恋愛小説 (まなぶおじさん)
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1~36P

「はあ……」

 

 陽気さが装甲を身につけているようなアンツィオ高校学園艦で、やや南側に設けられた森林公園の中で、そのベンチの上で、ポモドーロは心の底からため息をつく。

 失恋を目の当たりにした。

 なぜ、人間は愛に泣かされなければならないのか。恋を尊重したはずなのに、どうして恋に心を殴られなければいけないのか。

 目頭が熱くなる。それに伴い、感情や血液や脳ミソに火が灯る。

 放課後という、開放された世界もあいまってか――ポモドーロ(あだ名)高校二年生は、誰を気にすることも無く涙を流していた。

 

 失恋を観たはずなのに、めちゃくちゃ悲しいはずなのに、どうして心地良く泣けるんだろう。

 たぶん、こうした恋の形も、好きだからなのだろう。自己陶酔にも程があるが、感情移入をして何が悪い。

 声が漏れる、うつむく。

 ――今、何時だっけ。

 腕時計を見てみると、もう午後四時だった。まだ春先だから、そろそろ暗くなってきている。

 少し泣いてから、公園を出ようか。そうしようと、ポモドーロが決めて、

 

「おい」

 

 声がした。

 

「おい、そこのお前」

 

 お前、とは誰だろう。さ迷うように、公園全体を見渡し、

 ポモドーロのすぐ近くに、女性がいた。アンツィオ女子高の制服を、着用していた。

 ――現状を把握した瞬間、ポモドーロはうわやべえ恥ずかしい逃げようと思考した。だから、「何でもありません」とだけこぼして、女性から遠ざかろうとして、

 

「待てっ」

 

 腕を、しっかりと捕まれた。呼吸が止まるかと思った。

 

「どうしたんだ? なんで泣いていたんだ?」

 

 その質問に対して、黙秘するしかなかった。

 

「良かったら、私が相談に乗るぞ?」

 

 誠実な言葉に対し、ポモドーロの顔が真っ赤になっていく。

 

「だ、大丈夫、ですから」

「大丈夫なわけ、あるか。あれだけ泣いておいて」

「き、気にしなくてもいいですから」

「気にする」

 

 断言された。

 

「同じ、アンツィオ高の生徒だろう?」

 

 思わず振り向いてしまう。ツインテールが特徴的な女性は、あくまで鋭く真剣にポモドーロを凝視している。

 ――ふと、冷静になる。至近距離で顔を見たからだろうか。頭が「あ、この人は戦車道の」と呟いていた。

 

「……あ、えーと」

「ああ」

 

 頭を小さく振るう。詮索よりも、今は話すべきことを話さなければ。

 

「その、理由を聞いても、怒らないでください、ね?」

「誰が怒るか。そこまで、本気で泣いておいて」

 

 音もなく呼吸する。確かに、感情のままに涙を流していたのは事実だ。それは間違いない。

 ――だが、それが、

 

「これ」

「? ん、本、か?」

「本、です。小説、恋愛小説」

「れっ、」

「この恋愛小説、失恋モノなんです。で、結末に思わず大泣きして……」

 

 それが、現実に基づいているとは限らない。

 ――全体的に騒がしいアンツィオ高校学園艦の中で、珍しくも静かな場所がここ、森林公園だ。学生の間では、「憩いの場」と呼ばれている。

 風が吹かない、だから人工林は何も語らない。先ほどまで腰かけていたベンチが、何か手助けしてくれるわけでもない。案内板があったが、この場の切り抜け方など書かれているはずもない。少し進むと石碑とご対面するが、大抵は「なんとかなる」としか刻まれていない。

 どうにもならなかった、もうどうにでもなれだった。

 

「……それ」

 

 幽霊のような手つきで、自分が指さされた。もっと正確にいうならば、「それ」こと失恋小説に注目していた。

 

「それは」

「あ? ああ、これ……その」

 

 観念するように、水色の本を掲げてみせた。表紙には、「凡人物語」と書かれてある。

 女性の目が、口が、ぽかんと開いた。本を指さしたままで、停まっていた。

 ――終わった。

 このまま怒られるのだろうか、それとも無言で立ち去られるのかもしれない。どちらかといえば後者がいいなあと、唇を噛み締め、

 

「なあ」

 

 明確に声をかけられた。もう死ぬ。

 女性は、二度、三度ほどまばたきをして、怒声まで三、二、一、

 

「これ、私も読んだぞ!」

 

 ――大声だったもので、理解が追い付かなかった。

 

「そうかー、そうかそうか、これ読んだのか」

 

 先ほどまで掴まれていた腕が、ぱしゃりと離される。

 女性は両腕を組み、「そうかそうか」と納得したように頷いている。

 

「それは、泣いてしまうのも仕方がないな。いや、悪かった」

 

 女性が――安斎千代美、「アンチョビ」が、アンツィオ女子高等学校の有名人が、心底気まずそうに苦笑する。ポモドーロも、「あ、あはは」と流されるしかなかった。

 今更、風が吹く。人工林が、静かに音を鳴らし始めた。

 

 今日もやっぱり、アンツィオはアンツィオだった。

 

―――

 

「いやな」

 

 改めてベンチに座り直し、アンチョビも女の子らしい動作でポモドーロの隣に腰かける。高校二年生の野郎からすれば眼福であり、緊張したが、なけなしの平常心で堪える。

 

「ここに来るのは、今日が初めてだったんだ」

「へー」

 

 アンチョビが、ゆったりと見上げる。

 

「まあ、あれだな。気分転換がしたかったのと、三年も在校しておいて『ここ立ち寄ったことないな』と思ったからなんだ。ない? そういう感覚」

「ありますあります。意外と、近所のことって知らないっすよね」

「だよな?」

 

 同意が得られて嬉しかったのか、アンチョビの口元が釣り上がる。

 見られるもの全てが新鮮なのか、人工林から垣間見える空を、ただじいっと眺めていた。

 

「これでも学園艦のことは知っているつもりだったが、森はノーチェックだった。迷ったらおっかないしなー」

「分かります。まあ、ここは森林公園なんで、道はありますけどね」

「そうなんだよなー。あー、なんで気づかなかったんだろ」

 

 改めて、アンチョビが首を下ろす。視線が、ポモドーロと合う。

 

「お前は、よくここに来るのか?」

「そうっすね。自然の中で恋愛小説読むのって、こう、サイコーで」

「ほう」

「外で読書するの、好きなんですよ。特に放課後は」

「なるほど……良い趣味じゃないか」

 

 女の子から、それもアンチョビから褒められて、ポモドーロはみっともなく破顔する。

 アンチョビは「あ」と声を漏らし、

 

「そういえばさっきのあれ、凡人物語」

「ああ、言ってましたね」

「お前、もしかして恋愛小説、好きなのか?」

「んー」

 

 はっきり言うべきか、誤魔化すべきか。たったの数秒程度葛藤しつつ、

 

「好きですね」

「お、そうなのか!」

 

 食いついてきた。正解を引いたらしい。

 

「いや実は、私も恋愛小説が好きなんだ」

「いいじゃないっすか」

「分かってくれるか。いやー、なかなか同好の士が見つからなくてなー」

「あー、分かります分かります。ウチは男子校だから、恋愛小説読んでますっていうのハズくて」

 

 恋愛小説は、世間的には認められたジャンルではある。だが、「男子校」で「男」が「恋愛小説」を読んでいます、というのは思春期的にめちゃくちゃ恥ずかしい。

 しかも、ここがアンツィオ高校学園艦なのもまずかった。他校からは「ノリとメシとナンパの本場」と評されているほど、ここはとにかくナンパが多発する。そのくせ、事件が起こったりはしない。

 つまるところ、恋愛に関しては「実行派」が多いのだ。そんな集団の中で、「俺は恋愛小説読んでます」なんて口が裂けても言えやしない。これでも、アンツィオ野郎なのだ。

 ましてや、恋愛小説とは「女性のもの」というイメージが強いのに。

 

 ――そんなフクザツな事情があって、ポモドーロは森林公園という安全地帯にまで逃げ込み、今日この日まで一人で読書会を開催していたのだ。

 今日、この日までは。

 

「なるほど……私も正直、中々言い出せなくて」

「そうなんすか。女子校なら、案外受け入れられると思ってましたけど」

「いやー」

 

 アンチョビが、右手でツインテールをいじくる。

 

「ほら、アンツィオってノリがいいだろ? 凄く明るいだろ?」

「ですね」

「しかもここ、ナンパが多いだろ? それに乗っかる子も多くて。……そんな中で、恋愛小説読んでますっていうのは、ちょっと恥ずかしくて」

 

 ポモドーロが、分かったように「あー」と口を開ける。

 

「なるほど。どこも、同じみたいっすね」

「みたいだな」

 

 分かり合えた気がして、ポモドーロは初めて笑えた。アンチョビも、共感するように微笑した。

 

「なあ」

「はい?」

「良かったら、恋愛小説仲間になってくれないか? ……語り合いたいことが沢山あってなー」

「あ、いいっすよいいっすよ」

 

 快諾するのに、コンマも要さなかった。

 アンチョビが、これまた分かりやすく笑顔になった。

 

「そうかそうか、ありがとう! いやー、気分転換はしてみるもんだな」

「大変そうですもんね、ドゥーチェ」

 

 アンチョビが、「へ」と目を丸くする。

 

「安斎先輩……あだ名はアンチョビ。あなたは、ウチでも有名人扱いっすよ――衰退していたアンツィオ戦車道を立て直した功績者で、しかも凄い美人っていう認識をされてます」

「ええ、ホントか?」

「ホント」

 

 アンチョビが、視線を逸らしながら「そっかー……」と声を漏らす。頬が随分と赤い、口元なんか「~」と歪んでいる。

 

「じゃあ、なんでナンパされないんだろうなー……」

「有名人だからじゃないっすか?」

 

 アンチョビが「そんなもんか?」と不満げに口にし、ポモドーロが「そんなもんすよ」と知った風に口にする。

 多少の間、両者からは「まあいいか」という空気が生じ、

 

「そういえば」

「はい?」

 

 アンチョビは、明快に口元を曲げる。アンツィオではよく見られる、アンツィオらしい表情。

 

「お前の名前、聞いてなかったな。聞かせてくれ」

 

 ポモドーロは、頭の中で「そういえば名乗ってなかったな」と納得し、

 

「本名は赤石、あだ名はポモドーロって呼ばれてました。アンツィオ高校二年生、趣味は恋愛小説、ナンパはしたことないっす」

「そうか」

 

 そうして、アンチョビが何の躊躇いも無く手を差し出してきた。

 ――ポモドーロは、納得した。

 

「これからよろしくお願いします、先輩」

「ああ、こちらこそ」

 

 アンチョビの手と、ポモドーロの手が、間違いなく握りしめ合う。

 ポモドーロは、納得した。

 

 どうしてこの人が、総帥と呼ばれているのかを。

 

―――

 

「ところで」

 

 昨日という日までは一人読書会を、今日という日から二人きりの読書会が始まった。勿論、誰にも口外はしていない。

 この瞬間が訪れるまで、どれほど待ち望んだことか――それまでは欠伸を漏らして登校して、教師と目が合わないように授業を受けて、昼になれば屋台を巡って「おいポモドーロ、食ってけ」と友人相手に誘われ「しゃあねえなあ」とパスタをやっつけて、珍しくも何ともないナンパを目撃して、周囲から「やるねー」と囃し立てられて、午後の授業ではみんな死にそうになっていて、教師が眠気の脱落者に対して「お前、これ答えてみろ」と当てて、脱落者が瞬間的に蘇生して「はい! ……調査中です」とコメントして、生徒からは笑われ教師が呆れ果てた。

 特に何の事件も無く、変わったこともなく、そのまま平和的に読書会が開催された。良いことである。

 

「はい? 何すか?」

 

 良い気分のまま、良い表情でアンチョビに応える。アンチョビが、「命の富」という失恋小説を掲げながら、

 

「お前って、失恋小説は『どの』ペースで読む?」

「あー、そうっすね……」

 

 そうだなあと、顎に手を当てる。

 

「凄く甘いヤツを読み終えた時とか、純愛モノを三冊読了した後……っすかね」

「あー、やっぱり間を開けるんだな」

 

 頷く。

 失恋小説というのは、読み終えてみると思った以上にダメージが大きい。だからこそ印象に残るし、余韻にだって浸れる。かといって連続的に失恋小説を読めるほど、強靭なタマ持ちでもない。

 それ故に、適当にペースを開けつつ、「よし読むか」的な感覚で失恋小説に手を出すことが多い。

 

「俺、すぐ泣いちゃうんですよね。だから、悲しいことだらけってのはちょっと」

「あー、わかるわかる。私も、感情移入しまくるからなぁ」

「へえ。泣くんですか」

「泣いちゃうんだよ」

 

 アンチョビの勇ましさは、噂を通して知っているつもりだ。いつも高らかに笑っていて、堂々と背筋を伸ばして、アンツィオ戦車道を強くしようと躍起になっている――そんなアンチョビでも、だからこそ、物語には感情移入してしまうらしい。

 なんとなく、知れて得したなと、ポモドーロは思う。

 

「誰にも言うなよ」

「もちろん。先輩もお願いしますね」

「もちろん」

 

 アンチョビが、歯を見せてにっかりと笑う。

 

「……しかし、しかしだ。苦しいはずなのに、どうして失恋小説を読みたくなるんだろうなあ」

「反動じゃないっすか? 甘いものばかり読んでいると、気分転換したくなりません?」

「あー、やっぱりそれか。バッドエンディングを見たくなる時期ってあるもんなー」

「あるっすよねー」

 

 ポモドーロが、恋愛小説のページをめくる。今読んでいるのは、映画化もされた「戦車の上で躍りましょう」という恋愛小説だ。

 

「何かおすすめの失恋小説、ないかな?」

「んー、定番の『世界の全部が嫌いな大人の物語』は?」

「読んだ」

「じゃあ、『ゼラニウムの姫』は」

「死んだ」

「では、少しマイナーな『流れ星』は」

「……思い出して、泣きそう」

「いやー、ホントに恋愛小説好きなんすね」

 

 暗い表情から一変、アンチョビは「まあな」と微笑する。

 これから先も、心を傷つけられて哀しんだり、納得はしつつも涙を流したり、大喜びして笑っちゃうのだろう。これから先も、そんな風に恋愛小説を読み続けていくのだろう。

 アンチョビは、ポモドーロの目を見て笑っていた。ふっと気が抜けて、安心して、身軽になって、何となく、

 

「先輩は、どうして恋愛小説を読み始めたんですか?」

 

 何となく、そんな質問を投げかけてしまった。

 アンチョビが「え」の一言で、手も足も止まる。目も口も丸くしたままで停まる。

 

「あ……何か、まずかったっすか?」

「あ、いやいや、そんなことはない。ないんだが……」

 

 アンチョビが、口に手を当てる。ポモドーロから目を逸らして、恥ずかしそうに顔を真っ赤にして、瞳が揺れていて、

 どきりとした。なんて可愛い顔をするんだろう、と思った。

 

「話すから、秘密にしておいてくれないか? いや、子供の頃だから、何か恥ずかしくてなー」

「あー、分かります分かります。その頃の事を口にするのって、テレが出ますよね」

 

 アンチョビが、「だよなー」と気楽そうに応える。

 これくらい背が伸びると、良くも悪くも「カッコつけ」の意識が芽生える。それ故に、未熟な頃の話をするのに、少しばかりの恥が生じるのだ。

 

「ああ、無理にとは言いません。忘れても、」

「いや、話す。話したい」

 

 アンチョビと、視線が合った。

 アンチョビが、視線を合わせた。

 

「初めて、同好の士と会えたからな。……こういうぶっちゃけた語り合いに、憧れてたんだ」

 

 たぶん、アンチョビは今までも幸せだったのだと思う。戦車隊の皆から親しまれ、戦車隊の皆を導いて、ドゥーチェと称えられて、毎日が楽しかったに違いない。

 けれど、アンチョビはもっと幸せになれるのだと思う。自分にとって絶対に外せない趣味を、生き甲斐を、楽しみを、これから語り合えるのだから。

 ――それに応えないで、何がアンツィオの男だ。

 

「先輩」

「うん?」

「俺も、恋愛小説を読み始めたきっかけを語るっす。まあ、先輩と比べたらカンタンなものですけど」

 

 アンチョビが、口を開けたままで沈黙する。カッコつけたは良いが、滑ってないかコレと今更になって思考する。

 

「……そうか」

 

 風が吹く。

 

「いいこと言うな、お前。モテるだろ?」

 

 人工林が揺れる、アンチョビが笑う。

 

「モテたら、今頃はここにいないっすよ」

「そうか、そうだな」

 

 アンチョビが、安堵したように両肩で呼吸する。

 ポモドーロから視線を外し、ふっと斜め上に首を傾けた。

 

「――小学六年の頃、だな。その時は結構真面目に生きてて、勉強ばっかりしてたんだ」

「へえ」

「戦車道にも興味が無くて、とりあえずは『真面目に勉強して真面目に頑張って、いいお嫁さんになる』ぐらいしか考えてなかったよ」

「わ、かわいい」

 

 アンチョビが、「可愛い言うな」と抗議する。すみませんと、ポモドーロが逃げた。

 

「宿題も済ませて、さてどうするかなーとヒマしてた時に――弟がな、スペシャルドラマ番組を見てたんだ。『戦車恋道』というタイトルなんだが、知ってるか?」

 

 首を横に振るう。ドラマには疎い。

 

「いわゆる弱小校救済モノでな。戦車道が好きで好きでしょうがなかった主人公……この場合はヒロインになるのかな? まあいいや。そいつがな、たるみきった戦車道履修者を変えようと奮闘するんだ」

 

 想像する。

 

「その主人公は、もう笑っちゃうほど強くてな。妥協しないし、精神力は強靭だし、戦車乗りとしても一流だし、弱音は吐かないし……これで高校一年生だぞ?」

 

 想像する。

 その主人公のヘアスタイルは、間違いなく黒髪のロングだ。目はナイフのように鋭くて、寡黙で、そのくせ声がデカい。恋愛小説好きとして、「絶対こうだろ」と心の中で断言した。

 

「一年のくせに強くて、しかも厳しく振る舞うから、最初は履修者たちに反発を食らっていたんだ。……だが、主人公は決して見捨てはしなかった」

 

 アンチョビの表情が、明るくなっていく。アンチョビが今視ているものは、きっとスペシャルドラマの映像なのだろう。

 

「履修者全員の名前はもちろん、良いところ、悪いところも全部把握していた。それを一人ずつに公言した時、履修者の表情が変わっていったんだ――そこから、弱小校の戦車道は進展を迎えていく」

 

 そこで、アンチョビが両肩をすくめる。嬉しそうに、寂しそうに、苦笑する。

 

「履修者のみんなが、心配そうに『あの人、鉄そのものだよね。趣味とかないのかな』とか言い始めるんだ。――趣味というか、安らぎは、主人公の幼馴染が――正確に言えば、幼馴染のお父さんが経営する喫茶店へ寄ることだったんだな」

「ほう!」

「それがもう可愛くてなー。幼馴染に対して、『あいつら、根性を見せてきて嬉しいよ』とか『キミコの奴、彼氏に電話ばかり……羨ましい』とか言うんだぞ。今まで、軍人高校生だった主人公が、だぞ?」

 

 うわ―――かわいい―――。

 みっともなく声が漏れる、感想が口から出る。アンチョビがこちらに目を合わせ、そうだろうそうだろうと笑い、

 

「そして、高校戦車道全国大会が近づく。主人公はあくまで冷徹に、しかし的確に導いていくんだ」

 

 そこで、アンチョビが「でもな」と一声つける。

 

「緊張、していたんだな。でも、絶対に弱音なんかは吐かなかった、みんな主人公を信頼していたから」

「……ああ」

「そう。弱音や本音、『勝てるのかな』という言葉は、全て幼馴染が受け止めていた。――そして、幼馴染は言うんだよ」

 

 縋るように、アンチョビの目を見る。

 

「『君が復活させた戦車道は、絶対に強い。だって、君がずっと見守ってきたから』と……あ、まずい、泣きそう」

 

 感情が過去に遡っているのだろう、鮮明に思い出したのだろう。アンチョビが、手のひらで両目を覆い隠す。

 

「だ、大丈夫っすか?」

「あ゛あ、語らせてくれ。――それでな、結局は大会に負けてしまうんだ」

 

 アンチョビが鼻をすする。

 ――その言葉を聞いて、一瞬だけ錯覚した。アンチョビが負けたのだと、錯覚してしまった。

 

「でも、履修者のみんなが、一年と二年と三年が、『あなたのお陰で、戦車道を歩めました!』って頭を下げるんだ……まず、私はここで半泣きした」

 

 現在のアンチョビも、瞳が水のように揺れ動いている。

 ――スペシャルドラマ、見たかったな。

 

「そこで、そこで、なっ、主人公が、」

 

 スペシャルドラマ、見ておけば良かった。

 心の底から思う。

 

「主人公が、敬語でなっ、『この一年、凄く楽しかったです。本当に、ありがとうございました』って、言うんだよ。初めてここで、敬語でなっ」

 

 戦車恋道は、間違いなくアンチョビの人生を変えたのだろう。大事な台詞をここまで熱演し、熱演に伴って涙目になって、涙目のままスペシャルドラマの素晴らしさを語っている。

 戦車恋道を見たわけではないから、ポモドーロは涙を流すことが出来ない。だからこそ、恋愛小説で鍛えられた想像力を以てして、自分なりに映像を構築していく。

 

「……まあ、ここまではな。まだ、まだ耐えられたんだ」

「え」

 

 アンチョビが、震えた声で深呼吸する。

 予感する。

 次に出てくるのは、もしかして――

 

「最後に、喫茶店へ寄るんだよ。幼馴染とそこで会ってな、幼馴染が主人公のことを称賛するんだ」

 

 アンチョビの語りが途切れる、ひと呼吸する。ここから先は真剣勝負だとばかりに、アンチョビの目つきが鋭くなる。

 

「それでな、主人公がこれまでのことを語るんだ。悪口から罵倒まで、そして称賛を投げかけて――」

 

 ポモドーロの隣に座っているアンチョビが、ポモドーロの目を見つめながら、

 

「なんで、あいつらが負けたんだろうって。なんで、誰よりも強くて輝いているあいつらが負けるんだろうって。めっちゃ、め゛っちゃ泣くんだよ……」

 

 アンチョビは、ずっとずっとドラマのことを忘れないのだろう。この先も、ドラマのことを思い出すたびに火が入るのだろう。

 恋愛小説好きらしい、と思った。間違いなく、同好の士だと思考した。

 

「それで、幼馴染が、主人公を抱きしめて……大好きだよって、言うんだよぉ……ッ」

 

 今初めて、アンチョビの涙を目の当たりにした。

 ――そうか。

 この瞬間から、恋愛のことが好きになったのだろう。

 

「……もうわんわん泣いちゃってな、弟は凄く困ってた。『大丈夫?』って背中をさすってくれたけど、しばらくは駄目だったなー」

 

 目をぬぐい、鼻をすすり、何も無かったように笑う。

 

「――それからだな、戦車道と恋愛に興味を持ったのは。恋愛ドラマも良いんだが、心理描写が書かれてある恋愛小説の方が、私には向いていた」

「なるほど」

 

 恋愛小説における心理描写とは、読者との共感が重要視されていることが多い。だからこそ「この人を応援しよう」と肩入れも出来るし、時には「頑張ったな」と、達成感にも似た喪失感を共有することも出来る。最後の文章を読んで、「自分は、幸せだ」と感極まっても良い。

 アンチョビはとてつもなく感情豊かだ。それこそ、語るだけで泣いてしまうほど。

 羨ましいな、と思う。ここまで、恋愛小説向きな人はそういないだろうから。

 

「……これで、私の話はおしまいだ。すまないな、泣いちゃって」

「いえいえ。そのドラマへの想い、伝わったっす」

「そうか」

 

 話し終えて、心底満足しきったのだろう。「ああ、話しちゃったなー」と、悔いがないように呟いていた。

 ――さて。

 

「じゃあ、次は俺っすか」

「そうなるな」

 

 アンチョビの目が、小動物のように光り出す。それを見て、ポモドーロは困ったように唸る。

 何せ、ありきたり過ぎるエピソードで恋愛小説に興味を抱いたのだ。こうなれば先に語っておけば良かったかなあと後悔する、アンチョビが顔で「はやくはやく」と急かす。

 

「……普通過ぎる理由なんすけどね」

「うんうん」

 

 ポモドーロが、観念するように語り始める。

 アンチョビは、じいっと耳を傾けていた。

 

 

「それじゃあ、機会があったらまた会おう。ばいばい」

「さようなら、先輩」

 

―――

 

 「よし、赤石。アンツィオ高校学園艦の創設者の名前を答えてみろ、フルネームじゃなくてもいい」

 

 教師から死刑判決を受けながら、「あれ、何処かで聞いたことある」と思考する。

 ノリが良く、明快なアンツィオ高校だろうと、間違いなく勉強はするしテストだって行う。こうして、教師からお呼ばれされることも珍しくはない。

 ポモドーロが深刻な表情になる、皆が「答えられるんかなコイツ」な目をする。男の教師は、答えを聞くまでポモドーロから目を離さない。

 ポモドーロは模範的なアンツィオ高生徒だから、基本的には勉強しなかったり、宿題を出されても「後でいいや」と考えつつ後日泣いたりする。運動はそこそこ、将来は百年後と、実に実に模範的なアンツィオ高生徒だった。

 ――そんなポモドーロのことを、教師はよく知っている。なぜならば、教師はアンツィオ高校の「先輩」なのだから。

 それ故に、「これは流石に答えられるだろう」と信じてご指名したのだ。

 

「先生」

 

 この四文字を口にするのに、実に八秒もの時間がかかってしまった。正解ならそれでいい、不正解でもそれはそれで。

 

「なんだ」

「――調査中です」

 

 最悪な返答を言葉にするのに、実に八秒もの覚悟を用いた。

 教師は、両肩で深呼吸する。

 

「なるべく明日にまで済ませておけ」

 

 教師がため息をつく、クラスメートが「健闘を祈る」と茶化す。特に不機嫌になることもなく、ポモドーロは「うるせー」と毒づいた。

 恥かいた、まあいいや。

 

 今日も、ポモドーロは健全な男子生徒として息をしている。

 

―――

 

「マリオ・ポーロだろ」

 

 おすすめの恋愛小説を教え合い、好きな文章を語り合って、ふと「今日、センセーからご指名受けまして。分かります? 学園艦の創設者の名前」と質問してみて、見事瞬殺された。

 八秒もの苦労が、水の泡と化した瞬間である。

 

「す、すげえ」

「いや凄くないだろ、基本だろこれ。横文字だから覚えやすいし」

 

 そういうものなのだろうかと、ポモドーロは顎に手を当てる。日本語でもカタカナでも、分からないものはわからない。

 

「あーでも、実在の人物の名前と、登場人物の名前って、覚えられるのに差がつくよなあ」

「そっすよね?」

 

 共感出来るものだから、ポモドーロの目が、表情が明るくなる。そこでアンチョビが「でもな、」と言葉を挟み、

 

「恋愛小説は素晴らしい、それは私も思う。けど、勉強もした方がいいぞ」

「あー、やっぱりそうなんすかねえ」

「そうだぞ。勉強出来ると、人から信頼されやすくなるからな」

 

 へえと、考えなしにポモドーロは返事する。

 

「先輩は、成績はどれくらいで」

「うーん、まあ、戦車隊隊長を務められるぐらいには」

 

 戦車隊隊長と聞いて、考えなしの頭の中で「あ、そういえば」と閃く。

 

「具体的には?」

「……まあ、自画自賛になるけど、中の上。隊長って頭を酷使するから、これぐらいはな」

「……すげえ」

「いやいや」

「いやいや。前から思ってたんすけど、先輩って天才っすよね」

「そうか?」

 

 閃きが、頭から口めがけ走る。

 

「だって先輩、戦車道の特待生じゃないっすか」

 

 何てことはない、アンツィオ戦車道公式ウェブサイトで簡単に確認出来る情報だ。特待生ということで、沢山の画像が、これまでの経歴が暑苦しく書かれてある。

 公式サイトによると、アンチョビは、戦車道界隈ではかなりの有名人らしい。真面目で、知恵者で、冷徹で、「中学生なのに」、指揮能力がずば抜けて高かったから、だそうだ。

 アンチョビが通っていた中学校は、「それなりの」戦車道が築かれていたようで、勝つも負けるも「まあいいや」だったとか。戦車道を始めた動機も、「派手だから」とか「モテたいから」とか、いたって「普通」揃いだった。

 

 その普通さを、中学二年になったアンチョビが真面目に正してしまったらしい。主に無表情で。

 一年で「流れのコツ」を掴んだようで、二年になればすぐに台頭したとか――先輩相手でも意見をまかり通し、履修者の名前を呼んでは良い点悪い点をしっかりと指摘しつつ、最後には称賛する――このスタイルが徐々に力となっていって、最終的には中学戦車道全国大会で初優勝、全員から胴上げされたようだ。

 それは中学三年でも変わらなかったようで、「鋼鉄の安斎」に憧れて戦車道を歩み始める一年も数多くいたとか。今となっては、その中学は強豪校としてぶいぶい言わせているらしい。

 ――優勝の際、アンチョビは無表情でインタビューを受けた。内容は『どうして、戦車道を正したのですか?』というものだ。それに対し、アンチョビはただ一言。

 

『戦車道が、大好きだからです』

 

 ――そうして、アンツィオ高校学園艦から「ウチに来て、アンツィオ戦車道を復活させてくれ」と懇願され、今に至る。

 

 

 アンチョビが、「ああ」と声を出す。「そうだったっけ」と笑う。

 

「……気付けばもう、三年か」

 

 アンチョビが、音を立てて本を閉じる。ベンチに背中を預ける。

 

「よく、ここまで育ってくれたなあ、あいつら……」

 

 あいつらと聞いて、ポモドーロが「ああ」と声を出す。

 

「アンツィオ戦車道履修者の皆、っすか?」

「そう。最初はホント大変だったんだからな、戦車は無いしあいつらマイペースだし何だしで」

 

 そう愚痴るアンチョビは、何処か楽しげに口元を曲げる。

 遠い過去の事――ではない。戦力は相変わらずギリギリらしいし、気分によってはめちゃくちゃ強かったり、しこたま弱くなったり、よくメシを食ったりと、根は変わってはいないらしかった。

 が、

 

「でも、何だかんだでみんな頑張ってるっすよね。先輩のこと、称えてますし」

「ああ。友達に、なったからな」

 

 意外な言葉の登場に、ポモドーロは目を丸くする。

 

「中学時代は、まあ……『隊員』らしく付き合ったのさ、友達とかじゃなくてな。私も隊長らしく振る舞えるよう、勉強したり気合を入れたり、気分転換に恋愛小説を読んだりして持ちこたえた」

 

 ぼうっとした目つきで、人工林の何処かを見つめている。もしかしたら、それすらも見据えていないのかもしれない。

 

「何だかんだで、あそこは『普通』だったから、それでも通じた。――問題はこっち、何せ心底ノリノリな学校だし」

 

 喋り、唇が乾燥したのだろうか。アンチョビが、ぺろりと舌をなめた。

 

「戦車道履修者といったら、最初は五人くらいしかいなかったよ。その五人も、派手で刺激的でノれそうだから、受けてみたとさ――で、最初はいつも通りのスタイルで練習した」

「いつも通りっていうと」

「ほら、大真面目な、メタルな感じ」

 

 ああ。

 昔のアンチョビは、「鋼鉄の安斎」と呼ばれるほどのクールな人物だったようだ。経歴ページを眺めてみても、大抵は無表情のアンチョビの画像と目が合う。

 笑った顔なんて、初優勝を果たして胴上げされている画像でしか見られない。

 

「――で、なかなか上手くいかなかった。どうして私の言うことを聞いてくれないんだ、なんでここまで陽気なんだって。一年はずーっと悩みっぱなし」

 

 だろうなと思う。真面目とアンツィオが両立するなんて、それこそ学園艦が沈みでもしない限り成立すらしないだろう。

 いや、沈む瞬間すら「泳げば平気だって」とか抜かすかもしれない。容易に想像がつく。

 ――アンチョビが、感慨深そうに鼻息を漏らす。

 

「二年になって、練習試合に負けて、その時はもう苛立ちが全盛期だったよ。特待生っていう焦りもあったし、前は上手くいったのに何で? っていうギャップもありありだったし。こんな安請け合い、するんじゃなかったって思ってた」

 

 あくまで笑ったまま、樹木を見つめたまま、

 

「昼休みになって、忌々しげに屋台を巡ってた。なんでこいつら楽しそうなんだって、舌打ちしてたらさ、」

 

 アンチョビが両目をつぶる。

 きれいだ、と思った。

 

「ペパロニが――私の副官で、友達な。そいつが、『これを食べて、元気出すっすよ』って、にゅっとナポリタンをくれたんだ」

 

 アンチョビが、嬉しそうに目頭を細くする。

 ペパロニという人物についても、公式サイトでチェック済みだ。公式サイトには戦車道履修者の集合画像が張り付けられており、真ん中にはアンチョビが、左には親指を立てたペパロニが、右には微笑むカルパッチョ(副官なので覚えた)が、周囲には私が私がと笑顔になっている履修者が映っている。

 

「横から出されたものだから、最初は驚いたよ。でもまあ食ってみると、これがもう最高に美味くてなあ……ペパロニは、『落ち込んだら、遊ぶか食うか寝るに限るっす!』とかなんとか言って。まあ、次第に友達関係になっていったんだ」

「ほう……」

「それで、とんとん拍子にペパロニも『アンチョビ先輩が戦車道履修者なら、私も入るっす!』とかノリで決めちゃって、ペパロニの友人であるカルパッチョ――この子も副官で友達な? が、『では私も』とついてきて、」

 

 アンチョビが、両腕を頭の後ろに回す。少年のように、おどけるように口元を曲げ、

 

「――なんだろな、身が軽くなった気がしたんだ。授業中でも、そうじゃない時でも、隣に誰かがいてくれる。いいじゃないか、こういうの」

「分かるっす。独りぼっちは、耐えられません」

 

 恋愛小説が好きで、程ほどに明るくて、それしかないポモドーロからすれば、アンツィオ高校学園艦は「居場所」そのものだ。

 スポーツにもあまり興味が無かったから、体育会系のノリで友情が結ばれる期待も抱けない。かといって勉強も人並みに嫌いだったから、人を引き寄せる何かを身に着けることも出来なかった。

 そんなポモドーロが無事平穏に青春を送れているのも、アンツィオ特有の「皆で仲良くなりゃ楽しい」に救われたからだ。いつの間にか、友達だって出来た。

 

「で、ペパロニの顔を見たり、カルパッチョの言葉を聞いているとな、こう、考えが変わっていった。前のノリが通用しないなら、アンツィオのノリで生きてみればいいじゃんって」

「お」

 

 ポモドーロが、嬉しそうに口元を緩ませる。アンチョビが、「ここへ」やってくるからだ。

 

「――その結果、みんなついてきてくれたよ。がははと笑って、一緒にメシ食って、友達になろうと手をとって、それを繰り返していたら四十名以上の仲間が出来ていた」

「良かったじゃないですか、流石先輩」

「ああ、良かった――が」

 

 アンチョビが両腕を組み、はっきりとポモドーロを睨みつける。シリアスな表情を目の当たりにして、ポモドーロは声を失った。

 

「何だかんだいって、私に隊長としての『説得力』があったからこそ、みんなついてきてくれたんだ」

「……つまり?」

 

 アンチョビが、よくぞ聞いてくれましたとばかりに笑顔になる。

 

「ちゃんと勉強してたから、隊長として自然と振る舞えたってことだな」

 

 ああ、結局はそこに行きつくのか。

 辛いなあと、手のひらを額に当てる。なんて心優しい先輩なのだと、頭を悩ませる。

 

「いきなり難しいことは言わん。だが、学園艦の創設者の名前くらいは覚えておくように」

「へい」

「勉強すれば、お前の人生はより良いものになる。これは間違いない」

「……先輩を見てると、信じざるを得ませんね」

 

 ふふんと、アンチョビが自信満々に笑う。参りましたとばかりに、ポモドーロはうなだれた。

 ついでに、腕時計を見る。午後五時くらい。

 良い子は、そろそろ帰る時間だ。

 

「――今日は、いい話が聞けて良かったっす。また、色んな話を聞かせてください」

「ん、そうか。なんだかすまないな、長くなってしまった」

 

 とんでもないと、ポモドーロは首を横に振るう。

 

「愚痴とか、そういうのも、俺なんかで良ければ聞きますよ」

「ええ? そこまでしなくても良いんだぞ?」

「何言ってるんすか」

 

 恋愛小説を、桃色の表紙をしたそれを、アンチョビに見せつける。タイトルは「明恋」という。

 

「俺達、仲間じゃないっすか」

 

 少しの硬直と、ひと時のまばたきと、多少の間を置いて、

 

「そっか」

 

 アンチョビは、安堵したように笑った。

 

 

「ところで」

「うん?」

「中学時代の先輩のキャラ、ドラマの影響でしょ?」

「バレたか」

 

―――

 

「いつも聞いてくれてありがとな」

 

 恋愛小説を片手に、アンチョビが小さく頭を下げる。ポモドーロも、恋愛小説を右手に「いえいえ」と力なく笑う。

 ここ最近は、ほぼ毎日といってもいいくらいにアンチョビと読書会を開いている。最初は読み終えた恋愛小説についてとか、途中まで目を通した恋愛小説に関しての評価、これから買う予定の恋愛小説、映画化された恋愛小説についてなど、まずは恋愛小説をきっかけに交流することが多い。

 そうして会話に慣れが生じた頃は、アンチョビの現状がよく語られる。毎回「お前は何かなかったか?」と聞かれるのだが、帰宅部で、明快で、何の責任も背負っていないポモドーロは「いえ、今日も気楽に生きてましたっす」と、よく返答する。

 

 そんなポモドーロに対し、アンチョビの「現状」とは昨日も今日も明日もまるで違う。大抵は戦車道に繋がるのだが、「今日の指示はうまくいった」とか「今日はてんでバラバラだった。あの子らは悪くないんだけどなあ」とか「ペパロニが……」とか「時々、隊長の身分が重く感じるよ……あっ、これは秘密だぞ?」とか、間違ってでも口外してはいけない本音を口にすることが多い。

 それに対し、ポモドーロは「言いませんよ」とか「先輩、無理をしないで。寝れば解決するっすよ」とか、そんな気休めを言うことが多い。戦車道については疎いが、戦車道とは人の手で動かされるものだ。不機嫌になれば遊べばいい、疲れたら寝ればいい――そんなふうに、ポモドーロは考えている。

 

「ほんと、愚痴ばっかりで悪い」

「いえいえ。俺は、戦車道とは関係ありませんから。どしどし相談してください」

「……そうだな。思うと、友達のほとんどが履修者だったから、こういうことはあまり言えなかったんだっけ」

 

 改めて、男に生まれて良かったと思う。どうしても戦車には乗れないし、快くアンチョビの相談にも乗れる――美人だし。

 戦車道に縁がないというだけで、心境的にはあれこれと言えたりするのだろう。一生無関係だからこそ、チクったところで得はしないし、逆にアンチョビに嫌われるだけで終わる。

 ――それだけは嫌だった。

 

「しかし、今日はホントにお疲れモードっすね」

「ああ。大会もあと数か月後だからな……内心焦りまくりだよ」

 

 春になって、ずっと春かと思っていたのに。

 アンチョビと顔を合わせ続けていたら、いつの間にか夏の兆しが訪れようとしていた。

 少しばかり、気温が高い。

 

「アンツィオだからしょうがないんだが、やっぱり結果にムラッけがなあ……どうしたら確実性が高まるかなあ……やっぱり戦力不足感も否めないしなあ……」

 

 アンチョビが頭を捻る。その中では幾多もの思案が、浮き上がった提案が、没になった作戦が、戦力だとか士気だとか地形だとかを考慮に入れた計算が、上機嫌と不機嫌のせめぎあいが、大会への緊張が、そういったものが一つの脳ミソの中で渦巻いているのだろう。

 ポモドーロでも、「大変だろうな」と察する。ポモドーロですら「すごいな、この人」と感じる。ポモドーロだからこそ「なんとかしてあげたい」と思考する。

 

 アンチョビの、真剣な横顔を目にする。

 この顔をしたアンチョビのことが、ポモドーロは好きだった。

 

「……あ、」

 

 そんな顔をしたアンチョビのことが好きだからこそ、「なんとかしてあげたい」からこそ、ポモドーロは声を捻り出す。

 

「あのっ」

「んー……うん? 何か用か?」

 

 思考の海から、アンチョビが戻ってくる。恋愛小説からポモドーロへ、視線を向ける。

 ――アンチョビと目が合った。アンチョビと、目が合ってしまった。

 

「え、えーと……その、結構深刻そうっすね」

「ん、そうか、そう見えたか……いやすまない、こんな空気にしてしまって」

「ああいや、いいっすいいっす。それだけ、真面目にアンツィオ戦車道の事を考えているんでしょうし」

 

 ポモドーロがへらへら笑う、アンチョビが「すまない」と頭を下げる。

 ――自分なんかに気を遣わなくていいのに、感情を発散してしまっても良いのに。この人、アンツィオで一番の真面目人なんじゃないだろうか。

 

「……その、」

「うん?」

 

 心底、心配するように、

 

「えっと、最近その、遊んでます?」

「あー」

 

 そういえばと、アンチョビが声を漏らす。

 

「遊んでないなあ。最近はほんと、学校からつかず離れずな気がしてきた」

「そっすか……」

 

 アンチョビが、疲労混じりの苦笑を漏らす。――そんなアンチョビの表情を目の当たりにして、ポモドーロの口が閉ざされた。

 同時に、闘志めいた決意が生じる。同時に、男気らしい気分が芽生える。

 

「――あの」

「ん?」

 

 アンチョビがまばたきする、ツインテールが揺れる。

 アンチョビは美人だ、間違いない。声だってよく通るし、性格だってアンツィオらしく明快で、かつ思慮深い。しかも、趣味繋がりで気が合っているとまできた。

 その上、アンチョビは「他では話せない」ことをポモドーロに漏らしてくれる。それも、己が弱さを――高校二年生ナンパ未体験野郎からすれば、それはあまりにも刺激的な特例だった。

 そんな特例を、毎日のように受けていれば。特例ならではの、アンチョビの様々な表情を目の当たりにしていれば、

 ――そんなの、

 

「あの……えっと! こ、今度の週末、空いてます?」

「え? ……空いてるかな?」

「――じゃあ」

 

 そんなの、

 

「今度、街に行って、一緒に恋愛小説のお買い物でもしないっすか?」

 

 そんなの、男なら惚れるに決まっていた。

 アンチョビを守りたくなるに、決まっていた。

 ポモドーロの、なけなしの知力を集めた結果がこれだった。

 

 アンチョビが固まる、人工林が風に揺れる。あまりにも静かすぎて、空気の音まで聞こえてきた。

 

「……本格的な気分転換、したほうがいいんじゃないかなーって。それにほら、無関係なことをしていると、大切な何かを閃くって……ありません?」

 

 その時、アンチョビが「おお」と声を出した。

 

「なるほど、いいなソレ。そうだな、今の私にはそれがいいのかもしれない。……そうだなあ、恋愛小説といえば通販ばっかりだった」

 

 うんうんと、アンチョビが頷く。それを見て、ポモドーロはほっとして、

 間髪入れず、アンチョビがポモドーロの手を取った。

 

「いいないいな! 仲間同士で、恋愛小説探しか……いいな、なんかいいな!」

 

 アンツィオ生徒は、良くも悪くもノリが良い。こうしたスキンシップは珍しくも何ともないし、初対面に対して肩を抱くこともある。

 だから、アンチョビは純粋にスキンシップを図っているのだろう。けれど、ポモドーロの頭の中は興奮一色でそれどころではなかった。

 

「そ、そっすか! 良かった、よかったー」

「ああ。そうだなー……たまには、戦車道を忘れるのも、いいな」

 

 そして、アンツィオ生徒はよく笑う。

 

「ありがとう。お前は、素晴らしい仲間だ」

 

 アンチョビも、よく笑う。

 ポモドーロは、怯んでいるんだか嬉しいんだかな調子で「いえいえ」と言うことしかできなかった。

 

 好きな人とデートが出来る――自分もようやく、アンツィオの男らしくなったのかもしれない。

 

―――

 

 休日なんて、あっという間に訪れた。

 デート前夜になって、嬉しさ半分緊張半分で「これ眠れんのかな大丈夫かな」と意識を張り切らせていたのもつかの間、気付けば夢の中でスキーをしながら当日を迎えた。

 なんでスキーしてたんだろうと思考しつつ、歯を磨き、顔を洗い、全力で私服をセレクトしつつ、朝飯をいただきますしてごちそうさまでした。後はデートの集合地点である、街中にあるトレヴィーノの泉前まで赴けば良かった。

 

 そんな普通を通り抜けて、ポモドーロは普通じゃない存在を目の当たりにした。

 真っ先に、「その人」に気づいたと思う。何故かといえば、その人がトレヴィーノの泉前一の美人だったからかもしれないし、只ならぬ魅力に惹き寄せられたからなのかも。或いは両方か。

 

 その人は、ポモドーロを目にしては、手を控えめに振った――最初は、気のせいかと思った。最初は、誰かと待ち合わせしてるのかな、と考えた。

 しかし、その人はポモドーロに近づいてきたのだ。赤いベレー帽と赤ふちの丸い眼鏡を何の違和感もなく組み合わせ、白いトップスに青のプリーツスカートを着こなしつつ、薬莢の首飾りを静かに揺らしている。髪型は、一つのおさげで見事にまとめていた――まず、ポモドーロの脳ミソは、「なんだこのモデルさんは」と思った。次に、「まさか俺じゃないよな」と、ある一種の危機感を覚えた。

 また一歩モデルさんが近づいてきて、「いやまさか」と予感して、モデルさんは鞄から本を取り出した。

 

 「30007日間」と書かれた、赤い本だった。

 恋愛小説だった。

 馬鹿でも分かるようなヒントを提示されて、ポモドーロは「あ」と口にして、ようやく現実を把握した。

 

「せ……先輩?」

 

 先輩――アンチョビは、にっかりと笑う。

 

「やっと気づいてくれたか。ふふ、どうだ?」

 

 プリーツスカートを左手でつまみ、おどけるようにウインクする。

 どうだもなにも、どうにかなりそうだった。

 

「せ、先輩……どうしたんです? イメチェン?」

 

 もうちょっと気の利いたことも言えないのかと、口にして後悔した。しかしアンチョビは、気にすることも無く、

 

「ああ。せっかくの休日だし、生まれ変わってみようかなーとか思って」

 

 着こなしてまだ慣れないのだろう。腕時計を見るように、己が腕をじろじろと眺めている。

 

「私なりのおしとやかスタイルにしてみたんだが……ど、どだ?」

「……さ、」

 

 今度こそ、気の利いたセリフを考え付く。後は勇気を振り絞るだけだ、言え。

 

「最高に似合ってます。モデルさん、みたいっす」

 

 その評価を耳にして、アンチョビの顔がみるみる赤く染まっていく。明るく笑い、喜ぶように拳を作って、

 

「そうか! いやあ良かったよかった、私服なんて二の次みたいな生活してたしなー」

「真面目っすね」

「いやー、お金の使い道というと、戦車道に食べ物に恋愛小説だったからな……久々に、服なんて買っちゃったよ」

 

 どきりとする。

 この日の為に、わざわざ買ってきてくれたという事実に。

 

「なんというか……いいな、うん。生まれ変わったみたいで、いいな」

 

 喜色満面の笑みを浮かばせながら、アンチョビがその場でくるりと回る。スカートが、嘘みたいに舞った。

 まばたきなんか、出来なかった。どんな有名人よりも、どんなモデルよりも、どんなアイドルよりも、どんな女性よりも、目の前で無邪気に笑っている(アンチョビ)しか、ポモドーロには見えない。

 

「え、ええ。俺も、そう思うっす」

 

 そして、アンチョビが不意に手を握りしめた。

 心臓が飛び出るかと思った。

 

「お前が、遊びに誘ってくれたお陰だ。ありがとう」

 

 アンチョビが、主張するように笑顔を浮かばせる。

 対してポモドーロは、表情はへらへらと、頭の中はくらくらしていた。

 嘘偽りなく、はっきりと、「あ、この人のこと好きだわ」と自覚した。

 

「あ、いえいえ。喜んでくれれば、何よりです」

「ああ。――さて、早速買い物でもするか?」

「そっすね」

 

 よし、決めた。

 今日は精一杯、アンチョビを楽しませよう。

 

 

 アンチョビが「街中なんて久々だなー」とコメントし、それを聞き逃さなかったポモドーロが「いい店、知ってますよ」と、堂々と宣言する。

 休日になると、大体は西洋風の街中へ出向いて恋愛小説を探し求めたり、少しはたいてイタ飯屋で昼食をとったりもする。後は気分転換にゲーセンとか、映画とか、パンテオンへ寄って意味もなく絶叫とか。

 建造物は数あれど、「本を買う場所」と「メシを食う場所」は把握している。なので、エスコートをする自信は一丁前にあるのだった。

 

「――でな、店員が、『お客様にぴったりですよ!』って服を薦めまくってくるんだ。何着も何着も! 怖いよそりゃ」

「先輩美人っすからね」

 

 アンチョビが「そおかあ?」と、恥ずかしげに苦笑する。しかしポモドーロは、何の遠慮も無く頷き、

 

「美人で、しかも賢い。そういうのって分かるもんすよ」

「そうかなあ……」

「そうそう。先輩はアンツィオの偉人っすから」

 

 アンチョビが、「おだてるな」と、ポモドーロの胸元を軽く叩く。ポモドーロは「あいて」と情けなく漏らした。

 

「偉人といってもな……やるべきことをやっただけだ。いや、正確に言えば、好きなことをしただけだ」

「好きなことでも、何かを成せば十分に偉いっす」

 

 好きでも嫌いでも、何らかの目的を達することは難しい。それはお気楽に呼吸しているポモドーロですら、分かり切っていることだった。

 アンチョビは、「そうか」と口元を曲げる。恥ずかしくなったのか、ずれてもいない眼鏡を中指で直した。

 

 今日は普通に晴れ、見上げれば洋風の建造物がずらりと顔見せする。全体的に赤色の屋根が目立ち、なんとなく「ここは日本なんだけど日本っぽくないんだよなあ」とポモドーロは思う。飛び交う言語、案内板に書かれた内容、店の看板は、全て日本語なのだが。

 

 私服姿のアンツィオ生徒とすれ違い、観光客が何処かを指さしていて、客引きが「おいしいパスタだよー!」と心地良く叫んでいる。車道では車とともに、タン色の豆戦車が颯爽と駆け抜けていった。少し鼻を動かせば、そこかしこから食べ物の匂いが感じ取れる。

 誰もかれもが明るい表情をしていて、しみったれた空気など微塵も感じられない。ポモドーロも、アンチョビも、お上りさん気分で街中を眺めていた。 

 

 そして、街の一角で、ある集団を目にする。

 アンツィオ高の制服を着た男女が、トングを片手にゴミ拾いに勤しんでいる。人数は六名くらいで、皆が「ボランティア部」の手腕を身に着けていた。

 キャリーケースを引きずる観光客が、一瞬だけボランティア部に注目するが――それだけだ。家族連れも、バックパッカーも、私服姿のアンツィオ生徒も、誰もボランティア部のことなど気にも留めない。

 メガネをかけたロングヘアのボランティア女子部員が、「観光客が多いのはいいんだけどねー。気ぃ遣ってほしいなー」とこぼしつつ、ゴミ袋の中へ紙コップをシュートインする――休日なのに、偉いなあと思う。

 

「あいつ……偉いなあ」

 

 ポモドーロの思考を読み取ったかのように、アンチョビがぽつりと呟いた。ポモドーロが「知り合いっすか?」と聞き、アンチョビが「ああ。戦車道履修者だ」とだけ会話して、後はそのまま本屋へ足を進めていく。

 

 

 それから数分もしないうちに、アンツィオ高校学園艦の本屋へ辿り着いた。

 全部で二階建てで、店内の壁や天井は全て白でまとめらている。床はライトグレー一色で、それ故に静寂な印象を自然と抱かせてくれるのだ。極めつけは店内に流れている聖歌で、それによって形成された「和」が、浮かれている観光客を、ノリが良いアンツィオ生徒を、何ら不自然なく物静かに仕立て上げてしまうのだった。

 ポモドーロが一番気に入っている本屋である。

 

「へえ……いいな、ここ」

「でしょう」

 

 大きすぎず、小さすぎない声を出しながら、羅列された本棚をぼうっと眺める。ビジネス書から専門書、戦車道関連の書物から戦闘機道まで、一階は「真面目な」ジャンルで統一されている。

 アンチョビが、戦車道関連の書物を手に取る。茶色い表紙が「いかにも」といった雰囲気を醸し出しており、分厚さだって並みの小説に負けてはいない。たぶん、有力な情報が徹底的に、1ページ1ページに描かれているのだろう。

 ビニールにくるまれているので、ページをめくることは叶わない。アンチョビが本をひっくり返してみると、「げ」という表情を露わにした。

 見てみる、ポモドーロも「げ」と声を漏らした。

 4500万リラ――もとい、4500円だった。

 

「高え」

「そ、そうだな」

 

 そこで、アンチョビが「あ」と、声にならない声を出した。

 

「悪い。今日は、戦車道に関わらないって決めてたのに」

「あ、いえいえ、いいっすよそんな」

 

 アンチョビが、申し訳なさそうに頭を下げる。逆に自分が悪いような気がして、ポモドーロも小さく頭を下げた。

 

「えっと……あ、二階に行きましょう。そこに、恋愛小説が置いてあるっす」

「あ、ああ、わかった」

 

 にこりと笑う、アンチョビを導くように二階へ移動する。

 ――雰囲気そのものは、それほど変わらない。ただ「文学コーナー」という案内板が、「恋愛小説コーナー」という文字が、ポモドーロを安堵させた。

 ちらりと、アンチョビを見つめる。アンチョビも心なしか柔らかく笑っていて、目がきらきらと光り出した気がした。

 

「行きましょう」

「ああ」

 

 もちろん向かうは、恋愛小説コーナーだ。先ほどまでの空気は何処へいったものやら、勇ましいノリで恋愛小説コーナーにまで進軍し、

 

「お」

 

 アンチョビとポモドーロが同時に声を出し、同時に足が止まった。

 恋愛小説コーナーの前で、「30007日間」が台の上に山積みされていたのだ。台には沢山の広告がでかでかと貼られており、「永遠の名作」とか「80年の愛」とか「映画化決定!」とか、それはもう完膚なきまでに称賛し尽くしていた。

 おまけに、映画のPVを繰り返し再生しているモニターつき。

 

「そうそう、これ気になってたんだよな」

 

 だから30007日間をチョイスしたのか。今更ながら、ポモドーロが納得する。

 30007日間は、前に随分と流行った恋愛小説だ。とある学園艦で大学生の男と、高校生の女性が運命の出会いを果たすところから始まるのだが――紆余曲折あって、無事に二人は結婚する。そこからも様々な挫折、苦悩、壁にぶち当たるのだが、愛の力と砲弾でそれをぶっ壊していくのだ。

 そうした愛の人生を、80年もの歳月を描いたのが30007日間である。勿論読了済みで、アンチョビと語り合ったこともある。

 

「どします? 映画、見るっすか」

「うーん、名シーンは……ちゃんと再現されているみたいだな。どうしよう」

 

 特設モニターの中で、男が女性に赤いバラを手渡している。込み入った事情があって、65日間ほど出会えなかったのだが、このシーンで全て報われた。

 

「……うっ」

 

 突如として、アンチョビが目頭を押さえる。どうしたのかと首を伸ばしたが、

 

「いいなあ……このシーン、ちゃんとしてるじゃないか……」

 

 泣いていた。

 一瞬にして、アンチョビが陥落した。

 

「……見よう、かなあ……」

「いいんじゃないすかね」

 

 背中をさすろうとした、あまつさえ肩を抱こうとした。

 だが、なけなしの理性がそれを止めてくれた。何故なら、アンチョビとは「そういう」仲ではないからだ。

 そう。アンチョビとは、趣味仲間に過ぎないのだ――

 

「あ、ああ、悪い。泣いてしまって」

「いや、いいんすよ。俺は気にしないっす」

「そうか? そうか……」

 

 アンチョビが、体全体で呼吸する。そして、

 

「いい奴だな、お前」

 

 きっと、アンチョビは本能のままに笑いかけてくれたのだと思う。

 はじめての私服を身にまといながら、眼鏡をかけながら、首飾りを揺らしながら、アンチョビはポモドーロに微笑んでくれた。

 心臓がやかましくなる、激痛が走る。理性も本能も自分そのものも、「この人が好きだ」と叫んでいる。

 

 アンチョビと愛の人生を送りたい、80年もの歳月を体感したい。アンチョビの涙を、自分がぬぐってあげたい。

 生きてきて十七年。ポモドーロは明確な夢を、目標を、愛する人を見つけた。

 ――決めた。

 俺は、この人に告白しよう。

 

 帰り際に、告白してみよう。

 

―――

 

「しっかし」

 

 本屋でいくつかの恋愛小説をセレクトして、映画に関しては「見るか」で決定。その後はおすすめのイタ飯屋でピザを食らい、パンテオンへ立ち寄っては絶叫を「見物」した。ここも、観光アトラクションの一つである。

 これが意外にもウケが良く、腕を組んだアンチョビが「わかるぞ」とか「うむ」とか「考えるのも楽じゃないよな」とか「私も叫ぶか!」とか、それはもう楽しそうに頷いていた。ちなみにアンチョビは、「うちは強いんだぁぁぁぁぁッ!!」と、高らかに吠えていた。

 ポモドーロはといえば――特にこれといって不満なんて無かったので、「うああああああッ!」と叫んだ。

 

 そんな風にアンツィオ日和を堪能し、世もすっかり夕暮れに包まれた。何の悔いも無く、帰路につきながら、アンチョビがこう一言漏らし、

 

「これだけ観光客が多いのに、なんでウチは貧乏なんだかな……」

「そうっすねえ」

 

 両肩で呼吸する。今日一日は色々見て回ったが、観光客がいない場所なんて無かった気がする。

 どこもかしこも活気に溢れていて、金回りも良さそうで、その裏では街中の清掃人がいて――

 

「『アンツィオ』だからじゃないっすか?」

 

 アンチョビが、「ああ」と、納得したように頷き、

 

「『アンツィオ』だからな」

 

 アンツィオだからである。

 アンツィオ高校学園艦は、「ローマよりもローマ」と呼ばれるくらいの観光名所だ。メシも美味ければ人当たりも良い、デザインセンスも完備と、観光客ウケする要素は世界レベルといっても良い。

 生徒からは「ああ、あったね」と評される場所も、はるばる遠い地からやってきた他人からすれば「これが……!」となるのである。そんな個所があちらこちらに点在するものだから、時間はかかるし金だって落ちる。更には「歩いて腹減ったし」と、アンツィオ料理をたっぷり堪能するのだ。

 クラスメート情報によると、アンツィオ高校学園艦は「独身で大食らいのトラベラ―じゃないと制覇できない」とか言われているらしい。

 

 観光名所とグルメのお陰で資金は溜まりに溜まるのだが、何の偶然かここはアンツィオ高校である。程度の差はあれど、生徒全員がノリで生きることを肯定していて、みんなでノリノリになれば人生が楽しくなることもよく知っている。

 そうした願望を実現しやすいのが、「宴会」というツールだ。みんな騒ぎたい年頃であるから、動機は日常から多少外れた程度のもので良い。例えば「期末テストが終了したから」でも良いし、「寄港した! 本土の空気もいいもんだな!」でも構わないし、「アンツィオ女子高三年のロゼッタさんが退院したから」なら、なおの事大歓迎される。

 こうして宴会が開催され、何やかんやで活動費が消えていくのがいつもの流れだ。

 

「……先生がたは、対処法とか……そういうの、分かってますよね?」

「分かってるはずなんだけどな、なんだけどなー」

「――アンツィオですしね」

「――アンツィオだからな」

 

 普通の宴会を行う分には「生徒の規模」で済むのだが、アンツィオ高校学園艦は子供も大人も教師も校長ももれなくアンツィオ気質持ちだ。なので「美術部がコンクールで金賞をとった」とか、「アンツィオのOGが歌手デビューした」とか、そうした「立派な」動機が絡むと、大人にだってスイッチが入る。

 最初は、宴会の準備をする生徒に向かって「無駄遣いはするなよ」と教師らしい指摘を行う。だが内心盛り上がっているのは教師も同じで、「俺も企画に参加させてくれ!」の一言と共に、アンツィオマンと化す。

 大人の熱気は空気感染するらしく、校長までもが「わしも参加するしかねえッ!」と決意表明する。こうなれば怖いものなど何も無く、ノリと勢いで学園艦全体を宴会の会場にしてしまうのが恒例の流れだった。

 収入と消費量が奇跡的に同じくらいなのも、ノリの賜物なのかもしれない。

 

 ……一応、「反省会」は開かれるのだが、これに懲りたことはない。なぜかといえば、「アンツィオだから」だ。

 

「まあ、船が沈みでもしない限りは、これはこれで良いのかも……」

「そうかもしれないっすね」

 

 あまり物を考えないままで、ポモドーロが同意する。

 アンチョビは買い物袋を片手に、学園艦の空を、海の空をじいっと見つめた。

 

「――今日は、本当に楽しかった」

 

 感慨深そうに、目を細める。

 それを見て、心の底から「よかった」と思考する。

 

「気分転換は?」

「できた」

「そっすか……」

 

 安心する。少なくとも、今日のデートは「余計な事」ではなかったらしい。

 

「あの本屋、いい雰囲気だったな。いつも通ってるのか?」

「ええ。好きなんすよね、あの空気」

 

 なるほどなあと、アンチョビが小さく頷き、

 

「また、寄ってみようかな」

「ええ、それが良いと思うっす」

 

 何でもなく会話が続き、何でもなく会話が途切れる。

 アンチョビの視線が、空から地上へ。同時に、眼鏡がきらりと光った気がした。

 振り返る。

 アンツィオにとって、偉大なアンチョビも愛に泣くのだと。アンツィオ戦車道を立て直した総統も、叫びたい時はあるのだと。

 こうして見て――アンチョビと、目が合った。

 安斎千代美もまた、普通の乙女なのだと実感する。

 

「……あの」

 

 言え、あの美術館を通り過ぎるまでに言え。勝手にラインを敷いてしまったが、そうでもしないと本心なんて、とてもでないが叫べなかった。

 アンチョビは、微笑を浮かばせたままでポモドーロの言葉を待っている。大丈夫だいける、一番言いたいことを口にするだけだ。

 せーの、

 

「あれ」

 

 声がした。男のような、女性のような、中性的な声色が耳に入った。

 スキだらけの意識があっという間に持っていかれ、ポモドーロがあたふたと視線をさ迷わせる。アンチョビも同じような心境らしく、「え? え?」と狼狽していた。

 

「もしかして……アンチョビ姐さんっすか?」

 

 アンチョビ。

 その名前が頭の中に入り込んだ瞬間、ポモドーロの口や手、両足などは停止せざるを得なかった。

 気付く。美術館の入り口方面から、二人組の女性が手を振っているのを。

 

「お……ペパロニか? ……よく分かったな」

「え、すぐに分かったっすよ。な、カルパッチョ」

「いえ、私は分からなかったなぁ」

 

 アンチョビが、ペパロニに聞こえない程度の声で「凄いなこいつ」と口にする。

 

「……で、お前達は、なんでこんなところに」

「え? 休日ってことで、遊んでただけっす」

 

 ペパロニという名前を聞いた瞬間、小さな「あ」が漏れた。

 アンチョビの副官であり、アンチョビの友人でもある存在。そうだその人だ――ペパロニの隣で、にこやかに笑う女性と目が合う。名前を思い出そうとして、少しだけ考えて、「カルパッチョ」という答えに辿りつく。

 

「今、ペパロニと美術館で絵を見ていたんですよ」

「え、ええ~? こいつが、絵ぇ?」

 

 アンチョビの声に、疑心が孕む。対してペパロニは、不機嫌そうに唇を尖らせ、

 

「私だって、絵には興味があるっす。むしろ、結構好きだったり」

「ホントか?」

「ホントホント」

 

 アンチョビが、心底びっくりした顔で「へー……」と唸る。

 そこで会話が止まったからか、真顔のペパロニがポモドーロへ目を移す。不意だったものでポモドーロは何も出来ず、ペパロニの視線は再びアンチョビに戻り、

 

「え、え? こ、これって……」

「え、何」

「これって、」

 

 ペパロニの人差し指が、アンチョビとポモドーロをひとまとめにして突き立てる。

 

「デートっすか!?」

 

 間、

 

「あ、あー、そういうことに……なるの、かな?」

 

 アンチョビの、困ったような回答を耳にして、ペパロニは、

 

「もしかして、付き合ってるっすか!?」

 

 遂に、言った。

 とんでもない質問、というわけではない。むしろ、思春期的にはまるで正しい問いだ。

 立場を入れ替えたとしても、自分だって同じような質問をすると思う。

 

「どうなんすか? そこの兄さん!」

「あ、えーと」

 

 正直に言うなら、「違う」。アンチョビとは趣味仲間なだけで、そういう関係ではない。

 なのに、ポモドーロは否定したくなかった。かといって、肯定も出来なかった。「アンチョビは俺の運命の人っす」なんて言える程、立派な男でもなかったから。

 なのに、

 期待するように、アンチョビの顔を覗う。その横顔は、

 

 実に、困ったように表情を曇らせていて、

 

「おい、ペパロニ」

「あ、はい?」

 

 しょうがないなあとばかりに、アンチョビがため息をこぼす。

 

「あんまり、こいつを困らせるようなことを言うな」

 

 ペパロニが「え?」と首をかしげる。

 

「こいつは、ポモドーロっていうんだが、私の趣味仲間でな……それの関係で、街中へ遊びに行ってたんだよ」

「あ、そうなんすか?」

 

 黙ってアンチョビがうなずき、

 

「だから、交際してるとか、そういうのじゃない。れっきとした友人だ」

 

 だから、交際してるとか、そういうのじゃない。れっきとした友人だと、アンチョビは言った。

 ――全くもってその通りだった。何の間違いも口にしてはいなかった。

 

「ああ、友人! へえ、男の友人っすか? 珍しいっすねー」

「そうだな、私もそう思う。いい奴だぞ」

「へー! あ、私はペパロニって名前をもらってるっす」

「あ、どもども。アンツィオ高二年、先輩の友人をしてるっす」

 

 へらへら笑いながら、自己紹介をする。ペパロニと握手を交わしながら、友人、と言う。

 ポモドーロのアタマでも、この現実はすぐに解った。ポモドーロが抱くそれは一方的な片思いであって、手前勝手に「もしかしたら?」と盛り上がっていただけで、願望にしても「いやいやまさかそんな」程度の矮小なものでしかなくて。

 

 ポモドーロは、今更ながら現実を察する。

 相手はあのアンチョビで、アンツィオ戦車道の戦車隊隊長で、総統なのだ。対して自分は帰宅部で、真っ当に勉強嫌いで、明日のこともロクに考えていない、実に実に普通な学生でしかない。

 そんな偉人と、個人的な交流が出来るだけでも嘘に近いというのに。

 

 自嘲するフリをする。

 何を一丁前にショックを受けているのやら。何度も会ったからって、何度も趣味について語り合ったからといって、弱さを耳にしたからといって、デートしたからといって、それで「想い」を抱かれるとでも思っていたのか。

 アンチョビは一言も、「匂わせるような」ことは口にしなかった。単に自分が、好き勝手に誤解していただけだ。

 無い頭のどこかでも、そんなリアルは解り切っていたはずなのに。それなのに自分ときたら、アンチョビが恥じらいながら「つ、付き合っているだなんてそんな!」みたいなリアクションを欲していたのか。

 ……欲していた。

 

「あ、カルパッチョといいます。よろしくお願いしますね」

「あ、はい、どうもどうも」

 

 ポモドーロがへらへら笑う、カルパッチョとも握手を交わす。

 アンチョビとペパロニが「そういえば、美術館でイイ案を閃いたんすけど……」と話し合いを始めた。真剣な顔だった。

 アンチョビはこうして明日も、数日後も、その先をも考え抜いてきたというのに、自分ときたら何をしているのだろう。将来は百年後に考えれば良いのか。

 

「ほー、戦車の絵で数を誤魔化す、か。確かに、ルール的にも違反していない……」

 

 「なにもしていない」自分に対し、「なんとかしようとする」アンチョビが、男として見てくれるはずもない。

 カルパッチョと目が合う、ポモドーロがにこりと返す。カルパッチョは、無表情だった。

 

「よし、その案、乗った」

「ほんとっすか!? いやー、参謀らしいことが出来て光栄っす!」

「勉強も頑張ってくれ」

 

 ペパロニが、「えー?」と表情を歪める。

 勉強と聞いて、ポモドーロの思考がぞくりとする――自分のような勉強嫌いと、アンチョビが横で並んでみろ。そんなの、アンチョビに恥をかかせてしまう。男として、恥をかいてしまう。

 

 ペパロニに対し、心の中でお礼をする。勢いのまま告白しようものなら、心優しいアンチョビは戸惑っただろうから。あまりの釣り合わなさに、どうしようどうしようと迷っただろうから。断り方にしても、丁寧で繊細で後に引かない言葉を選んでくれただろうから。

 

「……ポモドーロさん?」

「あ、はい?」

 

 カルパッチョの目に、くぎ付けにされる。心中を読み取られているかのような錯覚。

 

「その、大丈夫ですか?」

「あ、ああ、大丈夫っすよ、カルパッチョさん」

 

 大丈夫に決まっていた。なぜなら、何もしていないのだから。

 アンチョビのことを諦めるのなら、気楽に生きて気楽に呼吸して、気楽に今日をどうにかすればそれで良い。自慢話の一つも持っていない自分は、普通の恋愛を行うのが正しいのだ――その普通すらも怪しいが。

 すっからかんな自分が、アンツィオのメインヒロインと結ばれるなんて、いくらなんでも嘘過ぎる。断言しても良い、これくらいは解る。

 

 なぜなら自分は、恋愛小説が好きだから。

 

「……ああ、すまない。戦車道の話をしてしまって」

「あ、いえ、いいんすよ。大事な話っぽかったですし」

 

 アンチョビが申し訳なさそうに、頭を下げる。ポモドーロは、首を横に振るう。

 

「お邪魔して申し訳なかったっす。それじゃあ、私らはこのへんで」

「あ、はい。お疲れ様でした、ペパロニさん」

 

 力なく手を振るい、ペパロニとカルパッチョの背を見送る。

 ――沈黙。

 

「……じゃ、私たちも帰ろうか?」

「あ、そっすね」

 

 足が勝手に動く、自分勝手な悲観がまだ渦を巻く。

 ――俺なんて、この後は公園に行って、あのベンチでめそめそ泣くのがお似合いだ。失恋ぶって自己陶酔に浸るがいい。

 それがいい、と思った。それがいいと思って、

 

「さっき話した、ペパロニとカルパッチョ――あいつらは二年なんだが、うまくメンバーをまとめてくれているよ」

「……そうなんすか?」

「ああ。私はあと少しで卒業だが、あの子らに任せればアンツィオ戦車道は安泰するんじゃないかな。いや、する」

 

 二年。

 その単語を聞いて、ポモドーロが当たり前の事実に気づく――自分はまだ、だいたい一年半くらいしか在校していないということに。

 まだ、時間が残されている、ということに。

 

「……そうっすね。俺も、そう思います」

「ああ。もし隊長になったら、応援してやってくれ」

「もちろん」

 

 そうだ。

 自分はまだ、何もしていない。何も間違えてもいない。

 時間はまだ残されている。アンチョビが卒業するその日まで、数か月もの時間が残されている――将来に悲観するのなんて、百年後に考えれば良い。

 

 空を見る。春の夕暮れが、少しばかりの暖かさが、四月の空気が、こんな自分すらも受け入れてくれた。

 深呼吸する。

 

「……どうした?」

 

 両足を動かしたまま、

 

「先輩。俺、明日から勉強するっす」

「……え?」

 

 ちらりと、アンチョビの顔を見る。

 心の底からびっくりしたように、両目を見開いていた。

 

「今日は、先輩と遊べて本当に楽しかったっす。俺も、良い気分転換になりました」

 

 アンチョビのおさげが、揺れる。

 

「さっき、ペパロニさんとカルパッチョさんに会いましたよね? その時の、真面目な話を耳にして、先輩の顔を見て……なんだろう、俺も頑張らないとって考えました」

 

 アンチョビの瞳が、きらりと輝く。

 

「まあ、ただの思い付きっすよ。でも、勉強をやるっていうのは本当です、このデートのお陰で生まれ変われました」

 

 頭を、きっぱりと下げる。

 

「今日は付き合ってくださって、本当にありがとうございました」

 

 アンチョビの無言。

 ――そうして、数歩歩いたところで、

 

「そうか」

 

 そして、アンチョビのいつもの微笑。

 

「それは、よかった。役に立てたようで、何よりだ」

 

 この顔を見て、決めた。

 今日から何かをしようと、気楽に真面目に色濃く生き抜いてやると。アンチョビの隣に立つに、相応しい男になると。

 今度こそ、自信満々に告白してやろうと、いま決めた。

 

「はい――先輩も戦車道、頑張ってください。応援します」

「ありがとう」

「いい恋愛小説も探しておきます。ああ、気分転換がしたくなったら、いつでもお相手するっす」

「そうか――」

 

 そうして、アンチョビがポモドーロの手をとった。

 少しだけ驚いた。

 

「ありがとう。お前は、素晴らしい仲間だ」

「いえいえ」

 

 へらへら笑わなかったと思う。まだまだだけど、力強く笑い返せたと思う。

 

―――

 

 そうして、森林公園前でアンチョビと別れた。互いに手を振って、ばいばいと告げて。

 ――さて。

 

 買い物袋から、恋愛小説を引っ張り出す。

 これまでたくさんの恋愛を読んできたが、どの男達も「何か」を秘めていた。だから、恋を成せた。

 その何かとは、献身力だったり、誠実さだったり、時には手芸であったりした。相手が眩しい存在であろうとも、そこに追いつくまで努力した奴だっていた。

 

 そして、どの恋愛にも決定打があった。これも断言できる――自分に対しての、自信だ。

 自信のない男に、女性が惹かれるはずがない。自信があるからこそ、男達は一世一代の告白に全てを捧げられるのだ。

 今の自分は、気楽なだけで自信がまるで無い。これといった自身も存在しない――これでは、輝ける総統に特別視されるはずもない。

 

 見上げる。己が頬を右手で叩くが、勢い余って強くぶってしまった。情けない声で「いって……」と漏らしてしまう。

 まあいい、これでいい。今一度決意する。

 今日から自信を得よう。それをものにして、一人前の男になろう。

 自分は、総統にふさわしい男になる。自信をつけて、堂々と告白してみせる。

 ――俺も、恋愛小説の主人公になってみせる。

 

 これからやるべきことは、まずは勉強だ。勉強して、実に分かりやすい成果――期末テストで、良い点を取ってみせる。

 知力はこれで証明する。

 

 次は、精神面の向上だ。食って騒いで寝るのも学生の本分だが、アンチョビに恋した以上、それは許されない。

 授業は真面目に受けるとして、後は――「あ」と間抜けな声が出る、当たり前の発想が思い浮かぶ。

 

「部活があるじゃん」

 

 そう、部活動だ。部活動もまた学生の本分であって、規律とか体力とか自分の存在価値とかを高めてくれることは、ポモドーロも薄々ながら知っている。どうしたって部活特有のアレコレはあるだろうから、青春の良い味付けにもなるはずだ。

 

 部活の本領が発揮されるのは、主に放課後だ。だから、日によってはアンチョビと会えなくなるだろうが――このままでいてもなし崩しに時を過ごし、何も言えないままで先輩卒業おめでとうございます縁があったらまた何処かで――

 寒気がする。絶対に何処かへ入部して、男にならなければ。

 どこへ入部したものかと、うんうん唸っていると、

 

 風に煽られ、ころころと転がっていく空き缶が、ポモドーロの目の前を横切っていった。

 

「んだよ、ポイ捨てかよ」

 

 何となく――放っておけなくて、空き缶を拾い上げる。無糖のコーヒーの空き缶だった。

 誰だよ、捨てた奴は。アンツィオ高校学園艦を汚すなよ、

 

 観光客が多いのはいいんだけどねー。気ぃ遣ってほしいなー

 

 ――決めた。

 

 

 街並みの熱気からは既に程遠く、森林公園付近には何の人気も無い。いつも目にする住宅地で、いつも踏み入れる通学路で、ポモドーロは深呼吸する。

 これから忙しくなるだろうが、一年間ずっと遊んできたのだ。まるで丁度良いし、恋愛小説の主人公なんてものは恋に振り回されてナンボだ。

 告白は、期末テストで良い点を取るまでお預け。良い点を取るまで、自信がつかなかったら今度こそ退場だ。

 

 アンツィオ高校学園艦に、今こそ乗ろう。

 アンツィオ高校学園艦に、今こそ誓おう。

 

 アンチョビから認められたいか。

 認められたい。

 アンチョビから認められるには、何をすべきか知っているか。

 知っている。

 「何か」を持つ主人公になりたいか。

 なりたい。

 なりたいのか、なるのか。

 なる。

 

 ――最後の質問だ。お前は、安斎千代美のことが好きか。

 

「俺は、安斎千代美のことが好きだ」

 

 

 




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

あらすじにもある通り、このSSは原作キャラをマイナスに描写することを厳禁としています。
何度か推敲はしましたが、もしかしたら決定的なミスが存在するかもしれません。その時は、遠慮なくご指摘ください。

展開が展開なだけに、投稿してもの凄く緊張しています。
プロットは最後まで出来上がっているので、後は書くだけです。

お気軽にご指摘、ご感想をいただけると、本当に嬉しいです。


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38P~135P

「お前、変わったな」

 

 ノートの上で走らせていたペンを止め、実に何でもないように、何も変化していないとばかりに、やる気なく友人の顔を見る。

 腕を組みながら、呆れているのだか感心しているのだか、そんな表情が目に入る。

 

「え、そうか?」

「そうそう。休み時間だってのにお前、数式なんか解いちゃって」

「学生なら普通だろ?」

「アンツィオならそうはいかん」

 

 それもそうかと、騒がしい教室を一瞥する。先ほどまでは眠気で脱落していた奴が五名、見事なペン回しを披露していた奴が一名、教科書を盾にして教師と目を合わそうとしなかった奴が一名、

 

「しかも……何だ? 先生の問いに、見事に正解してよ」

「覚えてただけさ」

 

 真面目に勉強していた奴がほぼ数名、そのうちの一人が自分だった。

 黒板に数式を書いていくたびに、クラスメートが「マジで?」だの「すげえ」だの「お前ニセモンだろ」だのとざわめくものだから、実に恥ずかしかった。

 数学の教師も、「お前凄いな……変わったんだな」と評価してくれた。正直なところめちゃくちゃ嬉しかったが、「まだまだ」変われてはいないと思う。

 

「簡単に言うけどよ、それって勉強しなきゃ覚えられないんだろ? ハードルたっかいわー」

「やってみなよ、勉強。案外楽しいぜ?」

「また今度な」

 

 友人が、面倒くさそうに背筋を伸ばす。力の無い欠伸が漏れて、つられて口を開ける。

 友人の背後から垣間見えるのは、ババ抜きで一騎打ちをする生徒二人、流行りの歌を唄う歌好き、まだまだペンを回し続ける達人、それを見守るクラスメート。

 

「ところでポモドーロさんや」

「うん?」

「週末、ヒマか? なんか街で遊びたくなってなー」

 

 ポモドーロが、申し訳なさそうに「あー」と前置きし、

 

「悪い、部活があって」

「え、また?」

「また」

 

 再び、友人が呆れたような、感心するような「はー」の声を出して、

 

「お前、本当に変わったよな」

「変わってないよ」

「だって、いきなりボランティア部だろ? すげーよなー信じられねえわー」

 

 全ては、あの日から始まった。

 あの日以来、ポモドーロは「変わろう」と間違いなく決意した。その結果が勉強をすることであって、部活動に励むことでもあって、缶コーヒーから「ボランティア部なんてどうよ」と言い渡されて、月曜日になってボランティア部の扉を叩いた。

 そこで応対したのが、忍者大好き忍道履修者の部長だった。「何か用?」と言われれば「ここに入部したいっす!」と答える他なく、大歓迎満々の笑みとともに部室へ引っ張り込まれた。アンツィオ恒例の流れでもある。

 

 肝心の活動内容はといえば、平日は主に屋台広場で働くことが多い。清掃から食材の運搬、「賑やかす為に」小さな演奏会を開くこともしょっちゅうあるようだ。時には校内で行動したり、観光名所の修繕の手伝いをこなしたりするのだが、ホームグラウンドといえばやはり屋台広場なのだった。

 休日になっても活動は止まらない、それどころか本領を発揮する時間帯でもある。街のゴミ拾いから献血の呼びかけ、募金活動からイベントの手伝いまで、実にボランティア部らしい活動を繰り広げる、らしい――まだまだ新人なので、未体験が多いのだ。

 いずれにせよ、「学園艦のイメージを守る」という目的は変わらない。

 

「授業ですらこんなに疲れるっていうのに、ようやるわ」

「いやいや、ボランティア部はほどほどに休んでテキパキ動ける部活動だよ。お前でも出来るって」

 

 週に二日は必ず休みで、悪天候の際は活動停止と、思った以上にハードではない。人手だってアンツィオ高校「だけ」なら不足しているが、同じくして人手不足のアンツィオ女子高等学校のボランティア部と組めば、話はまるで変わってくる。争うわけでもなく、ただアンツィオが好きだから、自然と同盟が結ばれているのだ。

 待遇だって悪くはない。「真面目」で「ボランティア部」だから、予算だって自動的に学校から降りてくる。活動内容の都合上、屋台は自主規制してはいるが。

 

 何はともあれ、その名の通り堅実な部活なので、与えられた部室も十分に広い。思い付きで歌って踊れたりもする。

 だから、

 

「入れよ、ボランティア部に。学園艦を綺麗にするのって、めっちゃ気持ち良いから」

「えー、遠慮しとくわ」

 

 「っだよー」と、再びペンを走らせる。憧れの人から――アンチョビから認めて貰う為に、自信をつける為に、ボランティア部へ入部したのは間違いない。

 そして、入部して大正解だったとポモドーロは思う。学園艦を「綺麗にしていく」というのは、実に爽快で誇らしい気持ちになれるのだった。

 

「じゃあ、」

 

 難問にぶつかり、ペンが詰まる。

 

「献血してくれ、週末はそれの手伝いでさ。ここはひとつ、俺の顔を立てるつもりで」

「あー、行けたら行ってみる。俺AB型だし」

 

 ペンの動きが、再び止まる。

 

「マジで? 絶対行けよ、AB型は常に不足気味らしいんだから」

「わったわった行く行く――っかしまー、確かにAB型って『不足してます』みたいに書かれていること多いよな。なんでだべ?」

「うーん……絶対数が少ないとか? 後はまあ、献血に興味がない」

「興味ねえ……」

 

 友人が、「あ」と声を出して、

 

「特典とかはねえの? 献血に行かなきゃソンですよーみたいなそういうの」

「ジュース飲み放題、なら」

「飲み放題ねえ」

 

 休み時間がもう少しで終わるというのに、教室全体は一向にやかましい。先ほどまで流行りの歌を唄っていた奴は、「ちょっと水飲んでくる」と教室から出ていってしまった。

 言われてみれば、自分も水を飲みたくなってきた。休み時間に見向きもせず、頭を使っていたせいかもしれない。

 少し早歩きすれば、水分補給くらいは出来るだろう。

 水分補給、

 

「なあ」

「え、何」

「お前なら、何を飲んで水分補給したい?」

「え? ミント水かエスプレッソじゃね? 食堂でも定番だし」

「それって、アンツィオ名物だよな?」

 

 そうだなと、友人が頷く。

 そんな友人と、目が合う。

 そんな友人が、「まさか」と口に出す。

 

「……観光客向けに、ウチの名産品を出すってのはどうだ?」

 

 友人は、今度こそ感心した顔になる。

 

「お、これはいいぞ、いい。エスプレッソなら用意できそうな気がする。忘れないようにメモっとこ」

 

 早撃ちせんとばかりに、ポケットから勢い良く手帳を引っこ抜く。提案ばっかり文字だらけ思い付きの羅列が刻まれた手帳が、今日も音を立てる。

 アイデアの提出先は、もちろんボランティア部の部長だ。採用率はまずまずだが、現実はそんなものだろうと自覚はしている。

 ――そんなポモドーロの姿を見て、友人は感心したような呆れたような顔つきになって、

 

「お前、変わったな」

 

 『献血の特典として、名産物であるエスプレッソを用意してみるのはどうか? 可能ならミント水も』と、ペンを走らせた後、

 

「え、そうか?」

 

―――

 

「すげえ、五百万リラだ」

 

 屋台広場にきらりと落ちていた五百万リラを拾い上げ、鑑定士のような目つきで、ポモドーロは硬貨をじいっと眺める。

 金の声を聞いて、周囲に居たボランティア部が続々集まってくる。一部の屋台主も、「おー」と声を立てていた。

 

「うわマジだ。やったじゃんポモドーロ、一晩遊んで暮らせるわよ」

「ホントな」

 

 アンツィオ女子高二年生で、戦車道履修者で、「掃除大好きだから」という動機で、一年の頃からボランティア部のスイーパーを務めているリコッタが、ポモドーロの事を気安く肘でつつく。

 ポモドーロも「いってえ」と一応訴えるのだが、それに悪感情は無い。いわゆる女友達という奴だ。

 

「で、どうするのソレ」

「警察に届けるさ」

 

 周囲が「だよねー」と言って、後はそのまま解散。部活動も、放課後も、始まったばかりなのだ。

 この時間帯になると、次から次へと屋台に火が入っていく。そうして調理が開始され、「おいしいパスタだよー!」の一声とともに観光客が集まってくるのだ。

 実にいい光景だと、ポモドーロは思う。今日は平日だが、屋台広場からすれば月曜日も日曜日も祭りの日付に過ぎない。一応は「活動費を稼ぐため」という真面目な理由もあるのだが、値段は何とたったの150~300万リラだ。

 どう考えても安いのだが、「儲ける」よりも「ウチのメシを食え」という感情が勝っている為、値上げする気はまるで無いらしい。

 良くも悪くも、アンツィオの全てがここにある。

 

「しっかし、あんたがいて助かったわ。これで丁度、偶数になるから」

「二人体制は基本だものね」

 

 リコッタが、眼鏡のブリッジを中指で整える。動くことが好きらしく、黙っていれば眼鏡を触ったり、黒のロングヘアを整えることが多い。トングだって指で回す。

 戦車道におけるポジションは装填手とのことだが、「らしいな」とポモドーロは思っている。

 

「でも、なんでこの時期にボランティア部に?」

「え? あー、それは、」

 

 変わりたかったから、自分の事を誇らしく思えるようになりたかったから。

 全ては――

 

「お、ポモドーロじゃないか」

 

 体全体がびくりと震えた。リコッタに、動揺がバレていないか心配になったが、

 

「あ、隊長。お疲れ様です」

「リコッタも、お疲れ様」

 

 どうやら杞憂に終わったらしい。胸を撫でおろしながら、何でもなかったかのように振り返る。

 ――声の主は、やはりアンチョビだった。その両隣には「どうもー」と手を振るうペパロニが、「こんにちは」と頭を下げるカルパッチョが居る。 

 

「こんにちは、先輩、ペパロニさん、カルパッチョさん」

「こんにちは。――今日も頑張ってるみたいだな、偉いぞ」

「ありがとうございます。こうなれたのも、ぜんぶ先輩のお陰です」

「そうか……」

 

 前に憩いの場へ出向いた時、ポモドーロは「ボランティア部へ、入部したっす」とアンチョビへ報告した。それを聞くや否や、アンチョビは実に嬉しそうな顔で「本当か? そうかそうか!」と声を上げてくれたものだ。

 その際に「語り合える時間が少なくなりますが……」と告げたが、アンチョビは首を横に振って、ポモドーロの門出を祝ってくれたのだった。

 ――そうして今、アンチョビは安堵したような目つきになって、

 

「いい顔になったな」

 

 そう、言ってくれた。

 その言葉を聞けただけで、ボランティア部へ入部して本当に良かったと思う。

 しかし、全ては始まったばかりだ。ここで満足して、へらへらと笑うわけにはいかない。

 

「ありがとうございます。まだまだですが、頑張るっす」

「応援してるぞ」

「はい。先輩も、戦車道を歩んでいってください」

「もちろん」

 

 流れるように、アンチョビから手を差し出される。今のポモドーロは、当然のように握り返せる。

 

「仲いいっすねー」

 

 ペパロニがにっかりと笑う、カルパッチョが微笑する。そんな二人の表情を目にして、ポモドーロのやる気が沸き立ってきた。

 握手を解き、アンチョビへ見せつけるようにトングを鳴らす――これから戦いが起こることを察したのだろう、アンチョビが「頑張れよ!」と笑顔で見送ってくれた。

 

「では、これより清掃に入ります。総統!」

 

 ポモドーロとリコッタが、アンチョビ一同に敬礼する。アンチョビ一同もまた、敬礼で応えてくれた。

 アンチョビへ背を向ける、リコッタのロングヘアが翻る。

 もう振り向かない。戦地へ赴く以上、任務を果たさない限りは顔も見せられぬのだから。

 リコッタの顔を見る、リコッタもポモドーロを覗う。性別の差はあれど、志は全く同じだ。だから通じ合うように、にやりと笑い――

 

「で、隊長とはどうやって知り合ったの」

「……財布を落とした時に、一緒になって探してくれたの」

「へー」

 

―――

 

 ここ最近になって、ポモドーロと読書会を開くことが少なくなった。

 原因は、ポモドーロがボランティア部へ所属したからだ。部活という性質上、やはりどうしても放課後という時間を食ってしまう。

 

 だが、アンチョビはこの状況を歓迎していた。身近な後輩が、同好の士が、プラスに歩んでいっている――更には、ポモドーロは勉学にも励むようになった。

 ここで読書をしている際、ふと「すみません。ここ、分からなかったんですが」とノートを見せてくれることがある。ページには赤ペンによるチェックがよく目立ち、何度も消したであろう消しゴムの跡が垣間見える。ポモドーロはよく「すみません、汚いページで」と申し訳なさそうに言うが、アンチョビが「よく勉強している証拠だ」と言い返すのも恒例だ。

 そうしてページを眺めていると、時々「あとで教えてもらう」という文字を目にすることがある。忘れないように、矢印までつけて。

 見かけるたびに、アンチョビはくすりとした気分になる。ちゃんと、信頼されているらしい。

 

 憩いの場のベンチに座りながら、隣を見る。

 そこにいたはずの男は、今頃は屋台広場で食材を運搬している。ペパロニ曰く、「いつも助かってるっす」とのことだ。カルパッチョも「いい人ですね」とコメントしていた。

 呼吸する。

 恋愛小説のページを閉じて、携帯に火をつける。ブックマークから「アンツィオ高ボランティア部公式ページ」を開き、活動内容に目を通す。

 

『今週の土曜は、街の清掃キャンペーンを行います』

 

 たぶん、ポモドーロは街へ向かうのだろう。 戦車の洗車が大好きなリコッタも、箒を片手に喜んで突撃するに違いない。

 貴重な休みを割いて、ここまで活動する理由は――1つしかない。

 全ては、この学園艦を綺麗にするために。

 全ては、この学園艦を守り通すために。

 

 こうなれたのも、ぜんぶ先輩のお陰です。

 

 安堵するように、ため息をつく。

 ポモドーロがここに来たら、また「最近、どうだ?」と聞いてやろう。そう質問するたびに、ポモドーロは嬉しそうに近況を報告してくれるのだ。

 それが、今の自分にとっての楽しみでもある。

 

 見上げる。

 春風がゆっくりと吹き、人工林が音を立てる。空は放課後の夕暮れ模様で、どこか遠くからヘリのローター音が響いてきた。

 すっかり遅くなった。良い子はそろそろ帰る時間だが――

 

 もう少しだけ、ここで読んでいこう。

 

―――

 

「しかしよー」

 

 部活の空気にも少し慣れてきた頃、ポモドーロが屋台広場の地面に張り付いたガムめがけ、冷却スプレーを浴びせる。リコッタも、気安い調子で「んー?」と返事をした。

 

「改めて思ったけど、ほんとアンツィオって全校生徒少な目なのね」

「どしたの急に」

「いやさ、日曜でさ? 街へお掃除しに行ったじゃない。けれど広さと人数が間に合っていないっていうか」

 

 リコッタが、納得したように「あー」と声を出す。

 先週末は街の清掃キャンペーンへ参戦したのだが、意外というか、予想通りというか、当たり前というか、路上にはよくゴミが目立っていた。

 それはチラシから包み紙、ガムのすり潰しからお財布まで。学園艦と同時に観光地でもあるから、「色々な」客が来ることは理解してはいる。しているのだが、

 

「屋台広場はともかく、街中は追いつかないねー。学園艦だからなんとかなると思ったけど」

「まーねえ」

 

 ポモドーロが、固まったガムめがけヘラで剥ぎ取る――が、上手くいかない。「あれー?」と苦戦していると、リコッタが「貸して」と手を伸ばす。

 

「まあ、ゴミはどうしても出るとして……やっぱり、部員の数か」

「ウチもカツカツだからね」

 

 ヘラを受け取ったリコッタが、難なくガムをはぎ取る。そのままゴミ袋へ直行。

 流石だと、ポモドーロは思う。ヘラを渡される。

 

「……生徒数が増えれば、ボランティア部も何とかなると思うんだけれど」

 

 リコッタが「まーねえ」と、トングで食べカスを回収する。

 

「こんな楽しい学校なのに、どうして増えないんだろうな」

「んー。観光地としてはそれなりに有名なはずなんだけど」

「……まあ、校風までわざわざ知ろうとする人は少ないか。黒森峰とか、聖グロとかと違って、強豪っぽさはないし」

「確かにね。けど、」

 

 けれど、リコッタは「いい場所だけどね」と、口元を曲げる。

 ポモドーロも「いい場所だよな」と、口にする。

 

 かく言うポモドーロも、入学したての頃は「大丈夫かな……」と思考する、純朴な男だったものだ。人付き合いはそれほど得意でもなかったし、かといって特別頭が良いわけでもない――だから、友達が出来るかどうか、不安だった。「だった」。

 しかし、アンツィオの空気というものは情け容赦がない。まずは不安げな生徒に対し、先輩がたが「俺さ、屋台やってんだけどさ、よかったら食ってけよ!」と声をかけてくる。そうして「はあ? 屋台?」と疑問を抱き、屋台広場の雰囲気に「何これ」となってからがワンステップ。

 少しでも歩けば、声をかけてきた先輩から、そうじゃない先輩から、更には女子からも「食ってけ!」と声をかけられる。そうして値札を見てみて、「安いな、食ってみるか」と決めてからがツーステップ。

 

 後はアンツィオへ飲まれたも同然で、先輩がたから「入学したてってそうだよなー。俺なんかお前よりシケてたぜ」とかフォローを入れられたり、「今年の一年はレベルが高いな。俺とデートしない?」と新入生の女子をナンパしたり、「そこのイケメンも食ってけよ! なな?」と手を振ったりして、いつの間にかだべり場が構成される。

 話題に迷ったり戸惑ったりしても、先輩がすぐに「この前さー」で場を明るくしてくれるので、「損」は決して感じられない。話が途切れないお陰で、同級生の間で「分かる」とか「俺も実は」とか「アンツィオのイメージって……」といった、自発的な話題も生じる――こうして、人の縁が出来ていく。

 良くも悪くも、「祭り」というものは感情を解放する。しかも年がら年中開催されているものだから、いかな性格であろうと、二年も経過すれば「祭り向けの人格」へ変化するのだ――孤独を嫌い、人を求め、人を愛する、そんな人間になっていく。

 

 だから、アンツィオに「孤独な人」はいない。居たとしても、いつの間にか「どうした? これ食って元気出せ」と声をかけられるのがオチだ。美味いメシとは、人を元気にする力がある。

 

 これは、アンツィオでしかありえない流れだとポモドーロは思っている。

 だからこそ、アンツィオは「強い」と考えている。

 

「んー、いい場所なんだけどなあ」

「なんだけどねえ……」

 

 結論の無い物思いにふけっている中、「お、食ってるな」とアンチョビから声をかけられる。リコッタが「こんにちは、隊長」と頭を下げた。

 今日も三人で行動しているようで、ペパロニが「こんちはー」と挨拶、カルパッチョが「どうも」と一礼する。

 

「こんにちは。今日もお疲れ様です」

「ありがとう。いやしかし、今日もここは大騒ぎだな。さっき観光客と屋台主が抱き合ってたぞ」

「へー」

 

 大して驚きもしない、「祭り」ではしょっちゅうあることだからだ。この前は、屋台主と観光客のおっさんが「大盛りの限度ってなんだ?」と議論を戦わせていたこともある。

 異論が重なった末、どうしても結論が出せなかったが、屋台主と観光客は「また話そうぜ!」と手をがっちり握り合っていた。

 そういう世界なので、抱き合おうがナンパしようが一緒になってメシを炊こうが、ケンカにならない限りは事件でも何でもない。

 

「……やっぱり、いい場所なんだけど、なあ」

「? どした? 何の話だ?」

「いえ、ここって良い場所なのに、どうして入学希望者が増えないのかなーと。入学者の数だけ、部員も増えるでしょうし」

「あー」

 

 アンチョビが、実に納得するように顎に手を当てる。ペパロニとカルパッチョも、「なんでだろう」と首を傾げたままだ。

 

「まあ、学校自体は二の次で、観光名所として目立っているんでしょうけど」

「それはそれでねえ……どうすれば、学校そのものを有名に出来るのかなあ」

 

 リコッタが、不満そうに鼻息をつく。人差し指で、トングをくるくる回している。

 ポモドーロはもちろん、アンチョビもペパロニもカルパッチョも、各々の姿勢で思考しながら、

 

「宣伝漫画……とかどうっすか?」

 

 ペパロニが、真っ先に案を立てる。

 

「あー、あるよねそういうの。けど漫画かあ……難しそう」

 

 カルパッチョが、現実的な意見を出す。

 

「ネット上で宣伝、はよくある話だが」

 

 アンチョビが、両腕を組みながらで提案する。

 

「宣伝かあ……どう宣伝すればいいものやら。『明るい青春ライフを過ごしたいですか? それならココ! アンツィオ高校学園艦!』 とか?」

 

 口にしたのはリコッタだが、イマイチだと思ったのか「うーん」と唸る。

 今日も喧騒は絶えない。所狭しと屋台主が「おいしいよ!」と主張し、それにつられて観光客が名物を味わう。客の中にはアンツィオ生徒もいて、屋台主に対して気安く好き勝手にベシャリをかけるのだ。勿論、屋台主も「んだとこのー、食え」と言い返す。

 こんな空間に対し、どう言葉で表現すれば良いのだろう。このノリは学校の中でもてんで変わらないのだが、文章で「明快」とか「ノリが良い」とか「最高の世界」と描写しても、伝わりにくい気がする。アンツィオ高校とは全体的に「動」の世界だから、文字だけでは限界があるような――

 

「……撮影……」

 

 ふと、脳ミソにこびりついたワードが口に出た。

 誰も関心なんて――いた、アンチョビだ。目を向けている。

 

「撮影して、編集して……動、画に……」

 

 その時、アンチョビの目がロボットのように光ったと思う。

 表情そのものは無に近いが、実に実に何かを言いたそうな気配をまるで隠しきれていない。

 

「なあ」

「はい?」

 

 まず、リコッタがアンチョビを注目した。

 

「ここってさ」

 

 次に、カルパッチョがアンチョビの目を見た。

 

「PVみたいなの、あったっけ?」

 

 最後に、ペパロニがアンチョビを横目で眺めた。

 ポモドーロが、ポケットから手帳をゆっくり引き抜く。

 

―――

 

「いやー! ヒドいッ! こんなヒドいPVは初めて見たッ!」

 

 アンチョビが何度も褒め言葉を口にしながら、携帯で「アンツィオ高校PV」を初めてじっくり眺めている。普段は静かな憩いの場だからか、アンチョビの笑い声がよくよく響く。

 ヒドいと言われて、ポモドーロは満足げに口元を曲げる。その感想は、同級生から後輩先輩、教師から両親まで、何度も聞かされたものだ。

 

「いやー、PVとしてよくできてるじゃないか。文字の編集も完璧だし」

 

 あの日、アンチョビの「PVみたいなの、あったっけ?」発言から数分後、ポモドーロは部長に対し「PV撮りません?」と提案した。最初は「何それ」みたいな顔をされたが、流れを少し説明しただけで「面白そうだな! 流石安斎さん!」と手を叩いて承諾された。

 それは女子高側も同じだったようで、リコッタは「ビデオカメラなんて握るとは思わなかった」とコメントしていた。

 

「俺らは真面目に撮ってたんすよ。けれどアンツィオ高の連中ったら、いちいち決めポーズだのクサい台詞だの何だの決めてくれちゃって、ぜんぜん不自然なPVが出来ちゃいました」

 

 笑いながら言う。アンチョビも「そうかそうか」と、まるで全てを察するように頷いた。

 PVを撮影する前に、艦内放送で『これから学校のPVを撮影します。顔を映されたくない場合は、ボランティア部員に報告してください』と真面目に段取りは組んでいたのだ――が、明快でノリが良くて楽しく生き抜こうとするアンツィオからすれば、「撮影」なんてものは日常から抜け出すチャンスタイムでしかない。

 そんな世界なので、カメラが回るたびにピースサインは当たり前。決めポーズに決め台詞に決め一芸に、カメラへ接近しては「彼女募集中」と、カッコつけた顔とカッコつけた声で自己主張する奴もいた。

 カンペには、「普通のままで構いません」と書かれてあったにも関わらず――今思うと、この文章は大失敗にして大成功だったと思う。

 

「いやー、生徒のノリは知っていたが……やっぱり先生もこんな感じか! おお、先生ハーモニカうまいなおい」

 

 職員室にもお邪魔したのだが、教師が「臨戦態勢」に入った瞬間、全てを察した。諦めた。

 数学教師の冴島先生(既婚)は文具でジャグリングをかますし、英語の教師であるアンドレアス先生に至っては、趣味のダンスをここぞとばかりに披露した。国語担当の池田先生はハーモニカ、体育教師の泉先生は「運命の人、募集中」なんて本気で口にする。みんな恥ずかしげもなくカメラ目線なあたり、教師もアンツィオの空気からは逃れられぬものらしい。

 

 既にヘロヘロだったが、若さ抜群の履修者に至ってはもうダメだった。まずは剣術道を撮影したのだが、どいつもこいつもアニメみたいな動きで戦いだすし、大袈裟に吹っ飛んでみせたりもした。一応「普通にやってくれよー」と懇願したのだが、誰もが半笑いで「え、普通じゃん」と返したものだ。

 

「うわ凄いなこれ、仙道なんてノリで宙に浮いてるじゃないか! これ全部仕込みなしだろ?」

「残念ながら」

 

 ポモドーロが、楽しそうな表情のままで頷く。最初は「これでいいのかな」という迷いがあったが、何だか次第に「これでいいや」という気もしてきたのだ。

 何せ、映し出されるもの全てに「嘘」が無い。迷える生徒も、いい歳こいた教師も、みんな等しくアンツィオの人間であり、誰もがアンツィオの素を体現しているに過ぎない。普段はマトモに授業だって行うし、問題を当てて生徒を試すこともある。このままいけば、予定通りに期末テストを配られるだろう。

 だが、非日常的な要素が少しでも差し込まれれば、ここぞとばかりに祭りが開催される。それは校内でも例外ではない。

 

「お、これ棒術道か――え、何でこいつら二刀流になるんだよ、普通にしろよ」

 

 アンチョビが指をさして笑う、対峙した履修者二名が二刀流をローターのように回す。周囲からは「勝てよー! お前クラス代表だろーッ!」とか「お前が勝ったらあの子に告白する!」とか「かっけー! 抱いてー!」とか散々に煽られ、履修者も「実は俺、戦車道履修者の(修正音)さんのことが好きだったんだ!」と叫んで、ライバルも「え? マジで!? 許されねえわお前!」と絶叫し返し、実に非効率な動きでチャンチャンバラバラを開始する。

 

 アンチョビは「いいなあ……」と羨望していたし、ギャラリーの一人が「俺、実は(修正音)さんのことが好きだったんだ!」と叫んで、他クラスのギャラリーが「あ? 聞き捨てならねえな。勝負しろよ!」と棒を持って、ここぞとばかりに「僕も実はさぁ」と三人目が現れた。

 

 キリがないので適当に切り上げたが、何処の授業もタダでは帰してはくれなかった。アンチョビは「あーヒドい、男子校って面白いなー」と感想を述べ、

 

「お、次は女子高方面か」

 

 アンツィオ女子高等学校とアンツィオ高校の違いといえば、名前と性別くらいなもので、撮影のノリはほぼ同じだった。

 生徒一同も「彼氏募集中!」とか言い出すし、一分間だけで絵を描いてもみせた。事前に「顔を映したくない人は連絡をください、修正します」と告げたものの、誰一人として名乗り出なかったことはここに書いておく。

 

「ペパロニ! 何やってるんだ!」

 

 ペパロニが机の上で逆立ちし、カルパッチョが「すごーい!」と拍手する。クラス一同も「よっしゃー! いいぞー!」と無責任に称賛し、ノったペパロニは遂に片手逆立ちへ移行した。

 アンチョビは「うわわ……ケガしたらどうするんだ」と焦るが、目は「すごいすごい」と輝いている、片時も離さない。

 クラスメート一同に見守られる中、ペパロニが宙返りを決めて見事に着地する。新体操のように両手を広げ、ペパロニが「どうよ?」な顔を披露した瞬間、クラスメートの一人が「きゃー! 抱いてー!」と黄色い声を上げ、一人がペパロニの頭をばしばし叩き、一人がペパロニの肩を抱いて、カルパッチョはカメラへ頭を下げた。

 

「はー……あいつ凄いな、こんな才能があったなんて……」

「先輩は、身体能力とかは?」

「ふつう」

 

 教師の「紹介」も終了し、次は待ちに待った授業風景である。珈琲道から演劇道、芸術道まで、アンツィオ高校学園艦ならではの授業が動画でお披露目される。真面目な時間帯ではあるものの、根っこはアンツィオなので、どの生徒も授業にかこつけてあれこれ決めようとしていた。

 そんな姿に、アンチョビはくすりと苦笑する。仕方がないなあとばかりに、目頭が穏やかになる。

 

「まったく……PVだぞ? 真面目にしろよお前ら」

「でも、これが素なんすよね」

「そう、そうなんだよなぁ。アンツィオはなあ……」

 

 三年間、アンツィオと共に生きてきたからだろう。今更どうこう言うわけではなく、まるで諦めたような、まるで楽しいような、そんな風に微笑を浮かばせている。

 

「ほんと、みんな楽しそうだな……」

 

 その言葉に対し、ポモドーロは頷く。次に映るは戦車道だが――アンチョビが、途端に無表情と化す。シークバーへ指を置き、左から右へとスワイプさせ、

 

「先輩」

 

 悪さがバレたかのように、アンチョビがびくりと体を震わせる。

 

「な、何だ?」

「アンツィオ戦車道のPV、見ないんですか?」

「あ、いやー、私はよく知っているし……な?」

 

 ポモドーロが、あくまでも優しく微笑み、

 

「先輩、受け入れましょう」

「な、何を」

 

 ポモドーロが「失礼」と前置きし、シークバーを右から左へスワイプする。

 

「サムネでしょう、あなた」

 

 アンチョビが「ぐ!」と唸り声を上げる。

 

「あなたのしぐさが、表情が、アンツィオの代表として選ばれたんすよ」

 

 サムネといえばPVの顔で、アンツィオの顔といえばアンチョビ以外に他ならない。

 アンチョビは間違いなく、この場で初めてPVを視聴した。なのに「スキップするかのように」シークバーを操作出来たのは、アンチョビがサムネイルだったからだ。

 

 PVはあくまでもこれ一本であり、前半は男子校、後半は女子高と区切られている。だからこそサムネの競争率は激しく、中には「俺がサムネになるんだ!」とばかりにポーズを決めている奴もいた。それは女子も変わらない。

 ノリと祭りと自己主張の修羅人が集うアンツィオ高校学園艦の中で、ぶっちぎって目立っていたのが、アンツィオ戦車道履修者であり、アンツィオ戦車隊隊長でもあり、ポモドーロの隣に腰かけている安斎千代美その人だった。

 

「こ……こんなの、大したポーズじゃ、」

「え、シンプルにして格好良すぎじゃないすか。素直に言ってますからね」

 

 戦車道の授業風景を撮影する際、どの戦車も過剰にカーブを決めたり、飛翔したり、激突しあったりと、持ち前の大道具を駆使する傾向があった。戦車道なのだし、これはこれで間違ってはいない。

 だが、アンチョビは違った。アンチョビが駆るセモベンテが突如として減速し、一体何だとカメラが注目してみれば――アンチョビが車内から這い出て、そのまま仁王立ちする。そうして子供がチビりそうな笑みを浮かばせながら、右腕を伸ばして、手のひらでハンドガンの形を作った。

 

『ばーん』

 

 動画の中のアンチョビが、銃声と反動をその身で再現する。同時に、セモベンテの主砲から火が噴いた。

 このワンシーンを目の当たりにした撮影班は、沈黙を破って「かっけー!」と絶叫した。このシーンを初めて見たポモドーロも、「さすが先輩……」と心から称賛したものだ。

 

「や、やめろっ、見るなっ」

「といっても、配信されてますし。ちゃんと許可はとりましたよね?」

 

 アンチョビが、「ぐぬぬ」と唸る。

 

「……陰謀だな? お前、強い権限を使って、私をサムネにっ」

「いいえ。ボランティア部の厳正なる審査と、公平な投票により、このワンショットがサムネとして選ばれました」

 

 実際、ボランティア部も「このシーンで決まりだろ」と即決していた。主砲が火を噴くという時点で迫力があったし、そもそも走行中の車体の上であるにも関わらず、怯まず不敵に笑い、指鉄砲で敵戦車を葬るその姿は――あまりにも映画的で、最高にノっていた。

 ボランティア部の男どもや女性たちは、この場面を見て「ドゥーチェ! ドゥーチェ!」と称えていたものだ。

 

「実際、ものすごい反響がありましたよ。アンツィオニュースにも取り上げられましたし、戦車道ニュースWEBも注目したっす。アクセス数も増加傾向にありますし、他県の中学校から『ノリいいですね、この学校。見学しても良いですか?』というメールも届きました」

「うああ……恥ずかしい……」

 

 PVを停止させ、額へ指先を当てる。アンチョビは、小さくか弱く「ん~~」と唸る。

 

「――本当に悔いてます? あのポーズを決めたこと」

 

 ポモドーロの質問に対し、アンチョビが両肩で呼吸する。あくまで「消せ」とは言わず、「サムネを変えろ」とも提言しないアンチョビは、

 

「……いや」

 

 くつくつと笑う。アンチョビはアンツィオで最も真面目な人間だが、同時にアンツィオ出身者でもある。

 明るくノって、祭りに参加出来ればそれでいい――アンチョビも、そこは変わらない。

 

「まあ、過ぎたことはしょうがないよな、うん」

「そうそう」

「まったく……」

 

 携帯の画面を切り、アンチョビがポモドーロへ視線を向けてくる。

 その表情は、明るい。

 

「PVの撮影といい、ゴミ拾いといい、食材の運搬といい……立派に、奉仕活動をしているな」

「PVは先輩の発案っすけどね」

「それでもだ」

「光栄っす」

 

 アンチョビが足を組み、ベンチの背もたれに体を預ける。

 

「それだけじゃない。観光名所の修繕に募金活動、献血の手伝いに水産科への助っ人とか、色々やってるみたいだな。サイトで確認した」

「見られちゃいましたか」

 

 アンチョビが「見た見た」と頷き、

 

「勉強にも励んでいるようだし、お前は本当に……その、逞しくなった」

「まだまだっすよ」

 

 しかし、ポモドーロは明るく笑ってみせる。間違いなく実践して来たから、行動を積み重ねてきたから。

 

「先輩が、勉強の大切さを教えてくれたお陰っす。だから俺は、このままじゃいけないって、危機感を抱けました」

「……そうか」

 

 アンチョビが安心したかのような、けれど少しだけ表情を陰らせて、

 

「ああでも、無理はするなよ? お前は、それだけ頑張ってきたのだし」

「いえいえ。俺、やれることを見つけられて、凄く幸せっすよ。人助けって、いいものっすね」

「そうか、そうか」

「ぜんぶ先輩のおかげです。先輩と会えて、本当に良かった」

 

 心から言う。

 アンチョビと会えたことで、ポモドーロはやるべきことを見つけられた。アンチョビと出会えたことで、ポモドーロは、

 

「ありがとう。けど、お前がそうやって行動出来たのは、お前の意思がそうさせたからだ。私はきっかけにすぎないよ」

「そんなこと」

 

 アンチョビが、首を横に振るう。

 

「ポモドーロ。お前は、とても男らしくなった」

 

 ポモドーロの心が、その一言で釘付けになる。

 アンチョビと出会って、まだ少ししか経っていないというのに、随分と長く経過した気がする。その言葉が聞けるまで、何年もかかったような錯覚を覚える。

 

「最初の頃は、少し不安に思っていたんだぞ。お前の生き方について」

 

 同意するように、ポモドーロが「ですよね」と呟く。

 あの頃は、アンチョビと出会ったばかりの時は、本当に身軽だったと思う。学生らしく何の不安も抱かず、将来なんて数世紀後の話だと考えていて、今日さえ生きていればそれでいいと受け入れていて、責任だとか義務だとかは他人任せにしていて――

 けれど、アンチョビという偉大な人に恋したからには、そのままではいられなかった。

 魅力的な女性には、逞しい男でしか釣り合わない。そんな当たり前に、今更気付いたから。

 

 自分は、一歩「目標」に近づけたと思う。

 だから、自信満々に笑えた。

 アンチョビも、笑い返してくれた。

 

「けど、今はもう大丈夫だ。保証する」

 

 ポモドーロが、頷く。

 

「意欲もある、行動力もある。いい顔になった」

 

 そしてアンチョビは、清々しい笑顔になって、上機嫌を露にして、

 

「――これでもう、私がいなくなっても大丈夫だな」

 

 ッ!

 

 間違いなく、認めてくれた。

 間違いなく、認められてしまった。

 

 ロクなことなど、考えていなかったと思う。比喩表現であると分かっているはずなのに、ポモドーロの感情が先走っていた。

 ――心の底から、アンチョビの手を掴んで、

 

「あっ」

「そんなこと、ありません」

 

 ポモドーロは、正直な気持ちで否定した。

 今の自分だからこそ、こう言えた。

 

「先輩は俺の目標で、永遠の憧れです。――先輩と比べると、俺なんてまだまだです」

 

 すがるような目つきで、今年一番の正直さを胸に秘めながら、

 

「先輩がそう認めてくれたのは、とても嬉しいです――けれど、でも、卒業するその日までは、絶対にいなくならないでください」

「――、」

 

 大真面目に口にして、本気で訴えて、決してアンチョビの目から逸らさない。

 

「先輩は俺の、」

 

 アンチョビと出会えて、ポモドーロは、

 

「……恋愛小説を読み合う、同好の士じゃないですか」

 

 初めて、恋を知れた。

 初めて、失恋の恐ろしさを知った。

 だから、立派な男になろうと決意できた。

 

 ――アンチョビがいなくなってしまっては、何の意味も無いのだ。

 そうで、ありたかった。

 

「……そう、だったな」

 

 アンチョビは、ポモドーロの言葉を受け止めてくれた。

 ――良かった。

 

「これからも沢山、色んなことを教えてください」

「……うん」

 

 アンチョビは、素直に頷いてくれた。瞳が揺れていた。

 安堵する。ポモドーロは、ため息までついてしまった。

 

「ごめん。その、とんでもないことを言ってしまって」

「いえ」

 

 ポモドーロは、穏やかに首を振れた。

 

「俺のことを信じているからこそ、ああ言ってくれたのは、分かるっす」

 

 少し、ぎこちなく口元を曲げながら、

 

「先輩。恋愛小説、読みましょう」

 

 初めて、憩いの場で風が吹いたと思う。

 葉が音を鳴らして、ほんの少しだけ暖かくなって、アンチョビがようやく微笑んで、

 

「……ああ」

 

 ようやく、世界が動き出したと思う。

 

「――あ」

 

 ようやく、アンチョビの手を握りっぱなしであることに気づく。

 先ほどまでの威勢はどこへいったのやら、ポモドーロの口から「ひゃあっ」とか情けない声が出た。

 ――大急ぎで手を離し、

 

「す、すいません、先輩。その、気安く触れて」

「あ、ああいや、アンツィオではよくあることだし? 私のためを思っての行動、だし?」

「そ、そっすね」

 

 そうして、何事もなく読書会が開かれる。

 

 

「それでは」

「またな」

 

―――

 

「あー、うまいっ!」

 

 風呂といえば人類の嗜みであり、風呂上りといえば癒しの一杯でもあって、アンチョビは小学生の頃からこの伝統を崩してはいない。冷蔵庫に何もない場合は、入浴する前にコンビニへ行って飲み物を確保する程だ。

 今日はいちご牛乳を一気飲みして、本当の意味で蘇生する。

 さて、

 いちご牛乳のパックをテーブルの上に置き、充電器から携帯を引っこ抜く。後はそのままベッドの上へ飛び込み、うつ伏せのままで携帯を操作する。

 

 検索内容といえば、恋愛小説の発売日だ。今月は有名作家の本が一冊、失恋ものが三冊、新人賞をとった恋愛小説。財布が軽くなりそうである。

 次は戦車道ニュースWEBを拝見する。最近は大洗方面の戦車道が活発になっているそうで、他人事じゃないアンチョビは「ほー」と声を上げる。どんな戦術を持ちうるのか、どんな隊員が戦車を乗り回しているのか。覚えておくことにする。

 他に目立ったニュースはといえば、未だにアンツィオ高PVが話題に取り上げられている。今となってはすっかり良い思い出だが、こっ恥ずかしいので読み飛ばすことにする。

 

 そこで、アンチョビが「あ」と声に出す。そういえば、ボランティア部は先週末に何をしていたんだっけ。

 指を迅速に動かし、ブックマークからサイトを開く。そうして画面には、「アンツィオ高ボランティア部へようこそ」の文字が表示された――が、いつもと様子が違う。トップページには、「アンツィオニュースに載りました!」の文字がでかでかと貼りつけられていた。

 リンク付きなので、早速とばかりにタップする。次に映し出されたのは、『お手柄! ボランティア部が観光客の犬を確保!』の記事。

 

 アンチョビは「ほほう」と声に出し、内容を読み込んでいく。

 アンツィオ高校学園艦には、日々たくさんの観光客が訪れる。ペット同伴も多いようで、犬連れや猫連れが多数、中には虫かご持参までいるのだそうな。

 そんな中で、観光客の愛犬が逃げ出してしまったらしい。慣れない環境というのもそうだし、おいしい匂いに引き寄せられたのかもしれない。何はともあれ、全速力で行方をくらませたのだとか。

 観光客の声を聞いて、いち早く行動したのがボランティア部だったようだ。ゴミ拾いを中断し、全員で捜索にあたったところ――数分もしないうちに、リコッタという女子生徒が、犬を抱きかかえて帰還した。

 

 観光客は「はやい! ありがとうございます!」と称賛したが、活動上、学園艦の構造はだいたい把握しているのだという。

 その為、犬のルートを絞るのは割と容易だったらしい。問題は見つけた後のことで、すり抜けられる可能性も十二分にあったのだとか――そこで、ポモドーロが口笛を吹いて犬の気を惹かせ、リコッタがそっと犬を抱きかかえたのだという。

 犬もすっかり馴染んでしまったようで、リコッタの顔を舐めまくったらしい。リコッタは「犬かおっかなー」とコメントしていたとのこと。

 

 そんなわけで、ボランティア部は「新入部員、いつでもお待ちしています!」と宣伝しつつ、公式サイトのURLをアンツィオニュースへ掲載させていた。

 

「……すごいな」

 

 にこりと、アンチョビが笑う。改めて公式サイトへ飛び、隅から隅へとサイトを確認し、

 そういえば、部員名簿を見ていなかったな。

 名簿ページをタップする。最初に目に映ったのは、男子校側の部長と女子高側の部長の写真だ。部員は合わせて十二名ほどで、分校であるにも関わらず男女共々部員が掲載されている――ポモドーロ曰く「アンツィオ女子高とは同盟を結んでいるっす」とのことだが、なるほどその通りのようだ。

 学園艦を守り抜くという志は、男女とも変わらない。ボランティア部なので争う理由なんて無いし、対立したところで何の得もない。そもそも、アンツィオとは男女が付き合ってナンボな面もある。

 

 画面をスクロールしていく。

 忍者大好き忍道履修者の男部長、料理大好き彼氏募集中の女部長の画像を見て、「ほー」と声を出す。こんな人だったのか、こんな趣味だったのか、アンチョビの知的好奇心が刺激されていく。

 部員といえば、絵描きが得意な筋肉部員、屋台制覇済みの大食い部員、パンテオン常連の呼びかけ担当、ボランティア部一番のスイーパー・リコッタと、アンチョビの微笑が止まらない。他人の自己紹介って、何でこんなに見るのが楽しいのだろう。

 

「あっ」

 

 そして、画面のスクロールが止まる。名簿の一番下に、ポモドーロの画像があったからだ。

 曰く、「読書が趣味の、期待の新人部員」とのこと。

 

 アンチョビは、ほっとするようにため息をつく。

 確かに、ポモドーロの趣味は読書だ。けれど、本当に好きなジャンルはここでは書かれてはいない。

 くすりと笑う。ポモドーロの本当の趣味を知っているのは、ポモドーロ本人と自分だけ。二人の秘密だ。

 

 ベッドの上でうつ伏せになったまま、アンチョビの両足がばたばたと上下に動く。

 

―――

 

 放課後になると、アンチョビはよく屋台広場へ足を踏み入れる。

 単純にお祭り騒ぎの空気が好きだからというのもあるし、今日は何を食おうかなこれにしようかなという楽しみもある。時には祭りに浮かれて大激論が発生したり、どっちのメシが美味いか競い合おうぜ大会が始まったりと、そうしたイベントを待ち望んでいる面もあった。

 最近は、もう一つ習慣が増えた。それは、

 

「ちょっと聞いてよポモドーロ、タレッジョが彼氏出来たーって惚気てくるのよー」

「えー? いいじゃん別に」

 

 「彼氏」という恋愛単語を耳にした瞬間、アンチョビの視線は右へ左へと移り変わる。真っ先にポンペイ巨大宮殿の柱が目に入り、あくまで自然に物陰へ、そして不自然にカバーアクションを開始する。よく聞こえるよう、首を少しだけ上に傾けた。

 顔は見えないが、声だけ聞こえれば十分だ。近くに居るのは間違いなく、ポモドーロとリコッタ。

 

「確かにタレッジョはさ、豪快で派手なところがあるからモテると思ってたけど、ほーんとにモテるとはね」

「へー、告白されたん」

「みたいよ」

 

 タレッジョと聞いて、アンチョビは「あいつか」と思い出す。

 タレッジョはセモベンテの操縦手で、その腕前はアンツィオ戦車道一と評されている。サングラスがチャームポイントで、良くも悪くも飾らない性格だ。夢は、タンクレーサーになること。

 

「いいじゃないか、祝ってやりなよ」

「祝った、祝ったけどね……毎日聞かされてりゃ、ぐへーってなるわよ」

「へー。恋バナって聞き飽きないと思うけどな」

 

 それは思う。なぜなら、ポモドーロと自分は、

 

「ホント? あんた聖人?」

「かもな」

「あ、聖人失格ー」

「知ってる。で、何? お前はモテたりしないの? モテそうなのに」

 

 リコッタが、「へー」とため息をつき、

 

「モテないんですよこれが。んー、容姿不足かなー」

「えー、美人だろお前」

「ほんとー? ありがとー」

 

 ポモドーロの言葉に対し、「私もそう思う」と小声で同意する。

 戦車道に対して一生懸命で、「あ、私も戦車の掃除手伝うよー」と気を遣えて、ボランティア部にも熱心で、眼鏡とロングヘアが魅力的で――いつか彼氏が出来るのではないかと、アンチョビは考えている。

 

「はー、彼氏ねえ……どうしたら出来るかねー」

「ナンパは?」

「逆ナン? どうしようかなあ、あんまりそういうタイプじゃないんだけれど」

「あー、俺も俺も」

 

 アンツィオは、とにもかくにも異性に対しての興味が色濃い。それを満たす為なら、ラブレターは当たり前ナンパは常套手段と聞く。

 聞く――というのは、アンチョビ自身が試したことはないからだ。ナンパ云々よりも戦車道だったし、恋愛小説で疑似的に満たされていた感はあった。

 

「へー、男なのに珍しい」

「よー言われる」

「彼女、欲しくないの?」

「彼女ぉ?」

 

 アンチョビが、全神経を集中する。

 

「欲しいよ、そりゃあ」

 

 祭りの喧騒よりも、すぐ近くの「まだ辛さが足りないの!? ゴイスー!」という叫びよりも、観光客の笑い声よりも、油が弾かれる音よりも、ポモドーロのたった一言がよく聞こえた。

 

「あ、そなの? どんな人が好み?」

「うわ、来ると思ったよその質問。答えなきゃ駄目か?」

「いいじゃない別に。恋バナの宿命みたいなものでしょ」

「まーなぁ」

 

 これほどまでに興味を抱けているのも、ポモドーロが身近な男性だからだと思う。

 これほどまでに興味を抱けているのも、ポモドーロとは趣味が合うからだと思う。

 だから、物凄く気になってしまうのだ。ポモドーロとは、もう赤の他人ではない。

 

「俺の好みといえば――」

 

 アンチョビに気づかないまま、ポモドーロは他人事のように、

 

「趣味が合う人、かなあ」

 

 口を、手で抑える。

 首を左右に振るう、体が熱くなる。いやいやまさかと思考する、そんなはずがないと推測する。

 恋愛小説の読み過ぎだと、両目を強くつむる――けれど、不快さなんて、これっぽっちもなかった。

 

「へえ、趣味が合う人、か。あんたの趣味って読書だっけ?」

「まあね」

「あー、じゃあ私じゃないか。残念」

「だな。で、お前の好みの人は?」

 

 リコッタが、「それはー」と口にし、

 

「あなた以外の人」

「やめろよな、そういう頭のいい返し方するの」

「ごめんごめん。実際は、整理整頓出来る人かな」

「ほーん、家庭的ね」

 

 これだけ聞ければ、もう十分だ。心の中で「ごめんなさい」と謝罪しつつ、アンチョビはひょっこりと祭りの中へ混じる。

 そして、

 

「よっ」

「ああ、隊長、こんにちは」

「先輩、こんにちは」

 

 何事も無かったかのように、聞かなかったかのように、アンチョビは「こんにちは」と手で挨拶する。

 今日のポモドーロとリコッタは、箒とちりとりを武器に環境問題と戦っているらしい。アンチョビは「ほー」と小さく頷いて、

 

「いつも、綺麗にしてくれてありがとう」

 

 リコッタが「いえいえ」と頭を下げ、ポモドーロは「部活ですから」とコメントする。

 リコッタは清々しく笑い、ポモドーロは上機嫌そうに表情を明るくしている。それを見たアンチョビは、

 

「少し、話をしていいかな?」

「ええ、構わないっす」

 

 今日は、口がよく回りそうだ。

 

―――

 

 放課後、アンチョビは物思いにふけりながら、その両足を淡々と動かしていた。

 

 あと数か月で、最後の大会が始まる。ほんとう、よくここまで歩んできた。

 一年の頃と比べて、皆の練度は十分に上がったと思う。最初は横転ばかりしてきたタレッジョも、今となってはアンツィオ戦車道一のドライバーだ。タンクレーサーの夢まで抱いている。

 リコッタに関して言えば、どうしても装填が追い付かない時があった。「遅いよー、リコッタ」と、同僚から何度も言われたものだ――それが今となっては、一人前の装填手として活きている。

 そして何より、自分の戦車から他人の戦車まで、進んで洗浄をこなしてくれるその姿は、間違いなくボランティア精神に溢れていた。

 

 ペパロニも、当初は「ポジティブにいけば何とかなる!」と突っ走りまくったものだ。だが、何度も作戦の重要性を問ううちに、次第に副官らしくなってきた。

 持ち前の前向きさと、明快な性格のお陰で、チームメイトからはよく信頼されている。良くも悪くも、計算的なアンチョビには無い強みだ。

 

 カルパッチョもそうだ。最初は臆病なところがあって、チャンスを逃すことが多かった。試合終了後、半ベソになっていたこともあった。

 だが、カルパッチョは「勉強」した。高い知力と冷静さで、副官らしく生まれ変わったのだ。

 

 ほんとう、みんなよく頑張ってきたと思う。後は、作戦を忘れてしまうクセが無ければ――アンチョビの両足が止まる。憩いの場のベンチが、視界に入った。

 座る。恋愛小説を鞄から取り出して、しおりを頼りにページをめくっていく。

 ――アンチョビは思考する。憩いの場と、恋愛小説という二つの要素が重なって、ポモドーロのことを思い起こす。

 

 ポモドーロは、本当に変化していったと思う。

 ノートを見るに、段々と難しい問題へ挑戦していっているらしく、自分が一緒になって悩むことも多くなった。解答出来た時は、二人で喜んだりしたものだ。

 ボランティア部にしても、ここ最近は「賑やかし」の演奏会へ参加するようになった。本人曰く、「演奏に興味が沸いた」とのことだ。

 もちろん、自分は歓迎した。後輩が、同好の士が、沢山の事柄を学んでいく、誇れるものを身に着けていく――ポモドーロは、堂々と成長していっていると思う。

 

 しおりを目にして、ページを止める。

 

 週末は、他県の中学生達がアンツィオ高校学園艦へ来校するらしい。きっかけは勿論、あのPVだ。

 正直なところ、未だに恥ずかしいとは思う。PVを見返すたびに、「なんでやっちゃったんだろうなあ」と苦笑してしまう。それも、良い思い出に成り代わったからだろう。

 ――ポモドーロ、そしてボランティア部は、その中学生達を迎え入れ、学園艦の案内を務めるようだ。どんな過程が待っているかは、正直予想がつかないが――結末は、何となく分かってしまう。なぜなら経験者だから。

 

 本を手に持ちながら、くすりと微笑む。

 アンツィオ戦車道も、アンツィオ高校学園艦も、これから変わっていくのだろう。そして、ポモドーロもきっと、

 

 ――卒業するその日までは、絶対にいなくならないでください

 

「なあ、」

 

 憩いの場には、アンチョビの隣には、誰もいない。

 ああ、

 ここにいるはずの人は、今日はアコーディオンを両手に屋台広場を賑やかしているんだっけ。

 両肩で、呼吸する。

 

 なんだか、さびしいな。

 

―――

 

 ボランティア部の戸を叩いてから、かれこれ一か月以上は過ぎたと思う。

 基本的に週二は休みで悪天候は活動停止、週末は基本的に出動だ。それでも事情さえ話せば休ませてくれるし、部長や部員からも「たまには遊べよ」と太鼓判を押されている。

 だが、今のところは無欠勤を貫いている。そもそも「学園艦を綺麗にする」というのが性に合っていたし、それは人助けにも繋がる。時にはお礼を言ったり言われたり、更には夢までも抱けていいこと尽くしだった。

 総括すると、部活動がめちゃくちゃ楽しい。

 

 勉強にしたってそうだ。勉強をこなしていけば、知力や自尊心が高まっていく、男として強くなっていくのを実感出来る。

 友人や教師からは「お前、変わったな」とよく言われるようになった。当初は「まだまだ」だと思っていたが、今となっては「そうかもね」と返事くらいは出来るだろう。

 予習に復習、宿題と、特別なことは何もしていない。ただ、楽しくてつい先走ってしまうだけだ。

 

 憩いの場が見えてくる、全身から力が抜けていく。

 なるほど、ここは確かに「憩いの場」だ。もちろん地図にも載っているはずなのに、ここへ立ち寄ってくる者はほとんどいない。アンツィオの気質とはかけ離れているからだろうか。

 それでいいと、ポモドーロは思った。そうした事情のお陰で恋愛小説を読めて、気分転換が出来て、全てのきっかけにして憧れの人と出会えて――

 

「あれ」

 

 これでも、真っ先に憩いの場へ向かったはずなのだ。週二でしか訪れられないからこそ、ポモドーロはいち早く憩いの場のベンチを確保しようとする。

 なのに、

 

「やあ、待ってたぞ。座るといい」

 

 アンチョビが、手をひらひらと揺らしながらでポモドーロを迎えていた。

 ――これまでは、自分が一番乗りだったのに。

 内心、少し驚きながらも、

 

「分かりました、先輩」

 

 こうして、読書会が開催された。

 

 ↓

 

 最初に恋愛小説の話題から始まったのだが、やり玉に挙がったのは「鉄恋短編集」という新作の恋愛小説だった。短編集の名の通り、全部で五章構成のオムニバス式となっている。

 テーマは自動車部、戦闘機道、学園艦、パーツ屋、戦車道と、どれもメタルが関わる舞台で恋愛劇が繰り広げられる。どのテーマも興味深いのだが、やはり、一番気になるのは戦車道だ。

 アンチョビも同じ意見らしく、「読み終えるまで、ネタバレは禁止しよう」と誓い合った。二人だけの秘密が増えたような気がして、少しばかり機嫌が良くなったのは内緒だ。

 

 次の話題は、ポモドーロの近況について。近況といえども、ほとんどはボランティア部に関する報告ばかりだ。

 そのボランティア部について、まずは「上手くいきました」とポモドーロが口にする。それを耳にしたアンチョビは、「ん?」と首を傾げるものの、

 ――数秒後、「あ!」と手を叩いた。他県からの中学生達が来校する件について、思い出してくれたらしい。

 

「そうか! どうだった?」

「ええ。最初は、ちょっと街並みを観光しましてね。それだけでも『すごい』とか『外国みたいだ』とか、感激していました」

「ああ、だよな。私も最初は、そんな感想を抱いていたし」

 

 アンツィオ高校学園艦とは、もとはと言えばイタリアの文化を伝える為の懸け橋だったのだ。だからどうしても異国風になるし、メシだって美味くなる。しかも日本語を通じて意思疎通を図れるものだから、中学生一同も安心して学園艦を歩めただろう。

 

「次に屋台広場へ出向いたんですが、そこで染まった生徒が多数」

「あ、やっぱりかー」

 

 アンチョビは、大して驚きもしない。屋台広場とは学園艦の顔であり、中核でもあって、「匂い」が一番色濃い場所でもある。

 しかも恐ろしいことに、アンツィオの世界は能動的だ。店主が「君らが未来のアンツィオ生徒かい? らっしゃい―――ッ!」と叫んで気を惹こうとするし、一律十万リラとか訳の分からないことを言い出すし、加熱すればするほどメシの匂いが漂っていく。

 この時点で、アンツィオに染まっていく中学生は何人も出た。中には、アドレスまで手に入れた猛者も現れた。

 

「で、校内も案内したんですがね、様々な部員が待ち構えていましたよ。『君たちが未来の新入部員だね!?』と」

「どこも必死なんだなー」

「ええ。しかも休日だっていうのに、何人かの生徒もいましたし」

「ああ」

 

 アンチョビが、「ありえるな」と笑う。

 

 アンツィオ生徒ときたら、あの手この手で入学を勧めてくるし、屋台広場で見事に染まってきた中学生一同も「俺、ここに入ります!」とやる気満々だった。

 それを聞くや否や、サッカー部だのダンス部だの登山部だのが、早速とばかりに勧誘するわチラシは渡すわスキあらば友情を結んでくるわで、もうノリにノリまくっていた。

 ポモドーロも、最初は呆れていたものだが――無理もないと思う。外部から中学生が、未来の後輩が、この学園艦へ乗り込んできたのだ。それはもう歓喜するだろうし、アンツィオ流の歓迎といったら大体こんなものだ。ある意味、必然の流れともいえる。

 

「アンツィオの野郎どもも、学生達も、あっという間に意気投合してたっすよ。抱き合ってました」

「あー、いいな、素質あるな。ぜひ、ウチに欲しい」

 

 アンチョビが、実に陽気そうに笑う。その表情を見て、ポモドーロの口元が少しばかり曲がるが、

 

「……ですけどね」

「うん?」

「いたんです。どうしても、この場に馴染めない子が」

「――ああ」

 

 珍しい話ではない。「そうした」子は、必ず居る。消極的で、表情を露わにせず、礼儀正しく受け答えするような子が。

 アンツィオ側から言葉を投げかけられても、「どうも」と苦笑するだけ。質問されても、嫌悪感を抱かせないよう模範解答するのみ。ポモドーロは、「真面目な子なんだな」と察した。

 だからこそ、放っておけなかった。ここで助けなくて、何が奉仕活動だ。

 

「だから、部長から許可をいただいて、すこしだけ二人で散歩しました」

「うん」

「話を聞くと、友達がいなくて、勉強も苦手で、ただ迷惑をかけないように生きてきたと」

「……そうか」

 

 ポモドーロは、両肩で呼吸する。

 

「だからこそ、PVをきっかけに……アンツィオへ来校して、少しでも変わろうとしていたみたいっすね」

「いい判断だな」

 

 アンチョビが、こくりと頷く。

 

「けれど、まだ早かったみたいです。まあそうですよね、そういう生徒も、時々いますもんね」

「私とかな」

 

 アンチョビが、自虐的に口元を曲げる。

 ペパロニからナポリタンを手渡されなかったら、今頃はどう生き抜いてきたのだろう。いずれはアンツィオに染まるのかもしれないが、きっとポモドーロとは――

 

「だから、少し足を止めて、」

 

 ポモドーロが今、腰かけている場所に。憩いの場のベンチに、手を置く。

 

「――この場所を、その子に教えました」

 

 アンチョビは、黙って頷いた。

 

「こういう空気とか、好きだったんでしょうね。安心したような顔になってたっす」

「……そうか」

 

 心の底から嬉しそうに、安堵したかのように、アンチョビが言葉を漏らす。

 ポモドーロは、人差し指でベンチを小突きながら、

 

「『焦らなくてもいい、変わろうとする気持ちがあれば絶対に良くなれる。俺もそうだったから』――その子には、こう伝えました」

 

 そろそろ暖かくなってきたからだろう。一匹の黒蟻が、ポモドーロの手の上を這っている。

 

「その後で、正直に告げましたよ。『実は俺も、元々は君みたいな感じだったよ』って」

 

 アンチョビが、「へえ」と声を漏らす。

 

「それを聞いて、その子は『本当なんですか?』と声に出しました。俺は言いましたよ、マジだってね」

「そう、か」

「で、その子はこう発言したんです。『先輩、こんなにも頼れる人なのに』って」

「ほう」

 

 アンチョビが、感心したように頷く。それが何となく恥ずかしくて、苦笑してしまった。

 

「包み隠さず、ちゃんと言いました。『そう。こんなに頼りになるパイセンでも、当初はビクビクしなっぱなしだったんだよ。でも、アンツィオが変えてくれたんだ』って――その後は、普通にお喋りしたっす。たぶん、少し分かり合えたんだと思います」

 

 アンチョビが、小さく頷く。微笑する。

 ポモドーロは、手の上で横断中の蟻をつまみ取り、

 

「アドレス交換もして、時々メールのやりとりをしてるっす。年の差はあれど、俺のことを友達だと思ってくれているみたいっすね」

 

 アンチョビが、「よかった」と口にする。

 ――蟻を、地面へそっと手放す。

 

「憩いの場から離れた時は、もう帰る時間でしたね。男子も女子も、土産持参で『入学させてください!』とか言ってたっす。いやーほんと、楽しかったなあ」

 

 ポモドーロが、何の意味もなく見上げる。いま目にしている赤い夕焼けは、中学生達と別れる際に見た景色と、全く同じだった。

 

「その子は、どうだった? 最後」

「ああ――ありがとうございましたって、お礼を言ってくれましたよ」

「……そうか」

 

 思い出すだけで、ポモドーロの口元が曲がる。きっと、目頭も笑っているだろう。

 以前の自分だったら、「他の人がなんとか」と言って見放していたに違いない。自分如きが他人を救うなんて、傲慢にも程があるとかなんとか言い訳して。

 

「お前」

「はい?」

 

 ポモドーロの視線が、夕日からアンチョビへ遡る。

 アンチョビが、大きく息を吐く。

 

「とても、立派な男になったな」

「――いえ、まだまだですよ。先輩と比べれば」

「そんなこと、ない」

「そうっすか? ……でも、何度も言いますけど、先輩には本当に感謝してるっす」

 

 心の底から、本気で笑えた。以前のような、笑っておけば何とかなるという、心無い笑みなどではない。

 

「あなたのお陰で、俺はこれからの道を定められました。――夢を、抱けました」

「夢?」

「あ、はい。無謀……とは思ってるんすけど」

「言ってみろ」

 

 言わない限り、ここから出さないからな。そんな風に、アンチョビから凝視される。

 対してポモドーロは、すぐに観念した。このことは、真っ先にアンチョビへ伝えようと考えていたのだ。

 

「俺、医者になろうと思うんす」

「医者……」

 

 意外そうに、けれども異論無くアンチョビは驚く。

 

「ボランティア部を続けて、色んなことを学んだっす。人助けってこんなにも気持ちが良くて、助けられるべき人も沢山いるんだなって」

 

 当てずっぽうに言ったつもりはない。献血や募金活動を行って、一丁前に「この活動は、どんな意味があるんだろう」と検索をかけたりもした。

 最初は知的好奇心から、やがては「俺も何か手伝いたい」と感情移入するに至る。こんなにも多感なのは、恋愛小説の影響もあるのだろう。

 

「大人になったら、もっと人助けをしてみたいって考えました。その結果が、医者だったんです」

 

 どんな医者になるのかも、どんな勉強をすれば良いのかも、まだ何とも分かってはいない。

 だが、「人を助けたい」という決意だけは、何が何でも変わりようがなかった。どうしようもないくらい、性に合っていたのだ。

 ――そんな、ポモドーロの一面を掘り起こしてくれたのは、間違いなく、

 

「先輩」

「う、うんっ」

「ありがとうございます」

 

 アンチョビの目が、口が丸くなる。言葉を失う。

 

「先輩のお陰で、俺は将来を決められました」

 

 医者になるなんて、とても難しいことは分かっている。

 けれど、医者になることが自分の為でもあって、アンチョビへ報いるための奉仕活動でもあった。

 だから、言う。

 

「勉強の大切さを教えてくれて、これからの道までも敷いてくださって、本当にありがとうございます。俺はこれからも、俺なりのやり方で、このアンツィオを守ります」

 

 手を差し出す。

 

「医者になるという夢を、必ず叶えます」

 

 アンチョビは、何も応えない。

 

「あなたは、俺の恩人です」

「――、」

 

 アンチョビは、何も語らない。

 アンチョビは、何も喋らない。

 ――アンチョビの手は、ポモドーロの手のひらを、握りしめていた。

 

「……ポモドーロ」

「はい」

「お前は、お前は」

「はい」

 

 アンチョビは、アンツィオらしく笑って、

 

「最高の、後輩だ」

「――光栄です」

 

 力の限り、思いのままに、手を取り合う。

 アンチョビの肌が、しっかりと伝わってくる。アンチョビの熱が、よくも通ってくる。

 呼吸する。

 この瞬間から、自分ははっきりと自信を抱いた。夢を見つけて、最高の後輩と評されて、アンチョビとこうして誓い合って、そんな自分に対して「やったな」と自賛して、間違いなくアンチョビのことが好きだと想えている。

 今日のポモドーロは、健全な男子生徒として生き抜いていた。

 

「……あ」

 

 感情に落ち着きがかかった頃、ポモドーロの目とアンチョビの目が一斉に手へ降り注いだ。

 なぜだか物凄く申し訳ない気持ちになって、ポモドーロは「どうしよう」と戸惑う。アンチョビも同じような心境らしく、「ううん……」と唸っていた。

 つばをごくりと飲む。

 ――こういう場で格好つけるのは、導くのは、男の役目だ。

 

「先輩」

「あ、はいっ」

「えっと……先輩の方は、どうです? 戦車道」

 

 総統の手なんて握っていませんでしたとばかりに、するりと手を解いていく。アンチョビが「あ」と小声を漏らすも、小さく咳をして、

 

「そ、そうだな……練度自体は悪くないと思う。大会が近いということで、浮き沈みも安定している……気がする」

「ふむふむ」

「――なんだが、せっかく立てた作戦をよく忘れてしまうんだ。ポジティブに攻めるのも、限度があるんだけどなー……」

「へえ……」

 

 案を出そうと、必死になって脳ミソを揺らす。

 無から発案するのは難しい、ならば小さなきっかけだけでも。偉人天才は、いつだってそこから閃いてきた。

 木を見る、違う。ベンチを目にする、関連性が無い。何となく手に感触を覚える、そこまで好きか黒蟻が這い上っていた。

 ああもうと、蟻をつまんで地面へ離す。三度もフリークライミングされたら嫌なので、手をポケットへ突っ込み、

 

「……あ」

「ん?」

「……先輩」

 

 たぶん、思考が感電していたからだと思う。何の表情も作れないまま、気の利いた言葉も発せないまま、ポモドーロはポケットから、それを取り出した。

 

「これ」

「これ?」

 

 提案ばっかり文字だらけ思い付きの羅列が刻まれた手帳が、ポケットから緩慢に引き抜かれた。

 

「――メモを、車内に張り付けるのって、ダメでしたっけ?」

 

 間。

 間、

 間

 

「それだッ!」

 

 

「さっきはゴメン」

「い、いえ、お役に立てて光栄っす。あ、さっきのアイデアは、先輩が考えたことにしていいっすよ」

「いやいや、それは良くない。知り合いが、考えたってことにする」

「分かったっす」

「……さて、帰ろう。この場所は、あくまで三人だけの秘密だからな」

「はい、先輩」

 

 ――あと少しで、期末テストが始まる。

 それで結果を残せたら、自分はアンチョビに告白しよう、

 違う。

 

 告白する。

 

―――

 

 雨が降っていた。今日は朝から晩まで、ずっとこのままらしい。

 

 外から校内まで、雨の音がよく響き渡ってくる。かなり降っているのだろうが、アンツィオのノリからすればどうでも良いことだ。外で遊べなければ、屋内ではしゃぎ回れば良い。

 戦車道にしても同じだ。雨天決行は当たり前だし、むしろシチュエーションの幅が広がるので経験も溜まる。アンチョビはもちろん、他の隊員も「雨か、まあいいや!」とか張り切っていた。

 そんな感じなので、雨が来ようと猛暑が訪れようとまるで関係ない。他人がそこにいれば、後は何とかなってしまう。

 ――だが、例外もある。この悪天候では、野球部が、登山部が、そしてボランティア部が、安全のために活動を停止せざるを得ない。

 

 廊下に突っ立ち、窓から外を見つめながら、アンチョビはため息をつく。

 これではボランティア部を見ることが――ポモドーロと、挨拶を交わすことが出来ない。ちょっとしたお喋りをすることも叶わない。

 

 話したいことが、沢山あるのに。

 この前の「注文票作戦」のお陰で、作戦が円滑に進み、授業に緊張感が帯びたことを話したかったのに。

 新作の恋愛小説、「鉄恋短編集」を読み終えたから、語り合いたかったのに。

 ボランティア部の近況について、話して欲しかったのに。

 他愛のない雑談でも、構わないのに。

 ため息をつく。

 こんな悪天候では、屋外にある憩いの場にだって居座れやしない。水も滴るなんとやらもあるが、風邪をひいては元も子もないのだ。

 

 なんとなく、手のひらを見つめる。

 熱く、硬く握り締められたことは何度もあった。それはライバルだったり、仲間からだったり、ペパロニなんていつもきつく握手する。そこで、カルパッチョが苦笑しながら優しく手を掴んでくれるのだ。

 だから、ポモドーロの手が特別というわけではない、ないのだ。

 

 ――けれど、

 あんなにも、わたしの目を見て、あんなにも、わたしに感謝して、あんなにも、わたしの言葉を聞いてくれて、

 わたしに深く礼を尽くして、わたしを憧れだと断言してくれて、わたしにいなくならないでと訴えてくれて、わたしの事を恩人だと伝えてくれて、夢を唱えた時の目がとても真っ直ぐで、その瞳に心を奪われて、

 

 趣味が合う人、かなあ。

 

 大きく、息を吐く。

 あんな男を見るのは、初めてだった。あんな男性と会ったのは、これが初めてだった。

 成長しているくせに、彼はいつだって「先輩のお陰っす」と告げる。きらきらとした目で、わたしのことだけを見る。

 雨の中で、彼と遮られたままで思う。

 彼とは、もっと話がしたい。彼と、趣味の話題で盛り上がりたい。これからも、わたしとは良き友達で、

 ずきりと胸が痛む。

 

 あれ、

 

「ねーさん?」

 

 その一声で、アンチョビの意識がはたき起こされる。

 

「どうしたんすか? 外に、何か?」

 

 なるだけ虚勢を張りながらで周囲を見渡し、ペパロニとカルパッチョの姿が視界に入る。脳が認識する。

 

「あ、ああいや、なんでもないよ、なんでも」

「へえー」

 

 何でもないようにペパロニが返事をして、何でもないようにペパロニが、

 

「そんな顔をした姐さん、初めて見たっす」

 

 一瞬にして動揺が走る。呼吸が引っ込む。

 ペパロニとカルパッチョから目を逸らし、「なぜ」と思考する。

 彼――ポモドーロとお喋り出来ないのが、つまらないから。ポモドーロとしか、恋愛小説について語り合えないから。ポモドーロと、もっと勉強が、

 

 ポモドーロと会えないのが、面白くないから。

 

 理性が、正解をつぶやく。その通りだと、否定しきれなかった。

 ペパロニが、今の自分を見て首を傾げている。

 カルパッチョは、今の自分を見たままで何も言わない、何の表情も無い。心中を読み取られているかのような錯覚。

 

「……まあ、あれだ。ほら、雨を見ると物思いにふけりたくなること、あるだろ?」

「へー、そんなもんなんすか」

 

 ペパロニが、実に明快に頷いた。

 

「カルパッチョも、そういう時ってないか?」

 

 カルパッチョは、

 

「ええ、分かります、分かりますよ」

 

 口元が、少しだけ緩んでいた。

 

―――

 

「いつもありがとうございます、ポモドーロの兄さん!」

「ペパロニさんこそ、いつもゴチになってるっす」

 

 ペパロニの屋台の中にまで入り、屋台のキッチンめがけダンボールをふた箱置く。中身はにんにくの詰め合わせ。

 ペパロニの鉄板ナポリタンは良い評判らしく、次から次へと注文が絶えない。その分だけ材料が食われていくので、こうして定期的に資源を配達しているわけだ。

 

「活動が終わったら、私んところまで来てください。奢るっすよ!」

「ありがとうございます!」

 

 「あの日」から知り合い関係になったが、こうして何度も食材を運んでいくうちに、ペパロニとは自然と顔なじみになった。

 お陰で雑談の一言二言は交わすようになったし、何度か鉄板ナポリタンをごちそうになったこともある。初めて食べた瞬間からその味に惚れてしまい、それ以降、ヒマさえあればペパロニナポリタン(ウインクが隠し味)の為に金を落とすことも多くなった。

 これは戦車道の利益にも繋がっているということで、なるだけの日課にしている。

 

「しっかしホント、力持ちっすよね。二つ分でしょう?」

「いえいえ、男って案外こういうことは得意ですし」

「それでもっすよ。兄さん、やるっすね」

「俺は、料理できる方がよっぽどやると思うっす」

 

 いくらか台車はある、あるのだが、それらは全て女子に使わせていた。女子側も「いいよいいよ、使いなよ」と気を遣うのだが、男どもときたら「力仕事は男の役目だろ?」とか何とか格好をつけて、今のところ台車の所有権を握ったことはないのだった。

 

「今度、料理を教えるっすよ」

「マジですか? やったぜ。ボランティア部として手伝わせていただくっす」

 

 そうして、ポモドーロは自分の手で肩を揉む。部活は始まったばかりで、配達先も数多い。

 

「じゃ、何かあったら遠慮なくパシってくださいっす」

「あいよー!」

 

 ペパロニが「じゃねー」と手を振るう。ポモドーロも同じように返して、次は何処だったかなーとメモ帳を開き、

 

「ポモドーロ」

 

 声がした、自分の名前を呼ばれた。あの声で。

 首だけゆっくり振り向くと、

 

「や、今日も頑張ってるな」

「先輩! 今日もお疲れっす」

「ありがとう。今は何をしているんだっけ?」

「ああ、食材の運搬っすね」

 

 それを証明するかのように、ポモドーロの近くで台車が通りがかった。今しがた荷物を運び終えたらしく、リコッタが「次次―!」と声を出している。

 

「へえ……あれ、お前、台車は?」

「ああ、男は人力で運搬してるっす」

「人力――そうか、凄いな。私には出来そうにない」

「いえいえ、案外何とかなるもんすよ」

 

 腕を曲げ、全力で力む。力仕事をこなしていったお陰だろう、多少なりの力こぶが生じていた。

 アンチョビは「おお」と、感嘆の声を漏らし、

 

「凄いな……逞しいじゃないか」

「いえいえ、上には上がいるもんすよ」

 

 嘘は言っていない。部員の中に絵描き好きな奴がいるのだが、その男は同級生にして成績優秀、しかもボランティア部一の肉体持ちで、「守護神」なんてお決まりのあだ名までつけられている。

 これは極秘情報なのだが、実はペパロニのことが好きらしい。

 

「そうか。しかし、お前が立派であることに変わりはない」

「光栄です」

 

 にこりと笑い、小さく頭を下げる。

 上手く表情を作れたのだろう、アンチョビも満足げに頷いた。

 

「あ、そうだ。明日、部活はありそうか?」

「いえ、無いっすけど。何か用事でも?」

 

 その時、アンチョビがにやりと笑った。戦車長らしい表情を前に、ポモドーロが小さく声を出してしまう。

 何か、重要な要件が――それを裏付けるかのように、アンチョビが、肩にかけた鞄を二度、三度小突いた。

 

「読み終えた」

 

 それだけを言う。それだけを聞いて、ポモドーロの口から「ああ」の一声、

 

「俺もっす」

「流石」

 

 ポモドーロが、歯を見せて笑う。第三者からすればまるで意味不明だが、「ヒミツの趣味」なのでこれで良いのだ。少ない言葉で意思疎通を図れるというのは、人類共通の憧れである。

 

「じゃあ、明日、あの場所でな」

「はい。――じゃあ、俺はそろそろ」

 

 手のひらで挨拶し、次は何処だっけと手帳を読み直し、

 

「待って」

「はい?」

 

 今一度、視線がアンチョビへ向けられる。

 何か用なのかとアンチョビの顔を見る。すぐに、アンチョビの腕が伸びていることに気づく。

 

「え、」

「あ、あー……ほら、アンツィオ流のスキンシップ」

「あ、そうっすね」

 

 そういえばそうだった。ポモドーロも手を伸ばし、アンチョビの手のひらをしっかりと握りしめる。

 アンツィオで人と交流する以上、スキンシップはやはり避けられない。最初こそ戸惑ったものだが、今となっては挨拶代わりだ。

 

「……お前、」

「はい?」

 

 挨拶はほんの数秒で終わる、複雑な意味なんてまるでない。

 だからこそ、ポモドーロは「あれ」と思考する。アンチョビが、未だに手を離さない。

 

「お前、」

「はい」

「……こんなに手、おおきかったっけ……?」

「え」

 

 挨拶代わりが重大発表になる、ポモドーロの頭がまるで追いついていない。

 そのまま、気の利かないアタマのまま、

 

「あ、いえ、変わってないと思うっす。ずっと、このままじゃないっすかね……?」

「そ、そうか? そうか」

 

 アンチョビからの報告が終わったはずなのに、アンチョビの手は硬直したままで動かない。

 ――つばをごくりと飲む。こういう時、導いたり何とかしたりするのは、男の役目だ。

 

「せ、先輩。俺はそろそろ、運搬に戻るっす」

「あ、うん。すまない」

 

 ポモドーロが、するりと手を解いていく。特に何事も無く、アンチョビとの交流が終わっていく。

 今度こそ背を向けて、「それでは」と部活動へ走っていくのだった。

 

 ↓

 

 それから、アンチョビは憩いの場で恋愛小説を読み、時間とともに寮へ戻っていった。

 冷蔵庫を開け、フルーツ牛乳の存在を確認する。いつもなら風呂場へ直行するのだが、まずは携帯に火をつけた。

 検索ワードをタップして、検索結果から「材料」を知る。学習机からハサミと白い布、セロテープに赤い紐を回収して、次にティッシュ箱からちり紙を一枚引っこ抜く。

 

 ――明日は、必ず晴れますように。

 

 生まれて初めて、アンチョビはてるてる坊主を作る。赤い紐を使った、リボンつきのオシャレなやつだ。

 さて、

 早速とばかりに、ティッシュを丸める。これを顔の核にして、その後で布を被せてやるのだ――ちょっとした工作みたいで、少しばかり上機嫌になる。

 

 そうしててるてる坊主を作っている最中、何となく思考する。

 ポモドーロは、今日も奉仕活動をこなしていた。ボランティア部にすっかり馴染んで、その中で夢までもを見出して、それに比例するかのようにポモドーロは強く笑ってみせる。

 けれど、そんなポモドーロはいつだってこう言うのだ。「先輩のお陰です」と。

 自分は、単なるきっかけに過ぎないのに。

 そう自覚していても、口元がどうしても緩んでしまう。お礼を思い出すたびに、体に熱が灯っていく。

 手のひらを、見つめる。

 ポモドーロの手は、以前よりも間違いなく大きくなっていた

 

「……モテるだろうな、あいつ」

 

 誰にも伝えないように、ぽつりと呟く。その根拠は、自分がよく知っている。

 あいつは――ずいぶんと背が伸びてしまった。

 彼女が出来るのも、時間の問題だろう。ここはアンツィオだ。

 

 鞄を見る。鉄恋短編集が入っている鞄を見る。

 ポモドーロが、いつか「卒業」するその日までは、

 

 あの場所は、この趣味は、わたしたち、二人だけの秘密にしよう。

 ――てるてる坊主が、出来上がった。

 

―――

 

「っとによ何なんすかね今日の暑さは」

「さあなー水になりてえなー」

 

 校内の玄関で友人が愚痴り、ポモドーロがダレる。春らしからぬ猛暑のお陰でやる気ゼロ、建前皆無、知能指数低下という有様を披露しており、周囲の生徒も死人のようにふらついていた。

 聞こえてくる一言目は「あつい」で、二言目は「あつい」と、そんなわけでアンツィオ高校学園艦は滅びの危機に瀕していた。

 

「どうにかなりませんかーエリート様ー」

「んだよそれ、エリートって何よー」

「はー? 今日も英語で見事なベシャリかましたくせに」

 

 なけなしの知力を使い、「ああ」と声を出す。

 英語の授業中に教師から指名されたのだが、ポモドーロはそのまま解答してみせた。答え切った後で、暑さのあまり「あつい」と漏らしてしまったが。

 教師は、「流石だな……あついな」と評価してくれた。褒美として、五秒間だけ下敷きで仰いでくれた。

 

「エリートでも出来る事出来ねえことがあるんだよ、天候なんてどないせっちゅーの」

「そこは知力で何とかしてくれるんだろ?」

「知力持ちだからこそ言うがな、太陽様にはかないっこねーの」

「マジで? 知らんかった」

「よかったな学べて」

 

 太陽様の日光により、アンツィオ生徒の脳細胞は焼き切れ寸前だった。真面目に生き抜こうとするポモドーロも、今回ばかりは投げやりに言葉をぶつけている。

 

「で、ポモドーロ様よ、今日はどーすんの?」

「あ? 今日は部活はないし、部屋で寝るかな」

 

 もちろん、嘘だ。適当に友人をまいた後で、ポモドーロは「待ち合わせ場所」へ向かう腹積もりだ。

 全ては、あの人と会う為に。初恋の人と、めぐり合う為に。

 

「俺もそーすっかなあ。なんかさあ、夏じゃない時の猛暑ってさ、やる気なくなんねえ?」

「あーわかるわかる。なんつうか、季節の番狂わせってけっこーキツいよな」

「あーあ、こんな番狂わせじゃなくてさあ、もっとこう、ハッピーなさあ、」

 

 瞬間、友人の言葉がぴたりと止まった。ポモドーロが「あ?」と声を出して、「あ」と言葉が漏れた。

 

 アンツィオ高の校門前で、アンチョビがひとり佇んでいた。

 

 こうした「待ち合わせ」は、時折よく見受けられる。何せアンツィオ高校学園艦は、「ノリとメシとナンパの本場」であるから、異性がこっちへ寄ってきても何ら不思議ではない。

 だが、アンチョビは、安斎千代美は、アンツィオ高校学園艦きっての有名人である。アンツィオ戦車道を立て直した特待生で、気前も良い。しかも美人ときたものだから、男子女子からもよくよく好かれている。いわばアイドル的存在だった。

 そんなアイドル的存在が、アンツィオ高の校門前というワケアリな場所で突っ立っているのである。周囲の男子は「誰だ?」と呟いているが、ここで「何だ?」じゃないあたりが実にアンツィオらしい。

 

「あれ……もしかして、誰かと待ち合わせしてるとかじゃね?」

 

 友人の言葉が、心にのしかかる。

 その誰かとは誰だ。逃避するように教師のセンを辿ってみたが、いくらなんでも非効率過ぎる。教師を呼び出したかったら、それこそ入校した方が良いのだ。

 だから、最も恐ろしい推測を――特定の男子生徒を待っている、という前提で考える。その男子生徒とは、つまり自分よりも「上」であって、自分よりも大切なのであって――

 

「あ、こっち見たぞ」

 

 逆再生するような勢いで、至高の海から這い出た。

 最初は見間違えか何かかと思ったが、アンチョビの視線はこちらへ向けられている。ポモドーロ――正確に言えば、ポモドーロが居る方角を見つめている。

 

「もしかして、俺か?」

 

 そんなわけあるかと思ったが、世の中はよく分からない。念のため背後を確認してみるが、誰も居はしなかった。

 友人が「俺か? 俺なのか?」と興奮している最中、ポモドーロは「いやいやまさかね」と首を振るう。まさかアンチョビが、わざわざ自分なんかを迎えに来たはずがない。

 待ち受ける結果を恐れるように、両足が鈍くなる。友人は「どしたん?」と声をかけてきて、アンチョビは、

 

 アンチョビは、赤ふちの丸い眼鏡をそっとかけた。

 

 たぶん、阿呆面を晒していたのだと思う。ポモドーロの両目は球のように丸くなり、口なんて力なく開きっぱなしだ。

 そんなツラを見た友人は、「お?」とポモドーロを見やり、「お?」とアンチョビに注目する――そして、いかにも「俺には全部分かってるんだぜ」な顔を決めながら、ポモドーロの肩に手を落とす。

 

「やるじゃん」

「な、何が、」

「お邪魔虫は退散するぜ。それがアンツィオの流儀だからな」

 

 アンツィオ高校学園艦とは、恋を見つけるのも好きだし、恋を見るのも好む。だから友人は、ポモドーロを置いていくように早歩きし、アンチョビとすれ違う最中でアンチョビへ頭を下げる。アンチョビも、「どうも」といった感じでささやかに一礼。

 友人がいなくなってしまった。いつの間にか、周囲の生徒までもが消え失せていた――生まれて初めて、アンツィオの流儀というものに恐れをなした瞬間である。

 流石だなアンツィオ、今回は自分の負けだ。

 ここまでお膳立てされて、何もしないわけにはいかないだろうが。

 ポモドーロは、緩んでもいない制服を引っ張り直す。そのままアンチョビの元へ近づいていって、一言、

 

「先輩。来て、くれたんですね」

 

 アンチョビが、眼鏡をかけたアンチョビが、「う、うん」と頷く。

 

「すまない、友人と帰っていたようだが。迷惑、だったか?」

 

 半ば条件反射的に、ポモドーロの首が横に振るう。

 

「いえいえ、もう友人はいなくなってしまいましたし。え、えと、何というのか、ありがとうございます。わざわざ来てくれて」

「あ、うん。いや、お前に話したいことが沢山あってな、それで先走ってしまって」

「そすか……」

 

 自分と話すのを、それだけ楽しみにしてくれたのだろう。

 ならば、今日はとことんアンチョビと付き合うまでだ。

 

「分かりました。では行きましょう、秘密の場所へ」

「ああ」

 

 ↓

 

「聞いてくれ、ポモドーロ。お前の立案した『注文票作戦』、大成功したぞ」

 

 そのまま憩いの場へ歩みながらで、アンチョビと二人きりという空気を堪能しながらで、ポモドーロは「え」と声が出る。

 注文票作戦って何だっけ、自分がいつ作戦を立てたっけ。

 そろそろ涼しくなってきた外の世界で、ポモドーロは見え隠れする糸を掴もうとする。作戦なんて、そんな大それたものを提案した覚えなんて――

 あった。

 

「え、マジですか? 本当にメモ張り付けたんすか?」

「張り付けたぞ」

 

 アンチョビは、実に愉快そうに微笑み、

 

「やっぱり、常に情報を確認出来るっていうのは強いな! 授業中なのに、緊張感が出たぞ」

「ほうほう」

「待ち伏せからデコイ、奇襲まで、的確にこなしてくるからな。自分のチームが負けそうになったこともあった」

 

 言葉とは裏腹に、アンチョビは実に楽しそうに語る。何せ自分が受け持つチームが脅威となったのだ、これを喜ばずに何と言う。

 

「はー、やっぱりアンツィオは強いんすね……」

「ああ、強い。やれば出来る子達だ」

 

 誇らしげに、アンチョビが頷く。横断歩道の赤信号に足が止まる。

 

「これは、優勝を狙えるんじゃないすか?」

「そうかな? ……いや、そう思う。チャンスはあるな」

「そうですよ。だって、総統が鍛え上げたチームなんですから」

 

 くすぐったそうに、アンチョビが苦笑する。

 

「ありがとう。でも、注文票作戦を考えたのはお前なんだ。お前がいなければ、躍進はなかったと思う」

「大袈裟っすよ」

 

 世辞でも何でもなく、ポモドーロは否定する。

 

「紙切れ一枚でここまで動けるのも、総統の教育あってこそっす。地力あってなんぼじゃないっすか、作戦って」

「そうか、そうだな」

 

 車とトラックが横切る、排気ガスの臭いがする。

 

「でも、それでも、」

 

 後を追うように、カルロベローチェが駆けていく。

 

「ありがとう、ポモドーロ。お前のお陰だ」

 

 アンチョビの言葉に、ポモドーロは「はい」としか言えなかった。

 とても嬉しそうな顔をして、とても言いたそうな声で、アンチョビはポモドーロへ礼を言った。

 

「あ、そうだ」

「はい?」

 

 鞄を開け、中から恋愛小説を取り出す。タイトルはもちろん、鉄恋短編集。

 

「憩いの場に入ったら、総統と呼ぶのは控えるように。――関係、ないだろう?」

 

 夕暮れに溶け込むような、消えそうな笑みだった。

 ――この時間を大切にしたいから、同好の士として語り合いたいから、アンチョビの機嫌を少しでも補いたいから、だから、

 

「そうっすね。分かりました、先輩」

 

 青信号になる。その先には、森林公園へ続く道がある。

 

 ↓

 

「一番好きな章は何でした?」

「戦車道の章」

「俺もっす」

 

 アンチョビとポモドーロの顔が、「だよなあ」と明るくなる。最初は「ひいき目」で読んでしまわないかと心配だったが、これがもう王道で、ベッタベタで、ストレートで、とにかく好きな人しか見ていない話だったのだ。

 戦車道をする君が好き、戦車道を見てくれるあなたが好き。そんな両想いであるにも関わらず、結局は終盤になるまですれ違い続ける――このストレート具合が、かえって「いやーたまらんっ、いやーたまらんっ」とか、オヤジ臭い感想を抱くことになった。

 

「何というのか、あーもうッ! こいつらッ! って応援したくなったよなあ」

「なりましたなりました。スゲー気が利くくせに、なんで恋愛感情には気づかないんだろうって」

「いやー、案外そんなものかもしれないぞ。気付きたくないっていうのかな、そんな感じ」

「あー、なるほど」

 

 恋愛関係になると、これまでの関係が崩れてしまう――よくある文言だ。

 確かに、恋愛云々はデカい変化を生じさせると思う。当事者同士は勿論、周囲の人間、更には家族までも巻き込んでしまうかもしれない。それほどまでに恋とは重い。

 

「確かに、先輩の言う通りかもしれませんね。……言う通りかもしれませんが」

「ああ」

「……恋ほど、放っておけるものもないんすよね」

「――そうだな」

 

 恋は重いが、想ってしまったものは仕方がないのだ。

 だからポモドーロは、期末テスト後に絶対告白すると誓った。同好の士という関係が崩れてしまうかもしれないが、恋心なんてものは箱にしまっておけるほど安くはない。

 

「俺は好きですよ、この話」

「ああ、私も好きだ。やっぱり、恋愛はいい、恋愛は」

 

 アンチョビの横顔は、とても穏やかだった。今もなお、「第五章・戦車道編」を読み通している。

 ――何となく、ポモドーロはほっとする。アンチョビの「恋愛はいい」という言葉を聞いて、もしかしたらという希望が芽生えたからだ。

 

「……ふむ」

「……うん」

 

 会話が途切れる。何となく「第三章・パーツ屋編」を読んでいるが、意識のほとんどはアンチョビに食われてしまっている。

 思う。

 アンチョビは、どんな恋愛がしたいのだろう。アンチョビは、どんな男が好みなのだろう。改めて考えてみると、これらの情報はろくすっぽ抜けている。

 自分は、自分なりの「男らしさ」を目指したつもりだ。勉強が出来て、積極的に動けて、自信があって、キチンと告白出来るような、そんな男に。

 

 そして、フラれても生き方は変わらないだろう。だって、性に合った生き方を見つけられたのだから。

 

「……なあ」

「あ、はい」

 

 アンチョビが、恋愛小説を静かに閉じる。眼鏡のブリッジを、中指で整える。

 

「お前はさ」

「はい」

「――どういう恋愛が、したい?」

 

 風が吹いた。

 人工林が揺られ、葉擦れの音が鳴る。放課後の空は少しずつ暗くなっていって、けれどもアンチョビの目は確かに覗える。

 アンチョビの無表情から、冗談や気楽さは垣間見えない。ただただ真剣に、興味深く、意識をポモドーロへ傾けたまま、それ以上を語らない。

 呼吸する。

 そんなの、決まりきっていた。数式を書くよりも、英語を口にするよりも、歯抜けの単語を埋めるよりも、簡単に答えられる。

 だから迷う、言って良いのかどうか躊躇する。知力が証明される前に、ぶっちゃけてしまって良いのかつくづく思う。

 

 アンチョビの顔を見る。

 その時、アンチョビから「あ」と声が出た。

 

「ご、ごめん。こういうのは、先に自分から言うべきだよな」

「……いえ、言います」

 

 ――本音を言うことに、恐れは抱く。けれどそれ以上に、アンチョビに嘘なんてつきたくはなかった。

 

「俺は、趣味で繋がり合う恋を、したいです」

 

 証明した。

 心の底から疲労した、息まで吐いた。

 ――心地良かった。

 

「……そう、そうなのか?」

 

 アンチョビの表情は変わらない。

 

「はい」

 

 ポモドーロの返事も変わらない。

 アンチョビは二度、三度ほどまばたきをする。決して、ポモドーロから目を逸らしたりはしない。

 今のポモドーロは、今のアンチョビをじっと見つめられる度胸が、自信があった。ぜんぶ、恋心のせいだ。

 

「……そうか」

 

 アンチョビは「はあ」とため息をついたと思う。

 アンチョビの眼鏡が、きらりと光ったと思う。

 

「――お前も、私と同じなんだな」

 

 アンチョビが、また穏やかに笑う。

 ――その言葉を聞いたポモドーロは、思い込みや妄想やプラス思考やポジティブさがこんがらがりながら、

 

「そうですか。気が合いますね」

 

 今の気持ちを、こうしてまとめた。

 心の底から、本心から、生き抜いてきて良かった、生まれ変わって良かったと思う。

 「まだ」そうとは決まったわけじゃないけれど、少なくとも望みは掴んだ。これだけでも、生きる価値はある。

 

「そうだな、気が合うな――趣味で結ばれる関係って、こう、ロマンチックで、永遠なるイメージがある」

「分かります」

「つらい時、ケンカしてしまった時でも、趣味を分け与えて元通りになる。ああ、いいよな、こういうのっていいよな」

「俺もそう思います」

 

 アンチョビが、満足げにうんうんと頷く。

 笑っているのとは何処か違う、少し寂しげな笑みを浮かばせたまま、

 

「ポモドーロ。今日は、いい話が出来て本当に良かった」

「俺もっすよ」

「……そろそろ、帰ろうか。暗いしな」

「はい」

 

 ポモドーロが立ち上がる前に、ポモドーロの左手がアンチョビの手にとられた。

 情けない声が出るかと思った。

 

「今日はありがとう」

 

 左手が、ぐっと握られる。アンチョビの熱が、血が、確かに伝わってきた。

 ポモドーロは、たまらず笑ってしまった。最高に嬉しいせいで、そんな顔しか出来なかった。

 

「こちらこそ」

 

 ポモドーロの右手が、アンチョビの右手をかたく握りしめた。

 

 

「それじゃあ、今日はこれで」

「……待って」

「はい?」

「――その、一緒に、帰らないか? お前の寮まで、ついていくから」

「本当っすか? 分かりました、そうしましょう」

「ありがとう」

「先輩。今日は、先輩の寮へ向かいましょう」

「……いいのか?」

「ええ」

「そっか……ありがとう」

 

「なあ」

「はい?」

「アドレスと番号、交換しないか……?」

 

―――

 

送信者:灰山君

『こんにちは、元気ですか? 最近は暑くなってきて、日射病には気を付けるようにと教師から注意されました。先輩も気を付けてくださいね。

それで、近況報告なのですが――僕に、ようやく友達が出来ました。それも、女子です。

その女の子は、廊下で泣いていました。最初はどうしていいか分かりませんでしたが……先輩の、『変われる』という言葉を思い出して、声をかけたんです。

それ以降、その子とは仲良くやっています。読書が趣味らしくて、この機に活字を読み始めました。

最近ハマったジャンルは、恋愛小説です。気持ちがどきどきして、読んでいて凄く楽しいです。

 

先輩、本当にありがとうございます。友達を大切にしながら、毎日を精一杯生きます

長文、失礼しました』

 

 ラザニアが乗った皿を片手に、ポモドーロの口元がどうしようもなく緩む。心の底から、安堵する。

 それを見て察したのだろう。屋台主であるカルパッチョが、「何かいいことでもありました?」と声をかけてきた。

 

「ええ。知り合いが、上手くいっているらしくて」

「そうですか。それは、良かった」

 

 カルパッチョがにこりと微笑む。ポモドーロは、引き続き昼食にありつく。

 ソースが舌に沁み込み、明快な甘さが口の中で広がっていく。少し熱すぎるラザニアが、体全体の食欲を煽る。

 

「うまいっす、サイコーっすよカルパッチョさん」

「ありがとうございます」

 

 本来はペパロニと共同で屋台を経営しているのだが、ペパロニは「ちょっと飲み物買ってくるっす」とカルパッチョへバトンタッチ、こうしてカルパッチョと一対一で雑談を交わしているわけだ。

 視線を、ラザニアからカルパッチョへ移す。

 そこにあるのは、心を見通しそうな無表情などではなく、自然と溢れ出るような笑顔だった。

 そんな表情をされては、ポモドーロの機嫌も表情も明るくなる。吉報もあってか、内心のテンションは高い。

 

「ポモドーロさん」

「はい?」

「最近は、よく頑張っているみたいですね。お掃除しているところ、何度も見ました」

「ありがとうございます。これからも、ボランティア部として職務を全うするっす」

 

 ラザニアをフォークで刺す、カルパッチョはにこりと笑ったまま。

 

「最近は、ここへよく食べに来てくれますよね」

「ええ、まあ……先輩の縁もあって」

「趣味仲間、でしたっけ。いいですね、そういうの」

 

 ポモドーロは、こくりと頷き、

 

「はい。良いと思います、すごく」

 

 心の底から言う。趣味で繋がり合えたからこそ、今こうして生きているのだから。

 

「そうですか。……ポモドーロさん」

「はい?」

 

 カルパッチョは笑顔のまま、ラザニアを調理しながら、

 

「総統のこと、どう思ってます?」

 

 あえて、ラザニアを口の中に入れる。

 ナマのままで言うと「大好き」になるのだが、この場で白状出来るほどポモドーロは馬鹿ではない。アンチョビへ飛び火してしまう可能性もある。

 かといって、嘘はつきたくはない。友達とはぐらかしたくもない。

 だから、

 

「尊敬しています」

 

 せめて、精一杯笑ってみせた。本心の一つを、口にしてみせた。

 カルパッチョは表情を崩さないまま、手を動かしたまま、

 

「そうですか。とても、良いことですね」

「はい」

 

 その時、ポケットの中で携帯が震える。ポモドーロは「失礼」と前置きし、画面を覗った。

 新着メール:安斎先輩

 鉄板ナポリタンを片手に持ったまま、右親指を駆使して携帯を操作する。メール画面へ入る為に、親指を思い切ってスライドさせた。

 

送信者:安斎先輩

『こんにちは、今日も元気にしているか? 私はいつも通りだ。

アドレスを交換したから、こうしてメールを送信してみたが……届いているかな?』

 

 ドが付くほどの、真剣な無表情になって文字を高速入力する。そんなポモドーロに対し、カルパッチョはにこやかに見守るだけ。

 返信完了、小さくため息をつく。

 

「大事なメールでも届きました?」

「え。ま、まあ……」

 

 ラザニアを噛み、十分に咀嚼する。ペパロニナポリタンは最高だが、カルパッチョラザニアも美味と言わざるを得ない。

 ポモドーロは「うまいっすよこれ」と感想を述べ、カルパッチョは「ありがとうございます」と頭を下げる。今後も、ここがメインの食堂となるだろう。

 ――ラザニアも残り少なくなってきた。早いなあと思いながらフォークを刺して、携帯が震え、

 銃のように引っこ抜き、携帯に火をつける。画面にはやはり、「新着メール:安斎先輩」のお知らせ。

 

送信者:安斎先輩

『届いたか、本当によかった。もしよかったら、今後も気軽にメールして欲しい。

最近、勉強はどうかな? 分からないことがあったら、私も協力する。――とはいえども、今のお前なら一人で解決出来そうな気もするが。

あと、ボランティア部のサイトを閲覧させてもらった。今日は校内を徹底的に清掃するみたいだな、本当にお疲れ様。

私たちがこうして、快適に学生生活を送れているのも、ボランティア部の力があってこそなのだろう。私はそう思う。

 

それと、ここ最近はペパロニの屋台で食事をとっているみたいだな。ペパロニもカルパッチョも、いつも食べてくれてありがとうと感謝している。

私からも、お礼を言わせてくれ。……あまり、無理な『投資』はしないでくれよ?』

 

 バレてたか。苦笑しながら、画面をスワイプする。

 

『最近のお前は、本当に目覚ましい前進を遂げていると思う。そんなお前と知り合えて、話すことが出来て、私は光栄に思っている。

部活動で色々大変だろうが、時間があったらまた、あそこで落ち合おう。話したいことが、沢山ある。

 

長文、失礼しました。』

 

 両肩で呼吸する、息が漏れる。

 このメールを目にする為に、自分は今日という日を生き抜いてきたのだと思う。今日という日まで、この道を歩んできたのは正しかったのだと思う。

 灰山のメールと、アンチョビのメールをロックする。機嫌を損ねたり、ヤケクソをこじらせた時は、これらのメールを目にしよう。

 それがいい、それが。

 

「いい顔をされてますね、ポモドーロさん」

「! あ、い、いえその」

 

 カルパッチョは、実に幸せそうに笑う。

 

「あ、え、えと、ごちそうさまでした!」

「はい、お粗末様でした」

 

―――

 

「おかあさん、どこ……?」

 

 放課後の屋台広場の一角は、とてつもなく静かだった。親を求めてさ迷う少女が、願いを口にすればするほど、周囲の意識が強張っていく。

 屋台主は、複雑な表情のままで動けずにいる。観光客も、どうして良いか分からずに突っ立ったまま。アンツィオの生徒に至っては、出ようか出まいかで一歩踏み出せずにいた。

 鉄板の焼ける音だけが、よく鳴り響く。

 アンツィオの生徒――アンチョビは、歯を食いしばったままで少女を見つめている。

 

 誰も、責めることなんて出来なかった。

 ここは高校生が住まう学園艦で、子供の姿はあまり見受けられない。居たとしても、大抵は「こんにちは」程度で交流が終わる。

 だから、子供との接し方なんて正直よく分からない。観光客にしたって、「ちょっとね……」と思うのが世の常だろう。

 世の流し方を知っている中学生、高校生、その上相手なら、まだ対処は出来る。ただ子供は、無垢な子供相手には、やはりどうしても尻込みしてしまうのだ。守られるべき存在と関わる以上、やはりどうしても大きな責任がつきまとうから。

 

 ノリが良いアンツィオ生徒でも、この真面目な空気は読み取れる。だからこそ、「どうしよう」と唸る。屋台主も、判断に躊躇したきり動けない。

 ――だが、だからこそ。アンチョビは深呼吸する、一歩踏み出す。

 自分は、アンツィオの総統だぞ。

 総統は、人と向き合わなくちゃ駄目なんだぞ。

 

「ねえ」

 

 声をかける。アンチョビより一回り小さい少女が、涙目でアンチョビを見つめる。

 

「迷子かな? 大丈夫、すぐに見つかるから」

 

 しゃがみこみ、少女と同じ視線になる。

 どうしていいか分からないけれど、何を言って良いのか迷うけれど、責任を背負うことが怖いけれど、アンチョビの感情は決して止まらない。

 

「お母さんとすぐ会えるから、それまでお姉ちゃんとお話しよう?」

「……ほんとう?」

「ほんとうほんとう、この学園艦は小さいから」

 

 にこりと、アンチョビが笑う。少女は、不安をぬぐい切れないままでアンチョビを眺めている。

 当たり前だった。どうやったら母と再会させられるのか、母が来るまでこのままで居ろというのか。そんなの、子供からすれば無限に近い苦痛でしかない。

 ――けれど、アンチョビは決して離れない。少女だけに言葉を投げかけることで、少女の味方であると証明し続ける。

 

「おかあさん、どこいったのかな……わたしが、走りまわったせいで」

「ううん、ここはお祭りの会場だからしょうがないよ。盛り上がっちゃったんだね」

 

 最初はためらって、それでもと意気込んで、少女の頭をそっと撫でる。

 

「あ、」

「おかあさんは、あなたを探してる、絶対にそう。それまでは、私はここにいるから」

「……うん……」

 

 子供にとっての「それまで」とか「今度」という言葉は、半ば永遠に近いお預けだ。自分も、そうやって言いつけられたことがある。

 「今」、でなくては駄目なのだ。そうでなくとも、「絶対にそうなる」を証明しなければならない。

 分かってはいる、分かってはいるのだ。

 けれど、

 

「あなたの名前は? わたしはアンチョビ、好きに呼んでいいからね」

「あんちょび……」

 

 目を、ぱちくりとまばたきする。

 

「外国のひと?」

「いやー、あなたと同じ日本人なんだ。あだ名……そう、ひみつの名前みたいなものかな」

「ひみつ……!?」

 

 アンチョビは、うん、と頷き、

 

「よかったら、あなたにもつけてあげようか、あだな」

「え?」

 

 興味を持ったのか、少女の顔が明るくなる。

 あだ名とは、半ば独占的なものだ。だからこそ、いい歳こいた高校生ですら喜んで受け入れることが多い――幼い少女は、「自分だけのもの」を得られることに、目を輝かせている。

 

「名前……あなたの名前は、なんていうのかな?」

「えっと、さくら」

「へえ、いい名前だね。ううん、そうだなあ……」

 

 数秒ほど、大真面目に思考する。ほんの少しだけ、視線を夕焼けに移し、

 

「ジェラートなんてどうかな?」

「ジェラート……」

「そう。イタリアの、おいしいデザートの名前なんだけれど……さくらちゃんにぴったりだと思う」

 

 「おいしい」と聞いて、さくらの表情が明るくなっていく。女の子はいつだって、甘いものが好きなのだ。

 

「うん、わたしはジェラートになる!」

「うんうん」

 

 本心から、ジェラートの頭を撫でに撫でる。笑う子供って、こんなにも可愛かったっけと、破顔してしまう。

 ――後は、

 

「先輩っ」

 

 聞き覚えのある男の声に、アンチョビが首だけを振り向かせる。ジェラートも「なになに?」と背伸びした。

 

「どうしました、先輩」

 

 ゴミ袋とトングを手にした、ポモドーロがそこに居た。

 アンチョビの言葉が思い浮かばない、ジェラートは「だれ? お兄ちゃん」と声をかけている。

 

「ああ、俺は……僕は、ポモドーロっていうんだけれど」

 

 にこりとポモドーロが笑う。瞬間的に判断力を取り戻したアンチョビが、「ちょっと」と手招きをする。

 もちろん、ポモドーロは首を傾げたが――アンチョビの目つきを見て、アンチョビが屈んでいるというシチュエーションを前にして、察するように耳を預けてくれた。

 

「この子、迷子なんだ」

 

 ポモドーロが頷く。

 

「お母さんが見つかるまで、私が話し相手になってる」

 

 ポモドーロが首を縦に振るう。

 

「名前はさくら、あだ名はジェラート」

 

 ポモドーロが、小さな声で「了解」と言う。

 そして、

 

「さくらちゃん……いや、ジェラートちゃん」

「なに?」

 

 目も口も丸くしたジェラートが、ポモドーロのことをじいっと見つめている。

 ポモドーロは、改めて姿勢を低くして、

 

「僕が来たからにはもう大丈夫、すぐにお母さんと会わせてあげるからね」

「え、ほんとう?」

 

 ポモドーロが、間違いなくうなずく。

 

「ボランティア部は、この学園艦のことなら何でも知っているんだ」

 

 その言葉とともに、ボランティア部の、緑色の腕章をジェラートへ見せる。

 ジェラートという女の子は、ヒーローを見るような子供らしい表情のままで、ずっとずっと腕章から目を離そうとしない。

 

「ちょっと待っててね」

 

 ポケットから携帯を取り出し、少しばかり画面を操作する。ジェラートは、顔全体で「おお……」と主張した。

 携帯に耳を当てる、呼び出し音がわずかに聞こえる。

 ――ポモドーロは、アンチョビと目を合わせながら、穏やかな顔で、

 

「先輩、本当にありがとうございます。後のことは、俺に任せてください」

 

 ――、

 

「……あ、リコッタ? 悪い、ちょっと放送室までかけあってくれないかな? 迷子を見つけて――さくらちゃんっていうんだけれど、お母さんを呼び出して欲しい」

 

 あの頃のポモドーロは、アンチョビから勉強しろと言われて、へらへら笑うポモドーロはもういない。

 ここにいるのは、真剣な顔で人助けをする、ポモドーロという男性だ。

 

「ジェラートちゃん、お母さんの名前は何ていうのかな?」

「えっと……うーんと……あ! みき!」

「すごい、僕より記憶力があるね」

 

 あの頃のポモドーロは、気楽に生きていたはずのポモドーロは、もういない。 

 ここにいるのは、大きな手でジェラートの頭を撫でる、ポモドーロという男性だ。

 

「お母さんの名前、聞こえた? ……うん、じゃあ、分かりやすい待ち合わせ場所として、トレヴィーノの泉前を指定して」

 

 あの頃のポモドーロは、毎日のように恋愛小説を読み合っていたポモドーロはもういない。

 ここにいるのは、ボランティア部の一員として、学園艦を守り抜いているポモドーロという男だ。

 

「ありがとう、今度何か奢る。――それじゃあ」

 

 電話を切り、ポケットにしまう。

 ――先ほどまでの、真剣な表情は何処へいったのやら。ポモドーロは、ジェラートに対して明快に笑いかける。

 

「お母さんとは、トレヴィーノの泉という場所で会えるよ。そこまで、連れてってあげる」

 

 ポモドーロが、ジェラートへそっと手を伸ばす。

 ジェラートは、ポモドーロの目をじっと見つめている。それきり一言も喋らない、微動だにしない。

 アンチョビは、くすりと口元を曲げ、

 

「三人で、お母さんのところまで行こう」

 

 アンチョビが、包み込むようにジェラートの手をとる。ジェラートが「あ」と声を漏らし、無表情から微笑へ、笑顔になっていく。

 

「ありがとう! お姉ちゃん、お兄ちゃん!」

 

 そうして、ジェラートがポモドーロの手を握りしめる。

 アンチョビが、心の底から安堵する。体全体で息を吐いて、ジェラートと目が合ってにこりと微笑んで、そうしてポモドーロと視線が交わって、

 

「先輩」

 

 限りなく、優しい声だった。

 その一言と共に、これまでの出来事を思い起こして、自分の感情を追っていって、総統の頭で考えていって――

 

「ジェラートちゃん。いっしょに、歌でも唄いながら歩こう」

「うん!」

「俺も、一緒に歌うっす」

「いいぞいいぞ」

 

 ポモドーロが、周囲に一礼する。屋台主は「ありがとう」と頭を下げて、観光客も「ごめんね」と小さく謝罪して、アンツィオの生徒の一人が「ゴミ袋、邪魔だろ?」と、ポモドーロのゴミ袋とトングを引き取ってくれた。

 アンチョビも、手のひらを軽く振るって応えた。

 

「じゃ、行きましょう。先輩、ジェラートちゃん」

「うん! わかった!」

「ああ」

 

 アンチョビとして、総統として、安斎千代美として、想う。

 私はやっぱり、この人のことが好きだ。

 

 

 放課後の屋台市場が、いつものようにやかましくなる。何処もかしこも、「美味しい」だとか「アンツィオ一」だとか「ここでしか味わえない」だとか、そんな大袈裟なことを平然と叫びあう。

 祭りの夕焼けは、人の気持ちを盛り上がらせる魔力がある。観光客も、屋台主も、アンツィオ生徒も、何の区別もなくだべり合う。

 艦内放送のチャイムが流れる。ジェラートの母に対しての呼びかけが、学園艦全体に響き渡った。

 

 アンチョビと、ジェラートと、ポモドーロの民謡が、空の彼方まで届いていく。

 

 

「なるほどな」

 

 その後のことはといえば、特に事件だの異変だの何だのは起こらなかった。ジェラートは無事に親と再会出来て、母と父から心より感謝されて、ジェラートから「またね、お姉ちゃん、お兄ちゃん!」とばいばいされた。

 ポモドーロとアンチョビは、屋台広場まで足を動かしている。心なしか、進行速度が遅い。

 

「お前がボランティア部に熱心になるのも、分かる気がする」

「そうすか?」

 

 空は既に赤い。このまま戻ったところで、大してゴミ拾いも出来ないだろう。

 

「……良いことをするのって、良いな」

「ええ」

 

 アンチョビが、ポモドーロと目を合わせる。

 

「楽しいか?」

「はい、楽しいっす」

「――やっぱり、医者を目指すのか?」

「はい」

 

 アンチョビが、「そっか」と小さく呟く。

 

「お前さ」

「はい?」

「本当、変わったな」

 

 ポモドーロは、自信満々に、

 

「ええ、そう思います」

 

 はっきりと、そう答えられた。

 その返事を肯定するように、アンチョビもにこりと笑う。

 

「ポモドーロ」

「はい?」

 

 かけるべき言葉を、見失った。

 アンチョビが、そっと手を伸ばしてきたから。

 

「……あ、えと」

 

 恐れるように、アンチョビの視線が逸れる。ポモドーロも、「あ」だの「えと」だのとしか言葉を発せない。

 ――気を取り直す、男としての矜持を引っ張り出す。目の前の女の子を何とかしなくて、何が男だ。

 

「あっ」

 

 だから、その手を握る。アンチョビの手のひらを、決して離さない。

 自分の顔なんて、みっともないくらい真っ赤だろう。アンチョビの横顔も、まるで夕日のように赤い。

 恋愛小説のように、気の利いた言い回しなんて思いつかない。出来ることはといえば、こうして手を繋ぎ合うだけ。

 

「ポモドーロ」

「はい」

「今日は、一緒に帰らないか? 今回は、その、お前の寮までついていくから」

「ありがとうございます、先輩」

 

 ポモドーロは思う、「もしかしたら」と。

 高校二年生としての理性が察する、「もしかして」と。

 ――例えそうだとしても、目標を乗り越えるまでは、期末テストで良い点を取るまでは、ぜんぶお預けだ。

 アンチョビにとって、相応しい男にならなくてはいけないから。アンチョビにとって、最高の後輩になりたいから――それがポモドーロの、男としてのプライドというやつだった。

 

「……なあ」

「はい?」

「その――いっしょに帰る時も、よかったら、その」

 

 アンチョビが、言いたそうにして言葉を紡げない。

 それを繋げるように、ポモドーロは一言。

 

「手、繋ぎましょう。俺、先輩となら喜んで」

「……そうか」

 

 まるで夕暮れのように、祭りの後のように、アンチョビはにこりと微笑む。

 

「ありがとう」

 

 

 期末テストまで、あと少し。今回ばかりは、二の次にはできない。

 

―――

 

送信者:安斎先輩

『おはよう、今日は期末テストだな。

これでも一応、勉強はしてきた。だからきっと、上手くいくだろう、たぶん。

ポモドーロは……お前は、テストは余裕だろうな。憩いの場で見せてもらった、あのノートが努力を証明している。

点数、楽しみにしているぞ』

 

 一時間目の国語のテストが終了し、ポモドーロは気分良くメールを閲覧している。

 国語に関しては、よくよく解答出来たと思う。次は数学だが、範囲さえ間違っていなければきっと何とかなるだろう。

 首をこきりと鳴らし、早速返信作業へ取り掛かる。そうして画面に手をかけ、

 

「ポモドーロ」

 

 あっという間だった。友人に、友人の友人、顔見知り程度の野球部員に、瞬く間に囲まれてしまった。

 表情は――三人とも、上機嫌そうににやついている。これはマズい流れだ。

 

「え、何? シバき?」

「いや、尋問だ」

 

 うわめんどくせえ。ポモドーロは、表情全体で訴える。

 しかし、血も涙も無い友人は、ポモドーロの机の上に手を置き、

 

「で、どうなんだ?」

「な、何が」

「安斎先輩との関係に決まってんだろ」

 

 ポモドーロの目と口が歪む。アンチョビの前では、絶対にやってはいけない絵面だ。

 

「な、何言ってんだよ」

「え? 校門前で待ち合わせしてただろ」

 

 反論に詰まる。

 

「屋台広場でも、先輩と接触しているっぽいし……仲いいのは知ってるんだからな」

 

 口答えも出来ない。野球部員は、正解しか述べていない。

 

「で、どうなの? 進展したか?」

「……テスト中だぞ、そういう話は、」

「テスト中だから、こういう話をするんだろうが」

 

 随分と脈絡が無いようで、話が繋がっているような気もする。

 何せテスト中だ。学生にとっての戦場、テスト中だ。戦場のど真ん中だからこそ、日常的な話の一つや二つは、介したくなるものだ。

 

「で、どうなの?」

「あ、あー……いいんじゃね?」

「ふーん」

 

 ポモドーロの解答に対し、友人は不満そうに鼻息を漏らす。

 

「でさ」

「うん」

「好きなん? 先輩のこと」

 

 思わず舌打ちする。友人と、友人の友人と、野球部員が、「やっぱりな」と言わんばかりに微笑する。

 

「そ、そんな……そんなこと」

「じゃあ、友人として好きってことか?」

「いやっ」

 

 反射的に、正解を吐いてしまった。

 けれど三人は、特に感動したり盛り上がったりはしない。何せ、最初からバレバレだからだ。

 

「やっぱりそうか、そうか」

「……別にいいだろ」

「そうだな、別にいいな」

 

 友人が、気楽そうに笑い、

 

「そうか、ナンパの一つもしないお前が、恋ね」

 

 ポモドーロが、ふん、と鼻息を漏らす。

 友人は、感心したような顔つきになって、

 

「お前、変わったな」

「……そうだな」

 

 本当、心底変わってしまったと思う。真っ当に勉強嫌いで、将来なんて百年後で、目の前の気楽さばかりに浸っていたポモドーロは、もういない。

 

「ま、あれだ」

 

 友人が、ポモドーロの肩に手を置く。

 

「どう出会ったんだとか、どう仲良くなったんだとか、そういうことは一切聞かん。俺のことなんて放っておいて、好きに恋してくれ」

「んだよそれ」

 

 苦笑が出る。友人も、へらへら笑いながら、

 

「俺らは、お前の恋を応援するよ」

「……そうかい」

 

 友人の友人が、親指を立てる。野球部員も、「羨ましい奴」と一言。

 

「ま、アレだ」

 

 肩を、軽く叩かれる。

 

「困ったことがあったら、すぐに言えよ。恋の不幸話なんて、ココでは嫌われているからな」

「……グラッツェ」

 

 アンツィオ高校学園艦という世界は、とにかく異性に対して強い関心を抱く傾向がある。恋をするのも好きだし、恋を見るのだって好むのだ。

 だからこそ、恋に困ったら「俺が」「私が」と手を差し伸べてくれる。恋愛だって一種の祭りであり、祭りに陰りなどあってはならない。

 それ故に、三人はポモドーロの味方だった。味方することが、アンツィオの流儀だった。

 

 ――期待を裏切らないよう、期末テストをクリアしないとな。

 

 戦闘開始のチャイムが、鳴り響いた。

 

―――

 

「はあ……」

 

 期末テスト最終日、アンチョビは手際よくテストをやっつけていった。満点はともかく、少なくとも赤点は避けられるだろう。

 それでも、ため息が出る。食堂で美味い昼食をとっているのに、ペパロニとカルパッチョが元気よく雑談しているというのに、戦いはもう少しで終わるのに――アンチョビは、ポケットから携帯を取り出す。

 

送信者:ポモドーロ

『お疲れ様です、先輩。テストはどうですか? 自分はかなり調子が良いです。

去年までは、テストなんてやだなーって感じでしたが……今となってはアレです、手ごたえを感じますね。

これも全て、先輩が勉強の大切さを教えてくれたおかげです。必ず、先輩に報います。

 

今日は、部活動はありません。雨が上がったら、憩いの場へ寄りますね。

それでは、テスト頑張ってください』

 

 口元がしみったれる、雨音が元気良く響く。最終日ということで、食堂全体が明るく盛り上がっている。既に未来の話をしている生徒もいて、「期末テスト終了記念祭、いつだっけ?」という言葉が耳に入った。

 携帯をポケットにしまう。

 曇りでもいい、雨以外の天候なら何でも良い――そう願っているのに、雨は一向に降り止まない。昼食の味がしない。

 会いたい。ただそれだけを、考えていて、

 

「ねーさん?」

 

 その一声で、アンチョビの意識がはたき起こされる。ナポリタンを食べるためのフォークまでもが、もろくも落ちた。

 

「な、何だ?」

「どうしたんすか、姐さん。また、フクザツそうな顔をして」

「あ、いや、その……」

「そんな顔をしたねーさんを見るのは、これで二度目っす」

 

 二度目か。そういえば、一度目も似たようなシチュエーションだったっけ。

 納得するように、ため息をつく。

 ひどい、恋煩いだ。

 

「そうか、そんなひどい顔してたか」

「ひ、ひどくなんか。姐さんはいつだって美人っす!」

 

 アンチョビが、「いやいや」と苦笑する。

 ――何でもなかったかのように、フォークを拾い上げ、

 

「総統」

 

 カルパッチョの呼びかけに、アンチョビの体がよく震えた。

 その声は、あまりにも真剣味を帯びていた。聞き流すことなど許されない、強制力があった。

 

「悩みを、抱えているみたいですね」

「……それは」

「よければ、話してくれませんか? 大会も近いですし、コンディションも万全にしておかないと」

 

 大会という言葉を引き合いに出され、逃げ道を塞がれる。

 カルパッチョの目は、ただただアンチョビを見据えている。先ほどまでの、いつもの笑顔は、もうどこにもない。

 

「……カルパッチョ」

「はい」

「その、冗談を言うつもりはないんだが」

「はい」

「私は、」

 

 カルパッチョが、アンチョビの言葉を待つ。ペパロニも、察するように黙り込む。

 ――カルパッチョの言葉は、まるで正論だった。恋心とは常日頃から暴れまわるもので、メールに夢中になったり、天候を気にしたり、戦車に乗っても気が晴れなかったりで、もうぐちゃぐちゃだった。

 それもそのはずだ。だって、ポモドーロとは、

 

「――好きな人が、できた」

 

 カルパッチョは動じない、ペパロニは「マジっすか!?」と驚愕する。アンチョビは、指を立てながらで「しーっ!」と静かに叫ぶ。

 

「あ、スイマセン」

「いや……とにかくまあ、そういうことでな」

「なるほど。それで、あんな顔を」

「まあな」

 

 両肩で呼吸する。ペパロニが叫んだところで、食堂の賑やかさは止まらない。

 

「それはいい、恋したのは間違いない。いつか、告白だってする」

 

 ペパロニが、黙って頷く。

 

「……けどな」

 

 エスプレッソの入ったカップを手に取り、少しばかり飲む。

 

「けど、あいつは――ポモドーロとは、趣味仲間でしかなくてな」

 

 ポモドーロという名前を聞いて、カルパッチョは動じない。ペパロニは「マジで!?」と、顔全体で叫ぶ。

 

「あいつは、私のことを先輩と慕っている、憧れとすら言ってくれた。……けれど、そういう関係でしかないんだ」

 

 そう。

 ポモドーロとは趣味仲間で、先輩後輩で、憧れで、尊敬されていて、それだけだ。アンチョビは、片想いを抱いているに過ぎない。

 告白だってする、とは言った。けれど、それは明日かもしれないし数週間後かもしれない、或いは数か月先なのかも――「そういう」関係が変化してしまうのが、「ごめんなさい」と言われることが、とてつもなく恐ろしかった。

 

「私が、いきなり『好きです』なんて言おうものなら、ポモドーロは戸惑うだろう。いろいろ、迷惑がかかってしまうかもしれない」

 

 意味もなく、フォークでナポリタンを巻く。

 

「そういうことだから、告白すべきかどうか、迷っている。いや、受け入れてくれるかどうか、怖がっているだけなのかもな」

 

 くつくつと、笑えたと思う。

 

「……そういう、よくある悩みを抱えていただけさ。ありがとう、聞いてくれて」

 

 そうして、ナポリタンを口の中へ運ぶ。

 カルパッチョが「ああ」と笑顔になる。

 ――アンチョビの全てが、ぴたりと止まる。

 

「……え?」

「よかった。そういうことでしたか」

 

 アンチョビが、もう一度言う。「え」と。

 

「おめでとうございます、ドゥーチェ」

 

 ペパロニが、首をかしげる。

 

「両想い、カップル成立ですね」

 

 間。

 

「え゛ッ……!?」

 

 根っこから声が出る。食堂で無ければ、いち早く注目されていただろう。

 

「な、なんで……?」

「ポモドーロさん、前々からドゥーチェのことが好きだったんですよ」

「そ、そうなのッ?」

 

 カルパッチョが、穏やかに頷き、

 

「ドゥーチェの話をする時のポモドーロさん、いつも嬉しそうにしますから」

「え、でも、それはっ、仲間だから、」

「いいえ。ドゥーチェのような魅力的な人とめぐり合えて、恋しない男性なんていません」

「そ、それは……乱暴じゃないかなぁ?」

 

 その時、カルパッチョの人差し指が立った。右目だけを閉じて、左目でアンチョビを的確に据えて、

 

「質問します」

「え、何……?」

「最近、メールアドレスの交換、しましたか?」

 

 こう言った。

 こんなことを言われて、アンチョビの両目が見開かれた。

 

「やはり、そうでしたか」

「な、なんで……?」

「先ほどから、携帯を覗っていましたよね。浮かない顔で」

「う」

「この前のポモドーロさんも、携帯を嬉しそうに眺めていましたし。私たちの、屋台の前で」

 

 カルパッチョが、容赦無くにこりと笑う。アンチョビは、「うう」と唸るしかない。

 ――ありえない話ではない。最近のポモドーロは、屋台を通じて「投資」を行っている。

 昼飯を食している最中に、自分からのメールが届いたところで、それは日常の一コマに過ぎない。その日常を覗われたところで、普通はバレやしなかっただろう、普通は。

 カルパッチョの顔を見る、カルパッチョは更に更に笑う。

 

 やっぱり、カルパッチョという女性は凄いと思う。

 これだけのボロから、これだけのことを察するなんて――当たり前か、とも思う。カルパッチョは「優等生」で、真面目で、賢くて、二年にして副官を務めているのだから。

 

 カルパッチョが、エスプレッソを一口飲み、

 

「あれは間違いなく、恋する男性のお顔ですね」

「……そう……?」

「ええ。アンツィオでは、よく見る顔です」

「そう、か」

 

 カルパッチョが、「それで」と言い加え、

 

「恋した女の子は、ドゥーチェのようなお顔になります。必ず」

 

 ――。

 カルパッチョは、アンツィオ女子高等学校二年生だ。だから、惚れた腫れたなんて見慣れているだろうし、カルパッチョ程の人物が恋愛感情を見逃すはずもない。

 戦車道とは、見透かす力も問われることがあるのだ。

 

 恋のサインに気づけなかったのは、きっと、近すぎたせいなのだろう。ポモドーロはいつだって、自分に対して笑いかけていた。

 恋のサインに気づけなかったのは、きっと、近すぎたせいなのだろう。自分はいつだって、ポモドーロに対して情を抱いていた。

 だから、友情に隠れた愛情へ気づくのに、ずいぶんと時間がかかってしまった。

 

 ジェラートと出会ったあの日、ポモドーロは男の顔で、男の目つきで、男らしい声で、「任せてください」と、自分だけに言ってくれた。

 それでもう、だめだった。

 

「……両想い……なのかな? 本当に」

「はい。外れたら、何か奢ります」

「そんな、恋愛小説みたいなこと、あるのかな?」

 

 思わず、常日頃から意識している「それ」を口にしてしまった。

 対してカルパッチョは、間違いなく「はい」と返事をして、

 

「恋愛小説のヒロインみたいですね、今のドゥーチェは」

 

 息が漏れた。

 

「ドゥーチェ。想いをしまいこむか、表に出すかは、あなた次第です。――私たちは、あなたを応援します」

 

 たち。

 ペパロニの方を見る、ペパロニは「うーん」と唸り、声に出して、悩んで、そして、

 

「姐さん」

「う、うん」

「私はまだ、恋愛云々はよく分からないっすけど……これだけは言えるっす」

 

 それは。

 アンチョビが、目で促す。

 

「伝えたいことがあるなら、ちゃんと伝える。想いとかそういうのは、ケチケチしちゃいけないと思うっす」

 

 ペパロニは、世界でいちばん正しい事を口にした。

 恋愛とは、結局は、そういうことなのだ。

 

「――わかった」

 

 決めた。

 高校戦車道全国大会が終わったら、絶対にぜったいに告白しよう。人生に一区切りついたら、この想いを叫ぼう。

 ――これは、後回しでも逃げでも何でもない。

 

 わたしは、自分の言葉で泣いてしまう性格だ。

 だから、告白なんてしようものなら、わたしはきっとどうにかなってしまうだろう。

 

―――

 

「それで、どれくらいの点数が取れた?」

 

 憩いの場で、アンチョビの口から、テストに関しての質問をされた――実に学生らしい話題であって、避けられぬ話の種でもあって、ポモドーロからすれば何よりも重い流れだった。

 赤点は避けられた。だが、「それだけだ」。アンチョビのお眼鏡に敵うかどうかは分からない。

 周囲からは「マジかよ」と驚かれ、「おかしいんじゃねえのか?」と褒められ、「偽物だなお前」と背中を叩かれた。けれど、アンチョビからすれば、偉大な総統からすれば、ポモドーロが必死こいてかき集めた点数なんて普通レベルかもしれないし、取るに足らないかも。

 ひどいマイナス思考だと思う、学校側からも素直に称賛されたというのに――やはり、恋煩いとは厄介だなと思う。

 

「そう、っすね」

「うん」

 

 ポモドーロの隣に座っているアンチョビが、実に聞きたそうに頷いている。

 覚悟を決める。

 元から決めていた目標だ。ここで第一段階を踏まなければ、ポモドーロの願いは無に消える。

 大丈夫だ。教師からも、「調査、し終えたんだな」と褒められた。

 

「アンツィオ高二年、全体のうち――三位を取りました」

 

 三位。自分なりに勉強してきたつもりだが、やはり一位、二位の壁はデカかった。

 二位は別の教室のクラスメートで、一位はボランティア部の守護神(ペパロニに片想い中)だった。勤勉にして筋肉、間違いなく自分よりデキる人間だ。

 息をつく。アンチョビの顔を見る、

 

「三位……」

 

 瞬間、

 

「すごい」

 

 アンチョビの表情が、花火のように明るくなる。

 

「凄いじゃないかポモドーロ! 三位、三位か! 立派だッ!」

「そ、そすか? あ、ありがとうございます!」

 

 半ば本能的に、半ば反射的に、ポモドーロは礼を言った。

 アンチョビが大いに盛り上がるものだから、ロクに思考が回らなかった。

 

「そうか……そうか。お前、凄い奴になったな」

「い、いえ。これも全部、」

 

 アンチョビが、首を横に振るう。

 

「お前の意志力のお陰だ」

 

 はっきりと、否定もさせない勢いでアンチョビが言った。

 

 ――瞬間、息という息が漏れる。

 よく、ここまで来れたものだと思う。学園艦の創設者の名前すら言えなかったあの頃が、数年前の事のようにも思える。

 その頃は、間違いなく、告白する資格なんて無かった。

 そして今、間違いなく、告白する権利を得たのだと思う。

 義務ではない、権利だ。想いを口にするか、しないかなんて、全て「お前の意志力次第」なのだ。

 ――決める。

 

「ありがとうございます。俺、これからも頑張ります」

「ああ。勉強、夢、部活動……ぜんぶ応援する」

「先輩も、大会に向けて頑張ってください。俺も応援しますから」

「ありがとう、ポモドーロ」

 

 アンチョビが、いつものように笑う。

 ポモドーロにとっての、アンツィオ一番の顔だ。

 

「……しかし、そうか、三位か……」

「先輩は、どれくらいで?」

「一位」

 

 やっぱりすごい人だ。ポモドーロも笑ってしまう。

 

「やっぱり総統っすね、あなたは」

「関係あるかぁ? まあちょっとはあるか……あ、こら、ここで総統呼びは禁止だろ?」

「あ、そうでしたすんません」

 

 まったく。

 アンチョビが鼻息をつき、そうして恋愛小説を読み直す。ポモドーロも同じことをする。

 アンチョビとは趣味仲間で、同好の士で、つまりは良好の関係だ。けれど、そこに恋が挟まってしまうと、事態は一変する。

 恋とは怪物だ。何者も変えてしまう、万物たる存在だ。もしかしたら距離感が生じるかもしれないし、嫌悪感だって誘うかも、或いは「ごめんなさい」と拒絶されたきりそのまま――

 だが、恋とは幸せな感情だ。だから迷って、捨てに捨てきれないで、恋の為にあれこれ出来たりする。今の自分がまるでそうだ。

 

 決めた。今の関係を、変えよう。

 

「先輩」

「ん?」

 

 小説に目を通したまま、

 

「俺……ちゃんと勉強出来てましたか?」

「ああ。三位だぞ三位、素晴らしいじゃないか」

「……そうっすね」

「それだけじゃない、お前は部活動も頑張っている。この前は大活躍だったしな」

「光栄っす」

 

 小説には、こう書かれてある。「先輩は、俺にとって必要な人です。お願いします、いなくならないでください。俺は先輩がいないと、何もできない」。

 まったくもって、まったくもってその通りだった。

 

「先輩」

「うん?」

 

 恋愛小説を閉じる。

 

「俺、いい成績が取れたら……先輩に、言いたいことがあったんです」

「ん?」

 

 アンチョビが、何気なくポモドーロと目が合う。

 

「俺、先輩のお陰で、こうして生まれ変われることが出来ました」

「……言っただろ? それは、お前の意志がそうさせたんだ」

「かもしれません。ですが、先輩がいなかったら、俺は気楽なままでした」

 

 あえて、失恋小説を持ってきて良かった。

 恋愛小説が好きで、本当に良かった。

 だからこそ、アンツィオの偉人に、総統に、先輩に、

 

「先輩。俺がこうして進んできたのは、ぜんぶ先輩に追いつく為のものでした」

「え」

「もちろん、今の部活動は楽しいですし、夢だって必ず叶えるつもりです。……ですが、それらも含め、先輩ありきだったんです」

「え、え……?」

「先輩」

 

 千代美に、

 

「俺、今なら言えます。俺は、ずっと前から、先輩のことが大好きでした」

 

 告白できた。

 

「気付かされたんです。『あのまま』の俺だったら、先輩は振り向かないだろうと、男として見てくれないだろうって。だから俺は、俺なりの方法で、男らしくなろうと決意しました」

 

 アンチョビが止まったまま、アンチョビの恋愛小説が風に煽られ、ページがめくられていく。

 あの日以来、ポモドーロは生まれ変わろうと決意した。

 男らしいとは何なのか、アンチョビにとっての恋愛対象とは何なのか、それは未だに分からないが――だが、

 

「勉強して、部活動に励んでみて……そうしたら、自分のことがもっと好きになりました、自信を抱けました。それで、あなたに告白するという勇気が、沸いたんです」

 

 前よりも、自分のことを愛せるようになった。誇れるようになった。

 ――どんな結末が待っていようと、アンチョビのことをずっと尊敬し続けるだろう。恩人と誓うだろう。

 

「先輩。先輩のことを、女性として愛しています。大好きです」

 

 アンチョビの吐息が漏れる、呼吸が聞こえる。

 もう、言うことはない。伝えるべき言葉はぜんぶ使い切った。

 

「そんな」

 

 アンチョビが、縋るような目で、

 

「私の為に、私の為なんかに、そこまで、」

「いいえ」

 

 断言する。

 

「今の自分も、部活動も、夢も、この勇気も、ぜんぶ先輩がくれたんです。そんなことを言わないでください」

 

 穏やかに言えたと思う。

 

「あなたは戦車道だけでなく、俺の道も変えてくれたんです」

 

 あの頃の春が過ぎ去っていって、夏が訪れようとしている。

 ぬるい風が吹く、憩いの場の人工林が揺れる。アンチョビの瞳は海のように輝いていて、ポモドーロは片時もアンチョビから逸らさない。

 仕方のない間が、どうしようもない沈黙が、必然の隙間が生じる。

 アンチョビが、ちいさく呼吸した。

 

「……ポモドーロ」

「はい」

「……その、返事は、」

 

 アンチョビが、己が胸を掴む。どうしようもなくなって、下に目線を向ける。その先には、恋愛小説。

 

「先輩」

「あっ」

「今すぐ、とは言いません。先輩が落ち着いたらで構いません。数日後でも、数週間後でも、数年後でも、いいですから」

「そ、そんなに経ったら、私は、」

 

 ポモドーロは「いいえ」と小さくつぶやき、間違いない気持ちで、

 

「あなた以上の女性は、いませんから。だから、いつまでも待てるっすよ」

 

 こう言った。

 まるで恋愛小説のような言い回しだったが、本心と被ったに過ぎない。

 

「――ここまで聞いてくださって、本当にありがとうございました」

 

 一礼。

 もうじき、夜が訪れようとしている。なぜか悠長に、「もうこんな時間か」と思えた。

 

「……先輩、そろそろ帰りましょう。暗くなってきました」

 

 ゆっくりと立ち上がる。やるべきことはやった、言うべきことも言えた、後は待つだけだ――

 手に僅かな衝撃が、大きな暖かさが、ポモドーロの体全体に灯っていく。

 見る。

 

「まって」

「は、はい」

 

 女の子のようなアンチョビが、そこにいた。

 おかしな表現になるが、一目見てポモドーロはそう思った。

 総統のような鋭さはどこにもなく、先輩のような勇ましさは見当たらず、千代美その人がポモドーロの手を握りしめていた。

 

「その、返事は必ずする。大会が終わったら、必ず、絶対に言う」

「はい」

「……手帳、あるかな?」

 

 返事をする前に、ポケットから手帳を取り出す。思い付きを忘れない為の、ポモドーロのちょっとした武器だ。

 アンチョビは、鞄からペンを取り出し、

 

「貸してもらっても、いいかな?」

 

 黙って差し出す。受け取ったアンチョビが、流れるようにページをめくっていく。

 タン色の手帳と付き合って、はや数か月。何だかんだいって、手帳には何度も助けられた。

 

「……よし」

 

 空白のページまでたどり着き、アンチョビが音を立ててペンを走らせる。最初から書く内容が決まっていたのだろう、速い。

 

「必ず、返事をするから」

 

 手帳が裏返される。女の子の文字で、こう書かれていた。

 

『高校戦車道全国大会が終わった後、ポモドーロに必ず返事をする! by安斎千代美』

 

 

「じゃあ、帰りましょう」

「あ、まって」

「えっ?」

「その……ひとりに、しないで」

「……はい。先輩の寮まで、エスコートしますよ」

「……ありがとう」

 

 アンチョビが、自分のことを好きだとしても、それが勘違いだとしても、今は気持ちよく笑える。

 手を繋ぐ。

 

 おれは、この人の事を好きになって、本当によかった。

 

―――

 

 夏らしい気候にやられつつ、ポモドーロはボランティア部として祭りの準備を手伝った。

 祭りが開催される理由はといえば、「期末テストが終戦したから」以外に他ならない。一見しなくとも大袈裟だが、学生からすればテストなんて地獄だし、この世で最も不必要な行事の内に入るだろう。そもそも、ノリと明快で食っていっているアンツィオ生徒からすれば、相性最悪と言わざるを得ない。

 しかし、テストだろうが何だろうが、終わりの時は必ず訪れる。苦しければ苦しいほど、解放された時の反動とはデカいものだ――よって、アンツィオ的には「よし、祭りだ!」の言い分が成立してしまう。

 

 だが、皆が皆予想していたことだ。この時期になると、いつもそうなのだ。

 これもアンツィオ高校学園艦に伝わる、流儀というものである。

 

 祭りの準備から生還したポモドーロは、「あー」と唸りつつベッドへ。しばらくして、「風呂入ろ」のフェイズへ突入する。後はそのまま、体を洗って風呂に入って民謡を高らかに歌って満足げに帰還する。

 丁度その時、充電中の携帯が震えた。サイクルが短かったので、メールか何かかなと携帯を引っこ抜いてみれば、

 

送信者:安斎先輩

『今晩は、今日も部活動お疲れ様。準備、大変そうだったな……がんばれ、応援しているぞ。

そうそう。今週末、暇かな? ようやく、30007日間が上映されるようで――お前がよければ、一緒に見に行きたい。

あと、『期末テスト終了記念祭』も開催されるようだから、そこにも行ってみようと思う。

――そろそろ大会が始まるから、だから、気分転換をしておきたいなーと……いいかな? もちろん、部活動があるならそちらを優先にして欲しい』

 

 優先事項なんてハナから決まっていた。携帯をハイスピードで操作し、「部長」のメールアドレスを引っ張り出す。

 送信メール内容は、簡単に言うと「週末、仲間から誘われまして……休んでも構いませんか?」だ。

 送信後、「大丈夫かねえ」と天井へぼやく。そうして数秒後、手に持ったままの携帯が震えた。

 受信メール内容は、簡単に言うと「buona giornata(良い一日を)!」だった。心の底から「部長最高っす!」と称賛しつつ、アンチョビへ「OK」のメールを送信した。

 

 ため息が漏れる。

 風呂上りと、デートのお誘いの相乗効果で、今のポモドーロのテンションは極めて高い。

 なるほど、と実感する。世界とは、頑張った分だけどうにか回ってくれるものらしい。

 

 そして、手に持ったままの携帯が震えた。

 ポモドーロが「あ?」と声に出て、画面を見てみれば「安斎先輩」の文字。弛緩しきった雰囲気が、再び緊張感を帯びる。

 受信する為に、人差し指を画面へ押す。焦り過ぎて判定外、違う違うと受信アイコンをタップした。

 

「も、もしもし!?」

『あっ! す、すまない、今忙しかったか?』

 

 間違いなくアンチョビの声だった。落ち着く為に、冷蔵庫へ足を進める。

 

「問題ないっすよ。それで、どのようなご用件で?」

『ああいや、待ち合わせ場所とか、時間とか、そういったのを決めておきたいなと』

「なるほど、それは確かに大事っすね」

『ああ。それで……どうだ? 朝一から遊ぶっていうのは』

「朝一っすか! いい趣味してるっすね先輩」

 

 アンチョビが「えへへ」と笑い、

 

『出来るだけ長く、気分転換がしたくて』

「そうっすか。もう少しで、最後の大会ですもんね」

『ああ。最後の、大会だ』

 

 冷蔵庫を開け、牛乳パックを回収する。

 

「どうっすか? 調子は」

『注文票作戦もあって、完璧だ。秘密兵器も、用意出来たしな』

「秘密兵器!? 何すかそれ!?」

『しっ! 盗聴されているかもしれないから、迂闊なことは言えない』

 

 ポモドーロ十七歳が、少年のように盛り上がる。アンチョビの声が、露骨に小さくなる。

 秘密兵器に秘密のやり取り、こんなの血沸き肉躍るに決まっていた。

 

『先輩が残してくれた小遣いと、今年分の儲けで……ようやく、手にすることができた』

「マジすか」

『マジだ。……これもみんなが頑張ってくれたから、『みんな』が食べてくれたから、お前が投資してくれたおかげだ」

「そんな、俺なんて」

『ありがとう』

 

 間。

 

「――絶対に、勝たないといけませんね」

『ああ』

 

 思考する。

 長い長い年月を経て、アンツィオの力だけで購入した「秘密兵器」について思う。

 活動費とは、主に屋台から得るものだ。そのレートにしたって、だいたいは百五十万リラから三百万リラまで、実に実に安い。

 アンツィオのメシは美味い、だから観光客も寄ってくる。それ故に、百万リラほど高くしたところで「祭りの値段」として受け入れられるだろう。

 だが、アンツィオ生徒は、アンツィオ高校学園艦は、それを善しとしない。何故ならば「食べてもらって」「祭りの空気を共有すること」が、一番大事だから。

 ――だから、心の底から思う。口にもする。

 

「……アンツィオの象徴、誇りですもんね」

『ああ、そうだな。その通りだ』

「勝てますよね、絶対に」

『勝てる。秘密兵器もある、皆も強いからな』

「ですね」

 

 根拠もなく笑う。

 想像する。高校戦車道全国大会で、優勝した時のアンチョビの顔を、とびきりの笑顔を、見惚れてしまいそうな最高の表情を――

 

『あ、そ、そうだ。待ち合わせ場所と時間』

「あ、ああ、そっすね! すいません」

『いや、こっちこそ。……お前と話せて、本当に良かった』

「光栄です」

 

 試合が行われる時は、会場へ出向いて直接応援したい。

 けれど、それが叶う事はないだろう。週末とは、ボランティア部の本領が発揮される瞬間なのだから。

 だから、胸を張って、学園艦で応援しよう。

 今の自分なら、それも力になると自信を持って言える。

 

 コップを回収して、牛乳を一杯飲む。

 恋愛小説がぎっしり詰まった本棚が、視界に映る。

 

『じゃあ、集合地点はトレヴィーノ泉前で――』

 

―――

 

「あ」

 

 週末が訪れ、期末テスト終了記念祭が開催されるその日――アンチョビとポモドーロは、確かに合流地点で落ち合った。

 ポモドーロは「やっぱりモデルさんみたいっす」と称賛し、アンチョビも「お前も何かこう、違うな」と褒めてくれて、当たり前のように手を繋いで、朝の街中へハシゴしようとして――祭りの手伝いを行う為に、現在進軍中のボランティア部の皆さんと鉢合わせした。

 

 ヤバい事が、五つほど上乗せされた。

 一つ目は、ポモドーロが女の子とデートをしている事実がバレたこと。

 二つ目は、その場にリコッタと部長がいたこと。

 三つ目は、リコッタが「え? あんたがデート? ……あれ、あなたはもしかして」と察したこと。

 四つ目は、ポモドーロとアンチョビが手を繋いでいたこと。

 五つ目は、ここがアンツィオ高校学園艦だということ。

 

 それはもう、ポモドーロから、アンチョビから、リコッタから、部長から、他のボランティア部の口から、「あ」と言わざるを得ない。

 異性関係に人一倍興味のあるアンツィオ生徒達、もといボランティア部は、次第に「ははーなるほどねー」な顔をする。下手に煽ったりしないあたり、余計に心身的ダメージがデカい。

 リコッタに至っては、歯を見せ陽気に笑って親指を立てている。部長はといえば、「頑張れよ」とか激励をかましてくれたので、小声で「がんばります」と返した。

 

 そして、ボランティア部はそそくさと離脱する。正直やめて欲しかったが、邪魔をしないのもアンツィオの流儀である。

 朝っぱらからめちゃくちゃ恥ずかしくなって、けれども手は離さないで、「すいません」とか漏らしてしまって、けれどもアンチョビは、

 

「いい人たち、じゃないか」

 

 そう、フォローしてくれた。

 自分はもちろん、アンチョビも顔が真っ赤だった。

 

 ↓

 

 同好の士らしく、最初は恋愛小説を買い漁ることにした。場所はもちろん、この前寄った本屋だ。

 アンチョビ曰く、「ここは雰囲気がいいな、静かだし」とのこと。自分もそこが気に入っているので、贔屓にさせてもらっている。

 さて――

 一階の本棚はといえば、真面目なジャンルの本が所狭しと並べられている。それはビジネス書から専門書、戦闘機道から戦車道関連のものまで――戦車隊隊長ならではだろう、アンチョビが戦車道コーナーへと足を運んでいく。

 

「あ、まだ残ってたのか」

 

 ちらりと本棚を眺め、見覚えのある本の背を引っこ抜く。

 ビニールにくるまれていて、茶色い表紙で、「いかにも」な専門書だ。非常に分厚く、その分たったの4500万リラ。

 

「うーん、欲しいな……」

「そっすね」

 

 そう、たったの4500万リラで、アンチョビの役に立てるのだ。

 

「まあ、いつか買えるだろう。……秘密兵器も買えたんだ、大丈夫大丈夫」

「ええ、そう思います」

 

 よくもまあ、そんなことが言えたと思う。選択肢なんて一つに絞っているくせに、予算的に余裕のくせに。

 だが、ここで「俺が買います」と格好つけたところで、アンチョビは「駄目だ。自分の為に使え」と指摘するだろう。そういう人だ。

 しかし、しかしだ。

 好きな人の為にプレゼントを買う。それは、この上無い「願望」だ。

 

「よし、二階へ行こう」

「はい」

 

 ――二階まで昇り、最初は特設コーナーを眺めることにした。今もなお「30007日間」のPVが繰り返し再生されていて、「本日上映!」というビラが追加で貼られている。

 アンチョビは上機嫌そうに、眼鏡ごしからの瞳を光らせていた。

 

「早く見てみたいっすね」

「ああ。……泣いちゃわないかな」

「いいんじゃないすか。感情移入してナンボっすよ、恋愛映画は」

「そうだな」

 

 そうして再び、アンチョビから手を握られる。

 ポモドーロは、何も言わずに握り返す。

 

「さて、発掘しようか。恋を」

「そっすね」

 

 その言葉とともに、恋愛小説コーナーへ立ち寄っていく。

 やはりというか、女性の客が多い。中にはアンツィオの女子生徒も居たが、「まあ、今更か」と受け入れることにした。アンチョビも気にはしていない。

 アンチョビが、小さな声で「どれにしようかな」と呟く。少女のように微笑み、年相応に高揚するその姿を見て、ポモドーロは「いいなあ」と思う。

 

「……あ、あれ、変かな? じっと見ているけど」

「い、いえいえそんな。……文学少女みたいで、いいなあって」

「そ、そうか? そうかなあ?」

 

 眼鏡をかけていて、青のプリーツスカートを着こなしているからだろう。余計にそう見える。

 ――素直に称賛することに、恐れなどない。だって、告白したのだから。

 

「お、お前もさっ、その、あれだけちゃんとしているのに、恋愛小説が好きっていうのが……男の子っぽいと思う」

「そ、そすか?」

「う、うん」

 

 ポモドーロが、横歩きに本棚を物色する。アンチョビも、ポモドーロへついていくように移動する。

 

「んー、有名どころは読んだしなー」

「……あ、これ失恋小説だっけ。読んだことないな」

 

 本の背には、「ピープルストーリーズ」と書かれてある。そういえばそんな新刊が出ていたような、

 

「でも、今はいいや」

「いいんすか?」

 

 アンチョビが、こくりと頷き、

 

「だって――縁起が悪い」

 

 消えそうな声だった。それと共に、アンチョビの手がポモドーロと重なる。

 小さかった。総統の手は、女の子そのものの大きさだった。

 

「先輩」

「うん」

「――ハッピーエンドの恋愛小説、探しましょうか」

 

 同好の士らしい言葉を投げかける。バッドエンドが嫌ならば、ハッピーエンドを探せばいい――恋愛小説とは、そういう選択も許される。

 

「ああ、そうだな」

 

 そして、同好の士であるアンチョビも、その言葉で機嫌を取り直してくれた。

 半ば密着に近い距離を保ったまま、アンチョビとポモドーロが恋愛小説を探し求める。めぼしい本があれば引っこ抜き、「これ失恋モノじゃないだろうな」と検索をかけたりもした。

 そうして試行錯誤を繰り返すうちに、アンチョビは三冊ほど本を確保していた。タイトルは「戦車娘、恋に走る!」、「戦車旅行記」、「ラブメタルタンク」と、どの本も戦車道が絡んでいそうだった。

 ポモドーロが、特に考えなしに「先輩らしいチョイスっすね」とコメントすると、

 

「……お前が原因だからな」

 

 それを聞いて、ポモドーロは、

 

「ありがとうございます」

 

 ↓

 

「はい、どうぞ」

 

 買い物を済ませ、本屋から出ていく際に、ポモドーロは何でもないように「重たい袋」を手渡す。

 アンチョビが「え?」と声を出して、袋から中身を取り出してみては「え゛!?」と叫んだ。タイトルは「近代戦車道指南書」、明らかに恋愛小説のそれではない。

 まるで恐ろしいものにでも触れているかのように、アンチョビの手が震えている。対してポモドーロは、気まずそうに苦笑しながら視線を逸らし始める。

 

「ポモドーロッ」

「あ、はい、なんすか?」

「これ……もしかしてあれか、トイレタイムの時にやってくれたな?」

「あ、流石総統っすね」

「バレバレなんだよ。それくらいだろ、私からスキを作れる時なんて」

 

 久々にへらへらと笑ってしまう。アンチョビは不機嫌そうに顔を曇らせ、けれど近代戦車道指南書を抱きしめたまま、

 

「なんで買った」

「勿論、先輩の役に立ちたいからっすよ。こんなん安い安い」

「安くないだろう、安くは」

「ま、まあ、安くはないからこそです。男ってのは、格好をつけたがる生き物っすから」

 

 むう、とアンチョビが唸る。それで納得してしまうのも、恋愛小説好きならではだ。

 

「まあ、買ってしまったものはしょうがない。返すのも……あれだし」

 

 強く、指南書を抱き締める。

 

「……一生、大切にする」

「光栄です」

「あと、」

「はい?」

 

 指南書を、再び袋に入れて、

 

「……ありがとう」

 

 文字通りの、4500万リラ相当の言葉だった。

 

 ↓

 

 コロッセオといえばイタリアの観光地であり、ローマの象徴でもある。

 そして、アンツィオ高校学園艦といえば「ローマよりもローマ」な場所であり、当然のようにコロッセオも設けられている。再現度は極めて高い。

 

 普段からも観光名所として賑やかな場所なのだが、今日はより一段と人の声がデカく、屋台という屋台が所せましと並んでいる。特設ステージまで設けられていて、今現在はアンツィオメタルがコロッセオを沸かせているのだった。

 少し歩けば「そこのカップル! パスタ食ってかない!?」と声をかけられ、カップルと聞いてアンチョビが顔を赤くする。もう三歩ほど進めば「そこの姉さん兄さん! おいしいナポリタンがあるよ!」と叫ばれ、ギターソロが会場を震わせる。少し視線を逸らせば、剣術対棒術のタイマンが覗えた。

 そして、会場のど真ん中に設置された特設モニターは、

 

「げ!」

 

 総統の活躍を、セモベンテ上の指鉄砲を上映していた。どうやら、PVを繰り返し放送しているらしい。

 実際に効果はあるようで、観光客の何人かが「かっけえ」とか「スゲーなここ」とか「惚れた」とか、感想を述べていた。

 私服姿でなかったら、髪型がおさげでなかったら、今頃は詰め寄られていたかもしれない。

 

「……ちょっと後悔してるかも」

「まあまあ」

 

 そんな風にして、ポモドーロもアンチョビも、「期末テスト終了記念祭」に揉まれていた。

 タイトルは非常に日常的だが、これも立派な祭りだ。祭りといえば、全力投球するのがアンツィオの流儀でもある。

 

「あ、ねーさんとにーさん!」

 

 聞き覚えのある声が、よく響き渡る。アンチョビと同時に振り向けば、見覚えのある顔が手を振っていた。

 

「お、おお、ペパロニー。ここにいたのか」

「いたっすよー、もう手一杯で猫の手もうんたらかんたら」

 

 かなり繁盛しているらしく、汗は流れ放題、両腕も絶賛稼働中と、非常に忙しない。カルパッチョの方も、笑顔で「はい、どうぞ」と、観光客へラザニアを手渡していた。

 アンチョビが、一歩踏み出し、

 

「手伝おうか?」

「大丈夫っす! こういうことで忙しいのは、嫌いじゃないっすから!」

 

 元気よくウインクされ、調理用スプーンがフライパンの上で踊る。手馴れた感じのかき混ぜっぷりは、いつ見ても感心せざるを得ない。

 卵とソースがあっという間に馴染んでいき、鉄板ナポリタンの上にソースがとろりと流し込まれる。嗅ぎ慣れた匂いを前にして、ポモドーロとアンチョビが同時にサイフを引っこ抜く。

 

「はい! 今日はテスト終了記念ということで、百五十万リラ!」

「安いなー」

 

 小銭を支払い、まずはアンチョビへナポリタンを手渡す。正直腹が減りっぱなしだったが、格好つけの前に比べれば何てことはない。

 

「いやー、いやいや、ラブいっすねー」

「! まだ交際していないッ」

 

 アンチョビが露骨に怒りながらも、「いただきます」と、ナポリタンをおいしくいただく。

 ポモドーロは、「そうなんすよね」と笑う。

 

「ポモドーロッ、デレデレするなッ。弱味を握られてしまうっ」

「握るのは手ですものね」

 

 カルパッチョが、横から静かに歩んできた。カウンターには、「休憩中」の札が置かれている。

 

「え、な、何をッ」

「見ていましたよ。ナポリタンを受け取るまで、ずっと手を握っていたところを」

 

 たぶん、アンチョビの頭の中は「!」が乱立しているだろう。

 いつもの笑顔のままで、カルパッチョがポモドーロへ向いて、

 

「楽しんでいますか?」

「はい」

 

 ポモドーロが、頭を下げる。ペパロニが「あついなー、ダブルであついなー」と、実に楽しげに調理している。

 

「それは、良かった。――応援、しますからね」

「ありがとうございます」

 

 今なら、分かる。

 きっと、カルパッチョには気づかれていたのだと思う。あの日の無表情とは、メールを受け取った時の笑顔とは、つまりはそういうことなのだろう。

 だから、

 

「俺、幸せっす」

 

 カルパッチョは、物静かに頷いてくれた。

 ――ひと区切りつくまで、待っていてくれたのだろう。ペパロニが、にこりとナポリタンを差し出し、

 

「へい、おまち! 鉄板ナポリタンの出来上がり!」

「やったッ! いただきます!」

 

 鉄板ナポリタンを受け取り、何の躊躇いも無く口の中に放り込む。熱くて、ソースの香りが口の中で広がっていって、ナポリタン特有の明快な味が舌にしみる。食べれば食べる程、腹が減っていく。

 ――新たな観光客が、ペパロニナポリタンの匂いに惹かれる。ペパロニが、「らっしゃい!」と元気よく声をかける。

 

 そうして改めて、アンチョビの横顔へ視線を向ける。アンチョビは、良いのか悪いのか、複雑そうな表情を浮かばせ、

 

「……まあ、そうだよな。手は、繋ぐものだからな」

 

 アンチョビが、両肩でため息をつく。

 

「ポモドーロ」

「はい?」

 

 アンチョビから声をかけられる。

 仕方がなさそうに苦笑していて、悪くなさそうにナポリタンを噛み締めていて、

 

「楽しいな」

 

 祭りの喧騒には、力がある。ちょっとやそっとのマイナスなんて、この通り吹き飛ばしてしまう。

 改めて、ポモドーロは思う。アンツィオに入学して、

 

「楽しいっすね、先輩」

「うん」

 

 アンツィオに入学して、この人と出会えて、本当に良かった。

 

 ↓

 

「はあ……」

 

 祭りで屋台巡りをしては、「カップル! こっちも!」と言われてジェラートを食べ、「そこのベストカップルッ! うちのパスタが似合うんじゃないかい!?」とおだてられてパスタを食って、その後も三食ほど味わって腹がヤバくなりながらも、バレエフェスに参加してノリで踊りあったり、アンツィオライブを拝見してノリでダンスしたり、ボランティア部の面々と鉢合わせして「bbbb」されたりしてもうめちゃくちゃだった。

 

 そして今、映画館で30007日間を見終えて、映画館から出て、ため息を一つ。

 すぐに、映画の内容がフラッシュバックする。あっけなく、涙腺が崩壊する。

 

「う、ううっ……」

「ううう……ッ!」

 

 映画館の中では、あくまでも冷静に、理知的に余韻に浸れたのだ。アンチョビも、静かに「面白かったな」とだけ。

 たぶん、室内だから建前を保てたのだと思う。

 

 けれど、外に出た瞬間――涙が溢れてくる。止まらないし止める気もない。映画館という世界から抜け出したせいで、本当の意味で映画は「終わってしまった」。

 外という、感情の自由が許される世界を目の当たりにしたせいで、躊躇なく想いが溢れ出てきた。

 男も女性も関係ない。ポモドーロは唸るように泣いて、アンチョビも声を漏らしながら涙を流していた。

 もう、感情がメチャクチャだった。

 

「いい゛話だったなあ」

「はい……」

「数十年ずっと一緒で、食べ歩きを続けて、お互いを支えて……」

「それで、同じ時間で『眠って』、」

 

 言葉にした瞬間、ポモドーロの目から、水のように涙が流れてきた。

 これ以上何か言おうものなら、喉が壊れてしまいそうだった。

 

「いっしょに、一緒に……うあああ゛ッ」

 

 アンチョビも、感情が止まらない。泣きが入る。

 そんなアンチョビを前にして、ポモドーロの建前なんてすぐに木っ端微塵となった。この街中で、外の世界で、恋愛小説好き同士が声を上げる。

 これほどまでに感情を絞り出せるのは、きっと、哀しいだけじゃないからだと思う。30007日間という話は、悲恋ではなく純愛物だ。愛を間違いなく貫き通す物語だ。

 だから、これほどまでに感情移入出来るのだと思う。根が幸せだからこそ、アンチョビの前でわんわん泣けるのだと思う。

 

「恋、恋って、いいなあっ」

 

 ぎゅっと、手を握りしめられる。

 絶対に、手放したりはしない。

 

 

 嵐のように泣いた後は、なんだか冷静になってしまって、無意味に街中を散歩した。

 あれだけの感情を発散してしまい、気まずいのだかこっ恥ずかしいのだかな沈黙が訪れる。

 それでも、手は繋いだままだ。

 何となくイタリア風の街並みを拝見し、何となく飛び立つカモメを目で追い、何となく二人してジェラートを食べる。

 手は、相変わらず繋いだままだ。

 

 そんな風にして学園艦を歩き回っていれば、いつの間にか夕暮れが訪れていた。アンチョビが、ぽつりと「もうこんな時間か」とつぶやく。

 アンチョビのいう、気分転換は出来ただろうか。何もしていないようで――散々めちゃくちゃやった気がする。

 高くて安い買い物だの、祭りで食ったり踊ったりだの、映画で号泣したりだの、密度は濃いと思う。自分は、十分に楽しんだ。

 あとは、肝心のアンチョビだが、

 

「なあ」

 

 声。

 

「今日は、本当に楽しかった」

 

 アンチョビに視線を向ける。夕暮れらしい、どこか消えそうな笑顔。

 

「本当に、良い気分転換になった」

 

 アンツィオらしくない、どこか繊細な声。

 

「十分、十分、なんだが……」

 

 握られた手に、熱がこもる。

 

「最後に、秘密の場所へ寄らないか?」

 

 

「やっぱり、ここは良い場所だな」

 

 秘密の場所に設けられた、いつものベンチへ腰掛ける。

 暗い、星まで見える。良い学生も悪い学生も、帰る時間だ。

 

「本当、本を読むには最適な場所だな」

 

 ポモドーロは、流されるように「そうっすね」と同意した。

 ひと呼吸する、ベンチに背を預ける。

 

「あと数日、か」

 

 アンチョビが、分厚い指南書が入った袋を太ももの上に置く。

 

「まあ、これを読み終える時間はあるか」

 

 ちらりと、ポモドーロに目を向ける。

 口元が、猫のように歪んでいた。

 

「いつか、仕返ししてやるからな」

「そんなあ」

 

 くすりと、アンチョビが笑い、

 

「優勝へ繋がるかもしれない武器を貰ったんだ、ただで済むと思うなよ?」

「か、堪忍を」

 

 ポモドーロの情けない顔を見て、それで満足したのだろうか。アンチョビが見上げて、

 

「なあ」

「はい」

「優勝、できるかな。アンツィオは」

「できます」

「どうしてそう思う?」

「アンツィオは……先輩が復活させた戦車隊は、間違いなく強い――いえ、最強だからです」

「大袈裟だぞ?」

「いいえ。だって、俺にとっての世界一の人が、イチから育て上げていったチームですよ? 俺からすれば最強です」

「……そっか」

 

 見上げる。アンチョビが見つめている星空を、同じようにして眺める。

 

「ポモドーロ」

「はい」

「お前は、良い医者になれると思う」

「どんな医師になるか、まだ決めていないっすよ」

「どんな医師だろうと、お前は最強だ」

「あっ、パクっちゃいけないっすよ」

「いいじゃないか、同好の士だろ?」

「まあそおですけどお」

 

 たぶん、アンチョビとは同じ位置には立てないだろう。偉大で、皆から総統と呼ばれていて、そんなアンチョビに恋したからだ。

 それでいいと思う。そんなアンチョビが、カッコ良いからだ。

 それでいいと思う。少なくとも、こうして同じものを見ることは出来る。

 

「……先輩」

「ん?」

「先輩は、何か決めてます? 夢とか」

「ああ。何か今年から、戦車道のプロリーグに力を入れるらしくて……プロになろうかなと」

「なるほど」

 

 空を見ているから、アンチョビの表情は覗えない。

 アンチョビが、息を吐く。

 

「やっぱり私は――戦車道が、大好きだから」

 

 十分な答えだった。

 

「……ポモドーロ」

「はい」

「必ず、返事をするから。全てが終わったら、必ず言うから」

「いつまでも待っています、先輩」

 

 もう、夜だ。

 こんな時間まで、ここに居るのは初めてだった。人工林から垣間見える星空は、よけいに綺麗だった。

 

「赤石」

 

 え、と言う前に、ポモドーロの頬に暖かい何かが触れた。

 ――深呼吸する、勇気をひと掴みする。アンチョビの手をとって、

 

「帰りましょう」

 

 視界を星から、アンチョビへ、

 

「千代美」

 

 

「うん」

 

―――

 

 高校戦車道全国大会が始まって、はや数日が過ぎた。

 アンチョビから、『一回戦目、勝ったぞ!』というメールが届いた時は――ボランティア活動中だというのに、「っしゃあッ!」と叫んでしまったものだ。献血バスの中で。

 AB型の観光客は「何かいいことがあったのかい?」と笑い、医療関係者は「若いっていいねえ。でも、静かにね」と苦笑して、ボランティア部員は「大会中だったな、そういや」とニヤついてくれた。とてつもなく恥ずかしかった。

 

「申し訳ありませんでした……」

 

 深々と頭を下げる、大失敗してしまった。

 けれど、でも――アンチョビがアンツィオの為に戦うように、自分も命を救う為に戦い続ける。大袈裟かもしれないが、それが願いだ。

 さて、

 献血の呼びかけを、していこう。

 

―――

 

 高校戦車道全国大会の優勝を目指して、はや三年が過ぎた。

 一年目は一回戦目から敗退、二年も同じ。そして三年目は、二回戦目まで突破した――その結果を最後に、アンツィオでの戦いは終わった。

 

 悔いなんて無い。注文票作戦から始まって、マカロニ作戦、分度器作戦を駆使し、大洗女子学園の戦車を三両も負かした。戦果はM3、38t戦車(これは自分)、3号突撃砲。

 ――最初から最後まで、皆はノリにノって戦車道を駆け抜けていった。

 

 試合が終わった後は、「二回戦目突破記念フェスティバル」をその場で開催して、大洗女子学園の皆と飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎを起こした。戦車道だけではなく、アンツィオの流儀を最後までやり通したのだ。

 悔いなんて、これっぽっちもない。

 

 夕暮れの連絡船は、実に実に気持ちが良かった。

 

「総統」

「ん?」

 

 戦車道履修者が、四十一名が、皆が、自分の前に立ち並ぶ。

 誰一人として、笑ってなどいない。アンチョビの事をしっかりと見据えていて、戯れなど許さぬ顔つきを固持している。

 ここにいるのは、間違いなく、アンツィオ戦車道履修者だった。

 

「――今まで、」

 

 ペパロニの声が、

 

「本当に」

 

 カルパッチョの、凛々しい言葉が、

 

「ありがとうございましたッ!」

 

 一礼。

 四十一名の声が、間違いなく、この大海原の中で響き渡った。

 反響は、どこまでもどこまでも続いていく。けれど、永遠なるものは絶対に存在しない――アンチョビへの言葉は、アンツィオ戦車道履修者の叫びは、空の彼方へと消えてしまった。

 

 第六十三回高校戦車道全国大会は、この一声をもって、幕を閉じた。

 

 ――四十一名が、ほぼ同時に頭を上げる。

 ほんの少しの間を置いて、アンチョビは三度ほど呼吸して、言った。

 

「お前たち」

 

 涙を堪え、強くつよく笑い、

 

「ここまでついてきてくれて、本当にありがとう! やっぱりお前たちは、最強で最高の戦車道履修者たちだッ!」

 

 総統は、皆の顔を見るものだ。頑張ったみんなのことを、称賛するべきなのだ。

 ――アンチョビは、総統としての全てを叫んだ。目頭がどうしても熱くなったが、首を振り払う。

 だって、

 

「ドゥーチェ……ドゥーチェッ! 大好きですッ! ドゥーチェッ!!」

 

 笑う者がいるから、泣き叫ぶ者がいるから、手で顔を覆い隠す者がいるから、握手を求める者がいるから。

 だから、それら全てを、総統らしく受け止めなくてはならない。ここで自分まで泣き叫んでしまっては、感情の拠り所が無くなってしまうだろうから。

 

「ねーさん! 私……私……必ず、アンツィオ戦車道を……っ!」

「ああ! 期待してるぞ、未来のドゥーチェ!」

 

 泣き叫ぶペパロニと、親友と、思い切り抱擁する。

 あの時の鉄板ナポリタンの味は、今でも思い出せる。最高にうまかったからこそ、自分はアンツィオらしく生きようと決められた。

 

「ドゥーチェ、あなたには返しきれない恩があります。私をここまで育ててくださり、本当にありがとうございましたッ!」

 

 涙をぼろぼろ流すカルパッチョと、初めて出来た友達と、握手を交わす。

 戦車に乗って、半べそをかくカルパッチョはもういない。ここに居るのは、恐るべき才能を秘めた副官だ。

 

「ドゥーチェッ! お役に立てず、申し訳ありませんでした!」

「馬鹿言うな、タレッジョ。盾になるなんて、ほんとうに格好良かったぞ。……怪我がなくて、本当によかった」

 

 サングラスごしから流れる涙を拭い、両手で握手する。

 セモベンテドライバーのタレッジョは、M3を撃破するという快挙を成し遂げた上に、持ち前の運転テクを駆使して盾になってくれたのだ。

 超格好良かった。

 

「ドゥーチェ……楽しかった、本当に楽しかったです! あとのことは、お任せください!」

「リコッタ。お前のお陰で、いつもいつも戦車は綺麗だった! ボランティア部だというのに……よくついてきてくれた」

 

 両肩を掴み、そのまま抱き締める。

 リコッタは間違いなく、アンツィオ戦車道履修者一の、奉仕の心の持ち主だった。

 

「ドゥーチェ! 私、ここに入学して良かったです!」

「ああ! 私も、私もそう思う!」

 

 これまで歩んできた、アンツィオ戦車道の記憶が呼び起こされる。四十一名分の思い出が、容赦無く目を醒ましていく。

 笑いが止まらない、感情が鳴り止まない。世界の全部が、戦車道が、みんなが、アンツィオ高校学園艦のことが、もうとにかく大好きだった。

 

 ――四十一名の想いを受け取り、最後に思う。

 

 四十二人目には、わたしの全てを伝えよう。

 

―――

 

 部活動を終え、自室のベッドで寝転がりながら、買ったばかりの恋愛小説をじいっと読み通す。タイトルは「ラブメタルタンク」、アンチョビが買ったものと同じだ。

 音もない自室で、ポモドーロは字を目で追って行く。小説そのものは確かに面白いはずなのに、表情がこれっぽっちも変化しない。

 

 大洗女子学園、二回戦目突破!

 

 戦車道ニュースWEBで、この文字の羅列を見た時は――悔しいとも脱力したともお疲れ様とも違うような、そうでないような、そんな感慨を抱いた。

 ただ、確かに、「終わったんだな」と口にした。

 

 ため息をつく。

 今頃、先輩はゆっくり休んでいるのだろうか。或いは、仲間とともに祝いあっているのかも。

 そうだとしたら、自分はお呼びではない。今はただただ、戦車道履修者としての先輩のことを、心の中で見守ることにしよう。

 体を少し丸め、恋愛小説の続きを読む。小説の中では、戦車の上に立ち、メンバーを激励するヒロインの姿が描写されていて、

 

 携帯が震えた。

 1ループ震え、2ループ目が開始され、3ループ目が、

 通話の受信であることに気づき、急いでベッドから這い出る。充電器から携帯を引っこ抜き、画面に視線を滑らせる。安西千代美の文字。

 

「はい! もしもし!」

『あっ、もしもし? すまない、こんな夜遅くにかけて』

「いえ、大丈夫っすよ。それより、先輩の方がお疲れでしょう、今日は、』

 

 口に出せない。アンチョビにとっての、最後の大会の日だなんて。

 

『いや、私は大丈夫だ。それより』

 

 あっさりと言った。

 何が大丈夫なのだろう。時間か、現実か、それとも心がか。

 

『今、会えるか? 秘密の場所の前まで。ちょっと、寄りたいところがあって』

 

―――

 

「ニュースサイトで見ましたよ。アンツィオは、歴代最高の奮闘っぷりを見せつけたって」

「みんなが頑張ってくれたお陰だ」

 

 秘密の場所でアンチョビと落ち合い、何事もなくアンチョビと手を繋いで、目的地へ歩み始める。

 外は既に暗い、だいたい八時くらいだ。一番星なんて目じゃないくらい、満点の星空がよく伺える。

 街中でもない、本土でもない、どこかの海のど真ん中から見える夜空。

 

「ノってましたか、最後まで」

「ああ」

 

 つまりは、最高潮だったということか。

 安心する。

 

「しかし」

「うん?」

「疲れてません? 大会が……その、終わったばかりなのに」

「ああ、大丈夫だ。ちょっと横になれば、この通り元気元気」

 

 繋いだ手を、車輪のようにぶんぶん振り回す。ポモドーロの口から、思わず情けない声が出た。

 

「ああ、すまんすまん。まあ、この通りへーきだから」

「そっすか」

 

 苦笑する。やっぱり、この人はすごいなあと思う。

 だから、

 

「先輩」

「ん?」

「本当にその、お疲れ様です。今度、何か奢りますね」

 

 その時、アンチョビがはっきりと「それはダメだ」と口にする。

 ポモドーロの勢いなんて、そこで怯んだ。

 

「まだ借りは返していないし、お前が投資してくれた、」

 

 露骨に、アンチョビが「しまった」とばかりに口を閉ざす。

 ポモドーロは「え」と漏らし、なるだけ思い当たるセンを絞って、「あ」と閃く。

 

「投資――P40がどうかしたんすか?」

「う」

 

 戦車には疎いポモドーロだが、そのテに詳しいサイト曰く「アンツィオ一番の火力持ち」とのことだ。

 検索し終えた時は、「なるほど」と思ったものだ。P40は決して安くはなくて、間違いなく強くて、アンツィオの誇りで、遺産で、全てなのだと。

 そして、それらを抱く総統こそが、P40を駆るに相応しい人物だということも、よく知っているつもりだった。

 だから、決して他人事で済ませたくはなかったのだ。

 

「P40に、問題でも発生したんすか?」

「してないぞ!」

 

 したのか。

 どういう問題が生じたのか、アンツィオ高二年第三位の脳ミソをこねくり回す。

 P40は、大洗との試合では元気良く活躍していたはずだ。何とかという戦車も、見事撃破したとか。

 しかし、残念ながらアンツィオは敗退してしまった。フラッグ戦のルールに則り、フラッグ車であるP40が白旗を上げたからである。

 大破したP40の画像を見て、しょんぼりしているアンチョビを見てしまって、ポモドーロは「うう」と唸ったものだ。

 ――大破?

 瞬間、ポモドーロが「ああ」と声を漏らす。アンチョビは「うう」と声を出す。

 

「結構ヤバいの貰ったんすか、P40」

「……うん」

「修理費は、その、おいくら?」

「……数年後に、期待してくれ」

 

 うわマジかよと、ポモドーロは思考する。同時に、今後の予定もすぐ確立した。

 

「俺、屋台でおかわりするっす」

「! それはダメだ! 体にも財布にも悪いッ!」

「えー、俺は先輩のためなら」

「まずは自分のことを、趣味のことを考えろ、いいな?」

 

 ポモドーロが、「ですけど、」と漏らす。

 もちろん、アンチョビはそれを聞き逃さない。

 

「先輩命令だ。いいな?」

「は、はい」

 

 アンチョビはひたすら真っ直ぐに、生真面目に、ポモドーロの目を射抜いていた。

 ――戦車道の問題は、戦車道でカタをつける。そういうことなのだろう。

 

「ダメだからな」

 

 そして、アンチョビは、

 

「お前が、新しい恋愛小説を買えないなんて、そんなのダメだからな」

 

 同好の士として、ポモドーロの蛮行を引き止めてくれた。

 ――同好の士として、改めて思う。

 ここまで歩めたのは、自分なりの努力の成果でもあるのだろう。それは違いない。

 

 けれど、恋愛小説が好きでなければ、アンチョビとは出会うことはなかった。 

 

「――それに」

「それに?」

 

アンチョビは、心の底から安堵するように笑って、

 

「秘密兵器がなくても、あの子達は上手くやれる。ほんとう、強くなったから」

 

 強くなった。その言葉を耳にして、ポモドーロは黙って頷いた。

 アンチョビが言うのだ。今のアンツィオは、間違いなく「強い」。

 

「あの子たちからお礼を言われた時、涙を見た時、笑顔を見た時、頼もしい言葉を聞かされた時――私がやるべきことは、終わった」

 

 アンチョビの声が震えている。アンチョビの瞳が、光いっぱいに輝いている。言葉を紡ぐたびに、呼吸が耳に入った。

 

「終わったよ」

 

 その言葉を聞けて、ポモドーロは音もなくため息をついた。

 ――ポモドーロはただ、一言だけ。

 

「お疲れ様です、先輩」

 

 そうして、夜の街中に着く。

 

―――

 

 時間は既に夜の八時を過ぎていたが、パンテオンは絶賛「開放中」である。

 パンテオンは有名な観光名所であり、オペラ公演にも使われることがある。本来ならば間違いなく由緒正しき施設なのだが、アンツィオ生徒からすれば、観光客の認識からすれば、パンテオンは「感情のままに絶叫する場所」として、よく知られている。

 

 叫ぶ理由として、それは歓喜だったり、憤怒だったり、気分だったりと、人の分だけ動機がある。そして朝っぱらから叫びたくなるかもしれないし、真昼間なんて絶叫大合唱だ。そして学校帰りの夕暮れ、仕事疲れの夜中で、愚痴代わりに絶叫したくなるかもしれない。

 そうした理由もあって、パンテオンは夜十一時まで開放中である。

 

「いるなー、人」

「そっすね」

 

 入って早々、早速とばかりにデカイ声が聞こえてきた。内容は、「初恋なんてよ―――ッ!!」。

 体がぞくりとする、アンチョビも「むう」と唸る。男の声だったが、願わくば幸せになって欲しいものだ。

 さて、

 少し歩いただけで、パンテオンの中央広間にたどり着く。この広い空間の中心で、順番ずつ咆哮するという「暗黙」の了解がある。

 

 ポモドーロは、周囲を見渡してみる。ざっと数十人、観光客らしいおっさんからお姉さん、アンツィオ生徒までいる。

 しかし、誰も叫ぼうとはしない。壁に寄りかかったり、腕を組んで様子見していたり、中には「頑張れよ、若人」と、絶叫者らしい男子の肩を抱いているアンツィオ生徒までいた。

 

「こんな時間なのに、人、多いな」

「きっと、常連でしょうね」

「常連」

「ええ。どんなことを叫ぶのか、どんな想いで絶叫するのか、それを見届けるのが好きな人たちです」

 

 絶叫ほど、人を語るものはない。常連の残した言葉である。

 パンテオンの修繕をする傍ら、「パンテオンってなんだっけ」と、何となく気になって検索をかけてみたのだ。そこで初めて、「常連」の存在を知った。

 常連は、一言でいえば「他人好き」ともいえる。どんな動機で大声を発するのか、どんな叫び声が聞けるのか、どんな人がここへ寄るのか――理由は数あれど、常連の多くは「叫んだ後の顔を見るのが、好きだから」とコメントする。

 

 まったくもってその通りだと、ポモドーロは思う。

 叫びとは、実に気持ちが良い。

 

「……いいのかな? 叫んで」

「いいんじゃないすかね。というか、本当にここで良いんすか?」

「ああ」

 

 躊躇いもせず、アンチョビは即答した。

 周囲を見渡し、改めて常連の存在を確認するが――受け入れるように、アンチョビは息を吐く。

 

「叫びたいことが、二つあってな」

 

 二つ。

 想像する。アンチョビという人物が、総統が叫ばざるを得ない二つの事柄ってなんだろう。

 期末テストの時みたいに、もしくはそれ以上に、ポモドーロは思考する――高校戦車道全国大会の後、何か言いたいことが、

 あ、

 ポモドーロの口から、間抜けな声が漏れる。

 

「せんぱ、」

 

 気づけば、隣にアンチョビがいない。

 いつの間にか、ポモドーロの左手は空を掴んでいた。

 現実を見る。アンチョビは、このパンテオンの中心へ、全てが許される祭壇へ、堂々と足を進める。

 そして、立った。アンツィオ生徒の一人が、「あれ、安斎先輩?」とぽつりと漏らした。

 

 オクルスの目から降り注ぐ月光を浴びて、

 自分の手など決して届かない場所へ辿り着いて、

 この場にいるすべての人たちの視線を受けながら、

 

 アンチョビが、自分めがけ振り返る。

 そして、言葉を唱えた。

 

「みんな、よく頑張った」

 

 みんな、みんなって――

 ポモドーロの両足に、力が入る。出来る限り、聴覚を研ぎ澄ます。

 

「最後まで、ノリにノってた。格好良かった、ほんとうに格好良かったぞ」

 

 思い当る。アンチョビの言う「みんな」というのは、ノリにのったイカしたみんなというのは、

 

「――ペパロニ」

 

 ペパロニと聞いて、「ああ、やっぱり」と思った。

 ペパロニは、何度か食材を運搬していくうちに、いつの間にか顔なじみとなっていった友人だ。

 明快で、話しやすくて、時には天下の鉄板ナポリタンを奢ってくれる。そんな人だ。

 

 そして、初期の頃から、アンチョビのことを支え続けてきた人だ。

 

「カルパッチョ」

 

 カルパッチョ――この人には、一生頭が上がらないと思う。

 心を見透かし、けれども口にすることはなく、ただただ見守り続けてくれた。ペパロニと同じく、友人として接してくれた。

 この人も、アンチョビのことをずっとずっと支え続けてきた。

 

「ソフリット、タリアータ、サルティン、ピカタ、パンチェッタ、コトレッタ」

 

 イタリア料理の羅列――だからこそ、ポモドーロは声が漏れそうになる。

 この「人達」は、

 

「カチャトーラ、スピエディーニ、ペポーゾ」

 

 アンチョビの声は凛々しい。

 

「カショッタ、アジアーゴ、ミネストローネ、ストラッチャ、アクア」

 

 アンチョビの顔は堂々たるものだ。

 

「タレッジョ」

 

 アンチョビが、悠然と名を上げる。

 ――話したことはない、聞いたことはある。モテるらしくて、リコッタから羨ましがられていた。

 

「ペコリーノ、ベル、ビット、カステル、パルミジャーノ、フィオーレ、ジュディ、プリエーゼ」

 

 アンチョビが、過去の全てを紡いでいく。

 

「カショッタ、フィオーレ、ゴルゴンゾーラ」

 

 アンチョビが、総統らしく立ち振る舞う。

 

「リコッタ」

 

 ――。

 

『へえ、あなたが新人さん?』

『あ、はい、そうっす。が、学園艦を綺麗に出来るよう、頑張ります』

『……んもー、緊張する必要なんかないよ。同じボランティア部で、同級生なんでしょ? 気楽にゴミ拾いしましょーよ』

『そっ、すね』

『まだお堅い! まあ新人さんだし、しょうがないのか……まあいいや。なるだけサポってやるから、しっかりついてくるのよ!』

『な、なんて優しい……』

『せっかく入ってくれた新人さんなんだもの、逃がすわけないだろー?』

『ひえー、目こえー』

 

「――アマレッティ、モンブラン、ティラミス、セミフレッド、パンナコッタ……」

 

 アンチョビの声が、震えていく。

 

「グラニータ、パンフォルテ、ゼッポレ」

 

 アンチョビの顔が、感情的に歪んでいく。

 

「チョコラータ、フィウッジ、サンビター、シェケラート……」

 

 このパンテオンで、四十一人の名が、アンツィオ戦車道履修者の魂が、間違いなく刻まれた。

 アンチョビは、何を思い募っているのだろう。その中にはきっと、叱咤や涙、そして笑顔があるに違いない。

 戦車道とは何の縁も無い以上、自分がそれに触れることは許されない。許されたくはなかった。

 

 ――けれど、

 アンチョビの顔を見て、一筋の涙を目の当たりにして、思う。

 アンツィオ戦車道は――

 

「お前ら、お前らッ……」

 

 月にめがけ、

 

「サイコーだったぞ―――――――――――ッ!!!!」

 

 アンツィオ戦車道は、絶対に最高だった。

 絶叫し、アンチョビは泣いた。子供のように、声を出して泣きまくった。

 その両足で突っ立ったまま、世界へ立ち向かうかのように、アンチョビはずっとずっと見上げたままだった。

 

 ――それは間違いなく、戦車道履修者としての涙だった。

 けれど、ポモドーロはアンチョビへ駆けていた。男としての感情が、どうしても止まらなかった。

 肩を抱いて、背中をさすって、アンチョビの心を守るようにその身を支えた。

 

 アンチョビ以外、誰も声を上げない。世界の行く末を見守るように、誰も目を逸らさない。

 ――拍手。

 

 ↓

 

 どうしても、言いたいことを言った。満たされるまで、めちゃくちゃ叫んだ。自分の為だけに、泣きまくった。

 自分は総統で、戦車隊隊長で、姐さんだが、根はどうしても感情的なのだ。

 だからここで、叫ぶことが許されるこの場所で、本音を絶叫した。数人に見られていたが、もう何を今更だ。

 

 最高と叫んで、最高の気分になる。これで本当の意味で、私のアンツィオ戦車道は終わった。

 

 拍手を耳にして、ほっとする。ポモドーロに支えられて、安堵する。自分は、正しい事を成せたらしい。

 体全体を使って、深呼吸をする。

 涙を拭い、「はあ」と声を吐き出す。

 

「……ポモドーロ」

「はい」

「ここまで待たせてしまって、すまなかった。――お前の想いに対して、返事をする」

 

 アンチョビが、少しだけポモドーロから離れる。

 

「――すみません。もう一度だけ、叫ばせてください」

 

 パンテオンの常連は、黙って頷いた。

 これでもう、逃げ場はない。手帳に書き記した契約は、ここで果たされる。

 

 ポモドーロと向き合う。月明かりのお陰で、ポモドーロの無表情がよく見えた。

 もう、感情に迷いはない。ポモドーロは決して、アンチョビから目を逸らそうとはしない。

 ――たぶん、ポモドーロは気づいているはずだ。自分が発する、ポモドーロへの想いに。

 けれど、それに甘えては駄目なのだ。ポモドーロが告白してくれた以上、自分も同じように返さないとダメなのだ。

 

 首を横に振るう。

 返さないとダメ、じゃない。告げたい。

 ペパロニも言っていたじゃないか。想いはケチケチせずに伝えるべきだと。

 

「ポモドーロ」

 

 ポモドーロは、真剣な顔つきのままで、わたしを見つめている。

 

「今まで、私と本を読んでくれてありがとう。ずっと見守ってくれて、本当に嬉しかった」

 

 ポモドーロは、黙ったままで頷いた。

 

「私の為に、こんなにも頑張ってくれて……心の底から喜んでる」

 

 ポモドーロの目は、わたしだけを間違いなく射抜いている。

 

「私に告白してくれた時、私は、もう」

 

 ポモドーロの行動原理とは、わたしの存在だった。

 わたしに愛される為に、ポモドーロは男としての道を歩んできてくれた。

 

「……私は、」

 

 わたしの理性が、感情をせき止める。緊張が、唇を縫い付ける。根源的な恐れが、意志を曲げようとする。心のどこかから、「もういい」と訴えられる。

 パンテオンの「力」まで借りたというのに、わたしは目を閉じてしまった。拳が強く握りしめられる、爪が肉に食い込む。恋という怪物を甘く見ていた。

 ――何分経ったのだろう、或いは数時間か数秒程度でしかないのか。

 深呼吸し、息を止める。総統としての意地を使い切り、戦車道履修者の気の持ちようを糧に、わたしは両目を、開けた。

 

 ポモドーロは、ジェラートを助けたあの日のように、穏やかに笑っていた。

 

 思い出がフラッシュバックする。どうしようもない本音が頭から流れて喉を伝って口から溢れ出る、

 

「す……すき……」

 

 本能が、望みが、希望が願望が妄想が未来が乙女心が恋愛感情が無限軌道のようにぐるぐるするもう止まらない――

 

「私はッ、」

 

 ノリと勢いのままに、

 

「私はッ! お前のことがッ! 赤石のことがッ! だいっ好きだぁ――――――ッ!!!!」

 

 ――やっぱりわたしは、根はどうしても感情的だ。だから、恋愛小説が好きなのだ。

 

「――先輩ッ」

 

 ポモドーロが、

 

「俺もッ! 安斎千代美のことが大好きだッ! 愛してる――――――ッ!!!!」

 

 ノリと勢いで、わたしに告白し返す。

 ――そのまま、アンツィオ魂を以てして、わたしと赤石は抱き締め合う。好き勝手に笑い合う。

 泣いた後は、笑顔になればいい。世界はそうやって回っている。

 

 常連たちが、「やった――ッ!!」と歓喜している。アンツィオ生徒に至っては、「ドゥーチェ! ドゥーチェ!」と讃えている。

 ああ、これはまずったかもしれない。

 アンツィオ高校学園艦とは、新たなカップルの誕生を盛大に祝うものだ。生徒を辿って、この事実は瞬く間に拡散されることだろう。

 

 そして、観光客までもが「ドゥーチェ! ドゥーチェ!」と叫び出した。わたしたちも負けていられない、もっと笑おう。

 後で、絶対に後悔するんだろうなあと思う。夜中、ちゃんと眠れるだろうか。

 まあ、いい。

 今は、目の前の幸福を絶対に手放さないようにする。わたしは、ノリと勢いで今日を生き抜くアンツィオ生徒なのだから。

 

「千代美、千代美は俺だけの女性だッ!」

「赤石は……赤石は、私の男だッ!」

 

 カルパッチョの言葉を思い出す。それを実感する。

 

 私は、恋愛小説のヒロインになった。

 彼は、恋愛小説のヒーローだった。

 

―――

 

「はあ……」

 

 朝っぱらからシケたため息をつきつつ、いつものように教科書を開く。今日は化学反応について、重点的に学ぶつもりだ。

 首をこきりと鳴らし、実に腰の入っていない「あーあ」を漏らす。

 今日も、ペパロニナポリタンを食うか――そう思いながら、ノートを開いてペンを握り締めて、

 

「ポモドーロー」

 

 後ろから、散々聞き慣れた声で名前を呼ばれる。ポモドーロは、実に緩慢な動きで首を振り向かせ、

 

「どうした、朝っぱらから死んだツラして」

「え? まあ色々」

 

 友人が、「色々ねえ」と粘っこく言い、

 

「安斎先輩の彼氏となると、色々大変なのか?」

「ンなわけないだろ、普通だよ普通」

「そうかそうか。でも安斎先輩は、アンツィオのアイドルだしなあ」

「まあね」

 

 「総統と交際をした」という事実が、こうして気安く処理されるのもアンツィオならではである。

 

 パンテオンで告白をしてからというもの、その事実は瞬く間にアンツィオ高校学園艦全体に広まった。発信源はもちろんパンテオン常連、後の祭りである。

 ――とはいえども、居ても居なくともいずれはバレていただろう。何といったって、ここはアンツィオ高校学園艦なのである。人一倍、異性だとか恋愛だとかナンパだとかには敏感な世界だ。

 だからこそ、アンツィオは「邪魔」したりはしない。おまけに、空気を読んでフォローしてくれるという余計な特典までつく。

 

「で? 毎日楽しいクセに、何でため息までついてんの?」

「え、何でもないよ何でも」

「嘘つけ、聞こえてたぞ」

 

 そんなデカい声だったのか。思うと、ため息からアンチョビと出会った気がする。

 気を付けないとなあと考えつつ、視線を教科書へ向ける。

 

「何? 彼女絡みか?」

「そんなんじゃないよ」

「ホントか? 何か悩みがあったら、協力するぞ?」

「いや、こればっかりはちょっと」

 

 とは言うものの、本音としては「協力して欲しい」に尽きる。

 建前を取っ払い、観念するように携帯を取り出す。ブックマークから、「戦車道ニュースWEB」を引っ張ってきて、

 

「これ」

「え、どれ」

「上の方に書いてあるだろ、『P40の長期入院の為、寄付をお願いします』って」

 

 友人が「ああ」と、瞬時に納得する。

 そして、複雑そうな顔つきになって、

 

「これ、いくらくらいかかるんだ?」

 

 どうしようもないとばかりに、肩をすくめ、

 

「数年はかかるみたいよ」

「マジか」

 

 結構響いたらしく、友人が「マジかマジか」と連呼する。ポモドーロも、どうしようもないとばかりに「マジで」と言う他ない。

 

「やっぱり、戦車って高価なのねえ」

「そだね」

 

 色々考えてはみた、みたのだが――結局は、「募金しかないっすね、先輩」という結論に落ち着いた。

 極めて気の長い話ではあるが、イチから買うよりは大分マシらしい。それを聞いて、少しは慰めになったものだ。

 もちろん、今後も屋台を通じて「投資」を行う予定だ。金に余裕があったら、積極的に募金しようとも考えてはいる。

 が、

 

『お前の考えていることは、お見通しなんだからな。ちゃんと、恋愛小説を買えるだけ残しておくように』

 

 と、再びくぎを刺されてしまった。流石は総統である。

 

「……で?」

「え?」

 

 友人が、ポモドーロの机の前にまで歩んでくる。

 姿勢を屈め、視線まで合致させながら、

 

「お前は、どうしたいんだ?」

「何が」

「P40、直したいのか?」

「……そりゃあ、まあね」

「どれくらい大事なんだ。その、P40っていうのは」

 

 それを聞かれて、ポモドーロはこう答えるしかない。

 

「アンツィオ戦車道の――いや、アンツィオの遺産だよ」

「なるほどな」

「俺としては、なるだけ早く、何とかしてあげたいよ。けれどコレがね、コレが」

 

 指で輪を作る。しかし、友人は「ふーん」と流して、

 

「で? 本当に『なるだけ早く』でいいのか?」

「え」

「本音を言ってみ」

 

 食いつかれた。しかも、教室全体が静かになっている気がする。

 ――言うだけなら、本心を口にするだけなら、世の中タダで済まされるものだ。

 

「明日にでも、アンツィオの遺産を……先輩のP40を、直してあげたい」

「ほう」

 

 先ほどの「ふーん」とは違う、多少の感情が上乗せされた声。

 

「先輩だからか?」

「え?」

「敬愛する先輩の愛車だからこそ、そこまでシケてたのか? お前は」

 

 友人は、極めてつまらなさそうな顔で、至極眠たそうな目つきで、ポモドーロのことをじっと眺めている。

 ――ああ、そうか、そういうことか。

 友人は、アンツィオ生徒らしい回答をしろと、急かしているのだ。

 反論する気はない。それもそうだと、ポモドーロは改めて思った。

 

「俺の、」

「ああ」

 

 恥じる必要はない。事実を口にするだけだ。

 

「俺の彼女のP40を、明日にでも直したい」

 

 この瞬間、クラスの空気が瞬く間に一変した。

 友人は当然として、周囲で「待ち構えていた」クラスメートどもが、ポモドーロの机へと集合していく。どいつもこいつも楽しそうにニヤニヤ笑っていて、ポケットから財布を引っこ抜いては――「後は任せろ」と誰かが言った。

 

 放課後になって、早速とばかりにアンツィオ戦車道公式サイトが集中アクセスを受けた。同時に、瞬く間に募金額が増えていく。

 こうなった原因である、「俺の彼女が乗る、アンツィオの遺産たるP40を直したい」という「極めてアンツィオ的」な訴えは、アンツィオ高校学園艦全体へ瞬く間に広がっていった。

 こうなると、アンツィオ女子高等学校も黙ってはいない。恋をするのも好きで、恋を見るのも好きで、恋の不幸話なんてクソくらえな精神が、アンチョビのアイドル的な人気が、己が財布に手を伸ばす動機となった――という情報を、リコッタから聞いた。

 

 このことはアンツィオニュースにも掲載され、戦車道ニュースWEBにも取り上げられた。触れ込みは、「あつい奉仕魂を持つ男、愛する総統の為にその身を切る!」だ。

 戦車道ニュースWEBによると、

 

『とある奉仕者が、アンツィオ戦車隊隊長である安斎千代美の為に、惜しまない募金を行った。全ては、アンツィオの『誇り』にして『全て』である、P40を完全修復する為に。愛する安斎千代美の為に。

それに共感したアンツィオ高、アンツィオ女子高は、サイトがパンクするほどの勢いで口座へ振り込んだ。アンツィオは『ノリとメシとナンパの本場』と評されるくらい、愛に関しては強い関心を抱く傾向にある。

ヒロイックな戦車道履修者、安斎千代美と、全てのきっかけとなった奉仕者は、相思相愛の関係だ。これにアンツィオの流儀という空気が組み合わさって、このような化学反応を引き起こしたのだろう』

 

 そこからはもうめちゃくちゃだった。テレビにまで取り上げられ、事態は「好転」してしまった。

 ――以下の情報は、全てアンチョビから聞いたものだ。リーク場所はもちろん、秘密の場所のベンチ。

 

 お金の振り込み先はもちろん、アンツィオ戦車道公式ウェブサイトなのだが――そこにアンチョビの経歴が、ヒロイックさが、暑苦しく書かれているのが非常にまずかった。

 多数のファンメールとともに、ウン万リラからナン万リラまで、多額の「寄付」が寄せられた。メールの内容によると、アンツィオのOG、OBはもちろん、お父さんからお母さん、おじいさんからおばあさん、更には著名な画家から有名な料理人、歌手や建築家までもが、この問題に「共感」してくれたらしい。

 

 とにかく、アンツィオは「愛」とか「異性に対する献身」といったフレーズにしこたま弱い。それ故に「恋人の不幸」だの「数年に渡る傷(戦車のだが)」だのといった響きには、強く拒否反応を示す。

 良くも悪くも、アンツィオは「楽しければそれでいい」のだ。だからこそ「俺もお前も幸せになって欲しい」と願うのだ。女の子の身一つで、戦車道を立て直したというアンチョビの境遇も、デカいポイントだったようだ。

 

 そんな協力者が多かったこともあって、目標額はすぐに達せられた――リアルタイムで表示されているにも関わらず、数字はノリノリで増加していったが。

 

 危機感すら覚えたサイト管理人は、「目標金額に到達しました。援助してくださり、本当にありがとうございました」のお知らせを書き、口座を締め切った――少し遅かったせいで、目標金額が2ケタほどオーバーしていたが。

 リコッタ曰く、「P40買えるじゃん、やばいじゃん」とのこと。

 

 こうして、数多くのファンメールを頂戴したアンチョビだが、そのほとんどには「ドゥーチェ、お幸せに!」と書かれていたらしい。

 

 ――真っ赤になったアンチョビの話を聞き終え、ポモドーロは何となく納得する。

 これでは、寄付が止まらないわけだ。

 

―――

 

 そんな騒ぎを起こして、はや数日が経過していた。

 最初は、アンツィオ戦車道が強くなることに歓喜していたものだが、「多額の資金援助」というリアルな事情をよくよく考えてみると、決して軽くはない責任と緊張を抱いてしまった。

 「好きな人のP40を直したい」。それは純粋な願いであったはずなのに、どうしてノリと勢いが爆発してしまったのだろう。

 頭を抱え、死んだようにうつむく。

 

 そんなポモドーロに対して、アンチョビが軽く背中を叩いて、一言、

 

「お前は悪くない」

 

 ぽんぽん。

 

「これが、『アンツィオ』だからな」

 

 その言葉を聞けて、ポモドーロは嬉しそうにため息をつく。

 そうだ。

 これまでの無茶苦茶さも、アンツィオからすれば「いつもの祭り」に過ぎないのだ。

 

「……それで、どうします? 今後は」

「そうだな。まずは戦力の増強――と、いきたいところだが」

「が?」

 

 うつむいたままのポモドーロだったが、ここでようやく身を起こす。

 アンチョビは、極めて深刻そうに表情を固めている。

 

「何か、大洗がマズイことになっているらしくてな――『友達』を、ちょっと助けてくる」

「ふむ――分かったっす」

 

 そうして、アンチョビから手を差し出される。

 

「力を分けてくれ」

「はい」

 

 何の躊躇いもなく手をとり、そっとアンチョビの身を引き寄せる。

 流れるように、恋人らしく抱き締めた。

 

「いってらっしゃい、千代美」

「いってきます、赤石」



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137P~150P

 

「皆様、こんにちは。アンツィオ高校学園艦の代表として、こうして選ばれました……安斎千代美と申します。あ、アンツィオの中では、アンチョビと呼ばれていますね。……アンツィオ戦車道の、戦車隊隊長を務めさせていただいています」

 

 コロッセオのど真ん中には、新品同然のP40が堂々と鎮座されている。その上には、マイクを片手に挨拶を交わすアンチョビ。

 恐らく、コロッセオは世界屈指のホットスポットと化していると思う。何処を見ても人だらけだし、カメラのフラッシュなんて焚き放題だ。屋台なんて群雄割拠状態だし、既に良い匂いが充満しきっている。

 

「お忙しい中、こうしてアンツィオフェスティバルへお越しいただき、まことに感謝致します。こうして開催出来たのは、アンツィオ高校学園艦へ関わってくれた皆様のお陰です」

 

 誰も言葉を発さない、誰も目を逸らしたりはしない。料理の焼ける音が響くたびに、より一層と静けさが増す。

 この場にいる全員が、中心人物たるアンチョビへ注目している。

 

「少し長くなりますが、皆様に感謝の言葉を述べさせてください――このP40は、先代が遺してくれた資金を用いて、屋台による稼ぎを以てして、観光客が支払ってくれたお金を使って、ようやく手にすることが出来たアンツィオの『遺産』です。ですが、私が至らぬばかりに、P40を傷つけてしまいました」

 

 アンチョビが、両肩で呼吸する。

 勝ちも負けも、記憶から決して消えはしない。だからこそ、パンテオンでは好きなように泣けたのだ。

 

「アンツィオの中で起こった問題は、アンツィオの手で解決する……そうして、自腹で修理費を稼ごうとしました。ですが、P40は思った以上に重く――甘えにはなりますが、寄付を募らせていただきました」

 

 ここに居るのは、若いアンツィオ生徒だけではない。年上の男性から女性、更にはテレビで活躍中の人物が、このコロッセオの中で、アンチョビの行く末を見届けている。

 

「その結果、目標額の2ケタを突破してしまいました。……メールを拝見させていただきましたが、ノリで寄付するのはおやめくださいね」

 

 笑い声が漏れる。一般からの寄付もあったが、そのほとんどはアンツィオ関係者によるものだ。

 何せウン万リラである、何せナン万リラである。これほどの金額を寄付するなんて、ノリと勢いでしか成せないワザだ。

 

「――お陰で、P40は完全復活を遂げました。更には、戦力増強も図れそうですが……本来の、お金の使い道とは違ったものになります。意見はありませんか?」

 

 瞬間、コロッセオ全体から「異議なし!」が響き渡った。中には、親指を立てる者まで居た。

 聞こえたと思う。アンチョビの、安堵する吐息が。

 

「ありがとうございます。皆様から受け取ったお金は、アンツィオ戦車道の……いえ、アンツィオ高校学園艦の繁栄のために、使わせていただきます」

 

 自主的な拍手が沸く。ポモドーロも、同調するように手を叩いた。

 

「P40を修復する傍ら、大洗学園艦が廃艦になりかけるという事件が勃発しました。本来は、全国大会の優勝で免れるべきものだったのですが――だからこそ、同じ戦車道履修者として、戦友として、見過ごすことなどできませんでした」

 

 アンチョビの声が、コロッセオ内に反響する。

 あの日、アンチョビは「筋を通す為に」、P40とセモベンテとカルロベローチェを持参し、大洗女子学園へ「転入」した。

 制服姿の画像を、カルパッチョから送信されたのだが――とてもめんこかった。

 

「そして私たちは、精鋭大学選抜チームと戦い、勝利しました。……恐れながら、私のP40が、天才、島田愛里寿のセンチュリオンを撃破しました」

 

 この朗報が世界へ知れ渡った瞬間、アンツィオ高校学園艦は真っ先に「とにかく祭る」というムードへ突入した。

 同級生から頭を撫でられ、背中をぶっ叩かれ、手を取り合い、飯を奢られて、揉みくちゃにされたことが記憶に新しい。

 

「そうした場面へ至れたのも、全ては、すべては、あなたがた、アンツィオの皆さまのお陰です。――本当に、ありがとうございました」

 

 再び、拍手が発せられる。中には他校生の姿も見受けられるが、きっと、「あの日」に居た戦車道履修者も混ざっているのだろう。

 

「あの後も、沢山のメッセージをいただきました。『素晴らしい活躍だった』とか、『アンツィオは強かった』とか、『最高の戦車道履修者はあなただ』とか……え、えっと! 寄せていただいたメッセージは、アンツィオ戦車道公式サイトへ掲載させていただいてるので、そこで読んでください!」

 

 はい。コロッセオに居る誰もが、そう返事をする――とても良い顔で。

 

「P40の修復、アンツィオのこれからの前進、勝利の栄誉を掴むことが出来て、私は、私は、」

 

 声に感情が籠る。本当のアンチョビの姿が、露わになっていく。

 

「私は、アンツィオ戦車道履修者として、アンツィオの特待生として――報われました」

 

 誰かが、手を叩いた。誰もが、手を叩きだした。

 拍手が鳴りやまない、喝采がいつまでも止まらない、アンチョビの笑顔がこれからも続いていく。

 アンチョビは、たくさん頑張ってきた。そのような人物には、栄光が与えられるべきなのだ。

 ――そんな人を見届けることが出来て、極めて光栄に思う。

 

 アンチョビが一礼する、世界から音が消える。

 

「皆様には、どうお礼を言っていいのか、どう返せば良いのか、何度も議論を重ねましたが、」

 

 深呼吸。

 

「アンツィオ高校学園艦の、一番の楽しみ――祭りを開くことで、お礼を返すことにしました」

 

 聴衆が頷く、カメラがフラッシュする。

 

「アンツィオを祝う為の、アンツィオ戦車道の門出を祝福する為の……アンツィオに関わってくださった、皆様の為の祭り、アンツィオフェスティバルを開催することに致しました」

 

 そう――

 アンチョビから「どうしよう」と聞かれて、ポモドーロもポモドーロなりに考えて、アンツィオ高校学園艦全体で思案した結果が、「祭り」だった。

 

 普通の宴会を行う分には「生徒の規模」で済むのだが、アンツィオ高校学園艦は子供も大人も教師も校長ももれなくアンツィオ気質持ちだ。なので「アンツィオの皆が助けてくれた」とか、「アンツィオの生徒が栄光を手にした」とか、そうした「立派な」動機が絡めば、大人にもスイッチが入らざるを得ない。

 最初は、宴会の準備をする生徒に向かって「無駄遣いはするなよ」と教師らしい指摘を行う。だが、感情的なのは教師も同じで――「俺も、手伝うよ」と言ってくれた。

 

 こうして何の文句も無く、アンツィオフェスティバルが開催された。規模は学園艦全体、三日間ぶっ続けで行う予定となっている。

 その分だけ予算も吹っ飛ぶが、この来客数だ。きっと、何とかなってしまうだろう。

 

「皆様、思う存分、この祭りを楽しんでいってください」

 

 穏やかな表情。

 

「私たちは、アンツィオ戦車道を強くしていきます。そしてそれ以上に、アンツィオらしさを失わないよう、これからも精一杯生き抜いていきます」

 

 はっきりと宣言した。

 アンツィオにとって、これ以上無い誓いだった。

 

「――改めて、お礼をさせてください」

 

 アンチョビが、笑いたいように笑う。

 

「皆様、本当に本当に、ありがとうございました。こうして幸せな気持ちでいられるのも、全部あなた達のお陰です」

 

 アンチョビの手が動く。

 

「皆様から支えられて、私は、私は光栄です」

 

 人差し指が立つ。

 

「そして、私は、女性としても幸せになります!」

 

 アンチョビが、指鉄砲を作る。マスコミから、アンツィオ生徒から、アンツィオ関係者から、他校生から、観光客から、一斉に撮影音が爆発する。PVから始まったこのポーズは、今となってはアンチョビのメインビジュアルとして知名度が上がってしまった。

 一方で、ポモドーロは「やめてー」と顔真っ赤にする。隣に居たリコッタが、「だってさ」と肘でつついてきた。

 

「お待たせしました。第一回、アンツィオフェスティバルをこれより開催いたしますッ!」

 

 ペパロニが駆け付け、紙カップを手渡す。中身は、特産物エスプレッソ。

 

Saluteッ(かんぱい)!」

 

 Saluteッ! ばーん!

 アンツィオ高校学園艦という世界中に、人の歓喜が木霊した。それまで静粛だった空気が、あっという間に喧騒へ上書きされていく。

 

 まずは一杯飲んで、「たはーっ!」とアンチョビが声を上げる。そのままP40から降りて、マスコミから軽くインタビューを受け、後はそのまま真っ直ぐに、

 

「や、みんな」

「先輩、お見事でした」

 

 アンチョビが「そうかー?」と苦笑する。自分だったら、口なんて回りはしないだろう。

 

「見事な挨拶でした、ドゥーチェ」

「ほんとほんと。私には、一生出来ないっすねー」

「えー? お前はできなきゃ駄目だろ?」

 

 ペパロニが、「なんで」という顔をする。アンチョビは、意地悪く目も口も曲げて、

 

「だって、来年は私と同じ立場になるんだぞ?」

「え、そうなんすか?」

 

 ペパロニが、エスプレッソを飲み、

 

「えぇッ!? どぅ、ドゥーチェになるぅッ!?」

 

 アンチョビがけらけら笑う。カルパッチョとリコッタが、ペパロニの肩へ手を乗せる。

 

「じょ、冗談じゃないっすよ! 私にゃ無理っす!」

「え、そうなの? ノリと勢いと人気は、間違いなくトップだと思うが」

「だ、だからって、総統と違って知力は、」

 

 そこで、ペパロニの視線がカルパッチョへ向けられる。カルパッチョは、喜色満面の笑みで親指を立てるのだった。

 

「は、はぁぁ……どうなっちゃうんすかね」

「大丈夫大丈夫」

 

 アンチョビが、軽やかにウインクし、

 

「ノリと勢いさえあれば、何とかなるから」

 

 アンツィオらしく、総括した。

 ペパロニは、「はあ」とため息をつき、エスプレッソを全て飲み干す。

 

「分かったっす」

 

 拳を振り上げ、

 

「絶対に、アンツィオを優勝へ導くっす!」

 

 高らかに、アンツィオすべてに宣言した。

 瞬く間にマスコミのフラッシュが襲い掛かり、戦車道履修者らしい他校生から「ほう、新しいライバルの誕生か」と注目される。時の人となったペパロニは、「もういい! やってやらぁ!」と再び叫び、アンツィオ生徒からは「やってくれー!」と激励されるのだった。

 

 そんなペパロニに対し、アンチョビは儚さそうに笑う。

 

「もう、あいつは『大丈夫』だな」

 

 カルパッチョが、同意するように頷く。

 リコッタが、眼鏡のブリッジを整え、

 

「私も、なるだけサポートしますから」

「ありがとう、リコッタ。これからも戦車を、学園艦をキラキラにしてくれ」

「はい」

 

 リコッタが、心の底から笑う。

 

「あ……そうだ。ポモドーロは、何か用事はあるか?」

「ああ、午前中に『アンツィオライブ』へ参加するっす。ボランティア部名義で」

「そうかそうか」

 

 アンチョビが、実に実に嬉しそうに微笑み、

 

「これは、最前列で見ないと聴かないと」

「いえ、先輩はゆっくり会場を見て回ってください」

「え、なんで」

「そりゃあ……その、恥ずかしいっす」

 

 アンチョビが、母親のような笑顔を浮かばせる。

 

「恋愛関係なんて、それくらいが丁度いいだろ?」

 

 否定出来ない。ヒミツの趣味の共有者だけに、恋への理解度を思い知らされる。

 ポモドーロは、諦めるようにため息をつく。

 恋なんて、何をやるにしても、恥じらうくらいが丁度良いのだ。熱くなったり、ムキになったり、意識しすぎたり、将来のことまで考えたりして――それもまた、青春の一コマだ。

 

「しっかりと見届けてやるからな」

「へーい」

 

 そこで、リコッタが「隊長隊長」と呼びかける。アンチョビの目が、リコッタへ映る。

 

「こいつ、アコーディオンが超うまいんですよー」

「本当か! 期待しているぞ!」

「あっお前ッ、適当なことを言うな!」

 

 カルパッチョが、「これは私も聴かないと」と期待を寄せる。何とか生き残ってきたペパロニが、「ほんとっすか? 私も応援するっす!」とメッセージをくれる。

 ポモドーロがうああうああと唸ろうが、祭りの勢いは止まらない、学園艦の揺れは収まらない。

 上品そうな女性が、「流石アンツィオ、美味ですわね。次はどこへ食べに行きましょうか」と、彼氏らしい男へ問う。無骨な時計をつけた女性が「凄い火よね、大丈夫かしら」と、連れの男へコメントしている。アンツィオ生徒と他校生がパントマイムで競い合っていて、ピッグテールの女性が「さっすが!」と称賛している。

 点火した特設モニターは、P40がセンチュリオンを撃破するまでのシーンを映し出している。多数の観光客が見物している中で、年上らしい男が「でも、君は素敵だった」と、ロングヘアの女性へ語り掛けていた。それに笑う女性。

 

 祭りの笑顔を見て、ポモドーロは苦笑する。

 うまいメシの匂いを嗅いでいるうちに、「まあ、何とかなるか」と思うようになった。恋愛感情に焦がれるまま、勉強をして、ボランティアに励んで、医者になるという夢を掴んで、アコーディオンも弾けるようになった。世の中、やろうと決めたら何だってやれるものなのだ。

 

「先輩」

 

 屋台からは、「一番美味いパスタだよ!」とか「最高のジェラートが、たったの百五十万リラ!」とか「言ったな? 言うてくれたな? 売上勝負といこうかッ!」といった大声が聞こえてくる。来客者から、歓喜の声が上がる。

 

「ん?」

 

 ギターケースを持った青年が、「あっちへ食べに行こうよ」と指をさす。寡黙な少女が、こくりと頷く。

 

「見せてあげますよ、俺の演奏を」

 

 そんな祭りの風景の中でも、アンチョビは一際輝く笑みを浮かばせる。

 

「期待しているぞ、ポモドーロ」

 

 手と手を、がっしりと握り締め合った。

 

 ↓

 

『――次は、アンツィオ高校ボランティア部の演奏が始まります』

 

 アンツィオ出身のメタルバンドが一仕事を終え、「いよいよ」ボランティア部の出番となった。

 待っていたのだ。恩人が、ポモドーロが現れるのを。

 

「誰だっけ? 例の先輩」

 

 手を繋いだままの女友達が、横から声をかけてくる。灰山は、「あの、赤いアコーディオンを持っている人」と声で指摘する。

 ――ボランティア部全員が、一礼をする。ギター、アコーディオン、ドラムなど、それぞれ慣れた手つきで準備を行う。ボーカルはいないらしい。

 演奏する音楽は、アンツィオ高校学園艦では定番の民謡らしい。それに、お祭りらしくアレンジを加えたものだとか。

 

 ポモドーロと目が合う、手で挨拶をされる。何だか恥ずかしくなってしまって、「うう」と唸ってしまった――女友達が、くすりと笑いかける。

 ポモドーロとは、何度かメールを交わしあった。そのたびに激励の言葉を投げかけられたり、時には「そんなものだよ」と済ませたこともあった。あくまでメル友で、先輩後輩の関係でしかなかったけれど、それでも「俺は不必要なんかじゃない」と思えたものだ。

 

 そうして少しずつ歩んでいって、廊下で泣いている女の子がいて、最初は躓いて、けれども『変われる』という言葉を信じて――

 

 演奏が始まる、イントロが軽やかに流れ出す。皆が皆、目立ったミスもしないままで楽器を奏でていく。

 ボランティア部といえば、ゴミ捨てに清掃に演奏に週末の活動と忙しいはずなのに、よくここまで弾けるなと思う。ポモドーロ曰く、「楽しいよ」とのことだが――たぶん、そういうことなのだろう。

 

 アンツィオは、ノリと勢いで動く世界だ。だから、楽しめば楽しむだけ悔いなく生き抜ける。

 今なら、そうやって結論付けられる。だって自分は、今が楽しいから、手を繋いでいる人を守りたいから、それすらも楽しいから、

 

「あ」

「あ」

 

 演奏して数分が経過した頃だろうか。ポモドーロがアコーディオンを担いだままで、観客めがけ歩み寄る。

 

 そして、観客へ手を差し伸べた。

 

 観客が注目し、ボランティア部が「やりやがったな」な笑みを浮かばせている中で――この祭りの中心人物が、ポモドーロの恋人が、安斎千代美が、その手を握りしめ、ステージへ登る。

 ライブと民謡と青春と千代美が組み合わさって、観客が怪獣のように吠える。自分も何だか嬉しくなってしまって、アホみたいに叫んだ。

 女友達をちらりと眺める。恋愛小説のようなワンシーンを見て、羨望するように瞳を輝かせていた。

 

 変わろう、男になろう。

 だから、灰山は女友達の肩を抱いた。女友達が、体をびくりと震わせたが――受け入れてくれた。

 

 ↓

 

 ジェラートは、母と父の手をしっかりと握りしめていた。今度は手放さないように、迷わないように、迷惑をかけないように。

 そうしていると、ポモドーロもアンチョビの手を掴み取って、ステージへ案内した。母が「いいわねえ」と言って、父が「若いころを思い出すなあ」と呟く。

 

 そうして、アンチョビがマイクを手渡され――前に聞いた歌を唄い出す。

 うまくて、よく通って、かっこいい声が耳に届いた。観客も一緒になって歌う中で、アンチョビは堂々と、歌姫のように振る舞う。

 

 ジェラートは、思った。

 自分も、あんな素敵な人になりたい。自分にひみつの名前をつけてくれるような、格好良い女性になりたい。

 アンチョビが手を広げ、感情いっぱいに唄う。その目はきらきらとしていて、優しそうに笑っていて、ずっとポモドーロの隣に居て、本当に本当に楽しそうだった。

 

 ――自分も、アンチョビのようになるには、

 

「お母さん、お父さん」

「うん?」

 

「わたし、この学校に入りたい!」

 

 ↓

 

 演奏が終了し、ボランティア部の全員が深呼吸する。これといったミスをせず、アンチョビを誘ったことも咎められず、無事平穏に拍手を浴びる。

 終わった――アンチョビからマイクを手渡され、撤収作業に移る。少し休憩したら、ボランティア部としての活動を再開しなくては。

 ステージの裏側にまで回り、アコーディオンをどかりと置く。うーんと、面倒くさそうに背筋を伸ばし、

 

「あの」

 

 アンチョビが、まだそこに居た。部長が、リコッタが、ボランティア部が、「え」と目を丸くし、

 

「ここって、部員を募集していますか?」

 

 リコッタが、「あ、はい」とか細い声で返事をする。それを確認しては、アンチョビが小さく頷き、

 

「では――今日から、ボランティア部へ入部してもいいですか? あ、邪魔でしたら、後日でも構いません」

 

 ボランティア部員とボランティア部員が、顔と顔を合わせる。ポモドーロとリコッタが、「え」と視線を合わせる。

 アンチョビの顔を見る。

 アンチョビは内股気味で、顔を赤く染めていて、ポモドーロと目が合ったかと思えば視線を逸らしてしまった。

 

 ポモドーロは、アンチョビの意図に気づく――が少しだけ遅かった。部長が、凄い良い顔になって、

 

「もちろん! あ、初日ということで簡単な作業でも構いませんよ」

「あ、ありがとうございます」

 

 部長と目が合う、口元がにやりと歪む。

 

「といえども、勝手が分からないでしょうし、誰か経験者が必要ですよね。……となると」

 

 部長が近づいてきて、顔で「やれ」と命じられる。

 承知の上だった、他に主導権を譲る気などは無かった。

 

「先輩」

「あっ」

「……俺が、ゴミ拾いを先導します」

 

 アンチョビの表情が、ぱあっと明るくなる。

 

「よろしく頼む、ポモドーロ」

「はい」

 

 手と手を握り締め合う、アンツィオ流のスキンシップを図り合う。

 

「それじゃあ、三十分くらい休憩したら、ここで落ち合いましょう。それまでは、こいつと遊んでいてください」

「はい、ありがとうございます」

 

 アンチョビが、深々と礼をする。ポモドーロも、頭を下げた。

 

「――立派になったね」

 

 リコッタの、すこし寂しそうな声。

 

 ↓

 

 ――そうしてステージの裏側から出ていき、アンチョビが「はあ」と息を吐き出す。

 そんなアンチョビを見て、何となく分かっているつもりなのに、

 

「先輩」

「ん?」

「どうして、ボランティア部に?」

 

 分かっているくせに、こんなことを聞いてしまった。

 アンチョビは、唇を尖らせ視線を上の空にして、

 

「……歌、楽しかったから」

 

 予想外の答えだった。「へえ」と口にしてしまった。

 

「……あと、」

 

 ステージ上では、アンツィオ出身のダンサーが派手に舞っている。観客全員も、手を取り合って踊っていた。

 

「戦車道もひと段落を迎えたし、その、一緒にいる時間を伸ばしたくてだな」

「なるほど」

 

 望みの返答を、聞くことが出来た。だから、

 

「光栄です、先輩」

 

 アンチョビが「むう」と唸る。

 ――その時、着信音が近くで鳴り響いた。

 

「これは、俺の携帯じゃないな」

「あ、私だ」

 

 足を止め、その場で通話を開始する。ポモドーロは、そんなアンチョビを見守るように両腕を組んだ。

 

「はい、はい……え、え!? ライブ見てた!? お母さんいるの!? 何処!? ……は? 彼氏紹介しろって?」

 

 ポモドーロの思考が凍る、アンチョビの顔が熱くなる。

 

「……わかった、わかった! じゃあ、トレヴィーノの泉前で会おう! いいね!?」

 

 そうして、きっぱりと携帯を切ってしまった。

 感情が冷めやらぬうちに、アンチョビが目を合わせてきた。ポモドーロは、不思議と冷静な気持ちになって、

 

「親、すか」

「……ああ。唄ってるとこ、見ていたらしい」

「へえ……」

「……なんで気づけなかったんだろう」

「観客、多かったすからね……」

 

 アンチョビが、「はあ~~」と落胆する。腰は曲がり、視線は地面へ。

 

「……すまないが」

「あ、はい」

「トレヴィーノの泉前まで、来てくれないか? その、紹介、しないといけなくなって」

 

 その言葉を聞いて、ポモドーロはにこりと笑う。

 

「構いませんよ」

「……ありがとう」

「いえ。それに――」

 

 姿勢はそのまま、顔をゆらりとポモドーロへ向けてくる。

 

「嬉しいです。こう、認められて」

 

 アンチョビの無表情が、やがては微笑へ。「そっか」と、体勢を整える。

 

「じゃあ、行こうか」

 

 当たり前のように手を差し伸べられ、当たり前のようにその手をとる。

 

 トレヴィーノの泉へ向かう間も、祭りの光景が絶えない

 屋台からは美味しそうな匂いが漂ってきて、観光客がそれに惹かれていく。中には、観光客とトークで盛り上がり、おまけをプレゼントする屋台もあった。

 設けられたテーブルを挟み、アンツィオ女子生徒と他校生の女子がボードゲームに興じている。同じ戦車道履修者なのだろう、戦車のコマを用いて激戦を繰り広げていた。

 広場では曲芸をするアンツィオ生徒がいて、薬莢でジャグリングをこなしている。その一方で、上品そうな女性が人差し指でティーカップを支えていた。

 ふと、見覚えのある屋台が目に入る。戦車の模型が乗っかった屋台には、忙しそうに動き回るペパロニと、デレデレする男子の話し相手になっているカルパッチョが居た。

 そこで、視線が合う。手をひらひらと動かして、ポモドーロもアンチョビも手のひらで返した。

 

「賑やかだな」

「ええ」

 

 けれど、「この」祭りはいつか終わる、終わらなければならない。億劫な勉強があるから、大切な道を歩まなければならないから。

 だからこそ祭りは楽しくて、心地よく寂しくなって――終わり際に、祭りで起こった全てのことを話し合うのだ。

 それは、アンツィオ高校学園艦のみんなが、いちばんよく知っていることだ。

 

 だから、自分はこの手を決して離さない。これだけは、終わりを迎えたくはないから。

 この人の為に、この人から得たものの為に、自分はこれからも頑張る、生きていく。

 

 アンツィオ高校学園艦に、再び乗ろう。

 アンツィオ高校学園艦に、再び誓おう。

 

 アンチョビから、認められたか。

 認められた。

 アンチョビから認められ続けるには、何をすべきか知っているか。

 知っている。

 「何か」を持つ、主人公になったか。

 なった。

 なったんだな。

 なった。

 

 ――最後の質問だ。お前は、

 

「千代美」

 

 アンチョビが、笑顔とともにポモドーロへ顔を向ける。

 

「ん? 何だ? 赤石」

 

 絶対に笑えた。

 

「大好きです」

 

 手を、きゅっと握られる。

 

「私も、私も、お前のことが……大好きだ」

 



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152P~155P~あとがき

「はあ……」

 

 陽気さが装甲を身につけているようなアンツィオ高校学園艦で、やや南側に設けられた森林公園の中で、そのベンチの上で、アンチョビは心の底からため息をつく。

 純愛を目の当たりにした。

 なぜ、人間は愛に泣いたりするのだろうか。愛を肯定しているからこそ、心によく通るのだろうか。

 目頭が熱くなる。それに伴い、感情や血液や脳ミソに火が灯る。

 放課後という、開放された世界もあいまってか――アンチョビ(あだ名)高校三年生は、誰を気にすることも無く涙を流していた。

 

 純愛を観たからこそ、こうして心地良く泣けるのだろう。

 こうした恋の形が好きだからこそ、素直に感情移入が出来るのだろう。

 声が漏れる、うつむく。

 

「先輩」

 

 声がした。

 

「先輩」

 

 顔を上げる。

 何者だ――とは思わなかった。予想はしていたから、見慣れた顔だったから。

 

「泣いていたんですか、先輩」

「……まあな」

 

 新刊の恋愛小説を、ひらひらと見せる。表紙には「続・凡人物語」と書かれていた。

 

「あ、これっすか。これ、まだ読んでいないんすよね」

「そうか……まあ、ボランティア部は忙しいからな」

「そっすね」

 

 秘密の場所のベンチで、アンチョビとポモドーロがにこりと笑い合う。

 

 アンツィオフェスティバルから、アンチョビはボランティア部の一員として働いてきた。普段は屋台広場のゴミ拾いを、時には食材の運搬をも行う。校内全体の清掃もこなしたことがあったが、正直、これが結構楽しかった。

 だからこそ、改めて共感したのだ。

 ポモドーロは自分の為に、こんなにも頑張ってくれたんだなと。

 

「忙しいといえば、先輩の方が大変じゃないっすか? あれ以来、練習試合の申し込みがハンパ無いとか」

「あー、そうだなあ。戦力も増強して、戦車道履修者も増えたものだし」

 

 島田愛里寿に勝利して以来、アンツィオ高校向けに練習試合の申し込みが殺到した。

 当たり前のように強豪校からメッセージが届くわ、中堅校からも「やりましょう」と頼まれるわで、まるで週末のヒマが取れない。なので、未だに街中の清掃や、献血の手伝いなどは未体験のままだ。

 

「ボランティア部の皆も言っていますが、戦車道を優先にしても良いんですからね?」

「すまない」

「リコッタも練習試合には駆け付けていましたし、大丈夫っすよ」

「……そっか」

 

 放課後のボランティア活動は、確かに大変といえば大変だ。綺麗にするのも、楽なものではない。

 けれど、隣にはいつだってポモドーロが居た。ボランティア部の皆が、気を利かせてくれたお陰だ。

 

「いつも、助言してくれてありがとな」

「いえ」

「お前には、いつも感謝している。足手まといにならないよう、努力するから」

「いえいえ、そんな。先輩は、立派にボランティアをこなしていますよ」

「そうか」

 

 アンチョビの口元が、緩む。ポモドーロも、安心しきったように笑う。

 わたしはやっぱり、この人のことが好きだ。

 

 わたしは、手を差し伸べた。

 

「あ。お邪魔します、先輩」

 

 先輩と呼ぶポモドーロに、赤石に対して、

 

「……その、今は、先輩はいいだろう? ここは、趣味で繋がり合っている『だけ』の場所だ」

 

 言い切る。

 たとえ祭りが終わってしまっても、学園艦が何でもないように航海し続けようとも、秘密の場所はいつもここにある。

 学校とか、部活とか、先輩後輩とか、そんな建前はここでは無縁だ。あるのはただ、同好の士という関係だけ。

 

「ああ、そうでしたね」

 

 そうして、赤石がわたしの手をとり、隣へそっと座る。

 赤石の左手には、当たり前のように恋愛小説があった。

 

 わたしたちはこれからも、秘密の場所で、ヒミツの趣味を抱いて、ひみつの呼び方を口にして、手と手を繋ぎ合っていく。

 そしていつか、二人だけの、もしかしたら三人だけの場所へ――

 

「千代美」

 

「赤石」

 

 

 FINE

 

 

 




 ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

 今回は設けられたハードルが多く、どうしようどうしようと悩みました。
 まず、主人公の成長を描写すること。次に、アンチョビにとって相応しい男として描くこと。次に、アンチョビを魅力的に描くこと。最後に、アンツィオ戦車道の未来を描くこと。
 難しかったですが、書き終えてみると「よくやった」となりました。
 偉大な総帥と凡人の、メタルな恋愛を描けたと思います。

 何度か推敲はしましたが、致命的なミスなどがあった際は、遠慮なくご指摘ください。
 ここまで読んでくださり、本当に本当にありがとうございました。
 少しだけ、お休みをいただきます。

 恋愛のアイデアをくださった稲荷のキツネ様、人生ツライム様、孤高の牛様、迷子屋エンキド様、本当にありがとうございました。

 それでは、最後に、

 ガルパンはいいぞ。
 アンチョビは、最高の乙女だぞ。


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誕生日企画
エンディング


一日遅れましたが、我慢できずに書きました。


 夕飯が出来上がるまで、すこし待ってくれ。

 

 母からそう言われて、私は何となくテレビを見てみる。ドラマの再放送、チャンネルを切り替える、地元特集、チャンネルを切り替える、『戦車道関連のニュースです。先週も、赤石、』

 テレビを消す。母の活躍はいの一番に知っているから、ニュースを見たところで何の足しにもならない。

 窓から射す夕日を浴びて、キッチンから伝わるナポリタンの匂いを嗅ぎながら、私は憂鬱げに「ひまだな」と呟く。リビングのテーブルの上で頬杖をついてみるものの、状況は当たり前のように変化しない。

 

 なんとなく、別のことをしてみようかな、と思った。

 だから、家の二階にまで上がっていった。

 二階は大まかに私の部屋、父、母の部屋、寝室と別れていて、特に大きく、重要な部屋はといえば寝室だ。

 寝室ということでベッドはもちろん、沢山の服がタンスにしまわれていたり、触ってはいけない両親の仕事道具がテーブルの上に置かれていたりする。決して少なくない仕事道具を目にするたびに、「プロも医者も大変なんだなあ」と、私は漠然に思う。

 なので私は、ベッドもタンスも仕事道具も素通りして、寝室の一角にある本棚の前に立った。

 

 ――ため息をつく。

 ほんとう、うちの両親ときたら、恋愛ものばっかり読むんだな。

 見れば見るほど、恋愛漫画とか、恋愛小説とか、そういったジャンルがどうしても目に付く。大体は活字が多くて、一度や二度くらいチャレンジしてみたものの、「ピン」とこなくてすぐに諦めてしまったものだ。

 

 けれど、母からはこう聞かされたことがある。

 恋愛小説のお陰で、私たちは出会えた、と。

 

 それが本当だとすれば、実にロマンチックで、ドラマっぽいと私は思う。いつか私にも、そんな機会が訪れたりするのだろうか。

 好きな人なんてまだいなくて、恋愛のれの字も知らなくて、学園艦にも乗り合わせたことがない、こんな子供の私でも。

 ――本棚から、適当に一冊を引き抜く。タイトルは「そして、自由に惹かれあった」、直感的に「いいタイトルだな」と思い、1ページ、2ページほど読んでみて――そっと、本棚へ本を戻した。まだ私は、恋愛へ惹かれてはいないらしい。

 

 夕飯までには、まだ時間がある。どうしたものかと、私は本棚のことを目で漁っていって――「お」と声に出た。

 本棚の一番上に、タイトルが書かれていない白い背表紙を見つけた。本の背の高さも恋愛小説より大きく、頭の中で「秘密の書類か何かか?」と期待する。夕暮れ時ではじめて口元が曲がり、溢れ出る好奇心にかられたままで、私は白い名無しの本めがけ手を伸ばして――椅子を持ってきて、何とか白い名無し本を手にすることができた。

 さあて。

 獲物を物色するかのように、白い名無し本を床の上にそっと置く。タイトルは金文字で、「ALBUM」ときっぱり描かれてあった。

 興味があるかといえば、めちゃくちゃある。母と父はいつだって仲良しだし、私に隠れてこっそり抱き合うなんて日常茶飯事。見られていないと思ってキスまでするから、私からすれば「仲いいなー」と羨ましかったりするのだ。

 だからこそ、母と父はどんな風に暮らしてきたのか、どうやって自由に惹かれあったのか、非常に関心があった。暇だったし。

 

 よーしいくぞと、手をこすり合わせる。そうしてアルバムをめくっていって、最初に目に飛び込んできたのは、軍服姿でピースサインをかます母親の姿だった。

 へーほーと、私はいやらしく笑ってしまう。いまの母はとても落ち着いていて、叱るべき時はちゃんと叱って、いつだって私のことを抱きしめてくれる、尊敬する女性そのものだというのに――母も、こんな頃があったんだと、私は安心する。

 髪型も、今のロングヘアとは違うものだ。名前は確か、ツインテールというやつ。外見も大きく変化していて、母への興味がいよいよもって高まった。

 

 写真を次から次へと見ていく。友人らしいおさげの女性と、金髪の女性の写真、知らない戦車の写真、賑やかな屋台の写真と、どれもこれもが実に賑やかだ。写真だからといって、ここまで笑顔中心なのはけっこう珍しい気がする。

 ――私のいた学園艦は、ノリと勢いだけがあって、最高だった。

 そんなことを、前の前に聞いた気がする。写真を見て、なるほどと、納得した。

 アルバムのページをめくるたび、たくさんの母の表情が、多彩なポーズが、キメキメのピースをする友人達が、隊列を組む戦車群が、母の居た学園艦が、写真を通じて私の前に広がっていく。まだ子供の身ではあるが、「いい暮らしができたんだね」と、なんとなく実感する。

 

 次のページをめくっていって、私の手がぴくりと止まる。

 ピースする母の隣に、「見たことのある」男がラザニアを食べている一枚。これはなんだと、少しばかり思考が躓いたが――「ああ」と気持ちを立て直した。

 揃ってヤンキーピースをキメる二人、「はい、あーん」の瞬間、父と母、おさげに金髪の四人が出そろった一枚、母の決め姿である指鉄砲の写真――この頃に開発されてたのか――、P40(母の愛車だから、この戦車だけは知ってる)の上に乗る父と母の場面などなど、私はひと息つく。

 

 ほんとう、愛し合っているんだ。

 

 この夕飯の匂いは、私と、母と、これから帰ってくる父のためのもの。それを考えると、わけもわからず、「そうなんだ」と感慨深く思う。

 父と母の感情が羨ましく思った時、私はきっと、恋愛小説に心惹かれ、すがるように読んでいるのだろう。何故だか強くそう想う、母と父の血を継いでいるからかもしれない。

 

 そしてわたしは、アルバムをページをめくり、

 ある一枚の写真に、わたしの両目はたやすくくぎ付けとなった。

 

 祭りの会場の中、P40の前で、母が泣きながらで指輪を指にはめていた――

 

――― 

 

 9月22日といえば、かったるい授業が行われる平日で、休日前でもあって、

 

「あ、総統。ちょっとこいつのこと、借りてきます」

「ん? あ、ああ、解った」

「え、何、俺何かした?」

「まだしてない」

 

 ボランティア部活動日で、

 

「――誕生日プレゼント、決めた?」

 

 アンツィオの有名人で、アイドルで、アンツィオ戦車道の英雄で、ポモドーロの恋人である、安斎千代美その人の誕生日前だった。

 

 ポンペイ巨大宮殿の柱に隠れながら、リコッタが深刻そうな顔で声をひっそり漏らす。真剣味が溢れ出ているからか、その声色は、周囲の喧騒よりも大きく聞こえた。

 そんなリコッタの質問に対し、ポモドーロは両腕を組まざるを得ない。リコッタからは、「まだなのぉ?」とため息をつかれた。

 

「もう。あなたが手渡さないで、誰が総統にプレゼントをあげるのよ」

「……沢山いるよね」

「まあいるけど、私も渡すけど。っていうかそうじゃなくて!」

「わかるわかる! リコッタの言いたいことは分かる! 絶対に、先輩にプレゼントは渡す、渡すから!」

 

 リコッタが「まったく」と、眼鏡のブリッジを押す。

 

「しかし、女性に対してのプレゼントなんてなぁ……わかんねえなあ。なんかある?」

「そーねぇ。総統の趣味は?」

 

 恋愛小説。その四文字が、まずは頭の中で思い起こされた。

 ――けれど、

 

「なんだろうなあ。戦車道、とか?」

「んー、戦車道関連はたぶん、履修者のみんなが手渡すだろうし」

「だよなぁ」

 

 あえて、それを口にはしなかった。

 誕生日会となれば、やはりどうしても大衆の前でプレゼントが明らかにされる。そうなれば、ポモドーロとアンチョビだけの「ヒミツ」が暴かれてしまい、ある一種の魔法が解けてしまうに違いなかった。

 

「じゃあ……そうね。アクセサリとかはどうかな?」

「アクセかー」

 

 少し考えてみる。首飾りを身に着けたアンチョビのことを、銀色のブレスレットをはめた先輩のことを、ノンホールピアスを着こなす千代美のことを――顔がにへらと歪む、プレゼント候補が爆発的に増える、一目散にアクセサリ店へ行かなくてはと思う、リコッタが悪そうに微笑む。

 

「いい顔してんじゃん」

「してた?」

「してた」

「だって先輩にアクセだぜ? 似合うしかないじゃん」

「うんうん思う思う。……ほーんと、総統ってヒロインだよね。性格いいし容姿抜群だし料理上手いし戦車道も一流だし。確か、大学への推薦も間違いなしなんだっけ?」

 

 ポモドーロが「らしいね」と両手を曲げて、

 

「遠い人になっていきますなぁ」

「馬鹿言わないの。一番総統に近い人は、あなたでしょ」

 

 リコッタの、そんな質問に対して、ポモドーロは、

 

「まあね」

 

 迷わず、そう答えられた。

 

「今の時代、携帯もあるんだし、そうクヨクヨすんな。それに離れ離れといっても、大学で換算して四年くらいでしょ?」

「ああ、そういうことになるのかな」

「で、四年以上経過したら……やっぱり?」

「やっぱり……て!?」

 

 これまたリコッタが、意地悪そうに口元を釣り上げる。そうして右薬指を伸ばして、左親指と人差し指を用いて何かをはめこむ動作。

 将来の話をしていたせいか、ポモドーロは、場の状況を瞬時に把握することができた。

 できた後で、「やめろ」だの「そういうのはだな」と言い訳をするが、リコッタは全く意に介していない様子でニヤついたまま、

 

「する気、ないの?」

 

 リコッタの、そんな質問に対して、ポモドーロは、

 

「する」

 

 迷わず、そう応えるしかなかった。

 

 ↓

 

 いやーすみません、ちょっと相談事がありまして。

 リコッタがそう言い繕ってくれたおかげで、ポモドーロは難なく屋台広場へ再着地することができた。ボランティア部は「そうか」とだけ頷いて、アンチョビが当たり前のようにポモドーロの隣に立つ。

 

「相談相手になれるなんて、本当にしっかり者になったな」

「いえ」

 

 実際は逆だが、リコッタがウインクしてくれたので、嘘を貫くことにする。

 

「それにしても、ボランティア部っていうのは本当に大変だな。この広場のゴミを拾うだけでも、体力が減る減る」

「戦車道の方が大変だと思うっすけどね。けっこう、おっかないし」

「じゃあ、同じくらい大変ということで」

 

 アンチョビがにこりと笑い、トングを使って食べカスをゴミ袋へ放り投げる。

 相談している間にも、アンチョビは生真面目にボランティア部として仕事をしてくれたのだろう。アンチョビのゴミ袋は、決して少なくない量のゴミが詰まっていた。

 

「流石っす、先輩。すっかりエーススイーパーっすね」

「いやー、リコッタには負けるよ。実は密かに競ってたんだが、未だに勝ったためしがない」

「いずれは勝てるっすよ。だって、先輩なんですから」

 

 アンチョビが、こっ恥ずかしそうに苦笑して、

 

「やめてくれ。今の私はボランティア部員のアンチョビだ、総統じゃない」

「――そっすね」

 

 それもそうだと、ポモドーロも頷く。

 

 数か月前に開催された、アンツィオフェスティバル(凱旋)以来、アンチョビはボランティア部員としてよくよく活躍してくれた。

 ゴミ拾いは基本として、食材の運搬、他校との交流企画の立案、ボーカル(賑やかし)と、そのどれもを平均以上にこなしているとポモドーロは思う。

 それは、アンチョビの高い能力によるものもあるのだろう。けれど、アンチョビがここまで動いてくれる要因はといえば――やはり、果てしないアンツィオ愛以外に他ならない。

 ボランティア部とは、つまりはそういう集まりだ。

 

「いつもお疲れ様っす。戦車道に、ボランティア部と、大変でしょう」

「いや、そんなことはない。勢いに乗るのもいいが、綺麗にするのは、とても気持ちが良い」

「ああ、やっぱりそうっすか?」

 

 アンチョビが、きっぱりと頷いて、

 

「それに」

「それに?」

 

 アンチョビが、気恥ずかしそうに目を逸らして、

 

「……お前と一緒に動けることが、とても嬉しい」

「――俺もです」

 

 冷静に、よくもそんな風に口に出来たと思う。

 心の中で、上機嫌がめちゃくちゃこれでもかってくらい上下に飛び回っているくせに。

 

「ポモドーロ」

「はい」

「これからも、よろしくな」

「もちろんです」

 

 喜色満面の笑みを露わにしながらで、今日も今日とてアンチョビとゴミ拾いをこなしていく。普通なら冷やかしの一発もかまされそうなものだが、ここはアンツィオ高校学園艦、カップルに対する口出しは暗黙の了解で厳禁なのだった。

 だからか、ボランティア部部長も、平然と「じゃあ、ポモドーロとアンチョビさんは東区エリアをお願いします」とかなんとか指示してきて、他ボランティア部員も「任せた」と言ってそれきりなことが多い。自分とアンチョビとを、二人きりにさせようとしているのが明白だ。

 ――でも、その指示を否定したことはない。ポモドーロも、アンチョビも。

 

「……へへ」

「……ふふ」

 

 アンチョビが苦笑する、ポモドーロが苦笑いをする。

 感情が高ぶっていながらも、ボランティア部としての手は止まらない。アンチョビのトングが翻り、空き缶が軽やかにゴミ袋へ飛ぶ。ポモドーロの冷却スプレーが、ガムめがけ唸り声を上げた。

 ヘラを使い、学園艦に張り付いていたガムをゴミ袋へ放り投げる。

 ――またしてもゴミが目に入る。アンチョビが小さくため息をつき、トングで紙くずを拾い上げ、

 

「またかー……というか、今日はなんでこんなにゴミが多いんだか」

「いつも以上に、人が多いからじゃないすか?」

 

 屋台広場を見渡す。

 夕暮れの下で、今日も安い美味いを高らかに宣言する声が反響する。中には料理勝負をけしかけている屋台もあって、観光客もやんややんやと投票に参加しているのが目に入った。参加費は150万リラ。

 中には屋台主とともに、友達感覚で話しあうおじさんの姿もある。女子生徒の一人が、観光客の犬をえへへと撫でまわしていた。

 一見すると、「いつもの」アンツィオ高校学園艦の光景に見える。年がら年中お祭り騒ぎに興じているようなものだから、人が多いのは当たり前、騒がしいのは必然とはいえた。

 しかし、屋台広場事情に詳しいボランティア部員の目からすれば――人の密度が、いつも以上に多い。屋台の手も忙しないし、どこかからか「売り切れました! ごめんなさい!」のお知らせが聞こえてくるぐらいだ。

 

 人が多ければ、お金の回りも良くなる。同時に、ゴミだってよく落ちるようになる。悪意とかは関係なく、こうした因果はどうしても起こらざるを得ない。

 だからボランティア部は、「仕方がないよね」の精神でゴミを拾う。

 

「うーん……理由は、理由は……」

 

 アンチョビが唸る。それは「わからない」という理由ではなく、「もしかして、もしかすると」という認めがたい感情によるものだ。

 だから、ポモドーロは小さく頷いて、力なく口元を曲げる。

 

「アンチョビフェスティバル前夜記念! 300万リラのところを、今日は150万リラだーッ!!」

 

 いぇ―――――――いッ!

 ペパロニの屋台から、客と生徒の歓声が大音量で爆発した。

 つまりは、そういうことだった。

 

「……なあ」

「はい?」

 

 ポモドーロは、力なく笑ってみせた。

 

「なんで、私の誕生日ぐらいで、コロッセオで祭りが開催されるんだ?」

「そりゃあ先輩は、アンツィオ戦車道を立て直したヒーローですし。あ、ヒロインかな?」

「……それぐらいだろ、やったのは」

「何言ってるんすか。彼氏っていうひいき目で見なくとも、先輩の活躍でアンツィオ高校学園艦の人気はうなぎのぼりじゃないっすか」

「……何かしたっけ?」

「したっすしたっす。PVとか、P40購入とか、大学選抜にフィニッシュとか、アンツィオフェスティバルとか」

「……だなあ。気づけば、そんなことしてたなぁ」

 

 がっくりと、肩を落とす。

 

「だいたいなんだよ、アンチョビフェスティバルって。アンチョビ誕生日会、でいいじゃないか」

「アンツィオフェスティバルと字面が似てて縁起が良いから、こうなったらしいっすよ」

 

 今年の誕生日が訪れるまで、アンチョビは波乱万丈の道を歩んできたと思う。

 PVの顔になって、P40という高価な戦車を購入して、大会で二回戦目まで進出して、P40の修理代がバカスカつぎ込まれて、ノリと勢いと実力で大学選抜を打ち負かして、アンツィオの為のアンツィオフェスティバルが堂々開催されて、戦車道に強い大学からの推薦が届いて、アンチョビフェスティバルが開催されようとして「いや、普通の誕生日会に」「まあまあ姐さん。姐さんももうじき卒業ですし、もっと報われましょう!」の声に押され、現状に至る。

 

 今のコロッセオは、関係者以外立ち入り禁止だ。こうしてボランティア部として活動している間にも、コロッセオ内では賑やかに準備が執り行われているだろう。

 

「先輩」

「ん」

「嫌っすか?」

 

 アンチョビが、肩をがっくりと落としながらで、大きくため息をつきながらで、眉をハの字に曲げながらで、

 

「――いや」

 

 口元が、正直に歪んだ。

 

 アンツィオ高校学園艦に住まう以上、何がどう祭りへ転ぶかは分からない。デカいことを成せば、尚更だ。

 誕生日とは、間違いなくめでたい日だ。この時点で、祭りへの火付け役としては十分。

 ここに、アンチョビというプラス方面の有名人が対象だったらどうだろう。間違いなく、祭りへ直結間違いなしだ。

 そしてとどめに、舞台がアンツィオ高校学園艦だとしたら。躊躇なく、祭りが開催されるに決まっていた。

 

 アンチョビは、三年間もアンツィオ高校学園艦で生き抜いてきた。だから、こうした「流れ」も受け入れられるのだ。

 

「まったく、しょうがないなーあいつらは」

「そっすねー」

「お前の誕生日も、覚えておけ」

「えー?」

 

 ポモドーロフェスティバルなんて開かれるのかなあ。そんなどうでもいいことを考えながらで、ゴミというゴミを拾い上げていく。

 

 ↓

 

 部活動も終えて、ボランティア部一同は屋台広場で現地解散する。未だ絶えない祭りの喧騒を背にしながらで、ポモドーロはうんと背筋を伸ばした。

 明日はコロッセオで激戦だろうなーと思いながら、ポモドーロは頭の中で、アンチョビへの誕生日プレゼントについて思考する。どんなアクセサリにしようかな、ブレスレットかな、首飾りかな、ノンホールピアスかな、それとも指輪かな――指輪のことを考えてみると、心地良い恥じらいが、胸の奥から生じてきた。

 まあ、いずれは、結ばれたいけどさ。

 首を左右に振るう。とりあえずは街へ出向いて、店に入って、感覚的にプレゼントを決めてしまおうと思う。

 

 ――隣に佇んでいたアンチョビへ、声をかける。

 

「先輩」

「うん?」

「今日はその、すみません。寮までエスコートしたいんすけど、かかせない買い物があって……」

「お、そうなのか」

 

 伊達眼鏡をつけたアンチョビが、嫌な顔一つせずに頷く。

 

「ですから、先に帰宅しててくださいっす」

 

 そして、アンチョビが「いや」と前置きして、

 

「付き合うぞ、買い物」

「へ」

「お前との買い物だろう? なら、問題なんてない。一緒に行こう」

 

 純粋に笑みをこぼしながら、当たり前のようにそんな提案を告げてくれた。

 夕日に照らされるアンチョビの顔を見て、風に少しだけ揺れる髪を意識して、ポモドーロの言葉が沈黙に落ちる。こうすることが当たり前の関係になったのだと、改めて強く認識する。

 

「あ……だめ、だったか? 何かこう、プライベートにかかわる買い物とか?」

「いえっ」

 

 男として、アンチョビの彼氏として、アンチョビの不穏な表情なんて見たくはなかった。

 だからポモドーロは、考えるよりも先に、アンチョビの手を握る。アンチョビと帰宅する際には、必ずといっても良いほど行われるスキンシップだ。

 

「嬉しいっす、俺の買い物に付き合ってくれるなんて」

「あ」

 

 アンチョビの表情が、開花したように明るいものとなる。

 

「行きましょう、先輩」

「――ああ! ……あと」

「はい?」

 

 アンチョビの目が、穏やかに細くなる。口元が、弛緩する。

 

「せっかくだから、こう、呼ぼう。……赤石」

 

 ポモドーロは、すぐに首を縦に振って、

 

「わかりました。……千代美」

 

 

 手を繋いだままで街中を歩みつつ、千代美とは、これからについて語り合った。

 きっかけは、「ここ最近の戦車道、どうっすか?」の一言からだ。誕生日という一区切りがやってくるからこそ、何となく聞き出したかったのかもしれない。

 

 まずは、ペパロニが引き継ぐアンツィオ戦車道について。

 ここ最近のペパロニは、よく勉強し、貪欲に知識を蓄えようとしているのだとか。それを聞けて、赤石は「安泰っすね」と安堵する。千代美も、「そうだな」と笑う。

 

 次に、赤石が志す医者への道について。

 赤石は「誰も死なせたくないから、心臓に纏わる医者になりたい」、具体的にそう告げた。最初はボランティア部から始まって、徐々に命への関心が強まっていって、やがて自分の手で命を救いたいと願うようになった。

 この夢に対して、千代美は、「お前なら、できるよ」と、自分の背中に手を当ててくれた。

 

 そして、千代美のこれからについて。

 世界選手を生み出すべく、ここ最近の日本戦車道には、国から力が注ぎ込まれているという。だからか、アンツィオ戦車道を立て直した千代美には、「ウチに是非」と大学から推薦されているのだとか。

 それにはもちろん承諾した千代美だが、最低でも四年は離れ離れになってしまうだろう。会えないというわけではないが、こうして千代美と手を繋いでいられるのも、難しくなってしまうに違いない。

 

 けれど、千代美は笑顔で、「半年前、みたいだな」。

 そして、赤石も笑顔で、「半年前、みたいですね」。

 

 似たような経験は、半年前の森林公園(秘密の場所)で経験済みだ。

 あの頃は、会える会えないの日々が続いていた。けれどそれは、決して無駄な時間などではなくて、千代美と結ばれるには必要な時期だったのだ。

 それを、千代美は分かってくれていた。最初から最後まで見届けてくれた千代美とは、今となってはこうして求めあう仲にまで歩められた。

 

 だから、四年間の別れなんてものは。互いが互いのことを、もっと好きになる準備期間でしかない。

 

「千代美」

「うん?」

「ずっと、応援するっす」

 

 千代美が、ぎゅっと手を握って、

 

「私も、お前のことを、心の底から応援する」

 

 

 そうして、アクセサリ店へ足を踏み入れる。白を強調とした作りの、ショーケースだらけの世界が、赤石の視界へ容赦なく入り込んできた。

 客層は、大人が数人ほど。物言わぬスーツ姿の男性に、背が高い女性、観光客らしい外国人の男性が、ショーケースの中身をしっかり見据えている。

 

 慣れない雰囲気に、思わず背筋が伸びてしまう。失言しないようにと、乾燥した唇をひと舐めした。

 ふと、隣を見てみると――千代美も、瞳を泳がせながらで、店内をくまなく一瞥していた。「きれい」の小声。

 その様子を見てみて、赤石は「女の子だな」と思う。これは何としてでも、ベストマッチする誕生日プレゼントを選ばなくてはいけない。

 

「千代美」

「あ、うん」

「実は俺、ちょっと着飾ってみたくなって……それで、アクセサリ店に寄ってみたっす」

「なるほど。いいんじゃないかな?」

 

 心の中で、「ごめん、嘘っす」と謝罪する。

 

「それにしても……うわあ、いいなあ」

 

 いったん手を放して、ショーケースの中の高級品を、普通に展示されているアクセサリの類を、興味深そうに物色する。

 まずは高級品の首飾りを眺めてみたが、やはりというか、ゼロの数が非常に多い。それもそのはずで、首飾りを彩る宝石の存在感が、物理的にも雰囲気的にも大きいのだ。

 これは、マトモに働けるトシになるまでお預けかなあ――ちらりと、千代美の横顔を覗ってみる。

 

「……きれい……」

 

 星を見つめるような笑みで、アンチョビがひっそりと呟く。手の届かない首飾りを目にしているからこそ、感嘆の吐息が漏れていた。

 

「千代美」

「うん?」

「やっぱり、こういうのが欲しいっすか?」

「え? あ、いやー……」

 

 店内だからだろう。声には出さず、値札めがけひっそりと人差し指を示す。

 だろうなあと、ポモドーロは二度、三度頷いて、

 

「じゃ、もうちょっと安いところへ移動しましょう」

「だな」

 

 失礼が無いように、細心の注意を払って店内を移動する。けれどここは学園艦だからか、学生が店内をうろついていたところで、誰も気にも留めはしなかった。

 ショーケースの群を潜り抜け、ようやく展示コーナーにまで行きつく。高そうなテーブルの上に置かれているは、これまた高そうな金属性のネックレスに、ワイヤーフラワーネックレス、数千円程度はする指輪の群だった。

 カジュアルな区域を目の当たりにして、ほっと胸をなでおろす。マトモに呼吸すら出来るようになったと思う。やはり自分は、まだまだ大人にはなりきれていないようだった。

 千代美の方も、「ふー……」と息を吐いていた。やはりというか、値段という概念は最強なんだなあとつくづく実感せざるを得ない。

 

「じゃあ、ここらへんを見てみるっす」

「ああ。じっくり、自分に合うものを選んでみるといい」

 

 自分の為じゃないけどね。そう思いながらで、赤石は品物を拝見しつつ、次に千代美の方を眺めながらで、ふたたびアクセサリに視線を運ぶ。

 何がいいのかなあと思う、何でも似合うんだろうなと思う。安斎千代美という人物は、戦車道の天才という生真面目な面を持っていて、ノリと勢いも抜群という遊びの面も備えている。いかなアクセサリを身に着けようとも、いとも簡単に馴染めてしまうに違いない。

 

「んー、難しいなー」

「そうかー? お前なら、何でも合うと思うけど」

「そすかー?」

「ああ。私が保障する」

 

 その言葉に、ポモドーロがえへへと笑ってしまう。

 いやいやと、首を左右に振るう。

 

「千代美」

「うん?」

「千代美はそのー……例えば、どんなアクセを身に着けたいっすか?」

 

 質問に対して、千代美がうーんと唸る。両腕まで組んでみせて、生真面目に間を置いて、

 

「なんでもいいけど……そうだなあ」

 

 千代美が、展示品めがけ背筋を曲げる。その視線の先には、

 

「指輪、かな」

「ほう」

 

 その言葉の響きに対して、心がどきりとする。リコッタの指の動作が、鮮明にフラッシュバックした。

 

「首飾りも良いけど、指輪の方が好きかもしれない」

「なぜ?」

「え」

 

 背筋を曲げたまま、千代美が赤石めがけ視線を投げかけてくる。その頬はどこか赤く、やがて視線が横目に飛ぶ。

 

「そ、それはー」

「はい」

 

「……結婚指輪、に憧れてるから」

 

 「え」と声が漏れた。棒読み気味だった。

 

「――へ、変かなぁ? ほ、ほら私って、恋愛小説が好きだから、その影響で指輪のことも好きになって」

「あ、ああー、そういうことっすね。分かるっす、分かるっすよ」

 

 同調するように、赤石は笑う。

 ――内心は、「そうなんだ」と、冷静に受け止めながら。

 

「千代美は、やっぱり乙女っすね」

「乙女にしたのはお前だがな」

「お、俺のせいにしないでほしいっす」

「最初に、私の事を女性として見てくれたのはお前だろうがっ」

「そ、そっすね」

 

 恐らくだが、それは違うとは思う。

 何せここは、ノリとメシとナンパの本場なのだ。千代美というアイドルを目の当たりにすれば、30人のうち29人は千代美のことを注目するだろうし、29人のうち28人くらいは、千代美のことが好きだ千代美と交際したいと、心の中で思うに違いない。

 だが、千代美は総統と呼ばれている人物だ。それ故に、「まあ、俺には無理だろうな」と、密かに撤退する奴が続出したに違いない。

 

「……なあ」

「あ、はい」

「その……えっと。今、私たちは、交際、してるんだよな?」

「してるっす」

 

 断言する。

 

「うちの親公認、なんだよな……」

「ええ。ありがたい話っす」

 

 実は一度だけ、千代美の親と顔を合わせたことがある。その場所とは、忘れもしないアンツィオフェスティバルの会場内だ。

 

 ボランティア部の出し物として、赤石はアコーディオンで民謡(祭りアレンジ)を弾いていた。最初こそ「上手くいくんかねこれ、灰山君もいるし」と緊張してしまったが、いざ演奏に身を委ねてみると、練習以上のノリで音を奏でられてしまった。たぶん、アンツィオの血が発火でもしたのだろう。

 演奏が続けば続くほど、一種の「慣れ」みたいなものが感覚的に生じる。そこにノリと勢いが混ざってしまえば、大胆になれるのも仕方がないことだった。

 

 だから赤石は、アリーナ席の一番前に居た千代美のことを、「一緒に歌おう」と誘ってみせた。

 千代美は、戸惑いから笑顔に成り代わって、赤石の誘いに乗ってくれた。

 で、そこを千代美の両親に見られていた。演奏が終わり次第、千代美の電話を用いて『会わせろ』とコールしてきたのだ。

 

 ――さすがは親ということで、彼氏彼女の関係なのは一目で見抜いてしまったらしい。

 そうなると、赤石とかいう奴はどんな性格をしているのか、どんな風に娘と惹かれあったのか、根掘り葉掘り聞きたくなるのは人情というわけで――

 

 ――あなたが彼氏さん! イケメンですねぇ

 ――そ、そんな、えへへ。あ、赤石っていいます。

 ――というか、お母さん! なんでここにいるんだよ!

 ――え? 娘の晴れ姿を見る為に

 ――いいからそういうの!

 ――よくないのそういうの。……赤石さん、こんな娘ですが、これからもよろしくお願いします。

 ――はい、必ず幸せにします

 ――姉ちゃんもようやくいい人みつかったかー、よかったなー

 ――うるさい! 生意気言うなっ

 

 千代美の弟含め、両親からは深々と頭を下げられた。赤石の方も、爆発的な緊張感を食らいながらで「必ず幸せにします」と宣言した。

 

 赤石の両親も、電話越しではあるが「息子のことを、よろしくお願いします!」と千代美に懇願した。千代美はあたふたしながらも、「はい! こちらこそ!」と全力で一礼したのが記憶に新しい。

 そんなこんながあって、親からも、アンツィオの面々からも、お似合いのカップルとして公認されているのだった。

 

「……と、なれば」

「はい」

 

「数年後は、やっぱりその、私たちは――」

 

 千代美の視線が、そっと、指輪の方へ戻る。

 あまりにも、はっきりしすぎた意図を、赤石は間違いなく掴み取った。

 ――ここまで来たんだなと、ある種の感慨を覚えながらで、ほんの少しだけの間を置いた後で、

 

「俺は、そう願ってるっす」

 

 へらへらせず、はっきりと言う。

 この一言しか思いつかなかったけれど、千代美は、赤石の薬指に、手でそっと触れてくれた。

 

「赤石」

「はい」

「私の事を、わすれないで」

 

 その言葉は、自分の夢よりも、自分の思い出よりも、

 

「――忘れたりしないよ。千代美は、俺の全てだから」

 

 赤石は、千代美の手を軽く、確かに掴み取った。

 安堵するように微笑む少女の顔を見て、これまでの出来事を思い出していって、伝わってくるぬくもりを実感して、赤石の内心は間違いなくどうしようもなく燃え上がる。

 

 決めた。

 俺は、安斎千代美が産まれてくれた日に――

 

 そうして、赤石は銀色の指輪を購入した。千代美が「いい趣味だな」と評価してくれたが、それを聞けて、赤石は実に安心していた。

 

―――

 

 アンツィオ高校学園艦に降り立ち、黒森峰学園艦とはまた違った光景に「ほう」と西住まほは呟く。

 別にこれが、はじめての来校というわけではない。何度か視察に回ったこともあるし、この前だってアンツィオフェスティバルで散々もみくちゃにされたばっかりだ。気分転換に歩き回っていたはずなのに、アンツィオの女子生徒から「一緒に踊るっすよ! そこの姐さん!」と手を引っ張られ、ノリと勢いに気圧されながらアンツィオ高校学園艦で踊ることになってしまった。

 まあ、ダンスに関しては経験があったから、いい経験にはなれたのだけれど――あとは、これ食えあれ食えと薦められ、カレーも三杯ほど口にして、「アンツィオは、やっぱり恐ろしい場所だな」と再確認したものである。

 

 そう、「やっぱり」だ。

 まほは、アンツィオをナメたことはない。ここには、天才と謳われた安斎千代美がいるのだから。

 ――大会以来、一度ほど「洗練された」アンツィオ戦車隊と戦ったことがある。やはりノリと勢い云々は本物であったらしく、とにかく勇猛果敢に、それでいて型にはまらない動きを用いて、黒森峰戦車隊を「マジで?」と言わしめたものだ。統一された隊列も大事だが、奇策を食らってしまう気概も大事であると、まほはつくづく思う。

 結果として勝てはしたが、まほは「どうしたものかな」と迷ったりもした。今年を以てして、戦車道は大きく変わっていくのかもしれない。

 

 ――その後は、アンツィオの面々から宴会を提案された。当たり前だが拒否権なんてものはなく、黒森峰もアンツィオも飲めや食えやのどんちゃんに巻き込まれてしまったものだ。

 けれど、誰一人として苦い顔なんてしてはいなかった。たまにはいいよねと笑う者、うまいうまいと口を動かす者、お前がみほの姉かーと肩を組んでくる総統、祭りにノって「まあな」と笑う自分。

 

 ほんとう、楽しかった。

 だからまほは、祭りがあると聞いて、誕生日プレゼントを片手にここまでやってきてしまった。

 街中を歩んでみて、「人気がないな」と独り言をつぶやく。たぶん、祭りの会場たるコロッセオに、人が集中しているのだろう。この静けさがかえって、祭りのデカさを予感させてくれる。

 コロッセオ付近にまで寄ってみると、熱気めいた何かを肌で感じ取った。歩めば歩む程熱くなっていく、心が躍っていく、生真面目な理性が「今日は遊ぶぞ」と提案を持ちかけてくる。

 もちろん、そのつもりだ。まほは、口元を曲げながらで、ようやくコロッセオに入場し、

 

「っしゃいませ―――! 総統誕生日記念! 250万リラのところが、なんと全メニュー100万リラで販売中だよ――ッ!」

「おいしいアンツィオジェラートはいかがっすかー!? かなり厳選された、超うまいやつで――すッ!」

「こうも熱いと喉が渇きますよね―! 命のうるおいが必要になってきますよねーッ!? そこで、一杯50万リラのミント水はいかがっすかーッ!? ウマいよーッ!」

 まほの髪が舞う。

「あの真正面にあるパスタ屋よりも、ウチのパスタの方が美味しいですよ―ッ! そこの、そこのクールビューティな姉さん! 食ってみてくださいよ!」

 まほの目が右に寄る。

「は!? 嘘つけや姉さんをだまくらかすんじゃねーよ! やるか!? 料理選挙、するか!?」

 まほの目が左に傾く。

「おおやってやんよ! 姉さん! 清き一票をお願いします!」

「出たー! アンツィオ名物、料理バトルだーッ!」

「両方買って食えばいいんだな!? いくらだっけ!?」

「300万リラですッ!」

「300万リラですッ!」

 

 熱気と絶叫と圧倒的勧誘を食らって、まほは真顔でノックバックした。

 黒森峰では一生味わえないであろう、無遠慮なインパクトを前にして、心の底から「凄いな」と思う。けれど、西住の血が瞬間沸騰してきたのも事実で、

 

「わかった。平等に、味を評価してやろうじゃないか」

 

 人差し指と中指の間に100円、中指と薬指の間に100円、薬指と小指の間に100円を挟む。屋台主が、手を叩いて大喜びする。

 屋台はもちろん、人の数も多い。老若男女問わず、誰もかれもが食いたいものを食ったり、教師らしい男が「評価してやろうじゃないか」と参戦してきたり、特設モニターからはアンツィオ校のPV、大学選抜フィニッシュシーンが繰り返し放送されていたりする。コロッセオの中心部には、アンチョビの愛車たるP40が、玉座のように堂々と構えられていた。

 

 ここまで賑やかで騒がしいと、もはや誕生日というレベルではない。けれど、この光景のことを、不自然だとはちっとも思わない。

 まほは、くすりと笑う。

 

 ――ほんとう、みんなから愛されているんだな。

 

 ↓

 

 十三時になって、騒がしかったはずの会場が静かに、やがては沈黙する。ここからは、アンチョビが主役となる時間だからだ。

 あちこちに設置されたモニターが、アンチョビその人を映し出す。P40をバックに、でかいチョコレートケーキを前にして、アンチョビがマイクを握りしめ、

 

「みなさん、こんにちは。今日は、アンチョビフェスティ……これ言うの恥ずかしいな……あ! アンチョビフェスティバルへ来てくださり、本当にありがとうございます!」

 

 生真面目な拍手が巻き起こる。まほも、頷きながらで手を叩いた。

 

「アンチョビフェスティバルとは、文字通り、私の為の企画、らしいです。今日をもって十八歳になるということで、学校のみんなが、ここまで祝ってくれました。――心より、感謝しています!」

 

 総統! 総統! 総統!

 

「えへへ。……企画の流れが早くて、私も正直びっくりしています。いやね? 私は単なる一般人で、芸能人でもなんでもないわけですから、ここまでしなくてもって、思っていたんです」

 

 沈黙。

 

「けれどみんな、こう言ってくれました。『総統は、たくさんのことをアンツィオにもたらしてくれた』と。それを聞いて私は、じゃあ、いいかなと思えました」

 

 そうか。

 

「主役は私らしいですが――まあ、誕生日というのは明るくて、騒がしいものです。あまり気遣いせず、私と一緒に楽しみましょう! Saluteッ!」

 

 Saluteッ!

 

 学生同士で、見知らぬ者同士で、まほも隣の者に――ダージリンと目が合い、小さく咳をこぼしあいながらも、

 紙コップを、こつんと合わせた。

 人の声が、爆発的に蘇った。

 

「で? なぜここに?」

「決まっているでしょう?」

 

 包装紙にくるまれた箱を、見せつけるように掲げる。なるほど、自分と同じ理由か。

 

「ああいう強く、ストレートな方は、結構好きなもので」

「私もだ」

 

 だから、二人してアンチョビの元まで歩んでいく。

 そうしている間にも、アンチョビへのプレゼントは止まらない。アンツィオの生徒はもちろん、他校生から観光客、更には見知った戦車道履修者まで、誰からも十八歳の誕生日を祝福されていた。

 握手をして、中身を拝見して、「ありがとうございます」と礼を言って、アンチョビと手渡し人が抱き締め合う。これがアンツィオなんだなと、アンツィオならではと、まほは思う。

 

「よ」

「お、おお! まほにダージリンじゃないか!」

 

 握手を交わしあい、

 

「どうだった? ちゃんと元気してたか?」

「してた。お前は?」

「私は見ての通りさ。将来も安泰しているし、たぶんこれからもずっと元気なんじゃないかな」

 

 ダージリンが、「まあ」と声を出して、

 

「安泰ということは、つまりは推薦が?」

「そうそう、そうなんだよーまいったなー。で、もしかして?」

「ええ、そのもしかして。私も推薦を頂きまして」

「っだろうなー、強豪校の隊長してたもんなー」

「ええ。――良いライバルになれるよう、これからも期待しますわ」

 

 そうして、ダージリンがプレゼントを手渡す。アンチョビが「ありがとう!」とはっきり声に出して、包装紙を丁寧に解いていって、

 

「お、これは」

 

 予想通り、高そうなティーセットだった。カップには黄色いデイジーが刻まれていて、それを見たアンチョビの目がらんらんと光っている。

 

「……何で、私の好きな花のことを、知ってるんだ?」

「知っていたから、ですわ」

 

 なるほどなあと、アンチョビが歯を見せて笑う。

 ――どこで、そんなことを知ったんだか。ほんとうに恐ろしい奴だ。

 

「まあいいさ、綺麗で可愛いのは間違いない。大切に扱わせてもらう」

「ありがとうございます」

 

 アンチョビとダージリンが、自然とそっと抱きしめあう。こうしたスキンシップも、アンツィオならではだ。

 

「では、私からも受け取ってくれ」

「もちろん。……おお、大きい箱だな」

 

 握手して、アンチョビが包装紙をめくっていく。その手つきは小さく、繊細に動き回っていて、心の中で「女の子なんだな」と漠然に思う。

 

「これは……ブーツか!」

「戦車道に携わる者なら、これは役立つかなと思ってな」

 

 ブーツを手に取り、あらゆる角度からブーツを拝見し始める。先ほどのおしとやかな目つきとは違い、まるで子供のような目線でブーツのことを味わいきっていた。

 ――自分らしいプレゼントだったが、どうやらアタリだったらしい。今日は、より善く日を過ごせそうだ。

 

「まほ、ありがとう。……大学で会った時は、よろしくな」

「ああ」

 

 友として、共に戦車道を歩む者として、アンチョビを確かに抱きしめる。

 

「――さて」

 

 後ろを見る。後ろには幾多ものプレゼンターが、今か今かと待ち構えていて――まほは、そそくさと場から離れていった。

 

「お、リコッタ!」

「どーもー」

 

 背では屋台が大騒ぎしていて、

 

「これは……リボンか! うわあ、可愛いなあ!」

「色に迷いましたが、やっぱり総統には黒が合うかなって」

「その通りだ!」

 

 まほの目の前では、アンチョビとその仲間が、何の遠慮もなく抱きしめあっている。

 

「お、タレッジョ! いやあ、世話になったなー!」

「いえいえ! 総統には恩返ししきれないっすよ! はいどぞ!」

「グラッツェ! ……おお! ハットか!」

「彼氏とのデートに役立ててほしいっす!」

「こいつー!」

 

 ひとり、二人だけではない。まほの左右には、履修者らしきたくさんの女子生徒達が、プレゼント箱を片手に口元を緩めきっていた。

 どんな反応を示してくれるのか、楽しみで仕方がないのだろう。それだけ、アンチョビのことが好きなのだろう。これまでの自分だったら、「いいな」と思っていたに違いない。

 けれど、今は違う。

 わたしは、もう独りじゃない。

 

「あ、ジェラートちゃん! 来てくれたんだな!」

「うん! お誕生日おめでとう!」

「ありがとう! ――お、これはネックレスかー!」

「自作!」

「すごい!」

 

 子供まで虜にしてしまうとは、まったくもって底知れない女性だ。

 同い年のように、ハイタッチまで交わしあう。

 

「ねーさーん!」

「お、ペパロニ! なんだー? ちゃんとしたもの持ってきたかー?」

「もちろんっすよ! はいどうぞ!」

「どれどれ……おお、エプロン! これは可愛いな!」

「ちゃーんと厳選したんすよ。――姐さんには、たくさんのことを教えてもらったんすから」

「そうか……そうか!」

 

 抱きしめあうアンチョビと、ペパロニという女子生徒。

 

「ドゥーチェ」

「カルパッチョ! いやあ、いつもありがとうな。お前がいなかったら、今頃どうなっていたか」

「いえいえ、私はドゥーチェのお隣にいただけです。さあ、これをどうぞ」

「よし――お! これはピアスか!?」

「はい。穴を開けないノンホールピアスなので、すぐにでも着けられます」

「うわあ……ありがとう、カルパッチョ!」

「いえ。ポモドーロさんを、喜ばせてくださいね」

「お前もかー!」

 

 そうして、アンチョビとカルパッチョが、じっくりと抱擁しあった。どこか姉妹のように見えるのは、カルパッチョがもたらす、穏やかな雰囲気のお陰なのかもしれない。

 ――ひと息。

 たくさんの人を、いっぱいのプレゼントを、いろいろな表情を見てきたような気がするが、プレゼントの箱持ちはまだまだ多い。そもそも祭りは始まったばかりなので、これぐらいで勢いが衰えるはずがないのだ。

 だからまほは、「しばらくは楽しめそうだな」と呟く。ダージリンも、「素敵な人柄ですわね」と素直に漏らす。今のアンツィオ高校学園艦は、世界一のホットスポットと化しているに違いない。

 

 数分ほど経過して、いよいよプレゼンターの数も少なくなってきた。最後に戦車道履修者らしい女性が「これをどうぞっす!」「ありがとう、ペコリーノ!」とやりとりして、プレゼントの口紅に大喜びして、当たり前のように抱きしめあって、「これで最後かな」とまほが告げて、振り向いてみて、

 

 一人の男子生徒が、アンチョビのことをじっと見つめていた。

 

 なんだろう、と思う。

 まず目についたのは、「ボランティア部」と書かれた緑色の腕章。次に注目するは、右手にしっかり握りしめられた、小さめのプレゼント箱。「ファンなのかな」と何となく考え、質問するようにアンチョビめがけ視線を投げかけてみて、

 

 アンチョビは、口を小さく開けながら、言葉を失っていた。

 

 そして、ダージリンが「ああ」と、分かったように声を出す。一体なんだと聞く前に、男子生徒が、アンチョビめがけ、ゆっくり、ゆっくりと、一歩ずつ踏みしめていった。

 空気が変化したのを察したのか、周囲の観光客も沈黙する。対して生徒達は、「お、真打か」と小声。その単語を耳にしたことで、高校三年生としての脳味噌が勢いよく回って――「ああ」と、微笑むことができた。

 

「や、やあ」

 

 アンチョビが、気恥ずかしそうに手で挨拶する。やっぱりそういうことか。

 

「こんにちは、先輩。ちょっと決意に躓いちゃいましたけど、何とかここまで来られました」

「おいおい、誕生日プレゼントを渡すだけだろう? そう、へんに緊張することはない」

「そうっすけどね、本来ならそうなんすけどね」

 

 そうして、緩慢な動きで握手を交わしあう。これまでの流れとはまったく違う、どこか求めあうような空気。

 ――誰も声を出さないあたり、この二人は「公認」されているのだろう。そういえばこの前の戦車道ニュースWEBで、愛する安斎千代美とか書かれていた気がした。

 

「お誕生日、ほんとうにおめでとうございます。その、これ、開けてみてください」

「ああ」

 

 プレゼント箱を受け取る。服を縫うような手つきで、ゆっくり、ゆっくりと包装紙を解いていって、

 

「! これ」

「はい」

 

 アンチョビが、小さく光るそれを、そっと摘まみ取る。

 ――銀色の、指輪だった。

 

「もしかして、あの時――おまえ、私へのプレゼントを!?」

「それもあります。けど、自分の為に買う『予定』もあったりして」

「ふーん……」

 

 誕生会としてのやりとりは、既に霧散してしまった。

 いま、まほの目の前で繰り広げられているのは、ごくごく個人的な会話。

 

「しかし、本当に綺麗な指輪だな、これ。――その、貰っていいんだな?」

「もちろんっす」

「そうか、そうか」

「いずれは、自分も同じものを買いますから」

「そうなんだ」

 

 誰も、口出しなんかしない。むしろ、いいぞいいぞと笑う者が続出している。私が当事者だったら、耐えられるはずもなく転がり回ってしまっているだろう。

 さすがは、アンツィオ出身者だ。

 

「ポモドーロ」

「はい」

「……なんだかさ」

「はい」

「同じ指輪を身に着けるのってさ」

「はい」

 

「――夫婦、みたいだよな」

 

 その言葉をきっかけに、世界から音が、すとんと落ちた。

 モニターを通じているからか、屋台エリアからも喧騒が消える。アンチョビが上目遣いで、ポモドーロという男を見つめている。アンツィオの生徒達が、「だなあ」と同意した。

 

 そしてポモドーロは、決して否定などはしなかった。

 

「ぽ、ポモドーロ?」

「――千代美」

 

 まほの口から、言葉にならない声が漏れる。

 

「誕生日、本当におめでとう。心から祝福するよ」

 

 ダージリンが、両手で口を抑えている。

 

「その指輪は、千代美にプレゼントするよ」

 

 リコッタという女子生徒が、うん、と頷いている。

 

「……君が卒業してしまう前に、今ここで、伝えたいことがあるんだ」

 

 ジェラートと呼ばれた女の子が、「ほー」と二人を見つめている。

 

「あの店でさ、結婚指輪の話をしたじゃない? それをきっかけにさ、俺はもう、我慢できなくなっちゃって」

 

 ペパロニが、両目をつむる。嬉しそうに、口元を曲げて。

 

「もっと高いものを買うつもりだけれど。とりあえず、その指輪のことを、」

 

 カルパッチョが、祈るように手を合わせる。

 

「――俺からの、結婚指輪として、受け取ってください」

 

 アンチョビの、震える吐息。

 まほは、歯を強く食いしばった。体が、強張っていった。心が、ぎゅうっと締め付けられた。

 

 沈黙してから、どれだけの時間がすり減ったのだろう。けれどもそれは、絶対的に大切な数秒なのであって、人として否定してはいけない流れそのものだ。

 だから、祭りは静まり返る。世界も、理に従って静寂に落ちる。ポモドーロはアンチョビから目を離さない、アンチョビはポモドーロから逸らさない。強く呼吸しているのか、アンチョビの体が僅かに、上下に揺れていた。

 

「――赤石」

「うん」

「わた、し」

「うん」

「私は、あなたが好き、」

 

 そして、アンチョビが強くつよく、首を横に振るう。

 

「いや! 私はお前のことが! 世界一――」

 

 会場内で、カメラのフラッシュが嵐のように焚かれた。ノリと勢いの拍手が、あちこちから爆発した。指輪が、あるべきところへ還っていった。

 

 わたしは間違いなく、笑えていた。

 

―――

 

 何度も声をかけたが、娘が一向に上から降りてこない。

 もしかしたらと思い、キッチンの火を停めて、急いで階段を昇る。最初は寝室からと、顔を覗かせてみて、

 いた。腰を下ろしたままで、何やらうつむいてる娘の後ろ姿があった。

 

「ああ、なんだ、そこにいたんだな。もう夕飯だぞー?」

「え? あ、ごめんなさい」

 

 無事ならそれでいいやと、わたしは下へ降りようとして――娘が、本棚の前に居ることに気づく。何か本を読んでいたのだろうか、もしかしたら恋愛小説に目覚めて、

 

「何読んでた?」

「これ」

 

 掲げられたそれを見て、わたしは「え゛!」と声を出してしまった。

 「ALBUM」のタイトルを見ただけで、血の気が引いていく。

 

「……何がうつってた?」

「お母さんがピースしてたり」

「ぐわあー」

「指でばっきゅーんしてたり」

「ああ~!」

「お父さんと一緒に、ポーズ決めてたり」

「あー! あー! そうかー!」

 

 高校時代の記憶が、数か月ぶりに叩き起こされていく。娘がタイトルを口にしただけで、いつどこで何をしたのかを鮮明に思い出せてしまった。

 体の奥底から、恥と、懐かしさと、弾けるような気分が沸いて出てくる。

 

「お母さん、大丈夫?」

「おお、おお、大丈夫」

「ほんとう? ……あ、それでね、聞きたいことが一つあって」

「う、うん」

 

 娘がアルバムを開く。そして、ある一枚の写真に指を差して、

 

「どうしてお母さん、泣いてるの?」

 

 写真の中のわたしは、間違いなく涙を流していた。今もなお身に着けている、結婚指輪を手渡されたから。

 

 わたしは心の底からため息をつく。

 思い出を、目の当たりにしていた。

 どうしてわたしは、こんなにも泣きそうになっているのだろう。後悔していないからこそ、二度と帰ってこない思い出に浸れてしまうからだろうか。

 目頭が熱くなる。それに伴い、感情や血液や脳ミソに火が灯る。

 娘の前という、わたしの大切を前にして――首を、横に振り払う。

 

「それはな」

「うん」

 

 娘が、興味津々の目つきで頷く。

 わたしは、にこりと微笑みながら、

 

「――愛しいからだよ」

 

 娘が、よくわからないといった感じで、首を横に傾げる。

 

「悲しいから、じゃないの?」

「ううん」

「よく、わからないなあ」

「安心して。道を歩んでいけば、分かる日はきっと来るから」

「ふうーん?」

 

 そして、下の階からドアの開閉音が響いてくる。「お」と声が出た。

 

「ただいまー」

「おかえりー! すぐ、夕飯を出すからなー!」

「ありがとう。――この匂いはナポリタンか! はよ食いてーっす!」

 

 私はにこりと笑い、アルバムを本棚に戻す。そうして娘へ手を伸ばして、娘から「えー恥ずかしいよー」と反論されるも――やっぱり、握り返してくれた。

 

 

 あの頃は、二人だけの場所で恋愛を読んでいた。

 今は、三人だけの場所で愛の物語を紡いでいる。




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。


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