学園ものパラレル 光秀×信長 (とましの)
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1話

毎年三月十四日に月城学園では卒業式が行われる。粛々と教え子を見送った英語教師の明紫波光秀は式の後で自分の携帯を確認した。

今日の昼の便で長い付き合いだった親友が外国に立つ。ここ何年かは親友のような関係だったが、半同棲のような期間もあった。それでも恋人に昇格しなかったのは光秀に意気地がなかったに他ならない。

携帯のメールを確認するとその親友からいくつか届いていた。卒業式はどうだったかと問いかけるものがあれば飛行機の待ち時間を嘆くものがある。そして最後は別れを告げる内容が書かれていた。

これで本当に終わったのかと思いながら光秀は携帯をポケットに押し込む。すると在校生がひとり光秀の元へやってきた。

「明紫波、新年度の予定表を知らないかい?」

「おまえはいいかげん先生をつけろ。予定表なら生徒会にあるだろ」

相手は二年生で今日の卒業式で在校生代表を務めた生徒だった。一年の頃から生徒会長を務めている優等生だがなぜか礼儀だけ欠けている。

「生徒会室で見つけられていたら、君になんて聞かないよ」

「ったく…」

生意気な生徒に頭をかきながらも光秀は足の向きを変えた。とりあえず親友の事を考える暇はないと判断して頭を切り替える。

「職員室戻って俺のコピーしたほうが早いか」

「明紫波もたまには気が利くね」

「おまえはたまにはその減らず口をなんとかしろ」

春の風に揺れる緋色の髪を横目にしながら光秀は職員室へ向かうべく歩き出す。すると生意気でしかない生徒もおとなしく隣をついてきた。

「そういえば三成は今年も卒業しなかったね」

「あいつはここの雰囲気を気に入ってるらしいからな。研究に専念できるっつって、今日も理科室にこもってるんだろ」

「僕が留年すると言ったら、明紫波は笑うかい?」

不意に向けられた質問に光秀は鼻で笑い隣を歩く生徒に目を向けた。

「留年してどうするんだよ」

「学生でいるのも捨てたものじゃないと思うようになったんだよ」

「大学に進学しろ」

「その予定だよ。だけどここにいないと得られないものもある気がするんだ」

まっすぐに向けられた黄緑色の瞳を見つけながら光秀は眉をひそめる。

「あと一年もあるのに足りないのか?」

「たった一年で手に入ると思う?」

「成績は首位をずっと取ってるよな。他に何かあるのか?」

「青褐色の綺麗なもの」

「なんだそれ」

この年齢の難しさは光秀もそれなりにわかっているはずだった。しかしこの賢すぎる生徒だけは、二年間見てきてもまだわからないことが多い。

疑念を抱えたまま見つめていると、不意に生徒が目を背けた。

「明紫波のような無粋な教師には理解できないよ」

「いいかげん教師を敬えよ」

どこまでも生意気な生徒会長に光秀は顔を引きつかせ切り返していた。

 

 



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2話

四月に入り校庭の桜が満開になる頃に入学式が行われた。新一年生のクラスを受け持つことになった光秀は新入生相手に挨拶をする。

いまだ中学生の雰囲気から抜け出せない生徒たちは希望に満ちあふれた楽しげな顔を見せていた。

ホームルームを終えて職員室へ向かう途中、顔馴染みの生徒と遭遇する。光秀は今年も三年生をやっている生徒を見上げて笑みを浮かべた。

「理科室の外をうろつくなんて珍しいな」

「前木が食堂に来いとうるさいので向かうところです」

「飯食えって? あいつも度胸あるよな。一年の時からおまえにぶつかってって」

「だから生徒会に入れたのでしょう」

眼鏡を押し上げてそう告げる生徒は石黒という。授業に出ず理科室にこもって実験ばかりしている変わった生徒だ。そのため出席日数が足りず留年を繰り返している。そんな生徒の言葉に光秀は眉を浮かせて石黒を眺めた。

「おまえが誘ったんだよな?」

「俺は誘ったりしませんよ」

「なら誰が入れたんだ?」

光秀は生徒会顧問という立場だがその活動は自主性を重んじている。そのため極力生徒たちの行動に介入しないようにしてきた。もちろんそのために石黒の留年も黙認している。

それでも話の流れのまま問いかけた光秀の目の前で石黒が目を背けた。不機嫌な目で射抜くように階段を見上げる。

「俺をにらんだところでどうにもなりませんよ」

階段を見上げ声をかける石黒につられる形で光秀も目を向けた。そして階段を下りて来る緋田を見やる。

「なんだ。緋田と石黒はケンカしてんのか?」

「本当に君の目は節穴だね。一度眼科に行ってみたらどうだい?」

今日も嫌なことがあったのか八つ当たりめいた言葉を向けられる。そのため光秀はため息を吐きながらまたかとつぶやいた。

その瞬間顔をしかめた緋田は階段を駆け降り、光秀の足を思い切り踏みつける。

「こんなにも僕を苛立たせるなんて、普通なら許されないことだよ」

「ンなもん、こっちのセリフだ。普通は教師の足を踏むなんて許されねぇだろ」

にらみつける緋田をにらみ返してやろうとしたところで石黒に肩をたたかれた。そのため目を向けると石黒の呆れた顔がある。

とたんにばつの悪さを抱えた光秀は緋田の肩を押して自分から離れさせた。そうして踏んでいた足をどかせると頭をかく。

「今度踏んだら反省文書かせるからな」

「踏ませる側に問題があると思わないなんてどうかしてるよ」

生意気な生徒の額を指で弾きこらしめると光秀はふたりから離れた。

「とにかく、役員同士でケンカすんなよ」

改めて職員室へ向かいながら教師らしい忠告だけ残す。そうして廊下を進みながら、緋田のあの態度はいつからだったかと頭を巡らせた。

 

一年の秋には生徒会長となっていた緋田は入学当時も新入生代表を務めている。その頃はまだ態度も今ほど攻撃的ではなかった。ただ生徒会に入った当初から生意気で反抗期を終えていない印象がある。しかし誰よりも賢く、何より他の生徒からの人気が高かった。それは今では生徒会長の親衛隊という形になっている。

あれほど人に好かれる生徒から自分だけが反抗的で険悪な態度を向けられる。その状況で何も思わずにいられるほど光秀は鈍感ではいられなかった。

しかしだからと言って生徒ひとりのために態度を変えるほど教師として若くもない。そうして光秀は何の手立ても思い付かず問題を放棄した。

世の中はなるようにしかならないものだ。自分と親友の関係がメールひとつで終ったように、緋田との関係も自然の流れに任せるしかない。

 

 

 

 



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3話

季節が初夏に近づこうとする頃、光秀は湿気を吹き飛ばす軽快な声を耳にした。下校時刻のにぎやかな喧騒の中で階段の手すりを滑り降りる二年生がいる。近づくと二年生に引き続き茶髪の一年生が滑り降りてきた。

「やっぱ湿気があると滑り悪いなー」

後から滑り降りた一年生相手に楽しげな顔を見せているのは二年生の生徒会役員だった。生徒の模範となるべき役員の行動に光秀は笑みを浮かべる。

「楽しげなことしてんじゃねぇか、前木クン?」

「ひっ、明紫波先生!」

背後から声をかけられた二年の前木は飛び上がるように振り向き悲鳴をあげる。同じく一緒にいた一年生も驚きに目を丸めていた。

「すみません!」

勢いよく頭を下げた前木の後頭部を見下ろした光秀は一年生に視線を移す。そちらの生徒は生徒会役員ではないが、光秀が受け持つクラスの生徒だった。

「前木と仲良いのか?」

「はい、前木先輩には良くしてもらってます。えっとすみませんでした」

「違うんです。あきらはオレが誘ったっていうか巻き込んだんです。なので悪いのはオレだけなので、すみません」

謝罪する一年生をかばうように前木が再び頭を下げる。その態度は前木らしい真摯で真っ直ぐなものだった。

「うっし、そんな仲の良いふたりには一週間の生徒会室掃除な」

悪いことは悪いことだからと罰を与えた光秀はなぜか嬉しそうな前木を眺めた。そして前木と同じ程度の身長しかない一年生も見やる。

「しっかし、おまえら中坊みたいだな。小さい子同盟でも作るか?」

「よく言われます」

「小さっ…って、あきらそんなこと言われてるのか!」

思わず反論しかけた前木だが一年生の発言に勢いを殺されてしまう。そんなふたりの頭をグシャグシャに撫でまわした光秀はその場を離れた。

 

 

窓を叩く雨を横目に職員室へたどり着いたところで緋田と遭遇する。緋田は不機嫌顔ではあるが光秀をにらむことをしなかった。ただ眉を寄せた状態で光秀に道を開けるべく脇にそれる。

そんな緋田の前で足を止めた光秀はどうかしたのかと声をかける。すると緋田はなぜか驚いた顔で光秀を見上げる。

驚かれるほどの態度を見せたのかと内心で苦笑いを浮かべた光秀は相手の言葉を待った。するとややあって緋田が重苦しい口を開く。

「傘を忘れたんだよ」

ぽつりとつぶやいた緋田は再び口を閉ざしてしまう。深刻な顔だったため何事かと構えていた光秀はそんな生徒を前に眉を浮かせた。

「それだけか」

「こんな雨の中を寮まで帰るなんて一大事だよ」

「大袈裟なやつだな」

男のくせに雨に濡れる云々と、そんなことで悩んでいたのか。そのくだらなさに笑った光秀は、緋田にそこで待っているよう告げた。

自分の机から折り畳み傘を取り出すと職員室の入り口に戻る。そこで律儀に待っていた緋田に傘を差し出せば、またしても驚いた顔を見ることができた。

ぽかんと傘を眺めていた緋田は、ややあって光秀を見上げる。

「これ、明紫波の傘かい?」

「当たり前だろ」

驚く緋田に傘を押し付けた光秀は早く帰るよう告げて自分の机に戻った。雨ごときで深刻になれるのだからどれだけ賢くても緋田はまだ子供なのだろう。

 

 

 

 

傘を忘れたとしても、親衛隊を名乗る連中が率先して差し出すため困ることはない。けれどそれをすることで誰かに借りを作ることはしたくなかった。そのためどうすべきかと悩んでいたところで差し出された一本の傘。

しかし結局のところ緋田信長はその傘を使うことができず濡れて帰ることになる。

ずぶ濡れの状態で寮に戻った緋田は白い傘を手に持つ風紀委員長と出くわした。ちょうど帰ったところらしい豊白は緋田の濡れた姿を前に笑みを浮かべる。

「生徒会長、水もしたたるナンとやらですやん」

「うるさいよ」

「その手に持ってるモン、使えへんの?」

どこまでも絡みたがる相手をうっとうしいと思いつつも、不思議と怒りは沸いてこない。それはおそらく手元のこの傘のおかげなのだろう。そう思っても、緋田は豊白の問いかけを完全に無視していた。

部屋へ戻るべく廊下を歩く緋田の脳裏に職員室での出来事が浮かんでは消える。きっと相手は、困っている生徒に手を差し伸べただけなのだろう。そこには特別な思いも感情も何もない。

けれど緋田自身にとって、それはとても大きな出来事だった。

後ろを歩きながら話しかけてくる白い物体を無視して自室に入る。そうして扉を閉めると緋田は手元の折り畳み傘をそっと抱き締めた。

悲しくもないのにこぼれる涙に濡れた状態ではすぐに紛れてわからなくなる。しかし死んでしまいそうなほどに強く脈打つ心臓と多幸感は誤魔化せそうもなかった。

 

 



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4話

夏休みに入ると部活などのない生徒の中に実家へ帰る者が現れる。もちろん実家ではなく別荘や避暑地へ行くという生徒もいるだろう。

そんな八月頭の晴れた日に、英語教師である明紫波光秀は電車に乗っていた。強い日差しの差し込む南側の座席を避けて反対側の席で本を広げる。そんな光秀から離れた座席では生徒会役員たちが楽しげに会話していた。

生徒会の夏合宿は毎年恒例のの事で、光秀は昨年も引率として参加している。そして昨年までは親友がまだ日本にいて、夏合宿の土産を求められもした。しかし今年はその親友もおらず、夏合宿に何かを求められることもない。

そしてこれからも、きっと何かを求められることはないのだろう。

「明紫波は合宿にまで仕事を持ち込んでいるのかい?」

小さな寂しさを抱えかけたところで言葉を向けられ視線を向ける。すると緋色の髪を揺らして首をかしげた緋田が光秀の向かい側に座った。相変わらず不機嫌な顔で車窓の外を見やる。

「今年は晴れて良かったね」

「……あー、そうだな」

ぼんやりと親友について考えていたため教師らしい態度ができなかった。すると緋田の眉間のしわがいくつか増える。

「教師なら、嘘でも楽しげな態度を見せなよ」

一瞬で険悪な雰囲気をまとった緋田はそう言い捨てると自分の席へ戻ってしまう。

 

 

寂れた田舎の海岸近くにある貸別荘で二泊三日の自炊合宿を行う。それは生徒会の結束を強める意図で昔から行われてきたものだった。しかし学園の教師としては若い光秀が生徒会顧問になったのはここ数年のことだ。

そのため参加回数も生徒会役員の中では年長の石黒と変わらない。そして生徒会行事だけはサボらない石黒は、今回もきちんと参加してくれていた。

貸別荘の到着すると生徒たちはすぐに海へ出掛けていく。石黒も前木に連れられて出掛けていき、光秀はひとり貸別荘に残った。

こんな暑い日に海へ行くなど子供か若者でなければできない所業だ。そう思いながら空調の利いた室内でベッドに寝転がる。

昨年の光秀なら、貸別荘に到着してから土産物を探しに出掛けることをしていた。しかし今年は本当に何もやることがない有り様だった。

 

ほんの少し目を閉ざしたつもりだった光秀はかすかな物音に目を開かせる。すると眼前に黄緑色の大きな瞳があった。驚いたように見開かれるその目を見ながら緋色の頭に手を伸ばして撫でる。すると徐々にその顔が赤らんでいった。

その反応を可愛いと思いながら光秀はふわりと笑う。

「…まつげ長いな」

寝ぼけ頭のままつぶやいたその言葉に、目の前の緋田が弾かれたように離れていく。あげくその足で部屋を飛び出して行ったため、光秀はひとり起き上がった。

窓の外を見れば既に日が沈みかけ空が藍色に染まろうとしている。

「やべ……寝過ぎた」

つぶやきながらも立ち上がると部屋の入り口に石黒が立っていた。寝癖頭のまま近づくと石黒が廊下に目を向ける。

「何かしたんですか?」

「されるのは俺のほうだろ。つっても、緋田は悪戯するほどガキじゃねぇか」

後ろ頭をかきながらかすれた笑いをこぼしたが、笑みはすぐにかき消えた。ため息を吐きながら腕を組むとゆっくり首をまわす。

「今年度に入ってから調子おかしいわ」

「プライベートで変化でも?」

「いや、あー……あったっつーか…」

「校内で噂になってますよ。特に緋田の親衛隊が騒いでいます」

「なんであいつのファンが俺の噂してんだよ」

最近の子供は何を考えているのかわからない。そう思いながらも、目の前の『子供』に相談できず光秀はため息を漏らした。

 

 

 

湿気を含んだ海風に髪を撫でられながら緋田はひとり夜空を見上げていた。月明かりのきれいな夏の夜ではあるが、人の少ない田舎の海岸には他に人影もない。

日常生活では常に親衛隊が周囲にいるためひとりの時間というものはほぼない。そして緋田が背景の一部のように扱う彼らも意志を持つ人間である。そのため彼らの視線の先にいる人物の異変などとうに見抜いていた。

だからこそ焦っているのかもしれないと、緋田は夜空を見上げながら考える。他の誰かがあの教師の視線をとらえるのが嫌でたまらない。

雨の日に他の生徒があの傘を借りてしまうのも耐えられない。教師のネクタイが曲がっていることをいち早く気づく今の立場を譲りたくもない。朝一番にあの教師に声をかけて、夕刻最後にあの教師に挨拶を向ける存在でいたい。そのためなら生徒会長という面倒な役目も喜んでこなしてみせる。

それでもと、緋田は大きな月を見上げながら目元をぬぐった。

「……それでもまだ君に届かない」

夏の夜を照らす月のような位置にいるあの男にはどれほど手を伸ばしても届かない。少なくとも頭を撫でられただけで取り乱すようではいけない。

そう頭で思っても、心は今もうるさく騒ぎ続けていた。まつげが長いというのは褒め言葉にもならない程度のものだ。にもかかわらず心は叫びたくなるほどにたくさんのものをあふれさせている。

「こんなにも君のことが……」

多くの感情が脳を支配する中でこぼれ落ちたのはシンプルな言葉だった。しかしそれを口にしてしまった緋田は唇を噛み締めて続く言葉を封じ込める。

そうして黙り込んだ緋田は波の音に包まれながら月を見上げていた。

 

 



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5話

秋が深まり中間試験を終えると文化祭の準備が始まる。そうなれば生徒会執行部もいつもより多忙な日々を強いられることになる。

授業を終えた生徒たちが忙しなく準備を進める中、光秀は廊下でストラップを拾った。うさぎのぬいぐるみのようなものがつけられたそれには当然だが名前は書かれていない。遺失物として届けるかと再び歩き始めた光秀は次にひよこのぬいぐるみを拾った。

ふたつの落とし物を手に歩いていると二階から降りてくる緋田と遭遇する。しかし緋田は光秀を一目見るだけですぐに顔を背けてしまった。

生意気な言葉を向けることもせず、緋田は急いでいるのかその場を立ち去ってしまう。その背中を眺めた光秀は小さな違和感に我知らず目を細めた。

窓から差し込む夕日に当たる緋田の背中は華奢で弱々しく見える。それでも彼は今まで一度も休むことなく通い続けている優等生だ。手を差し伸べて助けてやらなければならない問題児とは違う。

そうして廊下の向こうを歩く緋田を眺めていた光秀はそばに立つ教師に気付かなかった。

「緋田君って、絵になりますよね」

唐突に声をかけられた光秀は驚きの目で振り向く。すると階段からやってきたらしい美術教師が笑顔を見せていた。

「だけど最近痩せた気がするんですよねぇ…あ」

おっとりと話す新任教師は語尾とともに光秀の手元に目を向ける。それにつられる形で視線を落とした光秀は持っていたぬいぐるみを見せた。

「それぼくのです。どっかで落としちゃって探してたんですよー」

嬉しそうに微笑む美術教師を眺めていた光秀はふと驚いたように目を見張った。拾ったぬいぐるみふたつを教師に押し付けると緋田が立ち去った方向へ駆け出す。

 

緋田に追い付いた光秀はその腕をつかむと引きずるように生徒指導室へ連れ込んだ。驚きの顔で部屋に入った緋田は扉が閉められたことでその顔に緊張を乗せる。

「何の用で……」

「おまえ最近飯食ってるか」

肩に手を乗せ問いかけた光秀の目の前で緋田は一瞬驚いたような顔を見せる。しかしすぐにその顔をしかめると肩に乗った光秀の手を払った。

「そんなこと君には関係ないじゃないか。それに僕よりもっと目を向けるべき生徒は」

「俺のことを邪魔に思ってんのはわかってる。けどおまえ最近痩せてきてるだろ」

緋田の背中を眺めて得た違和感はこのことだと思い込んだまま言葉を向ける。そんな光秀の目の前で緋田が強く顔をしかめた。

おもむろに光秀のネクタイをつかむと引き寄せた上で床に引き倒す。その衝撃で近くのパイプ椅子が倒れたが緋田は気にも止めなかった。

ネクタイをつかんだまま馬乗りになると光秀の顔を見下ろす。

「君を見下ろすのも楽しいものだね」

「俺は楽しくねぇよ。さっさとどけ」

「嫌だよ」

不機嫌に顔をしかめた光秀の目の前で緋田はさらに不機嫌な顔を見せる。しかし体調が悪いのか機嫌が悪いのか、光秀にはわからなかった。

窓から差し込む夕日に照らされた緋田の顔色は赤く見えなくもない。しかしそれは夕日のせいだろう。

「明紫波は同性愛者だろう。恋人とはもう別れたの?」

馬乗りにされてネクタイをつかまれたまま、光秀は生徒の質問に絶句した。なぜこの生徒がその事を知っているのかと疑念が頭の中を回り続ける。

「僕が知らないとでも思ったのかい? だとしたら君は自分の愚かさを恨みなよ」

子供扱いしているから悪いんだと、緋田は以前と同じ生意気な表情を見せた。女王然として相手を見下すような態度で口許を横に引き伸ばす。

「口外はしないから安心しなよ。その代わり明紫波に頼みがあるんだけど」

「あ?」

口外しないと言いながら頼みを向ける緋田に光秀は初めて嫌悪感を抱いた。子供は無邪気と言うが、今の緋田には邪気しか感じられない。

「のんきに一年の担任をしている君と違って僕は受験で大変なんだ。だけど生徒会長の役目も卒業まで続けたい。後任も見つかってないからね」

「キツいんなら受験に専念しろよ」

「きつくはないよ。ただ雑務が多過ぎてストレスが溜まって仕方ないんだ。だから君が僕のストレス発散の相手になってよ。君なら、男を抱くくらい簡単だよね」

同性愛者なんだからと、偏見と差別に歪んだ言葉を光秀は呆然と聞く。目の前にいる生徒が何を考えているかなど、前からわからなかった。しかし今はもうわかりたいとも思えなくなっていた。

 

 



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6話

文化祭が例年と同じく大成功を納める裏で生徒会は暗雲に包まれていた。顧問が多忙を理由に生徒会へ顔を出さなくなっていたためだ。今まで当たり前にいた存在が欠けると、それだけで不協和音となって他に影響を及ぼす。

しかし文化祭を終えた三年生は本格的に受験へ目を向けるようになる。そのため生徒会唯一の二年生である前木慶次はひとり思い悩んでいた。

教師が忙しいというのは当たり前のことで、生徒がそれを疑うのはおかしい。だが明紫波光秀は教師の中ではやる気に欠ける人間として二年生の間でも知られていた。そんな教師が突然やる気を発揮して仕事に終われるというのは納得いかない。

けれどひとりで教師の元へ行く勇気はなく、前木は理科室に救いを求めた。

 

 

生徒指導室で大量の書類を前に悪戦苦闘していた光秀は現れた生徒に目を丸めた。文化祭当日ですら理科室にこもっていた石黒は何をしているのかと問いかけてくる。そのため光秀は手元の書類に目を落として指先で軽くたたいた。

「フランス語の翻訳作業。英語ならすぐなんだけどな。こっちはさすがにムリだわ」

簡単に説明してやると石黒の後ろにいた前木が嘆くような声を漏らす。それを聞いた石黒も、ずっとそれをしていたのかと問いかけてきた。

「向こうから送られてきた資料が全文フランス語だったからな」

「何の資料なんですか?」

「秘密」

石黒が相手だからか光秀は作業をしながら気安い態度で質問に返していく。すると石黒は無言で光秀の手元に目を落とした。

「さすがのおまえも読めねぇだろ」

そんな石黒に声をかけながら光秀は表情を緩める。石黒はそんな光秀に何も返さずその目を前木へ移した。

「多忙なのは事実のようですね」

「あっ、うん。えっと……すみません明紫波先生」

石黒に話を振られた前木は素直に謝罪を向けてきた。そんな二年生に光秀は何の話なのかと問い返す。

すると前木は照れたように笑いながら頭をかいた。

「最近ずっと先生が生徒会に顔を出さなかったのでなんというか」

「文化祭は問題なかったろ?」

「空気がおかしいというか、悪いというか…」

具体的な事はわからないが居心地が悪い。そう訴える前木を前にして光秀は書類を見つめたまま手を止めた。しかしすぐに作業を再開させる。

「もうすぐこっちも終わるから、来週になりゃまた嫌でも俺の顔を見ることになるぞ」

「そうなんですか?」

「俺は生徒会の顧問だからな」

そう告げた光秀は生徒ふたりをまっすぐに見ることをしない。そんな光秀の態度に違和感を覚えた前木だが、深く考えずにうなずいた。

 

生徒指導室を出た前木はひとまず安心かと安堵の息を漏らす。しかし石黒は不機嫌に眉を寄せたまま歩きだした。そのため前木は慌ててその後を追いかける。

「みっちゃん、なんで怒ってるんだよ」

「怒ってませんよ」

「もしかしてオレがくだらないことで付き合わせたから」

「くだらないことではありませんが、手間だと思います」

「やっぱりオレのせいで!」

「違いますよ。しかししばらく様子を見ましょうか」

慌てふためく前木を落ち着かせつつ石黒はこれからの事を告げる。すると前木はきょとんとした顔で石黒を見つめた。

「何を?」

「生徒を直視できなくなった教師です」

 

 



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7話

キスをしないという条件の上で、光秀は緋田信長の依頼を聞いてくれた。それ以降、予定のない休みの日は光秀の元へ赴いて何度も身体を重ねている。

夜空をこうこうと照らす月のように届かない存在なら落としてしまえば良い。そう考えた結果、信長は恋い焦がれる存在を捕まえることができた。

けれど肌を重ねて快楽を与えられ同じ時間を過ごしても実感がわかない。腕を伸ばせばたやすく抱き締められるのに、何かが離れていくような気がする。しかし信長にはそれが何なのかわからなかった。

 

秋が終わりに近付き黄色の葉が中庭を埋める頃、信長は風紀委員長に呼び出されていた。不仲な相手の呼び出しなど普段の自分なら無視していただろう。しかし風紀委員長は大切な話だからと信長の親衛隊を遠ざけた。その珍しく真面目な表情に信長もいつものような無視はできなくなる。

そうしてふたり屋上に移動すると晩秋の強い風が流れていた。

「生徒会長さん、あんた何してんの?」

「曖昧すぎて質問の意味がわからないよ」

唐突すぎる質問に信長は顔をしかめて白い物体を睨み付ける。しかしその時の豊白はやはりいつもと違っていた。

「ならはっきり言ったるわ。あんた、明紫波先生に何してんの」

豊白の口から放たれた名前が信長の脳に突き刺さる。あげくその単語をうまく処理できず返答に詰まった。

「……何の事か、わからないね」

無理やり虚勢を張り相手から目をそらしてなんとか言葉を紡ぐ。しかし嫌な動悸が心臓を騒がせ考えることの邪魔をしていた。

「あんたの親衛隊が何度か明紫波センセに詰め寄ってんの見たんやけどな。明紫波センセ困っとったで、あんたを誘惑しとるって因縁つけられて。センセはあんたに嫌われとるって認識やから当たり前やけどな」

「僕だって……あんな教師は嫌いだよ」

豊白から目を背けたまま、信長は空を飛ぶ鳥を眺めた。秋晴れの下を飛ぶ鳥は風に乗ってどこかへ飛んでいく。

「手が届かないならと羽をもいで落としたのにそれでも届かない。あんなのは」

「アホが!!」

突然飛んできた大きな声に思考に入り込んでいた信長も驚き豊白を見る。二年半も一緒にいたが、豊白が大声を出したのははじめてだった。

「あんた明紫波センセに惚れとんのやろ。ならなんで気持ちを向けんで羽もいで落とそうとするん? おかしいやろ。好きなら好きて言うのがスジやろ!」

「あいにく僕は君のように単純明快にできていないんだよ!」

「うちが単純ならあんたはアホやろ。糖分とりすぎて脳ミソ溶けとんのとちゃうか」

「うるさいよ!」

「あんたのがうるさいわ!」

「君のほうがうるさいよ!」

屋上での罵倒は授業開始のチャイムが鳴るまで続けられた。そうして大声を出し続けた信長は妙にすっきりした気持ちで豊白と別れる。

 

 

授業を終えると信長は一年の教室へ向かう。しかしそこに光秀はおらず、下級生に聞けば10分前にホームルームは終わったらしい。それを踏まえて職員室へ向かうが、そこにも光秀はいなかった。

走り回った信長は息を切らせながら生徒指導室へ入る。すると難しい顔で辞書を開く光秀がいた。

「今まで悪かったね」

声をかけると調べものをしていたらしい光秀の手が止まる。怪訝な顔で信長を見た光秀は何事かといぶかしんでいる様子だった。

「僕が間違っていた。もう君のところには行かないよ」

あんな形で関係を築いても何の意味もない。まずは気持ちを伝えるところから始めなければならない。そう気づいたからこそ、信長は今の関係を清算することを決めていた。

「抱いてくれなんて言わない。もちろん君の秘密を暴露することもしないよ」

だからと今の気持ちを素直に告げたその先で光秀は驚いた顔を見せる。もちろんこうしていきなり関係の解消を告げられれば誰でも驚くだろう。しかしそんなことは百も承知だった。

「驚かせたことはあやまるよ。それと親衛隊には僕から言っておとなしくさせるから」

これで何も問題はないはずだと思いながら信長は生徒指導室を後にした。

 

 

 

 



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8話

冬に突入してしばらくすると一年生のクラスにひとりの学生が編入してきた。徳川真琴という生徒はフランス帰りの帰国子女で編入試験も満点という秀才である。そんな生徒が来たことで光秀のクラスはにわかに活気づいた。

そしてもう一ヶ所、徳川の存在は生徒会もにぎやかにさせる。

学生たちが楽しげに学生生活を送ることは光秀も願うところだった。そのため徳川が生徒会へ半ば強引に参加させられていることも黙認する。生徒会に参加することで中途入学の徳川がこの学園に馴染むことができればそれで良い。

そう本心から思っているのだが、どこかできしむ音が聞こえた気がした。

徳川が生徒会に参加することは問題ない。生徒会役員たちも、社交的ではないらしい徳川を暖かく迎え入れている。それに関しても何も問題はないはずだ。

授業を終えて生徒会室に入った光秀は楽しげに談笑する生徒たちを目にした。珍しいことに理科室の主まで

生徒会室にいて何やら書類に目を通している。

そんな石黒の脇で、生徒会長が徳川に笑顔を向けていた。

「真琴、もうこの学校には慣れたかい?」

「それなりに」

愛想に欠けた編入生は緋田の問いかけにも端的に返す。しかし緋田はそんな徳川へにこやかな表情を向けてさらに言葉をかけていた。それを眺めていた光秀は自然と踵を返して生徒会室を後にする。

 

緋田は気まぐれな性格というわけではない。しかし彼のファンたちの言葉を借りるなら、少なからずこちらに好意があったのだろう。だからこそ脅迫めいたやり方で関係を持とうとした。けれど何かのきっかけによって緋田はこちらに飽きた。

本当にあの年頃の考えることはわからない。光秀はそう思いながらこぼれるため息に顔をしかめた。

「先生、いま良いですか?」

廊下を歩いているところを生徒に話しかけられて足を止める。目を向けた先で自分の受け持ちの生徒が問題集を手に立っていた。

「質問か? けどそれ生物の問題集だろ」

「あ、これじゃなくてこっちなんですけど…」

そう告げて差し出してきたのは一通の手紙だった。白い封筒を手にした光秀は怪訝な顔で生徒を見やる。

「なんだこれ」

「図書室に落ちていたんです。落とし主はわからないんですけど、先生に宛てたものだったので」

生徒の説明を聞きながら封筒を開かせて便せんを取り出す。すると男子生徒独特の硬い文字で気持ちがつづられていた。だが本当に名前の明記がないため、誰のものかわからない。

「誰が落としたのか検討もつかないんだよな?」

「はい。食物連鎖に熱中しすぎて誰が図書室にいたのかもわからなくて」

「……何に熱中しすぎたって?」

生徒の発言が一度では理解できなかった光秀は再度問いかける。すると茶髪の一年生は真剣な表情のまま口を開いた。

「食物連鎖です」

この年頃の難しさは緋田で十分に理解しているつもりだった。しかしさらに難解な人物がいると逆に笑いが起きるらしい。

「ホントおもしろいな」

久しぶりに笑いをこぼした光秀は、手紙は受け取ったからと告げてその場を立ち去った。

 

 

立ち去る担任教師を見送った一年生はふと足音に気付いて視線を向ける。だが次の瞬間、殺意の目を向けられ硬直した。

「明紫波に手紙を渡していたのかい?」

緊張に背筋をのけ反らせた一年生は近付きすぎる生徒会長を見上げる。何がそこまで生徒会長を怒らせたのかわからないが、誤解があるなら正さなければならない。しかし沸き起こる恐怖は一年生に冷静に考える余裕を与えなかった。

「下級生をいじめてはならんよ」

「何やってんだヨ」

だが恐怖の時間は生徒会役員の助けによって終わりを迎える。三年の生徒会役員ふたりに止められた緋田は不機嫌顔のまま後ずさった。

その隙に最近編入してきた徳川真琴がやってくる。

「大丈夫か? えっと……あきらだったよな。体育の時に長政と一緒にいた」

まだ名前を覚えきれていないらしい編入生に一年生は笑顔で大丈夫だと返す。すると徳川は良かったと安堵しつつ生徒会長に目を向けた。

「信長は先生を追いかけていたんじゃないのか?」

「もういいよ」

そのために生徒会室を飛び出したのだろうと問いかけた徳川に緋田はそっけなく返した。あげく制止に入った伊達川たちの手を払い歩きだす。

「戻って話し合いの続きをしよう。僕たちにとって最後のイベントだから」

そう言い放った緋田は本当に立ち去ってしまった。そのため緋田を制した三年生ふたりも顔を見合わせて歩きだす。

 

 

そうしてひとり残った徳川は事情がわからず首をかしげた。そんな徳川のそばで彼のクラスメイトである一年生が口を開く。

「そういえば生徒会長は明紫波先生と不仲だって噂があったんどけど」

不意に話し始めた級友に徳川は真面目な目を向けた。

「俺の目にも不仲に見える。会話をしてるところを見たことがない」

「秋までは親しそうだったよ。生徒会長の親衛隊が話してるのを聞いたんだ。生徒の指導に熱心じゃない先生が生徒会長にだけよく話しかけてるって。だから生徒会長によからぬことを考えるんじゃないかって、変なことまで言ってたけど」

ちょっと馬鹿馬鹿しいよねと語る一年生に徳川は眉をひそめた。

「確かにあの教師は不真面目で生徒のことを放置してる。俺のことも生徒会に押し付けてるからな。学園長の像を壊したのも事故だったのに」

「でもそのおかげでこの学園に馴染めてるだろ?」

クラスメイトの指摘に徳川は口を閉ざし黙り込んだ。編入したばかりの生徒を放置したあげく生徒会役員に押し付けている。そう認識していた徳川はクラスメイトの言葉に考えを改めざるを得なくなった。

「なぁ徳川、生徒会長は明紫波先生のことが好きなんだと思う」

「だとしたらどうして信長は先生に話しかけない?」

「そんなのおれにはわからないよ。おれは前木先輩から聞いた話でそう思ったってだけだから」

生徒会役員ではない自分に知ることができるのはここまでだ。そう言い放つクラスメイトをまっすぐに見つめていた徳川はややあって目をそらす。

「来月、生徒会がバレンタインイベントをやるらしい。そこで生徒会長と先生が会話できるよう三成に相談してみる」

「石黒先輩に恋愛相談するの?」

「俺は生徒会では三成の下で働いてるんだ。性格が似ているせいか馬が合う」

「なるほど。愛想がない部分とか」

確かに似ているとうなずくクラスメイトを一瞥すると相手は苦笑いを浮かべる。そんな級友から顔を背けると何とかするからと告げて徳川はその場を離れた。

 

 

日が沈みかけた屋上で1月の冷たい風にさらされながら便せんを眺める。硬い文体で書かれた手紙には多感な年頃の男子が抱いた恋心と悩みがつづられていた。男子校であるここに通う生徒の中には同性に恋を向ける者がいる。しかしその大部分は卒業とともに異性にも興味を向けるようになっていった。

けれど稀に卒業後もズルズルとその恋愛を引きずったまま生きる者がいる。そして手紙の主は卒業後も先生を好きでいたいと書かれていた。

けれど送り主のわからない手紙に、光秀は何も返してやることができなかった。

名前がないことはもとより、そもそも教師は生徒から何を受けとることも許されていない。もちろんこの程度の手紙を受けとるくらいなら問題ないだろう。しかし生徒と教師が個人的に物の受け渡しをすることは校則で禁止されていた。

それは元は男子校であるこの校内で若い女性教師のトラブルを避けるために作られた。けれど自然とそれは教師全員に適用されるようになっている。

生徒からのプレゼントも、その裏にある気持ちすら受けとることはできない。そのため手紙の主がわかったところで光秀が取るべき態度はひとつしかない。

それでも光秀は、素直に誰かに気持ちを伝えようとする姿勢を否定したくなかった。ただ生徒を汚してしまった自分に、それを受け取る権利はないとも思っている。

 

 

 



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9話

2月に入ると学園内が浮き足立ち始めた。その原因が生徒会主催のバレンタインイベントにあることは光秀にもわかっている。ただそのイベントが、学園全体が浮き足立つほどの事なのかと思えた。

この月城学園は男子校だが、バレンタインそのものは毎年生徒の中で行われてきた。男同士でもチョコレートを渡す者と渡される者は存在する。そしてその受け渡しなどは毎年普通に隠されることもなく行われていた。

昨年などは緋田が親衛隊からチョコレートではなくガムシロを受け取っている。それに学園で最も人気の高い伊達川は一年分のチョコレートを手にした。ただそのチョコレートのほとんどは真葉の胃袋に収められている。そして一年だった前木も可愛いだなんだと言われつつチョコレートをもらっていた。

授業を終えて職員室へ戻る途中、にぎやかな廊下で光秀は生徒に呼び止められた。振り向くと編入生の徳川がやってくる。

「来週のバレンタインイベントなんだが、学園長から特例許可はもらってきたから」

「ん?」

「教師は生徒から何物も受け取ってはならないという規則があるんだろう? それを生徒会から頼んで、特例としてイベント中は無しにしてもらった」

すっかり生徒会のひとりとなった徳川を光秀は腕を組んで眺める。

「そりゃご苦労さん。それで俺に何か頼みか?」

生徒会顧問としてできることはしてやるが、無理なことは無理だ。そう編入してきた当時の徳川には話してある。そのため今までの徳川は光秀に何かを頼むこともしてこなかった。しかし今回は何か働かせたいことがあるのだろう。

そう考える光秀の目の前で徳川がにこりと微笑む。

「イベントのルールで、本命ひとつしかチョコレートを受け取れない事になってるんだ。だから先生には俺のチョコレートを受け取って欲しい」

「は?」

今まで一度も見せなかった笑顔で、徳川はなぜか周囲に聞こえるような声で言う。そのため廊下を行き交う生徒の何人かが足を止めて徳川を眺めていた。

「もちろん俺以外に受け取りたい相手がいるのなら別だけどな」

「いやおまえ…」

「答えは当日聞かせてくれ。いま答えを出されたらイベントが盛り上がらない」

最後まで笑顔で言い放った徳川は踵を返して立ち去る。その後ろ姿を呆然と眺めていた光秀は周囲の視線に気付いて目を向けた。しかし周囲の生徒たちはそれぞれ光秀と目が合うなり顔を背けていく。

 

山の上にある月城学園は周辺に店などが存在しなかった。そのため寮暮らしをしている生徒たちが買い物をするには山を降りなければならない。

そのためバレンタインイベントが近付くと校内の売店がにぎやかとなった。生徒たちがこぞってチョコレートやその材料となる物を買っていくらしい。しかもその売上は例年の比ではないと、光秀はおっとりした美術教師から教えられる。

「それでぼくもチョコレートを買おうとしたんですけど売り切れちゃってたんですよ。あ、冷凍みかん食べます?」

にぎやかな職員室内で新任の美術教師はおっとりと椅子に座っている。その隣で採点作業をしていた光秀は差し出されたみかんに目を向けた。

「冬に冷凍みかんなのか?」

「冷凍みかんの美味しさに季節は関係ないですよ」

「あー……まぁ、そうか」

寒いという点をのぞけばそうなるかと納得しつつみかんを受け取る。冷暖房完備の職員室だがそのためか空気が乾燥していた。そんな中で食べる冷凍みかんは冷たすぎることをのぞけば美味しい。

「明紫波、何を食べているんだい?」

採点作業を中断してみかんを食べていると生徒会長がやってきた。なぜか呆れた顔で光秀の手元を見る緋田に、光秀は自然とみかんを差し出す。

「冷凍みかん、食うか?」

「いらないよ。それより真琴から何か言われた?」

顔をしかめて拒絶する緋田を前に、光秀は差し出したみかんを自分の口に入れた。

「真琴は三成の下で今回のイベントを盛り上げる方法を模索してくれてる。だから何か言われたとしても真琴を責めることはしないでもらえるかい。顧問としての責務をサボり気味な誰かよりも働いてくれているんだからね」

その誰かとは自分のことだろうと思いつつ光秀はみかんを飲み込んだ。

「責めることはしねぇけど、惚れた相手はちゃんと捕まえろよ? 徳川は毛色が珍しいからか人気あるみたいだからな」

光秀は教師らしからぬ忠告かと思いながら言葉を向ける。すると緋田はなぜか鋭い目で光秀をにらんできた。

「君の頭を開かせて思考回路をのぞいてみたいものだね。どうしたらそんなふざけた考えにたどり着けるのか理解に苦しむよ」

「は? どこもふざけてねぇどろうが。そっちこそ職員室でくらい態度を改めろ」

「君がふざけたことを言わなければ敬意を持った態度を見せていられたよ」

「しょっぱなから呼び捨てといてどこが敬意だよ。先生つけろ先生」

「残念ながら、僕は今まで一度だって君を教師として見たことがないんだ。だからそんなことはできないね」

「敬意を向けるんじゃねぇのかよ」

光秀としてはいつも通り緋田と会話をしているつもりだった。しかし場所が場所だったため周囲の教師たちが仲裁に入ってくる。

引き離され注意を受けた緋田は他の教師たちには素直に頭を下げた。だが光秀には生徒会をサボるなとだけ告げて立ち去ってしまう。そのため光秀は最後まで非礼を向ける緋田に代わって周囲の教師たちへ謝罪を向けていた。

そうして落ち着くと光秀はため息を漏らしながらみかんを一切れ食べる。

「今のは明紫波先生が悪くないですか?」

そこで隣からやや小さな声が飛び、光秀は冷凍みかんの持ち主に顔を向けた。

「変なこと言ったか?」

「緋田君は先生のことが好きなんですよ。なのにあんなことを言ったら傷付いてしまうんじゃないかと思うんですけど」

「……は?」

「ですから緋田君は…」

「いやそれはない。ないっつーか、今は違うだろ」

再び語ろうとした美術教師を制して否定の言葉を口にする。すると相手は首をかしげてそんなことはないですよと不思議そうな顔で言う。

「緋田君は今も明紫波先生の事を見てますよ」

美術の担当教諭は皆、他の教師よりも目が良いとは光秀も聞いたことがある。そのため例え相手が新任の教師だとしても、その言葉は聞き流せない。

「けど俺は」

「男の子に好意を向けられても困っちゃいますよね」

唐突に、美術教師から向けられたのは不似合いなほど常識的な言葉だった。そのため光秀はつい否定したくなってしまう。しかしなんとかこぼれかけた言葉を飲み込み奥歯を噛み締める。

するとそんな光秀を見つめていた美術教師がふわりと微笑んだ。

 

 



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10話

2月14日火曜日の朝は清々しいほどの晴天だった。まだ暗い午前五時半に起床した緋田信長はクローゼットを開けて新品のタイツを取り出す。加圧タイプで防寒にも優れたそのタイツは今日の為に新調したものだった。

身なりを整えると鏡の前に立って自分の姿を見つめる。身だしなみを整えるのは人として当然のことだが、それよりも大切なものがあった。

この寮を一歩外へ出ればいつあの教師と出会うかわからない。だからこそ一片の隙も乱れもない状態でいたかった。

「大丈夫、僕は僕だよ」

いつもよりうるさい心臓を落ち着かせるように鏡に向かって話しかける。自分は完璧なのだから何も問題はない。そう言い聞かせて荷物を手に部屋を出た。

いつもより早い時間に部屋を出たためいつもは待機している親衛隊もいない。そのためひとり寮を出ると晴れやかな空を見上げた。

正門までの短い距離を歩く間に部活の朝練中らしい生徒と出くわす。彼らに挨拶を向けられそれに返していると正門に一年担当の英語教師が立っていた。

触れると病み付きになる柔らかな髪は一部が寝癖ではねている。通りすがりの生徒にそれを指摘される教師は笑いながら自分の頭に手を当てた。そんな教師の姿を見つめながら、しかし何事もないような素振りで近づく。

「おはよう、明紫波」

「先生をつけろ」

自分の笑顔はおかしくないだろうか。そう思いながら信長は教師の視線を受けた。その上で鋼色の瞳をまっすぐに見据えて笑顔を強める。

「清々しい朝だというのに、君はどうしてそうだらしない格好なんだい?」

「あ? あー……さっき剣道部の連中に付き合って竹刀振り回したからだな」

「なんだいそれは」

剣道部に参加する予定があったなんて聞いていない。そう言いかけた言葉をぐっと飲み込み信長は笑顔を作ったまま顔を背けた。

そんな信長のそばで教師は自分のネクタイを雑に直す。それを横目にした信長は衝動に駆られるままに手を出していた。教師のネクタイを整えて開かれたままの上着の前も閉ざしてやる。

ただそれだけのことで信長の体内で心臓が破裂するほどに暴れていた。

 

校舎に入った信長は教師と別れて生徒会室へ向かう。とりあえず暴れる心臓を落ち着かせなければ教室へ行くこともできない。そう思いながら生徒会室に入った信長は扉を閉めると大きく息を吐き出した。

ゆっくりと呼吸を整えながら荷物を机に置く。それでも心臓が収まらないのは、今日が決戦の日だからだろう。けれどだからこそ見苦しい姿を人目にさらしたくはない。そう思うのに、信長は赤くなっていく顔を抑えられなかった。

生徒会室の窓を開けて熱くなった顔を冷ましていると勢いよく扉が開かれる。現れたのは二年の前木だが、一緒に石黒と徳川もやってきた。

「おはよー、って顔真っ赤じゃないか。熱があるのか?」

「少し走ってきたから、そのせいだよ」

挨拶と共に心配も向けてくる前木に返しながら首元を整える。すると納得したらしい前木はそれならとうなずきカバンを開け始めた。

「みっちゃんはチョコよりおにぎりだと思って作ってきたんだ」

会話に入らず書類を広げ始めた石黒に前木はカバンから取り出した包みを見せる。すると石黒は不思議そうに前木を眺めた。

「前木はイベントに参加しないという事ですか?」

「そういう意味じゃなくて、ホントはバレンタインだから渡すのはチョコなんだけどって意味。おにぎりはいつもとおんなじ塩むすびだよ」

イベントとは別物だと言いながら前木は石黒に包みを渡している。その様子を眺めていた信長は徳川がそばにやってきたため目を向けた。

「良いのかい?」

「何がだ?」

「三成がバレンタインをもらっているよ」

「おにぎりをな」

「嫉妬しないの?」

「しない」

「どうして?」

もしあそこにいるのが石黒ではなくあの教師なら、自分は怒りに支配されているだろう。そう思うままに問いかけたそばで徳川は落ち着いた瞳で信長を見つめる。

「三成とはそういう関係じゃない」

「そうなの?」

「たぶん」

最後はやや自信無さげに首を傾けながら言う。そんな徳川を見ていると自分の中にある緊張やこわばったものがほぐれていく気がした。

 

 



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11話

午前の授業が終わると昼休憩が始まる。それが終わる午後一時からバレンタインイベントが開始された。午後一時ちょうどに生徒会長が校内放送でイベントの開始を告げる。するととたんに校舎内が歓声に包まれた。

職員室にまで届く歓声は教師らをざわつかせる。そんな中、光秀は机の上に置いていた携帯のバイブ機能が働いたのに気づいた。携帯を手に席を立つと職員室を出る。

「明紫波先生!」

職員室を出て数歩進んだだけで呼び止められた光秀は生徒に目を向けた。すると生徒は緊張した様子で赤い包みを差し出してくる。

「これ受け取ってください!」

「くそ! 先を越された!」

まるでチョコレートを渡したいかのように生徒が包みを差し出し頭を下げる。そんな生徒の元へ他の生徒たちがわらわらと集まってきた。

「明紫波先生! おれのチョコを!」

五人の生徒が並んでチョコレートを差し出す光景に光秀は絶句する。罰ゲームでもやらされているのかと思い周囲に目を向けたがそれらしい雰囲気はない。むしろ新たに学生たちが集まって来ていたため、光秀は素早く断りその場から逃げ出した。

結局のところどこへ行っても学生に捕まりチョコレートを差し出されてしまう。そのため光秀は誰もいない屋上へやってきた。まだ寒い2月のこの時期に屋上へあがってくる物好きはいない。

空は晴れ渡っているが冷たすぎる風が吹き付け光秀から体温を奪う。そんな中でポケットから携帯を取り出した光秀は改めて送られてきたメールを見る。

メールの主はほぼ一年音信不通だった親友からだった。恋人はできたかとからかうような質問を向けてくる相手に光秀は顔を歪ませる。「そんなものできるはずがない」と寒さにかじかむ手で打ち込もうとした。

しかしその背後で扉の開く音が聞こえたため、光秀は手を止め驚きの目で振り向いた。すると現れたのは見慣れた緋色の髪の三年生だった。

我知らず安堵の息を漏らした光秀は携帯をポケットにしまい込む。

「どうした。イベント中だろ」

「開始早々からチョコレートを押し付けられ過ぎてうんざりしたんだよ」

「なんだそれ。おまえが提案したイベントだろ」

やる気があるのかわからない生徒会長に向かって笑いをこぼす。

「緋田はチョコレート渡したい相手が…」

自然な流れで言おうとしたその言葉を途中で途切らせる。光秀の脳裏に浮かんだのは先日の職員室で美術教師から言われた言葉だった。

緋田が誰を好きなのか実際のところは知らない。しかし今も自分の事が好きならと、光秀は考える。

「……明紫波」

全力で思考を巡らす光秀の目の前で緋田はポケットに手を入れる。そして光秀の予想に反して、緋田は缶コーヒーを取り出した。

「カイロ代わりに買ったんだけど、僕は飲めないから飲んでよ」

緋田にしては珍しく顔を背けた状態で缶コーヒーを差し出す。それを受け取った光秀はまだ暖かい缶を握りながら緋田を見つめた。寒さのためか頬や耳を赤くさせた緋田は眉を寄せて横を向いている。

「緋田もイベント用にチョコレート用意してるんだよな」

「一応ね」

そう言いながら緋田は別のポケットから小さな箱を取り出した。その箱を眺めながら光秀はコーヒーの缶を開ける。

「誰かに渡す予定は?」

「そんなものはないよ。これはあくまでイベント用に用意したもので…」

光秀はいつもの不機嫌顔で言い捨てようとする緋田に一歩近づいて手を差し出す。すると緋田は驚いたように目を大きくさせて光秀を見上げた。

「一個しか受け取れないルールなんだろ?」

「そうだね」

「ならくれよ」

「どうして」

「追いかけられて仕事できねぇのはしんどいからな」

一個でも受け取ればイベントを終われるのだろう。そう言い放った光秀の目の前で、緋田の瞳が殺意に見開かれた。

「君にチョコレートを渡そうとしている生徒がいるのかい?」

「おまえたちほど多くねぇけどな。まぁ、俺も毛色が珍しいんだろ」

気にするなと告げた光秀は緋田に缶コーヒーを持たせて小さな箱を取り上げた。不意をつかれた緋田は驚きと焦りのまじった顔で光秀の手を見上げる。

しかし光秀はそんな緋田にかまわず箱を開けた。するととても円形とは言えない歪んだ黒い物体が入っている。

「料理は見た目だけじゃないんだよ。凡人にはわからないだろうけどね!」

「この三年でまったく進歩しなかったよなぁ。一年の時に実習で作ったとか言うカップケーキ、覚えてるか?」

「覚えてるよ。あの時は明紫波が甘いものを嫌いだなんて知らなかったんだ。だけどあれは食べずに誰かにやったんだろう。君は甘いものが嫌いだから」

少し口をとがらせて言う緋田は完全に顔を背けてしまっている。その赤くなった耳を横目に光秀はチョコレートを口に入れた。

「うまい」

それは意外なほど、チョコレートとしてまともな味だった。学生が食べるには苦すぎるだろうが、光秀にはちょうどいい塩梅だ。

「悪い、三年前のカップケーキとは段違いの進歩だったな」

あれはジャリジャリしていたからと苦笑いを浮かべて緋田に告げる。そんな光秀の眼前で緋田の顔は今度こそ真っ赤に染まっていた。

「…して、そんなことをするんだ」

真っ赤な顔をしかめた緋田は怒りを含んだような声色で叫ぶ。

「僕の事を好きでもないくせに!」

 

 

 



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12話

室内が緋色に染まる中、バレンタインイベント終了を告げる放送が流れる。石黒の事務的で落ち着いた声を聞きながら目を開かせた光秀はしばし天井を眺めた。

「おはヨ、よく寝てたナ」

やや呆れたような声を耳にした光秀は聞こえた方へ目を向ける。すると生徒会役員の真葉がベッドに肘を乗せて飴をなめていた。

「緋田のチョコ食って倒れたんだヨ。覚えてるか?」

「あー……」

「三年前も救急車で運ばれたよナ。少しは学習しろヨ」

「緋田は?」

「イベントの閉会式と生徒会長として最後の挨拶。そろそろ終わる頃だヨ」

「落ち込んでなきゃいいけどな」

「泣いてたヨ」

緋田の心配をする光秀に真葉は冷たいほどに淡々とした口調で報告してくれる。

「自分の責任だって、ここで泣いてたから伊達川が挨拶代わるって言ったくらい。だけど真琴が、明紫波なら生徒会を優先しろって言うはずだって言ったんだヨ」

状況説明をした真葉は語尾とともに呆れた顔でため息を漏らす。

「なんであいつに何も言わないんだヨ」

「…教師だからに決まってんだろ」

真葉の問いかけに返しながらゆっくりと起き上がる。今も頭痛とめまいはあるが、動けないほど酷くはない。

「頭打ってるかもしれないから、病院行ったほうがいいヨ」

「後で行くわ」

ベッドから降りて靴を履くと服装を整えながら歩きだす。しかし不意に腕を捕まれて足を止めた。振り向くとそこに真剣な顔の真葉がいる。

「イベントが終わったなら、これあげてもいいよナ」

「ん?」

腕をつかんだままその手に小さな包みを乗せて握らせる。

「なんだこれ」

「チョコ」

「は?」

「嫌がらせしようと用意してたのに、勝手に倒れたのが悪いヨ」

「おまえなぁ…」

呆れつつもチョコレートを受け取った光秀は保健室を後にした。こめかみに手を当てながら歩いていると前方から石黒と前木がやってくる。

「明紫波先生! 大丈夫ですか?」

心配そうに駆け込む前木の問いかけに、光秀は何もないと告げつつ石黒に目を向ける。すると石黒は顔を背けて眼鏡を押し上げながら黒い箱を差し出してくる。

「どうぞ」

「なんだこれ」

「あっ、おれもです。チョコレート」

疑念を抱く光秀の脇で前木もポケットからピンクの包みを取り出した。

「真琴の提案で、生徒会のみんなが先生にチョコをあげる予定だったんです。信長があげられなかった場合の保険とかで」

前木の説明を聞いた光秀はそういうことかと納得しつつふたりから包みを受け取った。

「つーか、徳川は俺が甘いモン食わねぇってこと知らないだろ」

だからそんなことを提案するのだろうとつぶやいた光秀は盛大にため息を吐き出す。すると石黒がその事は教えてありますと言い出した。

「本命ひとつしか受け取ることができないのだから、俺たちの誰かから受け取れば良い。真琴はそう考えて俺たちにそれを用意させたんですよ。その上で真琴は明紫波へ宣言しに行きましたよね。自分がチョコレートを渡すから受け取って欲しいと」

「ああ、言ってたな。あれも何かの作戦か?」

「他の生徒を刺激することで、倍率を高めただけですよ。真琴の予想通り緋田は焦って一部の生徒を脅していたようですから、成功したと言えますね」

石黒は少し楽しげな口調で言う。そんな石黒を前にして光秀は顔を引きつかせた。

「楽しそうだな」

「あなたの逃げ惑う姿を見られましたからね」

「ホントおまえはドS様だな」

とんでもない生徒だと笑いながら光秀は再び歩きだした。すると石黒から生徒会室にいるという言葉が投げられる。

 

 

 



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13話

生徒会室にたどり着くとその入り口に伊達川と徳川が立っていた。何やら話し込んでいたふたりは光秀がやってきたのに気付いて目を向けてくる。

「頭、大丈夫か?」

やや語弊を招きそうな問いかけをした徳川に伊達川が笑った。いつも明瞭ではっきりとしている伊達川は光秀に笑顔を向けて手を差し出す。

「そのチョコレートは俺が預かろう。話をするのに邪魔だろうからな」

「おう、悪いな」

伊達川の厚意に甘える形で光秀は持っていたチョコレートをすべて渡した。その上で扉を開かせるとひとり生徒会室に入る。

 

緋色に染まった生徒会室はいつもと違い静かな空気に包まれていた。椅子に腰掛け机に突っ伏していた緋田は頭を上げないまま何か用かと問いかけてくる。

「政宗がなんと言おうと僕の気持ちは変わらないよ」

「何が変わらないんだ?」

人間違いをしているらしい緋田に声をかける。すると驚いた緋田が勢いよく頭をあげた。

「明紫波」

「先生をつけろ」

思わずといった様子で名前を呼ぶ緋田にいつもと変わらない返しを向ける。すると緋田は泣き腫れた目を細めて顔を背けた。

光秀はそんな緋田のそばまで椅子を引きずと腰を下ろす。

「なぁ緋田」

「文句は聞かないよ。あれは勝手に食べた君が悪いんだ」

「文句なんて言わねぇよ。それより教師としておまえの間違いを指摘しに来た」

顔を背けていた緋田は光秀の言葉に目を向けた。怪訝な顔で何の話かと首をかしげる。

「僕に間違いなんてあるはずがないよ」

「俺は教師だから、おまえの誤解を訂正できねぇ」

「この僕が何を誤解してると言うんだい?」

「それは自分で考えろ」

「指摘しに来たんじゃないの?」

「おまえは間違ってるって、指摘してやったろ」

的を得ない会話であることは光秀もわかっている。そのため緋田が混乱し、徐々に顔をしかめていくのも黙認した。

「1ヶ月猶予をやるからよく考えろよ」

「……1ヶ月後は卒業式だよ」

「そうだな」

「卒業したくないと言ったら、明紫波は怒る?」

不意に甘えるような上目遣いをした緋田は戸惑いの色を見せつつ問いかけてきた。そのあり得ないほど弱気な姿に、光秀は情を向けることなく鼻で笑い立ち上がる。

「受験終わってんだろ。さっさと卒業して大学に行けよ」

生徒会室を出るべく歩きだしながら言い放つ。すると緋田は困惑に瞳を揺らしながら立ち上がった。

「君はそんなにも僕の教師でいるのが嫌なのかい?」

窓から差し込む夕日を背にした緋田は髪の一部がきらめいて見える。三年間毎日のようにそれを見てきた光秀は気持ちを隠して口の端を引き伸ばした。

「嫌に決まってんだろ」

いつもと同じように笑みを浮かべて言い捨てると緋田を見る事なく生徒会室を出る。

 

 

 



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14話

毎年3月14日に月城学園では卒業式が行われる。粛々と教え子を見送った英語教師の明紫波光秀は式の後で自分の携帯を確認した。一年前に海外赴任となった親友から卒業式は終わったかと問いかけるメールが届いている。それに対して今終わったと返しつつ、光秀は生徒会室に足を向けた。

卒業生代表を務めた元生徒会長の姿が窓越しに見えたためだ。

 

生徒会室に向かう途中、親友から次は逃げるなよとメールが届いた。海の向こうにいるこの親友はおそらく何もかも見抜いているのだろう。しかしなにもかも言わずに海外へ飛び立っていた。

生徒会室の扉を開かせると卒業証書を手にした緋田が窓の外を眺めていた。後ろ手に扉を閉めた光秀は何をしているのかと問いかける。すると緋田は素知らぬ態度で見納めだからと返してきた。

「もうここから夕日を見る事はできないからね」

「卒業しても遊びに来るヤツはいるけどな」

「僕はそんなことはしないよ。だけど……ねぇ、明紫波」

隣り合い窓の外を眺めていたが、不意に緋田は首をかしげるように光秀を見上げた。そんな緋田に横目を向けた光秀は腕を組む。

「最後くらい先生をつけろ」

「僕は君の事を教師だと思ったことはないよ。だって教師だと認めてしまったら恋なんてできないだろう」

だから絶対に先生とは呼べないと、卒業証書を握りしめながら緋田は告げる。

「僕は君のことが好きなんだ。君はバレンタインの時にこの気持ちを間違いだと指摘したんだろうけど、でも」

「1ヶ月かけて考えた答えがそれか」

十八歳の頭ではそれが限界かと、光秀は腕を組んだまま背中を少し丸めた。そうして緋田と視線の高さをあわせて顔を近づける。

「卒業証書をもらったとはいえ、おまえはまだここの生徒だ。けどこの後、正門から外に出たらただの卒業生になる」

「そうだよ。だからこれが最後なんだ」

「最後じゃねぇよ。そっからだろ」

簡単に否定した光秀の目の前で、緋田は黄緑色の瞳を丸めてぱちくりとまばたきをする。その上で、どういう意味なのかと首をかしげながら問いかけてきた。

「教師と生徒って関係じゃなくなったら、次はどんな関係になりてぇか。おまえに選ばせてやるよ。けどダチってのは無しな」

友人以外でと指定した上で、光秀は新たな関係性を緋田に問いかける。そんな光秀の

言葉を聞いた緋田は人形のように整った顔を歪ませた。大きな瞳に涙をあふれさせながらわずかに唇を震えさせる。

「つまり…僕が望めば、キスできる関係になれるのかい?」

「それだけで済むかどうか保証できねぇけどな」

悪戯めいた笑みで告げた光秀に、緋田は顔を赤らめながら笑った。

「そんなことはまったく構わないよ!!」

 

 

 



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15話

四月に入り校庭の桜が満開になる頃に入学式が行われる。新一年生を迎える側である在校生代表として、新しい生徒会長が壇上に上がった。小柄な体格だが誰よりも落ち着いた性格で、さらに頭脳明晰。それは前生徒会長が指名した、誰よりも優秀な生徒だった。

入学式を終えて体育館を出た光秀は生徒会長に呼ばれて足を止める。

「光秀、ネクタイが曲がってる」

「マジか」

不意の指摘に驚いた光秀だが、ふと首をかしげて生徒会長を見やった。生徒会長は真面目な表情のまま光秀のネクタイを直してくれている。

「おまえ、なんで俺を呼び捨ててるんだよ」

「信長から虫除けを頼まれてるからな。先生なんて他人行儀な呼び方はできない」

「はあ?」

なんだそれはと呆れながらも、一方であいつならやりかねないと思ってしまう。なにせ光秀はつい2ヶ月前、チョコレートを渡そうとする生徒に追いかけられたのだ。その人数を考えれば、独占欲の強い恋人が虫除けを考えるのは仕方ないことだろう。

生徒会長とふたり歩きながら、光秀はため息を吐き出した。

「信長は元気か?」

「あー……今日はあっちも入学式なんだわ」

「大学でもできそうだな。親衛隊」

「緋田と同学年の親衛隊はほとんど同じ大学に進んでるからな。もう結成してるだろ」

「光秀は嫉妬しないのか?」

大学に進んでもにぎやかな生活を送らされていることだろう。そんな恋人のうんざりした顔を思い出していると生徒会長に問いかけられた。其のため何の話なのかと問い返せば、生徒会長は真面目な紫色の瞳を細める。

「以前信長から聞かれたんだ。好きな人が他人から物をもらうことに対して嫉妬しないのかと。信長は嫉妬するらしいんだが、光秀はしないのかと思った」

「あいつに尽くすことしかできないんなら、好きなだけ尽くさせてやりゃ良いんだよ。けどあいつに尽くされる権利は、誰にもやらねぇけどな」

「そういうものなのか」

「そういうもんだよ。で、生徒会長さんはどうよ」

新たに問いかけると生徒会長は軽く肩をすくめて見せた。

「俺はいつも通りだ」

「理科室の主も卒業したろ。寂しくないか?」

「週末に会うから問題ない。ああ、三成と言えば……あいつ、フランス語も堪能なんだな」

「ん?」

不意に出た話題について行けず光秀は首をかしげる。そんな光秀の頭に窓から舞ってきた桜の花びらが乗った。それに気付いた生徒会長は頭を下げろと告げる。

言われるまま頭を下げた光秀は生徒会長が花びらを取り除くのを眺めた。

「三成は俺がここに編入する前から俺の事を知っていたんだ。光秀が翻訳していた書類を読んだらしい」

「あー……あの時か。つーかあいつフランス語できるんなら翻訳手伝えよ」

「俺の個人情報があったそうだから、生徒が見ても良い内容じゃないだろ。だから三成もあえて手伝わなかったと言っていたぞ?」

「いやまぁそうだけどよ…」

あの翻訳作業はつらかったとつぶやいた光秀はため息を漏らした。

昨年度の卒業式で四人の生徒会役員が卒業している。そのため現在の生徒会には新三年生の前木と二年の徳川のふたりしかいない。

そのひとりである徳川は生徒会長としてよく働いている。けれどやはり優秀な三年生が抜けた穴は大きかった。特に元理科室の主は普段から黙々と書類を片付けるタイプの人間だった。その代わりとなる人間がいないままでは徳川たちに負担がのし掛かるだろう。

新学期早々仕事が山積みだと思いながら、光秀は風に流れる花びらに目を向けた。

 

 



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