双貌の魔王 (こんたそば)
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序章:逆行
01.神さま


熱さを纏った空気による息苦しさと男同士が争うような煩わしい喧騒に苛立ちを覚えた俺はゆっくりと瞼を開けた。まず視界に映ったのは継ぎ接ぎだらけの布で出来た簡易的なテント。ほつれや切れ目によって出来た隙間から熱さすら感じる太陽の光や外で舞う砂埃が容赦なく入り込んできている。テントの中には俺の他に小さな生き物がいた。それはテントに使われている布と同じような継ぎ接ぎだらけの衣服を着た褐色の肌を持つ少女だった。

 

「うんしょっ、よいしょ」

 

少女は俺が起きていることに全く気付いていないようで無防備に背中を見せている。俺はまず自分の身体の状態を確かめようと手を動かした。違和感があるが問題なく動くことが分かったので、親友に剣で貫かれたはずの胸を触る。胸の中央に傷跡らしきものがあるのは分かったが、おかしなことに自分の心臓が脈を打っているという事実に首を傾げようとした。

 

だが、その前に俺の視界を覆うものがあった。ヒヤッとした感覚により、それが濡れタオルであるというのは分かった。外気温が高いこともあり、凝り固まった思考を和らげるのに一役買ったのだが、それと同時に少女と自分の視線が交差したことも分かった。少女は俺が起きていることにようやく気付き、小さな両手で口元を押さえながらテントの外へ駆け出していったのである。

 

「……フッ、これも運命か」

 

俺は少女が大人たちを連れて戻ってくるのを待った。悪逆皇帝として自分の顔写真が世界中に出回ったことは分かっている。何故、このような砂埃が舞う乾燥地帯に自分がいるのかは分からないが、現地民たちに怨みを持たれて袋叩きにされて死ぬのも一興だとその時を待った。

 

うん。大人しく待ったのだが……。

 

「……。いくら何でも遅すぎないか?」

 

体感時間のため正確な時間はわからないが、少女がこのテントを出て10分以上が経過していると思われる。俺の処分をどうするかを話し合っているにしては当の本人を放置し過ぎだろうと、何とか立ち上がって少女が出て行ったテントの切れ目のところから顔を出した。

 

照りつける太陽の日差しに思わず眼を擦る。強烈な日差しに慣れた俺の目に映ったのは、継ぎ接ぎだらけの布をなんとか組み合わせて作られたテントによる住居。立ち並ぶ家屋だったと思われるものは無残な瓦礫の山。建物やテントの影には力なく地面に座り込んでぼんやりと空を眺める人間の姿。

 

「……っ!?」

 

視界に飛び込んだ凄惨な光景に俺は思わずテントの外に躍り出た。直後、太陽の光で熱された砂に素足を載せる形になった俺は思わず顔を顰める。あまりの熱さに耐えられないと思い、すぐにテントの中に引き返そうとした俺の視界に人だかりが映った。人だかりの中央で褐色の肌の少年が2人殴り合いの喧嘩をしていたのである。

 

その人だかりの中には俺を介抱していた少女の姿もある。俺はそこに行かなければならないと思い、テントに戻ろうとしていた足を人だかりの方へ向け歩き出した。すぐに熱砂から逃げるように小走りになってしまったが。

 

人だかりは喧嘩を囃し立てている野次馬だと思っていたがどうやら事情が違う様子だというのはすぐに分かった。人だかりの中央で殴りあいの喧嘩をしているのは、この集落をまとめている青年団のリーダーでもある『クルト』という灰色の髪の少年と短髪で長身かつ身体に幾つもの銃創の痕がある『ノルド』という少年の2人だという。彼らが争う原因となっているのは、ノルドが『ブリタニア軍人たちの笑いものになって手に入れてきた食料を含めた物資』の使用に関してだという。

 

クルトは『ブリタニア人の施しによって得られたもの』など捨ててしまえと言い、ノルドは『今にも死にそうな人間がいるのにそんなことに拘るな』と叫ぶ。

 

互いが互いに譲れぬ意見を持っているが故に起きた衝突だが、俺はその話を聞いて眩暈がした。俺たちが文字通り命を賭けて行った【ゼロ・レクイエム】は意味がなかったのかと。

 

人だかりから離れた俺は瓦礫の影に隠れるように移動しようとして息を呑んだ。そこには骨となった我が子を抱えたまま生気の無い伽藍堂のような瞳で子守唄を歌い続ける母親らしき人の姿があった。その人の瞳が俺を鏡のように映したが、彼女は何も言わずにそっと骨になった我が子を抱き締めて、おぼつかない足取りで光が届かぬ闇の中に去って行った。

 

「……何だ、この状況は。まるで、あの頃じゃないか」

 

一度は逃げ出そうとした自分の行動も含め、ありとあらゆる憤りを篭めて俺は握り締めた拳を瓦礫となった家屋に叩きつける。殴りつけた拳からは血が滲み出すが、そんなことを気にしている場合ではない。俺は意を決して振り返り、人だかりを押しのけながら殴り合いをしている2人の前に立ち叫んだ。

 

いや、叫ぼうと思ったのだが、タイミングが非常に悪かった。

 

「争いをや『『おらぁあああああ!!』』まそっぷっ!?」

 

丁度彼らは殴り合いの果てに満身創痍の状態となっており、自分の意思を篭めた最後の一振りをぶつけ合う瞬間だった。

 

そんな彼らが対峙している最中に止めに入った俺の顔の左右から突き刺さった渾身のストレート。それを何の防御もせずに受けた俺は、物の見事にその場で1回転した後でパタリと仰向けに倒れた。前にスザクとかカレンたちに何度か殴られたことがあるけれど、どの拳よりも今回受けた2人の思いが詰った拳は痛いなと思いつつ、俺の意識は一度そこで途絶えた。

 

 

 

 

パチパチと燃える音で目覚めた俺が最初に認識したのは焚き火に薪を加える少女の臀部だった。何故この少女は俺が見るたびに背を向けているのだろうと思いながら、声を掛ける。

 

「なぁ、君が俺を助けてくれたのか?」

 

「ひにゃぁっ!?」

 

俺の声に驚いたのか、少女は猫のような叫び声と同時にその場で飛び上がった。地面に着地した直後には距離を取った。ちょうど焚き火を挟んだ反対側に少女がいる形になる。

 

俺は左手で頬に張られた湿布のようなものに触れつつ、身体を起こしてその場に座った。一応成人した身体とはいえ、一般人に比べるとひ弱な俺の身体にしては妙にダメージがないと思い、家屋を殴って血を滲ませていた右拳を見て言葉を失った。軽い怪我とはいえ、傷が治癒するには時間が掛かるはずだと思っていたものが綺麗さっぱりなくなっていたのである。それに殴られた両頬の痛みも無いことが、ある懸念に拍車を掛けていた。俺はその嫌な予感を確かめるために自分の胸を見ようとしたのだが、少女に声を掛けられたので後回しにすることにした。

 

「あ、あの……神さま?」

 

「うん?……ちょっと待とうか。……俺が、神さまだと?」

 

俺が信じられないものを見るかのように言うと、少女は大きくこくりと頷いた。

 

「うん。マーナの一族が代々護って来た神殿の祭壇に神さまが現れたの。胸に穴が開いて赤い血がいっぱい流れてたけど、すぐに胸の傷が塞がったし、息を吹き返したから。神殿はブリタニアに盗られちゃったけれど、神さまの身体はここまで持ってこれた。……――――」

 

少女は俺に向かってぎゅっと手を組むと瞼を閉じて祈り始めた。古いアラビア系の言葉のようだが、何故か意味を理解することが出来る。それに今まで気付かなかったが、少女が首元に下げているネックレスにはギアスの紋章らしきものが描かれている。C.C.と契約する際に見た映像に巫女たちが立ち並ぶ光景があったことを思い出し、少女のいう神殿がアーカーシャの剣が存在する黄昏の間に通じている遺跡、日本の式根島などにあったものと同等の物であると考えるならば、俺がこんな砂漠地帯にいる理由にも。

 

「いや、死んだ俺が生き返っている時点でおかしいだろ」

 

「やっぱり、神さまは生き返ったんだ」

 

「いや、待て!いまのはナシだ。状況を整理したいから、現状が分かる人間を連れてきてくれないか?」

 

「はい、神さま」

 

少女はすくっと立ち上がるとテントを出て行った。昼間のように待たされるようなことはなく、テントに俺を介抱してくれた少女を先頭にして少年が2人と少女が入ってきた。少年たちの顔には見覚えがあった。昼間、人だかりの中央で殴りあいの喧嘩をしていたクルトとノルドの2人だった。彼らはばつが悪そうな感じで俺の顔を確認した後でテントの端っこのところに腰を下ろした。俺の正面には介抱してくれたギアスの紋章が描かれたネックレスをした少女と、見ていると猫かぶりのお嬢さまを演じていた彼女を彷彿させる紺色の髪の少女が凛とした姿勢で座った。どう話題を切り出したものかと思っていると、突然2人の少年が頭を下げた。

 

「「大変、申し訳なかった」」

 

ただし声色は納得いかないと不承不承な様子。同時に顔を上げたクルトとノルドの2人は互いを睨みつけた後で首が取れるのではないかと心配する勢いで顔を背けた。その2人の様子を見て深々と溜息をついた紺色の髪の少女が口を開いた。

 

「おうコイツらが世話になったな。オレはこの集落にいる若いもんを束ねている青年団の補佐をしているホーリーつぅもんだ」

 

「え?」

 

「昼間のことは聞いている。コイツらを止めてくれようとしてくれたのに、本当に申し訳ねぇ。だが、この集落にいる連中は皆が苦しい状況にあるんだ。わりぃがオレの顔に免じてコイツらを許してやってくれねぇか?」

 

黙っていれば可憐で大人しそうな少女だと思ったが、これは俺の知るカレン以上に肝っ玉が据わった……いや、もはや漢(おとこ)らしすぎて、なんかカッコいい。ホーリーにそこまで言わせてしまったクルトとノルドは罰が悪そうな表情を浮かべたままだ。

 

「彼らの喧嘩に口出ししようとしたのは俺の落ち度だから、殴られた件に関しては気にしていない。むしろ、勝負の邪魔をしてしまってすまない」

 

「オレらの国がブリタニアの連中に奪われて年が明けちまった。クルトは国民を捨てて簡単に屈した連中とブリタニアが許せない、ノルドは自分よりも弱い連中のために身を粉にしてでも食料を手に入れてくる。今まではノルドが手に入れてきた物資をオレが分配していたから騒ぎにならなかったが、ノルドがブリタニア人に媚を売る姿を見た奴がいてね、今回の騒ぎはソレが原因だ。だが、全ての責任は今まで皆に隠し事をしてきたオレにある。……介錯を頼んでいいかい、神さまよぅ」

 

ホーリーはズボンのポケットから幅広の無骨なナイフを取り出すと俺の前に差し出した。それを見て後方にいたクルトとノルドの2人が必死な形相で睨みつけてくるが責任を俺に転化するな。

 

「ちょっと待て、貴様ら!その呼称に関しては断固拒否するぞ。それと人を勝手に『神』として崇め祀るな!俺は特殊な肉体構造をしているが人間であることに変わりない。俺は置かれている状況が知りたいと言ったんだ」

 

「置かれている状況だと?」

 

俺の問いに答えたのはノルドだった。

 

抑揚の無い低い声の持ち主である彼は、ホーリーの言うとおりの人間であるとするならば、自ら道化を演じ侮辱されても目的のためならば幾らでも忍耐し続けることの出来る男だということになる。国を奪ったブリタニア人に媚び諂うことを良しとしない人間が多い状況でそれをやり通して食料や医療用品といった物資を得られるのは凄いことなのだろう。

 

「神さまは目覚めたばかりだから、何も知らないんだよ。だからマーナたちが教えてあげないといけないの」

 

いつの間にか俺の傍に移動していた少女、マーナは両手を腰に当てて胸を張りながら言った。直後、ホーリーに摘ままれてテントの外に放り出される。

 

「アンタにここの状況を話して何かが変わるとは思えないが、何もしないでいると直にこの集落も他のトコと同じように干しあがっちまう。こうなりゃ神頼みだ。どうか、オレらを救ってくれよ、神さま」

 

「助けて欲しいのならば、まずは情報を寄越せ。それと、俺は神じゃない。ルル……いや、俺のことは【L.L.(エルツー)】と呼べ」

 

俺はずっと自分の横にい続けた最愛の魔女の後ろ姿を思い浮かべながらそうホーリーたちに告げたのだった。

 



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02.優しい世界

皇暦2014年、神聖ブリタニア帝国が人型機動兵器KMFを使用して日本に対して軍事的に圧倒な勝利を収めて4年後、ホーリーやクルトたちが住んでいたこの国にもブリタニアの手が及んだ。

 

そもそも国の民の95%が地中海に面した沿岸部に住んでいたということもあり、かつてフランスやスペインと呼ばれた地域も支配していたブリタニアにとってこの国を攻め取ることは容易だったはずだ。それに起伏が激しいこの地形もまたスラッシュハーケンを用いるKMFの機動力を助けてしまう。内陸部にあるサハラ砂漠に戦場を移すことが出来ていれば、まだ何とかなったかもしれないがこの国の民にとっても砂漠が危険であることには変わりない。

 

地中海沖からの艦隊から放たれる砲撃、地上ではKMFという兵器が古代の人々が作り上げた美しい町並みを作る建物やなけなしの戦力をかき集めて構成された軍の兵士や兵器とともに平穏を満喫していた民を殺して回る地獄絵図。

 

現在はホーリーたちのようなかつて国の沿岸部に住んでいた者たちとは別に国の内陸部でマーナのような一族だけで細々と生きてきた者たちも“とある事情”によりかつて住んでいた場所から追われてしまった。そして何の因果か住むところを追われた者たちは自然と同じところに集まることになり、多少の衝突はあったけれども肩を寄せ合うように協力して日本でいうゲットーのような集落を作ってなんとか日々を過ごしてきた。

 

しかし、コバルトブルーの美しい海を見渡せる美しい街並みや昔ながらの漁法で獲られた魚といった観光資源で栄えていた沿岸部は全てをブリタニアに奪われ、彼らの好みに合うリゾート地へと変えられてしまった。

 

不慣れな地へ追いやられた彼らも生きるために試行錯誤を繰り返す。だが、日々の食事を賄うために農業や畜産などをしてみるが乾燥した大地と毎日のように吹き荒れる砂嵐が彼らのする事を邪魔する。

 

次第に大人たちは全てを諦め、生気を失ってしまった。そんな大人たちの姿を見て未来に絶望するしかないのは子供たちだ。日に日に痩せこけていく年端のいかない子供たちと高齢者たち。このままでは駄目だと立ち上がったのが、ホーリーを初めとする少年少女たちだったのは何の皮肉なのか。

 

幸い単純明快な前向きな性格でリーダーシップを発揮するクルトという少年の存在と、邪道と言われようと突き進める強さを持ったノルドという少年がいたことが功を奏した。

 

陽の目を浴びる表立ったことはクルトを中心としたメンバーでまとめ、裏の誰もがやりたがらないことはノルドがどんなことをしてでも生命線を保ち続けるというやり方を行うことが出来た。しかし、それももう限界に達してしまう寸前。

 

「血気盛んな青年団の一部がブリタニア軍の基地に何らかの行動を起こそうとしている……か」

 

「そうさ。ノルドが仲間たちの顰蹙を買ってまで媚び諂うブリタニア軍人たちの伝で何の検査もなく基地に入れるルートはある。だけれど、“そんなこと”をすればブリタニア軍の報復活動でここは簡単に血の海に沈むだろうよ。けど、食料品もそうだけれど医療薬品が足りてないのさ。かといって敗戦国民であるオレたちには薬を買う権利もなければ金もない」

 

俺に分かり易いようにあらかたの現状を説明するホーリーに目を向ける。アラブ系の褐色の肌と黒い髪、凛とした佇まいで清楚な感じを受けるが話す言葉はそこらの男よりも漢らしいという矛盾を抱える少女だ。お嬢さまという猫の皮を被っていた犬みたいな奴を知っているけれど、ホーリーはまったくそれの逆を行く。

 

「確かに何の考えもなしに基地に対して反抗するような行動は控えた方がいいだろう。しかし、それほど猶予はないということだな」

 

「ああ。クルトが全員の前であんな啖呵を切ってくれたからな、今回ノルドが仕入れてきてくれた物品は本当に厳しい状況下に置かれている人間に回すことが出来た。しかし……」

 

「あの程度の量では高が知れている。根本的な改善が求められているという訳か」

 

ホーリーは俺の言葉に深く頷いた。この集落にはいくつか井戸のようなものがあるが、一度煮沸しなければ安心して飲む事が出来ないもの。家畜も育てているようだが、自分たちの食も儘ならない中で満足な餌を与えることが出来るはずもなく、ここにいる人間と同様に痩せてしまっている。一応、乾燥した土地でも育つ野菜を植えているようだが、青年団の人間で管理していないと空腹に飢えて盗みを働く者もいるという。現状がこのような有様であるために強く非難することも出来ない。この状況が続けばブリタニアの手に掛かることなく、この集落は勝手に滅んでしまうという危機感をホーリーたちは抱いているのだ。

 

俺はふとテントの中にいるホーリーたちの様子を窺う。現状を話すホーリーは勿論のこと、テントの隅に座っているクルトとノルドの2人も少年と称するよりも青年と言ったほうが良い顔つきをしているが、俺の知る彼らの同年代の男性よりも一回りほど体格が細い。特にノルドの見えている肉体には数多の傷跡が刻まれている。中には深く抉られたような傷もあり、クルトが言っていたブリタニア人相手に“媚び諂う行為”をした代償にしてはあまりに酷過ぎる傷だ。日本で見た名誉ブリタニア人制度を利用していた日本人店主たちがブリタニア人相手にペコペコしているようなものではないのだろう。

 

「話を聞くに、この集落の近くにブリタニア軍の基地があるんだな?」

 

「ああ、……あるぜ。沿岸部から運ばれてくる補給物資を置くための基地が……な」

 

抑揚の無い低い声。ノルドが口を開いた。彼は無意識なのか右手で左の二の腕を擦りながら話し始める。駐留しているブリタニア軍人は60人くらいだが、入れ替わりが激しく長く常駐しているのは基地司令部くらいだということ。内陸部に近い位置に基地があるのは、山地のどこかにある施設に物資を運んでいるからとのこと。辺境の任務であるが、皇帝直々の命令であるため、現場の兵士たちはイラついているけれど自分たちに媚び諂う道化を見れば、笑いながらチップ代わりに物資をくれる、と。

 

ノルドが媚び諂う道化の件を自虐気味に語る際、クルトは下唇を噛み締め膝の上に置かれていた彼の手は自身の怒りを漏らさないようにしているかのようにワナワナと小刻みに震えていた。クルトはブリタニア人に媚び諂う行為に憤っているのではなく、ノルドが自分を卑下してしまっている現状に怒りを覚えているのだろう。きっとクルトとノルドの2人は子供の頃は友人、いや親友とも呼べる関係だったのではないかと推察できる。

 

「先ほど青年団の一部が行動を起こすと言っていたが、何か武器になるようなものはあるのか?」

 

「アルジェリア軍が使っていた武器がある。管理に関してはKMFの恐ろしさを目の当たりにして逃げ出してきたアルジェリア軍の元兵士が担っているよ。名前はアントニオっていう筋肉隆々でガタイはデカイが性格は生まれたての羊みたいな奴だ。鼻の下のちょび髭がトレードマークのオッサンだからすぐに分かると思うけれど、今日は夜も更けたし紹介するのは明日にするとしようじゃないか」

 

ホーリーは急に立ち上がるとテントの出入り口を開き、外でカタカタ震えつつ縮みこまった状態で待っていたマーナを中に入れて焚き火の近くに置いた。小さな手で身体の至る所を擦りながら焚き火に当たるマーナの頬には次第に朱が差していく。

 

「はふぅ……」

 

「マーナ、アンタも強情だねぇ。マーナの神さまをどうこうしようとはオレたちは考えていない。少しは信用したらどうだい」

 

マーナはテントの外に放り出されて冷え切ってしまっていた身体が十分に温まったのか、焚き火の傍から俺の近くに移動してきた。そして、満面の笑みを俺に向けてくる。茶化すようなホーリーの言葉を聞いて少し考えた後、マーナは告げた。

 

「ホーリーにはしてる。けど、神さまを殴ったクルトたちは嫌い。神さまはマーナの“呪い”を消してくれた。マーナはもう皆が死ぬのを見続けなくてよくなったの。だから神さまのお世話はマーナがするの」

 

マーナの舌足らずの言葉を聞いてホーリーたちはやれやれと言いたげな様子で苦笑いを浮かべていたが、俺の心中は穏やかではなかった。マーナの『呪い』という言葉と『皆が死ぬのを見続けなくていい』という発言は否応にも緑髪の魔女の姿を彷彿させる。

 

コードの所有者はC.C.やV.V.だけではなかったのだ。

 

何らかの現象で過去の世界に逆行してしまった俺は死に掛けていたとはいえ、ギアスは達成人へと至りコードを引き継ぐ下地はあった。

 

不死という呪いを受け、幼い身体で悠久の年月を過ごしてきたマーナにとって、自分の身体からコードを奪い取ってくれた俺という存在は本当に神そのものなのだろう。

 

ただやはり、神さまという呼称は気に入らないが。

 

 

 

 

日が昇り始める時間帯には動く気力のある者たちは活動し始める。畑に水を捲く者もいれば、僅かばかりの家畜を連れて空っ風が吹く平原に餌を求めて歩いていく者。そのほとんどは本来であれば学校に行き、学問を習うような年頃の少年少女らだ。

 

俺はそんな彼らの姿を横目にクルトとホーリーたちが率いる青年団、引いてはブリタニアに対して反抗する気力を持ち合わせている者たちと合うために集落で一番広い家屋へ案内されていた。無論俺の傍らには手で眼を擦りつつもちゃんと自分の足で歩いてついてきたマーナの姿がある。俺たちの様子を見ていたホーリーが部屋の中央に移動して、パンッと手を叩いて注目を集めた。

 

「オウ朝っぱらから集まってもらってすまねぇ。テメェらも昨日のいざこざで顔を知っていると思うが、そっちの白い布を身に纏った色白の男が【エルツー】。ここまで追い込まれた現状にあるオレらを救ってくれるかもしれねぇ奴だ。今回は顔合わせの意味で連れて来た。興味のねぇやつは出て行ってくれ」

 

部屋の中央で腕を組んで仁王立ちするホーリーの後ろ姿はまさに漢って感じで格好いい。何故彼女がリーダーじゃ駄目だったのだろうか。そう俺が思っていると部屋の柱に背を預けていた少年が前に出てきた。目を引くのは右目の周囲にある古い大きな傷跡。

 

「僕はコージィというのだがそんなことはどうでもいい。単刀直入に尋ねよう。この現状を打破する目算があるかどうかを。見ての通り、姐さんの招集に答えることが出来たのは僕を含め10人。この人数でブリタニア軍基地を襲撃し、物資を奪えるのかどうかだ」

 

建物の構造上、影になる部分が多くある家屋の中で俺は幾重の視線が向けられる感覚を覚えた。視線は色々な感情を秘めていた。俺に対して興味を持ったもの、懐疑的なもの、好意的なもの、否定的なもの、個人個人が向ける思いは千差万別だろう。だが、ここにいる誰もに共通しているのはこのままでは拙いという危機感を抱いていること。俺が日本でまず率いたのはカレンと扇の2人だけだったときに比べれば、この程度どうということはない。俺は身に纏う布を握っていたマーナの手を振りほどくとホーリーの横に立つべく移動した。

 

「俺の名はL.L.(エルツー)だ。昨日の騒ぎでは不甲斐ない姿を見せたが、クルトとノルドの争いを止めたかったのは事実だ。まずは皆が気になっているコージィの質問に対する俺の答えだが、この人数でのブリタニア軍基地への襲撃は不可能だと考えている」

 

質問をしたコージィも含め、全員が落胆したように深々と溜息吐くのが分かる。

 

「そもそも基地を襲撃すると簡単に言うが、君たちは襲撃が巧くいった後で何が起こるかを理解しているのか?」

 

「襲撃が成功した場合……?」

 

「ブリタニアは駐留していた軍よりも強力な兵器を扱う軍人たちを派遣し、基地を襲撃した君らを捕捉し報復を図ってくるだろう。例えその軍を打ち払ったとしても、更に強力な奴らが送り込まれてくるのは目に見えている。ブリタニアに反抗する者はこうなるのだという格好のプロパガンダにされるはずだ」

 

俺が突きつけた現実味のある言い分に顔色を青くしたコージィは俯き、悔しそうに拳を握り締めた。

 

「……あの」

 

掠れ気味の小さな声の主を探すと、気だるそうに机に凭れ掛かっている少年が手を上げていた。俺が視線を向けていることに気付いた彼は左手を口元に当てた状態で時折、咳き込みながら言葉を紡ぐ。

 

「襲撃が駄目なら……狙撃による暗殺は……どうでしょう。警邏に出て……きた軍人を1人ずつ暗殺していく……手もあります」

 

「同じ事だ。人員はどこからか補充され、不可解な事件が続くようであればそれを捜査する奴らが増えるだけだ」

 

「そう……ですか。残念です」

 

質問が終わると同時に少年はまた机に凭れ掛かった。ホーリーに尋ねると少年の名はリーズベルといい、病弱だが狙撃に関しては高い技術を持っているという。病は不治のもので死に場所を求めているという実しやかな噂もあるらしい。ふむ、病弱のスナイパーか。

 

家屋内が静まり返り、どうしたものかと思っていると後方から滾る炎のような怒りを伴った声が聞こえてきた。

 

「エルツーは結局のところ、俺たちに何もせずに死ねと言っているのか」

 

「そう聞こえたか、クルト」

 

俺が振り返った先にはノルドによって羽交い絞めにされたクルトの姿があった。犬歯を剝き出しにして、ノルドの制止を振りほどこうと暴れながら叫ぶ。

 

「俺たちの現状は嫌と言うほど見ただろ!今すぐにでも行動を起こさなければ駄目なんだ!」

 

「落ち着け、クルト」

 

士気が下がるようなことを平然と告げた俺に対抗するために熱くなってしまい、自分の気持ちが溢れ出ることになってしまい思わず手が出てしまいそうになったクルトに対して、あくまで止めた形の沈着冷静なノルドの声が屋内に響き渡る。

 

「ふざけんな!ノルドが身体を焼かれながら手に入れてきた食料品をなんで何も行動を起こそうとしない奴らに渡さなければならない!そいつらに渡さないように取れた方法が、俺がノルドを。ブリタニア人に媚びうる奴と言って嘲笑って殴ることだけって、ふざけるな!ふざけんなぁっ!!」

 

昨夜、テントで見せていた憤りの表情の原因はそれだったのかと俺はなおも叫び続けるクルトを見る。彼の頬にはいつの間にか涙が伝い、クルトを羽交い絞めにしているノルドもまた全てを悟ったような優しい笑みを浮かべていた。

 

「お前の気持ちは分かっている。クルト、俺のことは……いいんだ」

 

「よくねぇよっ!俺は……俺は親友を貶めるような役目を受けるために団長になったんじゃないんだ」

 

ノルドに羽交い絞めにされたまま項垂れるように泣き崩れるクルト。俺はその様子を見てクルトの人物像を改め直す。そして、ホーリーの呼びかけで集まったという10人がクルトやノルドにとって心情を吐露しても構わないと思っているメンバーであるということを理解した。建物の影に隠れていた人間が数人クルトたちに駆け寄ったのを見た後で、俺は“動かなかったメンバー”の下へ足を向ける。

 

まず向かったのはボロボロのソファに寝そべったままの身動きひとつしない少女のところだ。彼女が寝ているソファの周りには無骨なナイフや拳銃などが無造作に転がっている。近くにいたコージィと机に頬杖をつきながら俺に向かって儚げな笑みを浮かべて様子を窺っていたリーズベルの2人を呼び寄せて尋ねた。

 

「ここにある武器はアントニオがすべて管理しているのではないのか?」

 

「ジルは特別なんです。なにせ、ここにいるメンバーがフル装備で襲撃をかけたとしても彼女なら瞬く間に全員を制圧することができるでしょうから。ですよね、コージィさん」

 

「ああ。手榴弾ひとつでブリタニアのKMFを中破させた彼女なら僕たちを排除するくらい何てことはないだろうな」

 

ここにもマリアンヌやスザクと同じ系統の化け物がいるのか、と内心で愚痴を零す。

 

戦争に使用されているKMFは少なくとも第4世代以降のものだ。確かに戦い方ひとつで状況をひっくり返せないこともないが、冗談は機関銃の連射を生身で避けられるスザクくらいにしておいて欲しい。

 

「んぅ……おなか……へったぁ」

 

「っ!?……なるほどな」

 

ソファの上で身動ぎをしたジルという名の少女が少しだけ瞼を開けた。僅かな間だけであったがそのぼやけた瞳に映ったギアスの紋章を俺は見逃さなかった。どういった経緯があってジルがギアスを手に入れたのかは分からない。だが、コードを所有し永遠とも呼べる日々を過ごしてきたマーナという少女がいるのだから、彼女を介してジルがギアスを手に入れた可能性もある。ただコードが俺に引き継がれたことによって、マーナは有り様が変わってしまっている。ことの真相はジル自身に聞かねばならないだろうが、彼女の手を借りるのは最後の手段にしたい。

 

「ホーリー、とりあえず必要なのは食料と医療品で間違いないな?」

 

「オウ、そうだが。エルツーは何か当てがあるのか」

 

「まずは正攻法だ。租界に行って資金を稼ぎ、食料と医療品を購入してくる。同行者にはノルドと、奥のほうで“酒を煽っている振り”をしている奴に来てもらおうか」

 

俺の言葉を聞いてクルトたちの周囲にいた数人とコージィたちの目が家屋の奥に向く。そこには髪や髭を無造作に生やしたままの男がいた。彼の周りには酒瓶がゴロゴロ転がっていて、その手には鈍色のボトルのようなものが握られている。一見浮浪者にしか見えないが、彼の眼光は逐一俺の行動の一挙一動に注目し視線を逸らすことが無かった。

 

「何故、俺が酒を飲んでいないと?」

 

「格好はいくらでも無様に偽造することは出来る。だが、その人が培ってきた所作というものは中々隠し通せるものではない。次回からは気をつけることだな、“日本人”」

 

「はっ!まさか、余所の国でその呼び方をされるとは思ってもいなかったな。……行き倒れになっていた俺を救ってくれた恩がここの連中にはある。お前が何を考えて租界に行こうとしているかは知らないが、変なことをすれば……」

 

「フッ、愚問だな。俺にそんなことをして得られるメリットは存在しない。……俺は自身でやると決めたからには徹底的にやり続ける。コージィ、軍基地ひとつ奪い返すくらいで満足するな!どうせやるなら『ブリタニアからこの国を奪い返す』くらい言え!この程度やり遂げられないようなら反抗するだけ無駄だ!」

 

 

「「「「なぁっ!?」」」」

 

 

俺の宣言を聞いて、クルトもノルドも、コージィや立ち上がった日本人もあんぐりと口を開けて阿呆面を晒す。ホーリーは少し間の抜けた顔を晒した後、笑いを堪えるように肩を震わせ、ソファに寝そべっていたジルは小さく何かを呟いた。

 

「そんなこと……可能なん……ですか?」

 

恐怖からなのか、歓喜からなのか、身体を震わせながらリーズベルが尋ねてくる。俺はニヤリと笑みを浮かべクルトたち全員に聞こえるように宣言する。

 

「可能だとも。現状を打破したいと思い行動を起こす意思を持つお前たちならば!他者を思い、自身を投げ打ってでも行動できる者がいるならば!お前たちがこの国を変えたいと本気で思うのであれば、俺は幾らでも力を貸そう。この戦いの果てに、俺が本当に欲しいものがある!」

 

「神さまが欲しいものって何?」

 

見れば眼下にマーナがいた。そしてまっすぐな瞳を俺に向けている。当然、その場にいる面々も知りたいはずだ。俺が望むものを。

 

「俺が欲しいもの。それは『優しい世界』だ。人種も、主義も、宗教も無い、強者が弱者を虐げない優しい世界。誰もが笑って暮らせるようなそんな世界。それが俺の欲しいものだ」

 

普遍的かつ全世界規模の巨大な願いを聞かされて、ほとんどの者が顔を見合わせる中で、俺に協調するように声を上げた者がいた。それは先ほどまで親友を貶めてしまったと涙を流していたクルトだった。彼は自分を心配して集まった者たちを代表するように前に進み出てきて言った。

 

「俺はエルツーが夢見る『優しい世界』をこの目で見てみたい!俺たちがブリタニア相手に戦った先にそんな未来があるのなら、俺は戦う!だから、力を貸してくれ!」

 

「力を貸してくれ……か。あくまでも自分たちが行うという意思をちゃんと見せてもらった。いいだろう、これは契約だ。力を貸す代わりに俺の願いをひとつだけ叶えてもらう。俺の願いは、……言わなくてもいいな」

 

「ああ!」

 

クルトが俺に向かって右手を差し出してくる。見れば俺とクルトの周囲にはホーリーの呼びかけに集まった全員が姿を現していた。

 

長身痩躯でブリタニア人からの暴行を受けてでも物資を得るために自身を犠牲にする我慢強い男、ノルド。

 

漢らしい言動で危うく暴走しそうとしていた面々をも引き留めることが出来る姉御肌、ホーリー。

 

不死という呪いから開放され、自由にしてくれた俺を世話すると豪語する少女、マーナ。

 

率先し意見を述べる役目を任された右目の周囲に大きな傷跡を持つ少年、コージィ。

 

病弱でありながら狙撃という専門職のスキルを持つ儚げな笑みを浮かべる少年、リーズベル。

 

何らかのギアスの力を持ち、対人戦、対KMF戦において優位に事を進めることが出来る少女、ジル。

 

鋭い眼光で俺の行動を逐一見続け、自分を救ってくれた連中に恩義を感じ戦うことを選んだ日本人。

 

クルトが泣き崩れた際に一番に駆け寄り声を掛けた心優しき少女。

 

俺がジルに近づいていった後にホーリーの下へ来て何やら怪しげな相談をしていた大きな荷物を背負った少女。

 

クルトが泣き崩れたことで解放される形になったノルドに対して何やら謝罪の言葉を告げているようだった少年。

 

 

俺は差し出されたクルトの右手を握る。

 

 

 

 

 

 

―これが過去に遡った魔王による神話の始まりの日の出来事であった―

 



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03.エリア15

ホーリーやクルトたちの話を聞き、自分が過去の世界に来てしまっていることは何となく理解していたが、ノルドの案内でこの国のかつての首都であったアルジェ租界を訪れた俺はインターネットを使ってあらゆる情報を集めた。エリア15と呼ばれるようになったこの国のことは勿論のこと、エリア11にいるはずの“ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア”のこと、ブリタニアやE.U.や中華連邦の情勢など多岐に渡る情報を。

 

「さて、これからホーリーたちに啖呵を切ったように資金調達をする訳だが、ノルド、そしてタクマ。“設定”はちゃんと頭に入っているな?変にビクビクせず堂々としていれば、どうとでもなるから大船に乗ったつもりで役になり切るといい」

 

俺はノルドが購入してきた新品のスーツの袖に手を通しながら言う。ノルドはこざっぱりとした簡易的な服に加えて頭にターバンを巻いているだけなので問題ないとすぐに頷いた。だが、部屋にいるもう1人の人間は俺が渡した人物設定が記されている書類を穴が開くのではないかと思うくらい真剣に目を通しながら呟く。

 

「エルツーはブリタニア本国から来た若手実業家『アラン・スペイサー』。ノルドは現地民の案内人。そして、俺はエルツー、いや“アランさま”を守る元軍人の護衛。出自がブリタニア人と日本人のハーフの男。性格まで……って、俺だけ色々と話を盛り過ぎじゃないか?」

 

書類を下ろしたことで鷹のように鋭い眼差しを持つ端整な顔立ちが露わになった。無造作に伸ばしていた髪を切り無精髭を綺麗に剃っただけであるのだが、もはや初めに会った人物と同じとは思えない見違えた姿になった日本人、藤原タクマ。彼は机の上に置かれた銃器やナイフなどの、自分が持つ事になる武器を見下ろしながら俺に視線を送ってくる。

 

「何、ブリタニア人との交渉はすべて俺が受け持つ。タクマの役目は暴漢からアランを守るということ。タクマが演じる男は『アランの事業が成功すれば、ブリタニア人の父親が自分をブリタニア人として認知する』という話を本気で信じているという設定だ。性格云々に関しては流し読みするだけで構わない。必要なのは弱い立場にあるアランがこのエリアでやろうとする事業の利権を狙って魑魅魍魎の類の連中が色んな手を使ってくるから場合によっては武力制圧も必要になる可能性もあるから覚悟だけはしていて欲しい」

 

俺の言葉を聞いて大変な奴に選ばれてしまったと天を仰いだタクマであったが、覚悟を決めたのか両手で頬を叩くと拳銃やナイフなどを身体の至る所につけていく。俺はノルドの傍に移動し、まずは賭けチェスが出来るようなカジノの場所を聞き出すのだった。

 

残念なことにノルドが案内してくれたアルジェ租界で一番大きなカジノではチェスそのものが置いてなく、仕方なくトランプのカードを扱ってゲームをする席に腰を下ろすことにした。場全体を眺めると珍しいことに女性のディーラーがいることに気付く。艶やかな長い髪を腰の辺りまで伸ばした妙齢の女性であり魅力的なプロポーションを持つが、彼女のテーブルには多くの往来があるにも関わらず人が寄り付かない。

 

「フッ、あの席にしよう」

 

「……。はっ、アランさま」

 

俺が歩き出すと左斜め後ろを一定の距離を保って着いて来るタクマ。まだ演技に固さが残るが、直に慣れるだろう。俺は目を付けた女性ディーラーに声を掛ける。

 

「ここは、ポーカーのテーブルですか?」

 

「ええ、その通りよ。席へどうぞ」

 

俺は女性ディーラーが勧める席に腰を下ろす前にテーブルを指でなぞり、視線を動かして周囲の状況を鑑みた後にアイコンタクトでタクマに指示を出す。女性ディーラーに指定された席の右斜め後ろに彼が立つように移動するのを見てようやく俺は腰を下ろした。女性ディーラーはカードをシャッフルしながら尋ねてくる。

 

「何かカジノで嫌な思いをされた経験がおありですか?」

 

「実は恥ずかしながら、その際に同行していた上司からお叱りを受けましてね。それから注意するようにしているのですよ」

 

「それは同業者の風上にもおけない輩ですね。当店ではそのようなことは一切いたしませんので、ご安心を」

 

「ええ、貴女は信用できそうだ。ではゲームを楽しみましょう」

 

まずは様子を見るために一番レートの低いチップを使って女性ディーラーの動きを見る。ポーカーで勝つには相手を騙す狡猾さと心理戦の巧さが求められるが、そんなことは考えず配られたカードを見て一喜一憂するようにしていると遠目で眺めていた観客たちが近寄ってきた。タクマは少し警戒するように息を呑んだが、テーブルを囲むようにギャラリーが形成されただけだ。

 

「Qと3のツーペアだったんですが……」

 

「こちらは6のスリーカード。お客さま、お言葉ですが他のゲームをされたらどうです?」

 

「いやまだゲームは始まったばかりですし、視察場所までの案内人が到着するまで時間もあるので続けましょう」

 

大体2:8くらいの割合で俺と女性ディーラーが勝負を続けていると形成されていたギャラリーを割って入って席に腰を下ろす人間が現れた。それを皮切りに女性ディーラーのテーブルは全ての席が俺を含めて埋まってしまった。そのことに驚き、席を立とうとした俺を引き留めたのは右隣に座った恰幅のいい男性と左隣に座った鼻が曲がるような強烈な臭いを発する香水をつけた煌びやかな宝飾の類をつけたマダムであった。

 

「先客は君だ。席を立つ必要はないぞ」

 

「そうよっ!私たち皆で楽しみましょうよ」

 

両側からのプレッシャーに負け席に座りなおしつつタクマの様子を窺うとガッチリとした体格の護衛数人に囲まれながらも俺の右後ろという場所を死守していた。武器を出すのは相手が先に行動を起こしてからだということはしっかりと伝えてある。

 

さて、プレイヤーが増えたことによってゲームの仕方が変更になった。

 

今までは決められた参加料を支払って決められた得点のチップでゲームするトーナメントというプレイスタイルであったが、これから行われるのは実際に現金を取り合うキャッシュゲーム。女性ディーラー側はゲーム1回ごとに手数料をもらうため損することはないのだが、彼女は初心者丸出しでプレイしていた俺のことが心配な様子であった。

 

しかし、席についた他の客にせっつかれる形で彼女はゲームを始めてしまう。俺は俺以外の客がどんなプレイをするのかを観察しながら堅実で面白みのないプレイを行う。しばらくやって俺の勝率は大体20%。5回に1回は勝てる程度であったが、彼らの狙いは俺の所持金を奪い取ること。周囲の客がニヤニヤしだしたのを見計らって俺は行動を起こす。

 

「ウェルズ氏はこのエリアでは何をされていらっしゃるんですか?」

 

俺はふと配られたカードを見ながら右隣に座った恰幅のいい男性に声をかけた。すると、彼は葉巻を一服し煙を吐き出した後で首を傾げながら俺の顔を見ながら告げる。

 

「おや、私は名乗ったかね?」

 

「ログナー・ウェルズ。ブリタニア帝国における家具メーカーの大手ウェルズ社の敏腕社長の顔を知らないブリタニア人はいませんよ。私も実業家の1人として、ウェルズ氏とはお話がしたいと思っていましたが、まさか事業を展開する予定のエリアでお会いすることになろうとは夢にも思っていませんでした」

 

「おおっ!そうかね、私のことをそこまでリスペクトしてくれる君のような青年がいたとはなぁ」

 

ログナーは上機嫌になりながら吸っていた葉巻を灰皿に置くと俺の肩に腕を回してくる。そして、俺の手役を覗き込んだ後、フルハウスというポーカーでは強い部類に入る自分の手役を態と崩すようにカード交換する。そして手役のないブタの状態になったのを見て満足そうに頷くと札束を掛け金のところへ置いた。彼の動きの何かがそれを合図していたようで、そのゲームはツーペアであった下から数えた方が早い手役を持っていた俺が勝利する形になった。

 

「君、名前は何て言ったかな?」

 

「私は“アラン・スペイサー”、しがない実業家ですよ」

 

「君が行おうとしている事業に興味があるのだが、時間はあるかね?」

 

「ええ、あります。実はこれから案内人と共に現地に足を運ぼうと考えていたのですが、名誉いえどもフィフティーンである奴らに合わせる必要もありません。待ち合わせ場所に立たせたままウェルズ氏の会談が終わるまで待たせることにします」

 

「いやいや、その案内人の名誉ブリタニア人も呼びたまえ。私との会談を設けた所為でアラン君が非難されるようなことがあってはならん。ここは器が大きいところ見せ付けなければならん」

 

「さすが、ウェルズ氏。その心遣い感服いたします」

 

「はっはっは。アラン君のような実業家が出てきているということは、私たちの世代交代の時期が近いのや知れぬな!」

 

気を良くしたウェルズ氏に連れられながらカジノを出る。彼がこのカジノ近くのホテルに滞在していることは情報を得て知っていたが、まさかこんな幼稚なおべっかにも気をよくしてしまうお人よしだとは思わなかった。だが、これから行うことを考えれば都合がいい。仲良くしようと相手の方から言ってくれるのだから快く胸を借りることにしよう。

 

ウェルズ氏との会談を終えた後、彼の伝を使ってアルジェ租界の政庁を訪れた俺は土地の取得を行った。本来であれば土地の購入には莫大な資金が必要になるのだが、ブリタニアの企業が開発に力を入れているのは沿岸部のリゾート地帯であり、たとえ良質な天然資源が埋蔵されていようとも内陸部の乾燥した平原や広過ぎる砂漠を欲しがる者は今までいなかった。そんな中でアラン・スペイサーという青年実業家がウェルズ社の社長という後見人もいる中でその第1号になるに当たり色々と優遇される形になった。

 

「信じられない……」

 

ブリタニア軍も使わないような大きな運搬用トレーラーのハンドルを握って運転しているタクマの横で、政庁の職員たちへの説明のために俺が使って色々と情報が書き加えられた地図をノルドが目を丸くしながら眺めている。

 

俺は助手席に座って窓に頬杖をつきながら砂埃が舞う地平線を見ながら、今後の動きのことを考える。表向きは政庁の職員やウェルズ氏に説明した地下資源を採掘するプラントの設立と食料自給率を上げるための農場の設置をしなければならない。幸い砂漠での最新技術を使った農業に関する論文を前の世界で皇帝をしている時に目にしたこともあったのでそれを利用することにする。

 

「エルツー、これからどうするんだ?」

 

トレーラーを運転するタクマが尋ねてきた。彼は俺が政庁の人間とやり取りするのを見ているので、その先のことを聞きたいはず。

 

黒の騎士団を仮面の男、ゼロとして率いている時は何をするにしても俺だけで考えて、団員たちに実行させていた。情報を共有することで外に漏れることを恐れたのだ。だが、今回は違う。俺とホーリーやクルト、タクマたちとの関係は黒の騎士団の時と同様の一方的な主従の関係ではない。

 

「天然ガスの採掘と精製を行うプラントの建設と同時にブリタニアに反抗するための拠点を作る。それと独自のKMFを作る必要もあるから、ブリタニアの技術者にも劣らない技術力のあるインドの技術者をどうにか招き入れる予定だ。丁度、ブリタニアに対抗できそうな高名な技術者に覚えがある。詳しいことは集落に戻り次第、俺からホーリーやクルトたちにも伝える」

 

「……ただ食料品や医療薬品を購入できればいいと思っていた俺たちとは、エルツーの考え方は抜本的に違ったな」

 

ノルドがタクマの言葉に大きく頷く。その上で言葉を紡ぐ。

 

「ブリタニアに俺たちの国の土地を勝手に売買されるのは気に入らないけれど、少なくとも子供たちが飢えで死んでいくようなことはなくなるんだよな?」

 

「まだだ。今回は土地を購入しただけにすぎない。提出した通りのプラントが建設されているのか、食料生産施設が出来ているのかを政庁の連中が視察に来るだろうから、そこに住むアルジェリアの人々が“ブリタニアのために一生懸命働いている姿”を今度はそこにいる人間全員が演技しなければならない。今回のタクマみたいなガチガチの演技じゃ不審に思われてしまうかもしれないだろ」

 

俺が冗談交じりに言うとタクマは小さく「うっせぃ」と呟きトレーラーのアクセルを踏んでトレーラーを加速させる。ノルドは歓喜からか潤んだ瞳を前に向ける。ホーリーたちが待つ集落はすぐそこだった。

 

 

 

 

集落に近い道路に停められた大型トレーラーの荷台のウイングが開かれる。そこに詰れた食料品の山を見て、ホーリーやクルトは勿論のこと集まっていた青年団の全員の目が点になった。その様子を見ながら俺はノルドたちと共に笑った。

 

「凄く啖呵を切っていったからな、期待はしていたがそれ以上だったよ。エルツー」

 

小麦の袋を背負っていく者やリアカーに食料品や医療品を載せて引いていく人間を見送りつつ、俺はホーリーたちと事の経緯を説明している。地図を見せながら集落付近は勿論のこと、ある程度の広さを購入したことを伝えるとありえないものを見るかのように挙動不審になる者もいた。その中で白髪の青年が立ち上がって俺に近寄ってくる。

 

「俺はクライスだ。実のところ、アンタのことを疑ってた。街に行ったまま、戻ってこないんじゃないかってな。けど、あんたは戻ってきた。しかも、こんな大きな土産を持ってだ。……俺は親父が運輸の仕事していたこともあって、色々な乗り物を動かせる。タクマじゃ、おっかなびっくりだったんじゃないか?こういうのも経験があるから、次からは俺に言ってくれ」

 

「わ、私はミリアです。怖いことは好きじゃないけど、ホーリーさんやノルドさんたちには子供たちがお世話になってきましたから、何かお返しがしたくて皆さんと一緒に活動しています。えと、えっと……包帯巻きでは誰にも負けません!」

 

クライスが自己紹介を終えた直後におどおどしながら自己紹介した小柄な少女ミリア。ホーリーの補足によると孤児院育ちであり大きくなった後は手伝っていたようだ。ブリタニアとの戦争で親を失った子供も引き取り大所帯になってしまった孤児院を経営している老夫婦を助ける為に青年団に入ってきたとのこと。今回の件で幾分か生活は楽になるだろう、そう思いながらクライスとミリアを見ていると突然、影が差した。なんだろうと思いその場にいた全員で空を見上げるとブリタニア軍のKMFであるグラスゴーが落ちてきていた。

 

「「「「はぁっ!?」」」」

 

回避行動を取ろうとした俺たちよりも先に落ちてきていたグラスゴーの肩部分から射出されたスラッシュハーケンが地面に突き刺さり、旧型機とは思えないような動きで空中を移動する。俺たちのいる大型トレーラーから少し離れた位置に着地したグラスゴーはランドスピナーを高速回転させたかと思うと、ピッタリとトレーラーに寄せて停止した。

 

ハッチを開けて顔を出したのは、目をキラキラさせたジルであった。彼女の視線はトレーラーの荷台に山積みされた食料品に注がれている。

 

「ごらぁっ!ジル、ちょっとこっちに降りてこいっ!」

 

呆気に取られていたホーリーが逸早く我に返り、ジルを呼びつける。猫のような身のこなしでコックピット部分から降り立ったジルは軽い足取りでホーリーに近づいていき、拳骨を落とされた。何故殴られたのか分からないと言わんばかりに目を白黒させるジルに、ホーリーはなぜKMFを使ったのか、というか使い方を知っていたのかを怒鳴った。彼女の答えなのだが、前者は大荷物を運ぶのが大変そうだったから、後者はなんとなく使えそうだったから、という理論もあったもんじゃなかった。

 

俺からすれば一流のパイロットだったスザクもカレンも星刻もそれなりに下地があった上で実戦を重ねていき、あんな強さを手に入れたのだと思うのだが、ジルの発言は末恐ろしいものを感じる。彼女のスペックに合わせたKMFを作ることが出来れば、あの超人たちと戦えるのだろうか。

 

「……フッ。あるとしても、ずっと先の話か」

 

俺はそう思いながら怒る方向がジルの日々の過ごし方に移っていっているホーリーの肩を叩いて中断させると、せっかく使える人間がいるのだからと食料品や医療品の運搬をグラスゴーでするようにジルに頼んだ。彼女は待っていましたといわんばかりにグラスゴーのコックピット部分に駆け上がると、自分の手足の延長線だといわんばかりの繊細な動作を見せ、ありえない速さでトレーラーと集落を往復させる。俺はその間に今後の展開についてホーリーたちに説明し、同意を得ることが出来た。やってやるぞと意気込みを見せる彼らの様子を見ながら、俺は租界がある方を向く。

 

「……まずは地盤を固める。天然ガスの採掘・精製プラントや食糧生産工場が出来上がってくれば、必ず利権を狙ったやつらが接触してくるはずだ」

 

そこを逆に俺たちが手玉に取ることが出来たなら、この国をブリタニアと戦争することなく奪い返す目処も立ってくる。リゾート地へ遊びに来るブリタニア人からは金を搾取し、その資金を本来の国民であるホーリーたちが使えるようになれば立場は逆転したも同然だ。エリア15が『衛星エリア』となっている状況も俺たちに味方する。余程のことが無い限り、権力があって実行力のある皇族が来ることも、実力がある軍人や軍隊が派遣されることも無い。

 

俺が日本で事を起こした際は人質の命の問題もあり時間もなかったし、部下を選ぶ余裕もなかった。何よりも俺自身ゲーム感覚が抜けきれず、世界を変える覚悟が無かった所為で失くさなくてよかった大切なものを失い続けた。最終的には自分の命も捧げる羽目になったし。

 

ここにいる俺は何の柵も無いまっさらな状態だ。コード所有者として不死という呪いがあるけれど、これは大きなアドバンテージになる。

 

場合によっては、俺が“ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア”の前に立ちはだかる壁となる日が来るかもしれない。なったらなったで面白そうであるが。物はついでだ。このエリアを影から掌握できた時は、今後の憂いを断ち切るためにアーカーシャの剣を破壊してしまっておくのもいいかもな。

 

そう思いながら空を見上げるとグラスゴーが滑空する姿と一緒にクマさんパンツがまっすぐ俺に落ちてきていた。その直後、俺の意識は途絶える。

 

それがマーナであったことは彼女を受け止めきれず道路のアスファルトで後頭部をぶつけ気を失ってしまった俺が集落のテントで目覚めてからのことだった。

 



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04.決意表明

エリア15にて取得した土地の開発を進める中でどうしても切り離せない問題である電力の確保であるが、俺は食糧生産施設となる予定の温室の屋根にソーラーパネルを設置する太陽光発電を取り入れようと画策し、ホーリーたち青年団を初めとした現地のことを知り尽くした有識者のグループを作りどこに天然ガスの精製プラントを建設し、食料生産施設を建てるかを話し合った。

 

ブリタニアに搾取され続けてきた今までと違い、自分たちの生活する未来の話に直結した現実味のある内容の話し合いを設けるに当たって、その話し合いが行われた会場は人で混雑した上で長い間紛糾したのは当然であるが、動く気力もなかった者たちの目が生気に満ち溢れていたのを見てホーリーは陰で涙していた。

 

クルトをリーダーとして活動している青年団のメンバーは、表向きは青年実業家アラン・スペイサーが立ち上げた会社の労働力の確保をするためと称して、ブリタニアとの戦争によってエリア15の内陸部に追いやられ、慣れない地かつ厳しい環境で死の恐怖に耐えながら生きている同胞たちのところを巡り、プラント建設予定地付近に移って来るように説得して回った。

 

熱心な誘いを受けて移動してきた彼らだが、トップに立つのがブリタニア人であることに騙されたと言わんばかりにホーリーたちを睨みつける者もいた。

 

しかし、俺のやり方というか考え方が彼らの抱いていたブリタニア人像とかけ離れていたようでマーナと歳の近い子たちがまず寄ってきた。その理由はマーナの世話を俺がしていることにある。

 

マーナ本人は俺の世話をすると豪語していた訳だが、コードを継承し不老不死になった俺には飲食や睡眠など人間に本来は必要不可欠なはずのものが必要ない。そもそも幼いマーナに食事を用意することなど不可能だった。だからいつの間にか世話する立場が逆転していたのである。

 

マーナの成長に良いようにと料理やお茶菓子を作りテーブルマナーを教え、服がほつれたら縫い、丈が短くなったら新しい衣服を縫い、時には櫛を使って髪を結うこともあれば、お風呂で天然由来のシャンプーやリンスを使って髪を洗ってやることもある。その光景を見たクルトたち青年団メンバーや新しく来たアルジェリア人たちから、親近感溢れるありがたいツッコミがなされた。

 

曰く「親でもそこまでやらねぇ」と。

 

元々同じ国の民ということで衝突は微々たるもので、俺を殺してブリタニアに反旗を翻そうと考えた人間もいなかった訳ではないのだが、圧倒的物量と兵器の差をこの目で見た大人たちからの反論、ご飯を食べることも儘ならない生活に戻るのは嫌だと泣き叫ぶ子供たち、そして青年団で一番の大飯食らいかつ最強の個であるジルの逆鱗に触れた。

 

打倒ブリタニアを掲げ、アントニオを数人で押さえ込んで手にした武器を持っていた若者30数人をナイフひとつで瞬く間に制圧する様子を見て肝が冷えなかった者はいない。

 

「私からご飯を奪うというなら、私はお前たちの大切なものを奪う。次は……ない!」

 

ジルはそう言って反旗を翻そうと行動を起こそうとした若者たちのリーダー格の青年―彼は彼女に圧倒されてへたり込んでいた―に向かってナイフを投擲した。ジルの狙いは正確であり、飛来したナイフは寸分違わず青年の股間すれすれに刺さった。少しでも身動きしていれば、彼の男としてのシンボルは切り落とされていただろう。

 

彼女のおかげでブリタニアに対してすぐに行動を起こすなんてバカな考えを抱く者は目に見えて減った。なにせ、行動を起こす際にはジルをどうにか説き伏せる必要があるのだ。

 

だが、その前に俺と彼女の間にはひとつの約束がなされている。食料生産施設が稼動した暁には、新鮮な野菜を使った料理を振舞うと。マーナから俺の料理の腕を知ったジルは近い未来に食べられる豪華な晩餐会を夢見て、食糧生産施設の建設に人一倍力を入れているのだ。彼女の存在はこれからも強力なストッパーとなるに違いない。

 

 

 

 

「さて、天然ガスの精製プラントと広大な食糧生産施設に加え、ソーラーパネルを用いた太陽光発電による電力という副産物まで売れるものが出来たことによって、ブリタニア軍の高官が接触してきた」

 

天然ガスを採掘するために掘った穴を有効活用し作った巨大な地下施設の一角に集まった青年団の主要メンバーの前で状況説明を行う。巨大モニターにはブリタニア軍が使っているエリア15の基地の所在地が浮かび上がり、アルジェ租界に近い場所にある基地の周囲が点滅し、白い髭を生やした厳つい軍人将校の画像が映し出される。

 

「ベルホルト・グリゴール。階級は少将だが、見ての通り初老の将軍だ。かつては戦場で敵兵を容赦なく切り捨てる戦場の鬼と呼ばれていたらしいが、KMFが台等すると同時に指揮官に鞍替えしたようだ。彼が執る作戦は実にシンプル。ブリタニアの長所を活かし、物量で叩き潰す直情的な作戦を執ることが多いようだな。KMFシミュレーターを設置した際には仮想敵として彼の思考AIをプログラミングするから、損害無しで倒せるようにできる様になっていてくれ」

 

俺は黙って聞いているメンバー全員の顔を見て、目を逸らしたクルトとコージィに熱視線を送る。クルトには俺の視線に気付いたクライスとノルドのツッコミが入り、コージィにはミリアとマーナという幼い少女による円らな瞳で見つめられるという所業が待っていた。

 

「分かった!分かったって。エルツーに読むように言われている戦術理論とか戦闘記録とかちゃんと読んでいるって」

 

「心配されずとも僕は実際に駒を使って立体的に戦場を見るように努力しているところです」

 

クルトはアタフタしながら金切り声を上げ、コージィは冷や汗を流しながらその場にいた面々に対して釈明するような言葉を発した。俺はそんな彼らの様子に苦笑いを浮かべ、戦いの意識に対する甘さは後々の行動を縛るような強烈な後悔を呼び寄せると思い、厳しい言葉を彼らに向かって放つ。

 

「戦場の指揮官は実際に多くの仲間の命を預かる。あの時もっと学んでおけば、あの時ああしていれば、なんて後悔が残らないようにしておけ。無論、クルトやコージィだけでなく、ここにいる全員がその場における最善の行動を行えるように様々なパターンや戦術を理解し、何か異常事態が起きても冷静に対処できなければならない。戦場をひっくり返す切り札やエースがいつでもある訳ではないからな」

 

俺はそう締めくくって、モニターの映像を切り替える。映し出されたのは、濃い紫色の髪を持ち、黄金の装飾がなされた独特の軍服に身を包んだ女傑の姿。彼女の画像の構図が相手を睨みつけるような視線を感じさせるもので、クルトたちの何人かが慄いた。そんな中、ジルだけがモニター中央に映し出された女傑と傍に仕える軍人たちを見て興味津々な眼差しを送る。

 

「知っている者もいると思うが、彼女の名は『コーネリア・リ・ブリタニア』。ブリタニア帝国の第2皇女でありながら有事の際には自ら部下を駆使して戦うことが出来る優秀な指揮官であり、卓越したKMF操縦技術を持ち合わせる女傑だ。敬意と畏怖を篭めて『ブリタニアの魔女』なんていう異名を持つ。そんな彼女が近々、色々と騒がしいことが起きているエリア18を静定するために部隊を率いて訪れるようだ」

 

エリア18は俺たちがいるエリア15からそんなに距離も離れていない。もしも、ジルに粛清されて穴だらけの計画を頓挫させた彼らの暴走が実際に起きていれば、ブリタニアでも有数の実力と実績を兼ね揃えたコーネリア軍の到来が早まっていた可能性がある。

 

「とはいえ、今後ブリタニアに対して反抗しようと考えている以上、“強い相手の力量を知っておく必要”がある。コーネリアがエリア18に到着した後の話になるが、機会を見て“ちょっかい”を掛けようと思っているからそのつもりで用意しておいてくれ」

 

俺の発言に唖然とした表情で周囲にいる人間と顔を見合わせるクルトたちであったが、漢らしい一面を持つまとめ役のホーリーが口を開く。

 

「おいおい、冗談にしてはきつ過ぎるぞ。……はぁ、本気みたいだな、エルツー」

 

「お前たちはこの国をブリタニアから奪い返すのだろう?コーネリア“ごとき”でうろたえるな。ブリタニアには、『戦場に出れば敗北はない』と言われる帝国最強の騎士集団『ナイト・オブ・ラウンズ』もいると云うのに」

 

俺が手元のリモコンを操作して、モニターの中央に偉そうに踏ん反り返ったシャルル皇帝の姿を出す。そして、2015年現在のラウンズの顔写真を映し出していく。俺が知っているラウンズのメンバーとは違う人間がいるものの、脅威となるのはやはり【ゼロ・レクイエム】の時点まで生き残っていた第1席のビスマルクや第9席のエニアグラム、それと第12席のクルシェフスキー。そのくらいかと考えが及んだところで突然起きた地響きにより、突発的に起きるイレギュラーに滅法耐性の無い俺はその場に倒れこんだ。

 

地震かと驚いたのだが、発生源は目の前にいた。下唇を噛み締め、ワナワナと両拳を握り締め、どす黒い殺気の篭った視線をモニターに映ったとある男に注ぎ込むジルの床の鋼材を踏んで粉々に破壊した姿がそこにあったのだ。

 

「神さまっ!!コイツの……、恍惚とした表情で血の付いたナイフを舐めているコイツの名前は何っ!!」

 

俺は体勢を整えて視線をモニターに向ける。ジルの言う様なふざけた感じで写真に残るような奴を俺は1人しか心当たりはない。俺もトウキョウ租界の空で実際に戦ったことのある男。あの時は神がかった新型の紅蓮を駆るカレンに瞬殺されてしまったが、奴もまた強敵であることには変わりない。

 

「ジルが言っているのはナイトオブテン、『ブリタニアの吸血鬼』の異名を持つルキアーノ・ブラッドリーのことか?」

 

「こいつがっ!故郷で静かに暮らしていた私たちの街を焼いた。嗤いながら、みんなを殺した!私は……そんな奴に“生かされた”」

ジルの両拳から血が、怒りに燃える瞳からは涙が滴り落ちる。様々な感情を織り交ぜた表情でルキアーノの写真を睨みつけるジルの姿を見ていて、『ブリタニアの吸血鬼』が考えそうなことを俺は口にする。

 

「『仇が取りたいのなら戦場で俺を殺しに来い』か」

 

はっとした表情で俺を見るジル。俺は彼女の様子を見て、つくづくふざけた輩だと米神を指でトントンと軽く叩いて記憶を呼び覚ます。

 

【ルキアーノ・ブラッドリー】

 

好戦的かつ残虐性な性格で、殺人と破壊に至上の快楽を見出した変態だ。平然と味方を盾にもするし武器にもする人間性を疑わなければならない人物。俺がゼロとして黒の騎士団を率いてブラック・リベリオンを起こした時にも『ナイト・オブ・ラウンズ』は誰も派遣されていない。その頃のルキアーノは皇帝シャルルの勅命を受けて確か白ロシアで戦っていたはず。

 

ジルがどこの出身かは分からないが、彼女が生きている目的が復讐であることは間違いないだろう。かといって、復讐に身を委ねてしまって破滅的、刹那的な生き方はしていないから俺まで悲観する必要はないと思うが……。

 

「ジル。仇であるナイトオブテンと戦いたいのであれば、なおさらKMFの操縦技術を高めるために実戦を多く積む必要がある。……ますますコーネリア軍を利用しない手立ては無いな。コーネリア自身は勿論のこと、彼女の選任騎士であるギルバート・G・P・ギルフォード、政治戦略に長けたアンドレアス・ダールトン将軍と云った面々と命を懸けた勝負をした経験は必ずお前たちを強くし、これから起こりえる事態に混乱せずに対処するための欠かすことが出来ない血肉に変わっていくはずだ」

 

とはいっても鹵獲したグラスゴーやサザーランドを修理して使っていては埒が明かなくなることは見えている。彼らが持つ技能を最大限引き出すことの出来る相棒とも呼べる機体を用意してやらなければならない。上のプラントが順調に稼動してからと思っていたが計画を前倒しする必要があるか。

 

ジルの治療をミリアたちに任せた俺は部屋の隅にいた身体に多くの傷跡を抱えた青年へと足を向ける。そして、周囲の目を憚らずに声を掛けた。

 

「ノルド、頼みがある。危険性が高いが今後の活動を左右する事案だ」

 

ノルドは俺に断りを言われた上で頼まれるとは思っていなかったと言わんばかりの意外そうな表情を浮かべ、すぐ苦笑いしながら頷いた。

 

「もう慣れたさ。……何でも言ってくれ」

 

「移動の手立てと滞在理由に関しては俺が用意する。だからインド軍区に赴いて“とある女性科学者”と接触してきてもらいたい。その女性と接触できなかった場合のプランも用意しておく。その場合はノルドが実際に接して信用のおけると判断した科学者にコレを見せろ。確実に俺たちの話しに食いつく」

 

俺はコートの胸ポケットから取り出したデータ端末をノルドの手に乗せる。親指と人差し指で簡単に摘まめてしまうほど小さく頼り無さそうな代物だが容量は多く重宝している。

 

ノルドはそれを一通り眺めた後、上着のジッパーを下ろし胸板を露出させる。そして、おもむろに左胸の表皮を破った。何度見ても慣れないなと思いつつ、俺はノルドの行為を見続ける。

 

彼の身体は今までのブリタニア人から受けた虐待によって、あらゆる器官に無理が祟ってしまっていた。そこで人工臓器や人工皮膚などのサイバネティック技術で補う手術をまず受けさせた。ノルドはクルトたちと違って、俺がアラン・スペイサーとして活動するに当たり欠かせない人物であり、青年団で暗い過去を持つ人間たちのリーダー格でもあるのだ。

 

「ペースメーカーの一部に組み込んでおけば、搭乗検査でも無理に暴かれることもあるまい。……はっ!?すまない、“また”破ってしまった」

 

「ああ、気にするな。“また”給料から差し引いておくから」

 

ノルドの言葉になんともない様子で答える俺。周囲にいるコージィやタクマあたりは“またか”という風に苦笑いしながら見ている。

 

「ぐっ……、今回の件が済んだらボーナスを請求するからな」

 

「クックック、いいだろう。結果を楽しみにしている」

 

このやり取りはノルドなりの気遣いである。それが出来るくらいに、彼らの心にゆとりが持てて来ているのだ。今回暴走しそうになった青年たちは逆にいえば切羽詰った状態を強いられてきたところに、思いもよらない幸運が転がり込んできて混乱してしまった形なだけ。

 

その場の戦況だけを見て行動を起こしていても、圧倒的な物量と力を持つブリタニアという大国には勝つことは出来ない。長期的な戦略性のある作戦を立てて、その目的に向かって少しずつ、一歩一歩を踏みしめるように進めていかなければいけない。そのことに関してはホーリーやクルト、クライスたちが頑張ってくれている。

 

今の俺がしなければならないのは、このエリア15にアラン・スペイサーが立ち上げた事業は必要不可欠だと思わせるくらいの実績を作り上げること。

 

「んー……。長居しすぎたな、マーナ。俺は“アラン・スペイサー”に戻る」

 

「わかった!すぐにエレベーターの用意をしてくる!」

 

ミリアやホーリーたちと話をしていたマーナは、しゅばっと立ち上がると同時に駆け出す。行き先はアラン・スペイサー個人の事務所に直通している特設エレベーターだ。俺は羽織っていたコートの襟を但し肩や首を鳴らす。そして咳払いをすると、ブリタニア出身の青年実業家という仮面を被る。

 

「では、諸君。私は職務がある為、これで失礼する。君たちも無駄話は控え、各々“未来”のために行動したまえ」

 

俺はそう言って踵を返し特設エレベーターへと向かう。マーナが用意していた特設エレベーターに乗り込んだ俺は身体が重力によって垂直に引っ張られる感覚に身を委ねながら瞼を閉じてゆっくりと深く息を吐く。

 

「……世界を変えようと行動しようしている仲間がいるのに、俺が“ルルーシュ”が動き出すのを待つなんて愚の骨頂だな」

 

今年中に天然ガスの採掘を終えて精製プラントを稼動させる。そして、エリア15全土を賄うことができる食料生産施設を増設する勢いで作り、その施設の屋根に設置するソーラーパネルを原動力とする太陽光発電を使ったエネルギー事業でブリタニア軍にも意見を出せるように根回しを行う。そして、エリア15の統治自体を形骸化させた後はブリタニアに屈服したエリアを中心に活動の場を拡げる。

 

場合によってはブリタニアだけではなく、E.U.や中華連邦ともやり合う可能性があるが、中華連邦に関しては少し人民の心を揺さぶれば星刻たちはすぐにでも行動を起こすことになるだろうから、むしろ早めに行動を起こした方がいいかもしれない。

 

「神さま、怖い顔しているよ」

 

「うん、そうか?それはすまない。だが、別に怒っている訳ではないんだ。ちょっと先の未来のことを思い浮かべていた」

 

「神さまが望む、『優しい世界』のこと?」

 

「そうだ。俺は人間が心の奥底では無意識下において『昨日(過去)』でも『今日(現在)』でもなく『明日(未来)』を望んでいることを知っている」

 

前の世界での黄昏の間での一幕が頭を過ぎった。鬼のような形相をして計画を破綻させた俺たちを道連れにしようとした両親の姿がぼやけて見えた。だが、俺は2人の姿が明確になる前に意識を現実に戻し、マーナの目を見ながら告げる。

 

「俺はこの地球にすべての人が安心して『明日』を迎えることが出来る世界を、クルトやノルド、ジルやコージィ、リーズベル、クライス、タクマ、ミリア、ホーリー。俺は彼らと共にこの手で必ず創ってみせる。今の世界の在り方をこの手でぶっ壊して。……マーナは手伝ってくれるかい?」

 

「えへへ、勿論だよ。神さま……ううん、L.L.」

 

俺が差し出した手を幼い小さな手でギュッと握り返してくるマーナの温もりを指先から感じた。俺は空いた手でマーナの頭を撫でると前を向く。

 

エレベーターのドアが開くと同時に俺はアラン・スペイサーとなって行動する。来るべき日のために俺が今しなければならないことをこなすために。




さて、序章は終わりじゃー!


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1章:Zoo
01. Late Lynx


神聖ブリタニア帝国領エリア18において各地で勃発する反政権組織によるテロを制圧するために、レジスタンスの人間が逃げこんだゲットーを民間人ごと焼き払おうとした時だった。超長距離からの狙撃でゲットーを火の海にしようとしたブリタニア軍の兵士たちは脱出機構のあるKMFに乗り込んでいるにも関わらず、機体と自分の身体に大きな風穴を開ける形で砂地に倒れこみ間もなく沈み込んだ。攻撃されていることに気付いて回避行動を取った者もいたのだが、寸分違わず撃ち抜かれてしまう。

 

思わず訪れた好機にゲットーに逃げ込んだレジスタンスの人間たちは、突然の事態に混乱するブリタニア軍に殺到しようとしたのだが、彼らもまた生まれた故郷の砂に自身の血を飲ませる形になった。ブリタニアの兵士を撃った同じKMFによる攻撃で撃ち抜かれ身体のほとんどは蒸発し残った部位だけがその場に転がったのである。

 

自分たちが何もせずともレジスタンスの人間たちが地面に血の花を咲かせていくのをブリタニアの兵士と将校たちは固唾を飲んで見守る形になった。そして、自分たちに反抗の意思を見せた者たちがいなくなった時、彼らに通信が入れられる。

 

『……このまま何もせずに帰るなら、こちらも何もしない。だが、先日の“ブライダ・ゲットー”と同じ行為をするのなら……』

 

ブリタニアの将校たちが赤い光を確認した時には将校たちが乗る指揮車両を護衛していた全機のKMFの頭部が寸分違わず撃ち抜かれた後だった。誰かの唾を飲み込む音が聞こえるほど静寂と化した指揮車両に再度、通信が入れられる。

 

『お前たちが自国の土を踏むことはない』

 

将校たちが赤い光を見た地点に高感度カメラを向け鮮明拡大化した画像に映し出されたのは、周囲の土や砂と同じ色の装甲を持った一つ目のKMFがあった。目を引くのは右腕が巨大な銃になっている点。下半身はマントが付けられ詳細を確認する事は出来なかったが、指揮車両にてKMF部隊のCICを務める女性が呟いた。

 

「あれって、……猫?」

 

所属も製造した所も一切不明のKMFの左肩の装甲に刻まれていたのは、《枯れ木を踏みつけて飛び掛る寸前の姿をした大きな猫》のエンブレム。

 

それに魅入られたように見ていた将校たちは気付くのに遅れる。その所属不明のKMFが、本来は右腕があるべき所にある巨大な銃をカメラに向かって銃口を上げたことに。彼らがそれに気付いたのは、一つ目の頭部が巨大な銃の直線状、まるで照準器になるように横へスライドした直後に画面が血のように赤く染まるのを見てからだった。

 

 

 

 

自身の機体を整備しながら今回の戦闘で得られたデータの吸出しを行い一喜一憂するエンジニアたちの様子を椅子に腰掛けながら眺めるリーズベルの頬にヒヤッとした感覚が襲った。びっくりして声を上げそうになったリーズベルであったが、頬に当てられたのはキンキンに冷やした炭酸ジュースが入った金属製のコップであることに気付き、謝辞を述べながらそれを受け取った。

 

「ありがとう、アーニスさん」

 

「いえいえ。生産者から直接仕入れてきているので単価は今のリアクションよりも安いのですよ」

 

「相変わらずだね、アーニスさんは」

 

リーズベルは自分が座る椅子の近くに背負っていた大きな荷物を置いてその上に腰掛けた女性を見る。女性らしい甘い匂いが鼻腔をくすぐるが、全く欲情心が湧かない。何せ彼女の身体はスレンダーを通り越して、もはや自分と同じ性別にしか見えない体格なのだ。

 

まさに『つるっすかっすとーん』って奴。

 

むしろ、L.L.の食育で順調に成長を遂げているマーナの方が女性らしいと思ったところで、殺気が発せられる気配を感じとったリーズベルはにこやかな笑みを浮かべアーニスへ声を掛けた。

 

「コージィさんやクライスさんの様子はどうですか?」

 

「ねぇ、リーズ。正直に言ってよ、ボクの身体のことどう思う?」

 

「さぁ?僕自身、女性の身体に興味がないので何とも」

 

「ちっ……。やっぱり食事か?好き嫌いが多いとナイスバディにはなれないっていうのか」

 

親指の爪を噛みつつ、眉を寄せて唸りだしたアーニスを横目にリーズベルは自身の専用機であるKMFを眺める。左肩の装甲には、大山猫が描かれたエンブレムが刻まれている。L.L.がデザインしたものだが、リーズベルはその絵に自分を表す“倒れてしまった枯れ木”を付け加えた。自虐過ぎたかなとリーズベルが思っていると、アーニスから貰ったコップが傾きかけてジュースがこぼれかけており、急いで口元へ運んだ。

 

「態々エリア18を選ぶって。……リーズって、マゾ?」

 

「ぶふぅっ!?げほげっほ、ごほっごほぉっ!?」

 

「驚きすぎだろ、バカぁっ!ミリアー!衛生兵(メディック)―!」

 

口に甘酸っぱい味と炭酸による爽快感を味わう瞬間に突然齎された特大の爆弾はリーズベルの動きを容易く止め、甘酸っぱい炭酸水は食道ではなく気管に入り込んだ。元々病弱な身体で強い刺激は確実に毒でしかないリーズベルにとって、アーニスの一言は身体的にも精神的にも一発で腰砕けにする強烈なものであった。咳が止まらなくなったリーズベルは到着したミリア率いる衛生兵たちの手で治療室へ運ばれた。

 

その騒動から暫くして治療室のベッドの上で目を覚ましたリーズベルはゆっくりと身体を起こした。枕元に置かれたお盆の上には透明なミネラルウォーターの入ったコップと病気の進行を妨げる効果のある薬が無造作に置かれている。

 

突然、自分たちの前に現れた救世主『L.L.』。彼が望む『優しい世界』を創るという大きな目的のために動き始めて2年近くになる。

 

リーズベルの病に特効薬は存在しなかったが、病状を和らげ進行を遅れさせるものはあった。だが、それを手に入れるだけのお金は両親と共に暮らしていた時期は勿論のこと、ブリタニアに国を奪われてからも機会はなかった。

 

そんな薬が毎食後の日に3回も呑める様になり、治療室で寝込む回数も出撃して興奮状態から解放された直後くらいに減った。L.L.と共に行動を起こした結果、自身の生きることができる時間が延びて、仲間の皆と一緒に『優しい世界』を創るための活動が出来る。喜びからか心臓が早く脈打ち、自然と顔がにやけてしまうのが分かる。

 

「……んくっ……ごくごく」

 

リーズベルは用意されていた薬を口に含み、ミネラルウォーターを一気に飲み干す。そして、お盆の上にコップを戻すと立ち上がり、ハンガーに掛けられていた制服の袖に手を通す。レジスタンスに制服が必要あるのかと疑問に思ったが、これがあるおかげで違う分野のエンジニアや衛生兵、ノルドが率いる暗部の人とも割りと抵抗無くコミュニケーションがとれるということに気づき、L.L.がどうしてもと推した理由が分かった気がした。その時、治療室のドアがノックされる。まもなくドアは横にスライドし、濃い緑色の髪を持つ眼鏡を掛けた青年が入ってきた。

 

「起きたようだな、リーズベル」

 

「どうしました?コージィさん」

 

「仕事だ。『サハラの牙』がL.L.の食料生産プラントの西ブロックに襲撃を掛けてきたようだ。相手の戦力だがグラスゴーの改造機20体がすでに確認されている。それとヘリが数機目撃されている。まだ敷地内には入ってきていないようだが、侵入も時間の問題だ」

 

「はぁ……、『サハラの牙』って、ここら辺じゃ一番まともな組織だったんじゃないんですか?」

 

「さてな。自分たちに都合のいい情報に踊らされただけじゃないのか?エリア15の開発において、もう『アラン・スペイサー』に意見できるような高官もいないし、軍部は末端の兵士の家族構成や昨夜おかずにしたアダルト女優のタイトルまで情報が筒抜け。一泡吹かせたいと思う奴はごまんといるはずさ。だから、厳命だ。“殺さずに捕えろ”と」

 

コージィとリーズベルは捕まった人間の末路を思い浮かべ、ゾッとするように身を震わせる。

 

己のことを自分以上に知り尽くした相手に身も心も少しずつ薄皮を1枚1枚剥がして曝け出されていく恐ろしい責め方だった。最悪なのはその責めをしている間、当人は美しいと思える笑みを浮かべたままだったこと。そんな責め苦を受けたガッシリした軍人上がりのマッシブな男の捕虜は

 

 

 

……ホモに目覚めた。

 

 

 

その男の捕虜が巨乳や巨尻といったものを持っているグラマラスな女性が好みだったことはその場にいた全員に知られていたのだが、あろうことか「線の細い美男子に掘られたいし掘りたい」とその場で告白したのである。絶対零度の笑みを浮かべたL.L.はその捕虜をノルドに言って元の組織に返却した。性癖が180度変わってしまった捕虜、その組織では結構上の立場だったらしいのだが奴の暴走によって、組織が壊滅したことは言うまでも無い。

 

「また……犠牲者が出るね」

 

「僕たちの活動の邪魔さえしなければ、こちらからは何もしないというのにな。あ、それと移動手段なんだが、ちんたら地下を移動していても埒があかないということで【ウロヴォロス】が緯度26.3800、経度が5.4119の場所から顔を出すのでリーズベルの機体を上空に向かって撃ち上げる。そのまま“上空”でクライスと合流した後、西ブロックに急行してくれ」

 

「ツッコミを……入れたいところが何箇所かあるんだけど?」

 

リーズベルは全身から汗が噴き出るのを感じ取りながらコージィに訴えた。しかし、すぐにその視線は逸らされる。

 

「……察してくれ」

 

コージィはそう言ってリーズベルに機体のキーを投げて寄越す。リーズベルはそれを受け取ると深く息を吐くとトボトボと肩を落としながらもまっすぐ機体が格納されている車両に向かって足を進めた。途中で身体にしっかりと密着するタイプのパイロットスーツに着替え、格納庫についたリーズベルを待っていたのは完璧に仕上げられた自身の機体と大勢の仲間たち。その全てがリーズベル1人をサポートするために結成されたチーム。

 

「あのインテリ眼鏡野郎め、ウチの坊主を一体なんだと思っていやがるんだ」

 

「そうよ!リーちゃんは繊細なのに」

 

リーズベルが車両に到着するのに気付いた面々が寄ってくる。機体の整備を担当するエンジニアや工具を持っている男たちは作戦を立案したとされるコージィの悪口をおどけながら言いつつ戦いをサポートする機材をリーズベルの動きを妨げないように取り付けていく。それが済むと衛生兵を束ねるミリアのサポートをしている“お姉さま”方から熱い抱擁を受けるリーズベル。

 

「だが安心しろよ、坊主!お前の相棒は俺たちがしっかりと整備しておいたからな!」

 

「無理をしないでね、リーちゃん」

 

チームメンバーからの暖かい声援を受けたリーズベルは相棒の機体のロックを解除するためにキーを差し込む。モニターに映し出された相棒の名を指でなぞりながら読み上げるリーズベル。

 

「【Late Lynx】(ライト・リンクス)。ごめんね。君には凄く申し訳ないのだけれど、蛇(ウロヴォロス)の口から空へ向かって飛び出すよ。そして、クライスさんと合流する。……僕は仲間が整備し仕上げてくれた君を信じる。だから、君もいつも通り力を貸してね」

 

格納車両に設けられたハッチから飛び出たリーズベルのKMFはエリア15を中心としてアフリカ大陸全土に伸びる地下鉄道の広い空間に躍り出ると、その勢いのままに先頭車両に向かって駆ける。ブリタニア帝国に察知されることなく、神出鬼没の戦法を取ることが出来るのはこういった移動手段があるおかげ。リーズベルはふと並走する巨大な列車を見た。

 

L.L.がアラン・スペイサーとして活動する間、エリア15の名誉ブリタニア人として何かと表舞台に出ては身体を張ってきたノルドが、仕事を終えた際に欲しい物が無いかと聞かれ咄嗟に答えた『安心して移動できる乗り物』がまさかこんな化け物になるなんて誰も思いもよらなかった。

 

悪戯を成功さえて喜んでいたのは、L.L.とノルドさんが連れて来たインド軍区出身の科学者ジェイル博士のみだ。ノルドさんの何もかも悟ったような仏のような顔は二度と見たくない。そう考えつつ、リーズベルはマイクのスイッチを入れた。

 

「リーズベルとリンクス、先頭車両に到着した」

 

『了解した。顎(アギト)を解放する』

 

件のノルドさんの返事を聞いたリーズベルは相棒であるリンクスのスピードは落とさず、寧ろ更にランドスピナーの回転を上げて加速させウロヴォロスの前へ躍り出る。ノルドの発言どおり、蛇が顎を開くように中に収められた物が見えてくる。全長が5m近くあるKMFを立たせた状態で入れることが出来る大きな砲門が姿を現した。

 

『リーズベル……とりあえず、……死ぬな』

 

「ノルドさんに言われると本当に洒落にならないんですけど」

 

リーズベルは諦めたようにリンクスをその場で飛翔させると、スラッシュハーケンを用いてウロヴォロスの巨大な砲門の中に入る。

 

「うわぁ……L.L.に理論と運用方法については聞いていたけれど、まさか僕が第1号になるなんて……」

 

『すまんとしか言いようが無い。そして、これが実証されるとこのウロヴォロスに乗車する全員が“弾”として数えられることになる』

 

「……。そういえば、コージィさん。クライスさんの“バス”は定刻通りに来るんですよね?」

 

『……え?何か言ったか、リーズベル』

 

「聞かなかったことにします」

 

リーズベルは思わず両手で目を覆った。それだけ拠点としている場所が危険な状態にあるということなのだろう。後は信じて天命を待つだけだと逆に開き直ったリーズベルは死亡フラグを立て捲くることにした。

 

「僕、この戦いが終わったらアーニスに告白するんです。そして、居住区に家を建てて愛の巣を育むんですよ。つるぺただろうが、すかっすかだろうが、絶壁のゼロだろうが問題ありませんよ。この世はそんな厳しい世界じゃないんですから」

 

しかし、リーズベル渾身の死亡フラグ連発発言に対するコージィによるツッコミは無かった。換わりに底冷えするような無機質なのにしっかりとドスの利いた声がイヤホンから聞こえてきた。

 

『リーズベル、私の一体、どこのことを言ってんだ?』

 

「ノルドさぁああああん!!」

 

『いつまで続くのかと思って冷や冷やしたぞ。……ミラーコーティング開始』

 

砲身内が光り輝く。光の粒子がまるでリンクスに吸い寄せられるように集まってくる。リーズベルはリンクスの操縦桿をしっかりと握り締め、まっすぐ前だけを見る。決して、モニターの端に映し出された赤い髪の悪魔を見ないようにしている訳ではない。

 

『ノルド!どいて、せめて発射ボタンだけでも押させろぉおお!』

 

『ちょっ!?アーニスやめろ!まだチャージが済んでなっ!?』

 

男女の醜い争いの声の後、何かのボタンが押される音がしたと思ったら雲の上にいた。

 

リーズベルが気付いた時には既に相棒のリンクスと一緒に地上から数千メートルの位置に移動して落下している最中。恐る恐る時刻を見れば約束の時間よりも随分と早い。リーズベルは金輪際、女性を辱めるような発言はしないと決意を抱きつつ、そのまま自身を引き寄せる重力に身を委ねる。じたばたしても何も始まらないことはリーズベルも分かっている。

 

後は迎えのバスを動かしている仲間を信じることだけとリーズベルが思った直後、重力に逆らうような衝撃が起きた。

 

『ふいー、なんとか間に合ったみたいだな。リーズベル』

 

「感謝するよ、クライスさん。本気で死ぬかと思った」

 

『いやいや、アーニスのあの絶壁をあそこまでこき下ろすなんて、リーズベルも度胸あるじゃないか。自室の代物全部焼却処分は固いな』

 

「そこまでするんですか、アーニスさんは?」

 

『一番酷いのは青年団で共有していた無修正のあれをホーリーの姉御に渡された時かな。あの魔女狩りの雰囲気は地獄だったぜ!』

 

「それはその映像媒体がホーリーさん似の女優さんだったからじゃないですか。あの時の僕はホーリーさんに『リーズベルは枯れてるから論外だな』って言われて結構ショック受けてたんですよ」

 

『一時期、灰のように真っ白になっていたもんな。っと、いけねぇ。さっさと向かわないといけないんだった。ちょいと“持ち直す”ぜ』

 

クライスの発言の通り、一瞬だけ浮遊感と一緒に重力の引きを感じたリーズベルであったが、今度は別の衝撃と共に地下鉄道内を疾走した際に減ったエナジーが満タンまで回復するのを見て、接続がうまく行ったことにほっと胸を撫で下ろす。

 

『さぁ、全力で飛ぶぜ。【Late Crow】(ライト・クロウ)。気絶すんなよ、リーズベル!』

 

「分かっているよ、クライスさん!」

 

気丈に返事をしたリーズベルだったが、クライスが操る飛行機型のKMFの加速具合は今までに体感したことのないソレだったが何故か耐えることができた。

 

リーズベルは意外と急激な加速によるGに耐えることが出来ている自分がいることに対して不思議に思ったが、すぐに悟った。

 

今、覚悟をする時間もなくやられたばかりじゃないかと……。

 



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02.Late Crow

L.L.がブリタニアの人間と交渉して土地を購入し、事業を行うための準備資金や建築物資だけでなく食料や衣料品を大量に持って帰ってきた際、クライスは自己紹介する時にこう言った。

 

「どんな乗り物であろうと、俺なら乗りこなせる」と。

 

あの時に戻れるのであれば、ぶん殴ってでも言うのを阻止しただろうな、とクライスは戦闘機の後部座席で雲ひとつない青空を視界に収めつつ意識を手放した。

 

 

 

 

クライスはアルジェリアの貿易港で育った。

 

荷を届け先まで送る運輸関係の仕事をしていた父親の手伝いをする内に、港にある乗り物であればフォークリフトから小型船まで見様見真似でありながら動かせるようになっていった。勉強はからきしであったがこのまま父親の仕事を手伝うのであれば、もっと運転技術を高めるだけだと思っていた。

 

その未来が閉ざされたことを悟ったのは、ブリタニアのアルジェリア侵攻が起こり父親の乗る民間船が地中海に沈んだ時だ。怒号が飛び交う同業者の人間が集った組合から抜け出したクライスは夫の乗る舟が沈没したという知らせを聞いて取り乱した母親の手を引いて、父親名義のトラックのエンジンを吹かし脇目も振らず走り出させた。生まれ故郷が遠ざかっていくのをサイドミラーで確認しながら、まっすぐ内陸部に向かってトラックを走らせていたクライスの耳に母親の絶叫が響き渡った。

 

トラックを停め、窓を開けて顔を出したクライスはトラックで一目散に走ってきた道の先にある故郷を見て絶句した。遠目で分かるほど、黒煙を立ち上らせ赤黒い炎に飲み込まれていた。炎に照らされて、人型の兵器が何十何百も降り立つ光景を見た。

 

クライスは自分の判断が正しかったことに安堵し、同時に母親しか助けられなかったことを悔いた。気を失ってしまった母親を助手席に乗せ、クライスはひたすらにトラックを走らせた。燃料が無くなり、立ち往生しているところで幼き日のホーリー率いる逃げ延びた人たちと合流したのだった。

 

ブリタニア軍もわざわざ手を出さないくらい貧相で何の力も無く、生気を失った大人たちと飢えに苦しむ子供や老人を抱えた集落に青年団を作ると言ったホーリーにまず団員に加わると手を上げたのはクライスだった。行動力は集落にいる人間で一番だったが、クライスには人を率いるための素質はなく、他人のために自分の身体を捧げられるほどタフな精神力は持ち合わせていなかった。

 

クライスに出来たことはやはり、幼少の頃から培った乗り物を運転する技術を使って仲間たちを目的の場所に送り届けること。やっていることが父親と同じであることはクライスにとって誇りでもあったが、それだけでは何も変わらず集落に住む人間の死がすぐそこまで迫っていることをクライスは肌で感じ取っていた。

 

だから、クルトとノルドが自分の思いの丈をぶつけ合っている中に突然割って入った陶器のような白い肌、艶やかな黒い髪、アメジストのような紫瞳の青年を見て、何かが起こると思った。人や物を運ぶだけで何も返る事が出来なかった自分が、何かを返る事ができる様になるのではないかと様子を見て、彼が事を成した時、クライスは父親が死んだ時に止まってしまっていた足を一歩踏み出せた気がした。

 

 

 

 

ノルドがL.L.の依頼を受けて旅立って数週間後、彼からの迎えに来て欲しいという連絡を受けたクライスは乾燥した平原地帯を砂埃が巻き上がるのも関わらず、オフロードバイクを走らせていた。帰りがあるのだから、大型とは言わないがトレーラーでも使ったほうがいいのではないかと“雇い主”である人物に断ったのだが、つべこべ言わずにさっさと行けというありがたい命令を受け、エリア15とエリア17の国境線に向かってバイクのギアを上げ加速させた。

 

「ほぅ、君がどんな物でも乗りこなせるというパイロットかい?思っていたよりも華奢じゃないか!」

 

ノルドが指定したポイントに辿りついたクライスを出迎えたのは紫色の髪を腰の辺りまで無造作に伸ばした白衣を着た男だった。ぺたぺたとクライスの身体を触り、肉の付き具合や太さなどを手早く計り終えた白衣の男は得られたデータをパソコンに打ち込み始める。

 

「誰なんだ、あのオッサン?」

 

「オッサンではない、私はドクトリン・ジェイル!親しみと敬意を篭めて『ドクター』と呼びたまえ」

 

クライスは座り込んでいるノルドに耳打ちするように小さな声で尋ねたのにも関わらず、耳聡いジェイルはパソコンのキーボードを指で叩く速度は変えずに顔だけを向けて怒鳴ってきた。変な勢いの男の前にクライスはこくこくと頷くしかできず、その様子を見たジェイルは満足そうに微笑みパソコンの画面に集中した。

 

「で、何者なんだ?」

 

「インド軍区で俺が見つけてきたKMFに関する研究をしている科学者だ。L.L.から預かったデータを見せたら狂喜乱舞して……大変だった」

 

ノルドは地面に座り込んだまま、深く息を吐いた。クライスはもう一度、まじまじとジェイルを見る。一心不乱にパソコンのキーボードを連続でタッチし打ち込む姿は正に狂気を感じる。クライスはこんな奴を連れて行って大丈夫なのか、心配になった。のだが、帰りに自分が動かすことになる乗り物を見て目を白黒させる。

 

「あれ、こいつってブリタニアが使っているVTOLじゃ?」

 

「ナイトメアを積んでいないから、ただの航空機だ」

 

「さすがにこいつは操縦したことないんだが?」

 

「説明書がある。ここまではドクターが操縦していたんだが、……正直生きた心地がしなかった」

 

「ノルドにそこまで言わせるって、どんだけ操縦下手なんだよっ!」

 

クライスはノルドが持っていた辞書のように分厚い取り扱い説明書を取り上げると目を通す。だが、一枚一枚呼んでいる暇もなければ時間も勿体無いと考え、説明書を閉じたクライスはパソコンを弾きまくっているジェイルの首根っこを掴むとさっさとVTOLの運転席に向かった。そして、機体を動かすために最低限必要な機材を習うと早速空へと舞い上がらせたのだった。

 

浮かび上がらせた直後こそ、風の影響を受けて揺れたり、行く方向が微妙にずれていたりしたものの、いつの間にか今日初めて触ったはずのVTOLを手足の延長線のように難なく飛ばすクライスの姿を見て、ジェイルは席に座りにんまりとしながら笑う。

 

「あーっはっはっは!いやいや、私にとって楽しい職場になりそうだねぇ。潤沢な資金に加え、資材は使い放題!サクラダイトに関しては追々ということだが、話を聞く限り期待に応えてくれそうだっ!そして何よりも私が作るハイエンドなナイトメアフレームを使いこなせおうなパイロットがこんなにも揃っているなんて、まさにこの世のパラダイスだっ!依頼主の望みどおり、作って見せるぞ。誰も見たことも無いナイトメアフレームを!」

 

興奮し高笑いしながら目を血走らせ、更に高速の動きでパソコンのキーボードをタイピングするジェイルの姿に戦々恐々するクライスとノルド。

 

「おい、ノルド!このオッサン大丈夫なのか!?」

 

「知るかっ!!L.L.の第1希望はラクシャータっていう女科学者だった。それが駄目ならば【神虎(シェンフー)】と呼ばれるKMFを作った開発メンバーで一番奇抜な考えを持った人間っていうのがオーダーだったんだよ!!」

 

「普通はそこ常識的な奴じゃねぇのかよ!」

 

「俺に言うなっ!!」

 

「あーっはっはっは!嗚呼、手が足りない!嗚呼ぁっ、素晴らしいことを考えるための頭脳が足りない!私のしたいこと、やりたいことっ、作りたいものはぁっ、数え切れないくらい山ほどあるというのにぃいいいい!」

 

「「うるせぇえええええ!!」」

 

クライスとノルドが高笑いを止めないジェイルにツッコミを入れる。操縦桿を握りながらそんな動作をした所為で、危うく墜落しそうとなったがクライスたちが平原で無残に果てるようなことはなく、拠点としている天然ガスの精製プラントの敷地内に用意された貨物運搬用のスペースに降り立ったのだった。

 

クライスの操縦技術は勿論のこと、彼の『乗り物であればどんなものでも乗りこなせる』という発言は実証を持ってインド軍区において奇抜な考えと思想を持つとして危険視され憂き目にいたジェイルに認識され、彼を本気にさせた。

 

クライスの操縦技術に惚れ込んだジェイルとL.L.の未来知識が噛み合い、本来の歴史ではエリア11にて起きた【ブラック・リベリオン】後にブリタニアで開発されることになる可変型KMFが一足早く生み出されることに繋がったのであった。

 

 

 

 

L.L.の伝で戦闘機のパイロットになるための訓練を受けさせてもらっていたクライスに仲間たちが住んでいる拠点が『サハラの牙』と呼ばれる反政府組織から襲撃を受けているという連絡が入ったのは訓練を終えて地面に降り立った直後のことであった。しかし、クライスは両手で『パンッ』と顔を叩いて気合を入れなおすと自分の機体が置かれている倉庫に向かって走った。

 

倉庫にはすでにカバーが外された黒い機体が鎮座し、周囲には歳若い整備士や無線機を片手に右往左往している少年たちの姿があった。彼らはクライスの到着を見て駆け寄ってくる。

 

「兄貴っ!整備は完全にしているっすよ!」

 

「俺たちも兄貴が出た後、すぐに地下に降りて基地に向かいます!だから……」

 

「「「俺たちの家族を守ってください!」」」

 

「ああ、任せておけ!」

 

クライスは少年たちに力強く返事をした後、自身の機体であるKMFを眺める。機体名は「Late Crow(ライト・クロウ)」。羽翼部位に刻まれたエンブレムは三本足の黒い鳥。極東の島国、日本の出身であるタクマの話によると「ヤタガラス」と呼ばれる神の使いであるらしい。

 

クライスはその話を聞いたとき、いくら何でも己には大層すぎると思ったが、よくよく考えればL.L.は『神さま』と呼ばれていた時期があった。そう、クライスが彼に初めて自分の名を告げた頃のことだ。“そういう意味”なら悪くないなと、L.L.を見ながら思っていると彼から変な風に見られ疑われたが、その時は苦笑いして誤魔化した。

 

「兄貴、コージィ補佐からのオーダーでは、『緯度26.3800、経度が5.4119地点にて山猫を拾ってから急行せよ』とのことです。……リーズベルさん。蛇の顎のアレを使った第1号にされるらしいですよ」

 

「うげぇ……リーズベルも災難だなぁ。まぁ、クルトもいないし、ジルは武者修行に行っちまっているし、タクマは里帰り中だし、仕方がないといえば仕方がないんだけどよ」

 

「……こんな大変な時にリーダーはどこに行ってしまったんでしょうか?」

 

俺のチームメンバーである少年の1人が呟いた。本来であればクライスや少年たちのホームである拠点防衛は、表向きは青年団のリーダーであるクルトの役目である。

 

だが彼は忽然と姿を消してしまった。

 

あまりに突然のことでパニックになったのは間違いではない。しかし、ホーリーは「暫くしたら帰ってくる」とクルトの代わりに青年団を纏め上げ、L.L.に至っては自分の元に訪れた面々に対し、あっけらかんと『アイツが家族を見捨てる輩か?』と問い直してきた。クルトが自分たちを捨てるなんてこと、誰も思わなかった。だから、俺は自信を持って少年、ルークに告げる。

 

「何、あいつも男だ。きっちりけじめをつけて帰ってくるさ。その時にいなかった時の文句を全部ぶつけてやればいい」

 

「……そうですね。兄貴、ご武運を!」

 

ルークが離れたのを見計らってクライスはコックピットに入り、携帯しているキーを使って相棒を起動させる。モニターに映し出された相棒の名を目で流し読みした後、操縦桿をゆっくりと握った。耐G訓練のために最近はずっと操縦桿を握らずに為すがままになっていたが、やっぱり自分で握るのがいいとクライスは笑う。

 

「自由に羽ばたけ、ライト・クロウ!クライス、出るぞ!」

 

大きく開け放たれた倉庫の扉を出た直後、急加速によるGで席に縫い付けられるが、クライスは何事も無かったように操縦桿を握り締め相棒と共に大空へ舞い上がる。プラズマ推進モーターが唸りを上げているのを感じ取りながら、合流地点であるポイントに向かって飛翔させたクライスの耳に仲間たちの賑やかなやりとりが無線越しに聞こえてきた。

 

元気そうだなと思っていたら、眩い閃光が空へと打ち上げられた。

 

それが合流目標の仲間の機体であることに気付いたクライスは、『ぎょっ』としながらも冷静に相棒の巡航速度と打ち上げられた仲間のKMFの落下軌道を予測し加速させた。フォートレスモードからビーストモードと呼ばれる形態に変形したライト・クロウの脚部部分でがっちりと仲間のKMFをホールドすると一先ず安心して声を掛けた。

 

「ふいー、なんとか間に合ったみたいだな。リーズベル」

 

『感謝するよ、クライスさん。死ぬかと思った』

 

自分で災いを招きいれたにも関わらず淡々と話すリーズベルの度胸に感心するクライス。おどけた様子で聞こえていた無線の内容について、つっつくことにしたクライスは、アーニスの報復の可能性も考えたがそれもそれでありかと思いつつ話す。

 

「いやいや、アーニスのあの絶壁をあそこまでこき下ろすなんて、リーズベルも度胸あるじゃないか。自室の代物全部焼却処分は固いな」

 

『そこまでするんですか、アーニスさんは?』

 

その後もバカげたネタをリーズベルに振って会話を弾ませているとコージィから『早く行け』というメッセージがモニターに映った。クライスは小さく『了解』と呟くと上方向に相棒を加速させ、リーズベルの機体を宙に放り投げた。

 

クライスはすばやく相棒をフォートレスモードに移行させると接続端子を露出させ、リーズベルのKMFとドッキングさせる。これで翼を得た必中の狙撃技術を持つ空中砲台の完成である。

 

「さぁ、全力で飛ぶぜ。ライト・クロウ。気絶すんなよ、リーズベル!」

 

『分かっているよ、クライスさん!』

 

とは言いつつ、リーズベルの体調も考え加減しながら加速するクライスだったが、割と平気そうな彼の顔を見て悪戯心が湧き荒い操縦をしたのはご愛嬌だった。

 

無論、KMFから降りた後でネチネチと愚痴を吐かれる事になるのだが、それはまだ少し先の話だった。

 

 

 

 

襲撃を受けたと報告のあった西ブロックに着いたクライスとリーズベルの視界に映ったのは、爆発四散することなく、完璧な太刀筋で切断された『砂漠の牙』が所有していた改造KMFの残骸の山。その山の頂点に立ち、赤い刀身の刃を鞘に収める動作を見せる緑色の機体。

 

『あれって、【Late Deer】(ライト・ディアー)ですよね?』

 

リーズベルの通信を聞いてクライスは乾いた笑みを零す。仲間のピンチと聞いて急いで飛んできたのに、実戦は無しかと。とりあえず、一足早く“久々”に帰還した仲間へと通信を入れるクライス。

 

「よぉ、おかえり。タクマ、助かったぜ」

 

『うん?その声は、クライスか。……どこにいるんだ?』

 

「ディアーの後頭部をリーズベルが撃ちぬける場所」

 

クライスの言葉を聞いたタクマが駆るKMFは大人しく武器を置いて手を上げる。まるで降伏するから撃たないでくれといわんばかりのポーズに、基地で観測していた仲間からも笑い声が聞こえてきた。

 

「撃つわけねーだろ!それよか、タクマ。ちょっと、お前の部屋を貸してくれ」

 

『ん……何故だ?』

 

「俺とリーズベル揃って、アーニスの逆鱗に触れちまったんだ」

 

『お願いします、タクマさん』

 

『揃いも揃って何をやっているんだ、お前ら?』

 

タクマの呆れたような声を聞きながら、クライスは機体の高度を下げる。

 

無事に降りたてる高度まで来たところでリーズベルのKMFを先に降ろし、ライト・クロウをナイトメアモードに変形させて降り立つ。コックピットから出たクライスはアンカーを使わずに地面に向かって降りる。基地から出てきた面々と再会を喜びつつ、“故郷”に帰還するために長い間エリア15から離れていた仲間とがっちりと握手を交わす。

 

「あらためて、お帰り。タクマ」

 

「ああ。……やはり、こっちの方が俺の“ホーム”だ」

 

憑き物が落ちたような晴れ晴れとした表情のタクマの肩に腕を回したクライスは、反対側の腕でリーズベルを引き寄せる。

 

「さぁ、アーニスに焼却処分される前に色々と引っ越さなきゃなぁ!」

 

「……さっきも言ったがお前たち、本当にアーニスに何を言ったんだ?」

 

実のところL.L.にすぐにでも来るように言われていたのだが、こちらの問題も死活問題であったのでクライスはリーズベルと共に大事なものをダンボールにとにかく詰め込んで、タクマに託した。

 

そして、ウロヴォロスで帰還したノルドやコージィたちを押しのけて出てきたアーニスによる肉体言語による説教は鍛え抜かれたパイロットであるクライスとリーズベルをノックアウトするには十二分な威力であった。

 



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03.Late Deer

L.L.扮する『アラン・スペイサー』というブリタニア人の青年実業家の護衛役に徹し、彼の事業の成功を見届けた藤原タクマは故郷である日本、ブリタニア帝国領エリア11に来ていた。

 

ブリタニア人と日本人のハーフという設定である『アラン・スペイサー』の護衛を務める『ジン・リッドナー』として、改悪され変わり果ててしまった祖国の地を踏むことになり何とも言えない気持ちになったのは事実。

 

『ジン・リッドナー』としての職務を終えたタクマは記憶を頼りにかつて道場に通うために友人たちと駆け回った土地を歩き。今も昔の面影を残す神社へと続く階段を下から見上げる。

 

L.L.が用意したピシッとしたオーダーメイドスーツを着こなす己の姿の横を道着姿の少年時代のタクマが通り過ぎた気がした。タクマはその幻影を追いかけるように一歩一歩踏みしめながら階段を上った。

 

タクマが枢木神社の境内に足を踏み入れた時、殺気を感じたタクマは咄嗟に懐に忍ばせた拳銃を取り出して発砲した。甲高い音が響き、砂利の上に短刀と放ったばかりの銃弾が落ちた。

 

「……ここも物騒になったな」

 

「っ!?日本語」

 

「おいっ、話が違うじゃねぇか!」

 

「す、すんません!!」

 

枢木神社横の雑木林から出てきたのは数人の日本人の青年たち。タクマは咄嗟に自分は生粋の日本人じゃなかったか不安になる。アラブの太陽に焼かれ過ぎて日本人離れしてしまった肌にこんがりとやけてしまったのかと左腕につけた時計のカバーを使って確認する。タクマの視線が外されたのを見て青年たちはゆったりとした動きで近寄ってきた。

 

「おい、お前が日本人なら、ここがどこだか分かっているだろ」

 

「ブリキ野朗みたいな格好をしやがって、どこの者だ!」

 

タクマは自分の近くに来ていちゃもんをつけてくる青年たちには目もくれず、短刀をまっすぐ投擲してきた、もう1人の赤い髪の青年をじっと見続ける。そして、思い当たる人間の名前を思い出し呟いた。

 

「久井シンヤか」

 

名前を呼んだことにどんな意味があったのかは分からないが、タクマの側に来ていた青年たちは殴りかかってきた。

 

「……っと、お前たちは“違う”な。確か藤堂さんに挑み続ける柩木に負けていられるかと奮起して何度も挑んでは毎回気絶させられていた久井シンヤであっているか?」

 

タクマは襲い掛かってきた青年2人の攻撃を避けるとそれぞれの手首を握って捻りあげると、枢木神社の境内の砂利の上に転がし押し付けた。鳥のようにピーチクパーチク喚きたてる青年たちに嫌気が差しながらも赤い髪の青年に向かってタクマは視線を向け続ける。

 

「げっ、なんで俺の名前を知って……って、アンタ!もしかして藤原先輩!?」

 

「久井、お前何をしているんだよ」

 

タクマは自分に近寄ってきていた青年たちの手首を手放して解放した。手首を捻りあげられ地面に押し付けられていた青年たちは腕を擦りながら久井シンヤの所に近づき殴られた。シンヤに殴られた青年たちは叩かれたところを手で押さえ痛がる。

 

「馬鹿野朗共!この藤原先輩はな、『奇跡の藤堂』の下でブリタニアと戦った歴戦の兵士なんだよ!俺たちよりも若い年齢で軍に志願して功績を上げたんだ、俺にとってもスゲェ先輩なんだぜ!」

 

「「す、すいませんしたー!!」」

 

シンヤの熱弁を聞いた青年2人はすぐにタクマへ向かって頭を下げると、そそくさにその場から逃げるように去って行った。タクマは2人の後姿を見送ると、シンヤに目を向けて再度同じことを尋ねた。

 

「久井、お前は何をしているんだ?」

 

「藤原先輩こそ、その立派な格好はどうしたんすかっ?」

 

タクマは内心、道場に通っている頃は挨拶どころか寄ってもこなかったじゃないかと嘆息しながら、シンヤの質問に答えるのだった。

 

 

 

 

枢木神社から少し距離を置いたところにあるゲットーが現在のシンヤたちの住む場所だった。トウキョウ租界から距離が離れていることもあり、ブリタニア人の憂さ晴らしの対象になって理不尽にも殺されるようなことはないものの、倒壊寸前の建物に住み、質素で汚れたままの服に身を包み、少ない物資を子供の手を押しのけて大人たちが我先にと奪い合う醜い光景が行われている。

 

その中をオーダーメイドのスーツ姿で通るというのは酷く目立った。実際、何度か向かってくる人間もいたのだが、シンヤがタクマの前に立って先導していることもあり、荒事になることはなかった。

 

そして、シンヤがタクマを連れて来たビルには数十人の男たちが屯っていた。

 

「皆、聞いてくれ!この人は日本がブリタニアに勝利した唯一の戦いで『奇跡の藤堂』と共に戦った藤原先輩だ!」

 

ビルの中にいた男たちのざわめきが聞こえてくる。シンヤはタクマにぐっと親指を立てるハンドサインを見せてくるが、一体何の意味があるのか分からない。そうこうしているとガッチリとした体格でくすんだ緑色の軍用ズボンを穿いた男が寄って来た。

 

「私はこの地で来るべき戦いに備えて戦力を集めている日本解放戦線に若い兵士を送り込む活動をしている館居というものだが、君に日本を救う覚悟はあるか!」

 

「……興味ない。俺は枢木神社に用があっただけで、お前たちの活動には一切興味ない」

 

タクマは踵を返すとビルから出ようと思ったのだが、銃器の音を察知し顔だけ振り向く。館居と名乗った壮年の男は顔を真っ赤にしてタクマを睨みながら指差していた。タクマは内心で溜息を吐くと、改めてビルの中にいる人員の気配を読み取る。

 

「きっさまぁああ!日本をブリタニアから奪い返さんとする我らの活動に興味がないだとっ!この反逆者めっ、ブリタニアに媚を売る売国奴はここで死んでしまえっ!!」

 

館居の指示で銃を構えた男たちは発砲しようとトリガーに手を掛けたのだが、その前にタクマが一言だけ、言葉を発した。

 

「『撃っていいのは、撃たれる覚悟がある奴だけだ。』これは俺の雇い主がよく言う言葉だが、……俺はその通りだと思う」

 

「何を当たり前のことを!撃てっ!撃てぇえええええ!」

 

館居が喚いた直後、銃声が何度もビルの屋内に響き渡った。銃弾が倒壊しかけたビルのコンクリートを削り巻き上がった煙がいたるところに舞い上がり、硝煙のにおいが充満している。そんな中、館居はタクマを連れて来たシンヤに目を向ける。

 

「この屑が!あんな売国奴を連れ込みおって!貴様には日本の果敢な兵士になる資格はないっ!この場で…」

 

シンヤの眼前に銃が向けられる。

 

シンヤはそんなつもりじゃなかったのにとギュッと目を瞑った。シンヤはただ、日本のために命を掛けて戦った人が自分の知り合いにいるんだと自慢がしたかっただけであったのだ。

 

「死ぬのはお前の方だ」

 

館居の言葉ではないとシンヤが目を見開いた瞬間、銃声が響き渡り死の恐怖に震えていたシンヤの目の前に眉間に穴を開けた館居が転がった。館居が立っていた場所には何事も無かったように立つタクヤの姿があった。

 

ビル内にいた男たちから銃弾を浴びせられたはずのタクマであるが、スーツに掛かった埃を、拳銃を持っていない手で軽く叩き落としながら首を鳴らした。そして、目をむき出しながら見ている男たちを睨み付けた。

 

「俺は言ったはずだ?『撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だけだ』、と。覚悟はいい……はぁ」

 

タクマに睨みつけられた男たちは腰を抜かして逃げ出し、彼が言葉を言い終えるころには誰も残っていなかったのである。シンヤは何事も無かったように佇むタクヤの姿を見て思い出した。

 

いつも道場の端で真面目に剣術の練習をして、師範や師範代たちが居ない時に起きていた弱いもの虐めを真っ先に諌める先輩がいたことを。それが藤原タクマという先輩であったことをようやく思い出した。

 

 

 

 

「粗茶です……」

 

「ありがたく頂きます」

 

夜も更けたこともあり、シンヤの居住している場所に案内されたタクマを待っていたのは、やせ細った身体の女性であった。シンヤが母と気遣う姿を見て、タクマは羨ましく思いつつ茶を啜る。

 

そして、今日のあらましを聞いたシンヤの母は彼の頭をポカリと叩くと、タクヤに向かって一所懸命頭を下げてきた。曰く息子が申し訳ないことをしてしまったと。母親にそんな格好をさせてしまったシンヤも彼女の隣で一所懸命に頭を下げている。

 

「別にいい。俺は明日にでも日本を発つ。ブリタニアに国土を奪われて6年という月日は日本人のあり方さえも変えてしまったということがよく分かった。日本を捨てた俺が言えることじゃないが、お前は日本人であることを忘れてくれるなよ、シンヤ」

 

「藤原先輩は……、日本を離れて、今どこで何をしているんですか?」

 

「日本から遠く離れた地で働いているよ」

 

俺は頂いた茶を全て飲み干すと、ポツリと過去を思い出すように話す。

 

「……『厳島の奇跡』と呼ばれたあの戦いの直後、日本政府の一方的な降伏があった。首相が自刃したとか、暗殺されたとか、不確定な情報が流れてきたことによってブリタニアと戦闘中だった日本軍は壊滅的な大打撃を受けた。加えて、事の詳細を知るために情報を集めていた俺たちの耳に信じられない報告が上がってきた。俺たち軍人が命を賭して得た勝利を灰燼に帰した政府の人間たちが、『厳島の奇跡』をさも自分たちの功績としてブリタニアに対し好待遇を迫ったというもの。その内の政府要人の中に俺の親父もいた。無論、弱肉強食を国是とするブリタニアに対しそんな要望は通らず政府要人は皆殺しだったが、俺にとってはそんなことは関係なかった。俺はその時にはすでに背中を預け同じ釜の飯を食べた仲間たちから売国奴の息子というレッテルを張られ国外へ行くしか方法が残されていなかった」

 

吹き付けてくる夜の風でシンヤとその母の住居が揺れる。隙間風によってシンヤの母親が身体を擦ったのを見て、タクマはスーツの上着を脱ぎ彼女の背に掛けた。

 

「その後は悲惨なものだった。各国を歩いて移動したが、まともな扱いをしてくれるところはひとつも無かった。屍肉を食らって腹下したり、泥水を飲んで寝込んだりしながら、体力の続く限り歩き続けて見渡す限り砂漠という土地の真ん中で、俺はとうとう動けなくなった。ここが俺の死に場所かと諦めかけた時、助けてくれた人間がいた。言葉は分からなかったが、太陽みたいな笑みを浮かべて俺が安心するように肩を抱いて起き上がらせてくれた男がいた」

 

俺を助けてくれたのは少年だった。自分もその家族も友人たちもブリタニアから逃げる最中だったのに、異国人であるタクマに真っ先に助けの手を差し伸ばしてくれた。あの時、タクマは枯れ果てたと思っていた涙を眼から瀧のように流しながら差し伸ばされた手を取った。そのおかげで今を生きている。

 

「俺を助けてくれた少年はいつも皆を率いる立場にいた。無意識だったのかもしれないけれど、どんな絶望的な状況になっても彼はまっすぐに俺たちの前を歩き続けた。途中で出会った人たちに手を差し伸べながら。そんな彼が願ったんだ。掲示された大きな願いの前にその場にいた誰もが無理だと顔を伏せた時、彼だけが顔を上げて、その大きな願いを実現したいと俺たちに方向性を示したんだ」

 

クルト・シャハル。青年団のリーダーであり、どんな理不尽なことが起きても自らの行動力で俺たちを引っ張り続けた厚い雲から覗き込んだ柔らかな光をもたらす太陽のような存在。そんな彼が俺を救ってくれた恩人であり、共に肩を並べL.L.が望む願いを叶えたいと思う者だ。

 

「俺が今回、日本に帰って来たのはサクラダイトの利権を持っているNACと交渉するため。その交渉も終わりあとは“帰る”だけだったから、幼少の頃に母親に抱かれ訪れた枢木神社の現在を見に来たんだ」

 

「藤原先輩……俺、おれぇ……すんません。本当に、ごめんなさい……」

 

シンヤは床に額を擦り付けて謝ってくる。俺は彼の肩をポンと叩くと壁に凭れ掛かりながら、フッと笑って目を閉じた。翌日、太陽も昇らない時刻に目覚めた俺は机の上に畳まれた状態で置かれていたスーツの上着の袖に腕を通しながら、住居を後にしようとドアに手を掛けたのだが、気配を感じて振り返る。そこには旅支度を整えたシンヤが立っていた。そのまた後ろにはシンヤの母親が。

 

「藤原さん。不甲斐ないこの子を連れて行ってくれませんか?」

 

「……俺は、日本のためには戦っていないし、これからも戦わない。この国には『日本解放戦線』という組織もあります。日本のためを思うならば」

 

「いえ、この子には父親のように世界を見てもらいたいのです。井の中の蛙にならないで欲しいのです。どうか、お願いします!」

 

深々と頭を下げる母親の横で、昨日とは違う何らかの覚悟を決めた少年ではない男の瞳をまっすぐ向けてくるシンヤの姿に、タクヤの脳裏に拠点にいる仲間たちの姿が過ぎった。

 

「……分かった。だが、貴女もだ」

 

「「えっ?」」

 

シンヤとその母親が同時に声を上げた。

 

タクヤは携帯端末を取り出すと画面を操作し、用事が済んだのか胸のポケットに入れなおす。その行為の意味が分からないシンヤとその母親であったが、6時間後にはトウキョウ租界の大きな空港から立派な飛行機に乗って空の上にいた。身奇麗な服を着せられたシンヤとその母親は置物のように硬直した状態でふかふかなソファのような椅子に腰掛けている。タクマは背もたれに凭れ掛かりながらパソコンを開いて、耳には小型端末を当て仕事をしているようだ。

 

「タク……ジンさん。いったいどんな魔法を使ったんですか?」

 

「別に『ジン・リッドナー』の家族に空きがあっただけだ。ジンにはブリタニア人の父親と日本人の母がいた。そこに弟がいたとしても問題ない。父親との約束でブリタニア人としての戸籍を手に入れたジンがエリア11に家族を迎えに行き、職場のあるエリア15へ連れ帰るだけのこと」

 

タクマは視線をパソコンのモニターから移すことなく淡々と述べる。その文言を聞いたシンヤと母親シズカは顔を見合わせ、肩の力を抜くことが出来ればよかったのだが、6年のゲットー生活で染み付いてしまった貧乏性が裏目に出て、乗り換えるために降り立った空港に着くまで一睡もできなかった。

 

太平洋を横断して、

 

ブリタニア本国も横断して、

 

北大西洋を横断する飛行機に乗り換えた頃にはシンヤとシズカの2人は疲労によりフラフラの状態であった。ブリタニア人としての戸籍を手にしたという設定の『ジン役』に徹するタクマがいるので変なやっかみは受けることはなかったが、蔑むような視線が注がれていたことは事実。

 

シンヤとシズカの両名がリラックス状態になれたのは、エリア24の空港で目的地であるエリア15に向かう飛行機のファーストクラスという隔離された空間に案内された時だった。

 

「辛かった……。日本に居る時もナンバーズ扱いは嫌いだったけれど、ブリタニア本国は輪にかけて辛かった」

 

「けれど、タクマさんの正体を知ると平謝りする人が多かったわね」

 

「『アラン・スペイサー』の護衛役として、ジン・リッドナーは顔と名前が知られていますから」

 

タクマはそう言うとCAを呼んで水を頼んだ。褐色肌の綺麗なお姉さんが出てきたことでシンヤの鼻の下が伸びたが、それには触れずタクマは水を頼む。恭しく頭を垂れたCAが部屋から出て行ったのを見届けたシズカは息子の頭をスパーンッと響くほどの勢いで叩いた。

 

「見苦しいものを見せました」

 

「思春期なら仕方ない。シンヤと同世代の者も多い。あの程度で鼻を伸ばしていると、身が持たないぞ。青年団の男たちの間で出回っているモノは女性陣から顰蹙を買うものばかりだ。先日、居住区の区長をしている女傑に似た女優の無修正モノの存在が明るみに出た時は、それはもう恐ろしい光景だった」

 

遠い目をして語るタクマの姿を見てシンヤは頬を引き攣らせ、シズカはそっと手を額に当てて嘆いた。

 

思春期男子が女性の裸体に興味を持つのは仕方がないこととはいえ、欲情する相手はもう少し考えろよというのがタクマの考えではあるが、実際はホーリーに憧れている少年少女はごまんといるのだ。屈強な男たちに真っ向から意見を言って、予算や物資を勝ち取ってくるので区民からの支持も厚い。なので、実のところそのビデオを最初に見ていたのは少女たちだったという目撃証言もあったのだが、タクマはその証言を握りつぶした。まぁ、雇い主からの命令もあったのだが。

 

「タクマさんっ!」

 

CAから貰ったミネラルウォーターを飲んでいたタクマの下に走りこんできた少女がいた。タンクトップにオーバーオールを穿き、頬の横にはオイルによる汚れによる物なのか擦った痕が残っている。関係ないのだが少女がブラジャーをしていないのが分かったのか、シンヤは前かがみになった。

 

「げほけほ……どうした!?」

 

「現在、居住区の西側より改造KMFが数十機とヘリコプターが数機近づいていることが分かりました。基地には実戦経験のない少年兵たちしかいません。【Z】(エンド)さまより、Late Deerの出撃要請が出ています!」

 

「帰ってきて早々これか。人使いが荒いな、ウチの雇い主は……」

 

タクマはそう愚痴を言いながらも頬を吊り上げて笑う。日本人相手に交渉するのもいいが、やはり自分はこういう荒事を解決するのが性にあっていると上着を脱ぎ、それを少女に渡す。ファーストクラスの部屋から出ようとしたタクマは思いとどまってシンヤたちについてくるように促した。

 

いきなりファーストクラスの席に案内されたこともあり、普通の旅客機だと思っていたシンヤとシズカは鎮座する緑色のKMFを見て目を丸くした。

 

「ライト・ディアー。和訳すれば『月下の鹿』だな。これが専用機で、ここにいる全員が俺を支えてくれているチームメンバーだ。人種は様々だが、全員がある目的のために集った同志でもある。まぁ、それは自分の目や耳でしっかり聞き取り見て決めることだ」

 

タクマはシンヤにそう言うとキーを受け取って、コックピットブロックに上がった。シートに座ってゴキゴキと肩や首を鳴らして、操縦桿を握ったタクマはおもむろにキーを差し込んだ。インターフェースが起動し、モニターに色々な文字が躍る。

 

そして、片方の角が折れても凛とした姿で立ち続ける鹿のエンブレムが映った。エンブレムの後方に描かれた小さな太陽は自分の恩人のイメージを足したもの。

 

「オーダーは?」

 

『『黒幕が知りたい。逃がさず捕虜に』、とのことです』

 

「なら銃器は控えるか。……気は乗らないが廻転刃刀を」

 

『あの……それが……。ドクターが『新しい概念の武器の使用データが欲しいんだよね』と言って、その試作品しかないんです』

 

「分かった。それを寄越せ」

 

『了解しました』

 

タクマの脳裏にはニヤけた顔を浮かべる紫色の髪の中年の男が浮んだが、さっさとイメージを消し去る。内心では確信犯じゃないだろうなと思いつつ、用意された武器を見て言葉を失った。

 

ライト・ディアーの前に置かれたのは間違いなく日本人の魂の象徴である刀だった。しかも鞘まで拵えた。タクマは起動した相棒を動かし、刀身を覗かせる。血のように赤い刀身を確認したタクマはすっと眼を閉じた。

 

「無論、これはドクターが作ったんだよな?」

 

『えぇ、恐らく』

 

「これがあの男の鬼気迫る狂気の果てに作られたのなら納得がいく。これは妖刀の部類だ。……俺はどうなっても知らんぞ」

 

『タクマさん?』

 

エンジニアの少女の心配そうな表情が映ったが、タクマはそれを消すとサウンドオンリーに切り替える。そして、ライト・ディアーをハッチの方へ移動させる。その動きを見て、エンジニアや研究者たちはシンヤたちを連れて格納庫から出て行った。

 

「藤原タクマ、そしてライト・ディアー。出撃する」

 

後方のハッチが解放されて、空気による奔流が起きる。

 

タクマはそれに逆らうことなく相棒を浮かせ、空中に躍り出た。ライト・ディアー専用の運搬貨物飛行機がどんどん小さくなっていく。高度が下がってきたのを確認したタクマはライト・ディアーの姿勢を整えると同時に、頭部のファクトスフィアを開き戦場の状態をデータとして把握する。その上で頭部から発せられた特殊な電波を用い、地形や風の動きなどを正確に読み取る。

 

タクマは得られた情報を的確に繋ぎ合わせ、最小の動きとスラッシュハーケンの反動を使って音や衝撃を一切起こさず、戦場に降り立った。

 

居住区の外延部に設けられた壁を登ろうとしている改造KMFを見たタクマは、ドクターに試用を頼まれている日本刀を模した武器の刃を外気に晒した。そして、鞘は外延部の壁を乗り越えようとしている機体に向かって投擲し、タクマはランドスピナーを高速回転させて戦場を音もなく高速移動し、己に気付いた敵の機体を難なく切り裂いた。鋼鉄を斬ったはずなのに、まるで木綿の豆腐を切ったような感触に眉を寄せる。

 

「やはり、切れ味が良過ぎる」

 

壁を登るのに苦労していたKMFに直接スラッシュハーケンを打ち込んで引き摺り落としつつ、壁の頂点へと達したタクマは鞘が下半身に刺さって身動きできない改造KMFの四肢全てを切り落とした上で蹴り落とす。

 

その瞬間、雇い主の舌打ちが聞こえた気がしたタクマはオーダーが『殺さず、捕虜に』であることを思い出した。

 

その後は逃げ出そうとした奴のKMFから狙って切り刻んで砂漠に転がしていき、何のどんでん返しもなく戦闘は終了した。タクマは敵の機体の残骸の山を築き、頂点に立ったところで武器を鞘に納めた。

 

日本でのレジスタンスもどきの一件といい、今回の襲撃といい、命の危険をまったく感じない温い戦いだったなと嘆息していると、背後から突き刺さるような殺気が襲ってきた。身動きひとつでもしたら、殺すといわんばかりの濃厚な殺気にタクマは思わず奥歯を噛み締めた。

 

戦場で油断するなど、剣士の風上にもおけないと自分を律したタクマの耳に気の抜けるような声が聞こえてきた。

 

『よぉ、おかえり。タクマ、助かったぜ』

 

「うん?その声は、クライスか。……どこにいるんだ?」

 

『ディアーの後頭部をリーズベルが撃ちぬける場所』

 

距離にして約5kmの地点に味方のマーカーが2つ重なっているのがライト・ディアーの索敵能力で分かったタクマは武器を放り捨てるとそのまま両手を上げて降参するようなポーズを取った。その行為のおかげか、すぐに感じていた殺気は治まり早く脈打っていた動悸が治まる。

 

その後、基地にて合流したのだが、クライスは勿論のことリーズベルも相変わらずの姿だった。しかし、病弱なイメージが先行していたリーズベルは適した薬を手に入れられるようになったこともあり、端整な少年へと変わっていっている。不治の病を患っているため、長生きは出来ないがきっとその課程で世界最高の狙撃手へと成長することだろう。

 

タクマがそう思っていたリーズベルは、クライスと一緒に顔を自分の髪と同じくらい紅潮させたアーニスにシバキ倒され、キレのあるアッパーカットをくらって空を舞った。

 

地面に横たわったリーズベルは精根尽きたように何かを言い残し、気を失う。タクマは、そんなリーズベルを見て思った。

 

自分の判断は早とちりだったのではないかと。

 



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04.リーダーの資質

NACとサクラダイトの購入の件で交渉するために日本へ赴き帰還したばかりのタクマ。

 

与えられた機体を使いこなすために過酷な戦闘機パイロット訓練を受けていたクライス。

 

ブリタニア帝国第2皇女コーネリアの目を向けさせるため恣意的にエリア18で活動しているリーズベル。

 

天然ガスの精製プラントの地下に作られた基地の一角に設けられたKMFの巨大格納整備施設に彼らの姿はあった。毎日の整備はそれぞれのチームが確実に行っていたものの、ライト・ディアーは『砂漠の牙』との戦闘データとドクター・ジェイルが要望していた試作武器の使用データを提出するついでに、機体各所に入り込んだ砂を取り除くためにブラッシングが行われている。ライト・クロウはプラズマ推進モーターを全開にした戦闘機形態であるフォートレスモードからビーストモードへ移行し、その直後にライト・リンクスとドッキングしたため、その合体による動きや接続不具合な箇所に関するデータの抽出が行われている。ライト・リンクスは勿論、エリア18の熱砂や砂嵐による視界不良という様々な環境下で行われた正確無比な狙撃データが様子を見に来たジェイルの琴線を刺激し、エンジニアたちによる狂乱の宴が起きてしまい、パイロットであるタクマ、クライス、リーズベルの3人は身の危険を感じて離れてきたのだった。

 

「いてて……、アーニスに殴られた腹がマジでいてぇ」

 

「僕は死んだお爺さんたちに頭を撫でられました」

 

「臨死体験しなければならないほどのことを何故言った」

 

クライスが走らせる車の上で会話するリーズベルとタクマ。リーズベルは席に凭れ掛かりながら巨大空間を見てポツリと呟く。

 

「掘削した土はどこにいったんでしょう?」

 

「居住区の壁と家に使われたようだ。あと、エリア15に点在するゲットーの修復資材にも使用されている」

 

「くくくっ……L.L.もエグイことをするよな?」

 

クライスが車を運転しながら2人に声を掛ける。

 

「表向きはゲットーの家屋や道の修理と整備代を払わせるために住民を残らず強制就役につかせるってブリタニアの役人に書類を提出しておいて、ゲットーの住民に用意された居住区は元の生活よりも数倍もいい所で働き甲斐のある仕事があり給料をもらっていい食事も出来るし嗜好品も買えるんだからな」

 

「書面ではかなりの額がピンハネされている形だから、ブリタニアの役人たちも表立って追及することが出来ない」

 

「L.L.のように頭のいい人が不眠不休で働いても身体にガタが来ないってずるいですよねぇ。僕なんか徹夜しただけでフラフラになるのに」

 

リーズベルがしみじみ呟くと同意するようにタクマとクライスも頷いた。

 

その時、車のナビが右へ曲がるように指定してきたため、クライスはギアクラッチとハンドルを巧く使い、ブレーキを踏まなかったにも関わらずほとんど揺れもせず右折を完了させる。相変わらずの運転技術を持つクライスにただただ拍手を送るタクマとリーズベル。彼らが行った先にはすでに組織の幹部クラスが揃っていた。

 

『ご苦労であった。さすがは我が組織でも上位の実力を持つ戦士たちだ』

 

機械を通すことで作られる声で話す真っ白な衣を身に纏った仮面の男が到着したばかりのタクマたちを出迎えた。タクマは一礼したが、クライスとリーズベルの2人は出迎えた相手の格好を爪先から仮面の頂点までをじっくりと見た後、腹を抱えて噴出した。

 

「あはははっ!……何度見ても、その格好は笑えるっ!いててて……」

 

「くすくす。やっぱり、それは無いですよ」

 

『……マーナよ、やはり私がおかしいのか?』

 

「ぶぅ……。マーナは何度も言った!その格好はやめてって!」

 

白い仮面をつけた人間は自分の斜め後ろに控えていた少女マーナに声を掛け、彼女のはっきりとした物言いの前に崩れ落ちた。壮言な振る舞いをしていた白い仮面をつけていた人間が急にコミカルな動きをしたために、それまで空気を読んで黙って立っていた他の面々も笑い出し、その空間は和気藹々とした空気になってしまった。

 

「ええーい!これから真面目な話をしようとしていたのに、どう責任を取ってくれるんだ。クライス、リーズベル」

 

変声機を止めて地声で話す白い仮面の男。一応、彼が白い仮面をつけている間は【Z(エンド)】と呼ぶことになっている。ここは神聖ブリタニア帝国に反抗する組織の巨大拠点であり、エンドは組織の象徴かつ作戦参謀を務める。

 

実質的なリーダーは今のところ不在であるクルトだ。

 

「わりぃって、公の場ではちゃんとすっからさ。それにここに集まっている連中は全員が家族のようなもんじゃねぇか」

 

「そうですよ。エンドさんの正体をバラすような人はいませんって」

 

「そういう問題ではない!」

 

エンドが両手を上げて興奮しクライスとリーズベルの2人を怒鳴ろうとした瞬間、斜め後ろに控えていたマーナがさっと動き、その直後エンドが膝から崩れ落ちた。自分の前に倒れたエンドを見下ろしたマーナはその場にいる全員に向かってVサインを向ける。

 

「ぶいっ!」

 

組織のマスコットキャラであるマーナの活躍を見た面々は指笛を鳴らしたり、拍手したり、雄叫びを上げたりして囃し立てる。そのうち復活したエンドは自信作であった白い仮面を脱いで素顔を晒すと騒ぎを収束させる。そして入り口にいたタクマたちに着席するように促した。

 

無論、マーナに膝カックンされてフラフラになってはいたけれど。仕切りなおすようにL.L.は咳払いするとモニターに捕虜とした人間を入れている部屋の様子を映し出した。

 

「タクマが撃破して捕えた『砂漠の牙』の構成員を尋問したところ、『アラン・スペイサーは極悪非道のブリタニア人であり、エリア15のナンバーズたちは低い賃金かつ命の危険がある場で不眠不休の労働が強いられている』という情報のタレこみがあったようだ」

 

タクマやクライスたちは裏にブリタニアの役人が関わっていそうだと思案し、他の構成員たちは自分に渡されている給料と現状をゲットーで暮らしていた頃のもの、いやアルジェリアという国があって政府が機能していた頃のことまで思い出して、現在の状況がいいやという考えに至った者たちは揃って感慨深く頷いた。そんな中、異議の声を上げたのはマーナと同じ年代の少年少女たち。

 

「はいっ、私たちのことをナンバーズと言っている時点でおかしいと思います!」

 

「ここで、不眠不休で働いているのは俺たちじゃなくてエルツーさんだもんな!」

 

「そうです。もうエルツーさんばっかりに負担は掛けていられません。ということで僕たちは就寝時間の引き延ばしを要求します!」

 

「却下だ。成長期の夜更かしは認めん」

 

「「「横暴だっ!!」」」

 

一室に集められていた人間たちの一部、少年少女のグループからブーイングが上がった。

 

会話の内容があれだが、マーナを溺愛して生みの親でもしないような世話をしているL.L.のやり方が他の少年少女たちにも影響が出てしまうことになるとは誤算だった。L.L.の素の状態の役職は居住区に設けられた教育機関の教育長という立場だ。少年少女たちには正しい知識とそれを応用する勉学が教えられ、規則正しい生活を送る事を是としている。

 

最初はブーイングをしていた少年少女たちもL.L.の説得という名の理論武装の前に儚く膝をついてしまった。

 

「エリア15に滞在しているブリタニア人たちも訝しげに見てきている。だが、『アラン・スペイサー』はあらゆる面で隙がない。だから、こうしてエリア15以外の反政府組織を使わざるを得ない。そこで自分たちが隙を作ることになると分かっていてもだ」

 

「モロッコとアルジェリアを跨ぐサハラ砂漠に行動拠点を置いている『砂漠の牙』を招きいれた人間がいる、という訳ですか」

 

濃い緑色の髪を持つ眼鏡をかけた青年が眉を寄せて思案しながら呟いた。コージィ・メイスト、L.L.が諸々の事情もあって動けない中、前線に赴いて作戦を立案し指揮する参謀補佐の立ち位置にいる青年団時代からの仲間である。

 

思い当たる節があるのかコージィは手元にある機械を操作し、L.L.の後ろにあるモニターを操作しエリア15とモロッコ全体が映っている航空写真を映し出した。そして、レーザーポインターでとある地点を指し示す。

 

「先日、この地点にあるブリタニア軍の基地の連中が大掛かりな演習を砂漠で行っている。その演習で紛れ込んだ可能性も考慮できるが……」

 

「コージィ、君の報告書は読みやすく分かりやすい。作戦自体も堅実で安定した成果が出ている。しかし、もう少し大胆な作戦を執っても良いのではないか?仲間を思いローリスクで立案したい気持ちも分からないでもないが周りを見てみろ。彼らは十分、君が思っているよりも“強い”ぞ」

 

コージィは頬を指で掻きつつ周囲にいる面々を見渡し、「そうですね」と小さく呟き元の席に座った。

 

その様子を見ていたリーズベルはウロヴォロスの砲台を使った上空へ向けた出撃はコージィの発案ではなかったと確信し、モニターの前に立つL.L.に向け、『じとーっ』とした視線を送った。よく見ていれば、L.L.が意図してか、リーズベルやクライスたちがいる方へ顔どころか視線すら向けないでいることに気付く。

 

代わりにリーズベルの怨念掛かった視線に気付いたL.L.の後ろに控えているマーナが手を振ってくる。リーズベルは心の中で「違う、そうじゃない」と思いながらもマーナに向かって手を振り返した。

 

「コージィの考えと捕虜としている人間の尋問で得られた情報を元に、『砂漠の牙』を誘致した人物を突き止める。俺はアランとして政庁に赴き、高官たちの出具合を見極めてくる。その間のことはノルドとホーリーに任せたい」

 

「了解した。『身喰らう蛇』は活動内容を居住区の警備及び治安維持に変えて対処する。ところで、クルトのことなのだが、まだ見つからないのか?」

 

ノルドは行方不明になってしまっている青年団のリーダーで、天然ガスの精製プラントや食料生産施設が完成した後で姿を消してしまった親友の名を口にする。

 

青年団という小さな組織から、大多数の人間が所属する大組織へと変貌してしまったことで重責から逃げたんだという話も出たくらいだ。昔から自分たちにとって姉御肌であったホーリーや自分たちの環境を良い方向へ変えてくれたL.L.が問題ないとしたことでクルトを悪く言う人間はいなくなったが、不安であることには変わりない。

 

「ノルド、君に聞こう。皆を率いる立場であるリーダーに必要な資質とはなんだ?」

 

L.L.はノルドの顔をまっすぐ見ながら尋ねる。

 

だが、それはこの場にいる全員に問われているものだと思った。

 

タクマは見ず知らずの人間であっても手を差し伸べることが出来る寛容な心を持つ者であると思い、

 

クライスは全員が俯いている時でも行動ひとつで意識を変えられる者だと思い、

 

リーズベルは細かな気配りが出来る者と考えた。

 

「俺は……」

 

ノルドは言い淀む。それを見てL.L.はその場に集まった全員に聞こえるように話し始める。

 

「人は言うだろう。人を見極められる、細かな気配りが出来る、全体を見渡す広い視野を持っている、責任力がある。例えをあげれば限が無いはずだ。そんな完璧な人間がいるか?俺を見てみろ、実業家としての俺、居住区での教師としての俺、マーナを溺愛している時の俺。君たちが思い浮かべたリーダー像がそこにあるか?人によって様々だろう。だが、君たちにとってのリーダーはクルトのはずだ。何故なら、彼はどんな時でも真っ先に決断してきた姿を見てきているはずだ」

 

L.L.は断言する。この大人数が所属する組織へと成長を果たした集団を率いるのは自分ではなくクルトであるべきと。

 

天然ガス精製プラントの利権を求めてブリタニアの商人たちが武器を持参した時、不死身の身体を持つL.L.が彼らの前に立ったのならば、ここまでは彼らもクルトのことを思わないだろう。

 

「食べるものが無い時、夜通し鍬を片手に土を耕したのは誰だ?

 

飲み水が無い時、井戸の構造を調べ誰もが諦めても地面を掘り続けたのは誰だ?

 

青年団を立ち上げる時、明日に絶望しか抱いていなかった者たちに未来を語って一人一人仲間にしていったのは誰だ?

 

俺があの時点では実現不可能と思える夢を語った時に真っ先に声を上げたのは誰だ?

 

ブリタニアの連中が天然ガスの利権を求めて殺到し暴力沙汰になりかけた時、真っ先に奴らの前に立ちふさがったのは誰だ?

 

ブリタニア人の暴挙を見て縮み上がってしまったお前たちに明日を諦めるのかと檄を飛ばしたのは誰だ?」

 

あの時、今にも銃弾が発射されようとしている中、クルトは両手を大きく広げ『撃つな』と叫んだ。彼らの前に立ちはだかったのだ。仲間が築き上げてきた思いの結晶を守るために命を懸けた。鬼気迫るクルトの視線や威圧感を前にしたブリタニア人の商人たちは尻尾を巻いて逃げ出したのだ。クルトは武力を一切使わずにブリタニアに勝ったのだ。

 

「クルトだろう?あいつはいつでもお前たちの前に立って、共にこれまでの険しい道のりを歩いてきた。どんな時でも前だけを向いて」

 

そう熱くリーダー論を語ったL.L.であったが、ノルドが知りたいのはクルトの居場所であったことを思い出した。別にノルドはクルトがこの組織のリーダーであることに疑いの目は向けていないし、純粋に行方不明になってしまっている親友の安否を知りたいだけなのだろうと冷静になった頭脳でぽつりと呟いた。

 

「大きくなっていく組織、増えていく仲間や家族を前にして、クルトが『俺はリーダーとしてやっていけているだろうか?』と弱音を吐いたから、急遽ジルの武者修行の旅に同行させた。今頃、EUでドンパチしている頃だな」

 

「ああ、そうなのか。……って、はぁあああああっ!?」

 

L.L.の爆弾発言を聞いてノルドはあんぐりと口を大きく開けて固まり、その場に集まっていた面々も唖然としたり、EU方面を向いて手を合わせて拝んだり、十字を切ったりしている。そんな中、タクマとクライスはあまりのショックに気絶してしまったリーズベルを介抱しながら小声で話す。

 

「これはL.L.の勘違いが原因だな」

 

「L.L.がクルトの英断にしているあの事件の後で、ホーリーに『命を何だと思っているんだ!』と泣かれた直後の発言が今回の騒動の原因であるのならば、ホーリーはこのことを知っていた可能性がある」

 

「そりゃあ、ホーリーは『クルトはちゃんと戻ってくるから信じろ』としか言えないよな。ジルの『ドキッ!ブリタニア帝国最強騎士集団に喧嘩を売っちゃうぞ☆全世界弾丸ツアー!』に強制参加なんて、確実に俺だったら死ねる!」

 

「大体、ジルの近接戦闘特化型KMFのLate grizzly(ライト・グリズリー)ならともかく、凡庸機であるLate(月下)しかないクルトにはラウンズの取り巻きを相手するにも命を賭けねばならないはず」

 

きっと行方不明になった直後からジルの修行につき合わされているのならば、ボロボロのボロ雑巾になってしまっているのではないかとタクマとクライスはクルトの安否を願わずにはいられない。自分たちのそ知らぬ場所でクルトはこの世の地獄と向き合っていることになるのだ。

 

「バラしてしまった以上、これ以上の隠匿は不要だな。よし、現在のクルトの戦闘データを基にKMFの仮想シミュレーターをアップデートするから、正規メンバーは戦っておくように。特に、一部の能力が秀でている面々は必ず1度は勝っておけよ」

 

L.L.の言い様に首を傾げた1人が手を上げて尋ねた。

 

「正直、クルトさんってタクマさんやジル姉さんのように強くなかったと思うんですが?」

 

その意見に尤もだと頷く人間が多い中、L.L.は分かっていないなとやれやれといったジェスチャーを見せながら断言した。

 

「それは間違っているぞ。クルトに足りなかったのは実戦だ。そもそも、クルトがここにいる間はほとんどシミュレーターにも触れられない日々だったから、慣熟の関係で弱いと認識されるのも仕方がないことだ。先日のミケーレ・マンフレディとの痛み分けの戦いはKMFに疎い俺でも実に燃えた」

 

「「「ミケーレ・マンフレディ?」」」

 

「シャルル・ジ・ブリタニアの元ラウンズで、今はユーロ・ブリタニアにおける軍の総帥を務める男だ。ジルは直感で副官を務める人間の方が面白そうだと狙いを変更してしまって、成り行きでラウンズの第2席にいたミケーレと戦う羽目になったようだが、結果は痛み分け。つまり引き分けだ。さて、聞こうか?クルトが弱いと思うか?」

 

クルトを弱いと言ってしまうと必然的にブリタニア最強の騎士集団で第2席に居座った実力者を弱いと呼称することになると皆、押し黙ってしまった。L.L.は室内を見渡し、自分の前にいたノルド、そしてタクマとクライスの3人を指名した。最新の戦闘データを基にくみ上げられた仮想クルト操るKMFとの模擬先をさせるために。

 

 

 

 

場所を移動し、機体が立ち並び鉄やオイルの臭いが充満している巨大格納庫の横に設けられたKMFシミュレーターが何百台も設置された特別室のモニターにはノルドの専用KMFであるLate snake(ライト・スネーク)、クライスの可変型KMFであるライト・クロウ、タクマの専用機であるライト・ディアーの他に普通の武装しか身につけていないLate(月下)が映っている。

 

『タクマ、クライス。作戦は?』

 

『いや、とりあえず連携は必要ないだろ!』

 

「必要であれば、通信で連携をとる方向で」

 

『話し合いは済んだな?では戦闘シミュレーターを起動するぞ。戦闘は租界を想定した高層ビルが立ち並ぶ場所だ。クライスに関しては高度に制限を設けてあるから注意しろ。では、……戦闘開始!』

 

L.L.の開始の合図を聞いたタクマたちがクルトの戦闘データの集合体が操る月下を探すために移動しようとした瞬間、ライト・クロウを蹴り落とすように月下が急降下してきた。そして振り向くことなく右腕に持ったアサルトライフルを掃射してきて、タクマとノルドの2人を分断する。

 

『舐めんな!』

 

クライスがナイトメアモードで使用できる近接武器を取り出そうとした瞬間、月下が距離を詰めてきてライト・クロウは身動きが出来なくなる。直後、左肘が腹部に押し当てられ、クライスが抵抗しようと操縦桿を握り締めると同時にアラート音が鳴り響き、視界が漆黒に閉ざされる。

 

『「輻射波動機構かっ!」』

 

ライト・クロウが反攻らしいことも出来ぬまま腹部付近に風穴を開けられて爆発四散する様子を見届ける形になったタクマとノルドであったが、爆発地点から月下が姿を消していることに気付き、ファクトスフィアを全開にして月下の軌跡を追う。捉えた月下は高層ビルにスラッシュハーケンを打ち込み、まるで猿が木々を飛び移るように高速で移動していてセンサーでは捉え切れない。

 

「ノルド、目で見るな!気配で動きを察知するんだ」

 

『分かった。いや、その必要はない。……こちらに狙いを定めたか。だが、この細い路地では逃げることは出来ん!』

 

ノルドが操縦するライト・スネークは両手にアサルトライフルを持つと一斉に掃射し近寄らせないようにしたのだが、クルトの戦闘データが操る月下はそのまま直進してきた。被弾覚悟かと思われたのだが、月下は連射される銃撃の嵐を巧みな動きで避け被弾することなく近寄ってくる。そこにいるはずなのに攻撃が当たらないことに、ノルドは恐怖する。

 

『亡霊かお前は!』

 

ノルドは両手に構えていた銃を捨て、廻転刃刀を装備し距離を詰めたのだが、月下はランドスピナーを狭い路地を形成する両側の壁につけ、その場から瞬間的に駆け上がる。ノルドが機体を反転させようと動いた時には月下のスラッシュハーケンが飛来してきており、彼は苦笑いを浮かべてブラックアウトするのを大人しく待った。

 

「L.L.、これが現在のクルトの実力だというのか?」

 

『そうだ、タクマ。これが現在のクルトの力だ。リーダーとして実力がないことを危惧していたクルトもこれで自信を持つだろう』

 

「いや、クルトが悩んでいたのはその問題ではないと思うが」

 

タクマは頭部のファクトスフィアとセンサーを使い、月下の居所を探る。そして、機体の位置を特定したところで月下が変な動きで近づいてきていることを感じ取った。ある一点の射撃線上に立たないようにしているかのように。

 

「なんだ、リーズベル。起きたのか」

 

『ええ。クライスさんとノルドさんが成す術なく倒れてしまったので、僕も見ているだけではいけないと思ったんですが……。相棒のセンサースコープが1回も反応しないんです』

 

タクマはライト・ディアーを起こし、リーズベルの機体であるライト・リンクスが狙撃形態でいる場所まで移動した。そして、自分の機体からコードを伸ばすとライト・リンクスの接続端子に繋ぎ、データをリンクさせる。

 

『すごいですね。この戦場のことが手に取るように分かります。そして、行動予測で……丸見え……あれ?』

 

「月下の反応が消えた?」

 

前後左右、周囲の状況を知るために動かしたタクマのライト・ディアーの頭部が打ち抜かれたのはその直後だった。体勢を整えようとしたタクマであったが、コックピットブロックを的確に撃ちぬかれシミュレーター内は暗闇に呑まれる。

 

隣で撃破されたライト・ディアーの接続によって得られていた情報がなくなったことによるデータの混乱を接続されていたコードを断ち切ることによって終了させたリーズベルであったが、モニターに映った一つ目を見て乾いた笑いを漏らす。

 

『あははは、……凄いや』

 

クライスがやられたものと同じ方法でコックピットブロックごと風穴を開けられたライト・リンクスがその場に崩れ落ち爆発四散する。それを行った月下はその場からそっと立ち去るのだった。

 



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