掌握 ~アメリア・ポッターとホグワーツ魔法魔術学校~ (カットトマト缶)
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1st form
01-01 アメリア・ポッター


 

 この年の新入生は、多くの在校生、および教師から大いに注目を浴びていた。というのも、今年はかの有名なトム・リドルの一人娘であるダリア・リドルが入学するからだ。現魔法省大臣の娘は父母に似て、幼いながらも美しい顔立ちをした少女だった。父譲りの赤みを帯びた瞳が、妖しくも美しい。

 ダリアの名前が呼ばれ、彼女が生徒たちにその顔を見せる。薄く笑みを浮かべ微かに観衆を見下ろすその様からは、彼女の尊大な性格を伺い見ることができた。組分け帽子を頭にかぶって間もなく、組分け帽子はその声を張り上げた。

 

「スリザリン!」

 

 スリザリン生は当然だと言わんばかりに勝ち誇った表情を浮かべ、他寮生も結果などわかっていたはずなのに少し残念そうな顔をした。ダリアは涼しい顔をして、既にスリザリンに組分けされていたレギュラス・ブラックの隣に腰を下ろした。並ぶ二人は絵になるほどに美しい。

 レギュラスは、隣に腰を下ろしたダリアに言った。

 

「やっぱりスリザリンでしたか」

「当然よ。他にどこが相応しいと言うの?」

 

 ストレートの艶やかな黒髪を、撫でるように後ろへ流してダリアは言った。父も母も、誇り高きスリザリン生としてこの学び舎で育ったのだ。スリザリン以外考えられないわ、と。続けてダリアは同級生の残りの組分けを見ながらレギュラスに尋ねた。

 

「そういえば、シリウスはどこ?」

「あそこですよ。隣にいるのがジェームズ・ポッターでしょうか」

「はしたなくはしゃいで。見苦しいわね、グリフィンドールは」

「本当に、」

 

 忌々しい。そう言うと同時にマクゴナガルが呼んだ女生徒の名に、大広間はざわざわとした騒がしさがなくなって、ひそひそとしたどことなく落ち着きのない空気に包まれた。

 

「ポッター・アメリア」

 

 壇上に上がったのは、ウェーブのかかった長い髪をゆらす可愛らしい少女だった。ダークブラウンの髪がふわりと揺れて、パチリと開いた目から覗くヘーゼル色の瞳がキラキラと輝いている。桃色の唇はゆるく弧を描いていて、やや歳不相応な大人っぽい笑みが、容姿の可憐さとミスマッチなのに妙に魅力的だった。彼女がポッターであると聞いて見てみると、なるほど確かにその笑みはジェームズ・ポッターとよく似ている気がする。

スリザリン生はあのポッターの妹かとどこか嫌そうな顔をし、他寮生はやはりグリフィンドールだろうなと思いながら、その少女の組分けを見守っていた。しかし彼女は多くの生徒、教師の予想を裏切った。

 

「スリザリン!」

 

 シーンと大広間が静寂に包まれた。本人も少し目を見開いて驚いていたようだ。しかし、すぐに納得したのか諦めたのか、椅子から降りてスリザリンの席に足を向けた。彼女が足を踏み出したその瞬間に、大広間は爆発したかのように騒がしくなった。それも当然だ。グリフィンドールを代々輩出してきた旧家ポッターの人間が、まさかスリザリンだなんて。

 

「ポッターの人がスリザリン……?」

「ブラックといいポッターといい、おかしなことがおこるもんだ」

「ミス・ポッターは『逆に』血を裏切る者なのかしら」

 

 そんな声が所々であがる。当人はそんな声を無視して、ニコニコとスリザリンの席に着いた。スリザリンの誰も、彼女に話しかけようとしない。グリフィンドールの方からジェームズ・ポッターとシリウス・ブラックが騒いでいる声が聞こえたが、レギュラスはそれも無理のないことだとすら思った。彼女は、明らかに浮いていた。

 

「信じられない、誰よりもグリフィンドールが似合いそうな女が……」

 

 ダリアがアメリア・ポッターを見て呟いた。ダリアは苦々しげに彼女を睨んでいる。スリザリンの血を父と母のどちらからも受け継いだダリアは確かな選民主義者で、グリフィンドールの血を継いでいるとさえ一般的に思われているポッター家の人間を、スリザリンに受け入れることができないようだった。

 ダリアは食事中、一人で食事をとるアメリア・ポッターを睨み続けていた。

 

* * * * * * * * * *

 

 自分がスリザリンに組分けされるだろうことを、アメリアは何となく察していた。むしろスリザリン以外にどこが相応しいのか、疑わしく思ってさえいたのだ。血には抗えないのだろうかという思いがあったが、どうやら思い違いらしい。

 アメリアの左右には、見事に一人分の空間が空いている。やはりスリザリン生と仲良くするのは、難しいことなのかもしれない。それほど、ポッターといえばクリフィンドールだという考えが、皆の中に出来上がっている。アメリアはこっそりとため息をついた。

 友人がいないのはとても心許ないし、虐められたりしたらどうしようとさえ思うが、アメリアが今考えなければならないことは、実はそんなことよりも他にあった。そう、兄にどう言えばいいのかということだ。あれほど一緒にホグワーツ生活を楽しみたいと言っていた兄に、申し訳ないという気持ちがしてくる。どうか絶縁だけは避けられますようにと祈るばかりだ。

 食事をとっている間、周りのスリザリン生たちを安心させようと思ったアメリアは、とりあえず笑みを絶やさないようにした。笑顔をつくることで「敵意はありませんよ」とアピールしてはみたが、残念なことに効果はちっとも無さそうだった。

 

 夕食が終わり、校長が注意事項などを言った後、校歌を歌って就寝となった。しかしその前にひと仕事ある。広間を出ようとしたとき、アメリアは大声で名前を呼ばれた。名前を呼んだのは、当然兄のジェームズだ。

 

「アメリア! どうして君がスリザリンに!」

「ジェームズ……」

「何かの間違いだ! 一緒にダンブルドアのところへ……」

「ごめんジェームズ」

 

 息巻く兄の言葉を遮る。周囲の人々が注目しているのを感じた。けれどアメリアは、その数多の視線に怖気づくことなく、堂々と言った。

 

「私は組分けに不満なんてないよ」

「……は?」

 

 ジェームズは目を見開いて、なんてことを言うんだ、という顔をした。しかしその言葉は、アメリアの本心からの言葉だった。

 ジェームズの後ろにはシリウスがいて、アメリアの方をいぶかしそうにうかがっている。アメリアはそんなシリウスにニコリと微笑んでから、もう一度ジェームズの方に顔を向けて言った。

 

「むしろ幸運なことだと思うんだ」

「アメリア、いったいどうしたんだい? 誰かに呪いでもかけられたの? 頭がどうかしちゃったのかい?」

「だってね?」

 

 アメリアはジェームズの目をまっすぐ見た。

 

「私はジェームズからグリフィンドールの良いところをたくさん聞いて、グリフィンドールが温かな人たちでいっぱいだということを知っているし、そしてそれは、これからも知ることができる。でもスリザリンにも確かに良いところがたくさんあって、素敵なところがたくさんあるはずなんだよ。……私はこれからそれをたくさん知っていきたいんだ」

「スリザリンの良いところだなんて、そんなの――」

「私が知ったスリザリンの良いところ、今度は私がジェームズに教えてあげる」

 

 そう言ってアメリアは出来得る限りの笑顔をジェームズに向けた。ジェームズは何か言おうとして、けれど言葉が見つからなかったのだろう、俯いたと思ったら頭を掻き毟ってアメリアの肩をつかんだ。

 

「そこまで言うならわかった。でも、虐められたりしたらすぐに言うんだよ!」

「ふふっ、ありがとうジェームズ」

 

 それじゃおやすみ、と言ってアメリアはジェームズと別れた。

 

 アメリアの言葉を聞いていた他の寮の生徒たちは、アメリアへの印象を改めたようだ。純血主義だろうかと疑っていた人たちは、アメリアの底抜けに明るい笑顔を見て毒気を抜かれたような心地になった。監督生に連れられて地下へと向かうその背中を、温かな目で見送った。

 しかし、それでも彼女がスリザリンで浮いていることに変わりはなかった。スリザリン生の一行から距離をとられているその小さな背中を、ジェームズは心配そうに見送るのだった。

 



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01-02

 入学して直ぐに、ダリアはスリザリンでの立ち位置を確立した。同級生や魔法省勤めの親を持つ生徒は皆が皆ダリアの機嫌取りをするし、男子生徒は特別紳士的に接するよう心掛けていた。トム・リドルの直属の部下であるマルフォイ家のルシウスやブラック家のナルシッサ、レギュラスも、スリザリンでは別格の扱いを受けていた。そして当人らは、それを当然のように甘受していた。

 しかしダリアの機嫌は決して良くはなかった。アメリア・ポッターと同室だったからだ。毎朝毎晩、二人は顔を合わせなければならない。スリザリンであることに誇りを持っているダリアは、入学の日のアメリアの発言が気に入らなかった。アメリア・ポッターはやはりグリフィンドール向きだと思ったのだ。

 

「ダリア、お可哀想に。ポッターと同室なんですって?」

 

 取り巻きの一人がそう話を切り出す。尋ねられたダリアは、不機嫌そうに眉を寄せて応えた。

 

「ええ、そうよ」

「私も同室だけれど、彼女、なんだか癪に障るのよ。馴れ馴れしく挨拶してくるし」

「まあ、なんて図々しいのかしら」

 

 ダリアは取り巻きの言う通りだと思った。朝はおはよう、夜はおやすみと同室の人間に挨拶をする。ポッターのくせに。いつも笑顔で、明るくてひょうきん者で、他寮生に人気のアメリア・ポッター。グリフィンドールはおろかハッフルパフとも仲良くするし、だからといってスリザリン生を避けるわけでもない。最初からグリフィンドールに入ればよかったのに何故スリザリンで、しかもこの自分と同室なのか。彼女は間違いなくグリフィンドール向きの性格だ。ダリアはそう思った。

 

「ダリア、授業が始まります。行きましょう」

「レギュラス……そうね、もう行きましょうか」

 

 旧知の仲であるレギュラスとは特別仲が良く、レギュラスの取り巻きも含めてアメリア以外のスリザリンの一年生はほとんど一緒に行動していた。

 

 * * * * * * * * * *

 

「隣いいかな?」

「……どうぞ?」

「ありがとう」

 

 話題の人物は、ダリアやレギュラスたちより遅れて教室に入ってきた。教室内はスリザリンとハッフルパフとできれいに二つに分かれていて、アメリアは当然のようにスリザリン側に座った。教卓近くの席だ。アメリアはダリアの取り巻きになっていないマグル出身のスリザリン生に一言断って席に着いた。その様子を見ていたダリアは、二人を引き離したい衝動にかられた。マグル生まれのスリザリン生とポッターとだったら、マグル生まれの方がマシだと思った。

 ダリアには四分の一だけマグルの血が流れている。それはダリアにとって、唯一のコンプレックスと言っても過言ではなかった。しかしそれはダリア本人にはどうしようもない事実で、父親のことを尊敬し心から愛しているからこそ、ダリアはその血を、その出生を受け入れた。――だから、自分を慕って自分を特別な存在として扱ってくれるなら、別にマグル生まれでも構わない。ポッターなんかと仲良くしないで自分の取り巻きに加わればいいのに――ダリアは常々そう思っていた。

 スリザリンにいる数人のマグル生まれの生徒は、純血の名家のしがらみを詳しく知らない。気さくで話し上手なポッターと仲良くなるのは、ごく自然なことと言えた。それが、ひどく気に入らない。

 

 ほどなくして教授が入室した。闇の魔術に対する防衛術の授業は、ゲラート・グリンデルバルドがダンブルドアに敗れてから比較的易しくなったと言われていたが、今年の教授は当時の闇の時代を生きていた人で、易しい内容をわざわざ選ぶなどということはしなかった。したがって授業の内容が難しく、点を稼ぐのが難しい。ダリアやレギュラスもこの授業では点をなかなか稼げずにいるのだから、ハッフルパフ生はなおさらだ。

 

「では吸血鬼と人間の混血の性質について、何か知っている者は?」

 

 吸血鬼ならまだしも混血なんて知るものか。皆がきょろきょろと周囲をうかがって間もなく、手を上げる生徒が現れた。

 

「ではミス・ポッターに、またお願いするとしよう」

「はい。本来血を飲み続ける限り半永久的に不死であるという純血種の吸血鬼と違って、混血の吸血鬼には寿命が存在してしまうというデメリットがあるものの、日光に当たっても灰になることなく貧血程度でことを終えることができますし、吸血衝動も比較的抑えることができるというメリットがあります。また、治癒力はほぼそのまま受け継がれるというのも特徴です」

「素晴らしい回答だ! スリザリンに十点!」

 

 またポッターが点をもらった。ダリアは苦虫を噛み潰したような顔をした。ダリアもレギュラスも知らないことを、彼女は知っている。教授は馬鹿みたいに点を与えるし、ハッフルパフ生は心底感心している。

 気に入らない。

 

 気に入らない!

 

* * * * *

 

「ダリア、落ち着いてください」

「これが落ち着いていられる!? レギュラスは悔しくないの!?」

 

 今日の授業が終わった夕食前の空き時間に、ダリアは談話室でレギュラスに怒りをぶつけた。取り巻きは同席しておらず、ルシウスとナルシッサ、それとルシウスのお気に入りのセブルス・スネイプとで部屋の一角を独占している。このときアメリア・ポッターは談話室にはいなかった。

 アメリア・ポッターは実に優秀な生徒だった。どんなことでも知っているように感じたし、どんな魔法もこなせるような錯覚さえあった。変身術は一度で成功させるし(これはダリアもレギュラスもだが)、教師からの評価も高い。変身術や呪文学などではダリアとレギュラスの方が点を稼ぐが、ダリアが(ゲテモノ嫌いという理由で)嫌いな魔法薬学もそつなくこなすのだ。

 あまりに不機嫌なダリアに、ルシウスがなだめようと思って言った。

 

「ジェームズ・ポッターに教えてもらってるのではないか?」

「今年のDADAは去年よりレベルが高いわ。ジェームズ・ポッターが一年の内容を完璧に把握してるとは思えない……去年とは内容が違うのよ」

 

 ルシウスの言葉を否定してダリアは言った。レギュラスもそれに頷く。それに、アメリア・ポッターが優秀なのは闇の魔術に対する防衛術だけではない。兄がそのすべてを教えるのは、いくら彼の成績が良かろうとも難しいように思えた。

 

「それにいつも笑って……機嫌良さそうに……人を馬鹿にしてるとしか思えないわ!」

「ダリア、あまり怒ってはだめよ。綺麗な顔が台無しだわ」

「……そうね、ごめんなさい」

 

 ナルシッサの心配そうな顔を見て、紅茶を飲んで落ち着こうとしたときだった。外からアメリア・ポッターが談話室へと入ってきた。ダリアはそれを目敏くみつけ、目を鋭くしてアメリア・ポッターを睨む。彼女は教授に頼まれたのか、一年生のレポート(おそらくDADAの課題の返却だろう)を皆に手渡し始めた。

 私に渡すときには嫌味の一つでも言ってやろうと意気込んでいたところで、ダリアはアメリアと目が合った。ダリアはそのとき、きっと癪に障る笑みを返されるのだと思った。ところが、アメリアは何事もなかったかのように目をそらして、またレポートを配り始めた。そしてアメリアは、とうとうダリアとレギュラスにレポートを手渡すことなく、最後の一つを配り終えて談話室から出て行ったのだった。

 

「どういうこと!? 私のレポートは!?」

「ダリア、ポッターがこれをダリアとミスター・ブラックに渡してって……」

 

 アメリアはどういうわけかダリアとレギュラスのレポートだけ、直接ではなく間接的に返したようだ。ダリアにはアメリアという人間が分からなくなった。普通は手渡す時に世辞の一つでも言って機嫌取りをするものではないのか。それなのに、それどころか他人を通してだなんて……。

 形容しがたい怒りがこみあげてくるのを感じた。――許せない、この私を無視して避けるだなんて!――

 

 ――避ける?

 

 そこでふとダリアは違和感を覚えた。そうだ、彼女は私を避けているのだ、と。

 取り巻きがよく話す。またポッターと目が合ってしまったと。そのたびにダリアは、なんて不躾な人なんだろうと思った。けれど、思い返してみれば、ダリア自身が目が合ったことはほんの数えるほどしかないのではないか。皆は何度も何度も目が合うたびに言ってくるのに。

 

 あの、気さくで他寮生と仲の良い、誰にでも優しいポッターが、自分を避けているかもしれない。

 

 人に避けられるだなんて、ダリアには初めてのことだった。――皆が皆私には優しいのに、ポッターだけが――。怒りがこみ上げると同時に、悔しさと、言いようのない不安を感じた。

 

―――確かめなければならない。本当に私が、この私だけが、避けられているのか。

 

 * * * * * * * * * *

 

 ダリアは同室の女生徒に、アメリアが寝てしまうまで部屋に戻ってこないように言った。ダリアとポッターを二人きりにするなんて、と彼女たちは言ったが、ダリアはこれが一番手っ取り早く、わかりやすい方法だと思った。

 確かめなければ気が済まなかった。誰よりも愛されているダリア・リドルが、誰よりも他人を愛するアメリア・ポッターに避けられているだなんて……そんなこと、あってはならない。

 

 就寝前、予定通り部屋に一人きりになったダリアは、アメリアが帰ってくるのを、本を読んで待っていた。そうしてどれほどの時間が経っただろう。就寝時刻間際になって、とうとうアメリアが帰ってきた。

 私が本からわずかに顔を上げれば、ポッターと目が合って「一人? 珍しいね」なんて声をかけてくるはずだ。ダリアはそう思って、視線をわずかにアメリアに向けた。

 

 二人の視線が、交わる。――綺麗な色――ダリアはアメリアのハシバミ色の瞳を見てそう思った。

 自分より美しい顔をしているわけではない。自分より髪が美しいというわけでもない。それなのに、目が合ったほんの一瞬の間に、様々な思いがダリアの脳裏をよぎった。

 

 しかしそれはすぐに終わった。アメリアがダリアから目をそらしたからだ。一人しかいないのを不思議に思う素振りもなく、アメリアは何事もなかったかのように、自分のベッドに近づいて着替え始めた。そんなアメリアに、ダリアは頭に血が上った。

 

「ポッター! あなた、どういうつもりなの!?」

 

 本を机にたたきつけてダリアは怒鳴った。アメリアは目を丸くしてダリアを見る。突然怒りだしたダリアに驚いたようだ。二人の視線が再び交わるが、当然ダリアの怒りはおさまらない。

 

「この私を無視してどういうつもりなの!? 私にだけそうやって、今まで挨拶もしてこなかったのね!?」

 

 アメリアは驚いた顔をしていたが、その後は特に焦る様子もなく平常だった。中断していた着替えを手早く終えて口を開く。

 

「リドルがいったい何のことを言っているのかわからないけど、少なくともそんな大声は出すべきではないよ、こんな時間に」

「よくもぬけぬけとそんなことを……質問に答えなさい!」

「うーん……」

 

 アメリアは人差し指を顎に当てて、考え事をするように宙を見た。そのポーズが気取っているようで腹立たしく思うと同時に、そのしぐさが似合う女だともダリアは思った。そんなまとまりのない自分の思考に混乱して、ダリアは何も言えなかった。

 アメリアは手をおろして、肩を竦めて言った。

 

「そうだなあ、一つ言っておくと」

「何よ」

「……私、リドルに興味がないんだ」

「……え?」

 

 ダリアは聞き間違いかと思った。目の前の少女が何を言ったのか理解できない。

 

「リドルは私のこと嫌いなんだろう? だったら別にいいじゃないか、私がリドルに関わらなくても。そのほうが楽だ。お互いにね」

「あなた……私を、そんな……」

「リドルが私のこと嫌いならそれでいいんだ。私のことは無視してくれてかまわないよ。私もそうするから」

 

 おやすみ。そう言ってアメリアは、ベッドに入ってカーテンを閉めた。

 ダリアは怒りと悔しさで、思考がぐちゃぐちゃになって何も言えなかった。怒りに任せて扉を開け部屋を飛び出し、ナルシッサの部屋に駆け込む。ナルシッサが、いったい何があったのと尋ねてダリアを抱きしめたが、怒りと悔しさと、そして名のわからない未知の感情とが胸中を渦巻いて、ダリアはただ泣きじゃくることしかできなかった。

 

* * * * *

 

 アメリア・ポッターを避ける風潮は、瞬く間にスリザリンに広がった。同室の生徒とナルシッサが、スリザリン生に口添えしたからだ。皆が皆、アメリアに小さく悪態をつく。マグル生まれの者も、寮内での立場が危うくなるのを恐れてアメリアと友好的に話をする者はいなかった。

 そしてアメリア・ポッターが以前にも増してスリザリンで浮いているという噂は、他寮生にも広がった。スリザリン生のアメリアを見る目が鋭くなったし、以前よりも一人で行動することがずっと多くなったということは誰の目にも明らかだ。

 噂を聞いたジェームズは、妹が冷遇されるのを黙って見ていることはできなかった。

 

「アメリア!」

「ジェームズ……こんばんは」

「こんばんは、じゃないよ! どうしたんだい? スリザリン生に虐められてるんだろう!」

 

 ジェームズはアメリアに詰め寄った。アメリアは苦笑いして少し後ろに下がる。シリウスとリーマスはジェームズの肩をつかんで、それ以上アメリアに近づいて顔と顔がくっついてしまうのを防いだ。

 時は放課後、場所はグリフィンドール寮近くの廊下。周りはグリフィンドール生ばかりで、スリザリン生はアメリア以外誰もいなかった。周りにいたグリフィンドール生が、興味深げにポッター兄妹の会話に耳を傾ける。

 

「虐めなんて。そんなわけないだろう?」

「でも、明らかに避けられてる」

「その通りだ!」

 

 リーマスの指摘にジェームズが頷いた。ジェームズを通してよく顔を合わせる悪戯仕掛人たちは、アメリアの明るく気さくな人柄を知っているし、とても魅力的な女の子であることを知っていた。シリウスも最初こそアメリアを訝しんでいたものの、今では何故グリフィンドールではないのか不思議に思うくらいにはアメリアのことを知っていたし、気に入っていた。親友ジェームズとよく似た一つ下の妹を気に入らないはずもなかった。

 

「俺らがなんとかしてやろうか?」

「まさか! とんでもない。大丈夫だよシリウスさん。それにね、今回のことは完全に私が悪いんだ」

 

 そう言ってアメリアは眉を下げて笑った。それには皆が不思議に思って、ピーターが小さくアメリアに尋ねた。

 

「えっと、ど、どういうこと……?」

「私がね、リドルにちょっと酷いこと言っちゃったんだ。だからみんなの反応は当然なんだよ」

 

 謝りたいんだけどね……。そう言って悲しそうに笑う少女を誰もが慰めてやりたいと思った。

 グリフィンドール生の多くはダリアの性格を知ると、なんてスリザリン生らしいんだと彼女を嫌った。それとは逆に、ジェームズの妹は明るいムードメーカーで、なんてグリフィンドールにふさわしい子なんだろうと多くの者が好いていた。シリウスも昔からダリアの性格を嫌っていて、だからそんなダリアのせいでつらい目に合っている、目の前でいじらしく笑う少女を助けてやりたいと思った。しかし当の本人はそれを拒否する。

 シリウスは思わずアメリアを抱きしめた。

 

「わっ、シリウスさん!」

「ちょっとシリウス! どさくさに紛れて何してるんだい!」

 

 シリウスはジェームズが胸倉を掴もうとするのを適当にあしらって、アメリアを見つめて頑張れよと激励した。アメリアは兄によく似た表情で笑った。

 

 





主人公の名前はアメリア・ポッター。

ジェームズ・ポッターの、一つ下の妹です。

 


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02-01 飛行訓練

 

 ダリアの機嫌は最高に良いように見えた。皆が皆、ダリアのためにアメリアに冷たくするし、以前にも増して優しく接してくれるからだ。その様はさながらお姫様と侍女、執事のようだった。皆が望んだ通りダリアは美しく誇らしげな表情を浮かべているので、皆は一様に安心することができた。……アメリアのせいで機嫌が悪かったときは、どんなとばっちりを受けるのだろうと気が気でなかったのだ。

 

「ダリア、最近機嫌がいいのね」

「ナルシッサ先輩も喜んでいらっしゃったわ」

 

 取り巻きがダリアに言った。ダリアも彼女たちに、最高の気分だと言わんばかりの表情を返した。現にダリアはアメリアの冷遇を誰よりも喜んでいた。――私にだけ冷たいポッター、私にだけ興味がないポッター、私だけを無視したいポッター。ポッターは今、私のせいでつらい立場にある――。そんな思いが彼女の自尊心を満たしていた。

 

 しかしダリアは、胸の中に言葉にできないモヤモヤが居座っていることに気付いていた。誰にでも優しく、めげずに他人に話しかけて、たとえ鬱陶しがられたとしても笑っていた以前のアメリアは、スリザリン生しかいないときは笑顔を浮かべなくなった。誰にも話しかけないし、誰にも笑顔を返さない。無表情で本を読み漁るアメリアを、ダリアはモヤモヤを抱えて見つめていた。

 

 ――あの日の夜見た美しいハシバミ色は、決して、私を映さない――

 

 ダリアは何故か無性に泣きたくなった。悲しいのだろうか。それさえダリアにはわからなかった。ぐちゃぐちゃな気持ちを笑顔でかくして、ダリアは気丈に振舞った。

 そんなダリアの心の内を、レギュラスだけは見抜いていた。幼馴染として長い時を過ごしてきたのだ。レギュラスには、ダリアのその笑顔が心からのものではないことなどわかっていた。しかしどうすればダリアが心からの笑顔を見せてくれるのかまではわからなかった。

 レギュラスはいちいちダリアの心の乱すアメリアに、憎しみにひどく近い感情を抱いていた。

 

* * * * * * * * * *

 

 アメリアに悩まされるダリアを心から笑顔にしてくれる出来事が起こった。飛行訓練が実施されると張り紙が出されたのだ。まだ箒に乗ったことのなかったダリアは、待ち遠しそうにキラキラとした笑顔を浮かべる。そんなダリアを、レギュラスや取り巻きたちは穏やかな気持ちで見ていた。

 ダリアがようやくアメリアに振り回されなくなったことをレギュラスは嬉しく思った。

 

 そしてとうとう飛行訓練の授業の日がやってきた。訓練は天候の都合でグリフィンドールと合同となってしまったが、ダリアはそんなことどうでもいいと思えるくらい、この授業を心待ちにしていた。父親も母親もダリアが箒に乗ることを許さなかったが、ようやく乗ることができる。母親は箒に乗るのが得意ではなかったそうだが、父親に似て、他の授業のように飛行術も得意なはずだという妙な自信がダリアにはあった。

 授業の時間になるとダリアは速く速くと皆をせかした。そんな無邪気な様を見て、レギュラスはついつい笑ってしまった。

 

「ダリア、嬉しそうですね」

「当然よ! 早く飛んでみたいわ」

 

 レギュラスの言葉にダリアは嘘偽りなく答えた。

 

 いよいよ教授がやってきて、皆に箒の横に立つように指示した。続けて上がれと言うように指示したので、ダリアはすぐに手をかかげて上がれと言った。箒は一度で手中に納まった。

 レギュラスも一度で成功したようで、取り巻きたちが二人に称賛の声をあげた。スリザリン生は同じく一度で成功したアメリアには目もくれなかったが、グリフィンドール生は逆にアメリアに驚きの声を上げている。グリフィンドール生が手を叩いてアメリアを褒めるのを、ダリアは苦々しく見ていた。そしてそんなダリアを、レギュラスは面白くないという表情で見ていた。――またダリアがポッターなんかを気にしている。あんな人無視していればいいのに――。

 アメリアはダリアにちらりとも視線をよこさなかった。

 

 教授が箒に跨るように指示し、1・2・3の掛け声で皆が地から足を離した。浮けない者もいたが、ダリアとレギュラスは難なく空中に浮くことができた。

 しかし、ダリアにとって順調だったのはそこまでだった。地から五メートルくらい浮いたところで、ダリアは箒を強く握りしめる。ダリアは初めてにしては上手であると言えたが、思っていたほど上手に箒を操ることはできなかった。箒が暴れないように抑えておくことで精いっぱいだったのだ。思うように動いてくれない箒に、ダリアは苛立ちを禁じ得なかった。ダリアが落ちないように見ていることができるくらいにはレギュラスは箒を操っているのに、ダリアは不安定な箒から落ちないように力を込めるばかり。ダリアはあんなに箒に乗るのが楽しみだったはずなのに、ひどく惨めで悔しくて、怒りが込み上げてきた。

 そのときグリフィンドールの方から歓声が上がった。

 

「アメリア上手なのね! さすがだわ!」

「なあアメリア、俺にも教えてくれよ!」

「お兄さんも上手らしいし、アメリアも乗れないわけがないわよね」

 

 ダリアの顔が怒りで赤くなった。頭が沸騰するのではないかと思うほどの怒りだった。グリフィンドール生はダリアたちの方を見ていやらしく笑っているし、アメリアはアメリアで、ダリアの方をちらりとも見ないでグリフィンドール生に笑顔を振りまいている。ダリアはプライドがズタズタにされたように感じた。

 スリザリン生がダリアを庇ってアメリアに悪口を言うと、グリフィンドール生もアメリアを庇ってダリアの悪口を言った。その悪口にまたスリザリン生が怒る。グリフィンドール生がまたダリアの悪口を言おうとしたとき、そんな彼らを止めたのは意外なことにアメリアであった。

 

「なんてことを言うんだみんな! 人を馬鹿にするようなこと言うなんて、決して良くないよ」

「君が馬鹿にされてるのによくそんなこと言えるね! 君って本当出来すぎだよ」

 

 自分の悪口を言った生徒を庇うアメリアはスリザリン生からしてみれば偽善者のようだったし、グリフィンドール生からしてみれば善人の鏡のようだった。

 ダリアがみっともなく箒を握り締めている目の前で、アメリアは綺麗に箒を操りダリアを背に庇っている。それがダリアにはどうしようもなく悔しかった。

 アメリアは後ろを振り返ってダリアを見た。ダリアとアメリアの視線が絡み合う。――あの夜以来のハシバミ色だった。

 ダリアはアメリアがこちらに手を差し出して「リドルにだって苦手なことの一つや二つあるさ。教えてあげる、一緒に練習しよう。それと、あのときはごめんね」と、そんなことを言ってくれるのだと思った。そしてダリアは、もしアメリアがそう言ったら許してやろうとすら思った。そんなことを思ってしまうほど、アメリアの心の内を見透かすような美しい瞳にダリアは魅せられていた。

 しかしアメリアはダリアの思いに反して、表情を変えることもなく再びグリフィンドール生の方へと向き直った。……信じられなかった。ダリアは頭が真っ白になって、目の前が赤く染まったように感じた。言いようのない怒りがダリアの思考をすべて奪った。

 

 ――――――そのときだった!

 

「!? きゃあああ!」

「ダリア!?」

 

 ダリアが箒をコントロールできなくなったのだ! ダリアの箒は一度大きく沈んで、上空へと一気に上った。レギュラスはすぐにダリアに手を伸ばしたが、不規則なダリアの箒の動きについていけない。

 スリザリン生もグリフィンドール生も、この時ばかりは皆が皆、顔を青くして口々にダリアの名前を叫んだ。教授が浮遊呪文を唱えたが、箒はそれを避けるようにジグザグに揺れる。追いかけるレギュラスをからかっているかのように、箒は上へ下へ、横へと不規則に揺れ動いた。

 

 



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02-02

 ダリアの胸中に巣食うのは、もはや恐怖だけだった。細い箒はしがみつくには心許ないし、上へ横へと揺れる箒から落ちないようにするだけで精いっぱいだった。――どうして私がこんな目に!――ダリアはもう泣いてしまいそうだった。レギュラスが助けてくれようとしているのが声で分かったが、ダリアは恐怖で目を開けることもできなかった。

 箒が再び上空へと急上昇した。レギュラスがそれを追う。すごいスピードで二人は上へ上へと昇っていった。地上にいる生徒たちは、もう先ほどまで悪口の言い合いをしていたのが嘘だったかのように、一様にダリアを見ていた。

 そして誰もが息をするのを忘れた。ダリアの箒が上昇をやめて、急降下しはじめたのだ。頭から垂直に地に近づいてゆく! レギュラスは急なことで方向転換が一拍遅れ、二人の距離がさらに開いてしまった。

 そして、直後、あまりに衝撃的な展開を見て全員が絶叫した。

 

「きゃあああ!」

「ダリア!」

「リドル!」

 

 誰もが大声で悲鳴を上げた。箒が急に横に動いたせいで、とうとうダリアが箒から投げ出されたのだ! あんな高さから落下したら助からない。教授が最悪の事態を防ぐために、ダリアに向かって杖を構えた。

 

 その時だった。今まで一言も言葉を発しなかったアメリアが、箒に跨って猛スピードでダリアの方へ飛翔した。予想外のことだったので、教授もアメリアに目を奪われて呪文を唱えることを一瞬忘れた。皆の頭に浮かんだ言葉は――速い!――まさにそれだった。誰もが息を飲んで、祈るような気持ちでダリアとアメリアを見守った。

 

 

 

 

 

「ダリア!」

 

 

 

 

 

 いつもいつも頭を支配していた声が、自分の名前を呼んだ。

 

 ダリアは落下する中、いつだって涼しい顔して自分を無視していた女が、必死になってこちらへ手を精いっぱいに伸ばしている姿を見た。その一瞬が、まるでスローモーションのようにゆっくりと、はっきりと見えた。緑の芝生の上を滑るように飛ぶアメリアが、近づいてくる。

 ダリアは手を伸ばして叫んだ。

 

「ポッター!」

「っ……ダリア!」

 

 強い衝撃に、ダリアは一瞬呼吸ができなくなった。けれど目の前のハシバミ色が自分を捉えているのだと知って、ダリアはそれ以上の衝撃を受けた。胸が、ギュッと苦しくなった。

 

 ドサッという音とともに、二人は地を転がった。そんな二人に、生徒と教授が急いで駆け寄る。

 二人は無事だった。涙を浮かべるダリアを、アメリアが抱きしめている。ダリアは恐怖からか何も言葉を発さず、ただただ青空を見ていた。その呼吸は荒い。アメリアはうつ伏せだったので表情は見えなかった。

 皆が心配そうに二人の名前を呼んだ。大丈夫? 怪我はない? そう尋ねてくれるスリザリン生の言葉は、しかしダリアには届いていなかった。ダリアは自分を抱きしめる女の温もりだけを、ただ感じていた。

 胸が苦しかった。初めての体験だった。空から落ちたのも、自分を嫌っているはずの女に息も苦しいくらい抱きしめられるのも、他人が自分をその瞳に映したことを嬉しく思ったのも、何もかもが初めてで未知なることだった。

 そんなふうに放心していたダリアの耳に、か細い声が届いた。

 

「よかった」

 

 皆が一瞬で静かになった。体を起こしたアメリアは、眉を寄せてダリアを見つめた。アメリアに優しく上体を起こされたダリアも、黙ってアメリアの次の言葉を待った。

 美しい瞳が、まっすぐ自分を捉えている。

 ダリアの心臓はうるさいくらい鳴り響いていた。

 

「よかった、君が無事で……本当に良かった……」

 

 アメリアは泣きそうな表情でダリアの頬を撫ぜ、そしてまた抱きしめた。

 よかった、と、うわごとのように繰り返して自分を抱きしめるアメリアに、ダリアは顔を真っ赤にした。――胸が、苦しい。

 どうしてこんなにも、この人の腕に安心するのだろう? どうしてそんなにも、この人は私の無事を喜んでいるのだろう? これでは、まるで――彼女が私のことを大切に思っているようではないか!

 ダリアは自分を苦しいまでに抱きしめる女の肩を、押して離すことができなかった。

 

 その後二人は教授に連れられて医務室へと向かった。肩を抱き寄せるように支えてダリアをいたわるアメリアを、スリザリン生たちは呆然と見つめて見送るだけだった。今までの態度とは似ても似つかないアメリアの様子に、誰も何も言えなかったのだ。

 医務室に向かっている間、アメリアは何度も何度もダリアに、大丈夫? どこも痛くはない? 本当に? と尋ね続けた。切なそうに、眉を寄せて、心配の色をありありとにじませて。ダリアは尋ねられるたびに、大丈夫よ、痛くないわ、本当よ、と答えた。

 ダリアはそっと頬を押さえた。頬が熱い。アメリアはまるで恋人のように、恐怖で強張っていたダリアを抱きしめて、冷たくなった手を握り締めてくれた。アメリアが優しく触れてくるたびに、ダリアは胸を締め付けるような感覚がして息苦しさを覚えていた。

 

 医務室に着いて初めて、ダリアはアメリアがあばらの骨を折っていたことを知った。痛かったのは自分だったろうに、アメリアは薄く笑みすら浮かべて不味そうな気味の悪い薬を飲んだ。

 その後ダリアとアメリアは、大事をとってベッドで休むように言われた。心配性のマダムは二人に一泊するように言って、面会謝絶ですからと声をかけてカーテンを閉めた。

 カーテンで閉ざされた空間に、二人きり。アメリアが目を閉じてベッドに腰掛けたのを見て、ダリアは口を開いた。

 

「どういうつもりなの?」

 

 ダリアにはわからなかった。今までの冷たい無関心が嘘かのように、まるで自分を壊れ物のように扱ったアメリア。彼女の考えがちっとも読めず、思考がまとまらない。

 ダリアは自分で自分を抱きしめてアメリアの言葉を待った。まだ、アメリアに抱きしめられたときの感覚が残っている。自分よりも強い力、自分よりも熱い温もり……。ダリアはそれらを生々しく思い出してしまってまた赤面した。

 アメリアはようやく目を開いてポツリポツリと言葉をもらした。このとき、ハシバミはダリアを捉えてはいなかった。

 

「興味がないなんて、嘘だ。本当は誰よりもきっと、君のことが気になってた」

 

 アメリアは立ち上がった。ダリアがいる方とは反対側にある窓から外を見る。アメリアの長い、クセのある髪は、今日は飛行訓練のために高い位置で一つにくくられていて、どことなく凛々しく見えた。

 

「本当は声をかけたくて仕方なかったんだ。君は綺麗で、可愛らしくて……魅力的だったから。本当は、仲良くしたいって思ってた。でも君はみんなのお姫様で、私は、みんなに嫌われた異端児で……」

 

 アメリアの声は静かだった。淡々とした口調の端々に、悲しみの情が見え隠れしていた。

 

「君も、私のことを嫌っているみたいだったし、私は『ポッター』だからって……ずっと、我慢してたんだ。私が話しかけるなんて、おこがましいって」

 

 そこまで言って、アメリアはダリアを振り返った。外の緑がまぶしいのかアメリアがまぶしいのか、ダリアにはわからなかった。ハシバミ色がまっすぐ自分を捉える。

 息が苦しくなった。心臓がどくんどくんと鼓動して、また顔に熱が集まってくる。

 アメリアがゆっくりとダリアに歩み寄る。息は苦しさを増した。アメリアの動作はひとつひとつ、洗練されたかのように美しかった。

 ダリアは、まるで心の内を見透かすかのようなアメリアの瞳から目をそらせなかった。

 

「でも、君が落ちそうになったとき、体が勝手に動いてた。体は心なんかよりずっと素直だった。君を助けなきゃいけないって、きっとわかってたんだ。……君が無事で本当に良かった」

 

「あ……ええっと……」

 

 ダリアはたじたじだった。――あのアメリア・ポッターが、真剣なまなざしで私を見つめている――その表情に、目に、言葉に、ダリアは今まで経験したことのない胸の高鳴りを感じていた。

 アメリアがダリアの頬に手を添える。ダリアは心臓が口から飛び出すのではないかとすら思った。

 アメリアが真剣な顔で言う。囁くように。

 

「まるで、君に恋しているみたいだった。本当は、ずっと秘密にしようと思っていたんだけど」

 

 我慢、できそうにないよ。そう言って伸ばされた腕を、ダリアは受け入れた。

 

* * * * *

 

 翌日の朝食の時間、ほとんどのホグワーツ生の視線を彼女たちは独占していた。今まで一緒にいたことのなかったダリアとアメリアが、仲睦まじそうに一緒に食事していたからだ。取り巻きたちはいったいどういう反応をすればいいのかわからなかったが、ダリアが彼女たちに気付いて手招きした。

 

「おはよう」

「おはようございます……」

「お怪我はもうよろしいんですの?」

「もともと怪我をしたのはアメリアだけだったの。私は大事をとって一泊しただけで」

 

 取り巻きたちはダリアの言葉を聞いて、互いに顔を見合わせて信じられないという顔をした。ダリアはそんな彼女たちには気づかないで、食事を終えて口元をナプキンで拭った。アメリアはそれを目敏く見つけて、紅茶を淹れたカップをそっと差し出した。ダリアは嬉しそうに礼を言った。

 

「ありがとうアメリア」

「どういたしまして」

 

 恭しく差し出された紅茶を受け取って、ダリアはにこりと微笑んだ。

 

 ダリアのアメリアに対する態度も、アメリアのダリアに対する態度も一変していた。ダリアは今まで誰にも見せたことの無いような可愛らしい笑顔をアメリアに向けるし、アメリアは持ち前の明るい弾けるような笑顔をダリアに向けた。そして時折ダリアは顔を赤らめ、アメリアは静かで優しい笑顔をダリアに向けた。

 当然スリザリン生は、そんな二人の仲を面白くないと感じた。スリザリンのお姫様が、グリフィンドールの申し子に盗られたかのように感じた。いや、実際にスリザリン生はアメリアにダリアを取られたのだ。二人はその後も一緒に行動するようになったし、取り巻きがいてもアメリアがダリアの隣にいて、当然のようにスリザリンの中心にいたから。

 レギュラスは以前のようにダリアと一緒にいることができなくなってイライラした。そして何より、ダリアのアメリアを見る目、アメリアのダリアを見る目が気に入らなかった。二人の視線が熱っぽく絡み合う様に、レギュラスは吐き気がした。

 

「ダリア、いったいどういうつもりなんですか?」

 

 アメリアがジェームズに呼び止められて談話室にいないときを見計らって、レギュラスがダリアに尋ねた。それは全スリザリン生の疑問と言っても間違いではない。一年だけでなく上級生もダリアの答えを待った。

 

「彼女、私のことが大好きなんですって」

 

 ダリアは顔を少し赤らめて言った。そんなダリアの、少し恥ずかしそうな、けれど満更でもないという表情を初めて見たレギュラスは、胸が焼けるような気持ちの悪い感覚を覚えた。

 

「本当は私と仲良くしたかったけど、彼女は『ポッター』だからって遠慮してたんですって。私、誤解してたわ。アメリアってとっても素敵なのに『ポッター』だからって気に食わない人って決めつけてたんだもの。みんなも話してみればわかるわ。話もとても面白いのよ。きっとすぐ好きになるわ。でも、もちろん彼女の一番は私だけれど」

 

 ダリアはそう続けた。その、まるで自慢しているような口ぶり。レギュラスも周りの者も、自分の目と耳が信じられなかった。この変わりようは何だ。あんなに悪態をついていたのに。

 レギュラスが反論しようとしたところで談話室の扉が開いた。アメリアが帰ってきたのだ。ダリアはすぐにアメリアを手招きして、隣に座るように促した。アメリアは嬉しそうに一つ微笑んで、軽やかな足取りで近づくとダリアがあけてくれたスペースに腰を下ろした。

 

「何の話だったの?」

「ダリアと仲良くなったのかって聞かれたんだ。だから『そうだよ』って答えてきた」

「ねえ、もうグリフィンドールと関わるのはやめにしなさいよ。ね?」

「ええ? いくらダリアのお願いでも、それはきいてあげられないな」

「どうして」

「だって他の寮の子にもスリザリンの良いところ知ってもらわなきゃ」

 

 ね? そう言って笑うアメリアにダリアは面白くなさそうな顔をした。しかしアメリアが怒らないで、と言ってダリアの手を握ると、ダリアは恥ずかしそうにそっぽを向いてそれ以上は追及しなかった。そんな二人のやり取りを見て、レギュラスはアメリアへの怒りが腹の中で暴れるのを感じた。――どうして……どうしてそんな態度をとる? 触るな、汚らわしい手で、ダリアに! ダリアも、どうしてその手を振り払ってくれないんだ――しかし、レギュラスの心の内をダリアは知る由もない。

 レギュラスはそれ以上二人を見ていたくなくて、自分の取り巻きを連れて談話室を去った。ダリアはアメリアと仲良くするつもりがないというあからさまなレギュラスの態度に口を膨らませた。

 ダリアがレギュラスに怒っているのを見て、アメリアが「そういえば」と話題を切り替えた。取り巻きたちはダリアがいる手前、下手な行動をとれない。だからせめて無言を貫いていようと思ったが、アメリアがあまりに面白おかしい話をするものだから思わず口元が緩んでしまい、それを見たアメリアに会話に巻き込まれて、結局ダリアの取り巻きたちは会話に加わってしまったのだった。

 

 




アメリアは可愛い系の女の子なんですが、話し方や雰囲気がイケメンです。

 


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03-01 アメリア・ポッターとスリザリン生

 それからアメリアはあっという間にスリザリンの一年生女子の中心人物となった。ダリアの取り巻きは、ダリアとアメリアの取り巻きになった。もともと『リドル』の機嫌を損ねないように、かつ学園生活を楽しいものにするためにダリアと一緒に行動していた彼女たちは、ダリアの機嫌を損ねるよりは、今まで散々鬱陶しいと思っていたアメリアを交えて会話することの方がずっと気楽で楽しいことに気付いたのだ。

 それまで取り巻きに加わっていなかった女子も、アメリアに巻き込まれてダリアたちと一緒に会話に興じるようになった。四分の一だけマグルの血をひくダリアの前でマグル生まれを卑下することもできず、純血の者もそのことに関しては何も言わないで会話に加わった。それにマグル生まれでスリザリンに組分けされるだけのことはあって、彼女たちは口がうまかったのも理由の一つだった。

 

* * * * *

 

 この日レギュラスとその取り巻きたちは、授業の復習をするために中庭に来ていた。つい先日習った、物を浮かせる呪文だ。レギュラスはこの呪文を一度で成功させていたが、取り巻きたちには難しかったようでちっとも成功の兆しがない。レギュラスは呆れた気持ちをなんとか隠して、彼らに杖の動きを確認させていた。

 

「やあ、授業の復習かい? 勉強熱心だね」

「……」

 

 レギュラスは思わず杖を折りそうになった。そう声をかけてきたのはアメリア・ポッターだったからだ。アメリアは、今は一人のようで、呪文がうまくいかなくてイライラしている彼らスリザリン生たちに、鬱陶しいを通り越していっそ清々しいまでの笑顔を向けた。誰かが舌打ちをするのを聞いてアメリアはきょとんとしたが、アメリアの存在を無視して目の前の小石に呪文を唱える男子生徒に声をかけた。

 

「惜しいね、手の動きが少し大きすぎるんだ」

「……」

「発音は完璧だよ! もう少しこうやって……」

 

 あろうことか、なんとアメリアはその男子生徒に呪文のレクチャーを始めた。それを周りの者たちは、ぽかんとした顔で見る。突然指導を始められたその男子生徒はどうしていいかわからず、けれどとにかく上から目線で指導されたのが気に入らなかったのでアメリアを無視した。しかしアメリアは、と言うよりやはりアメリアは、めげずに話しかける。

 

「もう、違うったら、もう少しコンパクトに……」

「うるさいな! 放っておいてくれ!」

「えっ!? 目の前に困ってる人がいるのに放ってなんておけないよ!」

「うるさいこのお人好し!」

「? ありがとう!」

「褒めてない!」

「ほら、やってみて」

「あーもう!」

 

 その男子生徒はちっとも引く気のないアメリアに根負けして、言われた通りに杖を振った。すると今度は呪文が成功して小石がふわふわと浮いた。彼は成功してしまったことに僅かながら悔しさを覚えたが、それでもようやく呪文が成功してほっとしたようだった。

 

「すごいよ! まさか一度でできるなんて思わなかった!」

「馬鹿にしてるのか?」

「まさか! 言われたからってそれを直すことは難しいんだ。それができるっていうのは本当にすごいことなんだよ!」

 

 そう言って満面の笑みを向けてくるアメリアに、男子生徒はカッと赤くなってそっぽを向いた。一連のやり取りを見ていたレギュラスは、面白くなさそうな顔で二人を見ていた。もちろん、自分が教師のような完璧な指導をして全員に魔法を使えるようにしようなんて思ってはいなかったが、いとも簡単に彼に呪文を成功させたアメリアに自分が劣っているのではという気持ちになった。

 

「あなたたち、早く練習してください。時間はいつまでもあるわけじゃないんですよ」

 

 レギュラスのイライラは、八つ当たりというかたちで取り巻きたちにぶつけられた。彼らはそれ以上レギュラスの機嫌を損ねないように、なんとか自力で呪文を成功させようと躍起になった。

 今にも舌打ちをしそうなレギュラスに、果敢にもアメリアは近づいて声をかけた。それを横目に見ていた取り巻きたちは、心の中で「何を考えてるんだポッター!」と叫んだ。

 

「ブラックは優秀なんだね。そういえば、この呪文は一度で成功させてたかな」

「ええ。まあそれはあなたもでしょうけど」

「ふふっ……ここだけの話、私は浮遊呪文が苦手でね。これを習得するのにずいぶん時間がかかったんだ」

 

 アメリアはまるで旧知の仲だとでもいうかのように、レギュラスにこっそりと耳打ちした。レギュラスは馴れ馴れしいアメリアにイライラしたが、ここでアメリアを突き放して立ち去れ、なんて言うのはさすがにレギュラスでもできなかった。自分がアメリアとダリアの関係に嫉妬しているというのをアメリアに悟られるのが、心の底から嫌だった。

 

「レギュラスさん、その、もう一度やって見せてほしいんですけど」

「……ウィンガーディアム・レヴィオーサ」

 

 取り巻きの一人がレギュラスにお願いしたので、レギュラスは杖を振って小石を浮かせた。アメリアに至近距離で見られているということが、何故かレギュラスをひどく緊張させた。小石は何の不安定さも見せないで浮き上がる。それを見てその取り巻きと、アメリアが手をぱちぱちと鳴らした。

 

「さすがだね、安定してる」

「これくらい簡単です」

「あー……まあ、君ほどの魔法使いならね」

 

 取り巻きが頬をひきつらせているのを見て、アメリアが苦笑いで言った。声をかけた彼はもう一度呪文を唱えて杖を振るが、やはり小石は浮き上がらない。

 

「なんでできないんですか?」

「ブラック、そんな言い方ないだろう」

「……」

 

 あなたには関係ない、とレギュラスは言いたかったが、確かに八つ当たりしたのも事実だったので何も言えなかった。

 

「そんな気落ちしないで。『v』の発音はもう少し柔らかく。それと、手はもっと自然に」

 

 そう言ってアメリアはまたレクチャーを始めた。レギュラスはそんなアメリアを睨みつけていたが、アメリアの指導が分かりやすいことは認めざるを得なかった。レギュラスが感覚的にしていたことも、アメリアは言葉にして指摘してから実際にして見せて、それでも出来なかったら相手の手を取って一緒に杖を振った。そんな馴れ馴れしい指導の仕方にレギュラスはやはり苛立ちと驚きを隠せなかったが、指導してもらっている本人はレギュラスが怒っていることの方に気を取られて、アメリアと密着していることにまで意識が回らないらしい。結局彼はレギュラスではなくアメリアの指導のおかげで呪文を成功させた。

 レギュラスはあからさまに大きなため息をついて、うんざりとした口調で言った。

 

「……もう今日はここまでにしておきましょう」

「レ、レギュラスさん、その……」

「あとは各自で何とかしてください。言っておきますけど、次の授業の時にできなくて減点なんてされないでくださいよ」

 

 レギュラスはそう言って談話室へと向かった。アメリアが自分を呼び止めているのが分かったが、レギュラスは振り返らなかった。今目を合わせたら要らないことまで言ってしまいそうだったから。

 

 * * * * *

 

「……ポッター」

「ん?」

 

 夜、アメリアがダリアとその取り巻きたちと会話していると、後ろから声をかけられた。男の子の声だ。アメリアが不思議に思って振り返ると、そこにいたのはレギュラスの取り巻きたちだった。アメリアは疑問に思いながらも、優しく微笑んで尋ねた。

 

「やあ。どうしたんだい?」

「……浮遊呪文を教えてくれ」

「ああ……」

 

 アメリアは彼らも大変だなと思った。レギュラスの機嫌を損ねないように呪文をマスターしなければならないのに、頼れる相手がもうアメリアしかいないのだから。アメリアは彼らの複雑な心の内を察して快諾した。しかしダリアは彼らがレギュラスではなくアメリアを頼ったのを、これ以上喜ばしいことはないと言う顔で喜んだ。

 

「まあ。あなたたちもようやくアメリアの素晴らしさに気付いたのね!」

「ダ、ダリア……そこまで言われると恥ずかしいよ」

 

 アメリアは顔を赤くして困ったような、照れくさそうな顔で曖昧に笑った。

 一度教授に講義してもらっているのに呪文を成功させられないなら、あとは個人指導しか方法がない。アメリアは一人ひとりに呪文を一度唱えさせて、目についたところを指摘して改めさせた。時間がかかりそうな生徒は後回しにして、とりあえず全員に一度やらせる。アメリアの浮遊呪文レッスンにはレギュラスの取り巻きたちだけでなく、ダリアの取り巻きたちも参加した。談話室の一角でアメリアを中心としたミニ授業が行われる。

 

「違う違う、回すのが逆だ。左利きの人はこう」

 

 アメリアは手を取って一緒に杖を振った。アメリアは男子相手でもスキンシップをとることに抵抗がないようだ。男子生徒は若干恥ずかしそうにしていたが、聞かぬは一生の恥、ここは大人しくしていなければならない。

 アメリアの指導のおかげもあって、レギュラスの取り巻きたちはとりあえず全員が呪文を成功させた。彼らはこれでレギュラスの機嫌を(これ以上は)損ねずに済む、とほっとした顔をした。

 

「ポッター、その、助かったよ」

「どういたしまして! でも嬉しいよ、頼ってもらえて」

 

 アメリアはそう言ってニコニコと笑った。その毒気のない、純粋に喜びだけが見える笑顔に、彼らもまた僅かながら笑顔を返した。

 

 * * * * *

 

 レギュラスはイライラとチキンを切り刻んだ。隣ではダリアがアメリアと楽しそうに会話している。

 レギュラスは以前ダリアがアメリアを嫌っていた以上に、アメリアのことを嫌っていた。アメリアがダリアと仲良くなるまでは、ダリアの魔法薬学のペアはいつも自分だったし、食事の席でダリアの好きな料理を皿に盛りつけてやるのも自分だった。それが今はどうだ。ダリアはもっぱらアメリアとペアと組むようになったし、ダリアの好きなものをとってやるのもアメリアになった(アメリアが何故ダリアの好きなものを完璧に把握しているのかは、さすがにレギュラスにもわからなかった)。

 

「ふふっ、ダリア、口元にソースがついてるよ」

「え?」

「ほら」

「ん……」

 

 そう言ってアメリアはダリアの口元を拭ってやった。ダリアが恥ずかしそうに頬を染める。レギュラスはダリアが恥ずかしがった理由が、人前ではしたないことをしてしまったからではなくて、アメリアにすぐ近くで微笑まれたからだということに気付いていた。

 レギュラスはアメリアに恥をかかせてやれないかと思って、机の下でこっそり杖を振ってアメリアの目の前のゴブレットを倒した。

 

「わっ!」

「まあ! アメリア大丈夫?」

「袖を引っかけてしまったみたいだ」

 

 中に入っていたカボチャジュースが零れてアメリアの服を汚す。アメリアの発言はテーブルマナーがなっていないということを意味していたが、ダリアは気にした様子もなく自分のレースのあしらわれたハンカチを取り出した。レギュラスもそれにはぎょっとした。まさかそんな汚いものを拭くのに自分のハンカチを使おうとするなんて、レギュラスは思ってもみなかったのだ。レギュラスはとっさにダリアの手を掴んで止めた。

 

「ダリア、ハンカチが汚れますよ」

「でもアメリアが……」

「そうだよダリア、こんなことにダリアのハンカチを使うなんて」

 

 アメリアもそれで服を拭こうとするダリアを止めて、杖を振ってあっという間にジュースを片付けてしまった。レギュラスはもう清めの呪文を使いこなすアメリアに目を剥いていたが、ダリアはすごいと言って手を叩いた。

 

「アメリアって本当に何でもできるのね」

「何でもだなんて。そんなことないよ」

「そう? でも私、アメリアが何かできなくて困ってるところ見たことないわ」

「まあそのうちね」

 

 レギュラスはそう言って笑うアメリアに苛立ちを覚えた。何でもできる天才児。レギュラスにとってアメリアはまさにそれだ。天は二物を与えずと言うが、全くの嘘だとレギュラスは思った。

 

 * * * * *

 

「先に休むよ。おやすみダリア」

「そんな、待って、私も寝るわ。おやすみなさいレギュラス」

「おやすみなさい」

 

 レギュラスが最も気に入らないのはアメリアのこういうところだった。そう、いつもいつもアメリアはレギュラスの邪魔をするのだ。アメリアにはそのつもりがなくても、結果的にダリアはアメリアを優先してしまう。レギュラスはダリアとの時間を邪魔されて、心の底からアメリアを疎ましく思った。

 そして、さらに付け加えるなら、アメリアの自分に対する態度も気に入らなかった。ときどき、まるでレギュラスがこの場にいないかのように振舞うのだ。それはあからさまにというわけではなくて、ふとしたときに感じる拒絶だった。たとえばこういう、挨拶。レギュラスは一度だって、アメリアにおはようもおやすみも言われたことがなかった。ダリアの時のように、自分のことを嫌っているからわざと避けて関わらないようにしているのかもしれないと思うと、どうにも気に入らなかった。

 

 しかしレギュラスの思いに反して、アメリアは着実にスリザリンに溶け込んでいった。ダリアを通してダリアの取り巻きと、呪文の練習を通してレギュラスの取り巻きと、授業の課題を通してそのほかの生徒と、アメリアは交流を深めていった。ダリアがいる手前ポッターを表立って拒絶できない、とレギュラスが我慢しているのを、レギュラスの取り巻きたちは勘違いしたのか何なのかはわからないが、アメリアと仲良くしても問題ないと判断したようだ。いつしか彼らはアメリアに気軽に話しかけてはアドバイスをもらい、レギュラスが他の者の宿題を見てやっているときには「レギュラスさんは今忙しくて」と言ってアメリアに課題のチェックをしてもらうようになっていた。

 こんなにも上手にスリザリンに取り入るなんて、とレギュラスは恐ろしさにも似た感情をアメリアに抱いた。しかしあの能天気そうな顔で笑うアメリアが、そんな『取り入る』だなんて狡猾なことを考えているとはレギュラスにさえ思えなかった。きっと自然にこうなってしまったのだ。あの裏表のない性格だからこそ、ポッターであるというハンディキャップを負っているにもかかわらずスリザリン生にも受け入れられたのだろう。そう思うとレギュラスは悔しくて仕方がなかったが、次第にそれは諦めにも近い気持ちに変わっていった。

 

 




嫌いな人に無視されるのも、それはそれでカチンとくるレギュラスくん。

 


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04-01 クリスマス

「アメリア、クリスマスの日に私の家でパーティが開かれるの。アメリアを招待するわ。もちろん来てくれるわよね?」

 

 その言葉にアメリアは驚いて目を見開いた。目をぱちぱちと瞬かせて、ダリアの顔を見つめる。その反応にはさすがにダリアも首を傾げた。

 

「どうしたの?」

「ダリア、君今何て言ったんだい?」

「おかしなこと言ったかしら? パーティにいらっしゃいって誘ったのよ」

「まさかリドル家のパーティに呼ばれるなんて……その、すごく光栄だよ」

 

 アメリアの言葉にダリアはニコリと笑った。その笑顔はリドル家に生まれたことを心の底から誇っている顔だ。

 しかしその表情は崩れた。アメリアの続けた言葉のせいで。

 

「だけど、ごめんダリア。パーティには参加できないよ」

「なんですって? この私が招待してるのに?」

「ああ怒らないでダリア。まさか招待されるだなんて思ってもみなかったから、両親にクリスマスは帰るって言ってしまったんだ。本当に申し訳ないんだけど……」

「アメリア、あなた、私の誘いを本気で断ろうとしているの?」

「その、言いにくいんだけど、両親に直接スリザリンに入った経緯を伝えなくちゃいけないんだ。ほら、ポッターなのにグリフィンドールじゃないなんて両親も納得いってなくて」

 

 ダリアは思わず納得しかけた。誰よりもグリフィンドールにふさわしい性格をしているはずのアメリアがスリザリンに入ったのは、両親からしてみれば「何かの間違い」なのだ。アメリアは一応手紙でスリザリンに入った旨を伝えたが、それでも両親が納得できていないのはダリアも聞いていた。

 

「でも……そうよ、パーティに参加するだけだもの、問題ないじゃない」

「いや、一応私たちの親族もパーティをすることになってて」

 

 親族のパーティ。それにはダリアも納得せざるを得なかった。昨年シリウスがクリスマスに帰省したとき、シリウスの母を含めたブラック家の面々は彼に「なぜスリザリンではないのか」と鬼のような形相で詰め寄っていたのを知っていたからだ。アメリアも例外ではないのだろうと考えた。

 

「……わかったわよ。いいわ、せいぜい楽しみなさい」

「ダリア……」

 

 そっぽを向いてしまったダリアに、アメリアは心の底から悲しそうな顔をした。瞳が潤んで、今にも涙があふれてきそうなほどだった。それにはダリアもわがままを言いすぎたかしらと思い直して、また顔をもとの位置に戻した。

 

「来年こそはいらっしゃいね」

「ありがとう。きっと行くよ」

「そうだわ、夏休みにうちへいらっしゃいよ。そうよ、それがいいわ!」

 

 ダリアは名案だと言って目を輝かせた。しかしそれに対してアメリアの表情は浮かない。ダリアはまた何かあるのかと思って唇を尖らせた。

 

「私の家は、毎年夏は長期の旅行に出てて……」

「私と旅行、どっちが大切なの!?」

「ダリア怒らないで。もちろんその二つだったらダリアに決まってる。けれどね、私たちは親には年に数回しか会えない。そうだろう?」

「……」

「私の両親は私とジェームズに会うことだけが楽しみなんだ。さみしいさみしいっていつも手紙に書いてくれる父さんと母さんに、これ以上さみしい思いはさせられないよ」

 

 ダリアは無意識にまた唇を尖らせていた。アメリアの言い分は納得できる。母も自分がホグワーツに行くのを心底さみしがっていたのだ。もし逆の立場だったら、絶対にグリフィンドールの名家の家になんて泊りに行かせてもらえるはずない。ダリアは納得するしかなかった。

 けれど感情とは厄介なものだ。ときにそれは思考とは独立して、人を苦しめる。

 

「いいわよ、私、ホグワーツではアメリアとずっと一緒にいられるもの」

 

 そう言ってダリアは目元を隠した。

 そんなダリアに、アメリアは切なそうな表情をした。

 

「泣かないでダリア……」

「泣いてなんかないわ!」

「休暇には手紙を書くよ。それで許して」

「そんなの、あたりまえ、でしょう」

 

 友人にことごとく誘いを断られて、ダリアはとうとうぽろぽろと涙をこぼした。それにはアメリアも目を見開いて、とうとうダリアを強く抱きしめた。

 

「ダリア、ごめんね。ありがとう」

 

 アメリアは小さなリップ音を立てて、ダリアの目元にキスをした。ダリアは涙をキスで攫ったアメリアに驚いて顔を真っ赤にする。アメリアがそんな赤いダリアの頬にもう一度キスを落とすと、今度こそダリアは泣き止んで恥ずかしさから顔をそむけた。アメリアがもう一度ごめんねと囁くと、毎日書かないと許さないんだからね、なんて語気を強くして返した。そんな可愛らしいわがままを言うダリアにアメリアはほほ笑んで、自分のとは違ってまったくクセのついていないダリアの艶やかな髪に指を通した。

 

* * * * *

 

「お招きいただき誠に恐縮です、我が君」

「ああ、今夜は楽しんでいけ」

「ありがとうございます」

 

 ブラック家当主のオリオン・ブラックと、マルフォイ家当主のアブラクサス・マルフォイが、直属の上司でありこのパーティの主催であるトム・リドルに挨拶をしにやってきた。彼らの後ろにはいつにも増して煌びやかなオーラを纏っているルシウスとナルシッサ、そして不機嫌そうなシリウス、不愛想なレギュラスがついていた。シリウスは今年こそはホグワーツに残ろうとしていたのだが、母が絶対に帰るようにと念を押したので渋々参加したのだ。それに今年は去年残っていたリーマスとピーターが帰省すると言ったのも理由の一つだった。

 トム・リドルは万人の上に立つに相応しい立ち振る舞いをする男だ。威圧的な態度は娘にも受け継がれたが、それでもやはり格の違いを感じるような、絶対的な何かがあった。レギュラスはトム・リドルを前にすると、先ほどまでの不愛想が嘘かのように顔に笑みを浮かべた。トム・リドルはレギュラスの憧れの人だったからだ。

 シリウスは会場を見回して、また視線をトム・リドルの横のダリアに戻した。仲がいいと言っていたのでこのパーティにも参加しているかと思ったが、アメリアの姿はどこにもなかった。そのことをとても残念に思って、シリウスは大きくため息をついた。しかしそのため息に誰かのため息が被る。シリウスはきょとんとして、その音の出所を見た。ため息をついたのはダリアだった。

 

「どうかしたのかい、ダリア」

 

 トムがダリアに尋ねた。他の人に対する高圧的なものではなくて、それは優しい声色だった。トムは妻とダリアにだけ、このような優しい柔らかな雰囲気で接する。それは若かりし頃には信じてもいなかった『愛』というものを、二人が教え、与えてくれたからだった。

 ダリアは父にぶっきらぼうに答えた。

 

「アメリアがいないからつまらないわ」

「アメリア? 招待したんだろう?」

「家族と過ごす約束をしてしまったんですって。ねえお父様、今更だけれど、来年のクリスマスにはアメリアを招待してもいいかしら?」

「もちろんだよ。今年は残念だったね」

 

 そう、アメリアの不参加を残念に思っていたのはシリウスだけではなかった。いつも隣にいてくれたアメリアがいないことを残念に思っているのはダリアも同じだった。アメリアがいないだけで、楽しいはずのパーティもどこか味気なく感じる。

 ダリアは腕のブレスレットにそっと触れた。

 

 トムはダリアの手紙に必ず書かれている『アメリア』を思い出した。箒から落ちたところを助けてもらってからずっと一緒のアメリア・ポッターは、ダリアが唯一名前を出す女生徒だったので一番の友達なのだろうとトムは思っていた。以前彼女のことを『ポッター家の異端児』と記していたのと打って変わって、今となっては彼女の名前が出ない手紙は一つもない。そのことをトムは少なからず不満に思っていた。しかし、ダリアが快適なホグワーツ生活を送れるようにしてくれたポッター家の娘には感謝もしていて、今回の不参加もトム自身残念に思った。

 

「ほら、そんな顔していないで踊ってくるといい。レギュラス君、いいよね」

「もちろんです。行きましょうダリア」

「ええ」

 

 トムに声をかけられたレギュラスは、嬉々としてダリアの手を取った。トムに会うことができた上にダリアとのダンスを勧められた今日のクリスマスパーティは、きっと今年一番の思い出になっただろうと、レギュラスは幸せな気持ちでいっぱいになった。

 

 



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04-02

「ジェームズにも言ったけど、スリザリンはみんなが言うほど悪いところじゃないよ。みんなよくしてくれるんだ」

「でもアメリア、最初は嫌われていたじゃないか!」

「最初だけだ」

「でもアメリア、本当にどうして……」

「母さん、何度も言うけど、そういう寮差別は決して良くないよ。スリザリンにも良いところはたくさんあるし、グリフィンドールにも悪いところがないわけじゃない」

 

 アメリアは内心疲れ切っていた。帰ってきた初日の夕食はまだ終わっていない。母が何度も組分けに関してアメリアに問いかけるからだ。母や兄が何度もスリザリンを非難するのを、アメリアは何度もとめた。グリフィンドールの血筋に逆らってまで入れられたスリザリンは、いわばアメリアの性格に最もふさわしい寮であるということだから、そう何度も否定されると内心つらいものがあった。

 そんな三人のやりとりを止めたのはアメリアの父だ。

 

「もういいだろう、お前たち。入ってしまったものは仕方ない。それに、たとえスリザリンに入ろうと、この子は何も変わっていないじゃないか。それで十分だろう」

 

 父の言葉が心の底から嬉しかった。父の希望とは全く異なる組分けだったにもかかわらず、父は自分の気持ちを汲んでくれている。それがアメリアには心底ありがたかった。

 父の言葉に母も兄も何も言えなくなって、兄は「しょうがないなあ」なんて言ってアメリアの頭をポフポフと撫でた。

 

「僕はスリザリンに入ってしまったアメリアを責めたいわけじゃないんだ。ただ、同じ寮で一緒に生活できるものだと思ってたから、さみしかっただけさ。ごめんよ」

 

 リドルばかりずるいよね、なんて言って唇を尖らせる兄は、確かに少しも怒ってはいなかった。兄の優しさに胸がいっぱいになって、アメリアは思わず笑みをこぼした。アメリアも、ジェームズと楽しいホグワーツ生活を送りたいと思っていたのは本当だ。アメリアがそれをジェームズに伝えると、ジェームズはぱあっと花が開くように笑顔になって、アメリアをぎゅっと抱きしめるのだった。

 

 アメリアはダリアからクリスマスパーティに招待されていたことを、両親には明かさなかった。来年のクリスマスパーティにも行くつもりがなかったからだ。まだ若輩者の自分が、魔法省大臣と何のコネクションもないポッター家の娘が、リドル家主催のパーティに参加するなんてとてもではないができっこない。しかし来年はどうやって切り抜ければいいのか、ちっともいい考えが浮かばないのも事実で、アメリアは来年のクリスマスに大けがでもしちゃおうかな、なんて馬鹿馬鹿しいことを思った。

 

* * * * *

 

「アメリア、メリークリスマス!」

 

 ジェームズがツリーの下にあるクリスマスプレゼントを開きながら、アメリアに笑顔を向けた。父と母は去年よりずっと増えたプレゼントに目を白黒させている。

 

「アメリアすごいよ、君宛のプレゼントがこんなにある! 妬けちゃうなあ」

「スリザリンの人たちってすごく律儀だから」

「でも普通カードで済ませるんじゃないかい?」

「うーん、私もそう思ったんだけど……カード送っただけの人からプレゼントが来てる……どうしよう」

「アメリア、後で一緒にクッキーを焼きましょう。それを送ればいいわ」

「ありがとう母さん」

 

 娘宛にスリザリン生からたくさんのプレゼントが来ているのを見て、ようやく母も安心したようだった。プレゼントを開くのを母が嬉しそうに見ていて、アメリアはそんな母の様子にほっとした。

 ダリアからは綺麗な髪留めのセットが送られてきていた。さすがはリドルだとしか言いようのない美しく品のある品々に、思わずアメリアも母と一緒になってはしゃいだ。そのうち一番気に入った赤い髪留めを付けて、アメリアは眩しいくらいの笑顔を家族に向けた。

 アメリアはダリアにブレスレットを贈っていた。ダイアゴン横丁で買ったブレスレットに少々小細工したものだったが、こんな立派なプレゼントを貰ってしまって、あんな品で満足してもらえただろうかと今更ながらに思う。アメリアはダリアが機嫌を損ねていませんようにと小さく心の中で呟いた。

 

* * * * *

 

 アメリアは居心地悪そうに小さくうつむいていた。その耳は赤い。

 

「まあアメリア、とっても大きくなったわね。それにとてもかわいらしいわ」

「あ、ありがとうございます、伯母様」

「まあ、伯母様だなんて。もう立派なレディね」

 

 アメリアは伯母の言葉に恥ずかしそうに笑った。恥じらって身を小さくしている様は確かに可愛らしい。アメリアはあっという間に彼女の知り合いたちに囲まれてしまった。

 

「それはそうと、本当にグリフィンドールではなかったの?」

「はい、そうなんです。けれどスリザリンもとても素敵な寮で……」

「スリザリンですって?」

「え? ええ」

「まあ、レイブンクローだろうと思っていたのに、よりにもよってスリザリンだなんて。あなた、校長に寮を変えるように言ってくださいません? アメリアがかわいそうだわ」

「伯母様、お気持ちはとてもうれしいです。けれどスリザリンでもうまくやっていますから」

 

 アメリアは不服そうな伯母に眉を下げて言った。伯母はあくまで自分の味方をしてくれてはいるが、寮を変えるなんて彼女の夫がいくら理事だろうと難しい。それにスリザリンを素敵だと思う気持ちは本物だから、寮を変える必要性はアメリアには見つけられなかった。

 クリスマスパーティはアメリアが思っていたよりも大規模なものだった。親族だけのささやかなパーティかと思っていたが、父や母の親族や友人、はてにはその親族や友人の友人まで招待されていたものだから、次から次へと人がやってくる。

 アメリアは母の好みの可愛らしいドレスを着て、その人だかりの中に放り込まれていた。途方に暮れていたアメリアの耳に、ジェームズの大きな声が聞こえてきた。

 

「アメリア―! どこだーい?」

「ジェームズ、ここだよ」

「踊ろう!」

 

 アメリアは心底助かったと思った。兄がにぎやかにアメリアの手を引いて会場の真ん中へと走る(一人の人間に「にぎやか」という表現はふさわしくないかもしれないが、もはや彼は一人でも「にぎやか」なのだ)。

 二人が開けた場所の真ん中に行くと、曲が鳴りだした。ジェームズはにこにことした笑顔でアメリアをリードし、アメリアはそのリードに合わせてステップを踏む。リドルのパーティとは違う、アットホームなこの雰囲気がアメリアは大好きだった

 

 二人がダンスを終えると、二人の知った人がひょっこりと顔を出した。

 

「やあ二人とも、こんばんは。お招きありがとう。メリークリスマス」

「あ、来てくれたんだね二人とも! メリークリスマス!」

「メ、メリークリスマス……ジェームズ、アメリア」

「メリークリスマス、ピーターさん、リーマスさん」

 

 ジェームズが嬉しそうに二人に笑いかける。アメリアも驚いて二人に駆け寄った。どうやらジェームズが二人にも声をかけていたらしい。シリウスの姿がないので、彼は両親に連れられてリドル家のパーティに参加したのだろうとすぐに分かった。

 

「素敵なパーティだね、リドルにも負けないんじゃない?」

「まさか。あそこはすごいよ、ろくに歩くこともできやしない。床にダイヤモンドがちりばめられているからね」

「そんなまさか!」

 

 ジェームズの言葉にアメリアは小さく噴き出した。どうでもいい嘘をつくところが兄らしい。

 

「父さんも父さんの兄さんも理事だからね。まあ娘のためにパーティを開くお金はあるみたい」

「言ってみたいよそんなこと」

「気を悪くしたかい? それなら謝るよ。だけどリーマス、そんな君のために父さんにお願いしたものがあるんだ」

「なんだい?」

「あれ、なんだと思う?」

 

 ジェームズの小金持ち発言にリーマスはやれやれといった顔をしたが、特別気を悪くしたわけではなさそうだった。その顔はいつもの穏やかな顔だった。しかしジェームズはあるものをリーマスに見せたいらしく、リーマスの背後にあるテーブルの上のものを指さした。それを見てリーマスは瞳を輝かせ、ジェームズの肩を小さく揺さぶった。

 

「君……君、最高だよ……」

「そうだろう!? さあ行こう!」

 

 ジェームズはアメリアとピーターにも声をかけてそのテーブルの方へと向かった。テーブルの上にあったのは、次から次へと溶けたチョコレートが溢れてくるチョコレートファウンテンだ。リーマスはキラキラとした目で、近くにあったフルーツをフォークで刺してチョコレートにつけた。チョコレートに夢中になっている先輩にアメリアは思わずくすくすと笑ってしまって、それを聞いたリーマスは我に返って顔を赤くした。

 

「み、みっともなかったかな?」

「いいえ? 可愛らしいなって思っただけです」

「ああ、もう……君の前で……」

 

 リーマスがあんまり恥ずかしそうだったので、アメリアもバナナをナイフで刺してチョコレートにつけて一口食べた。そしてリーマスに「とてもおいしいですね」と笑いかける。リーマスもようやく安心したようで、また嬉しそうにチョコレートを楽しんだ。

 

「君たちスイーツばかりに夢中になってどうするんだい? メインディッシュは七面鳥だよ?」

「ぼ、僕それ食べたい」

「オーケー。ピーター、この二人はとりあえず放っておいて肉をとってこよう」

 

 シリウスも来れたらよかったのにね、なんて言いながら、ジェームズはピーターを連れて他のテーブルに向かった。

 アメリアはジェームズが行ってしまったのを見て少し心細い気持ちになったが、隣にいるのが頼りになる先輩だったのでその不安もすぐになくなった。アメリアは何か言葉を繋いだほうがいいかと思って、リーマスに軽い気持ちで尋ねた。

 

「リーマスさんってチョコレートが大好きなんですね」

「ああ、そうなんだよ……あまり僕の家は裕福じゃなくてね、チョコレートは僕にとっては思い出のあるご馳走なんだ。いつだって僕の心を優しく溶かしてくれる、魔法のお菓子なんだよ」

 

 少し翳りのある表情をしたリーマスに、アメリアは心の中で驚いた。その薄幸な表情が、どことなく心を揺さぶる。けれどアメリアはそんな感情は表には出さないで、そうなんですか、と相槌を打つにとどめた。

 

「ふふっ……じゃあリーマスさんの誕生日にはチョコレートをあげますね」

「すごくうれしいよ、アメリア」

「誕生日はいつですか?」

「3月10日だよ。アメリアは?」

「私は――――」

 

 ジェームズとピーターが帰ってくるまで、二人は他愛のない話をつづけた。

 

 * * * * *

 

「アメリア! 久しぶりね。元気だったかしら? ああやっぱりその髪留めが一番似合うわ」

「素敵なプレゼントをありがとう。大切にするよ」

「私も、このブレスレット大切にするわ。ねえ似合うかしら?」

「ああ。とってもきれいだ」

 

 ダリアは心底嬉しそうに笑った。ダリアの左手首につけられている赤色のブレスレットは、アメリアがクリスマスに贈った品だ。アメリアがいろいろな魔法をかけてちょっとしたお守りのような魔法具になったブレスレットは、ダリアの手首で煌めいて存在を主張していた。アメリアはそのブレスレットの働きを教えてはいなかったので、ダリアはそれが魔法具だとは知らないようだった。

 

「ダリア、行きましょう」

「ええ、そうね」

 

 レギュラスはダリアを催促した。その顔はいつもの無表情だったが、髪をポニーテールにしたアメリアを見て渋い表情に変わった。その髪留めを奪い取ってやりたい気持になったが、当然そんなことできるはずもなく、苛立ちはため息にして外へ逃がすしかなかった。

 やはりアメリアからはプレゼントはおろか、カードも送られてきてはいなかった。兄にはあったのに、である。とはいっても、レギュラスもカードすら送っていなかったので人のことを言えた義理ではなかったが。

 

 大広間に行くとレギュラスの機嫌は最高に悪くなった。そしてダリアの機嫌も。他寮生がアメリアを見つけるなり、プレゼントをありがとう、クッキー美味しかったわ、と声をかけたのだ。自分にはなかったプレゼントを他人がもらっているのが気に入らないレギュラスも、クッキーなんて作ってもらったことのないダリアも、ひどく機嫌悪くスリザリンの席に着いた。そしてあろうことかアメリアはグリフィンドールの席へと連れていかれてしまって、ダリアは泣きそうな顔で「グリフィンドールなんて」と毒づいた。

 食事が終わるまでレギュラスはダリアと二人で話ができたが、その後はダリアの機嫌を直そうとアメリアがダリアにつきっきりで、それ以上会話はできなかった。

 

 * * * * *

 

「……おい、待て、なんの話だ?」

 

 シリウス・ブラックは理解不能だという顔をして問いかけた。声が若干震えている。そんなシリウスの声、言葉を聞いて、ジェームズ・ポッターはすっとぼけた声を出した。

 

「え? だから、僕の家で開いたパーティのことだよ」

「チョコレートファウンテンが最高だったよ」

「七面鳥もおいしかったよ!」

 

 ピーターが目をキラキラさせて言う。それにリーマスも同意して、またパーティの料理の名前を次々あげていった。しかしシリウスはそんな料理になんかは興味がない。彼が興味があったのは、というよりも彼がそんなにも動揺しているのは、そのパーティがポッター家主催で友人たちがこぞって参加していたということだった。

 

「おい! なんで俺は誘われなかったんだよ!」

「え? ジェームズ誘わなかったの?」

「うん!」

「ど、どうして……」

「だってシリウス誘ったら絶対に来るでしょ? リドル家のパーティなんて放ってさ」

 

 ジェームズは笑顔だ。シリウスはそんなジェームズを信じられないという目で見た。

 

「当たり前だろ! あんな堅苦しいゴマすり大会になんか誰が好き好んで!」

「それじゃあ僕たちが困るんだよね。君の父親と僕の父さんは、おんなじホグワーツの理事長だ。もし報復でもされたらたまったもんじゃないからね」

 

 ジェームズの言葉に、シリウスは口をパクパクさせた。シリウスの心はズタズタだ。唯一無二の親友だと思っていた男が、自分よりも立場を大切にすると豪語したのだから。シリウスはもはや涙目になって勢いよく立ち上がった。

 

「お前はそんなやつだったのか! 俺は……俺は!」

「まあそれは建前で」

「へ?」

 

 シリウスはきょとんとして、眼鏡をクイッとあげるジェームズを見た。ジェームズはこれ以上ないだろうというほど誇らしげな顔で言い放った。

 

「君をアメリアに会わせたくなかっただけだ!」

「……。なんでだよ」

 

 シリウスの言葉に、ジェームズは愚問だねと言いたげな顔をした。

 

「アメリアが君に惚れたらどうするんだい!?」

「ど、どういう理屈だ! だいたい何が問題なんだよ!」

「アメリアはお嫁には出さないんだからな!」

「はああ!? お前はそんな理由で俺をパーティに呼ばなかったのか!」

「そんな理由!? アメリアがいつまでもアメリア・ポッターでいるためには必要なことなんだよ!?」

「それで俺だけアメリアのドレス姿を見れなかったってのか!?」

「そしてアメリアは君のドレスローブ姿を見なくて済んだ!」

「馬鹿野郎!」

 

 シリウスはその場にうなだれた。そんな悲壮にくれるシリウスを見て、ジェームズは「ぺっ」と唾を吐くふりをしてから腕を組んだ。

 

「僕以上にハンサムな男はみんないなくなっちゃえばいいんだ!」

 

 シリウスはジェームズのとんでもない本音に頭が痛くなった。――そうだ、こいつはこういうやつだった。エヴァンズのことで分かりきっていたじゃないか――シリウスは恋愛面に関してはスリザリン顔負けの狡猾さと残酷さを発揮する親友に、肺の中の空気をすべて吐き出したのではないかというほどの大きなため息をついた。

 

「ジェームズはシリウスのこと、自分以上のハンサムだと思ってるんだね」

「客観的意見だよ。まあ僕はシリウスとはタイプの違うハンサムだしね、アメリアがシリウスの顔が好みかどうかは知らないけれど、疑わしきは罰せよ、これに尽きるね」

「お前は悪魔だ……」

「シリウス、げ、元気出して……」

「ピーター……アメリアのドレス姿は綺麗だったか?」

「え? うん。すっごく可愛かったよ」

「くそったれ!」

 

 ピーターは心配したのにシリウスに思い切り頭を殴られて涙目になった。しかしアメリアに少なからず気があるらしいシリウスがパーティに参加できなかったことを考えたら、アメリアのドレス姿を見たりおいしい料理を食べたりできた自分には当然の仕打ちかとも思った。

 パーティでアメリアと踊ったことは一生秘密にしておこうと思った。もちろん、そう思ったのはリーマスもであった。

 

 




きれいなトムと俺様なトムの両方います。

シリウスはこういう役回り。でも決めるときは決めるからジェームズは警戒してる。
アメリアの前でわざわざ「シリウスも来れたらよかったのにね」とか言ったのも、アメリアがジェームズのいじわるに怒らないようにとか、シリウスの好感度を落とすためにとか、そんな感じ。

 


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05-01 アメリアと魔法薬学

「ダリアはそんなことしなくていいよ」

 

 そう言ってアメリアは私からナイフを取り上げた。アメリアはナイフを握ってカエルの腹に切っ先を向け、すっと滑らせる。その気持ちの悪い光景を見て私は口元を覆ったけれど、だからと言ってそんなことができるアメリアを嫌いになったりはしない。何故ならアメリアは私が虫や両生類のたぐいが嫌いなのを知っていて、私がそれに触れなくて済むようにと立ち回ってくれていると知っているから。

 

「じゃあこれは私が処理するわ」

「待って、それは爪の間に入ったらなかなか落ちないんだ。ダリアは道具の用意をしてくれるかい?」

「ええ……」

 

 アメリアはまた私から材料を遠ざけた。簡単そうだからと思って手を伸ばした赤い茎の植物。アメリアはあっという間にカエルを解体し終えて、ナイフをタオルで拭くとその茎の皮を剥ぎ始めた。私は言われた通りに鍋やさじの準備をすることにした。私の美しい爪が汚れるのは我慢ならないもの。けれど同時に、美しいアメリアの爪が汚れるのも気に入らなかった。しかしそれは杞憂だった。アメリアはその植物の扱いを心得ているのか、爪が赤く汚れることはなかった。

 

「アメリア、本当に上手ね」

「え? ふふっ、ありがとう」

 

 アメリアは柔らかく笑った。そんなアメリアの笑顔が、私はたまらなく好きだ。互いに無視をしあっていたあの頃の笑顔よりずっと、今のアメリアの笑顔は優しかった。きっと心を許してくれたのだろうと私は思っている。そんな、私のことを心から愛しているアメリアが、私は好き。

 

「私が混ぜるわ」

「いいよ。私がやる。ただ時計回りに100回混ぜるだけの単純な作業だ。ダリアがするほどのものじゃないよ」

 

 アメリアはやっぱり、私にさじを渡すことはなかった。それはもうわかりきっていたことだけれど、私は毎回毎回このやり取りを繰り返すために「私がやるわ」と口にしていた。そのたびにアメリアが私を特別扱いしてくれて、私はそれが嬉しくて、誇らしかった。

 ほとんどアメリアが調合して、薬は完成した。肌のシミをなくす薬らしいが、私の肌にはそんなもの一つもないので関係ない。アメリアがそれを提出して、私たちは授業を終えた。

 

 授業が終わると友人たちが私たちに声をかけた。一緒に移動している途中で、友人の一人のオナーがアメリアに言った。

 

「ねえアメリア、私今日の薬失敗してしまったの。原因がわからなくて」

「うーん、そうだな、今日の薬だと……薬が濁ってしまったとか?」

「ええ、そう、そうなのよ」

「じゃあカエルの血をあまりふき取らなかったんだね。あの量だとふき取らずに入れちゃうと失敗するんだ」

「ああそうだわ、私たち、あんまり気持ち悪くてほとんど触れなくて……」

 

 オナーの言うことは仕方のないことだと思った。私も触りたくなくてアメリアにしてもらったのだから。

 オナーはウルウルと目を潤ませて、アメリアに言った。

 

「アメリア、今度の調合は私としてくれないかしら?」

「駄目よ! アメリアは私と組むんだから」

「ダリアお願いよ。次の薬もカエルを扱うんですって……私気持ち悪くてまた失敗しちゃうわ」

 

 私は友人の言葉につい目を吊り上げてしまった。アメリアが調合をしてくれるのは私のためなのに。けれどカエルの気持ち悪さに涙目になる友人をかわいそうだとも思った。

 

「ねえアメリア、次の調合ではカエルの解体だけ手伝ってあげてくれないかしら?」

「え?」

 

 私のお願いにアメリアはきょとんとした顔をした。その反応も、無理ないかもしれない。他のペアの調合に手を出すなんて、教授に何を言われるか。それに、アメリアだってもしかしたらカエルがあまり好きではないかもしれないのだし。けれどアメリアは少し考えてからにこりと笑った。

 

「わかった。カエルの処理は私がするよ」

「本当!? ありがとうアメリア!」

「ふふっ……でもちゃんとやり方は見ておくんだよ」

 

 その言葉にオナーはわかったわとうなずいた。私は二人が見つめ合っているのが気に入らなくて、というよりは私のことを視界に入れていないのが気に入らなくて、アメリアに礼を言って視線を私に向けた。

 

「ありがとうアメリア」

「ダリアのお願いだからね、断れないよ」

 

 その言葉に、私は少し胸が高鳴った。私のことを特別に思ってくれていることが嬉しかった。

 

 * * * * *

 

 クリスマスを終えて、季節は真冬へと差し掛かった。私は冷え切ってしまった手を温めるようにして息を吹きかける。その息が白くなるのを見て、どうしてホグワーツは適温にする魔法がかけられていないのだろうと、少しだけイライラした気持ちになった。

 人のまばらな廊下。私は一人で校舎の中を動き回っていた。どうしてかというと、アメリアが談話室にいなかったから。友人の話によると、アメリアはちょっと用事があると言って一人で談話室を出ていったらしい。私はそれを聞いて居ても立ってもいられなくなった。きっとアメリアは他の寮の友人に会いに行ったのだ。どうしてスリザリンなのに他の寮の人と仲良くするのだろう。私はアメリアのことに関して、それだけがどうしても気に食わなかった。アメリアは私のことだけを考えていてくれればいいのにといつも思う。だからこうして、私は一人で寮を出てアメリアを探し回っていた。

 

 どれほどの時間そうしていたのかはわからない。私は寒さでどうしようもなくなってしまった。こんなことならもっと着込んでくればよかった。けれどそれは後の祭り。ああ、せめて体を温める魔法を知っていたらよかったのに。アメリアなら知っているのだろうけど、そのアメリアがいないのではやっぱり意味がない。

 私はとうとうその場にしゃがみこんでしまった。周りには人っ子ひとりいない。きっと夕食でも食べに行ってしまったんだわ。ここは大広間とは距離があるから、この時間だと人がいない。私はどうしようと思って泣きそうになった。じわじわと涙がにじんでくる。

 そのとき、誰かが走ってくる音が聞こえた。

 

「ダリア!」

 

 それはアメリアだった。アメリアは息を切らせて、私を見つけると駆け寄ってきた。そして私の前で屈んで、膝に手をついて呼吸を整える。私は心配になって、立ち上がってアメリアの背中をさすった。

 

「アメリア……」

「何考えてるんだ! 一人で出歩いて!」

「な、なによ、そんな言い方!」

 

 私はアメリアの言葉にカッとなった。アメリアを探してこんなところまで来たのに! 私は怒りがふつふつと湧いてくるのを感じた。

 けれど言葉を発することはできなかった。

 

「心配させないで……」

 

 アメリアが、私を抱きしめたから。アメリアは私にそう言って、強く私を抱きしめた。息が乱れている。校舎の中を走り回ったのだろうか。私は何も言えなくて、おずおずとアメリアの背中に腕を回した。

 

「こんなに冷えて……ごめんね、寒かったろう」

「……寒かったわ。とても。それに……」

「……それに?」

 

 私はこれを言うのは少し恥ずかしかったけれど、それを言った後のアメリアの笑顔が見たくてやっぱり口にした。

 

「それに、さみしかったわ」

 

 アメリアはそれを聞いて、やっぱり思った通り笑ってくれた。アメリアはもう一度私を抱きしめて、私の肩に顔をうずめた。

 

「それ、私がいなくてってことかい?」

「そうよ」

「すごく、その、嬉しいよ」

 

 アメリアは顔を赤くして言った。私もつられて顔が赤くなる。なんだかだんだん体が温まってきて、それがアメリアがいるからだと思うとなんだか気恥ずかしかった。

 アメリアは私の冷たくなった手を握り締めた。アメリアの手はすごく温かい。きっと走ったからだろう。

 

「夕食食べに行こうか」

 

 その言葉に私はなんだか、少し、残念な気持ちになった。もう少しこうしていたいだなんて、思ってしまった。

 

「ダリア?」

「なんでもないわ。行きましょう」

 

 私はそんな気持ちに気付かれたくなくて、アメリアの手を引いて一歩踏み出した。けれどアメリアは動かない。私が不思議に思って振り返ったとき、アメリアはじっとつながれた手を見ていた。

 

「……ダリア、やっぱりもう少しこうしていようか」

 

 私は思わず目を丸くしてしまった。やっぱり、アメリアに隠し事なんてできないらしい。私は小さく頷いた。するとアメリアは心の底から嬉しそうに笑って、また私を抱きしめた。アメリアの温かな体が、私をまた温めてくれた。

 

 アメリアと一緒にいると、今まで誰にも感じたことのない気持ちがこみ上げてくる。この恋にも似た感情は、私の心を甘く痺れさせた。

 私のことが大好きで、けれど自分とは釣り合わないからと言って私を一時は拒絶したアメリア。そんなアメリアはあの日私を助けてくれた。空から落ちるときの恐怖を今でも覚えている。そして、そんなときに私の名前を叫んで助けてくれたアメリアの表情。思い出すたびに、心臓が激しく鼓動する。

 私はこの腕の優しさを知ってしまった。そして、彼女の、私への溢れんばかりの愛を。

 

 私のことを特別扱いしてくれる、誰からも愛される彼女は、私だけの王子様なのだ。

 

 



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05-02

 それは新学期が始まってしばらくした頃だった。この日はスリザリン生が一人休んでしまって、ペアのつくれない生徒ができてしまった。その生徒は特別調合が苦手というわけではなかったが、今回の薬は一人で調合するには難しい。そして幸か不幸か合同のグリフィンドール生は奇数だったため、スラグホーンはスリザリン生とグリフィンドール生のペアを一つ作るようにと指示した。スリザリンもグリフィンドールも、誰がその『あまり』になるかで軽い口論になった。スラグホーンも二つの寮の不仲は重々承知していたので、呆れながらも丸く収まるのを待っているようだった。

 しかしその口論は意外なことにすぐに打ち切られた。

 

「私が組むよ」

 

 アメリアがそう切り出したのだ。教室の中は一瞬静まり返ったが、すぐにダリアが反対した。

 

「駄目よ! アメリアは私と組むの!」

「ダリア、これじゃあいつまでたっても授業が始まらないよ。今日は別の人と、ね?」

 

 そう言って微笑むアメリアにダリアは不満そうな顔をしたが、渋々ながらレギュラスとペアを組んだ。グリフィンドール生は相手がアメリアだとわかるとすぐに別の方向で口論になったが、すぐに誰がペアになるかを決めて調合に取り掛かった。

 アメリアのペアの女生徒は綺麗な赤い髪をしていた。

 

「えっと、初めましてでいいのかな? アメリア・ポッターだ。よろしく」

「ペチュニア・エバンズよ。こうして話すのは初めてね。よろしく」

 

 二人は互いの顔を知ってはいたが、ペチュニアの言う通り会話をするのは初めてだった。グリフィンドールの同級生とはなにかと仲良くしているので、グリフィンドールのこの同級生と何故関わりがなかったのか不思議に思いながら、それでもアメリアは人好きする笑みを浮かべた。

 ペチュニアははきはきとしたしっかり者だった。意志の強そうな眼光、きっぱりとした口調。それらには聡明さが滲んでいて、アメリアはそんなペチュニアにダリアとは違った魅力を感じた。

 

「ペチュニア、ツリガネ草を入れてくれるかい? タイミングわかる?」

「大丈夫よ」

 

 アメリアが角ナメクジを投入して鍋を右に五回、左に七回混ぜたところでペチュニアがツリガネ草のみじん切りを投入した。タイミングは完璧だ。アメリアは内心感心してしまった。

 

 アメリアがペチュニアと仲良く調合するのをダリアは鬼のような形相で睨みつけていた。レギュラスはそんなダリアを冷や汗かいて横目にとらえながら鍋をかき混ぜた。近くの席のスリザリン生はダリアとアメリアをハラハラとした心持ちで見守り、グリフィンドール生はペチュニアに心の中で叫んでいた。「そんなに近づくな、リドルに睨み殺されるぞ!」と。

 

「ひっ!」

「ペチュニア? どうしたんだい?」

 

 とうとうペチュニアがダリアの視線に気づいた。ペチュニアはダリアの鬼の形相に驚き思わず声を上げる。アメリアはペチュニアが自分の後ろ側を、顔を青くして見ているのに気付いて振り返った。アメリアが見たのは、ニッコリと綺麗な笑顔を向けるダリア。アメリアも一つ微笑みを返して調合に戻った。……すると途端にダリアはまた表情を険しくする。ペチュニアは負けじと睨み返してから、アメリアとの調合に集中した。ただ怖がるだけでは相手に負けたも同然。ペチュニアは強気で負けず嫌いだった。

 当然のことではあったが、調合はダリア相手よりもずっとはかどった。ペチュニアは確かに材料を気味悪がるものの、ダリアと違って植物や動物の角などは自分から進んで処理したし、鍋に材料を投入するタイミングも完璧だった。

 

「今日はペアになってくれてありがとう。楽しかったよ」

 

 調合が終わるとアメリアははつらつとした笑顔でペチュニアに言った。

 

「私も、あなたがペアで助かったわ。ありがとう」

「また組む機会があったらよろしく。それじゃあ」

「ええ、またねポッター」

 

 アメリアはすました顔で踵を返すペチュニアを驚きの表情で見送った。いつまでもこちらに帰ってこないアメリアにしびれを切らせたダリアが腕を引っ張るまで、アメリアは動くことすらしなかった。

 

 アメリアの頭の中にはいろいろな疑問が飛び交っていた。――ペチュニアは私を何と呼んだ? 『ポッター』? 私はペチュニアのことを名前で呼んだのに、なぜファミリーネームで? 私、何か嫌われるようなことしたかな――。

 

 アメリアは頭を振った。そんなはずないと。アメリアは考え事はそれまでにして、自分の袖を引っ張って頬を膨らませているダリアに笑顔を向けた。

 

 * * * * *

 

 アメリアはさてどうしようと内心頭を悩ませていた。

 

「アメリアは私よりもあんな女の方が好きなんだわ! そうなんでしょう!」

「そんなことないよ、ダリアが一番さ」

「そうやっていつもいつも私を騙すんだわ!」

「本心だよ! ダリアこそ、どうして信じてくれないんだい?」

「だったらどうしてあんなに近づく必要があるの!?」

「同じ鍋を使っているのにあれ以上どうやって離れろって言うんだ……」

 

 ダリアがペチュニアに嫉妬して機嫌を直してくれないのだ。アメリアは顔を赤くして怒っているダリアに何度も説明するし何度も謝っているのだが、ダリアは癇癪を起してちっとも聞く耳を持ってくれない。アメリアにお菓子を投げつける始末だ。アメリアはほとほと困ってしまって、きょろきょろと談話室内を見回した。

 

「ブラック!」

「!?」

 

 アメリアはぱあっと顔を明るくしてそう叫んだ。自室から談話室へとやってきたばかりのレギュラスは、今まで冷たい態度をとっていた(これはお互いにしていたことであり、されていたことだ)相手が突然友好的に声をかけてきたので驚いて目を丸くした。レギュラスは階段の前で硬直した。

 

「ダリアが機嫌を直してくれないんだ。助けてくれよ」

「な……え……? なぜ僕に……」

「え? ブラックはダリアの幼馴染だろう?」

「いや、そういうことではなくて……」

 

 レギュラスはしどろもどろだ。周りの友人たちには、レギュラスがそんな態度をとる理由が分からなかった。何故ならレギュラスはアメリアの言う通りダリアの幼馴染だったからだ。もちろんレギュラスが戸惑っている理由はそこではない。あのアメリアが自然に、友人のように声をかけてきたからだ。しかしここで思い出さなければならないのは、レギュラスはダリアのいる前では決してアメリアを拒絶できないということだ。アメリアはダリアの同性の友人……つまり二人は四六時中一緒にいるわけで、レギュラスにはアメリアを拒絶できる瞬間などカケラもない。それは今に限ったことではなくて、ダリアがアメリアの友人になってからずっとだ。要するに周りの人間にとってみれば、レギュラスとアメリアは間にダリアを挟んで常に行動を共にしている『友人』なのである。

 

「レギュラスに言ったって駄目なんだからね!? 私はアメリアに怒ってるんだもの!」

「ダリア、いい加減機嫌直してよ」

「もうグリフィンドールとは仲良くしないって言うならいいわよ」

「それはちょっと……」

「アメリアなんて大嫌い! ばか!」

「ああ、もう……ブラック! 何とかしてくれ!」

 

 レギュラスは訳が分からないという顔をしながら、とりあえずダリアの隣に腰を下ろした。ダリアはレギュラスからフンと顔を背けたが、そうすると反対側にいるアメリアと目が合ってしまう。ダリアははっとしてまたアメリアから顔を背けるが、そうするとレギュラと目が合ってしまう。ダリアはどうしようと思って、結局正面を向いて体を小さくした。

 

「ダリア」

「あっ……」

「ごめんね。だけど私の一番はいつだってダリアだよ。それは本当さ」

「……今回は許してあげるわ! 今回だけよ!」

「ふふっ……ありがとう」

 

 ダリアはアメリアに抱きついて、アメリアはダリアを抱きしめる。レギュラスは目の前で起こった茶番に内心大きなため息をついた。しかしレギュラスが立ち去ろうと思って腰をわずかに上げたところで、レギュラスは動きを止めた。アメリアと目が合ったからだ。しかもアメリアは口を動かして、声を出さないでレギュラスに「ありがとう」と告げた。レギュラスはそのアメリアの言葉や表情があまりに自然で友好的だったので、いったいどういうことだろうと戸惑った。しかし、なぜかそれを不愉快だとは思わなかった。不愉快に思わなかったことを不愉快に思いながら、レギュラスは上げた腰をまた下ろして、アメリアの淹れた紅茶に口をつけた。

 

 きっとそれは彼女にとっての最大限の妥協だったのだろう。いったいどういう心境の変化があったのかは知らないが、ダリアと友人と言うには安っぽく感じるほど親密な関係になった今、アメリアも自分を避け続けることはできないと悟ったに違いない。レギュラスはアメリアの友好的な態度をそう解釈した。

 ペチュニア・エバンズとのことでダリアが嫉妬したあの日から、アメリアはレギュラスに比較的友好的な態度をとるようになった。それはもちろん友人というには少し壁を感じる関係ではあったが、少なくともレギュラスの存在を蔑ろにする態度はとらなくなった。レギュラスは気味が悪いとは思ったものの、かねてより不満に思っていたその態度が多少なりとも改まったことに悪い気はしていなかった。

 しかしだからと言って勘違いしてもらっては困るのは、二人の関係は傍から見れば何の変化もないほど些細な進展を見せただけで、二人は互いに嫌い合っているということだ。少なくともレギュラスはアメリアのことを嫌っているし、アメリアも同じなのだろうとレギュラスは信じていた。

 

 




この世界ではペチュニアはマグルではなく魔女なのであった!
この物語のキーパーソンの一人です。

レギュラスくんもダリアさんもアメリアに振り回されっぱなしです。

 


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06-01 喧嘩

「さあアメリア、あの人に言ってあげて!」

「頑張ってー!」

「違うわよ! 応援してどうするの!」

「そんなこと言われても……」

「言ってあげなさいよ! 『無様に負けてしまいなさい』って!」

「ええっと……」

 

 アメリアはしどろもどろに言葉を濁した。ダリアの言っていることは、アメリアにとっては実に難しいことであろう。それを知っているにもかかわらずダリアが、そして周りの者たちがアメリアに強要しようとしているのは、彼女の兄であるジェームズ・ポッターにクィディッチで負けろと言えということだった。アメリアは自身の兄の初陣を祝うことも許されないのかと苦笑いしている。

 空中を旋回して観客たちにアピールをしていたジェームズが、そんなスリザリン生たちの事情など知ったことではないと言わんばかりにアメリアの方へとやってきた。

 

「アメリア見ていてくれ! 僕はきっと、誰よりも早くスニッチを見つけ出して手にしてみせるよ!」

「うん、応援し――」

「ちゃだめ!」

 

 アメリアの言葉を遮ってダリアが叫んだ。ジェームズ・ポッターはダリア含めるスリザリン生に追い払われて、ブーイングしながらフィールドへと戻っていった。

 

 間もなくして試合が始まった。イースター休暇を目前に控えたこの季節、肌寒さが残るはずの気候なのに会場は熱気に包まれていた。このホグワーツにおいて知らぬ者はいないと思われる悪戯仕掛人のリーダー、ジェームズ・ポッターが試合に初参加するのだ。そしてその試合の相手がグリフィンドールと犬猿の仲であるスリザリンとくれば、盛り上がらないはずがない。ジェームズの妹であるアメリアは、スリザリン生にこれでもかというほど応援するなと言われていた。

 

「ほらあなたたち、私の分も声を出して!」

「ええ。……先輩頑張ってー!」

「その煩いハエを撃ち落とせ!」

 

 ダリアが取り巻きたちに応援しろと指示を出す。彼ら彼女らは言われるまま、声が枯れそうになるまで大きな声で叫んだ。ダリアはハラハラとした顔で試合を見ているが、自分が声を張り上げることは決してしない。声が枯れるまで叫ぶなど、リドルのすることではないという考えが彼女の中にはあるらしい。アメリアはダリアが皆に「もっと頑張って」と言うのを苦笑いで見ていて、そんなアメリアをレギュラスは横目にちらりと見て、また視線をフィールドに戻した。……ちなみに取り巻きの一人が叫んだ「煩いハエ」とはジェームズのことである。

 

 レギュラスは空を飛び回る選手たちを見て、何とも言えない感情を抱いた。今すぐ走り出してしまいたいような、体の芯が疼くような、そんな衝動を抱かせる感情だ。レギュラスは清々しいほどに晴れ晴れとした青空と、その中を縦横無尽に飛び回る緑と赤に胸を焦がした。――僕もあんなふうに――。

 そこでレギュラスの思考は途切れた。赤いユニフォームを着た誰かが目にもとまらぬ速さで目の前を横切ったからだ。そしてそれを追うように緑のユニフォームを着た選手が飛ぶ。そしてほどなくして、風を切って飛んでいた彼は金色のスニッチを手にフィールドを旋回し始めた。

 

≪試合終了! スニッチをとったのはグリフィンドールのジェームズ・ポッター! グリフィンドールに150点が加算されて……170点差でグリフィンドールの勝利です!≫

 

 そのアナウンスを、スリザリン生の面々は苦々しい気持ちで聞いていた。しかしレギュラスだけは少し違う心境だった。

 

 * * * * *

 

「もう信じられない! あなたってスリザリンとしての自覚がないの!?」

「もちろん自覚はあるよ。だけどそれとこれとは話が別だ」

「全然別じゃないわ!」

 

 ダリアは興奮しきってアメリアに怒涛の勢いでお説教している。あの後ジェームズにハイタッチを求められてそれに応じたのが、とうとうダリアの逆鱗に触れてしまったようだ。アメリアは何度も悪かったよと謝るが、彼女は交友関係に関しては謝るだけで行動を改めないため、それが本心だとは思ってもらえないらしい。

 

「もうグリフィンドールを応援しちゃだめよ!?」

「えっと……ああ、うんわかった」

「どうわかったっていうのかしら?」

「グリフィンドールじゃなくてジェームズを応援――」

「何にもわかってない!」

「いてっ」

 

 ダリアはカンカンに怒ってアメリアの背中を思い切り叩くと、レギュラスに言って座る場所を入れ替えた。いつものように3人掛けのソファにダリアを真ん中にして、アメリア・ダリア・レギュラスの順で座っていたのだが、ダリアはアメリアから離れるためにレギュラスを真ん中に移動させた。口を膨らませてソファの肘掛にもたれかかるダリアに、レギュラスは内心何をするんだと言いたくなった。

 アメリアが身を乗り出してダリアの手を握る。レギュラスはぎょっとして上半身をやや後ろに倒した。

 

「ダリア怒らないで」

「アメリアなんてグリフィンドールと仲良くしてればいいんだわ」

「そんな……」

 

 アメリアはレギュラス越しにダリアに話しかける。ダリアはフンと鼻を鳴らして、レギュラスの淹れた紅茶を飲んだ。アメリアはダリアのカップを持っていない手を握って、もちろんスリザリンとしての自覚はあるよともう一度弁明するが、ダリアはそっぽを向いたままだ。

 アメリアとダリアはお互いのことで手いっぱいらしいが、手を握ろうと身を乗り出しているアメリアがバランスをとるために手をついている場所はレギュラスの膝の上だ。――思えばこれが、アメリアがレギュラスに初めて触れた瞬間だった――レギュラスはアメリアが自分に初めて触れたことに内心酷く動揺していたが、顔には微塵もそれを出しはしなかった。

 

「ポッター、重いですどいてください」

「え? ああごめん。……でもブラック、ダリアも酷いと思わないかい?」

 

 レギュラスはいきなり話を振られて返答に困った。ダリアはアメリアに目を向けて口を膨らませる。

 

「私は確かにスリザリン生だけど、ジェームズの妹なんだよ? 兄の初陣くらい祝ってもいいと思わないかい?」

「……」

「でもジェームズ・ポッターはグリフィンドールだわ!」

「ジェームズはグリフィンドール生である前に私の兄だ。グリフィンドールを応援してくれよって言われたのを断ってジェームズを応援するにとどめたのに、そんな言い方ってあるかい?」

 

 レギュラスは雲行きが怪しくなってきて、密かに冷や汗をかいた。

 

「じゃあなに? あなた、私が悪いっていうの?」

「悪いとは言ってないよ、ただどうして聞き分けてくれないのかって思うだけで」

「この私に意見するつもり!?」

「しちゃいけないかい? 私だって一人の人間だ、自分の考えだって持ってるさ」

 

 レギュラスは自分を挟んで意見をぶつけ合い始めた二人に頭を抱えたくなった。ここにきて喧嘩か? レギュラスは取りあえずアメリアを落ち着かせようと思って口を挟んだ。

 

「ポッター、あなたの考えも一理ありますが、スリザリン生の前でわざわざ敵のルーキーを応援することもないでしょう? 少し落ち着いてください」

「じゃあ、君も私が一方的に悪いって言うのかい?」

「そうじゃありません。ダリアも、ポッターがこうだっていうのは前からわかっていたことでしょう?」

「じゃあレギュラスはアメリアの肩を持つって言うのね!?」

「そうじゃありませんったら」

 

 レギュラスはいったい自分は何をしているのだろうと思った。何が悲しくて好きな人と嫌いな人の仲を取り持たなくてはならないのか。

 

 これは明らかに非日常だった。レギュラスがアメリアのことを多少なりとも庇ったことではない(確かにそれもレギュラスにとっては含まれることだが)。ダリアとアメリアが喧嘩をするということがだ。今までダリアがアメリアの態度に不満を漏らしたことは幾度もあった。しかし今回のことが今までと違っていたのは、ダリアの言い分にアメリアが意見したことだった。今まで二人が喧嘩しないでいられたのは、ダリアの言うことにアメリアが逆らわなかったからだ。だからダリアは、ひたすら謝って自分の機嫌を直そうとするアメリアを結局は許して、それで二人は仲直りをすることができた。ところが今回は、アメリアがダリアの機嫌を直そうとするどころか反発したものだからそうはいかなくなった。

 

「二人とも落ち着いてください」

「何よ何よ! じゃあアメリアなんてグリフィンドールになればいいんだわ!」

「どうしてそうなるんだい!? 私はスリザリンに入るべくして入ったっていうのに!」

「じゃあスリザリンらしくしたらいいじゃない! どうしてグリフィンドールと仲良くする必要があるの!」

「友達なんだから仕方ないだろう!」

「友達なんてやめちゃえばいいんだわ!」

「この……ダリアのわからず屋!」

「なんですって!? アメリアの頑固者!」

「頑固で悪かったね!」

 

 あろうことか、アメリアはそう言うと立ち上がって談話室を出ていってしまった。はじめその場にいた者たちはダリアを含めてぽかんとしていたが、ダリアが大きく鼻を鳴らして寮へ続く階段を下りていくと、その場には混乱だけが残された。

 

「あの二人が喧嘩なんて……」

「レギュラスさん……いったいどうすれば……」

「あなたたちも落ち着いてください」

 

 ――これは厄介なことになるな――。レギュラスは思ってもいなかった面倒事が降ってきて、とうとう頭を抱えた。

 

 * * * * *

 

 アメリアはスリザリンの談話室を飛び出してからしばらくの間、トボトボと湖のほとりを歩き回っていた。本当はグリフィンドールの談話室に行こうと思っていたのだが、クィディッチが終わった今、グリフィンドールは勝利を祝ってお祭り騒ぎだろう。そんな祝杯の席に参加するなんて、それこそダリアに怒られても仕方がない。そう思うととてもではないがグリフィンドールに行こうという気にはならなかった。そしてなにより、自分はジェームズを応援しただけでグリフィンドールを応援したわけではない。自分だってスリザリンが負けて悔しい思いをしていたのは本当だった。

 

 日が暮れてあたりはすっかり暗くなった。まだ四月にもなっていないこの季節、日が暮れると気温はすっかり下がってしまう。アメリアは寒くなってきたので帰りたいと思ったが、しかしダリアとは喧嘩をしたままだ。このまま帰っても気まずいまま。謝って機嫌取りでもすれば違うのだろうが、それではわざわざ喧嘩をしてまで自分の考えを押し通そうとした意味がない。アメリアにだって考えることがあるのだ。アメリアは折れるわけにはいかなかった。

 アメリアは禁じられた森に向かった。その足取りは酷く重い。アメリアは星がキラキラと輝いている夜空を見て顔をしかめた。そんなアメリアに、背後から声がかけられた。

 

「お前さん、こんな時間に何しちょるんだ?」

 

 アメリアは驚いたように目を見開いて、声の発信源を見た。そこにいたのは大きな、まるでクマと見間違えるばかりの大男だった。男はずいっとアメリアに顔を近づけて、ひょいっと服の襟を摘み持ち上げた。アメリアの足が宙に浮いて、アメリアはぱちぱちと目を瞬かせた。

 

「もうすぐ就寝時間だぞ、こんな時間にうろついちゃなんねえ」

「友達と喧嘩しちゃって、帰れないんだ」

「喧嘩? そんなもん謝ったもん勝ちだ」

 

 男はそう言って肩をすくめた。アメリアは「そうはいかないんだよ」と小さく呟いて、しゅんとした顔をした。すると男は何を思ったのかは知らないが、アメリアを下ろして手招きした。

 

「ちょうどええ、久々に茶でも飲もうかと思って湯を沸かしとったんだ。お前さんも来い」

「いいの?」

 

 その質問に男は言葉を濁した。こんな時間に生徒を校舎へ帰さないで招くのは、本当はあまりよろしくないからだろう。アメリアは素直にありがたいと思ったので、それ以上は言わずにその男についていった。男は禁じられた森の入り口すぐ手前にある小屋にアメリアを招き入れた。アメリアはこの小屋の存在を知っていたが、まさか人が住んでいるとは思っていなかったので少し驚いたようだ。

 

「俺の名前はハグリッド。お前さんは?」

「アメリア。アメリア・ポッター」

「ポッター? 驚いた、ジェームズの妹か?」

「ジェームズを知ってるの?」

「知ってるも何も、俺はジェームズが禁じられた森に入らないようにするために一日の半分を費やしているようなもんだ」

 

 それとシリウスもだな。そう言う男……ハグリッドに、アメリアは合点して頷いた。そう言えば二人が「森番に見つかった」と以前に言っていたような気がする。生徒が禁じられた森に入らないようにしているのだろう。

 アメリアはハグリッドに促されて椅子に座った。大きな椅子だったので座ると足がぶらぶらと宙に浮く。こんなにも大きな部屋にいると、自分が小人にでもなったかのようだ。

 アメリアはハグリッドが淹れてくれた紅茶を一口飲んで、思わず顔をしかめた。

 

「ハグリッド、香りが飛んでしまってるよ」

「ん? ああ悪い、茶葉が古かったかもしれん」

 

 アメリアは呆れてその茶葉というやつを見せてもらった。古いうえに保存状態が悪い。おまけに淹れ方が上手ではなかったので、ちっともおいしくない紅茶になってしまったのだろう。アメリアはいつもレギュラスやダリアが実家から送ってもらっている高級茶葉で淹れた紅茶を飲んでいたので、ハグリッドの淹れた紅茶はちっともおいしいと思えなかった。

 

「ちょっと貸してハグリッド。私が淹れる」

「お、おう」

 

 アメリアはハグリッドからポッドを受け取った。茶葉に魔法をかけてポッドに入れ、お湯の温度をまた魔法で調節して注ぐ。アメリアがカップに注いだ紅茶は、ハグリッドの淹れた紅茶とは色から違っていた。ハグリッドは久しぶりに嗅いだ紅茶らしい香りに、表情を明るくした。

 

「お前さん紅茶淹れるの上手だな」

「ほぼ毎日淹れてるからね」

 

 アメリアはそう答えると自分の淹れた紅茶に口をつけた。ダリアやレギュラスの茶葉で淹れた紅茶の足元にも及ばないが、これはこれで悪くない味だとアメリアは思った。

 

「それで、喧嘩したんだって?」

「ああ……私はスリザリンなんだけど、他寮の友人と仲良くするのを友人が許してくれなくてね」

「リドルのことか」

「知ってるのかい?」

「俺だってホグワーツにおるんだ、少しくらい生徒のことも知っちょる」

「それもそうか。……最初はジェームズのことを応援するなって言うのに反対していたのに、いつのまにかその話になっちゃってさ。それで喧嘩しちゃったんだよ」

 

 ハグリッドはカップに入っていた紅茶を飲みほして小さく唸った。アメリアはおかわりを淹れてやって(ハグリッドにこのカップは小さすぎる)、自身ももう一口紅茶を口に含んだ。

 

「トム・リドルは他寮の生徒にも優しかったがなあ」

「え? そうなのかい?」

「おう。トム・リドルは俺の4つ上の先輩だったんだがな、誰にでも平等に優しいって評判だった」

 

 アメリアは思わぬところでトム・リドルの知り合いに出会って驚いたようだった。アメリアはトム・リドルのことについてもっと知りたいと言って、ハグリッドに話の続きを促した。

 

「トムは本当にいいやつだ。俺がここで働いていられるのもやつのおかげだ」

「どういうこと?」

「俺はホグワーツで飼育禁止の動物を飼っとったんだ。そいつが逃げ出して、俺は危うくアズカバン送りにされるところだったんだが、トムがそいつを捕獲してくれてな。おまけに俺のことを擁護してくれて……ダンブルドア大先生もそれに賛成してここに置いてくださることになったんだ」

「へえ、トム・リドルってやっぱり偉大な人なんだね」

「ああ。それでトムは特別功労賞を受賞して……」

 

 ハグリッドはトム・リドルについていろいろな話をしてくれた。在学中は誰にでも平等に優しい優等生だったこと、魔法に秀でていたこと、主席だったこと、彼のことを嫌っている生徒なんてきっと一人もいなかったこと、そして……スリザリンの血を継いでいること。アメリアは新聞では知ることのできなかったトム・リドルに興味津々だ。

 

「今でもハグリッドはトム・リドルと交流があるの?」

「ああ、やつがホグワーツに来たときは少しだけここに立ち寄ってくれるんだ。大臣になってからはなかなかホグワーツまで来られんみたいだが」

 

 アメリアは相槌を打って、はたと気が付いた。

 

「ハグリッド、今何時?」

「あ? ここに時計はねえ。だがそうだな、おそらく就寝時間を1時間ほど回ったころだろう」

「ああ、しまった」

 

 アメリアは額を押さえた。今から帰ったのでは、監督生か教師に見つかって罰則をくらってしまう。本当は眠れる場所を就寝時間が来るまでに見つけておかなければならなかったのだが、思いのほかハグリッドとの会話が弾んでしまったのだ。

 ハグリッドは困った顔をしている小さい女の子を見て少し考えるそぶりを見せた。

 

「ここは汚らしいかもしれんが寒さはしのげる。ここで眠るといい」

「え? ここで?」

「いやか?」

「まさか! でもいいのかい? 匿うようなことして」

「なあに、昔トムが俺にしてくれたことに比べたらずっと小さなことだ」

 

 ハグリッドはそう言って笑った。トム・リドルの話をしていたのでそうたとえたのだろう。アメリアは少し迷ったようだったが、ハグリッドの提案に甘えることにした。アメリアはハグリッドがくれた二枚のブランケットのうちの一つをベッドの横に敷いて、それに魔法をかけた。するとブランケットはフカフカのマットになってしまった。アメリアはもう一枚にも魔法をかけてフカフカの布団にすると、あっという間に快適な寝床を準備してしまった。

 

「お前さん……本当に魔法が上手だな」

「そうかい? ありがとう」

「まるでトムみたいだ」

「まさか、大げさだよ」

「いいや、お前さんはきっと偉大な魔女になる。トムと肩を並べるほどのだ」

 

 ハグリッドに興奮気味言われたアメリアはありがとうとしどろもどろに答えた。それからまた二人は少しだけ話をして、アメリアが眠そうに目を瞬かせた頃、眠ることになった。アメリアは自分に清めの魔法をかけると、ハグリッドにおやすみと言って布団の中にもぐりこんだ。

 

 * * * * *

 

 アメリアは目を覚ますと、見慣れない景色にぎょっとした。しかし勢いよく上体を起こしたところで、ここがどこだったかを思い出した。昨晩行くところがなくてさ迷っていた自分を、ハグリッドという大男が匿ってくれたのだった(言い方はいささか大げさだったかもしれない)。

 アメリアは起き上がると清めの魔法で顔と口の中を綺麗にし、ベッドに目をやった。ハグリッドはいない。アメリアは寝過ごしただろうかと不安になって外に出た。

 外に出てアメリアはほっと息をついた。どうやらまだ起床時間になったぐらいか、それより前の時間帯のようだ。草木にのる朝露がそう物語っている。アメリアは早朝独特の、そのみずみずしい空気を胸いっぱいに吸い込んで深呼吸した。そんなアメリアを発見したハグリッドが、大きな声であいさつをした。

 

「おう、起きたか、おはよう」

「おはようハグリッド」

 

 ハグリッドは畑の作物に水をやっていた。その野菜たちは普通のサイズよりずっと大きくて、アメリアは興味深げにそれを観察した。ハグリッドはそんなアメリアの様子に気をよくしたのか、野菜を大きくする方法を得意げに話し始めた。

 

 ハグリッドが用意した朝食を食べ終わると、アメリアは校舎へと戻ってきた。しかし困ったことに、バッグは自室に置きっぱなしだ。取りに行ってもこの時間では誰かに鉢合わせてしまうし、最悪ダリアと顔を合わせることになってしまう。アメリアはダリアに謝るつもりがなかったので、それは避けたかった。仕方なくアメリアは図書室へ行って教科書をいくつか借り、それをもって大広間へとやってきた。

 大広間に入ってきたアメリアを目敏く見つけて声をかけたのは、グリフィンドールのスニフだった。

 

「やあアメリア、おはよう」

「おはようスニフ」

「朝から本なんて抱えてどうしたんだ? ……それ教科書?」

「ああ。鞄が無くてね。手で持って移動していたんだ」

「どうして鞄が?」

「うーんと……ダリアと喧嘩しちゃってね。寮に帰っていないんだ」

「ええ!? 君それじゃあ昨日は……」

「しー! 教授にばれたら大変だ! ……それで教科書だけ図書室で借りてきたんだよ」

 

 アメリアの言葉にスニフが驚いた声を上げた。広間にいた何人かがアメリアたちに顔を向ける。アメリアはスニフに静かにするように言って、隣に腰かけた。スニフが一緒に食事をとっていた友人たちもアメリアにあれこれ質問し始めて、アメリアは困ったように眉を下げた。

 

「それで、だれかハンカチか何か貸してほしいんだけど」

「いいけど……何に使うっていうの?」

「この教科書をこうして一日中持ち歩くのは骨が折れるだろう?」

 

 アメリアはグリフィンドールの友人であるラピスからハンカチを貰って笑った。ラピスが首をかしげるのににこりと笑って、アメリアはそれに魔法をかけた。するとハンカチは形を変え大きさを変え、シンプルなバッグに変身した。

 

「ええ!?」

「ああ、使い終わったらちゃんとハンカチに戻して返すよ」

「驚いてるのはそこじゃないわ!」

 

 アメリアは魔法が上手だとは思っていたが、まさかこんなことも出来るなんてと友人たちは驚いた。ハンカチを別のものに変えることはそれほど難しいことではないように思えるが、それを無言詠唱でやってのけたことには驚かざるを得ない。少なくとも友人たちはそう思った。

 

「驚くことかい? 教授は机を豚に変えたよ」

「でもあなたまだ一年生だわ」

「便利な魔法だから覚えておこうと思っただけだよ。役に立ってよかった」

 

 そう言って笑うアメリアにラピスやスニフは少し頬を赤くして、アメリアってやっぱりすごいと呟いた。

 

 * * * * *

 

 アメリアはバッグをソファにおいて、大きく背伸びをした。そしてベッドに倒れこむと、ふわりと香ったお日様の匂いに懐かしさを覚えた。

 アメリアは家出二日目からはこの部屋で寝泊まりすることになった(家出という表現はふさわしくないかもしれないが、ホグワーツ生にとってはこう言うのが最もわかりやすい)。ここは兄のジェームズが教えてくれた「必要の部屋」だ。利用者の望む部屋に姿を変えるらしく、自室に帰るに帰られないアメリアがここを訪れると、必要の部屋は実家の自室へと姿を変えた。冬休みに帰ったばかりのはずなのに、なぜかとても懐かしく感じる。母親が外に干してくれたときの布団から香る陽の優しい匂いが、アメリアを優しく包んでくれた。

 アメリアは仰向けになって天井を見上げた。白い天井。その色とは正反対の色をした髪をもって、窓の外から差し込む夕日よりずっと深い色をした瞳を持った少女のことがふと脳裏をよぎる。アメリアは目を閉じて勢いよく寝返りを打つことで、それを打ち消した。

 どれほどそうしていただろう。もう窓からは明かりが差し込まなくなって、部屋には湖の底を思わせる冷たい沈黙が蔓延っていた。ダリアと喧嘩をして早くも五日。この一人きりの空間で、アメリアは夕食も取らずにただベッドに寝転がっていた。

 

 



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06-02

 レギュラスは勘弁してくれといった気持ちでサラダにフォークを突き立てた。隣ではダリアがチビチビとスープをすすっている。その落ち込んだ顔を見て、レギュラスは少し胸が痛んだ。

 

 ダリアとアメリアが喧嘩をして六日が経とうとしていた。二人はまだ仲直りをしていない。ダリアはスリザリンの自覚がないアメリアの態度に理解を示さないし、アメリアは自分と他寮の生徒が仲良くすることに反対するダリアに怒ったままだ。最初の頃こそダリアはアメリアが謝るまで許さないといったスタンスだったのに、六日も経とうとしている今ではもう酷く落ち込んでしまっていた。レギュラスはそんなに落ち込むダリアに「アメリアのことなんて放っておけ」なんて言い放つこともできなくて、だからといってダリアに折れて謝ってこいなどと言うことも出来ず、足踏みしていた。アメリアはあれからスリザリン寮に帰ってこないので、ずっと他寮の生徒の自室に上がり込んでいるのだろうとレギュラスたちは思っていた。

 レギュラスはスープしか口にしないダリアに、何か食べさせようと思って話しかけた。

 

「ダリア、このソースおいしいですよ」

「……食欲がないの」

「そう言って昼もサラダしか食べなかったでしょう。体調を崩してしまいますよ」

 

 ダリアはレギュラスの説得に、ようやくサラダとスープ以外のものを口にした。レギュラスがおいしいからと勧めたソースのかかっているローストビーフ。ダリアはそれを少し食べてから、また小さくため息をついた。

 

「ねえレギュラス、私って間違ったこと言ってるかしら?」

「……グリフィンドールのことですか?」

「ええ……だって私たち、誇り高いスリザリンの生徒なのよ? グリフィンドールと仲良くするなんておかしいと思わない?」

 

 レギュラスは確かにその通りだとは思ったが、意外にも肯定の返事は出てこなかった。心の奥底では、アメリアの言い分も理解できると思っているのだ。――自身の兄であるシリウスがグリフィンドールに所属していることが大きくかかわっている。レギュラスはそのことを自ら理解していた。

 

「ですが、彼女はポッターです」

「だから大目に見ろと?」

「……」

「そんなの絶対におかしいわ。それを言うなら、ポッターなのにスリザリンに入ったからこそ、自覚を持つべきなのよ。スリザリンに組分けされたということが如何に誇り高いことなのか」

 

 ダリアは折れるつもりはないようだった。スリザリンであるということに絶対の誇りを持っているダリアがアメリアに謝るということは、つまりその信念を曲げるということ。それだけは絶対にしたくないと思っているのだ。

 しかしそれではいつまでもこの関係は終わらないままだ。アメリアはスリザリンに帰ってこないで、ダリアはアメリアを気にしてろくに食事をとらず、レギュラスはそんなダリアを諌めたり慰めたりするだけ。

 レギュラスはダリアにちらりと視線を向けて、すぐに前へと戻した。

 

 * * * * *

 

 ダリアとアメリアが喧嘩をしてから六日目の放課後、アメリアは今日も必要の部屋へ行くためにひと気のない廊下を進んでいた。それはアメリアにしては不自然なほどゆったりとした歩調だ。しかしアメリアと特に親しい人物がいないこの場所で、彼女にその疑問を投げかける者は当然いるはずもない。

 階段を上って角を曲がったところで、足音がアメリアの耳に届いた。自分を誰かが速足に追いかけてくる。しかしアメリアは立ち止まらなかった。足音を発しているその人物は、アメリアの後ろまで来てほんの少しためらった後、彼女の肩を掴んで引き留めた。アメリアはようやく振り返って、少しわざとらしい仕草と声色で彼の名を呼んだ。

 

「……やあ、ブラック」

「……」

 

 レギュラスはアメリアが呼びかけても、それに対して返事はしなかった。反応があるとは思っていなかったので、アメリアはそれに関しては何も言わなかった。

 しかし彼がここにいるのには何か意味があるはずだ。アメリアだってそれを尋ねずにいるわけにはいかない。

 

「いったい何の用だい?」

「……本当はわかってるんでしょう?」

「……おおかた、ね」

 

 アメリアは小さく、けれど隠すことはしないでため息をついた。

 

「言っておくけどね、私は折れるつもりはないよ」

「……」

「私は何も間違ったことを言っていないし、やっていない。どうして寮にこだわる必要がある? スリザリンもグリフィンドールも、お互いの良いところと悪いところを認め合うべきだ。君はそう思わないかい?」

 

 レギュラスはそれまで無言だったが、ようやく口を開いた。

 

「あなたの言っていること、僕にも理解できないわけではありません」

 

 レギュラスはアメリアから視線を逸らして言った。

 

「ですが、だからと言ってこのままでは何も変わらない。それはあなただってわかっているんでしょう?」

「……」

「あなたが折れなければ……あなた方はきっとこのままだ。ダリアは絶対に折れない。ダリアはあなたが折れるのを待っているんです」

「じゃあ、それに従って私の意思を曲げろと? 君はそう言っているんだね?」

「……そうです」

 

 レギュラスは素直に肯定した。二人が自身の言い分を通そうとして折れないでいる今、アメリアがダリアに謝るということはそういうことだ。

 

「何もずっとグリフィンドールと関わるなと言っているのではありません。ダリアがあなたの言い分を認めて、互いの妥協点が見つかるまででいい。とりあえず、それが見つかるまで、ダリアの言葉に従ってくれませんか」

 

 アメリアはそのレギュラスの言葉に、今度こそ驚いたような顔をした。

 アメリアは明らかに眉を寄せて、レギュラスを訝しげに見た。

 

「君がそんなことを言いに来るなんて、正直意外だよ。だって君は……」

 

 アメリアはその後の言葉を言わなかった。けれどいったいアメリアが何を言おうとしたのか、レギュラスにはもちろんわかっていた。互いが互いに嫌いあっていることなんて、二人は当然気付いていたのだから。

 二人の間に流れる空気は険悪だった。どちらも心を許さない、そんな殺伐とした空気が二人を包む。しかしレギュラスはこのままずっと黙っていることはできなかった。

 レギュラスは目を閉じて、何かを我慢している様子で言った。

 

「それを、ダリアが望んでいるんです」

 

 彼が何を我慢しているのかは、もはや言葉にする必要もなかった。本当は邪魔で仕方がないと思っている相手を再びダリアに近づけさせるということが、いかに彼の意にそぐわないことなのか、当然アメリアにはわかっていたのだ。

 アメリアは大きくため息をついて、肩を落とした。

 

「わかったよ」

「……本当ですか?」

「まあ……君がそこまで言うならね。確かに私も、ずっとこのままいるわけにはいかないって思っていたし……むしろ君が機会を与えてくれてよかったと思うよ」

 

 アメリアは小さくため息をついて床に視線を落とした。その所在無げな雰囲気は、レギュラスに僅かながらであっても申し訳なさを感じさせるには十分だった。けれどレギュラスにとってもこれは最大級の譲歩であり、精神的な苦痛を考えれば、その申し訳なさを感じて小さくなるのはアメリアであるべきだと、彼はちらりと思ったが。

 

「先に戻っていて。私は荷物を取りに行くよ」

「……手伝いましょうか」

「気持ちだけもらっておくよ」

 

 社交辞令だということをわかっていたアメリアはレギュラスの申し出を断って、彼にまた背を向けて歩き出した。

 レギュラスはそのアメリアの背中をしばらく見つめていたが、自分も彼女に背を向けた途端に疲れがどっと押し寄せてきて、自身の置かれている立場に恨み言を言いたくなる衝動にかられた。

 

 * * * * *

 

 ダリアは寝室で読書をして暇をつぶしていた。いつも話を聞いてくれる友人たちはおらず、ダリアは珍しくも一人だった。まだ就寝まで時間はあるが、それにしても少々遅いし、何よりこの自分に退屈な思いをさせるなんて、という気持ちもする。その感情は次第に苛立ちへと変わっていった。しかし普段のダリアなら、退屈な思いをさせるなんてと不満には思うかもしれないが、それでも苛立ちを感じるほど彼女たちを理不尽な要求で責めることはしない。それにもかかわらず、ダリアが本を机に乱暴にたたきつけるほどの苛立ちを抱いてしまうのは、間違いなくアメリアに理由があった。

 誰か談話室にいるかもしれないと思ったダリアは、足音荒く扉へと向かった。しかしダリアの足は扉を開けたところで止まってしまった。

 

「アメリア……」

「……」

 

 そこに、アメリアがいたからだ。ダリアは久しぶりに、こんなにも近くでアメリアを見て何を言えばいいのかわからなくなった。

 アメリアが足を一歩前へ進めたので、それに合わせるようにダリアは一歩後ずさりした。アメリアは部屋の中へ入ると扉を閉めて、ダリアと目を合わせた。その金色にも見える明るいハシバミ色の瞳が、ダリアの赤い瞳を捉える。ダリアは思わず目をそらしてしまった。

 

「謝る気になった?」

 

 それは意外なほど意地悪な物言いだった。ダリアはこんな言葉をこんな声で言ってしまった自分が信じられなかった。仲直りしたいと願っていたのはきっと自分の方だったはずなのに、こんな物言いをしてアメリアがどう思うか。しかし言ってしまった言葉が肺に戻ってくることなどありはしないのだ。

 

「ダリアは……」

 

 アメリアは言いかけた言葉を途切れさせた。ダリアは名前を呼ばれて心臓が飛び出すのではないかと思ったが、決して悟られないようにと動揺を隠した。

 

「ダリアは、本当に私のこと好きなの?」

「……え?」

 

 ダリアは思わず聞き返した。

 

「ダリアは私のこと、本当は好きじゃないんだろう」

「なんですって?」

 

 ダリアはアメリアの言葉に怒りさえ覚えた。こんなにも自分をかき乱す人間はアメリア以外いない。それほどにダリアはアメリアを好いているし、大切に思っている。それを否定するアメリアの言葉は、ダリアをそれ以上ないほど怒らせ、傷つけた。

 

「あなた、私を疑っているの?」

「……」

「この私がこんなに大切にしてあげてるのに、どうしてそんなことを言うの? あなたこそ私のこと好きじゃないんじゃないの?」

「……」

「何か言ったらどうなの!」

 

 ダリアが声を荒げる。口をつぐんでいたアメリアの表情が徐々に怒りに変わっていった。その様にはダリアもはっとして、怒らせたのだと恐怖さえ抱いた。

 

「ダリアはずるい!」

「な、なにを……」

「いっつもそうやって、なんでも思い通りになると思ってるんだ! 私が謝るに決まってるって、私が君の言うことすべてに従うって!」

「アメリア……」

「悔しいよ……結局、私は耐えられなかったんだ……君のいない生活に……」

 

 ダリアは心臓を鷲掴みにされたような気がした。アメリアの瞳には涙が滲んでいて、その悔しそうな表情が嫌に印象的だった。

 アメリアは表情豊かな人間だった。それは怒った顔であったり拗ねた顔であったりと様々で、けれどいつだってそこには優しさがあった。そして最後には、絶対に笑顔を見せてくれる。しかし今の彼女の顔は今までのものとは違う。心の底から悔しく思っている顔。やさしさなどない。気遣いなどない。彼女の本心がそこにはあるように思った。

 

「なんでわかってくれないんだって突き放して、この一週間私はスリザリンじゃない友達と一緒だった」

「……」

「だけど……――楽しくないんだ」

 

 ダリアの心臓は少しずつその鼓動を速めていった。

 

「心の底から、笑えないんだ。皆が話しかけてくれても、一緒に勉強してるときも、いつだって……心のどこかで、君のことを考えてる自分がいる。今何してるかなとか、魔法薬学の予習うまくいってるかなとか、食事はしっかりとってるのかなとか……――私のこと、考えてくれてるかな、とか、そんなことばかり、考えて」

 

 ダリアは息苦しくなった。この一週間、自分はそんなこと少しも思っていなかった。どうして自分の意をくんでくれないのか、どうしてスリザリンとしての自覚を持ってくれないのか、そんなことばかりを考えて……アメリアの気持ちに思いをはせることなど一度もなかった。けれどアメリアはいつだって自分のことを思ってくれていて。ダリアはそんな自分が恥ずかしかったし、悔しかった。けれどそれ以上に、そんなにもアメリアが自分を思ってくれていたことを嬉しく思ってしまった。

 

「ダリアの前でグリフィンドールの友達と話してても、ダリア、一度だってこっちを見てくれなかった」

 

 そう、ダリアは意図的にアメリアを見なかった。自分に逆らうアメリアを見ていたくなかったのだ。意地を張って、決してアメリアを視界に入れないようにとしていた。

 

「君が止めに来てくれるんじゃないかって……嫉妬してくれるんじゃないかって、期待してた自分に気づいて、私は……」

 

 ダリアはもう苦しくて息をすることもできなかった。――喜びだった。今ダリアの胸に溢れている感情は、アメリアがそんなにも自分を思ってくれていたことへの喜びであり、そんなアメリアへの愛しさだった。

 アメリアはダリアを抱きしめた。その腕は意外なほど華奢で、弱々しくて、けれど火傷しそうなほど熱い思いが込められていたようにダリアは感じた。

 

「意地張ってごめん。私の一番はダリアなんだって、痛感させられただけだった。仲直り、してくれる……?」

 

 ダリアはアメリアの背に自身の手を回した。それだけでダリアの気持ちはアメリアに伝わった。アメリアは少し身体を離してダリアに顔を見せた。その表情はとても嬉しそうな笑顔だった。

 

「ダリア、ごめんね」

「いいのよ。こうして帰ってきてくれたんだもの」

 

 アメリアはまた嬉しさで顔を綻ばせた。

 

「グリフィンドールの皆とは……距離を置くよ」

「……ええと、そうね」

 

 ダリアは言葉を濁した。アメリアは少し不思議そうな顔をしてダリアの顔を覗き込んだ。ダリアは顔を少し赤くして、そっぽを向いて言った。

 

「まあ、あなたと話せなくなるのはかわいそうだわ。私のこと一番に思ってくれるなら、話くらいはしてもいいわよ」

 

 ダリアの素直じゃない物言いに、アメリアは小さく笑った。

 

 * * * * *

 

「ようやく仲直りしたんですね」

 

 翌日、レギュラスがダリアとアメリアを見てそう言った。二人は嬉しそうな顔で笑っている。レギュラスはとんだ災難だったと内心大きなため息をついた。以前のようにまた笑顔で会話に花を咲かせる二人に、レギュラスは意外なことに嫌な感情は抱かなかった。それよりも厄介ごとが片付いた安心が大きかったのだ。レギュラスはダリアとアメリアをあまり仲良くさせたくないとは思うものの、喧嘩して険悪な雰囲気になるくらいだったらずっとそのまま仲良くいてほしいと思ってしまうのだった。

 

 




雨降って地固まる、ってね。

「あれ、なんかおかしくない?」って思った人、その通りです。



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07-01 学年末試験

「ああもう、不甲斐ないわね」

 

 そう零したのはダリアだ。ダリアはつまらなそうに紅茶を一口飲んだ。

 

「そう言わないでダリア。先輩方は頑張ってただろう?」

「そうだけど……やっぱり悔しいものは悔しいじゃない」

「そうだね」

 

 アメリアがダリアを諌める。ダリアは唇を僅かにとがらせて、もう一度紅茶を口にした。

 ダリアがやや不機嫌なのにはクィディッチの戦績が関係していた。スリザリンは一回目の試合でグリフィンドールに負けた後、そのショックが尾を引いたのかはわからないが次のレイブンクロー戦にも負けてしまったのだ。最終試合のハッフルパフには勝利したが、最終的にスリザリンは三位というぱっとしない結果に終わってしまった。皆は先輩方に気を利かせて何も言わないが、ダリアは不満をうちに閉じ込めることはしない。ダリアは至極残念そうに言った。

 

「グリフィンドールに加えて頭でっかちのレイブンクローにまで負けるなんて。スリザリンとして恥ずかしくないのかしら」

「ダリア」

 

 アメリアの少し責めるような口調に、ダリアも口をつぐんだ。ダリアがアメリアに叱られてしゅんとした顔をすると、アメリアはまた穏やかな表情に戻ってダリアのカップに紅茶のおかわりを淹れてやった。

 

「期待していたからこその不満なんだろう? ダリアの気持ちは先輩方もわかってくださっているよ。だからダリアも、来年こそは勝てるように彼らを応援してあげなくちゃ」

 

 アメリアはそう言って笑った。ダリアは「そうね」と答えて、お茶菓子を一口口にした。

 

 紅茶を飲んで一息ついたところで、ダリアは話題を変えた。

 

「ところでアメリア、学年末試験のことだけれど」

「どうかしたかい?」

「魔法薬学に自信がないの。少しレッスンをお願いできないかしら」

「よろこんで」

 

 ダリアの申し出にアメリアは快く答えた。ダリアは魔法薬学の調合をほとんど真面目にしたことがない。入学したての頃すらレギュラスに一任していたし、アメリアと親しくなってからはほぼすべての調合をアメリアに任せている。普段はレポート等で評価を得ているが、学年末試験の成績はほとんどが調合による評価だと告知されている。ある程度は形にしないと、いくら大臣の娘とはいえ大目に見るにも限度があるだろう。

 ダリアは頬に手を当てて、困ったわ、といった顔で言った。

 

「私、気持ち悪いものには触りたくないわ」

「え? でも調合するなら我慢しないと」

「いやよ。ねえアメリア、何とかならないの?」

「ええ?」

 

 アメリアはダリアのわがままに頭を悩ませた。魔法薬の調合に彼女の言うところの『気持ち悪いもの』はつきものだ。それを省いて調合するのは実質不可能である。

 

「ああ、覚えるだけならよかったのに」

 

 ダリアはそう言ってため息をついた。ダリアは頭の出来が良い。知識面ではアメリアやレギュラスに遜色ない実力を発揮する。しかし調合だけは別だ。

 

「そうだなあ……考えておくよ」

「まあ! ありがとうアメリア」

 

 アメリアはダリアのわがままを叶えるべく、魔法薬学の対策を考えることになった。

 

 * * * * *

 

 レギュラスは必死だった。何にかというと、もちろん、学年末試験の勉強だ。レギュラスには、学年一位という輝かしい功績を母に持って帰るという使命がある。そのためには当然、各寮の優等生を打ち負かさなければならないわけで、さらに言えば……そう、アメリア・ポッターをも出し抜かなければならないのだ。

 レギュラスが見る限り、アメリアは友人たちの試験勉強の面倒も見てやらなければならないようだった。皆が皆、アメリアに「ここを教えてほしい」だとか「ここがわからない」だとか、口々に尋ねた。それを見てレギュラスは内心ほくそ笑んでいた。アメリアの勉強する時間が減り、かつ自分は勉強する時間を多く確保することができるからだ。

 

 その日、レギュラスは魔法史の知識を強化するため、図書室で参考書を探していた。膨大な量の本があってこの中から良い本を探せるのか不安にはなったが、そうして本を探している時間は良い気分転換になったので無駄だとは思わなかった。

 レギュラスはふと足を止めた。――あれはポッターか?――レギュラスは見慣れた女が図書室で眠っているのを発見した。いつもこの時間は友人たちの勉強を見てやっていたはずだが、今日は自分たちでするようにとでも言ったのだろうか。レギュラスは机に伏せて肩を小さく上下させているのを後ろの方からしばらく観察して、寝ていると確信してからアメリアに近づいた。

 そこにいたのはやはりアメリア・ポッターであった。レギュラスは不思議な気持ちがした。アメリアの寝顔なんて、当然レギュラスは初めて見る。いつも馬鹿みたいに笑っているアメリアが、このようにただ目を閉じて普通に眠っているのがレギュラスには何故か意外だった。寝顔ですら笑っているとでも自分は思っていたのだろうか。けれどそう思ってしまうほどには、アメリアはいつだって笑っているという印象があった。

 そこでレギュラスは、先日ダリアと喧嘩していたときのアメリアを思い返した。ダリアに謝ってくれと告げたときの、アメリアの不満そうな表情がふと脳裏をよぎる。確かにあの表情は珍しかった。けれどそれもまた彼女の表情の一つに過ぎない。表情豊かな彼女の一面である。けれどこの寝顔は、それらの表情から連想できる安らかな眠りとは違っていた。ただただ無表情なのだ。

 

「……ん……?」

「!」

 

 レギュラスはアメリアが身じろいだので驚いてその場を離れた。

 

 レギュラスが談話室に戻ると、そこでは友人たちが固まって勉強をしていた。そこには当然アメリアはいない。レギュラスはダリアに声をかけて隣に腰掛けた。

 

「ねえレギュラス、アメリアと会わなかった? 図書室で本を借りてくるって言ったきり戻らないの」

 

 レギュラスは合点した。だからアメリアは一人きりだったのだ。しかしあのアメリア・ポッターが友人たちを放っておいて図書室で睡眠などとるだろうか。

 

「図書室で眠ってましたよ」

「ええ!?」

 

 ダリアは可愛らしく口を膨らませ、勢いよく立ち上がった。

 

「この私を放っておくなんて!」

 

 ダリアが図書室に向かおうとしたのでレギュラスは不満を覚え、ダリアを引き留めた。わざわざダリアが迎えに行く必要なんてない。ダリアが放してと言うのを説得していると、談話室の扉が勢いよく開いて渦中の人物が転がり込んできた。アメリアは駆け寄ってくるとすぐに皆に謝った。

 

「ごめん! 遅くなった!」

「まったくだわ! 図書室で何をしていたのかしらね?」

「うう……あんまり気持ちよさそうな日差しのある机があって……なんだか眠くなっちゃったんだ」

「呆れた! 私がどれだけ心配したかも知らないで!」

 

 ダリアがアメリアにばかり構うのは気に食わなかったが、アメリア・ポッターが平謝りしている様を見るのは悪くないなとレギュラスは思った。

 

 * * * * *

 

「もう嫌。つまんない」

 

 そう言って、彼女、ラピス・ディズニーは教科書をテーブルの上に放り投げた。その乱暴な扱いに、教科書が大きな音を立ててテーブルの上を僅かに滑る。けれどその音が目立ってしまうほど、グリフィンドールの談話室は静かではなかった。

 

「駄目よラピス、放り出さないでちょうだい」

「だって、ちっとも面白くないんだもの。どうして歴史なんて覚える必要があるっていうのよ」

「面白いじゃない。魔法界って奇天烈だわ」

 

 そう言ってペチュニア・エバンズは自分が開いていた魔法薬学の教科書の忘れ薬の項にしおりを挟み、ラピスが放り出した教科書を手に取った。

 

「ほら、この章なんて魔法界の異質さが際立ってると思わない?」

「思わないわよ」

 

 ラピスは大きくため息をついてペチュニアの開いた教科書のページを見た。ラピスは純血家系に生まれた純血の魔女だ。両親もずっと魔法界で生きてきてラピス本人も魔法界で生まれ育った。マグル生まれのペチュニアが言うところの『異質』は彼女にとっては常識だ。ラピスにとってはちっとも魔法界の歴史なんて面白くない。

 

「魔法省の成り立ちなんてどうでもいいわよ!」

 

 そう言って机に伏せるラピスに、ペチュニアは大きくため息をついた。マグル界で生まれたペチュニアにとっては、魔法史はまさに魔法界を紐解く鍵がいたるところに散りばめられた推理小説のようなものだった。それを「ちっとも面白くない」と言うラピスの気持ちを、ペチュニアはちっとも理解できなかった。

 しかし困ったことに魔法界生まれの魔女・魔法使いたちは、ラピス同様に魔法史には少しも興味を示さなかった。教鞭をとっている教授の授業が驚くほど淡々としていてつまらないことも、理由の一つかもしれない。ペチュニアは姉のアドバイスを受けてしっかりとメモを取り授業を真面目に受けていたが、姉がいなければ自主学習の時間になっただろうとペチュニアでさえ思ってしまうほど、その授業は退屈だった。

 

「ああ、どうしてなのアメリア……あんな性悪女放っておけばいいのに……」

 

 ラピスはそう言って机の上にあった羊皮紙を抱きしめた。魔法史の教科書に出てくる単語がたくさん書かれた羊皮紙は、彼女の腕の中でぐしゃぐしゃになってしまった。

 ペチュニアは心底鬱陶しそうにラピスを見て、つっけんどんに言った。

 

「インクが服に着くわよ」

「ああ、アメリア……私をこの地獄から救い出して……」

 

 ペチュニアの言葉を華麗に無視して、ラピスはそう零した。ペチュニアはうんざり顔で大きくため息をついて、手にしていた羽ペンをインクにつけた。

 ペチュニアはただでさえ談話室内がうるさいというのに、目の前の友人が雑音を増やすものだからさらに集中力が乱された。そしてペチュニアの思いに反して、ラピスの嘆きに周りの友人たちが反応し、あろうことか同じように嘆き始めた。

 

「まったくだよ。あいつらまたアメリアを拘束して。アメリアがかわいそうだ」

「リドルって本当に我が儘よね。アメリアってばよくあんな人と友達やってられるわ」

「仲直りなんてしなければよかったんだ! 数日前まではあんなに楽しかったのに、今となっては試験勉強に苦しむだけの毎日さ」

「スニフってアメリアのこと好きなのね」

「嫌いな奴がグリフィンドールにいるか? いたら顔を拝みたいものだね」

 

 スニフが堂々と宣言した。皆は何も言わない。皆もそう思ったからだ。

 ペチュニアは知らぬ存ぜぬを貫き通して、もう一度魔法薬学の教科書を手に取った。

 スニフがアメリアを好いていることは皆の知るところだった。そしてその「好き」が決して友愛ではないということを彼が認識していないことも、皆はしっかり承知していた。自分の感情に鈍いスニフがいつ自分の恋心に気付くのか、グリフィンドールの友人たちは生温かな目で見守っている最中である。もちろん、中には抜け駆けしようとしているものもいたであろうが。

 

「アメリアはどうやってこのくそつまらない歴史を覚えてるんだろうな」

「私も知りたい」

「でもあの人たちのせいで一緒に勉強なんてできないわよ」

 

 クリスティーナの言葉に、皆は同時に大きなため息をついた。ダリアとアメリアは仲違いを終えて仲直りすると、以前にも増して『べったり』状態になった。自分たちが話しかけてもダリアが邪魔しなくなった代わりに、ダリアはアメリアのそばから離れることをしないでアメリアと手を握って待つようになった。今までは自分たちと関わりたくなかったのだろう、すぐに手を引いて引き離そうとするか、アメリアから離れて自分のもとへ帰ってくるのを待っていたのだが、最近は自分の存在を主張するかのごとくアメリアの隣に立って会話が終わるのを待つようになったのである。アメリアもダリアを待たせているという気持ちがあるようで、グリフィンドールやハッフルパフの友人との会話はすぐに切り上げるようになってしまった。それが皆には不満だった。

 

「だいたい、なんでアメリアはスリザリンなんだよ! まずそこからおかしい!」

「そうよね、あんなにグリフィンドールが相応しい魔女もなかなかないわよ!」

 

 その言葉に多くの友人が賛成した。

 いつの間にか談話室で最もうるさい集団がスニフたち一年生となっていた。それまでは上級生が魔法を練習したり、魔法で遊んでいたりして騒がしかったが、スニフたちの不満は積りに積もっていたので爆発してしまっていた。彼らの不満のおしゃべりにいつの間にか数人の上級生も参加しだし、談話室内はアメリアの話で持ち切りになった。――勉強に集中できなくなった生徒たちは自室へ避難していったが、ペチュニアはその場にとどまって忘れ薬のページを開いていた。

 上級生の一人が、その集団の中で一際存在感を放っている少年に尋ねた。

 

「兄としてどう思うジェームズ!」

「組分け帽子は千年に一度の大失敗をしてしまったに違いない」

「ええと、ホグワーツが創立されたのが993年だから……創立以来の大失敗ってことね」

「大袈裟だな」

「でもアメリアがスリザリンとかありえないもの、それくらい言いたくなるわよね!」

 

 ジェームズがどこからともなく現れて会話に参加し、アメリアの組分けに対する不満をぶちまけていた。クリスマスのときに組分けについてもう不満は言わないとアメリアには言っていたが、それでもこうして声高に叫んでしまうほど、ジェームズは組分けに納得がいっていなかった。ジェームズは身振り手振りを加えて、大演説を始めた。

 

「考えてもごらんよ! 今、ここに! アメリアがいて! 『今日の夕食おいしかったね。明日は何が出るかな?』とか『ここがわからないの? いいよ、一緒に復習しよう』とか言ってくれる日常を! スリザリンの連中は毎日この想像が現実になってるっていうのに、どうして僕たちが指を咥えて我慢しなきゃいけないんだ!」

 

 ジェームズの言葉に皆は表情を固めた。そして徐々に口惜しさが滲んできたようで、ラピスに至っては先ほどまで抱きしめてぐしゃぐしゃにしていた羊皮紙をちぎり始めた。

 

「僕だって『ジェームズ、お手本見せて』とか言ってもらいたい!」

 

 ジェームズはおいおいと泣く仕草をした。ジェームズは妹であるアメリアを心底大切に思っている。小さいときから同じ屋根の下暮らしてきた彼にとって、八年間もろくに一緒にいられなくなったという現状は耐えがたいものだろう。皆は心底ジェームズを不憫に思った。そして……それほどまでに溺愛されているアメリアのことも。彼の熱の入った弁論を聞いて何人かの生徒は「組分け帽子は兄から逃してやるために彼女をスリザリンに入れたに違いない」と確信するに至った。

 あまりに煩いジェームズを見かねて、同じ悪戯仕掛人のメンバーであるリーマスがジェームズに声をかけた。

 

「ジェームズ、いい加減に落ち着いて」

「でもリーマス! アメリアは僕の……痛い痛い!」

「お騒がせしました」

 

 リーマスがジェームズの耳を引っ張り自室へと連れ帰ってようやく、アメリアに関する弁論は終わりを告げた。談話室が嵐の去った後のような静けさに包まれる。皆はジェームズの溺愛ぶりに微笑ましげにくすくす笑ったり、つまらない勉強を再開しなければならないとため息をついたりして、自身らが中断していたことに今一度取り掛かった。

 ペチュニアは無表情に教科書のページを一枚めくった。忘れ薬の原理について説明されたページだった。

 

 




ラピスさんは後にレズとして再登場します(ネタバレ……!)。
スニフくんもちょいちょい出てきます。

 


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07-02

 嗅ぎ慣れない、におい。

 鼻を刺す臭い、卵の腐ったような臭い、汚物の臭い、甘ったるいはちみつのような匂い。その他にも形容しがたい悪臭が混ざり合って、眩暈のする空間が生み出されていた。アメリアは涙目になりながら、床に飛び散った液体とそれに埋もれるガラス片や木片を魔法で片付けていた。学年末試験が近づいたこの時期にアメリアがこのような苦行を強いられているのには、いっそ理不尽とさえ言える理由があった。

 

「ありえない……臭い染みついたらどうしよう……ジェームズのと取り換えようか……」

 

 そう、この状況を作り出したのはアメリアの兄であるジェームズ・ポッターだ。ジェームズは親友であるシリウス・ブラックとともに、フィルチから逃げ回っている最中だった。糞爆弾を片手に。二人はフィルチをまくためにこの部屋へと逃げ込んだのだが、この部屋はスラグホーンの管理する薬品庫であり、彼らが勢いよく逃げ込んだときたまたまスラグホーンがこの部屋にいて廃棄する薬品を整理していた。入り口近くに立っていたスラグホーンと彼らは、当然勢いよく衝突。ジェームズとシリウスが持っていた糞爆弾が手から離れて薬品棚に当たり、爆発して薬品があたりに飛び散ってしまった。二人はフィルチに追われていたこともあり、スラグホーンに一言だけ謝った後部屋を飛び出して逃げていった。そこへこれまたたまたま、スラグホーンに頼まれていたレポートを回収して彼の作業部屋へと向かっていたアメリアが通りかかり、その後始末を頼まれてしまったというわけだ。彼は薬品やらを被ってしまったので一刻も早く服を着替える必要があったし、加えて学年末試験のテストを作成したり、調合させる薬を選ぶのに忙しいらしかった。

 

 床の上の薬は混ざり合って怪しい煙を発生させていた。いかにも有毒だと言わんばかりの色、臭い。スラグホーンもこの薬品の後始末を生徒に任せるのはまずいと思っただろうが、そのまま何もしないで放置するほうがまずいと考え直したのだろう。それに彼は多忙であるし、その任せる生徒が優秀なアメリアであったこと、アメリアが自ら手助けをさせてほしいと申し出たことなども彼にそうさせた理由だったようだ。しかし困ったことに、彼は自身がしていた廃棄する薬品のチェックもついでにアメリアに任せて行ってしまった。

 

 処理を始めて三十分ほどで床上の薬品は片付いた。あまりの悪臭と眩暈のせいでなかなか作業が進まなかったが、アメリアは今からまた新たな作業に取り掛からなければならない。アメリアは部屋にある数百個の薬品に貼られたラベルの日付を確認し、手元の資料に記された期限と照らし合わせるという気の遠くなる作業を開始した。

 

 チェックが終わったのは夕食の時間になって二十分と少しが過ぎた頃だった。遅すぎる時間にはならなかったことに安心し、凝り固まった身体をほぐすようにその場で大きく背伸びをした。アメリアは杖を振って箱を呼び出すと、その中に廃棄する薬品と資料を入れてスラグホーンの部屋へと向かった。薬品は液体なのでやや重かったが、部屋はそれほど遠くなかったので魔法でどうこうすることはしなかった。

 

 スラグホーンの部屋の前に着くと、アメリアはそれを床に置いて部屋の扉をノックした。わりとすぐに扉は開き、スラグホーンが出迎えた。

 

「すまなかったねミス・ポッター……ちょうど今呼びに行こうと思っていたところだ」

「呼びに?」

「ああ、さすがに重労働だったなと思い直してね。それに不慣れな者には時間のかかる作業だろう。どのくらい進んだかね?」

 

 アメリアは小さく笑って足元の箱を彼に差し出した。

 

「全部終わりましたよ」

 

 スラグホーンはきょとんとして箱の中を見た。確かにすべて完了したと推測できるほどの薬品の量だ。スラグホーンは大きくため息をついてその箱を受け取った。

 

「本当にありがとう。すまないことをしたね、君も忙しいだろうに」

「いいえ、教授ほどでは。お手伝いさせていただいてむしろよかったです」

 

 アメリアはそう言った後、はっとした顔をして服の臭いを嗅ぐ仕草をした。薬品の臭いが移っていないか気になったようだ。スラグホーンは不憫に思って、アメリアに部屋に入るよう促した。

 

「臭い消しの香水がある。それを分けてあげよう」

「ありがとうございます……やっぱり臭いますか?」

「少なくとも君がさせていていい臭いではないね」

 

 スラグホーンの苦笑いに、アメリアは顔をひきつらせた。アメリアは彼から香水瓶を受け取り、幾分か自分に吹きかけた。後ろの方は自分ではできないだろうと、スラグホーンが気を利かせて香水をかけてやった。

 スラグホーンは臭いが消えたことを確認してから、ソファ前のテーブルの上を片付けてアメリアに尋ねた。

 

「夕食は一緒にとらないかね? 今から往復するのも疲れるだろう」

 

 それはアメリアには嬉しい提案だった。夕食の時間はもう残り半分ほどだったし、薬品の掃除やチェックで精神的に疲れていたからあまり動き回りたくない気分だった。

 アメリアはスラグホーンが腰かけたソファの向かい側に座り、ローブを脱いで畳んだ。テーブルの上にはあっという間に食事が並び、疲れたアメリアをほっとさせるような匂いが鼻腔をくすぐった。

 

「今日は君の貴重な時間をつぶしてしまったが、どうかね、勉強のほどは」

「私は順調ですよ。特に躓いている部分もなく」

「それは喜ばしい限りだ! 君なら満点越えもあるだろうね」

「満点越えがあるんですか?」

「ああ、そうだ。筆記のテストではたまにあるのだよ。魔法史や呪文学……もちろん魔法薬学でもね」

 

 アメリアは、これはいいことを聞いたなと内心呟いた。

 

「調合させる薬は、一年生の習った薬だと……ふくれ薬かおできを治す薬か……忘れ薬のどれかですかね?」

「何故かな?」

「ほかの薬は試験に出すには難易度が高すぎます。一年生が一人で作れるとは思えない」

「わからんよ? その難しい薬を出すやもしれん」

 

 アメリアは小さく笑った。それを見てスラグホーンはやれやれと言いたげな顔をした。アメリアとスラグホーンはレポートの提出やその他作業の手伝いなどを通して、何度も二人きりで話をする機会を設けてきた。その中でアメリアはスラグホーンが焦っているときや図星をつかれたときの雰囲気や声色、癖を見抜いてしまっていた。スラグホーンも、今までは小テスト程度のことだったので特に気に留めていなかったが、今回は学年末試験の内容だったのでさすがに焦ったようだった。

 

「試験では生徒をいくつかのランクに分けて評価する必要があるでしょう? そうしやすいのはふくれ薬か忘れ薬のどちらかですね。おできを治す薬は成功か失敗かの二つしかありませんが、ふくれ薬はふくれ具合から、忘れ薬は色から精度を判断できます」

「君には恐れ入るよ」

 

 スラグホーンは観念したという顔をして口元を拭った。

 

「いかにも。その二つのどちらかを出すつもりでいるのだ」

「仰ってしまっていいんですか?」

「なあに、君は今年習ったどの薬も簡単に調合できるからね、言ってしまったところで変わらんだろう。それに勘のいい生徒は君のようにその二つに狙いを絞るだろうから、気付けるか気付けないかも実力のうちだ」

 

 スラグホーンはアメリアを信頼している。そして、アメリアが自分を信頼することを望んでいる。それを今までの間に感じ取っていたアメリアは、スラグホーンが自分に嘘をつかないことを知っていた。

 

「まあ、君なら言質をとらなくたって、その二つに的を絞っていただろうから、君がそのことをうっかり友人たちに言ってしまっても、問題はないだろう」

 

 暗にスリザリンの成績を上げろと言ってくるスラグホーンに、アメリアはニコリと笑って応えた。そんなアメリアにスラグホーンも満足したような笑顔を浮かべる。

 

「ミス・ポッター、君の解答を楽しみにしているよ」

「解答? 筆記試験のことですか?」

「うむ。最後の問題は毎年、全学年、記述の問題を出している。その記述問題では――これは学年によるが――薬の調合法を説明させたり、実験での注意点を述べさせたり、高学年だと別の調合法を書かせたり薬の考察をさせたりと様々な問題を出している。この問題の基準点は十点だが、中では素晴らしい解答をする生徒がいてね。君の兄であるジェームズは去年その問題で三十五点を私につけさせたよ」

「三十五点! さすがジェームズだ!」

「まったくだ! 実に素晴らしい解答だったよ!」

 

 スラグホーンは興奮気味にそう言って、杖を振った。引き出しから一つの羊皮紙が出てきて、それをスラグホーンはアメリアに渡した。それは去年のジェームズの試験答案用紙で、長い羊皮紙が分厚く巻かれていた。

 

「去年は新薬のアイディアを書かせる問題にしたのだがね、ジェームズのそれは完成に近い素晴らしいものだったよ。考察も優れていて、研究仲間も高く評価していた」

 

 アメリアはその薬に覚えがあった。昔兄が母の調合キットを勝手に使用して作ろうとしていた、なんちゃってアニメ―ガス薬だったのだ。完成とは程遠かったと記憶していたが、いつの間にかここまで詰められていたとは。アメリアはこんなにも魔法薬学の才能があるのに「かび臭い」という意味の解らない理由で魔法薬学を嫌う兄を残念に思った。

 

「このくらいの点数も不可能ではないような問題を出してあげよう。期待しているよ」

 

 スラグホーンの言葉にアメリアはありがとうございますと言って、眉を下げて笑った。

 

 




汚物(の臭い)にまみれる美少女だと……?
これは流行る(ホグワーツで)。

ロリと先生が密室で二人きりだと……?
これは(ry

この小説のジェームズは天才です。

 


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07-03

 学年末試験まで残り二週間となった休日の午後、スリザリンの一年生は魔法薬学の教室へと集まっていた。純血の者もマグル生まれの者も、誰一人欠けることなくすべての一年生がいる。当然と言えば当然だが、皆の手元には魔法薬学のテキストと調合に必要な道具があった。

 集合の時間になると教室の扉が開いて二人の生徒が入室した。アメリアとレギュラスだ。二人の手にはいくつかの薬草や動物の死骸――魔法薬の材料であることは疑問にすらならない――が入った箱が持たれていた。二人はそれをスリザリン生の前にある大きな机に置くと、肩をほぐすような仕草をして皆に向き合った。

 

「みんな来てくれてありがとう」

「むしろ礼を言うのは俺たちの方だろ。教えてもらう側なんだから」

 

 友人の一人がアメリアの言葉にそう返した。アメリアは照れくさそうな顔をして、杖を取り出した。

 

「じゃあ始めよう」

 

 アメリアはそう言うと杖を振って皆の周りにあった邪魔な机を片付けた。皆はもうアメリアの魔法には驚かなくなっていて、呪文も唱えずに机を壁際に積み上げてしまったことに感嘆の声を漏らしこそしたが、それだけだった。

 

「僕たちスリザリンは決して魔法薬学で不甲斐ない点数を取るわけにはいきません。何故なら、魔法薬学の教授は我がスリザリンの寮監だからです」

 

 そう言ったのはレギュラスだ。レギュラスはテキストを取り出した。

 

「教科書の第四章、第七章……このふくれ薬と忘れ薬のどちらかが出題されると僕たちは予想しました。これらの薬、授業ではペアで作りましたが、当然試験では一人で調合しなければなりません」

「みんなにはこの二つを一人で調合できるようになってもらおうと思ってる。この二つが調合できれば魔法薬学では高得点が狙えるよ」

 

 レギュラスが息をついたところでアメリアがまた説明した。皆はやる気に満ちた顔で二人を見ていた。

 

「始める前にみんなに確認しておくことがある。それは試験の内容だ。試験では調合のほかに筆記の小テストも出題される。先輩方から聞いてる人もいるかと思うけど、それの配点は二割。知識を問う一問一答形式の問題が十点分、記述形式の問題が十点分。何が出題されるのかは、毎年一貫性がなくて予想できなかったよ。だからみんなには、どちらかというと調合に力を入れてほしい。この二つの薬のどちらが出るかはわからないけど、この二つのどちらかが出ることはわかってる。だからみんな、本番で絶対失敗しないように慣れるまで練習しよう」

 

 アメリアは机の上にある材料を箱から出した。箱には拡張魔法がかけられていたようで、見た目からは想像できない量の材料が取り出された。

 

「教授にお願いしたものと、僕が親に頼んで用意してもらったものです。何度失敗してもかまいません。替えはいくらでもありますから」

 

 そう言うレギュラスに取り巻きたちが口笛を吹いたり歓声を上げたりした。レギュラスは涼しげな顔で皆を静める。アメリアはまた杖を振って机を並べた。いくつかの机をくっつけて長いテーブルを二つ用意し、それを教室に縦に並べた。

 

「材料に極力触りたくない人はこっち、それ以外はそっちの机に移動して」

 

 アメリアの指示に従って生徒は二手に分かれた。アメリアの方にはいつも調合がうまくいかない生徒が集まり、もう一方のレギュラスの方には調合が苦手ではない生徒が集まった。アメリアとレギュラスで手分けして皆の調合を指導するのだ。

 最初はふくれ薬の調合についてのレクチャーを行うことになっていた。

 

「ふくれ薬に使う材料の中で気持ち悪いのはこの三つだよね」

 

 そう言ってアメリアが取り出した三つの瓶を皆は直視しないようにと奮闘した。そんな皆の様子にアメリアは眉を下げて笑った。

 

「まずこのホルマリン漬け。調合に使うには液体をふき取らなきゃいけないし、教授は素手で扱うようにって言ってたよね? 嫌な臭いもするし、はっきりいって触りたくないっていうみんなの気持ちもよくわかるよ。だけど、これの処理方法については逃げ道があるんだ」

 

 アメリアはそう言って薬草を取り出した。

 

「これは泥生姜の根っこだ。これを入れるとホルマリン液をふき取る手間を省くことができる。これを入れるときの注意点を言うから、決して忘れないで」

 

 アメリアの言葉に皆が頷いて、羊皮紙を取り出した。

 

 何故そんなにも魔法薬学の知識があるのか。その疑問を抱いた者は意外なことに多くはなかった。アメリアは賢い。アメリアには才能がある。アメリアは勤勉だ。その認識はもうホグワーツに入学して一年が経とうとしているこの頃には皆の中に浸透し、アメリアがどれほどの知識を披露しても、どれほど高度な魔法を使いこなして見せても、感心感服こそすれ疑問を抱く者など、少なくともスリザリンにはいなかったのである。――――ただの一人を除いては。それがレギュラスだ。レギュラスはアメリアに劣っているとは思っていなかった。いや、思いたくなかった。だからこそレギュラスはアメリアの博学を『勤勉な才能ある魔女だから』という理由で片付けることはしなかった。

アメリアの実力を測るという意味でこの試験はレギュラスにとっては重要だったし、彼女に勝つために日々の努力には決して妥協してはいけなかった。

 

 アメリアの調合のアレンジは驚くほどに有用で、確かに精度は正規の方法で作られたものに劣ってしまうが、調合が苦手な者たちにとっては感激してしまうほどの出来に仕上がった。この日はダリアも頑張って一人で調合したが、不慣れだったため不安は残った。アメリアはダリアを含めた数人の面倒を残りの二週間見てやることになった。

 

 * * * * *

 

 試験前の一週間、アメリアには一人になる時間がただのひと時も存在しなかった。授業はもちろんのこと休み時間には友人たちが一緒だったし、放課後もスリザリンの友人たちに勉強を教えてやらなければならなかった。あえて一人になれるときを挙げるとすれば、シャワーを浴びるときとベッドに入ったときくらいか。それ以外では入れ代わり立ち代わり、アメリアの隣に友人が座って教科書を差出し、やれここがわからないだの覚え方のコツは無いかだのと質問攻めした。友人思いのアメリアはその質問に一つ一つ答え、アメリアの説明を理解できないときには一緒になってその問題に向き合った。

 ダリアはアメリアが勉強する時間を確保できていないのではないかと危惧し、皆に少し質問を控えるよう言ったが、アメリアがそれを制した。アメリア曰く、同じ範囲を勉強しているのだから良い復習になるとのことだ。ダリアは少し不安そうな顔をしたが、アメリアが「ダリアももっと頼って」と言うとその不安も吹き飛んだ。アメリアがそれを望んでいるなら自分が止めることはない。それに自分もアメリアと楽しく勉強をしたいという気持ちが大きかったので、ダリアも結局は言葉に甘えることにした。

 

 * * * * *

 

 試験当日の緊迫感は言葉にできないほどだった。七年生や五年生は大きな試験を受けるため、他の学年とは比べものにならないほどの緊張感を放っていたが、まるで自分たちもそれを受けますと言わんばかりの緊迫感を、スリザリンの一年生は放っていた。その筆頭がレギュラスである。そしてレギュラスの緊迫感に触発された友人たちもまた、一年生とは思えないほどの雰囲気を纏っていた。

 

「ダリア、本当に飛行術のテストを受けないつもりなのかい?」

「ええ、そうよ」

 

 アメリアの質問にダリアが答えた。ダリアは平然として紅茶を飲む。アメリアは眉を下げて心配げにダリアを見つめていた。

 

「飛行術のテストを受けなくても進級はできるわ」

「まあ、そうだけど」

 

 アメリアが言葉を濁すのも無理はない。ダリアが試験を一つ蹴ると言っているのだから。

 ダリアは飛行術の試験は受けないと言い張った。というのも、ダリアは初めての飛行で死を垣間見るほどの恐ろしい体験をしてしまったからだ。ダリアはあれから飛行術の授業に関しては見学で終わらせたり、乗ったとしても地上近くをゆっくり飛ぶだけだったから、教授の出す「競技場を一周し、それにかかる時間を評価する」という試験は恐ろしくてとてもではないが受けられそうになかった。教授もそれを認めるほどの事件だったため、ダリアは最低点数をつけられるかわりに試験を免除された(要するに点数は最悪だが試験を受けたことにしてもらえるということだ)。ダリアは他の教科に自信があったので、たった一教科最悪の点数を取ったとしても、目も当てられない結果になるはずないと思っているのである。そしてそれは正しくて、飛行術の穴を埋められるほど、ダリアは他教科の成績は優秀だった。

 

 試験は滞りなく終了した。ダリアは(飛行術以外の教科では)自分の実力を発揮できたし、レギュラスも空欄などただの一つも存在しないほどに充実した答案をつくることができた。

ダリアの唯一の心配の種だった魔法薬学も、アメリアとレギュラスが予想した通り忘れ薬が出題され、それを間違いなく調合することができた。提出するときの教授の顔ときたら、「さすがトムの娘だ! やればできると信じていたよ!」と今にも叫びだしそうな表情だった。そのことに機嫌をよくしていたダリアは、今後少しは調合に参加してやってもいいかという気になった。

 そしてダリアに加えレギュラスの機嫌も最高潮だった。飛行術のテストで学年一の記録を出したからだ。当然、アメリアを超えた記録である。レギュラスは友人たちから英雄のような扱いを受けた。称賛する者たちの中にはアメリアもいて、アメリアは惜しみなくレギュラスを褒め称えた。レギュラスははじめライバルに褒められて苛立たしさを覚えたが、しかし最後に見せたちょっと悔しそうな顔が、レギュラスの自尊心をそれ以上ないほど満たした。レギュラスはそんなアメリアの表情を見て、素直に称賛を受け取ってやろうという気さえ抱いた。ちなみに、アメリアのタイムは学年で三位だった。

 

 




飛行術、学年二位は誰だろうね?

 


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07-04

 その日の夜だけは、皆――試験の成績に不安を抱く者もそうでない者も――そのすべてを忘れていた。彼ら彼女らの頭の中にあるのは、栄誉ある杯がいったいどの寮にもたらされるのかということだけだった。天井にぶら下げられた、各寮のシンボルが彩る旗。校長であるダンブルドアが優勝寮を発表すると同時に、旗のすべてがその寮のものに変わる。いったい今年は何色になるのか? それだけが皆の意識を持っていった。グリフィンドールは自分たちの寮の赤い旗が大広間を飾り付けることを望んでいたし、ハッフルパフとレイブンクローは自分たちの寮でなくてもいい、何とか深緑へと変わることだけはあってほしくないと願っていた。そして当然、スリザリン一同は会場が蛇のシンボルマークで埋め尽くされることを熱望していた。

 落ち着きのない大広間。たくさんの生徒が口を開いて優勝寮を予想している。その騒がしさの中、通る音が鳴り響いた。ゴブレットを銀のスプーンで叩く音。その高い音は不思議なことにすべての生徒の口を閉じさせた。

 

「ようやく一年が過ぎた。一年生諸君には新しいことばかりで目まぐるしい年であっただろう。上級生にとっても、また新たな発見があったことと思う」

 

 ダンブルドアが言った。誰一人として口を開かない。スリザリンの中には早く結果を発表しろと急いている者もいただろうが、それでも誰一人として余計なことを言う者はいなかった。

 

「皆待ちかねただろう。それでは、寮対抗の結果を発表しよう」

 

 ダンブルドアはそう言って、手元の紙を開いた。

 

「四位、レイブンクロー、344点」

 

 その結果にはさすがに多くの生徒が口を開いた。レイブンクローの机から大きなため息が数多く聞こえる。ダンブルドアも静かにしろと急かすことはしないで、温かな目で彼らを見た。

 ダンブルドアは頃合いを見て咳払いをし、次の発表をした。

 

「三位、ハッフルパフ、362点」

 

 ハッフルパフは納得のいく結果だったのだろう、ため息は聞こえなかった。ハッフルパフは拍手をして自身らの健闘を称え、他寮からの拍手を素直に受け止めた。

 

「続いて、二位は……」

 

 そのダンブルドアの言葉に、大広間の両端の長机に座る生徒たちが背筋を伸ばした。震えるような緊迫感の中、ダンブルドアは一息ついてから準優勝の寮名を発表した。

 

「一位と12点差で、スリザリン! 387点!」

 

 その結果発表に大広間には大声が響き渡った。スリザリンからの悲鳴と怒号、その他の3寮からの歓声。口笛が鳴り響き、どこかからガラスか皿の割れるような音すらした。

 

「優勝はグリフィンドール、399点! グリフィンドールの諸君、おめでとう!」

 

 ダンブルドアが杖を振ると、大広間の天井に垂れ下がっていた四色の旗は赤一色に変わった。グリフィンドールには椅子の上に立ってゴブレットを掲げる者すらいる。当然、スリザリンのほとんどは苦々しい顔をして舌打ちをしたり、机に八つ当たりをしたりした。ダリアも信じられないという顔で、机に拳を振り下ろした。

 

「冗談じゃないわ! あんな猿どもにこのスリザリンが負けるなんて!」

「ダリア……猿はちょっと……」

「でもアメリア、見て! あれを見て猿を思い出さない人がいるかしら!?」

 

 そう言ってダリアはグリフィンドールの方を指差した。ダリアが指差す先にいたのは、大騒ぎしている数人のグリフィンドール生で、アメリアにとって悲しいことに、その中には兄であるジェームズもいた。アメリアは大きくため息をついて、ダリアの言葉への反論を飲み込んだ。

 

「来年はこうならないようにもう少し点数を稼ごう」

「あれだけ私たちが点を稼いだっていうのに、いったいどういうことかしら!? 三八〇やそこらの点数で収まるはずないわ!」

 

 ダリアの怒りの声に数人のスリザリン生が顔を逸らした。減点を貰ってばかりなのを肩身狭く思ったのだろう。アメリアはそんな人たちに苦笑いを漏らし、ダリアをなだめた。

 ダリアを挟んで反対側に座っていたレギュラスも、酷く不満そうな顔をしていた。レギュラスは寮に得点を入れて貢献した側の人間だ。減点を貰った連中がいったい誰だろうと知ったことではないが、自分たちの足を引っ張ることだけは許せなかった。ましてやグリフィンドールにはあの悪名高き『悪戯仕掛人』がいるのだ。彼らはしょっちゅう減点を貰っているのだから、スリザリンが負けるはずないとレギュラスは信じていた。それがこんな結果になってしまって不服に思わないはずない。

 

「悪戯仕掛人とかいう連中がいるのにどうしてグリフィンドールが優勝なの!? こんなの贔屓だわ!」

「あはは……」

 

 アメリアは渇いた笑いを漏らした。ダリアの悪態つく悪戯仕掛人の中には兄であるジェームズがいる。アメリアは自身の兄をそのように言われて、どう反応すればよいのかわからなかったようだ。ダリアはジェームズ・ポッターがアメリアの兄であると知っていながら、アメリアの前でジェームズの悪口を思いつく限り口にした。しかしアメリアはそのことを責めるわけではなかった。ダリアが自分をもう完全に『身内』だと認識していることを知っていたからだ。アメリアはダリアの気が済むまで、彼女の悪態に相槌を打った。

 

 * * * * *

 

 レギュラスは信じられないという顔でその結果を見た。彼の手元にあるのは、自身の成績表。各教科の点数とその合計点数、そして順位が表の一番上に乗っていた。レギュラスは何度も見間違いかと思った。――この僕が、二位?

 

「さあ、ミス・ポッター! これが君の成績表だ!」

 

 スラグホーンがアメリアを呼んだ。アメリアは少し強張った顔で教授の前へ行き、その成績表を受け取った。アメリアは教授に促されてその場で表を開いた。レギュラスはそのやり取りだけで彼女の順位を察した。けれど信じたくなくて、彼女のもとへ走り寄った。

 

「はっはっは、ミスター・ブラックも実に惜しかったね! 来年の試験も楽しみだ!」

 

 その言葉にアメリアとレギュラスは何の返答もできなかった。レギュラスは食い入るようにアメリアの成績を見ていたし、アメリアはそんなレギュラスに目を白黒させていたのだから。レギュラスはその成績表を思わず強く握って、しわをつくってしまった。――自分の成績をほぼすべて上回って、堂々の一位。レギュラスは合計点が満点を超えていたというのに、それを上回る点を取ったアメリアに信じられないという目を向けた。そしてそんな目を向けられたアメリアは冷や汗をかいて硬直していた。レギュラスがアメリアを上回っていたのは、飛行術と闇の魔術に対する防衛術の教科だけだった。それ以外はすべて数点下回っていた。

 

「まあアメリア! さすがだわ! ――魔法薬学なんて考えつかない点数じゃない!」

「ありがとうダリア」

「そうだろう、ミス・ポッターの解答ときたら、去年の兄に劣るとも勝らない素晴らしいものだったからね!」

 

 そう高らかに笑う教授に、アメリアは礼を言った。レギュラスはアメリアの点数をもう一度見て拳を強く握った。――125点……この僕でさえ103点しか取れなかったというのに――。

今年出された最後の筆記問題の内容は、新たな魔法薬のアイディアを書かせるものだった。去年と同じだったということを知っているのはごく一部の生徒だけだったが、ダリアのために数年分の問題を探っていたレギュラスは当然その中に含まれている。同じ内容は出さないと思っていたレギュラスはこの問題にはあまり力を入れなかった。しかしこうして教授に褒め称えられているアメリアを見て、確信した。教授は兄とアメリアの実力を比べるために、わざと試験問題を同じにしたのだと。しかも信じがたいことに、アメリアの点数から察するに、アメリアは調合でただの1点も減点されていないようだった。教授の目から見ても完璧な、非の打ちどころのない調合をしたということだ。レギュラスは頭に血が上るのを止めることができなかった。

 

「ミス・ポッター、どうだい、少しお茶でもしながらあの薬の話でも?」

「ええ、喜んで」

 

 レギュラスは数日前の、アメリアに飛行術で勝ったときの喜びが、すっかり綺麗に怒りへ変わっていくのをまざまざと感じた。あの日のアメリアの悔しそうな顔さえ、今では憎らしくて仕方がなかった。

 

 * * * * *

 

 帰りの列車の中は最悪だった。レギュラスは怒りに支配されていかにも不機嫌だという顔をしていたし、アメリアはそんなレギュラスを「触らぬ神に祟りなし」といった様子で可能な限り無視をしようとしていた。そんな二人に挟まれたダリアは目を瞬かせてオロオロし、三人の前に座っている取り巻きの数名は身を小さくしていた。ダリアは二人が険悪な雰囲気になっている原因が成績にあるということは知っていたが、解決方法は知らなかった。

 ダリアはレギュラスが熱心に勉強していた様をよく見ていた。あれほどの努力をしたにもかかわらず誰かに負かされて二位という順位に甘んじることが、彼にとって実に屈辱的なことだということも理解できた。しかし、それでも彼は『二位』なのだ。この学年のトップレベルの成績を収めたのである。最高の点数を取っておきながら順位にこだわるレギュラスに、ダリアは不満を抱いた。

 ダリアは自身の成績表をポケットから出した。飛行術の成績は最低だったが他は良い。それでも二人の点数には大きく劣っている。ダリアは二人に勝てるとは到底思っていなかったが、この自分よりいい点を取っておきながら不満に思っているレギュラスにいい気はしなかった。

 

「レギュラス、何がそんなに不満なのかしら?」

「……」

 

 レギュラスはダリアに目を向けた。そして目を少しだけ丸くした。ダリアは笑顔を浮かべてはいるがやや怒っているようだ。

 

「それだけの点数を取っておきながら何が不満だっていうの?」

 

 ダリアは自分の成績表をちらつかせてそう言った。レギュラスは少しふくれて目を逸らした。ダリアはそんなレギュラスに大きくため息をついた。

 そこで皆の視線はコンパートメントの外に向かった。誰かがドアをノックしたからだ。アメリアの前に座っていた友人が小窓を隠していたカーテンを開けると、ヘーゼル色の瞳とグレーの瞳が覗いた。直後、中にいる人たちの許しを得ずに扉が開いた。

 

「アメリア! ちょっと来て!」

「どうしたの、ジェームズ」

「昨日面白い魔法が載った本を見つけたんだ! 教えてやるよ!」

 

 入ってきたのはアメリアの兄であるジェームズとレギュラスの兄であるシリウスだった。シリウスはレギュラスには目もくれず、アメリアの手を引っ張って立たせようとした。しかしその手はすぐにアメリアの手から離れた。ダリアがシリウスの手を叩いたからだ。

 

「汚い手でアメリアに触らないで!」

「誰の手が汚いって?」

「ダリア落ち着いて!」

 

 ダリアはあっという間にシリウスの気を逆立てた。アメリアは大きなため息を飲み込んで、立ち上がるとダリアに言った。

 

「ちょっと席を外すよ」

「アメリア! どうして!」

 

 アメリアはちらりと一瞬だけレギュラスに向けた。レギュラスとアメリアの視線が絡む。レギュラスはすぐに視線を逸らされたが、彼が逸らすことはなかった。レギュラスは不機嫌そうな顔で、そんなアメリアを睨んだ。

 ダリアはアメリアがレギュラスに視線を向けたので、この空気を変えるために離席しようとしているのだと悟った。ダリアは引き留めようとしたが、アメリアはダリアの手をするりと逃れて、ジェームズたちと一緒にコンパートメントを出ていってしまった。

 

「レギュラス! アメリアが行っちゃったじゃない!」

 

 レギュラスはその言葉にさらに不機嫌になった。それにはダリアもはっとして、口を閉じた。

 くだらないことだと自分でも思う。みっともなくも幼子のように嫉妬心をむき出しにしているのだ。レギュラスはそんな自分をいっそ恥ずかしくさえ思ったが、それでも一位を取れると信じていたのにそれを攫っていってしまったアメリアへの怒りに比べたらずっと小さな感情だった。

 

 コンパートメントの中は居心地が悪かった。レギュラスの怒気をまざまざと感じている取り巻きたちはそれ以上彼の機嫌を悪くしないようにと一言も話さなかったし、ダリアも今はそっとしておくのが最善だろうと無言だった。レギュラスは窓から外の景色を眺める。流れていく木々や雲を見ている間は、怒りも忘れて無心でいられた。

 ロンドンが近くなっていくにつれて、レギュラスは憂鬱な気持ちになっていった。もうこのときには木々も徐々に少なくなっていって、それが地獄へのカウントダウンのように感じられた。レギュラスは家に帰りたくなかったのだ。こんな成績を持って帰って、母が何と言うか。兄が去年も今年も、自分と同じく学年二位だったということがせめてもの救いだった。しかし、それはそれで母の怒りを助長するのではないかという気もする。兄の学年と弟の学年の両方の一位が、あのグリフィンドールの名家ポッターの子どもだということが、何よりレギュラスにとって残酷なことだった。

 

 特急が駅のホームに入って徐々にスピードを落としはじめたところでアメリアが帰ってきた。ダリアはどうしてもっと早く帰ってこなかったのだとアメリアを責めたが、今回ばかりはレギュラスとの件があったので大目に見たようだった。ダリアはふくれてはいたがそれ以上は言及せず、特急が止まると腰を上げてコンパートメントを出た。

 ホームに出るとダリアはアメリアの手に触れてさみしそうな顔をした。ホグワーツ生の夏季休暇は長い。ダリアは休暇中もアメリアと会いたかったが、アメリアの家は夏季休暇には長期の旅行に行くことになっていて、ダリアと会う時間をつくるのが難しいらしい。ましてやダリアの家はあのリドル。グリフィンドールの家系でありながらスリザリンに入ってしまった娘を、そのスリザリンの権化ともいえる家に預けることもまた親にとっては考えられないことだろう。ダリアとアメリアはもう九月になるまで会うことができないのだ。

 

「アメリア、きっと手紙をちょうだいね」

「もちろんだよ」

「毎日送らないと承知しないわよ」

「わかった、毎日ね。日記みたいになっちゃうかもしれないけどいいかな」

「ええ、かまわないわ。いい? 絶対だからね」

 

 ダリアは手紙を書くよう念を押した。ダリアの両親はまだ来ていないようだったので、ダリアは時間の許す限りアメリアと一緒にいようとその手を放さなかった。しかし二人が話しているところにジェームズがやってきて、両親が来たからとアメリアの手を引いた。

 

「ほら、行くよアメリア」

「うん」

「アメリア……」

「ちょっとの間『直接は』話ができなくなるだけさ。手紙待っててね」

 

 アメリアはダリアの手をそっと放して兄の隣に並んだ。アメリアはちらりと振り返ってダリアと目が合うと、にこりと笑って小さく手を振った。ダリアもまた、悲しそうな顔で小さく手を振り返した。

 アメリアがダリアから視線を外したとき、アメリアの視線とレギュラスの視線が絡んだ。そのレギュラスの目に込められている感情は、怒りと、嫉妬と……。

 

「またね」

 

 アメリアは小さく、けれど口元ははっきりと動かしてそう言い手を振った。相手は目を見開くばかりで手を振り返すことはしなかったが、アメリアはそれでもう満足だった。口元に笑みを湛えながら、少し前を歩く兄の方に顔を戻した。

 

 




103点『しか』とか言っちゃうレギュラスくん。

アメリアはジェームズと一緒で天才です。
だからポッターは気に食わないんだ! って人が結構いる。

でも恐ろしきは、一教科最悪の点数をとってもトップレベルの成績をおさめるダリアさんである。
ダリアさんはたぶん、飛行術がクソみたいな点数でも順位は一桁だと思う。さすがトムさんの娘や。

 


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08-01 夏季休暇

 そこは小さい綺麗な森に囲まれた一軒家だった。若々しい緑が、落ち着いた色合いの家の周りを覆っている。森の小道を少し行くと小さな小さな湖があって、その澄んだ水面には白い渡り鳥が羽を休めに降り立ち、水の底では時の流れが遅くなっているのではないかと思うほど緩やかに水草が揺れている。

 水面に広がる波紋が、渡り鳥を少し遠くへと追いやった。不規則に揺れる水面。突然水しぶきが上がり、渡り鳥たちはまたさらに遠くへと身を寄せた。しかしそれでも鳥たちが飛び立たないのは、その湖にいるものに敵意がないとわかっていたからだ。

 

「ジェームズ、見て、ヒノミズクサだ」

 

 ジェームズはもう一度水の中に潜って、妹が嬉しそうに指差す先を見た。そこにはヒノミズクサがゆらゆらと揺らめいている。ジェームズは顔を水から上げると、少し咳払いして芝居がかった教師の真似をした。

 

「ヒノミズクサの使用例がわかるものはおるかね? ……ではミス・ポッター」

「はい。月に関係する魔法生物を麻痺させる薬の原料になります。また、サソリガニのエサとなることもあります」

 

 アメリアもまた生徒の真似をして手を挙げた。ジェームズ先生があててくれたので、アメリアは少し得意げな表情で、簡潔ながら十分な解答をした。ジェームズ先生は満足そうに頷く。

 

「よろしい! グリフィンドールに10点!」

「私はスリザリンだよジェームズ」

「まあまあ、今くらいいいだろう?」

 

 ジェームズは仰向けになって水に体を浮かせた。ひんやりとした水が夏の暑さを忘れさせてくれる。アメリアもジェームズにならって力を抜き、空を見上げた。木々の隙間から見える青い空が最高に眩しい。

 二人は旅行に行くまでの一週間を実家で過ごしていた。ポッター家があるゴドリックの谷にはマグルも住んでいるが、この実家の裏にある森と湖にはマグル除けの魔法がかかっているので、マグルは立ち入れない。この湖に訪れるのは、森にすむ動物たちや羽を休めにきた鳥たち、そしてジェームズとアメリアたちのような自然を愛する魔法族だけだった。動物たちは二人からは逃げ出すこともなく、この綺麗な水と清らかな風を同じくして共有していた。

 

 アメリアは湖から出て草原の上に身体を横たえた。水で冷えた身体が木漏れ日で温められる。ジェームズも水から出てアメリアの横に座り込み、水浴びをする渡り鳥を目で追った。

 

 ふと隣に寝転がっているアメリアに目を向けて、ジェームズは少し悲しそうな顔をした。そっとアメリアのお腹に手を伸ばして指でなぞる。アメリアはびっくりして上半身を少し起こしたが、兄の触るところに何があるのかを思い出して、また身体を倒し、目を閉じた。アメリアは兄の手にそっと自分の手を重ねて、薄く口元に笑みを浮かべる。

 

「どうしたのジェームズ」

「……随分薄くなったなと思って」

 

 アメリアは「そうだね」と言って、自分もそこを一度だけなぞった。

 ジェームズがなぞったところには、よく見ると薄い傷跡があった。左腹部にある丸い傷は、かつては血を垂れ流すおぞましい傷としてそこにあった。薬で傷は完治し、幾年すぎて跡も随分と薄くなってはいたが、それでも完全に消えたわけではない。一見では気づかないほど治った傷だが、ジェームズはその跡が完全に消えるのを待っている。

 

「今となっては懐かしいよ。そんなこともあったなって」

「冗談だろう、アメリア。あんな恐ろしい体験をそんな言葉で片付けられるはずない」

「やだなあ、滅多にできない体験だったのに」

「アメリアの命に関わることだったんだよ?」

 

 傷を負ったのが兄の方だったら、きっと今のセリフは全てが逆だっただろう。アメリアはそう思うとなんだかおかしくなって、つい笑ってしまった。ジェームズは笑いごとじゃないよと怒るが、アメリアにとっては兄が罪悪感を抱いていることの方がずっと問題だ。

 

 アメリアはふと目を開いてジェームズに目を向ける。アメリアがジェームズの肩を押すと、ジェームズはその誘導に従って背中をアメリアの方に向けた。そして、先ほどジェームズがアメリアの傷をなぞったように、今度はアメリアがジェームズの背中にある痕に指を滑らせた。ジェームズはパチパチと目を瞬かせて尋ねる。

 

「まだ残ってる?」

「うん。うっすらとね」

 

 ジェームズの右肩甲骨あたりにあったのは、今は薄くなった火傷の痕だった。アメリアは先ほどのジェームズと同じように、その後を痛々しそうに見る。ジェームズは背後を振り返ってアメリアの悲しそうな顔を見ると、そんな顔をさせたくないと思って、アメリアの手を引いて引き寄せ、その華奢な身体を抱きしめた。水で冷えた身体が互いの体温で温まっていくことに、二人はこれ以上ないほどの喜びと安心を覚えた。――二人は生きている。

 

「これからも、僕たち、ずっと一緒だよね?」

「……もちろん」

 

 ジェームズがぎゅっとアメリアを抱きしめる。アメリアもジェームズの背中に腕を回して、抱きしめ返した。左の手のひらがジェームズの火傷に触れるのが、つらい。

 

 アメリアはもうこの話は終わりにしようと言って起き上がり、素足で家の方に続く小道へと走り出した。

 

「アメリア待ってよ!」

「ジェームズ、早く!」

 

 ジェームズは置いていかれそうになって慌ててアメリアを追いかけた。

 

 * * * * *

 

 窓に何かが当たる音が聞こえて、ダリアはようやくかとそちらへ足を向けた。そこにいたのは最近見慣れてきた、ポッター家のフクロウだ。少し黒味のかかった茶色の毛並みで、ダリアが手を出すと人懐こく身をすり寄せてきた。ダリアは動物があまり好きではなかったが、自分とアメリアを毎日繋いでくれるポッター家のペットに悪い気はしない。今日もそのフクロウはダリアに頭を撫でてもらうと、誇らしげに足を差し出した。そこにくくられた手紙をダリアは受け取って、ソファに座って読み始めた。

 

 

――――――――――――――――――――

親愛なるダリアへ

 

 こんばんはダリア。私のせいで勉強に身が入らないなんて聞いたら、すごく心配になってしまうよ。だけどそれを嬉しいと思ってしまう私は、ひどい友人なのかもしれないね。

 今日は家の近くにある湖で水遊びをしたんだ。とても綺麗なところでね。マグルに汚されることなく、昔の姿のままを保った自然が残ってる。そこでジェームズと泳いだり日向ぼっこをしたりしたよ。水がとても綺麗で、冷たくて気持ちがいいんだ。

 生まれ育ったこの家にいると、自然ってやっぱり素晴らしいなと思うよ。マグルも住むこの谷にだってこんな場所が残っているんだから、きっと世界中にマグルから切り離された自然がある。その自然を見つけたい。そうしたら、いつかきっと一緒にそこを巡ろう。

 

アメリアより愛を込めて

――――――――――――――――――――

 

 

 ダリアは手紙を読んで顔をほころばせた。会えないのは寂しいが、手紙を読んで、これを書いているアメリアの姿を思い浮かべるのも新鮮だ。それに手紙には今まで知らなかったアメリアの新しい一面を伺い見ることができた。

 ダリアは手紙を何度か読み返して、羽ペンを手に取った。手紙への返事を二十分ほどで書き終え、それをフクロウに結びつけた。

 

「さあ、お願いね」

 

 ダリアは高級フクロウフーズを食べさせてやって、窓から送り出した。ポッター家のフクロウは元気に夜空に舞い上がり、あっという間に遠くまで行ってしまった。

 

 




アメリアがどんなカッコしてるのか想像するとタギルよな?

残念、マグルの水着みたいにはしたないカッコじゃありませぇん!
でもジェームズは「他の男には見せられないよ!」って思ってると思う。

 


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08-02

 眩しい陽の光が木の葉を通して窓から入り込んでくる。書類の上に描かれた光と影の鮮明なマーブル模様が、一年中適温に保たれているこの部屋でも夏を感じさせた。

 彼、トム・リドルは書類に落としていた視線を前へ向けた。扉がノックされたからだ。トムはどうぞと言って入室を促した。扉をそっと開けて顔をのぞかせたのは、夏休みになって帰省している娘のダリアだった。

 

「お父様、教えて欲しい呪文があるの」

 

 トムは時計に目を向けた。ティータイムにはもってこいの時間だ。トムは休憩を兼ねて、娘に魔法を教えてやることにした。ダリアにおいでと言ってローテーブル前のソファに座らせ、屋敷しもべ妖精に紅茶を頼むと、トムはダリアが持っていた本に目を向けた。そこに書かれているのは物を消去するエバネスコの呪文だ。まだ二年生になろうかという年齢の子どもが使える呪文ではないが、優秀なトムに(もはや優秀なという言葉すら陳腐に思えるほど偉大な魔法使いだが)昔から魔法を教えてもらっていたダリアなら出来ても不思議ではない。トムはダリアが分からないという理論を噛み砕き、ときには補足をして説明した。

 ダリアが呪文を唱えると、杖を向けた先にあった写真立ては音を立てて消えた。ダリアは成功して輝かんばかりの笑みを浮かべた。トムはやれやれといった顔で言った。

 

「ダリア、写真たてを消すことはないだろう」

「あぁ、ごめんなさいお父様……あら? どうすれば元に戻せるのかしら?」

「消したものを元に戻すのは熟練の魔法使いでも難しいから、無闇矢鱈と消さないように。わかったね?」

「ご、ごめんなさい……」

 

 ダリアの顔色が青くなったのを見て、トムは小さく笑って杖を振った。すると写真立てはまた音を立てて元のところに現れた。ダリアはそれを見てほっとした顔をし、さすがお父様ねと笑顔になった。

 

 トムは娘が帰省する夏休みを自宅で過ごしていた。仕事も家へ持ち込み、魔法省には出勤していない。もちろん会談や演説などをする際には出かけるが、暖炉とフルーパウダーがあれば遠方でも一瞬で帰ってこられる(もちろんトムは姿くらましができるので暖炉やフルーパウダーがなくても帰ってこられるが)。家にいる時間をできるだけつくって、普段は会えない娘に構ってやるのが親のつとめだと思ったし、何より自分が娘と一緒にいたいという気持ちがあった。孤児院で過ごし父母の愛情を知らぬまま育った自分が、まさか家庭を持ちこのような感情を抱くことになろうとは夢にも思わなかったものだ。マグル殲滅を夢見ていた頃描いたものとはまったく違う未来に、しかしトムは確かに満足していた。

 ダリアがカップの中の紅茶の匂いをかぎながら、トムに尋ねた。

 

「ねえお父様、ミスター・ポッターはどんな仕事をしているの?」

「ポッター? フリーモント・ポッターのことかい?」

「アメリアの父親のことよ。名前は知らないわ」

 

 トムはダリアに言われて、記憶を頭の隅から持ってきた。魔法省をまとめるトムと、アメリアの父親であるフリーモント・ポッターは、正直まったく関わりがない。

 

「確かフリーモント・ポッターだったよね。彼はもう仕事はしていないよ。高齢だからね。以前までは会社を運営していたみたいだけれど、子どもが生まれる前に売却して隠居生活を始めたみたいだ」

 

 ダリアはそれを聞いて、とても意外な気持ちがした。アメリアほどの魔女の父親なのだから、魔法省に勤めていると思っていたからだ。

 

「会社って、何の会社?」

「魔法薬を販売する会社だよ。特に、フリーモント・ポッターは『スリーク・イージーの直毛薬』を発明したことで有名だね。ダリアも使ったことがあるだろう」

「あれ、アメリアのお父様が作った薬だったの? 知らなかったわ!」

 

 ダリアは驚いて手のひらを口に当てる仕草をした。フリーモント・ポッターとまったく関わりのないトムが彼のことを知っているのも、その薬が理由だった。

 

「もしかして、アメリアの魔法薬学の成績が最高なのって、父親の影響かしら?」

「ポッター家は代々魔法薬に特別な才能があるんだ。僕の知っている限り、骨を生やす薬、スケレ・グロもポッター家の先祖が発明した薬だよ」

「……そんな薬、いったいいつ使うの?」

「骨が複雑に骨折して神経を傷つけてしまったとき、骨と一緒に神経をなくして、スケレ・グロを使ってもう一度生やすんだ。そうすると、もう動かなくなってしまった身体が動くようになる。その薬のおかげで試合に復帰できたクィディッチ選手が、過去に何人もいるよ」

 

 ダリアはトムの話を聞いて、キラキラと目を輝かせた。やっぱりアメリアは凄い魔女なのだと嬉しい気持ちになる。もちろん、その薬を開発したのはアメリアではないが、今まで母親の刷り込みで嫌っていただけのポッター家の新たな一面を知ることができて、ダリアは嬉しくて仕方がないのだ。

 ダリアの話は、もっぱらアメリアとポッター家のことだった。毎年夏休みに海外旅行へ行くから会うことができない、とダリアが嘆くのを聞いて、トムも残念だねと相槌を打つ。フリーモントはスリーク・イージーの直毛薬や会社の売却で巨額の富を得ていたので、子どもたちのために旅行へ行くこともたやすいことだった。ましてや魔法使いはマグルと違って、旅行にかかる資金もたいしたことがない。

 

「今年はセルビアですって。ねえお父様、私もセルビアに行きたいわ」

 

 ダリアのその言葉に、トムはうーんと言って紅茶をすすった。表情は柔らかいが、内心では苦い気持ちがしている。ダリアのおねだりはとても難しいことだったのだ。

 

「今年は我慢してくれないか? 今夏は忙しい」

「毎年旅行に行くのよ? 今年我慢したら来年は行かせてくれるの? お父様は来年もそう言うに決まってるわ」

 

 トムは図星を突かれて内心頭を抱えたくなった。トムにはどうしてもダリアを旅行に行かせたくない理由があったのだ。もちろん自分がダリアと一緒にいたいという親心を抱いていることや、妻がポッター家を嫌っているということもあるが、それ以上に大きな理由がある。ダリアにとって外はあまりにも危険なのだ。

 

 トム・リドルは混血の魔法使いである。その実力は誰も文句のつけようのないほど優れたもので、それが認められて魔法省大臣になるほどであったが、だからこそ敵は多い。トムが名乗りをあげる前、魔法界はゲラート・グリンデルバルドの影響下にあった。グリンデルバルドの純血主義の思想は多くの純血主義者たちの共感を得て、非純血主義者たちに恐怖を抱かせていた。彼がダンブルドアによってアズカバンに収容されて数十年過ぎたが、未だに彼の思想に――つまり純血主義に――賛するものも多い。魔法省の中にまでそのようなものたちはいて、トムはもちろん、ダリアにさえ危険が及ぶことも考えられた。そのような中、ダリアだけを遠い異国の地に送り出すことなどトムには出来なかったのだ。家族三人で行くこともできようが、自身が仕事中を狙われては手の施しようがない。

 トムがそんなにも他者からの危険を警戒しているのは、何も推測からきていることではない。トムは入学間もなくホグワーツへ呼び出され、ダンブルドアに告げられた時のことを思いだした。

 

――――――――――

――――――

――

 

 トムがダンブルドアに呼び出されたのは、一人娘のダリアが入学して一か月ほどが経った秋のことだった。大臣として忙しい毎日を送っているトムに、大事な話があるという手紙をダンブルドアが送ってきたことは、トムに少なからず危険を感じさせるものだった。大臣が忙しいことを知っているので、ダンブルドアはいつも用事があるときは自分が足を運んでいたからだ。それなのにわざわざトムを呼び出すということは、何を意味するのか? トムが深く考えてしまうのも無理のないことだった。

 トムが校長室に暖炉のネットワークを使って姿を現すと、そこには校長のダンブルドアと副校長のマクゴナガルのほかに、闇の魔術に対する防衛術のアボット教授、飛行術のフーチ教授、魔法薬学のスラグホーン教授がいた。そして部屋の中央には作業台があり、その上に一つのみすぼらしい箒が置かれていた。

 トムが何の用かと尋ねると、ダンブルドアは重々しい口調で言った。

 

「飛行訓練のときの話じゃ。ダリアの乗っていた箒が暴走したのじゃ」

「……それで、ダリアは?」

 

 トムは冷静な表情で続きを促した。ダンブルドアの深刻な表情から、何かがあったことは間違いない。しかし医務室へ連れていかないのは、トムを呼んだ理由がダリアの怪我ではなく、目の前にある箒にあるからだとトムは考えた。そしてそれは正しかった。

 

「彼女に怪我はなかったよ。同じく飛行訓練の授業を受けていたミス・ポッターが、君の娘を助けたからね。ミス・リドルは今医務室にいる」

 

 スラグホーンが言う。トムは彼に目を向けてその自慢気な表情に疑問を抱いたが、アメリア・ポッターがスリザリンに入って教授のお気に入りになったと、ダリアの手紙で聞いていたトムはすぐに納得した。

 ようやく、カクゴナガルが深刻な表情で状況を説明しだした。

 

「ミス・リドルに怪我はありませんでした。今日あなたを呼んだのは、この箒のためです。これは今日の授業でミス・リドルが使用した箒です」

 

 トムは問題の箒に歩み寄った。トムはその箒に触れて眉をしかめる。それを見たマクゴナガルは、さすがだ、と思いつつも説明した。

 

「そう、感じますね? 闇の魔術の気配です」

「何者かが、ダリアの箒に闇の魔術をかけて怪我を負わせようとした……あるいは殺そうとした、ということか」

「はい」

 

 トムは今度こそ眉間にしわを寄せた。微かに彼の魔力が揺れる。近くにいたミスター・フーチが、僅かに顔を青くした。

 トムは箒にもう一度触れてから、杖を取り出して魔法をかけた。箒にかけられた闇の魔術の気配をたどっているのだ。

 

「強力な闇の魔術だな。生徒の悪戯とは考えにくい」

「私たちも、その結論に達しました」

 

 マクゴナガルが言う。何やら渋そうな顔をしているダンブルドアにトムは疑問を抱いた。

 

「それで、誰の仕業だ?」

「まだ犯人はわかっておらん」

「心当たりは?」

「……」

 

 トムがダンブルドアに尋ねる。しかし、ダンブルドアは言葉を途切れさせた。トムは少なからず驚いてまた問いかける。

 

「まさか心当たりすらないと? 新任の教授は?」

「近年の新任は、私と、天文学のミズ・シニストラ、占い学のミセス・トレローニの三人です」

 

 闇の魔術に対する防衛術の教授であるミスター・アボットが答えた。ミスター・アボットは有名な純血家系の魔法族だが、純血主義というわけではない。ダリアを傷つける理由など彼にはないし、彼の息子はトムも信頼している闇払いだったので、トムはアボット教授には不信感は抱かなかった。教授の中で怪しいのは、シニストラ教授かトレローニ教授ということになる。

 トムの思考を遮ってダンブルドアが言った。

 

「犯人の捜索は、わしらホグワーツの教師が責任をもって行う。じゃから、トム、ダリアの安全に気を配ってくれ。休暇中は特にの」

「……怪我でもさせたら、大臣をやめてホグワーツの教授に戻るからな。そのつもりでいることだ」

「それは困ったのう」

 

 そう言ってダンブルドアは笑うのだった。

 

――――――――――

――――――

――

 

「お父様! 聞いてるの?」

「……ああ、ごめん」

 

 トムは秋のことを思いだしていたが、ダリアの声で意識をこちらへ戻した。ダリアはアメリアのところへ行きたいと言って、トムの服の袖を掴んでおねだりしてくる。トムはそんなダリアに少し心が痛んだが、なんとか納得させようと口を開いた。

 

「ダリアは、僕たちのと過ごす時間よりアメリアと過ごす時間の方が大切? アメリアとはホグワーツで毎日会えるだろう」

「……もちろんお父様お母様といられる時間は大切だわ。とても」

 

 ダリアは少し落ち込んだ様子で紅茶のカップを傾けた。澄んだ色の紅茶を一口すすると、元気のない声で言った。

 

「勘違いしないでお父様、私、アメリアのことばかり考えてるわけじゃないのよ。ただ、ホグワーツの外でのアメリアってどんなかしらと思っただけなの」

 

 ダリアは父にそんなことを言わせたことを少なからず後悔した。ホグワーツに入学したダリアと魔法省大臣であるトムはなかなか会うことができない。仕事で忙しいはずのトムがこうして家にいるのも、娘のダリアを思ってのことである。そこまでの愛情を注いでくれている父に、家族との時間を削ってまでアメリアに会いたいとわがままを言うのは親不孝というものだ。

 ダリアは気落ちしてカップを手に俯いてしまった。そんなダリアを見て、トムもまた卑怯な言い方をしてしまったと自らの発言を反省した。

 

「ダリアすまない。君がアメリアのことをすごく好いていることはよくわかってるよ。だからそんなに落ち込まないでくれ」

 

 トムは立ち上がって向かい側に移動し、ダリアの隣に座ると、その肩を抱き寄せて頭を撫でた。

 

「仕事が落ち着いたら計らってあげるよ。だから今は我慢してくれないか?」

 

 ダリアはトムに抱きついて頭を縦に振った。そのとき見えた顔は嬉しそうで、トムはほっと胸をなでおろした。

 

 




セルビアってどこやねん。

 


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