大洗女子 第64回全国大会に出場せず 【改訂版】 (プラウダ風紀いいんかい?)
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忍耐は成功を勝ち得る唯一の手段
第1話 伝説の終わり?


 
 これは、「乙女のたしなみ」とされた戦車を極める「戦車道」という武道があるどこかのパラレルワールドで繰り広げられた「ガールズ&パンツァー」の、最後のお話のそのまた後の物語。
 
 このお話では、第63回戦車道全国高校生大会、大洗動乱は2012年に、未公開の最終章関連事件は同年冬にあったものとします。


 

 

 

 

「馬鹿め! 三度も騙されるか!」

 ルクリリはそう言い放つと、75mm主砲の発砲を命じた。

 彼女が狙った戦車の車内に競技弾が装甲に激突する轟音と、「シュパッ!」という気の抜けた音が続けて起こり、そのあとに当のアヒルさんの車長、磯部典子の叫びが被さる。

「アヒルさんチーム、撃破されました! 申し訳ありません!」

 

「……」

 無線を聞いて呆然としているのは、前年の秋、第二学期から大洗女子学園副生徒会長に就任した秋山優花里。

 アヒルさんチームに託したのは、大洗女子戦車道の今後を担うはずの期待の新戦力。

 搭乗するのは超旧式戦車「八九式中戦車」で全国大会を戦い抜いた「奇跡の」アヒル。

 それがなぜ、格下の敵にロクに戦いもしないうちに撃破されたのか。

 

「なぜ、なぜこんなことに!」

 

 そう叫ぶ秋山のかたわらには、なぜか沈痛な面持ちの西住みほがいた。

 

 

 

 

 

 

 聖グロリアーナと大洗女子の、単独では2回目になる交流戦の1ヶ月前。

 立春過ぎとはいえ、春まだ遠き2013年2月中旬。

 本来なら入山禁止の富士山麓を、迷彩服、自衛隊の呼称でいえば「迷彩服2型、機甲用」といわれる服装に身を包んだ女性30人ほどが、一列に並んで登っている。

 日本戦車道連盟主催による、合宿形式の「戦車道指導者講習会」の一幕である。

 この日は寒中登山演習を実施。この日は登るだけで、六合目でビバークの予定だ。

 他のカリキュラムは陸上自衛隊北富士演習場と、連盟の富士学校出張所で行われ、合宿所もその出張所を使う。

 この講習会は高校生が受験休みとなるこの期間に、2週間の日程で実施される。

 対象者は師範昇進間近の社会人から、高校戦車道のリーダークラスまでに及ぶ。

 AO入試や戦車道推薦入学、果ては海外留学が確定し、この期間手持ちぶさたになるジュニア選手のトップや戦車隊の次期リーダーとなる現二年生の成績優秀者も、この講習を受けている。

 大洗女子からは、戦車隊隊長を引きつづき務める西住みほ、生徒会長で、ぽっと出でありながら全国大会でフラッグ車を3騎討ち取った砲手の五十鈴華、「午後からの天才」の異名を持ち、どんな戦車でもいきなり動かしてしまう異能者、冷泉麻子が参加していた。

 もっとも冷泉麻子はこの登山講習の最中に高山病を起こし、ドクターヘリで下山した。

 そしてある程度の期間入院の要有りと診断されて講習をリタイア。回復次第大洗へ帰ることとなった。

 

 無事に六合目まで登り終えた講習生たちは、すばやく野営の用意を調える。

 用意が調ったものは、その場で個人携帯糧食で夕食を取る。

 実戦を想定した演習であるため、食事は火を焚かなくとも食せる「MRE」レーションである。

 戦車道の指導者は、戦時には戦車兵として戦うことを期待されているのだ。

 

「優花里さん、あんなことになって大丈夫かなあ」

「きっとわかってくれますよ。みほさん」

 

 みほが気にかけているのは、合宿前にあった次年度生徒会予算会議のことだった。

 

 

 

 

 

 優花里は2013年度の全国大会連覇を目指し、副会長職にありながら戦車道経費の積算を自ら買って出ていた。それには彼女なりの理由がある。

 

 彼女、秋山優花里は戦車道戦車にかきらず、ありとあらゆるAFVが大好きという趣味人的な高校生だ。とはいえ、高校2年になるまでその『趣味』を共有できる人間はいなかった。

 スポーツでも個人武道でもそうなのだろうが、たとえば誰でも不人気球団の登録選手まで全部知ってはいないだろうし、幕内力士全部の名前と部屋と出身地が言えるようなら、もはやウルトラマニアといっていいだろう。

 AFVマニアでもカナダやオーストラリア、アルゼンチンにスペインの戦車が答えられるようなのはそうそういない。なぜかというと、戦局にまったく影響を及ぼしていないからだ。これは飛行機マニアや艦船マニアでもそうに違いない。

 ただ、鉄男さんや鉄子さんは別だ。ありとあらゆる路線を知悉し、ありとあらゆる車両を知っている。そうでなければ話に加われない。

 秋山優花里はそのレベルのエンスーだった。当然のことながら、戦車道選手でさえ話について行けない。なぜならどこぞの小国の弱小戦車なんか、単なる棺桶でしかないからだ。

 ここが鉄道趣味との最大のちがいだ。鉄道ならどんなローカル線も制覇してナンボだ。まして珍しい車両なら、絶対に乗りたいに決まっている。

 そんなわけで秋山優花里を理解できる人物は、少なくとも女性の中にはいなかった。

 彼女が英雄とリスペクトする西住みほ、大洗女子学園戦車道隊長でさえそうであった。

 

 去年戦車道を始めたばかりの大洗女子は(正確にはその20年前までは正課授業にしていたが)2012年度「第63回戦車道全国高校生大会」にいきなりエントリーし、優勝候補3校を含む4校すべてを撃破して優勝するという、空前絶後といっていい快挙を成し遂げた。

 だが、その背景には「公立学園艦統廃合計画」により、学園自体が存在する「大洗女子学園艦」が廃止解体されるという事情があり、生徒会長角谷杏が学園艦教育局長辻簾太と交渉して「全国大会優勝」とひきかえに廃校取りやめを迫ったといういきさつがあった。廃校の理由が「これといった成果を上げていない」ことだったからだ。

 そして角谷は戦車道授業を再興し、優勝常連校黒森峰女学園から(事情があって)転校してきた戦車道エリートの西住みほを中心に据えて全国大会にエントリーした。

 他の生徒に重圧を負わせたくなかった角谷は、みほにも廃校予定の事実を伏せたまま戦っていたが、タナボタにちかい第一回戦、実力拮抗(つまり弱い相手)の第二回戦をくぐったあと、準決勝戦で四強の一角『プラウダ高校』の物量と老練さの前に敗北寸前となるも、ここで角谷が「負ければすべてが終わる」ことを明かし、みほを中心に死力を振り絞って虎口を脱した。

 そして惨敗確実と思われた決勝戦ではまさに背水の陣で戦って、味方8両中7両まで撃破されながら、敵旗車含む10両の第一線級戦車を撃破し、薄氷を踏むかのような勝利を得た。

 このときも今も、大洗女子の保有する戦車は8両のみである。

 大洗女子には、一流戦車といえるものは1両もなく、むしろ全く戦力にならない時代遅れまでいたという悲惨なラインナップであって、なぜ優勝できたのか、誰にも説明できないといわれる。

 むろん、戦車の力関係でいうなら優花里にさえ「勝因」を挙げられないのだ。だから「腕と戦術で勝った」としかいいようがない。

 もっとも過去の歴史にあっても、大洗女子と同じような立場に立たされた小勢が大軍を屠った例はないわけではない。しかしその条件は厳しく、すべてがそろうことは本当に稀だ。

 

 大洗女子が優勝したことにより、辻局長の面子は潰れ、彼の政治力は大きく下落した。

 そして面子を潰された高級官僚は、潰した相手を決して許さない。

 彼は失地回復と潰された面子の恨みを賭けて、再び大洗女子に戦いを挑む。

 面子以前に、どうあっても大洗女子を廃校にしなければ、彼は失敗者の烙印を押されて官界から追放されるのだ。(その後明らかになった、いろいろな事情もあった)

 こうして霞ヶ関と高校戦車道界と大学選抜、さらにこの国の二大流派まで巻き込んだ実にダーティーな暗闘が勃発する。(以下「大洗動乱」と記す)

 だがこのとき大洗側に次々援軍と支援者が現れ、敵であるはずの黒森峰のオーナー、西住流宗家まで加勢した結果、辻の目論見は潰え去った。

 こうして、一応は大洗女子に平和が来たように思われた。

 卒業間近の角谷は会長位を華道家元継嗣にして殊勲砲手の五十鈴華に譲った。そして新執行部が活動を始めた矢先に長年休止していた無限軌道杯という全国規模の高校生大会が開催されて、大洗女子もよんどころない事情から参戦することになった。むろん今回は廃校とは無関係だ。

 そして、年度末がやってきた。

 

 大洗女子戦車道履修者としての秋山優花里と、戦車博士としての秋山優花里に乖離が生じ始めたのはこのころからだった。

 履修者としての優花里は、新たなる戦いを望み、大洗を不動の強豪にせんと考える。

 一方で戦車に該博な方の優花里は、彼女の中で警報を鳴らし続けている。

 戦車陣の弱体ぶりに、他の誰も問題意識を持っていないからだ。

 そう、西住みほでさえ。むしろ彼女は『戦車の性能が戦車道のすべてではない』というテーゼを体現すらしていると言って良いほどだった。『当たらなければ、88mmだろうがどうということはない』『戦いは二手三手先を読んでおこなうもの』であるみほにとっては、戦車の性能差はむしろ乗り越えるべき目標だったのだ。

 また、みほ自身は試合の勝敗それ自体よりも、どう戦ったかという『内容』を重視する人物でもある。その意味からもハードウェアの強化の優先順位は、彼女の中では低かった。

 だから強い戦車の必要性を痛感していたのは、このときの大洗女子では優花里ただ一人だったと言っていい。

 戦車の質と数で言えば全国大会一回戦敗退常連校のほとんど(つまり、知波単以外)よりもお寒い状態なのだ。

 これでみほが卒業でいなくなる2014年度以降には、大洗女子戦車道はどうなってしまうのだろうか。考えるまでもなかった。

 こうしてここに生徒会副会長、秋山優花里の孤独な戦いが始まった。

 そこにあるのは使命感なのか、それとも……

 

 

 

 秋山優花里は、まずは予算の増強が不可欠と考えた。

 それとこの学校でこの年度、成果らしい成果といえば戦車道全国大会の優勝しかない。

 大洗を再び存亡の淵に立たせないためにも、戦車道の強化は絶対に必要と優花里は考える、

 

(なんとか全国大会には10両は出さないと厳しいな。

 でも乗り手は履修希望者が激増するだろうから、あとは新車購入費ももりこんでと。

 あと、八九式だけは代替車両を用意しないと……)

 

 彼女が次年度活動予算として盛り込んだのは、パンターを想定した新車購入費、年間の燃料、部品、弾薬の使用量見積もり、全国大会と交流戦の遠征費だった。

 その結果、固定費だけでも2012年度実績比で170%、総額442%の増、つまり2012年度の5.42倍となる予算案ができてしまった。

 これでもいくつか必要と思われる費目を削った結果であり、優花里としては全国大会連覇のためには次年度限定で10倍の予算が必要と踏んでいた。

 

(正直、この予算でもパンターが2両買えるかどうか。

 やっぱり八九式の更新含めて3両は欲しい。それでもやっと全部で10両。

 本当なら新車両は重戦車がいいんだけど。

 あとは西住殿の腕と戦術としても……)

 

 優花里は自分の作成した予算案をたたき台にして、華と二人で次年度を大洗女子を戦車道強豪校とするための盤石な基盤作りの年と位置づけていた。

 のちのちさらなる出費が必要なら、補正予算を組めばいい。

 会議に諮る前に会計委員会の審査があるが、会長と副会長が戦車道履修者である以上、前年度の角谷政権同様、形式的審査だけで通過する。

 そう優花里は考えていた。しかし……

 

 

 

「副会長の肝いりはわかりますが、戦車道予算は本年度比で50%の減額をお願いします。

 この予算案は、うちでは審査できません。再精査をお願いします」

 

 形式的な稟議だけで会議に上程されると思っていた優花里に、会計委員長は言外で論外だと言って、予算案を突き返してきた。

 

「どういうことよ! それ」

 

 角谷政権下では、すべて会長の意思であるといえば、どんな横暴でも通ったものだ。

 前広報主任の河嶋桃など「横暴は生徒会の特権」とまで言い放っていたものだ。

 まさか副会長の作成した案に隷下組織が異を唱えるなど。

 優花里は感情的になった。

 優花里は格上の人物には実にしゃちほこばった軍隊口調で話すが、目下、後輩には普通の口調で話す。軍隊口調が好きと言うことは裏を返せば上下関係に厳しいと言うことでもある。

 しかし、普通Ⅰ科でも指折りの秀才は微動だにしない。

 

「2012年度は戦車道の勝敗にこの学園の存廃がかかっていました。

 プラウダ戦で会長が明かした事実は、この学園を震撼させました。

 学園のすべての機関が非常事態と認識し、すべての部活動が遠征予算を返上し、また生徒会予算を始め授業に支障が出ても構わないとの学園長の指示もあり、学園運営費までギリギリの削減を実施しました。その上OGの皆さんも多額の援助をしてくださいました。

 それでも本年度に活動らしい活動ができたのは戦車道だけなのです。

 残りの生徒は学校行事はもとよりすべての大会、発表会、コンクールをあきらめ、校内だけで黙々と練習だけに日を費やしたのです。学園の存続には換えられないと。

 今年度が最後の舞台だった三年生もです。

 ……ここに本年度の燃料費と消耗品費の実績速報があります。ご覧ください」

 

 戦車の燃費はリッター数百メートル。専用競技弾、練習用木製弾は連盟専売であり、組織運営費や事故補償費まで込みになっているからきわめて高価だ。

 ある程度わかっていたことだが、ペーパーにして出されるとさすがに優花里も鼻白む。

 それでも優花里は譲ることはできなかった。

 

「でも、ここで大洗女子戦車道を未来に向けて盤石にしないと、また廃校の標的になる。

 それを回避するために、せめて量的には四強と戦える戦車隊を……」

「――大洗女子は聖グロのようなお嬢さま学校でも、サンダースのような巨大校でもない、一介の公立学園艦にしか過ぎません。一個大隊相当の戦車隊どころか現状を維持するだけで潰れます。

 それが現実です。

 いま私が申しあげていることは、会計委員会の総意です」

 

 彼女は正論を言っているだけだった。しかし戦車道がこの学園の救世主だと信じる優花里は引くつもりなどない。

 

「副会長として命令します。

 この予算案を、一切手を加えることなく予算会議に上程しなさい。

 意見書はつけなくて結構。すべての責任は私が持つ。

 これは会長の意思であります。財源は他の費目を削減して捻出しなさい!」

 

 そう宣告して優花里は予算案のファイルを担当者の机に叩き付けると、憤然として自分のデスクに戻った。

 

 

 

 その日の放課後、華と優花里は会長室で二人だけで話し合っていた。

 

「優花里さん。会計委員たちが予算が組めないっていってきたわ」

「五十鈴殿、次年度だけのことであります。

 この学園が二度と廃校の脅威にさらされないためにも、会長権限で押し切ってください」

 

 だが、華は思う。今回は「会長の横暴」という伝家の宝刀を抜くことはできない。

 華は2年半の長期にわたって会長を勤め上げた角谷のような信頼を得ていない。

 その角谷は会長辞任の直前に、あんこうチームに「次年度戦車道を続けるかどうかは新執行部に一任する」と言っている。文化祭や体育祭まで中止せざるを得なかったことを考えれば、本年度と同じ形で続行するのは難しい。しかしそれについてはもう彼女たちに任せるべきことだ。

 そう角谷は考えた。

 そしてあんこうチームは卒業予定者以外の全履修者と面談して、とりあえず次年度も戦車道授業は継続するという方針を決めた。

 とはいえそのための裏付けについては、まだ何も着手していなかった。

 当然真っ先に発生する問題は、そのための費用。しかし……

 

「でも、充当する財源がありません。

 昨年、予想外の支出になったのは県教育庁も同じなのです。

 廃校回避も確定した今となっては、OGの方々に拠出金をお願いすることもできません。

 まして国庫に頼るとなれば、局長がああなってしまったとはいえ、学園艦教育局の中でまたこの大洗女子を削減対象にする機運が出てこないともかぎりません」

 

 昨年、大洗女子の廃校のために暗躍した元学園艦教育局長は、一部業界との「不適切なお付き合い」と官製談合誘導、贈収賄の嫌疑がかけられて拘留中で保釈も棄却され、容疑が確定し次第、刑事休職から懲戒免職にされることが決まっている。彼は自分で辞表を出したが受理されなかった。世論が彼の徹底的な処罰を求めているからだ。

 といってもそれは、学園艦教育局が大洗擁護に回ったことを必ずしも意味しない。

 依然として文科省の台所が苦しいことは変わらない。

 いまは大洗に手をつけるのがタブーだというだけだ。図に乗って金をせびるようなら、彼らはまた大洗女子学園艦の廃艦を検討するようになるだろう。

 学園長始め職員たちも、次年度の戦車道縮小はやむを得ないと考えていることも、華は知っている。また、学園長から内々にみほへの根回しを依頼されてもいた。

 まして華は生徒会長、戦車道にのみ肩入れできる立場にない。

 だから優花里には、新規の予選増額をこらえてもらうしかなかった。

 

「優花里さん。戦車道予算は現年度ベースで上程しましょう。

 私たちは戦車道履修者である以前に、いまは生徒会執行部です。

 学園生みんなの代表なんです。会長権限であなたの予算案をとおすことは無理です」

「そうですか。残念であります……」

 

 華が自分に全面的に賛同しないばかりか、後ろ盾にもならないことを宣告された優花里は、しおれて会長室を退室した。

 

 閉じる扉をみて、華は思う。

 おそらくこれでも、予算会議は大荒れになるだろう。

 本年度の戦車道のために前任者角谷がどれほどの無理を重ねたか、一選手でしかなかった華は知らなかった。

 会長になってみて、角谷がどれほど努力して内部を押さえていたのかを知ったのだ。

 

 

 

 

 

 



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第2話 ボタンの掛け違い

 

 

 

 

 学園予算会議は、華の予想以上に荒れることになった。

 

 体育会、文化部、図書館、学園艦施設の各運営協議会が真っ先に要求したのは、戦車道授業の縮小および段階的な廃止だった。

 

「本年度で戦車道授業は、昨年度以前の体育会各部の運営及び遠征予算の5年分をすでに費消していることをご存じですか?」

 

 体育会を代表しているらしいマッシブな女生徒が、低い声で指摘する。

 

「戦車のメンテナンスと改造を含むアップデートを担当した自動車部でも、以前の部費の10倍以上を戦車道につぎ込んでおり、工学科の実技も半分以上休止した」

 

 これは工学科の生徒、自動車部のスズキのような日焼け肌だ。

 

「本年度の高等部三年生は、最後の一年をただ練習のみに費やして終わった」

「戦車道授業の履修者30名程度のために、他の生徒が何もできなかったに等しい」

 

 芸術関係の部活の部長会長と、図書館運営委員長がたたみかける。

 

「廃校廃艦という非常事態は去った以上、予算枠はいままでどおりに戻して欲しいです」

 

 文化同好会の代表らしい、背の低い気弱そうな眼鏡っ娘が、それでも必死に訴える。

 

「戦車道授業を特例的な3単位から他の科目と同じく1単位に縮減し、履修生の人数に応じて予算も縮減することを望みます」

「大洗女子における戦車道の役割は終了した。授業自体の廃止も検討すべきです」

 

 あとからあとから、生徒の代表者たちは執行部に詰め寄っていく。

 誰もかれもが、戦車道を目の仇にしているように優花里には思えた。

 

 大洗女子は、20年前に財政的理由のため戦車道をやめている。

 20年後の現在は、さらに生徒数も減り、学校全体の予算も縮小している。

 そのために誰もが我慢を強いられていた。

 前任者角谷が「非常事態である」として強権をふるったこともある。

 本年度限り、危機が去るまでの間として皆に理不尽なまでの忍従を強いたのだ。

 

 しかし優花里にとっては戦車道の復活のみならず、大洗女子を戦車道強豪校にして西住みほの「腕と戦術」の戦車道を後世に伝えることが、副会長たる自分の使命と確信していた。

 

「皆、考えてください!

 この学校が存続し、皆がまたこの学校で活動できるのは、何のおかげなのか。

 ひとえに西住みほ率いる大洗戦車道のおかげではないか。

 もはや戦車道あっての大洗であるといってもいい。

 全国大会に出場するだけでも、当年度ベースの予算が必要です。

 連覇を目指すなら、さらなる履修生の増員と、戦車の増加が必要です!

 戦車道をなくせば、今度こそ大洗女子は消えてなくなるのです」

 

 優花里の主張は、白眼視をもって迎えられた。

 この先まだ戦車道を続けようというのなら、言いたいことはいくらでもあるのだと。

 さっそく複数の生徒が発言を求めて一斉に挙手してきた。

 

「副会長に質問します。

 いまだに学園艦教育局は大洗女子を廃校対象にしているのですか?」

「いえ、現在廃校対象ではありません」

「ならなぜ本校のような、いわば平凡な学校が戦車道などと言う『金持ちの道楽』を続ける必要があるのでしょうか」

「戦車道を廃止すれば本校がなくなるという根拠は何ですか」

「現に本校の知名度が上がったからと言って、今年の受験者は増えていない。

 例年と同じペースで微減しました」

 

 優花里と戦車道履修者をのぞく生徒たちの我慢は、とっくに限度を超えていた。

 我も我もと声を上げる彼女たち。

 

「夏の交流戦では、四強が本気を出せば、あなたがたご自慢の『腕と戦術』など通用しないと証明されたばかりではないですか。

 次回の全国大会で大洗が優勝できる可能性はほぼないと専門筋も言っています。

 今回の優勝の主因は、大洗の布陣を見た相手が遊び半分で戦ったからではないですか。

 本気で戦われたら、質、量とも脆弱な大洗では勝ち目はありません」

 

 優花里にもそれはわかっている。

 ハードウェアの力量差について誰よりもくわしいのは、彼女自身なのだから。

 だからこそ戦車を強化したい。四強並みと行かなくともこちらにはみほがいる。

 

「ですからそれは戦車さえ増強できれば! 四強の半分もあれば優勝できます。

 優勝を続ければ志望者も増えます」

 

 しかし、相手は今日のために戦車道側を「説得」する材料をかき集めてきている。

 即座に、さらなる攻撃を加えてくる。

 

「ですからそれはあなたの主観ではないですか?

 それに、戦車1両いくらすると思っているのですか?

 生徒と授業料が倍でも追いつきません。その前にこの学校が『沈没』します」

「戦車道以外は何もできない学校という風評が立てば、志望者は激減する。

 公立校だから本当に志望者が来ないと言うことはないだろうが、確実に生徒のレベルは落ちる。副会長はそうなってもかまわないと?」

 

 いままで一方的に忍従を強いられてきた生徒たちの不満がすべて優花里に向けられた。

 そして優花里の感情も沸点を超えてしまった。

 

「あなたたち、いったい何様のつもり!

 だいたい大洗女子が廃校対象になったのだって、あなたたち一般生徒がふがいないから、だらしないから、何の成果も挙げてこられなかったから起きたことじゃない!

 戦車道はそんなあなたたちにできないことをしてきたのよ!

 それを何? 恩に着て応援するどころかなくしてしまえですって!

 いったいどの口が――」

 

 優花里は続きを言うことができなかった。

 悲しい目をしたみほと、怒りに燃えた目の磯辺が両脇から彼女を取り押さえたからだ。

 

「議事進行のため、皆さん静粛に願います」

 

 華が開会宣言以来、初めて口を開いた。

 華は会長だが、同時に戦車道側の人間でもある。

 だからこそ、あえて冷徹にふるまう必要を感じている。

 

「当分の間、会議を休会にしたいと思います。

 いまの状態ではこの場で予算を成立させるのは無理でしょう。

 各代表はいましばらく、予算要求を練り直す必要があると考えます。

 次回の会議の開催日は、3月上旬にしたいと思います」

 

 華は会議の解散と休会を宣した。やむをえないことであった。

 ここで棚上げにしないと優花里が押し切られ、そして執行部自体の信任すら問われる事態になるかも知れない。優花里を選任したのは会長の華だ。

 実は華自身も、どう乗り切ればいいのかわからない。

 戦車道をまた終わらせたくはない。しかし、皆の言い分も正しいのだ。

 

 

 

 

 

「私は去年バレー部が廃止されているから、部活の連中がなにもできない悔しさはよくわかる。

 あんたは言い過ぎだ」

 

 戦車道授業用に指定されている教室の一角で、みほ、優花里、磯辺、カエサル、澤の五人が顔を合わせている。

 磯辺は言葉ほど怒っているわけではない。しかしあの場での優花里の発言はもはや暴言であり、戦車道の立場と生徒会執行部の信頼を失わせるものなのはまちがいない。

 

「優花里さんの気持ちもわかるけど……」

 

 みほにはなんと言って良いのかわからなかった。

 本年度の戦車道優遇は、確かに度を超していた。

 それでも今日のようなことにならなかったのは、角谷に寄せられていた信頼ゆえだったと言って良いのだろう。

 戦車を維持して動かすというのは確かに大変だ。現用でさえ動かせばどこかが壊れるといっていい。まして戦車道で使うのは70年も前の、機械としてはるかに未熟な戦車だ。

 そして大洗女子がひっくり返りかねないほどの費用をつぎ込んでも、作ることができたのは二線級以下のリサイクル戦車8両の戦車隊だ。いまは戦車の数に入れられないのも1両いるが。

 聖グロ、サンダースほどの一線戦車の1個大隊をそろえ、維持し、戦うには大洗女子から見れば天文学的数字の金額が必要だ。そしておそらく西住家の個人資産と流派の資産すべてをつぎ込んだような現在の黒森峰戦車隊には、対抗しようと考えるのすら愚かしい。

 また、今日の発言にもあったが、相手が四強であれば油断しない限り大洗が勝てないと言うのもかぎりなく真実に近い。

 夏休みに大洗市街地を舞台に戦った連合交流戦が証明している。

 発言者は体育会の生徒だったが、それだけに「格」の違いというものがわかるのかも知れない。

 

「……要はお金の問題なのですね」

 

 さっきまでの勢いはどこへやら、すっかり落ち込んでしまった優花里が口にしたのは、それだけだった。

 

 

 

 それから数日後に、華は会長職務代理者として優花里を指名して、連盟主催の指導者研修合宿にみほとともに参加した。

 

 

 

 

 

 



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第3話 怪物と戦うには……

 

 

 

 

 大荒れに荒れた予算委員会の数日後。

 華は会長職務代理者として優花里を指名して、連盟主催のこの合宿に参加した。

 優花里はいたって快活に「はい、お任せください」と答えて彼女らを見送った。

 優花里が快活なのは普段どおりなのだが、あんな風に予算で他の生徒たちと激突して、孤立無援状態になったあとであるからこそ、みほも華も不安を感じている。

 

「あら、こんなところにいたの」

 

 みほと華がMREを食べ終え、容器類を同伴の雪上車が持ってきたダストボックスに捨てたところに、肩までのボブカットの研修生が声をかけてきた。

 みほといろいろと因縁があり、先だっての全国大会決勝戦で雌雄を決した黒森峰女学園の現隊長、逸見エリカだった。みほの実姉で先代の黒森峰隊長、西住まほもいる。

 まほは昨年暮れから卒業後の進路であるドイツ陸軍の戦車の聖地、ニーダーザクセン州ムンスター市にあるニーダーザクセン戦術大学へ留学準備のために学生見習いとして単身渡独しているところだったが、向こうでの準備がひととおり終わったので、黒森峰の卒業式に総代として出席するために一時帰国している。

 あとは卒業式以外予定は何もないので、この研修にも参加している。。

 この二人とみほの間には「ある事件」をめぐって、みほが黒森峰から大洗女子に転校しなくてはならないほどの因縁があって、一時は断絶状態にあったのだが、大洗動乱と呼ばれる高校生連合対大学戦車道選抜軍との戦いを通じて、いまは互いに和解している。

 

「お姉ちゃん、ドイツでの一人ぐらし、いろいろ大変でしょ」

「まあ言葉と習慣がな。

 お前も息災そうで、何よりだ」

 

 まほはみほと違って、初めからただ者ではない厳つい雰囲気をまとっている。

 以前は「殺気」と形容しても良いくらいだったが、いまは妹を見る姉の目をしている。

 家元後継者という立場は華と同じだが、華道と戦車道の差がその所作のちがいとなって現れているといっていいだろう。

 もっとも、五十鈴華も本質は「求道者」であり、道のためには母と義絶するのもいとわない戦闘的な一面を持っている。

 一門を率いるということには、それだけの覚悟が必要だ。

 華を生けるのも砲弾を撃つのも、ともに「一発勝負」である。

 そういう意味で華は、みほの姉であるこの人物の考えを理解している。

 だから心の中だけでは、あいかわらず不器用なご姉妹ですね。と思っている。

 

「次年度の全国大会で当たったときは覚悟するのね。

 断じて勝たせてあげないわよ」

 

 逸見はみほに隔意があったころは、揶揄するような言動で挑発することも多かったが、これは揶揄でも挑発でもなかった。真剣なのだ。

 

「次年度に向けてⅣ号ラングはすべて入れ替えたわ。

 あれは戦車購入資金がショートしそうだったからパンターの代用として導入したのだけども、うちの戦術にはまったくあわなかった」

 

 Ⅳ号ラング(70V)は、主砲こそ強力なの70口径75mmだったが、長大な主砲と重くなった傾斜前面装甲のため極端なフロントヘビーであり、機動力は「移動が自力でできる対戦車砲」と考えてよい程度だ。さらにこの車両は無砲塔だ。そのために角谷にかく乱されたときに機敏に対応できず、むざむざ撃破されたものもいた。

 結果からいえば、決勝戦におけるⅣ号ラングの戦果は皆無だった。

 この戦車は遮蔽物や身を隠すものが多い地形に自分で移動し、あとは敵が来るのを息を潜めて待つという、人間の兵士でいえば狙撃兵に当たる車両であり、機動戦を旨とする黒森峰のドクトリンとの相性は良くなかった。

 

「だから4両をパンターに置き換え、のこりのスタメン2両と偵察用Ⅲ号1両は、Ⅱ号L型ルクス(山猫)に更新したわ。

 重駆逐戦車3両は売却して、ティーガーⅡ2両を購入、残りの1両はあなたがかつて使っていたティーガーⅠ『217号車』を復帰させるわ。マウスをフラッグにして、重戦車隊で周囲を囲み『動く城塞』にするの。

 この『城塞』とパンターのみの高速打撃部隊、そして路上60km/hのルクスによる索敵部隊、これが黒森峰の「本気の」編成ということになるわね」

 

 確かに決勝戦の敗北は、黒森峰の選手たちが、逸見も含めて大洗を舐めきっていたことも一因だろう。さらにみほが姉の立場と性格を利用してフラッグ同士の一騎討ちに持ち込んだ時点で、黒森峰は各個に分断され、相互の連携も不可能になっており、強豪が弱小に負けたという以前の「戦車の数と性能以外すべてにおいて負けていた」という無様な敗北を喫したと評されても仕方ないありさまとなってしまった。

 その中にあって、この年初めて黒森峰が導入した「Ⅷ号戦車マウス」は動力系の不安さえ克服できれば、戦車道ルール内の戦車が相手なら正面から撃破されることは決してない「掟破りの怪物」といっていい戦車だった。全国大会決勝戦でも撃破3両という最大戦果をあげている。逸見が単独1両、共同1両であり、残りの撃破はヤークトティーガーの相討ちと4両で追いかけ回したあげくの八九式だ。隊長のまほは戦果無しである。

 もしマウスの車長が功を焦ってみほの罠にかからなければ、大洗戦車隊を文字通り殲滅したかもしれない。

 その車体前面の傾斜200mm装甲を打ち抜くには、最低でも第二世代MBTの105mmL7A1砲が必要であり、戦車道の試合においてはみほが奇策を用いて実現した「40mmの上部装甲を撃つ」以外に撃破する途はない。

 つまりそれが不可能な場所を選んで戦い続ける限り、橋でも渡らない限り倒される事はない。

 どのみち188トンのこれが渡ることのできる橋などないが。

 そのマウスをフラッグにして、その周囲を全周砲塔を持つ「無敵戦車」ティーガーシリーズどもに守らせるというなら、大学選抜はおろかシニアの世界ランカーチームが相手でも十分通用するだろう。他に万能戦車パンター10両の打撃部隊がいる。

 まさに黒森峰の、一切の遠慮会釈のない「本気」といっていいだろう。

 小学生が率いても勝てるかも知れない。

 そして黒森峰の「編成替え」の背景には、全国高校生エースのチームが全滅寸前になった相手である大学選抜の編成、つまり戦後一歩手前の主力戦車隊と高速偵察隊という組み合わせの妙がある。

 戦車道では実際の軍隊で索敵を担う高速の装輪装甲車がないため、戦闘部隊を割いて索敵を行う必要があった。軽戦車は装甲車に現場から追われたが、戦車道なら索敵専門に導入する意味がある。フルカバードでも装輪装甲車は平地しか走れないからだ。

 また今後の全国戦および世界戦はM26パーシングのような第一世代MBT相当の戦車で戦われると、誰もが理解したといっていいだろう。

 

 逸見はなぜ、半年後に戦うかも知れないみほにこんなことを聞かせるのか。

 単に強豪とはこういうものだと誇りたいのだろうか。それとも、貴様らの勝利は絶望的だと、また揶揄しているのか。

 いや、そうではない。逸見の目は、真剣そのものなのだ。

 今年の栄光を泥に埋もれさせたくないなら、もう全国大会には出てくるなと言っているのだ。

 黒森峰が時代を変えてしまったと。

 当然みほはさらに先も考える。

 四強の残り3校が今年の黒森峰を見て、何の対策も講じないとは考えられない。

 そして大学選抜の主力戦闘戦車のみの編成を見ているのは、彼女らも同様なのだ。

 聖グロリアーナ隊長やサンダース隊長らも、海外留学や系列大学へのエスカレーターで進路が決まっており、まほと同様の立場なのにここにいないのはなぜか。

 考えるまでもなかった。

 

「みほ、お母様は大洗動乱の時「大洗を存続させて来年雪辱を期す」とおっしゃっていたが、あれは大人げないのを承知の文科省に対する牽制ではなく、完全に本気だ。「家元」として西住流に泥を塗った大洗とお前が本気で許せないのだ。

 流派の面子だけではない。島田に対する失地回復のためにもお前を完膚無きまでに叩き潰した上で全国大会で優勝を飾ることが、お母様の宿願なんだ。

 お母様にとって、お前はあいかわらず「敵」なんだ。それはおぼえておけ」

 

 

 

 

 

 

『黒森峰は今回の全国大会で運用が難しいとわかった戦車を整理して、キングタイガーやパンサーに入れ替えたということよ。もし我々が現状のままで奴らと当たればどうなるかしら』

『史実を持ち出すまでもない。我々のシャーマンなど一方的に倒される』

『第二次大戦は、5万両のシャーマンがあったから何とか勝てた』

『しかし、戦車道の試合は同数戦よ。結果は火を見るより明らかじゃないかしら』

『なら、大洗をどう思う?』

『私たちが一番よくわかってることじゃない。

 もし大洗が去年の勝利から何も学ばず何も変えないというなら、結果は見えている』

『黒森峰が馬鹿をやったせいで、これからお金のないところはかわいそうなことになる』

『いずれにしても、皆様方からは優勝を要求されている。

 大会に花を添えればそれでいいなどという、お優しい学校経営者などいない』

 

『……ならば、シャーマンは全部スクラップね。

 モンスターになった黒森峰に確実に勝つのならば……』

『怪物と戦うには、怪物になるしかないか……』

 

 

 

 

 

 

 

 



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第4話 戦車道連盟本部

 

 

 

 

「お母様にとって、お前はあいかわらず「敵」なんだ。それはおぼえておけ」

 

 やはり母とは和解できない。

 もはや歩く道が交わることはない。

 わかっていたことであったが、姉から直接告げられたことで一縷の望みもないということをあらためてみほは思い知った。

 

 

 

「みほさん……」

 

 大食漢(女だが)だと言うことが知れわたっているせいか、他の受講生の倍の食事を取ることを許可されている華が、2食目のレーションをまことに上品に召し上がったあと、それまで閉じていた口をようやく開いた。

 だが、みほにも今後の大洗女子戦車道の未来像がいまだに描けずに苦悩していることを察して、思索にふけるみほをそのままそっとしておこうと、華は考えた。

 

 

 

 そして何の因果か、考える時間は増えてしまった。望まない形で。

 

 翌朝から野営地が大吹雪に見舞われた上、地上との連絡も絶たれてしまったのだ。

 ここに華が参加していたために、通常の3倍の糧食に加えて、救急糧食100食分を持参したことが彼女たちを救った。

 数日の間、吹雪が止むまで彼女らは雪洞の中で足をこまめに動かしながら耐え、晴天と同時に自力で下山することができたのだ。負傷者なしの快挙だった。

 彼女らの健康状態に全く問題がなかったため、講習そのものはさらに期間を延長し、全カリキュラムを修了させることとなった。

 このためみほと華の大洗帰還は、さらに数日遅れることになった。

 

 

 

 

 

 

 表面上は平静を保ったまま課業と生徒会業務をそこそここなしていた優花里だったが、戦車道予算に対する生徒たちの反発が大きいことと、現状の歳入見積もりで生徒たちの部活動その他実習授業などを平常時に戻すとなれば、戦車道授業のコマ数を減らした上、全国大会はおろか対外戦をほぼ断念せざるを得ない上、授業も形だけのものになることが文字とおり激しい苦悩となって彼女をさいなんだ。

 

(どう考えてもダメ。お金が足りなすぎる。

 砲弾がせいぜい3会戦分、燃料も全車満タンで3回分しか買えない。

 授業の実技を3回に1回としても……)

 

 彼女を戦車道、なかんずく大洗女子強豪校化に執着させる理由は、まさにみほだった。

 彼女が大洗女子に転校してわずか数ヶ月、戦車のせの字も知らない生徒たちを戦えるように育て上げ、「腕と戦術」だけで強豪校相手にポンコツとロートル8両だけで渡り合い、黒森峰戦ではマウスやアニマルシリーズを含めて10両を撃破し、姉との一騎討ちも制した驍将、西住みほ。

 

(しかし、西住殿の戦車道をここで途絶えさせるわけには断じていかないのであります)

 

 だが、大洗女子の伝説が去った後の現実は厳しかった。

 これではとおりいっぺんの、お稽古事の戦車道授業しかできないであろう。

 

(ああ、資金。資金さえあればそれを財源にして……。

 そうだ!)

 

 優花里は自分のPCのドキュメントライブラリから、先に提出しようとした「無茶な」予算案を引っ張り出した。

 

(3両では戦力にならないであります。倍の6両にします。

 購入費見積もりは、「タンクル」で検索した相場を。

 これならもしパンターが買えなくても、シャーマン短砲身なら12両買えます。

 西住殿の戦車道なら、数がそろえば十分全国連覇が狙える。

 そうすれば大洗女子戦車道は盤石です。

 需用費は最低20会戦分として……)

 

 こうして戦車道費の見積もりは天井知らずとなり、無茶をとおりこして無謀と化した。

 秋山優花里の暴走がここに始まった。

 

 

 

 決裂に終わった学園予算会議のちょうど一週間後。

 優花里は「出張するところがある」とだけ担当教師や執行部役員に伝えて、水戸駅から東京方面に向かった。

 

 その日の昼過ぎ。

 優花里が訪問したのは広壮な敷地に歴史のある建物群が立ち並ぶ、ここが東京都下であることを忘れさせるような場所だった。

 しかしここは、大洗動乱の時水面下での交渉と策略が飛び交った場所、日本戦車道連盟総本部。その経理部出納課に、優花里は通されている。

 

 

 

「昨日メールでお約束をいただいた大洗女子学園生徒会副会長、秋山優花里であります」

「遠路お疲れ様です。そちらにおかけください。

 いま担当主任が参りますので、しばらくおまちください」

 

 窓口で応対した女性職員は、優花里を課内の簡易応接セットに案内した。

 優花里は客側のソファーに、姿勢を正して座った。

 よく見ると、事務職の職場であるのに、男性の姿がまったくない。

 出納課長も年配の女性だ。

 連盟理事長が男性なのは戦車道経歴と無関係で、政官財の大物との顔つなぎだというのは本当のようだ。連盟と各流派や各種団体は包括被包括の関係にはなく、連盟自体が戦車道と外部の窓口であると同時に内部の利害関係調整役であるというところだろうか。

 あとは、拠出金の中立的運用も所掌している。ゆえに連盟は中立でなければならない。

 そして他の芸事と違って、保有運用する資金が政治的利権にまでかかわるような戦車道では、理事長に各流派と無関係な人物を据えなければ本当に血の雨が降りかねない。

 とくに西住流と島田流をそれぞれ頂点に、戦車道界が東西で分裂抗争しているかの様相を呈しているならなおさらだろう。そういう意味では男性の有力者を外部から招聘するというのは理にかなっている。つまり男性理事長は、妥協の産物と言うことだろう。

 それ以外では、男性で戦車に関わる人間はこの世界にはいない。

 大洗動乱が迅速に解決を見たのも、理事長が表に見せている顔とは違って実際は老獪な人物であり、監督省庁の文科省で絶大な権勢を握っていた学園艦教育局長を追い落とす準備におこたりなかったからでもあった。うがった見方をすれば。彼は無能を演じながら、自分と連盟が利益だけを得られるよう立ち回ったのかもしれない。

(もっとも女性ばかりの場所で全く問題を起こさない程度には、清廉な人物のようだ)

 いま、鉄格子の中で未決囚となっている元局長は信じないだろうが。

 

 秋山優花里は、別にその時の角谷のような政治的工作を企ててこの場に足を運んだわけではなかった。

 彼女はまったく正直なことに、大洗女子が2012年度全国大会優勝校であると言うことだけを材料に、連盟からの援助を得ようとしてやって来たのである。

 

 

 

 10分ほどして席に着いた関東方面団体助成担当の主任は、すでにメールで送られてきた見積もり一式をテーブルの上に広げ、優花里から一通りの説明を聞いたあと、難しい表情のまま思考を巡らしている。

 

「あの、何とかご考慮いただけないでしょうか」

 

 優花里はおずおずとたずねた。

 元々の性格は引っ込み思案で、戦車のこととなると人が変わったように積極的になるが、本来は対人交渉は大の苦手なのだ。

 それでも彼女は大洗女子戦車道の未来のため、清水の舞台から飛び降りる覚悟でここに乗りこんできたのだった。

 しかし、自分の提示した金額の莫大さに、彼女はいまさらながらおそれ多いという気持ちになっている。

 

(優花里、しっかりしろ。ここが正念場よ)

 

 内心で自分を叱咤激励しなければ、足が震えてきそうだ。

 それを見透かしたかのように、担当主任が口を開く。

 

「まず、1校でこれだけの助成を要求されたことはありません。

 とくに戦車購入費まで支援してほしいとか、前代未聞です。

 自ら資金を集めて試合に臨む他の高校に、納得できる説明はできません。

 我々はすべての戦車道団体に対して公平である義務があります。

 貴校の戦力増強だけに手を貸すことなど、不可能です」

 

 理路整然と押してくる担当者の前に、優花里は折れそうになる。

 しかしここで押し負けたら、西住みほを宣揚する途がたたれてしまう。

 

「……無理は承知でお願いしております。

 しかし、昨年の全国大会で大洗女子があげた勝利はご存じでしょう。

 我が校ながら、よくぞあれだけ貧弱な戦車隊で、四強のうち三校まで撃破できたものと思っています。

 我が校は「戦車道は戦車の性能だけがすべてではない」と証明しました。

 そのことには自負を持っています。

 それを成し遂げた戦車道隊長、西住みほに今一度機会をください。

 彼女の編み出した「腕と戦術」の戦車道を後世に伝えるために、ご助力をお願いいたします」

 

 

 

 

 

 



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第5話 秘匿通話

 

 

 

 

 担当者は「会長職務代理者 秋山優花里」と自署の上に職務代理者公印が押された補助金申請書と、頭を下げる優花里を交互に見ている。

 

「貴校の財務諸表を拝見しましたが、今後貴校が戦車道を継続していくことは無理なんじゃないでしょうか。私見ではなくそう思います。

 ご存じと思いますが、現在、公立高校で全国高校生大会に出場する学校はありません。

 バブル崩壊以後、そう、いまから20年以上前から各自治体は財政力が落ちています。

 公立であっても戦車道を維持するための支出は、本当に難しい。

 財政力では群を抜いている東京都でさえそうなのです。学園艦なら船の維持費まで国の肩代わりができるのは東京都だけでしょう。大阪府もいまいろいろと大変です。

 ですから文科省も公立学園艦の整理統廃合を打ち出していたのです。少子高齢化のため、文教福祉予算も高齢化比率の増大とともにそちらに持って行かれるようになっていますからね。文科省自体が予算を削減されているのです。

 ですからいまの高校戦車道は、自己資金が潤沢で理事会の了承が得られればいかようにでも支出できる私立の学校法人によって支えられていると言っていいでしょう。

 そんななか公費で運営されている学園艦に、連盟が補助を行えばどうなるでしょう。

 税金で仕事をしているお役所に手を貸すのか? との批判はまぬがれないでしょう。

 うちの内部監査も通らないですね」

「ですが、大洗女子は戦車道史に残る快挙を成し遂げたのです!

 途方もない成果を上げたのです!」

「……いいですか? 奇跡はお金では買えません。

 現状で勝ち続けることも維持することもかなわないというなら、それは「成果ではなく奇跡」なのです。継続性のない『戦術』は、実際の『戦場』では使えません。

 ましてそれが『戦略的不利を人的要因でひっくり返す』というものであればなおのことです。

 ああ失礼、私はこれでも予備幹部自衛官です。

 どう考えてもあなたがたの勝利は、西住みほという個人の『将器』によるものです。

 彼女ほどの逸材であれば、今後いかようにでも活躍の場が与えられるでしょう」

 

 彼女は言外に「大洗女子は西住みほという規格外の名将のおかげで勝った」と言いたいようだ。そして彼女の前途は明るいから心配無用だと。

 優花里にとっては不本意この上ない。

 あの戦いではみほという傑出した驍将の元、皆の力で、皆の団結で、総員死兵となって戦った末に、やっと勝利を紙一重で得たのだ。

 この人にはなぜそれが分からないのだろうかと、悔しくて仕方がない。

 悔し涙すらにじんでいたかも知れない。

 担当者はそれも察したのだろう。

 

「死兵を率いるのも、また将器なのです。

 そして全軍死兵となって戦うというのは、自分たちの存亡がかかっているときか、自分たちの将が敗亡必至であってもなおついていきたいと、兵が望んだときだけです。

 いまのあなたたちに、それがありますか?」

 

 まさに詰みだった。

 前回の勝利はまさに「廃校確実」という危機の中で角谷という政治家が勝利への条件を整え、名将みほにその手腕をこころおきなく振るわせたからあったようなものだ。

 そして兵としての角谷は、みずから身を投げ出して道を切り開いた。

 残った者たちも身を犠牲にしてその任を全うした。みほが勝利すると信じて。

 最後の一騎討ちも、運命の女神がこちらに天秤を方向けてくれたから勝ったような、実にきわどい勝利だった。

 自分たちが起こしたのはまさに「奇跡」だったのだと、優花里は思い知った。

 

「奇跡はお金では買えない。つまり、奇跡に援助することはできないのです」

 

 

 

 

 

 担当者の言ったことは、想定外のことではなかった。

 連盟が高校の戦車道授業を維持できるだけの補助金を支弁しているなら、20年前の大洗女子は戦車道から撤退していないだろう。

 それでも奇跡の優勝校ならあるいは、と思ってきたが、やはり無理だった。

 結局申請書をつき返された優花里は、悄然として事務棟の古風な廊下をとぼとぼと歩いている。

 だから前からやって来た人物に気がつかず、あやうく衝突しそうになった。

 

「おっと、危ない。

 ……おや、君は大洗女子の」

 

 優花里がぶつかりそうになった相手は、この場所で唯一の男性、連盟理事長だった。

 彼は普段の羽織袴姿ではなく、三つ揃いに山高帽の洋装だった。

 見るからにどこかに出かけて帰ってきたばかりのようだ。

 

「あ、あなたは。

 ……どうもすみませんでした」

 

 悄然とした様子の優花里は、それを言うのがやっとという様子で、黙ったまま理事長のわきをとおり抜けようとした。その優花里を理事長は呼び止めた。

 

「たしか秋山君だったね。

 悪いがいまから理事長室まで来てくれないかね」

 

 彼はなぜか優花里の名を知っていて、そして彼女に用があるという。

 

「実は用があるのは私ではないんだが、立ち話できることでもないんだ。

 時間は取らせないから、付いてきてもらえないかな?」

 

 連盟の補助をすげなく断られたショックで良く頭が回らないと言うこともあったが、優花里としては急いで大洗に帰る理由もなく、用事があるという人物もおそらくはそれなりの立場なのはわかるので、別に怪しむこともなく言われたとおり理事長室まで足を運ぶことにした。

 

 

 

「かけたまえ」

 

 理事長は入室した優花里に椅子を勧めると、上着の内ポケットから携帯電話を取りだして、彼女に手渡した。

 

「これは私の私用電話だが、これからこの電話に君あての通話がかかって来る」

 

 理事長からはあいかわらず大洗動乱の時の頼りない風情しかうかがえない。

 しかし、電話を渡す一瞬だけ、生真面目そうな表情を見せた。

 相手がそれなりの立場ではないかという優花里の予想を、その表情は肯定していた。

 

「私は、いまからかかってくる電話については一切関知しない。

 君はこの部屋に来ていないし、私も会っていない。

 だから君も、通話の内容については他言無用だ。わかったかね」

 

 なんとも意味深なやりとりだ。

 これから何が起こるのだろう。優花里は不安で一杯になった。

 その時ふいに優花里の手の中の携帯が震え、鈴虫の鳴き声をデジタル化した着信音が鳴った。

 優花里はおそるおそる、旧式な携帯の受話ボタンを押し、電話に出た。

 

『……秋山優花里、さんね?』

 声の主は女性のようだが、テレビでよく聞く変調装置越しの声のようで、1オクターブ下げたように聞こえる。声紋もデジタル処理で消しているらしく、平板に聞こえた。

 優花里は恐ろしくなったが、乗りかかった船だ。

 震える声で「はい、そうですが。どなたですか」と聞き返す。

 

『それはどうでもいいことだ。あなたが知る必要はない。

 手短に要件だけ言うわ。

 大洗女子では、次年度の戦車道活動予算が組めないのでは?』

 

 優花里は不気味に思った。なぜ電話の主がそのことを知っているのだ。

 

『フフフ、怖がるなと言う方が無理だろうな。

 安心しなさい。私は今年の全国大会に大洗女子が出ないと困る人間なんだ。

 単刀直入に言おう。本年度の経費と同額の現金を大洗町に「ふるさと納税」として振り込んでやろう。むろん使途は「大洗女子学園戦車道への補助金」としてな。

 むろん出所のはっきりした金になる。

 納税者が誰かは町の守秘義務ということにさせてもらうがな。

 ――ただし、援助に当たっては条件がある』

 

 

 

 

 

 



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第6話 招かれざる客人

 

 

 

 

『――ただし、援助に当たっては条件がある』

 

 謎の電話の主の、本当の要件はおそらくこれだろう。

 それは優花里も予想していた。

 活動費だけとしても、有に億に届こうという金額だ。

 なにかしらの見返りは要求してくるだろう。

 もしかしたら、八百長の片棒でも担がされるのか?

 いや、それなら理事長が取り次いだりしないだろう。

 そうは思っても不安はぬぐえない。

 

『別に法に触れることの手伝いをしろというのではない。

 条件はただ一つ。第64回戦車道全国高校生大会に出馬することだ。

 本当にそれだけだ。君たちサイドではな。

 そうだな、2億出そう。どうかな?』

 

 話がうますぎる。怪しすぎる。

 優花里の頭の中で、警報が鳴りひびいている。

 これが自分のことであれば、断固として拒絶するだろうと優花里も思う。

 しかしいまの優花里にとっては、のどから手が出るほど欲しい金!

 たとえそれが毒の乗った皿だったとしても――

 

「──わかりました。おっしゃるとおりにいたします。

 ですから、どうか、どうかお願いします!」

 

 気がつくと、優花里は電話に向かってそう叫んでいた。

 

『──わかった。交渉成立ね。

 近いうちに大洗町教育委員会から補助金交付申請の打診が来るだろう。

 それで私が約束を守ったと確認できるはずだ。

 むろん、今後私が君に接触することはない。

 だが補助金交付を受けても貴校が全国大会に出馬しなかったときは、大洗町が補助金の返還を要求する。そういう条件で振り込むから決して忘れないように。

 では、ごきげんよう』

 

 電話は切れた。スピーカーからは話中音しか聞こえない。

 

 やってしまった。承諾してしまった。

 みほや華に了承も得ないで。

 でも、毒を食らわば皿まで。と優花里は思い直した。

 これしか大洗女子戦車道の消滅を回避する方法はないのだ。

 いや、来年度1年間だけでもいい。

 連覇して見せて「あれはフロックだ」という連中を見返せるだけでもいい。

 優花里の頭の中で、方向の定まらない思考が渦を巻き、固まってしまっている。

 

 話が終わったことを察したらしく、それまで横を向いて腕を組んだまま目を閉じていた理事長が片目だけ開いて右の手のひらを開き、優花里の方を向いた。

 はた目には、話中音を鳴らしたままの携帯をもって呆然としていたように見える優花里は、あわてて通話切りボタンを押して、携帯を彼の手に返した。

 理事長は携帯を内ポケットにしまうと、再び目を閉じて横を向く。

 それが「もう帰りなさい」という意志表示だと察した優花里は、音を立てないようにドアを開け閉めして、理事長室を出ていった。

 

 

 

 そこは和室。床の間には掛け軸がかかり、欄間には横長の額に雄渾な筆致の書が飾られている。

 しかし、それらに書かれているのは成語や漢詩の一節などではなく、ややファナティックな戦車道のスローガン。

 座卓にかけているのは、近寄りがたい雰囲気をまとった女性がひとりだけ。他には誰もいない。

 

「大洗女子には何があろうと出てきてもらわねばならん。

 奴らを仕留めるのは我等でなければならない。そのために救ってやったのだからな」

 

 部屋の主はそうつぶやくと、携帯のマイクから変調装置を外した……。

 

 

 

 

 

 

「ふう……」

 

 理事長は一人になると、ため息をついてからいつもの羽織姿に戻る。

 彼が着がえを終えたころ、机に置いておいた携帯がまた鈴虫の声を奏でる。

 面倒なことと思いながら、彼は携帯を取った。

 

 それは、優花里に電話してきた人物と真っ向対立している人物からの電話だった。

 理事長は「ちょっと失礼」というと水なしで飲めるチュアブルの胃薬を服用した。

 今日は、帰りにどこかで一杯は無理だろうと、彼は思った。

 

 

 

 

 

 

 それから3日後。

 

『副会長、外線です。

 大洗町教委、学校教育課からです』

「つなぎなさい。

 ……はい、大洗女子学園会長職務代理者、秋山優花里です」

 

 くだんの怪電話の主は、どうやら約束を守ったらしい。

 大洗町まちづくり推進課に2億円の「ふるさと納税」が振り込まれてきたという。

 ただ、大洗女子戦車道チームのファンと名乗るその人物は、その全額を大洗女子に補助金として概算払いで給付するよう求めてきた。

 

『ちょうど議会の定例会のさなかですので、次年度予算の追加議案として、歳入と歳出をそれぞれ2億円増額することでまちづくり推進課とは協議が整いました。

 定例会の最終日に提出されますが、即日で可決されると思われます。

 ですので、4月1日付の補助金申請書、事業計画書、収支予算書を議会の最終日の翌日、3月20日までにご用意するようお願いします。

 ただ、補助事業が全国高校生大会への参加とするよう求められていますので、事業計画は全国大会参加にむけての計画としていただきます。

 不参加であれば返還請求をなさると先方はいっておられます』

 

 町教委担当者の伝達事項は、怪電話の内容そのままだった。

 どうするべきだろうか。

 折悪しく華とみほは、富士の六合目で雪洞にこもっている最中。

 話を進めておいて、あとで納得してもらうしか方法がなさそうだ。

 

「わかりました、申請書の様式を送ってください。

 こちらでもしかるべく進めますので」

『そちらにはメールですでに送ってありますので、ご確認ください。

 期日を守っていただければ、4月中旬には支出できます』

 

 受話器を置きながら、優花里は考える。

 もうこれで後戻りはできない。

 しかし、全国大会を連覇するためには、現状の戦力では無理。

 どうすればいい……、そう優花里が迷っていたときだった。

 

「失礼します」

 

 会長室のドアが開き、一年生の役員がメールの打ち出しらしいプリントアウトを持ってきた。

 1通は当然大洗町教委からの書面一式だったが、もう1通のメールには全く心当たりがない。

 優花里はメールの送り主を見た。

 

「原野慎之介……?」

 

 それは、重機械商社の大間崎ホールディングスの一部門で戦車道用品、部品、戦車道仕様車両のディーラーである下北タンクディストリビューション株式会社北関東営業所長を名乗る人物からのメールだった。

 来歴証明付きの実車、認証付き復刻版戦車、武装ASSY、機関各種、足回りの再生、装甲板板金、耐候性塗装、補給部品、法定検査、トータルアシスト請負を謳っている。

 こういった会社は、ふだんは主に陸自車両関係の補給部品、消耗品、委託修理までを業務としており、戦車道関係の取引高はそれほどのものではない。

 内容は、新規に戦車道を始められた団体様限定でお買い得品をお勧めするというもので、むろん販路拡大をねらってのDMだろうと思われる。

 

「いくらお買い得でも、補助金もらっても来年いっぱいしか活動できない大洗に……」

 

 戦車なんか買えない。といおうとした優花里だったが、話を聞くだけならタダだと思いなおした。

 大洗の戦力では相手が昨年までのような舐めプレイをしてくれなければ勝てないということが、優花里をさいなんでいた。

 優花里は「話を聞くくらいなら」程度のニュアンスの返信を送った。

 すると相手から今度は電話がかかってきた。

 

「本当にお話を聞かせていただくだけになるかもしれませんが」

 

 たじろぎながら返答する優花里に原野は、もしかしたらご要望にお応えできるかもしれないからとアポイントを迫る。

 結局、優花里は原野の勢いに押される形で翌日放課後の面談を約束させられてしまい、電話を切ったあと「早まったかも知れない」と、今度は不安にさいなまれる。

 

 

 

「ふーむ。お宅の戦力で四強のうち三校を撃破したということ自体が、奇跡ですね」

 

 金色に塗ったエンブラエル フェノム100というビジネスジェットで大洗艦に現れた原野は、去年がどうかしていたのだと論評する。もしこれが夏の合同交流戦以前だったならば優花里も「戦車道にまぐれはない」と言い切るところだろうが、さすがにいまはそれを認めるしかない。

 

「クライスラーやフォード、BAEシステムズ、チェリャビンスクトラクター工場、ウラル貨車工場、ルノー、ラインメタルと言った会社が大戦終了までの戦車の復刻版を生産していますが、一流の戦車は現用よりも高価です。たとえば、昨年西住家と学校法人黒森峰女学園は、戦車を刷新するためだけで7~80億円、決勝戦まで使用した砲弾に2億円以上を支出したそうですな」

「砲弾だけで2億円!」

「もちろん校内演習用を含めての話でしょうが、128mm砲弾や長砲身88mm用の砲弾はラインがありませんでしたからね。ラインメタル社の特注品だとか。

 うちでも扱っておりません。パンター用や17ポンド用の競技弾なら在庫がまだありますが、それでも1発30万円はいただきませんとね」

 

 黒森峰並みの戦力を整えるとしたら、匿名の怪しい人物が援助してくれる資金は、砲弾代だけで消えてしまう。

 大洗はすべて故障覚悟の「リサイクル砲弾」で戦ったが、決勝戦前に各方面からの義援金がなければ、実は「弾切れ」を覚悟しなければならなかった。

 玉数がないドイツ戦車の復刻版が1両数億円というのはわかったが、マスプロ大国アメリカにも「アニマルシリーズ」に対抗できる戦車はある。それはどうなのか?

 

「では、大学選抜が使用したM26パーシングあたりはどのくらいするのでしょうか?」

「あれは戦車道ルールが現在の形になった時点で、まだ現役のものがかなりありました。

 それだけでなくM46に改造されたものも機関がM45支援戦車用に製造されたもので、M45が終戦のため少数生産にとどまり、搭載されなかったというだけですので、それ以外の改造部分を元に戻したものもM26あつかいになって処分をまぬがれたため、玉数はかなりありました。

 しかし……」

「しかし?」

 

 ゼロから作るのでなければ、絶望的なプライスタグはつかないだろうと優香里は期待した。

 しかしそれは一瞬で裏切られる。

 

「ドンガラとエンジンがあるからといって、すぐに競技で使えるというわけではありません。

 まず、戦車道仕様に改造する必要があります。

 ご存じのとおり戦車道の保安基準はとても厳格です。

 最初に戦闘室をすべて連盟指定の防護剤で内張りしなくてはなりません。

 加えて車体各所に衝撃波インピーダンス測定センサーと解析シミュレーターに演算装置、競技弾が発する信号を正確に受信するセンサー装置、それらをつなぐ特注のケーブル等々を配置します。

 これら撃破判定モジュールと連動して武装と機関の機能を止めるターミネーターも必要です。

 それらを連盟から購入しなければなりませんし、組み付けるためには車体と砲塔それぞれを分解しなければなりません。

 工賃込みでまあ、ざっとこんなものです」

 

 原野が電卓代わりにスマホを使って試算した見積金額は、ゆうに中古のマンション1区画が購入できる金額だった。

 

 

 

 

 

 



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第7話 新たな戦車

 

 

 

 

 原野が電卓代わりにスマホを使って試算した見積金額は、ゆうに中古のマンション1区画が購入できる金額だった。

 角谷が発掘戦車だけで最後まで戦った理由が、優花里にも納得できた。

 確かにこれでは、たとえ大戦初期の戦車でも大洗女子には買えない。

 

「……これでは、うちの予算で買える戦車なんて」

 

 優花里はすっかりしゅんとなって、うつむいてしまう。

 むろんこれには戦車の本体価格は含まれていない。

 1945年8月15日ルールがある以上どんなお古の戦車でも値が崩れることはないし、戦車の売買のたびに連盟に登録検査料として本体価格の3割相当を課せられる。

 復刻版を完成させても完成検査料、輸入する際には入国検査料を徴収され、買い手からは登録手数料を取る。そうでなければ損害補填で「これで新築だ」にはならないだろう。

 当然連盟や大手流派も、それ以上の荒稼ぎをしており、政治家にも利権のお裾分けをやっている。戦争が割に合わなくなって、それに代わるビジネスとなったのが戦車道だ。

 そして砲弾も、特殊デバイス付き競技弾頭の販売権は連盟のみにあり、製造メーカーからユーザーが直接購入することはできない。当然連盟の利ざやが上乗せされる。その額は卸売原価とほぼ同じだといわれている。連盟は理事会に対してだけしか責任を持たず、こと金銭面の細目は、監督庁の文科省にさえ開示されない。

 とんだ「公益社団法人」があったものだ。

「戦車道はお金持ちの道楽」と大洗女子の一般生徒が揶揄するのも当然だろう。

「均質圧延鋼板のカーテン」の奥の院とさえいわれ、様々な利権にまみれているのが戦車道と言っていいかもしれない。男性理事長もその利権擁護のための、言わば必要悪だ。

 だから角谷は戦車道を学園存続のバーターとして持ち出したのだ。

 そして大洗動乱は利権がらみで起きた一方の当事者のリベンジマッチというのが、その正体である。それに西住宗家と島田宗家がパイの分け前を増やす機会と見て乗ったのだ。

 そうでなければ二大巨頭自らがしゃしゃり出たりしない。

 だが結局勢力図は何も変わらず、辻局長は排除され、理事長一人がほくそ笑んでいる。

 そしてその権謀術数の世界に乗りだして行くには、優花里はあまりにも純朴に過ぎた。

 もちろんこの世界に棲息する魑魅魍魎の一匹である原野も、何を考えているか知れたものではない。はずであるがここで彼は人の良い笑みを浮かべつつ、優花里に美味しい提案を持ちかけた。

 

「と、あたりまえのお話しかできないのなら、貴校までわざわざ足を運んだりしません。

 ちゃんとお土産はもって参りました」

 

 原野はアタッシュケースから書類ではなく、タブレットPCを取り出し、ポケットWi-Fiらしきものも起動させるとタブレットに30文字ぐらいの暗号化キーを打ち込み、秘匿回線らしきものにアクセスした。

 

「これは……」

 

 タブレットのブラウザに映し出された画像と、プライスタグ。

 破格の値段であるが、優花里は戦車自体にも飛びついた。

 

「これはハンガリーの!」

「お目が高いですね。これが私どもの『隠し球』です」

「38MToldi軽戦車の装甲強化型、42MⅢ型に、43M TuránⅢ重戦車ですか!」

「ええ、43Mの方はガンズ・コーポレーションが戦時中に試作したものをコピーして復刻したものです」

「ま、まさか実物の写真が見られるなんて感無量ですっ!」

「ええ、実力はあるのですが知名度が全くなく、どなたも買おうとなさいません。

 どのお客様もお金があれば、どうしても知名度の高い戦車をご要望されますし。

 そのようなわけでチハと同等かそれ以下と見られて、値崩れが激しいのです。

 あなたほどの博識な方は、戦車道界ではなかなかいませんからね」

 

 いままで自分のことをそのように持ち上げてくれる人間がいなかったため、優花里はいままでの懸念はどこへやら、すっかり天にも昇る気持ちになっている。

 

「そしてこちらをごらんください」

「これは、……まさか、実車が存在するなんて!」

「ええ、戦時中にはご存じのとおり1両も完成することがありませんでした。

 これはヴァイス・マンフレート社が残した設計図面をもとにガンズ社の機関車工場で組み立てられた『復刻版』です。

 もちろんあなた様なら、この戦車の真価はおわかりのことかと」

「ええ、もちろんです!

 主砲は70口径75mm、砲塔防循曲面120mm、車体前面40度120mm!

 速力路上45km/h! 信じられません、パンターより強力な戦車がこの値段とは」

「……もちろん『税込み』『乗り出し』価格です。

 私どもではこれを3両押さえております。

 まとめ買いでしたら、さらに勉強させていただきます。いかがでしょう?」

「あ……」

 

 優花里がもし正真正銘の会長ならば、ここですぐに契約書を作ってしまいたいところだったが、会長職務代理者には随意契約の認められている金額以上の決裁権はない。

 それを告げると、原野はまあそうでしょうねという顔をした。

 

「そうですね、それでしたら検討用に1両持ち込ませていただきましょう。

 会長さんや隊長さんがお戻りになるころにまでには、持ち込めると思います。

 その後にまたお伺いいたします。

 なお、この商談は昨年戦車道をお始めになった大学や実業団にももちかけております。

 私どもも売れなければどうにもなりませんから……。

 ――では、良いお返事をお持ちしております」

「はいっ!」

 

 優花里はすっかり元気を取り戻したようだ。頭の中では連覇への皮算用もしている。

 原野は、営業スマイルの裏でほくそ笑んでいる。

 これなら大丈夫だろう。自分の代わりに営業マンになって必死に売り込んでくれる。

 どのみち会長も隊長も、のどから手が出るほど戦力を欲しがっているにちがいない。

 商談は成立したも同然だな。

 原野は一切顔に出さずにそう思って、また金ぴかのブラジル製軽量ビジネスジェットの機上の人になった。

 

 

 

 みほと華が学年末試験のため講習を数日間欠講して大洗女子に戻ってきたのは、原野が優花里と商談した2日後のことだった。

 なお時を同じくして、逸見エリカも同じ理由で黒森峰女学園に一時帰還している。

 

「優花里さん。町の教育委員会からうちの戦車道に補助金が出るの?」

 

 華もみほも、戦車道を3単位から1単位に縮小して、厳しい財政下でできることをやるしかないだろうと考えており、それに優花里がどう反応するか憂慮していたので、それが少なくとも次年度は解決すると聞き、安堵半分、不安が半分という微妙な心理になっている。

 これがもし同窓会や町の有志による自発的な寄付であるなら、ありがたく使わせてもらうところだが、一個人、しかも匿名の人物が多額の現金を寄贈したというのには不安を覚える。しかも大洗女子に直接ではなく、町教委を介してだ。

 善意に取ればお互いに気を使わないようにして受け取りやすくするため、悪意に取れば決して身元が彼女たちにもれてはならない人物からの思惑ありげなお金。

 もし優花里が、寄贈者は直接連盟理事長の個人電話に変調装置付きの通話を仕掛けてくる怪人物だと明かしてしまったなら、華とみほは町役場に出向いて寄贈者に返納してくれるよう依頼してくるだろう。

 優花里は、あんこうチームの信頼関係にのっとるなら、すべてを明かすべきだというのはわかっていた。だが、彼女は大洗女子を戦車道の不動の強豪にしたいという気持ちを押さえることはできなかった。

 あとになれば、きっとわかってくれる。すべては大洗女子のためと理解してくれる。

 そう思って、仲間たちに対する背徳感をねじ伏せる優花里。

 彼女は原野のことも「戦車を試乗用に持ち込みたい」とだけ言う営業マンとだけ伝えている。

 みほに現時点で詳細を伝えると、断るよう言われるかもしれないと思うからだ。

 みほはどこまでも戦車道選手であって、優花里のように戦車自体にエンスー的興味はないことはよくわかっている。戦車の種類で言うなら優花里の方がよほど該博だ。

 信頼するみほにこんな腹芸めいたマネをするのは気がとがめるが、これもすべて大洗女子戦車道の栄光の礎を築くため、と自分に言い聞かせる優花里。

 しかし、彼女に腹芸は無理だった。まして相手は(ダージリンという例外はいるが)敵に決して自分の考えを読ませることはない西住みほと、平常心の怪物というべき五十鈴華である。この二人からすれば、純朴な優花里が何を考えているのかは、顔に全部書いてあるのも同然だった。

 彼女ら二人は互いにアイコンタクトをかわすと、「あとは講習が終わってから考えましょう」と、いったん棚上げにすることにした。

 どのみち態度決定の締め切りは3月下旬であり、華の決裁がなければ戦車は絶対買えないから、急いて事を仕損じる危険を冒す必要はない。

 そして残りの日々は学年末試験に追われ、ろくにこのことを考える時間もないまま、みほと華は北富士演習場に再び出発した。

 

 

 

 

 

 



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第8話 試用期間

 
 
私がハンガリー戦車に興味を持った理由について。

とあるブログで、バレンタイン戦車の設計秘話、呪われた戦艦シャルンホルスト、スターリングラードでドイツの従軍牧師が描いた聖母像、などに混じって「在野詩人トールディ」のエッセイを読んで、感銘を受けたことからでした。
しかしながら、同時に疑問がわきました。
ハンガリーはなぜ、ガルパンでは一切取り上げられていないのか……

(本当はトールディ氏の話もしたかったのですが、全く裏がとれず、もしかしたらブログ主様の創作の可能性もあると思い、断念しました)

これからしばらくは、読みようによってはハンガリー戦車について厳しいことを書いていると思われるかもしれません。
トールディの「物語」は、まぎれもなく悲劇でしたから。
そしてハンガリーという国の悲劇を端的に象徴するのも、この国が作った戦車たちなのですから。
 


 

 

 

 

 北富士に戻ってきたみほと華は、高校生組の中で逸見だけがまだ戻ってきていないことに気がついた。

 あとは卒業式で首席として総代を務めること以外、黒森峰女学園での役割はないまほが二人を手招きする。彼女たちは昼食を同じテーブルで食べることになった。

 

 あえてすみの方、誰にも注目されない席に着いた三人は、しばらく無言で昼食を摂る。

 初めて華のメガイーターぶりを間近で観察したまほは、どうして華道にそれほどのカロリーが必要なのかと困惑している。

 そして食事もおおかた終わり、周囲に人の姿もまばらになったころ、まほが口を開く。

 

「逸見がいないいまだから話せるが、これから話すことはあいつには内緒だ。

 お前たちの方で何かおかしなことはないか?

 ……どうも熊本で母が私にも内密で、逸見と直接何かを話し合っているようだ」

 

 みほは表情だけで驚き、華の顔から笑みが消える。

 みほたちは初めて大洗で起きている奇妙な寄付金騒ぎと、それと合わせたように唐突に出現した、下北タンクディストリビューション北関東の営業所長のことを話す。

 そしてまほは、いまの高校戦車道強豪校で何が起こっているのかを明かした。

 三人の中で疑惑は徐々に確信になりつつあった。

 

 そして同じころ。

 

 

 

 

 

 

「なんだあ。この戦車」

「わー、大きいね」

「これを買うんですか?」

 

 昼休みの大洗女子では原野が持って来させた戦車の前で、優花里は得意満面である。

 戦車は、故障した自動車をウインチで牽引して荷台に載せるトラックを大きくしたような、特殊なトレーラーに乗せられ、破損防止のための梱包資材が付いたままの状態だ。

 

「ねえ、ねこにゃーさん、これ見たことないなりね」

「うん、僕も見たことない」

「パンターのバッタもんだっちゃ」

 

 世界中にサーバーがあって、数億人がプレイしているという戦車ネトゲの中毒患者であるアリクイの誰もがこれを見たことがないという。

 

「えー、皆さん。

 これはこちらの下北タンクディストリビューションの北関東営業所長の原野さんが、特に大洗女子に使っていただきたいとご持参になった戦車です。

 名前は……」

「まあちょっとお持ちください。この場でどなたか上手な操縦者の方に乗っていただきたいと思います」

 

 テンションノリノリの優花里を押しとどめたのは、以外にも原野だった。

 

「ハーマンはすでに満タンにしてあります。試乗期間は1ヶ月を予定してありますが、乗っていただければすぐに良いものとわかっていただけます」

「うーん、上手な方でありますか。

 では冷泉殿、お乗りになってくださいますか?」

 

 優花里にそう勧められた冷泉麻子は、黙ったままその三色迷彩の戦車のエンジンルームをしばらく見ていた。

 

「冷泉殿、いずれはこれをあんこうに……」

「──気が進まん」

「え? ちょっと待ってくださいよぉー」

 

 麻子はひとことそう言っただけで、優花里が止めるのも聞かず、校舎に向かってすたすたと歩き去ってしまう。

 麻子はエンジン付きの乗り物であれば(試したことはないが、おそらく飛行機も)取説を見ただけで動かせる人間だが、その取説さえ見ようとしないというのは異常だ。

 その時折悪しく昼休みも終わりが近づき、授業開始の予鈴が鳴る。

 戦車倉庫前の営庭に居合わせた戦車道履修生たちも、三々五々と散っていき、あとには優花里と原野だけが残った。

 原野はちらりと優花里の方を見たが、すぐに作業員たちに件の戦車を倉庫に運ぶ作業を命じ、優花里には肩越しに「また後ほど」と告げると、自分も搬入作業に加わった。

 戦車は衝撃吸収剤をあちこちにつけた、納車前のままの状態で特殊なトレーラーごと倉庫のドア前に運ばれ、油圧フォークで倉庫内に収められる。

 梱包資材をすべて外し終わったあと原野だけが優花里の所にもどり、ハッチをロックしているキーを渡し、書類一式を渡す。

 

「これが納車でしたら、お客様に検収していただくまで私も立ち会いますが、仮納品ですし、あとは皆さんで自由に見ていただいて結構です」

 

 では何かありましたらご連絡くださいと言って、原野と他の社員たちは大洗港区の桟橋に降りていった。

 

 

 

 その日の放課後。

 会長室で書類を眺めていた優花里のもとに、前会長角谷と、自動車部を引退したナカジマがやってきた。

 角谷は高校時代の彼女のトレードマークであったツインテールをほどき、普通のロングにして年齢相応の私服姿であったため、単に背の低い上級生になっている。

 一方ナカジマは、以前からの自動車部作業服のオレンジに近い黄色のつなぎ姿だ。

 

「秋山ちゃん。西住ちゃんから聞いたけど正体不明の人物からの補助金を受け入れたんだってね。それとなんかアウトレットみたいな戦車を買うとか」

 

 いままでの容姿も「情報操作」の一環だったのだろう。

 角谷からはいままでの気楽さが消え、優花里は何か詰問されているような気分になる。

 優花里がいろいろと隠し事をしていることが、それに拍車をかける。

 

「ほ、補助金に関しては、次年度も我が校が全国大会に出場することを条件とした寄付であり、寄贈者が匿名でという強いご希望をお持ちですのでそうなっただけでして、別に何か裏があるわけではありません! それに我が校に補助するのは大洗町です」

「……ふーん」

 

 角谷は本当の無表情だ。この顔が実は彼女の本来の姿ではないかと優花里は思う。

 背中にいやな汗を感じる。

 何しろ相手は、トップ官僚だろうが大流派の家元だろうがいかようにでも操ってしまう「怪物生徒会長」だった人物だ。いかにも幼い見かけにしておかないと、確かに誰も近寄ってこなさそうな雰囲気を醸している。

 つまりあの理事長の同類なのだ。大洗動乱で得をしたのは、確かに理事長と元会長だ。

 

 角谷は、ここに来る前に町教委に寄っている。

 補助金については、付帯条件は一つだけ。全国大会出場だけだ。

 そこからわかることは、その匿名の寄贈者は大洗女子が全国大会に出場することで、寄付した金額以上の、何らかの利益を得る人間。

 候補者は、多すぎる。掃いて捨てるほどいる。

 なにしろ次年度だけ大洗女子戦車道が存続すればいいだけだ。

 ならばいまはとりあえずおいておくしかない。それ以上の情報が得られるまでは。

 角谷が心配しているのは、みほや華と優花里の間に溝ができてしまうことだった。

 困ったことに目のまえの副会長の顔には「私は隠し事をしています」と書かれている。

 次年度の戦車道をどうするかは、プラウダ戦以降と同様にみほに一任すればいい。

 いまの彼女には、それだけの力量と使命感とリーダーシップがある。

 五十鈴華という人間は「食わせ物」という言葉から最も遠いところにいるが、だからこそ「食わせ物」がつけいる隙がない。

 自分自身がある意味「公明正大な食わせ物」である角谷は、だから華が次期会長に決定してよかったと思っていた。

 優花里が副会長なのは、諸刃の剣だろう。

 働き者でみほに対するロイヤリティがあるのはけっこうだが、全体観に乏しい。

 一点集中型で、それが高じて暴走も辞さない。

 安斎千代美から「今日、お前の所の片金三等軍曹がうちに来たぞ」と試合前に電話がかかってきたときは、さすがに頭痛がした。

 なお安斎は、今回の研修会には参加していない。防衛大学校に進むことになっている。

 例のドリルツインテールはやっぱりとっくにやめていて、肩すれすれでカットしたという。

 あいつ、できるってことを隠していたな。自分も騙されると言うことかと角谷は嘆息した。

 なにしろ防衛大学校は、いまの日本で最難関の大学なのだから。

 

「とりあえず、その戦車見せてくれよ。秋山」

 

 そういうのは当然、エンジニアのナカジマだ。

 レオポンこと「自動車部の四人」は全国大会と大洗動乱で、全国的に有名になった。

 なにしろポルシェティーガーなる戦車の歴史に「失敗兵器の代名詞」として燦然と輝く代物をきっちりレストアして、特に全国大会ではアリクイ同様決勝戦のみの出陣にかかわらず、ケーニクスティーガーやパンター、ヤークトパンターを相手に単騎で戦って、壮絶な「立ち往生」を実際に遂げた(弁慶も典韋もフィクション)ことで大いに名をあげた。

 技術的にも部活のファクトリーでありながら、まともに走らせることが出来ないはずのポルシェティーガーをまともに走らせたということは、マウスをまともに戦わせることができた西住家のファクトリーに匹敵するレベルであり、そんなのがなぜぽっと出の大洗女子にと大いに話題になっている。

 だからナカジマが例の戦車を見るとすれば、それは当然「乗り物としてものになるか」を診断したいということに他ならない。

 

 

 

「……」

 

 戦車倉庫においてある、例の重戦車をいろいろな角度で検分したナカジマだが、長すぎるエンジンルームのハッチを開けたときは、なにやら曇った表情をした。

 しかしそれは一瞬のことで、すべてを見終わったナカジマはこともなげに言う。

 

「明日にでも『アヒルさん』に乗ってみてもらいなよ。それですべてわかる」

 

「アヒルさん」というのは本来はバレーボールの選手たちだ。

 本年度当初に部員がたった4人になったためにバレー部が角谷に解散させられたときの、その4人のことである。バレー部復活を掲げて全国大会を戦った。

 このチームはいまでは「奇跡の」という枕詞が付く。

 大戦のころの日本戦車といえば「ブリキの棺桶」「世界最悪の操縦システム」で名高いが、彼女たちの乗った戦車は「八九式中戦車甲型」というまさに始祖である。

 当然ブリキ度も、操縦困難な度合いも戦車道最悪といってもいいだろう。

 しかもその主砲で倒せる相手は、さらに貧弱な豆戦車だけだ。

 だが、彼女たちはその悲惨としかいいようのない戦車を駆って、全国大会の決勝まで堂々と戦い、八九式は大洗女子の中で最後に撃破された戦車になった。

 その相手、黒森峰は八九式よりも新しいはずの日本戦車、九七式などを主力とする知波単学園をほぼ瞬殺しているにもかかわらずだ。

 アヒルの最後の戦いは、レオポンの立ち往生同様に壮絶なものだった。

 やはりケーニクスティーガーやパンターを引きつれて陽動をつとめ、十分引き離すまでの間縦横無尽に走り続けて1発の被弾も許さなかったのだ。

 チームのドライバー河西は「午後からの天才」麻子にはかなわないが、高校トップクラスの腕だと噂される。

 なにしろアヒルさんは、安斎千代美率いるアンツィオの、同様に腕がいいので撃破困難な豆戦車CV33軍団を追い回したあげく、5両も撃破している。

 みほの持論である「腕と戦術」の、特に「腕」の方を体現するチームだ。

 角谷には初めから「天の時」が味方していたと言ってもいいかも知れない。

 大洗女子戦車道は、角谷本人も含めて誰が欠けても「大洗の奇跡」を起こすことができなかったというべきだろう。出落ちのアリクイも含めて。

 いや、彼女たちは実際は騎士十字章や殊勲十字章なみの貢献をしている。

 その「幸運」で。

 だから角谷は、よく知っていたと言うべきかも知れない。

 大洗女子の限界を。天の時はすでに去りつつあると言うことを。

「腕と戦術」の「戦術」を体現するチームのリーダーとしても。そう考えている。

 レオポンの四人のうち三人は三年生、生徒会トリオ同様本年度で大洗女子を去る。

 アヒルさんは次年度にバレー部再結成可能な人数がそろったときは、戦車道から外してバレー部を復活させるよう引き継ぎ事項として華に念を押してある。

 レジオン・ド・ヌールや議会名誉勲章に匹敵する彼女らの戦いに報いる途は、それしかない。

 バレー部の存続を認めなかったのは自分だという負い目もある。

 そして、予算の問題だ。廃校がなくなった以上「戦時予算」はもう組めない。

 そういう悪い条件も、みほや華に背負わせて、自分はここを去らなければならない。

 彼女は「戦車を新しくしても『奇跡の再現』は無理」と見切っていた。

 だが同時に、みほなら限られた条件下でも、学校と社会に貢献できる戦車道のあり方を確立できるだろうとも信じていた。

 しかし、目のまえの副会長の顔面には「大洗女子を戦車道の強豪校に」と書いてある。

 角谷は「やれやれ」と思った。可哀想に思ったのだ。

 

 戦車道もフィールドを舞台とする球技同様「攻、防、走」の世界だ。

 その「走」のエキスパートであるナカジマは、ずっと無言のまま考え込んでいた。

 ある意味、「腕と戦術」でどうにもならないのが機動力だ。

 その点は戦車道もモータースポーツも変わらない。

 そして「腕と戦術」にもっとも必要なのも機動力、特に戦車の場合は障害物を越える能力と、迅速な移動力だ。ターマックとグラベルとトライアルを全部やらねばならない。

 それから言えば、目のまえの戦車は懸念だらけだった。

 ナカジマには正直な話、何をどうしたらいいのかさえわからないのだ。

 

 とある国の勇者の名が付いた戦車の前で、卒業間近の二人はただ立ちつくすだけだった。

 

 

 

 

 

 



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第9話 新戦車運用開始

 

 

 

 

「では、磯辺殿。よろしくお願いします」

 

 角谷とナカジマが試乗車を検分した次の日の戦車道授業で、優花里はアヒルさんチームに試乗をしてもらうことにした。

 アヒルさんのメンバーは4人。ハッチは車体側に2つ、砲塔にキューポラ付き含めて2つと、人数分のものがある。

 ただ、八九と違い原産国が右側通行の国のため、ドライバーの河西とオペレーター兼ナビゲーターの近藤の配置が逆になる。

 今日は「レオポンの四人」も、全員出てきている。履修生がわずか32人のため戦車道は学年別授業でないが、もう履修単位をとったものとして三年生は授業免除されている。

 にもかかわらずナカジマ、スズキ、ホシノの3人が出てきているのは訳がある。

 何かあったときの対応のためだ。これはクルマで言うならベンチャー企業が作った自動車のようなものだ。それが投げ売り同然の値段で売られていたなら「白いソアラ」でもないかぎり訳あり(もちろん白いソアラも訳ありではあるが)と彼女たちは考える。

 イグニッションをONにすると、とりあえず普通に機関は始動した。

 

「でも、メカノイズは多いな」

 

 アイドリングでも排気音以外のカチャカチャとか、不規則な金属音がかなり混じっている。主なものはロッカーアームが吸排気バルブを叩くときの「タペット音」だろうが、ギアノイズもⅣ号などにくらべて大きいようだ。あまり気持ちの良いものではない。

 ギアを二速にいれ、戦車はゆっくり戦車倉庫を出ていく。エンジンの吹け上がりがスムーズとは言えないとナカジマたちは思う。彼女たちが扱うものは古いものでもせいぜい1980年代までのエンジンだから比較するのが間違っているが、Ⅳ号のマイバッハや、改造ヘッツアーのプラガエンジンと比べても雑っぽさがあるように思う。

 ガンズ社は機関車メーカーだが、ヴァイス・マンフレートというメーカーは聞いたことがなかった。ナカジマがサービスマニュアル的な冊子を見る。

 

「エンジンはチェコのシェコダが作った戦車のライセンスを買って現地生産したものらしい。

 シェコダがドイツに提案したけど不採用になった戦車のライセンスを購入して、シェコダの指導で国内生産した中型戦車のV8エンジンを双子にしているんだね。

 ……うーむ」

「どうしたんだ? ナカジマ」

 

 ハンガリーは戦車の自国生産に執着していたが、重工業のレベルは当時の日本以下だったようで、国内で設計できるだけの力量がなく、イタリア、スウェーデン、チェコの戦車をライセンスして配備していた。0から設計したのはこの戦車が初めてであり、それもドイツにパンターのライセンスを要望したが断られたためにやむなく作ったものらしい。

 縮小モックアップの写真が残されているが、あまりくわしくないものが見たら「へんてこなパンター」だと思うかも知れない。

 機関室が全長の半分ほどを占めているが、別にソ連の戦車のようなデカいエンジンを積んでいるわけではない。ヴァイス・マンフレートV-8Hを2基、双子レイアウトにしているのだ。昨日のナカジマの懸念はこの部分と足回りにあった。

 液冷V型双子エンジンが鬼門だと言うことは、飛行機のことはちんぷんかんぷんのナカジマが知るよしもなかったが、2つの小型エンジンをひっつけてギアボックスハウジングで一軸にするなんて、ポルシェティーガー以上にやばいんじゃないかと危惧したのだ。

 

『振動がひどいな』

 

 磯辺からはさっそく、あまり好ましくない報告が上がってくる。

 たぶん左右のエンジン回転数の同調が取れていないのではないかとナカジマは思う。

 それでは互いのエンジンの出力を合わせるハウジングギアに無理がかかる。

 回転自体もギクシャクするのではないか。おそらく計画どおりの出力がでないだろう。

 

「ミッションとステアリングは?」

『おそらくⅣ号と同じタイプと思われます。ミッションは……、普段からシンクロ無しのつもりでダブルクラッチしてますから違いはわかりません』

 

 河西は普段から変速機にシンクロメッシュがない原始時代の機関相手に、それが当たり前であるかのように「ダブルクラッチ+ヒール&トゥ」というほとんど無形文化財クラスの技を駆使している人間国宝だ。だからミッションの形式は問わないが、問題はそこではなかった。

 

『あっ! シフトアップするとエンジンがストール気味になります』

「二速で思い切り引っ張ってみろ」

『アクセルに回転が付いてきません。エンジンが咳き込みます』

 

 おそらく最高トルクがでる回転まで回せないのだろう。同調の問題で。

 ナカジマの懸念はこのあとも実現していく。

 

『寒いのに水温計が上がり気味です。もう80℃にとどきます』

 

 並列エンジンの冷却の問題はポルシェティーガーでも経験しているが、これはエレファント重突撃砲で、戦時中に対策が取られている。

 たがこの戦車は実戦で使われたことがない。試作車台が工場ごと米軍の空襲で粉砕されている。

 これから先、どんな問題が起こるかわからない。

 というかこれから大洗女子がテストするようなものだ。

 よそですでに不具合の洗い出しがすんでいるなら、初走行でこんな事にはならない。

 ガンズ社は自社で戦車の設計をしたことはなく、戦車製作では渡された設計図書どおりに作って納品する下請けがもっぱらだったという。そして今はなきヴァイス・マンフレート社も、ゼロからの設計はこれが初めてだ。それまではチェコやスウェーデンの設計した戦車を自国仕様に改修したことしかないのだ。

 

「つまり、テストドライブもされていない試作機だというのか?」

 

 おそらく駆動系が使い物にならない。それだけじゃない。

 サスペンションが明らかに車体に対して容量不足だ。

 スウェーデンライセンス戦車のToldi軽戦車はトーションバーサスペンション。なのにこの戦車はリーフスプリングに先祖返りしている。しかも24輪ボギーだ。転輪ひと組が大径で、Ⅳ号と同じような、というかそのまま大きくしたリーフスプリングボギー。

 これよりはるかに軽量のⅣ号でも、転輪は小さくしてボギーの組数を8組32輪にしている。これには「バネ下重量」というものが関係する。

 つまりサスペンションの支点から先の重量、ほぼホイールの重量と一致する場合が多いが、これがサスの能力に比べて重いと、路面追従性と揺れを早期に収束させるダンピング能力に悪影響を与え、サスをへたりやすくする。

 しかも走りが不安定なのは、機関とサスだけの話ではないようだ。

 

「秋山、あいつの戦闘重量は?」

「38トンであります」

「パンターのは?」

「45トンです」

「それぞれの車体正面装甲と車体長と全幅は?」

「えーと、パンターが傾斜80mm/6.9m/3.4m。

 この戦車は傾斜120mm/7.1m/3.5mです……」

 

 そろそろ優香里も何かが変だと気がついてきた。

 作ってみたら設計見積もりより重量過大になることは、戦車の場合よくあることだ。

 だがスペック上の数字からすれば、38トンというのは希望的観測過ぎる。

 見積もり違いというレベルではない。

 たとえば前面傾斜120mmの代表例はスターリン2だが、車体長6.8mの全幅3.1mで、パンターより小さいが、やはり45トンある。それにスターリンは全体の印象としては、パンターの方が重戦車に見えるというダウンサイジング戦車だ。

 またパンターの開発コードはVK30、計画では30トンのつもりだったが、できたのは45トンの肥満中戦車。ティーガーⅠはVK45、計画では45トンだったができたのは57トンの相撲取り。

 戦闘重量38トンの戦車と言えばM4の重装甲版、「ジャンボ」だが、車体長6.3mの全幅2.9mで二回り小さく、車体前面装甲も102mm傾斜だ。

 つまり車体装甲がペラペラでもないかぎり、車重が38トンなどに収まるわけがない。

 おまけにエンジン二つだ。

 

「どうも台貫(はかり)とシャシーダイナモ(出力トルクをエンジンを外さない状態で測定する装置)にかけなきゃならないね」

 

 ナカジマは、カタログスペックが「計画値」なのだと理解して「実測」するつもりのようだ。

 優香里にもこの時点で機動性に難のある戦車だろうとはわかってきた。

 おそらく路上速度も設計目標の45km/hには届かないに違いない。

 ケーニクスティーガーやヤークトティーガーと同じように。

 

「でも、ポルシェティーガーもエンジン2つです。でしたら何とか……」

 

 ナカジマは首を横に振る。

 

「レオポンは双子エンジンじゃない。むしろ双発だよ。

 左右のエンジンはそれぞれ左右別々の発電機を回すんだ。

 エンジンが同調しなくても操縦手がわで調整して走ることはできる。

 だけどこいつは本当にエンジンの回転数を同調させないといけない」

「ならばいっそ、エンジンを強力なもの1基に換装すれば」

 

 優香里はなおも食い下がる。ここでこの戦車が「使えない」ということになったら、彼女の考える「戦車道強豪大洗女子」は崩壊する。

 西住しほは「戦車道にまぐれはない」と言ったそうだ。つまり全国大会の黒森峰は「負けるべくして負けた」のだから、その敗因(もっぱら舐めプレイと指揮官の猪突猛進的な性格)をなくしさえすれば当然のように勝つと宣言したに等しい。

 これはなにもしほ一人に限った話ではなく、戦車道履修校として登録したすべての高校で、大洗対策がとられていると考えるべきだろう。大会から半年以上たっているのだ。

 もう来年度から大洗女子を「弱小戦車と初心者の集団」と侮る相手はいない。

 どの学校も四強と戦うつもりで向かってくるだろう。

 そしてその四強は、現状でさえ本気を出すだけで大洗女子をたたきつぶせるのは、夏の団体交流戦でわかっている。

 しかし、ナカジマは──

 

「確かに既存のエンジンなら規則3.01項後段で可能かもしれない。

 だがエンジンルームを1回ドンガラにした上で強度計算してステーを作り、プロペラシャフトや操向変速機、ファイナルまで交換する必要がある。

 そんな大改造はプロに頼まないと無理だよ」

 

 現状の自動車部の能力を超えていると答える。

 優香里は、自分の足下がどんどん削られていくような、そんな気持ちになった。

 

 

 

 その翌日。

 もう授業に出なくともいい自動車部のレオポン三年生3人と、工学科有志による分析が朝9時から放課後の午後3時まで行われ、優香里が授業を終えるころには確定結果ができていた。一同を代表してナカジマが説明を始めた。

 

「まず、重量測定から。

 見てのとおり、完全にダイエット失敗だ」

 

 プリントアウトには優香里を絶望のどん底に落とすような数字が書かれている。

 正面120mm、側面60mm、背面40mm、エンジン2基ならさもありなんという体重だ。

 

「次に、ダイナモのグラフね。

 これは見ただけじゃわかんないだろうから、タブレットに出して説明するよ」

 

 そのグラフは横軸がエンジンの回転数、前後の縦軸にはそれぞれ出力(㎾)と軸トルク(N・m)の目盛りがふられている。

 

「連続線と破線のグラフがあるだろう。破線の方は比較用のM26パーシングのデータね。

 実線の方がこいつの実際の計測結果だ。

 車体にエンジンを載せたままで起動輪にダイナモつないで測ってるから、額面よりも低い結果になっている。どちらもギアは2速だ」

 

 馬力曲線はどちらも毎分2,500回転あたりを頂点とする、なだらかな山形をしている。

 トルク曲線は2,000回転あたりまでフラットで、そこから徐々に落ちている。

 そしてどちらもパーシングの方が上回っている。

 パーシングのエンジンの最高出力はエンジン単体で500馬力、こっちの方は280馬力×2だから起動輪の出力で負けているのは、それだけロスが多いと言うことだ。

 トルクの方はさらに深刻で、大差がついているようにしか見えない。

 

「駆動力はまあ、大きなエンジン一つと小さなエンジン二つという形式の違いがはっきり出たね」

「……どういう、ことなんですか?」

 

 駆動力は戦車を押す力で、馬力は質量×距離だから最高速度に関係する。

 重い戦車にトルクの薄いエンジンを積んだら、のそのそとしか動けない。

 戦車のエンジンは現在の常識からすればおそろしく低回転型であるから、トルクがない=馬力もない、と言うことでもある。

 

「フォードGAFもこいつのエンジンも、単体ならV型8気筒だ。

 だが、排気量が違うし、出力なら半分しかない。

 GAFの方が、ピストンの直径が倍近い。爆発力を受ける面積は4倍だ。

 こいつのエンジンを16気筒の1基と考えても2倍だ。それがトルクの差になっている。

 機動力を阻害している要素は、双子という変則レイアウト、トルクの薄さ、実際の重量、それとも関連するが、あと足回りの問題がある」

 

 ナカジマは左右12組24個の転輪を支えるサスペンションを指さした。

 

「こんな重戦車といっていい車体に、リーフスプリングのボギーでは弱すぎる。

 リーフスプリングは板ばね同士がこすれ合ってダンパーの効果もあるから、独立懸架が一般的になる以前、トラックの後輪サスに多用された。だが、バネとしての耐荷重や弾力ではトーションバーやコイルスプリング(コイルバネも本当は渦巻きトーションバー)に勝てない。

 トーションバーは構造が簡単で耐荷重が強く、高速走行時にもへたらないで車体を支えられるから重量級戦車にはうってつけなんだけど、なんでこいつは板ばねなんだろうな。

 昨日もへたりまくっていたよ」

「Toldi軽戦車ならトーションバーなんですが、スウェーデンからライセンス権を買ったものですから……」

 

 ナカジマには、どうしてこんな事になったのか、これを聞いてやっと得心がいった。

 つまり、ハンガリー王国の重工業はとても遅れていたということらしい。

 図面に書かれているものを、そのとおりにしか作ることしかできないということだ。

 イタリアより遅れていた日本よりさらに遅れている。チェコスロバキアやスウェーデンとは比較になどならないレベルだ。もっとも自動車だけ考えてみれば、イタリアは性能ではドイツ車と昔からタメを張っている。DOHCといえばアルファ・ロメオという時代もあったし、いまでこそジャパニーズスタイルとされるDOHC16バルブ並列4気筒バイクも、本家はイタリアのMVアグスタだ。

 なにはともあれ、トーションバーは構造的には単純だが、精密な加工技術と高度な冶金技術を必要とするサスペンションだ。

 

「可能性としては構造的にトーションバーにしたりクリスティにしたりといったことは無理だから、外付けのサスペンション、たとえばイギリスのセンチュリオンのホルストマンとかポルシェティーガーの『縦置き』トーションバーぐらいしかないけど、トップクラスの技術者に構造解析からやってもらわないと、走ってるうちにもげるかもしれない」

 

 特に「縦置き」は、サスペンションバーの寿命が短い。

 自分たちがいまでも苦労しているのだから、やっぱりやりたくない。

 3両なんてとんでもない。ナカジマにとっては考えるだけで頭が痛くなる悪夢でしかない。

 

「結局できることといえば、キャブ同士の同調を取ることで2基のエンジンが少しでもスムーズに回るようにすることと、板ばねの材質を変えることぐらいだろう。

 それでも、期待しないでくれとしかいいようがない」

「はい……」

 

 そういいながらも優花里は、そうであるなら機動戦は捨ててもいいと思っていた。

 なにしろこの戦車は前面装甲傾斜120mm、主砲は75mmL70という一流品なのだ。

 

 

 

 

 

 



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第10話 怒りのみほ

 

 

 

 

 卒業前の最後の一仕事ということで、ナカジマたち三年生総出でキャブ調整に取り組んだものの、結局丸1日をこれに費やすことになった。

 彼女たちの仕事はショップレベルだったと言っていい。不整爆発寸前だった機関もなんとか回るようにはなった。

 しかしキャブを完全に近く同調させるだけでは終わらず、燃料に無鉛アブガス添加剤を入れたうえ、オイルは固さはそれほどでもないが潤滑性能が高いシングルグレード鉱物油を探さなければならなかった。

 現在使われている、季節の温度変化に対応できるマルチグレードや高性能の化学合成オイルは、オイルシールやエンジンの構造そのものが対応していないため漏れてしまうので使えない。

 板バネについては既存品で対応できないことがわかったので、諦めるしかなかった。

 それでもこいつの大重量はどうにもできず、整地で30km/hには結局届かずじまいだった。

 優香里はチャーチルよりは少しだけ速い速度でなんとかテストランする新型を見て、動くだけマシよ。そのための重装甲と長射程砲なのだから。不整地は行かなければいいだけと、なんとか自分を納得させていた。

 ただ、格闘戦が身上のみほは、おそらくこれに乗ろうとはいわないだろう。

 

 

 

 研修会の日程が延伸したため、数日予定を超過したみほと華が大洗に帰還したのは、新型がとりあえず動くようになった次の日だった。

 華は放課後にみほも加えて、自分が不在だった期間の事務引き継ぎを会長室で行うと携帯メールで優花香里に伝えた。華がいる普通Ⅰ科と優香里の普通Ⅱ科は、校舎が離れた場所にある。

 すると優花里からは、『戦車倉庫から離れられないので』来て欲しいという。

 みほと華は顔を見あわせた。折悪しく麻子は趣味の時間であり、沙織は……

 

「ゆかりんが業者に試乗用パンター借りたみたい」

 

 という認識だった。これは別に彼女だけの話ではない。

「せんしゃずかん」にはこれどころか、ハンガリー戦車のページすらない。

 ネトゲチームはパンターではないということはわかったが、ネトゲにはハンガリー戦車は(少なくともハンガリー国籍では)出てこないので、ハンガリー製戦車があること自体すら知らないままだった。

 

 

 

 優花里と会ったうえで、その試乗車を見ない事には話が進まないと思った華とみほは、放課後になってから戦車倉庫にやってきた。

 ところがその優花里はまだ来ていないようだ。戦車倉庫の照明が点いていない。

 

「戦車倉庫から離れられないっていうから来たのに。優花里さんどこにいったのかなあ」

「とりあえず照明をつけましょうか」

 

 古い戦車倉庫の照明が最新のLEDであるはずもなく、旧式の水銀灯が何分もかけて徐々に光を放ち始める。

 戦車倉庫には手前側に見慣れた8両の戦車がある。

 これらはシルエットだけでも何なのか彼女たちにはすぐにわかる。

 そして、無限軌道杯直前に河嶋桃が発掘した菱形戦車「マークⅣ」の巨体も鎮座している。

 戦車黎明期の縄文式土器を引き当てるとは、河嶋はさすがというか、やはりというか……

 わからないのは入って来たドアから一番遠くにある、ひときわデカいシルエット。

 

「ポルシェティーガーよりも大きいですね。

 みほさん、これは何という戦車なのですか?」

「わからない。こんなのは見たことがない。

 明らかにパンターではないということぐらいしか……」

 

 水銀灯が過熱され、ようやく本来の光量に達して、部屋の隅々まで光に満ちる。

 そして新戦車の姿も、光の中にうかびあがった。

 

「あっ!!」

「みほさん? どうしたの……」

「……これでは」

 

 華の目のまえのみほは、そう言ったきり口をぽかんとあけて呆然としている。

 しばらくそのまま硬直していたみほだったが、その呪縛が解けたとたん、まるで言葉を絞り出すように言った……。

 

「これでは戦えない……」

「え?」

 

 どういうことであろうか。

 あの、整備もされずここで朽ち果てるのを待っていたかのような旧型Ⅳ号D型を見て「これなら戦える」と言ったみほが、というか縄文式マークⅣにさえ何も言わなかったみほが戦えないとまで言うとは……。

 

 

 

 それからしばらくして、戦車倉庫に直行するはずの優花里がやっと姿を現した。

 

「あ、もういらしていたのでありますか?

 実は、急に聖グロリアーナから電話がありまして……」

 

 みほは新型の前で呆然としたままであり、華だけが優花里の話を聞く形になった。

 

「聖グロリアーナ、ですか?」

「はい、受験シーズンが終わり次第、現選手団による最後の交流戦がしたいそうです。

 ……どうしますか?」

 

 みほは、それを暗い表情のまま聞いていた。

 姉から聞いた強豪校の状況。研修へ戻ってきたあと、急によそよそしくなった逸見。

 匿名で多額、しかも条件付きの「ふるさと納税」。

 突然売り込みをかけてきた、営業所長が男性だという戦車ディーラー。

 そして、聖グロリアーナから突如申し込まれた交流戦。

 このとき、みほにはすべてが一本の線でつながった……。

 

 みほは、伏し目がちにゆっくりと優花里の方に向き直った。

 無表情としか言いようのない顔をして。

 このときのみほは、何かが永久に変わってしまったのを感じていた。

 そしてこうも思っていた。

 みんな踊りたければ勝手に踊るがいい。でも私まで舞台に上げて血まみれで踊らせたいのなら、もっと上手い方法を考えて欲しかった。

 ……まったく悲しい。本当に大人げない。

 大洗動乱のとき「大洗女子を倒す」なんて言ったことを、私が覚えていないとでも思っているのだろうか。「戦車道にまぐれはない。あるのは実力のみ」ですって?

 どう考えても「まぐれ」の綱渡りでしかなかった私たちの優勝。

 そんな、アリ同然の大洗女子であっても、自分のメンツを傷つけた以上踏みつぶさねば気が済まないとおっしゃるのですね。あなたという人は……

 ……みほはここで、ついに本気で戦う覚悟を決めた。

 

「……優花里さん、向こうの出してきた条件は?」

 

 みほの声が、戦車倉庫の内部にうつろに響く。

 一つの時代の終わりを告げる鐘のように。

 違和感にとらわれた優花里だったが、毒を皿まで食べてしまった彼女の舌は、何も感じていないかのごとく回り続ける。

 

「メンバーは履修を終えた三年生も含める。グロリアーナ側は5両。

 大洗側は出せる戦車はすべて出してよいとのことです。

 試合日は、三月の第2日曜日を希望とのことです」

「場所はどこ?」

 

 さすがに大洗町全域というのは、もう連盟が認めないだろう。

 観光ホテルが2つガス爆発で大惨事だし、アクアワールドも半壊した。

 どれだけ金が出ていったかわからない。

 たしか新築したばかりのお店を木っ端微塵にされた人もいたはずである。

 

「伊豆大島の、三原山カルデラ全域だそうです」

 

 華が思わずみほの方を見た。聖グロリアーナが何を考えているのかわかったからだ。

 みほは目で「何も言わないで」と華を制し、ややあって口を開く。

 

「お受けします。こちらは『9両』でお相手します。

 すぐに聖グロリアーナにそう伝えてください。私と華さんはここで角谷元会長と連絡を取ってから、自動車部に寄ってそのあとで会長室に行きます」

「はいっ! 了解であります」

 

 みほの暗い表情から、新型の導入や対外試合自体反対されるのではないかと不安になっていた優花里は、それが杞憂に過ぎなかったと安堵し、はりきって生徒会室に戻った。

 一方……。

 

「みほさん。よろしいのですか? 今のままでは……」

「優花里さんにとって、戦車道自体がマニアの趣味です。

 だからいまここで何を言っても無駄でしょう。

 レアなアイテムをゲットしたくらいの気持ちなのね。

 実は、私にもこの戦車は何なのか全然わからない。

 でも、練達の戦車道選手がこの戦車を見たら、たとえこの戦車がどこが作った何という戦車か全く知らなくても……」

 

 みほは首を振って考えを切り替えると、自分のスマホを取り出して電話帳を開く。

 

「……とりあえず、角谷元会長に連絡しましょう。

 あの人に働いてもらわなくてはいけません」

「ふふっ、ご本人はもう二度と働きたくないって思っていらっしゃいますね」

 

 華が笑った。前に角谷が「働いた」ときは、大洗動乱が起きてしまった。

 こんどはどうなるのだろうか? 華には予想もつかない。

 

 

 

 

 

 

「まあ、晩ご飯でも食べながら話そうか」

 

 それが角谷の返事だった。

 

 

 

 

 

 



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第11話 笑う角谷

 

 

 

 

 角谷は、筆記試験で受験してもすでに余裕で合格圏内であった第一志望の国立北総大学にAO入試で出願し、すでに合格を果たしていた。同じく合格圏内の元副会長、小山柚子もあえてAO入試のみで出願し、同じく合格している。

 これは、元広報の河嶋桃が筆記試験では合格できる大学がないという惨状だったため、無限軌道杯に河嶋を隊長として出場し、その成果を持って北総大学のAO入試を突破させ、三人そろって同じ大学の門をくぐろうという角谷と小山の願いからだった。更に角谷は、第63回全国大会と大洗動乱の副将も河嶋だったということと合わせて生徒会トリオの働きにより母校の廃校を二度とも撤回させたという印象操作も加えて河嶋の合格を勝ち得た。

 そのために自分たちもAO入試のみで出願して、不合格のリスクと引き替えに話に説得力をもたせたのだ。ただ、当時の河嶋が実際にはどんな働きをしたかと言えば……

 その角谷が打ち合わせ場所に指定したのは、大洗中心市街地から離れたところにある「戦車カツ」が名物の、とんかつレストランだった。

 

 

 

「今日は貸し切りだから、ゆっくり話ができるよ」

 

 ツインテールをやめてしまった角谷というのは、何度見ても角谷に思えないというのがみほの正直な感想だった。

 3人で貸し切りもないだろうと思って見渡すと、他にも見知った顔が何人かいる。

 ナカジマ、スズキ、ホシノ、園みどり子、河嶋桃、小山柚子、つまりHNぴよたん以外の三年生全部と、さらにどうしてここにいるのか全く分からない知波単の西と、角谷同様ツインテールをやめて髪をカットした元ドゥーチェの安斎がいた。

 

「これでみんなそろったな。今日は店長さんのご厚意で、何食ってもいいからな」

 

 角谷は、まるで自分のおごりだみたいな言い方をする。

 しかし、華の他に西絹代がいるのに、それでいいのだろうかとみほは思う。

 案の定この二人は超重戦車カツ定食Ⅳ号付きを頼んでいる。通常の10人前だ。

 あとはみほ以外全員戦車カツ。これとて通常の3人前だ。

 みほだけ柔らかさが売りの「少なめ」定食だ。

 何でも角谷が「決勝戦前にここで戦車カツを食べたおかげで勝った」と吹聴しまくったらしく、それ以来験担ぎ目当ての客が増えて、かなり繁盛してるらしい。いまではさらに大洗動乱全面勝利と角谷らの有名大学合格までくわわって、行列店になったそうだ。

 そう考えれば、店長のご厚意も納得がいく。

 

 

 

 お食事タイムは、みんなでワイワイがやがやとおしゃべりしながらだったので、ゆうに1時間を超えてしまった。

 華と西絹代は、それぞれ「マウス」を3両ずつ撃破。

 今は皆でほうじ茶と、……干し芋をいただいている。

 

「で、西住ちゃんはそれが全部一本の糸でつながってるって思うんだ?」

「……ええ、まちがいなく」

 

 みほは今の自分の知る限りのことと、思いつく限りのことをすべて角谷に話した。

 角谷は、みほの推定は妥当なものと考える。ただ、角谷自身はいまだ戦車の目利きについては素人だ。だから武器の鑑定士と、自動車のエンジニア、そして機動戦のベテランにくわえて、西住流と真逆な戦車道を突き進む人間を呼んだ。

 

「でさ、ナカジマ。

 あいつって『乗り物』としてはどうなの?」

「重い車重にプアなサス、ピーキーでもないのにトルクが出ないエンジン。

 エンジンはスムーズに回ればめっけもの。

 まさに壊れるために走っているようなもの。小さな超重戦車だよ。

 ガタイがパンターよりデカい分、室内空間は良好だけど」

「で、西住ちゃん。『兵器』としては?」

「あの戦車は『昼飯の角度』も『ハルダウン』も、戦車壕に入れて砲塔だけ出しても、戦車自体がその効果をすべて打ち消してしまいます。

 いいところ密林の中にでも隠して、狙撃に徹すればというところですが、それで倒せるのは良くて1両まで。おそらくフラッグ戦では迂回されるだけでしょう」

 

 角谷も「やれやれ」という顔だ。超重戦車なんて味方の誰かが犠牲になれば確実に倒せると、決勝戦でも大洗動乱でも証明された。空襲や支援砲撃のない戦車道でさえ。

 そしてこの「新型戦車」にははったりすらない。ベテラン戦車道選手ならどんな戦車に乗っていても、喜んで撃ってくるだろう。

 最善は「フラッグ戦なら無視」すればいい。射程外を追いつけない速度で迂回すればいいだけのことだ。ノロマなら味方について行けず勝手に遊兵になる。

 フラッグにしたら? それこそ相手の思うつぼだ。

 大洗女子を全国大会で血まみれにしたい誰かは、はした金を与えてカタログスペックは立派なこの戦車を与えておけば自分から進んで蟻地獄に進んでくれると思っているようだが、角谷は自分自身も西住みほもそこまで間抜けじゃないと思っている。

 そして、今度は大洗クラスの情けない戦車を率いて戦っていたポン友のご意見を聞く。

 そのポン友、安斎千代美はバイヤーを介さずに、現地に乗り込んで直接戦車を購入してこられる人物だ。

 

「ちょび子ー、ハンガリーの戦車道ってどういう状況なの?」

「ちょび子と呼ぶな」

「でももう『ドゥーチェ』でもないでしょ」

「うっ……。

 ……まあそれはいい。向こうも日本の戦車道と大して変わらない。みんな輸入戦車だ。

 一つだけ違いがあるとすれば、向こうには『知波単』はないな」

「ちょっとー! 安斎さん。それどういう意味ですか?」

 

 安斎の台詞に、華ではない方の大食らいがかみついた。なにしろ自分の母校を名指しでディスられたと思ったから。

 

「私はほめているんだよ、西。

 文化財としての国産戦車を後世に残すことを勝敗より優先してるってね。

 逆に言えばあんたのところと大洗以外、みんな外国かぶれってことじゃない。

 そして、だからこそあんたの学校は高名な選手や優秀な機甲科隊員を輩出してる。

 紙装甲の戦車でティーガーやらチャーチルやらが相手でも臆せず突っ込んでくる。

 そういう断じて士気崩壊に陥らない、天井知らずの士気の持ち主が最新鋭の戦車に乗ったらどうなるかね? もはや最強だよ。

 それに知波単は大洗動乱以来、どれだけしぶとく戦うかを考える集団に変貌した。

 これからも選手育成という点では、知波単はこの国の中核であり続けるだろうね」

 

 それなら安斎自身もイタリアかぶれということなのかもしれないが、本来はイタリア人も向こう見ずだ。第二次大戦のイタリア軍をヘタリア軍にしたのは、男の方のドゥーチェとイタリア最後の国王だ。アンツィオ気質が本来のイタリア人だろう。むろんアンツィオにとっては知波単は似たもの同士だ。くさす理由などない。

 安斎が本当に言いたいのは、向こうには国産戦車のみのチームはないと言うことだ。

 当然日本にも、ハンガリーとの提携校はない。ポーランド(ボンプル)、チェコ(グレゴール)、ベルギー(ワッフル)、カナダ(メイプル)、ルーマニア(伯爵)、ノルウェー(ヴァイキング水産)、スウェーデン(ビゲン)、フィンランド(継続)、スペイン(青師団)、オーストラリア(コアラの森)、ブルガリア(ヨーグルト)、スイス(中立)の提携校がある。フランスに至っては2校(マジノ&BC自由)もある。あとは米英独ソ伊と独立校が2つ。しかし、ハンガリーはない。国産戦車を有する国であるにもかかわらず。

 

 戦車道においては日本とハンガリーは、似たもの同士なのだ。

 

「ではこれから私が指導者研修会でお姉ちゃ……、いえ西住まほ選手から聞いたことと、継続高校の隊長からきたメールについてお話しします」

 

 正直に言えば、まほの話もミカの提案も、いまの優花里にはとうてい聞かせられないことばかりなのだ。

 心の中で優花里に詫びながら、みほたちは密談を続けた。

 

 

 

 

 

 

 大洗町教委から示された、補助金申請の目安である3月20日まで2週間を切ったある日。

 2隻の学園艦が、伊豆大島の沖合でスラスターを回しながら停泊していた。

 大島には学園艦が寄港できる埠頭はない。

 2隻の学園艦にはそれぞれフェリーが横付けし、大型学園艦からは5両の、それより小さい方からは縄文土器以外の9両の戦車が乗りこんでいく。いくらなんでも偉大なる戦車の始祖を第二次大戦相当の戦場に引きずり出したら、「イギリスかぶれ」の聖グロリアーナ全員が怒る。

 こうして都合3回目となる聖グロリアーナ対大洗女子の交流戦が、大島の中央、三原山カルデラ火口原を舞台として行われることとなった。

 しかし今回は、聖グロリアーナ側の戦車は戦車輸送車に載せられて、カバーで覆われている。いつもと違うのはそれだけではない。

 

「聖グロリアーナからは、今回の交流戦は非公開としたいと言われましたが……」

「優花里さん。ダージリンさんが何かサプライズでも用意してるんでしょ。

 今回は優花里さんが手配した新兵器もあることだし。聖グロリアーナの戦車は変えようがないのだから……」

 

 別にみほは嘘はついていない。意図的に教えていないことがあるだけだ。

 それは口頭でいうより、経験した方が理解しやすいからである。

 

 

 

 

 

「このチャーチルとも、今日でお別れですのね」

「ダージリン様……」

「……ふう、仕方ありませんわね。自分で決めたことだというのに。

 ペコ、参りますわよ」

「今日は格言をおっしゃらないのですか?

 今回がダージリン様の、グロリアーナでの最後の試合になるのですが」

「Now this is not the end. It is not even the beginning of the end. But it is, perhaps, the end of the beginning.」

「……チャーチル本人ですね。意味深です」

 

 ダージリンとオレンジペコは、歩いて戦車倉庫を出ていく。

 ……愛車であるチャーチルMk.Ⅶを、そこにおいたまま。

 

 

 

 

 

 



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第12話 ルクリリの勝利

 

 

 

 

 大洗女子側のフェリーは、大島町役場そばの元町港に、そして聖グロリアーナ側を載せたフェリーは島の南端の波浮港にそれぞれ接舷し、両軍は三原山カルデラをめざして外輪山を登ることになっている。外輪山を越えたところで両者一旦停止し、審判団の確認と試合開始の合図を待つ。三原山と三原新山の周囲はガスのため立ち入り禁止であり、カルデラ地帯と「裏砂漠」と呼ばれる荒れ地地帯から出てしまった車両は失格となる。

 試合会場は観光地でもあるのだが、この日は試合開始から聖グロリアーナチームが大島から退去するまでの間、関係者以外立ち入り禁止とされ、普通の試合なら用意される大画面オーロラビジョンも観覧席も設置されていない。

 なお、この試合は公式には「合同演習」とされている。

 

 

 

『連盟審判団より大洗隊長車、感度良好ですか?』

「感度良好です。どうぞ」

『了解。現時点で両軍が配置についたことを確認しました。

 各車、タブレット端末に試合場地形図をダウンロードできましたか?』

「はい、確認中。

 ……確認できました」

『聖グロリアーナ側も準備完了と報告がありました。現時刻は午前9時45分。

 試合開始は午前10時ちょうどとなります。よろしいですか?』

「大洗隊長車、了解しました」

 

 みほはチョーカースタイルのスロートマイクから手を離し、沙織に各車と通信して試合開始時刻を伝達するよう指示する。

 

「カバさん了解、アヒルさん了解、ウサギさん了解、カメさん了解、カモさん了解、レオポンさん了解、アリクイさん了解、……レームダックさん了解。全車OKよ」

「では、これから進路を説明します。各車長は地形図をタブレットに出してください」

 

 みほは再びスロートマイクに手を添えて、今日のルート説明を始める。

 今日の戦場は得意の市街地どころか森林もない、あるのはカルデラ内の峰だけだ。

 

「これから全車、外輪山の内側を反時計回りに進行します。

 聖グロリアーナ部隊は三原火口の東側、裏砂漠ルートをたどって来たと思われます。

 レオポンさんは剣が峰付近、アヒルさんは白石山付近でハルダウンして敵を待ち伏せてください。他の全車は櫛形山まで進出し、レームダックさんはさらに前進、白石山の前方で索敵移動願います。裏砂漠は見はらしが良いので、すぐに視認できるはずです」

 

 今回レームダック、つまり元アヒルの八九式に搭乗しているのは「外人部隊」だが、アヒルさんチームと同等くらいには旧陸軍戦車を動かせる選手たちだ。

 

「西住殿、聖グロリアーナの歩兵戦車なら、この開けっぴろげの地形ならいい的です。

 新・アヒルさんチームならチャーチルでさえ1,000m以上向こうで倒せます」

「……油断は禁物よ。優花里さん……」

「心得ております!」

 

 車内の優花里からは、毎度のことだがキューポラから上半身を出しているみほの顔は見えない。今日はそのことに感謝するみほだった。

 そして、「試合」は始まった。

 

 

 

 

 

『ルクリリ車、予定地点まで進出しました』

「よろしい、これより本隊は三原火口、内輪山の外側を反時計回りに進撃し、大洗女子の後背を取る。そちらの状況はどう?」

『三原新山方面から砂けむりがあがっています。これより白石山の山影で待機します』

「了解したわ。あなたは敵のスカウトが出たら、それを追いなさい。

 今回は向こうの十八番を使わせてもらいました。

 大洗の戦闘序列も搭乗割りもわかってますわね?」

『はい、……楽しみです』

 

 通信は切れた。あとは計画通り進めるだけと元・ダージリンは隊長車の中で考えている。

 大洗女子の伝説に幕を引きに行くのは実は不本意だが、あの西住まほが頭を下げて頼んできたのであればしかたがない。

 いま乗っている戦車はムカデ足ではないが、高速走行での地形追従性能はクリスティーやトーションバーにも劣らない。

 まさか大洗は「鈍足の聖グロ」が自分たち以上に速い戦場展開をするなどと思っていないだろう。二人をのぞいて……。

 その二人も、GI6部長の「グリーン」本人が風紀委員になりすまして潜入していたことまでは知らない。

 

 やはり、彼女は煮ても焼いても食えない人物に磨きがかかっているようだ。

 

「まあ、シェイクダウンにちょうどいい相手がいたと思うことにするわ……」

 

 

 

『レオポン、予定地点に現着』

『アヒル、あとは自力でいけそうです。ワイヤーをリリースします』

「了解、カメさん、ウサギさん、カバさん、ワイヤーを回収して」

『了解』

『了解しました』

『了解した』

 

 もし双子エンジンが上手く機能していたら、『新・アヒルさん』でもレオポン程度の速度になっていただろうが、ナカジマたちの努力にかかわらず、『新・アヒルさん』の機動力はイギリスの歩兵戦車程度にしかならなかった。

 そのため、決勝戦で高地陣地にレオポンを引き上げたときと同じ「ワイヤレッカー」で『新・アヒルさん』を引っ張る必要があり、全体の進撃速度が遅れた。

 

「もう予定を20分超過している」

 

 みほは、いつものとおりにはいかないと予想はしていたが、せめて10分ぐらいと考えていた。その10分差が今回は決定的になる。

 

『レームダック、西です。これよりさらに前に出て偵察に出ます』

「気をつけてください。敵のスカウトも近くにいるかも知れないです。

 またあのクルセイダーがいるかもしれない」

『了解、また出たら頼んますっ!』

 

 

 知波単の西が率いる「レームダックさん」は、やっぱり手慣れた走りで前へすすむ。

 車内では西がハッチから砲隊鏡を出し、前方180度を監視するが、敵影はない。

 

「おかしいな。視界はよくてガスも出ていないのに『裏砂漠』を走る聖グロがいない。

 福田、どう思う?」

「……もしかしたら、後にいるかも知れません」

「?? 何だって?」

「もし、例の赤毛の人が巡航戦車だけで部隊を組んでいたら、私たちの裏をかいて内輪山を回り込み、もう後ろを取っているかもしれないです。

 そうなったら薄い背面を撃たれます」

「よほどの思い切りだが、聖グロが世代交代していれば、──ありえる!

 あんこうへ……」

 

『──西さん、うしろに敵です! 500m』

 

 

 

「ルクリリです。八九式だけが前進、後ろを監視していません。

 我々が前から来るものと思っています。成功です」

『了解したわ。あなたは予定どおり八九が500m進んだら後を追いなさい。

 あなたの砲撃が合図です。聖グロリアーナの本当の技術を見せてあげなさい。

『アヒルさん』に』

「了解です。

 ──機関始動! あの『シッティング・ダック』を追う。作戦開始!」

 

 ルクリリは車長用ハッチから上半身を出したまま、戦車を発進させる。

 それは剣が峰の大洗女子本隊も視認しているが、それは既定事項だ。

 

 

 

「ふっ、ルクリリだ、またあいつがかかった。

 二度あることは三度あるのさ。懲りない奴だね」

 

『新・アヒルさん』の車内では、キャプテン磯辺が不敵に笑う。

 ルクリリは前を走る八九が「アヒルさん」だと思っている。

 そう磯辺は思っていた。二度あることはやっぱり三度あったと。しかし──

 

 

 

「馬鹿め! 三度も騙されるか!

 かかったのは貴様らだ。減速しつつ超信地!」

「了解」

 

 止まりきる前から、ルクリリ車はすさまじい横Gで傾きつつ、タイトなスピンターンで白石山を指向する。

 

「装填、弾種APCR。砲手、目標はハルダウン中。狙えますか?」

「照準器安定装置作動。レティクルにおさまっているわ」

「了解、停止して1秒以内に発砲願います。初弾で当ててください、アッサム様」

「わかったわ。ルクリリ」

 

 アッサムの照準は、みごとに『新・アヒルさん』の一点をとらえ、動かない。

 車体が止まり、縦スプリングのクリスティ・サスペンションがまだ動揺している。

 しかしアッサムは、それに構わず撃つ。

 

 

 

「あんこうへ、敵がかかった。射撃します」

「キャプテン! 敵が」

 

 何とルクリリは八九を追うのを止め、ローズヒップのクルセイダーよりも小さな半径で本家並みの「マックスターン」をすばやく決める。

 

『西住殿、あの巡航戦車はクルセイダーではありません。

 クロムウエルです!』

『ダージリンさんがOG会の反対を押し切って、全国大会の準決勝でデビューさせたという戦車ね。黒森峰が見た……』

「キャプテン、敵発砲! 当たります」

「やっぱりすばやいね。でもシャーマン75mm並みのが当たってもこいつなら……」

「ええ、当たっても大丈夫なんてアンツィオ以来ですね」

「練習以外で落ち着いて狙えるなんて、初めてです」

「命中します。ショックに備えてください」

「よし、あけび。構わず落ち着いて狙え」

 

 敵弾はハルダウン中で砲塔しか見えないはずの『新・アヒルさん』の、その砲塔に命中した。

 割れ鐘のような音が車内に響き渡る。

 

「よし、撃……

 ……なんだ?」

「照明消えます」

「エンジン停止!」

「発射ペダル、動きません!!」

「機能ロックだと!? まさか、今のが有効?」

 

 信じられない思いでハッチを開けて顔を出した磯辺の目に、無情に翻る白旗が映る。

 

「どういうことだ? パンターより堅いんだぞ、こいつは!」

 

 

 

『アヒルさんチーム、撃破されました! 申し訳ありません!』

「……」

 

 優花里は無線を聞いて呆然としている。

 アヒルさんチームに託したのは、大洗女子戦車道の今後を担うはずの期待の新戦力。

 44MTas重戦車……。

 搭乗するのは超旧式戦車「八九式中戦車」で全国大会を戦い抜いた「奇跡の」アヒル。

 それがなぜ格下の敵、足が速いだけのクロムウエルなどに撃破されたのか。

 

「なぜ、なぜこんなことに!」

 

 そう叫ぶ秋山のかたわらには、なぜか沈痛な面持ちの西住みほがいた。

 そしてたぶん、これだけでは終わらない。

 

『レオポンよりあんこう、後から敵です! 4両接近中』

 

 三原山の火口のなかよりも恐ろしい『地獄』が、これから始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 



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第13話 聖グロリアーナの選択

 

 

 

 

 アヒルさんチームに託したのは、大洗女子戦車道の今後を担うはずの期待の新戦力。

 44MTas重戦車……。

 搭乗するのは超旧式戦車「八九式中戦車」で全国大会を戦い抜いた「奇跡の」アヒル。

 それがなぜ格下の敵、足が速いだけのクロムウエルなどに撃破されたのか。

 

「なぜ、なぜこんなことに!」

 

 そう叫ぶ優花里のかたわらには、なぜか沈痛な面持ちの西住みほがいた。

 そしてたぶん、これだけでは終わらない。

 

『レオポンよりあんこう、後から敵です! 4両接近中』

「!!」

 

 無線に複数の打撃音が響き渡る。

 最後尾にいたレオポンが、さらに後から出現した敵に乱打されたのだ。

 砲塔のサイドドアを開けて、双眼鏡を持った優花里が砲塔天井によじ登り、部隊の後方に双眼鏡を向ける。最大倍率で。

 そこには優花里には理解できない光景が広がっていた。

 

『申しわけありません。やられました……』

 

 レオポンは加速装置まで使って超信地で後ろを向こうとしたが、間に合わなかった。

 側面に4発の砲弾を受け、沈黙している。

 

「な、何ですかあれ!」

 

 後から迫る聖グロリアーナの戦車隊。それは巡航戦車なのだろうが、クルセイダーやクロムウエルでもない。77mmHV砲装備の巡航戦車コメット2両と、そして……

 

「西住殿! 違反であります。

 あと2両はセンチュリオンMk.Ⅱですっ! 戦後戦車で……」

 

 みほはいきり立つ優花里を手で制すると、何事もなかったかのように指揮を再開する。

 頼みの強打者が2両とも討ち取られたのに、落ちつきはらって。

 

「全車、櫛形山に隠れながら全速で前方に進出。その後270度左旋回。

 側面を見せて出現するであろう敵を討ちます。前進!」

 

 

 

「……ふふっ。

 その場で向きを変えて、こちらの好餌になってくれないのはさすがね」

「ダージリン様、それはとても良くおわかりのはず」

「確かにね、ペコ。」

 でも彼女、大事なことをお忘れですわ。

 ──ルクリリ」

『はい』

「あなたは主のいない白石山に登って、チャンスがあれば自由に砲撃して」

『了解』

「コメット2両は今のルートを逆走。時計回りに内輪山をまわり、大洗女子と会敵。

 私たちはこのまま前進し、櫛形山を取ります」

「了解です」

『了解!』

 

 その場で転回は確かに悪手だが、みほならまだやりようがあるとダージリンは思う。

 それに今までの聖グロリアーナなら、たしかにここで兵力分散はやらないだろう。

 スピードが遅すぎて、各個撃破されかねない。

 

「浸透強襲の聖グロリアーナが金床戦法なんて、あなたも思わなかったでしょうね」

 

 

 

 大洗女子の残存7両が進行方向から120度向きを変えたとき、内輪山の陰から2両のコメットが姿を見せる。

 

「まさか、速すぎです! 西住殿!」

「聖グロリアーナが、分進合撃……」

 

 聖グロリアーナがスカウトとして採用したコメット巡航戦車は、センチュリオンが「中戦車」になったため、イギリスが最後にリリースした巡航戦車となったものだ。

 巡航戦車と言っても、主砲は17ポンドの砲身長を50口径にした上で薬莢を変更して発射薬を減らした77mmHV砲という名の76.2mm砲で、装甲も車体前面で75mmある。

 偵察部隊と言っても、一世代前の主力戦車を軽く凌駕し、重装甲のチャーチル相手でも決して撃ち負けると言うことはない。

 そして速力は、整地で約50km/hという高速戦車だ。

 

「西住さん、敵2両は正面1,200で停止したぞ」

「麻子さん、あんこうはここで一旦停止します。

 沙織さん、全車進撃中止と伝えてください」

 

 すでにみほが命じた行動計画では、そのまま2両のコメットに横腹をさらすことになる。

 しかしぐずぐずしているわけにはいかない。考えられるのはセンチュリオン2両が後方になった櫛形山を占領して、挟撃戦を仕掛けてくること。

 戦力からいえば圧倒されている上に、すでに先手を取られたしまった。さらに凶報が続く。

 

『レームダック、西です。すいません、やられました!」

 

 ルクリリのクロムウエルが白石山に登り、Tas重戦車を影にして八九式を狙撃したのだ。

 

「まずい……」

 

 こうなったら悪手なのは承知で兵力を分散し、自分が指揮して櫛形山を先に押さえるしかない。

 みほは命じる。

 

「カバさんとカモさんは、盾になりながらコメットと交戦。ウサギさんとアリクイさんはその影から敵を狙い撃って!」

『アリクイ被弾! 撃破されました。すみません……」

 

 アリクイも日本戦車、75mm野砲を無理矢理積むために大型化した目立つ砲塔の前面装甲は50mmしかない。

 

(1,200から当ててくるとは、聖グロはさすがとしか言いようがない。いままでは武器が貧弱だっただけ……。だけど)

「カメさん、ついてきてください。櫛形山をダージリンさんより先に取ります」

『西住ちゃん、わかった。……でも、きびしいね」

 

 

 

 

 

 作戦は成功しつつある。怖いぐらい順調に。

 しかし相手はあの西住みほ、油断をすれば負けるのは自分たち。

 そうダージリンは自分に言い聞かせる。西住みほはそれほどの強敵なのだ。

 

「コメット隊は距離1,200で敵本隊と交戦開始しました。いまは櫛形山の影で見えませんが」

 

 元・ダージリンが率いるセンチュリオン隊も、いま櫛形山の反対側の麓にたどり着いたところだ。あとはこの山を占拠すれば勝負が決まる。

 

『ルクリリです。Ⅳ号とヘッツァーもどきが反対側から山を登りつつあり。

 角度が悪く、撃破できる可能性は五分五分です」

 

 ルクリリから見るとあんこうとカメは「飯時の角度」に入ってしまっている。

 しかし放置しておけば、山頂で鉢合わせしかねない。

 

「ルクリリ、牽制射撃をしてください。

 榴弾で彼女たちの前方1mを撃ち続けなさい」

『了解しました』

 

 

 

 

 

 ルクリリのクロムウエルが、射撃を再開した。

 あんこうとカメは前方視界を榴弾の巻き上げる火山灰でさえぎられ、身動きがとれない。

 

『カバよりあんこう。この距離では命中が期待できない。前進してよろしいか』

「だめです。敵の射撃精度が上がってそちらがもちません。

 むしろゆっくり櫛形山のふもとまで後退してください。山を取ればあるいは……」

 

 あるいは、……全滅までの時間を延ばし、戦果も出せるかもしれない。

 さすがにみほも「腕と戦術」でも負けたことを認めざるを得なかった。

 元・ダージリンはみほにとってやはり「天敵」だった。

 

 そして、みほは作戦を達成することができなかった。

 

「西住殿! クロムウエルの射撃が止まりました」

 

 みほはキューポラのペリスコープから前を見る。

 徐々に砂煙が消え、何かが見えたと思った瞬間、目に強い閃光を感じた……

 華は狙いも定まらない中、とっさに射撃。

 同時に、今までで最大の衝撃が、Ⅳ号を襲った。

 

 ……元・ダージリンたちが先に山頂にたどり着き、あんこうとカメは17ポンドをもろに食らったのだった。

 

 

 

 結局、みほの作戦は失敗した。

 敵の展開速度が速い上、これまでと射程がちがうので短距離の移動で戦闘態勢に入られてしまう。そしてパンターの70口径75mmと同等の高精度長距離砲で精密十字砲火をくらった大洗女子の二線級は、ろくに応戦することもできず壊滅した。

 あんこうだけはダージリンのA41Aに一発食らわせてやったが、撃破に至らなかった。

 華の撃った砲弾は、砲塔前面の120mm装甲にはじかれてしまった……。

 

 

 

 

 

 

「西住殿! 抗議しましょう。

 いくらセンチュリオンでもMk.Ⅱなんて……」

 

 いきりたつ優花里に、みほはタブレットを示した。

 

「島田愛里寿さんが大洗動乱でA41仕様のプロトタイプセンチュリオンを使ったことで、西住宗家が疑義を唱えたの。そこでその周辺時期に計画された戦車すべてが再精査された結果がこれなの」

 

 その連盟サイトの使用戦車関係トピックには、従前では違反と思われていたセンチュリオンMk.Ⅱが「設計完了、試作着手」に該当するとして、Mk.3化改修後のものも元の仕様に再改修されればよいこととされ、同じくMk.ⅠもA41仕様にダウングレードしたものを規則適合とする旨が書かれていた。つまり西住家の『物言い』は、やぶ蛇となったのだ。

 ドイツのアニマルシリーズの優位性を確立するのが、しほの狙いだったのだろうが……。

 他にも、動力系以外の仕様をM26同様にダウングレードしたM46も認められることになり、純正M26にもM46のクロスドライブおよび810馬力エンジンの搭載が認められた。

 これらはM26の支援型であるM45戦車にむけて開発されたものだったからだ。

 さらに旧ソ連戦車第一世代MBTのT-54に、規則適合の先行量産型が存在することまで発覚し、これで英、米、旧ソ陣営にも戦後第一世代レベルの戦車を使う道が開かれた。

 連盟理事長はこれを要請を受けた形にして、世界大会委員会にも上程し、裁可されている。

 要は、彼にとっても西住家だけが強くなることは望ましいことではないのだ。

 

「でも、それではウチのような貧乏校がいくら腕と戦術を磨いても、勝ちようがなくなってしまうではないですか!

 ──いや、まだあれが残っている!」

 

 そう叫ぶなり、優花里はTasに向かって走り出した。

 

 

 

「見てください、西住殿。

 砲塔と車体の合わせ目に競技弾が刺さっています。アンラッキーヒットです。

 こんなことは狙ってできることではありません。Tasを戦力化できれば、強豪とも戦えます。

 戦車道を私立巨大校だけのものにしてはなりません!

 戦いましょう、西住殿。腕と戦術で!」

 

 優花里は必死にみほをたきつけるものの、当のみほはしばらく無言のままだった。

 別に悔しがっているわけでもなく、当惑しているわけでもなく、疲れているようにも見えず、さりとて考え込んでいるようでもない。

 角谷は、急に5歳は年を取ったような顔をしており、華は華で、次に生ける花のことでも考えているみたいだ。

 

「西住殿!」

「……優花里さん。今度は私がその戦車と戦いましょう。

 そのあとに、いまこの国を舞台に何が起こっているか話します。

 予算のことも戦車道のことも、その後にしたい」

 

 目を見開いたみほは、優花里がいままでに見たことがないほど、真剣なまなざしをしていた。

 戦車道をやっていく過程で相当引っ込み思案を克服した優花里だったが、今日は全国大会以前に戻ったかのように、みほの目力の前に引き下がってしまった。

 

 

 

 翌日、大洗女子学園艦は水戸港大洗港区を目指し、東京湾沖を出帆した。

 聖グロリアーナ艦が取り舵を取って浦賀水道に向かわず、大洗艦のあとを付いてくる。

 こうなるとさすがに優花里にも、これらの事態が連動していることに気がついた。

 もしかしたら自分は、誰かに担がれているのではないかという疑念が湧いてきた。

 だが、補助金とTasを返してしまって、どうなるというのか。

 対外試合もできず、いずれ終焉する大洗女子戦車道。

 そんな結末が待っているだけだ。

 

「もう、どうすればいいのかわからない!」

 

 優花里は、誰もいない海に向かって大声で叫び、そしてすすり泣いた。

 

『奇跡にお金は出せない。奇跡はお金では買えない』

 

 連盟係員のセリフがまた蘇る。

 自分たちの勝利は「まぐれ」ですらなく「奇跡」だというのか。

 西住家元は「戦車道にまぐれなし。あるのは実力のみ」と断言した。

 ならば強大な敵には「奇跡」がなければ勝てないと言うのか。

 優花里は、そんなことは決して認めたくなかった……

 だからダージリンは、こんな時期にこんな非公開の交流戦などやったのではないか。

 聖グロリアーナの「変革」、強力なOG会を説き伏せての戦車入れ替え。

 それは別に大洗の優勝がもたらしたものではない。

 戦車のラインナップで黒森峰に大差をつけられたからだ。

 戦車道強豪校では、そんなこともまかり通るのだ。

 もちろん彼女たちばかりではないだろう。試合に出場できる台数が決まっている以上、戦車の質が「物量」だ。ならばサンダースもプラウダも戦車の更新をするだろう。

「四強皆弱」にしなければ「一強皆弱」という事態になって、のこり三校は戦車道を続ける意義を失う。幸いなことに「1945年8月15日」という天井はある。軍拡競争にはならないだろう。

 四強とそれ以外の差が超えられないものになるだけだ。

 まして、超弱小の大洗が認められるためには、やはりTasをものにするしかない。

 こうして、優花里はどんどん、思考の袋小路にはまっていく。

 だから少し離れたところから、安斎と西が彼女を見ていることさえ気がつかなかった。

 

「ありゃもう、ソースが煮詰まりすぎて全部焦げてしまったねえ。パスタを入れる前に」

「おこげの塩おにぎりなら、美味しいんですけどね」

 

 

 

 ちょうど優花里が大洗艦のキャットウォーク公園で焦げていたころ、ひとり「74」にてアイスを食べていたでみほに電話がかかってきた。

 スマホの画面に表示されている相手は、姉のまほだった。

 

「お姉ちゃん?」

『みほ、あいつに頼んだ交流戦だが、援護射撃にはなったか?』

「ああ、そうだったのね……。

 ……うん、ダージリンさんはきちんとやってくれた。

 でも、優花里さんには何が問題なのか、まだわかってないみたい」

『別にベテラン選手でなくとも、マニアならいいかげん気がつきそうなものだが』

「うーん。史実ではレアケースに近いもんね。

 優花里さんも冷静なら、訳ありの上にひも付きだって気がつくんだろうけど」

『大洗戦車道を救いたいから、ワラであっても丸太と信じたいわけだな』

「そう、それ」

 

 そこまで話して、みほは姉の電話から車の走行音がするのに気がついた。

 道路の脇で話してるんだろうか?

 

「ねえ、お姉ちゃん。

 どこから電話かけてるの?」

『大洗から南にちょっとさがった筑波山のフルーツライン』

 

 フルーツラインはパープルラインとならんで、筑波山系の有名な峠道だ。

 でもなんでまほが、と思ったみほだったが、黒森峰の卒業式はとっくに終わっていることを思い出す。あとは4月の入学式までにドイツに戻っていればいいだけだ。

 

「じゃあⅡ号Fで名だたる峠を走りまわっているのね?」

『ああ、お察しだろ。タイヤは結局すべっているわけだし、履帯みたいに路面に貼りついているわけではないのが気持ち悪くてな』

 

 Ⅱ号F型はいわずと知れたドイツの間に合わせ軽戦車だが、この姉妹にとっては幼少時から三輪車やチャリの代わりに乗っていたという「愛車」である。

 黒森峰はⅢ号の代わりの偵察車としてL型ルクス(山猫)を導入したが、自家用F型はそれ以前にエンジンをルクスと同じものに換え、ステアリングをソミュアS35中戦車のコントロールドディファレンシャルに変更しているため、公道でも普通に交通の流れに乗って走るぶんには邪魔者扱いされない程度の機動性がある。

 その上、まほの趣味でピストン、コンロッド、クランクシャフト、バルブなどを不具合が出ない程度に削り、お決まりのポート研磨とキャブの交換もした。シリンダーとヘッドを平滑に削るついでにガスケットを薄くし、イグニッションコイルとプラグは現代物だ。 振動はひどくなったが立ち上がり加速がよいので、ときどき峠道や林道で遊んでいる。

 この非力な戦車が団体戦部門に出場することはなく、戦車のバイアスロンである「タンクパトロール」競技に出ることがあるくらいだが、この競技が強いのは継続と知波単だ。

 プラウダはBT戦車を廃棄したころにはやめている。

 

 そんなこんなでⅡ号Fは、今日までまほの足になっていた。

 もしかしたらドイツにも持って行くかも知れない。本国はあちらであるし。

 

「お姉ちゃん、競技弾は持ってきた?」

『弾倉3個、60発だな。榴弾はない』

「じゃあ、頼みがあるんだけど。いいかな」

 

 Ⅱ号F型の武装は20mm対空機関砲を切り詰めたkwk30機関砲とMG34機銃だ。

 戦える相手は、せいぜい自分と同じ紙装甲戦車どまりだ。

 

 

 

 

 

 



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第14話 ショットトラップ

 

 

 

 翌日の朝、大洗港区に二隻の学園艦が到着する。

 埠頭には、小さなⅡ号F型が乗船用スロープの前で待っていた。

 接岸作業が終わると、Ⅱ号は他のトラックなどと一緒に、大洗艦に乗り込んでいく。

 トラックやタンクローリーなどは中甲板に入っていくが、Ⅱ号だけはリフトに乗って最上甲板まで上がる。市街地に出たⅡ号は大洗女子の校舎ではなく、右舷前方のアイランド(船橋構造物)に向かっていった。

 

「ん?」

 

 Ⅱ号のドライバーズシートにすわる西住まほは、どう見てもここにありそうもない戦車が2両、アイランドの前に停車しているのを見つける。

 何がどうなっているのかわからない、プロトタイプセンチュリオンA41ベースらしい戦車と、今まで戦後車両と頭から思われていたセンチュリオンMk.Ⅱ(Mk.3化されていないもの)と同仕様と思われる戦車だった。どちらも誰のものか、まほにはすぐ察しがついた。

 

「頭が痛い……」

 

 

 

 

 

「やあ、西住ちゃんのお姉ちゃん。お久しぶり、というか初めまして」

「初めまして。そして、さようなら」

 

 まほはそこに居並ぶ面子を見て、回れ右をして帰りたくなった。というか本当に帰ろうとした。

 いまやどのような意味でも宿敵になってしまった角谷杏。

 そして以前からの宿敵のうえ、今度はドイツとイギリスにそれぞれ留学するので、もはや倶に天を戴くことなど断じてなくなった元・ダージリン。

 さらにガキンチョのくせして上級生にして、先祖伝来の宿敵、島田家継嗣。

 そして白いソアラに乗っているのにいっこうに事故で死ぬ気配もなく、失敗兵器ポルシェティーガーで黒森峰の集中砲火を耐え抜いて自分の初黒星の原因を作ってくれた、死神すら寄せ付けない新たな宿敵、ナカジマ。

 だいたい「西住ちゃんのお姉ちゃん」って何なんだろうか。

 まほは「私はみほの付録か?」と思った。

 そんな扱いをされたまほはもう何もかも投げ出してここを飛びだし、筑波サーキットでⅡ号F型を走らせて履帯で路面ガチャガチャにしてやりたくなった。

 しかし彼女の前に、実の妹にして最大最強最悪の宿敵、西住みほが薄ら笑いを浮かべつつ立ちはだかった。内側に開くドアにもたれかかって。

 

「お姉ちゃ~ん。私にあんなことしておいて、黙って帰れるとでも?」

(※あんなこと:ルクレールとか、マウスとか、Ⅳ号大砲とか、さっさと一人でドイツに逃げたこととか。アイスキャンデーの「あたり」を譲ってくれたことなどとっくに忘れている)

 

 そして後からは四人が半包囲しながら近寄ってくる。ああ父上、先立つ不孝をお許しください。お母様はどうでもいいけど。と親不孝なことを考えたまほ。

 

 

 

「まほさん。あなたもおわかりなんでしょう?

 高校戦車道がどうしてこんな無粋なものに成り果てたのか」

「優花里さんがなんであそこまで追いつめられたのか」

「戦車音痴の辻が作ったカール『自動』臼砲なんて真っ黒なものがまかりとおったのも」

「うんうん、あなたがマウスなんてろくでもないもの持ち込んだのが始まりだよね」

「だーっ! なんでも私の仕業か?」

「そのとおりですわ」

「だから、責任とって(取らないのなら島田流ドイツ支部に嫌がらせさせるわ)」

「そーそー、この大洗女子を次の大会で血まみれピエロにしたい人たちの陰謀を潰すのに、協力をお願いしたいの。わかる? 西住ちゃんのお姉ちゃん」

「さもないと、ソアラの助手席にご招待しなきゃいけなくなるのよね。

 自動車部以外が乗るとあいつ、変な挙動するのよ」

「だからお姉ちゃん、最後までつきあってもらうよ」

 

 まほは、レオポンが受けた以上の言葉の集中砲火にさらされた。

 これはきっと実の妹の策に違いない。とまほは思うが、大当たりだ。

 

「……みほ、いつのまにかずいぶんたくましくなったな」

 

 まほのまわりの五人が五人とも、そっくりな黒い笑いを浮かべている。

 昨年四月の大洗女子では、会長室にいたひとりしかしなかった笑いである。

 

 

 

 

 

 まほに皆で因果を含めたあと、みほはひとりで戦車倉庫に向かった。

 優花里はずっとそこにこもったままだ。

 みほがまほに言ったとおり、完全に優花里は追いつめられ切っていた。

 

「優花里さん……」

「西住殿、この戦車にしか大洗女子戦車道の活路はないんです!

 大島の試合で倒されたのは、それこそまぐれです」

 

 戦車倉庫の中で途方に暮れていた優花里だったが、みほに呼びかけられると、ほとんど血走った目を向けて叫ぶ。だけどみほには、みほの考えがある。変わってしまったものを元に戻すこともできないし、また次の全国大会で、四強が舐めプレイをするわけがない。

 どの学校も全力で大洗女子を潰しにかかるだろう。そうすれば去年の優勝は奇跡に過ぎなかったことが明らかになる。それを一番望んでいるのが誰か、みほにもわかっている。

 

「優花里さん、放課後にアヒルさんたちと一緒にこの戦車に乗って、装填手をやってください。

 この戦車が使えるのかどうかはっきりさせましょう」

「……何を、するのでありますか?」

「私が、別な戦車に乗って戦います。それですべてが明らかになる。

 場所は艦内演習場。すきなところに陣取りしてください。

 ……では、待っています」

 

 みほは優花里に背を向け歩き去る。戦車倉庫の中で一度だけ振り向くが、何かを振り切るようにまた背を向ける。

 優花里を妄執から解き放たなければ、大洗女子自体が内紛の中で瓦解する。

 それが、いままで皆と話し合ったなかで出てきた結論だった。

 ならば……

 

 

 

 

 

 

「Tasは、正面装甲と主砲の射程及び精度が命の戦車であります。磯辺殿」

「だから、見晴らしのいい山に陣取るのはわかるが、隊長は何に乗ってくるんだ?」

 

 優花里とアヒルの車長、「キャプテン」磯部典子はTasの砲塔の二つのハッチから顔を出し、双眼鏡で周囲360度を警戒している。

 一方……

 

「みほさん。この主砲で倒せる相手って、至近距離の軽戦車止まりでは?」

「華さん、打ち合わせどおりにすれば必ず勝てます。100mまで近寄ることができれば」

「でも、その前に討ち取られてしまうのでは?」

「ふっ、軽戦車には軽戦車の戦いかたがある。

 それをいまからお前たちに見せてやろう」

「お姉ちゃ~ん。マウス。マウスマウス!」

「総統閣下なら今ごろ自重自重自重! とか言われているところです」

「うっ……」

「でも、そんなことであのレオポンさんより重装甲のあれが……」

「華さん。それなんだけど……」

「――あの戦車が何かわからなくとも、達人ならすぐに弱点に気がつく。

 ルクリリに『三度目の正直』があったことの方が驚きだ。

 みほ、ハッチから顔を出せ。奴が撃ってきそうならすぐに言え。

 五十鈴、あんたは歯を食いしばっていろ。飛ばすぞ」

 

 林の中からフルスロットルでぶっ飛んできたⅡ号Fは、スキーのモーグルのようにこぶを避けながら約50km/hで突っ走る。

 

「Tasの後に出たよ。だけどまだ1,200mある。

 相手は信地旋回でこちらを指向しつつあり。

 優花里さんが車内に入って、いま止まった」

 

 まほは左のレバーを思い切り引く。コントロールドディファレンシャルだから信地旋回にならないものの、まるで四輪のようにスパッと回る。違うのは「内輪差」がないことだ。

 Tasから放たれた競技弾が予想進路上に着弾する。弾を避けたⅡ号はそのまましばらく直進。

 

「ふん、やるじゃないか。だが今度はアヒルどもが軽戦車の動きを追う番だ。

 五十鈴、100切ったらいつでも行進間で撃て。貴様が私に一発くれたときのようにな」

「あのときは有効になりませんでした。装甲の溶接部分に当たりましたから。

 ですから今度は5秒ください。20発とも当てて見せます」

「いい返事だ。なんとかしてやる」

「砲塔がこっちを指向!」

 

 ふたたびまほは、今度は右のレバーを緩く引いて直進する、と見せかけてさらに引く。

 Ⅱ号は複合コーナリングのような動きで2射目を避ける。

 こんな動きはクラッチ&ブレーキ操向装置では、冷泉麻子しかできない。

 

「ねえ忍、黒森峰の元隊長ってたいしたことないんじゃない? ドリフトしてないじゃん」

「ちがう。たぶんあれが戦車のグリップ走法なんだと思う。

 テールスライドをおさえて駆動力のロスを防いでるんだ」

「砲塔だけじゃ追い切れない!」

「河西! 車体を常に奴に向けろ。秋山、補助ハンドル回せえ!」

「磯辺殿、陣地転換した方が良いですっ!」

「だめだ。こいつの貧弱な走りじゃスキができるだけだ」

 

 西住家Ⅱ号はブレーキと操向レバーを1本で兼ねているから「スローイン・ファーストアウト」を心がけなくても戦車の方でやってくれる。

 タイトな峠道の下りなら1.6リッターのFF車について行けるまほが、日光いろは坂を登るようなライン取りで徐々にTasとの距離を詰めていく。

 

「パワースライドで一気に詰めるぞ。みほ、100切ったら教えろ」

 

 Ⅱ号はいままでの「グリップ走法」をやめ、急ブレーキ急リリース、アクセルベタ踏みで強引に向きかえと同時にダッシュをかける。ドリフトでもスピンターンでもない動き。

 オーバーもアンダーも出していないのは同じだが、コーナー脱出速度が上がる。

 

「120、110、100! 今!」

 

 みほが叫ぶのと同時にまほが右レバーをいっぱいに引き、アクセルをコンマ数秒かけてリリース、同時にクラッチを切った。

 Ⅱ号はクルマで言うブレーキターンで90度向きを変えてピタリと静止する。

 20mm機関砲の軸線上に、Tasの正面がある。

 

「五十鈴、撃てっ!」

「はいっ!」

 

 20発の20mm、PzGr.40想定の競技弾が、すべてTasの砲塔防循に吸い込まれていく。

 

「早まったでありますな! 止まったのが命取り」

 

 優花里は勝利を確信した。20mm弾はことごとく砲塔防循、厚さ120mmの巨大カマボコに命中する。そんなものでは抜けはしない……

 はずだった。

 

 

 

「?」

「何が起きたの?」

「発射ペダルが……」

「エンジン、止まりました」

「まさか!」

 

 優花里はローダーズハッチから飛びだした。

 判定装置からはまたも白旗が伸びている。

 まさかまた砲塔と車体の継ぎ目を撃たれたのかと思い、優花里は防循下をのぞき込む。

 

「――! どういうこと……」

 

 継ぎ目には1発も当たっていなかった。

 しかし防循の下、乗員ハッチのある車体上面装甲に、20発中17発が貼りついていた。

 上面装甲の厚さはわずか20mm……

 

「なぜ! いったいなぜなのですかああぁぁぁあ!」

 

 優花里の絶叫が、Ⅱ号に乗っているみほたちにまで聞こえてきた。

 

 

 

 

 

「君は、『ショットトラップ』という言葉は知っているか?」

 

 戦車道の座学で使用する教室、定員割れで空き教室になっていたそこで、今日の関係者と安斎と西が集まって、ミーティングしていた。

 いま話しているのは、西住まほだ。

 

「たとえば『かまぼこ型の防楯』には、確かにメリットもある。

 曲面装甲だから避弾経始に優れる。砲耳を砲塔前面より前に持って行けるので、砲尾も前進し、後ろのスペースが広くなる。だが……」

 

 まほは黒板にチョークで簡単な砲塔断面図を描き始めた。

 

「上半分に当たったならいい、貫徹できない砲弾は空に飛んでいくだけだからな。

 問題は中心線より下に当たったときだ。全部下に跳ね返る。

 そしてそこにはたいてい、車体の天井や乗員用ハッチがある。薄いのがな。

 パンターがデカい防楯の上にそういうレイアウトだったから、そういうアンラッキーヒットが良く出てしまった。正面を抜くなどとうていできない弱い弾で撃破されてしまう」

「まほせんせー、じゃあ黒森はそんなのをなんで「6両も追加で」買ったんですかぁ~」

 

 ニヤニヤ笑いながら質問したのは安斎千代美。まほは鼻で「ふん」と笑う。

 

「あまりにもショットトラップ被害が馬鹿にならないから、パンターはG型後期型から対策をほどこした防楯を装備した。下半分に四角い『アゴ』を生やしたものだ。

 G型まで放置されていたのは、変速機やダブルトーションバーなどというデカい不具合対処に時間をとられていたからだ。

 なお戦車道ルール3-01項によりこの防楯は『搭載される予定だった部材』であるから、パンターD、A型でもつけて構わない。

 黒森峰でもヨーグルトさんのD型に一つ進呈した」

「では、砲塔正面が半球型が多い旧ソ連戦車は?」

 

 お堅く聞いてきたのは、西絹代だった。

 勝つことより突撃することがレゾンデートルと化していた知波単だったが、「福田の覚醒」によって突撃するのは頭を使ってからに変貌したので、露助戦車にチハでも勝てるかもしれないネタなら聞きのがせない。

 

「残念ながら、KV-1か-2でもない限り、前面傾斜装甲にオーバーハングしているようなものなので、運良く砲塔継ぎ目に飛んでいった場合以外、前面装甲に当たって終わりだ。

 コの字に跳ね返される」

「マウスは?」

 

 しれっとした顔で無表情に聞いてきたのは、食わせ物の島田愛里寿。

 わざわざ説明させようというのだ。

 

「あの総統閣下でさえ気がついたのだから、一応車体に『跳弾板』をつけている」

「でなきゃ西住ちゃんが、総員死に方用意の上で万歳突撃なんて命じるわけないでしょ。

 で、肝心要のTasちゃんはどうなの?」

 

 もう聞かずともわかっていることだ。

 だが優花里は、まだ対処法があるかもと期待する。

 

「……手っ取り早いのは砲塔をパンターG後期型のに取り替えることだ。

 だが正直、費用と時間がどれだけ必要かわからない。

 Tasは試作中に製造会社ごと木っ端微塵にされたらしいな。

 それでは防循自体に大問題が潜んでいるなどわかった者などいなかったろう。

 だからあの砲塔をそのままにしても、改良されていない以上対処法はない。

 そしてあの防循を見ただけで、手練れの選手なら正面を撃ちまくればいいと見抜いてしまう。

 あの戦車を出したところで、相手にスコアを献上するだけだ」

 

 

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 つまり、二度も騙されたルクリリにさえ、それがわかってしまったと言うことなのだ。

 四強の選手なら誰でも、それこそローズヒップだろうがアリサだろうが真っ先に狙ってくるだろう。ベテランとはそういうものだ。

 

 

 

 

 




 
※ 上記掲載のTas正面図、側面図略図はモックアップ第1案に準拠しています。
 第2案は大型化した砲塔に、さらに巨大なかまぼこがついています。
 現在までにTasの模型は、1/35×1、1/72×2、1/76×1が発売されましたが、いずれも第1案に防楯だけ第2案となっています。理由はわかりません。
 
 
 


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第15話 未成戦車のコンバット・プルーフ

 

 

 

「ふーん。でも秋山にハンガリー戦車を買わないかと言ってきた営業は、他のも勧めていったらしいけど」

 

 ナカジマは「戦車もクルマ」と考えている。だからレオポンも動力性能を上げることだけ考えて、走りのチューニングをしてきた。攻と防はすでに十分と思っている。

 

「さてそれだ。

 ハンガリーの戦車道では、自国戦車だけの戦車道チームはないそうだな。安斎」

 

 まほが話を振った安斎千代美は、アンツィオチームを強化するためイタリアに出向いて戦車を買い付けしてくるほど、ヨーロッパになれている。

 もちろん中小国の事情にも詳しい。

 

「ふーっ。まずさ、Tas以前には『純国産』戦車ってハンガリーにはないんだよ。

 Toldiはスウェーデンのランツヴェルク社L-60Bのライセンス、そしてTuránの設計はシェコダだよ。これもライセンスだ。

 ハンガリーは本当はⅢ号の方をライセンスしたがっていたが、ドイツが認めなかった。

 ドイツの品質管理に合格できる工業力はハンガリーにはなかった。

 だからドイツはシェコダのLT35後継計画戦車の方をハンガリーに勧めた。

 知ってたんだろ? 秋山」

「……はい」

「いまでもハンガリーの現地では、そこらを掘ればToldiやTuránぐらい出てくるだろう。

 でも、向こうではⅢ号Ⅳ号やT-34が主流。理由は日本と同じ。

 よほど愛国主義の連中でもない限り、そう、そこの西の知波単だけが日本戦車を使うのと同じく、ハンガリー戦車を使う奴はいない。自国設計じゃないから日本よりさらに少ない。

 だから日本にもハンガリーの提携校はない。

 国際的評価もハンガリー戦車は『欧州のチハ』だよ」

「いちいち我が校を引き合いに出さないでください」

 

 少々西はむくれている。わざわざ紙装甲戦車を使う物好き扱いされたからだ。

 でもそれをアンツィオの安斎に言われる筋合いはない。

 

「悪気はないよ。

 ハンガリーが戦車を作っていたことが知られていないのは理由があると言いたいだけさ。

 イタリアと日本は自国設計自国生産だったから、末期にはなんとかⅣ号相当の戦車を試作するまでになっていた。

 だがハンガリーは自国設計の経験が全くないのに、いきなりゼロからティーガー相当の戦車を作ろうとした。できると思うか?

 ときにハンガリー人は宇宙人ではないかと言われるぐらい、優秀な人物を輩出する。

 フォン・ノイマンとか、ピュリツアーとか、ルービックとか、キャパとかチッチョリーナとか。

 でも自国にいても展望がないから外国に流出する。

 DD戦車を作ったシュトラウスラーも、ハンガリーにいたころ全部自分で戦車を設計したけど、ハンガリーの工業力にあわせてのものだったからてんでものにならなかった。

 結局、彼はイギリスに移住して各種水陸両用戦車を作ることになる」

「でも、末期で言うならⅣ号F2相当のTuránⅢができています」

 

 優花里は該博だ、だが彼女がくわしいのはいってしまえば「戦車史」だ。

 歴戦の戦車道選手のような、「戦闘機械」としての使い勝手という見方はしないし、ナカジマのような「コンペティションマシン」という見方も出来ない。勝ち負けにかかわらず、すべてのレーシングマシンが好きだというようなコレクター気質なのだ。

 

「できていたかもしれない。だろうと私は思っている。

 敗戦寸前ですべてががれきと化し、そのあとソ連が『革命』をした国だ。

 何でも最大装甲厚90mmだそうだ。それが23トンでできるか?

 シャーマンだって30トン超え、T-34初期でも26トンある。

 いいところ防循の一部だけで、あとはそれなりだろう。

 そもそも実物がまったくみつからないんだから、本当のところは全くわからない。

 私はTurán系列の前面装甲は50mm、TuránⅠは日本の一式チヘ、TuránⅢはその急造ぶりも合わせて三式チヌ相当と思っている」

 

 知っている戦車の性能で言えば、優花里よりも勝負の場に身を置き続けてきた安斎の方がよく理解している。かたや趣味の世界、かたや実戦を戦う兵士だ。

 

「Tasも同じだ。下北タンクディストリビューションとかが買い付けたTasというのは、おそらく現在も生き延びているガンズ社が設計図面を『解釈』したのかもしれない。

 ドイツ戦車と装甲厚の比率が同じになるように。

 だが仮に防循だけ120mmにしたとしても、あのデカい車体で38トンに収めるというなら、装甲はおそらくシャーマン無印未満だろうね。

 あの戦車は当初ソ連のV-2ディーゼルをリバースエンジニアリングしたものを積むという、初めから無理な計画だった。ドイツがHL230エンジンのライセンス契約を拒否したこともある。

 それにガンズ社はもう戦車復刻から手を引いている。部品も入らないよ」

 

 すべてに関わった優花里には、これでようやく相手の考えが理解できた。

 最初に身元を隠した人間が、身元をわからなくした資金を渡す。

 それでは戦車は買えないが、ちょうどいいタイミングで「訳あり品」をもって呼びもしていないセールスマンがやってくる。

 喜んで次回の全国大会にエントリーしてきた大洗を、汚名を雪ぐためのいけにえにするべく誰かが待ち構えている……。一度ぶちのめしてしまえば、あとは大洗女子には用はない。

 消えるなりなんなりすればいい。みほとともに……

 優花里はいいように踊らされてきたのだ。

 それはまだいい。相手は完全にみほの破滅を願っている。許せない!

 優花里は怒りで震えている。怒りをとおりこして、悔し涙がほほを伝う。

 

「優花里さん、どうしたの?」

「――西住殿、皆さん、聞いて欲しいことがあります!」

 

 

 

 優花里はいままで隠していたことまで泣きながら明かした。そして最後は号泣した。

 みほと華がなだめている。アヒルさんチームはなんともいいようのない表情をした。

 まほ、安斎、西の三人は顔を見あわせ嘆息している。ダージリンは珍しく黙っている。

 

「で、これからどうするの?」

 

 こういうときに話を先に進めることができるのは、角谷だ。

 むろんもう引退の身だから、差し出口はたたかない。

 

「もちろん、補助金なんか受け取らず、すべてを白紙に返すという方法もあります」

 

 口に出してはそういうが、みほはもちろん不服だらけだ。

 

「でも、これには政局がまたからんでる。

 下北タンクディストリビューションって、親会社の大間崎ホールディングともども『政商』っていうべき連中なの。だいたい『男』が戦車を商っている段階で真っ黒けでしょ?」

 

 愛里寿の口調が実年齢ではなく、精神年齢相応のものに変わる。

 

「例のカール『自動』臼砲って、辻と連中が結託して作ったものなの。

 リバースエンジニアリングや逆コンパイルどころか、中身は別物なのよ。

 本物は車体の外に砲兵が18人いてやっと撃つことができる。

 でもあれはフルオートで弾庫から砲弾を取り出し、自動ラマーが薬包を添えて装填するという、いつの時代のテクノロジーって代物。

 連盟だって本来は認めるわけがない。でも理事長は認めた。

 ――だってあれ、制作費は全部島田家の持出しだから。認めるしかないでしょ。

 お母様は弱り目に祟り目の西住流を潰す機会をうかがっていた。

 そこに辻が介入しようとしたの。大洗動乱の1ヶ月前に。

 西住みほと大学選抜隊の試合をセッティングして、もし可能なら姉の方も潰すから、そのための道具を用意するための資金をよこせって」

「ふん、やせているくせにやっぱりタヌキか。私に押されているように見せて、自分が望む方向に事態を持って行ったと」

 

 そういう割に角谷は悔しそうではない。実際、辻にとって邪魔な人間をすべてまとめて叩き潰すのなら、一番いいやり口だ。ひとつ勉強になったとだけ思っている。

 誤算があるとしたら、みほの側についた者が多すぎたことと、理事長が彼以上のタヌキで気が長い人間だったこと。現に戦車道連盟のサイトは辻の非を鳴らし、戦車道業界紙では辻が官製談合などの汚職に手を染めていると『思わせる』記事が載っていた。

 ふふふ、タヌキばかりだ。おじさんたちもそうだが、この島田親子も、元ダージリンもねぇ。

 そう思いながら角谷はまほの身を案じている。あんな直線的な思考で、魑魅魍魎がうじゃうじゃする利権だらけの世界でうまくやっていけるのかと。

 いずれはメスダヌキ候補生の角谷が、この姉妹の後ろ盾をやることもあるというつもりで、これから政治を修行しなければならなそうだ。

 

「でも単に長射程の自走臼砲が必要なら、うちには一切ルールに違反しないのがあったのにね。

 そう言ってくれればお母様も無駄な出費はしなくてよかったのに。

 結局一番お金をスッたのは島田の家ってことね。

 唯一の戦利品のウルトラレアボコも、結局あなたにあげてしまった」

 

 普段の無表情ながら肩をすくめて愛里寿はみほを見る。

 みほは完全に怒った顔だ。愛里寿ではなく大人たちに。

 なるほど、ここにいる人間すべてで逆襲をかけて、せめて手足になった下北タンクディストリビューションぐらいには痛い目を見てもらうか。と表情に出さず考える愛里寿は、もうひとり気になる人物の顔を見る。

 いまでは『もとダージリン』というべき女生徒は、シンボルである髪型をほどいて、緩いウエーブのセミロングにしている。

 だいたいなぜ彼女がここにいるのだろう。おそらく愛里寿自身と同じだろう。

 乙女のたしなみという金看板の裏側で行われる低レベルの争いにうんざりしているに違いない。

 ならば、と愛里寿は考える。今だけは同盟者に加えてもいいだろう。未来はどうなるかわからないが、母も含めた家元連中のような子供じみた勢力争いはしたくない。

 やるならもっと自分の精神が高揚するような戦いにしたいものだ。

 そんなことを見かけだけは中学二年生の大学戦車道第一人者は考えている。そろそろ、中二病を発症する時期でもあるし、背伸びがしたいのだ。してもまったく無意味だが。

 そして元・ダージリンがお決まりのセリフをつぶやく。

 

「……こんな話をご存じ?」

 

 

 

 

 

 



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第16話 ハンガリー戦車哀史

 

「……こんな話をご存じ?」

 

 その場にいる皆が構える。この元が付くダージリンは、ことあるごとに格言名言にこと寄せして自分の考えを韜晦して語る奴なのだ。

 

 しかし、このとき彼女が語ったのは、本当に「話」だった。

 

 

 

 

 

 

 オーストリア=ハンガリー二重帝国は、第一次世界大戦に参戦するも、敗北を重ねる。

 ドイツ人とマジャール人の国家連合だったこの国は本来多民族国家であり、帝室のたがが外れるにつれて、チェコスロバキア、ユーゴスラビア、ルーマニア、そしてソ連邦に加入したウクライナ、さらにはハンガリー自身、そして消滅させられたポーランドが独立。

 こうして第一次世界大戦が終結するころには当のオーストリアもはるかに領土を縮小して共和国となり、ハプスブルグの末えいは消滅した。

 オーストリアは東欧唯一のドイツ人国家となった。そして貧しい国となった。ドイツ共和国との合邦も禁止されたからだ。

 一方で二重帝国の片方の頭として他民族に君臨していたマジャール人の方は、周囲の国々の恨みを買った。かつての領土を新たに独立した国に奪われただけではない。彼らは弱ったマジャール人から、さらなる領土をかすめようと虎視眈々と狙っていた。

 とくに二重帝国の重工業地帯が丸ごと独立したチェコスロバキアは、第一次世界大戦の落とし子である戦車を次々と生産し、東欧圏における陸軍強国となっていく。

 1918年に共和国となったハンガリーだったが、翌年共産党がクーデターで政権を掌握。

 第一次世界大戦は終結したが、ルーマニア人の住むトランシルバニアの奪還を目的として連合国側で参戦したルーマニアは、いまだ戦争を続けていた。相手はハンガリーだ。

 そしてハンガリーは、ルーマニア、チェコスロバキア、ポーランドの三国から攻められたあげく全土を占領されてしまった。ルーマニアはトランシルバニアを得て矛を収める。

 ハプスブルグ家の国王不在のまま二重帝国の海軍長官だったホルティが強引に摂政位について、ハンガリー王国が再度成立したのは1920年のことだった。(

 ハンガリー=ルーマニア戦争の反省から軍事力の強化をホルティは目論んで独裁を強化するが、このときのハンガリーには食品などの軽工業しかなく、ほぼ農業国だった。

 とくに重工業国であるチェコスロバキアには大きく水をあけられていた。なにしろチェコでは自前で最新兵器の「戦車」を生産していたのだから。

 ハンガリーが無理を承知で戦車の国産化に突き進んだのは、そういう事情からだった。

 

 しかし、完全国産にはどうしても至らなかった。

 輸入するにも国庫は貧しく、イタリアからタンケッテのCV33やCV35を買うのがやっとだった。

 当時はドイツでナチスが政権をすでに奪取しており、党首ヒトラーは大統領と首相を兼務する『フューラー(国家指導者)』となって一党独裁政治を布いていた。

 ゆえに右傾化が進んでいたハンガリーも、彼らに与することで自国の安全保障を得ようとする。

 輸入ではタンケッテがやっとのハンガリー陸軍は一足飛びに国産へ進みたかったが、技術がそもそもなかったため、他国戦車のライセンス契約から始めることにした。

 最初にスウェーデンのランスベルグ社からすでに旧式だったL60Bのライセンスを購入し、38M軽戦車Toldiとして少数生産していた。

 実はこのときハンガリーの周辺の脅威はなくなりつつあった。チェコスロバキアは重工業地帯のチェコをドイツに併合されており、チェコ製戦車がハンガリーに攻めてくることはもはやない。

 しかしハンガリーはドイツにⅢ号戦車のライセンス契約を打診。ドイツはそれを拒否するも、そのかわりチェコで設計だけできていたLT35後継戦車、T21の設計図を渡す。

 これはシェコダ社でハンガリー仕様に改設計され、ヴァイス・マンフレート社はこれを元に40M中戦車Turánを作るが、生産は遅々として進まなかった。

 その間にナチスドイツはルーマニアを脅して、係争地のトランシルバニア地方をハンガリーに割譲させた。

 ハンガリーはドイツに頭が上がらなくなった。

 1941年6月、ドイツは「共犯者」ソ連と手を切り、ソ連側旧ポーランド領に侵攻する。

 ドイツの衛星国と成り果てて、枢軸側に組み込まれた諸国もまた出兵を強要された。

 このときハンガリー陸軍はドイツの装甲師団を範とした「機動軍団」を持っていたが、装備する戦車は前面装甲わずか13mm、装甲車しか倒せない36/M20㎜戦車砲装備のToldiが200両ほどだけだった。

 

 200両あまりのToldiがブラウ作戦に加わり、ハンガリーから出撃する。

 この頃にはもうBTやT-28のような旧式弱体の戦車は姿を消し、ゴーリキやニジニ・タギルで量産されつつあった当時の最新鋭戦車、T-34が千両単位で待ち構えていた。

 この頃のドイツすら、T-34と一対一で戦える戦車を持っていなかった。

 スターリングラード目指して進撃するドイツ南方軍集団に加わったハンガリー第2軍。

 ヒトラーは例によって前線の将軍を勝手に罷免して自ら指揮をとり、ブラウ作戦をバクー油田とスターリングラードへの二方面作戦に変更、ソ連軍はこの混乱に乗じて戦略的後退を図る。枢軸軍は何もない草原をただ走って物資と燃料を消費する。

 ソ連軍はこの後退に当たっても焦土作戦を実行し、枢軸軍は徹底的に破壊された燃える油田を目の前にしながら燃料不足に陥る。

 バクー油田の占領もチモシェンコ軍の撃滅も失敗したヒトラーは、メンツにかけて敵元首の名を冠した人口60万の都市、スターリングラードの占領に固執する。

 スターリングラードに突入し、市街の90%を占領したドイツ第6軍だったが、両翼を伸ばして市街を取り囲んだソ連軍に包囲され、ハンガリー第2軍を含む他の部隊は、1,000両のT-34を先頭に押し立てて第6軍のうしろを守るルーマニア第3、第4軍を討とうとするジューコフの攻勢を正面から受けてほぼ壊滅した。

 このときハンガリー第2軍に所属した200両あまりのToldiは、ソ連軍が後退戦を演じていたときから撃ち減らされ続け、T-34の前に文字通り鎧袖一触の惨敗を喫し、ほぼ全滅してしまった。

 マンシュタイン将軍は撤退するドイツ軍のために、同盟国の輜重部隊をすべて取り上げてしまい、ハンガリー軍残余もロシアの厳しい冬のさなか、さらに消耗を重ねた。

 

 ハンガリーの戦車将校タールツァイ・エルヴィンが、ようやくのことで再編成された2個装甲師団のひとつ、第2装甲師団に配属されたのは1943年1月のことだった。

 彼の所属する連隊はTurán180両、Toldi86両を基幹とし、ウクライナ方面から来襲する猛将イワン・コーネフの率いるソ連軍と激突、ドイツ軍の撤退掩護をしつつ戦線を一度は押し戻すも、返す刀で保有戦車のほぼすべてを失い後退する。

 Toldiの紙装甲はあいかわらずだったし、Turánも正面装甲垂直50mmとⅢ号程度の防御力しか持っていない。

 彼らがもっていた戦車は後方に温存していたわずか7両。しかし師団が「火消し」ことモーデル元帥のドイツ北ウクライナ軍集団の指揮下に付いたことで、ティーガーⅠ10両、Ⅳ号12両、Ⅲ突10両を供与される。エルヴィンはその後ずっとⅣ号に乗って戦い続ける。

 

 ハンガリーの首都ブダペシュトにあるヴァイス・マンフレート社では1943年から短砲身75mm主砲装備のTuránⅡに43口径75mm砲を搭載する改良を始めるとともに、T-34などのソ連新鋭戦車に対抗しうる主力戦車の開発に着手する。

 しかし既存のTuránの量産も遅々として進まない状態であり、新規の、しかもはるかに大きな主力戦車の開発に割けるリソースはほぼなかった。

 その新型戦車は、1944年になっても影も形もなかったが、陸軍当局によって1944年制式兵器を表す44Mという記号と、ハンガリー建国7部族の族長の一人から名を取って「Tas」と呼ばれることとなった。Tas重戦車が歴史に名を記したのはわずかにこのときだけだった。

 そしてTuránの改良型の試作車に砲を乗せるところまでいけず、Tasの試作車台がやっと組み立てられ始めた1944年7月27日、ヴァイス・マンフレート社は米軍機の爆撃を受け、本社と工場すべてを失った。

 試作中の戦車も破壊され、あとは焼け跡にわずかに残った部品で、寄せ集めの戦車を細々と作るという惨状となる。ここにハンガリーの国産戦車の夢は断たれた。

 Tas重戦車については1/10スケールのモックアップ模型だけが今に残る。その模型も2種類存在し、設計作業が相当困難であったことは想像に難くない。もし戦時でなく、試作がまっとうに行われたとしても、量産型になるまで大幅な変更は避けられなかっただろう。

 パンターを超える大きさで38トンの重量というのは、希望的観測ではないだろうか。

 

 1944年10月、ドイツを見限り単独講和を図ったホルティだったが、それをドイツに察知され、スコルツェニー大佐率いる特殊部隊に息子を誘拐されてしまう。

 ホルティは摂政位を退位し、極右の矢十字党が政権を掌握。そしてハンガリーのユダヤ人たちもドイツ国内の絶滅収容所に送られる。

 

 ここにきてルーマニアが枢軸を離脱、ソ連についてドイツに宣戦布告した。

 このときエルヴィンの所属する第2装甲師団は、すでにⅣ号とパンターの混成軍となっていた。

 そして彼らはルーマニアとの国境、トランシルバニアに赴く、さらにクロアチアも陥ちたことで転戦を続ける。だがあろうことか、ソ連との最前線で戦っていた第1装甲師団の半分以上がソ連に寝返り、同士討ちを始めた。

 Turán同士が撃ちあう中、ソ連軍はいよいよブダペシュトに迫り来る。

 1945年1月、ブダペシュトの包囲を完成させたソ連軍は、婦女暴行と略奪のためだけにこの東欧の古都に殺到し、必要以上の乱暴狼藉を繰り返した。戦意を失った兵士を容赦なく撃ち殺す政治将校どもも、むしろ率先して略奪に狂奔する。

 中世以前からの歴史的建築物はすべてがれきの山と化し、ソ連軍占領地域で無数に起きた悲劇がここでも繰り広げられた。

 ドイツ軍はもはや唯一の友邦であるハンガリーを救出せんと無理に部隊を抽出し、クルト・マイヤー率いるティーガーⅡの部隊まで投入したが、それはドイツ軍の終焉を早めただけに終わった。

 

 こうして欧州最後の枢軸国、ハンガリー王国は滅亡した。

 エルヴィンらは西の国境まで後退して抵抗を続ける。そのさなか、彼は3月に結婚式を挙げるが、その3日後、ソ連軍との戦闘で乗車のⅣ号を撃破され、負傷した彼は行方不明となった。

 残余のハンガリー軍も、ドイツの降伏とともにソ連軍に降伏。

 短いハンガリーの装甲部隊の歴史は、ここに幕を閉じた。 

 

 

 

 

 



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第17話 反撃開始

 

 

 

 元・ダージリンの過去話も終わりに近づいている。

 

「ですから、ハンガリーの戦車道はT-34などのソ連戦車主体のチームか、パンターとⅣ号が主体のドイツ系チームかに分かれていますの。

 このTasはヴァイス・マンフレートなき今、機関車メーカーとして生き残ったガンズ社が、ある意味意地だけで作った復刻車両でしたが、現実の歴史で問題点の洗い出しが終わっていないため、試作図面どおり作るしかなかったのが痛かったですわ。

 結果、機動力が相当犠牲になり、足回りの信頼性も落ちました。

 これと試作車が完成しなかったTuránⅢ数両、これはなぜかガンズ社に終戦前からあったものだそうですけど、これをセットで売り込もうとしたのですが、ドイツ系チームはすでにそれ以上の、しかも信頼性のある戦車をお持ちでしたし、ソ連系チームにはすでに十分な数の、アフターサービス万全の戦車があるのですから、どなたもお買いになりませんでした。ハンガリーの方々は自国戦車についてはイタリーや日本以上に苦い想いをお持ちですから、なおさらでしたわ」

「くっ、……人の足元を見て、親切ぶって近寄って……。

 下北タンクディストリビューションって、何者なのでありますか!」

 

 いきり立つ優香里を、いっそう強面になった西住まほが見ている。

 猪突猛進が身上のサムライガールであるまほにとっては、男の分際で金だけが正義の確信犯など不愉快極まるのだが、そんな連中でも利権と抗争に明け暮れる日本の戦車道界は必要とするのだ。

 便利な道具として。

 

「だから『政商』だと言われるのだ。

 お前たちに面目をつぶされた『誰かさん』がその汚名を雪ぎ、お前たちの全国大会優勝が『神の気まぐれ』による奇跡にすきないと証明するためだけに、大洗女子を徹底的にたたきつぶそうとしている、その手先を引き受ける連中だ。

 だいたい男が戦車の商いをすること自体がうさんくさすぎる」

 

 戦車道にまぐれはない、か。

 まぐれでないなら、『誰かさん』にとっては間違いなのだ。去年の大洗女子の優勝が。

 その『間違い』で大被害を被った人間は二人いたな。

 まほはそう考え、みかけは中学生の、不倶戴天の仇敵の顔を見る。

 その二人のうち男の方の復讐の道具に使われた家元継嗣を。

 もちろんこの精神年齢が偏って突出している少女が、ただ利用されるだけだったわけでもない。

 すべてが上手くいけば、WIN-WINの関係になったのは間違いない。

 その少女の形をした何かは無言で顔に、不本意だけど同盟してあげると書いている。

 まほのような猪武者にもはっきりわかるように、あからさまに。

 

「私はメスダヌキではなくメスゴリラだからな。お前の考えていることはわからない。

 だが、いまのお前がみほの味方というならば、よかろう。好きにしろ。

 みほの味方は私の味方だ。たとえ今だけのことであっても。

 ここでどんな謀議が語られようとも、私は誰にも言わぬ。

 たとえそれが母であろうとも、決してな」

「そう。ならいいわ。

 正直それだけが心配だったの。

 ……ナカジマさん」

「ん?」

「もし、Tasの改善案らしいものがあるなら、それをもらえるかしら。

 CADである程度のものはできているんでしょ?」

「荷重計算や応力計算ができていない、まったくのペーパープランしかないけどいいの?

 工学科の汎用マシンの演算能力では、戦車のような重量物の根本的改造は無理だ」

「ええ、それから考える手間がはぶけるわ」

 

 そんなものをいまさら何に使おうというのだろう。と思うナカジマ。

 TASにはベテラン選手なら確実に狙う、改善できないアキレス腱があるというのに。

 

「それと、角谷さん……」

「――ああ、千葉県庁の近くにおあつらえ向きの、全国区の先生がいる」

「みなまで言わなくてもわかるのね」

「壁に耳あり、っていうじゃない。言葉はできるだけ惜しむべきだよ。自分の庭でもね。

 それに私のコネは、富士教導団の一尉殿だけじゃないよ。

 その一尉殿もTasの画像を見せただけで『今の時代、その戦車ではもう無理だ。戦車道を極めたければⅣ号に乗れ』って言ってたから、何かあるとは思ってたけどね」

 

 そんな政治家と戦略家の禅問答のような会話がかわされている脇では、みほ、安斎、西の3人が、互いのスマホに知っている限りの高校生選手の連絡先を転送していた。

 

 

 

 

 

 

 それから数日後。

 下北タンクディストリビューション北関東営業所長の原野は、親会社の大間崎ホールディングスの専務取締役から直接電話をかけられて、青くなっていた。

 専務氏はなんと、彼の今回のクライアントが赤字でも構わないから大洗女子に売りつけろと命じたTas重戦車を、3両とも別な顧客に売りつけろと言ってきたのだ。

 

「先様は我々にとって無視できないお得意様だ。

 そっちで不良在庫になっている戦車を君が売ろうとしている倍の値で買おうというのだよ。

 下北は確かにいろいろなクライアントのいろいろなご要望にお応えし、営業外利益で稼ぐ会社なのは理解している。しかし、本年度から我がグループも外部監査法人の会計監査を受けることとなったのは君も知っているだろう。

 もう何十年も『死蔵』されたままの『不良在庫』を抱えているわけにはいかないのだよ。

 そして間が悪いことに、3月は決算期だ」

 

 グループの会社の一つが粉飾決算事件を起こし、大間崎グループ全体の風当たりも強い。

 ここで国税局の査察や会計検査院、最悪財務省などに出張られては、いろいろな裏稼業にからんだあれやこれやが白日の下に晒されかねない。下北はその筆頭だ。

 専務氏は外部監査を受ける前に下北の大掃除をしておきたいらしい。

 そうでなければ一営業所長などにホットラインをかけてきたりしないだろう。

 原野に否は初めからなかった。あくまで計画を続けるというならば、明日からここの所長席には、彼でない誰かが座っているだけだ。

 それでも一応、原野は本社の営業本部に確認の電話を入れてみた。

 営業本部の地方課長がいうには、先月から『お得意様』とパンターG型3両の仲介契約を結んでいたが、西住家がタッチの差でG型を買い占めてしまい、ただでさえ品薄のパンターが市場から消えてしまった。輸入業者は下手をすれば来年まで入荷しないという。

 しかたなく契約期限までに納入の見込みが立たなくなったからと延期を申し出たら、先様から「パンター相当のものであれば何でもいいから持ってこい」といわれたので、原野の押さえていたTasを回すことにした。ということだった。

 だから原野の立場もわかるが、ここはなんとかしてくれと念を押されてしまった。

 

 結局、一中間管理職でしかない彼にできたことと言えば、館林にお住まいのお得意様にTAS2両を引き渡し、そして大洗に貸し出し中の1両を引き取ってくることだけだった。

 例によってキンキラキンのブラジル製フェノム100の機上の人になった原野は、このままでは自分のクライアントを怒らせることは必至なので、大洗女子に何か代案を提示しなければならないことに頭を痛めていた。

 へたに大洗女子を怒らせて補助金を返納させ、全国大会に出ないと言うことになれば、すげ替えではなく本当に首が飛ぶ。

 裏仕事をしくじればクライアントによってはそのくらいの制裁を覚悟しなければならない上に、今回のクライアントはラスボスクラスの人物だ。

 上手く大洗をなだめなければ明日の朝日は拝めない。しかし、そうそう都合のいい代案など彼の引き出しにはなかった。

 とりあえず、彼は旧陸軍館林飛行場、いまは館林市長でも頭の上がらない人物が管理している私設飛行場へと金ぴかフェノム100、コードネーム「ダイナ」を飛ばした。

 

 

 

 飛行場には手回しのいいことに、すでに「お得意様」のリムジンがエンジンをかけっぱなしで待機していた。中には正装に身を包んだ家令とおぼしき高齢だが強面そうな人物が乗っている。

 リムジンの後席ドアが音もなく開き、原野を招く。

 原野が座席に座るとドアが静かに閉まり、リムジンは静かなまま滑らかに走り出した。

 

「ご主人様は、ご立腹であらせられる。

 理由はわかっているだろうな」

 

 燕尾服を着用した家令は、原野の顔も見ずにいきなり叱責する。

 

「今日の首尾如何によっては、貴様一人の首では済まぬと思え」

 

 そう言ったきり、不機嫌そうに黙る家令。

 平静を装いつつも、心の中で原野はいやな汗をかいていた。

 

 

 

「ご主人様がこれからいらっしゃる。くれぐれも粗相のないようにな。

 貴様は平伏してお迎えしろ」

 

 屋敷の中の、謁見室としては格の低い八畳間の和室に通された原野は、家令の斜め後ろで土下座のポーズだ。

 主人が座る上座には毛氈が敷かれ、脇息がおかれている。

 いったいどこのお殿様だ。と原野は心の中でだけ毒づく。

 やがて、上座側のふすまが音もなく開き、立ったまま誰かが入室してきた。ふすまはその人物の背後で、再び音も立てずに閉まる。

 上座に主人が座ったのを気配だけで察した家令が顔を上げた。

 

「仰せの通り、原野が参上いたしました」

「ふむ、貴様が下北タンクディストリビューションの原野か?」

 

 思わず顔を上げて返答しようとする原野。

 

「顔を上げるでない!」

 

 ここの「主人」は女性だったが、叱責する声は大の男をも萎縮させるだけの力を持っていた。

 原野は思わずすくみ上がる。

 

「は、原野にございます」

 

 平伏したまま、彼はやっとそれだけを口にした。

 

「契約の納期は本日だ。であるにも関わらず、なぜ届いたのは2両であるのか。

 答えよ」

「茨城県立大洗女子学園に、試乗用として貸し出しております」

「ふっ、大洗か。近いな。

 ……明日中に持ってこい」

「え?」

「二度は言わぬ」

 

 それだけ言うと、女主人は静かに立ち上がると、誰かが開いているのだろうふすまの向こうへ去って行った。

 原野にとっては、TASを取り上げれば自分のクライアントから断罪され、断れば会社が危うくなるという、どちらの地獄が良いかというだけの選択肢を突きつけられ、内心だけで恐怖している。

 ちょうどそのとき、家令の携帯が鳴る。

 

「は、お嬢様。はい、おりますです。はい……

 ……原野、当家のお世継ぎ様からだ。失礼のないようにな」

 

 家令はつながったままの携帯を原野にわたした。

 おそるおそる電話に出る原野。

 

『下北の原野だな』

 

 これも音声変調装置付きの通話で、実際よりも低くトーンを落とした声が聞こえる。

 

『お前らは、戦車だけでなく「部材」も扱うのか?』

「──は、パーツ単体から販売、組み付けも行っておりますが」

『間の抜けた声を出すな。

 まあいい、それなら見てもらいたいものがある。家令に代われ』

 

 携帯を受け取った家令は、お世継ぎ様としばらく受け答えしていたが、もう一度携帯を原野に渡した。

 

『これからお前は、その家令について行き、我が家の部材倉庫まで行け。

 電話は切らなくとも良い。そこでまた話すことがある』

 

 

 

 

 

 



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第18話 我等は狩人

 

 

 

『お得意様』の広壮な屋敷の裏手には、高さ10mほどの防音壁に囲まれたファクトリーが10棟ぐらい立ち並んでいた。今日は何の作業もやっていないらしく、無人のまま静まりかえっている。

 原野はそのうちの1棟に連れてこられ、さらにシャッターで区切られた部屋に通され、電話を通してお世継ぎ様の指示を待つ。家令が照明を点灯した。

 

『床にあるものが見えるか?』

 

 原野は言われるままに視線を落とす。

 そこには本体に駐退復座装置、砲耳だけの裸状態の火砲が2つ寝かせられていた。

 

『ある国から我が家に進呈されたものだが、我らは特に必要としていないものだ。

 そちらで買い取れるか?』

 

 大きさから言えば75mm戦車砲相当のものと思われる。その脇には専用砲弾が入っているとおぼしき、1ダース入りと書かれたカートンが12箱置かれていた。

 

『見た目どおりの速射砲と思うな。これは口径漸減砲だ』

「は? これがあの幻の対戦車砲といわれる……」

『――の、復刻版だ。

 昔ならいざ知らず、今はクロモリ鋼などどこででも手に入る上に、どこの金属工場でも加工できる。そしてこれは三分割できて、砲身の真ん中だけ交換できる設計だった。

 予備パーツも各1ダースはある。そして砲弾も競技弾、高価なタングステンカーバイトなど使わない、同じ重さのダミー弾頭だ。もちろん日本のN鋼管やD工業でもつくれるが、これは本家本元が作ったものだ』

「ですが反動はどうでしょうか? 同クラスの火砲とリプレースしたときに……」

『その答えは、お前のスマホでネット検索して調べればわかるだろう?

 使えるのかどうかも』

 

 原野はしばらく自分のスマホでなにやら検索していたが、もしかしてこれならTasの代わりになりえるのでは、と考えたようだ。

 

「ふむ、本社と交渉しなければ価格は決められませんが、買い取りは可能かと」

『ならばすぐにお前の電話で確認して。結果が出たらまた家令の携帯で知らせなさい。

 なにしろこれは「我々」には「使いよう」がないの』

 

 

 

 結果から言えば、まことにうまくいったというべきだろう。

 本社も原野のクライアントを怒らせてこの先の「本業」に差し支えることを恐れていたのだ。

 原野は社長決裁で砲2門の価格としては破格の金額で手形を切って良いと許可をもらい、その対戦車砲2門を即決で購入した。

 これでこっちとあっち、両方の顔を立てることができるだろう。

 それでもおそらく「腕と戦術」を過信する大洗女子は、血まみれショーの主役にされることは変わらない。

 彼はそう思って、腹の中だけで含み笑いする。

 

 

 

 原野は急いで大洗女子学園艦に向けて飛び立つ。期限は「明日」なのだから時間がない。

 ブラジル産の軽ビジネスジェット金ぴかダイナ号は、出せる全速で大洗女子を目指す。

 

 

 

 生徒会長室では、彼を三人の女子高生が出迎えた。

 そして原野が用件を切り出したとたん、

 

「そんなこといきなり言われても、こっちだって困ります!

 Tasがなければ、全国大会はあきらめるしかないであります!」

 

 予想どおりというか、原野を出迎えた優香里は激高して突っかかってきた。

 後ろにいる二人、生徒会長と戦車道隊長は黙ったまま冷え冷えとした視線だけを向けてくる。

 原田は、顔でだけ焦って、ふところから『秘密兵器』の入ったスマホを取り出し、例の画像を見せる。優花里なら必ず食いついてくると見て。

 

「この件につきましては重々申し訳ないと痛感しております。私もまさか親会社が横やりを入れてくるとは思いませんでした。申しあげてもしかたないことですが、この戦車は冷戦終結の5年後に仕入れたものでして、まさかこんなに長期間保管することになるとは思っておりませんでして。

 本社からも「高く売れるところがあるなら、そちらに売れ」との厳命でございまして」

 

 冷や汗をかいていもしないのに、必死に顔にハンカチをあてるさまは、すべての事情を知っている三人にとっては滑稽でしかない。優花里も本当は自分を担ごうとしたことに対して怒っているのだ。おかげで苦手な芝居をしなくて済む。

 

「その代わりと言っては何でございますが、ちょうど掘り出し物がございまして」

 

 原野はスマホをフリックして、例のブツの画像を見せる。

 優花里の顔から怒りが失せ、オモチャを見つけた幼児のような表情に代わる。

 

「これは、口径漸減砲でありますね。

 この特徴のあるマズルブレーキは、一度見たら忘れられません!」

 

 すっかり恋する乙女の瞳になる優花里。もはや本気だ。芝居じゃない。

 一方、みほと華は初めて見るという顔をしている。

 

「優花里さん。これってそんなにすごいものなの?」

「すごいも何も、Pak41は、Pzgr.41(Hk)APCNR徹甲弾を使ったときの貫徹力がパンターの主砲で高速徹甲弾Pzgr.40/42を撃ったときと同等なのであります!」

「ぱんつぁーぐれなあ……」

「華さん、無理にいわなくていいよ」

「つまり、あんこうやカバさんがパンターやラング並みになるということであります!

 ぜひ買いましょう! 西住殿」

「……えーとぉ」

 

 ここで、華が「コホン」とせき払いして優花里を止める。

 

「で、肝心のお値段なのですが……。いくらぐらいになりますの?」

 

 

 

 

 

 こうして、原野は内心だけほくほく顔で帰途についた。金ぴかの100ジェットで。

 彼が提示したのは2門でTas1両分、設置費込み、弾薬別途というものだったが、みほが「ウチではそれできる部隊いるから」と値切った結果、見積額はそのままでPzgr.41(Hk)APCNR仕様競技弾1グロスをつけて売りっぱなしということになった。

 Tasは翌朝早くに北関東営業所のタンクトランスポーターが引き取りに来ることで、一応の決着が付くことになる。

 

 

 

 

 

 

「優花里さん。すこしスノッブが入っていたでしょ?」

「わかりますぅ~? 西住殿」

「でもね、優花里さん。

 今回はそのマニア魂のせいでとんでもないことになるところだったのよ」

 

 ここで、裏のウォークインクローゼットでことの一部始終を立ち聞きしていた、まほ、元ダー様、アンチョビ、西、そしてスマホのカメラでずっと島田愛里寿にリアルタイム送信していた角谷らが、ぞろぞろと出てきた。

 

「で、西住ちゃん。これですべてオッケーということ?」

「ええ、角谷さん。これで大人たちはすべてあなたの罠にかかりました。

 新学期になったら、大学選抜の方でえらい騒ぎになるでしょう。

 ね、ナカジマさん」

「まーもったいないよね。

 フロントドライブを取っ払って、駆動系を全部HL230ハイドロスタティックステアリングパワーパック700馬力後輪駆動にして、足回りは熟成のホルストマン式にA41のホイールと履帯。動力系がA41も後輪駆動だからこういうマネができるんだけど、せっかくの改造が全部無意味になるんだからさ」

「では私が島田愛里寿を瞬殺してやろう」

「お姉ちゃんは、たぶん勝てないと思う……」

「なに?」

 

 みほのスマホに送られた島田愛里寿のメールには『妹がいなければただのイノシシの西住まほだけは、島田流行進間射撃でチハたんたちと同じ目にあわせる。Tasでもよゆー』とあった……

 

「大学選抜戦では、愛里寿ちゃんほとんど一撃必殺だったもんね。被弾は一発だけ。

 メグミさんたちのバミューダアタックもドリフとしながらだったし。

 西住流は『撃てば必中』にこだわりすぎて、ほとんど停止射撃しかやらないもの」

「いやあ、西住ちゃんのお姉ちゃんって、やっぱ単純、もとい一本気だし」

「うちのペパロニなみのそそっかしさかも……」

「我々は突撃精神で負けたと思っております!」

「こんな言葉をご存じ? 『桂馬の早駆け歩の餌食』(笑)」

「『前進あるのみ』ではドリフトは無理であります」

「んー、ドリフトってカニ走りだしね」

「行進間でも行けましたが、0.5秒でなんとかなりました♪」

「うがーっ! 私は10以上の数も数えられるぞ」

 

 

 本当はTasには巨大ショットトラップがあるから「よゆーよゆー」なわけなどないが、逆上したまほはすっかり忘れているらしい。

 ここで、元ダージリンが一枚のフリップを皆に見せた。

 

「こんなアダプターをご存じ? イギリスの方がよほどまともなものを作ってましてよ」

 

 彼女が見せたのは、2ポンド砲の先端にネジ付けスリップオンで装着できるリトルジョン・アダプターをつけた戦車の図だった。旧式化した2ポンド砲を簡単に強化できるので、テトラーク軽戦車や2ポンドを積んでいた装輪装甲車で絶賛取り付け中だったものだ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「口径漸減砲としては、こちらの方がよほど実用的ですわ」

「そうだね、ダージリンさん。すり減ったら新しいのと取り替えればいいだけだし。

 それに実際の戦場で盛大に使われたのもポイント高いね」

「でも、17ポンドの装弾筒付徹甲弾、APDSの方が偉大な発明……」

「すとーっぷ。本当はコントロールドディファレンシャルやHSTと同じで、フランスの発明なんですよね。それ」

 

 みほは自分のスマホで元ダージリンに、歴史研究所にアーカイブされた当時の帝国陸軍の公文書のPDFファイルを見せる。

 それは、1930年代の段階でフランスのブラン社が「装弾筒付徹甲弾」「装弾筒付榴弾」の特許をもっており、陸軍が特許使用料を払うことについての起案文書の画像だった。

 なおドイツでも、15cm重砲隊には88mm高速徹甲弾を弾芯とする15cmAPDSが対戦車用に支給されていた。フランスを占領して、自家薬籠中のものにしていたのだ。

 17ポンド以外の戦車砲でおおっぴらに使われなかったのは、おそらく当時のマズルブレーキの形状などのせいで上手く装弾筒が外れず、命中率に難があったからのようだ。

 実は口径漸減砲も、APDSのことは決して言えた義理ではないのだが。

 

 

 

 

 

 



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第19話 キルゾーン

 

 

 

 3月下旬、大洗女子生徒会は大洗町教委に補助金交付要綱に基づく次年度補助金を申請。

 翌年度初日である4月1日付けで決定通知が来た。

 

 角谷は首都圏のどこかの学生寮に移り住み、奨学金まみれの大学生活を始めた。むろん小山、河嶋も同じ寮に住んでいる。

 まほと元ダージリンは、なぜか同じ便の飛行機でそれぞれの留学地に向かった。ファーストクラスの隣同士の席で。

 安斎は、下士官待遇の候補生として兵士の生活を始めた。

 美食家の彼女としては、食生活がつらかったが、それは仕方がない。

 もっとも被災地住民を想定した炊き出しコンテストは、今から勝つ気満々だ。

 なお、どこかの継続高校の隊長は、なおも高校生活を継続しているが、手癖の悪さやなんでも独り占めする性格とは無関係と思いたい。

 

 そして、大洗女子戦車道授業は、「あれを取ったら超重戦車に踏みつぶされたり、横倒しやひっくり返るのが日常で、そのたびに実弾がラックから外れて崩れ落ちケガ人続出」と言う風評が立ちまくったせいか本年度も不人気だった。そのうえ各種特典もなくなったのも痛かった。

 しかし、なぜか「戦車道は3単位」だけは昨年度と同じだった。

 むろん、戦車道授業の財源が確保されたことにより予算はゼロベースとなったため、2013年度の予算も各方面の要求どおり、2011年以前と同じ通年型予算となった。

 こうしてとりあえず2013年度は、なにごともなく新年度事業を始めることができた。

 そしてなぜか戦車道履修生は、戦車に乗っているよりみんなでバレーボールをやっている時間の方が長いという面白いことになっている。そう、なぜか履修生は全員「新生バリボー部」に所属しなければならないのだ。

 放課後もみんなでバレーボール、目指せインハイ優勝である。

 何か知らないがみほはひたすら筋肉に固執し、体脂肪率一桁を全員の目標にしている。

 いずれ全員、ダンベルをお手玉代わりに遊ぶようになってしまうだろう。

 それだけではない。なぜか武部沙織が立ち上げた「ディベート同好会」にも加わることになっている。目標はディベート甲子園でディベートの黒森峰と言われるS学園を破って優勝することだ。

 また全員トーイックで730点超えをめざすことになっており、戦車道の内申書の成績の3割がトーイックの点数(990点満点)に割り振られている。

 ……補助金の交付要件である戦車道全国高校生大会はどうなったのだろうかと、気にする者はまったくいなかった。

 

 なお、バレーボール選手に限らず球技の選手が戦車道選手としても優秀なのではないかと去年の全国大会以後取りざたされるようになったため、連盟が高校女子のバレーボールチーム、バスケットボールチーム、サッカーチーム、ソフトボールチームなどの一流選手を無作為に抽出して、シミュレーターを使った初心者教習を実施した結果、幼少期から戦車道を学んでいたものと遜色ない成績を叩き出したので、本格的に球技と戦車道の適性についての研究が始まっているという。

 

 

 

 

 

 

 2013年5月、島田愛里寿を擁する戦車道の名門、N女子大チームが黒森峰女学園チームと親善試合を行った。形式は高校女子に合わせてフラッグ戦である。

 結果は恐ろしいことに、試合開始後10分目に3,000mかなたから飛んできた88mmの流れ弾がフラッグに命中、なんと撃破されてしまい、黒森峰の勝利となった。

 フラッグ車長の島田愛里寿は相変わらずの無表情でコメント代わりに「おいらボコだぜ」フルコーラスを歌ってとんずらした。なぜか「ボコぐるみ」を着て。

 奇怪な事件はさらに続く。

 東都大学リーグと、関西大学リーグの交流戦で、島田愛里寿の乗車と同車種の2両、あわせて3両がいきなり超遠距離からありとあらゆる砲弾を浴びてあっさり撃破され、指揮官と参謀抜きになった東都大学リーグが惨敗した。

 そして大学選抜対社会人実業団代表の殲滅戦が行われたが……

 

 

 

「大学選抜、大惨敗」

「昨年は飛び級で小学校からN女子大に入学した島田流継嗣、島田愛里寿率いる大学選抜が社会人実業団チームを壊滅状態にして勝利したが、今年は序盤から隊長車を集中的に狙われ、M24チャーフィーが放った一撃が致命傷となって倒されたことがきっかけとなって総崩れ。島田愛里寿の総指揮官続投も疑問視される。なお西住流家元の……」

 

 ここは、角谷にとっては高校3年間を過ごしたなつかしの会長室。卒業後初めてここに来た角谷と同席するのは現会長の華、副会長の優香里、広報の武部沙織、戦車道隊長の西住みほ、ディベート同好会のリーダー冷泉麻子、新生バリボー部部長磯部典子だった。

 

「西住ちゃん。もうさんざんだね~」

 

 角谷が「いられなくしちゃうよ~」のときの笑いを浮かべる。

 

「ふふふ、お代官様もお人の悪い」

 

 みほまで調子に乗って犬歯丸出しでにやりと笑う。

 

「では、そろそろネタばらしをしましょうか」

 

 華は楚々とした風情で焙じ茶を飲む、お茶請けは干し芋ではない。コスパが悪すぎる。

 お菓子はいわゆる「山吹色のお菓子」だ。贈り物にしたら喜ばれるだろう。

 もちろんそんなものを持ってくるのは角谷だ。

 ここでタブレット端末に何かを打ち込んでいた沙織が、顔を上げて報告する。

 

「華。在京三大新聞、N経新聞、FS経グループ、B春にS潮、S学館、K談社、N○K、文科省、消費者庁、国民生活センター、それに日本戦車道連盟あてに同報メールを送る準備ができたよ。

 あとはGOサインだけ」

「FAXでも送ってください、沙織さん。

 現会長五十鈴華と前会長角谷杏が取材に応じる用意がありますって」

「わかったわ」

 

 こうして秋山優香里と下北タンクディストリビューションの原野、そしてTasの実物が写った写真データ付きのメールが、元ダージリンやルクリリの証言付きで大マスコミにじゃんじゃん送られた。もちろん何も知らない西住家と何もかも知っている島田家にも。

 趣旨はつまり、Tas重戦車は防楯ショットトラップの確率が極めて高いという事実を承知していながら、原野は悪意の第三者として島田家に売却したということである。

 もちろん、彼らが男だから戦車のなんたるかに暗いと言うことは伏せておいて。

 

「角谷杏です。波石先生はいらっしゃいますか? あ、おつなぎいただけますか?」

 

 角谷は角谷で、消費者行政、悪質商法に関しては日本最強といわれる千葉市の「東京ベイ法律事務所」の所長、波石弁護士に電話をかける。

 東京の某病院に「入院中」の島田愛里寿には、とっくにメールで知らせてある。

 

「えーと、次はN大学法科大学院の小鳥遊教授に……」

 

 さらに現在の民法のオーソリティで、過去にゲームデザイナーであったという異色の過去の持ち主に直通電話をかける角谷。

 こうして、大洗女子に陰謀を仕掛けた者たちへの包囲網が、着々と構築されていった。

 

 数日後、日本全国のマスコミが一大スキャンダルとして、島田家の悲劇を報じた。

 島田宗家は、戦車代金の返却のみならず、高度技術による改造費、失墜した流派の信用、そして継嗣島田愛里寿が心身症で入院した責任を問うとして、損害賠償総額200億円を求める民事訴訟を提起した。

 この金額は、なぜか次々と島田家にやってきた猛者たちが「絶対に勝てる金額」として算出したものであり、最強の布陣と言われる弁護士団がドリームチームを組んで戦闘を開始した。

 大間崎ホールディングスはすべてのつてを頼って応戦しようとしたが、敵弁護団の布陣を聞いただけで「試合終了だ。もうあきらめろ」と言われる始末。

 それだけではなかった。消費者庁の依頼で、かずさアカデミアパーク所在の製品評価技術基盤機構(NITE)がTasの1/10モックアップを作成し、同じくショットトラッパーの代表とされるポルシェ砲塔のティーガーⅡ、Ⅴ号パンターA型との比較試験を実施、7.62mmNATO弾を砲弾に見立てて狙撃銃で撃ったところ、「前方30度から撃たれた場合にはきわめて当該現象を起こしやすい形状である」という結果になったと発表した。

 NITEはたびたび欠陥疑いのある製品テストに携わっており、ここの出した分析結果はきわめて信頼性が高いとされている。

 そして、試合を通じて何度も「戦死」している戦車道選手は、第二次大戦のドイツ三桁エースに次ぐ実力の持ち主といっていい。こんなこれみよがしの弱点を見逃すわけがない。

 

 

 

 

 

 

 そして大間崎ホールディングスでは、関係者を招集して緊急の取締役会が開かれた。

 

「戦車事業部をたたむ必要があると思われる」

 

 大間崎ホールディングスの取締役会に呼ばれた下北タンクディストリビューション代表取締役CEOの蜂延靖盛は、いきなりの「死刑宣告」に仰天する。

 もし裁判が長引いて、これまで彼らがやらかしてきた「営業外」のお仕事のあれやこれやが白日の下にさらされでもしたら、グループ全体がスキャンダルまみれで終了だ。

 取締役たちは、それを恐れている。だからしっぽにすべての責任を押っつけて解体し、白旗掲げて債権者たちに現ナマか資産を渡して矛を収めてもらおうというのだ。

 当然、白旗の代わりに200億円は値切ろうと思っている。

 

「島田家には要路を通じて、すでに話を持ち込んでいる。

 そのときは君、頼むよ」

 

 頼む、と言ってはいるが、親会社の役員たちにとっては手足の爪を切る程度のことでしかない。よりによって天下の島田家に大打撃を与えて家元継嗣を病院送りにしてしまったのだ。知らなかった、くわしくありませんでしたですむわけがない。営業所長の首ごときでおさまる問題ではない。

 すでに蜂延も原野も辞表を出したが、当然握りつぶされた。

 いまや下北タンクディストリビューションの株券は紙切れ、親会社の資産の1割が失われた上に信用まで壊滅状態だ。役員たちが怒鳴り出さないだけ大したものだ。

 しかし、その時秘書室長が会長に何かを耳打ちする。みるみる会長の顔が青ざめる。

 

「島田家は、民法上のいかなる和解にも応じないと宣言した。

 それだけではない。我が社の監督責任まで問うために追加の訴訟に出て、併合審理に持ち込むつもりだ……」

 

 もはや対岸の火事ではない。彼らは相手を見誤っていたのだ。

 

 

 

 

 

 



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第20話 全国大会で待つもの

 

 

 

 仕掛けは上々だ。火をつければ勝手に燃え広がってくれる。

 もちろんその中心で火だるまになっているのは、大洗女子を血まみれにしようとした陰謀の実行役である『政商』たちだ。

 そしてついに衆議院でこの事件の事実関係を調査する特別委員会が設けられ、大洗動乱以来の激震が霞ヶ関を襲っていたちょうどそのころ、第64回戦車道全国高校生大会の組み合わせ抽選会が、お台場の大型ホールで開催された。

 果たして渦中の大洗女子がエントリーするのか、そして初戦の相手はどこなのか。

 

 大洗女子は今年も出場する。

 そう聞いた戦車道界隈の人々は、これで大洗女子の「伝説」もとうとう終わりだと思った。

 強化された黒森峰、センチュリオンMk.2主力の聖グロリアーナ。

 M26パーシングを主力とし、さらに主砲を73口径90mmT15E1にしたT26E1/1(欧州戦線増加装甲装備)、T15E2装備のT26E4、ティーガーⅡ並みの重装甲試作型T26E5の現物、それら合計で1個大隊分を装備するサンダース。

 そしてIS-3とT-54/1946にすべてを刷新したプラウダ。

 そしてこれらの強豪は、大洗に持てる力の120%で当たるつもりでいる。

 一方昨年の32傑のうち8人が卒業し、補充の1年生は全国水準に達していないと推測され、戦車も昨年と同じまま、士気においても背水の陣だった昨年並みとはいかない大洗女子は、相手によっては1回戦敗退もありえるのではと噂されている。

 そして、この日の1番くじは黒森峰だった。逸見エリカが壇上に進み、箱からカードを取る。

 

「黒森峰女学園、1番!」

 

 掲示スクリーンのトーナメント表の一番左のボックスに『黒森峰女学園』の文字が映った。

 壇から降りる逸見の向こう側から顔を伏せたままのみほが歩いてくる。2番目にくじを引くのは大洗女子なのだ。みほは逸見の顔を見ず、沈痛な面持ちのまま壇上に上がる。

 くじを引くみほを、観客席にいる全員が注視する。みほは静かに引いたカードを掲げた。

 

「大洗女子学園、2番!」

 

 会場はどよめきに満たされた。いきなり黒森峰のリベンジマッチになったからだ。

 だれもが昨年の知波単学園のように一方的に撃破される大洗女子を脳裏に描いた。

 しかし、みほは無表情のまま粛々とくじを引き、高く掲げたときも無表情で通した。

 そして大洗女子の面々は、黙ったまま会場を去ると戦車喫茶にも寄らず直帰してしまった。

 

 こうして逸見は、呆然とルクレールで待ちぼうけを食わされたのだった。

 

 

 

 

 

「……いつも思うんだけど、たぶんカードは初めから決まっているんだと思う。

 だって高校生大会に限れば、四強同士は準決勝でしか当たらないんだから」

(なお無限軌道杯ではその限りではなかったが、四強以外でも戦車をインフレさせた学校もあったので、かなりグダグダなマッチングでモーレツな展開になり、客から見れば面白かった)

 

 秋葉原駅から「つくばエクスプレス」に乗った大洗女子の面々。

 ボックス席の一角で、みほはそう切り出した。

 

「だって、カードの入った箱をだれもあらためていないでしょ。

 持ち上げてもいないし。そもそも装甲板の再利用の箱だし。

 今日私は、手でかき回してから引いたのよ……」

「では西住殿。これも誰かが、というより私に電話してきた人の仕業だと?」

「……信じたくなかったけど、もうまちがいないよね」

 

 華はこの日、珍しく車内で何も食べていない。ペットボトルのマテ茶だけである。

 

「でも、今回はそれが裏目に出るわけですのね」

「だから一番いいのは謀略で陥れ、次善は連携を断つ。下策は直接戦うこと。

 ……って角谷さんが言ってた」

「角谷元会長は、本当に孫子が好きだな」

 

 麻子は「魏武帝註」も「十一家註」もそらで全文暗唱できる。

 もちろん言葉を知っているだけでは何もならないこともわかっている。

 ピーター・ドラッガーの『マネジメント』も似たようなものだ。

 

「今回の作戦は、愛里寿ちゃんと角谷さんが共同で考えたの。

 私だけでは、戦車道をたたむことしか思いつけなかったね。きっと……。

 ……試合の勝ち負けではなく、どのような結果になっても「私たち」が「勝つ」。

 私たちが決して「負けない」戦略が、もうできあがっている。

 もうこれから起こることを、私たち以外の誰も止めることはできないの。

 そう、これからだから。私の、そして大洗の戦車道が完成するのは」

 

 沙織は黙ったまま、車内Wi-Fiにタブレットをつなぎ、あちこちと何かをやりとりしている。そしてなにかの書面らしきものを何シートもこしらえている。

 それを見ながら、みほは複雑な微笑みを見せている。

 

 

 

 東京にいるみほたちより、夕暮れが一足早く訪れる大洗港区。

 桟橋にその身を静かに横たえる学園艦の舷側を、夕日が赤く染めるころ。

 

 大洗女子の戦車倉庫に、三年生になったツチヤを初めとする自動車部の面々が集まっている。

 この倉庫に一時だけいたTasがいなくなって数ヶ月。ここの戦車はもとの8両に戻っている。

 その中の主戦力、Ⅳ号戦車D型改H型仕様とⅢ号突撃砲F型に今装備されている主砲は、オリジナルのkwk40やStuk40といった48口径75mm砲ではない。マズルブレーキがドイツ戦車特有の二段式ではなく、筒状の太く短い鋼管にスリットが開けられたものになっている。

 

「意外と苦労しないでつけられたのは『意外』だったね」

 

 この砲、ドイツで実現した口径漸減砲Pak41は、55mm径のタングステン・カーバイトの侵徹材のまわりに軟金属でできた傘状の『フランジ』をとりつけて75mm弾としたAPCNRという特殊砲弾を撃つことにより、少ない発射薬で高初速を与え、軽量の徹甲弾で大口径砲と同等の威力をもたせたものである。

 構造はマズルブレーキを含む先端部、75mmから徐々にすぼまって出口では55mmになる中間砲身部、駐退復座機と閉鎖機や薬室、砲耳からなる後部の3つに分離できる。

 なぜそのような分割構造なのかと言えば、中間部砲身にかなり無理がかかるため約400発撃つともう使い物にならないからだ。だから砲全部を引き抜かなくとも寿命の短い部分だけ簡単に交換できる仕様になっている。そのため今回の砲自体の交換も、後部だけ外して行えた。

 中間部砲身はモリブデン鋼でできており、その構造のせいで工作にも手間がかかる。タングステンもモリブデンもドイツ国内では産出せず、やたらと消耗品に使えたものではなかった。

 ゆえに費用対効果の最悪なこの形式の砲はごく少数しか作られず、砲弾もあまり作られなかったので、射耗すると簡単に捨てられてしまった。

 

 自動車部の一人が、外されたⅣ号の主砲とⅢ突の主砲を眺めている。

 

「ねえツチヤさん。この2門の75mmって同じ砲身、同じ弾薬を使うんでしょ。

 でもなんか作りが違うね」

「うん、それは積み方が違うから。駐退復座機の配置がちがうでしょ。

 Ⅳ号用は砲身をはさんで左右に1つずつ、Ⅲ突用は上に2つ並べてる。

 それにⅢ突用は砲自体が少し旋回するようになってる」

「ヘッツァーが積んでるのも、同じ砲なの?」

「実はね、少しちがうよ。車高の低い駆逐戦車に積めるように最適化されてる。

 だからⅣ号用がkwk40、Ⅲ突用がStuk40、ヘッツァー用はPak39。

 この他に、というかこっちがベースなんだけど地上牽引砲がPak40っていうんだ」

「何か違うの?」

「うん、車載型に改造された時点で、閉鎖機と薬室が新たに設計し直されたんだって。

 だからⅣ号とⅢ突とヘッツァーは同じ弾を使えるけど、地上用のPak40には戦車用の弾は使えない、逆ももちろんダメだって秋山さんが言ってたからそのとおりなんじゃないかな」

「ふーん……。地上の大砲ってそのまま戦車に使えないんだ」

「戦車道では使えない車両だけど、マルダーとか車台の上に対戦車砲をポン付けしたものなら地上用の砲弾を使うんだそうだけどね」

「でも、だったらこのゲなんとか砲、よくⅣ号とⅢ突に積めたねー」

「そこは『腕と戦術』だよ。自動車部のね」

 

 外はすでに夜のとばりがおり、満天の星空となっていた。

 しばらく雨天続きだったので、ひさしぶりの光景だ。

 

 

 

 

 7月、まだ梅雨明け宣言の出ていない、しかしすでに初夏のある日。

 第64回戦車道全国高校生大会の火ぶたが切られた。

 黒森峰対大洗女子戦の会場は、ふだん民間人の出入りができない防衛施設庁下北試験場のある、青森県猿ヶ森砂丘。鳥取砂丘をしのぐ、日本最大の砂漠地帯である。

 

 

 

 猿ヶ森砂丘は幅2km、長さ17kmの海岸沿いの砂漠地帯。

 遮蔽物は全くない。当然のことながら砲戦力がまったく劣勢の大洗は連盟競技部に異議を申し立てたが、理由がないとして却下された。

 

 試合開始前、定例の両軍隊長、車長たちによる礼が行われた。

 南端と北端に位置するそれぞれの戦車隊にもどる前に、逸見がみほに言う。

 

「これでは奇策もなにも通じない。悪いけど覚悟してもらうわ。

 私たちは大洗女子を対等以上の敵と認識している」

 

 もちろん逸見は期待もしている。おそらくみほは自分が想定していない「腕と戦術」を駆使してくるだろうと。しかしみほは、ただ寂しそうに「エリカさん。ごめんね」と答えただけだった。

 彼女からは戦いに望む高揚感も、運命に立ち向かう悲壮感も感じられなかった。

 逸見は、自分の足下に真っ暗な穴が大きく口を開けているかのような気になった。

 いったいなんなんだろうか。

 みほからは、すべてに向けた悲しみしか感じられない。そして彼女がこれから戦うのは自分や黒森峰ではないかのような、ここの砂漠のようなむなしさすら感じるのだ。

 まるで、季節が冬に戻ったかのように。

 しかし今日はこの会場に、西住宗家、しほ家元も来ている。

 大洗が生け贄同然となっても、『王者の戦い』を見せねばならないのだった。

 

 

 

 試合会場、猿ヶ森砂丘では、両軍と競技役員が試合開始に向けてタイムスケジュールどおりの準備を進めている。ここまではすべて手順どおりだ。

 試合経過時間を示すデジタルクロックが、マイナス10分を示している。

 カウントダウンが始まる。

 9分前、8分前、7分前、6分前……

 異変が起きたのはそのときだった。5分前まで進んだ時計が止まった。

 そして時計の表示そのものが消えてしまった。

 観客たちが騒ぎ出した。

 

「どういうことだ?」

「なんかビジョンに表示されたぞ」

 

 オーロラビジョンには黒地に白文字で『しばらくお待ちください』とだけ表示されている。

 観客席にいた西住しほは、何か尋常ではない事態が起きたのだと理解した。

 競技本部が競技の進行を止めている。

 しほが見た限り何の問題もないはずだ。5分前で進行停止などということはありえない。彼女がそう思ったとき、競技時計の表示が5分前にもどった。

 オーロラビジョンに大きく表示されていた『しばらくお待ちください』の表示が消えて、再び地形図と相互の配置が写った。しほもこれでトラブルは終わったものと考えた。

 しかし次の瞬間、彼女を含めた観客全員が驚いた。

 

 

 

 オーロラビジョンには『試合終了』と表示されたのだ。

 

 

 

 

 

 



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最終話 かくして現実は克服される

 

 

 

 オーロラビジョンには『試合終了』と表示されている。

 試合中断でもなく延期でもなく……、終了と。

 

 試合が始まる前に『終了』してしまった大洗女子対黒森峰の試合。

 何が起きたのか理解できない観客たち。その中には西住流宗家家元、西住しほもいた。

 

『皆様にご連絡いたします。戦車道全国高校生大会第一回戦第1試合、茨城県立大洗女子学園対黒森峰女学園の試合は、開始5分前に大洗女子学園の反則が判明したため、黒森峰女学園の不戦勝と決定いたしました』

 

 しほは凍り付いた。いったいどういうことだと。

 みほは西住流の恥辱をすすぐ生け贄になるのを拒否して、あえて違反を犯したのか。

 あいつはどこまで西住流をおとしめれば気が済むのだ。

 しははそう考え、内心だけで怒り狂う。種を蒔いたのは自分自身だと言うことを棚に上げて。

 しかし次の瞬間、彼女はさらに驚くことになる。

 

『これより東京の戦車道連盟本部にあります大会審判部本部の本部長が、皆様に詳細な説明をいたします。皆様、オーロラビジョンにご注目ください』

 

 画面が切り替わり、各種機材が持ち込まれた部屋で戦車道界の重鎮たちや連盟職員らがあわただしくやりとりをしている情景が映る。連盟本部の大会議室のようだ。

 その正面、部屋の壁一面のディスプレイの前に一人の女性が立っている。

 

『審判本部最高判定責任者 戦車道島田流家元 島田千代』

 

 オーロラビジョンのテロップには、そう表示されていた。

 今大会に全く関わりをもたない戦車道関係者の中では、彼女が最上位の人間なのだ。

 だから黒森峰の理事長である自分が外され、島田があそこにいるのは、しほももちろん納得している。仇敵黒森峰を勝たせる判定をしたのだから、公平性にも疑義はない。

 問題なのは、なぜ大洗女子が不戦敗を喫したのか、その理由である。

 

『これより、審判本部最高責任者から、今回の判定についての説明がございます』

『ただいまご紹介にあずかりました島田でございます。

 詳細な事由説明の前に、今回問題になった事案に関するルールの引用をさせていただきます。戦車道ルール第3-01項にはこうあります……』

 

 島田千代があげた規定は、戦車道関係者なら誰でもそらんじることができるものだ。

 戦車道で使用できるものは、西暦1945年8月15日以前に設計完了、試作に着手していた戦車および当該戦車に搭載される予定が基準日までに決定していた部材であり、この条件を満たせば現実に存在しなかった車両に改造することも可能というものである。

 次項以降の規定上では密閉式の装輪装甲車も可能と解釈できるが、荒れ地走行に支障のあるものをあえて選択するものはいないだけの話だ。

 

『さて、今回の大洗女子参加車両のなかで、この規定を適用したとして改造を受けたものが2両ありました。Ⅳ号戦車D型と、Ⅲ号突撃砲F型です。

 この両車両が本来の主砲を外し、ドイツ製対戦車砲Pak41口径漸減砲、いわゆる「ゲルリッヒ砲」を搭載して出場いたしました』

 

 しほも、それのどこが問題なのかと不審に思う。

 75-55mmゲルリッヒ砲はティーガー計画においても候補にされた砲であり、Ⅳ号H型化においても、傾斜装甲車体とともに検討されたいきさつがある。だが……

 

『この、ゲルリッヒ砲が問題になりました。なぜならゲルリッヒ砲を戦車に搭載する「予定」は存在しないのです』

 

 戦車史に詳しい者たちがざわめき出す。『予定』はあったはずだ。

 誰もがそう考えた。

 

『当時のドイツ軍内部では、Ⅳ号戦車の強化策として、また後にヘンシェルティーガーとなるVK36.01計画戦車の主砲として、ゲルリッヒ砲を搭載することを考えていたのは事実です。

 そしてⅣ号H型の主砲としてPak41牽引砲の戦車砲版、kwk41の設計を開始しました。

 しかし、このときすでにドイツ兵器局は、国内で産出しないモリブデンとタングステンを大量に消費し、短時間で射耗してしまうゲルリッヒ砲に見切りをつけておりました。

 kwk42の対戦車砲型Pak42が通常砲身でありながら同等の性能を発揮したこと、また48口径75mmのPak40でさえ牽引移動に難儀していたことからPak42以降の対戦車砲の自走化が進められたことにより、ゲルリッヒ砲の存在意義は消滅。

 また現実の戦場においても砲身が摩耗したPak41は砲弾の供給も滞ったため、そのまま遺棄されてしまうことが多かったことなどから、kwk41は計画途中で放棄され、ついに日の目を見ることはありませんでした。

 つまり、ゲルリッヒ砲75-55mmは、kwk41の設計が中止された時点で「戦車に搭載される予定の部材」ではなくなってしまったのです。そのため大洗女子学園のⅣ号D型およびⅢ号突撃砲F型はルール違反であると判定され、同校は不戦敗と決定しました。

 また、戦車道の根幹に関わる当該ルールに違反した大洗女子学園の責任は重大であり、同校による全国高校生大会への参加を翌年度も禁止する処分に処したこと、また本年度当初にさかのぼり、参加許可自体を取り消すことに決したことを、あわせて報告いたします』

 

 島田千代は、ここまで一気によどみなく話した。

 話し終わった千代が一礼すると、オーロラビジョンの画面が切り替わり、あぜんとする黒森峰選手団と、全員がすすり泣く大洗選手団を画面の半分ずつで映し、その上にかぶせて『勝者:黒森峰女学園』とのテロップを流した。

 

「あの無能者めが……」

 しほは原野を罵った。しかし、元をただせば自分自身が策を弄した結果に過ぎない。

 策を逆手に取られ、したたかに反撃を食らってしまった。みほにとってはしほの望みを打ち砕ければ、それで勝ちなのだ。

 

「……いや、私がしてやられたのだ」

 

 しはは、自分が負けてしまったことを認めるしかなかった。

 

 

 

 翌日、大洗女子生徒会は「知らなかったではすまされない失態であり、連盟に異議申し立ては行わない。大洗女子としては翌年度終了まで全国大会のみならず、すべての対外試合も行わない」と発表して、審判部と連盟が降した処分に服すると表明した。

 大洗町教委は「補助金は事実行為に対してのものであり、実際に試合会場まで遠征した大洗女子に対しては補助金返還を求めない」と発表し、これですべてが終わった。

 その次の日、茨城県教委はすでに島田家が提起している下北タンクディストリビューションおよび親会社大間崎ホールディングスに対する訴訟に参加することを発表した。

 県レベルの地方公共団体が法務や財務のプロを連れて訴訟に乗り込むならば、さらに徹底的な証拠調べや、国の機関による査察すらあり得る。もはや事態は最悪となった。

 これ以上傷口を大きくすることは、大間崎グループ全体の破滅につながる。

 彼らに残されたのは、無条件降伏しかなかった。

 大間崎ホールディングスは直ちに下北タンクディストリビューションの破産を申し立てた。

 そして債権者集会に島田家代理人と茨城県代理人を招き、要求された賠償金と訴訟遂行費用を全額支払うことで、ようやく和解にこぎ着けることができた。

 こうして暗部に巣くう「政商」は、ここに消滅した。

 むろん「大洗女子の奇跡」にも傷は付かない。

 強くなりたいばかりに『悪質業者』の下北タンクディストリビューションにつけ込まれて欠陥商品を売りつけられた『被害者』なのに、何の言い訳も抗弁もしなかったから。

 表向きはともかく、世間は実際には大洗女子が可哀想だと思っている。

 そして、大洗女子は「あと10年は戦える」というだけの資金も得ることになる。

 こうして角谷の政略、島田家の戦略、みほの戦術が勝利した。

 彼女たちは最後まで「善意の第三者」でいつづけ、悪意であったことは関係者以外の誰にも察知されなかった。

 大洗女子を公衆の面前で叩き潰し、「所詮邪道は邪道でしかない」と決めつけ損なった西住しほをのぞいて……。だが彼女もまた口を緘した。これは痛み分けだと理解したから。

 それに今の状態でさらに大洗女子戦車道撲滅にこだわれば、今度は西住流自体が鼎の軽重を問われることになる。今は「与えられた勝利」で満足すべきだろう。

 なお、下北タンクディストリビューションの債権者集会に西住家は参加しなかったが、後日同社の破産管財人から「債務不履行」として、すでに支払った報酬+2億円+αの金額が振り込まれた。

 

「完敗だな。……慣れない策謀など弄した結果がこれか」

 

 どうやらあの小さな巨人がまた裏で暗躍していたのだなと、しほは悟った。

 こんな戦いは自分らしくもない。そして西住の家の戦いでもないのだ。

 そしてこの日以降、西住家が大洗女子に何かアクションを起こすことはなくなった。

 

 一番ひどい目にあった原野はゲルリッヒを渡したのが島田愛里寿であると暴露しようとしたが、第三者の手に渡った為替手形に島田家の裏書きはなく、原野の持っていた『領収書』も市販の用紙に偽造印が押されただけのものであり、さらに島田家には彼の言う「家令」の男性はおらず、家令と執事の役割は2人の女中頭が担っていたため、逆に島田家から風説流布と偽計業務妨害、名誉毀損で訴えられ、その直後に姿をくらました。

 

 その後「第64回全国大会で、もし大洗女子が戦車の改造をせずに出場していたら」というイフは、このあとも長い間議論され続けることになる。

 そのイフは魅力的であるが故に、戦えば必ず優勝したであろうと信じる者を増やしていく。

 あらたな「大洗女子の最強伝説」はこのときに始まったといっていい。

 こうして検証しようのない「現実」は、再び「伝説」と化したのだ。

 

 

 

 

 

 さて、そんなある日、戦車道連盟の理事長は理事長室で、さるやんごとなきお方からの「苦情」の電話を受けていた。もちろん『私物』の電話で。

 彼はそれを全部、知らぬ存ぜぬ申し訳ない役立たずでを繰り返して切り抜けた。

 

(西住家から仕掛けられた戦争に、また島田を巻き込んで二虎競食の計に持ち込み、そして損失はすべて嫌らしい男どもに押しつけ、西住を含めた三者とも得をするか……。

 辻を排除したときといいまったく食えないな、角谷君は。まあわしが死んだあとにでも連盟を背負ってもらおうかな。もっともこんな小さな入れ物では、角谷君が壊してしまうかもしれんね)

 

 声に出して笑おうとした理事長はドアをノックする音を聞き、あわてて表情をとりつくろう。

 そして入室してきた秘書の持ってきた稟議書いくつかに印鑑を押した。

 こうして今日の彼の「表向きの」仕事が終わった。本当の仕事はこれからだ。

 といっても、彼は今回も角谷に働かせただけで、自分は何もせずに暗部に巣くっていた汚物を排除できて万々歳である。

 

(ははは、旧陸軍がドイツからはるばる取り寄せた「ゲ式砲」の使い古しが、思わぬところで役に立った……)

 

 つまり彼は、今回は連盟本部の倉庫の片隅に転がっていたガラクタを処分しただけだったのだ。

 

 

 

 結果、大洗女子には西住しほが「タダで」寄付した2億円と、中規模の市の歳入予算に匹敵する資金が転がり込むことになった。

 しかし、みほの目指す戦車の道を理解している華は、この資金を県の基金とし、未来にかけて持続可能な戦車道のための原資とすることにした。

 みほにとっては、戦車道は人を育てるものだ。戦車道と勝利のために人間を奉仕させるものでは断じてない。

 戦車に乗るために身体を強くするのではない。戦車に乗って身体を強くするのだ。

 勝つために頭脳を鍛えるのではない。戦車を運用することで、頭脳を鍛えるのだ。

 戦車に乗るために精神を強靱にするのではない。戦車と共に苦労して、強い精神を養うのだ。

 そして心と自分自身を磨いて、ひとかどの人物を目指すのだ。

 それが戦争と、戦車道のちがいだ。みほの考える勝利は、個々の履修生が自分の人生を勝利で飾ることなのだ。だから別に試合で名をあげる必要はない。

 これからのみほと大洗女子の戦いは「強さがすべて。力がすべて」という非人間的なものに対する戦いとなっていくだろう。

 

 

 

 全国大会の一回戦も、第一戦以外はすべて順調に執り行われ、第二回戦に進出する学校が出そろった。これから一週間後に第二回戦が4戦とも異なる会場で同時開催される。

 石川県の継続高校も、その一校だった。次の相手は、黒森峰だ。

 

「ふーん。これでパーシングを倒したから何かあるとは思ってたんだけど……」

 

 占有離脱物の拾得に熱心なあまりダブってしまったミカ【男の名前なのに、なんだ女か】隊長の隣に、某義体の女少佐と同じ髪型だが髪を金色に染めて、ガーゴイルのサングラスをかけた、継続ジャージを着た女生徒が立っている。

 しかし、彼女のジャージは継続カラーではなくバーミリオンレッドで、しかもジャージなのになぜかノースリーブだ。

 

「QF114mmはガワだけ。中身は変な大砲さ」

 

 ミカが継続高校の『最高機密』を明かした。

 彼女たちが見ているのは、大洗動乱に参戦したフィンランド軍の改造失敗兵器、BT-42突撃砲という異形の戦車だった。

 フィンランド人がこれを18両作ってKV-1やレンドリースチャーチル、スターリンと戦い、全弾命中させて1両も撃破できないという偉業を成し遂げた。

 だがこのBT-42は、それらと同等の防御力を誇るM26パーシングを3両も食っている。

 

「たしかにこれなら、直撃すればパーシングはおろか、マウスさえ即死ね」

「しかも反動もゲルリッヒなどに比べればはるかに小さい上に軽い武器。

 ガワに合わせるため砲身ぶった切ったから、初速は落ちて精度も悪いから至近距離でしか当たらないけれど」

「そこは、腕と戦術でしょ」

 

 

 

 これより3日前、これから翌年度いっぱいまで対外試合もせずに何をするのかと優花里に問われたみほは「人を育てるのに、試合は必要ない」と答えた。

 

「なにも実戦で実績を残すだけが戦車道じゃない。

 大洗女子にいる3年間で、戦車道を取ったみんなにはどこに行っても通用する戦車道選手になってもらえればいいと思う。

 大洗育ちは強いというのが定着すれば、皆ここの卒業生を競ってスカウトに来る。

 大学チームやこれからできるプロリーグに選手をコンスタントに送り込めるようになれば、大洗もれっきとした戦車道の強豪よ。

 また別に戦車道に進んでもらわなくても、なにかで一流の人材になる卒業生を輩出できれば、もう誰も大洗女子に手は出せない。これが「不敗」ということと思う」

 

 それこそが、みほの戦車道。負けない戦車道なのだ。

 

 

 

 ノースリーブサングラス女は、BT-42を見て感心しきりだ。

 BT-42が15.55口径114mm砲に偽装していた主砲の中身は、Panzerwurfkanone10H64というドイツ製の対戦車砲だ。よく『10cmPAW1000』と呼ばれているが、実際の口径は105mm。砲身の肉厚は薄く軽量、そしてなんとライフルが切られていない滑腔砲だ。

 薬莢部に現在でもグレネードランチャーで使われている「高低圧理論」を用い、少ない発射薬で105mm有翼安定成形炸薬弾を発射する。

 クルップ社が開発していたこの兵器は終戦までに1門が完成しており、射程は1,000mで、垂直から60度傾斜した200mmの均質圧延鋼板を貫通した。

 低反動のため大変軽量であり、砲架は50mm対戦車砲のものでよく、48口径75mmPak40対戦車砲が1.5トンあったのに対し、Pak10H64は1トン強しかなかった。

 これは普通に対戦車砲として用いられるだけではなく、統制車両計画25トン駆逐戦車の量産型にそのまま主砲として採用される予定だった。なおこの「25トン駆逐戦車」は「設計完了、試作着手」に該当する。たとえ数枚の装甲板であっても。

 他にもポルシェが計画していた「ポルシェ250重小型戦車」の主武装でもあった。エンジンは試作されているため、これもルールに該当する戦車である。

 欠点は、初速の遅さ(600m/s)と、命中率だった。しかしライフリングがなく成形炸薬弾を撃つには理想的な砲であるため、カタログスペックどおりの威力を発揮できる。

 ざっくり言えば、当たりさえすればマウスでも、中空装甲を採用していない戦後第二世代MBTすらも『即死』である。

 

「これも『搭載される予定だった』部材なのよね。

 そしてこれが載せられるはずだった車両は2種類とも駆逐戦車。作りが簡単で低反動だから、前面装甲の裏に支持架を作ってそのまま載せるというだけ。ゲルリッヒのような問題は起きない。

 完成が遅すぎたから知らなかっただけで、ある意味盲点だったわ」

「PAWだけじゃないよ。BT-5や7も主砲を換えた。40mmに」

 

 継続があちこちからかき集めた、足が速いだけのBT戦車たち。

 だが、その主砲は45mmM1937ではなく、別名「2ポンド砲」と呼ばれる40mm砲。

 そしてその先端には漏斗が引き延ばされたような先のすぼまった形状の、穴がたくさん開いたアタッチメントがついている。

 元・ダージリンが言っていた「リトルジョン・アダプター」、ゲルリッヒ砲よりはるかに大量に使用されたポン付け口径漸減砲だ。

 

「これで超高速徹甲弾APSVを撃てば、初速は1,100m/sを超え、500m先の厚さ100mmの装甲板を打ち抜けるわね。ミカさん」

「しかし口径を絞るのが、実は空気抵抗を減らすためだったとはね」

「初速は弾の質量で決まってるの。だからアダプターには腔圧を逃がす穴がいっぱい開いていて、寿命を延ばしてる。

 実際ゲルリッヒの2.5kgAPCNRもPak42の75mm4.5kg高速徹甲弾も初速は同じ。口径を減らせは、表面積はその二乗で減るでしょ。

 空気抵抗もその分減って速度が落ちなくなって威力が増すというのが口径漸減砲の原理なの。

 でもコスパは70口径75mmよりずっと悪い」

「しかしリトルジョン・アダプターなら、もともとある2ポンド砲はそのまま無改造でいい。

 砲弾ももともとある高速徹甲弾をアレンジするだけ。この場合は、英国人の勝ちだね」

「でも最終的には、フランス人の発明した装弾筒に負けちゃったけどね」

「で、今度はその装弾筒付きAPDSを撃てるのもある」

 

 継続の虎の子たち、寄せ集めのKV-1とT34/85、それとどこかのお下がりのⅣ号J型にⅢ突G型。だが、付いている主砲が異様だ。すべて同じもの。そしてKVと85にはあるはずがないマズルブレーキが付いている。

 77mmHV砲。コメット巡航戦車が積んでいる、17ポンドの50口径砲身減装薬型だ。

 

「そしてこれからは、第二回戦で黒森と当たる学校に『義勇兵団』が『短期転校』で参戦する。

 たとえそれが大洗の生徒であっても、大洗は「学校としては参加しない」のだからまったく問題はない。だいたい『短期転校』を認めたのは連盟理事長なんだから」

 

 ミカは笑う。自分たちはこれからMBTまがいをそろえた「強ければそれでいいんだ。力さえあればいいんだ」というひねくれた戦車道に、大同団結して戦いを挑む。

 わきにいる女生徒とともに組織した『エルネスト・ラファエル・ナイツ』が、これから四強に戦車道のなんたるかを教育するのだ。

 四強の先代隊長たちは、高校戦車道がゆがんでしまったことを本当は悔いていた。

 だから次代の者たちに裏資金と簿外品を託し、そしてミカはわざと単位を落として留年した。

 試合に参加しない大洗の戦車倉庫は、これから自動車部と継続がこしらえた「安い戦車を創意と工夫でチューニングした魔改造戦車」の保管所になり、必要とされる学校に貸し出される。

 その維持費は大洗だけではなく「四強」以外のすべての連盟登録校が持ち寄って運用する。さらに以前から連盟に参加すると言われていた「中立高校」も、参加と同時に『ナイツ』の一員になると内々で伝えてきた。

 もう彼女らは「かませ犬」ではない。群れをなし、連携して戦う狼の集団だ。

 そして今年は継続を優勝させる。それが目標だ。

 つぎはまた、第二回戦で黒森峰と当たる学校が優勝を目指すのだ。

 高校戦車道がまともになるその日まで、鋼鉄の傭兵部隊の戦いは続く。

 

「風が言っている。『革命か、死か』と」

「もし私たちが巨象に刃向かうカマキリだというのなら、手の施しようのない中二病だというのなら、可能と不可能の区別が付かないドン・キホーテだというのなら」

「何億回でも答えよう」

「そのとおり! だとね♪」

 

 ふたりは、声を上げて笑う。

 そこに1両のタンクトランスポーターが現れた。

 1両の駆逐戦車を搭載している。どこかで見たような車体の。

 そのトランスポーターの助手席から、小柄な人物が降りてきた。

 VIPがよく「入院」することで知られる東京の某病院から「退院」したばかりの、大学選抜の総司令官である。

 そして、荷台から降りたTas駆逐戦車魔改造を、二人の女子高生に披露する。

 当然のことながら戦車型より、いやそれ以上に背が低い。砲の取り付け位置が高いから俯角はとれなさそうだが、そこは運用だろう。何よりもショットトラップがない。

 機関系はHSS&HL230P45パワーパック。脚はホルストマンサスペンション24輪。

 そして主砲は……

 

「……これは、88mmL71(現計画では未定)」

「そう、ただし計画と違って最末期のKwk43p。105mmL7A1と同等の威力」

「じゃあ本当は、これにするために買ったの?」

「そうよ。設計図面は存在し、試作条項も車台が作られていたのだから問題ないわ。

 もうすでに3両とも改造を終えて『レンタル』するんだけど、あなたたちにはそのうちの1両を売却するわ。特別に製造原価で大洗女子に譲渡してあげる。だから」

「だから?」

 

 島田家継嗣は、サングラスの大尉に何か耳打ちする。

 大尉に降格した誰かは、笑ってサムズアップを返した……。

 どうやらこの二人の趣味に関することのようだ。

 

 

 

 第64回戦車道全国高校生大会が、四強つぶし合いで終わるのか、それとももうひと波乱あるのか、まだ誰も知らない。

 

-Fin-

 

 

 

 

 

 




 
今日まで拙作にお付き合いくださり、誠にありがとうございました。
おかげさまで目標の一つ「毎週4ケタUA」「最速1万超え」が達成できました。
 
皆様に深く感謝いたします。
 
 
  
 
Pixivにあった「バカめ!三度も騙されるか」というルクリリさんのイラストに萌えて書きました。
後悔はしていません。
 
 
 


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蛇足の章
【特報】秋山殿、ストーカーを撃破す! (一話完結:閲覧注意)


注:あらかじめお断りしておきます。
 この話に登場する「伊号戦車」という架空人物には、いかなるモデルも存在しません。
 また彼は自分自身を「お○く」と表現しますが、それは彼がそう思っているだけで、秋山優花里、あるいは現実世界にいる「先鋭的な趣味人」とは全く異なる、本当の意味で異常な人物であり、実際のいかなる人物とも無関係な「架空の人物」です。
 以上のことをご了解の上、お読みいただければ幸いです。
 



 

 

 

 2013年も春分の日を過ぎて、寒さも遠のきつつあったころのこと。

 春暖の候というのがしっくり来る日々がやってきた。

 しかし、それにもかかわらず大洗女子学園生徒会副会長、秋山優花里は不機嫌の極みだった。

 

 兆候は昨年の第63回戦車道全国高校生大会から、すでにあった。

 第一回戦の対サンダース附属戦を制したあたりから、がぜん大洗女子の注目度が上昇。

 それにつれて選手たちも、いろいろな意味で興味や関心の的となった。

 

 決勝戦が始まろうとするころには、全選手の当たり障りのない程度のプロフィールは一般世間に浸透していた。

 そして決勝戦が終わり、大洗女子が第63回を制覇した後しばらくは著名人から小学生まで様々な人々から祝電、メール、公式SNSへの書き込み、お祝いの書状などが殺到する。

 それらのうち、公立校としての大洗女子全体に宛てたものは学園長に丸投げされた。

 未成年の角谷が、名のある政治家や経営者に直接返事をしたためるわけには当然いかない。

 問題なのは、いわゆる「ファンレター」だった。

 

 一般的には「ファンレター」には返事をしなくても失礼にはあたらない。

 それこそ「暗黙の了解」である。

 西住みほなど何も考えずに、「読まずにシュレッダーに食べ」させている。

 別に彼女が「ファン」が眼中にないわけではない。黒森峰時代から全部読んでる暇はないだけの話だ。なら差出人のリターンアドレスも含めて残しておかない方がいいのが赤の他人の手紙だ。

 概して間違いの元にしかならない。それにどのみち続いても半月かそこらの話だ。

 そもそもみほは「やはり自分にファンが付くなんて間違っている」としか思えない人間だ。

 まして彼女は大洗に来る前に、山ほど「ヘイトレター」やカミソリ付きすらもらっているのだ。

 他のメンバーにもそれぞれ数通ずつは来ていたが、角谷が「読んでもいいが返事は書くな」と、こういうことに慣れていない彼女たちに釘を刺していた。

 武部沙織宛のものは沙織が読んだ後、全部五十鈴華が取り上げた。

 これは当然の処置であろう。

 冷泉麻子は一読すると即座に処分した。眼球スキャナが即座にPDFに変換し、脳内ストレージにタグをつけて領域を割り当てて整然と書き込んでいく。それに要する時間はミリセカンド以下。

 なら原本にもう用はない。やはりシュレッダーのご飯にしておくのがいいだろう。

 しかし、誰も彼も一番大事な人間のことを忘れていた。

 戦車道組にとってまだ知り合って数ヶ月だから、しかたがないといえばしかたがなかった。

 

 全国大会から大洗動乱までの間で大洗女子戦車道のファンになった者たちのあいだでは、秋山優花里といえば「きわめてコアな軍用車両マニア」で通るようになっていた。

 当然のことながら、彼女宛のファンレターは、そういう系統のマニアばかりと言ってよかった。

 マニアなど生やさしい「スノッブ」レベルの彼女が、こういう手紙に喜んだのは当然である。

 ほんの数通ということもあってか、優花里はあっさり「文通」を始めてしまった。

 しかし、ある者は提示できるネタに新鮮みがなく、常識程度の話しか出来ないため自然と疎遠になった。またある者は彼女の「重箱の隅」レベルのやりとりに疲れて、自分から打ち切った。

 なにしろ優花里は『世界の無名戦車』という書籍の中に名前だけが一回だけしか出てこない戦車すら知っているのだ。普通はそんな者の趣味友になれる奴はそうそういない。

 優花里はやはり鉄道マニアの方が向いていたかもしれない。「秘蔵情報」をいっぱい知っている人間は貴重品扱いされるし、女性も大勢いる。延々と鉄道話をしていても、誰も飽きたりしない。

 なにしろ世界中に存在した鉄道車両のすべてを網羅するようなスノッブは、まず存在しない。

 もしいたら、「神」扱いされるだろう。

 

 そのようなわけで、ものの二週間ほどで優花里に「ファンレター」を送ってくるものは約一名になってしまった。

 だが、その一名が大問題だった。

 大洗女子の公式SNSに「伊号戦車」なるハンドルで書き込みを続け、全くレスがつかず、誰も彼もが辟易したあげく放置されている輩だったのだ。

 彼は自分の知る限りの戦車知識をこれ見よがしに書き連ねた便せんにして5枚程度の「定期便」を「毎日」送ってくるのである。

 優花里も最初は喜んで「情報交換」していたが、ある日から話が堂々巡りを始めた。

 優花里が「それは前に読んだ」と書いてもまたぞろ同じ話をする。

 つまりネタが切れてもただただ文通がしたいらしい。優花里もさすがに気味が悪くなった。

 そんなとき、伊号戦車は「東京瓦斯電気工業 九五式装甲軌道車」なるもののプラモデルキットを優香里に進呈。あまりのレアすぎぶりに驚喜した優香里はまたまた文通を再開する。

(なお、戦前の軍需企業として名高い「ガスデン」だが、名前を変えていまでも存続している)

 調子に乗った伊号戦車は、「ライントホター 1 ミサイル w/ E-100車台自走砲架」だとか「オブイエークト704」だとか「ホリⅡ型」とか「マレシャル駆逐戦車」だとかのモデルキットを送りつけてくる。

 気がとがめた優花里が「これ以上もらっても『積みプラ』にしかならないから」と言ってご辞退したのでその後は手紙に戻ったが、これがまた女の子なら普通にいやがる露出度の高い判子絵のレターセットで、1日2回定期便で来るようになった。

 しかも自分の私生活の日記みたいな内容に変化している。

 あまりのアレぶりに、優花里は開封するのをもうやめにした。返事も出さないことにした。

 しかし、不幸の手紙はやむ気配もない。もはや毎日送られてくる趣味の悪いアニメ絵封筒を見るたびにげっそりする優花里。しかもそれはどんどん山と積まれていく。

 思いあまった優花里は、みほに相談した。

 

「優花里さん。ファンレターにコミットしてはいけない理由、わかった?」

「西住殿ぉ~、私はどうすればいいんですかぁ」

「こうすればいいのよ」

 

 みほは、生徒会室にあるシュレッダーに未開封の悪趣味封筒を片っ端から放り込む。

 

「優花里さん。いままでやりとりした分も処分しようね。

 まさかメアドとか教えてないよね?」

「……さすがにそこまではやっていません。

 向こうからメアドとか住所とか教えてくれって書いてきましたが、思いとどまったであります」

「うん。だったらOK。

 じゃああとひとつ、やっておくことがあるから」

 

 西住殿は秋山殿をともなって、学園艦内の郵便局本局に出向いて角谷が書いた依頼書を提出し、「大洗女子学園内秋山優花里殿」という宛名の郵便物には「あて所に尋ねあたりません」という正規のゴム印を押して返送するようお願いしてきた。

 その後何回か学園宛てに「普通Ⅱ科2年秋山優花里の在籍証明」を問い合わせる書面やメールが何通か送られていたが、角谷は「存否応答拒否情報」に当たるとして却下。

 ざっくり言えば「イエスでもノーでもない」と回答した上で、伊号戦車のリモートホストを「アクセス禁止」にしてしまった。

 こうして、大洗動乱が終わって秋が深まるまでには、誰も彼も伊号戦車のことは、完全に忘れ去っていた。しかし本人と言えば「これは誰かの陰謀で、自分は偏見で差別されている」という思い込みをいっそうこじらせていった。

 

 

 

 そして、角谷執行部は生徒会から引退し、そのあとを五十鈴執行部が引き継いでからのこと。

 年度切り替え前の3月下旬に伊号戦車は、なんと大洗学園艦に住所を移した。

 海上の大洗女子学園艦内では有線のデータ通信網が使えないため、入居者用のサービスとして無料のWi-Fiが船内すべての場所で使える。それを逆用しようとしたのだ。

 生徒会副会長の秋山優香里には、当然公用のアドレスが割り振られ、外部に公開されている。

 

 初めは伊号戦車は「ダイレクトメールを装ったメール」を発信し、それが確かに優花里のアドレスだったと確認するや、フリーメールを使ったなれなれしいメールを発信し始めた。

 優花里の頭痛の日々が再び始まった。

 幸いにも例の「補助金と新型戦車」の問題は、すでに内部的な解決を見ていたから良かったものの、優花里が激しく苦悩していた時期にそんなことになったら目も当てられなかっただろう。

 

 最初はやはりリモートホストを遮断しようとプロバイダを探してみたが、それは大洗女子自体のキャリア業者だった。つまり敵は船内のWi-Fiにただ乗りしていると言うことになる。

 仕方ないからメアドを「迷惑メール」に振り分けるのだが、敵もまたちがうWebメールのアドレスを取得して、またメール攻撃をかけてくる。

 しかたがないので優花里のメールボックス自体を外部から遮断する非常措置を執った。

 大洗女子公式SNSでもトラブルが起きるため、当分の間サービスを中止せざるを得なかった。

 そうしたら今度は、華の会長専用アドレスにまで伊号戦車のメールが届いた。

 

 あんこうチームは全員がぶち切れていた。

 優花里は責任を痛感している。確かにこんな悪質すぎるケースはレアだろうが、決していないわけではないことはわかっていた。

 みほのいう「マニア魂優先でやばいことを招いた」のは二度目だ。気をつけなければ絶対に「三度目」が起こるだろう。

 ルクリリも「三度目」は防いだのだ。

 この日は「戦車道の授業」として外部から「銃剣道」の指導者を招いて、全員が木銃で突いたり、銃床で防いだり、カウンターで蹴りを入れてみたりと塹壕戦さながらの稽古をしている。

 休憩時間になり、防具を外したみほのとなりに優花里が座った。

 

「西住殿。『三度目』を招かないためにも、今回の件は自分でけりをつけたいです」

「優花里さん。相手がわからないのにそれは危険……」

 

 優花里は稽古場の30kgほどのダンベルを右手で武道場の高い天井に放り投げて、また落ちてきたそれを、今度は左手だけでキャッチする。

 

「私も、この一年でだいぶ『戦車道女子』らしくなったと自負しております」

 

 それを見たみほは、50kgのダンベル二つを左右の手に持つと「お手玉」を始めた。

 

「一応、学園艦幹部交番の刑事部の人には来てもらった方がいいね。

 うまくいけば、県警から感謝状の一枚ぐらいもらえるかもよ」

 

 みほも「言うようになって」しまった。無理もないだろう。

 かつて、とある女性大物歌手が若手新人だった頃、自分の楽屋に侵入していた不審者をムエタイばりの膝蹴りで撃破したときは、警視総監表彰になったという。

 今度はどうだろうか。

 

 

 

 数日後。

 伊号戦車は、最上甲板舷側をぐるりと一周しているキャットウォークという、甲板から一段低くなっている遊歩道のあちこちにしつらえられた公園の一つで誰かを待っている。

 それまで完全閉鎖を貫いていた大洗女子のサイトだったが、ある日突然優花里専用のメアドまで含めて、すべてアクセス可能になった。

 伊号戦車は、さっそく優花里宛に「ぜひお会いしたいです」というタイトルで、内容もその一行だけというシンプルなメールを100通以上送った。100通のメールはまったく受信拒否されることなく優花里のメールボックスに届いている。

 返信は全くない。しかし伊号戦車は「熱意」を見せ続ければ必ず通じると信じて、必死にメールを送り続ける。

 それが100通を超えたころだろうか、彼のメールボックスに「Re:ぜひお会いしたいです」という、待ちに待った返信が来た。内容はただ待ち合わせの日時と場所を伝える素っ気ないものだったが、伊号戦車は天にも昇る心地だった。

 そして約束の日時まで36時間ほどあるにもかかわらず、彼はブルーシート持参でその公園に立てこもった。いわゆる「徹夜組」の経験だけはありすぎる伊号戦車にとってはもはや野宿徹夜など、ものの数ではなかった。

 もちろん公園ごとに設置されている防犯カメラには、彼の姿ははっきりと写っている。

 

 そして伊号戦車が籠城し始めて36時間が経とうとするころ。

 すでに日は落ちて、甲板には人工の明かりが満ちあふれているが、公園には申しわけ程度の防犯灯だけが灯っている。

 その防犯灯に照らされながら、伊号戦車はじっと立ったまま優花里が来るのを待っていた。

 ああ、とうとうこの日が来た。

 彼女なら、自分と同じお○く趣味の彼女なら、きっと僕とつきあってくれるはずだ。

 お○くだと言うだけで離れていく他の女どもとは違う。

 彼女ならきっとわかってくれる。あきらめたらそこでノーサイドだ。

 あきらめなくて良かった。これが神の導きでなくてなんであろう。

 恍惚とした表情を浮かべながら、そんなことばかり考えている伊号戦車。

 しかしこいつは、もっと想像するべきだった。

 秋山優花里はスーパーミリ○タチャンピオンである以前に、普通の美少女なのだと言うことを。

 ミリ○タの部分は、彼女の趣味の領域に過ぎないことを。

 そして彼女を個性づけているしゃべり方の特徴の80%は、語尾口調ではなく、その独特のイントネーションにあると言うことを。

 むろん、伊号戦車はお○く(=普通人)ではなく完全に別な「何か」なのだが、本人に自覚できるくらいなら、そもそもこんな大惨事になっていない。

 

 例の「7TP」のロゴ入りシャツにスパッツ姿で件の公園に現れた優花里は、最初ゾッとして、つづいて怒りがこみ上げてきた。

 防犯灯の下の超ピザ体型で丸眼鏡をキラーンとさせて、自分が愛用しているのと同じサックを背負った男が着用しているのも「7TP」のロゴ入りシャツ! まるでペアルックと言わんばかりに。

 ついつい「やめろー!」と叫びたくなるのを全力でこらえながら、優花里はゆっくりと伊号戦車の前、2m離れたところに歩み寄る。

 もちろん優花里は単身ではない。公園が面している遊歩道には左右に柔道有段者の警官と、柔術剣道合気道銃剣道長刀道書道棋道全部あわせて五十段のみほがいる。

 しかし、それはあくまで事後の備え、後詰めであった。

 優花里はどこまでも、自分で決着をつけるつもりなのだ。

 

 

 

「自分は秋山優花里であります。あなたが伊号戦車さんでありますか?」

 

 伊号戦車はもうすっかり舞い上がってしまった。

 あの、あの秋山殿が今自分の前にいて、例の軍隊口調で話しかけてくる。

 だから彼は聞き落としてしまった。彼女の口調が詰問のそれであったことを。

 

「ああ、秋山殿ぉ~。お会いしたかったであります!

 不肖私が、伊号戦車であります。

 日本全国の軍事マニアのあこがれの的、秋山殿にお会いできて恐悦至極に光栄でありますっ!

 本当に今日まで生きてきて……」

「――で、私に何の用?」

 

 急に優花里の声の温度が下がる。

 まるで、あのプラウダ戦の会場だった万年雪が積もる永久凍土に閉ざされた廃村ですら暖かいと感じられるほどに冷たい声だ。

 

「い、いやだなあ秋山殿。せっかく趣味を同じくする者同士じゃないですかぁ。

 これからお互いに親睦を温めあってい……」

「寝言は寝てから言い給え。君はバカかね?」

 

 伊号戦車は混乱した。

 目のまえの秋山優花里の形をした何かは、伊号戦車を拒絶しているのだ。

 それも冷え冷えとした口調の寒々とした言葉で。

 嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ――――っ!!!!

 間違ってもあの秋山殿がそんなこというわけないーっつ!

 そう思った伊号戦車だったが、口に出してはこう言った。

 

「あの、なにか間違っているであります。

 自分の知る秋山殿は常に明るくていねいな、語尾が『あります』で……」

「それは私が格上と認めた者に対してだけよ。

 軍隊口調を使うと言うことは、目下には厳しくて当然だわ。

 まして貴様がごとき唾棄すべき輩に、口を利いているだけありがたいと思いなさい」

 

 伊号戦車は凍り付いた。何かがおかしい。絶対おかしい。

 秋山殿はそんな口の利き方をしてはいけない。

 偏見と差別にあえぐ全世界10億人のお○くの希望が失われる!

 伊号戦車は、叫んだ。

 

「秋山殿はぁー! 秋山殿は、そんなことを言ってはいけないんだぁぁあああ!!!」

 

 しかしここで伊号戦車は、まだ出していない秘蔵のお宝ネタがあることを思いだした。

 

「あ、秋山殿。ハンガリーが戦車を国産していたことをご存じですか?」

 

 優花里の眉がぴくりと動く。しかし伊号戦車はそんなことに気づかずに続ける。

 

「実はその中に、完成すればパンター以上の高性能となったろう試作戦車がありましてね。

 その名を44MTasと――」

 

 伊号戦車は、最後まで言い終えることができなかった。

 彼は気づかずに最悪の巨大核地雷を踏んでしまったのだ。鶏電池がなくとも起動する奴を。

 次の瞬間、彼の視界は真っ白な光に漂白された……

 

 

「……いったい、何がしたいの?」

 

 

 

 伊号戦車は、優花里の強烈なかかと落としを食らい、あおむけに無様に伸びている。

 今日はスパッツで良かったと、優花里は思う。

 伊号戦車は口から泡を吹いている。これならしばらく意識は戻るまい。

 そう思った優花里は、みほと警官がいるはずの遊歩道に向かって歩き出す。

 

 優花里がみほに「奴は気絶中」とつたえ、公園の両サイドから警官たちがじりじりと油断なく公園に進むまで、ものの10分ほどだった。しかし……

 

 

 

 

 

 

 ……伊号戦車が気がついたとき、彼は大洗艦のキャットウォーク公園で仰向けに大の字になって寝そべっていた。

 なにか頭のてっぺんがズキズキ痛む。なでると頭頂部にたんこぶができていた。

 彼のめがねはどこかにいってしまったらしく、ただでさえ暗い視界は灰色のもやのようにしか見えない。彼はふらつきながら何かにつかまって立ち上がり、よろめきながら歩き出した。

 

「……ちがう。あんなのちがう」

 

 伊号戦車が知っている秋山殿は、常に馬鹿がつく丁寧口調だ。

 

「あんなの秋山殿じゃない」

 

 秋山殿は、常にしゃちほこばった軍隊口調だ。

 

「絶対に違う」

 

 秋山殿であるからには、語尾は常に「であります」でなくてはならない。

 

「偽物だ」

 

 秋山殿なら、お○く趣味の持ち主を馬鹿になんかせず、理解してくれるはずだ。

 そして伊号戦車ほどのエンスーであれば、好きになってくれるはずだ。

 

「偽物だ! だれかが僕と秋山殿を遠ざけようとしているのだ!」

 

 お○くの自分を嫌う普通女子たちが、秋山殿を守っているつもりで邪魔しているのだ。

 本物に合わなければ! 会って本当の真摯な気持ちを伝えなければ!

 伊号戦車の目には、もう何も映っていない。

 優花里の元へ急がねばという気持ちだけが空回りしている。

 だから、伊号戦車は何か腹ぐらいの高さにあるフェンスにぶつかると、横ばいになりながら必死に乗り越えていった。

 

 

 

 伊号戦車は、自分がいたのが大洗艦のキャットウォーク、上甲板外周通路にある公園だったことなど、すっかり忘れていた……。

 

 

 

 

 

 

「……。

 優花里さん、いないみたいだけど」

「え、まさかあいつ逃げたのでありますか?」

 

 こちら側からも、反対側から来た警官たちも、伊号戦車の姿は見ていない。

 取り逃がしたと言うことはないはずだ。

 警官は幹部交番長の警部に連絡を取ると、懐中電灯などよりずっと明るい「信号灯」で公園中をくまなく調べ、公園デッキの下や舷側まで照らしたが、見つけることができなかった。

 結果、大洗女子に勤務するすべての警官が非常線を張って、サーチライトまでつかって一斉捜索したが、伊号戦車の影も形も痕跡すらも、何もつかむことはできなかった。

 そして、その日を境に、伊号戦車はどこにも出現することはなく、大洗女子のネット関係にも全く出てくることはなくなった。

 結局この件は、1年後に迷宮入りになってしまい、捜査本部も解散した。

 その後のことは、誰も知らない……

 

 

 

- Fin -

 

 

 

 

 

 




 
※ この作品に登場する「伊号戦車」は、文化的一般的な意味で先鋭的なマニアを自認する人々=正常人ではないことを再度お断りいたします。
 彼はあくまで異常な人物であり、架空の存在と解釈していただければと思います。
 また、いかなる現実上のモデル(人物および事件)も存在しません。
 
 
 


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れっつじょいん ばりぼーくらぶ 前編

 

 

 

 2013年3月も、もうすぐ終わろうとしている。

 大洗女子にとっての最大の懸案事項である「戦車道をどうするか」については、外部から仕掛けられた陰謀のおかげで1年間はモラトリアム状態となっている。

 しかし生徒会長五十鈴華にとっては、もっと身近なところで、すぐにも解決しなくてはならない課題があった。

 人員不足と予算を戦車道に振り向けるため、前会長角谷が廃部してしまったバレーボール部の今後についてだった。戦車道高校生全国大会でブリキ装甲、豆鉄砲の昭和五年製八九式を駆って、10年以上未来の戦車たち相手に一歩も引かず戦い抜いた『奇跡のアヒル』の母体である。

 バレーボル部の部員は年度当初で2年生1名、1年生3名のわずか4人だった。

 2年生主将の磯部典子はたったひとりで部の存続をかけて必死の部員勧誘を行ったが、入部したのは近藤妙子、河西忍、佐々木あけびの一年生3人だけ。バレーボールはレギュラーメンバーだけでも6人必要であり、この時点で部としての活動が不可能と判定されて、生徒会から廃部を言い渡されたのだ。たったひとりで奮闘した磯部や、入学したと同時に大好きなバレーボールの道が断たれてしまった近藤、河西、佐々木の無念はいかばかりであったろうか。

 しかし、磯部たちはそれでもあきらめなかった。彼女たちは今度は戦車道授業を選択し、なぜか角谷がなりふり構わず立ち上げた戦車道で自らの力と存在意義を証明し、バレーボール部復活へとつなげようと考えた。彼女たちは、他の部活の好意で体育館の片隅を使わせてもらってわずかな練習を続ける一方で、本気で戦車道に立ち向かう。

 だからアヒルさんは興味本位で参加した他のメンバーたちとは最初から意気込みが違った。

 自分たちが掘り出した攻・防・走すべて貧弱で扱いも難しい八九式を「5人目のバレー部」と呼んで仲間として扱い、最後には自分たちの手足のように操るところにまで至った。たとえ効き目がなくとも撃った弾は必ず当て、準決勝、決勝戦ではどんな名手もおいそれと弾を当てられない「逆リベロ」にまで成長した。わずか3ヶ月ほどで。

 本来ならば最も真剣でなければならなかったのは会長の角谷杏だったろう。しかし角谷は内心の感情を押し殺して「昼行灯」でありつづけた。他の履修生、とくに名門の出でありながら実際は小心な西住みほを萎縮させたくなかったのかも知れない。もっとも角谷も準決勝ともなればそんなことは言っておられず、みほを覚醒させ、自らも持てる力を発揮して戦った。

 とにかく元バレー部は腕と戦術に努力と根性で、自分たちの実力を超える激闘を続けて圧倒的不利をひっくり返してみせたのだ。

 

 角谷が大学選抜戦終了をもって会長を退任し、後任の会長が五十鈴華に決定したとき、角谷から引き継いだ事項の中に「磯部らのバレーボール部の再結成」もあった。本来は部活の結成については生徒側が行うことであって、生徒会側はその承認否認と予算の配分を行うものだ。しかし磯部たちがバレーボール部を復活させたいのは大洗戦車道メンバー全員が知っており、そのため角谷は人数の条件さえ整ったなら、最優先でバレー部を復活させるよう言い残したのだ。

 また、本人たちが希望すれば戦車道授業からの離脱も認めるよう言われている。戦車道履修生から見れば磯部たちがいなくなるのは大きな痛手だが、今までのことを考えれば戦車道の負担から自由になって、好きなだけバレーボールをやってほしいと華も思っている。

(ただし本人たちは、戦車道の継続と自分たちの参加を希望している)

 

 だが一方で、華は最後の条件である「人数」こそが本当は一番問題だと考えている。

 なにしろこの年度、大洗女子にはバレー部はなかったのだ。

 新入生には初めから「大洗女子にはバレーボール部はない」と思っている者も多いだろう。

 最悪の場合、また「人数不足」になる可能性も、わずかだろうがあるかも知れないのだ。

 もし4月にまたバレー部が結成できなければ、磯部はもう高校バレーをすることがなくなる。

 この場合は戦車道の成果が逆にネックになる。磯部典子でさえバレーボール選手ではなく「戦車道のスーパースター」として認知されているのだ。磯部はバレー部復活までユニフォームに袖を通さない覚悟だったが、他の三人も戦車道の試合ではいつも着ているユニフォームではなく、大洗女子の戦車道ジャケットを着ている。

 アヒルさんチームがバレーボールプレイヤーだと知っている者は、大洗女子の中でさえあまりいないのだ。

 

「いや、絶対にバレー部は復活させなければいけない!」

 

 そう、アヒルさんチームの勇戦がなかったら、大洗女子は存続できなかったかもしれない。

 報いる道はただ一つ。

 何があろうとバレー部を再結成するしかない。

 華は放課後に、密談に最適な例のとんかつレストランに「あんこうチーム」全員を集めることに決めた。

 ……断じて自分が「超重戦車カツ定食×3丁」を食べたいからではない。

 

 

 

 とんかつレストランに五人が集合してから、すでに1時間が過ぎていた。

 だが、話はまだとっかかりにすら入っていなかった。

 華はナプキンを取り出して、上品に口周りをぬぐう。

 華の前には、『撃破』された超重戦車マウスが乗っていた大皿が3枚、ピカピカの状態で3枚きれいに積み重ねられていた。お上品に。

 今回は皆、華以外は相談がメインと思っているので、普通の定食を頼んでいた。

 それなのに華は何も言わずにカツをお食べになり、皆と合わせたように同じ時間に食べ終わりになられた。所作は大変お上品なのだが、分量が残念だ。

 

「で、皆さんにお集まりいただいたのは……」

「……」

「……」

「……華ぁ。

 食後の休憩ぐらいさせてよぉ~」

「ケーキ頼んでいいか?」

 

 やっぱり女の子には、食後のスイーツこそが大事なのだ。

 華は店主に名物「戦車ケーキ」を7個頼んだ。

 戦車喫茶「ルクレール」の話を聞いた店主が、対抗意識を燃やして作り上げたものだ。

 

 

 

 皆の前に1両ずつ、一人だけ3両のケーキ戦車がならんで、カフェラッテがそろったところで、華が本題を切り出した。なお、華の前にある戦車は1両だけである。

 

「実は磯部さんたちのバレー部のことなのです。

 もちろん私も次年度には再結成していただくつもりであり、また、角谷前会長もなんとしてもバレーボール部を復活させるよう、引き継ぎの時に強く念を押していらっしゃいました。

 予算も例の『補助金』のおかげで、クラブ活動費を前年度並みに増額できましたし、他のクラブの皆さんもバレー部復活を歓迎するとおっしゃっています」

「じゃああとは必要な人数だけそろえば、すぐにバレー部復活じゃん」

「いや沙織、それこそが最大の問題なんじゃないのか?」

「あっ! それを見落としていた……」

 

 さっさと気がついたのは麻子とみほ。沙織は頭の上に疑問符を飛ばしまくっており、優花里はなぜか「どうしてそんなことを心配するのか?」という表情だ。

 

「華さん、考えてみれば大変なことです。うかつでした。

 磯部さんたちは4人で新部員を勧誘しなくてはなりませんし、去年の新学期のことを考えれば、大洗女子のバレボール人気はさほどないと考えなければなりません。

 新入生にとっては『大洗女子にバレーボール部はない』と思われていますから、今の人数のことも合わせると、バレーをやりたいと自発的に申し出る新入生がいるかどうか」

 

 これには、普段はみほにべったりの優花里が異を唱えた。

 

「磯辺殿たちには、バレボール部復活について最優先の便宜を図ることにすればいいと思います。

 オリエンテーション、部員募集会場、事前PRについても一番目立つよう配慮します。

 それよりも、本当は戦車道履修者の方がお寒い状態なんです。

 はら、全国大会で転倒しなかった戦車って、あんこうとレオポンだけじゃないですか。

 私たちの試合画像は、動画サイトで何千万アクセスもついています、が。

 視聴者はそれを見ながら『ありゃ崩れた砲弾でぐちゃぐちゃだな』とか『風紀委員会は壊滅しましたw』とか、『歴女壮絶に落城』『無茶しやがって』『干し芋死んだな』『マウスにヘッツアー潰されて生きている生徒会三悪は謎カーボン製?』『M3リーって実は風船?』『アヒル、最期にトリプルアクセル』『レオポン、もういい。楽になっていいんだ』『軍神西住みほの英霊に敬礼』『魁!女塾、ここに完結』『ねこにゃー万歳』とか、いろいろとコメントを。そのぉ……」

「……でも、それでも大洗女子は大いに名を上げたんでしょ?」

 

 みぽりんのほっぺがぴくぴくとけいれんしている。私まだ死んでないと。

 秋山殿は伏し目がちに……

 

「……はい、大いに名を上げました。

 黒森峰より殺人的といわれる、『地獄の大洗戦車道』『大洗スパルタ戦車スクール』として……」

 

 終わった。完全に終わった。

 正直5人が5人ともそう思った。

 最初の選択授業説明会で流したあのたいがい過ぎる連盟製作のはもとより、皆で無限軌道杯の頃からがんばってつくった新しいプロモーションビデオを見せても、『うっそだ~』と思われてしまうこと間違いない。(※ PS4版ドリームマッチ)

 これで「乙女のたしなみ」も何もあったもんじゃない。

 そう、人の頭のハエなんか気にしているヒマはないのだ!

 みほは「ふう」とため息をつくと、例の補助金騒動が起こる前に角谷から言われていたことを思い出す。

 

「角谷さんは『戦車道で文化祭も体育祭もできなかった。去年は学校の存続がかかっていたから仕方なかったが、今後はその時の執行部が考えればいい。続けられなきゃやめてもいいと思う』っておっしゃってた。その時私たちはあんこう以外のみんなに続けたいかどうか聞いてまわったよね。でもみんな続けたいっていっていた。磯部さんたちもバレー部が復活しても戦車道はやめないっていってる。(※ 最終章ドラマCD1)

 だから、今年は他の選択授業と平等なあつかいでいいし、それでもやりたいって人でないと、戦車道は続かないよ……」

 

 しかし、あやしげな「補助金」のおかげではあるが、あと1年間だけは戦車道を実施できる。

 だがもしかしたら、今度こそ大洗女子最後の戦車道になってしまうかもしれない。

 だから優花里は、今年はできる限りのことはすべてやっておきたかった。

 

「いやもう逆に、ウチの戦車隊の中では小さめでコミカルなはっきゅんに昼休みにでも校庭か広場に出てもらって、元バレーボール部のみなさんにキャンペーンガールみたいに戦車道のPRをしてもらいたいくらいです」

「……、あっそれ!

 それって使えるかもよ、優花里さん」

「えっ、……??」

 

 みほがまた突然なんか思いついたらしい。

 秋山殿は、全く理解が追いつかない。

 

 

 

 



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れっつじょいん ばりぼーくらぶ 中編

 

 

 

「よーし、新入生も歩いているから慎重にね」

 

 新学期が始まって、入学式の次の日のこと。

 はっきゅんのキューポラから顔を出した磯部キャプテンが、周囲360°を見渡しながら、できるだけスロープを使ってデモンストレーションの場所に指定された『学園中央広場』に、ゆっくりと向かっている

 車体にはあの『バレー部復活!』の白ペンキ文字こそないものの、かつての聖グロ交流戦時のような大小のボールのステッカーが各面一枚ずつ貼られている。

 いったいなんだと興味を持った新入生たちや上級生たちがぞろぞろと集まってきた。

 この『ぎりぎり昭和生まれ。ただしヒトケタの方』戦車は、いまや茨城県人ならば知らぬ者のない「アヒルさん」だ。もちろん実物を生で見るのはこれが初めてという者もいっぱいいる。

 

「あれがアヒルさんかー」

「テレビで見るとすごくちっちゃかったけど、マイクロバスぐらいあるね」

 

 実際にはっきゅんより小さな戦車は、これまでカルロベローチェ、FT17、Ⅱ号戦車ぐらいしか登場していない。

 そんなはっきゅんでも、身長185cmの西住小次郎が乗り込んでも頭がつかえたりしないのだ。

 なお、秋山殿ポジションの高松殿は体重95kgの巨漢だった……

 

「えー、お集まりの皆さん。

 私たちは戦車道『アヒルさんチーム』です。

 昨年度はこの『はっきゅん』八九式中戦車とともに全国高校生大会、大学選抜戦、無限軌道杯を戦ってまいりました」

 

 磯部は停車したはっきゅんの周りに集まってきた生徒たちにそうあいさつした。

 生徒たちはそれぞれ拍手したり、口笛を吹いたりして喝采する。

 これから何か始まるのはまちがいない。

 しかし磯部は、注目する生徒たちに予想もしないことを言った。

 

「ごぞんじの方もいるかも知れませんが、私たちはバレーボール部員でした。

 去年のちょうど今ごろ、私の努力がたりず、部員不足で廃部になってしまいました。

 ここにいる三人はバレー部を選んでくれたのに、一度も試合に出たことがないのです。

 私の代でバレー部をなくしてしまうことになれば、この三人やいままでバレー部の歴史を守り続けてきた先輩方になんとお詫びすればいいか、言葉もありませんでした」

 

 こんな話になるとは誰も思っていなかったが、それでも生徒たちは皆静かに、磯部の次の言葉を待っている。

 

「私たちはバレーボール部の命運をかけて、戦車道に参加することにしました。

 その戦車道は、この大洗女子学園自体の存続をかけて戦いました。

 私たちの戦いはバレー部だけのものでなく、大洗女子そのもののためのものになりました。

 ですから私たちはこの大洗女子が安泰になるのをこの目で見極めるまでは、バレー部のことはわきにおいて、この八九式、五人目のバレー部員とともに戦車道を戦い抜いてきました」

 

 ここにいた生徒たちはこのとき、この非力で小さな八九式がはるかに強くて大きい戦車たち相手に懸命に戦った、その場面を思い出している。

 八九式でさえ実物はこんなに大きいのだ。黒森峰のティーガーⅡや大学選抜のパーシングなどいったいどれほどの威容を誇るのだろうか。

 そんな戦車を相手に、ここにいる「五人」は一歩も引かなかったのだ。

 奇跡と言われる勝利を、その手につかむまで。

 涙ぐむ生徒もいたかも知れない。

 

「こうして今、もはや大洗女子の存続をおびやかす者はいなくなりました。

 それを見届けた戦車道の仲間たちは私たちに、もうバレーボール部の復活にかかってもいいんじゃないかと言ってくれました。隊長は広場で、この八九式とともにバレー部復活をアピールしてきなさいとおっしゃいました。

 ですので、皆さんにお願いがあります。

 もしこのなかに、私たちといっしょにバレーボールをやってみたい。そう思う人がいたらぜひ私たちといっしょにバレーボール部の復活再結成に加わってください。お願いします」

「お願いします」

 

 磯部たち四人は、そう言い終わると頭を下げた。

 生徒たちは皆、どういう反応を返したものか顔を見合わせている。

 そのとき……

 

「えー、皆さん。

 私もバレー部に参加することにいたしました」

 

 八九式のかげから見た目には普通の3年生が、バレー部のユニフォームを着てあらわれた。

 

「えーっ!」

「うっそお!」

「大洗の軍神よ!」

 

 なんとその3年生は、「軍神」西住みほその人だった。広場は大騒ぎだ。

 みほ本人にすれば「軍神」よばわりはしゃれじゃなく冗談じゃないのだが、この際それを大いに活用しようと考えたのだ。本来みほは引っ込み思案のあがり症なのだが、ここ一番のときは人が変わったように堂々としゃべってみせる。だから試合の時の方が落ち着いているのだ。

 

「それだけではありません。

 今年バレー部に参加する方は、新調するユニフォームといっしょに、戦車道制式パンツァージャケット一式をプレゼントします。

 さあ、今年は私といっしょにバレーボールをしましょう。

 私たちははみんなを待っています!!」

 

 磯部たち四人がそれに合わせて「おー!」と叫ぶ。

 生徒たちもなぜかつられていっしょに「おー!」と叫んでいる。

 みほは「虚名は無名に勝る」のだなと、しみじみ思った。

 

「あのー、すいませーん」

 

 磯部の真ん前にいる生徒が手を上げている。

 なにか聞きたいようだ。

 

「今度できるバレー部って、体育会系のガチ部活っすか?

 それともレク活動も許容するんですか?」

「それはもち……、ふごふご」

 

 答えかける磯部にとっさにフェイスロックをかますみほ。

 生徒たちがめいめいに口を開きだしたからだ。

 

「ガチはやだ~。楽しくないとね」

「いや、どーせやるなら本格的に」

「いや、とりあえず部活動再開が優先でしょ。

 多少ユルい方がいいんじゃない?」

「めざせインターハイ!」

 

 こうなったら百家争鳴、全然まとまりそうもない。

 

「では、本格的にバレーボールをやりたい人はアヒルさんチームといっしょに県大会やインターハイをめざして行くことにして、レクリエーションの人は私といっしょに体育授業の延長でいきましょう。実は私も完全に初心者だから~」

「ふごふごふごーっ」

 

 みほは磯部を押さえ込んだまま、勝手に場を仕切ってしまった。

 誰かが言っていたが、今はバレー部をどんな形でもいいから復活させねばならないからだ。

 

「ごめんね、磯部さん。

 ここで逃げられたら困るでしょ」

「ふ・ぐ・ぐ、…… ……」

「きゃあ、ロック外すのわすれてたあ!」

 

 

 

 

 

 

「ま・だ・あ・ご・が・い・だ・い・よー」

「ごめんなさい! 磯部さん」

「みぽりん、ときどき自分がバカ力だってこと忘れてるでしょ。

 ムラカミさんみたいなあんこ型をショルダースルーでぶん投げるなんて、よほど体幹部と首の筋肉ができてないと無理だってレスリング部の主将が言ってた」

 

 ムラカミならイギリスではやっている女相撲の大会に出ても、いいところまで行くだろう。

 日本の女相撲なら、国際大会の代表になれるかもしれない。

 しかし、「BARどん底」で秋山殿がまた暴走していたら、サメさんチームもろとも執行部全滅ということになっていたとは、誰も気がついていない。

(手榴弾とバズーカは、室外から使いましょう)

 

「でも、みほさんがあんなこと言ってしまっては……」

「会長。まあ、隊長の深謀遠慮はいつものことだから。

 なにか考えがあるんでしょ?」

「そうね。えへへ」

「西住殿、えへへじゃありません!

 戦車道履修者の募集はどうするんですか?

 ご自分までバレー部に入部宣言してしまって」

 

 みほは組んだ手の甲にアゴを乗せ、目線を上に向けて思案顔だ。

 しばらくして秋山殿の方に向き直ると、また別な話を振る。

 

「戦車道履修者への特典は、どうしようかしら?」

「今年はなしですう~。

 だって去年あれだけ大盤振る舞いしてさえ、32人しか集まらなかったのですから。

 西住殿もいやいやでしたし……」

 

 いや、事情が事情で黒森峰を飛びだしたみほが戦車道を取る気など初めからあろうはずがない。

 とはいえ自分の事情は別として、モノで釣ろうと考えるのが間違っているんじゃないか。

 そういうところがおじさんみたいと、みほは角谷を評している。

 そしていよいよ本題に移る。

 

「んーとね、みんな。

 戦車道は1科目3単位。それだけは維持してみない?」

 

 その場にいた4人が、頭の上を「?」だらけにしている……

 秋山殿は、手持ち資金では授業1単位分の燃料弾薬しか購入できないと知っていた。

 何回検算しても、条件を色々変えても同じだった。

 

「西住殿、今年の予算では戦車道の実習は1単位分しかできません。

 これは座学をふくめての話です」

 

 その西住殿は、無邪気な顔で「ふふふ」と含み笑いしている。

 

「もちろん、きちんと考えての上でのことよ。

 でもこれで、バレー部も戦車道も両方救えるの」

 

 

 

 



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れっつじょいん ばりぼーくらぶ 後編

 

 

 

 戦車道の授業をどうするか話し合っているあんこうチームの面々だったが、ふいにみほが通常の3倍単位だけは2012年度同様に維持したいと言い出す。

 その意味がわからず、思案顔の新執行部+いねむり担当。

 だがそのとき、会長室のドアを激しくノックする者がいた。

 

「おーい、入ってもいいか!?」

「……。

 どうぞ、お入りください」

「邪魔するぜ!」

 

 華が言い終わるより先に会長室の装甲入りドアが開け放たれ、5人の女生徒(?)がズカズカと入りこんでくる。いわずとしれた「サメさんチーム」だ。

「親分」のお銀が顔を紅潮させている。

 対照的に華は普段と変わらぬポーカーフェイスだ。

 

「……お銀さん。あなたたちの戦車道離脱はおっしゃるとおり承認しましたが。

 河嶋さんがいないなら私たちについていく意味はないでしょうから。

 マークⅣも今までどおり燻製室に……」

「じゃない! 実はそいつを取り下げて欲しいんだ」

「え??」

「あんた、先代のチビガリ元会長から何も聞いてないのかよ!」

 

 

 

 お銀たちの話とは……

 ある日突然「ヨハネスブルグ区画」にフル装備の女性海上保安官と臨検装備の女性海上自衛官の大群が乗りこんで、グレている新3年生を残らず連れ去ったという。

 そしてその連中はヨハネスブルグの住民を海保や海自のポンコツ実習船団に拉致して、猛訓練を施しているらしい。そして卒業までに何らかの海技士試験に合格できるよう、スパルタ教育の真っ最中だという。

 どこの学園艦の船舶科も、商船高専と同じカリキュラムを有しており、卒業後は船舶の乗員をめざすか、海事大学校に進むなどすることになる。海技士とは船員になるための資格のことであり、この資格のいずれかがなければヒラの船員にもなれない。

 大洗艦に乗りこんできた海保、海自の隊員は、実は大洗女子船舶科のOGたちだったのだ。

 ヨハネスブルグ区画のようなものは、船員教育に厳しい他の学園艦にはない。みんな退学にしてしまうからだ。普通は学費無料であんな働かないのを飼っている余裕はない。

 しかし、どこかのかーしまが余計なことをしたせいで、大洗艦にはあのような魔窟がある。

 そこで角谷が卒業間際に「退学させないで済むような方法」で、後始末をつけたということらしい。例によって「豊富な人脈」を駆使したのだろう。

 

 

 

「それで、あなた方はつれていかれなかったのですか?」

「ムラカミより二回りはデカい海保の怖いお姉様が『お前らは戦車道履修生だから見逃してやるが、もし履修をやめるならすぐに拉致るぞ』って言い残していったんだよ!」

 

 いくらお銀でも、それは怖かったろう。

 だからこの5人があわてて直訴に及んだというわけだ。

 みほがにっこり笑ってこう言った。

 

「戦車道隊長としては、そういうことあっさり認めちゃうと示しがつかないんですけど~」

「じょ、冗談じゃねえ! いまさらあんな浮かぶアルカトラズに行けっかよ」

 

 みほはさらににっこり笑う。

 

「じゃあ皆さん、バレーボール部に入りません?

 そーしたら戦車道の履修生に復帰させますけど」

 

 またまた、その場に居合わせた者みんなが「?」になる。

 

「もちろん、あんこうチームも他のみんなもバレー部に入ってもらうの。

 3倍にした単位の一つは、授業としてバレーボールをするのよ。

 そうすればバレー部が体育館の使用権争いから少し離れることができるし。いいでしょ?

 バレー部員はガチ組、レク組、幽霊部員も認めるけど、授業の分は必修ね。

 ……それにね、まだ証明できてるわけじゃないんだけど、バレーボールをみんなでやる事が戦車道にも役にたちそうだと思ってるんだ」

「はあ、そういうことですか……

 ……まだ、よくわかりませんけど」

「でね華さん。あと1単位はいろんな武道をやりたいの。さわりだけでいいから。

 西住の家は戦車道のほかに乗馬弓射術や長刀道もやっているけど、戦車道にとっても意味があるのよ。ほら、島田愛里寿さんちは忍道が本職で、戦車道にも生かしてるでしょ。

 リーチがあって取り回しの難しい剣、槍、薙刀、銃剣は二手三手先を考えながら戦わないとすぐに押されて負けちゃうんだよ。それに攻防一体だし。

 後は体力作りのトレーニングね。アリクイさんたちが自発的に始めたのを見て、やっぱ必要かなって思わされたわ。

 戦車道やるのに、戦車だけやってればいいってことはないと思うよ。

 ……で、サメさんたちはどうするの?

 まあ放課後は『どん底』で飲んだくれてていいけどね」

 

 といってももう他の選択肢はない。

 お銀とムラカミは問題なさそうだが、ラム、カトラス、フリントはねこにゃーたちに締め上げてもらった方が良さそうだ……

 サメさんたちも含めてみほの深謀遠慮を疑っているものはどこにもいないので、みほの提案は現履修生全員により賛成全員でとおるだろう。どうせ後になれば「そうしておいて良かった」ということになるのは明らかだ。

 

 そしてバレーボール部についても、復活確定がこのときに決まったといえる。

 また新入部員のガチ組全員とレク組の半数以上も戦車道を履修することを選んだ。

 幽霊部員の中には戦車道を選べば面倒がなくていいと思って選択した者もいるが、どうなるかは推して知るべしだろう。

 忠犬秋山殿はどこまでも西住殿と行動を共にしたがったが、生徒会の仕事がおろそかになるので、華によって幽霊部員組にされてしまった。

 

 

 

 そして新学期が本格的に始まった。

 

 今日は戦車道授業という名のバレーの日。そして放課後はそのまま部活の方のバレー。

 

「やるならとことん本気だあーっ!」

 

 サメの竜巻お銀とサルガッソームラカミは、なんと磯辺が主導する「ガチ組」に入っていた。

 爆弾低気圧はレク組で息を切らしている。

 大波フリントは幽霊組。場末でもいいから歌手になりたい彼女はカラオケスタジオでバイトがてら歌の特訓に励んでいる。

 生しらす丼も幽霊組だが、こっちは非番の時間に陸地にあがり、本格ショットバーの開店準備を手伝いながら、バイト代代わりにマスターからノンアルコール飲料を使ってシェーカー、ミキシンググラス、ビルド(客が飲むグラスに材料をそそいで、カクテルを直接作ってしまうこと)の手ほどきを受けている。開店後は厨房でおつまみを作るが、これも勉強のうち。

 卒業後、大手洋酒メーカーのバーテンダースクールに進んだときに役立つように。

 そしていま、お銀と磯辺キャプテンが筋トレで意地の張り合いをしている。

 

「ふん、お銀。けっこう着いて来れているじゃんか」

「舐めてもらっちゃ困るね。

 陸の学校と同じことしかしてねえ連中とは、鍛え方が違うよ」

 

 スクワット競争、懸垂競争、腹筋競争、まだまだ続く大洗キャンプ。

 それを尻目に近藤、河西、あけびはコートでガチ組相手に今日のメニューを始めている。

 

「そう言えば大将、『東洋の魔女』にも磯辺サンっているんだってね。

 東洋の魔女って、見たことないけどさ」

「だから私と同姓の神様比較するなー! おそれおおい」

 

 

 

 レク組の方はいたってのんびりラリーや草バレーやったりして、雰囲気だけ楽しんでいる。

 こっちはみほ以外、いつもメンバーが替わる。

 去年からのメンバーはまた自主的に戦車の操法を練習している者が多く、やはりなぜかガチ組のねこにゃー猫田とももがー桃川をのぞいて、ほとんどいない。

 そういえばアリクイは大学選抜勝利後、いつネトゲをやっているのだろうか?

 ……そこらで本物の格闘をやっているんじゃないだろうか。

 とにかくレク組は「頭数」なので、みほはとくに何も言わない。

 

「みんなー、疲れてない? 休憩入れようか?」

 

 もちろんみほにとっては運動どころか遊びの内にも入ってないが、そんなことを言っている。

 

「えー、まだはじめたばかりですよー」

「みほさんといっしょのバレーってなんか楽しいし」

 

 まあ、楽しいってことが一番大事だよね。と西住流戦車道とは真逆のことを考えるみほ。

 西住流では、ただただ鍛錬されるだけ。考えることは勝つことだけ。

 自分だって「戦車に乗ってて楽しい」と感じたことは、大洗に来るまでなかった。

 

「でもね、アヒルさんチームや軍神西住とバレーボールやってるって他の学校に行った同窓生に言うと、すごくうらやましがられるんだよー」

「うんうん。インスタにあげてくれー、ってLINEでいわれるよね」

「その、「軍神」っていうのはちょっと……

 じゃあ今度はAグループは連続ラリーで、Bグループがコートで1セットマッチね」

 

 

 

 磯辺がときどきレク組の方も見ている。

 頭数とは言えなんとか定着しているようで、良かったと思う。

 これもみほのおかげだ。と磯辺は心の中で感謝している。

 だが、何かちょっとした違和感を感じた磯辺は、もう一度みほのいる方の集団を見る。

 

「ん? レクの方、結構ラリーが続いてるじゃん。

 ……あれ?」

 

 何か知らないが、レクの1グループで、みほが半分以上ボールをひろっている。

 

「……うーん」

 

 トスからアタックの練習で、みほが「もっと高く」とトス役に要求している。

 

「……なんかなあ」

 

 ブロックの練習で、西住殿と秋山殿の二枚看板が均質圧延鋼板だ。

 有効面の長さは、ネットとほぼ同じ……

 

「……これは」

 

 模擬戦でみほがジャンピングサーブ、オーバーヘッド、アンダー天井打ちといろいろ……

 そういえば秋山殿の方も、30分ぐらい鯛焼きレシーブを続けている……

 

 

 

 

 

 

「西住さん。ちょっと今日は私たちアヒルの特訓につきあってくれないかな」

 

 磯辺たち「アヒルさんチーム」は、部活の時間が終わってもさらに「特訓」を続けることがある。やはり現在はまだ、この4人が屋台骨だ。

 

「いやね、西住さんなら『新生バリボー部』のレギュラーになれるかも知れないかな。

 なんて思ったんだよね」

「うーん。私もこの大洗女子に来た当時は戦車道以外のいろんなことをするぞーって思っていたからお話はうれしいんだけど、私じゃアヒルさんには全然及ばないよ」

「まーまー、やるだけやってみてよ。

 どうするかはそれからでいいじゃん」

 

 

 

「じゃあまず、アタックからやってみて。

 トスは私が投げるから、その高さで打ってみて。

 近藤、河西、佐々木はネットの反対側でブロック」

 

 みほはネットの真ん中に立ち、磯辺がボールを投げるのを待つ。

 磯辺がボールを放った。

 しかし、高さが尋常じゃなかった。

 

「うそっ!」

 

 三人が絶叫する。

 みほの打点は高校生選手のブロックできる高さよりはるかに高高度だったからだ。

 戦車道全国大会で見せた「助走なし六段飛び」は伊達ではなかった。

 

「じゃあこんどはクイック。Aからね」

 

 磯辺はネットとみほの間に立ち、三人は反対側で「三枚」で止める構えだ。

 クイックなら高さはネット際になるからだ。そして……

 

「きゃあ!」

 

 歴戦の3人がほとんど同時に手を合わせ防ごうとしたが、みほのスパイクはそれをあっさりぶち抜いた。姿勢を崩した3人は立った姿勢で着地できなかった。

 

「これはいけるかも、こんどはCで!」

 

 磯辺はネットに平行に、トスを模してボールを投げる。

 3人は離れて前衛の位置につくが、今度はことごとくブロックをかわされてしまう。

 

「じゃあ、今度はサーブをお願い」

 

 磯辺はパイロンをいくつか持ってくる。

 

「ジャンプあり、なしでコートに置いたパイロンに当てて見せて」

 

 そしてライン際のきわどいところや、相手選手が自分が受けるべきか迷う微妙な位置を狙わせる。みほはことごとく命中させた。

 

「今度は打球がネットにかかるか微妙な高度で」

 

 それでもみほは戦車砲のようにドカドカ命中させる。

 

「じゃあ今度はパイロンを2つ並べるから、後ろのだけに当てて」

 

 配置はみほから見て直線上にある。問題なのは前のパイロンを箱に乗せてボールの軌道を妨害するように置いたことだ。

 

「……」

 

 4人は息をするのも忘れたかのように見入っている。

 ボールはまるで野球のカーブやシュートのように曲がり、又はフォークのように突然軌道を下に曲げる。手のひらでボールに左右の回転を与え、またはまったく与えずに打つと言うことだ。

 さらにアンダーハンドの天井サーブでは、きれいにコートラインの隅ギリギリにぶつけて見せた。ジャンプサーブでも低伸弾道で隅を狙う。

 

「……。

 じゃあ今度はレシーブで行きます!」

 

 

 

 小一時間後。

 アヒルさんたちは肩で息をしているが、みほは何でもないという顔をしている。

 アヒルの4人は顔を見あわせ、叫んだ!

 

「県大会突破!」

「インハイ出場」

「いや優勝よ!」

「国体も今年だよね!!」

 

 4人がきゃあきゃあ大騒ぎしているのを、取り残されたみほは「あはは……」と笑いながら見ていた……

 

(でも、今年は県大会にも出られるんだね。よかったね、磯部さん。

 戦車道との日程調整はどうとでもできるから、がんばってね)

 

 これで本当に「バレー部復活」が成し遂げられたのだと、みほは実感した。

 

 

 

 

 

 

 一ヶ月後。

 今日の戦車道授業は、実際に戦車を操作する操法と戦術機動の実習だ。

 全体を総括するあんこうチームは、今日はⅣ号を明け渡して、蝶野と一緒に観測台にいて無線で戦車隊と連絡を取りつつ授業を進めていた。

 

「西住さん、今年の授業の進度は速いわね。

 急発進、急停車、急旋回を組み合わせた課題でも、複数標的射撃演習でも一切もたつかなくなっています。

 車体が激しく向き換えしていても砲塔がずっと同じ向きをむいていますし、砲塔の旋回が止まると同時に発砲ができるようになっていますね」

 

 一ヶ月前はギクシャク発進、よたよた旋回、カックンブレーキ、砲手が標的を指向していても装填ができていないとか、そもそも車長が「A地点に躍進して標的の11時を向き、揺動が落ち着いたらただちに射撃」と命令しても、できるのは30分後という状態だった。

 やはり戦車も、チームワークの乗り物なのだ。

 

「あら、散開して標的を半包囲って想定で、皆の位置取りがいいわね。

 射角が全車きれいに重なるだけじゃなく、相互の死角もカバーしているじゃない。

 教え方がうまいみたいね」

 

 といっても、みほは別に戦術について特訓したわけでもなんでもない。

 メンバーがバレーボールで好きに遊んでいるうちに、たがいになすべきことの理解がすすんだということなのだ。

 コートで言葉ではなく呼吸でやりとりするのと同じことが、戦車道のフィールドでも行われている。

 

(うん、アヒルさんの強さは根性と想いだけではなかったと思ってたけど、やっぱりバレーボールそれ自体がアヒルさんの強さだったんだ)

 

 みほは、自分の考えが正しかったことを、今日までの授業で確認した。

 これはおそらく「苦行ではなく、勝利のために犠牲を強いる事でもなく、自発的に強くなり、結果としての勝利がその先にある」戦車道へとつながるひとつの道であろう。

 

 みほの戦車道への彼女なりの探求は、これからも続く。

 

 

(この話おわり)

 

 

 

 

 

 

 

 



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