麻雀少女に愛を囁く (小早川 桂)
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01-世話焼きは社会人になると苦労人にランクアップする
トップバッターは弘世菫さん。
高校時代。私は部長としてみんなに頼られていたと思う。そのような風潮もとある友人の御守りをしていたからできたのだろう。
宮永照。
学生時代は三年連続で個人戦のインターハイチャンピオンに輝き、団体戦でも二年連続優勝。エースの名にふさわしい活躍をやってのけた。
卒業後はプロ麻雀団体、横浜ロードスターズにドラフト一位で競合の末に入団。一年目に新人王。弱冠二十歳で最優秀和了率とシーズンMVPの座を奪取し、瞬く間に人気選手となった。
首位打点王のタイトルを獲得した三尋木詠プロとのWエースとして看板選手の彼女だが、その裏にはもう一つの顔がある。
実は彼女は麻雀以外はからっきしのポンコツダメダメ少女なのだ。
お菓子がないと生きていけない。運動はしない。化粧もできない。道に迷う。朝一人で起きられない。などと例を挙げればキリがない。
そのようなダメっ子ぶりは十年経った今でも変わらない。
だから、あれほど自分磨きをしろと私は言い続けたのに……。
もう二度とお前の世話係は嫌だからな! 絶対にしないからな! ……と、そう思っていた時期が私にもあったなぁ……。
「弘世さん。良かったよ! 宮永さんに今度も頼むって言っておいてくれる?」
「はい、わかりました」
「弘世さん! この後、次の打ち合わせイケる? ちょっと普段と違うことやりたくてさー」
「わかりました。すぐに伺わせて頂きます」
「菫。お菓子欲しい」
「ダメに決まってるだろうが! 話を聞いてなかったのか? 打ち合わせだ!」
「それは菫の仕事。私はお菓子を補充してくる」
「あっ、こら、逃げるなって速い!? クソォ……また逃げられた……」
弘世菫。29才。独身。
そんなステータスになってしまった今もマネージャーとして彼女の世話係を勤めていた。
おかしい……! 私は一流大学を出て、大手企業にてエリートコースを歩んでいたはずなのに……。それがアレヨアレヨと物事は進んでいき、いつの間にか照のマネージャーになっているのだから世の中不思議である。
正直言って、こればかりはオカルトで済ませたくなかったが。
「そもそも私がハイヒールで照はスニーカー……。追い付けるわけがない……」
「アハハ……。ま、少し休憩したら会議室までお願いね?」
定例化した私たちのやり取りに苦笑いを浮かべたプロデューサーは手を振って、その場を去る。
あまりにも惨めな私の姿を見て、同情してくれたのだろう。
……やめよう。考えると余計に悲しくなる。
お言葉に甘えることにした私はスタッフ席に座って、水を口に含んだ。
苛立つ気持ちを流して、飲み込むと頬を叩いて気合いを入れ直した私はバッグを手に取るとプロデューサーのいる部屋へと向かった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「はぁ……疲れた……」
打ち合わせの後、簡単に行われた飲み会も終えてダメ同期を送り届けるとようやく一日の休息の時間がくる。靴の扱いもそこそこに犬をモチーフにしたお気に入りのスリッパに履き替えた。
自宅に帰ってきた私は自室のハンガーラックにスーツをかけると到底女性とは思えない低く汚い声を出す。
「あ゛あ゛ぁぁぁ。体の節々が痛い……」
外では清潔に真面目を意識して仕事の出来るキャリアウーマンを努めているが、その反動で我が家に帰ってくるとスイッチが切りかわったようにダメな部分が露出する。
学生時代はそんなことなかったのに社会に出たらいつの間にか堕落した弘世菫(わたし)が完成していた。事情を知らない当時の後輩が今の私の姿を見たら驚き、失望するだろう。
だが、知ったことか。そいつらは一緒に暮らしていない。ここにいるのは私の心許した者だけ。そう……あいつだけだ。
「ただいま」
そう言ってリビングに入るとソファに体をこっちに向けて座っている男がいた。ポンポンと膝を叩くのを見ると私は心持ち早足になり真横から飛び込む。はしたなくもそのまま太ももへと頭を乗せる。
「京太郎……疲れたぁ」
おい、目線でキツイとか訴えてくるな。
私にだって甘えたいときだってあるんだ。こんなところ見せられるのはお前しかいないんだから。
「お疲れさま、菫さん。ご飯は食べてきたんだっけ?」
「ああ。京太郎、頭撫でてくれー」
「……菫さん、酔ってる?」
「酔ってない。いつもこんな感じだ」
「そっか」
そう言うと京太郎は髪に沿って私の頭を優しく撫でてくれる。
この時間が私は好きだ。彼との距離が近くて、体温を間近に感じられるから。京太郎は宮永咲のマネージャーとして高校卒業と共に務めている。そもそも私たちが出会ったきっかけが宮永姉妹つながりであのポンコツたちの相手をする苦労話から仲が深まり、ある日に彼から告白されて私もそれを受け入れた。同棲を始めて一年。付き合ってからは二年。そろそろ私としては結婚も視野に入れておきたい。年齢的にも。
しかし、彼は私より年下で年齢的にもまだ遊んでいたい年頃……だと世間では聞く。……やはり私は……ダメなのだろうか。
「はぁ……」
仕事の疲れも相まってため息が漏れ出る。すると、京太郎の人差し指が私の唇に触れた。
「あんまりため息ばかりだと幸せが逃げるらしいよ」
「……すまん」
「何か悩みがあるなら聞くけど」
「……いや、仕事でちょっとな」
京太郎は優しいからこんな言葉をかけてくれる。だけど、つい誤魔化してしまう。やはり年上としてあまり年下の彼氏に気を遣わせるのもよくはないだろう。
考えれば普段から私は彼の世話になっている気がする。
本来なら私が膝枕をしてあげるべきなのに、いつの間にか私が甘える側になっているし、朝食も昼の弁当も夕食も用意しているのは京太郎だ。
私と言えば何もしてやれていない。その……最近は夜の方も忙しくて……なにも。
改めて認識すればするほど嫌気がさす。
気が付けば私は寝返りを打つと京太郎の腰に腕を回していた。
「……菫さん?」
「……京太郎は私といて楽しいか?」
「もちろん。こうやって甘えてくる弱い菫さんも可愛いなって思ってる」
「……お前は優しいなぁ」
「本心から言っているんだけどなぁ。……ねぇ、菫さん」
「なんだ?」
「嫌だったらごめんね」
「なにが――」
視界が上に向けられたと思うと、京太郎の顔で埋め尽くされて口がふさがれていた。中へと舌が侵入してきて、互いの唾液が絡まる。突然のキスに驚いた私だったが体はすぐに受け入れて、貪るように唇をついばむ。熱く求められた嬉しさに体温が上昇する。
続けられる長い長い口づけに私は胸が苦しくなるまで応え続けた。
「……ぷはっ。バ、バカ! いきなり何をするんだ、お前は!」
「俺の気持ちをちゃんと伝えておこうと思って」
彼の指が前髪にかかる。そこから額、頬と流れてそっと唇に触れると首を通って胸まで下りた。指先は私の心臓の位置にある。
「俺は菫さんが好きだから。これはいつまで経っても変わらない」
「……でも、京太郎はこんな年増より若い子の方がいいんじゃないか?」
「菫さんならそう言うと思った。だから、俺も……踏ん切りがついたよ」
京太郎はテーブルの上に置いてあったバッグから封筒を取り出す。仕事の書類と思っていたその中から出てきたのはたったの薄い一枚で、その左側には確かにこう書かれていた。
婚姻届、と。
「本当はずっと前から用意していたんだけどさ。断られるのが怖くて、切り出せなかった。でも……断られるよりも想いを伝えられない方が怖いってわかったから」
京太郎は私の手を取る。そして、指輪を嵌める仕草をしてみせた。
「ごめん。本当なら指輪も準備してから伝えたかったんだけど……。それに俺ももう少し格好つけたかったし」
彼は恥ずかしそうに頬をかく。けれど、すぐに真剣な顔つきになって私へ向き直った。
「……弘世菫さん。あなたを愛しています。俺と……結婚してください」
……なんだ、悩んでいたのは京太郎も一緒だったんだ。関係が壊れるのが怖くて一歩踏み出せなかっただけで……ちゃんと気持ちは通じ合っていた。
……バカだなぁ、私は。……本当にバカだ。
呆れて笑いも……涙も止まらないじゃないか。
「……京太郎」
「はい」
「今も十分……格好いいぞ、バカ」
私は彼に抱きつくと、首に腕を回してそっと――。
【挿絵表示】
挿絵は後日談な感じ。例の如く島田志麻さん(@shima_shimada)に頂きました。ありがたやー。
不定期更新。
ご迷惑おかけしました。
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02-青春純情度100%
茜色の夕日が射し込む教室。たまにカーテンを揺らしながら吹き込む風が冷たい。寒くなってきたなと思うと同時に冬が近づいてきているのを肌で感じた。時計を見ると五時過ぎ。日が沈むのも早くなったものだ。
「ふぅ……」
一息つき、そっとノートパソコンを閉じた。うんと背を伸ばして固まった筋肉をほぐす。
もう残り一週間と迫った宮守高校の文化祭。共学化してからこれで3回目の祭りになる。 文化委員の仕事を果たした俺は隣で悪戦苦闘を繰り広げている相方に声を掛けた。
「なぁ、エイスリン。大丈夫か?」
「…………」
だが、一向に反応は帰ってこない。いつものことではある。
留学生の彼女は日本語がお世辞にもうまいとは言えない。なので、首にぶらさげているホワイトボードに絵を描いて意思疎通を図るのだ。
「……俺はもう帰ろうと思うんだが、エイスリンはどうする?」
彼女は首を左右に振る。ノートパソコンの画面には作成途中のパンフレットの表紙が映し出されていた。どうやらまだ仕事が完成していないらしい。
「じゃあ、俺も手伝うよ。貸して」
『ブッブー』
可愛らしい効果音でも出そうな×印。
「いや、でも帰るのが遅くなるぞ?」
『ブッブー』
「疲れてきただろ? 俺に任せておけって」
『ブッブー』
「……ふむ」
どうやら意地でも自分でやりきるつもりらしい。 うーん……どうしたんだろうか。いつものエイスリンっぽくない。
「………………」
じっとエイスリンを見つめる。
イラストを描く時、彼女はいつも表情豊かだ。透き通る碧眼は人の視線を自然と吸い寄せる。
日の光に照らされて輝く金色の髪。そよ風に揺れ、絵画のように完成された美しさが彼女からあふれ出す。
そんな魅力に満ちたエイスリンが俺は好きだった。
友達としてではない。異性として愛している。
「…………」
「……キョウタロウ?」
小首を傾げて彼女は話しかけてくる。
自分の名前を呼ばれたのが、なんだか嬉しくて身を乗り出してしまう。
「なんだ?」
「ソノ……ズットミラレテタラ、ハズカシイ……」
頬を背景の夕日に負けないくらい朱色に染めたエイスリンはギュッとホワイトボードを握り締める。その言葉に自分がしていたことの恥ずかしさが湧きあがり、急いで頭を下げた。
「わ、悪い! 嫌だったよな?」
「ア……ウウン!」
否定するようにブンブンと彼女は首を振る。
すると、急にピタリと動きを止めておろおろとして、俯いてしまった。
「……どうかしたのか?」
「……ゴメンネ?」
唐突に彼女の口から紡ぎだされた言葉は謝罪だった。
「ソノ……ワタシ、ワガママイッテ……」
作業のことを言っているのだろうか。あんなのワガママにも入らない。俺もエイスリンの気持を組んでやることができなかった。
そうだ。共学化して三回目ってことは俺たちは高校三年生。つまり、彼女にとっても日本での最後の文化祭になる。
……そう考えると胸の奥が締め付けられるように苦しくなった。
「……いや、それなら気にしなくていいぞ。俺だってエイスリンの嫌がることしてごめんな?」
「チ、チガウノ! ワタシハ……ソノ……」
エイスリンは上手く言葉が見つからないらしい。
あたふたとして、ボードに絵を描いては消して、描いては消すを繰り返す。やがて、彼女は手を止める。
そして、マジックで薄く黒に汚れたキャンパスにポタポタと水粒が零れ落ちた。
「エ、エイスリン!?」
予想外の展開に思考がついていけない。
急いでハンカチを取り出すと彼女の双眼から滴り落ちる涙をぬぐう。 すると、自然と俺たちの距離は近くなって――エイスリンが抱き着いてきた。
「っ!?」
言葉にならない叫び。好意を寄せる少女が突然抱擁をしてきたら誰だってそうなる。腰に回された腕の力は強く、他人の温かさを直に感じる。
「エ、エイスリン……?」
「…………ワタシ、ネ? サミシイ……」
たったその一言が彼女の心境を如実に表していた。
彼女は交換制度でやってきた留学生。来年には向こうへ帰ってしまう。国内ならばどれだけ良かったか。
彼女が戻るのは外国だ。海を隔てた遠い遠い所。学生がそうやすやすと通える場所じゃない。 そう思うと彼女が急に遠くまで行ってしまうような気がして、いてもたってもいられなくてその華奢な体を抱きしめた。
「ッ…………キョウタロォ……!」
泣くな、泣くなよ。
俺がいつまでも一緒にいるから。
頑張って働いて、金稼いで、お前に会いに行って、思い出作って、昔話に花咲かせて、それでそれでそれで……!
溢れ出てくる気持ち。もうそれを止めることはできなかった。
「キョウタロウ…………ワタシ、ワタシ……キョウタロウガ――」
消える言葉。ふさがれる唇。
数秒を経て、視界一杯の金色が小さくなっていく。
柔らかな感触は一瞬で失われたが、きっと忘れることはない。
そんなキスだった。
「……好きだ、エイスリン。お前がどこに行っても俺はずっとエイスリンの傍にいたい。お前の隣で手を繋いでいたい」
「 ……ウン。ゼッタイ……ハナシチャ、ダメ」
手のひらを重ねて指を絡めた。エイスリンの白い手を握り締める。強く、強く。俺の想いが通じ合うくらいに。
「……ネェ、キョウタロウ」
「なんだ?」
「モイッカイ……シテ、ホシイ……」
「なっ」
「………………ン」
彼女はゆっくりと瞳を閉じてぷくりと膨らんだ小さな唇をちょっとだけ突き出す。羞恥からさっきよりも色濃く赤く染まった顔。待ちきれない心が現れるようにほんの少し身を乗り出している姿に愛おしさを感じながら、俺は彼女の肩を抱いた。
「好きだよ、エイスリン」
もう一度、自分の隠していた気持ちを全てさらけ出すように言葉にして唇を重ねる。
二度目のキスは甘い味がした。
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03-彼女と結婚するまでの一日
まだ太陽が完全に目を覚ます前。薄く闇がかかり、小鳥のさえずりがよく聞こえる静かな総合公園で俺は日課のトレーニングを行っていた。
ランニングで汗を流し、下半身を鍛える。中学の頃やっていたハンドボールを大学に入ってからもう一度やり直して四年。
ブランクもあって初めはきつかったけれど、今となっては一日でも欠かしたら逆に違和感を覚えるようにまでなった。
一度は辞めたハンドボールだけどこうやって頑張れたのには訳(わけ)がある。彼女にいいところを見せたかったから。そんな単純で、男としては最も強い理由。
「ふぅ……」
設けられたランニングコースの最終地点にあるひらけた場所。運動を終えた人たちが休憩できるようになっているここに設置されているベンチの一つに運動とは不釣り合いな厚着をしている女の子がいた。
彼女こそ俺の原動力そのものなんだけど。
汗臭さがしないか確認して合格を出すと俺は駆け足で少女の元へ寄った。
「おはよう、和」
挨拶をするとずっと下を向いていた彼女は髪をしゃらりとかきあげてニコリと微笑む。その表情は聖母のように柔和で、見ているだけで疲れが抜けていくような錯覚にとらわれた。
「おはようございます、京太郎君」
原村和。高校時代からの友達で今は同じ大学に通っている恋人。
昔はこうやって異性の形で接することなんて考えもしなかった。それほど俺と彼女の間には差があっただろう。だけど、諦めることができなかった。
今までも人を好きになったことはあったけど、こんな感覚は初めてで……。とにかくがむしゃらに頑張って和と同じ大学に通うことに成功したのだ。
そこからどんどん高みに上る彼女に追いつこうとして……ようやく対等の立場になれた。彼女は弁護士に、俺はプロハンドボールプレイヤーに。
そして、今に至るというわけだ。何事も一生懸命が一番ってことか。
「ありがとう。毎日悪いな。朝練に付き合ってもらって」
「いえいえ。私からお願いしたことですから」
「俺は幸せ者だなぁ。こんな優しくてかわいい彼女がいて……」
「もう……。おだてたって何も出ませんからね? ……はい、温かいお茶です」
可愛い。俺は隣に座ってカップを受け取るとゆっくりと飲みきる。じんわりと温かみが広がって辛さは薄らぐ。
大学生活の前半は彼女と対等になるために、後半はこの静かな時間のために頑張った感じがするなぁ。
「あぁ……生き返る」
「ふふ、おじさんくさいですよ」
「そう言われるくらい和と長く一緒にいたいな」
「……京太郎君はずるいです。すぐにそんなこと言うんですから。知っていますか? 京太郎君ってすごく女子の中ではモテるんですからね」
「おっ、なにその嬉しい情報は。教えてほしいなぁ」
「……知りません」
ぷいっと和は頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。普段は誰よりも大人のように落ち着いたふるまいなのにふとした瞬間に出る子供らしさが男の心を萌えさせる。
ついこの仕草が見たくてからかってしまったので機嫌を本格的に損なう前に挽回しないと。
「ごめん、和。妬いてくれるのが嬉しくてさ」
「……京太郎君の趣味は悪すぎます。こんなに性格が悪いとは思いませんでした」
「ごめん! 何でも一つ言うこと聞くから!」
「いつもそうやって誤魔化すんですから。……京太郎君は運がいいですね。ちょうど私もして欲しいことがありましたからそれを手伝ってくれたら許してあげます」
「任せろ! ……で、何を手伝ってほしいんだ?」
「…………それはですね」
しかし、和の言葉はそこで途切れて中々、続きが出てこない。よっぽど壮大なことなのか顔を上げては下げ、上げては下げを繰り返している。
やがて決心の付いた彼女は俺の手を取るとたどたどしい口調で言葉を紡ぎ出す。
「……今ってお正月明けじゃないですか?」
「そうだな。和だけ長野に帰って寂しかったよ」
「仕方ないじゃないですか。本当は私もいっしょがよかったけど京太郎君は入団式とか行事が重なっていたんですから」
「冗談だよ。来年は親父たちに挨拶しに行こうな」
「はい……」
訪れる沈黙。照れくさくなって互いに目をそらしてしまう。このままだとそういう雰囲気になってしまうので流石に外ということもあり、俺は彼女に話の続きを促した。
「そ、それで? 何かあったんだろ?」
「は、はい。それで向こうで咲さんや優希たちとたくさんご飯に行きました。家でもお母さんに甘えちゃって堕落した生活を送りました。……それで、その結果がこれです……えいっ」
和は俺の手を引っ張るとダウンコートの中に忍び込ませる。彼女にされるがままにしているとぷにっと跳ね返る弾力を感じた。
指を伸ばすと沈みこみ、柔らかさに挟まれてしまう。なんとなく察した俺は最後の確信を得るためにぐにっとそれをつまんだ。
……なるほどな。
「……和」
「はい……」
「もしかして、ふとっ」
「ダメです! それ以上はわかっていても口にしないでください!」
乙女として現実を直視したくないのだろう。もしくは彼女の持つプライドか。手をブンブンと振り、それ以上は言わせまいと口を手で覆った。
「そ、それでですね? 私も少しの間、運動をしようかなと思いまして……京太郎君にも付き合ってほしいんです」
指をモジモジと恥ずかしさを堪えてお願いする和の姿にキュンと胸が締め付けられる。彼女のお願いならなんでも受けてしまう。天使からの願いだもん、仕方がない。
もし狙ってやっているのだとしたらとんだ小悪魔だ。
「わかった。俺も今はオフシーズンだし、和のコーチとしてダイエットを成功させてやろう」
「ダ、ダイエットじゃないです! ただの運動ですから」
「そうだったな。運動、運動」
「もう……乙女にとっては死活問題なんですからね」
自分で乙女って言っちゃうあたり和らしい。服の趣味も高校の時から全然変わってないし。だから、体型の維持にも気を遣っているのかもしれない。
でも、まぁ……。
「俺はこのくらいが好きだけどなぁ」
「ひゃっ!?」
隣を歩く和のお腹を後ろから抱きしめる形で揉む。ぷにぷにもちもちで最高の感触だが、彼女は半眼で俺を睨みつけてきたので揉むのは止めることにした。
「……京太郎君?」
「……本気で怒ってる?」
「怒ってます。……そんなこと言うなら本当にぶくぶく肥えて豚さんになっちゃいますよ」
「それでも俺は和のこと好きだけどな」
「……やっぱりなしです。ちゃんとダイエットします」
「そっか」
照れる彼女の反応に笑って返すと何気なしに俺たちはまた歩き始める。
「……ダイエット。いくらでも付き合うよ。いつまでも付き合う」
「……そうですね。京太郎君が傍にいてくれないとまた油断して太っちゃうかもしれないですし……ずっと見ていてもらわないと困ります」
「見てるよ。今までもずっと和しか目になかったし、これからも和だけだ」
「……手」
「ん?」
「離れないように……手を握ってください」
そう言って彼女は手袋を外して、白く雪のようにきめ細やかな手をさらす。赤くかじかんだ指先が震えていて、俺は上から被せるように優しく包み込んだ。
「……こうしていたらいつでもへっちゃらだな。寒い日も二人なら温かいし、暑い日は和の手がひんやりとしていて気持ちいい」
「……そうですね」
さっきまで俺が走っていたコースを戻っていく。ゆっくりゆっくりと出口まで歩を進める。まるでこれからの長い人生を歩くみたいに。辛い挫折も待ち構えているだろう。だけど、俺はこの道を最後まで歩めるに違いない。
そこに彼女がいるのなら、絶対に。
「和。好きだよ」
「……私も……好きです」
咲界隈は優しい人が多くて平和です。
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04-逆光源氏計画
姫松高校麻雀部は土日も夕方五時まで試合形式での特打ち練習がある。その分、祝日は基本的に休みだ。
つまり、ゴールデンウィークは学校も部活もない。存分に羽を伸ばして、日帰りで旅行に行って、幼馴染も連れて行ってやるかーと計画していた。
「……はずやったのになぁ」
ぬくぬくと眠っていたのにかかってきた無慈悲な教科担任からの連絡。
休日当番だったことを伝え忘れていたらしく、いきなり呼び出され登校。麻雀部はなくても他の部活はあるみたいで教師陣の中で若手の私が選ばれたわけだ。
ひどい。もう……うちのせっかくの休みがー!
「やっとお昼や~」
他の同期の先生方は昼食を食べに外へ行った。うちもその流れに乗りたかったけど、一人は残っていなければならず一番若いうちはお留守番。
それでバタバタしていて弁当も持ってきていない。準備もできてない。
「う~、お昼抜くんもな~」
足をパタパタ。手をバタバタ。書類はバサバサ。
拾うのも面倒くさい……。
そんな時、特定の相手からだとすぐにわかる着信音が鳴った。
『――郁乃お姉ちゃん! 電話だよ!』
「は~い~。郁乃お姉ちゃんだよ~。きょーたろー君~助けて~」
『……なに言ってんだ、郁乃姉さん』
電話の相手は愛しの男の子、きょーたろー君。
可愛い顔立ちから立派な男前になった年の離れた幼馴染。
そして将来のお婿さん。
きゃっ。
同級生やプロ時代の友人はみんな婚期に差し掛かり、頭を悩ませている。瑞原さんや小鍛冶プロも血眼で相手を必死に流してるとか聞くけど、うちには小さい頃から手塩にかけて育ててきた有望物件がいる。
もちろん、好きやし、アイシテル。彼が卒業したら即刻、籍を入れるレベル。
まだちゃんと話したことはないけど、きょーたろー君やったら受け入れてくれるやろ~な。あの子も順調にシスコン気味になってるし~。
『おーい、姉さん?』
「あ~、ごめんな~。何のようやろ?」
『何って……今日、郁乃姉さんが予定空けとけって言ったんだろ? それなのに連絡もないからさ』
「あっ」
『ちょっと待て。あ、ってなんだ。あ、って』
「きょーたろー君~……」
『なんだよ』
「ごみ~ん、忘れてた~」
『ええっ!?』
電話越しでも驚いているのがよくわかる大きな声。
あまりにも慌ただしい朝だったから完全に忘れていた。元々きょーたろー君を息抜きに連れて行ってあげる予定やったのに本人に連絡していないのは不味いで、うちのアホ。
「ごめんな、きょーたろー君。本当は今日、一緒に旅行連れていくつもりやってんけど急に仕事が入ってもうて……」
『あぁ、なんだ、それならそうと言えばいいのに』
「サプライズのつもりやったから。そこで~お願いがあるんやけど聞いてくれへん?」
『いや、俺も疲れてるから休みたいんだけど』
「また一緒にお風呂入ってあげるで~?」
『いらねぇよ! ていうか、いつも勝手に入ってくるだけだろ! ……で、なに?』
「実は急ぎに急いだお姉ちゃんはお昼ご飯忘れてもうて~。持ってきてくれへんかなぁ?」
『なるほどな。郁乃姉さんはそういうところ抜けてるよなー』
「そんなことないし~」
『じゃあ、行かなくていい?』
「手作りがええな~」
『素直になったら開き直るのやめろよ……』
「一時間以内でお願いな~」
『はいはい』
「愛もいっぱい詰めといてや~」
『はいはい。愛情Maxで作っとくから。ちょっとだけ我慢していてくれよ』
「うん~! 愛してるよ、きょーたろー君~!」
――と、言う途中で切られた。
むぅ~、きょーたろー君はイケズやわ。でも、照れちゃって可愛いんやから……この時期は多感やし。
ちらっと時計を見る。
……今からとなると30分はかかるかな~。
「……先に仕事終わらしておこうかな?」
ご飯は食べさせてもらいたいし。それを考えればさっさと済ませてしまおう。うん、ちょっとだけやる気出た。
椅子に座りなおすと画面に向かい合う。誰もいない職員室はとても静かでカタカタとキーボードを叩く音が響く。自分でも驚くほどに集中していた。ご褒美を目の前にぶら下げられたら人間やれるもんや。
「ん~……こんなもんかな?」
グっと凝り固まった肩をほぐして、背もたれに体重を預ける。そろそろかな~と思って時計を見ると、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。
「すいません。二年の須賀京太郎です」
グッドタイミング!
待ち遠しい人物の声がしたので普段の自分からは想像できない俊敏な動きでドアまで到達すると、開けると同時に彼の頭を胸に沈みこませた。
「むっ!?」
「あ~ん、もうきょーたろー君。待ったわ~! お姉ちゃんお腹ペコペコなんよ~」
「むむぐっ! んんっ!」
逃げようとするけどガッチリ頭を押さえて離さない。
きょーたろー成分が最近、足りひんかったし、ここで補充しておくんや~。
うるさいおっちゃんたちもおらんし教師生徒といっても関係はもう10年以上。せっかくの二人きりの休日を邪魔されたんやからこれくらいええよね。
「きょーたろー君ええ匂いやわ~。お風呂入ってきたんかな?」
「――! ――っ!」
「あっ、そんな息荒くしたらあかんて~。そういうのはお家に帰ってから~」
とか言いつつ、耳を甘噛みする。
はむはむ。
体は素直だ。力が抜けていくのが手に取るようにわかる。
そのまま抱きしめて、職員室に連れ込んで昼食を一緒に取ろうとする――けど、腕に力を込めて無理やり引きはがされた。
「っぷはっ! な、何してんだよ、郁乃姉さん!」
「なにって――愛の確認?」
「いい年してやめろ! そういうのを外で大きく言うのはやめてくれ! 恥ずかしいから!」
「別にええやん。うちら愛し合ってるんやし~」
「ないって!」
「うりうり~」
「だから、すぐに抱き着こうとするのやめろ!」
きょーたろー君の制止も無視して、たくましい腕にわざと胸を当てるように絡める。
そこで気づいた。きょーたろー君の他に視線があることに。
「な、な、なっ」
「胸なんか、やっぱり胸なんか……」
「ひ、ひゃー」
「グヌヌヌヌ……!!」
きょーたろー君と同じ麻雀部の仲良い面子。うちのお気に入りの末原ちゃんに愛宕姉妹に真瀬ちゃん。
顔を真っ赤にさせたり、ブツブツ呪詛吐いてたり、指の隙間からチラチラと覗いてたり、歯ぎしりさせたり。
四人それぞれの反応を見ていると青春やなぁと若かりし学生時代を思い出す。リアクションが面白くて、んーと間延びした声を出すとうちはニィといたずらな笑みを浮かべた。
「なー、みんなー。見といてなー?」
「へっ」
わざと注目させてからグイっとこちらに引き寄せると私はきょーたろー君の頬に軽く唇を当てた。
「――っ!?」
「何しとるんですかー!?」
「何してんじゃワレェ!!」
「許さん! 許さへんで赤阪先生!」
「あー! そこは私の方が先に狙ってたのにー!?」
「はぁっ!? ちょっと待て、絹! そんなん聞いてへんで!?」
「絹ちゃんも敵!? 敵なんか!?」
「やっぱりおっぱいやないか! 胸がすべてを物語ってんのか……!?」
「と、とにかく! 赤阪先生は京太郎を返してくださいー!!」
「きゃっ」
「うおおおお!?」
全員がなだれ込むようにして飛び込んでくる。
バランスを崩した私たちはそのまま後ろに倒れてしもうてきょーたろー君は間に挟まれる形になった。いろんなところに女の子を感じて顔は真っ赤っか。
「お、おい京太郎! おまえどこ触ってんねん!」
「いや、これは不可抗力だろ!?」
「あ、あかん! 手を動かすなや! そこは私のシャツのなか……」
「ん……なんか柔らかな感触……」
「きゃー! 触られた! 緩んだおなか触られたぁ! もうお嫁に行かれへん……!」
……あー、もう。
面白いわぁ、この子たち。
すでに昨日で知っている人もいると思いますが、夏コミ(C92)参加申し込みしました。当選したら『麻雀少女は愛が欲しい』を文庫本(挿絵あり)にして出します。表紙・挿絵は島田志麻さん。
それにあたって今作もコピー本として出します。それにあたってアンケート取ります。
こちらからお願いします
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05-太ももデッドロード
私には二人の大好きな人がいる。
園城寺怜と須賀京太郎。
怜は傍から見たらちょっと変な子だったけど私が教えると小さなころから麻雀という遊びに没頭した。そして、高校であるきっかけを得て全国区でもその名をとどろかすようになる。
そんな怜に時々つき合わされ、気が付けばそれなりの力を身に着けてしまっていたのが京太郎君。一つ年下やけど小学校のレクリエーション大会で仲良くなった男の子。小学校、中学校と一緒に遊んでいた彼は打ち込んでいたスポーツをやめて高校から真剣に麻雀に打ち込むことにして今は麻雀の名門、姫松高校に通っている。
彼に好意を寄せるようになったのはいつからだったろうか。小学校の頃に上級生から庇ってくれた時か。中学でエースとして活躍する姿を見たときか。曖昧になるほどたくさん京太郎君の姿にときめいていた。
向こうで一人暮らしを始めてしまったのと私たちも麻雀部の練習でなかなか会いに行くことが出来ない日々が続いて寂しかったけど、そんなのとはもうおさらばや!
やっと久しぶりに休日が重なって会う約束ができた。
久々の三人や! 楽しむで!
そう思っていた。……はずなんやけどなぁ。
二年の夏も終わってあっという間に到来した冬休み。麻雀に関する大会は春期までもう無く、部を引っ張る立場となったうちらにとって嬉しい休息期間。
クリスマス、大みそか、正月と目白押しのイベントを終えて、そんな安息も残りわずかに迫りつつある時。あいつらの脳内思考はぶっ飛んでいた。
毎日寝ない勢いで楽しんでやろう(なお、一日で轟沈)ということで宿題をほったらかしていたためにいつものメンバーが我が家に集まっている。
本日が冬休み最後の日。お母さんに頼んだら意味ありげに笑ってお父さんと外泊してくるとか言うてた。
こ、これはつまり親公認ということ。つまり、今日は最大のチャンスなんや。
だから、攻める。いつも麻雀打つときみたいに押せ押せでいくで!
「なに燃えてるんだ、竜華」
「ううん、別に。京太郎はもう宿題終わってんねんな?」
「まぁな。竜華たちと遊びたかったから早めにやっておいたから」
「京太郎……!」
嬉しいなぁ、そんなこと言うてくれるなんて……。それに比べてこっちと来たら……。
「……竜華の冷たい視線を感じる」
「宿題やってない怜が悪いんやろー」
来客用の大きなテーブルにだらんとほっぺを乗せているのが怜。
やるときは出来る子やねんけど昔からの病弱体質のせいか自分にだらしないところが多い幼馴染。
……まぁ、そのたびに甘やかしてきたうちも悪いんやけどな。
来客室にはテーブルが2セットあってひとつを囲っているのが優秀組。しっかりと計画を立てて、残りを謳歌している者たちだ。
「いやー、今日は呼んでもらってごめんな。オレも全くやってなくてなー」
「いやいや、仲間が増えるのはこっちとしても助かるわー」
「あんたが助かってどうすんねん。さっさと終わらし」
「……って言ってもなぁ」
うちの言葉に怜はチラと隣でウガーと頭をかきむしる同級生と後輩を見た。
「ト、トラヤヌス? アントニヌス? 五賢帝? マルクス=アウレリウス……」
「接弦? 定理? ベクトル? 数列?」
次いで置かれている文字と数式で埋め尽くされた参考書に目を向ける。
「あかん……一巡先を読んでも証明が出来てへん……」
死屍累々だった。ツンツン頭、ショートボブたちが机に突っ伏している。
「ほらほら、倒れてる場合じゃありませんよー。これはあと10分で終わらせてくださいね」
「ほら、怜。しっかりしろよ」
対面に座るは鬼軍曹のフナQ。瀕死状態の三人に容赦なく鞭を振るう。これを朝の9時から続けてもう昼時。集中力も完全に切れ、みんなだらけていた。
「あはは……」
あまりにも当初の予定とはかけ離れた図に乾いた笑いを浮かべる。
セーラたちに情報を流した怜はお仕置きでしばらく膝枕禁止にしたる!
そう心の中で決意したところに流石に可哀想になってきたのかフナQが呆れた笑みを浮かべながらも助け船を出してきた。
「……どないします? いったん、休憩挟んでご飯にしますか?」
「……どうする、京太郎?」
「……俺もちょうどお腹減ってたし。二人がそう言うなら昼飯にするか」
「よっしゃー!!」
「飯じゃあぁ!!」
「京ちゃん、最高! 竜華、アイシテルでー!!」
跳びあがって喜ぶ三人組に呆れる教師役二人はため息を吐いた。『まぁまぁ』となだめ、用意していたそれぞれの鉄板プレートの蓋を外す。このキャンパスに美味しいお好み焼きを描くのだ。
そこでうちが美味い料理を出せば京太郎もメロメロになってくれるはず!
お母さんもまずは男を掴むなら胃袋からってアドバイスしてくれたしな! 間違いない!
そうと決まれば早速行動に移すで!
「じゃあ、うちは材料取ってくるから」
「竜華は座っとき。準備なら私がするわ。なんかこのままじゃ悪いしな」
「なら、俺も」
「アホ。女の子一人にさせるつもりか。あんたは残っとき。フナQ手伝って」
「仕方ないか。わかりました」
「それならオレも行くで」
「じゃ、じゃあ、うちも!」
「よっしゃ、私についてこい。竜華の家は知り尽くしてるからなー」
そう言うと怜筆頭にお手伝い部隊はリビングへと向かってしまう。となれば部屋におるのはうちと京太郎君だけで……。
ひ、ひゃー……!
「取りつく島もねぇな。手伝わなくていいなら、それはそれで楽だけど。なぁ、竜華」
「そ、そやな! うちらもゆっくりしておこうか!」
口ではこんなこと言えてるけど心臓は高速でバクバク鳴っている。材料は一切下ごしらえをしていないから少なくとも20分はみんなは帰って来ないやろ。
自分が想いを寄せる相手がフリーになったんや。さっきまではライバルがいたかもしれへんけど、今は止める者はいない。となれば、そろそろ攻めに転じてもいいはず。
ここは一丁、勝負に出るか!
「……? 俺の顔に何かついてるか?」
「ううん、なんでもないよ? それより京太郎君。よかったらやねんけど……」
「俺が竜華のお願いを断るかよ」
「ほんまに? それやったらな?」
うちはそこまで言うと浮かしていた腰を落として正座し、怜曰く魅力がたくさん詰まった健康的な太ももをポンポンと叩いた。
「膝枕、してみいひん?」
うちの最大にして最強の武器。膝枕。これの威力は毎日の怜で実証済みや。万が一、不快に思われることはない。それに太ももの上に頭を乗せたらもう至近距離。若い男女が二人きりで間違いが起きひんはずがないもんな!
加減なんかしない。初めから切り札切ったる!
「えっと……いいのか? そう……簡単にしてもいいものじゃないんじゃ」
「誰にだってはせえへんよ? こんな恥ずかしいのは……京太郎君だけや」
「そ、そうか」
あー、恥ずかしい……! けど、京太郎君も目逸らしてるし少しはうちのこと意識してるってことやんな……? それやったら嬉しいなぁ。
「……本当にいいんだな?」
「おいでおいで」
「じゃ、じゃあ遠慮なく……」
ゴクリと京太郎君は息を飲み込んで、恐る恐る睡眠の体勢に入る。
実は気づいてたんやで? 小さい頃から怜が寝ているのを見ていてうらやましそうにしてるの。
そして、彼は髪を整えるとそっと太ももに頭を置いて一気に起き上がった。
「……やばい、気持ちよすぎ」
思わず漏れ出た彼の本音に笑みがこぼれてしまう。
よっしゃー! 勝利や! 今日は女神様がうちに味方してくれてるでー!
私の笑い声に反応した京太郎君は苦笑いをして、もう一度。今度は一気に膝へとダイブする。
「――っ」
「どー? 気持ちいい?」
「……こうなんていうか、やべえよ。とりあえず、なんていうかすごく気持ちいい」
「そ、そう? 怜も褒めてくれるんやけど、京太郎君も気に入ってくれて嬉しいわ」
「……ふわぁ」
「大きなあくびやなぁ」
「それくらい気持ちいいってことだよ」
「ふふっ。このまま寝てもええんやで?」
いたずらするような笑みを向けると京太郎君は頬を真っ赤にさせる。こうまで彼が感情を表に出してくれるのはめずらしい。目線を合わせようとしても頭の位置を変えて避けてくる。
……そんな意地悪する子には罰を与えへんとあかんなぁ。
「もう……京太郎君? こっち向いてーなー」
わざと自然に前かがみにすることでうちの持つもう一つの武器が嫌でも彼の顔に近づくわけだ。
……京太郎君、いつもこれ見てるもんな? つまり、気になるってことやろ? なら、アピールポイントとして使わなあかんで!
「ふ、ふがががっ!?」
「んっ……気にせんでええねんで? 好きなだけ楽しんでくれたらええんや。うちの膝枕」
膝枕だけじゃないけどなっ! ふふん、うちのマシュマロサンドはどうや、京太郎君!
だ、大胆なことしてるけどこうでも京太郎君も気づいてくれへんしな。なんかもういろいろとすごいことに……。
あっ。
……な、なんか……下の方で膨らんでるような部分があるような……。こ、これはもしかしなくても……あ、あれなんやろうか?
それに京太郎君の息が当たってなんかうちも……変な気分に……。やばいやばいやばい。意識したらさらに呼吸が苦しく……。
「……き、京太郎君っ」
甘い声が出てしまう。息がちょっとずつ荒くなっている。もう正常な判断ができなくなってきた……。
「り、竜華……」
嬉しい。私の名前呼んでくれた。これを合図にいつの間にかうちらの距離はなくなっていって――
「あー! 京ちゃん、なにやってんの!?」
「「っ!?」」
――もう少しで唇が触れそうになったところで親友の声に跳ね上がるように私たちは咄嗟に離れる。
と、とととと怜か! あ-、びっくりした! 心臓が止まるかと思うた!
「……二人とも顔赤いけど何してたん?」
「な、なにって膝枕やで!?」
「そうそう! 膝枕膝枕!」
「……のわりには、やたら距離が近かったような……」
「あ、あれやから! えっと、そのほら! そらあれよ!」
「目にゴミがついてたんだ! そんなことより準備は終わったのか!?」
「うちを舐めてもらったら困るわ! ちゃんとやってきたで! だから、竜華ー。うちにも膝枕ー」
「う、うん! いくらでもしたるからおいでおいで!」
「ありがとう。それじゃ、失礼するわ」
そう言うと怜はうちの左ひざにごろんと頭を乗せる。すると、ポンポンと空いているもう片方の太ももを叩いた。
「ほら、京ちゃんもこっち使いーや」
「お前が決めるのか……」
「竜華の膝枕はうちのものやからな! しゃーないから京ちゃんにも分けてあげるわ」
「なんだそれ……」
「いらへんの?」
「いります、ごめんなさい!」
京太郎君も再度、頭を乗せる。にししと笑う怜。三人がこうして一緒に笑っていたのは一年も前のことだと思うと懐かしさが込み上げてくる。
……まぁ、今はこれでもええか。
京太郎君もちゃんとうちを女として異性として意識してくれたみたいやし。ちょっとは進展したと喜ぼう。
うちは微笑すると二人の頭をそっと撫でる。
「……いつまでも一緒やからな、怜。京太郎君」
一応、期間中は貼らせてね。
夏コミに出す『麻雀少女は愛が欲しい』と
『麻雀少女に愛を囁く』コピー本にて書いてほしい高校を選んでね。に関するアンケート
http://enq-maker.com/cyePbG2
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06-いつかその日まで待ってる
宮永照は孤独だった。
昔から麻雀は強かったこともあって中学でも麻雀部に入ったけど友達と呼べる人はいなかった。
いくら勝ち続けても尊敬はされても対等な仲間は出来ない。それどころかどんどんと距離が離れていって、私は努力することを放棄しようと思った。
そもそも妹にも嫌われている人間が誰かに好かれようとする方がおかしいのだ。身内一人に愛されない私を誰が愛してくれよう。
そう思っていた。
「宮永……照さんですか?」
「……そうだけど」
「よかったぁ。間違えてなかった」
「……何か私に用?」
「はい。……宮永照さん。俺と友達になってくれませんか?」
「……え?」
中学三年の春。来年には東京に行くこともほとんど決まっていて、長野で思い残すこともなくなってきた頃に彼と出会った。
須賀京太郎。金髪と高身長が目立つ少し軽薄そうな男。
それが照の第一印象で、突然わけのわからないことを言い出した京太郎に心を揺さぶられた照も警戒心を解くことはない。
「……悪いけど、冷やかしなら」
「お菓子持ってきたんです。一緒に食べながらお話しませんか?」
「……ちょっとだけなら相手をしてあげる」
……はっ。無意識のうちに許可を出していた……。
照が気付いた時には彼は距離を開けてベンチに腰掛ける。わざわざこのために持ってきたのか紙袋から包装されたクッキーを取り出した。
「すいません。宮永先輩の好みがわからなかったので」
「私は甘いものならなんでも食べるから。それより早く」
『くれくれ』と眼差しと迫りくる手に京太郎は苦笑いしながらそっと手のひらに乗せてあげる。すると、照は小動物みたいに黙々とかじり始めた。
モックモックと食べる姿は到底普段から放つ冷たいオーラは感じられず京太郎はこれが同一人物なのかと同様すら覚えた。
ただ一つだけわかったのはこの人は悪い人じゃなくて、可愛らしい人だということ。
「……美味しいですか?」
「……うん。ありがとう」
「それはよかった。それ実は俺の手作りなんですよ」
「っ! ……君、お菓子作れるの?」
「はい。簡単なものなら」
そう答えると照は何かを考え始める。京太郎と手のクッキーを交互に見ては思考を繰り返し、何かを決めたらしくいつもの鋭く細められた視線で京太郎を見据える。
「……明日からも放課後にお菓子を作ってくること。そうしたら友達になることも考えてあげる」
「……宮永先輩」
「なに?」
「……口元にジャムついてます」
「…………!」
かぁと照の頬が真っ赤に染まる。ついていたイチゴのジャムが分からなくなってしまうくらいには。思わず京太郎も笑みをこぼしてしまう。そんな京太郎をポカポカと叩く照。
これが二人の邂逅だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
二人の放課後のティータイムは休日を除いて毎日のように行われた。最初は趣味程度だった京太郎のお菓子作りの腕もメキメキと上達し、それに比例するように照との距離も近くなっていた。
友達になるとかならないとか、そんなことから始まった関係もはた目から見れば親友も同然である。事実、あの宮永照に恋人ができたと学校中に噂が流れたが照はそんなことを気にするタイプでもないし、京太郎も神経は図太い。
一年の半分が終わり、折り返し地点に差し掛かった時期。校庭を紅く彩る木々の下で二人は当たり前のように談笑を繰り広げていた。
「えっ。照さん……卒業したら東京に行っちゃうんですか?」
「そう。……ここはちょっと辛いから」
照はすでに東京に行くことが決まっていた。このことを京太郎に言うのは初めてだ。今まで言い出すにも言い出せなかった。
怖かったのだ。京太郎が離れていくのが。
一年後には遠くへ行ってしまう者と誰が仲良くしてくれようか。それも学年も違う。貴重な時間を削ってまで自分に付き合ってくれるか。
孤独には慣れたつもりだったけど私の凍った心は溶かされつつあった。
だから、感じてしまった。大切な人が傍からいなくなる恐怖を。
「……そう、ですか。東京だとこうやって会うのは難しくなっちゃいますね」
「……うん」
案の定、京太郎は悲し気な表情を浮かべて暗い雰囲気が場を包む。楽しかったはずの茶会も今だけは早く帰りたいと思ってしまった。
「……こっちではダメなんですか?」
「……うん」
たった一言。それなのに重く京太郎の視界を塞ぐ。
なにか内情があるのは察した。けれど、彼もそう簡単に諦められる人間じゃなかった。
照が頑固なことは半年の付き合いで彼は理解している。だから、別に照の意見を覆そうとかそんなことは思わない。だけど、はっきりとしたいことがあった。
ぐるぐると頭のなかがぐちゃぐちゃになっていくのを感じる。絞り出すように混乱した彼が出せたのはたった二言三言だった。
「……照さん」
「……なに?」
「……今日はもう解散しましょう」
その言葉は照の胸に深く突き刺さる。同時に仕方がないという諦めの感情もあった。
私は彼にとって特別な何者でもないのだ。
ただのお菓子好きな先輩。友達かどうかも答えていない。
そんな京太郎がこういう選択を取るのを否定する権利は私にはない。
照はコクリと頷く。京太郎も荷物をまとめてその場を去る。
もう二度と茶会は開かれないだろう。
「……しょっぱい」
照の悪い予想はやはり当たり、あっという間に時は移ろいで長野で過ごす最後の冬が到来した。
「寒い……」
家の中にいるのに照は擦ってかじかんだ手を解そうとする。この時期は牌も冷たくなって触るのが辛い。
だけど、照は麻雀を打ち続けた。
今の自分にはもうこれくらいしか残されていないから。
麻雀にまで裏切られたら頭がおかしくなってしまいそうだ。
「……本当に寒い」
その声に反応するかのようにインターホンが鳴る。きっと買い物に出ていた母さんだろう。
そう思った照は早足で玄関に向かうとドアを開ける。しかし、そこに立っていたのは彼女の予想とは大きくかけ離れた人物。
あの時、縁が切れたと思われた男の子だった。
「……こんばんは、照さん」
「――っ!」
彼の挨拶に反射的にドアを閉めようとする照。しかし、間に挟み込まれた京太郎の足によって妨げられる。その後も駆け引きは続けられるが互いに一歩も引かない。
やがて照も諦めて引手にかける力を弱めた。
「…………」
向き合った二人を無言が支配する。お互いが喋らないことなんてざらにあったのに今はこの空気が照には耐えられなかった。
それは京太郎も一緒だったようで彼は小さく、対面する少女にも聞こえない本当に小さい声で己を勇気づけると本題を切り出した。
「……あの日。照さんが東京に行くと聞いて俺、寂しかったです。照さんが手の届かないところに行ってしまう気がしました」
「寂しい……?」
私も、寂しかった。あの日、目の前から京太郎が消えて毎日毎日一人で辛かった。
自然と涙が頬を伝う。初めて見た照の涙に京太郎もぎょっと驚くが、すぐに彼女の瞼に手をやって溜まった涙を拭う。
「すみません」
「……どうして私が泣いているかわかる?」
「……すみません」
「バカっ!」
劈くような声とともに照は彼の胸元へと飛び込む。さっきまでの静かなものではなく赤子のように泣き叫んだ。そんな彼女を京太郎はただ受け入れる。
ゆっくりとためらいながら照の頭をそっと撫でた。髪に沿ってそれはおりていき、もう離れないように抱きしめる。
「……照さん。覚えてますか、俺たちが初めて喋った日」
「……うん」
「あの時、どうして俺が照さんに話しかけたと思いますか?」
「それは……友達になりたかったから……」
「すみません。それ嘘なんです。本当はずっとこうしてあなたを抱きしめたかった」
京太郎は肩をつかんで引き離すとしっかり真っ直ぐ見つめる。視線と視線が交錯して、京太郎は笑うと確かに告げた。
「あなたが好きです。一目惚れしてあなたの隣にいたいとそう思ったから俺はあの日、照さんに話しかけました」
届いた告白は脳に響いて、心を揺らす。
せっかく泣き止んだのにまた涙が溢れそうになるのを照は我慢する。
「だから、照さんが東京に行く前に気持ちを告げるのにふさわしいお菓子を作ろうと思いました。何も言わずに放課後、行かなくなってすみません」
「……許さない」
「でも、毎日照さんにお菓子をあげることになったらバレちゃいますから。練習しているの。そうしたら俺は照さんにこうやって気持ちを告げられなかったです」
「……許す」
「……っ! ありがとう、ございます」
震える声を隠すように京太郎は唇をかみしめる。誤魔化すように提げていたバッグの中から白い箱を取り出した。
「……これは?」
「誕生日ケーキです。聞きました。照さんは今日が誕生日だって。告白するなら今日しかないと思って出来る限りを注いで作ってきました」
「……ありがとう」
こんなに嬉しい誕生日はいつ以来だろうか。家族の心がバラバラになってからはこうやって気持ちのこもったお祝いを受けることはなくなっていた。
精一杯の愛情が込められたプレゼントに照は微笑む。ふと見せた柔和な表情に京太郎は思わず見とれてしまっていた。
「……照さん」
わずかに上ずった声。照もつられて顔を上げる。その双瞳に映る男子は目をそらすことなく、自分を見つめていた。顔を真っ赤にさせながら京太郎はもう一度さらけ出す。
「俺も卒業したら東京に行きます」
「……それは本当?」
「でも、忙しくて会うことは難しいと思います。俺が通うつもりの製菓専門学校はかなり厳しいみたいですから」
「製菓ってことはそれって」
「はい。……あなたが美味しいと言ってくれたお菓子を極めて日本一のパティシエになります。そして絶対にあなたに見合う男になります。だから、その時は……俺とずっと一緒にいてくれませんか?」
照の頭の中で彼の告白が反芻する。ただ空っぽだった心を満たすように喜びが溢れ出ている。
……いつから私はこんなに涙もろくなったんだろう。
そして、京太郎の気持ちに応えるように照は差し出された右手を握り締めた。
「……その気持ち、受け取るよ」
「じゃあ……!」
「…………うん。だから、ね?」
グイっとつかんだ手を引っ張ると京太郎は前のめりになってしまう。自然と正面にいる照との距離はゼロに近づいていき、互いの唇が重なった。
「て、照さんっ!?」
京太郎は跳びあがるように離れ、衝撃的な行動をした彼女を見つめる。
「……その時まで、今はこれで我慢するね?」
件の彼女は頬を紅葉とさせて自分の唇を指でなぞる。
「大好きだよ、
そう言って浮かべた彼女の笑顔に、京太郎は絶対に彼女を幸せにしようと胸に誓った。
待ってる……照だけに。
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07-ハッピーハッピーバレンタイン
塞さん!
京太郎は不安を抱えながら臼沢塞の家へと続く道を歩いていた。
本日は2月14日。世はバレンタインデー。街は空から舞い落ちる白雪と愛が詰められた赤いハートで彩られる。コスプレをして客引きをしているお兄さんやお姉さんの声を無視して一直線に京太郎は突き進む。彼の頭のなかは今は塞との関係のことで一杯だった。
臼沢塞は同じ大学に通う二つ年上の女性。共通の知人である同じ法学部の気だるげな先輩――小瀬川白望さんを通じて知り合った。
真面目で実直な世話焼き。あと、むっつりスケベ。それが彼女と親しい人物による大まかな評価である。
そんな人格の彼女は京太郎と波長が合い、昨年の夏に恋仲にまで至った。京太郎はこの人になら人生を捧げてもいいと思い、塞もまた同じことを考えていた。
互いに辛い時も楽しい時も支え合えるというのが何よりも惹かれ合った部分で二人のイチャイチャぶりは大学内でも有名な部類に属する。
そんな塞が彼に何も用意していなかったのだ。それどころか大学にさえ姿を見せていない。
彼女のことをよく知る先輩方に聞きに行っても
『えー、塞ー? し、知らないよー? お家で何かしているんじゃないかなー?』
『塞? 昨日は寝る前に電話していたけど? ……え、あ、アドバイスしていただけだよ? わ、私は何も悪くないんだからね!?』
『…………知らないけど。……京太郎。塞の代わりにお弁当、頂戴』
『グッドラック!』
――と散々な結果に終わった。
ただわかったのは一応、昨晩の時点では家にいること。塞のことを考えれば深夜に歩くこともない。とするならば行き着く答えは一つ。
「塞は風邪をひいている……!」
それも誰にも連絡できないほどの高熱。でなければ細かいところまで気の付く彼女がみんなに連絡を漏らすわけがない。
京太郎はそう考えており、今もまた焦りに足の出す速度がぐんぐん上がっていく。
「今日に限って必須の授業がラストとかふざけやがって……」
将来の塞との生活まで考えている愛の重い京太郎にとってここでサボるのはあまりにも痛い。それに自分のために授業を飛ばしたと知れば塞は己を責めるかもしれない。それだけは避けたかった。
焦燥感をエネルギーに歩行から走行に切り替えた京太郎は彼女が居を構えるマンションにつくと合鍵を使ってドアを開けた。
「塞、大丈夫か!?」
「えっ?」
「あっ」
玄関でコートに身を包み、靴を履こうとしていた塞。勢いよく中に入り込んだ京太郎は止まることはできず、無理に停止しようとしたためにバランスを崩した。
前のめりに転ぶ京太郎。自然と塞に抱きつく形になる。いつもならラッキーイベントと喜ぶがそうもいかない。京太郎は塞の顔色を確認して胸に溜まっていた心配をぶちまける。
「だ、大丈夫か、塞! 風邪は引いてないのか? はやく病院に行こう! 連れて行ってやるからな!」
「ちょ、ちょっと待って! 何言ってるの、京太郎? 私、風邪なんか引いてないよ?」
「えっ……。でも、連絡着かなかったし……顔も赤いぞ?」
「そ、それは……京太郎の顔が近いから……」
あっ、俺の彼女めちゃくちゃ可愛い。
「そ、それより早く下ろして? お、お姫様抱っこは流石に恥ずかしいから……」
「あ、ごめん」
「いいよ、別に。……ちょっとだけ嬉しかったし」
そう言ってはにかむ塞。京太郎の心は一分にも満たない会話でもう爆発寸前にまで膨張と縮小を繰り返していた。
「寒いでしょ? あがって」
「お、お邪魔します」
互いに緊張しているせいかぎこちない空気。もう付き合い出して半年は経っているというのに彼らは未だ初々しいカップルのままだ。手を繋ぐのがやっとでキスさえできていない。
だが、それも仕方がないことだろう。塞は女子高に通っていて男性に免疫がなく、京太郎も見た目に反して恋人ができたのは初。
順調に進まなくて当然で、腕を組むだけでも幸せを感じている。これが周囲に含みのある優しい視線を送られる原因なのだが当人らは気付いていない。
「ごめんね、心配かけちゃったみたいで」
「気にしなくていいって。俺が勘違いしたのが悪いんだし」
「じゃあ、お互い様ってことで。それにしてもどうして私が風邪だと思ったの?」
「姉帯さんたちに聞いたら家にいるみたいだったからそうなのかなって」
「…………みんな変な気を遣ったな」
「どうかした、塞? 困ってるなら手伝うけど」
「べ、別に何でもないよ! 紅茶作っていくから待ってて」
京太郎は塞に言われた通りにソファに腰を下ろして待機していると塞がマグカップを二つ運んですぐ横に座る。いつもなら拳一個分開けるのに今日は肩と肩がくっつくくらいの至近距離。
隣から漂う女の子特有の甘い香りに鼻腔から満たされていた。
「……エッチなこと考えてたでしょ」
「シテナイシテナイ」
「鼻の下伸びてるよ。バレバレだから」
「えっ!?」
「ほら、やっぱり。…………まぁ、私もあまり人のこと言えないけど」
塞が小声でつぶやくが京太郎の思考は彼女に嫌われていないかどうかで一杯である。おろおろと何やら弁解を始めだす彼の姿がおかしくて塞も思わず笑ってしまう。
「なに慌ててるの。そんなことで嫌いになったりしないよ?」
「ほ、本当に?」
「うん。京太郎がエッチなのは前からだし……もっといいところ知ってるもん」
照れた顔してそんなことを言うのは反則だから……!
彼女の言葉に射抜かれた京太郎はだんだんと頭に血が上っていくのを感じてとっさに顔をそむける。このまま直視を続けるのはあまりにも危険だった。
「心配してくれたみたいだけど京太郎こそ顔真っ赤だし風邪あるんじゃない?」
「ち、違うから。走って体が温まっただけだから安心して」
「そう? なら、いいんだけど」
どうやら納得してくれたようでホッと安堵する京太郎。また怪しがられないうちに話を逸らしてしまおうととっさに浮かんだことを矢継ぎ早に問いかける。
「話は戻すけど塞はどうして今日は学校休んだんだ?」
「うっ。……それはまぁ、私にもいろいろとありまして」
「生理か?」
「それはさすがに怒るよ」
「ごめんなさい」
「もう……。そうじゃなくて……ほら今日ってバレンタインじゃない? だから、チョコレート作ってた」
「作ってたって……一日中!?」
「う、うん。だって、好きな人には一番おいしいのを食べて欲しいし……京太郎さっきから時々視線逸らすけど恥ずかしいのは私も一緒なんだからこっち見てよ」
「ご、ごめん。あまりにも塞が可愛すぎるから……」
想ったことをありのまま伝えて京太郎は一拍置く。しかし、深呼吸をして一旦落ち着いたとしてもまた視線が交錯すれば心臓は鳴り始めるのだ。
どうしようもないことに諦めを覚えた彼はもうずっとドキドキした状態で塞に向き直る。
……大丈夫。命をここで散らせる覚悟はできている!
「それで宮守のみんなにも相談して完成したから今から渡しに行こうと思ってたの」
「ということはチョコは完成しているのか」
「一応ね。……でも、ちょっと恥ずかしいというか勇気がいるというか」
「塞が作ってくれたものなら何でも美味しいから平気だぞ? せっかく作ってくれたのにもったいないじゃないか」
「そうじゃなくて……後悔しても知らないから」
そう言うと塞は持ってきていた袋から箱を取り出すとふたを開ける。中にはハートに型どられたピンク色のストロベリーチョコが綺麗に並べられていた。表面には丸文字でloveと記されていて、どれも愛情が込められて作られたのが他人目にもわかる。
「た、確かにちょっと恥ずかしかったけど嬉しいし、おいしそうだけど」
「……違うの。まだこれは完成してなくて……ええぃ覚悟決めろ、私!」
塞は頬を叩くと一枚チョコを手に取る。すると、それを口にくわえた。
「さ、塞? それは一体どういう?」
「……ハッピーバレンタイン」
「……え?」
混乱してまともに状況を受け入れることが出来ていない京太郎に塞は一度チョコを食べきると改めて言葉にして伝えた。
「……こうやったらちゃんと私の気持ちも伝わるでしょ。だから、はい。……ちゃんと味わって食べて」
それだけ言って塞はまた新たなハートをセットした。柔らかそうな唇が挟み込んで、ゆっくりと突き出される。もう彼女はまぶたを閉じており、後は京太郎次第。
塞の方は震えている。なけなしの勇気を振り絞っているのは明らかだ。
……女の子がここまでしてくれたんだぞ。応えなくて何が彼氏だ。それに……塞を想う気持ちは誰にも負けない!
「…………塞」
頬に手を添えると、そっと顔を近付けていく。彼女の綺麗な睫毛がより繊細に映る。額と額が合わさりそうになり、やがて甘さが口の中にとろけだすと唇が重なり合う音がした。
互いの口内を舌が行き来しあう。ドロドロと流れるのはチョコか唾液かくべつがつかないくらいに求め合う。
気が付けばすでに溶けきっていて、寂しさを感じながらゆっくりと離す。あいだに糸が垂れて橋をかける。汚れなど気にしないくらいに二人の思考はとろけきっていた。
「……どう、だった?」
「……すごく甘かった。……けど、いくらでもいける」
「そっか。じゃあ……」
塞は箱へと指を伸ばす。今度は京太郎の口にそれをあてがう。髪色に負けないくらいに頬を朱に染めた塞はぎゅっと彼の手を握り締めた。
「まだまだあるから……たくさんしよっか?」
そう言って塞は彼の唇を塞いだ。
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08-玄さんとのおもち戦争
陽気な日差しが差し込む阿知賀麻雀部室。冬を乗り越えて永い眠りを終えた花々が咲き誇るこの頃。窓を開ければ甘い香りが広がり、外は桃色で満ち溢れていることだろう。
「さて、今日も始めましょうか……同志・京太郎!」
その部屋のなかで腕を広げる少女は松実玄。天真爛漫な笑顔と純粋無垢さ。たわわな果実にきれいな形の臀部。
性格も容姿もそろっているまさに魅力的な少女である。
今年から最上級生になる彼女の呼びかけに俺もまた応えた。
「ああ! 最高の楽園を見つけるまでついていこうとも! 同胞・玄!」
自分で言っておいてなんだがかなり恥ずかしい。中学時代につけていた技名ノートに記されている中二病ワード並みに羞恥心がぞくぞくと湧き上がる。なんとも言い難い感覚に本当なら頭を打ち付けたいところだが、玄さんはノリノリだ。
すごくいい笑顔でもうとても可愛らしい。
だから俺も乗るしかないのだ。この妙な流れに!
「ふっふっふ。決まったね、京太郎君!」
「ええ。それにしてもテンション高かったけど……何かありました?」
「よくぞ聞いてくれました! 実はすごい品が入ったのです!」
ニヤケが抑えきれないのか玄さんは頬を緩ませている。よほどお気に入りが手に入ったのか興奮状態にあるようだ
……本当に可愛いなぁ、もう。
正直に言うと俺は玄さんが大好きだ。一目惚れである。出会いから一年を共に過ごして、その気持ちはさらに深まった。でないと、こんなに恥ずかしいことに付き合えない。
俺が想いを寄せる彼女――松実玄という存在を語るには外せない点がある。
「見てください、このサイズ! この破壊力! おもちにはたまらないものがあるよね!」
それは変態なほどに大変女性のおもち、つまりおっぱいを愛しているということだ。
玄さんの趣味は女の子のおっぱいの観察、研究……etc.
見た目が麗しく同姓の玄さんだからこそ出来ることであって、男性が公言すれば即座に刑務所へと叩き込まれるであろう。
女性でも中には忌避する人もいるレベル。だからこそ、玄さんはこうやって隠れて内に秘められし欲求を発散させているだ。
この『おもちをピュアな心で愛する会』――通称・OPI――が開催されるようになったのは昨年の夏。
両親の都合で長野から数年後共学となる予定の阿知賀学院の
初心者だった俺は清澄では居場所がなく優勝を決めた時も輪に入ることはできなかった。ともに喜ぶことも悲しむことも……それどころか何もやり遂げられなかった俺が自分を変えようと決意して訪ねた阿知賀麻雀部で奇跡の出会いが起きた。
一度目にしただけで感じあうシンパシー。
俺たちはすぐさま意気投合して、OPIを開くこととなったのだ。
何を隠そう俺も大のおもち好き。
……だがしかし、最近は不味いことが起きてしまっている……。
「うひょー! 本当だ! 最高っすね!」
口ではこう言っているが、内心は別のことを考えていた。そう……何を隠そう。今の俺のトレンドはおもちじゃない。
お尻へと移ろうとしていた……!
よっぽど話し相手が見つかって嬉しいのか玄さんとのおもち談義は毎日続いた。放課後は麻雀部でみんなが帰った後に。休日はわざわざ俺の家にまで遊びに来たこともある。
当時は舞い上がったものだが半年間もの間、OPIが繰り返された結果……飽きが生じてしまったのだ。
そして欲を満たされなくなった俺は禁断の果実へと手を伸ばすことになる。
それはお尻。
女性の魅力の一つを作り上げるパーツに……。
しかし、このことが玄さんにバレる訳にはいかない。
もしも俺がおもちを裏切ろうとしていることが明かされたらきっと……。
『おもちよりお尻がいいなんて……エロ童貞』
こうやって失望の視線を向けられてしまうに違いない。
どんなに天使の玄さんでも二度と口を利けなくなるだろう。
そんな未来は絶対に嫌だ。だから、俺は今日もおもちについて語るのだ。
気持ちを抑えて全力で!
「京太郎君ならわかってくれると思ったよ! でね! この子は成長が著しくて……そうだ! 去年の写真もあるからちょっと待ってね!」
そう言うと玄さんは備品を仕舞う棚の一番下の引き出しを開けて、頭を突っ込んで何かを探し始めた。
そして問題は起きる。
「んっ……よいしょ……っと」
お、お尻が……玄さんの丸いお尻がこちらにフリフリと挨拶をしている……!?
頭を低い位置にしてしまったため反対に突き出されるお尻。
とてもよろしい形をしていて大きさもグッド。一目でわかる安産型……。美しく流れるような曲線美。
チラリチラリと見えそうで見えないスカートの下がより視線を釘付けにさせる魅惑の魔法!
「あれれ? 前はここに片付けたはずなのに……?」
玄さんは探すことに集中して俺の視線に気づいていない。
手でなで回したい滑らかな腰にかけてのライン。揉みしだきたくなるような肉つきとほんのりと帯びた丸み。
あっ、あぁ……! お、お尻がどんどん近づいて……あっ……。
「そういえば去年の大掃除で上に隠したんだった――って、どうしたの、京太郎くん? すごい顔してるよ?」
「あ、いえ……なんでもないっす」
「いやいや、世界に絶望したような表情してるけど……はっ! そうだよね! 写真を楽しみにしてたんだよね! もうすぐだから待ってて?」
違うんです、玄さん……。俺はおっぱいじゃなくてあなたのお尻を眺めたいんです……。
しかし、そんな願いは届かない。
玄さんは近くにあった椅子を取ると棚の上に置かれた箱を漁りはじめる。
だけど体の小さい玄さんは背伸びをしてやっとの位置で――って!
「うーん……ギリギリで見にくい……。……あっ! あったぁぁぁああ!?」
「玄さん危ない!!」
覚束ない足どりと宝物を見つけた喜びで椅子から転げ落ちそうになる玄さん。俺は急いで立ち上がると、彼女が怪我をしないように支えに入る。
「セ、セーフ……じゃないぃぃい……!」
これでも元運動部。だが三年のブランクは大きかったようだ。とっさのことで踏ん張りがきかなかったせいでそのまま崩れ落ちてしまう。
全身を襲う衝撃。背中に激痛が走るものの、なんとか玄さんの目の前で格好いい姿を見せようと歯をくいしばって起き上がる。
「だ、大丈夫ですか、玄さ……ん?」
ぼふっ。
突如として視界を閉じる何か。それはとても柔らかくて、なんだかいい匂いがして……。俺の全てを受け入れてくれる母性を感じた。
「あ、あぅ……。きょ、京太郎くん。そ、その……おもちが好きなのはわかるけど急にやっちゃダメだよ……」
上から降ってくるか弱い玄さんの声。目をそちらにやれば赤面した彼女がいた。
……ということは、さっき俺が顔を埋めたのは……玄さんのおもちってわけか。
……なるほどな。
やっぱりおもちって最高だわ。
お尻からおもち派へと手のひら返しを決めた俺は謝罪とか感謝もろもろの気持ちを込めて、とりあえず土下座をすることにした。
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09-死がふたりを分かつまで
隣人ができた。
「隣に引っ越してきた須賀京太郎です。よろしくお願いします」
その男はお人好しで、変わり者だった。
「シロさん! 実は料理作りすぎちゃって……よかったら一緒に食べませんか?」
おせっかいで騒がしい奴。だけど……。
「やっぱり一人より二人で食べる方がおいしいな、白望」
不思議と悪い気分ではなかった。
◆◆◆
高校を卒業した後、私はふらりと町を出た。誰にも居場所も告げずに。
最初で最後の全国大会が終わった後、みんなは離れ離れになってしまった。豊音は村へ、エイスリンは母国へ戻り、塞も胡桃もそれぞれの道に沿って進学した。
その中でふわりと浮いた存在だったのが私。誰かについていく形で大学に行ってもよかったし、地元で就職してもよかった。
そういう意味では最も自由だったのが私で、それらの道をすべて閉ざしてしまったのも私自身だ。
あの結果をいつまでも引っ張っているのは小瀬川白望だった。
自分自身が一番驚いている。簡単に乗り切れると思い込んでいたのに。なんならば初めに立ち直るのも私だと半ば確信めいたものもあった。
私にとってあの宮守で過ごした五人での記憶は鮮明に記憶へ刻み込まれ、エラーを引き起こす。何度も何度も。
きっとそれはあの光景が、私にとって初めての宝物と言える時間だったから。
……ダルい。
遠く離れた場所で私は社会人チームに所属して目立たずに生活をしている。プロの目に留まらない程度の成績を残すように調整してまで。宮守の誰かといれば辛くなっておかしくなってしまう。
「……ただいま」
ぼそりと呟く。私は一人暮らしだ。言葉が返ってくるわけがない。――それも半年前までの話だけど。
「おかえり、白望。ご飯作ってるから洗濯物はそこのかごに入れといてくれ」
「……うん」
リビングから顔をのぞかせると簡単にすませて彼は調理に戻る。
もちろん母親じゃない。私の暮らすマンションの隣人の須賀京太郎。二つ年下なのに私よりも家事ができる社会人だ。とはいっても少し特別で彼はプロ雀士を数人担当するマネージャー業を務めている。宮永咲、原村和、片岡優希とどれも新人ながら成績を残すビッグネームばかり。
そんな彼と私と出会ったのは一年目だから荒波にもまれてすでに二年が経過している。
何もやる気が起きなかった日々。生きる気力もほとんどなかった私のもとへやってきたのが彼だった。
まさか毎日やってきて終いには大家を使ってまで入ってくるとは思わなかった。それも引っ越しのあいさつをしたいという理由なんかで。
留守とは考えなかったのかと聞けば、何かあったときの可能性が心配だと平然として返す彼のバカらしさに私は折れた。
ただただ時間をむさぼっていた私の世界に入り込んできた愛すべきバカ。
気が付けば友達になっていて、恋人になっていて、体も重ねていた。だけど、どれもこれも嫌な気分ではなかった。
誰とも一緒にならない。関わらない。
そう思っていたのに京太郎はぽっかりと空いた私の穴をゆっくりと埋めていった。今となっては同棲生活を送っている。
着替えるために衣装棚のある寝室へ行く。すると視界に入る飾られた私と彼の思い出の数々。遊園地に行って、温泉に行って、旅行もした。
どれもみんなとしたかったこと。
過ごすうちにわかったが京太郎の優しさは異常だ。誰かに頼られることを、必要とされることを求めている気がする。きっと彼も私と同じように何か断ち切れない過去を背負っているのだろう。
だから私も受け入れて、彼と生活を共にしている。
わかっているのだ。そうやって京太郎を利用していることは。
……こんなのは愛じゃない。醜い傷のなめあい。
「……ダルい」
上からカッターシャツだけ羽織るとリビングへ向かう。この格好をすると京太郎に怒られるけど楽だし、どうせすぐに風呂に入るのだから構わないと思う。
「……いい匂い」
「破廉恥!」
「……好きなくせに」
「それとこれは別だから。……ったくちゃんと寝るときは着替えるんだぞ」
「……うん」
適当に相槌を打って私はテーブルの前に座る。だけど、そこにおいしい料理は並んでいなくて後にやってくる京太郎も手には何も持っていない。
それにいつもは正面に座るのに今日は隣に腰を下ろした。
「……何かあった?」
「さすがに気づくよな。……うん、白望に話しておきたいことがあって」
「なに? お小遣いほしいの?」
「俺もちゃんと働いてるから! そうじゃなくて――俺たちの今後の話」
今後の話。今まで避けてきた未来の話。
……別れ話だろうか。確かに彼に愛を返せているかと言えば自信をもって答えられない。簡単に離れてしまう未来が頭をよぎる。
その瞬間、ドクンと胸が大きく跳ね上がる音がした。鳴り響くサイレンが過去を呼び起こし、思考をぐちゃぐちゃに犯していく。
悔しさに泣いていた黒髪の親友。最後まで別れを嫌がった留学生。彼女たちの泣きはらして汚れた笑顔が次々と支配していった。
「実は俺、やりたいことがあって――白望?」
気が付けば京太郎の手を握りしめていた。絶対に離さないように強く。深く爪が刺さり、裂けた皮膚から薄く血がにじみ出る。それぐらい彼の手をつかんでいた。
「……ダメ」
「どうして?」
「……もういなくなるのは嫌」
わかっている。こうすれば優しい京太郎は私の意見を汲んで諦めることも。
それを狙って私はこんな行動に出た。
自分に京太郎の寵愛を受ける権利はない。きっと彼にはもっとお似合いな素敵な女性がいる。だから、こんな互いの依存の沼に沈んでいないで、さっさと手放してあげるのが彼のためになるだろう。
わかっている。わかっているけど……!
「……いなくならないでよ、京太郎……!」
あの時に言えなかった言葉が、感情があふれ出す。ぽたぽたとこぼれる雫が跳ねる。
……そうだ。私はわかっていてずっと理性で蓋をしてきた。私に資格はないと、彼の邪魔になると、御託を並べてはこの想いに気づかないふりをしていた。
どんなにも汚くても、醜くても、私はどうしようもなく須賀京太郎が好きたというのに。
「そばにいて……京太郎……」
こうすればよかった。素直な気持ちを吐きだして止めればよかった。そうすればきっとみんな離れ離れになんかならなくて済んだのに。
ずっと、ずっとそんなことばかり考えていた。
後悔は心から消えない。何年もそれを味わった。
そして、また大切な人を失おうとしている。
あんな絶望は二度とごめんだ。
「……好き。好き」
繰り返して私は彼の胸元へと飛び込む。ぎゅっと抱きしめる。
どこかへ行ってしまうなら私も一緒に。そんな気持ちを込めて、力いっぱいに。
「……そっか。白望の気持ちが聞けて、俺もうれしかったよ」
「…………うん」
そっと頭を撫でられる。背中をさする動きが優しくて、加速していた鼓動も落ち着きを取り戻し始めていた。
すぐ近くに感じられるぬくもりに包まれて、心地よい時はゆっくりと流れていく。
「まさか白望がそこまで想っていてくれたとはな」
「…………」
「でも、何か勘違いしていないか?」
「していない。京太郎は私と別れる話をしようとした。そうでしょ?」
「違うぞ」
「……嘘」
「嘘じゃない。いいか? 俺はあの後にこう言おうとしていたんだ」
京太郎は私を下ろすとそっと手を取る。重ねるようにして握られると、京太郎はまっすぐな視線を向けて言葉をつづけた。
「俺はやりたいことがあって――それには白望の気持ちが必要で。俺は白望以外に考えられないから。よかったら結婚してくれませんかって。そう言いたかった」
「……結婚? 私と?」
「他に誰がいるんだよ。……新しい依頼も入って生活も俺一人で支えられると思う。やっと前から考えていたことを伝えられると思っていたんだぞ」
「……本当に、私でいいの? 料理も下手だし、ずぼらだし、なんだって京太郎任せで……」
「そういうところも全部含めて、お前が好きなんだ」
「――――」
ようやく止まったと思ったのに……。
また、また涙が出てきて……バカ……。
「……白望にどんな過去があって、どうしてあんなことを俺に言ったのかはわからないけど……でも一つだけはわっきりとわかる。俺は白望から離れない。死ぬ時まで、ずっと一緒だ」
約束しよう。そう言って彼は小指を立てる。泣きじゃくる私も、ぼやける視界の中で自分の指をからませた。
これで私たちの愛は結ばれた。永遠に切れることのない愛が。
彼の腕が私の背中に回って、抱き寄せられる。
……あぁ。いつから私はこんなにも弱い女になってしまったのか。
恥ずかしさがこみあげて、でも嬉しさが簡単に上回って受け入れてしまう。
……ダルい。
「それでさ。今度、お嫁さんができたって長野まで報告に返るんだけど……白望はここで待っているか?」
彼はからかうようにわざとらしく、そんな問いかけをした。
……調子に乗って。いいだろう。年上をからかった旦那には罰を受けてもらおう。
今の私と同じ気持ちになる罰を。
「……京太郎」
「ああ」
「……私も連れて行って」
そして交わしたキスは今までで最も長く唇を重ね合わせていた。
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10-健夜ラブリーデイ
先に言っておこう。
私、小鍛冶健夜は人生において一番の危機に立たされている。
今まで私はプロ雀士でもあり、いわゆる芸能活動もフリーで行ってきた。自分のスケジュールでゆっくりと自由気ままに。
しかし、数年前の全国大会をきっかけに知り合ったアナウンサーの恒子ちゃんにおすすめされて今年からマネージャーを雇うことにした。
『すこやんは近づきにくいオーラがあるからもっと人と接する機会を作らないとね』
『えー、でも、なんだかなぁ……』
『おばさんにも言われたんでしょう? 結婚について』
『うっ……いや、私にも願望がないわけじゃないけど……』
『とりあえず、すこやんは自分を律するために予定を組み立てることから始めよーよ。マネージャーさんでも雇ったら? 私もそろそろフリー考えてるんだよね。今度、一緒に契約しに行こう?』
『うーん……そこまで言うならやってみようかな』
『よっしゃ! おっちゃん! こっちに一杯持ってきてー!』
この時、簡単に承諾した自分を今では殴ってやりたい。あ、やっぱりそれは痛いので頬をつねってやりたい。
酔った勢いで恒子ちゃんに条件を伝えて後は任せた。
自分でも言うのはおかしいが、かなり変な条件を付けていたので受けてくれる人はいないだろうと踏んでいたのに……。
まさか現れてしまうとは……。
「初めまして。本日から小鍛冶健夜さんのマネージャーとして働かせていただきます、須賀京太郎です。よろしくお願いします」
「は、はひっ。……こちらこそよろしくお願いします……」
金髪。長身。イケメン。
対して私。ボサボサ髪。ジャージ。アラサー。
……あれれ? やばい。すごく帰りたい。
あっ、ここ私の家だった。
「いや、小鍛冶さんとお仕事ができるなんて思ってもいませんでした。なにせ有名な方ですから」
「い、いえ、そんな……」
「精一杯頑張ります! まだまだ新人ですがよろしくお願いします!」
「こ、こちらこそよろしくお願いします……」
彼が言うことに言葉を返すことしか出来ない。
これが私と彼の出会いだった。
思い返せば、ひどい。
……ちょっと落ち着いたかな。
そう、私は現実逃避をしていただけ。
落ち着いたところで、閉じていた瞼を開ける。
目の前には、マネージャーの京太郎君が眠っていた。
「やっぱり夢じゃなかった……」
やばいやばいやばいやばい!
なんで!?
京太郎君と一緒に寝ているんだ!?
ついに!? ついに一線を越えてしまったの!?
鼓動が加速する。
もう歳なのに、急にこんなドキドキを与えられたら死んでしまう。
というか、今気づいたけど、腕枕もされている。
感じる男らしさ。
間近にある久しぶりの男の匂いに頭がくらくらとした。
「……ちょっとだけ」
スンスン。スンスン。
「…………はぁ~」
いい匂い……。
「――って、いけないいけない! 何してるの、私!」
危うくトリップしそうになった意識を、ブンブンと頭を振って、引き戻す。
「そ、そうだ! 服は!?」
混乱して、忘れていた。
これさえ確認できれば、昨晩がどんな夜だったか、わ……かる……。
「……そっかぁ」
京太郎君はシロかぁ……。
……べ、別に期待していたわけじゃないんだよ?
ほ、本当だから。
私だっていい年齢の大人なんだし、ちゃんとそういったことは区別をつけてですね……だから、京太郎君とそういう関係になっていなかったことを残念がっているわけじゃない。
「……はぁ」
「なに、ため息ついているんですか、健夜さん」
「ちょっと現実の厳しさを感じていたんだよ……ん?」
「俺の顔に何かついてますか? そんな変な顔して」
「きょ、京太郎君? 起きてたの?」
「そりゃあ耳元であれだけ騒がれたら、誰だって起きますよ」
言われてみれば、確かに。
……あれ? ということは、匂いを嗅いだのとかもバレてる?
い、いや、まさか、そんなの見たら止めるよね、うんうん、きっとそうだよ。
「それにしても健夜さんって匂いフェチだったんですね」
「今すぐ私を殺して。早く!」
は、恥ずかしすぎる!
三十路を超えて、まだ二十代の男の子の体臭を楽しんでいたとか、変態度が高すぎるでしょ!!
やばい奴だよ!
文面にしたら、想像以上にやばい奴だよ、私!
「ぁぁあああ……」
「俺なら気にしてませんから大丈夫ですよ」
「ほ、本当に?」
「もちろんです」
「……なら、よし」
私は正座して姿勢を正すと、京太郎君もならって向かい合う。
寝起きでも、彼の目は冴えているようでだらしなさはどこにもない。
対して、私は髪がボサボサになっているし、肌荒れもひどい。
こ、これが若さ……。
とはいえ、そんなことに絶望している場合ではなく、私は本題を切り出す。
「こほん。須賀マネージャー」
「なんでしょうか、小鍛冶プロ」
「昨晩に何があったのか、教えてください」
「はい。それでは簡潔に説明いたします」
京太郎君はわかりやすいように、ひとつずつ噛み砕いて話してくれる。
そして、話が進むにつれて、私の顔色は青くなっていった。
「……つまり、こういうことだね?」
私はピンとひとさし指を立てる。
「こーこちゃんと三人で打ち上げをした後、私とマネージャーで二次会へ」
「はい」
「アラフォーネタに悲しくなった私はやけ酒をして、ベロンベロンに酔った。そこでマネージャーが、ホテルまで連れてきてくれた」
「小鍛冶プロは軽かったので問題はありませんでしたよ」
「……悪酔いした私がマネージャーをベッドに誘い、一緒に寝るように迫った、と」
「安心してください。そういった行為はなかったですから」
「そっか、そっか。なるほど、なるほど」
「…………」
「お金は払いますので、告訴だけは勘弁してください!」
「健夜さん!?」
あまりの申し訳なさに深々と頭を下げた私の肩をガクガクと京太郎君は揺さぶる。
あっ、止めて。
それ以上されると、ダメ……気持ち悪くなるから……。
「……うぷっ」
「あっ、ごめんなさい! 水持ってきます!」
「あ、ありがとう……」
渡された水を飲み干して、ひんやりとした冷たさで、喉も頭も冷やすと、私は大きく嘆息した。
「……ダメ人間だね、私」
「そんな落ち込むこともありませんよ」
「落ち込むよぉ。あまりにもひどい過程に流石に嫌気がさしちゃった」
私がここまで売れ残っている理由がわかった気がする。
いや、実際には前から判明していたんだろうけど。
私は目をそらしていた。
忙しさを言い訳にして、ずっと逃げてきたツケがこうやって回ってきたのだ。
「ごめんね、京太郎君。こんな私が雇い主で」
「……どうして、そんなこと言うんですか?」
「だって、こんなダメ人間……京太郎君だって失望したでしょ?」
「いえ、俺はそんなことを思ったりしません」
「……本当に?」
「はい。確かに初めて健夜さんのだらけた姿を見た時は驚きましたけど、失望ってよりは安心って言いますか。あんなに麻雀が強いのに、私生活はダメダメって……なんだか可愛くて、放っておけなくて」
「か、可愛いって……もう30超えるおばさんだよ? 世間で言ったら、もう売れ残りで……」
「俺はそんな風に思いませんけど」
「う、嘘だぁ。もう元気づけてくれるのは嬉しいけど、大人をからかっちゃだめだよ、京太郎君」
「嘘じゃないですよ」
私はされるがままに、ベッドの上に倒される。
そのまま手をついて私を逃がさないようにされると、彼と自然と視線が重なった。
その瞳に嘘の色はなく、どこまでも澄んでいて私だけを見つめている。
だからだろうか。
彼の言葉はつっかえることなく、胸にしみこんでいく。
「健夜さんの一生懸命なところが好きです。格好つけようとして、すぐにボロを出しちゃうところとか。チームのために練習に遅くまで付き合ってあげる優しさとか。そばに見てきた俺は知っています」
これはきっと告白だ。
生まれてこの方、されたことはないから自信はないけれど。
それでも、はっきりと私は愛を告げられているのだとわかる。
「……嫌だったら、押しのけてください」
彼は端正な顔を近づけると、耳元でささやく。
対して、何もかも初めてだらけの私は瞼をぎゅっと閉じて、彼に抱き着くことしかできなかった。
その瞬間、彼が思わず漏らした笑い声が聞こえて――
「幸せにします、健夜さん」
――私たちの唇が重なった。
ちなみに、プロ雀士界には衝撃が走り、魔王がタイトルをすべて奪取したり、牌のお姉さんがショックのあまりに引退したり、どこかのレジェンドが婚活パーティーに力を入れるようになったらしい。
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11-チョロイン弘世菫さん
二人は苦労人気質なせいもあってか、親睦を深めていき、今となっては遠慮のいらない仲にまで進展していた。
「断られた~!!」
ダンと空になったグラスをテーブルにたたきつけて、
現場では頼りにされている上司の他人には見せられない姿に、部下の須賀京太郎は苦笑いしていた。
「またダメだったんですか、縁談」
「またって言うな! まだ10敗だ!」
「ついに二桁数に……」
「うっ!」
自分を慕ってくれる部下の容赦ない言葉に胸が苦しくなる。
わかっている。わかっているんだ、がけっぷちに立たされていることくらいは。
私も今年で29歳。正確には29歳と2か月。
他人事だと思っていた地獄の30代までもう猶予はほとんど残っていない。
女として生まれたからには独身という結果だけは避けたかった。
だが、人気者のマネージャーとしての責務に忙殺され続け、気が付けばこんな年齢。
私を焦らせたのは、それだけじゃない。
学生時代の友人たちによる結婚ラッシュで何度も見せられる幸せそうな笑顔。
一緒にご飯を作ったり、子供が生まれて新しい家を買ったり、家族旅行に出かけて思い出を作ったり……。
そんな温かい家庭を築くのだろう。
招待された結婚式の帰路で想像を膨らませる私を待ち構えるのは暗い玄関。
空虚な「ただいま」の声。
部屋に響くレンジの『チン』。ビール缶で膨れ上がったごみ袋。
仕事部屋だけでは飽き足らず、リビングにまで散らばった書類の数々。
『いつかは結婚できるだろう』と甘い考えに逃げていた私もさすがに重い腰を上げて両親に頼み込んだ。
……が、どれも上手くいかずに今年に入って10連敗。
まだ1年の半分だぞ……?
「須賀……私のどこがダメなんだ……? 教えてくれ、治すから……」
「俺は弘世部長は女性としてすごく魅力的だと思います」
「じゃあ、どうして私はお前と飲んでいるんだ……うぅ……!」
自分で言うのもなんだが、容姿は平均よりは上のレベルにあると思う。学生時代には何度もモデルまがいの仕事も受けていた。
財力もあるし、相手は専業主婦をやってくれてもいい。
あまり料理は得意じゃないから、むしろ歓迎するほどだ。
「それはほら……例のあれじゃないですか」
「……やっぱりそう思うか?」
コクリと須賀はうなずく。
私が縁談相手に必ず伝える内容を彼は知っている。
「今どき結婚する日までキスもさせてもらえないのは、あまり受けはよくないかと」
「だって……何事も初めては一生を添い遂げる相手に捧げたいだろう? おかしいことか?」
「現実的ではありませんね」
「むぅ……」
ぐうの音もでない正論に言葉を詰まらせた私は一口サイズの唐揚げをつまむ。
じゅわりと衣の中に閉じ込められた旨みが口いっぱいに広がった。
「……本当に美味いな。須賀の料理は……」
こうやって彼の家で飲んで、酔っぱらった私の愚痴を聞かせるのも定番となった。
須賀は近年には珍しいとてもまじめな若者だ。
自分を律することができ、困った者がいれば利益など考えずに手を差し伸べる。
誰とでも分け隔てなく接し、事務所のみんなから人気があるのも彼にかけられる声を数えればすぐにわかる。
同じ苦労人という共通点もあるが、清廉潔白な彼を気に入って可愛がるのは当然の流れだったかもしれない。
……そんな彼の優しさに甘えてしまっているのは情けない限りだが。
「そう言ってもらえると作ったかいがありますよ」
「性格もよくて、顔もよくて、料理もできて、稼ぎもある。須賀は私と違ってモテるだろうなー」
「……モテても意味ないですよ。本命に振り向いてもらえないなら、どんな努力をしたってね」
――でも、それも今日までにします。
そう続けて須賀はグラスの酒を一気に煽る。
ゴクリと喉を鳴らして飲み干すと、わずかに顔を赤くさせて私を見つめていた。
「す、須賀?」
「この間、受付の人に告白されました」
「なに!? お前、後輩のくせに抜け駆けするつもりか!」
「いえ、断りました」
「ば、ばか! 本当に私に気を遣ってどうする! え、遠慮なく結婚式に私を呼んでいいんだぞ?」
「違います。もっとちゃんとした理由です。そんなの彼女に失礼じゃないですか」
「なら、どうして!」
私の追及に須賀は一つ間を開けて、予想だにしなかった言葉を口にした。
「好きです。世界の誰よりも弘世部長を愛しています」
「…………え?」
「弘世菫さん。俺はあなたが好きなんです」
「はぁ!?」
2度もはっきりと告げられた後輩からの愛の告白に、思わず汚い反応を返してしまう。
なんとか取り繕うとするも、顔が火照って頭が回らない。
「う、嘘だ! わ、私をからかってるんだろう、須賀!」
「好きでもない女性の愚痴に毎回付き合う男がいますか? 俺はそんなにできた人間じゃありません」
「うっ……。で、でも、あんなに醜態をさらして幻滅したりしているはずだろう! それがどうして、す、す、好きとか……」
「そんなダメなところも好きなんです。それに嬉しかったんですよ。包み隠さず話してくれるくらいには俺を信頼してくれているんだって」
須賀は身を乗り出して私との距離を詰める。
彼の力強い意志のこもった瞳がすぐ近くにまで迫っていた。
「好きです。キスも我慢できます。弘世部長が俺を好きになってくれるまで頑張ります。だから、俺と付き合ってください」
「い、いきなりそんなこと言われても、私にも気持ちという物が……」
まっすぐな眼差しと言葉が私の心を貫いた。
今まで意識したこともなかった相手からの愛に揺さぶられた私はしどろもどろになってしまう。
男として彼を見てしまい、目線を合わすことすらままならない。
忘れていた乙女な感情が嬉しさと恥ずかしさに挟まれて、まともな思考ができそうになかった。
……いやいや、それはダメだ。
私は『行き遅れ』のアラサー上司。須賀は女子から人気の優良物件な部下。
そんな関係の二人が結婚したとなれば、周囲からの目はあまりよくないものになる。
焦った私が脅して彼に無理やり結婚を承諾させたと思われるに違いない。
将来が有望な須賀のためにも、ここは心を鬼にして断るべきだ。
「須賀。今の話はなかったことに――」
「俺は弘世部長と結婚したいんです」
「……い」
「い?」
「……一回デートしてから、決めさせてくれ……」
べ、別に結婚って言葉につられたわけではないし!?
ほ、ほら! こんなに熱心に想いを伝えてくれる相手を無碍にするのも失礼だからな!
落ち着いた状態で話し合えば、聡い須賀ならわかってくれるはずさ。
一度でもデートしたら須賀も少しは納得してくれるだろう。
それに告白されたからって、いきなりオーケーを出すのもおかしな話だしな、うん!
いくら焦っているからと言って、簡単になびく女じゃないぞ!
なのに、返事を聞いた須賀はなぜか勝ちを確信したような笑みを浮かべている。
「な、なんだ。その余裕な顔は」
「弘世部長とデートできるとわかって嬉しいんです」
「ふん! せ、せめて退屈だと思わせないように気を付けるんだな!」
「絶対に楽しい時間にすることを約束しますね」
私の強気な発言にも彼の笑顔は全く崩れない。
くっ……! 覚えているがいい、須賀京太郎。
絶対に一回デートに行ったくらいで落ちたりしないんだからな!
お久しぶりです。
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