猿王ゴクウ (雪月)
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第零回 はじまり

 

 

 

 

 

 

 お約束だが、

 

「ワンピースの世界に転生してもらう。ひとつだけ願いを叶えよう」

 

と言われた。

 

 

 

 誰に言われたのかって?

 

 

 

 俺には、後光の射した釈迦如来像に見えたよ。

 

 約30センチくらいの、虫食いだらけで木目も朽ちているような年季のある木像が、目の前にぷかぷかと浮かんでいたんだ。

 

 その存在は人間よりも高位に存在する精神集合体であり、人間に理解できるように説明するなら最も近い表現が「神」であり、各々のイメージで見える姿も変わるそうだ。

 

 だから、人によってはモーゼに見えたり、ジーザスに見えたり、サタンに見えたり、閻魔大王に見えたり、ご先祖様に見えたり、亀に見えたりするらしい。

 

 亀って微妙だな。

 

 でも悪魔も祖霊も神獣も、崇拝の対象と思えば納得できる。

 

 ……なんで木像なんだ俺。

 

 

 

 

 

 

 それはともかく、釈迦如来の「何が欲しい」という問いかけに対し、俺は即座にこう答えたね。

 

 

 

「孫悟空になりたい!」

 

 

 

 普通、ワンピースなら「○○の実の能力が欲しい」とか答えるものなんじゃないのかって?

 

 まあいいじゃないか。

 

 願い叶って、今の俺は岩から生まれた猿だ。

 

 美猴王(びこうおう)と呼んでくれ。

 

 

 

 

 

 



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第壱回 岩から生まれた猿

 

 

 

 

 

 

 ドカン!と轟音立てて割れた岩から生まれた俺は、随分と高い山のてっぺんに仁王立ちしていた。

 

 幾億もの雨風浴びて耐えるところから始まらなくて、なによりである。

 

 

 

 

 

 

 俺が「孫悟空になりたい」と言った時、釈迦如来像はその姿をポンッ!と変えた。

 

 猿の尻尾が生えた少年。

 

 つんつんとした黒髪で、オレンジ色の道着を着たその姿はもちろん。

 

「孫悟空というと『ドラゴンボール』の主人公の」

 

「そっちか」

 

 いやまあ確かに、孫悟空と聞いてその姿を思い浮かべる人は多いんだろうが。

 

 というか「マンガ読んでるのかお釈迦様」と聞いてみたら、「もちろん」と返ってきた。

 

 人間の知る全て、いや人間の知り得ないことまでの全てを知ってるってさ。

 

 ああそうかい。きっとそれこそ人によっては『アカシックレコード』とか『真理』とか呼ぶんだろうよ。

 

 考えてみたら最初から「ワンピース」って言ってるんだしな。

 

 

 

 どっぷりと俗世につかったお釈迦様だよ全く。

 

 

 

 それはともかく。

 

「スーパーサイヤ人になりたいわけじゃないんだ」

 

「猿にはなりたいのか」

 

 その表現やめてくれない?

 

 俺は野生の猿になりたいわけじゃない。

 

 西遊記の、どこまでも人間くさい岩猿になりたいんだ。

 

 そうか、と。次に現れたのは極普通の猿だった。

 

「では、アカゲザルということで」

 

「それはないだろう」

 

 思わず即座に否定した。

 

 いやいや、だって俺ちゃんと野生の猿になる気ないって言ったよね。人の話聞いてた?

 

 そりゃアカゲザルが孫悟空のモデルって言われているけど、俺としては俗説のキンシコウや、猿神のモデルのハヌマンラングールのほうがいいし。

 

 

 

 かりかりと頭をかいた猿の姿が、またポンと音を立てて、サイヤ人(連載初期)の姿に戻る。

 

 ……もしかしたら気に入ってるの、その姿?

 

「ひとつの願いに注文が多いな」

 

 注文っていうか、イメージと違いすぎたら文句のひとつやふたつくらい言いたくなっても、仕方がないじゃないか。

 

「人のイメージ次第でどんな姿にでもなる神さまが、俺のイメージする孫悟空が分からないなんて変だろ」

 

 

 

 変だろ、変だよな。

 

 

 

 釈迦如来像だって、イメージ通りと納得したわけじゃないけどな。

 

「……世界に孫悟空は無数に存在し、お前の中の孫悟空も数多く存在している」

 

 そう言ったサイヤ人の姿が曖昧にぼやけた。

 

 蜃気楼が幾重にも重なるように、いろんな姿に変わっていく。

 

 

 

 ああ、そうだよな。

 

 

 

 何度も読み返した小説だけじゃなく、たくさんの孫悟空が俺の中に存在している。

 

 子供の頃見た人形劇。

 

 ドラマやアニメの主人公たち。

 

 ああ、そういえばあの映画のキャラクターのモチーフも孫悟空だったけ。

 

 京劇や影絵。……見た覚えがあるような、ないような。

 

 俺が覚えていなかったものも、俺の中にはきちんと残っているらしい。

 

 万華鏡のように、陽炎のようにゆらゆらと揺れるイメージ。

 

「じゃあ」

 

 

 

 目指すはもちろん、いいとこ取りで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんななやりとりの後、なんとキンシコウをモデルに、動物系の悪魔の実に似た感じで、人型・人獣型・獣型になれるようにしてくれた。

 

 気前がいいな、お釈迦様。

 

 

 

 だから、今の俺は猿だ。

 

 

 

 ……あれだけ野生の猿はイヤだって言っていたのに何故かって?

 

 だって今の俺、生まれたてのすっぽんぽんよ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、と。

 

 俺は禿山の上で周りをぐるりと見回した。

 

 

 

 どこだここ。

 

 

 

 ……とりあえず、山の名前は花果山でいいか?

 

 

 

 

 

 



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第弐回 水と恐怖と本能

 

 

 

 

 

 花果山(俺命名)はそれなりに大きな島の真ん中に位置していた。

 

 

 

 巨岩が鋭い剣となって天に向かって聳え立ち、雲を貫くこの山こそは岩肌が剥き出しになっているが、後は緑豊か。

 

 豊かすぎてジャングルっぽいな。

 

 見るかぎりでは、町や村など人の気配はない。

 

 周りの海の色は深い。

 

 波は荒く、白く弾ける波頭から、ごつごつした岩がいくつも顔を覗かせている。

 

 他の島影はなく、ぐるり四方を囲む水平線。

 

 後は、青い空と白い雲だ。

 

 

 

 くるんと周りを見渡して、視界が一周した勢いのまま、俺はとてんと尻餅をついた。

 

 おや?

 

「キッ?」

 

 なんだかバランスが変だ。

 

 首を傾げて後ろを見ると、「やあ」とばかりに尻尾が揺れた。

 

 こいつのせいか?

 

 地面に手をついて立ち上がる時のように、尻尾を使って立ち上がってみる。

 

 それほど、難しくはなかった。

 

 尻尾だけの問題ではないようだ。

 

 立つ足にもしっかり力が入らない。

 

 回線がうまく繋がっていないような、全体が覚束ないような。

 

 生まれたばかりだからか?

 

 まずは成長し、そして鍛えろと?

 

 

 

 おいおい。

 

 

 

 不思議生物いっぱいのこの世界、つまり危険もいっぱい盛りだくさんなはずの場所で、これはいただけない。

 

 ううっ、急に持病の「森に入ってはいけない病」が、とか言ってる場合じゃないな。

 

 身の安全を図れる場所を探す必要がある。

 

 それに水と食いものだな。

 

 

 

 よっ、ほっとっと。

 

 

 

 巨大な岩々が連なる、切り立った崖の隙間のような場所をおっかなびっくり下りていく。

 

 山を下るにつれて、岩肌が徐々に緑に覆い隠されていく。

 

 まずは岩に張り付くような苔類、ちまちました草、低い木、気付けばいつしか蔓草絡む大木に頭上を塞がれたジャングルだ。

 

 蔓でターザンのまねをしてみたり、枝から枝へと飛び移ってみたり。

 

 慣れると尻尾も、他の手足と変わらずに使える。

 

 グギャギャギャギャとかブオオオオとか、やたらと物騒で狂暴そうな鳴き声や、バキバキと木が倒れるような破壊音が聞こえた時は、すぐさま方向転換した。

 

 

 

 果実らしきものをいくつか発見した。

 

 

 

 食えるのか、これ?

 

 だって、まだらの蛇色や水玉毒キノコ色とかなんだ!

 

 うん。止めておこう。

 

 無敵の胃袋は持っていない。

 

 ……はずだ。

 

 ちなみにキノコもあった。もっとヤバイ色だったけどな。

 

 

 

 ああ、腹へったなあ。

 

 

 

 熱帯雨林ぽいってことはさ、バナナないかな。

 

 ばーなな、ばなな。ばーななばかな。うきっ。

 

 空腹に気を取られすぎて、その渓谷が目の前に現れるまで、俺は唸るような水の音に気付かなかった。

 

 突然途切れる緑。

 

 目の前に現れたのは、巨大な滝。

 

 はるか頭上から、怒涛のように流れ落ちる爆流。

 

 しかし、轟音立てる滝の壮大な自然の美に、俺は感動するではなく、恐怖した。

 

 首の裏から尻尾の先までの毛が、一気にぞわっと逆立つ。

 

 

 

 逃げろ!

 

 

 

 俺はパニックになった。

 

 ほんのわずかでも遠くへ逃げること以外は考えられなかった。

 

 木の枝を大きく蹴り、跳んだ足の裏に妙な空気抵抗があったと思ったら、続く浮遊感。

 

 ふわりと体が宙を泳ぎ。

 

 バランスが崩れ。

 

 

 

 

 

 

 ――落ちた。

 

 

 

 

 

 

 気付くと固い地面に打ち上げられていた。

 

 水の中でもがくことができたのかも、覚えていない。

 

 渦巻く濁流。

 

 恐怖心。

 

 覚えているのはそれだけだ。

 

 打ち上げられたそのままに、げほげほがほがほ、えづく。

 

 ここは、滝の裏側に位置しているようだ。

 

 怒涛のような水音が、耳鳴りのようにうわんうわんと頭の中に鳴り響き続ける。

 

 水に侵食された洞窟なのか。

 

 辛うじて無事だが、まだ体半分水の中だ。

 

 水に体温を奪われて、更に体力気力が減っていく。

 

 身体中が痛くてだるい。

 

 意識も朦朧としている。

 

 このままここで寝てしまいたい。

 

 その欲求に身を任せれば楽になるのかもしれないが、しかし、ここで目を閉じたら二度と目覚めないのではないか。

 

 俺はナメクジのように水の跡を残しながら、這いずるようにして洞窟の奥へと重い足を運んだ。

 

 

 

 

 

 

 奥は思いの外広かった。

 

 澄んだ水が鏡のように凪いだ泉を作り、湧き水が壁にいくつもの小さな滝を作る。

 

 それらが天井の岩の隙間から射し込む光にきらきらと輝く様は美しい。

 

 荘厳だった滝の神がかり的な姿とはまた違う、神秘の姿がそこにはあった。

 

 しかし、俺にしてみれば周りを水に取り囲まれていて、ただ怖い。

 

 

 

 なに、この本能。

 

 

 

 必死で周りの水から逃げるようにして、洞窟の一番奥まで辿り着いた。

 

 斜面になった水に浸されていない場所に、ぽつんと低木が生えていた。

 

 俺は、その木の根元で丸くなる。

 

 もう限界だ。

 

 薄れゆく意識で思うのは、孫悟空の話。

 

 他の猿たちに勇気を示すために滝壺に飛び込んで、水簾洞を見つけた石猿は猿の王、美猴王になった。

 

 ……つまりこれはあれだ。

 

 水簾洞にしろということか。

 

 

 

 水が怖いのに?

 

 

 

 

 

 



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第参回 猿、洞に暮らす

 

 

 

 

 

 

 あれから俺は、結局のところ水簾洞で暮らしている。

 

 

 

 何せ俺は、水が怖い。

 

 

 

 おかしな話だ。

 

 俺は悪魔の実を食べたわけじゃない。

 

 だから、海……というか水に入ったら脱力して身動ぎもできない、ということはなく、泳ぐこともできるはずなのだ。

 

 第一、悪魔の実の能力者はシャワーや雨、流れる水ならいいって話だったし、ルフィの奴はアラバスタで風呂を楽しんでいなかったか?

 

 ハンコックもルフィとの出会いは風呂場だったよな。

 

 それともあれだ、お色気シーンは別物なのか。

 

 なんにしろ、能力者は海を苦手としていたけれど、海を怖がってはいなかったはずだ。

 

 

 

 俺は、本能に刷りこまれたかのように水が怖い。

 

 

 

 流れる水も駄目だ。

 

 こんなに水が怖いのは、泳ぎが得意なアカゲザルを嫌がったせいか?

 

 

 

 

 

 

 人型になれるようになった。

 

 なれたというかなったというか、情けない話なんだが、一番水から遠いところに蹲って「逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ」と震えている内に人型になっていた。

 

 人型が一番水に対する恐怖心が薄いようだ。

 

 

 

 怖いものは怖いけどな。

 

 

 

 獣型から人獣型、そして人型への変化は、尻尾並にすぐ慣れた。

 

 獣型はキンシコウがモデルでも、2メートル近い大猿。

 

 ゴリラのようなマッチョではなくて細身の体だ。

 

 全身が淡金色の毛に覆われて、火眼金睛(かがんきんせい)。

 

 人獣型はぐっと小さくなって、約半分の1メートルちょっと。

 

 ベースは猿か?

 

 元々人間のベースも猿だ。だから、四足歩行の獣よりも変化が乏しいのかもしれない。

 

 毛並みは減っていて顔の輪郭も人に近いが、猿だ。

 

 しかし俺はここで、大幅なサイズダウンのほうに疑問を持つべきだった。

 

 猿にしちゃでかいとか、そういう問題ではなかった。

 

 

 

 そう。

 

 

 

 人型が問題なんだと、俺はおそるおそる泉を覗きこむ。

 

 肌は白い。

 

 血管が透けて見えるような赤みの差した白ではなく、病的に青白い。

 

 細身の四肢は、脂肪も筋肉もついていない。握ったら折れそうだ。

 

 ほら、火垂るの墓のにーちゃんみたいに。

 

 ほわほわの、綿毛のような金髪も柔らかい色合いで、全体の白いイメージに拍車を掛ける。

 

 目だけは、白から遠く赤のきつい金目だ。

 

 嬉しいことに、顔のパーツのバランスはいい。

 

 しかし、精悍とは言えない。

 

 きっと女の子に出会ったところで、「かわいい」と言われる頻度は高そうだけど「かっこいい」と言われることはなく、恋愛対象になることもないだろう。

 

 

 

 だって、まだ義務教育始まってないんじゃないかってくらいのガキだぜ!

 

 

 

 サイズだって更にダウンして身長1メートルを大幅に切る、こつぶっこだ。

 

 ちくしょう。

 

 生まれたてなんだから、首も座ってない乳飲み子じゃなかっただけマシだったと釈迦如来像に感謝すべきなのか?

 

 

 

 無理だ。

 

 

 

 今、再び滝つぼに飛び込んだらどうなるか。

 

 獣型では水への本能的な恐怖に身が竦み、人獣型でも同じく。その上、体力が足りなくてあの激流に負けるだろう。

 

 人型?そりゃ言わずもがなだ。

 

 考えれば考えるだけ外に出るのが面倒になる。

 

 その上、ここはなかなか暮らし勝手がいい。

 

 身の安全性でいったらピカイチだ。

 

 水は、ちょっと勘弁して欲しいくらいに溢れている。

 

 食べるものは、もっぱら魚類。

 

 俺と同じように流れに飲まれたら、魚といえども逃げられないんだろう。

 

 打ち上げられ、びちびちと濡れた床で跳ねている。

 

 熱帯魚以上に派手でカラフルな魚が多いので、最初は躊躇ったが、焼いて食えば気にならない。

 

 火?

 

 乾かした流木二本と根気があればなんとかなるんだ、これが。

 

 

 

 それから、この洞窟に唯一生えている木。

 

 

 

 とても背の低い、今にも枯れそうな古木だが、桃に似た実がいくつか生っていた。

 

 産毛のない、宝石のようなつややかさを持ち、みずみずしく甘い。

 

 これが不思議桃で、一口食べれば元気百倍。

 

 俺が初めて食べたのは、この桃だった。

 

 衰弱しきっていたのが、桃をひとつ食って更にもう一眠りしたら、全回復だ。

 

 どんなエリクサー、ハイポーションだとびっくりした。

 

 凄すぎて、あだや疎かにはできない。

 

 気楽に食べたら、もったいないおばけが出そうだ。

 

 しかし、いざという時の心強い味方を得たのだと思い、何よりも重宝している。

 

 

 

 普通の木の実も流れつく。

 

 

 

 多かったのは手のひらサイズのヒマワリの種のような実で、生で食べる椎の実みたいな味。

 

 パンの実によく似た実もあった。

 

 ごく稀にしか流れ着かなかったが、パンの実同様焼いて食べると美味かった。そして、俺の知っているパンの実とは違って、生で食っても美味かった。

 

 生で食うとバナナ、焼いて食うとサツマイモっぽい食感だ。

 

 食べた後の皮や、要らない流木などは、放っておくと水の流れに乗って姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで、滝つぼにもう一度飛込む気になれないまま、俺はこの洞窟で暮らしている。

 

 ずっとヒッキー気取りじゃいられないのも分かってはいるんだけどな。

 

 どうしたら、外に出られるか。

 

 壁を殴っただけで穴が開いたりしないだろうかと馬鹿なことを考えたりもしたが、もちろん殴った手が痛かっただけだ。

 

 鍛えればなんとかなるのかもしれないが、よくよく考えてみると、洞窟が崩れて生き埋めになる可能性のほうが高いんじゃないだろうか。

 

 それならば、と見上げたのは天井。

 

 光が差しこむということは、外と繋がっている。

 

 しかし、先細りになった天井は随分と遠く、それなりに手がかり足がかりがありそうな岩の壁も途中までしか上れなかった。

 

 

 

 

 

 



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第四回 金斗雲の術

 

 

 

 

 

 

 新芽が顔を出して花が咲き実が生って、種が割れてまた芽吹く。

 

 日本の四季とは違えど一年で季節が廻るなら、春は5回来た。

 

 

 

 ジャングルではもっぱら猿だ。

 

 

 

 この島、生き物がやたらとでかいんだよ。

 

 獣型でいても何倍もの体格差があるのに、人型でいた日には確実にぷちだぜぷち。

 

 小さくなりたい時――猛獣に襲われて逃げる時なんかには人型になったけれど、今ではほとんどそんなことはない。

 

 もともと身体のスペックは高い。

 

 約5年あまり、生きるのに必死で毎日と戦っていたら、今では島にいるどんな猛獣にも負けないほど強くなった。

 

 しかし不思議なことに、鍛えれば鍛える程強くなる実感があってもこのボディ、成長する様子が全くというほどない。

 

 

 

 なんでだ!

 

 

 

 いやいやいやいや、成長はした。

 

 少しだけだが、ほんの僅かかもしれないが、成長はしているんだ、そのはずだ。

 

 ……たぶんきっとめいびー。

 

 肉体年齢に実年齢がやっと追いついたんだ。これからみるみる成長するはずさ、ぜったい。

 

 

 

 あ?

 

 

 

 そんなことはどうでもいいから、どうやって洞窟から脱出したのかって?

 

 どうでもよくな……まあ、いいや。

 

 

 

 空を飛んだのさ。

 

 

 

 頭がおかしくなったんじゃないからな、言っておくけど。

 

 俺は猿だ。

 

 人型でいても、猿は猿だ。

 

 とっかかりの少ない天井も上れると思ったんだが、いざ上ってみると斜めになったり出っ張ってたりしていて、駄目だった。

 

 ネズミ返しに猿も負けた。

 

 落ちる!と思った時には落ちていた。

 

 洞窟の床に叩きつけられたら、ただでは済まない。

 

 やばいやばいやばい。

 

 俺は無様にも醜く空中でもがいて、何とか着地できるように体勢を整えようとした。

 

 ふいに。

 

 足がふわりと浮いた。

 

 余計にバランスを崩した。

 

 おかげで頭から落ちた。

 

 しこたま打った頭を抱えて七転八倒してたら、更に全身傷だらけになった。

 

 貴重な不思議桃をまたひとつ消費した。

 

 散々だ。

 

 

 

 しかし、なんだろう?

 

 

 

 滝壺に落ちた時。

 

 パニックに陥っていたからしっかりとは覚えていないけれど、あの時も同じような浮遊感があったと思う。

 

 試しにその場で足踏みをしてみた。

 

 足の裏には、何の抵抗も感じない。

 

 

 

 んー?

 

 

 

 その場で跳ねたり、宙返りをしてみたり。

 

 ただそれだけではあの浮遊感は生まれないようだ。

 

 いろいろ試行錯誤をしてみて、意識の問題じゃないかと気がついた。

 

 

 

 必要なのはイメージだ。

 

 

 

 跳ぼうとするのではなく、飛ぼうとしなければならないらしい。

 

 足の裏に気持ちを集中させると、空気の固まりのような、足場のようなものを感じるようになる。

 

 まずはこの段階で、宙を上に上にと駆け上がることを覚えた。

 

 体に、覚えこませた。

 

 

 

 ひたすら練習したのさ。

 

 

 

 広いと思った洞窟内の空間も、こうなってくると狭い。

 

 色んなところにぶつかって、しかしおかげで細かい制御ができるようになった。

 

 空気を踏み足場を強く意識することで、何もない空中に立つこともできるようになった。

 

 そのまま意識を集中させていると、足裏に霧のような空気の塊が発生する。

 

 更にしばらくすると霧が雲のようにもっと密度の濃い塊になり、足場が目視できるようになった。

 

 

 

 つまりこれって金斗雲かよと、やっとイメージがはっきりした。

 

 

 

 イメージが固まれば更に使いやすくなるかと思えば、そうでもなかった。

 

 金斗雲の術ともなれば、びゅんびゅんと空を飛べるはず!

 

 と思ったんだが、なかなかこれが上手くいかない。

 

 飛ぼうとすると雲に乗った足だけが先に進んですっ転ぶ。

 

 バランス取るのが難しくて一苦労。

 

 サーフィンやスケボをやっておけばよかったのかなあと今更嘆いても仕方がないので、ひたすら練習。

 

 練習あるのみでやっと飛べたとするだろ?

 

 うまく飛べた!と喜んで、集中が途切れた途端、雲が霧散するんだこれがまた。

 

 

 

 なんにしろ、こうして俺は洞窟からは出られるようになったんだ。

 

 

 

 天井には亀裂のような細長い穴が開いていた。

 

 人型でもやっとな縦穴で、これでよく洞窟内に日の光が届いていたなと思ったが、水晶みたいな鉱物や水に反射して煌めいていたらしい。

 

 

 

 

 

 

 洞窟から脱出すると、待っていたのはサバイバルの日々だった。

 

 この島、やはり人間はいなかった。

 

 住んでいるのはビッグサイズで危険極まりない猛獣ばかりで、最初は逃げてばかりいたけど、今では重要な動物性蛋白質だ。

 

 

 

 サバイバルだけじゃない。

 

 

 

 広いところで、金斗雲の術にも磨きを掛けた。

 

 島からの脱出も可能になった。

 

 そう思って意気揚々と、海に向かったんだこれでも一応。

 

 

 

 でも駄目だった。

 

 

 

 山のてっぺんから見回しても島影一つ見えなくて、どちらの方角に向かえばいいのかも分からない、どれだけ海を飛び続ければいいのかも分からない、と考えた途端。

 

 雲は霧散した。

 

 精神力が足りないのだろう。

 

 それともイメージが弱いのか。

 

 多分、もっと強い精神を持ってすれば、どこまででも飛べるはず!

 

 精神修行だと座禅を組んでみたりもしたが、海に落ちる自分の姿しか脳裏には浮かばず、余計飛ぶのが恐くなった。

 

 

 

 無理無理無理。

 

 

 

 うん、おれまだ5さい。

 

 成長を待とう。

 

 

 

 

 

 



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第五回 初めての殺意と

 

 

 

 

 

 

 15年経った。

 

 カレンダーなんてないから、どんぶり勘定だけどな。

 

 10年は越えてるけど、15年は越えてないんじゃないか、みたいな。

 

 最初の5年くらいまではきちんと数えていた。でもその内、どうでもよくなった。

 

 

 

 だって丈比べをしたくても刻む傷がいつも大体同じ位置。

 

 

 

 これじゃあ、過ごした年月を指折り数えても虚しくなってくるから、数えるのは止めた。

 

 なんでだ。

 

 人と成長速度が違うのか?

 

 15年近くをかけて、3歳児がせいぜい6歳児になった程度。

 

 変化が緩やか過ぎて、1年や2年では何が変わったのかすぐには気づかないようなのんびりさだ。

 

 握ったら折れそうな腕の細さも変わらない。力はついたのに筋肉ついてないってどういう仕組みだよ?と自分の体なのに首を捻りたくなる。

 

 しかし自身の成長はともかく、約15年の時の流れの中で全く変化がなかったわけでもない。

 

 

 

 まずは仙術な。

 

 これが使えるようになったりならなかったり。

 

 金斗雲の術が仙人に師事しなくても使えただろ。

 

 つまりあれは、仙術が『孫悟空』のスペックとして織り込まれているっていうことだと思うんだ。

 

 だから他の術も使えるはずと考えて、色々試してみた。

 

 最初に試したのは七十二般の変化の術。

 

 既にゾオン系のメタモルフォーゼができるんだから、簡単だと思ったんだ。

 

 しかし、そうは問屋が卸さなかった。

 

 獣化のように本能に近い部分でできるものでもないらしい。

 

 本能ではなく知性が必要なら、イメージが大切になってくる。

 

 たとえば、赤い弓兵の投影のような。

 

 充分な理解の元、正確にイメージしなければならない。

 

 

 

 ……と、思い込んでしまったのが一番の敗因なんだ、きっと。

 

 

 

 当たり前のことだが、普通の人間だった俺に変身の経験値はない。

 

 ひょいと虻に変化する?

 

 どうにも想像がつかないだろ。

 

 体積どこに消えるんだよ俺の内臓どこよと考えてしまって、やってみる気も起きないんだこれが。

 

 

 

 しかし、身外身の術は使えるようになった。

 

 身外身の術ってのは、孫悟空がぶちりと抜いた毛に息を吹きかけると、猿がわらわらと出てくるあれだ。

 

 あれはあれで理屈なんて関係なくそんなものと思っているからか、息を吹きかけるだけで簡単に変化した。

 

 

 

 ……最初はなんだか思い出すのもグロテスクな物体になっちゃったけどな。

 

 

 

 人体練成失敗したのをリアルで見ちゃったらきっとこれと思うようなものが、蠢いていた。

 

 とっさに消えろ!と念じて消えてくれて助かった。

 

 それからも猿に近いような遠いような試行錯誤を繰り返した。

 

 術を使うことに慣れてきた頃、ふと、ローラースケートで立ち回りしていた舞台じゃ、その役者の顔のお面を被った奴らが出てきていたよなと思い出したら、なぜか紙のお面をした石人形みたいなのが出てきた。

 

 つまり、式神とかゴーレムか!と猿にこだわるのを止めて色んな形のものを面白がって作ってみたが、最終的には50センチばかりの金色のこざるで落ち着いた。

 

 

 

 え、小さい?

 

 

 

 いいんだよ、癒されるから。

 

 それに、自分よりでかいサイズの猿を作ったら、無性に腹が立ったんだ。

 

 ちなみにこざるたちだが、俺にできることしかできない。

 

 つまり、パンの実を焼いたり火を熾したり釣りをしたりはできるが、醤油や味噌を作ったりはできない。

 

 棒切れ持ってチャンバラごっこはするが、いきなり真空波を放ったりはしない。

 

 弱点も俺と同じく水。

 

 ばしゃりと全身が濡れるほどに水を被ると、元の毛に戻る。

 

 でも、水に対する恐怖心は俺より少ないらしい。

 

 

 

 不条理だ。

 

 

 

 

 

 

 それからもうひとつ。

 

 数年前、島に海賊が来た。

 

 海の向こうに、船影を見つけた時には海の上を走りそうな勢いで嬉しかった。

 

 実際には海の手前で、急ブレーキかけたけどな。

 

 船は3隻。

 

 そして、その全てにジョリーロジャーがはためいていた。

 

 海賊船。

 

 しかしだからなんだ。

 

 海賊なんて、この世界には掃いて捨てるほどいるはずで。

 

 人間に会うことのできる喜びの前には、小さなことだった。

 

 俺はわくわくしながら、船が島に近付いてくるのを待っていた。

 

 けれど。

 

 

 

 ガガガガン!

 

 

 

 突如鳴り響く破壊音。

 

 風に乗って聞こえてくる喧騒。

 

 暗礁に乗り上げて、船が割れていく。

 

 すげえ。映画みたいな迫力だ、と。

 

 俺はバカみたいに口を開けて、船が沈んでいくのをただ見ていた。

 

 逃げる人影が船の端からぽとぽとと落ちていくのが分かっても、現実味を感じていなかった。

 

 海に落ちた海賊たちは、他の船に拾われていた。

 

 

 

 しかしそれでも、海賊たちは上陸を諦めない。

 

 

 

 また一隻、岩礁を避けて島に接岸しようと接近してくる。

 

 そして、海岸に立つ俺からも顔の判別がつくような距離になると、搭載の手漕ぎボートを降ろした。

 

 いかにも海賊ルックな男たちが5人ほど乗り込み、船首に立つ山高帽の男に指揮されて、オールを漕ぐ。

 

 乱立する岩が生み出している海流の荒々しさには心もとない小船じゃないだろうかと思っていた矢先に、渦を巻く海流に捕らわれた。

 

 バキバキと船の割れる音と、振り落とされた男の上げる悲鳴。恐怖に満ちた表情。

 

 やばい!と思った。

 

 この時やっと、俺は目の前の光景にリアルを感じたんだ。

 

 

 

 溺れる人間の死を。

 

 

 

 そこからは無我夢中だった。

 

 助けなくてはならない、と思った。

 

 助けることができると思った。

 

 ジャングルにいる常で獣化していたけど、ただ必死に海を走った。

 

 

 

 しかし。

 

 

 

「ば、ばけもんだ!」

 

 そんな、悲鳴混じりの怒声を聞いたように思う。

 

 

 

 ドウンッ!

 

 

 

 それに続いた、音。

 

 左の腕に焼けるような痛みが走る。

 

 山高帽の海賊が、俺に銃口を向けていた。

 

 撃たれた。

 

 やっとそれを理解した。

 

 

 

 人に殺意を向けられたのは、あれが初めてだった。

 

 そして……。

 

 

 

 

 

 

 人を殺したのもあれが初めてだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第六回 戦闘

 

 

 

 

 

 

 空を飛んできた勢いのまま墜落する羽目になった俺は、ダダンッと板を踏み抜きそうな騒音立てて、マスケット銃を構えていた男の前に降り立った。

 

「ひいっ!く、くるなあ!」

 

 近すぎる距離にか、目の前に立つ猿の大きさにか、悲鳴混じりの声を発しながらも銃口が追ってくる。

 

 

 

 撃たせるかよ!

 

 

 

 俺はブンッと左腕で銃身を薙ぎ払った。

 

 グギリと。銃身だけでなく、銃持つ腕までもが変な方向に曲がった上、男は船の外まで吹っ飛んでいく。

 

 思わず、見送った。

 

 おいおい。

 

 島の猛獣たちと比べると、脆いな人間。

 

「このやろう!」

 

 背後から剣を振り被ってきた男に飛び蹴りを食らわし、俺は踏みつけた顔を足場にして大きく跳んだ。

 

 直後、渦に飲まれた小船が砕けていく。

 

 望んだ結果ではない。

 

 助けようと思ったんだ。

 

 助けたかったんだ。

 

 

 

 ちくしょう。

 

 

 

 海賊船まで空を走り、帆にぶつかるようにして、メインマストの下の甲板に落ちる。

 

 俺が立ち上がるよりも早く、無数の刃の雨が降ってきた。

 

 海賊たちに囲まれて、斬られたのだ。

 

 俺は両腕で頭を庇い、蹲ることしかできなかった。

 

 

 

 しかし――。

 

 

 

 ギン!

 

 ガギンッ!

 

 

 

 ……痛てえ。

 

 

 

 俺は骨まで響く痛みに耐えながら立ち上がった。

 

「き、効かねえ!」

 

「こいつ斬れねえぞ」

 

 動揺した海賊たちが後ずさる。

 

 武神たちの宝剣でも斬れなかった孫悟空の身体の強靭ぶりを舐めんじゃねえ。

 

 といっても、今まで刀を相手にしたことはないんだから、内心どきどきだったけどな。

 

 次の剣げきは降らない。

 

 立ち上がることのできた俺は当たるを幸い、ただ我武者羅に両腕を振り回し、怯んで腰の引けた海賊たちを薙ぎ払った。

 

「うわわわっ!」

 

 幾重にも悲鳴が重なる。

 

 吹き飛ばされたやつらが落としたカットラスを両腕に持ち、威嚇し、振るう。

 

 海賊たちは更に間合いを取り、甲板の真ん中にぽっかりと、俺を中心点とした穴が空いた。

 

 つかの間の硬直状態が生まれる。

 

 

 

 ドン!

 

 

 

 頬に熱が走った。

 

 全ての視線がその音の先に集中した。

 

 つばの広い羽つき帽と裏刺繍が派手なマントの男が、俺たちを見下ろす船尾楼甲板に立っていた。

 

 細い煙をたなびかせたマスケット銃を腰のガンホルダーに戻す。

 

 腰に巻かれた幅太の革ベルトには他にも何丁かの銃が挟みこまれている。

 

 男はマントをばさりと跳ね上げると、腰の後ろからばかでかいラッパ銃を取り出した。

 

 両手に構えて、にたりと笑う。

 

「キャプテン」

 

 誰かの呟く声が、聞こえた。

 

 キャプテンね。

 

 男は声を張り上げる。

 

「覇気を使え!こいつァ能力者に違いねえ!覇気をこめりゃあ効くぞ!」

 

 

 

 ハズレ。

 

 

 

 俺は能力者じゃない。

 

 そして孫悟空には、炉で焼いても目が赤くなっただけだったとか、八つ裂きにしようとしても斬れなかったという逸話はあっても、銃で撃たれても平気だったという逸話はない。

 

 だから、覇気が効いたのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。

 

 鉄砲玉だから効いたのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。

 

 

 

 教えてやらないけどな。

 

 

 

 海賊頭の声に従い、俺を取り囲む輪が更にざっと広がった。

 

 逆に数人の男がそれぞれの得物を手にずいと前に出てくる。

 

 覇気使いか。

 

 だが。

 

 俺は、彼らをまるっきり無視して、海賊頭に向かって跳んだ。

 

 ガガガン!

 

 それに反応して、ラッパ銃が火を吹く。

 

 いびつな鉄片が無数に飛んできた。

 

 空を蹴って、俺は跳躍を繰り返す。

 

 俺が海を飛んできたのは見ていたのだろう。

 

 本来なら有り得ない空中の方向転換にも慌てることなく、更に新しいラッパ銃を抜いて、乱射してくる。

 

 どんながらくたを詰めても撃てるという散弾銃。

 

 仲間に優しくない銃だ。

 

 いや、仲間がいても平気でラッパ銃を使うんだから、優しくないのは彼らのキャプテンか。

 

 俺がことごとくを避けるので、甲板に鉄の雨が降り注ぐことになる。

 

「ギャー!」

 

「うわわわっ!」

 

 甲板には流れ弾に当たった海賊たちの悲鳴が満ちた。

 

「よくもやってくれたな」

 

 頭が呻くように、歯軋りの隙間から声を絞り出す。

 

 

 

 いや、やったのあんただから。

 

 

 

 俺は弾丸で刻まれていく傷をものともせずに海賊頭に肉迫すると、両手に持ったカットラスを振るった。

 

 海賊頭は迫るカットラスを避けて次の銃を抜こうとしたが、遅い。

 

 凶刃は、首と胴を過たず捉えた。

 

 血飛沫が、舞う。

 

「キャ、キャプテンがやられたぞ」

 

「逃げろ!」

 

 残っていた海賊たちは海に飛び込んで、海賊船の最後の一隻に乗り込み、逃げていった。

 

 

 

 俺はひとりで真っ赤な甲板に立ち尽くしていた。

 

 

 

 操り手のいなくなった船は波に弄ばれ、岩々にぶつかり砕け、座礁した。

 

 俺は島に帰ると、滝つぼに飛び込み、最初の時のように桃の木の根元で眠った。

 

 そういえば、あの時は海も滝も怖いと感じなかったな。

 

 何を感じるよりも何よりも、ただ、全身を濡らすべっとりとした血が不愉快だった。

 

 きっと色んなものが麻痺していたんだろう。

 

 

 

 その一部分は多分今も麻痺したままだ。

 

 

 

 

 

 



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第七回 戦士、来たる

 

 

 

 

 

 数年経った今では、座礁した海賊船の残骸も荒波に砕かれて海の底へと沈み、僅かに竜骨の一部が波間から顔を出しているだけだ。

 

 暫くの間は島に色々なものが流れついた。

 

 どうして海の底に沈まなかったのか不思議なくらいにずしりと重い宝箱とか、酒瓶が詰まった木箱とか。

 

 香辛料の類は嬉しかった。

 

 海の上では湿気が怖いのだろう。しっかり防水してあるものが多かったため、海を流れてきてもあまり駄目になっていなかった。

 

 めぼしいものは回収した。

 

 

 

 こざるたちが。

 

 

 

 俺としては、暫く海を見るのも嫌だったんだよ。

 

 反面、小さいこざるたちが回収物を抱えてちまちま歩く姿には癒された。

 

 だけど、服を回収してきたのかと思ったら中身つきだった時には、勘弁してくれと悲鳴を上げたくなった。

 

 これが案外多かったんだ。

 

 そのままにしておくのもどうかと思って、まとめて荼毘に付した。

 

 羅生門を思い出しながら。

 

 流石に身ぐるみ剥いで髪を抜くなんてことはしないさ。

 

 服は他にも(中身つきではないものが)流れついていたから、わざわざ水死体が着ているものをいただく必要はなかったし。

 

 ま、貴金属貴重品の類は回収したけどな。

 

 

 

 何はともあれ、おかげさまで俺の暮らしは一気に文明開化を迎えた。

 

 食器も使うし、ズボンも穿いているんだぜ。

 

 ズボンは黒。人型になった時にも引き摺らないようにと自分で長さを調整した裾はぼろぼろだが、赤のサッシュを巻いてお洒落に決めている。

 

 誰もいないんだから、ズボンを穿く必要はないって?

 

 猿と人間の違いはパンツだって、どっかの学者さんも言っていただろ。

 

 そういうものなのさ。

 

 

 

 

 

 

 回収物のひとつである釣り竿背負って磯釣りに行っていたこざるが、「浜に人間がいる」と報告してきた。

 

 人間ねえ。

 

 流石に前回のように喜び勇んで駆け出す気にはならない。

 

 しかしもちろん、全然気にならないと言えば嘘になる。

 

 結局俺は、自前の武器である昆を片手に浜へと向かい、木陰からこっそりと様子を伺うことにした。

 

 

 

 

 

 

 波しぶき高い岩場に男がひとり立っていた。

 

 沖に船は見えない。

 

 他に人影もない。

 

 けれど、島まで泳いできたわけでもないようで、男の服に濡れた様子があるわけでもない。

 

 

 

 どうやってきたんだよ。

 

 

 

 年の頃は二十代後半だろうか。いや、もっと若いのかも。

 

 背は高い。

 

 腰に幅太の剣を下げている。

 

 全体的に黒い。

 

 胸元開けて着ているシャツやズボンに、首の後ろでひとまとめにした癖のある髪。剣を下げるベルトも、柄も鞘も。

 

 何もかもが黒くて迫力がある。

 

 

 

 俺は少し離れた木の枝の上、生い茂る葉に隠れて様子を伺っていたが、黒服の剣士はそのことに気がついていたらしい。

 

 周りを睥睨していた目を、ひたりと当てられた。

 

 

 

 こわっ。

 

 

 

 眼光の鋭さに驚いて、俺は無意識に身を引いた。

 

 がさりと枝が鳴る。

 

 それを合図にしたかのように、剣士は地を蹴った。

 

 腰に下げるには大振りやしないかと思う大剣を片手でやすやすと抜き、振るった。

 

 その剣圧だけで枝葉が舞い、俺は隣の木の枝に飛び移り、幹を駆け上がるようにして上へ上へと逃げた。

 

 どういう挨拶だよ。

 

 いきなり攻撃するんじゃねえ。

 

 どいつもこいつも好戦的すぎないか、まったく。

 

 そんな文句を言う暇もなく、剣士は三段跳びの要領で木々の間を飛び上がり、猿よりも音を立てずに追ってくる。

 

 ぶんと唸りをあげて迫る大剣を、とんぼをかえして避けた。

 

 通り過ぎた剣は慣性の法則を無視して、そのままの勢いを保って戻ってくる。

 

 しっぽを枝に巻きつけて、もう一度宙をくるんと舞った。

 

 これで三度。

 

 剣戟を避けることができた。

 

 多いとみるか少ないとみるか。

 

 剣速は、以前海賊に撃たれた時の鉛玉よりも速く感じたから、あれを避けた俺ってすげえ、と自分では思うけどな。

 

 しかし、四度目は無理だった。

 

 とっさに手に持っていた昆を体の前に出して防御するが、元々が頑丈そうな木を手折って枝を払っただけの昆だ。

 

 剣士相手には何の役にも立たず、簡単に両断された。

 

 昆を越えて、刃が俺の胴を袈裟切りにしようと迫る。

 

 

 

 ギン!

 

 

 

 肉を断ったにしては有り得ない音が響いた。

 

 よかった、弾いた。

 

 しかし衝撃は重かった。

 

 猛烈に痛い。

 

 俺は吹き飛ばされて無様に転がり、土にまみれた。

 

「ほう」

 

 剣士はその手応えに、何を感じたのか。

 

 感嘆の声のような息をもらすと、剣を鞘に戻し腰を落とした。

 

 抜刀の構えをとる。

 

 

 

 静まる空気と伝わる気迫。

 

 

 

「ふっ」

 

 息を吐く音は聞こえたが、抜き手は見えなかった。

 

 見えたとしたら、そこに込められた殺意。

 

 それともこれが、覇気か。

 

 俺は身を後ろに一歩引き、紙一重で剣を避けた。

 

 いや、違う。避けたというよりも、圧せられて下がったのだ。

 

 しかも避けたはずなのに、剣圧だけで右肩に刀傷を負った。

 

 

 

 やばいやばいやばい。

 

 

 

 俺は必死に、近くの木の幹を駆け上がって逃げた。

 

 これは死ぬ。マジで死ぬ。

 

 距離を置き、木の上と下とで睨み合う。

 

 眼力だけで、固形化した殺気を感じる。

 

 気の弱いやつなら気絶しそうだ。

 

 俺もちょっとやばい。

 

 何て鋭い目。

 

 人っていうよりも、獲物を狙う猛禽類の鋭さ。

 

 

 

 ……て、あれ?

 

 

 

 原作にいたよな、そういう目の剣豪。

 

「ダ、ギキッ」

 

 ああ!しゃべれない。

 

 出てきた声は全部濁音みたいに響いて、言葉になっていない。

 

 そういえば猿だったな、俺。

 

 しかしまあ、話そうとした意思は通じたらしい。

 

 剣士は怪訝そうに眉を歪め、剣先をわずかばかり下げた。

 

「ム……?人の言葉を解すのか」

 

 うん。

 

 しゃべることもできるさ。

 

 生まれてから一度も誰かと会話したことないけどな。

 

 なんにしろ獣型では会話は無理だと分かったので、人獣型になってみる。

 

 剣士が目を見張るのが分かった。

 

「オ、マエ……だ、だだ、ダレ、だ。ナニシに、キ、ぎ……キタ」

 

 お前は誰だ。この島に何をしにきた。

 

 うーん、言えていない。

 

「猿ではなく、能力者か!」

 

 違うよ、猿だよ。

 

 岩から生まれた猿。

 

 斉天大聖孫悟空さまだ。

 

 驚きの声を上げた剣士は、それでも俺の問いかけに答えてくれた。

 

 

 

「我が名はミホーク。ジュラキュール・ミホーク」

 

 

 

 やっぱり、ミホーク!

 

 若い、若いよミホーク!

 

 髭はもう生えているけど、まだ貫禄より若さが先にたつ。

 

 ああ、驚いている場合じゃなかった。

 

 名乗りを受けたならば返さなくては。

 

 俺はもっとしゃべりやすくなるかと、人型になってみた。

 

「ゴ、クウ」

 

 それでも、人型で初めて出す声は覚束ない。

 

「ソン、ゴクウ」

 

 

 

「……こんな子供だとは」

 

 

 

 ミホークの声は、驚きに満ちていた。

 

 

 

 

 

 



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第八回 仙桃の島の伝説

 

 

 

 

 

 

 海賊の時代よりもずっとずっと昔の話。

 

 

 

 ログポースも存在せず、造船術も航海術も遥かに頼りなく覚束なかった頃。

 

 人類未踏の島が数多く存在し、多くの冒険者が居住可能な新天地、そして未知なる資源を求めて海に乗り出した開拓時代。

 

 そんな時代を冒険した男の手記に、こうある。

 

 

 

 長い航海の末の海の果て。

 

 海底火山の噴火により深い海の底から隆起して生まれた島があった。

 

 険しい山々が雲を衝く島。その周りを取り囲んでいる、更に鋭い牙のような岩。

 

 それらの岩礁によって激しい海流が生まれ、船を木の葉のように持て遊ぶ荒波が常に渦巻いていた。

 

 その島とさほど離れていない海域で男は突然の嵐に会い、遭難した。

 

 何日も荒れる天気に翻弄され、舳先がどちらを向いているかも分からなくなった。

 

 帆をなくし仲間をなくし、水も食料もなくし。

 

 しかしどんな奇跡か、男の船は無事にその島に流れついたのだ。

 

 

 

 島はまだ若く、溶岩が冷えて固まった地肌がごつごつと剥き出しだった。

 

 岩肌にわずかばかりに生えた苔をがりがりと削って飢えをしのぎ、その苔につく朝露で渇きをしのいだ。

 

 そして男は、とうとう辿りついた。

 

 

 

 桃源郷に。

 

 

 

 巨人が剣で切り落としたような鋭い山肌の間、激しく吹く風から逃れるような窪地に……いや、険しい大地と厳しい風に守られているような窪地に、桃の木が群生していた。

 

 

 

 ――正しくは桃ではなかったのだろうと、男はその手記にて語る。

 

 

 

 溶岩石にへばりつく低木は、しかし年老いた賢者の徳を思わせた。

 

 いまだ固い蕾と薄い色合いの花、そして艶やかな果実が同じ枝に違和感なく存在していた。

 

 その実は実際の桃よりも鮮やかな桃色で、宝石のような滑らかさと艶やかしさをもって日の光を弾いていた。

 

 見たこともない種類だったが、飢えて死にかけた人間にそれがなんの障害になろうか。

 

 それが毒であろうとなかろうと、食べなければ死ぬ。

 

 極限状態にいた男にはそんなことを考えるゆとりもなかった。

 

 

 

 ただ、食った。

 

 

 

 そして一気に気が弛んだのか、気絶するように眠った。

 

 目覚めた時、男は自分の体の軽さに驚いた。

 

 体力も気力も回復していた。

 

 そして、男はその窪地の両岩壁に自生していた巨大なシダや蔓草で帆を作り、再び海へと船を出した。

 

 壊れる寸前のような傷だらけの船がそれでも渦に呑まれることがなかったのは、歴史に名を残した男がその名声に見合う卓越した腕を持っていたからなのか、それともそれだけ幸運の女神に愛されていたからなのか。

 

 ――男はあの桃源郷から、桃の実のついた枝を一本だけ手折り持ち帰っていた。

 

 その枝が余所の地で根付くことはなかったが、しかし不思議なことに桃の実は何年もの間、枝にあり続けた。

 

 徐々にしなびれこそしたが、枯れも腐りもしなかった。

 

 彼の子供の命を救うその日まで。

 

 

 

 男は『命の桃』と手記に書き残した。

 

 そしてまた、それは食せぬ桃であると。

 

 ひとつ食せば、傷も病も癒し。

 

 ふたつ食せば、老いを退け。

 

 しかし、みっつ食せば命を失う。

 

 

 

 そう書き残した手記に、肝心の島の位置は書き記されてはいなかった。

 

 誰にも語らなかった。

 

 たとえ聞かれても、やみくもに海を渡ったから場所は分からないと答えた。

 

 

 

 そして仙桃の島の伝説が残された。

 

 

 

 

 

 

 

「その島があれば面白い」

 

 ――と、酒の杯を傾けながらミホークが言った。

 

 

 

 え、なんで酒を飲んでいるのかって?

 

 この世界の海賊って「倒すまで戦うか、それとも宴会か」が常識じゃないの?

 

 

 

 

 

 



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第九回 桃と剣士

 

 

 

 

 

 

 というわけで、現在酒盛り進行中である。

 

 

 

 酒は、俺がストックしていたものと、こざるたちが作ったいわゆる猿酒と呼ばれるもの。それから、ミホークが自分の船から下ろしてきたもの。

 

 随分ときつい酒だ。

 

 更にミホークは酒を持ってくるついでにと、ウミヘビに似た(しかし随分と巨大な)海王類を仕留めてきた。

 

 

 

 流石はミホーク。

 

 

 

 海王類を仕留めたことよりもそのサイズを肩に担いできたことにびっくりだ。

 

 いやホント、人間として間違っているよ、あの視覚効果。

 

 ので、俺が狩ったマンモスみたいな獣の肉も合わせてこざるたちが調理した。

 

 串に差して火で焼いただけの単純なものだけど、ブラックペッパーが素材の味を引き締めて美味いんだぜ。

 

 こっちに来てから、新鮮な肉がどれほど美味いかを初めて知った。

 

 新鮮な肉、そして出来上がったばかりの熱々の料理。

 

 もうコンビニ弁当なんて食べられないだろうな。

 

 

 

 ちなみに俺は今、人獣型になっている。

 

 

 

 人型だと見た目6歳、いやもっと小さく見えているのか、ミホークが酒を飲ませてくれなかったんだ。

 

 俺もいままで酒は大猿の姿でしか飲んだことなかったから、人型で飲むよりも人獣型で飲むほうが不安がないのは確かなんだけど、ただ人型じゃないと喋りにくいんだこれが。

 

 それに、この世界には「お酒は二十歳になってから」ってのはなかったはずだよな。

 

 そうじゃなきゃ麦わらの奴らは皆子供ビールってことになる。

 

 ナミがバロック・ワークスとやっていた飲み比べだって子供ビールで、ゾロが甲板で抱えている酒瓶だって葡萄ジュースとか健康酢?

 

 ないだろそれは。

 

 

 

 

 

 

 酒を飲みながらミホークが語るのは、仙桃の島の伝説。

 

 そこはグランドラインの端、カームベルトと交わる荒れ狂う海にあると言われてはいるが、伝説はあくまで伝説でしかなかった。

 

 空島のように、確かにあるが辿り着けない夢物語ではない。

 

 ただ、古の英雄のひとつの冒険談として語られ、子供が憧れるだけだ。

 

 今は昔に滅んだ大国の皇帝が不老を求めてこの島を探したと語り継がれてはいるけれど、それもまた伝説。

 

 

 

 しかしその伝説も、とある海賊が手に入れた一枚の海図により、変わった。

 

 

 

 海賊が襲った町の資産家が持っていた古文書(好事家には高値で売れる)に、挟まっていた古ぼけた羊皮紙。

 

 書かれていたのは、一本の航路。終点にある島の名前は記されていない。

 

 すわ宝の地図か、と。

 

 色めき立った海賊は、持ち船すべて連ねてその島を目指した。

 

 見つけたのは、伝説そのままの島。

 

 手に入るものは、不老。そして巨万の富。

 

 しかし、海賊がそれを手にすることはなかった。

 

 伝説通りの荒波と渦潮を生み出す岩礁。

 

 訪れる結末は、近年グランドラインでも名が売れてきていた海賊団の壊滅。

 

 そしてその生き残りによって新たな伝説が生まれる。

 

 

 

 ――その島には、化け物猿の守り神がいる、と。

 

 

 

「まことであれば面白いと思ったのだ」

 

 串から肉をかじりとりながら、終わりに近づいてきたミホークの話に耳を傾ける。

 

「新鋭の海賊を倒したほどの化け物がいるのなら、ちょうどよい暇潰しになろう」

 

 それはただのひまつぶし。

 

 ただの、……興味本位?

 

 確かに鷹の目のミホークなら「暇潰し」でどんなことでも仕出かすイメージはある。

 

 けれど俺はミホークの言葉に違和感を感じる。

 

 本当にそれだけなのか。

 

 それだけではなく、つまりミホークは必要に迫られて桃を探しに来たのではないか?

 

 

 

「ミホ、ク、大切な人、ビョウキな、のか」

 

 

 

 だから、俺は思うままを口にした。

 

「いや」

 

 ミホークは、眉を寄せて口を噤んだ。

 

 後で知ったことだが、「大切な人」と言われたことに引っ掛かったらしい。

 

「……ただ、傷から毒が入ったと聞いた」

 

 強きものが失われるのは惜しい、と。ミホークはしばらくの間をおいてから言葉を紡いだ。

 

 ふーん、と俺は焚き火に照らされるミホークの顔を見上げる。

 

 俺は食べ終わった串を焚き火に放り込むと、立ち上がった。

 

「ミホーク。行、こう」

 

 ミホークも杯を干すと、脇に置いていた剣を持ち立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

「ミホーク、この向こう。潜って」

 

 俺はミホークを、あの滝へと案内した。

 

 ちなみにここまでの道のりはジャングルの枝を渡って先導してきたが、今は人型になってミホークの肩に掴まっている。

 

 うん、まだ怖いんだ。

 

 というかこの滝、俺にはトラウマものなんだ。

 

 人型であれば何とか滝の前に立っていられるけど、そこまで。

 

 それ以上は無理。

 

 だからミホーク。

 

 何も聞き返さずに即行動っていうのは、俺の言葉を疑ってない証拠っていうか、信じてくれて嬉しいけれども。

 

 

 

 頼むから、いきなり俺ごと滝つぼに飛び込むのは止めてくれ。

 

 

 

 

 

 



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第壱拾回 伝説の終わり

 

 

 

 

 

 

 大パニックになって暴れた俺は、もう少しでミホークを溺れ死にさせるところだった。

 

 

 

 らしい。

 

 

 

 覚えてねえよ。怖かったんだから。

 

 びしょ濡れになって、もういやだと洞窟の床に沈んでいる俺の横で、まったく消耗した様子なく立つミホークが「ほう」と感嘆の声を発した。

 

 洞窟にあった美しく澄んだ泉。そこには今、某海賊映画のワンシーンを彷彿とさせるがごとくに、煌めく宝の数々が沈められている。

 

 

 

 やったのは俺だけど。

 

 

 

 以前。沈んだ海賊船から、やたら金貨の木箱や宝石箱が流れ着いたからな。

 

 けれどそれだけじゃなくて、こざるたちが持ち帰った宝箱にはもっと年季が入った、フジツボやなんやらの張りついたものも多かった。

 

 きっとあの船の他にも、昔沖合いで難破した船の貨物とか、流れ着いたまま手付かずで残っていた漂流物がたくさんあったんだろう。

 

 そういうものを全部この洞窟に運んだ。

 

 そして、このやたらとでかい水溜まりを埋めてやれとばかりに、全部箱から出して放り込んだ。

 

 無人島でお宝なんて、食えない使えないで無用の産物よ?

 

 空いた箱のほうがよっぽど生活の役に立ったさマジで。

 

 金貨をぽんぽん放り込む時にはちょっとだけ「水があると賽銭を投げ入れたくなる日本人」てのが脳裏を掠めたけれど。

 

 ちなみにここにお宝を運んだ時には、滝つぼを潜ったりなんかしなかった。もちろん。

 

 狭いけど、天井の隙間からちまちまと運んだんだ。

 

 今回だってミホークを滝に誘導した後で俺は金斗雲を使い、洞窟の上から中に入ってくるつもりだったのに。

 

 

 

 どうしてこうなった。

 

 

 

 

 

 

「ミホーク、こっち」

 

 気を取り直した俺はミホークの肩に乗り、髪をくいくいと引っ張ることで、洞窟の奥へと誘導していく。

 

 そこにあるのは、葉もつかない一本の老木。

 

 大きくなりきれなかった実がひとつ、木守りとして枝の先でしなびているだけだ。

 

 多分、もう実はつかない。

 

 ミホークの語った伝説のように、葉も花も実も同じ枝につくような賑やかさは、俺が初めてこの木を見つけた時から今までに一度も見たことはなかった。

 

 それに、この洞窟以外の場所で、桃の木を見たこともない。

 

 ……ここがその伝説の渓谷だったとしたら、どうだろう。

 

 つまり、この洞窟は俺が思っていたような水の浸食でできたものではなく、火山噴火や崖崩れで埋もれたものだとしたら。

 

 この木が伝説の桃源郷にあった桃の木の、最後の一本ということになるのかもしれない。

 

 

 

「そうか。命の実はないか」

 

 

 

 ミホークが呟いた言葉は、小さかったのに重かった。

 

 俺はミホークの肩から飛び降りると、彼を見上げた。

 

 ミホークの胸に去来するものは何か。

 

 俺はミホークに誤解を与えたことに気付き、慌てて頭を振った。

 

「違う、ミホーク。こっち」

 

 俺はミホークのズボンの裾を、くいくいと引いた。

 

 俺が誘導したその先は、洞窟の壁が一ヶ所崩れて斜面になっている。

 

 実は金斗雲の練習をしていた頃、加速制御に失敗して激突した箇所だ。

 

 頭から突っ込んで壁が崩壊し、そして生き埋めの恐怖を味わった。

 

 崩れた壁を見る度に鬱になるのでどうにかしようと、とりあえず食べた桃の種を埋めて水を撒いた。

 

 こんな洞窟だ。

 

 撒いただけでどうにかなるものではないともちろん思ったが、だからといって残念なことに、俺は緑の手も知識も持っていない。

 

 分かることといえば、水と光、そして後は土に栄養が必要ということくらい。

 

 だから、岩清水が途絶えないように、しかし水没はしないようにと(こざるたちを使って)水路を掘った。

 

 そして採光。

 

 反射してきらめく水晶や金貨を貼って、わずかな光が届くようにした。

 

 後は昔どこかで聞きかじった曖昧な知識を元に、ジャングルから腐葉土を持ち込んだり、魚のあらや砕いた貝殻、焚き火の灰なんかを撒いてみたり。……それがまとめて腐ってひどいことになったり。

 

 そうして今、地下温室のようになったその場所には、若木が数本育っている。

 

 三年くらいかかって花が咲き、今年やっと一粒だけ実がなった。

 

 ん?

 

 まさか俺って桃の木と成長速度同じ?

 

 いやいやまさか。

 

 ……。

 

 ええ!?

 

 俺が成長しないのって、まさか桃のせいじゃないよな。

 

 

 

 

 

 



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第拾壱回 猿、海に出る

 

 

 

 

 

 

 どんな仕組みか、小さな船が荒波を掻き分けて進む。

 

 大海を渡るには危うい小船。

 

 その船の真ん中に、剣士がひとり毅然と立つ。

 

 

 

 え?俺がどうしたかって?

 

 

 

 ミホークの足元で小さく丸まって、ぶるぶると震えているよ今現在。

 

「うみこわいうみこわいうみこわい」

 

 

 

 

 

 

 あの後、俺たちは桃の実の生る枝を手折って、外に出た。

 

 もちろん俺が洞窟から出る時は、金斗雲を使った。

 

 またミホークが俺の首根っこをひょいと掴んで滝つぼに飛び込んだりしたら、堪らない。

 

 天井近くまで上がると「先に出てる」と言い捨てて、とっとと逃げ出した感じだ。

 

 

 

 そして滝の前で再び合流すると、俺はミホークにひとつ頼みごとをした。

 

 

 

「ミホーク、おねがい」

 

「よいのか」

 

「いいんだ」

 

 海図が存在した。

 

 それが発覚してわずか数年で、あの海賊たちが、そしてミホークがこの島に辿り着いてしまった。

 

 つまりはもう、伝説が伝説ではなくなってしまったということ。

 

 これからも海賊が現れる可能性がとても高くなったということ。

 

 いつかきっとこの洞窟の仙桃にすら辿り着く者がいるということ。

 

 だから、いいんだ。

 

 悪用されるよりは、ずっといい。

 

 ミホークが助走もなく跳躍した。

 

 そして、日の光に煌めく一閃。

 

 それだけで滝のてっぺんにある張り出した岸壁部分が、すぱんと切り落とされた。

 

 

 

 ゴゴゴンッ!

 

 

 

 轟音立てて滝つぼに落ち、洞窟の口を塞いだ巨岩。

 

 凄まじい水煙。

 

 その衝撃に一瞬滝の流れすら止まったが、直ぐに大量の水が流れ落ちてくる。

 

 

 

 おいおい。

 

 

 

 あまりにもあっけなく簡単に岸壁を切り落としたミホークの剣技に、俺は馬鹿みたいにあんぐりと口を開けていた。

 

 できると思ったからこそ頼んだけれど、それでも凄すぎる。

 

 包丁で大根輪切りにするのとは訳が違うんだからと言いたい。

 

 でも。

 

 

 

「ミホーク、ありがとう」

 

 

 

 俺はミホークに礼を言った。

 

 ミホークはそれにどうと答えるでもなく、別のことを聞いてきた。

 

「おぬしはこれからも、この島にいるのか」

 

 うーん、と俺は首を傾げた。

 

 仙桃は守りたい。

 

 今回の環境の変化で何が起こるか分からないし。

 

 しかし、ここに残ったら。

 

 今までの島での生活を思い返してみる。

 

 猛獣との戦闘の他に海賊との戦闘が追加されるくらいで、後はまた変わらない日々を過ごすことになるんだろう。

 

 その内マジで野生化するかもしれん。

 

「共に来るか」

 

「……いく」

 

 桃の世話はこざるたちに任せよう。

 

 

 

 

 

 

 というわけで、海に出たんだが。

 

 

 

「うみこわいうみこわいうみこわい」

 

 

 

 俺はこうしてブルッているわけである。

 

 ちなみに今は人型だ。

 

 これが一番体面積が少ない。

 

 少しでも海から遠のこうと必死なんだ。

 

 こんなことなら島を出なければよかった。

 

 ああ、でも今でなければ、俺は海に出ることなんてきっとできなかった。

 

 忘れていた、今でなければ。

 

 

 

 うん、そう。

 

 

 

 忘れていたんだ。俺の本能が海を怖がることもミホークの船が小さいことも。

 

 海はなー。遠目に眺める分には風景の一部と捉えるのか怖くはないし、前の人生では海で遠泳するの好きだったしな。それでもって、ここんとこ(あの海賊来訪以来だ)海に近づいてなかった分、すっかり念頭になかった。

 

 問題なのはミホークの船だ。

 

 ていうかさ。ミホークの船なんだけど、聞いてくれよ。

 

 原作にあった厨二病全開の十字架マストを背負った棺おけにソファー的なあれではなく、もっと普通に公園の池に浮いていそうなボートを少し大きくした程度の船に、生成りの帆が一枚あるだけだった。

 

 

 

 なにさそれ。反則だろ。

 

 

 

 つむじ風にもてあそばれる木の葉のように、上下左右に大きく揺れる小船。

 

 今にも転覆しそうな勢いで大波が襲いかかり、ざばざばと海水に濡れる。

 

 一緒に船に乗り込んだこざるたち(半分は島に置いてきたが、半分は連れてきた)も、最初は一緒に船底で震えていたが、海水被ってことごとく元の毛に戻った。そして波に浚われていった。

 

 塩辛いのが船の中でも溺死しそうな浸水のせいなのか、流したつもりもない涙のせいなのかも分からなくなった。

 

 なんでミホークは平気な顔でぶれることなく立っていられるんだ?

 

 信じられないふざけるな。

 

 

 

 俺を島に帰してくれー!!

 

 

 

 

 

 



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第拾弐回 海軍と猿

 

 

 

 

 

 

「ひとつ磨いて船のため~ぇえ。ふたつ磨いて船のため。命あずけたこの船が、おいらのカワイイ恋人さァああ」

 

 ジャッジャカ、ザカザカと。

 

 調子外れの即興歌のようでもあり、しかしはるか昔から歌い継がれてきた伝統歌のようでもある船唄。その拍子を取るかのごとくに、椰子で甲板を磨く音が幾重にも重なって響く。

 

 甲板での原始的な音楽を、ピーッ!と甲高い笛の音が切り裂いた。

 

 

 

 お?

 

 

 

 顔を上げた俺は「おわりかー?」と立ち上がって、広い甲板を見渡した。

 

 クルーたちは皆作業を終えて三々五々片付けに動いているが、今回初めて参加する俺には勝手が分からない。

 

「おーい、ゴクウ。おまえは椰子割り集めてくれ」

 

 きょろきょろしている俺に声が掛かった。

 

「あいあいさー」

 

 微妙に間違っている気がする敬礼をしてから、近くにある木のバケツを抱えて、甲板の端のそこかしこに転がる椰子を拾い集め始めた。

 

 

 

 

 

 

 あの後。

 

 渦潮の海域を脱出した後、ミホークが軍艦を探してくれた。

 

 うん、多分あれは偶然出会ったんじゃなくて、船底で丸くなってブルっている俺を見かねてわざわざ探してくれたんだと思う。

 

 なんの計器もついていないのに、どうやって見つけてどうやって方向転換したのかは全くの謎だけどな。

 

 

 

 遠洋航海が基本の軍艦はでかかった。

 

 

 

 縁に6つも括り付けられた端艇ひとつとってみても、ミホークの船よりでかいくらいだ。

 

 だから、船の上だけど海は遠い。

 

 船の縁に近付かなければ怖くないと、俺は暢気に甲板を歩くことができる。

 

 

 

 ちなみにミホークは譲り渡されたキャプテンルームで、当たり前の顔をしてくつろいでいる。

 

 気障ったらしくぎやまんグラスでワインなんか飲んでるんだぜ。

 

 似合っているけどな。

 

 俺はミホークみたいに悠々とお大臣さましてるってのは、無理。

 

 身体を動かしていないとダメなんだ。

 

 貧乏性?

 

 そんな事実、俺の耳には聞こえないよ。

 

 だからタワシ代わりの椰子の実を手に持って、海軍の水兵さんたちと一緒に甲板磨きに精を出していたというわけだ。

 

 

 

 

 

 

 水兵さんたちとは、随分と仲良くなった。

 

 最初は不審な目で見られたぜ。

 

 なにせあの鷹の目のミホークが、ぐったりした子どもの首根っこをぶらさけてのご登場だ。

 

 

 

 海に疲れて歩く気力も起きず、ミホークに荷物さながら運ばれているこの俺ですら、周りから聞こえてくるざわめきっぷりには、いいから落ち着けと言いたくなるほどだった。

 

 なのにミホークは説明ひとつせず俺を甲板に放り出すと、海軍本部へ行けと命令しただけ。

 

 そして、キャプテンに案内されて艦長室へと退場。

 

 

 

 そりゃ困惑もするさ。

 

 

 

 ミホークにぼてりと放り出されたままだった俺は、色々諦めて顔を上げると、きょろりと状況を見回した。

 

 俺を遠巻きにした水兵さんに、ぐるりと周りを囲まれている。

 

 

 

「いったいなんだこの子ども」

 

「まさかどこかから拐ってきたのか」

 

「いや、あの格好。遭難者かもしれんぞ」

 

「あの鷹の目が人命救助?!」

 

「ないない」

 

「じゃあ、鷹の目の子どもとか?」

 

「ええっ」

 

 

 

 いいのかミホーク、好き勝手言われているぞ。

 

 

 

 そして俺がミホークの子どもってのは無理があるだろ流石に。

 

 というか、前の人生合わせれば俺のほうが年上だ。

 

「何をしてるんだ、お前ら」

 

 フリーズ状態に陥りそうになった甲板に、状況を打破する声が届いた。

 

 視線を巡らせてみると、周りを囲んでいたクルーの一角が割れていて、コックコートにスカーフの素敵ひげなおっさんが立っていた。

 

「料理長!」

 

「丁度いいところに」

 

「この子、お願いします」

 

 そして料理長と呼ばれた男に、すべてが丸投げされた。

 

 

 

 え?

 

 

 

 クルーたちは海軍本部へと進路変更するために、各々の持ち場に戻っていく。

 

 

 

 ――っておい。

 

 

 

 後を任されたおっさんと甲板に座り込んだままの俺が顔を見合わせた。

 

「うむ、あー」

 

 コックのおっさんは困惑気味に顎ひげを擦る。

 

 持て余し感が満々だ。

 

 本当に申し訳ない。

 

「ゴクウ。おれ、ゴクウ」

 

 とりあえず、挨拶だ。

 

 挨拶が基本だ。基本が挨拶だ。

 

「おじゃましていますよろしくおねがいします?」

 

「うむ」

 

 厳格なじーさんがそれでも孫には相好を崩すかのように、目許が緩んだ。

 

「では、ゴクウ。一緒にお茶でもいかがかね」

 

 自慢の茶葉を振る舞おう。

 

 そうお誘いを受けたが、案内されたのはシャワールームだった。

 

 

 

 臭いか、俺!?

 

 

 

 

 

 



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第拾参回 海軍レシピ

 

 

 

 

 

 あの後シャワールームでひと騒動起こしたが、それについては省略だ。

 

 

 

 なんにしろ今は、食堂の一角でティータイムと洒落こんでいる。

 

 素敵ヒゲでダンディーなおっさん、つまりはこの艦の料理長は、夜の仕込を終えて「さあ休憩に入ろう」と甲板に出てきたところで、あのフリーズ状態に出くわした。

 

 そして、俺がシャワールームで騒いでいる間にもう一仕事。

 

 ミホークにも自慢の紅茶を給しようとしたら、既に酒を飲み始めていたので、つまみとして即席カナッペを作ってきたらしい。

 

 

 

 おつかれさまなことだ。

 

 

 

 そんな話を聞く一方で、俺についても色々聞かれた。

 

 あの全てを押し付けられた時に、情報収集も彼の仕事になったんだろう、確実に。

 

 艦長がミホークの相手をしているとはいえ、何か聞き出せるとも思えないしな。

 

 けれど、俺としても料理長と話すのは楽しかった。

 

 たくさん話して、話すことにもずいぶんと慣れた。

 

 一人だった時は声すら出していなかったのだと、しみじみ思う。

 

 喉が閉じてしまっていたんだ、ずっと。

 

 この調子でいけば、大猿の姿で話せるようになるのもきっとすぐだろう。

 

 

 

 お茶と一緒に出されたのは、パンで作ったサマープディングだった。

 

 これには海軍御用達のパンが使われている。

 

 海の道が交わる島の特産品で、ドライフルーツをたっぷりと使ったパンは保存が効き、固く焼く製法が他のパンよりもウジがわきにくいという長所を生み出した。

 

 しかし日持ちしたところで、だんだん固くなっていってしまうのはどうしようもない。

 

 ただでさえ固いパンが日が経つにつれ更に固くなり、終いにはかなづちで割らないといけない程になるんだそうだ。

 

 かなづちで砕いたパンとブラックベリーに似た果実をたっぷりと使いながら、大きなボール型に詰め込んでいく。

 

 

 

 さて、このベリー。

 

 

 

 やはりとある冬島の特産品で、ベリーにしては皮が固く実も大きく、その日保ちのよさが特徴となっている。

 

 加工する前の生の実も食べさせてもらったが、甘酸っぱくも濃厚な果汁が詰まっていた。

 

 果実酒や砂糖煮、蜂蜜漬にすると更に保存が効き、プディングを作る時には大抵ベリー酒に漬けてあった実をあげて使うのだが、今回は俺用ということで、シロップに浸したベリーを使ったものを出してくれた。

 

 

 

 酒でいいのに。

 

 

 

 サマープディングを更にシンプルにした感じで、見た目もシンプル。というかちょっとフォークを入れることをためらう黒いかたまりだったが、しかしこれが食ってみると美味い。

 

 なんでも料理長がまだ見習いの頃に師匠が作ってくれたケーキで、冷蔵庫なんてない時代からコックたちに受け継がれてきた海軍レシピのひとつなんだそうだ。

 

 本当は型にはめたまま重石をして一週間ほど置いておくと旨味が増すそうだが、今回はお茶の葉を蒸らす程度の時間に短縮。

 

 俺はその大きなボールサイズを完食した。

 

 

 

 満足。

 

 

 

 だって俺、手の込んだ料理できねえもん。

 

 俺ができないからには、こざるたちにもできない。

 

 キッチン設備がジャングルにあるわけもなく、だから料理というにはおこがましいくらいにシンプルで、食材を適当に切った後は『生』か『焼く』か『煮る』かという三択だった。

 

 まあ、それで十分美味しかったから、努力も成長も工夫もなかった。

 

 普段の食生活でもこのざまだ。

 

 

 

 すいーつ?むりむり。

 

 

 

 甘味といえば、新鮮なフルーツばかり。

 

 それが不満ってわけじゃなくて、でもやっぱり誰かが手間隙かけて作ってくれるっていうのは、特別だ。

 

 そんなことを腹一杯になるまでに感謝を込めて伝えたけれど、多分何か勘違いされた。

 

 というか、同情された。

 

 

 

 

 

 

 俺の服装も誤解の増長に繋がった。

 

 俺としてはお気に入りの一張羅による自慢のコーディネートなんだけど、あまりにもみすぼらしすぎたらしい。

 

 ちょっと客観的に見てみれば、薄汚れてガリガリに痩せた子どもが、裾の破れている上にサイズの合わない、腰まわりは大きすぎてタイパンツみたいに端を折ったズボンを穿いているだけなんだ。

 

 上半身は裸。

 

 せめてムキムキマッチョなら見映えもよかったかもしれないが、残念なことに青っ白いガリガリ君だしな。 

 

 

 

 ついでに身寄りもないといわれたら、そりゃまあねえ。

 

 

 

 だから、服も借り物だ。

 

 借りたのはもちろん水兵服。

 

 小さいサイズがあったからと、海軍見習い用の服を貸してくれた。

 

 それでも、サイズは大きめだったけどな。

 

 

 

 水兵服。ここを強調してみよう。

 

 

 

 つまりセーラー服なんだこれが。

 

 料理長の後ろについて、甲板をぽてぽて歩いている時のこと。

 

 背中に正義を背負ったごつい軍人たちに、微笑ましい顔で見られていた俺の微妙な気分は察してくれ。

 

 

 

 

 

 









海軍レシピでは、釣り上げたものはなんでも入れる闇鍋ふう海鮮カレーなどが有名です。
全てを辛すぎる味付けで誤魔化せます。



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第拾四回 ディナーとマナーとお子様ランチ

 

 

 

 

 

 

 料理長の休憩時間が終わるまで、俺は食堂にいた。

 

 その間、遅めの昼飯を食べにきたコックや、休憩中のクルー、仕事中の副艦長などが食堂に顔を出した。

 

 

 

 これがまた、お笑い草でさ。

 

 

 

 でかい図体の男たちが食堂の入り口から顔だけ出して、こっそり覗いているんだ。

 

 雁首並べて恐る恐る覗きこんでいるさまは、はっきり言って可笑しかった。

 

 料理長も俺と一緒に苦笑いしていた。

 

 しかし、彼らにしてみれば、七武海襲来の報だけでも驚愕したというのに、その鷹の目が子どもを抱えていたというのだから、更にびっくり。そして興味津々。

 

 電光石火もかくやとばかりに艦内を噂が一気に駆け巡ったけれども、その際尾びれ背びれのせいで俺の存在が随分と不可思議なモノと化していた。

 

 

 

 曰く。

 

 

 

 鷹の目のミホークが子どもを連れてきた。

 

 鷹の目の子供か!

 

 ありえないだろう。

 

 そうか?

 

 鷹の目がカームベルトで海王類の子どもを捕まえたんだとよ。

 

 いや、どこかの島で戦ったらしい。

 

 いやいや、海王類なんて可愛いもんじゃない。人間だ。人間こそが化け物だ。

 

 てことは能力者か。

 

 賞金首か。

 

 何ぃ!鷹の目が賞金首に負けただと!

 

 バカか。鷹の目だぞ、ないない。

 

 なんにしろ、鷹の目と同じ化け物だ。

 

 そのバケモノが今食堂にいる。

 

 

 

 ――迷走しているな。

 

 

 

 でだ。

 

 噂につられて食堂の前まで来たものの、どうしたものかとこっそりと中の様子を伺ってみたわけだ。

 

 その内、食堂に用があったものから通りすがりまで、いったい何をしているのかと寄ってきて人数が増えてしまったらしい。

 

 しかしまあ、期待はずれでゴメンねと言いたい感じだな。

 

 中を覗いてみれば。

 

 

 

 料理長お手製のケーキを食べていたのは、俺だ。

 

 

 

 ミホークみたいな怪物じゃなくてただのお子様。

 

 怖がってみせるのも愚かしい。

 

 まずは腹を空かせたコックたちが食堂に入ってきて、食事を始めた。

 

 それをきっかけに皆ぞろぞろと食堂に入ってきて、席はあっという間に埋まった。

 

 脇のテーブルに置いてあったでかい薬缶から、つくりおきのお茶を銘々入れて飲みはじめる。

 

「よく食うな」

 

「うまいか?」

 

 次々に声を掛けてくるもんだから、俺は口をもごもごさせながら「おいしい」を連発した。

 

 そのうち誰も彼もに遠慮がなくなって、アルコールのない宴会みたいになっていた。

 

 

 

 それともアルコール入ってたのか、あのテンション。

 

 

 

 

 

 

 気付けば、猫可愛がりというか猿可愛がりされていた。

 

 大きく武骨な手のひらで頭を乱暴に撫でられては、個人持ち込みの非常食だというチョコバーや、きらきらしたセロハンに包まれた飴、家族が持たせてくれたのだという焼き菓子を俺の目の前のテーブルに積み上げていく。

 

 私物の持ち込みはいけないんだけどね、と苦笑いをしていた副艦長もウイスキーボンボンをくれた。

 

 そして子供に何を渡していると料理長に怒られていた。

 

 周りが自分のことは棚に上げて笑っていた。

 

 お菓子があまりに増えすぎて、破れた帆で作った巾着袋をくれた。

 

 飴を口に放りこんだ後のセロハンも合わせて全部入れて、腰のサッシュに赤い口紐を結びつけた。

 

 

 

 ――なんだか、やることなすこと微笑ましく見られている気がする。

 

 

 

 自分の子供とか孫とか思い出すのかな。

 

 え、まさか愛玩動物。船のマスコット的な猿?

 

 まあそれでもいいけどな。

 

 だって俺は、誰かとコミュニケーションを取れるってことが、嬉しかった。

 

 いいよな。出会い頭に撃たれも斬られもしないって。

 

 

 

 

 

 

 休憩時間の終わった料理長は夕飯の支度に取りかかるべく、去っていった。

 

 俺といえば、次は甲板長に託された。

 

 さてどうしたものかと首を傾げた男に、仕事の邪魔はしたくない旨申し出ると、「じゃあ俺の仕事を手伝ってくれ」という話になり、甲板掃除の指揮をとるそばで、俺も椰子割りを持って甲板掃除に励むこととなった。

 

 仕事の邪魔にならない場所で子供を遊ばせておく感覚だったんだろう、多分。

 

 

 

 ――自分で言って空しくなるな、これ。

 

 

 

 見た目には合っている?

 

 うるさいよ。

 

 

 

 

 

 

 その後も俺はいろんなクルーに託されて作業の手伝いをしたり、副艦長に艦を案内してもらったり。

 

 夕飯は艦長室で取った。

 

 艦長がホストで、ミホークがゲスト。俺はおまけ。

 

 料理は豪華だった。

 

 おふらんすっていうの?

 

 ディナーでコースだ。

 

 軍人さんってこんな贅沢が許されるものなのか?

 

 ミホークが居るからなのか?

 

 でももし、普段からこんな贅沢が許されているとしてもしないだろう。艦長の人柄的に。

 

 それはともかく、白いクロスのテーブルと並べられたナイフにフォーク。

 

 

 

 どうしろと。

 

 

 

 

 マナーてなにさ食べられるのかよと、恐怖におののいていたが、料理長が俺の前に置いたのはお子様ランチだった。

 

 食べやすいよう先割れスプーンがついている。

 

「ありがとう!」

 

 俺は料理長に礼を言ってスプーンを握った。

 

 

 

 うへへへへ。

 

 

 

 変な笑いが零れる。

 

 傍からみたらずいぶんと崩れた顔をしていただろう。

 

 でもだってさ。

 

 例えそれが子ども扱いだとしても心遣いが嬉しいっていうか、ティータイムの時もそうだったけれども、誰かが俺のこと考えて何かしてくれるっていいな。

 

 こざるが肉を焼いてくれるっていうのとは、全然意味が違う。

 

 料理だけの話でもない。

 

 心がくすぐったくて笑ってしまう。

 

 そんな気分だった。

 

 

 

 

 

 



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第拾五回 ハンモックと夏島の主張

 

 

 

 

 

 

 一枚のプレートに世界のすべてがつまっている。

 

 

 

 そんな素敵なお子様ランチも、あっという間に食べ終わってしまった。

 

 俺は退屈になってスプーンをがじがじとかじりながら、同席者に目を向ける。

 

 海軍の士官はやっぱり海の紳士たれと、礼儀作法も仕込まれるんだろうか。

 

 マナーもしっかりしていて、船の揺れをものともせずきれいに食べている艦長。

 

 そしてミホークも、俺と酒盛りしていた時のワイルドな姿を想像もできないフォーク使いでステーキを食べている。

 

 

 

 ていうか、うらやましいな。肉。

 

 

 

 俺はスプーンをくわえたままで、めいんでっしゅなステーキを食べているミホークの手元を睨みつけた。

 

 そりゃもう、羨ましさ120パーセントの目で。

 

 ミホークはもちろん、俺が島でがっつり海王類の肉を食べていたのを知っている。

 

 

 

 というわけで、見かねたのか肉を追加で頼んでくれた。

 

 

 

 料理長が命じると、給仕として控えていたクルーのひとりが艦長室を出て行く。

 

 元々追加オーダーの心積もりをしていたのか、それともクルーの食事を奪ってきたのか。

 

 大皿の料理がすぐに登場した。

 

 何かの丸焼きが、ででんと鎮座している。

 

 でかい鳥の丸焼き――じゃないな。え。カ、カエル?

 

 カエルか?

 

 ほらあれだ。

 

 海の列車に体当たりしていたでかいカエル。

 

 あれに見えるんだが。

 

 と思いつつ。俺は躊躇なく丸焼きにかぶりついた。

 

 

 

 

 

 

 ミホークがナイフとフォークを置きワイングラスを持ち、食事に一区切りがついたのを見てとって、艦長が話題の糸口を手繰りよせた。

 

「ゴクウくんのために、艦長室にもうひとつベッドを運びこまないといけませんな」

 

「えー」

 

 俺はすぐに否定形を口にのぼらせる。

 

 それもマナー違反?

 

 気にするなー。

 

「ハンモックがいい」

 

 主張したいことをきちんと告げるほうが大切だ。

 

「なぜだ?」

 

 ミホークが心底不思議そうに聞いてくる。

 

 なぜだもなにも。

 

「だってミホーク。ハンモックだよ、ハンモック」

 

 夏島と軍艦ではハンモックで寝るべし!

 

 案内してくれたクルーがそう主張していた。

 

 賛成だ。

 

 第二甲板で見せてもらった、居住区にずらりと並ぶハンモックに、俺の心は躍り上がったものさ。

 

 飛び上がって喜んで、そのままダイブ!

 

 当直明けのクルーが寝ているのをものともせず義経のごとく八艘跳びを披露しようとして失敗し、クルーも枕も毛布も一緒に絡まって大変な騒ぎになったのも記憶に新しい。

 

 

 

 うん。たのしかった。

 

 

 

「ミホークはハンモックで寝たことあるのか」

 

「ない」

 

「俺もない」

 

 だから体験したいのだ。

 

「ミホーク。楽しいことを楽しまないのは人生損してる」

 

「ふむ」

 

 ミホークが頷いたのをいいことに、俺は更なる提案を重ねた。

 

「じゃあ、ミホーク。一緒に居住区にハンモック吊るしてもらおう!」

 

 二人のやりとりをほほえましく見守っていた艦長が真っ青になった。

 

「い、いえ。それは……」

 

 まずいか?

 

 俺は首を傾げたが、でもやっぱり不味いらしい。

 

 がんばれ艦長と部屋の脇で控えていたクルーが、声を出さずにエールを送っていた。

 

 ミホークと共寝は遠慮したいらしい。

 

 

 

 結局、艦長室にふたつハンモックを吊るしてもらうことになった。

 

 

 

 いいだろハンモック。

 

 うらやましいだろハンモック。

 

 

 

 ハンモックサイコー!

 

 

 

 

 

 

 








 ああ、懐かしの海洋小説の世界。
 海と帆と。
 大砲とラム酒とエールと火薬と黒パン。
 狭い砲甲板。
 この軍艦は快適すぎてあまり思い浮かばなかったけれども、ここは海軍。
 あの、湿気た焦げ茶色の世界にとても近いところ。

……こういう雰囲気にしたかったのですが。


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第拾六回 猿と煙と何とやら

 

 

 

 

 

 ひゃっほう!

 

 

 

 やあ!ごきげんかい?俺はごきげんだ。

 

 俺は今、メインマストのてっぺんにいる。

 

 海は遠く、空は近く、風の中にいる景色は鮮やかな青。

 

 もっと高い木の上にも、もっと険しい崖の上にも登ったけれど、それとは全く違う爽快感。

 

 最高に気持ちがいいんだぜ。

 

 なに?

 

 猿と馬鹿は高いところが好き?

 

 それが両方だけに――って失礼だな。

 

 猿と馬鹿のどこが悪い。

 

 最高に楽しいぞ。

 

 

 

 マストに足を引っ掛けて甲板を見下ろせば、ミホークが鍛練をしている姿を捉えた。

 

 

 

 水兵たちは、そんな覇気溢れる――というか、溢れかえりすぎて物騒な殺気を放つ鷹の目には近付かない。

 

 甲板掃除が不自然な円を描いている。

 

 また、何人かのクルーがマストに1人で登ってしまった俺が落ちやしないか、帆に巻き込まれまないかと下ではらはらしている姿も見える。

 

 海軍の皆さんとは(そして概ねミホークとも)随分と仲良くなって、快適に過ごしている今日このごろ。

 

 マストで跳び跳ね甲板を走り回り、ミホークを艦長室から引っ張り出そうと無駄な努力を重ね、コックの背中に張り付いてシチューの作り方を教わり、大砲の砲筒にもぐりこみ、クルーたちの足元にまとわりついて仕事の手伝いをしつつ実際は邪魔をして、嵐の夜に走り回るクルーとセントエルモの火を肴にしてミホークと酒を呑んだり、ハンモックをぐらぐら揺らしては海の話をせがんだりと、まあそんな感じに充実した日々を過ごしているわけだ。

 

 

 

 しかし、どれだけ居心地よくてもいつまでもお世話になってはいられない。

 

 

 

 なにせミホークは急いでいる。

 

 急いでいるのなら、ミホークの船で目的地に向かうほうが速いんだと俺は思っていた。

 

 ミホークの船って池のボートに帆を足しただけのような生なりの小舟だけど、いろんな法則無視して1日でグランドライン一周できそうな不思議船のイメージあるんだよな。

 

 

 

 あ、持ち主が不思議剣豪様だからか。

 

 

 

 ミホークの船は小さい分、積載量も少ない。

 

 だからって、きつい酒をわずかばかり積んでそれでいいってどうよ。

 

 まさか酒だけで航海していないだろうなミホーク。

 

 そんな不思議剣豪の持ち船だから余計に、あっという間に目的地に着きそうな気がするんだな、きっと。

 

 でもそんな俺の思い込みとは裏腹に、この艦のほうが速いという判断を下したのだろうミホーク。

 

 そうでなければ、俺だけをここに預けて先に行けばいい。

 

 でもミホークはそうせずに、艦長室でワインを順調に消費しているのだから。

 

 

 

 そして、その鷹の目のミホークの御意向を受け、急遽海軍本部へと向かうことになった海軍さんの事情はというと。

 

 

 

 今回の航海の目的は、海楼石を使った新造船のテスト航行のための演習だった。

 

 海軍本部を出て、荒い海域を選択しつつカームベルトを目指して進んでいたところで鷹の目(と俺)が乱入した。

 

 造ったばかりの船をばっさり斬られなかっただけマシだと艦長副艦長揃って胸を撫で下ろすってどうなんだろう。

 

 実際にミホークてば、邪魔だからで船を沈めてしまうことが多いらしいよ。

 

 海軍にも海賊にも、運悪く出くわす災害扱いされている。

 

 シーモンキーと並んでどちらが厄介かと言われていたが、七武海になってからは「天災」扱いから「演習指導」と「海賊討伐」扱いになったそうだ。

 

 

 

 ……それってつまり、やっていることに変わりはないってことだよね?

 

 

 

 まあ、だからというかなんというか、流石七武海無理が通るとこの世の理不尽を嘆くべきというか、演習予定はあっさり変更となり、鷹の目なんて危険物をいつまでも載せておきたくないという本音も見え隠れしつつ、最速ノットで引き返し中なわけだ。

 

 俺たちを降ろした後、艦はそのまま演習に戻るらしい。

 

 これが別れと名残を惜しんだクルーが、ごつごつとした大きな手のひらで俺の頭を乱暴に撫でながら、色々と餞別をくれた。

 

 こっそり持ち込んだ非常食がわりの甘味がほとんどで、俺の両手は一杯になった。

 

 とっておきだっていうバブルキャンディをそのてっぺんに乗せつつも「今度持ち物検査するか」と副艦長が言うと、料理長が「じゃあ、一番手はあんただな」と返し、周りがどっと沸いた。

 

 その料理長にはレシピ本をもらった。そして、艦長には斜めがけにする麻袋再利用のバッグをもらった。

 

 

 

 あれ?これってどんなデジャブ?

 

 

 

 

 

 

 そして、海軍本部。

 

 ミホークを出迎えたのはおつるさん、と。

 

 極彩色(カラフル)な極楽鳥――じゃなかった、紅鶴。

 

 

 

 ドフラミンゴだった。

 

 

 

 

 

 








バブルキャンディ。
シャボンディ諸島産のチューイングキャンディで、風船ガムのように膨らませることができる。
大量に口に放り込んで膨らませば、空を飛べると信じられている。


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第拾七回 ミホーク海賊団

 

 

 

 

 

 

 三日月の島、マリンフォード。

 

 

 

 丸い内海にはたくさんの巨大な軍艦や商船が並び、その間を小型船舶が行き交う。

 

 湾を埋め尽くすほどの白帆は、正に圧巻。

 

 そして海軍本部の前では、白いコートをはためかせた将校たちを引き連れて、海軍中将おつるさんが待っていた。

 

 

 

 圧巻圧巻。

 

 

 

「七武海に入ってからずっと音沙汰なしだったのに、どういう気まぐれだい。鷹の目」

 

 おつるさんが、そう会話を切り出した。

 

 だけどミホークは、ふんと鼻を鳴らして返事に代えた。

 

 俺はその足元から「はじめまして」と挨拶をする。

 

 おつるさんが目を細めて、にこりと微笑んだ。

 

「おや、はじめまして。かわいい子を連れているね」

 

「それが噂の鷹の雛かァ」

 

 いきなり俺たちの後ろからずいと身を乗り出してきたのは、ピンク色の羽コートをまとったドフラミンゴだった。

 

 

 

 うわ、でけえ。

 

 

 

 振り向いた俺は、思わず口をぱっくり開けて見上げてしまう。

 

 鳥さん、サイズ3メートルだっけか?

 

 俺としてはこんなビッグな人間初めて見るが、この世界では小さいほうなのかもしれんと原作を思い返してみる。

 

 うん、遠近法が間違っているんじゃないかってくらいのビッグサイズが多かった。

 

 これだとジンベエやクマに会うのも楽しみだ。

 

 ああでも、まだ両方とも七武海にはいないのか。残念。

 

「面白いもんが見れるって情報が入ったからな。足を伸ばして見物に来てやったぜ」

 

 フッフッフッと笑うドフラミンゴにおつるさんが厳しい口調で言う。

 

「ドフラミンゴ。あんた、またスパイを増やしたね」

 

「おつるさんも俺の配下ンとこに新しいの入れたろ」

 

 返すドフラミンゴはひょうひょうとしたものだ。

 

 

 

 なにそれこわい。

 

 

 

 つまりはだ。

 

 ミホークが海軍本部に来ることは、乗ったのが軍艦なんだからもちろん直ぐに連絡が行っただろう。

 

 その情報を海軍に潜り込んだ紅鶴のスパイがキャッチし、報告。

 

 ドフラミンゴが好奇心に駆られて舳先を海軍本部に向けたことは、海軍側のスパイが報告したと。

 

 なんてスパイ大作戦。

 

 ていうか、情報の行き来速いねと感心してしまう。

 

 そしてミホークとドフラミンゴが揃って入港という事態に、おつるさんが監視役に選ばれたというところかな。

 

 

 

 実際、睨み合ってるし。

 

 

 

「あんたたち、暴れるんじゃないよ」

 

 おつるさんが、子供の喧嘩に呆れているような声で2人をたしなめた。

 

 言われなくても、おつるさんの目の前でそんなヤンチャはしないだろうけど。

 

 ――いや、するのか?

 

 しそうだな。

 

 まあ、今はただ睨み合っているだけだ。

 

 それでも、桟橋の向こうで立哨していた水兵が気絶した。

 

 おつるさんの後ろに並んだ将校は流石に気絶しないけどひどいあぶら汗を流している。

 

 

 

 俺?

 

 

 

 俺は今ちょっと紅鶴っていう名前の高い山を攻略中。

 

 ピンク色の羽をのぼって背中を通過し、そろそろ左肩に到着するかというところ。

 

 しかしこのコート、何でできているんだろう。よく羽が散らないな。

 

 これで戦闘もするっていうんだから不思議だ。

 

 すごいなドフラミンゴ。

 

 さすが七武海。

 

 あれ?

 

 俺はドフラミンゴの肩に手をかけながら、首を捻った。

 

「まったく。あんたたち海賊は好戦的でいけないよ」

 

「海軍のやつらだってたいして違やしねェよ」

 

 おつるさんの言葉にドフラミンゴは、目線をミホークから外さないままで、フッフッフッフッと肩を揺らして笑う。

 

 そのたびにコートの羽がばさばさ膨らんで、掴まっている俺としては面白いがそんなことより。

 

 俺はドフラミンゴの肩を蹴ってミホークに向かって跳んだ。

 

 今更だけどよく怒らないなドフラミンゴ。

 

 意外と寛容なのか。

 

 そして、肩から肩にとんだ俺に虚をつかれた3人。

 

 

 

 せっかくのにらみあいを中断して悪いけれど、疑問がある。

 

 

 

 俺はミホークの肩にぶら下がりながら、聞いた。

 

「なあなあ、ミホーク」

 

「なんだ」

 

「親子か」

 

「親子だね」

 

 それを見て、鶴鶴コンビが息の合ったコメントを同時に呟いた。

 

 

 

 しつれいな。

 

 

 

 しかしまあ、それで緊迫した空気が弛んだ。

 

 将校の誰かがほっと息を吐く、小さな音が聞こえた。

 

「ドフラミンゴって海賊なのか?」

 

 何を今更当たり前のことをいう顔をされた。

 

 でもさあ。

 

「そうしたら、ミホークも海賊なのか?」

 

 いやいやいや、俺としては至極マジメに訊いたつもりなんだけど。

 

 なんでか、ドフラミンゴに爆笑されている。

 

「軍艦に乗って海軍本部に来たから、混乱させたんじゃないのかい」

 

 おつるさんが、良心的なコメントをくれた。そして「あんた、ちゃんと説明しなかったんだろ」とミホークがお叱りを受けている。

 

 そうだよなあ。

 

 王下七武海ってことは、著名だった海賊だよな。

 

 でもミホークって元賞金首っていうのはありでも、あまりにも『剣士』のイメージが強すぎて『海賊』としてのイメージがなかった。

 

 ていうか、この海で囲まれ島で生きる世界での海賊の定義ってものを聞きたいものだ。

 

「ミホークは海賊」

 

 改めて声に出して、俺はそのことをきちんと認識した。

 

「じゃあ俺、ミホーク海賊団のクルーになる!」

 

「ねえよ」

 

 ドフラミンゴに、即座に否定された。

 

 ないのかよ。

 

 だから海賊のテーギって。

 

「ないなら作ろう」

 

「いらん」

 

 今度はミホークがばっさり一言に切り捨てた。

 

 ぶー。

 

 いいじゃないか、ミホーク海賊団。

 

 キャプテンはきみ、クルーはぼく。

 

 

 

 呼吸困難起こす勢いで、ドフラミンゴが大笑いしていた。

 

 

 

 

 

 



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第拾八回 トラウマ+トラウマ

 

 

 

 

 

 砲丸投げのように、海に投げ込まれた。

 

 誰にって?

 

 ガープのじいさんにだ。

 

 

 

 

 

 

 海軍本部に着いた次の日の朝。

 

 俺が起きた時には、既にドフラミンゴもミホークも居なくなっていた。

 

 ええっ!なんでさー?!と、眉を八の字に歪めてみても、置いてきぼりは変わらない。

 

 

 

 

 昨日の夜は、ミホークと一緒になんだかずいぶんと豪華な部屋に通された。

 

 来賓用?

 

 首を傾げていたら、王下七武海用の個室だと教えられた。

 

 え、でもミホーク一回も来たことないって、おつるさん言ってたよな。

 

 他の七武海もだいたい似たようなものだろ、きっと。

 

 うわ贅沢。

 

 ふかふかのベッドで眠るなんて、今世じゃ初めてのことで。

 

 慣れなくて眠れないと思っていたが、逆にこれでもかってくらいぐっすりと眠った。

 

 具体的にはお日さまがてっぺん近いくらい。

 

 寝過ぎて目玉溶けそうと、まぶたを擦りながら起き出して、ミホークはもう部屋にいないから、どこかで鍛錬でもしてるのかなと廊下に出てすぐに、おつるさんに声を掛けられたのだ。

 

「鷹の目ならもういないよ」

 

 眠気もすっかり覚めた。

 

 ぶんと振り向く。

 

 おつるさんが腕を組んで立ち、俺を見下ろしていた。

 

「お前を置いてすぐ、出て行ったよ」

 

 多分シャボンディ諸島に行ったんじゃないかね、と言う。

 

 ちょっ、昨日ミホーク海賊団結成したばかりなのに。

 

 あの剣豪。人の話聞いてないな、まったく!

 

「安心おし」

 

 むくれた顔で見上げる俺におつるさんが何を思ったのか。腕を下ろすと俺の前に屈みこんで、迷子を安心させるためのような大人の目で微笑んだ。

 

「すぐに戻ってくるよ」

 

「ホント?」

 

「もうすぐ定例会議があるんだ。軍の船使ってここまで来た以上、顔をお出しと言ってやったら存外素直に頷いたよ」

 

 

 

 あー。うん。

 

 

 

「おれのせい」

 

 置いていかれるのも嫌なんだが、無理をさせるのも嫌だ。

 

「本来なら、顔を出す義務があるんだ。気にしないでいいよ」

 

 その間どうしようかねと、おつるさんは笑って言った。

 

「それとも、ゴクウ。ミホークを待たなくてもいい。あんた海軍になるかい?」

 

「や、海こわいからヤダ」

 

 もちろん、即答です。

 

「海が怖いなら、海賊も無理だろう」

 

 おつるさんの表情が微妙なものになった。

 

「それじゃあ、鷹の目も置いていかざるを得ないよ」

 

 おっしゃる通りです。

 

 ミホークがシャボンティ諸島に向かったというのはおつるさん(海軍)情報網だろうか。

 

 なんにしろミホークは、目的地が近いからこそ海軍本部を利用したはずだ。

 

 そして、その目的地は直接軍艦で乗り付けるには不都合がある場所ってことで。

 

 でも俺はミホークのあの船には乗れない。

 

 そりゃミホークとしては俺をここに置いていくしかないよな。ひとことあってもいいとは思うけど。

 

 

 

「なんだ海が怖いのか」

 

 

 

 いきなり猫の子でも持つように首根っこを掴まれ、ぶらんと持ち上げられた。

 

「わしが鍛えてやろう」

 

 俺をぶら下げながら豪快に笑っていたのは、ガープだった。

 

 なにこの急展開。いいからおろして。

 

 

 

 

 

 そして沖に出た途端、ガープの軍艦の上からあの砲弾投げの勢いで海へと放り込まれた。

 

 ドボン!

 

 そんな音と共に、俺は深く海に沈みこんだ。

 

 そして大量の海水飲んで、部下に助けられたらしい。

 

 パニックになる前に気絶して覚えていないけどな。

 

 

 

 こうして俺に新しいトラウマが爆誕した。

 

 

 

 しゃくにさわることに、あれを思えば甲板の上なら海が怖くはなくなった。

 

 最初はじいさんに捕まらないようにちょろちょろ逃げるのに必死だった。

 

 その内、海に投げ込まれても気絶しなくなった。

 

 背筋が凍るような本能的な恐怖は消えなかったけれど、パニックを押さえて海面を目指すようにもなった。

 

 更には半年で、海に落ちる前になんとか金斗雲の術で空を蹴って甲板まで戻れるようになった。

 

 あー。昔、果てしない海の上を飛び続けるのは恐いとか言っていた頃が懐かしい。

 

 今はぜんぜん平気。

 

 ガープのじいさんの腕で海に投げ込まれたあの恐怖に比べれば、海の上くらいどこまでだって飛んでみせるさ。

 

 

 

 ちなみに、ミホークと再会したのは更に一年後だった。

 

 

 

 

 

 








金斗雲の術で空を走っていると月歩に見え、そして孫悟空スペックな身体の頑丈さは鉄塊にも見え。
そのため海兵さんたちは、六式が既に使える期待のルーキーだと勘違い……してると面白いかもしれない。


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第拾九回 ミホークの島にある日常

 

 

 

 

 

 

「ミホーク!おつるさんに宝の地図貰った!冒険行こう、冒険!」

 

 俺は屋敷の裏の鍛練場で、どでかい鉄の模造剣を振り回しているミホークを見つけると、古びた地図をぶんぶんと振りつつ声をかけた。

 

「ゴクウ、貴様あの将校にいいように使われているぞ」

 

 剣を地面にがんと突き刺して手を止めたミホークが俺に返す声は、どことなく呆れている。

 

 

 

 でも、それはちょっと違うと思う。

 

 

 

 俺なんて動かして、おつるさんに旨味があるものか。

 

「いいように動かされているのはミホークさー」

 

 だってもちろん俺の冒険に付き合ってくれるんだろ?ミホーク。

 

 俺はごきげんな口調で歌った。

 

 

 

 

 

 

 ミホークと合流したのは海軍本部ではなかった。

 

 いや、ミホークはあれからちゃんと会議の場に顔を出してくれたらしいよ。

 

 肝心の俺がいなかったけどね。

 

 で、俺がいないと知ったミホークは会議にも出ずにマリンフォードを後にした。

 

 じゃあ、どこで再会したのかというと東の海だった。

 

 ガープのじいさんの遠征は生まれた孫の顔見に行くついでに予定組んだんじゃねえのって聞きたくなるような、東の海まで行って帰ってくる長期間遠距離なものになっていた。

 

 そうそう、ここに来てやっと今がいつか分かった。

 

 じいさんの孫は1歳か2歳くらいだってさ。

 

 ミホークも若いしそうじゃないかとは思っていたけれど、原作開始はまだまだ遠いらしい。

 

 でも残念なことにフーシャ村に海軍の船で直接乗り付けた訳じゃないから、赤ん坊ルフィを見ることはできなかったけどな。

 

 

 

 ミホークはどうして東の海にいたのか。

 

 

 

 なんでも東の海で行われる剣術大会に行ったらしい。

 

 大会に参加したとか乱入したとか荒らしたとか、そんなミホークならありえそうな切った張ったの物騒な話じゃなく、東の海の端に埋もれるには勿体ない使い手がいるそうだ。

 

 普段は剣術道場の先生をしていて他所には出てこないけれど、この時ばかりは審判役として顔を出す。

 

 ミホークは毎回、大会の開催に合わせてその先生に会いに行く。

 

 彼との手合わせが目的ではあるけれど、ただ酒を酌み交わすだけの時もあるらしい。

 

 そんなわけで、東の海でガープじいさんとミホークの航路が交わり、海の上で偶然としかいいようのない再会を果たしたというわけだ。

 

 

 

 

 

 

 海に生きる海賊たちにも根城はある。

 

 どこぞの大国の空母かよと言いたくなるような、まるで街が海に浮いているかのような巨大な船を母体にしていたり、馴染みの港や馴染みの宿をいくつも持っていたり、村を襲って支配して吸い尽くしたら次に移る寄生虫のような奴もいたりと様々だ。

 

 

 そして、彷徨う剣士なのかと思っていたミホークにだって、ちゃんと拠点があった。

 

 

 ミホークはとある島の、そこを治めているという館に住んでいる。

 

 島にはひとつ小さな村があるだけだ。

 

 ミホークは「お館さま」だなんて呼ばれている。

 

 他の海にもいくつか島や屋敷を持っていて、それらはいつもミホークいわく海軍から押し付けられるらしい。

 

 荒れ果てた城に山賊が住み着いているから壊滅しろだとか、圧政しいてる政権への反乱が長引いているからどちらが勝ってもいいけれど沈めてこいだとか。

 

 海軍には手を出せない、たった一人の剣士が暴れるなら問題はないような、そんな厄介ごとの解決。

 

 それを命じただけでは気紛れキングな剣豪様を動かすには至らないが、海軍も心得たもので、珍しい武器や武術の使い手がいてそれでもって強いらしいと、きちんとミホークのツボをついた面白い情報を添えてくる。

 

 そして、持ち主のいなくなった城や島がミホークの管理下に入る。

 

 というか、海軍に報酬という名目で押し付けられる。

 

 そうでなければ、ジャングルで猛獣に警戒されながらの野宿でも、小船に揺られてカームベルトで漂流でも全く気にしないのがミホークだ。

 

 

 

 何かあった時の抑止力。――そういう意味ではミホークもちゃんと王下七武海の務めを果たしている。

 

 

 

 その館でミホークはほとんど鍛練ばかりをして過ごしている。

 

 俺も一緒に鍛えている。

 

 元々が大自然相手の無手勝流だったから、ミホークとの鍛練は随分と為になる。

 

 ちなみに原作を思い出し、でかい岩を3つ鉄の棒に差して素振りをしていたら、ミホークに重いものを振り回すだけでは意味がないとダメ出しされた。

 

 すわ、ゾロの鍛練まさかの全否定?と慄いたが違った。

 

 俺が見よう見真似でやるのが駄目らしい。

 

 筋が伸びきっている重石に振り回されていると、俺が全否定された。

 

 そして思い出したくもない特訓の末、体の動かし方の基礎をばっちり仕込まれた。

 

 更には剣の握り方も振り方も教わったけれど、こちらはどうにも性に合わない。

 

 なので、今はまた昆を使っている。

 

 木を切り出したものではなく、鉄のものを誂えてもらった。

 

 そんな鍛練の日々を繰り返し島から出ることのないミホークを、たまに俺が引っ張り出したり、海軍が引っ張り出したりするんだ。

 

 出不精の海賊ってどうなんだろう。というか、だから島の外に行くには海に出るしかないこの世界での海賊の定義って何さ。

 

 そのくせ気まぐれに、ミホークはふらりと海に出ていく。

 

 あの小さい船に酒だけ積んで出かけていくミホークに、俺は一緒に行くこともあれば別行動することもある。

 

 ミホークの目的は先の東の海のように、強者との手合わせがほとんど。

 

 

 

 そして、今一番のご執心が赤髪の海賊なのである。

 

 

 

 

 

 



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第弐拾回 赤髪の海賊

 

 

 

 

 

 俺がシャンクスと初めて出会った時の話をしよう。

 

 

 

 沖にその海賊旗がはためいたのは、俺がミホークの島に落ち着いて直ぐの頃。

 

 ミホークにしごかれていた時で、鍛練場でひーひー言っていた俺の首根っこをひょいと摘み上げ、いたずらっ子全開のすごい笑顔で笑っていたのが赤髪の海賊だった。

 

「一匹狼の鷹の目が子連れ狼になったってのは本当だったか」

 

「ぎゃはははっは!」

 

「どこの金髪美人孕ませたんだよ」

 

「目が似てるぜ、おとーさん」

 

 ぶら下げられたままの俺の顔を覗きこんで、楽しそうに茶化すのはバンダナ巻いたドレッドヘアの男。

 

 シャンクスの隣でマンガ肉持った大男が大口開けて笑っている。

 

 

 

「よう、坊主。初めましてだな。俺の名はシャンクス。海賊だ」

 

 

 

 みんなの憧れシャンクス。

 

 赤髪海賊団大頭にして四皇の一人――になるのはまだまだ先のこと。

 

 海賊団自体が若い。

 

 シャンクスが海賊王の船で見習いをしていたことを知っている者も少なく、名前もあまり知られていない。

 

 けれど人を惹きつけてやまないカリスマは十分発揮されていて、知る人ぞ知る人物となっている――らしい。

 

 顎に無精ひげもなくさっぱりとしたワカゾーって見た目だけどな。

 

 海賊の船長っぽいマントだってしていない。白いシャツにひざたけのズボンと気安い格好だ。

 

 更に頭に麦わら帽子。

 

 どこからどう見ても背だけひょろりと伸びた子どもだが、しかし眩しい日差しと青い海そして彼の笑顔に、夏を象徴する麦わら帽子はよく似合っていた。

 

 それに、この麦わら帽子がルフィに託されるんだ。

 

 おお!これが!と俺が感動した気持ちはもちろん分かってくれるだろ?

 

 それにしても「ミホークの子ども」説は根強いな。実はミホーク派手に女遊びしてんのか?とシャンクスにぶら下げられたままの俺は首を傾げたが、それをミホークに聞く暇はなかった。

 

 いきなりミホークが腰に佩いていた剣を抜いたからだ。

 

 そしてシャンクスも楽しそうな笑みを浮かべてカットラスを抜く。

 

 おいおいこらまて俺をぶら下げたまま始めるのかよとシャンクスの手の中で暴れたら、ひょいと放り投げられた。

 

 ルウの樽腹にぼよんと弾かれて、落ちる。

 

 こんな出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 それから半日もしない内に俺はシャンクスと一緒にシャボンディで遊んでいた。

 

 ミホークとシャンクスの戦いは激しいものだった。

 

 激しすぎたので住んでいる館が半壊し、青筋立てた執事さんに直るまで戻ってくるなと追い出された。

 

 そして赤髪海賊団は、俺と一緒にご機嫌にはしゃいで遊び倒す貴重な人材だということが判明した。

 

 赤髪海賊団キャプテンのシャンクスは子供好き。

 

 というよりも、シャンクスが子供だった。

 

「お頭、あんた幾つだよ」

 

 呆れた息を吐くのは、赤髪海賊団の副長であり、はしゃぐ子どもふたりの保護者と化しているベックマン。

 

「精神年齢が子どもと同じだからな」

 

 屋台の肉料理を両手に持ったルウの横で笑うヤソップ父さんは、だけど射撃ゲームの景品を大量に抱えていて、あまり人のことを言えない。

 

 俺?

 

 俺はもっと言えない。

 

 今いくつだよとかそんな疑問も聞こえない。

 

 前世と今世合わせれば誰よりも最年長とか、そんな足し算はしない。

 

 男はいくつになってもガキなんだ。

 

 

 

 

 

 

 屋敷周辺で暴れるのはご法度となったが、それ以外の場所では恒例というかなんというか、シャンクスとミホークが揃えばいつもチャンチャンバラバラと剣を交えている。

 

 しかし、実力者ふたりの手合わせだ。

 

 いつだって周りの被害が洒落にならない。

 

 屋敷半壊なんて実はまだ序の口だった。

 

 海が割れたり、町がひとつ廃墟になったり、森が荒地になったり、港が壊滅したり。

 

 無人島で何日も戦い続けて決着つかなかったり、鬼ごっこの体(てい)を見せ始めたり、そして他の海賊たちの酒の肴になったり。

 

 え?途中から話が飛んでないかって?

 

 飛んでないんだなこれが。

 

 毎回毎回どこで聞きつけるのかどこから集まるのか野次馬が増え、あっという間にお祭り騒ぎの大宴会だ。

 

 でもそのおかげで被害が減るという面があり、ありがたかったりもする。

 

 自分の身を守るついでに建物や一般人への剣戟を逸らしてくれる。

 

 それ以前に一般人は海賊が集まりだした時点で逃げる。

 

 なぜだか時々ガープのじいさんを筆頭に海軍も混じっているのは不思議だが。

 

 ちなみに被害が出た時の損害賠償だが、毎回見物人どもがトトカルチョをするので、その中から支払われている。

 

 賭けの元締めは赤髪海賊団副長のベックマン。

 

 曰く、賭けは胴元が一番儲かるようにできているってさ。

 

 

 

 

 

 こんなふうにしてシャンクスとミホークの死合いは、シャンクスがその片腕を失くすまでは頻繁に行われていた。

 

 

 

 

 

 



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第弐拾壱回 商人と

 

 

 

 

 

 

 王下七武海の最大の特徴は「世界政府公認の海賊」であるということ。

 

 つまり、世界政府にはその勢力をきちんと把握しておく義務があるということで、なんと驚くことに申告制なんだぜ。

 

 拠点も明らかにしておかなければならないし、船を買うのにも申告する。

 

 その拠点や船を武装するために兵器を買うなら、また申告だ。

 

 ちなみに、申告の窓口は海軍本部のおつるさん。

 

 しかしもちろん、ここで馬鹿正直に申告するような真っ当な生き方をしてきたなら、海賊なんてやっていないわけで。

 

 海軍に申請しているのとは別に、こっそり拠点を増やしたり配下を隠していたりしているようだ。

 

 

 

 バロックワークスとかな。

 

 

 

 クロコダイルだけじゃなくて、ドフラミンゴも色々たっぷりと隠していそうだよな。

 

 この大海賊時代、縛りのない海賊たちのほうがよっぽどおおっぴらにやっている。

 

 ミホークには、そういう後ろ暗いところはないな。うん。

 

 ほとんどの拠点は海軍に押し付けられたものだし、配下いないし、兵器には興味なくて刀一本だし。

 

 

 

 それはともかく、建前というものは大切だ。

 

 

 

 世界政府にも海軍にも許可されている公の拠点であるならば、誰でも大手を振って出入りができる。

 

 それが闇の商人とか死の商人などと呼ばれる「お前らのほうがやばくね?」と言いたくなる人物であってもだ。

 

 実際はこれまたそこいらの海賊より、七武海に接触するほうがリスク高いけどな。

 

 世界政府にも海軍にも隠し事がないからといって、警戒されていないわけでもない。

 

 だから、七武海に接触した時点で海軍に裏取られて監視されているんだぜ、きっと。

 

 

 

 案外、海軍怖いよ。付き合っているといろいろ見えてさ。

 

 

 

 でも七武海ってお金持ちなんだ。

 

 その上、海賊の性分で金遣いが荒い。

 

 気に入ったからとか言って、ぽんと島を買うんだぜ。

 

 それを定例会議の席で事後申告したら、俺もこの間キャラック一隻増やしたんだとかいう、とんちんかんな相槌が返るんだ。

 

 その上それをただのポケットマネー扱いするとかどうよ。

 

 庶民感覚の俺としては、どいつもこいつも金銭感覚おかしいと思うことばかりだけど、商いをする者から見れば美味しい相手だ。

 

 メリットデメリットを両天秤にかけて、それでも接触してくる商人は多い。

 

 

 

 だがしかし。

 

 

 

 七武海でもやはりミホークは例外で、鷹の目相手にちゃんと取引が成立する人物は少ない。

 

 まずは会話が成り立たない。

 

 弱いものを相手にしないミホークだけど、その強さっていうのは武の強さだけを示しているんじゃない。

 

 気まぐれキングな剣豪様を前にして、機嫌を損ねたらばっさり無礼打ちされかねないという風評に怯えて逃げ腰になっているようでは駄目だ。

 

 たまに、じゃあとばかりに俺に粉かけてくる奴もいるけれど、キャプテンのミホークが相手にしないなら、クルーである俺も相手にしないよもちろん。

 

 

 

 それも分かっていないなら、やっぱり駄目だね。

 

 

 

 更にはなぜだか誰も隠し立てしていないのに、ミホークの拠点って一般には知名度低いんだよな。

 

 ミホーク探すのは海軍でも苦労しているのに、そう簡単に会えるものでもないという思い込みもあるらしい。

 

 だから屋敷にそういった客が訪れることはないんだ。

 

 あるかないかわからないようなふるいにかけられて、来るのはシャンクスを始めとした一般人ではない者たちばかりだ。

 

 だから、島の外から屋敷に出入りしている商人は一人だけ。

 

 

 

 名は、ジョン・ドウ。

 

 

 

 偽名すぎてあからさまに怪しい男である。

 

 見た目も、アラブの裏街道で魔法のランプを売っていそうな怪しさで、海賊にもひけをとらない勢いで胡散臭い。

 

 しかしミホークの島に到着した俺に、必要なものをすべて用意してくれた凄腕の商人だ。

 

 俺が東の海でミホークと再会したことをどう知ったのか。相変わらず不思議な情報事情だが、到着した時には既に屋敷で待ち構えていた。

 

「ゴクウさまに必要なものを用意してまいりました」

 

 どうにも胡散臭げな笑顔で迎えられ、通された客室では確かに所せましと無数の品が並べられていた。

 

 服の他にも細々とした生活用品とか、準備されていたのはどれもこれも俺サイズ。

 

 アラブというかシルクロードちっくなデザインが多いのはご愛嬌。

 

 さてここで問題です。

 

 俺サイズというのは、人型・人獣型・獣型の内のどれを指すでしょう。

 

 

 

 ――答え、全部。

 

 

 

 なんと驚くことに、3種類とも揃っていた。

 

 その上、オオフグカバシリーズの服や靴もあった。

 

 オオフグカバというのは、見た目が背びれのついた河馬で、大きな口をかぱりと開けて空気を吸い込み、クジラ並に膨れ上がり、風船のようにぷかぷかと海を渡るのだそうだ。

 

 いつか実物を見てみたいこのオオフグカバの皮は、伸縮自在で頑丈で軽い。

 

 小人族から巨人族まで幅広く着られるフリーサイズシリーズとして好評らしい。

 

 でも、何で俺が大猿になるって知っていたんだろう。

 

 ミホークと長い付き合いだと言うだけあって、この商人にも不思議がいっぱい詰まっているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 ちなみに。

 

 用意された服の中には、マタドールが着るような金糸の刺繍が派手な洋服もあった。

 

「ミホーク!このシャツ」

 

 嬉々としてミホークに見せたら、そんなのが趣味なのかという顔をされた。

 

「違う、ミホークにだ!」と言えば更に変な顔をされた。

 

 でもジョン氏にはウケて、その後ミホークの服の多くがこの路線で揃えられるようになった。

 

 

 

 

 

 

 



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第弐拾弐回 宝払いと

 

 

 

 

 

 しかし、ここで残念なお知らせがあります。

 

 

 

「俺、ベリー持ってないんだ」

 

 

 

 すっからかんです。

 

 海軍にいた時?

 

 上陸休暇の度に、駄菓子を3つも買えるくらいのこづかいをもらっては、すぐに使ってしまっていたけど、なにか。

 

 というわけで。

 

「せっかく用意してくれたのに、買えないよ」

 

「気にするな」

 

 ミホークがそう言ってくれたけれども、気にするなと言われて気にしない程度なら、最初から気にしてないってと、なんだか早口言葉みたいになりながら反論しておいた。

 

 これくらいの出費でミホークの懐が痛むことはないとしても、そういうことじゃないんだ。

 

 むう、と頑是ないお子さまのように顔をしかめていたら、「宝払いでよろしゅうございますよ」とジョン氏が言った。

 

 あ、宝払いってデフォルトなんだそうなんだと新鮮な驚きを感じていたら、思い出した。

 

 

 

 あるよ、宝。

 

 

 

 じゃあ宝払いでと、花果山は水簾洞まで取りにいった。

 

 金斗雲ならビュンとひと飛びだ。

 

 これも孫悟空スペックなのか、海図がいらないどころか嵐を避けて、見渡すかぎり目印も何もない雲海の上を飛んでいても、迷子にはならない。

 

 そして、久しぶりの故郷。

 

 船が一隻新しく座礁していたけど、島に人が踏み込んだ気配はない。

 

 島を任せていたこざるたちは、半数以下に減っていた。

 

 海に落ちたり猛獣に襲われたり人間を追い払ったりで、減ったらしい。

 

 ……増やしておくか。

 

 毛をぶちりと抜いて噛み砕き、ふうと息を吹きかければ、こざるたちが増殖した。

 

 

 

 うん、これでいい。

 

 

 

 洞窟に潜ってみると、仙桃の木は枯れていなかった。

 

 まだ新しい花も実もついていないけれど、岩壁破壊という大きな環境の変化にもめげずに元気で安心した。

 

 洞の中の泉も水の流れが変わっただろうに相変わらず澄んでいて、そしてその中の金銀財宝は輝いていた。

 

 ……苔むしたりはしないのか?こういう場合。

 

 とりあえず、持ってきた鞄に入るだけを詰め込んだ。

 

 そして帰り際にちょっと考えて、唯一残っている出入口に細工をすることにした。

 

 もともと岩山の裂け目のひとつみたいで分かりにくいけど、こうして使ってみると分かる人にはすぐばれるんじゃないかって気がするんだよな。

 

 だからとりあえず、この島特有の大きな羊歯類を植え替えて、全く見えないように覆い隠してみたんだ。

 

 目くらましくらいにはなるだろう。

 

 

 

 

 

 持ち帰った宝を前にして「これはこれは」と揉み手をしたジョン氏の目が妖しく光っていたのは、俺の見間違いではないはずだ。

 

「これで払えるよな」

 

「もちろんですとも」

 

 しかし、こういう物の価値っていうのは全く分からないね。

 

 俺がこれ!と思って持ってきた、でかくてきんきらした王冠には金の重さ分の価値しかなくて、隙間を埋めるように詰めてきた随分と古い潰れたような金貨にはなんでも歴史的価値があるらしくて、王冠の10倍はする高値がついた。

 

 こりゃ、騙されてぼったくられても、ちんぷんかんぷんだ。

 

 いいやもうジョン氏におまかせでと丸投げした。

 

 そうしたら、多すぎますって言われてさ。「どのくらい?」って聞いたら「船が一隻造れるくらいはございますよ」と返事があった。

 

 

 

 だから、俺専用の船を買うことにした。

 

 

 

 ミホークの船?

 

 いやいや。

 

 乗らないよ絶対。

 

 海には慣れたんじゃないかって言われても、それはそれこれはこれ。

 

 あの船の怖さはぜんぜん違うんだ。

 

 バンジージャンプが怖くなくないからって、同じ高さから紐なしで飛び降りることができるか?

 

 自殺願望がある奴くらいにしかできないだろ。

 

 それと同じだ。

 

 一度乗ってみるか?

 

 言っておくが、お勧めはしないからな。

 

 

 

 

 

 



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第弐拾参回 猿船、そして猿王

 

 

 

 

 

 

 商人いわく、鷹の目の持ち船は他所とはちょっと違うらしい。

 

 

 

 うん。あの船が特殊じゃなくて一般的だと言われたほうが困る。

 

 だいたい「ちょっと違う」なんて可愛らしいものじゃなくて「だいぶ違う」だろう、あれは。

 

 どこが違うんだと聞かれたら、一から十まで全部と答えたくなるくらいに変なんだぞ、ミホーク――じゃない、ミホークの船。

 

 

 

 原因は、船を手掛けた職人にある。

 

 

 

 その職人は鬼才と呼ばれ、一度はその技術を認められたものの、異色すぎて海軍は採用を見送った。

 

 非採用の理由は詳しく聞いてもちんぷんかんぷんで右から左に抜けていったけど、つまりは危険すぎて実用化されていないし、するつもりもないということは分かった。

 

 その海軍非採用となった最新技術が余すことなく使われている船に乗っているミホークは、体のいい実験台っていうことなんだろう。

 

 と思っていたら、俺の船も同じ職人の手で造られることになった。

 

 

 

 え、俺も実験台?

 

 

 

 そんな帆船ができあがり、注意事項を聞いた俺は急ぐ時ならともかく普段は普通の帆船として扱うことに決めた。

 

 そうすれば、いきなり海の上で木っ端微塵になることはないだろう。

 

 ――多分。

 

 

 

 

 

 

 さて、俺の船。

 

 つまりは、俺の城。俺の国。

 

 

 

 いえい。

 

 

 

 これで一国一城の主だって粋がっても、クルーはこざるたちだけどなー。

 

 つまり、ある意味全部俺。

 

 ぼっちじゃんと言われても反論はできない。

 

 でも、技術的には任せてくれ。

 

 名うての海軍中将仕込みの元雑用だ。腕は確かだぜ!

 

 

 

 この船の型はフリュートがベースになっていると聞いたけれど、改造されすぎていて原形を留めていない。

 

 更に俺もいろいろと注文をつけたせいで、ますます原形から遠のいた。

 

 

 

 一番の改造は倉庫。

 

 

 

 ぎりぎりまで大きくしてもらった。

 

 中身のほとんどが食料だから、食料庫と言うべきか。

 

 それ以外のものは最低限の必需品しか積んでいないが、それでももちろんミホークの船よりは充実している。

 

 冷蔵庫も大きい。

 

 盗み食いするキャプテンなんていう不届き者はいないので、鍵付きではない。

 

 倉庫を大きくしすぎたせいで、船室は小さいものをふたつしか作れなかった。

 

 ユニットバスもぎりぎりまで小さい。

 

 なにせ、俺が水嫌いだし。

 

 湯船にゆっくり浸かりたいなんて、全く全然思わない。どうせならシャワーも遠慮したいほどだ。

 

 しかし、シャワーいらないと主張したら、不衛生により発生する感染病の危険性と密閉された空間での感染拡大の怖さを、とくとくと説かれた。

 

 実際大きな船団が全滅して今でもさ迷っているって話は、夜眠れなくなりそうなくらい怖かった。

 

 

 

 なんてゾンビホラー。

 

 

 

 ふたつの船室の内、ひとつはミホークが乗船した時に使う。

 

 もうひとつは、小振りだけど機能は充実したキッチン。というか、俺の船室。

 

 寝る時は海さえ荒れていなければ上甲板にハンモックを吊るしたり、メインマストに登ってそのまま寝たりするので、あまり船室をキッチン以外の目的で使うことはない。

 

 いいもんだぜ青天井。

 

 広大な海と壮大な空が夜はどこまでも深い青に沈んで、星の煌めきを見上げるとまるで宇宙を航海しているみたいな気分で眠ることができるんだ。

 

 クルーのこざるたちはミホークの船室だろうが俺のハンモックだろうが冷蔵庫の上だろうがお構いなしで寝ている。

 

 

 

 俺の船に海賊旗ははためいていない。

 

 ミホークに旗はないのかと聞いたら「ない」と言われた。

 

 じゃあ作っていいかと聞いたら「いらない」と言われた。

 

 だからこの世界の海賊の定義ってば……。

 

 

 

 船に魂あるんならきちんと名前を決めなくてはと思ったが、考えすぎて決まらず、決まるより先に『猿船』と呼ばれるようになった。

 

 クルーがこざるたちだからその名前は確かにしっくりくるけど、船の妖精が出てきた時も猿の姿をしていそうだ。釈然とはしない。

 

 

 

 

 

 

 そして俺の船が『猿船』と呼ばれる頃には、俺もまた『猿王』と呼ばれるようになっていた。

 

 

 

 

 

 










というわけで。
「宝払いでマイシップ造ったー」と海軍のおつるさんに見せにいったら、「あんたも一端の海賊だね」と呆れられました。(第弐拾壱回『商人と』参照)


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第弐拾四回 でんでんむしの悲哀

 

 

 

 

 

 

「いいかい、ゴクウ。ちゃんと鷹の目を連れてくるんだよ」

 

 

 

 俺は今、海軍本部に来ている。

 

 七武海の定例会議に「今回もミホークは欠席です」と知らせに来たのだ。

 

 いつもはこんな欠席連絡のためだけに、マリンフォードまで出向いたりはしない。

 

 七武海にはそれぞれ海軍直通の電伝虫が渡されているから、それで用は足りる。

 

 

 

 ただ、その電伝虫はミホークの元にはいないけどな。

 

 

 

 ミホークってば電伝虫が鳴いても出ないどころか、持ち歩いてもいなかった。

 

 受け取った当初はきちんと持ち歩いていたが、煩わしくなって止めたらしい。

 

 そうして捨て置かれた電伝虫は、屋敷の片隅でじめじめと黄昏ていた。その後ろ姿は、あまりにも哀れで涙を誘った。

 

 仕方がないから俺が電伝虫の面倒を見るようになり、海軍からの連絡も受けるようになった。

 

 

 

 一番初めに俺が電伝虫を使った時のこと。

 

 

 

 電伝虫はやっと訪れた出番に滂沱の涙を落とし、海軍はなしのつぶてだったミホークがどんな気まぐれを起こしたのかと驚いた。

 

 相手が俺だと分かって少し落胆したようだけれど、それでもミホークに無視されていた頃に比べると全然マシになったって感謝された。

 

 が、ぬか喜び。

 

 残念なことに相手は鷹の目のミホークだ。

 

 俺が伝えたところで、ミホークが海軍のご希望通りに動くものか。

 

 連絡が取れなくて捕まえられないが、連絡が取れても動かないに代わっただけだ。

 

 

 

 しかし今回、いつもと同じように「ミホークさぼるって」と電伝虫で返事をしたら、それだけではすまなかった。

 

 

 

 会議が始まる前に俺だけでも顔を出すようにとおつるさんに言われ、それでもって言われるままに顔を出したら、今から鷹の目を連れてこいと来た。

 

 無茶振り過ぎるだろ、それ。

 

「おつるさんだって知ってるだろ。ミホークってばいつも暇だ暇だって言うくせに、酷い面倒くさがりなんだ」

 

 期待しないでくれよと、念を押さずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

「猿がいるぞ」

 

「能力者か」

 

「なんで私服なんだ」

 

「どこの所属だ」

 

「なんだ、ゴクウじゃないか」

 

「あれが猿王」

 

「ああ、そういえばさっき猿船が」

 

 おつるさんの部屋を出て、海軍本部の廊下をほてほてと歩いていたら、遠巻きにした海兵たちの会話がぼそぼそと響いて俺の耳に届く。

 

 え、なんで猿猿言われているかって?

 

 海軍本部を訪れる時は基本人獣型か獣型しているからな。

 

 だって、俺が初めてここに来た時のお子さまっぷりを覚えている海兵は多いんだ。

 

 何年経っても成長しない子供って、服着て歩いている猿より不気味だろ。

 

 せっかく仲よくやってるのに、嫌われるのは嫌だ。

 

 だから、つまりはそういう心理からってこと。

 

 

 

 さて、と。

 

 

 

 自分の船に向かう道すがら、俺は考える。

 

 ミホーク、おとなしく自分の館にいてくれるといいけど。

 

 おつるさんに呼ばれたからマリンフォード行ってくると伝えた時は、まだ島にいた。

 

 ここ3ヶ月ほどは鍛練ばかりしていたんだよな。

 

 赤髪が一度来たくらいか?

 

 そろそろ退屈の虫が疼く頃ではあるんだ。

 

 出かけていたら、探すのが面倒だ。

 

 う~ん、今度こざるを一匹ミホークにつけるかな。

 

 

 

 こざるたちは便利だ。

 

 

 

 どんなに遠く離れていても、なんとなくだが意思疎通できる。

 

 だからミホークのいる場所の特定くらいはわけないはずだ。

 

 ただこざるたちがいるとそのせいで、ミホークが余計に何もしない駄目な子になってしまう気がするけど。

 

 既にその傾向があって、猿船にいる時のミホークは何もしない。

 

 それはもう見事に。

 

 元々ミホークが何するのさって言われれば、そりゃ何もしないけど。

 

 

 

 

 

 

 やる気のなさを如実に現した足取りで、のんびりと桟橋に着いた俺は絶句した。

 

 

 

 ……おいこらちょっとまて。

 

 

 

 湾に停泊しているはずの、猿船の姿がなくなっていた。

 

 ミホークか!ミホークに呼ばれたんだなそうだろう。

 

 ああそういえば、屋敷にもこざるたち何匹か残しておいたよ。

 

 こざるずネットワーク侮りがたし。

 

 すでにミホークに呼ばれたのか。

 

 俺がミホーク捜す前に、俺の船はミホークの元へと行ってしまったらしい。

 

 

 

 

 

 

 港で途方にくれた俺は、がっくりと肩を落としたままおつるさんの執務室に戻った。

 

「おつるさん。俺、船に置いていかれた」

 

「なんだい。情けない」

 

「船が戻ってくるまで、ガープのじいさんと遊んでていい?」

 

「ガープなら東の海に行っているよ。いいから船にお戻りな。そして直ぐに鷹の目を連れておいで」

 

「えーめんどい。もう諦めようよ」

 

「駄目だよ。新しい七武海を決めなくちゃいけないからね」

 

 

 

 え?

 

 

 

 

 

 



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第弐拾五回 酒宴

 

 

 

 

 

 

 隣にはミホーク。

 

 目の前にあるのは鉄格子。

 

 ぐるりと周りを囲んでいるのは湿った洞窟の壁。

 

 手足に嵌められているのはごつごつとした岩の枷。

 

 更には太い鎖で雁字搦めにされて、冷たい床に転がって。

 

 足元ではこざるたちが5匹ほど団子状態で眠っている。

 

 

 

「なんで俺、つかまってんの」

 

 

 

 思わず、声に出た。

 

「お主も酒を飲んだろう」

 

 ミホークが簡単に答えた。

 

 俺は寝転がったまま目だけを動かして、隣に座るミホークの顔を見上げる。

 

 

 

 飲みましたよ。確かに飲みましたけどね。

 

 

 

 ごつごつとした岩崖に張り出した砦の屋上。

 

 剥き出しの岩肌に設けられた丸座。

 

 海賊たちの厳つい顔を照らす篝火。

 

 大皿からはみ出すくらいの巨魚の丸焼き、砕いた岩塩。

 

 そして、顔が隠れそうなほどの大きな杯。

 

 注がれた酒は随分と質が悪くて、何か混ぜ物がしてあっても気付かないだろう色と匂いだった。

 

 そんないかにも怪しそうな酒盛りに、とりあえずは理由も聞かずに喜々として参加した覚えは確かにある。

 

 だって、せっかくの酒だ。

 

 下手なこと聞いて楽しめなくなったら、もったいない。

 

 

 

「いや、そこじゃなくて。そもそも何でミホークはあいつらと酒盛りしてたのさ」

 

 

 

 海軍本部を追い出された俺が、金斗雲でひとっ飛びして見つけたのは、海に浮かぶ巨大な蟻塚のような島だった。

 

 ホールケーキをどこまでも高く重ねようとして途中で失敗して崩れたような丸ぼったいシルエット。

 

 斜面に散らばる穴は、まるで窓が並んでいるみたいだった。

 

 そんな島に猿船が停泊していたわけだが、こざるたちが留守番しているだけで船上にミホークの姿はなかった。

 

 船の甲板から島を見上げてみれば、ごつごつとした岩肌に砦みたいな建物が貼りついている。

 

 こうこうと篝火が焚かれているから寄っていったら、ミホークが見知らぬ海賊たちと宴会の真っ最中だったというわけだ。

 

 これで相手が見知った海賊であれば既にちゃんちゃんばらばらとひと暴れした後なのかと思うだけだが、そうではなくてどうにも雑魚雑魚した奴らだった。

 

 なにせ、ミホーク以外の人間の気配がしていたから大猿姿で現れた俺に、不安が入り混じるざわめきが押さえきれないくらいの雑魚なのだ。

 

 ミホークはそんな海賊に遠巻きにされながら、酒を飲んでいた。

 

「ゴクウか」

 

「うん。美味しい?」

 

「いや、不味いな」

 

 一番近く、ミホークの前に座っている大男がここのキャプテンかな?

 

 肩も首も太く盛り上がり、このごつごつとした島を根城にしているのが似つかわしい身体。かたい髭に覆われた厳つい顔の口端から顎にかけて引き攣れた傷が走る。

 

 手配書で見たことがある顔だ。

 

 しかしいっぱしの賞金首というには、杯を持つ手はかすかに震えていて、酒に口をつけた様子はない。

 

 青ざめた額とひっきりなしに拭われる汗。

 

 ミホークが杯を置いて俺を見ただけで、大きく揺れる肩。

 

 

 

 怯えが目に見えすぎなんだよな、まったく。

 

 

 

 何でミホークが暇潰しに壊滅していないのかと不思議に思いながら、海賊たちが慌てて追加した席に座す。

 

 そして次々と運ばれてくる酒をどれだけ飲んだのか。

 

 樽単位でみるみる消費されていく酒に、海賊の顔の傷がぴくぴくと痙攣していた。

 

 それが面白くてこざるたちも合流させて、全ての酒を飲み干した。

 

 流石に面白がりすぎたかも。

 

 酒にくらくら回る頭と千鳥足で、ミホークと共に客室へと案内されて、そのままベッドにダイブした。

 

 そして、気付いたらこの牢獄の中。

 

 

 

 ――という訳でもない。

 

 

 

 流石にこれだけ怪しいと、寝たふりのひとつもしますよ。

 

 だから、海賊がこそりと部屋の様子を伺っていたのも、手には物騒な刃物を持っていたのも、足音忍ばせて近付いたはいいが殺気に反応したミホークが、オートで抜刀し相手の武器をみじん切りにしたのも知っている。

 

 声なき悲鳴の大きさと無理だとキャプテンに懇願する必死さに、ベッドの中で笑いを噛み殺していた。

 

 それでもなんとか頑張って、彼らは俺たちの手足に海楼石の枷をはめ、太い鎖でぐるぐる巻きにし、この牢屋に閉じ込めることに成功したのだ。

 

 つまり、オートが発動しなくなった時点でミホークも起きていたんだろう。

 

 ミホークだってのりのりで捕まったってことだよな。

 

 

 

 なんでさ?

 

 

 

「ゴクウ、おぬしは海軍本部に行ったのではなかったのか」

 

 ない頭をひねっていたら、ミホークに問いかけられた。

 

 ああ、そうだった。

 

 ごろんごろんと転がって、鎖を鳴らしながら一回転する。

 

 これがなかなか気持ちいい。

 

 ツボ押し健康法みたいな。

 

「おつるさんが会議サボるなって、ミホーク呼んでる。行こう」

 

「代わりにおぬしが行けばよいではないか」

 

 いつもそうしているだろう、と言う。

 

 いつもっていつよ。

 

「だから俺が行ったら追い出されたの。要るのはミホークだって」

 

 ふんと鼻で笑われた。

 

 全く行く気ないな。

 

 それならそれでいいけどね。

 

「新しい七武海決めるって」

 

「誰でもよいだろう、そんなもの」

 

 そんなものってそんなものってそんなものって、ミホークも「そんなもの」の一人だからね一応。

 

 ごろんごろんと反対側に2回転ほど転がって、呆れた気分を表現してみる。

 

 ああっ、こざるたち。じゃれるな千切るな絡まるな。

 

「で、なんで捕まってるの。俺たち」

 

 改めて、訊く。

 

「刀狩りをしている海賊がいると聞いた」

 

 今度はきちんとした答えが返ってきた。

 

 刀狩りね。

 

 ジョン氏からの情報かな。

 

 海軍なら、七武海の会議を開くこのタイミングで情報を渡す愚は犯さないだろう。

 

「そういえばこの間シャンクスと遊んでいた時に、また剣が折れたんだっけ」

 

 二人がちゃんちゃんばらばらと遊び始めると、互いの剣がよく折れる。

 

 ああ、だからジョン氏が島に来たんだな。彼は欲しいものがある時には必ず島に来る。

 

 そして、剣が必要なら剣を。

 

 それなりの業物を手に入れてもなかなか長持ちしないのに業を煮やした剣豪には、海賊情報を。

 

 必要なものを必要な時に。

 

 それが商人、というかジョン・ドウ。

 

「この島は天然の迷宮となっているらしい。探すのも面倒だから案内させるつもりだったが、酒が出てきたので馳走になった」

 

「ふーん」

 

 俺はごろりと回転するのを止めて、上体を起こした。床に胡座をかく。

 

 じゃらりと千切れた鎖が音を立てて落ちた。

 

 ついでに、絡まったこざるたちも床に落ちる。

 

 残っているのは手枷足枷。

 

 随分とでかい海楼石。

 

 海に愛された悪魔の実の能力者なら身動ぎひとつできなくなるに違いない。

 

 しかし。

 

「俺、海楼石効かないけどな」

 

 悪魔の実は食べていないんだ残念なことに。

 

「解せぬのは、なぜオレにまで海楼石が使われているかだ」

 

 ミホークが不満げに言った。

 

「……ミホーク、能力者より異能だから」

 

 言い返しながら、手足の岩を砕く。

 

 

 

 さあて、宝探しと洒落込みましょうか。

 

 

 

 

 

 

 



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第弐拾六回 カタナかたなカタナ

 

 

 

 

 

 

 荒れ狂う高波。

 

 重くたれこめる雲。

 

 月はいつしかその姿を隠し、闇と不安と恐怖を紛らわすために焚かれた大量の篝火は、闇と不安と恐怖を深く彩る。

 

 吹きすさぶ風が無数に空いた虚を笛に嘆きの音楽を奏で、悲鳴と怒声に入り混じる。

 

 右往左往と逃げ惑う無頼どもの足音が、なんと心許ないことか。

 

 後ろを振り返っては怯えた顔で逃げ道を探す。

 

 逃げては行き場を失い、崩れ落ちた瓦礫に行く手をふさがれる。

 

 観念したかのように追っ手に向きなおり、己が武器を握りしめて立ち向かう者もいる。

 

 震える剣先を向ける相手はただひとりの剣士。

 

 つまり、現在ミホーク無双中。

 

 

 

 俺?

 

 

 

 俺は見つけたと思った宝箱がミミックで、只今別途戦闘中。

 

 ていうか、やばいよミミック。面白すぎ。

 

 連れて帰ってペットにしたい。

 

 乱暴にすると簡単に潰れそうだから、気をつけて気をつけて生け捕りにしようとしていたのに、けれど結局、ミホークが切り崩す砦の瓦礫に押し潰された。俺ごと。

 

 

 

 ……。

 

 

 

「うがーっ!」

 

 やけになって叫びながら、瓦礫の山を押しのけ立ち上がる。

 

 もちろんミミックは瓦礫の下で見るも無惨。

 

「ミホーク!」

 

「避けぬお主の怠慢だ」

 

 さらりと返事をした剣豪様は、とうとう海賊頭を追い詰めて俺の近くで足を止めていた。

 

 残り?

 

 ミミックと一緒で瓦礫の下だろ。

 

 

 

 

 

 

 ミホークに追い詰められた海賊は、あっさりと宝物庫に俺たちを案内した。

 

 砦の床から続く隠し階段から島の中の洞窟へと降りる。

 

 俺たちがいた牢屋も洞窟の一部が使われていたけど、この島全体が無数の洞窟でできている。

 

 海の下まで続く迷宮の表面のほんの一部を、ここの海賊たちは拝借していたらしい。

 

 案内されたところには、金銀で宝飾されたきらびやかな刀剣が陳列されていた。

 

 きらびやかだが、使えるのかこれ?

 

 ひとつを手に取ってしゃらんと抜き放つ。

 

 水晶のような薄い刃が煌めきを放つ。

 

「えい」

 

 軽い気持ちでその剣を、自分のもう片方の腕へと振り下ろした。

 

 パリン。

 

 簡単に折れた。

 

「ええええっ」

 

 刀狩りの海賊が悲痛な悲鳴を上げる。

 

「使えない」

 

 俺とミホークの声が重なる。

 

「いやいやいやいや。待ってくだせェよ。こういうお宝ってェのは、愛でるものであって使うものじゃァないんで」

 

 他の剣も全部試されたら敵わないと思ったのか、必死の形相で首と手を横に振る。

 

 愛でるとか似合わない顔の海賊頭は、宝剣というものは大体がどこぞの王族に代々伝えられて後生大事に飾られたり、よく分からん神事に使われたりするものであって、切った張ったに使われるものではないと主張した。

 

 つまり結局、使えない。

 

 俺たちというか、ミホークにはなんの価値もないということだ。

 

 しかし、あのジョン・ドウがそんななまくらをミホークに薦めるのか?

 

「他の刀はどこにあるの、おっさん」

 

 俺は折れた剣をぽいと捨て、歯茎を見せて笑う。

 

 大猿の威嚇に海賊は尻餅をつくと、傷跡を引きつらせて怯えた笑みを返した。

 

「こ、これで全部でさァ」

 

「本当のこと話さないと、そのヒゲ全部むしるよ」

 

「嘘なんかじゃ――!」

 

 チャリン、と。

 

 男が声を荒げた途端、ミホークの剣が喉仏を押した。

 

「ひ、ひい」

 

 情けない悲鳴を上げて、これ以上は下がれないのに、ずり上がるようにして背中を壁に押しつけ逃げる。

 

 その顔色は真っ青だ。

 

 俺はそれを更に追い詰めるように、目の前にしゃがみこんで顔を覗き込んだ。

 

「あんた、刀狩りなんだろう」

 

 なのに、刀がないだなんてと俺は首を捻る。

 

「ち、違いまさァ」

 

 怯えて震える声で答えが返った。

 

「へ?」

 

「いや、違わないっていやァ違わないんでやすが」

 

「どっちさ」

 

「確かに俺も『刀狩り』の旗を掲げていやすが、あんたがたがいう刀狩りは多分違うんじゃねェかと」

 

 おっとこれはびっくりだ。

 

「どういう意味だ」

 

「昔、この辺一帯を縄張りにしていた海賊がおりやして、そいつが『刀狩り』と呼ばれていたんでさァ」

 

 俺はその名前にあやかった、とひげづらは言う。

 

 宝剣大好きなこの海賊は、元々ここが刀狩りの海賊の根城だったことを知り、訪れたのはまだ半年も経たないくらい前なのだそうだ。

 

 島には既に砦もあり、ただ、誰も住まなくなって随分と経っているふうであったという。

 

 求める宝剣はなく、島は迷路で地図はない。

 

 だからといって諦めるには惜しく、彼もここを根城することに決めた。

 

 そして趣味の刀狩りをしつつ、島の探索を進めていたらしい。

 

「だって」

 

 どうするのよ?

 

 俺はしゃがんだまま、ミホークを仰ぎ見た。

 

「うむ」

 

 重々しい返事をしたミホークは、「ゴクウ。任せた」と事も無げに言った。

 

「ミホーク。あんた、今考えるのも面倒くさがっただろ」

 

 呆れて首を振り、やれやれと立ち上がる。

 

 横暴なキャプテンだな。

 

 

 

 でも、任されましょう?

 

 

 

 俺は毛を一掴み抜くと噛み砕き、ふうと息を大きく吹きかけた。

 

 その息よりも大量の風が、まるで風神さまの風袋から解き放たれたかのように躍り出る。

 

 そしてその風に乗って、無数の猿も躍り出た。

 

 手のりサイズのこざるたちが床を走り、あるいは壁を跳ね、あるいは金斗雲で宙を飛んで、宝物庫を出て行く。

 

 この島が無数の洞窟でできている天然の迷路だというなら、こういう宝探しはこざるたちに限る。

 

 なにせ、こざるずネットワークを利用すれば、マッピングはお手のもの。

 

 人海戦術ならぬ、猿海戦術ってね。

 

 あ、一緒にミミックも探してもらおう。

 

 

 

 走る、走る、走る。

 

 

 

 こざるたちは正に波のようなうねりをもって、洞窟を駆け回る。

 

 道が枝分かれすれば、そのうねりも枝分かれをし、余すところはない。

 

 そして突き当たりにぶつかれば、引き返してうねりの中へと戻る。

 

 どれだけ複雑に絡み合っていようとも、袋小路にはまって同じ場所をぐるぐると行きつ戻りつすることなんて――たまにあるけれど。

 

 ちょ、止めてくれよな。俺のバカさ加減が露呈するだろ、それ。

 

 

 

「あ、ミホーク。何かある」

 

 

 

 俺とこざるたちの意思の疎通は漠然としたものだ。

 

 どこに何があったと細かいところを言葉にして教えてもらえるわけじゃない。

 

 だから、面白いものを見つけたらそこに溜まっておけと命じてある。

 

 そうしてできたこざるだまりを順にミホークと回る。覗いてみれば、やはりまだ宝剣類が隠されていたり、ミミックじゃないけれど宝箱があったり。

 

 もしかしなくても、のんびり冒険したほうが面白かったのか、これ。

 

 残念。

 

 ちょっと後悔しながらも、ミホークと共に洞窟を先へ先へと進む。

 

 通路はずっと下り坂。

 

 ほとんど崖を滑り落ちるような傾斜の終わりが、水没した通路だった。

 

 

 

 こざるたちがすずなりになって、俺たちを待っている。

 

 

 

 なんだか好奇心で毛先がムズムズする。

 

 野生の勘?

 

 でもきっと間違っていない。

 

「ミホーク。この向こうだ」

 

 俺はきっぱりと言って、水面を指差した。

 

 ……水面?

 

 どこまでも深い深い透明。

 

「うわ」

 

 つい、思わず腰が引ける。

 

 しまった。ムズムズしたのは勘じゃなくて恐怖のほうか。

 

 俺は慌てて逃げようと、踵を返した。

 

 しかしミホークはそんな俺の襟首を捕まえると、水の中へとダイブした。

 

 

 

 こうなると思ったよ。とほほ。

 

 

 

 

 

 








ミミック。
陸ヤドカリの亜種。
タコが蛸壺代わりにしているものをミミックと呼ぶ地方もある。
打ち捨てられた宝箱を巣にするため、貴重な宝を抱えていることも。
どちらとも、人間サイズくらいなら簡単に補食する。


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第弐拾七回 琥珀の墓

 

 

 

 

 

 

 水路を越えた先で、船が一隻朽ちていた。

 

 

 

 ランタンの灯が暗闇を照らし出す。

 

 ゆらりゆらりと揺れる灯りの下、俺の目の前に広がっているのは鍾乳洞だ。

 

 たぶん。

 

 剣山のようにつらら石が下がり、無数の石柱が並ぶさまは確かに鍾乳洞なんだけれど、鍾乳洞という表現が本当に正しいのかは、ちょっと微妙。

 

 なんというか、ファンタジーなゲームに出てくる天然水晶でできた地下神殿に似ている。

 

 荘厳な雰囲気に飲み込まれそうな感じが、特に。

 

 鍾乳石の色は金。

 

 金属的な色合いではない。

 

 まるで軍艦の片隅で密造されている、濁りのきつい蜂蜜酒に似た闇に沈む黄金色の輝き。

 

 ガラスのような氷のような結晶のような鍾乳石は、澄みきっているのに奥を見透すことのできない不思議な透明感を持っていた。

 

 その鍾乳石に、船の残骸が埋没している。

 

 船の形として残っているのは、折れたマストと竜骨に貼りつく僅かばかりの船板。

 

 転がる樽や、ランタン。

 

 崩れた机。

 

 唯一残った船室は船長室か。

 

 金銀財宝が無造作に積まれている。

 

 そしてそれを玉座に骸骨が、一振りの野太刀を抱きしめて座っていた。

 

 更には彼の周りを守るかのように、無数の剣が鞘ごと宝の山に刺さっている。

 

 

 

 まるで剣の墓。

 

 

 

「琥珀か?」

 

 圧倒される光景に目を瞠る俺の隣で、ミホークが呟いた。

 

 その肩に灯を入れたランタンを持つこざるが座り、俺たちを囲む洞窟を照らし出している。

 

 琥珀ってあれだよな。恐竜の血を吸った蚊が閉じ込められていたやつ。

 

 つまりこれぜんぶ宝石?

 

 俺は興味津々で目の前にぶらさがる細いつららに手を伸ばす。

 

 人差し指と親指で摘んで、パキリと手折ろうとした。

 

 しかし力を込めた途端、あっさりと崩れて細かい結晶となり、ばらばらと落ちる。

 

 えー。

 

「脆いな」

 

 足元の砂を唖然と見下ろす俺を気にも止めず、ミホークは歩を進める。

 

 そして、座す骸骨の前で足を止めた。

 

 骸骨の抱えた刀の柄を握り、引き抜く。

 

 ぱきぱきと、琥珀が剥がれ落ちていく。

 

 その鞘のほとんども、共に崩れて落ちていく。

 

 こうして引き抜かれた一振りは、黄金色の輝きの中で黒い光を弾いていた。

 

 

 

 

 

 

 帰りはやはり、ミホークに首根っこを掴まれての強制水泳になった。

 

 船があったってことは、あそこはきっと海賊の隠し港だったと思うんだ。

 

 その入り口がどういう理由で潰れたのかは知らないけれど、海は近い。

 

 ミホークが壁面をちゃっちゃと切り崩してくれたらいいんじゃないかと、俺は主張したが認められなかった。

 

 用は終わったとばかりの速やかな撤収だった。

 

 

 

 持ち帰った刀は直ぐに研ぎに出されることとなった。

 

 長らく放置されていた割にはほんの少しの手入れで大丈夫だろうと、俺たちの帰りを待ち構えていた商人は言った。

 

 ただ、鞘や柄はまったくの作り直しとなるそうである。

 

「初期装備ひのきのぼうに見えて実は仕込み刀とか、鮫の革を柄に巻いただけのむき身の剣とか」

 

「失礼ながら、ゴクウ様。王下七武海の一角を担う故の品格も求められるものでございます。それに最近のミホーク様のお召し物の傾向から申しますといささか不釣合いかと」

 

 俺が剣の拵えについて相談する相手はジョン・ドウだ。まかり間違ってもミホークではない。

 

「その落差がインパクトあって面白いだろ」

 

 言いながら、我関せずでソファに座って酒を飲んでいるミホークを見やる。

 

 袖付のベストには贅沢に刺繍が施され、襟や袖口は幅広のレース。

 

 そのまま、舞踏会に行けそうな豪華さである。

 

「服を仕立てているのはお主らだろう」

 

 俺たちの視線に気づいたミホークが「これはオレの趣味じゃない」と口を挟んだ。

 

 そうなんだけどね。

 

「ミホークに任せると真っ黒じゃん」

 

 どうせ何がいいか聞いても、なんでもいいと言うくせに。

 

 まあ、最近調子に乗りすぎてどこの舞台衣装かって感じになっているのは否めないけれど。

 

「じゃあ、そろそろ路線変更して海賊らしさでも求めてみる?」

 

「コートですかな」

 

「コートか」

 

「あーそうなんだー」

 

 おっと思わず棒読みに。

 

 でも確かにそうかもなと、七武海の面々他見慣れた海賊たちを思い出す。

 

「では、何着か仕立ててまいりましょう。剣の装飾はいかがいたしますか」

 

「任せた」

 

 ミホークが簡単に答えて、そうなった。

 

 せっかく見栄えがする野太刀。

 

 その上ミホークが持つのだ。

 

「派手によろしく」

 

 地味にして堪るものかと俺は笑ってそう言った。

 

 

 

 

 

 








蟻塚の島。

元は緑豊かな島だったが、蟻タイプの巨大昆虫が襲来。
全てを食べつくし、蟻塚を築く。共食いの末、女王蟻のみが生き残り、彼女が飛び立った後は、生きるもののいない不毛の島となった。

長い年月をかけ大地に染みこんだ水に蟻塚の成分が溶け、地下に鍾乳洞ができた。
つまりは琥珀というよりも蜜蝋に近い。とある病の特効薬になる。


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第弐拾八回 大人の事情と握りこぶし

 

 

 

 

 

 

 新七武海決定の第一報が海を駆け抜けた頃、俺は海軍本部に顔を出した。

 

 新しい七武海として名乗りを上げたのは、ボア・ハンコック。

 

 

 

 うわ、残念。ハートマークのメロメロリンを見損ねたか。

 

 

 

 ミホークいなくても、会議の間に顔を出していれば会えたのかな。

 

 いや、今回あのピンク色の鳥に会うのはヤバいから、会議期間中に近寄る気はなかったんだけれど。

 

 それにハンコックは一度も顔を出さないで七武海になったんだっけ?

 

 なんにしろ、会えなくて残念残念。

 

 

 

 大猿の姿で手土産担いで、ほてほてと廊下を歩く。

 

 

 

 おつるさんの執務室に顔を出したら、不在だった。

 

 会議中だからと言うのでしばらく待とうかそれとも帰ろうかと思ったけれど、部下の人はなんだか慌てた様子で「会議はそろそろ終わるから」と言い、結局俺はそのまま会議室へと向かうことになった。

 

 珍しい。

 

 だって俺、海軍じゃないもん。

 

 部外者過ぎて、会議室に限らず入ってはいけない場所は多い。

 

 だから今も一人ではなく、おつるさんの部下に案内されての道行きだ。

 

 あそこがそうだよと指し示された会議室の扉を見やると、丁度終わったのかぞろぞろと将校たちが出てくるところだった。

 

「やあ、ゴクウ」

 

「久しいな」

 

 幾人かの顔見知りが声を掛けてくれたので、俺も「久しぶり~」と挨拶を返す。

 

 すれ違う彼らは、ほっと安堵したような息を吐いて、足を止めることなく去っていった。

 

 思わず振り返り、正義が翻るコートを見送る。

 

 

 

 なんだ今の?

 

 

 

 会議室に入ると、おつるさんと一緒にセンゴクのじいさんがいた。

 

「ゴクウ。よくきた」

 

 煎餅があるからここに座って食べていけと、センゴクのじいさんは急須から熱々のお茶を注いで、自分の席のすぐそばに湯呑みを置いた。

 

 ちなみに、最初「センゴクさん」と呼んでいたが、「なんでガープはじいさんと呼ぶのに俺のことは呼ばんのだ」と駄々をこねたので、今ではじいさん呼ばわりだ。

 

 孫可愛がりされている代わり、人型になるように言われるけど。

 

 じゃあとおつるさんを「おつるばあちゃん」と呼んだら、怖かった。マジで怖かった。女って怖い。

 

 そんなおつるさんも、部屋が狭苦しいから大猿になるなとか言う。

 

 だからまあ、なんだかんだで。実は俺がろくに成長しないお子様だと知っている相手っていうのは案外いる。

 

 そういう人たちが俺を気味悪がったということもない。

 

 つまるところ、ちびっこなのを一番気にしているのは俺なのだ。

 

 俺が小さいままでも気にしない人が多いっていうのは分かっても、それができない。

 

 服着た熊なんかが能力者でもないのにいるし普通に買い物してるし、悪魔の実の能力者だったらもっとなんでもありだしと、俺が子供のまま海軍本部に出入りしていようが大猿の姿で街を闊歩しようが、驚かれない世界であるのになあ。

 

「ありがとう。これ、お土産」

 

 俺は背負っていた荷物を下ろして机に置いた。

 

 ガシャガシャとにぎやかな音を立てたのは、幾振りかの宝剣。

 

 いつもなら、ミホークの暴れた後始末は海軍に任せっぱなしなんだけど、今回はおつるさんのところに報告に来るつもりがあったから、これを手土産がわりに持ってきたのだ。

 

 それに由緒正しい宝刀に返すべきところがあるなら、こつこつと出所を調べるとか、わざわざ返しに行くとか、着服して裏に流すとか、そんな面倒ごとは海軍に押し付けるに限る。

 

 残り?

 

 その辺は賞金首も合わせて、結局海軍に丸投げだけどさ。

 

 おつるさんはドアのところで立ち番していた海兵に命じて、俺の土産を持って退出させた。

 

 センゴクのじいさんが戻ってこなくていいとか言って、追い出された海兵たちもなんだか心得たような顔で出ていった。

 

 

 

 あれ?俺ってなんだか飛んで火に入る夏の虫?

 

 

 

 人型になって、勧められた椅子にちょんと座る。

 

 うーん、湯飲みが遠い。

 

「鷹の目はどうしたんだい」

 

「帰った」

 

 湯呑みを引き寄せながら、おつるさんの聞くまでもないような質問に答える。

 

 二人だって答えは分かっているだろう。

 

 ただ、呆れた息を小さく吐くだけだ。

 

 ずずっとお茶をすすって、今度は煎餅に手を伸ばす。

 

「ゴクウ」

 

 しばらく煎餅をかじる音ばかりが響いた後、やっとセンゴクのじいさんが口火を切った。

 

「なに?」

 

「シャボンディ諸島で猿が繁殖している」

 

 睨みつける勢いの厳しい顔で言った。

 

 あーうん。

 

 もちろん知ってる。

 

「でも、将校クラスまで出して大々的に駆除したんじゃなかったっけ?」

 

「小賢しい猿どもが。討ちもらしがあったのだろう。また異常に増えている」

 

「あまりにも悪さをするんでね。困っているんだよ」

 

 センゴクのじいさんに続いて、おつるさんも厳しい表情で言った。

 

 

 

 さて、察しはついたと思うけれど、その小賢しい猿どもっていうのはこざるたちのことだ。

 

 

 

 俺がシャボンディ諸島に遊びに行くことは多い。

 

 マリンフォードに来たついでに寄ったりもするしな。

 

 だからといって、俺の船からこざるたちが逃げ出したというわけではない。

 

 更にそれが鼠算で繁殖しているという事実もない。

 

 というか、あいつらには繁殖能力がない。

 

 だって分身の術だぞ俺のイメージ式神だぞ。そんなものがあるはずがないって。

 

 じゃあどうして繁殖していることになっているかというと、シャボンディ諸島で遊んでいく度に、いつもこざるたちを増やして置いていくからだ。

 

 

 

 そんなことになった元々の発端は、話せばもう5年以上も前に遡る。

 

 

 

 その日、ひょいと寄ったシャボンディはいつもと違い、どこか様子が変だった。

 

 なんでだろうと不思議に思っていたら、いたのだ。

 

 

 

 天竜人が。

 

 

 

 世界政府の役人を付き従えて、海軍将校を護衛にして。誰も彼もが怯えていた。

 

 俺としてはあのふざけた支配階級に関わるつもりはまったくなかったさ。

 

 けれど、彼らが下賎の民と蔑む、なんでもない普通の人が鞭打たれていた。

 

 顔見知りの将校が歯を食い縛り、拳を白くして耐えていた。

 

 そんな様を見せられるのは気に食わない。

 

 だから、ちょっとこざるたちを暴走させてみた。

 

 もちろん慌てふためいた天竜人は、それに激怒した。

 

 そして海軍将校たちに退治を命じた。

 

 あっさり退治されたというか、斬られて撃たれて何匹かは猿毛に戻ったが、残りはがんばって死屍累々と屍を晒した。

 

 その後、この無様はなんだという叱責に、その場にいた海軍が「観光客の逃がした猿が繁殖して野生化した」と言い訳してたから、その言い訳に乗るようにこざるたちをシャボンディに残すようになった。

 

 

 

 嘘が誠ってね。

 

 

 

 猿を見たら即座に退治せよって話になって近付く全てを撃たれるけれど、海軍将校だって、目の前で人が殺されるの見るよりサルを撃ち殺すほうがマシだろうし、それで天竜人の気がすむなら万々歳だ。

 

 シャボンディ諸島に置いているこざるたちは一応のごまかしのために赤毛だが、顔見知りの奴らなら、それでもどこぞの船でよく見かける猿と同じだって分かるだろう。

 

 更に詳しければ、ホントは生きてない猿だってことも知っているはずだ。

 

 大波被る度に補充しなければならないこざるたちだ。

 

 隠すつもりがあってもなくても、バレて当然であると思っている。

 

 そうであれば、罪悪感は一気に減ってマッチポンプな茶番劇だ。

 

 

 

 しかし相手が天竜人である以上、何を言い出すか分からない。

 

 

 

 全てを焼き払えって言われても困るから、定期的に駆除され、世界政府の黒服の前にこざるたちの屍が山積みされる。

 

 ついこの間も行われたこの作戦は、ああそうか、また天竜人がシャボンディ諸島に来るからだったのか。

 

 

 

「じゃあ、シャボンディに遊びにいったら、俺、ついでに猿を“減らす”の手伝うよ」

 

 

 

 よっと椅子から下りながら俺がそう言うと、二人は安堵の息を吐いた。

 

 廊下で擦れ違った将校ほどあからさまではないけれど、厳しい表情も少し緩んだようだ。

 

「頼んだよ」

 

 頼まれましたよ。

 

 さて、じゃあちょっと寄り道してシャボンディ諸島で遊ぶついでに、こざるたちを“増やす”としますか。

 

 

 

 

 

 



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第弐拾九回 鰐とは案外仲良しです

 

 

 

 

 

 

「そうだ、ゴクウ。ドフラミンゴが探していたぞ」

 

 会議室を出ようとドアノブに手を伸ばす俺の背中に声が掛かった。

 

 思わず、足が止まる。

 

「え、帰ってないの」

 

 天竜人が来るから長期滞在中なのか?

 

 会議の参加率もサー・クロコダイルに続いて高いドフラミンゴは、人間屋――建前的には就職斡旋所――の都合もあり、海軍本部にいることが多い。

 

 あそこの取り扱いは、これまた建前的に犯罪者(及び未加盟所属)だからな。

 

 その引き渡しも必要だし、職業の斡旋先であるところの天竜人来訪の情報の仕入れも必要になる。

 

 そんな、人間屋に急いで商品を仕入れる必要ができて忙しいのだろうドフラミンゴが俺を探している理由には、こころあたりがある。

 

「じゃあ、俺急ぐから」

 

 俺は会議室を突っ切って窓の桟に足をかけた。

 

 さっきまで厳しい顔していたくせに、によによと笑ってないかおいこらそこの二人。

 

 ていと窓から飛び出しトンボをきって大猿に転じると、船が止まる桟橋へと一目散。

 

 海軍としては、ひょいひょい空を飛んで出入りする部外者なんていうものを歓迎できるはずがない。

 

 砲撃されるだけならまだしも、ガープのじいさんが面白がって一緒に砲丸投げて来るから、あまり金斗雲は使わないようにしてたんだけど。

 

 でも、これは緊急事態だから許されるはず。

 

 というか。

 

 ガープのじいさんみたいな理屈が通じないタイプは、今この辺の海域からは遠退けられているんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 猿船の甲板に降り立ち、さあ急いで帆を上げようとこざるたちに号令をかけた直後、俺は襟首をぐいと後ろに引かれた。

 

「ぐえっ」

 

 すごい圧力が首にかかり、絞められたニワトリさながらの末声が出る。

 

 そのまま後ろに引き倒されそうになったので、人型に転じて引き手から逃れながら飛び退き、距離を取って振り向いた。

 

「あ、ワニだ」

 

「ワニとはなんだ。この小猿」

 

 見上げた先に逆光背負って立っていたのは、サー・クロコダイル。

 

 優等生のふりしているクロコダイルは、海軍の呼び出しにもいちいち応じるし、会議にだってきちんと参加する。

 

 だからマリンフォードにいることには不思議はないけれど。

 

「会議終わったのに、まだ帰ってなかったんだ?」

 

「ああ。どこぞの剣術バカが迎えの船を沈めて足止めだ」

 

 こちらを見やるクロコダイルの視線が冷たい。

 

 ミホークか。ミホークだな。他にもそんな剣術バカがいたら、そのほうがびっくりだ。

 

「……。シャボンディに寄ってもいいなら、送っていくけど」

 

 

 

 

 

 

 鰐をゲストに迎え、出港した猿船も外海に出た。

 

 丁度お腹も空いたことだしランチにしようと、クロコダイルも誘う。

 

 だからって、そんなにたいしたもてなしができる訳じゃない。

 

 昨日の晩ご飯の残りのシチューがメインだ。

 

 けれど、新鮮な野菜と柔らかいパンは船で給されるにしては贅沢だろう。

 

 そしてクロコダイルは俺の下手な手料理でも怒ったことがない。

 

 クロコダイルって何をしてもやたら偉そうだから、ブルジョアっぽく贅沢なものばかりを選ぶイメージがあるんだけどな。

 

 食事も終われば、こざるたちがチーズとナッツ、ドライフルーツを盛った皿を運んでき、飲んでいる酒も度がきついものへと移行していく。

 

「まったく。あれはどうにかならねえのか」

 

 時間を無駄にすることが許せないんだろう。今回、足を斬られたクロコダイルは随分とご立腹だ。

 

「ミホークが退屈しのぎに喜びそうな、オモシロ剣士でも乗せていたんじゃないの」

 

 クロコダイルの下なら例え表向き用の真っ当なカンパニーだとしても、イロモノ集団バロックワークスのような変り種がごろごろしているだろう。

 

 ぎろりと睨まれた。

 

「飼い主が飼い主なら、小猿も小猿だ」

 

「え。なんで俺まで引き合い?」

 

「阿呆鳥の商品を駄目にしたそうだな」

 

「あー」

 

 相変わらずの情報収集力ですこと。

 

「でも、俺が見た船は商品積んだ船じゃなくて、普通の人さらった海賊船だった」

 

「その言い訳が通じないと思っているから、逃げているんだろう?」

 

 そのとおりです。

 

 

 

 王下七武海同士の争い事はご法度である。

 

 

 

 そりゃあ、世界政府としてはせっかく抱え込んだ抑止力が潰し合ったらたまらないのだから、禁止するに決まっている。

 

 部下同士の争いだってダメだし、子飼いの海賊に手を出さないのも暗黙の了解の内だ。

 

 バレなきゃいいって面もあるけど、バレても気にしないというか隠そうともしないのが、王下七武海のひとり、鷹の目のミホーク。

 

 ちゃっかりそれにならう、ミホーク海賊団(自称)の俺。

 

「飼い主共々見境がないとはタチが悪い」

 

 クロコダイルの文句は尽きないらしい。

 

 まさかこれ、ずっとループし続けないだろうな。

 

「いっそのことさ」と提案してみる。「斬れない素材の船造れば?」

 

 こんにゃくとか。

 

「面白がって追いかけ回されるだけだ」

 

 え。

 

「やったんだ」

 

「海軍がな」

 

 鷹の目に限らずとも、斬れない素材が開発できれば大きな益になると踏んだのだろう、とクロコダイルは言う。

 

 

 

「ミホークさ」

 

 

 

 俺はクロコダイルのジョッキに酒を注ぎながら、神妙な顔を作った。

 

「今度、新しい刀を手に入れたんだ」

 

 クロコダイルの微妙な顔はみものだった。

 

 見えた未来は言わずもがな。

 

 しばらくの間、海軍海賊の区別なく被害を被るだろう。

 

 

 

 ご愁傷さま。

 

 

 

 

 

 



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第参拾回 刀匠の挑戦もしくは挑発

 

 

 

 

 

 

「わっはははは!」

 

 

 

 俺は腹を抱えて笑い転げた。

 

 目の前に立つミホークが、心外だとばかりに腕を組んで睨む。

 

 

 

 商人に預けた黒刀の拵えができあがってきた。

 

 

 

 もちろん、各種コートも揃えられている。

 

 商人がいつも通されるゲストルームに店が広がっていて、にぎやかだ。

 

 新しい鞘は、黒の漆塗りに銀の装飾を施されたものが用意された。

 

 鞘とは真逆の白い革でできた幅太のベルトを斜めに掛けて、背中の鞘を支える。

 

 ベルトの上にコートを着たら刀が抜けないから、コートの上にベルトが掛けられるようシャープなシルエットのデザインで、ダブルブレストのロックコート。色はベルトと同じ白。ベルトの掛かる肩位置から、金のモールが揺れていた。

 

 鞘の黒色がどこまでも映える。

 

 でもミホークには、どこぞの騎兵隊の軍服みたいな窮屈さがお気に召さなかったらしい。

 

 

 

 次のコートを試して、冒頭に戻る。

 

 

 

 着ているのは、革のノースリーブコートとシルクのシャツが一体となったようなデザインをしていて、前合わせのボタンもチャックも用意されておらず、どこまでも開放的。

 

 だから鞘も使わない。

 

 コートの背中に抜き身のままの刀を支える仕組みがあって、横に引くだけで刀が抜けるようになっている。

 

 しかし留め金ふたつがついているだけでは、刀の重みで生地が吊れる。

 

 そのため、表からは見えないコートの裏地の中に両の肩口から背中へと硬いベルトが通してあるのだという。

 

 コートの色は黒、シャツの色は白。襟にはアクセントとして金糸の刺繍が施されていた。

 

 今回のコンセプトは白と黒か?

 

 他の色目が随分と少ない。

 

 きっとメインである黒刀のシンプルさと、それに相反した装飾の派手さを際立たせるためだろう。

 

 

 

 そう、刀。

 

 

 

 これが俺の笑いの発作の原因のひとつ。

 

 聞いてくれよ。

 

 あの鍾乳洞で見つけた時は、もっと日本刀日本刀してたんだ。

 

 刃渡りが長いだけあって柄は確かに長めだったけれど、巻かれた紅い柄糸も、細やかに堀りこまれた鍔もそんなに奇を衒うものではなかった。

 

 だから派手によろしくといっても同じコンセプトで仕上がってくると思っていたのに、まったく違うものになってくるなんてね。

 

 今やぱっと見、片刃の洋剣だ。

 

 持ち手は鍔と柄とが一体になっている十字形。生産スキル『鍛冶』だけあれば作れそうな金属製で、滑り止めに白い革が巻かれている。

 

 刀身の長さを鑑みたにしては不必要に長い柄は、先端に大きな青い玉石を頂いていた。

 

 なんだか、魔法使いの杖っぽい。

 

 魔力がこもっているとか言い出さないよな。

 

 リリカルマジカルって変身したらどうするんだよ、ミホークが。

 

 あ、やばい。

 

 想像しちゃったよ。また笑いの発作が。

 

 そして俺の笑いが止まらないものだから、ミホークの機嫌が一段と悪くなる。

 

 

 

 考えるな、俺。

 

 

 

 つ、柄もすごいが鍔もすごい。

 

 柄の長さに張り合うかのように左右に伸びた鍔にも青い石がアクセントに埋められているが、それよりも両端で上下に優雅な曲線を描く反りが気になる。

 

 鍔迫り合いの際、相手の刃が滑るのを防止するためのものか?

 

 しかしあの長さで鍔迫り合いなんてできないんじゃなかろうか。

 

 だからどちらかというと、鈍器で凶器。

 

 あれで横殴りされたら、顔が抉れるだろう。

 

 そうでなくとも、何かする度に柄と鍔が邪魔になる。

 

 刀を縦に振ろうが横に振ろうが、刃が届くより早く刺さるんじゃないか。いや、その前に自分に刺さりそうだ。

 

 脇をしめたら簡単には振り抜けないけど、だからって腕を伸ばして振るものでもない。

 

 どうするんだよこれ。

 

 野太刀だろ大太刀だろ長ものだろ。

 

 俺の棍のようにつるぺたでいいじゃないか。

 

 そうすればぐるぐる回してもどこにも引っ掛からないのに。

 

 刀匠は何を考えて、ここまで邪魔くさい装飾を施したのか。

 

 大剣豪様ならこれくらい扱えるだろうという信頼か、それとも挑戦か。

 

 その素晴らしく派手で邪魔な刀を、ミホークが背負っている。

 

 

 

 まるで十字架のような、それ。最上大業物『夜』を。

 

 

 

 つまり今のミホークの姿は、随分と原作に近付いている。

 

 これが笑わずにいられるか。

 

「に、似合ってる。似合ってるよミホーク。流石大剣豪様。大業物を扱うに不足なしってね」

 

「笑いながら言われても、不快でしかないぞ」

 

「いやいや、本気。ちゃんと誉めてるってば」

 

 だけどさ、ぷぷっ。

 

 ああ、腹筋が痛い。

 

 多分ミホークとは付き合いが長くなった後だから、笑わずにはいられないのだろう。

 

 海軍本部の皆は初めて会った時からずっと、原作と同じ正義を背負った軍服姿だったが、だからどうってことなかったし、シャンクスの麦わら帽子なんて感動したくらいだ。

 

 でもミホークの今の格好を見たらなんというか、昔厨二病を拗らせたまま治らなかった友人が、オタク(俺)とつるむようになったせいでコスプレにハマった時を思い出していけない。

 

 背中から十字架が生えているんだぜ。

 

 ゴルゴダの丘を上る殉教者でもあるまいに。

 

 ……そういえばこの世界の宗教ってどうなっているんだろう。

 

 天竜人が現人神扱い?

 

 え、じゃあ十字架のアクセサリにあまり意味はないのか、もしかしたら。

 

 

 

 

 

 

 この後。

 

 ゴクウ様は仕込刀にも興味がおありのようでしたのでと、ジョン氏が俺に十字架の仕込刀を渡してきた。

 

 手のひらサイズの剣には、装飾がない。

 

 見た目シンプルな金の十字架。

 

 ちゃんと首に掛けるためのチェーンもついている。

 

 思わずあんたも転生者かと商人に聞きたくなった。

 

 それともそんなにミホークを厨二病にしたいのかと。

 

 

 

 もちろん俺は、羽根つきの帽子を準備した。

 

 

 

 

 

 









「ミスタ・ジョン!ミホークの船、改造しよう」

 あれだよ、あれ。棺おけなやつ。

「それはよろしゅうございます。ちょうど新しいエンジンができたと申しておりましたので、改造よりも新造いたしましょう」

 いいね。

 せっかく黒刀と剣豪様を厨二病全開にしたのだ。

「海に玉座が浮いてて背中に黒刀を背負ってると磔に見えて、えーってドン引きそうな感じ。船先と船尾に何故か消えない蝋燭つけて、帆は真っ黒。俺の猿船あるからサイズは更に小さくなってもいい」

 うん。そんな船、俺は絶対乗らない。

「だからミホーク。新しい船に剣のモチーフの海賊旗つけよう」

「いらん」







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第参拾壱回 棍

 

 

 

 

 

 

 町を襲う海賊、町を守る軍人、そして海賊に抵抗する町の人。

 

 今の物騒な世の中で、寸鉄帯びずに暮らしていくのは難しい。

 

 磨きあげられた大業物から台所の包丁まで、戦うために武器を持つ。

 

 しかし、刃物を振り回す海賊を指差して、あれは剣士かと問えば、誰もが否と答えるこの不思議。

 

 その違いがどこにあるというのだろう。

 

 

 

 剣士は、剣と対話する。

 

 

 

 一方的にねじ伏せてただ強引に斬るだけでは、そこに技はない。

 

 剣の心を読み剣と一心同体になってこそ、斬りたいものだけを斬る剛柔合わせた技となる。

 

 ミホークはそう答えた。

 

 剣士ってやつは皆そうなのかな。

 

 でも、剣と話せて初めて剣士を名乗れるのなら、剣士(自称)ばかりが殆どじゃないだろうか。

 

 剣士って、狭き門でエリートな上位職だったんだな。

 

 俺は、剣士にはなれない。

 

 合う合わないの問題でもない。

 

 だって、考えてみろよ。

 

 人斬りながら刃物と対話とか意志疎通とか、なんだよそれと思うだろ。

 

 刀は友だち怖くはないよとか、無理無理。

 

 逆に怖いよ、話す刀。青春語り合っちゃったらどうするんだよ。

 

 

 

 そんなエリート(奇人変人)の頂点に立つ男が、鷹の目のミホーク。

 

 

 

 あーうんごめん。

 

 今すごく納得した。

 

 もとい。ミホークは、件の黒刀とどのような会話を交わしたのか。

 

 使い勝手の悪いあの大剣をあっという間にものにして、やすやすと振るう。

 

 そして、俺の棍をすぱすぱと切り刻む。

 

 

 

 ……やってらんないよな。

 

 

 

 そんな嘆息的気分を振り払うように、俺は鍛練場で棍を振っていた。

 

 遠泳に行ったミホークとの合流待ちである。

 

 俺があの鍛練に付き合うことは、絶対にない。

 

 ないったら、ない。

 

 その間、棒術の型を繰り返して待つ。

 

 俺は自分の棍と会話する趣味はないから、ここはひとつと黒刀と同じ素材で新調してみた棍に慣れるため、ただひたすら型を繰り返すばかりだ。

 

 三本の黒鋼の棍を、両の端の石突きに並んだ金環が一本に束ねている。

 

 金環は止め金としての役割だけでなく、束ねを外して使えば三本の棍を繋ぐ鎖になる。

 

 

 

 ただの棍ではなく、折り畳み式の三節棍。

 

 

 

 一本の矢は折れても三本の矢は折れないという故事に習ったものではなく、長さの問題でこうなった。

 

 人型に合わせた武器は獣型には短すぎ、獣型に合わせた武器は長すぎて人型の時に持て余す。

 

 ミホークと出会った時、俺は獣型になるとミホークと同じくらいの身長だった。

 

 けれど今は、彼のつむじを見下ろすことができる。

 

 多分、2メートル半くらいには伸びただろう。

 

 しかしこれが人型になると涙がちょちょぎれることに、伸びた身長は精々握りこぶし程度。

 

 獣型の半分もなく、その落差は激しい。

 

 だからこその三節棍。

 

 折り畳んで棍として使えば人型でも使え、三節棍として使えば獣型に合う長さとなる。

 

 しかしこれがベストというわけではなく、どちらかというと苦肉の策。

 

 重さは十分だが、太さは合わない。

 

 長さも結局、人獣型になった時には帯に短し襷に長しという言葉通りの中途半端さである。

 

 

 

 ホントは如意棒が欲しい。

 

 

 

 長い太いが自由自在な如意金箍棒なら、こんな苦労はしなくていい。

 

 ただ、あれってもともと竜宮にあった海の重りだったか測量計だったかを、孫悟空が強奪したものなんだよな。

 

 つまり探すとしたら魚人島の宝物庫の線が一番濃厚で、そうじゃなくても海の底のどこかにあるのだろう。

 

 考えただけで、ぞわりと首の後ろの毛が逆立つ。

 

 

 

 ううっ、急に持病の「海の底に潜ってはいけない病」が。

 

 

 

 無い物ねだりをしても仕方がないから、今はこの新しい棍の鍛練に励むばかりだ。

 

 とりあえず、あっという間にミホークに輪切りにされる心配はいらない強度になったのだから、打ち合うに不足はない。

 

 まあ、ミホークの場合は剣気というか衝撃波がバンバン飛んでくるから、接近戦に持ち込むまでが大変だったりするんだけどな。

 

 

 

 

 

 

 しかし、俺のやる気はあっさりくじかれた。

 

 現れたミホークは「行くぞ」と一言告げたきり、どこにさと聞いても答えてくれず。

 

 たどり着いたのは、とある諸島。

 

 グランドラインの入口近くに位置しているけれど、最初の選択肢である7つの航路からは外れているため、ログポースを頼りに辿りつく船はない。

 

 そんな辺鄙な海域だから、ほとんどの島民が外から訪れる人に会うこともなく、また、外に憧れて島から出ていくことも少ない。

 

 今が海賊の時代であることすら知らないかもしれない。

 

 そんな穏やかな人々が住まう穏やかなこの諸島を、俺は知っていた。

 

 指針に頼ることなく好奇心のまま海を渡る海賊が気ままな航海の途中に見つけ、それから時折、羽を伸ばすために逗留するようになった。

 

 とても気持ちがいいところだからと誘われて、俺も何度か訪れた。

 

 だから諸島の外れにある珊瑚礁にその船が停泊しているのを見た時、ああやっぱりと思ったのだ。

 

 掲げられた海賊旗に描かれているのは、ぶっ違いの剣と3本の傷が刻まれた髑髏。

 

 表すは、赤髪の海賊。

 

 ミホークはシャンクスと戦いに来たのかと、俺は納得した。

 

 前回の勝負は互いの剣が折れて引き分けに終わった。

 

 あれが相当消化不良だったに違いない。

 

 早速リベンジというわけだ、と。

 

 

 

 

 

 

 けれど上陸した俺達を出迎えた赤髪の海賊は――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第参拾弐回 片腕の海賊

 

 

 

 

 

 

 海賊の隠れ島。

 

 のんびり過ごすためのこの島で、海賊たちは自生の草木で作ったらしきビーチチェアを並べて、骨付き肉やら酒瓶などを抱えてだらだらと過ごしている。

 

 けれど空気はのんびりしたものからほど遠く、逆にぴりぴりと張り詰めていた。

 

 正にバトル開始5秒前。コインの落ちる音ひとつで弾けるだろう雰囲気だ。

 

 

 

 それもそのはず。

 

 

 

 赤髪海賊団の皆が、既知の俺たちにすら警戒するのも分かるんだ。

 

 手負いの獣が傷を癒すためにその身を休めながら、手負いであるからこそ敵を怖れて警戒を怠らない。

 

 今の彼らの状態はまさにそれ。

 

 なにせミホークと俺の前に立ち、にこやかな笑顔で「よう」と片腕上げて出迎えたシャンクスの、反対側の左腕は存在していないのだから。

 

 ぞんざいに羽織ったシャツの下から見える上半身は、包帯でぐるぐる巻きだ。

 

 巻かれた包帯は血の汚れが目立ち、出血が酷かったのだろう様を窺わせる。

 

 

 

「シャンクス、腕は?」

 

 

 

「おう。くれてやった」

 

 俺の問いに返る答えは、軽い。

 

 ミホークの目がすっと眇められたのは分かったが、俺はそれどころじゃないくらい気が動転していた。

 

 もちろん、起こると知っていた事態だ。

 

 

 

 物語の根底の名シーン。

 

 

 

 でも目の前に持ってこられたら、そんなことは関係ない。

 

「お、俺、桃とってくる」

 

 慌てて空を蹴って駆け出そうとして、ミホークに襟首を掴まれる。

 

 足ばかりが先に行こうと空回りした。

 

「……いかにあの実でも、腕は生えまい」

 

 ミホークの言葉にシャンクスはおっという顔をした。

 

「じゃあ、あの時の仙桃はゴクウがくれたのか?」

 

 ちょいちょいと目の上の三本傷を指す。

 

「へ?」

 

 ミホークの腕にぶら下げられたまま、俺はシャンクスを見返した。

 

「毒が塗られていたから大変だったんだ。ありがとうよ」

 

 ぐしぐしと頭を手荒く撫でられた。

 

「ああ。あの時は覚悟したな」

 

 シャンクスの後ろで咥え煙草の口元をきつく縛ったまま立っていたベックマンが、口を開いた。

 

 なんでも、何日も高熱が続いたのちに死に至る、相手を長く苦しめることを目的とした嫌な毒を使われたらしい。

 

「しかしあれが伝説通りの果実なら、2つも食べるもんじゃない」

 

 俺は視線から逃れるように後ろのミホークを見遣る。

 

 ミホークも目を逸らした。

 

 実はミホークが怪我をした時にも大騒ぎしたからな、俺。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで挨拶を交わした後、俺たちは場所を移した。

 

 支柱を立ててバナナの葉で屋根を葺いただけの、南国らしき簡単な小屋に案内される。

 

 

 

 バナナあるんだ。

 

 

 

 俺の気が逸れた。

 

 それを見てとったシャンクスが、ヤソップにバナナシェイクを頼んでくれた。

 

 もちろん、ミホークの前に置かれたのは、シェイクではなく酒。

 

 シャンクスも酒びんに手を伸ばして、けれどヤソップに取り上げられた後は大人しくシェイクを飲んでいる。

 

 腰を落ち着けた俺たちに、ベックマンが事の経緯を説明した。

 

 

 

「ま、ルフィの未来の対価だ。安いものさ」

 

 

 

 一通りの話が終わってシャンクスは、やはりあっけらかんと笑う。

 

 ぎんとした鋭さでミホークがシャンクスを睨み付けた。

 

 その上、座ったままではあるけれど、黒刀をシャンクスの首もとに突きつけた。

 

 止めてくれ。せっかくの空気がまた凍る。

 

「赤髪、腕をくれてやったというのは謀ってのことか」

 

 ミホークは硬い声でシャンクスに問う。

 

「貴様ほどの男がむざむざ魚ごときにそのざまとは解せぬわ」

 

「あー、副長たちにも散々叱られているから勘弁してくれ」

 

 緊迫した空気を軽く受け流し、シャンクスは赤い髪をがしがしと掻くと、ミホークの剣を手のひらで横に退けた。

 

 

 

 ああそうか。麦わら帽子もないんだ。

 

 

 

 その赤を見ていたら、フルーツ盛りを持ってきたルウが、シャンクスの頭の上に南国の花で飾られたシュロの帽子を載せた。

 

「そうそう。直ぐに腹かっさばいて腕を取り戻してりゃ、繋げられる名医も能力者もいるんだから」

 

 ルフィ宥めてる場合かってなあと文句をつけつつも、俺にはマンゴーのような果実を渡してくれる。

 

 マンゴーは剥いてみるとバナナだった。何を言っているか分からないと思うが、美味しかった。

 

「うわっ、なんだよこれ」

 

 ルウに載せられた帽子を手にとって、シャンクスが面白そうに笑う。

 

 能力者か。

 

 それなら、自前じゃなくて他人の腕でもくっつけられる能力あるよな確か。

 

「シャンクス、鉤爪とかはつけるんだ?」

 

 マンゴーもどきなバナナをぺろりと食べて、聞いてみた。

 

「うーん。ありゃあ、もう少し先まで残っていないとなあ」

 

「じゃあ、ランスみたいなごついのつけて、ぶんて振り回すとか」

 

 ドリルというロマンも捨てがたい。

 

「お、いいなそれ」

 

 シャンクスは俺の言葉に目を輝かせ、ベックマンは反対に渋い顔をした。

 

「ゴクウ、お頭は冗談を本気でやる」

 

「この上更にそんな無様を見せてみろ。肩ごと切り落としてくれる」

 

 ミホークの方がよっぽど本気でやると思う。

 

 

 

 おお怖い怖いと肩をすくめた赤髪の海賊は、けれどずっと笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第参拾参回 退屈の虫

 

 

 

 

 

 

 その後はごく当たり前のように宴会に突入した。

 

 

 

 浜に大きく火が焚かれ、時折誰かが純度の高い酒を投げ込んでは炎が高く燃え上がる。

 

 周りではしゃぐ海賊どもは、適当にぶつ切りにされた食材をこれまた適当に木串に刺して焼いている。

 

 火力が強すぎて焼き加減まで適当だ。

 

 焦げたところを齧って、焼けていなければまた火に串を差し伸べて焼く。

 

 木串の方が先に焼けてしまい、具材が炎の中に落ちては落胆の罵声を吐き出し、周りが間抜けだと囃し立てる。

 

 食材のメインはもちろん魚。

 

 日がな1日、暇にあかせて釣糸を垂れ続けた戦果は随分と多い。

 

 大小さまざま色とりどりで目を賑やかす。

 

 なにせ、珊瑚礁に棲む魚はいつもデンジャラスだ。

 

 青と緑のストライプ柄なら可愛いほうで、紫に黄色の水玉模様の魚まで並んでいる。

 

 更には角があったり牙があったり、剣のように鋭いエリマキがあったり……魚かこれ?

 

 もちろん肉も並んでいるし、パパイヤなどの果実もある。

 

 

 

 ――野菜はどうした。

 

 

 

 賑やかな笑い声とジョッキが、何度も高く掲げられる。

 

 シャンクスはバナナシェイクに飽きたらしく、いつのまにやら酒を飲んでいた。

 

 俺も焼きバナナをツマミにお相伴に預かった。

 

 そして、ベックマンに二人並んで怒られた。

 

 なんで俺も一緒に怒られるんだと反論を試みたが、怪我人に酒を飲ますな一緒に飲むなと反論を封じられた。

 

 酒を取り上げられて暇になったシャンクスは、もくもくと酒を消費していたミホークに絡み始めた。

 

 流石に今日は無茶をしないだろうと楽観視していたら、子供の喧嘩のようなバカバカしいやりとりの後、いつのまにやら二人とも剣を抜いていた。

 

 

 

 そうなると誰に止められない。

 

 

 

 止められないというか、止めるのもバカバカしいというか。

 

 元々、二人が暴れはじめたところで止める顔ぶれでない。

 

 けれどそうはいっても今回ばかりは例外かと赤髪海賊団の面々の様子を伺ったら、呆れ半分の苦笑でジョッキを傾けていた。

 

 酒を飲むのは止めていたベックマンですら、諦めたように紫煙を溜息と一緒に吐き出しただけだ。

 

 大人しく養生しろと言ったところで、シャンクスの退屈の虫がそんなに長いこと静かにしているはずがない。そろそろ我慢の限界だと、誰もが思っていたらしい。

 

「3日持たないと思ったんだが」

 

「いやいや。俺はあのお頭がベッドに寝ているのは1日が限度だと」

 

「思ったより長かったよなあ」

 

「せめて、あと少し。明日の朝まで大人しくしていてくれたら」

 

「ちくしょう。これですっからかんだ」

 

 

 

 賭けてたのかよ。

 

 

 

 二人が丁々発止とやりあっているのを放っておいたら、シャンクスの傷が開いて包帯が新しい赤色で彩られ、でかい雷つきのドクターストップと相成った。

 

 船医に怒鳴られているシャンクスの姿にミホークは「興が醒めた」とひとつ鼻を鳴らし、またもくもくと酒を消費し始めた。

 

 

 

 

 

 

 次の日の朝。

 

 醒めた興はどこへやら、二日酔いで唸る者や迎え酒を煽る者たちを余所に、ミホークがシャンクスに奇襲をかけた。

 

 シャンクスも、それを笑って受けて立つ。

 

 朝から元気だなあと呆れるが、それからも二人は寄ると触ると仲良く喧嘩していた。

 

 ミホークがいきなり斬りかかったかと思えば、シャンクスがからかい巫山戯て子供のような悪戯を仕掛ける。

 

 ただ、やはり万全には遠いシャンクスの身体への負担は大きく、夜になると熱を出しているようだ。

 

 養生するためにこの島に来ただろうに、あれでは治りが遅くなるんじゃないだろうか。

 

「止めないの」

 

 どおん、どおんと岬の方で水音が高く上がっている。

 

 剣で岬が削り落とされている音なんだぜ、あれ。

 

 お陰でせっかくの釣りポイントから魚が逃げ出し、今日も今日とて暇でしかたがない太公望たちはそれで釣りを諦めた。

 

 今は総出で釣り上げられた魚を干物にする作業の真っ最中だ。

 

「まあ、いいリハビリになるんじゃないか」

 

 ヤソップがカラフルな鱗(他の島では案外高くで売れる)を海水で洗っていた手を止めて、返事をくれた。

 

「ミホークにはそんなつもり全くないと思うけど」

 

 リハビリにしては手加減なしの真剣勝負すぎるだろあれ。

 

「あの大剣豪様にしてみればそうだろうけどね」

 

 大物だった魚の切り身と海獣の肉を天日干しではなく燻製にしようとドラム缶を用意しているルウが、シシシッと笑った。

 

「でも海に出ていきなり海軍や敵船に襲われるよりは、今の内にあの隙を矯正しておかないと」

 

「隙?」

 

 そんなもの見ていて全く気付かなかったと首を傾げる俺に答えたのは、ルウじゃなくて副船長。

 

 普段はそれほど気にならねえが、と前置きして言う。

 

「反射的に動こうとした時ほど身体が今までどおりに反応して今までと違うことに気付かず、バランスを崩していた」

 

 ミホークにしてみればバランスの崩れが隙に繋がるのを許せなかっただろうし、シャンクスももちろんそれは分かっている。

 

 ベックマンは、だからと続けた。

 

「ゴクウたちが来てくれて助かった」

 

「ちょっと俺たちも動揺しすぎて、過保護になっちまったからなあ」

 

 

 

 ――そろそろ長いバカンスも終わりだ。

 

 

 

 数日後。

 

「東の海へ行く」

 

 そう言いおいてミホークが珊瑚礁の隠れ島から出港した。

 

 ミホークの気まぐれは誰にも読めないと思っていたが、赤髪海賊団の頭脳は測ったかのように水の補給を指示していて、今、俺の目の前にはキャプテンコートを羽織ったシャンクスが立っている。

 

「じゃあな」

 

 別れの言葉は簡素だ。

 

 俺も「うん、じゃあまた」と返して、猿船に乗りこんだ。

 

 ミホークの航路を追おうとしたけれど、この近くの海域に今がちょうど秋の島で収穫祭があったはずと思い出して方向転換したら、その派手なお祭り騒ぎに参加していたシャンクスとさっそく再会することとなった。

 

 よくある話、よくある話。

 

 

 

 

 

 



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第参拾四回 祭りの終わりはいつだって

 

 

 

 

 

 

 収穫祭はまず、島中が鮮やかな赤と黄の布に彩られて始まる。

 

 土着の神さまに由来してのことらしいが、信仰というよりも風習と化してしまい、神さまの名前を知る者は少なく、赤色と黄色にどんな意味があったかを知る者となると更に少ない。

 

 実りの秋にその恵みは溢れているが、この島、そしてこの祭りでメインとなるのは島の特産物で、ウリ科の野菜ポパルポ。

 

 熟せば甘いが、大体が青いうちに煮物に使われる。

 

 このポパルポを奉納するため、やはり黄と赤に塗られた紙の船に載せて海に流す。

 

 波に洗われ船はみるみると沈むが、ポパルポは浮く。

 

 そして最後に残った船が神の船だ。

 

 沖でとぷんと最後の船が沈むと、見物人たちは我先にと海に飛び込み、ポパルポを奪い合う。

 

 食べれば健やかな一年を過ごせると、言われている。

 

 そんな奇祭が奉じられる島に、けれど着いたのは残念ながら祭りの最終日だった。

 

 ポパルポも煮込まれ、振舞われていた。

 

 そして黄色い布を頭に巻いた赤髪が賑やかに酒を飲んでいた。

 

 ちなみに、ミホークはいなかった。

 

 地酒飲んでいるところにばったりとか、シャンクスよりもミホークの方がありだろうと思っていたんだけどなあ。

 

 ここにいないとなると、先に進んでしまったか。

 

 まあ、お互いどうせ気ままに波任せ。

 

 追いつくことはできるだろう。

 

 そういえばわざわざ「東の海へ行く」って言っていたってことは、今回目的地があるのかな。

 

 まさか、御礼参りということはないだろう。

 

 首をひねって考えるまでもなく、答えはすぐに浮かんできた。

 

 ――ああ、そろそろ恒例の大会がある時期か。

 

 

 

 

 

 

「え?」

 

 グランドラインを抜けてイーストブルーへと入り、祭りで買い込んだ菓子を散らかして、ミホーク用にと買った地酒を倉庫に運ぼうとドアを開けてびっくり。

 

 食糧がない。

 

 酒の樽が転がる他は、虫よけを兼ねたハーブが壁を飾っているだけだ。

 

 転がっている酒だってラム酒の他は海軍仕込みの蜂蜜酒の小さい樽だけ。

 

 エールもウイスキーもワインも消えている。

 

 それ以前に水がない。

 

 キッチンに多少は残っているだろうけれど。

 

 うーんと唸りながら甲板に出てみれば、干しの足りない干物が風に揺れていた。

 

 

 

 酒がないのは祭りのせいだ。

 

 

 

 というか、いつものようにシャンクスたちと宴会になって、もちろん赤の他人もたくさん巻き込んで港でどんちゃん騒ぎした。

 

 祭りの終わりで、誰も彼もテンションが高かった。

 

 どれだけ注文しても酒が足りずに「どんどん持ってこーい」と叫んでいた記憶があるから、こざるたちが船から運び出したのだろう。

 

 

 

 酒は珊瑚の隠れ島で補給していたのに、まさか一晩で消えるとは。

 

 

 

 食糧も随分と積んであったはずで、こちらは途中の補給はしていないが、まだまだ大丈夫と思い込んでいた。

 

 しかし、記憶を漁れば消費した記憶はぼろぼろと出てくる。

 

 シャンクスたちと連日繰り返した宴の席で「野菜がないだろ野菜が」と運ばせた記憶とか。

 

 粉もの引っ張り出して朝のパン作り大会をした記憶とか、昼のお好み焼き大会をした記憶とか。

 

 

 

 うん、楽しかった。

 

 

 

 なにせ赤髪の海賊団には専属のコック以外にも食にこだわる者が多くて、腕も立つ。

 

 しかしどれほど腕が立とうとも、俺も参加した干物作りのような時間のかかることをグランドラインの航路でできるかというと、そうでもない。

 

 気候が朝夕で変化するグランドラインの航路ではなかなかに難しい。

 

 夕立のように読みにくい嵐が多発すれば、火が通っているだけで御の字だ。

 

 だからこそ隠れ島に長逗留中にこれ幸いと、色んなことにチャレンジしていた。

 

 作り方を教えてもらうのが楽しくて、しかしそれだけでは一方通行だ。せめて食材の出し惜しみはしなかった。

 

 在庫の確認もしなかった。

 

 

 

 ダメダメだよな。

 

 

 

 情けない話だが、危機感がないからいけない。

 

 いざとなったら、金斗雲でひとっ飛びすれば解決するからなあ。

 

 けれど今は、食の楽しみを捨てるほど急いでいるわけでもない。

 

 ここはひとつ、補給する島を探そう。

 

 どうせなら今まで行ったことのない新しい島がいい。

 

 そこに珍しい特産物でもあればなおのこといい。

 

 

 

 

 

 

 とりあえず、マストに登って島影を確認してみようと思ったら、波間にたくさんの木片が浮かんでいた。

 

 船の残骸だ。

 

 グランドラインじゃないんだから、いきなりトルネードが湧いてでたりもしないだろう。

 

 海賊に襲われたか、逆に海賊が撃退されたか。

 

 

 

 ――て、ミホークじゃん。

 

 

 

 半分に折れた船がゆっくりと海に沈んでいく渦の向こうに、黒い帆が見えた。

 

 へえ。大剣豪様に挑む命知らずの海賊がまだいたか。

 

 それとも、東の海だ。鷹の目のミホークだなんて知らずに、大海原に浮かぶ小船を侮って、いらぬちょっかいを出したのか。

 

 なんにしろ、お陰で俺が追いつけた。

 

「ミホーク!」

 

 俺はマストをとんと蹴って、ミホークの船に移った。

 

「補給がしたいんだ」

 

 酒が飲みたかったら、ミホークも島を探してよ。

 

「うむ」

 

 俺の言葉にミホークは、重々しく頷いた。

 

 手にしていた剣の先で、自分の後ろを指し示す。

 

「こやつらが襲おうとしていた島がある」

 

「珍しい。人助け?」

 

「いや、結果論だ」

 

 偶さかそうなったとミホークは言うから、島の人たちは何も知らないままだろう。

 

 けれど島が荒らされていたら補給どころではないから、俺たちもラッキーだ。

 

 

 

 こうして俺たちは東の海で航路を外れた。

 

 

 

 

 









すっからかん。


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第参拾五回 オレンジの島

 

 

 

 

 

 

 

 ミホークの指し示す方向に進めば、確かに島があった。

 

 

 

「へえ。ここはオレンジが多いんだ」

 

 

 

 初めての島っていうのは、それだけでワクワクする。

 

 町並み一つとっても、その島の個性があって面白い。

 

 海に隔てられた大地と風と歴史の積み重ねが、見たことのない祭りや建物となり、唄や言葉や料理を育んでいく。

 

 なのに、南の海と北の海に同じような伝統料理があったり、小さな島でも川を一つ挟んでいるだけで全く違っていたりもする。

 

 

 

「おう、オレンジだけじゃない。夏ミカンやキンカン、レモンもあるぜ」

 

 

 

 俺はさっそく入った港で、港守に話を聞いていた。

 

 船乗りたちは皆ここでオレンジを買っていくんだってさ。

 

 ちなみに最初は話を聞くどころか、ミホークの船とミホークにびっくりしていたけどな。

 

 まあ、黒い棺桶船が接岸しただけで怪しいのに、その船から背中に大剣背負った剣豪様が降りてきたら腰のひとつも引けるよな。

 

 今のご時世、海賊の心配もしなくちゃいけないし。

 

 けれど、俺が人型のお子さまっぷり全開で無邪気に話しかければ、その警戒も緩まるってものさ。……自分で言っていて虚しくなるな、これ。

 

 

 

 島は、それほど小さいものでもなく、町もいくつかあるようだ。

 

 

 

 しかし、それに比べると港はあまり大きいものではない。

 

 グランドラインを目指す航路から外れているため、補給目的の船が寄る機会も少ないからだという。

 

 定期的に商船が来て、島では手に入りにくいものを卸し、この島で作られているオレンジを仕入れていく。

 

 元々柑橘類が育ちやすい土地柄だった。

 

 その上、航海には欠かせない。

 

 商人も船を空にするよりは帰りの荷があるに越したことはない。

 

 需要と供給が成り立った後は、だんだん規模が大きくなった。

 

 今や、島の大切な収入源だ。

 

「だから山に自生しているものでも勝手に採れば罰せられるから注意しろ。だが、水は大丈夫だからな。買うよりも山に汲みに行ったほうがいいぜ」

 

 そのほうが旨い上に長持ちすると教えてくれる。

 

「ありがとう。そうする」

 

 さっそく町で買い出しをし、食糧と酒を船に運んでもらう算段をつけたら、樽を担いで山登りだ。

 

 水が旨いなら、酒も旨い。

 

 楽しみだ。

 

 そんな会話をしながら水汲みは終わり、また樽を担いで山を下る。

 

 帰りは船まで真っすぐでいいだろうと、道を外れてその帰り道。

 

 

 

 一軒の家を見つけた。

 

 

 

 町からは外れているが、オレンジの栽培農家が多いなら、自然とお隣は遠くなるだろう。

 

 こじんまりとした家の周りには、畝に沿ってきれいに並んだ木々が濃い緑の葉を繁らせていた。

 

 これから畑を広くしていこうとしているところなのか若木もまだらで、これから植えるのだろう生地が見えている畝もある。

 

 しかし、濃緑に映える橙色は瑞々しく鮮やかだ。

 

「ミホーク!オレンジ食べていこう」

 

「買っていなかったか」

 

「買ったけど」

 

 日差しを弾く太陽の色合いが、もぎたて新鮮を食べておけと喉の乾きを誘発するのだ。

 

 ま、我慢はよくないよね。

 

 樽を置いて、家へと向かう。

 

 家人はいるかと戸を叩く前に、洗濯物を干している女性を見つけた。

 

 エプロンのひもが結んである背中しか見えないが、一家を取り仕切る農家のおばさんという感じではなく、若い。

 

 すらりとした背中に声をかけた。

 

「おねーさんこんにちは」

 

「あら、ぼうや。こんにちは」

 

 振り向いた女性が、にこりと笑う。

 

 オレンジに負けず劣らず明るい笑顔だ。

 

「この辺では見ない子ね」

 

 しかしその笑顔も、後ろから歩いてくるミホークの姿に気付くと強張った。

 

 彼女は警戒もあらわに、右手を腰に持っていく。

 

 銃かな。

 

 でもその腰には何もない。

 

 反射的に手が伸びただけのようだ。

 

「軍人さん」

 

 俺は呼びかけの言葉を換える。

 

 海賊や山賊じゃないだろう。もっと訓練された人の動きだ。

 

 ミホークのこともただ警戒すべき物騒な訪問者と見ているのではなく、彼が『鷹の目』だと分かっているっぽいしな。

 

「オレンジください」

 

「ミカンよ。それにもう退役しているから『お姉さん』がいいな」

 

 ふうと息を吐いて、おねーさんの肩からすとんと力が抜けた。

 

「おねーさん。ミカンをひとつ分けてほしいんだ」

 

 オレンジ?みかん?

 

 違いが分かりにくい。

 

 ミカンってもっと薄くて小さくて、こたつで食べるもんだと思ってた。

 

「太陽の日差しをたっぷり浴びているから肉厚になるのよ。酸っぱくって好評なんだから」

 

 説明しながらもおねーさんは、エプロンのポケットに入っていたハサミでミカンを手早くパチンと採って、俺に手渡してくれた。

 

「さあどうぞ」

 

「ありがとう」

 

 早速食べる。

 

「すっぱ」

 

「あはははは」

 

 酸っぱさにしかめた俺の顔を見て笑いながら、ミホークにもミカンを投げたおねーさんは、更にミカンを収穫して空になっていた洗濯籠に入れていく。

 

 ある程度のところで、その籠を俺たちへと差し伸べた。

 

「持っていって」

 

「ありがとう」

 

 礼を言いながら財布を出す俺に、彼女は慌てたように手を振った。

 

「お代なんていらないよ」

 

「それはダメ」

 

 ここに並ぶミカンの木の美しさは、人の手が入った美しさだ。

 

 懇切丁寧に育てた果物を、友人知人にお裾分けするならともかく、赤の他人の俺が無償で譲ってもらうもんじゃない。

 

 田舎のばあちゃんは通りすがりの他人に畑の収穫物をぽいぽい渡している?

 

 そういう、素朴な話は別だから。

 

「ふむ」

 

 俺たちのやりとりに、ミホークは手に持ったミカンを懐に仕舞うと、代わりに小振りの袋を取り出した。

 

 革の袋で、端が煤けていた。

 

 それをおねーさんに放る。

 

 反射的に受け取ったおねーさんは、目を白黒させている。

 

「そやつから金が受け取れぬなら、それでよかろう。無価値な拾いものだ」

 

 突拍子ないな、ミホーク。

 

 でも、いい落としどころだ。

 

 じゃあそういうことでと、おねーさんが我に帰る前に退散した。

 

 

 

 

 

 荷の積み込みが終わって出港となり、船も沖へ出始めた頃。

 

 おねーさんが泡食って走ってきた。

 

 手を大きく上げて振り、声がきれぎれに届く。

 

「こんなにも貰えないよー!」

 

 ……。

 

「ミホーク。いくら渡したのさ」

 

「知らぬな。先の海賊が無様にも命乞いで差し出してきたものだ」

 

 命の値段かよ。

 

 まあ、確かにミホークには不要なものだわな。

 

 んでもって、そんなものを差し出したのなら、ミホークはなおいっそう容赦しなかったはず。

 

「まあ、いいか」

 

 もちろん船を港に戻すことなどせず、俺はおねーさんに大きく別れの手を振った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第参拾六回 目的地

 

 

 

 

 

 東の海での用事が終わって、後はのんびりと寄り道しつつミホークの島に戻るんだろうと思っていたけれど。

 

「あれ?あの島」

 

 白波弾ける海の行く先。

 

 見えてきた島にそびえ立つ、赤茶けた火山には見覚えがあった。

 

 少し先を行くミホークの棺船は、舳先がその島の入江へと向いている。

 

「ミホーク!」

 

 俺は、船の上から船の上へと通すべく、大きな声を張り上げた。

 

「寄っていくんだ?」

 

 珍しい。

 

 率直な感想が声に乗る。

 

「寄らぬ」

 

 素っ気ない返事が戻る。

 

 え、ここまで来て寄らないの。

 

 思った通りの返事だというべきか、だからこそ珍しいと思って訊いたんだけどさ。

 

 俺は、ぽぽんと空を蹴って船を渡ると、ミホークの近くに寄った。

 

 肩には乗らずに、そのまま金斗雲で宙に留まる。

 

 ミホークの肩、乗りにくくなったんだよな。

 

 黒刀の鍔が邪魔だから。

 

 それにさ、聞いてくれよ。

 

 当たり前なことに、斬りたいものだけ斬れる柔剣の技は、背負っているだけじゃ発揮されない。

 

 この間、ミホークの肩に乗っていたこざるがもののはずみで落ちたんだ。そして運悪く、むき身の黒刀に触れてばっさりだ。

 

 あり得ないだろ。

 

 その内、コートが風にたなびいただけで、触れた裾がすっぱり切れたりするんじゃないか?

 

 人混みなんて怖くて歩けなさそうだ。

 

「じゃあ、どこに向かっているのさ」

 

 俺は金斗雲に胡座をかいてぷかぷか浮いたまま、返事があるとも思わずなにげに訊いた。

 

 応えがあった。

 

「面白い技を使う魚人の話があっただろう」

 

 ああ、うん。

 

 無手の流派で、名前はジンベエ。

 

 

 

 そう、あのジンベエだ。

 

 

 

「仕合うにはよい時だ」

 

 ミホークが告げる。

 

 時ね、時。

 

 そりゃまあ確かに、剣を合わせるに適したタイミングというものがあるというのは、ミホークと一緒にいると分かるようになった。

 

 出会うにしても、殺し合うにしても。運命とはまた別の熟すべき『期』があるんだろう。

 

 ――とは思うが、理解出来るかどうかはまた別の話。

 

 だって俺、剣士じゃなくて海賊だもの。

 

 ミホークは「オレは海賊だ」という主張をしない。

 

 時折、海賊だと思っているかも怪しいと感じる。

 

 多分置かれた状況さえ違えば、賞金首にはならなかった。

 

 選ぶべき道が違っていたら、海軍だったかもしれないし賞金稼ぎだったかもしれない。

 

 ミホークにとってそれは然程重要なことでなく、ジョリー・ロジャーへの思い入れもなく。

 

 ただ、剣士であればいいのだろう。

 

 なんていうか、サムライ?

 

 この世界のワノ国の侍じゃなくて、ジャポンのサムライを海の向こうの国の人たちが勘違いして美化しすぎた、あれ。

 

 そんな性根のままに戦うバカ(誉め言葉)が剣士を始めとした武人たちで、それは武器の種類や有無の違いではなくて心意気の違いなんだけど、それを突き詰めていくとできあがるのは我が道行っちゃう剣豪様だっていうことなんだろう。

 

 

 

 話が流れたな。

 

 

 

 とにかく、正々堂々とは違うが、我らが剣豪様には剣豪様なりの仁義というか流儀がある。

 

 戦うべき時に戦う。

 

 これもそのひとつなんだろう。

 

 期が熟すのを待つ必要性はともかく、ジンベエという名の魚人は遠くなく七武海入りする。

 

 原作知識だけで言うのではなく、海軍で既に何度か名前を聞いているから断言できる。

 

 王下七武海になってしまえば、一応の不文律。

 

 七武海同士の争いごとはご法度なのだから、確かに今が一番いい時期なのかもしれない。

 

 けれど。

 

「行ってらっしゃーい」

 

 魚人島!

 

 もちろん行かない。

 

 絶対行かない。

 

「ふむ」

 

 ミホークはにこやかな俺のお見送り笑顔を全く無視して、顎に手を当てると並走する猿船を見遣った。

 

「この船にもコーティングが必要か」

 

 いやいやいやいや、いらないって。行かないんだから。

 

 俺の大切な船、海に沈めるなんて冗談じゃない。

 

 そんな準備全然いらない。

 

 否定の言葉が頭の中を駆けめぐり、巡りすぎて言葉として口から出てこない。

 

 鯉のようにぱくぱくと無音の抗議の末、俺は。

 

「いややっぱりほら、クロコダイルに挨拶しないで素通りってわけにはいかないだろ。ここはひとつ別行動ってことで」

 

 そういえば目の前に逃げ道があったと火山を指差し、そう言った。

 

「では、行ってこい」

 

 いきなり伸びてきた手に襟首掴まれて、ぺいと放り投げられた。

 

 

 

 ぎゃー!

 

 

 

 ト、トラ、トラウマが。

 

 海落ちる怖い。

 

 じーさんこわい。

 

 わたわたと色んなものを取り乱して、気付いたらぽつんと砂浜に立っていた。

 

 いつしか島のすぐ近くまで来ていたらしい。

 

 

 

 なんだかなー。

 

 

 

 去っていく2隻の船の帆を、やっぱりシンボルマークはほしいよなと現実逃避しながら見送る。

 

 追いかけるのは簡単だが、追いついてしまったら待っているのは海の底への旅路だ。

 

 まあ、いいや。

 

 お言葉に甘えて、クロコダイルに挨拶していこう。

 

 で。ミホークのツケで遊ぼう。

 

 この、低木が寂しく生える海岸の向こう。

 

 赤茶けた火山の麓には、まるで西部劇に出てくるようなゴルードラッシュがあり、街があり、そしてカジノがある。

 

 

 

 カジノのオーナーはもちろん、サー・クロコダイルである。

 

 

 

 

 

 



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第参拾七回 鼠と兎 猿と鰐

 

 

 乾いた大地、乾いた川。取り残された渓谷。

 

 舞う砂ぼこり。

 

 赤茶けた荒野に不釣り合いなほど、青い空と白い雲。

 

 そびえたつ山に木々はなく、てっぺんで煙をもくもくと吐き出している。

 

 ちろちろと赤く燃えているのは溶岩。

 

 地を這う雜草と背の高いサボテン。

 

 

 

 タンブルウィードって知っているか?

 

 

 

 西部劇にはよく出てくる、決闘前の男たちが向かい合う誰もいなくなった街道で、風に吹かれてコロコロと転がっていくアレだ。

 

 コロコロと転がる枯れ草の固まりは、ああやって種を蒔いているのだとどこかで聞いたことがある。

 

 でも、どうして目と足と尻尾があるんだろうなー。

 

 風だまりに溜まっていると思ったら、その内のちょっと大きめの固まりの芯の部分、暗がりになっているところからきょろりと目が開き、ちょこりと足が出た。

 

 そして障害物のないところまで移動すると、また何事もなかったように転がりだす。

 

「あれはタンブルラットです」

 

 案内のおねーさんが、俺の視線から察したのか説明してくれる。

 

「繁殖期になるとタンブルウィードに入って荒野を移動します。タンブルウィードで巣作りし、子育てをします」

 

 俺の隣を歩いて案内してくれているおねーさんは、クロコダイルの秘書だってさ。

 

 でも、きっちりとまとめた髪やハーフフレームの細いメガネは確かにやり手秘書って感じだけど、スレンダーなボディーを包んでいるのはキャリアウーマン然としたタイトなスカートではなく、バニーさんだ。

 

 重要だから二度言おう。

 

 バニーさんだ。

 

 けしからん程に生地の少ないレオタードには丸いしっぽ。

 

 ラメが入ったタイツにピンヒール。

 

 白襟に赤いネクタイ。カフス。

 

 頭の上にはうさぎの耳だ。

 

 

 

 ――まさかこれ、クロコダイルの趣味だとかは言わないよな。

 

 

 

 このおねーさんとはカジノの入口で会った。

 

 海岸から火山に向かって、「シェーン、カンバーック!」と叫びたくなるような荒野を観光気分でてくてくと歩き、目的地に着いた。

 

 着いた町もオールド・ツーソンみたいで、これまた観光気分でのんびり歩いて、それでもカジノはすぐ見つかった。

 

 しかし、入口でがたいのいい男が二人、俺の前に立ちふさがったんだ。

 

 ドレスコードで入店拒否。

 

 というか遠くもない言い回しで「猿は帰れ」と言いやがった。

 

 喧嘩売ってんだな言い値で買うぞ倍値でもOKだと背中の毛を逆立てたところで、スマートに割って入ったのが、クロコダイルの秘書を名乗るおねーさんだったのだ。

 

「大変失礼いたしました。私がサーのところへご案内いたします」

 

 そんなふうに丁寧に述べられた謝罪よりも、バニースーツに毒気を抜かれた。

 

 助けてもらってよかったな、黒服ども。

 

 もう少し遅ければ、お前らが伸されるだけじゃなく、せっかくのカジノが潰れるところだったさ。

 

 

 

 ここはクロコダイルランド。

 

 もちろん、正式な名前ではない。

 

 ちゃんとした町の名前は火山がまだ休火山だった頃に起きたゴールドラッシュにあやかって、ゴールドを冠したものだった。しかし、すっかり寂れてからはその名前で呼ばれることもなくなった。

 

 貧困と過疎化が進み、犯罪者が流れ込み、この町ももう終わりだと嘆く日々に登場したのが、僕らのヒーロークロコダイルダンディー!

 

 ――もとい、サー・クロコダイルである。

 

 悪人どもを駆逐し、町の復興のためとカジノを建設。

 

 無法者が往来し海賊が跋扈する危ない時代だが、七武海の守る町なら安全である。

 

 近くの島を回る遊覧船も、運賃は高いが安全保証は鰐印。

 

 カジノは大繁盛。街は観光名所。

 

 昔の栄華が戻り、誰もが感謝している。

 

 ということを賛歌混じりに道行きつらつらと語ってくれたのも、秘書のおねーさんである。

 

 

 

 王下七武海。

 

 

 

 クロコダイルはこの名前を上手く使っている。

 

 七武海が経営するカジノと聞いて、何をイメージするか。

 

 海賊?

 

 いかさま賭博?

 

 いや。

 

 海軍と、そして世界政府の影を見るのだ。

 

 カジノ自体が政府公認であり、海軍の後ろ盾があると考える。

 

 実際、優等生のクロコダイルはこのカジノをおおっぴらに経営しているし、事前の届け出をして承認も受けているのだろう。

 

 そして、七武海の名が怖いから、金が集まるところにはありきたりな海賊の略奪も心配しなくていい。

 

 クリーンで安心なイメージはばっちりだ。

 

 やっていることは賭博だけどな。

 

 ちなみに現在、カジノの他にホテルやレストラン等も併設。

 

 町は完全にクロコダイルの支配下のようだ。

 

 

 

 アラバスタが一号店じゃないのな。

 

 

 

 まあ、考えてみればそれまで表向きの収入が一切ないわけないし、クロコダイルがぶっつけ本番でことを起こすとも思えない。

 

 こうして実績を積んでいったからこそ、本番で真実味が増すんだろう。

 

 

 

 クロコダイルのところまで案内してくれているはずが町の観光案内になりつつも、秘書のおねーさんはクロコダイルのことを救世主だなんだとまるで崇拝するかのように褒め称える。

 

 でもなー。

 

 この町で生まれ育ってクロコダイルに感謝している口ぶりでありながら、それが真実な気がしない。

 

 海軍将校のコート羽織っておつるさんの後ろに立っている方が似合う気がする。

 

 いっそのこと聞いてみようかと思ったところで、おねーさんの足が止まった。

 

「こちらでサーがお待ちです」

 

 宮殿のようなホテルのVIPルーム。

 

 クロコダイルが特別な客と会う時に使うというその部屋は、ドアを開けると滝だった。

 

 

 

 

 

 

 葉巻を燻らせた男の口元は、随分といやらしく歪んでいた。

 

 

 

 

 

 



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第参拾八回 猿と鰐 金と運

 

 

 

 

 

 水が豊富な土地での水に価値はない。それどころか時には害にすらなる。

 

 しかし水が乏しい土地であれば?

 

 貴重な命の水は万金に値し、富の象徴となるだろう。

 

 だから、壁一面が滝になっているVIPルームだなんてふざけたものを作っちゃうのだ。

 

 

 

「あーもー信じられない。何が富だ権力だ」

 

 

 

 今は障壁が下ろされて、壁はただの壁である。

 

 メンタルな部分をガリガリと削られた俺は、人型でごろごろと肌触りのいいソファーに懐きつつクロコダイルへの愚痴をグチグチと零している。

 

 獣型だと本能が逃げるんだよ。

 

 壁一枚隔てているとはいえ、不意を突かれすぎたせいでまだ大猿には戻りたくない。

 

 ちなみに滝はそのまま吹き抜けでホテルの一階フロントへと流れ、レストランに涼を与えているそうだ。

 

 食事がまだなら食ってくかとふざけたことを言われたが、ガラス張りの水上レストランなんて誰が行くか。

 

「だいたい自分だって水が怖……」

 

「何か言ったか」

 

 いつの間にかソファーの後ろに立ったクロコダイルに後頭部を鷲掴みにされた。

 

 そのまま持ち上げられるのはちょっと癪に障る。

 

「……怖くなくても弱点には変わりないだろ」

 

「いい度胸だ」

 

 クロコダイルの顔は見えないが、きっと獰猛な笑みを浮かべたはずだ。

 

 視界の端をさらさらと砂が流れる。

 

 つまりこのままだと猿の干物ができますよ、と。

 

「いいじゃん。水が嫌いで苦手で怖くても」

 

「誰の話だ」

 

 呆れたように、ぺいとソファーに放り出された。

 

 あれ。そういえばアラバスタでも巨大な水槽作るんだから、ホントにただ能力的に弱点なだけで、嫌いじゃないのかもしかしたら。

 

「そういえばさ」

 

 俺は頭をさすりながら、ソファーに座り直す。

 

「クロコダイルの秘書のおねーさんて軍人さん?」

 

 気になっていたので聞いてみた。

 

 ちなみにそのおねーさんは、カジノのドレスコードのために俺用の蝶ネクタイとやらを取りに行っている。

 

「そりゃ野生の勘か」

 

 やっぱり軍人さんでいいんだ。

 

「勘ていうかさ」

 

 俺が滝にびっくりして人型になる時は一応驚いてみせたけれど、でもあれは『猿王』を知っている反応の域を出なかった。

 

 こんな島じゃ、能力者を見る機会だって滅多にないはずなのに。

 

 でも、ホントに海軍のスパイならこうあっさりバレてもいいものか。

 

 優等生ぶっているクロコダイルが裏で何をしているか分からないから、素性がバレること前提で送り込まれた監視役ってところかな。

 

「小猿。飼い主はどうした」

 

 クロコダイルが葉巻を噛みながら、言った。

 

 まあ、二隻並んでこの島に近付いたんだから気にもなるか。

 

「海の底」

 

「魚人島か。ああそりゃあ水が嫌いで怖くて苦手なエテ公には無理だな」

 

 無理です。

 

 考えたくもない。

 

 

 

 

 

 再び大猿になって、クロコダイルとカジノに向かう。

 

 ミホークのツケで散財するためだが、もちろん楽しむさ。

 

「俺、カジノ初めて」

 

 わくわくする。

 

「一般に解放されているフロアではワンコイン100ベリーでお手軽に楽しめる遊戯が揃っております」

 

 今度は黒服に止められることもなく入口を潜りつつ、秘書のおねーさんが説明してくれる。

 

 そこにはスロットマシンが並んでいた。

 

「ワンコイン10000ベリーの高額チップもございます。こちらはポーカーなどディーラーがつくテーブルの掛金として使われます。他には特別室専用のコインが一枚100万ベリーとなっております」

 

「お子様はスロットで十分だろう」

 

 クロコダイルが一台のスロットマシンの前に立って嫌味ったらしく言うが、まあ初心者だからそんなものか。

 

 説明ぷりーず。

 

「ここにコインを入れてレバーを引くと目が揃う」

 

 まるで自動販売機でお金を入れたらドリンクが出てきますと説明するかのごとく、さも当然のことのように言ってクロコダイルはレバーを倒した。

 

 それが事実だからぱねえ。

 

 同じ絵柄が並んで、コインがジャラジャラと落ちてくる。

 

「社長が経営者ではなく顧客に回ったら、カジノが1日で潰れますわね」

 

 秘書のおねーさんが言うのもごもっともだった。

 

 でも言われるままにやってみると、簡単に柄が揃った。

 

「壊れてるんじゃない?」

 

 振り向いて聞いてみたら、おねーさんは呆れた息をついていた。

 

 ポーカーをやってみると、クロコダイルの一人勝ちだった。

 

 俺には向いていなかった。

 

 ルーレットとは相性が良く、ひとつの数字に全部つぎ込んでも当たった。

 

 ミホークのツケで散財するはずなのに、大儲けしてどうするよ。

 

「お二人が揃うと、カジノが潰れるまで一日も掛かりませんわね」

 

 いや、クロコダイルが用意したチップなんだから換金なんてしないって。

 

 そう主張してみたが、結局秘書のおねーさんにクロコダイルと二人カジノを放り出された。

 

 

 

 勝つばかりでは面白くないと嘯きつつ、火山の廃坑へと宝探しに行くことにした。

 

 

 

 溶岩の中に変な生き物が潜んでいたりレアメタルを見つけたり地底湖があったり地底人がいたり恐竜が滅んでいなかったり古代文明が埋もれていたりして面白かったが、思う存分に冒険を楽しんでいる間、島の沖に猿船の姿すら現れなかった。

 

 

 

 

 

 

 え、もしかしたら置いていったっきりお迎えはなしですか。

 

 

 

 

 

 

 



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第参拾九回 パワーバランス

 

 

 

 

 

 俺の船、猿船の船尾にはささやかな水栽培コーナーがある。

 

 船がひっくり返っても水が零れないように細工された丸いプランターが並び、日がさんさんと降り注がなくても大丈夫な野菜などを育てている。

 

 ちなみにその隣には叩いても割れない水槽(蓋つき)が備え付けてあり、海草が青々と育っている。常使いはしていないが、生け簀として使うことも可能だ。

 

 

 

 これらの海水と真水をどこから引っ張っているか。

 

 

 

 元々船尾にはマッドが作った推進装置のひとつのスクリューがある。

 

 その水流を利用した浄水装置も一緒に並んでいる。

 

 水栽培はそのおまけだ。

 

 海水を組み上げて真水を作る過程で、ついでに水栽培と後は塩の精製ができるようになっているのだ。

 

 真水といってもそのままでは飲めたものではないが、海水を使って生活していると何もかもが塩でばりばりになるのでとても助かっている。

 

 

 

 さて、話は戻って水栽培コーナーだ。

 

 

 

 ここは電伝虫の巣にもなっている。

 

 普段、電伝虫の餌として料理の時に出た野菜の外葉や皮や萎びたシッポを食わせているが、できない時もある。

 

 海が荒れた時には料理どころではないし、こざるたちだけが乗っている時には食事自体が不要だ。

 

 そんなわけで、いつしかプランターに腹を空かせた電伝虫が居着くようになっていた。

 

 今は5匹くらいかな。

 

 なんだか知らない内に黒いのも混じっていたが、何が困るわけでもないので放ってある。

 

 

 

 なんで突然こんな話になったかというと、クロコダイルに電伝虫を渡されたからだ。

 

 

 

 俺の迎えはいつまで経っても来ない。

 

 ミホークが迎えにくるとはもちろん思っていなかったが、俺の船まで来ないとは。

 

 どこまでいったのか、未だミホークから解放されていないらしい。

 

 仕方ないから一人寂しく島に帰るかと、暇乞いをしにいったらクロコダイルにちょうどいいと海軍本部からの電伝虫を渡された。

 

 ああ、そういえば俺が面倒みてる電伝虫はどうしているだろうと思って冒頭に戻る。

 

 猿船の中でぷるぷる鳴いていたら、こざるたちがミホークの元へと連れていきはするだろう。

 

 それでミホークがどうするかだよな。

 

 まず最初は無視するに決まっているだろ。

 

 海軍側が勝手に繋ぐかもしれないが、あまりに五月蝿くて一言下に通話を切るか、まさか物理的にばっさり電伝虫を斬り捨ててはいないだろうな、あの大剣豪様。

 

 それに比べて、クロコダイルなら無下な対応はしない。

 

 海軍本部からの会議開催連絡を受けた後で、目の前にいる猿に電伝虫を渡してほしいと言われたくらいで怒りはしないし、握りつぶしたり干からびさせたりはしないのだ。

 

 海軍と世間様相手に信頼を積み上げようとしている、今は。

 

 将来的には嬉々として実行しそうだが。

 

 俺がここにいることを海軍に知られているのは不思議でもなんでもない。

 

 秘書のおねーさんだけじゃなくて、他にもこそこそしたのがいるだろうから色々と筒抜けだ。

 

 

 

 受け取った電伝虫は可愛らしい丸い目を怒らせて、センゴクのじいさんの怒鳴り声を伝えてきた。

 

 

 

 なんでもミホークが白ひげ海賊団の隊長と一触即発な騒動を起こしたらしい。

 

 何がどうしてそうなった。

 

 喧嘩の押し売りに行った先は海の底じゃなかったのか。

 

 魚人空手の使い手はどうした。

 

「魚人島は白ひげのシマだろう」

 

 ブランデーグラスを優雅に回しながら、ソファーにふんぞり返っているクロコダイルが口を挟んだ。

 

 ああ、そうか。

 

 あの島は白ひげの旗を掲げているんだったな。

 

 王下七武海なんぞにシマで好き勝手されたら、それは確かに白ひげの顔に泥を塗ることになる。

 

 それゆえに起こった騒動か。

 

 それとももっと偶発的なものか。

 

 ……後者な気もしなくはないが、白ひげ海賊団の隊長格なら相手に不足はなしと、ミホークが躊躇いもなく剣を抜いたのは間違いない。

 

 だからって、パワーバランスをなんと心得ると俺がセンゴクのじいさんに怒られるこの理不尽さ。

 

 俺は電伝虫の受話器を放り出した。

 

「聞いているのか、ゴウウ!」

 

「きいてませーん」

 

 本人に直接言えばいいじゃないか電伝虫になんか頼らずに。

 

 そう主張したら、では今度の会議までにミホークを連れてくるようにと言うセンゴクのじいさんの声は、一転して落ち着いたものだった。

 

 やっぱり、理不尽じゃね?

 

 

 

 

 

 



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第四拾回 支配地

 

 

 

 

「それじゃあ、クロコダイル。マリンフォードで」

 

 ミホークを会議に連れていくことができたら、早々に再会することになる。

 

「ふん。万一にも鷹の目が来たら、その時は秘蔵の酒を出してやろう」

 

 海軍本部の混乱を見ながら飲む酒はうまいぞと皮肉られる。

 

 クロコダイルの酒ならいつ飲んでもうまいが。

 

「別の所で再会したら、俺が奢るよ」

 

 俺だってミホークが会議に出向くために動くとは思ってない。

 

 けれど、ジンベエとの喧嘩が上手くいってないのなら、いざ再戦とわざわざ海軍本部に出向いて仕掛けるかもしれないじゃないか。

 

 それにクロコダイルには今回世話になった。

 

 礼に奢るくらいなんでもないから、軽口でしかないような十中八九負けが決まっている賭けに乗る。

 

 お邪魔しましたと手を振って、俺はクロコダイルランドを後にした。

 

 金斗雲でびゅんと飛び出し、火山を滑るようにして上り、てっぺんから吹き出している黒い煙と一緒に雲海の上に出た。

 

 雲海っていうからには海だ。

 

 水の固まりには違いないし、綿菓子みたいなエイみたいな生き物が悠々と飛んでいたりトビウオが跳ねていたり、たまには人がボートに乗っていたりするのに、なぜか海のように恐怖を感じることはない。

 

 だから、長く飛んでいなければならない時は、雲の上をのんびりと行くのが好きだ。

 

 急いでミホークの元に辿りつこうという気は元々あまりない。

 

 ミホークを必ず連れてこいと言ったセンゴクのじいさんだって、本気でミホークの参加を考えているわけでもないだろう。

 

 けれど前にも同じように、会議にミホークを連れてこいと言われたことがある。

 

 とうとう、新しい七武海が決まるのだろう。

 

 つまりは、ジンベエ。

 

 そして、ナミだミカンだアーロンだ。

 

 あれ?

 

 俺は雲海の上をふよふよ飛びながら、首を傾げた。

 

 ちょっとまて。

 

 もしかしなくても、ミカンくれた軍人のおねーさんがベルメールさんか。

 

 みずみずしい果実は魅力的だから東の海に行ったらまた寄ろうと思っていたけれど、この様子だと止めておいたほうがよさそうだ。

 

 アーロンだって自分の支配地にひょいひょい猿が買い物に来ていたら面白くないだろう。

 

 残念だな。

 

 え?

 

 助けないのかって。

 

 新しく七武海となったジンベエが解き放ったアーロンに、同じく七武海であるミホークの配下が手を出してどうするよ。

 

 ちなみに俺がミホークの配下なのは自称じゃないから。

 

 自他共に認められているから。

 

 よそ様からペット呼ばわりされることはあっても、ちょっとミホーク海賊団を名乗らせてもらえなかったり、旗を作らせてもらえなかったり、海賊として基本的なところをどうにもできないだけで、って頑張って主張しなくちゃいけないこと自体がどうだって話だけど身内って認識されているから。

 

 

 

 そこのところはきちんと忘れないように。

 

 

 

 それにこの大海賊時代、海賊名乗ってバカやってる奴らがどれだけたくさんいると思うよ。

 

 実際、ミホークが通りかからなかったら、襲われていたはずの島。

 

 そして今度はアーロンに目をつけられるはずの島。

 

 海賊に襲われても撃退できるだけの力があれば何も問題はない。

 

 でも、アーロンの支配を受けたということは、そこまでの防衛力がなかったということ。

 

 じゃあ、一度だけ助けても意味はない。

 

 それどころか、アーロンがいないせいで他の海賊に襲われて皆殺しになるかもしれない。

 

 実際、略奪したいだけ略奪して殺したいだけ殺して。

 

 このご時世、そんな話はグランドラインじゃ当たり前。

 

 最弱の海と呼ばれる東の海にだっていくらでもある話なのだから。

 

 海賊に限らず、村も国も島も、誰も彼も強くなければ生き残れない。

 

 だから海賊の支配を受け入れる道も間違いではないのだ。

 

 魚人島が白ひげの旗を受け入れたように。

 

 そんなふうに直接の支配を受け入れている土地はたくさんあるし、旗は掲げなくても寄港を認めて定宿になったりして恩恵に預かることだって多い。

 

 まあ、だから。

 

 いいじゃん別にアーロンパーク。

 

 人間憎しで、それこそなぶり殺して焼き払って、血で洗われた更地の上に城を建ててもいいのに。

 

 みかじめ料もらうだけの支配だろ。

 

 ゆるいゆるい。

 

 

 

 一応あれでもジンベエに恩義を感じているんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四拾壱回 門の兄弟

 

 

 

 

 

 

「どうして同じ門の兄弟が海賊などに!」

 

 

 

 

 

 

 諸兄は『門の兄弟』という言葉を聞いたことがあるだろうか。

 

 まず『門』というのは、とある武術の門派を指して生まれた言葉だ。

 

 つまり、その兄弟ということは門下生という意味になる。

 

 しかし、この門。

 

 ただ流派を指すだけではなく、実際に存在している。

 

 天を衝くほど大きな朱塗りの門が、東西南北の海にそれぞれひとつの計4つもある。

 

 辿りつくのは難しく、『南の門は水にあり、北の門は氷に閉ざされ、東の門は山に抱かれ、西の門は砂に隠れ』と吟われる。

 

 とある冒険家が見つけようとして見つけきれず、朱門は実在しないと嘯いたという、その幽幻な門の向こうは修行の地だ。

 

 ちなみにこの冒険家が門に辿り着けなかった理由は名声欲にまみれていたからだとか、武を尊ぶ気持ちがなかったからだとか散々に言われている。

 

 門を潜ると世俗と切り離され、ただ精神と肉体を鍛える日々が待つ。

 

 その武、鉄は帯びず。

 

 刀類は持たずに無手、使うとしてもせいぜいが棒の手だ。

 

 争いごとは禁じていて、同じ門の兄弟と武を競うことはあっても、他所の武芸者との手合わせなどはしない。

 

 弱きを助け、強きをくじく。

 

 もちろん、権力に屈することを嫌う。

 

 力があれば誇り、技を磨けば挑み、新しい武器が手に入れば使いたがるバトルジャンキーばかりかよと言いたくなるこの世界では珍しい。

 

 実際、グランドラインではある意味幻の珍獣扱いらしい。

 

 なんでこんな話を長々とする羽目になったかというとだ。

 

 聞いてくれよ。

 

 俺、知らない内にこの門の野良兄弟になっていた。

 

 

 

 何を言っているか意味が分からないと思うが、俺も絶賛混乱中である。

 

 

 

 もちろん俺は俗世を捨てていない。

 

 見りゃ分かるって?

 

 そりゃそうだ。

 

 ちょっと仙術使えたりするが、霞を食べる仙人には程遠い。

 

 非暴力にはなお遠い。

 

 なのに、なぜ俺が兄弟と呼ばれないといけないのか。

 

 

 

 

 

 

 とある島の酒がうまいと、足を伸ばしたのが発端だ。

 

 俺はほろ酔い気分で夜の町を歩いていた。

 

 ちなみに人獣型。

 

 人型のチビっぷりだと酒を飲もうとする度に起きる問答が面倒で、だからといって獣型の大猿では問答すら起きる前に猟銃を持ち出されかねない。

 

 いい酒をゆっくり飲みたければ、人獣型でいるのが一番だ。

 

 港に着いてみたら、ちょうど一隻の船が錨を下ろすところだった。

 

 海賊船か、とはためくジョリーロジャーを見上げて思う。

 

 こんな夜更けの港に、けれど自分の他にも船を見上げている姿がちらほらと増えてきた。

 

 海賊船がひと仕事終えて戻ってきたとなると、見物の一つもしたくなるのか。

 

 それともおこぼれに与ろうと袖を引く商売人たちか。

 

 ガヤガヤと賑やかに、いかにも海賊ルックでございといった格好の男たちが降りてくる。

 

 服や武器、戦利品だろう肩に担いだ木箱や麻袋は、血に濡れて赤い。

 

 近くでの仕事だったのか。

 

 手首を縛られた女たちも、引きずられるようにして降りてくる。

 

 あれも戦利品か。

 

 酒場の女を相手にしていればいいものを。

 

 それとも傷ものにはせず売るつもりか、さんざん遊んで売るつもりか。

 

 なんにしろ俺が酒を飲み終わった後でよかった。

 

 騒々しすぎるのも生臭いのも、美味い酒を不味くする。

 

 暴れたい気分の時には大歓迎な手合いだけどな。

 

 そう思っていたことが呼び水になったわけでもないだろうが、団体さんの端の方で既に喧嘩が始まっていた。

 

 功夫衣のような白い服を着たハゲが、櫂を武器に暴れている。

 

「なんだこいつ!」

 

「やっちまえ!」

 

 怒声が飛び交う。

 

 しかし、声高々な海賊どものほうが劣勢のようだ。

 

 ひとりの男にぽんぽんと殴り飛ばされている。

 

「ね、ねえちゃんをかえせ」

 

 勇ましいようでか細い子供の声が聞こえた。

 

 暗い海に寄って覗き込んでみると小さな残橋があり、帆もないような漁船が泊まっていた。

 

 震える子供が、それでも一端に櫂を構えている。

 

 なんだかベタだ。

 

 海賊に襲われた村。

 

 攫われる姉。

 

 一人で助けに行こうとする愚かにも勇敢な少年。

 

 それを助ける、通りすがりの旅の男。

 

 一本映画が作れそうである。

 

 ちなみに「通りすがりの旅の男」と決め付けてみたのは、男があまりにも強いからだ。

 

 そろそろこの一対多の乱闘も終わりそうなところまで来ているだろう。

 

 あれだけの腕を持つ男が元々村にいたら、その場で撃退できている。

 

「ううっ」

 

 俺の足元で地面に転がって呻いていた海賊の一人が、懐から短銃を取り出した。

 

 背を向けている男に銃口を向ける。

 

「無粋な真似すんなって」

 

 腰に差していた三節棍を抜いて、その頭を小突く。

 

 海賊は昏倒したが、倒れるはずみで引き金を引いてしまったらしい。

 

 ピストルの弾が、功夫衣のハゲ頭をかすめて飛んでいった。

 

 功夫衣が振り向く。

 

 短銃の出どころを確かめようとしたのだろうが、その視線は倒れ伏す海賊ではなく俺に向かっていた。

 

 あれ?

 

 もしかして、敵認定?

 

 思う間もなく、男が目前に迫る。

 

 櫂の柄での鋭い突きから入って連打を喰らう。

 

 慌てて自分の三節棍で迎え撃つが、誤解を解く暇がもらえない。

 

「ちょ、ちょっとまった」

 

 俺は大きく飛び退いて、体制を整える。

 

 間合いを取って対峙する中、男は目尻を鋭くして言ったのだ。

 

 

 

「どうして同じ門の兄弟が海賊などに!」

 

 

 

 

 

 

 



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第四拾弐回 パン屋のトマス

 

 

 

 

 

 

「兄弟って」

 

 

 

 何言ってんのと思いながら、飛び退いて距離を置く。

 

「俺には親兄弟親類縁者全部いないから」

 

 身ひとつで岩から生まれた岩猿だ。

 

 血縁者なんているはずがない。

 

 俺にしてみれば至極当たり前のことを言っただけなのに、なんだか痛ましげに眉をひそめられた。

 

 勘違いさせたか?

 

 不幸があって皆死に絶えたわけではないぞ。元々誰もいないんだ。

 

 一瞬攻撃の手を止めた男の後ろでは少年が姉と感動の再会を果たしている。

 

 二人が落ち着いて、村が襲撃された時にも船でここまで運ばれている間にも俺みたいな猿顔はいなかったと証言してくれるまで、俺はハゲの攻撃を凌ぎ続けた。

 

 

 

 

 

 

 奪われた食料や酒、貴金属。そして攫われた女性たちすべてをあの小舟に乗せて帰るつもりだった少年に俺は呆れた。

 

 どこのネギ背負ったカモだ。

 

 またすぐに襲われるぞ。

 

 それ以前に流石に乗り切らないだろうそれは。

 

 仕方がない。これも多生の縁というやつだと、俺の猿船で送っていくことにした。

 

 俺があんな雑魚海賊団の一味ではないという誤解がとけたのは、一応彼らのおかげだしな。

 

 え、海賊なのは事実で勘違いじゃないだろう?

 

 まあそうなんだけどさ。

 

 とばっちりな分あの雑魚どもの仲間だっていう誤解は面白くないだろ。

 

 

 

 それにこれでやっと落ち着いて「兄弟って何さ」と聞ける。

 

 

 

 女性たちにはシャワーとキッチンを好きに使っていいと伝え、後は任せた。

 

 身奇麗にして温かいものを腹に入れて、落ち着いた頃には彼女たちの島に着くだろう。

 

 少年は温かいココアを入れてもらって、でも落ち着かずに、姉のそばにまとわりついてうろちょろしていた。

 

 俺たちは多分その場所にいないほうがいい。

 

 その判断にハゲも異論を挟まず、俺たちは二人で甲板に出ていた。

 

 兄弟うんぬんの説明を聞くためだ。

 

 

 

 

 

 

 ハゲの話を聞いての結論は、俺はその『門の兄弟』ではないというものだ。

 

 

 

 孫悟空な俺は、元々身体のスペックが高い。

 

 

 

 だからといってもちろん、それで強いとは言い切れない。

 

 なまぬるくも平和な世界で生まれ育って死んだんだ。

 

 そのなまぬるさが骨身にしみている性分のまま次の人生が始まったからといって、はいそうですかとすぐさま戦うことができるようになるわけがない。

 

 けれど花果山で猛獣相手にサバイバルをしている内に鍛えられて強くなった。

 

 それが自己流過ぎて目にあまり、ミホークに基礎から叩き直された。

 

 しかし剣はどうにも手に馴染まなくて、棍を使うことにした。

 

 そうなるとまた自己流になりそうなところを偶然、棒術に詳しい人がいたから型を教わることができた。

 

 それだけだ。

 

 門とは全く関係がない。

 

 そんな俺が冗談にでも兄弟と名乗ったら、真面目に修行している奴らは顔に泥を塗る気かと怒るだろう。

 

 ――と思ったんだが、俺の言い分を聞いたハゲは「貴方の師が我らの兄弟であるなら、貴方も兄弟のひとりだ」と言った。

 

 もしかして俺が天涯孤独だって勘違いはまだ続いている?

 

 

 

 

 

 

 島に着き荷も全て下ろし生き残っていた家族との感動の再会も終え、少年は「俺、海軍になる」と宣言した。

 

「ねえちゃん守れるくらいに強くなる。それで大きくなったら海軍に入って、海賊に困っている人たちみんなを助ける」

 

 目標が高いのはいいが、軍人さんになって村を出てしまったら姉さんは守れないんじゃないか?

 

 そう思ったが口には出さなかった。

 

 空気を読んだというよりも、子供の志を大人がくじいちゃいけないよな。

 

 将来海軍本部で再会する日が来るかもしれない。楽しみにしておこう。

 

 ハゲ頭の兄弟ともここで別れた。

 

 彼は師範代の資格を得るために、他の門を順番に回っている途中だという。

 

 他の門と交流し空気が澱まないような仕組みは他にもいくつかあるようだ。

 

 別れる際、いつでも『門』に来てくれと言われ、彼の名を預かった。

 

 どうせ乗りかかった船なんだから、門のある島まで送っていこうかと進言してみたが、世の中を見て回って困っている人を助けるのも修行だからと断られた。

 

 ……映画一本どころか、シリーズものらしい。

 

 さぞかし行く先々でトラブルに見舞われているんだろう。

 

 

 

 さて、俺もミホークの島に帰ろうか。

 

 そして『門の兄弟』に会ったと告げたら、何と言うだろうか。

 

 ちなみに俺に棒術を仕込んだのは、あの島で唯一のパン屋の営んでいるトマスというハゲである。

 

 

 

 若ハゲじゃなかったんだなあ。

 

 

 

 バレたら殴られること間違いなしなことを考えながら、俺は出港した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四拾参回 島の住人たち

 

 

 

 

 

 

 ミホークの島、そしてミホークの『シマ』を管理しているのは、もちろんミホーク本人ではない。

 

 その内のいくつかは海軍に押しつけられた折の騒動で無人になってしまっているけれど、だからといって放置していいわけじゃない。知らない間に悪党が巣喰いでもしたら目も当てられない。

 

 では、それらをミホークの代わりに誰が管理しているのかというと、ミホークの館の万能執事アルフレッドさん。

 

 彼がミホークの名代として全てを任されている。

 

 館にいるのはアルフレッドさん以下、メイド長と数名の使用人。

 

 他にも何人か執事見習いがいて、外のシマの管理維持をフォローしている。

 

 アルフレッドさんたちがいなかったら、海軍だってミホークにシマを持たせようとは考えなかっただろう。

 

 

 そして彼ら、彼女らは全員がガンカタみたいな銃武術を使う。

 

 

 使用人としての必須スキルらしい。

 

 必須スキルなのか?と疑問に思ったけれど、商人のジョン・ドウ曰く、使用人でも船乗りでも海賊の襲撃くらいなら簡単にいなせるくらいのスキルを持っていてくれないと雇えないってさ。

 

 世知辛い海というか、山賊や海賊の襲撃がいつあってもおかしくないご時世、戦闘能力があるに越したことはないってことなんだろう。

 

 

 

 

 

 島には他にも武芸達者が揃っている。

 

 ミホークが使っていた前の船、池に浮かぶボートのような小船を足に、海獣を銛一つで狩ってくる漁師のケビンとか、フライパンでグランドラインの海賊団を壊滅させた武勇伝を持つ宿屋の奥さんとかその尻に敷かれている宿六とか。

 

 

 

 そして、ただのハゲじゃなかったパン屋のトマスとか。

 

 

 

 トマスは毎朝、ミホークの屋敷にパンを納めにくる。

 

 最初はパン屋が開店した時のサービスとして、各家庭への配達を始めたらしい。

 

 余所者が作るパンを受け入れてもらうための工夫だったそうだが、門戸の少ない小さな村だから大した負担にはならないしそれどころかいい運動になると言って、今でも毎朝続けられている。

 

 トマスが焼きたてのパンを抱えて村から屋敷へと続く道を上ってくる頃、俺はよく朝の鍛練をしていた。

 

 まだ、この島に来てそれほどは経っていない頃。

 

 ミホークにまずそもそもの身体の動かし方がなっていないとダメ出しをされてしごかれて、赤髪が茶化しに来、俺には剣は向いてないよなと適当な棒を振り回していた頃も、毎朝トマスは鍛練所の横を通り抜け、屋敷の裏の通用口へと歩いていた。

 

 ミホークの住まいは村からは少し離れているから、配達コースの一番最後に入っている。

 

 だからトマスに急ぐ理由はなく、帰り道に足を止めた。

 

 

 

「ぼうず。それは剣の素振りか」

 

 

 

 ミホークに中途半端に剣の扱い方を習ったせいで、棍の持ち方すらとんちんかんなことになっていたらしい。

 

 そんな感じで、見かねたトマスが俺にアドバイスをしてくれるようになったのだ。

 

 師事したとか、そんな大層なことじゃないと思っていたんだけどなあ。

 

 けれど『門の兄弟』なのに、通りすがりにちょっと軽い気持ちで声を掛けただけなんてありえないというか、ほんの少しでも教えたのなら全てに責任を持つものなんだってさ。

 

 ということで。

 

 島に帰ってトマスのところのパン屋に寄ったんだ。

 

 旅をしている西の門の兄弟にばったり会ったよと伝えるために。

 

「けど『門の兄弟』っていうのは凄いな。全然敵わなかった」

 

 俺が感心してみせると、トマスはなんたる不覚かと目尻つりあげて怒った。

 

 トマスにとっても俺はきちんと彼の弟子であり門の兄弟だったらしい。

 

 トマスは北の門の出だから、俺もある意味北の出だ。正式じゃなくて野良だけど。

 

 そして、お互い切磋琢磨する他門の兄弟は、つまりはライバル、負けてはいけない相手となるらしい。

 

 いやいや、勝負はつかない形で流れたんだから。俺、負けてないよ。

 

 ただ、技術に随分と差があったのは確かだけど。

 

 ちょっと金斗雲頼りだったところも無きにしも非ずというか。

 

 しどろもどろに弁解したが、それで聞き入れてもらえるはずもない。

 

 その日から、トマス師による猛特訓が始まってしまった。

 

 棍のみならず全てを叩き込もうと、24時間強化ギブスをつける勢いだった。

 

 思わず逃げ出した。

 

 

 

 

 

 スポ根ものは見て楽しいものであって、参加したいとは思わないんだ。

 

 

 

 

 

 



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第四拾四回 東の海の片端で

 

 

 

 

 

 ミホークは面白がって、4つの門巡りに出かけていった。

 

 トマスにしごかれてひいひい言っている俺をあっさり見捨てて、だ。

 

 俺も連れていけっていうか助けろ。

 

 他の門の兄弟に会うと、またいちいち面倒くさいことになりそうだから勘弁だが、見つからないという門を探すだけでもきっと大冒険になりそうでワクワクする。

 

 

 

 俺はほんの数ヶ月ですっかりパン作りが上手くなった。

 

 

 

 長い笹をそれぞれ両手に持って筵の上に敷き詰められた麦を叩いて脱穀したり、水車ではなく人力で製粉をしたり、歯が立たなくなるだろう硬さになりそうなほどひたすらパン生地をこねたり。

 

 窯の煉瓦を積み上げては崩し積み上げては崩しのエンドレスとか。

 

 窯の火おこしも薪割りもつまりは全部鍛練なんだが、いったいどこのベストキッド。

 

 それで実際効果が上がるんだからたまらない。

 

 やってられるか。

 

 続きはまた帰ってきたら絶対するからと言いおいて、すたこらさっさと逃げ出した俺の気持ちも分かってくれ。

 

 

 

 

 

 

 ミホークを追いかけようかと思ったけれど、ミホークの船に乗っているこざるたちの位置情報によると場所は南の海だった。

 

 南は水の門だ。

 

 うわ、想像しそうになっただけで、尻尾の先まで毛が逆立った。

 

 久しぶりにガープのじいさんのところに遊びに行って、甲板で椰子摺りでもさせてもらおう。それでもって海軍料理食べさせてもらおうそうしよう。

 

 じいさんは最近東の海にいることが多い。

 

 それはもう任地が変わったのか聞きたくなるくらいだ。

 

 だからとりあえずは俺も東の海へと渡る。 

 

 そして、ローグタウンへと繋がる航路から外れ、他の島からも遠い海の真ん中でそれを見つけた。

 

 天気は曇り。

 

 空も海も陰鬱な灰色。

 

 そんな中にぽつんと黒い岩礁が見えた。

 

 俺は珊瑚礁かと警戒する。

 

 浅瀬に気付かず、船が腹でも擦ったら堪らない。

 

 俺の猿船なら、それしきのことで致命的な傷を負ったり座礁したりだなんて無様を晒すはめになることはないだろうけど、俺の船乗りとしての自尊心がズタボロになるのは間違いない。

 

 用心用心と目を凝らす。

 

 あれ?

 

 何かいる。

 

 小さな点にしか見えなかった最初は、渡り鳥か何かが羽を休めているのかと思った。

 

 徐々に距離が近づくにつれ、蹲っている人だと分かった。

 

 思わず海をぐるりと見渡してみるが、船影は見えない。

 

 木片くずが波間に浮かんでいるということもなかった。

 

 波に削られてマッシュルームのような形をした岩礁の上には、メインマストの残骸みたいなのが転がっているけれど。

 

 捨てられたにしても、生き残ったにしても昨日今日の話ではなさそうだ。

 

 

 

 俺は金斗雲に乗って岩礁に近付いた。

 

 

 

 人影はふたつ。

 

 大きい影と小さい影。

 

 互いに背を向けて座っていた。

 

 通りすぎる船を見逃さないように、それぞれ違う方向の海の沖に目を凝らしているのかと思ったが、二人とも猿船にも気付いていないし俺にも気付かない。

 

 子供の方は体操座りをした膝に、完全に顔を埋めてしまっている。

 

 丸まった背中に乗っているのは絶望か。

 

 大きな背中の方は、緊張に張り詰めているように感じた。

 

 ふよふよと金斗雲の上に座ったままゆっくりと近くに寄ってみる。

 

 ごっついおっさんだ。

 

 よく鍛えてある武人っぽい、っていうか腕の立つ海賊じゃないかなこのおっさん。

 

 なのにまだ俺に気付かないのは不自然だ。

 

 肩越しに見れば、ロープで怪我した右足の膝の上をきつく縛っている。

 

 そして傍らに転がっていた岩を持ち上げると、鋭角に尖った岩先を自分の足目掛けて振り落とそうと……。

 

 ガッ!

 

 俺は三節棍を伸ばし、勢いよくその岩を砕いた。

 

「何をしていた」

 

 自分でも声が鋭くなっているのを自覚する。

 

 おっさんは、びっくりした目で振り向いた。

 

 少し遠くにいた子供も、やっとこの騒動に気付いて重い頭を上げた。

 

 

 

 ああ、そうか。

 

 

 

 俺はこのおっさんたちが誰なのかを知っている。

 

 今、俺の目の前で何をしようとしていたのかを知っている。

 

 足をちぎって食らうのだ。

 

 ゼフ。

 

 身喰らいで片足になった赫足の海賊。

 

 その犠牲を糧に生き延びた子供。

 

 

 

 ――サンジ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四拾五回 飢えと猿

 

 

 

 

 

「た、助け、助けてくれっ!」

 

 我に返ったサンジが、這いずるように寄ってき、叫ぶ。

 

 随分と水気のないしわがれた叫び声。

 

 心が痛むね。

 

 俺は自分が座っている金斗雲を手のひらで指し示す。

 

「悪いけど、見ての通りこれは一人乗りなんだ。無理してもせいぜい後一人乗るのがやっとかな。二人も余分に乗せて海を渡るなんてできないから」

 

 嘘だろうって?

 

 嘘だよ。

 

 金斗雲が一人乗りなのは本当だ。

 

 けれど俺が担いで運べばいいだけの話で、人間二人なら軽い軽い。

 

 でも、この小粒っ子。

 

 サンジ。

 

「お、俺を助けてくれ」

 

 サンジは、何も言わずに俺たちのやりとりを見ているだけのゼフを指差した。

 

 

 

「こ、こいつは悪い海賊の親玉なんだ!こいつらが、海賊が俺たちの船を襲ったから、そのせいでこんな目にっ!」

 

 

 

 堰を切ったようにとはこのことか。

 

 サンジはゼフへの批難を溢れさせる。

 

 食糧を独り占めした。

 

 元々、こいつらが襲って来なかったら。

 

 海賊なんて。

 

 海賊王なんて。

 

 大海賊時代だなんて言って。

 

 自業自得。

 

「海賊なんて死んで当然だ!」

 

 それは、この海の真実であり真実ではない。

 

 海の上では誰の命も軽い。

 

 叫ぶ子供の言葉も軽い。

 

 生きるのに必死なのはいいけれど、でも目が死んでる。

 

 心が死んでる。

 

 漂流して飢えて挫折して絶望して、でもこれは酷すぎないだろうか。

 

 これじゃあ助けても、水死体拾ったのと変わりない。

 

「なあ、おっさん」

 

 俺は黙して語らずただ俯いている悪逆非道の海賊を、金斗雲の上から生意気そうに見下ろす。

 

「さっきの質問の返事がまだだよ」

 

 重い顔が上がる。

 

「あんた、足をどうするつもりだったのさ」

 

 沈黙が流れる。

 

 サンジも、叫ぶのを止めて唇を引き結んだ。

 

 答えを知っている問いだ。

 

 俺もゼフもサンジも。

 

「……随分遠回りな自殺だね」

 

「そのままにしておいても腐って落ちるだけだ。もったいない」

 

 ゼフが応えた。

 

「ふーん。なあ、おチビさん。海を静かだと思ったことは?」

 

 俺はサンジにも声を投げかけた。

 

 波の音は煩いくらいで、けれど相手が身動ぎした時の衣擦れの音さえ聞こえるほどの静寂が、夜の海にはあっただろう。

 

 なあ、二人っきりの海は静かだったろう。

 

 波の音の隙間を縫って、相手が何をしているか必死で耳をすまして探る。

 

 自分がものを噛む音、唾を飲み込む音はさぞかし大きく響いたんじゃないのか。

 

 相手のそれが聞こえてこない分。

 

 

 

 何も分かってないふりして、なあ、本当に分かっていなかったか?

 

 

 

 俺はゼフの脇に転がって手をつけた様子もない、サンジがいうところの食糧を独り占めして大きくふくらんだ袋を、棍で突いた。

 

 ばらまかれる金銀財宝。

 

「海賊なんて死んで当然、なんだろ?」

 

「うわああああっっ!」

 

 サンジの絶叫が響いた。

 

 泣いてわめいて叫んで。

 

「とっととそのチビナスを連れていけ」

 

 ゼフが俺に向かって言った。

 

「い、いやだ!」

 

 ぐしゃぐしゃになった顔を上げて、サンジがゼフの腕に縋りついた。

 

「なんでだよ!どうしてこんなっ」

 

 そして俺を仰ぎみる。

 

「助けて、助けてくれよ。頼むからもう嫌だ俺たち二人を助けてよ!」

 

 いいね。

 

 目に生きる力がある。憤りがある。

 

 泣いてわめいて叫んで。

 

 食糧を独り占めにしていた罪悪感も、身喰いに気づいていた後ろめたさも、重くて乗せられないから全部吐き出してくれ。

 

「これは一人乗りだから」

 

 金斗雲をポンと叩いた俺は、彼らの背後の沖を示す。

 

「代わりにあの船なんてどうだろう」

 

 

 

 いや、どうして気づかないのか不思議だけど、ずっといたからね俺の船。

 

 

 

 猿船に移った俺たちはやっとこさの自己紹介を手早く済ませると、とりあえずゼフとサンジの飢えを満たすためにキッチンに腰を据えた。

 

 こざるたちが救急箱を運んできて、ゼフの足の手当てを始める。

 

 それを痛ましい目で見ているサンジにだって、細かい傷がたくさんあるから、こざるたちが容赦なく消毒液をぶっかけている。

 

 俺はその間にシチュー鍋を火にかけ、パンやベーコンを食糧庫から引っ張り出してきたが。

 

「あれでも急に食べるとよくないんじゃなかったか」

 

 がんとサンジがショックを受けた顔をする。

 

 ああうん悪い。ここでまたお預けとかすまんね。

 

「そうだな、とりあえず白湯か」

 

 ポットからカップにお湯を少しだけ注ぐ。

 

 少しずつ飲んで吐かなかったら、次は葛湯な。

 

 後、胃にやさしいものっていうとと考えて面倒くさくなって、結局シチューを薄めてぬるくしたものを出した。

 

 そのぬる目のスープをサンジは、温かいと泣きながら食べていた。

 

 そして食べている途中で、気絶した。

 

 

 

 

 

 

 



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第四十六回 遭難者

 

 

 

 

 

 電池の切れたおもちゃのように、スプーンを口に運んでいたはずのサンジの動きがぱたりと止まった。

 

 シチューの皿の中に落ちそうになったサンジの頭を、ゼフの手のひらが止める。

 

 ばちりとずいぶん威勢のいい音がしたぞ。

 

 おでこも真っ赤になってしまっている。あれではジンジンと痛むだろう。

 

 しかし、サンジが起きる様子はない。

 

 眠ったというよりも、気絶に近いか。

 

「安心したんだろう」

 

 ゼフが立ち上がって、サンジを抱える。

 

 俺は肩をすくめてキッチンを出ると、ゼフをミホークの船室に誘導した。

 

 俺の船だと、ベッドはここだけにしかないのよ。

 

 そして、ゼフも遠の昔に限界だったのだろう。

 

 サンジをベッドに寝かせるために屈みこんだ姿勢を立て直すことができないまま、そこで彼も撃沈した。

 

 

 

 それから丸一日寝っぱなしである。

 

 

 

 日も随分と高くなって、そろそろお昼時。

 

 ぐーぐーと高いびきでまだ寝ていると思ったら、腹の虫の合唱だったらしい。

 

 二人して腹が減ったとむくりと起きだしてきた。

 

 昨日の残りのシチューに米を入れて、じっくりと煮込んだものを出す。

 

 ゼフもサンジも、弱った胃にそれほどの量を食べることはできない様子だが、それでも夢中で食べている。

 

 でも、ちらちらと背中に視線を感じるあたり、俺の船のキッチン設備には興味があるらしい。というか、やっとそれだけの余裕が出てきたってことだろう。

 

 いいだろこのキッチン、俺の特注品だ。

 

 一応用意してあったベーコンとチーズは、俺が焼いて食べることにした。

 

 サンジがひどく悔しがった。

 

 

 

 あきらめろ。

 

 

 

「おっさん。これからどうするのさ」

 

 焼いたパンに火で炙ったチーズを乗せながら、俺はゼフに聞いた。

 

 俺の皿をうーうー唸りながら睨んでいたサンジも、テーブルから顔を上げゼフを見やる。

 

 足は残ったんだ。

 

 海賊家業を続けることもできるだろう。

 

「海賊はやめる」

 

 へえ。

 

「いつか、俺の仲間たちともう一度グランドラインに入ってオールブルーを探したかったが」

 

 ゼフが大きくため息をついて首を横に振る。

 

 失ったものは戻らない。

 

「あの孤島で考えた。もし生き残ったら、海の上で腹を空かせた奴が誰でも食いに来れるようなレストランを作りたい」

 

「俺もっ!俺にも手伝わせてくれ」

 

 サンジが喰いつくようにゼフに頼んだ。

 

 そしていつか、俺を仲間として認めてくれたら一緒にオールブルーを探しに。

 

 

 

 

 

 

 猿船が陸地を捉えた。

 

 近づく桟橋を見やりながら、俺はトンボをきって大猿に転じる。

 

「うわっ」

 

 隣で目をうるうるさせて生還の喜びに打ち震えて陸を見ていたサンジが、驚いた声を上げて後ずさる。

 

 いいね、その新鮮な反応。久しぶりだ。

 

 桟橋では、海軍アーミーを着た水夫たちがもやい綱を取ろうと待ち構えている。

 

 海軍基地。

 

 海軍に引き渡す気かと、サンジがぴるぴると震えてゼフの足にしがみつきながらも俺を睨みつけている。

 

 しかしゼフは、シチューが海軍風だったからなと訳知り顔をして、動揺を見せない。

 

 すごいな。そこまで分かるものなのかコック。

 

「一応言っておくけど。俺の知っている一番近くの医者がここだっただけだから」

 

 この基地に向かう途中で、二人を拾ったんだから。

 

 ここはガープのじいさんが東の海にいる時は定宿と化している。

 

 しかし港を見る限り、じいさんは不在。

 

 それでも顔なじみの兵はたくさんいるから、門前払いを食らうことはない。

 

 それどころか、俺がガープのじいさんの艦でしごかれていたころのメンバーがこの基地の上のほうを占めているから歓迎してくれる。

 

 軍医長もその一人だ。

 

「ちびすけが!でかい図体で見下ろすんじゃあない!」

 

 診察してもらった礼をしに行ったら、いきなり殴られた。

 

「いてっ」

 

 うん。歓迎といっても手加減はないけどな。

 

 ゼフは足の切断を免れた。

 

 しっかりリハビリすれば、歩けるようにもなるだろうと軍医長は言う。

 

「だが、元のようには動かん。……あれは赫足じゃろう?」

 

 俺はニッと笑って返事に代えた。

 

 俺が連れてきたのに逮捕とか。ないない。

 

 

 

 呆れられた。

 

 

 

 海賊なんて、止めようと言ったところで簡単に止められるものじゃない。

 

 ましてや顔が売れて、手配書も出ているのなら尚更。

 

 素性を隠してこそこそとレストラン始めても、それじゃあ後ろ暗い奴らしか寄ってこないだろう。

 

 でもゼフが作りたいのは、誰でも来れるレストランだ。

 

 たとえば海軍だって。

 

 だからこそ俺は、海賊に襲われて嵐に襲われて、かわいそうにたった二人生き残ったコックとコック見習いが遭難しているところを海で拾ったという主張を通した。

 

 もちろん訝しく思う者はいたが、そこはゴリ押し。

 

 ここで海賊じゃないと認めさせれば、レストランの開業許可が下りやすくなるからな。

 

 基地の司令官も軍医長と同じように呆れて苦笑いをしていたけれど、ゼフに懐いているサンジを見て思うところがあったらしい。

 

 お目こぼしは一度だけと釘を刺さしつつも、一緒に漂着した「海賊に奪われた宝」の所有権も認められた。

 

 

 

 

 

 

 



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第四十七回 彷徨うレストラン『バラティエ』

 

 

 

 

「すまん。助けてくれ」

 

 ゼフが、俺に向かって深々と頭を下げた。

 

 場所はいまだ海軍基地の医務室。

 

 白いシーツのベッドの上。

 

 ゼフとサンジはふたりとも極度の脱水症状と栄養失調、更にはストレスやら過労やらも加わって長期の療養が必要だと診断されたが、流石に海軍基地ではあまり居心地がよくない。

 

 すぐに出ていこうとして、軍医長に点滴だけでも打って行けと取り押さえられ、並んだベッドで点滴を受けている。

 

 そして見舞い用のバナナを抱えて登場した俺に向かって、上体を起こしたゼフは頭を下げたのだ。

 

 座っての体勢だったけれど、それは男気あふれる土下座だった。

 

「既に返しきれんほどの恩を受けていること重々承知の上で頼む。力を貸してくれ」

 

 隣のベッドで唖然としていたサンジもはっと我にかえり、一緒に頭を下げた。

 

 まあ、面倒をみるのはかまわない。

 

 乗りかかった船でもあるし、軍医長は入院せずに逃げていく患者を俺に任せる気満々で、たくさんの注意点と薬を渡されている。

 

 

 

 しかし今からお宝を元手に、海の上にレストランを作るんだろ?

 

 

 

 何したらいいんだ?

 

 自信をもって言おう。

 

 俺には全然わからない。

 

 わかっていないけど、大変そうだなと思う。

 

 何をすることが手助けとなるのか、っていうか必要なんだろうか。

 

 まず、宝払いで船を作るところからかな。

 

 赫足を亡きものにするなら彼のツテを頼ることはできない。

 

 スパイを作るつもりでもなければ、海軍はそんなことまで手助けはしない。

 

 船大工がレストランのキッチン設備まで作れるかっていうのも疑問だ。

 

 海のど真ん中で仕入れはどうするのだろう。

 

 でも、それで俺に何ができるとも思わない。

 

 ただでさえ普段から丸投げだからな。

 

 手助けが必要なら手助けができる相手に助力を乞うべきだ。

 

 

 

 と、いうことで。

 

 

 

 スペシャリストに頼ることにした。

 

 電伝虫で連絡したらちょうど東の海に来ているから、直ぐに合流できると返事があった。

 

 流石「必要な時に必要な場所で必要なものを」をモットーにしている商人。

 

 我らがジョン・ドウ。

 

 俺たちは安心して、ジョン氏の到着を待つだけである。

 

 え、丸投げすぎ?

 

 だから普段から丸投げなんだってば。

 

 

 

 ジョン氏との合流地点まで、俺の猿船で移動。

 

 その間、キッチンは俺のものじゃなくなった。

 

 ゼフが下ごしらえに準備に給仕、後片付けと朝昼晩陣取っている。

 

 ジャガイモの皮の剥き方が雑だと叱られながら、サンジがそれを手伝っている。

 

 大小並んだ二つの白い背中は、もうすっかり師弟……というか親子だ。

 

 おっさんたち病人だろほどほどにしとけと一応注意はしてみるけれど、楽しそうだから仕方ない。

 

 興味津々だったキッチン設備をここぞとばかりに使いながら、俺たちのレストランはああしようこうしようとうれしそうに話すサンジに、ゼフは時折きちんと相槌を打っている。

 

 サンジは料理に使うハーブを摘みに行った時から船尾にある水耕栽培にも興味津々でいろいろ聞いてきた。

 

 ついでに電伝虫に齧られまくりぼろぼろになった葉っぱを見て、どういう管理だと詰め寄られた。

 

 前の船でもハーブなどはあり、その世話はサンジの雑用仕事のひとつだったという。

 

 他にはニワトリの面倒などもみていたらしい。

 

 でかい船がいい。そうしたら、ニワトリの他にもヤギやブタも新鮮に調理できると、サンジは目を輝かしている。

 

 まあ、同じコネを使って船を造るのだ。猿船は良い参考にはなるだろう。

 

 あれ?ちょっと船だと思い込んで船を造る話ばかりしていたけれど、船じゃなくてもいいのか。

 

 ゼフに聞いてみる。

 

「おっさんが作りたい海上レストランって動く必要あるのか?」

 

 ゼフたちが飢えたあの海域は確かに周りに補給地点のない航路だ。

 

 けれどそこにレストランを作りたいのなら、あの岩礁を基盤にして人工島でも作ったほうが便利なんじゃないか。

 

 船の中でやるよりよっぽど自由に畑も作れるし、畜産もできる。

 

 自給自足地産地消?なんか違うか。

 

 船乗りたちは仮初の大地に足を下ろして、ホテルのベッドでゆっくり眠ればいい。

 

 クロコダイルのとこのカジノの支店でも置けば、娯楽施設もばっちりだ。

 

 この話をしたらジョン氏ならノリノリで準備してくれるだろう。

 

 ゼフたちは、そこでレストランを開けばいい。

 

「ちがう!」

 

 俺の話に思うところがあったのか、ゼフは髭を擦りながら「う~む」と唸っていたがサンジが大きな声で否定を叫んだ。

 

「俺たちはコックだけど海賊だ!いつかオールブルーを見つけるんだ」

 

 言い切った。

 

「いつのまに海賊になったんだよ、チビガキ」

 

 せっかくなので茶化してみた。

 

 だってゼフは海賊やめるって宣言したんだぞ。

 

「な、俺よりチビのくせにガキって言うな」

 

「お子様にお子様言って何が悪い」

 

「そうだな」

 

 変なところでゼフが相槌を打った。

 

 ガーンとサンジがショックを受けている。

 

「船のほうがいいだろう。目指すのは海で腹を空かせた誰もが来ることのできる店。どこの海にでも行こう」

 

 サンジはこくこくと必死に頷いていた。

 

 

 

「ゴクウ様。おはようございます。風の心地よい朝でございますね」

 

 ある朝突然、甲板にジョン氏が立っていた。

 

「うわびっくり」

 

 警戒しているサンジに商人だと紹介する。

 

 魔法のランプと偽っておんぼろなランプを金貨一箱で売りつけそうな怪しい風貌だけど、信用していいから。

 

 ゼフは朝食を一人分増やすべく、キッチンに戻っていった。

 

 それを見てサンジも慌ててキッチンに走っていく。

 

「さて、ゴクウ様」

 

「んー。あいつらレストラン始めるんだってさ」

 

「それは素晴らしい」

 

 この商人相手に説明っていらない気もするんだけどな。

 

「あいつらの好きなように作ってやってよ。一応元手はある。――けど、金っていくらあっても足りないよなあ」

 

 船を作って、そこでお仕舞いってわけにはいかない。

 

 家具に食器に調理器具。

 

 仕入れもあるし、スタッフも雇わなくちゃいけない。

 

 でも最初は客なんてつかないだろう。

 

 彼らの資金は、その時のために残しておきたい。

 

「だから上手いこと誤魔化してほしいんだ」

 

 軌道に乗るまでの足りない分は、俺が出すってことを。

 

 宝に思いがけない一品でもあったことにすればいい。

 

 俺の言葉にジョン氏が苦笑いする。

 

「一度手にしたお宝の価値を分からない海賊ですか」

 

「もう海賊じゃないってさ」

 

 にっと笑う。

 

「どうせだから自重なしで。例えばミホークでも斬れないくらい頑丈な船とか」

 

「……ミホーク様に追い掛け回されるだけだと思いますが」

 

 そういえばそうだった。海軍が斬れない素材の船に挑戦した時は結局失敗して、ミホークにみじん切りにされたんだよな確か。

 

 じゃあ方向性を変えて、面白おかしい機能たっぷり機動性ばっちりの高性能な船なんてどうだろう。

 

 グランドラインも新世界もオールブルーもどんとこいだ。

 

 

 

 面白いと思ったんだ。

 

 夢を語る目の輝きが、死も絶望も知った目の強さが。

 

 

 

 だからって、海で絶望した時に現れる『彷徨うレストラン』なんていう伝説じみたものになっちゃうなんて誰も思わないだろ?!

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四十八回 航路とログと非常識

 

 

 

 

 

 

 船は波をかき分け、のんびり進む。

 

 

 

 猿船は今、新世界へと向かっている。

 

 マッドな船工房が、新世界にあるからだ。

 

 商人の姿は既にない。

 

 先行して、造船のための打ち合わせをしているはずだ。

 

 見積もりがどうとか支払いがどうとか。俺の苦手なところなー。

 

 でも、着く頃にはおおむね出来上がっている気がなきにしもあらず。

 

「ぜひこちらに設計図をお書きいただきたく」

 

 そう言って、サンジに画用紙とクレヨン渡していったんだよ。

 

 サンジはだから嬉しそうにゼフにあれやこれや話していた新しい船の形を、へたくっそに落書きしていたさ。

 

 この青い線は海なんだろうなー、なんで船じゃなくてこいのぼりが泳いでいるんだかなーって感じの船の絵とか。

 

 たぶんきっとキッチンなんだろうなあと思われる四角形がいくつも書かれている絵には、フライパンと包丁を持ったスノーマンもどきが大小ふたつ並んでいる。これはあれか。コックか。ゼフとサンジか。

 

 ……この黄色とオレンジの線でぐるぐる丸を作ったようなのが、まさかこの猿王様だとかは言わないよな、サンジ。

 

 よし、ジョン氏に絵は全部取って置くように言おう。大きくなったら目の前に並べてバカにしてやる。

 

 いや、完成したレストランの一番目立つところに貼ってやる。

 

 もちろん豪華な額縁付きだ。

 

 最近親バカっぽくなっているゼフなら、サンジをからかうふりをしつつも喜んで飾るだろう。

 

 こうして書きあがった絵は、商人専属のとりさんが回収していった。

 

 ニュースを運んでくれるカモメじゃなくて、猛禽類。

 

 海を渡るには不適切そうな、墓場で木の十字架に止まっているのが似合う禿鷹だ。

 

 多分、レター配達以外の仕事も請け負っている。

 

 そんなとりさんに依頼して設計図をわざわざ回収しに来たあたりで、計画を先に進めているとしか思えない。

 

 ドックについたら、いきなり着水式だったりしてな。

 

 

 

 俺の猿船でなら一か月もあれば新世界に入れると言ったら、ゼフがびっくりしていた。

 

 

 

 偉大なる航路は普通、リヴァース・マウンテンから分かれる7つの航路をログポース頼りにして進む。

 

 だから、ログだよりで島を渡りログがたまるのをおとなしく待つしかない、というのはグランドラインに入ったばかりのペーペーの常識だ。

 

 目的地ごとのエターナルポースがあり、海図があり、腕のいい航海士がいればいい。

 

 もしくは全てをごり押しできる船を持つとかな。

 

 俺はもちろん、ログに頼らない航海ができる。

 

 エターナルポースがなくても、金斗雲に乗って何もない雲の上を渡ることのできる方向感覚は海の上でも健在だし、船の性能は帆船越えた域でぴかいちだ。

 

 倉庫に十分な食糧があれば更に早く移動できる。

 

 ちなみに今回、その備蓄は怪しい。

 

 なにせ、元々のきっかけが修行のボイコットだ。準備もなしに島を飛び出したから、その辺は最低限だった。

 

 ガープのじいさんの艦にしばらく乗せてもらうつもりもあったから、余分な補給は不要だと思っていたのもある。

 

 その予定が変更になって更には客も増えてということで、倉庫いっぱいに補給してもよかったんだ。

 

 飢えを経験したばかりの人間を食糧かつかつの船になんて乗せたら、トラウマ刺激しまくりだろう。備蓄たっぷりのほうが安心できるってものだ。

 

 でも、せっかくコックが一緒なんだぜ。

 

 新鮮な食材で料理してもらったほうが、俺は嬉しい。

 

 そんな意図もあって、こまめにいろんな島に寄るようにしている。

 

 それに今回の航海は病人の療養も兼ねているからな。

 

 預かった薬が終わるころに着けるよう、これでも一応気を使っているんだ。

 

 新しい海に新しい島。知らない食材、未知の料理。

 

 サンジは楽しんでいる。

 

 ゼフは時折唸っている。

 

 俺たちの苦労はなんだったのかと、思うところがあるらしい。

 

 ゼフたちが手に入れるレストランは俺の猿船より新しい技術がふんだんに使われているはずだから、もっと凄いことになると思うよと言ったら、唸りは更に大きくなった。

 

 でも実際、もっとありえない航路を取ることも可能な船になっているんじゃないかな。

 

 マッドな推進装置を抜きにしてもカームベルトすら無視してしまうくらいは、へいきのへいざ。

 

 というか、それが多分最低限の標準設備だろう。

 

 メンテナンスのために工房へ寄る度に、あそこってマッドが増殖しているんだよ。類が友を呼んじゃって、表の世界では危険すぎて使えないと認定された技をこれでもかとつぎ込んでくる。

 

 いつか「こんなこともあろうかと」と、宇宙船のひとつくらいは簡単に作りそうな気がするんだ。

 

 

 

 うん。俺はバラティエが空を飛んでもレーダー備えていても、不思議はないと思うよ。

 

 

 

 

 

 

 



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第四十九回 コック志願のいうことには

 

 

 

 

 

 

 グランドラインを半周するのに、思ったよりも時間がかかった。

 

 元海賊のくせして一流の腕を持つ料理人の存在が理由の半分を占める。

 

 食べ慣れた野菜だって釣り飽きた魚だって、コックの手にかかると上等な料理に生まれ変わるんだ。

 

 補給に寄る回数も増えるってもんである。

 

 なんでゼフのおっさんはこんなに料理上手いのに、海賊なんかになったんだ。

 

 あ、オールブルーのためか。

 

 じゃあ、仕方がない。

 

 時代の流れからして、海に出る時の合い言葉は「俺は海賊になる」だ。

 

 もしくは海軍でほぼ二択。

 

 だから海と島で成り立つ世界での海賊の定義って、といういつもの疑問はともかく。

 

 下ごしらえにひと手間、出汁にふた手間。

 

 そうやって丁寧に調理された食材たちの様変わりのしようといったら!

 

 コックって才能が必要なんだな。

 

 ていうか、俺って実は才能なかったんだな。

 

 並んだ料理食べながら、しみじみと思う。

 

 作るのは好きなんだけどなーこういう繊細さはないなー。

 

 とりあえず今は、船にコックが乗っている喜びをフォークと一緒にかみしめるばかりである。

 

 

 

 さて、残り半分の理由が何かというと。

 

 

 

 コック志願者が多いんだ。

 

 市場で食材を物色していたり、レストランメニューの参考にするという建前の元、郷土料理に舌鼓を打ったりしていると「あんたたち、レストランを始めるんだってな」と就職希望者が寄ってくるのだ。

 

 それがあまりにもひっきりなしで閉口した。

 

 どこでどう情報が流れるんだ。

 

 サンジが浮かれて吹聴したというわけでもないらしい。

 

 もしそうだったなら、船が港について俺たちが市場なり食堂なりに入ってサンジが「俺たち海上レストラン作るんだ」と話してそれからという時間経過があるだろう?

 

 でも、ある島では頬を赤く張らした家出少年が俺は広い世界に出るんだと、既に船着き場で待ち構えていたからな。母親に耳を引っ張られて帰って行ったけど。

 

 この船よりも速い情報網てどこで構築されているんだ一体。

 

 島っていうのは閉鎖された空間だっていうイメージあるんだけどなあ。情報に限らず個々の島でいろいろと孤立していてもいいんじゃなかろうか。

 

 

 

 誰を雇うかはゼフの采配だ。

 

 

 

 まだできてもいないレストラン、軌道に乗るかも分からないというのに雇うのは無理だと断っていた。

 

 それでも食い下がる奴らはいたが。

 

「俺たちを雇いやがれ」

 

「用心棒にもなるぜ」

 

 力こぶを作ってみせるのは、ほうれん草野郎にぶっ飛ばされるやられ役のような筋肉ダルマふたり。

 

 他の奴らと同じようにゼフに断られたが、ここが最後の頼みの綱で、もうどこにも行くところなんてないと訴える。

 

 俺たちはコックになりたいと。

 

 しかし短気は損気な性分でどこに行ってもいつも長続きしなかった。

 

 暴れて追い出されて。

 

 このまま島の厄介者でいるのも嫌だ。コックになる夢をあきらめるのはもっと嫌だ。

 

 そう泣きながら懇願し、出港する船を泳いで追いかけて溺れかけてゼフに救出され、最終的には倉庫の空きスペースで寝起きするようになった。

 

 サンジが先輩面して、コック見習いの心得を教えているのは微笑ましいというかなんというか。

 

「道具は心をこめて磨きやがれクソコックども」

 

「うるせえぞこのクソチビガキ」

 

 うん、サンジの言葉使いがみるみる汚くなっていっているけど、問題はない。

 

 

 

 そんなこんなで、まもなく新世界。

 

 

 

 新世界に入るならその前に、シャボンディ諸島である。

 

 とはいっても、俺は魚人島には行かないしコーティングもいらないからここは素通りしてもいいんだ。

 

 なのにどうして寄っていくのかって、べ、別に遊園地で遊びたかったとかそういうわけじゃないからな。

 

 巨大なシャボン玉に入って空を飛ぶとか、何度体験してもすげえ楽しいけど。

 

 これまた今回もメニューの参考を建前にして、屋台の食べ歩きをしたりかき氷の早食い競争に参加したり、遊びつくせとばかりにシャボンディパーク内をサンジと一緒に走り回ったとかそんな事実はあるけれど。

 

 元々の目的は違うところにある。

 

 実はここ数日、シャボンディ諸島にいる赤いこざるたちが何者かに潰されている。

 

 しかし定期的にこざるたちの駆除をしている海軍の姿を、俺が遊んでいる間に見かけることはなかった。

 

 パッションピンクな鳥さんの商売を邪魔した時も腹いせ的にとことん狩られるが、そんな様子もない。

 

 おかしいなと首を傾げながら、俺はサンジやゼフたちと別行動を取り、消失地点へと足を向けた。

 

 治安がよろしくない区画の、18番の樹。

 

 大きな根が複雑に絡みあい、天然の迷路のようになっているところがある。

 

 日も差し込まない迷路の奥というのは、その薄暗さがお似合いな連中の恰好のたまり場になりそうなのだが人気はなく、こざるたちが5匹ほどたまっていた。

 

 なんだ?

 

 何をしているのかと俺が近付くより先に、奥の暗がりからこざるたちに飛び掛かった人影があった。

 

 大きな顎をぱっくり開けて、こざるたちをひと噛みにする。

 

 ばふんっばふんっ。

 

 軽い音と煙を立てて、こざるたちが消えた。

 

 まあ、あれだけの衝撃を受ければ猿毛に戻ってしまうだろう。

 

 でもなんでその後にリンゴやバナナが転がっているんだと、俺はあいつらに聞きたい。

 

 襲撃者は消えてしまったこざるたちに唖然としたようだ。

 

 そして、ぼろぼろと涙をこぼして「っくしょう。どうしていつもいつも……」と悔しそうに地面を叩き出した。

 

 それにしてもその人相ときたら。

 

 大きく張り出したピンク色の額。目立つ肩骨。裂けた口に並んだ牙。涙に濡れた目は出目金のように飛び出していた。

 

 

 

 ――いったいどこのエイリアン様?

 

 

 

 

 

 



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第五十回 石猿と深海魚

 

 

 

 

 

 エイリアンはエイリアンでなく、深海魚だった。

 

 

 

 

 あの後、ピンクのエイリアンは突っ伏した身体を起こそうにも起こせない感じで、ぐじぐじと平らな鼻を鳴らしながら周りに転がる果物をかき集めると、這うようにして迷路の奥へと戻って行った。

 

 なんなのさ。

 

 上を見れば、木の枝に潜むようにして赤い毛並みのこざるたちが顔を覗かせている。

 

 いいからお前らここに降りてきてちゃんと説明しろ。

 

 といっても、大猿の俺の前に小さくちょこんと並んで座ったこざるたちが言葉を話すことはない。

 

 俺ができることはできるこざるたちだ。

 

 声を出すことはできるはず。

 

 思考もしているっぽいし。

 

 こうしてシャボンティに野放しにしていても、勝手に動いているのがその証拠だ。

 

 天竜人が来たら地味に嫌がらせしておけとは言ってあるが、後は自由。

 

 最近はよく子供たちの腕に抱えられていたりもする。

 

 ペットか。

 

 いざという時、子を守る存在なのだと親が認識しているんだろう。

 

 更にはこざるずネットワークの様子からすると、例えば今俺が目の前のこざるたちを消したとしても、はたまた逆に新しくこざるを作ったとしても思考は共有されて継続しているみたいなんだよな。

 

 だけどこざるたちが喋り出すことはなく、俺には詳しいところは伝わってこない。

 

 今も「かわいそう」「たすけて」「ひもじい」とそんな漠然とした思いが伝わるだけだ。

 

 かりかりと首の後ろを掻くと、まるでリンクするかのようにこざるたちも頭を掻いた。

 

 

 

 とりあえず、さきほどのピンクのエイリアンを追う。

 

 

 

 迷路の奥の行き止まりは、洞穴のようになっていた。

 

 そこにはピンクおでこだけでなく、他にも2人いた。

 

 随分と細長い顔の、金属のように鈍く光る青白い顔をした奴が、洞穴の壁にようよう凭れるように座り、長い上体を丸めて力なくリンゴをかじっている。

 

 俺から見える横顔は、退化したかのように目も口も小さい。

 

 寝かされている最後のエイリアンは、なんだか丸くて小さい。

 

 子供なんだろうか。

 

 体の色は薄汚れた青。

 

 恐竜の背中に並んでいそうなギザギザしたメイプル形の板が、頭のてっぺんや左右、腕や足の先にも生えている。

 

 その子供を抱き起こしたピンクのエイリアンが、バナナを口許に持っていく。

 

「ほら、飯だぞ」

 

 しかし青い子供はぐったりとしたままで、口を開けるどころか目も開かない。

 

「食べてくれよう」

 

 ぽろぽろと大きな目から大粒の涙をこぼして、また泣いている。

 

 泣き虫か。泣き虫のエイリアンってどうなんだ。

 

 こざるたちにまとわりつかれながら近付いていく。

 

 まずは細長い奴が気付いて丸めていた上体を伸ばしてこちらを見る。

 

「なんだ猿か」

 

 ぼそりと呟くと、泣いていたピンク色も顔を上げてこちらを見遣った。

 

 そしてこざるたちの中に大猿が混ざっていることに驚いて目を見開いたかと思うと、すぐさま攻撃してきた。

 

「肉っ!」

 

 ばっくり大口開けて飛び掛かってくるから、反射的にその口を閉じさせるよう拳を降り下ろしてしまった。

 

 きゅうと撃沈する。

 

 こざるたちがその身体を踏みつつ、横たわった子供の脇に寄っていく。

 

 残った俺たちの間を沈黙という名の天使が横切っていった。

 

「あー。まあ、なんだ」

 

 うろっと視線をさ迷わせた。

 

「とりあえず医者か?」

 

 確か、ここから幾つか若い番号の樹に、闇医者がいる。

 

 エイリアンを看れるくらいの腕前を持っているかまでは知らないけど。

 

「やめてくれ!」

 

 慌てて否定される。

 

「なんでさ」

 

 わずかな逡巡の後、首を傾けて見せられた向こう側の頬。

 

 そこにあったのは、天竜人の紋章。

 

 ――奴隷の焼き印。

 

 あの極楽鳥!

 

 

 

 

 

 

 とりあえず問答無用で猿船に運んだ。

 

 ベッドに3人は無理だから、倉庫に毛布を敷いた。

 

 体中傷だらけだった。

 

 背中にはたくさんの鞭の跡がある。

 

 ろくに手当はされておらず、それなのにあんなしっかりと休養ができるはずもないところにいたんだから、熱が出るのも当たり前だ。

 

 現在居候中のコック見習いたちが、彼らの傷を無言で治療した。

 

 時折、食いしばった歯から怒りの唸り声が漏れている。

 

 その頃には気絶していたエイリアンも目を覚ました。

 

 もう、暴れることはなかった。

 

 傷の手当てもおとなしく受け、横に寝かされた子供にゼフがスプーンで熱冷ましを与えている様子を見守っている。

 

 サンジがシチューを作って運んできた。

 

 俺が作り方を教えたシチューだが、俺の時と違い丁寧に裏ごしされている。

 

 シチューを夢中でかきこんで、三杯お代わりしてからその温かさにやっと気づいたかのようにほろほろと泣いて。

 

 彼らは事情を説明してくれた。

 

 今回はドフラミンゴの奴隷狩りではないらしい。

 

 彼らはエイリアンではなく魚人族で、深海魚の魚人だという。

 

 珍しがられて天竜人に飼われ、他の奴隷の例に漏れず、あっという間にぼろぼろになって遺棄されることになった。

 

 しかしどういう取引があったのか、次は怪しい研究所にいた。

 

 

 

 人工の悪魔の実。

 

 

 

 

 研究は失敗続きで、仲間たちが苦しんで死んでいった。

 

 彼らを売った天竜人は酒を飲みながらそれを見下ろしていた。

 

 僅かに生き残った者たちの中に悪魔の実の能力が顕現した者はいなかった。しかし、モンスターになってしまった者がいた。

 

 理性をなくし狂気に囚われ、巨大化して暴れた。

 

 彼らはその混乱に乗じて逃げ出し、隠れた。

 

 満身創痍で動けない。

 

 その上、人工の悪魔の実のデメリットだけは効力を発し、彼らはカナヅチになっていた。

 

 飛べないブタはただのブタだが、泳げない魚はそれ以下だ。

 

 深海魚なのに、海に戻れない。

 

 俺も海はダメだが、意味合いは全く違うよな。

 

 洞に潜んで体力の回復をはかろうとしたが、食べ物を調達しようとしても動けない。

 

 そんな時、こざるたちが寄ってきた。

 

 狩ろうとしたら噛みついた途端、ばふんと霞のように消えてしまった。

 

 それからも時折、忌々しい猿は目の前に現れた。

 

 無視すればいいのだろうが、それをするには仲間の衰弱が激しい。

 

 それに肉だ。

 

 反射的に襲って、手ごたえも噛みごたえもなくあっさりと消えていく。

 

 どんな悪魔の悪戯か。

 

 絶望に追い込むための幻か。

 

 しかし、消えた猿の後に果物や木の実が残るようになった。

 

 それで腹が満ちるほどではないが、なんとか命を繋ぐことができた。

 

 うんまあ、こざるたちだからな。

 

 あれが生きていないことは今更で、食えるはずがない。

 

 正に絵に書いた餅だ。哀れな。

 

 だからこそ捨て身で食糧を運んだんだろうけど。

 

 

 

 まさか、そうすれば数が減ったことに疑問を持った俺が来るだろうことまで計算したわけじゃないよなこざるたち。

 

 

 

 

 

 

 



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第五十一回 そんなこんなで

 

 

 

 

 

 

 進水式は派手に行われた。

 

 色とりどりの布に飾り立てられて、まるで包装したプレゼントのようになった船を、巨人族が丁寧に抱えて海に降ろす。

 

 そういう、進水式だった。

 

 

 

 命名式も続いて執り行われ、この船はレストランになるのだからと、名前を彫った大きな看板が掲げられた。

 

 船の名前はもちろん『バラティエ』だ。

 

 しかしこれ、俺がレストランの話をする度に「バラティエ」「バラティエ」呼んでいたらしく、誰もがその名前に決まっているのだと思ったそうだ。

 

 全く覚えていない。

 

 覚えてはいないが、なるべくしてなった名前ということで勘弁してもらいたい。

 

 

 

 深海魚たちはゼフがまとめて面倒をみることになった。

 

 俺としてはタイヨウの海賊団あたりに転がり込めば無難だと思っていたが、カナヅチであることに随分と引け目を感じているらしく、魚人族の中には居たくないらしい。

 

 いまいち分からない心境だけど、チビたちも仲良くなっているし、ゼフも彼らと一緒に抱えこむリスクの大きさを理解した上で決めたことだと言うのだから構わないだろう。

 

 けれど、奴隷の紋章の上に大きな絆創膏が貼ってあるだけというのはいただけない。

 

 何かの弾みに、お約束で剥がれるに決まっている。

 

 七武海入りしたジンベエに会ったら、紋章の誤魔化しだけは頼むとしよう。

 

 

 

 船の完成は待たなかった。

 

 艤装は始まっていて、船を造ることに文句を言わせない船大工とキッチンにはこだわりがある料理人が、しょっちゅう角突き合わせては楽しそうに揉めていた。

 

 残りのコック見習い(素人含)が何をしているかというと、料理の訓練や給仕の練習ではなく、戦闘能力の強化だった。

 

 何がどうしてそうなったかというと、俺が全部お任せした相手が、ジョン・ドウだったからこうなったとしか言いようがない。

 

 商人の持つ船はもちろん商船だ。

 

 けれど、そこに乗り込んでいるクルーはグランドラインの海賊くらいになら襲われても負けない程度の戦闘能力を持っている。

 

 売り買いを生業にしているのに、その商品を損ねたらお客様に申し訳が立たない。

 

 だからこそ、金を払わない簒奪者には容赦しない。

 

 商人としてのポリシーらしい。

 

 そして商売上のつながりができる以上、コックたちにも同レベルのクオリティを求めたのだ。

 

 海の上だけでの常識かというとそうでもなく、任されている館を守れなくてどうすると、やはり海賊とそれから山賊にも負けない執事やメイドが存在しているのだから、陸の上でもこれが常識のようだ。

 

 

 

 別れの挨拶を大仰にするのは趣味じゃないのに、俺がもう行くよと告げたら、ゼフは改めて「すまなかった」と俺に頭を下げた。

 

 サンジが「ありがとう」と礼を言った。

 

 詫びられるよりは、感謝の言葉のほうが嬉しいな。

 

 俺は「レストランに寄った時にはお子様ランチをご馳走してくれ」と機嫌よく手を振って彼らと別れた。

 

 

 

 久しぶりにミホークの島に戻ったら、ミホークはまだ帰ってきていなかった。

 

 じゃあ、合流しようかと思うか思わないかの内に、ちょっとうっかり忘れていた怒れるトマスに捕まった。

 

 俺が4つの門を巡る旅に強制的に連れ出され、ミホークが暴れた痕跡に呆れたり、トマスがライバルと因縁の対決を果たした頃には、彷徨うレストランの噂が聞こえてくるようになっていた。

 

 嵐で船から投げ出され、力尽きて諦めかけたところにその海上レストランが現れたんだ。ホントにホントだって、オレのダチの友達も助けられたって言っている――と、その友達は実在しているのかと聞きたくなるような噂話から始まって。

 

 島を襲っては食糧までも根こそぎ奪っていく海賊を蹴散らしたとか。

 

 売られたケンカは高値で買うが、美味い料理は安い値段で食わせてくれるとか。

 

 オールブルーがどうだったとか。

 

 海軍本部の将校にも常連がいるだとか、四皇が揃ったこともあるとか、七武海が「暴れるなら飯食ってからにしろ」と一喝されたけれどそれで大人しく言うことを聞くはずもなくコック総出の大乱闘になっただとか。

 

 北の海にいたはずのに、スープを飲んでいたら南の海に着いていただとか。

 

 そんな、都市伝説ならぬ海伝説と化した海上レストランの愉快な噂はよく聞こえてくるのに、なぜか俺は海の上でばったりとバラティエに遭遇する機会がなかった。

 

 シャンクスやミホークは、海図もないような辺鄙なところでよく出会うと言っていたのに、俺とはどうにも航路が交わらずにすれ違ってばかりらしい。

 

 だから結局、東の海で再会した時には随分と年月が経っていた。

 

 

 

 

 

 

「おまたせいたしました」

 

 ぶっきらぼうな声と共に、俺のテーブルにかたりと大きなプレートが置かれる。

 

「ありがとう」

 

 俺は待ってましたと目を輝かせた。

 

 楕円形のプレートに様々な料理が並ぶ中央には、ドーム型に盛られたランチ。そのてっぺんには小さな旗が立っている。

 

 旗に描かれているのはどくろのマークではなく、デフォルメされた魚の絵。

 

 子供がクレヨンで書いた船の設計図を思い出すような。

 

「いただきます」

 

 目の前に置かれたお子様ランチにさっそく取りかかろうとして、しかしプレートを運んだウェイターが、テーブルの横に立ったままだと気付いて顔を上げる。

 

 黒いスーツのひょろりとした立ち姿。

 

 長めの前髪に、本人いわくのおしゃれ眉がくるんと渦を巻く。

 

 給仕のくせして煙草を手にして立つ彼が誰だと問う必要もなく、伝説の彷徨うレストラン『バラティエ』の副支配人様である。

 

「なんだ?」

 

「あー」

 

 サンジは煙草を挟んだ手で困惑したように頭を掻いて、俺に聞いてきた。

 

「あんた、どこかで会ったことねえか?」

 

「下手なナンパだな」

 

「ばっ!そんなんじゃねえ」

 

 俺がつい反射で茶化すと、サンジは不名誉だとばかりに慌てて吐き捨て、テーブルから離れて行ってしまった。

 

 残念。

 

 サンジが向かうのは厨房だろう。

 

 そこからひょっこりと、麦わら帽子をかぶった少年が顔を出した。

 

「すっげェ!!あの料理、おれにも作ってくれよ」

 

 目をきらんきらんさせて、こちらを見ている。

 

「雑用!てめえはさっさと割った皿を片付けろ!」

 

 が、ご機嫌斜めのサンジに蹴り飛ばされて、あっという間に見えなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 



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第五十二回 変化の術

 

 

 

 

 

 実は、変化の術を会得した。

 

 七十二般じゃないぞ。

 

 そこまではまだ無理。

 

 虻や木の枝なんかに化けられるものか。

 

 考える脳みそどこいったんだよとツッコミたくなる悪魔の実の能力を数々見てきたのに、今になっても常識が邪魔をする。

 

 じゃあ、何に変化できるのかって?

 

 聞いて驚け。

 

 

 

 それは『自分』だ。

 

 

 

 変化した姿は30歳の半ばの俺自身。

 

 つまり、自分が実際の年齢通りに成長していたらこうなっていただろうという姿に化けているのだ。

 

 ちなみに俺の見た目年齢35歳の主張はシャンクスに否定された。

 

 絶対もっと若いだろそれ、と。

 

 俺としてはシャンクスが老けて見えるんじゃないかと言いたいんだが。

 

 麦わら帽子を被っていたから若く見えていただけっていうこともないだろうに、いつの間にやら四皇の一人に数えられ貫禄がついて、あれで30代だとは思えない。

 

 というかミホークやクロコダイルは40代のはずだけれど、あいつらのほうが若く見えるってどういうことだ。

 

 話は戻って、身長は180を超えないくらい。

 

 前世の記憶が影響したんだと思う。大猿になれば250を余裕で越えるのに、人型としてはそんな目線の高さが想像できない。

 

 といっても、これでも5センチは見栄を張って嵩上げされている。

 

 細身の四肢には余分な脂肪どころか引き締まった筋肉もついていないように見える。

 

 これは前世の影響なしに、今のどうしようもない体質だ。

 

 肌の色も体質のせいで海の男のはずなのに日焼けした様子もなく、どちらかというと持病に貧血持っていそうな青白さ。

 

 着ている服は青地に黒い棒襟の上衣と裾が絞られていない黒いズボン。腰布は白。

 

 変化関係なく、いつも通りの商人セレクト。

 

 身体に合わせて、元のサイズより大きくはなっている。

 

 薄い金色の短髪。赤が混じる金目は少したれ目気味か。

 

 うーん、一番身近にいる比較対象が眼光鋭い鷹の目だから、ホントに垂れているかよく分からなくなってくる時もあるけれどな。

 

 

 

 いまのところ、変化できるのはこれひとつ。

 

 

 

 もちろんひとつで終わるつもりはない。

 

 人間に変化するなら内臓どこよと悩む必要はないのだから、後は明確にイメージできるかどうかだと思うんだ。

 

 馴染みの顔になら変化できそうだけれど、まだ試したことはない。

 

 最初は変化の参考に現物見ながら試してみたいんだけど、ミホークとか、目の前で変化した途端に微塵切りにされる未来しか見えてこない。

 

 実はそれ以前に、今のこの姿もあまり好評じゃない。

 

 けれど『猿王』の名前と姿がそれなりに有名になったから、人獣型や獣型でいると面倒くさいことが増えた。

 

 人型?

 

 迷子として保護されそうだよ、ちくしょうめ。成長速度は相変わらずのんびりで、多少身長は伸びたけれど年齢二桁には見てもらえないのが泣けてくる現状だ。

 

 そうやって考えると、今の姿が最適な気がする。

 

 やっと使えるようになった術に浮かれているとか、だからバラティエの皆の驚いた顔が見たかったとか、ないない。

 

 それにゼフのおっさんは驚かなかったしな。

 

 ん?

 

 ゼフにはもう会ったよ。

 

 バラティエに猿船を寄せると、屋根に大きな穴が開いていたんだ。

 

 興味津々で覗いてみたらゼフがいた。

 

 怪我はしていなかった。

 

 話を聞いてみたらいきなり砲弾が飛んできて、思わず蹴り返したので穴がふたつも空いたらしい。

 

 それが昨日の出来事だそうだ。

 

 バラティエ壊した不届き者に弁償させようとしたら金がないと言うので、雑用として働かせているんだってさ。

 

 ……バラティエ、特別仕立ての船だからな。修理するならどれくらいベリーが必要なんだろう。

 

 一か月の労働では足りないんじゃないかなあ。

 

 

 

 

 

 

 ゼフが腕によりをかけたお子様ランチは大変美味しゅうございました。

 

 食べ終わったプレートは片付けられ、俺は食後の一杯を飲んでいる。

 

 聞こえてくるにぎやかな声に顔を向ければ、サンジがハートマークを無駄に飛ばしながら給仕している。

 

 テーブルに座っているのは、ヘソ出しタンクトップに半袖のカーデガンを着た女の子。

 

 ショートパンツからすらりと伸びる足を組み替えて、サンジの目をくぎ付けにしている。

 

「このデザートもサービスよね」

 

「もちろんですともマドモアゼル」

 

 うふふと微笑んで、目の前に置かれたフルーツ盛りのてっぺんに乗ったチェリーを摘みながら、無料サービスに礼を言っている。

 

 それを呆れた顔で見ているのは、同じテーブルに着いている、ゴーグルを頭に乗せた長っ鼻。

 

「おいおいいい加減にしろよ。お前そのコックにどんだけたかる気だよ」

 

 彼の前には水が入ったコップしか置かれていない。

 

 お、ヤソップだ。

 

 違った。あれがウソップか。

 

 ふーん、やっぱりヤソップ父さんに似ているんだなあ。鼻の高さはともかく、苦笑いする口元なんかはそっくりだ。

 

「ずりー!ずりー!おれにもなんか食わせろー!」

 

 テーブルに顎を乗せてぶーぶー言っているのは、さっきサンジに蹴られていた雑用だ。というか、ルフィだ。

 

 ガープのじいさんには似ていない。

 

「割った皿の片付けはどうした、このクソ雑用」

 

 サンジにげしげしと蹴られながらそれでもルフィは、ぐにゅんと遠回りするように腕を伸ばしてフルーツを狙っている。

 

 もう一人、我関せずとまりもヘッドが椅子にもたれて高いびきをかいて寝ていた。

 

 刀が3本、テーブルに立てかけてある。

 

 麦わら海賊団の残りのひとり、ゾロ。

 

 俺てっきり、ゾロがどこでも寝るようになるのは大けがをしてからだと思いこんでいたんだが。

 

 

 

 

 

 



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第五十三回 モーニング・グッドモーニング

 

 

 

 

 バラティエ内に宿泊施設はない。

 

 彼らはコックであってホテルマンではないのだから当然だ。

 

 けれど、レストランの客としてバラティエに自分の船を横付けし、係留することまでは拒否しない。

 

 考えてもみろ。

 

 補給もままならない航海、すっぱくなったエールで堅いパンとチーズを流し込んでいたところに出会う、海上レストランはどれほど魅力的か。

 

 美味いディナーで満腹となり、更にはアルコールでほろ酔いとくれば、このまま船は波任せバラティエ任せにし、ご満悦気分のまま自分のベッドへダイブしたくなって当然。

 

 更には、無敵のコックたちが安眠を保証してくれている。

 

 この夜ばかりは、不意打ちの海獣も海賊の夜襲も心配しなくていいのだ。

 

 そして次の日、モーニングを食べてからのんびりと去っていく。

 

 

 

 ということで、俺もただいまモーニング中。

 

 カリカリのベーコンに半熟卵。サラダは瑞々しく、更にはミルクとフレッシュジュースまで添えてある。

 

 海の上で出てくるメニューとしてはあり得ないが、レストランとしてはありなんだろう。

 

 トーストにメープルシロップ入りのクリームチーズを塗りながら、今後の予定について考えてみる。

 

 レストランの屋根に穴が空き、変な雑用が働いているってことは、ミホークがもうすぐ来るってことだ。

 

 だったら、このままバラティエでミホークを待っていようかなと。

 

 実はどこかで蝶がはばたいた影響で鷹の目が来ないってことも想定すべきかもしれないが、うん、きっとそれは大丈夫。

 

 恒例の剣術大会の開催が近いからだ。

 

 ミホークは必ず東の海に来るし、棺船に猿船が並走していないからにはバラティエに寄らないはずがない。

 

 今回、ミホークに猿船が呼ばれることもなくどうして別行動をしているかというと、ミホークが島で鍛錬に打ち込んでいたからである。

 

 こうなると飽きるまで島から出ないのが常だ。

 

 その上、東の海で凄腕の剣士と会う予定があるとくれば、よほどのことがない限りぎりぎりまで出歩かないだろう。

 

 そう思って、俺はここ一ヶ月ほど里帰りをしていた。

 

 島は至って平穏。

 

 宝探しブームも下火となり、めっきり船が寄らなくなった。

 

 一度、悪魔の実の能力者が来たことがある。

 

 大がかりな海賊団のキャプテンで、荒れ狂う海を凪に変えてしまう能力を持っていた。

 

 そのため、多くの人間が島に上がり込んだ。

 

 しかし探索は上手くいかず、桃はいつまでたっても発見できず。

 

 その上、立て続けに大型猛獣に襲われ怪我人続出で、これは実りがないと撤退していったらしい。

 

 島にいるこざるたちが、猛獣の誘導や海賊の誤誘導をこっそりやった結果である。

 

 帰った海賊団の噂が広まれば、島を探す人間はもっと減るだろう。

 

 このまま再び、伝説として風化するといい。

 

 

 

 

 

 

 朝食も取り終え、コーヒーを飲んでいたらテーブルの横に誰かが立った。

 

 白いテーブルクロスについと乗せられた指は細い。

 

 見やればまず目に飛び込んできたのは、たわわに実ったふたつの大きなメロンである。

 

「お兄さん、私に朝食おごってくださらない?」

 

 こほん。

 

 立っていたのは、ナミだった。

 

 大きな花柄がプリントされたTシャツにハーフパンツ。シンプルな分ボディーラインが際立っている。

 

 その魅力を十分自覚しているだろうナミが、余所行きの顔して微笑んでいた。

 

 どうぞと向かいの椅子を示すと、ウエイターを呼び止め注文を始める。

 

 今朝のウエイターはサンジではなかった。コックたちで持ち回りなんだろう。

 

「何で俺なんだ?」

 

 他にもちらほらと、客はいる。

 

「だってお金持ちでしょ」

 

 服見れば分かるわよと、ナミは頬杖ついて言う。

 

「そうなのか」

 

 俺は自分の服を見下ろした。

 

 全く分からない。

 

「そうなの。なんでそこで他人事なのよ」

 

 随分掛かったでしょその服と言うが。

 

 そんなのもちろん商人に丸投げしているので分からない。

 

 王下七武海としての威信がどうのと言っていたことがあるジョン・ドウの手配だ。

 

 ミホークのために作られた服が安物であるはずがない。

 

 一緒に作られる俺の服も安物じゃないだろう。

 

 多分生地からして良いものだろうし、仕立ても上等。

 

 けれどある日突然ぼろくなったとしてもそれが俺に分かるかどうか。

 

 ミホークは分かるかどうかという以前で、絹だろうが襤褸だろうがまったく気にしないだろうしな。

 

「まかせっきりだから」

 

 俺は肩をすくめて、全然分からないと正直に口にした。

 

「あら」

 

 ナミの目がキランと光った気がした。

 

 お金持ちじゃなくてすごいお金持ちなのね、と。

 

 あれ、もしかしたら俺ピンチ。

 

 背中を大きな冷や汗が流れていった気がする。

 

 鴨がネギを背負ってるなら、猿はバナナでいいだろうか。

 

「ただいま戻りやしたー」

 

 俺のヤバげな状態も、しかし聞こえてきた声に中断された。

 

 自然にそちらへと視線を投げる。

 

 ナミが、驚いたように息を飲むのが分かった。 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第五十四回 オレンジの島の子供

 

 

 

 

 

「おう。ご苦労様だったな、このイカ野郎ども」

 

「イカじゃないっすよー」

 

「知り合いにタコならいますけどね」

 

 振り向けば、朝の日差しを柔らかく受け止めている大きな窓の外。

 

 麻袋や樽を担いだ男たちが甲板を歩いていく。

 

 向かう先にあるのは厨房の裏口か、それとも貯蔵庫か。

 

 う?

 

 おおー。

 

 いや、驚いた。

 

 愉快な会話をしながら通って行くのは俺も顔を知っている魚人族だったわけだが、一番後ろ。

 

 樽をふたつ担いで歩くシルエットの大きさはどういうことだ。

 

 ピンクおでこと細身やろうの2人はあまり変わっていないように見える。というか、時の流れがどこに出るんだあの金属っぽいうろこ肌。

 

 そうするとつまり残りはチビ助ひとりなのに、縦にも横にも大きく育って全く様子が変わっている。

 

 堅そうな背びれは健在で、どことなく着ぐるみの恐竜っぽい。あの赤いのとコンビを組んでいた緑のやつを更に大きく膨らませて青くしたら……あれ、これじゃあ全然別ものか。

 

「市場にろくな魚が入ってなくて」

 

「港に海兎の群れが迷いこんで漁に出られないって漁師の連中ぼやいてやした」

 

「そりゃ、不届きなイカ野郎だ」

 

「ウサギですけどね」

 

「まあ、魚は遅番が起きたら槍もってひと潜りさせりゃいいだろう」

 

「俺たちも帰りにちょっと船の後ろに網張ってきましたから、大丈夫です」

 

「捕れた魚は先に生け簀に放りこんできたっす」

 

「それでですね。肉が不足していないかなと思って」

 

 俺たちこの後休番だから暇なんです、と。

 

「いいこと言ってんじゃねえ、このイカ野郎。丁度新メニューにラパンのグリルを思いついたトコだ」

 

 窓から姿は見えなくなったが、軽快な会話が続いている。なのに、俺のテーブルは空気が重い。

 

 中座してもいいよな、俺。

 

 ウサギ狩りに参加希望だ。

 

 深海魚組に声をかけようかと腰を浮かせた俺の動きに、固まっていたナミの肩が大きく跳ねる。

 

 更にはタイミングよくウエイターがモーニングセットを持ってくる。

 

 ナミの後ろから大きな盆がテーブルに影を作ったことにも再び肩を揺らし、それがウエイターだと気付くと取り繕うように「おいしそう!」と歓声を上げる。にこやかに対応する笑顔が無理しっぱなしだ。

 

 大丈夫かよ。

 

 テーブルに料理が並んだ。

 

 デカンタからは新鮮なオレンジジュースが大きなグラスになみなみと注がれる。

 

 食べたばかりでいうのもなんだが、美味しそうだ。

 

 俺はもう一度椅子に腰を落ち着けると、ウエイターにジン・オレンジかラム・オレンジおくれと追加注文した。

 

 朝から酒は出さねえと断られた。

 

 なんだと。

 

 だったらサングリアもってこいサングリア。あれならジュースかデザートのくくりだ。カットフルーツ山盛りにして来いよとウエイターを厨房へ追い返す。

 

 それどころではない様子のナミは、平気なふりをしたいようで黙々と食事を始めようとしているが、フォークを持つ手のその指は真っ白になっている。

 

「おねーさん。魚人族は嫌い?」

 

 椅子の背にもたれて、窓の向こうを見ながら聞いてみた。

 

 甲板にはもう誰もいない。

 

 答えはすぐに返らず、ナミの様子を伺うとサラダにフォークを突き刺したままで動きが止まっている。

 

「当り前よ。あんな人でなし!」

 

 しばらくの後、吐き捨てられた険のある声。顔は俯いたままで、そこに隠されているのが怒りなのか恐怖なのかを見ることはできない。

 

「あー、おねーさんも魚人族は人ではないって言うんだ」

 

 笑う。

 

「人じゃなくて魚だから何してもいいって?」

 

 続いた言葉にナミが顔を上げた。

 

 それでも結局、そこにあったのは無表情で何の感情も現れてはいない。

 

 隠されているのは恐怖か怒りか。

 

 俺は笑う。

 

「焼き魚にしてみようとか言い出して、生きたまま火炙りにしておいて、そのくせやっぱり魚は生臭くて喰えたもんじゃないとか言って食べないんだろ」

 

「ちょっ、なにそれ」

 

 流石にこれで無表情は貫けまい。ぎょっと目をむいて驚いている。

 

「違うわ。あいつらが悪党だって言いたかっただけよ」

 

 慌てて否定して、それから怪訝そうに眉をしかめた。 

 

「今、私もって言ったわよね。『も』ってなによ」

 

「ひとでなしが多いって話さ」

 

 俺は軽く肩をすくめる。

 

「こっちの海だと魚はアーロンのところでしか見かけないから仕方がないけど、さっきのあいつらはただのコックだ」

 

 バラティエのコックをただのコックとは言いがたいけど。

 

「そうね」

 

 納得したんだろうか。納得できるものだろうか。

 

 ナミの声は固い。

 

「でも、アーロンも海賊も悪党よ」

 

「そうだな」

 

 それはさすがに否定する気はない。

 

 俺も海賊だけど。

 

 ここの支配人は元海賊で、更には副支配人は一緒に海賊やるってお子様な主張してたけど。

 

 ついでにナミの連れも海賊だけど。

 

 ホント、右も左も海賊ばかりだな。

 

 石投げれば海賊に当たるって言われる時代なだけあるよ。海賊外しても海軍に当たるしな。

 

「大っ嫌いよ海賊なんて。あいつらが来たせいで、私のお母さんは歩けなくなったんだから」

 

 ナミはオレンジジュースのグラスを持ち上げて、ぐいっと呷った。

 

 

 

 ……ぱーどん?

 

 

 

 

 

 



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第五十五回 後悔の涙

 

 

 

 

 

 ――ベルメールさん。

 

 血はつながってないけれど私のお母さん。

 

 かき混ぜるばかりだったサラダを食べ始めながら、ナミが言う。

 

 

 

 ちなみに俺の目の前にはバナナがひとふさ置かれている。

 

 朝酒は出さないと言った以上、そのポリシーを曲げてくることはないとは思ったが、まさか捻りもなくバナナを房ごと持ってくるとは。

 

 ゼフの指示かパティかカルネか。

 

 俺が誰かまだ分かっていないサンジの指示だったら誉めてやる。

 

 と、もの申したかったが、シリアスなナミを前に流石に自重。

 

 でもバナナの黄色が白いテーブルクロスによく映えている時点で、シリアス逃げ出しているけどな。

 

 

 

「姉のノジコと私は海賊に襲われた町の生き残り。海軍と戦争になって、終わった時には他には誰も生きていなかったんですって。でも私、赤ん坊だったから覚えていないの。だから家族全員海賊に殺されたと聞いたからって海賊を怨んだりはしなかった」

 

 今はこんなに憎いのに、とナミはため息をつく。

 

 周りの子供たちにいじめられたの。

 

 親がいないとか、貧しいとかそんな理由で。

 

 悔しくて泣いたり悪さをしたりお母さんに当ったり、でも海賊のせいだって憎むことはなかった。

 

 

 

 ……誰かを憎む必要のないくらい幸せだったの。

 

 

 

 けれど、あの日。

 

 アーロン一味が村に来たあの日、すべてが終わった。

 

 荒くれの海賊。

 

 今まで見たこともなかった魚人族は大きくて凶暴で怖かった。

 

 命の値段を提示され、抵抗した者は殴られ蹴られ、家族に武器を向けられて。

 

 村の人たちはお金を払った。

 

 仕方がないこと。

 

 でも、一人で私たちを育ててくれていたお母さんにそんなお金はない。

 

 自分はいいから娘たちの分だって死のうとした。

 

 ……私、お母さんが大切にしまっている宝石があることを知っていたから、必死で取りに行って泣いて差し出した。

 

「私のお母さんを殺さないで!」

 

 ふふ、その時初めて「お母さん」て呼んだの。

 

 それからの生活は息苦しかった。

 

 村中誰も彼もがびくびくしていた。

 

 私は宝石のことを後悔していた。

 

 初めて見つけた時こっそり持ち出して日にかざした。

 

 キラキラして、綺麗で、心奪われた。

 

 喧嘩して隠したこともある。服を買ってもらえなかった時に持ち出して売ろうとして怒られたこともある。

 

 あれはミカンのお釣りなの返さなければならないものよってお母さんはいつも言っていたわ。

 

 ちょっと意味分かんないって今でも思っているけど、お母さんが大切にしていたもので、私たちの思い出のひとつ。

 

 いつか絶対取り戻してやろうとチャンスをうかがったわ。

 

 そしてある日、アーロンの根城に忍び込むのに成功した。宝石も見つけた。

 

 そこで満足しておけばよかったのに、欲が出たの。

 

 お宝全部持ち帰ろうとして見つかった。

 

 見せしめにと村人皆が集められた前で、何度も何度も殴られた。

 

 お母さんたちは私を助けようとして、武器を持ってアーロンたちと戦った。

 

 勝てなかった。

 

 そこからは地獄よ。

 

 あいつら、人を殺さずに痛めつけることに慣れていたわ。

 

 散々痛めつけられた。

 

 そして心が折れた。

 

 後から知ったことなんだけど、大人たちは子供の未来のためにとずっと戦う準備をしていた。

 

 それが、私のせいでふいになったのよ。

 

 私のせいでチャンスを逃しちゃった。牙はすっかり抜け落ちてしまった。

 

 

 

 私のせいで。

 

 

 

 ナミはぽろぽろと涙をこぼしていた。

 

「私のせいで大怪我をして、なのに助かってよかったって笑うの」

 

 今まで、ずっと吐き出したかった後悔なんだろう。

 

 俺が、彼女の人生に無関係だからこそ重い口を開いた後は止まらなくなったんだろう。

 

 しかし困ったな。

 

 頭の後ろをガシガシと掻く。

 

 今の状況をどうしたらいいか分からない。

 

 困った困った。バナナでも食うかと現実逃避してテーブルに手を伸ばしたら、横から衝撃が来た。

 

 がっしゃんがらがらがっしゃんと、いくつものテーブルと椅子をなぎ倒して吹っ飛ばされる。

 

「おー、いて。びっくりした」

 

 横倒しのテーブルを押しのけて上体を起こす。

 

 女の子の涙に動揺して、完璧に不意を打たれた。

 

 そのナミは目を真ん丸にして、俺のほうを見ている。

 

 彼女もびっくりしたのだろう。涙は止まっていた。

 

 ナミが座る椅子の横には足を振り上げたサンジが、咥え煙草で立っていた。

 

 

 

「レディを泣かしてんじゃねえ」

 

 

 

 ごもっともです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第五十六回 魚のしるしとコックのあかし

 

 

 

 

 

 

「女の子を泣かせたそうだな」

 

 

 

 俺の前には腕を組んだゼフが仁王立ちしている。

 

「責任はきちんと取れ」

 

 投げ落とされる声は厳かだ。

 

 なんの責任かって?

 

 ナミとサンジがいなくなったらしい。

 

 

 

 

 

 

 話を戻そう。

 

 あの後俺はレストランから蹴り出されてこれ幸いと、バナナを握りしめたまま逃げ出した。

 

 泣いている少女のことはサンジに任せて、ウサギ狩り参加希望を申し出るため深海魚組を探す。

 

「お客さん。そちらはご遠慮願います」

 

「スタッフオンリーってやつで」

 

 厨房を覗こうとしたら、声をかけてきたのがドンピシャに三色の魚たちだった。

 

 船の一番下、魚の口に当たるところに端艇の発着所があるというから、船内を見学しつつ案内してもらう。

 

 

 

「どうよあれから」

 

 

 

 というかなにそれ。

 

 腕が悪いと叱られながらコックやってますよと楽しそうな表情で返事があるのはいいことだが、その顔の右半分にはギョロリとした出目金の入れ墨が、でかでかと泳いでいた。

 

「誤魔化すにしたってもっとマシな方法があっただろ?」

 

「俺らのこれは海のコックのあかしっすよ」

 

 今度は反対側を歩くピンク色から面映ゆそうに言葉が返る。

 

 当初の予定では、商人のツテで腕のいい外科医にすっかり消してもらうつもりだったらしい。

 

 しかし、それよりも早く見習い仲間が馴染みのイレズミ屋に深海魚たちを連れていき、止める間もなくまずは自分の腕に入れ墨を彫らせてしまった。

 

 彼らは2人並んでそれぞれ左右の上腕に力こぶを作りながら「どうよこれが海のコックのあかし」と自慢したものだから、見せられたそれに笑うしかなく皆で入れ墨を刻んだそうだ。

 

 お前らバカかと呆れたゼフとそれからサンジも、見えはしないがズボンの下に魚が泳いでいる。

 

 そんな話をするチビ助が背中の入れ墨を誇らしげに見せてくれた。

 

 元の跡がどこにも残っていない巨大な出目金鯉が泳いでいる。

 

 成長の過程で脱皮を繰り返し、入れ墨が落ちる度に背中のサイズに合わせて入れ直していたらみるみる大きくなったって、ちょっと待て脱皮って何だ。

 

 

 

 

 

 

 バラティエは船橋楼にレストランと厨房があって、その上に操舵室やオーナー室などがある。

 

 厨房裏から甲板を下りる。

 

 中甲板がコックたちの居住区や倉庫になっていると説明を受けつつもそこは素通りし、最下層甲板へ。

 

 そこではまず、帆船にあるまじき機関室がどどんと登場。

 

 いや、俺の猿船も確かに他人事じゃなくて、同じようなもの積んでいるけれどさ。

 

 でかい。

 

 俺のはもっと小ぶりで控えめで、それに「触るな危険」を肝に銘じているから滅多なことでは使わない。それ使うくらいなら金斗雲でひとっ飛びするから。

 

 バラティエは船体からして大きい分、機関室も大きくなるのは分かる。

 

 ――が、限度があるだろそれにしたって。

 

 船の知識がないコックたちのせいでこうなったのか、それともマッドたちがはっちゃけすぎて自重を忘れたのか。

 

 波動砲が撃てると言われても納得してしまいそうだ。

 

 

 

 機関室を抜けるとやはり猿船より大規模な水耕栽培の菜園。それから飼育小屋もある。ニワトリやヤギの面倒を見ているのは見習いコックたちだ。

 

 見習いの仕事は他にも色々あり、 オーソドックスにジャガイモの皮むきから始まって、皿洗いにゴミ出し、船の修繕。商売の邪魔をする海賊を叩き出したりなんだり。

 

 掃除に洗濯、テーブルのセッティング。その他諸々やるべきことは盛りだくさん。

 

 コック全員で持ち回りの仕事もあって、見習いたちは先輩の後ろでチョロチョロ雑用こなしながらそれらの仕事を覚えていく。

 

 例えば、仕入れ。

 

 最初は訳も分からず荷物持ち。麦の袋ひとつ抱えきれずによたよたと歩く。

 

 それが段々、野菜の見極めができるようになり、赤く塗られた魚のエラに騙されないようになり。

 

 樽を抱えて木箱を重ねて、一人で市場をうろつくことができるようになる。

 

 グランドラインのサイクロンにも物怖じせず出掛けていき、仕入れの帰りに要救助者の一人や二人拾ってくるようになった頃には、自分が先輩として後ろに新米を連れて歩いているのだという。

 

 ツッコミどころが多いな、おい。

 

 そこまでいくとコックとしてだろうが船乗りとしてだろうが、既に見習いの域を越えている気がするんだけどと聞いてみたら、こう教えてくれた。

 

 オーナーにシチューの出来が悪くないと認められて半人前。

 

 居合わせ悪く海軍と海賊が同時に来店し、覇気を撒き散らしても気絶しないで給仕できるようになってやっと一人前のコックなんだとさ。

 

 しかし、バラティエに乗り込む見習いがなりたいものはただのコックではない。海のコックだ。

 

 そうすれば、更にハードルは上がる。

 

 といっても、海のコックであるというあかしは誰かが認めて得るものではない。

 

 自分に名乗る自信があるのかどうか。

 

 メインディッシュのソースを任された時や、前述した迷惑客がレストランを破壊するより先に緊急展開した戦闘用足場『ヒレ』へと放り出せた時。それぞれのタイミングでコックは、憧れていたイレズミ屋の暖簾を潜るらしい。

 

 そんな話を、面白おかしく聞いた。

 

 

 

 バラティエを作っていた頃を知っている分、コックたちがどう過ごしてきたかのを聞くのは楽しい。

 

 

 

 時には足を止め時には見習いたちにちょっかいを出し、にぎやかにしながら船首につくと、そこにはぽっかり穴が開いていた。

 

 あるはずの小型船がなくなっているらしい。

 

 俺らが仕入れに使った後は誰も使う予定入ってなかったはずなんですけどねと首を捻っているから、猿船使って狩りに行くかと提案しようとした矢先のこと。

 

 

 

 ゴゴゴと軋む音が響いて船が揺れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第五十七回 海のコックたち

 

 

 

 

 

 

 甲板に出てみれば、半楕円形の足場がザパンと海水を持ち上げるようにして迫り上がってくるところだった。

 

 船の両舷に現れたのは、コックのいうところの戦闘用足場『ヒレ』だ。

 

 しかしなんだか『ヒレ』というより『ツバサ』っぽい。

 

 

 

 ……ああ、はいはい。思い出した。

 

 

 

 これもあの設計図か。

 

 お子さまがクレヨンで描いた内の一枚。空が飛べたらいいと船に翼を書き足していたやつで、だから青く塗った画用紙は海ではなく空だ。

 

 もしかしたらレストランを壊さないための戦闘用足場っていうのも、作った当初は豪快な建前だったんじゃないのか。

 

「ていうか、実際に空を飛んだりしちゃったり?」

 

「何を言ってるんですか。もちろん飛びます」

 

 甲板の隣に並んだ深海魚が当たり前の顔をして言う。

 

 え、冗談だよなそれ。

 

 

 

 

 

 

 足場の向こうに巨大な船がいた。

 

 丸くてでかいがぼろぼろだ。

 

 御多分に洩れずジョリーロジャーがたなびいている。

 

「どんな海にでも現れるという伝説のレストランバラティエ」

 

「グランドラインに耐える船とそのノウハウ、俺たちがいただく!」

 

「入り口で躓くような弱っちろいイカ野郎共が生意気言ってるんじゃねえ」

 

「この恩知らずどもが」

 

 足場の上には海賊。

 

 迎え撃つのは海のコック。

 

 それを見学する俺たち。

 

「あー。あれ、クリーク海賊団ですね」

 

「知っている奴らか?」

 

「2日くらい前に助けてくれってレストランに来た男がいて」

 

「100人を越える仲間が水も食料もなくて干からびてるって言うんで、コック総出で仕出し作って持たせました」

 

「おかげで倉庫がほとんど空っぽになって、俺らが今朝買い出しに行く羽目に」

 

「この恩は忘れない絶対金を払いに来るとか言っておいてこれっすよ」

 

 俺たちの他にも、コックの見習いやレストランの客たちが物見高く甲板に集まってきている。

 

 ていうか。

 

「あれに参加しなくていいのか」

 

 その100人という数の海賊たちに相対しているのは、無駄に筋肉を膨らませてポージングを取るコックが2人きりである。

 

「パティさんとカルネさんが出ているんだから、これ以上は過剰防衛ですよ」

 

「余波でレストランが壊れないように気をつければ大丈夫っす」

 

 

 

 お前らホントどれだけ鍛えられたの。

 

 

 

「そういえばさ」

 

 妙に丸いシルエットの海賊が巨大な中華鍋に吹っ飛ばされるのを見ながら、ふと気になったことを聞いてみた。

 

「この足場って船の両側にあったら水の抵抗すごくね?」

 

 こんな板が両舷に沈んでいたら舵を取るどころじゃないだろう。

 

「折り畳み式っす」

 

 あっさり答えが返ってきた。

 

「普段は両サイドに畳まれていて防舷材も兼ねてるんですよ」

 

 へえ。

 

 下に伸びてから海面に上がってくるので、そのままの形だと勘違いしてしまったようだ。

 

 しっかり固定されていて一枚板に見えるんだよな。

 

 頑丈そうで、足元が不安定にもなっていない。

 

 そのくせ海賊がまとめて吹っ飛ばされてバウンドした時には少したわんだ。衝撃を吸収する柔軟性まで持ち合わせているらしい。

 

 すごいな。

 

 足場ひとつでこんなに無駄にハイスペックとは。

 

 他にどれだけの面白便利な機能が積んであるんだろうかこの海上レストラン。

 

「足場があるのは便利ですよ。もし足場がなかったら、何度レストランを建て直すはめになったかと考えるだけでぞっとしますね」

 

「特に、七武海やら海軍将校やらネームバリューあんのが来るとすっげえ面倒っすよ」

 

 そういう手に負えない客がまとめて居合わせた時は最悪だったと話す。

 

「ジンベエの親分がまとめて海に叩き込んでくれたから船が沈まずに済んだんです」

 

 その後に慌てて『ヒレ』を展開して事なきを得たけれど、暴れるだけ暴れた後は同じテーブルで酒飲んでるし、オーナーの作った料理しか食べないとか我儘言い出すし、いきなり包丁持った料理人に斬りかかるし、酔っぱらってまた結局暴れ始めるしで自由すぎて困りますよとか、俺の顔を見ながら呆れたように言うな。

 

 鷹の目と赤髪が鉢合わせた時も大騒ぎになって大変だったって、それはごめん。

 

「おい!今、七武海と言わなかったか」

 

 いきなり割り込みがあった。

 

 麦わらの面々も戦闘見学中だったらしい。

 

 ぎらんぎらんした目で「鷹の目の男を知っているのか」と詰め寄ってきたのはゾロ。

 

 犬歯を見せて笑う好戦的な野獣。

 

 そういえば、笑顔はもともと威嚇の表情だって聞いたことがあるな。

 

 しかし勢いはよくても、人にものを訪ねる態度としてはいかがなものか。

 

「おいおい、いきなりどうしたんだ。ゾロ」

 

 麦わらの残りのメンバーも勇む剣士の勢いに驚いた様子で、こちらに歩いてくる。

 

 深海魚の3人はゾロの気迫に一歩引いた後、困惑した顔を見合わせたかと思うと俺にそのまま揃って顔を向けた。

 

「あー、こちらの……」

 

 こら、俺を生け贄に差し出すな。

 

「知っているんだな!どこにいる」

 

 知っているも何もミホークは俺の飼い主様で、どこにいるかっていうとすぐそこだ。

 

 胸ぐら掴まんばかりに詰め寄るゾロからついと視線を外し、俺は海賊船を見やった。

 

 その場にいる全員が同じように海に顔を向けた時。

 

 

 

 海賊船が、海ごと割れた。

 

 

 

 

 

 



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第五十八回 責任の所在

 

 

 

 舞い上がった海水が雨のように降りしきる。

 

 破壊された船がけぶるように粉塵をまき散らす。

 

 海は不機嫌そうにうねりを上げる。

 

 見通しの悪い視界の向こうにゆらゆらと揺れるのは、鬼火。

 

 いや、真っ黒な四角い小舟に灯された蝋燭だ。

 

 

 

 ――海の棺桶には埋葬される亡者ではなく、死神が乗っている。

 

 

 

 俺は、ミホークの船のすぐ脇にあったそそりたって沈んでいく瓦礫に足を乗せた。

 

「あいつ、いつの間に!」

 

 バラティエから、驚く声が聞こえてくる。

 

「ミホークちょうどよかった。あんたに客が」

 

 お待ちかねだというより早く猛禽類の目がぎろりと俺を睨んだかと思うと、いきなり胸ぐらを掴まれた。

 

「オレの前でまやかしの姿を取るな」

 

 そしてそのまま海に叩き込まれる。

 

 ええええええーっ。

 

 俺は不意をつかれて体勢を立て直すこともできず、どぼんと水しぶきを上げ海に沈んだ。

 

 

 

 

 

 

 気付いたらゼフに首根っこを掴まれ、子猫のようにぶら下げられていた。

 

 

 

 ぼたぼたぼたと、体中から海水が滴り落ちてバラティエの甲板を濡らす。

 

 ミホークひどい。ううううう。

 

 ぐったりとうなだれる。

 

 最近、船の上にいても海が遠かったというか慣れた気になっていたから忘れていたよトラウマ。

 

 まったく反応することができなかった。

 

 気絶して助けられたっぽい。

 

 意識が飛んだせいで、人型――変化する前の姿に戻ってしまっている。

 

 つまりは年齢偽証のお子さま仕様。

 

 実年齢考えるとこっちがまやかしの姿って言えるんじゃないかとミホークに言いたい。

 

 ゼフの足元には深海魚たちが死屍累々と横たわっている。

 

 俺を助けようと慌てて海に飛び込んだ模様。

 

 それで一緒に溺れて引き揚げられたって感動するからやめてくれよお前らカナヅチだろ。

 

 

 

「ミホーク!」

 

 

 

 ゲホゲホと口から水を吐きだして、ミホークに文句の一つでも言わなくてはと意気込んだものの、当のミホークはこちらのことなど全く気にも留めず、沈みゆく海賊船の上でマリモ頭の剣士とご対面だ。

 

「いきなり海に放りこまれたかと思ったら小さくなったぜおいおい」

 

 酷いな、ウソップ。誰がチビだ。

 

「不思議人間か!」

 

 悪いなルフィ、不思議猿だ。

 

 きらきらと目を輝かせたルフィが、ウソップとともにこちらに歩いてくる。

 

 ……いいのかキャプテン。自分とこのクルーが勝ち目のない戦闘を始めようとしているって時に。

 

 あ、でも甲板の手すりにしがみついて心配そうに見守っている2人組がいる。

 

 あれが賞金稼ぎの兄さん達かな。レストランでは会わなかったから初対面だけど。

 

「猿王だ。知らんのか」

 

 余所に気を取られている俺をぶら下げたまま、ゼフがおもむろに口を開いた。

 

 ぎょっとする。

 

 なにその回想シーン使って語り出しそうな口調。

 

 止めて本人目の前にして語らないで。

 

 それに賞金稼ぎコンビ。「え、あの猿王!?」とか「紙一重だぜ」とかこっちの話に首突っ込んでこなくていいから。

 

 いやそれよりもいいかげん下ろして。

 

 とりあえず暴れて主張してみる。

 

 下ろしてはくれなかったが、話があるとゼフの船室に運ばれた。

 

 え、ちょっと待って俺はミホークとゾロの対戦見たいんだけど。

 

 

 

 

 

 

 タオルをもらって水気を拭いている俺の前に、腕を組んだゼフが仁王立ちしている。

 

「話って何さ」

 

「女の子を泣かせたそうだな」

 

 誰だよチクったの。

 

「責任はきちんと取れ」

 

「いやまあそれは確かにそうだけど……責任?」

 

 話を聞いて見ると、泣いていた女の子――ナミはその後直ぐにバラティエを出ていったらしい。

 

 そして彼女を心配したサンジも、それを追いかけてバラティエを出ていったらしい。

 

 ああだから端艇がなかったのか。

 

「え、でも責任?」

 

 ナミに麦わらの船もお宝も盗まれてって。それって、俺のせいじゃないんじゃないか。

 

 それはともかく。

 

「サンジを連れ戻して来いって?」

 

「いや違う」

 

 ゼフとしてはサンジにはもっと広い世界を見てほしいと常々思っていたそうだ。

 

 バラティエは世界中の海を行くが、それを広い世界とは言わない。

 

 あくまでバラティエを中心にしたコックの狭い世界。

 

 それしか知らずに育つことをいいことだとは思わない。

 

 そう考えた末に、サンジに向かってバラティエを出ていけと言ったことは何度もあるらしい。

 

 サンジはそれを聞く耳持たずで過ごしてきたけれど、そこにバラティエにコックを欲しがる海賊が登場した。

 

 いまだ若い海賊団だが、船長がサンジのことを気に入ってサンジがいいと言っている。

 

 ゼフの部屋に大穴を開けた雑用。

 

 麦わらのルフィ。

 

「丁度いいから麦わらに『やる』と言っておいた」

 

 だから、戻ってこなくていい。

 

 けれど急すぎて、様子が気になる。

 

 もちろん、泣いていた女の子も。

 

「だから、責任取って2人がどうしているか見て来いと」

 

「そうだ」

 

 ついでに、もう帰ってこなくていいと伝えろってさ。

 

 バラティエは次の海へ向かうから、戻ってきても無駄だ。

 

「伝えるのはいいけど」

 

 俺の猿船で戻りたがったらそれまでじゃないかな。

 

「その時はまた叩き出す」

 

 いいけどね。

 

「それから……」

 

 ゼフが言い淀んだ。

 

「なに?」

 

「麦わらの海賊団がどうしているかは、今後も教えてくれ」

 

 つまり、定期的に様子を見て来いと。

 

 それとも付いていけということだろうか。

 

「いやもうそれ完全に責任の範囲外だよね」

 

 そう言ったら、バラティエの実質的なオーナーは俺だから、従業員の面倒を見る責任はあるだろうと返された。

 

 金を出したことがバレているのは今更どうでもいいけど、それでもやっぱり完全にこじつけじゃね?

 

 

 

 

 

 

 



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第五十九回 東の海のルーキー

 

 

 

 

 

 とりあえずチビナス観察任務は丁重にお断りさせていただいた。

 

 流石に親バカ過ぎるだろ。

 

 呆れてものも言えないと文句を言ってみる。

 

 自分でも理不尽だと分かっているのだろう。うーむと唸ってヒゲを撫でながらも、しかし親馬鹿ゼフはなかなか納得しなかった。

 

 押し問答の末に、責任取って様子を見てくるのは一回きりということで手を打って、甲板に戻れば全てが終わっていた。

 

 ゾロはざくり斬られた傷の手当てを受けており、船医の手により縫い合わせた傷の上からアルコールをぶっかけられている。

 

 船が心配でたまらないらしい狙撃手が、仲間の怪我も心配で、治療の邪魔だと怒られながら賞金稼ぎのふたりと一緒にあたふたしている。

 

 それに対して剣士は、船医がきつく告げる絶対安静を聞いているのかいないのか、大丈夫だから手当てが済んだらすぐに出ようと告げていた。

 

 なんて安心できない大丈夫だろうか。

 

 これだから剣士って生き物は。全く。

 

 

 

 クリーク海賊団は壊滅した。

 

 

 

 一部は逃げ果せたようだが、ほとんどのクルーがコックとの戦闘で行動不能、もしくは形勢不利で逃げようとしたところにミホークの来襲を受け、船と共に沈みかけて救助されることとなった。

 

 今は海軍待ちの状態で戦闘跡を海軍が検分し、また賞金首も検められて賞金が支払われる。

 

 海ゆくレストランが海賊に絡まれることは多く、大なり小なりこういった騒動が起きた時はきちんと海軍には届け出ているのだそうだ。

 

 ミホークや俺みたいに後始末を丸投げするためではなくて、余計なトラブルを増やさないためらしい。

 

 あー。つまりあれだ。

 

 交通事故を起こした時に怪我人も出なかったからまあいいかと警察呼ばずに示談にしたら、後で後遺症だなんだと面倒事が起こってしまいましたってのを回避するためにも、まず最初に警察と保険屋を呼んでおけというやつに似ている。

 

 ――海に生きる商売人の鉄則。

 

 何かあったら海軍を呼べ。

 

 パイプ作って仲良くしておかないといつのまにやらこっちが海賊賞金首になってるぞってね。

 

 

 

 

 

 

 ミホークがまだ居るっていうから文句を言おうと探したら、レストランで食事していた。

 

 ブランチな時間帯にもかかわらず、満漢全席よろしくテーブルにずらりと並んでいる料理を黙々と食べている。

 

 また酒だけ積んで海を渡ってきたんだろうか。

 

「ミホーク!」

 

 海に投げ込んでほったらかしにした怨みは深い。

 

 夜に眠れなくなるほど恨み辛みを並べてやると意気込んで詰め寄ろうとしたら、ミホークに同席者がいることに気がついた。

 

 テーブルの向かいに麦わらの海賊団のキャプテンが座っている。

 

 なぜだ。

 

 いやまあ、何でそうなったかが分からないのであって何をするためなのかは明白なんだけれども。

 

 うめえうめえと両手伸ばして、ミホークよりも早い勢いで食事をしているからな。

 

 追加の料理をコックたちが大慌てで運んできている。

 

 ……だからいいのかキャプテン。あんたのところのクルーが開きになりかけたって時に。

 

 あれ放っておくと多分これっぽっちも養生なんてせずに無理するぞ。

 

 ルフィは口いっぱいに料理を詰め込んで、両頬がリスのように膨らんでいた。

 

 その上、腹もぽっこり丸くみるみると膨らんでいく。

 

 ルフィがゴム人間ってのはもちろん知っているが、生で見るとホント驚きだな。

 

 身体の神秘、半端ない。

 

 あんなにも膨らんで、他の内蔵無事なのか?

 

 呆然と見とれていたら、突然ネジが切れたようにルフィの頭がガクンと落ちた。

 

 ゴツンといい音立てておでこがテーブルの板にぶつかる。

 

「うわっ」

 

 思わずびくっと驚いて、テーブルに寄ってみるとルフィはいびきをかいて寝ていた。

 

 肺が圧迫されたから酸素欠乏で気絶したとか言わないよな。

 

「ミホークなにこれ」

 

「うむ。腹が減ったから食わせろと勝手に座った」

 

 どこでどうしてこの状態になったのかと聞こうとした意図が伝わったらしく、ミホークが厳かに応じてくれた。

 

 ルフィがまた突然にむくりと起きて、料理の詰め込みを再開する。

 

 すぐそばに立つ俺の存在には気付いたらしく、「お、不思議人間だ」みたいなことを料理で塞がった口でもごもごと言った。

 

「おれはルフィ。よろしくな」

 

 そして、ごくんと食べ物を飲みこんだ後、今更な挨拶を受ける。

 

 あれでも面と向かって話すのは初めてだからいいのか。

 

 昔からの馴染みな気分でいた。

 

「ゴクウだ。なに敵と飯食ってるのさ」

 

「おごってくれる奴は敵じゃない」

 

 言い切った。

 

「それに次はゾロが勝つから、いいんだ」

 

 更に言い切った。

 

 ハエタタキでハエを叩き落とすよりも簡単に叩き落とせそうな、まだ東の海も出ていないルーキーのくせに。

 

 あーもう何でもいいや。

 

 俺もお相伴に与ることにした。

 

 隣のテーブルから椅子を引っ張ってきて座る。

 

「いただきます」

 

 さてと目の前の皿に乗った骨付き肉に手を伸ばしたら、横からみょみょんと伸びてきた腕にかっさらわれた。

 

 む。

 

 じゃあと向こうにあるローストビーフを取ろうとしたら、それより早くミホークが持っていった。

 

 むむ。

 

 

 

 肉の争奪戦になった。

 

 

 

 

 

 

 



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第六十回 命の対価と麦わら帽子

 

 

 

 

 

 

 この世界の命は軽い。

 

 尊い命に軽いも重いもない、なんて。

 

 きれいごとを言ってみたところで、人が簡単に死んでいくことに変わりはない。

 

 

 

 広大な海に点在する島々。

 

 自給自足ができればいいが、不足を補うには海路が頼り。

 

 安定している四方の海でも危険は多く、グランドラインともなればログポースがなければ渡ることもできず、しかしログポースがあるからといって航海の無事の保証にはならない。

 

 海も空も大地も気まぐれ。

 

 暑さ寒さが厳しく嵐や大波が襲いかかり、飢饉が起こり、疫病が流行ったとしても逃げ出す場所がない。

 

 そして、弱い子供や年寄りからぽろぽろと死んでいく。

 

 

 

 時代はさらに荒々しく、そう、大海賊時代。

 

 

 

 略奪なんてのは日常茶飯事よく聞く話。海軍が間に合わなければ血の雨が降り、海軍が間に合えば血みどろの戦いが起きる。海賊同士の潰し合いは万々歳。

 

 ふと立ち止まって見回してみれば、見知った顔がいなくなっている。

 

 だからもし、見知らぬ子供が海獣に食われたと人づてに聞いたとしても、少しだけ残念な顔を作り御愁傷様でおしまいだ。

 

 

 

 

 

 

「こんなところにいたのかルフィ」

 

 俺たちが醜い争いを繰り広げているところに、ひょっこり顔を出したのはウソップだった。

 

「早く行こうぜ、飯なんて食ってる場合かよ。グズグズしていたらあの泥棒女におれの大切な船を売り飛ばされちまう。ヨサクとジョニーがいつでも出航できるって待ってるんだ。ゾロの傷は心配だけど、本人が大丈夫って言っているんだから大丈夫だろう。もう先に船に乗ってぐーがー高いびきで寝てんだぜ、あいつ」

 

 捲し立てながらルフィに近寄って来、その腕を取って立たせようとしたところでやっとウソップはミホークが同じ卓を囲んでいることに気づいた。

 

「ぎゃあっ!」

 

 びっくり仰天、ぎょっと目をむいて悲鳴をあげたマナー違反の乱入者に、鋭い鷹の目が向けられる。

 

「うるさいぞ」

 

「ひーーーー、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい斬らないでお願いします命ばかりはお助けー!ごめんなさいごめんなさいごめんなさいー」

 

 ウソップは掴んでいたルフィの腕にしがみついてゴメンナサイを連呼した。腰は直角になる勢いで引けていて、その上足はがくがくぶるぶると震えている。

 

 ああこりゃ、ダメだ。

 

 仲間が斬られたんだ。怯えてしまうのも仕方ないけど、なんだろうこのからかいたくなる気の毒さ。

 

「いくらなんでもミホークだって見境なく切り刻んだりはしないって多分」

 

 ウソップの、すがるような目が俺に向けられる。

 

「でも、いつまでもうるさくしているとどうかな」

 

 にっと笑って首を切るジェスチャーをしてみせた。

 

 あ、今度は俺がミホークに睨まれた。

 

 ウソップはバチンと音がしそうな勢いで口をつぐんだ。

 

 うん、静かになった。顔は真っ青だけど。

 

 ちなみにルフィは腕にウソップがしがみついていても何のその、両腕伸ばして食事を続けている。

 

 パンパンに頬を膨らませながらもごもごと「お前も食えば?」みたいなことを言っているようだ。

 

 

 

 頼りになるキャプテンだね。

 

 

 

 天使がチャルメラ吹いて通り過ぎたかのような沈黙を破るように、コックが追加の料理を運んできた。

 

 山と盛られたパンケーキにはこれでもかとシロップがかかり、フルーツがそえられている他、トッピング用のクリームやジャム、チョコレートの小皿が並んでいる。

 

 ――って、深海魚じゃん。

 

「あ、ゴクウさん。なにやってるんですか食べ過ぎですよ。おかげで買い出しにいった分がまたなくなりそうな上に、非番の俺らまで駆り出される始末で」

 

 文句を言われた。

 

 でも俺はこの風船おばけほど食ってないから。濡れ衣だから。

 

 このデザートで最後ですよという言葉とともに、テーブルに大皿が置かれた。

 

「ほ、ほらルフィ行くぞ」

 

 機とみたウソップが今度はこっそりと声を潜めてルフィを促す。

 

「おう」

 

 ルフィもウソップに引っ張られるまま大人しく立ち上がる。

 

「飯うまかった。 ありがとう」

 

 それはミホークに対する礼かコックに対する礼か。

 

「お、おじゃましました」

 

 わたわたとウソップがルフィを引っ張って出口に向かう。

 

 未練たらしく伸びてきた腕が、テーブルに残っていた鳥の丸焼きをかっさらっていった。

 

 それを見送った後、改めて深海魚が俺に向き直る。

 

「ゴクウさん、海兎の話どうします?なんかうちのオーナーが頼みごとしたって聞いてますけど」

 

 止めておきますかと問われた。

 

「あー、行く。サンジが船を使っているんだろ。俺の猿船だすよ」

 

「分かりました。じゃ、俺ら切りのいいところまで片付け手伝ってくるんで、もう少し待っていてください。というかそれまでに食べ終わってくださいよ」

 

 分かった分かったと手を振って、コックが厨房に戻っていくのを見送る。

 

 さて、デザートをいただくか。

 

 乞われるままにミホークの分も取り分けて、パンケーキにフォークを入れた。

 

「で、ミホークどうよ。あのルーキー」

 

 ウソップが斬られる心配はしていなかった。

 

「あの麦わら見ただろ」

 

 その代わりに、俺が心配したのはルフィだ。

 

 腕だけじゃなくて麦わら帽子も一緒にくれてやったと赤髪が笑って話していた子供。

 

 もしミホークが、何を対価に生かされたのかも分からないような小物だと判断したら、あの麦わら帽子ごと真っ二つになるんじゃないかなって心配してたりしたわけだ。

 

 原作ではそんな事態にならなかったけれど、ミホークとルフィが同じテーブルで食事している時点で原作も何もない。

 

 ゾロがミホークにざんばらりんと斬られた後でクリーク海賊団と戦って、えーと、ルフィがミホークと面と向かって会話するのっていつだ。

 

 というか、ミホークが退場したのはいつだ。

 

 首をかしげても思い出せない。

 

「あれは……」

 

 面白そうに口の端を持ち上げたミホークから返事が返る。

 

「追いついてくるのを楽しみにして待つのだと言っていただろう」

 

 今は待とう。時代が動くぞとミホークは重々しく言ったが、つまり気に入ったのは剣士だけじゃないってことでオーケー?

 

 それならいいんだ。それならさ。

 

 シャンクスの片腕が無駄になっただなんて思いたくもない。

 

「気に入らぬのはおぬしだろう、ゴクウ」

 

 ぎくり。

 

「面白い奴らだと思ってるよ」

 

 笑って誤魔化して、それも嘘じゃない。

 

「納得していないから、オレに聞くのだ」

 

 ミホークの追撃が来た。

 

 優しいキャプテンだよな全く。

 

 だがまあしかし、確かにそうなんだろう。

 

 あの麦わら帽子に拘っているのは、ミホークじゃなくて俺だ。

 

 あの時。

 

 物語のために必要なこととうそぶいて、しかし全然納得はしていなかった。

 

 会ったこともない小さな子供が助かってよかったと喜ぶ気持ちはなく、どうしてシャンクスがという気持ちが強かった。

 

 血まみれの包帯を巻いたシャンクスはなんでもないことのようにずっと笑っていて、それは仲間たちへの気遣いか敵に弱味を見せないためだったのか。

 

 あの赤い麦わら帽子を見ると、痛ましいとしか感じなかった彼の笑顔を思い出さずにはいられないんだ。

 

 なのに、出会ったルフィは憎めない性格をしていて、恨み言も言えやしない。

 

 ああ、そうだ。

 

 あの麦わら帽子の持ち主を、俺はまだ認めていない。

 

「気が済むまで見極めろ」

 

「そうするさ」

 

 シャンクスが認めた少年。

 

 物語の主人公。

 

 ちょっと猿が一匹立ち塞がるくらい大したことないはずさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第六十一回 石猿の主張

 

 

 

 

 

 海兎っていうのは本来、北の海の氷の上に住む白いウサギだ。

 

 白銀の世界の綿ぼうしに例えられ、確かに生まれてすぐは手のひらに乗るくらいの可愛らしさだが、凍った海に潜り海藻を食べ、最終的には6メートルを越えるサイズにまで育つ。

 

 そんな北の海獣がどうして東の海にいるのかというと、縁日などでよく売られているらしい。

 

 珍しいからと飼ったはいいものの、もてあましたり逃げ出したりで野生化し、暖かい海で暮らしているのだ。

 

 何匹くらい港に居座ったのか知らないけれど、俺は肉じゃなくて白い毛皮がほしい。

 

 ミホークの冬島用のコートを作りたい。

 

 あ、でもミホークみたいに暑かろうが寒かろうが着ている服にこだわりがない相手より、おつるさんにあげた方が喜んでくれるかも。

 

 とかなんとか考えていたけれど、これが獲らぬウサギの皮算用だった。

 

 港に着いてみたら、そこには何故かカラフルな毛玉が溢れていた。

 

 パステルピンクとかブルーとか、そりゃあこんな色合いの巨大な毛玉の群れに港を占領されてしまったのなら漁師も困惑して当然だ。

 

 しかし、狩るのは止めてくれと島の人々に懇願されてしまった。

 

 最初は漁師たちも銛を片手に追い払おうとしたが、子供たちに泣かれた。そして案外人懐っこい。

 

 可哀想なんだどうしたらいいと相談された。

 

 知らないよ。

 

 なげやりに答えたが、深海魚組にも頼まれたので仕方なく商人を呼んだ。

 

 後から聞いた話によると、海獣のくせに陸に上がって牧草食べて、水陸両用車をひいて名物になり、冬毛を刈って作ったファンシーなぬいぐるみが人気になってと無事に共存できたそうだ。話の土産とともに、ピンクのうさぎのぬいぐるみをもらった。

 

 なんで色落ちしないんだと一番の疑問を聞いたら、東の海を縄張りにしている海賊団が島々の祭りを回って商売をしており、その中に色を変えることができるだけのしょぼい能力者がいるから、屋台で売る時に子供向けにファンシーな着色をしたんだろうと。

 

 ――カラーヒヨコか!

 

 ちなみに、祭りに浮かれた子供たちが自分の髪の毛の色を変えてもらって母親に叱られる光景がよく見られるらしい。

 

 だからさ、やっていることはまるっきりテキ屋なのにジョリーロジャー掲げてるってどうなのよ海賊の定義。

 

 

 

 

 

 

 ウサギ狩りがなくなったので、その足でサンジを追うことになった。

 

 深海魚たちも一緒だ。

 

 島に着いたらそこで別れて、猿船を仕入れに貸すことになっている。

 

 俺はサンジが乗っていったはずの端艇を使えばいいからな。

 

 サンジが独り立ちするのをどう思っているのか聞いてみたら、コック仲間としてはありらしい。

 

「バラティエは客層が個性的っすから、覚えた常識がちょっと非常識になりやして」

 

「例えば、砲丸の球は投げたほうが強力だとか」

 

 ああ、うん。俺も知ってるその非常識。

 

 でも麦わらの海賊船に乗ったからって、常識が鍛えられるかは怪しいぞ。

 

「サンジさん箱入り息子だからいい機会ですよ」

 

 チビ、お前も同じ伝説のレストラン育ちだろ。

 

 そういえばあの女好きは環境のせいなのかとついでに聞いてみたら、あれはもっと根本的なものですと返ってきた。

 

 しかしそれはともかく、どんなに強い女相手でも男なら体を張って守れと教育したのは、常連の海軍将校を筆頭に、女性客の皆さま方だったという。

 

 ああ、うん。その海軍将校も多分知っている。その教育とやらは知りたくない。

 

 

 

 

 

 

 入江で小型船を見つけたが、サンジは見つからなかった。

 

 探していたら、車椅子に乗ったおねーさんが長っ鼻相手に悔恨の思い出話をしていた。

 

「この動かない身体では島から逃げ出すこともできない。普通に暮らしているように見えるかもしれないけれど、人質なの。いいえ、私だけじゃない。村の全員が人質よ。私たち大人が不甲斐ないせいでナミの重い足かせになっている」

 

 車椅子を押しているお姉さんも、悔しそうに唇を噛んでいる。

 

 けれど、ナミが心配していたように心が折れたわけではないらしい。

 

 長きに渡って耐え忍ぶ戦いをしてきた。

 

 武器を隠し力を隠し、今こそが反乱の時と息巻いていたから、こっそり力を貸すことにした。

 

 サンジはどこにいるんだろうと思っていたら、ナミにくっついてアーロンパークに入り反乱鎮圧側に回っていた。というかナミを手伝って裏でこそこそと死者が出ないように頑張っていた。

 

 騒動が収束しかけた頃、車椅子のおねーさんに見つかって宝石を押し付けられそうになったので、逃げ出した。

 

 ゼフがサンジに帰ってくるなってさ、と言付けを頼んだ。

 

 端艇をレストランに戻し、それで様子を見たとは言えんだろうとゼフに蹴飛ばされた俺はミホークと合流した。

 

 東の海から帰る時は猿船でのんびり気ままに南へ北へと寄り道するのが恒例だ。

 

 しかし途中で海軍本部に呼び出され、ミホークに船は置いていけと言われてひとり寂しく空を飛んだ。

 

 おつるさんに、アーロンパークの騒動を尋問された。

 

 なぜバレたし。

 

 普段はちょっと暴れたくらいで呼び出しをくらうことはないけど、今回は軍の不祥事が絡むからそうはいかなかったようだ。

 

 でも詳しく聞かれたのはルーキーについてだった。

 

 俺よりもガープのじいさんに聞いてくれ。

 

 

 

 

 

 

 海軍での用事は無理矢理終わらせて、猿船が戻ってくるまで里帰りをして待ち、その後はクロコダイルのところへと遊びに行くことにした。

 

 何号店かは忘れたけれど、アラバスタだ。

 

「でもさ謎の地下帝国持ってるのにどうして今さら砂漠の王様になりたいわけ?」

 

 出会い頭に疑問をぶつけてみたら、バナナワニの水槽に放り込もうとするものだから喧嘩になり、クロコダイルの執務室(と地下室と水槽と他にも裏カジノとかいう怪しい施設)を壊してしまった。

 

 お詫びも兼ねて、カジノの前で麦わらの海賊団に立ちふさがってみた。

 

 あれ、サンジがいない。

 

 ここでもニアミスか。

 

 遭遇率悪いな。

 

 俺が長いことバラティエと擦れ違っていたのって、まさかサンジのせいだとか言わないよな。

 

「あの男はヒーローなどではありません」

 

 王女がクロコダイルの罪を叫んでいる。

 

「あんた、あんな悪人に加担してなんの得があるっていうのよ」

 

 お金持ちでしょって、それは関係ない。

 

「勘違いしていないか」

 

 海賊なんて、皆アウトローだ。

 

 善も悪も関係ない。正義の定義は必要じゃない。

 

 気に入らないからぶっとばす、気に入ったから力を貸す。

 

 お前らは面白いルーキーだけど、クロコダイルはもっと昔っからの友人だ。

 

 それだけで理由になる。

 

 ……ちょっと邪魔をしたかっただけとかそんな本音はもちろん言わない。

 

「俺はゴクウ。猿王ゴクウ」

 

 これみよがしに三節棍を回して突きつけ、笑ってみせる。

 

 さあ、始めようか。

 

「簡単にここを通れるなんて思うなよ」

 

 

 

 

 

 

 

 




― 第一部・完 ―

次の舞台は監獄の島?!
第二部をお楽しみに(ありません)


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【外伝】 続かない第二部と監獄の島


 

 

 

 

◇監獄の島◇

 

 

 

 嫌味なほどに鮮やかな蒼天の下、その島は陰鬱と佇んでいた。

 

 風の吹かぬ濁った海は荒々しく波打ち、脱出不可能な地獄の門扉がにたりと笑って囚人を出迎える。

 

 インペルダウン。

 

 護送船から降り立ったクロコダイルはその禍々しい歓迎になんの恐怖も後悔も抱かず、淡々と地獄の門扉を潜り最奥の階層の牢の鎖に繋がれた。

 

 砂城のごとく崩れ落ちた野望の残滓はすでになく、これからもうひと暴れしてやろうという気力も湧いてこないのは、海楼石の手錠のせいばかりではあるまい。

 

「思ってたより退屈な場所だよなここ」

 

 隣から絶望には程遠い能天気な声が上がり、更にクロコダイルの気力が削られた。

 

 子飼いの誰が捕まり誰が逃げたのか今更どうでもいいが、なぜこいつが組織の末端構成員として捕まって、その上同じ房に入っているのか。

 

 クロコダイルは隣に座った男をぎろりと見やる。

 

 年の頃は三十すぎのひょろりとした痩躯の男。

 

 砂まみれになって海軍に捕縛された際、バロックワークスのミスター59とふざけた名乗りを上げた。

 

 しかしそれが本来の姿ではないことをクロコダイルは知っている。

 

 名前はゴクウ。

 

 悪魔の実の能力者ではないと嘯きながら猿に変じたり、ろくに成長しないお子様だったり、ゴーイングマイウェイな剣術バカと波長が合ったりする変人だ。

 

 なんの冗談だと思うが、その上、空まで飛ぶ。

 

 空さえ飛べれば脱獄できる。前例がある。

 

 逃げ出すすべを持つ者の余裕で飄々としていられるのか、それとも。

 

「飼い主が迎えに来ると思っていやがるのか」

 

 クロコダイルの問い掛けを聞いたゴクウの肩は諦めたように落ちる。

 

「……ミホークの場合、気づかないんじゃないかなあ。多分あと半年くらいは」

 

 ありえそうな話だ。

 

 クロコダイルからすれば猿とその飼い主は、海賊として信じられないほど情報に疎い。

 

 しかし、海軍の場合はどうか。

 

 妙ななりをしていてもこれをゴクウと気づかないはずがない。

 

 だからこそ手配書にも載ったことがない海賊がレベル6に置かれているのだろう。

 

 存外使い勝手のいい猿だ。つる中将がこのまま放っておくとは思えないが、クロコダイルの騒動に首をつっこんだ罰にちょうどいいとでも思ったか。

 

 当の本人は全然堪えた様子もなく「でもホント殺風景」と改めて監房を見回しながら文句を垂れている。

 

 その両手にはまっていたはずの重い石の手錠は既に外されていた。

 

「こう、監獄ロックを聞きながら鉄の下駄履いて地獄巡り的なものやってくれるとかさ」

 

 オカマバーでぼったくられるのは嫌だけどちょっと面白みがなさすぎるよなクロコダイル、と同意を求めてくる物見遊山気分のエテ公ってやつはどうにも癪に障ることこの上ない。

 

 だんだんイラついてきたクロコダイルは盛大な舌打ちをひとつ鳴らすと、目一杯足を伸ばして能天気な猿を蹴飛ばした。

 

 

 

 

 

◇その頃の飼い主◇

 

 

 

 主不在の猿船が係留している湾に、ロジャーの翻る海賊船が横付けされた。

 

 ぶっ違いの剣の上、しゃれこうべに刻まれた三筋の傷。

 

 屋敷の鍛練場で素振りをしていたミホークに赤髪は「よう、この間ぶり」と声を掛けた。

 

「何をしにきた」

 

 鷹の目の返事は素っ気ない。

 

「前回はお前さんがルフィの手配書をわざわざ持ってきてくれただろ。だからそのお返しにだな、今回は俺が持ってきてやったぜ」

 

 自慢げなシャンクスの声に、やっと素振りを中断したミホークは先程よりいっそう訝しげな声で「なんのことだ」と問うた。

 

 にやにやしたシャンクスは懐から一枚の紙を取り出しながら、口上を始める。

 

「お前の同僚のワニヤローの悪さがとうとう明るみに出ちまっただろ」

 

 それと共に正体不明のバロックワークスの全容も明らかになった。賞金稼ぎもしていたくせに、幹部は賞金首揃いだった。

 

「結果、何枚もの手配書にバツがつけられたってわけよ」

 

 で、その一枚がこれだ。

 

 もったいぶった長い前置きの末にやっとシャンクスは、その手配書をミホークに見せた。

 

 海楼石の手錠を掛けられた痩身の男が苦笑いを浮かべて手を振っている。

 

 名前は『Mr.59』、賞金額のところにはベリーの代わりにバナナ一本と書いてあり、大きくバツがつけられていた。

 

「そんな男など知らん」

 

「てことはもう知っていたのか」

 

 情報早いなとシャンクスは驚いた。

 

 予想外のことにどうしたんだと聞くと、刷りたての手配書を海軍が持ってきたという。

 

「すごい遠まわしな嫌味だな。迎えに行かなくていいのかおとーさん」

 

「放っておけ」

 

 シャンクスの言葉を、ミホークはバッサリと切って捨てた。

 

 

 

 

 



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【外伝if】 訪れない未来と三日月の島

 

 

 

 

 ゴクウは変化(へんげ)の術が苦手だ。

 

 本人の固定観念というか思いこみのせいで『自分』にしか変化できない。

 

 さて、こざるたちの能力はゴクウの能力に依存する。

 

 ゴクウができることならできる。

 

 つまり変化の術が使えるが、そこにゴクウのような思い込みはない。

 

 

 

 

 

 

 光指すことのない地獄の底に、下品な笑い声が響いていた。

 

「ギャハハハハ!」

 

「天下の七武海様がザマァねえ」

 

「落ちぶれたもんだよなあ」

 

「出てこいやクロコダイル」

 

「今すぐ殺ってやらァ」

 

「おらあ貴様のせいで片腕無くして地獄住まいだ」

 

 新入りの歓迎。

 

 各々の牢の中で、囚人どもが喚いている。

 

 ガチャガチャと壊さんばかりに揺さぶられる鉄格子の音は耳障りで、しかし牢獄の中の男は、もう随分と長く続く罵声に身動ぎもしない。

 

 この抜け出せない地獄の底ですべてを諦めたのか。

 

 しかしふと男の顔が上がった。

 

 向かい側の牢屋の鉄格子を掴んでいた囚人はその眼光の鋭さを受け、背中にひやりと冷たい汗が流れ身震いした。

 

 薄暗い通路を挟んで、それでも殺されると恐怖する光。

 

 徐々に喧騒が収まっていく。

 

 しんしんと恐怖が伝染し、波紋のように静寂が広がっていく。

 

 が。

 

 喧噪にも静寂にも頓着せず、牢の中の男はくわぁとひとつ、退屈そうに欠伸をした。

 

 

 

 

 

 

 

「おかしらー」

 

「おー」

 

 赤髪の海賊団のクルーたちが大きな荷物を抱えて登ってきた。

 

 大体が酒樽である。

 

 もしくは、あり得ないほどでかい骨付き肉である。

 

 ここで宴会を始めるつもりらしい。

 

 ミホークの館からは執事らが、敷物やテーブルや椅子、パラソルなどを運びだしていた。

 

 彼らの隙間をちょろちょろとこざるたちが野菜や果物を運んでいる。

 

 その様子に緊急性は感じられない。

 

 だから「放っておけ」と言ったミホークの返事は至極納得できるものだった。

 

 しかし。

 

「興味ねえか監獄島」

 

 脱出不可能な地獄の鬼はさぞかし手強いだろうと、うずうずするのだ。

 

「ゴクウは王下七武海の配下だから、本来、海軍は手出しできねえ。それを迎えに行くのを手伝うついでに荒っぽいことになってもタイギメーブンってやつだ。そうだろうミホーク」

 

 シャンクスのセリフに返事をしたのはミホークではなく、抱えた酒樽からエールを直接杯で酌み、早速呑みながら歩いていく赤髪のクルーだった。

 

「お頭。暴れる前にゴクウが放り出されて終わるだけだそれ」

 

「じゃあ、まあそれはそれで置いておくとして」

 

 にやりと、いたずら坊主の笑みを浮かべながら肩をぐるぐる回す。

 

「ルフィが来るって聞いてからうずうずしてしかたないんだ」

 

 だから暴れようぜ。

 

 

 

 

 

 

 四皇と呼ばれ、窮屈になった。

 

 身動ぎ一つが大騒ぎ。

 

 その空騒ぎが面白いと、盃片手に笑って見物できたのも最初の頃だけ。すわ四皇が動いた!と騒ぎになるのも面倒くさい。

 

 窮屈で、窮屈で仕方がない。

 

 しかしそれでも、昔からの馴染みの騒動ということで、シャンクスとミホークがちゃんちゃんばらばらと始める分には、なぜか誰も何も言ってこず騒ぎにはならない。

 

 若さばかりが先走っていた頃よりも、ずっと落ち着いたジャレアイだけど存外気に入っている。

 

 四皇と七武海がそろって刀抜いて「ああまたか」で済ませるってそれどうだと猿が首をひねったりもしたが、しかしこのガス抜きがなかったらとうの昔に退屈が赤髪を、もしくは赤髪が世界の均衡を壊していただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 三日月の島、マリンフォード。

 

 立ち並ぶ白い帆白いコート。染め抜かれたシンボルマークと正義の文字。

 

 用意された強大なスクリーン。

 

 高台にはイケニエ。

 

 海軍海賊入り乱れ。そこに脱獄組まで乱入したが、流れは変わりそうで変わらない。

 

 ガープはそれらを高台から見下ろしていた。

 

 握ったこぶし、動かない背中。

 

「ホントにそれでいいのか?じいさん」

 

 その背中に声がかかった。

 

 いつの間に現れたのか。

 

 海軍の側に立つ海賊。王下七武海のひとりジュラキュール・ミホークのただ唯一の配下。

 

 猿王。

 

「ゴクウ、何しに来た」

 

 センゴクが乱入者に厳しい目を向けるが、ゴクウは頓着せず手をひらひらと振ってガープの隣に立ったまま、ともに騒動を見下ろす。

 

 そして、言うのだ。

 

 じいさん、あんたここに座って戦うのを放棄してさ、正義を背中から下ろす覚悟くらいしているんだろ?

 

 だったらもういっそのこと、言いたいワガママ全部声に出して言っちゃえよ。

 

 ……俺ならできるよガープのじいさん。

 

 俺、今まで色々無茶ぶりされてきたと思うんだよ将校サンたちにはさ。

 

 今さらなんだよいまさら。

 

 なあ。エースを助けろって言うだけなのにさ。

 

 そんなに難しいことかな。

 

 海賊王の息子が処刑されるところはきちんと全世界に見せて、でも、それがエース本人である必要はないのさ。

 

 見つからなかった海賊王の息子はもういない。それさえ分かれば世界は安心する。

 

「大丈夫。ばれないばれない」

 

 いつもと変わらない軽い声。

 

 これほどの、悪魔の囁きがあるものか。

 

 ガープは奥歯をぎりりと噛み締めた。

 

 

 

 

 

 

 ゴクウにしてみれば、ちょっとこざるたちを乱入させて、その言い訳はこの騒動の鎮圧ミホークの手伝いとでもしておけばいいわけで。

 

 ついでに、エースのふりしたこざるを一匹舞台の中央に据えるだけである。

 

 こざるたちはシャボンディ諸島で鍛えられて、上手いこと死んでみせるのはお手のものだ。

 

 ばれないようにすり替えができるかは腕の見せ所だけれども、舞台にはもう上がっているのだから難しくはない。

 

 

 さあ、どうするよ?

 

 

 

 

 

 

 ゴクウはいまだに変化の術が不得意なのだが、こざるたちにはそうでもないらしい――ということを、ゴクウは監獄の島で知った。

 

 檻の中は退屈だった。

 

 動物園の猿にはなれないなとしみじみ思うくらいに退屈だった。

 

 一日もせずに、飽きた。

 

 それはクロコダイルも同様で。

 

 真っ白に燃え尽きたと思っていたら、あっという間に復活して、騒がしいとゴクウを蹴り倒した。

 

 気力が回復すれば、クロコダイルだって退屈で仕方がない。

 

 ゴクウがこざるたちに変化の術で身代わりを任せて地獄巡りに繰り出そうとしたら、クロコダイルにも連れていけと詰められた。

 

 やぶさかではないが、ゴクウは「俺まだこの姿にしか変化できないし」と自分の身を指し示して言い訳していたら、その横でこざるがなんでもないことのようにくるりとトンボをきるとクロコダイルに変化した。

 

 え?と驚いて。

 

 さすがにこれにはクロコダイルもびっくりしていた。びっくりついでに、目の前に現れた偽クロコダイルへと即座に攻撃を仕掛けていた。

 

 こざるたちは、くるくるくるくる、次から次へと見知った顔に変化し。

 

 電伝虫にも牢屋の鍵にも何にだってなれるらしい。

 

 こざるたちには、ゴクウのような「俺の内臓どこよ」といった疑問はないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

「この騒動おれが預かる。テメエらばっかり暴れやがってチクショウめ!」

 

 

 

 

 

 

 



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