恋の瞳がひらくとき (こまるん)
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出会い

 初めましての方は初めまして。萃儀伝から来て下さったかたには感謝を。
 こいしちゃんの話がどうしても書きたくなったので、萃儀伝の合間に書いてみることにしました。
 スキマにちょくちょく書いていく所存ですので、不定期更新にはなってしまいますがどうかよろしくお願いいたします。






 

 人里から大きく離れた所に、ひっそりと佇む一軒の家があった。

 貧相というわけでは無いが、館と呼べるほど立派な訳でもない。

 縁側と、それなりの広さの庭があり、両親に子供二人くらいなら余裕で住むことが出来る程度の大きさではある。

 一軒屋としては充分すぎるといえるだろう。

 

 そこには、一人の男が住んでいた。

 種族は人間。歳は成人に届くかどうかといったところか。

 家族は居らず、特に親しい相手もいない彼は、一人で住むには少しばかり大きいこの家に、独り住んでいた。

 人付き合いが得意ではない彼であったが、生活に必要なお金を稼ぐために、普段は人里へ出稼ぎに出ている。

 

 特に何か目標があるわけでもない、退屈な日々。

 しかし、そんな日々は、とある少女の訪問によって終わりを告げる──

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 冬も半ばに差し掛かったある日のこと。今日も仕事を終えて帰ってきた彼は、買ってきた食材を並べて夕食の準備に取り掛かっていた。

 

(今日は一段と冷えるし、鍋にしようか。準備は楽だし)

 

 そう考えた彼は、鍋に野菜を豪快につぎ込むと、火をおこす。

 一人暮らしならではの、いわゆる手抜き料理だ。

 

「男一人だと、こういうのがまかり通るから良いよなぁ……」

 

 そうしみじみと呟き、一人で鍋をつつく。

 寒いときは、鍋に限る。身体の芯まで温まるような心地にほっと息をついた。

 

「……吹雪いてきたな」

 

 窓の外を見ると、空気は真っ白に染まっていた。

 外はかなり荒れているようで、ゴウ、と轟音を立てて風が吹きすさぶ。

 

(危なかったな。もう少し帰るのが遅かったら、もろ被害を受けていたぞ)

 

 この吹雪に晒される自分。想像するだけで身震いする。

 こんな中、外に出たらひとたまりもないだろう。

 

 そんなことを考えながらも炬燵に入り、鍋をつついて温まること数分。

 

──コンコン

 

 不意に、扉が鳴った。

 

(……来客? 一体誰がこの吹雪の中こんな所までやってくるんだ?)

 

「はいはい」

 

 出ないわけにもいかない。軽く返事をして、戸を開ける。

 途端に、ビュウ、と雪が吹き込んできて、思わず顔を覆った。

 

「あ、あの……」

 

 思わぬ可愛らしい声が届いてきたことに驚き、声の先をみる。

 そこには、身体を雪で真っ白に染めた少女が立っていた。

 

「えっと、ちょっと玄関まで入れて貰えると嬉しいかなーなんて……」

 

 控えめにいう彼女だが、もし俺が断ったら、この豪雪の中どうするつもりなんだろうか。

 ……勿論、そんな冗談を考えている場合ではない。

 狭い家でよければ、と前置いて、招き入れる。

 

「ありがとう!急に吹雪いてきちゃって……。マシになるまで此処に居させてもらって良いかな……?」

 

 そう言って玄関口で真っ白な息を吐く彼女。

 雪でぐっしょりと揺れた少女は、放っておけばすぐにでも風邪をひいてしまいそうにみえた。

 

「あー……えっと、ちょっと待ってな」

 

 そう告げて、風呂場へ行き、バスタオルを1枚取ってくる。

 

「ほら、これ使うと良いよ」

 

「わっ、ありがとう!」

 

 嬉しそうな声を上げ、タオルを受け取る少女。

 大雑把にだが身を拭いたのを確認して、声をかける。

 

「そんな所にいたら風邪引くだろうし、中に入るか?」

 

「えっ、いいのかな?」

 

 俺の申し出に、目をキラキラとさせる少女。

 

 そりゃあまあ、少しでも寒さのマシになるところに行きたいよな。

 

「ああ、俺は一人暮らしだし、君さえ良いのなら上がって暖をとると良いよ」

 

「わー!ありがとう!」

 

 ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜ぶ少女に、こちらも顔が綻ぶ。

 警戒心の薄さには少々心配になるが、この非常時だ、そんなことは二の次なのだろう。

 

「ほら、こっち。炬燵入って良いよ」

 

「で、でも、わたし濡れちゃってるけど」

 

「タオルで拭いただろ?多少湿っているのなんて気にするな」

 

「えっと、それじゃあ、失礼しまーす……」

 

 そう言っていそいそと炬燵に潜り込む少女。

 炬燵に入るやいなや惚けたような顔になる彼女の様子に、やはり相当寒かったのだと、自分の判断が間違ってなかったことを確信した。

 

「ちょっと待ってな」

 

 断りを入れて台所へ向かい、小さめの器と、レンゲ、箸を手に取って、居間に戻る。

 一人暮らしとはいえ、食器類には予備が結構あったのが幸いした。

 

「ほら、暖まるよ?」

 

 器によそって差し出してあげると、少女はぱあと顔を輝かせる。

 

「ほんと?いいの?ありがとう!!」

 

 はふはふと幸せそうに鍋を食べる彼女の様子を観ていると、疲れた心が癒されるような気がした。

 

 落ち着いたところで、改めて少女を観察すると、緑色の髪に緑色の目……と、今更ながらかなり特徴的な外見をしている。

 中でも際立っているのが、胸元の……ボール?

 一体何に使うものなのか全く分からないが、球状の物体が浮かんでいる。

 そこからはコードが少々複雑に伸びていて、身体をぐるっと一周したり、頭に繋がったりしているようだ。

 

 ……まぁ、多少気にはなるが、いちいち詮索することでは無いだろう。

 

 余計なことはきかないことにして、自分も鍋をつつくのを再開する。

 

 誰かと鍋を囲うのなんて、いつ以来のことだろうか。

 少女と2人で食べるその鍋は、いつも以上に美味しく、また、温まるように感じた。

 

 余計な口は聞かず、黙って鍋を楽しむ。

 食後はお茶を飲みながらのんびり過ごし、小1時間ほど経過した。

 

「収まったかな」

 

 外を見ると、先程までの猛吹雪が嘘であったかのように空はからっと晴れていた。

 これなら、大した問題もなく外を歩くことが出来るだろう。

 雪はかなり積もっているだろうが、このあたりを通りががる人にとってはさしたる問題ではないはずだ。

 

「……そうだね。そろそろ帰ろうかな」

 

 そう言って立ち上がる少女。

 

「ああ」

 

 言葉少なに返し、俺も立ち上がる。

 もちろん、彼女を見送るためだ。

 

 無言で玄関まで歩いた少女は、そこでくるりと振り返ると、口を開く。

 

「……そう言えば、まだ名乗ってなかったね。私の名前は、こいし。今度会うことがあったら、その時は名前を呼んでくれると嬉しいなっ!」

 

 そう言ってくしゃっと笑う。

 こいしちゃん、か。

 

「俺の名前は、柊裕也(ひいらぎゆうや)。

 ……また来てくれたら、歓迎するよ」

 

 自然とそんな言葉がこぼれたことに驚愕する。

 それは彼女も同じだったようで、大きな目を丸くしていた。

 

「ふふ、それなら、また来ちゃうかも!

 今日は本当にありがとう。」

 

──またね。

 

──ああ。

 

 そんな言葉を交わして、二人は別れる。

 雪の残る野原をとことこと歩いていく後ろ姿を見送りながら、裕也は小さく息をついた。

 

 

 心を閉ざした少女と、人付き合いが苦手な青年。

 不器用な二人の物語はここから始まる──

 

 



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再訪

 なんだろう。この二人のやりとり書くのって凄く楽しいの。
 中々かけないんですけどね(苦笑)

 第一話をお読みくださった方々、身に余る高評価を下さった方、本当にありがとうございます。大きな励みになります。
 のんびりと進めていきますが、どうかよろしくお願いいたします。







 

 

 あの日から2,3週間ほど。

 彼は、今日も仕事を終え、帰路についていた。

 身も凍るような寒さの中、家まで辿り着くと、扉の前に見覚えのある人影を見つけた。

 

(ん?あれは……)

 

 心が弾んでいるような気がするのは、きっと気のせいではないだろう。

 俺が帰ってきたことに気づいたのか、彼女はこちらを向き、手を振る。

 振り返す勇気は俺には無かったが、彼女の元に辿り着くなり、声をかけた。

 

「また、来たのか」

 

 上手く言葉を選べないことにもどかしさを感じる。

 

「うん、きちゃった」

 

 そう言ってはにかむように笑う少女。

 頭を撫でたい衝動に駆られるが、なんとか踏みとどまり、戸を開く。

 

「……上がって」

 

「うん」

 

 言葉少なに交わし、彼女は後に続く。

 

「……あ。」

 

 思い出したかのように呟き、足を止め、振り返る。

 何かあったのか。と言いたげな少女へ向け、

 

「いらっしゃい、こいし」

 

 一瞬面食らったかのような顔をする少女。

 しかし、その表情にはすぐに大輪の花が咲いた。

 

「──うん!」

 

 静かな家に、元気な、それでいて嬉しそうな声が響き渡った。

 

 

────────

 

 

「今日も、鍋で良いか?」

 

 あいにく、今日も鍋で済ませてしまおうと思っていたので、たいした食材がない。

 イヤと言われたら困るのだが……一応、聞いておく。

 

「うん。大丈夫だよ。わたし、お鍋はあたたかくなるから好きなの」

 

 そう言って笑う少女に、そうかと頷く。

 ……今度からはもうちょっとマシなものを買いそろえておこう。

 

「それじゃ、適当に準備してくるから、こたつ入ってて」

 

 はーい。と返事して、いそいそとこたつにもぐりこむこいし。

 

「はわー……あったかい……」

 

 入るなり惚けたような声を出す少女に、思わず笑みが漏れる。

 彼女を待たせぬよう、手早く準備をして、運んできた鍋とガスコンロを炬燵の上にセット。

 それから、こちらをキラキラとみつめる彼女に取り皿と箸を渡す。

 

「ありがと!」

 

 笑顔で受け取り、鍋をわきわきと眺める少女に苦笑しながら、自分も炬燵に入る。

 安心するような温かさに全身が包まれ、思わずため息が漏れた。

 

「あったかいよねぇ……」

 

 しんみりとした呟きに、そうだな、と返す。

 炬燵は生活必需品。間違いない。

 

「さて、そろそろいけるぞ」

 

「はーい!」

 

 元気に返事をし、いそいそと自らの器に取り分ける。

 ふうと息を吹き込んで軽く冷まし、ひょいと口に入れた。

 

「おいひい!」

 

 ぱあと笑顔になるその様子に、心が充たされていくのを感じた。

 

(家族がいたら、こんな感じなんだろうか)

 

 ふっと頭によぎったその考えを、かぶりを振って四散させる。

 

「……? どうしたの?」

 

「いや、なんでもない」

 

 きょとんとした様子の少女だったが、直ぐに笑顔に戻る。

 

「あはは~ 裕也さん、変なの~!」

 

「なっ、変ってことはないだろっ!?」

 

 気付けば、大きな声を出して笑っている自分がいて、軽く驚く。

 ……誰かとこんなふうに騒ぐのなんていつぶりのことだろうか。

 

 にこにこと笑う少女をみていると、こういうのも悪くない、と改めて思う。

 

「……ほら、野菜に余裕はあるから、好きなだけ食べて良いよ」

 

「わーい!」

 

 

────────

 

 

 

 

 食事が終わり、片づけも済ませた後。

 二人は、炬燵でのんびりと静かにお茶を飲み、時間を共有する。

 

「そういえば……」

 

 ふいに、沈黙を破るかのように彼が口を開く。

 

「ん、なあに?」

 

 にこにことした顔のまま首を傾げる少女。

 その様子に微笑を零しながら、彼は続ける。

 

「今日は、何か用があったのか?」

 

 その問いに、少女は近くに置いてあった自分の帽子をくるくると指で回し、考え込むような姿を見せた後に、答えた。

 

「うーん……無意識、かな」

 

「無意識?」

 

「うん。裕也さんの家、楽しかったなぁ~って考えてたら、いつの間にか来ちゃってたの」

 

 そうか。と無愛想に返す青年だったが、彼の頬が緩んでいるのは誰の目に見ても明らかだ。

 

「何もない家だけどな……」

 

「私は、落ち着くから好きだよ?」

 

 にこにこと笑う少女に、彼はまた、そうか。と返す。

 

 二人にはどこか通じ合うようなものがあるのだろう。

 無愛想な彼だが、少女もまた、それを心地よいと思っている様子だった。

 

「それじゃ、私はそろそろ帰るね」

 

 そう言って立ちあがる少女に合わせて、彼もまた炬燵から出る。

 

「ああ。またな」

 

 すんなりと出てくる言葉。

 もちろん、少女はその意味を正確にくみ取り、笑う。

 

「うん。またね!」

 

 そう言って家を出た少女は、玄関先で不意に足を止め、空を見上げる。

 見送りにでた彼も、追うように空を見上げ、思わず声を漏らす。

 

「……空って、こんなに」

 

「うん。綺麗だね……」

 

 

 真冬の冷えた澄み切った空気で、満天に輝く星。

 それは、二人にとって、これまで見知ったどの空よりも特別に思えた。

 

 

 

 

 



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哀しい決意

遅くなりました~。
ゆっくりのんびりと書き連ねていきます。

関係ないですが、こめこん超楽しみです。 一部でも売れると嬉しいけど……

それでは、本編をどうぞ。


 

 

 

 長かった冬が終わり、季節は移ろう。

 そろそろ太陽が真上に昇ろうかというころ、丸い帽子を被った緑髪の少女──こいしは、人里をのんびりと歩いていた。 

 

 人通りは決して少ないというわけではないのだが、道行く人々の中で、彼女に声をかけるものはいない。

 それどころか、特徴的な外見の少女が歩いているのにも関わらず、誰一人として視線を向けない。興味を示さない。

 

 しかし、少女はそれすらも当たり前であるかのように、無人の野を歩くがごとく、一人マイペースに歩く。

 ついに歌まで歌い始めた彼女だったが、不意に、その足を止め、ある方向に視線を向ける。

 その先に、店先で腕を組んで考え込んでいる青年の姿を認め、少女はぱっと笑って駆けだした。

 

「裕也さん!」

 

 背中から飛んできた声に、青年が振り向く。

 彼は、声の主を確認すると、穏和な笑みを浮かべた。

 

「……こいし」

 

 名を呼ばれ、その笑みを濃くした少女は、青年の下まで駆け寄り、話しかける。

 

「こんにちわ、裕也さん。お買い物?」 

 

「こんにちは。 ああ。夕飯は何にしようかと思って」

 

 そう言って陳列棚に目を向ける祐也。それに釣られて目線を動かすと、新鮮そうな魚が並べられているのを確認できた。

 

「今日は、おさかな?」

 

「うん。たまにはどうかなって」

 

「わたしは、あまり食べたことないんだよね〜。

 住んでいるところが、お魚が手に入りにくいの」

 

 それを聞き、彼は少し考えるようなしぐさを見せた後、口を開く。

 

「……食うか?」

 

 それはぶっきらぼうで、あまりにも言葉が足りていないものだった。

 しかし、少女はその言葉の意味をしっかりと汲み取り、そして破顔する。

 

「──うん!」

 

 これを、阿吽の呼吸というのだろうか。

 二人は、より添うようにして夕飯の魚を選び始めた。

 

 

 

────────

 

 

 

 かつて、人里から少し離れた館に、他人の心を読むことが出来る姉妹が住んでいた。

 覚り妖怪と呼ばれる姉妹は、その強力過ぎる能力によって、あらゆる人妖から恐れられていた。

 しかし、その中においてなお、姉妹は誰かと関わることを選んだ。

 

 少々人見知りだが、誰かを思いやることに長けていた姉と、活発で、他人の感情に敏感な妹。

 彼女らは、互いに支え合い、助け合うことによって、人に歩み寄った。

 

 当然、それは簡単な事ではなかった。

 しかし、必要以上に踏み込むことはせず、あくまで相手を気遣う姉と、沈んでいる者を明るく励ます妹。

 その二人の姿勢に、村人たちも徐々に彼女らを受け入れ始め、少しずつだが、彼女らへの恐れも薄くなっていった。

 

 しかし、姉妹が打ち解けていくにつれ、それを快く思わないものも出てくる。

 『妖怪の排斥』を掲げる彼らは、あくまで強硬姿勢を取り続る。姉妹に見え透いた悪意を持って近づくことも増えた。

 

 勿論、その悪意に気付けない姉妹ではない。

 しかし、『負の感情を積極的に読むことは、他の方々と築け始めている折角の関係を不意にしてしまうのではないか』そう考えた姉は、それらをみないことにしていた。

 『少々悪意に疎いところがある妹のことは心配だが、最悪、数人に暴力的な手に出られたところで、"覚り"の力ならば難なく状況を打破することが出来るだろう』という自負のようなものもあった。

 そう言う意味では、彼女らは人間の底知れなさ、そして、あまりにもあっさりと手のひらを返すその性質を、甘く見ていたと言えるのかもしれない。

 

 彼女らは、人間の悪意の真の怖さを知ることになる。

 そして、それは、姉妹にとって取り返しのつかない傷をもたらした。

 

 

 『心を読んだって哀しくなるだけ』

 

 あんなに純粋無垢だった妹が、心を閉ざした。

そのことは、姉にいつまでも重くのしかかる事となる、

 

 

 

────────

 

 

 

 あの吹雪の日から、はやいものでもう数か月。

 あの日以来、私はしばしば、こうしてこの人の家に来るようになった。

 

 彼はとても優しくて、一緒にいるだけで心が安らぐ。

 見ず知らずの私を温かく受け入れてくれて、こうして一緒に食事もしてくれて……。

 ちょっと不器用なところもあるけれど、あの人の態度の全ては、温かいものに包まれている。

 

 お姉ちゃんが、私にとって真っ暗闇のなか寄り添ってくれる存在だとしたら、

 彼は、その闇自体を振り払おうとしてくれるような、闇に射し込んでくる一筋の光のような、そんなひと。

 勿論、彼にそんなつもりがないのはわかっているけれど、私の中で、彼は。裕也さんは、お姉ちゃんの次くらいに大きなものとなっている。

 

 それがどういう感情なのかはわからない……いや、わかってはいけない。

 ふと湧き起こる想い。私を内側から温めてくれるその想いを、私は気づかないふりをする。わからないことにする。

 

 なぜならそれは──

 

            ──彼が、人間だから。

 

 人間である彼と、人外である私。それらは決して相いれないもの。

 

 それは確固たる事実。

 だから、私は本来ならばこうして彼と食卓を囲うことすら許されない。

 今からでも遅くない。 すぐにこの場を去るべき。

 

 ……でも、私にはできなかった。だって、私はもう彼の事が──

 

 ううん、だめ。これは、許されざる想い。

 

 再び頭を出しかけた気持ちに蓋をする。目を逸らす。

 

 もう少しだけ、彼の優しさに甘えよう。

 けれど、もし、彼が私の正体に気付いたときは……

 

  ──その時は、直ぐに私は消えよう。

 

 

 

 ズキリと痛んだ胸元の瞳に、無意識に手を添える。

 彼女は想う。願わくば、この幸せが少しでも続くように。

 しかし、運命というものは、かくも残酷に、冷酷にできているものだ。

 "その時"は、もう目前まで迫ってきていた。

 

 

 

 



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発覚

超期間が空いてしまった上に短いという……

私事になりますが、秋例申し込んでみました。こめこん同様、萃儀伝 上を頒布するつもりです。 気が向かれましたら是非。

今回は、裕也視点onlyとなります。 それでは、本編をば。


 

 

 彼女と初めて会ったのは、去年の中ごろ。

 数メートル先の視界も定まらないような猛吹雪の中、彼女は避難場所を求めて、俺の家の扉を叩いた。

 明らかに冷え切っている様子の少女を放っておくこともできず、家に招き入れ、一緒に鍋を囲った。

 

 そんな、ほんの偶然から始まった俺たちの関わりは、夏を越えた今も続いている。

 もともと、特に親しいと言えるような知り合いがいなかった俺にとって、彼女の存在は胸を温かくさせた。

 家族がいればこんなふうになっていたのかとも考えた。

 人に飢えていた……というのもあったかもしれない。俺は、自然と彼女を求めた。

 

 上手く言葉に出来ない事も多かったけれど、彼女は毎度毎度こちらの意図をくみ取ってくれる。

 そして、笑顔でこう言うのだ。

 

『うん──!!』

 

 次第に俺たちが一緒にいる時間は増えていき、気づけば、仕事中でさえ、周りを見渡せば彼女の姿を確認できるほどになっていた。

 

 ──しかし、彼女と一緒にいる時間が増えるにつれ、一つ、二つ、気になる点が浮上する。

 

まず一つ。『何故か、俺以外の殆どが、彼女のことに気付けない』

 

 これは、初めのうちは気のせいだと思っていた。しかし、これだけの時間、彼女と一緒にいるのに、人里の人間は、仕事仲間も含めて、誰一人として彼女の事を覚えていない。

 いや、そもそも、『彼女の存在に気づいてすらいない』のだ。

 誰かのすぐ近くで彼女と話していても、誰も反応を示さない。

 思い切って、普段一緒にいる少女のことをどう思っているのか同僚に聞いてみたこともある。

 しかし、何度、誰に聞いても、答えは一つ。

『そんな少女はみていない』

 これは、明らかに異常だった。

 

 このことは、彼女に言ったことは無い。

 言ってしまえば、彼女が消えてしまうような気がして怖かったから。

 

 もう一つ、胸の前に位置するアクセのようなものと、そこから伸び、彼女を取り巻くコード。

 初の出会いの時こそ気にならなかったものの、回数を重ねるほどに気になってくる。

 あれは、アクセなどではなく、れっきとした体の一部なのではないか。

 そう思ってしまうほどに、それは彼女の身体と連動していた。

 

 ……もちろん、この疑念を理由に、彼女との関わりを断つつもりなんて全くなかった。

 しかし、一つの考えが、彼の中に僅かに芽生えたのも事実であった。

 

 

──彼女は人間ではないのではないか。

       実は、妖怪( あやかし)の類なのではないか──

 

 

 

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

 

そして、事件は起こる──

 

 

 ある昼下がり、裕也は人里の一角を歩いていた。

 

 仕事は午前中で終わり、今日は珍しくこいしもいない。

 暇を持て余していた彼は、ふと通りかかった店で、一冊の本を見つけた。

 稗田の御令嬢によって記されたそれは、この世界の妖怪について書かれているらしい。

 

 普段なら気にも留めなかったであろうその本を、俺は半ば無意識に手に取っていた。

 ぱらぱらとめくって流し読んでいると、『古明地こいし』と記されたページがあった。

 思わずその項をみると、そこには、その妖怪についての記述、そしてイラストが添えられている。

 目に飛び込んできたイラストは、自らも良く知る彼女の姿であった。

 

「──っ!?」

 

 突如、重い圧のようなものを感じ、本から目を上げる。

 上げた目線の先には、こちらをみて固まっている少女の姿。

 

 彼女はこちらと目が合うや否や、俺に背を向け、走り出す。

 

「待って──!!」

 

 本を元の場所に戻し、咄嗟に駈け出す。

 彼女は速かった。直ぐに姿は見えなくなり、そこからは足跡をたどる。

 しかし、それも森に入ると見られなくなってしまった。

 とっさに周囲を見渡すが、こいしの進路の目印になるような痕跡は見受けられない。

 

 あてもなく踏み込んだならば、帰ってくることはできないのではないか。

 

 そう、思ってしまうような深い闇が目の前に広がり、思わず足が竦む。

 

 だが、ここであきらめてしまったが最後、二度とこいしには会えないだろう。

 そうなれば、自分は一生後悔する。前に進めば、また会えるかもしれない。

 ──いや、絶対に見つけ出す!

 

 

 奮い立たせるように自らの両頬を叩くと、意を決して足を踏み出した──

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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別離

お待たせして申し訳ない・・・・・・
相当に難産でして、出来上がった今も正直投稿するのが非常に怖いです・・・・・・
暗いシーンになってしまいますが、どうかお付き合いくだされば幸いでございます。


あらすじ
 不器用な青年と、心を閉ざした少女。
 ひょんなことから始まった二人の関係は、冬が明けても続いていた。
 しかし、ある日、彼は少女の正体に気付いてしまう。
 その場に居合わせてしまった彼女はその場から走り去り、彼は慌てて後を追う──


 

 

 

 

 不意に開けた視界に飛び込んできたのは、大きな湖。

 走り抜けることさえ一苦労なほどに生い茂っていた木々もここばかりは絶え、なんと、この森の真っただ中と言うのに光さえ射している。

 空からの光を水面がキラキラと反射しているそのさまは、この森全体の不思議な雰囲気と相まって、どこか幻想的な世界を作り出していた。

 

 水際に佇む人影。自らの知るものよりも一段と小さく見えるその背中を見つけ、彼は無理やりに動かしてきた足を止める。

 

「こいしッ!」

 

 絞り出すようにして叫ばれた自らを呼ぶ声に、少女は俯いていた顔を上げる。

 

「……ごめんね、だまってて」

 

 暫くの沈黙の後、こいしは、のろのろとこちらへ顔を向けると、静かに語り始めた。

 

「もう知っちゃったと追うけど、私は妖怪……それも、”覚り”。あらゆる人妖から忌避される存在。

 覚りは、対峙した相手の心を読み、トラウマを呼び覚ます。……怖いでしょう?」

 

 抑揚のない声で続けるこいしだが、聞き捨てならないことがある。

 

「待てっ!俺がお前を怖がってなんかいない!お前がたとえ何であっても怖がるつもりもない!」

 

 俺の必死の訴えにも、彼女は反応を返さない。

 まるで聞こえていないかのように。

 

「一緒にいるってだけでも迫害を受ける原因になってしまう私は、本来貴方といることが許される存在ではなかったの。

 ……でも、ありがとう。短い間だったけど、私は本当に楽しかった。」

 

──待て、この子は何を言っている? これではまるで……

 

 これ以上話させてはいけない。そう直感し、更に足を踏み出そうとして、気づく。

 彼女は何を見ている? 何に話している?

 

 既にこいしの瞳は俺を映し出していない。

 それに感付くと、俺の足は止まってしまった。

 

「こいし──ッ!」

 

 俺は、ここにいる。そう宣言するかのように彼女の名を叫ぶ。

 ピクリと反応したこいしは、ゆっくりとこちらに目線を向ける。

 

 しかし、その眼は冷たく、光を灯していない。

 思わず身を竦ませた俺に、彼女はすぐに興味を失ったように目線を切った。

 

「……ほら、やっぱりニンゲンはサトリを恐れるんだ」

 

 違う、と叫びたかった。

 

「さよなら」

 

 こいしが向こうを向く。

 彼女までは、ほんの数歩。

 それなのに、僅かなはずのその距離は、想像を絶する程に遠い。

 

 縋るようにのばされた手は──無情にも空を切った……

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 どれほどの時間が経っただろうか。

 どれほどの時間立ち尽くしていただろうか。

 

 なんのために追いかけてきたのかわからない俺をあざ笑うかのように、降り注ぐ雨が頬を撫でる。

 天気だけではない理由で辺りが暗くなっていることにも気づかず、俺はただ茫然としていた。

 

 アオーン、とどこかで犬の遠吠えのような声が聞こえる。

 バサバサとコウモリが飛び交い、ガサガサと茂みが揺れる。

 いつの間にか高く上っていた月。

 満月には程遠いそれは、それでも確かな光量で湖を浮かび上がらせていた。

 

 そんな綺麗でもあり不気味でもある静寂を打ち破ったのは、茂みが揺れる音だった。

 先ほどと違い、一帯から同時に聞こえてくる物音。

 やけに統一された大きな音にようやく我に返った裕也は、バッと振り返る。

 

 しかし、それはあまりにも遅すぎた。

 振り返った彼の目が捉えたのは、自らをぐるりと囲む狼の群れ。

 確実に青年を獲物と捉え、じわじわと包囲網を狭めていく。

 ただの人間でしかない彼が生き延びるには、気づくのが余りにも遅すぎた。

 

──終わったな

 

 誰の目にみても絶望的すぎる状況に、彼は笑う。

 勝算があるわけでもない、気が狂ったわけでもない。

 ただ、馬鹿らしかった。

 

 目の前で彼女を失い、そして今、自らの命も失われようとしている。

 

──まったく、どこで間違えたんだろうなぁ……

 

 一斉に飛びかかってくる狼たちに、彼は目を瞑り、痛みを待つ。

 

「こいし、ごめん……」

 

 思わず口からこぼれ出たのは、彼女の名前。

 最期に胸を占めたのは、もう見ることは叶わなくなってしまったこいしの笑顔だった──

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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救いの手

こいしに拒絶され、途方に暮れる裕也。
彼に追い打ちをかけるように、狼の牙が迫る。
一方その頃、普段と異なり騒がしい森の様子に不信を覚える少女がいた──



 

 

 

 ほんの、偶然だった。

 少し用があって森の中を散策していたのだが、なにやら木々が騒がしい。

 不審に思って人形たちに周囲を探らせてみると、狼たちが一斉に動いているようだ。

 

 彼らがこのように動く理由は一つ。

 獲物。それも、大きな。

 といっても、この森に大型生物が入り込むとは思えないから……

 

「……初見の人、かしらね」

 

 ここの狼たちはかなり賢い。未見の相手には最大限の警戒をもって挑み、万が一撃退された場合は、二度とその相手を襲わない。

 彼らは、人型の生物ほど見かけによって判別ならないものはいない。ということをよく理解している。

 これだけの警戒網。きっと、見知らぬ人間が立ち入ったのだろう。

 洗練された狩りの標的に遭ったものは、それがただの人間である限り、なすすべもなく狩られてしまうのは明確。

 

 まぁ、狼たちに限らず、ここの危険度の高さは人里にも広く知れ渡っている。 村の掟で立ち入りが禁じられているほどだ。

 だから、ここに入り込んでくるのは、余程の強者か、自信だけの身の程知らずか、自殺志願者か。

 どれにせよ手を出す必要は無い……が。

 

 なにか、胸騒ぎがする。

 

 なんの根拠もない、ただの直感。

 彼女は、人形たちを周囲に集め臨戦態勢を整えさせると、包囲網が完成されようとしている方へと走り出した。

 

 うっそうと茂る木々の間を駆け抜け、広場のような場所へと抜ける。

 一気に開けた視界に飛び込んできたのは、案の定、狼の群れと、その標的となる人間だった。

 

 さて、今度は一体どんな命知らずなのか。

 せっかく出向いたので、顔だけでも観ておこうかと思った彼女は、対象の異質さに気付く。

 

 彼──後ろ姿から男性と推測された──は、にじりよる狼達に全く反応を見せず、ただ湖畔に立ち尽くしている。

 まるで、気づいていないかのように。

 

 まさか。そう思いつつも、彼女は人形たちに指示を飛ばす。

 数秒の間を置いて、潜んでいた子達が一斉に茂みを鳴らした。

 当然、その音は湖の方まで届き、男は胡乱げに振り返る。

 

──はぁ。まさかの方だったわね……

 

 明らかに今気付きましたと言わんばかりの青年の様子に、思わずため息が零れた。

 ほんの数瞬で、自らの状況を理解したのだろう。彼は諦めたかのように目を閉じる。

 

 助けるか、否か。

 思わず助け舟を出してしまったとはいえ、この森に立ち入った以上、かの青年の自業自得。

 それは間違いないし、ここで邪魔することは折角の獲物に歓喜する狼たちにもあまりに失礼だ。

 

 本当に迷い込んだだけの素人のようで、見捨てるには少々忍びないが……これも、自然の定めというものだろう。

 

 そう、自分に言い聞かせた彼女は、直ちに立ち去ろうと考えた。

 しかし、せめて、彼の最期だけでも見守ってやろうと思い直し、青年を眺める。

 

 思えば、これが最大の分岐点だったのかもしれない。

 青年に改めて注目した時、たまたま彼の顔がよく目に入った。

 

 まだまだ青さの残る顔が。

 死への恐怖に目をぎゅっと閉じる顔が。

 

 そして。 彼女には見えてしまった。

 震える唇から紡がれる言葉が。

 

 彼女には聞こえてしまった。

 後悔と悲哀に充ちた言葉が。

 

『──ごめん』

 

 彼女をつき動かしたのはなんだったのか。それは今でも定かではない。

 しかし、彼の最期の有り様は、確かに少女の心を動かしたのだ──

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「…………?」

 覚悟した痛みは来ない。

 意識が遠くなることもない。

 不審に思い、目を開く。飛び込んできたのは、狼の群れと妖精達との戦闘だった。

 足元にノびている狼が、たった今俺に飛びかかってきていた奴だろう。

 

 状況についていけず固まっていた俺の目の端に、金髪の女性が映った。

 茂みの中から出てきたであろう彼女と目が合う。

 

──刹那、目の前の狼たちが吹き飛ぶ。

「こっちにッ!」

 

 突如開かれた目の前の道。

 同時に聞こえてきた、誘う声。

 

 頭が理解するよりも先に、体が動いていた。

 

 強ばる足を必死に動かし、女性の元へ走る。

 狼たちが新たに完成させるよりも一瞬早く。

 俺の体は包囲網の外に飛び出した。

 

 辿り着くや否や、少女は俺の手をつかみ走り出す。

 

 鬱蒼とした茂みの中を、彼女に手を引かれ走る、走る。

 隆起する根っこに何度も足を取られそうになる。

 少女は思いのほか早く、足がついていかず転びそうになる。

 

 絶対に離すまいと、少女の手を強く握る。

 その行動を恐れと受け取ったのか、彼女は安心させるように握り返してくれた。

 

 延々と続いていた木々を抜け、また開けた場所に出た。

 ひっそりと佇むログハウスが味のある風景を生み出している。

 

 後ろを見た。

 狼たちが追ってきている様子はない。

 

 助かった──

 

 ここにきて沸き起こる実感。

 思わず足から力が抜け、少女に額を押しつけるようにもたれかかってしまう。

 体が震える。俯いた目線の先の土が酷く歪む。

 

 

 未曾有の危機から救い出してくれた少女。

 金色の髪は宵闇において美しく輝き、その背中は途方も無く大きい。

 

 

 

 俺を奈落から引っ張りあげてくれたその手の柔らかさを、俺は生涯忘れないだろう──

 

 

 

 

 



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選択

お久しぶりです。半年空いてしまいました。
次はもう少しでも短い期間で出したいなぁと。

息抜きで書いていたら仕上がったので投稿しちゃいます。まだ活動休止期間ではありますが。



前話までのあらすじ
一人残され、途方に暮れる裕也。
狼の群れに囲まれ、彼は死を覚悟する。
時を同じくして、人形使いの少女は散策中、やけに静かな森に違和感を覚えていた。
偶然の糸が絡まり合い、辛くも生還した裕也。果たして、彼を待つ運命は──?






「……飲めるかしら?」

 

 その言葉とともに差し出されたのは、可愛らしいデザインのティーカップ。

 あまり馴染みのない飲み物のようであったが、小さく頷いてから口に含む。

 

 仄かに香るそれを、ゆっくりと嚥下する。

 そうしているうちに、少しずつ心が落ち着いてくるような気がした。

 

「鎮静効果のあるハーブを少しだけ混ぜてみたのだけど……少しは落ち着いた?」

 

 コクリと頷く。彼女はふわりと微笑んだ。

 

「自己紹介がまだだったわね。 私はアリス・マーガトロイド。アリスと呼んでくれれば良いわ」

 

 アリスと名乗った女性を改めて見やる。

 金色の髪はストレートに伸ばされ、瞳は青色に輝いている。均整の取れた顔立ち、白く透くような肌は、まるで人形のよう。絵本の中から出てましたと言われても信じてしまうかもしれない。

 

──こいしが美少女なら、この人はまさに美人ってところかな

 

 不意によぎった想いが、チクリと胸を痛める。こいしだ。こいしを探さないと……

 

「待ちなさい。焦りは決して良い結果を産まないわ。ほら、あなたの名前を教えてくれないかしら?」

 

 そっと肩を抑えられ、我に返る。無意識に腰を浮かせようとしていたらしい。

 そうだ、落ち着こう。焦っても良いことは無いだろうし、それになにより、助けてくれた彼女に失礼だ。

 

「……俺は、柊 裕也 です。あの、助けて頂いてありがとうございました」

 

「良いの。たまたま通りかかっただけだから、気にしないで。頭を上げてちょうだい?」

 

 礼とともに下げていた頭を上げ、改めてアリスと向かい合う。

 柔らかな笑みを浮かべていた彼女が、少し真面目な顔つきになった。

 

「……それで、どうしてあんなところにいたのか、聞いても良いかしら?」

 

──当然、聞かれるよなぁ……

 

 わかってはいたが、改めて問われると、こいしへの想いやら、立入禁止の場所に深入りした結果目の前の女性に多大な迷惑を掛けたことやら、様々なことが胸をめぐる。

 思わず俯いてしまった。

 

「……もちろん、無理にとは言わないわ。でも、話すことで楽になることもあると思うの」

 

 穏やかな声が、耳をうつ。チラリと見たアリスの顔は慈愛に満ちていた。

 

 ポツリ、ポツリと話し始める。

 ある日、突然雪の中を女の子が訪ねてきたこと。

 こいしと名乗った少女は、暫しの暖をとって帰っていったこと。

 そこから始まった奇妙な縁は、気付けば数ヶ月も続いていたこと。

 いつしか彼女と会うことそのものが楽しみになっていたこと。

 そして──

 

 所々つっかえつっかえだった話は、決して聞いていて良い気分では無かっただろう。

 けれど、アリスは、優しい笑みを浮かべたまま、最後まで、静かに聞いてくれた。

 

 話せば話すほどこいしへの想いは強くなって。自分が惨めになって。

 話し終えた時には、涙がこぼれた。 歯を食いしばって堪えようとしたけど、出来なかった。

 

 不意に目の前が暗くなり、甘い香りに包まれる。

 抱きしめられている、ということを理解するまで、少し時間がかかった。

 

「……辛かったでしょう。大丈夫。今は、甘えて良いのよ」

 

 諭すような声が、耳をくすぐる。

 まるで幼子をあやすかのように、背中を優しくさすられる。

 全てを委ねてしまいたくなるような、そんな温かさに包まれて。

 

 俺は、初めて、誰かの胸で泣いた──

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 あの後、俺は寝てしまったらしい。

 余程疲れたのだろうと言われたが、まるで子供のような自らの振る舞いに、起きてしばらくは顔から火が出る思いだった。

 

「……貴方が取れる手は、大きく三つあるわ」

 

 落ち着いた頃を見計らって、アリスが声をかけてくる。

 彼女は隣で、寄り添うようにして話を続ける。

 

「……ひとつめ。人間と妖怪という、大きな壁がある以上、こいしのことはすっぱり諦める。これが一番安全で、楽ね」

 

 なるほど、確かに、今回の亀裂の一番の原因は種の差だ。

 そしてこれはもちろん、後に修復されたところで一生付きまとってくる問題。

 それを思えば、完全に諦めてしまうのが最終的には一番楽なのかもしれない。

 

──でも。

 

「ええ、そうよね。そんな理由で諦められるくらいなら、今こうしていないわよね」

 

 頷く。

 

「……人間と、妖怪との壁は、あなたの想像よりはるかに大きく、重いわよ。それを乗り越え、全てを受け入れる覚悟はあるかしら?」

 

 思わずアリスの顔を見る。彼女は真剣な瞳でこちらを見つめていた。

 覚悟? 愚問だ。 もう二度と、こいしにあんな顔はさせない。

 強く目を見返す。 俺は、逃げない。逃げたくない!

 

 しばらくそうしていると、アリスがふっと表情を崩した。

 

「……良いわ。教えてあげる。あの子の家は、地底の奥深く。地霊殿と呼ばれるところに、姉と、たくさんのペット達と暮らしているわ。

 ほぼ確実に、今のこいしはそこにいるでしょう。当分は館にこもっているはずよ。

 地底へは、山の麓に大穴があるから、そこから向かうことができるわ。

 ただし、そこはひときわ強力な妖怪が大量に巣食う世界。昔ほどでは無いにせよ、生身の人間が行ったところで命の保証はできないわね」

 

 アリスの表情は真剣だ。実際に、それだけ危険なところなのだろう。

 

「貴方が取れる手は二つ……といっても、実質一つね。

 一つは、今すぐ地底に向かい、こいしの所を目指すこと。気が急いて、どうしても我慢出来ないのならこれね。

 もっとも、私が案内できるのは大穴までだし、そこからは、ただの人間でしかないあなたひとりの力でたどり着く必要が有るわ。正直、ただの自殺行為ね」

 

 しゃにむに向かうのは最大の愚策であると、アリスは切って捨てる。

 これは、どうしても気が焦りがちになってしまう俺に対しての警告でもあるのかもしれない。

 

「……もう一つ。一ヶ月、我慢しなさい。その間、私がみっちり鍛えてあげる。その力でもって、地底に乗り込むのよ」

 

 心なしか、彼女の声に力がこもる。アリスとしても、この手しか有り得ないと思っているのだろう。

 助けてもらったばかりか、修行までつけてもらえるなんて、有難いというレベルではない。 けれど。

 

「……一ヶ月で、妖怪相手に何とかできるようになるものなんですか?」

 

 これは聞かないといけない。 俺は所詮ただの人間。一ヶ月程度では気休めにもならないのでは。 そう思ってしまう。

 

 俺の問いに、アリスはもっともだと言わんばかりに頷いた。

 

「普通は無理よ。でもね、この世界には、弱者が強者に対抗できる、唯一無二の法則があるの。”スペルカードルール”。貴方も名前くらいは聞いたことがあるのではないかしら?

 詳しくはまた話すとして、それを利用する前提なら、後はあなたの頑張り次第では充分間に合うわ」

 

 なるほど、そういうことなら良い……のか?なんだろう。何かがひっかかる。

 まあいい。どのみち、アリスを信じるしか道はないんだ。

 

「二つ目で、お願いします」

 

 焦る気持ちはもちろんある。けれど、急いだ結果、半ばで倒れることになっては元も子も無いんだ。

 それなら、たとえもどかしくとも、できる準備には徹しないと。

 

 俺の答えに、アリスは満足気に微笑んだ。

 

「わかったわ。一ヶ月、厳しくいくわよ?」

 

「はい!」

 

 力強く返す。

 いつの間に寄ってきていたのか、足下にいた黒猫が、応えるように にゃあ、と鳴いたのが印象的だった──

 

 



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スペルカードルール

お気に入り25も頂けたことと、身に余る高評価に謝意の土下座の意を込めて投稿。
拙作への反響は、人生の励みになってます。 本当にありがとう。


さて、今から二年と少し前になります。第一作目である『東方萃儀伝』におきましても、同様のタイトルで、スペルカードルールの説明を致しました。
当時と比べると、私めも随分と文章の書き方と言うものを覚えたなぁと、両者を見比べ勝手ながら感慨深いものを感じました。


別離、そして新たな出会い。
怒涛の展開を迎えた一日を終え、裕也は改めてアリスと向かい合っていた。
彼女の口から語られるのは、『スペルカードルール』
人が妖怪に立ち向かうことのできる唯一無二の法則とは、一体──?






 

 

 

 

 

 話が済んだ頃には、空は白み始めていた。

 

 少し休んだとはいえ、疲れが溜まっているだろう。 というアリスの気遣いにより、一先ずゆっくりさせてもらうことになった。

 空き部屋が一つあるので、そこを当面俺の部屋として使って良いらしい。

 そしてなんと、衣服に関してはアリスが作ってくれるそうで。

 

 流石に世話になり過ぎではないかと断ろうとしたが、”私がしたいだけだから”と押し切られてしまった。

 聖母か?聖母なのか?アリスは。 

 拝めてみるか?……嫌がられそうだな。辞めておこう。

 

 その日はそのまま就寝。

 寝具もまたアリスお手製らしく、ふかふかの布団は天国に行けてしまうのではないかという寝心地だった。

 

 そして翌日。もう日は高く昇っていたが、遅ればせながら起床。

 アリスの作ってくれたこれまた絶妙な調理具合の食事をとり、──もはや彼女に出来ないことを探すほうが難しい気がする──少し落ち着いたところで小屋の前に出てきた。

 即席でテーブルセットが創られ(もはや何もツッコむまい)、促されるままに着席する。

 

 流れるような動作で対面に座り、肩の前に来ていた髪をかきあげる。

 所作の一つ一つが、一々洗練されているなと改めて感じさせられた。

 

「今日は、昨日言った”スペルカードルール”の説明から入るわね。少し長いけど、頑張ってついてきて」

 

 そう前置いて、アリスはつらつらと説明を始める。

 理路整然としている上、ところどころ要点は紙に記しつつの解説。

 言うまでもなく、非常にわかりやすかった。

 

 彼女が説明してくれた内容を俺なりに纏めてみる。

 

 まず、”スペルカードルール”が制定された目的。

 これは、細かいものを含むと勿論たくさんあるのだが、主としては二つ。

『世界そのものへの被害を減らすため』『弱者も強者に対抗できるようにするため』

 

 前者。この世界が凄まじい力を持つ妖怪で溢れかえっていることから、ちょっとした喧嘩一つで地形が変わるということが昔は頻発したらしい。それを少しでもマシにするという狙いがあったそうだ。

 

 後者に関しては、詳しく話そうとすると、そもそもこの世界に成り立っている勢力どうしの力関係や、世界の調停者としての役割を担っているらしい博麗の巫女など、幻想郷の構成自体にも焦点を当てる必要があるので、細かくは割愛する。

 アリスは勢力図まで書いて懇切丁寧に説明してくれたが、俺はあのように整然と説明する自信はない。

 

 早い話が、”人間のような矮小な存在でも、強大な妖怪に対抗することが出来る唯一無二の法則” そういうことらしい。

 

 そして、肝心のルールの中身。

 まず、”スペルカードルール”における戦闘は、”弾幕ごっこ”と呼称する。

 わざわざ”ごっこ”と呼ぶのは、あくまで遊戯の一環であるため全力を出しすぎないように、という意図が込められているのか……いや、流石に考えすぎかな。

 

 そもそも弾幕とは何かというと、自身の持てる力……霊力や魔力に始まり、妖力や神力など、まぁ正直なんでも良いのでそれらを使っての遠距離攻撃(可視限定)だと思えば良い。

 

”弾幕ごっこ”で用いる弾幕は、極力殺傷力を抑え、美しさを追求するものとする。

 相手を殺せば良いというわけではないのだから、余計な傷害を出さぬよう、不要な威力は削れと、そういうことらしい。

 これは、先述の”世界そのものを守る”ということにも繋がるのだろう。

 

 美しさに関しては、アリスも経緯はよくわからないと言っていた。

 とにかく、そう定められている以上、皆が皆より壮大で美しい弾幕を作り上げようと精進しているそうだ。

 

 折角なので、アリスにせがんで弾幕というものを少し見せてもらった。”私は弾幕ごっこは得意な方ではないから、あまり期待しないでね?”と前置きながらも、彼女は快く引き受けてくれた。

 

 正直言おう。圧倒された。

 アリスを中心とし、密集した色とりどりの米粒のような弾が一塊となって流動し、まるで川がそこに流れているかのように螺旋を描く。

 感動した、壮観だったと素直な興奮を伝えたところ、どこか気恥ずかしそうに頬を染めるアリスの姿がとても印象的だった。

 

 話を戻そう。

 ”スペルカード”というのは、予め使う弾幕の詳細──実際にどのように展開するかということや、その時間など──を登録しておき、いざ戦闘が始まったら宣言し、使うものらしい。

 

 カードに定められた内容を消費し尽くすか、その発動中に相手の弾幕に被弾するなどして展開を止められた時、そのカードは攻略されたものとする。

 そうして勝負を続けていき、予め両者合意で決めておいたスペルカードを先に使い切ってしまった方が、勝負の敗者となる。

 

 俺を始めとした、特別な力を持ち合わせていない”人”でも、このルールにのっとった勝負は認められる。

 その場合は、相手の使ってくるスペルをすべて避け切ることのみが、勝利の方法となる。

 

 以上。”スペルカードルール”については、こんなものだろうか。

 要するに、”相手の弾をよく観察し、回避し続ける力”さえ身につければ、俺のような人間でもルールの下でなら妖怪に適う可能性があるということ。

 アリスはそれを念頭に置いて、特訓をしてくれるらしい。

 回避だけとはいえ、短期間で身に着けないといけないから、相当スパルタになっちゃうけど覚悟してね? とのことだ。

 

 

 

 話が終わり、ふうと息を吐いていると、コトリ、と目の前にカップが置かれる。

 昨夜の逃走劇の際、先頭を切ってくれていた存在であることに、すぐに気づいた。

 

「あら、上海、気が利くじゃない。ありがとう」

 

 アリスが微笑む。

 そうか、この子は上海っていうのか。

 

「あ、ごめんなさい。まだ紹介してなかったわね。この子は上海。私の作った人形よ」

 

 へえ、人形ね……人形!?

 俺の表情から何を読んだのか、アリスが頷く。

 

「ええ、私の趣味は人形作りなの。まだ出来ていないけれど、いつか完全自律式のものを作ってみたいと思っているわ」

 

 人形作りが趣味。それだけ聞くと、彼女の容貌も相まって、なんともメルヘンチックなものを感じさせる。

 

 思わずまじまじと見つめると、上海はこてんと首をかしげた。

 頬を指でつついてみた。 擽ったそうに身をよじる。

 頭を撫でてみると、目を閉じて気持ちよさそうにしている。

 

「……生きているようにしか見えないんですけど」

 

「ふふ。この子は年季が違うから。特別よ」

 

 年季の問題なのか? ああ、でも、強い想いがこめられたものは永い時を超えて付喪神になることがあると、昔聞いたことがある気がする。

 そういうことなのか?いやでも、アリスはハッキリ人形と言ったし……

 

 うまく纏まらない思考で上海をみる。

 ちびっ子はとうとう船を漕ぎ始めた。

 

──ま、いっか。かわいいし

 

 思考を放棄し、紅茶を口に含む。

 温かさが胸に染み込んでいく。

 

 安らぎの中、まるで我が子を慈しむ母親のような表情で、上海を見ながら微笑んでいるアリスをみて。

 

 こいしの件が解決するまではもちろん、その後も……

 この光景はいつまでもみていたいものだ。 なんとなく、そう思った。

 

 

 

 

 

 







アリスはスーパーパーフェクトでなんでもできる最高のお姉ちゃん(語彙力)


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紅き館よりの招待状

ご愛読ありがとうございます。高評価、大きな励みになっております。

名前だけですが新しいキャラがちらほらと。


 

 

 

 

 早いもので、アリスに助けられ修行を始めてから、もう三週間が経とうとしていた。

 

 全てはこいしに会うため。

 アリスの指導のもとひたすら回避の特訓に明け暮れた成果か、今では結構な密度の弾幕であっても問題無く回避できるまでになった。

 

 

 この三週間、俺自身はアリスにより外出を禁じられていた。

 しかし、彼女目当てに訪ねてきた人。また、良い機会だからとアリスが呼んでくれた人。様々な人と交流を結ぶことができた。

 

 親友だという、博麗霊夢に霧雨魔理沙。竹林で案内人をしているという藤原妹紅。仙人であり、数多の動物を手懐ける茨木華扇などなど。

 皆それぞれ個性に満ち溢れていて、今までの交友関係がいかに狭く、小さなものであったかを痛感した。

 

 霊夢には渋い顔をされた──恐らく、巫女という立場から俺のする予定の無茶は看過しにくいものだったのだろう──が、他の皆は事情を知ると力強く応援してくれた。色々と力になろうとしてくれた。

 特に、アリスのみだとどうしても慣れきってしまうので、手合わせの相手になってくれたのは本当に助かった。

 

 

 そして、いずれ地底に行く際に必要になってくる飛行能力に関しては、森近霖之助という人と、河童の河城にとりが共同製作で解決してくれた。

 

 ジェットと名付けられたそれを背中に装備して念じれば、予め装填しておいた魔力が背部から噴射され、推進力がうまれる。

 それを利用して身体を浮かび上がらせる という仕組みだ。

 

 はじめは加減が難しく、何度も暴発したり墜落したりで。その度にアリスに心配され、非常に迷惑を掛けてしまった。

 そうして、練習の甲斐あって使いこなせるようになった今、ジェットは弾幕ごっこにも利用している。

 

 上昇下降という三次元の動きが加わることで、正直見える世界が変わった。

 思わず動きを止めて魅入ってしまいそうにもなる、洗練された美しい弾幕。

 それをくぐり抜けていく時の爽快感といえば、筆舌に尽くしがたいものがある。

 

 

 そんなこんなで、非常に充実した三週間を送らせてもらった俺だが、一つ、懸念点があった。

 実戦経験が致命的なほどに不足していることだ。

 翌週にも、俺は地底へ発つ。

 地底の道のりでは数多の妖怪が立ち塞がる。それを切り抜けてようやく、こいしのもとにたどり着くらしい。

 

 俺はこれまで、一体一の戦闘なら、随分と鍛えさせて貰ってきた。

 しかし、当然だが、敵が襲い来る中それをかいくぐっていくという体験はしたことが無い。

 それに、一対一と言っても、親交のある人に模擬戦として戦ってもらっただけで、相手に敵意や害意があった訳では無い。

 

 そのあたりをどうするか。一度深く考える必要がある……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 出発まであと五日。

 今朝はアリスが不在だったので、一人で修練。

 そして午後、帰ってきた彼女と食後のひとときを過ごしていると、徐に一枚の紙を手渡された。

 

 これは、メッセージカード?

 怪訝な顔をしていると、アリスが口を開く。

 

「ええ。とある人からの招待状よ。あなた宛のね。」

 

 訝しみながらも、中を読んでみることにする。

 

『ごきげんよう。噂は聞いているわ。

 ニンゲンの分際で、地底に乗り込もうとしているのですってね。

 あなたにその資格があるかどうか、この私が直々に見極めてあげる。

 満月の夜、紅魔館で待っているわ

 ps. ウチの従者たちは少々手が早いから、せいぜい心してくる事ね

                  夜の王 レミリア・スカーレット』

 

「これは……」

 

 アリスの顔を見る。

 

「ええ、以前話したことがあるでしょう?湖のほとりに佇む洋館には、吸血鬼が住んでいるって。そこからよ」

 

 紅魔館。

 魔理沙に聞かされた武勇伝の中にもあった。

 確か、吸血鬼の姉妹が取り仕切る館で、凄腕の魔法使いや、時を操るメイド長らが居ると。

 

「前々から、実戦経験について懸念していたでしょう?早々都合よく異変が起こるわけもないし、それなら……ということで知り合いに打診していたの。

 ギリギリになって申し訳ないけれど、ようやく話が纏まったわ。

 そしたら、レミリアが形にも拘りたいって」

 

 そう言ってメッセージカードに目をおくる。

 

 なるほど。地霊殿に乗り込む前哨戦として、紅魔館の人達が協力してくれる、と。

 手が早いってのは、道中館の関係者たちが立ち塞がってくるから、それを打ち破ってみせろってわけか。

 はやとちりかもしれないが、多分そういうことだろう。

 

「つまり、障害を突破して、ゴールまで辿り着けってことですね。五日後の練習として」

 

「ええ。理解が早くて助かるわ。

 もっとも、練習と言っても、向こうは手を抜いてくることはない……今一度問うわよ」

 

 アリスはそこで言葉を切り、真剣な瞳でこちらを見据える。

 普段の柔和な表情から一変、威圧感すら感じさせるその姿に、思わず喉が鳴った。

 

「本気の彼女達を突破して、レミリア……ひいては、こいしの元へ向かう覚悟はあるわね?」

 

 言い逃れは許されない。強い眼差し。

 空気が重くなる。

 

 答え?そんなものは決まっている。

 

 居住まいを正し、彼女の蒼い瞳を見つめ返す。

 

「もちろん。俺は、絶対に逃げません」

 

 ある程度鍛えて貰って、更に色々と支援を貰っているとはいえ、俺は所詮人間。

 妖怪に挑むにあたって、恐れがないとは言えない。

 でも、俺は決めたから。 絶対に逃げない。こいしにもう一度会いにいく。

 

「シャンハーイ!」

 

 いつの間にか近くに来ていた上海が、小さな手を突きあげる。

 応援してくれているのだろうか。

 

 頭を撫でてやると、目を細めて嬉しそうにする。

 見れば、アリスも表情を崩していた。

 

「頑張りなさい。応援しているから。私も、この子も。ね?」

 

「──はいっ!」

 

 満月は、今夜。

 さあ、一つやってやろう──!

 

 





次回からは『re:東方紅魔郷』編になります。
といっても、もう一話だけ、挑戦前にシーンを挟みますが!


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いざ、紅き館へ

本当に、魅力的な子ばかり。
新キャラがちらほら出ます。それぞれの魅力を最大限引き出せるよう努力したつもりです。



実戦経験の不足という懸念点。
アリスは、既にその克服へ向けて動いていた。
吸血鬼の少女、レミリア・スカーレット。
彼女からの招待状が届き、物語は動き始める──


 

 

 あたりに夜のとばりが降りた頃。

 俺はアリスに連れられて博麗神社にいた。

 

 博麗の巫女が住まうこの社は、幻想郷の中枢を担うに相応しく、非常に立派な造りとなっている。

 まぁ。その割にはどこか閑散としているのだが……人里から遠く離れている以上、仕方が無いのだろう。

 何故人里の守護者の住まいがこんな辺境にあるのかというと、昔の名残らしい。

 

 かつて、この世界が今よりずっと物騒だったころ、頻繁に受けていた襲撃に人間たちが巻き込まれにくいようにするため、このような離れた場所に拠点を置いたそうだ。

 

 尤も、ここまで離しては、人里が狙われた際に駆け付けにくいような気がする。 そのあたりは、昔のことだからよく分からない。

 だがまぁ、こうした形で落ち着いているということは、実際それでなんとかなっていたのだろう。

 

 

 閑話休題。

 

 この三週間、殆ど外出を許されていなかったはずの俺がどうしてここにいるのか……ということに関しては、言うまでもないだろう。

 

 あの後、招待を受けることで意思確定した俺たちは、今夜へ向けて仮眠を取り、ばっちり体調を整えてきた。

 その間、アリスは親友二人に話を通していたらしく、この話を受けての霊夢の一言が、『それなら、今夜神社で待っているわ』だったそうだ。

 

 正直、俺からすれば何故わざわざ神社に出向くのか皆目見当もつかないが、そこは親友同士、以心伝心の仲というものなのだろう。二つ返事で了承し、こうして俺をここに連れてきたらしい。

 境内では既に霊夢と魔理沙が待っていた。

 

「おう、裕也、きたか」

 

 快活な笑みと共に手を振られたので、こちらも振りかえしておく。

 ”ごめんなさい、待たせてしまったかしら?” ”別に。待ってないわよ”

 そんなやりとりを終えた霊夢がこちらを向いたので、目礼。

 

 今夜、紅魔館へ向かうのは、俺のみにしなければならないと聞いている。

 だから、ここにいる霊夢たちは勿論、アリスも一緒に行くことはない。

 

 だったら猶更、俺たちは何故? 

 ただ見送るだけなら、わざわざ呼び出さず、こちらに出向いて来れば良さそうなものだけど……

 

「はは。なんで呼ばれたのかわからないって顔をしてるぜ」

 

 見抜かれていたか。思わず苦笑してしまう。そんなにわかりやすかっただろうか。

 霊夢がこちらを見据える。

 

「別に、そんな構えるような理由じゃないわ。”妖怪の拠点に乗り込むのなら、博麗神社から”それだけよ」

 

 興味が薄そうに言い捨ててみせる彼女だったが、どことなく、その言葉は熱を帯びているような気がする。

 

 そうか。そういえば、魔理沙から聞かせて貰った武勇伝は、全て博麗神社を起点としていた。

 二人も否定しないところを見るに、この場所は、それぞれにとってそう言う意味で思い入れの強い場所なのだろう。

 

「なあ、知ってるか?博麗神社から出撃した異変解決組は、失敗したことがないんだぜ」

 

「つまり、ゲン担ぎみたいなものね。これは霊夢なりの激励なのよ」

 

 魔理沙がニカっと笑い、アリスが微笑む。

 そっぽを向いていた霊夢は、突然こちらへ顔を向けると、鋭い目を向けてきた。

 

「わかっているわね? この場所からでていく以上、失敗は絶対に許されないわ」

 

「全く、霊夢にも困ったもんだぜ。素直に頑張れって言えばいいのに」

 

 フン、と鼻を鳴らすと、またそっぽを向いてしまう。

 

 ああ、俺は、本当に良い知り合いに恵まれたんだな。

 

「……三人とも、ありがとう。安心してくれ。絶対に辿りついて見せる」

 

 ”当然よ” ”頑張れよ” ”貴方ならできるわ”

 胸が温かくなるのを感じた。

 

 これは、負ける訳にはいかないな──

 

 

 彼女らに背を向け、雲一つない空を見上げる。

 まだ見ぬ紅き館の王。そして、その先に待つ、愛しい緑髪の少女に想いを馳せて。

 

 満天の星。空では欠けた部分の無い見事な月が昇り始めようとしていた。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ここは、湖の畔に佇む紅き館。

 その二階で、幼き王は、ワイングラスを片手に夜空を眺めていた。

 

「……つい先ほど、博麗神社を発ったようです。

 彼は”奇しくも”以前と全く同じ経路を辿っています」

 

 突然の背後からの声。 王は揺るぎもしない。

 

「そう、わかったわ。 そうね……折角のお客様なのだから、お出迎えが必要かしら」

 

「はい。そう仰られるかと思いまして、既に彼女を向かわせています」

 

「流石ね。では、貴女も配置につきなさい。 いいわね? 潰すつもりで戦るのよ」

 

 立て板に水のようなやり取りが、ここで僅かに止まる。

 

「…………はい、承知しております」

 

 しかし、それもほんの一瞬のこと。瀟洒なメイドである彼女はすぐに了承の旨を返す。

 それに伴い、背後の気配が消えた。

 

 甘いわね、あの子も。

 

 我々が手を抜いても、彼にはなんの得もない。そうしたところで、地底で野垂れ死ぬだけ。

 話に聞く限り、地底も随分愉快なことにはなっているようだが……それとこれとは別。

 もうとっくに、あちらは動いている。腑抜けた精神で向かったとして、入口すら抜けられないだろう。

 

 ここで潰れてしまうなら、所詮その程度の男だったということ……

 

「見せてみなさい。貴方の運命を」

 

 グラスの残りを飲み干し、羽をはためかせる。

 

 紅き主が、青年を迎えるべく配置に────「お姉さま!!」

 

 大きな音と共に扉が開け放たれ、重苦しい雰囲気が四散する。

 思わぬ妹の乱入。ここに来て、初めて少女の顔が引き攣った。

 

 

 

 






スーパーカリスマお姉様は最後の一歩が締まらない。


次話より、いよいよ弾幕ごっこが入ります。
精一杯描写するつもりでございますので、どうぞよろしくお願い致します。


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宵闇のルーミア

今年一年、本当にありがとうございました。
今話も、そして来年も、最大限の原作リスペクトとキャラへの愛でもって筆を取らせていただきます。



霊夢たちと言葉を交わし、漸く夜空に出た裕也。
そんな彼の前には、沢山の悪戯妖精が現れる。
彼の『東方紅魔郷』が、今、幕を開ける──



 

 

 もはや相棒とまで呼べるようになってきたジェットをふかして、浮かび上がる。

 眼下の霊夢達に手を振り、夜空へ飛び出した。

 

 夏とはいえ、この時間ともなると割と涼しい。

 魔理沙も言っていたが、風を切って飛翔することには確かな爽快感がある。

 アリスの魔力を動力としているこの装置が、熱を排出しない……というのも大きいか。

 

 うっかり方向を間違えてしまうことのないよう、しっかり確認。

 うん、大丈夫だ……ん、何か来る?

 

 方向はたしかに問題なかったのだが、前方から何かが飛んできていることに気付いた。

 ピンク色の服を着た、小生物。恐らく、これこそが妖精というものだろう。

 

 ちらほらと飛んでくる妖精を適当に避けながら飛ぼうとすると、不意にピンクの弾が飛んでくる。

 幸い、単発で速度も大したことが無かったので、難なく回避。

 それを皮切りにしてか、あちこちから同様の弾が飛んで来始めた。

 

「っと。これが、魔理沙の言ってた悪戯妖精ってやつか」

 

 頼りになる快活な少女の言を思い出す。

 確か、異変解決の時には決まって好奇心旺盛な悪戯妖精が弾幕を打って邪魔してくる……と。

 撃ち落としたり適当に回避したりであしらうのだが、なかなかに面倒臭いと言っていた。

 これは異変ではないはずだが……レミリアさんとやらの計らいだろうか。

 

 それにしても……なるほど、実戦とはこういう事か。

 ま、この程度なら特に問題もないかな。

 

 特に障害もないまま飛翔していると、先程まで湧いてきていた妖精たちが一斉にどこかにいく。

 飽きたのだろうか。辺りがまた静寂に包まれる。

 

「ただ飽きて去ったってだけならほんとに楽なんだけどなぁ」

 

 思わず苦笑が漏れる。

 なんとなく、分かってしまった。

 微妙な違いだが、先程までと比べて空気が重い。

 

「にしても、風が気持ち良いな。妖怪が出るから夜は危ないと言われてきたけど、たまには良いかも」

 

 敢えて明るく呟く。萎縮しているわけにもいかないから。

 油断無く進んでいると、行く先を阻むように少女が現れた。

 金色の髪を赤いリボンで纏めあげていて、全身白のワンピースの上に黒いベストのようなものを重ねている。

「そうかしら。夜はお化けもでるし、たまんないわ」

 

「……お化けもそうだが、人間からすれば妖怪が一番たまらないよ」

 

「それはまぁ、当然」

 

 この子が現れてから、空気が一段と重くなった。

 間違いない。妖怪だ。

 魔理沙の話にあったか?金髪の少女……

 

「……ま、なんでもいいわ。そんなことより……」

 

 思い出す暇は与えてくれないらしい。

 少女から放たれる圧が増した。

 何をされても良いよう、身構える。

 

「貴方は食べても良い人類?」

 

「──ッ!?」

 

 言うが早いか、赤いレーザーが飛んでくる。

 辛うじて躱すと、少女はニタリと笑った。

 

 こんな所で食われてしまう訳にはいかない。

 どうこの場を気に抜けようかと必死に頭を働かせる。

 そんなこちらの様子などどうでも良いのか、いたって彼女はマイペースに口を開いた。

 

「あら、避けちゃった。ねえ貴方、スペルカードルールって知ってるの?」

 

 両手を横に広げる謎のポーズのまま、首を傾げる少女。

 

 ……ん、もしかして、なんとかなる?

 首肯すると、彼女は懐からカードを取り出した。

 

「なんだ。じゃあ取ってたべれない人類か……じゃあ、弾幕ごっこね。二枚、避け切れたら見逃してあげるわ!」

 

 少女が掲げたカードが光る。

 良し。弾幕ごっこなら、まだ俺にも分が。

 二枚か。望むところだ!

 

「『夜符 ナイトバード』」

 

 放たれるは青と水色。

 少女の両手から放たれた孤状の弾幕が折り重なるようにして襲い来る。

 

 確かに美しいが……

 アリスに教わった。弾幕ごっこは、如何に相手の弾を見極め、必要最小限の動きをするかが肝心であると。

 しっかり観察すると、迫る度に少しずつ横にズレるだけで回避できることがわかる。

 

 落ち着いて、回避。

 大丈夫。もっと厳しい練習をこなしてきた筈だ。

 

「ありゃ。慌てすらしないか。結構自信あったんだけどどな」

 

 撃ち切ったのだろう。弾が止まる。

 見ると、既に二枚目のカードが掲げられていた。

 

「闇に呑まれなさい!『闇符 ディマケーション』」

 

 少女を中心として真っ暗な闇が広がっていく。

 球状に膨張したそれは、回避する間もなく俺を呑み込んだ。

 

「っ……」

 

 視界は完全に闇に包まれ、自身の身体を捉えるので精一杯。

 少女に関してはもはや何処にいるのか検討もつかなくなってしまった。

 

「博麗の巫女に敗けてからずっと磨いてきたの。鳥目になった気分はどうかしら!」

 

 鳥目?……ああ、夜盲症のことか。

 鳥目云々って言うより、暗視能力有無の問題だろうこれは。

 

 釣られてどうでも良いことを考えながらも、目を凝らして少女の姿を探ろうとする。

 すると、突然前方から米粒のような弾が放たれ始めた。

 

 とある一点を中心として円を描くように広がっていく弾幕。

 ただ円を描くだけではなく、その中で小さな弾が網目のように交差して飛び交っている。

 

 じっくり見て、回避。

 大丈夫。視界こそ悪いが、目を凝らせば見える。

 

 集中。よく観察して隙間をくぐり抜け…………

「──ッ!?」

 

 悪寒を感じ、慌てて身体を傾ける。

 先程まで頭があった位置を、矢のように青い弾が突き抜けてゆく。

 

 危ない。小粒の弾は囮という訳か。

 劣悪な視界の中、環状の弾幕を避けねばならず、さらに気を取られすぎては不意を付くように高速弾が飛んでくる…… 厄介な。

 

 そうだ、アリスにも散々言われていたんだった。

 弾幕ごっこは、如何に全体を 俯瞰( フカン)するかであると。目の前に囚われすぎては、すぐに追い詰められてしまう。

 

 落ち着いて、一歩退いた目線でみることを心がける。

 すると、青い弾は輪の中心部分に生み出され、3秒ほどしてから、その時点で俺がいた場所に寸分狂わず飛んでくる……ということが見て取れた。

 

 種が割れれば、そこまで大変というわけでもない。

 闇にも徐々になれてきて、回避にも余裕が生まれてくる。

 そうして暫く続けていると、十度目くらいの青弾を躱したところで、はたと弾幕が止んだ。

 

「あらら~ほんとに避けきっちゃった。私の負けね。やるじゃない、ニンゲン」

 

「……裕也だよ。柊 裕也」

 

 負けたにもか関わらず、どこか間延びした声を出す少女。

 実際、ほんの遊びのつもりでしかなかったんだろう。思わず苦笑が漏れた。

 

「裕也ね。私はルーミア。貴方のこと、覚えておくわ。また遊びましょう」

 

 言うが早いか、何処かへ飛び去ってしまう。

 結局、最後まで、イエスが十字架に括られているかのような謎のポーズを辞めることは無かった。

 

 ルーミア、か。なんとも自由な娘だったな。

 ……だが、なにはともあれ、実戦初勝利だ。

 

 相手が明らかに手を抜いていたとはいえ、これが知り合い以外との弾幕ごっこでの初勝利。

 もちろん浮かれるわけには行かないが……嬉しくないはずも無かった。

 小さく拳を握って、高揚感に少しだけ酔う。

 季節の割には冷たい風が、頬を撫でる。今はそれがとても気持ちよかった。

 

 

 

 

 

 少しだけ経って、またジェットをふかし夜空を進み始める。

 感覚的に、道中はこれで三分の一くらいだろうか。

 もうしばらくすれば、館の姿も見えてくるはず。

 

 さあ、まだまだ夜は始まったばかり──

 

 

 

 

 






レミリア様の趣向により過去の紅霧異変をなぞっている訳ですが……はてさて、どこまでレミリアの思惑通りにことが進むのでしょうか。
来年もどうぞよろしくお願い致します。


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簡単なこと

新年最初の更新ということで。本年もどうぞ宜しくお願い致します。
より、読者様の心に届く作品を目標に精進して参ります。





 

 

 ルーミアと別れること暫く。

 前も横も、岸が全く見えないほどに大きな湖にさしかかった後。俺は事前に聞いていた通り、その外周を回るように進んでいた。

 一応、湖を突っ切っていった方が早くつくらしいが、そんな度胸は流石に無い。

 

 それにしても、夏……だよな?なんでこんなに冷えるんだ?

 水の近くだからと言っても、限度があるだろう。

 

 悪戯妖精達もこの冷気は堪えるのか、先程からチラホラとしか現れない。

 だからと言って楽になるかと思えば……そうでは無かった。

 

 妖精の代わりとでも言うつもりか、結構な大きさの氷の結晶がどういう原理か飛んでくる。

 それもかなりの密度で、正直妖精達の方が余程ましだ。

 

「それにしても……霧が濃すぎるだろ」

 

 思わずつぶやきが漏れる。

 そう、どうもこの一帯、やたらと霧が濃いのだ。

 霧の湖という名なだけある。そして、確か魔理沙の話によれば……

 

「道に迷うは、妖精の所為なの」

 

 水色の髪をした妖精が、突如目の前に立ち塞がる。

 その身には強い冷気が纏われていて、周囲の温度を下げている要因の一端であることは明らかだ。

 

 この娘が恐らく、チルノという氷精だろう。見かけの印象に反して、案外強力な氷の使い手……とのことだったはずだ。

 

「そりゃ厄介だ。これから急いで向かわないと行けないところがあると言うのに」

 

 霊夢だったら、案内しろよとくらいは言いそうだ。

 魔理沙なら……寒いやつだと文句を言うかな?

 

「急ぎ?どこへ行くの?」

 

「この先の紅魔館ってところに呼ばれているんだよ。レミリアさんって言って分かるかな」

 

 答えると、氷精は少しだけ考えるような素振りを見せる。

 

「れみりあ……ああ、フランのお姉ちゃんね!もちろん知っているわ!」

 

 フラン。その名前にも聞き覚えがある。

 あれは確か、アリスの家の前で歓談していた時だ──

 

 

 

「ああ、そうだ、前に紅い霧の異変の話をしただろう?」

 

 魔理沙がカップを置き、こちらに顔を向ける。

 

「レミリアっていう吸血鬼を倒した話?」

 

 ある日突然、幻想郷中が霧に覆われた異変。

 紅霧異変と呼ばれているその事件において、霊夢と魔理沙はたった二人で元凶であった館に殴り込み、見事、解決に導いたらしい。

 

「その話。一応続きがあってな。異変解決して一週間くらいだったか。神社から紅魔館までの間だけ雨が降り続けるっていう現象が起こって」

 

 特定の地域にだけ雨が降る?

 流石に自然では起こり得ないだろう。誰かの仕業ってことか。

 

「その時、レミリアはこっちに遊びに来ていたんだが、あいつ、私らになんて言ったと思う?」

 

 なんと言ったか……か。

 レミリアさんって人を見たことないからなんとも言えないな。

 

「『困ったわ。これじゃ帰れないじゃない。ちょっと探ってきてくれないかしら』だ。 厚かましいもんだって笑っちゃったよ」

 

 可笑しそうに笑う。

 それを見ていると、なんとなくだが、レミリアさんとも随分と仲良いんだなと感じることが出来た。

 

「それで、仕方ないから私が行くかって話になってな。いざ発とうとしたところで、レミリアに呼び止められたんだ」

 

 レミリアさんに?

 何か伝えるべきことでもあったということだろうか。

 

「『……頼んだわよ』って。いつになく真剣な顔でな。私は悟っちまったよ。 あー、これからが本番かって」

 

 本番って、異変はもう解決していたんじゃないのか?

 

「ああ、異変解決自体は終わった。けども、レミリアにとっての本番……つまり、紅霧異変の真の目的は、これからだったんだよ」

 

 なるほど。何事も表の事情、裏の事情があるとは言うが……

 

「紅魔館へ向かい、何故か立ち塞がってきたパチュリーを撃破し、パチュリーにも『不本意だけど、託すわよ』って言われてな。

 そうして辿り着いたところで待ち構えていたのが──」

 

 

 

「……フランドール・スカーレット」

 

「え?なに?ああ、確かにそんな名前ね!フランとしか呼んでいないけど」

 

 思わず言葉が漏れてしまったが、不信を抱かれることは無かったようだ。

 フランドール。長い間地下に閉じ篭っていたという、レミリアさんの妹。

 ありとあらゆるモノを破壊することが出来る能力があり、狂気に囚われていた過去を持つ…… だったかな。

 

 もっとも、魔理沙やアリスの話を聞く限りでは、今はただお姉ちゃん大好きな可愛い妹って感じらしい。

 凄まじい能力だから、甘く見ることだけは絶対にするな。と警告はされている……が、まぁ、ただの人間でしかない俺からすれば、強大な妖怪であろうとその辺の木っ端妖怪であろうと等しく危険なわけで。

 

「フランの家に行くのなら、あたいが案内してあげる!」

 

 と、思考を巡らせている合間にいつの間にか話が飛躍していた。

 氷精は腕を組み、ふんぞり返っている。

 

「それは有難いが……いいのか?」

 

 内心首をかしげてしまう。魔理沙たちの話では、とても好戦的って聞いていたんだけど。

 戦闘は避けられないかと思っていたんだが……

 

「トモダチだからね!あたいがセキニン持って紹介してあげるってわけ。大丈夫よ!あんたが悪いやつじゃないことはわかるから!」

 

 そう言って屈託のない笑みを見せる。

 

 しかし、悪いやつじゃない……か。

 

 ふいに、こいしの顔が頭をよぎる。

 今も強烈に残っているあの時の顔。その瞳には、何も映し出されていなかった。

 あんな顔をさせてしまって、傷つけて……

 

「ちょっと、なにシンキクサイ顔をしているのよ。あたいの案内が不満だっていうの?」

 

 はっと顔をあげると、氷精が不満そうな顔をしていた。

 しまった。失礼極まりないことを。

 

「い、いや、申し訳ない。そういう訳じゃないんだ」

 

 謝罪の意を込めて、咄嗟に頭を下げる。

 いけない、前を向くって決めたんだ。

 

「ったく。簡単じゃないの」

 

「え?」

 

 簡単?何が。

 そんな俺の表情が分からなかったわけでは無いだろう。

 彼女は、こちらをじっと見つめると、にかっと笑う。

 

「だーかーらぁ、相手を傷つけちゃったなら謝れば良いって言ってんのよ。簡単でしょう?」

 

「──ッ!」

 

 その言葉は、驚くほどにすっと胸に入って来た。

 そう。たしかに簡単だ。やらかしてしまったなら、謝る。

 

 気休めかもしれないが、何処か少しだけ心が軽くなった気がする。

 

「どうなの。違うの?」

 

「……いや、違わない。

 けど、どうして?」

 

 何故、まだ会って数分の、俺が考えていたことを言い当てることが出来たのか。

 そんな思いを込めて氷精を見ると、彼女は不意に真面目な顔付きになる。

 

「あたいはサイキョーだから……って言うのは簡単だけど。

 ……似てたのよ。フランの顔と、ね。あいつも、あんたと同じ顔をしていたわ」

 

 同じ……か。

 

「ええ、同じよ。仲良くなるの苦労したんだから。ま、あたいはサイキョーだから、ヨユーだったけど」

 

 そう言ってにかっと笑う。

 その笑みは、さっきと同じようで、全く違って見えた。

 

「ま。そういう訳だから。くよくよしてんじゃないわよ。失敗したら謝って、仲直り。 ジョーシキでしょ?」

 

「……ああ、そうだな」

 

 釣られるように笑みを浮かべる。

 こんな妖精にまで諭されるとはな。

 

「それで、どうするの?行くの?」

 

「あー……それなんだが、よく考えたら、一人で来るように言われているんだよ。だから、案内も普通に駄目だと思う」

 

 そう、考えがあちこち飛躍したせいでうっかりしていたが、そもそも何のために俺一人で来ているのかという話がある。

 わざわざ申し出てくれるのは非常に有難いが、こればかりはどうしようもない。

 

「あーそう。じゃあ仕方ないわね!何かあったらあたいを頼りなさい!助けになってあげるわ!」

 

 そう言って、また胸を張る。

 思わず笑ってしまった。

 

「ああ、ありがとう。心強いよ」

 

「まだ聞いてなかったわね。あたいはチルノ。あんたの名前も教えなさいよ」

 

「俺は裕也。柊 裕也 だよ」

 

「ユーヤね!覚えたわ。これであたい達はトモダチね!」

 

「ああ、友達だ」

 

 ひとしきり笑い合い、別れる。

 チルノ……か。

 正体としては予想を外していなかったわけだが、事前に魔理沙から聞いていた存在とは随分と印象が違った。

 そうだな。こいしの件は、くよくよ言っても仕方ない。

 ちゃんと謝って、やり直す。

 そのためにも、ここで立ち止まるわけには行かないな。

 

 

 頬を軽く叩き、改めて気合を入れ直す。

 目的地は、もうすぐだ──

 

 

 

 

 




これが、私の解釈におけるチルノ。ただの馬鹿ではないんです。この子は。



新作の連載を始めました。更新頻度としては、それぞれを2週間ごとに……というのを理想に。忙しくとも、最低月一は更新できれば、と思っております。


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