなた、少しおバカかと思っていましたけど、見直しましたわ。その優雅な戦い方……あなた聖グロリアーナに来る気はなくて? きっと聖グロリアーナの気風に合うと思うの」

「気持ちはうれしいですけどわたくしは大洗の生徒ですから。それに……」

「それに?」

 

 そこで一旦言葉を区切り、理沙は顔を赤くし悶々としながら言った。

 

「その……偏差値が足りなくて……」

「…………」

 

 アールグレイ二世はかける言葉が見当たらず、とりあえず紅茶を飲んだ。

 

「理沙は戦車道のときだけは頭のCPUすげー跳ね上がるのなー。それを勉強に生かせればもっといいのによぉ」

 

 無線越しから鈴が笑いながら言った。

 

「う、うるさいですわね! 勉強嫌いのあなたに言われたくありませんわ!」

 

 と、そこで美帆の部隊に動きが見えた。

 

「あら? 美帆さん、部隊を二つに分けましたわ? Ⅳ号にファイアフライ、それにヤークトティーガーとT―34/85、そしてそれぞれにシャーマン一台ずつ……わたくし達を挟撃するつもりかしら……。アールグレイさん、とりあえず美帆さんの乗っているⅣ号を追いますわよ。ここでⅣ号を仕留められれば、こちらはもう勝ったも同然ですの」

「わかったわ。もう片方の部隊は、後方からやってきているシャーマン四台に相手をさせればいいわね?」

「ええ、さすがアールグレイさん。わかっていましてね。それに、シャーマンの後から梨華子さんと鈴さんもすぐやってきます。撃破は問題ないでしょう。さあ美帆さん。ここでこのわたくしが引導を渡してあげますわ……!」

 

 そうして理沙とアールグレイ二世は美帆達を追うことにした。

 美帆達はそれぞれ狭い路地を進んでいっている。それを理沙のIS2が先頭になって追いかけた。

 IS2の砲塔が美帆達の後方にいるシャーマンを捉える。

 

「撃ちなさい!」

 

 IS2の砲塔から砲弾が飛ぶ。それは走行するシャーマンをギリギリ捉えられず、地面で炸裂する。

 

「くっ……ちょこまかと……!」

 

 砲撃がなかなか車両を捕まえることができず、理沙はいらつく。

 

「どこまで逃げるんですの? 美帆さん」

 

 そして、美帆達が路地の十字路を右に曲がった。

 

「なっ!?」

 

 理沙は驚愕した。

 美帆達が右に曲がった後に残された理沙達の正面の通路に、ヤークトティーガーが陣取っていたのだ。

 理沙が反応する隙を与えることなく、ファイアフライが火を噴く。

 それによって、理沙の乗るIS2は撃破された。

 

「理沙!? くっ、急速後退!」

 

 理沙のIS2のすぐ後ろにいたアールグレイ二世が指揮を飛ばす。だが――

 

「きゃあっ!?」

 

 突如横合いから砲撃をくらい、アールグレイ二世のチャーチルもまた白旗を上げた。

 そこにいたのは、T―34/85だった。

 

 

「うまくいきましたね」

 

 美帆は別行動していた甲斐路達と合流し言う。

 

「理沙は私の行動を分析して行動してくる。となれば、あそこで隊を分けたのは普段の私からすれば挟撃するという選択肢を取ると考えるはず。確かにそれは間違ってはいません。ですが、普通の挟撃ではなく、別れた部隊は別行動したと見せかけて、私達の後を追わせ、入り組んだ路地を利用しての合流および挟撃だという手を加えているちょっとしたことに彼女は気づけなかった。その過程でシャーマン一台が相手のシャーマン隊を牽制してくれたのも大きいですけどね。撃破されてしまいましたが。とにかく、データを過信しすぎなんですよ、彼女は」

「……隊長、次は?」

 

 歩場が美帆に尋ねる。

 

「はい。このまま私達はもうひとつの大通りを使って平原に抜けます。シャーマン隊が追撃しくるでしょうからそれは適時反撃、撃破してください。ただし深入りはしないこと。こちらはシャーマンが三台撃破され、数のうちでは負けています。そこには注意しましょう」

『了解!』

 

 全車から返答が返ってくる。

 美帆はそれにうなずきながら、先頭をきって進む。

 そして美帆車は何事もなく大通りを進み、平原へと出た。

 

「ふむ、追撃があると思っていましたが……こないとなると、一旦進路を変え平原で待ち構えようとしているのでしょうか。とにかく、私達はこの平原を進みます。恐らく指揮している梨華子の車両は、この平原の近くにいるはず。索敵しながら進みましょう」

 

 美帆達は再び横隊を組んで進む。

 美帆はいつ奇襲を受けてもいいように慎重に進んだが、平原を進行する間は敵の砲撃はなかった。

 そして、美帆達が森林地帯のすぐ横にさしかかったときだった。

 ポンッ! とどこからともなく音がした。かと思うと、空から複数の何かが落ちてきたかと思うと、それは白い煙幕を美帆車の周辺に噴出させた。

 

「スモーク弾!? もしかして戦車に迫撃砲くっつけて飛ばしてきたんですか!? 全車、警戒!」

 

 美帆はⅣ号を中心に防衛陣形を作りながら煙から逃れようと後退する。

 

「この作戦、タンカスロンで鍛えた梨華子の発案でしょうね……しかし、ここで煙幕を張ってなんの効果を狙って……?」

 

 美帆が訝しんでいると、煙の奥、森林地帯から履帯とエンジンの音が聞こえてきた。

 それはまっすぐと美帆達のほうへと向かってきているようだった。

 

「この音……ティーガーⅡ! ということは……!?」

 

 美帆が気づいたそのときだった。煙の中に、全速力で走ってくるティーガーⅡが、鈴が突撃してきた。

 

「やあやあ我こそは! 百華鈴! ここに推参! いざ尋常に勝負! ってかぁ!」

 

 鈴は美帆と同じく車体から上半身を出しながら一気に防衛陣形に食い込むと、近くにいた府頭間のシャーマンに肉薄し、砲撃、撃破した。

 

「府頭間車撃破されました! 申し訳ありませんなんのお役にも立てず!」

 

 無線越しから府頭間の声が美帆に飛んでくる。

 

「気にしないでください! 全車全速後退! 鈴と格闘戦をしてはいけません! 彼女との格闘戦では勝てる見込みは薄いです!」

 

 美帆達は一気に下がる。

 しかし、その後方から砲撃が飛んできた。

 

「シャーマン部隊! ここで来ましたか……!」

 

 後方では四台のシャーマンが美帆達に狙いを定めていた。さらに、そのシャーマンに加えパンターのもいいた。

 

「梨華子まで……どうやら、ここが正念場のようですね」

 

 美帆は無線に向かって叫ぶ。

 

「米田さん! 甲斐路さん! 後方は任せましたよ!」

「御意に」

「了解」

 

 米田と甲斐路がそれぞれ応え、後方に信地展開する。

 構図としてはⅣ号、T―34/85対ティーガーⅡ、そしてファイアフライ、ヤークトティーガー対シャーマン四台、パンターとなっていた。

 鈴は相変わらずぎりぎりに美帆達に肉薄し攻撃を仕掛ける。

 美帆と歩場はそれをなんとかして避ける。

 一方で、米田と甲斐路は遠距離からの撃ち合いをシャーマンと繰り広げていた。

 

「無理に撃破しようと考えるな! 釘付けにするだけでいい! 後は俺が全部やる!」

 

 鈴が無線に向かって大声で言う。

 その鈴の攻撃を、美帆達はかわすので精一杯だった。

 

「くっ、さすがやりますね鈴……ここで全車両を一人で撃破する予定なんでしょうね。……ならば!」

 

 美帆のⅣ号と歩場のT―34/85が、今までの逃げの戦いから一転、一気に鈴のティーガーⅡに向かっていく。

 

「おっ! やる気になったか!? ならこっちも全力で……!」

 

 鈴がまずは美帆とⅣ号に砲塔を向け、射撃する。

 それを、美帆はすんでのところで避けた。

 そしてその直後、次弾装填の隙をついて、なんとⅣ号とT―34/85がティーガーⅡを両方向から挟み込んだ。

 

「なっ!?」

「米田さん! 今です!」

「御意」

 鈴は正面を見る。するとそこには、白旗を上げるシャーマンを後方にし、鈴を狙ってくるファイアフライの姿があった。

「ま――」

「フォイア」

 

 米田のその言葉と同時にファイアフライから砲弾が飛ぶ。それにより、ティーガーⅡは直撃をくらい白旗を上げた。

 

「ぐへぇ! やられたぁ! あんな誤射してもおかしくない位置取りでよく撃てたなおい!」

「ふふっ、誰が正面からあなたと格闘戦をするものですか。それに、私は米田さん達を信頼してますからね。伊達に三年間一緒に戦ってません。さて、残るは梨華子のパンターのみです!」

 

 美帆のⅣ号と歩場のT―34/85が白旗を上げたティーガーⅡから離れ、向きを変えパンターのほうへと向く。

 だが、その瞬間だった。

 後方を向いていた米田のファイアフライが、パンターによって白旗を上げさせられた。

 

「ぐっ!?」

 

 さらにそれだけではない。パンターは距離を詰めつつ、甲斐路のヤークトティーガーに肉薄し、その側面から装甲を貫いた。

 

「がっ!?」

「こちら米田、さすがに後方を向けた状態では撃破されてしまいますね……申し訳ありません」

「こちら甲斐路、まさかあそこまで避けられるとは……すいません」

「一気にこちらの精鋭を二両も……さすが梨華子……」

「くすっ、さあ美帆さん、勝負です。いつだかの練習試合のように黒星をつけてあげますよ!」

「それはこちらの台詞です。いきますよ、歩場さん!」

「……了解」

 

 歩場は美帆の言葉に静かに答えた。

 そうして、二対一の接近戦が始まった。

 当然の如く、二両で戦う美帆達のほうが有利であった。

 だが、梨華子も負けてはいない。梨華子は乗員に巧みに指示を出し、二両の戦車の砲撃を避け続け、攻撃し続けた。

 梨華子は主に歩場だけを狙い続けた。

 それは、まず数を同等にするのが目的にあった。

 その意図に気づかない美帆ではない。美帆はその隙をつきパンターを撃破しようとする。

 だが、避けることをまず目的とした梨華子の車両になかなか当てられない。

 と、そこで梨華子の砲撃が歩場車の履帯を撃ち抜いた。

 

「くっ……」

「そこっ!」

 

 梨華子が砲塔を正確に歩場のT―34/85に向ける。

 もはや歩場車は、そこで敗北が決定した。

 だが、その歩場のあからさまな隙。それに梨華子は一瞬だけ違和感を抱いた。そして気づいた。

 

「しまった!? これは罠です!」

 

 梨華子が戦車を射撃することをやめ、それまでとは反対方向に戦車を動かそうとする。

 だが、その前に――

 

「気づきましたか。しかし残念。これでチェックメイトです」

 

 美帆のⅣ号が、パンターに接近し、装甲を吹き飛ばした。

 ここに、戦いの雌雄は決した。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「……ふむ。なるほど。わざと歩場に隙を作らせ、撃破できる状況を作らせることで、一瞬だけ梨華子の判断を鈍らせ、そこを隙として攻撃する……なかなか怖い手を撃つわね、美帆」

 

 観客席で逐一状況をまほから聞いていたエリカは、最後の決着の方法を聞いてそう言った。

 

「ああ、仲間との連携が完全に取れていなければ取れない手だ。面白い選手に育ったな、東さんは」

「ええ、だって私の自慢の教え子ですもの」

 

 まほに対し、エリカはそう言って微笑んだ。

 まほもまた、そのエリカに対し笑みを見せた。

 

「ああああああああああああああ! 凄い試合ですううううううううう!」

 

 そんな二人の背後で、優花里の雄叫びが突如聞こえてきた。

 

「うるせぇ! 秋山うるせぇ!」

「だってだって、どっちが勝ってもおかしくない凄い試合だったんですよおおお! ああ、戦車道はやっぱり最高ですううううう!」

「分かったから! 分かったからちゃんと撮ってったろうなお前!?」

「当然です! 試合の模様はちゃんとこのカメラに収めました!」

「ああよかった……記事書くのは私なんだから、撮るのまで駄目だったら私は頭抱えてたよ……」

「撮るのまで、とはどういうことですか斑鳩殿!」

「うるさい! こっちはいちいちお前の解説という名の喚き声の入った映像と向き合わなきゃいけないんだぞ! こっちの身にもなれバーカ!」

 

 優花里と斑鳩はそのようにして大きな声で話し合っていた。

 それを聞いたエリカとまほは、再び微笑み合う。

 

「斑鳩先輩、楽しそうですね」

「ああ。あいつも、自分の場所を見つけたんだな。……ま、それは私達にも言えるか」

「ええ。ああ、彼女達が帰ってきます。暖かく迎えてあげないと。私の居場所を作ってくれた、あの子のためにも」

 

 そうしてエリカとまほは観客席から立ち上がり、美帆達のもとへと向かった。

 美帆達の所につくと、美帆達はお互いの健闘を称え合っていた。

 

「いやあまさかあそこで騙されるとは……さすが美帆さんですね」

「いえ、梨華子も見事な指揮でした。正直、一対一だったら危なかったと思いますよ」

「そんなことないです。一対一でも、きっと私は負けていました……それほど、美帆さんと私には実力差がありますから」

 

 梨華子は少し悲しそうな笑みで美帆に言っていた。

 だが、すぐに表情をきりりとした笑顔にし、

 

「でも、すぐに追いつきます。待っていてください美帆さん。来年は、私が黒森峰を優勝に導きますから。まあ、私はタンカスロンが身にあっているのでプロ入りはちょっと考えていますが」

「ふふっ、あなたの実力でプロ入りしないのはもったいないです。梨華子がプロの道を選択するのを楽しみに待っていますよ。でも大洗は来年も強いですよ? ねえ、鈴」

 

 美帆はすぐ背後にいた鈴に話しかけた。

 すると鈴は、「ああ!」と言ってパチンと拳を手のひらに打ち付けた。

 

「もちろんさ! 梨華子には負けてらんねえ! 俺はまだまだ戦車道で活躍するんだからよ! そして俺もプロに行く! 美帆に負けたばっかでいられるかってんだ!」

「わたくしだって、負けたままで終わらす気はありませんわ。わたくしも同じ気持ちです」

「私がプロになるのはあなた達よりもさらに一年遅くなるけど、まあ真打ちは遅れて現れますもの。そのときまで首を洗って待っていなさい、小娘!」

 

 理沙とアールグレイ二世も続いて言った。

 そこには、将来の希望に満ち溢れた子供達の姿があった。

 

「いいものだな、エリカ」

「ええ、そうですね」

「あっ、エリカさん!」

 

 まほと頷き合うエリカに、美帆が気づきいの一番で飛んできた。そして、言った。

 

「エリカさん! 私の頑張り、聞いていてくれましたか!?」

「ええ、もちろん」

「良かった……私、エリカさんが聞いているならって思うと、いくらでも力が湧いてくるんです! ……エリカさん、これからも私も見守ってくれますか?」

「ふふ、当然じゃない。私はずっと見守るわよ。この命あり続けるかぎり、ずっとあなたと一緒にいることを誓いましょう」

 

 そう言って、エリカは美帆の頭を撫でる。すると美帆は、顔を赤くし、エリカを見た。

 

「……あの、エリカさん」

「うん?」

「……私、その、ご褒美が、欲しいです」

「……しょうがない子ね」

 

 エリカは美帆のその言葉を受けると、美帆の頬を優しく包み込み、そしてそのまま、自らの唇を美帆の唇と重ね合わせた。

 エリカと美帆は、長く長く口づけをした。

 その姿に、あるものは笑顔になり、あるものは顔を赤くし、あるものは声をあげて囃し立てた。

 ただ、そこに共通していたのは、その場にいる全員が、二人の関係を祝福してくれていることだった。

 エリカと美帆はやがて唇を話す。

 二人はとろんとした表情でお互いを見つめ合う。

 そして、美帆が言った。

 

「エリカさん……大好きです」

「ええ、美帆……私もよ」

 

 二人はそう言い合い、再び唇を重ねた。

 そんな二人を、夕日が暖かく照らし出した。二人から伸びる影は、そしてそれを見守る少女達から伸びる影はどこまでも続いていた。それは、まさに彼女達の夢の、未来への道筋のようだった。

 こうして美帆の、高校での最後の試合は幕を下ろした。

 これから彼女は新たな舞台で戦っていく。

 仲間達とともに気づいた架け橋で渡った、夢の舞台で。

 



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IFルートアフター第二部
歓迎会の夜


今回からIF編は第二部のプロ編となります。ゆっくり付き合ってもらえればと思います。


 どうもみなさん、東美帆です!

 私は今、とあるパーティ会場に来ています。

 会場には黒色の制服をまとった大勢の女性がいて、それぞれ立食を楽しんでいます。

 私はその中心で、同じ戦車に乗る仲間達と共に、色々な人に囲まれています。

 なぜ私が囲まれているかというと、今回私が参加しているパーティの主役が、私達だからです。

 今回のパーティの目的、それは、この度私が入団することになった戦車道のプロチーム『東京エンパイアズ』の新人歓迎パーティだからです。

 つまり、今回のパーティの主賓が私なのです。

 先程私はパーティ会場にある壇上で所信表明を行いました。それはとても緊張するものでした。

 

『私東美帆は、このチームで精一杯努力し、チームの優勝に貢献したいと思います!』

 

 我ながら、大層なことを言ったものです。しかし、それぐらいの意気込みがないとプロではやっていけないと思いました。

 でも、やっぱり思い出すと顔が赤くなってしまいます。

 私はその気恥ずかしさをごまかすために、ジュースを飲みながらテーブルに置かれている食事を手に取ります。

 うん、このからあげ美味しいですね。

「ねえ東って大洗の隊長だったんでしょ? 凄いよねぇ名門チームの隊長だもん。やっぱりいろいろ気苦労とかあったんじゃない?」

「私も高校時代は大洗に負けたなー。でも大洗からの選手は今うちのチームに大きな力になってくれるからありがたいけどねー」

 先輩方が私にいろいろと話しかけてくれます。先輩方は私よりもずっと年上です。

 年上の方と話すのはエリカさんとの生活で慣れているものかと思っていましたが、そうでもなかったようです。

 だって今、私は話しかけられてどう答えていいのかよく分かっていないのですから。

 

「え、えっと……」

 

 私は苦笑いをしながら答えを探します。

 うーんどうしたらいいのでしょう。私は周囲を見ます。

 

「いえ、私はそれほどでは……すべては美帆さんのおかげで……」

 

 私の戦車に一緒に乗り、同じく東京エンパイアズに入団した砲手の米田さんは普通に受け答えしていました。

 凄いなあ、肝が座っています。

 

「……私は私の仕事をするだけですから……」

 

 操縦手の歩場さんは普段とても無口なのもあって、無口なりに頑張って受け答えをしています。私よりも人慣れをしていない人なので大変そうです。

 他にも、装填手の甲斐路さんしどろもどろになっています。あれはまた後で物に当たるんでしょうねぇ……。通信手の府頭間さんもなかなか答えられていないようです。府頭間さんここぞというときに踏ん張りが足りないから心配です。

 うーん、私達こんな調子で、プロでやっていけるんでしょうか。

 私は一抹の不安をいだきます。

 その不安をかき消すように、私は手に持っていたジュースを一気飲みしました。美味しいですねこの白ぶどうの炭酸。

 

「皆さん、あまりそんなに新人さんに質問責めにしてはいけませんよ。困っているではありませんか」

 

 そのとき、困っていた私を見かねたようにワイングラス片手に話しかけてきてくれた人がいました。

 すらっとした長身に白い肌、美しい黒髪のその人を、他の誰かと見間違うはずがありません。

 

「あっ……ノ、ノンナ選手……!」

 

 その人は、プロリーグにおいてもトップを争う砲手と言われる、ノンナさんでした。

 私は慌てながら頭を下げます。

 

「頭を上げてください東さん。それと、ノンナでいいですよ。私達は今日から同じチームメイトなのですから」

「えっと……は、はい。ノンナ……さん」

「ふふ」

 

 少し困りながら答える私に、ノンナさんは笑いました。

 そして、ノンナさんは私のすぐ隣にまでやってきました。

 

「東さん。改めて入団おめでとうございます。あなたの高校時代の成績は知っています。これから同じチームで戦えることを嬉しく思います」

「こ、こちらこそ! 私もノンナさんのようなトップ選手と一緒に戦えるなんて、嬉しいです……!」

「だからそう固くならなくてもいいですよ。……と、言っても難しい話ですね。私も最初は緊張したものですから」

「えーっ!? ノンナそんな緊張してたかぁ!? 嘘くさいなー!」

 

 そのとき、ノンナさんの後ろから別の声がしました。

 そこから現れた人影に、私は驚きます。やってきたのは、東京エンパイアズの副隊長を務めている、安斎千代美選手、通称アンチョビさんだったからです。

 

「あ、安斎さん……! ど、どうも! 東美帆です! よろしくお願いします!」

「おう東! よろしくなー! にしてもノンナ、お前が緊張してたなんて嘘だろー! 同期だから分かるがお前入団時もすごくいつも通りだったぞー。まあプロリーグ発足時だから先輩後輩関係が殆どなかったけどさー」

「あら、私は私なりに緊張していましたよ? すでに大学や社会人で活躍していた先輩方がいっぱいいましたからね。まあ、千代美さんほどではありませんが」

「う、うるさい! 私だって緊張ぐらいする!」

「とは言ってもすごかったですよね。声が上ずって変な声を出して。アンツィオのドゥーチェ・アンチョビの面影が全然ありませんでしたし」

「う、うるさいなー!」

 

 安斎さんとノンナさんは楽しく思い出話に花を咲かせ始めました。

 その様子から、二人が長年戦ってきた戦友として、仲がいいことがよく伝わってきました。

 

「……っと。おいおい思い出話をしてる場合じゃなかった。主役の東がここにいるんだ。私は東と話をしにきたんだった」

「最初に思い出話を始めたのは千代美さんですけどね」

「もーお前がすぐ揚げ足を取るー! ……ま、いいや。どうだ東? プロになった実感は?」

「えっと……その、実はまだそんなに実感はないんですよね……。まだまだプロは雲の上の世界、って感じがして」

「当然でしょう。まだちゃんと試合もしていない歓迎会の段階なのですから。そこを千代美さんは分かっているのですか?」

「う、うるさいな! そうだよなー確かにそうだ。今のは私の質問が悪かった、すまないな東」

「い、いえ!」

 

 私は大きく首を振ります。その様子に、安斎さんとノンナさんは笑い始めます。

 

「ははっ、初々しいなあ! 高校戦車道界の覇者、期待の大型新人の東美帆も緊張には勝てないか!」

「そ、そんな持ち上げないでください……私なんて皆様に比べたらまだまだで……」

「おや、意外と心得ているのですね。あのエリカさんの弟子ですから、もっと不遜な態度の子かと思っていましたが」

 

 そこでエリカさんの名前が出たことで、私はピクリと体を震わせます。

 そうでした。ノンナさんも安斎さんも、エリカさんと高校時代、ライバル同士として戦った間柄なのでした。

 つまり、私の知らないエリカさんをよく知っている人達なのです。

 そこに、私は俄然興味が沸いてきました。

 

「あの……高校のときのエリカさんってどんな感じだったんですか? エリカさん、その頃の話は恥ずかしがってあまりしてくれなくて……」

「おや、そうなのですか? そうですね、東さんが話しやすくなりそうですし、昔話に花を咲かせるのもいいかもしれませんね」

 

 そう言いながら、ノンナさんは片手に持っていたワイングラスを口に含み、中に入っていた白ワインを飲みます。

 

「そうだなー、久々に昔話をするのもいいかもしれんな」

 

 それに続いて、安斎さんが近くのテーブルに置いてあったピザを手にとって口に含みます。

 

「そうですね……昔のエリカさんは、簡単に言えばとても気性が荒い人でした」

「エリカさんが……」

「ええ。今のエリカさんはそうでもないのですが、昔のエリカさんはまさに狂犬と言った感じでしたね。黒森峰、特にまほさんに絡んだことになると誰にでも噛み付いて、とにかく強気でモノを話すような人でした」

「そうだなー。正直高校のときの逸見はちょっと苦手だったぞ。私のいたアンツィオなんて弱小校だなんだと言われたりしたからな」

「そうなんですか……」

 

 正直、私にはあまり想像できませんでした。

 今のエリカさんはとても温和で――と言っても怒るときは怖いのですが――優しく、私を包み込んでくれる人だからです。

 

「今のエリカさんはだいぶ丸くなりましたよね」

「そうだなー。昔の逸見と比べたら別人に思えてくるぞ」

「それも、あなたのおかげなのですかね」

 

 ノンナさんは私を見て言います。

 

「わ、私の、ですか?」

「ええ。エリカさんとは彼女が失明した後もそれなりにお付き合いをさせてもらっていたのですが、あなたに会う前のエリカさんはどうにも覇気というものがない、そんな部分がありました」

「ああ。その……あの事故があってからというもの、抜け殻みたいな感じになっていたよな」

「それが、東さん。あなたに出会ってからというもの、心に灯火が再び灯ったようになりました。それだけ、あなたという存在が大きいんでしょうね」

「私という存在が……」

「ああ、私もそう思うな。あいつ、最近会うとすぐお前の話をするんだもんなー。まったく妬けちゃうぞー? うん?」

 

 そう言って安斎さんは私の肩を抱きました。

 先程までピザを食べていたせいか、ちょっとチーズ臭いです。

 

「は、はい。ありがとうございます。私はその……エリカさんとはもう切っても切れない関係ですから」

「おっ! 言うねぇ! そういや同棲もしてるんだったか? もしかして二人とも、こういう関係なんじゃないかー?」

 

 そう言って、安斎さんは小指を立てました。

 その安斎さんを見て、ノンナさんは安斎さんの首元を掴みます。

 

「千代美さん。そんなことを言うものではありませんよ。東さんが困っているではありませんか」

「は、ははは……」

 

 まあ実際本当のことなのですから私は何も言えません。

 ノンナさんがうまくフォローしてくれて助かりました。

 

「それにしても懐かしいですねぇ。あの頃は、まさに大洗によって高校戦車道というものが改革期に入って……」

「おや? 昔話かい? 二人共、昔話に耽るなんて随分と老けたねぇ」

 

 そのとき、また別の声が私達の側から飛んできました。

 その声のほうを見ると、私はまた驚きました。

 そこにいたのは、チューリップハットを被ったどこか浮世離れをした雰囲気の女性。

 この東京エンパイアズの隊長である、ミカさんがそこに立っていました。

 

「おやミカさん。残飯あさりはもう終わったんですか?」

 

 ノンナさんが急に皮肉たっぷりに言います。

 ミカさんをよく見ると、その手にはタッパーが持たれていました。

 

「ああ、やっぱりこういう場はいいね。タダで食事が手に入るんだから」

「はあ……あなたももういい年でしかもエンパイアズの隊長なのですから、もっといい生活をしたらどうですか。それに、慎みというものがありません。まったく、高校のときからそういうところは全然変わりませんね」

「君の小言も昔から変わらないね。私は私の生きたいように生きているだけさ。すべては風の吹く方向に生きるだけだからね」

「だからと言って限度というものがあります。もう三十を越えているというのにいつまで風来坊のつもりなのですかあなたは」

 

 ノンナさんはミカさんに眉をひそめながら言います。

 お二人はあまり仲がよろしくないのでしょうか? 私は少し不安になります。

 

「あー東。大丈夫だぞあの二人に関しては。あいつらは昔からずっとあんな感じなんだ。未だに高校のときのプラウダと継続の微妙な関係を引っ張っているというかなんというか。それでも戦いのときはすっごく相性がいいんだよ。ま、あれかな? いわゆるケンカップルってやつなのかな?」

「誰がカップルですか!」

「誰がカップルだって?」

 

 私に寄って話す安斎さんに対し、ノンナさんとミカさんが同時に言います。確かに息は合っているようでした。

 ミカさんは、タッパーをテーブルの上に置くと、私のもとに近づいてきました。

 

「やあ東さん。入団契約のとき以来かな? 随分と緊張していたみたいだね」

「は、はい……」

 

 私がそう答えると、ミカさんは笑顔のまま「ふふん」と顎を触ってから、私の肩を叩きました。

 

「そんなに体を固くする必要はないよ。このチームは確かにプロリーグでも上位のトップチームだが、みんな自由にやっているんだ。君も自由にするといい。すべては風の吹くまま気の向くまま、ゆるやかにやってくのが一番だよ。枠に閉じ込められていては、発揮できる才能も発揮できないからね」

「あなたはもっと枠にはまることを覚えるべきだと思いますがね」

 

 ミカさんが言った言葉に、ノンナさんが横槍を入れます。

 そんなノンナさんに、ミカさんは笑ったまま向き直ります。

 

「おやおや、せっかく私が新人の子を励ましているというのに君はそれを邪魔するのかい? やれやれ、ひどい先輩もいたものだねぇ」

「邪魔しているわけではありません。むしろ、東さんに変なことを吹き込まないか心配しているのです。あなたに感化されて東さんまでちゃらんぽらんになられては困りますからね」

「私こそ、東さんが君みたいに四角四面にならないか心配だよ。堅苦しいったらありゃしないんだから君は」

「あーもうすぐそうやって喧嘩しようとするな! 東が困ってるだろー!」

「ははは……」

 

 安斎さんの助け船のお陰で、なんとか二人は喧嘩をやめました。

 どうやらこの三人は三人でいることによってうまくバランスを保っているようです。その関係性に、やはり私は私なんかではまだ立ち入ることのできない信頼関係を感じ取りました。

 

「まあ、東さんには期待しているよ。何せ、高校大会での優勝経験者はいいチームの戦力になる。それが隊長であるなら更にだ。とはいえ、勝つことに固執しないようにね。勝利だけが人生に大切なものというわけではないからね」

「あなたはまたそういうことを言う。もっと勝ちを狙っていかないと、ファンの方にもうしわけないでしょう」

「まあなー。私達は商売で戦車道をやっているわけだからなー。ま、でも勝ちにこだわりすぎて戦車道の良さを忘れるのも怖いから、そこはいい塩梅でやっていくのが大切だなー」

「私は……できることなら、勝ちたいです」

 

 私の言葉に、三人が私に注目しました。私はその視線に一瞬怯みましたが、意を決して口を開きます。

 

「私の戦車道はエリカさんの戦車道です。だから、私は勝つことでエリカさんの戦車道はここにあり、と証明したいんです。そのためには、どんな努力でもするつもりですし、してきました。それは、これからも変わらないと思います」

「なるほどね……」

 

 ミカさんは私の言葉をどう受け取ったのか、私が話した後軽く頷きます。

 そして、そっと私の肩を叩きます。

 

「君がその意気込みなら、もう私から言うことはないかな。戦う理由は人それぞれ。そこに意見をするほど私は野暮じゃないからね」

「私にはいつもつっかかってくるくせにですか?」

「つっかかってくるのは君だろう?」

「だーかーらー! すぐ喧嘩して周りを困らせるのはやめろー!」

 

 ミカさんとノンナさんがすぐまた喧嘩を始めようとして安斎さんが仲裁したので少しばかりの言葉でしたが、私は嬉しく思いました。

 私の戦う理由を、ミカさんは肯定してくれました。私の意志は、時折人にとっては良くないものに思われることがあるようです。

 曰く『もっと自分の意志で戦え』とのことです。私は十分私の意志で戦っているのですが、人によってはそう見えないことがあるようです。

 でも、ミカさんは肯定してくれました。ノンナさんも安斎さんも、何も言わないところを見ると少なくとも否定はしていないようです。

 私の気持ちを大切にしてくれる先輩方に、私は心が温かくなります。そこには、人の意志を尊重する大人の世界があるように思えました。

 

「そうだ? 逸見さんは元気かい? 最近会えていないからちょっと気になっていたんだよ」

 

 と、そこでミカさんが聞いてきました。私は頷きます。

 

「はい。とても元気ですよ」

 

 夜のほうとかはいつも私がやられちゃうぐらいには元気です。

 まあ、それもエリカさんらしくてとても嬉しいのですが。

 

「そうかい。良かった。いやあ、一時期私も逸見さんに同棲を申し込んだことがあるんだけど断られてね。今同棲してる君が言うなら良かったよ」

「え!? ど、同棲を申し込んだ!? ええっ!?」

 

 ちょっと待って下さい私それ聞いてないんですけど!?

 

「ああ、そんなこともありしたね。一時期エリカさんにやたら入れ込んでましたよねあなた」

「ああ、あの物憂げな美しさに心打たれてね。どうにか彼女と共にいられないか考えてた時期があったからね」

「あーそんなこともあったよなー。ミカはすぐ良くわからない熱の入れ方をするもんなー……って東、どうした?」

 

 ミカさんはエリカさんに同棲を申し込んだ。エリカさんをそういう目で見ていた。つまりミカさんは私の恋のライバルであってエリカさんも同棲してないとは言えミカさんのアプローチを受けていたわけであってそれは私の知らないエリカさんの一面や過去を知っているということであってそれはつまり私よりもアドバンテージがある部分があるというわけであってもしかしたら今でもエリカさんに懸想しているかもしれないということであって――

 

「おーい、東ー?」

「……はっ! な、なんですか!?」

「いや、なんか怖い顔になってたからどうしたのかなーと」

「な、なんでもありませんよ!?」

「ん? そうかーそれならいいんだけど」

 

 安斎さんに呼ばれて私は意識を元に戻します。私が考え込んでいる間にまたミカさんはノンナさんと喧嘩を始めたようで、ちょっと思い込んでいたのはバレていないようです。危ない危ない。バレたらちょっと色々やりづらいですからね、色々と。

 

「ほらーお前らも東ほっぽいて喧嘩するなよなー。もう何回言ったんだこれ」

「おっとごめんね」

「ごめんなさい」

「い、いえ……」

 

 私のほうも暴走していたからおあいこなんてことは秘密です。

 

「あ、そうだ。そういえばうちのオーナーが君と話したがっていたよ」

「お、オーナーさんがですか?」

「ああ……と、話をすればだ」

 

 ミカさんが何かに気づいたように顔を別の方に向けます。その方向を見ると、そこにはローブをまとった異様な雰囲気の女性がいました。

 その女性はこちらに近づいてくると、私を見て微笑みました。

 

「やあ、東美帆君。私は東京エンパイアズのオーナー、遥羽天子(はるはてんこ)だ。よろしく」

「は、はい! よろしくお願いします!」

 

 このチームのオーナー!? すっごい偉い人じゃないですか!

 私は驚き萎縮しながらも勢い良く頭を下げます。

 

「ああ頭を上げてくれたまえ。君の活躍はよく知っているよ。だからこそ君をこのチームに引き入れたんだ。どうだい、うちのチームは」

「は、はい。皆さんとてもいい方々で、安心しています!」

「そうか、それはよかった。君の入団は我がチームにきっと新たな勝利をもたらしてくれるだろう。君も、そのつもりだろう?」

「もちろんです! 私の力に帝国に勝利を!」

 

 遥羽さんは私の言葉に笑みを見せると、私の肩をぽんと叩いた。そして言った。

 

「君の将来を楽しみにしているよ」

 

 そう言って、遥羽さんは去っていった。

 私は体からどっと緊張が抜ける感覚を味わう。

 

「相変わらず、オーラのある方ですね」

「ああ、皇帝陛下なんて言われているだけはあるよね。十数年間になるけど、未だに威圧されてしまう」

「オーナーに目をかけられているなんて、東が凄いなー」

 

 先輩方がそれぞれ言う。

 私は、たった二言、三言のやり取りであったのにどっと疲れ、とりあえずテーブルの上にあるジュースをコップに注いで一気に飲んだ。

 あー美味しい、この赤ブドウジュース。

 その後、私は他のチームメイトと一緒に、他の先輩方とも色々話をし、歓迎会を楽しんだ。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「ふぅ……」

 

 私は両手にお土産の入った紙袋を持ちながら家のソファーにぐったりと倒れ込みました。

 

「おかえり、美帆」

 

 その私に、エリカさんが声をかけてくれます。

 私はそんなエリカさんに顔をソファーに埋めながら手を上げて答えました。

 

「ただいまですー……」

「随分とお疲れねぇ。そんなに大変だった?」

「ええまあ……楽しかったですけど、やっぱり今まで別世界だと思っていた人達と話すのは大変でした。あ、ビンゴ大会でお掃除ロボ貰いました」

 

 私はゆっくりと起き上がりながら手に持った紙袋を床に置いていいました。

 

「あらそうなの。良かったわね。こっちも大変だったのよー。鈴と理沙がそれぞれ新隊長と副隊長に就任したんだけど、理沙がさっそく補習で……副隊長として自覚あるのかしらあの子」

「まあ理沙は戦車道のときだけCPUが増設されますからそこら辺は大目に……そういえば、会場でノンナさんと安斎さんとミカさんに色々エリカさんの話聞いてきましたよ」

「え? 私の?」

「はい。エリカさんって昔は結構やんちゃだったってこと、聞きました」

 

 私が会場で話したことを報告すると、エリカさん苦笑いをしながら眉をひそめます。

 

「うっ、あいつら……余計なことをベラベラと……なんか変なこと聞いてないわよね?」

「うーん私はエリカさんの過去話が聞けたので変なこととは思っていないんですが……エリカさんが弱小校相手にすっごく強気に出ていたこととか、そういうのに当たりますかね?」

「うぐっ!? ……お、お願い。そのことは忘れて。今思い返すと恥ずかしいから……」

 

 エリカさんは顔に手を当てて私にもう片方の手を向けて言います。

 ああ、普段見れないエリカさんだ。可愛い。

 

「まあいいじゃないですか。若気の至りなんて誰にでもありますよ」

「一回り下のあなたに言われたくないんだけど!?」

「はははっ」

 

 慌てるエリカさんが新鮮で、私は笑います。

 今までの疲れがどっと吹き飛んでいく感じがします。

 

「あ、そうだ」

 

 と、そこで私は思い出しました。

 

「エリカさん。昔ミカさんに同棲を申し込まれたことがあったんですって?」

「……そうえいばそんなこともあったわねぇ。ミカ、そんなことまで話したの?」

「はい。……その、どうして断ったんですか? 誰かが一緒に生活してくれれば、エリカさんの生活も楽になったでしょうに。いや、今の私から見ればこうして私がエリカさんと過ごせるようになったので、それはありがたいことなんですけど」

「そうねぇ……当時の私は、一人でいたかったのかもね。当時は……みほのことをずっと待ち続けていたから」

 

 みほ。

 私のことではなく、今はいないエリカさんの想い人、西住みほ。

 その名が出ると、どうしても私は体を震わせてしまう。

 

「みほさん、ですか……」

「ええ。私はずっと彼女のことを想い続けていた。だから、他の人を自分の場所に、自分の心に入れようとは思わなかったのね。まったく、偏屈だったわねぇ昔の私」

 

 エリカさんはそう言って笑う。でも、その気持ちは痛いほど私に伝わってきた。

 だって私も、エリカさん以外を大切な場所に入れたくないから。

 

「……でもね美帆。あなたは、そんな私の心を開いてくれた。私の場所に、新たな場所を築いてくれた。それは、私にとって予想外で、でもとっても嬉しいことだったわ」

「エリカさん……」

 

 エリカさんは私に静かに近寄ってきます。

 私はそんなエリカさんを、ただ待ちます。

 

「美帆。今のあなたは、私にとって最愛の人よ。それはきっと、今後も変わらない」

「……はい。エリカさん。それは、私も同じです」

「……美帆」

「……エリカさん」

 

 そして私達は、ごく自然に口づけをしました。

 くちびるを重ね合わせ、舌を絡ませ合い、体を抱き合って胸と胸をこすり合わせる。

 そうして私達は一つになり、溶け合います。

 

「んっ……あっ……」

「あむっ……んんっ……」

 

 エリカさんがゆっくりと私をソファーの上に押し倒します。

 私はそれを受け入れます。

 そして、エリカさんは私の服のボタンを一つずつ外していきます。

 そうして、私は下着姿になります。私はただ、されるがまま。エリカさんの手は、半裸の私の体をそっと撫でます。

 

「あっ……」

「……美帆。あなたをちょうだい。今夜も、あなたを味あわせて……」

「……はい、きてください。エリカさん。私は、いつだってあなたを受け入れます……」

 

 そうして、私が新たな夢の舞台にたった日の夜。

 私達の思い出に新たな一ページが刻まれる事となりました。

 私は胸を張って戦っていきます。こうして、エリカさんが愛してくれる限り、私はその愛の証明のために戦うのです。

 



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目指せヒロイン

「うーん……」

 

 とある昼下がり。

 美帆は部屋でうんうんと唸り声を上げていた。

 

「どうしたのよ美帆、そんな変な声だして」

 

 その声を聞いて、近くに座っていたエリカが尋ねる。

 

「あっ、いえなんでもないんですよ、なんでも」

 

 エリカの言葉に、美帆はぶんぶんと手を振って答えた。

 しかし、その後すぐに美帆は物憂げな顔でぼうっと窓の外を眺めていた。

 

「……ふむ」

 

 そんな美帆の様子を、エリカは訝しんだ。

 普段はとても元気な美帆なのだが、最近はこうしてどこか沈んでいることが多かった。

 その理由に、エリカはなんとなく心当たりがあった。

 そのため、エリカは美帆本人に聞いてみることにした。

 

「ねぇ美帆、もしかしてあなた、プロでのことで何か悩んでいるのではなくて?」

「えっ!? ど、どうしてそれを!?」

 

 どうやらエリカの想像は当たったらしい。

 美帆は驚き声を上ずらせた。

 

「だって、あなたここ最近ずっとそんな調子なんですもの。それも、だいたいプロリーグが開幕してからの時期と重なるわ」

「あはは……エリカさんに隠し事はできませんね」

 

 美帆は苦笑いしながらポリポリと頬をかく。

 

「そうですね……私は確かに、プロリーグであまり活躍できていないことを悩んでいます」

 

 美帆がプロチームに所属してから、とうとうプロリーグが開幕した。

 そしてプロリーグが開幕してから一ヶ月ほどの時間が流れていた。

 

「成績? でもラジオやテレビのスポーツニュースを聞いたりあなたからの話を聞いたりする分には、そんなひどい成績は出してないと思うけど」

「そうですね……たしかに悪い成績は出していません。でも、いい成績を出せていないのも確かなんですよ」

「それはまあ……そうだけど」

 

 エリカは確かにと頷いた。

 確かに美帆は、プロリーグで未だ華々しい成績を上げてはいなかったのだ。

 

「私は幸いにも期待のルーキーとして扱われ、開幕から一軍登用をしてもらいました。しかし、プロリーグでの戦いは苛烈で、私は隊長車の命令を聞くのに精一杯。そのせいか、地味な活躍しかできていないんですよ」

「足を引っ張っていないだけいいとも思うけど……戦車戦はチーム戦だから、個人の活躍がしづらい競技じゃない」

「それはそうですが……でも、やるからには活躍したいじゃないですか」

 

 美帆のその言葉にエリカは「……確かにね」と頷いた。

 戦車乗りは血の気の多い選手が多い。そのため、勝つために最善を尽くすのは当然として、それに加え華々しい活躍をしたいという気持ちは多くの戦車乗りが持っているものだった。

 エリカは美帆が普段は落ち着いた態度なので忘れていたが、美帆もまた戦車に乗ると血の気の多くなる戦車乗りなのである。活躍をして勝ちたいと思うのは当然のことだと思った。

 そして、かつて自分もそうだったのに、その気持ちを忘れていた自分自身に、老いというものを感じてしまうエリカだった。

 

「でもどうして活躍できないのかしらねぇ。あなたの能力なら、十分活躍できてもおかしくないと思うのだけれど」

「そうでしょうか……私には未だに自分の能力が足りないと思えてなりません。私にもっと能力があれば、搭乗員の能力をより活かせる指揮ができれば、もっと結果が変わったと思うんです。つまるところ、私の実力不足ですかね」

 

 寂しげに笑う美帆。

 その美帆の笑いを聞いて、エリカは心の内からどうにかしてあげたい、という気持ちが湧いてきた。

 ――美帆に能力がないなんて、そんなことはない。むしろ、その能力を活かせていないだけだと思う。そもそも、なぜ美帆は自分の能力を発揮できていない? 話を聞く限り、環境に問題はないように思える。とすると、考えられるのは……。

 

「……もしかして」

 

 そこで、エリカは一つの発想に至った。

 

「エリカさん?」

「ねぇ美帆、あなた今度休みよね。その日、予定あるかしら?」

「えっ? いえ、特にないですが……」

「そう、だったらそのまま空けておいてね」

「……? は、はい……?」

 

 美帆はよくわからないままエリカの言葉に頷いた。

 そして、エリカは一旦美帆の側を離れると、ズボンからスマートフォンを取り出し、盲目者用のアプリによって音声ガイドによってガイドを受けながら、とある先に連絡した。

「もしもし? 私、エリカだけど。ちょっとお願い事があるの」

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

 そしてやって来た休日。

 美帆はエリカと共に街にあるカフェに来ていた。

 カフェの一角で、エリカはすまし顔で、美帆は怪訝な顔で座っていた。

 

「…………」

「うん、このコーヒー美味しいわね」

「え、ええ……あの、エリカさん」

 

 美帆は満足気にコーヒーを飲むエリカに尋ねる。

 

「あの……こうして二人でお出かけできたことはとても嬉しいんですが、エリカさんが言う『待ち人』って誰のことなんです……? 今日は、誰かと会うためにこうして外に出てきたんですよね?」

「ええ、そうよ」

 

 エリカは当然のことのように返す。

 美帆はそんなエリカの態度に、少しだけ不機嫌になる。

 

「だったら誰を待っているか教えてくれてもいいじゃないですか。なんだか隠し事をされているみたいで、ちょっと寂しいです」

「まあまあそう拗ねないの。もう少しで来ると思うから……」

「逸見さん、東さん」

 

 と、そのとき、美帆の背後からエリカと美帆の名を呼ぶ声がした。

 美帆が振り返ると、そこにいたのは――

 

「ミ、ミカさん!? それに、安斎さんにノンナさんも!?」

 

 美帆の背後に立っていたのは、ミカ、アンチョビ、そしてノンナだった。

 

「よう東! それに久しぶりだな逸見!」

「どうもエリカさん、お久しぶりですね」

「ああ、どうもミカ、アンチョビ、ノンナ。あなた達の声を生で聞くの本当に久しぶりだわ」

 

 挨拶するミカ達に普通に返すエリカ。

 一方で美帆は混乱し顔を交互にミカ達とエリカのほうに振っていた。

 

「えっ!? あ、あの、もしかして今回の待ち人って……」

「ええ、ミカ達よ。今日はこの面子で一緒に休日を過ごそうと思って」

「えっ、ええ~~~っ!?」

 

 美帆の驚いた声が、カフェに響き渡った。

 

 

「もーそうならそうと早く言ってくださいよ……」

 

 カフェを出てから少しして、美帆がエリカに言った。

 

「ごめんなさい、でも、あなたを驚かせるのも今回の計画の一つだったから」

「計画って、どんな計画ですか……」

 

 美帆達は五人で街中を歩いていた。

 手を繋いだ美帆とエリカを前に、その後ろにミカ、アンチョビ、ノンナが続いていた。

 

「東さんの気持ちを和らげる計画だよ。逸見さんは東さんの不調の原因を東さんが私達相手に萎縮しているからだと考えているのさ」

 

 ミカが説明する。その説明に、美帆は意外そうな顔をした。

 

「私が、萎縮ですか……?」

「ああ、そうだぞ。現に東、今だって少し緊張しているだろう?」

「そ、そりゃあチームの大先輩がこうして一緒にいて緊張しないわけがないじゃないですか……」

「それがいけないんですよ東さん。私達はすでに同じチームメイトなんです。それなのに萎縮してしまってはいけません。なので、こうして一日オフを共にすることで、その萎縮を取り払おうというのがエリカさんの考えなのです」

 

 アンチョビとノンナが更に美帆に説明する。

 そのノンナ達の言葉を受けて、美帆はエリカのほうを見た。

 

「エリカさん……私、そんなに萎縮していますかね?」

「そうね、今まではプロのことは現場にいったことがないから分からなかったけど今こうして一緒にいると分かるわ。美帆、あなたは今ミカ達を前に萎縮しているわ。声色がどことなく硬いし、私の手を握っているあなたの手も硬いもの。普段のあなたらしくないわよ」

「そ、そうなんですか……自覚はないのですが……」

 

 美帆は空いているもう片方の手を開いたり閉じたりして感触を確かめた。

 そして、「言われてみれば確かに緊張しているかも……」と美帆は思った。

 

「だから、こうしてみんなで遊びに行くのよ。距離を縮めて、美帆がもう緊張しないようにね。そのために、最初はショッピングしましょう」

「は、はい。分かりました。それで最初のショッピングは、この先のデパートでいいんですよね?」

「ええ。ミカ達もそれに異存はないわね?」

「ああ」

「当然!」

「もちろんです」

 

 ミカ達が応える。

 そのミカ達の言葉を受けて、美帆は「……わかりました」と未だ整理のつかない自分の心をなんとか納得させた。

 そうして、一行は少し歩いた先にあるデパートへと入っていったのだった。

 

 

「それじゃあ、最初はどこから回りましょうか」

 

 デパートについてから、エリカが言った。

 入り口には沢山の人の山が往来している。その中で、美帆達は相談を始めた。

 

「そうですねぇ……最初は無難に服を見てみるのはどうでしょうか?」

「私はまずご飯を食べたいかな。ここのデパートにはいいレストランがくっついていると聞いたよ」

「言っておきますけど、おごりませんよ」

「おや、ノンナは心が狭いね。ここはノンナがみんなに食事をおごってくれるものとばかり思っていたよ私は」

「誰があなたに食事を奢りますか。馬鹿も休み休み言ってください。それはそれとして、私も東さんの意見に賛成ですね。最初は服を見たいです」

「うーん私はミカに賛同かなぁ。まずは腹ごしらえだろう。色々買い込む前に満腹になったほうがいいと思うんだが」

 

 意見は服を観に行く派と食事をする派に別れた。

 ニ対ニで意見が別れたために、必然的にまだ自分の意見を言っていないエリカに視線が集まった。

 

「私? そうねぇ……」

 

 その視線を感じ、エリカは考え込む。そして、パンと両の手のひらを合わせ言った。

 

「食事にしましょう。アンチョビの言う通り、最初にご飯を食べてからゆっくりと色々回りたいもの」

「決まりですね。それでは最初は食事で」

「おや東さん。最初に服と言っていたのにもかかわらずそこにこだわらないのですね」

「ええ、エリカさんの意見は絶対ですから」

 

 美帆が何気なく言った言葉に、ノンナ達は苦笑いをする。

 

「ん?」

 

 その微妙な空気の変化の理由が、イマイチわからない美帆であった。

 そうして五人はデパートに付属しているレストランへと向かった。

 レストランはちょうど食事時なのもあって人が多かったが、五人の入れるスペースはなんとかあったため、そのまま五人はレストランの奥へと案内された。

 

「それじゃあ食べましょうか、美帆、メニューに何があるのか教えて」

「はい。ええと……」

 

 そうして美帆はエリカのためにメニューを読み上げた。そしてその美帆の読み上げたメニューの中から、エリカはハンバーグを選択する。美帆はカレーを、ノンナはボルシチを、ミカは日替わりランチを、アンチョビはパスタを頼んだ。

 料理は少し時間を置いたが運び込まれ、五人の前に並べられた。

 そして、五人は歓談しながらその食事を食べ始めた。

 

「それにしてもエリカさんとこうして会うのは本当に久しぶりですね」

「そうねぇ、最近は全然会えてなかったから、こうして一緒に食事する機会なんて全然なかったものね。みんなの活躍、ラジオとかでよく聞かせてもらってるわ」

「逸見の活躍も聞いてるぞー。大洗で名コーチなんて呼ばれているらしいじゃないか」

「名コーチなんて……言い過ぎよ。目の見えない私にできることなんて限られてるわ。頑張ってるのは大洗の子達の頑張りのおかげよ」

「そんなことないですよエリカさん! エリカさんのお陰で少なくとも私はすごく頑張れました!」

「ほら、教え子がこう言っているんだ。下手な謙遜はよくないよ逸見さん」

「そ、そうかしら……」

 

 エリカは少しばかり顔を赤くする。そんなエリカの僅かな変化に、ミカ達の目がいたずらに光る。

 

「おや? 照れているのかい? あの逸見さんも、随分と可愛らしくなったものだね」

「べ、別にそんなんじゃないわよ……!」

「素直になったほうがいいぞぉ逸見ぃ。私はともかくミカとノンナは面倒だぞ?」

「私をミカさんと一緒にされることは心外ですね。私は好奇心からそういうことをすることは確かにありますが、ミカさんは完全に悪意の塊です。質が違います」

「おや、悪意で言ったらノンナもなかなかに強いと思うんだけれどね」

「否定はしないんですね……」

 

 美帆が苦笑する。和気あいあいとした空気に、美帆は先程の緊張がほぐされていた。

 思えば、最初に歓迎会で会ったときもそうだったと美帆は思った。

 ノンナ、アンチョビ、ミカの三人はとても親しげな空気を出しているが、そこに入りづらい雰囲気はなく、むしろ自然に溶け込ませてくれる。

 そこに美帆は三人の優しさを感じた。

 そして、食べ終わる頃にはすっかり美帆はリラックスできていた。

 食後、美帆達は少しゆっくりした後に衣服が売っている階へと行った。

 その階の女性服コーナーには、実に様々な服が売られていた。

 

「おおー……こういうところってあんまり来ないんですけれど、来るとなんだか感動するものがありますね」

「大げさだなぁ東は。女の子ならちゃんと服装を気にしたほうがいいぞー?」

「服装には一応気をつけてはいるつもりなんですが……でも、最近はどうしてもそういうのが億劫になってしまっていて」

「まあ気持ちは分かりますよ。戦車乗りはそういうところはどうしても野暮ったくなってしまう部分がありますからね。でも東さんはテレビにも注目されることが多いですから、私服は気にしたほうがいいですよ」

「はい、ノンナさん……ありがとうございます、気を使ってくれて」

「いいえいいんですよ。同じチームメイトじゃないですか。それに、私にも経験はありますしね」

「ノンナは見た目だけはいいからね。そういう取材も、よく来るよね」

「だけ、とは引っかかる言い方ですが、まあいいでしょう。あなたの発言をいちいち気にしていては時間がいくらあっても足りませんから」

「もーまたすぐ喧嘩しようとするー!」

「ふふふ……」

 

 美帆はそんなノンナ達のやり取りを聞いて笑う。

 その笑顔は、とても朗らかなものだった。

 

「それじゃあ服を見て選びましょうか。エリカさんのものは、私が選びますね」

「ええ、頼むわ」

 

 美帆はそうしてはずエリカのための服を選び始めた。

 二人だけなら美帆の姿だけなら見えるエリカの目によって、美帆が一回エリカ用の服を着てみるということもするのだが、今はミカ達の他にも多くの客がいるためそういった行動はしないでおいた。

 エリカが美帆を『視』ることができるのは二人だけの秘密というわけでもないのだが、下手にいいふらしてエリカの目が見えないことを疑われても困るためあえて口外はしないようにしていたのだ。

 

「んーエリカさんには……これがいいかもしれませんね!」

 

 美帆が選んだのは黒いブラウスにロングスカートだった。どこか大人びた印象を与える服だった。

 

「あら、いいですね。それなら確かにエリカさんにも似合いそうです」

「そうだね。なかなか素敵だと思うよ。いいセンスをしているじゃないか、東さん」

「ありがとうございます」

 

 ノンナとミカに褒められ、美帆は笑って応える。

 

「二人がいいと言うのなら本当にいいのね。美帆の選んでくれる服なら信頼しているけど、第三者の意見があるとより安心できるわね」

「ふぅむみんなセンスあるなぁ。私はそういうの自信ないからなー」

「何を言うんですか安斎さん。多分、この中で一番センスあるのは安斎さんですよ」

 

 美帆がアンチョビに言うと、アンチョビは驚いた顔をする。

 

「えぇ!? ないない! 私なんてセンスないんだから普段野暮ったい服ばっか着てるんだぞー!」

「その普段の服のセンスがいいものだと思うけれどね私は」

「ええ、そうですね。本当にセンスのある人間はそういった普段の服装からセンスがにじみ出るものですから」

 

 ミカとノンナが言う。その瞳には、どこかからかうような視線が篭っていた。

 

「う、ううー……そういうの、恥ずかしくなるから禁止!」

 

 アンチョビはそう言うと、自分の服選びに戻っていった。

 それを機に、四人はそれぞれ自分の服選びをし始めた。エリカはそれを楽しそうな様子で聞いていた。

 そうして服も選び、五人はさらにデパートのいろいろな階を回った。

 食品売り場、家具売り場、更には普段は絶対に見に行かないおもちゃ売り場にまで、五人は回った。

 五人のその行動は、ショッピングを楽しむというよりは、五人でいられる時間を楽しむというものになっていた。

 そうしているうちに、あっという間に時刻は夕方になった。

 五人はデパートめぐりを終え、外に出た。

 

「ふぅ、今日は楽しかったぞ!」

「ええ、楽しめましたね」

「そうだね、たまにはこういった休日の使い方も悪くはないんじゃないかな」

 

 アンチョビ、ノンナ、ミカがそれぞれ言う。

 そんなミカ達に、美帆は頭を下げた。

 

「みなさん……今日は私のためにありがとうございました!」

「おいおい頭なんて下げなくていいんだぞ? 気にするな」

「でも、せっかく私のために貴重なオフの時間を割いてくれて……私、とても嬉しかったんです! だから、お礼を言わせてください」

「そのお礼は、私達よりも先に逸見さんに言ってあげなよ。私達に最初に頭を下げたのは、逸見さんなんだからさ」

「……あっ」

 

 ミカの言葉に、美帆はハッとする。

 そして、すぐさま美帆はエリカのほうを向き、エリカに頭を下げた。

 

「エリカさん……ありがとうございます!」

「いいのよ美帆。美帆のためですもの。美帆がプロで頑張ってくれるなら、私はそれでいいわ」

「エリカさん……!」

 

 美帆はエリカのその言葉に感極まり目に涙を浮かべる。

 そんな美帆の様子を見て、ミカ達は柔らかい笑みを浮かべた。

 

「いいものですね、若いというのは」

「ああ、そうだな。まあ私はまだまだ若いつもりなんだけどな!」

「ふふっ、そうだね。私達もまだまだ負けてはいないさ。けど、ああいう次の世代のために頑張るときが私達にも来たのかもしれないね」

 

 美帆は瞳の涙を拭うと、今度はそんな話をしていたミカ達のほうを向いて、再び頭を下げた。

 

「改めて、ありがとうございました! 私、今日で先輩方と一緒に戦えること、嬉しく思いました。私、これから頑張ります! 東京エンパイアズの一員として、見事な戦果を上げて見せます!」

「ふふ、期待してるよ、東さん」

 

 ミカが美帆の肩に手を置く。以前の美帆なら、そのミカの行為に萎縮していただろう。だが、今の美帆は違う。今の美帆は、そのミカの手が大変誇らしく思えていた。

 美帆は、ミカ達三人と過ごした時間の中で、すっかり彼女達と距離を縮めたのだった。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

 ――数日後。

 

「放送席、放送席。今日のヒロインインタビューは、帝国エンパイアズの東美帆選手です!」

 

 美帆はミカ達と一緒に行動を共にした次の試合で、見事な活躍を試合中にしてみせた。

 そして、その結果その日のヒロインインタビューにまで選ばれることとなったのだ。

 

「よろしくお願いします、東選手」

「はい、よろしくお願いします」

「いやー今日の試合は素晴らしかったですねぇ。一両で相手戦車を五両撃破し、かつ陽動作戦を成功させるとは。見事なご活躍でした」

「いいえ、これも隊長のミカさんの采配によるものです。私は私にできることをしただけです」

「謙虚ですね。しかしそれをやってのける美帆さんの実力も見事なものだったと思います。プロになっての初の活躍でしたが、気分はどうですか?」

「はい。今まではあまり貢献できてなかったので、今回こういう形でチームに貢献できたことを大変嬉しく思います。できることなら、この調子でチームのために頑張って優勝させたいですね」

「ありがとうございます。東選手の力強い表明を聞くことができました。お立ち台より東美帆選手でした」

 

 

「……優勝させたいとは、大きく出たわねぇ」

「い、言わないでくださいエリカさん。ちょっと自分でも言い過ぎたかなって思ったんですから」

 

 その日、帰った美帆はソファーに座ったエリカにそう言われた。

 エリカはニヤニヤと美帆を見つめている。一方の美帆は、顔を赤くしてもじもじとしている。

 

「その、初めてのお立ち台でつい舞い上がっちゃったというか……うう、もう許してくださいよ」

「しょうがないわねぇ……」

 

 エリカはそう言うとソファーから立ち上がり、美帆に近寄った。

 

「でも、頑張ったからそれはそれとして、ご褒美あげる」

「エ、エリカさ……んっ!?」

 

 エリカは、美帆の体を抱くと急に美帆に口づけをした。エリカの舌が、美帆の口内を味わうように舐めまわす。

 

「んっ……んっ……」

「んっ……あっ……かはっ……!」

 

 二人は顔を紅潮させながらも口を離す。その二人の口には、よだれでできた橋がかかっていた。

 

「……エリカさん」

「……何、美帆」

「……もっと、ご褒美ください……」

「……しょうがないわね……」

 

 エリカは美帆の言葉に頷き、美帆の服の下に手をまさぐらせながらゆっくりと床に押し倒した。

 初の活躍をした日は、二人は何度となく交わしたはずなのにいくらでも燃え上がる、熱い夜となったのであった……。

 



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鋼鉄の狐

「…………」

 

 東美帆は白旗の上がったティーガーⅡのハッチから上半身を出しながら、目の前の光景を見つめていた。

 美帆の視線の先には、二台のIS―2が砲塔を向け合っていた。

 一方のIS―2の色は白、もう一方の色は黄土色をしている。

 それぞれの砲塔からは、砲撃後の白煙が上がっている。

 美帆は、その緊迫した空気のなかゴクリと唾を飲み込んだ。

 彼女がこの状況を目の当たりにした経緯の始まりは、数時間前に遡る。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「んーやっと着きましたー!」

 

 黒いパンツァージャケットを着た美帆は、さんさんと輝く太陽のもと、バスから下りて大きく背伸びをする。

 その美帆の後ろでは美帆と同じく黒いパンツァージャケットを着た女性達――帝国エンパイアズの選手達がバスから下り始めている。

 

「お疲れですか、東さん」

 

 美帆は後ろから話しかけられる。振り向くと、そこにはすらりと伸びた長身が美帆を見下ろしていた。

 

「あっ、ノンナさん」

 

 美帆に話しかけたのはノンナだった。美帆に優しく笑いかけるノンナに、美帆もまた笑顔で返す。

 

「はい、どうもバスでの長距離移動というのは苦手で……」

「そうなんですか? 戦車の中と比べればかなり快適だと思いますが」

「そうですね。でも私はどちらかというと戦車の中のほうが居心地がいいです。なんででしょうね。慣れというやつなんでしょうか?」

「ふふっ、バスよりも戦車のほうがいいなんて、東さんは生粋の戦車乗りなんですね」

 

 ノンナにそう言われた美帆は、少し顔を赤くして手を振った。

 

「そ、そんな……ノンナさんほどの戦車乗りに言われると恥ずかしいです……」

「ふふっ」

 

 ノンナはそんな美帆を見て静かに笑う。そのノンナを見て、美帆は大人の余裕というものを感じていた。

 そしてそれと共に、なんだかノンナがいつになく上機嫌なように見えた。

 

「ノンナさん? もしかして機嫌いいんですか?」

「おや? どうしてそう思いますか?」

「いえ、なんとなくですけどいつもより元気だなって……」

「おーいお前らー、何やってんだ早く行くぞー」

 

 と、二人が話しているところにアンチョビの声が飛んできた。

 見ると、他の選手はすでに移動を始めようとしているところだった。

 

「あっ、はい今行きます!」

 

 美帆とノンナは、その集団に駆け足で近づいていった。

 

 

 その後、美帆達は荷物を宿に置くと、ある程度の作戦会議をした後、今回の目的地、北海道にある戦車道の試合会場へと向かった。

 美帆達はそこに白く塗られた戦車――帝国エンパイアズの戦車の色は白に統一されている。美帆はジャケットの色は黒なのに戦車は白な事を前々から疑問に思っていた――を並べ、その前に整列する。

 そして、美帆達の前には黄土色の戦車が並べられ、その前に同じ色のパンツァージャケットを着た選手達が整列していた。

 そして、両者整列を終えると、それぞれの隊長、副隊長が前に出た。

 帝国エンパイアズの隊長はミカ、副隊長はアンチョビであるから、ミカとアンチョビが前に出る。一方相手チームからは、他の選手よりも一回り小さい小柄な選手と片目に傷がある選手が前に出た。

 そして、両陣営挨拶をする。

 その挨拶の後、ミカは相手の隊長に話しかけた。

 

「やあカチューシャ、久しぶりだね。今日の北陸フォクシーズとの試合、楽しみにしていたよ」

 

 ミカは相手の隊長――かつてのプラウダ高校隊長であり、現北陸フォクシーズの隊長であるカチューシャに軽く挨拶をした。

 するとカチューシャは、少し不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「ふん、心にも思ってないこと言っちゃって。ま、久しぶりだからそんなことは気にしないであげるけどね。カチューシャは心が大きいから」

「そうかい。ありがとう」

「相変わらず掴みどころがないわね……それよりも! ノンナ!」

 

 カチューシャはミカから視線を逸らすと、ミカの後ろ、すぐ近くに立っていたノンナに話しかけた。

 

「久しぶりねノンナ! 去年のシーズンオフのとき以来だったかしら?」

「はいカチューシャ、そうなりますね。カチューシャにこうして会える今日この日を楽しみに待っていました」

「私もよノンナ。去年は帝国エンパイアズに順位で負けてしまったけれど、今年はそうはいかないわよ? 敗北の屈辱を味あわせてあげるから覚悟しなさい?」

「ふふっ、それはこちらの台詞ですよカチューシャ。今年も私達が勝ち越します」

 

 カチューシャとノンナは互いに不敵に笑い合っていた。

 その二人の間には、他人には割って入れない何かがあると、美帆は感じ取った。

 

「……そこのあなた!」

「は、はい!?」

 

 と、そこで突然カチューシャがノンナに向いていた顔の向きを変え、美帆を指さしてきたのだ。

 美帆は突然のことに驚く。

 

「あなたが大物ルーキーなんて呼ばれている東美帆ね? ふぅーん……帝国に大枚を叩かれて買われたにしては思った以上にパッとしないのね。ま、せいぜいカチューシャ達の戦いの邪魔にならないよう頑張りなさい?」

「は、はい……」

 

 相手の隊長のカチューシャからの突然の言葉に、美帆はどう反応していいか分からなかった。

 なのでとりあえず答えを返すと、ミカの横にいるアンチョビが苦笑いをした。

 

「おいおい、うちの新人をあんまりいじめないでくれよー? お前ただでさえ威圧感あるんだから」

「ふん、威光と言って欲しいわね。それに、こんなことで縮んじゃうような子じゃ、どちらにせよ使い物にならないんじゃないの?」

 

 カチューシャが不敵な笑みで美帆を見ながら言う。

 美帆はそれに、曖昧に笑って返す。

 するとカチューシャは、「……ふん」と急に不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「さあ、行くわよ(れい)! 私達の強さ、今度こそ帝国に教えてあげないとね!」

 

 カチューシャはミカ達に背中を見せると、自分のチームの副隊長――零に話しかけながら自分達の戦車へと向かい始めた。

 

「ああカチューシャ、私達の力見せてやろう」

 

 零はカチューシャのその言葉にそう勇ましく答え、二人でそれぞれ戦車へと向かっていった。

 

「それじゃあ私達もいこうか。総員、搭乗開始」

『了解!』

 

 ミカの言葉で帝国エンパイアズの選手も引き締まり、それぞれの戦車に乗っていく。

 美帆もまた、自分に割り当てられた戦車、ティーガーⅡへと搭乗員達と一緒に搭乗した。

 そしてそれぞれの戦車が初期位置へとついていく。

 

『これより、帝国エンパイアズ対北陸フォクシーズの試合を開始します。試合開始!』

 

 審判の声が高らかに試合会場に響き渡る。

 こうして、帝国エンパイアズと北陸フォクシーズの試合が今、始まった。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「七時の方向敵のT―34/85、停車、撃て」

 

 美帆の冷静な声が車内に響く。

 その次の瞬間、美帆の乗るティーガーⅡは指示通り停車し、遠方にいる敵車両を砲撃した。

 そして、わずかな間を置いてその砲撃は敵車両に命中、白旗を上げさせた。

 

「見事です米田さん。撃破しましたね。それでは一旦後退、撃破した車両と共に進軍していた車両を味方のところまで引きつけます。歩場さん、低速後退」

 

 美帆のティーガーⅡは相手車両を引きつけるように後退する。

 それに相手車両は見事引きつけられ、二台のT―34/85が追跡してくる。

 

「敵の砲撃来ますから当たらないように蛇行してください。米田さん、撃破はしなくていいので威嚇射撃お願いします。こちらがあくまで逃げに徹しているように見せかけてください。府頭間さん、味方に連絡お願いします」

 

 美帆の命令を乗員は見事に遂行する。

 それによって、二台の敵車両は待ち構えていた味方車両の前にまでおびき出され、撃破された。

 

「ふぅ……これで四台、ですかね」

 

 美帆は停車すると軽く息を吐きながら言った。

 

「そうですね、味方の撃破した車両と合計すれば、右翼の敵はこれでほとんど撃破したと言っていいでしょう」

 

 米田がそれに答えた。

 試合はすでに中盤から終盤に差し掛かっていた。

 試合は序盤、お互いにお互いを包囲しようとして隊列が横に伸び、そこからの緊迫したにらみ合いが続いた。

 互いに遠距離から砲撃するも、致命打となるダメージを相手に与えられずにいる状況だった。

 その均衡を良しとしなかったのは隊長のミカだった。

 ミカは互いの砲撃が続く中、敢えて左翼に前進命令を出した。

 普通に考えればいい的である。

 だが、ミカは他の全火力を敵の左方面に集中させることで敵の砲撃の精度を落とす作戦に出た。

 その結果、左翼の前進は成功し、膠着していた状況を動かすことができた。

 そこからは激しく試合が動いた。

 フォクシーズも囲まれまいと前進を開始、それに呼応するようにエンパイアズも全軍前進。

 互いに距離を詰め合い両軍の距離はどんどんと縮まっていった。

 そこからフォクシーズはさらに両側へ伸びてエンパイアズを挟撃しようと動く。

 その動きに対応して、エンパイアズは両側の車両を地形にある森林地帯へと分散させた。

 これによってエンパイアズは中央の守りが薄くなったかと思いきや、中央部隊もまた後退、小高い丘に登り攻撃してこようとするフォクシーズに対し防御陣を敷いた。

 試合はフォクシーズの挟撃が成るか、それともエンパイアズの攪乱作戦が功を奏するかという状況になった。

 美帆はその中で右翼を担当し、少しずつ敵の右翼の戦力を削っていた。

 結果、敵の右翼をほぼ壊滅状態に追い込むことができたのであった。

 

「これで敵の挟撃作戦は失敗ですね。連絡によれば左翼はまだ手こずっているようですが、この調子なら応援にいけるのでは?」

 

 府頭間が言う。

 

「そうですね、しかし油断はできません。未だこちらの主力の中央部隊が丘の上に釘付けにされていることには変わりないんです。中央部隊をやられれば、今度はこちらが狩られる番になります」

 

 美帆はそう言うと、手にタブレットを持ち地図を確認する。

 そして美帆は少しの間考え、言った。

 

「……府頭間さん、右翼の指揮を取っている副隊長に連絡してください。内容はこうです。中央部隊の後方の攻撃許可を求む、と」

「分かりました」

 

 美帆は手こずっている左翼ではなく、隊長車含め主力部隊を釘付けにしている敵中央部隊を叩く方を選んだ。

 

「敵左翼を叩いていない以上挟まれ壊滅する可能性のある危険度の高い作戦ですが、成功すれば敵隊長車をやれるため、逆にこちらが勝利を手に入れたも同然の状況になります。とはいえ、その危険性を冒すかどうかはアンチョビさんの采配次第ですが……」

「美帆さん、連絡ありました」

「はい、どうでしたか?」

「了解。右翼部隊を敵中央に進軍させる、とのことです」

「分かりました。……副隊長にこう返信しておいてください、私の賭けに乗ってくれてありがとう、と」

「はい」

 

 そうして右翼部隊は敵中央部隊への進軍を開始した。

 右翼部隊が敵中央部隊の後方につくころには、丘の上のエンパイアズの中央部隊はかなり追い詰められている状況にあった。

 

「やはりこれが正解でしたね……左翼を助けに行っていたらこちらの中央部隊がやられていたかもしれません」

『右翼部隊、突撃!』

 

 無線越しからアンチョビの命令が響き渡る。

 その指示に従って、右翼部隊は敵中央部隊への攻撃をしかけた。

 後方からの攻撃に、敵中央部隊が反転、迎撃体制を取る。

 その動きは美帆の予想以上に早く、その攻撃をカチューシャが予想していたことを美帆は感じ取った。

 そこから激しい砲撃戦が始まる。

 敵中央部隊は丘と後方、二つを相手取った厳しい状況に置かれていた。

 とは言え、反応が早かったのもあって右翼部隊も丘の上の味方中央部隊も用意には敵中央部隊に近づくことができない。

 

「このままでは敵左翼部隊に合流され挟み撃ちにあいますね……こうなったら、さらにもうひとつ賭けに出たほうがいいかもしれませんね……」

「美帆さん!」

 

 美帆がそう考えていると、通信手の府頭間が美帆に言った。

 

「ミカ隊長からの命令です! 『これより、中央部隊と右翼部隊によって敵中央部隊へ同時に前進する』だそうです!」

「ああ、さすがミカさん……! コインをベットするタイミングを分かっている……! それではいきますよみなさん、タイミングをあわせて……パンツァーフォー!」

 

 美帆の声に合わせて、美帆のティーガーⅡは前進する。

 その前進にフォクシーズ側は虚を突かれたのか、一瞬砲撃の精度が鈍った。

 その隙を、エンパイアズは見逃さなかった。

 

「砲撃!」

 

 美帆は高らかに命令する。

 その命令によって、距離を縮めたことにより撃破圏内にはいった敵車両を確実に撃破していった。

 もちろん、エンパイアズの車両も無事では済まず、右翼、中央隊それぞれに被害が出た。

 しかし、敵主力を撃破する可能性に比べれば、その被害は微々たるものであったと言えよう。

 美帆はそのとき勝ちを確信した。

 だが、そのときだった。

 

「っ!?」

 

 先頭をきっていた美帆のティーガーⅡを、激しい衝撃が襲った。

 どうやら履帯をやられたらしかった。

 美帆がハッチから頭を出して見ると、そこには美帆のように、IS―2から頭を出して不敵に笑うカチューシャの姿があった。

 その次の瞬間、敵中央部隊は右翼部隊に向けて進軍を開始した。

 右翼部隊を撃破し左翼部隊と合流するつもりなのだろうと、美帆は思った。

 アンチョビの命令が飛ぶ。

 

『右翼部隊、後退しながら攻撃! 敵を近づけさせるな!』

 

 しかし美帆のティーガーⅡは履帯をやられているためその命令に従うことはできなかった。

 敵に襲われている中悠長に履帯を直している暇もない。とりあえずの砲撃はするも、うまく避けられてしまう。

 美帆はその瞬間、詰んだと思った。

 

「クソッ!」

 

 戦車の中で装填手の甲斐路が装甲内部を蹴る。

 

「甲斐路さん、落ち着いて……」

 

 美帆はその甲斐路をなだめる。やられたことは悔しいが、これもまた作戦の結果である。そう考えると、美帆はそこまで悔しい気持ちにはならなかった。

 

「私達は作戦を遂行しました。その過程で犠牲が出るのは仕方のないことですよ」

 

 そう言っているうちに、いつの間にかフォクシーズの戦車が美帆のティーガーⅡに肉薄していた。

 なぜ砲撃しないのか不思議だったが、接近したカチューシャを見て納得した。

 カチューシャは、笑っていた。

 

「見事だったわ東美帆。ただ、運が悪かったようね」

「ええ、そのようです」

「それじゃあ最後に言い残すことはある?」

「狐は狩られるものですよ? カチューシャさん」

「ふん、言ってなさい。それじゃあさようなら、ピロシキー」

 

 そうして、美帆のティーガーⅡはカチューシャのIS―2によって白旗を上げさせられた。

 その直後だった。丘からエンパイアズの中央部隊の戦車が下りてきたのは。

 

「各車迎撃! 敵の後方部隊よりも先に敵の主力部隊を叩くわよ!」

 

 カチューシャの命令が直に聞こえてくる。

 美帆はその様子をじっと眺めていた。

 敵と味方の中央部隊が入り混じり、混戦が発生する。

 その中で、敵味方共々次々と倒れていく。

 その中で最も激しい戦いをしていたのが、カチューシャのIS-2と味方の白いIS-2、ノンナの乗る戦車だった。

 互いの戦車はギリギリの距離での砲撃を打ち合いながら、近づいては離れ近づいては離れを繰り返していく。

 それはまるで一種の決闘のようであった。

 その二両の戦いに他の戦車も手を出さない。いや、出せないといったほうが正しかった。

 いつまでも続くかと思われた決闘。

 しかし、その戦いにもついに終止符が打たれる。

 白と黄土のIS-2がそれぞれ急停車し、砲塔を向けあったのだ。

 そして、その刹那、両車両から激しい砲撃音がした。

 広がる沈黙。

 動かないIS-2。

 それは一瞬でありながら永遠のように感じられた。

 だが、次の瞬間、白旗を上げたのは、黄土色の戦車――カチューシャのほうだった。

 

「よしっ!」

 

 美帆は思わずガッツポーズをする。

 そんな美帆の横を、敵の中央部隊を壊滅させた味方主力部隊が横切っていく。

 そのとき、美帆は見た。

 ノンナは美帆に軽く頭を下げたのを。

 まるで、カチューシャと決闘する機会をくれてありがとうと言わんがばかりに。

 そして、どんどんと美帆の元から離れていく主力部隊と右翼部隊を見ていると、美帆の元に回収車がやってきた。

 その回収車に回収されながら、美帆は試合の顛末を見た。

 勝負は、帝国エンパイアズが勝利を収めた。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「うう、負けちゃった……」

 

 カチューシャは試合後、悔しげに言った。

 

「仕方ないカチューシャ、相手のほうが上手だった。それだけのことさ」

「何よ零! もともとあなたが敵右翼を抑えられていたらこんなことにはならなかったんだからね!」

「うっ、それはそうだが……」

「カチューシャ」

 

 副隊長の零と話しているカチューシャのところにやってきたのはノンナだ。

 ノンナは、微笑みながらカチューシャに歩み寄り、そして頭を下げた。

 

「ありがとうございました。とてもいい試合でした。やはり、カチューシャは素晴らしい指揮官ですね」

「ふん、だったら私の下で昔みたいに戦ったらいいのに」

「それはできません。私は、プロではカチューシャと対等に戦いたいと思っているのですから。共に並び立つためには、これが一番だと私は高校の卒業式、あのときに決めたんです」

「ノンナ……」

「でもカチューシャ、私にとってあなたは最高の指揮官であることには変わりありません。愛しています、カチューシャ」

「ノ、ノンナ……!? ちょ、いきなり……!?」

 

 ノンナのいきなりの告白で、カチューシャは目を白黒させる。

 だが、すぐさま咳払いをし、ノンナを見直した。

 

「……ありがとうノンナ。私も、ノンナのこと好きよ。こうしてお互い堂々と気持ちを伝えられるのも、こうして敵味方になったおかげかしらね」

「はい。きっと」

「……ふふふ」

「……ふふっ」

 

 ノンナとカチューシャはいつしか笑い合っていた。そこには、二人にしか分からない絆が、確かにあった。

 

「はえー……」

 

 その光景を、美帆は口をポカンと開けながら見ていた。

 

「なんだか、とても立ち入れない世界ですね……」

「そうねぇ」

 

 と、美帆に同意する声。その声の主に、美帆は驚きの視線を向けた。

 

「えっ、エリカさん!? どうしてここに!?」

「あら、試合を聞きに来ていることは事前に知ってたでしょ?」

「そ、それはそうですけど音もなく現れるとびっくりするじゃないですか! 忍者か何かですか!?」

「あら盲目の忍者って結構格好いいわね。今度から忍法の勉強でもしようかしら」

「いろいろひどいことになりそうなので止めてください……」

 

 美帆がエリカに頭を下げる。

 その美帆の態度に、思わずエリカは吹き出す。

 

「……っぷ。あっはははははははは!」

「ちょ、笑わないでください!」

「ごめんなさいね。あなたがあまりに可愛いものだから……」

「え、エリカさん……」

「……ふふ、もう一度言うわ。可愛いわよ、美帆」

「ありがとうございます……エリカさんもそ、その……美しいです……」

 

 美帆とエリカの間に甘い空気が流れる。

 カチューシャとノンナ、エリカと美帆。

 それぞれ愛し合う者同士は、それぞれ思いを伝え合い、お互いの絆を確かめるのであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なあミカ、私達場違いじゃね?」

「この場所にいる。それは私達にとって必要なことなのかな?」

 

 

 

 



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戦車アイドル爆誕!?

「写真撮影、ですか?」

 

 ある日、私、東美帆は月刊戦車道で記者をやっている秋山優花里さんからそんな話をいただきました。

 

「はい、そうです! 実は戦車道連盟のほうでもっといろんな層に興味を持ってもらいたいという方向になっておりまして、そこで! 期待の新人と言われている東殿に白羽の矢が立ったというわけなんですよ!」

「はぁ……」

 

 優花里さんの話を要約すると、どうやら私に可愛らしい衣装を着て写真撮影の被写体になって欲しいということなのだそうです。

 私の容貌が評価されてそういう話がやってくるのはありがたいことなのですが、正直私はあまりその話に乗り気ではありませんでした。

 

「優花里さん……申し訳ないのですができればお断りしたいのですが……」

「ええーっ、なんでですかー!?」

「いえ、なんでもかんでもないですよ。だって恥ずかしいじゃないですか……そんな、全国に発行される媒体に自分の写真を乗っけるだなんて」

「いやいや、そうは言ってもすでに東殿は月刊戦車道などで組まれている特集などで何度も紙面を飾っているではないですか」

「それはそうですけど……それとは方向性が違います。私、可愛らしい服とか似合いませんし……」

 

 私はそれが嫌でした。

 戦車に乗っている姿などならば仕事の一つですしパンツァージャケットを着ているので特に気になりません。

 ですが撮影用に用意された可愛らしい服を着て撮影に挑むというのはどうにも……。

 

「そんなこと言わないでくださいよー。東殿ならきっとできますってー。一緒に参加する別の選手もいますから! そんな恥ずかしがらずにどうかお願いします! この通り!」

 

 優花里さんは顔の前で両手を合わせて私に頼み込んできました。

 私よりも一回りは年上の優花里さんにそんな手を合わせられたら気まずいというものじゃありません。

 

「や、やめてください! そんな格好!」

「いいえやめません! 東殿にオッケーを貰えるまではこの秋山優花里、テコでも帰りません!」

 

 うう、ものすごく罪悪感が……。

 とはいえ了承はしたくないですし、一体どうしたら……。

 

「いいじゃないの、オッケーしたら?」

「エリカさん!?」

 

 そこに、私達の話を楽しそうに聞いてきた私の同居人であり恋人の逸見エリカさんが笑いながら言ってきました。

 

「おお! エリカ殿は認めてくれますか!」

「ええ。私だって興味あるもの。美帆が月刊戦車道の紙面を可愛らしい服装で飾ってどんな反響を得るか」

「そんな……エリカさんまで……」

 

 エリカさんはいたずらな笑みで私を見てきます。

 私は逃げ道を封じられたネズミのような気分で諦めのため息をつきます。

 だって……エリカさんにまで頼まれたら断らないわけにはいかないじゃないですか……。

 

「ね、美帆。お願い」

「……分かりました! 受ければいいんでしょうその話!」

「おおーありがとうございます!」

 

 私が半ばヤケのような感じでオッケーを出すと、優花里さんはとても嬉しそうに反応しました。

 

「いやー本当によかったですー。実は斑鳩殿に絶対東殿を連れてくると約束してしまったので……」

「ああ斑鳩先輩と約束してたのね。どおりであなたにしては強引だと思ったわよ」

 

 斑鳩先輩というのは優花里さんの月刊戦車道の先輩だそうです。

 私も何度か会ってお話したことがあります。

 

「それじゃあ約束の日程はこの日でお願いしますね。衣装などはこちらで用意しますので、東殿は何も用意しなくていいですよ。それでは!」

 

 優花里さんは私に細かい日程などが書かれた紙を渡すと、忙しいのかすばやく私達の元を去っていきました。

 

「あ、優花里さん……!」

 

 私が声をかけたときには、すでに優花里さんの姿はありませんでした。

 

「……誰が他に来るのか、聞きたかったんですが……はぁ……」

 

 私はその日、再びため息をつきました。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「えーと、ここでいいんですよね……?」

 

 それから少しして、約束の日。

 私は優花里さんに指定された場所へとやってきていました。

 移動にかかったお金は後で月刊戦車道が持ってくれるそうです。

 私は少し不安を覚えながらも、指定の場所と思わしきビルへと入り、階段を上がっていきます。

 そして、三階ほど階段を上り、目に飛び込んできた扉を開けます。

 

「おー東殿! よくいらっしゃいました!」

 

 すると、そこには白く広い撮影ルームがあり、そこに優花里さんが待っていました。

 

「どうも優花里さん、来ましたよ」

「はいいらっしゃいませ! どうぞこちらにお座りください!」

 

 私は優花里さんに促され、とりあえず椅子に座ります。

 

「結構本格的な撮影ルームですね……」

「でしょう? 月刊戦車道がよく撮影に借りるんですが、いつも助かってるんですよー」

「へぇー……あ、そういえば一緒に撮影を受けるって人なんですけど、誰が来るんですか?」

「ああ、それはですね。そろそろ来ると思うんですが……」

 

 と、そのときだった。

 私が入ってきた扉が、再び開かれた。

 

「やっほー! 凛ちゃんだよー!」

 

 と、それと同時に底抜けに明るい声が。

 

「ああ、噂をすればですね。ようこそいらっしゃいませ、星凛殿!」

「星、凛……」

 

 私は少し驚きました。

 やってきた選手の名は、星凛。

 長い金髪と黒い手袋が特徴的な彼女は、少し前まで海外で活動していた、戦車道の選手です。とても明るい性格が国内海外共に人気な選手で、戦車道の実力もかなりのものがあります。

 最近日本に戻ってきて、元々所属していたカチューシャさんが指揮する北陸フォクシーズに戻ったという話は聞いていました。

 

「東殿! こちらが本日撮影を一緒にする星凛殿です! 星殿! こちらがお話していた東美帆殿です!」

「ど、どうも……」

 

 私は椅子から立ち上がりペコリと彼女に挨拶します。

 

「やっほーあなたが美帆ちゃんだね? 凛ちゃんはねー、凛ちゃんだよー! よろしくねー!」

 

 すると、なんと凛さんはいきなり私に抱きついてくるではありませんか。

 

「わ、わわっ!?」

 

 私は動揺します。

 だって、突然抱きつかれて動揺しない人がいるでしょうか?

 それとも、これは海外生活になれた彼女流の挨拶なのでしょうか?

 

「え、えーと、凛さん……」

「やだー凛さんなんて他人行儀はー! 凛ちゃんのことはー、凛ちゃんて呼んでー! あるいは呼び捨て!」

「え、ええ!?」

 

 私はさらに動揺します。

 だって、年上であり選手としても先輩の相手を呼び捨てにしろというのはなかなか難易度が高いように思えます。

 

「えっと……星凛……さん」

「凛ちゃん!」

「星凛ちゃん!」

「星……凛……ちゃん……さん」

「凛ちゃん!」

「星……凛……うう、これで勘弁してくださいー!」

 

 私はフルネームでの呼び捨てでギブアップを宣言します。

 これが私の限界です。

 

「んーよし! それで許したげる!」

 

 星凛は満足そうに私を離し頷きます。

 とりあえず開放された私は、もうそれだけのやり取りで疲れてしまって大きく息を吐きます。

 

「ふぅー……」

「あはは! 美帆ちゃんてばなんかおっさんくさいー!」

「お、おっさ……!?」

「ははは、二人共さっそく打ち解けたようですねぇ」

 

 優花里さんにはこれが打ち解けたように見えるのでしょうか。

 そうならば優花里さんは記者として人を見る目をもう少し養ったほうがいいと思います。

 

「それではお二人揃ったところで、本日の説明をさせていただきたいと思います。二人共まずはお座りください」

 

 そうして私と星凛は優花里さんの用意した椅子に座り、優花里さんからの説明を受けます。

 説明の内容はこうでした。

 私達はまず優花里さんの用意した衣装に着替え写真撮影を行います。

 その後、その衣装のまま二人でインタビュー形式の対談をするというものだそうです。

 私は不安で仕方ありませんでした。

 さっそく星凛のテンションについていけないのに、このまま撮影に入って大丈夫なのでしょうか?

 私、何かやらかしたりしないでしょうか?

 正直、戦車道の試合よりも緊張します。

 

「うーん楽しそうだねー!」

 

 そんな私とは正反対に、星凛はとてものんきそうに言い放ちます。

 ……大丈夫なんでしょうか、本当に。

 

「ふふふ、二人とも乗り気ですねぇ。それではさっそく着替えてきてもらって大丈夫ですか?」

 

 だから優花里さんには今の私が乗り気に見えるのでしょうか?

 優花里さんの記者としての人を見る目はやはり疑わしいと思わざるを得ません。

 すでに始まる前から私はいろいろと気苦労をしながら、更衣室へと向かいます。

 更衣室には衣装が用意されており、それに私と星凛は着替えます。

 その最中でした。

 

「うわー美帆ちゃんお胸おっきいねー」

「えっ? きゃっ!?」

 

 なんと、下着姿になった私の胸を急に星凛が揉んでくるではありませんか!

 

「ちょ、急に何を……」

「ふむふむ……なかなかの豊満バストだねぇ。凛ちゃん体型に自信があるほうじゃないから、このおっぱいには憧れちゃうなー」

「んっ、あっ、やめっ……」

 

 星凛の手を拒否したい私でしたが、星凛の手があまりにも巧みに私の胸を揉むために、私は妙に感じてしまい、変な声を上げてしまいます。

 それにしても、この手付き……無駄にその……感じちゃう……!

 

「ふむふむふむふむ……」

「あっ……星……凛……やめてって……言って……」

 

 このままじゃ……私……どうにかなっちゃいま……。

 

「うん! よく分かった! ありがとっ!」

「ひうっ!?」

 

 星凛は急に私の胸から手を離します。

 それを望んではいたためありがたかったのですが、あまりに急に手を離されたため私の体はびっくりしてしまいます。

 

「はぁ……はぁ……一体何を……」

「にゃははごめんねーつい気になっちゃって! さ、お着替えお着替え!」

 

 星凛はひらりと向く方向を私からロッカーに向き直すと何事もなかったかのように着替え始めました。

 

「むむむ……」

 

 私はこうなったら仕返しに胸を揉み返してやろうかとも思いました。

 が、止めました。

 ここで星凛の胸を揉むと何か大事なものを失ってしまう気がします。それに、エリカさんにもなんて説明すればいいのかわかりませんし。

 私は星凛によって火照らされた体のまま、悶々とした気持ちを抱えてロッカーにある服に着替えました。

 

 

「おーお二人とも似合っていますよー!」

 

 更衣室から出てきた私達に優花里さんが言います。

 

「へへー! そうでしょー? 凛ちゃんかわいいでしょー?」

 

 星凛は着飾った白くフリフリとしたフリルやレースがたくさんついた服装を見せびらかすようにポーズをとって答えます。

 一方私はと言うと――

 

「おや? どうしたのですか東殿?」

「い、いえ、恥ずかしくて……」

 

 私は星凛の後ろで隠れるように縮こまりました。

 だって恥ずかしいんです! 色は星凛とは対照的な黒ですが、星凛の衣装に負けず劣らずフリルやレースがたくさんついており、とてもかわいらしい服でした。

 でも正直、こうした可愛らしい服は私には似合わないというかなんというか……――

 

「ほら美帆ちゃん! 隠れてないで前に出るー!」

「わわっ!?」

 

 私は星凛によって無理矢理優花里さんの前に突き出されました。

 

「どうしたんですか東殿ー? とても可愛らしいですよー?」

「ううー! だからそれがー……!」

 

 私は顔を真っ赤にしながら目を瞑ります。

 正直今の私にはこれぐらいしかできませんでした。

 可愛らしい衣装を着ることを心に決めたとしても、、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしいです!

 

「じゃ、写真撮影に移りましょうかー」

 

 そんな私を尻目に、優花里さんが言い放ちました。

 ああ、優花里さんのこと今まで優しい人だと思っていましたがそうでもないようです。

 鬼です! 外道です! 鬼畜です!

 

「ささっ、美帆ちゃん写真撮るってさー! 行こ行こー!」

「わ、わかりましたから手を引っ張らないでください! 自分で歩きます!」

 

 さすがに小さな子供のようにに手を引っ張られるのはもっと恥ずかしいです!

 私は星凛の手をなんとか離し、もうヤケな気持ちでカメラの前に立ちました。

 それからはもう地獄のような時間でした。

 優花里さんの他にも月刊戦車道のスタッフが入ってきたかと思うと、いろいろと機材を用意して撮影を始めたのですが、もう恥ずかしいと言ったらありゃしませんでした。

 優花里さん他月刊戦車道の方々から要求される数々の可愛らしいポーズ。その一つ一つを取るたびに、私は頭が沸騰しそうになるぐらいに恥ずかしい気持ちになります。

 なんですか猫のポーズって。

 なんですかおかえりなさいご主人様のポーズって。

 こんあポーズ私エリカさん以外にしたことないですよ! エリカさん以外に見せたりしないですよ普通は!

 それなのに私はこんなポーズをカメラの前で撮ったりして……ヤバいです、自分が自分でなくなりそうです。

 一方星凛はノリノリでポーズを取っています。

 すっごく楽しそうに。

 なんなんですかなんでそんなノリノリなんですか、楽しいんですか自分を見せるのが好きなタイプですか、いるんですよねーたまに、私には理解できませんが。

 一番キツかったのは星凛と一緒にキスの真似事をする撮影でしたね。

 こんな過激な写真も撮るんですか!? もうエロ雑誌じゃないですか!? とすら思いましたが突っ込んだらあーそんないやらしいこと考えてるんだー変態―なんて思われかねないのでやめました。妥協してばっかりですね私。

 まあキスっぽいことすること自体は別に嫌というわけじゃないんですよ。私同性愛者ですし、嫌悪感とかはないんです。

 ただその……やっぱり恥ずかしいじゃないですか。人前でこういうことするのって。それなのに星凛はやっぱり凄く乗り気で……もう本当に唇がくっついちゃいそうな距離まで顔を近づけてきて……すると星凛の顔って結構可愛らしいなってのがよく分かって……ああ駄目駄目駄目です! 私にはエリカさんという人がいるんです! ごめんなさいエリカさん!

 そんな激動の撮影を終えて、次は対談形式のインタビューでした。

 これなら撮影よりはずっと楽だろう。そう思っていたのですが……。

 

「お二人の好きな戦車はなんですか?」

「私はキングティーガーですね。やはり戦車の王様という感じで――」

「あっ、凛ちゃんはねー! KV2! なんでかっていうとねー! カチューシャ様の好きな戦車だから! やっぱいいよねー! かーべーたん! でかくてとにかくでかくて威圧感ありありでー! なによりカチューシャ様が好きでー! あっ、カチューシャ様と言えばこの前ねー、凛ちゃんが帰ってきたときにー――」

 

 ……と、こんな風に、私が僅かな内容を話し終える前に自分の話を始め、しかもそれが長い! かつ大抵カチューシャさん賛美が入る!

 これには優花里さんも苦笑い。

 もちろん私も苦笑い。

 内心ではとってもげっそり。

 おかげで星凛が話し終えた後に私が再び、短く簡潔に話さないといけないことが多くて困ります。

 なので私が先に星凛に譲ろうとしても――

 

「それでは、お二人の戦車道でのモットーを教えてください」

「……お先にどうぞ」

「……うーん、凛ちゃんちょっと考えるから美帆ちゃん先に答えていいよー」

「……あっ、はい。……えーと、そうですね、私は――」

「あっ、思いついたよ! そうだね! 凛ちゃんはねー! 何よりも安全に怪我しないようにってのがモットーかもねー! だって凛ちゃん、昔ちょっと痛い目見ちゃったことがあってー――」

 

 あああああああああああもうううううううううう!

 こんなノリで大抵私に回されたと思ったら星凛が喋り出すんですよ!

 もう私こう人を選り好みするのは嫌いなんですがはっきり言います! 私この人苦手!

 なんていうか、磁石のS極とN極というか、水と油というか、光と闇の果てしないバトルというか、とにかくそんな感じで肌が合いません!

 今にでも逃げ出したいです!

 しかし一度受けた仕事から逃げ出すわけにもいかず、私はなんとか星凛との対談を乗り切ります。

 対談と言うか一方的に星凛が喋り続けていた気もしますがね!

 

「それではインタビューを終えさせていただきます。お二人ともありがとうございましたー」

「は、はい……」

「うん! お疲れー!」

 

 私は疲れた体と心に鞭を売ってなんとか立ち上がります。

 その横で、星凛が元気良く立ち上がります。

 

「ねぇねぇ美帆ちゃん! この後一緒にご飯食べない!? せっかくの機会だしさー!」

「勘弁してください……」

 

 星凛がとても楽しげに私に話しかけますが、私は半ば素で反応してしまいます。

 だって、食事でも星凛のペースに巻き込まれたらと考えるともう心が折れそうで……。

 

「うーん、そうか残念ー。……じゃ、変わりに」

「変わりに……?」

「ちゅっ」

「……へっ?」

 

 ……ちょ、今、私キスされました? フレンチですけど、キスされました?

 

「それじゃーねー!」

 

 星凛は私にキスをしたかと思うと、ぶんぶんと手を振って帰っていきました。

 残された私と優花里さんを含めた月刊戦車道のスタッフは、みんなポカンとしていました。

 

「……なんなんですかもうううううううううう!」

 

 私はその日、一番大きな声で叫びました……。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「……それは大変だったわねぇ」

「そうだったんですよー! 大変だったんですよー!」

 

 帰った後、私はエリカさんに慰めてもらいました。

 今の私は、エリカさんの膝の上に頭を置いて撫でてもらっています。

 ああ、なんという甘美な体験……。

 

「まあ、世の中にはそういう子もいるのよ。諦めなさい」

「ですけど、これから相手にすることもあるだろうプロの相手ですよー。相性悪すぎてこれからのフォクシーズとの試合が不安ですー」

「ふふ、そういうのもいい経験だから」

 

 エリカさんはそう言って私に笑いかけてくれます。

 ああ、やっぱりエリカさんは優しいです。私はエリカさんの優しさに溺れてしまいそうになります。

 でも、その前に……。

 

「あ、そうだエリカさん。ちょっとそっち向いてて貰えますか?」

「え? 別にいいけど、どうしたの?」

「その、ちょっと待っててくださいね」

 

 私はエリカさんに少しの間そっぽを向いていて貰います。エリカさんの目には唯一私だけは映りますからね。

 私は一人起き上がると、エリカさんのために用意をします。そして……。

 

「……いいですよ」

「ええ。……まあ!」

「……どうですか」

「とても綺麗よ。美帆」

 

 私は何をしたかと言うと、優花里さんから衣装を借りてきてそれをエリカさんの前で着たのです。

 

「でも、どうして? すごく恥ずかしいんじゃなかったの?」

「それはそうですが……その私の恥ずかしい姿を、エリカさんに見てもらえないなんて恥のかき損じゃないですか。エリカさんが唯一私の姿を見れるなら、せっかくだから見てもらいたくて……」

 

 私は顔を赤くして言います。

 そう、私はただ単にエリカさんに見てもらいたいがために優花里さんから衣装を借りてきたのです。

 私的利用もいいところですが、あんなに大変だった撮影なんです。これぐらいいいですよね?

 

「……ありがとう美帆。とても嬉しいわ……」

「あっ……」

 

 そう言うと、エリカさんは静かに私に近寄ってきて、唇を重ねてきます。フレンチじゃない、ディーブなキスを。

 

「んっ、あっ、んっ……ま、待ってください……」

「あら、気分じゃなかった?」

「いえ、そうじゃなくて……その……揉んでください」

「え?」

「だから! 一緒に胸を揉んで欲しいって言ってるんです!」

 

 ああ、言っちゃいました……。実を言うと、私の体はもうずっと火照りっぱなしだったんです。星凛に胸を揉まれたときから、ずっと……。

 だから、その熱をどうしてもエリカさんに癒して欲しかったんです。

 はしたない願いだとは分かっています。ですが、エリカさんは――

 

「……くすっ、ええ、いいわよ」

 

 軽く笑って、私の胸に手をあてがってくれました。

 

「あっ、んっ……!」

 

 ああ、快感が全身を駆け抜けます! 星凛の手付きもいやらしかったですが、エリカさんの手付きは、もっと気持ちよくて、淫らで……!

 そしてそれと同時に、エリカさんは再び私の口に口を重ね、舌を入れてきました。

 

「あっ、んんんっ、んはっ……んっ、んんっ、んんんっ……」

 

 そして、私はそのまま床に優しく押し倒されました。

 

「……このままじゃ衣装が汚れちゃうわね。脱ぐ?」

「……いえ、このままでお願いします。どうせ洗って返しますし、それに……」

「それに?」

「……このほうが、なんだか犯されているみたいで、燃えます」

 

 ああ、我ながら何を言っているのでしょう。

 でもエリカさんはそんな私のマゾな願望を笑って受け入れてくれました。

 そうして私達は、その日も二人で熱く熱くまぐわったのです。こんなに熱い夜を過ごせるなら、星凛にも少し感謝ですかね……。

 

 

 ですが、それからしばらくして……。

 

『もしもし、東殿ですかー? 実は先日の撮影した写真を乗せた号がそれはもうすごい勢いでして! 東殿めちゃくちゃ読者に人気になったんですよー! それでいろんなメディアも食いついて、テレビ出演の話も来てたりするんですよ! これには月刊戦車道も戦車道連盟も喜んじゃって! ぜひ次のオファーを受けていただいて欲しいところなんですがー! あ、星凛さんも当然の如く人気に火がついたので二人をユニットとして押し出していくっていう路線案も強くてー――』

「……前言撤回! 絶対感謝なんかしてやるものですかー!」

 

 エリカさん、私の苦難はまだまだ続きそうです……。

 



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観戦します!

 カランカラン。

 カレースナック「ゴン」の扉につけられている鈴が、軽やかな音を奏でた。

 

「いらっしゃい」

 

 スナックのマスターである西住まほは、来客に笑顔を向ける。

 

「はい、失礼します。まほさん」

 

 入ってきたのは、東美帆だ。

 美帆はまほの笑顔に笑顔で返した。

 

「おーい、美帆! こっちこっち!」

 

 店の奥の一角で、美帆を呼ぶ声がする。美帆はその声の方向を向いて、軽く手を振った。

 

「鈴!」

 

 美帆はその声の主――百華鈴の名を呼んだ。

 そこにいるのは鈴だけでない。かつての美帆のチームメイトである、弐瓶理沙、それに現黒森峰隊長である渥美梨華子に聖グロリアーナの隊長であるアールグレイ二世がその席に座っていた。

 

「それに理沙、梨華子、アールグレイさん、お久しぶりです」

「ええ、久しぶりですわね、美帆さん」

「久しぶりです、美帆さん」

 

 理沙と梨華子がそれぞれ行儀よく美帆に頭を下げる。

 

「ふん、まあ確かに久しぶりね小娘、元気にしていたかしら?」

「おうおうアールグレイは相変わらずだなぁ」

 

 不敵に笑うアールグレイ二世に対し、鈴がからからと笑う。

 美帆はそんな四人の囲んでいるテーブルに、中央に来るようについた。

 

「本当に久しぶりですねみなさん。それにしてもわざわざ熊本までご苦労さまです」

「いや何、大洗学園艦が熊本の近くによったからな。そしたら美帆もチームの遠征で熊本に来てるって言うじゃねぇか。だったら会いにこないわけにはいかねぇよなぁ理沙」

「ええそうですわね。美帆さんに会えるのならこれぐらいなんてことないですわ」

「私は黒森峰だからもともと熊本の近くにいることが多いですからね」

「なるほど、皆さんありがとうございます。それで、アールグレイさんは……」

「わ、私は確かにちょっと学園艦は遠かったですけど久々に小憎たらしい小娘がプロの荒波に揉まれて憔悴してるんじゃないかと思ってその無様な顔を見てやろうと思っただけよ! べ、別に心配してたとかまた会いたかったとかそんなんじゃないのよ!?」

「ふふっ、はい、そういうことにしておきます」

 

 美帆は明らかに狼狽しているアールグレイ二世に対し苦笑いをしながら言った。

 そうしながら、美帆はテーブルの上に置いてあったメニュー表を取る。

 

「あ、すいませんまほさん。この店長のおすすめカレーください」

「ああ、わかった。他のみんなはどうする?」

「そうだな。それじゃあ……」

 

 そうして美帆を皮切りに、それぞれが続々とメニューから好きなカレーを選ぶ少女達。

 まほは注文を受けると素早く頼まれた料理を作り、美帆達に出す。

 

「お待たせしました」

 

 美帆達の前に様々なカレーが置かれる。

 

「わぁ! 美味しそうです!」

「そうですわねぇ。うちではあんまり食べないから、とても新鮮に見えますわ」

「へっ、ブルジョワが。アールグレイのところでもあんまりカレーは食べなさそうだなー」

「そうでもないわよ。イギリスはカレーの本場の一つでしょう?」

「なるほど……」

 

 そして五人はカレーを食べながら談笑を楽しむ。

 

「いやあそれにしても美帆、最近CMとかにいっぱい出てるじゃねーか。もうすっかり芸能人だなぁええ?」

「うう……やめてください。恥ずかしいんですよあれ。チームとしての仕事だから断ることもできませんし……」

「あらそうなの? 私には小娘も結構楽しんでいるように見えたけど? ほら、ちょうどテレビでやってるわよ?」

『戦車の中は汗臭い? そんなときは! この強力消臭剤ファイブマン!』

「うわああああああああああ! や、やめてくださいいいいいいい! まほさん! チャンネル変えてくださいいいいいいいい!」

「ふふっ、いいじゃないか。私は好きだぞ、東さんの出てるCM」

「そ、そんなぁ……」

「ふふふっ」

「あ、理沙今凄く堂々と笑いましたね。そんな理沙はどうなんですか最近の成績は。もちろん勉強ですよ?」

「えっ? えっとー、それはその……わ、わたくし! ほ、補習は三回に一回ぐらいにはなりましてよ!?」

「偉ぶることじゃないだろそれ……」

 

 このように、五人とその談笑を聞いていたまほは楽しく語らい合った。

 そして、五人は食事を終えてもなお話に花を咲かせた。

 そうしていたときだった。

 

「お、テレビ見ろよ。そろそろ始まるぞ」

 

 鈴が言ったことによって、五人とまほは店に据え置かれているテレビに目を向ける。

 テレビに映っているのは、古ぼけた都市区画に居並ぶ戦車の姿だった。それは、戦車道の試合だった。テロップで『大阪レジスタンス対電撃ジャッカーズ』と表示されていた。

 

「レジスタンスとジャッカーズね。ジャッカーズはもちろん知っているでしょう? 我が聖グロリアーナ出身にして依然としてティーネームを名乗ることを許されている大ダージリン様の指揮するチームよ」

 

 アールグレイ二世が鼻を高くしながら言う。

 

「それと、サンダース出身のケイさんですわね」

 

 理沙が補足するように言う。

 

「そして、大阪レジスタンスの隊長は、かつて大洗の黄金時代を築き上げたという、あの……」

「澤梓だ」

 

 梨華子の言葉に、まほが割って入るように言った。

 六人はまじまじと画面を見つめた。

 試合は、今まさに始まろうとしていた。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「……なかなかに難しい試合ですね」

 

 美帆が息を呑みながら言う。

 テレビ画面には、上空や各地の定点カメラによって激しい戦車戦の姿が映し出されていた。

 状況は、序盤から苛烈だった。

 まず、ジャッカーズが電撃戦をしかけ足並みを揃え進行しているレジスタンスの車両に攻撃をしかけた。

 その手並みの鮮やかさは、さすがダージリンであるとまほは言った。

 だが、レジスタンスはその攻撃に動揺することなく、落ち着いて反撃を行った。

 その開幕の戦いにおいて、お互いにそれなりの数の戦車を消耗。

 それから後は、お互い複雑な都市区画において建物を盾にしながらの遠方からの射撃戦が行われていた。

 試合は若干の膠着状態へと移行していた。

 

「さて若き戦車乗りの諸君。君達はこの試合の今後の展開をどう見る?」

 

 試合に集中していた五人に、まほがニヤリと笑みを作りながら聞いた。

 

「うーん……現状だと、若干ジャッカーズが優勢じゃねーか? ジャッカーズは都市区画の有効なポイントを抑えてる。一方のレジスタンスは、互角に渡り合ってるように見えてジャッカーズに押し込められているように見えるな」

「そうね。このままの状況が続けば、レジスタンスはジリ貧と言ったところかしら。さすが大ダージリン様だわ!」

 

 鈴とアールグレイ二世が言う。

 しかし、それに対し、梨華子が首を振るう。

 

「いや、でもジャッカーズも攻め手を欠いているように思えるな。それに、ジャッカーズの得意戦法である広い場所での行進間射撃による翻弄作戦に持ち込めてないのはきついよ。それに対し、都市戦はレジスタンスの隊長澤梓さんの得意とするところ。これはまだ状況はわからないと思う」

「わたくしもそう思いますわね。攻め手を欠いているのはどちらにも言えること。これは長期戦になるのではないのかしら」

 

 梨華子に続き、理沙が言う。

 

「えーこの状況は明らかにジャッカーズ優勢だろ。大局的に考えて、ここからの状況はゆっくりと傾いていく形じゃないか?」

「うーん、鈴ちゃんにしては局所的なものの見方だと思うなぁ。いや、ある意味近接戦が得意な鈴ちゃんらしいか。でも、やっぱり現状は互角じゃないかな。鈴ちゃんはレジスタンスの都市戦の上手さを理解してないんだよ」

「まあ、幼馴染相手ということもあるのかなかなか言うのね黒森峰の隊長さんは。ま、私は大ダージリン様が負けるとは思ってませんから。……まあ大ダージリン様への信頼抜きにしても、この状況はジャッカーズ有利だとは思うのだけれどね。私だったらレジスタンス側の状況に追い込まれたら防衛に寄って体制を立て直すわ」

「意外と堅実に考えますわよね、アールグレイさんは。でもジャッカーズが防衛に回ったとしたら、レジスタンスもやりづらいとは思いますわね。そういう意味も込めてやはりこの試合、長期戦になるのではなくて?」

 

 テーブルの上では主にジャッカーズ有利という意見とレジスタンスとジャッカーズは互角という意見に割れていた。

 その中で、美帆だけは口元に手を当てながら、い入るように画面を見つめて黙っていた。

 

「……さて、意見が二分されているここでずっと黙って画面を見ている東さんの意見が聞きたいね」

 

 まほが美帆に意見を促す。

 すると、美帆は静かに口を開いて言った。

 

「……私は、レジスタンス有利だと思います」

「……ほう」

 

 まほがニヤリと笑う。だが、その発言にまほ以外の他の四人は驚いた。

 

「ええ!? そりゃないだろー!」

「そうですよ、互角かなーとは思いますけどレジスタンスが有利とは……」

「ふっ、小娘の目も曇ったものね」

「わたくしも、それはないかと……」

 

 四人がそれぞれ否定の言葉を上げる。だが、美帆はゆっくりと頭を振った。

 

「ううん。私はやっぱりレジスタンス有利だと思うんです。多分そろそろわかりやすくハイライトが出ることだと思うんですが――あ、ほら出てきました。みんな画面を見てみてください」

 

 その場にいる六人全員が画面を見る。画面には、上空からの総括的な戦場マップと、戦車の位置が映し出されていた。

 戦車は互いに都市区画の入り組んだ地形に入り込んでいた。

 

「うん? どういうことですの? わたくしにはやっぱり互角にしか――」

「いいから。ほら、ジャッカーズとレジスタンスの位置関係、よく見てください」

 

 理沙の言葉に、美帆が指を指しながら言う。

 

「えっ? えっと……あ……ああーっ!?」

「あら……? あっ……これってもしかして……!?」

 

 それに気づいたのは、梨華子とアールグレイ二世だった。

 

「お、おいどうしたんだよ二人共」

「どうしたじゃないよ鈴ちゃん! よく見て! まずジャッカーズの位置!」

「え? えーっと、都市の中央部付近に僅かにだが近いな……」

「それと、レジスタンスの位置!」

「うーんと、都市の外周側……あっ、ああああっ!?」

「さすが名門校の隊長の集まり、気づいたようだね」

 

 声を上げる鈴達に、まほは笑みを保ちつつ言う。

 

「そうなんです。状況が膠着しているように思えて、レジスタンスは少しずつ都市から脱出しようとしているんです。それに対し、ジャッカーズは都市の内部に誘導されています」

「で、でも、都市にいたほうが防御しやすいんじゃ……」

 

 理沙が言う。それに対し、まほが「そうだね」と相づちをうった。

 

「でもね弐瓶さん。それは都市防衛に有用な数の戦車があった場合だ。だが、開幕の射撃戦でジャッカーズは戦車を消耗している上に、得意戦術が広い場所での行進間射撃であるため、真逆の状況に追い詰められている。それに対し、レジスタンスは都市戦に慣れている上に、今まさにジャッカーズの側面、背面をつく準備をしている。前線の戦車を集中させて対面する戦車の数を多く見せようとしているのがその証拠さ。つまり、このままいけば――」

「ジャッカーズは、レジスタンスの少数精鋭に側面、背面をつかれます。まるで、複雑な網目を伝う水のように」

 

 そして、試合は美帆とまほの言う通りに進んだ。ジャッカーズも途中でそのレジスタンスの作戦に気づいたのか、戦車を後退させ始めたが遅かった。

 レジスタンスの戦車が少数で既に都市の横合いから入り込んでおり、ジャッカーズの戦車は側面から打撃を受けた。

 そこから、試合の形成は一気にレジスタンスに傾いた。ジャッカーズは都市中央に集まるように結集し防御陣形を取る。

 そこからジャッカーズも怒涛の反撃を見せるも、一度つけられた優劣を覆すことはできず、試合はレジスタンスの勝利に終わった。

 

「おおー……」

 

 鈴が感嘆の声を上げた。他の面子は声すら失っているようだった。

 

「すごい試合だったね……」

「ええ、これがプロなのですわね……」

「だ、大ダージリン様はちょっと調子が悪かっただけよ! 平地ならこうはいかなかったわ!」

 

 それぞれがそれぞれの感想を言うなか、美帆は一人テレビを食い入るように見ていた。

 そこに映っていたのは、ヒロインインタビューに答える梓の姿だった。

 

『いやー澤隊長、今回の戦い見事でした』

『いえ、途中まではかなり危なかったです。作戦もいつ見破られるかヒヤヒヤしていました』

『なるほど、では今回の作戦が成功したのはなぜでしょうか?』

『ジャッカーズよりもこちらが都市戦に一日の長があった……からですかね。あとは、時の運だと思います。ダージリンさんは私よりもずっと経験も戦略も優れていると思っているので、いつ看破されてもおかしくなかったですから』

 

 テレビの画面に向かって苦笑いする梓に、美帆は鋭い視線を向けた。

 その美帆の肩を、まほがぽんと叩いた。

 

「力、入っているよ東さん」

「あ、すいませんまほさん……」

「やはり、気になるかい、同じプロとして」

「はい、あの状況にもっていった澤さんは凄かったですし、私達と違って敵の戦車の配置が完全に分からないにもかかわらずあの段階で澤さんの作戦に気づいたダージリンさんも凄くて……やはり、プロの世界は厳しいと改めて思いました」

「そうだな。私も、現役時代はあの二人……いや、あの二人だけじゃない。他にも活躍している数多くの選手達に苦しめられてきた」

「はい……」

「それでも……戦うしかない。そうだろう?」

「……はい……!」

 

 美帆は手をぎゅっと握り、確かな声でまほに答えた。

 まほは、その美帆の返答に満足したように笑みを見せ、ぽんぽんと肩を叩いてカウンターに戻っていった。

「まあ、力を抜くといいさ。肩肘張っていては、出せる実力も出せなくなるからね」

 そう言うと、まほはカウンターからジュースの入ったグラスを人数分用意し、五人に配った。

 

「どうぞ、これを飲んでみんなリラックスしながら感想戦でもするといい。ここは、そういう客は大歓迎だからね」

『……はい!』

 

 まほの言葉に、店に来ていた五人は笑顔で一斉に答えた。

 それから、五人は夜が更けるまでその日の試合について話し合っていた……。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「……ただいま戻りました」

「おかりなさい、美帆」

 

 美帆は家に帰ると、ぐったりとソファーにうつ伏せになった。

 その美帆の頭を、ちょうどそのソファーに座っていた逸見エリカは頭を撫でる。

 

「どう? 鈴達と久々に会って楽しかった? ……その様子だと、大分疲れているようだけど」

「……はい。かなり戦車道トークに熱が入ってしまいまして」

「そうなの。そういえば今日は梓とダージリンの試合だったわね」

「はい……」

 

 美帆はソファーに顔を埋めたまま答える。その頭をやはりエリカは撫で続ける。

 

「……エリカさん」

「ん?」

「私、頑張ります。頑張って、プロで戦います」

「……そう」

 

 エリカは深くは聞かなかった。聞く必要はなかった。そのやり取りだけで、エリカは美帆の心に湧いた覚悟を理解したのだから。

「でも、無茶はしないでね? あなたが私のために頑張ってくれるのは嬉しいけど、下手に無茶して私の二の舞にはなってほしくないから」

 エリカは、そっと自分の見えない目を触れながら言った。

 

「……はい」

 

 美帆はゆっくりソファーから起き上がる。

 そして、エリカの横に座ると、そっと頭をエリカの肩に乗せた。

 

「エリカさん……」

「うん」

「大好きです……」

「ええ、私もよ。美帆」

 

 二人にそれ以上の言葉はいらなかった。

 それから、ずっと二人はそうし続けていた。

 そんな二人を見守るのは、空に浮かんだ月だけだった……。

 



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amusement for team

「うぐぅ……無念です」

 

 東美帆は、撤収される戦車を見ながら、煤けた体で輸送車の上で言った。

 美帆の車両は、その日行われた試合において、序盤に撃破されてしまったのだ。

 相手は大企業桐原コンツェルンをスポンサーとした、桐原ネロスズ。

 隊長は元知波単学園の隊長、西絹代である。美帆は試合の序盤において、同じくネロスズに所属している、元聖グロリアーナの選手であり、現ネロスズの副隊長である、オレンジペコの陽動に引っかかり、孤立させられたところを、西絹代の突撃にあい撃破されてしまったのだ。

 

「あのような陽動に引っかかるなんて、私もまだまだですね……」

「いえ、こればかりは相手の戦術が一枚上手だったかと……」

 

 砲手である米田(べいだ)が、黒い長髪をなびかせながら美帆に言う。

 それに対し美帆は首を振る。

 

「いえ、一枚どころか二枚も三枚も上手ですよ。でも、陽動自体はもっと冷静になれば見抜けたはずなんです。そこはやはり、私の未熟さゆえですよ」

 

 美帆は肩を落としながら言う。

 彼女がここまで落ち込むのは、最近の試合ではあまりなかったことだ。そのせいか、美帆の戦車の搭乗員達四人はどう声をかければいいか悩み、戦車の影に集まってこっそりと話し合う。

 

「……で、どうしよう」

 

 銀髪を輝かせた通信手の府頭間が言う。

 

「どうするなど、我に聞くな……」

 

 答えたのは米田だ。とても困った顔をしている。

 

「……ここは、時間が癒やすのを待つしかないかと」

 

 操縦手の歩場がショートヘアを揺らしながら小さな声で言う。

 

「そうね……美帆さんは微妙に繊細な部分があるものねぇ」

 

 装填手の甲斐路がツーサイドアップの髪をいじりながら言うと、他の三人が冷たい視線を甲斐路に向けた。

 

「な……何よ。ワタシの顔に何かついてる?」

「いや……それをお前が言うのかと思ってな」

「よくモノに当たるお主が言うことではないだろう……」

「……右に同じ」

「ワ、ワタシだって当たりたくて当たってるんじゃなくて! つい近くにモノがあると当たっちゃうだけであって!」

「まあ甲斐路の気性の荒さは置いておくとして」

「ちょっと米田さん! あなたにそう言われるとワタシすごく傷つくんだけど!」

「実際、我々にはどうしようもないのかもな。我々は、思えば美帆さんとの距離が少し遠い」

「そうだなぁ。なんというかビジネスライクな関係を未だに抜け出せてない感がある」

「……長い間同じ戦車に乗っているのにね。あんまり戦車道以外で絡んだことない」

 

 米田の言葉に、府頭間と歩場が同意する。

 

『…………』

 

 四人の間に、気まずい沈黙が流れる。

 

「こういうときは、だいたい逸見先生が解決してくれるんだけど……」

 

 その沈黙を破ったのは、甲斐路だった。

 確かにその通りだった。美帆が不機嫌なときは、常に彼女の同居人であり、恋人である逸見エリカ――美帆本人は秘密にしているつもりだがほぼ公然と知られた事実である――が美帆を慰めていた。

 

「でも今日は無理だな。逸見先生、久々に大洗女子学園に戻ってるし」

 

 そう、府頭間の言う通り、エリカはその日、美帆の試合会場から離れ、大洗学園艦にいるのだった。

 

「しかし先生も律儀だね。美帆についているから臨時講師をする必要がないのに、呼ばれれば行くのだから」

 

「そうだな。我もそう思う。だが、そういうところがあるからこそ、我らも美帆さんも逸見先生を好きになったのだろうな。まあ、好きの意味は違うが」

 米田の言葉に三人がうんうんと頷く。

 

「……そうだ」

 

 と、そこで歩場が小さな声ではあるが主張するように言った。

 

「ん? どしたの歩場?」

「……私達で、代わりに美帆さん慰めればいい」

「……なるほど、確かにそうすれば美帆さんも元気になるし、うまくういけば我々と美帆さんの距離も近づくかもしれない。よい提案だ、歩場」

 

 米田が歩場を褒める。

 そして四人は、どういう内容にするか四人で話し合い始めた。

 

「……はぁ」

 

 一方、美帆は未だに落ち込んでため息をつきながら試合の結果を映し出している巨大モニターを眺めていた。

 試合は、ネロスズが最適なタイミングで帝国エンパイアズの側面に突撃し、打撃を与えていた状況だった。

 試合はエンパイアズになかなかに厳しい状況になっていたが、最終的にはエンパイアズがネロスズの息をつかせぬ連続的な突撃を逆手にとり、ネロスズの部隊を包囲したことにより状況は逆転、エンパイアズの勝利に終わった。

 

 

「……あの、美帆さん?」

「はい?」

 

 試合後のブリーフィングも終わった後、美帆に話しかけたのは米田だった。米田は試合とは違った緊張感を持ちながらも、美帆に面と向かっていた。

 なお、米田の後ろでは部屋の外から歩場、甲斐路、府頭間がこっそりと米田を見守っていた。

 四人の中から米田が選ばれたのは、四人で話し合った結果、歩場では普段無口すぎて美帆とうまく喋られないだろうと判断され、甲斐路は何か失敗するとすぐモノに当たるので危なく、府頭間は普段の行いからドジをしかねないと考えられたからであった。

 三人はその評価に少しばかり不満を持っていたが、本当のことでもあるので米田に任せることにした。

 

「その……明日、予定はありますか?」

「え? いえ……明日はエリカさんもいないので特に予定はなく一人で過ごすつもりだったのですが……」

「そうですか……その、もしよければ我々同じ戦車に乗っている五人で遊園地にでも行きませんか? 実は、偶然チケットが五枚手に入りまして、我々四人は大丈夫なのですが後一人どうしようかと思っていまして……」

 

 そうして米田はチケットを見せた。もちろん手に入れたのは偶然などではない。歩場が急いで近場にある遊園地から手に入れてきたものである。

 

「遊園地、ですか……」

「……嫌ですか?」

 

 米田は不安そうに美帆の顔を見る。美帆はその米田の様子に、手をブンブンと振る。

 

「い、いえそうではないんですよ! むしろありがたいです、最近そういうところには行ってませんでしたからね。……ええ、そうですね。参加させてください。私なんかでよければ」

 

 美帆は笑顔を見せ言った。

 

「ありがとうございます」

 

 米田は無表情でお礼を言った。ただ、その背中に片手を回し、三人に見えるように親指を立ててみせた。

 三人は米田に見えないのを承知で親指を返した。

 

「それでは集まる場所と時間を決めましょうか。そうですね、集まる場所は――」

 

 そうして、米田は美帆と話を進めた。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「うわー、すごい混んでますねぇ」

 

 翌日、遊園地。

 美帆は大勢の人混みを見てそう言った。

 

「そうですねぇ、平日なのにこの混みよう。さすがと言ったところですね」

「うむ、さすがは都市圏に近い遊園地、と言ったところか」

「うう、人酔いしそうだ……」

 

 それに甲斐路と米田が返し、府頭間が銀髪を太陽に輝かせながら少し辟易とした顔で言う。その側で歩場がコクリと頷く。

 

「まあ、しょうがないですよ。多分昨日の試合の影響で人が集まったのもあるでしょうし。それより、どこから行きます? 私はどこでもいいですよ?」

 

 美帆が先頭を歩いている米田の一歩後ろを歩きながら言う。

 米田はうーんと悩むように顎に手を置いた。

 

「そうですね……では、あれからどうでしょうか。少し並ぶことになりますが」

 

 米田が指し示したのはジェットコースターだった。ジェットコースターへの道には、少しばかり行列ができている。

 

「お、いきなりジェットコースターですか。いいですね、乗りましょう」

 

 美帆は笑顔で言う。だが、その笑顔は少しばかり元気がない。やはり昨日の影響がまだ残っているようだった。

 

「…………」

 

 歩場がトンと肘で府頭間をつく。

 

「えっ何だ!? 私に何かフォローしろと言うのか!?」

 

 府頭間が美帆に聞こえない程度の小声でヒソヒソと歩場に言うと、歩場はコクンと頷いた。

 

「そういうことはお前が……できないだろうなぁ。でも米田か甲斐路のほうが適任じゃないか? そういうのは。私はそういうのあまり得意じゃないぞ」

「……それもそう。人選を間違えた」

「あっ、ちょっと待て。今のはカチンと来たぞ。私だってやればできるのだ。今からそれを見せてやる」

「……まっ――」

 

 歩場はしまったと思い、府頭間を止めようとする。だが、その前に府頭間は美帆の横に行ってしまった。

 

「美帆さん!」

「ん? 府頭間さん? どうしたんですか?」

「えっと……そうだ! 下見だと思えばいいんですよ! 今度逸見先生と一緒に来る用にって!」

「……そうですね。でも、無理だと思いますよ。エリカさんみたいに目が見えない人には、遊園地は少し危ないと思いますから」

「あっ……」

 

 やってしまった。府頭間はそう思った。

 

「美帆さんちょっとすいません」

 

 その瞬間、府頭間は米田と甲斐路に両脇を掴まれ、美帆と距離を離された。

 

「貴様なーっ! よりによって一番繊細な部分をなーっ!」

「何考えてるのよあなたは! あなたのドジはいつものことだけどどうして肝心なところでやらかすの!? 馬鹿なの!?」

「……デリカシーがない」

 

 米田、甲斐路、歩場からそれぞれ怒られた府頭間は、反省してしゅんとうなだれる。

 

「す、すまない……ああ、私はなんてドジなんだ……!」

「あ、あの皆さん? 私は気にしてませんからそんな府頭間さんを責めないでください。むしろ、エリカさんが普段は健常者と変わらないぐらいの生活を送れているってことの証左みたいなものですから、ね?」

 

 四人の声は聞こえておらずとも、府頭間が責められているのが分かったのか美帆は三人に言う。

 その美帆の言葉に、米田と甲斐路は府頭間を離し、美帆の元へと戻った。

 

「すいません本当に……」

 

 米田が代表で謝る。それに、美帆は少し困ったようにハハハと笑って手を振った。

 

「だからいいんですよ。さ、それよりも早くジェットコースターに乗りましょう。今並べば十五分ぐらいで乗れるっぽいですよ?」

 

 美帆達はそこで話を一旦区切り、行列に並び、ジェットコースターに乗った。

 ジェットコースターに乗る頃には美帆以外の四人からも怒りは抜け、純粋にジェットコースターを楽しむことができた。

 

「いやぁ楽しかったですねぇジェットコースター」

「そうですね」

「……よかった」

「ふぅー……死ぬかと思ったぁ……」

「戦車とはまったく違った激しさがあって新鮮だったな」

 

 美帆に続き、米田、歩場、甲斐路、府頭間の順でそれぞれ感想を言う。

 

「歩場さんはずっと黙ってましたけど本当に楽しめたんですか? 私もジェットコースターがぐるんぐるんと回転するところでは思わず声を上げてしまったんですが……」

 

 そこに、美帆が疑問を歩場に投げかけた。

 歩場はコクンと首を縦に振った。

 

「ああ大丈夫ですよ美帆さん。歩場は昔から無口だけど楽しむときは楽しむ子ですから。それに実は微妙に表情が変化しているんですよ?」

 

 甲斐路が解説するように言う。

 

「へぇ……そうなんですか? 皆さんよく分かりますね。私には全然」

「まあ、私達は幼稚園の頃からの付き合いですからね」

 

 府頭間が付け足すように言う。

 

「ああ、そう言えばそうでしたね。みなさん、東京の同じ幼稚園から同じ小学校、中学校に通ってたんでしたっけ」

「ええ。私達四人は昔からずっと一緒で戦車道も一緒にやろうって決めてたんです。それで、名門の大洗に入学したんです。まさかプロになれるとは思ってもみませんでしたが」

 

 米田が解説する。それに美帆は納得するように手を打つ。

 

「なるほど……だからみなさんの連携は素晴らしいんですね、納得です」

「いえ……それも美帆さんの指示があるおかげですよ」

「ありがとうございます、お世辞でも嬉しいですよ」

 

 米田の言葉に、美帆が笑って返す。米田はその言葉に頭を横に振った。

 

「いいえ、お世辞などでは……」

「ふふっ、そういうことにしておきます。では、次は何に乗りましょうか」

 

 話を区切るように美帆は言った。米田はお世辞だと思われたことに少し納得がいっていないようだったが、話を引き伸ばすのもよくないと思い、あたりを見回した。

 

「……あれとかよさそう」

 

 そこで歩場が小さく声を出す。歩場が指さしたのは、コーヒーカップだった。

 

「コーヒーカップですか、ジェットコースターの後にはまったりしていいですね。ただ、五人全員はさすがに狭そうですね。二人と三人に分かれたほうがいいかもしれませんね……」

「はいはいはい! じゃあ私と米田で一緒に乗りますから、三人で楽しんでください!」

 

 そこで、割って入るように甲斐路が米田の手を掴み、言った。

 

「お、おい。こういうのは普通ジャンケンとかで決めるのでは……」

「いいじゃないの米田! ね、美帆さんもそれでいいですよね!」

「え? ええ……」

 

 その強引な態度に困惑する美帆。そこに、府頭間が美帆に耳打ちした。

「……甲斐路の奴、米田のことが好きなんですよ。もちろんラヴの意味で」

「……ああ、なるほど」

 

 美帆は納得したように頷いた。そして再び米田と甲斐路を見る。美帆は改めて二人を見ると、確かに甲斐路の米田への好意は一定以上のもののように見えた。

 

「……わかりました! それでは、私、歩場さん、府頭間さんで乗りましょう。お二人は二人でゆっくり楽しんでください」

「……は、はい。美帆さんがそう言うなら……」

 

 米田は一人納得していないような顔をしながらも、美帆の言葉だからと頷いた。

 そして、美帆達はそれぞれ二人と三人に分かれコーヒーカップに乗った。

 コーヒーカップも五人は童心に返ったかのように楽しんだ。美帆達はコーヒーカップを勢いよく回し、激しい回転を楽しんだ。

 米田と甲斐路は、まったりと回転を楽しんだ。

 

「ふぅ……コーヒーカップってこの歳で乗っても楽しいですね」

 

 美帆はコーヒーカップを降りてそう言った。

 

「うん、良かったです……」

 

 甲斐路は恍惚とした顔で降りてきた。その表情に、米田は少し不思議そうな顔をした。

 そのように、五人は遊園地を満喫した。

 フリーフォールで美帆は大声を上げたし、お化け屋敷では米田が「実は霊感があるんですけどここにはいますね」と爆弾発言をして四人は戦々恐々としたし、遊園地内にあるバッティングセンターでは甲斐路が全然打てずに怒ってバットを何度もマウンドに叩きつけてあわや店の人を呼ばれそうになったし、メリーゴーランドでは府頭間が乗りそこねて馬の上から転げ落ちて笑われるなど色々あった。

 そうしているうちに、すっかり日が暮れた。

 

「もうこんな時間ですか……さすがにお腹が空きましたね」

「そうですね。今日はこのぐらいにして、どこかに食べに行きましょうか」

「おっ、いいですね。そうしましょう」

 

 米田の提案に、美帆は頷いた。

 そうして五人は遊園地を出ようとした。そのときだった。

 

「うえええええん!」

 

 一人の少女が、泣きわめいているのを五人は見つけたのだ。五人はその子供に駆け寄った。

 

「どうしたんですか?」

「おかーさんと、はぐれたの……」

「そうですか……では、迷子センターに行きましょう。アナウンスして貰えば、すぐにでも親は来るはずです」

「やだぁ! ここから離れたらおかーさんと会えないぃ!」

「ああ、なるほど……うーん……じゃあ、せめて名前を……」

「うえーん!」

「あはは……」

 

 少女は泣きわめいて美帆を困らせる。美帆はどうしたものかと頭をポリポリとかいた。そのときだった。

 

「ねえお嬢さん、見てご覧」

 

 米田が、なんと子供の眼の前で突然ボールを取り出し、それを宙に浮かして見せたのだ。

 美帆も驚いた。マジックだ。米田にそんな特技があるとは美帆は知らなかった。

 

「お姉ちゃんすごい! お姉ちゃん魔法使いなの!?」

「まあ、そんなところだな。これは理力と言って宇宙に伝わるエネルギーを……」

 

 米田が少女に説明している間に美帆が回りを見ると、他の三人がいつの間にか消えていた。

 

『迷子のお知らせです。ウェープスインガーの近くでお母さんを待っている女の子がいます。特徴はピンクのワンピースに三つ編み……』

 

 と思ったら、突然そのような放送が流れてきた。三人のうち誰かが迷子センターに伝えたのだと思った。

 

「すいませーん! 迷子がいるんですけどー! お母さんはいませんかー!」

「今こちらで見ていまーす! 心当たりのあるお母さんはぜひウェープスインガーの近くにー!」

 

 さらに、遠くから叫びかける声が聞こえた。甲斐路と府頭間だった。

 放送だけではなく、実際に自分達の手足で母親を探しているようだった。

 そして数分後、府頭間が母親を見つけ、美帆達のところへと連れてきた。

 

「ああっ! みっちゃん!」

「おかーさん!」

 

 迷子の子と母親は感動の再会を果たす。そして、美帆達に何度も礼を言って去っていった。

 

「ふぅ……良かった。これで一安心だ。……さ、夕食に行きましょうか、美帆さん」

「えっ? ええ……」

 

 美帆は唖然としながらも、そう言う米田について行き、ファミリーレストランに入った。

 そこで五人は夕食をそれぞれ注文し、食べ始める。

 

「……それにしてもすごかったです」

 

 その食事の最中、美帆は言った。

 

「へっ?」

「さっきのことですよ。あんな迅速に四人で連携して動けるなんで、やっぱり皆さんは仲がいいんですね」

「いいえ……ただ、私達はずっと四人でいて、色んなことがあったからだいたいの事には対応できるようになっただけですよ」

 

 府頭間が照れくさそうに言う。それに美帆は首を振る。

 

「いいえ、本当にすごいです。私、大洗では昔からの友達は誰も戦車道をやってくれなかったし、そこまでずっと一緒にいた友人もいなかったので、羨ましいです」

「そうだったんですか……でも美帆さん。私達は、あなたともそうなりたいと思っています」

「え?」

 

 美帆は突然の米田の言葉にきょとんとする。一方で、米田は続ける。

 

「美帆さん。今日遊園地にお誘いしたのには理由が二つあるんです。一つは、昨日の試合で落ち込んでいた美帆さんを元気付けること。そしてもう一つは、美帆さんと仲良くなること。なぜなら、私達は同じ戦車に乗っているのに少し距離がありましたから」

「……そうですね」

 

 美帆はコクリと頷く。

 

「確かに、私達には距離がありました。……いえ、私が多分一方的に距離を作っていたんです。その、なんていうか、四人がとても仲良く見えたので、入るのをつい遠慮しちゃったんですね」

「そんな……」

「馬鹿みたいな話ですよね。……多分、私の中にそういう憧れがあって、眺めていることに満足していたんだと思います。あなた達や、鈴と理沙と梨華子のような間柄に……。鈴達とはある程度距離を詰められたのは、本当に偶然の重なりが多かっただけ……それに、四人とは戦車道でつながりが多い分またいつかでいい、チャンスはあると思ってしまって、逆に時間がかかってしまいました。ま、つまりは私が面倒なだけってことなんですよね。……こんな私でも、大丈夫でしょうか?」

「……もちろんですよ! なあ、みんな!」

「……うん」

「もちろんですよ!」

「ああ!」

 

 四人はそれぞれ頷く。その様子に、美帆は嬉しそうに笑った。

 

「ありがとうございます! じゃあ……最初のステップとして、みなさん! 私に普通に喋りかけてください!」

「えっ!?」

「だって皆さん、私に敬語じゃないですか。それにさん付け。私はそれがデフォですから普通ですけど、皆さんで喋るときは普通にタメ口ですよね? 私にも、それでお願いします」

 

 美帆は「さあ!」と両手を広げる。その様子に四人は顔を見合わせ、そしてコクリと頷きあった。

 

「では……み、美帆。どうだ、こんなもので」

「そうそう! そんな感じです米田さん! 他のみなさんも!」

「……美帆。……どう?」

「よ、よろしくね! 美帆!」

「これから頼むぞ! 美帆!」

「はい! みなさん!」

 

 美帆は敬語を使わなくなった四人に、満面の笑みを返した。それが、美帆なりの素直な感情表現だった。

 そして五人はファミリーレストランで話し続けた。これまでの時間を取り返すかのように。

 結局、五人は深夜になるまでずっと語り合っていたのであった。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「……ということがあったんですよ、エリカさん」

「へぇ、よかったじゃない」

 

 後日、大洗から帰ってきたエリカに美帆はその顛末をすべて話した。

 

「あなたと搭乗員のあの四人との関係性が大洗の頃から気にはなっていたのよ。それがやっと進展してよかったわ」

「そうですね、本当に良かったです」

「いい、美帆。仲間との絆は、戦車道にとって大切なものよ。私はそれに気づけなかったからこんな目になったけど、あなたはそんな心配はないみたいね」

「エリカさん……」

 

 少ししゅんとした顔の美帆のおでこを、エリカはパチンとデコピンする。

 

「こらっ、そんな顔しないの。あなたのことを素直に褒めてるんだから、ね」

「……はい!」

「うん、いい笑顔。じゃあ、ご褒美上げる」

「……あっ」

 

 そう言って、エリカは美帆を床に押し倒す。そして、ゆっくりと美帆の唇に、自分の唇を重ねた。

 

「エリカさん……」

「……ふふっ、米田と甲斐路に先輩面できるよう、存分に楽しみましょう?」

 

 そうして、その日も二人は濃厚な夜を過ごしたのであった……。

 



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TANK OF THE PATRIOT

「タンク・オブ・ザ・パトリオット?」

 

 逸見エリカは、同居人であり恋人でもある東美帆から聞き慣れぬ単語を聞いた。

 

「知らないわね、何それ?」

「はい。その、チームの垣根を越え色んな戦車道の選手が参加しているサークルらしくて」

「へぇ……」

 

 エリカは興味深く声を出した。

 そのようなサークルがあるとは、エリカは今の今まで知らなかった。知らなかったのはエリカだけではなく美帆もまたそうらしく、聞いた話を語っているのをエリカは美帆の語り口から理解した。

 

「それで、そのタンク・オブ・ザ・パトリオットがどうかしたの?」

「はい。実はそのサークルに入らないかという招待を受けまして」

「招待? 誰から?」

「電撃ジャッカーズの副隊長のケイさんからです」

「ケイから?」

 

 エリカは少し驚いた。ケイは元サンダース大学付属高校の生徒であり、エリカとは多少ではあるが交流はあった。だが、美帆と交流があるとは聞かされていなかった。

 

「あなたいつの間にケイと知り合いになったの?」

「えっと、プロリーグの試合でちょくちょく相手をさせてもらってはいましたが、この前の試合の終わりに突然に」

「突然ねぇ……ケイらしいわね」

 

 エリカは呆れるように苦笑いをする。ケイの突然行動に出るタイプなのはエリカは知っていたが、あまり面識のない美帆にまでそうした行動を取るのは、昔よりも積極性が上がっているように思えたからだ。

 

「なるほど。それで、そのサークルに入るかどうか悩んでいるのね」

「はい。それで、見学だけでもいいからこないかと言われてまして……」

「なら行ってみればいいんじゃない? 何事も体験よ」

「はい……で、そこでエリカさんに相談があるんですが」

「相談? 何よ」

 

 エリカは頭に疑問符を浮かべる。美帆がサークルに行くことを決めているなら今更自分が助言することはないはずなのだが、と思った。

 すると、美帆は言った。

 

「今度のサークル見学、エリカさんも一緒についてきてくれませんか?」

「私が?」

「はい。一応だいたいのメンバーがプロリーグの選手らしいんですが、プロ選手じゃないメンバーもまあまあいるらしくて。なので、どうせならエリカさんも一緒にどんなサークルか体験してくれないかなーと。ケイさんも是非エリカさんに来て欲しいって言ってますし」

「ふむ……なるほどねぇ」

 

 エリカは考えるように腕を組む。

 そして、少しだけ間を空けて言った。

 

「……私、そこまでそのサークルについて口出しできないし、参加できないと思うわよ? だって、こんな目だし」

 

 エリカは自分の目の端のあたりをとんとんと叩く。それは美帆も分かっているのか、美帆は「はい」と言いながら頷く。

 

「そうですよねぇ、でも、ケイさんがどうしても連れてきて欲しいって……多分久々にエリカさんに会いたいんでしょうね。あと、私としても一緒にいてくれると心強いというかなんというか……」

「……はぁ……分かったわ」

 

 美帆の少し恥ずかしそうにしている声を聞きながら、エリカは答えた。

 

「そこまで言うなら、私も一緒についていってあげるわ。でも、美帆、分かってると思うけど――」

「ええ、大丈夫ですよエリカさん。私がエリカさんの眼になりますから」

 

 美帆はエリカに笑いかけて言った。

 その様子を言葉から感じ取ったエリカもまた、笑みを返す。

 こうして、二人はそのサークル「タンク・オブ・ザ・パトリオット」を見に行くことになった。

 

 

 数日後。二人は東京のとある建物にやって来ていた。そこは、戦車道連盟が運営する演習会場の一つであり、他にも様々な用途で使えるよう一般に開放されている建物でもあった。

 

「着きましたよエリカさん」

「ええ」

 

 エリカは美帆に手を引かれながら車を降りる。そこまで車を運転してきたのは美帆だった。

 二人はその建物の正面玄関から入る。すると――

 

「やっほー! アズマ! エリカ!」

 

 陽気な声が正面から飛んできた。

 それは、二人の元に駆け寄ってくるケイの声だった。

 

「二人ともよく来たわね! 歓迎するわ!」

「これはこれはケイさん。どうもこの度はお招きいただきありがとうございます」

 

 美帆がうやうやしく頭を下げる。すると、そんな美帆の肩をケイはパンパンと叩いた。

 

「もーそんなかしこまらなくてもいいのよアズマ! 同じ戦車道をやっている者同士、もっとフランクに行きましょう? へいエリカ! 久しぶりね! 元気してた?」

「どうもケイ、久しぶりね、いつ以来かしら。もう随分と会ってなかったけど、あなたも元気そうで何よりだわ」

 

 朗らかに笑うケイに対し、笑みを見せるエリカ。

 ケイの声色は分析するまでもなく彼女が笑っていることをエリカに分からせた。

 

「今日はサークル見学しに来てくれてありがとう! さっそくみんなが集まっているところに案内するわね! こっちに来て!」

 

 ケイが先導するように歩く。美帆はエリカの手を引きながらその後ろについていく。

 三人はエレベーターに乗り、建物の二階へと上がる。そして、ケイはいくつか並ぶ扉の中から一つを選び、その扉を開けた。

 

「ハァイみんな! 今日のゲストの登場よ!」

 

 ケイに紹介される美帆とエリカ。その部屋には、美帆も顔を知っているようなプロリーグの選手達がいた。

 その中の一人を、美帆はよく知っていた。

 

「あっ、あなたは……」

「どうも美帆さん。それにエリカさん。こうやってプライベートで会うの初めてだな」

 

 そこにいたのは、金髪の髪をオールバックでまとめ、片目に傷を負った選手だった。

 

「あなたは北陸フォクシーズの副隊長の……」

墺零(おうれい)だ。このタンク・オブ・ザ・パトリオットの会長を務めさせてもらっている。改めてよろしく」

 

 墺零は笑顔で美帆とエリカに握手をした。

 

「会長!? あなたがですか!?」

 

 美帆は驚く。その美帆の表情を見て、零は笑った。

 

「ふふっ、まあ驚くだろうな。普段の私はカチューシャと共に戦う一介の副隊長に過ぎないものな。だが、このタンク・オブ・ザ・パトリオットの場においては会長という立場にいる。君達をこのサークルに招待しようと提案したのも私だ。ここからは私がこのサークルを案内しよう」

「は、はい」

 

 美帆は零から普段カチューシャのところにいるときとは違う、何かオーラのようなものを感じ取った。

 それはあふれる自信と言うべきか、落ち着いた貫禄というか、そのたぐいのものだった。

 

「彼女、サンダースのOGで社会人からプロチームに入ったのよ。だから私達より年上なのよエリカ」

「へぇ……」

 

 ケイがエリカに説明し、納得する。その一方で、零は説明を始める。

 

「この階まるまる私達タンク・オブ・ザ・パトリオットが貸してもらっていてね。まずここが談話室になっている。ここにいる選手は、美帆さんも何度か対戦したことがあるだろう」

「はい。見慣れた選手達ばかりで驚いています」

「それでは別の部屋を見ながらうちのサークルの活動を色々説明していこう。こっちについて来てくれ」

 

 そう言って零は美帆達を誘いながら部屋を出る。美帆はエリカの手を握って一緒に部屋を出た。

 

「うちのサークルはいろいろな活動をしていてね。まずその一つに、戦車道の戦術、戦略研究がある。その研究をしている部屋が、ここだ」

 

 そう言って、零は談話室からさほど離れていない部屋の扉を開けた。

 

「わぁ、すごい……」

「ねえ美帆、何が凄いの?」

「あっ、すいませんエリカさん。いえ、たくさんのパソコンがあって、それに向かって多くの人が頭にヘッドセットみたいなものをつけて向かっているんです」

 

 美帆の説明の通り、そこには多くのパソコンとそれに向かい合っている人影があった。

 みなのびのびとした様子でパソコンに向かい合っている。

 

「このパソコンで、戦術、戦略の研究を行っているんですか?」

「ああ。それぞれが様々な戦術、戦略をパソコンに打ち込みそれを研究者職をしているメンバーが作ったAIに処理させ、シミュレートしているんだ」

「え、AI!? また凄いですね……」

「おや、美帆さんはその手のことはあまり詳しくないのかね?」

「ええまあ、パソコンは私人並みですから……」

「私は昔それなりに触れていたけど、眼がこうなってからは全然ね」

 

 美帆とエリカが言う。その反応に、零は「ふむ」と言いながら顎を触った。

 

「それはいかんよ美帆さん。今の戦術、戦略研究においてコンピュータによる演算はかなり大事になっている。うちのAI研究だって、その一環だよ。うちのAI――私達はジェーン・ドゥと読んでいる――はまだまだ未成熟なAIだが、いずれ大きな結果を出すだろう。成長によっては、下手な選手を越えた戦術、戦略をはじき出すようになるかもしれない。君にはぜひこの研究を手伝ってもらいたいと思っているよ」

「なるほど……確かに、なかなか面白そうな試みですね」

 

 美帆は真剣に答える。それは、零の情熱が本気のものであるのが伝わってきたからだ。

 

「美帆ならきっといい結果を出せると思うわよ」

「美帆さんだけじゃない。エリカさん、あなたにも手伝って欲しいと私は思っているよ」

「わ、私にも!? でも私はこんな眼で……」

「眼は関係ないさ。元々戦車の中で最初に頼りになる情報は無線で伝達される音声情報だ。眼が見えなくとも、ヘッドセットから音で流れてくる情報を聞きそれを頭の中で組み立て、また音声入力によって指示を出せば十分戦車の指揮をしているのと同じことだよ」

「な、なるほど。言われてみればそうね……子供達を指導する感覚と同じようなものかしら」

 

 エリカは納得したように口元を手で覆う。

 

「実際にやってみるか?」

「え?」

 

 零が美帆に提案する。その提案に美帆は少しの間考え込み、そして言う。

 

「……いえ、今回は遠慮しておきます。面白そうですが、ハマると今日一日潰してしまいそうですからね」

 

 そう美帆は零に笑いかけた。

 

「そうか。まあ確かに言う通りではあるな。では別の部屋の案内をしよう」

 

 そうして美帆達はその部屋を離れた。そんな美帆達の背後でパソコン室では、

 

「この戦術、ブラフだ……!」

「手を変えないと。リセット・ザ・ワールド……」

 

 と言ったようなふざけ合う声も聞こえてきた。

 次に美帆達が向かったのは二階の奥、外の演習場を見渡せるテラスだった。

 そのテラスからは、戦車を動かしている選手達の姿が見える。

 

「これは、先程のパソコンルームで研究した戦術、戦略を試している、と言ったところですか?」

「ああ、そうだ。あそこで組み立てたそれぞれの理論を実戦形式で試している。ほら、見えるだろう?」

 

 零が指をさす。そこには、複数台のM4シャーマンが戦っていた。

 

「M4シャーマン同士で戦っていますね。すべてがそうなのはできるだけ条件を同じにするためですか?」

「ああ、そうだ。私はそれなりに戦車業者にも顔が効くからな。数を揃えることぐらいは訳ないよ」

 

 そんなことを話していると、戦車がテラスのギリギリまで接近してくる。

 そこで、ハッチを開け選手が零に手を振った。

 

「あ、零少佐! どうもー!」

「少佐?」

 

 エリカがその名に違和感を持ち聞く。

 

「あだ名みたいなものでね。元は陸上自衛隊にいて、そこでの階級が三佐だったのだよ。それでサンダースで活躍していたから自衛隊の呼称よりも海外での呼称で階級を呼んだほうが面白いという話になって、少佐だ」

 

 零は苦笑いしながら答える。

 その回答に、エリカと美帆はなるほどと頷く。

 

「それで、どうだった。今日の訓練は」

 

 零はテラスの上から選手達に聞く。

 

「やっぱり村井さんの戦略は見事ですね。やはり村井さんは効く……」

「そんなことは分かっていたことだろうに」

 

 零はけらけらと目下の選手に笑いかける。その傍らで、美帆は零と選手の表情を見比べていた。

 二人ともとても楽しそうな笑顔をしていると、美帆は思った。

 

「では次に行こう。次は、ある意味うちでもっとも重要な研究だ」

 

 そしてまた美帆とエリカは零に連れて行かれる。そこは二階にある資料室のようだった。

 そこの資料室でも、何人かの選手が行き来していた。中には机に向かって本を開いている者もいる。

 

「うーんなるほど……」

「……あら?」

 

 そこで、エリカは知っている声を聞いた。

 

「もしかして……オレンジペコ?」

「えっ? あっ、エリカさん!?」

 

 その声の主は、かつての聖グロリアーナの生徒であり、現在は桐原ネロスズの副隊長である、オレンジペコだった。

 

「お久しぶりですねエリカさん! どうしてここに?」

「どうしてって、美帆と私が彼女にこのサークルに入らないかと誘われたのだけれど……あなた、もしかしてこのサークルに?」

「そうなんですか。ええ、私もこのサークルに所属しているんですよ。少し前に、ケイさんから誘われて」

「あら、あなたもそうなの」

 

 エリカとオレンジペコは久々に出会った事により話に華を咲かせているようだった。

 その様子に、美帆はちょっとした嫉妬心を抱きながらも、零に聞く。

 

「あの、ここでの研究は一体何をしているんですか?」

「ふっ、よく聞いてくれたな。それは……」

 

 零はもったいぶるように溜める。そして、言った。

 

「UMA研究だ!」

「……はい?」

「……へ?」

 

 大声で言い放たれたその言葉に、美帆とエリカは思わず素っ頓狂な声を上げた。

 

「ゆ、UMAって、あの未確認生物っていう意味の……」

「その通りだ。私達はUMAについての研究を行っている。ある意味、これが一番大切な活動かもしれんな」

「ええ、これが結構楽しいんですよ?」

 

 零の後にオレンジペコが言う。美帆はエリカを見て、エリカは美帆のほうに顔を向けて、お互いに怪訝な顔をした。

 

「まあ、そういう顔になるだろうな」

 

 零が言う。そして続ける。

 

「だが、こういう活動こそが大切なのだ。普段の生活から離れた事を研究するということは、発想の転換へと繋がるし、純粋に新たな趣味にもなる。そういう活動こそが大切なのだよ」

「それで、その本音は?」

「私の趣味だ」

 

 零はクスっと笑って言う。美帆とエリカは苦笑いする。だが、オレンジペコはクスクスと笑っている。

 

「私も最初はそんな感じでした。でも初めて見ると案外楽しくて……エリカさんや東さんが参加してくれるなら、楽しくなりそうですね」

 

 美帆達はそこで一旦話を切り上げ、再び談話室に戻った。

 

「……まあ、とりあえず見てもらったのがうちのサークルの活動だ。どうだったかな?」

「……なんというか、不思議なサークルですね」

「ああ、よく言われる。それで、うちのサークルに入ってみようとは思ってくれたかね?」

「……一つ、いえ二ついいかしら?」

 

 と、そこでエリカが零に質問する。

 

「ああ、いいぞ」

「まずこのサークルの作り上げた目的は? そして、私達を勧誘した目的を教えて頂戴。入るかどうかは、その答えを聞いてからね。ねぇ美帆」

「え? え、ええ……」

 

 美帆が不意をつかれたように反応しながらも頷く。

 零はそのエリカの言葉に「ふむ……」と少し間を置いて、そして口を開き始めた。

 

「そうだな。まず一つ目の質問だが、このサークルは戦車道選手のスキルアップと団結を目的としている」

「スキルアップと団結?」

「ああ。私達のような一般の――と言っても私やオレンジペコは副隊長だが――選手は本当に才能のある隊長達のような選手に並ぶには努力がいる。そのためのスキルアップを目指すのが一つ。そしてもう一つはチームの垣根を越え、戦車道を行う選手を一つにすること。日本のプロリーグはまだまだ発展途上中だ。より発展していくには、チームの垣根を越えて一つになる必要がある。そのためのサークルだ」

「なるほどね……日本戦車道の将来を考えてのことなのね。以外とちゃんとしてるのね。じゃあ、二つ目の回答は?」

「君たちのスカウト目的か。それは簡単さ。まず美帆さんは、将来を希望されている優れた選手であるから。そしてエリカさん、君は優秀な人材を育てる指導員としてのスキルがある。それをぜひうちのサークルで生かして欲しい、そう思ったからだ」

「ふうん……だそうよ、美帆。どう思う?」

 

 美帆はニヤリと笑うエリカに聞かれた。その時点で、二人の答えは決っているようなものだった。

 なので、美帆もエリカに笑いかける。

 

「……ええ、そうですね。とても興味深いです。私は、このサークルがとても面白そうだと思っていますよ」

「どうやら私と同意見のようね」

「ということは……」

 

 零がとてもうれしそうな顔で二人を見る。そして、代表して美帆が言った。

 

「ええ、私達もこのサークルに参加させてもらいたいと思います。私も、自分のスキルアップは願ってもないことですしね」

「私もよ。美帆の力になれるのなら、私はなんだってやるわ。だって、私達は一生を共にすることを誓ったパートナーですもの」

 

 確固たる意思を感じられるキリっとした笑みを見せる二人。

 その二人を見て、零は顔をほころばせた。

 

「ありがとう! うちのサークルは、これでまた一歩前に進むことができる」

 

 そうして、零は美帆と握手をした。二人は、ガッチリと硬い握手をした。

 

「ところで、タンク・オブ・ザ・パトリオットという名前にした理由は?」

「戦車道への、愛国心に似た強い想い、かな」

 

 美帆の質問に、零は苦笑いしながら答えた。

 こうして、美帆とエリカは「タンク・オブ・ザ・パトリオット」に参加することになったのであった。

 この選択が、美帆の戦車道に新たな可能性の道を開くことになるのだが、彼女がそのことを知るのはもう少し先のことである。

 



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戦車道オールスターゲーム

久々の投稿です
なのでちょっと短め


『さあはじまりました、日本プロ戦車道オールスターゲーム!』

 

 高らかな声で実況者の声がテレビから響き渡る。

 画面には、演習場に並ぶ様々な戦車が映し出されていた。

 

『日本プロ戦車道のスターが一堂に会する年に一度の祭典が今年もはじまりました! 解説には、今年はこの方に来てもらいました。昨年惜しまれつつもプロ戦車道を引退された、日本戦車道のスーパースター、西住まほさんです! まほさん、今日はよろしくお願いします』

『よろしくお願いします』

 

 実況者の隣に座ったまほが、笑顔でペコリと頭を下げる。

 

『今回は解説としての参加ですが、選手時代と比べてやはり違いはありますか?』

『ええ、選手時代はあの場に参加し指揮を取っていましたが、今回は解説として全体を俯瞰して見ることができるため、新鮮な気持ちで参加させてもらっています。正直、私は口下手なのでちゃんと解説できるか不安ですが』

 

 そう言ってまほは苦笑いする。

 そんなまほの表情に、実況者は少し驚いたような顔をする。

 

『いえいえ、そんなことは。まほさんは引退されてからあまりテレビに露出されていませんが、現役時代と比べるとだいぶ柔和になられたと思いますよ。何か心境の変化でもあったんですか?』

『ええまあ……現役時代は少し張り詰めていたと私も思います。最近はそうでもなくなったので、のびのびと戦車道に向き合えているような気がしますね』

『なるほど、ではそんなまほさんの今回の注目選手を教えてください』

『はい。やはり一番の注目選手は、今回幾度目かの総隊長を務める、澤梓選手ですかね。元々大阪レジスタンスの隊長を務めている選手ですが、今回は相手の総隊長である島田愛里寿選手に対してどういった作戦を見せるのか楽しみです』

『なるほど。確かに澤選手は海外行きも視野に入れていると噂されている有望選手ですからね。期待は大と言えましょう。他には?』

『そうですね……今年入ったルーキーでありながらも選抜された、東美帆選手も個人的には注目していますね。今回は一車長としての参加ですが、今回どのような活躍を見せるのか楽しみにしています』

『ああ、東選手ですか! 確かに、新人ながら今年は目覚ましい活躍がありましたしね! 今大会での立ち回りに注目していきたいですね』

「うう……なんか言われてます……」

 

 そんなテレビ中継を見ながら、東美帆は頭を抱えていた。

 今美帆がいるのは、オールスターゲームの選手控え室だ。

 美帆は他にも多くの選手がいる中、テレビで自分の名前が上がるところを見ていたのだ。

 

「うわー美帆ちゃん注目されてるー! 羨ましいー!」

 

 そんな声を上げるのは星凛だ。美帆と同じチームの制服を着ている凛は、椅子に座りながらうなだれている美帆の肩に手を置く。

 

「変われるなら変わってあげたいですよ……あなたはこういうの好きそうですものね」

「うん! 大好き!」

 

 凛は堂々と言う。そんな凛に対し、美帆はハァとため息をついた。

 

「私はこういうの苦手なんですよ……オールスターゲームに選ばれたことはとても嬉しいですし、全力を出していくつもりですが、それはそれとしてテレビでこんな風に期待してますって言われると緊張して……」

「にゃはは! 緊張しぃだなぁ美帆ちゃんは! もっとおおらかにいったらいいと思うよー! 凛ちゃんは!」

「本当に、時たま貴女のその能天気さが羨ましくなりますよ……」

「あら、随分と楽しそうね」

 

 と、そこに何人かの人影が近づいてきた。凛と同じ北陸フォクシーズのカチューシャに、美帆と同チームのミカ、ノンナだった。

 

「あ、カチューシャさん、ミカさん、ノンナさん」

「久しぶりね東美帆! 今日は同じチームとしてせいぜいこのカチューシャの役に立ちなさい!」

「はい、尽力させていただきます」

 

 美帆は椅子から立ち上がり頭を下げる。すると、カチューシャは少しいい気分になったのか、ふふんと笑う。

 

「ふふっ、まあ楽しみにしているわよ! それにしても、ノンナと一緒に戦うのは久しぶりね」

「ええそうですねカチューシャ。こうした催しものでもないと、プロで一緒に戦うなんてありませんからね」

「凛ちゃんも! ノンナ様と久々に一緒に戦えて嬉しいよ! プラウダ時代を思い出すねー!」

「ああ、お三方とも同年代でしたっけ」

 

 美帆が尋ねる。

 その言葉に、凛が頷く。

「そだよー! 凛ちゃんは、カチューシャ様とノンナ様と一緒に戦ってたの! 今でもカチューシャ様とは一緒だけど、ノンナ様と三人で揃うのは久々なんだー!」

「なるほど……」

「かつてのプラウダの三人がこうして揃っている。そう考えるとなかなか頼もしいね。きっと大戦果を上げてくれるんじゃないかな」

「ちょっとミカ! あなた他人事のように言ってるけどあなた私と同じく副隊長の一人じゃない! そんな他力本願でどうするのよ!」

 

 ミカにカチューシャが怒る。しかしミカはそんなカチューシャの怒りをどこ吹く風と言った様子で、すました顔をしている。

 

「ははは……まあでも、高校時代のメンバーが揃っているのは向こうも同じようですしね。確か、電撃ジャッカーズのダージリンさんと桐原ネロスズのオレンジペコさんも同年代なんですよね」

「ああ、そうだよ。彼女らは聖グロリアーナ出身だからね。今回の試合はそういった昔馴染みを集めているような気もするよ」

 美帆の質問にミカが答える。美帆はなるほどと納得し一人頷く。

「強敵ですね……今回は島田愛里寿さんが指揮を取るので、なおさらです」

「別に、カチューシャの敵じゃないわ! ま、うちの総隊長がちゃんとしっかりするかどうかにもかかってるけどね! ね! そうでしょ総隊長!」

 

 と、そこでカチューシャが大声で背後に呼びかける。

 

「はい!?」

 

 すると、ビクリと肩を震わせて反応する女性が一人。

 今回の美帆のチームの総隊長である、澤梓その人である。

 

「な、なんです突然!?」

 

 梓は驚きながらも美帆達の側にやって来る。

 

「いえ、あなたがしっかりしてないとこの戦い負けるって話をちょっとね」

「なんですその話は! そんなプレッシャーかけないでくださいよー」

 

 梓は困った顔をする。その様子に、美帆は少し気負ってきた気持ちが和らぐ思いがした。

 

「別に今回が初めてってわけじゃないでしょ? このカチューシャを押しのけて総隊長になったんだから、頑張りなさいな」

「初めてじゃなくてもプレッシャーあるものはあるんです! しかも今回は相手が愛里寿ちゃんだから、私も気が気じゃなくて……」

「なーに、年に一度のお祭りなんだ。もっと気楽な気持ちでいけばいいさ」

「気軽に言ってくれますねぇ」

 

 ミカの言葉に、梓は苦笑いする。

 そして、今度は美帆の方を向いた。

 

「あっ、あなたが東さん? 私、澤梓。何回か戦ったことはあるけど、こうしてお話するのは初めてだよね」

「あっ、はい! よろしくお願いします!」

 

 美帆は梓に深々と礼をする。そんな美帆を見て、梓はくすくすと笑った。

 

「ふふっ、そんな気負わなくていいよ。って、私が言ってもあんまり説得力ないか……。まあ、東さんは今回が初めてだけど、いつもどおりに動けばいいよ。私も、それを東さんに期待してるから」

「は、はい!」

 

 期待している、と言われて少し体を震わせた美帆だったが、そこは美帆もプロである。すぐさま自分に求められていることを理解し、頭を切り替える。

 

「私も、誠心誠意努力して、今回のオールスターゲームでみなさんの力になれるよう頑張ります!」

「うん、楽しみにしてるよ。まあ、オールスターゲームはさっきもミカさんが言ってたようにお祭りだからね。自分のパフォーマンスを観客に見せることが大事だから。それじゃあ」

 

 そこまで梓は言うと、自分の元いた場所に戻っていった。

 そこには、白髪で片目を隠したポニーテールの選手が、梓の帰りを今か今かと待ちわびていたようだった。

 

「あれは……」

「ああ、あそこで梓さんを待っていたのは愛澤こころ選手だね。彼女も、梓さんの高校時代の後輩なんだよ」

「へぇ……」

 

 ミカはそう補足すると、今度はぐっと美帆の肩に両手を乗せ、体を引き寄せて美帆の耳元で囁いた。

 

「いいかい。今回の大会、あの二人の指示と動きによく注目しておくといい。順当にいけば、今年の年末に優勝争いをする可能性があるチームの一つは彼女達だからね」

「……はい」

 

 ミカのいつになく真剣な囁きに、美帆は気を引き締めるように小声で言った。

 二人の視線の先には、談笑する梓とこころの姿があった。

 

「みなさーん、そろそろ会場にお願いします!」

 

 と、そこで控え室の戸が開き、係員が美帆達に移動を連絡する。

 美帆達はその係員の言葉に従い、試合会場へと向かっていったのであった。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「うおおおおおおおおおおん! 活躍できませんでしたああああああ!」

 

 後日。

 カレースナック・ゴン。

 そこで美帆はグラス片手に大声で喚いていた。

 

「はいはい……しょうがないでしょ、そういう作戦だったんだから」

 

 それを横で慰めるのは、美帆の恋人、逸見エリカだ。

 二人が座るカウンターの正面では、まほが苦笑いしている。

 

「まあ、そうだな。あそこで東さんの犠牲がなければ、試合はもっと劣勢になっていたかもしれないし」

「そうは言ってもですよぉ、やっぱり初めてのオールスターゲームですから、もうちょっと活躍したかったんですよ。というか、しようと思えばもっとできたと思うんです。それが、囮として出たはいいもののあっという間に撃破されて、ろくに相手を撃破することもできなかったんですからぁ……」

「まあそうだが、あの状況で敵を倒すのはなかなかに難しいぞ? むしろ、敵をあそこまで惹きつけたこと自体が称賛に値すると、私も解説させてもらったからな」

「そうでしょうか……でも、でもぉ」

「うーん今日の美帆はやけにぐずるわね。ちょっとまほさん、間違って美帆にお酒出してないですよね?」

「そんなことはないぞ。安心しろ、我が店は未成年への対応はしっかりとしている」

 

 まほが両腕を組んでふんすと鼻を鳴らす。

 そんなまほの様子を感じ取ったエリカは、思わず苦笑いをした。

 

「はは、ならいいんですけど……ねぇ美帆ったら、いつまでも引きづらないの」

「うう……エリカさぁん!」

 

 美帆はエリカに泣きべそをかきながら抱きつく。

 そんな美帆の頭を、エリカはよしよしと撫でた。

 

「おーよしよし……」

「ふふ、普段気丈な東さんも、エリカの前だと甘えん坊だな」

「ちょっとまほさん、からかわないで……と言いたいけど、今日はちょっと可愛いところを見せすぎね……美帆、ちょっとこっち来なさい」

「え? ああちょっとエリカさん!?」

 

 エリカは美帆の手を引いて店内を歩き始めた。

 ちなみにエリカはもうこの店には何度も来ているため、目が見えなくともだいたいの間取りは把握していた。そのため、美帆の手を引っ張って先に行くということもできるのだった。

 エリカが美帆を連れ込んだのは、店のトイレだった。

 二人は、トイレの狭い個室で体を密着させあう。

 

「あ、あの、エリカさ……んぐっ!?」

 

 そして、困惑している美帆の唇を、エリカがキスで塞いだ。

 突然のキスだったが、二人はねっとりと、舌と舌を絡ませ合う。

 

「んんっ……んっ……んはっ……エ、エリカさん、急に一体……」

「……あなた、私にいいところ見せたかったんでしょ?」

「っ!? そ、それは……はい」

 

 美帆が頷く。そして、そんな美帆にエリカは笑いかける。

 

「……馬鹿ね。確かにオールスターゲームは普段と違った華々しい舞台だけど、私はいっつもあなたのいいところみてるんだから、張り切らなくてよかったのに」

「エリカさん……そうですね、ちょっと、いいところ見せようとしていた部分はあります。まほさんに期待されてるなんて言われたのも大きかったかもしれませんね」

「でしょうね……でも、私はあなたのどんな一面もすでに大好きになってるから。だから……」

 そう言いながら、エリカはスカート越しに美帆の下着をゆっくりと脱がす。

「活躍できなかった分、私がゆっくりと労ってあげる……」

「……はい。よろしくお願いします」

 

 そうして二人は、お互いの体に手を回しながら、ゆっくりと再び舌と舌を絡め合わせた……。

 

 

 一方、店のカウンターでは。

 

「……トイレ、はやく開けてくれないかしら……」

 

 まほが一人、トイレを眺めながら呟いていたのだった。

 



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誓いの大地

「うーん……」

 

 ある日、東美帆はソファーに座りながら腕を組みうんうんと唸っていた。

 彼女の目の前にはいくつかの資料が置いてある。

 

「どうしたの美帆? 変な声出して?」

 

 そんな美帆に話しかけたのは美帆の同居人、逸見エリカだ。

 エリカは美帆の後ろから彼女の体を抱きながら美帆に聞く。

 

「あ、エリカさん……いえ、実は『タンク・オブ・ザ・パトリオット』で行ったシミュレーション結果を見直していたのですが」

 

『タンク・オブ・ザ・パトリオット』は美帆が所属する戦車道のサークルである。

 戦車道の戦略など様々な研究を行っている。

 

「ええ、それで?」

「人工知能による戦略と戦術の検討は進んでいるのですが、どうしても実地で演習での検証が必要でして。それで、どうしたものかと」

「あら、『タンク・オブ・ザ・パトリオット』での演習じゃ駄目なの?」

「それがですね、私が人工知能でシミュレーションしているのは澤さんのデータでして」

「ええ」

「澤さんの戦術はかなり変幻自在で、『タンク・オブ・ザ・パトリオット』の中に似たような戦略を取れる人がいないんですよ。彼女の戦いはかなり独特なので」

「なるほどね……確かに私も話で聞いているだけだけど、彼女の戦い方はかなり変幻自在……そう、まるで『みほ』のようだと思ったわ」

 

 美帆はその『みほ』が自分の事ではない事を理解する。イントネーションもそうだが、エリカの言葉に含みを感じたからである。

 

「みほ……西住みほさんの事ですね?」

「ええ。澤梓はみほの戦略の遺伝子を一番色濃く受け継いでいると言っても良いのではないのかしら。彼女は大洗で次世代の隊長としてみほに育てられたのだから。私は、それを間近で見てきた」

「……なるほど」

 

 美帆は納得したように頷く。エリカは瞳から光を失った直後、大洗でみほの元で生活していた。そのときの経験をエリカは何度も美帆に語っていた。

 

「おそらく現状のプロリーグの成績でいけば、あなた達帝国エンパイアズの優勝争いの相手は澤梓の大阪レジスタンスになる。そのためには彼女の戦略に対応する必要があるってわけね。……難しい問題ねぇ」

「はい……」

 

 美帆は深刻そうに頭を縦に振る。一方エリカは、美帆の肩に体重を預けるように頭を乗せた。

 

「今だから言えるけど、私はみほには勝てなかった。いえ、勝つことができなかった。それは彼女の戦略が本当に自由な発想から来ていて、凝り固まった私の発想では同じ土俵に上がれなかったから。視力を失ってからは、私も少しは彼女に近づけた気がするけど、今思うとどうかしらね」

「そんな! エリカさんはもっと自分の戦いに誇りを持ってください! ……私の戦い方は、あなたの戦い方なんですから」

「……そうね。私の戦い方を、あなたが継承してくれている。私はそれを信じなければいけないのにね」

「……いえ、こちらこそ言い過ぎでした。すいません」

 

 微妙な空気が二人の間に流れる。

 みほとの因縁は、二人にとって切っても切り離せないものだ。それゆえに、二人は悩んでいたのだ。

 

「せめて、澤さんに比肩とまではいかなくても自由な戦い方をする相手と演習できればいいのですが……」

「ミカじゃ駄目なの?」

「ミカさんとはもう身内すぎてお互いの癖を把握してしまっているので……」

「なるほどねぇ……あ、そうだわ!」

 

 と、そこでエリカは何かを思いついたように立ち上がり、笑顔を見せる。

 

「どうしたんですか? エリカさん」

 

「あなたのすぐ側にいるじゃない、変幻自在の戦いを得意とする、トリックスターがね」

「え?」

 

 エリカの笑顔を美帆が理解するのに、少しばかり時間がかかるのであった。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「うーん、今日も絶好のタンカスロン日和ね!」

 

 渥美梨華子はその日、とあるタンカスロン会場で、移動するⅡ号戦車の上で大きく背伸びをした。

 彼女は黒森峰女学園の隊長でありながらも、タンカスロンの賞金女王でもある。

 そのため、彼女は今日もタンカスロンで荒稼ぎをしようとしていたのだ。

 

「さて、今日もばっちり稼ぐよー!」

「元気だなぁ」

「元気ですわねぇ」

 

 そんな梨華子に対し戦車の中で苦笑いするのは、彼女の幼馴染であり大洗の現隊長、副隊長である百華鈴と二瓶理沙であった。

 彼女らは梨華子に付き合いタンカスロンに参加していたのだ。

 

「そりゃ元気に決まってるでしょ? 稼ぎ時なんだから! お金が増えるときは最高に楽しいんだもん!」

「守銭奴だなぁ」

「守銭奴ですわねぇ」

「二人共言い方!」

 

 そんなことを話しつつも今回の対戦相手の待つ平原に到着する梨華子達。

 三人の前に待つのは、38t戦車だった。そこに、三人の人影がある。

 

「さて今回の相手は、と……」

 

 梨華子達が戦車から降りて、相手と話をしに行こうとする。

 と、そこで梨華子は固まった。それは、相手の姿にあった。

 三人の相手は緑のマスカレイドマスクをつけた、しかしどこかで見覚えのある三人組だったからだ。

 

「ふっふっふ……どうも……私の名は真・仮面パンツァー! どうか今日はよろしくお願いします!」

「どうも、仮面パンツァーZOだよ。よろしくね」

「……仮面パンツァーJです……」

「……美帆さんですよね?」

「ミカさんだよな?」

「……ノンナさんですわよね?」

「…………」

 

 一瞬の沈黙、そして。

 

「……だから私は嫌だと言ったんです!」

「まあまあ良いじゃないか私は好きだよこういうの?」

「わ、私も実は少し恥ずかしくて……でも、提案はエリカさんですから……」

 

 そして、ノンナを皮切りに美帆達三人は肩を寄せ合うようにして口を開いた。

 

「顔を隠さないといけないというのは理解できます。プロ選手が一般のタンカスロンに参加するというのは少々まずいですから。でもこの派手な仮面と恥ずかしい名前はいらなかったのではないですか!?」

「ノンナ……いやJは硬いなぁ。他人を欺くときはしっかりと設定を作らないといけないんだよ? 私は結構気に入ってるよ、これ」

「設定考えたのはエリカさんですから……私はそう考えると好きです」

 

 とても顔を赤くするノンナに対し、平然としているミカ。少しだけ紅潮する美帆であった。

 が、三人は話を終え、再び梨華子達の前に立つ。

 

「んん……そんな人達の事は知りませんね。私はあくまで真・仮面パンツァーです」

「はあ……そういうことにしておきましょう。だいたい事情は察しましたから」

 

 梨華子は苦笑しながら言う。

 

「えっとじゃあ……仮面パンツァーの皆さん、どうして今日はタンカスロンに参戦を?」

「ああ、実はあなた達と戦いたくて」

「私達と?」

「ええ。実は、あなた達、特に梨華子、あなたのタンカスロンでの自由な戦いを是非経験したくありまして。あなたの戦い方は、我々は打倒すべき相手とよく似通っているんです。だから私は、私の仲間と共にあなたから戦い方を学ぼうと思いまして」

 

 それを美帆から聞いて梨華子は納得する。

 

「なるほど……だいたい分かりました。でも、簡単に経験値を積ませるわけにはいきませんよ? 私達は全力で戦います。いくらあなた達が強いからと言って、タンカスロンは我々の戦場ですからね」

「我々っつってもいっつもタンカスロンやってるのは梨華子だけどなぁ」

「今日の私達は付き合いですからね」

 

 こっそりとそんなことを言う鈴と理沙だった。

 

「ええ、望むところです」

 

 そんな鈴達を横目に見ながら、美帆は梨華子に手を差し出す。

 

「こちらこそ」

 

 それを梨華子が握る。こうして、二人は握手を交わした。

 その後、六人はそれぞれ自分の戦車に乗り込み、定位置につく。

 こうして、タンカスロンの試合の火蓋が切って落とされた。

 

 

「さて、どうやってアプローチをかけましょうか」

 

 美帆が38tの中で言う。

 

「今回の車長はタンカスロンを提案した君だよ。君の自由にするといい」

「は、はい……なんというか、先輩方に指示を出すのはとても緊張しますね」

「これも経験です。あなたは今回私達を存分に使ってください」

「……分かりました。それでは、前進します。先制し敵の出鼻を挫きます」

『了解』

 

 美帆の言葉にミカとノンナが頷く。

 そうして、三人を乗せる38tは前進する。

 そのときだった。

 

「っ!?」

 

 38tの進行方向の地面を、砲撃が吹き飛ばした。

 

「もうすでに……さすがの機動力と戦略眼ですね……! どういうルートを通ってきたかわかりませんが、こちらの予想よりずっと早いです!」

「いいねぇ。うちのチームに欲しいね。今年のドラフトは狙っていこうか」

「そんな事を言っている場合ですか。来ますよ」

 

 梨華子達の乗ったⅡ号戦車が38tに向かって砲撃する。

 美帆達もそれに応戦する。

 それぞれの戦車が巧みに動きながら砲撃し合う。

 だが、なかなか決め手がない。

 そんなときだった。

 

「っ!? 煙幕っ!?」

 

 Ⅱ号戦車のキューポラから梨華子が顔を出し、ライフルグレネードによってスモークを炊いてきたのだ。

 それにより、お互い姿が見えなくなる。

 

「どうする、車長。相手は煙の中に隠れたよ」

「この状況で煙幕を張るという事は、一気に勝負を決める気なのでしょう」

「ええ、ならば、受けて立つべきですね。敵が攻めてくるなら、煙幕の中と言えど機動は読めるはずです」

 

 そうして、美帆達は応戦の体制を取る。美帆は自分が煙幕を炊いて攻めるとすればどこから攻めるかを考え、その最善の位置で待ち伏せをした。

 しかし。

 

「……おかしいですね、敵が攻めて来ない」

「……これは、してやられたかな?」

「っ!? そういうことですか……!」

 

 38tは急いで煙幕の中を出る。そこには、遠く逃げるⅡ号戦車の姿があった。

 

「逃げて体制を立て直す気ですね! 危なかった……! また新たな策を練る前に叩きます!」

『了解』

 

 38tは逃げるⅡ号の後を追う。

 そうしているうちに、二両は大きな橋へと差し掛かる。

 Ⅱ号がその橋を渡り終え、38tがその後へ続こうとする。

 

「待って! 一旦停止!」

 

 が、そこで美帆は戦車を止める。

 

「おや、何か感づいたようだね」

「ええ、おそらくこの橋には爆薬が仕掛けてあります」

「その根拠は?」

「私ならそうするからですよ」

 

 美帆の読みは確かだった。

 38tがギリギリで停車した瞬間、Ⅱ号が止まり中から出てきた梨華子がいつの間にか用意していた導線のついた仕掛けを作動させる。

 すると、その瞬間橋の付け根が爆破され、橋が落ちた。

 

「今です!」

 

 美帆はその一瞬停車した瞬間を狙い、Ⅱ号をノンナに狙撃させた。

 ノンナの正確な一撃により、Ⅱ号は白旗を上げる。

 ここに、タンカスロンの勝負に決着がついたのであった。

 

 

「うう……あそこで橋爆破が決まっていれば……」

「まあまあ梨華子、煙幕からの引き際で私達をおびき寄せたのは見事でしたよ」

 

 試合後、美帆は梨華子と話していた。

 もちろん、マスクはつけたままである。

 

「でも、賞金逃しちゃいましたし……」

「ああそれは……ハハハ、どうやらずいぶん大穴で私達が買っちゃったようですから、ブックメーカーが大荒れしてるっぽいですね……」

 

 美帆は視線を逸らしながら言う。

 その視線の先には、歓談するミカとノンナ、そして鈴と理沙の姿があった。

 

「見事な操縦だったね。うちのチームに欲しいぐらいだよ」

「あ、ありがとっす……!」

「射撃はもう少し見直す必要がありますね。ところどころもう少し私達に驚異を与える射撃が可能でしたよ?」

「うう……わたくしあまり砲手の経験はなくて……」

 

 そんな光景を見ながらも、美帆は言った。

 

「しかし、やはりいい経験になりました。戦略、戦術は常に相手の二手、三手の先を読むもの。しかし、その読んでいる手の上を行く行動を取ると相手は意表を突かれ動きが止まってしまう。それを私は今回よく理解しました」

「それは私もですよ。自分が想定していた作戦が失敗したとき、次の手を考えるのは当然ですが、リスクのある作戦を仕掛けるときはもっと有利な状況に持ち込まないといけませんね。今回は少し甘かったです。勉強させてもらったのはこちらですよ、美帆さん」

「おや、知りませんねそんな人?」

「ふふっ、そうでしたね、真・仮面パンツァーさん」

 

 そう言って二人は笑い合う。そこには、所属も年齢も越えた友情が確かにあった。

 

「……勝ってくださいね、必ず」

 

 そこで、梨華子が言う。

 

「……ええ、必ず」

 

 それに、美帆が頷く。

 美帆は、来るべき戦いを見据えて、空を高く見た。

 そして美帆は心の中で願った。梓と、正面からぶつかりたいと。

 それは、彼女がエリカの戦いで、みほの戦いに勝ちたい、そう願うからであった。

 美帆は心の中で誓った。

 ――エリカさんに、勝利を。それが、私にできるエリカさんへの最大の恩返しだから。

 美帆はその誓いを、戦車が地響きを轟かせる大地にしたのであった。

 



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光さす満天の空の上で

突然ですが今回で失明エリカIFルートは最終回となります。
今までお付き合いくださりありがとうございました。


「…………」

 

 逸見エリカは、東富士演習場の観客席で、黙ってラジオに耳を傾けていた。

 ラジオは、演習場に並ぶ戦車道の選手達が互いに頭を下げる様子を熱く語っている。

 

「とうとうここまで来たわね、美帆」

 

 エリカは静かに言う。

 その表情は、普段の柔和な笑みからは想像できないほどに真剣なものだった。

 

「ずいぶんと気を張り詰めているな、エリカ」

 

 と、そこでそんなエリカに声をかけてきたものがいた。

 西住まほだ。

 

「っ!? まほさん……」

「やはりいたかエリカ。エリカなら、最前線でこの試合を聞きに来ると思っていたよ。戦車道プロリーグの日本一を決める戦い、殲滅戦にて行われるファイナルシリーズをね」

 

 ファイナルシリーズ。それはまほの言う通り日本戦車道プロリーグの優勝を決める試合の事である。

 その試合に、東美帆の所属する帝国エンパイアズは出場を決めたのであった。

 

「ええ……美帆の晴れ舞台ですもの。聞きに来るのは当然です」

「ああ、しかし相手はあの澤さんの指揮する大阪レジスタンス。一筋縄ではいかないだろう」

 

 そして、相手チームは澤梓率いる大阪レジスタンス。

 東京に拠点を置く帝国エンパイアズと、大阪に拠点を置く大阪レジスタンス。

 この両雄が並び立つことは、シーズンの始めからある程度予想されていたことであった。

 

「ええ……でも、私は美帆が勝つことを信じていますよ」

「それは、希望的観測か?」

「……確かに、それもあります。でも、美帆は私の恋人であると同時に、愛弟子でもあります。だから、美帆の戦いは私の戦いでもあります。だから、その勝利を信じないでどうするんですか」

「その相手が、みほの愛弟子と言える、澤さんであってもか」

「……はい」

「ほう」

 

 わずかにためらいがちになりながらも言い切ったエリカに、まほは少しばかり驚きの色を見せる。

 

「確かに、私はみほが生きている間彼女に勝つことができませんでした。でも、美帆なら、勝てるんじゃないかと、そう思うんです」

「……ふふっ、なるほどな」

 

 まほはくつくつと笑う。そして、にやつきながらも横目でエリカの事を見た。

 

「みほの姉である私の前でそんな言葉を言うなんて、やはり随分と彼女の事を信頼しているようじゃないか」

「うっ、えっ、あっ、それは……」

「ふふふ。まあそう萎縮するな。悪い、少しいじめすぎた。でもまあ、どちらが勝つかは私にも分からないところだ。あなたが育てた美帆が勝つか、みほが育てた澤さんが勝つか、この戦いは、そういう意味でも見ものだと思っているよ」

「……まほさんも、人が悪いですね」

「そうか? ふむ、カレー屋を始めてから、昔よりも心穏やかになったと思ったのだがな。……と、そろそろ始まるようだぞ」

 

 まほが会場に目を向けて言う。

 エリカも、ラジオに耳を傾ける。

 時刻は十五時五十分。

 視界開始、十分前だった。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「…………」

 

 十五時五十五分。

 美帆は、ティーガーⅡの中で目を瞑りながら、静かにそのときを待っていた。

 戦車の中の他の乗員も、みな緊張しているのか真剣な表情で黙っている。

 

『――あー、各車聞こえるかい?』

「っ!?」

 

 と、そこで無線越しにその緊張を破る呑気な声が聞こえてくる。

 隊長であるミカの声だ。

 

『さて諸君、試合開始まで残り五分を切った。我がチームの日本一がかかった試合だ。みんな、緊張しているだろうね。特に、プロ一年目なのにこの舞台に立った東車とかは』

「なっ!? ミ、ミカさん!?」

『ふふっ、その声を聞くと図星のようだね。でもみんな、緊張しなくていい。これは私達の長い戦車道生活において、一つの歴史に過ぎないんだ』

「一つの、歴史……?」

『ああ。優勝すればそれこそ日本一という結果が残り、負ければその年は残念だったという事になる。でも、それはこれまで行われてきて、そしてこれからも行われるであろう私達チームの歴史の一つに過ぎない。時代は次々と塗り替えられていく。空に瞬く星のようにね。だから、あまり気にする必要はないのさ。空に星はいっぱいあるからね』

「…………」

『ま、そういうことで、人生において勝ち負けは重要なことじゃない。みんな、それに気づいていないだけなのさ』

「重要な、ことじゃない……」

『そんな事言って、わりと勝ち負けにこだわっているように思えますけどね』

『そうだなー、わりとミカは根に持つからな』

 

 と、そこで無線からノンナとアンチョビの横槍が入る。

 すると、無線越しにドッと笑い声が聞こえてきた。

 

「ふふっ」

 

 それにつられ、美帆達も思わず笑い出す。

 

『まったくひどい言い草だねぇ。ま、みんなの緊張が解けたならそれでよしとするか。それじゃあ各車、そろそろ開始だ。準備するように。オーバー』

 

 そこで一旦ミカとの無線は切れた。次に繋がるのは試合開始の号令だろう。

 美帆はそう思いながらも、先程よりも体から力が抜けている自分がいることに気づいた。

 

「さすが、隊長ですね……」

「そうだな」

 

 そこに、砲手の米田が頷く。

 

「……こっちも、正直すごく緊張してたから助かる」

「そうね、正直プロ一年目で優勝争いって、荷が重いなって思ってたもの」

「さすが、長年プロでリーダーをやっているだけのことはある」

 

 それに、操縦手の歩場、装填手の甲斐路、通信手の府頭間が続く。

 みな、一様に緊張していたようだった。

 

「私も、無駄に張り詰めていた部分はありますからね。エリカさんの戦車道を証明する、それが私の戦車道をやる動機の一つでしたから、そりゃこんな大舞台、緊張だってしますよ」

 

 美帆は苦笑いしながら言う。そして、すぐに柔和な笑みになる。

 

「でも、今の無線で大分気が楽になりましたね。エリカさんの戦車道を証明したい気持ちはありますが、それにこだわってチームの足を引っ張るわけにはいきません。こちらはこちらのベストを尽くし、空により美しく輝けるようにしないと、それこそエリカさんに申し訳が立ちません」

「……本当に美帆さんは、逸見先生の事が好き」

 

 歩場が静かに言う。

 それに美帆は――

 

「ええ、当然です」

 

 と、笑みで返した。

 そんな美帆を見て、乗員みなが笑う。車内には、先程までの重苦しい雰囲気は消え去っていた。

 

「さてみなさん、そろそろ作戦開始時刻です。肩の荷が降りたのはいいですが、いつまでもほんわかした空気じゃいけませんね。気を引き締めていきましょう」

『了解!』

 

 美帆の言葉に、搭乗員達は応える。

 時刻は十六時〇〇分。

 戦車戦の火蓋は切って落とされることになる。

 帝国エンパイアズと、大阪レジスタンスの、日本一を決める戦いの、始まりである。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

 十八時四七分。

 視界は完全な膠着状態に陥っていた。

 まず試合開始後三十分の十六時三十分、両陣営が防衛陣地を構築。

 両者はそれぞれ丘を隔ててにらみ合いとなった。

 先に丘の上を取ろうとするも、釣瓶撃ちにあう状況をお互いに作り出してしまったのである。

 ここに、両者の作戦が完全に開幕一致してしまったことをお互いに察知。

 それからと言うもの、なんとか防衛陣地を維持しつつも相手の裏手に回ろうと移動を開始。

 しかし、両者共互いの動きを警戒しているため、それはうまくいかずに僅かな小競り合いが行われるのみで、大規模な戦闘へは至らなかった。

 次に戦況が動いたのは十八時〇四分。

 大阪レジスタンスが重戦車での中央突破を仕掛けてきたのである。

 当然、帝国エンパイアズはそれに対応。重戦車は見事に討ち取られるもの……と思われた。

 しかし、それは大阪レジスタンスの作戦であった。

 大阪レジスタンスは、重戦車で攻めると見せかけて、夕日の落ちてきた頃合いを見計らって中戦車を密かに接近させていたのである。そして、その中戦車で重戦車を迎撃しようとしていた戦車の履帯部分を狙撃。

 これは、大阪レジスタンスの選手の技量の為せる技であった。

 そこで混乱をつくのが大阪レジスタンスの作戦であった。しかし、帝国エンパイアズも一筋縄ではいかない。

 ギリギリ相手の思惑を察知した帝国エンパイアズは戦車を引かせなんとか致命打を回避。

 そのまま重戦車の迎撃に向かおうとしたが、大阪レジスタンスが重戦車をすぐ引かせたため、結局大きな戦闘にはならなかった。

 その後、大阪レジスタンスは演習場にある市街地へと撤退、防御陣地を築く。

 帝国エンパイアズはそれを阻止することができず、市街地へと攻めあぐね、仕方なく市街地を包囲。結果、互いに手を出せない状況になり、膠着状態へと至ったのである。

 だが、それで終わるミカと梓ではない。

 互いに、次なる奇策を練っているところであった。

 そんなときだった。

 美帆が、ミカに作戦の提案をしたのは。

 

 

『敵陣に奇襲を仕掛ける、と言うのかい?』

「はい」

 

 美帆は無線越しにミカと話す。

 

『しかし相手は十分な防衛陣地を構築している。それを、どう突破するつもりだい?』

「まず大量のスモークをおそらくもっとも防衛の薄い背面に炊き、そこに重戦車を向かわせます。そこで、相手の意識が背面に集中したところで、あえて防衛の厚い正面に攻撃をしかけます。その二正面作戦を行えば、どちらかは確実に相手の陣地を崩せるかと」

『なるほど。その勝算はどこから?』

「……私は、殆ど澤さんと話したことはありません。でも、分かるんです。私はエリカさんにエリカさんの戦術を教え込まれると同時に、それに最も敵対するであろう、西住みほさんの戦術をも教えられていますから。だから、その戦い方ならどうするかを、私なりに考えた結果、そうなったんです」

『ふむ、なるほど……』

 

 少しばかりミカは考える。

 そして、言った。

 

『いいだろう。君の提案に乗ってみようじゃないか』

「っ!? いいんですか!?」

『何を驚いているんだい? 提案したのは君じゃないか』

「そ、それはそうですが……犠牲覚悟の提案ですよ?」

『ふふ、別にいいのさ。なーに、言ってしまうと、その案は私も考えていた。ただ、他の案との成功率を検討していた段階だったわけさ。どちらにせよ、攻めないと話は始まらないからね。そこに、君が後押しするように検討中であった案の一つを言ってくれた。ならば、この風に乗るのも一興だと思ってね。みんなもそれでいいよね?』

『ええ、隊長がそう言うならば』

『私は何も問題ないぞー! 面白そうじゃないか!』

 

 ノンナやアンチョビ、さらに他の車の車長達からも賛同の声が聞こえてくる。

 チームメイト達からの信頼を受けている、美帆は今そう思った。

 

『その代わり、と言うのはおかしいけど、正面の最も防衛の厚い部分への先陣は東さん、君に頼みたい』

「……! はい、分かりました!」

 

 ミカからの重要な任務を預かり、気が引き締まる思いになる美帆。

 この作戦だけは必ず成功させねばと、美帆は思った。

 そうして、ついに状況は動き出す。

 時間にして、十九時〇三分のことであった。

 

 

『じゃあいくよ……後方部隊、スモーク点火! 進軍開始!』

 

 ミカの号令が響き渡る。

 それと同時に、後方への攻撃が始まる。

 大阪レジスタンスの防衛部隊は、後方へ防御を集中し始める。

 そのタイミングを、美帆は見計らって言った。

 

「それではいきます……パンツァーフォー!」

 

 美帆が号令を出す。

 その号令により、美帆を先陣に重戦車部隊が移動を開始する。

 正面に構えるは、大阪レジスタンスの重戦車部隊。それは、美帆の乗っているティーガーⅡと同じく、ドイツ製のティーガーⅠなどであった。

 意表を突かれた正面部隊の僅かな隙を狙い、重戦車部隊は敵の正面部隊を撃破していく。

 そうして、美帆は防御陣地を崩し市街地への第一歩を踏んだ。

 

「よし……!」

 

 と、美帆が確かな感触を感じていると、突如戦車が揺れた。

 

「きゃっ!?」

 

 美帆が驚いてキューポラから頭を出すと、そこにはいつの間にかギリギリまで接近してきていたⅣ号戦車があった。そして、そのキューポラから顔を覗かせているのは、他の誰でもない、梓だった。

 

「……なるほど。分かりました。後方各車の皆さん! このⅣ号は私が惹きつけます! その間に進軍を!」

『……! 了解しました』

 

 それに答えたのは、IS―2で後方から進軍してきたノンナだった。

 ノンナは、すぐさま美帆の思いを受け取り、すぐさま対応したのだ。

 そして、了承されたと分かってからの美帆の行動は早かった。

 

「歩場さん! キングティーガーを相手のⅣ号にぶつけてください!」

「……無茶を言う、でも、了解」

 

 美帆は、撃破のために接近戦を挑んできたⅣ号を逆手に取り、その車体を無理やりぶつけて相撲のように押し出し始めたのである。

 それは、ティーガーⅡの火力を考えれば利点を潰す、むしろ撃破してくださいと言わんばかりの愚策にしか思えなかった。

 そのせいか、頭をのぞかせている梓の顔に驚きが見えた。

 その一瞬の隙をついて、美帆の後続に続いていた戦車達が次々と市街地へ入っていく。

 梓はその僅かにつかれた意表によって、指揮が遅れ、侵入していく戦車への対応が遅れていたようだった。

 それこそが美帆の狙いだった。

 梓の恐ろしいところは戦車指揮の技量もそうだが、全体的な指揮能力にある。

 それがある限り、市街地へ入れたとしてもすぐに対応される可能性があった。

 だが、その指揮能力を僅かでも鈍らせることができたとしたら?

 そのために、美帆は自らを犠牲にするような戦略を取ったのである。

 戦車と戦車がぶつかり合い、砲塔がつばぜり合いにある。

 そこで、美帆と梓は顔をあわせた。そして、そこで互いに笑いあった。

 それは、互いへの賛辞か、それとも極限状況が生み出した精神的昂ぶりなのかは分からない。

 だが、お互いに笑っていた。そして、それからは二両は戦車での格闘戦を行うことになる。

 

「米田さん! 狙えますか!?」

「無理だな! この距離と速度じゃ、ティーガーⅡの砲塔回転が間に合わん!」

「歩場さん! 相手と再び距離を取れますか!?」

「……無理。ぴったりつかれて重さの差が出ちゃってる」

「甲斐路さん! ダメ元で撃つんで装填もっと早く!」

「これでも頑張ってるのよっ!」

「府頭間さん! 全体の戦況は!?」

「今こっちが優勢!」

「それさえ分かれば十分!」

 

 美帆はそう搭乗員に指示を出しながらも、視線は梓から離さなかった。梓もまた、視線を美帆から離さなかった。

 そうして繰り広げられる格闘戦は、とても長く感じたし、短くも思えた。

 だが、ついに決着がつく。

 

「っ!? Ⅳ号が急に離れた!? とにかくこれはチャン――」

 

 美帆が指示を飛ばそうとした刹那、一旦離脱したかのように思えたⅣ号はドリフトし急接近、再び肉薄し、美帆のティーガーⅡが照準を合わせ撃つ前に、接射した。

 

「ぐっ!?」

 

 大きな衝撃をティーガーⅡが襲う。

 そして、ついにティーガーⅡから白旗が上がった。

 

「ふふ、負けましたね……対決に。でも、試合はどうでしょう?」

 

 ボロボロに煤けた美帆だったが、あえて笑みを崩さない。

 そしてⅣ号がその場から離れようとしたときだった。Ⅳ号の履帯が外れた。

 梓がはっとする。

 後ろを向くと、そこには他の戦車を全滅させてきたミカ達の姿が。

 それは、殆どゲームセットを宣言したも同然だった。

 梓は諦めたように、ふっと笑う。その直後、次々にⅣ号に向けて砲撃が行われた。

 それで、試合終了だった。殲滅戦ルールによって行われた日本一をかけた戦いは今、決着がついた。

 時刻にして十九時四二分のことだった。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「すごかったよ、東さん!」

 

 試合後、お互いの健闘を称え合う両チームの選手の中で、梓が美帆に駆け寄ってきた。

 

「まさかあそこであんな力技を使ってくるなんて! 私、想像もしてなかったよ!」

「あ、ありがとうございます……でも私、戦車戦では負けましたし……」

 

 とても嬉しそうな表情で詰め寄ってくる梓にやや気圧される美帆。

 美帆は両手を振って謙遜しながら、上半身を逸らしていたが、その逸らした分だけ、梓が詰め寄ってくる。

 

「ううん、それでも凄いよ。私、つい熱くなっちゃったもん。それで、全体への指揮がおろそかになって……それで、負けちゃった。勝負には勝ったけど、試合には負けたね。さすが、逸見さんの弟子だね!」

「あ、ありがとうございます……!」

 

 そこで美帆の顔は真っ赤になった。さすがエリカの弟子と言われたことが、とても嬉しかったのだ。

 そんな光景を遠目で見、そして聞きながら、まほとエリカは笑っていた。

 

「……勝負は東さんの勝ち、かな」

「どうでしょう。戦車戦では負けましたし。試合の勝利はチームのものですから、私の戦車道が勝ったとは言えませんよ」

「それもそうだな。とすると……引き分けかな?」

「……そうしておいてください。負けと言われるとちょっと悔しいので」

「ふふっ、そうだな。ふふっ」

「ははっ」

 

 笑いあうまほとエリカ。その姿は、黒森峰時代には見ることのできない姿だった。

 

「……しかし、こうして時代の選手は育っていくんだな」

「そうですね。……最初、みほが死んだとき、私は絶望し、その死を否定し続けていました。でも気づいたんです。受け継いでくれるものがいれば、記憶にとどめてくれる人がいれば、その人は死なないって。だからみほは生きているんです」

「そうか……そうだな」

「そして、私の戦車道も……だから、もし梓が誰かに彼女の戦車道を受け継がせて、美帆が私の戦車道を誰かに受け継がせれば、その中に私達は生きていく。私達は、生き続けていく。それって、とても素敵なことだと思いませんか? 私も、みほも、そしてまほさんも、ミカも、ノンナも、カチューシャも、ダージリンも、愛里寿も、みんな、みんな永遠になるんです。私には今見えていないけど、きっと空の上で輝いている、満天の星空のように」

「そうだな……きっと受け継がれていくさ。きっと、な」

 

 二人は楽しそうに話す美帆達を前に、そう語り合った。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「ちょ……美帆、どうしたの?」

 

 その夜、美帆は家に帰るやいなや、エリカの事をベッドに押し倒した。

 

「エリカさん……私、今日頑張りました。エリカさんの戦車道はここにありって、頑張りました」

「ええ……」

「だから今私、すっごく興奮してるんです。こころのドキドキが止まらないんです。だから今日ぐらいは、こうやって私が責めても、いいですよね……?」

 

 そう言いながら、美帆はエリカに口づけをする。口づけをしながら、エリカの服を脱がしていく。

 

「……んっ……あっ……もう、仕方のない子ね。いいわ、たまにはあなたが私を導いて。私の、光となって」

「……はい! 私はこれからずっと、エリカさんの光になります! ……例えこれが、虚構であっても、偽りであっても、私達はここにいると、証明してみせます……!」

 

 こうして、二つの光は今日も一つとなる。ただ、今日は小さな星が大きな星を包み込んだのは、いつもと違う夜の証だった……。

 



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